ストライク・ザ・ブラッド ー監獄結界の聖剣遣いー (五河 緑)
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聖者の右腕編
聖者の右腕編Ⅰ


 初投稿です。温かく見守ってください。楽しんでいただけたら幸いです。


 暗闇の中。

 

 

 ジャラッと鎖が垂れる音が響いた。

それが、自分の左手の枷に繋がれている物だと言うことを少年は、ボンヤリと考えていた。

 

 「今日……何日だっけ……」

 

 うろ覚えの記憶を辿りながら自分をこの檻にぶち込んだ奴が最後に顔を見せた日を思い出す。

 

 「…………………………」

 

 

 

 あまりに昔過ぎて思い出せない。

 とりあえず、365日より前なのは確かだ。

 

 「ヤバ…………時間の間隔無くなってきた。……いつの間に1年たったんだ」

 

 少年は、誰に聞かせる訳でもなく、ポツリと呟いた。

 

 

 ここに、入れられて随分と長い時間が過ぎていった。

 この〈監獄結界〉で。

 

 コツン……コツン……コツン

 

 どこか遠くから周期的な音が聞こえてきた。

 自分の出している音ではない。

 この檻の外からだ。

 〈監獄結界〉の中。そして、少年のいる檻の外。

 そんな所にいるやつは1人しかいない。

 

 「……生きているか、小僧」

 

 壁に背中を預けて座り込む少年に檻の格子の向こうから声が掛けられる。

 そこには、優しさや気遣いと呼べるものは一切無く、ただ無情さと冷たさだけを含んでいた。

 

 「…………」

 「生きているなら、返事くらいしろ」

 

 少年が顔を上げると、そこには黒のゴスロリに身を包んだ少女が立っていた。

 本人曰く年齢は26のはずだが、これでは小学生でも通用するだろう。

 だが、その瞳に浮かんでいる冷ややかな眼差しは、数多の死線を越えてきた強者のそれであり、外見相応の愛らしさなどは微塵も無かった。

 

 彼女こそがこの牢獄、〈監獄結界〉の看守であり支配者だ。悪魔に魂を売り渡し、その代償で強大すぎる力を手に入れた存在。

 欧州の魔族を恐怖のドン底に叩き落とした断罪者。

 

 〈空隙の魔女〉南宮那月。

 

 数秒、空中で少年と彼女の視線が交差する。

 やがてーー。

 

 

 「…………何の用だよ」

 

 吐き捨てるように少年は言った。

 そんな、少年に南宮那月は依然として見下すような目付きで見下ろしたまま口を開いた。

 

 「簡潔に言おう。貴様をここから出してやる」

 

 ピクリと少年の肩が動いた。

 そして、ゆっくりと立ち上がると格子の前にまで歩いていき、近距離で南宮那月の顔を見つめた。

 

 「……本気か?」

 「嗚呼。本気だとも。……だが、条件がある。それが呑めないなら、この話は無しだ」

 

 南宮那月は、右手に持つレースのついた扇子で少年の額をコツンと叩いた。

 

 「……条件?」

 

 少年は、僅かに警戒心を強めた声音で問い返した。あの南宮那月が持ち掛けてきた取り引きだ。決してまともな内容では無いのだろう。

 そんなことは、少年にも分かっていた。故に格子から1歩下がって警戒しながら南宮那月の言葉に耳を傾けた。

 

 「……最近、絃神島に妙な輩が忍び込んでな」

 「妙な輩……?」

 「そうだ。ここ数日で魔族を襲いまくっている。標的の選び方も統一性がない厄介な奴だ。アイランドガードと攻魔局が捜査してるが足取りが掴めん。仮に見つけられたとしても、それ相応の被害は覚悟しなくてはならなくてな」

 

 そこで一旦言葉を切り、南宮那月は右手の扇子で左手の平をパチンと打って少年に向き直った。

 

 「そこで、その正体不明の連中の排除を任せられる奴を探している」

 「……それが、俺ってことか?」

 

 怪訝そうな表情で問い掛ける少年に南宮那月は、それに対して微笑を浮かべた。

 

 「そうだ。何かあっても問題にならない囚人なら、戦力が未知数な敵とぶつけても良いと思ってな。貴様ら、〈監獄結界〉の囚人なら実力の方も問題無いだろうからな」

 「…………『貴様ら』、てことは俺以外にもこの取り引きを受けている奴がいるってことか?」

 「ああ。そうだ。他の囚人と協力して絃神島の侵入者を確保しろ。その期間は、仮釈放としてある程度の自由はくれてやる」

 

 ふんっ、と鼻で笑いながら南宮那月はレース付きの扇子を少年の顔に向けた。

 

 「さあ、どうする。この取り引き、応じるか?」

 

 …………。

 少年は、しばしの間、目の前の少女を見つめた後、ゆっくりと息を吐き出した。

 

 「……分かったよ。その話、乗った。早く、ここから出してくれ」

 「ふんっ、契約成立だな」

 

 南宮那月がそう言った瞬間、一瞬の燐光と共に周囲の景色が一変した。

 先程まで居た薄暗い牢獄から、夜景の光が眩しいくらいの街を見下ろせる高層ビルの屋上に。

 空間転移魔術だ。

 本来なら、大規模な儀式や術式が必要になるはずだが、それを息をするかのように使う南宮那月に、改めてその強大さを意識せずにはいられなかった。

 そして、その小さな魔女の隣に立つもう1つの人影に視線を向けた。

 女だ。菫色の髪を結っていて、ビキニの様な物の上に黒い上着を羽織っただけの扇情的な格好。

 そして、淡く紅色に光る眼光と唇の端から僅かに覗く牙が彼女が吸血鬼であることを示していた。

 

 「ジリオラ・ギラルティ……か?」

 

 過去の記憶を掘り返して浮かんだ名前を口にする。

 

 「あらぁ、まだわたしの名前を覚えてる人がいたんだぁ」

 「……あれだけの事をしておいて簡単に記憶から薄れるわけ無いだろう」

 

 上機嫌そうに笑うジリオラに南宮那月が蔑みを含んだ声音で声で言う。

 南宮那月の言う通りだ。

 少年の記憶が確かなら、この女吸血鬼は数々の猟奇的な事件を起こした一級の犯罪者だったはずだ。

 本来なら、絶対に檻から出されることなど無いのだが……。

 

 「そいつが、他の取り引き相手か?南宮那月」

 「そうだ。こいつとお前の2人で、やってもらう」

 

 眼下に広がる夜景を見据えたまま南宮那月は、言った。

 そんな南宮那月にジリオラが、んー、と伸びをしながら声を掛ける。

 

 「で、そこの坊やはどちら様?」

 

 蠱惑的な視線を横目に少年を見る。

 

 「アルディギアで馬鹿をやった小僧だ。戦力になるか微妙な所だから、あまり期待しない方がいいぞ」

 「ふーん……アルディギアねぇ。なんかあったかしら?」

 

 ジリオラが手を顎に当てて考える素振りをしている間に南宮那月が何もない空間から細長い物を取り出した。

 

 「小僧、戦闘にはこれを使え」

 

 取り出したのは、剣道で使われる竹刀袋に入れられた棒状の物だった。

 少年は、それを受け取って中身を確認した。

 そこに入っていたのは、黒い鞘に納められた鍔の無い片刃刀だった。鞘から少し抜いてみると、それが柄から刀身までが真っ黒に染められているのが分かる。

 

 「エンチャントウェポンか……」

 「貴様が以前使っていた物と比べたら柔すぎる代物だからな。あまり、乱暴には扱うなよ」

 

 まあいいか、と片刃刀を鞘に戻して竹刀袋で包んだ。

 

 「貴様らの部屋も用意してある。携帯もわたしが用意したものを使え。生活の費用もわたしが出す。いいか、勝手なことは一切するな。何か問題の1つでも起こしてみろ。即座に〈監獄結界〉に引き戻してやる」

 

 脅す様にドスの効いた声を発する南宮那月に、おお怖い怖い、とジリオラが肩をすくめた。

 

 「……それと、1つ言い忘れたが、わたしは教師だ。日中は、わたしの目が届く彩海学園に居てもらうぞ」

 

 その一言に少年は、ピクリと眉を上げて反応した。

 

 「学校に俺達なんかが居ても大丈夫なのか?」

 「そこは、考えてある。気にするな」

 

 彼女がそう言う以上、問題は無いのだろう。

 少年は、それ以上の追求を止めて再び口を閉ざした。

 

 「では、移動するぞ」

 

 南宮那月が空間転移の魔法を発動させようとする。

 その時。

 

 「ねえ、待ちなさいよ。まだ、坊やの名前を聞いてないんだけど?」

 

 問いかけてきたジリオラに少年は、億劫そうに口を開けて自らの名を口にした。

 

 「キリヲだ。九重キリヲ」

 

 黒髪碧眼の少年は、無愛想にそう呟いた。

 

 

 

 

 *******

 

 

 

 彩海学園

 

 「はぁ……」

 

 

 高等部の教室で白いパーカーを羽織った少年、暁古城は心底疲れたようにため息を漏らした。

 そんな彼の手には、ピンク色の柄がプリントされた女物の財布が握られていた。

 

 「どーするよ、これ?」

 

 思わず独り言が出てしまう。この持ち物の持ち主は、判明している。だから、今朝中等部の教員の元まで行って預けようとしたが、生憎とお目当ての教員は不在。

 持ち物の内容的に他の人物に預けるわけにもいかずに、こうして今も持っているわけだ。

 こうなると、後は本人を見つけて手渡すくらいしか手がないのだが、古城としては、これ以上あの中等部の少女と顔を会わせたいとは思えなかった。

 

 「……あれは、流石になぁ」

 

 先日、古城が遭遇した財布の主は、古城が今まで必死に隠してきた古城の正体ーー世界最強の吸血鬼、第四真祖であることを知っており、それどころか何やら物騒な槍を持ち出してくる始末だった。

 彼女の正体は知らないが、きっとまともな分類では無いだろう。何より、自らの正体を知っている人物にこれ以上会いたいとは思えなかった。

 

 「なーに、死にそうな顔してため息ついてんのよ」

 

 思考回路が出口無き迷走に走っていると背後から女子生徒に声を掛けられた。

 藍羽浅葱ーー古城のクラスメイトであり、絃神島の管理公社に雇われるほどの凄腕ハッカーだ。

 

 「そうだぜ、朝から気ぃ滅入るモン見せんなよ」

 

 その隣には、髪が逆立ってツンツン頭になっており、首にヘッドホンをかけた男子生徒ーー矢瀬基樹。浅葱と同じく古城の親しい友人の1人だった。

 

 「ああ?悪りぃ。なんでもねねーよ」

 

 2人の友人が来たのに気付き、古城は拾い物の財布をズボンのポケットにねじ込んだ。

 

 「なによ?いつもに増して覇気が無いわね?昨日なんかあった?」

 

 怪訝そうに聞いてくる浅葱の一言にドキリしつつ、極力冷静を装って首を横に振る。

 

 「な、なんもねーよ。うん……なんも、無かった」

 

 まさか、魔族と攻魔師の戦闘に巻き込まれた挙げ句、その攻魔師の槍を殴って弾いてきたなんて口が裂けても言えないだろう。

 少なくとも、友人たちには正体を隠している古城には。

 

 「おい、さっさと席につけ。ホームルーム始めるぞ」

 

 古城が浅葱に、苦笑いを浮かべている間に、いつの間にか教室に来ていた担任の教師ーー南宮那月が不機嫌そうに言い放った。

 齢26(自称)外見年齢10代前半の担任教師の機嫌が悪化しないうちに、古城たちは自らの席に戻った。

 それを確認した所で那月が口を開く。

 

 「よし……全員いるな。まずは、今日からこのクラスに編入することになった転校生を紹介する」

 

 途端にざわめくクラス。

 転入?このタイミングで?男かな?女かな?美人来いっ!絶対、イケメンよ!

 様々な声がクラスのあちこちから飛び交う。

 

 「おい、入ってこい」

 

 騒ぐクラスメイトを横目に那月は、教室のドアに向かって言葉を発する。

 数秒後、ガラッとドアが開いて1人の少年がクラスに入ってくる。

 

 「……自己紹介でもしろ」

 

 教壇の前まで来た転入生に那月が高圧的に言う。

 

 「……九重キリヲです。よろしく」

 

 教壇の前に立つ、黒髪碧眼の少年は黒い竹刀袋を背負ったまま腰を折って頭を下げた。

 

 「ふん。随分と味気ないな。……まあ、いい。席は、あそこだ。分からないことは、隣の暁にでも聞け。もっとも、あれも中々にアホだからな。なんでも、鵜呑みにしない方がいいぞ」

 

 地味に古城の事を罵倒しながら那月が古城の隣の席を扇子で指す。

 その席と古城を数秒見てから、キリヲは那月に向かって口を開いた。

 

 「おい、那月ーー」

 

 バチンッ!

 

 「先生をつけろ。愚か者め」

 「………………先生」

 

 那月の扇子による一撃を食らってヒリヒリと痛む額を押さえながら憎々しげに言葉を紡ぐ。

 

 「『暁』って、あの『暁』なのか?那月……先生が言ってたーー」

 

 バチンッ

 

 「そうだ。その暁だ。分かったらこれ以上無駄口叩いてないでさっさと席につけ」

 

 頭部に2発目を食らったキリヲは、心底恨めしげに那月を睨み付けてから、示された席である古城の隣に腰を下ろした。

 

 「よろしくな。暁古城だ」

 「よろしく」

 

 屈託ない笑顔で右手を差し出す古城にキリヲもその手を掴んだ。

 

 「なあ、さっき那月ちゃんと何話してたんだ?」

 

 自己紹介が終わった後、教壇の前で二人で何やらコソコソとやり取りをしていたのが古城は少し気になっていた。

 

 「『暁古城』の話をしてた」

 「俺かよっ!?」

 

 思わぬ所で噂の対象になっていたことに思わず声を上げる。

 

 「ああ。中々アホな奴だって聞いてる」

 

 真顔で転入してきたばかりのキリヲにそう言われて、軽傷とは言えない傷を心に負う古城。

 

 「ああ。それ那月ちゃんが当たってる、こいつホントに頭悪いのよ。まさに勉強出来ないアホって感じ」

 

 古城の後ろの席にいた浅葱が古城の頭をコツコツとつつきながら言う。

 

 「あ、わたしは浅葱。藍羽浅葱。よろしくね」

 

 ニコッと微笑む金髪の少女にキリヲも軽く会釈をした後に古城に向き直った。

 

 「勉強出来ないアホか……。なら、俺と同じだな」

 

 爽やかとも言える笑顔でそう言うキリヲに思いっきり古城は、脱力した。

 

 「妙な所で親近感持たれちまった……」

 

 ガックリ肩を落とす古城をドンマイと言いながら前に座っていた基樹が慰めていた。

 

 「なんだか、面白いのが来たな。俺は、矢瀬基樹だ。基樹でいいぞ」

 

 誰にでも明るく接する級友と挨拶を交わしている転入生を見て、古城は、これなら直ぐにクラスに馴染めるだろうと、少しホッとした心境だった。

 

 「おい、馬鹿共。そろそろ静かにしろ。転入生とは別に新しい講師も入ることになった。……おい、入ってこい」

 

 那月が再度、教室のドアに向かって声を掛けると、入ってきたのは、菫色の髪の女だった。服装は、いかにも新任教師が着そうなスーツ。

 

 「英語の講師をさせる。ジリオラ・ギラルティだ。しばらく、読解の授業はこいつに任せるから、そのつもりでいておけ」

 

 那月は、無愛想にそう言い放つと、さっさと授業の準備を始めだした。

 

 「新しい講師も来たのか……」

 「なんで、あいつが講師なんだよ……」

 

 特に興味を示さない古城の横でキリヲは、ボソッと呟いていた。

 しかし、そんな中で浅葱だけが顎に手を当てて考える素振りをしていた。

 

 「ジリオラ……ジリオラ・ギラルティ……。なんだっけ?どっかで聞いたような……?」

 

 必死に記憶を掘り返そうとしていた。

 

 「よし、授業を始めるぞ」

 

 那月の一言で、取り敢えず浅葱も思考を打ち切り、目の前の教壇に意識を向けた。どうやら、さっそく新任講師が教鞭を取るようだ。

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 不定期更新ですが、よろしくお願いします。
 感想、誤字報告お待ちしております。


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聖者の右腕編Ⅱ

 「学食は、こっちだ。つっても、大体、自分で弁当持ってきてるから使う奴あんま、いないけどな」

 

 那月にキリヲの案内を任された古城が校舎の廊下を通りながら、食堂の説明をしていた。ちょうど、昼時で廊下にも生徒が溢れている。

 この日は、午前中で学校が終わりのせいか帰り支度をしている生徒も少なくない。

 

 「キリヲ、飯は?」

 「……持ってきてない」

 「あっ、独り暮らしだっけ?」

 

 古城の問いにコクりと頷いて返事をするキリヲ。

 

 「じゃあ、学食だな。悪いけど先行っててくれるか?俺も後で行くから。その後、また案内するよ」

 「……?なにか用事でもあるのか古城?」

 

 キリヲが首をかしげると、古城が、ああ、と言いながらポケットからピンク色の財布を取り出した。

 どうみても、女物だ。長年、投獄されていて世間に疎いキリヲでもそれくらいは分かった。

 

 「こいつを、中等部に届けてくるからさ」

 「失せ物か?」

 「ああ。昨日、拾ってな……」

 

 槍をぶん回す女子中学生が、という言葉を呑み込んで苦笑いを浮かべる古城。

 

 「そうか?じゃあ、学食で待ってる」

 「おう、すぐ戻る」

 

 そう言ってキリヲに背を向ける古城。その後にてに持っている財布を覗きこむ。

 

 (柄は、結構可愛いな。……槍とか持ってたけど)

 

 などと、考えていた次の瞬間。

 

 「ぐっ……!」

 

 突如、財布を抱えて古城がうずくまった。両手は自らの顔を覆っている。

 

 「どうした、古城!?」

 

 食堂に行こうとしていたキリヲが古城の異変に気付いて駆け寄った。

 

 「く、来るな。キリヲ……!」

 

 近づいてきたキリヲを全力で止める古城。

 

 (やべぇ。今、来られたら……ただの変態にしか見えねぇっ!)

 

 端から見れば、今の古城は女物の財布の匂いを嗅いで鼻血を出すほど興奮してる様にしか見えない。

 

 「お、おい、本当に大丈夫か?」

 「い、いや、ホント大丈夫だから……」

 

 そんな古城の心情など知る由もなくキリヲは、駆け寄って古城の背中をさする。

 

 「わ、悪い……」

 

 キリヲに介抱されながら、なんとも情けない声をあげる古城。

 

 「…………これも、吸血鬼化の影響なのか?」

 

 古城の背中をさすっていたキリヲが、ポツリと呟いた一言に古城は、顔を跳ね上げて反応した。

 

 「な、なんで、知って……るん……だ……?」

 

 その顔は、驚愕に満ちていた。決して知られているはずのない秘密を知られていたことに対する驚きだった。

 

 その時。

 

 「こんなところに、いたんですか」

 

 突然、二人の背後から声が掛けられた。

 振り替えると、そこに立っているのは中等部の制服に身を包んだ女子生徒。その背中には、大きめのギターケースが背負われている。

 

 「……女子の財布の匂いを嗅いで鼻血出すほど興奮するなんて。……なんて、おぞましい」

 

 女子生徒がドン引きした様子で古城を見下ろしていた。

 

 「誰だ?」

 「この、財布の持ち主だよ。昨日、会った。攻魔官らしい」

 

 キリヲの質問に古城が口早に答える。

 

 「攻魔官……」

 

 キリヲは、女子生徒の背負っているギターケースに目を向けていた。漏れ出す気配から、中身が楽器などではないのは明白だった。

 

 「姫柊……雪菜だったか?」

 「……なんで、名前を知ってるんですか?」

 「定期に書いてあったよ」

 

 ヒラヒラと財布を掲げる古城に女子生徒ーー雪菜が鋭い視線を向ける。

 

 「それ、わたしの財布ですね?返してください」

 「……その前に教えろよ。お前は、何なんだ。返すのは、それからだ」

 「…………分かりました。力ずくで奪い返せと言うことですね?」

 

 背中のギターケースのジッパーを開ける雪菜。

 その動きに合わせて古城も身構える。

 

 「…………」

 「…………」

 

 両者の間に一瞬の静寂が流れた後。

 

 ガッ。

 

 勢いよく、雪菜が床を蹴り、古城に急接近する。更に移動さながら、ギターケースの中身を取り出した、その先端を古城に向ける。取り出された銀色の槍は、ガチャンッと音をたてて刃を展開する。

 槍の切っ先は、真っ直ぐに財布を持つ古城の手首に向かっていく。

 その動きに古城は、反応できない。槍の先端が古城の手首に当たる寸前ーー。

 

 キンッ!

 

 辺りに甲高い金属音が響き渡った。

 古城の背後からキリヲが竹刀袋にいれていた刀を抜き放って、雪菜の槍を打ち払ったのだ。

 柄から刀身の先まで黒く塗りつぶされた太刀。魔術的に強化されているエンチャントウェポンだ。

 

 「っ!」

 「おっと……!?」

 

 雪菜は、突然の乱入者に警戒を露にして数歩下がった。

 一方でキリヲも魔術的に強化されていた刀に付与されていた術式がゴッソリと削り取られているのに驚いていた。

 

 「……その槍、七式突撃降機魔槍《シュネーヴァルツァー》か」

 「……何者ですか?攻魔官?」

 

 一瞬で己の得物の正体を見破ったキリヲに雪菜は、更に警戒を強める。

 

 「いや。攻魔官じゃない」

 「なら、なぜ武装しているのですか?それに、後ろの男の正体を分かっているのですか?」

 

 首を振るキリヲに雪菜が怪訝そうに言う。

 

 「……ああ。知ってるよ。第四真祖。世界最強の吸血鬼……だろ?」

 

 キリヲの答えに雪菜だけでなく古城も驚いた表情を浮かべた。

 

 「俺は……まあ、攻魔官の助手みたいなものだ。古城のことも南宮那月に聞いた」

 「那月ちゃんに!?」

 

 思わぬ情報の出所に古城が思わず声をあげる。

 

 「確かに俺は、攻魔官じゃないが、武装する許可は得てる。まだ、続けるなら相手になるぞ?」

 

 刀を正眼に構えてキリヲが威圧するように言葉を発する。

 だが、それに対峙する雪菜も引くことなく槍を構え直して相対する。

 

 「……」

 「……」

 

 まさしく、一触即発の状況の中でーー。

 

 グウウゥ。

 

 「……」

 「……」

 「………………」

 

 突如、鳴り響いた謎の奇音にキリヲと古城が首をかしげ、数秒後、音の正体を察した古城が気まずそうに口を開いた。

 

 「姫柊……ひょっとして、昨日からなにも食べてないのか?」

 「……………………だったら、なんですか?」

 

 俯いてプルプルと肩を震わせる雪菜。

 

 「だったら、なんですか!?」

 

 顔を上げて声を張り上げた雪菜の顔は、羞恥の色で真っ赤に染まっていた。

 

 この後、3人が一時休戦して食事のために近くのジャンクフード店に向かうのに、時間は掛からなかった。

 

 

 




 すいません。少し原作とズレました。


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聖者の右腕編Ⅲ

 絃神島、彩海学園付近のジャンクフード店。

 

 昼食の時間と重なっているため、店内にはそこそこの人数があった。

 そんな、店内の一角に古城、雪菜、キリヲの三人はあった。

 

 「……なに、見てるんですか?」

 

 昨日から続いていたであろう空腹を満たすためにハンバーガーを食していた雪菜が自身に向けられている視線に気付き、不愉快そうな表情で古城を睨み付ける。

 

 「いや、姫柊もハンバーガーとか食べるんだな」

 「……どういう意味ですか?」

 

 古城の言葉にますます眉を吊り上げて、不機嫌そうな表情を作る雪菜。

 

 「こういう店とかにあんまり、縁が無さそうな印象があったからな」

 「もしかして、馬鹿にしてます?」

 

 心外だ、と言わんばかりに顔をしかめる雪菜。

 

 「確かに、高神の杜がある街は田舎ですけど、ハンバーガーショップくらいありますよ」

 「高神の杜?姫柊が前にいた学校のことか?」

 「はい。表向きは神道系の学校ということになっています」

 

 雪菜の言った一言に古城が怪訝そうに目を細める。

 

 「表向きってことは、裏があったりするのか?」

 「獅子王機関の養成所です。獅子王機関は、ご存知ですよね?」

 「いや、知らん?」

 

 当然知っているものだと思って話を進めようとしていた雪菜の思考が一瞬停止する。

 

 「ええ!?どうして知らないんですか!?」

 「いや、そんな知ってて当然みたいに言われても……キリヲは知ってたりするのか?」

 「……まあ、一応」

 

 古城に聞かれて今まで黙々と食事を続けていたキリヲが顔を上げた。

 那月に監獄結界に放り込まれる前に何度か獅子王機関の攻魔師を見たことがあったキリヲは、獅子王機関が一応、どんな組織なのかは知っていた。

 キリヲが顔を上げた途端、雪菜は、鋭い視線をキリヲに向けた。

 

 「……そういえば、貴方は何者なんですか?」

 

 キリヲに向けられている視線には、警戒の色が含まれていた。

 

 「……九重キリヲだ。古城のクラスメイトだ。まあ、今日、転校してきたばかりなんだけど」

 「そういうことを聞いているんじゃありません!?どうして、貴方は武装しているのですか!?なぜ、貴方は第四真祖を守ったりしたんですか!?」

 

 畳み掛けるような雪菜の言葉にキリヲは面倒くさそうに口を開いて答えた。

 

 「俺は、攻魔官の南宮那月に呼ばれてこの学校に来た。古城のことも要注意人物として聞いていただけだ。あと、あんたの攻撃を止めたのは、単なる正当防衛のつもりなんだが?」

 

 キリヲのこの言葉で、古城はなんとなくキリヲの事情を察した。担任である那月が国家攻魔官なのは、周知の事実だし、その彼女が攻魔師の職務関連で呼び寄せたのなら、一介の高校生であるキリヲが武装しているのにも納得が言ったからだ。

 古城の正体を知っているにしても、那月が教えても良いと判断したのなら古城自身としては、特に問題はなかった。

 無論、キリヲは自身がつい最近まで投獄生活をしていたことは話していないし、今回のことも仮釈放の交換条件であることも話していないため、古城の推測は、当たっているとは言いがたいがキリヲとしては、この方が都合がよかった。

 

 「そんなことより、今はあんたの話だろ。獅子王機関の剣巫」

 「……っ!?なぜ、わたしが剣巫だと!?」

 

 まだ、名乗ってもいないのに己の正体を見破られて雪菜のキリヲに対する警戒レベルが更に上昇する。

 

 「戦い方を見れば分かる。あんたは、舞威媛じゃなかった。なら、残る選択肢は限られてくる」

 

 (……あの一瞬で、見抜いていたなんて)

 

 キリヲと雪菜が武器を打ち合わせたのは、一回だけだ。たった、一回の攻防で自分の戦闘スタイルを漠然とだが見破られていたことに雪菜は、背筋に冷たいものを感じた。

 

 「え~と?なんだか、よく分かんないけど結局、何なんだ獅子王機関って?」

 

 一人話についてこれてなかった古城が、気まずそうに口を挟んできた。

 

 「獅子王機関は、国家公安委員会に設置されている、対魔導テロや魔導災害対策の特務機関だ」

 「ふ~ん?……じゃあ、姫柊もそこの関係者なのか?」

 

 キリヲの簡単な説明に相槌をうって古城は、雪菜に尋ねた。

 

 「はい。まだ、見習いですけど」

 

 少し照れたような表情で頷く姫柊。獅子王機関の一員を名乗れることに少なからず誇りを感じているようだった。

 

 「あの……、第四真祖……いえ、暁先輩に聞きたいと思っていたことがあります。……先輩は、この島に潜伏して何をするつもりなんですか?」

 

 少し神妙な顔つきになって雪菜が古城に尋ねる。

 しかし、聞かれた本人は質問の意図を掴みかねているようだった。

 

 「何をするって……て、なんのことだ?」

 

 どこかの間の抜けたような顔で聞き返してくる古城に雪菜は、もう一度、問いかける。

 

 「この島……魔族特区に潜伏して何を企んでいるんですか?なにか、目的があるんじゃないですか?……たとえば、陰から絃神島を支配したり……あるいは、自らの快楽のために島の住民を虐殺しようとしたり……!」

 

 口元を手で押さえ両肩を震わせて、恐ろしい……、とか言っている雪菜を見て、意外と妄想力豊かだな、検討違いな関心をしているキリヲだった。

 

 「いや、ちょっと待ってくれ姫柊。何か勘違いしていないか?潜伏するもなにも、俺は吸血鬼化する前からこの島に住んでいたんだ」

 

 姫柊の問いに古城は、首を横に振りながら答える。

 しかし、その答えに姫柊は声を張り上げて反応する。

 

 「そんなはずありません!第四真祖が元は……人間だったなんて!?」

 

 この姫柊の言葉にはキリヲも同意だった。人間が吸血鬼の真祖になる、そんな事象は遥か古の時代に成された神々の業以外にあり得ない。

 

 「暁先輩……、真祖というのは古の時代に今は亡き神々に不死の呪いを受けた最も旧い吸血鬼のことですよ。普通の人間が真祖になるには、その神々の秘術を授からなければーー」

 「いや、流石に神様の知り合いなんていねーよ」

 

 苦笑いしながら古城が答えた。

 

 「だったら、他にどうやってーー」

 

 雪菜がそこまで、言ってキリヲも答えにたどり着いた。

 

 「まさか……暁先輩……」

 「……喰ったのか?真祖を?」

 

 顔を青ざめる雪菜の横でキリヲも驚いた様子で古城の顔を見つめる。

 

 「おいおい……。真祖を喰ったって……、人をそんなゲテモノ喰いみたいに言わないでくれ二人とも」

 

 古城も、心底嫌そうな表情で首を横に振っていた。

 

 「詳しくは説明できないけど、俺はあの馬鹿にこの厄介な体質を押し付けられただけなんだ」

 「押し付けられた?……先輩は、自分の意思で真祖になったのではないのですか?」

 「誰が、好き好んでなるかよ」

 

 顔をしかめる古城。

 その顔を数秒、見つめた後、雪菜は恐る恐る口を開いた。

 

 「……あの馬鹿というのは?」

 「第四真祖だよ。先代の」

 「なっ!?本物の〈焔光の夜伯〉!?先輩は、彼の真祖から能力を受け継いだんですか!?なぜ、先輩が後継者に選ばれたんですか!?……そもそも、なんで〈焔光の夜伯〉に遭遇したりしたんですか!?」

 

 驚愕の表情で疑問を口にする雪菜。しかし、その答えを古城の口から聞くことはできなかった。

 

 「ぐっ……!あっ……ああぁっ!!」

 

 突然、古城が頭を抱え、苦悶の表情で蹲ったのだ。まるで、凄まじい激痛に苛まれるように。

 

 「なっ!?せ、先輩っ!?」

 「どけ、姫柊」

 

 突然の古城の豹変に戸惑った様子の雪菜を押し退けて、キリヲは古城の元に駆け寄る。

 そして、人差し指を古城の額に当てて小声で短く祝詞を口にする。

 

 「痛覚鈍化の呪術だ。大丈夫か、古城?」

 

 痛みが引いた様子で呻く古城に肩を貸して椅子に座らせる。

 

 「わ、悪い二人とも……」

 「……何だったんですか今の?」

 

 未だに混乱から立ち直れない様子の雪菜に古城が力なく笑いかける。

 

 「……俺は、吸血鬼化した時の記憶がないんだ。無理に思い出そうとすると、このザマでな」

 

 自嘲気味に笑う古城。

 そんな、古城に雪菜はゆっくりと口を開いた。

 

 「先輩……聞いて欲しいことがあります。わたしは、先輩の監視役として派遣されました」

 

 それは、雪菜が獅子王機関より課せられた任務の内容だった。第四真祖、暁古城の監視。そして、危険度次第で抹殺しなければならないことも。

 

 「……でも、わたしは先輩がそれほど危険な人物には見えません。もちろん、手に入れてしまった力は危険なのかもしれませんけど……。ですから、今日から暁先輩。わたしは、貴方を監視します」

 

 世界最強の吸血鬼、その監視役が誕生した瞬間だった。

 

 ***

 

 彩海学園、執務室。

 

 「また、犠牲者が出た。今度は、二人同時だ」

 

 机の上に並べた資料を睨み付けて、黒いゴシックドレスに身を包んだ魔女、南宮那月は憎々しげに呟いた。

 数分前、特区警備隊が持ってきた資料、そこには、二人の魔族の写真があった。どちらも、今回の犠牲者だ。

 この二人の顔には、覚えがあった。先日、公共の場で眷獣をブッ放した吸血鬼とその仲間の獣人種。現場から、逃走はしていたがすぐに捕まって特区警備隊に厳重注意を食らってい筈だ。

 今回は、その二人が通り魔の犠牲になった。

 

 「……おい、貴様も少しは調査に協力しようという姿勢を見せることはできないのか?」

 

 執務室の中央、来客用のソファーに足を組んで座り、くつろいでいた女吸血鬼ーージリオラを那月は忌々しそうに睨み付けた。

 講師として、教鞭をとっていた時に着ていたスーツはとっくに脱いでおり、いつもの下着の上に上着を羽織るだけの格好に戻っている。

 

 「あら、犯人の制圧がわたし達の仕事じゃなかったかしら?」

 

 ジリオラは、悪びれる様子もなくテーブルの上にあるワインボトルの中身をグラスに注いでいる。

 投獄中に禁欲生活を強いられてたせいか、かなり嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

 「犯人の逮捕に協力するのが貴様らの仕事だ」

 

 那月は、目を細め更に自らの機嫌の悪さを表に出す。

 

 「でも、キリヲは自由にさせてるじゃない?わたしにも少しくらい楽しませてくれても良くなぁい?」

 

 内心、ジリオラには事件を早急に解決しようという意思はなかった。キリヲとジリオラの仮釈放の期間は、今回の犯人を捕らえるまでだ。

 より、長くこの自由を謳歌するためにも事件の解決は遅い方がいい。

 もっとも、那月の機嫌を本気で損ねたらそれこそ本末転倒なので、先伸ばしにするのにも限度はある。

 

 「貴様とキリヲで扱いに差ができるのは当然だ。貴様のような生粋の犯罪者と違って、キリヲは他者の思惑に巻き込まれた結果、人殺しに手を染めた。情状酌量の余地がある」

 

 那月の言葉にジリオラは、静かに言い返す。

 

 「それなら、わたしも同じでしょう?先に手を出してきたのは、馬鹿王子達の方よ。わたしは、自分の身を守っただけ」

 

 ジリオラは、かつて高級娼婦として、とある小国の王子と関係を持っていた。しかし、その関係が公に露呈することを恐れた王子と一部の王族に忙殺されかけたのだ。

 結果、ジリオラの怒りを買った王子、そして王子に加担した王族は、一族朗党皆殺しという大惨劇の末に死んでいった。

 

 「……確かに、その一件に関してはわたしも貴様だけを責めるつもりはない。だが、それ以外にも貴様はやりたい放題やってきただろ」

 

 ジリオラの起こした虐殺事件は、切っ掛けに過ぎず、その後、数々の猟奇的な事件にジリオラが手を染めていたことが発覚する。更に、逮捕後も刑務所内の囚人や看守を巻き込んだ騒動を起こしているので、結果的にジリオラは凶悪犯として監護結界に投獄されたのだ。

 

 「まあねぇ♪」

 

 悔いる様子などまるでないと言った風にジリオラは、グラスの中のワインを喉に流し込んでいく。

 

 「分かったわよ。明日辺りから、街を調べてみるわ。……キリヲも連れて行くけど、いいわよね?」

 「好きにしろ」

 

 多少、やる気を出したことで納得したのか、那月はジリオラに背を向けてそれ以上は何も語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




 ジリオラさん、書くの楽しいですね。できることなら原作やアニメで、もっと活躍して欲しいキャラです。


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聖者の右腕編Ⅳ

 今回、戦闘シーンです。


 絃神島、東部人工島の繁華街。

 

 通りには、これから、夜遊びに繰り出すだろう若者たちで満ちている。

 

 「それにしても、暑いわねぇ。とっくに、日は沈んでいるのに」

 

 繁華街にズラリと並んだ店から漏れ出す光に照らされた夜道を歩きながら、キリヲは隣にいる女吸血鬼の言葉を聞いていた。

 

 「仕方がないだろ。太平洋のど真中に浮いているような島だ……そんなことよりーー」

 

 気候的にどうしようもない猛暑に不平を言うジリオラにキリヲは非難の色を含んだ視線を向ける。

 

 「その格好、どうにかならないのか?」

 

 相変わらず、布地の少ない下着の上に黒い上着を羽織っただけという扇情的な格好をしているジリオラ。

 この妖艶な格好は、元娼婦としての名残なのかと思っていたが、それ以上にジリオラ本人の趣味としての意味合いが強いと最近知ったキリヲである。

 一方で、キリヲは彩海学園の制服のみで、いかにも学生という風体だった。

 こんな、時間に繁華街を男子高校生がほとんど下着しか着ていないような女を連れて歩いているという、補導されても文句いえないような状態だった。

 おまけにキリヲが背負っている竹刀袋のなかには、エンチャントウェポンである刀が入っている。更に、非公式な形で入島しているため、ジリオラは魔族登録証を持っていない。

 補導どころか、銃刀法違反と魔族管理法違反で拘束されてもおかしくない。

 

 「別にいいじゃない、服くらい」

 

 当の本人は、まったく危機感のない様子で余裕の表情を浮かべ、キリヲの左腕に両腕を絡ませて身を寄せてくる。

 これでは、本当にそういう関係にしか見えない。

 さっきから周りの視線が痛いが、キリヲはもう気にしないように努めた。

 

 「そんなことより、どっかお店入らない?」

 「…………目的を忘れてないか?」

 

 当然のことのように、遊ぶ気満々のジリオラに軽くめまいを起こした。

 

 「魔族狩りの犯人を見つけるんだろ?」

 

 腕を絡ませてきていた、ジリオラを振りほどいて呆れたように言う。

 だが、そんなキリヲを見て、ジリオラの方も呆れたようにため息をついた。

 

 「あんたねぇ、わたし達にとって犯人を早く捕まえることにメリットなんてないのよ?」

 

 ジリオラが何を言いたいのかは、キリヲにも分かる。

 今、キリヲ達が得ている自由は、南宮那月との契約によって成り立っている。

 故に、犯人を捕まえて事件を解決してしまえば南宮那月との契約は終了し、再びあの薄暗い監獄に逆戻りだ。

 つまり、キリヲとジリオラにとって事件を早急に解決する意味はない。

 しかしーー。

 

 「……いや、俺はさっさと犯人を捕まえて、監護結界に戻りたい」

 「あら?」

 

 キリヲの一言にジリオラが首をかしげる。

 

 「やっぱり、俺には普通の生き方って奴は向いていないらしい。あそこの独房が一番、落ち着く」

 

 まだ、二日ほどしか経っていないが、これがキリヲの素直な気持ちだった。

 古城達と過ごした時間は確かに新鮮で楽しかったと言えなくもないが、やはり、どこかに限界を感じていた。

 人殺しである自分とそうでない古城達との間に壁を感じていた。

 

 「面倒くさい考え方してるわね、あんた」

 

 ジリオラは、肩をすくめて理解できないと言った様子で首を横に振っている。

 

 「あんた、なにやらかして監護結界にぶち込まれたのよ?」

 「南宮那月に聞かなかったのか?」

 「聞いたけど、教えてくれなかったのよ」

 

 ジリオラの言葉に数秒ほど考える素振りを見せるキリヲ。

 

 「……アルディギア王国首都の三割を破壊」

 「ふーん?」

 「……民間人、数十名が死傷」

 「へえ」

 「……王族警護の聖環騎士団所属の騎士の半分を殺害」

 「あら」

 「……第一王妃ポリフォニア・リハヴァインの殺害未遂」

 「…………」

 

 過去に自分が犯した罪状を言い終わるとキリヲは、口を閉ざした。

 ジリオラの方も、想像していたより凶悪だった犯罪歴になんと言っていいか分からない様子だった。

 犯罪歴の内容では、ジリオラの方も負けてはいない。ジリオラだって王族に手を出している。

 だが、彼のアルディギア王国。しかも、霊媒としての格は最上位に届くと言っても過言ではないアルディギア王家とその加護を受ける聖環騎士団を相手にそれほど暴れられるかと聞かれれば、ジリオラは、否と答えるだろう。

 それほどまでに強いのだ。アルディギアという小国は。

 そして、それを相手にして生き残れるほど、隣を歩く少年は強いのだということを再確認した。

 

 「……俺は、こんな風に表を歩いていいような人間じゃないんだ」

 

 自嘲気味にそう言うと、キリヲは足早に進みだした。

 

 「………本当に面倒くさい考え方してるわね」

 

 そんな、キリヲの背中を見つめながらジリオラは、ポツリと呟いた。

 その次の瞬間だった。

 

 ドオオォンッ。

 

 遠方で響いた爆発音に二人とも足を止める。

 音の発生源の方向に目を向ければ、橙色に輝く炎が視界に入った。

 確か、あそこには企業所有の倉庫区画があったな、とキリヲは思った。

 そんな、遠くからでも見えるほどの巨大な爆炎を眺めていると、ポケットに入れていた携帯がバイブレーションの振動で着信を伝えてきた。

 

 『九重キリヲ、今どこにいる!?』

 

 通話相手は、空隙の魔女、南宮那月だった。

 

 「……繁華街だ。ジリオラも一緒だ。今の爆発は?」

 『倉庫区画で吸血鬼が眷獣を放ったらしい』

 「あの魔力……相当、強力な奴だぞ」

 『例の魔族狩りと関係があるかもしれん。すぐに現場に向かえ』

 「了解。……犯人はどうする?」

 『拘束しろ。殺さなければ、何をしても構わん。絶対に逃がすな』

 「了解」

 

 携帯を切ると、キリヲはジリオラに顔を向けた。

 

 「魔族狩りの犯人かもしれない。捕まえにいくぞ」

 「はあ……、案外早く見つかったわね」

 

 これで、この仮初めの自由も終わりか、と残念そうな表情を浮かべるジリオラ。

 

 「……先に行ってるぞ」

 

 そんな、ジリオラにそれだけ言うとキリヲは爆発のあった倉庫区画に向けて駆け出した。

 

 「足速……、本当に人間?」

 

 ものすごい速度で遠ざかっていくキリヲの背中を見てジリオラは、素直に驚いていた。

 体から漂ってくる臭いから判断してキリヲが人間なのは間違いなかった。

 監護結界に入れられている以上、何かしらの能力を持っているのは分かっていたが、キリヲのあの速度は獣人種にも劣らないものだった。

 そんな、キリヲを追いかけるべくジリオラも自身の体を霧に変えて移動を始める。

 

 監獄結界から出されて、最初の戦闘が始まろうとしていた。

 

 ***

 

 倉庫区画

 

 倉庫に格納されていた可燃物に引火して勢いを増した炎が周囲を包む中に彼らはいた。

 金属製の武具と法衣を纏い、片眼鏡をつけて巨大な両刃の戦斧を持った男。

 男の名は、ルードルフ・オイスタッハ。西欧教会に所属するロタリンギアの殲教師だった。

 そして、彼の横に付き従うように立つ藍色の髪の無表情の少女。その背中からは、巨大で半透明な二本の腕が突き出ていた。

 眷獣を人工的に植え付けられた人工生命体だった。

 

 「……こいつら、一体何なんだ!?」

 「西欧教会の殲教師だそうです、先輩」

 

 そんな、彼らに向かい合う様に立っているのは世界最強の吸血鬼、第四真祖、暁古城と銀の槍ーー雪霞狼を携える獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜だ。

 先程の爆発を聞きつけ雪菜は、この現場に駆けつけていた。そこで、彼女が見たのは、旧き世代の吸血鬼を圧倒するオイスタッハと眷獣を司る人工生命体という奇妙な二人組だった。

 負傷した旧き世代の吸血鬼を守るため雪菜は、この二人に挑みかかったが、強力な力を持つ人工生命体の眷獣に敗れ、止めの一撃を食らおうとしていた。

 そこに、遅れて到着した古城が間一髪、雪菜を人工生命体の眷獣から助けだし、今の状況に至る。

 

 「西欧教会の殲教師?なんで、こんなところに……」

 

 雪菜から彼らの正体を聞き、怪訝そうに表情を歪める古城。

 そんな、古城にオイスタッハは、ほう、と感心したような声を漏らした。

 

 「旧き世代の吸血鬼ですか?いや、どの系統にも当てはまりませんね。……まさか、噂の第四真祖ですか?」

 

 オイスタッハの掛けている片眼鏡が赤い光を点滅させる。どうやら、彼の片眼鏡は相手を分析する装置か何かのようだった。

 

 「相手にとって不足はありません。アスタルテ!」

 「命令受諾。執行せよ〈薔薇の指先〉」

 

 アスタルテと呼ばれた藍色髪の人工生命体は、オイスタッハの指示に従い、自身の持つ眷獣である二本の巨腕を古城に向けて放つ。

 だが、その攻撃が通ることはなかった。

 

 キキンッ。

 

 甲高い金属音か鳴り響き、二本の巨腕が弾き飛ばされた。

 巨腕を弾いたのは、一振りの刀。刀身まで黒く塗り潰された刀を携えて一人の少年が古城達の前に降り立ち、巨腕を打ち払ったのだった。

 

 「キリヲっ!」

 「悪い。遅くなったな」

 

 刀を持った少年ーーキリヲは、前方の二人を睨んだまま古城の言葉に返事をした。

 

 「……何者ですか?」

 

 オイスタッハが眉を潜める。

 

 「攻魔師……の助手だ。聞きたいことがある。ここ連日の魔族狩りの犯人、お前か?」

 「……ええ、そうですよ。それで、貴方はそれを知って、どうするというのですか?」

 

 オイスタッハが不適に笑う。

 それを、まっすぐ見返してキリヲは言う。

 

 「勿論、捕らえる」

 

 直後、ガッと音を立てて地面を蹴ったキリヲは刀を大上段に構えて突進する。

 

 「っ!防ぎなさいっ、アスタルテ!」

 「命令受諾」

 

 突然、突っ込んできたキリヲの速度に驚くも、オイスタッハは即座にアスタルテに指示を出す。

 命令を受けて、オイスタッハを守るべく眷獣の腕を交差させてキリヲの刀を受け止めにいくアスタルテ。

 ギイィンッと耳障りな激突音を発しながらキリヲの刀とアスタルテの眷獣がぶつかる。

 

 「……っ」

 

 眷獣へのダメージがフィードバックしてアスタルテが痛みに顔をしかめる。

 すかさず、キリヲは刀を引いて二撃目を放つ。

 そのまま、流れるような動作で三、四、五連撃と刀を巨腕に叩き込んでいく。

 だが、魔力の塊である〈薔薇の指先〉は、刀の斬撃程度で破壊されることはない。

 

 「……固いな」

 

 キリヲは、素直に感じたことを言って、後方に跳ぶようにバックし、アスタルテとの距離をとる。

 

 「ふん。その程度ですか。確かにスピードは中々のものですが、攻撃力に欠けますね。それでは、アスタルテの〈薔薇の指先〉は倒せない」

 

 オイスタッハの顔に浮かんでいるのは、余裕の笑み。一方でアスタルテは、先程の攻防でダメージを負った眷獣の余波を受けて、苦しそうに表情を歪めていた。

 

 「……なら、攻撃力を上げるまでだ」

 

 このままでは、埒が明かないと判断したキリヲは、刀を横に向け、その刀身を左手の指でなぞっていく。

 なぞられた刀身に赤い蛇のような紋様が淡い光を放ちながら刻み込まれていく。

 

 「それはっ!紗耶香さんと同じっ!?」

 

 キリヲを見て、雪菜が声を上げる。

 

 「……呪詛ですか。獅子王機関の舞威媛にも通ずる……」

 

 オイスタッハも警戒するように目を細める。

 そして、刀身に呪詛を掛け終わったキリヲは、刀を再びアスタルテに向けて構える。

 

 「さあ、第二ラウンドだ」

 

 その顔は、どこか歪な笑みを浮かべていた。

 

 「執行……せよ、〈薔薇……の指……先〉」

 

 未だ、ダメージが抜けない様子で、苦しそうに眷獣を出すアスタルテ。

 そんな、アスタルテにキリヲは再度、刀の切っ先を向けて突進する。

 呪詛を纏った刀が何度も〈薔薇の指先〉の巨腕に斬撃を放っていく。

 キリヲが刀に掛けたのは、刀そのものの切れ味を上げる呪詛、斬った相手に与えるダメージを倍加させる呪詛、切り口から相手を呪い殺す呪詛などだ。他にも幾つかの呪詛が込められた刀がアスタルテの〈薔薇の指先〉を確実に削っていく。

 

 「くっ、うぅ……」

 

 アスタルテが苦悶の声を上げるが、オイスタッハは、未だ闘志に満ちた顔で叫ぶ。

 

 「無駄です!いくら、呪詛と言えど所詮は霊力で掛けたもの!ならば、〈薔薇の指先〉が吸収して無効にできます!」

 

 眷獣〈薔薇の指先〉の持つ最大の特徴は、相手の魔力、霊力を喰らい、吸収できることだ。

 オイスタッハの言葉で、それを思い出したアスタルテは、即座にキリヲの刀に込められた呪詛の霊力を吸収する。

 だがーー。

 

 「かかったな」

 

 キリヲは、焦ることなく口の端を吊り上げた。

 直後。

 

 「あっ……アアアァッ!!?」

 

 突然、アスタルテが体を両手で抱きしめながら絶叫して苦しみ出した。

 

 「なっ!?なにがっ……まさか……」

 

 オイスタッハも驚愕に目を見開く。

 

 「これも……呪詛……?」

 

 後ろで、今の攻防を見ていた雪菜が声を漏らした。

 

 「な、なにが起きたんだ姫柊!?」

 

 状況が全く分からなかった古城が雪菜に問いかける。

 

 「多分……ですけど、〈魂喰らい〉の呪詛です。九重先輩が使ったのは……」

 「よく、分かったな姫柊」

 

 見事に自分の掛けた呪詛を言い当てた雪菜にキリヲが感心したように言う。

 〈魂喰らい〉の呪詛。主に相手の霊力や魔力を奪う夢魔などに対抗する術として開発された呪詛。

 この呪詛の霊力を吸収した相手を内側から破壊するものだ。

 アスタルテは、自分で吸収した霊力に体の内側から攻撃されて、激痛に喘いでいた。

 

 「止めだ」

 

 宿主であるアスタルテが弱体化したことにより、眷獣の〈薔薇の指先〉も力が減衰し、防御力が下がっていた。

 そこに最後の一撃を入れようとキリヲが刀を振り下ろす。このまま、〈薔薇の指先〉ごと、アスタルテを切るつもりだった。

 しかし、ここでキリヲも予想しなかった事態が発生する。

 

 ボキンッ。

 

 「あっ」

 「え?」

 「な!?」

 「……!?」

 「は?」

 

 上から、キリヲ、雪菜、古城、アスタルテ、オイスタッハの声である。

 この場にいる全員が間の抜けた声を上げた。

 

 「お、折れた………?」

 

 雪菜が呟くように言う。

 キリヲの刀は、半ばから先がボキッと折れていた。

 止めを刺そうと〈薔薇の指先〉に刀を叩きつけた時のことだった。

 

 「呪詛……掛けすぎた……」

 

 呪詛とは文字通り害をもたらす呪いである。それを何重にも掛けた結果、キリヲのエンチャントウェポンである刀は、耐えきれずに刀身が折れてしまった。

 

 「アスタルテっ!」

 「執行せよ、〈薔薇の指先〉!!」

 

 オイスタッハが指示し、珍しくアスタルテが大きな声を張り上げて〈薔薇の指先〉に命令する。

 千載一遇のチャンスを見事に掴み取ったアスタルテの一撃は、キリヲの胴体に命中し、その体を吹っ飛ばして倉庫区画のコンテナに叩きつけた。

 

 「がっ……はっ……」

 「キリヲ!?」

 「九重先輩!?」

 

 弱っていたとは言え眷獣のフルパワーの拳を食らったキリヲは、ズルズルと座り込んで動けなくなる。

 

 「南宮那月……。粗悪品、寄越しやがって……」

 

 この場にいない、自らの契約相手に恨みがましい愚痴を飛ばすが、特に意味をなすことでもなかった。

 

 「ふん、少々危なかったですがこれまでのようですね。アスタルテ、止めを」

 「命令受諾」

 

 動けなくなったキリヲに止めを刺すべくアスタルテが前に歩みでる。

 そこにーー。

 

 『なによ、随分派手にやられてるわね』

 

 エコーのかかった声がどこからともなく響き渡る。

 

 「何者ですか?」

 

 オイスタッハが更なる新手に警戒を強めて周囲を見渡す。

 

 「アルディギアで派手に暴れたって割りには、大したことないんじゃない?」

 

 突如、立ち込めた霧が集まり人の姿を形成する。アスタルテとキリヲの間に立ち塞がるようにして現れたのは、ジリオラだった。

 その手には、赤い燐光を放つ鞭が握られていた。

 

 「旧き世代の吸血鬼……T種ですか」

 

 オイスタッハが即座に相手の分析を始める。

 

 「先程の戦闘を見ていなかったのですか?吸血鬼が一人来たところで、今のわたし達にとって敵にはなり得ませんよ?」

 

 オイスタッハの表情には余裕の色が戻っていた。

 アスタルテは、キリヲとの戦闘で消耗していたが、それでも吸血鬼一人に今さら負けるとも思っていなかったのだ。

 だが、そんなオイスタッハに向かい合うジリオラも余裕の表情を浮かべている。

 

 「一人?どこを見て言ってるのかしら?」

 「なに?」

 

 目の前の女吸血鬼の言葉に怪訝そうに顔をしかめるオイスタッハ。

 そして、同時に気付いた。

 自分達を囲むように漂う周囲の気配に。

 

 「これは……」

 

 そこには、無数の人影が立っていた。この場にいる全員をぐるりと囲むように無数の人影が倉庫区画の周りに立っていた。

 それは、眷獣を出した吸血鬼、変身を終えた獣人種、精霊を従えたエルフ、巨大な体躯を持つ巨人族などの魔族。その他にも特区警備隊と思わしき装備を纏った人間が数名こちらに銃口を向けている。

 

 「ありえない……」

 

 そんな言葉が口から零れた。

 吸血鬼や獣人種が手を組むのはまだ分かる。だが、あのプライドの高い巨人族までもが、目の前の女吸血鬼に味方している理由が分からなかった。

 

 「こいつら、捕まえにいくのに廃棄区画まで行ってたら時間が掛かったわぁ」

 

 ジリオラは、手にしている鞭を地面にパシンと叩きつけて言う。

 

 「……なるほど、あの者たち全てが貴女の支配を受けた下僕というわけですか」

 

 ジリオラの仕草を見て自身の疑問の答えを得たオイスタッハが納得したように言う。

 

 「そうよ。わたしの〈ロサ・ゾンビメイカー〉は、魔族も人間も操る」

 

 ジリオラにとっての最大の武器とも言える支配力を象徴する眷獣、意思を持つ武器だった。

 

 「〈ロサ・ゾンビメイカー〉……ジリオラ・ギラルティですか。なぜ、ここに?」

 「まあ、ちょっしたお仕事よ。あんたらに恨みはないけど……死んでもらおうかしら」

 

 残虐な笑みを顔に張り付けてジリオラは言い放つ。

 

 「いや、殺しちゃダメだろ……」

 

 キリヲがツッコミを入れるが聞く気なしである。

 

 「さすがに、部が悪いですね。アスタルテ、ここは引きましょう」

 「逃がすとでも?」

 

 逃げようとするオイスタッハにジリオラが攻撃を仕掛けようとするが、オイスタッハが投げた閃光手榴弾がまばゆい閃光を迸らせる。

 光が収まる頃には、オイスタッハとアスタルテの姿はなかった。

 周囲を囲っていたジリオラの操っていた魔族たちも一部が〈薔薇の指先〉に吹き飛ばされたようで地面に伸びていた。そこから、包囲網を突破したようだった。

 

 「……逃げ足速いわね」

 「……なに逃がしてんだよ」

 

 素直に感心しているジリオラと呆れた様子でジリオラを見るキリヲ。

 

 「えーっと、ジリオラ……先生?」

 

 オイスタッハ達を逃がして戦うこともなくなってしまったジリオラに古城が声を掛ける。

 

 「先生?……あぁ、そういえば先生だったわ、わたし」

 

 昼間の講師の時とは、まるで違う様子に戸惑いを覚える古城だった。

 

 「ていうか、古城くん?とそこの女の子、早いとこ退散した方がいいんじゃない?もうすぐ、特区警備隊と南宮那月が来るし」

 「那月ちゃんが!?やべっ」

 

 急に慌て出す古城。なにやら、見つかりたくない理由があるらしい。

 

 「そんなことより、魔族狩りの犯人………逃がしたな」

 「逃げられたわね」

 「南宮那月……怒るかな……?」

 「……怒るでしょうね」

 「「はあ」」

 

 これから、会う契約主のことを考えてキリヲとジリオラは、深いため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回で聖者の右腕編完結の予定です。キリヲの能力の詳しい説明とかも、次回すると思います。


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聖者の右腕編Ⅴ

 彩海学園、執務室。

 

 コツコツ。

 それほど、広くはない執務室の中に床を叩く靴の音が響いている。

 足音の主は、この部屋の主、南宮那月。さっきから机の前を行ったり来たりと歩き続けている。

 そして、執務室の来客用ソファーに座っている人影が二つ。無論、キリヲとジリオラだ。

 この二人は、那月とは対照的にソファーの上でじっとしている。

 

 「……それで?あれだけ、派手に暴れまわっておいて犯人を取り逃がすどころか身元も確認できなかったのか?」

 

 顔に手を当てて腹の底から低い声を出して自らの苛立ちを前面に押し出す那月。

 

 「えっと……、聖職者の様な服装をしていたから西欧教会の関係者かと……」

 「そんなことは、とっくの前から分かっている!」

 

 一応、口を開いて言い訳をしてみたキリヲだが那月に一蹴されて再び押し黙ることになった。

 ジリオラは、キリヲとも那月とも視線を合わせず、無関係だと言いたげな様子だった。

 その態度が琴線に触れたのか、那月は更に目尻を吊り上げる。

 

 「貴様らが昨夜出した被害……知っているか?」

 

 那月の問いかけに、今度はキリヲも那月から視線をそらす。

 

 「事件現場である倉庫区画は、高濃度の呪毒で汚染。未だに除染作業が続いていて消火活動に入れないそうだ。そして、廃棄区画にいた登録魔族の大量記憶障害。昨夜からの記憶が無くなり、未だに起きない奴らもいるぞ?おまけに巡回中の特区警備隊の隊員も記憶障害を被っている」

 

 前者は、キリヲがアスタルテと戦うために使用した呪詛のことだ。刀に封じ込めるようにしていたが、刀が折れたことによって、込めていた呪詛が漏れだし、辺りを呪毒で汚染した。

 後者は、ジリオラの眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉に操られたことによる後遺症だ。直接的な攻撃力を持たない眷獣だが、濃密な魔力の塊であることに変わりはない。それが、体内に侵入して脳神経に直接干渉してきたら、魔族と言えど無事ではすまない。

 

 「まったく……貴様らを外に出す以上、なんらかの問題は起きると思っていたが、ここまでとは思っていなかったぞ」

 

 頭が痛いと言った様子で立ち止まって目を伏せる那月。

 

 「……それに、九重キリヲ。貴様、なぜ本気を出さなかった?呪詛など使わず、本来の力を使えば犯人を逃がすこともなかったんじゃないのか?」

 

 那月の言葉にキリヲは、真顔で言い返す。

 

 「いや、俺が本気出したら刀の方が速攻で砕けるんで。……まあ結局、呪詛使っただけでも折れたけど」

 

 キリヲが本来、戦闘で使っているのは呪詛ではなかった。キリヲは、並の人より霊力が高い。それこそ、そこら辺の巫女よりは上の筈だ。

 その霊力を使った、より強力な技を使えば戦闘力は上がるが、使う武器に掛かる負担も大きくなる。エンチャントウェポンで強化された程度の武器では、キリヲの霊力に耐えきれずに砕けてしまう。そのため、キリヲは全力で霊力を使うのではなく、少量の霊力で高い効果を発揮する呪詛を使ったのだ。

 

 「……はあ。とにかく、魔族狩りの犯人は、わたしの方で探す。貴様らは、犯人の居場所が分かるまで、この部屋で待機していろ」

 

 そう言うと、那月はキリヲ達に背を向け、空間転移魔術で音もなく部屋の中から、その姿を消した。

 

 ***

 

 「結局、九重先輩は何だったんでしょうか?」

 

 正午。高く昇った太陽がジリジリとアスファルトを焼く中、雪菜は道を進みながら隣を歩く、古城に問いかけていた。

 

 「……さあな。でも、俺達を助けてくれたし、味方って考えていいんじゃないか?」

 

 二人が話していたのは、昨晩の出来事。魔族を襲う西欧教会の宣教師、そして眷獣を宿す人工生命体。さらに、古城達を助け、殲教師達と死闘を繰り広げた転校生のキリヲと着任してきたばかりの講師、ジリオラ。

 古城の見えないところで戦いが始まっているのは明白だった。

 その後、今回の一件を大規模な魔導犯罪と断定した雪菜が獅子王機関の一員として解決させると言い出して、二人は、魔族狩りの宣教師のことを調べていた。

 

 「今日は、キリヲは学校休んでたし、ジリオラ先生も来てないって那月ちゃんに言われたもんな……」

 

 昨晩のことを問いただそうと本人達を訪ねてみたが、担任教師にあっさりと門前払いを食らってしまっていた。

 国家攻魔師である担任教師と昨夜現場にいたキリヲとジリオラは頼れなかった。

 よって、二人が頼ったのは別の人物だった。

 藍羽浅葱。絃神島管理公社のセキュリティ部門に雇われるほどの凄腕ハッカーである彼女に古城たちは頼ったのだ。

 浅葱が見つけ出したのは、ロタリンギアに本社を置き、今は絃神島から撤退した製薬企業だった。その会社の設備が未だに放置されているのを浅葱は見つけ出したのだ。ここに宣教師と人工生命体がいると古城達は考えていた。

 

 「先輩、見えてきました。あの建物です」

 

 雪菜が声を上げて、眼前の建物に駆け寄る。

 目の前の廃ビル、製薬企業の工場跡地の入り口は、数ヶ月は触られなかったであろう程に鍵や取手が錆び付き、腐食していた。少なくとも、ここ数日は出入りがなかった様子だ。

 

 「……外れか」

 「いいえ、先輩。ここで正解です」

 

 目論みが外れて落胆した様子の古城に雪菜が笑いかけて答える。

 そして、ギターケースから取り出した破魔の槍ーー雪霞狼の切っ先を錆びた扉の鍵に押し当てる。

 雪霞狼の刃に触れた鍵は、パリンとガラスが割れたような音を立てて真の姿を見せる。

 錆び付いてもいない、普通の扉。施錠も解除されている。明らかに何者かが出入りしている跡だ。

 

 「幻術です。……先輩も第四真祖なんですから、これくらいで騙されないでください」

 

 呆れた様子で扉を開けた雪菜は、工場跡地の中に足を踏み入れていく。

 工場跡の奥に進んでいき、二人はソレを目にする。

 大量の大型培養槽の中に浮く、爬虫類とも哺乳類ともかけ離れた歪な生物。

 

 「これは……」

 

 雪菜が口元に手を当てて絶句し、古城は無言で拳を握りしめる。

 その背後に。

 

 「警告。今すぐ退去してください」

 

 抑揚のない声が古城と雪菜の背中に投げられた。

 条件反射で二人とも声の主の方向に顔を向ける。二人の背後に立っていたのは、昨夜、旧き世代の吸血鬼を襲い、キリヲと激闘を繰り広げていた人工生命体、アスタルテだった。

 その藍色髪を持つ人工生命体の少女の姿を確認すると、雪菜は即座に古城の目を槍を持っていない左手で覆って隠した。

 

 「先輩は、見ちゃダメです!」

 

 布地の薄い、病衣が肌にピッタリと張り付いている様子から培養槽から出た直後と思わしきアスタルテは、生気を宿さない無表情も合わさって、今にも崩れてしまいそうな儚さを醸し出していた。だが、それ以前にほとんど肌がむき出しの少女の姿を古城の目に入れないため、雪菜は古城の視界を封じたのだ。

 

 「この島は、間もなく沈みます。その前に逃げてください。なるべく、遠くへ……」

 

 古城が雪菜に視界を塞がれて驚きの声を上げている間にも、アスタルテの警告は続いていた。

 だが、その内容は古城達の理解を遥かに越えるものだった。

 島が沈む。すなわち、この絃神島が沈むことを意味するその警告に古城は、背中に冷たいものが押し当てられたかのような寒気を覚えた。

 

 「それは……どういうーー」

 「“この島は、龍脈の交差する南海に浮かぶ儚き仮初の大地。要を失えば滅びるのみ"……」

 

 アスタルテの警告の意味を問いただそうと雪菜が口を開くと同時に、アスタルテの背後からもう一つの声が響いてきた。

 低い男の声。その声に古城と雪菜は警戒するように身構え、アスタルテもビクンッと肩を震わせて怯えるように反応していた。

 詩を読むような口調で言葉を発しながら姿を表したのは、法衣に身を包んだ殲教師ーールードルフ・オイスタッハだった。

 

 「我らの望みは、要として祀られし不朽の至宝の奪還」

 

 培養槽の影から姿を表したのはオイスタッハは、戦斧を担ぎ、アスタルテの隣で立ち止まった。

 

 「永きに渡る屈辱を堪え忍んできましたが、ようやく我が悲願を達成するのに足る力を得ました」

 

 そう言うオイスタッハの表情は、歓喜、憎悪、そして闘志を宿した歪な笑みを浮かべていた。

 

 「至宝の奪還……?それに力……?一体なんのことをーー」

 「おい、おっさん。力ってのは、その人工生命体に埋め込んだ眷獣のことを言っているのか?」

 

 雪菜の言葉を遮って古城が怒気を孕む声を発する。その視線の先にいるオイスタッハは、ほう、と感心したと言わんばかりに声を漏らした。

 

 「分かりますか。第四真祖。その通り。このアスタルテこそが至宝奪還の要なのです。世界で唯一、眷獣をその身に宿す人工生命体。このアスタルテの力をもって我らの悲願を遂げます」

 「ーー!ふざけんなっ!どうして、眷獣を宿せるのが吸血鬼だけなのか、あんたも知ってるだろ!?」

 

 誇らしげに語るオイスタッハに古城は怒りを爆発させるように怒鳴る。

 無限の負の生命力を持つ吸血鬼だからこそ、この世の理を外れた存在である眷獣を

召喚できるのだ。もし、吸血鬼でもない者が眷獣を召喚しようものなら、生命力を一気に眷獣に食らいつくされて、死に至るのは自明の理。

 だが、そんな古城に興味ないといった様子でオイスタッハは、冷たい笑みを浮かべる。

 

 「……確かに〈薔薇の指先〉を宿している以上、アスタルテの命は後、数日程でしょう。ですが、それだけあれば、我が目的は達成できます。何も問題はありませんよ」

 「そんな……、その子を道具みたいにーー」

 「道具ですよ。そして、それを貴女が憤るのですか?剣巫よ」

 

 信じられないと言葉を失う雪菜にオイスタッハは、嘲るような視線を向ける。

 

 「貴女も獅子王機関によって造られた道具のようなものでしょう?思い出してみてください、貴女には戦う以外の選択肢がありましたか?」

 

 雪菜達、獅子王機関の攻魔師は両親のいない孤児であり、幼い頃から高神の杜で戦闘訓練をさせられてきた。無論、行われていた訓練は人道的なやり方で行われていたし、それ以外の教育も人並み以上のものを受けることができていた。獅子王機関のやり方に不満はないし、攻魔師になったのだって自分の意思だと思っている。

 だが、攻魔師になる以外の道は自分にはあっただろうか。

 雪菜は、その問いに頷くことはできなかった。

 

 「元々、道具として造られたアスタルテを道具として使うわたしと、神の祝福を授かって生まれた人間の貴女を道具として使い潰す獅子王機関、どちらが罪深いでしょうか?」

 「黙れよ、おっさん」

 

 言葉を失う雪菜の代わりに古城が声を上げる。

 

 「……あんたが何考えて戦っているのか知らねえけど、この島を沈めるなんて、させるわけないだろっ!」

 

 古城の怒りが魔力に形を変えて体から漏れ出す。青白い電光が迸り、辺りを照らし出す。

 

 「この島には、那月ちゃんだっている。あんたの企みは成功しない」

 「那月……。南宮那月。空隙の魔女ですか……。確かに彼女は脅威ですが、無論我々も対策は取っています。彼女に我々を止めることはできませんよ」

 

 那月の名前が出されてもオイスタッハの余裕が崩されることはない。

 

 「それに、キリヲやジリオラ先生だっている。絶対にあんたを止めるぞ」

 

 古城も、オイスタッハにプレッシャーをかけるように二人の名前を出す。昨夜、アスタルテはキリヲに圧倒され、ジリオラの出現によってオイスタッハは撤退を強いられていた。この二人にとってキリヲとジリオラは十分に脅威になると古城は考えていた。

 しかし。

 

 「くっ、ククッ、ハハハハハッ」

 

 オイスタッハは、耐えられないといった感じで突然、笑い出した。

 

 「な、なにが可笑しい!?」

 「クククッ、いえ、すいませんね。貴方があまりにも滑稽なことを言うものですから」

 

 何故笑われたか理解できないと古城が驚いていると、オイスタッハが笑いを押さえながら口を開く。

 

 「確かに、彼らは脅威です。我々の道を阻む可能性のある不穏分子であるのは確かです。ですが、我らを止めるために彼らを頼るのですか?理解できませんね」

 「なぜだ?犯罪者を止めるために、戦える奴の力を頼ってなにが悪い?」

 

 要領を得ないオイスタッハの物言いに古城が怪訝そうに言い返す。

 だが、次にオイスタッハが言った言葉は古城の予想を大きく裏切るものだった。

 

 「彼らも犯罪者ですよ?」

 「は!?」

 

 オイスタッハの言葉に古城は、驚愕に目を見開く。

 

 「九重キリヲ。ジリオラ・ギラルティ。二人ともかつて、大勢の人間を殺し、国際指名手配を受けていた魔導犯罪者であり、監獄結界の囚人です」

 「監獄結界……?」

 

 聞き慣れない単語に古城が疑問符をつけて言葉を発する。

 

 「絃神島にあると言われている特殊な刑務所ですよ。あの空隙の魔女が看守を務めており、通常の手段では拘束できない凶悪犯を封じ込めているそうです。彼らは、その監獄結界から来た犯罪者なのですよ」

 

 オイスタッハの言葉に古城は愕然とする。

 

 「我々を否定するのに、私利私欲のために人を殺め続けてきた彼らのことは、肯定するのですか?第四真祖よ」

 

 オイスタッハの問いに古城は、返事をすることができない。ただ、かすれた息が喉から漏れるだけだった。

 そんな、古城に侮蔑の視線を送ったオイスタッハは握っている戦斧を構え、臨戦態勢をとる。

 

 「……どちらにせよ、我らの道を阻む者は排除するまでです。アスタルテ!」

 「命令受諾」

 

 オイスタッハの指示を受けたアスタルテが〈薔薇の指先〉を顕現させ、その巨腕で古城を叩き潰そうとする。

 反応が遅れて対処できない古城を庇うために雪菜が雪霞狼を構えて、〈薔薇の指先〉を迎え撃つ。

 あらゆる魔術を無効化する雪霞狼なら魔力の塊である眷獣を消滅させられると考えていた雪菜の予想は、裏切られることになる。

 キイィンッと澄んだ音を立てて雪菜の雪霞狼とアスタルテの〈薔薇の指先〉が激突し、互いに押し合い、拮抗していたのだ。

 

 「なっ!?」

 

 ありえない、という言葉を雪菜は飲み込んだ。本来、あらゆる魔術を無効かする雪霞狼が拮抗するーーそれは、相手が同じ力を持っている時を除いてありえない。

 すなわち、アスタルテの〈薔薇の指先〉も雪霞狼と同じ神格振動波を纏っていることになる。

 

 「獅子王機関の秘奥兵器。世界で唯一、実用化に成功させた神格振動波。剣巫、貴女との戦闘データによって我々もこの力を複製することに成功したんですよ」

 「そんな……!?」

 

 オイスタッハの言葉によって雪菜の表情が暗い絶望に染まっていく。

 

 「もはや、貴女の七式突撃降魔機槍は脅威にならない。ここで、排除します。獅子王機関の傀儡よ、魔族ではなく人の身であるわたしに殺されることを救いと知りなさい」

 

 アスタルテに雪霞狼を封じられ、動きの取れない雪菜にオイスタッハが戦斧を降り下ろす。

 グチャッ。

 巨大な戦斧が肉を割く音が鳴り響く。

 

 「え……?」

 

 雪菜は、状況が理解できず間の抜けた声を上げる。目の前で雪菜を庇って戦斧の一撃を受けた古城の背中と吹き出した赤い鮮血を見て。

 

 「そ、そんな……先輩……」

 

 やがて、目の前の現象を認識した剣巫の少女が悲鳴を上げる。受け入れることのできない現実に耐えられず、絶叫を上げる。

 それが、この場の戦いを締め括る合図となった。

 

 ***

 

 彩海学園、執務室。

 

 「魔族狩りが現れた」

 

 何もななかった場所に突然、現れた黒いゴシック調のドレスに身を包んだ魔女ーー南宮那月が、室内にいた二人に告げる。

 

 「場所は?」

 

 ソファーに座って、待機していたキリヲが立ち上がり、那月に訪ねる。向かいに座っているジリオラもすぐに動けるように寝かしていた上体を起き上がらせる。

 

 「キーストーンゲートだ。現在、駐在していた特区警備隊が応戦中だが、状況を見る限り押されているようだ。全滅は時間の問題だろう。貴様らに対処してもらう。準備しろ」

 

 相変わらず、高圧的な物言いで命じる那月にジリオラが口に手を当ててあくびをしながら言葉を発する。

 

 「わたし達が行くよりも、貴女が空間転移で飛んでいって相手した方が早いんじゃないの?」

 

 確かに単純に戦闘能力だけを見れば、キリヲ達が行くよりも那月本人が行った方が効率的だろう。並大抵の相手なら那月一人でも十分に対処できるはずだ。

 もしも、那月でも敵わない相手ならキリヲやジリオラが行っても相手にならないだろう。行くだけ時間の無駄なのである。

 

 「できることなら、わたしが行きたいところだが、相手もわたしを警戒している様でな。キーストーンゲートを中心に半径二キロ圏内に空間転移の魔術を阻害する結界が展開されている。入ることも叶わん」

 

 諦めたように嘆息しながら那月が言う。

 

 「……じゃあ、わたし達が行くしかないわね」

 

 そんな、那月の様子を見てジリオラも腹を括ったように立ち上がる。

 二人揃って部屋から出て、現場に向かおうとした時、キリヲの背中に那月が声を投げ掛ける。

 

 「九重キリヲ。代わりの武器だ。こいつを使え」

 

 持ってきていた、細長い銀のアタッシュケースをキリヲに投げ渡す。

 

 「こいつは……」

 

 寄越されたアタッシュケースを開いて中身を確認する。

 ケースの中に納められていたのは、一振りの刀だった。白いカラーリングで機械的な柄と鞘を持っている。手に取って鞘から刃を抜くと銀色の輝きを見せる刀身を見せる。曇り一つない刃は、洗練された鍛冶技術を彷彿させ、柄や鞘は、白色の機械的な外装でコーティングされていて、最新鋭の科学技術を詰め込まれたようなフォルムをした刀だった。

 

 「この前、貴様に渡したエンチャントウェポンとは比べ物にもならない逸品だ。こいつなら、貴様の全力にも耐えられるだろう」

 

 那月の言葉にキリヲも満足そうに頷く。

 

 「……なあ、南宮那月。こいつの核に使われているのは聖剣か?」

 「そうだ」

 

 鞘から抜いていた刃を見て、キリヲは那月に訪ねた。現代に開発される強力な武神具は、歴史上において強力な力を持った武具を核に使って作られることがあった。雪菜の使っている、七式突撃降魔機槍も古の霊槍を核に製造されたものだった。そして、今、キリヲが手にしている刀にも強力な武具が核として使われていた。

 

 「……よく手に入れたな」

 

 無論、聖剣などを代表とする古の強力な武具は、希少価値の高いものだ。非常に高価であり、所有しているのは国営の研究施設や小国の王族などで、那月でもそう簡単に用意できるものではない。

 

 「どこかで、貴様の仮釈放のことを聞いたみたいでな。アルディギアの腹黒王女が送ってきたものだ」

 「ラ・フォリアか……」

 

 核となった聖剣の出所を聞いて、納得したキリヲは刀を鞘に戻した。機械的なフォルムの鞘にジャリンッと音と火花を立てて刃が収納される。

 

 「……もっとも、送られてきた聖剣は太古の時代の骨董品で、とても実戦で使えるような状態じゃなかったから、修復とカスタマイズは済ませておいた」

 

 鞘にM・A・Rのロゴが刻印されているのを見て、この最新技術を駆使した改良が誰の仕業か分かった。

 

 「核になった剣……腹黒王女が送ってきた聖剣は、〈フラガラッハ〉だ」

 

 かつて、聖なる乙女が振るった神の加護を授かった救世の剣。キリヲも実物を見るのは、初めてだった。

 

 「どうだ、こいつで足りるか?」

 「……ああ。十分だ」

 

 新たな得物を手にしたキリヲは、今度こそ振り返ることなく、執務室を後にして現場へと向かった。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 




 すいません。前回、次で聖者の右腕編完結と言いましたが、予想より長くなりそうだったので、二回に分けました。
 次回で本当に完結させる予定です。


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聖者の右腕編Ⅵ

 すいません、更新遅れました。


 

 「大丈夫ですか、先輩?」

 

 起き上がって、自分の身体の具合を動かしながら確認していた古城に雪菜が心配そうに声をかける。

 今の古城が身に纏っているのは、血濡れていて、布地が破れたパーカーだ。この格好だけでも、十分に危険な目に会ったと推測できる。

 実際、彼は、つい先程まで死んでいた。比喩表現などではなく、本当に大量の血を流し、心肺が停止して生物としての死を迎えたのだ。

 そして、蘇生した。

 肉体の中に流れる神々に呪われた血が、世界の理に反して、一度死んだ古城を蘇らせたのだ。

 決して死を許さない第四真祖の力が古城を生かしていた。

 だが、雪菜が古城に気遣うような話し掛けているのは、古城が蘇ったら直後だからではない。

 確かに、最初は一度死んでしまった古城の身を心配していたが、何食わぬ顔で蘇った様子と、その後の思い出すのも恥ずかしい吸血行為によって身体の方は、完全に力を取り戻していた。

 だが、どんなに体が元気になっても心は別だ。

 雪菜が心配しているのは、そんな古城の精神面に関するものだった。

 九重キリヲ。最近知り合ったばかりの古城の友人が犯罪者だったという事実を知り、複雑な感情が渦巻いている古城の心情が、雪菜にとって何よりも心配だった。

 

 「……なあ、姫柊。あのオッサンの言っていたことは、本当なのか?」

 

 普段よりもトーンの低い声で問いかける古城。

 それに、雪菜は恐る恐る答える。

 

 「九重先輩のことは、分かりません。国際指名手配と言っていましたが彼の名前は、わたしも聞いたことがありません。……ただ、ジリオラ先生。ジリオラ・ギラルティの方は、わたしも聞いたことがあります」

 「犯罪者として?」

 「はい。そうです」

 

 頭の片隅にあった情報を思い返しながら、雪菜は話を進める。

 

 「彼女が王族までも手に掛けた大量殺人の犯人なのは有名な話ですし、逮捕後もヒスパニアの魔族収容所で大事件を起こしたと聞いています。彼女は、間違いなく一級の犯罪者です。本来なら、刑務所から出られはずがないんです。そんな、彼女と行動を共にしている九重先輩も恐らく……」

 「……同じく、犯罪者……て、ことか……」

 

 呟くように言う古城に雪菜は、無言で頷く。

 

 「………………」

 

 無言で拳を握りしめる古城。

 蘇るのは、キリヲと過ごした時間。

 友と言うには、あまりにも短すぎる時間だったが、それでも、古城の記憶の中のキリヲは人を殺すような人間には見えなかった。那月の知り合いであり、古城の体質のことも知っていた彼は、古城にとって、初めて隠し事をしなくてもいい友人になれるかもしれない人物だった。

 そんな、キリヲが古城の受け入れることのできない殺人と言う悪行に手を染めていたことが少なくないショックを古城に与えていた。

 

 「……なにか、理由があったのかもしれません」

 「え?」

 

 押し黙ってしまった古城に声をかける雪菜。

 

 「九重先輩が犯罪者である可能性は……高いかもしれませんが、ひょっとしたら何かやむを得ない事情があったのかもしれません。わたしにも九重先輩が悪人だとは思えません。ですから……」

 

 古城を励ますように雪菜が言葉を紡ぐ。

 

 「確かめてみましょう。九重先輩に会って」

 「……ああ。そうだな」

 

 雪菜の言葉に一筋の希望を見つけたかのように顔を上げる古城。

 そうだ。まだ、キリヲが犯罪者だって決まった訳ではない。たとえ、犯罪者だったとしてもキリヲが罪を犯した理由を古城は知らない。ならば、確かめよう。

 心の中で、自分に言い聞かせると、古城は雪菜の方に顔を向ける。

 

 「行くぞ、姫柊」

 「はい、先輩!」

 

 ***

 

 キーストーンゲート、エントランスホール。

 

 「撃て!撃て!これ以上、奴等を先に進ませるなっ!」

 

 絃神島、中央に位置するキーストーンゲート。

 その入口であるエントランスホールにて、特区警備隊による対侵入者迎撃戦が展開されていた。

 横一列に並んだ銃口が一斉に入口ゲート向けて眩いばかりの銃火光を迸らせて、対魔族用弾を吐き出し続ける。

 

 「実につまらない歓迎ですね」

 

 入口ゲート、特区警備隊の攻撃座標に立つオイスタッハがため息混じりに吐き捨てる。

 本来、人体など数秒でひき肉に変える威力を持っている銃弾は、オイスタッハの肌にかすり傷一つ付けることなく弾かれていく。

 

 「くそっ!なんだ、あの眷獣はっ!?」

 

 オイスタッハの横に付き従うように立つ、人工生命体ーーアスタルテが出す眷獣、半透明な顔無しの巨人〈薔薇の指先〉に阻まれて、特区警備隊の放った銃弾は、ことごとく弾かれていった。

 

 「化け物めっ!グレネード、撃てっ!」

 

 自動小銃の22口径弾では、埒が明かないと悟った特区警備隊の隊長は、後方に待機していた部下に指示を出す。

 回転弾層式大型重火器に専用の弾頭を装填した特区警備隊隊員が、前方に立ち塞がるアスタルテの〈薔薇の指先〉に標準を合わせて、引き金を引く。40口径の対魔族弾頭が撃ち出されて放物線を描きながら〈薔薇の指先〉に直撃する。

 立ち込める煙幕の向こう側に力尽きて地に伏す二人の襲撃者の姿を予想していた特区警備隊の隊長は、依然、健在な姿で微動だにしない二つの人影を見て、愕然とする。

 

 「相手との実力の差も測れないとは……。アスタルテ。彼らに慈悲を」

 「命令受諾。執行せよ〈薔薇の指先〉」

 

 攻撃を全て凌がれ、打つ手のなくなった特区警備隊に〈薔薇の指先〉の拳が襲いかかる。

 プレートを仕込んだ防弾ベストは、隊員の身を守る役目を果たすことなく、圧倒的な衝撃の前に砕け散る。無論、その下にあった肉体も肋骨が砕ける音と赤い鮮血を撒き散らしながら吹き飛んでいく。

 

 「馬鹿な……っ!」

 「遅すぎます」

 

 圧倒的な力に理不尽に蹴散らされていく部下達を見て、目を見開く隊長を肉薄したオイスタッハがその手に握る戦斧を降り下ろしていく。

 バギャッ。

 奇怪な音と共に宙を舞う己の血潮と臓物が彼の見る最後の光景になった。

 

 「……行きますよ、アスタルテ。至宝は、この先です」

 

 たった今、自分が斬った相手の亡骸に目を向けることもなく、オイスタッハは、

キーストーンゲートの奥に向けて歩みを進める。アスタルテも眷獣を展開したまま、彼に追従する。

 彼らの通った後に、動ける者は一人もいなかった。

 

 ***

 

 ガゴンッ。

 鈍い音を立ててキーストーンゲートの最奥を塞ぐ門が破られる。

 人の力を遥かに凌ぐアスタルテの〈薔薇の指先〉が力に任せて無理矢理、抉じ開けたのだ。

 門の先の広場を抜けて、部屋の中央にある一際大きな柱にオイスタッハとアスタルテは近づいていく。

 そして。

 

 「おお……ようやく………ようやくここまで……我らの聖堂より簒奪された不朽体……これをようやく信徒たちの元に……。この時をどれほど待ち焦がれたことか……」

 

 部屋の中央、絃神島を支える要石を前にしてオイスタッハは、涙を流して全身を支配する歓喜の衝動を露にする。

 この要石こそがオイスタッハの目的だった。要石に使われたかつての聖人の遺骸。ロタリンギア西欧教会より、不当に略奪されたこの聖遺物を取り戻すことがオイスタッハの悲願だったのだ。

 なんとしてでも取り戻す。たとえ、その結果、この島に住む住民が皆死に絶えようと、そんなことは些細なことだ。

 オイスタッハは、歓喜の表情を一転させ、聖遺物を奪われたことに対する憎しみと復讐を遂げることの残虐性の表情を顔に張り付ける。

 

 「アスタルテ!その力をもって、我らの至宝を奪還しなさいっ!」

 「命令確認。ただし、命令の前提条件に誤認があります。故に命令の再選択を要求します」

 「なにっ!?」

 

 アスタルテの返答に表情を険しくするオイスタッハ。そんな、彼の背中に聞こえるはずのない声が投げ掛けられた。

 

 「悪いな、オッサン。その命令は、キャンセルしてもらうぜ」

 「第四真祖……」

 

 オイスタッハ達が入ってきた入口から現れた古城の姿を目にし、オイスタッハは表情を固くする。

 

 「……確かに殺したはずですが?」

 「悪いな……。あれくらいじゃ、死ねないんだよ」

 「……忌々しい魔族め」

 

 古城の言葉にオイスタッハが吐き捨てるように言う。

 

 「なあ、オッサン。これが、あんたの目的なんだろ?……要石の素材。聖遺物、だったか?」

 「……ええ。いかにも。我らより簒奪されし、至宝です。どんな手を使ってでも取り戻します」

 

 憎々しげに言うオイスタッハに雪菜が声を張り上げる。

 

 「貴方の要求は、筋が通っています。こんな、手段に出なくても、聖域条約で供儀建材の使用は禁止されている現代なら、法的手段に訴えて取り戻すこともーー」

 「法的手段に訴える?馬鹿馬鹿しい!」

 

 雪菜が言い終わる前にオイスタッハが言葉を返す。

 

 「肉親を踏みにじられて怒りを感じないとでも思っているのですかっ!?話になりません。我々は、なんとしてでも至宝を取り戻し、この地に蔓延る咎人共に裁きをくだしますっ!」

 「……結局、こうなるのかよ」

 

 激昂するオイスタッハに古城が諦めるように溜め息をつく。

 

 「でも、忘れてないかオッサン。俺は、あんたに胴体をぶった切られた借りがあるんだぜ?まずは、こいつのケリをつけてもらうぞ。……ここから先は、俺の喧嘩だ!」

 「いいえ、先輩。私たちの喧嘩です!」

 

 古城が魔力を雷撃に変えて迸らせ、雪菜が雪霞狼を構える。

 その直後。

 

 「いや、古城。そいつは、俺の獲物だ」

 「なんとか、間に合ったみたいねぇ」

 

 さらに、二つの人影がこの場に加わった。

 真白き刀を携えた黒髪の少年、九重キリヲ。そして、第三真祖の血を継ぐ氏族の姫、ジリオラ・ギラルティ。

 世に拒絶された咎人の二人だった。

 

 「キリヲ!ジリオラ先生!」

 

 古城が二人の突然の登場に驚きの声を上げる。

 

 「……やはり、来ましたか。薄汚い罪人共め」

 「悪いな、殲教師。南宮那月との契約により、お前を捕らえる。今度は、逃がさないぞ」

 

 吐き捨てるように言うオイスタッハを真っ直ぐ見据えて、キリヲが手に持つ刀を機械質な鞘から抜き放ち、切っ先を向けて言う。

 

 「ふん。貴殿方のような犯罪者に我らを止める資格などないと思いませんか?我ら以上に罪深き殺戮と言う大罪を犯した貴方が。違いますか?」

 

 嘲るように言うオイスタッハ。

 古城も、キリヲの過去と真実を知るべくオイスタッハの問を受けたキリヲに目を向ける。

 

 「……ああ、そうだ。確かに俺は、罪を犯した。多くの人間を斬って、ここに立っている」

 

 キリヲの答えに古城の表情が固まる。

 

 「そんな、貴方がわたしを止めると?」

 「そうだ」

 「それが、償いになるとでも思っているのですか?」

 

 オイスタッハの言葉にキリヲは、首を横に振る。

 

 「……いや、こんなことが償いになるなんて思っていない。どんなに、善行を積んだって俺の罪が帳消しになるわけじゃない」

 

 キリヲは、どこか遠くを見るような目で言葉を紡いでいく。

 

 「俺は、あの日の事から逃げたりしない」

 

 あの日。キリヲが小国、アルディギア王国で起こした大量殺戮を行った日。

 当時、アルディギアでは一部の王宮魔導技師を中心により引き起こされたクーデターが勃発していた。

 国軍の一部も加担し、国民の三割もクーデターに加わっていた。挙げ句の果てには、本来、王族を警護するはずの聖環騎士団の半数までもが王族の敵に回ってしまっていた。

 その時、傭兵として雇われていたキリヲは、国軍側に加勢して戦闘に参加していた。

 だが。

 当時のクーデターでアルディギア王国第一王女、ラ・フォリア・リハヴィンが反王政側の攻撃を受けて、重症を負った。彼女と浅からぬ仲だったキリヲは、怒り狂い、徹底的に反王政側を攻撃した。

 それは、反王政側が降伏を表明し、クーデターに終止符が打たれた後にも行われた。

 戦略的価値のない攻撃。人道的観点から禁忌とされる虐殺。明らかな過剰殺戮ーーオーバーキルだった。

 

 「俺は、決して許されない罪を犯した」

 

 刀を握るキリヲの右腕。その表皮が剥がれていく。現れるのは、白い機械質な腕。

 

 「永遠に償うことなんてできない」

 

 続いて、キリヲの両足の表皮も剥がれていく。同時に足を覆っていたズボンの布地も焼け落ちていく。右腕同様に白くコーティングされたメタリックな機械の足が露になる。

 

 「だが、償い続ける。たとえ、許されなくても、償い続ける」

 

 キリヲの両目の瞳の色が変わる。右目は、翡翠色に、左目は赤色に光彩が変色する。

 

 「俺は、弱者を守るためだけに剣を取る。それが、俺の贖罪だ」

 

 機械的にコーティングされた刀〈フラガラッハ〉を構えるキリヲ。その右腕、両足は白と銀に彩られた金属質な義肢であり、それぞれで色の違う両目は義眼だった。

 

 「あれは……魔義化歩兵《ソーサリスソルジャー》」

 

 オイスタッハが片眼鏡でキリヲを分析しながら呟いた。

 

 「へえ?それが、貴方の能力なのね……。通りで人間の癖に身体能力が高いはずだわ」

 

 ジリオラも初めて見るキリヲの義肢を露にした姿に感嘆したような声を漏らした。

 自らの思いを口にしたキリヲは、古城の方に顔を向ける。

 

 「古城……。黙ってて、すまない。だけど、今は協力させてくれ。俺の力を、人を殺すこと以外に使いたいんだ」

 

 キリヲの言葉を聞いた古城は、数秒ほど黙った後、キリヲに向き直り言葉を発した。

 

 「当たり前だっ!キリヲ、お前の過去に何があったか俺は、知らない。でも、お前が誰かを守るために戦うって言うなら、俺はお前を信じる!ここからは、俺たちの喧嘩だっ!」

 「……ありがとう、古城」

 

 古城に向けて、キリヲがポツリと呟くように言う。

 

 「戯れ言をっ!アスタルテ!」

 「命令受諾。執行せよ〈薔薇の指先〉」

 

 アスタルテの攻撃により、戦いの火蓋が切られた。先手必勝と言わんばかりにアスタルテの放つ〈薔薇の指先〉の拳がキリヲめがけて飛んでいく。

 

 「悪いが、前回みたいに刀が折れたりはしないぞ?」

 

 〈薔薇の指先〉の拳を刀の刃で真正面から受け止める。火花を散らして、周囲に激突のインパクト音が響き渡る。

 ぶつかった衝撃でキリヲもアスタルテも数歩バックステップを踏む。

 

 「攻守交代だ。行くぞ」

 

 刀を構え直したキリヲがアスタルテ目掛けて駆け出す。

 白銀の義足が大地を踏み鳴らし、高速で一気にアスタルテに肉薄する。

 そのスピードは、獣人種を優に超えていた。

 

 「あの、義足は……空間跳躍かっ!」

 

 キリヲの義足の解析をしたオイスタッハが叫ぶ。

 魔義化歩兵は、身体の一部を魔具に置き換えることにより、超人的な力を得た者の総称だ。身体を構成する魔具一つ一つに魔術的効果がある。

 キリヲの義足の魔具が持つ能力は、〈空間跳躍〉。能力の内容はシンプルだ。移動時に、出発点と到着点の間にある空間を省略できるのだ。

 もちろん、南耶那月の空間転移の様に間の空間的距離を零に省略して瞬間移動なんて真似はできない。

 せいぜい、歩数を省略できるほどだ。三歩進んだだけで本来の九歩分を移動しているような感じである。

 だが、それでも常人と比べたら凄まじいスピードを出していることになる。

 この〈空間跳躍〉を使って、キリヲはアスタルテに接近し、刀をアスタルテが放っている〈薔薇の指先〉に叩きつける。

 甲高い音と共に火花が散る。

 

 「確かに凄まじい速度ですがその程度、神格震動波を纏った〈薔薇の指先〉の敵ではありません」

 

 魔義化歩兵の義肢の力を解放したことにより、爆発的な速度で斬りつけたキリヲの刀は、膨大な運動エネルギーと威力を纏ってアスタルテに襲いかかるが、〈薔薇の指先〉によってアスタルテにダメージは通らない。

 

 「……相変わらず固いな。良い眷獣だ」

 

 攻撃を弾かれたキリヲは、素直に感心したようにアスタルテに称賛の声を投げ掛ける。

 

 「……以前よりもアップグレードしています。貴方の攻撃は、わたしには通じません」

 

 淡々と答えるアスタルテ。その言葉には、自身の力に対する確固たる自負があった。

 そんな、アスタルテを真正面から見返してキリヲも言い放つ。

 

 「それなら、こっちも本気でいく」

 

 刀を正眼に構え直したキリヲの身体の中で霊力が爆発的に高まっていく。

 

 「これほどの霊力……本当に人間なのですか……?」

 

 オイスタッハが人間離れした霊力を放出するキリヲに怪訝そうに顔を歪める。

 巫女を代表に人間の中でも膨大な霊力を持つ者は存在する。だが、その様な人間は希少な存在であり、キリヲの持つ霊力は最高位の霊格を持つアルディギア王家の血筋に匹敵するものだった。

 

 「……まさか、霊力を高める魔具を身体の中に仕込んでいるのですか?」

 「いや、こいつは魔具とは少し違う」

 

 オイスタッハの推測をキリヲは、静かに否定し、自分の胸部ーー心臓の真上に当たる場所に左手を当てる。

 

 「ヴェルンド・システム、起動」

 

 その一言によってキリヲの身体の中で高まっていた霊力がさらに上昇し、溢れる霊力が白銀のオーラとなって刀〈フラガラッハ〉の刃を包み込む。

 

 「ヴェルンド・システムの擬似聖剣!?馬鹿なっ!それは、専用の精霊炉がなければ使えないはずです!」

 

 ヴェルンド・システム。アルディギア王国が誇る秘奥兵器。精霊炉に高位の精霊を降ろすことによって、その加護を受けた聖剣を精製することができる。

 威力は、絶大だが大型の精製炉を積んだ戦艦の援護がなければ使用できない欠点を抱えている。

 

 「精霊炉なら、ここにあるよ」

 

 キリヲは、自信の胸をトントンと叩く。

 

 「まさか、小型化した精霊炉を体内に埋め込んでいるとでも言うのですかっ!?」

 

 魔義化歩兵は、身体の内部の臓器を魔具に置き換えることもある。キリヲは、その応用で開発途中の試作品である小型精霊炉を体内に埋め込んでいた。

 これによりアルディギア王家の女系と同じ、外部の精霊炉の支援なしでヴェルンド・システムを使用することができた。

 そして、精霊の霊力を流されたことによって遥か古代の遺物であり、劣化して力を失っていた聖剣〈フラガラッハ〉がその力を取り戻し、刀身に秘めている機能を再起動させる。

 古の時代に失われた、正真正銘の聖剣の再臨だった。

 

 「さあ、この前のリベンジだ」

 

 〈フラガラッハ〉を振りかぶり、再び〈薔薇の指先〉に斬撃を放つ。

 あらゆる障壁を貫き、決して癒えぬ傷を刻み付ける聖剣〈フラガラッハ〉がその本来の力を発揮して〈薔薇の指先〉に襲いかかる。

 今度は、攻撃が貫通しアスタルテも苦痛に顔をしかめる。

 監獄結界より解き放たれし、聖剣遣いの反撃の始まりだった。

 

 ***

 

 「あれが……九重先輩の力……」

 

 ヴェルンド・システムを発動させて聖剣を振るい、〈薔薇の指先〉に挑みかかるキリヲを見て雪菜がポツリと呟く。

 

 「はい、二人ともちょっと下がって。危ないわよ」

 

 キリヲとアスタルテの戦いに見入っていた雪菜と古城をジリオラが下がらせる。

 

 「あいつの使っているヴェルンド・システム。あれは、ヤバイわね。わたし達、魔族が食らったら一発でアウトよ」

 

 古城の襟首をつかんでさらに一歩下がらせてからジリオラが言う。

 

 「さて、貴方の相手はわたしで良いかしら?」

 「ジリオラ・ギラルティ……」

 

 戦斧を構えるオイスタッハの前にジリオラが立ち塞がる。

 

 「援護します!」

 「あら、ありがと。剣巫」

 

 後ろから、雪霞狼を構えて雪菜が飛び出してくる。

 

 「〈ロサ・ゾンビメイカー〉!」

 

 深紅の燐光を放つ蕀の鞭が出現し、ジリオラの手に収まる。

 

 「魔族風情がっ!」

 「思い知れ、殲教師!」

 

 ジリオラの鞭とオイスタッハの戦斧が交差し、火花を散らす。

 

 「確かに貴女の〈ロサ・ゾンビメイカー〉は強力な眷獣ですが、単純な攻撃力はそれほど高くはありませんね。〈要塞の衣〉で眷獣の支配を拒むわたしには、脅威になり得ません!」

 「祓魔の鎧……面倒なものを……」

 

 オイスタッハの鎧が放つ閃光を受けてジリオラが不快そうに顔をしかめる。

 

 「雪霞狼!」

 

 〈要塞の衣〉の光でジリオラがオイスタッハから距離をとった瞬間、入れ替わるように雪菜が攻撃に出る。

 

 「巫女と魔族が手を組むのですか!」

 

 雪霞狼がオイスタッハの〈要塞の衣〉を穿ち、鎧の閃光が弱まる。

 

 「行きなさい、〈毒針たち《アグイホン》〉!」

 

 〈要塞の衣〉の光が弱まった隙を逃さず、ジリオラが新たな眷獣を召喚する。

 ジリオラの左手から吹き出た血霧が無数の蜂に姿を変える。

 ジリオラの従える二体目の眷獣、猛毒を持つ蜂〈毒針たち〉。ジリオラの大量殺戮を実現させた群生眷獣だった。、

 無数の凶針がオイスタッハに襲いかかる。

 

 「小癪なっ!」

 

 だが、オイスタッハも一方的にやられているわけではない。巨大な戦斧を振るい、〈毒針たち〉を追い払い、反撃と言わんばかりにジリオラに斬りかかる。

 

 「させません!」

 

 ジリオラを守るべく、オイスタッハの戦斧を雪菜の雪霞狼が受け止める。

 

 「敵の攻撃は、わたしが防ぎます!今の内に彼を拘束してください!」

 「分かってるわよ、任せなさい!」

 

 オイスタッハの戦斧を雪菜の雪霞狼が受け止め、ジリオラの〈ロサ・ゾンビメイカー〉が蛇の如くオイスタッハに襲いかかる。

 獅子王機関の〈剣巫〉と魔導犯罪者〈惨劇の歌姫〉の共闘がここに成された。

 

 ***

 

 「執行せよ〈薔薇の指先〉」

 

 宿主であるアスタルテの命を受けて、人工眷獣〈薔薇の指先〉の拳がキリヲに向けて連続で繰り出される。

 しかし、その拳は一つもキリヲを捉えることはできない。

 放たれる拳の全てがキリヲに直撃する直前に紙一重で回避される。

 

 「大した威力だな。だけど、狙いが丸分かりだ」

 

 〈薔薇の指先〉の拳の動きを目で追いながらキリヲが言う。

 キリヲの右目ーー翡翠色の瞳を持つ義眼は、魔義化歩兵を強化する魔具である。

 その能力は、〈未来視〉だ。

 獅子王機関の剣巫が持つ、刹那の未来を視る霊視と同等の能力だった。

 これにより、〈薔薇の指先〉の動きを先読みして攻撃を避けていた。

 だが、アスタルテも自分の攻撃が予見され、回避されていることに気付く。

 故に攻撃量を増やしてキリヲを圧倒していく。

 予測されてしまうなら、その予測を上回る量の攻撃を浴びさせればいい。

 アスタルテは、物量戦で勝機を掴もうとする。

 

 『いいか、キリヲ。確かに機械は、わたし達を強くしてくれる。だが、どんなに機械が有能でも使い手が無能では話にならない。機械に頼り過ぎるな。自分の頭で考えろ。機械に使われるような奴になるな』 

 

 キリヲの脳裏に、かつてキリヲに魔義化歩兵としての戦い方を教えてくれた師の言葉が蘇る。

 

 (機械に頼り過ぎるな、か。分かってるよ……アンジェリカ)

 

 このまま、〈薔薇の指先〉の動きを予見して避け続けても物量戦に切り替えたアスタルテに攻撃を当てることはできない。

 

 (ならば、打って出る)

 

 手にしている刀を大上段に構え、アスタルテの放つ〈薔薇の指先〉の拳を迎え撃つ。

 人工眷獣の持つ圧倒的な力によって繰り出される拳を真正面から刀で弾き返す。

 

 「ッ!?」

 

 周囲に爆発音にも似た衝撃音が走り、アスタルテは僅かに怯む素振りを見せて数歩後ろに下がる。

 

 「ここだっ!」

 

 乾坤一擲。

 一瞬、攻撃の手が緩んだ隙を見逃さずキリヲは一気にアスタルテとの距離を積める。

 義足の〈空間跳躍〉の能力を発動し、接近した時に発生した加速エネルギーを刀の刃に乗せて〈薔薇の指先〉に叩きつける。

 

 「アァッ!!」

 

 眷獣の受けたダメージのフィードバックを受けてアスタルテが悲鳴をあげる。

 肉体に掛かる負荷に耐えきれず宿主のアスタルテは、動きを止めるが自己防衛本能を発揮させる〈薔薇の指先〉は構わずキリヲに反撃しようと拳を振り上げる。

 だが、その攻撃を妨げるものがあった。

 

 「させるかよっ!」

 

 〈薔薇の指先〉の拳に横から飛んできた雷が直撃し、キリヲへの攻撃を防ぐ。

 

 「古城!」

 「キリヲ!俺も手を貸すぞ!」

 

 キリヲの横に降り立った古城は、右腕を掲げて高らかに吠える。

 

 「〈焔光の夜伯〉の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ!疾く在れきやがれ、五番目の眷獣〈獅子の黄金《レグルス・アウルム》〉!」

 

 荒れ狂う暴虐、天災にも匹敵する雷の塊が獅子の形を象って顕現する。

 現れた雷光の獅子は、アスタルテの〈薔薇の指先〉にその牙を向けて飛びかかる。

 

 『グオオオオオォッ!』

 

 〈薔薇の指先〉に直撃した〈獅子の黄金〉の牙が雷を迸らせて、〈薔薇の指先〉に確実なダメージを与えていく。

 本来、あらゆる魔力を弾き返す〈薔薇の指先〉が纏っていた神格震動波はキリヲの刀ーー〈フラガラッハ〉によって裂かれ、〈獅子の黄金〉を防ぐことなく、その雷撃を宿主であるアスタルテに通した。

 

 「終わりだ」

 

 〈獅子の黄金〉の一撃を受けて完全に沈黙した〈薔薇の指先〉にキリヲが止めを刺すべく、刀を振り降ろす。

 体内に埋め込んだ精霊炉の霊力を流され、限界以上の力を引き出された聖剣〈フラガラッハ〉の斬撃は、〈薔薇の指先〉を完全に消し去った。

 眷獣が受けたダメージの影響を受けたアスタルテは、力を使い果たしその場に倒れ込む。

 

 「そんな、馬鹿な……アスタルテの〈薔薇の指先〉が……」

 

 自らの目的を達成する要だったアスタルテが倒れた光景を驚愕に満ちた様子で目を見開いていた。

 

 「これで、終わりよ」

 

 アスタルテの倒れる姿に目を奪われたオイスタッハにジリオラが〈ロサ・ゾンビメイカー〉を振るう。

 深紅の燐光を放つ鞭が直撃し、鎧が陥没しオイスタッハは要石の中にある聖遺物に無念そうに手を伸ばしながら意識を失った。

 キーストーンゲート、最奥部で行われた戦闘の幕切れだった。

 

 ***

 

 「……これでよし」

 

 戦闘が終わった後の静けさが漂うキーストーンゲートの最奥部で古城は、アスタルテの首筋に埋めていた牙を引き抜いて立ち上がった。

 

 「まったく……いやらしいんですから」

 

 〈薔薇の指先〉を宿したことによって寿命が残りわずかだったアスタルテを血の従者にすることで救った古城を雪菜が呆れた表情で見つめながら言った。

 

 「なんとか、勝てたわね。どうよ?島を救ったヒーローになった気分は?」

 

 茶化すように言ってくるジリオラにキリヲが鬱陶しそうに答える。

 

 「やめてくれ。俺もお前もそんなのじゃない。俺たちは、悪党だろ?」

 「手厳しいわねぇ。まあ、間違ってないけど」

 

 キリヲの返答に愉快そうに笑うジリオラ。そんな、ジリオラの笑顔を見てキリヲもつられるように頬を緩めて笑みを浮かべた。

 その時。

 

 「よくやった貴様ら。ご苦労だったな」

 

 突如、声が響き渡り何もない虚空から現れた無数の銀鎖がキリヲとジリオラを縛り上げる。

 手や足、胴や首までもがんじ絡めに拘束した鎖を操るのは、空隙の魔女ーー南宮那月だ。

 

 「貴様らの役目もここまでだ。監獄結界に戻ってもらうぞ」

 

 鎖で縛り上げた二人の前に空間転位で現れた那月がキリヲ達に冷徹な眼差しを向けながら言う。

 

 「おい、那月ちゃん!どういうことだよ!」

 「ん?暁か。お前もご苦労だったな」

 

 突然現れた担任の暴挙に古城は、思わず声を上げる。

 

 「なんで、キリヲ達にこんなことするんだよ!?」

 

 抗議する古城に那月は冷たく言い返す。

 

 「なんだ、暁。知らないのか?こいつらは、元々犯罪者でわたしが檻に閉じ込めておいた連中だ。今回は、特別に任せたい仕事があったから外に出していたが、それも片付いたからな。これ以上、野放しにするつもりはない」

 

 那月が言っているのは、正論だ。だが、そんなことでは古城は納得しない。

 

 「そんなのあんまりだろ!?キリヲ達だってーー」

 「古城」

 

 だが、古城が言い終わる前に他ならぬキリヲが古城を止めた。

 

 「いいんだ。……俺達は人殺しだ」

 「そんなっ」

 「古城。外にいられた時間、俺は楽しかったよ。もう、十分だ。本来いるべき場所に戻るよ」

 

 どこか、諦めたような淡い笑みを浮かべるキリヲに古城もなにも言えなくなる。

 次の瞬間、拘束したキリヲとジリオラを連れて那月は空間転位でこの場から消えていた。

 後に残された古城と雪菜。

 静寂が支配したキーストーンゲートの最奥部で二人は、無言で拳を握りしめた。

 

 ***

 

 監獄結界。

 

 「おい、九重キリヲ」

 「……なんの用だよ」

 

 枷に繋がれたままキリヲは鉄格子の向こう側にいる看守に不快そうに返事をする。

 

 「あんなに外に出たがっていたのに、あっさりと戻ったから驚いたぞ。……外は楽しくなかったのか?」

 

 那月の問いにキリヲは数秒ほど考え込む。

 

 「……外の生活は楽しかったよ。……ただ、やっぱり俺のいる場所じゃないって思っただけだ」

 「……そうか」

 

 キリヲの言葉に那月は、特になにも言わず頷くだけだった。

 

 「……その手に持ってるのは何だ?」

 

 キリヲは、那月が左手に持っていた数枚のハガキに目を向けた。

 

 「貴様の保釈願いだ。この前の戦闘で結構広まっていたぞ、貴様の噂」

 「保釈願いって、俺のことを外に出したい奴なんかいるのか?」

 

 自嘲気味に笑うキリヲ。

 

 「腕は確かだからな。結構いるぞ。貴様を雇いたい連中はな。……まあ、CSAにいる貴様の師匠からは来てないがな」

 「アンジェリカは、別れた弟子を気にするような奴じゃない」

 

 記憶の中の冷徹な表情を浮かべている師の顔を思い出す。

 

 「……まあ、お前が気にするのはこの二つだろう」

 

 そう言ってハガキの束から二枚のハガキを取り出す那月。その内の一枚は、豪華な装飾を施された気品のあるものだった。

 

 「アルディギアの腹黒王女からだ」

 「ラ・フォリアか……」

 「なんだ、見ないのか?」

 

 ハガキを受け取ろうとしないキリヲに那月が怪訝そうな表情をする。

 

 「俺に見る資格はない」

 「相変わらず自罰的だな。だが、こいつは受け取れ」

 

 那月は、呆れたような表情で豪華な装飾の便箋をしまい、もう一枚の方を差し出す。

 先程のとは違い簡素な封筒だった。

 

 「……誰からだ?」

 「貴様のよく知る人物からだ」

 

 那月の言葉に不可解そうな表情をしながらも封筒を受け取ったキリヲは、その差出人の名を見て目を見開いた。

 

 「……魔族狩りの犯人が捕まった以上、貴様をこれ以上外に出しておくつもりはなかったが、そいつを見て気が変わった。九重キリヲ。今日は、契約の延長を提案しに来た。あの男が来るとなれば貴様の力が必要になるかもしれん。ジリオラ・ギラルティにも声をかけてきたところだ」

 

 那月の提案をキリヲは、手元の封筒に目を向けたまま聞いていた。

 

 「どうだ、わたしとの契約を続けるか?」

 

 キリヲは、ゆっくりと顔を上げる。

 

 「……ああ、頼む」

 

 その返事を聞いて那月は満足そうに頷いてキリヲと一緒に空間転位を行った。

 

 キリヲの握っていた封筒。

 そこに書かれていた差出人の名はーー。

 

 『クリストフ・ガルドシュ』

 

 ***

 

 彩海学園。

 

 昼食時であまり人影のない中庭で古城は、ベンチに座ってぼんやりと空を眺めていた。

 

 「あの……先輩、大丈夫ですか?」

 

 心ここにあらずといったようすの古城に雪菜が不安そうに声をかける。

 

 「……今度、学校の中を案内するって約束してたんだ……キリヲと」

 

 キリヲと一緒に雪菜と話をした日、途中で中断してしまったキリヲの学校案内を別の日にやると約束していた古城は、もうその約束が果たせないことを思って悲痛そうな表情をする。

 

 「先輩……」

 「キリヲは、確かに犯罪者なのかもしれなれないけど……でも、あいつはそんな悪い奴じゃーー」

 「先輩……!」

 

 耐えきれず薄く涙を浮かべる古城に雪菜も気遣うようにその肩に両手を添える。

 そんな、涙を流さずにはいられない雰囲気がその場を包んだ瞬間。

 

 「あら、暁くんに姫柊さん。この前は、助かったわぁ。もう、怪我は大丈夫なの?」

 「へ?」

 「はい?」

 

 突然、目の前に現れた女教師らしいスーツ姿のジリオラに二人は目を丸くした。

 

 「じ、ジリオラ先生!?どうして、ここに……」

 「九重先輩と一緒に南宮先生に連れて行かれたはずじゃ……」

 

 ジリオラは、薄く微笑みながら言葉を紡ぐ。

 

 「あぁ、まあ色々あってね。もう少し、外に出ていることになったのよ」

 「じゃあ、キリヲも……?」

 

 大きく頷いてジリオラは、答える。

 

 「勿論、一緒に来てるわよ。さっき教室で見かけたけど……」

 

 それを聞いた瞬間、古城は走り出していた。

 止まることなく、階段をかけ昇り教室のドアを勢いよく開ける。

 

 「キリヲ!」

 「あ、古城」

 

 竹刀袋を背負った黒髪の少年を目にして古城は不覚にも少し泣いてしまった。

 

 世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉と監獄結界の囚人〈聖剣遣い〉の日々はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 聖者の右腕編は、これで終了です。
 次回からは、戦王の使者編になります。
 これからも、よろしくお願いします。


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戦王の使者編
戦王の使者編Ⅰ


 戦王の使者編から敵キャラ強化をしていきます。今回は、ガルドシュにオリジナル設定をつける予定です。


 

 絃神島、港湾地区 倉庫街。

 

 深夜、夜の帳が降りて辺りはすっかり闇に包まれた倉庫街の中を鮮血を垂らす傷を押さえながら黒豹の獣人の男は、駆け抜けていた。

 

 「くそっ!くそっ!人間共め、よくもやってくれたなっ!」

 

 取引は、順調だった。

 潜伏先であるこの絃神島に拠点を置いている小さな犯罪組織に絃神島内での拠点と計画の要になってくる例の兵器を隠すための倉庫を用意させる。それが、彼に与えられた任務だった。金も用意し、交渉相手も了承してそれで取引は完了のはずだった。

 そこに突然、特区警備隊が押し寄せてきたのである。

 獣人の目と鼻を潰す専用の催涙ガス弾と銀イリジウム弾による360度全方位からの一斉射撃。

 初撃で決着はついていた。

 仲間は倒れ、取引相手の組織の連中も応戦することなく制圧されていった。

 交渉相手だった人間を咄嗟に盾にして銃弾を防いだお陰で致命傷は免れたが、腹部に数発被弾していた。正直、あとどれ程走れるか分からない。

 

 「おのれ……よくも、同志達を……」

 

 やっとの思いで逃げ切り、襲われた倉庫が見える場所まで来ると追手が来てないのを確認し、彼はポケットから小型のスイッチを取り出しながら呻いた。

 彼が握っているのは遠隔操作型爆薬のリモコン。万が一交渉が決裂した時のために用意していたもので、倉庫に仕掛けてある500gもの爆薬を起爆することができる。

 当初の予定とは使う相手が違うが、これがあれば同志の仇である倉庫にいる特区警備隊を全員吹き飛ばすこともできるだろう。

 

 「同志達の恨みだっ!思い知れ、人間!」

 

 躊躇うことなく手元のリモコンのスイッチを押す。

 そして、目の前に広がるであろう光景を想像して残虐な笑みを浮かべる。

 しかし。

 

 「……なぜだ!なぜ、爆破しないっ!?」

 

 いつまで経っても倉庫で爆発が起きる様子がない。

 試しに何度もリモコンのスイッチを押すが、やはり爆発が起きることはなかった。

 

 「今時、暗号化処理もされていないアナログ起爆装置か……」

 

 突然現れた銀鎖が獣人の男の手から起爆装置であるリモコンを奪い取った。

 奪い取ったリモコンを手の上で転がして弄っているのは黒いゴシック調のドレスに身を包んだ幼い顔立ちの少女。夜なのにも関わらず日傘をさし、音もなく忽然と獣人の男の背後に現れていた。

 

 「貴様……攻魔師か。どうやって追い付いた」

 

 手負いと言えど獣人種。中でも俊敏性に長けた豹人の一族。だが、目の前の少女は追い付いてきた。その事実がこの少女の存在をより一層不気味にさせていた。

 

 「貴様こそ、このわたしから逃げ切れると本気で思っていたのか?思い上がりも甚だしいな、野良猫」

 「なんだと……っ!」

 

 嘲るような声で言う少女に獣人の男は、怒りを滲ませた声を発しながら飛びかかる。

 両手の指の先から生える鋭利な爪が少女の体を捉えたと思った瞬間、少女の姿は視界から消えていた。

 

 「察するに黒死皇派、クリストフ・ガルドシュの部下といったところか……」

 

 少女の声は、獣人の男の背後から聞こえていた。

 

 「空間転位の魔術……!貴様、空隙の魔女……南宮那月か!?」

 

 目にも留まらず、瞬時に背後へと移動した少女に獣人の男は驚愕に目を見開いて振り返る。

 

 「ふん、後は任せたぞ」

 「はいはい……」

 

 獣人の男の言葉に返答をすることもなく、空隙の魔女ーー南宮那月は自身の後ろに控えていた男に声をかける。

 いつの間にか現れていた黒髪の少年は、那月の言葉に面倒くさそうに返事をしながら背負っていた竹刀袋に入れていた刀を取り出す。

 白と銀の機械質にコーティングされた近代的なフォルムの刀。

 現代の最先端科学によって修復された古の聖剣〈フラガラッハ〉だ。

 

 「攻魔師風情が……舐めるなっ!」

 

 激昂した獣人の男が再度、爪を向けて突っ込んでくるが黒髪の少年ーーキリヲは、冷静に刀を正眼に構えてそれを迎え撃つ。

 獣人の脚力によって爆発的な加速を生み、凄まじい速度で突進してくるが、左右の目の光彩が翡翠色と赤色に変色したキリヲの義眼は、正確に獣人の男の動きを捉え、刀の有効射程範囲に入った瞬間、キリヲは目にも止まらぬ速さで刀を振り抜いていた。

 

 「ガッ……ハッ……」

 

 左脇腹から右胸にかけて一筋の刀傷を受けた獣人の男は、口から少量の血を吹き出してその場に倒れた。

 

 「終わったぞ」

 「……殺してないだろうな?」

 

 〈フラガラッハ〉を鞘に納めて振り返るキリヲに那月が目を細めて言う。

 

 「仮にも獣人種だ。これくらいじゃ、死なないだろ」

 「……まあ、いい。尋問は特区警備隊の連中に任せるか」

 

 キリヲの言葉に那月もそれ以上追及することもなく、再び倒れた獣人の男に視線を向ける。

 

 「しかし、黒死皇派か……。やはり、あの男がこの島に来ていると考えるべきか……」

 

 脳裏に浮かんだ一人の男の顔を思い起こしながら那月が警戒心を含んだ声で呟いた。

 そして、背後にいるキリヲの方へと視線を戻す。

 

 「……この後、用事でもあるのか?」

 

 刀をしまい、スマホを出して着信していたメッセージに目を通していたキリヲに那月が怪訝そうな表情をする。

 

 「ああ。古城の家で晩飯をご馳走してもらうことになっていてな。妹さんが鍋料理を用意してるんだと」

 「……そうか」

 

 いつもに増して嬉しそうに微笑を顔に浮かべているキリヲを見て那月も薄く微笑み、言葉を紡ぐ。

 

 「ちゃんと高校生らしいことをしているみたいだな。意外だったぞ」

 

 そう言って那月は振り返ってキリヲに背を向ける。

 空間転位魔術の術式を起動させる那月の顔は、どこか嬉しそうにも見えた。

 

 「さて、わたしももう帰るか。明日の授業の準備もしなければならないからな」

 

 そう呟いて那月は、真夜中の倉庫街から音もなくその姿を消した。

 

 ***

 

 彩海学園 一学年 教室

 

 「はあぁ!?ちょ、ちょっとこれどういうことよ!?」

 

 朝のホームルーム前の教室の中に女子生徒のこえが響き渡っていた。

 教室の黒板に書かれていた事項を目にして女子生徒ーー浅葱は目を見開いて驚いていた。

 黒板に書かれていたのは……。

 

 バドミントン混合ダブルス:暁古城&藍羽浅葱

 

 「な、なんでわたしが古城と組まなきゃならないのよ!?」

 「今年からそういう規定になったのよ。シングル減らしてミックスダブルス増やすって」

 

 浅葱に答えたのは、築島倫だ。浅葱の古い友人でもある倫は驚愕に目を見開いている浅葱に淡々と事情を説明する。

 そんな、倫に浅葱は詰め寄る。

 

 「そんなこと聞いてるんじゃないの!なんでわたしと古城かって話!」

 「だって好きって言ってたじゃない」

 「は、はあぁぁ!?」

 「……バドミントン」

 「……………………」

 

 倫の言葉に顔を赤らめる浅葱。

 そんな浅葱を見ながらキリヲが呟いた。

 

 「……なあ、これは一体何の騒ぎだ?」

 「球技大会だよ。クラス全員参加の奴」

 

 キリヲの質問に古城が端的に答える。

 

 「あっ、九重くん転校してきたばっかりだものね。前の学校ではなかった?」

 「あぁ……うん、なかったな」

 

 つい最近まで学校に行くどころか独房に投獄されていたなんて口が裂けても言えないのでキリヲは、曖昧に笑って誤魔化した。

 

 「それで、古城と浅葱が一緒にバドミントンで参加するのか?」

 「そうみたいだな。……まあ、いいか。バドミントンならそこそこ楽しめそうだし」

 

 顔を赤くしている浅葱とは対照的に古城は何食わぬ顔でバドミントンの混合ダブルスに参加することに同意していた。

 

 「九重くんは、何か得意な球技とかある?」

 「……いや、球技とかはあんまりやったことないな」

 「何か出たい競技とかは?」

 「それもよく分からないから、そっちで決めてほしいな」

 

 倫の質問に答えていくキリヲの顔は嬉しそうに少し綻んでいた。生まれて初めて参加する学校行事に少なからずワクワクしていたのは本人も気づいてはいなかった。

 

 「じゃあ、バドミントンのシングルスがいいんじゃないか?やり方は、俺と浅葱が一緒に練習しながら教えるし」

 「古城、バドミントンを教えてくれるのか?」

 「ああ。任せとけ。でも、俺もそんなに上手い訳じゃないから、あんまり期待するなよ」

 

 そんな感じでキリヲも同意して参加競技がバドミントンのシングルスに決まろうとしていた。

 その時、キリヲにバドミントンを教えると言い出した古城に倫が呆れ果てたように声をかける。

 

 「……ねえ、混合ダブルスで浅葱とペアにした意味分かってる?」

 「意味?なんかあるのか?」

 

 真顔で聞き返す古城に倫、矢瀬、浅葱が疲れたようにため息をつく。

 

 「……いいよ、倫。分かってたことだから」

 

 諦めたように言う浅葱に倫と矢瀬が同情の眼差しを向ける。

 

 「じゃあ、わたしと古城がダブルスでキリヲがシングルスね。今日の放課後から練習するわよ」

 

 そう言う浅葱の声は、どこか吹っ切れていた。

 

 放課後 体育館

 

 午後の授業も全て終わり、当初の予定通りキリヲと古城は体操着に着替えて体育館に来ていた。

 そして、激しく後悔していた。

 

 「……浅葱が嫌がってた理由はこれか」

 

 目の前に広がっている光景。

 バドミントン混合ダブルス参加者達。全ペア男女の組み合わせで、その距離感は何か近い。ちょっと、近すぎるんじゃないかってくらい近い。

 そんな彼らの回りの雰囲気は当然の如く桃色一色。

 キリヲと古城は、着替え中の浅葱より先に体育館に来ていた。この桃色の体育館に。男二人でこの桃色空間にいることで生じる居心地の悪さは、語るまでもないだろう。

 

 「……浅葱がくるまで外で待ってようぜ」

 「……そうだな」

 

 居心地の悪さに耐えきれず体育館からの一時退却を提案してきた古城にキリヲも反対などすることもなく同意した。

 投獄生活を送っていて世間に疎くても、この体育館の雰囲気が他とは違うのだと言うことぐらいは分かる。

 

 「やっぱり適当に理由つけて帰ればよかったかぁ。……でもそんなことしたら浅葱がうるさそうだし……」

 

 体育館の中を見てからすっかりテンションが下がりきった古城は、自動販売機でジュースを買いながら呟いた。

 

 「キリヲも、ああ言うの好きじゃなかっただろ?」

 「……まあ、好きではないな」

 

 確かにあの男女が中睦まじくしている空間は、キリヲにとっても居心地の良い場所とは言えなかった。

 

 「……っ!」

 

 古城の言葉に頷きながら答えていたキリヲの動きが一瞬、硬直したように止まった。

 

 「古城」

 「ん?」

 「伏せろ」

 

 そう言うと同時にキリヲは古城の襟首を掴んで地面に引き倒した。

 力任せに引っ張られて古城は盛大に転倒する。

 その直後、古城のすぐそばにあったベンチが破裂するように砕け散った。

 

 「なっ!?」

 「狙撃か……」

 

 驚愕に目を見開く古城とは対照にキリヲは冷静に狙撃の着弾点であるベンチの残骸に目を向ける。

 

 「矢……?」

 

 ベンチのあった場所には狙撃使われ、ベンチを貫通したであろう銀色の矢が突き刺さっていた。

 

 「一体なにが……」

 「次が来るぞ」

 

 キリヲは、古城を突飛ばし同時に自身も後方に向かって跳ぶ。

 二人の立っていた場所にさらに数本の銀の矢が突き刺さる。

 

 「……厄介だな」

 

 立て続けに放たれた矢を見てキリヲは表情を崩さぬまま悪態をついた。

 銃に比べて威力と連射性で劣る弓矢が持っているメリットの一つは銃声がしないところだ。

 特に敵の位置を特定しにくい市街地での狙撃戦ではそのメリットの価値は大きい。

 キリヲも矢が飛んできた方向から大体の位置は把握できたが、銃声と銃火光がないので詳しい狙撃手の居場所は分からずにいた。

 だが、厄介事はまだ続く。

 

 『グルルルッ』

 

 飛んできた矢が形を変え、金属質な獣へと変貌していた。

 撃ち込まれた矢が全て変形し、鋼の獣がキリヲと古城を取り囲む。

 

 「……何なんだ、コイツら」

 

 古城が全身に魔力の雷を纏わせて呟く。そんな古城の前にキリヲは立って竹刀袋の中にしまってある〈フラガラッハ〉を抜き放つ。

 

 「古城、下がってろ。俺がやる」

 「俺もーー」

 「ダメだ。……古城が戦ったら学校が消し飛ぶだろ」

 「うっ……」

 

 キリヲの一言で古城も押し黙る。ちなみにキリヲも以前、呪詛を使った副作用として倉庫街を呪毒で汚染したことがあるのだが、完全に棚に上げていた。

 

 『グラアッ!』

 

 そんなやり取りをしていたキリヲに鋼の獣は容赦なく飛びかかる。

 だが、横から飛んできた銀の一閃が鋼の獣を止めた。

 雪霞狼だ。

 

 「先輩!」

 

 チアリーダーの衣装を身に纏った雪菜が雪霞狼を携えてキリヲ達の横に立つ。

 

 「九重先輩、これは一体!?」

 「式神だ。術者は近くにいないみたいだから、各個撃破でいくぞ。……あと、一応狙撃に気を付けろ。今は止まってるが、さっきまで撃ってきてた」

 

 キリヲは雪菜に手早く状況を説明する。雪菜もキリヲの言葉に一度頷き、目の前の敵に意識を戻す。

 

 「半分任せていいか?」

 「構いません。すぐに片付けて九重先輩の援護に向かいます」

 「大した自信だな」

 

 それだけ言葉をかわすと、キリヲと雪菜は互いに飛び出してそれぞれ式神に刀と槍を振るう。

 キリヲの振るう〈フラガラッハ〉は目にも留まらぬ速さで式神を次々に切り伏せていく。

 

 「若雷!」

 

 雪菜も襲いかかってくる式神を雪霞狼で貫き、呪力を込めた掌底を叩き込んで吹き飛ばす。

 ほんの数分で決着はつき、式神は全て破壊されていた。

 

 「八雷神法……獅子王機関の対魔族近接戦闘術か。良い腕してるな」

 「……ありがとうございます」

 

 キリヲの賞賛に雪菜は複雑そうな表情をする。

 犯罪者であるキリヲに一瞬で技を見破られて誉められるのは少々納得のいくところではないが、この前の絃神島に攻めてきた殲教師との一戦で見せられたキリヲの剣の腕は、剣士ではない雪菜にも他の者を遥かに凌駕するレベルに達しているのは分かった。それだけの強さを持つ者に腕を誉められるのは、素直に嬉しい。

 

 「結局、何だったんだコイツら……」

 「あれは、式神です。本来は遠方にいる相手に書状を届けたりするもので、こんなに攻撃的ではないはずなんですけど……」

 「書状を届ける?問答無用で攻撃してきたぞ?」

 「ええ。ですから、少しおかしいと思ったんです」

 

 古城の言葉に雪菜が顎に手を当てて思案する。

 そんな、二人にキリヲが式神の残骸から拾ってきた物を差し出す。

 

 「どうやら、もう少し厄介事が続くみたいだな」

 

 キリヲが持っていたのは二枚の便箋。豪華な装飾を施されたものだった。

 

 「一枚は、第四真祖……古城宛だ。もう一枚は、俺宛てみたいだ」

 「……っ!その刻印!まさか……」

 

 便箋の封を見て雪菜が声を上げる。

 キリヲも疲れたようにため息をつく。

 

 「……どう見ても、厄介な事になりそうだろ?」

 「……そうですね」

 

 便箋の刻印を見て表情を曇らせるキリヲと雪菜に古城が怪訝そうに訊ねる。

 

 「知ってるのか?」

 「アルデアル公…………ディミトリエ・ヴァトラーだ」

 

 その名前を言うキリヲの顔はこれ以上無いと言いたいくらいに嫌そうだった。

 

 「そんな、ヤバイ奴なのか?」

 「会ったことはない。……ただ、ろくな噂を聞いたことがない」

 

 そう言ってしぼらく便箋を見つめた後、キリヲは便箋の一枚を古城に手渡して校舎に向かって歩き始めた。

 

 「南宮那月のところに行ってくる。……古城、浅葱に謝っといてくれ」

 

 古城と雪菜に背を向けたキリヲは便箋の中身である手紙を確認した。

 その内容を読んで、キリヲは更に気の滅入る思いをすることになる。

 

 『船上パーティーへの招待。なお、パーティーにはパートナー同伴で出席すること』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦王の使者編Ⅱ

 


 絃神島 南宮那月所有のマンション

 

 住宅地に一際目立って建つ二十五階建ての高級マンション。このマンション全てが欧州で名を馳せた攻魔師であり資産家でもある南宮那月の所有物だった。

 広大な敷地に建てられたマンションは絃神島での那月の拠点であり、敷地全域に侵入者対策の結界が張られている。

 那月はマンションの最上階に住んでおり、その他の階はよほどの高額所得か訳ありで那月が暮らすことを許した者だけが住んでいる。

 そして、そのマンションの二十四階。つまり、最上階の一つ下のフロアの一室をキリヲは訪ねていた。

 

 「それで?どういう風の吹き回しかしら?貴方がわたしの部屋を訪ねてくるだなんて」

 

 部屋の中央に置かれたソファーに寝そべっていたジリオラが上体を起こしながら部屋に入ってきたキリヲに視線を向けた。

 

 「それに、なにその格好?」

 

 ドアの前に立つキリヲの姿を下から上までじっくりと眺めた後にジリオラは言った。

 キリヲの今の格好は執事が着るような黒の燕尾服だ。雪菜同様に基本的に普段着も制服で済ませているキリヲが持っているような服ではない。

 

 「……南宮那月に借りた。パーティー用にな」

 

 先程、那月の部屋を訪ねた際にキリヲがパーティーに行く時の服装として借りたものだった。那月は普段からメイドや執事が欲しいと豪語しており、彼女がいつも着ているフリル付きドレスと同様に趣味のようにメイド服や燕尾服を買いそろえていた。

 キリヲは、その内の一着を拝借してきたのだ。

 

 「……今夜、絃神島に到着した大型客船の船上パーティーに招待された」

 「それで燕尾服?」

 「……そうだよ。そこそこ大きなパーティーだから、いつもの制服って訳にはいかないだろ?それに招待状にパートナーを連れてこいとも書いてあった」

 

 欧米で催されるパーティーには、基本的に恋人や夫婦をパートナーとして同伴させるのが基本だ。それらの関係に該当する相手がいない場合は、代役をたてるのが基本となっている。

 今回のパーティーもその例に漏れず、パートナー同伴を要求していた。

 

 「それで、わたしにそのパートナーの代役をさせたいのかしら?」

 「そう言うことだ。……不本意だがな」

 

 嫌そうな顔をしながらキリヲがボソリと呟く。

 一方でジリオラの方は乗り気らしく、嬉々とした表情でソファーから立ち上がりクローゼットに向かっていく。

 

 「構わないわよ。パーティーはいつから?」

 「一時間後だ。出来ればもう出発したい」

 

 クローゼットの中の衣類を品定めしながら聞いてきたジリオラにキリヲは無愛想に返事をする。

 

 「そういえば、誰が主催しているパーティーなの?」

 「………………ディミトリエ・ヴァトラーだ」

 

 服選びをしていたジリオラの手がピタリと止まる。

 

 「…………やっぱり辞退してもいいかしら?」

 「頼む。気持ちは分かるが今回だけは勘弁してくれ」

 

 珍しくジリオラに頭を下げるキリヲ。

 ジリオラの心情はキリヲにも理解できた。それほどまでにディミトリエ・ヴァトラーの名は欧州では有名なのだ。

 強敵と認めた相手に誰彼かまわず戦いを挑む戦闘狂。そして、格上の吸血鬼である長老を二人も喰らったという事実もある。

 吸血鬼にとっては絶対に鉢合わせたくない相手だ。

 

 「……ハア。一つ貸しよ?」

 「すまん。恩に着る」

 

 諦めたようにため息をつくジリオラは再び服選びを再開する。

 

 「二十分待ちなさい」

 「……着替えるだけだろ?五分で済ませろよ」

 「女の化粧直しくらい待てる男になりなさいよ」

 

 そう言うとジリオラは取り出したドレスを片手に別室に移動していった。

 

 「……まったく、面倒だな」

 

 キリヲとしては、このパーティーに参加するつもりはなかった。だがもう一人の招待相手、暁古城がパーティーに参加するとなれば無視するわけにもいかない。

 那月に古城の監視と有事の際の護衛を任されたが、キリヲとしても友人である古城を同族喰いに差し出すつもりはない。

 窓の外に見える港に着岸した大型船を睨み、キリヲは静かに拳を握りしめた。

 

 ***

 

 絃神島 港湾地区 〈オシアナスグレイブ〉前

 

 「……こんな時間にパーティーだなんて、近所迷惑もいいところだろ」

 

 目の前に佇む豪華客船から溢れるパーティー参加者の歓談の声や楽器の演奏などを聞きながら、燕尾服に身を包み竹刀袋を背負ったキリヲは静かに呟く。

 

 「悪党が何言ってるのよ」

 

 その横に付き従うようにジリオラが立つ。

 そんなジリオラにキリヲは、思わず目を向ける。数秒ほど目を離すことができなかった。

 

 「なによ?」

 「……いや、そういう普通の服も持ってるんだな」

 

 今のジリオラはいつものような下着の上にコートを羽織っただけの格好ではない。

 肩と背中は大きく露出しているが、ちゃんとしたパーティードレスだ。おまけに普段はつけないような銀のネックレスなどまでつけている。

 

 「女ならパーティードレスの一つくらい持ってて当たり前よ」

 「どこで用意したんだ?」

 

 キリヲもジリオラも監獄結界の囚人だ。つい最近まで投獄されており、服どころか所持品すらほとんど持っていないはずなのだ。

 

 「南宮那月から生活費は貰ってるでしょ?必需品買うお金とかも」

 「……ドレスって必需品か?」

 「女にとってはね」

 

 妖艶に微笑みながらジリオラは言う。

 キリヲには理解できる感覚ではなかったが、そういうものだと割り切って無理矢理納得することにした。

 胸中で心の準備を整えたキリヲは船内へと足を進める。

 大型客船、〈オシアナスグレイブ〉の中に広がっているパーティー会場には既に大勢の人間が存在していた。

 皆それぞれで飲食やダンス、歓談を楽しんでいた。

 そんな中で目当ての人影を探してキリヲは会場内に目を走らせる。

 だが、目には入るのは裕福そうな妙齢の男女ばかり。キリヲが探している二人組は見当たらない。

 

 「古城達がいないな……」

 「上のデッキじゃないかしら。多分、ヴァトラーもそこにいるわね」

 

 ジリオラが天井を見上げて目を細める。

 吸血鬼であるジリオラは本能的に間近に潜む強大な魔力の持ち主を感知しているのだろう。

 その時。

 

 ズズゥン。

 

 魔力の波動と共に鈍い音をたてて船が揺れた。揺れ自体は大したものではなかったからパーティー会場にいる人間の大半は特に気にすることもなかった。だが、キリヲやジリオラなどの魔力を感知できる一部の存在はその魔力の強大さに思わず身構える。

 

 「急いだ方が良さそうだな」

 

 足早に階段を昇っていくキリヲ。数秒後にはキリヲとジリオラは最上階のデッキに到着していた。

 デッキの上では古城と雪菜が白いタキシードに身を包んだ金髪碧眼の男と対峙していた。

 その強大な魔力から見間違うはずもなかった。金髪の男ーーディミトリエ・ヴァトラーだ。

 

 「古城、姫柊」

 

 黒のタキシード姿の古城と白いドレスに身を包んだ雪菜にキリヲは声をかける。

 雪菜は雪霞狼を構え、古城は全身に雷を纏わせてヴァトラーを睨み付けている。

 

 「いやいや、お見事。やはりこの程度の眷獣では傷つけることはできなかったねぇ」

 

 臨戦態勢のまま身構える古城と雪菜にヴァトラーが拍手をしながら歩み寄る。

 その言動からキリヲはこの場の状況を何となく察する。

 大方、ヴァトラーが小手先調べに、古城に向かって眷獣でも放ったのだろう。結果、古城はヴァトラーの攻撃を難なく防ぎ今に至っている。

 

 「そして、どうやら遅れていた他の来賓も到着されたようだ」

 

 ヴァトラーが古城達の横に並ぶように立ったキリヲとジリオラに目を向けた。

 

 「我が名はディミトリエ・ヴァトラー。我が真祖〈忘却の戦王〉よりアルデアル公位を賜りし者」

 「……あんたがヴァトラーか」

 

 芝居がかった仕草で恭しくお辞儀をするヴァトラーに古城が敵対心を剥き出しにして言う。

 

 「初めまして、と言っておこうか。暁古城。いや、〈焔光の夜伯〉。そして……おや?」

 

 古城の横に立つジリオラに視線を止めたヴァトラーは少し驚いた様に目を開き、ジリオラに歩み寄っていく。

 

 「これはこれは、ジリオラ・ギラルティ。〈カルタス劇場の歌姫〉、〈混沌の皇女〉の血に連なる氏族の姫よ。お会いできて光栄だ」

 

 ジリオラの前で立ち止まると貴族の如く優雅な仕草でジリオラの手を取り、その手の甲に唇を落とす。

 

 「……ええ、こちらこそ光栄ね。〈蛇遣い〉」

 

 ジリオラもヴァトラー相手に一歩も退くつもりはないらしく、その場を微動だにせずヴァトラーを睨み返す。

 ヴァトラーは、そんなジリオラの敵意を孕んだ視線を心地良さそうに受け止めると今度はキリヲの方に顔を向けてきた。

 

 「そして、君が〈聖剣遣い〉か。九重キリヲ」

 

 キリヲを見るヴァトラーの目は好奇心に満ちていた。常に強敵を求めるヴァトラーは目の前に現れたキリヲと言う存在に溢れる闘争心を露にしていた。

 

 「君の噂はよく聞いているよ?アルディギアで何百人も斬ったそうだねぇ?」

 「えっ……」

 

 ヴァトラーの言葉に雪菜が目を見開いてキリヲに視線を向ける。

 

 「……犯罪者の俺を糾弾するために遥々海を越えてやって来たのか?」

 「まさか。ボクは君のことを責めるつもりはないよ。君は降りかかる火の粉を払っただけだ。正当防衛だろう?」

 

 皮肉気に言い返すキリヲにヴァトラーは苦笑しながら答える。

 だが、今度はキリヲがヴァトラーの言葉に食って掛かる。

 

 「違う。あれは正当防衛なんかじゃない……ただ、怒りに任せて剣を振るった殺戮だ」

 

 過ぎた自らの過ちを悔いるようにキリヲは拳を握りしめながら絞り出すように言う。

 だが、ヴァトラーは涼し気に返答する。

 

 「だが、彼らは君の大切なものを傷つけた。当然の報いだったとは思わないかい?」

 

 キリヲの脳裏に傷付き鮮血を流す銀髪の少女の姿が鮮明に浮かび上がる。

 

 「……それでも、あれは俺の罪だ」

 「自罰的だねぇ」

 

 そう言うとヴァトラーは視線を古城に戻し、魅惑な笑みを浮かべる。

 

 「さて、先程の非礼……御身の武威を検するためとは言え、流石に品がなかった。心よりお詫びするよ、古城。それにしても、さっきの眷獣……〈獅子の黄金〉か。普通の人間が<第四真祖>を喰ったって噂、あながち間違いじゃなかったわけだ」

 「……〈獅子の黄金〉を知っているのか?」

 

 ヴァトラーの言動に怪訝そうに顔をしかめる古城。

 

 「我が愛しの第四真祖アヴローラ・フロレスティーナが従えていた眷獣だろう?」

 「愛しの……?それはどういうーー」

 「古城、避けろっ!」

 

 ヴァトラーの言葉に返事をしようとした古城に突如、頭上から数本の銀のフォークやナイフが降り注いだ。

 反応が遅れた古城の襟首を掴んでキリヲが無理矢理下がらせる。

 目標を失い空を切った銀食器はデッキの床に突き刺さる。

 

 「雪菜から離れなさい、暁古城」

 

 銀食器を投げた張本人、チャイナドレスに身を包んだポニーテールの女が船室の屋根の上から飛び降りて古城の前に立ち塞がる。

 

 「紗矢華さん!」

 「雪菜!」

 

 突然現れたチャイナドレスの女は雪菜の知り合いだったらしく、チャイナドレスの女ーー紗矢華の顔を見て雪菜は表情を明るくさせた。

 紗矢華も雪菜の顔を見ると駆け出し、目の前にいた古城を突き飛ばして雪菜に抱きつく。

 

 「雪菜雪菜雪菜雪菜雪菜っ!」

 

 雪菜に抱きつくと紗矢華は雪菜の名前を連呼しながら力の限り抱き締めていた。

 

 「久し振りね!元気にしてた?怪我はない?あぁ、もう、雪菜っ!」

 

 突然の激しすぎる抱擁に雪菜は戸惑った様に声を上げて両手をパタパタと振り回すしかないようだ。

 そんな紗矢華を数秒間見つめた後、キリヲは紗矢華の方に歩みより声を投げ掛ける。

 

 「……その霊力、お前学校で式神を放ってきた奴か」

 「近寄らないでっ!」

 

 体から漏れ出す霊力から昼間の式神を放った相手だと推測して声をかけたキリヲに紗矢華は雪菜を抱き締めたまま鋭い声を張り上げる。

 

 「この、いかれた犯罪者!第四真祖だけじゃなく、こんな危険な犯罪者までいる場所に雪菜を送り込むなんて……獅子王機関もなんて惨いことをするのかしらっ!」

 「紗矢華さん……」

 

 感極まって涙を浮かべる紗矢華に雪菜も困ったような表情を浮かべる。

 

 「でも、大丈夫よ。すぐにわたしが二人まとめて始末するから。生命活動的な意味でも、社会的な意味でも」

 

 瞳にどこか病的な輝きを灯らせる紗矢華。

 

 「おいっ!突然出てきて何なんだコイツは!?」

 「煌坂紗矢華。獅子王機関の舞威媛です」

 

 あまりの物言いに古城が抗議の声を上げる。

 そんな古城に雪菜が苦笑を浮かべながら紹介する。

 

 「舞威媛?剣巫とは違うのか?」

 「舞威媛の真髄は呪詛と暗殺。雪菜に付きまとう者やあんた達みたいな害虫を抹殺するのが使命。分かったら、もう雪菜には付きまとわないことね」

 

 鋭い目付きで睨み付けてくる紗矢華に古城が思わず二歩ほど後退する。

 

 「ずいぶんと嫌われてるわね」

 「うるさい」

 

 ジリオラの茶化すような物言いにキリヲが強めに言い返す。

 紗矢華は相変わらず敵意全開の目付きでこちらを見ており、雪菜は紗矢華と古城のどちらに味方すればいいか決められずオロオロと視線を泳がせている。

 そして、そんな光景を楽しそうに眺めているヴァトラー。

 

 「……勘弁してくれ」

 

 古城は、星一つない黒い夜空にそう呟くのだった。

 

 

 

 




 現実が忙しくて更新ペースが落ちぎみですが、三日に一回は更新できるようにしていくつもりです。
 これからも、よろしくお願いいたします。


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戦王の使者編Ⅲ

 今回、ガルドシュにオリジナル設定をつけています。


 〈オシアナスグレイブ〉 アッパーデッキ

 

 潮風が吹き込む大型客船の甲板で古城、雪菜、キリヲ、ジリオラは金髪碧眼の吸血鬼と対峙していた。

 同族を喰らい、ただ強者だけを求めて戦いを続ける旧き世代の吸血鬼ーーディミトリエ・ヴァトラーと。

 

 「それで……結局、何なんだ。なんで俺達を呼び出した?」

 

 威圧的な声音で言う古城にヴァトラーは薄く微笑みながら答えを返す。

 

 「そんなの決まっているだろう?我が愛しの第四真祖に会うためだよ」

 「……それは、どういう意味だ?あんた……アヴローラの知り合いなのか?」

 

 ヴァトラーの舐めるような眼差しを受けて更に不快そうな表情をする古城。

 

 「一言で言うと……愛し合っていた。だから、仲良く愛を語ろうじゃないか。暁古城」

 

 蠱惑な視線を向けながらヴァトラーが歩み寄ってくると、顔をひきつらせながら古城は後ろに後退する。

 

 「待て待てっ!俺はアヴローラじゃない!それに俺は男だっ!」

 「しかし、彼女を喰った。だから、ボクは彼女の血を受け継いだ君に愛を捧げる。……強大な血を前にしたら性別なんてものは些細な物でしかない」

 

 全力で拒否反応を露にする古城にヴァトラーは躊躇うことなく近づいていく。

 そんなヴァトラーを止めたのは先程まで紗矢華に抱き付かれていた雪菜だった。

 

 「アルデアル公」

 「君は?」

 「獅子王機関の剣巫、姫柊雪菜と申します」

 

 雪菜の存在にヴァトラーは少しばかり興味を持ったように歩みを止めた。

 

 「貴方の来訪された目的をお聞かせください。……そうやって、第四真祖といかがわしい縁を結ぶことが目的ですか?」

 「もちろん」

 「即答かよ……」

 

 雪菜の問に清々しい笑顔で答えるヴァトラーにキリヲは呆れたように呟いた。

 そんな中、ヴァトラーは目をつむり更に言葉を紡いだ。

 

 「しかし、別の目的もある」

 「と言うと?」

 「クリストフ・ガルドシュと言う名を知っているかい?」

 「……っ!?」

 

 ヴァトラーの口から出た名前にキリヲが肩を震わせて反応する。

 

 「確か、戦王領域出身の軍人で、黒死皇派の幹部を務めていた男じゃなかったかしら?」

 

 記憶の中にあった名前を掘り下げてジリオラが答える。

 

 「そうだ。欧州じゃ少しばかり名の知れたテロリストでね。同時に刀を扱う剣豪としても名を馳せた男だ」

 「……剣豪」

 

 ヴァトラーの言葉に雪菜がキリヲの方に目を向けながら呟く。

 

 「黒死皇派というのは聞いたことがあるな。でも、何年か前に壊滅したんじゃなかったか?確か指導者が暗殺されて……」

 「ボクが殺した。……少々厄介な特技を持った爺さんだったけどね。……どうやら、その黒死皇派の残党が新たな指導者としてガルドシュを雇ったみたいだ」

 

 自らの疑問に答えたヴァトラーに古城は思わず声を上げる。

 

 「待てよ!まさか、そいつがこの島に来ているとか言うんじゃないだろうな?」

 「察しがいいな。黒死皇派の部下たちと潜伏したらしい。どうやら、連中は黒死皇派の健在をアピールするためにこの島を標的に選んだようだね」

 

 クリストフ・ガルドシュが絃神島に潜伏している。その言葉がヴァトラーの口から出た瞬間、キリヲとジリオラは鋭い目付きをヴァトラーに向けていた。

 

 「……そう言うことか」

 「相変わらず、ふざけたことするわね。戦闘狂」

 

 二人から敵意に満ちた視線を浴びてもヴァトラーが動じることはない。

 むしろ、喜んでいる様にも見える。

 

 「黒死皇派をおびき寄せるためにこんな目立つ船で来たのか。……連中を狩るために」

 

 キリヲの言葉に古城と雪菜が息を飲む。

 ジリオラと紗矢華は予め予想していたようで、忌々しそうにヴァトラーを睨み付けた。

 

 「まさか。そんな面倒臭いことはしないよ。……でも、もしガルドシュの方から仕掛けてきたら応戦しないわけにはいかないよね。彼は、かなりの凄腕だ。ボクの身に危険が迫ったら従えている眷獣が何をしでかすか分からないからね。……この島くらい平気で沈めるよ?だから、最初に謝っておこうと思ってね」

 「てめぇ……」

 

 ヴァトラーの挑発的な言葉に古城が詰め寄ろうと上体を前に傾ける。

 だが、そんな古城を止めたのは雪菜だった。

 

 「せっかくですが、その様なお気遣いは無用でしょう」

 「どういう意味かな?……まさか、古城がボクより先にガルドシュを始末してくれるとでも?でも、第四真祖よりはまだボクの眷獣の方が大人しいと思うけどねぇ」

 「いや、その心配はない。……俺がやる」

 

 雪菜に言葉を返すヴァトラーに答えたのはキリヲだった。

 雪菜を後ろに庇うように立ったキリヲを見てヴァトラーは興味深そうに笑みを深める。

 

 「九重キリヲ……君も剣客だったね?勝算でもあるのかい?」

 「わたしも九重先輩に加勢します!アルデアル公、貴方の出る幕はありません」

 

 雪菜もキリヲに並ぶように前に歩みでる。

 

 「へぇ……〈聖剣遣い〉に〈剣巫〉か。いいよ。まずは二人のお手並みを拝見するとしようかな」

 

 獲物を取られてもヴァトラーは優雅な笑みを崩さない。品定めをするようにこの場に集まった者達の力を測っていく。

 そんなヴァトラーと対峙するようにキリヲと雪菜も鋭い視線を向ける。

 

 〈黒死皇派〉クリストフ・ガルドシュをターゲットにしたハンティングゲームが始まろうとしていた。

 

 ***

 

 彩海学園 執務室

 

 「それで?結局、〈蛇遣い〉の奴は何をしに絃神島までやって来た?」

 

 心底嫌そうにヴァトラーの顔を頭に浮かべながら那月は、自らが釈放した囚人達に訊ねていた。

 二名の囚人ーーキリヲとジリオラも不機嫌そうに昨夜のヴァトラーとの会話を思い出しながら報告をする。

 

 「古城にちょっかい出しに来たって感じだ。あの様子じゃ、よほど暇を持て余しているみたいだな。……きっとろくなことしないぞ」

 

 忌々しそうに言うキリヲにジリオラも同意するように頷き、那月は疲れたように溜め息をつく。

 キリヲの言う通り吸血鬼、それも永い時を生きる旧き世代の吸血鬼が暇を憂いだすとろくなことをしないと言うのは大半の人間の共通認識だった。

 暇を潰すために吸血鬼は面白半分でとんでもないことをやらかすことが多い。本人は面白いからいいかもしれないが、飛び火を受ける周りとしては、たまったものではない。

 特に今回は戦闘狂として有名なあのディミトリエ・ヴァトラーが退屈しているのだ。

 どう楽観的に考えても凄惨な結果しか思い浮かばない。

 

 「……それと、妙なことを言ってたわね。黒死皇派のクリストフ・ガルドシュが絃神島に潜伏してるとかーー」

 「特区警備隊の方では把握しているのか?」

 

 ジリオラの言葉を遮って聞いてくるキリヲに那月も億劫そうに答える。

 

 「もちろん、把握している。先日も黒死皇派の犬を一匹捕まえたところだ。連中、妙なものを密輸していたがな」

 「妙なもの?」

 「古代兵器だ。〈カノウ・アルケミカル・インダストリー社〉というダミー企業を介して密輸していた。……もっとも、すでに回収された後のようだったがな」

 

 那月の言葉にキリヲは僅かに目を見開く。

 

 「回収されていた?だったら不味いんじゃないか?」

 

 キリヲの言葉に心配無用だ、と言わんばかりに那月は微笑を浮かべる。

 

 「あれは、何年も前に多くの研究機関が解読を諦めた難解な制御コマンドを用いる兵器だぞ?テロリスト風情がどれほど集まって知恵を搾ったところで動かせるような代物でない……む?茶が切れたな。おい、アスタルテ!」

 

 会話の途中で空になったティーカップを覗き込んだ那月が隣の部屋に通じるドアに声を投げ掛けた。

 数秒後、執務室の隣にある小さなキッチンから出てきたのは、メイド服に身を包んだ藍色髪の人工生命体だった。

 数週間前ロタリンギアの殲教師と共にこの絃神島に来た眷獣と共生している人工生命体ーーアスタルテだ。

 

 「お前は……」

 「お久し振りです。ミスター 九重、ミス ジリオラ」

 

 両手でティーポットを載せたトレイを持ったままお辞儀をするアスタルテ。

 

 「ああ、貴様ら顔見知りだったな」

 「なんで、ここにいる?……なぜ、メイド服?」

 

 突然現れたアスタルテ、主にその格好に対する純粋な疑問を那月にぶつける。

 

 「アスタルテは三年間の保護観察処分中だ。攻魔師であり教師でもあるわたしが適任だから請け負った。ちょうど忠実なメイドも一人欲しかったところだしな」

 「明らかに最後のがメインの理由だろ……。だったらーー」

 

 那月の返答に呆れつつキリヲは親指でジリオラを指差した。

 

 「こいつにもメイド服とか着せたりしないのか?」

 「はぁ!?」

 

 キリヲの一言にジリオラが顔を僅かに朱に染めて声を上げる。

 那月も白けた目付きでキリヲを見ながら口を開く。

 

 「……なんだ、九重キリヲ。貴様、ジリオラのメイド姿が見たかったのか?元娼婦だからリクエストしたら着てくれると思うぞ?」

 「着るわけないでしょ!」

 

 今度は顔を明らかに赤く染めて抗議するジリオラ。

 

 「なんで、その格好は平気なのにメイド服を恥ずかしがるんだよ……」

 

 ジリオラの今の格好は、いつも通り下着の上にコートを羽織っただけの姿だ。

 キリヲとしては、この露出過多の格好よりかはメイド服の方が幾分かマシだと考えたのだが。

 普段からこんなに肌を露出しているのに、今更メイド服ごときで何を恥ずかしがっているのか真面目に理解できないキリヲだった。

 

 「……まあいい。とにかく、黒死皇派の方はわたしが決着をつけてくる。貴様らの出る幕はない。先程、特区警備隊から黒死皇派の隠れ家らしき場所をサブフロートで確認したと報告があってな。今からわたしも向かうところだ」

 「待てよ。それなら俺もーー」

 「不要だ。貴様らは学校に残って暁古城を見張ってろ。また、勝手に首を突っ込むかも知れないからな」

 

 キリヲの言葉を遮り、転移魔法の術式を起動させる那月。そんな那月にキリヲが声を張り上げる。

 

 「待てっ!契約と違うぞ!ガルドシュの相手は俺がする約束だろ!?」

 「……貴様がガルドシュに固執する気持ちは理解できるが、今回は却下だ。貴様は出てくるな。奴を前にして情に惑わされたりしたら面倒だからな」

 

 一方的にそう告げると那月は転移魔法で執務室を後にした。

 残されたキリヲは、虚空を見つめたまま身動ぎ一つせず、奥歯を噛み締めた。

 

 「……ガルドシュと面識があったの?」

 「…………………昔の話だ」

 

 絞り出すようなキリヲの物言いにジリオラもそれ以上追及はしなかった。

 

 「古代兵器って言ってたわね。結局、なんだったのかしら?」

 「……〈ナラクヴェーラ〉」

 

 ジリオラの呟いた一言にアスタルテが無機質な声で返答した。

 

 「わたしと教官が〈カノウ・アルケミカル・インダストリー社〉で発見した制御コマンドの兵器は〈ナラクヴェーラ〉と呼ばれている物でした」

 

 アスタルテの報告に数秒ほど考える素振りを見せるキリヲ。

 

 「……一応、姫柊にも伝えておくか」

 

 ポケットからスマホを取りだし、同じ対ガルドシュの共同戦線を張っている雪菜のアドレスを出すと、黒死皇派の持つ古代兵器〈ナラクヴェーラ〉のことを書き込み送信する。

 この事を数分後に後悔する羽目になるのだが、キリヲはまだそれを知らない。

 

 ***

 

 彩海学園付近のビルの屋上

 

 「な、なんて破廉恥な……」

 

 彩海学園の向かいに建つビルの屋上で怒りに肩を震わせる女性の人影があった。

 髪をポニーテールに結って、キーボードケースを背負った少女ーー獅子王機関の舞威媛、煌坂紗矢華だ。

 今、彼女が式神を通して見ていたのは、向かいに建つ彩海学園の生徒会室の中の様子だった。

 件の生徒会室の中では二人の生徒がパソコンを置いているデスクの下で密着するような体勢で隠れていた。

 昨夜出会った吸血鬼、〈第四真祖〉暁古城。もう片方の女の名前は知らないが、親友の姫柊雪菜ではないのは確かだ。

 

 「雪菜に付きまとっているくせに……」

 

 昨夜、雪菜と共に姿を表した古城のことを思い出して、奥歯が音を立てるほど噛み締める。

 何より許せないのが、あのパーティーが終わった後に自らの護衛対象であるディミトリエ・ヴァトラーが言った言葉だ。

 

 『古城が使った眷獣〈獅子の黄金〉。獅子王機関の剣巫からあの眷獣と同じ匂いがしたね。恐らく、彼女が〈獅子の黄金〉の霊媒となった血を捧げたんだろうね』

 

 恋敵が出来ちゃったよ、と笑いながら言っていたアルデアル公の言葉を紗矢華は昨夜、爪が掌に食い込むほど拳を握りしめ、奥歯が欠けるほど歯を噛みしめて、胸中で幾億もの呪詛を唱えながら聞いていた。

 

 雪菜の血を吸った。

 

 アルデアル公の言葉を裏付ける証拠はないがその光景を想像しただけで、もはや紗矢華の中で古城をこれ以上生かしておくという選択肢は消えた。

 否、もし暁古城が噂に聞くほどの真祖らしい振る舞いをし、気高く、品位のある行動を取って雪菜を己の命以上に大切に扱う覚悟があるのを見せれば紗矢華は血の涙を飲んで堪えただろう。

 しかし。

 

 「他の……女と……あんなこと……」

 

 紗矢華が見たのは、雪菜ではない他の女と授業をサボって乳繰りあう古城の姿だった。

 これを見て紗矢華は万に一つ、いや、億に一つくらいはあったかもしれない古城を生かして雪菜を預けるという可能性を完全に放棄した。

 

 「絶対に許さない……暁古城っ!」

 

 手にしているキーボードケースから銀色の剣ーー六式重装降魔弓〈煌華麟〉を取りだし、殺意を全身に纏う。

 

 獅子王機関の暗殺者、舞威媛が本気でブチ切れた瞬間だった。

 

 ***

 

 彩海学園 高等部A棟 廊下

 

 執務室で那月への報告を終えた後キリヲは中等部に続く道を歩いていた。

 那月からは手出し無用と言われたが、キリヲとしてはここで引き下がるつもりはない。

 今後、どの様に動くか予定を擦り合わせたかったキリヲは雪菜のいる教室を目指していた。

 

 (姫柊もこんなところで引き下がるような奴じゃないはずだ……)

 

 根拠はないが漠然とそう考えていたキリヲが中等部へと進める足を早めようとしたその時だった。

 

 キイイィィィンッ!

 

 突如、鳴り響いた大音量の甲高い音がキリヲに襲いかかり、たまらずキリヲは耳を塞いだ。

 高周波音の影響で廊下の窓は粉々に割れ、周りには音に耐えきれずに倒れる生徒の姿も見受けられた。

 

 (この魔力…………古城かっ!)

 

 高周波の原因が魔力だと気付いたキリヲは、その魔力の持ち主をすぐに割り出す。

 魔力の発生地が頭上、校舎の一番上だと察知したキリヲは即座に駆け出して屋上に続く階段を駆け上がる。

 

 「古城っ!」

 

 勢いよく屋上の扉を開けたキリヲの目に飛び込んできたのは、高周波音を撒き散らして苦しそうに呻く古城と剣を構えたポニーテールの少女ーー煌坂紗矢華、そしてドアのすぐ側に倒れて意識を失っている浅葱の姿だった。

 

 「やめなさいっ!暁古城!」

 

 紗矢華が〈煌華麟〉で高周波音を受け止めながら怒鳴るが古城の放つ音波は一向に収まる気配を見せない。

 

 「くそっ、古城!」

 

 徐々に破壊されていく校舎を見てキリヲは古城に向かって駆け出す。

 なんとか古城の前に辿り着くと、古城の体を掴んで床に引き倒す。

 そのまま、押さえ付けるように拘束しながらキリヲも怒鳴る。

 

 「古城っ!魔力を止めろっ!」

 「無理だっ……!止まらないっ……!」

 「くそっ!」

 

 魔力を放出し続ける古城に悪態をつきながらキリヲは祝詞を口にする。

 魔力や霊力を押さえ込む封印術の一種だった。

 だが、真祖の膨大な魔力を簡易術式の呪術が押さえ込めるはずもなく、古城の魔力を塞き止めることはできない。

 

 「九重先輩!」

 

 魔力を押さえきれない、とキリヲが古城から手を放しかけた時だった。

 新たに屋上に現れた雪菜が雪霞狼を構えて走ってくる。

 

 「獅子の巫女たる高神の杜の剣巫が願い奉る!雪霞の神狼、千剣破の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 霊力を纏った雪霞狼が古城の足元に突き刺さり、放出されていた魔力が一気に消失する。

 魔力の消失と共に古城の暴走も止まったようで、古城は徐々に息を整えていった。

 

 「大丈夫ですか!?」

 「悪い姫柊。助かった」

 

 荒い息をつきながらキリヲは雪菜に礼を言った。古城を押さえ付けていたキリヲの右腕は高周波音で表面の人工皮膚が少し破れて内側の白銀の義手が覗いていた。

 キリヲが無事なのを確かめると雪菜は古城と紗矢華に向き直った。

 

 「……二人とも、こんなところで何をしていたんですか?」

 

 その声音は明らかに怒気を孕んでいた。

 

 「いや、それはこの嫉妬女が……」

 「違うのっ、この男が雪菜を裏切るような破廉恥なことをするからっ!」

 

 古城と紗矢華が同時に言い訳をしようと口を開くがーー。

 

 「……何をしてたんですか?」

 

 雪菜の冷たい声音と倒れている浅葱の姿を見て古城も紗矢華も押し黙る。

 

 「二人とも反省してください」

 

 すっかり大人しくなった古城と紗矢華にそう言うと雪菜は大きく溜め息をつくのだった。

 

 「な、なにこれ。どうしたの?あっ、浅葱ちゃん!?」

 

 騒ぎを聞き付けてやって来た古城の妹ーー暁凪沙が屋上の惨状を見て驚愕の声を上げる。

 

 「わたしは、藍羽先輩を保健室に運びます。九重先輩、手伝ってもらってもよろしいですか?」

 「ああ。浅葱は俺が背負ってく」

 

 雪菜に返事をしたキリヲは倒れている浅葱を担ぎ上げる。

 

 「二人はここで反省していてください。雪霞狼は任せましたよ」

 

 雪菜は二人に屋上での待機を命じると雪霞狼を古城に押し付けてキリヲ達の後を追うのだった。

 残された半壊の屋上には静かに押し黙った古城と紗矢華だけが残された。

 

 ***

 

 彩海学園 保健室

 

 「診断完了。軽いショック症状と確認。後遺症はありません。ただし、本日中は安静にしておくことを推奨します」

 

 保健室のベッドに横たわってアスタルテに診断を受けていた。

 アスタルテの診断結果を聞いたキリヲ、雪菜、凪沙の三人はホッと胸を撫で下ろした。

 

 「よかった~。それにしても、キリヲ君がいてくれて助かったよ」

 

 凪沙が満面の笑顔をキリヲに向ける。

 

 「この前ご馳走になった晩御飯の細やかな礼だと思ってくれ。暁妹」

 

 キリヲは、何度か暁家で夕食を共にしたことがあり、凪沙ともその時に知り合っていた。

 その時。

 

 「う、うぅん?……あれ、ここは?」

 

 今までヘッドで横になっていた浅葱が意識を取り戻したようで、上体をゆっくりと起こした。

 

 「あっ!浅葱ちゃん起きた!大丈夫!?どこか痛くない!?古城君になにかされた!?」

 「……起き抜けでその質問攻めは辛いわね」

 

 意識が戻った浅葱に質問を畳み掛ける凪沙に苦笑すると浅葱はベッドの側に立つ雪菜で視線が止まった。

 

 「あれ、古城は?古城は大丈夫なの?わたしが最後に見た時、刃物を持った変な女に襲われてたんだけど!?」

 「えっ!?刃物!?」

 

 浅葱の言葉に凪沙も目を見開いて反応する。

 そんな浅葱に雪菜が気まずそうに口を開く。

 

 「ええっと……すいません、藍羽先輩。彼女はわたしの友人です」

 「友人?なんで古城を襲うわけ?」

 「それは……嫉妬したからではないでしょうか……」

 「嫉妬?わたしと古城が一緒にいたから?」

 

 怪訝そうに目を細める浅葱。

 

 「そうですね……それも一つの要因だと思います……」

 

 気まず過ぎて目が泳いでいる雪菜。

 だが、浅葱の口は止まらない。

 

 「あのさ、貴女と古城はどういう関係なの?二人で何をコソコソやってるの?」

 「そ、それは……」

 

 浅葱の質問に答えられなくて、いよいよ言葉が詰まってしまった雪菜。

 その直後だった。

 

 「警告。校内に侵入者を確認。移動速度と走破能力から魔族と推定されます」

 「魔族!?……まさか、暁先輩を狙って」

 

 雪菜が声を潜めて訪ねるが。

 

 「否定。予想される目標地点は、現在地彩海学園保健室です」

 

 アスタルテの言葉が終わると同時に保健室の扉が強引に開け放たれた。

 同時に雪崩れ込んでくる複数名の獣人達。

 その獣人達を視認した瞬間ーー。

 

 「いや……いやぁ!!来ないでっ!来ないでよっ!来ない……で……」

 「凪沙さん!」

 

 凄まじい恐慌に襲われたように凪沙は蹲り、やがてショックで意識を失い、その場に崩れ落ちた。

 

 「……なんなの、こいつら」

 

 浅葱もパニックこそ起こしていないが顔を真っ青にして口を手で押さえていた。

 そんな中。

 

 「藍羽浅葱。君に仕事を任せたい。従えば危害は加えないことを約束しよう」

 

 立ち並ぶ獣人達が道を開け、軍服に身を包んだ初老の男が前に歩み出てきた。

 男の顔には大きな切り傷があり、腰には黒い鞘に納められた日本刀が下げられている。

 

 「……あんた、誰?」

 

 浅葱が怯えた表情で口にする。

 軍服の男は、浅葱の問に余裕の笑みを浮かべたまま答える。

 

 「我が名はクリストフ・ガルドシュ。戦王領域の元軍人で今は革命運動家だ。……テロリストとも言われているがね」

 「ガルドシュ……」

 

 軍服の男ーークリストフ・ガルドシュの姿を見たキリヲは浅葱の前に立ち、ガルドシュと対峙する。

 

 「……キリヲか。久しぶりだな」

 

 ガルドシュが口元を吊り上げ笑みを浮かべる。

 キリヲは、腰を落とし臨戦態勢を取る。

 

 「……もう八年になるか。随分と背が伸びたな」

 「………………あんたは、変わらないな」

 

 キリヲとガルドシュの応酬を見ていた雪菜が驚きに目を見開く。

 

 「こ、九重先輩。彼がクリストフ・ガルドシュなのですか?……九重先輩は彼と面識があったのですか?」

 「………………」

 

 キリヲは雪菜の質問には答えず、正面のガルドシュの目を睨んでいた。

 

 「……何が目的だ?」

 「藍羽浅葱という少女に仕事を依頼しに来た」

 「人にものを頼む態度には見えないな?」

 「これが我々の流儀だ」

 

 キリヲの皮肉を微笑で流すガルドシュ。

 二人の間で見えないな火花が散ったように雪菜には見えた。

 

 「……悪いが、ここはテロリストの来る場所じゃない。帰ってくれ」

 

 竹刀袋に入っていた白銀の刀、聖剣〈フラガラッハ〉を抜き放ちながらキリヲが言う。

 一方でガルドシュも刀の柄に右手を添えて左で鞘の鯉口を切っていた。

 

 「久しぶりの再会だと言うのに随分と冷たいな。お前のことは息子同然に想ってきたつもりなのだが」

 

 ゆっくりとした動作でガルドシュは鞘から刀を抜き放つ。昔ながらの長太刀の造り。黒い柄から伸びる刀身は血のように透き通った赤だった。

 

 「妖刀〈血斬り《ちぎり》〉か……」

 

 ガルドシュの刀の深紅の刀身を見てキリヲが呟く。

 

 「対吸血鬼用に打たれた銘刀だ」

 

 妖刀〈血斬り〉。刀身に斬った相手の血液を大量に奪う呪術がかけられた刀。吸血鬼の力の源である血を奪う吸血鬼殺しの武器だった。

 

 「キリヲ。……藍羽浅葱を素直に渡してはくれないか?」

 「断る。分かりきっていることを一々聞くなジジイ」

 「……まったく、反抗期か。まあいい。久しぶりに稽古をつけてやろう」

 

 〈血斬り〉を正眼に構えるガルドシュ。対するキリヲも〈フラガラッハ〉を横に水平に向けて構えを取る。

 

 「ッ!」

 「シッ!」

 

 刹那、ほぼ同時に前へ飛び出した二人は互いに刀を相手に降り下ろす。

 自らに迫る刃を刀で弾き、返す刃で相手に再び斬りかかる。

 数秒の間に空を無数の斬撃が飛び交い、キンキンッと甲高い金属音を奏でる。

 

 「我流か……悪くないな」

 「基礎を教えたのはあんただ。もう、見切ってるんだろ?」

 

 素直に賞賛の言葉を贈るガルドシュにキリヲが忌々しそうに返事をする。

 

 (凄い……速すぎて全く見えなかった)

 

 端から見ていた雪菜は、霊視を使っても目に留まらない二人の剣技に目を見開いていた。

 

 「剣速は悪くない。だが……一撃が軽いな」

 

 そう言うとガルドシュは再び動き出し、キリヲに向けて連続で刀を降り下ろす。

 人間を凌ぐ獣人種の筋力によって繰り出される剣技にキリヲが徐々に押されていく。

 

 「……だから、押し負けるのだっ!」

 

 裂帛と共に放たれた刃がキリヲの右腕、上腕部を捉える。

 しまった、とキリヲが声に出す前にガルドシュの刀は振り抜かれていた。

 深紅の刀身が横切り、キリヲの右腕ーー人工皮膚に覆われていた義手が切断され宙を舞う。

 腕を失って動けなくなったキリヲの隙を逃さず、ガルドシュはキリヲの腹部に左拳を叩き込む。

 

 「九重先輩!」

 

 雪菜が叫ぶ。同時に側にいたアスタルテが前に出て自身の眷獣を召喚しようと魔力を引き出す。

 

 「特例第二項に基づき自衛権を発動。執行せよ〈薔薇のーー」

 「ふんっ」

 

 しかし、アスタルテが眷獣〈薔薇の指先〉を顕現させる前にガルドシュの刀がアスタルテの体に食い込んでいた。

 赤い鮮血を吹き出し倒れるアスタルテ。

 

 「連れていけ」

 

 ガルドシュの命に従い、数人の獣人が雪菜、凪沙、浅葱を保健室から連れ出していく。徐々に意識が薄れていくキリヲが最後に見た光景がそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦王の使者編Ⅳ

 


 彩海学園 屋上

 

 「あら、第四真祖と昨日会った………舞威媛だったかしら?二人ともこんなところで何してるの?」

 

 古城の眷獣の暴走により半壊状態になった屋上にやって来たジリオラが、屋上の真ん中で並んで正座している古城と紗矢華の姿を目にして愉快そうに訊ねた。

 

 「なんか凄い魔力を感じたから様子を見に来たんだけど……やっぱり貴方だったのね第四真祖」

 

 古城は気まずそうに顔をそらして口を開く。

 

 「……学校でもそんな格好するんですね、ジリオラ先生」

 「今日はわたしの授業ないからね」

 

 基本的に学校で講師として活動している時のジリオラの格好は黒一色の女性用スーツなのだが、今日はいつも通りの下着の上に黒いコートを羽織っただけの格好だった。

 露出が多い割りに足の大半を二ーソックスで隠しているのが余計に妖艶さを醸し出していた。

 

 「……ねえ、第四変態真祖」

 「人に変な名前を勝手につけるなっ!」

 

 突然の紗矢華の謂れのない中傷に古城が抗議の声を上げる。

 だが、紗矢華は気にせず話を進める。

 

 「なんで貴方、ジリオラ・ギラルティなんかと仲良く話してるの?」

 

 紗矢華は敵意を含んだ冷たいな眼差しをジリオラに向ける。

 

 「知らないかもしれないから言っておくけど、この女は犯罪者よ。それも、非戦闘員を対象に虐殺を行った殺人犯なのよ」

 

 紗矢華の口から出てくる言葉をジリオラは涼しい顔で聞き流す。敵意に満ちた視線も大して堪えた様子もなく、平然と立っている。

 このような糾弾はジリオラも慣れていた。

 警察から、攻魔師から、殺した人間の遺族から。時に暴力を伴って浴びせられた糾弾の声。

 多くの罪を犯して生きてきたジリオラには珍しくもないものだった。

 

 「〈カルタス劇場の惨劇〉と呼ばれていて、小国の王子を筆頭に王族を全員皆殺しにしたような危険な女なのよ!?」

 

 ジリオラを指差して声を張り上げる紗矢華。そんな紗矢華にジリオラは苦笑混じりに言葉を返す。

 

 「……一応、あれは向こうから仕掛けてきたのよ?正当防衛としてカウントしてくれないかしら?」

 「あれだけの人数を殺しておいて白々しい……」

 

 苦笑いを浮かべるジリオラを鋭い目付きで睨んだまま紗矢華が低く唸る。

 

 「……まあ、二人とも落ち着けよ。ジリオラ先生が犯罪者だってのは俺も知ってるし。今は那月ちゃんや俺達の味方だってのも理解してるよ」

 

 険悪な空気を漂わせる二人の間に古城が入って仲裁する。

 

 「……まったく。こんな危険な犯罪者を側に置いとくなんて、やっぱり雪菜を任せるわけにはいかないわね」

 

 紗矢華は不愉快そうに首を横に振ってそう言い放った。

 ジリオラに対する敵意を納めるつもりはないようだった。

 

 「なあ、いい加減にーー」

 

 辺りを包む険悪な雰囲気に耐えきれなくなった古城が再び仲裁に入るべく声を上げようとした直後だった。

 ズゥン、と鈍い音を立てて空気の振動が伝わってきた。

 

 「なんだ!?」

 「あれを見て!ヘリがっ……」

 

 音の正体を測りかねた古城が狼狽えたような声を上げると紗矢華は校舎から離れた場所に建っているビルから上る煙を指差した。

 ビルには墜落したと思わしきヘリが突っ込んでおり、黒い煙を空に向かって上げていた。

 

 「まさかっ、黒死皇派か!?」

 

 絃神島は航空戦力を保有していない。

 つまり、今撃墜された武装ヘリは特区警備隊のものではないのだ。

 恐らく、外部から非公式に持ち込まれたもの。武装テロ集団〈黒死皇派〉が用意したものだと推測するのにさほど時間はかからなかった。

 

 「もう、始まっているのか……」

 

 既に始まっているであろう特区警備隊と黒死皇派の戦闘を遠目に目の当たりにして古城は戦慄で体が僅かに震えた。

 先程、雪菜宛に届いたキリヲからのメッセージで〈黒死皇派〉が用意していた古代兵器ナラクヴェーラの存在と直に那月が特区警備隊を引き連れてサブフロートに潜伏していた黒死皇派を殲滅しに行ったのは、知っていた。

 

 「あの方向は……サブフロート。十中八九、黒死皇派ね。キリヲに伝えておいた方がいいかしら」

 「キリヲなら、さっき姫柊たちと保健室に行った」

 

 ジリオラの呟いた言葉に古城が立ち上がりながら返事をする。

 那月には待機を命じられているが、先程のガルドシュの名を聞いた時に浮かべていた表情から察するにキリヲが素直に指示に従う可能性は低いとジリオラは考えていた。

 

 「俺達も行こう」

 

 屋上を後にしたジリオラを古城と紗矢華も追いかけてくる。

 数分前に古城が眷獣を暴走させた影響でほとんどの人影のなくなった校舎を駆け抜けて、最短ルートで保健室へと向かう。

 校舎の一階に到着し保健室まで後十数メートルの場所まで来た時、唐突にジリオラが足を止めて顔をしかめる。

 

 「これは………血の臭い?」

 

 一言呟くと再び走りだし、保健室に駆け込む。

 

 「これは……」

 「お前は……アスタルテ!?」

 

 保健室の中には、床を赤く染めている血溜まりに横たわるアスタルテと、キリヲの得物である〈フラガラッハ〉が抜き身の状態で放置されているだけだった。

 

 「一体なにがっ!?」

 

 血を流して蒼白な顔になったアスタルテに古城が駆け寄る。

 古城達の接近で意識を取り戻したアスタルテが僅かに目を開いて言葉を紡ぐ。

 

 「……報告……しま……す。現在時刻より十二分前……クリストフ・ガルドシュを……名乗る男が校内に……侵入……藍羽浅葱……姫柊雪菜……暁凪沙……九重キリヲを拉致していきまし……た。……申し訳ありません。……わたしは……守れなかった……」

 「出血が酷いわ。すぐに手当てしないと」

 

 震える声で報告を続けるアスタルテを抱き起こして保健室のベッドに寝かせる紗矢華。

 着ている服がアスタルテの人工血液で汚れることを気にすることもなく負傷箇所を確認していく。

 

 「治療なんて出来るのか?」

 「獅子王機関の舞威媛の専門は呪詛と暗殺。人の生と死には詳しいのよ」

 

 古城の疑問に答えた紗矢華はアスタルテをうつ伏せにして白い肌が覗く背中に、太股に巻いたホルスターから取り出した針を突き刺していく。

 

 「お、おいっ」

 「大丈夫よ。針治療みたいなものだから」

 

 神経を集中させるように針をゆっくりと一本ずつアスタルテの背中に刺していく。

 さっそく治療の効果が出てきたのか、アスタルテの傷から流れ出ていた血が止まっていた。

 しかし。

 

 「……なによ、これ」

 「どうかしたのか?」

 

 治療の効果を見るために容態を確認していた紗矢華がアスタルテの顔色を見て震える声を漏らした。

 

 「血が……無くなってる。明らかに出血した分より多い量の血液が体内から消失している……」

 「血が消えてるって…………吸血鬼の仕業ってことか?」

 

 紗矢華の言葉に古城が思わず声を上げる。

 

 「いいえ、違うわ。吸血鬼特有の噛み跡がない。……なにか別の特殊な攻撃によるものよ」

 

 アスタルテの全身に歯形がないことを素早く確認したジリオラが古城の言葉を否定する。

 

 「……どちらにせよ、このままじゃ失血死するわね」

 

 アスタルテに歩み寄りながら自らの手首を犬歯で噛み切るジリオラ。破れた肌から血が滲み出る手首をアスタルテの口に押し付ける。

 流れ出た血が口から入りアスタルテの体内に吸収されていく。アスタルテも目を閉じたまま無意識にジリオラの手首に吸い付き、血を吸いとっていく。

 

 「簡単な輸血よ。吸血鬼の血だから直接飲んでも力になるはず……」

 

 血を飲んだことでアスタルテの顔色が回復したのを確認したジリオラがアスタルテの口から手首を静かに離す。

 

 「……犯罪者が人命救助なんて、珍しいこともあるものね」

 

 一連のジリオラの救命措置を見ていた紗矢華が目を細めて言う。

 

 「この子を死なせたら後でわたしが南宮那月に殺されちゃうわよ」

 

 噛み切った手首の傷が塞がるのを見ながらジリオラが言った。

 

 「……結局、自分のためってわけね」

 「ええ、そうよ。否定はしないわ」

 

 ジリオラと紗矢華の間で見えない火花が散ったような気がした古城だった。

 

 「ところで、キリヲも連れていかれたの?」

 「……肯定。ミスター 九重も応戦しましたが、クリストフ・ガルドシュを名乗る男により制圧されていました。彼は腕を……」

 

 アスタルテの視線の先にあったのは保健室の床に転がる白銀の外装で覆われた義手。魔義化歩兵であるキリヲが持つ機械の腕だった。

 

 「……どうやら、かなり厄介な相手みたいね……クリストフ・ガルドシュ」

 

 義手を拾い上げて呟いたジリオラの声は誰の耳に入ることもなく虚空に消えていった。

 

 ***

 

 薄暗い室内

 

 「……ねえ、ここどこだと思う?」

 

 クリストフ・ガルドシュ率いる黒死皇派に拉致されてこの部屋に連れてこられた浅葱が同じく拉致されてきた雪菜に訊ねた。

 

 「移動は十分程でした。それほど、学校から離れた場所ではないと思うのですが……」

 

 雪菜は、部屋の壁にもたれ掛かるようにして意識を失っている二人の人物に目を向ける。

 魔族の襲撃によって恐慌状態に陥りショックで気絶した凪沙と腕を切り落とされ、ガルドシュに腹部を殴打されて昏倒したキリヲだ。

 

 「まったく……何がどうなってるのよ……」

 

 浅葱が頭を抱えながら呟く。

 その視線の先には右腕を失ったキリヲの姿があった。

 

 「……キリヲ、大丈夫なの?出血とか」

 「九重先輩の右腕は義手です。切断による身体への直接的なダメージはないはずです」

 

 雪菜の説明を受けて浅葱は表情を曇らせる。

 

 「これも、関係あるのかな。……キリヲの過去と」

 「えっ?」

 

 浅葱の放った一言に雪菜が驚きの声を上げる。

 

 「あんたは、知ってるの?その……キリヲが犯罪者だって……」

 「藍羽先輩もご存じだったのですか?」

 

 浅葱を古城のクラスメイトとしか認識していなかった雪菜は、浅葱がキリヲの秘密を知っていたことに驚愕していた。

 

 「……この前、キリヲが転校してきた時に一緒に講師として来た先生がいたんだけど、その先生の名前に聞き覚えがあってね。……ジリオラ・ギラルティ。ちょっと調べてみたらすぐに分かったわ。凶悪犯罪者と同一の人物だって……。それで、気になって一緒に来たキリヲのことも調べてみたの。そしたら……」

 

 一旦、言葉を切る浅葱。雪菜は黙ってその話を聞いていた。

 

 「……アルディギアの犯罪者リストに一致するデータがあった。収監されたのは絃神島の刑務所だって書かれていたから、本人だと思ったのよ」

 

 話を語り終えた浅葱は、唇を噛んで押し黙った。

 

 「……最初は通報しようかとも考えた。でも、何も悪いことしない感じだったし……古城とも、あんなに仲良くしてたから……出来なかった……」

 「藍羽先輩……」

 

 自らの葛藤を独白する浅葱に雪菜が遠慮気味に声をかける。

 

 「……九重先輩とジリオラ先生のことは南宮先生が把握しています。二人は今、南宮先生の攻魔師としての仕事を手伝うのを条件に仮釈放されていると聞いています。……ですから、藍羽先輩が心配する必要は……ありません」

 「那月ちゃんが?……なら大丈夫ね」

 

 雪菜の言葉に疲れたように返事をする浅葱。

 

 「……人って分からないものよね。最近の古城は何か様子がおかしいし、突然やって来た転校生は犯罪者だし……あんたも何か隠してるんでしょ?」

 「それは……」

 

 浅葱の質問に雪菜が言い淀んだ直後だった。

 

 「藍羽浅葱というのは、君かな?」

 

 今まで閉ざされていた部屋のドアが開かれ、軍服に身を包み腰に日本刀を下げた男ーークリストフ・ガルドシュが室内に入ってきた。

 

 「……わたしに一体何の用よ」

 「君は、自分がどれ程有名なのか自覚が足りないようだな」

 

 無愛想に返事をする浅葱にガルドシュが微笑を浮かべながら言葉を発し、手に持っていた一冊の本を浅葱に向かって放り投げた。

 

 「我々の雇った技術者に君の名を知らない者はいなかったよ」

 「何これ?……〈スーヴェレンⅨ〉のマニュアル?」

 

 驚きに目を見開きながら本を拾う浅葱。

 

 「君が使っているスーパーコンピューターと同型機の最新型だそうだな。この部屋の奥にあるそいつを使ってナラクヴェーラの制御コマンドを解析してもらいたい」

 「……ナラクヴェーラ?」

 「我々の用意した古代兵器だよ。昨夜、君に送ったものはあれの起動コマンドだ」

 

 ガルドシュの言葉に浅葱が不快そうに顔をしかめる。

 

 「昨日、つまんないパズルを送りつけてきたのはあんた達だったのね……」

 「ハハッ、つまらないパズルか。言っておくが、我々は君の言うあのつまらないパズルを百五十人を超えるハッカー達に送ったのだが、解けたのは君一人だけだ。それも、三時間足らずでな。その腕を見込んで頼みたいのだ。残りのコマンドの解析をな」

 

 浅葱の言葉に愉快そうに笑うガルドシュ。

 そんなガルドシュに、浅葱は鋭い視線を向ける。

 

 「……テロリストに協力すると本気で思ってるの?」

 

 挑発的な言葉を発する浅葱だが、ガルドシュは全く動じない。

 

 「残念だが、君は我々に協力する以外の選択肢はないのだよ」

 「はあ?何を言ってるの?」

 「これが何か分かるか?五十四枚あるナラクヴェーラのコマンドが記された石板の内の一枚だ。君が解読してくれた。〈始まりの言葉〉。ナラクヴェーラの起動コマンドだ」

 

 ガルドシュの要領を得ない物言いに浅葱はますます混乱する。

 

 「それが何だって言うのよ?起動したってコントロールができないんじゃ…………あっ」

 「そうだ。我々は起動することしかできない。ナラクヴェーラが街を破壊しようが人を焼こうが止めることはできないのだよ。理解していただけたかな?」

 「卑怯よ……」

 

 余裕の笑みを浮かべるガルドシュに浅葱が唇を噛んで睨み付ける。

 

 「……急いだ方がいい。ナラクヴェーラは、もう起動させている。市街地への被害の規模は君の努力次第になるだろう」

 

 言い終わるとガルドシュは背を向けて部屋の外に足を進める。

 

 「解析が終わればキリヲ以外……君達三人は解放すると約束しよう」

 「……なぜ、九重先輩だけを?」

 

 ガルドシュの言葉に雪菜が怪訝そうに聞き返す。

 ガルドシュは足を止めると振り返り、気を失ったままのキリヲに視線を向けて答えた。

 

 「彼がわたしの目的だからだよ。我々がこの島に来た目的の一つは彼を迎えに来ることだったからな」

 

 そう言い放つと今度こそガルドシュは部屋を後にした。

 

 「あいつ、〈スーヴェレンⅨ〉はこの部屋の奥って言ってたわよね」

 

 ガルドシュが出ていくのを見送ると浅葱は声を張り上げて部屋の奥にある最新型スーパーコンピューターに向かって行った。

 古代兵器による市街地の破壊。そのカウントダウンが開始された。

 

 ***

 

 絃神島 サブフロート前

 

 絃神島の心臓部メガフロートと新設されたサブフロートを繋ぐ仮設桟橋。その入り口は現在、特区警備隊が配備した装甲車によって塞がれていた。

 タクシーに乗り込んでここまでやって来た古城、紗矢華、ジリオラの三人はこの封鎖によって足止めを食らっていた。

 

 「……やっぱり、封鎖されてるよな」

 

 雪菜の雪霞狼が入ったギターケースを背負った古城が疲れたように目の前の道を塞ぐ特区警備隊の姿を見て呟く。

 

 「ねえ、暁古城。あんた、吸血鬼の真祖なんでしょう?魅了の力とかであいつら退かしなさいよ」

 「ふざけんな、そんなことできるか!」

 

 紗矢華の無茶な要求に古城が思わず抗議の声を張り上げる。

 

 「俺が使える眷獣は一体だけなんだよ。……姫柊の血を吸ってようやく宿主と認めさせたんだ」

 「じゃあ、雪菜はそのために……」

 

 古城の言葉に紗矢華がショックを受けたように口元を押さえる。

 

 「ジリオラ先生はできないんですか?」

 

 同じ吸血鬼であるジリオラの力に頼ろうとする古城。

 ジリオラは、顎に手を当てて数秒ほど考える素振りをした後。

 

 「まあ、わたしの眷獣なら操れないことはないけど……」

 「できるんですか!?」

 「……ただ、わたしに操られると脳髄とか神経系に後遺症が残る可能性があるのよねぇ」

 

 手もとに〈ロサ・ゾンビメイカー〉を召喚するジリオラ。その凶悪そうな蕀の鞭を目の当たりにして古城が顔をひきつらせる。

 

 「やっぱ、やめましょう」

 

 ジリオラが特区警備隊の隊員を操って退けるという計画は一瞬で消えた。

 

 「やっぱり、アレしかないか……」

 

 諦めるように呟くと古城はサブフロートが見える岸まで足を進める。

 

 「何をするつもり?」

 「まあ、見てろ。煌坂、動くなよ」

 

 そう言うと古城は紗矢華を抱き上げた。所謂、お姫様抱っこ状態だ。

 無論、持ち上げられた紗矢華は顔を真っ赤にしてジタバタと暴れる。

 

 「ちょ、ちょっと!」

 「大人しくしてろ!暴れるな!」

 

 吸血鬼の力を解放して筋力を底上げした古城は、対岸のサブフロートに向けて思いっきり海の上をジャンプする。

 距離は十数メートル。人間では到底飛び越えられる距離ではないが、吸血鬼としての筋力を持つ古城はその距離を軽々と飛び越えていた。

 

 「こ、こんなのノーカンだからっ!」

 「何の話だよっ!?」

 

 飛び越えた先でもお姫様抱っこの状態で言い合う二人を見て、霧化して海を渡ったジリオラが微笑ましそうに見つめながら口を開く。

 

 「貴方達、仲が良いわね」

 「「良くないっ!」」

 

 当の本人達は全力で否定しているが。

 

 「手出し無用だと言っておいた筈だが?ジリオラ・ギラルティ」

 

 サブフロートに渡った三人を待っていたのは黒いドレスに身を包んだ魔女、南宮那月だった。

 

 「ちょっと不味いことになってるわよ。キリヲと剣巫を含む生徒四人が黒死皇派に拉致されている。あと、貴女の可愛いメイドも重傷よ」

 「ちっ、……これも貴様の予定通りか?〈蛇遣い〉!」

 

 舌打ちをしながら倉庫の屋根の上にいる男を睨み付ける那月。

 那月の視線の先にいるのは白いタキシードに身を包んだ金髪碧眼の吸血鬼ーーディミトリエ・ヴァトラーだ。

 

 「ハハハッ、予定?なんのコトかな?ボクは、ガルドシュに船を乗っ取られて命辛々逃げてきたんだよ」

 「とぼける気か……」

 

 ヴァトラーの言葉に那月が更に苛立った声音で呟く。

 

 「そんなことより、早くキミ達の部隊を撤退させた方がいいんじゃないかな?」

 「なに?」

 「特区警備隊はおびき寄せられたのさ。新しい兵器の標的にするためにね。……彼らが何を手に入れるためにこの島に来たか忘れた訳じゃないだろう?」

 

 怪訝そうな顔をする那月にヴァトラーが得意そうに答える。

 その直後、特区警備隊と黒死皇派が交戦していたサブフロート中心部から赤い閃光が迸った。

 閃光はビルを貫き、直撃した特区警備隊の装甲車を一撃で吹き飛ばす。

 

 「あれは、まさか……!」

 

 倒壊したビルを乗り越えて爆煙の向こうから姿を表したのは赤と黒にカラーリングされた装甲で全身を包んだ鋼の化け物。甲殻類を彷彿させるようなフォルムをした巨大な機械の怪物だった。

 

 「ナラクヴェーラ……」

 

 古の時代に失われた神々の兵器。その完全復活だった。

 

 ***

 

 薄暗い室内(オシアナスグレイブ船内)

 

 テロリストの依頼という名の脅迫を受けた浅葱がナラクヴェーラの制御コマンド解析のためにスーパーコンピューター〈スーヴェレンⅨ〉に向かった数分後。

 

 「うっ………………ここは……?」

 

 薄暗い室内で意識を取り戻したキリヲは軽く目眩を起こしながら周囲を確認していた。

 

 「九重先輩!目が覚めましたか!?」

 

 上体を起こしたキリヲに雪菜が歩み寄る。

 

 「……ここは?ガルドシュの奴はどうなった?他のみんなは……」

 「九重先輩、落ち着いてください。ガルドシュはここにはいません。藍羽先輩と凪沙ちゃんも一緒に連れてこられてますけど特に怪我とかもしてないですし、テロリストに乱暴されてもいません」

 

 一気に捲し立てるキリヲに雪菜が一つ一つ返事をしていく。

 雪菜の言葉を聞いてキリヲは少し安心したように深く息をはいた。

 

 「……そうか。安心しろ、ガルドシュは捕虜や非戦闘員に手を出すような下種じゃない」

 

 キリヲの言葉に雪菜が怪訝そうに表情を曇らせる。

 

 「……ガルドシュと知り合いだったんですね」

 「……………………………まあな」

 

 長い沈黙の後にキリヲはポツリと一言、雪菜の言葉に返事をした。

 

 「……彼とは、どういった関係で?」

 

 雪菜の問にキリヲは話すべきかどうか迷うように顔をしかめて数秒ほど考え込む。

 だが、やがて決心がついたように口を開いて話し出した。

 

 「……俺の両親は、戦王領域在住の日本人だった」

 「戦王領域出身だったんですか?」

 

 キリヲの言葉に雪菜が少し驚いたように目を見開いた。

 欧州に位置する夜の帝国に住む日本人というのはそれだけ物珍しいものでもあった。

 

 「ああ。……だけど、俺が五歳の時に住んでいた街がテロリストと国軍の交戦地帯になってな。吸血鬼の眷獣の攻撃に巻き込まれて両親とはそこで死別した」

 

 キリヲは悲痛そうな表情をすることもなく淡々と己の両親の死を語っていた。

 

 「生き残った俺と……双子の妹は親もなく、そのまま紛争地域をさまよった」

 「妹さんがいらしたんですか?」

 

 初めて聞くキリヲの家族構成に雪菜が驚きの声をあげた。

 

 「ああ、霧葉って名前なんだけど………でも、妹ともその後すぐに離ればなれになった。また、戦闘に巻き込まれてな。負傷して死にかけた俺を拾った物好きがあの男……ガルドシュだ」

 

 遠い昔を思い出すように語るキリヲに雪菜が問い掛ける。

 

 「……妹さんはどちらに?」

 「戦王領域の国軍に保護されて日本に送還されたって聞いてる。……もっとも、無事に日本に辿り着けた保証もないけどな」

 

 キリヲの目の奥にあるのは諦めの思いだった。

 

 「……探そうとは思わないんですか?」

 「もう、十年以上前の話だ。たとえ生きていたとしても、俺のことなんて覚えてないだろ。……それに、殺人犯の兄貴に会いに来られたって向こうも迷惑だろうしな」

 「………………そうですか」

 

 無機質に語るキリヲに雪菜もそれ以上なにも言わなかった。

 

 「俺を拾ったガルドシュは、紛争地域で生き残る術を俺に教えてくれた。剣術もその内の一つだ。あいつは、三年間俺の父親の代わりをしてくれたんだ」

 

 キリヲの生い立ちとガルドシュとの出会いの話を雪菜は食い入るように聞いていた。

 

 「ガルドシュに拾われた三年後、俺は右手と両足、それに両目を失う大怪我を負った。当時、黒死皇派と対戦王領域共同戦線を張っていたCSAに、俺を治療するためにガルドシュは俺の身柄を引き渡した」

 

 黒死皇派のガルドシュの元を離れ、CSA に引き取られたキリヲはその二年後、アルディギア王国に身を移し大事件を起こすのだが、キリヲはこの場でその事を語りはしなかった。

 

 「これが、俺とガルドシュの関係だ。……まあ、親代わりで剣の師匠ってところだな」

 

 ガルドシュとの関係を語り終えたキリヲは口を閉ざし、再び室内に静寂が訪れた。

 

 ***

 

 絃神島 サブフロート

 

 「〈摩那斯〉!〈優鉢羅〉!」

 

 サブフロート上に建つ倉庫の屋根の上でヴァトラーが己の魔力を迸らせながら、血の中に巣食う眷獣を二体召喚する。

 黒蛇と青い蛇。二体とも竜と言っても過言ではないほどに巨大だった。

 さらに。

 

 「なっ!?合体した!?」

 

 古城が驚愕に目を見開く。

 ヴァトラーの放った二体の眷獣は空中で絡み合うように結び付き、一体の大蛇と姿を変えていた。

 

 「……二体の眷獣を合成したか」

 「相変わらず鬱陶しい真似を……」

 

 那月とジリオラが忌々しそうに表情を歪める。

 

 「さて。始めようかな」

 

 ヴァトラーが己の眷獣に攻撃を命じようとした直後だった。

 

 「おい、ヴァトラー!お前は手を出すな。アイツは俺が相手をする!」

 「ちょっ!?暁古城!?」

 

 同じ吸血鬼としてヴァトラーの眷獣が真祖である己に匹敵する魔力と破壊力を持つものだと感じた古城はヴァトラーの攻撃を止めに入った。

 ヴァトラーに任せたりしたら、それこそ絃神島が沈みかねない。そう思う古城だった。

 

 「他人の獲物を取るのは礼儀としてどうかと思うよ?」

 「それを言うなら、他人の縄張りに入り込んで好き勝手やってるあんたの方が礼儀知らずだろ!?」

 

 優雅な笑みを浮かべているヴァトラーに古城は一歩も退く気はなかった。

 

 「俺がくたばるまで引っ込んでろ!」

 「ふむ、そう言われると返すことばもないね。……分かった。なら、君に敬意を表して気兼ねなく戦えるようにしてあげよう」

 

 納得したように頷いたヴァトラーが指を一度鳴らすと、召喚された合成眷獣が魔力の塊を口から炎のように吐き出した。

 轟音を立ててサブフロートとメインフロートを繋ぐ桟橋が合成眷獣の魔力によって消し飛ばされる。

 

 「サブフロートが……」

 

 サブフロートがメインフロートから引き離されて洋上に流れ出すのを見て、紗矢華が掠れるような声で呟いた。

 

 「第四真祖、わたしはキリヲ達を迎えに行くけど、ここは任せていいかしら?」

 「ああ、構わない。行ってくれ。浅葱達を頼む」

 

 そう言うと古城は、前方のナラクヴェーラ目掛けて駆け出した。

 

 「掴まれ、ジリオラ・ギラルティ。跳ぶぞ」

 

 那月がそう言うと、菫色の魔力の粒子が現出し、空間転移の魔術によってジリオラと那月の姿は音もなくこの場から消え失せた。

 

 神々の古代兵器と世界最強の吸血鬼の戦いの火蓋が切って落とされる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回で恐らく戦王の使者編は最後になると思います。


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戦王の使者編Ⅴ

 ホントすいません。前回嘘つきました。また、配分間違えました。もう少しだけ続きます。戦王の使者編。
 
 *今回、ジリオラのオリジナル眷獣出します。


 〈オシアナスグレイブ〉船内

 

 雪菜達が監禁されていた〈オシアナスグレイブ〉船内にある一室。その室内で雪菜はドアに耳を当てて外の様子を伺ってた。

 

 「……見張りはいないみたいです。九重先輩、動けますか?」

 「なんとか」

 

 雪菜の言葉に返事をしながら立ち上がるキリヲ。しかし、立ち上がると同時にバランスを崩して床に倒れ込む。

 

 「くそっ、腕が……」

 

 ひじの辺りから先がなくなっている右腕に目を向けてキリヲが悪態をつく。

 足を怪我しなければ人間は問題なく動けると思われることが多いが、実際はそうはいかない。

 人体において腕というのは結構な重さがあるのだ。その重い腕を引っ提げて活動してきた人間が突然、片方の腕をなくしたりしたら、無くした腕の方の半身は一気に軽くなり、重さが反対側の半身に傾くことになる。

 このアンバランスさに慣れるにはそれなりの時間が必用であり、突然片腕を失った状態でバランスを取るのは困難を極めるだろう。

 

 『随分と派手にやられたわね』

 

 突然、エコーのかかった声が室内に響き渡った。声の主を探るべく雪菜が四方に視線を走らせるがその姿は見えない。

 

 「遅いぞ、ジリオラ」

 「助けに来てもらっておいて随分と偉そうね」

 

 室内に流れ込んできた薄紅色の霧が集まって一人の女の姿を象る。

 現れた女の手には雪菜が普段〈雪霞狼〉を収納しているギターケースとキリヲが〈フラガラッハ〉を入れている竹刀袋が握られていた。

 霧化を解除して実体化したジリオラがキリヲの物言いに呆れたように返事をする。

 

 「ジリオラ先生!」

 「はい、剣巫。これお届け物ね」

 

 援軍に駆けつけたジリオラに嬉しそうに歩み寄る雪菜に持ってきていたギターケースを渡すジリオラ。

 

 「これは……〈雪霞狼〉!」

 「南宮那月からの伝言よ。甲板に出てその槍で船を囲っている結界を破れですって」

 

 ジリオラの言葉にキリヲが顔をしかめながら言葉を発する。

 

 「甲板?ここは、船なのか?」

 「〈オシアナスグレイブ〉よ。……あの〈蛇遣い〉、テロリストとつるんで妙なことしてるみたいね」

 「……あの狂犬め」

 

 悪態をつくキリヲに同意するようにジリオラも頷く。

 

 「……南宮那月はどうした?」

 「前回と一緒よ。相手が南宮那月を警戒して空間転移阻害の結界を張り巡らせてるの。わたしをこの近くまで運んだ後は海の上で立ち往生よ」

 

 肩を竦めながら言うジリオラ。

 

 「とにかく、早く脱出して第四真祖の加勢に行った方がいいと思うわよ。連中が持ってきた古代兵器は、もう攻撃を始めている」

 「……そうだな」

 

 ジリオラの言葉を聞いて、キリヲは壁に手をつきながら立ち上がる。

 

 「……戦うのは無理そうね」

 「…………大丈夫だ。足手まといにはならない。そいつを貸せ」

 

 苛立つようにそう言うとキリヲは、ジリオラが持ってきた刀〈フラガラッハ〉を掴み取り、杖のように地面に突き立てた。

 

 「あの……藍羽先輩がまだ奥に。……それに凪沙ちゃんはどうしましょう?」

 「放っておいて大丈夫よ。貴女が結界を破壊したら、後で南宮那月が回収する手筈になってるから」

 

 言いながら扉を蹴破るジリオラ。その音を聞き付けて数名の黒死皇派メンバーの獣人が駆けつけるが、〈雪霞狼〉を持つ雪菜と〈毒針たち〉を解き放ったジリオラに蹴散らされていく。

 

 「……他愛ないわね。クリストフ・ガルドシュはどこ?」

 「分かりません。藍羽先輩にナラクヴェーラの制御コマンドの解析を依頼した後、すぐにいなくなってしまったので……」

 

 道を塞ぐ獣人達を撃破しながら三人は、駆け足で船の甲板を目指す。

 最上デッキに繋がる扉を開けて久しぶりに日光を浴びたキリヲは思わず目を細めた。

 

 「サブフロートが……なんてことを……」

 

 船の甲板から見える洋上に流されたサブフロートを見て雪菜が声を震わせる。

 サブフロートの上では、ナラクヴェーラと思わしき大型の機械が赤い閃光を放ち、それに対抗するように古城の〈獅子の黄金〉が雷を撒き散らしていた。

 

 「どうだ、中々にいい光景だろう?」

 

 三人の頭上から投げ掛けられた言葉に全員が首をそちらの方向に向ける。

 

 「ガルドシュ……」

 

 声の主の姿を見てキリヲが圧し殺すような声で呟く。

 

 「貴方がクリストフ・ガルドシュ?」

 「……そういう貴様は、ジリオラ・ギラルティかな?部下達が随分と世話になったようだな」

 

 ガルドシュの言葉にジリオラが挑発的に鼻で笑う。

 

 「ふん、部下達は貴方と違ってあまり強くはないのねぇ?」

 「……確かに未熟ではあるが、彼らも同志だ。貴様の放った眷獣〈毒針たち〉は確か致死性の猛毒を持っていたな?」

 

 ガルドシュが言ったことに今度は雪菜が驚いてジリオラの顔を見た。

 ジリオラは涼しい表情で更にガルドシュを挑発する。

 

 「これ以上、大切な部下を失いたくなかったら、さっさと投降なさい」

 「戯れ言をっ」

 

 ジリオラの言葉に激昂したガルドシュが腰に提げた刀を抜き放ち、居合いの要領でジリオラに斬りかかる。

 妖刀〈血斬り〉の赤刃がジリオラに迫る。

 だが。

 

 「はあっ!」

 

 刃がジリオラを捉えるより早く雪菜が〈雪霞狼〉でガルドシュの〈血斬り〉を打ち払った。

 ガルドシュは、雪菜の槍を警戒するように距離をとって刀を構え直す。

 

 「……その槍、七式突撃降魔機槍か。いい得物をお持ちだ、獅子王機関の剣巫よ」

 

 ガルドシュは、雪菜の持つ槍とその使い手である雪菜に素直に感心したように言った。

 

 「人数ではこちらが有利です!諦めて投降してください!」

 

 〈雪霞狼〉の切っ先をガルドシュに向けながら雪菜が言い放つ。その後ろでは、ジリオラが左手から血霧を放出し〈毒針たち〉を召喚していた。

 

 「……ふむ。キリヲが加わらないとは言え確かに、ニ対一は厄介だな」

 

 雪菜とジリオラに視線を走らせたガルドシュは、右手に握る〈血斬り〉を腰の鞘に戻し、後方に跳ぶようにして下がる。

 

 「では、こちらも物量戦でいかせてもらおう」

 

 その言葉を合図に海中から複数の巨大な影が飛び出し、キリヲ達を囲うように船の上に着地する。

 キリヲ達を囲う鋼鉄の巨体。赤と黒の外装を持つ古代兵器ナラクヴェーラだ。

 

 「ちょうど、制御コマンドの解析が終わっていたからな」

 「……ちょっと、ナラクヴェーラって一体だけじゃないの?」

 

 ガルドシュの言葉に流石にジリオラも冷や汗を流しながら呟いた。

 

 「戦争とは、個の力ではなく総合的な戦力で競い会うものだぞ?流石にこの数では貴様らに勝ち目はあるまい?形勢逆転だな」

 

 周囲を取り囲むナラクヴェーラに雪菜とジリオラも一歩ずつ後退する。

 

 「……我々の目的は黒死皇派の健在を世に知らしめ、このナラクヴェーラを手に入れることだ」

 

 圧倒的戦力差で優位性を手に入れたガルドシュがキリヲ達に向けて言葉を紡ぐ。

 

 「だが、我々の目的は殆ど達成された。当初の予定では、この後ナラクヴェーラを使って〈蛇遣い〉と戦う手筈だったが……貴様ら次第で戦闘を止めて撤退しても構わないぞ?」

 

 ガルドシュの言葉に全員が顔をしかめる。

 これほどの戦略的優位性を獲得して撤退する理由がどこにあるのか全く分からなかった。

 

 「……どうすれば、手を引いてくださるんですか?」

 

 ガルドシュを睨み付けたまま雪菜が言う。

 そんな雪菜に満足そうに微笑むとガルドシュはその答えを口にする。

 

 「我々が……いや、わたしが出す条件は一つだけだ。キリヲ、わたしと来い」

 

 ガルドシュは、顔から笑みを消し真剣その物の表情で右手をキリヲに差し出す。

 

 「戻ってこい。あの日……お前をアンジェリカ・ハーミダに渡した時、どれほど己の弱さを恨んだことか。もう、お前を失いたくはない」

 

 ガルドシュの顔に浮かんでいるのは悔恨の表情。あの日、キリヲが瀕死の重傷を負った時。治療の手立てがなかったガルドシュは我が子同然に育ててきたキリヲをCSAに涙を流しながら引き渡した。

 キリヲを救うために。

 

 「そこは、お前がいるべき場所じゃない。こちら側に戻ってこい、キリヲ」

 

 キリヲは真っ直ぐにガルドシュを見返して口を開く。

 

 「……悪い。それはできない」

 

 その言葉にガルドシュの顔が悲痛そうに歪む。

 

 「……何故だ?お前だって分かっているだろう?戦うこと以外の生き方など我々にはないということに」

 「……確かにそうかもしれない。でも、それでも探したいんだ。もう、誰も傷つけないで済む生き方を」

 

 ガルドシュから目をそらすこともなくキリヲは淡々と己の気持ちを伝えていく。

 

 「だから俺は、あんたとは一緒に行けない」

 

 消え行く命を救い、生き方を示してくれた恩人との決別の瞬間だった。

 

 「……ならば、我々は攻撃を続行するぞ?そこにいる女どもを殺し、お前を半殺しにしてでも連れて帰るぞ」

 

 キリヲ達を囲むナラクヴェーラが一斉に装備しているレーザー砲を構え、エネルギーを充填させ始める。

 

 「やってみろ、クソ親父」

 

 ガルドシュに牙を剥くように唸るキリヲ。

 それを見て、ガルドシュも心を決めたようだった。

 

 「やれ、ナラクヴェーラ」

 

 キリヲ達に背を向け、この場を立ち去るガルドシュ。

 ガルドシュの指示でナラクヴェーラ全機が一斉に射撃攻撃を開始する。圧倒的熱量と破壊力を持つ赤い閃光が雨の如く降り注ぐ。

 

 「〈雪霞狼〉!」

 

 迫り来る閃光を視認した雪菜が〈雪霞狼〉を地面に突き立てて神格震動波の結界を展開する。

 青白い霊力のドームが広がりキリヲ達を覆い隠す。

 魔力で構成されているナラクヴェーラの閃光は、雪菜が展開した神格震動波の結界に触れた途端、消滅する。

 

 「すごいわね、剣巫」

 「……でも、長くは持ちませんっ!早く打開策を考えないと」

 

 雪菜の結界に素直に感心するジリオラだが、雪菜の表情はキツそうだ。冷や汗が顔を流れ、体も小刻みに震えている。

 

 「で、どうするよ?この状況」

 「貴方の自慢のヴェルンドシステムでどうにかできないの?」

 「無茶言うな。片腕ないんだぞ?剣だってろくに使えない」

 

 ジリオラの言葉に無愛想に返事をするキリヲ。

 

 「……ていうか、暁先輩の眷獣でもない限りどうにもならない気がするんですけど」

 

 周囲のナラクヴェーラを見て、結界を張っている雪菜が震える声でそう言う。

 その言葉にキリヲも同意するように頷く。

 

 「……確かに古城の眷獣ならな。……ジリオラ、お前も攻撃力高い眷獣とか持ってないのか?」

 

 キリヲがダメ元でジリオラに訊ねる。キリヲに聞かれたジリオラは、顔を逸らしつつ微妙な表情で口を開く。

 

 「ま、まあ。一応、いるんだけど……」

 「じゃあ、使えよ」

 

 ジリオラの言葉にキリヲが間髪入れずに言い放つ。

 だがジリオラは眷獣を召喚しようとしない。

 

 「ちょっと、問題があるのよねぇ……」

 

 曖昧に笑うジリオラにキリヲが苛立ったように聞く。

 

 「なんだよ、問題って?」

 「……消費する魔力が大きいのよ、わたしの眷獣。特にコイツは大喰いでね。今まで結構魔力使っちゃったからコイツを呼び出すにはちょっと魔力が足りないのよ……」

 

 ジリオラの事情を聞いたキリヲは素早く頭を切り替える。

 

 「魔力の補給が必要ってことか?どうすればいい?」

 「それは、まあ…………吸ったりとか?」

 

 非常に言いずらそうに口にするジリオラ。そして、ジリオラの口から「吸う」という単語が出た瞬間、結界を張っている雪菜の肩がビクッと震えた。

 

 「あ、あの。吸うって………吸うんですか?ここで?」

 「あら、剣巫は知ってるみたいね。ひょっとして第四真祖とも、もうヤったのかしら?」

 「わ、わたしのことは関係ないじゃないですかっ!?」

 

 数週間前の古城との思い出すのも恥ずかしい行為を思い出して雪菜は赤面していた。

 そんな、雪菜の反応を見てキリヲはますます怪訝そうな表情をする。

 

 「もしかして……吸血か?」

 「………そうよ」

 

 ジリオラとキリヲの間にも妙に長い沈黙が流れる。

 

 「………………分かった。俺は目を閉じてる。早く姫柊と済ませてくれ」

 「わたしが吸われるんですかっ!?」

 

 キリヲの一言に雪菜が声を張り上げる。

 ジリオラはキリヲに呆れたような視線を向ける。

 

 「………吸血衝動のトリガーが何か知ってて言ってるのかしら?」

 「…………………性欲だろ?」

 「分かってるなら性別考えなさいよっ!?」

 

 キリヲの答えを聞いてジリオラも声を張り上げて抗議する。

 だが、そうなると必然的にジリオラの吸血行為の相手をするのはキリヲということになる。

 

 「逆に聞くけど、お前は俺でいいのか?」

 「この際、仕方がないでしょ」

 

 溜め息をつきながらジリオラはキリヲに体を寄せていく。

 キリヲは、眉をピクリとも動かさずに終わるのを待っている。

 しかし、ジリオラはいつまでたっても血を吸おうとはしない。

 

 「……ねえ、吸血衝動を引き起こすのが性欲って分かってるのよね?」

 「ああ、勿論」

 「じゃあ、せめて上くらい脱いでくれないかしら?」

 

 再びキリヲとジリオラの間に一瞬の沈黙が流れる。

 数秒後、キリヲは無言でシャツのボタンを左手だけで器用に外していく。

 全てのボタンを外し終えたキリヲは所々血で汚れたシャツを脱いで上半身を露にする。

 

 「……満足か?」

 「結構、いい身体してるのね」

 

 引き締まった細い筋肉質なキリヲの身体をジリオラの指が這っていく。

 

 「……片腕ない男なんかで欲情できるのか?」

 「あら、傷ついた男とか好みよ」

 「……いい趣味してるな。サディストめ」

 

 ジリオラの返答にキリヲが呆れたように呟く。

 しかし、ジリオラは気に介することもなくキリヲの背中に両手を回して耳元で静かに囁く。

 

 「守ってあげたくなるのよ」

 

 普段のジリオラらしからぬ甘い囁きに一瞬、思考が停止したキリヲだが、ジリオラは構わずにキリヲの首筋に己の牙を突き立てる。

 

 「っ……!」

 

 キリヲが反射的にジリオラを押し退けようとするが、ジリオラがそれを許さずキリヲの背中に回した両手でその身体を抱き寄せる。

 コートの下に下着しか着ていないジリオラの肢体が無防備な状態を晒しているキリヲの上半身と密着する。

 そのまま、十数秒ほど二人は身動ぎ一つせずに身体を重ねていた。

 

 「……もう、いいわ。十分よ」

 

 十分な量の血を吸ったジリオラがキリヲから牙を抜き、口元に垂れる血を拭う。

 

 「……眷獣は、使えそうか?」

 

 シャツを着ながら問いかけるキリヲにジリオラは大きく頷く。

 

 「さあ、派手にいくわよ」

 

 その顔は、煮えたぎる闘志と身体の奥底から膨れ上がってくる魔力に高揚した表情を浮かべていた。

 ジリオラの全身から鮮血が吹き出し血霧となって周囲を包み込む。

 血霧を纏い、脈動する己の血潮を感じながら高らかに吼える。

 

 「万象変化と千変万化を司りし女王〈混沌の皇女〉の血脈を継ぎし者、ジリオラ・ギラルティが汝に命ず。我が身の呪いと贄の血を糧に今こそ覚醒めろ、壷蟲の王よ!」

 

 ジリオラから吹き出した血霧が巨大な形を象り、徐々にその姿を露にしていく。

 

 「蠢け〈アスクレピオーネ〉!」

 

 遂にその姿を顕現させる。

 血霧が密集し形作り、実態を得た怪物。

 アメジスト色の水晶で構成された外骨格を持つ巨大な大蠍。

 二振りの巨大な鋏と長く延びる毒針の付いた尾を振りかざし、耳障りな甲高い声で哭く。

 

 「凪ぎ払え」

 

 主の命を受けて、大蠍が動き出す。

 その巨大な鋏で、凶悪な尾の毒針で、全身から吹き出る黒い猛毒の霧で周囲のナラクヴェーラを尽く吹き飛ばしていく。

 

 「これが、ジリオラ先生の眷獣なんですか……」

 

 一瞬で、ナラクヴェーラを殲滅した大蠍を見上げて雪菜が呟く。

 

 「〈アスクレピオーネ〉。わたしの手持ちの中では最強の攻撃力を持つ奴ね。この世の全ての毒を司る眷獣よ」

 

 ジリオラが珍しく誇らし気に言う。

 

 「……古城の眷獣と殆ど同じレベルの破壊力だな」

 「まあその分、魔力の消耗激しいし威力の加減ができないから滅多に使わないのよね」

 

 呆れ半分でジリオラの眷獣に目を向けるキリヲ。その旧き世代の吸血鬼の名に恥じない凶暴さを再確認すると、今度は吹き飛ばされたナラクヴェーラの残骸に目を向けた。

 

 「……少し待ってろ」

 

 ジリオラと雪菜にそう言うとキリヲは半壊状態で沈黙しているナラクヴェーラの残骸にひじの部分で切断されている右腕の義手の切り口を押し付ける。

 するとーー。

 

 「……よし、これでいい」

 

 キリヲの義手が触れていたナラクヴェーラの脚の部分が細かく分解され、キリヲの右腕のひじから先、切断されていた部分を再構成する。

 ナラクヴェーラのパーツを使って切断されていた右腕を完全に修復していた。

 ナラクヴェーラと同様に赤と黒でカラーリングされた外装の新しい右腕を眺めながらキリヲは満足そうに頷いた。

 

 「なによそれ?」

 

 一連の様子を見ていたジリオラと雪菜は唖然としていた。

 

 「俺の右腕は元々、金属を吸収して自分の義肢を修復したり強化する魔具なんだ。……まあ、俺の師匠のダウングレード版なんだけど。その力とナラクヴェーラのパーツを使って腕を直したんだよ」

 

 魔義化歩兵を開発したCSAには触れた物を全て自分の肉体に吸収する〈抱擁の右手〉と呼ばれる魔義化歩兵用の個人兵装の魔具が存在する。キリヲの右腕は、その劣化量産型だった。

 

 「さて、準備はできた。サブフロートに向かうぞ。向こうもそろそろ大詰めだ」

 

 キリヲの視線の先、サブフロートの上空には巨大な魔力の塊が存在していた。

 暴風を撒き散らす緋色の双角獣。

 

 「あれは……先輩の新たな眷獣……」

 

 緋色の双角獣を見上げて雪菜が掠れる声で呟いた。

 

 「……とにかく、急いだ方が良さそうね」

 

 ジリオラも〈アスクレピオーネ〉の実体化を解除しながら言う。

 その時だった。

 可愛らしい着信音と共に雪菜の携帯がバイブレーションで震えた。

 届いていたのは、一通のメールだった。

 

 「なんでしょう、コレ?……音声ファイルが添付されてますけど。送信者は……〈覗き屋《ヘイムダル》〉?」

 「知り合いか?」

 「いえ、知りません」

 

 新しい右腕の調子を確かめながら聞いてきたキリヲに雪菜が首を振って答えた。

 

 「あっ、メッセージがあります。ええっと……」

 

 そこに書かれていた内容に三人は驚愕に目を見開くことになる。

 添付されていた音声ファイル。それは、古代兵器ナラクヴェーラの五十五番目の制御コマンド。ナラクヴェーラを全機能停止させる〈終わりの言葉〉。

 

 黒死皇派率いる古代兵器との戦い。その結末が近づいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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戦王の使者編Ⅵ

 


 〈オシアナスグレイブ〉甲板

 

 「……まったく。随分と派手に暴れたな貴様ら」

 

 空間転移阻害の結界が消滅したことにより転移が可能になった〈オシアナスグレイブ〉の甲板に転移してきた那月が呆れ果てたように言う。

 その言葉にキリヲ、ジリオラ、雪菜の三人は周囲を見渡す。

 豪華客船に相応しい造りをしていた立派なデッキはナラクヴェーラの砲撃とジリオラの眷獣〈アスクレピオーネ〉が暴れたことによって無惨な姿に変わり果てていた。

 

 「わたしは、船を囲っている結界を壊せと言ったはずなんだがな。船ごと沈める気か?中に藍羽達が人質に取られているのを忘れたのか?」

 

 那月の言葉に雪菜が顔を青くする。

 

 「そ、そうでした。藍羽先輩と凪沙ちゃんは!?」

 

 ナラクヴェーラの流れ弾と眷獣の破壊の余波を受けた船室は外から見ても、かなり深刻なダメージを受けているのが見てとれた。

 

 「もう、保護してある。心配するな」

 

 二人の安全を確保したことを聞いた雪菜がホッと胸を撫で下ろす。

 そんな雪菜を横目で見ていた那月は、今度はキリヲに視線を向ける。

 

 「クリストフ・ガルドシュは、もうサブフロートに向かったぞ。貴様はどうする?」

 

 頭上から高圧的な態度で言い放つ那月を真正面から見返してキリヲは口を開く。

 

 「奴を追う。ガルドシュは俺が相手をする」

 「……今の貴様では勝てないだろう?」

 

 那月の言葉にキリヲは自身の右腕に目を向ける。

 白銀にコーティングされた他の義肢……両足とは違って赤と黒のカラーリングの義手。一度破壊され、ナラクヴェーラのパーツを使って修復したものだ。数時間前、ガルドシュの刀の一撃によって切断された部分でもあった。

 

 「………………」

 

 確かに今のキリヲとガルドシュの間には明確な差がある。先程の攻防から、ガルドシュの剣の腕は八年前と比べて落ちるどころか、更に洗練されていたのはキリヲも確認済みだった。

 純粋な剣術勝負を挑めば間違いなくさっきと同じ結果になるだろう。

 だがーー。

 

 「逃げるわけにはいかない。……次は勝つ」

 

 鞘に納められた〈フラガラッハ〉を左手で強く握りしめながらキリヲは那月に宣言する。

 那月の瞳を睨むキリヲの両目の光彩がそれぞれ翡翠色と深紅色に変色し、両足の義足を包むズボンの裾と人工皮膚が焼け落ちて鋼の脚が姿を見せた。

 

 「これは、俺とガルドシュの始めた喧嘩だ。俺が決着をつける」

 

 確固たる闘志をその両目に宿したキリヲ見て那月も止めるのを諦めたかのように深い溜め息をついた。

 

 「なら、さっさとその親子喧嘩にケリをつけてこい」

 

 那月は、そう言うと転移魔術の術式を展開して空間転移の準備にはいる。

 キリヲ、ジリオラ、雪菜の三人が今、戦場に向かう。

 

 ***

 

 サブフロート 廃ビルの屋上

 

 「……言われた通り送ったけど、本当にコレで大丈夫なんだろうな?」

 『嬢ちゃんを信用しろよ。そいつを使えば間違いなくナラクヴェーラを止めることはできる』

 

 廃ビルの天辺から目の前の古代兵器と古城達の戦いを見ていた少年ーー〈覗き屋〉こと矢瀬基樹だ。

 気流使いの過剰適応者であり絃神島の管理公社が派遣した〈第四真祖〉の監視役でもある。

 そんな基樹が話しかけていた相手はディスプレイの向こう側にいる。

 モグワイ。藍羽浅葱がハッカーとしての活動をする時の相棒である高性能AIだ。

 基樹は先程、浅葱がテロリストに気づかれないように密かに作っていたナラクヴェーラの全機能停止コマンドをモグワイから受け取り、メールを使って雪菜に送っていた。

 

 「マジで頼むぞ………。こっちは、懲罰覚悟でやってるんだからよ」

 

 疲れたように呟く基樹。

 そんな基樹の背中に声をかける男がいた。

 

 「なるほど。監視者である君が直接戦闘に介入することは禁忌と言うことか………以外に苦労してるんだね」

 

 優雅に微笑む異国の吸血鬼、ディミトリエ・ヴァトラーだ。

 

 「ほっとけ……」

 

 ヴァトラーの言葉に無愛想に返事をする基樹。

 その直後だった。

 

 ズゥン。

 

 空気そのものを揺らすような震動が周囲に走り、サブフロートの地下から赤く光る魔力の塊が人工の大地を突き破って現れた。

 緋色の双角獣。桁違いの魔力を携え、破壊という概念そのものを具現化したような存在。

 〈第四真祖〉の眷獣だ。

 

 「……やっと来たか古城。後は任せたぞ」

 

 新たな力と共に舞い戻ってきた親友に基樹は、苦笑いを浮かべながら呟くのだった。

 

 「……どうやら、向こうでも始まったみたいだね」

 

 基樹とは別の方向、洋上に浮かぶ〈オシアナスグレイブ〉に視線を向けたヴァトラーが呟く。

 その視線の先にいるのは、水晶の外郭を持つ大蠍。猛毒の障気を纏った怪物だ。

 

 「へえ……。あれは、ジリオラ・ギラルティかな?まだ、あんな隠し玉を持っていたとはね」

 

 その目に浮かぶのは、新たな強敵を見つけたことによる歓喜の光だった。

 

 古代兵器、黒死皇派、第四真祖、監獄結界の囚人、獅子王機関の攻魔師。

 全ての役者が決着をつけるべく、戦場となるサブフロートに結集していた。

 

 ***

 

 サブフロート

 

 古代兵器の無差別な攻撃により周囲の殆どの建造物が崩壊し、瓦礫の山が積み上げられてた。

 そんな、すでにボロボロの新設サブフロートに更に破壊の爪痕を刻む攻撃があった。

 地面の下、サブフロートの内部から人工大地を突き破って現れた緋色の双角獣。

 地面に大穴を開けてその破壊の権化は現れた。

 その双角獣の後ろから続いて出てくる人影があった。

 古城と紗矢華だ。

 

 「貴方は本当に無茶苦茶ね。確かに地上には出られたけど……。こんな、クレーター作ることないじゃない」

 「……文句なら俺じゃなくてアイツに言ってくれ」

 

 呆れたように言う紗矢華に古城は自身の眷獣に目を向けながら言い訳をする。

 二人は、先程までナラクヴェーラの攻撃によってサブフロートの地下に落とされていた。

 サブフロートの地下から脱出するために古城は新たな眷獣を掌握したのだ。

 

 「やっぱり、貴方なんかの近くにいたら雪菜が、危険だわ。………だから、今回だけはわたしが面倒を見てあげる」

 

 表情を和らげて言う紗矢華。地下での古城との吸血行為を経て、紗矢華は古城のことを多少は信用したようだった。

 紗矢華の言葉が終わると同時に古城達の前に立ち塞がるナラクヴェーラも動き出す。

 前方の主砲に魔力を充填して赤い閃光を二人めがけて撃ち放つ。

 

 「〈煌華鱗〉!」

 

 正面から飛んでくる魔力の塊に紗矢華は、自らの得物である剣で挑みかかる。

 空間連結を切り裂く疑似空間切断と空間に断層を作って物理攻撃を完全に無効化する〈煌華鱗〉はナラクヴェーラのレーザー攻撃を難なく防ぎきる。

 

 「疾く在れ!〈双角の深緋〉!」

 

 古城の命を受けて緋色の双角獣は暴風を撒き散らしながらナラクヴェーラに突っ込んでいく。

 圧倒的な破壊力を持つ魔力の塊がぶつかってきたことによりナラクヴェーラは紙切れのように吹き飛ばされる。

 更なる追い討ちをかけようと〈双角の深緋〉が構える。

 だが、その追撃が成されることはなかった。

 

 「なんだっ!?」

 

 突然、横から飛んできた円盤型爆弾が〈双角の深緋〉の突進を止めたのだ。

 爆煙の向こうから現れたのは大型のナラクヴェーラ。他の機体とは明らかに違うデザインの大型のナラクヴェーラが円盤型爆弾を射出しながら現れたのだ。更にその大型ナラクヴェーラに付き従うように通常のナラクヴェーラも海から這い出てくる。

 

 「へえ、どうやらアレが女王の様だね。一体の指揮官機に無人の子機が付き従うことで真の力を発揮するのか」

 「ヴァトラー!?」

 

 突如現れた新手のナラクヴェーラに何処からともなく現れたヴァトラーが感心したように呟く。

 

 「こんな、切り札を残していたのかガルドシュ。……どうする古城?やっぱりボクが代わろうか?」

 

 ヴァトラーの挑発的な物言いに古城が不快そうに顔をしかめながら言葉を発する。

 

 「引っ込んでろって言ったはずだぜ!……まったく、どいつもこいつも好き勝手しやがって。いい加減に頭に来てるんだよ。ここから先は、俺の喧嘩だ!」

 

 古城の雄叫びに反応して女王機の周囲に終結したナラクヴェーラが一斉にレーザー主砲を古城に向けて発射する。

 だが、その攻撃は古城には届かない。

 

 「いいえ先輩。わたし達の喧嘩です!」

 

 古城とナラクヴェーラの間に入った雪菜が〈雪霞狼〉で全て無効化したのだ。

 

 「いや、これは俺の喧嘩だ」

 

 古城を守るように現れた雪菜の隣に立つのは白き刀を携えたキリヲと〈ロサ・ゾンビメイカー〉を召喚したジリオラだ。

 

 「姫柊!キリヲにジリオラ先生まで!」

 

 駆け付けた援軍に古城が喜びの声を上げる。

 キリヲと紗矢華は剣を、雪菜は槍を、ジリオラは鞭を、古城は魔力を纏わせた拳を構えてそれぞれナラクヴェーラと対峙する。

 

 「……魔力収束型のレーザー主砲に斥力場の結界。……元素変換による自己修復能力もあるのか」

 「九重先輩、相手の能力が分かるんですか!?」

 

 ナラクヴェーラを見つめながら的確に能力を言い当てていくキリヲに雪菜が驚きの声を上げる。

 

 「俺の左目は相手を分析する魔具なんだ」

 

 キリヲの左目ーー赤い光彩の義眼は目視で確認した相手のデータを解析する能力を持っている。ロタリンギアの殲教師。ルードルフ・オイスタッハの持っていた片眼鏡と同じ原理だ。

 

 「そう言えば九重先輩の目って義眼でしたね。……ちなみに右目にも何か能力があるんですか?」

 「右目は未来予測。相手の動きを演算で予測して数秒先の未来を見れる」

 

 興味本意で聞いてくる雪菜にキリヲは簡潔に答える。

 

 「未来予測……そんなこともできるんですか」

 「CSAでは結構前から未来予測の魔具の開発は進められていた。これはその内の一つだ。……まあ、俺から言わせれば肉眼で霊視を使って未来を見る剣巫の方が凄いと思うぞ」

 

 義眼を使わなくとも霊視で相手の動きを先読みする雪菜の方がキリヲからしてみれば余程凄いと思うのだった。

 

 「来るわよ」

 

 ジリオラが警告を口にすると共にナラクヴェーラが再びレーザー砲撃の雨を降らせていく。

 

 「〈双角の深緋〉!」

 

 咆哮を上げる〈双角の深緋〉が暴風を放出しナラクヴェーラの魔力を吹き飛ばす。そのまま、攻撃を放ってきたナラクヴェーラ本体も吹き飛ばそうと〈双角の深緋〉が突進するが……。

 

 「なっ!?効いてない!?」

 

 〈双角の深緋〉の突進を受けてもナラクヴェーラは吹き飛ぶことなく踏み留まっている。

 

 「………どうやら、一度食らった攻撃は学習して対策手段を作るみたいだな。しかも、一機が学習したら全機にその情報が行き渡る」

 

 左目の義眼で分析しながらキリヲが呟く。

 

 「……じゃあ、わたしの〈アスクレピオーネ〉も既に対策済みってこと?」

 「多分な」

 

 キリヲの説明にジリオラも忌々しそうに表情を歪める。

 

 「……そんなの、不死身みたいなものじゃないか」

 

 悪くなっていく状況に古城が震える声で呟く。だが、そんな古城に対して雪菜は笑みを崩さない。

 まだ、勝利を諦めていない者の表情だった。

 

 「大丈夫です先輩。藍羽先輩が制御コマンドを解析をしながら、こっそり新しいコマンドを作っていたみたいなんです」

 

 雪菜がスマホを取り出す。画面には短いメッセージと音声ファイルが映っていた。

 

 「こいつがあれば、ナラクヴェーラの全機能を止められるはずだ」

 「浅葱が?あいつ、この短時間でそんなものを……」

 

 雪菜とキリヲの言葉を聞き、古城は己の友人の有能さに身震いした。

 

 「ナラクヴェーラは、音声認識です。指揮官機に入ってこの音声ファイルを流せば……」

 「指揮官機に入る?どうやって?せめて、あいつらの動きを止めないと……」

 

 雪菜の説明を聞いた古城が周囲のナラクヴェーラを見て表情を曇らせる。

 だが、そんな古城の不安を吹き飛ばすように名乗り出る者がいた。

 

 「ナラクヴェーラの動きを止めればいいのね。なら、わたしに任せて。〈煌華鱗〉!」

 

 紗矢華が前に歩み出て手にしていた剣を一振りする。振り下ろされた剣は機械的な音を立てて変形し、弓へとその形状を変えていった。

 

 「〈六式重装降魔弓〉……。獅子王機関の広域殲滅兵器か」

 

 紗矢華の弓を見てキリヲが呟く。

 

 「十秒でいいわ。時間を稼げる?」

 「わたしで良ければ任せなさい」

 

 紗矢華の言葉にジリオラが答える。

 そんなジリオラに紗矢華が皮肉気に笑みを浮かべる。

 

 「……まさか、犯罪者が助けてくれるとはね」

 「もう少し素直にお願いできないのかしら?…………ついてきなさい、第四真祖」

 

 呆れたように紗矢華に言葉を返したジリオラは古城の手を引いて更に前へと出る。

 

 「呼吸を整えて、魔力をわたしに合わせなさい」

 「一体何をっーー」

 

 ジリオラの言葉の意味を図りかねた古城が疑問に満ちた声を上げるがジリオラは構わず古城の手を引いて前に向かって駆けていく。

 

 「〈蛇遣い〉の真似よ。二体の眷獣を合成させるわ。わたしの合図で眷獣を放ちなさい!」

 

 これから行うことを手短に説明するとジリオラは古城の手を放し、全身に魔力を纏う。

 

 「……今よっ!」

 「疾く在れ〈獅子の黄金〉!」

 

 荒れ狂う雷光が獅子の形を象って猛々しく咆哮を上げる。

 そして、その雷の獅子にジリオラが被せるように魔力を解き放つ。

 

 「行きなさい〈アスクレピオーネ〉!」

 

 ジリオラの全身から吹き出た血霧が集まって水晶の体を持つ大蠍に姿を変える。

 空中で雷光の獅子と水晶の大蠍が絡み合う。

 膨大な魔力の塊である二体の破壊の権化が溶け合うように一つになっていく。

 現れたのは、トパーズのように黄金色に輝く結晶でできた体を持つ獅子。その尾は蠍の様に禍々しく先端に毒針が付いていた。

 

 「凄い……」

 

 顕現した新たな眷獣を目の当たりにして、雪菜が戦慄に震える声で呟く。

 現れた合成眷獣は、その牙と尾の針を振るいナラクヴェーラを圧倒する。

 雷撃と猛毒の障気。ナラクヴェーラが学習していないこの二つの波状攻撃が猛威を振るう。

 時間稼ぎどころか、このまま戦いを終わらせかねない勢いの攻撃だった。

 合成眷獣の攻撃が、止む頃には大半のナラクヴェーラが半壊状態に追い込まれている。

 攻撃を一度放った合成眷獣は、結合が解けたように霧散し消滅していった。

 

 「やっぱり、無理矢理くっ付けても長くはもたないわね……」

 「でも、時間稼ぎには十分よ!」

 

 ポツリと呟くジリオラに紗矢華が声を張り上げて答える。

 その手には、矢をつがえた〈煌華鱗〉が握られている。

 

 「獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る!極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり!」

 

 詠唱と共に放たれる鳴り鏑矢。人の声帯では唱えられない術式を慟哭のような音で奏でる。

 

 「……魔力を完全に遮断する呪詛か。凄まじいな」

 「舞威媛を舐めないでよね!」

 

 半壊したボディを修復していたナラクヴェーラの動きを止めた紗矢華の呪詛にキリヲは素直に称賛の声を上げた。

 

 「道は開けました。行きましょう、九重先輩!」

 

 ナラクヴェーラが身動きをとれなくなり、女王機までの道が開けた。女王機めがけてキリヲと雪菜がそれぞれの剣と槍を構えて突進する。

 

 「獅子の神子たる高神の剣巫が願い奉る!破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 「ヴェルンドシステム、起動!」

 

 雪菜が祝詞を唱え、〈雪霞狼〉の先端に呪力を集中させる。

 キリヲも己の体内に埋め込まれた聖霊炉を起動させ、全身から白銀の霊力を放出する。

 

 「〈雪霞狼〉!」

 「斬り割け〈フラガラッハ〉!」

 

 神格振動波を纏った〈雪霞狼〉と聖霊の加護を受けた霊力を纏った〈フラガラッハ〉が女王機の装甲を刺し貫き、一刀両断に斬り伏せる。

 装甲が引き裂かれて生じた裂け目に雪菜が音声ファイルを起動させたスマホを投げ込む。

 

 「ぶち壊れてください、ナラクヴェーラ!」

 

 機内で音声ファイルを流された女王機が機体の修復を止めて沈黙する。

 女王機の沈黙と同時に他のナラクヴェーラの機体も活動を止め、ボロボロと崩れて灰になっていく。

 

 神々が造った古代兵器の最期だった




 次で本当に戦王の使者編終わります。


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戦王の使者編Ⅶ

 今回で戦王の使者編最後です。


 サブフロート

 

 機能を停止し、完全に沈黙した女王機のコックピットの中から人影が出てくる。

 

 「……やってくれたな」

 

 赤い刃を持つ刀、妖刀〈血斬り〉を持ったガルドシュだ。

 

 「……ナラクヴェーラは、もう使えない。終わりだ、ガルドシュ」

 

 キリヲは刀の切っ先をガルドシュに向けて言い放つが、ガルドシュの顔に諦めの表情は浮かばない。

 

 「まだだ。まだ、お前がいる。ヴェルンドシステムを持つお前がいれば〈忘却の戦王〉とも渡り合える!」

 

 ミシミシと音を立ててガルドシュの体が獅子頭の獣人へと変わっていく。

 ガルドシュの顔に浮かんでいる表情は、狂気と呼ぶのがふさわしい気がした。

 

 「あいつ、まだ続ける気か!?」

 

 未だ戦意を失わないガルドシュに古城が信じられないと言わんばかりに声を上げる。

 

 「九重キリヲを仲間にするつもり?あいつ、獣人優位主義者じゃなかったの!?」

 

 紗矢華の言葉にキリヲの肩がピクリと震えた。

 

 「………あいつはもう、戦う理由と目的が逆転してるんだ」

 

 ポツリと呟くキリヲ。

 思えば元戦王領域の軍人であり、人間であるキリヲを拾ったりしたガルドシュは歴とした獣人優位主義者ではなかったのかもしれない。

 

 「…………あいつが欲しいのは獣人優位の世界じゃない。ただ、戦い続ける理由が欲しいんだ」

 「そんなことの為に……」

 

 キリヲの言葉に雪菜が信じられないものを見るような目でガルドシュを見る。

 

 「……ガルドシュも俺と同じ戦争孤児だ。生まれた時から戦いが身近にあって、周りの奴は戦うことを強要してくる。戦いの中でだけ自分の存在を認めてもらえる」

 

 淡々と、表情を変えることもなくキリヲは言葉を紡いでいく。

 

 「……もう、戦いの中でしか自分の存在価値が見つけられないんだ。……昔の俺みたいに」

 

 自分に戦うこと以外の生き方を教えてくれたアルディギアの少女に出会う前の自分の姿を思い返しながらキリヲは言葉を発した。

 

 「古城、姫柊。あいつの相手は俺がやる。手を出さないでくれ」

 「キリヲ……」

 

 〈フラガラッハ〉を握りしめてガルドシュの方へと歩み出るキリヲの背中を見て古城が掠れる声で名前を呟く。

 

 「……ようやく、お前を迎えに来ることができた。八年も待ったぞ」

 「もう終わらせよう。ガルドシュ」

 

 キリヲとガルドシュが互いに刀を構える。

 二人の間に一瞬、沈黙が降りる。

 

 「ふっ!」

 「……っ!」

 

 両者の間にある距離はおよそ十メートル。その程度の距離を二人が詰めるのに一秒とかからない。

 地面が僅かに陥没するほど強く蹴って前に出る。獣人の筋力と鋼の義肢が生む運動エネルギーによって目にも留まらぬ速度でぶりかり合う両者。

 互いに積み重ねてきた剣技の全てをぶつけるべく刀を振り続ける。

 

 「ハハッ!やはり、剣客はいいなっ!予想以上だぞ、キリヲ!」

 

 自分と同じレベルまで剣の腕を向上させたキリヲにガルドシュが歓喜の表情を浮かべる。

 ヴァトラーと同じく、強者と戦うことを悦んでいる者の顔だった。

 

 (太刀筋を目で追いかけても間に合わない。読むんだ、刹那の未来を。一瞬先の剣を)

 

 キリヲの右目が高速演算でガルドシュの動きを予測して、次にとるであろう行動の予想を弾き出していく。

 網膜に投影された予測の結果を基に、必要最小限の動きでガルドシュの剣を避け、捌いていく。

 相手の攻撃を捌ききれれば反撃のチャンスもまわってくる。

 自らの顔面目掛けて振り下ろされた刀身を自らの刀で横に弾き、逆にガルドシュの胴体目掛けて袈裟斬りを放つ。

 

 「ふんっ!」

 

 無論、ガルドシュも素人ではない。キリヲの反撃を確認すると攻撃を中断して刀を引き寄せ、振り下ろされる刀身を弾き返し、再びキリヲに切りかかる。

 互いに相手の剣を弾いて斬り返す攻防が十数回ほど繰り返される。

 だが、これほどの高速の応酬が繰り返されれば体の方にも影響が出てくる。

 人智を超えた速度で剣を振るい続けた結果、ガルドシュの腕部の筋肉は限界を迎えつつあった。いくら、獣人種と言っても高齢のガルドシュは全盛期の頃ほど強くはない。肉体の衰えには抗いようがなかった。

 一方でキリヲは、相手に近づくための脚も剣を振るための腕も機械だ。筋肉のように持久面での限界と言うものがない。

 

 (……ここだ!)

 

 左目の義眼がガルドシュの全身の筋肉の運動を解析した結果、右半身が筋力の限界で運動速度が落ちていることを発見する。

 その隙をつくべくキリヲは、左から剣を叩き込んでいく。

 弱っている部分を集中的に狙われたガルドシュは防御にまわる回数が増えていく。

 そして、遂に決定打が入る。

 

 「ぐあっ!?」

 

 キリヲの〈フラガラッハ〉がガルドシュの〈血斬り〉の刀身を潜り抜けて胴体に横一文字の刀傷を負わせる。

 キリヲの〈フラガラッハ〉の刀身は、ヴェルンドシステムによって精霊の加護を受けている。これは、魔族であるガルドシュにとっては致命的だ。

 いつもならすぐに塞がるはずの傷が再生しない。

 

 「……なるほど、ヴェルンドシステムか。確かに強力だな」

 

 傷口から大量に溢れ出る血液を眺めながら言うガルドシュ。その顔には、焦りなどと言うものはなかった。むしろ、余裕の色さえある。

 

 「だが、キリヲ。お前もその力を代償無しで使えるわけではなさそうだな」

 

 その言葉が終わると同時に、キリヲが負傷もしていないのに吐血した。

 体を折り曲げて地面に大量の血液を吐き出す。

 

 「アルディギア王家の人間でもないお前が精霊の力を直接体に降ろすなど本来ならあり得ぬからな」

 

 ガルドシュの言葉通り、キリヲはヴェルンドシステムをノーリスクで使えるわけではなかった。

 先天的な精霊遣いでもないキリヲは本来、精霊との相性はそれほど良くはないのだ。それを後天的に体に埋め込んだ精霊炉で、無理矢理体に縛り付けている。

 当然、長く使えば拒絶反応が出てくる。

 せいぜい十分が連続使用の限界だろう。

 

 「……馬鹿言うな。まだまだ、余裕だよ」

 

 だが、キリヲは精霊炉を止めようとはしない。獰猛な笑みを浮かべると更に自身の霊力を高めていく。

 限界を訴えるキリヲの肉体が激痛を伴って反応を返してくる。

 

 「ククッ、良いぞ。そうこなくてはなっ!」

 

 ガルドシュも戦意を失う様子など見せず、高らかに吼える。

 二人の剣客の戦いは次の局面に入ろうとしていた。

 

 ***

 

 サブフロート

 

 「……速すぎてまったく見えなかったぞ」

 

 目の前で繰り広げられている攻防を目にして古城がポツリと呟く。古城は元々運動神経はいいし、動体視力も普通よりはいい方だった。第四真祖になってからは身体能力も五感も飛躍的に上昇し、更に良くなっている。

 だが、そんな古城の目でも今の応酬は速すぎてよく分からなかった。

 

 「……雪菜。どこまで見えた?」

 「…………九重先輩がガルドシュの剣を弾いて防いだところまでです。……紗矢華さんは?」

 

 真剣な面持ちの紗矢華の問に雪菜が冷や汗を流しながら答えた。

 そして、雪菜の問い返しに紗矢華は静かに返答する。

 

 「九重キリヲがガルドシュの剣を弾いた後に袈裟斬りを放ったところまでよ。……そこから先は、わたしにも見えなかった」

 

 同じ剣を使っている紗矢華ですらそこまでしか見えなかったと言う事実に雪菜も戦慄を禁じ得ない。

 

 「まったく、暑苦しい連中だ」

 

 空間転移で古城達の側に現れたのは、黒いドレスに身を包んだ魔女ーー南宮那月だ。

 那月は、互いに剣をぶつけ合っているキリヲとガルドシュを野蛮な獣でも見るような目で眺めている。

 

 「一応言っておくけど手出し無用だそうよ、南宮那月」

 

 ジリオラが腕組をしたまま那月に告げる。

 

 「……分かっている。わたしも、あの親子喧嘩に口を出すほど野暮ではない。気の済むまでやらせてやるさ」

 

 呆れ果てたと言いたげに肩をすくめる那月。

 その間にもキリヲとガルドシュの戦いは続いていた。

 

 「しぶといにも程があるぞ、クソ親父!」

 「甘ったれたことをぬかすなガキ!なんだ?もう息切れか!?」

 

 鍔迫り合いをしながら互いに怒鳴り合うキリヲとガルドシュ。キリヲは精霊炉の長時間使用で肉体に限界が来ており、身体中から出血している。ガルドシュは、先程腹に受けた傷から血が絶えず溢れており足元に赤い水溜まりを作っている。

 そしてなにより。

 

 「……笑ってるし。理解できないわ、ああいうの」

 

 口元に歪んだ獰猛な笑みを浮かべているキリヲとガルドシュを見て呆れたように呟くジリオラに那月も同意するように頷く。

 八年ぶりに再開した親子同然のあの二人が水入らずで喧嘩をするのはひょっとしたら本人達にとっては楽しいことなのかもしれない。

 人によっては微笑ましい光景と思うこともあるだろう。だが、全身血まみれになっているのを見ると、どうポジティブに見てもバイオレンスでスプラッターな光景にしか見えない。

 少なくともこの場にいる全員には理解の及ばない世界だった。

 一人を除いて。

 

 「いやぁ、いいね。ボクも混ざりたくなっちゃうよ」

 

 今まで静かに傍観していた白いタキシードに身を包んだ吸血鬼ーーディミトリエ・ヴァトラーが声を弾ませながら前に歩み出てくる。

 

 ーー空気読めないのが出てきた。

 

 那月とジリオラが共通で考えていたことだった。

 

 「……〈蛇遣い〉。まさかと思うが余計なことをしたりしないだろうな?」

 「………………勿論だよ」

 

 爽やかな笑顔で言い切るヴァトラー。だが、答えるまでの間が異様に長かった。

 流石にヴァトラーも自分に向かってきていない相手に攻撃をするつもりはないようだった。外交使節として来ている以上、ある程度の節度は守っているつもりなのだろう。

 

 (……早く決着をつけろ、九重キリヲ。〈蛇遣い〉の我慢にも限界があるぞ)

 

 早期決着を願わずにはいられない那月だった。

 

 ***

 

 サブフロート

 

 体内の血が足りなくなってきているのを感じる。〈フラガラッハ〉を握る生身の左手に力が入らなくなってきていた。

 体中にある刀傷から出血した血や精霊炉の過剰使用による吐血だけじゃない。

 ガルドシュの刀、妖刀〈血斬り〉の持つ血液簒奪能力によってキリヲは出血の酷いガルドシュ以上に血を失っていた。

 

 「……なんだか、昔を思い出すな」

 

 ガルドシュが刀を正眼に構えたままポツリと呟いた。その呟きにキリヲは思わず苦笑する。

 

 「……そうだな。俺は、こうやってあんたに剣術を仕込まれた」

 

 思い出すのは戦王領域での日々。いつも戦争で生きるのに必死だった毎日。

 

 「…………やはり、わたしと共に来てはくれないのか?」

 「何度も言わせるな。断る」

 

 未練がましく言ってくるガルドシュをキリヲは一蹴する。

 

 「……分かっているだろう?我々には戦うこしか出来ない。兵器と同じだ。戦うこと以外に何も出来ない」

 

 ガルドシュの言葉にキリヲは数秒ほど口を閉ざし押し黙る。

 沈黙の中、ガルドシュの瞳を見つめた後にゆっくりと口を開く。

 

 「……確かにそうだな。戦い以外で俺は誰の役にも立てない」

 「だったらーー」

 

 キリヲの答えを聞いてガルドシュが声を張り上げるが、他ならぬキリヲがそれを遮る。

 

 「でも、もう誰彼構わず傷つけるのは……嫌なんだ。それなら、たった一人でもいいから誰かを守るために戦いたい」

 

 ガルドシュの顔を真っ直ぐ見据えてキリヲは言い放つ。

 ガルドシュは、しばらく黙った後に口を開く。

 

 「……お前は見つけたのか?その守りたい人間を」

 

 ガルドシュの言葉に口を閉ざすキリヲ。脳裏に映るのは守りきれなかった自らの大切な人。銀色の髪を赤く染め、血を流す一人の少女。

 

 「……見つけた。でも、守れなかった。だからーー」

 

 〈フラガラッハ〉を構え直しながらキリヲが声を張り上げる。

 

 「この島で出会った守りたい人達を守る。今度こそ。そのために戦う」

 

 覚悟を決めたキリヲの顔を見てガルドシュも刀を鞘に戻して居合いの構えをとる。

 

 「……ならば、守って見せろ。わたしは当初の予定通り、お前を連れて帰る。どんな手を使ってでもな!」

 

 臨戦態勢を整えた二人の間に一陣の風が吹く。

 

 「……そろそろ体も限界だ。次で決める」

 

 キリヲが最後の力を振り絞って霊力を刀身に集中させながら言う。

 

 「……」

 「……」

 

 限界まで張り詰めた空気。

 地面を蹴ったのは同時だった。

 

 「壱の太刀ーー」

 「ヴェルンドシステム………全開!」

 

 ガルドシュの〈血斬り〉の赤い刃が鞘の鯉口と擦れ、火花を散らしながら刀身を露にしていく。

 キリヲの体内に埋め込まれた精霊炉から霊力が溢れだし、〈フラガラッハ〉の刀身を白銀のオーラで包み込む。

 互いに肉薄し刀身の有効射程に入った瞬間、ほぼ同時に剣を振り抜く。

 

 「ーー蟒蛇!」

 「〈フラガラッハ〉!」

 

 すれ違い際に刀で相手を斬りつける。

 人間の動体視力では捉えられない速度で駆け抜け、止まったのは刀を振り抜いた後だった。

 刀を振り抜いた後、しばらく二人とも動かない。

 キリヲは刀を振り下ろした状態で、ガルドシュは下段から斬り上げたように刀を振り上げた状態でそれぞれ固まっていた。

 

 「………なるほど、守るために戦うか。強いわけだ……」

 

 刀を振り抜いた状態でガルドシュが愉快そうに呟く。

 

 「……見事だ」

 

 次の瞬間、ガルドシュの肩から血が吹き出す。

 続いて獣人化した巨体がグラリと揺れて地面に倒れ込む。

 

 「………いつか、あんたも見つけるさ。守りたい人を」

 

 〈フラガラッハ〉を一振りして刃についた血を払いながらキリヲはガルドシュに向けて呟いた。

 

 八年の時を越えて再び相見えた親代わりとの決着だった。

 

 ***

 

 監獄結界

 

 薄暗い檻の中にいる男にこの監獄の主、南宮那月は声を投げ掛ける。

 

 「……クリストフ・ガルドシュ。貴様に話がある」

 

 その言葉に鉄格子の向こうで鎖に繋がれて座っていた軍服の男ーークリストフ・ガルドシュが顔を僅かに上げた。

 

 「なんだ、敗戦の将を笑いに来たのか?空隙の魔女よ」

 

 自虐的な笑みを浮かべるガルドシュに那月は言葉を続ける。

 

 「貴様に契約の提案をしに来た」

 「……契約?」

 

 那月の言葉にガルドシュが怪訝そうに顔をしかめる。

 

 「わたしの手駒となれ。代わりに貴様の要望を聞こう」

 「……また、随分とストレートな提案だな。それは、この檻から出てお前の私兵になれということか?」

 

 ガルドシュの問に那月は表情を動かすことなく答える。

 

 「そう認識してもらって構わない。……無論、今すぐ貴様を外に出すつもりはない。いずれ、時が来たらわたしの方から声をかけよう。その時にわたしの力となって戦え」

 

 那月の言ったことにガルドシュは唖然とした表情を浮かべる。

 

 「……犯罪者を使って何をするつもりだ?何を企んでいる?」

 

 ガルドシュの問に那月は答えない。ただ、不適な笑みを浮かべて檻に背を向ける。

 

 「ゆっくり考えるといい。良い返事を期待している」

 

 そう言い残すと那月の姿は音もなくガルドシュの視界から消え失せた。

 

 ***

 

 絃神島 病院 入院棟

 

 「……まったく、無茶をするな。少しは自分の体を労ったらどうなんだ?」

 「余計なお世話だ」

 

 病室のベッドに体を横たえたまま無愛想に返事をするキリヲ。その返答を聞いてベッドの側に立っていた那月は、疲れきったように溜め息をつく。

 今のキリヲは全身の刀傷を塞ぐため包帯でぐるぐる巻きにされ、ミイラのような様相になっていた。

 

 「……で、今日は何の用だ?見ての通り、絶対安静でな。監獄結界にぶち込むなら今度にしてくれ」

 「犯罪者風情が随分と偉そうな口をきくな……。まあいい、悪いが今回も契約の延長の話をしに来た」

 

 那月の言葉にキリヲが怪訝そうに顔をしかめる。

 

 「……またか?」

 

 キリヲの言葉に小さく頷くと那月は、持ってきていたA4のプリント用紙の束をキリヲに渡す。

 

 「黒死皇派が片付いたと思ったら、次はこいつだ」

 

 那月の言葉に耳を傾けながら資料のプリントを読み進めていくキリヲ。

 

 「〈仮面憑き〉か……」

 

 資料に記されている正体不明の存在に関する情報。それがキリヲに渡された資料の中身だった。

 

 「……引き受けてくれるか?」

 

 那月の問にキリヲは数秒ほど考え込む素振りをする。

 

 「……分かった、引き受ける。まだ敵の正体が不明だから何とも言えないが、倒せそうなら倒してみよう」

 

 キリヲはプリントの束と共に那月に返事を返した。

 那月は受け取ったプリントを鞄の中に仕舞うと、今度は携帯電話を取り出してキリヲに突きつけてきた。

 

 「仮釈放中なら連絡の一つくらい寄越せと腹黒王女がうるさくてな。一言くらい何か言ってやれ」

 

 だが、キリヲは携帯電話を受け取ろうとせず布団を被り直す。

 

 「断る。いつも、言ってるが俺にあいつと話す資格なんてない」

 「意地を張るのもいい加減にしろ。わたしが迷惑してるんだ」

 「絶対嫌だね」 

 

 那月が無理矢理にでも携帯電話を渡そうとするが、キリヲも頑なに受け取ろうとしない。

 その直後だった。

 

 「もう、先輩は本当に嫌らしい人ですね」

 「いや、だから、あれは俺じゃなくて……」

 

 病室のドアが開いて古城と雪菜が部屋に入ってきた。

 雪菜は怒ったように頬を膨らませていて、古城は鼻に鼻血を止めるためのものと思われるティッシュが突っ込んである。

 

 「九重先輩、大丈夫ですか?聞いてくださいよ、暁先輩が藍羽先輩の病室で鼻血出したんですよ。まったく、二人で何してたんだか……」

 「だから、あれは浅葱が…………て、キリヲ!?お前、大丈夫か!?なんか、ミイラみたいになってるぞ!?」

 

 雪菜に弁解していた古城がキリヲを見た瞬間、その有り様に驚きの声をあげていた。

 不機嫌そうな雪菜の様子と古城の言い訳をする様子から何があったかはキリヲにも何となく予想はついた。

 

 「ふん、命拾いしたな」

 

 白けたと言った様子で那月は、キリヲに携帯電話を押し付けるのを諦めて病室のドアへと向かっていった。

 病室を出る直前に思い出したように立ち止まる那月。

 

 「そういえば、九重キリヲ。貴様、ジリオラ・ギラルティに血を吸わせたそうだな?念のために検査を受けておけ」

 

 それだけ言うと今度こそ那月は、病室から出ていった。

 だが、今の話を聞いていた古城が反応する。

 

 「えっ!?キリヲとジリオラ先生ってそんな関係だったのか!?」

 「そんな関係ってどんな関係だよ……」

 

 この後、キリヲは古城の誤解を解くために小一時間ほど言い訳をすることになる。そしてその直後、今度は古城が紗矢華との吸血行為に関する尋問を雪菜から受けることになるのだった。

 

 世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉と監獄結界の囚人〈聖剣遣い〉の日々はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 本土 都内某所 ビジネスホテル

 

 東京都内に位置する一つのビジネスホテルの一室のベッドに一人の少女が腰掛けていた。

 黒い長髪。黒い瞳。黒いセーラー服。

 黒という色で統一された少女は、一度大きく伸びをすると立ち上がり、備え付けの浴室へと向かう。

 先日まで気温の低い地方に行っていたこともあり、早くシャワーを浴びて体を温めたいと考えていた。

 浴室のドアを開き、後は服を脱いでお湯を浴びるだけとなった時に来客を知らせるチャイムの音が響いた。

 シャワーを浴びることを妨害され、少し不機嫌そうな表情をしながら少女は部屋の出入り口まで向かう。

 

 「妃崎霧葉。太史局だ」

 

 ドアを開けるとサングラスをかけたスーツ姿の男が室内に入ってきた。

 少女ーー霧葉は不機嫌そうに口を開く。

 

 「任務明けで疲れているのだけれど?」

 

 しかし、男の方は霧葉の不機嫌さに気付くこともなく室内に上がり込む。

 

 「東北に出現した大型魔獣の処分だったか?」

 

 男の言葉に不適に微笑む霧葉。

 

 「少し厄介な能力を持っていたけれど、伝承に記されているほど強くはなかったわね」

 「ほう」

 

 霧葉の物言いに男は感心したように声を漏らした。

 

 「それで、何の用かしら?」

 

 霧葉に急かされて男は思い出したように持っていた鞄から数枚の資料を霧葉に手渡す。

 

 「頼まれていた例の奴の情報だ」

 

 男の言葉に霧葉は目を見開くと、引ったくるように男の手から資料を取り上げた。

 そして、そこに記されている名前と添付された顔写真を見て笑みを深める。

 

 「……それにしても、変な奴だな。なぜ、犯罪者の情報なんて欲しがる?」

 「ちょっと、訳ありなのよ」

 

 男の言葉に資料から目を離さずに返事をする霧葉。

 一通り資料に目を通した後、満足そうに顔を上げると口を開く。

 

 「シャワーを浴びたいから、そろそろ帰ってもらっても良いかしら?」

 「ん?ああ、すまん。失礼する」

 

 男は手早く荷物をまとめると部屋の出入り口であるドアに向かう。

 

 「また何か続報があったら知らせる」

 「ええ、頼むわ」

 

 男はそう言い残すと部屋を後にした。

 再び一人になった霧葉は、もう一度受け取った資料に目を向ける。

 

 「やっと…………やっと、見つけたわ」

 

 資料に記されていた名前は『九重キリヲ』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「すぐに殺してあげるから待っていてね………………兄さん」

 

 窓の外に広がる夜空を見上げて霧葉は、口の端をつり上げて笑う。

 

 その目には、確かな殺意が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 最後に少しだけ霧葉出しました。(ちょっと怖い娘になっちゃってますけど……)

 次回から天使炎上編です。やっとメインヒロインが出てきます!


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天使炎上編
天使炎上編Ⅰ


 二年前 アルディギア王国

 

 建国以来、初めてとなる反乱を受けて王都は、各地で火の手を上げていた。

 そんな、燃え盛る炎の中に彼は立っていた。

 右手に持っている銀色の片刃刀が炎の緋色の光を反射して鈍い輝きを放っている。

 足元には、赤い血を流す人の骸が転がっている。それも一人ではない。少なく見積もっても数十人の遺骸が、まだ生前の体温を保ったままそこら中に転がっていた。

 皆、かつては王家に使えていた宮廷魔術師であり、今回のクーデターの中心になった者たちだった。

 だが、今となっては身体を刃で斬り刻まれ、物言わぬ亡骸へと姿を変えていた。

 

 「も、もう止せ!やめろっ!」

 

 骸と炎に囲まれた場所の真ん中で一人の男が目の前の刀を携えた少年に向かって声を張り上げていた。

 

 「我々は、王家に降服を宣言したっ!もう、戦いは終わったのだぞ!」

 

 宮廷魔術師の証しでもある白いローブを纏った男は必死の形相で後ずさりながら叫ぶ。

 だが、男の前に立つ少年は相変わらず冷めた表情で男の顔を見下ろしていた。

 

 「……まだ終わっていない。お前達を全員消すまで終わることはない」

 

 男を見下ろしたまま少年が静かに言い放つ。

 その言葉に宮廷魔術師の男は絶望する。

 

 「もう十分だろう!?十分殺しただろう!?我々は、もう既に報いを受けたっ!」

 

 懇願するように涙を流して男は少年の足元にすがり付く。

 だが、この言葉が少年の怒りと殺意を静めることはなかった。

 

 「こんなもの、あいつが………ラ・フォリアが受けた痛みに程遠いっ!」

 

 激昂したように刀を振り上げる少年。

 

 「死をもって償え」

 

 冷酷にそう言い放つと、少年は躊躇うことなく刀を降り下ろした。

 グシャッ、と肉が裂ける音と共に泣き喚いていた男は沈黙した。

 

 「……全員葬る。この手で」

 

 血濡れた刀を死体から引き抜くと、少年は次の標的を探して歩き出す。

 

 「……貴様がポリフォニアの造った人造の精霊遣いか」

 

 少年の足を止めたのは女性の声だった。

 この辺り一帯にいる人間は全員殺したと思っていた少年はその声に僅かに驚き、声の主の方向へと顔を向けた。

 そこに立っていたのは、黒いフリルのついたドレスに身を包み日傘をさした少女だった。

 外見から判断すれば少年よりも年下に見えた。

 

 「………誰だ、お前?」

 

 優雅に立つ黒装束の少女に少年は問いかける。

 その問いに対する少女の言葉は短かった。

 

 「貴様の敵だ」

 

 その言葉に対する少年の決断もまた、早かった。

 

 「ならば、殺す」

 

 刀を振りかぶり、少女に向かって駆け出す。

 

 「……やってみろ。小僧」

 

 少女も殺意の籠った視線を少年に向ける。

 次の瞬間、少女の背後に黄金の甲冑を纏った騎士が忽然と現れる。

 

 「やれ〈輪環王〉。殺しても構わん」

 

 少女の言葉で黄金の騎士は動き出す。

 少年も突然現れた黄金の騎士に臆することもなく刀を構えて斬りかかっていく。

 

 

 

 これが、〈聖剣遣い〉九重キリヲと〈空隙の魔女〉南宮那月の出会いだった。

 

 ***

 

 絃神島 人工島西部

 

 太陽の強烈な紫外線が降り注ぐ中、絃神島のメインフロートから僅かに離れた人工島西部の倉庫街に大勢の特区警備隊が集まっていた。

 倉庫街は、事故でもあったかのように付近の建物は倒壊していて、倉庫街のすぐ側にある人工の防風林も攻撃の余波を受けて樹が数本ほど倒れていた。

 

 「……また、随分と派手に暴れたな。これが、噂の〈仮面憑き〉の仕業か?」

 

 倒壊した倉庫の数々に目を向けながら、キリヲは自分の契約相手に問いかける。

 

 「そうだ。昨晩、同じ姿をした二体が潰し合い、その影響でここら一帯の倉庫が全部崩れた」

 

 炎天下にあっても普段と同じ、黒いドレスに身を包んだ魔女ーー那月は、忌々しそうに表情を歪めながら返事をした。

 今回の事件を調査するため、那月は国家攻魔師として現場に来ていた。そして、その助手として連れてきているのが自らが管理している刑務所から引き出してきた囚人二名、キリヲとジリオラだった。

 

 「……犯人は、そこで寝ている子かしら?」

 

 ジリオラが倒壊した倉庫のすぐそばに横たわっている少女に目を向けながら言った。

 少女は白い仮面をつけており、着ている検査着のような服は腹部からの出血で一部が赤黒く染まっていて、特区警備隊の医療班に囲まれて応急措置を受けていた。

 

 「そいつは、片割れだ。そいつと潰し合っていた、もう一匹がまだ捕まっていない」

 「しかも、これで五件目だ。まったく同じ事件が既に四回も起きている」

 

 那月の説明に被せるようにして一人の男が話に割り込んできた。

 彩海学園の制服を着て、首にヘッドホンをかけている男子生徒ーー矢瀬基樹だ。

 

 「……矢瀬?」

 「よう、キリヲ」

 

 普段クラスで会っている矢瀬が現れたことにキリヲが驚いたように目を細める。

 そんなキリヲに那月が補足説明をした。

 

 「貴様には紹介していなかったな。公社が暁を監視するために派遣した監視役だ。貴様らの事情も知っている」

 「………………ただのクラスメイトだと思っていた」

 

 那月の説明に結構本気で驚いていたキリヲだった。

 

 「………演技がうまいな。本気で分からなかったぞ」

 「まあ、それが仕事だからな」

 

 キリヲの称賛の言葉に矢瀬が微笑を浮かべて返事をする。

 

 「それで話を戻しますけど、どうやら一連の事件の犯人は魔族じゃなくて人間だ、て言うのが公社の見解なんですよ、那月ちゃん」

 「教師をちゃん付けで呼ぶな」

 

 自身をちゃん付けで呼ぶ矢瀬の言い草に不機嫌そうに眉をつり上げる那月だった。

 

 「それと、現場に残されていた犯人の片割れの特徴に内臓の欠損がいくつが確認されていて、横隔膜と腎臓の周辺、いわゆる腹腔神経叢《マニプーラチャクラ》がゴッソリもっていかれてます」

 「……喰われたのか」

 

 矢瀬の言葉に那月が不快そうに顔をしかめ、周囲の半壊状態の倉庫に目を向けた。

 

 「ただの人間が空を飛び回って建物を破壊するのか。悪い冗談にしか聞こえん。………まあ、人間でも建物を破壊できそうな奴ならここにもいるがな」

 「……言っとくが、これをやったのは魔義化歩兵じゃないぞ」

 

 自分の顔を見て言ってきた那月にキリヲが反論する。

 

 「なぜ分かる?」

 「魔義化歩兵は、魔族との一対一の戦闘を想定して作られている。吸血鬼戦を想定した対眷獣モデルの兵装でも使わない限り、建造物を短時間で大量に破壊なんてできない」

 

 キリヲは人工皮膚に包まれた自分の右腕を那月に見せながら説明した。

 

 「……その対眷獣の装備が使われた可能性は?」

 「それもあり得ない。もし、対眷獣モデルの魔義化歩兵が戦っていたなら、この程度の被害じゃ済んでいない。ここら一帯吹き飛ばすくらいやっているはずだ。建物を崩す程度の中途半端な威力の兵装は魔義化歩兵には無かった」

 

 キリヲの説明に一先ず納得したのか那月もそれ以上追求してくることはなかった。

 だが、これで再び犯人の目星がつかなくなり振り出しに戻ってしまった。

 那月が面倒くさそうに溜め息をつく。

 

 「まったく、一番面倒くさいタイプだな。………アルディギアでどこかの馬鹿を捕まえた時を思い出すぞ」

 「あの時の続きをここでしたいなら、素直にそう言えよ」

 「……口数の減らない奴め」

 

 挑発的な那月の台詞にキリヲが喧嘩腰に返答する。そんなキリヲに答える那月もどこか好戦的な顔をする。

 

 「まあいい。ここは任せたぞ。貴様らで適当に犯人の手懸かりになりそうなものを探せ」

 

 一方的にそう言い残すと那月は空間転移で姿を消した。

 残されたキリヲとジリオラに矢瀬が苦笑混じりに声をかける。

 

 「面倒な上司の下で働いてるな」

 「……不本意だがな」

 

 キリヲの無愛想な言い草に苦笑いしながら矢瀬も特区警備隊と合流すべく去っていった。

 

 「さて、調べるか」

 

 那月と矢瀬がいなくなった後、キリヲが周囲を見渡しながら呟いた。

 

 「どこから調べるつもり?」

 「それを今から考えーー」

 

 答えようと口を開いたキリヲが不意に言葉を切った。

 ジリオラの方に向き直ったキリヲの視界に、倉庫街のすぐ側にある林に入っていく一人の少女の姿が映ったのだ。

 林に入っていく銀髪の少女の姿が。

 

 「……悪いジリオラ。ここは任せた」

 「はあ?なによ突然ーー」

 

 ジリオラの返事を最後まで聞かずにキリヲは倉庫街の東側、すぐ側に隣接する林に向かって駆け出した。

 

 ***

 

 絃神島 人工島西部 アデラード修道院跡

 

 (………なんで、あいつがここにいるっ!)

 

 倉庫街の各所にいる特区警備隊隊員を避けながらキリヲは倉庫街の外に向かう。

 林の中に入り、木の根を飛び越えて少女が通ったと思わしき道を駆け抜けていく。

 魔義化歩兵の機械の脚を持つキリヲは木の根で足場の悪くなった林道を難なく通り抜けていった。

 林の中にある林道を一分足らずで走破したキリヲが林を抜けた先で見たのは焼け落ちた修道院だった。

 

 「……こんな所に修道院なんてあったのか」

 

 目の前に建つ旧い修道院を数秒ほど眺めた後、キリヲは修道院に入るべく足を進める。

 かなり前に火災で崩れたと思われる修道院は、あちこち崩れていて入るのは難しくなかった。

 

 (これは………動物の臭い?)

 

 修道院の中に踏み込んでキリヲが最初に気になったのがそれだった。

 修道院の内部に獣特有の臭いが充満していたのだ。よく見てみると、床のいたるところに毛が落ちていた。

 修道院の中心、礼拝堂だった部屋に入ってキリヲはその正体を知ることになる。

 

 「……猫か」

 

 礼拝堂のいたるところから猫の鳴き声が聞こえてきた。そして、礼拝堂の奥に彼女はいた。猫達に囲われるようにして立っている彩海学園の中等部の制服に身を包んだ銀髪の少女だ。

 

 「ラ・フォリア……!」

 

 少女の銀色の髪を目にした瞬間、キリヲは我を忘れたようにかつて想いを寄せていた女性の名を呼びながら少女に駆け寄った。

 

 「どうして、お前がここに……」

 

 少女の目の前にまで近寄り、声を荒げた直後だった。すぐ側にまで近寄ったことでより細部まで見えるようになった少女の顔を覗き込み、キリヲは気付いた。

 

 この少女は、彼女じゃない。

 

 そう気付いた瞬間、キリヲは徐々に落ち着きを取り戻していった。

 

 「あの………どちら様、でしたか?」

 

 突然迫ってきたキリヲに怯えた様子で少女が訊ねる。

 

 「ああ……えっと、キリヲだ。九重キリヲ」

 

 我を忘れて自分がかなりデリカシーのないことをしていたことに今さら気付いたキリヲが気まずそうに答える。

 

 「キリヲさん?………なにかご用でしたか?」

 

 可愛らしく少女が首をかしげて訪ねてくる。

 

 「……………すまん。人違いだった。……君が知り合いとよく似てたものだから」

 

 素直に頭を下げて謝る。

 謝罪をした後、キリヲは修道院の中の猫達に目を向けた。

 

 「………これ全部、君が飼ってるのか?」

 

 ここにいる猫の数はかなりのものだ。大雑把に数えてみたが、二十匹以上は普通にいる。

 女子が一人で飼うには、少々多すぎる数だ。

 

 「みんな、行くところがないんです。引き取り手が見つかるまで預かっているだけのつもりだったんですけど……」

 

 足元に擦り寄ってきた猫の頭を撫でながら少女が答える。

 

 「………そうか。優しいんだな」

 

 慈しむような表情を浮かべて猫達に囲まれている少女を見て、キリヲも表情を和らげた。

 そして、少女の足元にいる猫が警戒するようにキリヲに唸っているのを見て、キリヲは修道院を去るべくきびすを返した。

 

 「悪い、邪魔したな。もう行くよ」

 

 そう言って立ち去ろうとしたキリヲに今度は少女が後ろから呼び止めた。

 

 「あ、あの、キリヲさん」

 「ん?」

 

 呼び止められたキリヲが振り返ると、そこでは少女が持っていたハンドバッグから丸い缶詰を取り出しているところだった。

 

 「この子達にご飯あげるの、手伝ってもらえませんか?」

 

 それは、猫の餌だった。

 確かにここにいる猫全部に餌をやるのは結構な重労働だなとキリヲは思い、少女の方に歩み寄っていった。

 

 「分かった、手伝うよ。……さっき、驚かせたお詫びだ」

 

 少女から缶詰を受け取り、手際よく蓋を開けていった。よほど、腹が減っていたのか見慣れないキリヲが出した餌でも猫達は、警戒することなく食べていった。

 

 「……そういえば君、名前は?」

 

 まだ名前も聞いてなかったことを思い出したキリヲが猫に餌をやりながら聞いた。

 

 「夏音です。叶瀬夏音と言います」

 

 少女ーー夏音は、缶の蓋を開けながら答えた。

 

 「夏音か。……いい名前だ」

 

 見た目に反して日本人の名前であったことに少しばかり違和感を感じたが、それを表情には出さずキリヲは微笑んだ。

 

 「あの……キリヲさん」

 

 黙々と猫に餌をやっていると、夏音が遠慮気味に訊ねてきた。

 

 「キリヲさんのお知り合いってわたしに似ているんですよね?……どんな人なのですか?」

 

 夏音の質問にキリヲは数秒ほど考え込む。

 

 「………俺の恩人だ。どうしようもない生き方をしていた俺を普通の人間にしてくれた。一生かけても返せない借りがある、俺が世界で一番敬愛している人だよ」

 

 記憶の中の彼女の顔を思い出しながら、キリヲは言葉を紡いでいった。

 

 「大切な………人だったんですね」

 

 キリヲの言葉に夏音も優しく微笑む。

 

 「……ああ、そうだ」

 

 キリヲも静かに頷くのだった。

 

 「そういえば………叶瀬も彩海学園の生徒なんだな」

 

 夏音の服装を見て改めて気付いたキリヲが問いかけた。

 

 「はい。中等部の三年生でした」

 「暁妹や姫柊と同じか……」

 

 猫の餌の缶を開けながら今度は夏音が訊ね返す。

 

 「キリヲさんも……その服、彩海学園高等部のですよね」

 「ああ、この前転校してきたばっかりだけど」

 

 夏音の問に、この数週間のことを思い出しながら答えるキリヲ。

 

 「……なあ、叶瀬。この猫達の引き取り手とかどうやって探してるんだ?」

 

 目の前の餌を食べている猫を軽く撫でながらキリヲが聞く。

 

 「学校とかで飼える人を探してました。……今度も友達と一緒に探しにいきます」

 

 猫を撫でながら夏音の話を聞いていたキリヲは数秒ほど考えた後、口を開いた。

 

 「……俺も手伝おうか?高等部でも飼える人を探したら結構見つかると思うぞ」

 「いいんですか?」

 「別にいいよ。学校じゃ特にやることないし」

 

 那月の目の届く範囲にいるために学校に通っているキリヲは、学校で特にやることはなかった。

 

 「じゃあ、今度お願いします」

 「ああ、約束だ」

 

 嬉しそうに微笑む夏音にキリヲも笑顔で言う。

 その直後だった。

 

 「仕事をサボって女子中学生と逢い引きか?随分と良いご身分だな?」

 

 一番聞きたくない声が聞こえてきた。

 恐る恐る顔を上げると、そこには予想した通りの人物がいる。

 黒いドレスに身を包んだ魔女、幼い顔に浮かんでいるのは笑顔なのに目が笑ってない。

 

 「仕事もしないでただ飯を食らうクズを世間でなんと言うか知っているか?」

 

 右手に持つ扇子を振り上げる那月。

 

 「穀潰しだ」

 

 降り下ろされた扇子が思いっきりキリヲの脳天に突き刺さる。

 

 「……部下を暴力で従える行為を世間で何て言うか知ってるか?……………パワハラだ」

 

 鋭い痛みを訴える頭を押さえながらキリヲも唸りながら言い返す。

 そんなキリヲを鼻で笑う那月。

 

 「いいから、さっさと仕事に戻れ」

 

 那月が問答無用でキリヲの襟首を掴んで修道院の外に引っ張っていく。

 

 「叶瀬、悪い。また今度な」

 

 突然現れた那月に困惑の表情を浮かべている夏音にキリヲが苦笑いしながら手を振った。

 

 「………………」

 

 修道院の外にまでキリヲを引っ張り出した那月が冷たい眼差しをキリヲに向ける。

 

 「……随分と、あの娘に興味があるみたいだな」

 「……別にそんなことはーー」

 

 反論してくるキリヲの腹を扇子でどついて黙らせる那月。

 

 「あの娘が腹黒王女に似ているからか?」

 「…………」

 

 那月の言葉にキリヲは答えない。

 それに構わず那月は言葉を続ける。

 

 「……九重キリヲ。あの娘を腹黒王女の代わりにするのはやめろ」

 

 その言葉を聞いてキリヲの表情が厳しくなる。

 

 「……代わりになんてしていない」

 

 睨むような視線を向けてくるキリヲに那月は、疲れたように溜め息をつく。

 

 「……あいつは、もう俺とは関係ない」

 

 絞り出すように言うキリヲの頭を那月は、扇子で軽く叩く。

 

 「そんな顔をするくらいなら一度本人に会ってみたらどうだ?」

 

 那月の言葉に力なく首を横に振るキリヲ。

 

 「……あんただって分かってるだろ?俺があいつに会いに行くなんて無理だ。……会わせる顔がない」

 

 弱々しくそう言うキリヲの顔には悔恨の表情が浮かんでいた。

 この時は、まだキリヲも知らなかった。これから起こることを。

 

 かつて守ると誓ったアルディギアの王女のために再び剣をとることになる未来をキリヲは、まだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 都内某所 太史局本部

 

 同じ国家機関である獅子王機関が高神の杜に本部をもうけているように、魔導災害対策を専門にする国家特務機関〈太史局〉も都内に本部を持っている。

 獅子王機関と違うのは、高神の杜のような人目のない田舎にあるのではなく都内の中心に位置していることだろう。

 本部自体は、人目につかないように地下に建造されている。

 

 「〈六刃神官〉妃崎霧葉」

 「はい」

 

 太史局の本部、その最奥部で初老の男が目の前にかしずく黒髪の少女に声を投げ掛ける。

 黒髪の少女ーー霧葉は、頭を下げたまま短く返事をする。

 

 「先の任務、十和田湖に出現した大型水生魔獣〈八岐大蛇〉の討伐、ご苦労だった」

 

 初老の男の称賛を黙って聞き入れる霧葉。

 つい先日まで霧葉は任務で東北に行っていた。湖に出現した大型水生魔獣〈八岐大蛇〉、欧州では〈ヒュドラ〉と呼ばれている八つの頭部を持つ大蛇の討伐任務だった。

 巨大な体躯と致死性の猛毒を持つこの魔獣を太史局は危険度の高いものと判断し、対魔獣のエキスパートである〈六刃神官〉を派遣したのだ。

 霧葉は、派遣されておよそ一週間ほどで〈八岐大蛇〉を討伐。任務を達成して帰投していた。

 同期の〈六刃神官〉の中でもずば抜けた才覚を持っている霧葉は通常なら三週間はかかる大型魔獣の討伐をその三分の一の時間で達成して見せたのだ。

 その事を太史局の上層部は高く評価していて、初老の男も霧葉に惜しみ無い称賛を送ったのだ。

 

 「……さて、本題に入ろうか」

 

 初老の男がそう言うと、彼の手から一羽の白い鳥が飛び立ち霧葉の前に降り立った。

 この鳥は、式神だった。霧葉の手元に来た式神は一枚の紙にその姿を変える。

 

 「そこに記されている男の名に見覚えはあるかな?」

 「…………」

 

 初老の男の問に霧葉は答えない。

 記されていた名前は『九重キリヲ』。つい先日、霧葉も太史局の諜報員を使って個人的に調べていた男の名だった。

 

 「その男は今、極東魔族特区にいる。国家攻魔官南宮那月の管理下でな」

 

 霧葉の返答を待たずに初老の男は話を進める。

 

 「その男は、かつてアルディギア王国で大量虐殺を敢行した重罪人だ。たった一人であのアルディギアを傾けた男だ。……それが今、国家攻魔局の攻魔官の管理下にある。これは由々しき事態だ」

 

 初老の男の言いたいことが何となく霧葉にも察しがついてきた。

 

 「さらに面倒なことに、獅子王機関も魔族特区に出現した第四真祖に手を出している。すでに人員を送り込んで懐柔策に出ているそうだ」

 

 初老の男が疲れたように溜め息をつく。

 

 「一人でアルディギアと戦える重罪人と世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉を国家攻魔局と獅子王機関がそれぞれ手元に置いている。これは、我々太史局には看過できない問題だ」

 

 初老の男が身を乗り出す。

 

 (……要するにパワーバランスの問題ね)

 

 初老の男の話を聞いて霧葉は内心で呆れたように呟いた。

 初老の男が言いたいことは実にシンプルだった。今まで対等だった太史局、国家攻魔局、獅子王機関の三勢力の内、太史局を除く二つの勢力がそれぞれ強力な切り札を手に入れたことが気に食わないのだ。

 確かに組織にとって場を覆す切り札という存在の価値は高い。これを持っているだけで発言権も大きくなるのは間違いないだろう。

 

 「……以前から計画していた〈蛇〉はお使いにならないのでしょうか?」

 

 霧葉は頭を下げたまま進言した。

 だが、初老の男はつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

 「〈レヴィアタン〉は現在、北海帝国付近の海域を潜航している。我々が手を出せるのは、まだ先の話だ」

 

 初老の男が立ち上がり、側に置いてあった黒いアタッシュケースを手に取って霧葉の前まで歩いてくる。

 

 「〈六刃神官〉妃崎霧葉、汝に任務を命ずる。これより極東の魔族特区〈絃神島〉に赴き、九重キリヲ及び〈第四真祖〉を抹殺せよ」

 

 初老の男の言葉が終わると同時に手元のアタッシュケースが開かれる。

 中に入っているのは、先端が音叉のように二つに分かれた槍。

 

 「〈乙型呪装双叉槍〉……」

 

 取り出された長槍を手にして霧葉が感嘆の声を漏らす。

 

 「協力者もいる。絃神島では彼らと協力すると良いだろう」

 

 初老の男が懐から一枚の紙を取り出す。

 そこに書かれていたのは企業の名前だった。 

 『メイガスクラフト』。

 

 「彼らの行っている研究が完成すれば真祖すら殺し得る兵器を生み出すそうだ。彼らを援護して、研究を完成させよ」

 

 言い終わると初老の男は、霧葉に背を向ける。

 

 「行け。目標を排除せよ」

 

 初老の男の言葉に霧葉は、内心で笑みを浮かべる。

 

 (……これは好都合。まさか、こんなに早くチャンスが回ってくるなんてね)

 

 〈乙型呪装双叉槍〉をアタッシュケースに格納する霧葉。

 

 「承りました」

 

 そう言い放つと霧葉は立ち上がり、部屋の外に向けて歩き出す。

 

 「……待っていてね、兄さん。今行くから」

 

 誰にも聞かれることのない霧葉の呟きが虚空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 霧葉の出番を繰り上げることにしました。今回の天使炎上偏から出していきます。
 今回は、敵キャラ強化として叶瀬賢生にオリジナル設定付けるつもりです。


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天使炎上編Ⅱ

 すいません、少し加筆しました。


 六年前 アルディギア王国

 

 「貴方は……誰?」

 

 美しい銀色の銀色の髪の少女が可愛らしく首をかしげながら目の前の少年に訊ねた。

 

 「………………キリヲ」

 

 少女の問に短く返事をする少年。

 野戦服を着ていて、顔は泥や血で汚れているアジア系の顔付きをした少年だった。

 白いドレスを纏った少女とは違い、薄汚く高貴さの欠片もない少年だった。

 

 「キリヲは、どこから来たのですか?」

 

 少女は、この様な人間を見るのは初めてだった。いつも、少女の回りにいるのは綺麗な格好をしていて豪華な生活を送っているような人間ばかりだった。

 その珍しさから、少女は目の前の少年に並みならぬ興味を持っていた。

 

 「……戦王領域」

 

 少女の質問に少年は、またしても短くシンプルに答えた。

 

 「好きな食べ物は?」

 「……特にない。食べれればいい」

 「好きな遊びは?」

 「……遊んだことがない」

 「家族はいるのですか?」

 「……みんな死んだ」

 

 少女は、好奇心に身を任せて気になることを聞いていった。少年は、少女の質問に鬱陶しそうに短く答えていく。

 

 「なにか特技はありますか?」

 

 少女の出したこの質問に少年はすぐには答えなかった。

 数秒ほど口を閉ざして考えるような素振りをする。

 

 「…………敵を倒すこと」

 

 今までの自分の人生を簡単に思い返してみたが、それ以外に自分が何か人の役に立てたことはなかった。

 自分を育ててくれた獣人の男も機械の身体を持つ軍人の女も教えてくれたのは効率的な人の殺し方と目の前の敵を斬り伏せる方法だけだった。

 その事に不満はなかったし、自分にこの技術があって良かったとも思っている。

 この特技があったから今日まで生き残ってこれた。

 

 「敵を倒すこと?……それは、強いということでしょうか?」

 

 少女の問に今度は即答する。

 

 「強い。魔族でも殺せる自信がある」

 

 戦いに強いというのは、少年にとって一つのアイデンティティーだった。自分は戦うことだけを教えてこられた。それ以外のことはできない。

 だが、戦うことに関してだけは同年代の人間の中では誰よりも強いと自信を持って言えた。

 それだけが自分の価値を証明する手段だった。

 

 「凄い!じゃあ、吸血鬼にも勝てるのですか?」

 「勝てる……と思う」

 

 少年の言葉を聞いて少女は目を輝かせていた。その事実が少年に少なくない困惑を与えていた。

 大体の人間は、自分が人殺しが得意だと言うと嫌悪と侮蔑の視線、もしくは哀れみの眼差しを向けてくる。

 そこら辺にいる大人に言えば気持ち悪い奴だと罵られて蹴りの一発くらいは貰うだろう。

 この前会った国際平和維持活動をしていると言っていた大人達は、可哀想にと涙を浮かべてこちらを見ていた。

 誰も肯定しない。されるはずがない特技なのに、目の前の少女は違った。

 自分の特技を聞いて肯定的な表情を浮かべている。

 

 「凄い……。まるで、おとぎ話の勇者様みたい」

 

 少女は少年の全身を上から下までじっくりと見た後に感嘆の声を漏らしていた。

 

 「……気持ち悪いと思わないのか?」

 「どうしてですか?」

 

 恐る恐る聞いた少年に少女が首をかしげながら疑問そうな顔をした。

 

 「強いって素敵なことですよ?弱い人よりずっといいです。強いから大切なものを守れる。強くないと守るために戦うこともできない」

 

 少女は詩を唄うように言葉を紡いでいく。

 

 「誰かを守れるくらい強いって素晴らしいことだと思います」

 

 満面の笑みを浮かべてそう言う少女に少年は、しばらく唖然としていた。

 

 「誰かを守る……」

 

 考えたこともなかった。いつも自分を守るために戦ってきた。殺される前に殺す。相手が大人だろうが自分と同じ子供だろうが、仕掛けてくる前にこっちから仕掛ける。

 他の人間の命なんて考えたこともなかった。

 

 「キリヲには守りたい人がいますか?」

 

 少女の問に今まで会ってきた人達の顔を思い返してみる。

 両親……もうとっくに死んでる。

 妹は、随分前にはぐれてしまった。もし生きているのならば守ってあげたいが、もう会うこともないだろう。

 自分を育ててくれた獣人の男、ガルドシュ。……守ってやるなんて言ったらぶん殴られるだろう。自分と同じ戦いの中に自分の価値を見出だす男だ。

 ついこの間まで一緒に過ごしていたCSAの師匠。……あの人が勝てない相手が出てきたら自分も守るどころの話ではない気がする。

 

 「……いない」

 

 自分の中で出た結論を口にすると目の前の少女は更に顔を輝かせた。

 

 「では、わたしを守る騎士になってください!」

 

 少女は少年の手を取って言う。

 

 「貴方が気に入りました!わたしに仕える騎士になって欲しいんです。わたしは……貴方に守ってもらいたいです」

 

 少女は自分の手が汚れるのも構わずに泥と血で汚れた少年の顔に手を添えながら言った。

 

 この日から、少年は少女を守る騎士になった。

 

 ***

 

 絃神島 彩海学園 中等部

 

 「キリヲさん、本当に助かります。ありがとうございました」

 

 密かに中等部の聖女と崇められている銀色の髪を持つ少女、夏音が猫のエサである缶詰を大量に入れたハンドバッグを持ちながら隣を歩くキリヲに言った。

 

 「気にするな。乗り掛かった船だ」

 

 キリヲは、修道院で交わした夏音との約束を守るべく、猫の貰い手を探しに一緒に中等部に来ていた。

 夏音と同じく缶詰が詰まった鞄を持ちながらキリヲは辺りを見渡す。

 

 「……中等部に来るのは初めてだな」

 

 中学時代も彩海学園で過ごした古城達と違い、最近転校してきたばかりのキリヲにとって中等部の校舎は初めて見るものだった。

 

 「実は他にも手伝ってくれる友達がいるんです」

 

 夏音がそう言った直後、三年生の教室のドアが開き中から一人の女子生とが出てくる。

 

 「あれ、キリヲくん!?」

 「暁妹、久しぶりだな」

 

 教室から出てきたのは古城の妹、暁凪沙だった。この間の黒死皇派の事件以来会っていなかったから少し久しぶりになる。

 

 「暁妹なのか?叶瀬を手伝ってくれる友達って?」

 「はい、そうでした。……お二人は知り合いなのですか?」

 

 夏音の質問に凪沙が大きく頷いて答える。

 

 「うん。古城くんと同じクラスでね、よくうちにご飯とか食べに来るんだ」

 「また今度、お邪魔するよ」

 

 以前、凪沙が振る舞ってくれた料理の味を思い出しながらキリヲは言った。

 

 「ぜひ来てよ」

 

 凪沙も満面の笑みで返事を返した。

 

 「ずっと二人で猫の貰い手を探していたのか?」

 

 キリヲの質問に夏音と凪沙が顔を見合わせる。

 

 「うん、そうだよ。少し前に夏音ちゃんに頼まれてね」

 「凪沙ちゃんには凄く助けてもらいました。でも、中々見つからなくて……」

 

 修道院にいた猫の数を思い返し、キリヲも貰い手探しが上手くいっていないのは何となく察しがついていた。

 

 「あ、そうだ。コレ、受け取ってくれ。力になれるかもしれない」

 

 キリヲはポケットに入れていた一枚の便箋を取り出した。

 

 「何これ?」

 

 手の空いている凪沙が便箋を受け取る。

 

 「ペットが飼えるマンションに住んでいる生徒のリストだ。浅葱に頼んで調べてもらった」

 

 昼休みに頭を下げて頼みに行ったのを思い出しながらキリヲは言った。浅葱も黒死皇派に襲われた時に助けてくれたお礼だと言って快く引き受けてくれた。

 目の前で刀を抜いて戦ったから何か聞いてくると思ったが、浅葱は何も聞かずに普段通りに振る舞ってくれていた。

 ひょっとしたら自分で調べてキリヲと那月の契約についても知っているのかもしれない。

 

 「うわぁ、凄い!キリヲくん助かるよっ!」

 

 感極まった凪沙が興奮した様子でキリヲの首にジャンプしながら抱きついてきた。

 

 「ちょっ、危ないから放れて……」

 

 突然の凪沙のホールドに倒れそうになりながらも何とか踏みとどまる。

 男女の距離としては、ちょっと近すぎる気もするが天真爛漫な凪沙のことだから深い意味はないだろうと、キリヲも溜め息をつく。

 

 「キリヲさん……本当にありがとうございます」

 

 夏音も顔を綻ばせてお礼を言ってきた。

 

 「本当に気にするな。俺がやりたくてやっていることだ」

 

 夏音の頭を撫でながらキリヲも微笑む。

 

 「あっ……」

 

 頭を撫でられた夏音が頬を赤らめて半歩下がった。

 

 「悪い、嫌だったか?」

 

 軽々しく髪に触ってしまったことに少し慌ててキリヲが謝ろうとする。

 

 「……いえ、大丈夫です。全然、嫌じゃないでした」

 

 顔を赤くしたまま夏音が首を振って否定する。

 

 「……………」

 

 その顔を見てキリヲは思った。

 

 やはり、似ている。瓜二つと言っていいほどに彼女と似ている。

 

 そんなことを考えていると、不意に昨日那月に言われた言葉が頭をよぎった。

 

 『あの娘を腹黒王女の代わりにするのはやめろ』

 

 キリヲにそんなつもりはなかった。

 だが、夏音を見ているとどうしても彼女の面影を重ねてしまう自分がいるのにも気付いていた。

 那月の言葉がキリヲの胸にしつこくこびりついていた。

 

 ***

 

 彩海学園 高等部

 

 「もう、本当にいやらしい人なんですから」

 

 夕日の光が差し込む校舎の廊下で雪菜が古城に非難するような眼差しを向けていた。

 

 「いや、だから……それも誤解なんだって……」

 

 古城もいつものごとく言い訳をあれこれ口にしているが雪菜に聞く気は無さそうだった。

 

 「あらぁ、第四真祖に剣巫じゃない。相変わらず仲がいいわね」

 

 もはや恒例となっている古城と雪菜の様子に通りかかったジリオラが微笑ましそうに言う。ちなみに今日のジリオラは女教師らしくスーツ姿だ。

 

 「あっ、ジリオラ先生。聞いてくださいよ、先輩がまたいやらしいことしたんですよ。藍羽先輩と二人っきりで美術室に籠ってウェイトレスの格好させてたんですよ!」

 「あら大変ねぇ。………前から思ってたんだけど、どうして剣巫は第四真祖の行動をそんなに詳しく知っているのかしら?」

 

 頬を膨らませて言い寄ってくる雪菜をジリオラはやんわりと受け流しながら訊ね返す。

 

 「先輩の監視役ですから。式神を通して二十四時間監視しています」

 

 その問に胸を張って答える雪菜。

 

 「へ、へぇ……」

 

 ジリオラがひきつった表情を浮かべて三歩ほど雪菜から下がる。

 

 「……第四真祖。余計なお世話かも知れないけど、あんまり優柔不断なことしない方がいいわよ。この子、思い詰めて後ろから刺してくるタイプだから」

 「……気を付けます」

 

 古城も同意するように頷く。

 

 「それどういう意味ですかっ!?」

 

 二人からかなり失礼なことを言われている気がした雪菜が顔を赤くする。

 

 「……なあ、ジリオラ先生。聞きたいことがあるんだ」

 

 顔を赤くして怒る雪菜から一旦目を放して古城はジリオラに向きなおる。

 

 「今更の話になるけど………吸血鬼から人間に戻る方法ってないのか?」

 

 真剣な面持ちの古城をジリオラは数秒ほど見つめる。

 

 「……わたしの知る限り存在しないわねぇ。ただ……」

 

 一度は首を横に振ったジリオラだが、そのまま言葉を続ける。

 

 「〈闇誓書〉って呼ばれる魔導書の噂を聞いたことがあるわ。もし、噂通りの能力をあの書が持っているならあるいは……」

 「〈闇誓書〉?それは一体どんな……!?」

 

 ジリオラの話したことに興奮気味に反応する古城。

 

 「………世界の法則そのものを創り変える力だそうよ」

 

 夕日が差し込む窓に目を向けながらジリオラが静かに答えた。

 

 「世界の法則そのもの……」

 「……もっとも、その〈闇誓書〉はとっくの昔に燃やされていて、使おうとした魔女は檻に閉じ込められたそうだけどね」

 

 監獄結界にいた頃の日々を思い返しながらジリオラが呟いた。

 

 「……突然、どうしたの?人間に戻りたいだなんて」

 「いや、今日浅葱に聞かれて。何か隠してるんじゃないかって……」

 

 疲れたように言う古城に雪菜が気遣うように歩み寄る。

 

 「浅葱に話したら凪沙にもばれるかもしれない。そうしたら……」

 「先輩……」

 

 雪菜も黒死皇派が攻めてきた時の凪沙の取り乱した様子を思い出して暗い表情をする。

 

 「……なるほどねぇ。でも、藍羽さんなら大丈夫じゃない?話したらきっと理解してくれるわよ」

 

 ジリオラも気遣うようにそう言う。

 

 「あの子、わたしやキリヲのことにも気付いているみたいだったし……」

 「えっ!?そうなのか?」

 

 ジリオラの言葉に古城が驚いたように反応する。

 

 「……はい、藍羽先輩は自分で調べて知ったと言っていました。……ジリオラ先生も藍羽先輩に知られたことに気付いていたんですね」

 

 雪菜がそう言うとジリオラは力なく笑った。

 

 「あれだけ避けられればね。……それに何度か探りを入れるような質問もされたし」

 

 自嘲気味にそう言ってから口を開くジリオラ。

 

 「だから、正直に話してみるのもいいんじゃない?」

 

 その言葉で少し気が楽になったのか表情を和らげる古城。だが、やはりまだ迷っているようで頭を抱えながら窓際まで歩いていく。

 

 「でも、もし凪沙に知られたりしたらなぁ………………凪沙?」

 

 窓から外の景色を見ながら唸っていた古城が不意に言葉を切って反対側の中等部の校舎に目を向けた。

 高等部と中等部の校舎は距離が近く、ここからでも向こう側の校舎の中が窓を通して見えた。

 

 「凪沙ちゃんですね。あ、九重先輩と夏音ちゃんも一緒です」

 

 雪菜の言う夏音ちゃんが誰か分からなかったが取り合えず質問は後にする古城だった。

 

 「……あいつら何してるんだ」

 「あっ、九重先輩が凪沙ちゃんに手紙を渡してますね。なんでしょうか、あの手紙?」

 

 普段あまり見ない組み合わせに古城が訝しげな表情をしていた。

 窓の向こうではキリヲと凪沙が楽しそうに歓談している様子が見えた。

 そのキリヲが手紙を凪沙に手渡した直後だった。

 

 「なっ!?なに、抱きついてんだあいつ!?」

 

 凪沙が満面の笑顔を浮かべてキリヲの首に抱きついたのだ。 

 

 「あらぁ、キリヲの奴何やってるのかしら?」

 

 ジリオラも面白そうなものを見る目で中等部の校舎に視線を向ける。

 

 「……ひょっとしてさっきの手紙、ラブレターだったりして」

 

 茶化すようなジリオラの言葉に古城の顔面が一気に青ざめる。

 

 「な、なに言ってんだ。凪沙にラブレター渡す男なんているわけ……」

 「いえ、凪沙ちゃんモテますよ?明るいし、元気だし話しかけやすいし……モテない理由がないと思うんですけど」

 

 震える声で否定する古城に雪菜が気まずそうに声をかける。

 

 「で、でもキリヲにはジリオラ先生がいるし……」

 

 自分の方を見る真っ青な顔の古城にジリオラは思わず笑ってしまった。

 

 「別にわたしとキリヲは何でもないわよ?」

 

 ジリオラの言葉を必死に否定しようと首を横に振る古城。

 

 「この前は、血を吸わせてたんじゃ………?」

 「あれはただの魔力補給よ。文字通りのギブアンドテイクなのだけれど」

 

 ジリオラの言葉に更なるショックを受けたようにうち震える古城。

 

 「これは、本当に九重先輩と凪沙ちゃんが……」

 

 顎に手を当てて考える仕草をする雪菜。

 

 「う、嘘だろ……」

 

 友人だと思っていたキリヲと妹の凪沙のただならぬ関係(まだ推定)に古城は震える声でそう呟くのだった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 絃神島 メイガスクラフト本社

 

 主に産業用オートマタを製造していることで知られている起業〈メイガスクラフト〉。

 絃神島に設置されている本社の社内に二人の人影があった。

 

 「あーもう、怠いわぁ」

 

 長い金髪を背中に流した女が椅子に腰掛けながら盛大に溜め息をついていた。

 目の光彩が赤いことと唇から覗く牙から彼女が吸血鬼だというのが見てとれた。

 

 「せっかく、アルディギアの飛空挺を襲ったのに肝心のメス豚に逃げられたら意味ないじゃないの」

 

 忌々しそうに表情を歪めながら机をガンッと蹴る女吸血鬼。

 そんな彼女に向かいに座る男がなだめるように声をかける。

 

 「まあ、落ち着けよBB。脱出先は見当がついてるんだ。今は〈金魚鉢〉にいるんだぞ?むしろラッキーだろ」

 

 男の話を聞いて徐々に怒りを治めて冷静さを取り戻していく女吸血鬼ーーBB、本名ベアトリス・バスラーだった。

 

 「でも、チンタラやってたら他の連中に気付かれるでしょうが。空隙の魔女に感ずかれたらそれこそ終わりよ?」

 

 再び金切り声を上げだすベアトリスを男がまたなだめようと口を開く。

 

 「そのための用心棒だろ」

 「例の太史局?」

 

 ベアトリスの言葉に大きく男は頷いた。

 

 「……もう、到着してるぜ」

 「はあ?それを先に言いなさいよ。今はどこにいるの?」

 

 ベアトリスがそう言った瞬間だった。

 コツンッ、と背後で靴が床を叩く音が聞こえた。

 音が耳に入った瞬間、ベアトリスは椅子から立ち上がり背後に向かって手刀を振り抜いていた。

 鋭い爪を持つ指先が吸血鬼の筋力によって凄まじい速度で振り抜かれる。

 

 「……っ」

 

 ベアトリスの背後に立っていた人影は手刀を避けるように後方に宙返りをして跳んだ。

 

 「……あんたが太史局が送ってきた用心棒?」

 

 背後に立っていた人影を目視で確認したベアトリスが、その異様な出で立ちに怪訝そうに顔をしかめた。

 

 「………」

 

 そこに立っていたのは、一人の少女。背丈から見て高校生。黒いセーラー服を纏って長い黒髪を背中に流していた。

 背中にはカメラ用のケースが背負われている。

 そして、何より異様なのが顔につけている仮面だった。

 白い狐の仮面。

 

 「一人だけ?」

 

 ベアトリスの問に少女が静かに答える。

 

 「……ええ、そうよ。なにか問題があるかしら?」

 

 少女の返答にベアトリスが声を荒げる。

 

 「ちょっと、こっちは見返りに研究成果の半分を太史局に開示するのよ?なのに、向こうが差し出すのは乳臭いガキ一人ってどういうことよ!?」

 

 激昂したように怒鳴り散らすベアトリスに男が苦笑いを浮かべる。

 

 「………乳臭いガキかどうか自分で確かめたらいかが?」

 

 仮面の少女も挑発するようにベアトリスに言う。

 

 「はあ?なに言ってんのよーー」

 

 ベアトリスが返事をする前に少女は動いていた。

 

 「……ハッ!」

 

 目にも留まらぬ速さで肉薄し、ベアトリスに向かって掌底を打ち出す。

 

 「若雷」

 

 呪力を纏った掌が猛スピードで放たれ、ベアトリスの鼻先、顔に当たる直前で寸止めされていた。

 

 「あんたねーー」

 

 ベアトリスが口を開いた瞬間、再び少女が動き出した。ベアトリスの視界から少女の姿が消え失せる。

 

 「なっ!?」

 「鳴雷」

 

 一瞬でベアトリスの背後に回った少女は、呪力を纏った手刀を今度はベアトリスの首に当たる直前で止める。

 

 「……今ので二度死んだわね」

 

 首に手刀を突きつけられて動けなくなったベアトリスに少女が冷たく言う。

 

 「ヒューッ」

 

 一連のやりとりを見ていた男が感心したように口笛を吹いた。

 

 「悪くないんじゃないか?これだけ強ければ安心だろ」

 

 男がそう言ったのを聞き、少女はベアトリスの首から手をどかした。

 

 「……あんた、名前は?」

 

 ベアトリスが冷や汗を流しながら問う。

 狐の仮面を被った少女は、静かに答えた。

 

 「太史局〈六刃神官〉……妃崎霧葉よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 




 一応書いておきますけど、凪沙がヒロインになる予定はありません。



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天使炎上編Ⅲ

 早くラ・フォリア出したい……。


 

 

 彩海学園 中等部

 

 キリヲと凪沙の衝撃的な光景を古城が目にしたその翌日、古城は授業が終わると同時に凪沙のいる教室の近くに来ていた。

 

 「じゃあねー!」

 

 級友に元気よく挨拶した凪沙が教室から出てきて、屋上へと続く階段を駆け上がっていった。

 その後を追おうと動き出す古城。

 

 「……何してるんですか先輩?」

 「うおっ!?姫柊!?」

 

 凪沙を追おうとした古城の前に雪菜が立ち塞がってあきれたような視線を向けてきていた。

 

 「いや……ほら、その……心配だろ?凪沙が」

 

 挙動不審な動きをしながら言い訳をする古城に雪菜が疲れたように溜め息をつく。

 

 「はあ………先輩って以外とシス……いえ、何でもありません。分かりました、凪沙ちゃんを追いかけましょう」

 「姫柊も来るのか?」

 

 てっきり止められるものだと思っていた古城は、意外そうな顔をした。

 

 「わたしは、先輩の監視役ですから。……それに先輩一人で行かせた方が面倒なことになりそうですし」

 

 そう言うと雪菜は階段を登り始め、屋上へと向かっていった。

 その後を古城もついていく。

 階段を登り終え、屋上に繋がっているドアの前で二人は立ち止まる。

 ドア越しに屋上からの声が聞こえてきたからだ。

 声の主は、キリヲと凪沙だった。

 妙に甘ったるくも聞こえる二人の声に古城と雪菜は耳を傾けた。

 

 『おっと、暴れるな。……騒ぐなって、頼むから』

 『もう、ダメだってば。そんなに強く抱かないでよ』

 『すまん、こういのに慣れてなくて。……凄い柔らかいな。いい触り心地だ』

 『あっ……くすぐったいよ』

 『あんまり大きな声出すと誰か来るぞ?』

 『分かってるけど……そんな風に舐められたら………あっ、痛っ』

 

 そこが我慢の限界だった。

 聞いていられなくなった古城が勢いよくドアを蹴破って屋上に突入する。

 

 「離れろゴラァ!」

 「ちょっ!?先輩っ!?」

 

 すかさず止めに入る雪菜を振り切って古城は猛スピードで前に出る。

 声を荒げて飛び出した古城は、そのまま勢いをつけて地面を蹴り、飛び蹴りの体勢に入った。

 

 「キリヲ!てめぇ誰に手ェ出したか分かってんだろうなぁ!?」

 

 吸血鬼の筋力でかなりのスピードを出してキリヲに突っ込んでいく古城。

 だがーー。

 

 「おっと、危ね」

 

 あんなに大声出して飛びかかってくれば当然キリヲは気付く。跳んできた古城を必要最小限の動きで回避する。

 目標を失った古城は、そのまま真っ直ぐ飛んでいって屋上を囲むフェンスに激突してようやく止まった。

 

 「……………何やってるんだ、古城?」

 

 フェンスにぶつかってひっくり返っている古城にキリヲが唖然としながら声をかける。

 

 「……っ、何ってお前が凪沙に妙なことをーー」

 

 古城が起き上がり、再びキリヲに先程の凪沙との行為を問いただそうと声を荒げようとして止まった。

 

 「ニャー」

 

 キリヲの腕に抱かれている猫が可愛らしく鳴いた。

 その横では凪沙も猫を抱き締めている。

 抱いている猫の肉球を指でプニプニと揉みながらキリヲが口を開く。

 

 「俺と暁妹がどうかしたか?」

 「あ、あれ?猫?」

 

 てっきりキリヲと凪沙が人目を避けて口には出せないような行為に及んでいると思い込んでいた古城は、予想外の光景に困惑し、何度も瞬きをしていた。

 

 「ちょっと古城くん!?中等部の校舎で一体なにやってるの!?」

 

 突然大声を出して乱入してきた古城に凪沙が目をつり上げて声を張り上げる。

 

 「そ、それはお前が昨日キリヲからラブレターを……」

 「はあ!?ラブレター!?なんの話してるの!?」

 

 古城の口から出た言葉に凪沙が更に声を大きくする。

 

 「……ひょっとして、これのことじゃないか?」

 

 古城と凪沙のやり取りを見ていたキリヲが一枚の便箋を持って二人の間に入る。

 

 「あっ!それだっ!」

 「……これ、猫を飼える生徒のリストだぞ?」

 

 呆れたように言うキリヲ。

 

 「あと、凪沙!お前、キリヲに抱きついてたりもしたろ!?」

 「なっ!?覗いてたの!?信じらんない!別に深い意味とかないんだけど!?」

 

 古城の台詞で怒りのメーターが振り切れる凪沙。

 

 「……まあ、古城が心配しているようなことはないから安心してくれ」

 

 これ以上何か言っても状況がややこしくなるだけだと判断したキリヲが古城の肩に手を置きながら言った。

 その言葉に古城は、相変わらず不機嫌そうな表情を浮かべているがとりあえずは納得したようだった。

 

 「……それで、結局この猫達は?拾ってきたのか?」

 「わたしじゃないよ。夏音ちゃんが拾ってきたの」

 

 古城の疑問に凪沙が答えた。

 

 「夏音ちゃん、というのは?」

 「あっ、わたしでした」

 

 今まで屋上の隅で待機していた銀髪の女子生徒が前に歩み出てくる。

 

 「叶瀬夏音です。わたしのせいで変な誤解が生まれちゃいましたね。ごめんなさいでした」

 

 中等部の男子達に密かに聖女と崇められている夏音の容姿を前に古城もしばらく見とれてしまうのだった。

 

 ***

 

 彩海学園 執務室

 

 「教官。新しい紅茶が入りました」

 

 豪華な造りの部屋の中に、メイド服に身を包んだ藍色の髪の人工生命体の少女がティーカップの載ったトレイを持って入ってきた。

 

 「ん。ご苦労だったなアスタルテ」

 

 執務室の主であるドレス姿の魔女ーー那月は、紅茶を運んできたアスタルテに労いの言葉をかけると優雅な手つきでカップを取り、口に運んでいった。

 

 「また腕を上げたんじゃないか?」

 

 淹れられた紅茶の味を堪能した那月が機嫌良さそうにアスタルテに誉め言葉を送る。

 その直後だった。

 

 ジリリリリッ。

 

 執務室の机の上に置いてあった電話が着信を知らせてきた。

 午後の優雅なお茶の一時を邪魔された那月が少し機嫌を悪くしたように顔をしかめながら受話器を取った。

 

 『もしもし、那月?』

 「……ポリフォニアか。久しいな」

 

 声だけで通話の相手を識別した那月が無愛想にそう言った。

 通話の相手は、ポリフォニア・リハヴァイン。

 北欧アルディギア王国の現王妃だ。

 

 「何の用だ?」

 『相変わらず愛嬌がないですね』

 

 不機嫌そうに喋る那月に受話器の向こうから苦笑するような声が聞こえてきた。

 

 『我が国の飛空挺〈ランヴァルド〉は、もうそちらに着いてるかしら?』

 

 ポリフォニアの言葉に那月は、怪訝そうに眉をひそめた。

 

 「飛空挺?そんな話は聞いてないぞ」

 

 那月の言葉にまたしてもポリフォニアの苦笑する声が聞こえてきた。

 

 『ええ、そうでしょうね。非公式の話ですもの』

 「非公式か……だったら、こちらが知っているはずもないだろ。何かあったのか?」

 

 そう言われるとポリフォニアは、疲れたように溜め息を漏らした。

 

 『どうやら、トラブルが発生したみたいです。昨日より通信が途絶。位置情報も極東魔族特区近海で消失しています』

 「……そうか、そいつは災難だったな。だが、非公式なら我々は関与するつもりはない。そちらで勝手に探すんだな」

 

 那月は冷たく言い放つが電話の向こうでポリフォニアが動揺する気配はなかった。

 

 『……飛空挺に搭乗していたのがうちの愛娘だったとしても?』

 「………………」

 

 ポリフォニアの言葉に那月は口を閉ざした。

 

 『貴女が飼っている〈聖剣遣い〉がこの情報を知ったら、少し不味いことになるのではありませんか?』

 

 ポリフォニアがそう言うと那月は、思わず舌打ちをした。

 ポリフォニアの愛娘、つまりアルディギアの王女と言われれば那月の頭に浮かぶ顔は一つしかな。

 もし、あの女が何か良からぬことに巻き込まれているとあの小僧が知ったら……。

 

 「くそ……」

 

 最悪の光景が頭に浮かび、那月は悪態をついた。

 

 「……分かった。こちらでも、捜索する」

 『助かりますわ』

 「……用件はそれだけか?」

 

 早く電話を切りたい衝動にかられるが、続くポリフォニアの言葉がそれを許さなかった。

 

 『もう一つだけ。叶瀬賢生と言う名の男をご存知かしら?元うちの宮廷魔術師で今は民間企業の〈メイガスクラフト〉の技術顧問を担っている男です』

 「……知らんな。そいつがどうかしたのか?」

 

 頭の中にある犯罪者、重要人物のリストに該当する名前ではなかったのを確認した那月が訊ね返す。

 

 『実は、五年前に彼が王宮を去る時に我が国の機密情報を持ち出していたことが最近明らかになったのです』

 

 那月は、黙ってポリフォニアの話を聞いていた。

 

 『彼が今いるのは極東魔族特区〈絃神島〉』

 「……それで、その男を我々に捕らえろと?それこそ、そっちの不手際だ。自分の尻拭いくらい自分でしたらどうだ?」

 

 挑発的に那月がそう言うが、やはりポリフォニアは焦る様子もなく言葉を続けた。

 

 『……彼が持ち出した機密が何か気になりませんか?』

 「……………」

 

 ポリフォニアの問に那月は答えない。だが、ポリフォニアは構わずに話を続ける。

 

 『彼が持ち出したのは、我が国の軍事計画の詳細。……二年前に破棄された、あの計画です』

 

 ポリフォニアの口からその言葉が出た瞬間、那月はガタンと音を立てて椅子から立ち上がっていた。

 

 「……………馬鹿な。あれは完全に凍結されたはずだぞ」

 『ええ、その通りです。莫大なコスト、大きすぎるリスク、倫理的な問題など様々な理由であの計画は危険視されてきました。……そして二年前、最悪の失敗作を生み出してしまったことであの計画は永久に封印されたのです』

 

 那月の脳裏に蘇るのは血と炎で真っ赤に染まる王都の姿。

 計画が生み出した最悪の欠陥兵器を自らの手で捕らえたあの日の光景。

 

 『しかし計画が凍結される前、五年前の段階で彼は当時の計画の研究データを持ち出していたのです。……試作型の小型精霊炉と共に』

 「最悪だな……」

 

 珍しく焦りの表情を那月が浮かべていた。

 

 「………その男もこちらで探す」

 『お願いします、南宮那月。あの計画を……』

 

 受話器の向こうでポリフォニアも真剣な声音で言葉を紡いでいく。

 

 『……………〈メビウス〉を止めてください』

 

 ***

 

 彩海学園

 

 屋上での騒ぎがあった翌日、古城と雪菜は勘違いで一騒ぎ起こしてしまったお詫びとして夏音の手伝いをしに来ていた。

 キリヲも変わらずに来ていて、チア部に行ってる凪沙を除いた四人で猫の貰い手探しをしていたのだ。

 

 「じゃあ、頼んだぞ」

 「うん、任せてね」

 

 古城がクラスの女子生徒に猫を手渡すと、女子生徒は猫を抱えてこの場を後にしていった。

 

 「今ので最後か……やっと終わったな」

 

 古城が猫を女子生徒に渡すのを見てキリヲも少し疲れた様子でそう言った。

 

 「はい、あとはさっき拾ってきたこの子で最後ですから、わたし一人でも大丈夫です」

 「さっき?また、拾ってきたのか……」

 

 夏音の腕に抱かれている茶色い毛並みの子猫を見て古城も疲れたように溜め息をつく。

 

 「先輩!嫌そうな顔しないでください。猫が可愛そうじゃないですか」

 

 心底面倒くさそうな顔をしていた古城に雪菜が起こったように頬を膨らませていた。

 

 「はいはい……」

 「なんですか、その返事は!?もっとやる気出してください!」

 

 そんな感じでいつものように言い合いを始めた二人に夏音が微笑ましそうに視線を送っていた。

 

 「二人とも本当に仲が良いんですね……………あ、そうだ。キリヲさん、これこの前落としてましたよ」

 

 古城と雪菜を眺めていた夏音が思い出したようにポケットから小さな一枚の写真を取り出した。

 それは、キリヲの数少ない所持品の一つだった。一枚の写真、キリヲがいつも御守り代わりに持ち歩いているものだ。恐らく、この前修道院で那月に引きずられた時に落としたのだろう。

 

 「………キリヲさんが、わたしに似ているって言ってた女の人ってこの人ですか?」

 

 夏音が写真に写っていた女を指差して訪ねてきた。

 

 「いや、違うよ。………ていうか、全然似てないだろ」

 

 写真に写っているのは野戦服を着た幼いキリヲとその隣に立つ同じく野戦服に身を包んだ長身の白人女性だった。

 女性の顔付きは細く、目付きも鋭い。整っていて美しくもあったが、それ以上に怖そうと思うのが普通だろう。

 可愛らしい顔の夏音とは、あまり似ているとは言えなかった。

 

 「この人は………まあ、俺の師匠なんだ」

 「師匠さん…………ですか?」

 

 可愛らしく首をかしげる夏音。

 

 「………ああ、生きる理由も分からなくて一人泣いていた俺を一から鍛え直してくれた人だよ」

 

 過ぎ去ったかつての日々を思い出してキリヲは苦笑いした。

 

 「良い人………だったんですね」

 「いや、良い人ではなかったな。うん、絶対良い人なんかじゃなかった」

 

 自分の命を何度も救ってくれたが、それ以上の回数、ぶん殴ってきた彼女を思い出し、今度は苦々しい表情を浮かべるキリヲ。

 キリヲが浮かべる微妙な表情から、複雑な関係を築いていたと察した夏音は、それ以上は聞いてこなかった。

 その時だった。

 

 「ここにいたか、九重キリヲ。………暁古城も一緒のようだな」

 

 黒いフリルの付いたドレスを纏った那月が不機嫌そうな表情を浮かべてこちらに歩み寄ってきていた。

 側にいる雪菜と夏音には目もくれずにキリヲの元へと一直線に歩いてきた。

 その表情から、よほど面白くないことがあったと察したキリヲは、軽口を叩こうとした口を閉ざして自らの契約相手が用件を言うのを待った。

 やがて、キリヲの前で立ち止まった那月が側に古城がいるのを確認するとゆっくりと口を開いた。

 

 「九重キリヲ、暁古城。貴様ら二人、今夜わたしに付き合え」

 

 あまり楽しくなさそうなデートのお誘いだった。

 

 

 

 

 ***

 

 人工島西部 夜

 

 「……なあ、確か攻魔官の仕事を手伝うって話じゃなかったか?」

 

 人工島西部に乱立するビルの一つ、その屋上で古城が目の前の浴衣姿の那月に呆れたような視線を向けていた。

 

 「……なら、その格好はなんだよ。人をこんなところで二時間も待たせて」

 「この近くの商店街で祭りをやっていてな。アスタルテにも夜店を堪能させてやろうと思ってな」

 

 悪びれる様子もなく、那月はアスタルテに視線を向けていたそう言った。

 アスタルテも那月と同じように浴衣姿だ。

 その隣には、菫色の浴衣を着たジリオラの姿もある。

 

 「……で、お前もお祭りをエンジョイしてきたと?」

 

 古城の隣に立っていたキリヲがジリオラに非難の視線を向けるが当人はまったく堪えている様子がない。

 

 「日本のお祭りって結構楽しいわね」

 

 浴衣姿で嬉しそうに手に持っているリンゴ飴やら水ヨーヨーやらを掲げるジリオラに二時間待たされた身としては文句の一つも言いたくなる。

 

 「それに日本の民族衣装も結構素敵ね」

 「………まあ、いつものお前より全然いいよ」

 

 いつもの下着の上にコートを羽織っただけの露出過多の格好ではなく、肌の大半を隠している浴衣姿を見て疲れたように呟くキリヲだった。

 

 「あら?貴方が誉めてくれるなんて珍しいわね。……ひょっとして口説いてるの?」

 「いつものお前の格好が酷過ぎるだけだ」

 

 茶化すように言ってくるジリオラだが、キリヲは完全スルーだった。

 

 「……そんなことより、何で貴様がここにいる。転校生?」

 

 今まで古城の後ろに控えていた雪菜に那月が冷たい視線を向けていた。

 

 「わたしは〈第四真祖〉の監視役ですから」

 「ほう?監視には浴衣が必要なのか?」

 「こ、これはお祭りの話を聞いた凪沙ちゃんが無理矢理………」

 

 那月の言葉に浴衣姿にギターケースと言う少々ミスマッチな格好をした雪菜が慌てて言い訳をしていた。

 

 「……まあいい、そんなことより〈仮面憑き〉の情報は送った資料で見たな?」

 

 那月がそう言うと古城と雪菜は頷いて、向かいのビルに目を向ける。

 窓ガラスは全て割れ、所々高熱を浴びたかのように溶解している部分もあった。

 

 「あれが〈仮面憑き〉の攻撃を受けたビルですよね?……魔術や召喚術であれだけの破壊が引き起こされたならわたしも気付くはずなんですけど」

 「……姫柊でも感知できなかったのか」

 「九重先輩も分からなかったんですか?」

 

 キリヲの言葉に雪菜が驚いたような口調で声を上げた。

 

 「俺だけじゃない。南宮那月も気付かなかった」

 

 キリヲの言葉に雪菜も深刻そうな表情で息を呑む。

 

 「どんな術を使うか見当もつかんが…………まあ、本人に聞けば済む話だ。来たぞ」

 

 那月が視線を向けた方角に火花を散らしながら互いに激突し合う光が見えた。

 

 「思ったより早かったな。アスタルテ、公社の連中に花火の時間だと伝えろ」

 「命令受諾」

 

 那月の指示を受けたアスタルテが無線機を使ってそれを伝達する。

 その数秒後、周囲のビルから一斉に花火が打ち上げられ、夜空に光と轟音をばらまいた。

 

 「……いい目眩ましだ」

 「花火が続くのは十分だ。それまでにかたをつける。……跳ぶぞ」

 

 キリヲに無愛想に指示を出した那月が空間転移魔術を行使すると、その場にいた全員の体が一瞬の浮遊感と共に光がぶつかっている付近の鉄塔に移動していた。

 

 「……なんだありゃ?」

 

 側まで来たことによって〈仮面憑き〉の姿がハッキリと見てとれるようになった。

 検査着のような服を着ていて、顔を覆っているのは白いシンプルな造りの仮面。背中からは光を放つ羽が生えていて、その羽から光で構成された剣のようなものを辺りに撃ち出していた。

 

 「あんな術式、わたしは知らんぞ!」

 

 言いながら那月は虚空から銀の鎖を呼び出し、二体の〈仮面憑き〉に向けて放った。

 狙い違わず鎖は二体の〈仮面憑き〉を縛り上げる。

 

 「一気に仕留める。九重キリヲ!剣巫!」

 

 那月の言葉が終わると同時にキリヲは竹刀袋から刀を抜き、雪菜はギターケースから槍を取り出す。戦闘態勢を整えた二人が〈仮面憑き〉を拘束している鎖の上を駆け上がっていく。

 

 「〈雪霞狼〉!」

 「〈フラガラッハ〉!」

 

 白銀の刃が二つの軌跡を宙に描いて〈仮面憑き〉に迫る。

 しかしーー。

 

 「なっ!?」

 「……っ!?」

 

 二つの刃が〈仮面憑き〉を傷つけることはなかった。

 見えない壁にぶつかったかのように甲高い音を立てて弾かれる。

 さらに。

 

 「……〈戒めの鎖〉を断ち切っただと!?」

 

 拘束していた鎖を〈仮面憑き〉達に破られ、那月が驚愕に目を見開いた。

 

 「〈毒針たち〉!」

 

 浴衣の袖から覗くジリオラの腕から血霧が噴出し、空中で無数の蜂に姿を変える。

 

 「疾く在れ〈双角の深緋〉!」

 

 ジリオラに続くように眷獣を召喚する古城。蜂の群れと緋色の双角獣が〈仮面憑き〉目掛けて殺到する。

 だが、またしても〈仮面憑き〉にダメージを負わせることはできなかった。

 まるで、すり抜けるかのように眷獣の攻撃は〈仮面憑き〉に影響を及ぼさなかったのだ。

 

 「そんな……」

 

 こちらの攻撃を全て凌ぎきった〈仮面憑き〉を見て雪菜が絶句する。

 

 「まさか、こいつら……」

 

 キリヲがそう呟いた直後だった。

 攻撃を受けた〈仮面憑き〉の片割れが古城達のいる鉄塔目掛けて無数の光の剣を翼から撃ち放ったのだ。

 

 「不味い!」

 

 〈仮面憑き〉の攻撃を受けて大きく鉄塔が揺れると那月は、空間転移でその場から姿を消した。

 その間にも〈仮面憑き〉の攻撃は続く。

 光の剣の乱射に耐えられなくなった鉄塔が轟音を立てて傾き始める。

 だが、鉄塔は完全に倒壊する前に空中で動きを止めた。鉄塔の周囲に現れた無数の銀鎖が鉄塔を縛って支えたのだ。

 

 「南宮那月か……!?」

 

 たった一人で数十トンの鉄塔を、一人で支える那月にキリヲが驚いたように目を見開く。

 

 「くそっ、疾く在れ〈獅子のーー」

 「ダメだっ!ジリオラ、古城を下がらせろ!魔族がアレを食らったら一発で終わりだ!」

 

 眷獣を再び召喚しようとする古城を遮ってキリヲが叫ぶ。

 

 「……っ!」

 

 キリヲの指示を聞いたジリオラがすぐさま霧化して飛んでいき、古城を掴まえて鉄塔の隣にあるビルにまで待避する。

 

 「………………」

 

 目の前から攻撃対象が三人も消えたことで、〈仮面憑き〉も一旦攻撃の手を止めた。

 そのまま空中に滞空した状態で、〈仮面憑き〉が視線をキリヲに向ける。

 キリヲも刀を構えたまま、〈仮面憑き〉を睨み返す。

 

 「………………お前、誰に造られた?」

 「……………」

 

 キリヲが〈仮面憑き〉の目を睨んだまま訊ねる。だが、〈仮面憑き〉は答えない。無言で宙に浮かび、キリヲを見つめている。

 その次の瞬間。

 

 グサッ。

 

 キリヲの目の前で滞空していた〈仮面憑き〉が上から降ってきた光の剣に背中を貫かれた。

 撃ったのは、今まで戦闘に参加せずに上空で待機していたもう一体の〈仮面憑き〉。

 貫かれた〈仮面憑き〉は力尽きたように地上目掛けて落下していく。

 

 「ーーおいっ!」

 

 突然の事態にキリヲが思わず声を上げるが、片割れを撃墜した〈仮面憑き〉は止まらない。

 落下していった片割れ目掛けて降下していき、勢いに任せて手刀を突き立てる。

 

 「……っ!!」

 

 叩き落とされた片割れも一方的にやられているわけではなかった。状況を打破すべく、自分に馬乗りになる〈仮面憑き〉の仮面に覆われた顔面を殴打する。

 仮面が砕けて、片割れの上に乗っかっていた〈仮面憑き〉の素顔が月明かりに照らされて露になる。

 

 「馬鹿な………どうして……」

 

 月の光を反射して輝く銀色の髪、肌は雪のように白く幼さを残すその顔は聖女の如く精錬された美しさを持っていた。

 顔を露にした〈仮面憑き〉は、自分の下敷きにした片割れの〈仮面憑き〉の腹部に歯を立てる。

 ブチッと肉を断つ音が響き、後には肉を咀嚼する音だけが残る。

 

 「叶瀬………」

 

 目の前で肉を喰らう見知った少女を見てキリヲは力なく呟いた。

 やがて、肉を喰い終えた夏音は背中の翼を広げて飛び上がる。

 

 

 

 飛び去っていく天使の表情のない顔は、紅い鮮血と瞳から零れた涙で濡れていた。

 

 ***

 

 南宮那月の保有マンション キリヲの私室

 

 部屋の持ち主があまり物を買わない性格のためか部屋の中には私物と呼べるものがあまりなく、簡素なパイプベッドとデスク。必要最低限の家電だけが設置されていた。

 その部屋のデスクについてキリヲは手元のノートPCを操作していた。

 調べているのは、叶瀬夏音の住民情報。那月に限定的に与えられている攻魔官と特区警備隊の権限を使って絃神島の住民情報を閲覧していた。

 

 「キリヲ。入るわよ」

 

 キリヲがキーボードを叩く手を止めて顔を上げると、そこにはジリオラがいつもの格好で部屋の中に入ってきていた。

 

 「………鍵はかけたつもりだが?」

 「かかってなかったわよ。………ちょっと、いいかしら?」

 

 ジリオラが訊ねるがキリヲは、聞く気がないと言わんばかりに視線をパソコンに戻す。

 

 「忙しい。後にしてくれ」

 

 だが、ジリオラは構わずに室内に入ってきた。

 ヒールのついた靴でコツコツと音を立てて室内を進んでいき、キリヲのデスクの前で止まる。

 

 「……………今日の敵の正体を知っていたわね」

 「………いや」

 

 ジリオラの言葉を首を振って否定するキリヲ。

 だが、それでジリオラが納得するはずもなかった。

 ガンッと足をデスクの上に置いてキリヲを睨み付ける。

 

 「とぼける気かしら?」

 

 低い声音でジリオラが言うがキリヲは何も答えない。

 

 「敵の攻撃を知っていた。………それに、気になることを言っていたわね。……『誰に造られた』、だったかしら?」

 「………………」

 

 依然として口を閉ざしたままのキリヲにジリオラは更に言葉を続ける。

 

 「あの仮面の下にあった顔にも見覚えがあったみたいね。………南宮那月には伝えたの?」

 

 そこまで言われてようやくキリヲも口を開いた。

 

 「………今教えたら、あの女が問答無用であの子を殺しにいくだろ」

 

 そう言うキリヲにジリオラが冷たい声音で言葉を発した。

 

 「……殺されたら困るの?」

 「困るから教えてないんだろうが」

 

 苛立ったようにそう言うとキリヲは立ち上がり、部屋の隅にある棚に向かって歩いていった。

 

 「……これから、どうするつもり?」

 「民間企業〈メイガスクラフト〉の社宅に行く。叶瀬………〈仮面憑き〉の住所はそこだった」

 

 ジリオラの問に棚を漁りながらキリヲが答える。

 

 「………こんな時間に行ったところで入れてくれると思ってるの?」

 

 ジリオラが呆れたように言うがキリヲは、相変わらず棚の中身を物色し続けながら返事を返した。

 

 「〈メイガスクラフト〉は産業用オートマタを造っていることで知られているが、裏でネクロマシー技術を応用した軍事用オートマタも造っている。あの会社の主な収入はそれだ」

 

 キリヲの言葉を聞いてジリオラは、怪訝そうに目を細める。

 

 「ネクロマシー……死霊術ね。わたしの記憶が確かなら、それは聖域条約の規定に明らかに反しているのだけれど………………というか、なんでそんなこと知ってるのよ?」

 

 ジリオラの問に返事はせず、キリヲは話を続けた。

 

 「……その条約違反の商品を買っている不正取引相手が〈アメリカ連合陸軍〉だ」

 

 棚の中から目当ての物を見つけたキリヲが振り返って、手に持っているものをジリオラに見せながら言った。

 キリヲが手に持っていたのは金色の細工が施された大きめのバッジだった。真ん中には、CSAーーアメリカ連合と彫られている。

 

 「CSA を名乗れば、向こうもこっちのお願いを聞かざるを得ない。………唯一の商売相手だからな」

 「………なんで、CSA の徽章なんて持ってるのよ」

 

 ジリオラの言葉にキリヲは、苦笑で返事をすると壁に立て掛けておいた竹刀袋に包まれた〈フラガラッハ〉を手に取って玄関に向かっていった。

 

 「……一人で行くつもり?」

 「CSA がどういう国か忘れたのか?お前がいたら信憑性が薄くなる」

 

 魔族廃絶を掲げるCSA が吸血鬼と行動を共にすることはあり得ない。故にキリヲは、ジリオラを連れていかなかった。

 

 拳を握りしめ、キリヲは一人で夜の帳が降りた街へと出ていった。

 

 

 

 「………待ってろ、叶瀬」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使炎上編Ⅳ

 遅くなりました。申し訳ありません。


 メイガスクラフト本社

 

 営業をしていない夜間に出入り口を全て封鎖しているシャッターが外部から破壊されたため、社内には耳障りなアラートが鳴り響いていた。

 侵入者を探知した警備用ドローンが破壊されたシャッターの周辺に集まってくる。

 

 「………意外に警備が手薄だな」

 

 シャッターを切り裂いて侵入したキリヲが目の前で陣形を組むドローンを見て呟いた。

 生身の警備員は一人もいなかった。非致死性の武装をした不恰好な小型ドローンが数機だけだ。

 

 「邪魔だ」

 

 〈フラガラッハ〉でドローンを切り裂きキリヲはさらに奥へと進んでいく。

 

 「ちょっと、これどういうことよっ!?」

 

 ドローンが大破する音を聞きつけてきた金髪の女吸血鬼ーーベアトリスが驚愕に満ちた声を上げる。

 

 「………お前がここの責任者か?」

 

 現れたベアトリスにキリヲが冷たい声音で問いかける。

 

 「あんた何者……?こんなことして、ただで済むとでもーー」

 「技術顧問の叶瀬賢生と娘の叶瀬夏音はどこだ?」

 

 〈フラガラッハ〉の切っ先をベアトリスに突き付けてキリヲが低いトーンで言葉を発する。

 

 「いきなり押し掛けてきて一体何をーー」

 「さっさと答えろ。二人はどこにいる?こっちも気が長い方じゃないんだ。………早く喋った方がお互いのためだぞ」

 

 またしてもベアトリスの言葉を遮り、キリヲはポケットから大きめのバッジを取り出して見せつけながら言う。

 

 「〈ゼンフォース〉………CSA 最強の機械化特殊部隊がなんで魔族特区に……」

 

 アメリカ連合と長い付き合いのベアトリスには、キリヲの持っている徽章から所属の部隊まで割り当てることができた。

 

 「こっちも任務で来てるんだ。要求が呑めないなら手段は選ばないぞ」

 

 徽章をしまい、再び剣を構え直したキリヲが鋭い眼光をベアトリスに向ける。

 無論、とっくの昔にCSAを除隊させられているキリヲは任務など受けていない。ただのハッタリだった。

 だが、その事実を知らないベアトリスは唯一の商売相手からの最終通告に動揺し、目に見えるほど狼狽える。

 そして、そのベアトリスに背後から声をかける者がいた。

 

 「………手を貸した方がいいかしら?」

 

 白い狐の面を被った黒髪の少女が両手に呪符を持って控えていた。

 全身から滲み出る霊力と殺気で少女が臨戦態勢に入っているのはキリヲにもすぐに分かった。

 

 「待ちなっ!手を出すんじゃないよ」

 

 だが、狐の面を被った少女を止めたのは、ベアトリスだった。

 

 「………あんた、本物?」

 

 ベアトリスがキリヲに視線を戻して、疑わしそうに言う。

 キリヲは、刀を握る右腕をベアトリスに見えるように掲げる。キリヲの右腕を包んでいた人工皮膚が剥がれていき、赤と黒のメタリックな義手が現れる。

 

 「魔義化歩兵…………なるほど、本物ね」

 

 キリヲがCSA の独占技術の賜物である魔義化歩兵であることを確認したベアトリスは、納得したように頷いた。

 

 「叶瀬賢生は、いないわよ」

 「………どこにいる?」

 「島の外よ。金魚鉢……娘もそこにいるはず」

 

 肩をすくめて言うベアトリスにキリヲは、刀を向けたまま口を開く。

 

 「案内しろ」

 「今から?島外なのよ?」

 

 そう言うベアトリスにキリヲは苛立ったように〈フラガラッハ〉で側にあったドローンの残骸を切りつける。

 真っ二つに両断されたドローンがベアトリスのすぐ横を通り抜けて壁にぶち当たる。

 

 「………会社のプライベートジェットくらい持ってるだろ。さっさと連れていけ」

 

 殺意に満ちた眼差しを向けるキリヲにベアトリスが社用の航空機を用意するのに時間はかからなかった。

 

 ***

 

 メイガスクラフト 社内 研究室

 

 「あーもう、怠いっ!」

 

 重い鉄製のドアを力任せに押し開けて、ベアトリスが胸中に沸き上がる苛立ちを隠しもせずに室内に入ってくる。

 

 「よくもやってくれたわね、あの野郎………」

 

 ほんの数分前に押し掛けてきた少年の顔を思い出して静まりかけていた怒りが再燃したベアトリスが八つ当たりするように壁を蹴りつける。

 

 「……少し落ち着いたらどうだ?」

 

 部屋の奥から今までベアトリスの立てていた騒音を聞いていた男が溜め息混じりに声を発した。

 

 「侵入者は?」

 「金魚鉢に送っておいたわよ。あそこに閉じ込めておけば、しばらくは時間が稼げるでしょ。………賢生」

 

 ベアトリスの言葉に室内の奥にいた白衣の男ーー叶瀬賢生は、再び視線をベアトリスから自らの前にある寝台に戻す。

 寝台に横たわっているのは、白銀の髪を持つ少女。賢生の娘、叶瀬夏音だった。

 

 「金魚鉢の近海全域にジャミングを張っといたからすぐに増援は呼べないはず。………でも、まさかあの〈ゼンフォース〉がこんな簡単な罠に掛かるとはね」

 

 愉快そうに笑うベアトリス。

 

 「………その男、本当にCSAの軍人か?」

 「徽章は、本物だったわよ。魔義化歩兵でもあったから、少なくともCSAで機械化手術を受けたのは間違いないわ」

 

 自らの娘に目を向けたまま問いかけてくる賢生にベアトリスが答える。

 

「………元CSA所属だったという可能性は?魔義化歩兵になった後に部隊を抜けた奴かもしれん」

 「それは、あり得ないわよ」

 

 賢生の言葉にベアトリスが大袈裟に手を広げる。

 

 「CSA………特に〈ゼンフォース〉は裏切り者を許さない。部隊を裏切るような奴は指揮官のあの女が直々に血祭りにあげているはずよ」

 

 ベアトリスの脳裏に一度だけ目にしたことがある〈血塗れ〉の通り名を持つ魔義化歩兵の女軍人の顔が蘇る。会ったのは一度だけだが、決して敵に回してはいけない人物だとベアトリスは確信を持っていた。

 

 「…………調べておけ。もしCSAが介入してくるなら、どれ程の戦力を投入してくるか知りたい」

 

 賢生がベアトリスにそう言った直後だった。

 

 「その必要はないわ。あの男はCSAではなくてよ」

 

 たった今、研究室に入ってきた少女がベアトリスと賢生に背後から声をかけた。

 黒いセーラー服に白い狐の仮面。

 太史局が送り込んできた攻魔師だった。

 

 「………太史局は、把握しているのか?」

 「ええ。貴方も名前くらいは聞いたことがあるはずよ」

 

 少女の言葉に賢生が怪訝そうに顔をしかめる。

 そんな賢生に構わず少女は、その名を口にする。

 仮面をつけているから表情は見えないが、声の抑揚から少女が仮面の下で浮かべているのは笑みだろうと賢生は思った。

 

 「第一級魔導犯罪者〈聖剣遣い〉……………九重キリヲよ」

 

 ***

 

 翌日 メイガスクラフト 社宅 

 

 「………ここか」

 

 企業が保有するオフィスビルが建ち並ぶ区画に建設されたメイガスクラフト社のビルを前にして古城は呟いた。

 

 「凪沙ちゃんに聞いたらここだって教えてくれました。………夏音ちゃんの住所」

 

 昨晩、古城達の前に変わり果てた姿で現れた級友の顔を思い出して雪菜が悲痛そうな顔をして言う。

 

 「………なあ、姫柊。あれは本当に叶瀬だったと思うか?」

 

 もしかしたら違うのではないかと、僅かな期待を込めて古城が絞り出すように言う。

 だが、古城の隣に立つ雪菜は唇を噛んで首を横に振る。

 

 「……先輩、あれは間違いなく夏音ちゃんでした。別人のはずがありません」

 

 昨晩現れた翼を持つ少女は、夏音と同様の常人離れした美貌を持っていた。他人と見間違うことなどあり得なかった。

 

 「そう………だよな……」

 

 姫柊の言葉に力なく古城は頷いた。

 その時だった。

 

 「あら二人とも、こんなところで奇遇ね」

 

 古城達が通ってきた道から聞き慣れた声が投げ掛けられた。

 

 「ジリオラ先生………」

 

 古城が、名前を呟くとジリオラは機嫌よさそうに笑みを浮かべながら歩み寄ってきた。

 

 「ここに来ているってことは、貴方達も〈仮面憑き〉の正体を知っているみたいね」

 「ひょっとして、ジリオラ先生も……?」

 

 ジリオラの言葉に雪菜が驚いたように訊ね返す。

 そんな雪菜にジリオラは、首を横に振って口を開く。

 

 「いいえ、わたしは知らなかったわよ。………でも、キリヲは知っていたみたいね」

 

 ジリオラが言った言葉に古城が怪訝そうに顔をしかめる。

 

 「………そのキリヲは?」

 「もう、乗り込んでいったわよ。昨日の夜中に一人で」

 

 呆れたように肩をすくめながら言うジリオラに雪菜が驚愕に満ちた表情で声を上げる。

 

 「昨日の夜中!?なにか連絡は!?」

 「ないわよ。昨晩から音沙汰なし。あの馬鹿、しくじったのかもね」

 

 嘲笑するような表情を浮かべるジリオラに古城も雪菜も唖然とする。

 

 「あの………心配じゃないんですか?」

 「わたしが心配?どうして?」

 

 雪菜が言ったことに今度はジリオラが驚いたような顔をする。

 

 「いえ、その………九重先輩とジリオラ先生って仲がいいじゃないですか」

 「あら、そう見える?」

 

 ジリオラは、意外そうな顔をして口を開いた。

 

 「………ねえ、剣巫。一ついいこと教えて上げるわ」

 

 雪菜の瞳を真っ直ぐに見つめながらジリオラが微笑を浮かべて言葉を発した。

 

 「確かにわたし達、犯罪者にも友情はあるわ。………わたしにだって気の合う奴はいるし。もちろん、キリヲのことも嫌いじゃないわよ」

 

 キリヲと今も監獄結界の中で暇をもて余しているであろう友人の顔を思い出しながらジリオラは、言葉を続ける。

 

 「………でもね、もし死んだとしてもわたしは涙一つ流さないと思うわよ。せいぜい、お気に入りの道具が壊れた程度にしか思わないでしょうね。……どうしてだと思う?」

 

 ジリオラの問に古城も雪菜も答えない。

 

 「いつ死んでもおかしくないからよ。……わたしもキリヲも、人の恨みを買いすぎた」

 「恨み……ですか?」

 

 雪菜が怪訝そうに聞き返す。

 

 「そう、恨みよ。………誰もが生きているうちに何かしらの過ちや罪を犯す。でも、その大半は償うことができる。いつかは赦される。……けれど、どんなに悔い改めても許されないこともあるのよ」

 「………殺人ですか?」

 

 雪菜の導きだした答えに満足そうに頷くジリオラ。

 

 「その通りよ。誰かの命を摘み取れば、そいつの仲間や親族は絶対にわたしのことを赦さない。たとえ、どれ程長い時を檻で過ごしてもね。わたしの首が繋がっている限りは………だから、わたしも他の犯罪者も自分を殺そうとする連中を恨まない。彼らには、わたし達を殺す権利があるから。まあーー」

 

 一瞬、慈しむような表情を浮かべるジリオラだったが、その表情はすぐに豹変を遂げた。

 

 「ーー素直に殺されるつもりもないし、向かってくる奴に容赦するつもりもないけどね」

 

 獰猛な笑みを浮かべるジリオラ。その表情は、犯罪者と呼ぶに相応しいものだったのかもしれない。

 普段、那月の監視下に置かれて大人しくしているから忘れそうになるが、目の前の女吸血鬼は凶悪な殺人犯だと言うことを再確認する雪菜だった。

 

 「………だから、わたしもキリヲもお互いの身を心配したことなんてないわよ」

 

 そう言って、ジリオラはメイガスクラフトのオフィスビルの入り口へと足を進める。

 

 「………でも、キリヲも簡単に死ぬような奴じゃないし、わたしとしては押しかけられたメイガスクラフトの連中の方が心配ね」

 

 鋭い刃物で切り裂かれた後のあるメイガスクラフト社のシャッターを見て呟くジリオラの横顔は僅かに笑みを浮かべていた。

 そしてそれは、キリヲが死ぬはずがないと確信を持っている顔でもあった。

 

 「ほら、行くわよ。………〈仮面憑き〉の小娘、死なれたら困るんでしょう?」

 「……ああ、そうだな。行こう」

 

 ジリオラを追い越すようにして古城は、メイガスクラフト社の中へと入っていった。

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 メイガスクラフト社は、絃神島近海に存在する無人島を会社の実験施設として保有している。金魚鉢と名付けられたその島の浜辺でキリヲは、水平線付近に見える人工島、絃神島を見つめていた。

 

 「………やられた」

 

 無気力に呟いたその一言は、周期的な音を立てる波によってかき消されるのだった。

 そろそろ、夜明けだった。

 数時間前、メイガスクラフトの連中に無理言ってこの島に案内させたが、島についた途端、ここまで運んできた小型機はキリヲを置いて飛び去っていった。

 何も言わずに飛び去ったのと去る時の操縦士の顔に浮かんでいた笑みを見て、キリヲも嵌められたというのは即座に理解できた。

 

 「……せめて、拳銃でもあれば撃ち落とせたのにな、あのボロい飛行機」

 

 飛び去っていく小型機に攻撃しようとしたが、近接兵器の刀しか持っていないキリヲに手が出せる筈もなかった。

 

 「……どうしろってんだ」

 

 夏音のことも気掛かりだが、契約相手である那月に黙ってここに来たことも心配だった。

 一応、正当な事情はあるが黙って出てきた以上、逃亡したと那月に思われても文句は言えない。

 放し飼いにしている犯罪者が逃げ出したと知れば次に顔を合わせた瞬間、有無を言わさず殺しにかかってきても不思議じゃない。あの女だったら十分にあり得る。

 そう思うと今から那月に会うのが憂鬱だった。

 

 「はあ………」

 

 疲れたように溜め息をついて、キリヲは島の浜辺を歩き始めた。波打ち際に沿って。

 それほど大きな島ではないから、三十分ほどで一周できるとキリヲは考えていた。

 その途中。

 

 「……なんだ、あれ」

 

 浜辺を五分ほど歩いた所で波打ち際に妙なものを見つけてキリヲは怪訝そうに顔をしかめた。

 白色の球体。形状から救命ポットなのはすぐに分かった。

 だが、妙だった。

 本来、消耗品であり非常時くらいにしか使わない救命ポットだが、目の前にある救命ポットはあまりにも豪勢だった。

 サイズも大きいし、表面には金色の細工もしてあるのが見てとれた。

 明らかに通常の救命ポットとは違った。

 一般的な庶民が使うようなものではなく、それなりに財力があって身分の高い者が乗っているはずの物だった。

 一体誰がーー。

 

 「動かないでください」

 

 図らずもキリヲの疑問はすぐに解消されることとなった。

 救命ポットに近づこうと足を一歩前に踏み出した瞬間、背後から声をかけられた。

 女だった。

 同時に聞こえてきたチャキッ、という金属音から背後にいる女が今銃口をこちらに向けていることをキリヲは感知していた。

 

 「武器を捨てて、ゆっくりとこちらを向いてください」

 

 言われた通りにキリヲは、左手に持っていた〈フラガラッハ〉の入った竹刀袋を砂浜に落とした。

 その後に両手を挙げてゆっくりと時間をかけながら背後を振り返る。

 そして、自分の背後で銃を構えていた人物の顔を見てキリヲは驚きで目を見開いた。

 

 「……お前……どうして、ここに……?」

 

 驚いたのは、背後にいた女の方も一緒だった。

 驚愕に目を見開き、構えていた豪華な装飾をされた黄金色の単発式拳銃が手から零れ落ちて砂浜に転がった。

 

 「キリヲ………なのですか?」

 

 背後に立っていたのは、一人の少女だった。

 北欧神話の美の女神フレイヤと称しても遜色ない美しい顔立ちをした銀髪の少女。

 

 「ラ・フォリア………」

 

 震える声でキリヲは、少女の名を口にするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 やっと……やっと、ラ・フォリア出てきた。


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天使炎上編Ⅴ

 お待たせしました!


 金魚鉢

 

 波が周期的な音を立て、水平線の向こう側から昇ってきた太陽によって照らされた浜辺。そんな場所にキリヲはいた。銀色に輝く髪を持つ少女、かつて命に換えてでも守ると誓ったこの世で最も敬愛する女性と共に。

 

 「久しぶりですね、キリヲ」

 

 浜辺に流れ着いた白い救命ポットの側に腰を下ろして銀髪の少女ーーラ・フォリアは隣に座る黒髪の少年に声をかける。

 

 「……ああ、そうだな」

 

 朝日に照らされるラ・フォリアの横顔を見つめながらキリヲは優しく微笑み、そう口にする。

 

 「……もう、会えないと思っていた」

 

 キリヲがそう言うとラ・フォリアは、キリヲの左手に自分の両手を重ねて口を開く。

 

 「わたくしは信じていましたよ。………絶対にまた会えると」

 

 そう断言するラ・フォリアにキリヲも思わず苦笑する。

 

 「……………なんだか、夢を見ている気がしてきた」

 

 東の方角から射し込んでくる陽光に照らされるラ・フォリアの顔は、その美貌と相まってとても幻想的に映った。

 まるで、自分が最も望んでいる光景を幻覚として見ているような気さえしてくるほど浮世離れした美しさだった。

 

 「夢ではありません。わたくしは、ここにいます」

 

 ラ・フォリアは、そう言うとキリヲの人工皮膚が剥がれて金属部分が露出した右手を手に取って自分の頬に当てた。

 自分はここいる。触れることのできる現実として。そうキリヲに伝えるために。

 

 「右手は止せ。……固くて嫌だろ?」

 

 体温を持たない冷たい義手に顔を当てるラ・フォリアにキリヲが顔をしかめて手を引こうとする。

 だが、ラ・フォリアはキリヲの右手を放さない。

 

 「わたくしは好きですよ。キリヲの右手。………わたくしを守ってくれる手です」

 

 ラ・フォリアの言葉にキリヲは首を横に振る。

 

 「……人殺しの手だ」

 「違います。多くの命を救った英雄の手です」

 

 自嘲気味に言うキリヲの言葉をラ・フォリアが金属製の手を握りしめながら否定する。

 厳しい顔つきをして断言するラ・フォリアにキリヲも反論することなく力無く笑った。

 

 「…………剣、ありがとうな。助かったよ」

 

 側に置いてあった竹刀袋から白いメタリックな外装の鞘に納められた〈フラガラッハ〉を取り出してキリヲは言う。

 

 「礼にはおよびません。貴方の力になれたのなら、それはわたくしにとっても嬉しいことですから」

 

 そう言ってニッコリと微笑むラ・フォリア。

 いつものことだった。キリヲが助けを必要とすればラ・フォリアは嫌な顔一つせずに必ず助けてくれる。助けてもらったのはこちらなのに、いつもラ・フォリアはキリヲを助けること自体を喜んでやっている。

 

 「………その銃は?」

 

 ラ・フォリアの太股の革製ベルトに付いた拳銃用ホルスターに納められている拳銃に目を向けてキリヲが訊ねた。

 先程ラ・フォリアがキリヲに向けてきた拳銃であり、黒く光る銃身に金の装飾が施された豪華な造りのものだ。現代では滅多に見ない単発式の拳銃で銃身の先端に銃剣も装着されている代物だった。

 

 「〈アラード〉です。壁に飾って腐らせておくのは勿体ないと思ったので、お祖父様の書斎から拝借してきました」

 

 ホルスターから〈アラード〉を抜いて悪びれもなく笑みを浮かべるラ・フォリア。

 祖父の貴重なコレクションの一つであっただろう〈アラード〉を握るラ・フォリアを見てキリヲも、相変わらずお転婆だな、と苦笑いしながら呟く。

 

 「手入れも自分で出来ますし、問題なく使えるんですよ?」

 

 片目を閉じて〈アラード〉を構えて側にあったヤシの木に標準を合わせながらラ・フォリアが言う。

 

 「昔から射撃の腕は悪くなかったよな」

 

 素人がふざけて実銃を持っていたりしたらキリヲも文句の一つでも言っているが、昔からの付き合いでラ・フォリアの腕の良さを知っているキリヲは、特に気にしなかった。

 

 「わたくしに射撃を仕込んだのは貴方ですよ、キリヲ?」

 「俺が教えたのは基礎だけだ」

 

 キリヲがラ・フォリアに教えたのは、戦王領域でガルドシュに習った基本的な銃の撃ち方と銃の手入れの仕方だけだった。

 

 「あんなに上達するとは思ってなかったよ」

 

 そう言ってキリヲは、生身である左手でラ・フォリアの頭を優しく撫でた。

 

 「………変わりませんね。いつも貴方は、こんな風に撫でてくれた」

 「……髪の触り心地がいいからな」

 

 感慨深く言うラ・フォリアに茶化すようにキリヲが返事をする。

 そんなキリヲにラ・フォリアも悪戯っぽい笑みを浮かべる。

 

 「好きなだけ触っていいんですよ?………わたくしの全ては貴方のものです」

 

 這うようにキリヲに身を寄せて、熱を帯びた目でキリヲを上目遣いに見つめるラ・フォリア。

 二人の顔は、唇が触れ合いそうなくらい近かった。

 その体勢のまま、数秒ほど二人とも身動き一つしなかったが、やがてーー。

 

 「………気持ちは嬉しいが、今は遠慮しておくよ」

 

 曖昧な笑みを浮かべてキリヲは、両手でラ・フォリアの肩を優しく押し返した。

 ラ・フォリアを宥めているように見えるが、この時のキリヲはどこかラ・フォリアに触ることを恐れているようにもラ・フォリアには見えた。

 

 「………それは残念です」

 

 距離を取られたラ・フォリアが不満そうに頬を膨らませるが、その表情すらキリヲには可愛らしく映った。

 そんなラ・フォリアの表情を少しばかり堪能した後、キリヲは表情を真剣なものに改めて口を開く。

 

 「………ラ・フォリア、そろそろ教えてくれ。なぜ、お前がここにいる?一体なにが起こっているんだ?」

 

 声音を変えて訊ねてくるキリヲにラ・フォリアも表情を切り替える。今までの甘えた表情ではなく、人の上に立つ一国の王女としての顔に変貌を遂げる。

 

 「……………分かりました、話しましょう。わたくしがこの島に流れ着いた訳を。………そして、メイガスクラフト、叶瀬賢生とその娘、叶瀬夏音………〈模造天使〉のことを」

 

 

  

 

 

 ***

 

 メイガスクラフト 本社

 

 「203号室の叶瀬夏音さんをお願いします」

 

 企業保有のビルが建ち並ぶ商業区画の一角にあるメイガスクラフト社のオフィスビル、その受付で古城は受付係の役割を担っている人型オートマタに訊ねた。

 

 「現在外出中です」

 「では、保護者の叶瀬賢生氏は?」

 

 無機質な合成音声で返答するオートマタに雪菜が間髪入れずに聞き返す。

 

 「……失礼ですがお客様は?」

 「獅子王機関の姫柊です」

 

 オートマタの問に雪菜が躊躇うことなく答える。

 

 「少々お待ちください」

 

 雪菜の返答に数秒ほど沈黙を示した後、再びオートマタが合成音声で返事をする。

 

 「……良かったの?身元明かしたりして?」

 

 一連のやり取りを見ていたジリオラが雪菜に訊ねる。

 

 「………良くはないです。でも、おかげで何か出てくるみたいですよ」

 

 少し顔を強張らせた雪菜が受付奥の自動ドアに目を向ける。つられるようにして古城とジリオラもドアに目を向けた。

 そこには、ちょうど奥から出てきたと思われる金髪の女性がこちらに向かって歩いてきていた。

 

 「………登録魔族ですね」

 

 歩み寄ってくる金髪の女が手首につけている銀色の腕輪を見て、雪菜が警戒するように言う。

 

 「ベアトリス・バスラーです。叶瀬賢生の秘書のようなものをやらせていただいています」

 

 赤いスーツに身を包み眼鏡をかけたベアトリスが腰を折ってお辞儀をしながら自らの名前を名乗った。

 

 「そちらは、獅子王機関の攻魔師と他のお二人は………………はぁ!!?」

 

 お辞儀をして頭を上げたベアトリスが左の古城から順に三人の顔を見ていき、一番右端にいるジリオラの顔が目に入った瞬間、間の抜けたような顔を晒して驚きの声を上げた。 

 

 「………なにかしら?」

 「い、いえ、何でもありません!………失礼しました」

 

 ジリオラが訊ね返すとベアトリスは、慌てた様子で頭を下げてきた。

 

 「そ、それで叶瀬にどのようなご用でしょうか?」

 

 未だに動揺を抑えきれてないベアトリスが気を取り直して訊ねた。

 

 「申し訳ありませんが本人に直接伝えますので」

 「……困りましたね。叶瀬は現在島の外におりますの。弊社は魔族特区の外に独自の実験施設を持っておりまして」

 

 強めの口調で言う雪菜にベアトリスが困ったように目を伏せて首を横に振って賢生の不在を告げた。

 

 「………その実験施設に行く手筈を整えて貰うことはできないかしら?」

 

 ジリオラが声を発するとベアトリスは肩をビクッと震わせて反応する。

 

 「か、可能ですよ。もし、お急ぎなら手配しますけど……」

 「じゃあ、お願いさせてもらうわ」

 

 肯定するベアトリスにジリオラが短くそう伝えるとベアトリスは、逃げるように背を向けてこの場を後にした。

 

 「……なんか、随分と様子が変だったな」

 「そうですね。ジリオラ先生を知っているようでしたけど………」

 

 古城の言葉に同意するように雪菜も頷きながら隣に立つジリオラに視線を向けた。

 

 「別に知り合いじゃないわよ?……………まあ、向こうはわたしの顔を知っているみたいね。一応遠い親戚だったし」

 

 ジリオラはベアトリスが通っていった受付奥のドアを眺めながらつまらなそうに言った。

 

 「親戚?」

 

 古城が疑問そうに首をかしげると雪菜が細く説明をするべく口を開いた。

 

 「先輩、先程の方はジリオラ先生と同じT種……つまり、第三真祖の血に連なる吸血鬼です。世代は違うでしょうけど血筋を辿っていけば同じ真祖に行き着くんですよ」

 

 雪菜が説明すると古城が感心したように声を上げる。

 

 「へえ、そうなのか」

 「………先輩も真祖なんですから、それくらい知っていてくださいよ」

 

 古城の様子に雪菜が呆れたように溜め息をつく。

 

 「でも、遠い親戚なのに顔を知ってるなんてジリオラ先生って結構有名なのか?」

 「……まあ、手配書が回ったこともあるし。混沌界域にいた頃は、あの人のお気に入りだったからそれなりに名前も売れていたしね」

 

 古城の言葉にジリオラが面倒くさそうに溜め息をつきながら答える。

 

 「あの人……?」

 「ジャーダ・ククルカン…………第三真祖よ」

 

 中央アメリカに広がる第三真祖が支配する夜の帝国〈混沌界域〉。〈混沌の皇女〉の異名を持つ真祖が統治する国であり、ジリオラもかつてはその国に所属していた。

 第三真祖ジャーダ・ククルカンは、自らの血筋をを受け継ぐ吸血鬼達を娘と呼び、中でも自分の血を色濃く受け継ぐ旧き世代の吸血鬼達を侍らせて可愛がっていることで知られている。

 

 「……もっとも、今では追放された身だけれどね」

 

 僅かに哀愁を孕んだ表情を浮かべるジリオラに古城もそれ以上追求しようとは思わなかった。

 

 「……先輩、ジリオラ先生。そろそろ準備ができたみたいです。……………行きましょう」

 

 受付奥から再びこちらに向かってくるベアトリスを視界に入れた雪菜が緊張を含んだ声でそう呟く。

 

 「ああ。……叶瀬、今行くぞ」

 

 決意を秘めた瞳を前に向け、古城は前に足を踏み出した。

 

 ***

 

 メイガスクラフト 仮設空港

 

 「俺は、ロウ・キリシマ。俺があんた達を島まで運ぶ。よろしくな」

 

 空港の滑走路で待機していた小型飛行機に乗り込んだ古城達を待っていたのは、アジア系の顔つきをした男だった。

 

 「そっちは、学生二人に………おっ、そこの姉ちゃんはいい格好してるな」

 

 下着の上にコート一枚と言う露出過多な格好をしているジリオラを見てロウが嬉しそうに笑みを浮かべる。

 男が機器の確認した後にエンジンをかけるとプロペラの回る音が鳴り響き、機体が振動を発し始めた。

 

 「見ての通り、こいつはかなりの年代物だ。結構揺れるから覚悟してくれ」

 

 笑いながらロウがそう言うと小型機は滑走路を走り始め、離陸準備の体勢に入った。

 

 「……大丈夫か、姫柊?なんか、顔色が紙みたいな色になってるぞ」

 

 小型機が動き出すと、後部座席にいた雪菜の顔色がどんどん悪くなっていった。普段から色白ではあるが、今では血の気が失せて本当に真っ白だった。

 

 「だ、大丈夫ですっ!な、なんの問題もありませんっ!」

 「飛行機苦手なのか………」

 

 小型機が離陸して絃神島を離れ始めると雪菜の顔は、もう真っ青になっていた。

 

 「気持ちは分かるわ。わたしも始めて動力付き飛行機に乗った時は怖かったわよ」

 

 ジリオラが昔を思い出すように遠い目をしながら言った。

 

 「………それいつの話ですか?」

 「たしか、1900年代初頭ね」

 「大戦前かよ………」

 

 しれっと歴史の教科書に載っていそうな事柄を見てきたように言うジリオラに古城は苦笑を禁じ得なかった。

 

 「……そろそろ着くぜ、三人とも」

 

 ロウの言葉が終わると同時に小型機がガクンと揺れて高度を下げていく。

 飛行高度を維持していた時以上にガタガタと機体を揺らして、メイガスクラフトの小型機は小さな無人島の草地に着陸した。

 ちゃんと整備された滑走路でない場所に着陸したせいで機体を酷く揺れて、雪菜の顔には絶望と恐怖の表情が張り付いていた。

 古城ですら少し気分が悪くなるほどの揺れを発生させた後、小型機は動きを止めて扉を開いた。

 

 「………ここが実験施設か?何もないな」 

 

 一番に小型機から降りた古城が辺りを見渡してポツリと呟いた。

 続いて雪菜に肩を貸しながら降りてきたジリオラも人工物が一切ない周囲の光景を見て怪訝そうに顔をしかめた。

 

 「本当にこんな場所に叶瀬賢生がいるのかしら?」

 

 ジリオラが振り返って尋ねるとロウは、小型機のハッチを閉めて愉快そうに笑った。

 

 「さあな、その内会えるんじゃないか?」

 

 その言葉の真意を古城達が察するより早くロウは、小型機を発進させる。徐々に加速をつけて小型機が空に向けて地面を離れ始める。

 

 「野郎っ!」

 「悪いな、恨むならBBを恨んでくれ」

 

 無論、古城も黙って見送るつもりもない。全速力で走って小型機が手の届かなくなる高さに上がる前に追い付こうとするが、努力むなしく小型機は古城の手が届く前に上昇を始めた。

 ジリオラも霧化して小型機を追うが、五メートルほど上昇したところで諦めたらしく地上に引き返してきた。

 

 「……やられたわね」

 「………まさか、こんな方法で第四真祖を絃神島から排除するなんて。……不覚でした」

 

 小型機が飛び去っていった雲一つない空を見上げて三人揃って溜め息をつくのだった。

 

 

 ***

 

 メイガスクラフト 本社

 

 「なんであの女がいるのよっ!?」

 

 オフィスビルの最奥部にある研究室のドアを開けると同時にベアトリスが声を張り上げる。

 

 「………今度は何だ?」

 

 研究室の奥の手術台に向かっていた白衣の男ーー叶瀬賢生が昨夜と同じ様子で喚き散らしているベアトリスにうんざりしたような声で言う。

 

 「あの女よっ!ジリオラ・ギラルティ!あの淫乱がなんで魔族特区にいるのよっ!?」

 

 相変わらず甲高い声で喚きながらベアトリスが髪をかきむしる。

 そんなベアトリスを尻目に賢生が静かに口を開く。

 

 「………わたしの記憶が正しければ、ジリオラ・ギラルティは第一級魔導犯罪者として拘束、隔離されている吸血鬼のはずだが?」

 

 賢生の言葉に更に激情を露にするベアトリス。

 

 「ええ、そうよ。だから、謎なのよ!なんで、檻の外にあの女が出てきてるのよ!?昨日の魔義化歩兵と言い、どれだけ面倒な奴らが出てくるのよっ!」

 「………心配には及ばん。全て最終実験……いや、進化の触媒だと思えばいい。むしろ好都合だ」

 

 醜く顔を歪めて喚くベアトリスから視線を目の前の手術台に戻した賢生が冷静に言い放つ。

 

 「………ねえ、本当に大丈夫なんでしょうね?昨日来た魔義化歩兵もその天使と同じ〈例の計画〉が造った兵器なんでしょう?」

 

 手術台の上に横たわる白銀の髪を持つ少女に目を向けてベアトリスが目を細目ながら言う。

 

 「………それも心配する必要はない。小型聖霊炉は中途半端な欠陥兵器だ。一種の完成形にまで至った〈模造天使〉の敵ではない。それに……」

 

 言葉を途中で切った賢生は、手術台の側を離れて近くにあったデスクに向かう。

 簡素なスチール製のデスクの上に置かれていた細長い金属質な光沢を放つものを手に取り再び口を開く。

 

 「……もし、脅威に成り得るならばわたしが相手をしよう」

 「…………それが例の秘蔵兵器?」

 

 賢生が手に取ったのは、銀色の装飾が施された純白の銃身を持つマスケット銃だった。

 賢生は、ベアトリスの言葉に答えることなく、デスクの上に並べてあった金色の薬莢を一つ一つ白衣のポケットに入れていった。

 

 「高速艇の準備が整ったわ。そろそろ出発しても?」

 

 研究室のドアを開けて、白い狐の仮面を被った黒髪の少女が賢生とベアトリスに伝えた。

 

 (………待っていろ、夏音。もうすぐ、お前は完璧になれる)

 

 報告を聞いた賢生は、無言のまま研究室の出入り口であるドアの方に足を進める。

 

 「へえ……」

 

 マスケット銃を肩に担いだ賢生が目の前を通るのを見てベアトリスは僅かに驚いたように感嘆の声を上げた。

 今まで行動を共にしてきて、賢生は膨大な知識を有する賢人であり技術も高いレベルのものを会得している優秀な魔術師ではあったが、荒事とは無縁の人間だとベアトリスは考えていた。

 だが、今の賢生の立ち姿、一つ一つの挙動、そして刃物の様に鋭い気配は決して少なくない死線を越えてきた者が持ち合わせているものだった。

 そして何より賢生から、どんなに洗っても決して落とせない死臭をベアトリスは嗅いだような気がした。

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 「〈焔光の夜伯〉の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ!疾く在れ〈獅子の黄金〉!」

 

 白いパーカーに身を包み、瞳を深紅に染めた世界最強の吸血鬼、暁古城が右手を掲げて自らの血に巣食う眷獣を召喚する。

 呼び出された雷の獅子は、猛々しく吠えながら主が発する次の命令を待っていた。

 

 「いいか、そっとだぞ。そっと……」

 

 遠慮気味に古城が命じると〈獅子の黄金〉は、普段の暴虐ぶりからは想像もできないほど大人しくゆっくりと前足を目の前の海面に触れさせた。

 これで、僅かな電流が海水に流れて目的を達成できると古城がガッツポーズをしようとした瞬間ーー。

 

 ドオォン!

 

 〈獅子の黄金〉が纏う高圧電流が一気に海水に流れていき急激に温度が上昇した結果、水蒸気爆発を起こして轟音と共に上に吹き上げられた海水が雨のように古城に降り注いできた。

 

 「………何をやっているんですか、先輩?」

 

 そして、辺りに飛散した海水の被害を受けたのは古城だけではなかった。

 古城の背後から、全身を海水で濡らした雪菜が冷ややかな視線を古城に向けていた。

 

 「………ジリオラ先生も一人だけ霧化して避けないでください」

 「悪いわねぇ」

 

 雪菜の言葉に降り注ぐ海水を避けるために霧化していたジリオラが雪菜の隣に実体化して姿を現した。悪びれる様子もなく。

 

 「いや、本当に悪かったって。水場は姫柊が見つけてきてくれたし、せめて食料でも、と思って……………ほら、電気ショックで魚を獲る漁法とかあったなーって……」

 

 長期間、島に監禁されることを想定して食料を確保しに来たことを上擦った声で言い訳にする古城。だが、そんなことで雪菜が納得するはずもなかった。

 

 「……それで?」

 「………………はい、すいません」

 

 〈獅子の黄金〉の高圧電流のせいでゴボゴボと沸騰している海水と焦げ臭い臭いを漂わせて浮いている魚の死骸を見て古城も素直に頭を下げた。

 

 「……はあ、食事の用意ができたのでお誘いに来ました」

 

 溜め息をついてそう告げる雪菜。雪菜に案内された先で古城が見たのは、浜辺に並ぶ大量のヤシの実とそれを素材にした料理の数々だった。

 

 「あら、これ全部貴女が作ったの?」

 「はい、お代わりもありますよ」

 

 ジリオラの言葉に勢いよく返事した雪菜は、〈雪霞狼〉を短く持って包丁のように扱ってヤシの実を刻んでいった。

 

 「………随分と独創的なメニューだな」

 「他にも食材が見つかれば色々作れたんですけど……」

 「いや、十分だ。頂くよ」

 

 雪菜にそう返事すると古城は、一番側にあった海水とヤシの実で作られたスープに手を伸ばした。

 続いてジリオラも薄く千切りにされたヤシの実を手に取った。

 

 「………お味はどうですか?」

 

 それぞれ料理に手をつける古城とジリオラに雪菜が僅かに緊張したように声をかける。

 その問いに対して、二人は数秒ほど沈黙を示した後………。

 

 「……そう言えば昔、凪沙のままごとに付き合わされて腹を壊したことがあったっけ」

 「……南米の内戦の時に食べた野戦食の味を思い出すわぁ。……吐きそうになりながら食べたのよねぇ」

 

 二人揃って遠い目をしてそう言うのだった。

 

 「………なぜ、お二人がその様なエピソードを思い出したか気になりますが聞いたら不愉快な思いをすると思うので止めておきます」

 

 雪菜も味についてはそれ以上追求することもなく、二人の側に腰を下ろした。

 

 「……いつまで、ここにいる事になるのかしら」

 「……さあ、見当もつきません」

 

 ジリオラの呟きに雪菜が力無く答える。

 

 「勘弁してくれ………」

 

 橙色に染まり、水平線の向こうに沈もうとしている夕日を見ながら古城も疲れたように呟くのだった。

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 日が沈み、夜空に昇った丸い月が水面に映っているのを見ながらキリヲは、羽織っていたシャツのボタンを外し始めた。

 小さな無人島である金魚鉢は外縁が浜辺になっていて、中央を中心に島の面積の大半をおおっているのは、林だった。その林の中に岩場に囲まれた湧き水が出ている場所があり、キリヲはそこにいた。

 数日前からこの島にいるラ・フォリアが見つけた唯一の水源だった。

 脱いだシャツを側にあった木の枝にかけ、ズボンと下着も脱ぐとキリヲは水浴びをするために水場に体を浸けた。

 膝が水に浸かる深さまで来ると、キリヲは立ち止まって水面に映っている自分の体を見下ろした。

 全身傷だらけの体と義手の右腕。

 人工皮膚が破れて露出した金属製の右腕は、服を脱いだ状態では更に目だっている気がした。

 

 「………〈模造天使〉か」

 

 先程、ラ・フォリアの口から聞いた内容が頭の中で反響していた。

 あの後、仮眠や軽食を挟みながら日が沈むまでラ・フォリアに語られたのは今回の騒動の全貌だった。

 メイガスクラフト、叶瀬夏音の出自、そして襲撃を受けた飛空艇から脱出してきたラ・フォリア。

 全てのピースが揃い始めていた。

 

 「…………絶対に阻止してやる」

 

 今回の事件に巻き込まれた夏音の顔が脳裏に浮かび、キリヲは決意を強固にするために小さくそう呟いた。

 その直後だった。

 

 「……キリヲ」

 

 チャプンと誰かが水場に足を踏み入れた音と自らの名前を呼ぶ声が同時に聞こえた。

 声の主は、キリヲにもすぐに分かる。ラ・フォリアだ。

 

 「お、おい。今水浴びしているからこっちには来なーー」

 

 少し慌てた様子でラ・フォリアを追い返そうとして振り返ったキリヲは、思わず言葉半ばで口を閉ざして自分の目を疑った。

 

 「ご一緒してもよろしいですか?」

 

 背後にいたのは、予想通りラ・フォリアだ。だが、格好までは予想できていなかった。

 水浴びをするためか、ラ・フォリアも服を着てはいなかった。

 月光に照らされて雪のように白い柔肌を露にしたラ・フォリアの肢体に一瞬目を奪われたキリヲだが、すぐに我を取り戻したように顔を背けて背中をラ・フォリアに向けた。

 

 「………なに考えてんだ。ダメに決まってるだろ」

 「昔は、一緒にお風呂に入っていたではありませんか」

 「年齢考えろっ!」

 

 悪びれる様子もなく言うラ・フォリアにキリヲも声を張り上げる。

 だが、ラ・フォリアに退く気はないらしく、構わずこちらに近づいて来ているのが水の音で分かった。

 

 「こっちを向いてください」

 「断る」

 

 ラ・フォリアの言葉にハッキリと返事を返すキリヲ。

 

 「ならば、仕方がありませんね。こうしましょう」

 

 キリヲが絶対に振り向かない意思を示すと、ラ・フォリアは今度は自分からキリヲの正面に回ってきた。

 

 「お前な………」

 

 呆れ果てたようにキリヲが呟く。

 目の前のラ・フォリアは、大事な部分はそれぞれ両手で隠しているが、それでもかなり際どい状態だった。

 

 「………キリヲ」

 

 最初はふざけているのかとキリヲは思っていたが、今ラ・フォリアが浮かべている表情は真剣そのものだった。

 

 「………貴方は、なにを恐れているのですか?」

 

 ラ・フォリアの口から出た言葉にキリヲは僅かに目を見開いた。

 

 「………仮釈放を受けた時から連絡をくれませんでしたし、なにより今も貴方はわたくしに触れることを恐れているように見受けられます」

 

 ラ・フォリアの言葉に一歩下がるキリヲ。だが、空いた距離を詰めるようにラ・フォリアも二歩前に出る。

 

 「………なにか、わたくしがお気に召さないことをしましたか?」

 

 不安そうに目を瞑るラ・フォリアにキリヲは少し慌てた様子で口を開く。

 

 「そんなことは……ない」

 「ならば、なぜ距離を取るのですか?一体なにが貴方をわたくしから遠ざけるのですか?」

 

 無意識に更に一歩下がっていたキリヲにラ・フォリアが詰め寄る。

 眼前で見上げるように自分の瞳を覗き込んでくるラ・フォリアに数秒ほどキリヲも口を閉ざしていたが、やがて諦めたように話し始めた。

 

 「……ずっと怖かった。お前に会うのが」

 

 自分の顔を見つめてくるラ・フォリアから目をそらしてキリヲは話を続ける。

 

 「………俺は罪を犯した。南宮那月に檻に入れられて俺も考えたんだ、自分の犯した過ちを。どんな糾弾も裁きも受けるつもりでいた。その覚悟はできていた。でも………」

 

 悲痛そうな表情を浮かべてキリヲは、ラ・フォリアの顔を見つめる。

 

 「………お前に拒絶される未来だけは、どうしても想像できなかった」

 

 震える声でキリヲは言う。

 

 「……お前に糾弾されて、拒絶されることを考えると怖くて堪らなかった。お前に見放されたら、もうなんのために生きていけばいいか分からなくなる」

 

 そこまでキリヲが言ったところで、ラ・フォリアはキリヲの背中に両手を回して抱き締めていた。

 

 「………そんなことは、絶対にあり得ません。世界中の誰もが貴方を責め立ててもわたくしだけは、貴方の味方で在り続けます」

 

 謡うように言葉を紡いでいくラ・フォリア。

 

 「貴方が望むなら、わたくしが貴方の生きる理由になります。幾億もの声が貴方を糾弾してもわたくしだけは………」

 

 ラ・フォリアはキリヲの耳に顔を近づけ、囁くように言う。

 

 「貴方の罪を赦します」

 

 赦す、その一言を聞いた瞬間キリヲは大きく心臓が脈打つのを感じた。

 もしかしたら、それはキリヲが心の奥底でずっと待ち望んでいた言葉なのかもしれない。

 

 「ラ・フォリア………」

 

 胸の奥から湧き上がってくる形容しがたい感情を抑え込むように、キリヲはラ・フォリアを抱き締め返した。

 細くて艶やかなその身体は、とても儚く思えて無性に保護欲を駆り立てられる。

 

 「俺はーー」

 

 キリヲが自らの想いを伝えようと口を開いたその時だった。

 

 ガサッ。

 

 誰かが茂みを掻き分ける音が水場に響いた。

 驚いたようにキリヲが音のした方向に視線を向けた。

 そこにはーー。

 

 「き、キリヲ………?」

 

 白いパーカーを来た少年、キリヲにとっても馴染み深い顔がそこにあった。

 世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉暁古城が引き攣った表情を浮かべてこちらを見ていた。

 

 「古城………?」

 

 なぜここに、と言おうとして現在自分がどういう状態にあるのかを思い出した。

 親しい仲のクラスメイトが裸で同じく服を着ていない銀髪の少女と抱き合っている。

 古城から見たらこの場の状況はそんな感じだった。

 

 「…………お、お邪魔したみたいだな」

 

 震える声でそう言いながらバックしていく古城。

 

 「待て、古城。お前がなにを考えているか大体想像つくがそいつは誤解だ」

 

 キリヲが弁解しようと口を開く。

 だが、状況は更に悪い方向へと転がっていく。

 

 「先輩!こんなところで何してるんですか!?」

 

 古城の背後から聞き慣れた声が聞こえてくる。

 

 「ひ、姫柊か?いや、実はそこにキリヲがーー」

 「振り向かないでください!水浴びしてたから今服着てないんです!こっち向いたら本気で刺しますよ!どうせ生き返るのは分かってーー」

 

 古城の言葉を遮って〈雪霞狼〉を構えながら茂みから出てきた雪菜も古城の視線の先にあったものを見て思わず言葉を失った。

 

 「こ、九重先輩?あの……ここでなにを?……そちらの方は……」

 

 脳で処理しきれない光景をを目にしてパクパクと口を動かす雪菜。だが、すぐさま気を取り直して自分がどういう状態だったか思い出す。

 お互いに服を着ていない状態でキリヲと雪菜の視線が交差した。

 

 「……っ!何見てるんですかっ!?」

 

 声を張り上げた雪菜は、持っていた〈雪霞狼〉を投げ槍の要領で振りかぶって思いっきりキリヲ目掛けて投げつけた。

 

 「危ねっ!殺す気か!?」

 

 風を切って直進してくる〈雪霞狼〉を首を捻って避けてキリヲが抗議の声を上げる。

 

 「だから、こっち見ないでください!」

 

 雪菜は雪菜で自分の体を両手で抱き締めて隠しながら叫んでいた。

 間に挟まれた古城は、どう動いていいか分からずに右往左往していた。

 

 「どういう状況なのかしら、コレ?」

 

 騒ぎを聞き付けて駆けつけたジリオラが目の前に広がる混沌の坩堝と化した光景を見てなんとも言えない表情をする。

 

 「……勘弁してくれ」

 

 天を仰ぐキリヲの呟きが星の散りばめられた夜空に溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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天使炎上編Ⅵ

 遅くなりました。申し訳ありません。
 今回、アルディギア王国と叶瀬賢生にオリジナル設定つけてます。



 

 金魚鉢

 

 キリヲ達が水浴びをしていた水場での騒ぎから数分後、古城達三人と合流したキリヲはラ・フォリアが乗ってきた救命ポットが流れ着いた浜辺に戻ってきていた。

 

 「それで?結局誰なんだ、あんた?」

 

 キリヲの隣に寄り添うように立っている銀髪の美女に古城が訝しそうに訊ねる。

 

 「ラ・フォリア・リハヴァインです。北欧アルディギア王国国王ルーカス・リハヴァインが長女ラ・フォリア。………アルディギア王国で王女の立場にあるものです」

 

 優雅にスカートの裾を摘まんでお辞儀をするラ・フォリア。

 

 「王女ねぇ……」

 

 優雅な仕草と気品のある服装、更には側にある純金を使われた救命ポットに目を向けて古城が納得したように呟く。

 

 「キリヲ。こちらの御三方をわたくしにも紹介してください」

 「分かった」

 

 ラ・フォリアに言われ、キリヲは頷くとジリオラに指を向けた。

 

 「そこの露出狂がジリオラ・ギラルティ。俺と同じ〈監獄結界〉の囚人だ」

 「誰が露出狂よ。失礼ね」

 

 キリヲの紹介にジリオラが不満そうに口を挟む。

 

 「………ジリオラ・ギラルティ。お会いできて光栄です。噂はお聞きしております」

 「あまり、いい噂ではないのでしょう?」

 

 皮肉気な笑みを浮かべて言葉を返すジリオラにラ・フォリアも僅かに緊張したように顔を強ばらせているのがキリヲには分かった。

 それに気付かない風を装いながら、続いて古城に指を向ける。

 

 「そこの白パーカーが暁古城だ。………噂くらいは聞いてるだろ?極東の魔族特区に出現した〈第四真祖〉だよ」

 「〈第四真祖〉………彼が」

 

 キリヲの紹介を聞いてラ・フォリアが僅かに驚いたように目を見開いた。

 

 「そして、その隣にいるのが、獅子王機関が〈第四真祖〉の監視に派遣した剣巫、姫柊雪菜だ」

 「よろしくお願いします。殿下」

 

 キリヲの紹介を受けて雪菜が敬意を表すように頭を下げるとラ・フォリアが困ったように苦笑を浮かべた。

 

 「殿下は止してください。ラ・フォリアで構いません」

 

 笑顔でそう言うラ・フォリアだが、今度は雪菜が困ったような表情を浮かべる。

 

 「いえ、しかしそう言う訳には………」

 「せめて異国の友人には、身分の隔たりなどなく接して欲しいのです。………あっ、愛称と言うのも良いですね。たとえば………和風にフォリリンと。こう見えてわたくし、日本文化には詳しいのですよ?」

 

 悪戯っぽく微笑むラ・フォリアに雪菜も折れたのか、諦めたように溜め息をつく。

 

 「………恐れながら、ご尊名で呼ばせていただきます。ラ・フォリア」

 

 雪菜の返事に満足したのか、機嫌良さそうに頷くラ・フォリア。

 

 「あの………差し支えなければ教えていただきたいのですけれど、九重先輩とはどう言った御関係で?」

 

 今度は、雪菜が遠慮気味にラ・フォリアに向かって質問を投げかけた。

 雪菜の質問にラ・フォリアは数秒ほど顎に手を当てて考える素振りを見せる。

 

 「………そうですね、色々と複雑ではあるのですけれど。強いて言うなら、永遠の愛を誓いあった仲です」

 

 照れる様子もなく言い切るラ・フォリア。

 

 「「「………………」」」

 

 全員どう反応して良いか分からず、妙に長い沈黙が辺りを包んだ。

 一分近い沈黙が続いた後、全員の視線がキリヲに集まった。

 

 「………否定しないのかしら?」

 

 相変わらず沈黙を保っている古城と雪菜の代わりにジリオラがキリヲに問い掛けた。

 

 「……………………まあ、嘘じゃないからな」

 

 非常に言いづらそうに顔を背けるキリヲ。

 

 「………貴方にそんな関係の相手がいたなんて驚きね」

 「………………俺が誰かと付き合っていたのがそんなに意外か?」

 

 意外そうに言うジリオラに無愛想にそう言うキリヲ。

 

 「………でも、妙な話ね。わたしが聞いた話だと、キリヲは二年前にアルディギアで大量虐殺を行った重罪人よ。アルディギアのお姫様に恨まれる理由はあっても好かれる筈はないと思うのだけれど?」

 

 ジリオラが怪訝そうに目を細めながら言うと、ラ・フォリアが表情を厳しくして言い返す。

 

 「それは違います。二年前にキリヲが手にかけたのは、クーデターで王家に刃を向けた逆賊だけです。………キリヲはアルディギア王家のために戦ったのです。断じて虐殺などではありません」

 

 なら何故殺人犯として投獄された、と聞こうとジリオラが口を開いたがラ・フォリアの有無を言わせない表情を見て何も言わずに口を閉ざした。

 

 「……それで、そのアルディギアの王女がなんでこんな所にいるんだ?」

 

 どことなく険悪な雰囲気が漂い始めた場の空気を変えようと古城がラ・フォリアに話の方向性を変える質問を投げ掛けた。

 

 「……絃神島に来る途中に乗っていた飛空艇が〈メイガスクラフト〉の手の者によって襲撃を受けたのです。わたくしは辛うじて脱出できましたが、時間を稼ぐために戦った騎士達は………」

 

 自分を守るために犠牲となっていった臣下達のことを思い出し、ラ・フォリアは悔いるように目を伏せた。

 

 「襲撃………なぜそんなことに」

 「恐らく狙いは、わたくしの身体でしょう」

 

 驚いたように言う雪菜にラ・フォリアは自身の胸に手を当てて言葉を発した。

 

 「〈メイガスクラフト〉に雇われている叶瀬賢生は、かつてアルディギアの王宮に遣えていた宮廷魔術師です。彼の持つ魔導奥義の多くはアルディギア王家の血筋を媒介に必要とするのです」

 

 ラ・フォリアの口から叶瀬賢生の名が出たことに雪菜は驚いたように目を見開いた。

 古城も困惑したようにラ・フォリアに訊ねる。

 

 「叶瀬賢生は、元々あんたの国の仲間だったのか………。そんな奴が敵に回るなんてことあり得るのか?」

 

 古城の言葉にラ・フォリアも少し悲しげに顔をしかめて返答する。

 

 「王家に宮廷魔術師が仇なすことは珍しいことではありません。………実際、二年前のクーデターは、権力者である貴族と宮廷魔術師が中心になって起こされたものでした」

 

 ラ・フォリアがそう言うと雪菜は、納得したように声を上げた。

 

 「まさか、叶瀬賢生もそのクーデターに加担していた宮廷魔術師の残党なのですか?」

 

 クーデターに失敗した逆賊の残党なら復讐に来てもおかしくないと雪菜は考えたのだ。

 だが、雪菜の言葉をラ・フォリアは首を横に振って否定した。

 

 「いいえ、それはあり得ません。賢生が王宮を後にしたのは五年前です。二年前のクーデターに参加できるはずがないんです。それに………」

 

 不意に言葉を切ったラ・フォリアは、言いづらそうにキリヲを横目で見た。

 そんなラ・フォリアの胸中を察したようにキリヲが残りの部分を話すべく口を開いた。

 

 「………二年前にアルディギア王家に歯向かった宮廷魔術師は全員死亡している。……俺が殺した。一人残らず」

 

 キリヲの放った言葉に雪菜が息を呑む音がやけに大きく響いた。

 

 「……ですから、賢生は何か別の理由があってわたくしの血筋を狙っているのだと思います。………娘の夏音のことも」

 

 夏音の名前が出たことで古城と雪菜は、更に動揺した様子を見せる。

 

 「……そう言えば、あんた随分と叶瀬に似ているな。何か関係があるのか?」

 

 古城の問に数秒間、瞠目した後にラ・フォリアはゆっくりと話し出した。

 

 「………夏音の実の父は、わたくしの祖父です。十数年前、アルディギアに住んでいた日本人女性と祖父が道ならぬ仲になった末に彼女は産まれたと聞いています」

 

 ラ・フォリアの言葉に古城と雪菜だけでなくジリオラまでもが驚いたような顔をして、キリヲは苦々しそうに顔をしかめていた。

 

 「………あの爺さんか。やりかねないな」

 「あまり、祖父を責めないであげてください。彼の女癖の悪さは今に始まったことではありませんから」

 

 顔をしかめて言うキリヲにラ・フォリアが苦笑いを浮かべながら宥めた。

 そして、表情を再び真剣なものに戻して話を続けた。

 

 「最近になって彼女の存在が発覚して、今王宮は混乱の最中にあります。………しかも、彼女が叶瀬賢生の養女になっていたので」

 

 ラ・フォリアがそう言うと古城は、拳を固く握りしめて怒りを露にした。

 

 「………娘をあんな姿に変えたって言うのかよ」

 

 そんな古城の様子にラ・フォリアも悲しそうに目を伏せた。

 

 「わたくしが絃神島に来た目的も彼女でしたが………どうやら、遅かったようですね」

 

 拳を握りしめたまま、古城は口を開いた。

 

 「俺達が見た時には、叶瀬は翼の生えた化け物にされていて仲間同士で殺し合っていた」

 「………そうですか。やはり、賢生は〈メビウス〉を………それも〈模造天使〉を造っていのですね」

 

 湧き上がる怒りに声を震わせながら言う古城にラ・フォリアが悔恨の念のこもった声で呟いた。

 

 「その〈模造天使〉というのは?」

 

 ラ・フォリアの呟きに反応した雪菜が問いかけると、それに答えたのはキリヲだった。

 

 「高次元有機生体兵器だ。………アルディギアで推し進められていた、ある軍事計画の一環として造られた人工の天使だよ」

 

 キリヲの説明に暫し唖然としていたが、気を取り直した古城が続けて質問を口にした。

 

 「ある軍事計画ってのは?」

 

 これには、ラ・フォリアが答えた。

 

 「次世代型兵器開発プロジェクトの一種です。人の霊格に人為的な進化を促すことにより、人間をより高次元な存在に昇華させて兵器として運用するのが目的でした」

 

 ラ・フォリアが説明を終えると、付け加えるようにキリヲが口を開いた。

 

 「計画は、通称〈メビウス〉と呼ばれていた」

 

 全ての説明を終えてキリヲとラ・フォリアが口を閉ざすと、数秒ほど沈黙がその場を包んだ。

 その沈黙を破ったのは、古城だった。

 

 「………あんたの国では、そんなことが許されていたのか?人を兵器にするなんてことが」

 

 古城の声には明らかに怒気が含まれていた。

 責めるような視線をラ・フォリアに向けるが、当のラ・フォリアに動揺の色は見えなかった。

 

 「…………確かに戦王領域の魔族から祖国を守るためとは言え、我が国が倫理に背いた研究をしていたことは認めます。ですが、聖域条約が結ばれてからは、計画はほとんど機能していませんでした。戦争が終わったのに高いリスクを背負ってまで研究を続ける意味がなかったからです」

 

 ラ・フォリアの言葉に雪菜が怪訝そうに目を細めた。

 

 「………高いリスク?その計画には何か危険な要因でもあったんですか?」

 

 その質問に答えるべく今度はキリヲが言葉を発した。

 

 「失敗作だよ。………あの計画が造った兵器は、どれも欠陥を抱えたものばかりだった」

 

 龍族の生体組織を埋め込んで強化したが理性が保てない後天的な龍種、上位種の獣人の心臓を移植した寿命が短すぎる人工の神獣、そしてまともに制御できない模造天使。

 キリヲの脳裏に浮かんだのは、計画が生み出した欠陥だらけのおよそ兵器とは呼べない代物の数々だった。

 

 「………そして、二年前。計画が造った欠陥兵器の一つが大暴れして大勢が死んだ。それで、計画は完全に危険視されて永久凍結になった」

 

 キリヲが言い終わると今まで黙って聞いていたジリオラが怪訝そうに顔をしかめた。

 

 「二年前?まさか………」

 

 ジリオラが信じられないと言わんばかりに絶句すると、ラ・フォリアが重々しく頷いた。

 

 「………ええ、キリヲの小型精霊炉も〈メビウス〉が造り出した次世代型兵器の一つです」

 

 古城と雪菜も驚愕に満ちた表情でキリヲを凝視していた。

 その直後だった。

 

 「……………なあ、なにか聞こえないか?」

 

 その場にいた全員の視線を集めていたキリヲが突然そう言った。

 その言葉に残りの四人も口を閉ざして周囲の音に耳を傾け始めた。

 

 「これは………」

 

 キリヲと同じように遠くから微かに聞こえてくる音を察知した雪菜がギターケースに入っていた〈雪霞狼〉を取り出して、今いる場所から東野方向に広がる浜辺に向かって駆け出した。

 

 「おい、姫柊!」

 

 突然走り出した雪菜を追いかけるように古城も走り始める。

 

 「………船か」

 

 段々大きくなってくる音が船のエンジンが発する音だと分かったキリヲが海に視線を向けると灰色の外装のモーターボートが海水を掻き分けながら直進してくるのが見えた。

 

 「救助………じゃないよな」

 「船体に〈メイガスクラフト〉って書いてあるわよ」

 

 人より遥かに視力がいいジリオラが接近してくる船の正体を告げた。

 

 「………どうやら、向こうも動き出したようですね」

 

 凛とした表情でそう言うとラ・フォリアは、脚のホルスターから〈アラード〉を抜いて雪菜と古城の後を追った。

 キリヲとジリオラもそれに続く。

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 キリヲが金魚鉢に来て二度目の朝日が照らす浜辺に五人は並んでいた。浜辺に着岸した〈メイガスクラフト〉の船から降りてくる人物を迎え撃つために。

 

 「久しぶりですね。叶瀬賢生」

 

 灰色の船体を持つ高速艇から降りてきたのは、白衣にに身を包んだ初老の男だった。その白衣の男ーー賢生をラ・フォリアが忌々しそうに睨みつけながら言った。

 

 「五年ぶりでしょうか。お美しくなられましたね、殿下」

 「………よくも、ぬけぬけと。叶瀬夏音は何処です、賢生」

 

 強い口調で問い詰めるラ・フォリアに賢生は、動じる様子も無く口を開く。

 

 「……我々が造った〈模造天使〉の素体は全部で七体。夏音はその内の三体を倒し、他の敗れた素体の分も含めて六つの霊的中枢を手に入れました」

 

 抑揚のない声で言葉を続ける賢生にラ・フォリアが不快そうに顔をしかめる。

 

 「〈模造天使〉の儀式は、いわゆる蟲毒の応用なのですね」

 

 ラ・フォリアの言葉を肯定するように一度頷くと、賢生は言葉を続けた。

 

 「相手の霊的中枢を奪うことで精霊炉を使わずに人間の容量を超えることなく霊的進化を促すことができる。………言わば、〈メビウス〉の完成形と言えるでしょう」

 

 賢生の言葉が終わると同時に雪菜が悲痛そうに表情を歪めて声を張り上げた。

 

 「そのために仲間同士で殺し合いを………なんてことを」

 

 古城も雪菜と同じく凄惨な仲間殺しを強要された少女を想い、怒りを露わにするように拳を握り締めていた。

 

 「………で、その胸くそ悪いお前の研究に何で〈メイガスクラフト〉が手を貸している?」

 

 今まで黙って話を聞いていたキリヲが竹刀袋から白いカラーリングの機械的な造りの鞘に収められた〈フラガラッハ〉を抜きながら、ラ・フォリアの盾になるように前に立ち、言葉を発した。

 

 「いやーそれがなぁ、うちの会社ヤベェんだよ経営状況が」

 

 その質問に答えたのは、遅れて船から降りてきた若い軽薄そうな男だった。

 キリヲや古城達をこの金魚鉢に送ってきた小型機のパイロットーーロウ・キリシマだ。

 

 「赤字をなんとかしようと戦争用のオートマタなんて作ってみたんだが、これが全然売れなくてなぁ。………そんな訳で新しい商品としてこの〈模造天使〉に社運を賭けているわけよ」

 「……………あの囮にもならない屑鉄か。あんなものを売ってるようじゃ、経営も傾くだろうな」

 

 ヘラヘラと笑って言うロウを睨みつけながら、キリヲも挑発するようにそう言った。

 そんなキリヲの挑発を受けてもロウは、相変わらず鬱陶しくヘラヘラと笑っていた。

 だがーー。

 

 「ガキが知ったような口を聞いてんじゃないわよっ!」

 

 ロウに続くように出てきた金髪の女は、表情を歪めて怒鳴り散らし、キリヲの挑発に過剰とも言える反応を示していた。

 出てきた金髪の女を見て、確か〈メイガスクラフト〉の経営責任者だったな、とキリヲは思い出していた。

 

 「ていうか、そこの魔義化歩兵!あんた、よくも騙してくれたわね!」

 「まあ、落ち着けってBB」

 

 金髪の女ーーベアトリス・バスラーは、眼下に立つキリヲに向けて怒鳴り散らし、それを隣にいたロウが宥めていた。

 

 「おい待てよ……………商品って、お前らまさか叶瀬を売るつもりなのか、兵器として」

 

 『商品』と言う言葉がロウの口から出たことにより古城も怒気を含んだ声で言葉を発した。

 

 「正確には、売るのは今使ってる実験用の〈模造天使〉じゃないけどな」

 

 古城の言葉に軽い口調で返事をしたのは、ロウだった。そして、ロウの言葉に続けるようにベアトリスが口を開く。

 

 「わたし達が売るのは、製品用の量産型〈模造天使〉。まあ、要するにクローン技術を使って増やすのよ。…………でも、叶瀬夏音は実験のためにもう〈模造天使〉にしちゃったからね。そんな訳で叶瀬夏音と同じくらい強力な霊媒になる生身の人間が必要なのよ」

 

 言い終わるとベアトリスは、キリヲの後ろに立つラ・フォリアに視線を向けた。

 

 「そういう訳だから、こちらの要求は一つよ。…………そこのアルディギアのお姫様、あんたは無駄な抵抗はやめて大人しく投降しな。そうしたら命だけは取らないであげるわ」

 

 口の端を吊り上げて残忍性を露わにした笑みを浮かべるベアトリス。

 

 「まあ、死んだ方がマシってくらい気持ちいい思いをしてもらうことになるけど。………あんたのクローンなら〈模造天使〉に改造しなくても買いたい奴は大勢いるでしょうね」

 「………………っ」

 

 ベアトリスの全身を舐めるような視線を受けてラ・フォリアが不快そうに顔をしかめる。

 そんなラ・フォリアの表情を見てさらに嗜虐心が刺激されたのか、ベアトリスは声のトーンを上げて言葉を続ける。

 

 「バラバラに刻んで、増やせるだけ増やしてから売り飛ばしてーー」

 「黙れ」

 

 ベアトリスが最後まで続けられることはなかった。

 今までラ・フォリアの前に立っていたキリヲが目にも留まらぬ速さで駆け出していた。

 人工皮膚に覆われた義足が〈空間跳躍〉の能力を発動させて、ベアトリスとの間にあった五メートルほどの距離を一秒と掛からずに走破する。

 肉薄したキリヲは、勢いを緩めることなくベアトリスの腹部に回し蹴りを叩き込んだ。

 

 「グホッ…………!?」

 

 蹴られたことを認識する暇もなくベアトリスは倒れ込むように後方に吹き飛ばされる。

 

 「BB!」

 

 ロウが素早く後ろに回り、ベアトリスを受け止める。

 

 「今口にした言葉、地獄で後悔しろ」

 

 そう言うと、ベアトリスを受け止めたロウごと斬って捨てようとキリヲは、鞘に収められたら〈フラガラッハ〉に手をかけた。

 その直後。

 

 「火雷!」

 

 ベアトリスとロウを飛び越えるようにして船内から人影が飛び出し、キリヲに向かって呪力を纏った拳を放ってきた。

 

 「………っ!?」

 

 突然、乱入してきた者の攻撃を防ぐためにキリヲは〈フラガラッハ〉を鞘に収めた状態で横に構えて、呪力を纏った拳を受け止めた。

 拳が放つ炎にも似た呪力と〈フラガラッハ〉の鞘が激突して火花を散らす。

 ノックバックするようにキリヲと乱入者は互いに後方に下がる。

 

 「…………もう一人いたか」

 

 ベアトリス達を守るように立ち塞がる乱入者の異様な出で立ちを見てキリヲは目を細めた。

 黒い長髪に黒いセーラー服、そして白い狐の仮面。背丈は高校生ほどだが、キリヲに放った拳撃は鍛え抜かれたものであり俊敏な身のこなしは獣のようで、まさしく〈白狐〉と呼ぶに相応しかった。

 

 「……助かったぜ、用心棒」

 

 ベアトリスに肩を貸しながら、ロウが目の前の少女に声を投げ掛けていた。

 ロウの言葉に返事をすることなく、〈白狐〉は背負っていたカメラケースを地面に置いて中身を取り出す。

 出てきたのは、鋼色の先端が二つに分かれた伸縮式の槍だった。

 

 「キリヲ!」

 「九重先輩、大丈夫ですか!?」」

 

 一旦下がったキリヲに雪菜とジリオラが駆け寄る。

 

 「………ああ、大丈夫だ。だがーー」

 

 キリヲが〈白狐〉へと視線を向け、雪菜も同じように〈白狐〉に目を向けた。

 

 「…………今の技、随分と貴女が使うのと似ていなかった?」

 

 ジリオラが怪訝そうに呟くと、雪菜も同意するように頷いた。

 

 「八雷神法…………同じです、わたしの技と。恐らく彼女も〈剣巫〉………」

 「……………………いや、違う」

 

 警戒するように言った雪菜の言葉をキリヲは、〈白狐〉から目を逸らさずに否定した。

 

 「…………あいつの持っている槍………あれは、太史局が正規装備に採用している〈乙型呪装双叉槍〉だ」

 「太史局………まさか………」

 

 左目の義眼で〈白狐〉の武装を解析して言ったキリヲの言葉を聞いて雪菜も驚いたように目を見開く。

 

 「間違いない…………奴は、太史局の〈六刃神官〉だ」

 

 キリヲがそう言うと〈白狐〉は仮面の下で愉快そうにクスリと笑った。

 

 「ご名答よ……………………………九重キリヲ」

 

 槍を構えながら〈白狐〉がトーンの低い声で言う。

 〈白狐〉は、ジッとキリヲの顔を見据えていた。

 仮面で隠れていて表情は読みとれないが、その視線には確かな殺意が含まれているとキリヲは感じていた。 

 

 「……………お前、どこかで会ったか?」

 「………………………………さあ、どうだったかしら」

 

 尋常じゃないほどの殺気の籠もった視線にキリヲは怪訝そうに問い掛けたが、返ってきたのは曖昧なはぐらかすような返事だった。 

 

 「…………なぜ太史局が〈メイガスクラフト〉に協力を?」

 

 理解できないと言った様子で雪菜が問い掛けると、〈白狐〉の横に立っていた賢生がその問に答えるべく口を開いた。

 

 「利害の一致というものだ。彼らが我々の研究を守り、我々は彼らに研究成果の一部を明け渡す。単純なギブアンドテイクだ」

 

 相変わらず抑揚のない声で告げる賢生を不快そうに睨みつけながら雪菜が更に糾弾の声を浴びせようと口を開いたが、雪菜が声を発するより速く喋り始める者がいた。

 

 「よくも……………やってくれたわね…………」

 

 今までロウに介抱されていたベアトリスだ。

 怒りで表情を醜く歪ませたベアトリスが着ている赤いライダースーツのポケットから取り出した小型のリモコンを掲げながら言葉を発する。

 

 「……………プロモーション用に仕留めるのは〈第四真祖〉だけの予定だったけど、もういい!全員まとめてぶっ殺してやるっ!」

 

 躊躇うことなくベアトリスが握っているスイッチを親指で押した。

 次の瞬間ーー。

 

 バアァンッ。

 

 轟音が鳴り響き、賢生達が乗ってきた高速艇の後部格納庫の天井を突き破って一筋の光が飛び出してきた。

 格納庫を破って現れた光、それは眩い閃光を放つ翼を広げて宙に浮かぶ銀色の髪を持つ少女だった。

 

 「叶瀬………………」

 

 変わり果てた夏音の姿を目の当たりにして、古城が悲痛そうに表情を歪めて絞り出すように呟く。

 

 「……………貴方は本当にこれでいいのですか、賢生」

 

 ラ・フォリアも無表情を顔に貼り付けた賢生に問いかけるが、賢生の表情が動くことはなかった。

 

 「…………やれ、XDA-7。最後の儀式だ」

 

 賢生が厳かな口調でそう告げると、翼を広げる天使は耳を刺すような甲高い声を張り上げる。

 

 「kyriiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!」

 

 天使の絶叫と共に光輝く翼から無数の光の剣が撃ち出される。狙いは、神聖な神が最も忌み嫌う存在。吸血鬼の真祖ーー古城だった。

 

 「古城、逃げろっ!」

 

 高次元から流れ込んでくる神気をそのまま攻撃力に変換している〈模造天使〉の特性を知っているキリヲは、〈模造天使〉の放つ剣が魔族を一撃で殺し得ると判断してすぐに古城に向かって声を張り上げた。

 

 「うおっ!」

 

 だが、放れた剣の数が多すぎた。弾幕を張るかのように撃ち出された大量の剣によって古城は、まともに動くことすら叶わない。

 

 「先輩!」

 「そこを動くんじゃないわよ」

 

 雪菜とジリオラが動けなくなっている古城を助けるべく、駆け寄る。

 しかしーー。

 

 「行かせないわよ」

 「あんた等の相手はこっちだよっ!」

 

 二人の行く手を阻むようにベアトリスと〈白狐〉。

 〈白狐〉は、二つの刃を持つ槍〈乙型呪装双叉槍〉を構え、ベアトリスは血霧の噴出する右腕を掲げる。

 

 「来なっ〈蛇紅羅〉!」

 

 ベアトリスから漏れ出した血霧が徐々に形を成して、一振りの槍に姿を変える。

 

 「…………意志を持つ武器。同族相手は気乗りしないのよねぇ」

 

 ジリオラも自身の従えている眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉を召喚しながら忌々しそうに呟いた。

 雪菜と〈白狐〉も互いに槍を突きつけあっている。

 古城への救援は完全に足止みを食らっていた。

 

 「くそっ、古城!」

 

 見かねたキリヲが古城目掛けて駆け出すが、またしてもそれを邪魔する者が現れた。

 

 「邪魔はさせん」

 

 高速艇のデッキに立っていた賢生が白衣の内側に隠すように提げていた、純白の銃身を持つマスケット銃を取り出してキリヲに銃口を向ける。

 

 「……っ!」

 

 キリヲの右目の義眼が数秒後の賢生が引き金を引く未来を予測して、推定される弾道を網膜に投影した。

 義眼の予測に従ってキリヲは、弾道から外れた場所に向けて跳ぶ。

 これで賢生の放つ弾丸は外れる…………筈だった。

 

 「ガハッ!?」

 

 鮮血が宙を舞った。

 自分の胸が撃ち抜かれたと気付くのに数秒掛かった。

 

 「馬鹿な………」

 

 浜辺の砂の上に倒れ込みながら、キリヲは驚愕に目を見開きながら言った。

 

 (弾道は完全に読めていた………)

 

 絶対に避けられると確信していた場所に跳んだのに、賢生の放った銃弾は正確にキリヲを撃ち抜いた。

 未来を予測していたキリヲに弾を当てる方法は二つしかない。

 予測していても避けきれないほどの銃弾を浴びせるか、もしくはーー。

 

 「まさか……お前も未来を………!?」

 

 弾道を予測したキリヲを予測して撃つしかない。

 

 「…………………六年前にアルディギアに亡命してきた君の身体の情報が役に立った」

 

 そう言う賢生の右目が眼鏡の奥で瞳の光彩を黒から金色に変えていた。

 間違いなく、キリヲと同じ魔義化歩兵の義眼だった。

 

 「キリヲ!」

 

 倒れるキリヲにラ・フォリアが駆け寄る。

 かろうじて脈があることを確認するとラ・フォリアは、鋭い目つきで賢生を睨みつける。

 

 「よくも…………」

 

 ラ・フォリアの怒りに満ちた眼差しを受けても賢生は、眉一つ動かさない。

 手にしているマスケット銃を再び地に伏したキリヲに向ける。

 

 「……………この銃もただの武器ではありません。〈メビウス〉の副産物の一つです。銃身の内部に小型精霊炉が搭載されています。呪式銃に匹敵する威力を持っていますので、そこの魔義化歩兵でも長くは持たないでしよう」

 

 胸から血を流して倒れているキリヲに向けられている賢生の視線はどこまでも冷たかった。

 

 「さて、こっちも仕事をするかな」

 

 倒れているキリヲの側に寄り添っていたラ・フォリアにロウが近づく。自身の体を獣人の姿へと変えながら。

 ロウは、ベアトリスと同じ登録魔族だったのだ。

 

 「………っ」

 

 キリヲを守るように掻き抱きながらラ・フォリアは息を呑む。

 ロウは構わず近づいていき、右手をラ・フォリアに向かって伸ばす。

 ロウの手がラ・フォリアに届く、その時だった。

 

 「疾く在れ〈双角の深緋〉!」

 

 横から飛んできた緋色の双角獣が撒き散らす高周波振動がロウを数メートルも先に吹き飛ばした。

 

 「暁古城!」

 「大丈夫かっ!?」

 

 キリヲとラ・フォリアに古城が駆け寄っていく。ラ・フォリアも礼を言おうと顔を上げて、そこで表情が固まった。

 

 「暁古城、伏せてくださいっ!」

 「えっ?」

 

 必死の形相でラ・フォリアが叫んだ次の瞬間だった。

 

 ドスッ。

 

 刃物が分厚い何かを貫く音が響き渡った。

 

 「なっ……………」

 

 古城は、自分の胴体に視線を下ろした。

 そこには、〈模造天使〉が放っていた光の剣の内の一本が背中を貫通して腹から突き出ていた。

 急に視界が暗くなっていき、古城の意識はそこで途絶えて、体はゆっくりと倒れていく。

 

 「先輩っ!」

 

 キリヲと同様に地に伏した古城を見て雪菜が絶叫に近い叫び声を上げて古城に向かって走って行った。

 

 「…………随分と呆気なかったわね」

 

 ジリオラの鞭を赤い槍で打ち払っていたベアトリスが歪んだ笑みを浮かべてそう言った。

 そして、倒れた〈第四真祖〉に視線を向ける。

 〈模造天使〉が最後の止めを刺すのを見るために。

 しかしーー。

 

 「……………………」

 

 空中に滞空している〈模造天使〉ーー夏音は動く気配を見せない。

 ただ、虚ろな目で倒れた古城とキリヲを見つめている。

 だが、その次の瞬間。

 

 「aaa………aaaaa……aaaaaaaaaaaaaa!!!」

 

 

 突然、夏音は空中に浮いたまま頭を抱えて人ならざる声で絶叫を迸らせた。

 両目から涙を溢れさせて。

 同時に周囲に強い風が吹き荒れ始めた。肌を刺すような冷気を伴っている風だった。

 風は次第に強くなっていき、最後には吹雪と化した。

 

 「ちょっと、どうなってるのよ!?」

 

 不測の事態にベアトリスが賢生に向かって叫ぶ。

 だが、賢生も事態を把握できていない様子で顔をしかめていた。

 

 「分からん。まだ、飛翔点には達していないはずだが……………」

 「とにかく一旦退くわよ!あんなのに巻き込まれるなんて冗談じゃないわ!」

 

 竜巻すら巻き起こし始めた吹雪にベアトリスが焦った様子で走り去っていく。賢生とロウ、〈白狐〉もそれに続いていく。

 

 「先輩………!先輩……!しっかりしてくださいっ!」

 

 〈雪霞狼〉で神格振動波の結界を張りながら雪菜は倒れた古城に必死に呼びかけていた。

 

 「わたし達も逃げるわよ!」

 

 ジリオラも血を流して倒れているキリヲを担ぎながら雪菜の張った結界に向かっていく。

 そんな中、ラ・フォリアは、夏音を中心に徐々に大きくなっていく吹雪の竜巻に目を向けていた。

 

 「〈模造天使〉……………いえ、叶瀬夏音。貴女は…………」

 

 哀愁を含んだラ・フォリアの呟きは、白く冷たい風に呑まれて消えていった。

 誰の耳に届くこともなく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 更新スピードが落ちてきてしまっています。
 本当にすいません。
 最低でも週一で更新するようにしますので、これからもよろしくお願いします。


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天使炎上編Ⅶ

 大変お待たせしました。


 

 金魚鉢

 

 「獅子の巫女たる高神の剣巫が願い奉る!雪霞の神狼、千剣破の響きをもて楯と成し、兇変災禍を祓い給え!」

 

 雪菜が破魔の力を宿す銀の槍〈雪霞狼〉を大地に突き立て、青白い光のドーム状の、神格振動波の結界を張った。

 猛威を振るっていた吹雪が遠ざかり、結界の内部は安全な状態になった。

 

 「大義でした、雪菜」

 

 結界を張り終えて、地に横たわる古城に駆け寄る雪菜に、ラ・フォリアが労いの言葉を投げ掛ける。

 

 「古城の様子は?」

 「まだ、目覚めません。ほとんどの傷は塞がったんですけど、胸の大きな刺し傷だけが残ってしまっていて…………」

 

 不安そうに古城のパーカーの裾を握り締めながら雪菜はラ・フォリアに言葉を返した。

 

 「あの…………九重先輩は?」

 

 ジリオラに担がれていたキリヲは、今は古城と同様に地面に横たわって目を閉じていた。

 胸の銃創からは絶えず血が流れ出している。驚異的な再生能力を持つ古城と違い、魔族ではないキリヲは雪菜の目にも危険な状態に見えた。

 

 「…………胸に精霊炉を埋め込んでいたのが幸いでした。銃弾はそこで止まっていて、心臓には届いていません」

 

 悲痛そうに目を伏せながらラ・フォリアが言った。

 

 「……でも、弾を摘出しないと不味いわよ。あと止血も」

 

 今までキリヲの容態を見ていたジリオラが、キリヲの胸の出血を止めようと傷を押さえながら珍しく焦っている様子を見せていた。

 

 「……………わたくしがやります」

 

 ジリオラの言葉を聞いたラ・フォリアが意を決したようにキリヲの側に座り込んで太股のホルスターから〈アラード〉を抜き、銃身の先端に着装されている銃剣をキリヲの傷に向ける。

 

 「押さえておくわ。………………やって」

 

 ジリオラが緊張した面持ちでキリヲの二の腕を掴み、のしかかるようにして押さえ込んだ。

 ラ・フォリアの頬に冷や汗が流れる。やがてラ・フォリアがゆっくりとした動きで銃剣をキリヲの傷口に刺し込んだ。

 

 「………………っ!」

 

 意識は戻っていないがキリヲの身体が痛みに反応するようにビクッと大きく震える。

 すかさず、ジリオラが力を込めてキリヲの体を押さえつける。

 

 「キリヲ、耐えてください……………!」

 

 祈るように言いながらラ・フォリアは、さらに銃剣をキリヲの傷の奥に押し込んでいく。

 銃剣の刃が半ばほどまで埋まったところで刃の先端に硬質なものが当たる感覚がラ・フォリアの手に伝った。

 弾の位置を探り当てたラ・フォリアは、銃剣を捻って抉るようにゆっくりと抜いていく。

 銃剣が傷口から完全に抜き取られると同時に、弾頭がへこんだ金色の薬莢が転がり出てきた。

 

 「どいて、止血するわ」

 

 銃弾が摘出されたのを確認したジリオラがコートのポケットからライターを取り出しながら言った。

 ライターの火でラ・フォリアの〈アラード〉の銃剣を炙る。刃が十分に熱を持って赤く染まるとジリオラは、ラ・フォリアから〈アラード〉を受け取り、赤々と熱を発する銃剣をキリヲを傷に向けて、一思いに押し付ける。

 

 「……っ………ウゥッ」

 「キリヲ…………」

 

 ジュウと音を出して焦げた臭いが周囲に立ち込める。

 傷口を焼かれたことで強制的に出血を止められたキリヲが苦しそうに呻くと悲痛そうな表情を浮かべたラ・フォリアが手を握ってキリヲの名を呼ぶ。

 

 「……………とりあえずは、これで大丈夫よ」

 

 〈アラード〉をラ・フォリアに返しながら、地面を赤黒く染めたキリヲの大量の血液を見てジリオラが溜め息をついて言う。

 

 「九重先輩………」

 

 目の前で行われた、手当てというには痛ましすぎる行為に雪菜は絶句していた。

 

 「…………でも、なんで当たったりしたのかしら?銃火器如きにやられるような玉じゃないでしょ、こいつ」

 「………あの、ジリオラ先生。一応、怪我人ですからもう少し優しく………」

 

 手当てし終えたキリヲの頭を爪先でコンコンとつつくジリオラに雪菜が焦った様子で声をかける。

 

 「………叶瀬賢生もキリヲと同じ、魔義化歩兵の義眼を持っていました。恐らく、彼も未来を見ることができるのでしょう」

 

 ラ・フォリアがそう言うと、ジリオラは怪訝そうに顔をしかめて口を開く。

 

 「……………おかしいわねぇ。確か魔義化歩兵はCSAご自慢の独占技術じゃなかったかしら?」

 「今は違います」

  

 ジリオラの言葉を首を横に振って否定するラ・フォリア。

 

 「六年前、当時キリヲはCSAの遊撃部隊〈ゼンフォース〉の一員でした。…………あの日、国境を越えて破壊工作を行っていた〈ゼンフォース〉に、アルディギアの聖環騎士団が奇襲を仕掛けたんです。結果、〈ゼンフォース〉は撤退。隊員三名を捕虜として捕らえました」

 「………その中に九重先輩が?」

 

 雪菜の問いかけに一度小さく頷いて、ラ・フォリアは話を続けた。

 

 「捕虜として拘束された魔義化歩兵三名の内、二人は祖国への忠誠を示すために体内の魔具を爆破させて自決。……………残ったのは、まだ幼くてCSAにそれほど忠誠心のなかったキリヲだけでした。彼は、自分の体に使われている魔義化歩兵の技術を提供することを条件に、傭兵として雇われるという形で王宮に身分を保証させたのです」

 「つまり、今はアルディギア王国にも…………」

 「魔義化歩兵の技術が存在します」

 

 ラ・フォリアの説明を聞いたジリオラが納得したように肩をすくめた。

 

 「では、叶瀬賢生が使っている義眼は……」

 「十中八九、王宮を抜ける時に持ち出したキリヲの体の情報を基に造ったのでしょう」

 

 忌々しそうに表情を歪めて目を伏せるラ・フォリアに同意するようにジリオラも憂鬱そうな表情を浮かべた。

 

 「…………確かに面倒くさそうね」

 「ええ。……………ですが、やはり最大の脅威は賢生ではなく叶瀬夏音ーー〈模造天使〉です」

 

 〈模造天使〉の放った光の剣によって撃ち抜かれて地に伏している古城に目を向けながら言うラ・フォリア。

 

 「古城は、大丈夫ですか?」

 「…………やっぱり、胸の傷だけが塞がりません」

 

 キリヲの手を握りながら聞いてくるラ・フォリアに雪菜が答える。

 それを聞いたラ・フォリアは、しばらく古城の胸の周囲を眺めて怪訝そうな表情を浮かべた。

 

 「…………なるほど。古城の体には、まだ〈模造天使〉の剣が刺さっているのですね。わたくし達には触れることもできない剣が………」

 「…………どういう意味かしら?」

 

 ラ・フォリアの呟きにジリオラが顔をしかめて問いかけた。

 

 「………〈模造天使〉は、高次元に留まることができる存在です。わたくし達とは異なる次元にいるため、目の前にいてもこちらから干渉する事はできません。〈模造天使〉が放つ剣も同じ特性を持っているのでしょう」

 「わたし達とは異なる次元…………なるほどね、確かにそれなら眷獣の攻撃が効かなったのも納得できるわ」

 

 ラ・フォリアの説明にジリオラも疲れたように溜め息をついて頷いた。

 

 「…………ですが、どうやら古城の眷獣の中に〈模造天使〉の能力を無効化できるものがいるようですね。そうでなければ、古城はとっくに消滅しているはずです」

 

 旧き世代の吸血鬼ですら瞬時に灰に変えるほどの力を持つ〈模造天使〉の剣を受けて未だに朽ちることのない古城の体を見て、ラ・フォリアが言う。

 

 「まさか…………〈焔光の夜伯〉から受け継いだ新たな眷獣!?」

 

 雪菜も古城を救っている存在の正体に気付き、驚愕に目を見開いていた。

 

 「………ええ、ですがまだ完全に目覚めているわけではありません。その眷獣を完全に呼び覚まさない限り、古城に刺さっている剣を取り去ることはできないでしょう」

 

 そう言うとラ・フォリアは、握っていたキリヲの手を静かに放して上着を脱ぎ始めた。

 

 「な、なにをしているんですかラ・フォリア!?」

 

 突然、服を脱ぎ始めたラ・フォリアに雪菜が慌てて叫びながらシャツのボタンを外そうとするラ・フォリアの手を掴む。

 

 「未覚醒の眷獣を目覚めさせるには、霊媒の血を飲ませるのが一番良いのですよね?意識がなくても性的興奮を引き起こせば、吸血行為は可能なはずです。わたくしの血ならば問題ないと思うのですけれど…………」

 

 首を傾げて言うラ・フォリアに雪菜がさらに慌てた様子で声を張り上げる。

 

 「そんなのダメです!貴女がそこまでする必要はないですし、何よりラ・フォリアには九重先輩がいるじゃないですかっ!?」

 

 雪菜の口からキリヲの名前が出た瞬間、ピクリとラ・フォリアの肩が僅かに震えた。

 

 「………………今は緊急時です。キリヲも分かってくれるはずです」

 「いいえ、絶対にダメです!貴女と九重先輩は、お付き合いしている仲なんですよね!?そんなことしたら、九重先輩は、絶対に悲しみます!」

 

 ラ・フォリアの手を取って雪菜は、言葉を続ける。

 

 「九重先輩への想いを…………自分の気持ちを裏切ったりしないでください」

 「………………雪菜」

 

 自らの手を取って思いの丈を訴える雪菜にラ・フォリアも何も言い返せなかった。

 

 「……………暁先輩は、わたしが助けます」

 

 そう言うと、自らの得物である〈雪霞狼〉の刃で自分の手首を切って滲み出てきた血を口に含むと、雪菜は古城の顔に唇を寄せる。

 

 「…………」

 「……………っ」

 

 ソッと唇を重ねて口の中に含んだ血を流し込んでいく。やがて口の中の血を全て口移しで飲ませた時、古城に変化が起きた。

 意識が戻っていないであろう状態で体を起こし、雪菜の肩を掴むと勢いよく押し倒して雪菜の首筋に口を寄せていく。

 そんな荒々しい古城の瞳は、深紅に染まっている。

 ラ・フォリアとジリオラが見ている中、古城が血を啜る音と雪菜の荒い息遣いだけが響き渡っていた。

 

 

 ***

 

 〈メイガスクラフト〉貨物船

 

 ネクロマシー技術を応用した軍用オートマタを格納しているコンテナをいくつも乗せた大型貨物船。

 その貨物船の甲板に船内を警備していた軍用オートマタと死闘を繰り広げる一人の少女の姿があった。

 髪をポニーテールに結っていて、手にしているのは銀の片刃剣。

 あらゆる物質の空間連結を斬り裂く擬似空間切断能力を持つ武神具〈六式重装降魔弓〉ーー〈煌華鱗〉を振るうのは、獅子王機関の舞威媛、煌坂紗耶香だった。

 

 「もうっ、しつこいんだけど!」

 

 斬っても斬っても際限なく船内から湧き出てくるオートマタに、紗耶香はうんざりしたように声を張り上げる。

 このままでは埒が明かないと判断した紗耶香は、〈煌華鱗〉の形状を刀剣から弓に変形させる。

 

 「獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る!極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり!」

 

 太股のホルスターから取り出した銀色の伸縮式ダーツを矢に変えて詠唱と共に空に向かって撃ち放った。

 人の声帯では唱えられない祝詞が慟哭にも似た重低音となって響き渡り、貨物船上に呪詛が降り注ぐ。

 呪詛を浴びたオートマタ達は、内部の魔術回路を完全に破壊されて全て沈黙した。

 全てのオートマタを片付けて紗耶香が疲れたように溜め息をついた直後。

 

 「ご苦労だったな、舞威媛」

 「誰!?」

 

 突然、背後から聞こえた声に紗耶香は新たな矢を弓につがえて振り返る。

 振り返った先にいたのは、黒いゴシック調のドレスに身を包ん、日傘をさして佇む少女だった。

 

 「…………南宮那月。いたなら手伝いなさいよ」

 

 優雅に佇む那月に、紗耶香が不満そうに頬を膨らませながら言う。

 

 「こんなところで何をしている?」

 「人探しよ」

 

 那月の問に紗耶香がぶっきらぼうに答える。

 一方で紗耶香の答えを那月は、納得したように小さく頷いた。

 

 「…………探しているのは、アルディギアの王女か?」

 「なぜ、知ってるの?」

 

 機密事項という扱いになっている自分の任務を一発で言い当てた那月に紗耶香が怪訝そうに顔をしかめた。

 

 「ポリフォニア…………………アルディギアの王妃からわたしにも捜索願が来た」

 

 那月の答えを聞いて、情報の出所が分かった紗耶香が納得したように肩の力を抜いた。

 

 「沿岸警備隊から〈メイガスクラフト〉所有の無人島で救難信号を受信したって聞いて来たんだけど。…………こいつらの出迎えがあったってことは、〈メイガスクラフト〉が一枚噛んでるって情報は本当みたいね」

 

 足元に転がっているオートマタの残骸を爪先でつつきながら紗耶香が言うと那月が愉快そうに笑みを浮かべながら口を開く。

 

 「こいつらを片付けた褒美に続報をやろう。……………貴様等、獅子王機関が気にかけている〈第四真祖〉と監視役の〈剣巫〉も同じ島にいるそうだ」

 「暁古城がラ・フォリア王女と同じ島に!?」

 

 那月が寄越してきた情報に紗耶香も驚いたように目を見開いた。

 そんな、紗耶香に構わず那月は更に話を進める。

 

 「ついでに、わたしが放し飼いにしていた囚人共も同じ島に行っているらしい」

 

 那月が放し飼いにしている『囚人』………つまり、ジリオラ・ギラルティと九重キリヲ。

 そこまで考えて紗耶香の顔から血の気が引いていった。

 

 「………………ねえ、わたしの記憶が正しければ、二年前に九重キリヲがアルディギアで虐殺を行ったのは、ラ・フォリア王女が原因だったわよね?」

 「そうだ、腹黒王女の事となるとあの小僧は抑えが全く利かなくなるからな。あの女に傷の一つでもついてみろ、タカが外れたように暴れ出すぞ」

 

 疲れたように眉間に皺を寄せて言う那月に紗耶香の顔がさらに青ざめる。

 

 「悠長にしてる場合じゃないわね。早く王女を見つけないと……………」

 「そう上手くいけば良いがな。…………あれを見ろ」

 

 那月が船の進行方向の先に見える金魚鉢の方に目を向けて言う。

 つられて同じ方向に視線を移した紗耶香は、目の前に広がっている自身の理解を超えた光景に呆然と立ち尽くした。

 

 「あれは、一体…………」

 「どうやら、あの馬鹿共はまた面倒ごとに巻き込まれているみたいだな」

 

 二人の視線の先にあったのは、金魚鉢から天に向かって伸びる白き氷の塔だった。

 

 

 

 

 

 ***

 

 回想

 

 

 ーー痛い。

 

 朦朧とする意識の中、真っ先に口から出た言葉がそれだった。

 重たいまぶたを開けて、目だけを動かして周囲の様子を確認する。

 

 ーーここは………………?

 

 見覚えのない周りの風景に戸惑うようにそう言う。

 感触から察して自分が今、ベッドの上にいるのは分かった。

 右腕の感触が全くないことが気掛かりだったが、自分の右腕は神経の通った生身の腕ではなくて、鋼で出来た機械の腕だったことを思い出して納得した。

 

 ーーここは、どこ?

 

 改めて周囲を確認する。周囲には自分と同じように簡素なパイプベッドに横たわって体中の至る所を包帯で巻いている野戦服を着た兵士と彼らを手当している衛生兵の姿が見受けられた

 衛生兵達の着ている服には、CSAのロゴが刺繍されている。

 

 「…………起きたか、キリヲ」

 

 突然、すぐ真横で女性の声が聞こえた。

 声の主の顔を見るために痛む体に力を入れて左隣に顔を向ける。

 そこにいたのは、細く引き締まった身体を野戦服に包んだ白人の女だった。西洋人女性の中でもかなり長身の分類に入るほど背が高く、色素の薄い髪を肩の所でバッサリと切っている。顔立ちは整っているが、顔に浮かべている冷たい無表情と鋭い目つきのせいで、どこか近寄り難い雰囲気を醸し出していた。

 一年前に死にかけていた自分の命を拾ってくれたCSAの軍人、アンジェリカ・ハーミダだ。

 

 ーーここはどこ、アンジェリカ。

 

 「負傷者収容テントだ。お前は、吸血鬼の眷獣の攻撃に巻き込まれてここに担ぎ込まれた」

 

 ーー眷獣……………体が凄く痛いよ。

 

 曖昧な記憶の中で、自分を紙切れのように吹き飛ばした実体を持った魔力の怪物に襲われた瞬間を思い出し、同時に全身を苛む激痛も思い出した。

 

 「そうだろうな。…………あんな化け物に襲われたんだ。タダで済むはずがないだろ?」

 

 ーー………………ここで、死んじゃうのかな?

 

 「安心しろ。肋骨が三本折れただけで、後は打撲傷と裂傷だけ。後遺症も残らないはずだ」

 

 あまり心配する様子もなく、無愛想に言うアンジェリカ。

 

 ーー…………死んだ方が良かった。

 

 誰に言うわけでもなくポツリと呟く。

 

 ーー死んだら………終わったら、もう痛い思いもしなくて済むのに。

 

 諦めの感情を含んだ言葉が口からこぼれてきた。

 

 「……………お前は死にたいのか?」

 

 ーー………………うん。

 

 問い掛けに小さく頷くと、アンジェリカは傷ついて包帯を巻かれた身体を優しくさすりながら口を開く。

 

 「…………キリヲ。軍人には二つのタイプの人間がいる。出撃したその日にあっさりと死ぬ奴と、どんなに過酷な戦場に送り込まれても生きて帰ってくる奴だ。………この二つの違いはなんだと思う?」

 

 ーー……………強い奴が生き残って、弱い奴から死んでいくんでしょ?

 

 今まで見てきた戦場での光景を思い返しながらキリヲが言うと、アンジェリカは首を横に振ってキリヲの出した答えを否定した。

 

 「それは、違う。どんなに戦いに強い奴でも鉛玉を脳天に食らえば死ぬ。逆にどんなに弱くて戦いに勝てない奴でも弾に当たらなかったり地雷を踏まなければ生き残れる。………問題なのは、強さじゃない」

 

 優しく頭を撫でながらアンジェリカが話を続ける。

 

 「大切なのは、使命があるか否かだ。………軍人は、勝手に死ぬことを許されない。やるべきことをやってから死ななければならない。戦場に成すべき事がなくなって初めて兵士は、死ぬことを許されるんだ」

 

 ーー許す?……………誰が?

 

 「さあな、神様みたいな奴かもしれないし、もしかしたら運命と呼ばれているものかもしれない。……………とにかく、まだ戦場にやり残したことがある兵士は死を許されない。どんなに辛くても生きるために最善を尽くさなければならない」

 

 ーーどんなに辛くても………。

 

 「そうだ。……………わたしも随分と長い時間を戦場で過ごしているが、未だに死を許されていない。まだ、果たさなければならない役目が残っているんだ。……………そして、それはお前も同じだキリヲ。お前にも、まだ成すべきことが残っているはずだ。お前は、まだ倒れることを許されていない。お前に死を受け入れる許しは降りていない。だから、どんなに辛くても、痛くてもーー」

 

 全身を苛む痛みと過剰に投与されたモルヒネのせいで視界が徐々に暗くなっていき、目蓋が重くなっていく。

 言葉を紡ぎながら、アンジェリカは人工皮膚に包まれた機械の両手でキリヲの左手を優しく握り締める。

 機械の手が持つはずのない確かな温もりを僅かに感じた気がした。

 

 薄れゆく意識の中で最後に聞いた言葉はーー。

 

 

 「ーー生きろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 「………………………………っ、ここは?」

 

 意識が浮上した瞬間から激痛を訴え始める胸を手で押さえながら、重たい目蓋をゆっくりと開けていく。

 

 「目が覚めましたか、キリヲ!」

 

 上体を起こすと真っ先にラ・フォリアが銀色の髪を振り乱して駆け寄ってきた。

 

 「良かった………」

 

 キリヲの胸に飛び込むと、ラ・フォリアは縋るように身を寄せて賢生に銃弾を撃ち込まれたキリヲの胸の傷に両手を重ねた。

 自らの胸に飛び込んできたラ・フォリアの髪を優しく撫でるキリヲ。

 だが、その目は虚空を見つめていてどこかボンヤリとした雰囲気を醸し出していた。

 

 「夢を見ていた……………昔の」

 「え?」

 「…………いや、なんでもない」  

 

 ポツリと呟いたキリヲにラ・フォリアが顔を上げて反応したが、キリヲは微笑を浮かべながら首を横に振った。

 続いて視線を下ろして、賢生にマスケット銃で撃たれた銃創に目を向ける。

 

 「…………手当てしてくれたのか?」

 「すいません。ちゃんとした医療キットがなくて、かなり荒っぽい治療になってしまいました」

 

 傷口を指先でなぞるキリヲにラ・フォリアが申し訳なさそうに視線を反らしながら言った。

 

 「…………なるほど、バーベキューか」

 

 止血のために焼かれた傷跡を見て、キリヲが皮肉気にジョークを飛ばすとラ・フォリアが更に気まずそうに俯いてしまった。

 

 「…………焼いたのは、わたしよ。そのお姫サマを責めないであげて」

 「大丈夫だ、気にしてない。前にもやったことがある」

 

 ラ・フォリアに助け船を出したジリオラにキリヲが以前、CSAの野戦病院で過ごした日々を思い返しながら苦笑いを浮かべて言う。

 

 「怪我人は、俺だけか?」

 「いえ、古城も〈模造天使〉による攻撃で重傷でした」

 「…………おいおい、大丈夫なのか?」

 

 ラ・フォリアの言葉にキリヲが驚いた様子で古城に視線を向けた。

 魔族に絶大な効果を発揮する神気の攻撃に曝されれば、いくら古城と言えど無事では済まない筈だった。

 しかしーー。

 

 「ああ、なんとか大丈夫だ」

 「まったく、相変わらず先輩は人騒がせなんですから」

 

 思いのほか当人は元気そうだった。

 着ているパーカーは大量出血があったことを示すように赤く濡れているが、本人に怪我をしている様子はなく、隣にいる雪菜も浮かべている表情は心配ではなく呆れだった。

 

 「どうやら、古城の眷獣の中に〈模造天使〉の能力を無効化できるものがいるみたいなのです」

 

 ラ・フォリアの説明にキリヲも感心したように目を見開いていた。

 吸血鬼の持つ力は魔力を原動力に使っている。その対極ともいえる神気を無効化できる眷獣と言うのは、それだけ珍しい存在だったのだ。

 

 「新しい眷獣を………掌握したのか?」

 「〈剣巫〉の血を吸ってね。さっきは、凄かったわぁ。いつもの様子からは想像もできないほど積極的だったわよ、彼」

 

 古城を指差しながら愉快そうにジリオラが言うと雪菜は羞恥で赤く染まった顔を背け、古城も決まりが悪そうに視線を泳がせていた。

 

 「しかし、古城を蝕んでいた〈模造天使〉の剣は消えましたが新たな眷獣が目覚める気配がありませんね」

 

 ラ・フォリアが顎に手を当てて考える素振りをしながら、古城の瞳を覗き込んで言った。

 

 「この眷獣は………………………なるほど、そういうことですか」

 

 得心がいったように一つ頷いたラ・フォリアは、雪菜に向き直り口を開いた。

 

 「どうやら、この眷獣を目覚めさせるには二人の霊媒の血が必要のようです」

 「二人………か」

 

 ラ・フォリアの言葉にキリヲが今この場にいる面子に目を走らせた。

 雪菜………強力な霊媒だが既に古城に血を吸わせている。眷獣を呼び覚ますには、別の霊媒の血が必要になるだろう。

 ジリオラ………魔族であるジリオラの体内にあるのは、霊力ではなく魔力だ。眷獣の原動力にはなるが、眷獣を呼び覚ますための贄にはなり得ない。

 ラ・フォリア………代々強力な霊力を宿すアルディギア王家の血を引いている。霊媒としての質は最上級であり、〈第四真祖〉の眷獣を目覚めさせるには十分だろう。しかしーー。

 

 「ダメだぞ」

 「え?」

 「ラ・フォリアの血は、ダメだ」

 

 古城を見据えてキリヲがキッパリ言いきる。

 そんなキリヲにラ・フォリアが困ったように苦笑いを浮かべて口を開く。

 

 「キリヲ、気遣いは嬉しいですが今は緊急時なんですよ?〈模造天使〉を倒すためには彼の眷獣が必要です」

 

 申し訳なさそうに目を伏せるラ・フォリアにキリヲも返す言葉がなくなる。

 

 「大丈夫ですよ、キリヲ。たとえ、他の殿方に血を吸わせてもわたくしの貴方に対する想いは変わりません」

 「ラ・フォリア………」

 

 キリヲを安心させるために健気に微笑みを浮かべるラ・フォリア。ここまでされると、本当に何も言い返せなくなるキリヲだった。

 

 「…………なんか、俺がキリヲからラ・フォリアを奪おうとする悪者みたいな扱い受けてないか?」

 

 キリヲとラ・フォリアの会話を聞いていた古城が不本意そうに顔をしかめていた。

 

 「ていうか、血を吸わせるのが浮気になるなら貴方もこの前わたしとヤッたでしょう?」

 

 唐突にジリオラの発した言葉にキリヲの肩がビクッと震えた。

 今までキリヲを気遣うように微笑みを浮かべていたラ・フォリアの表情も固まる。

 

 「…………………どういうことですか、キリヲ?」

 「いや……あれは………その……」

 

 後ろめたい気持ちを隠すようにラ・フォリアから顔を逸らすキリヲ。

 だが、ラ・フォリアも逃がす気は毛頭なかった。

 

 「キリヲ、わたくしの目を見てハッキリと答えてください。今ジリオラが言ったことは本当なのですか?」

 

 キリヲの頭を両手で挟むように掴んで強制的に自分の顔に向けるラ・フォリア。浮かべている表情は満面の笑顔だが目が笑っていない。

 

 「あ、あれは……非常事態で、生きるか死ぬかの状況下だったんだ。俺としては大変不本意だったんだが、状況がそれを許してくれなくて………」

 

 視線が泳いでいる状態で必死の弁明をするキリヲ。

 

 「ちょっと、不本意ってどういう意味よ?」

 「話がややこしくなるから、少し黙ってろ」

 

 不満そうに口を挟むジリオラにキリヲが必死の形相で口を閉ざすように指示する。

 

 「本意では…………なかったと?」

 「ああ、勿論だ。俺は乗り気じゃなかったし、必要最低限のことしかしてない。…………そうだよな、姫柊?」

 

 この状況を乗り越えるために雪菜に助けを求めるキリヲ。あの場にいた雪菜に証人となってキリヲの無実を訴えてもらおうと考えたのだ。

 しかし、当の雪菜は…………。

 

 「すいません、九重先輩が上半身裸になった辺りから恥ずかしくて目を閉じていたので、なにがあったかは分からないんですけど…………」

 「姫柊、頼むから追い討ちかけるのは止めてくれっ!嘘でも良いから何もなかったとーー」

 

 あの時の事を思い出して顔を朱に染める雪菜にキリヲが声を張り上げる。

 だが時既に遅く……。

 

 「…………上半身裸ですか。それは、必要最低限のことなのでしょうか?それに『嘘でも良いから』って何か嘘をつかなければならないことでもあるのですか?」

 

 キリヲの頭を挟んでいる両手に力を加えながらラ・フォリアが笑顔のままキリヲに顔を近づける。

 

 「い、いや何もない。何もないぞ、ラ・フォリア。服を脱いだのだってジリオラに言われたからで、やましいことはなにも………ってイタッ、痛い、ちょ、ちょっと手に力入れすぎだろ、頭潰れるっ」

 

 万力のようにキリヲの頭に圧力をかけるラ・フォリアの手首を掴みながらキリヲも必死に許してもらおうと弁明する。

 やがて、拗ねたように頬を膨らませるとラ・フォリアはキリヲから手を放して自分の着ているシャツのボタンに手をかけた。

 

 「……彼にわたくしの血を吸わせます」

 「だ、ダメだ。ラ・フォリア、落ち着け」

  

 ボタンを外そうとするラ・フォリアの手を掴んで止めようとするキリヲ。だが、ラ・フォリアに引く気はなかった。

 

 「貴方もジリオラに吸わせたのでしょう?わたくしも古城に吸わせます。……………貴方も少しはわたくしの気持ちを思い知れば良いんです」

 

 いよいよ本気で拗ねたようにキリヲにそっぽを向くラ・フォリア。昔から、こうなったら何を言っても聞かないことを知っているキリヲは、疲れたように溜め息をついた。

 

 「なあ、ラ・フォリア。頼む、信じてくれ。俺が一番大切に想っているのは、いつだってお前だ。それだけは、嘘じゃない。絶対に」

 

 真剣な面持ちでラ・フォリアの顔を覗き込んでそう言うと、ラ・フォリアもシャツのボタンを外していた手の動きを止めて見上げるようにキリヲの顔を見返した。

 

 「………………………そんなことは、分かってます。少しヤキモチ焼いて欲しかっただけです。わたくしだけ、こんな思いするなんて不公平ですから」

 「もう十分、思い知ったよ。……………悪かった」

 

 勘弁したようにそう言うとキリヲは、優しくラ・フォリアの細い体を抱きしめて頭を撫でた。それで満足したのか、ラ・フォリアもシャツのボタンをしめなおした。

 とりあえず、古城がラ・フォリアの血を吸うという展開を回避したことでキリヲも安堵したように息を吐いた。

 

 「で、結局どうするの?〈第四真祖〉の眷獣を目覚めさせるための霊媒。言っておくけどわたしのはダメよ?眷獣を掌握するための餌は霊力じゃないといけないから」

 

 ジリオラがそう言うと、再度キリヲが困ったように表情を曇らせた。

 雪菜が既に血を吸われている以上、他に霊媒として血を提供できるのはラ・フォリアになってしまう。

 その時だった。

 

 「あの………今更になってしまうんですけど、九重先輩の血を吸わせても眷獣は目覚めるんじゃないですか?」

 「「「あ」」」

 

 雪菜がそう呟いた途端、この場にいた全員が動きを止めて間の抜けた声を上げた。

 確かにキリヲは生まれつき持っている霊力は常人程度だが、体内に小型精霊炉を埋め込んでからは、アルディギア王家の女系に匹敵するほどの霊力を全身に宿していた。

 吸血鬼の眷獣の霊媒には、十分になりうる血の持ち主だった。

 

 「……………よし、それでいこう」

 

 善は急げとでも言うようにキリヲは、鞘に納められている〈フラガラッハ〉を抜くと、銀色に光を反射する刃を手首に当てて皮膚を薄く切り裂いた。

 

 「ま、待てよ。さすがに男の血は…………」

 

 血の滲み出る左手首を差し出すと今度は、古城が引きつった表情を浮かべて半歩下がった。

 

 「姫柊、押さえろ」

 「はい」

 

 キリヲの指示を受けて雪菜が素早く古城の背後に回りヘッドロックをかけた後に足を絡ませて地面に引きずり倒し、そのまま寝技に持ち込んで動きを拘束した。

 

 「ひ、姫柊。いくらなんでも、キリヲの血はちょっと………」

 「他にいないんですから、仕方がないじゃないですか!」

 「いや、でも他にも……」

 

 雪菜に拘束された状態で古城が端で面白そうに目の前の光景を見物しているラ・フォリアに視線を向ける。

 すると、古城の関節を固めていた雪菜が激高したように声を張り上げて関節を絞める力を強める。

 

 「そんなにラ・フォリアの血が吸いたいんですか!?いやらしい!」

 

 雪菜が怒りを力に変えてギチギチと音を立てる関節を更に強く締め上げていくと古城の口から声にならない悲鳴が零れた。

 

 「観念しろ、古城」

 「いや、無理だって!いくらなんでも、野郎の血は無理ーー」

 

 雪菜に拘束されながら虚しい抵抗を続ける古城の口に躊躇なく左手首を押し付けるキリヲ。

 

 「いいから、黙って飲め」

 「グボボッ!?」

 

 古城の苦悶の声が、静寂が支配する氷の塔に響き渡るのだった。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 氷の塔 内部

 

 (全部消えた………消してしまった)

 

 静寂と暗闇が支配する氷の塔、その最上部で幼い顔立ちの天使ーー叶瀬夏音は、膝を抱えてうずくまっていた。

 

 (全部、わたしのせいだ………」

 

 脳裏に浮かぶのは、ここ数日互いに殺し合った、同じ仮面を被せられたら少女達。そして、自らの手で刺した吸血鬼の少年と敬愛していた父が銃で撃ち抜いた黒髪の少年。

 

 (キリヲ……さん……)

 

 数日前に出会ったばかりの少年。共に過ごした時間は短かったけれど、彼はわたしに誰よりも優しく接してくれた。

 それが何よりも嬉しかった。

 ……………たとえ、その優しさが向けられていたのが自分ではなくても。

 彼が自分を通して別の誰かを見ているのは夏音にも分かった。

 自分にあれほど優しくしてくれるのは、彼の言う自分に似た他の女性がそれ程までに大切だからなのだろう。

 けれど、それでも構わなかった。

 他の人の代わりとは言え、彼の優しさに触れられたのが嬉しかった。

 でもーー。

 

 (それも………もう終わり)

 

 夏音は、ゆっくりと顔を上げた。

 翼を広げ、次なる次元に完全に昇華するために。

 この世界に、今まで感じてきた苦痛に、悲しみに、別れを告げるために。

 

 (もう…………わたしは…………消えてしまいたい)

 

 人ならざる声で叫びを上げ、夏音は氷の塔から飛び出した。

 蛹から蝶が羽化するように。

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 「動き出したか」

 

 吹雪の止んだ金魚鉢の浜辺で今まで沈黙を保っていた氷の塔が突如、眩い光を放つのを見て白衣を着た男ーー叶瀬賢生は誰に聞かせるわけでもなく呟いた。

 

 「もう、お前をこの世界につなぎ止めるものは消えたのだな、夏音よ」

 

 氷の塔の外壁を破って翼を広げる夏音に賢生は、穏やかな微笑を浮かべた。

 その次の瞬間だった。

 

 「ん?あれは…………」

 

 氷の塔の最上部で動き始めた夏音に続くように塔の根本からも振動が発生したのだ。

 振動は徐々に強くなっていき、やがて氷の壁を突き破って緋色の双角獣が姿を表した。

 

 「〈第四真祖〉の眷獣………生きていたのか」

 

 賢生がそう呟くと、眷獣が開けた穴から五人の人影が姿を表した。

 

 「よう、オッサン。また会えたな」

 

 氷の塔から出てきた古城が獰猛に牙を剥きながら吼える。

 そして、古城に続くように現れたキリヲ達も敵意に満ちた視線を賢生に向ける。

 

 「叶瀬………」

 

 光り輝く翼を広げて賢生の側に降り立つ〈模造天使〉を目にしてキリヲが悲痛そうに表情を歪めた。

 

 「…………やはり、邪魔をするか」

 

 現れたキリヲ達を見て、忌々しそうに賢生は白い銃身のマスケット銃を取り出し、合図を出すように左手を上げた。

 

 「なに、あいつ等生きてたの?ホント、怠いんだけど」

 

 合図を受けて、賢生達が待避していた高速艇からベアトリスを先頭にロウ、〈白狐〉が姿を現す。

 

 「最後の儀式だ。XDA-7を完成させるぞ」

 「怠……、さっさと済ませるわよ」

 「まあ、給料分は働くとするか……」

 「〈剣巫〉……本家の実力を見せてもらおうかしら」

 「………………」

 

 賢生、ベアトリス、ロウ、〈白狐〉、〈模造天使〉がそれぞれ臨戦態勢を整えて前にでる。目の前に立ち塞がる敵をねじ伏せるために。

 

 「一人一殺だ。必ず全員で勝って帰るぞ」

 「ああ、ここから先は俺の喧嘩だ!」

 「いいえ、先輩。わたし達の喧嘩です!」

 「我が臣下達を手に掛けた罪、絶対に許しません」

 「格の違いってのをたっぷりと教えてあげるわぁ」

 

 キリヲ、古城、雪菜、ラ・フォリア、ジリオラも賢生達を迎え撃つように闘志をたぎらせて対峙し、キリヲが開戦を告げるかの如く小さく声を発する。

 

 「行くぞ」

 

 雪菜が〈雪霞狼〉を構え、〈白狐〉も〈乙型呪装双叉槍〉の矛先を雪菜に向ける。

 ジリオラとベアトリスが互いに使役している意志を持つ武器である眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉と〈蛇紅羅〉を召喚した。

 ロウは、自身を狼の頭部を持つ獣人へと変身を終え、ラ・フォリアは呪式銃である〈アラード〉に呪式弾を装填する。

 〈模造天使〉である夏音は神気を纏った翼を広げ、古城の全身を眷獣の魔力が覆った。

 そして、キリヲと賢生が互いに胸の中と銃身の内部に埋め込んだ精霊炉を稼働させる。

 

 「「ヴェルンドシステム…………起動」」

 

 純白のマスケット銃と〈フラガラッハ〉を構える二人を白銀の霊力のオーラが包み込んでいく。

 

 

 叶瀬夏音、この一人の少女を賭けた戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回で天使炎上編は、終わりの予定です。


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天使炎上編Ⅷ

 大学のレポートとプレゼンに封殺されてました…………………遅れて大変申し訳ありません!
 それと前回、次で天使炎上編終わらせると言いましたが、また一話にまとめられませんでした。(毎度毎度、本当にすいません)


 

 金魚鉢

 

 「行くぞ」

 

 キリヲがそう口にすると同時にその場にいる全員が各々の得物を手に駆け出す。

 一番最初に動いたのは、夏音ーー〈模造天使〉だった。

 

 「Kyriiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiiii!」

 

 人ならざる声の絶叫と同時に高次元から流入してくる神気を纏う翼から、光り輝く無数の霊力の剣を撃ち出す。

 彗星のように光の軌跡を描いて降り注ぐ剣を睨みつけ、真正面から迎え撃つのは全身に高濃度の魔力を纏う世界最強の吸血鬼ーー暁古城だ。

 古城の身体から群青色の魔力が蜃気楼のように揺らめきながら溢れ出す。

 雷を司る〈獅子の黄金〉でも衝撃波を操る〈双角の深緋〉のものでもない、新たな眷獣の力だ。

 

 「〈模造天使〉の剣が効いていないだと………?」

 

 古城から放たれる魔力に触れた〈模造天使〉の剣が消えるのを目にして賢生が怪訝そうな表情を浮かべる。

 その間にもキリヲを先頭に雪菜達も武器を手に賢生に迫ってくる。

 

 「援護します!」

 

 キリヲの〈フラガラッハ〉、雪菜の〈雪霞狼〉、ジリオラの〈ロサ・ゾンビメイカー〉、近接武器を持つ三人が前衛に立ち、呪式弾が装填された〈アラード〉を構えたラ・フォリアが三人の後方から援護射撃を行う。

 膨大な魔力が封じられた呪式弾の威力は、大口径ライフルにも引けを取らない。凄まじい運動エネルギーを持つ銃弾が地面に突き刺さり、衝撃で土煙が上がる。

 

 「くっ……」

 

 足元に呪式弾を撃ち込まれたことにより、賢生の側に立っていたベアトリス、ロウ、〈白狐〉がそれぞれ別の方向に退避する。

 

 「敵がバラけた。各個撃破で行くぞ」

 

 別々の方向に移動して孤立したベアトリス達を尻目にキリヲがそう言うと雪菜とジリオラも無言で頷き、それぞれの敵に向かっていく。

 

 「片付けたら、援護に向かいます!」

 「死ぬんじゃないわよ」

 

 離れ際に言い残す二人にキリヲも無言で頷いて返答する。

 

 「やってくれたわね………このメス豚がぁ!」

 

 賢生達から引き離されたベアトリスが、自身に向かってくるジリオラを目にして激昂したように叫ぶ。

 ベアトリスの手に握られている〈蛇紅羅〉の矛先が軟体動物の触手のように蠢いてジリオラに襲いかかる。

 

 「百年も生きていない小娘が舐めた口きいてくれるわね」

 

 迫りくる変幻自在の槍先を、茨の鞭の形をした〈ロサ・ゾンビメイカー〉で打ち払う。

 意思を持つ武器を従える第三真祖の血族同士の戦いの始まりだった。

 

 「さて、本家の実力………見せてもらおうかしら」

 

 矛先が二股に別れた霊槍〈乙型呪装双叉槍〉を構えながら〈白狐〉が仮面の下で静かに笑みを浮かべる。

 それに対峙するのは、あらゆる異能を打ち消す武神具〈雪霞狼〉を構える獅子王機関の剣巫ーー姫柊雪菜。

 

 「………っ!」

 「………はっ!」

 

 ほぼ同時に二人とも動き出し、金属質な造りの槍が互いに相手の身体を貫こうと空中で幾度も交差して火花を散らす。

 互いに同じ流派の技を極めた巫女、剣巫と六刃神官の雌雄を決する戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 「おお、始まったな」

 

 ベアトリスと〈白狐〉が戦闘を始めるのを見てロウも獣人化して膨らんだ筋肉に力を込めて臨戦態勢を整える。

 

 「…………俺の相手はあんたか?」

 

 白銀の刀を構えながら駆けてくるキリヲにロウが問い掛ける。

 しかしーー。

 

 「………………」

 

 ロウの問に答えることもなく、キリヲは義足の力を発動して一気に距離を詰め、勢いを落とさずにロウの頭上を飛び越えていった。

 急速に遠ざかっていくキリヲに一瞬、目を奪われたロウに声をかける者がいた。

 

 「いいえ、貴方の相手はわたくしです」

 

 ロウの問に対する答えは全く予想していない方向から返ってきたのだ。

 視線を前に戻すと、そこには〈アラード〉の銃口を自身に向けている銀髪の少女ーーラ・フォリアの姿があった。

 

 「お姫様が相手か………いいね」

 「貴方に喜ばれても全く嬉しくないですね」

 

 ニヤニヤと品のない笑みを浮かべるロウにラ・フォリアも不快感を表すように目つきを鋭くさせる。

 ロウが鋭利な爪を構えて飛びかかると同時に、ラ・フォリアも〈アラード〉の引き金を躊躇うことなく引き絞る。

 一国の姫君と野獣の決闘が始まった瞬間だった。

 

 (……………叶瀬は古城に任せて大丈夫そうだな)

 

 キリヲ達からは少し離れた場所で、互いに神気と魔力で凌ぎを削りあっている古城と夏音を横目に胸中で呟くとキリヲは、〈フラガラッハ〉を振りかぶって残された最後の敵ーー賢生に斬りかかる。

 

 「…………………」

 「…………………」

 

 キリヲも賢生も口を開くことはない。語ることなど無いと言った様子で互いに武器の矛先を相手に向ける。

 キリヲの〈フラガラッハ〉を賢生がマスケット銃の銃身で受け止めた。

 武器を隔ててキリヲは賢生の顔を睨みつける。

 零距離で交差する二人の視線。義眼の能力を発動させて瞳の光彩が変色するのは同時だった。

 

 「終わらせてやる……………」

 「…………やってみるがいい」

 

 同じ精霊炉を持つ者同士の潰し合いの始まりだ。

 

 金魚鉢の浜辺に集った者達の、一人の少女を賭けた死闘は熾烈を極めていった。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢  ラ・フォリアvsロウ

 

 ダンッダンッ

 

 ラ・フォリアが引き金を引く度に豪華な装飾を施された単発式拳銃〈アラード〉の銃身が上に跳ね、銃口火と共に14mm口径の銃弾が撃ち出される。薬莢の中の炸薬が破裂し、膨大な魔力を内包した呪式弾が空を切って直進して標的の腸に食らいつこうとする。

 狙いは、全身灰色の狼人間に変身した獣人種ロウ・キリシマ。

 獣人特有の筋力を活かして、音速を超えて飛来する銃弾を避けて雪の降り積もった浜辺を疾駆していた。

 

 「ははっ、当たんねーな!」

 

 小馬鹿にするように言いながらロウは、ラ・フォリアへと距離を詰めていく。

 無論、ラ・フォリアも近づけるつもりは毛頭ない。

 遠距離武器である銃火機の最大の利点は、相手の攻撃範囲外から致命傷を与えられることだ。

 接近さえされなければ、筋力的に男性より劣るラ・フォリアでも十分に勝機がある。

 

 「…………次は当てます」

 

 挑発するように言いながらこちらに向かって疾走してくるロウの顔面に狙いを定めて引き金を引く。

 だが、獣人の反射神経の前では銃弾も意味をなさない。頭を逸らして弾をかわすと、スピードを緩めずに鋭い爪をラ・フォリアに突き立てようと振り上げる。

  

 「…………っ!」

 

 銃身内部に残る空薬莢を排斥すると、素早く新しい呪式弾を装填して今度は接近してくるロウの足元に向かって撃ち込む。

 

 「おっと!?」

 

 顔面を狙われた直後で、意識が頭部に集中していたロウは突然足元に撃ち込こまれた銃弾に反応できず驚いて足を止めた。

 

 「ここっ………!」

 

 一瞬、動きを止めたロウの隙を見逃さずにラ・フォリアはすかさず呪式弾を肩に向けて撃ち出す。

 

 「…………ぐっ!」

 

 全身の筋肉をバネのように使って上半身を捻り、呪式弾を避けるロウ。

 轟音と共に放たれた弾は、ロウの肩をかすっただけだった。

 

 「くそっ!」

 

 肩から流れ出る鮮血を目にして悪態をつき、ロウは跳ぶように後方へと下がる。

 距離をとったロウ目掛けて、再びラ・フォリアが呪式弾を装填した〈アラード〉の銃口を向けた。

 だが、呪式弾の脅威はロウも十分に理解している。

 ラ・フォリアが引き金に指をかけるより速く〈アラード〉の射線から逃れるように駆け出していた。

 

 「流石に速いですね…………」

 

 獣人特有の強力な身体能力を駆使して浜辺を疾走するロウ。獣人が変身した状態でフルスピードを出せば車の走行速度と変わらない速度が出せる。瞬足が自慢の豹種なら、並みの車よりも遥かに速く走れる。

 前傾姿勢を維持したまま野生の獣の如く駆けるロウもおよそ時速百二十キロ近い速度を出していた。

 

 「…………………」

 

 その高速移動体に照準を合わせてゆっくりと身体の角度を変えるラ・フォリア。

 脇を締めて両足を前後に短い感覚で開き、銃のグリップを握る右手に添えるように左手を置く。スタンダードな拳銃射撃の構えを取って左目を瞑り狙いを定める。

 

 (……………………弾はこれが最後)

 

 疾走を続けるロウより少し先の位置ーー数秒後の予測到達地点に照準を合わせる。

 呼吸を止めて、一瞬だけ腕に伝わる鼓動が生み出した振動を限りなく零にする。

 慎重にタイミングを合わせて、勢いよく引き金を引く。

 

 ダンッ

 

 放たれた呪式弾が時速百キロ以上の高速で移動するロウをーー。

 

 「ガハッ!?」

 

 ーー正確に撃ち抜いた。

 腹部に呪式弾が直撃して大量に吹き出た血を目の当たりにしたロウは、震える手で溢れ出した血液を掬う。

 

 「こ……の………女ァ!!」

 

 人間を上回る硬度を持つ腹筋を収縮させて無理矢理銃創を塞いだロウは、激昂したように腕を振り上げてラ・フォリア目掛けて突進する。

 

 「まだ、動くのですか………!?」

 

 銃弾を受けても倒れずに向かってくるロウにラ・フォリアが驚いたように数歩下がって距離を取ろうとするが、数メートルの距離など獣人種のロウには一秒とかからずに詰めることができた。

 

 「ぐっ!?」

 

 ラ・フォリアに肉薄したロウは、ラ・フォリアの白く細い首を掴むと勢いよく地面に引き倒した。

 

 「……………まったく、大したことモンだよ。走ってる獣人に当ててくるなんてな」

 

 下に組み敷いたラ・フォリアを見下ろしながらロウが感心したように言う。

 実際、一定以上の速度を出している移動体に銃弾を当てるには、かなり高度な技術が要求される。戦場でもそう簡単には、お目にかかれない。

 一方でラ・フォリアも余裕を損なわない様子で優雅に微笑みながら返事を返す。

 

 「キリヲに………沢山教えてもらいましたからね」

 「へえ?お姫様と個人レッスンか、羨ましいね」

 

 ラ・フォリアの言葉に、ロウが獰猛な笑みを浮かべながら首を掴んでいる腕に力を込めようとする。

 

 「………………彼から教わったのは射撃だけではありませんよ」

 「あ?」

 

 ラ・フォリアの言葉に怪訝そうに表情を歪めるロウ。 

 その次の瞬間ーー。

 

 「ハッ!」

 

 グサッ

 

 ラ・フォリアは、仰向けの状態のまま右手に握っている〈アラード〉の銃身に着装された銃剣を思いっきりロウの顔面に突き立てた。

 

 「ぎゃああ!?」

 

 不意打ちを食らったロウは、血の吹き出す顔面を手で覆いながら飛び退いた。

 ロウの手が首から離れると、すかさずラ・フォリアは上体を起こして立ち上がり銃剣の切っ先をロウへと向けて、静かに目を伏せる。

 

 「我が身に宿れ、神々の娘。豊穣の象徴。二匹の猫の戦車。勝利をもたらし、死を運ぶものよ!」

 

 厳かな声音でラ・フォリアの詠唱が成されると、眩い光がラ・フォリアの体内から湧き出てくる。

 現出した光は腕を伝い、〈アラード〉の銃剣を覆っていく。

 光が銃剣を覆う頃には、〈アラード〉は刃渡り二メートル以上の光の剣へと姿を変えていた。

 

 「ヴェルンド………システム!?」

 

 掠れた声で言うロウの目は驚愕に見開かれている。

 

 「今は、わたくし自身が精霊炉です。……………精霊の加護を受けた我が一太刀、受けてみなさい!」

 

 〈アラード〉を振りかぶったラ・フォリアが鋭い視線を向けながら吼える。

 その目に浮かぶ怒りの感情は、飛空艇で命を落とした家臣達を想ってのものだ。

 彼らの無念を晴らすべく、ラ・フォリアは光の剣をロウに向けて振り抜く。

 

 「ハアッ!」

 

 流麗な動作で宙に十字を描くように振られた〈アラード〉。

 ロウの胴体を目にも留まらぬ速さで切り裂いた。

 

 「馬鹿な…………剣術だと………!?」

 

 洗練された動きで光の剣を操るラ・フォリアにロウが驚愕に満ちた声で呟いた。

 

 「………………彼から教わったのは、射撃だけではないと言ったはずですよ」

 

 最後にそう言うとラ・フォリアは、ロウへの感心を失いその場を後にした。

 視線の先にあるのは依然、強敵との激闘を繰り広げる仲間達の姿だった。

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢 ジリオラvsベアトリス

 

 血に宿る魔力で構成された深紅の鞭と槍が空中で何度もぶつかり合う。

 

 「ほらほら、どうしたぁメス豚ァ!」

 

 獰猛に口の端を吊り上げて笑うベアトリス。

 彼女の持つ槍の形をした眷獣〈蛇紅羅〉は、矛先の形状を変幻自在に変えることができる。

 ジリオラが振るう鞭〈ロサ・ゾンビメイカー〉の複雑な動きにも槍先を触手のような形に変えて対応していた。

 

 「………………意外といい反応ね」

 

 他者を支配するという強力な能力を持つ〈ロサ・ゾンビメイカー〉だが、攻撃力自体はあまり高くない。

 無論、吸血鬼の従える眷獣である以上、並みの武器よりは破壊力があるが攻撃に特化した同じ眷獣が相手では少々分が悪かった。

 だが、この事はジリオラ自身もよく理解している。

 故に……。

 

 「ハッ!」

 

 身体を回転させて遠心力をも利用した独特な動きで鞭を操り、ベアトリスにあらゆる死角を突く攻撃を繰り出していく。

 システマと呼ばれるロシアの軍隊格闘技に鞭を使った技が存在する。

 ジリオラが使っているのは、その応用だった。眷獣自体の攻撃力の低さをカバーするために格闘技を戦いに組み込んでいるのだ。

 

 「この………なんだ、この動き!?」

 

 視覚の外から飛んでくる鞭、腰を落とした姿勢の動きによる巧みな回避、武芸が成すあらゆる要素がジリオラに有利な戦局を作り上げていた。

 本来、吸血鬼は格闘術など学ばない。必要がないからだ。

 眷獣というより強力な武器を持つ吸血鬼にとって、非力な人間が考えた戦闘術などは学ぶに値しなかった。

 ………だが、その弊害こそがベアトリスをこの状況に追い込んでいた。

 

 「…………その槍、全自動で動いているみたいね」

 

 今までの攻防でジリオラは、ベアトリスの従えている眷獣〈蛇紅羅〉の特性を見抜いていた。

 軟体動物のように槍先を複数の触手に枝分かれさせてそれぞれ別の動きで襲ってくる。

 ジリオラが放つ鞭の一撃も、〈蛇紅羅〉がベアトリスの意思とは関係なく対応しているのだ。

 

 「宿主が強いわけではないのなら、手はいくらでもあるわ」

 

 〈蛇紅羅〉の槍先を弾き返したジリオラは、空いている左手を掲げて魔力を迸らせる。

 宙に霧が吹き出し、空中で無数の蜂に姿を変える。

 

 「行きなさい〈毒針たち〉!」

 

 一匹一匹が即効性の致死毒を持つ群生眷獣が群をなしてベアトリスに襲いかかる。

 夥しい数の蜂に流石のベアトリスも引きつった表情で数歩後ろに下がる。

 

 (………これで終わりね)

 

 勝利を確信して静かに笑みを浮かべるジリオラ。

 だが、その確信は見事に裏切られることになる。

 

 ビュンッ

 

 空を切る音が響き、ベアトリスに集っていた〈毒針たち〉が赤い槍によって打ち払われていた。

 普通なら到底対応しきれない量の蜂を〈蛇紅羅〉が宿主であるベアトリスの意思を無視して縦横無尽に動き回り、叩き落としているのだ。

 

 「………………いい眷獣を持っているじゃない」

 

 全ての蜂を叩き伏せた〈蛇紅羅〉に視線を向けながらジリオラが言う。

 それに気をよくしたのか、ベアトリスが高らかに笑い声を上げる。

 

 「は、ははっ、見たか!これが、わたしの力だ!」

 

 (強いのは、眷獣の方だけでしょう………)

 

 〈蛇紅羅〉を掲げて笑うベアトリスにジリオラが呆れたような視線を向ける。

 だが、それに気付かずベアトリスは更にヒートアップした様子で声を張り上げる。

 

 「テメェなんかが勝てるかよ、この婆ァ!」

 

 ピキッ。

 

 『婆』と言う単語がベアトリスの口から出た瞬間、思わずジリオラの動きが止まった。

 表情も凍りついたように固定されて動かない。

 

 「……………婆?」

 

 わたしが?とジリオラは訪ね返す。

 

 「そうだよ、この阿婆擦れクソ婆ァ!その不細工な顔面、串刺しにして遊んでやるから覚悟しな!」

 

 ベアトリスの聞くに耐えない罵倒が終わってもジリオラの身体は身動き一つしていなかった。

 

 ーー不細工?

 

 確かに旧き世代の吸血鬼である以上、年齢をカウントしていけば数字三桁にはなってしまう。だが、外見年齢は二十代で止まっているし何より職業柄、美貌を損なわない努力を惜しんだことはない。

 体型は娼婦時代のものを維持しているし、髪と肌のケアは毎日欠かさず二時間はかけてやっている。

 化粧の仕方も心得ているつもりだし、そもそも娼婦をしていた頃から王族の男共が大金積んででも抱かせてくれと頭を下げに来るくらいの美貌を持ち合わせていたつもりだ。

 美貌は、ジリオラにとって血統と同じくらい誇るべきものであったしアイデンティティの一つと言っても過言ではなかった。

 …………他にも美に対するジリオラの執着を語ればキリがないが、要するに何が言いたいかと言うとーー。

 

 「…………………絶対ぶっ殺す。まともな死に方ができると思わないことね」

 

 獰猛な笑みがジリオラの顔に浮かび上がる。

 

 「抜かせ、この売女ァ!」

 

 ベアトリスの声に呼応して〈蛇紅羅〉が枝分かれした槍先を伸ばしてジリオラに殺到する。

 だが、槍が肉の身体を貫いた感触がベアトリスに伝ってくることはなかった。

 

 「なっ!?霧化!?」

 

 薄紅色の霧に姿を変えたジリオラに思わず声を張り上げるベアトリス。

 霧化すれば大抵の物理攻撃は吸血鬼に対して意味をなさなくなる。

 吸血鬼が戦闘で不利を悟った時に使う奥の手だ。

 

 「まさか、逃げるつもりっ!?」

 

 ベアトリスが驚愕に満ちた表情を浮かべる。

 しかし、霧に姿を変えたジリオラはベアトリスが予想していた動きとは全く別の行動に出た。

 逃げるのではなく、霧になったままベアトリスに近付いていったのだ。

 

 「なっ!?」

 

 赤い霧に包まれたベアトリスが困惑したように声を上げる。

 やがて霧に包まれて視界を完全に奪われた時、ジリオラの攻撃が始まった。

 

 「カハッ………!?」

 

 霧化を解除したジリオラは現出した瞬間、目の前のベアトリスの身体に腕を絡みつかせる。

 手足を固定し、腕を使って首を背後から締め上げたのだ。

 完全な不意打ち。本来、逃げるために使われる霧化を用いた奇襲だった。

 立った状態でベアトリスの身体を拘束したジリオラは、赤く艶やかに濡れる唇をベアトリスの首筋に寄せていく。

 ズズッと吸血鬼特有の長い牙がベアトリスの首筋に埋まっていった。

 そしてそのまま一気に頸動脈を流れる血液を吸い上げる。

 

 「な、何を……………放せっ!?」

 

 ベアトリスは身体を捻って無理矢理ジリオラの拘束から抜け出す。

 強引に牙を抜かれた首筋が大きく裂けて血が溢れ出ていたが、気にする余裕はなかった。

 目の前のジリオラは、口の端に付いた血を舌で舐め上げながら妖艶に微笑んでいた。

 

 「…………このクソ女ァ!全身穴だらけにしてやるっ!」

 

 血を吸われたことに対する羞恥と怒りでベアトリスの顔面は真っ赤だった。

 だが、ジリオラが浮かべているのは余裕の表情。焦る様子は微塵もなかった。

 まるで、もう勝負はついているとでも言うように。

 

 「穴だらけ?どうやってするつもりかしら?」

 「何を言って………?」

 

 ジリオラの物言いに怪訝そうに表情を歪めていたベアトリスだが、直後に異変に気付いた。

 

 「なっ!?どうしてっ!?」

 

 ベアトリスの手から〈蛇紅羅〉が消えていた。それどころか、魔力を放出しても〈蛇紅羅〉が顕現しない。

 眷獣の支配権が消えていた。

 

 「お前…………まさか…………」

 

 震える声で言いながらジリオラに視線を向けるベアトリス。

 その視線の先ではジリオラが右手を掲げている姿があった。

 ジリオラの体内の魔力が血霧となって腕から吹き出す。

 やがて、血霧は一振りの赤い槍へと姿を変えた。

 

 「悪くないわね、この眷獣。これからは、わたしが有効に使ってあげるから安心なさって」

 

 上機嫌な様子で槍を指でなぞっていくジリオラ。

 同族喰い。

 吸血鬼がもっとも恐れる事象だ。血を飲み、血脈に宿る眷獣の支配権や人格そのものを吸収する行為。

 ジリオラは、同族喰いを行って〈蛇紅羅〉の支配権を奪ったのだ。

 〈蛇紅羅〉は早くも新しい主人を認めたのか、大人しく従っている。

 

 「お前…………わたしから、眷獣の支配権を…………奪ったのか!?」

 

 驚愕と絶望に目を見開くベアトリス。

 だが、そんなベアトリスにジリオラが向ける表情は憐れみではない。

 無抵抗な獲物に止めを刺す捕食者の笑みだ。

 

 「確か……………顔面を串刺しにする、だったかしら?」

 

 ジリオラの手の中で〈蛇紅羅〉が蠢く。

 眷獣を失ったベアトリスに抵抗する手立てはない。

 

 「精々、自分の眷獣との最後の戯れを楽しみなさい」

 

 冷酷にジリオラが言い放つと同時に〈蛇紅羅〉の槍先がベアトリスに殺到する。

 そこにあるのは、ただ一方的な蹂躙だった。

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢 雪菜vs〈白狐〉

 

 「〈雪霞狼〉!」

 

 獅子王機関が開発した神格振動波を制御する秘奥兵器〈雪霞狼〉の切っ先を勢いよく〈白狐〉に突き出す雪菜。

 対する〈白狐〉も太史局が誇る対魔獣兵器の霊槍〈乙型呪装双叉槍〉で雪菜の攻撃を受け止める。

 二振りの槍が互いに連続で突き出され、相手の使い手を仕留めようと金属質な矛先を鈍い銀色に光らせていた。

 

 「ハアッ!」

 

 剣巫として並ならぬ才覚を持つ雪菜は、霊視を使って一手先の戦局を読んで最善手を選んでいく。

 息もつかせないほどの連続攻撃を叩き込んでいく。

 〈白狐〉の方が体格的には勝っていたが、常に最善の一手を選び取って戦いを進める雪菜に次第に押されていく。

 

 「…………顔だけが取り柄の乳臭いお子様だと思っていたけれど、流石は第四真祖の監視役ね」

 

 雪菜の連続攻撃を捌ききれずに負った二の腕の切り傷から流れる血の雫に目を向けて、〈白狐〉が感心したように言う。

 仮面で表情は見えないが、声音から察してこの状況を楽しんでいるように雪菜には感じ取れた。

 血を流すことを、戦うことを楽しんでいるのだ。

 その事実に雪菜は、冷や汗を禁じ得なかった。

 

 「………………なぜ、太史局がメイガスクラフトに協力を?」

 

 同じ国家機関であるはずの太史局の思惑が見定められず、雪菜は怪訝そうな表情を浮かべて〈白狐〉に訊ねた。

 

 「…………連中の研究が吸血鬼の真祖と聖剣遣いを殺し得るものだからよ」

 「狙いは暁先輩と九重先輩ですか!?」

 

 〈白狐〉の出した返答に雪菜は、思わず声を上げた。

 

 「……………二人を狙う理由は?」

 「それは、上の事情よ」

 

 この問に答える気はなさそうだった。

 〈雪霞狼〉の槍先を向けたまま、雪菜は苦し紛れに口を開く。

 

 「………………退いてはくれませんか?」

 

 同じ国家機関の攻魔師として争いは避けたいと意思表示をするが、返ってきたのは仮面の下から聞こえてくる嘲笑うような口調の言葉だけだった。

 

 「悪いけど、それを決める権限はわたしには無いわ。…………それに、これは個人的な話になるけど、たとえ任務でなくてもわたしはずっと殺したいと思っていたのよね、あの男を」

 

 それが最後の言葉だった。

 言い終わると同時に〈白狐〉は、地面を蹴って加速する。

 間合いを一気に詰めて二股の槍先が連続で雪菜に襲いかかる。

 

 「無駄ですっ!貴女の槍は既に見切っています!」

 

 〈白狐〉の槍を全て裁ききって、高らかに吼える雪菜。

 〈白狐〉もこれ以上の同じ攻撃は意味がないと判断したのか、再び距離を取って槍を構え直す。

 数秒ほど二人の間に沈黙が流れた。

 

 (確かに強いけど…………霊視の精度はわたしの方が上。このまま凌ぎきってみせる)

 

 魔獣の相手を専門としているだけあって筋力、持久力、一撃の重さは〈白狐〉に軍配が上がっていた。

 しかし、巫女としての能力が人並みはずれている雪菜の方が遥かに上手だった。

 このまま、〈白狐〉の攻撃を全て捌いて戦意を折ろうと雪菜が決意を固めると、視界に映っている〈白狐〉が槍の構えを解き、石突きを地面に突き立てて槍を縦に構えなおした。

 

 「このままでは、埒が明かないわね。…………こっちも本気でいかせてもらうわ」

 

 次の瞬間、〈白狐〉の体内で練られていた呪力が外に溢れ出し、菫色のオーラとなって〈白狐〉の全身と槍を包み込んだ。

 

 「我が影は霧にして霧にあらず、刃にして刃にあらず。斬れば夢幻の如し。帝哭は災禍を奏でんーー」

 

 詠唱と共に〈白狐〉の身体を包む呪力は力を増加させ、槍の刃を包む霊気は刃物のように鋭さを帯びていく。

 

 「霧豹双月!」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉から不可視の刃となった呪力が鎌鼬のように放たれる。

 

 「くっ………!」

 

 呪力の刃を雪菜は辛うじて〈雪霞狼〉で防ぐ。

 だが、〈白狐〉の攻撃はまだ終わっていない。

 

 「黒雷!」

 

 身体能力強化の呪術を発動させた〈白狐〉は、先程とは比べものにもならない程のスピードで雪菜に迫り高速で槍を放っていく。

 

 「…………………っ!」

 

 雪菜は、〈乙型呪装双叉槍〉の槍先を〈雪霞狼〉で防ぎながら後方に下がっていく。

 完全に防戦一方だった。

 

 「ほら、どうしたの?その程度なのかしらっ!?」

 

 高ぶった声で言いながら〈白狐〉は、雪菜に致命打を入れようと槍を振り続ける。

 〈白狐〉の攻撃を凌ぎながら雪菜は、状況を冷静に分析する。

 相手の武器、戦闘スタイル、闘争心理ーー。

 

 (戦いの中で熱くなるタイプ………だったらーー)

 

 意を決したように大きく息を吸うと、雪菜は〈白狐〉の槍を弾いて後方に大きく跳び下がる。

 そして、距離を取った状態から〈白狐〉も予想できなかった攻撃を放った。

 

 「ハアッ!」

 

 投げ槍の要領で大きく振りかぶった〈雪霞狼〉を思いっきり〈白狐〉目掛けて投げつけたのだ。

 ビュンと風を切る音が鳴り響き、〈雪霞狼〉は〈白狐〉に向けて直進していく。

 

 「武器を捨てるなんて、気でも触れた!?」

 

 呪術によって人並み以上の身体能力と反射神経を持つ〈白狐〉は、飛来してきた〈雪霞狼〉を意図もたやすく弾き飛ばした。

 しかし〈雪霞狼〉を防ぐ瞬間、僅かな時間だが〈白狐〉の注意が雪菜から外れて飛んできた〈雪霞狼〉に移った。

 その隙を見逃さずに雪菜は一気に〈白狐〉への距離を詰める。

 腰を落とし、前傾姿勢を維持して〈白狐〉の懐に一気に飛び込む。

 だがーー。

 

 「そんなフェイントに掛かるとでも?」

 

 接近してきた雪菜を知覚した〈白狐〉は頭上で一度大きく〈乙型呪装双叉槍〉を振り回すと、近距離の相手に備えた構えを取り、雪菜の胸を狙って槍を突き出した。

 武器を持っていない雪菜にその一撃を防ぐ手立ては無く、〈乙型呪装双叉槍〉の槍先は吸い込まれるように雪菜の胸部に突き刺さっていく。

 勝った、と〈白狐〉が口に出そうとした次の瞬間だった。

 

 「なっ!?」

 

 人体に刺さる手応えのなさと、雪菜の姿が蜃気楼のように揺らめいて消えたことに〈白狐〉は驚愕に目を見開いた。

 

 「しまった、幻術ーー!」

 

 最初に投げた〈雪霞狼〉はフェイク。本命は、その後の幻術による分身。二重のフェイントだった。

 自分のミスに気付いた〈白狐〉が慌てて背後を振り返るが、回り込んでいた雪菜の戦闘態勢は既に整っている。

 

 「若雷!」

 

 雪菜の肘が渾身の力を込めて〈白狐〉の脇腹に突き刺さる。

 呪力を纏った一撃が入り、〈白狐〉の体は車に撥ねられたように吹き飛ぶ。

 すかさず、雪菜が後を追い二撃目を放つ。

 

 「鳴雷!」

 

 吹き飛ばされて地面を二度ほどバウンドした〈白狐〉の腹部に空中で呪力を込めた膝蹴りを叩き込む。

 

 「ガハッ………」

 

 〈白狐〉は受け身もとれずに地面に落下していき、金魚鉢の浜辺に転がった。

 浜辺に両手をついて震える体を起こす〈白狐〉を見下ろして雪菜が口を開く。

 

 「…………………確かに貴女は強いです。わたしとは比べものにならない程に。でも、貴女の戦い方は、所詮獣を相手に想定したものです。対人戦で重要視される駆け引きを用いた戦闘の経験がまるで無い。おまけに貴女は、戦いを楽しんでいる。戦いが長引くほど熱くなって周りが見えなくなっていました。…………だから、わたしの作った下手な幻術にも引っかかった」

 

 対魔獣戦のエキスパートである六刃神官は、他の攻魔師と比べて各段に力が強く、耐久力もある。普段から魔獣を相手にしている六刃神官が力技で戦えば並大抵の相手には負けない。だが、その一方で複雑な戦術を組み込んだ戦闘に関しては素人同然だった。

 更に戦いの中で〈白狐〉の持つ戦闘狂と言う悪癖を見切っていた。

 雪菜は、その六刃神官の弱点と〈白狐〉の悪癖に活路を見出したのだ。

 

 「…………流石は本家ね」

 

 震える足に力を込めて立ち上がる〈白狐〉。

 

 (あれだけの技を受けて、まだ立てるなんて…………)

 

 予想を上回る程のタフさに雪菜は唖然とした。

 〈乙型呪装双叉槍〉を手に立ち上がった〈白狐〉は、この場を後にすべく雪菜に背を向けた。

 

 「悪いけど、今日のところは退かせてもらうわ。…………また今度、続きをしましょう」

 

 別の場所で行われていた戦闘が終わり、地に伏しているベアトリスとロウの姿を横目にそう言う〈白狐〉。

 

 「逃がすとでも?」

 

 拳を握りしめて鋭い目つきを向ける雪菜。

 だがーー。

 

 「……………ふん」

 

 〈白狐〉は小さく鼻を鳴らして黒いセーラー服から呪符を数枚取り出すと、空中に放り投げた。  

 呪符は空中で無数のカラスに姿を変える。

 式神による目くらましだった。

 

 「………っ、待ってください!」

 

 目の前に展開されたカラスの群れの向こうに姿を消そうとする〈白狐〉に、雪菜は思わず声を張り上げていた。

 

 「…………教えてください。貴女が言っていた『任務でなくとも殺したい』というのは、どういう意味ですか?」

 

 雪菜の問い掛けに、立ち去ろうとしていた〈白狐〉の足が唐突に止まった。

 

 「………………貴女の言う『殺したい男』と言うのは?」

 

 古城とキリヲの殺害が太史局の命令だと〈白狐〉は言っていた。

 では、彼女の言う殺したい『男』と言うのは、どちらの事を言っているのだろうか。

 長い沈黙の後、〈白狐〉はゆっくりと雪菜の方へと振り返り、顔に付けている狐の面を左手で僅かにずらす。

 覗いた左半分の顔は、女の雪菜から見てもゾッとする程に美しく見えた。細められた色素の薄い目を雪菜に向けて〈白狐〉は、紅色の唇を震わせて問に対する答えを口にする。

 

 「……………九重キリヲに伝えなさい。どんなに善人ぶっても、一度犯した過去の過ちは絶対になくならない。必ず報いを受ける、と」

 

 キリヲ。その名を口にした瞬間、〈白狐〉の表情が歪んだ。

 怒りと憎悪に歪んだ顔だった。

 

 「九重先輩に…………?貴女は、一体ーー」

 

 再び問を投げ掛けようとする雪菜だが、〈白狐〉は今度こそ式神の群れの向こうへと駆けていき、姿を消してしまった。

 追跡しようとも考えたが、古城やキリヲの戦闘がまだ続いていることを思い出して、雪菜は〈白狐〉の去って行った方向に背を向けた。

 視線の先では、まだ戦いが続いていた。

 〈第四真祖〉と〈模造天使〉、〈聖剣遣い〉と〈宮廷魔術師〉。二つの死闘が未だに続いていた。

 

 一人の少女を賭けた戦い、その決着は近かった。

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 次回で必ず、天使炎上編を完結させようと思っています。どうか、お付き合いください。


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天使炎上編IX

 前回から大変長い期間が開いてしまいました。これからも不定期になると思いますが、お付き合い願いたいと思います。


 金魚鉢 キリヲVS賢生

 

 「「ヴェルンドシステム、起動」」

 

 〈模造天使〉の感情が暴走したことで引き起こされた吹雪によって雪に覆われた浜辺で二人の男が互いに武器を手に対峙していた。

 一人は、血で濡れたシャツを着た黒髪の少年。手にしているのは、白い外装の片刃刀。最新鋭の科学技術によって現代に蘇った古の聖剣を携え、体内に膨大な霊力を生み出す小型精霊炉を埋め込んだ魔義化歩兵ーー九重キリヲ。

 もう一人は、白衣を纏った白髪の初老の男。純白にコーティングされた単発式マスケット銃を構えている。マスケット銃の銃身からは、本来人の目には見えない筈の霊力が肉眼で視認できるほどの濃度で溢れ出していた。キリヲが持っている物と同じ小型精霊炉を内蔵したマスケット銃を手にする宮廷魔術師ーー叶瀬賢生。

 同じ精霊炉を持つ二人が決着を付けるべく、戦いを始めようとしていた。

 

 「終わらせてやる………」

 

 キリヲの両足を包む人工皮膚とズボンの布地が焼け落ちて白銀のメタリックな義足が露わになる。赤と黒にコーティングされた右腕の義手が駆動音を発し、霊力を流し込まれた聖剣〈フラガラッハ〉の刃が白いオーラを纏う。

 

 「………やってみるがいい」

 

 言い終わると同時に賢生は、マスケット銃の引き金を引く。

 銃口に銃火光が煌めき、銃身に内蔵された精霊炉の霊力で加速された弾頭が撃ち出される。

 

 「……………っ!」

 

 一度放たれた銃弾を目で捉えることはできない。本来なら、銃口の射線にいる時に引き金を引かれた時点で銃弾を避けることは不可能だ。

 だが、銃弾の着弾場所とタイミングを予め知っていた場合は、その限りではない。

 

 キンッ!

 

 賢生が引き金を引く前に、放たれる銃弾の弾道と着弾のタイミングを右目の義眼で予想していたキリヲは、霊力で加速された凶弾を避けることなく真正面から刀で両断する。

 音速を超える速度で迫ってくる直径十ミリ未満の弾頭を正確に斬って、弾く。

 まさしく神業と呼ぶに相応しい芸当だった。

 

 キンッ、キンッ、キンッ

 

 「……………俺に銃は効かないぞ」

 

 続いて放たれた三発の銃弾を流れる様な動作で斬り、弾き、打ち払ってキリヲは鋭い視線を賢生に向ける。

 義眼の予測機能に対する全面的な信頼とガルドシュに仕込まれた、銃火器が主力兵器の戦場でも通用する剣術がキリヲに揺るぎない自負を与えていた。

 

 「…………確かに少々分が悪いな」

 

 賢生も義眼による擬似的な未来予測が行える。先程は、その能力と不意打ちがキリヲの胸に銃弾を撃ち込ませることを成功させたが、仕組みが相手にばれた上に不意打ちではない、この状況でキリヲに弾を当てるのは至難の技だ。

 銃火器は、炸薬で鉛弾を撃ち出して音速を超える攻撃を行うことが出来る。それは一度狙いを定められて放たれれば、人間に対処できるものではない。秒速340メートルを超える速さの前に人間のなせることはないからだ。

 故に現代の主要兵器になり得ているのだが、銃火器にも難点はある。それは、攻撃可能な範囲が銃口の直線上しか無いことである。

 本来ならば、こんなものは銃を不利にさせる要素などになり得ないのだが、銃弾のスピードーーすなわち、音速を超える速さの世界についてこれる存在が敵に回った時、この難点は浮き彫りになる。

 直線上にしか進めない銃弾。それを迎え撃つのは、有効射程範囲を縦横無尽に舞う刀剣。

 未来を予測し、弾の到達するタイミングを完全に把握していれば単調な前進しかできない銃弾など芸のない突き技と大差なかった。

 

 「貴様の予測した未来を予測して発砲のタイミングを変えても、その未来をもう一度貴様が読み取る…………。終わりのない鼬ごっこだな」

 

 「……………終わりなら来る。お前の弾が尽きるか、俺の刃がお前に届けばゲームセットだ」

 

 賢生の銃弾を弾きながらキリヲは、徐々にだが確実に前進していた。

 

 「……………ならば、少し芸風を変えるとしよう」

 

 白衣のポケットに収納されている残りの弾数を指で数えながら賢生は、マスケット銃を構え直す。

 

 ダンッ

 

 銃火光と共に放たれた凶弾は、空気を切って直進してキリヲの立っている位置の右側を通過していった。

 

 (外した………?)

 

 意図の読めない発砲に怪訝そうな表情を浮かべるキリヲ。

 

 「どこを狙ってーー」

 

 そこまで口にした所でキリヲは、唐突に口を閉ざして思いっきり身体を左に逸らした。

 チッ、と音を立てて数秒前に賢生が放った銃弾がキリヲの背後から飛来して左肩を掠めていった。

 

 (予知があと一秒でも遅れてたらヤバかった………。でも、何で後ろから弾がーー)

 

 有り得ない方向から飛んできた銃弾に驚愕に目を見開きながらキリヲは背後を振り返る。

 目に入って来たのは、賢生達が乗ってきた高速艇。その外壁が数秒前に賢生が撃った銃弾が当たった衝撃で凹んでいた。

 貫通したのではなく、凹んでいたのだ。

 

 「跳弾か………」

 

 跳弾。銃弾が硬質な物に当たって跳ね返り、別方向に飛んでいく現象。

 多くの場合は、アクシデントとして認識されている現象だ。警察や軍も跳弾を恐れて銃火器が使えなくなる場合がある。

 極稀にこの跳弾を利用して死角にいる目標を狙撃できる射手が存在するが、それでも並外れた集中力と綿密な角度の計算が必要になる。

 賢生が見せたような立ち姿勢で撃って成功させるのは、本来ならばあり得ない。

 

 「義眼の未来予測があれば、弾の跳ね返る角度を瞬時に予想するのも容易い」

 

 次弾を装填しながら賢生が言う。

 つまり、予想したのだ。義眼の未来予知を使って。

 弾がどの角度でどこに当たればどこに跳ね返るのかを寸分違わず予測した。

 文字通り未来を知る者にしかできない芸当。

 

 「さて、何発避けられるかな?」

 

 その言葉と共に賢生が引き金を引く。そして、流れるような動作で次の弾を装填して再度引き金を引く。炸薬が弾けた反動で跳ねる銃身を押さえ込み新たな弾を薬室に入れて更に撃つ。

 目にも留まらぬ速さで発砲、装填を繰り返して無数の弾丸を撒き散らす。

 連続で放たれた銃弾が高速艇の外壁や浜辺に散乱する岩礁に当たって跳ね返り、ありとあらゆる方向からキリヲ目掛けて殺到する。

 

 「くそっ!」

 

 キリヲは、身体をコマのように回転させて、360度全方位から襲い掛かってくる凶弾を刀身で斬り落としていく。

 だが、数が多すぎた。

 全ての弾を防ぐことは出来ず、数発の銃弾がキリヲの腕を、脇腹を、肩を貫いていく。

 

 「がっ………!」

 

 堪らず片膝を地面につくキリヲ。

 被弾した部分から血がドクドクと流れ出る。

 だが、賢生の猛攻は終わらない。更に放たれた十数発の銃弾が跳弾を繰り返して、手傷を負ったキリヲに迫る。

 

 「あの娘は……………夏音は、もうすぐ完全になれる。痛みも苦しみもない完璧な存在に……っ!」

 

 引き金を引きながら言葉を紡ぐ賢生の目には、狂気に近い光が宿っていた。

 

 「貴様等に邪魔などさせんっ!」

 

 「………っ!」

 

 浜辺を前転するように移動しながらキリヲは、迫り来る銃弾を避け続ける。

 

 「そんな……………ことが、娘の幸せになると本気で思ってるのか!?」

 

 激痛を訴える腹部を押さえながら、キリヲは〈フラガラッハ〉の柄を握り締めて立ち上がる。

 

 「そうだ!あの娘から家族を、幸福を、全てを奪ったこの世界から解放することで、あの娘を救う!」

 

 引き金を引き続けながら、賢生は自らの想いを叫ぶ。

 

 「俺も家族を失った!何もかも奪われた!……………それでも、そんな事を望んだりしないぞ!」

 

 「貴様と夏音を………………一緒にするなっ!」

 

 激昂したように賢生は、更に数十発の弾を撃ち出す。

 義眼によって完璧に計算された跳弾をキリヲは、同じく義眼で着弾のタイミングを正確に読み取って弾き続ける。

 

 「この…………クソ親がっ!」

 

 キリヲもこれ以上語ることに意味はないと悟ったのか、賢生を仕留めるべく〈フラガラッハ〉の切っ先を突き付けて突進する。

 

 「突っ込んでくるとは…………愚かなっ!」

 

 自らに急接近してくるキリヲを止めようと賢生も発砲を続ける。

 飛び交う凶弾がキリヲの身体を掠め、貫くが、突進を止めるには至らない。

 どれほどの傷を負おうが構わずに突っ込んでくる。

 

 (ならばっ………)

 

 賢生は、跳弾による攻撃を一旦止めて直にキリヲに狙いを定める。

 こちらに突進してくるキリヲに狙いを定めて、引き金を引く。

 何の変哲もない正面射撃。

 キリヲも難なく銃弾を斬り落とす。

 だがーー。

 

 (………………予測通り)

 

 これこそ、賢生が予測した光景。

 正面から飛来した銃弾を防ぎ、剣を振り切った直後、数秒前に放たれた銃弾が跳弾を繰り返した末のこの瞬間にキリヲの右側頭部に迫る。

 剣を振り抜いているキリヲにこの凶弾を防ぐ手立てはない。

 義眼が予側した通りの光景が目の前に再現されていくことに賢生は、笑みを浮かべる。

 しかし、その次の瞬間ーー。

 

 「……………っ、らあっ!」

 

 ガアァンッ

 

 賢生が予想した光景。跳弾がキリヲの右側頭部を貫く未来が来ることはなかった。

 キリヲは、振り抜いた〈フラガラッハ〉を握る右手を放して、右側から飛んできた銃弾を上腕部でガードしたのだ。

 銃弾はキリヲの義手に当たり、そこで止まった。頭部には一切の外傷無し。

 

 「馬鹿な………!?」

 

 しかし、精霊炉を内蔵したマスケット銃によって放たれた弾丸を直に受け止めた義手は、ビシッと音を立ててガラスの様に砕けていった。

 その光景を目にして、一度は驚愕に目を見開いていた賢生の表情に余裕が戻る。

 

 「腕を無くしたか………どちらにせよ、これでもう銃弾を防ぐことはーー」

 

 だが、賢生の予想はまたしても裏切られることになる。

 

 「なっ!?」

 

 飛来した銃弾を受けて砕けたキリヲの義手が、まるで時間を巻き戻すかのように周囲の金属の残骸を吸収して再生したのだ。

 

 「元素変換………………!?まさかっ!その義手は………〈ナラクヴェーラ〉と同じ………!?」

 

 数週間前、ガルドシュ率いる〈黒死皇派〉との戦いでキリヲは義手を一度破壊されていた。

 その時に義手を直すのに使った素材がナラクヴェーラの生体金属だった。

 その能力は、自動学習による耐性強化と元素変換による無限再生。

 たとえ、砕けたとしても何度でも周囲の物を吸収して修復される。

 

 「人の求める救いを……………勝手に決めるなっ!」

 

 遂に賢生の目の前にまで迫ったキリヲは、〈フラガラッハ〉を振り上げて大上段の構えから一気に振り下ろす。

 だが、賢生も剣を阻むためにマスケット銃の銃身で〈フラガラッハ〉の刃を受け止める。

 体内の精霊炉から霊力を流し込まれた〈フラガラッハ〉と内蔵された精霊炉の霊力を纏うマスケット銃が眩い光を迸らせてせめぎ合う。

 だが、やがてその拮抗も終わりを告げる。

 押し込まれる刃に耐えきれなくなったマスケット銃の銃身が砕けたのだ。

 そして、マスケット銃との鍔迫り合いで無理な力を込められた〈フラガラッハ〉は、刀身を罅割れながらも賢生の身体に一太刀の傷を刻み込んだ。

 

 「………………がぁっ!?」

 

 賢生の右肩を切り裂いた直後、〈フラガラッハ〉も流し込まれる膨大な霊力に耐えきれなくなったのか、音を立てて刀身が砕け散った。

 だが、既に戦いの決着はついていた。

 右肩から鮮血を吹き出して、賢生の身体は仰向けにゆっくりと倒れていった。

 

 「………………死ぬんじゃないぞ。お前が死んだって叶瀬の幸せにはならない。生きてもう一度、自分の娘と話し合うんだ。………………お前には、その義務がある」

 

 倒れた賢生にそういい残すと、キリヲは刀身の折れた〈フラガラッハ〉を手に夏音のいる方向に目を向ける。

 

 白銀の〈模造天使〉と世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉。この二者の死闘がそこでは繰り広げられていた。

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢 古城VS夏音

 

 眩い光を纏った天使の双翼から撃ち出されて宙を乱舞する無数の光剣。

 膨大な霊力を内包し、当たれば並みの魔族を瞬時に蒸発させるほどの威力を秘めている。

 だがーー。

 

 「辛いか、叶瀬」

 

 光剣を振り撒く〈模造天使〉と対峙するのは、獰猛に牙をむく世界最強の吸血鬼ーー〈第四真祖〉暁古城だ。

 古城の周囲を群青色の魔力のオーラが包み込む。

 ドーム状に広がっていく古城の魔力に触れた途端、〈模造天使〉の放った光剣は、跡形もなく消滅した。まるで、最初からそこには何もなかったかのように。

 

 「辛いよな、叶瀬!お前は、誰よりも優しい奴だった。捨てられた猫たちを見ても、猫を捨てた無責任な奴らを責めたりもしなかった!そんなお前が、誰かを傷付けて幸せになんてなれるはずないよな」

 

 人ならざる声で絶叫を迸らせる〈模造天使〉に古城は、慈しむように言葉を紡ぐ。

 

 「もし、神と呼ばれている連中が傲慢で偏狭で残酷で、お前を自分の気に入らないものを滅ぼす道具にしようとしているなら………………俺がお前をそこからひきずりおろしてやる!」

 

 深紅の瞳が仮初めの天使を射止め、血に宿る怪物が首を擡げる。

 

 「〈焔光の夜伯〉の血脈を継ぎし者、暁古城が汝の枷を解き放つ!疾く在れ三番目の眷獣〈龍蛇の水銀〉!」

 

 古城の左腕が鮮血を吹き出し、血霧が形を成して膨大なる力となる。

 現れたのは、銀の鱗を持つ双頭の竜。

 

 「こいつで………お前を人間に戻す!」

 

 古城の言葉と共に銀の双頭竜が雄叫びを迸らせて、〈模造天使〉に襲い掛かる。

 

 「klryyyyyyyyyyyyyyyyyyy!」

 

 〈模造天使〉も反撃しようと翼から光剣を撃ちまくる。

 だが、その全てが双頭竜に触れた瞬間、存在そのものを掻き消されていた。

 そして、銀の双頭竜は〈模造天使〉に迫るとその二つの顎で翼に食らいつく。

 〈模造天使〉は、素早く旋回してその凶牙から逃れようとするが、蒼き牙が〈模造天使〉の左翼を捉えて無惨にも引きちぎられた。

 古城が新たに従えた眷獣〈龍蛇の水銀〉。その能力は、全ての次元ごと物体を消滅させること。〈第四真祖〉の持つ眷獣の中でも破格の凶悪さを持つものだった。

 

 「よしっ、あと一枚!」

 

 片翼を失い、高次元との接続の証だった眩い光のオーラも失った〈模造天使〉に更なる追い討ちをかけようと古城が眷獣に指示を出そうとした瞬間だった。

 

 「kiryyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyyy!」

 

 最後の力を振り絞るように〈模造天使〉が残った右の翼を広げ、莫大な霊力と共に人ならざる絶叫を迸らせた。

 数時間前、この浜辺に巻き起こした吹雪と同じものだった。

 〈模造天使〉の素体となった叶瀬夏音の感情が具現化したものだ。

 突如、巻き起こされた吹雪に古城も怯み、眷獣も攻撃の手を止めていた。その隙に、〈模造天使〉の姿は吹雪に呑まれて見えなくなっていく。

 

 「くそ、こんなもの……………まとめて食い尽くしてーー」

 

 「ダメです!先輩!」

 

 目の前に発生した吹雪ごと〈模造天使〉を〈龍蛇の水銀〉に攻撃させようとした古城を戦いが終わって駆け付けた雪菜が止めに入る。

 

 「こんな闇雲な状態で眷獣を放ったりしたら、夏音ちゃんにも当ててしまいます!」

 

 「くっ……………!」

 

 雪菜の言葉に思わず古城も思いとどまる。

 だが、その間にも吹雪は勢いを増していく。この吹雪自体も〈模造天使〉の霊力の影響を受けているらしく、魔族である古城は己の体が僅かにだが、確実にダメージを受けているのを感じた。

 

 「二人とも危ないわよ、下がって!」

 

 雪菜同様に戦いが終わってやってきたジリオラが古城と雪菜を両脇に抱えて、吹雪から距離を取るために後方に下がった。

 そこには、戦闘を終えたラ・フォリアの姿もあった。

 

 「くそっ、どうするんだ!近づけないぞ!?」

 

 「……………………っ!」

 

 悲痛そうな古城の叫びに雪菜も思わず言葉を詰まらせる。

 その時ーー。

 

 「俺がやる…………」

 

 聞こえてきたのは、聞き慣れた声。

 現れたのは、全身に無数の傷を刻み折れた刀を握り締めた〈聖剣遣い〉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 「俺がやる……………」

 

 全身の至る所から鮮血を滴らせながらキリヲが古城の横に並ぶ様に立つ。

 一歩歩くごとに吹き出た血が足元を覆う雪原に赤い斑点を残していく。

 

 「九重先輩…………そんな身体じゃ………」

 

 キリヲの満身創痍な様相に雪菜が顔を蒼白にして口元を手で覆う。

 

 「大丈夫だ………まだ………」

 

 雪菜の声に耳を貸すことなく、足を引きずるようにして前に進むキリヲの肩を古城が力強く掴んで引き止める。

 

 「馬鹿、止せっ!そんなことしたら………本当に死んじまうかもしれないんだぞ!?」

 

 「………………………かもな」

 

 死ぬかもしれない、と言う古城の言葉にキリヲは力無く微笑んで返答する。

 

 「だったら、俺が…………!」

 

 「ダメだ」

 

 代わりに自分が行く、と言い出そうとした古城の言葉をキリヲが遮った。

 

 「どうしてだよっ!?俺ならどんなに傷付いても大丈夫だ!俺が行くべきだろっ!?」

 

 尚も自分が行くべきだと言い張る古城の肩に両手を置いてキリヲは口を開く。

 

 「ダメだ。…………お前の眷獣は、小回りが効かないだろ?視界の悪い吹雪の中で叶瀬の翼だけを狙えるのか?今の叶瀬は、高次元に居ない。体に当たったりしたら、それでお終いなんだぞ」

 

 「………………っ」

 

 キリヲの言葉に古城は、悔しそうに歯をかみしめる。

 

 「……………姫柊やラ・フォリアじゃこの吹雪の中を通って叶瀬まで辿り着けない」

 

 刻一刻と勢いを強めていく吹雪を横目にキリヲは言葉を続ける。

 

 「でも、俺の義足なら空間跳躍で一気に吹雪を突っ切れる。だから…………………俺が行く」

 

 言い終わると再び吹雪に向けて歩みを進めるキリヲ。

 

 「でも、九重先輩!貴方の刀は……………」

 

 「……………………」

 

 雪菜の叫びにキリヲも立ち止まって右手に握る刀身が半ばで折れた〈フラガラッハ〉を見下ろす。

 確かに今の〈フラガラッハ〉では夏音を止めることは出来ないだろう。

 あの世の摂理を越えようとしている天使の翼を滅するには、〈フラガラッハ〉のような相応の力を持つ武神具でなければならない。

 〈フラガラッハ〉が使えない現状で、それに当てはまるのはーー。

 

 「姫柊………………。〈雪霞狼〉を貸してくれ」

 

 「えっ!?」

 

 突然のキリヲの要求に雪菜は、間の抜けた声を上げた。

 しかし、キリヲに差し出された〈フラガラッハ〉の残骸を恐る恐る受け取ると、きつく握っていた〈雪霞狼〉をゆっくりとキリヲに差し出した。

 

 「でも…………九重先輩……………使えるんですか?」

 

 高神の杜でも言われたが、〈雪霞狼〉は使い手を選ぶ。同期の中で〈雪霞狼〉の適合者は雪菜だけだった。故に〈第四真祖〉の監視役に選ばれたのだ。

 適合者でもないキリヲが霊力の調整も無しに、ぶっつけ本番で使いこなせるような安い代物ではない。

 

 「俺だって霊媒としては、それなりに上質だぞ?…………試してみる価値はある」

 

 有無を言わせないキリヲの様子に雪菜も仕方なく〈雪霞狼〉を掴んでいた手を放す。

 銀色の霊槍を受け取ったキリヲは、その柄をしっかりと握り締めた。

 〈雪霞狼〉を受け取った瞬間、槍の内部から凄まじい量の霊気が柄を握っている義手を通して体内に流れ込んできた。

 

 (なるほど…………これは、ヤバいな…………)

 

 流し込まれてくる霊気を感じながらキリヲは冷や汗を流していた。

 槍が正当な持ち主以外に使われることを不快に感じているかのように荒々しく霊気をキリヲの身体に注ぎ込んでいた。

 

 (噂には聞いていたが……………やっぱり、〈メトセラの末裔〉以外は主として認めてくれないか。でも、これは……………)

 

 身体の中に感じる奇妙な感覚にキリヲは、顔をしかめた。

 自分が〈雪霞狼〉と適合できていないのは感覚で分かる。適合者でもないにも関わらずに強力な武神具を使えば凄まじい反動が返ってくるのは分かっていた。正直な所、内臓の一つか二つがズタズタになる位は覚悟していた。

 しかしーー。

 

 (これは、適合失敗の反動と言うより………………〈雪霞狼〉自体の副作用みたいなものか……………)

 

 体内に進入してきた霊気が凄まじい勢いで自分の身体を作り替えているのが分かった。

 より高次元な存在ーー〈模造天使〉のような別の何かに。

 恐らく、この作用は適合者である雪菜にも及んでいるのだろう。

 

 (姫柊は、この〈雪霞狼〉の副作用に気付いているのか?)

 

 心配そうにこちらを見つめている雪菜を横目にキリヲは、怪訝そうな表情を浮かべていた。

 

 「……………なんとか、大丈夫そうだ」

 

 あんまり長時間持ってたらマズいけど、と小声で付け加えながらキリヲは〈雪霞狼〉の切っ先を吹雪に向けて臨戦態勢を整えていた。

 

 「キリヲ!」

 

 〈雪霞狼〉を携えて吹雪に踏み込もうとしたキリヲを呼び止める声が高らかに響いた。

 今まで事の成り行きを見守っていた銀髪の王女ーーラ・フォリアだ。

 

 「………………必ず、生きて帰ってきて下さい」

 

 「……………………………………約束するよ」

 

 安心させるようにキリヲが優し気に微笑むと、ラ・フォリアは哀愁を含んだ表情を浮かべた。

 

 「二年前にも貴方は、同じ約束をして……………………帰って来なかった………」

 

 ラ・フォリアが浮かべているのは悔恨と喪失に対する恐怖の表情だった。

 そんなラ・フォリアを数秒程見つめた後、キリヲはゆっくりとラ・フォリアへと歩み寄り、目の前まで来ると勢い良く抱き締めた。

 

 「もう…………嘘はつかない。何が何でも、生き残ってみせる。他の誰でもない……………………ラ・フォリアのために。…………もう一度だけ、信じてくれるか?」

 

 「………………………」

 

 キリヲの言葉にラ・フォリアは返事を返すことなく、キリヲの肩に顔を埋めたまま小さく一度頷いた。

 

 「………………行ってくる」

 

 最後にそう言うとキリヲは、ラ・フォリアから体を離して振り返ることなく〈雪霞狼〉を構え、吹雪の中に駆けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 吹雪の中 叶瀬夏音

 

 ーーもう嫌だ。やめて。

 

 左翼が喰い千切られた銀髪の天使が全身と心を苛む激痛に悶えながら空中で顔を覆っていた。

 

 ーーお父さんも暁お兄さんもキリヲさんも……………もうやめて…………。

 

 わたしの身体を作り替えて、この世から離れた遠い何処かに連れて行こうとした父。

 わたしの翼を壊してわたしを人に引き戻そうとしてくれた暁お兄さん。

 

 ーーわたしは、もう消えてしまいたいのに…………。

 

 同じ境遇の天使にされた娘達を傷つけた罪悪感と幼い頃の事故で唯一生き残ってしまった後悔で心は、もう限界だった。

 だから、父の実験はある種の救いでもあった。

 自らの罪を贖うために、この身を苛む苦しみから解放されるために、こことは違う遥か彼方の別の場所に消えてしまいたかった。

 

 ーーそれなのに……………。

 

 暁お兄さんも雪菜ちゃんも…………キリヲさんもこんな罪深い天使を人に戻そうと必死に戦っている。

 ボロボロに傷付いて、それでもわたしを責めもせずに、わたしの居場所を作ろうと足掻き続けている。

 彼らの声が、想いが、心地良くて自分の罪を忘れそうになる。

 もう赦されることはないと思っていたわたしの心が居場所と安らぎを求めて揺らいでしまう。

 罪深い自分の魂を罰したい想いと安らぎと幸せを求めてしまう想いがわたしの中でグルグルと渦巻く。

 二つの想いが互いに互いを引き裂こうとして、わたしの心はーー。

 

 ーーもう……………もう、壊れてしまいそう。

 

 再び張り裂けるような痛みが胸に走って、声にならない悲鳴を上げる。

 それに呼応して周囲に吹き荒れる吹雪も強さを増す。

 吹雪が極限まで強まり、ついに心が感じている苦痛さえもが薄れかけたその時だった。

 

 「叶瀬!」

 

 決して聞こえるはずのない声が、居るはずのない人影が消えかけていた意識を引き止めた。

 

 ーーキリヲさん………どうして………。

 

 吹雪の向こうから現れた黒髪の少年を真っ直ぐ見据えて掠れる声で問い掛ける。

 

 「行くなっ!叶瀬!戻ってこい!」

 

 血塗れの身体を引き摺って必死に左手を伸ばしてくる。

 

 ーーキリヲさん………ダメなんです。わたしは、もう……………戻れない。戻っちゃいけない。

 

 わたしの悲痛に満ちた声に彼の足が止まる。

 その場で立ち止まり、わたしの目を見つめてくる。

 

 ーーたくさん傷付けた。たくさん死んだ。みんないなくなった。全部…………全部、わたしのせいで………。

 

 「…………………」

 

 わたしの懺悔に彼は何も言わずに、ただこちらを見据えていた。

 背中に残っている片翼が、思い起こされたわたしの罪を責めるように輝きを増していく。

 

 ーーわたしは…………わたしは、赦されちゃいけないんです。わたしが消えてしまえば、全部……………。

 

 「ふざけんなっ!」

 

 わたしを連れて行こうとする翼の輝きに身を委ねようとした瞬間、彼の鋭い声が聞こえた。

 

 ーー……………………。

 

 学校や教会で見せてくれた優しい微笑みではない。

 本気で怒っている。

 消え逝くわたしに本気で怒りを抱いている表情だった。

 

 「そうやって、逃げるのか!?自分の傷付けたものも、犯した罪も忘れて楽になるつもりか!?」

 

 ーーっ!違いますっ!わたしは、自分の罪を償うために……………!

 

 彼から目をそらして必死に叫ぶ。

 だがーー。

 

 「俺を見ろ、叶瀬!」

 

 彼の言葉にわたしは、恐る恐る視線を戻す。

 そこにあるのは、金属製の義肢で血塗れの身体を支え、白銀の槍を携えた彼の姿だ。

 彼が傷付いて傷付けてきた過去を物語る傷だらけの姿。

 

 「俺も人を傷付けた!たくさん、たくさん、たくさん傷付けた!何人も殺した!」

 

 耳に響くのは、彼の慟哭。自らの罪を曝す悲痛な叫び。

 

 「何度も楽になりたいと思った!全て捨てて、終わらせて楽になってしまいたいと思った!でも、そんなのダメなんだよ……………!」

 

 絞り出すように叫ぶ彼の言葉が翼に委ねていたわたしの身体を連れ戻そうとする。

 

 「俺を待っていてくれる人がいるから…………俺に罪を贖って欲しいと願ってくれる人がいるから…………………」

 

 ガチャッ

 彼の握る白銀の槍が金属音を立てて刃を展開する。

 

 「俺は……………俺達は、目を背けちゃダメなんだ!自分の罪に、手を差し伸べてくれる人に、償うために生きることにっ!」

 

 彼の義足が地面を蹴る。

 鮮血を撒き散らしながら彼の身体が宙に舞い、わたしと同じ目線の高さにまで来る。

 

 「それが俺達………………罪人の贖罪だ」

 

 振り上げられた白銀の槍が振り下ろされる。

 

 ーーわたしは、わたしを待っていてくれる人の元に行ってもいいんですか……………?

 

 荒れ狂う吹雪を切り裂いて銀槍がわたしの片翼に迫る。

 

 ーーわたしは、償うために、赦されるために生きてもいいんですか…………………?

 

 「……………………ああ。どれほど多くの声がお前を責め立てても、俺だけはお前を赦し続ける。だから……………」

 

 銀槍が翼に突き刺さる。

 

 「だから、生きろっ!夏音!」

 

 ビキッ

 槍先が食い込み、翼に罅が入る。

 膨大な霊気を纏う銀槍が青白い光を発する。

 

 (………………本来の主じゃない俺に使われることが不快なのは分かってる。でも、今だけでいい。力を貸してくれ、〈雪霞狼〉!)

 

 心の中で懇願しながら、〈雪霞狼〉を握る手に力を込めて祝詞を唱える。

 

 「戦乙女の守護者たる聖剣遣いが願い奉る!破魔の曙光、雪霞の神狼、鋼の神威をもちて我に悪神百鬼を討たせ給え!」

 

 あらゆる術式を掻き消す神格振動波が〈雪霞狼〉を包み、残された〈模造天使〉の片翼を跡形もなく消滅させる。

 

 パアァンッ

 

 翼が消滅すると同時に辺りに吹き荒れていた吹雪も掻き消されるように吹き飛んで消失した。

 そして、吹雪の中心地だった場所に立っているのは銀槍を手に、かつて天使だった銀髪の少女を抱える一人の少年の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 金魚鉢

 

 〈模造天使〉が巻き起こした吹雪が止んで、数分前には想像も出来なかったほどの穏やかさが戻った小さな無人島の浜辺。

 そこには、空隙の魔女ーー南宮那月の連絡を受けて駆け付けた沿岸警備隊の救助艇とヘリコプターが結集していた。

 沿岸警備隊救命班は、ラ・フォリアとジリオラに半殺しにされたロウとベアトリスを担架に乗せてヘリに引き上げていた。

 自動小銃で武装した隊員は、逃亡したと報告された太史局の六刃神官〈白狐〉の捜索のために散開して金魚鉢を探り始めていた。

 そして、浜辺に停泊している救助艇の一隻。そのデッキには銀色の髪を潮風になびかせているラ・フォリアの姿があった。

 側には、那月と共に金魚鉢に来た紗耶香が護衛として付き添っている。

 そして、向かい合うように立っているのは、満身創痍の黒髪の少年、九重キリヲだ。

 

 「わたくしは、一度〈絃神島〉の医療センターに向かいます。墜落した飛空挺の生存者がいるそうなので」

 

 「叶瀬はどうなる?」

 

 優雅に微笑んで言葉を紡ぐラ・フォリアにキリヲは、未だに浜辺で救命班の手当てを受けている意識の無い夏音に目を向けて言う。

 

 「ご心配なく。彼女には、最高の医療設備を用意します。天使化の経緯や事情もわたくしの方から説明をしておきますから」

 

 「……………そうか」

 

 慈しむような表情を浮かべるラ・フォリアにキリヲも安堵したように表情を和らげる。

 

 「…………………」

 「…………………」

 

 そして、数秒程どちらも何も言わない空白の時間が流れた。

 波の音と沿岸警備隊の喧騒だけが耳に入ってくる。

 だが、やがて……。

 

 「……………キリヲは、どうするのですか?」

 

 ラ・フォリアが優しげな口調で聞いてくる。

 だが、キリヲはその問に答えず沈黙を保っている。

 

 「……………アルディギアに戻ってきてはくれないのですか?」

 

 「………………悪い、それはできない」

 

 ゆっくりと首を横に振って拒絶の意を示すキリヲ。

 そんなキリヲにラ・フォリアは、悲しげな微笑みを浮かべて口を開く。

 

 「……………お父様にはわたくしが説明します。お母様も………もう、貴方を赦しておられますし、それにユスティナも喜んでくれます」

 

 どうにか引き留めようとラ・フォリアは、言葉を続ける。だが、キリヲの表情が変わることはなかった。

 

 「…………たとえ、親父さん達が赦しても他の連中がいい顔をしないだろう。俺は恨まれて当然のことをした。………いくら逆賊でも同じ騎士団の人間を斬ったんだ。陰で恨みを募らせてる奴は少なくない」

 

 キリヲの顔に浮かぶのは諦観の表情だった。

 

 「それと、あの忍者オタク…………………ユスティナには、謝っといてくれ」

 

 脳裏に浮かんだ愉快な女騎士の顔に一瞬だけキリヲの表情も和らいだ。

 

 「それに…………今の俺は、〈監獄結界〉の囚人だ。この島を離れる訳にはいかない。あの女が許さないだろ」

 

 「キリヲ……………」

 

 どうやっても聞き入れてくれないと分かった瞬間、ラ・フォリアの表情は目に見えて悲しげになっていた。

 そんなラ・フォリアにキリヲは、困ったような笑みを浮かべて頭を撫でる。

 

 「これでお別れじゃない。………………今度は、ちゃんと電話するよ」

 

 「………………約束ですよ?」

 

 「ああ。約束だ」

 

 頭を撫でられたラ・フォリアは、はにかむ様な表情を浮かべた後、悪戯っぽい笑みを浮かべてキリヲの首に両手を回した。

 そして、そのまま自らの唇をキリヲの唇にそっと重ねた。

 キリヲも抵抗する気は無いらしく、ラ・フォリアにされるがままに身を委ねて唇を重ね合っていた。

 そのままの体勢で数秒間。身動き一つせず、当たりに僅かな水音だけが響いていた。

 さて、こうなると一番焦るのは、ラ・フォリアの側に待機していた紗耶香である。

 ラ・フォリアがキスを始めた辺りから表情が凍りつき、口は文句を言いたいのだろうがテンパって言葉が出ず、パクパクと動いているだけだった。

 

 「ふふっ、待っていますよ」

 

 やがて、二人の唇が離れるとラ・フォリアは上機嫌そうに微笑んで救命挺の船室に足を運び始めた。

 

 「お、王女……………衆目がありますから御自重ください……………」

 

 船室に引っ込んだラ・フォリアの後を紗耶香が慌ただしく追いかけていった。

 

 「ふんっ、受刑者の分際で昼間っから女と乳繰り合うとは良い度胸だな」

 

 ラ・フォリアと紗耶香が消え、デッキに一人残されたキリヲに不機嫌そうに声をかけたのは、〈監獄結界〉の看守ーー南宮那月だ。

 

 「これくらい、大目に見ろよ」

 

 キリヲは、ぶっきらぼうに那月に言い返す。

 そんな態度が気に入らないのか、那月は扇子でキリヲし背中をバシッと一度叩く。

 

 「…………まあ、勝手にわたしの監視下から離れた事と言い、今回の貴様の行動に文句は山ほどあるが〈仮面憑き〉の事件を解決したことで不問にしておいてやる。感謝しろ」

 

 傷口を叩かれて地味に大きなダメージを負ったキリヲは那月に不満そうな視線を向けるが、今回の単独行動を不問にするというのは、願ったりなので口は噤んでおく。

 

 「………………それで、これから俺達をどうするんだ?〈監獄結界〉に戻すか?」

 

 キリヲがそう言うと那月は、表情を変えずに言葉を返す。

 

 「貴様は、どうしたい?まだ、檻の中に戻りたいのか?」

 

 逆に問われた那月の言葉にキリヲは、思わず言葉が詰まる。

 

 「俺は……………」

 

 「……………まあ、いい。どの道、貴様は一度病院送りだ。その後の事は、いずれ考えれば良い。……………丁度、貴様等にも休暇を出そうと思っていた所だ。もうすぐ、波朧院フェスタだからな」

 

 「波朧院フェスタ?」

 

 聞き慣れない言葉にキリヲが思わず聞き返す。

 

 「魔族特区の祭りだ。そこで学生らしく騒いで楽しんでこい」

 

 那月の言葉にキリヲは、複雑そうな表情を浮かべて金魚鉢の浜辺に視線を向けた。

 視線の先には、古城、雪菜、ジリオラの姿がある。

 

 「楽しむ…………………か」

 

 その言葉を反芻しながらキリヲは、これから来るであろう日々に想いを馳せた。

 

 世界最強の吸血鬼〈第四真祖〉と監獄結界の囚人〈聖剣遣い〉の日々はまだまだ続く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 監獄結界

 

 「さて…………傷の方はもう良いのか?宮廷魔術師」

 

 薄暗い官房。冷たい鉄格子を介して南宮那月は、投獄者ーー叶瀬賢生と向き合っていた。

 

 「……………………」

 

 賢生は、那月の問には答えずに無言のまま目を伏せていた。

 そんな賢生に構わず那月は、言葉を続ける。

 

 「今回の〈仮面憑き〉………………貴様は、〈模造天使〉と呼んでいたな。その欠陥兵器の実験騒動で発生した被害がどの程度のものか知りたいか?」

 

 見下すような視線を向けながら那月は、嗜虐的な口調で言い放つ。

 賢生は、相変わらず沈黙を保ったままだ。

 

 「建造物を含む大量の器物破損。大多数の負傷者に未成年者を使った違法な人体実験。聖域条約の倫理項目に違反する製品の生産。……………常識的に考えて貴様は、一生檻の中だ。おまけに管理公社の連中もお前の身柄を欲しがっている」

 

 「…………………」

 

 「このままでは、愛する貴様の娘には金輪際会えなくなるだろうな」

 

 那月がそう言うと、賢生はゆっくりと顔を上げて口を開いた。

 

 「………………構わん。あの娘は、わたしなどいなくとも生きていける」

 

 諦観の表情を浮かべる賢生に那月は、上機嫌そうに笑みを浮かべる。

 

 「だが、会いたくない訳ではないだろう?……………わたしが力添えをすれば、会えなくもないかもしれんな」

 

 「………………………何が言いたい?」

 

 どことなく挑発的な那月の物言いに賢生の表情が不快そうに歪む。

 

 「簡単な話だ。………………わたしと取り引きしないか?このままいけば貴様の身柄は、管理公社に引き取られて一生娘に会うことはない。だが、わたしの提案に乗れば貴様の身柄は、わたしが預かり娘にも会わせてやる」

 

 「…………………………わたしに何をしろと?」

 

 賢生の言葉に那月は、嬉々として言葉を続ける。

 

 「貴様の持つ知識は、かなりの価値がある。……………だが、それ以上に貴様の戦闘能力もわたしは評価している。わたしが貴様に求めるのは、その戦う力だ」

 

 那月の言葉を聞いた賢生は、怪訝そうな表情を浮かべた。

 

 「戦力………………………その様子だと他の魔導犯罪者にも声をかけているようだな」

 

 賢生の脳裏に浮かんだのは、九重キリヲとジリオラ・ギラルティの姿だった。

 話から察するに、この取引を受けている犯罪者は更にいるように思えた。

 

 「…………………まあ、否定はしない」

 

 「犯罪者を集めて何をするつもりだ……………?新たな犯罪組織でも立ち上げるつもりか?」

 

 攻魔師である南宮那月がやることとは、考えにくいが那月の行っていることが不可解なのは事実だった。

 だが、賢生の言葉を聞いた那月は愉快そうな笑みを浮かべたまま首を横に振っていた。

 

 「組織か……………違うな。ユニットではなくスクワッドだ。犯罪者のみで構成する私兵部隊を作ろうと考えている」

 

 「部隊……………?」

 

 「貴様には、それに加わる資格があると判断した。後は、貴様の承諾だけだ。………………さあ、どうする?」

 

 これは、きっと悪魔の取引なのだろう。この契約の先にあるのは、間違いなく流血だ。それも大勢の。

 だが、そこには同時に娘の姿もある。

 

 「……………………わたしはーー」

 

 囁くような賢生の返答を聞き、那月は満足そうに頷くと空間転移で陽炎のように、その場から姿を掻き消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 絃神島某所 妃崎 霧葉

 

 夜の帳が降りようとも一向に静けさを見せる気配のない魔族が住まう島。

 その中の通りの一つに彼女はいた。

 顔につけていた〈白狐〉の仮面は外し、得物である霊槍は背中に下げているカメラケースに収納してある。

 手にしているスマートフォンには、太史局からのメールが表示されていた。

 内容は、次の任務についてだ。

 目的は変わらず、〈第四真祖〉と〈聖剣遣い〉の抹殺。

 次の協力者はーー。

 

 『LCO』

 

 「……………………」

 

 世界的にも有名な魔導犯罪組織だ。

 こんな連中と協力するあたり、太史局も余程切羽詰まっていると見ていいのかもしれなかった。

 だが、今の彼女にとってそんな事は、どうでもよかった。

 

 「兄さん…………」

 

 十年以上、想い続けてきた実の兄。

 彼の歩んできた轍を調べ、彼の所属していた組織を調べ、彼の経歴から犯罪歴まで念入りに調べてきた末に遂に再び合間見えることができた。

 実際に彼を見て、遂に今までの努力が報われると思った。彼が去っていったあの時に受けた仕打ちの報いを受けさせてやると思うと心が高ぶった。

 だが、その一方で……………。

 

 「………………………兄さん」

 

 どこかで期待していたのかもしれない。

 仮面を付けていたしても、十年以上顔を見ていなかったとしても、……………わたしが死んだと思っていたとしても。

 声で、雰囲気で、それとも何か目に見えない絆の様な繋がりで彼がわたしだと気付いてくれるんじゃないかと。

 わたしの存在に気付いて、この胸に抱えている澱みのような想いを癒やしてくれるのではないかと………。

 

 だけど……………。

 

 「兄さん……………わたしの事……………分からなかった………」

 

 それどころか、目の前で彼が始終気にかけていたのは、銀色の髪を持つ異国の王女。

 こちらの事など見向きもせずに。

 

 「……………許さない。絶対に………許さない………」

 

 気付けば低い怨念に満ちた声が口から零れ出ていた。

 そして、同時に透明な雫が頬を濡らしていた。

 

 「必ず………思い出させて…………償わせる…………」

 

 再び〈白狐〉の仮面を被る。

 

 殺意と憎悪に燃える瞳を仮面から覗かせ、〈白狐〉は夜の街を歩んでいく。

 自らの復讐を遂げるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 監獄結界 最奥部

 

 空隙の魔女が看守を務める、異空間に存在する魔導犯罪者専用の刑務所。

 その最奥部に存在する独房の中で彼女は、静かに笑みを浮かべていた。

 

 「星の配列が整った………………時は来たぞ、那月」

 

 黒の和服に身を包んだ女は、鎖に繋がれた己の手を頭上に掲げて言葉を紡ぐ。

 

 「そう言えば……………あの少年…………」

 

 女の脳裏に浮かんだのは、つい数週間前までこの刑務所に収監されていた一人の少年の姿だった。

 

 「お前は、もう決めたのか…………?我と那月……………否。犯罪者と攻魔師、どちらにつくのか」

 

 妖艶に女は、微笑む。

 

 「…………………決めろ。もう、宴は始まるぞ」

 

 暗い檻の中で女ーー書架の魔女は、孤独に嗤い続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 やっと天使炎上編終わりました~(ホント長かった)


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蒼き魔女の迷宮編
蒼き魔女の迷宮編Ⅰ


 更新が大変遅くなってしまいました。申し訳ありません。
 次回は、なるべく早く更新するように努力しますので何卒今後もよろしくお願いします。


 絃神島国内線空港出発ロビー

 

 〈絃神島〉と外界を繋ぐ空路の発着地である絃神島空港。本来であれば全ロビーが企業関係者や観光客、島の住人の往来により混雑しているが、本日に限り一部のロビーは貸し切り状態になっており、関係者以外立ち入り禁止となっていた。

 それもそのはず。この日は、北欧の大国〈アルディギア〉の王女が空港を利用しているのだから。

 国際線出発ロビーの一角は、白銀の西洋甲冑と直剣で武装した騎士達が立ち並んでいた。

 その騎士達が見守る中で向き合い、歓談に興じる二人の少女の姿があった。

 白銀の髪を持つ少女ーー〈アルディギア王国〉の王女、ラ・フォリア・リハヴァイン。

 そして、彼女の護衛として日本政府が派遣した〈獅子王機関〉の舞威媛、煌坂紗耶香だ。

 

 「ありがとう、紗耶香。夏音の件では面倒をかけました。これでわたしくしも、憂い無く本国に帰れます」

 

 帰国用の航空機に搭乗する直前、見送りに来ていた紗耶香の手を握り感謝の意を示すラ・フォリア。

 

 「いえ、滅相もありません」

 

 苦笑を浮かべながら首を横に振る紗耶香。

 

 「キリヲの顔も見れましたし、もう心残りはありません」

 

 王族専用のスマートフォンを胸元で握り締め、ラ・フォリアが僅かに顔を朱に染める。

 きっと今手にしているスマートフォンには、あの犯罪者ーー九重キリヲの連絡先が登録してあるのだろう、と紗耶香は表情を引き吊らせる。

 

 「王女……………臣下の目もあります。犯罪者とやり取りをしていると聞かれたりしたら問題が………」

 

 慌てふためく紗耶香を尻目にラ・フォリアは、拗ねたように目を伏せる。

 

 「紗耶香………貴女まで堅苦しいことを言わないでください」

 

 そう言ってラ・フォリアがスマートフォンの画面を紗耶香が見えるように向ける。

 そこには、昨晩の通話履歴が映し出されていた。

 

 「…………………………うわぁ」

 

 その内容を見た瞬間、思わずこんな声が漏れた。

 通話開始時間が午後11時。そして通話終了時間………………午前3時。

 通話時間、きっちり4時間。

 

 「………………随分と長電話ですね」

 

 「つい、話が弾んでしまいまして」

 

 照れる様に微笑みを浮かべるラ・フォリアに紗耶香は、夜通し王女の長電話に付き合わされたキリヲに心の中で同情した。

 

 「……………ところで紗耶香」

 

 紗耶香が引きつった笑みを浮かべていると、ラ・フォリアが思い出したように空港に設置されている電光パネルに視線を向けて問いかけてくる。

 

 「〈波朧院フェスタ〉……と言うのは、何ですか?」

 

 首を傾げながら問いかけてくるラ・フォリア。

 

 「〈波朧院フェスタ〉は、この時期に〈絃神島〉で開催されるお祭りで…………………って王女!?」

 

 質問に答えていた紗耶香は、目の前で嬉々とした表情で王族用スマートフォンを取り出したラ・フォリアに思わず思わず大声を上げてしまった。

 

 「まぁ!年に一度のお祭なのですね!?」

 

 新しい玩具を与えられたら子供のように目を輝かせながらスマホで〈波朧院フェスタ〉の画像検索をするラ・フォリア。

 

 「王女!すでに二度、帰国を延期されています!これ以上は……………!?」

 

 遊ぶ気満々、といった表情のラ・フォリアに紗耶香は慌てて窘めるように口を開く。

 しかし、当のラ・フォリアは…………。

 

 「とても、楽しそうなお祭りですこと………………!」

 

 聞く気ゼロである。

 このままではマズい、そう感じた紗耶香は強引にラ・フォリアの手を引くと、搭乗口の奥へと連行していく。

 

 「飛行機の前までお送りします!」

 

 「もう………言われずとも分かっています。興味本位で貴女の国に迷惑をかけるつもりは、ありません」

 

 紗耶香に手を引かれながらラ・フォリアは、不満気に頬を膨らませる。

 そのまま、紗耶香は手を緩めることなくラ・フォリアを連れて搭乗ゲートに入っていく。

 その瞬間だった。

 

 キイィィィン

 

 「え……………?」

 「あら……………………?」

 

 突然、甲高い音が頭の奥で響き渡ったと思った直後、二人の前に広がっていた景色は一変していた。

 清潔に整えられたら空港の中ではなく、瓦礫が至る所に散乱している屋外。

 さっきまでいた場所とは、似ても似つかない所に立っていたのだ。

 

 「……………ここは、サブフロート?」

 

 目の前に広がっていた景色に見覚えのあった紗耶香は、呆然と呟く。

 そこは、数週間前に激戦が繰り広げられたら場所………建設中だったサブフロートの上だった。

 

 「どうして………………」

 

 廃棄されたサブフロートは〈絃神島〉空港の正反対に位置している。

 数秒で移動できる距離ではない。

 魔術などの特殊な力を使わない限りは…………。

 紗耶香が突然の事態に困惑した表情を浮かべていると。

 

 「飛行機に辿り着けないのならば、仕方がありませんね。……………流石は、魔族特区。しばらくは、退屈しないですみそうです」

 

 紗耶香の隣に立つラ・フォリアが妖艶に微笑みながら、そう口にした。

 その表情は、先ほどと同じ新しい玩具を与えられた子供のようであり、同時に獲物を見つけた狩人のようでもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 〈絃神島〉 モノレール車内

 

 「………おっと、悪い」

 

 モノレールに乗り合わせて定期的に訪れる振動にバランスを崩したキリヲが、肩をぶつけてしまった雪菜に謝罪する。

 

 「いえ、大丈夫です。九重先輩」

 

 ギターケースを背負った雪菜もバランスを崩さないように手すりを握りながら、気にしていないとキリヲに笑いかける。

 

 「……………大丈夫か、キリヲ?」

 

 モノレールの揺れでバランスを崩したキリヲに古城が心配そうに問い掛ける。

 それは、今のキリヲの姿を案じての事だった。

 

 「ああ。大丈夫だ。これでも、大分良くなってきてるんだ……………」

 

 現在のキリヲは、頭から足のつま先まで至る所を包帯で巻かれ、医療用の大型絆創膏が張り付けられていた。

 数週間前に起きた〈模造天使〉事件………キリヲの傷は、その時に負ったものだった。

 最先端医療による手当てを受けたが、全身に負った複数の銃創、裂傷、凍傷、その他の霊的なダメージと雪菜の〈雪霞狼〉を使った事による反動ダメージは、簡単に治るものでは無かった。

 今も治療の真っ最中である。

 

 「………………そんなことより、今日は人が多いな。いつも以上に」

 

 「島の外からも人が来てるからだろ。明後日から祭だからな」

 

 車内に詰めかけている人々を尻目に不満気な表情を浮かべるキリヲに古城が諦めたように言う。

 

 「〈波朧院フェスタ〉ですよね。……………こんな、大規模な祭とは思っていませんでした」

 

 雪菜も人口密度の高さに少し苦しそうに言葉を漏らす。

 

 「この時期は、来島許可が下りやすいからな。観光客だけじゃなくて、ビジネス関係で島に来たがってた連中も押し掛けてくるんだ」

 

 毎年の事で慣れていると言うように古城がため息混じりに解説してくれた。

 

 「〈波朧院フェスタ〉……………モデルは、ハロウィンか」

 

 「そうみたいだな。…………なんでハロウィンかは、知らないけど」

 

 キリヲが何気なく言った言葉に古城も不思議そうな表情を浮かべる。

 

 「魔族特区には、お似合いの行事だと思います。元々ハロウィンは、魔除けの儀式ですから」

 

 「魔除け?」

 

 雪菜の言葉に古城が首を捻る。

 

 「はい。古代ケルトでは、この季節に霊界との間に道か出来て、精霊や魔女が現世に押し寄せてくると考えられていたんです。それ等から身を守るために仮面を被ったのがハロウィンのルーツになったと言われています」

 

 得意気に豆知識を披露する雪菜。

 

 「精霊や魔女か………そんな連中相手にしたくないな」

 

 ここ最近の強敵とのエンカウント率の高さを思い出して古城が苦笑いを浮かべる。

 

 「…………ですから先輩。くれぐれも気をつけてくださいね」

 

 「俺が気をつけるのかよ?」

 

 雪菜の言葉に困ったような表情を浮かべる古城。

 

 「当たり前です。この島で一番危険な魔力源は先輩なんですから」

 

 「頼むから、所構わず眷獣をぶっ放したりしないでくれ」

 

 腰に手を当てて頬を膨らませる雪菜と、これ以上生傷増やしたくない、と愚痴るキリヲ。

 

 「やんねーよ、そんな事。…………明日から友達だって来るんだし」

 

 友人二人からの信用の無さに古城も不機嫌そうに返答する。

 

 「え?」

 「友達………?」

 

 古城の口から出た単語にキリヲと雪菜が同時に疑問符のついた声を上げる。

 その直後だった。

 

 キキィー!

 

 急ブレーキの音と共に車内に大きな揺れが走る。

 突然の事に三人も踏みとどまれずに前のめりに転びかける。

 

 「あっ!」

 

 「先輩!」

 

 転びかけた事により、古城の右手が雪菜の胸の真上に押し付けられる。

 

 「すまん、姫柊!わざとじゃ…………」

 

 慌てて謝罪しようとする古城。

 しかし……。

 

 「いえ、そうではなくて。………………彼女」

 

 雪菜が車内の奥に立つ彩海学園の制服を着た黒髪の少女を指差す。

 

 「え?」

 

 雪菜に言われて、古城もその少女に視線を向ける。

 すると、少女の背後に不審な動きをしている中年の男の姿が目に入った。

 見た所、少女の体を弄っているようだった。

 

 「痴漢か!?野郎………!」

 

 「あっ、待て古城……………」

 

 年頃の妹がいる古城にとって、痴漢は絶対に許すまじき悪だった。

 頭に血が上ったようにキリヲの制止も振り切って、車内の乗客を押しのけながら痴漢に近付いていく古城。

 しかし…………。

 

 ガタンッ………キキィー!

 

 再び大きな振動が車内を襲い、その直後に扉が開いて乗客が一斉に降り始める。

 

 「えっ、えっ、あれ………!?」

 

 勢い良くモノレールの外に掃き出される人波に巻き込まれて車外に押し流されていく古城。

 そして、駅のホームに降りる瞬間。

 

 「はい!痴漢一名、現行犯で確保してみたり」

 

 背後から古城の腕を掴む者がいた。

 振り返ると、そこにいたのはチャイナドレスを纏った若い女。

 そして、女に腕を捕まれたまま数秒ほどフリーズした後……………。

 

 「え?痴漢?は、ハアァ!?」

 

 驚愕の声を上げて腕を振り払おうとする古城。

 しかし、女の予想以上に強い力に腕を振り払うことができない。

 

 「はいはい。話は後で聞くからついて来てねー」

 

 そのまま、連行されそうになる。

 流石に見過ごせないと思った雪菜が慌ててホームに降りて女を呼び止める。

 

 「さ、笹崎先生!待ってください!」

 

 「あれ?姫柊ちゃん?」

 

 雪菜に呼び止められた女ーー笹崎岬は怪訝そうな表情を浮かべて改めて自身の捕まえた相手の顔を見る。

 

 「あれぇ!?暁ちゃんのお兄さんだったり?」

 

 「そうですよ!放してください!」

 

 連行されずに済んだ古城が、勘弁してくれ、といった表情を浮かべながら抗議の声を上げる。

 そして。

 

 「本物の痴漢は、こっちだ馬鹿犬」

 

 古城の腕を掴んでいた岬に背後から声が掛けられた。

 それは、さっき痴漢被害に合っていた黒髪の少女だった。少女の手には銀鎖が握られており、銀鎖の先には雁字搦めにされた中年男が震えながら立っていた。

 

 「南宮先生!?」

 「那月ちゃん!?」

 「南宮那月!?」

 

 制服を着ていた少女の正体を知った古城、雪菜、キリヲの三人が驚きの声を上げる。

 

 「さっきの中等部の子、那月ちゃんだったのか!?」

 

 今の那月が身に纏っていたのは、彩海学園の中等部に属する生徒が着るセーラー服だった。

 そして、その更に後ろには…………。

 

 「ハァイ。こっちも大漁よ」

 

 那月同様に中等部のセーラー服を着たジリオラが立っていた。

 ……………手にした鞭型眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉の先に大量の中年男を巻き付けながら。

 

 「…………………一応聞いておくが、何やってんだ?」

 

 冷え切った視線をジリオラに向けるキリヲ。

 

 「なにって、痴漢退治よ。最近、この車両で痴漢被害に合う生徒が多いみたいだから、わたし達が囮になって痴漢を捕まえていたのだけれど」

 

 「………………………」

 

 キリヲは、相変わらずの冷え切った目でジリオラと彼女が捕まえた痴漢達に視線を走らせる。

 そして、最後はジリオラの着ているセーラー服に目が止まる。

 

 「……………お前こそ、痴女の現行犯じゃないか?」

 

 ジリオラの着ているセーラー服……………サイズが合っていないのか丈が足りずにお腹のへその部分は露出しており、胸部もサイズ不足により締め付けられて胸の形がくっきりと浮かび上がっていて、おまけに下着まで透けて見えている。

 スカートの方も丈が足りておらず、太股の付け根が見えかねないほど足を晒していた。

 どう見ても現役の学生ではなく、いかがわしいコスプレにしか見えない。

 …………………これでは、痴漢でなくとも男なら劣情を刺激されるだろう。

 

 「これでも、一番大きいサイズを選んだのよ」

 

 「…………………………」

 

 人選ミスも甚だしいな、と思ったが口にはしないキリヲだった。

 

 「………人手が足りなかったからな。わたしの方も無理を承知で囮捜査のために変装していた」

 

 不愉快そうな表情を浮かべながら歩み寄ってくる那月。

 

 「無理……………ていうか、那月ちゃんは、むしろ中等部の制服の方が似合ってるぞ」

 

 苦笑いを浮かべながら古城が言うと、那月の顔が更に不機嫌さを増していく。

 

 「教師をちゃん付けで呼ぶな。……………というか、何でそこの馬鹿犬と変態は先生呼ばわりされて、わたしはちゃん付けなんだ」

 

 側に立つ岬とジリオラに八つ当たりめいた非難をぶつける那月。

 

 「誰が変態よ。誰が」

 

 「威厳と風格の差だったりしてぇ?」

 

 「触るな、貴様等!」

 

 身長差を利用して那月の頭を撫でる岬と軽いチョップをお見舞いするジリオラ。二人の手を不愉快そうに振り払う那月。

 ちょっとした教師三人のコントが眼前で繰り広げられると、疲れたように古城が口を開く。

 

 「…………あのー、俺等もう行ってもいいっすかねぇ?」

 

 「俺は先に行ってるぞ」

 

 許可を取ろうとする古城と、端っから許可など求めないキリヲ。

 さっさと立ち去ろうとしていたキリヲに古城と雪菜もついて行こうとする。

 すると。

 

 「暁古城」

 

 「はい?」

 

 教師コントを切り上げた那月が背中を向けた古城を呼び止めた。

 

 「もうすぐ、〈波朧院フェスタ〉だな」

 

 「そうっすね」

 

 那月に生返事を返す古城。

 その後、数秒ほど沈黙を保った末に那月がゆっくりと口を開く。

 

 「週明けからは、普通に授業を再開するからな。遅れずに、ちゃんと来いよ」

 

 そう言い残し、ジリオラと岬を連れて立ち去る那月。

 

 「はあ」

 

 古城は言葉の意図が分からず、再度生返事を口にし、去っていく那月の背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 ***

 

 〈絃神島〉港付近の倉庫街

 

 

 「相変わらず、ここは醜い街ね。お姉様」

 

 「ええ。本当に」

 

 夜の帳が降り、暗闇に包まれた倉庫街に二人の女の声が響き渡った。

 海に面した倉庫街と向かい合うようにして海上の上空に浮かんでいたのは、黒いドレスと赤いドレスにそれぞれ身を包んだ妙齢の女達だった。

 そして、二人の女達と相対するように倉庫街に展開していたのは、特区警備隊の一個中隊だった。

 全員が対魔術の術式が付与された防弾チョッキとフルフェイスヘルメットを身に纏い、対魔族用弾頭が装填された軽機関銃を装備している。

 特区警備隊隊員達が警戒するように海上の女達を睨みつけていると………。

 

 「…………来るぞっ!」

 

 中隊を指揮している特区警備隊の隊長が叫ぶ。

 その直後、巨大な物体が海水を押しのけて水面から姿を表した。

 大きな波音と水柱を作りながら海中より出現したのは、赤黒い胴体を持つ巨大な触手だった。

 

 「撃てぇ!」

 

 隊長の指示で一斉にそれぞれが構えているライフルの引き金を絞る特区警備隊隊員達。

 眩い銃火光が瞬き、一瞬だけ倉庫街が昼間のように明るさを取り戻す。

 奏でられる銃声と共に吐き出された対魔族弾頭が出現した触手に殺到する。

 しかし………。

 

 「ぐあっ!?」

 「うおっ……!」

 

 銃弾の嵐など、まるで無いように触手は動きを緩めずに特区警備隊に襲いかかる。

 特区警備隊隊員も大型の軍事車両も紙屑のように、なぎ払う触手。

 その光景に特区警備隊隊長は、唖然とするしかなかった。

 

 「この程度ですの?興醒めですわね、お姉様?」

 

 菫色の朧な燐光を放つ本を手にした赤いドレスの女が愉快そうに隣にいる黒いドレスの女に問い掛ける。

 

 「十年ぶりにわたし達が帰還したのだから、もっと華々しく出迎えて頂きたいものだわ」

 

 黒いドレスを着た女も愉快そうに口の端を吊り上げながら、優雅に微笑んで返答していた。

 その間にも、二人の召還した触手による蹂躙は続いていた。

 倉庫街に散開する特区警備隊隊員達を吹き飛ばし、締め殺し、叩き潰していく。

 

 「くそっ!なんだ、こいつら!人間の使役できるレベルの使い魔じゃない…………」

 

 長年、肩を並べて戦ってきた戦友が成す術なく圧殺されていくのを目の当たりにし、特区警備隊隊長が半狂乱になりながら叫んだ。

 その直後に、特区警備隊隊長の疑問に答えるようにインカムからオペレーターの声が流れてきた。

 

 『侵入者の術紋を照合完了!一級犯罪魔導師、エマ・メイヤーとオクタヴィア・メイヤーと一致!魔導犯罪組織〈LCO〉、第一隊〈哲学〉所属の魔女、メイヤー姉妹です!』

 

 「メイヤー姉妹だと!?まさか………アッシュダウンの魔女かっ!?」

 

 オペレーターの分析結果を聞いた特区警備隊隊長が茫然と眼前の触手と二人の魔女を見上げた。

 

 「ご名答。わたし達の事を覚えていてくださったのね」

 

 宙に浮遊しながらケラケラと笑う赤いドレスの魔女ーーオクタヴィア。

 

 「偉いわ。…………これは、ご褒美よ」

 

 そして、オクタヴィアと同様に自らの魔導書を呼び出す黒いドレスの魔女ーーエマ。

 エマの指示を受け、倉庫街を蹂躙する触手が更に激しさを増して暴れ出す。

 

 「糞がっ!これ以上…………好きにさせるかっ!」

 

 部下がオーバーキルとも言える虐殺の対象にされているのを尻目に特区警備隊隊長は、触手によってなぎ倒された軍事車両に駆け寄る。

 

 「こいつで…………吹き飛ばしてやるっ!」

 

 軍事車両のトランクから車内に積まれていた武器収納用の大型アタッシュケースを取り出す。

 

 「あれは……………」

 

 特区警備隊隊長がアタッシュケースから取り出した物を見て、オクタヴィアが怪訝そうに表情を歪める。

 特区警備隊隊長が持ち出したのは、携帯型対戦車ロケットランチャー。

 しかし、エマとオクタヴィアが注目したのは、ロケットランチャー本体ではなく、先端に装填されている弾頭だった。

 表面は、純金でコーティングされたような金色。そして、神を象徴する十字架と聖なる御言葉を意味するラテン語の刻印が刻まれている。

 

 「ロタリンギアの宣教師共が輸出している対魔術弾頭……………」

 

 「…………しかも、魔導書の効果を打ち消して対象を破壊する特別仕様ね」

 

 魔女にとっての天敵ともいえる聖なる物質を限界にまで濃縮した兵器を前にエマとオクタヴィアの顔から余裕の色が消える。

 

 「これで、終わりだ!」

 

 仲間の無念を晴らそうと、魔女を討ち滅ぼし得る特殊弾頭を撃ち込む為にランチャーの照準をメイヤー姉妹に合わせる特区警備隊隊長。

 

 「消し飛べっ!」

 

 「まずい…………………!」

 

 照準を合わせた特区警備隊隊長がランチャーの引き金を引こうと指に力を込めた瞬間、エマの顔にも焦りの表情が一瞬浮かび上がる。

 しかし。

 

 「…………ガハッ」

 

 ランチャーの引き金が引かれる事はなかった。

 特区警備隊隊長の胸からは、防弾チョッキを突き破って二つの鋭利な刃が突き出ていた。

 

 「…………悪いわね」

 

 背後から特区警備隊隊長を突き刺した人物ーー黒いセーラー服を纏い、白い狐の仮面を被った少女が囁くように謝りながら、突き刺した二股又の槍を引き抜いた。

 

 「………………貴女が〈太史局〉の〈六刃神官〉かしら?」

 

 「…………ええ。そうよ」

 

 エマの問い掛けに抑揚のない声で返答する〈白狐〉。

 

 「………………随分と遅かったみたいね?予定通り、三十分前に来れば、特区警備隊の監視を掻い潜って余計な戦闘をしなくて済んだのに」

 

 〈白狐〉が周囲に転がっている特区警備隊隊員達の遺体を横目に非難するように言う。

 

 「あら、攻魔師風情が随分と偉そうね。格上の魔女を出迎えるのに、その態度は無いんじゃない?ねぇ、お姉様?」

 

 〈白狐〉の態度が気に入らないのかオクタヴィアが高圧的な口調で言い放つ。

 だが…………。

 

 「格上?…………それは誰の事を言っているのかしら?」

 

 〈白狐〉も挑発的に嘲笑を含んだ口調で言い返す。

 

 「あ?」

 

 「ひょっとして、自分達の事を言っているなら、ごめんなさいね。……………わたし、お世辞って苦手なのよ」

 

 それを聞いた瞬間、オクタヴィアの表情が一変した。

 

 「…………いい度胸ね、小娘がっ!」

 

 倉庫街を破壊していた触手がオクタヴィアの指示を受けて、〈白狐〉の前に現れる。

 〈白狐〉も臨戦態勢を整えるように手にしている霊槍を構える。

 

 「戦うつもり?……………わたしは、別に構わなくってよ」

 

 〈白狐〉の声音から余裕の色が消えることはない。

 一方でオクタヴィアの顔は、怒りで真っ赤に染まっていた。

 

 「貴様ぁ……………!」

 

 しかし。

 

 「落ち着きなさい。オクタヴィア」

 

 「お姉様!?」

 

 冷静にオクタヴィアを止めるエマ。そして、止められたことに驚愕の声を上げるオクタヴィア。

 

 「…………今回は、〈太史局〉と組むのよ。殺しては、マズいわ」

 

 〈白狐〉を見下ろして言うエマの表情は、どこまでも冷静だった。

 

 「でも、お姉様!〈太史局〉などいなくとも、わたし達だけで……………!」

 

 「忘れたの、オクタヴィア?……………この街には、那月がいるわ」

 

 エマの口から那月の名前が出た瞬間、オクタヴィアも口を噤んだ。

 

 「奴を倒すためにも必要なのよ、〈太史局〉が」

 

 〈白狐〉を見下ろすエマの目は、静かに怒りの炎を灯していた。

 何としてでも那月を倒す、その意志が〈白狐〉にも見て取れた。

 

 「あの忌々しい空隙の魔女を………………………今度こそ、確実に殺すのよ」

 

 怨念に満ちた魔女の声が夜の海に静かに響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ジリオラのセーラー服、書いてて楽しかったです。
 近いうちにまた、何かコスプレさせようと思っちゃってます。


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蒼き魔女の迷宮編Ⅱ

 すいません。本当に申し訳ありません。(もう言い訳しません)


二年前 〈監獄結界〉 独房

 

 「………クソ、あの女」

 

 〈空隙の魔女〉が支配し、現実世界とは異なる次元に建造された石造りの刑務所――〈監獄結界〉。その最深部周辺に設けられた独房の中で黒髪の少年が地に伏していた。

 少年は、体のいたるところから出血しており肌の大部分も打撲痕によって変色していた。

 

 「……噂には聞いていたが、想像以上にひどい所だな」

 

 傷だらけの体を横たえ、首だけを動かして周囲を見渡しながら少年は愚痴をこぼす。

 少年の出身地域である〈戦王領域〉だけに留まらず、欧州全域で恐れられている〈監獄結界〉とその看守。少年は、先月この〈監獄結界〉に投獄されたばかりだった。

 投獄されてすぐ、少年はこの刑務所が数多の国で恐れられている理由を知ることになった。脱出不可能な監獄や冷酷無慈悲の看守も恐ろしいが、真っ先に少年に襲い掛かったのは同じ境遇にあるはずの他の受刑者だった。

 通常の手段では拘束できず、他の刑務所では収容できなかった選りすぐりの凶悪犯達が跋扈する檻に少年は放り込まれたのだ。

 暗く、娯楽も何もない檻に長いこと幽閉されていた囚人達は腹いせと言わんばかりに新入りの少年に牙を剥いた。

 無論、少年も一方的に嬲られるつもりは無く、応戦した。

 結果的に狭い檻の中で気の立った犯罪者達による無秩序の乱闘騒ぎに発展し、見かねた看守が駆けつけて持ち前の銀鎖で暴れていた囚人達を滅多打ちにして事態は収拾したのだが、少年を含む多くの囚人が半死半生の体になり各々独房に放り込まれていた。

 耳をすませば少年と同様に痛みに呻く他の囚人の声が聞こえてくる。

 少年も全身を苛む痛みから逃れるためにさっさと意識を手放そうと目を閉じる。

 その直後だった。

 

 「……………騒々しいな」

 

 少年のいる独房、その出入り口である鉄格子の向こう側から澄んだ女の声が響いてきた。

 

 「外で何かあったか?」

 

 少年は声のする方向に目を向ける。

 声の主は、少年のいる独房の向かい側に置かれた檻の中にいた。長く、黒い髪と対照的に陶磁器のように白い肌。身に纏っている服は黒と白で彩られた和装。両手には枷がはめてあるのか、身動ぎするたびに重い鎖の音を奏でる。

 鉄格子越しに見ても分かるほど、人形のように整った端正な顔立ちをした女だった。

 

 「答えろ少年、何があった?」

 

 厳かな口調で女が問う。

 そこでようやく少年も女が自身に話しかけていると気付き、億劫そうに口を開く。

 

 「………ただの喧嘩騒ぎだ。〈空隙の魔女〉の折檻でお開きになったけどな」

 

 「嗚呼……なるほど」

 

 苛立たし気に口にする少年に女も納得したように頷いた。

 

 「……あんたは、なんでここにいる?」

 

 話から察するに目の前の女は、先ほどの乱闘には参加していなかった。ならば何故、この独房に放り込まれているのかと少年は疑念に満ちた表情を浮かべていた。

 

 「わたしは、ずっとここにいる」

 

 「………なにをやってこの刑務所に?」

 

 少年の問いに僅かに動揺したように眉を顰める女。

 やがて、その口から出てきたのは哀愁を漂わせた言葉だった。

 

 「………自ら正しいと思ったことをしたまでだ。もっとも、我が盟友によって阻まれた末にこの檻にいるのだがな」

 

 苦々しい表情で語った後に女は、少年に視線を向ける。

 

 「私の名は阿夜。………仙都木阿夜だ。少年、お前の名は何という?」

 

 「俺は………」

 

 

 

 

 

 これが異界の監獄に捕らわれた少年――九重キリヲと〈書架の魔女〉の出会いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈絃神島〉空港 到着ロビー

 

 いつもは、比較的に静かな絃神島の空港だが、今日に限っては祭りを前にして訪れた観光客達により普段は見せない活気のある姿を晒していた。

 

 「優麻の奴、遅いな」

 

 喧騒に満ちた空港にて天井から吊り下げられた電光掲示板に目を向けながらぼやく古城。

 そして、その隣には終始彼と行動を共にしている獅子王機関からの監視者――姫柊雪菜と、全身に包帯を巻いた黒髪の少年ーー九重キリヲの姿があった。

 

 「そろそろ着いてもいい頃なんだけどね」

 

 古城の呟きに答えるように彼の後ろに立っていた凪沙も溜め息混じりに言う。

 くたびれたように言う凪紗を宥めるように苦笑を浮かべたのは、銀髪を肩の辺りで切りそろえた同年代の少女ーー叶瀬夏音だ。

 

 「………というか、古城。俺が来ても良かったのか?」

 

 古城の隣に立つキリヲが少し申し訳なさ気に言う。古城曰わく、今から絃神島に来るのが彼の古い友人だというのはキリヲも聞いていた。

 久しぶりの再会に水を差すことに負い目を感じていたのだった。

 

 「ん?ああ、大丈夫だ。気にすんなって。キリヲも波朧院フェスタは今年が初めてだろ?優麻に紹介するついでに案内もするから、任せとけって」

 

 大した事じゃないとでも言うように笑いかけてくる古城にキリヲも自然と表情が、和らぐのを感じた。

 

 「………そうか、助かる。ありがとう、古城」

 

 「おう。……………それよりも、あいつらは何やってんだ」

 

 キリヲの感謝の言葉に相づちを打った後に古城は、一番後ろにさり気なく立っていた二人組に目を向けた。

 

 「げっ、バレた」

 

 「やっぱ、この程度の変装じゃダメか」

 

 古城や凪紗の後ろにいたのは、帽子やら付け髭やらで粗雑な変装をしていた男女の二人組ーー藍羽浅葱と矢瀬基樹だ。

 

 「……………それで変装してたつもりなのかよ。で?何しにきたんだ?」

 

 呆れた様子で古城が問い掛けると二人は、揃って得意気に笑みを浮かべる。

 

 「そりゃあ、古城の本土の友人と聞いたらなぁ?」

 

 「顔を拝まないわけにはいかないでしょ」

 

 野次馬根性丸出しで言う二人にガクリと肩を落とす古城。

 

 「いっそ清々しいな、お前ら」

 

 「あっ、良かったら写真見る?昔のだけど」

 

 疲れ果てた表情を浮かべる古城とは対照的に嬉々としてスマホで以前撮った写真を表示して見せる凪紗。

 

 「ほうほう?」

 

 「これは………」

 

 凪紗の出した写真を古城以外のその場にいた全員が覗き込む。

 映し出された写真には、幼い容貌の古城と同じく幼さを残した茶髪の子供が見て取れた。

 

 「へぇ?結構、イケメンじゃない」

 

 写真に写る古城の幼なじみと思わしき少年に目を向けて浅葱が感嘆したように口にする。

 

 「………こんな大人数で出迎えて、流石に優麻さんもビックリするんじゃないでしょうか?」

 

 この場に集まった計七人の姿を見回して雪菜が不安そうに言う。

 

 「まあ………大丈夫だろ」

 

 雪菜に指摘されて僅かに考える素振りを見せる古城だが、最終的には諦めたように嘆息する。

 

 「そうそう、わたし達のことは通行人かなんかだと思ってくれていいから」

 

 調子の良いように軽く言う浅葱と同意するように頷く基樹。

 

 「お前らなぁ………」

 

 あまりに軽い調子で言ってくる同級生二人に再度古城が呆れたと口にしようとした時だった。

 

 「古城っ!」

 

 突如、頭上から快活な声が響きわたり、その場にいた全員の顔が上に向く。

 そして全員の視線が一点に集まると同時に、声の主は躊躇うことなくロビーの二階から身を放り出した。

 

 「おわっ!?」

 

 重力に逆らわず、真っ逆さまに落下してきた人物の身体を両手で受け止める。

 

 「古城!久し振り!」

 

 「痛てて………優麻、お前なぁ」

 

 落下してきた旧友を受け止め、床に倒れ込んだ古城に跨がる少女に古城が顔をしかめながら呻く。

 

 「何やってんだ、危ねぇだろ」

 

 「だって早く古城に会いたかったんだもん」

 

 苦言を言う古城に茶髪をショートにした少女ーー優麻は、悪びれずに微笑みながら言う。

 

 

 「ね、ねぇ古城………」

 

 一連の二人のやり取りを見て唖然としていた六人の中で真っ先に口を開いたのは、浅葱だった。

 

 「ん?どうした?」

 

 「いや、どうしたって……………誰、その子?」

 

 プルプルと細かく震える指で優麻を指す浅葱。

 

 「いや、誰って……………優麻だよ。さっき、写真見てたろ?」

 

 当然のように言い放つ古城。

 

 「…………………女の子………だったんですね」

 

 雪菜も浅葱と同様に驚きを露わにした表情で口にする。

 

 「写真で見た感じで、てっきり男かと………」

 

 「ビックリ……………でした」

 

 基樹と夏音も目を丸くして古城の隣で無邪気に微笑む優麻を見つめる。

 

 「古城、古城。彼らを紹介してもらっても?」

 

 「ん?ああ、そうだな」

 

 古城の袖を引っ張って目の前に立ち並ぶ面々の紹介を求める優麻に古城も一度頷いて、友人の紹介を始める。

 

 「えっと、そこにいるのが姫柊だ。それと、後ろの叶瀬。二人とも凪紗のクラスメイトで、姫柊はうちの隣に住んでる」

 

 「よろしくお願いします」

 

 「お願いします、でした」

 

 古城に紹介された雪菜と夏音が礼儀正しく頭を下げる。

 

 「で、そいつはキリヲ。この前、転校してきた奴なんだ」

 

 「よろしく頼む」

 

 古城の紹介を受けて、握手を求めるように手を伸ばすキリヲ。

 

 「…………………すごい怪我だね、君」

 

 キリヲの手を取りながらも、全身包帯だらけのキリヲの姿に目を丸くする優麻。

 

 「原付きで事故ったんだ」

 

 とっさに思いついた嘘を述べる。

 

 「そ、そうなんだ…………」

 

 「そうだ」

 

 若干引きつった表情を浮かべる優麻に、それ以上追求しないでくれ、と無言の圧力をかけるキリヲだった。

 

 「で、最後にそこの二人なんだが……………」

 

 キリヲと優麻のやり取りが終わったのを察し古城は、最後に浅葱と基樹に目を向ける。

 

 「……………ただの通行人だ」

 

 ボソリと一言だけ古城は言った。

 

 「おい!?」

 

 「ちょっと古城!?」

 

 すかさず、基樹と浅葱が抗議の声を上げる。

 

 「冗談だよ。こいつらは、俺のクラスメイト。藍羽と矢瀬だ」

 

 「ふふっ、みんな面白い人達だね」

 

 一通り古城の紹介が終わったところで、愉快そうに笑いながら優麻が口を開く。

 

 「仙都木優麻です。よろしく」

 

 可愛らしくお辞儀を交えながら自己紹介をする優麻。そんな彼女に雪菜や他のメンバーも口々に、よろしくと挨拶を交わす。

 

 ただ一人を除いて。

 

 「…………………仙都木?」

 

 優麻が雪菜や浅葱達と親睦を深めている最中に突然、キリヲが怪訝そうに問い掛けた。

 

 「ん?」

 

 「仙都木………………なのか?」

 

 首を傾げる優麻に再度問い正す。

 

 「…………………ボクの名字がどうかしたのかな?」

 

 ジッと目を逸らさずに自分を見つめてくるキリヲに優麻も困ったような苦笑いを浮かべる。

 

 「……………………………………………いや、なんでも」

 

 数秒ほど優麻の顔を凝視した後、キリヲは無愛想に一言だけ、そう言った。

 

 「どうかしたのか、キリヲ?」

 

 どこか様子が変なキリヲに古城が声を掛けるが、それに対する返事はなく、キリヲの視線は優麻の顔に向いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈絃神島展望台〉 最上階

 

 およそ絃神島の中央付近に位置し、二十八階の高さを誇る絃神島有数の展望台。

 最上階は、見晴らしの良さを最大限に活かすために窓だけでなく床もガラス張りにされており、眼下に広がる絃神島全体を見下ろすことができる観光スポットである。

 

 「わあ、すごいね!」

 

 いつも溢れんばかりの元気を見せる凪紗だが、今日の彼女のテンションは更に磨きがかかっていた。

 級友である夏音の手を引っ張り、展望台をあっちこっちに駆け回っている。

 

 「まさか、古城の幼なじみがあんなに可愛い子だったなんて…………」

 

 「油断ならないなぁ、浅葱」

 

 別の場所では、古城と優麻を交互に見比べる浅葱とそれを茶化す基樹の姿が見て取れた。

 

 「だ、大丈夫ですから先輩…………決して怖いわけでは………………ただ、床のガラスの強度が心配なだけで……………」

 

 そして、展望台エリアの入り口付近、エレベーターの出入り口前では顔面蒼白になった雪菜が震える足で床のガラスをつついていた。

 

 「そう言えば、高い所ダメだったな……………」

 

 この前、小型機に乗った時に見せた雪菜の顔を思い出して古城も苦笑いを浮かべる。

 

 「ほら、掴まれよ。そうすれば安心だろ?」

 

 怯えた表情の雪菜に優しく手を差し伸べる古城。

 

 「し、しかし…………」

 

 「いいから」

 

 震える手を躊躇うように伸ばす雪菜の手を掴むとエスコートするように優しく、数歩前に歩く。

 そんな古城にされるがままの雪菜の顔は羞恥とその他色々な感情で真っ赤に染まっていた。

 

 「ハハッ、あの二人って凄い仲がいいんだね。いつも、あんな感じなのかい?」

 

 仲むつまじい姿を見せる古城と雪菜を傍目に優麻は隣に立つキリヲに笑いながら問い掛けた。

 

 「………………大体、あんな感じだ」

 

 そう答えるキリヲの目は、古城や雪菜でもなければ展望台から見える景色でもなく、隣に立つ茶髪の少女に向いていた。

 

 「多分、今なら何話しても古城達には聞こえないよ?」

 

 表情を変えることもなく優麻が唐突に言う。

 

 「ボクに何か聞きたいことがあるんじゃないのかな?……………さっきから、凄い見つめてきてる」

 

 「…………………」

 

 横目でキリヲを見つめながら涼しげな笑みを浮かべる優麻。

 キリヲは、一瞬迷うような素振りを見せたが、やがて決心したように口を開く。

 

 「………………単刀直入に訊く。君は魔女か?」

 

 射抜くような鋭い視線を向けながら問い掛ける。

 

 「…………………また、随分とストレートな聞き方だね」

 

 肯定も否定もせずに優麻は、苦笑いを浮かべる。

 しかし、その毅然とした態度にキリヲは自分の憶測が的中していたことを確信した。

 

 「回りくどいやり方は、苦手なんだ」

 

 「正直だね」

 

 その言葉を最後に二人の間に僅かな沈黙が流れた。

 

 「ボクの方こそ聞いてもいいかい?………なんで、ボクが魔女だって思ったのかな?」

 

 沈黙を破るように今度は、優麻がキリヲに問いを投げ掛けてきた。

 

 「………俺の目は相手を分析する魔具だ。隠していようが零れ出ている魔力くらい感知できる」

 

 自らの左目を指さしながらキリヲが言うと優麻は、嘲るような笑みを浮かべる。

 

 「そんな玩具で見破られるほどボクも素人じゃないつもりなんだけどな」

 

 疑いの念を含んだ視線を向けてくる優麻にキリヲは、言葉を続ける。

 

 「あと………」

 

 一瞬、言うべきかどうか迷うような素振りを見せた後、キリヲは言葉を続けた。

 

 「………母親と瓜二つだ」

 

 「………っ!?」

 

 『母親』という単語が出た瞬間、初めて優麻の顔に動揺が現れた。先ほどまで浮かべていた笑みが消え、複雑な感情が混じりあったような歪んだ表情が浮かび上がる。

 

 「………そっか。君は知ってるんだね。あの人を」

 

 どことなく悲しさを孕んだ声音で言う優麻にキリヲも怪訝そうに表情をゆがめる。

 しかし、やがて話を進めるために次の言葉を口にする。

 

 「…………………何しに絃神島に来た。なぜ、古城に近づく?」

 

 「…………………心外だな。古城とは、本当に友達さ。昔からね。ボクは彼に会いに来ただけだよ」

 

 またしても哀愁漂う顔を見せる優麻。しかし、その目はキリヲを警戒するように鋭さを増していた。

 お互いに相手を牽制するかのように視線が宙で交差した。

 険悪な雰囲気と重苦しい沈黙が二人の間に生まれた。

 

 「………」

 

 「………」

 

 沈黙を破ったのは、キリヲのポケットから鳴った小さな振動音だった。

 バイブレーションで着信を知らせる携帯にキリヲは、一旦優麻から視線を外して携帯に表示された液晶に目を向けた。それに合わせるように優麻も鋭い視線を引っ込め、先ほどまで浮かべていた陽気な笑みを顔に張り付ける。

 

 「優麻!悪いな、ほったらかしにして」

 

 タイミングよく古城も雪菜を連れて優麻とキリヲの側に駆け寄ってくる。ようやく慣れて落ち着いてきたのか、雪菜の顔も色も元に戻っていた。

 

 「キリヲと何話してたんだ?」

 

 「ん~……古城と姫柊さんのことかな」

 

 おどけたような口調で言う優麻に古城と雪菜が気まずそうに視線を逸らす。

 

 「………悪い、古城。ちょっと話してくる」

 

 今しがた着信の来た携帯を古城に見せて、キリヲは三人のもとから僅かに離れた場所まで移動してから通話を開始する。

 

 「………何の用だ?」

 

 『………いきなり、随分な言い様ね』

 

 通話相手は、キリヲと同じ〈監獄結界〉の囚人――ジリオラだった。

 開口一番に不愛想な言葉を投げかけてくるキリヲにジリオラも呆れたようにため息をつくが、キリヲは大して意に介さないと言った風にジリオラに返答を促す。

 

 「どうでもいい。さっさと要件を言え」

 

 『はいはい………』

 

 ジリオラも諦めたのか一度大きく溜息をつくと言葉を続けた。

 

 『緊急事態よ。南宮那月が消えたわ。通信も届かないし、魔力も感知できなくなった。……文字通り、姿を消したわ』

 

 「………くたばったか?」

 

 万一にもあり得ないことだが、とっさに脳裏に浮かんだことを思わず口にするキリヲ。

 

 『まさか。あり得ないでしょ』

 

 那月の化け物じみた強さを知っているジリオラが鼻で笑うと、同じく那月の強さを知るキリヲも、確かに、と思い直す。

 

 『なんにせよ嫌な予感がするわ。…………こういう時は、叶瀬夏音の身の安全を守ることが最優先っていうのが南宮那月の指示よ』

 

 ジリオラの言葉にキリヲは、展望室の窓から景色を楽しんでいる銀髪の少女に視線を向ける。

 実の父の手によって禍々しき天使へと変貌させられた悲しき少女ーー叶瀬夏音。

 父である賢生が投獄された今、彼女は後見人である那月によって引き取られていた。

 

 「……………ジリオラ、今どこにいる?」

 

 『南宮那月の部屋よ。ホムンクルスのメイドも一緒にいる』

 

 よし、と小さく呟くとキリヲは古城達のいる方に足を進めながら言葉を続ける。

 

 「今、叶瀬といる。こっちで確保するから、古城の自宅に向かってくれ。そこで合流する」

 

 一方的に告げると電話を切り、古城と雪菜に事の詳細を小声で口早に伝える。

 

 「えっ!?那月ちゃんが失踪!?」

 

 「………何か事件に巻き込まれたのでしょうか?」

 

 目を見開いて驚愕を露わにする古城と怪訝そうに眉をひそめる雪菜。

 

 「まだ、分からない。ただーー」

 

 一瞬言葉を切って、一歩離れた場所に立っている優麻を横目に見る。

 

 「ーー気を付けた方がいいかもしれない」

 

 低い声音でキリヲが呟くが、その真意を古城と雪菜が察することはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈絃神島〉 ラブホテルの一室

 

 

 「これが日本のホテルなんですね!」

 

 大きなダブルベッドが部屋の真ん中に設置されたホテルの一室にて長い銀色に輝く髪を持つ少女ーーアルディギアの王女ラ・フォリアは、部屋の内装に目を輝かせていた。

 

 「はあ……なんでこんなところに……」

 

 ピンク色の照明やら天井のミラーボールやらに嬉々とした視線を送るラ・フォリアとは対照的に彼女の護衛役である獅子王機関の舞威媛――煌坂紗耶香は、ダブルベッドに突っ伏して心の底から疲弊したような声を漏らしていた。

 

 「全然……辿り着けない」

 

 「それは仕方がありません、紗耶香。この謎の現象……空間転移は不規則です」

 

 本日の早朝、本国アルディギアに帰国すべく空港を訪れていたラ・フォリアとその付添人である紗耶香が突然、島の正反対に位置するサブフロートに飛ばされてから数時間、二人はその後も移動するたびに謎の空間転移に巻き込まれ、〈絃神島〉の各地を転々としていた。

 当初はラ・フォリアの正規の護衛である聖環騎士団が待機している絃神島空港にまで戻ろうとしていた二人だが、法則性の読めない空間転移によってその目的は未だ叶わないでいた。

 

 「もう何時間も歩きっぱなしです。偶然とはいえ、この部屋に転移できたのはむしろ僥倖でした」

 

 長々と続いた移動による疲労を癒すため、ラ・フォリアもベッドに腰掛ける。

 

 「ちょうど良いので、少し休んでいきましょう」

 

 「そう……ですね」

 

 柔和な笑みを浮かべるラ・フォリアに紗耶香も力なく溜息をつきながら上体を起こす。

 本来ならば一刻も早く王女であるラ・フォリアを安全な場所に誘導しなければならないが、終わりの見えない移動により紗耶香の体にも決して無視できない疲労がたまっていた。

 

 「確かに無為に動くよりもここで一度休憩したほうが――」

 

 心なしかラ・フォリアはこの状況を楽しんでいるような表情を浮かべているが、紗耶香は極力意識しないように苦笑を浮かべながらこの場での休憩に同意しようとする。

 

 「テレビでもつけましょう」

 

 紗耶香の返答を最後まで聞かずに自由奔放な姿を見せるラ・フォリア。ベッドの上に転がっていたリモコンを手に取り、部屋の壁に貼り付けてある液晶画面に向かって電源を入れる。

 

 『―――――!!―――――!』

 

 

 画面一杯に映されたのは、裸で激しく愛し合う男女の姿だった。

 

 

 

 てっきりニュース番組か何かが映ると思っていたラ・フォリアと紗耶香は画面に映し出されたものに絶句する。

 元々、そういう目的で利用されるホテルによるサービスの一環なのか、テレビに映し出されたのは一般的に放送されている番組などではなく、未成年厳禁のいかがわしい内容のビデオだった。

 部屋中に大音量で女の悲鳴に近い嬌声と淫らな水音が響き渡る。

 

 「ぎゃあああああああ!?」

 

 突如、目の前に広げられた見るに堪えない映像に紗耶香が乙女が到底出すとは思えない絶叫を迸らせて、目にも止まらない速度でラ・フォリアからリモコンを奪取し、電源ボタンを押す。

 

 「はぁ……はぁ………はぁ………」

 

 「あらあら………」

 

 画面の電源を落として荒い息をつく紗耶香を見てラ・フォリアも苦笑いを浮かべる。

 

 「なるほど、ここはそういう……」

 

 ようやく今いるホテルがどのような目的で利用されているのか察したラ・フォリアは、今度は意地の悪い笑みを紗耶香に見せる。

 そして、ベッドから立ち上がると部屋の中に設置されたタンスの引き出しを物色し始め、中から見つけたモノを興味深そうに取り出す。

 

 「これは……」

 

 「王女っ!?お願いですから、これ以上部屋の中のものに触れないでください!」

 

 ラ・フォリアが取り出したゴム製避妊具を力ずくで奪い取って部屋の隅にブン投げた紗耶香は、色々と物凄い形相でラ・フォリアの肩を掴む。

 

 「もういいです。早く出ましょう、こんな場所!」

 

 これ以上この場には居られないと言わんばかりに紗耶香はキーボードケースを手に取り部屋の出入り口に向かう。

 

 「何を言うのですか紗耶香。こんなに面白そうな場所なのに」

 

 「王女!?」

 

 駄々を捏ねるラ・フォリアを無理やり立たせようとベッドに歩み寄る紗耶香。しかし、続いてラ・フォリアの口から出た言葉が紗耶香の動きを止めた。

 

 「真面目な話、今はこの場を動かないほうが良いと思いますよ」

 

 ラ・フォリアの顔に先ほどまではなかった真剣さが現れる。

 

 「この空間転移は全くと言っていいほど法則が読み取れません。今のところ面倒な場所には飛ばされていませんが、この次はどうなるか分かりませんよ?下手をすれば島外や海の上に飛ばされても不思議ではありません」

 

 「うっ……」

 

 ラ・フォリアの言葉に紗耶香の脳裏にも嫌な想像が鮮明に浮かび上がった。

 

 「幸いこの場所は、長時間居座っても問題なさそうです。迂闊に動くよりも、状況が整理できるまで留まることを推奨しますが……」

 

 自身の考えを述べ終わったラ・フォリアに紗耶香も納得したように低く呻く。

 

 「………紗耶香、貴女はこの空間転移をどう見ますか?」

 

 ラ・フォリアの問いに紗耶香も数秒ほど考える素振りを見せる。

 

 「……最初は何者かによる魔術的攻撃かと思いましたけど、それにしては規則性がありません。どちらかといえば、自然発生……もしくは副作用的に発生した空間の歪みに近い気がします」

 

 今まで身に起きたことを顧みて紗耶香が返答する。

 

 「……やはり、貴女もわたくしと同じ考えのようですね」

 

 満足げに微笑むとラ・フォリアは部屋に備え付けられた窓に歩み寄り、眼下に広がる景色を見下ろす。

 

 「自然発生したものならば良いのですが、何者かによる行いの余波なのだとしたら………少々、面倒なことになりそうですね」

 

 声音を低くし、太もものホルスターに収められた〈アラード〉を指先でなでるラ・フォリア。そして、その姿を目にして、紗耶香も自然と闘気に近い雰囲気を纏う。

 

 「………ところで紗耶香」

 

 「はい」

 

 相変わらず真剣味を帯びた声で言葉を発するラ・フォリアに紗耶香も目つきを鋭くして応える。

 

 「………先ほどのビデオの続きが気になってしまいました」

 

 くるりと振り返ったラ・フォリアの顔には、先ほどのような険しさはなく、悪戯っ子が浮かべる笑みを携えていた。

 紗耶香の方に振り向くと同時に左手に隠し持っていたリモコンでテレビの電源を入れるラ・フォリア。

 再び室内に響き渡る嬌声に紗耶香の顔が青ざめる。

 

 

 

 

 

 

 この後、気が動転した紗耶香は後ろ回し蹴りでテレビ画面を粉々に粉砕し、後日その賠償金を支払わされた彼女の師匠によって散々搾り上げられるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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蒼き魔女の迷宮編Ⅲ

 


 

 暁家

 

 〈絃神島展望台〉を出た後、観光者向けの〈魔族の歴史資料館〉や管理公社の運営する飲食店を一通り回った古城たち一行は、今夜の宿泊場所である暁家のマンションに来ていた。

 ちなみに、浅葱は飲食店での食事中に管理公社からの連絡により臨時の仕事が入り、別行動をしている。基樹も家の諸事情だと言って浅葱が立ち去った直後に古城達とは別れて行動していた。

 暁家には現在、家主である古城と妹の凪沙、隣に住んでいる雪菜、来客として夏音とキリヲと優麻、そして夏音の保護のために合流したジリオラとアスタルテの八人が揃っていた。

 暁家について早速、優麻は新たに登場した顔ぶれに関心を示していた。

 

 「へえ、本物のホムンクルスなんだ。初めて見たよ。………しかもメイド服」

 

 ジリオラと共に暁家を訪れたアスタルテは、ホムンクルス特有の端正な見た目と物珍しいメイド服に興味をひかれた優麻の相手をしていた。

 

 「いつもこの格好なの?」

 

 「肯定。教官の指示により、外出中及び職務執行中はこの格好でいるように努めています」

 

 優麻の問いに相変わらずの無表情で頷くアスタルテ。そんな世にも珍しいメイドホムンクルスをじっくりと見つめた後、優麻の視線はその後ろに立つジリオラに移る。

 

 「で、そちらの凄い格好の人は………」

 

 ジリオラの格好は、いつもと変わらず下着の上にコートを羽織っただけである。キリヲ達からすれば最早見慣れたものになりつつあるが、初対面の優麻からすれば十分に異質だった。

 

 「その人は、ジリオラ先生だ。うちの学校で英語の教師をやってる」

 

 古城が微妙な表情を浮かべて紹介する。

 

 「……………先生なんだ」

 

 その格好で、という言葉を飲み込んでコメントする優麻。

 

 「よろしくね」

 

 妖艶な笑みでウィンクを飛ばしてくるジリオラに優麻も思わず表情が引き攣るのを感じていた。

 

 「わたしも初めて会ったときは、ビックリしたよ」

 

 そう言いながらキッチンに入っていくのは、古城の妹――凪沙だ。

 

 「でも、話してみると結構面白い人なんだよ。お化粧のこととか教えてくれるし」

 

 「お望みとあらば、またいつでも教えてあげるわよ?」

 

 「やった!」

 

 上機嫌そうに誘いをかけるジリオラに凪沙も嬉しそうに飛び跳ねる。

 

 「………お前、いつ暁妹と仲良くなったんだ?」

 

 あまりの距離の近さに疑問を持ったキリヲが思わず問いかける。

 

 「授業で教えていたから面識はあったわよ?授業の後に趣味とか聞いてくるから、適当にメイクの話とかしてたら………」

 

 なんか懐かれたわ、とキッチンから優麻にマシンガントークを繰り広げている凪沙を遠い目で見ながら言うジリオラ。

 

 「凪沙ちゃんだけじゃないですよ。うちのクラスでは、ジリオラ先生って比較的人気のある先生なんです。………主に男子から」

 

 会話に割り込む形で雪菜が補足説明をする。

 雪菜の言葉を聞いたキリヲは半眼でジリオラを睨む。

 

 「………生徒を誑かすとか教師として、どうなんだよ?」

 

 「別に誑かしてなんかいないわよ。向こうでは、ちゃんとスーツ着て仕事してるし」

 

 キリヲの非難するような視線を浴びても全く反省する素振りも見せずにジリオラは嘯く。

 しかし、下着を纏う豊満なジリオラの体を見下ろして、これじゃあスーツ着てもあんま変わんないな、とキリヲは胸中で呟いた。

 思い返せば、高等部のクラスでもジリオラの授業がある度に男子生徒のテンションがやたらと高かった。やはり、こいつに教師とか無理があったなとキリヲは改めて考えていた。

 そこまで考えてから、キリヲは再びキッチンでの作業を片手間に夏音とアスタルテを巻き込んだ怒涛のマシンガントークを披露している凪沙に視線を戻す。

 

 「………暁妹は、魔族恐怖症って古城から聞いていたんだが?」

 

 「わたし魔族登録証つけてないし」

 

 袖を捲って手首を見せてくるジリオラにキリヲも呆れたように溜息をつき、雪菜も苦笑いを浮かべる。

 

 「意外とバレないものですね」

 

 呆れ半分、感心半分で呟く雪菜に、まあね、と得意げに胸を張るジリオラ。

 そこに、一通り食事の下準備を終わらせた凪沙が、具の詰まった鍋をリビングのテーブルに持ってくる。

 

 「準備できたよっ!」

 

 快活な声で呼びかける凪沙を目にして、キリヲも優麻の招待や那月の失踪などの心配事を一旦頭の隅に追いやり、穏やかな笑みを浮かべてテーブルに向かった。

 

 

 

 〈波朧院フェスタ〉の前日、嵐の前の静けさともいえるほど穏やかな時間が暁家の食卓には流れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁家付近の公園

 

 時刻は午後九時を回っており、すっかり夜の帳が下りた小さな公園。古城達の住んでいるマンションのすぐ側にあるそこは、昼間は幼児とその保護者で賑わう場所であり、マンションの住民からは買い物に行く際のスーパーへの近道として知られている。

 街灯が照らす中、その小さな夜の公園を横切る二人の人影があった。

 銀髪の髪を持つ優し気な顔の少女――叶瀬夏音と、その隣を歩く黒髪の少年――九重キリヲだ。

 二人とも手にはスーパーのレジ袋を持っており、それぞれ飲み物の入ったペットボトルや宿泊用の替えの下着や歯ブラシが入っていた。

 

 「すいません付き合わせてしまって、でした」

 

 「別にいい、気にしないでくれ」

 

 すまなそうに頭を下げる夏音に、キリヲも優し気に微笑んで気にしていないという意を伝える。

 事の始まりは数分前にさかのぼる。食事中に飲み物が切れたため、誰かが代表してスーパーに追加の飲み物を買ってくることになった。ちょうど宿泊用の着替えを持って来ていなかった夏音がその役を買って出たのだが、夜分遅くに女子中学生一人を行かせるのも危ないということでキリヲが付き添うことになったのだった。

 

 「………今日は少し冷えるな」

 

 太平洋上に浮かぶ〈絃神島〉では珍しく、この日の夜は気温がやや低かった。それでも本土と比べれば温かい方だが、風もやや強く薄着でいるには少しばかり辛い。 風邪をひかないうちに戻ろう、と歩くペースを少し速めるキリヲ。

 

 「あの……キリヲさん!」

 

 自分より少し前を歩くキリヲを夏音が呼び止める。

 いつになく切なげな声音を発した夏音にキリヲも思わず歩みを止める。

 

 「どうした?」

 

 「あの……」

 

 一瞬俯き、言葉を詰まらせる夏音。しかし、やがて決心したように真っすぐキリヲの目を見つめて口を開く。

 

 「………まだ、ちゃんとお礼が言えていなかったので」

 

 「お礼………?」

 

 「わたし………沢山の人を傷つけてしまいました。古城お兄さんやキリヲさんのことも………一杯、傷つけました」

 

 傷つけた、という言葉から、最近あった〈模造天使〉による事件のことを指しているのはキリヲにもすぐに分かった。

 自らが加害者となってしまった事件のことを話す夏音の目には、薄っすらと涙がたまっていた。

 

 「……そんなわたしを見捨てないで、キリヲさんは……助けてくれました。わたしに………生きてもいいと言ってくれました」

 

 ついに堪えきれなくなったのか、ボロボロと大粒の涙を零し始める。

 

 「わたし……それが嬉しくて………でも、同時に申し訳なくて……わたし、本当に許されてもいいのかなって……」

 

 「……もういい」

 

 いよいよ本格的に泣き始めた夏音を空いている左手で抱きしめ、落ち着くように促すキリヲ。

 

 「お前は悪くない。……あれは、お前のせいじゃない」

 

 「キリヲさん……」

 

 「………夏音は大切な友達だ。俺や古城、姫柊にとっても。助けるのは当然のことだ。だから……負い目なんて感じなくていい」

 

 抱きしめられながら夏音は、涙を浮かべた瞳でキリヲの顔を見上げる。

 

 「………だから、謝ったりしないでくれ」

 

 「…………………はい」

 

 キリヲの言葉に力強く頷く夏音。そんな夏音の顔を見て、もう大丈夫だと感じたキリヲは夏音を放して再び歩き出す。

 

 「帰ろう、みんなの――」

 

 みんなの元に、と言葉を続けようとして不意にキリヲは口を閉ざす。

 

 「……キリヲさん?」

 

 突然黙ったキリヲを不審に思ったのか、首をかしげる夏音。

 しかし、夏音の言葉に反応することなく、キリヲは夏音の背後に目を向けていた。キリヲの視線を追うように夏音も振り返る。

 そして、そこにあった姿を目にして怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 「……あの人は?」

 

 そこに立っていたのは、一人の女だった。

 所々赤い染みで汚れた野戦服に身を包んだ長身の西洋人女性。灰色の髪を肩の辺りで切りそろえている。目付きは鋭く、纏っている気配は刃にも似た鋭さを持っていた。

 

 「………なんで、あんたがここに」

 

 枯れた声でそう言うキリヲの頬には、冷や汗が流れていた。

 突如、現れた女はキリヲの言葉に答えることなく怪訝そうな表情を浮かべる。

 

 「誰だ、貴様。……それに、ここはどこだ?」

 

 西洋人には珍しい訛りのない流暢な日本語で女が言う。

 

 「………俺が分からないのか?」

 

 女の発した言葉に今度はキリヲが眉を顰める。

 

 「……見覚えはないな」

 

 改めてキリヲの姿を頭から足元まで見定めた女は、抑揚のない声音で告げる。

 

 「冗談は止してくれ………師匠」

 

 師匠、という単語がキリヲの口から出た途端、夏音にも目の前の女性に見覚えがあったことを思い出した。

 先月、教会で一緒に猫の世話をした時にキリヲが落とした写真に幼いキリヲと一緒に写っていた白人女性である。

 

 「師匠……?なんのことだ?」

 

 しかし、目の前に立つ女は相変わらず疑念に満ちた表情を浮かべている。

 

 「………まあいい、任務の障害になるならば排除するまでだ」

 

 言い終わると同時、女は左手を無造作に真横に振るった。

 

 ギイイイイイイィンッ

 

 二つの金属を激しく擦り合わせたような甲高い音が響き渡り、側にあった街灯やベンチが目に見えない刃物で切り裂かれたようにバラバラになる。

 

 「………標的を排除する」

 

 「よせ……」

 

 夏音を守るようにキリヲが半歩後ろに下がり、女はゆっくりとした動作で左手を掲げて狙いを定める。

 

 「やめろ、アンジェリカ!」

 

 叫ぶキリヲに構うことなく、女――アンジェリカ・ハーミダは左手を振り下ろす。

 

 

 

 

 「………」

 

 「………え?」

 

 しかし、予想していた衝撃や痛みが襲ってくることはなかった。

 それどころか、先ほどまで目の前にいたはずの女軍人の姿も消えていた。まるで、霧や蜃気楼のように跡形もなく。

 

 「……今のは」

 

 

 

 

 目の前で起きた理解を超えた現象にキリヲも夏音も唖然としたようすで立ち尽くすしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁家 脱衣所

 

「凪沙の奴、相変わらずだな……」

 

 替えの衣類やバスタオルを片手に脱衣所に入ったキリヲは、背後の居間から聞こえる凪沙と優麻のガールズトークを耳にし、思わず苦笑いを浮かべる。

 いつもと変わらず怒涛の如く喋り続ける凪沙だが、それの相手をしている優麻も長年の付き合いがあるからか、上手く返事を返している。

 雪菜やアスタルテ、ジリオラは既に隣の雪菜の部屋に行っており、今暁家にいるのは古城と居間にいる女子二人だけだった。

 凪沙曰く、キリヲと夏音が戻り次第、二次会スタートらしく、先に風呂を浴びろと言われて古城は脱衣所に来ていた。

 あまり長風呂はしない古城は、さっさと浴びるか、と呟いて着ていたパーカーやらシャツやらの衣類を脱ぎ捨てて、風呂場の引き戸を開ける。

 

 「………あら?」

 

 「……………え?」

 

 ドアを開けて風呂場の中を見た瞬間、古城は全身の筋肉が硬直したように固まった。

 目の前でシャワーを浴びていたジリオラの一糸纏わぬ姿を見て。

 

 「……第四真祖の侵入を確認」

 

 湯船からは、膝を抱えるようにして熱いお湯に浸かっていたアスタルテが表情のない顔で淡々と言う。

 

 「第四……真祖?」

 

 古城の侵入に気付いて振り返ったジリオラも、流石に予想外だったのか、目を見開いて驚きを露わにしていた。

 しかし、流石は元娼婦。すぐに落ち着きを取り戻したように不敵な笑みを浮かべて古城に歩み寄る。

 

 「あらあら、突然どうしたの?欲求不満?」

 

 「い、いえ……」

 

 濡れた指先で優しく頬を撫でてくるジリオラに古城は乾いた声で言いながら数歩後ろに下がる。

 

 「……剣巫が相手してくれなくなっちゃったのかしら?」

 

 「そういう訳じゃ……」

 

 妖艶な笑みを浮かべるジリオラに古城は更に数歩下がる。

 

 「別に相手してあげてもいいけど………わたしは、高いわよ?」

 

 「すいません、失礼しましたっ!」

 

 両足が脱衣所に入った時点で古城は勢いよく風呂場の引き戸を叩きつけるように閉めた。

 脱衣所に戻り、再び一人になった古城は風呂場の引き戸に背を預けて荒い息をつく。

 

 「なん……だったんだ……今の」

 

 未だに心臓は激しく脈打っており、全身から冷や汗が噴き出ていた。

 

 「あ……」

 

 

 

 

 

 そして鼻血も噴き出ていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪菜の部屋

 

 「……で、どういう状況だコレ?」

 

 夜の公園で起きた奇妙な出来事から数分後、夏音と共に雪菜の部屋に帰ってきたキリヲはドアを開けるなり目の前に広がった光景を目にして呟いた。

 

 「あ、九重先輩。お帰りなさい」

 

 〈雪霞狼〉を片手に仁王立ちしている雪菜が顔だけキリヲに向けて返事をする。

 その足元では、彼女の監視対象であるはずの第四真祖――暁古城が顔を床にうずめた見事なフォームで土下座を披露していた。

 そして、部屋の真ん中では、バスローブ一枚のジリオラがワイン片手に面白そうなものを見るような目で土下座を披露する古城を見下ろしていた。その隣には、ジリオラの用意したおつまみの菓子を摘まむアスタルテの姿もあった。

 

 「暁先輩が……自首しに来たんです」

 

 「……何やったんだ、古城」

 

 重々しい声音で言う雪菜にキリヲも視線を古城に向ける。

 

 「わたしとホムンクルスが入っている最中に風呂場に突入してきたのよ」

 

 ジリオラの解説を聞き、思わずキリヲも。

 

 「古城………」

 

 見損なったぞ、と言わんばかりの視線を向ける。

 

 「いや、待て!聞いてくれ!俺にも何が起きたか分からないんだ!俺は自分の家の風呂に入ったつもりなんだが、気が付いたら姫柊の部屋の風呂に入ってて……」

 

 「……先輩、言い訳ですか」

 

 「本当にすいませんでした」

 

 焦ったような表情で弁解する古城だが、雪菜の冷ややかな視線を伴う言葉に観念したように再び頭を床に擦り付けて土下座する。

 

 「……謝罪を確認。承認」

 

 「別に気にしてないわ。ただ……次からはお金取るわよ?」

 

 アスタルテもジリオラも特に気にする様子もなく古城の謝罪に対する返答を口にしていた。

 

 「……でも、信じてくれ。本当にうちの脱衣所から姫柊のとこの風呂場にワープしたんだ」

 

 謝罪を受け入れてもらえた古城は、顔を上げると再び真剣なまなざしを向けながら雪菜に言う。

 

 「………」

 

 「………」

 

 数秒ほど重苦しい沈黙が二人の間に流れたが、やがて雪菜は溜息をつくと表情を柔和なものに変えて頷いた。

 

 「分かりました、信じます。先輩がこんなところで無意味な嘘をつく人とは思っていませんから」

 

 「姫柊……!」

 

 ようやく信じてくれた雪菜に古城も表情を輝かせる。

 

 「けど、それだと妙な話になるわね。別の場所への瞬間移動なんて……空間転移魔術の領分じゃない」

 

 「風呂場と脱衣所を繋げるなんて馬鹿なことに、そんな高等魔術使う馬鹿がどこにいるんだよ?」

 

 怪訝そうな顔で言うジリオラにキリヲも呆れたような表情を浮かべて言う。

 すると、数秒ほど考えるそぶりを見せていた雪菜が口を開く。

 

 「……魔術ではないのかもしれません」

 

 「魔術じゃない?」

 

 ますます怪訝そうな表情を浮かべる古城に雪菜が言葉を続ける。

 

 「先輩、この前ハロウィンの起源についてお話したのは覚えていますか?」

 

 「ああ………ケルトの精霊とか魔女が押し寄せてくるとか言ってたアレか?」

 

 「はい、そうです。実はあれってただの迷信ではないんです。実際にこの時期には時空が不安定になりやすくて、別の場所や時間軸同士が勝手に繋がりあったりして、居ない筈の人間が突然現れたり、居る筈の人間が突然消えたりするような現象が確認されているんです」

 

 首をひねる古城に雪菜が懇切丁寧に説明していく。

 

 「人が突然……現れたり、消えたりする……」

 

 雪菜の説明を聞いて真っ先に反応を示したのは、先ほどまでキリヲと一緒に買い物に出かけていた夏音だった。

 

 「どうかしたか、叶瀬?」

 

 「あっ、いえ、その……さっき、それに近いものを見ました……………気がします」

 

 気になって聞いてきた古城に夏音が自信が無さそうに答える。

 

 「………さっきそこの公園で妙なやつが現れて、突然消えた」

 

 夏音の言葉を補足するようにキリヲも口を開く。

 その場にいる全員の視線がキリヲに集中した。

 

 「……誰よ?」

 

 「………この島に居る筈のない人間だ」

 

 ジリオラの問いにキリヲは短く答えて、言葉を続ける。

 

 「……だが時間や空間の歪みが原因だっていうなら、納得がいく」

 

 「なんにせよ、妙ですね」

 

 「……ああ、妙なことが多すぎる」

 

 魔女――仙都木優麻の出現、南宮那月の失踪、謎の空間転移、挙げていったらきりがない。

 

 「……一体、何が起きている?」

 

 壁に背を預けてキリヲは窓の外に広がる夜景を鋭い眼差しで睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁家

 

 「ふーっ、食べた食べた」

 

 夕食会が終わり、使い終わった食器を洗いながら凪沙は満足そうに笑顔を浮かべていた。

 

 「とても、美味しかったよ」

 

 ありがとう、と優麻も食器をリビングからをキッチンの洗い場へ運びながら言う。

 その顔には、凪沙と同様に純粋な嬉しさだけが宿った無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 

 「ねえ、この後お風呂にするけど一緒に入らない?」

 

 一通り食器洗いが終わった凪沙がエプロンを外しながら優麻を風呂に誘う。

 誘いを受けた優麻は、あごに手を当てて数秒ほど考える素振りを見せた後、困ったような苦笑いを浮かべた。

 

 「先に入ってもらってもいいかな?あとから行くから」

 

 「あれ?なにか用事でもあった?」

 

 不思議そうに首をひねる凪沙に優麻は笑顔を浮かべて答える。

 

 

 

 

 

 「ちょっと、古城に用があるんだ。………大丈夫だよ、すぐ済むから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 その笑顔が先ほどまで浮かべていた悪意なき笑顔とは違うことに凪沙が気付くことはなかった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 あと二話くらいで蒼き魔女の迷宮編が終わると思います(多分)


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蒼き魔女の迷宮編Ⅳ

 蒼き魔女の迷宮編Ⅳです。どうぞ、お楽しみください。


 二年前 〈監獄結界〉 独房エリア

 

 アルディギアで犯した罪により、この異界の刑務所に投獄されて数か月。九重キリヲは、二十七回目になる独房での夜を過ごしていた。

 本来ならば他の囚人と同様に一般の監獄エリアに居る筈なのだが、脱獄の試みや他の囚人との私闘によりキリヲは度々この独房エリアに放り込まれていた。

 

 「………また、来たのか」

 

 そして、独房エリアに来ると決まって声をかけてくるのが向かいの独房にいる女囚人――仙都木阿夜だった。

 最初の頃は、大して気にも留めていない様子だったが、週に三度のペースで独房に入れられているキリヲに流石に興味が湧いたのか、最近では割と頻繁に声をかけてくるようになっていた。

 

 「今度は何をした?」

 

 「………僵尸鬼の奴と一緒に檻を破ろうとした」

 

 数時間前に試みた脱獄を思い返しながら、南宮那月によって刻まれた傷にを摩るキリヲ。

 もはや、何度も試した脱獄だが一向に上手くいく気配がない。協力してくれた囚人もいたが、彼らの様子から見るに、成功の見込みはかなり薄いようだった。

 

 「……本当にあんたは、いつでもここにいるんだな」

 

 「言っただろう?わたしは常にここに繋がれている」

 

 何度となく繰り返してきた独房通いと阿夜との会話により、少なからず彼女のことは分かるようになってきていた。

 彼女が魔女であること、元は〈L・C・O〉という犯罪組織の指導者だったこと、そして那月が最も彼女を恐れていること。それ故に常に厳重な封印の施された独房に幽閉されていること。

 

 「……あんたは、ここを出ようと思わないのか?」

 

 「無論、チャンスは窺っている。……しかし、お前のように闇雲に暴れようとは思わないな」

 

 独房の床に伏しているキリヲを見下ろして阿夜は愉快そうに笑いながら言った。

 

 「……それに既に手は打ってある」

 

 「手………?」

 

 口の端を釣り上げて不敵に嗤う阿夜にキリヲは怪訝そうに顔を顰める。

 

 「我が娘だ。………あれが脱出の鍵となる」

 

 「………娘がいたのか?」

 

 阿夜の言葉に意外そうな表情を浮かべるキリヲ。

 そんなキリヲから天井に視線を向けて阿夜は言葉を続ける。

 

 「………そろそろ完成する頃だ。アレを使えば、ここから出られる」

 

 「………?」

 

 『完成する』、『アレ』、自分の子供に向けるには、相応しくない言葉を使う阿夜にキリヲは、不可解そうに表情を歪めた。

 脱獄の道具として使える『娘』を語る阿夜の顔は、どことなく自分の体を魔義化歩兵に作り替えた技術者共と似ているような気がするキリヲだった。

 

 「……なにを話している?」

 

 キリヲが阿夜の言動に違和感を感じた直後だった。

 この〈監獄結界〉の看守――南宮那月が音もなく現れて、不機嫌そうに二人に告げた。

 

 「……ただの世間話だ、那月」

 

 憎むべきはずの那月に返事を返す阿夜の声音は、なぜか想い人にあった少女のように明るいものだった。

 

 「……他の囚人と話すな阿夜」

 

 阿夜とは対照的に冷たい声音でそう告げると、今度はキリヲに向き直って無造作に手を振るう那月。

 

 「お前もだ。他の囚人と関わってこれ以上、面倒をかけるな」

 

 那月が言い終わると同時にキリヲの視界が歪み、気が付けば別の独房に空間転移させられていた。

 

 

 

 その後、キリヲが阿夜の姿を見ることはなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暁家 リビング

 

 窓の外で囀る小鳥の鳴き声を目覚ましに、昨晩の鍋の残り香が薄っすらと漂う暁家のリビングでキリヲは目を覚ました。

 テレビの前に鎮座したソファからゆっくりと上体を起こして未だに瞼が半分閉じている目で辺りを見渡す。

 

 「朝か……」

 

 昨日、雪菜の部屋で空間転移などの異常事態について物議を交わした後、キリヲは古城の住んでいる部屋に身を移していた。

 雪菜の部屋では夏音を始め、アスタルテやジリオラなどの女性陣が集中していたため男のキリヲとしては些か居心地が悪かったからだ。

 夜間の夏音の警護はジリオラとアスタルテに任せて、キリヲは古城の部屋で寝泊まりすることにしていた。

 

 「痛て……」

 

 起きたはずみにズキリと鋭い痛みを訴える体の各所に思わずうめき声が零れる。

 痛む要所に目を向けてみれば傷からにじんできた血で包帯が薄っすらと赤くなっていた。昨日の公園で傷口が開いたのかもしれない。

 

 「………」

 

 本当に生傷が絶えないな、とキリヲは自分のことながら呆れたように傷ついた体を見下ろすのだった。

 痛む体を労わりながら立ち上がると、この家の家主である古城の姿を探し始める。しかし、リビングにはキリヲ以外の人影は見当たらない。

 まだ寝てるのか、と思い古城の寝室に足を向けようとしたその直後だった。

 

 「なんじゃこりゃあああああぁ!?」

 

 突然甲高い声の叫びが暁家の洗面所から響いてきた。

 続いて、ドタドタと慌ただしく走る音が聞こえると茶色い髪をショートにした小柄な少女がリビングに飛び出してきた。

 

 「き、キリヲ!」

 

 茶髪の少女――仙都木優麻は、キリヲを見つけると目を見開いて勢いよく距離を詰めてくる。

 

 「き、キリヲ!やばいっ!助けてくれっ!」

 

 「うおっ!?」

 

 勢いよく飛び込んできた優麻にキリヲはバランスを崩し、さっきまで寝ていたソファーに再び倒れこむ。自然と優麻がキリヲを押し倒す形になり、押し倒した後もキロの腹部の上に優麻が跨っている。

 

 「……なんのつもりだ、仙都木優麻」

 

 突然の奇行に驚きつつもキリヲは冷めた目付きで自分の上に跨る優麻を見つめる。

 

 「優麻?……違うっ!俺は優麻じゃない!」

 

 「………何を言っている?」

 

 自分が優麻じゃないという目の前の優麻にキリヲも訳が分からないといった表情で顔をしかめる。

 

 「だからっ!俺は優麻だけど優麻じゃないんだ!古城なんだよ!暁古城!」

 

 「…………………ふざけているのか?古城をどこへやった?」

 

 「だーかーらー!俺がその古城なんだって!……なんで分かってくれないんだよ!?」

 

 キリヲが理解を示しそうにないと分かると優麻は、キリヲの上から飛び退いてリビングから飛び出していった。

 そのまま、玄関のドアを開けると共用廊下を通って隣の雪菜の部屋に向かい、インターホンを鳴らしまくる。

 

 「姫柊!姫柊!」

 

 ドンドンと玄関のドアを叩きながら雪菜を呼び出す優麻。

 やがて数秒後、慌てた様子で雪菜もドアを開けて外に出てきた。

 

 「姫柊大変なんだっ!俺と優麻が………うっ」

 

 「おはようございます優麻さん。……すいません、こんな格好で」

 

 ようやく出てきた雪菜に迫ろうとする優麻だが、目の前に立つ雪菜の格好を見て思わず言葉を詰まらせた。現在の雪菜の格好は、下着の上に白いシャツを羽織っただけのものだった。白い柔肌も下着も露わになっており、どことなく扇情的な雰囲気を醸し出していた。

 

 「今、みんなで〈波隴院フェスタ〉の衣装を試着していたところで………とりあえず、入ってもらってもいいですか?」

 

 「お、おう」

 

 恥じらうように言う雪菜に優麻も大人しく従い雪菜の部屋に入っていく。

 そして、中の光景を目にして心臓が跳ね上がった。

 部屋の至る所に衣類が散乱しており、そこの中心にいる女子たちも色々な衣類を試着するために着替えている最中だったのか、ほとんど下着だけのような姿だった。

 

 「これは、気に入りました」

 

 着ているシャツのボタンが留められておらず、前がはだけた状態のアスタルテは手に持っている巨大なカボチャの被り物に目を輝かせていた。

 

 「はぁい、動かないの。綺麗な顔なんだから、おめかししないと勿体ないでしょ?」

 

 「う、うぅ~」

 

 鏡の前では、下着姿のジリオラが同じく下着だけの格好をした夏音の顔に口紅やらファンデーションやらを手にしながら化粧を施していた。

 夏音は、慣れない化粧に居心地が悪いのか目をつむってジリオラの作業が終わるのを待っている。

 

 「〈波隴院フェスタ〉用の衣装をジリオラ先生が用意してくれたんです。………ただ、お洒落するならお化粧もした方がいいって張り切りだしちゃって」

 

 かれこれ一時間ぐらいこの調子です、と苦笑交じりに雪菜が言う。

 

 「……ひょっとして、姫柊も?」

 

 「あっ、はい。わたしもさっきまで捕まっていました」

 

 普段とは違う雪菜の顔の変化に気付いた優麻に雪菜も恥ずかしそうに顔を赤く染める。今日の雪菜の顔は、目の周りのアイラインや唇を紅く染めるルージュにより、普段の様子からは考えられないような色気と大人っぽさが滲み出ていた。

 

 「………似合っていませんか?」

 

 「いや、そんなことない。凄い綺麗だとおも………って、そうじゃない!姫柊、大変なんだ!」

 

 思わず普通に誉め言葉を送ろうとして当初の目的を思い出した優麻が慌てた様子で、雪菜に向き直る。

 

 「俺は、優麻じゃない!古城だ!暁古城なんだっ!」

 

 真剣な顔でそう叫ぶ古城にその場にいる全員が、

 

 「「「「は?」」」」

 

 間の抜けた表情でそう口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪菜の部屋

 

 

 女性陣が着替えや化粧を済ませた後、凪沙と古城を除く全員が一度雪菜の部屋のリビングに集まって優麻の言葉に耳を傾けていた。

 

 「すいません、もう一度言ってもらえますか?」

 

 理解できないといった様子で雪菜がこめかみを抑えながら、目の前の優麻に言う。

 

 「だから、俺は優麻じゃないんだ!朝、目が覚めたら優麻の体になってたんだよ!」

 

 優麻の姿をした少女の、自身は古城である、という言葉にその場にいる全員が懐疑的な目を向ける。

 

 「暁先輩……なんですか?」

 

 「朝から、こんな調子のことを口にしている」

 

 疑わしそうな視線を向ける雪菜とキリヲ。

 

 「……質問。わたしと初めて会った場所は?」

 

 全員が突然の事態に困惑する中、アスタルテが平常通りの無表情で冷静に質問を問いかける。

 

 「えーっと、うちの近くの倉庫街だ。オイスタッハのおっさんと一緒にいたな」

 

 「………正解」

 

 難なく答えた自称古城の優麻にアスタルテは静かに頷く。

 

 「わたしと初めて会った場所は?」

 

 「中東部の屋上だ。たしか、捨て猫の飼い主探しの真っ最中だった」

 

 今度は、夏音が問いかけるがそれにも難なく返事が返ってくる。

 

 「……俺とジリオラが〈彩海学園〉に来る前にいた場所は?」

 

 「那月ちゃんの持ってる刑務所だ。名前は、えーっと……」

 

 「〈監獄結界〉だ。……………間違いない、古城だ」

 

 最後にキリヲが質問をし、それに対する答えで全員が納得したのか、改めて優麻と入れ替わった古城を見つめる。

 

 「で、なんでそんなことになったの?」

 

 ジリオラが問いかけると古城は、顎に手を当てて昨晩の記憶を掘り起こそうと思案を巡らせる。

 

 「たしか………昨日の夜、優麻が俺の部屋に来て……それで突然、優麻にキスされて……なんか、青い騎士みたいなのが見えて、そのまま眠って朝気が付いたら……」

 

 記憶が曖昧なのか、断片的な出来事を一つ一つ呟いていく古城。キリヲがそれ等を繋げて内容を理解しようとしていると、

 

 「……キスしたんですか」

 

 「え?」

 

 「………優麻さんとキスしたんですか」

 

 冷ややかな視線を古城に向ける雪菜と自分の失言に気付いて慌てふためく古城。

 

 「………〈剣巫〉のジェラシーは置いといて」

 

 「別に嫉妬なんてしてませんっ!」

 

 「真祖の体を乗っ取るなんてあり得るの?」

 

 顔を羞恥で主に染める雪菜をスルーしつつジリオラが感じた疑問を問いかける。

 

 「……まずあり得ないだろうな。仮にも神々が直接掛けた呪いだ。どんな術を使おうと上書きなんてできない」

 

 キリヲも首を横に振って否定した後、この不可解な現象の原理について考えを巡らせていた。

 

 「……おそらく、優麻さんは暁先輩の体を乗っ取ったわけではないと思います」

 

 ジリオラにからかわれて取り乱していた雪菜がようやく落ち着いたのか、息を整えながらそう口にした。

 

 「どういう意味だ?」

 

 「暁先輩の精神や魂は、まだ元の体に残っているはずです。多分、優麻さんは空間を歪めて暁先輩と優麻さん自身の体を動かしている神経をすべて入れ替えて、感覚や動作を制御しているんです」

 

 「……つまり、自分の体を動かしてるつもりで優麻の体を動かしているだけってことか?」

 

 「はい」

 

 雪菜の解説により意味を理解した古城が自分の体を見下ろして感心したように溜息をつく。

 

 「でも、そんなことできるのか?全身の神経を入れ替えるような空間制御なんて」

 

 「先輩……わたし達の周りにも一人いますよね。息をするように空間転移を操る人物が」

 

 「那月ちゃんか……」

 

 那月が普段見せる空間転移を思い返して、古城も納得したように頷く。

 

 「間違いありません。優麻さんは、おそらく魔女です………それも南宮先生と同じタイプの」

 

 「ちょっと待ちなさいよ」

 

 神妙な顔で言う雪菜にジリオラがストップをかける。

 

 「魔女って簡単に言うけど、南宮那月クラスの魔女なんて世界でも数えるほどしかいないわよ?」

 

 あんな化け物がそんなゴロゴロいたらたまったもんじゃないわ、と肩をすくめながら言うジリオラ。その言葉に雪菜も納得したように難しい顔をする。

 

 「確かに、それほど高レベルの魔女ならばもっと名前が知れ渡っていないと不自然ですね」

 

 雪菜の知る限り、優麻のような少女が世界有数の魔女と同レベルに達しているという話は聞いたことがなかった。

 しかし、そこにキリヲが割り込むように言葉を発した。

 

 「いや、そいつは魔女だ」

 

 「なんで言い切れるのよ?」

 

 「その女の名前………仙都木優麻だぞ」

 

 疑うような表情を浮かべていたジリオラだが、キリヲが発した答えを聞いてその表情を凍り付かせた。

 

 「………………仙都木?」

 

 「……あの女の娘だよ」

 

 キリヲの言葉を聞き、目を見開いたジリオラは古城に歩み寄り、その顔を手で掴みながらじっくりと見定めた。

 

 「…………嗚呼、面影あるわ。っていうか、ほとんど同じ顔ね」

 

 「………?」

 

 やがて納得したように顔から手を放して頷くジリオラに古城が怪訝そうに顔を顰める。

 

 「あの……二人ともなにかご存知なんですか?」

 

 二人だけで勝手に納得のいく答えに辿り着いたキリヲとジリオラに雪菜が尋ねる。

 

 「……まあ、なんていうか」

 

 「………そいつの母親と面識があるんだ」

 

 古城を指さしながら言うキリヲに雪菜と古城は、ますます意味が分からない、といった様子で首を傾げた。

 

 「母親……というのは?」

 

 「〈監獄結界〉にいた頃の話だ」

 

 そして、キリヲは二人にかつて〈監獄結界〉で知り合った捕らわれの魔女の話をするのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 欧州に住まうすべての魔族が恐れた魔女――南宮那月が最も警戒していた最悪の咎人――仙都木

阿夜について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈絃神島〉ラブホテルの一室

 

 「………なんでこんなことに」

 

 小鳥のさえずりの聞こえる気持ちの良い朝、一人で寝るには些か広すぎるダブルベッドの上で目を覚ました紗耶香は、自分の体を見下ろして震える声で呟く。

 

 「………なんで裸?」

 

 一糸まとわぬ自分の体を見つめながら昨晩の記憶を掘り起こす。

 確か、初めてのラブホテルにテンションが異常なまでに振り切った護衛対象であるラ・フォリアが悪戯で部屋の各所に収納してある卑猥な物品を並べ始めて、それを必死に奪い取って元の場所に片付けつつもラ・フォリアの執拗な悪戯に妨害されまくって結局、疲れて寝落ちした………はずである。

 ベッドの周りの床に転がる大人の玩具(振動する奴とか信じられないくらい太い奴とか)を尻目に、思い出さなければよかった、とこめかみを押さえる紗耶香。

 と、そこまで思案を巡らせていた時だった。

 

 「ん、んぅ……」

 

 紗耶香の隣でシーツに包まって丸くなっていた人物――ラ・フォリアが目を覚まして、ゆっくりと上体を起こしていた。

 無論というか当然というべきか、ラ・フォリアも服を着ておらず色白い柔肌をさらしていた。

 そして、寝ぼけた目で辺りを見渡し、隣にいる紗耶香を見つけるとおもむろにシーツで体を隠して頬を紅潮させ、艶やかな声で

 

 「紗耶香……昨晩の貴女は素敵でした」

 

 と、口にした。 

 

 「そういう誤解を招くようなことを言わないでくださいっ!」

 

 目にもとまらぬ速さでベッドから飛び退いて、怖気が立つと言わんばかりにラ・フォリアから距離をとる紗耶香。

 

 「あら、日本では同じベッドで夜を共にしたものに対する挨拶は、こうだと聞いたのですが……」

 

 「それ間違ってます!……いえ、ある意味合ってますけど、普通は使いませんっ!」

 

 全力で否定する紗耶香にラ・フォリアは首をかしげながら尋ねる。

 

 「では、どういう時に使うものなのですか?」

 

 「そ、それは……なんというか……まあ………大切な人というか、パートナーというか……こ、恋人とかに使うんです」

 

 羞恥に頬を染めながら言いづらそうに口にする紗耶香に、ラ・フォリアは表情を輝かせて更に言葉を続ける。

 

 「つまり、キリヲと夜を共にしたら使えば良いのですね?」

 

 「まあ、そうです。王女の場合ならそうなり……………って王女!?ダメですよっ!犯罪者となんて!?」

 

 話の流れ的につい頷きかけたが、冷静になって考えればスキャンダルどころか国際問題に発展しかねない光景が脳裏に浮かび、紗耶香は全力で否定するように首をブンブンと横に振る。

 しかし。時すでに遅く。

 

 「これは、良いことを聞きました。……やはり、日本の文化は奥が深いですね」

 

 嬉々とした表情で頷くラ・フォリアに、やってしまった……、と紗耶香は頭を抱える。

 紗耶香が一人で自分の犯してしまった過ちを後悔して悶々としているとラ・フォリアが満足したように笑みを浮かべながら充電していたスマートフォンを手に取り、その画面を紗耶香に向けた。

 

 「紗耶香、どうやら上手くいったようです。昨晩、我が国の宮廷魔術師達に依頼しておいた空間転移現象に対する調査と転移パターンの解析が無事に終わりました」

 

 ラ・フォリアの言葉を聞いて紗耶香も表情を真剣なものに戻しつつ、どこか嬉しそうな表情を浮かべる。

 ラフォリアの言う空間転移の調査とパターンの解析というのは、昨日の夜のうちにラ・フォリアが〈聖環騎士団〉と共に来日していた宮廷直属の魔術師達に調査するように指示したものだった。

 類まれなる才能を持っていた叶瀬賢生ほどではないが、彼の教えを受けていた魔術師もおり、そういった者の中には空間転移に関する知識を有している者もいる。

 彼らの手を借りて正しい順に空間転移を繰り返し、目的地に辿り着こうというのがラ・フォリアと紗耶香の立てた作戦だった。

 

 「これで、問題なく空港まで戻れますね」

 

 「ええ。……ですが、悪いニュースもあります」

 

 ようやく任務を達成できると歓喜を露わにした紗耶香にラ・フォリアは言葉を続ける。

 

 「二日前に〈絃神島〉に侵入した魔導犯罪者……メイヤー姉妹が現在キーストーンゲートの屋上に陣取って特区警備隊と交戦中のようです」

 

 ラ・フォリアの言葉に思わず紗耶香は顔をしかめる。

 

 「数では勝っていますが、相手は〈アッシュダウンの魔女〉……かなり苦戦しているようですね」

 

 「このままでは不味いでしょうけど……………でも、これは日本国内の問題です。王女が身を危険に晒してまで関わることではありません。一刻も早く〈聖環騎士団〉と合流すべきです」

 

 暗に救援に向かおうと伝えてくるラ・フォリアに紗耶香は首を横に振りながら返事を返す。

 

 「………確かに、わたくしが関わる必要性は無いのでしょう。しかし、同盟国の危機です。手を貸すのは自然なことでしょう?………それに、我が国としても〈アッシュダウンの魔女〉には少なからず因縁があります。ここで決着を着けることに意義はあります」

 

 「しかし、王女――」

 

 凛とした口調で言葉を続けるラ・フォリアに紗耶香が異議を唱えようとするが、ラ・フォリアはそれに被せるように言葉を続ける。

 

 「なにより、戦いの場に行けばキリヲに会えるような気がします。…………戦いが起これば彼は必ず現れる。彼に会えるのならば、この身を危険にさらす意味もありましょう」

 

 有無を言わせないラ・フォリアに紗耶香も反論しようと開いた口を閉じる。

 代わりに呆れたように溜息をついてラ・フォリアに苦言を言う。

 

 「……明らかに最後の一つがメインの目的になっていましたよね?」

 

 「ええ、勿論」

 

 悪びれる様子もなく即答するラ・フォリアに、紗耶香は何も言えなくなってしまう。

 そんな紗耶香にラ・フォリアは姿勢を正して厳かに告げる。

 

 「師子王機関の舞威媛――煌坂紗耶香。アルディギア王国王女ラ・フォリア・リハヴァインの名の元に〈アッシュダウンの魔女〉討伐の助力を要請します。……ついてきていただけますか?」

 

 もう何を言っても無駄だろうと悟った紗耶香は、諦めたように嘆息すると大きく頷き、承りました、と返事を返すのだった。

 

 「ありがとうございます、紗耶香」

 

 今や友と呼んでも差し支えることのなくなった紗耶香に優しく微笑むラ・フォリア。

 

 「ところで、王女」

 

 「はい?」

 

 「………わたしの服はどこにあるのでしょうか?」

 

 未だ一糸まとわぬ姿をしている紗耶香がシーツで体を隠しながら問うと、ラ・フォリアも服を纏っていなかったことを思い出したかのように側にあったタンスから二着の衣類を取り出す。

 

 「皺になるといけないので、昨夜のうちに脱がせて畳んでおきました」

 

 悪戯っ子のような笑みを浮かべて言うラ・フォリアに、やはり苦手だこの人、と改めて思う紗耶香だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーストーンゲート屋上

 

 〈絃神島〉全土が〈波隴院フェスタ〉に沸く中、島の中心地に位置するキーストーンゲートでは銃弾と魔術の応酬による攻防戦が繰り広げられていた。

 

 「本当に他愛ないですわ。ねえ、お姉さま?」

 

 「ええ、そうね。オクタヴィア」

 

 キーストーンゲートの屋上の真ん中に座り込み、ケタケタと笑う赤い装いの魔女――オクタヴィア・メイヤーと黒装束の魔女――エマ・メイヤー。そして二人の周りには、魔女の眷属にして最大の武器である守護者が姿を露わにしている。

 メイヤー姉妹の使役する守護者は、これまでに数多の無辜の命を貪ってきた膨大な量の触手の姿をしている。かつて、姉妹が森一つを代償に生み出した〈アッシュダウンの守護者〉である。

 大量の触手が二人の周りを蠢き、襲い掛かる銃弾の嵐から主を守っていた。

 二人を包囲する特区警備隊は、二個大隊分の人員を導入して魔女討伐に臨んでいるが、圧倒的質量で猛威を振るう〈アッシュダウンの守護者〉により目的を成せずにいた。

 

 「どうなってる!?こちらの攻撃が全く効いてないぞっ!?」

 

 「いいから撃てっ!これ以上、奴らの好きにさせるな!」

 

 二人の人間を包囲殲滅するには過剰ともいえるほどの火力を浴びせているにも関わらず、一向に好転しない状況に自動小銃を持つ特区警備隊員たちが浮足立つ。

 

 「哀れなものね。力のない者は、頭も弱いのかしら?これだけやって、まだ相手との力の差を理解できないなんて」

 

 「うふふ、それは仕方のないことですわお姉さま。だって、あいつらは生きる価値のない下等生物なんですもの」

 

 わざとらしく嘆息するエマにオクタヴィアも品のない笑いで応じ、最後は二人そろって口を開けて笑いながら目の前で触手に磨り潰されていく特区警備隊員たちを見ていた。

 

 「…………」

 

 その光景を姉妹から一歩離れた場所に立って見物する者の姿があった。

 黒いセーラー服に長い黒髪、右手には二股の霊槍を携えて顔には白い狐の面を被っている。〈太史局〉より〈図書館〉の援軍として派遣された〈六刃神官〉の妃崎霧葉だ。

 目の前で下品に笑う二人の魔女と必死に〈アッシュダウンの守護者〉に応戦する特区警備隊を交互に見やり、不快そうに霧葉は鼻を鳴らす。

 相手の実力を測れず無駄な抵抗を続ける特区警備隊をエマは嗤うが、霧葉から見れば、応戦しつつ相手の情報を随時無線で本部に送り、次に繋げようと決死の威力偵察を続ける特区警備隊員の姿は称賛するに値した。

 霧葉と同じく、国家に雇われて逃亡を許されない戦いに身を投じる彼らには正直なところ、同情を禁じえなかった。

 

 「どうかしら、〈六刃神官〉?これがわたし達の力よ。貴女の助力は、不要だったみたいね」

 

 先ほどから沈黙を守り続けている霧葉を煽るようにオクタヴィアが言葉を投げかける。

 そんな彼女の手には、燐光を纏う一冊の本が抱えられている。

 

 (No.139……能力は確か〈予定調和〉だったかしら)

 

 メイヤー姉妹の扱う魔導書を冷静に分析する霧葉。

 彼女たちが使役している〈アッシュダウンの守護者〉は圧倒的質量と巨体がもたらす重量が最大の武器である一方で魔術的な特殊能力は一切持っていない。それを補うためにオクタヴィアが使っているのが、魔導書――No.139である。

 この魔導書がもたらす効果は〈予定調和〉。すべてをあるべき自然の姿に止め、不変のものとすることができる。具体的に言うならば、こちらの攻撃は強化され、自然の摂理から外れる敵の攻撃はすべて無効化するというものだった。

 

 (確かに強力な魔導書だけど………〈師子王機関〉の〈六式重装降魔弓〉辺りなら有効でしょうね)

 

 〈アッシュダウンの守護者〉とNO.139の特性を見比べて、いくつかの対処法を頭の中で組み立てる霧葉。結果、些か面倒な相手ではあるが、自分でも対処可能な相手だという判断を下し、改めて見下すような眼差しを目の前の魔女姉妹に向ける。

 と、そこまで霧葉が思案した直後だった。

 

 「へえ?それが噂に聞く〈アッシュダウンの守護者〉と〈図書館〉の魔導書か」

 

 軽薄そうな男の声が聞こえてくると同時に、想像を絶する大きさの魔力の塊がキーストーンゲートの屋上に叩きつけられた。

 

 「っ!?」

 

 「なっ!?」

 

 「嘘っ!?」

 

 突如襲ってきた暴力的な魔力の塊に、No.193によって守られていたはずの〈アッシュダウンの魔女〉の触手の群れがゴッソリと削られ、その場にいた霧葉とメイヤー姉妹の二人が驚愕に満ちた声を漏らす。

 

 「噂じゃあ、そこそこ強いと聞いていたんだけどネ。……でも、一発でこの様じゃあ大して期待はできそうにないカナ」

 

 「ディミトリエ・ヴァトラー……」

 

 荒れ狂う魔力の塊――巨大な蛇の眷獣を従えた金髪の青年――ヴァトラーを苦々しい表情で睨みつけるエマ。

 その間にもヴァトラーの呼び出した眷獣は、その強大すぎる魔力で魔導書の効果もろとも〈アッシュダウンの守護者〉を次々と喰い破っていく。

 

 「ちょ、ちょっと……!」

 

 「やめなさいっ!」

 

 自分たちの守護者が蹂躙されるのを目の当たりにして、慌てて触手の群れを退避させるエマとオクタヴィア。二人の目には、欧州で悪名を轟かせる旧き世代の吸血鬼に対する恐怖が浮かんでいた。

 

 「り、〈六刃神官〉!あいつを倒しなさい!こんな時のための護衛でしょう!?」

 

 「……わたしは、増援であって貴女たちの護衛ではないのだけれど?」

 

 それ以前にさっきまで散々不要だなんだと言っていたくせに今になって助けてくれとかプライドはないのか、と霧葉は呆れ果てたように溜息をつくと、霊槍の矛先をヴァトラーに向けて臨戦態勢を整える。

 

 「へえ?君がボクの相手をしてくれるのカイ?」

 

 「………仕事なので、アルデアル公」

 

 新たな獲物を前に再びボルテージを上げていくヴァトラー。

 

 「……それは魔力や霊力を貯める〈乙型呪装双叉槍〉カ。今はどんな魔力が貯めてあるのカナ?」

 

 「………さあ、なんでしょうね」

 

 霧葉が挑戦的に言い放つと同時に眷獣を霧葉めがけて解き放つヴァトラー。

 そして、それを真正面から迎え撃つ霧葉。

 人間には到底抗いようのない絶対強者たる眷獣を前に一切怯む素振りを見せずに〈乙型呪装双叉槍〉を構える霧葉に、流石のヴァトラーも驚いたように目を見開く。

 メイヤー姉妹、ヴァトラー、この場にいるすべての人物が眷獣の巨体に跡形もなく吹き飛ばされる霧葉の姿を予想した。

 しかし。

 

 「なっ!?」

 

 驚愕の声を上げたのは勝利を確信していたはずのヴァトラーだった。

 霧葉の持つ霊槍――〈乙型呪装双叉槍〉の矛先が触れた途端、膨大な魔力を纏っていたヴァトラーの眷獣が塵も残さずに消滅したのだ。

 眷獣を貫き、滅した霧葉は改めて闘志を漲らせた視線をヴァトラーに向ける。

 

 「今のは………〈七式突撃降魔槍〉の神格振動波カナ?」

 

 「ええ、その通りよ。………最近、実物を目にする機会があったから、ついでに少しばかり頂戴してきたわ」

 

 青白い神格振動波を放つ〈乙型呪装双叉槍〉を手に得意げに笑みを深める霧葉にヴァトラーも愉快そうに笑い始める。

 

 「ハハハッ、イイネ!最高だっ!」

 

 ここからが本番だ、と言いたげに大量の魔力を全身から放出させるヴァトラーに霧葉も冷や汗を禁じ得なかった。

 

 (強いのは知っていたけど………まさか、ここまでとはね。早まったかしら……)

 

 戦わずとも伝わってくる強者の風格に霧葉も一瞬、戦いを挑んだことを後悔しそうになるが、

 

 (……………逃げるのは無しね。この程度の窮地を切り抜けられないなら……絶対に兄さんには追いつけない)

 

 霧葉脳裏に浮かぶのはつい先月戦う姿を目の当たりにした〈聖剣遣い〉と呼ばれる少年の雄姿だった。彼の見せた自分の想像を遥かに超える絶技は今でも脳裏に焼き付いている。

 

 「殺す………貴方も………兄さんも……必ず」

 

 「………イイネ。いい目だ」

 

 ここにはいない人物に向けて殺意を燃やす霧葉の目を仮面越しに見て、ヴァトラーも心の底から嬉しそうに笑みを浮かべる。

 

 「じゃあ、始めようカ」

 

 「いざ………参る」

 

 ヴァトラーが眷獣を放とうと魔力を放出し、霧葉は〈乙型呪装双叉槍〉を振りかぶり、今まさに戦いの火蓋が切って落とされると思われたその時だった。

 

 「アルデアル公、お待ちを」

 

 何の前触れもなく声が響き、次いで声の主が実体のない蜃気楼のように霧葉とヴァトラーの間に出現する。

 

 「君は、古城………じゃ、ないみたいだネ。誰だい、君?」

 

 現れた者の姿には霧葉も見覚えがあった。〈太史局〉も要注意人物としてマークしている世界最強の吸血鬼――暁古城だ。

 しかし、今彼が纏っている物静かな雰囲気は以前霧葉が見た時のものとは明らかに異なっていた。

 まるで、全くの別人が古城の体を乗っ取ているかのように。

 

 「わたしの名は、仙都木優麻。〈図書館〉の総記、仙都木阿夜の娘にございます」

 

 そう名乗る古城の体を借りた存在――優麻の言葉にヴァトラーも霧葉も驚いたように目を見開く。メイヤー姉妹だけが忌々しそうに視線を横に逸らしていた。

 

 「仙都木阿夜……彼女の噂は聞いているけれど……」

 

 「娘っていうのは、初耳だネ」

 

 各々反応を見せる二人に優麻は、恭しく頭を下げて応じていた。

 

 「……で、ボクたちの戦いを止めた理由を聞いてもいいカナ?」

 

 笑顔で優麻に問いかけるヴァトラー。しかし、その声音は楽しみを中断させられた事に憤っているのが分かるほど低く、冷たかった。

 

 「先ほどのご無礼、謹んでお詫び申し上げます。………僭越ながら、我々の真の目的を閣下にもお伝えしておこうと思った次第でございます」

 

 「真の目的?」

 

 怪訝そうに表情を歪ませるヴァトラーに優麻は、暗い笑みを浮かべて言葉を続ける。

 

 「……きっと、閣下もお気に召されるはずです」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 優麻の口から語られたソレは、計画と呼ぶには余りにも突飛で常軌を逸しており、なにより暗い悪意に満ちたものであった。

 それを聞いたヴァトラーは心底愉快そうに笑い声を上げ、霧葉は驚愕に目を見開き、慌てて〈太史局〉本部に向けて連絡用の式神を飛ばすのだった。

 




 


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蒼き魔女の迷宮編Ⅴ

 『蒼き魔女の迷宮編』の後に『観測者たちの宴編』に入る前に少し霧葉とキリヲの絡みを描いた短いオリジナル展開を挟もうかなと考えています。 


 〈絃神島〉 とあるカフェテリア

 

 「このパンケーキは、非常に気に入りました」

 

 島の中央に位置するキーストーンゲートから徒歩に十分圏内に店を構える現在、若者を中心に人気沸騰中のカフェにて、仮装したホムンクルス――アスタルテは、カボチャの被り物を脱いで特大パンケーキを頬張っていた。

 

 「こっちのジェラートも中々いけるわよ」

 

 アスタルテの横では、普段体系の維持について熱演していたはずのジリオラが大量のスイーツをテーブルに並べて表情を緩くしていた。

 

 「………ちょっと甘すぎだろ」

 「スイーツですから………あっ、こっちのチーズケーキはあんまり甘くない、でした」

 

 自分ではスイーツを取らず、ジリオラが注文した品を横から摘まんでいたキリヲが仏頂面で文句を言うと隣に座っている夏音が苦笑いを浮かべつつ自分のチーズケーキを勧める。

 

 「このモンブランも悪くないですよ。……先輩、半分どうですか?」

 

 「おお、サンキューな姫柊………って違う!」

 

 雪菜の勧めでモンブランを半分ほどに切って皿に移していた古城が唐突に声を張り上げる。

 

 「なに、普通に楽しくスイーツ頬張ってんだよ!?俺は!?俺の体は!?」

 

 優麻の声で叫ぶ古城にその場にいる全員が、何を今さら、と言った様子で白けた視線を送る。

 

 「先輩、さっきそのことは話し合ったじゃないですか?」

 

 荒ぶる古城を宥めるように雪菜は言葉を続ける。

 

 「優麻さんの居場所が特定できない以上、無暗に探し回っても効果はありません。例の空間転移現象の影響で迂闊に動くのも危険ですし。それに……」

 

 そこまで言うと雪菜はキリヲに視線を向ける。

 

 「……先輩の眷獣は使えませんし、九重先輩も武器を持っていません。おまけに連絡の取れない南宮先生からの援護も期待できません。夏音ちゃんを連れているこちらとしては――」

 

 「危険なことはできない、だろ?分かってるよ」

 

 雪菜が最後まで言い終わる前に古城は言いいながら疲れたように椅子に座り込み、呑気にチーズケーキを口に運ぶキリヲに冷ややかな視線を向ける

 

 「……そういや、キリヲの剣はどうなってんだ?」

 

 先月の叶瀬賢生率い〈メイガスクラフト〉の一派と戦った際にキリヲの愛用している刀〈フラガラッハ〉は、刀身が折れて壊れてしまっていた。

 

 「今、修理に出している。真っ二つに折れてたからな……結構、難航してるらしい」

 

 一通りチーズケーキを食べ終えたキリヲは、食後の紅茶を啜りながら返答を返してくる。

 

 「……というか、古城。さっきも言ったが、簡単に体を取り戻す方法ならあるんだぞ?」

 

 そう口にしながら、キリヲは雪菜の持っているギターケースに目を向ける。

 

 「〈七式突撃降魔槍〉で仙都木優麻の体の魔術を消滅させれば一発で済む」

 

 「それはダメだ」

 

 キリヲの提案を即座に却下したのは他ならぬ古城本人だった。

 

 「それだと俺は、ともかく優麻の体はタダじゃ済まないんだろ?だったら、その案は却下だ」

 

 体を奪われた今でも一途に親友の身を案じる古城にキリヲもあまり強く言うことはできなかった。

 

 「俺はやるべきだと思うがな………」

 

 「………それは、優麻の母親が犯罪者だからか?」

 

 あくまで提案するように言ってくるキリヲに古城は表情を厳しいものにする。

 

 「そうだ。さっきも言っただろ?」

 

 その言葉に数時間前にキリヲから聞いた〈監獄結界〉最奥部に幽閉されている、とある囚人の話を思い返す。

 

 「………優麻の母親がヤバい魔女だってのは俺も分かった。でも、優麻は関係ないだろ」

 

 キリヲの目を真っすぐ見つめ返して、古城は言葉を続ける。

 

 「それに、俺は過去とか身内に犯罪が関わっていたからって一方的に悪人だなんて決めつけたりしない」

 

 「………」

 

 それは、以前にキリヲの正体を知りつつも理解しようと歩み寄ってくれた古城だからこそ言える言葉だった。キリヲもそんな古城の曲がることのない信念に救われた一人であり、それ故に古城の言葉を否定することなんて出来るはずもなかった。

 

 「………分かってる。俺は古城に従う」

 

 小さく一度頷きながらそう口にすると、キリヲは再びティーカップを口に運ぶ。

 

 「でも、そうなると他にできることなんてないのよねぇ……」

 

 追加のスイーツを注文し終えたジリオラが満足気に言うと古城は落胆したようにテーブルに頭を突っ伏すのだった。

 

 「……まあ、そのうち何とかなるだろ」

 

 「元気出してください、でした」

 

 テンションが下がりまくって死んだ魚のような目をする古城にキリヲと夏音が当り障りのない言葉で慰める。その直後だった。

 

 「……っ!」

 

 突然、物凄い勢いで机に突っ伏していた古城が顔を上げた。その顔は、切迫したように歪んだ表情を浮かべている。

 

 「……ヤバい」

 

 「どうした?」

 

 只ならぬ古城の様子にキリヲも思わず身構え、他のメンバーの間にも緊張した雰囲気が走る。

 

 

 

 

 

 

 

 「トイレ………行きたい」

 

 「……………………………………………………………行けよ」

 

 予想以上にどうでもいい返事が返ってきたせいか、いつもとは比べ物にならないほど冷たい声音で言い放つキリヲ。

 

 「女子のトイレの作法とか分かんねぇよ!?」

 

 切羽詰まったように慌てふためく古城にキリヲは茶を啜りながら相変わらずの冷たい声音で適当に返事をする。

 

 「……そんなの、大して変わらないだろ。便座に座って出すだけ――」

 

 「変わるわよ、馬鹿」

 

 デリカシーのない言葉を平然と言うキリヲの後頭部に間髪入れずに平手打ちを叩きこむジリオラ。叩かれた勢いで紅茶が鼻に入ったのか、苦しそうにむせて悶絶するキリヲだった。

 

 「っていうか、ダメです先輩!優麻さんの体でそんなのダメですよ、絶対!」

 

 「いや、どうしろってんだよ!?」

 

 「我慢してください!」

 

 無茶な、と絶望的な表情を浮かべる古城に雪菜は顔を赤面させて、破廉恥です、と渇を飛ばしている。

 そんな感じで古城の体を奪われたという異常事態を忘れて和気藹々とした楽しげな雰囲気が場を包んだ直後だった。

 

 

 

 ズズゥン………

 

 

 

 重く地の底から響くような音と共に強い揺れがカフェの店内を襲った。

 

 「なっ!?」

 

 「これは……」

 

 地響きと揺れにより動揺が店内を走る中、キリヲと雪菜は素早く椅子から立ち上がり、窓の外に視線を向ける。

 

 「パニックになる前に外に出るわよ」

 

 ジリオラも夏音を庇うように立ち上がりながら、出口に足を進める。

 

 「何が起こっているんでしょう………」

 

 カフェの出入り口であるドアを潜りながら不安そうに口にする夏音にキリヲは、島の中心部に聳え立つキーストーンゲートに目を向けて小さく呟く。

 

 「…………テロだ」

 

 路上には、黒々とした煙を上げるキーストーンゲートを指さしながら動揺の声を上げる人々が見える。元々〈絃神島〉に住んでいる人々は落ち着いた様子で安全な場所に退避する中、慣れない様子で不安そうに慌てふためいているのは〈波隴院フェスタ〉のために来島してきた観光客たちだろう。集団パニックが起きるのは時間の問題だった。

 

 「優麻……あそこにいるのか」

 

 拳を固く握りしめながら言う古城を尻目にキリヲも行動を起こすべく、アスタルテに視線を向ける。

 

 「アスタルテ、俺たちは古城の体を取り返しに行く。夏音を任せてもいいか?」

 

 「命令受諾」

 

 指示を受けたアスタルテを夏音の手を引いて安全な場所まで退避しようと移動を開始する。

 

 「ミス 叶瀬、離れないでください」

 

 「はい………あの、皆さん。お気をつけて」

 

 キリヲ達を気遣うような言葉を残して夏音はアスタルテと共にこの場を後にした。

 一方で、残されたキリヲ、古城、雪菜、ジリオラの四人はキーストーンゲートの方向に足を進めようとする。

 しかし。

 

 「なっ!?」

 

 「え?」

 

 数歩歩いたところで古城と雪菜が驚愕に声を漏らした。

 キーストーンゲートに向けて歩道歩いていたはずなのに気が付けば先程までくつろいでいたカフェの店内にいたのだ。

 

 「これは………」

 

 「空間転移だ………全員、動くな。今目の前にも空間の歪みがある」

 

 ジリオラの呟きに返答しつつ左目の義眼を起動して周囲を解析し始めるキリヲ。室内に散在する複数の空間の歪みを睨みつけながら古城達に警告を発していた。

 

 「九重先輩も見えますか……いくつか、ありますね」

 

 「姫柊も見えてたのか?」

 

 「はい、なんとなくですけど。……さっきの地響きがあってから歪みが極端に強くなってますね」

 

 キリヲ同様に霊視を使って空間の歪みを探る雪菜。キリヲは歪みに目を向けたまま言葉を続ける。

 

 「姫柊………歪みに飛び込んだらどこに飛ばされるか、未来を予測できるか?」

 

 キリヲも右目の義眼を使えば未来予測が可能だが、その精度は最高位の巫女である雪菜の霊視には劣る。そのため、キリヲは雪菜に空間転移の先読みを依頼したのだった。

 

 「できなくは………ないですけど。歪みの転移先も一定じゃなさそうです。予測できても飛び込むタイミングが合わないと、どこに飛ばされるか……」

 

 「構わない。一番キーストーンゲートの近くに飛ばされる可能性が高い歪みを教えてくれ。………転移先が切り替わるタイミングとパターンは俺が分析する」

 

 その言葉を最後に二人一斉に周囲に散らばる空間の歪みの解析と未来の予測を開始する。

 類まれなる霊視の際に恵まれた雪菜とハイテクノロジーの恩恵を受けるキリヲによる空間転移攻略を目指した大規模演算の始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーストーンゲート 屋上

 

 数十分前、〈アッシュダウンの魔女〉と特区警備隊の戦闘により廃墟のような姿と化した屋上。その中央に立つのは、黒い外套を羽織った少年――暁古城の体を掌握した優麻だった。

 手に持っている一冊の魔導書は〈第四真祖〉の体から漏れ出る無尽蔵の力に呼応するように不気味な燐光を発し、上空は魔力によって集った暗雲により黒く染まっていた。

 

 「もうすぐだ。もうすぐ……」

 

 すぐ側に控えるメイヤー姉妹や〈六刃神官〉には聞こえないような掠れた声で呟く優麻。

 

 『―――――!』

 

 「………ああ、分かってるよ。〈蒼〉」

 

 優麻の背後に蜃気楼の如く現れた蒼い鎧を纏う騎士に優麻は静かに声掛ける。

 

 「もうすぐ、会えるんだ。………君を僕にくれた、母様に」

 

 本来の主が近づいているのが分かるのか、喜びの衝動を露わにする自らの守護者に優麻は苦笑いを浮かべる。

 

 「………ところで、君はまだ協力してくれるのかい?」

 

 魔導書から目を離さず、今度は後方で控えている〈六刃神官〉――霧葉に優麻は声をかける。

 

 「正直なところ………ボク達の本当の目的を聞いたら流石に〈太史局〉は協力してくれないと思っていたんだけどね」

 

 「…………そうね、わたし個人の見解としては毛頭協力なんてしたくないのだけれど」

 

 皮肉気に言ってくる優麻に不快そうに声音を低くする霧葉。

 そんな霧葉にハハッと乾いた笑いを返して優麻も言葉を続ける。

 

 「君個人の見解か。…………じゃあ、君の上司はなんて言っていたのかな?」

 

 その言葉に霧葉は一旦口を閉ざす。

 数秒ほどの沈黙が続いた後、やがてゆっくりと言葉を紡ぐ。

 

 「………上の考えは変わらずよ。貴女たちを援護し、〈第四真祖〉と〈聖剣遣い〉を斃す。たとえ、その代償に大量の凶悪犯が世に解き放たれようとね」

 

 「そんなに嫌そうな顔をしないで欲しいな。ボクの予想じゃ、出てこれるのは全体の半分以下のはずだ」

 

 忌々しそうに口にする霧葉に優麻は肩をすくめて返事を返す。しかし、それで霧葉の心境が変わるはずもなく更に機嫌を損ねたように舌打ちをする。

 

 「………わたしの方からも質問をしても?」

 

 「どうぞ」

 

 「貴女は、なぜそこまでして母親を助けようとするのかしら?顔も見たことのない母親なんかに」

 

 嫌がらせと言わんばかりに聞いてくる霧葉に優麻も数秒ほど考えてから答えを口にする。

 

 「……それが、ボクの造られた理由だから。それに、自分の家族を助けるのは世間一般的にも極自然なことだろう?」

 

 「家族ねぇ………」

 

 『家族』という単語が出た瞬間、霧葉の声音は嘲りの色を含むようなものになった。

 

 「貴女が予想しているほど、いいものでは無くってよ『家族』なんて」

 

 「………随分、毛嫌いしているみたいだね。家族という括りを」

 

 吐き捨てるように言い放つ霧葉が意外だったのか、優麻も驚いたように問い掛ける。

 

 「………側に居て欲しいときにいてくれなくて、自分の保身のためになら簡単に切り捨てられる関係。わたしの家族が教えてくれたのはそれだけだったわ」

 

 「…………」

 

 「貴女もきっと失望するわよ。………その時の顔が早く見たいわ」

 

 暗い憎悪の炎を瞳に灯しながら言葉を紡ぐ霧葉に、優麻も得体の知れない恐怖を感じていた。自分には理解し得ない深い闇がこの仮面の少女には宿っているような気がしてならなかった。

 そこまで考えた時だった。

 

 『―――――!』

 

 「……ああ、そうだね〈蒼〉。どうやら来たみたいだ」

 

 自らの守護者である蒼き騎士の警告を受けて優麻はゆっくりと振り返る。

 そこには、数多に連なる空間の歪みを超えてこの場所に辿り着いたであろう四人の人物の姿があった。

 

 「優麻!」

 

 本来の自分の体で声を張り上げる古城に優麻も苦笑いを浮かべる。

 

 「やあ、古城。来たんだね。………まったく君は、何も知らないくせに何時も一番大切な場所に現れる」

 

 「優麻、一体何をするつもりだっ!?」

 

 急くように問いを投げかけてくる古城に優麻は片手を挙げて待つように伝える。

 

 「少し待って欲しいな。もうすぐなんだ。もうすぐ……現れる」

 

 そして優麻の言葉通り、言い終わると同時にそれは訪れた。

 凄まじい轟音と共に膨大な量の魔力が荒れ狂う強風となってキーストーンゲートの屋上に叩きつけられる。

 

 「あれは………」

 

 風が吹き始めると同時に〈絃神島〉の海岸線に沿うように蜃気楼の如く音もなく出現した巨大な建造物を目の当たりにして、古城は唖然とした表情を浮かべる。

 

 「………〈監獄結界〉」

 

 「あれが……」

 

 キリヲの掠れた声の呟きを聞き、雪菜も目を見開く。

 

 「懐かしいわねぇ……………やだ、蕁麻疹出てきた」

 

 久しく見てなかった〈監獄結界〉を目の当たりにして嫌な記憶が蘇ったのか、二の腕を摩るジリオラ。

 

 「やっと姿を現した………彼らの足止めを任せてもいいかな」

 

 ようやくお目当てのものが現れて満足気な表情を浮かべる優麻は、側に控えていたメイヤー姉妹に一方的に告げると体の周囲に空間転移用の魔力を帯び始める。

 

 「あの小娘どもの身体を好きに壊してもいいのならば請け負ってもいいですわよ。ねえ、お姉さま?」

 

 「ええ、そうね。いい供物になりそうだわ、オクタヴィア」

 

 早くも戦いに勝った気になって下卑た笑いを上げる魔女姉妹から早々に興味をなくしたように優麻は視線を外すと、今度は霧葉に向き直る。

 

 「……〈六刃神官〉。君には着いてきてもらってもいいかな?」

 

 「…………なぜかしら?わたしもここで足止めに徹した方が効率的だと思うけれど?」

 

 優麻の要求に怪訝そうに声を潜める霧葉。

 その目は、古城たちの後ろに立つ黒髪の少年に向いていた。

 

 「念のためさ。目的を達するまでのボクの護衛を任せたい。……………それに君も言っていただろう?ボクの失望する顔が見たいって」

 

 茶化すように言う優麻。

 

 「………………………分かったわ」

 

 一瞬、迷ったような素振りを見せたが最終的には納得したのか、霧葉は優麻の側まで足を運んでいった。

 

 「それじゃあ、古城。悪いけどお先に失礼するね」

 

 「待てっ!優麻!」

 

 咄嗟に古城が呼び止めるが、それで止まるはずもなく次の瞬間には優麻と霧葉の姿は跡形もなく消えていた。

 

 「クソッ、追うぞ!」

 

 キリヲも焦ったように前に駆け出すが、メイヤー姉妹がそれを見逃すことはなかった。

 魔女姉妹の二人を中心に溢れ出だすように出現する大量の触手がキリヲ達の行く手を阻む。

 

 「まずいっ!」

 

 「キリヲ!下がりなさいっ!」

 

 キリヲに殺到する触手の群れを咄嗟にジリオラが〈ロサ・ゾンビメイカー〉で打ち払う。

 

 「なんだ、こいつら!?」

 

 「魔女の守護者です!先輩、下がってください!」

 

 突如、目の前に出現した夥しい数の触手に驚愕の声を漏らす古城に雪菜が〈雪霞狼〉を構えながら答える。

 

 「なによ、コイツ等!?操れないんだけど!?」

 

 旧き世代の吸血鬼ですら拘束し、支配することのできる〈ロサ・ゾンビメイカー〉を用いても制御できない〈アッシュダウンの守護者〉にジリオラも鬱陶しそうに表情を歪めていた。

 

 「こんなの………どうすれば……」

 

 津波のように押し寄せる触手の群れに雪菜が絶望に染まった顔で呟く。

 その時だった。

 

 「雪菜!」

 

 「え!?」

 

 突然、馴染みのある声が聞こえたと思った次の瞬間には、目の前の大量の触手が無残にも切り裂かれて後退している光景が目に入ってきた。

 そして、職種の群れと雪菜の間に降り立ったのは、

 

 「紗耶香さん!?」

 

 空間ごと物体を切断する〈煌華麟〉を携えた〈師子王機関〉の〈舞威媛〉――煌坂紗耶香だった。

 

 「間一髪でしたね」

 

 そして、紗耶香に続くように現れたのは銀色の髪を靡かせる異国の王女――ラ・フォリア・リハヴァインだ。

 触手に襲われかけていた雪菜に気遣うような言葉を掛けるが、彼女の興味はすぐに別の人物に移ることになる。

 

 「キリヲ!」

 

 自らの想い人を見つけたラ・フォリアは一直線にキリヲの元に駆け寄り、その胸に飛び込んでいく。

 

 「ラ・フォリア!?お前、なんでここに?」

 

 「キリヲ!キリヲ!ようやく会えました!」

 

 「………………全然、聞いてないな」

 

 自分に抱き着き、女児の如くはしゃぐラ・フォリアにキリヲも呆れたように溜息をつく。

 

 「………昨日、帰ったはずじゃなかったのか?」

 

 「………妙な空間転移に巻き込まれたのよ。おかげで、昨日からずっと王女の相手をさせられてるんだけど」

 

 「なんか………悪かったな」

 

 テンションが振り切って会話にならないラ・フォリアの代わりに疲れたように言ってくる紗耶香にキリヲは、何とも言い難い罪悪感を覚えるのだった。

 

 「あらあら、哀れな仔羊が増えましたわよ。お姉さま?」

 

 「哀れなものね。これからどんな結末が待っているのかも知らないで」

 

 乱入するような形で現れた紗耶香とラ・フォリアを目にし、立ちはだかるエマとオクタヴィアが各々に挑発を仕掛ける。

 だが………

 

 「ところで誰よ、この女?それに暁古城は?」

 

 「ああ…………面倒だから色々端折って説明すると、今はその女が古城なんだ」

 

 「はあ?なによ、それ?」

 

 全然聞いていなかった。

 

 「ちょっと無視してんじゃないわよっ!?」

 

 そこまできて、ようやく目の前のメイヤー姉妹の存在に気付いたのか紗耶香とラ・フォリアは視線を前に移す。

 

 「あれが、メイヤー姉妹ね。………仕事増やしてくれてんじゃないわよ、年増が」

 

 「噂に違わない醜悪な容姿をしているようですね」

  

 連日の苦労で気が立っている紗耶香と元々毒舌スキルが天井知らずのラ・フォリアによる罵倒にエマとオクタヴィアの余裕のあった表情に罅が入る。

 

 「キリヲ、名残惜しいですが。どうやら今は、この事態に対処することの方が優先のようですね」

 

 メイヤー姉妹の背後に見える〈監獄結界〉を目にして、事態の重さを察したのかラ・フォリアは一旦キリヲから体を離して得物である〈アラード〉を取り出す。

 

 「ラ・フォリア、あそこに行きたいんだ。何か手はあるか?」

 

 「彼らを使ってください。ここに来るまでにも彼らの空間転移魔術の技術が役に立ちました」

 

 〈監獄結界〉を指すキリヲにラ・フォリアが紹介したのは、彼女たちの背後に控えていた白いローブを着た三人の男達だった。

 

 「宮廷魔術師か……」

 

 三人がかりで魔方陣を起動させて、〈監獄結界〉に続くゲートを生み出す宮廷魔術師達を見て思わず感嘆の声が漏れだすキリヲ。

 

 「キリヲ、この場は任せてください。あの魔女たちの相手はわたくしが致します」

 

 「………大丈夫か?」

 

 「心配なさらないでください。紗耶香が手を貸してくださいます」

 

 ラ・フォリアが戦うことをあまり良く思わないキリヲが思わず顔を顰めるが、無理に止めようという様子はなかった。

 

 「わたしも残るわよ。あんたは、仙都木の娘を追いなさい」

 

 〈ロサ・ゾンビメイカー〉を手に紗耶香、ラ・フォリアの隣に並ぶジリオラが不愛想にキリヲに告げる。

 

 「………来ないのか?」

 

 「悪いけどあの刑務所見るだけで拒絶反応出るのよ。入るなんて冗談じゃないわ」

 

 忌々しそうに言うジリオラにキリヲも苦笑を浮かべて、確かに、と頷く。

 

 「暁古城、なんかよく分からないけど後で説明してもらうからね」

 

 「キリヲ、ご武運を。この戦いが終わったら一緒にお祭りでも回りましょう」

 

 「南宮那月を見つけたら、一つ貸しって伝えておきなさいよ」

 

 それぞれの得物を構える紗耶香、ラ・フォリア、ジリオラがメイヤー姉妹に相対し、思い思いの言葉を投げ掛けてくる。

 

 「悪い、煌坂。恩に着る」

 

 「ジリオラ先生、お願いします」

 

 「無茶だけはするなよ」

 

 古城、雪菜、キリヲも一言ずつ別れを告げると宮廷魔術師達が開いたゲートに飛び込み、〈監獄結界〉へと向かって行った。

 

 「さて、始めましょうか」

 

 キリヲ達が無事に転移したのを確認するとラ・フォリアは、〈アラード〉のグリップを握りしめて静かにそう口にする。

 

 

 

 

 

 〈舞威媛〉、〈アルディギアの王女〉、〈惨劇の歌姫〉、〈アッシュダウンの魔女〉、数多の死線を超えてきた女たちの熾烈な戦いの幕開けだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ホントすいません。次の一話に頑張って全部まとめます。


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蒼き魔女の迷宮編Ⅵ

 


 〈監獄結界〉 最奥部

 

 現世とは乖離した異なる次元に建設された刑務所〈監獄結界〉。石造りのその刑務所に窓はなく、内部には照明として松明が壁に設置されているが炎は灯っておらず、使われた形跡も殆どない。昼夜を問わず暗闇が支配するこの刑務所に明かりが灯るのは、主である〈空隙の魔女〉が訪れた時である。

 しかし、本来の主ではない〈蒼の魔女〉――仙都木優麻の手によって半ば強引に顕現させられた〈監獄結界〉は、その軋轢によって壁や天井の要所が崩れ落ちていた。

 崩れた天井の隙間から差し込む月明りを頼りに〈監獄結界〉の最奥部へ向けて歩みを進めているのは、二人の人物だった。

 黒い外套を纏う〈第四真祖〉暁古城の姿をした魔女――仙都木優麻と白狐の仮面を被った黒髪の少女――妃崎霧葉だ。 

 

 「分かっていたけど、やはり凄まじいね〈第四真祖〉の魔力は。………おかげで、十万人の贄を用意しなくて済んだよ」

 

 自らの顔を優しく撫でながら呟く優麻。その声音は、純粋に多くの無辜の命を奪わなくて済んだことを喜んでいるようだった。

 

 「………優しいのね」

 

 並ぶようにして横を歩いていた霧葉が優し気な表情を浮かべる優麻を見て、そう呟く。すると、霧葉の言葉が意外だったのか優麻は目を丸くして霧葉の仮面を被った顔を見つめた。

 

 「ひょっとして、ボクは褒められたのかな?」

 

 「………犯罪組織の指導者には向いていないという意味で言ったのだけれど」

 

 呆れたように言う霧葉に優麻も思わず苦笑いを浮かべていた。

 

 「なるほど、確かにボクには向いていないだろうね。………でも、その心配もすぐに無用になる。母様が出てくれば〈図書館〉を指揮するのは、あの人だ」

 

 「………貴女は、用済みってことかしら?」

 

 茶化すように言う優麻に冷たく霧葉が告げる。

 

 「………酷いことを言うね。確かに普通とは違うけどボクはあの人の娘だよ?」

 

 少し期待しているんだ、とまだ見ぬ肉親との絆を語る優麻に霧葉は仮面の下で表情を歪ませた。

 

 「………馬鹿馬鹿しい。たかが血が繋がっているだけの存在によくそこまで拘れるわね。理解できないわ」

 

 吐き捨てるように口にする霧葉に、優麻は不敵な笑みを浮かべる。

 

 「拘る………ね。それは、君も同じじゃないかな?」

 

 「あ?」

 

 試すような口調で告げてくる優麻に不快感を感じたのか、ドスの効いた声で返事を返す霧葉。

 

 「さっきの彼………九重キリヲ、だったかな?彼は君が拘っている存在……………『家族』なんじゃないのかな?」

 

 軽い調子で優麻が言い終わると、数秒ほどの沈黙が二人の間に流れた。

 仮面の奥から優麻の顔をじっと眺めた後、霧葉はゆっくりと口を開いて言葉を紡ぐ。

 

 「………………なんのことかしら?」

 

 明らかに動揺したような声で霧葉が告げたのは、そんな話をはぐらかす様な言葉だった。

 そんな霧葉に優麻は、苦笑いを浮かべながら話を続ける。

 

 「君は、もう少し視線に気を使った方がいい。さっき彼を睨んでいた君の目は、ボクに『家族』の無意味さを説く時と同じものだったよ。仮面越しにでも分かるほど、暗い情念に満ちた目だ」

 

 「…………………忠告どうも。気を付けるようにするわ」

 

 確信を持っているように言い切る優麻に霧葉も観念したのか、肩の力を抜いて嘆息するのだった。

 そして優麻から視線を外して口を開く。

 

 「………わたしが兄さんに拘るのは復讐のためよ。期待なんかじゃない」

 

 脳裏に憎き肉親を刺し殺す光景でも思い浮かべているのか、霧葉が手にしている二股の霊槍から強く握りしめるような音が聞こえてくる。

 

 「わたしが受けたものと同じ苦痛を味わせてやる」

 

 「……………」

 

 呪詛を吐くかの如く憎悪の念のこもった言葉を口にする霧葉。優麻は、ただ静かにその言葉に耳を傾けていた。

 やがて、胸の内に溜まっていた蟠りを吐き出して落ち着いたのか霧葉が口を閉ざす。

 

 「………君と彼の間に何があったのかは知らないけど、君の目論見が上手くいくように陰ながら祈っているよ」

 

 それまで口を閉ざしていた優麻は表情を変えることもなく、ただ静かにそう告げるのだった。

 

 「………そろそろ最奥部だ。ここに彼女がいる」

 

 狭い通路からドーム状の広い部屋に出たところで優麻は足を止めて部屋の中央に鎮座する存在に目を向けた。その隣では、霧葉も足を止めて優麻の視線の先にあるものに目を奪われていた。

 

 「彼女は………なぜ、ここに……」

 

 信じられないと言った様子で霧葉が呟く。

 その直後。

 

 「………どうやら彼らも来たみたいだ」

 

 背後から聞こえてくる数人分の足音を耳にした優麻が視線を動かさずに静かに告げる。

 足音の主を確認しようと霧葉が背後を振り返る。それと同時に二人を追ってきていた三人の人物がこの部屋に到着する。

 

 「追いついたぞ、優麻………!」

 

 先頭に立つのは優麻の本来の姿をした体を持つ〈第四真祖〉――暁古城。その後ろには銀槍〈雪霞狼〉を携えた雪菜と金属の義肢を持つキリヲが控えている。

 優麻達に追いつき、即座に臨戦態勢を取る三人。しかし、彼らの視線はすぐに別のものに移ることになる。

 優麻と霧葉と同様に、部屋の中央に佇む存在に。

 

 「馬鹿な……」

 

 「なんで、あんたが………」 

 

 キリヲと古城が同時に掠れた声を漏らす。

 

 「この世ならざる異界に造られた牢獄、それを顕現させる真祖の魔力………そして、檻を守る番人であると同時に檻を開く唯一の鍵。…………ようやく全てが揃った」

 

 周囲の崩れつつある石壁、自らが操る古城の体。そして部屋の中央に位置する存在。

 それぞれに視線を映しながら優麻は言葉を紡ぐ。

 そして片膝を折り、首を垂れる。

 

 「探しましたよ……………〈空隙の魔女〉」

 

 部屋の中央に置かれた黄金の玉座に座り、眠り続ける幼き少女――南宮那月に。

 

 「おい………どういうことだ。なんで、そいつがここにいる」

 

 驚愕に目を見開いたキリヲが数歩前に出ながら優麻に問い掛ける。

 

 「………どうやら、君もこの事は知らなかったみたいだね。南宮那月が守護者と交わした契約、そしてその代償として生まれた〈監獄結界〉の秘密を」

 

 自らの背後に守護者である〈蒼〉を顕現させながら優麻が言う。

 

 「今こそ、ボクはボクに課せられた使命を果たして運命を全うする」

 

 「優麻………お前は………一体……」

 

 揺るぎない信念を感じさせる声音で決意を口にする優麻に古城が弱々しく手を伸ばす。

 

 「ボクは、そのために造られて今日まで生きてきたんだ。………君と出会う、あの日よりずっと前から」

 

 振り返り、古城の瞳を真っすぐ見つめ返しながら優麻は自らが持って生まれた使命に縛られ続けた日々を語るべく口を開いた。

 

 

 

 それは、古城には想像もできないほどに冷たく、救いのない孤独の日々だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キーストーンゲート 屋上

 

 

 「ああ、もう!きりがないんだけど!?」

 

 暗雲が覆う空の下、〈絃神島〉の中央に聳え立つキーストーンゲートの屋上にて紗耶香は得物である〈煌華麟〉を振り下ろしながら声を張り上げる。

 周囲には、醜く肥大化した赤黒い触手の群れが紗耶香の身体を圧し潰そうと蠢いている。

 

 「触手自体は大して強くありませんが………この数は厄介ですね」

 

 「術者の魔女共を狙おうにも、触手が邪魔で難しそうね」

 

 単発式拳銃〈アラード〉から呪式弾を放ちながらラ・フォリアが呟き、鞭型の眷獣〈ロサ・ゾンビメイカー〉を振るいながらジリオラも同意するように頷く。

 

 「あらあら、お姉さま。小娘どもは、そろそろ限界のようですよ」

 

 「大口叩いてた割には大したこと無かったわね。まあ、世間を知らない小娘なんて所詮この程度かしら」

 

 触手の群れの向こう側で魔導書を手に、挑発するように嘲笑を上げるエマとオクタヴィア。

 その言葉にジリオラの顔に憤りの表情が浮かぶ。

 

 「………今のセリフ、そのままあいつ等に返してやりたいんだけど。三、四十年程度しか生きていないガキが調子に乗りやがって」

 

 全身から瘴気にも似た高密度の魔力を大量放出して周囲の触手を消し飛ばしながら言うジリオラ。その言葉にエマとオクタヴィアの表情が怪訝そうに歪む。

 

 「ねえ、お姉さま。あの女、妙なことを言っていますわ」

 

 「そうね、オクタヴィア。わたし達をガキ呼ばわりするなんてね。………どういうつもりかしら?」

 

 二十代半ばと外見年齢が明らかに自分より下のジリオラにガキ呼ばわりされたのが気に食わなかったのか、オクタヴィアは不快そうに触手の攻撃目標をジリオラに集中させる。

 一方でジリオラも対抗すべく全身から血霧を放出させて空中に大量の紅い蜂の群れを出現させる。

 ジリオラの操る眷獣〈毒針たち〉である。

 そして、押し寄せる大量の触手を更に膨大な量の蜂の群れで押し返していく。

 

 「吸血鬼、舐めるんじゃないわよ。最低限、百年くらい生きてから出直しなさい!」

 

 闘志を滾らせるようにジリオラが叫び、その言葉にエマとオクタヴィアの表情が凍り付く。

 

 「百年………?」

 

 「あの見た目で………」

 

 よく勘違いされがちな話ではあるが、魔女は不老不死という特性を本来は持ち合わせていない。才に溢れ、その中でも高位の存在と呼ばれる一部の魔女だけが体の老化を止めるという芸当ができるだけである。

 エマとオクタヴィアは、決して実力のない魔女というわけではないが、南宮那月のような体の老化を止めるような事はできないため、外見年齢は実年齢と同じ三十代半ばまで進んでしまっている。

 その一方で、ジリオラは吸血鬼である。生まれ持つ才覚に関係なく、彼女の中に宿る血が尽きることのない寿命と老いることのない体を与えている。

 とは言え、種として異なる吸血鬼と魔女を比較すること自体が本来ならナンセンスなことであり、こればっかりは仕方のないことなのだが………。 

 

 「あの淫売がぁ………黙って、枝の餌食になりなさいよ!」

 

 「その顔、絶対に磨り潰してやる………」

 

 ………女として、なんか負けたような気がしてならないエマとオクタヴィアだった。

 

 「上等よ、掛かってきなさい」

 

 年下に小娘扱いされて憤るジリオラと肉体年齢の進行の差に劣等感を抱くエマとオクタヴィアが互いに感情任せに魔力を高めていき、宙でぶつけ合う。

 そして、それを数歩後ろに下がったところで傍観しているラ・フォリアと紗耶香。

 

 「年は取りたくないものですね、紗耶香」

 

 「………はあ」

 

 まだまだ(年齢に)余裕のあるラ・フォリアが面白いものを見るような笑みを浮かべたまま言い、紗耶香は関わりたくないと言わんばかりに視線を逸らして曖昧な返事を返す。

 

 「………それで、紗耶香。この状況を打開する策はなにかありますか?」

 

 表情を真剣なものに戻して、ラ・フォリアが紗耶香に問い掛ける。

 〈メイヤー姉妹〉の眷属である触手の攻撃がジリオラに集中したことで、ラ・フォリアと紗耶香にはある程度の余裕が生まれていた。

 この隙に打開策を練るというのがラ・フォリアの狙いだった。

 

 「この使い魔………いくらなんでも量が多すぎます。魔女とは言え、この量を生成し続ける魔力は無いはずです。つまり、この使い魔は元々これほどの巨体と大量の触手を持つ生物なんでしょうけど………」

 

 「………そんな生物が果たして存在するのか、ですか。ベースがどんな生物なのか分からなければ対策が練れませんね」

 

 冷静に〈アッシュダウンの守護者〉を分析していく紗耶香とラ・フォリア。

 目の前の膨大な質量を持つ使い魔が何を媒介に生み出された存在なのか二人で考察を深めていく。

 

 「あっ」

 

 そこで何か思い当たることがあったのか、ラ・フォリアが声を上げる。

 

 「王女、なにか?」

 

 「紗耶香、さきほど〈メイヤー姉妹〉が口にした言葉を覚えていますか?」

 

 ラ・フォリアは、目の前で〈アッシュダウンの守護者〉と一進一退の攻防を演じているジリオラに視線を向けながら言葉を続ける。

 

 「『枝の餌食になれ』さきほどジリオラに向かってそう言っていました。『触手』ではなく、『枝』と」

 

 「………つまり、軟体動物の類じゃなくて植物」

 

 ラ・フォリアの言葉に心当たりがあったのか紗耶香も顎に手を当てて考え込むような仕草を見せる。

 そして、紗耶香も思いついたように口を開く。

 

 「確か〈メイヤー姉妹〉の起こした事件で森一つを消滅させたものがありましたよね?」

 

 「〈アッシュダウンの惨劇〉………なるほど、合点がいきました」

 

 ジリオラの〈毒針たち〉と鬩ぎ合っている触手の群れに目を向けてラ・フォリアは笑みを深める。

 

 「森の木々を全て使い魔に換えたと言うのならば、この圧倒的な質量にも納得がいきます。確かに強力な使い魔なのでしょうけど………」

 

 「相手の正体さえ分かれば、手の打ちようはいくらでもあります。〈煌華麟〉!」

 

 手に握っている〈煌華麟〉を刀剣形態から洋弓型の広域殲滅形態に変形させながら足のホルスターに収納してあるダーツ型の伸縮式鏑矢を取り出す紗耶香。

 

 「全て焼き払います」

 

 「………では、わたくしは時間稼ぎを」

 

 詠唱に入ろうとする紗耶香を背に、〈アラード〉を構えて前方に駆け出すラ・フォリア。

 呪式弾を薬室に装填し、触手の群れの真ん中に照準を合わせて引き金を引く。

 

 「ジリオラ、遅くなりました」

 

 「大丈夫よ。こっちは、こっちで楽しんでいたから」

 

 依然として〈アッシュダウンの守護者〉の前に立ちはだかり、獰猛な笑みを顔に浮かべながら眷獣を召喚し続けているジリオラの隣に肩を並べるように立ち、ラ・フォリアも呪式銃で触手の群れを牽制する。

 

 「で、何かいい作戦でも浮かんだの?」

 

 「紗耶香がこの使い魔を全て焼き払います。紗耶香の攻撃が終わったら、〈メイヤー姉妹〉が新たに使い魔を召喚する前に仕留めましょう。わたくしは、エマ・メイヤーを始末します。貴女はオクタヴィア・メイヤーを」

 

 視線を前に向けたまま聞いてくるジリオラにラ・フォリアも簡潔に作戦を伝える。

 そして、ラ・フォリアの言葉が終わると同時に後方から紗耶香の祝詞が響き渡った。

 

 「獅子の舞女たる高神の真射姫が讃え奉る!極光の炎駒、煌華の麒麟、其は天樂と轟雷を統べ、憤焔をまといて妖霊冥鬼を射貫く者なり!」

 

 祝詞と共に鏑矢が上空に放たれ、慟哭にも似た人の声帯では発せられない呪詛を奏でる。キーストーンゲートの屋上に放射状に拡散した呪詛は、青い炎となって〈アッシュダウンの守護者〉に降り注ぐ。

 

 『――――――――!』

 

 本来、声を持たない筈の悪魔と化した森の断末魔が響き渡る。

 

 「そんなっ………!」

 

 「わたし達の〈アッシュダウンの守護者〉が………」

 

 自分たちの最大の武器が焼き払われ、絶望に表情を暗くするエマとオクタヴィア。しかし、流石は歴戦の魔女と言ったところか、即座に呪文を唱え始めて次の手を打とうとする。

 だが、それを見逃すラ・フォリアとジリオラではない。

 

 「我が身に宿れ、神々の娘。豊穣の象徴。二匹の猫の戦車。勝利をもたらし、死を運ぶものよ!」

 

 「万象変化と千変万化を司りし女王〈混沌の皇女〉の血脈を継ぎし者、ジリオラ・ギラルティが汝に命ず。顕現せよ、万物を刺し貫く紅き呪槍よ!」

 

 自らの体の内側に高位の精霊を召喚したことにより、ラ・フォリアの〈アラード〉に着装された銃剣が刃渡り二メートルに達する巨大な光の剣へと姿を変える。

 そして、ジリオラの右手からは噴き出た血霧が一振りの禍々しい生物的な外装を持つ槍へと姿を変えて、ジリオラの手に収まる。先月、T種の若い世代の吸血鬼ベアトリス・バスラーから奪い取った槍型の眷獣〈蛇紅羅〉である。

 

 「これで」

 

 「とどめよ」

 

 ラ・フォリアとジリオラが同時にそれぞれエマとオクタヴィアに肉薄して得物を振るう。

 ラ・フォリアのこの全ての不浄なる存在を滅する精霊の加護を受けた疑似聖剣が黒いライダースーツに包まれたエマの体に癒えることのない一太刀を刻み込む。

 ジリオラの持つ魔槍の矛先が生きた軟体動物のように枝分かれして、複数の方向から標的であるオクタヴィアに殺到し、オクタヴィアの赤い外套をより深い紅に染めていく。

 

 

 

 

 

 長きに渡り大勢の無辜の命を蹂躙してきた魔女〈メイヤー姉妹〉討伐が成された瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〈監獄結界〉 最奥部

 

 〈監獄結界〉の奥深くに位置する薄暗い聖堂にも似たドーム状の広間。常に静寂が支配するこの部屋に今、七つの人影が存在していた。

 暁古城の体を乗っ取った仙都木優麻、彼女の背後に佇む蒼い騎士の姿をした守護者〈蒼〉、狐の仮面で顔を隠した〈白狐〉。

 それに相対するように立つのは、優麻の本来の体に捕らわれた〈第四真祖〉――暁古城と彼の背後に控えている〈剣巫〉の姫柊雪菜と剣を持たない〈聖剣遣い〉――九重キリヲだ。

 そして部屋の中央に置かれた玉座に座り、深い眠りについているのは黒髪の少女――〈空隙の魔女〉の魔女こと南宮那月である。

 

 「なんだよ……それ………」

 

幼いころからの親友である優麻の口から語られたのは、古城には到底理解しがたく、また受け入れられないようなものだった。

 世界最大の魔女による犯罪組織〈図書館〉の総記、仙都木阿夜が〈監獄結界〉から脱獄するために単為生殖によって造った試験管ベビー。生まれた瞬間から生き方を決められており、文字通り道具としてこの世に生を授かった存在。

 それが仙都木優麻という少女の正体だった。

 

 「そんなの、あんまりだろ………」

 

 長い時間を共有してきたにも関わらず、親友の背負っている悲しき業に気付くことすらできなかった事実に悲痛そうな表情を浮かべて弱々しく呟く古城。

 そんな古城に哀愁を孕んだ眼差しを向けながら優麻は言葉を続ける。

 

 「ボクに自由なんてなかった。ボクには文字通り何もなかった。………君と過ごした時間以外はね。でも、それも終わるんだ。ここにいる〈空隙の魔女〉――南宮那月の本体を滅ぼして母様を解放する。それでボクも解放される」

 

 依然として玉座の上で眠り続ける那月に視線を向けながら優麻が言う。

 那月の本体、その言葉は即ち今までキリヲや古城が顔を合わせてきたのは那月本人でなかったことを意味していた。那月がこの〈監獄結界〉の中から夢を通して操っていた魔力によって構成された精巧な人形。人形を介してしか現実の世界や他者と触れ合うことすら叶わない悲しき魔女。それが南宮那月だった。

 

 「やめろっ!優麻!」

 

 優麻の命令と共に〈蒼〉が鎧を鳴らしながら剣を振りかぶって那月に狙いを定める。

 このままでは那月が殺される。そう理解した途端、古城たちの体は動いていた。まっさきに動いたのは雪菜だ。得物である〈雪霞狼〉を構えて優麻目掛けて猛スピードで駆け出す。

 しかし、この場には〈蒼〉以外にも優麻に与する存在がいる。

 

 「させないわよ」

 

 「っ!貴女は………!」

 

 今まで優麻の側に控えて沈黙を守っていた〈白狐〉が矛先が二股に分かれた霊槍〈乙型呪装双叉槍〉で雪菜の〈雪霞狼〉を打ち払ったのだ。

 甲高い金属音が広場に響き渡り、雪菜は数歩下がって歩みを止められる。

 

 「〈太史局〉………また、犯罪者の肩を持つつもりですか?」

 

 「悪いわね。上の指示よ」

 

 雪菜の向けてくる殺気の籠った視線を涼し気な様子で受け流す〈白狐〉。

 全身に霊気を纏って臨戦態勢を整え、優麻を守るように三人の前に立ちはだかる。

 

 「残念だけど、ここは通さな――」

 

 「……なら、力尽くで押し通るまでだ」

 

 〈白狐〉が最後まで言い終わる前に行動を起こしたのはキリヲだった。両足の義足と右腕の力を開放したことにより人工皮膚が剥がれ落ちちて義肢の金属部分が露出しており、義足の力を使って空気を震わすほどの爆音を立てながら〈白狐〉の元まで駆けていき、右手の義手で右ストレートを叩き込む。

 

 ギイイイイィンッ

 

 咄嗟の判断で〈白狐〉が盾にした〈乙型呪装双叉槍〉とキリヲの義手が激突し、眩い火花と甲高い金属音が周囲に巻き散らかされる。

 

 「行け、姫柊」

 

 キリヲが告げると同時に雪菜はキリヲと〈白狐〉の横を通り抜けて優麻の元へと駆けていく。

 

 「くっ………よくもっ!」

 

 キリヲに妨害を受けた〈白狐〉は、大きく後方にバックステップして距離を取りながら悪態をつく。

 仮面の奥からキリヲを睨む瞳は暗く冷たい殺意に満ちており、キリヲですら薄ら寒さを感じるようなものだった。

 

 「………姫柊の時とモチベーション違いすぎだろ。俺になんか恨みでもあるのか?」

 

 あまりの変貌ぶりに思わず尋ねるキリヲ。

 それを聞いた瞬間、凍り付いたかのように〈白狐〉の動きが止まる。

 

 「恨みが………あるか………ですって?」

 

 湧き上がる怒りを抑えられないのか、肩を細かく震わせながら霧葉が掠れるような声で言う。

 

 「………逆に聞くけれど、貴方の方こそ心当たりはないのかしら?」

 

 尋ねてくる〈白狐〉にキリヲも数秒ほど考える素振りを見せるが、やがて首を横に振る。

 

 「まったく無いわけじゃないが、多すぎてどれのことか判断しかねるな」

 

 「…………………………そう」

 

 キリヲの答えを聞いた〈白狐〉は、落胆したようにそう呟くと肩の力を抜いたように槍を持ったまま両腕を地面に向かって垂らした。

 〈白狐〉の見せる無防備な態勢にキリヲが怪訝そうな表情を浮かべる。

 その次の瞬間だった。

 

 「もう……………いいわ」

 

 周囲の空気を歪ませるほどの強力な霊力を〈白狐〉が全身から放出させる。

 ありったけの霊力を注ぎ込んで発動した呪術的身体能力強化により、地面を踏みしめる〈白狐〉の靴底から床を削るような音が響いてくる。

 身体への負荷や反動を無視した無理やりな肉体強化により〈白狐〉の纏う闘気は獣のそれと錯覚するほどに荒々しいものへと変貌していた。

 

 「………ここで、殺す」

 

 「ぐっ!」

 

 呪術で身体能力を大幅に底上げした〈白狐〉が〈乙型呪装双叉槍〉を目にも留まらぬ速さで連続で突きだしてくる。

 巨獣の爪牙にも等しい重さを持つ〈白狐〉の槍さばきにキリヲは、右手の義手を盾のようにして防ぐ。

 〈乙型呪装双叉槍〉の矛先が突き刺さるたびに義手の外装が欠けていくが、ナラクヴェーラの生体金属により補強されているキリヲの義手は周囲の瓦礫を元素返還によって吸収し、即座に再生させていた。

 

 「クソッ………!」

 

 しかし、いくら〈白狐〉の攻撃を防げても所詮は防戦一方。タイミングを伺っていた〈白狐〉の強力な一突きをもろに受けてしまい、キリヲは後方に大きく吹き飛ばされていった。

 それと同時に雪菜も〈蒼〉の攻撃を受けて後方に退避したようで、図らずも二人は並ぶように立って態勢を整えることとなった。

 

 「大丈夫か、姫柊?」

 

 「………なんとか」

 

 荒い息をつきながら〈雪霞狼〉を構えなおす雪菜。着ている〈波隴院フェスタ〉用の衣装であるエプロンドレスは、〈蒼〉の剣による切り傷なのか所々が破れており、雪菜の奮闘ぶりが伺えた。

 

 「………南宮那月は?」

 

 依然として眼前で臨戦態勢を取っている〈白狐〉からは視線を逸らさずにキリヲが問い掛ける。

 

「姫柊が引き付けてくれてる間にバッチリ回収しといたぜ」

 

 雪菜のいる場所より半歩下がった所に古城が得意気な笑みを浮かべて意識のない那月を抱えていた。さすがは、元バスケット部。本来の身体でなくとも運動神経には自信があるようで、混戦の隙をついて上手く立ち回ったらしい。

 

 「………よしナイスだ、古城。下っていろ。後は俺と姫柊で相手をする」

 

 「………なにか策があるんですか?」

 

 那月を保護したことにより少しは心の余裕が生まれたのか落ち着いたような口調で口にするキリヲに雪菜も油断なく構えを維持しながら問い掛ける。

 

 「………向こうの狙いは南宮那月だ。俺が古城と南宮那月を守る。その隙に仙都木優麻を仕留めてくれ…………姫柊の〈七式突撃降魔槍〉で古城本体を貫けば、奴の魔術も無効にできるはずだ」

 

 義足の金属部分を剥き出しにした両足を前後に開き、右腕の義手の拳を握り締めて戦闘態勢を取りながらキリヲが小声で告げる。

 雪菜も険しい表情を浮かべながら口を開く。

 

 「………どれくらい持ちこたえられますか?」

 

 「………………五分、いや十分までなら……抑えて見せる」

 

 愛用の得物である〈フラガラッハ〉を持ち合わせていないことを悔いるように言うキリヲに雪菜も忌々しそうに眼前の敵を睨みつける。

 魔力を高める優麻と霊力を得物の槍に集中させる〈白狐〉、そして不気味に佇む騎士の姿をした守護者〈蒼〉。三者とも形や手段は違えど確かな殺意と闘気を身に纏っていた。

 

 「…………………来るぞ」

 

 瞬き一つせずに相手を睨みつけていたキリヲが、そう言い終わると同時に〈白狐〉が動いた。

 

 「ッ!」

 

 身体能力強化の呪術により爆発的加速力を持って駆け出した〈白狐〉は、一息の間に肉薄してキリヲを〈乙型呪装双叉槍〉の間合いに収める。

 次の瞬間に襲い掛かるであろう槍の一突きを防ぐべく右手の義手を顔の前に構えるキリヲ。

 この後の〈白狐〉の槍の一撃を防ぎ、その隙を義足による人外の脚力を伴った回し蹴りで〈白狐〉を仕留める。それがキリヲが咄嗟に考えたこの場における戦略だった。

 しかし、キリヲの予想していた展開は大きく裏切られることになる。

 

 「なっ!?」

 

 〈白狐〉の槍を防ごうとキリヲが身構えた瞬間、目の前にまで迫っていた〈白狐〉の姿が煙のように消え失せたのだ。

 そして、入れ替わるようにキリヲの目の前に出現したのは優麻の契約した守護者〈蒼〉だった。

 

 「これはーー」

 

 〈蒼〉と入れ替わるようにして姿を消した〈白狐〉は、キリヲの隣にいた雪菜の頭上に姿を表して雪菜の頭部目掛けて蹴りを放つ体勢を取っている。

 〈蒼〉は、陽炎のような魔力を纏わせた拳をキリヲに振り下ろそうと掲げている。

 そして、〈蒼〉の後ろには魔術を発動させている優麻の姿が見て取れた。

 

 「ーー空間転移魔術か!」

 

 優麻の姿を見た瞬間、キリヲは何が起こったのかを理解した。

 優麻は後方から空間転移魔術を発動し、キリヲの目の前にいた〈白狐〉を雪菜の側に転送し、それと同時にキリヲの真正面に〈蒼〉を空間転移させたのだ。

 次の瞬間、〈蒼〉と〈白狐〉が同時に攻撃を放った。

 

 「ぐっ……………!」

 

 「あぁっ…………………!?」

 

 〈蒼〉の拳を受けたキリヲは、衝撃波を伴う程の強力な一撃に吹き飛ばされそうになりながらも、なんとか両足の義足を地面に突き刺すようにして持ちこたえる。

 しかし、雪菜は奇をてらった〈白狐〉の攻撃に対応しきれなかったようだ。

 呪術で強化された〈白狐〉の膝蹴りをもろに頭に受けた雪菜が後方に吹っ飛んでいく。雪菜も身体能力強化の呪術が使えるため、あの程度で死ぬようなことは無いだろうが脳震盪は避けられない。しばらくは、まともに動くとも叶わないだろう。

 

 「くそっ……………!」

 

 キリヲの予想を超えた敵の奇襲と雪菜の脱落に思わず悪態を零すキリヲ。

 

 「ふざけるなっ!」

 

 〈蒼〉の拳を防いだキリヲは、当初の予定通りに右足の義足を蹴り上げて、〈蒼〉の頭部を狙った上段回し蹴りを放つ。

 

 ガアァンッ

 

 金属同士が激しくぶつかり合ったことにより、火花と衝突音、そして空気を震わす衝撃波が周囲に巻き散らかされる。

 先ほどの雪菜と同様に蹴りを頭部に食らった〈蒼〉は、勢いよく部屋の隅に向かって吹っ飛んでいった。

 取り合えずは、〈蒼〉を退ける事ができた。しかし、まだ戦いが終わった訳ではない。

 即座に戦闘体勢を整えて、〈白狐〉へと向き直る。

 視線の先では、〈白狐〉もキリヲ目掛けて〈乙型呪装双叉槍〉を振り上げていた。

 

 「ハアァッ!」

 

 「食らえ、霧豹双月!」

 

 〈白狐〉の身体から溢れ出した霊力を纏う霊槍〈乙型呪装双叉槍〉が振り下ろされ、それを迎え撃つようにキリヲも右手の義手でアッパーカットを放つ。

 〈乙型呪装双叉槍〉を構成する霊鉄とキリヲの義手の外装であるナラクヴェーラの生体金属が激突し、再び室内に衝撃波とインパクト音が響き渡る。

 

 「流石ね‥………」

 

 「くっ…………………」

 

 槍と義手が互いに相手を仕留めようと押し合い、接触部分からはギチギチと音を立てながら火花が散っていた。

 そんな中、余裕そうに言う〈白狐〉にキリヲは忌々しそうに表情を歪める。

 

 「でも、いいのかしら?早くわたしを倒さないと………………南宮那月が死ぬわよ」

 

 「なに……………!?」

 

 〈白狐〉の言葉にキリヲは、驚愕に目を見開いて那月と古城のいる方向に視線を向ける。

 そこには、空間転移魔術を使って音も立てずに移動を終えた優麻が古城と那月の前に立ちはだかっていた。

 

 「よせっ!やめろっ、優麻!」

 

 古城は、那月を庇うようにしながら悲痛そうな表情で声を張り上げていた。

 

 「ごめんよ、古城。ボクも君の身体でこんな事はしたくない。でも‥………」

 

 優麻も哀愁の漂う表情を浮かべているが、殺意を納めることなく右手を振り上げる。

 

 「まずいっ……………!」

 

 「…………………よそ見してる余裕があるのかしら?」

 

 古城に迫る危機に焦ったような表情を浮かべるキリヲ。

 その一瞬の隙を〈白狐〉は見逃さず、膝蹴りをキリヲの胴体目掛けて放つ。

 

 「ぐっ……………」

 

 「油断し過ぎよ」

 

 体勢を崩して後方に蹴り飛ばされていくキリヲに冷徹な視線を向けて呟く〈白狐〉。

 腹部に蹴りを受けて荒い息をつくキリヲが最後に見たのは、那月に目掛けて右手の手刀を振り下ろす優麻の姿だった。

 

 「やめてくれ!優麻!」

 

 「……………………………これで、ボクも自由だ」

 

 古城の叫びが響く中、無情にも振り下ろされた優麻の手刀は那月の胸を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よウやクダ…………………トきガきたゾ。……………那月」

 

 その光景を目にして枯れた声で嗤い声を上げるのは、壁に背を預けてカタカタと兜を震わせる蒼き鎧を纏う騎士の姿をした悪魔ーー〈蒼〉だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 これで、蒼き魔女の迷宮編は終わりです。この後、観測者たちの宴編に入る前に二、三話くらいの短いオリジナル編を挟もうかなと考えております。そこで、キリヲと〈白狐〉こと霧葉の過去などについて書きたいと思っています。
 よろしければ、お付き合いくださいませ。


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観測者達の宴編
観測者達の宴編Ⅰ


 前回から大分、空いてしまいました。申し訳ありません。これからも、モチベーションの続く限り書いていきたいと思いますので、お付き合い頂けたら幸いです。


 

〈キーストーンゲート〉 屋上

 

 

 普段は、管理公社がヘリポートとして活用している〈キーストーンゲート〉の屋上エリアだが、数分前まで続いていた魔導犯罪者〈メイヤー姉妹〉との戦闘により、現在では瓦礫の積もる廃墟のような様相となってしまっていた。

 

 そんな廃墟同然の屋上にあるの三人の人影。

 

 小国アルディギアから来た白銀の髪を持つ王女――ラ・フォリア・リハヴァインとその護衛である〈獅子王機関〉の〈舞威媛〉――煌坂紗耶香、そして菫色の髪を持ち扇情的な服装に身を包んだ女吸血鬼――ジリオラ・ギラルティである。

 

 「二人とも〈メイヤー姉妹〉討伐の助太刀、感謝いたします」

 

 戦いが終わり、無力化した〈メイヤー姉妹〉の二人が特区警備隊の護送車によって連行されたのを見送ってからラ・フォリアは、自らの戦いに加勢してくれたジリオラと紗耶香に頭を下げて感謝の意を示していた。

 

 「いえ、王女の身を守ることが仕事ですから。お気になさらず」

 

 頭を下げてくる一国の王女に恐縮だと言わんばかりに首を振る紗耶香。ジリオラも大したことじゃないと苦笑いを浮かべる。

 

 「あんたの身になんかあったら、わたしがキリヲの奴に殺されちゃうわよ。お姫様」

 

 茶化すようにジリオラが言うとラ・フォリアも困ったように苦笑を浮かべる。

 

 「ジリオラ・ギラルティ、貴女と肩を並べて戦うのはこれで二度目です。事情はあれど、わたくしの私的な戦いに貴女は二度も加勢に駆けつけてくださいました。………わたくしは、貴女のことを一人の友だと思っています。ですから、王女ではなく気軽にラ・フォリアとお呼びください」

 

 優し気に微笑みながら言うラ・フォリアにジリオラも意外だったのか一瞬目を丸くして目の前の銀髪の少女の顔を眺めた。

 

 長年吸血鬼と終わりなき戦いを繰り広げてきたアルディギアにとって吸血鬼とは種族を問わず、忌むべき怨敵だった。近年は、聖域条約により軟化してはいるが未だにアルディギアでは反吸血鬼主義が根強く残っている。

 

 そんなアルディギアの王女が旧き世代の吸血鬼を友と呼ぶこと自体が極めて異例なことであり、ジリオラにとっても驚きを隠せないことだった。

 

 「友……ね」

 

 久しく聞いていない言葉だったなと感慨深く一度呟くと、ジリオラはラ・フォリアに向き直って言葉を続けた。

 

 「なら、貴女もわたしの事を一々フルネームで呼ばなくても構わないわよ」

 

 「………ええ、分かりました。ジリオラ」

 

 ジリオラの答えに満足したのか、大きく一度頷くと今度は紗耶香に向き直るラ・フォリア。

 

 「貴女もですよ、紗耶香。王女などと堅苦しい呼び名はやめてくださいな」

 

 「へ?わたしもですか!?い、いえ、あの……わたしは職務上、そういうわけには……」

 

 ジリオラとは対照的に遠慮すると首を横に振り続ける紗耶香にラ・フォリアは、不服そうに頬を膨らませる。

 

 「つれないですねぇ、同じ寝台で夜を過ごした仲ではありませんか………一糸まとわぬ姿で」

 

 「ちょっ!?王女!?」

 

 わざとらしく悲し気な表情を浮かべながらもとんでもないことを呟いていくラ・フォリア。その一言に紗耶香が慌てふためいた様子でラ・フォリアの口を塞ごうとする。

 

 しかし、すでにジリオラの耳には入っており……。

 

 「あら、貴女ってそっちの気もあったのね。ラ・フォリア」

 

 意外そうに眉を吊り上げるジリオラ。それに悪乗りをするようにラ・フォリアも言葉を続ける。

 

 「いえ、わたくしにそのつもりは無かったのですが………紗耶香に『ラブホテル』なる所に連れ込まれまして。そこで、無理やり……」

 

 「なに適当なこと言ってるんですか!?冤罪ですよ!?むしろ、わたしが脱がされた方じゃないですか!?………っていうか、結局なにもしてないですし!」

 

 ラ・フォリアの言葉を全力で否定する紗耶香。しかし、ラ・フォリアとジリオラの悪ふざけは止まらない。

 

 「抵抗するわたくしを押さえつけて…………初めてを散らされてしまいました」

 

 「今の話、キリヲにも聞かせてやりたいわぁ。絶対、物凄い顔するわよ、あいつ」

 

 もはや悪戯っ子の笑みを隠そうともせずに好き放題言い始めるラ・フォリアとジリオラ。流石の紗耶香も堪忍袋の緒が切れたのか、〈煌華麟〉を洋弓型の広域殲滅形態に変形させて叫び声を上げる。

 

 「だああぁ!いい加減にしてください、王女!あんたも悪乗りするな、犯罪者!」

 

 顔を真っ赤にして叫ぶ紗耶香にラ・フォリアとジリオラは、さらに愉快そうに笑みを深くする。

 

 「紗耶香、もし今度同じベッドで泊まる機会がありましたら、その時には試しに少しシてみましょうね。ジリオラもご一緒にどうです?」

 

 「しませんっ!」

 

 「いいわねぇ、そういうのは得意だから色々と教えてあげられるわよ?………気持ちいい所とか」

 

 「結構よ!」

 

 脳内でその光景を想像してしまったのか、本格的に羞恥心に満ちた表情を浮かべる紗耶香にラ・フォリアとジリオラも堪えきれなくなったのか遠慮せずに声を出して笑い始めた。

 

 そんな二人を前にますます顔を赤らめる紗耶香だった。

 

 「……で、冗談はこれくらいにして。これから、貴女はどうするつもりなのよ?」

 

 ひとしきり紗耶香をいじる冗談で笑った後、ジリオラがラ・フォリアに問い掛ける。

 

 「そうですねぇ……。わたくしは、一度〈聖環騎士団〉の待機する飛空艇に戻ります」

 

 ラ・フォリアは、紗耶香に向き直りながらそう口にする。その真意を察して紗耶香も表情を真剣なものに切り替える。

 

 護衛対象であるラ・フォリアがアルディギア王国の管轄内に戻るということは、自動的に紗耶香の任務が一度終了することを意味する。すなわち、紗耶香は彼女の判断で同じ〈獅子王機関〉の攻魔官である雪菜の援護に迎えることになる。

 

 「………感謝します。王女」

 

 「礼には及びません。………こちらの方こそキリヲを頼みます」

 

 頭を下げてくる紗耶香に一言そう告げると、ラ・フォリアはジリオラに向き直る。

 

 「貴女は、どうなさるのですか?」

 

 ラ・フォリアの言葉に一瞬、口を閉ざして自らの体を見下ろすジリオラ。数秒ほど考えた後に海岸沿いに見える〈監獄結界〉に視線を向けて言葉を紡ぐ。

 

 「………一度、退避するわ。ホムンクルスのメイドと合流して叶瀬夏音の護衛につく」

 

 その言葉にラ・フォリアが怪訝そうに目を細める。

 

 「………紗耶香と共に〈監獄結界〉に乗り込まないのですか?」

 

 「悪いけど、あそこに行くのだけは御免被るわ。………それにさっきの戦いで魔力をあらかた使い切っちゃったのよ。一旦どこかで補充してこないと、まともに眷獣も出せないわ」

 

 悪びれる様子もなく、肩をすくめてそう口にするジリオラに今度は紗耶香が疑問に満ちた表情でジリオラに問いを投げ掛ける。

 

 「魔力切れ?………旧き世代にしては随分と魔力量が少ないのね」

 

 言いながら紗耶香は先の戦闘を思い返していた。〈図書館〉所属の〈メイヤー姉妹〉、世界中で名の知れた危険な魔導犯罪者であることには変わらないが、それはジリオラにも同じことがいえた。………いや、むしろジリオラはそんな〈メイヤー姉妹〉以上に危険視されてきた魔導犯罪者なのだ。本来ならば、紗耶香やラ・フォリアが手を貸すまでもなく、ジリオラ一人で〈メイヤー姉妹〉を片付けていてもおかしくはなかった。

 

 しかし、戦う様を見た感じではジリオラの召喚していた眷獣は、どれも魔力消費の少ない〈意志を持つ武器〉の眷獣ばかり。大量召還できるはずの〈毒針たち〉も量を抑えて召喚しており、切り札である〈アスクレピオーネ〉も使わなかった。

 

 旧き世代の吸血鬼にしては、消極的すぎる戦い方であり、なにより過去に報告されていたジリオラの蛮行と比較して今の彼女の戦闘力は明らかに弱体化していた。

 

 「嗚呼、それは………」

 

 紗耶香の言葉に不愉快そうに表情を歪めながらジリオラは、右手を二人に見えるように掲げた。

 

 「………コレのせいよ」

 

 ジリオラの言葉が終わると同時にヴォンッ、という駆動音と共にジリオラの右手首に現れたのは魔力で構成された手枷だった。

 

 使われている手枷の装飾や発している魔力からこれが南宮那月の用意したものだというのは、紗耶香とラ・フォリアにもすぐに分かった。

 

 「南宮那月がわたしに掛けた保険よ。わたしの眷獣は、一度解き放てば短時間で大勢を殺せる。だから、万が一にもわたしが歯向かってきた時のことを考えて、あの魔女がわたしを外に出す条件として付けさせたのがコレよ」

 

 旧き世代の吸血鬼としてのプライドとして余程不愉快だったのか、忌々しそうに手枷を睨むジリオラ。

 

 「おかげで魔力の最大値は激減するし、霧化とか眷獣の能力にも少なからず制限が掛かってるのよ………」

 

 本当に腹立たしいわ、と悪態をつくジリオラにラ・フォリアも納得したように頷く。

 

 「………なるほど、それならば確かに一度貴女は後退したほうが良いですね。紗耶香、〈監獄結界〉までの移動には下の階にある車両を使ってください。特区警備隊の備品や〈波隴院フェスタ〉のパレード用などに色々と取り揃えてあったはずです」

 

 「分かりました」

 

 ラ・フォリアの言葉に頷き、〈煌華麟〉を片手に紗耶香は〈キーストーンゲート〉の下層目指して駆け出す。そんな紗耶香を見送ったラ・フォリアも後方で待機していた三人の宮廷魔術師達の元に向かい、飛空艇へと移動するための空間転移魔術の準備に入る。

 

 「さて、わたしも移動しようかしら………………………あら?」

 

 紗耶香とラ・フォリアが移動を開始したのを確認し、ジリオラも霧化を使ってアスタルテと夏音の元に移動しようとした直後だった。

 

 

 ピシッ

 

 

 妙な音と共に違和感を訴えてくる右手首にジリオラは目を向けて驚愕に目を見開いた。

 

 「枷が………緩んだ?」

 

 完全に砕けたわけではないが、ジリオラの手首に繋がれていた金属製の手枷の表面に罅が入り、ジリオラの魔力を制限する拘束の力も微弱なものになっていた。

 

 この状況で那月がジリオラの拘束を緩めるとは考えにくい。そうなると、他に考えられる可能性は………。

 

 「南宮那月が倒れた………………いえ、まさか」

 

 あり得ないと否定しつつも、相手があの〈書架の魔女〉ならばその可能性も零ではない。

 

 「……………どう動くべきかしらね」

 

 なんにせよ、南宮那月が窮地に立たされているのは事実だろう。

 

 それを好機と見るか否か………。

 

 

 

 

 視界の先にある〈監獄結界〉を睨みながらジリオラは、静かに思案するのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 〈監獄結界〉 最奥部

 

 

 「くそ………」

 

 〈白狐〉に貰った膝蹴りにより鈍い痛みを訴える腹部を左手で抑えながらキリヲは悪態をつく。しかし、今のキリヲにとって一番受け入れがたい現実は〈白狐〉に敗れたことではなく、恩師である南宮那月を守り切れず、暗い表情で項垂れる古城の姿だった。

 キリヲの視線の先では、元の体に戻った古城が胸から鮮血を流し、身動き一つしない那月を抱えている。キリヲと雪菜は先の戦闘で受けたダメージで動くこともできず、その姿をただ見ていることしかできなかった。

 

 「…なんで……なんで、こんなことを……優麻……」

 

 「………ごめんよ、古城。必要なことだったんだ………………身体は返すよ」

 

 古城と同様に元の体に意識を戻した優麻は、那月を抱えて嗚咽を漏らす古城を静かに見下ろしている。その声音は、罪悪感と憐れみを孕んだものではあったが、後悔の色を含んではいなかった。

 

 「先輩………」

 

 「古城………」

 

 雪菜とキリヲもかける言葉を見つけることができず、ただ茫然と古城の名を呼ぶことしかできなかった。

 

 「………勝負、あったみたいね」

 

 誰もが口を閉ざし、室内に古城の嗚咽だけが響いている中、最初に言葉を発したのは白い狐の面を被った〈六刃神官〉――〈白狐〉だった。

 

 「こっちも決着を着けようかしら………」

 

 〈白狐〉は、得物である霊槍〈乙型呪装双叉槍〉を構えなおしながら、キリヲ目掛けて歩みを進める。その迷いのない足運びから、数秒後には一片の容赦もなくキリヲの命を摘み取るであろう殺意が伺えた。

 

 「おい……待てよ」

 

 自らに近づいてくる〈白狐〉に抵抗らしい抵抗もできないキリヲが険しい表所を浮かべると、今まで那月を抱えて押し黙っていた古城が唐突に口を開いた。

 

 「那月ちゃんだけじゃなくて、キリヲまで殺す気かよ。………なんで、そんなことするんだよ!?もう、十分だろ!?やめてくれっ、優麻!」

 

 かつては揺るぎない信頼を寄せていた親友であったはずの優麻に古城は懇願するように叫ぶ。その悲痛な叫びに優麻は表情を歪め、〈白狐〉も足を止める。

 

 「………仙都木優麻。まさかとは思うけれど………邪魔をしたりしないわよね?」

 

 〈白狐〉が威圧感を伴う低い声音で優麻に問い掛ける。その言葉に優麻は数秒ほど押し黙り、脳裏に葛藤が浮かんだようだが、やがて決意したように答えを口にする。

 

 「もちろん、邪魔なんかしないよ。………君は君の成すべきことをすればいい」

 

 その答えに古城は唖然とし、〈白狐〉は満足気に一度頷いて再び歩みを進める。

 

 「………俺の息の根を止められるのが、そんなに嬉しいか?」

 

 眼前にまで迫った〈白狐〉を見上げながらキリヲは皮肉気に表情を歪ませて問い掛ける。その言葉に〈白狐〉は動きを止め、仮面の奥から言葉を発する。

 

 「ええ、もちろんよ。十年以上募らせてきた恨みをようやく晴らせることができるのだから………嬉しくない訳がないでしょう?」

 

 心の底からこの瞬間を待ち望んでいたと言わんばかりに恍惚とした声音で告げる〈白狐〉。その言葉にキリヲは顔を怪訝そうに歪めながら再び口を開く。

 

 「十年以上前…………少年兵のころか……」

 

 まだ人殺しの技を得ておらず、〈黒死皇派〉の元で剣の腕を磨いていた日々を思い返しながらキリヲは呟く。それを聞いた〈白狐〉は、嬉々とした声音で声を発する。

 

 「そうねぇ………最後にもう一度だけチャンスをあげるわ。………わたしがどこの誰か、思い出せたかしら?」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉の切っ先をキリヲの脇腹に突き付けながら〈白狐〉が問い掛ける。

 間違えれば碌なことにはならない、そう思うとキリヲの顔に冷や汗が流れた。

 

 「………カザフスタンか?」

 

 かつて〈黒死皇派〉の行った大規模テロの標的となった街の存在する国の名を挙げる。キリヲも本意ではなかったが、ガルドシュの指示のもと参加していた。その時の被害者かとキリヲは考えたが………。

 

 「ブブー。残念、不正解よ」

 

 ふざけた様な口調でそう告げると〈白狐〉は躊躇うことな〈乙型呪装双叉槍〉をキリヲの脇腹に突き立てた。

 

 「ぐああぁっ!?」

 

 「ほら、次は?他にもあるでしょう、心当たりは?」

 

 苦悶に喘ぐキリヲを見下ろしながら〈白狐〉は〈乙型呪装双叉槍〉を引き抜いて、今度は右肩――義手である右腕の付け根に狙いを定めた。

 

 「…………スロバキア………俺と同じ、〈黒死皇派〉の少年兵か?」

 

 今度は、〈黒死皇派〉が主要拠点としていた国家の名を挙げる。キリヲ以外にも〈黒死皇派〉が使っていた少年兵はいくらかいた。その中でもガルドシュに気に入られていたキリヲは、やり方は歪んでいただろうが確かな愛情の元に育てられていた。しかし、他の子達は違った。世間一般的に知られている少年兵と同様に劣悪な環境下での生活を強いられていた。彼らから見れば、キリヲは妬ましく、同時に許しがたい存在であったのは間違いないだろう。

 しかし、それに対する〈白狐〉の返答は………。

 

 「外れよ。残念だったわね」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉の矛先がキリヲの右肩に突き刺さる。

 

 「ぐうぅっ………!」

 

 肩からは筋肉繊維がブチブチと切れる音が響き、どす黒い血が噴き出ていた。そんなキリヲの肩から〈乙型呪装双叉槍〉を引き抜くと、〈白狐〉は再び問い掛ける。

 

 「この調子じゃ、まだまだ掛かりそうね。………次はどこを狙おうかしら?」

 

 どうやら、このいかれたゲームはまだ続くらしい。刺された箇所が訴える激痛に耐えながらキリヲは胸中で悪態をつく。

 〈白狐〉の方は、次にどこを刺すかで迷っているらしく、キリヲの体の各所を〈乙型呪装双叉槍〉で突いていた。

 

 「その金属でできた紛い物の足かしら?それとも、その憎たらしい顔にしようかしら?もしくは………」

 

 嬲るように槍の切っ先を目の前で動かす〈白狐〉。やがて、〈乙型呪装双叉槍〉の槍先はキリヲの体のある部分で止まることになる。

 

 「………まだ義肢になっていない貴方の左腕かしら?」

 

 「くっ………」

 

 義手と違い感覚を遮断することのできない左手の甲に〈乙型呪装双叉槍〉を当てられてキリヲは誤魔化しようのない恐怖に表情を硬くする。

 

 「これを失えば、貴方は四肢を完全に失うのね………。もう、貴方は誰かの手を握ることも、誰かの温もりを感じ取ることもできなくなる。………だって、貴方自身の手なんて一本も存在しなくなるのだから」

 

 嗜虐的な声音で告げる〈白狐〉。

 その時だった。

 

 「てめぇっ!いい加減にしろっ!」

 

 ついに見ていられなくなったのか古城が立ち上がり、雷の形を象った魔力を帯びた拳を振り上げて〈白狐〉に殴りかかっていった。

 しかし……。

 

 「ふんっ」

 

 「がっ!?」

 

 〈白狐〉は、難なく古城の拳を避けると〈乙型呪装双叉槍〉で魔力を帯びた古城の拳を叩き落とした。

 古城の拳に宿っていた魔力は〈乙型呪装双叉槍〉の矛先に触れると、まるで最初から存在しなかったかのように跡形もなく消滅していった。

 

 「神格振動波よ。〈剣巫〉から頂戴したこの力で、しばらく大人しくしていなさい」

 

 そう言うと〈白狐〉は神格振動波を纏った〈乙型呪装双叉槍〉を古城の胴体に向けて突き出す。

 

 「がはっ!?」

 

 魔力を消滅させる神格振動波を伴った一撃をもろに受けた古城はそれだけで、しばらくは行動不能に陥る。

 古城が大人しくなったのを確認した〈白狐〉は再びキリヲに向き直り、〈乙型呪装双叉槍〉の矛先をキリヲの左腕に向ける。

 

 「さあ、答えなさい。………わたしは、誰?」

 

 〈白狐〉の向けてくる殺意を孕んだ冷たい眼差しにキリヲは、数秒ほど自らの記憶を掘り起こして考え込む。僅か数秒が、とてつもなく長い時間に感じられた。

 やがて、一つ思い浮かんだのか、ゆっくりと口を開いて答えを口にする。

 

 「……………ルーマニア」

 

 ルーマニア、それはかつてキリヲが家族と共に暮らしていた〈戦王領域〉の内部に位置する国だった。キリヲがまだ〈黒死皇派〉に入る前にいた場所であり、その頃は戦争なんかとは無縁の暮らしをしていたため誰かの恨みを買った覚えはないが………もうキリヲの思いつく『かつて自分がいた場所』はそれくらいしかなかった。

 

 「……………」

 

キリヲの答えを聞いた〈白狐〉の動きが唐突に止まる。

 数秒ほどキリヲを見下ろした後、キリヲの左腕に向けていた〈乙型呪装双叉槍〉を退けて屈みこみ、目線をキリヲに合わせる。

 

 「………思い出してきたかしら?」

 

 キリヲの顎を左手で優しく掴みながら満足気に言う〈白狐〉。その様子から、キリヲも今の答えが間違っていなかったことを確信する。

 しかし。

 

 「………あそこで誰かを傷つけた覚えはないぞ」

 

 ルーマニアはキリヲにとっての故郷だ。そこにいた頃は、まだ少年兵になってはおらず人殺しに手も染めていない。誰かの恨みを買うようなことはしていないはずだった。

 しかし、その言葉は目の前の〈白狐〉にとって愉快なものではなかったらしい。

 

 「………本当にいないかしら?一人も?」

 

 キリヲの顎を掴む〈白狐〉の左手に力がこもる。

 

 「………ああ。あそこで、俺は家族を失った。奪われる側にいた。誰も…………傷つけてなんかいない」

 

 思い出したくない記憶が蘇り、不快そうに呻くキリヲ。対照的に〈白狐〉は、懐かしむように仮面の下から小さく笑い声を漏らす。

 

 「ええ、そうね。確かに貴方は奪われる側だった。わたしも覚えているわ。街中で眷獣が破壊の限りを尽くしていた。炎を纏った猛禽が家を吹き飛ばし、貴方の両親を焼き殺した」

 

 「待て…………」

 

 「そして、貴方は逃げた。幼い妹の手を引いて」

 

 「なぜ、それを…………」

 

 全てを見透かしたように言葉を紡ぐ〈白狐〉にキリヲは目を剥く。

 

 「でも、次第に疲れて足が動かなくなった妹の手を貴方は、振りほどいた。……………助けを呼んだら必ず戻ると言い残して…………貴方はわたしを………置き去りにした」

 

 淡々と語っていた〈白狐〉の口調は、次第に低くなり怨嗟に満ちたものへと変わっていく。

 そして、同時にキリヲも目の前の少女の正体に感づき、目を見開く。

 

 「まさか……………」

 

 「ずっと…………ずっと…………待っていたのに……信じていたのに……」

 

 怒りと哀愁の入り混じった声音で言いながら、〈白狐〉ーー否、霧葉は狐の仮面を自ら剥がした。

 

 「…………久しぶりね」

 

 仮面を取り払い、キリヲの眼前にさらされた黒髪の少女は喜び、悲しみ、憎しみ、怒り、様々な感情が混ざり合った表情をしていた。

 

 「馬鹿な…………霧葉…………」

 

 もう二度と会うこともないと思っていた肉親との再開にキリヲは、言葉を失う。

 二人の様子を伺っていた古城と雪菜も驚愕に目を見開いていた。

 そして、驚きと混乱に満ちたキリヲの顔を数秒ほど見つめた後、霧葉はゆっくりと立ち上がり、手にしている〈乙型呪装双叉槍〉を頭上に振り上げた。

 

 「ずっとその顔が見たかった。…………わたしを見て欲しかった。でも、もういいわ」

 

 〈乙型呪装双叉槍〉を振り上げる霧葉の瞳に暗い殺意が宿る。

 

 「よせ…………やめろっ!」

 

 これから起こることを察した古城が必死の思いで叫び、未だに傷で思うように動かない体で手を伸ばす。

 しかし、

 

 「さようなら………」

 

 古城の叫びに動じることなく、霧葉の手に握られた二刃の霊槍が無慈悲に振り下ろされる。

 

 

 

 

 

 

 

 「…………兄さん」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 観測者達の宴編に入りましたが、本編に入る前に二、三話ほどキリヲと霧葉の兄妹喧嘩の展開を挟もうと考えています。


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