カルデア食堂 (神村)
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ワイバーンのカツサンド

「――投影(トレース)開始(オン)

 投影魔術により、中華包丁を投影。

 日本に産まれた私には三徳包丁の方が慣れ親しんだものだが、中華包丁は他の包丁に比べ利便性に富む。その先端の鋭さと刃の重量から肉や野菜はもちろん骨をも断ち切り、袋抜きから魚のおろしまで全てをこなす。丈夫なまな板と使いこなす腕さえあれば、中華包丁ほど便利な包丁はない。大量に料理をするとなれば尚更だ。

 目の前には堆く積まれた食材たちが私を見下ろしている。肉は豚肉から牛肉馬肉、何の肉なのかわからないものまで。野菜は人参や白菜といったスタンダードなものから、アボガドや金糸瓜、果てにはドリアンなどあまり目にしないものまである。

 これら食材の出処は、言わずもがなマスターを含めたカルデアの皆だ。レイシフトした際に食べられそうな倒した敵や農作物を入手し持ち帰ってくる。

 カルデアは諸事情により世間より隠匿されており、加えて極地ということもあり流通の機能は著しく低い。それ故に導き出した結論は自給自足。その証拠にカルデア内には菜園が存在している。

 だが、それにも限度はある。

 マスター曰く大規模な事故があったらしいが、現在、カルデアの局員は人間であるマスターとバックアップのロマニ、デミサーヴァントであるマシュと、加えて以前より召喚されていたダヴィンチの四人。加えて元よりいたカルデアの職員たちである。

 人数こそそれなりにいるが、仕事の片手間で維持出来るほどに農業は甘くはない。ただでさえ彼等は人理史修復(グランドオーダー)で忙しいのだ。

 さて、やるか。

 投影したエプロンをつけ、三角巾を頭に装着。材料を捌きにかかる。

 主にこの食堂を利用するのはマスターとロマニ、マシュの三人だが、召喚されたサーヴァントたちも度々利用する。

 私を含めたサーヴァントたちに食事の必要はないのだが、僅かながら魔力の供給の役に立つ上に、士気の維持、上昇といった効果もあり無意味ということはない。特に古き時代で戦場を駆け回っていた英霊たちにとって、食事とは数少ない娯楽という側面もある。

 戦場において食事は戦力よりも重要だ。私は近代の英霊なので実感は薄いが、戦場で兵站が途切れる事ほど怖いものはない、とあの陰鬱なセイバー・ジルドレェでさえ呟いていたほどだ。

 肉と野菜を一通り切り終え、昨晩から仕込んでいた鍋の蓋を開ける。大量の湯気と共に現れるのは、乳白色のこごった液体だ。先日の夜、アステリオスに協力してもらい砕いた骨からはいい感じに出汁が取れているようだ。

と、

「おはよう、マスター、マシュ」

「おはようございます」

「おはよ、エミヤ……ふあぁ」

 眠そうに眼をこすりながら我がマスターがやって来た。隣には、デミサーヴァントであるマシュ・キリエライトもいる。

 マスターは女性ながら数多いサーヴァントを従え、反英霊たちの毒気も意にも介さない精神力を持つ女傑だ。

「エミヤ、今日の日替わりメニューは?」

「凶骨ラーメンと虚影の塵スープ、世界樹の種サラダだ」

「えー、またラーメン?」

「君が骨を大量に乱獲してくるからだろう」

「だってドレイクが大量に食べるんだもん」

「……ああ」

 彼女、フランシス・ドレイクは経歴こそ華やかなものだが、やっていた事は海賊という犯罪行為。言ってしまえばギャングスターだ。その彼女が骨という禍々しい素材を霊質の強化に使うというのも頷ける。

「ドクターや男性サーヴァントたちには好評だったのだが……」

「男は大人になってもラーメン、カレー、ハンバーグがあれば満足なんでしょ?」

「……それは偏見じゃないのか」

 確かに間違っていない気もする。カルデアでも食にこだわる男性サーヴァントはカエサルと英雄王くらいのものだ。その彼らでさえ、ここの設備と材料で望みのものが作れないとわかるとカレーに行き着く。

「もうちょっとメニューのバリエーション増やしてよ」

「私も善意でやっているだけだ。文句があるなら食うな」

「食堂の主がそんなこと言わないでよう」

「私はサーヴァントだぞ……戦う為にここにいる。大体だな、何故弓兵である私が」

「何よ、エミヤが自分から言い出したんじゃない」

「それは……その通りだが」

 そうなのだ。何を隠そう、時間の空いている時はここの料理人を務めさせてくれ、とマスターに願い出たのはこの私だ。

 理由としては、マスターがブロックの固形食やインスタント食品ばかりでろくにまともな食事を摂っていなかったことに由来するのだが、いつの間にか食堂を任されてしまっていた。

 こんな事をするよりもサーヴァントとして働く方が本懐なのだが……誰かがやらねばならんことだ。調理の心得のある私が担当するのも致し方あるまい。

「乙女が毎日ラーメンだと体型が心配だよ。ねえマシュ?」

「え、ええ、そうですね……」

 マシュが苦笑いを返す。

 マシュ・キリエライトは人間とサーヴァントの中間地点にいるような存在だ。その為か正規のサーヴァントとは違い、食事も人並みに摂る。

「マシュ、マスターに気を遣う必要はない」

「気を遣う?」

「え、エミヤさん!」

「マスター。我々サーヴァントはいくら食べようが体型に変化はない。その姿で召喚され現界している以上は痩せも太りもしないということだ。マシュも半身(デミ)とは言え、英霊と契約し身体をサーヴァントのそれに再構築したからにはその例外には漏れないだろう」

 マシュは事故により損壊した身体をサーヴァントの霊質で補った、と聞く。本質は人間に近いとは言え、身体の構成はサーヴァントに近いと考えるのが普通だ。

 ゆえに、いくら食べようが太る心配はない。数いるアルトリアたちあたりはその辺りをわかっていて最大限に利用している節さえある。

「なに、君はまだ成長期真っ只中だ。たっぷり食べて体型の変化に右往左往するといい」

 逆に言えば我々サーヴァントは、人としての変化がない、成長しないとも言える。

 変化しない、ということは終わっている、ということと同義だ。

「そんな……マシュの裏切りものっ! このおっぱいっ!」

「先輩!」

 変な捨て台詞と共にマスターが行ってしまった。

 数多くのサーヴァントを従えるマスターとは言え、年頃の女性だ。少々、気遣いが足りなかったか。

「ああ、先輩……」

「マシュ、これをマスターに持って行ってやってくれないか」

 予め用意しておいた、食品用ラップフィルムをかけた皿をマシュの前に置く。

「これは……サンドイッチ?」

「ワイバーンのカツサンドだ。大きめの肉を揚げ焼きにしカットすることでカロリーを抑え必要な栄養を摂れるよう考えた……君の分もある。体型の維持も大切だが食事だけはきちんと摂れ、と言っておいてくれ」

 ワイバーンは竜種だが、その肉質は鳥類のそれに似ている。竜種と言えど甲殻などを見る限り爬虫類に羽が生えたものに近いからだろう。脂肪の少ない部分を使うことによりマスターの悩みの種を回避しつつタンパク質も摂取できる。

「……わかりました。ありがとうございます」

「礼には及ばんよ」

 頭を下げ去っていくマシュの後姿を見送りながら、下準備を再開する。

「おはよう、エミヤ。朝食を頼めるかな?」

 と、ドクターが乱れた頭髪を掻きながら現れた。

 その顔を見る限り、徹夜明けか。いつも飄々として軽薄な彼だが、カルデアを支える屋台骨には違いない。ドリップしたコーヒーを注ぎ、ドクターに差し出す。

「リクエストはあるか」

「ありがとう。そうだね、今から眠るから軽めのものがいいかな」

「では中華粥でも作ってやろう。やかましい奴らが来る前に片付けてしまえ」

「奴ら?」

「エミヤ!」

 などと言っている間に来てしまった。

 アルトリア・ペンドラゴンを礎とするアルトリア・オルタの二人だ。今レイシフトから帰って来たばかりなのか、その手にした槍と剣には瑞々しい血が滴っている。彼女らを含め、アルトリアの名を冠する者たちは何を考えているのかほぼ毎日ここに来る。

「修練場でキメラを狩ってきた。ステーキにしてくれ」

「私は唐揚げだ。焼肉でも構わん」

「……食えるのか?」

「キメラって科学の合成生物だよね……」

「肉であればなんであれ食えるだろう」

「外見がおぞましいものほど珍味である可能性は高い」

「早くしろ」

「わかったわかった、大人しく待っていろ……ドクターも食うか?」

「いや、遠慮しとくよ……」

 英霊として現界してまで料理をする羽目になるとは夢にも思わなかったが、自分の過去に縛られ、自分を殺そうと躍起になっていた頃に比べればまだ、心は穏やかだ。

「――投影(トレース)開始(オン)

 巨大な牛刀を投影する。肉を一刀のもとに断つ為のものだ。

 私は――私たちサーヴァントはマスターとは違い、もう終わっている存在だ。

 その私が世界を救うと意気込む彼らの力に微力ながらもなれると言うのならば、不本意ながら鍋をも振るうとしよう。

 

 



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世界樹の種のリスアラマンデ

アンデルセンとシェイクスピア主体です。
作家系サーヴァントに追加ありませんかね……。


「――投影(トレース)開始(オン)

 投影魔術により、業務用の巨大な炊飯器を投影。

 米はおろか人ひとり入れてしまいそうな大柄の炊飯器だが、その機能は繊細極まりない。米の量や炊き上がりを設定してボタンを押すだけで、普通の炊飯は勿論、時には餅、挙句の果てにはパンまで焼き上げる。我が母国の家電はトイレ文化と並んで誇るべき文化と言えよう。

 今日は俵の計らいで米が多く仕入れられたので、米主体のメニューにするとしよう。米はいい。私が日本人ということもあるが、米は日本の心だ。

 炊きたての白米に勝る炭水化物には未だお目にかかったことがない。後ほどおにぎりにしてマスターにも差し入れてやろう。おにぎりに勝る携帯食糧はない。数多の戦場を駆け巡った私が断言しよう。

 と、

「おはよう……ございます……」

「おは――なっ……」

 やって来たのは、幽鬼のような表情で足元も覚束ない男――ウィリアム・シェイクスピア。

 その細身のハンサムが見る影もないほどにやつれ、憔悴していた。

 その脇には青髪の少年、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが身じろぎすらせず、ぐったりとした様子でシェイクスピアに抱えられている。端から見ても生きているのかさえ朧げだ。

「だ、大丈夫か……?」

 出てきたのは、そんな益体もない普遍極まりない言葉だった。

 だが無理もない。百戦錬磨と自負出来るほどに戦場は渡り歩いてきたが、今の彼らは下手をしたら死体よりも生気が感じられないのだから。

「コーヒーを……いただけますかな……」

「……大丈夫か、シェイクスピア氏。気配が死んでいるぞ」

「なに、この程度慣れたもの……と言いたいところですが、口を開けば人間拡声器、とモードレッド嬢にありがたい二つ名をいただいた吾輩も今は……」

「……まあ、コーヒーでも飲め」

「死んだ後にまで締め切りに追われるとは思いもしませんでしたが……これも因果ですかねぇ」

「何か書いているのか?」

 あらかじめ淹れてあったコーヒーを注ぎ、死んでいるアンデルセンの分もカウンターに置く。

 シェイクスピアは緩慢な動作で意識のないアンデルセンを椅子に座らせると、自分も隣に座り、コーヒーを一口。

「おお、夜明けの本格コーヒーは格別だ……悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋とは上手い事を言ったものですね」

 タレーランの言葉だったか。初めて聞いた時はコーヒー如きに大袈裟な比喩だな、と思ったものだが。

「ああ、失礼……実はマスターを含め女性サーヴァントの皆さんから物語を書いてくれ、と依頼がありまして」

「物語……」

 そう言えば、マスターやマシュが人魚姫の続きを読みたいと言っていたような気がする。個人的には、完結した物語を無理やり続けさせるのは自ら墓穴を掘るようなものではないかと思う。今更、人魚姫やハムレットが生き返って復讐劇を繰り広げたところで誰が得をするのか。

「何を書いているんだ?」

「我がマスターもナーサリーのお嬢さんも、カルデアでしか読めない新作を書いてくれ、と。なんとも無茶を仰る」

「……大変だな」

「いえ、これも作家として生きた宿命……女子供から求められるのは、正直悪くありませんしな」

 その点は少々、同感できる。

 我々サーヴァントは、マスターに求められ召喚に応じる。自らの願いを叶えるため、という最終目的もあるにはあるが、我々には人間とは違い存在意義が必要だ。

「……ん?」

 ふと視線を遣ると、先ほどからうつ伏せのまま動かないアンデルセンの背中には、『Not Dead』と書かれた紙が貼られていた。

「……『Not Dead(死んでいません)』?」

 なんだこれは。

「ああ、彼は生前より寝たまま死体と勘違いされて埋葬されるのが怖いらしく、寝る時は毎度このような張り紙を」

 それはどこかで聞いた逸話だが、アンデルセンのことだったか。しかし心配性にも程がある。

「死んでいるも同然のようだがな」

「ハハハ……正論です。愉快愉快」

「む……」

 と、我々の会話で眼が覚めたのかアンデルセンがむくりと鎌首をもたげる。胡乱な目で周囲を見回し、

「……どこだ、ここは。執筆室ではないということは天国か?」

 などと、容姿に似合わないハスキーボイスでのたまう。まだ意識が覚醒しきっていないらしい。

「カルデアの食堂ですよ。残念ながらね」

「シェイクスピア……俺はどのくらい気を失っていた?」

「一時間ほどでしょうか」

「記憶が飛んでいる……目の前にコーヒーが出ているという事は仕事納めか? この世の地獄は終わったのか?」

「それも残念ながら。あと三日が山場、といったところです」

「そう……か……そうだな……仕事納めならば七人の小人を模した砂糖菓子の乗ったケーキが出ている筈だ……」

 自分が眠っている間に仕事が終わっている、という一縷の希望も絶たれたのか、憂悶の表情で頭を抱える。

 まるで世界が滅亡の危機に晒され、それを止める為に残された手もごく僅か、針の穴を通すような奇跡を繰り返してようやく光明が見えてくる。二人とも、そんな状況に置かれているかのようだった。

 作家にとって納期というのはここまでのものなのか。二人のやつれきった様子は、そう思わせるには十分過ぎた。

 ようやくコーヒーを啜ろうとカップを手に取るも、中身を見て突っ返してくるアンデルセン。

「おい、なんだこれは」

「見てわからんか? コーヒーだ。外見、色、香り、味、これ以上ない程にコーヒーだ。他のものに見えるのならばナイチンゲールに頭蓋を開いてもらえ」

「小賢しいことを……いいか贋作者(エミヤ)、覚えておけ。俺にコーヒーを出す時はラードと砂糖を山ほど入れろ。執筆中は糖分とカロリーを摂取しないと脳細胞が死滅する」

「そうか、それは重畳。自分でやれ」

 アンデルセンの目の前に瓶の砂糖と紙パックを少々乱暴に押しやる。コーヒー用のラードなどカルデアにはないので、代わりに生クリームだ。

「くそっ……やはりこの世には死以外に幸福はない……そうだろう」

 コーヒーに生クリームと砂糖をぶち込みながら滔々と鬱雲を纏わせていくアンデルセンだった。締切に追われているとは言え、いつも傲岸不遜な彼らしくない。

「……いつになくネガティブだな」

「彼は生前から元々こんな感じだそうですよ」

 それは聞いている。

 人魚姫、空飛ぶトランク、マッチ売りの少女。

 彼、ハンス・クリスチャン・アンデルセンの作品は万人の認めるところだが、いわゆるバッドエンドが多い。数多くの名作を遺したアンデルセンが厭世家だった、というのは有名な話だ。彼の人生は挫折に満ちたものだった、とも。

 だから欲しいものは手に入らず、望みは叶わない。

 その最初から何も望まない姿勢を前提としたスタイルには、どこか共感を覚えた気がした。

「世話の焼ける……」

「……何をするつもりだ、おい」

 アンデルセンの言葉も無視し、今しがた炊き上がった米を取り出し、しゃもじで掬って鍋へと投入。一緒に牛乳、砂糖、塩少々を入れ弱火にかける。別の鍋にトースト用のジャムと共にロビンフッドが日常的に集めているイチゴや木の実の類を入れ、レモン汁と共にこちらも煮詰めてミックスジャムにする。米が煮立ったら更に牛乳とアーモンドのみじん切りを投入。どろどろの粥状になったところを二つの器に移し、先ほどのジャムとホイップクリームを添える。

「食うがいい、不良作家」

「なんですかな、これは……見た事もない料理ですが」

「リスアラマンか……お前、パティシエもやるのか?」

「材料とレシピがあれば大抵のものは作る」

「リスアラマンとは?」

「デンマークのライスプディングだ。デンマークではクリスマスにこれを食う」

 米を牛乳で煮る、という文化は日本人には受け入れにくい傾向にあるが、海外ではこのようにデザートにする国もある。

 頭を使う作業に一番必要なのはブドウ糖だ。脳は実に身体全体の二十%もののブドウ糖を消費する。ライスに木の実、砂糖にクリームで時には甘ったるすぎるデザートも、二人には丁度良いだろう。

「世界樹の種を潰してソースにした。霊体にも強壮効果があるだろう」

「……お節介が過ぎるぞ、贋作者(エミヤ)

 執筆により酷使し続けた脳が糖分の誘惑には勝てないのか、毒を吐きつつもスプーンで掬って口に含む。

「懐かしいな……盲目的だった母親を思い出すよ」

「おお! これはまさに未知との邂逅! 温かいライスと生クリームがこれ程にマッチングするとは!」

「ああ……脳細胞が復活して行く……」

「これ程甘いと辛口のワインが欲しいところですな」

 どうやら作家様たちの口には合ったようで何よりだ。

 少々得意げに腕を組み、かぶりを振る。

「執筆もいいが、我々の本分はサーヴァントとして戦う事だ。そこを履き違えるなよ」

「小言ばかりで口うるさい奴だな、編集者かお前は。少しは褒めてやろうかとも思ったが、やめだ」

 糖分の補給により快復したのか、いつもの調子に戻ってきたようだ。

「いらんよ。誰かに褒められたくてやっている訳ではない」

「いいか、俺はお前のような自分と他人の幸せを秤にかけるような偽善者は大嫌いだ」

 スプーンの切っ先をこちらに突き付け、アンデルセンは続ける。

 その表情は、今まで見た事のないものだった。

 いつもむっつりと不機嫌そうにしているか、悪そうに口元を歪めて嗤うかの彼の表情が。

「だが……あれだ、そう、糖分に罪はない。また作れ……作ってくれてもいいぞ。何なら気が向いたらお前が主人公の本を書いてやってもいい」

「そんなものはこちらから願い下げだ」

 こんな模倣しか出来ない英霊の物語など、想像するのも憚られる。

 結末はもれなくバッドエンド。そんな物語は、誰かに読ませるべきものではない。

 私の物語は、私が知っていればいい。

「おい贋作者(エミヤ)、お前の投影魔術とやらは物語を投影することは出来ないのか」

「……投影魔術は基本的に術者の知っているものしか投影できん」

「なんだ、つまらん。そんなものがあれば遊び続けていられると思ったのだがな」

「見た事もない物語を紡ぐ魔術なんてものがあったら、我々の存在意義は廃れますねえ」

「物語は、君たちのような人間が魂を削り紡ぐからこそ面白いのではないか?」

 作家などやった事もないので確固とした意見ではないが、人の心を動かす物語が自動生成されるようであれば、人類もおしまいなのではないか。

 そんな語り継ぐ価値もない物語しかない世界では、我々英霊も産まれないだろう。

「その通りですとも! という訳でアンデルセン君、共に続きを執筆しましょう!」

「待て! 俺はまだ休憩したい! 具体的には締め切り当日まで!」

「鉄道と締め切りは待ってくれません! さあさあ!」

「離せっ! 締め切りなど最悪翌日の夜まで伸ばせる! せめて酒の一杯くらいやらせろ!」

 暴れるアンデルセンだったが、所詮は自称最弱のサーヴァント。再びシェイクスピアに抱えられて連行されてしまった。

 作家とは不思議な生き物だな。自らの精神を削り、名誉や地位よりも先に人の心を動かす事に生涯執心する。

 ああ、そうか。私を含む英霊たちと同じだ。

 彼らも、誰かを救いたいだけのお人好しなのだ。



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偽・螺旋剣のチョコレートムース

エドモン・ダンテス主体……ですがちょっとギャグに寄りすぎました。反省。


「――投影(トレース)開始(オン)

 投影魔術により偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)を投影。

 ケルトの戦士、フェルグス・マックロイの愛剣であるカラドボルグを模した贋作だが、私が自分で使い易いよう魔改造を施してあるので性質はかなり異なる。

 虹霓剣の二つ名通り伸びる虹の光の如く力場を発生させるフェルグスの原作(オリジナル)とは違い、私の偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)は超回転により接触した部分を周囲ごと削り落とすことを目的とする。剣と言うよりは削岩機に近い。弓に番えて打てば通った跡を丸ごと消し飛ばすことも可能だ。

 超高速で回転しながら迫り来るものは防御も回避も難しい。贋作の弓兵である私が持つ攻撃手段の中では、かなり破壊力の高いものと言えよう。

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)!」

 偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)に魔力を注ぎ込み、回転数を調整。そのまま前もって用意しておいた、卵白で満たしたボウルへと剣の切っ先を突っ込むこと数秒。

 余談ではあるが偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)は『よく出来た贋作』なので使用する際に真名を口にすることによる解放は不要だ。

 だが使用時に技や武器の名前を叫ぶのはサーヴァントだけでなく言葉を持つ生物すべてに根付いた習慣だ。義務と言ってもいい。

「ふむ」

 ボウルの中で大きく膨れ上がったメレンゲを見下ろす。空気の含み具合と言い、メレンゲの固さと言い我ながら会心の出来だ。

 さて、調理を仕上げて蒸すとしよう。

「エミヤ、おっはよー」

「精が出るな、贋作の英霊よ」

 いくつかの容器を業務用蒸し器に入れた次の瞬間、マスターと巌窟王が揃ってやって来た。

 食い盛りのマスターはともかく、巌窟王が食堂に来るのは珍しい、と言うよりは初めてだ。最近カルデアに来たばかり、という事もあるだろうが、彼が何かを口にしているのを見た事がない。

「ここに来るのは初めてじゃないのか、巌窟王」

「マスターの付き添いだ。この素敵なマスターは出陣前だと言うのにどうしても腹が減った、腹を満たせぬならば死ぬとまでほざきよる」

「何よ、それだと私が食いしんぼうみたいじゃない」

「間違ってはおらんだろう」

 アルトリア程ではないが、マスターも体格の割には良く食べる。

 最も、料理を作る身としては食べてもらった方が作り甲斐もあるし、全く食べないよりは健康でよろしいことだ。

「元より食事を必要としない身、ここに来る事の何処に必然性がある」

「ええー、他のサーヴァントたちも結構来てるよ?」

 マスターの言う通り、ここカルデア食堂には各々の理由でサーヴァントたちがやって来る。

 食欲を満たす者、お茶を飲みに来る者、酒のあてを探しに来る者。

「生憎、生前も食とは縁がなかったのでな」

「シャトー・ディフか……」

 巌窟王ことエドモン・ダンテスは人生のうち十四年という長い歳月を牢獄――シャトー・ディフで過ごしている。

 その後脱獄し、モンテ・クリスト伯として第二の人生を歩み始めるところから、巌窟王の物語はクライマックスを迎える。

「だが獄である以上、戦時中でもなければ食事は出るのだろう?」

「馬鹿を言え。あんなものを食い物と呼べるのならばバートリの料理でさえ垂涎のご馳走よ」

「そんなにマズかったの?」

「毎日が岩石のような黒パンに鉛のような塩気のないスープでは死にたくもなる。実際、不味すぎて口にするのを拒んでやったわ」

「そういえば餓死自殺しようとしてたんだっけ?」

「ああ、ファリア神父に遭っていなかったら目論見通り餓死していただろうな」

「ばかじゃないの。もっと楽に死ねる方法なんていくらでもあるのに」

「…………」

 痛い所だったのか、巌窟王が苦虫を噛み潰したような顔で黙り込む。

 自殺の方法にけちをつけられても反論のしようがない。その後生きて大事を成したのならば尚更だ。

「ふん、ともかく俺に食など必要ない。俺が求めるは怨嗟と絶望の嘆きのみ。迅速に食らい疾くと準備せよ」

「うるさいなあ、ご飯くらい食べさせてよ……あれ、エミヤ、それなに作ってるの?」

「ムースだよ。少し興が乗って作ってみた。食うか?」

「うん!」

 蒸し器から二つ、小ぶりな器を取り出してカウンターに置く。

 煉瓦色の表面に生クリームを絞って完成だ。

偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)で限界まで泡立てたチョコレートムースだ」

「……投影魔術でお菓子作ったの?」

「余剰魔力の使い途くらい好きにさせろ。最もマスターが私にもっと戦闘の機会を与えてくれれば私もこんなことは――」

「はいはい、わかりましたよ」

 私の言葉などどこ吹く風で早速、ムースを口にする。

「うわっ、なにこれすっごいふわふわ! 雲みたい!」

「メレンゲの臨界点を追求した。我ながら会心の出来だ」

 あっという間にぺろりとひとつ平らげる。サーヴァントとしては間違っているのは周知の事実だが、作ったものに良い評価を受けるのは決して悪いことではない。

「すっごくおいしいよエミヤ! おかわり!」

 その笑顔に、救われることもある。

 だが――。

「駄目だ。希少だからひとり一つしかない」

「えー!」

「マスターと言えど駄目だ」

「なんでよ、けち!」

「マスターも使い魔も平等、というのが君のモットーだろう? 素晴らしい理念だ。そして公平であるゆえの平等主義だ。そうだろう?」

「ぐう……痛いところを……!」

「どうしても欲しければ手がない訳ではないが――」

「なになに?」

「私に令呪を使うんだな」

「ぐぅぅぅぅ……! エミヤの意地悪!」

 令呪はサーヴァントに対し強制的に命令を実行させる。簡単なものから物理的に不可能なことまで思うがままだ。

 だが人理史修復(グランドオーダー)という重要任務の最中、時間経過で回復する令呪とはいえいつ何が起こるかわからない状況では貴重な切り札、最終手段に近い。命や世界を救うやも知れない要素をそう簡単に使うわけにも行くまい。マスターのように数多くのサーヴァントを従えているのならば尚更だ。

 それを知っていてこんな事を言うのはマスターの言う通り意地が悪いのだろうが、このマスターは多少、艱難辛苦を味わった方がいい。

 子を崖に突き落とす獅子の親心などという大それたものではない。ただの子供じみた仕返しだ。私を戦場に連れて行かないマスターが悪い。

「ひとり一個……あ、そうだ。エドえもーん!」

「奇妙な名で呼ぶな……なんだ」

「宝具使って百人くらいに増えてよ。そしたらその分ムースもらえるでしょ?」

「お前な……いや、もういい……」

 さすがの巌窟王も呆れ果てたのか、彼にしては珍しくため息と共に頭を垂れる。

 ちなみに巌窟王の宝具である『虎よ、煌々と燃え盛れ(アンフェル・シャトー・ディフ)』は超高速で移動している結果、巌窟王が何人もいるように見えるだけなので、厳密には増えている訳ではない。

「な、なによその顔!」

「あまりにも哀れなので俺の分でもやろうと思ったが……その様子を見ていたら意地でもやりたくなくなった」

 言いながら、ムースを口に含む。

「なんで!?」

「ふむ……絶望の如き黒さと恋の如き甘さが同居するとは酔狂なことよ」

「素直に美味いと言えんのか」

「クッ、臍曲がりは生来ゆえな」

「感想が聞きたいのだが?」

「悪夢を見続けていた男がふとした切っ掛けで垣間見た瑞夢……とでも言っておこう」

「ふん」

 何とも詩的な表現をする奴だったが、気に入ったようで何よりだ。

「二人とも……なにご主人様を差し置いて楽しそうにしてるのかな……?」

 ゆらり、と亡霊か何かのようにマスターが首を横に倒しながら佇んでいた。

 眼からハイライトが失せていて正直、怖い。

「もう許さないぞお前ら……!」

「なんだマスター、駄々をこねてもムースはやらんぞ」

「力尽くでもそのムース、すべてもらい受ける!」

「なっ……」

 普通の人間であるマスターにおける対サーヴァントの力尽く。言うまでもなく令呪の行使だ。

「よせマスター、頭を冷やせ!」

「プライドの問題よ! 今私の心を鎮めてくれるのは甘いお菓子だけ……!」

「くそっ、おい巌窟王、貴様も何か言って――なっ」

 見ると、巌窟王はいつの間にか忽然とその姿を消していた。

「逃げたか……! 全くもって賢明だが恨むぞ巌窟王!」

 前言を、撤回しよう。

 よく食べる女性は作り手としては好ましい。その喜色豊かな表情に救われることもある。私が懲りもせずにアルトリアたちに食事の腕を提供し続けているのもその為だ。

「令呪一画をもって命ずる――」

「馬鹿者、よさんかマスター!」

 だが、何事にも限度というものはある。

 あまつさえ令呪を使ってまでおやつを強奪しようなどと言うマスターに救われるなど、悪夢でしかないのだから。

 

 

 



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衛宮家の冷製おしるこ

エミヤ(殺)です。
結局我がカルデアには来てくれませんでした。
彼ももちろんですが、何より他人タゲ集中スキルが欲しい……!


「では、いただきます」

「ああ」

 行儀良く手を合わせ、軽く頭を下げるその様は彼女に良く似合っていた。

 これが生まれ持った気品と言うものなのか、普段は割りかしお転婆とも表現できる牛若丸だが、椀と箸を持つ姿は様になっている。

 本名を源義経という彼女はかの有名な源平合戦の中心人物であり、歴史に名を残す武士である。その見目麗しかったという言い伝えから牛若丸は美少年、と言うのが一般的な認識だが、実は美少女でした、なんてのはカルデアにおいては些末なことだ。

「これは……!」

 と、椀の中身を一口すすって目を見開き、牛若丸が身を乗り出す。

「エミヤ殿、これはなんと言う食べ物ですか!」

「汁粉だよ」

 砂糖と一緒に煮て柔らかくした小豆に餅を入れたもの。そう、汁粉だ。

 汁粉は日本以外の国では馴染みの薄いものなのであまり作らないのだが、牛若丸からの何か日本の料理を、という注文により余っていた小豆で久し振りに作ってみたのだ。

「しるこ……阿加阿都岐(あかあつき)と餅がこんなにも合うとは……! とても美味しいです!」

「アカ、ツキ?」

「ああ、小豆のことです。私の時代では阿加阿都岐(あかあつき)と呼んでおりました」

 日本史には疎い私にとってそれは初耳だった。アカアツキがなまって小豆と呼ぶようになったのだろうか。

阿加阿都岐(あかあつき)は米や穀物に混ぜて煮て食うものでしたし、餅も焼いて食うものでしたから、冷たいというのも新鮮です」

「本来なら温かいものが一般的なんだが、最近は暑いからな。冷製にしてみた」

「なるほど。確かに温かいものも美味そうですね……ああ、甘い、甘くて美味い!」

 言いながら、次々と汁粉を男らしくかき込んでいく牛若丸だった。

「……あまり食い過ぎると腹が出るぞ」

 サーヴァントである我々が太ることはないが、食べたものがすぐさま消滅し魔力に変換される訳ではない。人間と同じで消化のステップを踏んで僅かな魔力へと昇華される。なのでそれまでは食べた分だけ体重も増える。一度、何があったのかヤケ食いをしたセイバーが妊婦のような腹になっていたのには驚きを通り越して呆れた。

「あ、兄上のような事を言わないでください!」

「兄……頼朝公か?」

「ええ。私は餅が大好きで幼少のみぎり、良く食べていたのですが……兄上は私が餅を食べているのを見る度に、餅ばかり食うと布袋か狸のようになるぞ、と」

「ははは、間違いない」

「ぬう……しかし、本当に美味しくて箸が止まりませぬ……『けぇき』や『どうなつ』は私には甘すぎて」

 汁粉が日本で生まれたのは江戸時代頃だったと聞いたことがある。牛若丸が生きていたのは平安時代。おおよそ五百年の開きがある。牛若丸にとっては遠い未来の食い物、ということになるのだが、気に入ってくれたようでなによりだ。今度、他の日本のサーヴァントたちにも食わせてやろう。

「そうだ、弁慶にも食わせてやってよろしいでしょうか。あやつ、破戒僧なので酒も甘味も大好きなのです」

「もちろんだ、ふたつあるから鍋ごと持って行っていいぞ」

「ありがとうございます、エミヤ殿!」

 言うが早いか、差し出した鍋を抱えて鉄砲のように飛び出していく牛若丸だった。

「弁慶、弁慶ー!」

 汁粉ひとつではしゃぐ彼女が源義経公というのも違和感があるが、微笑ましいものだ。

 さて、折角作ったのだし、私も一口食べるとしよう。

 と、

「……美味しそうだな、それ」

「っ!?」

 急に背後より声をかけられ、思わず脊髄反射で干将・莫耶の双剣を投影し身構える。

「……?」

 振り返った先には、襤褸のようなフードの下から浅黒い肌を覗かせる白髪の男。

 私と同じ名を冠するアサシン――エミヤがいた。

「どうしたんだ?」

「……気配遮断をして背後から近寄るな。心臓に悪い」

「ああ、悪い。仕事柄、癖になってしまっていてね」

 アサシンの固有スキルである気配遮断は、文字通りその存在の気配濃度を薄める。サーヴァントとなったこの身でもそれに気付くには、余程の集中力や直感が働かなければ不可能なほどだ。

 干将・莫耶を消し、ため息をひとつ。

「汁粉、食うのか?」

「ん、ああ……いいのなら、もらおうかな」

「いいよ。ここはそういう場所だ」

 気だるそう、と言うよりは無気力な声で紡ぐ。

 汁粉を椀に注ぎながら、思う。

「……」

 彼は、衛宮切嗣だ。私の義理の父親であり、第四次聖杯戦争のマスターのひとり。

 だが切嗣との記憶が残っている私とは違い、この切嗣は私が生きてきた時間とは違う時間軸に存在する。切嗣が今の私のように、『正義の味方を貫き通した』という結果を元に存在するのが、彼だ。

 彼は私のことなど知らないし、聖杯戦争を体験して来たのかどうかも定かではない。予想をするのならば、私は第四次聖杯戦争で死んでいた筈の身だ。その私を知らないのであれば彼は聖杯戦争を経験して来なかった、というのが自然な考え方だろう。その準拠するところに、彼は私の知っている切嗣よりも幾分か若い。

 そんなものはどちらでもいいし、彼から直接聞く気もないが。

「……あんた、正義の味方らしいな」

「……」

 ぼそりと、私の背に切嗣が声をかける。

 正義の味方とは言えど、私と彼にとってそれは最大級の皮肉でしかない。

 正義を追求すると、行き着く果てはものの善悪を命の量で換算するようになる。

 十人の命を助ける為に一人の人間を殺し。

 百人の命を助ける為に十人の人間を殺し。

 千人の命を助ける為に百人の人間を殺し。

 万人の命を助ける為に千人の人間を殺す。

 世界中の人間を救う為に国一つ形成するほどの人命を奪ったこともある。

 正義の味方なんてのは結局、バランスを取る為の都合のいい殺し屋でしかない。

 彼――切嗣と私は全く同じ道程を辿って来ている。

 ただ純粋に()()()()()を目指し続け、人を殺し続け、総髪が白くなるほどに精神(こころ)を磨耗させ、それでも死ぬまでそれを止めない。

 我ながら救いようがない。

「だからなんだ?」

「いや、なんで僕と同じ名前なのかな、って。英霊が違う側面から召喚されることはあるけれど、あんたは明らかに僕じゃないし、僕には家族なんていない」

 切嗣は天涯孤独の身だった。私は第四次聖杯戦争で運よく生き残ったところを切嗣に拾われただけに過ぎない。

「あんたは知っている……のだろうな。聞いたら教えてくれるのかい?」

「知りたいのか?」

「いや、全然」

 どうでもいいよ、と鼻で笑う。

「ただ――ね」

「……?」

「あんたが僕のいない筈の関係者で、僕の意思を継いでくれていたのなら……少しだけ、救われる」

「……」

「僕なんかは死後も救われるべきではない……けど、ね」

 私の知っている切嗣は、正義の味方をやるには心身ともに消耗し過ぎていた。

 僕は正義の味方になりたかった、と時々語って聞かせてくれた。

 そんな彼に、『俺がじいさんの代わりに正義の味方になってやるよ』などと。

 こんななんの素養もない子供が言った戯言に安心し、笑って、死んだ。

「ほら」

 汁粉の入った椀を切嗣に渡す。

「ありがとう……僕は、お汁粉が大好きでね」

 他人が自分の意思を継ぐ、ということは、その他人からの肯定に他ならない。

 殺して、殺して、殺し続けて、自分が間違ったことをしているんじゃないか、と自問自答することは常にしていた。人を助けたかっただけの筈が、いつの間にか殺戮者として名を馳せている。

 だがそんな事を考えていては()()()()()は勤まらない。

 溢れ出そうな感情に蓋をして、戦場を巡るのが我々の生き様だった。

 そんな中、自分は間違ってはいないのだと、誰かに肯定して欲しい。

 私も切嗣も、何処かで思っていたのだろう。

「どうだ?」

「もっと甘い方がいい」

「そうか」

「何故かな……とても懐かしい気がする」

 私の知っている切嗣も、汁粉が好きだった。彼の時々作る手料理も雑で大味なものが多く、味付けで喧嘩したことも一度や二度ではない。

「……しかし、きついね。正義の味方をやり続けるのも」

「……そうだな」

 無表情のままで目を閉じ、箸を置く切嗣は何を思うのか。

 ほんの少しだけ、切嗣の起源が理解出来た気がした。

 

 



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エリザベート特製・鮮血デストロイトカレー

ロビンフッド、坂田金時、エリちゃんです。
タイトル通りギャグ一辺倒です。



「――投影(トレース)開始(オン)

 投影魔術で銅マグを二つ投影。銅マグは熱が伝わり易いという性質から、冷たい飲み物に好んで用いられる。氷が内壁にぶつかる時の音も重要だ。その乾いた金属音はマグを傾ける者に心地好い清涼感を与える。多少無骨なその外見も、男らしくて私は好きだ。

 銅マグに氷を半分入れ、缶のラムコークを乱暴に注ぐ。カクテルを作れと言ってくる奴もいるが酒は専門外だ。私も成人なので飲めないことはないが、酒は判断を鈍らせるのであまり好きではない。

 ……生前に散々酔っ払いの相手はしたことだしな。

「そら」

「ありがとさん」

「おう、ありがとよ」

 本日は暇だ、という名目でやって来た坂田金時とロビンフッドの二人に酒を渡す。

 サーヴァントが多く住むカルデアとは言え、彼等を使役するマスターはひとり。全員に手が回るようなマスターならばいいのだが、そんな人間は恐らく過去にも未来にも現れないだろう。

 それに私が不本意ながらこうして食堂の主をしているのと同様、サーヴァントには適材適所の要素も強い。目の前にいる坂田金時は素手喧嘩、すなわち物理攻撃に特化したサーヴァントであるし、ロビンは直接の戦闘よりも器用な手先による罠や火計を始めとした工作を得意とする。適材適所の言葉通り、時によってはこうして暇を持て余しているのだ。

「かぁ、やっぱり酒が美味いってのはいいねぇ」

「ああ、酒と肉さえあれば世はゴールデンだぜ」

「いいのかねぇ、英霊として召喚されてんのに、こんなうまい酒なんて煽っちゃって」

「なに、我々が動かなくていいという事は平和であるとも言える」

「それこそ本末転倒だけどな……ま、楽なのに越した事はないね」

「しっかし、最近は種火周回ばっかでつまんねぇなぁ」

「やめとけよゴールデンの旦那。マスターだって一応、オレらを強くしてやろうって考えあっての事だろ」

「周回にすら連れて行かれない私に比べたらマシだ」

「オレもな。どーせ日本人誰もが知ってる英雄と、名前だけ有名で実際はどこのどいつかも判らんオレじゃあ格が違いますよ」

「私に至っては現代では誰一人として知らんからな」

「絡むなよ……まぁなんだ、すまん」

 そう、マスターは最近、私を戦闘に連れて行ってくれないのだ。こうして食堂でコックまがいのことをしているのも、魔力と暇を持て余しているからに他ならない。

 まあ、私は投影魔術という、相手を選ぶ上に燃費の悪い魔術に特化した英霊、尖った性質のサーヴァントだというのは認めるが……。

「大体ね、おたくも弓兵なら弓兵らしく後方支援もしなさいよ。前線に出て武器番えて盾掲げるってどんな弓兵よ」

「む……後方支援をしない訳ではないぞ」

 とは言え、元々私は弓兵という訳ではない。一介の魔術師が魔術を攻撃手段として使う際、唯一心得のあった弓道を利用していた、というだけだ。

 だがロビンの言う通り、弓兵としては正しくないのだろう。

「なぁゴールデンよ、おたくオフの日はこうやっていつも呑んでんの?」

「いや、そうでもねえよ。俺ァあんまり酒強くねえし」

「え、そうなの。すっごい酒豪っぽい外見してるけど」

「日本人は人種的に下戸だからなァ」

「毎日のように酒を呑みに来るのはドレイクとフェルグスくらいのものだ」

「あー……まぁ海賊にとっちゃ酒と水なんて同義語でしょ」

 長期間海の上にいる海賊たちにとって水と違い腐らない酒は文字通りの命の水だ。その上、敵襲や侵攻の際に酔っていては話にもならない。命が懸かっていれば酒にも強くなるのは必然とも言えよう。フェルグスに関してはただの酒好きだが。

「それじゃ、いつも何やってんの?」

「そうだなァ、大体はゴールデンタイムにペットのゴールデンレトリバーと一緒に007ゴールデンアイを見ながらゴールデンバットをふかしつつドンペリのゴールドを傾けてゴールデンデリシャスを食ってるな」

「かはは、冗談も大概にしとけよ」

 絶対嘘だろう、それ。大体、ドンペリのゴールドなんかがカルデアにある訳がない。

 と、

「あ、ちょうどいいところに子ブタども!」

「エリザベート……どうした?」

 今まで料理でもしていたのか、フリフリのエプロンを着けたエリザベートが食堂に顔を出す。

 エプロンは知っての通り、料理をする際の汚れから衣服を守るものだ。エリザベートも何かを作っていたのだろう、エプロンの布地が少々汚れていた。

 私も衛生上エプロンはするが、あのようなフリルをいい歳した男が着たところで害悪にしかならん。逆を説けば、可憐な少女にエプロンが似合わないはずがないということでもある。実際、未来に吸血鬼と呼ばれることになる闇を未だ知らないエリザベートには良く似合っていた。

「実はね、ヒマだから料理してたんだけど、誰かに味見を頼みたくって」

「へえ、見掛けによらず家庭的じゃねェの」

「見掛けによらずってどういう事よ」

「いや、アイドルって料理してるイメージないだろ。ただでさえアンタいいとこのお嬢様だし」

「そうかしら? 話を戻すけど、付き合ってもらえるのよね?」

「もちろん。可愛い女の子の頼み、しかも手料理の試食なんてオレが断る訳ないっしょ」

「そう来なくっちゃ、じゃーん!」

 言いながら、我々の元に運んでくるのは平皿に盛られたライスにルーがかかった料理。

 ルーが赤い、という一点を除けば匂いも外見も紛うことなくカレーだった。

「カレーか……なんで赤いんだ?」

「アタシ特製のスパイスブレンドの結果よ。名付けて鮮血デストロイトカレー! キレイでしょ?」

「ヴラドの旦那が喜んで食いそうな外見と名前だな……」

 そのカレーは、まばゆい程に赤かった。ともすれば、その赤色とカレーの粘度から血液を連想すらさせる。

 まあ、確かに世の中にはグリーンカレーなるものもあるし、色が味を決めるわけではない。食欲を削がれるような色合いをした食べ物が美味いという例はいくつもある。

「試作品なの! 食べてみてよ、意見が欲しいの」

「さっきはあんなこと言ったけどよ、オレたちでいいのか? 言っちゃあアレだが、オレはグルメでもなんでもないですよ?」

「いいのよ。グルメなんて訳わかんない事か文句しか言わないじゃない。普通の人の意見がいいの」

 言われてみれば、金時もロビンも私も元をたどれば一般人だ。と言うか、神の類でない限りは産まれた時点では誰でもただの人か。

「任せろ、俺ァカレーは大好きだぜ。もちろん一番好きなのはゴールデンカレーの甘口だ」

「アンタは味覚が子供なだけでしょ」

「確かにハンバーグに唐揚げにナポリタンは大好きだけどよ……それって男なら万人共通だろ?」

「そうなの?」

 それは……どうなのだろう。言われてみればそれらの料理は大好き、とまでは行かなくとも好物の類に入る。

「それにエミヤなら料理する人だから、舌も確かでしょ?」

「そうまで言うならいただこうか。どれ」

 真っ赤なカレーライスをスプーンで掬い、一口運ぶ。金時とロビンも続く。

「……これは……!」

「どう?」

「――――」

 ああ――――。

 剣と歯車の丘が脳裏に浮かぶ。

 

――――体は剣で出来ている(I am bone of my sword.)

 

血潮は鉄で、心は硝子(Steel is my body,and fire is my blood. )――――

 

「……はっ」

 宝具の一節が喉から出そうになる。

 いかん、落ち着け。

「ちょっと、黙ってないでなにか言いなさいよ」

「ああ、すまない。あまりの味に気が遠のいていた」

「あら、そこまで美味しかったって言うの? さすがはアタシね!」

 カレーは、スパイスの芸術だ。

 その種々様々にブレンドされた多種多様のスパイスがあらゆる情報を脳に伝えてくる。

 化学薬品を思わせる、無機質で温かみの皆無などろりとした甘味。

 失恋に終わった初恋のような酸味。

 この世全ての苦しみを全て凝縮したかのごとき辛味。

 毒草と毒虫を潰してこね上げて青汁で煮て濾したのかと疑いたくなる臭みと苦味。

 これ程のカオスな料理を口にしてなお正気を保っていられるのは、死海よりも塩辛い塩分が味覚を麻痺させてくれるお陰なのかも知れない。

 そう、一言で言えば――。

 まずい。

 そも、カレーとは誰が作ってもおいしくはなくともまずくなる事はそうそうにない。何せ具材を煮てカレールーを入れるだけだ。ある意味、そのカレーでここまでまずさを追求できるのは一種の才能かも知れない。その才能が何処かで役立つかと言われれば、首を傾げざるを得ないが――。

 そうだ、ロビンと金時は無事か?

「ロビン、金時、どう?」

「ちぃとばかり個性的だけど、普通に美味えよ。やるじゃないのお嬢」

「ああ、悪かねえな」

 二人とも平然としてカレーを咀嚼していた。

 馬鹿な……!

 このカレーを食って平気な顔をしていられるなんて……ひょっとして私がおかしいのか?

 いや、待て。

「……ぐ、ぉ……」

 次の瞬間。

 金時が、鼻血を出していた。その原因は言うまでもない。このカレーを食べ続けたのならば、鼻血のひとつやふたつ出ても何ら違和感はない。

「あっ、金時鼻血出てるじゃない! そんなに辛かった!?」

「い、いや……確かにちょっと辛いがそこまでじゃねえよ」

「関係ないわけないでしょ、そんなに辛いなら食べるのやめて――」

「違ぇって、その、あれだ、俺ァ女に弱いからよ……お前が可愛すぎて鼻血が出ちまったんだ、悪ぃ」

「ちょ、ちょっと何言ってんのよ! 金時のすけべ!」

 などと顔を背けつつも満更でもなさそうなエリザベート嬢。

 漢だな金時……自らの尊厳を犠牲にしてまで、少女の矜持を護るとは。お前こそ英霊の鑑だ。

「いやぁ、これくらいのもんを作れるんだ、お嬢はいいお嫁さんになるぜえ」

「そう? お世辞でも嬉しいわ」

「オレは女の子への褒め言葉は絶やさない主義でね。どう、オレの嫁さんにならない?」

「うふふ、イ・ヤ♪」

 と、今度は隣でロビンが軽口を叩きながら、テーブルの下で何かを渡してくる。小さく黒い粒がいくつか。

 丸薬……か?

(解毒剤だ……ゴールデンにもさり気なく渡せ……飲めば今よかはマシになる)

 言われて注意深く見てみると、笑顔を維持しつつもロビンの頰の端は引き攣っていた。身体も小刻みに震えている。

 こいつ、自分の分の解毒剤までも私たちに……!?

(オレぁ毒には多少耐性があるからもう少しは保つ。オレが注意を引きつけてるうちに、早くしろ……!)

「……っ、少し辛めのカレーだ。飲み物を持ってこよう」

 自らの身体を犠牲にしてまで差し出された男の心意気を無駄には出来ない。冷蔵庫へと向かい、細かく砕いてアイスコーヒーへと投入。これなら色で何かを入れたとは一見、わからないだろう。

 ロビンからの心遣いだったが、我々三人はもはや何よりも固い結束で結ばれている。誰かを犠牲にしてこの場を乗り切ることなど、出来るはずもない。

 丸薬を三人で等分に分け、二人へと渡す。もののついでにエリザベートにはカフェオレを。

「ほら、飲め」

「あら、子ブタのくせに気が利くじゃない」

「サンキュ……」

「悪いね……」

 なんて奴らだ。

 一口で全てを諦めた私に比べ、二人は高慢ながらもいたいけな少女を傷つけぬよう、全力で己と戦っている。

 マスターが戦闘に連れて行ってくれない、と拗ねていた自分が恥ずかしい。

 カルデアはこんなにも愛と思いやりで溢れていたのだ。

 こうなれば私も英霊に恥じない行動をせねばなるまい。いや、この身が英霊でなくとも、男にはやらねばならない時がある。

(ありがとよ、エミヤ、ロビン……だいぶ楽になったぜ)

(礼にはまだ早い。ここからが正念場だ)

(いいかてめェら、子供の夢を壊すんじゃねえぞ……そんなの、全然ゴールデンじゃねえからな)

(わかってるさ、少女の想いほど得難く儚く壊れやすいモンはねえ……誰かが護ってやんなきゃな)

(ああ……その通りだ)

 決死の覚悟が自然とそうさせたのか、我々三人は目線で会話が出来るようになっていた。

 そう、先述した通り我々は運命共同体だ。

「ぐ、ぶ……っ」

 金時が更に鼻血を噴出す。エリザベートに悟られぬよう、鼻の根元をつまんで血を止めていた。

「へ、へへ……」

 ロビンに至っては大量の汗に加え、うなじ辺りにぷつぷつとじんましんが出始めていた。身体が劇物の侵入に対し、抵抗しようとする拒絶反応。

 二人とも、精神の前に身体が悲鳴を上げ始めたのだ。

(悪ぃ、エミヤ……天下の金太郎が情けねぇが俺ァもう、限界みたいだ……)

(オレもだ……毒には多少耐性があるとは言え、ちと食い過ぎた……)

(ああ、お前たちはよくやった。そろそろ休め……後は私に任せろ)

 二人にアイコンタクトを送り、気合とプライドで空にした皿を持って立ち上がる。

 立ち上がった際、めまいがした。が、こんなところで倒れる訳には行かない。

「ぐっ……え、エリザベート、少し……いいか」

「あら、おかわりかしら?」

「いや、美味かったがまだ改善の余地がある。鍋を置いていってくれれば更に改善点を書いて後日、渡そう」

「そこまでしてくれるの? 助かるわ」

「なに……この程度、お安い御用だ」

「三人ともありがとう! じゃあね!」

 自称ではあるがアイドルらしい微笑みと共に、満足げに手を振って去って行くエリザベート。

 エリザベートの姿が完全に視界から消えたところで、三人は同時にその場に崩れ落ちた。

 これでエリザベートの純心を傷つけることもなく、鍋の中身を分析・改変することで二次災害も防げる。

「やった……な……」

「ああ……」

 私たちはやり遂げたのだ。ある意味、マスターからの任務を遂行した時以上の達成感が全身を包む。

 と、

「やっほー、エミヤ、おやつちょうだ――」

「ま、マスター……か……」

「ちょっと、どうしたの!?」

 入れ違いでおやつを求めるマスターがやって来た。

 我々の姿を見て、一瞬で顔色を変えて駆け寄ってくる。

 それはそうだ。三人とも死屍累々、加えて金時は血の海に沈み、ロビンも先ほど気を失った。

 かく言う私も、自意識さえ朧げだ。

「なにこれ……血!? なんで三人とも満悦顔で倒れてるの!?」

「答えは得た。大丈夫だよマスター。オレもこれから、頑張っていくから」

「ちょっとエミヤ!? それなんかすっごいイヤなフラグ立ってる気がする!」

 マスターの悲痛な声を背景に、意識が遠のいてゆく。

 後悔はない。

 こうしてまたひとつ、少女の夢という何よりも大切なものを、守れたのだから。

 

 

 



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双角獣のコーラ煮

タマモキャットです。
タマモナイン実装してくれませんかねえ。


 無人の厨房内にて細心の注意を払い、プルタブに手をかける。

 炭酸の抜ける爽快感ある音と共に甘い匂いが微かに立ち込める。そのまま間を置かずに中身を半分ほど飲み干した。舌から喉へ心地の良い感触が行き渡っていく。

 コーラはいい。サーヴァントとなったこの身でも時折飲みたくなる。流通の途絶えたカルデアではあるが、ロマニが人理修復に取り掛かる以前に個人的に買い溜め込んでいたため缶コーラとセブンアップは山ほどあった。それらもほとんどジャンク好きのオルタとマスターに現在進行形で奪われているのは哀れとしか言いようがないが。

 余談ではあるが、私はペットボトルよりも缶のコーラが好きだ。理由としては口をつけた時の冷涼感とアルミ缶の特性による保温効果はペットボトルよりも一線を画す。ペットボトルはキャップにより封ができる、というメリットもあるのだが、私は炭酸飲料というものは得てして短時間で飲み切るものだと思っている。

「おう、エミヤロウではないか。ごきげんウルフギャング?」

 と、入口より肩に大きな獣らしきものを担いだ、猫耳に肉球を携えた女性が現れた。秋葉原にでもいたらコスプレと間違われること請け合いだろう。

「タマモキャットか。何だそれは?」

「これか? 倍々コーンとかいうやつだナ。無限に増えてやがて地球を埋め尽くすトウモロコシ……最後は宇宙にポイするのがお約束か?」

 バイコーンの事を言いたいのだろう。最近になって相対するようになった双角獣のことだ。

「さっき狩って来たのである。コヤツはまさに強敵(マブ)であった……コブシとカツオブシで語り合い、毛で血を洗うすさまじい攻防であったぞ」

 相変わらず言っていることはよくわからないが、意図は汲み取れる。

 どうやらマスターに手料理を作るから厨房を貸せ、ということらしい。

 バーサーカーである彼女に厨房を貸すのは少々危なげだが、マシュから聞いた話によれば以前、驚くほど立派に料理を作ったと聞いている。マスターやキャット本人の言ならばともかく、マシュの言うことならばまず間違いはないだろう。

 しかし、あの肉球でどうやって包丁などの調理器具を持つのだろうか。

 タマモキャット。

 バーサーカークラスである彼女は、キャスタークラスである玉藻御前から派生した九尾の尾のうちの一本だ。良く言えば純粋一途、悪く言えば考え無し。マスターの言うことならば何でも受け入れるが、それは同時に何もかもを許容する、という危険性をも孕んでいる。

「……それをマスターに食わせる気か?」

「馬肉はおいしいのだぞ?」

 それはわかる。人間の間でも桜肉と呼ばれ、その脂肪を極限まで落とした締まった肉質は刺身にすることで本領を発揮する。味は淡白だが他の食肉よりもグリコーゲンを非常に多く含むので、独特の甘味がするのも特徴だ。

 だがバイコーンは幻獣の類だ。確かに栄養こそありそうだが、それは果たして人間が摂っても大丈夫なものなのだろうか。

「安心せよ。キャットがご主人をキケンな目に遭わせる訳がなかろうなのだ」

「毒味でもしたのか?」

「うむ。この間マロンに食わせたら元気いっぱいになったぞ!」

「マロン……ああ、ロマニか」

「オスなのにあんな髪型なのだ。よほどお馬さんが好きなのだろうな」

 ロマニの場合はお洒落やファッションと言うよりは、ただの無精だと思うが。

「ところでエミヤロウは裸エプロンはお好きか?」

「ノーコメントだ」

 そんなもの、男なら好きに決まっている。裸エプロン、バニーガール、メイド服。どれも男のロマンだ。

 が、わざわざ口に出すはずもない。

「むふん。お主、ムッツリスケベだな? だがキャットの貞操はご主人のものだぞ?」

「放り出すぞ」

「にゃはは。このテレ屋さんめ」

「厨房を使っても構わんが、勢い余って壊してくれるなよ」

「任せるがよい。大胆かつ冷静に参るのだ!」

 持参した絞めたバイコーンを降ろし、豪快に自前の爪と肉切り包丁で捌いていく。その手際はなるほど手慣れていて見事なものだ。

 バーサーカークラスである彼らは、基本的に話が通じない。個人の問題ではなく、クラススキルとしての『狂化』の影響に依るところが非常に大きい。狂化スキルはサーヴァントの基礎能力を底上げする代わりに理性を削る一長一短のスキルだ。ヘラクレスや呂布将軍などが典型的な例だ。彼等は元々名のある英雄だが、狂化のスキルにより言葉を持たない。

 坂田金時やこのタマモキャットはその狂化スキルの程度が低いため通常会話も可能だが、時折話が噛み合わないことも多い。先ほどから会話の舵が安定しないのもその為だ。

「エミヤロウよ、そのコーラをいただけまいか?」

「コーラ? ああ」

 器用にも肉球の手で缶コーラを掴むと、鍋に注ぎ始めた。コンロの火をつけ、捌いた馬肉を鍋に放り込む。

「よくコーラ煮なんか知っているな」

「ふふん、キャットは良妻ゆえにな。愛する人を堕とすにはまずは胃袋を掴むのが基本だぞ?」

 一般的にはそこまで浸透していないが、調理法としてコーラ煮なるものがある。肉や佃煮などをコーラで煮ることにより、炭酸と甘味で甘く柔らかく仕上げることが可能になるのだ。馬肉は鍋にしても美味いし、固めの肉質が柔らかくなっていい塩梅になるだろう。

「……エミヤロウはご主人の事が好きなのか?」

「好き……ああ?」

 料理を続けながら投げかけられた唐突な質問に、思わず変な声が出る。

「ご主人をオスとメスの関係で好きなのかと聞いておる」

「そんな訳ないだろう」

 これだけは断言出来る。

 私がまだ未熟な頃ならばまだしも、百戦を潜ってサーヴァントとなった今では、マスターに恋心を抱くなど十年は遅い。

「なぜそんな事を聞く?」

「ご主人もオトシゴロだ。ご主人の一番は誰なのだろうな?」

「さあな」

 考えた事もなかった。

 なかったが、キャットの言う通り、マスターもカルデアにいなければ普通の女の子だ。

「キャットはキャットゆえに肉球をプニプニされ毛皮をモフられる存在なのでな、ご主人の愛玩動物(ペット)にはなれるが、一番にはなれんのだ」

「…………」

「こうやってうまいゴハンを作って、モフモフさせてやるくらいしかキャットには出来ぬ」

「……お前」

 私はキャットを見くびっていた、と認めるべきだろう。

 自由奔放で、何も考えずに本能のままに行動する奴だと、そう思っていた。

 その躁とも取れる程の陽気の裏で、そんな事を考えていたのか。

「ご主人が誰を求めておるのかは狂化しておるキャットにはわからんがな、もしエミヤロウがそうであると言うのなら――」

「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……なんだ、続きを言え」

「何を言うのか忘れてしまったである。にゃはは」

「…………はぁ」

 その溜息には、安堵の意も含まれていたのだろうか。

 胸の奥に、何かがすとん、と落ちる気分だった。

「ともかくだ。キャットは何よりもご主人を優先するキャットである。だからご主人が望むことは何でもする。もしご主人がぐ……ぐらと……ぐり?」

「……人理史修復(グランドオーダー)のことか?」

「そうそう、それな。それが辛くて辛くてもう逃げてしまいたいと思うようであれば、キャットは迷わずご主人につく」

 先述したが、あの天真爛漫で女傑とも呼べるマスターと言えど、中身は子供、まだ年端もいかない少女だ。

 普通ならば、学校に通って友達と遊んでいても何ら違和感はない。

 そんな彼女に、心身的負担が一切ないなんてことはあり得ない。

 負荷というものはある程度の量が蓄積して初めて実感する。今でこそ明るく平気に振舞っているマスターではあるが、その内は本人にしか――いや、本人にすら計り知れないやも知れない。

 いずれその負荷が堆く積もり、限界を迎える日も、来るのかも知れない。

 世界の理を担うには、マスターの双肩は細くか弱すぎる。

 その時が来て。

 もしもマスターが自ら死を選ぶような事があれば。

 キャットは、迷わずマスターを手にかけるだろう。

 キャットだけではない。世界とマスターを秤にかけて、カルデア内で対立することもあるやも知れない。

 その時、私がどちらにつくのかは、現時点では何とも言えない、が、

「そうならないように、エミヤロウがなんとかするがよいぞ」

「ふん、それこそ杞憂だろうよ」

「ふむん?」

「私はこれでも、あのマスターを信頼しているのでね」

 私の認めた主だ。

 それに女性とは思えない程、肝も太く度胸も据わっている。

 そう簡単には潰れはしないだろうし――、

「潰れそうになったら、我々が支えてやればいい。その為の我々だ」

「にゃはは、イイ男だなエミヤロウ。今ならキャットのしっぽをフカフカしてもよいぞ?」

「遠慮しておく」

 と、

「うー……お腹減ったよぉ……」

「もう少しです、先輩。お気を確かに……」

「マスター……」

 図ったかのようなタイミングでマスターがマシュと共に現れた。

 ゾンビのように緩慢な動きのマスターは、レイシフトから帰ってきたばかりなのだろう、普段の元気が見る影もなく憔悴し切っていた。

「お母さん……ごはん……」

「誰がお母さんだ」

「エミヤさん、早急に先輩に食事を用意してください!」

「いつになく深刻だな……何かあったのか?」

「先輩は寝坊して朝ごはんを食べ忘れたらしく、レイシフト中もエリザベートさんのカボチャにかじりついたり、ラムレイさんやブケファラスさん、挙げ句の果てにはタラスクさんまで食材に見えて食べようと――」

「わかった、もういい……」

 想像以上に重症らしかった。

 今の今までキャットと真面目な話をしていたのは何だったのかと自問自答したくなる。

「コメ……ニク……」

「早く! 先輩が人語を忘れようとしています!」

「ご主人、今キャットが肉を焼いたところなのだ。モリモリ食らうんだワン!」

 そんな息も絶え絶えなマスターの前に、皿に載せた馬肉を差し出すキャット。

「にく……肉……! おにく!」

 丁寧に盛られた馬肉を視界に入れた途端、マスターの眼に光が灯ってゆく。

「いただきますっ!」

 言うが早いか、手を合わせて肉にがっつくマスターだった。

「うまいか?」

「なにこのお肉、甘くて柔らかくてすっごくおいしい!」

「ハラいっぱいになったらお昼寝タイムだぞ。キャットが膝枕して添い寝して耳かきもしてやろう」

「あぁんもう、キャット大好きっ!」

「わふんっ」

 感極まったのか、キャットに抱きついて頬ずりをする始末だった。もちろん肉を食う手は止めない。

 それを見て胸を撫で下ろすマシュ。

「よかった……いつもの先輩です」

これがいつもの、と言うのもどうかと思うのだが、そこは無粋なので言わないでおこう。

「どれ、私は食後の紅茶でも淹れてこよう。マシュも飲むだろう?」

「あ、はい。ありがとうございます」

 君は恵まれているな、マスター。

 戸棚から紅茶の葉を取り出しながら、キャットと戯れるマスターの姿を横目で見る。

「おいしかったよキャット。お礼にノドをゴロゴロさせろー!」

「わはは! くすぐったいぞご主人! これ以上やると次回、キャットの中のケモノが目を覚ます! デュエルスタンバイ!」

 その様子は、どう見ても使い魔とその主の関係ではなかった。

 だが、それが君を海千山千のサーヴァント達のマスターたらしめているものなのだろうな。

 

 



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円卓パンドカンパーニュ

モードレッドです。
モーちゃん欲しい……全体宝具セイバーをリリィだけで回すのはつらい……。


 オーブンを適温に温めた後、先ほど作ったパン生地を入れる。釜の中の湿度を調整したら後は焼きあがるのを待つだけだ。

 この石窯オーブンはこの食堂に身を置くと決めたその日に投影魔術により作り出したものだ。近代の科学の賜物だが、その遠赤外線による内部からの加熱効果はパンを焼くのに最も適していると言えよう。

 通常、投影魔術で生み出したものは時間経過と共に世界の修正を受け四散するのだが、私の投影魔術は普遍的なそれとは根幹が異なるため、こうして長期の稼働も可能となる。とは言え、いずれは寿命が来るのでその度に投影する必要はあるが。

「……まだこんな時間か」

 早朝、未だ日も昇らず局員もサーヴァントも大半が眠る頃。

 私は生前からの習慣で元々朝は早い方だが、今日は懐かしい夢を見ていつもより早く眼が覚め、こうして朝食のパンを焼き、手持ち無沙汰を潰していた。

 世界中の誰もが口にするパンも、学び始めると非常に奥が深い。例えば日本における朝食の主たる米は炊飯器で炊くだけだが、パンはイースト菌の配合や発酵時間、混ぜる材料などの要素でまるで違う結果が出る。

 カルデアはその外国人が多い特性上パンを主食にする者も多いので、カルデアに召喚され、食堂の主になってからは任務さえなければほぼ毎日焼いている。パン作りのスキルも確実に上がったと言えよう。ちなみに今日のパンはフランスパンだ。

 ただ、そんな事は何の自慢にもならないどころか、サーヴァントとしてどうなんだと自問自答してしまいたくなるが。

「……ふっ」

 思わず口元が緩む。

 かつての聖杯戦争。

 セイバーと共に戦った、まだ初心だった未熟な私。

 何もかもが遠い過去の話のようだ。今こうして、共に英霊として戦線を張ることになるなど、あの時分誰が考えたろうか。

「んん?」

 食堂の入口前、人影が横切ると同時にこちらを覗き、足を止める。私の姿を視認すると進路を変え入って来た。

 露出の多めな衣服は今の今まで運動をしていたためなのだろう、タオルを首から下げ、肌には汗の滴った跡が薄らと残っていた。

 そして頭の後ろで縛った金髪、セイバーに良く似た顔立ち。

「なんだエミヤ。お前いつもこんなに早いのか?」

「いや、今日は特別だ。少し寝つきが悪くてね」

「ふうん?」

「君こそ朝の鍛錬か、モードレッド」

「ああ、やっぱ走るなら早朝の方が断然気持ちがいいからな」

 彼女の真名はモードレッド。

 かの円卓の騎士のひとりであり、私がかつて共に戦ったセイバー、アルトリア・ペンドラゴンの庶子でもある。

「コーヒーなら淹れてあるが、飲むか?」

「おう、サンキュ! ついでだから朝メシも作ってくれよ」

 カウンターに座り、豪快にアイスコーヒーを飲み干すモードレッド。言葉遣いから仕草まで大部分が男勝りな彼女だが、モードレッドに性別の話題は禁句だ。男女どちらの扱いをしても烈火の如く怒り出す。 モードレッドが相手の時は、性別に関しては触れないのが正解だ。

「じきにパンが焼けるから待っていろ」

「いいねぇ、焼きたてのパンほど美味いもんはねえよな!」

 なお、セイバーの大食いスキルはモードレッドにも無事継承されているらしく、モードレッドも鯨飲馬食、一度食い始めるとその細い身体のどこに収納されるのかと疑いたくなる程に食う。救いがあるとすれば、モードレッドは他のセイバーに比べそこまで食に固執しないところだろうか。

「毎朝走っているのか?」

「いや、毎朝じゃあねえよ。でも昔っからの習慣でな」

「それは重畳だ。たまにはあの腑抜けたマスターでも連れて行ってやってくれ」

「マスター? 面倒くさがりのアイツが走り込みなんて行くわけねえだろ」

「そうだな……その場面が眼に映るようだ」

「ジキルの野郎も誘ってんだけどよう、あのモヤシ、朝は弱いから勘弁してくれとぬかしやがる。男のくせに情けねえ」

 実際のところ、これ以上成長しない我々サーヴァントに体力作りといった基礎鍛錬は全くもって無意味とは言わないが、あまり意味がない。

 だがまあ、朝方の鍛錬が好ましい、というのは私も経験があるから良く分かる。私も早朝に起きて魔術の訓練をし、朝食を作るのが日課だった。長年にわたって染み付いた習慣というものはそう簡単に忘れられるものではない。

「しかし、毎回こんなに早いのか?」

「あー、いや……まぁ、な。オレもエミヤと一緒で、ちょっと今日は寝つきが悪くてよ」

 竹を割ったような性格のモードレッドにしては珍しく、歯切れの悪い返答だった。

「……夢をな、見るんだよ」

「夢?」

カルデア(ここ)に来てから、毎晩のように繰り返し見る」

 切れ長の眼を細め、空になったカップの底に視線を移す。

 苦悶とも、憎悪とも取れる短い歯軋りが二人しかいない食堂に小さく響いた。

「父上に、貫かれる夢」

「…………」

 叛逆の騎士。

 それがアーサー王物語におけるモードレッドの代名詞だ。

 モードレッドは、アーサー王を失墜させる為に実姉モルガンによって産み出されたホムンクルスだ。だが母モルガンの思惑は外れ、モードレッドはアーサー王を王として、父親として尊敬し育つ。やがては素性を不貞の兜により隠し円卓の騎士の一員まで登り詰め、そして偉大なる父に言う。

 我こそはアーサー王の嫡子。王の後継者は私を他においていない、と。

 だがアーサー王はモードレッドが王の器ではない、と一言の元に斬り捨て拒絶した。

 王としても、父としても。

 そしてランスロット卿を討ちにフランスへと赴くアーサー王より留守を任されたモードレッドは、叛旗を翻す。自分の身がホムンクルスである、という負い目が気を逸らせたのかも知れない。

 その後、何よりも父上に認めて欲しかったという一心を胸に聖剣クラレントを奪取。円卓随一の騎士であるガウェインまでをも打ち破るも、カムランの戦いにて聖槍・ロンの槍(ロンゴミニアド)に身体ごと貫かれ、今際の際にアーサー王の額を割って絶命する。

 アーサー王はその傷と謀叛が原因で、永き伝説に幕を降ろすことになるのだ。

 ――というのがアーサー王の伝承におけるモードレッドの物語である。聞き及んだだけでも凄まじい人生を歩んでいるのが読み取れる。

「死んだ後も夢にまで出るなんて、どうやらオレはよっぽど父上に嫌われたらしい。まあ、当たり前なんだけどよ」

 自虐を含んだニュアンスと共に吐いて捨てる。

「……と、悪かったな。ガラにもなく愚痴っちまってよ。忘れてくれ」

 叛逆の騎士は誰よりも裏切られ続けて来た。

 産まれる前より母親に政治の道具として扱われ。

 意趣返しと言わんばかりに父を目指し騎士となるも本人からは否定され。

 最期の瞬間も尊敬する父の偉業を蹂躙した騎士として語り継がれる。

 その心中は、私如きが察してはいいものではない。

 ――だが。

「……モードレッド、君は何でもかんでも背負い込みすぎだ」

 空になったモードレッドのカップにコーヒーを注ぐ。

 その行き場のない怨嗟を多分に含みながらこちらを睥睨する様は、叛逆の二つ名に相応しく。

「忘れろっつっただろ。蒸し返すんじゃねえよ」

「生憎、見てしまったものを見過ごせない偽善者で名を売ってきたのでね」

「……てめえにオレの何がわかる」

「何も。ただ、たまにはその重い名前を捨て、アルトリアと話をしてみてはどうかね」

「あぁ?」

「ただの父と子。それだけで充分だろう?」

「殺し合った二人に今更家族ごっこでもやれってのかよ、薄ら寒い」

「薄ら寒いのは君の方だろう、モードレッド。君は単純に、アーサー王伝説に幕を降ろしたと言う後ろめたさを盾に、アルトリアから逃げているだけじゃないか」

「……ッ! てめえ、いい加減に――」

 モードレッドが私の胸ぐらを掴む。

 だが、私が今ここで退くわけには行かない。

 私が生涯の剣と定めたセイバーの為に。

 何よりも、目の前の今にも泣きそうな顔で凄む少女の為に。

「……アルトリアは君の生涯に責任を感じこそすれ、君を憎んだり嫌ったりはしていない」

「…………!」

「その程度のこと、君も理解しているはずだ」

 言って、我ながら底意地が悪いと思う。

 だからこそ。

 だからこそ、モードレッドはどうやってセイバーと接していいのかがわからないのだ。

 せめて、最大限の憎悪を向けて欲しかった。

 よくも私を滅ぼしたな、と。

 お前を許さない、と。

 そうであったのなら、終わりのない贖罪という存在意義だけは残った。自分は生まれついての悪なのだと、諦めることは出来たのだ。

 だがセイバーはそんな事は露ほども思っていない。それどころか、モードレッドにそんな修羅の道を歩ませたのは自分の責だとまで考えている。

「だったら――」

 それがアルトリア・ペンドラゴンという騎士の生き様なのだが、そんな感情を向けられた方はたまらない。

 生涯をかけて越えようとしていた、親愛なる父親が相手ならば尚更だ。

「だったら、どうしろって言うんだ。オレは、せめて父上が胸を張って自慢できる子であろうとすることしか出来ねえんだよ!」

「だから、そんなものは必要ない。父と子が親子であることに、理由が必要か?」

「…………っ」

「君は甘え方が下手なだけだ。アルトリアに近付きたいのならば、普通に接するのが一番の近道だと思うがね」

 私の服を捻り上げていた力が緩む。

 次の瞬間。ちん、と、どこか間抜けな甲高い音がモードレッドの怒気で澱んだ空気を攫って行った。パンが焼けたのだ。

「……変な奴だ、お前」

「お互い様だろう」

 力の抜けたモードレッドの腕がするすると離れ、そのままカウンターの椅子へとへたり込む。

 どうやらもう噛み付く程の元気はなくなったようだ。

「オレみたいな偏屈者に説教するわ、サーヴァントのくせに美味いメシ作るわ……何なんだお前」

「さてね……ほら、食うんだろう?」

「ああ……」

 オーブンから取り出した、丸いパンを数個皿に盛って出してやる。

「……んが?」

 無気力にパンにかじり付くモードレッドだったが、一口では噛み切れない。

「固って……なんだこれ」

「カンパーニュと言ってフランスの固い田舎パンだ。ジャンヌが久し振りに食べたいと言っていたので、作ってみた」

「んっ……んんんんっ!」

 歯を立て、ぶち、と見事な音を立てて噛みちぎるともくもくと咀嚼を始める。何とも男らしい。

「お、固えけど美味えな」

「そうか、それは良かった」

 カンパーニュは世界的に有名なフランスパンよりもなお固い。

 そもフランスパンが固いのは原料が小麦粉と水と酵母だけで作られ、当地で採れる小麦粉の性質から発酵が上手く行かないため必然的に固くなったのだ。一般家庭で食べることを目的としたパンなので、そのままで保存もきく。

「ふうん、でもオレ達の時代はもっと固いパン食ってたぞ?」

「そうなのか?」

「ああ、こんな風に歯なんかじゃとても噛み切れねえからナイフでザクザク切ってな、味気のねえ塩スープに浸して柔らかくしてから食うんだよ」

「それは……何ともワイルドだな。円卓の騎士ともなれば豪華な食事を食べていたと勝手に想像していたが」

「何言ってやがる。肉だって保存のために塩まみれにして、炭かよって突っ込み入れたくなるほどガッチガチに焼いてたし、チーズなんて腐ってて当たり前だったぞ」

「…………」

「想像してるような豪華なメシなんて、一年に一回ありゃいい方だったぜ」

 供給過多と皮肉を言われる現代ではあるが、安定した食事が出来る時代の何と素晴らしいことか。

「『Half a loaf is better than no bread.(パン半分でもないよりはまし)』。今と違って食糧の有無がそのまま命に直結してた時代だ。王族だろうが騎士だろうがそれは同じだったからな」

 ああ、何だかセイバーがあんなに食事に夢中になっている理由がわかる気がして来た。

 無制限に食べるアルトリア達を甘やかすのは良くない、と最近食事を出し渋っていたのだが……そんな話を聞いたら思う存分食べさせてやりたくなるじゃないか。

「ごちそうさん、そこそこ美味かったぜ」

「あ、ああ」

「世話好きも行き過ぎると鬱陶しいだけだ。主夫なら主夫らしく、焼くのはパンだけにしとけよな」

「誰が主夫だ」

 あっという間に数個のパンを平らげると席を立ち、 皮肉を置き土産にモードレッドは食堂を後にする。

「あ、そうだ」

 と、入口で振り返り、

「今度、オレから父上に言ってみるよ」

 歯を見せて笑う面持ちに、先ほど見せた陰鬱な影は見受けられなかった。

「一緒にメシでも食おうぜ、ってな」

 言って、手を振り去って行く。

「……だそうだぞ」

「……」

 モードレッドの姿が消えた後、会話の途中でいつからか増えた気配に声をかける。

「要らぬお節介だったかな」

「……いえ、ありがとうございます」

 モードレッドが彼女に気付いていたかどうかは本人にしかわからないが――。

「パン、食うか。焼きたてだぞ」

「いただきます」

 心に闇を抱えない英霊はいない。

 我々英霊は一度死んだ身である以上、否が応でも自分の物語と向き合いながら生きていかなければならない。

 散々苦しみ、みっともないほど懊悩し、払拭できないままそれらしき理由をつけ、自分の業を背負っていくしかないのだ。

 新しいカップにコーヒーを注ぐ。

 今日は特別に、塩辛いスープもつけてやろう。

 

 

 



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九尾謹製いなり寿司

ゴールデンとフォックスです。
ゴールデンは真名わかんないようにフォックスって言ってんのに普通に金時さんとか言っちゃう玉藻が好き。



「やっぱ男と言ったら素手喧嘩(ステゴロ)だって。なぁゴールデン?」

「ま、最後に残るのは自分の身体ひとつだからな。間違っちゃいねえぜプリティベアー」

「フォウ、フォフォウ、キュ?」

「違うよ、オレだってまともな姿で召喚されてたらこんなキュートじゃないから。俺、生前ライオン素手で殴り殺してるからマジで」

「フォーウ……?」

「だよな、やっぱり信じられねえよなあ」

「ひでえなー、オレだって好きでこんな姿で召喚されないっての」

「いいじゃねえか、ゴールデン愛らしくて」

「男に言われても嬉しくないことこの上ない」

「フォフォーウ」

「かっははは、お前も中々言うじゃねえか……えーと、フォウお前なんの生き物? フォックスの仲間?」

「フォーーーウ!」

「悪い悪い、そんなつもりで言ったんじゃねえって」

「オレは熊だよ」

「見りゃわかんだろ」

「こんなファンシーさにスキルポイント全振りした熊いねーよ」

「ここにいるじゃん」

「…………」

 食堂の厨房で仕込みをしている中、テーブルに座る鬼と熊とリス(?)が談笑していた。その光景もさながら、フォウと普通に話をしている一人と一匹も十二分に異様だ。

 余談だがオリオンはカルデア内ではアルテミスと別行動していることも多い。本人曰く『一人の女に縛られるのはイヤ』らしいが、普段の様子を見る限り説得力が皆無なのは言うまでもない。

「あ、悪い。うるさかったかエミヤ」

「構わないよ、迷惑だったら言うさ。元よりここは私の所有物ではないしな」

「なあエミヤ、オレ腹減ったんだけどさっきから炊いてるそれ、米?」

「ああ」

「いいね、リゾットとか食べたいな」

「おにぎりにしてくれや、おにぎり」

「ジャパニーズのそのおにぎり信仰ってなんなの?」

「悪いがこの米は先約がある」

「先約?」

「ああ、玉藻が――」

「エミヤさ――――ん!」

 と、言うが早いか玉藻が懐に皿を抱えてやって来た。

 クッキングシートをかけているので中身は見えないが、結構な量があるのかこんもりと盛り上がりを見せている。

「おっ、玉藻の姉さん今日も美人だねえ」

「あらっ、ありがとうございますクマさん。クマさんも可愛いですよぉ」

「この圧倒的男として扱われてない感!」

「金時さんもお久しぶりですねぇ」

「お、おう……元気そうだなフォックス」

「フォウ?」

 玉藻が来るなり、あからさまに顔を背ける金時。

 金時は総じて女性が苦手だ。特に玉藻のような露出の高く艶っぽい女性は天敵なのだろう。

 対して玉藻はその反応も慣れたものなのか、気にせずに皿を置く。クッキングシートの下から現れたのは、肉厚な油揚げが山盛り。

「なんだこりゃ、でかい油揚げ?」

「狐と言えば油揚げでしょう?」

「折角だから私がいなり寿司にしようと思ってな……どれ」

 適当に一つ取り、まな板の上で包丁を入れる。外側だけ適度に固く、中は柔らかい油揚げ独特の感触が包丁に伝わる。

「どうですか?」

「うむ……見ただけでも上質な油揚げだな。君が作ったのか?」

「あら、わかります?」

「これほど厚い油揚げはカルデアにはもちろん、店売りでもあまり見ないからな」

「ええ、わたくし良妻ですから。旦那様のために女子力上げてる最中なんです♪」

「ああ、大したものだ。早速調理に移ろう」

「うふ、エミヤさんに太鼓判をいただけたなら安心ですねっ」

 玉藻の油揚げをすべて一貫大に切り、沸かしておいた湯に放り込む。

 と、その鍋を覗き込み首をひねる金時。

「油揚げって茹でて食うもんなのか? あげってくらいだからもう火は通ってるんじゃねえの?」

「揚げただけでは油の味しかないだろう」

「ああ、そういやいなり寿司って甘いもんな。頭いいなエミヤ!」

 こうして湯で煮ることで油抜きをし、その後調味料で煮て味付けをするのだ。

 油揚げは脱水した豆腐を揚げて豆腐内に残った水分の蒸発を利用し作るものだが、これが中々に難しい。まず豆腐を薄く切る必要がある。ご存知の通り豆腐は柔らかいものの筆頭、均一に薄く切るのは困難を極める。

 第二に油の温度調節が非常に難しい。温度が低すぎると油が気化熱に負け縮んでしまうし、高すぎるとかちかちの油揚げとなってしまう。そして豆腐が厚ければ厚いほどそれは難しくなる。 切り口を綺麗な網目状にするのは修練が必要となる。その点、玉藻が作ったこの油揚げはかなり上質と言える。これならば肉厚で重量感のあるいなり寿司が作れるだろう。

 そして約小半刻後、

「さて、こんなものか」

 醤油とみりん、砂糖で甘辛く煮込んだ油揚げに酢飯を詰めて完成だ。

「ありがとうございますエミヤさん」

「なに、君のお陰もあって会心の出来だ」

「早速、いただきまーす♪」

 少々大きめのいなり寿司を素手で掴み一口で頬張る玉藻は、それだけで様になっていた。

 はだけた着物で手掴みで寿司を食う。粋、というやつだろうか。やはり和製サーヴァントには寿司がよく似合う。

「んん~、甘辛くて酸っぱくておいしい♪ エミヤさん、後ほどタレのレシピ教えてくださいね」

「ああ、紙に書いて渡そう」

「…………」

「…………」

「フォウ……」

 と、その様子を物欲しそうな眼で見る一人と二匹。

 三者とも今にもよだれを垂らしそうな雰囲気だった。

「金時さんたちも良かったらどうぞ」

 その空気を読んでかどうかはわからないが、玉藻が寿司の乗った皿を差し出す。

「なに、オレたちも食っていいの?」

「ええどうぞ。もとより皆さんにおすそ分けして私の女子力を国家と時空を越えて全世界へとアピール――」

「ありがとよフォックス!」

「うきゅっ!?」

 有無を言わせず、台詞の途中で玉藻を豪快にハグする金時だった。

「俺、いなり寿司大好物なんだよ。色も味もゴールデンだしな!」

「そ、そですか……って金時さん!」

 玉藻の狼狽と怒りなどどこへやら、一心不乱にいなり寿司にがっつく一人と二匹だった。

「んメぇ! ゴールデンだぜエミヤ!」

「フォフォーウ!」

「本当だウマイな! これが噂に聞くジャパニーズスシか!」

 オリオンの言っている寿司とはまた違うのだが……まあ、喜んでいるようだしいいか。

「ちょっと金時さん、女子に抱きついておいて一言もなしですか!」

「え、あ……わ、悪ぃ。寿司食えるって聞いたらテンション上がっちまって」

 ようやく女性に抱きつくなんて自分らしからぬ行動を思い返したのか、米粒を頬にくっつけたまま謝る金髪の大男はどこかシュールだった。

 女性は苦手でも、テンションが上がるとアクションまで欧米風になるらしい。

「まあ私、心は旦那様のものですし、優しいですから許しますけれども!」

「そう言やよー、ゴールデンってなんでそこまで女が苦手なの?」

「…………」

 みこーん、と玉藻の方から妙な音が聞こえた気がした。そのオリオンの言葉に目敏くからかい甲斐を見つけたのか、玉藻の表情が悪女のそれに染まる。

「俺ぁ女にゃトラウマがあんだよ、出来れば聞いてくれるな」

「ま、オレも女には散々苦労してきたから聞かねーよ」

「お前の場合は好色が原因だろ……まぁ、そうしてくれや」

「ねえねえ金時さん?」

「……んだよ」

 目を輝かせながらにじり寄る玉藻に悪意を感じ取ったのか、一歩退がる金時だった。

 その直感は正しい。正しいが、少し気付くのが遅かったようだ。

「金時さんの恋バナ、聞きたいですねぇ~」

「勘弁しろよフォックス……」

「私に抱きついたお詫びとしてひとつ、聞かせてくださいな」

「たった今許すって言ったじゃんよ」

「いきなりショッキングな出来事があって乙女心傷ついちゃったかな〜?」

「汚ねぇ……この悪女……」

 こうなってしまっては、いくら理不尽だと分かりきっていても男は女に勝てない。私も昔よく赤いあくまに散々使われた手だ。クーフーリン・オルタのように『うるさい』の一言の下、一蹴出来るのならばいいのだが、金時はいい意味でそんな神経は持ち合わせていないだろう。

「……女子供ってのは、扱い辛ぇんだよ」

 観念したのか、金時は訥々と語り出す。

「俺ァよ、人が死ぬのを何べんも見て来た。戦争、病気、事故――そん中でも真っ先に死んで行くのは女子供と命知らずだ」

 金時が生きてきた時代――平安の世は、私と同じ国でこそあれ、現代とは全く事情が違う。

 時代で人の命の重さは変わらないはずなのだが、それでも比べると現代では考えられないような理不尽な理由で人は死んだのだろう。当時では未知の病気、為政者による戦争、食糧不足による飢餓。 私がそんな時代に産まれたとしたら、正義の味方だなんてある意味ぬるい目を見られただろうか。少なくとも自信はない。

「そんなか弱い生き物を俺みたいな馬鹿力だけが自慢の奴が近付いてみろ。なにが原因で傷つけちまうかわかんねえ」

 『気は優しくて力持ち』。

 それが日本における金太郎というヒーローへの認識だろう。そんなに間違っていないとは思う。そのイメージをここまで崩さないという英霊もある意味珍しい。英雄譚なんてものは脚色されて当然のような風潮さえある。その点、金時は純粋で立派だと言える。

 ……ただ、こんなマフィアの用心棒みたいな男になっているとは誰も思わないだろうが。

「それに俺は、初恋の女を騙して討ち取った卑怯モンだ。そんな奴が色恋沙汰にうつつを抜かしていい訳ねえだろ」

「金時さん……」

 金時の話によれば、金時の退治した化け物の中でも最大の敵・酒呑童子は絶世の美少女だったと聞く。金時は彼女に恋をしたが、相手は人を襲い喰らう大妖怪。化け物退治のスペシャリストと妖怪の親玉ではロミオとジュリエットすら成り立たない。

 金時は自分の恋よりも人々の平穏を取り、酒呑童子の酒に毒を混ぜ、その首を討ち取ったのだ。

「ゴールデンもバカだけど苦労してんのなー」

「フォウ……」

「ううっ……おバカの金時さんにそんなに悲しい過去があったなんて……」

「バカは余計だろバカは……否定しねえけどよ」

 玉藻もかつて傾国の美女と呼ばれて来た妖怪だ。共感する部分はあるのか、少々演技過多な様子で目元を拭いながら金時にすり寄る。

「うわぁん、ごめんなさい金時さぁん!」

「おいフォックス、近付くんじゃねえ!」

「私がよしよししてあげますねぇ~」

「だああ! 近ぇ近ぇ!」

「オレもオレもー、甘やかしてー」

 感極まったのか、金時の頭を撫でようとするも煙たがられる玉藻だった。

 金時の頭の上に乗っていたオリオンも便乗して玉藻に飛び移る。

「……ん?」

 と、

「おい、オリオン」

「なんだよエミヤ、今まさに合法的に美女に甘えられるチャンスなんだぞ。邪魔するなよ」

「あれを見ろ」

「ん……おげっ!?」

 食堂の入口、扉に半身を隠しながらこちらを窺うアルテミスがいた。

「ダーリン……うわき……?」

 目からハイライトを消したアルテミスが澱んだ空気と共にものすごいスピードで駆け寄ってくる。正直言って、かなり怖かった。

 女性の怨念、執念ほど怖いものはこの世にない。カルデアでも清姫やブリュンヒルデを見て再認識した事実だ。

「ちょっとダーリンどういうこと!? 私のこと好きだって言ってくれたの、ウソだったの!?」

「違う違う! 違わないけど違う!」

「おいベアー、修羅場に俺を巻き込むんじゃねえ!」

「ねえダーリン、ちゃんとお話して!」

「んがああああ! ひっつくなぁ!」

 玉藻にまとわりつかれ、オリオンを問い詰めるアルテミスに挟まれる。金時は奇しくも露出の高い美女二人に密着するレベルで挟まれる形となった。男として羨むべきなのかも知れないが、金時の性格を思えば哀れでしかない。

「なんだ……?」

 と、パチパチと何かが弾けるような音が耳朶を打つ。

 見ると、金時の周囲に僅かではあるが火花が散っていた。

「ばっ、やめろ二人とも、それ以上……は……っ!」

「金時さん、お辛いでしょうけど女性を誤解してはダメですよ?」

「ちょっとダーリン、聞いてるの!?」

「いいいいやここここれには山より高く海より深い訳がががが」

「くっそ、来やがった……! 悪ぃ、女神サン!」

「きゃっ!?」

 三者一匹が入り混じりもつれる中、金時が辛うじてアルテミスを強めに突き飛ばす。

「ベアー、てめえも離れろ!」

「へっ、オレ?」

「あっ」

 瞬間、

「だああああああああああああっ!」

「なっ――」

「うきああああああああ!?」

「あびゃばばべばばばばば!?」

「――――」

 その光景に、二の句を継げなかった。

 本当に一瞬のことだったが、金時の全身が目も開けられない程の眩い閃光を放ったのだ。

「あっちゃあ……」

「だ、ダーリン……?」

 後には、全身の毛皮がアフロになったオリオンと、焦げて黒煙を吐く玉藻が床に転がっていた。

「おいフォックス、ベアー、大丈夫か!?」

「こ……こ……このイケモン金時さんめへぇ……」

「ダーリン!」

「し、しびれるっちゃ……」

「な、なんだ今のは……」

「俺は普段から静電気レベルで放電してんだけどよ……追い詰められると無意識にこうなるんだよ」

 そう言えば金時の出自には雷神の血を引いている、というものがあったな。

「出来るだけこうならないよう、こまめに黄金喰い(ゴールデンイーター)のカートリッジに移してんだけどな」

「しかし、凄まじいな……」

「天罰よダーリン、二人でゆっくりお話しようね!」

「んじゃエミヤ、俺はフォックス部屋に帰して来るから」

「あ、ああ」

 アルテミスがオリオンを、金時は玉藻を担いで食堂を後にする。

「フォウ!」

「ん?」

 取り残された気分で呆然としていると、金時の放電に何かを感じ取ったのか、フランが入口からこそこそとこちらを窺っていた。

 電気を原動力にする彼女は、基本的に電気が好きなのだ。それゆえに電気の無駄遣いを美徳とする英雄王やテスラとは絶望的に仲が悪い。

「ウゥ?」

「気にするな、さっきのは自然現象だ」

 厳密には違うのかも知れないが、それ以外にうまく説明出来そうになかった。

 金時の体質をエジソンやテスラが知ったら、嬉々として研究し始めそうではあるし、黙っておいてやろう。

「ウー……」

 残念そうに肩を落とし、帰ろうとするフランにいなり寿司を差し出す。

「食うか?」

「ゥ!」

 フランケンシュタインに味覚があるのかどうかは不明だが、顔を綻ばせて頬張るフランだった。

「美味いか?」

「ゥゥー!」

「そうか」

 今回のことは玉藻の自業自得に近いが、せめてもの武士の情けとして、無惨にも散って行った玉藻の油揚げをカルデア内に広めてやるとしよう。

 

 

 



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マッドクラウンキャンディ

みんな大好きメッフィー主体です。
メフィストは声が中毒性高すぎて定期的に戦闘に参加させてます。


「…………少し、やり過ぎたかな」

「そだね」

 腕を組み、誰にともなく発した独り言に、お優しいマスターが素っ気ない感想を返してくれた。

 今更ではあるが、私は料理をするのが趣味だ。元々は家にあまりおらず、料理も人並み以下、家庭のことには無精な切嗣のお陰で自然に上達したものだったのだが、常時腹ペコの虎や奇妙な隣人に提供しているうちに趣味の域にまで昇華された。

 料理のいいところと言えば食費の削減という経済的な面もあるが、一番は精神的なものが大きいと私は思う。自分の作った料理を他人に食べてもらい、美味しいと言われる事こそが料理を提供する者にとっての最高の歓びだ。

 だがこの世には過ぎたるは猶及ばざるが如し、という格言がある。

「いやでもこれは素直に凄いよ。カルデア(ここ)では無駄スキルだけど」

「無駄と言うな……悲しくなる」

「大きさ、色、外見……そっくりすぎて今にも動きそうだね」

 カウンターの上に鎮座する飴細工を見て、マスターが関心している。興が乗って、飴細工でフォウを作るにまで至ってしまったのだ。

 マスターも褒めてくれた通り我ながら完璧に近い出来だが、今となっては何故こんなものを、という感情の方が大きい。

「お褒めにあずかり光栄だよ」

 分かっていたことではあったが、マスターに皮肉を投げつけるも、自分に寂寥感が返ってくるだけだった。

 飴細工は日本において食品というよりも専ら芸術のいちカテゴリとして認識されている。手先が器用で物事に執拗までに拘る日本ならではとも言えるだろう。

 さて、これをどうしたものか。

「マスター、食うか?」

「いや、私はいいや……アメとは言えフォウ君食べるとか無理。普通のアメ、あるんでしょ?」

「ああ、元々そっちが目的だったからな」

「わーい」

 王冠や宝石、デフォルメした動物などを模した色とりどりの飴細工をマスターに渡すと、一本を子供のように口に含む。

「んー! 甘くて美味しい!」

 この辺りが世界を担う人物とは思えない童心の持ち主なのだが……そこに救われている者もいるのだろうな。

「……――――」

「ん? 何か言ったかマスター」

「ううん?」

「――ォウ――――」

「……!?」

 何処からか声が聞こえる、と耳を澄ましていると、どうやらその声の主は私の作ったフォウを模した飴細工――いや、馬鹿な。

「フォウ……フォウ……」

「ひいっ!? アメが喋った!」

 苦しそうな声で飴が啼く。

 一般的な常識に当てはめれば飴細工が喋る筈もない。百戦錬磨のマスターが悲鳴をあげるのも無理もない。

 だがここはカルデアだ。人の手で歴史を修正、などとふざけた戯言を実現しようとしている輩が集う場所では何が起きても不思議ではない。

 UFOを自力で召喚する女もいる。

 毎日節電をカルデア内でスローガンに掲げ、午後九時就寝と書かれたプラカードを持って毎晩威嚇してくるフランケンシュタインもいる。

 ストレスからくる胃痛に苦しむ私に胃の全摘を(力づくで)勧める看護婦もいる。

 飴が喋ったくらいでは日常茶飯事もいいところだ。

「フォウ……」

 ……よし、自分の不遇っぷりを思い出したら落ち着いてきた。

 いきなり無生物が啼き出したので少々動揺したが、冷静になればこちらのものだ。

「お前……話せるのか?」

「フォウ……フォ……」

「まさかこの私の料理が命を吹き込む境地にまで辿り着いていたとは……我ながら恐ろしい」

「エミヤ!? それ本当!?」

「フォウ!?」

投影(トレース)開始(オン)――そこだっ!」

 干将・莫耶を投影し、カウンターの下、座って足を入れるスペースに刃を突き立てる。

 と、

「大~~~当たりィィィィィィ! ヒィヤハハハハハハハハぁ!!」

「メフィスト!?」

 布類の破ける音がしたかと思うと、メフィストフェレスが何もない空間から呵々大笑と共に飛び出してきた。

 悪魔は人を騙すのが本分だ。大方、精巧な擬態を使って最初から潜んでいたのだろう。

「アッハハハハハハぁ! バレてましたぁ? バレバレでしたかぁ!?」

「当たり前だ、飴細工が喋ってたまるものか」

「いやいやこれでも(わたくし)道化ですし? 腹話術から詐欺まで、おはようからおやすみまで! 人を騙すことにかけては悪魔(ひと)並み以上と思っていたのですがねぇ!?」

 メフィストフェレス。

 クラスはキャスターだが、その本質は限りなくバーサーカーに近い。彼は反英霊の中でも筆頭の悪を根源とするサーヴァントだ。その出自は単純明快、一言で理解できる『悪魔』というもの。 悪い魔の者。これほど説明の不要なわかりやすい存在もそうはいまい。

 とは言ってもメフィストは実際の悪魔ではなく、悪魔に限りなく近いホムンクルスなのだが――。

「ああっ、我が愛しのミセスマイマスター、今日も一段とセクっスィーなサイドテール! (にく)らしくて(わたくし)の嗜虐心をそそります! (わたくし)、愛撫せずにはいられません!」

「ちょっ、どこ触ってんのよこのスケベピエロ!」

「んん~、(わたくし)悪魔ですのでぇ、何が人間にとって不都合なのか全く皆目とんとわかりませんねェ~」

「この触り方はわかってやってるでしょ!」

 その悪魔は現れるなり、マスターに背後から覆いかぶさってセクハラをしていた。

 とは言っても女傑で知られる我がマスター。そのまま泣き寝入りをする可愛げがある訳もなく。

「このっ……カルデア条例その七! 男性から女性へのセクハラは禁止!」

「ありゃ?」

 メフィストの三つ叉に分かれる尻尾を引っ張って地に倒し、上から踏みつけるマスターだった。

 頼もしすぎて助ける気も起こらなかったのは、女性としてどうなのだろうか。

「あぁん、痛ぁい! 尻尾を引っ張るのだけはお止めください神様仏様お代官様! (わたくし)、何を隠そう(性的な意味で)尻尾が弱点なんですぅ!」

「その括弧の中は何よ! 喜んでるだけじゃない!」

「ところでマスター、先ほどのカルデア条例とやら、女性からのセクハラは許されると読み取れますが?」

「うん、そうだけど? だってそうじゃないとデオンくんやマシュにセクハラできないでしょ」

「なんてエセ素晴らしい自分勝手な規則! 男卑女尊、人権迫害、貞操観念欠如な己の欲望だけを追求した暗君ここに極まれりの悪法! (わたくし)こんなマスターを持って悲しみと感動で涙が止まりません!」

「次やったら尻尾ちょん切るからね」

「なんたる残虐非道! そんなことをされたら(わたくし)の悪魔としてのアイデンティティがクライシスでございます!」

「……いいから少し落ち着け、二人とも」

 メフィストは無駄に饒舌だ。喋らせておくと一人であろうともいつまでも喋り続ける。

 と、見るとマスターが手を後ろで縛って拘束していた。

「おおっとぉ! 忠実なる部下であるサーヴァントに対してこの扱いはどうなのでしょうか? (わたくし)、倒錯趣味は大好物でございますが、一方的に押し付けられるのは苦手な次第! いやまあそれもオツと言うものですが!」

「うるさい。私にセクハラした罰だよ」

「これは手厳しい! そんな事を言われた日には更なる精神的ダメェジを与えるハラスメントを考えなければならないではありませんか!」

「やったら殺すわよ。で、なんでこんな所にいるの?」

「あー……いや、お部屋でほのぼのとスプラッタ映画を見ていたら小腹が空きまして。そう言えばと思いつきここに来てみたのですが、何やらエミヤさんが真剣にお料理されていたご様子」

「ああ……」

「悪魔のサガでどうやって邪魔をしてやろうかと隠れて考えておりましたら、マスターまでもいらっしゃったではないですか。そしたら(わたくし)、全身全霊をもって驚かせるしかないでしょう!」

 恐らく、飴細工を作っていた最中だ。

 飴細工は普通の料理よりも手先に集中力を要するため、周囲への警戒が漫然になっていたかも知れない。

「んんん、食べ物の話をしていたら余計にお腹が空いてきましたねェ。エミヤさん、何かつまめるものありません? (わたくし)悪魔ですので、絶望にまみれた魂とか大好物ですよ?」

「ある訳なかろう」

「メフィストの腹の中なんて黒いもので一杯だから充分でしょ」

「アッヒャハハハァ! いい突っ込みです、その通~りでございますマスター! ここでチョッキン、パックリ、ドロドロ、バーン!と開腹してみてもいいですかぁ? (わたくし)、ハラキリするには充分すぎる悪行を重ねてきております、メフィストフェレス、メフィストフェレスでございまぁす! 介錯はCMのあと!」

「やめろ、食堂の床が汚れる……そこにある竹串ならいくらでも食っていいぞ」

「ウヒっ、いいですねぇその辛辣さ! ですが(わたくし)、出来れば無機物より有機物がお好み!」

「はぁ……」

 無意識に漏れた特大の溜息には、諦観の念が思う存分含まれていたことだろう。

 この手の輩には何を言っても無駄だ。何せ最初からこちらの話など微塵も聞いてはいない。返事はしても、上っ面をなぞっているだけ。無為にも程がある。まだ案山子相手に会話していた方が有意義だ。

「マスター、行こうか」

「そうだね」

 これ以上話していても無駄に時間を消費するだけだ。

 とっとと当初の目的を果たしてしまおう。

「おやおやぁ、放置プレイとは上級者向けですねぇ。出来たら拘束を解いていただけるとメッフィー歓喜の極みなのですが?」

「ダメ。罰としてしばらくそうしてなさい」

「マスターがそう仰るのならば甘んじてお受け致しましょう! (わたくし)、忠臣ですので!」

 何が忠臣だ、と言おうとして口を噤む。言ったところで喜ぶだけだ。

 英霊は全てが立派な人物、という訳ではない。このメフィストのように、自らの愉悦の為に召喚に応じ、それに飽きたら隙あらばマスターに叛こうとする者もいる。

 マスターのことなので、大して心配はしていないが――それでもメフィストフェレスには前科がある。自らを産み出したヨハン・ゲオルグ・ファウストを、『面白くないから』という理由で殺した、と。

 その事実がある限り、メフィストへの警戒はこの先ずっと解かない方がいい。

「ちなみにどちらへ向かわれるのか聞いてもよろしいですか?」

「ああ、この飴細工を皆のところへ持って行く」

「たまにはみんなも、甘いもの食べないとねー」

 この食堂を知っていても、実際に何度も足を運ぶ者は少ない。最も大きな理由としてサーヴァントには食事の必要性があまりないからなのだが、たまには慰安の意味も込め、ということでマスターに飴細工を作ってくれと頼まれたのが、今回の発端だった。

 サーヴァントとは言えものを考え存在している以上、身体も精神も磨耗する。それを気遣おうというマスターの考えに賛同し飴細工を作ったのだ。

 ――が、

「くっ……うふ、うぶふっ、うふふふ……!」

 その意図を聞くなり、メフィストが前傾姿勢で身体を震わせていた。

 笑いを堪えている――らしい。

「何かおかしいか?」

「ええ、ええ、それはもう! アヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハぁ! ギャハっ、ギャハハハハハハハハハハハハハ! アヒハハハハハハハハァ! ぅげほっ、えほっ、アハハぁ」

「……っ」

 そのむせる程の大笑に、思わず怖気が背中を走る。

 『笑う』という行為が元々攻撃的なものだと言ったのは誰だったか。

 メフィストのその感情を無分別に撒き散らす行為は、一種のおぞましさすら覚えた。

「いやいや、いやいやいやいや! 仮にも世界を救おうとしている方々がこぉんな平和な生活をしているのが楽しくって可笑しくって!」

「……我々を道化だとでも言いたいのか?」

「何を今更。カルデア(ここ)にいるのは全員道化じゃあないですか。(わたくし)も道化、貴方も道化! でございましょう?」

 メフィストは。

 この世の全てを己が快楽を満たす為の玩具と嘯く道化師は。

「……何を」

「まったまたァ、エミヤさんほどの聡明な方ならわかっていらっしゃるのでしょう? ここカルデアは人理史修復(グランドオーダー)、ひいては世界を救うという大きな責務を背負っていると言うのに――」

 口が裂けるのではないか、と思うほどに口元を歪め、

「外部の人間は誰も、貴女を支持してはくれない」

 自分のマスターに、言葉の刃を投擲した。

「…………」

 マスターの表情から、いつもの気軽さが消える。

 悪魔は心の隙間に無遠慮に手を突っ込んでくる。

 弱い部分を突き、その傷口を拡げ、つけ込むのが悪魔の手管だ。

人理史修復(グランドオーダー)なんて正直(わたくし)、尻尾を巻いて逃げ出したいですし、立派な英霊である皆さんでさえ一歩引く大仕事……例えそれを成し遂げたとしても、マスターが無事に済む保証など何処にもないじゃないですかァ。それでもまぁ、マスターが世界を救った大英雄として祀られでもするなら(わたくし)、人間の顕示欲として理解できるのです。自分の命より見栄や地位を優先する人間はいつの時代にもいますからねェ。けれど時代が修復されたら、人々は今まで通りの生活を送るだけ。誰も貴女が世界を救ったなんて覚えていないどころか知る事さえない」

 メフィストの言うことは、あながち間違ってはいない。

 人理史修復(グランドオーダー)は、その言葉通り()()()()()だ。

 成し遂げたからと言って何かが大きく変わる訳ではない。いや、何も変わりはしないと断言してもいいだろう。

 この戦いは元より、新しい道を拓くための戦いではなく、()()()()()()()()()の戦い。

 『歴史を元に戻した』などという偉業を達成したと吹聴したところで、誰もそんな事実は信じない。

 ()()()()()()なのだから。

「……マスター、わかっているとは思うが、惑わされるなよ」

「…………」

「貴女はそう、この甘ぁいキャンディのようだ。歴史という口の中で舐め尽くされ、噛み砕かれ、やがて溶かされ消える。誰も消化されたその後の形なんて知ったこっちゃないですし、元の形なんてもちろん覚えちゃいないどころか知りさえしない。そんなマスターに従う我々サーヴァントは道化の道化! (わたくし)生まれついての道化ですが、貴方がたの道化っぷりには到底叶う自信がございませェん! ウぇヒっ、アハハっ、ギャハハハハハ!」

「それ以上言わないで、メフィスト」

 メフィストの諫言にようやく堪忍袋の緒が切れたのか、マスターは顔を伏せたまま口を開く。

 今、マスターの傍にいるサーヴァントは私だけだ。いつでもメフィストが襲いかかって来ても対応出来るよう、心身ともに覚悟を決める。

「おやおやァ? 親愛なる家族同然のサーヴァントを馬鹿にされて、ひょっとしてマスター、おこですか? それともご自分をこき下ろされて激おこですかァ?」

「それ以上言ったら――」

「どうしてくれるのでしょう! 串刺しでバーベキュー? それとも切り裂きでお刺身? はたまた(わたくし)の大大だァい好きな爆破でミンチにしておいしいハンバーグ!? そんなお優しいマスターから期待度満点な事を言われたら、メッフィー望まなくとも言わざるを得ないじゃあないですか!」

「お前を、くすぐる」

「……はい?」

 両の手の指をわきわきと蠢かせながら俯いた顔を上げる彼女の表情は、何てことはない。

 私も幾度か見た、困難に立ち向かう時の不敵な笑顔だった。

「覚悟しなさいよ!」

「えっ? ちょっ、今回そんな流れでしたっけ――アヒャっ、アハハハハハハハハハハハハハハ!」

「そらそらそらそらァ!」

 メフィストの無抵抗をいいことに、首周り、腋、横腹、足の裏と容赦なくマスターの指が這いずり回る。

 快楽も行き過ぎればただの毒。特に大声を上げて笑うのには体力が要る。

「アッハハハァ! ウヒッ、ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 人間にしてもかなりの長身であるメフィストを小さなマスターが蹂躙する様は、中々にシュールだった。

「ふっ」

マスターの悪魔退治だ。私も参加せねばなるまい。

投影(トレース)開始(オン)――――」

 投影魔術によりブラシを投影。メフィストに馬乗りになるマスターに手渡す。

「マスター、これを使うといい」

「ん? なにこれ?」

「特別に柔らかい鳥の羽根で作った羽毛ブラシだ。人をくすぐることに関しては最適解と言えよう」

「ほう……そいつはクールだね」

「エミヤさぁん、貴方悪魔ですかァ!?」

 まさか悪魔もどきに悪魔と呼ばれる日が来るとは思わなんだ。

 だがマスターを精神的に試した結果の自業自得だ。同情の余地はない。

「ギャヒっ、アヒャハハハハハ、うぇほっ、がはっ、ギャハハハハハハハハハハハハぁ! アヒいいいいいいぃぃぃぃぃ!」

「どうだ、そろそろ降参するか!」

「します! ギブ、ギブアップでございますマぁスター! (わたくし)が悪うございましたァ! いくらカッコ悪い死に方が様になる(わたくし)とは言え、笑いまくって腸捻転で死ぬのはちょっとどころかものすごーく嫌ですぅ! ごめんなさァい、許してくださいませェ!」

 その言葉にようやく気が済んだのか、息も荒く強制的な快楽の余韻を残し全身を痙攣させるメフィストから離れる。

 紛い物とは言え、悪魔をくすぐりで屈服させた例など聞いたことがない。

 数分後、息を整えたメフィストがゆっくりとした動作で細長い上半身をもたげる。

「なかなかにお上手でしたマスター……常に躁状態の(わたくし)を更に笑わせることでこらしめるとは、(わたくし)思いつきもしませんでした! 素晴らしい、アンビリーバボー!」

「はい、ちゃんと謝れたご褒美」

 マスターは宝石を模した棒つきキャンディをメフィストの口内に突っ込むと、

「ンン~、(あんま)ぁい!」

「ね、メフィスト」

 座り込み、未だ手を後ろで拘束され、地面に座すメフィストと目線を合わせる。

「メフィストは言ったよね、仮に私が世界を救っても、誰も褒めてなんてくれないって」

「ええ、ええ。言いましたとも! どのような心持ちで挑んでいらっしゃるのか是非聞きたいのですが?」

「私にそんな大層なもの、ないよ。世界の危機があって、偶然その場に私がいて、私がなんとか出来そうだった。それだけだよ」

「…………」

 自分の理不尽とも言える境遇を呪う訳でも、嘆く訳でもなく。

 彼女は静かに笑った。

「でもいいんだ、私はそういう役割を与えられて、悪くないと思ってる。マシュやロマンのいるこの世界を守りたいと思うし――それに例え歴史が消えたとしても、みんながいて、笑って過ごしたこの時間は間違いなく楽しくて、今確かにここにあるものだから」

「つまりこれは運命や宿命だから、甘んじて享受すると?」

「だからそんな大袈裟なものじゃないって。あんただってそうでしょ、悪魔メフィストフェレス」

「…………」

 悪魔として魔術師に産み出されたメフィストフェレスは、悪魔として生きるしかない。それは生き様や嗜好、志といった範疇の話ではなく、もっと根幹的な問題。我々が人間として産まれ人間として生きていかねばならないのと同様、彼は悪魔として生きるしか道はない。そうしなければ、彼に存在意義などないのだから。

 だがマスターはそれが自分のあるがままの姿だと言う。そうあるべくしてそうなった。だから大切なのは悲愴的な現状やこの先待ち受ける困難を嘆くことではなく、楽しむことだと。

「うふふ、(わたくし)、自分を享楽主義だと自負しておりましたが、貴女はそれ以上だ。どんな状況でも楽しめる、そんな事をご主人にされたら道化としても悪魔としても面目丸潰れでェす! 何をしても絶望させられず喜ばれてしまったら、犬のように真っ黒なお腹を見せて心の底から服従するしかないじゃありませんか!」

「じゃ、また協力してくれる?」

(わたくし)は見ての通りの道化ですのでェ、マスターが望めば例え火の中水の中! とは言っても本当に火の中は爆発物的な意味でご勘弁ですが、面白可笑しく死ぬまでお付き合いしますよぉ?」

「そ。じゃあよろしくね!」

「ええ、ええ。こちらこそ! その代わり道中で絶望するようなことがありましたら、自害はぜひ(わたくし)めにご用命を! 世界中の誰もが爆笑するような死に方を演出するとお約束しましょう!」

 言って、メフィストは咥えていた棒つき飴を竹串ごと噛み砕いて飲み込むと、自ら拘束を解き立ち上がる。

「ごちそうさま。それでは名残惜しいですが今日はこの辺りで。これ以上マスターの芯に触れたらそれこそ心酔してしまいそうなので! そんな(わたくし)(わたくし)ではありません。(わたくし)、死ぬまでふざけるつもりの天邪鬼ですから! アーハッハッハッハッハァ!」

 気狂いじみた高笑いと共に道化は颯爽と去る。

 残されたマスターは、私に振り返りいつもの笑顔を見せた。

「じゃ、みんなにアメ渡しに行こっか」

「……ああ」

 寿命があり、いつか死を迎える人間とは違い、極端な話、召喚に応じさえすればいつの時代にも現れる我々英霊は永遠に近い。

 だが人類史に深く根付く我々は、歴史を変えることなど出来ない。いつだって歴史をつくるのは人間だ。

「あの飴細工はフォウ本人にやるとするか」

「それじゃ共食いだよ」

 いつか忘れる、歴史にすら刻まれないこの日常も、確かに今ここにある、か。

 時代を跨ぐ我々には、必要不可欠な言葉だ。

 

 



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鉄壁こたつ要塞おでん

ノッブ(弓)とおき太です。
マシュ語りになってます。


「えっと……」

 確かこの辺りだった筈です。

 先輩が召喚、契約しカルデアに滞在しているサーヴァントも、はや七十人を越えました。呼び出す分には各部屋に通信手段があるので楽なのですが、そのお陰でこうして個人に割り当てられた目当ての方の部屋を見つけるのも一苦労です。

「あ、あった」

 今日は先輩のおつかいで、沖田さんの部屋に来ています。ドクターが用意した、『沖田』と達筆で書かれた表札がかかっている沖田さんの部屋は、和室です。入口も襖なのですが、襖ってノックするものなんでしょうか?

 日本の作法には疎いのでわかりませんが、少し思案したのちに声を掛けることにしました。

「沖田さん、失礼します。マシュ・キリエライトです」

「はーい、入ってどうぞです」

 西洋のドアとは違い、襖は大した抵抗もなくすっと横に開きます。

 ところでこの襖、鍵とかかかるんでしょうか。いくら使い魔(サーヴァント)とは言え、プライベートくらい保証してくれてもいいと思いますが。

「お邪魔しま――」

「いらっしゃいませー」

「な……」

 薄手の甚平を着てこたつに入り、机に顔を押し付けてだらけている沖田さんに出迎えられました。

 沖田さんの部屋は四畳半。部屋の中心には大きめのこたつ。

 正直言って、狭いです。こたつでその部屋の面積ほとんどが占められています。

 『起きて半畳、寝て一畳。天下取っても四畳半』。

 人間どれだけ権力を持とうと、所詮人間一人の大きさはその程度。必要以上の贅沢はするべきではない、という意味です。日本にはそんな良い格言がありますが、これは狭すぎです。

 どうやって寝てるのか――ああ、そうか。こたつをふとん代わりに寝てるんですね。

「す、すごい部屋ですね……」

「そうですか? 組の屯所もこんな感じでしたよ?」

「少し片付けましょうよ……」

「あはは、為三郎さんにもよく言われてました……いやあ、新撰組は無精な野郎ばっかりで、片付けなんて年の暮れくらいしか」

 こたつの上は雑誌、おかし、飲みかけのペットボトル、チクタク○ン○ン、CDケース、3○S、と非常にカオスな様相で散らかっていました。

「まぁまぁ、盾子さんも入ってくださいよ」

「マシュです。ああいえ、私は用が――」

「戻ったぞ……ん?」

 用件を伝えようとする前に、背後から信長さんがやって来ました。

 ダヴィンチちゃんがピンハネしてるともっぱら噂されるカルデア内の購買で買って来たのか、ビニール袋をぶら下げて。

「なんじゃ、盾子ではないか」

「マシュです。今日は沖田さんに用事が――」

「なんでもいいわい、早くどかんか。わしが入れんじゃろ」

「す、すみません」

 信長さんに押される形で部屋の中へ。

「はぁ、生き返るのう!」

 さっさとこたつに潜り込む信長さんに、一人だけ狭い部屋で立っているのも所在なく、なんとなしに恐る恐るこたつに足を入れるのでした。

「む……こ、これは!」

 ここ人理継続保障機関フィニス・カルデアは、超がつく田舎に位置します。

 どれくらい田舎かと言うと、まずものすごく高い山の上です。マウントフジなんて目じゃないくらいに高いです。登山が趣味、程度の山ガール精神では到底登っては来れないくらいの標高に位置します。田舎と言うよりはもう秘境の類ですね。

 そんなカルデアなので、基本的には寒いのです。標高千メートルにつき、マイナス六度。標高による気温差の目安です。カルデアは標高六千メートルに位置しますので、例え平地が三十五度の真夏日でも、カルデアは氷点下ということになります。建物内は空調が効いてはいますが、真夏だろうと外に出ると雪が降っているような場所です。

「ああ、温かい……」

 そんな、日々女性の天敵冷え性と戦う環境下、通常のテーブルと椅子とは違い、腰から下が布団にくるまれるよりも温かい、という未知の領域。露出している腕もこたつ布団の中に入れれば温まるという隙のなさです。不意に湧き上がる、全身をこたつ布団の中に入れてしまいたい誘惑を全力で打ち消します。

 こたつの存在と構造こそ知ってはいましたが、未経験でした。なるほど、これは沖田さんが堕落してしまうのも頷けますね。だからと言って堕落していい訳ではありませんけれど。

「こたつは素晴らしいでしょう? 日本の誇るべき発明ですよ」

「それはわかりますが……こたつって冬に出すものじゃないんですか?」

「よいではないか、ここは寒いしこたつは飯も食える、そのまま眠れると何かと便利じゃし……ほれ、せっかくわしが買って来たのじゃから溶ける前に喰らうぞ」

「これは……アイスですか?」

 信長さんが持って来たビニール袋の中から出て来たのは、数個のアイスクリームでした。

「おこたに入りながら食べるアイスが美味しいんですよぉ」

「ほれ、盾子も遠慮するでない」

「あ、ありがとうございます……」

「沖田さんはモナ王もらいますねー」

「盾子はクーリッシュと雪見だいふくどっちがよい? あずきバーはわしのじゃからな」

「じゃあ雪見だいふくで……って違います!」

 こたつの魅力に本来の目的を忘れるところでした。

 恐るべしこたつの魔力……。

「なんじゃ喧々と……やかましいのう」

「私はお二人にクエストに行きましょう、と言いに来たんです」

「クエスト?」

「はい、今日は剣の種火が出るそうで、沖田さんと信長さんを連れて一狩り行って来い、と命令を」

「いやいや無理ですよそんなの」

「で、あるな」

「え?」

「一度入ったこたつからは何をとは言いませんがもよおすまで出られない。これはあの稀代のカタブツ近藤さんでさえ言ってました」

「絶対嘘でしょうそれ!」

「っていうか沖田さん病弱ですしー、ごほっ、ごほっ(棒)」

「まぁ、是非もないよネー」

「…………」

 英霊とは一体何だったのでしょうか。そんな事を考えさせられる人たちでした。

 常に破天荒な信長さんはまだしも、沖田さんは割と真面目に仕事をしてくれる方なのですが、こうやって二人組み合わさるとこんな感じです。

 と、

「?」

 部屋の外から、規則的な音が聞こえます。

 騎士の英霊でしょうか、甲冑に似たがちゃ、がちゃ、といった音が足音に並んでいます。

 甲冑と言えばレオニダスさんかランスロットさんあたりでしょうか。ジャンヌさんやアルトリアさんという可能性もあります。そう考えると結構、カルデアには甲冑を着ている方は多いですね。

「この音は……!」

「ヤツが……ヤツが来おる!」

「ヤツ? 誰のことですか?」

「ヤツは悪魔じゃ……その残酷ぶりは第六天魔王と呼ばれたわしですら霞みおる……」

 あの自信だけは無駄にある信長さんが震えていました。

「身を隠せい、沖田、盾子! このままでは我らは金ヶ崎の二の舞じゃ! ええい、サルとタヌキはどこじゃ! わしを守れィ!」

 金ヶ崎って確か信長さんの敗戦でしたっけ。調子に乗りすぎて信長さんを良く思ってない人たちに包囲されて、後の豊臣秀吉と徳川家康に護られて命からがら逃げ出したとどこかで聞いたことが。

 ……今もあんまり変わってませんね、この人は。

 しかしこの怯えよう、一体誰が――。

「掃除の時間だ!」

「ひゃあああああああああああ!」

「ぎゃあああああああああああ!」

「あ、エミヤさん」

「マシュか。おはよう」

 勢い良く襖を開けたのは、エミヤさんでした。頭と口元に三角巾、胴にはエプロンをつけ片手には掃除機。もう片手にはぞうきん二枚、ポケットから見えるのは透明な数枚の40リットルビニール袋と完璧な装備です。

 あの甲冑みたいな音は掃除機の音だったんですね。

 余談ですが、エミヤさんはたまにこうやって他のサーヴァントのお部屋も掃除してくれています。なんでも汚い部屋が許せないとかなんとか。ついこの間、それが原因でジャンヌオルタさんの悲鳴がカルデア内全域に響き渡ったのは記憶に新しいです。

 しかし、なぜお二人はこんなにもエミヤさんを恐れているのでしょうか。目下不明です。

「……まだこたつを出しっぱなしにしているのか……?」

「い、いえこれは……話を聞いてくださいエミヤさん」

「もう夏になることだし、減り張りをつける為にも次に掃除しに来るまでにしまっておけ、と言った筈だが……私の記憶間違いか?」

「い、いやほら、こたつは日本の心じゃないですか! エミヤさんも日本人ですし、わかるでしょう!?」

「わかるがそれとこれとは話が別だ! 私が来たからには跡形もなく片付けさせてもらうぞ」

「そんなご無体な!」

「さあ、とっととこたつから出ろ!」

「ぬしゃあ血も涙もないのか!?」

 沖田さんと信長さんの悲痛な訴えも虚しく、こたつのコンセントを引っこ抜き、机を持ち上げるエミヤさん。容赦ありませんでした。

 ああ……無精なお二人にとって、お母さんスキルの高いエミヤさんは天敵みたいなものなんでしょうね。

 見事な手際で机の上を片付け、こたつを解体し、ごみを掃除機で吸って行く。それはさながらひとつのミュージカルを見ているようでした。その様子を、アイスをくわえながら涙して見守るしかないお二人も演出に一役買っています。

「……この布は」

「あ、誠の旗! そんなところにあったんですね」

「誠の旗って……」

 カルデアでは使いませんが、確か沖田さんの宝具だった覚えがあります。なんでも新撰組の皆さんを単独召喚するすごいものだとか。

 ……その割には、なんだか茶色いシミがついちゃってますけれど。

「それこの間おでん食べてた時に鍋の下に敷いてたら、ノッブがはしゃいでおつゆこぼしちゃって」

「うつけ! あれは貴様がわしの卵を全部食うからであろう!」

「それは……ノッブがちくわぶ買ってこないからでしょう!」

「なんじゃちくわぶって、モッチャリ甘くて飯が進まんではないか! やはりおでんと言えば卵と牛スジに辛子をつけて白米と日本酒で一杯じゃろう!」

「ノッブはあの煮崩れ寸前のちくわぶの美味しさを知らないからそんなこと言えるんですー! 芋侍出身の私にはこんにゃくと大根が大正義なんですぅー! それになんですかノッブのあの汚い食べ方!」

「なにおう!」

「おでんの鍋にごはん突っ込むなんて育ちが知れますよ! ノッブはしたない!」

「仕方ないじゃろ、おでんつゆ美味すぎるんじゃもん! わしゃあ湯漬けに味噌焼きが一番の馳走の時代の人間じゃぞ! ばーかばーか!」

 おでん論を中心に据えた世にも醜い争いでした。

 もちろんそんなやり取りをエミヤさんが見過ごす訳もなく。

「そんなことよりも大事な誠の旗をおでんの鍋敷きにするとは何事だ!」

「う……」

「さあ、見ていないで自分で片付けろ!」

「はい……」

「ぐう……覚えておれよ貴様……」

 一分の隙もない大義名分に負け、のろのろと部屋のお片付けを始める沖田さんと信長さんでした。

 さすがに見かねたのか、エミヤさんがため息をわざとらしくひとつ、

「食堂におでんを仕込んである。掃除とレイシフトを無事終えたら鍋ごとくれてやろう」

「まことか!」

「ああ、昨日の夜煮込んで今日一日冷ましてあるからいい塩梅になっているだろう」

「やった、エミヤさんのおでん!」

「こうなったらマスターと盾子も交えて一杯やるとするかのう!」

「そうですね……お酒は飲めませんが、楽しみです」

 掃除をして、お仕事に出て、帰って仲間で一緒にご飯を食べる。

 半身(デミ)とは言えサーヴァントとしては正しくはないのでしょうが――こんな『普通』こそが、私や先輩が望み取り返そうとしているものです。

 貴重な時間です。大切にしましょう。

「ああ、だからきちんと掃除を……む、なんだこの布切れは――」

「あっ」

 頬を綻ばせるエミヤさんが雑誌や衣類の海からつまみ出したのは。

 紛うことなく、下着でした。

 この部屋にある以上はもちろん、女性用の。

「のあ――――――っ!」

「ぎゃ――――――っ!」

「まったく……下着類は直接肌に着けるため汚れ易い。脱いだその日のうちに洗うと長持ちするんだ、こまめに洗濯をしろ。これは手洗い、これは洗濯機……と」

「うら若きおとめ相手に汚れなんて言わないでください!」

 お二人の悲鳴などいざ知らず、家事スキルを遺憾なく発揮し洗濯物の選別をしていくエミヤさんでした。

 ……女性の下着をこうも平気に扱うとは、生前もこんな感じだったんでしょうか。

 私も強制的お片づけの憂き目に遭わないよう、どんなに忙しくても身の周りのことはきちんとすることにしましょう。先輩にも言っておかないと……。

「ぬしゃあデリカシーの欠片もないのか!」

「悔しかったら身の周りくらいきちんとしろ。君たちは私と違い、日本人の誰もが知る立派な英霊だろう」

「…………」

「…………」

 硬軟織り交ぜたエミヤさんの言い分に、もはやぐうの音も出ないお二人でした。

 同じ女性として同情せざるを得ませんが、かなりの割合で自業自得ですね。

 それにしても、天下の沖田総司と織田信長に掃除させる人なんて今も昔もエミヤさんしかいないでしょうね。

「片方しかない靴下もちゃんと相方を探し出せよ!」

「ああ、身体に障るからって掃除しなくて済んでたあの頃が懐かしい……」

「よく掃除を命じておったが、成利もこんな気持ちじゃったのかのう……」

 ぶつくさ言いながら掃除を始める二人を見て、ふと頬が緩みます。

 さて、私も掃除のお手伝いするとしましょうか。

 

 



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サバの塩焼き定食

両儀式です。アサシンとセイバー両方。
FGOにおいては剣式の説明が少なくて、どんな存在なのか、式とは別人だ、とか初見さんはわからないんじゃ……と思う次第。



投影(トレース)開始(オン)

 投影魔術で柳刃包丁を投影。

 本日は諸事情により魚が大量に入荷したので、今日のメインは魚料理だ。包丁は明確には剣ではないのでランクは落ちるが、類似品ということでそれなりの品質は保っている。料理をする分には十分過ぎる程だろう。

「よう」

 と、投影した刃の出来を見ていると両儀がふらりと現れた。

 いつも着物の上から革ジャンという奇妙な組み合わせを着こなす彼女の名は、両儀式。クラスはアサシンのサーヴァント。

「両儀か。ここに来るのは初めてじゃないか?」

「そうだっけ。ヒマで仕方ないから散歩してたんだ」

「せっかく来たんだ。何か食っていくか?」

「ん……そうだな、米がいいな。ここじゃ外人が多いせいかパンばっかりだ。たまには白米に漬物つけてみそ汁で食いたい」

「その気持ちは痛いほどわかるぞ、両儀。どれ、すぐに用意してやろう」

「ありがとさん」

 私も正義の味方として活動していた際あらゆる国を周ったものだが、望郷の念に駆られた際、最初に思うのはやはり『白米とみそ汁が食いたい』、だ。やはり日本人はどこに行き着こうと米と味噌に還るのだろうか。

「白味噌しかないが、いいか」

「いいよ、赤でも白でもピンクでも……くぁ」

 欠伸をしながら席に着く両儀。その様はなんというか(ものう)げ、という言葉がぴったり当てはまった。

 戦闘中は背筋が凍るような純粋な殺気を放つ彼女だが、日常生活に置いては底抜けにアンニュイである。

 だが。

 そんな彼女の性格に反して彼女が持つサーヴァントとしての能力は、正気の沙汰の外にいるものだ。

 死を視る眼。

 直死の魔眼と呼ばれる、数ある魔眼の中でも最高位のクラスに数えられる眼を生まれつき持つ両儀は、文字通り死という事象そのものを視覚情報として捉える。

 彼女が言うには、それはものの綻び。永遠に朽ちない存在でなければ死は必ず訪れる、という常識に則り常識を乗っ取り、死を視覚化したものが直死の魔眼だ。

 視えれば触れる。

 触る事が出来れば干渉も出来る。

 死に触れそれを途絶させれば、どんなものでも『殺す』ことが出来るだろう。

 だが――人間、いや生物にとって最大の悪であり恐怖である死がなんでもない風景と同じように視える、というのは如何ばかりか。想像しただけでもおぞましく恐ろしい。まともな精神の人間であれば、気が狂ってもおかしくはないだろう。

 両儀が年齢の割にある意味達観しているように見えるのも、そのせいなのかも知れなかった。

「なに難しい顔してるんだ?」

「いや、別に」

「あんたも魔術師だっけ。言っとくけど、オレに魔眼(このめ)のこと聞いても無駄だよ。オレは魔術なんてものはパンの耳程も知らないし、この眼のことも偶然知り合いに聞いただけだからな」

「いや、そんなつもりはないよ……惣菜は何かリクエストはあるか?」

「ストロベリーアイス」

「……それはデザートだろう」

「じゃ、焼き魚に大根おろしでもつけてくれ」

「了解した」

 魔術の極地点を生まれつき持つ両儀を思い、畏怖と羨望の意が顔に出てしまっていたか。私もまだ若い。

 魚ならばつい昨日、オケアノスで英雄王と競って大量にサバを釣ってきたのだ。何を隠そう、今日の魚の大量入荷もそれが原因だ。勝負の結果は全くの同数の分け。次こそはあの金にものを言わせれば済むと思っている金満野蛮人を最新鋭釣具で負かしてやらねばならない。

 さて、両儀には同じ祖国の人間のよしみで脂の乗ったサバを食わせてやろう。

 と、両儀が頬杖をつきながらふと口を開いた。

「なあ……マスターに聞いたところによるとお前、魔術で武器を作るのが得意なんだって?」

「ん、ああ……そうだが?」

「さっき包丁を何もないところから取り出したよな。あれが投影魔術なのか?」

「そうだよ」

 さっき包丁を投影していたのを見られていたらしい。

 両儀もクラスはアサシンだ。警戒していない者に気取られることなく近付くくらいは可能なのだろう。

 私の魔術はかなり特殊な部類なので、他の誰かがおいそれと真似出来るものではない。見られても一向に構わないものではあるのだが。

「じゃあ、さ」

「?」

 両儀が目線を泳がせ、何処か落ち着かない様子でそわそわしていた。こんな両儀は珍しい。

「日本刀とか、出せるのか?」

「ああ、私の得意分野だ。見た事のある剣ならばかなりの精度で複製できるぞ」

「本当か!?」

 彼女は今まで出した事のないような大声と共に身を乗り出す。

 その一言が、始まりだったのだ。

 数分後。

投影(トレース)開始(オン)――まずは小手調べだ」

「馬鹿にするなよ、村正だ。徳川家の人間の死に多く関わったことから徳川を滅ぼす妖刀と言われる日本一有名と言ってもいい刀だな。ったく、刀が人を斬るんじゃない。人が人を斬るんだ」

「それには激しく同感だ……投影(トレース)開始(オン)――これはどうだ」

「数珠丸。天下五剣のひとつ。日蓮が数珠をつけて魔除け代わりにした事から名前がつく。色が鮮やかで綺麗だな……煩悩を払い除けた坊さんが魅入るくらいのことはある」

「正解。少し簡単すぎたか……投影(トレース)開始(オン)――そら、これは?」

「これは……見たことないけど被雷した跡があるから雷切か? 立花道雪の愛刀だな」

「正解。投影(トレース)開始(オン)――これは?」

大包平(おおかねひら)! 童子斬りと並ぶ名刀じゃないか! この武骨な大刀でありながら有無を言わせない曲線美……すごいなお前!」

「ふふ……まだまだこんなものではないぞ」

「次! 次はなんだ!?」

 剣マニアと日本刀マニアが邂逅したらこうなる、といういい例だった。

 私は一度目にした武器を構造ごと解析して投影する、という特質を持った変わった魔術師だ。私がまだ若い頃、日本では日本刀展が多く開かれていたので日本屈指の名刀もかなりの数を押さえてある。両儀は剣と言うよりは日本刀やナイフに特化しているとは言え、カルデアで剣の良さを一緒に語れるのは両儀くらいだろう。

 しかし、剣で投影古今東西をするのがこんなに心躍るとは!

 まずい、正直楽しくて仕方がない。やはり趣味の共有は素晴らしい。好きな料理で語れる同僚はカルデアにはいないのだ。

 こんなに顔を輝かせている両儀も初めて見るかも知れん。いつも日常生活ではふわふわとつかみ所のない両儀とは思えんほどだ。ああ、服装や話し方から近代日本から来たらしいし、生きているうちに友人になれたらどれ程良かったことか……!

「これは?」

「ノサダの銘に文字が彫ってあるから九字兼定だ。新撰組の土方歳三が持ってたことで有名だよな」

「……え?」

 兼定を投影した覚えはない。という事は、両儀がどこからか持ち出してきた――というのも両儀の様子を見れば違うとわかる。

 視線を向けると、はしゃいでいる私と両儀の傍らに、いつの間にか第三者がいた。

 鞘に収めた九字兼定を私と両儀の間に置き、嫋やかな笑みを浮かべているのは、

「両儀……式」

「なんだよ、いきなり名前呼んだりして」

 和服を着込み、目の前の両儀から幾分か年を重ねた両儀式だった。それにしても両儀……今の今まで日本刀について語り合っていた彼女の様子がおかしい。

 そう、まるで彼女がそこにいないかのように振舞っている。

 ……どういうことだ?

「ごきげんよう、エミヤさん……でしたっけ。ちょっとした事情でその子に私は見えないの。適当に話を合わせておいてもらえるかしら?」

「……? おい、大丈夫かよエミヤ」

「あ、ああ。大丈夫だ……食事も忘れていたことだし、少し休憩しようか」

「そうだな、次は青木兼元を出してくれよ。一度見てみたい」

 同一人物のサーヴァントが別の側面から召喚されることは度々ある。アルトリアやクーフーリンがいい例だ。アルトリアを例に挙げると彼女は実に今カルデアにいるだけでも四つの側面から召喚されている。

 本来のセイバークラスであるアルトリア。

 冷徹な暴君としての側面を前面に押し出したセイバー・アルトリア・オルタナティブ。

 モードレッドに止めを刺したロンの槍(ロンゴミニアド)を扱うランサークラスとしてのアルトリア。

 聖剣エクスカリバーを抜かなかった、という前提のセイバー・アルトリア・リリィ。

 他にもセイバーに良く似た謎の青ジャージがいるがあれはたぶん違う。

 今ここにいる両儀もその一例だ。アサシンとしてナイフを扱う両儀に、セイバーとして日本刀を扱う両儀。私の眼から見たら外見はともかく性格くらいしかあまり違いはないように見えるのだが、その実中身は全然違うものなのかも知れない。

 いや――違う、のだろう。

 セイバークラスである両儀は穏やかで大和撫子を体現したような風態だが、どこか――この世のものとは思えない何かを感じる。

 私の推測に過ぎない上に失礼極まりないが、そもそも少々歳を経ただけで別側面とはとてもじゃないが言い難い。サーヴァントは性格や年齢の違いくらいで水増しできるようなものではないのだ。

「警戒しているのね、可愛い」

「…………」

 両儀への食事の用意をする私の背中に向け、両儀が微笑を含んだ声を一方的に投げ掛ける。

 聞きようによっては嘲られているとも取れる台詞だったが、気分が悪くならないのは、その声に侮蔑や嘲笑といった類の念が一切感じられないからだろう。

 それこそ、人間として不自然な程に。

「貴方は魔術師だったわね……私は根源に接続している、と言えばわかるかしら?」

「…………!」

「大丈夫よ、私はここに居ても何処にも居ない夢か幻のような存在(もの)だから。何か大それたことをする気はないし、英霊として召喚された今はそんな力もないわ」

 根源への接続。それは魔術師最終の悲願にて永久に届かない場所だ。根源接続を成した存在など、魔術師にとっては神に近い。

 いや、神だ。断言しよう。

 何しろ何でも出来る。

 聖杯など目ではない。

 そも根源とはこの世界の原因と結果が予め全て在る、世界そのもののデバッグルームのようなものだ。我々サーヴァントもその根源に本体があり、召喚は根源よりのコピーと言われているのが通説である。そんな根源に意志を持った人の身で到達したのならば、世界を自分の好きな形に組み替えることすら可能だろう。それ故に、根源に到達する過程で世界より大きな修正がかかる為、未だ人の身で到達した者はいないとされている。この両儀の言う事が嘘か真かこの場で判断は出来ないが、真実ならばその人離れした雰囲気も大いに納得できる。

 結論として、彼女は両儀式ではない。

 両儀式の姿をした他の何かだ。

 根源接続を成している、というだけで非常に危険な存在だが――彼女の言う通り、英霊として召喚されたからにはマスターに従う義務がある。

 警戒に足る存在ではあるが、今すぐに対処しなければならない類のものではないだろう。

 ならば、今は食堂(ここ)の客だ。

「さあ、出来たぞ」

「ああ、サンキュ」

「……あら」

 両儀の目の前と、両儀の死角に一膳ずつ。計二膳を用意する。

 もう一膳は無論、私が食べるものではない。

 初めて見る驚きに似た表情を浮かべたのも一瞬、柔らかく眼を細めると無言で席に着いた。

「いただきます」

「いただきます」

 二人とも揃って箸を持ち、焼き魚を突つき、白米を口に運び、みそ汁をすする。

 方や革ジャンに方や着物という対比的な二人だったが、その和食を流麗な所作で口に運ぶ姿は、鏡写しのようにそっくりでいて、様になっていた。

「……ん。サーヴァントってのは戦うだけの機械みたいなもんかと思ってたけど、お前みたいな変わった奴もいるんだな。普通にうまいよ」

「おいしい。私、自分の意志で食事を摂ったことなんてないから、とても新鮮だわ」

「そうか、それは良かった」

 根源に至ったものは、その時点で人としての機能を不要なものとして失くす。食事も睡眠も必要がない。そもそも生死という概念すら存在しない。

 だが逆を説けば、彼女には友と笑うことも傷つき泣くことも出来ない。

 それは――少し、悲しい。

「……なあ両儀、ひとつ聞いていいか?」

「なんだよ」

「なにかしら?」

「何でも殺せ(でき)る存在は、果たして幸せなのかな」

「なんだそれ、禅問答か?」

「…………」

「ただの戯言だよ。忘れてくれ」

「オレはただの人斬りだからわかんないよ。けど、誰か一人でも認めてくれて、そいつと手を繋げるなら、幸せなんじゃないのかな」

「私は幸せ。私をこの子ごと好きになってくれた人もいるのだから」

「……そうか」

 二人の両儀が元の世界でどのような経緯を辿り、カルデアに召喚されたのかはわからない。

 だが、待っている人はいるのだ。

 待っている人間を持つ者は強い。

 私のように全てを棄てた人間もまた別の強さを持つが、人間は自分よりも他人の為に強くなる生き物だ。最終的にはその差が明暗を分ける。

 私の両儀に対する危惧も、恐らくは杞憂に終わることだろう。

「ふっ」

 自分への嘲笑を含め鼻で笑い、冷凍庫の扉を開ける。

「デザートだ。アイス、食うか?」

「食う。ストロベリーな」

「食べないわ。私、アイスクリームが苦手なの」

「ストロベリー……これか」

「ごちそうさま」

 冷凍庫の中に入っていたカップのストロベリーアイスを取り出す。マスターの名前を記した付箋がついていた気もするが、気のせいだろう。付箋を剥がして両儀に渡す。

「ほら……ん?」

 振り返ると、和服の彼女は最初からいなかったかのように姿を消していた。

「サンキュ。それよりさっきの続きやろうぜ、続き」

「……ああ、次からはそう簡単には行かんぞ」

 両儀の姿をした名も無き亡霊は、英霊という形を借りて新たな夢を見る。

 彼女はあってはならないオーパーツのようなものだ。遥か未来、カルデアに残った記録を見て驚愕する魔術師もいるやも知れない。

 我々は何としても人理史修復(グランドオーダー)を成し遂げねばならない。

投影(トレース)開始(オン)――」

 全能でありながら何も望まない彼女がいた事を、人類史に記す為に。

 

 

 



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凶骨デミグラスハンバーグ

アステリオスの捏造過去話です。
アステリオスは育ててカレスコつけると楽しい……。


 がちゃん、ばりん、べきん。

 投影したハンマーで料理用の凶骨を砕いていると、のっそりと入り口に巨大な影が現れる。黒い肌に白い髪、赤い瞳。

「えみ、や」

「アステリオスか、ど――」

 どうした、と言い切る前に事態は把握できた。アステリオスの肩にマスターが干された布団のようにくの字に乗っかっているのである。

 マスターのことだ。大方、腹が減って動けないとかそんな理由だろう。

「エミヤ……ご、ごはん……」

 アステリオスに降ろしてもらうなり、椅子に座って頬を卓上に擦り付けるマスターだった。

「だらしないぞ、仮にも女の子ともあろうものがそんな」

「お説教は今度にして……お腹空いて倒れそう」

「ますたーは、おなかが、へってるみたい、だ。おなかがすくと、げんきがでない」

「はぁ……仕方ない。何が食べたい?」

「飯と肉」

 女子力もへったくれもなかった。私も生前、家に女子力とは程遠い虎が一匹いたのでそういった女性の扱いに慣れてはいるが……いや、食事量を考えるとマスターの方が上だ。本気か?

「あ、そうだ。ハンバーグ作ってよ。昔……えっと、誰かが召喚された記念で作ってたよね」

「はんばーぐ……」

「ああ、あれはもう作れない」

「え、なんで?」

「準備に日単位で時間がかかるし……何より無粋だろう。なぁアステリオス」

「無粋?」

「はん、ばーぐ。えうりゅあれ、よろこんで、くれた」

「あー……そっか、エウリュアレの時か」

 ちなみにこの凶骨、豚骨のように煮込んでダシを取ると結構美味いことから砕いて煮てラーメンにしている。だが牛骨ラーメンのように濃厚すぎる上にカロリー満点という理由から、非常に好みが分かれる。特に女性陣には敬遠されがちだ。サーヴァントにカロリーはあまり関係ないのだが、やはり生前根付いた食習慣は英霊になったところでそうは変わらないらしい。カロリーたっぷりの料理やスイーツは女性にとっては最大のご馳走であり最大の敵でもある。にも構わず美味いと大盛りを食うマスターには料理人として脱帽せざるを得ない。

 閑話休題。

 これはまだカルデアが人理史修復を目的に始動し少し経った頃の話。サーヴァントの数は今の半数以下と言ったところだったか。私はかなりの初期に召喚されたので、この中では古株に入る。

 カルデア内にかつて局員が利用していたが今は使っていない食堂がある、と聞き私は暇を見ては覗きに来ていた。機能していないとは言え、食堂は食堂。何も利用する人間がいなくなった訳ではない。ここにはマスターやロマニといった現在進行形で働く人間もいるのだ。

「業務用オーブン、コンロ三つ、中華鍋に蒸し器に真空調理機まであるのか……生意気だな」

 魔術師絡みの食堂にしては結構な設備じゃないか、と関心を示していると、

 がじ。ごりゅ。べき。ぱきん。

「……なんだ?」

 ごりごり。ぎち。がりゅ。ばり。

 えも言われないような鈍い音が食料庫の中から聞こえていた。強いて言うのならば、獣が仕留めた獲物を貪っている時のような――。

「……投影(トレース)開始(オン)

 カルデア内は安全なはずだったが念の為、干将・莫耶を小声で投影して気配を消し近付く。細心の注意を払い倉庫内を見ると、

「……あ?」

「……アステリオスか?」

「えっと、え、えみや」

 アステリオスが、生のままばりばりと骨をかじっていた。

「何をしているんだ、こんな所で」

 英霊アステリオス。クラスはバーサーカー。

 彼はかの有名な迷宮の怪物・ミノタウロスである。とは言え、逸話を聞く限り彼自身が進んで怪物となった訳ではないが。

「ごはん、たべる」

「ご飯?」

「えうりゅあれ、が、くるまでに、いっぱいたべて、いっぱいねて、つよくなる。つよくなれば、えうりゅあれを、わるいやつから、まもれる」

 アステリオスはオケアノスで邂逅したサーヴァントだ。その時、彼は女神エウリュアレを自分の意志で警護していた。その時のことを未だに継続して義務としているらしい。狂化スキルランクの高いバーサーカーにしては珍しい現象とも言えた。アステリオスと同レベルの狂化スキルを持つ英霊ヘラクレスは、理性こそあれど会話もままならない。

「それで食事をしていたのか」

「う、ん。だめ、だった?」

「いや、いいんじゃないか。どうせ余っているだろうしな」

 ここにはレイシフト先で拾ってきたはいいが小さくて魔術的な素材として使い物にならなかったり、欠陥のあるものが無造作に集められている。アステリオスが先ほどからかじっているのは凶骨の欠片だ。素材の中から食えそうなものをチョイスしただけだと予想される。

 流通が一切ないカルデアでは余剰分も余すことなく使う必要がある。例えば骨だって加工すれば武器や装飾品になり得るし、煮込めばスープにもなるのだ。

「……うまいか?」

「うまくない、けど、まずくない」

「……ともかく、そんな物を食べなくても私がなにか作ろうか?」

「ん、いい、よ。いらない」

「なぜだ? 少なくともその骨よりは美味いものは作れるぞ」

「ごはんたべる、なら、えうりゅあれも、いっしょ、がいい。ぼくだけ、おいしい、ものたべたら、えうりゅあれ、きっとがっかり、する」

 なるほど。かなりの一途らしい。

 行きずりの身ではあるが、この純真無垢な狂戦士に力を貸してやりたくなった。

「なら、こういうのはどうだ? 私が協力するからエウリュアレが来る日までに料理を用意しておくんだ。召喚された日に歓迎の美味しい料理が並んでいたらきっと喜ぶぞ」

「りょうり……えうりゅあれ、よろこぶ?」

「ああ、アステリオスが作ってくれたとなれば間違いなく喜ぶだろう」

エウリュアレは気難しい女神様だが、アステリオスは気に入っている様子だった。自分を慕い護ってくれたアステリオスが歓迎するのならば悪い気はしないだろう。

「やる!」

「よし、ならば善は急げだ。まずはここにある骨を集めてくれ」

「わかっ、た」

「……足りなさそうだな。もっと数がいるか」

「ぼくが、あつめて、くる」

 それからと言うものの、いつ召喚されるかもわからない――ひょっとしたら、永劫に召喚されないかも知れないエウリュアレの為にアステリオスは孤軍奮闘した。

 その純粋な想いが天に通じたのか、その日から一ヶ月ほど経った頃、マスターからエウリュアレを召喚したとの連絡が入る。

「エミヤー、アステリオスー、ご待望のエウリュアレだよん」

「あら、アステリオス。お迎えご苦労様。相変わらず無駄に元気そうで何よりね。オケアノスでは随分と世話になったわね、褒めてあげる」

 あれが彼女なりの照れ隠しなのだろう、エウリュアレは食堂に来るなりいやに饒舌に振る舞っていた。

「えうりゅあれ!」

 エウリュアレの姿を確認するなり、抱きつかんばかりの勢いで満面の笑みと共に走り寄るアステリオスだった。しかしあれだ、見ていて微笑ましいことこの上ない。

「きいて、えうりゅあれ。ぼく、えみや、と、ごはんつくった!」

「え、何……食事?」

「アステリオスが君を歓迎する為に作ったんだ。味付けや調理そのものは私がやったが――」

 その心遣いは汲んでやれ、と目線で伝え、予め用意しておいた料理を並べる。

「ハンバーグ?」

「ああ、老若男女問わず好きな鉄板のメニューだ」

「なによ、この旗」

「そのはた、ぼくが、つくった」

「ハンバーグと言えば旗だろう」

「そうなの……? ま、いいわ。折角だし付き合ってあげるわ」

「マスターとアステリオスも食べるといい」

「え、あたしもいいの?」

「ああ、ささやかだがエウリュアレの歓迎会だ」

「やった! いっただきまーす」

「いただき、ます」

 エウリュアレの、備え付けのナイフとフォークを使う姿が様になっているのは流石女神と言うべきか。所作のひとつひとつに眼を奪われるとはこの事だ。マスターはテーブルマナーを知らないのか知っていて使わないのか、マイ箸を取り出していた。アステリオスにナイフとフォークは難しいと思いスポークを渡してある。

 各々が料理を口にした途端、表情が一変する。

「……なにこれ、おいしい」

「すごく、おいしい! こんな、おいしいにく、はじめて……えみや、すごい!」

「ほんとだ。このソースすっごく美味しい。エミヤ、ライスちょうだいライス!」

「それはそうだ。美味いのはわかっていても誰もが面倒でやらん、フォンドボーの濃縮を何度もしたんだ」

「フォンドボーってなに?」

「骨のだし汁だよ。ハンバーグに使うデミグラスソースの材料になる」

 フォンドボーの作り方は骨をこんがりと焼き、トマトと一緒に鍋で煮る。大雑把な調理法としてはこれだけだ。だが骨というものはご存知の通り、煮れば大量の灰汁が出る。加えてフォンドボーを作るには最低でも二日は煮込み続ける必要があるのだ。

「アステリオスはな、骨を私のところに持って来ては煮て、数日休まずに灰汁を取り除くことを繰り返していたんだぞ」

 灰汁を取り除くだけならばバーサーカーの上、料理の知識もないアステリオスでも出来る。が、その単調な作業をひたすら繰り返すアステリオスの精神力の強さには素直に恐れ入った。

 その後、煮汁を何度も濾すことでフォンドボーは完成となる。この煮て濾す一連の流れを繰り返すことでフォンドボーには濃厚で素晴らしいコクが出る。本来ならば一度で完成とするのだが、アステリオスはそれを何度も繰り返して行った。今や料理との調和が取れるぎりぎりのラインまで濃厚になっている。手順が正しくさえあれば、手間を掛ければ掛けるほど美味くなるのが料理というものだ。

「それでやたら凶骨を狩りに行ってたのね……お陰で助かってるけど」

「えうりゅあれ、うれしい?」

「……ええ。今更だけど、あの時のことも含めて言わせてちょうだい」

「?」

「ありがとう、アステリオス。とても嬉しいわ」

「へへ、えうりゅあれ、うれしいと、ぼくも、うれしい。ふしぎ、だ」

「ふふ。引き続きここでも私の事を守るのよ」

「うん。あ、いいわすれ、てた」

「? 何よ」

「おかえり、えうりゅあれ!」

「……うん。ただいま、アステリオス」

 以上が、アステリオスとエウリュアレにまつわるハンバーグの話だ。

「あれはアステリオスがエウリュアレに向けて作った特別なハンバーグだ。それにデミグラスソースを作るためのフォンドボーも今はもうない」

「えぇー……余計にハンバーグ食べたくなったよ」

「先ほどダビデが暴れ豚を狩って来たからしょうが焼き定食ならすぐ出来るぞ?」

「いや、ハンバーグがいい! もうお腹がハンバーグになってる! ハンバーグ!ハンバーグ!へい!」

 机をバンバン叩きながらハンバーグを食いたい、と駄々をこねる少女がこの世界最後のマスターだと言うのだから世の中どうかしている。実はこの状況は夢とかそんなオチで、もうとっくに滅びてるんじゃないか?

 こうなったマスターは梃子でも動かない。さて、どうしたものか。

「えみや。ぼくも、えみや、の、はんばーぐ、また、たべたい」

「だが……即興で作っても出来合いのものしか出来んぞ」

「いいよ、エミヤの作る料理がまずかったことないもん」

「あれは、すごく、おいしかった! まだ、おぼえてる。えみや、すごい」

「……仕方がない」

 そこまで言われては厨房を任されている身として作らざるを得ないな。

 厨房に掛けてあるエプロンを身につけ、調理の手順を構築。最高のフォンドボーを使用したデミグラスソースがない以上、あの時のハンバーグに肉薄するのは難しい。ならばせめて、唐揚げとナポリタンでも添えてフルコースにしてやるとしよう。

 

 

 



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シャムロック・プラムプディング

ジャック主体のお話です。
余談ですが最近、エミヤオルタ狙ってガチャ回したらジャックが来て変な声出ました。


「おかーさん!」

 と。

 食堂でいつも通り暇を持て余し、手遊びにクッキーを焼いていた時のこと。

 脈絡も文脈も何もなく唐突にその単語を聞いた時、はじめ、誰のことを指しているのか理解できなかった。

 お母さん。母を指す単語であると同時に、子が母親に向ける二人称単数でもある。少なくとも男である私に向けられるものではない。

 だが、現在食堂には声の主を除けば私以外誰もいない。母親が自分の子供に対し一人称に用いることもあるが、声の主は母親と呼ぶには年齢も外見もあまりにも若く、当然、彼女に子供はいない。

「おかあさん、何してるの?」

 彼女の名はジャック、アサシンのサーヴァント。外見こそ幼女だが、かの世界的に有名な切り裂きジャック(ジャック・ザ・リッパー)の伝説を取り入れたサーヴァントである。最近、出会った当初に比べ背丈が縮んだ気がするが気のせいだろう。一度召喚されたサーヴァントが縮む筈がない。

「……何をもって私を母と呼ぶんだ、ジャック」

 こんな筋肉隆々の色黒な男が母親だったら、少なくとも仮に私が子供ならば泣く自信がある。

「だってみんな言ってるよ。おかあさんだって」

「…………そうか」

 それはまた意味合いが違うのだが……言いふらしているのはマスターか、クー・フーリン、ロビンあたりか……今度きっちり話をつけねばなるまい。

「ねえ、うで、きっていい?」

「駄目だ」

「じゃあ、おしりは?」

「何処でも駄目だ」

「いたくしないよ?」

「駄目だと言ったら駄目だ」

「……けち」

「なんでさ」

 ジャックはその出自――怨念や憎悪といった負の感情の集合体、という存在ゆえ、ひたすらに無邪気で理性が薄い。そういう意味では、アサシンと言うよりはバーサーカーに近いと言ってもいい。こんな可愛い幼女の姿ではあるものの、一秒後には何をしでかすかわからない危うさも持ち合わせている。

 味方を警戒する、というのはなるべく避けたいところだ。特にカルデアはサーヴァントの宝庫でもある。内戦が勃発したら人理修復どころの話ではない。

「は……は……」

「?」

「くちゅんっ」

 挙動に対し不意に身構えたものの何てことはなく、くしゃみだった。

 番えた弓のように張っていた気が緩み、ため息をひとつ。

「そんな寒そうな格好をしているからだ……ほら、とりあえず私のエプロンでも着けていろ」

「うん」

 ジャックの水着に近い露出の多い服はこちらが見ているだけでも寒くなってくる。私に幼女を愛でる趣味はないので着けていたエプロンをジャックに着せてやった、が。

「……サイズが合わんな」

 服に着られているにも程があった。前掛けは余裕で地面に到達し、横幅もジャックの細いウエストを完全に隠してしまっている。

「でもあったかいよ、ありがとう」

「そうか」

「……このエプロン、あまいにおいがする」

「今まで料理していたからな」

「りょうり?」

「ああ、クッキーをな」

「クッキー! ちょうだい!」

 クッキーと聞くなり目を輝かせるジャック。在り方こそ風変わりではあるが、根は子供のそれらしい。

「悪いがまだ生地の状態だ。焼かねばクッキーにはならん」

「うー……」

「そう拗ねるな。少し待てば……ん、そうだ」

 菓子でふと思い出し、床下収納を開けて取り出すのは、皿に乗ったアルミホイルに包まれる塊。

「これならすぐにでも食えるぞ」

「なにそれ?」

「プラムプディングだ。君の産まれたイギリスのお菓子だぞ、ジャック」

 プラムプディング。別名、クリスマスプディングとも呼ばれるイギリスのプディングだ。日本で馴染みの卵を使ったプリンとは大きく違い、ナッツやドライフルーツを黒くどろどろとした生地と一緒に固め蒸したものである。味も癖が強く、共通点は形くらいのものだ。

 そもそもプディングは小麦などを蒸して固めた料理の総称だ。卵とカラメルを使ったのがプリン、というのは日本くらいのものだろう。

「わあ、黒くてきれい!」

 アルミホイルを外すと、砂糖とドライフルーツから染み出したシロップがきらきらと黒一色の表面を潤していた。ひと月ほど前に作り置いたものだが、元々発酵させて食べる菓子なので保存食としても申し分ない。

 ソファーに座り、一緒に持って来たブランデーを振り掛け、火をつける。と、ブランデー独特の甘酸っぱい芳香と共にプディングの表面が炎上する。

「燃やしちゃうの?」

「いや、こうやってフランベするのがプラムプディングの作法だ」

「ふらんべ?」

「フランベとはアルコール度数の高い酒に火をつけることで一瞬で蒸発させ、香り付けをする技法だ」

「……?」

 無表情で首を傾げるジャック。説明したものの、全くもって理解していないようだった。幼女相手に料理の知識を大人気なく披露した気がして、少々恥ずかしくなる。

「ごほん……まあいい、どうだ、食べるか?」

「うん!」

「ではスプーンを持って――」

「よいしょ、んしょ」

「お、おい」

 立ち上がろうとする前に、ジャックが私の膝の間へと入り込んで来た。そのまま素手でプディングの山を崩す。

「あはっ、ぐちゃぐちゃ!」

 気付けば眼前にジャックの後ろ頭。腰回りに感じる子供特有の高めの体温。こうなってしまっては下手に動くことも出来ない。

「あまくておいしい!」

「そうか」

 膝の上でプディングを手掴みで口へと運ぶジャックを見下ろし、ふと思う。

 切り裂きジャック。私が語るまでもない伝説の殺人鬼。

 聞けば彼女は、産まれる事すら許されなかった胎児たちの集合体だと聞く。世の中の愉快適悦も、艱難辛苦も知る事なく消えて行く命にも意思があると思うと、ひどく胸が痛む。

「……ほら、口元がひどいことになっているぞ」

「んー」

 シロップとプディングでべたべたになった口周りをハンカチで拭いてやる。プラムプディングは濃厚な甘味を出すために牛脂やフルーツを多く使うので、食べる時は何処もかしこも汚れるのだ。

「?」

 口を拭く私を見上げるその大きな瞳は、無垢そのもの。

 その純真を見る限り、彼女が切り裂きジャックだとは彼女の出生を知った今でも信じ難い。平和な時分、その辺で遊んでいた子供と何ら変わりはないのだ。

 が、事実は事実。彼女は普通の子供ではない、そういうものとして産まれて来てしまった。ジャックがこの姿で現界した以上、私たち周囲の人間がしてやれる事は、彼女を切り裂きジャックとして恐れ扱うことではない。

 一個人として、一人の子供として向き合うことだ。

 いい思い出ならば今から作ればいい。幸運な事にここには多くの仲間がいる。ナーサリーのような同世代の子供もいる。子供好きのサーヴァントだって多くいる。

 普通の子供ならば経験するであろう当たり前の思い出の数々を、ここで積み重ねてやればいい。

 そうすれば、あるいは――。

「あげる!」

「む……なんだこれは」

 ジャックが差し出した小さなそれを指先で摘む。四つの葉を付けた、緑の植物。

「おれい。クローバー、よつばの」

「ほう、縁起がいいじゃないか」

「うん、この間いっぱいひろってきたの。いいことあるよ」

「そうか。ありがとう」

 眉唾ものであることは確かだが、私も子供から貰った縁起物を一蹴するほど枯れてはいない。

 四つ葉のクローバー、か。

 こういった類のものを手にするのは、どれ位ぶりだろうな。後で押し花にしてとっておくとしよう。

「知っているかジャック。クローバーは食べられるんだぞ」

「ふうん。おいしいの?」

「美味いと言うよりは薬味の類だな」

「あ、クルミ……クルミきらい。あげる」

「子供が好き嫌いをするな。大きくなれんぞ」

「はい、あーん」

「人の話を聞け……あー」

 小さな指につままれた、プディングに覆われた胡桃が放り込まれる。

 馴染みのあるプリンとは全く違う、濃厚で絡みつくような甘味と発酵による強めの酸味が口内に広がる。我ながらいい出来だ。好みの分かれる菓子だが、この強烈なテイストに虜になる者もいるというのも頷ける。

「おいしい?」

「ああ、うまいよ」

 と、

「…………」

「あ、おかーさん」

「む?」

 食堂の入り口にマスターが立っていた。いつも緊張感のない目を大きく見開き、こちらに視線を向けている。

「……なにしてるの、エミヤ」

 そう、まるで、見てはいけないものを見てしまったかのような様子で。

「ん、ああ、これは――」

「ジャックに裸エプロンなんてうらやまけしからん格好させて、お膝に乗せておやつタイムだなんて……!」

「――――」

 わなわなと身体を震わせ、あり得ないものを見る目でこちらを指差す我がマスターだった。

 何を言っているんだ、このマスター野郎は。

「私も混ぜんかい!」

「論点はそこでいいのか?」

 まぁ……確かに元々露出の多いジャックだ。私サイズのエプロンを身につけることで、裸エプロンに見えないこともないが……。

「私にもおやつプリーズ!」

「おかあさん、あーん」

「ん? 私にもくれるの? あーん」

「はい」

 と、持っていたクローバーをマスターの口に突っ込むジャック。止める暇もない。

「んぐ……なにこれ、カイワレ?」

「よつばのクローバーだよ。食べられるんだって」

「良かったなマスター。きっと幸運が訪れるぞ」

「……クローバーって食べるものだっけ?」

「さて、ジャック。悪いがクッキーを焼くからそろそろどいてくれ」

「はぁい」

 マスターも来たことだし、生地のまま放置してあるクッキーでも焼くとしよう。相手がマスターとは言え、さすがにおやつが道端の草だけというのは哀れだ。

「やった、焼きたてクッキー!」

「ああそうだマスター、一つ言っておきたいことがある」

「なになに?」

「生のクローバーは青酸化合物……つまり毒がある。死にはせんが腹を壊すぞ」

「なんで食べてから言うの!?」

 叶わぬ願いやも知れないが、祈るとしよう。

 我々サーヴァントはこれ以上、記憶や経験を積み重ねることが出来ない。そうであっての英霊だ。だが、脳やアカシックレコードに保存されずとも、存在そのものが覚えているということもあるかも知れない。

 か細い一縷の希望のようなものだが、せめてカルデアにいる今だけは、楽しいと思える記憶を可能な限り経験させてやりたい。そう思うのは私の偽善やも知れないが――それでも、人を無差別に憎むだけの存在など虚しすぎる。

投影(トレース)開始(オン)

 新しいエプロンを投影。星やハートといった様々な型抜きを取り出し、寝かせていた生地をまな板に乗せる。

 願わくば、名も無き彼女がこの先二度と、切り裂きジャックとして召喚されないことを。

 

 

 



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超時空焼肉定食

ベディヴィエールを語り部にしての妄想話です。
自己解釈や独自設定が含まれていますのでご注意を。


 それは、未だかつて体験した事のない感覚だった。

 五体の所在は不確かで、意識だけが水面に揺れるように覚醒と消失をゆらゆらと繰り返し、辛うじて態勢を保っている。

 記憶にある筈もないので確固とした事は言えないが、母親の胎内にいた時はこのような状況だったのではないだろうか、と想像する。

 その虚ろな意識の中で何かに問われる。

 誰か、ではない。

 耳もないので声が聞こえる筈もない。意識の内に直接語りかけられているのだ。

「――――」

 そうか。

 もしかしたらとは心の隅で思っていたが私も皆と同じ道を辿るのか。

 ならば迷う事はない。

 人生は後悔の連続だ。あの時こうしておけば良かった、なぜあんな事をしたのか、と悔悟の念に駆られた事は片手どころかこの義手を使っても足りない。

 あの王でさえそうだったのだ。彼よりも遥かに矮小な私が順風満帆な生を謳歌出来る筈がない。

 では、今しばしの夢を。

 そんな言葉が脳裏に刻まれる。

 五感が戻る感覚を得るのと同時に、私は目を開く。生成されたばかりの眼球に映るのは、靄の掛かった景色。次第に明瞭になっていく視界に現れたのは、

「久し振り。カルデアにようこそ、ベディヴィエール」

 いつかの、人の身で円卓と闘い勝利を収めた勇敢な少女だった。

 時間経過と共に判然としていく意識と何処か懐かしい五体の感覚が、先程の不思議な体験が夢でないことを語っていた。

 どうやら私は英霊の座に着いたらしい。神はまだ、私が我が王の力になれると仰るか。

「――ええ、お久し振りです。どうぞよろしくお願い申し上げます、マスター」

「うん。キャメロットではお疲れ様。ベディヴィエールが最後だよ」

「最後とは?」

「ランスロットにガウェインにトリスタン。獅子王も先に来てるから、良かったら後で会って来たら?」

 また円卓の面々と共に戦える――それは何処か面映かった。

 好色ながら何処か憎めないランスロット卿、自己の世界に没頭しながらも忠誠に厚く心優しいトリスタン卿、まさに非の打ち所がない騎士の模範たるガウェイン卿に――。

 ……?

「……モードレッド卿はいないのですか?」

「ああ、モードレッドは前からいるよ。キャメロットではちょっとはしゃぎすぎだったけど、本来はもっといい子だよ……って知ってるよね」

「そうですね」

 確かに、彼の地でのモードレッド卿は何処か壊れていた。(とは言え、それはモードレッド卿に限った話ではないが)

 我が王を滅ぼした憎むべき騎士ではあるが、若くして円卓に参加したこともありその実力は疑いようがない。その上、元々気性が烈しいとは言え決して自棄に溺れるような人物ではなかった。

 ……と、そうだ。

「マスター、ひとつだけお願いがあるのですが」

「ものによるけど、なに?」

「私がずっと人の身で旅を続けていた事は、皆には黙っておいていただけますか」

 円卓の面々がいる、ということは獅子王でない本来の我が王もいることだろう。不要な気遣いやも知れないが、余計な気負いは少しでも少ない方がいい。

「うん、わかった。じゃあついてきて、カルデアの中を案内するね!」

「――――」

 そのあっさりとした対応に、思わず目を見開き、口元が緩む。

 何故、と問われるつもりだった。その為の答えも用意していた。

 人理史修復(グランドオーダー)という重責を負っているとは微塵も思わせない、何とも天衣無縫な少女だ。だからこそ、我ら円卓を破ることが出来たのだろう。

「ここがサーヴァントたちの居住区。ベディヴィエールの部屋は後でドクターが用意してくれるよ」

 私個人の偏見だが、我らに足りなかったのは、きっと彼女のような柔軟さ。

 王を筆頭とした一枚岩もかつてそうであったように、王という支柱が折れればいとも容易に砕ける。

「ここが私の部屋。男が勝手に入ったら令呪で自害させるから。昨日も黒髭が死んだから気を付けてね」

 それが例えどんなに優れた王であれ、だ。

 私たちはきっと、完全無欠の王を信頼するがあまり、結束することを疎かにしてしまったのだ。今も、昔も。

「ここが購買。ダヴィンチちゃん、初見の客には吹っかけて来るから騙されないようにね」

 その点、彼女は我々サーヴァントと使い魔としてではなく、同じ人間としての目線で戦っている。魔術師として命ずるのではなく、一緒に戦おうと麾下の者(サーヴァント)と手を繋ぐ。

 円卓とカルデアに差があったとするのならば、そこだろう。

 私もその中の一人に、なり得るのだろうか。

「ここが食堂。お腹が減ったらここに来れば大抵は……おーい、エミヤーん」

「……変な呼び方をするな、マスター」

 と、マスターに呼ばれて厨房から現れたのは、エプロンを着けた体格のいい男性だった。

 話の流れと格好からするとここの厨房を任されているようだが……マスターの代わりに戦う為のサーヴァントが、コックを?

「今日から仲間になるベディヴィエールだよ。こっちはサーヴァント兼みんなのお母さん、エミヤ」

「誰がお母さんだ、誰が」

「だってそうじゃん」

「エミヤ……?」

 その名前を聞くなり、既視感が襲う。

 あちらは私を歴史上の人物として知っているようだが、私は彼を前から知っている?

「っと、すまない……弓兵のサーヴァント、エミヤだ。貴殿のキャメロットでの活躍と、サー・ベディヴィエールの英雄譚は聞き及んでいる。是非マスターの力になってやってくれ」

 その厳つい体格とは相反した、目尻を柔らかくしてどこか幼さを残し笑う仕草に、確信した。

「……む?」

 彼も何か思うところがあるのか、私の顔を覗き込み、首を傾げる。

 私は覚えている。

 私は彼に、生前会ったことがあるのだ。

 

 

 

 あれは聖杯戦争が行われる、という噂を聞きつけ日本に向かった時のことだ。

 時節は西暦二千年初頭。何としてでも聖剣を王に返還せねば、と妄執に近い執念に駆られていた私は、冬木という日本の都市に辿り着いた。

 聖杯戦争とは魔術の粋を集めた大戦だ。その際にはサーヴァントという形で、人の手には余る破格の英霊が召喚されると聞く。

 我が主である騎士王は私の愚行により天に召されることが出来なかった。今もこの世界の何処かで形なき概念として彷徨い続けている。そんな王が英霊として召喚されるかどうかは、魔術に疎い私では推し量れない領域ではあるが、それでも――一縷の望みに縋りつくくらいしか、私には手が無かったのだ。

「…………」

 千五百年という月日をかけてもあの瞬間から得たものは無きに等しい。自分の足で探すしかない中、円卓に居た頃、手慰み程度にマーリン殿に教えて貰った魔力探知を働かせて街中を探索していると、やがて何の変哲もない一般家庭へと辿り着いた。

 日本という国は前提として、狭い。だがその凝縮された量より質、一点をただ愚直なまでに貫き続ける、という国民性を礎とした鉄の精神で、小国でありながら露西亜、中国といった大国に勝利したのは記憶に新しい。その後大敗を喫したものの、ここ五十年での復興と進歩は目を見張るものがある。

 サムライ・スピリチュアル、というやつだったか、我々の騎士道と通ずるものがある気がする。

 それに、日本は東方神秘の国だ。中でもニンジャという暗殺者集団は、空を飛び口から火を吹き分身までこなすと聞く。日本独自の神秘を頼れば、騎士王を探すことも可能やも知れない――そんなか細い希望を持ちながら門の前で佇んでいると、

「あれ、お客さんか?」

 買い物袋を提げた少年に声を掛けられた。

 男性としては小柄だが、その衣服の下に隠れた筋肉は、かの時代とは比べ物にならない程に平和になった近代においては珍しく、そこそこに鍛え込んである。

 白兵戦において体格は大きい方が有利ではあるが、円卓でも一番体格が小さかったのは誰でもない我が王だ。腕に覚えのある騎士が何人も束になってかかろうが翻弄されていたところを鑑みるに、体格差など勝敗の決定打になるものではない。

「あー、えっと、セイバー……は散歩だし……英語話せそうな遠坂もいないし……」

 私のなりを見て、あれこれと模索する少年だった。どうやら外国人である私と意思疎通を図ろうとしているらしい。

 日本人はほぼ全員が黒髪黒目だ。そのせいか他の国よりも異国人に対しての反応は顕著と言えよう。

「……あの」

「あ、ああ、すいません。いやソーリー。ええと、アイキャントスピークイングリッシュ……」

「ふふっ」

 その滑舌の悪い英語に、思わず頬が緩む。

「すみません。日本語は話せますよ。上手くはないので聞き苦しいやも知れませんが」

「そ、そうですか……いや、上手ですね」

 それよりも今、セイバーと言ったか。

 聖杯戦争で召喚されるクラスのひとつだ。ならば彼が魔術師で、サーヴァントのマスターである可能性は高い。

 まだ確定ではないが、前進したと考えてもいいだろう。

「うちに何か御用ですか?」

「ええ、実は――」

 ここは彼の家、か。少し探りを入れてみるか、それとも強引に――。

 その瞬間、

「…………!」

 ぐう、と。

 空気を読まずに周囲に聞こえるほど大きく腹が鳴る。

 そう言えば日本に着いてから何も口にしていなかった。恥ずかしくて顔から火を吹きそうな思いだ。

「ははは、腹が減ってるみたいですね」

「か、汗顔の至りです……お恥ずかしいところを……!」

「何の用か知らないけど、立ち話もなんだしとりあえず上がってください。俺は衛宮士郎です」

「シロウ、ですか。素敵な名前だ。私はベディ――ああいえ、ルキウスと申します」

「ルキウスさんね、今から昼飯にしようと思ってたんで、ついでに食べて行ってくださいよ」

「え?」

 魔術師の家となれば、それは城と大差ない。ましてや聖杯戦争のさ中だ、素性も確かでない私を家に上げるだけでも到底魔術師とは思えなかった。

 魔力探知は誤作動か何かで、彼はただの一般人だったか?

「いえ……そこまでしていただく訳には。ただでさえ初対面でしょうに」

「構わないですよ。一人で食うのも味気ないし、それに」

「?」

「ルキウスさんは悪人には見えない。不逞の輩が家の前で腹鳴らしてるとは思えないですしね」

「は、はは…………そう、ですね」

 もはや私に反論の余地も気力も残されてはいなかった。あれよあれよと言われるがままに家の中へと通され、日本独特の文化が反映されている和室へと案内される。

 紅茶と茶菓子を出されて待つ中、考える。

 魔力の反応は微弱ではあるが確かに今もある。だが見る限りは何ら変哲もない一般家庭だ。小さな家が多い日本においては立派な一軒家、と言っても差し支えない。魔術師の工房は秘匿すべきものだ、とマーリン殿に聞いたことがある。その為、魔術師ではない私が見分けられるようなものではないのだが……。

 と、シロウが二人分の膳を抱え、立ち込める芳しい香りと共に襖を開けて入ってくる。

「お待たせ、チョップスティック使えます?」

「はい、大丈夫です」

 私の前に並べられたのは、厚切りの肉を焼いたものと、ライスにミソスープだった。本音を言えば先程の痴態を見せた時点で逃げ出したいくらいだったが、三大欲求のひとつである空腹に対し、人間の身体が抗うことを許さなかった。

 それに何より、ジューシーに焼けた肉と炭水化物の組み合わせは犯罪的だ。

 食という点において豊かではなかった時代に生きていた私は、基本的に食に関しては卑しい。その上旅の過程においても何度も餓死の危機を経験している。食べられる時に食べておくのは旅においては必須とも言える。

 その私が、このような魅力的な食事を眼前に並べられて抗うことなど出来る筈もなかった。

「感謝します、シロウ。見ず知らずの私にここまでの施しをしていただけるとは」

「いいんですよ、うちには腹ペコが多いから慣れてますので」

「いただきます」

「いただきます」

 日本の作法に倣い、両の掌を合わせる。銀色の腕(アガートラム)の慣れた冷たい感触が右手に伝わる。過去、慣れるのに時を要したチョップスティックを使い、肉を口に運ぶ。

 肉はいい。野菜も好きだが、肉は力の源となる。円卓に居た頃の肉と言えば保存の為に塩漬けにし、焦げるまで焼いたものばかりだったが、それでも肉はご馳走だった。

 シロウの好意によるその肉を咀嚼する、と。

「これは……!」

「どうだいルキウスさん。昨日の残り物で悪いけれど、うちの食いしん坊たちにも好評だったんだ」

「……っ」

 そっと箸を置く。きっと今の私は、苦虫を噛み潰したような表情をしているのだろう。

「? 口に合わなかったですか?」

 歯嚙みをする私を見て、心配そうに眉をひそめるシロウだった。

 違うんです、シロウ。

「こ……このような高価なお肉はいただけません!」

「へっ?」

「この蕩けるような舌触り、嚙み切る感触さえ不確かな柔らかさ、芳醇な肉の旨味……どこを取っても一級品の高級肉……! そんなものを通り掛かりの私が口にするなんて恐れ多く――」

「ふっ……あっはっはっはっは!」

「し、シロウ?」

 目を見開いた表情から一転、箸を転がさんばかりの勢いで笑うシロウだった。

「いやすいません、変な事に気を遣う人だなぁと思いまして」

「い、いやしかし」

「残念ながらそんな高い肉買う余裕はウチにはありませんよ。それはただのグレインフェッドのオージービーフです」

 オージービーフとはオーストラリア産の牛肉の総称だ。その生産量による誰でも購入が容易な値段と、厳格な検疫による安全性から世界で最も多くの量を食されている牛肉である。大まかにグレインフェッドとグラスフェッドの二種類あり、簡略すると前者が脂肪分が多くステーキなどに向き、後者が赤身が多くシチューやカレーといった煮物に向く。

 だが、しかし、だ。

「馬鹿な……私もオージービーフは口にした事がありますが、これ程の旨味は……」

 オージービーフはその大量生産ゆえに高級肉ではない。大量生産にはコストの削減が必ずついて回るため、上級の肉に比べると質が下がるのは避けられない事態だ。それでも私が王と共に戦っていた頃に比べれば雲泥の差だ。それゆえ私も近代に入ってからの旅の過程で多く口にして来た肉なのだが、これ程に美味であるオージービーフなど出会った事がない。

「ああ、それはナンプラーに三日くらい漬け込んだ後ヨーグルトを擦り込んで更に冷蔵庫で一週間。食べる時にタマネギと一緒に炒めると驚くほど柔らかく熟成するんですよ」

「そんな技法があるのですか……」

「だから遠慮せずに食べて下さい。高級な食材もいいけど、工夫して美味いものを作った方が達成感もありますし――それに」

 シロウはそのまだ幼さの残る顔で、目尻を柔らかくして微笑む。

「作った料理をおいしいって言われるのは、料理人にとって一番の誉れですから」

 その表情は、果てのない長い旅で凍てついた私の心を絆すには充分な温かさだった。

 そこまで言われてしまっては、もはや私のチョップスティックを止めるものはない。

「美味しい! とても美味ですシロウ!」

「それは良かった。それでルキウスさん、何か用って――」

 と、

「シロウ、お客様ですか?」

「セイバー?」

「っ……」

 聞き覚えのある声と共に襖が開き、反射で咄嗟に身を隠す。

「何やらいい匂いがするのですが、まさか私に隠れてご馳走を食べていたりしていませんか?」

「昼ご飯だよ……昨日の残り物だけどセイバーも食べるか?」

 入って来たのは、紛うことなき我が王。

 アーサー王、なの、だが、

「昨日のお肉ですか! あれは素晴らしいご馳走でした……余っていると言うのならば是非とも今度こそ、余すことなくいただきましょう!」

「全部はダメだぞ。遠坂や桜も食べるんだから」

「むう……致し方ありませんね。ではご飯を大盛りでお願いします」

「はいはい」

「ふふ、楽しみです」

 気配を消し、物陰から一連の流れを見て、驚愕の念を隠せなかった。

 あのような無垢な表情で笑う王は、初めて見る。

 いつ如何なる時でも完璧な王であろうとしていた王は、例え独りであってもその姿勢を崩そうとはしなかった。

「……あ、そうだ、ルキウスさ――あれ?」

「どうかしましたか、シロウ?」

「いや、さっきまで……」

 王に見つかる前に、シロウの家を後にする。

 彼は、私が仕えた我が王であることに違いはないが、私の知る王ではない。

 きっと、私の知る結末とは別の道を歩んだ王――私が聖剣を返すべき王では、ない。

 それに、だ。

「御健勝を、我が王」

 聖杯戦争は七騎のサーヴァントを最後の一人まで争わせるバトルロイヤルだ。サーヴァントの現界、その期間は大して長くはない。

 王の貴重な康寧の時を、私などの出現で邪魔をするなど許される筈もない。

 短くはあっても、どうか、良き夢を。

 

 

 

「サー、何処かで会った事があるか?」

 と、目を閉じて束の間の記憶に揺れていると、彼の言葉で意識は現世へと引き戻される。

 そうか。目の前の立派な佇まいをした英霊は、あの時の彼か。

 あの当時は何処にでもいそうな少年だったが、恐らくは王と共に聖杯戦争を闘ったことで、魔術師として大成したのだろう。

「いえ、ないと思いますよ?」

 とは言え、カルデアによる人理史修復(グランドオーダー)が行われている今この現在があるように、彼があの時出会ったエミヤシロウと同一人物だとは限らない。

 騎士王が英霊として喚び出される歴史もあれば。

 獅子王として歪んだ正道を歩む歴史もある。

 唯一変わらないのは、騎士王もエミヤシロウも、『確かに在った』という一点。

「そう……だよな。円卓の騎士と出会う機会など聖杯戦争くらいしか考えられん……気のせいか。すまない」

 未来の展開は無限で、結末も同様だ。

 だがどんな道程を辿り、どんな結末へと至ったとしても、人の本質は余程のことがない限り変わりはしない。

「そうだ、せっかく食堂に来たんだし、何か食べて行く?」

「ここのサーヴァント達も日常的に利用している。遠慮はいらんぞ」

「ではお言葉に甘えましょうか」

「何がいいかね? 材料さえあれば何でも作ろう」

「そうですね……では、焼肉定食を」

「あ、じゃあ私もついでにもらおうかな」

「焼肉定食か。いいタイミングだ。今ちょうど肉を漬け込んでいたところでな……ナンプラーやパイナップルと一緒に漬け込んで冷蔵庫で放置しておくと、安い肉でも熟成して驚くほど旨くなるんだ」

「へー、さすがだね」

 思わず口元が緩む。

 ああ、そうだ。

「食事の前にひとつ、貴方に言いたいことが」

「? なんだ?」

 あの時言い忘れていた事があった。

 銀色の左手のひらと、生身である右手のひらを合わせる。

 美味しい食事と、我が王へ安寧の一時を与えてくれたことに感謝の意を込めて。

「――ご馳走様でした」

 

 

 



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蛇の宝玉ジュレ

ゴルゴン三姉妹主体です。



 古来より。

 三人寄れば何とやら、という諺は探してみると意外と多い。

 三人寄れば文殊の知恵。

 三人寄っても下種は下種。

 そして、女三人寄れば姦しい。

「あら(エウリュアレ)、そのイヤリングいいじゃない。買ってきたの?」

「そうよ(ステンノ)。昨日、レイシフトした時にちょっとマスターとお買い物をね」

「さすがいいセンスね(エウリュアレ)。でも見せつける相手が少ないのは寂しいわね」

「本当、せっかく近代に召喚されたっていうのに、こんな山奥じゃお洒落も満足に楽しめないじゃない、ねえメドゥーサ?」

「そ、そうですね……」

「何よ、その気の抜けた返事は」

「その辺で許してあげなさいよ(エウリュアレ)。メドゥーサのムダに高い背丈じゃあドレスよりスーツの方が似合ってしまうわ」

「そうだったわね(ステンノ)! メドゥーサがフリフリのドレスなんて着た日には男どもが魔眼なしでも石化しちゃうわ!」

「まあ、それいいじゃない(エウリュアレ)! 魔力の節約にもなるし何より面白いわ!」

「あの、姉様方……そろそろ……」

 とは言っても、姦しいのは二人だけか。末妹のライダーは終始女性にしては大柄な身を縮めて苦笑いを浮かべている。

 とある日のこと、いつも通りクエストへも連れて行かれず暇を持て余していた私の元に、珍しくゴルゴン三姉妹が揃い踏みでやって来た。(嫌がるライダーを姉二人が無理やり引っ張ってきたという表現が正しいが)

 長女、強い女(ステンノ)

 次女、遠くに跳ぶ女(エウリュアレ)

 三女、支配する女(メドゥーサ)

 彼女たちは神だ。これは比喩でも誇張でもなく事実である。

 神の位置にいる者はその神性の高さゆえに、使い魔に分類されるサーヴァントととして召喚されない。人間の手には余るからだ。

 女神として産まれたゴルゴン三姉妹は本来ならば英霊として召喚されることはない――はずだったのだが、末妹であるメドゥーサが反英霊、女神でありながら怪物として伝えられることから英霊の座につくことになる。

 ステンノとエウリュアレはそのメドゥーサの影響で召喚されているに過ぎない。メドゥーサはともかく、上の二人はアサシンとアーチャーのクラスを与えられてはいるものの、仮のクラスだ。そもそも居るだけで役割を果たす女神である彼女たちが戦うこと自体間違っている訳なのだから。

「ちょっとウェイター、食後のカフェラテはまだかしら?」

 机をこんこんと指の節で叩きながらステンノが不満げに頬を膨らませる。誰がウェイターだ。

 成る程、確かにその仕草から表情まで、すべてが美しい、可愛い、と思う。個人的なフェティシズムや嗜好の問題ではなく、彼女たちがそういうものなのである。

 男を魅了し、崇め祀られ、永遠に信奉される存在――それでこそ女神だ。

 だが、

「ここはレストランじゃないんだ。フランス料理のフルコースと高級ホテル並のサービスが受けたかったら、レイシフトで現代にでも行って来い」

 私も無名とは言え伊達に英霊ではない。それに畏敬の念を無くした訳ではないが、ここには数多くの英霊が集まっている。

 彼女たちにも聞こえるよう、あからさまなため息と共にカフェラテを三人分テーブルへ。

「これはフォウを模したラテアートですか……愛らしいですね」

「あらかわいい。無骨ななりの割には手先は繊細じゃない」

「褒めてあげるわ。光栄に思いなさい」

「そうだな、光栄だよ」

 ステンノやエウリュアレといった気の強い女には、余程のことがない限り逆らわない方がいい。生前にも肝に銘じていたことだが、カルデアに来て改めて実感した。相手が複数人ならば尚更だ。

 嵐相手に立ち向かったところで暴風雨に晒されるだけ。頭を低くして嵐が去るのを待った方が賢明だ。

「私たちに食事を提供できることを喜びなさいよ」

「そうね、美味しい食事の発展は人間唯一の進歩と言ってもいいわ」

「すみません……エミヤ……」

「君のせいではない。気にするなライダー」

 申し訳なさそうに小声で耳打ちするライダー。普段は冷静沈着でメドゥーサの逸話に負けぬ働きをする彼女だが、姉二人には頭が上がらないらしい。

「昔からこうなのだろう?」

「ええ……姉様たちに悪気はあるんですが、邪心はないので放置していただけると助かります……」

 なんとも適切な表現だった。

 彼女たちは女神として産まれた以上、女神として振る舞わなければならない。気に入った人間がいても、神が人間にへり下ることなど許されない。だから彼女たちは誰が相手だろうが傲岸不遜に振る舞うのだ。

 三人でヘスペリデスの園、形無き島と呼ばれた孤島で暮らしていた頃からそうだったと、他ならぬ本人からその昔聞き及んでいる。とは言え私の生前の話ではあるため、厳密には目の前にいる彼女ではないが。

 話は逸れたが、ステンノとエウリュアレはあくまで神。我々元人間とは格そのものが違う。そう思えばこの振る舞いも、神の愛情表現の一種だと思えば可愛いものだ。

 と、ステンノが私の考えを見通したかのように目を細め、悪戯に微笑む。

「ねえエミヤ、私たちは珍しく機嫌がいいから遊んであげる」

「なんだ?」

「クイズよ。当たったらうちの駄メドゥーサが貴方の言うことを何でも聞くわ」

「下姉様!?」

「エッチな服を着せたり、一週間語尾に『にゃん』とつけて過ごさせるのも思いのままよ」

「上姉様!」

「あいにく、私にそんな趣味はないんだが」

 私も男だ。全くない訳ではないが、嫌がるライダーにそんな事をさせて喜ぶのは目の前の女神二人とマスター、あとは黒髭くらいのものだ。

「その報酬は要らんが付き合うよ。クイズとはなんだ?」

「不死と呼ばれる存在が一番欲しくてたまらないもの、なーんだ?」

 今までの流れにそぐわない、思いの外真面目な質疑を向けられる。

 サーヴァントとは言え女神の問いだ。疎かにしたらどんな罰が待っているかわかったものではない。真剣に考えるとするか。

「…………」

 死……ではないだろう。

 基本、誰に対しても傲慢でサディストな彼女たちだが、相手をライダーだけに限定するのならば事情が変わる。

 実際は、彼女たちはライダーが愛おしくて仕方がないのだ。男子小学生が好きな女子を苛めてしまうのに似ている。そんな彼女たちが不死であったはずの自分たちを死に至らしめた(メドゥーサ)を責めるような物言いはするまい。

 ライダーにあって、ステンノとエウリュアレ、つまり人間にあって完璧な神にないもの。

 それは、

「……『個性』か?」

 個性とは、生きて行くうちに自然と形作られていくものだ。

 成長しない彼女たちは、現在ある個性こそあれど、それこそこの世に生を受けたその瞬間から変化することは決してない。

 『神』と言う名の偶像。

 『完璧』と言う名の檻。

 『不死』と言う名の無個性。

「ふぅん……ま、60点ってところね」

「赤点は免れたようだな」

「不死の存在の結末ってね、大抵二通りに分かれるのよ」

「結末って……不死の存在に終わりなんてあるのか?」

「あら、死ぬ事だけが終焉じゃないわよ。死にも鮮度というものはあるわ」

「終わりとは永遠の停滞の事を指すのよ。これ以上微塵も変化のない、誰かに影響を与えることもない状態なら、生きていたって死んでいるも同然でしょう?」

「…………」

 それは言い得て妙だった。

 彼女の言を取るのならば、現代において象徴と呼ばれる神々は死んでいるに等しい、ということになる。

 勿論、自分達をも含めての物言いだろう。

「最初はなんとか死のうと頑張ったり、自分が誰よりも優れていて世界に必要な存在だって布告するために他の不死存在と殺し合いをしたりする」

「ほら、神話って大抵、他の神に殺されたりする逸話が多いでしょう?」

「けれどそれもいずれは飽きる。肉体的な痛みにも鈍くなり、精神も度重なる相互自傷により磨耗していく。死なないとは言え、苦痛を伴うからにはパートナー探しも簡単には行かない」

「だから諦めて、誰もが最終的には超常的存在として居直る。『自分はこういう存在(もの)なのだ』と全てを受容し、ただ居るだけの世界の一部と化すの」

「……ま、こうなっちゃうともう個人じゃなくて現象って感じよね」

「神様としては正しいのだけれどね」

 個性の諦念による、個性の廃棄。

 だがそれは仕方のない事とも言える。

 神とは不変の絶対的存在でなければならない。神の個性や在り方がその時の気分で変わってしまっては神は成り立たない。

「そうして完全に『個』を失くす。これがパターンその1」

「その2は?」

「簡単よ、普通に文字通り消えるだけ」

「神がいくら不死とは言っても不滅じゃない。とても、すごく、非常に、限りなく死ににくいだけよ」

「形あるものに永遠はあり得ないし、さっき言った通り超常存在同士の殺し合いで死ぬ事もあれば、神に弱点はつきものだしね」

「神殺しの器により人間に殺される事もある」

「だからね――不死の存在って、言ってしまえば欠陥品なのよ。不死であるのならば、思考する器官なんて授けるべきではなかった」

 などと自虐にも受け取れる会話を交わしながら、彼女たちはほぼ同時にカフェで喉を潤した。

 そんな二人の女神の様子に、ずっと顔を伏せていたライダーが重く閉ざしていた口を苦しげに開く。

「姉様がた……私が憎いのはわかります。けれど、こうして他のサーヴァントまで巻き込むのは……それに」

 確かにステンノとエウリュアレから女神としての機能を奪ったのは、明確な死を与えたのは、他でもないこのメドゥーサだ。

「また、一時とは言えこうして三人で集まれたの……ですから……」

「…………」

「…………」

「もう一度……」

 今にも嗚咽を漏らしそうな声色で紡ぐライダー。そんな彼女を無表情で見据えるステンノとエウリュアレ。

 それは、珍しくもライダーからの願いだった。

 全くもって不器用な姉妹だ。姉ふたりは溢れんばかりの妹への愛情を持て余し、その妹はそれを受け止める器をいつか昔に自ら壊してしまった。

 仕方がない、これも居合わせた者の役目か。回れ右をし、冷蔵庫の中から予め用意していた小さな器を三つ、持ち出す。

「ライダー、食後のデザートだ」

「……エミヤ」

「これは……ジュレかしら?」

「あら、透き通って綺麗じゃない」

 彼女たちがこうまで回りくどい言い回しで何を言いたかったのか。

 それは第三者の私の目から見れば明らかなのだが――どうもライダーと言い、桜と言い、周りの事には良く気がついても自分の事にはとことん疎い。お前が言うな、と誰かに言われそうではあるが。

 自分は二度と報われないと諦めている。

 自分のような存在が救われてはいけないと願っている。

 自分が幸せになるなんて赦されないと信じている。

 だが――そんなふざけた考えが、まかり通ってたまるものか。

「中に入っているのは宝石? なかなか気の利いたことをするわね」

「妖しげでエキゾチックね」

「いえ、これは……蛇の宝玉ですか?」

「ああ、マスターの元から拝借してきた」

「……いいんですか、それ」

「ライダー、これは取るに足りない意見だが、ひとりの元人間の考えとして言わせてもらおう」

「…………」

「人はいずれ死ぬ。それが何であれ生きとし生けるものはいずれ滅びる」

 そう、どんなものであろうと、いずれは時間という恐ろしく緩慢な暴力の前に屈する。時間さえも克服したものは、最早神ですらない。

 ただの化物だ。

「だけどオレだったら……辛くても、苦しくても、出来るだけ楽しく自分の思うままに生きたいと思うよ」

「…………」

 ステンノとエウリュアレは言いたかったのはそこだろう。

 神として世界の歯車としてお人形となるくらいならば、ギザギザのない歯車として世界の仕組みから外れる方がいい。

「そしてステンノとエウリュアレにその選択肢を与えたのは、君だ。ライダー」

 神妙な様子で私の話を聞くライダーと、そっぽを向くステンノにエウリュアレ。

 きっと的は外れてはいない。でなければ、他の誰よりもライダーを愛しく思っている彼女たちがわざわざこんな話をするものか。

「……お節介なのですね、貴方は」

 そう言ってライダーは笑う。眼がバイザーで隠れてはいたが、その笑顔は想像出来た。

「よく言われるよ」

「ところでエミヤ、先ほどからひとつ疑問に思うことが……よろしいですか?」

「なんだ?」

「なぜ貴方は私をクラス名で呼ぶのですか? 私が悪名高いメドゥーサであることを気遣っているのならば……」

「――――……」

 歴史は繰り返す。消された歴史を修復するカルデアでも、例外には漏れない。

 例えそれが、一度は終わった歴史であっても。彼女がメドゥーサであり、オレがエミヤシロウである限り。

 そしてそれは、神のように、永遠を身に宿す存在では実現不可能なことだ。

「何を笑っているのよ、気持ちが悪いわね」

「駄メドゥーサ相手に劣情を抱くなんて趣味が悪いのね、貴方」

「下姉様!」

 ……女神が劣情とか言っていいのか、おい。しかも誤解にも程がある。

「ふっ、仮にそうだとして、君達がそれを認めるのかね?」

「あら、別に構わないわよ?」

「ただ、もれなく私達が姑になることは忘れないでね?」

「あの……私の意見は……?」

 冗談を言え。こんな女神様ふたりに常時監視されるなど、英雄王とルームシェアするのと同じくらい嫌だ。

 ゴルゴン三姉妹の絆は、彼女たち三人だけのものだ。

「……我々は聖杯に喚び出された身だ。短い期間ではあるが、呼び出しがない時は姉妹水入らずで過ごすといい」

「貴方に言われるまでもないわ」

「なんだったら、事が終わった後に聖杯に願っても良いだろう」

「ふふ……そうですね。元々聖杯自体が降って湧いた泡銭のような話……それも面白いかも知れませんね」

「あら、そんな必要はないわよ、メドゥーサ」

「え?」

「必要ないと言うか、不可能ね。ねえ、(ステンノ)

「そうね、(エウリュアレ)

「?」

「だって、ねえ。私たちの願いなんて」

「もう、とっくに叶っているもの」

「……姉様」

「ライダー」

 割って入ろうとするライダーを、名を呼んで制する。

 その先に続く言葉を聞くのは野暮というものだ。

「あら、このジュレ、砂糖を使ってないの?」

「本当ね。甘味はあるけれど、鼻につかないわ」

 と、あからさまに話を逸らしにジュレを口に運ぶ二人。

 全くもって、素直じゃない姉様たちだ。

「ああ、ゼリーはどうしても庶民のデザートというイメージがあるからな。今日は君達に合わせて果実の自然な甘味のみ……今回は宝玉の色に合わせた林檎や梨を使って高級感が出るようにした」

「すみませんエミヤ、わざわざ」

「何言ってるのメドゥーサ、当然よ」

「ふうん、なかなか上品に纏めてあるじゃない」

「私たちにしては珍しく褒めてあげるわ。一つ星をあげる」

「それはどうも」

「ほら、貴女も大きな図体で突っ立ってないで早く食べなさいよ、メドゥーサ」

「はい。いただきま――」

「はいメドゥーサ、あーん」

 と、席に着こうとするライダーの鼻先に、エウリュアレがジュレの乗ったスプーンを差し出す。

「えっ……下姉様、ちょっ」

 普段からぞんざいな扱いをされているライダーは無論、困惑する。

「あら(エウリュアレ)、メドゥーサは私のを食べるのよ。ほらメドゥーサ、あーん」

 ここぞとばかりにステンノも同じようにスプーンを掲げる。

 ああ、これは……。

「あのっ、上姉様も、待って――」

「何よ、私が手ずから食べさせてあげるのが気に食わないの?」

「いいわ、じゃあ好きな方を食べなさい」

「好きな方って……ね、姉様……!」

 ライダーにステンノとエウリュアレどちらかを選ぶ。そんな選択肢が最初から存在するはずもない。

 こんなのはただの悪質な嫌がらせだ。もちろん、二人ともわかってやっているのだろう。その笑顔は心底楽しそうに、悪意と嗜虐に満ちていた。

「ねえメドゥーサ。メドゥーサは(ステンノ)の方が好きよね?」

 上目遣いで哀願するエウリュアレに、

「何言ってるのよ、(エウリュアレ)の方が好きに決まってるでしょ?」

 ライダーの頬に指を這わせ、蠱惑的に囁くステンノ。

 当のライダーと言えば、どちらを選ぶ訳にも行かずに女神様二人の甘い拷問を全身に受けている。

 しかし……ここまで来るとライダーも少々哀れだな。助け船を出してやりたいところだが、傍から見る分には微笑ましいことだし、放置しておこうか。

「エミヤ! お願いします、助けてください!」

 ライダーの悲痛な叫びが食堂に響き渡る。

 形ある永遠に価値などない。

 聖杯で得る永遠など、何の意味もない。

 何よりも重要なのは、三人でいられる今この瞬間だけだということを、彼女たちは知っているのだ。

 

 

 



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パイレーツオブオムライス

黒髭とサンソン、絡みはないけど仲の悪そうな二人の話です。
黒髭好き。好きすぎて我がカルデアではレベル90になってライダー筆頭となってます。


 その日、オレはと方にくれていた。

 オレの名前はエドワード。どこにでもいる、黒いヒゲがトレードマークのごくふつうの高校生だ。

 そんなオレがなぜこんなにも憂うつな気分になっているのかって、それは――

「ええい、近寄るなうっとうしい!」

 がっしりと組まれた両うでを少々乱ぼうにふりほどく。

「いいじゃないこれくらい。幼なじみならふつうよ!」

 などと怒りだしたのは右のうでにしがみついていた、エリザベートだ。こいつはオレの小さいころからの幼なじみで、好きあらばベタベタしてきやがる。ったく、頭がイテエぜ。

「まあ、いいなずけならばこれくらいは許されるでしょう?」

 左からはほっぺたをふくらませているマリーがいる。こいつは何をカン違いしてるのかオレと結婚するつもりらしく、勝手にオレのいいなずけをさ称している。

 こいつらはいつも俺を取り合ってケンカしやがる。まったく、オレの身体はひとつしかないって言うのにご苦労なことだ。

「あら、エドワードじゃない」

「おはよう、エド君」

「おはようございます、エドワードセンパイ」

 オレが呆れていると、正面から見知った顔がぞろぞろとやって来る。

 あれは――クラスメイトのエレナにマルタセンパイ、後ハイのマシュか。

 と、その各々がオレのそばのエリザベートとマリーを見るなりけわしい表情でかけよってくる。

「ちょっと、なに朝から女の子とイチャイチャしてるのよ! 不純異性交遊は禁止! 禁止よ!」

「オレのせいじゃねーよ!」

「エド君……あんまり私をやきもきさせると、握りつぶすわよ?」

「何を!?」

「センパイ、見たところピンチのご様子なので私がお守りします!」

「お前もその原因のうちの一人なんだけど!?」

 あれよあれよと言う間に囲まれ、もみくちゃにされていくオレだった。

 モテる男は辛いとか世間では言うが、アレは決して言いすぎじゃない。その証こに、今まさに物理的に辛いんだよ!

「ちょっとアンタ、アタシのエドワードに気安く近付かないでくれる!?」

「あら……いつから貴女のものになったのかしら……不思議ね、うふ」

「おっ、やめろおい、くだらねえ争いは他でやれ!」

「あなたがはっきりしないのが悪いんでしょ!」

「そうよエド君。今こそ白黒はっきりつけましょうか……拳で」

「望むところです!」

「望むなバカ!」

 五人の女たちのし烈な戦いに巻き込まれるオレ。

 恋は盲目、なんて言うがその通りだ。こいつらはオレのことなんて構わずに乱闘を始めやがった。

 次第に意識が遠くなる。

 ガッシ、ボッカ。拙者は死んだ。パイレーツ(笑)

 

 

 ……――。

 

 

 そこで物語は物理的に終わった。

 本を持つ手がこれ以上は無理だと拒否反応を起こし、無意識にぺージを閉じたのだ。脳が理解しようとするのを本能的に拒否したのだろう。

「っは……はぁ……」

 続いて、過呼吸に似た荒く乱れた呼気が口から漏れ出す。

 衝動的に勢い余って破らなかっただけ自制出来たと自分を褒めてやりたい。

「…………」

「…………」

「伝説のショタ作家様の目から見て拙者作のラノベはどうですかな? 我ながらノーベル文学賞を受賞してもいいと思うくらいの自信作なのですが」

「…………」

 反応がないので恐る恐る隣に視線を遣ると、徹夜明けの頭で一緒に文面に目を走らせていたアンデルセンが白眼を剥いて失神していた。恐らくあまりのショックに、身体が強制停止を命じたのだろう。気持ちはわかる。

「ドゥフwww本来ならばここから恋あり波乱ありポロリありのハーレムものが始まるのがアニメ化までの袖の下、すなわち近道なのですが、拙者はラノベといえども物語性を重視したい変わり者でしてwwwオドゥルフwwwありきたりな展開にはしたくないでござるのですよwww」

「…………」

 黒髭、エドワード・ティーチの持ってきたキャラ物のノートを前に、私とアンデルセンは完全に停止していた。絶句する、という動詞を産まれて初めて自覚できた気分である。それ程までひどい――いや、これはひどいなんてレベルをとうに超えている。

 私に文才はない。それは確かだ。理論よりも読解力を問われる現代国語の点数も良くはなかった。だがそんな私でも黒髭の作品の拙さは理解できる。

 これは――いや、感想を言葉にすることすらおぞましく、憚られる。

 それ程までに惨劇だった。文章で人を殺す事が出来るのならば、恐らくはこのような類のものではないだろうか。

「信じられん……何ということだ……」

 と、アンデルセンがようやく正気に戻ったのか、頭を抱えて机に肘をつき、身体を細かく震わせ始める。

「駄作と呼ぶことすら烏滸がましい作品がこの世に存在するなんて……いや、作品……? そもそも作品の定義とはなんなんだ?」

 伝説の童話作家のアイデンティティが崩壊しそうになっていた。いつもならば散弾銃のように飛び出す毒舌すら奮わない。

「ふむう……拙者の作品は歴史に名を刻む作家にすら測りかねると申しますか。これはもしかして作家系サーヴァントとして第二のサクセスストーリーの序章開始でござるか!?」

「やめておけ、 ナーサリーあたりに消されるぞ」

「望むところですな。(性的な意味で)返り討ちにしてやりますぞwww具体的にはナーサリーたんの腹部に顔を埋めてprprhshs(ペロペロハスハス)したい!」

「そうか、薬はちゃんと服用しておけよ」

 エドワード・ティーチ。ライダーのサーヴァント。

 彼はかの世界一有名な悪名高き海賊である『黒髭』その人だが、一体誰がこんな濃いオタクだと思おうか。

 まあ、実際はこうやって周囲を欺くのが黒髭の処世術と言うかやり方なのだ。その証拠にあの戦術に秀でたトロイアの英雄ヘクトールに愚者を演じる天才とまで言われている。

 その筈なのだが……。

「おっと失礼、拙者そろそろAP消化の時間なのでスマホターイム!」

 最近は見ていると積極的に楽しんでいる節さえ感じる。いや、絶対楽しんでいる。断言してもいい。

「おいエミヤ。頭痛と吐き気が止まらん。俺は帰って寝る……」

「あ、ああ……お大事に」

 徹夜も相乗効果で体調不良に輪をかけているのだろう、顔を蒼白にし、口元を押さえふらつきながらアンデルセンが部屋へと帰って行った。

 下手にトラウマにならねば良いが……。

「お前も帰れ、黒髭」

「えーなにー、エミヤ氏つめたーい。拙者、今期の深夜アニメも一通り見終わってヒマなんでござるよー!」

「深夜アニメ……? そろそろ朝食でここも賑わう。用がないのなら帰ったらどうなんだ」

「そんな事言わずにさー、そういえばエミヤ氏、現代日本の英雄なんでしょ? いいですなぁ、拙者も秋葉原に聖地巡礼行きたーい!」

「現代日本人が全員お前のようだと思ったら大間違いだぞ……あとそのエミヤ氏という呼び方はやめろ」

 そういう嗜好の持ち主がいるのは勿論知っているが、私の周りには幸か不幸かいなかった。ゲームは時々慎二とやる位で、漫画もライダーが持ち込んだものを暇潰しに読んでいた程度だ。

「それよりエミヤ氏ー、拙者納得いかない事があるんで聞いてくださいよー!」

「……ロクでもない話だと言うことだけは聞く前からわかるが、なんだ?」

「拙者が敵で出て来るとみんな式たんやジャックたんでザクザク斬るのっておかしくなーい!? どうせ同じアサシン枠なら静謐たん使って欲しいと拙者は言いたい! 静謐たんの宝具ならば拙者、無限ガッツつけますぞ!?」

「スパルタクスに殴り殺されてしまえ」

「刃物はイカンでござるよ刃物はー。そりゃ拙者はモブではないので即死(ザキ)即死(ムド)即死(バニシュデス)は効きませんよ? あと可憐な女の子に刃物というミスマッチは拙者も認めるどころか最高なのですが、どうせなら素手で殴って欲しいという複雑な揺れる(おとめ)心ですなあ!」

「…………」

 いい加減、突っ込むのも疲れてきた。

 基本的に私は地のテンションが高い相手とは相性が悪い傾向にある。

 この手合いの輩は何を言っても無駄なのだ。あれだ、言うなればバーサーカーと会話するのに似ている。英雄王とか古代王とか英語教師がいい例だ。

「……何やら騒がしいようですが」

 と、黒髭との不毛な会話に刃物を入れるが如く颯爽と彼は現れた。黒髭の相手は精神的に来るので、援けと言わんばかりに遠慮なく迎える。

「なに、問題ない。いつもの食事かね?」

「はい。セレアルと温かいココアをお願いします」

 厨房へと行き、棚からシリアルの袋と食器を用意する。

 その男は、出陣(レイシフト)の命が下った日になると、決まって欠かさず食堂にやって来る。一度本人から聞いた話によれば、仕事のある日は毎朝同じ時間に起床し、同じ朝食を摂ったと言う。

 恐らくそれは、人の命の遣り取りを日常に組み込む儀式のようなもの。

 そうでもしなければ、処刑人として生きて行くのは辛いのだろう。

 なんせ人間最大の悪とされる、他人の命を断ち切る仕事だ。私などでは想像することすら躊躇われる。

 丈の長い外套をまとった彼の名はシャルル=アンリ・サンソン。人類史上、世界で二番目に多く処刑を執り行なった処刑人である。

「エミヤ氏ー、拙者もおなか空いたからついでになんか作ってくださる?」

「ああ、サンソンと同じシリアルでいいか?」

「んん、悪くはないのですが腹具合的にはそこそこがっつり行きたい気分ですな……こう、心温まるような、おふくろの味と言うか、ママは霧夜の殺人鬼的な……? ここだけの話、ジャックたんってチートレベルでバブみあるでござるよね。拙者、全身全霊でオギャりたい次第!」

「何を言ってるのか全くわからんし理解したくもないが、オムライスでどうだ?」

「オムライス! それは是非ともメイドさんに愛情溢れる文字を書いてもらわねばなりませんな! さあ探せ黒髭、カルデアにはメイド適性120%のおにゃのこが盛りだくさんでござるぞ! うっひょおおおおおういwww」

 奇声と共に食堂を弾丸のように飛び出して行く黒髭。そのまま帰って来なくていいんだが、あの調子では戻ってきそうだった。

 黒髭がメイドを探すなんて結果は火を見るよりも明らかなのだが……まあいい、好きにさせておこう。

「……騒々しい男ですね。朝食くらい、静かに摂らせて欲しいものです」

「まあ許してやれ。黒髭は黒髭なりの考えで常時あんな状態だが、その代償も大きい」

 先程も言ったが、黒髭の躁は半ば演技だ。得られるものは何なのか理解は出来なくもないが、人間としての尊厳を失くすまでのものなのか、と疑問符はつく。

 その代わりに黒髭は一部を除く女性陣に毛虫のごとく嫌われている。本人はそれすらも楽しんでいる傾向にあるが。

「……それ以前の問題です。僕は彼が嫌いですから」

「罪人だからか?」

 ココアを淹れようとしたがポットの湯が切れていたので、湯を沸かす。その空いた時間で冷や飯とオムライスの材料を冷蔵庫から取り出すのも忘れない。鶏肉、ケチャップ、卵、玉ねぎ、人参……卵がそろそろ切れそうだ。ダヴィンチに頼んでおこう。

「いえ、僕の仕事はそれが誰であれ刃を首根に落とすこと。中には冤罪の者や、罪を心から反省している者もいました。それを思うと、ああいった自ら好んで罪を犯す人物は、どうも……」

 言って、自嘲的な笑みを浮かべる。サンソン自身もわかってはいるのだ。

 今ここカルデアで黒髭の罪を問うたところで何の意味もない。

 黒髭だけではない。ここカルデアに英霊として召喚されている者の中には、反英霊として現界している者もいる。黒髭と同じ海賊であるドレイクやメアリーとアンもそうだし、広義で言えば大小はあれど罪を犯していない英霊――いや、人間を探す方が難しい。

 私だってそうだ。

「ただいま戻りましたぞー!」

 と、黒髭が空手で戻って来た。予想通りというかなんというか、誰かに焼かれたのか全身を煤で汚した上、その豪奢なマントには未だ火が燻っており、加えて髪をアフロにすることで大胆なイメチェンを果たしている。それが絶望的に似合っているのは言うまでもない。更には背中には数本の矢が矢ガモのように刺さったままだった。

 黒髭は見た目通り人一倍頑丈なので心配の必要はないが、よくもまあここまで嫌われることが出来るものだ。

「いやあ、カルデアベストオブメイドさんは誰かなと考えていたら清姫たんとアタランテちゃんがおりましてな」

「容易に予想がつくから話さなくていいぞ」

「まあまあそう言わずにー、この黒髭の山あり谷ありポロリあり(首的な意味で)の英雄譚を――」

「……少し、静かにしてくれませんか」

 と、

「んん?」

「君の野蛮な濁声は耳障りです。仕事前の食事くらい、心安らかに摂らせて欲しいのですが?」

 落ち着き払いながらも鋭い声音が、食堂の空気を裂く。

「これはこれはサンソン氏wwwあいすまんwwwMC拙者の類稀なるトークスキルがご迷惑をおかけしたようでwwwやだ、自分の秘められた才能が怖いwww」

「僕は静かにしろ、と忠告しました……それとも、物言わぬ姿になりたいのですか?」

「……へっ」

 黒髭に対する堪忍袋の緒が切れたか、それとも先ほど言った、悪人への単なる八つ当たりか。静かながらも有無を言わせぬ物言いで流暢にサンソンが言の葉の刃を次々と投擲する。

 対する黒髭は、不敵に口の端を吊り上げていた。

 ……まずいな。不穏な雰囲気だ。

 カルデア内では私闘は禁じられている。だが禁じられているというだけで、明確な抑止力がある訳ではない。サーヴァントとは言えど自動で役割をこなすロボットではない。笑いもすれば怒りもする。その結果、戦闘に発展することもあるだろう。

 それに加え、彼らは仮にも英霊。

 一度始まってしまえば他人が止めるのは容易ではない。

「くっ……がはははははははは!」

「……何か可笑しな事でも?」

「いやあ、自分で苦労の一つもせずにトドメを刺すだけの処刑人なんぞがこの海賊黒髭を殺れると思っておるなんて、面白おかしくて腹がよじれますぞwww」

 黒髭もいつもの調子を保ってはいるものの、その台詞には棘があった。

 対するサンソンは眼を閉じ呆れた風に溜息をひとつこぼす。

 次の瞬間、

「うおっふ!?」

 最も眼がいい弓兵のサーヴァントであるこの眼をもってしても、止める隙も無い一瞬の出来事だった。

 気付けば仰向けに倒れる黒髭の上に、サンソンが覆いかぶさる形でマウントポジションを取っていた。海の太陽光に焼かれた赤黒く太い丸太のような黒髭の首元に、刃を模した手刀を添えて。

「……案外、簡単でしたが?」

 一瞬で黒髭にすり寄り足払いで転ばせた後、黒髭の背中が地面に着くと同時に優位を取った。サンソンの言う通り、これが実戦ならば黒髭はとうに死んでいる。

「ちょwwwサンソン氏wwwいきなり押し倒すとか積極的ィンwww」

「…………」

「あっ……さ、サンソン氏みたいなイケメンにそんな熱い視線で見つめられると拙者照れちゃう……うそ……サン×ひげなの……? まさかの黒髭受とは腐女子間で物議を醸しますぞwww」

「…………」

「いや、BLではでかくて屈強な男の方が受けの素養ありとラカム君とロー君が言っていたような気が……ということはむしろ拙者が受け……? いやーん! 拙者BLも紳士の心得として嗜んでおりますがそれは二次元の話であって、リアルでは男の娘が限界でござるぅー! 具体的にはラーマ君がギリギリいけるライン!」

 黒髭の戯言を意にも介さず、サンソンは静かな威圧感と共に口を開く。

「重罪人、海賊『黒髭』エドワード・ティーチ。もし君が同じ時代に生きていたのならば、処刑場にて相見えることもあったかも知れませんね」

「それはご勘弁ですなぁ! 拙者、次死ぬ時は魔法少女の胸の中と決めておるのでwww」

「頭を下げさせ、首穴に充てがう。そして罪人が迫り来る死を実感する前に素早く刃を落とす――以上が処刑の作法です」

「それはまた素晴らしいトリビアですな! 拙者の人生においては何の役にも立ちそうにないけどネ!」

「……切り離した首に魂はあれど名はありません。胴体と首。併せて初めて人と呼べるからです」

 今日初めて見せる、冷静なサンソンの感情らしい感情。怒りと言うよりは苛立ちに近いそれを黒髭に吐き出しながら、首に添えた手刀に力を込める。

「君も、名を忘れてみますか?」

「……やってみろよ、引きこもりの青瓢箪が」

 黒髭もようやく我慢の臨界点に達したのか、その表情はいつものふざけたものではなく、額に青筋を浮かべ海賊黒髭としての歪なものに変わっていた。不利な仰臥位にあるにも関わらず、その憮然たる態度は悪党の代名詞に相応しく。

 交錯する二人の乾いた殺気に、食堂の湿度までもが下がった気分だ。

 業務的に人の死を扱うサンソンと、日常的に命の遣り取りを生業とする大悪党黒髭。あまりにも多くの生死に関わって来た者の殺気は、こうも感情の色が見えないものか。何せ、そこには怒りや怨恨といった激情が一切感じられない。

 力づくで止めようかとも考えたが、一触即発の今、下手に刺激するのは下策だ。黒髭は護身の為に銃を隠し持っていると風の噂に聞くし、サンソンもアサシンのクラスで現界している以上、刃物の一本くらい持っていてもおかしくはない。万が一の事態を考え、いつでも瞬時に二人の間に割り込めるよう、魔術の準備と覚悟だけは決めておく。

「おう、処刑人。人間は首を切られた直後、どうなるか知ってるよなぁ?」

「勿論」

「首が斬られたところで即死する訳じゃねえ」

「はい、人は首と胴体が離されても、生き続けます。とは言え数秒間の話ですが……それが、何か?」

「てめえみてえなヒョロい医者かぶれ、首がなくたって殺る事ぁ出来るって言ってんだよ」

「それは面白い。長い処刑人人生でも経験したことがありません……君がその貴重な体験をさせてくれるのですか?」

「へっ、言うじゃねえか。誰にも支持されねえ腐れ処刑人の分際でよ」

 黒髭の言う通り、処刑人という職は報われない。実際、サンソンを超える数の処刑をこなしたと言われるドイツの処刑人、ヨハン・ライヒハートの息子は、父親の職業に疑問を持ち自殺したと聞く。

 人間社会を成立させる上で必要不可欠な存在でありながら、誰からも忌むべきものとして扱われる。

 その理由は単純明解で、人の生を終わらせるからなのだろうが……皮肉な話であることは違いない。

「……いい機会です。一つ聞きましょう、罪人エドワード・ティーチ。君は比較的平和になった現代において海洋浪漫としてどれだけ持ち上げられようと、略奪、簒奪、暴行、殺人を犯した大罪人です」

 その端正な顔を近付け、サンソンは歌うように問答を投げ掛けた。

「その罪を償う意思は、あるのですか?」

「ねえな」

 即答だった。そこに逡巡や反省といった色は一切見えない。

「俺は許されるつもりも罪を償うつもりもねえ。海賊ってなぁそういうもんだ。ドレイクやメアリーとアンにも聞いてみろ、絶対に俺と同じ答えが返ってくるだろうよ」

 海賊とは。

 悠々と目的もなく海を自由に航海し、獲物を見つけては銃とカトラスを振り回し強奪・殺戮なんのその。略奪・蹂躙が終われば仲間と酒をかっ喰らい、戦利品と被害者の死体を傍らに高笑い。

 そんなルールもへったくれもない輩に大義や免罪符なんてものがある筈もない。平和になった現代でこそ自由な気風のスケールの大きな人種、なんてイメージがあるものの、突き詰めれば彼等はただの極悪犯罪人だ。

「自分がやってる事が救いようのねえ悪行だなんて事ぁ、初めから知ってんだよ。だから俺達は最初の一歩で腹を決めて、後はくたばるまで悪道一直線を突き進む。覚悟が足りなかったり、その過程で良心なんてモンが顔を出したら悪党としてはお終ぇよ。そういう奴は例外なく早死にして行く。そうじゃなくても大概はつまんねえくたばり方だ」

 自分をどうしようもない悪だと定義するところから海賊は始まる、と黒髭は言う。

 その道を選んだからには、まともな人生など最初から望んでいないと。

「くだらねえ人生を自ら望んで、くだらねえ生き方をして、くだらねえ死に方をするんだよ、俺たちは」

 フランシス・ドレイク、海上で赤痢に冒され錯乱しながらの病死。

 メアリー・リード、牢獄内で鎖に繋がれたまま熱病にて病死。

 黒髭エドワード・ティーチ、銃弾を何発も打ち込まれる壮絶な激闘の末に力尽きて死亡。

 カルデアにいる海賊で、まともに往生したのはアン・ボニーくらいのものだろう。

 惨めな最期も理不尽な死も上等と胸を張り、ただ日々を自分の愉しみだけに生きる。その明日の保障をも求めぬ捨て身の自然体は、自分の欲よりも道徳を第一に置く現代人の私から見たら正直羨ましくさえ思える。

「それが俺たちの唯一の意地であり目標よ」

「目標……?」

「死ぬ瞬間、いい人生だったと笑ってくたばる。人生に指標なんてもんがあるとしたら、それだけだ」

 と。

 黒髭はそのボックスベアードとも呼ばれる蓄えた髭を歪ませ、破顔する。そこに悪人特有の狡猾さは見られない。子供のような無邪気な笑顔だった。

「てめえは今この場で笑って死ねるか、処刑人! 俺は、黒髭は笑えるぞ!」

「笑っ……て……?」

 その勢いで、狼狽したサンソンを仰臥位から押し返す。最早冒頭の立ち位置による有利不利はなく。

「その為だけに面白おかしく好きな事だけやって生きてんだよ! いつ死んだっていいように、毎日死ぬ為に生きてんだ! そこに後悔なんてある訳ねえだろ!」

「笑って……確か、マリーも……あの、時……」

 サンソンの表情に翳りが差す。ぶつぶつと何かを呟いているようだが、ここからでは断片的にしか聞こえなかった。

 今、マリーと言ったか?

「マリーが……彼女の人生が何一つ後悔のないものだったと言うのか! そんな、それじゃあ、僕が、なんで、その幕を降ろして……ああ!」

 頭を抱え、目に見えてサンソンが錯乱する。

 普段は冷静沈着、感情の振れ幅も非常に狭く、まるで機械のように淡々と責務をこなすサンソンだが、マリー・アントワネットが絡むと精神の均衡を崩す。

 原因は解りきっている。あのマリーをギロチンにかけ、刃を降ろしたのは他でもないサンソンだ。彼はそれを、倒錯(トラウマ)として英霊として召喚された今も抱えている。

「あ、ああ、ああ……! マリー……マリー!」

「メソメソうるせえんだよ!」

「が……っ!」

 感極まったサンソンの額に黒髭の頭突きが炸裂し、衝撃でサンソンはとうとう黒髭の身体の上から退き、倒れる。まるで鈍器で殴ったかのような、人の頭からあんな音がするのか、と思う程の打撃音だった。

 今度はサンソンが仰向けになったまま、表情を腕で隠し息を荒くしている。

 黒髭は持ち前の巨体でその無防備なサンソンを見降しながら傍らに立つ。

 ……まあ、シリアスな場面なのに髪型がアフロなのがいまいち決まらないあたり、黒髭らしいと言えばらしい。

「そいつの人生がいい人生だったかどうかなんて、他人にゃわかんねえよ、バカ野郎。そんなもん本人に聞け……ただ――」

「……っ、はぁ……はぁ……」

「死ぬ直前に笑える奴はそうはいねえ。俺みたいなハナっから人生捨ててる奴ならともかく、普通の人生送ってた奴が笑って死んだんなら……多分、そうなんじゃねえか」

「…………」

 それは黒髭なりの慰めなのか、自分に対する皮肉なのか。

 黒髭の言っている自由奔放な生き様と心構えは、悪逆非道を行い誰にも縛られない海賊に相応しい。

 だがそれは、そこに縋るしかなかった者の一種の開き直りとも取れる。最初から世の中の全てを諦めた者にしか辿り着けない境地だ。

 どうせ面白くも何ともない世の中ならば、せめて自分の手で面白く。高杉晋作も言っていた言葉だ。

 さて、そろそろ片をつけないと朝食の客で賑わうことになる。こんな状況を見られるのは二人も望まないだろう。

「なあサンソン、こんな話を知っているか?」

「……?」

「この時代におけるついこの間の話だが――フランスでは、死刑が廃止になったぞ」

「……っ!」

 1981年のことだ。サーヴァントには召喚時にその時代に応じた基本知識は与えられるものの、何も一から十まで与えられる訳ではない。歴史的事件であろうとも、使い魔として行動することに関係なければ省かれると考えるのが妥当だ。

 サンソンも知らなかったのだろう。上半身を起こし、充血した眼を見開いて、信じられないような表情で私に視線を向ける。

「本当……ですか……」

「ああ。今現在から35年ほど前のことだ。知らなくても無理はない」

「よかった、本当に……僕のやって来た事は無駄ではなかった……」

 立ち上がり、両手のひらを組んで眼を閉じる。

 その眼の端から伝うのは、一筋の涙だった。

 サンソンは、自分が処刑人であることを嫌悪していたと聞いている。社会情勢と地位から、処刑人を辞めるには死刑制度を廃止するしかない、と考え、何度も死刑廃止の嘆願書を出していた、とも。

 フランスにおいて最も処刑を行った人物が、その仕事に誇りを持てなかったとは何とも皮肉な話だ。

「なあサンソン……黒髭の言う事が正しいとまでは言わんが、人命を奪ったという一点においては私も罪人だよ」

「……?」

「私は一応、英霊として召喚されてはいるが、その実そこの大悪党と呼ばれる黒髭よりも多くの人命を奪っている。善悪を人の命の量で測り、千を生かす為に百を殺す……そんな事を繰り返して来た。頑なにくだらん信念を貫き通した正義の味方とやらの末路がこの私だ」

「それは、しかし……正義あってのことでしょう」

「変わらんさ」

 基本的に善悪なんてものは、個人ではなく大衆が決める。その根拠は、単純に人口の増減に拠るところが多い。

 例え一千万を殺して世界を救おうが、世間から見たら私は単なる大量殺戮者だ。

「私は生前行ってきたことを、正しいとも間違っているとも思っていない。心が枯れ、そんな事を考える地点はもうとうに過ぎた……だがそれが罪になると言うのならば、私は今でも償おうと思う」

 償えるものならな、と続ける。

 死んだところで、罪は消えない。私は死後も血に染めた両手を肩から提げたままだ。

 英霊は、このカルデアで起こった人理史修復(グランドオーダー)のような世界の危機に呼び出される。

「命を絶つ事だけが罰じゃない。罪を償いつつ生きる道もある。消えてしまったら、償うことも出来なくなる」

聖杯に捧げる本来の目的はあれど、それが私に課せられた罰だと言うのならば、私は従おう。

「そうだろう、黒髭?」

「何で俺に振るんだよ」

 黒髭も誤魔化してはいるが、その点は私と同じだ。

 奴は笑って死ぬ為に好き放題やって来たと言ったが、満足して死んだ人間が、前提条件として英霊の座に就ける筈がないのだ。英霊は願いと引き換えに世界の危機に現れ、力を貸すもの。

 やり残した事がある、と言うにはその素振りもなければ現代をエンジョイし過ぎているし、そうとなれば、残るは――。

「勝手に妄想してんじゃねえよ、クソコック。寝言は寝て言え」

「そうだな。だが、面白い見解だろう?」

「けっ、くだらねえ。見当違いもいい所だぜ」

 黒髭の言う通り、私の想像でしかない。

 だが私は、この悪ふざけの過ぎるオタクが心の底からの悪人とは、到底思えないのだ。

 時代や環境で人はいとも簡単に変わる。黒髭だって生まれついての悪党だった訳ではないのだ。海賊になるべく何かはあったのだろう。それが何なのかは私の知るところではないが、生まれてから死ぬまで悪である存在などない。生まれる環境さえ違っていれば、黒髭も善良なオタクとしてその生涯を終えていたのかも知れない。

 その仮定だけで十分だ。

 と、サンソンが顔を袖で拭いながらこちらにやって来た。

 その顔は打撲と涙でひどいものだったが、今までの陰鬱さは一切なく、何処か晴れやかに見えた。

「今なら僕も笑って死ねる気がします……ですが、与えられた役割は果たしましょう。誰も手を汚さなくてもいいこの人類史を、消さない為にも」

「それがいい」

「おい処刑人、なんか綺麗にまとめようとしてやがるけどよ、この黒髭様にここまでやっといてタダで済むと思ってんのか、ああ?」

「…………そうですね。今日の事は僕の醜い八つ当たりでした。抵抗はしません。君の気が済むまで好きにするといいでしょう」

「へっ、俺に野郎を組み伏せる趣味はねえよ……その代わりに一個だけ聞かせろ」

「……? 僕に答えられるのならば、何でも」

「カルデアでメイドが一番似合うのはだーれだ?」

「マリーに決まってるでしょう。他に考えられない」

 言って、二人で顔を綻ばせる。

「くっ、がはははははは! いい趣味してますなサンソン氏!」

「ふっ……あっははははははは!」

 あんな屈託のない笑顔のサンソンを見るのは、カルデアに来てから初めての事だ。

「では、落ちがついた所で朝食にしようか」

「あの、エミヤ……僕にもオムライスを作ってもらっていいでしょうか。その、僕は未だオムライスを食べたことがないので……たまには違う食事も」

「ああ、勿論だ」

「それではサンソン氏、オムライスが出来るまでマリー殿の魅力について語りましょうぞ!」

「それは三日三晩あっても語り尽くせないとは思いますが……いいでしょう。覚悟してください」

 既に準備は万端だ。急いでチキンライスを作り、卵でくるむ。

 オムライスは洋食というイメージがあるが、実際は日本が発祥だ。時期は不明だが、戦時中に洋食屋で産まれたとされている。予想ではあるが、当時の不味い米をどうにかして美味く食おうとした結果だろう。

 ケチャップで炒め、半熟卵でくるむことで米のパサパサ感はなくなり、味もケチャップで上書きされる。その上、日本人の大好きな滑らかな食感になる。調理自体も難しいものではなくお手軽に作れる、現代においてもなお人気の高いメニューである事を考えると感嘆の意を隠せない。

 早々に二人分のオムライスを作り、着席しマリーに関して熱く語る二人の前に出す。

「待たせたな、ケチャップやソースは好みでかけてくれ」

「やっほーい! 野郎ども、旗を掲げろぉ! と、拙者の海賊旗を刺して完成、っと。んんwwwこの子供心をくすぐるチープさがたまらんでござるなあ!」

「キャッチャプとソースをかけるのですか……オムレットは食べたことはありますが、ライスを包むとは変わっていますね」

「オムライスにはケチャップで好きな文字を書くのが通ですぞ!」

「そうなのですか……しかしそれは少し恥ずかしい気が……」

「サンソン、おはよう。お食事中かしら?」

 と、朝食を摂りに来たであろうマリー・アントワネットがサンソンに話しかけていた。

 当のサンソンも突然の登場は予想外だったのか、驚きの表情を隠せないでいる。

「ま、マリー……おはよう」

「今日はセレアルじゃないのね……まあ、オムライスじゃない! 素敵なものを食べてるのね!」

「良かったら君の分も作るぞ、マリー」

「本当? じゃあお願いしようかしら」

「了解だ」

「あらサンソン、キャッチャプで文字は書かないの?」

「いや、マリー。僕はいい大人だ。そのような子供じみた事は……」

「そう? 楽しいことに大人も子供もないと思うけれど……じゃあ、書かないと言うのならわたしに書かせてくれるかしら?」

「それは、別に……いい、けれど」

「やった! なんて書いたらいいか、リクエストはある?」

「え、と…………ん……そ、」

「そ?」

sourire(笑顔)……と」

「まあ、素敵な言葉ね! じゃあ、書くわね」

「う……」

「子供たちのお子様ランチに使うフランスの国旗もあるが、刺すか?」

「あはっ、そうしましょう。まるでレストランね!」

「は、はは……そうだね、マリー」

 顔を真っ赤にしながらも、どこか嬉しそうなサンソンに微笑ましいものを感じる。

 もう彼の中に暗い影はない。

 処刑人は自らの職業の存在意義がなくなったことにより、本当の意味で人を救う仕事に取り掛かる。

「マリー殿、拙者も拙者もー!」

「あら黒髭さん、ごきげんよう。ファンキーで素敵な髪形ね!」

「ごきげんようですぞ! そんなタイが曲がっていそうな素晴らしい挨拶は脳内HDDに保存しておいて、拙者のオムライスにも書いてくーだちい!」

「いいわよ。なんて書こうしら?」

「そうですな……候補は無限大ですが、ここはシンプルに大きなハートマークの中に『萌え』と書いてもらえますかな」

「ハートマークに萌え……こうかしら?」

「オウフwwwこんなところで拙者の夢が叶うとはwwwこれも日頃の行いの賜物ですかな!」

 そして世紀の大悪党は、今ある生を全力で謳歌する。

 笑って死ぬ為に。次の人生の為に。次の次の人生も笑えるように。

「…………」

 その光景を、サンソンが黒髭を背後から刺しかねない視線で睨みつけていた。

 サンソンは理路整然とした性格だが、先述した通りマリーが絡むと性格が一変する。マリーを巡ってもう一波乱、なんてことはないだろうな……。

「それでですな……今から拙者が言う魔法の言葉を唱えて欲しいのでござるよ」

「魔法の言葉?」

「ザッツライトでござる! こう……手でハートマークを作って唱えるとおいしさが通常の三倍(拙者比)に! それではマリー殿、ご一緒に! おいしくなーれ、萌え萌えきゅん☆」

「おいしく――」

「おっと」

 と、目にも止まらぬ速さで持っていたフォークをマリーの死角から黒髭に投擲するサンソンだった。

 それは見事に黒髭の臀部に突き刺さる。

「いってえええええ! 拙者の! 拙者のおヒップに激痛なう!」

「すみません、フォークがもの凄い勢いで滑りました」

「ちょっ、待って、これマジで痛い! 大変でござる、拙者のお尻が二つに割れてるゥ!」

「元々割れてますよ……何なら四つに割りましょうか。ギロチンで」

「ぬぅぅぅぅぅぅぅ……サンソン氏……お主とはいずれ決着をつけねばならんようですな……」

「いつでもどうぞ。望むところです」

「二人とも、ケンカはダメよ!」

 そんな険悪な二人を秩序善のマリーが放っておく訳もなく、間に入って声をあげる。

「こんな、味方同士でケンカなんて……とても悲しい事だわ……」

 と言うか、泣きそうだった。

 それを見た二人が急いで協定を組み、慰めに回る。

「い、いやマリー……これはケンカじゃなくて……」

「そ、そうでござるよマリー殿。これは男同士のスキンシップというやつで……拙者とサンソン氏はマブでござるからなあ! ねー、サンソン氏ー!」

「そうですね、その通りです」

 言って、二人で仲良く肩なんかを組んで見せる。

 だが、マリーからはテーブルが影になって見えないが、後ろから見るとお互い激しく足を踏み合っている。処刑人と罪人は、何があっても分かり合えることはないのかも知れなかった。

 何というか……テスラとミスターエジソンのケンカを見ているようだ。

「まあ、サンソンも親しいお友達が出来たのね、良かった!」

「……そうだね、僕もそろそろ変わらなきゃいけないみたいだ」

 人としての人生が終わっても、変わることは何度でも出来る。自分を縛り付けていた、自分の最も厭忌していたものが無くなったサンソンならば尚更だ。

「マリー、君の分も出来たぞ。旗つきだ」

「まあ、美味しそう! ありがとうエミヤさん!」

「なに、お安い御用だよ」

 いつかサンソンは言った。

 僕の刃は人と罪を切り離すものだ、と。

「美味しい……食事が美味しいと思うなんて、どれくらい振りだろう」

 それは正しいと思う。基本的に人と罪は切り離せないものだ。人は誰もが大小はあれど罪を背負って生きている。罪から完全に逃れる為には死しかない。

「うふふ。黒髭さん、おヒゲにキャッチャプがついてるわよ」

 だが死した後もこうして贖いや償いが出来ることは、果たして救いなのか、それとも終わりのない無限地獄なのか――。

「マリー殿! ここはぜひその可愛いお手手で拭き拭きしてくだs――ふがごごごご!?」

「おっと、少し強く拭きすぎたようで……髭が抜けてしましましたね。申し訳ありません」

「ちょっと、拙者のおヒゲはデリケートなのよ! 優しくしてちょうだい!」

 いや、深く考えるのはよしておこう。

 こういうものは大抵、自問自答の果てに答えの見つからないものだ。

 我々サーヴァントは、所詮まがいものの命。ある筈のなかった死後の世界。

 ならば私もあの悪党を見習って、全てを忘れて本能のまま生きてみるのも悪くはないかも知れないな。

 

 

 



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手作りブランデー生チョコレート

剣ランスロットです。
しかしお父さん強いんだけど星吸い過ぎじゃないですかね……


 時は日付も変わる頃。

 ここ食堂には食事を目的とする客はほぼいなくなり、代わりに酒や徹夜を乗り越える為の軽食を求める者がちらほらと現れる。酒に関しては酒呑やドレイクといった生粋の酒飲みが誰かしら毎日のように酒盛りをしており、今もフェルグスをはじめとするクー・フーリンやスカサハといったケルトの戦士が集まって何かしら騒いでいた。

 こうなってしまうと私の役目も御免だ。私にバーテンダーを務めるに足り得る知識や腕はないし、そこまでする義理もない。厨房にいる時に頼まれれば軽食や酒の肴くらいは作るが、その程度だ。

 それに酔っ払いの相手なんぞこちらから御免被る。酔っ払いの相手ほど益にならないものはない。

 ロマニのように徹夜でカルデアを維持する為に働く人間もいるので、そんな彼らの為にと作り置きのサンドイッチをバスケットに入れ、サランラップをかけてカウンター脇に置いておく。これで今日の私の役目は終わりだ。

 そろそろ部屋に戻ろうか、と思っていると、カウンターに近付く影がふたつ。

「いらっしゃい、食事かね」

「いえ、今日は酒を頼みたい。エールをふたつ」

 甲冑を着けた二人の名はサー・ランスロットとサー・ガウェイン。アーサー王物語の代名詞とも言える円卓の騎士において実力、知名度共に三本の指に入る騎士二人だ。

 ランスロット。セイバーのサーヴァント。

 カルデアにはバーサーカーのクラスで召喚されたランスロットもいるが、こちらが本来のクラスだ。円卓の騎士の中でも一、二を争う武勇を誇り、忠義も厚く騎士の中の騎士であったと言う。

 だがその反面、モードレッドと共にアーサー王物語に終止符を打つのにも一役買っている。良くも悪くも円卓の騎士の中では知名度が最も高い騎士と言えよう。

 続いてガウェイン。セイバーのサーヴァント。

 彼もまた円卓の騎士であり、その中でも最古参にあたる騎士だ。朝から正午までは力が三倍になる加護を受けており、昼間はどんな敵でも彼を打倒することは叶わなかったと聞く。性格も勇猛にて騎士の礼節を弁えた清廉潔白を貫く騎士の鑑であり、二つ名である太陽の騎士の名に恥じぬ、眩いばかりの人物と言えよう。

 ジョッキに瓶ビールを注ぎ、突き出しのナッツと共にカウンターに座る二人の眼前へ。

「ありがとう。乾杯」

「乾杯」

 と、二人とも大ジョッキに注いだビールを一口で全て飲み干してしまう。その上で顔色ひとつ変えていない。

 保存の効かない昔は、腐らない酒が水代わりだったとも聞くが……とは言えここまで強いものか。少し感心しながらも、新しいビールを注ぐ。

「急に呼びつけてしまい済まない、サー・ガウェイン」

「酒の場は無礼講。ここではその呼び方はやめましょう。同郷の、しかも同じ円卓の誼……今更遠慮をする間柄ではないでしょう」

「礼を言う。今日は身内にしか明かせぬ私の恥なのでな……」

 言って、私にちらりと目線を向けるランスロット。

 他人の内緒話をこそこそと聞く趣味は私にはない。それが高潔な騎士のものであれば猶更だ。

「私は邪魔者のようだな。丁度部屋に戻るところだったから気にするな」

「ああいや、良ければエミヤ殿にも聞いて戴きたいのだが、よろしいか」

「私に……? 構いはしないが、いいのか?」

「ああ。カルデアの古参である貴公の意見も是非聞きたい」

「そこまで重要な話であれば、トリスタンとモードレッドとベディヴィエールも呼びましょうか?」

 現在、カルデアに召喚されている円卓の騎士は、アーサー王を除けばランスロット、ガウェイン、トリスタン、モードレッド、ベディヴィエールの五人だ。こうして個人的な話である以上は、王であるアルトリアには秘密の話、というのが彼らの暗黙の了解なのだろう。

「いや、今日はごく個人的な、家族についての相談だ。その点においてはトリスタンも私と似たような身上に加え、物言いが詩的すぎてあまり参考にならん。モードレッドに至っては知ったことかと火山の如く怒り出すのが容易に予想できる。ベディヴィエールには正直荷が重い……気心の知れた上に質実剛健な貴公が最適なのだ」

「はあ、そういう理由であれば……家族、ですか」

 ガウェインは少し考えるように顎に指を添え、

「もしやマシュ嬢の事ですか?」

 と、その煌びやかな碧眼をランスロットに向ける。

「マシュ? あのマシュか?」

「ああ、そうだ。マシュ・キリエライト――彼女について……貴公らの意見が聞きたい」

「彼女について、ですか」

 マシュについての意見、と言われても、あまりにも漠然とし過ぎていて答えようがない。ガウェインもそれは同じのようで、その端正な顔を横に傾けていた。

「私が彼女について知っている事はデミサーヴァントであること、宿った英霊が貴方の息子であった、くらいだぞ。もっと魔術的な詳細が聞きたいのなら、ダヴィンチやドクターに聞いた方が――」

「いや、古株である貴殿が適当なのだ」

 デミサーヴァントである彼女の存在そのものを問いたい、という訳でもない。となると一体なんだ?

 ランスロットは苦虫を噛み潰したような表情で気つけ代わりにビールを煽り、口を開く。

「……マシュ、いや彼女が……」

「マシュが?」

「その……恋慕を寄せる相手はいるのだろうか……」

「本人に聞けばよかろう」

 即答だ、こんなもの。

 他人の惚れた腫れたの話など、ピンクの狐にでも食わせておけばいい。

「無体にも程があるぞエミヤ殿!」

「とは言ってもな。大体、貴方は息子も放任主義で育てていたのだろう? 何故今更……」

「私は元々、息子は厳しく、娘は最大限甘やかすという教育方針を採っている。それに、あのような美少女にある日突然お父さんと呼ばれ、心中穏やかなままでいられる男がこの世にいると思うかね」

「…………」

 真摯な眼でとんでもなくどうでもいい事を言うランスロット卿に、返す言葉もなかった。

 なんて無駄に綺麗な目をしてやがるんだ……。

「しかしランスロット、貴方も唐突過ぎます。筋道を立てて説明して下さい」

「む。確かにそうだ……そうだな……エミヤ殿、スコッチを」

 いつの間にか空になっていたジョッキを掲げるランスロット。酔いでもしないと話せない、ということか。何も言わず、新しいグラスに銘柄はわからんが度数の高めのスコッチを注いでやる。

 それを半分ほど干すと、訥々とランスロットは語りだした。

「私はどうやって息子と接していいのかわからず、せめて息子が恥じぬ立派な騎士であろう、と仕事に傾倒してしまった人間だ。今更なのは承知の上だが……こうして英霊として同じ場所に召喚されたのも何かの運命。彼女と、彼女の中にいるギャラハッドにも、何かをしてやりたいのだ」

 ギャラハッド。ランスロットの実子であり、後期の円卓の騎士の筆頭とされる人物だ。カルデアにおいてはデミサーヴァントであるマシュに宿っている。

 だが騎士の洗礼の際に『ランスロットを超える騎士となる』とマーリンに言われたにも関わらず、その生い立ちはモードレッドに似て恵まれたものではない。彼は魅惑(チャーム)の魔術によって誑かされたランスロットとエレイン女王との間に産まれた、言わば『望まれなかった子供』だ。

 ランスロットもその思いはあったのか、産まれてすぐにギャラハッドを教会に預ける。ギャラハッドが見事円卓の騎士となった暁にも、父として接したことはほとんどなく、ギャラハッドもまたランスロットを父と呼ぶことはなかった、と伝わっている。ランスロットは、そんな彼とどうやって接していいかわからなかった、と言う。

 同じ男として気持ちは分かる。愛した女性との間に産まれた子であればまた違ったのだろうが、自意識もろくにないまま一方的に子を作らされ、『あなたの子です』と言われても扱いに困るのは同意出来る。

 が、しかし、だ。

「それが先程の質問とどう繋がるのですか?」

 ガウェインが正鵠を射る言葉をかける。

 それだ。ランスロットとギャラハッドの境遇に同情こそすれ、それがマシュの恋心とどう関係があるのかが分からない。

「だから……息子に何もしてやれなかった分、マシュ、彼女には幸せになって欲しい。彼女も人理修復の渦中にあれど、そういった年頃……恋慕の情は時に一国すら揺るがすほど熱く尊いもの。時は問わぬものだ。それは私が身をもって知っている」

 一家言ありすぎて反論のしようがなかった。

 ランスロットは半ば策に嵌められたとは言え、王妃ギネヴィアとの不倫が原因でアーサー王の命運を破滅の方向へと導いてしまった。

 忠誠と愛。どちらも得難く大切なものだというのは分かる。私も同じ状況になった場合、うまく事態に収拾をつけられるかと問われれば自信はない。

「そこで彼女が誰かに恋心を寄せていると言うのならば最大限協力してやりたく思うし、恥ずかしながらも私には助言出来る程度に恋愛経験も多い。それが相応しくない者であれば、心を鬼にして止めてやるのが親としての責務だ」

「…………」

 ああ、そうか。マシュが幸せに、なんて色々とそれらしい理由はつけてはいるが……単純にこの騎士殿は、生前息子と出来なかったこと、すなわちマシュと仲良くなりたいだけなのだ。

 くだらん、とまでは言わんが、大の大人が三人輪を作って話すまでの事ではない気もする。

「……気持ちは分かるが余計なお世話だと思うぞ。マシュだって子供ではない。立派な大人だ」

「しかしだエミヤ殿。私も生前、苦境を自ら切り拓いて歩を進めて来た身。天よりこのような千載一遇の機を与えられておきながら行動しない、というのは耐えられん」

「私もエミヤ殿と同意見ですよランスロット。マシュ嬢は蝶よ花よと可憐にて多感な時期。男親があれこれ口を出しても逆効果です」

「ぐ……それは、わかっては、いる……だからこそ貴公らに相談しているのだ……酒をもう一杯頼む」

 眉間に皺を寄せ、更に注いだ酒を煽る。こんなに荒れているランスロットは未だかつて見たことがない。

 現実は非情だ。ただでさえ仲睦まじい親子関係ではないのだ。ランスロットがあれこれとマシュの人間関係に口出しをしたところで、鬱陶しがられるのが関の山だろう。

 だがランスロットの苦悩もわからんでもない。私は子を持った経験はないが、家族の絆に関してはランスロットと同意見だ。

 家族とは当たり前にあるように思えるが、得られない者には一生得られないもの。それは私もこの身をもって知っている。私など、一度家族を失った人間の中では大いに恵まれた方だ。

「……ランスロット、貴方は私とラグネルの馴れ初めを聞いていますか」

 少量のビールで唇を濡らし、ガウェインが諭すように語り出す。

 ラグネル――確かガウェイン卿の妻だったか。

「ああ……我が王の命で娶ったとは聞いた……彼女は美しい婦人であったな」

「それは結果論です。私は当初、ラグネルとの婚姻は望んだものではありませんでした。何せ醜い老婆でしたから」

 ガウェインの結婚。有名な逸話だ。

 ある日アーサー王が悪の騎士に呪いをかけられ、力の大半を奪われる。悪の騎士は言う。『呪いを解いて欲しかったら全ての女性が求めるものを一年以内に示せ。見つからなければ貴様の国をもらう』と。

 アーサー王は一年諸国を旅するが求めるものは見つからなかった。期限が迫る頃、醜い老婆がアーサー王の前に現れる。彼女が後にガウェインの妻となるラグネルだ。

 ラグネルは言う。『私は貴方の求める答えを知っています。代わりに立派な騎士と結婚できるよう紹介して欲しい』と。後がないアーサー王はラグネルの望みを受け入れ、悪の騎士の下へと赴きラグネルに教えて貰った答えで力を取り戻し、無事ブリテンへと帰還を果たす。

 その後、ラグネルとの約束をどうしようかと迷っていると、見兼ねたガウェインが声をかける。

『我が王よ、どうか貴方の悩みを私にも分けて欲しい』と。

 結果、忠実な騎士であるガウェインはアーサー王の悩みを聞き届け、ラグネルと結婚することになる。しかし相手は醜い老婆。結婚初夜に落ち込んでいるガウェインがふとラグネルを見ると、そこには美しい女性の姿が。

『私は醜い老婆になる呪いを二つかけられています。呪いを解く方法の片方は立派な騎士と結婚すること。これで私は一日の半分のどちらかをこの姿で過ごすことが出来るようになりました。昼と夜、どちらがよろしいですか?』

 ガウェインは答える。『成り行きとはいえ妻となった以上、その姿でも、醜い老婆の姿でも、変わらずにお前を愛そう。お前の好きにするとよい』と。

「するとラグネルは一日中を美しい姿でいられるようになったのです。呪いを解く方法のひとつは立派な騎士と結婚すること。もうひとつは、『自分の意思を持つこと』」

 全ての女性が求めるものとは『自分の意思』である、という物語だ。女性の地位がまだ低かった時代ならではの物語だが、現代においても教訓にすべき点のある良く出来た話だと思う。

 だが、

「ですからランスロット、貴方も円満な関係を強要することなく、マシュ嬢の意思を尊重し――」

「騎士と結婚……? 馬鹿を言え、私より優れた騎士でなければ結婚など認めんぞ!」

 ガウェイン卿の自らの故事を引き出しての説得も、ランスロットの耳には微塵も届いていないようだった。親馬鹿ここに極まれり、といったところか。

 さすがの聖人ガウェインも呆れたのか、語調を荒げてランスロットに食ってかかる。

「人の話は最後まで聞きなさい! 貴方は普段は立派な騎士だと言うのに、女性が絡むとなぜ駄目人間になるのですか!」

「誰が駄目人間か!」

「貴方以外の誰がここにいますか!」

「……喧嘩になるなら私は帰るぞ」

 収拾をつけるのも面倒だし、そこまでの義理はない。放っておいて部屋に戻ろうとしたところ、

「エミヤさん……あ、まだいました。良かった」

「……っ」

 食堂の入り口から顔を覗かせる、眼鏡をかけた私服のマシュがいた。当の本人が現れ動揺を隠し切れないのか、ランスロットが目に見えて狼狽していた。

「応、マシュではないか、今日もまた健康的でいい尻をしておる! こっちへ来て酌をせんか!」

「おい、やめとけよ叔父貴」

「とは言ってもなぁ、折角の酒の席に華がおらんのは寂しいではないか、のう?」

「ま、確かにな。美味い酒に美女がついてくりゃ世は極楽ってね」

「ほう……? 私は華に値しない、と。そう言うのかフェルグス、セタンタ」

「いい歳してなぁに言ってんだよ。師匠は華っつーかサボテンって感じだよな。全方向に漏れなく刺しまくるって意味で」

「上手いことを言うなクー・フーリン! うわっはっはっはっは!」

「だっはっはっはっはっは!」

「……ふっ」

 びき、とスカサハの持つグラスにヒビが入る音がここまで届いた。

 酔っているとは言え、馬鹿な奴らだ。何事に対してもストイックなスカサハの事だから食堂を壊したりはしまい。放っておこう。

「すいませんフェルグスさん……私、エミヤさんに用があって」

「相手にしなくていいぞマシュ。こいつらには私が厳罰を与えておくから放っておけ」

「は、はい……ありがとうございます、スカサハさん。手加減をお願いします」

「マシュ? どうした、こんな夜遅くに」

「はい、少しお願いがありまして……あれ?」

 カウンターにやって来るマシュ。当然、そこで一杯やっているランスロットとガウェインに気付き、眉根を寄せていた。

「……なぜこんな時間に……お酒、飲んでるんですか?」

「あ、ああ。たまには旧友と飲みたくなってね……なあガウェイン」

 私に振るな、と言わんばかりにガウェインが無言でビールを煽る。マシュもそれ以上関わるつもりはないのか、私の元へと寄って来た。遠くでゲイ・ボルク、と聞こえた気がするが気のせいということにしておこう。

「ええと……少しお時間、よろしいですか?」

「構わんよ。なんだ?」

「その、お菓子を作ってみたんですが、人にあげる予定のものですので、出来を確かめて欲しくて……」

 言って、マシュはアルミホイルを広げる。出てきたのは、長方形の黒い塊が十個ほど。

 ココアパウダーをふりかけてあるのか、粉に覆われた外見はブラウニーにも似ているが、切り口に生地らしきものは見当たらない。となれば、

「これは生チョコレートか?」

「はい。温めたチョコに生クリームとブランデーを加えて混ぜ合わせ、冷蔵庫で冷やし固めたものです」

「ほう、いいじゃないか。どれ、では僭越ながらひとついただこう」

 滅多にわがままも言わない、他ならぬマシュの頼みだ。味見役を仰せつかったからには真剣に評価する必要があろう。生チョコをひとつをつまみ上げ、口に入れる。

「む……これはカカオパウダーか。珍しいものを使っているな」

「はい。ココアパウダーよりも栄養面で優れていると聞きましたので」

 うん。生チョコ特有の滑らかな舌触りに加え、ブランデーのほろ苦くも刺激的な芳香が口いっぱいに広がる。加えて口に入れた時のカカオパウダーの香りがブランデーを使った菓子にありがちな、素材の味を殺すことを防いでいる上に、チョコレート本来の旨味を上手く引き出している。

「うん、いいじゃないか。とてもいい出来だ」

「ありがとうございます。エミヤさんのお墨付きをもらえれば心配ありませんね」

「……私の舌程度が役に立ったのなら光栄だよ」

 にこりと花のような笑顔を見せるマシュに、顔には出さないが少々動揺してしまう。

 こう見ると、本当にどこにでもいる女の子だ。デミサーヴァントとなって人理修復などに関わらず、普通の幸せを得て欲しい、というランスロットの想いもわかる。

「……それを誰にやるつもりかね、マスターか?」

 と、だいぶ酒が入り酩酊状態のランスロットが顔を赤らめながらマシュに声をかける。先ほどのガウェインとのやり取りもあり、もはや自棄酒に近い状態だ。これが原因で更に不仲にならなければいいが……。

「……誰でもいいじゃないですか。お父さんには関係ないでしょう?」

「あるさ!」

 がん、とグラスを強くテーブルに置くランスロット。マシュもこれには驚いたのか、目を丸くして硬直していた。

「家族のことであれば知っておきたいのは当然だ……違うかね!」

「よしなさい、ランスロット。酒に溺れ他人に当たるなんて貴方らしくもない」

「だが私は……私は駄目な父親だ。父親として失格だ……そんなことはとうにわかっている……! だがその関係を修復しようとしてもどうしたらいいのかわからんのだ……!」

「ど、どうしたんですか……エミヤさん?」

「……マシュと、ギャラハッドと仲良くしたい。空白だった生前の関係をカルデアで埋めたい、と私とガウェイン卿に相談を持ち掛けてきた結果がこれさ。生憎、悪い酒になってしまったがね」

「…………そんな」

「ガウェインの言う通りだ……私は、私は湖の騎士などと大層な二つ名で呼ばれながらも、家庭一つ守れん愚か者だ……! 王や皆が血涙を流しながら築き上げた円卓の騎士も私が壊した……! そんな騎士が王を守ることなど出来る筈もなかったのだ……!」

「ランスロット……貴方……」

 圧巻だった。まるでビールのようにスコッチの注がれたグラスを空にしては自分で注ぎ足し、の繰り返し。他人にも止めさせない迫力が今のランスロットにはあった。

 溜まっていた鬱憤、息子と上手く接することが出来なかった後悔、自らが王を滅ぼす一因となってしまった自責。正史によれば、アグラヴェインを含むガウェインの三人の弟を斬ったのもランスロットに外ならない。いくら殺生は常、が戦場の慣わしとは言え、ランスロット程の騎士がそれを気にしていない訳がないのだ。

 それらが酒と停滞する現状、マシュとの関係への懊悩をきっかけに、一気に堰を切り噴き出したのだろう。いかに高潔な騎士といえ、人間には違いない。何も悩まず、惑わずにいられる人間などいない。

 英霊となったとしても、それは変わらないのだ。

「ああもう、やめてください!」

「っ!?」

 と、マシュがテーブルを平手で叩く。

「誰だって後悔はあります! 私だって、今こうやってデミサーヴァントとして生きていることを後悔しない日が来ないとも限らないでしょう!?」

「ま、マシュ……?」

「英霊の皆さんだって、やり残した事があるから、やり直したいことがあるから、こうやってここにいるんじゃないですか! みんな泣きたくなるのを我慢して、それでも世界の為に頑張ってるんじゃないですか!」

「…………マシュ」

「仮にもお父さんなら、私の前でくらいかっこつけてくださいよ!」

 普段のマシュからは想像もつかない怒涛の剣幕に、ランスロットどころか私とガウェインまで気圧されていた。

 息を切らし、目に涙を浮かべながら、持参したチョコレートを差し出す。

 その先は、ランスロットだ。

「これ……あなたにあげるつもりで作ったものです、お父さん……その、お近づきの印に」

「な……に」

「私も、ギャラハッドさんの影響で言いたくもない言葉をお父さんに投げ掛けてしまうのは、嫌なんです。ギャラハッドさんも、口は悪いけど私と同じ気持ち……お父さんと仲良くしたいという思いはあるんです……認めたくありませんが、あなたは唯一の、父親なんですから」

 英霊ギャラハッドにとって、騎士ランスロットは尊敬できる父でありながら神聖なる円卓に傷をつけた仇敵でもある。畏敬、憤怒、愛情、怨恨、あらゆる感情がランスロットに向けてくだを巻いていただろうことは、容易に予想できる。

 マシュにしてもそうだ。デミサーヴァントは、宿った英霊の影響を強く受ける。身体の半分をサーヴァントで補ったマシュならば猶更だ。

 例えそれが自分の意に反することでも、個人に向けた強い感情までは上手くコントロールすることが難しい。だから、誰にも好かれるマシュが暴言毒舌罵詈雑言を吐くのはランスロットだけなのだ。

 そのマシュは涙を袖で拭い、強い眼差しでランスロットを見据える。

「私はここにいる限り、あなたをお父さんと呼び続けます。それが親愛なる子との関係を疎かにしたあなたに与えられた罰であり、十字架であると知りなさい……私とギャラハッドさんが二人で話し、出した結論です」

「……そうか」

 酔いはマシュの叱責で吹き飛んだのか、ランスロットはチョコレートの包みを受け取り、複雑な面持ちでひとつ、口に入れる。

「苦く、甘く、酒の強烈な香りが癖になりそうだ……情熱的で、うまい」

「ギャラハッドさんが本当にお父さんのことを嫌いだったら、こうして話したり、仲直りしようとお菓子を作ってきたりはしませんよ……順番は変わってしまいましたが」

「……そうだな、ありがとう。大切に食べるとするよ」

 言いたいことは山ほどあるだろうが、ランスロットの顔つきは心なしか穏やかなものへと変わっていた。

 何とか穏便に収まったようで何よりだ。

「自分の子からの贈り物がこれほど心に沁みるものだとは知らなかった……ああ、いいものだな」

「義理です義理。いわゆる友チョコならぬ家族チョコですよ。本命のチョコはバレンタインに本命の相手に渡しますから」

 ひと段落ついて緊張が解けたのか、直前までの素っ気ないマシュに戻っていた。

 デミサーヴァントは宿った英霊の影響を大きく受けるとは言え……あの穏やかで優しいマシュがここまで辛口になるのは、先ほども言ったようにランスロットを置いて他にはいまい。

 だが、それは特別だという意味でもある。

 好意の反語は敵意や憎悪ではなく無関心、という言葉がある。関心も何もない相手にはどんな感情も産まれない。人の心はいい意味でも悪い意味でも移ろい易いものだ。最も大切にしていたものが一瞬でどうでもいいものに変わる事は決して珍しいことではない。

 そしてその逆もまた然り、だ。

 なに、そう長くはないが時間はある。今からでも、親子の関係をやり直すことは遅くない。

 と、

「待てマシュ。誰だそれは」

「えっ?」

「本命とは誰だ。教えなさい」

「えっ、ちょ、ちょっと」

「マシュが誰に恋心を寄せようとマシュの自由だ。だがどこの誰ともわからん輩に大切な娘をやる訳には行かん!」

「好色一代男のお父さんのどの口が言いますか!」

「それは認めるがそれとこれとは話が別だ! さあ言いなさい、私にはマシュに相応しい男かどうか見定める義務がある!」

 感動の空気を一瞬にして吹き飛ばしにかかる騎士様だった。しかも今、堂々と娘と言ったぞ。

「よ、酔っ払いは嫌いです! くさいです、近付かないでください!」

「なっ……!」

 見ているこっちが痛々しくなる程に悲哀に表情を歪ませるランスロット。宝具をまともに喰らった時でもあんな顔はしまい。親愛なる娘から『臭い』と言われるのはさぞやダメージがでかいことだろう。

 娘が可憐ゆえに、息子のように強く出られない男親。

 こうなってしまってはまさに金城湯池だ。もはやマシュにはつけ入る隙もない。

「エミヤさん」

「な、何かな」

「私の服をお父さんの服と同じ洗濯機で洗濯をしないで欲しいんですが」

「――――っ」

 そして更に追い打ちをかけるマシュだった。容赦なさすぎて逆に清々する。

「……わかった、次からはそうしよう」

「では私はこれで。飲み過ぎて倒れても介抱しませんからね」

「ま、待てマシュ!」

 救いを求め伸ばしたランスロットの手は虚しくも空を切り、マシュは食堂を出て行った。

 残ったのは、傷心の騎士がひとりと、その無二の戦友と、コックである私。

 ならばもうやる事は一つだけだ……正直、私は今すぐにでも帰りたいが。

「エミヤ殿……スコッチを、ジョッキでくれないか……」

「ランスロット……仕方ありません、私も付き合います。今日だけですよ」

「ガウェイン……恩に着る……」

「エミヤ殿、私にもスコッチを」

「ああ、好きなだけ飲め」

 ジョッキと酒瓶をまとめてテーブルに載せる。このままでは酔い潰れるまで止まりはしないだろう。

 辛いことを酒で忘れること自体は責めはしない。それにランスロットは、これからようやく一歩目を踏み出せるところまで来たのだ。ここらでひとつ踏ん切りをつけるのも必要だ。

 だが、どんなに堅牢な城であろうと、中に入ってしまえば話は変わる。

 マシュと話し合い、和解し、相互理解を果たす事が出来れば一転、難攻不落、誰も侵すことの出来ない強固な絆となる。

 それが例え仮初めの親子関係だとしても、だ。

 絆、か。

 人理修復が終わればいずれ消滅する我々だが、一度結んだ絆はそう簡単には解けない。そう信じよう。

 私とセイバーがそうであるように、いつどの時代に召喚されても暗黙のままに互いに繋がる絆はある。

 片やデミサーヴァント、片や未だ情けない親父だが――いずれそうなる時が来ると、第三者ながらささやかに願っておこう。

 

 

 



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愛と情熱のレッドチャーハン

謎のヒロインX主体です。
なおオルタガチャは爆死した模様。


「ふむ、こんなものか」

 目前の調理台に食材がずらりと並ぶ。冷や飯、卵、青ネギ、焼豚、グリーンピース、ちくわ、調味料の数々。

 これらは食堂の客に出すものではなく、私の昼食だ。材料から推察出来るであろうが炒飯である。安価で手早く作れる庶民の味方だ。

 サーヴァントである以上、食事をする必要性はあまりないのだが、昔からの習慣というものもあるし、何よりこの時間帯は暇なのだ。後は皆が帰ってくるまで掃除や洗濯くらいしかやる事がない。我ながら酷い暇の持て余しようだ。

 昼食の喧騒も途絶えた午後。カルデアの職員は人理修復に尽力するため業務に励み、レイシフトを命じられたサーヴァントたちもまた出撃していく。

「こうしてゆっくりと紅茶が飲めるのは素晴らしいですね、師匠」

「そうですね。世界を救う戦士には束の間の休息も必要です……リリィ、砂糖をください。もっとこうドバッと」

「はいどうぞ。疲れた身体に甘いものは特効薬ですよね。エミヤさんの焼いてくれたクッキーもとてもおいしくて……恥ずかしながら、ついつい手が伸びてしまいますね」

「そのついついでバスケットいっぱいのクッキーを平らげてしまう意気や良し! そんな食いしん坊リリィには私が過去死闘を繰り広げた甘味が大好物なアルトリア、世界中のこし餡つぶ餡うぐいす餡、ついでに緑茶をも占領しサーヴァント界の流通をほんのちょっと狂わせた通称タイヤキセイバーATIKOのお話をしましょう!」

「はいっ、是非お願いします。楽しみです!」

 結果、ここの食堂は私と同じくして暇を持て余したサーヴァントがたむろする。今も二人、紅茶を飲みながら談笑するセイバーリリィとXがいた。

 コードネーム・ヒロインX。本人はセイバーを主張しているが間違いなくアサシンのサーヴァント。

 セイバーの増えすぎた未来からセイバーを間引きする為にやってきた(らしい)サーヴァントで、その正体不明度は他の誰よりも抜きん出ている。

 セイバー・リリィ。セイバーのサーヴァント。かのアーサー王が選定の剣を引き抜く前の姿、というイフの側面から召喚されたものだ。その性根は純真無垢そのもので、その人を疑うことを知らない性根はこちらが心配になる程である。

 二人はカルデアにて現れた特異点で師弟の契りを交わした経緯がある。その場には皇帝ネロと共に私も同行した。Xの本当かどうかも怪しい武勇伝をリリィが食い入って聞いている。いつものある意味微笑ましい光景だ。

 特異点で思い出したが……マスターは最近、断固として私をレイシフトに連れて行ってくれない。ひょっとしたら、食堂や家事が忙しいから、等とふざけた事を考えているのかも知れない、と最近思うようになった。

 趣味が嵩じてコックや家政夫の真似事なんかをやっている訳だが……本当にそうだったらここのコックも再考せねばならないだろう。私は決して料理を作り掃除洗濯をする為に召喚された訳ではないのだ。今度、真面目にマスターを問いたださねばなるまい。

 いや、単純にアルジュナやテスラを重用していて私に出番が回ってこないだけやも知れない。同じ陣営内で優劣を競うつもりはないし、私も真っ当な英霊とは言い難い。それならばまだいいのだが……いや、良くないな。己の力量は誇示するものではないが、卑屈になりすぎると英霊としての意義を失う。さて、果たしてどうしたものか……。

「そしてその悪のセイバーを一太刀の元に断ち割ったセイバー忍法の真髄は……こう!」

「あっ、エミヤさん危ない!」

「ん?」

 リリィの切迫した呼びかけに反応し振り向いた時には時すでに遅し。

 眼前には、上空から引力に従い自由落下する琥珀色の液体が、視界いっぱいに広がっていた。あれは紅茶のポットか。ヴラド手作りのティーコゼーの防御壁も虚しく切り裂かれ、羽毛と共に無残にも宙を舞っている。恐らくは武勇伝に興が乗ったXが剣を振るったのだろう。ふふ……地獄に落ちろ。

 ああ――もう駄目だ、と諦観の念が全身を支配する。

 いくらサーヴァントの身とは言え、コンマ一秒後の絨毯爆撃から逃れる術はない。令呪による強制移動でもない限り不可能だ。

 すなわち――、

「くっ……!」

「ああっ、しまったあ!」

さすがに顔はまずい、と思い咄嗟に身を引き上半身を反らすも、そこはキッチンの内部。勢い余って引いて調理道具を壊すよりは、と覚悟の上で下半身を犠牲にする。

「エミヤさん!」

「すみません、大丈夫ですかエミヤ殿!」

「ああ、気にするな、大丈夫だよ。調理場にいればどこかしら汚れるものだ」

 元よりエプロンは調理の際の汚れから守るものだ。まあ、ここまで直撃してしまった以上は下着までずぶ濡れだろうが……紅茶が思ったよりも冷めていて助かった。この程度ならば低温火傷もしないだろう。

 さて、このままでいる訳にも行かないし、部屋に戻って着替えを――、

「うんしょ、よいしょ」

 と、駆け付けたXがいきなりホットパンツを脱ぎ出した。

 止める暇もなく下半身パンツ一枚となるX。

「おい……なぜ脱ぐ!」

「オカン属性持ちとは言え殿方に恥をかかせてはセイバーデストロイヤーの名折れ! 代わりに私のホットパンツを履いてください!」

「いらんし君は一言余計だ!」

「エミヤさん。自分のしでかしたことには立派に責任を取る……その師匠の気持ちも汲んであげてください」

「世の中には汲みたくない気持ちもあるんだ、リリィ」

「それにそんないい年をした筋肉隆々の殿方が下半身限定裸エプロンなんぞで料理をしていたら子供たちはトラウマ必須です!」

「それはそうだが……その前に君も下着姿でどうするつもりだ?」

「ほら、ダメージ加工ってあるじゃないですか。あんなノリで」

「ダメージを飛び越えて致命傷加工だろうそれは」

「全裸ではないので恥ずかしくありません」

「身も蓋もないな君は!」

 大体、ミニの女性用ホットパンツなんて男が履いたらそれこそ大惨事だ。

 惜しげも無く露わになる鍛えられた脚。窮屈そうなぱっつんぱっつんの我が儘な太腿。想像したくもない。それに私の場合、最悪服を投影すればいいだけのことだ。

 ノリで忘れていたが、Xもうら若き乙女には違いあるまい。常識に則れば隠すべきXの下着に思わず目が行く。

 しかし……なんだ、

「な、なんですか私の下着をじっと見たりして……はっ、もしかして私の溢れるセクシーさで催淫しちゃいましたか!? 私ってば強い上に罪な女!」

「さて、私があと十年若く召喚されていたらそうかも知れなかったがね。ただ――――うん、いや、止めておこう。私が言うべきことではない」

「なんですかそれ、言いかけてやめるとかやめてくださいよ、怖いから。怒らないから言ってください。言わないとセイバーを料理して喰らう極悪犯罪者(シリアルキラー)アーチャー・デビルレッドとしてドゥ・スタリオンⅡに強制収監しますよ」

 まだあったのか、あの宇宙船……まあいい、言いかけて黙るのも失礼には違いない。

「……年頃の娘がフロントプリントつきの綿ショーツとは……それでいいのか?」

 いや、綿のパンツ自体はいい。間違っていない。デザインやサイズに富みながらも子供から大人まで愛される女性用下着だ。

 だがそのプリティなライオンのプリントは……大人としてどうなんだ?

「それでいいのかってなんですか! 私が何を身に着けようが勝手でしょう! ねえリリィ!?」

「え? あの……わ、私は……そういうの、よ、よくわかりませんので……」

 話を振られて赤面するリリィ。無理もない。

 女性にとって下着とは文字通りの最後の砦。同性同士ならまだしもだが、男の前で明け透けに語るものではない。純真を体現したようなリリィならば猶更だ。

 と、そんなにわか混沌とした状況の中、食堂に来客がやって来た。

 そいつは癇に障る笑みを浮かべ、両の腕を組み、不遜な態度でこちらを見下しながら宣う。

「刮目せよ。(オレ)だ、この(オレ)が参上してやったぞ雑種。(オレ)は喉が渇いた、フォートナムメイソンを出せ。迅速かつ丁寧に淹れろ」

「泥水でも飲んでいろ、たわけ」

 私の皮肉も何処吹く風、英雄王ギルガメッシュはいつも通り無駄に偉そうな態度で大人数用の席の中央に陣取る。いつもは上半身裸でカルデア内はおろか戦場をも闊歩する英雄王だが、今日は戦闘がない為か髪を下ろし普通の服装をしていた。

 奴は私が食堂に来て欲しくない客トップスリーから一度も転落せずに不動の地位を築いている奴でもある。その理由は単純明快、私と英雄王はあらゆる相性的に最悪なのだ。

「誰かと思えば白いセイバーではないか。今の(オレ)は古代王にバックギャモンで勝利し機嫌が良い。丁度いい、近くに寄って(オレ)に酌をする栄光を与えてやろう」

「えっ? いえ、私は――」

「貴様は黄金大帝コスモギルガメス! ここで会ったが百億光年!」

 と、私がどう追い払おうかと考えていると、下着姿のXがリリィに粉をかける英雄王に食って掛かる。

「なんだ貴様は、セイバーのパチモンか?」

 贋作同士馴れ合っておるのか、と私への侮辱もご丁寧に忘れない。ご苦労なことだ。

「パチモンって言うなー! 私が紛うことなきオリジナルですー! 私意外とガラスハートなので傷つくからやめてくださいね! 我がカルデアにいじめはありません!」

「何でも良いが文明人であれば服くらい着たらどうだ? それともあれか、露出癖というやつか。哀れだな」

「常に上半身裸の貴方にだけは言われたくありません!」

「? (オレ)の完璧なる美を拝めるのだ。何の不満があろうか」

「X、とりあえず下を履け。そのなりでは凄んでも間抜けなだけだ」

「あ、はい。そうですね、そうします。少々お待ちを」

 さすがに敵前でパンツ姿はまずいと思ったのか、いそいそと素直にホットパンツを着用し始めるX。だが、どちらにせよ間抜けなのは変わりそうになかった。

「お待たせしました。これで全方位からの視線攻撃にも対応可能です」

「ふん、どちらでも野暮なのは変わらんな。その下着のようなボトムは(オレ)も好きだから良いとして、その芋臭いジャージとマフラーはどうにかならんのか」

「タリホー! 貴様はアーチャーだがクラスの壁を乗り越えこの剣をもってぶった斬ーる!」

 噛みつきにかかるXに、あくまで神経を逆撫でする英雄王。普段はリリィ、オルタ問わずアルトリアに執心の英雄王だが、どうやらXには興味がないらしい。

 と、Xの抜刀した近未来的な剣に英雄王が反応していた。

「む、なんだその奇怪な剣は……我の宝物庫にも見当たらなかった気がするが?」

「これですか? よくぞ聞いてくれましたコスモギルガメス、ありがとう! これこそが全てのセイバーをアホ毛ごと一刀千断、その名も無銘勝利剣(ひみつかりばー)!」

 何もない空を薙ぎ、大見得を切るX。背後に武器名のテロップが大きく表示される勢いだった。

 独特の音と共に剣の淡い光が軌跡となって美しく映える。

「名称は絶望的だが中々に魅力的な剣ではないか。その淡く光る刀身と言い、いちいち振るたびに鳴る『ヴォン』とかいう陳腐な音が(オレ)の気に召したぞ。光栄に思うがいい!」

 私も武器が好きな性質なので、悔しいがその点だけは英雄王に同意だ。

 Xの剣は性能はどうか知らんが、正直言って男の心をくすぐる要素で溢れている。そのシンプルながら心奪われるフォルム、振るとかっこいい音のする刀身、どれを取っても欲しくなってくる。

 実のところ投影しようとした事もあるが、解析がどうにも上手く行かず失敗に終わった過去がある。英雄王の宝物庫にも原型が見当たらないのもその為だろう。あれは恐らく、存在する世界そのものが違うのだ。

 ……今度、あれを再現できないかミスターエジソンに本気で相談してみようか。彼ならばきっと私の想いにも応えてくれることだろう。

「そうでしょうそうでしょう! でもあげませんよ。わかったら大人しく斬られるがいい!」

 剣の切っ先を英雄王に向けるX。なぜここまで英雄王に敵愾心を向けているのかは謎だが、私も同じようなものなので止める権利はない。

 対し英雄王はその表情より笑みを消し、真っ向よりその剣先を見据えていた。

「セイバーの贋作よ。貴様と(オレ)との因果は一向にわからんが、(オレ)に刃を向けたからには覚悟は出来ていような?」

 英雄王の背後の空間が波紋を立ててぐずぐずと歪む。

王の財宝(ゲート・オブ・バビロン)』。英雄王の宝具であり、いつ何時でも好きな武器を好きなだけ取り出せるという反則級の宝具だ。

 無限に剣を取り出せる、という点で私の投影魔術と似通ってはいるものの、こちらが投影に魔力を使用するのに対し、あちらはほぼノーコストである。

「ええ、私と貴方は言わば水と油、正義と悪、きのことたけのこ! 出会ってしまったからには何が何でも斬る!」

 自分でも何を言っているのか胡乱極まりないが、Xは未来から来た面白時空の住人だ。先程から言っている黄金大帝コスモギルガメスとやらはその世界の住人で、英雄王とは恐らく別人だろう。テスラをキャプテンとやらと間違えていたことだしな。

 しかし未来にもあんな迷惑千万なサーヴァントがいるのか……世界のお先は真っ暗だ。

「良き覚悟だ。では貴様を斃し、そのご機嫌な剣を(オレ)のコレクションに加えてくれるわ!」

 言って、英雄王が何もない空間に手を突っ込む。英雄王の宝物庫にはあらゆる武器の原点が存在する。

 英雄王の切り札たる剣は乖離剣と呼ばれる、剣という概念すらなかった頃から在る原初の剣だが、奴は奴が認めた相手にしか使おうとしない。

 あまりの出力に空間ごと切り裂くと言われる神造兵器の類だ。カルデア内なんぞで使われたら建物ごと破壊されるのは目に見えているので、使われなんぞしたらたまったものではない。

「え、エミヤさん……なんだか不穏な空気ですが……誰か呼んできましょうか?」

 と、対峙する二人に聞こえないようリリィが耳元で囁く。

「頼めるかリリィ、マスターを呼んできてくれ。私は大事にならないようここで見張っておこう」

「はいっ、急いで行ってきます!」

 食堂を離脱するリリィの背を見送り、視線を二人に戻す。双方とも、たちは悪いが根からの悪人ではない、本気で私闘を繰り広げてくれなければいいが……。

 そんな私の不毛な心配とは裏腹に、決着は一瞬でついた。

「ク……ふふ、くはははははは! さてさて、貴様ごときまがい物に我が乖離剣は使うまでもない。そうだな、ここは――」

「隙ありィィィィィィィィィィ!」

「ぬおおおおおっ!?」

 宝物庫の中を片手でまさぐり物色する英雄王を、横薙ぎ一閃に斬り捨てるXだった。片手が不自由だったこともあり、こともなくその場に斬り伏せられる英雄王。

 顔には出さないが、心中良くやったとXを褒めてやる。

 しかし不意打ちとは……アサシンたるXに騎士道精神なんてものがあるのかどうかは知らないが、それでいいのか……?

「ぐ……き、貴様は蛮族か! 戦いの予備動作中はどれ程隙だらけでも見逃すのが知性ある者として最低限の礼であろうが! 恥を知れ!」

「貴方の言う通り、どんなヒーローや魔法少女の変身タイムも、長ったらしい宝具演出も、放たれるまで見守るのが鉄の掟……スキップ機能ははるか未来でも実装されていないのです! ですがそれは残念ながらシリアス時空でのみ適用される法則!」

「ふ……聡明な(オレ)は理解したぞ雑種。普段着で相対した時点で我は初めから勝負の舞台にすら立っていなかったと、そういう事であろう?」

「そういう事です、飲み込みが早くて大変よくできました(コスモアメイジング)。では勝利者の特権、追い剥ぎタイム(GET REWARDS)です。戦利品としてそのズボンを寄越しなさい!」

「な……おい、やめろ雑種!」

「うんしょ、よいしょ」

「ええい、やはり貴様はセイバーなどではない、蛮族だ!」

 あの無銘勝利剣とやらにはスタン効果でもあるのか、されるがままにズボンを脱がされる英雄王だった。

 はぎ取ったズボンをどうするのか、ロールプレイングゲームよろしくダヴィンチの所で換金するのかと思いきや、

「どうぞ、これをお納めください」

 と、Xは私の元へとやって来た。

「……君の償いたいと言う気持ちはわかるが」

 正直言って、要らん。他人のズボンというだけでそれなりに抵抗がある上に、持ち主はよりにもよって英雄王だ。

「口の利き方に気を付けろ。不躾だぞ贋作者(フェイカー)よ、この(オレ)が一度身に纏った衣類など聖骸布に等しき聖遺物ではないか。ありがたく拝受せよ、そして末代まで崇めるといい!」

「何故お前が乗り気なんだ!」

 下半身をトランクス一枚で仰向けに倒れた状態で、腕を組み傲岸不遜に言い放つ英雄王。そこに威厳も尊厳もないことは言うまでもなかろう。

「さあ、遠慮せずに! コスモギルガメスの服に抵抗があるのはわかりますが、武士は食わねど高楊枝ですよ!」

「それ、意味が微妙に違わないか……仕方ない」

 確かに下着が濡れたままなのは感触的にもよろしくない。このズボンを履いて、とっとと部屋で着替えてしまうとしよう。

「……む」

 履いたはいいが……ぴったりなのが更に神経を逆撫でる。

 まあいい、Xの斜め上な気遣いも疎かに出来んし、下着姿で食堂をうろつくよりはマシと思い込んでおこう。

 と、追い剥ぎに遭ってなおその態度を崩さぬ英雄王と目が合う。

「何を見ている、贋作者(フェイカー)(オレ)を注視する時は(オレ)に赦しを請え。不敬であろう」

「……らしくないな、英雄王。お前のような奴がXの遊びに付き合うとは」

 私も英雄王は気に食わない事この上ないが、奴は腐ってもあの英雄王ギルガメッシュだ。自分以外の人間は全て雑種と貶めるその尊大な言い様も、神性から来る自信と実力に裏打ちされたものだ。

 今さっきのように訳のわからない理屈で説き伏せられ、挙句の果てにズボンまで強奪されるなど、英雄王らしくもない。

「ふん、どのような滑稽ななりかたちであろうとあやつもセイバーの一部なのであろう。ならば(オレ)(オレ)の定めた規律に忠実になるまでよ」

 言って立ち上がり、帰るべく食堂の出口へと足を向ける英雄王。

 Xも例外に近いとは言え、セイバーの一部。奴はそう言ってのけた。一途、とはまた違う意味合いなのだろうが、そこに少々英雄王なりの拘りを感じたのも確かだ。

 あらゆる側面で召喚されようと、根はひとりの人間。ならばそれぞれを別人として接するのではなく、総じてひとりの人間として許容する。

 それはある意味、多側面から召喚されるサーヴァントに対する正しい姿勢のような気もした。

「コスモギルガメス……ふざけた金ぴかでしたが、貴方は最大の好敵手でした」

 ……しかしあいつ、何をしに来たのだろうな。まさか茶を飲みに来た、なんて言葉は本気ではあるまい。奴にだけ存在するセイバーアンテナが作動したのだろうか。

「一戦交えてお腹が空きました。エミヤ殿、何か食事をお願いします」

「ああ、今から炒飯を作るところだから、同じで構わないかね」

「チャーハンですか。いいですねチャーハン! チャーハンと言えば残った冷や飯と余った材料でお母さんが作ってくれる家庭料理の代表! こんにゃくやモツ煮とかが入っていた日にはこれなんの料理と困惑待ったなしです!」

「一言どころか二言は多いぞ君は」

 そのうちリリィもマスターを連れて戻って来る。彼女たちであれば問答無用で食べるだろうから多めに作っておこう。余る事はないだろうが、万が一余っても手軽に保存できるのが炒飯の強みだ。

 では作ろう。

 炒飯――と言うよりは中華料理全般に共通する重要点として、作る速度が挙げられる。中華料理は炎と油の芸術だ。下準備を漏れなく全て終えた状態で短距離走のように手早く正確に作るのがコツである。

 予め冒頭で用意した材料を十人分ほどに増やし、巨大な中華鍋に火をかける。鍋から白煙が出るほどに空焼きした後にサラダ油を投入、満遍なく鍋肌に馴染ませ、油を捨てて新しい油を引く。こうする事で鍋肌にこびりついた不純物が取り除かれ、食材が鍋にくっつかず、鍋の寿命も延びるのだ。

「――調理(クッキング)開始(オン)

 魔術的な意味はない詠唱と目を閉じることにより、調理に神経を一点集中。脳内で調理手順を反芻。秒単位での作業内容を確認し、脳内でトレースする。

 炒飯は時間との勝負だ。迅速かつ丁重に調理を終えてしまおう。少しでも手順を間違えたり手間取る事をすれば、何処か欠けた結果になってしまう。

 さあ――行くぞ。

 眼を見開き、卵液を投入。炒り卵は単純だからこそ料理人の腕が試される。

 卵液を玉杓子で攪拌しながら素早く火を通し、半熟の状態で予め用意した皿に移す。この間二十二秒。次いで新しい油を多めに引き、豚肉と中華スープの素を投入。火が通るのを経験で確信したところで冷や飯と残りの食材と調味料を追加。この間十五秒。油と食材を満遍なく米にコーティングしていくイメージで中華鍋を上下前後へとリズミカルに振るう。食材を焦がさず、かつ均等に熱を通す。この鍋振りばかりは熟練が物を言う。

「おお……なんという鍋さばき……エミヤ殿、本当にアーチャーです? コックとか新しいエクストラクラスではなく?」

 Xの余計な言葉も無視し、最初に火を通した炒り卵を投入。最後にさっくりと混ぜれば完成だ。

「ふう……」

 我ながらいい出来だと確信する。油を多分に使用した上でべたつかず、焦げつかない炒飯は中華料理の本質を射ていると言えよう。

「エミヤ殿が料理をするところを初めて見ましたが……料理とは鬼気迫るものなのですね。感服いたしました」

 炒飯を玉杓子で掬い、平皿にドーム型に盛り付ける。これぞ炒飯のテンプレートだ。

「ただいま戻りました!」

「どうしたのエミヤ、いきなり呼んだりして」

 狙いすましたかのように丁度いいタイミングで、マスターとリリィが戻って来る。

「ああ、来てもらって悪いが要件は穏便に済んでしまった」

「さすがは師匠……よかったです」

 実際は不意打ちを喰らわせただけなのだが……まあ、さすがと言えばその通りか。決して褒め言葉ではないが。

「ええー、何それ。急ぎ損じゃない」

「それより今炒飯を作ったばかりだが、どうかね」

「いただきます!」

「私もー!」

 予想通りの反応に鼻で笑いながら、三人分の炒飯を用意する。

 炒飯で釣られるマスター……少々嘆かわしいが微笑ましくもあり、私にとっては一縷の救いだ。

「今日は少し趣向を変えてみたんだが、どうかね?」

「ってなんですかこれは、真っ赤っかじゃないですか!」

 Xの言う通り、その炒飯は米に限らず、炒り卵まで例外なく赤かった。だが赤米や赤飯を使った訳ではなく、

「ラー油で炒めたチャーハンだ。美しいだろう?」

「た、確かに綺麗ですが……辛くないですか、これ」

「うわぁ、鼻血出そう……」

「ああ、確かに辛い。が、辛さは普通の味覚でも食べられるよう抑えてあるよ。それにこの炒飯は君ならばぴったりだと思うがね、X」

「むむ、確かに戦隊モノで言えば花形のレッドは(セイバー)を討つ私に相応しい!」

「いいから食べてみたまえ。驚くぞ」

「では……いざ!」

 料理において赤色と言えば、大半の人間は辛いものを想像する。食いしん坊である三人も女子である以上、さすがにその例外には漏れないのか、れんげで掬った赤い炒飯を恐る恐る口に運ぶ。

 口にした瞬間、各々の表情が驚愕のそれに変わった。

「これは……辛い……けど!」

「おいしい……!」

「辛さよりも先に魅力的な芳香が……程よい辛味でれんげが止まりませんよこれは!」

「なにこのラー油、初めて味わう風味だけど……エミヤが作ったの?」

「ああ。ラー油の作り方はコツさえ掴めば簡単だ。唐辛子を油で煮るだけだからな。今回はオリーブオイルを中心に辛味が少なく香り高いラー油が出来たので、その応用として作ってみた」

「さすがカルデアのお母さん……貴方にレッドママンの称号を捧げます」

「謹んで返上させてもらうよ」

 辛くないラー油を作ろうと思えば、辛くない唐辛子を使用すればいい。

 辛味が極端に少なく、唐辛子の旨味を優先したものもある。私の生きていた頃も食べるラー油とやらが一時期流行ったこともあった。あれと同じ原理だ。

「おかわり!」

「おかわり!」

「おかわり!」

 三者が三者とも、米粒を頰にくっつけて皿を突き出してくる。

 料理人としては冥利に尽きるが……この分では大目に作ったにも関わらず、私の取り分は無さそうだな。

「お気に召したようで何よりだ」

「はいっ、コスモデリシャスです!」

「――――そうか、良かった」

 その邪気のない笑顔に、不覚にもぐっとくる。

 そう、毎日のように来るセイバーのその笑顔に、見事重なった。

 ああ、英雄王と意見を同じにするのは不愉快極まりないが――これは、認めねばなるまい。

 彼女もセイバーの一部だ。

 ならば私が彼女にしてやれる事はひとつ。カルデアの中枢を担うアルトリア達の腹を物理的に満たし、士気を上げてやる事だ。

 それもサーヴァントとしてどうかと思うが……なに、彼女の食欲に関してはかなりの割合で私の自業自得だ。この事に関して恨み言は言うまい。この程度の事が騎士王の鼓舞となるならば、私は今後も喜んで鍋を振るおう。

 

 

 



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忘れ物の生どら焼き

第一部クリアのネタバレ含みます。お気を付けください。


 その日、薄暗い食堂には二つの影が佇んでいた。

 片方は私、もう片方はニコラ・テスラである。発明王エジソンに並ぶ世界の発明の父だ。

 その稀代の発明家が何をしているのかと言うと、

「――フ」

 テスラの口元が不遜に歪む。

 次の瞬間、

「フッ、フハハハ! ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 その無駄に凄まじい肺活量による長い哄笑が響き渡るのを契機に、食堂全体が通電する。

 少しの期間食堂を空けていたので、これを機に大々的に食堂のメンテナンスをしていたのだ。その最終的な仕上げとして、あまり詳しくない電気周りのメンテナンスを、暇そうにしていたテスラに頼んで今に至るという訳だ。

「礼を言う。機械いじりは好きなのだが、電気周りは疎くてね」

「なに、凡人に知恵を施すのも私の役目。それにどこかの直流馬鹿には重過ぎる仕事であるからな。ならば比類なき天才である私が出るのは当然の帰結!」

 ちなみにテスラの言う直流馬鹿とはミスターエジソンのことである。

 とは言え現代の家電製品は直流と交流のそれぞれ良いところを使い分けて動いているのだが……まあいい、見えている地雷をわざわざ掘り起こす必要もあるまい。そんな事を言った日には犬猿の仲である二人のことだ、カルデアの全電化製品をどちらかに統一するとでも言いかねん。

「では雷電は去る。さらばだシェフ! 礼ならばまた美味な料理を振舞ってくれたまえ!」

 背筋をぴんと張った良い姿勢で手を振りながら去るハンサムを見送る。あの何処から湧くのか不思議で仕方のない自信は、卑屈になりがちな私も少々見習うべきかな。

「さて、と」

 食堂全体の整備は一通り終わった。これで今すぐにでも食堂を運用できる。

 先程言っていた、食堂を空けていた理由は今更説明するまでもない。

 人理史修復(グランドオーダー)が、マスターの手によって完遂したのだ。

 長くもあっという間のような出来事だったが、私としてもいい経験となった。後にも先にも、英霊たちがこんな大所帯を持つことは二度とないだろう。その点だけでも十二分に価値はある。

 人理史修復(グランドオーダー)が終わった後、我々カルデアに召喚されたサーヴァント達に与えられた選択肢はふたつ。

 英霊の座に還るか、カルデアに残るか。

 私は残ることにした。

 と言うよりは、人理史修復(グランドオーダー)に携わったサーヴァントはそのほぼ全員が残っている。

 そのこと自体に特に大きな理由はない。単純に、居心地が良いだけ――意思の確認などしていないが、他の残ったサーヴァント達も同じような理由ではないだろうか。

 さしたる目的もないのに大勢のサーヴァントが長期間現界していていいのか、とも思うが、その点はダヴィンチに問い合わせたところ、どうやら大丈夫らしい。

 今の我々は第五次聖杯戦争のギルガメッシュと同じ状態だ。一度召喚されたサーヴァントは、何も聖杯戦争の終了と共に忽然と消える訳ではない。生き残り、魔力供給さえしていれば理論上は永久に存在が可能だ。ただ英霊の格を持つ者を存在させ続けるのは至難の業、というだけの話である。魔力供給の量も馬鹿にはならないし、何より世界よりの修正力が大幅にかかる。要するにコストとリターンが釣り合っていないのだ。

 聖杯戦争やここカルデアはその辺りを優れたシステムで上手く誤魔化しているだけなのだが、これが実に良くできている……というのがダヴィンチの言である。私も魔術は齧っているものの、そこまで専門的なことは理解が及ばん。

 まあいい、難しいことは後回しだ。今はただ、ひとつの大きな目的を達成したことを素直に喜ぶとしよう。

 と、

「エミヤー、おなかすいたー!」

 一際緊張感皆無な声が、私一人の食堂に響く。

 振り返るとそこには、見慣れたマスターがいつもの陽気な風で入ってくるところだった。

「開口一番それか……それでも世界を救ったマスターかね?」

「世界を救おうがなんだろうがお腹は空くよ」

「ふっ、間違いない」

「ごーはーん! ごーはーん!」

「分かったよ、何か作るからそこで大人しくしていたまえ」

 料理の準備はしていないが、何かしら備蓄はあるだろう、と思い冷凍庫を開ける。余り物で何か作ってやればマスターも少しはおとなしく――

 と。

 冷凍庫の片隅にあった()()を、視界に入れてしまった。

「…………」

 思わず吸い込まれるように手に取る。

 ちょうど手のひらに乗るサイズのそれは、冷凍庫に入れられていたことでひやりと静かに私の体温を奪う。

『僕はこし餡派なんだよ、知ってるでしょ!? だから、ね?』

『……ひとつだけつぶ餡ではなくこし餡にしろと?』

『頼むよエミヤ! この通り!』

 同時にまざまざと蘇る記憶。

 軽薄に見えてあまり他人に干渉しない彼が、私が根負けする程にあそこまで頼み込んでいたのは、恐らくこの未来を知っていたから。

「あ、それってもしかしてちょっと前にエミヤが作ってくれたどら焼き?」

 マスターがいつの間にか背後から迫っていた。相手がマスターとは言え、ここまで他人の接近に気が付かないほど、私は動揺していたらしい。私もまだ若い。

「良く覚えているなそんな事……そうだよ」

「そりゃあ覚えてるよ! 皮はもちもちだし、あんこと生クリームの素敵な和洋折衷! 冷凍してもアイス感覚ですっごく美味しかったもん!」

 少し前、最終決戦の前日に作ったものだ。生地に白玉粉を使った生クリーム入りどら焼きで、皮は日本人の大好きなもちもち感たっぷりに。中に砂糖を控えめにした餡と生クリームを入れることで和菓子に不足しがちな菓子の満足感も得られる。

『やあ、エミヤがわざわざオーダーメイドで作ってくれたものだ。これは人理修復後の楽しみに取っておこう』

『お前が作らせたんだろう』

『つぶ餡であれだけの味だったんだ、こし餡ならきっと想像を絶するよ』

『そうかね』

 先ほどマスターが言ったように、冷凍しておけば日持ちする上に凍ったまま食べてもアイスクリームとしての役目も果たす。日本出身のサーヴァントに加え、他国のサーヴァント達にも多くの賛辞をもらった、我ながらそこそこの傑作だ。

「ねっ、ちょうだい?」

 マスターな目を輝かせながら、有無を言わせぬ雰囲気で迫って来る。

 そこまでされるのは料理人として本望だが……これは……。

『そんな所に置いておいたら、名前を書いたところで腹を空かしたマスターかアーサー王あたりに食われるぞ』

『大丈夫大丈夫。みんないい子だからね』

『その無類の信頼は素晴らしいが、もう少し現実を見た方がいいぞドクター……』

 ……いや、マスターももう子供ではない。自分の問題は、自分で解決出来る歳月と経験を積んでいる。私が変に気遣ったところで逆効果になり得る。

「――ああ、そうだな。食っていいぞ」

「やったぁ!」

 私の手から電光石火の速さでどら焼きが奪われる。

「――――ぁ」

 と、マスターの動きが止まった。

 そのどら焼きの包みには、ボールペンで走り書きされた付箋が貼ってあった。

 『ロマニ・アーキマン』と。

「……エミヤ……これ、」

 珍しく、どんな時でも明朗快活なマスターが口ごもる。致し方ない。ここでドクターもいやしんぼだね、と笑い飛ばせる程にマスターは年を食っていない。

 人理史修復(グランドオーダー)を完遂してからはやひと月。

 それはあのロマニ・アーキマンとの別れからの期間と同意義だ。

 マスターも面にこそ出さなかったが、数日は落ち込んでいた。無理もない。実の兄のように慕っていた者が数奇な運命を辿り、あのような結末を迎えたのだ。

 忘れることはできないが、ようやく頭の片隅に置いておける程度になった――そんな者の事を、当人が冷蔵庫に置き忘れた菓子で否が応にも、どうあってもロマニがもういない事実を突き付けられた。

 ……ひょっとしてわざとじゃないだろうな、ロマニ?

「いい。食ってしまえマスター」

「……でも」

「もう戻らぬ者の名残だ。せめて腐ってしまう前に君が美味しく食べてくれ」

「…………」

 今、マスターの心中はあらゆる要素で渦巻いているに違いない。固く口元を結び、今にも泣き出しそうだった。

 ロマニがもう戻らないという事実。

 ロマニとの馬鹿らしくも楽しかった思い出。

 共に人理修復に尽力した日々。

「……それはな、マスター。そのどら焼きは、私がロマニに頼まれてわざわざこし餡で仕上げた一品物の特注品だ」

 だが、これはマスターが自ら乗り越えなければならない。

「ロマニがあれほど楽しみにしていたどら焼きだ。もし何かの間違いで奴が戻ってきて、自分がいない間に秘蔵の菓子を食われていたと知ったら――」

 ああ、

「とても愉快な顔が見られそうではないかね?」

 その光景が、眼に浮かぶようだ。

 マスターは一瞬、私と視線を交錯させると、目元を袖で拭い、

「『ひどいよ! ひどすぎるよ! 僕の大好物だって知ってるだろ!?』……なんて感じかな」

 現れた顔は、少し無理をしているようだったが、笑顔だった。

 ――それでいい。

 マスター、君はまだ若い。私のように、悲しいこと、辛いことを無理に心の底に押し留め、凍結させる必要もない。

 戦いにおいて別れは付き物だ。どれだけ時間をかけてでも悩み、葛藤し、どうにかして気持ちに整理をつけなければならないのが、残された者への課題だ。

「……おいしい。さすがだね、エミヤ」

「それは光栄だ……さて、マスター」

 君は君なりの答えを出すといい。

「緑茶と紅茶、どちらがいいかね?」

 私は微力ながら、マスターに茶を淹れてやるとしよう。

 

 



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ユータナジー・ポムダムール

ジャンぬ語りの番外編です。
アヴェンジャークラスに対する自己解釈と設定が入ってます。


私は知っている。

私は殺される。

私は、ジャンヌ・ダルク・オルタは、殺される。

 

「では――おさらばです」

 全身に影を纏うシャドウサーヴァントの胸元に刃を埋める。醜い断末魔と共に、霊基が薄れて行く。こいつを最後に今日の役目は終わりだ。

「疲れたのだわ……」

「みんな、お疲れ!」

 一緒にレイシフトしていたナーサリー・ライムと共にマスターが駆け寄って来る。戦闘において、彼女らの役目は後方支援。

 このマスターの為に、というのは少々癪だけれど、戦うこと自体は正直嫌いじゃない。この汲めども尽きない黒く禍々しく濁った感情を吐き出すのに、戦闘は適している。

 暴力はいい。まがい物の記憶ではあるが、かつて私を責め立てた一方的な陵辱は、背徳と嗜虐という形で私の心の隙間を埋めてくれる。

 私のクラスは復讐する者(アヴェンジャー)。自分を含めた森羅万象を憎悪し、忌み嫌い、嫉妬することで負の感情の束を力の源にする反英霊。その身は悪意と殺意と敵意で出来ている。

 カルデアに在籍する他の復讐者たちもそうだ。

 巌窟王エドモン・ダンテス。その生涯の大半を復讐に費やした復讐鬼。

 怪物ゴルゴーン。『恐ろしいもの』として人間に悪性を押し付けられた、生まれつき人間を憎み害する者。

 英霊アンリマユ。実力の程は非常に低いが、彼は全てを憎むあまりもはや全てを諦めている。あの躁に近い性格はその裏返しであり、もはやどんな手法をもってしても矯正は不可能だろう。

 対して私はジャンヌ・ダルクという知名度では申し分ない英雄の影を踏みながら、産まれたその瞬間から拠り所も何もない不確かな存在だ。だからその救いの無い在り方にも、不満があろう筈もない。

 けれど――。

「ジャンヌ、うしろ!」

「…………」

 戦場に背を向けた瞬間、ナーサリーから喚起の声が掛かる。

 仕留め損なった影が、最期の一撃を私に見舞おうと背後から襲いかかって来ていた。

 が、既に遅い。見返りの状態で私の武器である旗の石突の部分を頭部に突き立てると、影は今度こそ霧散して消えた。

「危ないなぁ、びっくりしちゃったよ」

「マスターと一緒にしないでくださる? この程度、危機のうちにも入りません」

「でも珍しいね、ジャンヌが仕留め損ねるなんて」

「……そうですね。調子が悪いのかも知れませんね」

 そう、調子が悪いのは本当だ。

 ここ最近、力が弱まって来ているのを感じる。今まで一撃で斃していた有象無象が、先程のように一撃では仕留められなくなって来ている。

 見た所、霊基や精神に乱れはない。ただ単純に、力が落ちているのだ。

 知っている。

 その理由を、私はよく知っている。

 その理由は、私だけが知っている。

「むう、いっつも無駄に自信のあるジャンヌが元気ないなんて……一大事だね」

「貴女、焼き殺されたいのですか?」

「あはは、それだけ言えるなら大丈夫そうだね」

 だから。

 そんな顔で笑わないで。

「よーし、今日はエミヤにおやつ頼んであるからジャンヌも行こう!」

「え、ちょっ、私は――」

 私の腕を有無も言わせず引っ張っていく、小さくか弱い手。

「おなかいっぱいになったらきっとジャンヌも元気出るよ!」

「そうね、お茶会をしましょう! 紅茶と甘いお菓子があれば誰だって笑顔になれるわ!」

「そういう問題じゃないで――ああもう!」

 私は知っている。

 私は殺される。

 私は、ジャンヌ・ダルク・オルタは、殺される。

 

 

 

「あ、エミヤ、頼んでたやつできた?」

「ああマスター、お帰り。出来ているぞ」

 レイシフトを終えカルデアに帰ると、真っ先に食堂へと連れて行かれた。人間もサーヴァントも問わず無料で食事を摂れる場所――そんな平和で牧歌的な場所に私のような者が似合うはずもなく、存在こそジルに聞いてはいたが、訪れるのは今日が初めてだ。

 時刻は三時を回ったあたり。そのせいかそこに客の姿はなく、厨房で腕を組みながら鍋を凝視する褐色の肌の男がひとり、いるだけだった。名前は確か、エミヤ。今現在において英雄と認識されていない、未来の英霊らしい。その影響で霊基も霊格も弱く、尖った能力の所為で戦闘に赴くよりもよくここでサポートをしている、というのが私の知り得る彼の情報の全てだ。

 その歪んだ在り様はある意味、私と似ている。とは言っても同情や憐憫の情を向けるなどもっての外、仲間意識なんて芽生えるはずもない。

 所詮、人間だろうがサーヴァントだろうが上下関係の優劣はその強さに依存する。

 弱いのが悪いのだ。力のない者はどんな場所でも不遇な扱いを受ける。

 だから私は強くなった。強くある存在にと願った。

 誰にも迫害されないように。

 誰をも弾圧できるように。

「戦闘で疲れたわ。シェフエミヤ、紅茶をいただけるかしら」

「残念だがラデュレのアールグレイが先ほど切れてしまってね……安物のダージリンしかないが、構わないか?」

「あらそうなの……残念。でもいいわ。砂糖とミルクにシナモンも忘れないでね」

「ジャンヌ、君も同じものでいいか」

「好きになさい」

 不機嫌そうに顔を背けてみせるも、嘲笑で返された。

 ……気に食わない男ね。こうしてマスターに無理やり連れて来られでもしない限り、一生会うことはなかったでしょうに。

 と、ナーサリーがカウンター上のものに気付き、身を乗り出す。

「あら、ポムダムールじゃない!」

「ポム……なに?」

「りんご飴のフランスでの名称だ」

「直訳で愛の林檎(pomme d'amour)って言うのよ。ロマンチックよね!」

 トレイに並べられているのは、各十個あまりの黄金、白銀、赤銅の果実に水飴をコーティングしたもの。一般的にりんご飴と呼ばれているものだ。

 あの果実はマスターの魔力を底上げするドーピングのようなものだ。ということは、どうせマスターがいつも果実を丸のままかじるのに飽きた、とでもわがままを言って作らせたのだろう。

 林檎に飴。林檎はともかく、飴なんて(ジャンヌ)が生きていた時代では、貧民であれば年に一度のささやかな祭りでしか食べられなかったような貴重品だった。

 だからと言うわけではないけれど、少し食べてみたい気は――いえ、駄目よ。

 ここで心を許したら、また()()()()()()()

「なかなかに子供心をくすぐるじゃない。一つ星をあげるわ」

「光栄だよ、ミセスナーサリー」

「ナーサリーも食べていいよ」

「ほんとう!? じゃあお茶請けにいただくわ」

「ジャンヌ、君も食うか? 甘いぞ」

「いりません」

 エミヤに突き出された棒付き林檎を蔑視と拒絶の言葉で一蹴する。

「貴方がたは馬鹿なのですか? そんな子供がお祭りで食べるような駄菓子、サーヴァントである私には必要ありません」

 その私の一言に、先程まで緩かった空気が一瞬、凍りつく。

 これでいい。

「そんなものよりマスター、私には早々に次の敵を。それにお茶など飲んでいる暇があったら、少しでも魔術師としての研鑽を積んだらどうなのです? ああ、それとも自分は優秀だから必要ないと? さすがは我がマスター」

 嫌味と皮肉をたっぷりトッピングして吐き捨てる。

 その憐れむような視線、乾いた空気、気まずい静寂。どれもが懐かしく痛ましい。胸をきつく締め上げるこの疎外感こそ、私に相応しい。

「他のサーヴァントがどうかは知りませんが、私は馴れ合いを好みません。以後、せいぜい気を遣って下さいね?」

 これでいい。後は空気を読まない邪魔者は去るだけだ。

 相手が絶対服従のマスターとは言え、私が和気藹々と菓子を食べ紅茶を飲むなんてあり得ない。

 そう、私は復讐者。憎悪と嫉妬を燃やし力にする、呪われた存在――

「まあまあそう固いこと言わずに、ね?」

「むぐ!?」

 踵を返そうと身体を翻した瞬間、瞳孔の開き切ったマスターの手ずから、口内にりんご飴を突っ込まれた。

「あははははははは!」

「あはっ、あっはははは! 傑作よジャンヌ! 変な顔なのだわ!」

「……ふっ」

「んっ、ん――! んんん――!」

 口内に水飴特有の甘ったるい芳香が広がる。飴に覆われていた事で瑞々しさを保った林檎に似た果実は、私に懐かしい余韻を刻んでくれた……じゃなくて!

 これで茶番は終わり、とまったく警戒していなかった事もある。それに何より他人の、しかもうら若き乙女の口に巨大な飴を突っ込むなんて普通やる!?

 あとそこでさり気なく便乗して笑ってる二人、後で覚えておきなさい!

「んっ……んんんっ!」

 なんとか飴と果実を気合いで噛み砕き、飲み込む。こんななりになっても、一度口に入れたものを吐き出す程に私は女と人間を捨て切れていないらしかった。

「何をするのよ! 顎が外れるかと思ったじゃない!」

 果実の水分と涎で汚れた口を拭いながらマスターに摑みかかる。

 と、

「だってジャンヌが何だか、無理してるように見えたから」

「…………っ」

 そんな事を、薄く笑いながら言うのだった。

 やめてよ。

 なんで私みたいな女相手に、そんな顔が出来るのよ。

「なんでよ……マスター貴女、私を殺す気なの……?」

「ジャンヌ、泣いてるの……?」

「っ!」

 言われて、涙腺が緩んでいるのに初めて気付く。私としたことが、どうしてマスターを前にするとこうも脆くなるのか。

 いや、それよりもこの状況はまずい。マスターだけならばまだしもだが、泣いているところなどを他のサーヴァントに見られたらこの先何を言われるかわかったものではない。

「ジル! ジルはどこ!」

「お呼びでしょうかジャンヌ! 貴女のジルドレェはここに!」

 どこに潜んでいたのか、キャスターのジルが背後に(かしず)きながら現れた。ジルは私が呼ぶといつでもすぐに駆け付けてくれる。私の数少ない味方だ。

「空気が乾燥してるせいで目が乾いて痛いわ。ただちに目薬を差しなさい」

「おお……なんと痛ましい……それは一大事! このジル、ジャンヌの宝石のごとき瞳を潤す役目を与えていただき光栄でございます! 御心のままに!」

「ちょっと待ちなさいジル。それ、この間のスーっとするやつじゃないでしょうね?」

「は。忠臣ジルドレェ、その点は抜かりありませんぞ」

「……ねえジル、それ子供用の、」

「よせマスター、もうひと波乱起こしたいのか?」

「ではジャンヌ、僭越ながら上を向いていただけますかな」

「ほら、早くなさい……っ!」

「ジャンヌぅ! そのように目を固く閉じられていてはこのジルドレェといえど目薬は差せませんぞ!」

「……っ、んっ……ふう……」

 目薬で濡れた顔を袖で乱暴に拭い、マスターに向き直る。目薬は嫌いだ。たまに目を通って鼻に入ってくる現象が起こると誰彼構わず焼き殺したくなる。

 ……よし。ジルの助けもあって涙を誤魔化すことは出来た。後は勢いでやり過ごす他ない。

「そこのウェイター!」

「何か用かね」

「マスターのせいで口の中が甘ったるくて仕方ないから、口を洗いたいのよ。早く紅茶を出しなさい」

「わかったよ。ジル元帥、貴方も飲むかね?」

「いただきましょう。ジャンヌとお茶が飲めるとはこのジルドレェ、恐悦至極にございます!」

「やった! みんなでお茶会ね!」

 睦まやかな生温い空気が場を包むのを機に、思わず安堵のため息が漏れる。

 咄嗟の機転でなんとかこの場は乗り切ったが――こんな事を続けていたら、私はいずれ消滅するのだろう。

 理由は至ってシンプル極まりない。

 憎悪を糧に嫉妬に駆られ悲愴に浸り殺意を磨き死を幸いとし苦痛に悦び暴虐を賛美し惨劇を旨に絶望を定義し終幕を夢見て円満を忌避し傷心に慄え孤独を好み怨念を両手に憤怒を撒き散らす。

 そんな私がそれらの感情を否定する行為を繰り返していたならば――力が弱まるのも理に適った話だ。

 仮にも英霊とは言え、サーヴァントである私がその在り方に反する行動に溺れたら、いずれは霊基そのものが消えて無くなる。他の復讐者たちのように明確な背景や生い立ちがある訳でもない私ならば猶更だ。

 そして何よりも重症なのは。

 それを悪くないとどこかで思っている私がいるということ。

「甘くてみずみずしいのだわ!」

「んんー、たまにはりんご飴もいいねぇ」

「あんまぁい! 時には童心に返るのも心のケアとして重要ですよマスター」

「食うのはいいが、他の者たちの分も残しておいてやれよ」

 無邪気にりんご飴にかじり付く面々と距離を置き、紅茶を口にする。

 子供向けに淹れたためか、はたまた分量を間違えたのか、歯が溶けそうな程の甘さのミルクティは、前述した口直しには何の役にも立たなかった。

 と、

「最近調子悪いの、気にしてたの?」

 見るのも不快な団欒を外れて、いつの間にかマスターがりんご飴片手に私の横に陣取る。

 私のことを気にかけてくれているのはわかる。それが嬉しいと、自覚出来る程度の人間性は残っている。

 だが今は、その自分の人間らしさが忌々しい。

「……別に。あまり馴れ馴れしくしないでもらえますか」

 貴女と私はお友達ではないのですから、と言いかけて喉先で止まる。そんな事を言ったところで、このマスターには通用する未来が見えない。

 予想通り、マスターは私の悪態を意にも介せず、白い歯を見せ笑って見せる。

 その笑顔が私に向けられていると理解する度に、私は絆され壊れていく。心地良いまま息の根を止められるような――そう、マスターは私だけの死神。

「ジャンヌは偉いなあ。一人でずっと頑張って来たんだもんね」

 いっそのこと、機械的なものとして現界出来たら良かったのに。

「みんなの力を借りなきゃ何も出来ない私とは大違い」

 心も情もなく、ただ一途に万物を憎み、命じられれば暴を奮うだけの殺戮機械であれば楽だったのに。

「あっ、調子悪かったらちゃんと言わなきゃダメだよ! そのためのカルデアなんだからさ」

 私はきっともう、復讐者として終わっている。

 この些細な心の安寧を得られただけでも、呪われたこの身で召喚されたことに感謝すら覚えている。

「……マスター。ひとつだけ、質問が」

 やめておけばいいのに、私の口は自分への死の宣告を紡いでいく。

「なに?」

「もし……私がサーヴァントではなく、ただの人間として貴女と出会っていたら――その、」

「もちろん、親友だよ!」

 私は知っている。

 私は殺される。

 私だけが知っている。

 私は。ジャンヌ・ダルク・オルタは殺される。

 他でもないこの子(最愛のひと)に、殺される。

 

 

 



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揚げ豆腐の生姜あんかけ

佐々木小次郎主体です。



 扉を開けた瞬間、別世界に迷い込んだかのような錯覚に陥る。

 身を晒した瞬間に全身を痛い程の冷気と、ちらつく雪が満遍なく包む。自分の吐く息の水分で顔が凍り付く気さえした。

 冷凍庫、などという形容すら生易しい。ここはもはや異世界だ。運良く吹雪いてこそいなかったが、その寒さは日本に住んでいた私には未知の領域に他ならない。

 眼前に広がるのは闇に覆われた、無限の白銀世界。例外なくその場の色を支配する大量の積雪。

 そして、その幻想的とも言える景色に君臨するかのように宙空に鎮座する、巨大な月。

「おう、ここだエミヤ殿」

 と、横からの声に視線を遣ると、そこには胡座をかき日本酒の入ったお猪口を傾け、建物に背を預ける侍――佐々木小次郎がいた。

 

 

 ――数時間前。

「失礼、(かしわで)殿。酒を戴けるか」

 夕食のラッシュが終わり、酒を求める者がちらほらと現れる時間帯。厨房で食器乾燥機に入った皿を磨いていた私の下にやって来たのは、佐々木小次郎だった。

 佐々木小次郎。アサシンのサーヴァント。

 かの有名な剣豪、宮本武蔵の終生の好敵手として名を馳せる剣士だが、実のところ彼は佐々木小次郎に似た誰かとして召喚された全くの別人である。

 彼とは第五次聖杯戦争においてアサシンのクラスで召喚された、かつての敵でもある――が、私は不思議と彼を憎めなかった。それは風のように飄々とした彼の人柄ゆえだろうか。

 何事にも執着せず、その日その日をあるがままに受け入れ過ごす。傍から見たら世捨て人か何かに見えるだろうが、何物にも心を囚われないその生き方は、ある意味羨ましい。元々そういう性格なのか、剣の道をひた進んだ結果の賜物か。

 ちなみに小次郎の言う(かしわで)とはコックの事だ。天皇などの官人の食事を作っていた者をそう呼んでいたらしい。サーヴァントの癖に料理ばかりしている私に対し、小次郎らしい皮肉だ。

「その呼び方はやめろ……日本酒かね」

「ああ、手間だが熱めの燗をしてもらえるか?」

「なに、構わんさ。少し待ってろ」

 徳利に日本酒を注ぎ、水を張った鍋を火にかける。

 小次郎はこうして時々来ては日本酒を頼み、ここで飲まずに持って帰って行く。恐らくは別の場所で一人で飲んでいるのだろう。確かに小次郎がカウンターに座って酒を飲む様はあまり似合わない気もする。

 それにひとり酒が絵になる男だ。部屋で一人、お猪口を傾ける様は容易に想像できる。

「何か肴でも作ってやろうか?」

 いくら粗食に生きる時代の侍とは言え、つまみも無しに酒だけでは寂しかろう、との気遣いだったが、

「確かにお主の料理はとても旨い、魅力的な提案だ。が……生憎今日は先約があるのでな」

「先約?」

「ああ、今宵は至上の肴の用意がある」

 と、ことも無げに返される。

 確か小次郎は剣一本に生きていた人物。自ら料理などしなかった筈だ。以前、酒を飲むよりも女を抱くよりも刀を振っている方が楽しいと聞いた事もある。いい意味で生粋の刀馬鹿だ。

 ならば肴を何処かで手に入れたか?

 剣以外の事に関しては何事も涼やかに受け流す小次郎に、至上とまで言わせる酒の肴。

 それはそれで、個人的にも料理人としても興味がある。食うとまでは言わずとも、見てはみたい。

 少々熱めにした熱燗を布巾で拭い、お猪口と一緒に盆に乗せて小次郎へと渡す。

 と、

「……ふむ。お主も一緒にどうか?」

 こちらの考えを見透かされたか、目を細めて薄く笑う小次郎がそんな事を口走った。

「いいのか?」

「無論――だが大の男二人で酒一本、というのもちと寂しいな。追加の酒と、何か身体の温まる肴を用意してもらえるか」

「身体の温まる肴、ね。了解した」

「ああ、場所は建物の外ゆえにな」

「……外だと?」

「拙者は先に行き場所を作っておく。準備が出来次第、参られよ」

 

 

 

 という経緯により現在に至る。

「どうだ、エミヤ殿。今宵は満月、しかも此処は低温と山頂の恩恵で月の模様までもが実に、実に良く見える」

「――――」

 身を寒さに震わせながら、思わずその光景に見惚れる。

 カルデアは超高層地域に建てられた建造物だ。その標高、実に6000メートル。気温は氷点下を遥かに下回り、気圧も低い。だがその代わりに、小次郎の言う通り、ここから見える月は生前いつも見ていた月とは段違いに大きく、きめ細やかな様相で浮いていた。月の模様をここまでくっきりと見るのは、これが初めてかも知れない。

 風流だとか粋、などという言葉ですら安っぽく感じる。純粋に自然の神秘に魅入っていた。

 ああ。確かに、これ以上の酒の肴はあるまい。非常に寒いのを除けば、極上の月見だ。

「出来ればマスターも呼びたかったのだがな、未成年ゆえ酒が飲めん上にこの環境は少々厳しかろうな」

「ふっ、あのマスターがこんな寒い所に自ら来る訳がなかろう」

「はは、違いあるまいよ……む、それがお主の拵えた肴か」

「ああ」

 小次郎の横に腰を下ろし、追加の熱燗二本と、持って来た土鍋を置く。

「鍋か。この極寒の中うってつけではあるが、凍る前に食いきれるか……」

「いや、残念ながら鍋料理じゃない。土鍋が一番冷めにくいのでね」

 小次郎に箸を渡し、土鍋の蓋を開ける。

 凄まじい冷気の中、香りと共に湯気が立ち込める。土鍋の保温能力と来る直前まで温めていた料理は、確かに温かさを感じさせてくれた。

「む、これは……豆腐か?」

「ああ。揚げ豆腐に生姜と醤油をベースにしたあんかけを掛けたものだ。豆腐は嫌いかね?」

「真逆、大好物だ。入手のし易さ、老若男女問わぬ味、滋養面、飯はおろか酒にも合う柔軟さ、豆腐こそ庶民のご馳走よ」

「それは重畳だ。味付けも日本酒に合うよう辛めにしてある」

「何から何まで有難い。ではいただこうか」

 箸ですっと豆腐を切り分け、口に運ぶ。

「むっ、あふ、はは、熱くて美味いな……んっ」

 熱々の豆腐を咀嚼し、きゅっと熱燗を煽るその所作は、日本の侍、ということもあってか非常に様になっていた。さて、流石に身体も冷えて来たことだし、私も冷める前にいただこうか。

「熱っ……んっ……ふう」

 豆腐は冷奴にしても勿論美味いが、真髄は身体を温めるところにある、と私は思っている。鍋に付き物の食材である豆腐は、ろくに噛まずとも飲み込むことが出来るため、熱々の温度をそのままに食道を通り胃に降りることで身体を芯から温めるのだ。

 加えて生姜を多めに使用することにより血行を良くした上で、辛味も補える。我ながら寒い中で食う酒のつまみとしては最適解と言えるのではないだろうか。

「身が凍る程の寒さの中、この世のものとは思えん程に見事な満月を観ながら、美味い酒と肴で身体の裡より温める」

 お猪口を持ち月を見上げる小次郎の横顔は、今まで見た事がない程に満ち足りて見えた。

「――たまらんなぁ。これ以上のものなど、例え聖杯であろうともおいそれとは出せまいよ」

 小次郎は聖杯に願う望みがない、といつかマスターに言ったそうだ。

 彼にとってはこの月のように、当たり前にそこにあるものこそ真に得難く美しく。

「礼を言うよ。カルデアで観る月がこれ程美しいとは知らなかった」

「なに、礼を言うのは美味い料理を馳走になった拙者の方よ。どうしてもと言うのならば拙者ではなくあの月に言え」

 それゆえに、人理修復に応じた理由も単純明快。

 誰かに言われた訳でもない。ただそうしたいだけ。かつて自分が生きていたこの美しい世界を護りたい、と。

 強さとは、極論を言ってしまえば命を賭けられるかどうかの覚悟の量。死ぬ覚悟のない者は、誰も殺せない。

 自ら好んで死地へと赴き、他人には嘲笑と共に皮肉を飛ばし、酒を飲んではまた刀を振るう。その厭世とも取れる小次郎の雲のごとき飄々とした態度は、何も最初から全てを諦めている訳ではない。

 きっと自らの命を、他のものの為に常に張っている証拠だ。

「人も景色も時代と共に移ろい行くが――(こいつ)だけはいつの時代も変わらぬ。まこと、素晴らしき月よなぁ」

 名もなき極東の剣士は、今日もこの美しい世界を眺めながら、世界を護れるだけの肚を決めるのだ。

「……おっと、拙者とした事が」

「?」

「どうだ、お主も一献」

 と、楽しそうに徳利の口をこちらに向ける小次郎。

「……ふっ、貰おうか」

 普段は酒は飲まないが、こんな状況で断るのはあまりにも興が削がれる。そうだろう?

 小次郎の酌を受け、酒を飲み干す。

「御見事」

「では返杯だ」

「戴こう」

 真冬に口数も少ない者同士、極上の月見酒。たまには悪くない。

 久し振りに飲んだ酒が身体中を巡り、酩酊とはまた違う心地良い高揚感が包む。

 今日だけは不思議と酔う気がしない。

 酒が尽きるまで、束の間の風情を楽しむとしよう。

 

 



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ジャンクオブアヴァロン・モルガン

エミヤオルタ召喚記念。


「邪魔するぞ」

「ああ、いらっしゃい」

 やって来たのはこの食堂では馴染みの顔――まあ言うまでもなく、カルデアに様々な側面から召喚されたお陰で数人いるアーサー王である。

 ゴシックな衣装に身を包んだ彼女はセイバー・オルタ。セイバー――アーサー王の非情の面を色濃く映した彼女は、本来のアーサー王とは性格面で大きくかけ離れている。セイバーはオルタと共にランサーとしても召喚されているのだが、それぞれ同一人物とは思えない程に個性があるのが特徴である。

 具体的には、彼女、セイバーオルタは合理主義にて質実剛健、そして基本的に空気を読まず我欲が強い。王らしいと言えばそうなのだが、本来のアルトリアを知っている者は、対面した時そのギャップに驚くこと請け合いだ。

「とりあえず前菜を……そうだな、フィッシュ&チップスを山盛り。タルタルソースをチューブでよこせ」

「はいはい」

「イカリングと軟骨の唐揚げもつけろ、コーラも忘れるな。ノンカロリーコーラは許さんぞ」

 ……そしてこのようにジャンクフードをこよなく愛する。彼女の身体を慮って食堂で使う油の大半をオリーブオイルに変えたのは、我ながら名采配だったと確信している。

 彼女たちの共通点と言えば、どのアルトリアも食べる量が尋常ではないという点くらいだ。そこに何のメリットがあるのか私程度では皆目見当もつかんが。

 ともかくアルトリアの名を冠した彼女たちのうちの一人でも来訪すると、キッチンはフル稼働する羽目になる。生半可な姿勢で挑めばやられるのはこちらだ。今日もひとつ、気合を入れるとしよう。

「相変わらずよく食うな……今日も一人かね?」

「皮肉屋め、余計なお世話だ……と、言いたい所だが――」

「?」

「今日は連れがいる。新宿で世話になったのでな、その義理だ」

 揚げ物用のオリーブオイルを鍋に張り世間話を投げかける。と、セイバーオルタがつまらなそうにかぶりを振る。

「おい、いつまでこそこそと隠れている。入って来い」

 珍しく今日は誰か連れて来たのか、扉の方向に声を投げかける……が、反応はない。

「おい……おい!」

「……?」

「全く……世話を焼かせるな。そんな顔をして恥ずかしがり屋さんなのか? 年を考えろ。二十年は遅いぞ」

 再三の呼び掛けにも応じないことに痺れを切らし、席を立って扉の向こう側へ。新宿と言うからにはジャンヌオルタかとも思ったが、年を考えろ、なんて言っているからには違うだろう。そもそもマスターの仲介なしにコンビで行動する二人ではない。

 ならば誰だ、新宿のアーチャーか?

 などと予想しているうちにセイバーオルタが手ずから連れて来たのは、

「…………」

「…………!」

 真っ黒な肌。機能性を重視した短髪に剃り込み。磨耗し燻んだ眼。

「こいつ、偏屈な上に無口なのでな。私が代わりに紹介をしてやろう。エミヤ・オルタだ」

「…………」

 新宿でマスターが出会ったと聞いた、私のオルタ。カルデアにも召喚されていたのか。

「こいつはここの食堂でコックを担当している。作る食事も早く美味いので贔屓にしている私の名誉厨房騎士だ。名をエミヤ――む?」

 いつの間にそんな不名誉な称号の騎士になっていたんだ、という突っ込みを入れようとするも、首を傾げるセイバーに阻まれる。

「なんだ、貴様ら同一人物か」

 どうやら同じ名前である事を今気付いたようだった。

「……新宿での義理もある、と言われるままについて来た俺も悪いが……騎士王よ、お前は人の気遣いを台無しにするのが趣味なのか?」

「オルタ、君は有能にて聡明だが気配りというものを知らん。少しは貞淑に弁えたらどうだ?」

「ええい、これ程までに似ていないのだから仕方ないだろう! 私のせいではない!」

「……」

「……」

 まあ、確かに年齢に加え姿形も全然似ていないが……。

「……冗談だぞ。無論、知っていたとも。私をあのぽんこつ聖女と一緒にするな」

 二人の無言に思うところがあったのか、眉根を寄せてそっぽを向くセイバーオルタだった。

「はあ……何でもいいが、注文が揚がったぞ」

「うむ、ご苦労」

 皿にクッキングシートを敷き、揚げ物の数々を放り込みジョッキのコーラと一緒にセイバーオルタに手渡す。

 まずはコーラを飲み干し、

「ふう……やはり任務の報酬としてのコーラは一味違う、素晴らしいな。おかわり」

「…………」

 その花金のサラリーマンのような所作に、なんと言うか、王の威厳も何もあったものではなかった。何も言わずジョッキにコーラを注いでやる。

 と、先ほど視線を交わしたきりの私のオルタが、初めて私に対して口を開いた。

「すまなかったな。オレ(おまえ)にとって俺は直視したいものじゃないのはわかっていた為、会うのは避けていたのだが……騎士王のせいで台無しだ。なに、すぐに消えるよ」

 言って、背を向ける――かと思いきや、

「……そうだ」

 何か思い付いたのか、カウンターの椅子に座る。

 近くで見ると違和感もまた増す。目の前の男が自分である、という実感が今ひとつ湧かないのだ。

「いい機会だ。ひとつオレ(おまえ)に聞いておきたいことがあった」

「……なんだ?」

 と、嫌な笑いを浮かべながら懐を探る私のオルタ。

 取り出されたのは――、

「……オレ(おまえ)なら知っているだろう。これは一体、なんだ?」

 赤く透き通ったペンダント。

 私が知らないはずもない。あれは私の触媒――私がエミヤという英雄たる証。

 まだ魔術師ですらなかった似非の正義の味方であった私の命を、私の魔術の師が虎の子の魔力を使って拾い上げてくれた、その時に使われたペンダントだ。

「宝石か? ほの様子らと魔術師ら魔力を貯めておふものひゃらいのか」

 口いっぱいの揚げ物をもぐもぐと咀嚼しながら、セイバーオルタがそのペンダントをつまみ上げる。

 その見解は正しい。それは正真正銘、魔術師が余剰分の魔力をストックとして貯めておく為のものだ。

 ……だが、

「その通りだよ騎士王。だが魔力を込める器の割には中身が空、宝石としての価値も大したものではない……だが何故か、この腐った魂が決して手放すな、と言っているような気がしてな……今もこうして手元にある訳だ」

「んっ、んっ、んっ……ふう。だそうだぞ。何か知っているのか、コック」

 ジャンクをコーラで胃へと流し込み、淡々と是非を問いかけるセイバーオルタ――ああ、この時ばかりはオルタ化した君を恨もう、セイバー。少しは空気を読め。

「……それは」

 しかし、だ。

 そのペンダントは私を英霊たらしめているものとも言える。そのペンダントがなければ、オレは、今ここにいることすら叶わなかっただろう。

 オレ(おまえ)は、それさえも忘れてしまったと言うのか。

「……っ」

 込み上げてくる吐き気を意地でなんとか飲み込む。この胸の裡より噴き出るおぞましい衝動は、おそらく怒りではない。

 目の前の男は、オレはおろか切嗣でさえ届かなかった、正義の味方の最終地点だ。

 人間にとっての善悪の秤など、突き詰めれば「人命の量」に定義される。

 一人でも多くの人間の命を救う、というたった一つの目的に腐心した結果、それだけの機能に特化した、ヒトの形をした自動機械。

 一組の夫婦を助ける為に彼らの一人娘を目の前で惨殺する。

 101人の人命を生かす為に、100人の人間を事務的に鏖殺する。

 人類の存続の為に無辜の100万の命を、裁断機にかけるように止めていく。

 その為ならばどんな手段も厭わない。自分が死ぬ事で一人の命が助かるのならば、どんな惨めな死に様でも受け容れるだろう。

 オレも似たような事をした結果こうして英霊の座についたが、彼のそれは最早病的を通り越して義務と化している。

 全ては人類の為に。

 他人への献身の果ての果て。

 そこに自分の意志など微塵もない。

 そんな事を続けていれば自己なんてものはいずれ破綻するのは明確だ。呼吸をし、考え、あまつさえヒトの形をしているはずの彼が、自分のことさえ胡乱としているのはその為だ。こいつの記憶は現在進行形で粉チーズのように削られ四散している。行き着く先は名も形も声もなき人類存続の為だけの遂行者。

 戦慄に全身を怖気が襲う。

 こんな人間がいていいのか。

 機械だなんて言葉すら可愛く思える程の徹底した一途。機械だって故障すれば止まる。だがこいつは、故障どころか消滅するその瞬間まで目的を果たすことしか考えない類のものだ。

 しかもそれは、オレのひとつの結末だと言う。

「……さて、ね。心当たりはないが」

 今すぐにでもその額に剣を突き立ててやりたい衝動を抑え、やっと絞り出した言葉はそんなものだった。

「ふっ、その様子だと知っているようだが……言いたくないのならば言う必要はない。別に俺も知りたくはない」

 知ったところで十分後には忘れているだろうしな、と自虐的に嗤う。

 またも無意識的に殺意が身体中に満ちる。彼が何かを喋る度にこれだ。もはや条件反射に近い。

 今はっきりと自覚する。オレは、目の前のオレ(こいつ)を今すぐにでも消してやりたいと思っている。

 その湧き上がる感情の名は、憐憫や憤怒ではなく、おそらく自己嫌悪。オレ(こいつ)を見てはいけない、と根源からの本能が告げている。

 ――だが。

「……それは、オレがオレである為に必要なものだ」

「ほう? それは滑稽だな。俺みたいなのにもルーツなんてものがあったのか」

 目を逸らすな。

「それが何なのか、思い出す必要はない……だが無くさずに持っていろ」

 何しろこれは、オレが望んだことの欠片だ。

 後悔する為に英霊となった訳ではない。

 忌々しいことに、目の前の男と望んだものに違いはありはしないのだ。それを否定してはいけない。

 目を背け忌避することは簡単だ。だがオレは、オレ(こいつ)を認めなければならない。

「それを蔑ろにしたら――」

 それに、末期の痴呆よりも進んだ記憶障害の中、それでもそのペンダントを手放さなかったと言うのなら。

「おそらくオレ(おまえ)はエミヤという名すら消え失せる。名のない英霊に座は用意されない。行き着く先は完全な無だ」

 オレ(こいつ)は、間違いなくオレ(エミヤ)だ。

「……クッ、ハハハハハハハハ! 成る程な。俺がどうあってもこいつを手放せんのにはそんな理由があったか。まだ俺にそんな人らしい部分が残っていたとは驚きだよ。だがまあ――逆に言えばこいつを手放せば俺はようやく消える事が出来る訳だ。為になる話をありがとう」

「…………」

「は、冗談だよ、怒るな。俺は飽くまで目的を持ち、それを遂行する機能を持つ生きた屍だ。人命の為ならばまだしも、意味のない自殺など許されてはいないからな」

 初めからそんな気などない癖に、自嘲と共に吐き捨てる。

 ああ、本当に――見ているだけで吐き気がする。

「くだらん自己問答は終わったか?」

 そんな我々に、スナックの大半を胃袋に収めたセイバーオルタが、唇についたタルタルソースを妖艶に舐めながら訊く。

「せっかく食堂に来たのだ。過去の自分が作った飯でも食うといい」

 彼女にしては珍しく、自分の皿を私のオルタに突き出し(とは言え既にほぼ空だが)そんな事を言う。

「遠慮しておく。今の俺に食事など意義を見出せん」

「いいから食え。私が何の為に貴様をここに連れて来たと思っている」

「……? それは先程自分で言っていたろう。新宿で世話になったと、」

「馬鹿者。私がそんな事くらいで貴様を連れて来る訳あるか。鈍なのは反転しても変わらんようだな……第一、貴様なんぞいなくてもあのマスターに私とカヴァスⅡ世がついていたのだ。人理修復程度、朝飯前に成し遂げたろうよ」

「――――」

「大体、貴様のような辛気臭い輩と誰が好んで飯を食うか。せっかくの料理が不味くなるだけだ」

 それならまだガウェインのフルコース料理を食っていた方がマシだ、とポテトをつまむセイバーオルタ。

「……ふ」

 対する私のオルタは目を細め笑いを返す。その笑みが自嘲なのかセイバーオルタに向けたものなのかは、私でもわからなかった。

「貴様の気遣いは余計な世話として受け取っておこう。だがその食い物はいらん」

「頑固な奴だな。私の勧めたものが食えんのか。それともかつての自分が作ったものだからか?」

「いや、食えない訳でも食いたくない訳でもない……実を言うとな、俺には味というものがもう既によくわからんのだよ」

「……そうか」

 人としての機能を限界まで削ぎ落とした結果だろう。味もわからんのに人の料理を食いたくはない、という想いは私にもわかる。

 セイバーオルタも同意なのか、最後の白身魚のフライを飲み込むと神妙な様子で油で汚れた口周りを拭く。

「騎士王よ、勧めてくれたものを食えん代わりと言っては何だが、俺にひとつ料理を作らせろ。ろくでもない出会いを演出してくれた礼だ……必要ないと思うが一応聞いておく。まだ胃袋に空きはあるかね」

「ほう……そこまで言うのならば受けて立ってやろう。騎士王たる我が寛容な腹は貴様の料理をも許容する。忌憚無く作るがよい」

「それは光栄だ。投影(トレース)開始(オン)……さあ、どけ」

 無骨なエプロンを投影し、こちらに向かってくる私のオルタ。セイバーオルタの膳立てもあり、私ではキッチンへと侵入してくるのを止められそうもなかった。仕方なく一歩引き場所を譲る。

 正直、純粋にどのようなものを作るのか、という好奇心はあった。何しろオルタとはいえ、年を経た自分だ。

「…………」

 何をする気かと思いきや、私のオルタは冷凍庫を開け、未だ未開封のバターを取り出した。無塩バターを使う、と言うのならばまだしも、普通のバターだ。

「おい、バターならば上の冷蔵庫に使いかけのものがある。そっちを使って――」

「黙ってろ」

 私の指摘も一言の下に切り捨て、続いて取り出すのは竹串、パッド、鍋に油。

「おい……何をするつもりだ」

「何、とは異な事を。今言ったばかり、厨房でする事など料理以外にあるまいよ。それが人理修復という大役を背負った機関の厨房を任された者の言う事か?」

 などと皮肉を撒き散らしながら、次々に準備を済ませて行く。薄力粉に卵に粉砂糖、シナモン、ハチミツ、チョコレート、生クリーム、練乳……菓子でも作る気か?

 それにしてはあまりにも素材が多過ぎるが……想像出来そうなのはケーキあたりが有力だ。が、今から作るとなると時間がかかり過ぎる。セイバーオルタならば痺れを切らして厨房ごと斬り捨てかねん。

 カルデアの食事事情を護る為にも、私が何か繋ぎでつまみでも――などと思っていると、

「なっ……!?」

 思わず驚嘆の声が漏れる。

 私のオルタは、何をとち狂ったのか薄力粉を卵と水で溶いたものに竹串を刺したバターを突っ込んだのだった。

「貴様、まさか……!」

「クク……そうだ、そのまさかだよ」

 凶悪に歪んだ笑みを私に投げ捨て、私のオルタはそのバターを十二分に加熱した油へと投入する。

 そう、かの悪名高き揚げバターである。

 バターに衣をつけ揚げることにより中のバターは溶け、揚げパンのような食感を持つ塊と化す。その凄まじい油の重厚さとバターの風味は病みつきになる者も少なくないと聞く。だが、そのとてつもないカロリーは最早人間の摂取していい範疇を超えている。

 ただでさえ脂肪酸と油分の塊であるバターを更に油で揚げるのだ。想像するだに恐ろしい。

 私が戦慄している間にも私のオルタは調理を進めて行く。きつね色に揚がったバターを、パッドに敷き詰めた粉砂糖やシナモンと絡める。

「ぐっ……」

 食べてさえいないのに、まるでフォアグラになることを約束された鴨になった気分だ。それ程までに目の前に繰り広げられる惨劇は、私に衝撃を与えていた。

「脇でぶつぶつと五月蝿い奴だ……これでも食ってろ」

「ぐむっ!?」

 揚げバターの欠片を目も止まらぬ速さで口に入れられる。

「ぐ、お……!」

 口内に入れた途端、弾け溶けるバター。

 眩暈を憶える程のどぎつい砂糖と蜂蜜の甘み。

 鼻腔を越え、脳にまで届きそうな程に広がるバターの香り。

 同時に全身から多幸感が湧き上がる。ドーパミンやエンドルフィンといった脳内麻薬が次々と精製されていくのを体感する。そう、脂肪や甘味というものは舌で感じることで脳内麻薬を発生させる働きを持つ。

 とてつもないカロリーと甘味に人間としての理性が危機を告げている。こんなものを食べていたら身体を壊す、と。

 だが二度と食いたくないと思う反面、脳がどこかでもう一度この刺激を、と求めている。先ほど言った脳内麻薬に加え、通常では考えられない膨大なカロリーという背徳感がその思いを更に増長させていた。人は禁じられたものほど魅力を感じる。食事というカテゴリにおいて、その点でこの揚げバターに勝るものはない。この場において断言しよう。

 ああ――これは、人を退廃に誘う、悪魔の料理だ。

「そら、出来たぞ騎士王」

「砂糖にシナモン……デザートか。香りは香ばしくて良いな」

「トッピングに練乳や生クリーム、チョコレートソースも用意してある。好きにかけて食え」

「用意がいいな。ではいただこう」

「待て、や、め……!」

 狼狽えている私を後目に、アメリカンドッグに似たそれをセイバーオルタに渡すところだった。

 オルタとはいえ、あのセイバーがこの料理に毒されるような事があればカルデアは終わる。

 具体的には、女性陣を中心としたカロリー抗争によって。

「ふむ……」

 私の手は虚しくも空を切り、セイバーオルタはこんがりと揚がった生地に歯を立てる。

 がじゅ、と氷を噛むごときありえない咀嚼音が食堂に響き渡る。

「これは……!」

 ひと口、口にした瞬間にセイバーオルタが目を見開く。

 駄目だ、やめてくれ。

 いくらジャンクフードが好きな君と言えど、そんな悪魔に魂を売り渡した料理を気に入ってはいけない。

「油の味しかしない……なんだこのジャンク具合は。私でも引くぞ、おい」

「気に入らなかったかね?」

「いや、吐き気を催す程にうまい。揚げ物だから甘いトッピングが非常に合う!」

「それは結構。存分に味わいたまえ」

 気に入ったらしく、揚げバターに生クリームを絞りかぶり付くセイバーオルタ。

 ああ――もう、おしまいだ。

「これはあらゆるジャンクの辿り着く最果ての地だ。今ここにこの菓子を畏敬と誹謗を込め、塵芥集いし反理想郷(ジャンクオブアヴァロン・モルガン)と名付けよう」

 この光景、円卓の騎士が見たら何と言うだろうか……想像には難くない。

 ガウェインは目を背けつつも王を肯んずるだろう。

 ランスロットは涙を流し王に諫言を放つだろう。

 トリスタンは涙ながら弓を弾くだろう。

 ベディヴィエールならば全力で止めてくれるに違いない。

 モードレッドは……父上が食うならオレも食う、などと言いかねんな。

 マーリンあたりは爆笑しそうではあるが。

「しかしこれはいいな……後でマスターにも食わせてやろう」

「作った俺が言うのも何だが、それは酷だ。やめてやれ」

「ああ、マシュが悲しむ」

「?」

 サーヴァントの身体ならばともかく、マスターは普通の人間だ。食える以上毒とまでは言わんが、そら若い女性にとっては天敵に違いない。マスターの事は人間としても魔術師としても信頼しているが、悲しいことに食に関してはあまり信用が置けない。ひょっとしたらセイバーオルタ同様、悪魔の誘惑に負ける可能性がある。その結果マスターがカエサルのような体型になってしまったら、私はマシュに合わせる顔がない。

 その点においては私のオルタも同意見らしい。ならば最初から作るな、と言いたいところだが、おそらくこれは私に対する嫌がらせの類だろう。

 しかし、自分のオルタというものは初の邂逅だったが、厄介なものだ。自分のことなので、何をすれば一番嫌がるかもわかってしまう。

 と、セイバーオルタが揚げバターをぺろりと平らげて満足気に一息つくところだった。

「うむ、うまかった。おかわり」

「俺はもう二度と料理などしない。今回は特別だ。頼むならオレ(こいつ)に頼め」

「そうか、ならば――」

「私は何があってもそんなものは作らないからな」

 セイバーオルタの言葉を遮り、一刀両断の下に付す。こんな堕落の代名詞のような菓子、作る気も起きないし頼まれても嫌だ。

「むう、私にこのようなジャンクの極致を味あわせておいて酷なことを言う……まあいい、ご馳走は簡単に手に入ってもつまらん。またの機会を待つとしよう」

 セイバーオルタは珍しく引きつつも不穏なセリフを吐いていた。今後、何かしらの取引の際に揚げバターをカードとして使われるのかと思うと眩暈がした。

「やってくれたな……」

「はっ、俺がまともな料理を作れる訳ないだろう」

 まるで悪役のように頰を歪ませ笑う私のオルタ。

「美味い飯を作って皆に振る舞う。それを皆が喜んで食う。そんな生温い展開は貴様の領分だ。俺にはもう出来ん」

「…………」

 素直じゃないのはお互い様、か。

「おいコック、甘いものを食ったせいで塩辛いものが食べたい」

「やれやれ……わかったよ、何がいいんだ?」

「そうだな、気分的にピザがいい。ピザを所望する。トッピングは任せよう」

「了解したよ」

 ピザは作るのも楽しい。ここはセイバーオルタの味覚を矯正する為にも、ひとつ気合を入れて作ってやろう。

「おい、手が空いているのなら手伝ったら――」

 どうなんだ、と、セイバーオルタを堕落させた贖罪の場を与えてやろうと私のオルタに声をかける――が、

 そこにはもう奴の姿はなかった。

 二度とここに来ることも、きっとないのだろう。

 

 

 



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和風甘藍ぶぶ茶漬け

土方歳三メインです。


 

「邪魔するぞ」

 ある日、食堂でグラスを拭いていた私の下に、低く良く通る声が響く。

「ああ、いらっしゃ――――」

 反射で入り口に視線を寄越す。と、視線が釘付けになると同時に思わず手が止まってしまった。

 そこには一メートルはありそうな巨大な樽を肩に担ぐ土方歳三その人の姿。

 土方歳三。バーサーカーのサーヴァント。

「……土方、なんだそれは」

「たくあんだ」

 純粋な疑問から出た問いに対する答えはあまりにも明瞭だった。

 しかし、たくあん?

 あの巨大な樽一杯にたくあんを漬けたとでも言うのか?

「あんたにはここで何度も飯食わせて貰ってるからな、その礼だ」

 確かに土方の言う通り、彼はカルデアに召喚されてからよくここで食事をしている。なんでも本人曰く、長年続けて来た食事という習慣を、摂る必要がないとは言え疎かにすると気持ちが悪い、との事らしい。なるほど、生活のリズムが崩れるといつもの力を出せないという理屈はわかる。合理主義の彼らしい考えではあるが――。

「そんな事をする必要はない。私は趣味でここで食事を提供しているだけだし、他の誰からも見返りなど受け取っていない」

「……そうか。それじゃ、これも俺の実益を兼ねた趣味だ。裾分けとして、ここの食料の備蓄にでもしておいてくれ」

「わかった、ならばありがたく受け取ろう」

 そうまで言われては無碍に断る理由もない。信長や茶々も喜ぶだろう。

 巨大な樽を受け取り、厨房の隅に安置しておく。予想通り中身は米糠と大根で詰まっているのだろう、相当な重さだった。

 しかし、明治と言えば武士という生き物が絶滅した時代だ。武士道も薄れかけた時代の人物にしては随分と義理堅い男だ。

「ついでに何か食べて行くかね? そろそろ昼餉の時間だ」

「そうだな……じゃあ、茶漬けをくれ」

「信長や小次郎もそうだが、揃いも揃って茶漬けが好きだな君たち武士は」

「作るのも早い、食うのも早い、冷えた飯も美味く食える。戦場では持って来いだからな」

 土方は自分で漬けるだけあってたくあんが好きだ。ここで食事をする時も欠かさず食べている。ならば漬物であれば好みはあれど、大抵のものはいけるだろう。

 大きめの器に白飯を盛り、床下収納から手製の漬物を乗せ、番茶の代わりに昆布と鰹節でとった出汁をかける。箸休めとしての単品の漬物も忘れない。

 余談ではあるが私もここで漬物はいくつか漬けている。作る手間も少なく保存の効く漬物は兵站の面でも非常に有用だ。

「漬物が好きならば、たまには趣向を変えてこういうものはどうだ?」

「なんだこりゃ、萵苣(ちしゃ)か?」

「似てるが違う。キャベツ……和名で甘藍とか玉菜と呼ぶのだが、食べた事はないか?」

「ねえな。見た事も聞いた事もねえ」

 土方の言うと萵苣(ちしゃ)はレタスのことだ。土方が生きていた頃にはまだキャベツは日本になかったのだろうか。

 今回使用したのはキャベツを乳酸発酵させたドイツの漬物、ザワークラウトである。

 未知の食材とは言えレタスに似ているため抵抗は薄いのか、ザワークラウトを一枚、箸でつまんで口に入れる。

「ほう……萵苣(ちしゃ)とは舌触りが全然違うな。微かな酸味も悪くねえ」

「そう言ってもらえて何よりだ」

「だがやはり歯応えはたくあんには劣るな。漬物は歯応えが命だ」

 それは、肉厚の大根と葉野菜のキャベツを比べられても困る。だが漬物は歯応えが命、という点は同感だ。

 外国での漬物の立ち位置はよく知らないが、日本食においては食感と塩味によって食卓に彩りを与えるものだ。白飯だけの食事でも、漬物ひとつあるだけで箸の進み具合は天と地の差ほど出る。

「蝦夷にも行ったが、世の中にはまだ知らねえ食い物は多いな」

「興味本位で聞きたいんだが、貴方の時代では主食は何を食べていたんだ?」

 私は料理自体は好きだが、料理の歴史に関してはあまり詳しくない。どの時代でどんな食物が主食だったのか、と問われてもすぐに答えられない自信がある。

「そりゃ地域によるだろ。俺が日野にいた頃ぁ小麦が多かったから、毎日うどんとか饅頭ばっかりだったな。京の飯も美味かったが、俺たち田舎の芋侍には味が薄くてな……原田なんかは飯に塩ぶっかけてたよ」

 かつての食事風景でも思い出したのか、土方は珍しく仏頂面を僅かに緩ませる。原田とはかの原田左之助の事だろうか。

 新撰組――か。

 土方歳三という人物を生涯単位で見ると、その生き様は新撰組筆頭の剣士・沖田総司よりも荒々しい。

 新撰組副長となった際はその厳しさから鬼と呼ばれ、局長近藤勇が亡くなり隊員が離散した後も、思想の刃先を違えず一直線に新撰組の為に戦い続け、最終的には函館五稜郭にて戦死している。新撰組に属してから死ぬまで自ら戦場へと向かっているところを見ると、何がそこまで彼を突き動かすのか、という妄執に近いものを感じる。剣を武器に戦う彼がセイバーではなくバーサーカーで召喚された理由も、そんなところにあるのやも知れない。

 沖田総司がいるとは言え、浅葱の羽織も着ずに英霊となった後も戦場をひた求める彼の心中は、私などでは察する事も出来ない。

「どこまでも戦いを続けるその姿勢……強いな、貴方は」

「諦めが絶望的に悪ぃだけだ。それに、これ以外の生き方を知らん」

「一つの理想を折らずに生涯を終える者は少ない。英霊となった後も貫き続けられる者はもっと少ない……例えば私などは、理想を貫き通したと思っていたら、結果は全く逆のものになっていた」

「……理想なんて大層なもんじゃあねえよ。それにこれは、もう既に俺だけの問題じゃねえ。ここには近藤隊長もいねえ。斎藤も原田もいねえ。だが――戦場があって、護るものがある以上、ここは新撰組だ」

 戦う場所も時代も問わない。

 誰か一人でも志を共にする者がいればそれでいいと土方は言う。

「それに、ここには沖田にマスターの小娘って金棒もいる。マスターは貧弱だがあの歳の小娘にしちゃああり得ねぇ程に肝が据わってやがる。勝負度胸も充分だ。今はここが俺の新撰組だし、俺と沖田が消えてもこの時代を生きるマスターがまた誰かに受け継いで行く。この未来(さき)も、誠の一文字は終わらねえよ」

 例え自分が志半ばで倒れても、それを引き継いでくれる人間がいる。当時の土方がそうだったのかどうかはわからないが、ここではマスターと沖田がその役目を果たしてくれる。

 切嗣もそうだったのだろうか。

 私は、その役目を立派に果たせているか?

「それに――今の沖田は、俺たちの無茶に付き合わせてた頃のあいつとは違う。昔の沖田だ」

「昔、とは?」

「沖田は女だがあいつの剣は人外魔境、妖術の類だ。そこに余分な気遣いや気負いがなくなっちまったら、もう誰も勝てねえ。新撰組が結成される前、試衛館で毎日泥まみれで笑いながら洟垂らして剣振ってた沖田がそんな感じだった。こいつは俺の予想だが……ここの仲間とやらが、いい感じにあいつの邪気を祓ってくれたんだろうよ」

「…………」

「あいつには随分と無茶させたし、芹沢や山南の件やら何やら、嫌な役目も負わせちまったからな……今の無垢なあいつを見てると……少し、羨ましい」

 その悔悟に近い告白に面食らってしまう。身内に厳しいと噂の土方歳三が、本人が不在とはいえそんな事を言うとは思いもしなかった。

 そんな私の心中を読み取ったのか、こちらを一瞥すると不機嫌そうに舌打ちをして顔を背ける土方だった。照れ隠しなのか、茶漬けを一気にかき込んで席を立つ。

「……喋り過ぎた。俺らしくもねえ」

「そうだな。私も忘れるとしよう」

「そうしてくれ……ご馳走さん」

 鬼の副長と言えど人の子だ。

 誰かに頼りたい事もある。何かに背を預けたい時もある。

 だが人はそう簡単には強くなれない。土方の場合は、規律や心構えを厳しく縛り付けることで強さを得た。先ほどの独白は、自ら平穏への逃げ場を無くした土方の、僅かに残った人間らしい部分なのだろう。

 と、

「あっ、土方さんいました! 土方さん土方さん!」

 食堂の入口から騒がしく沖田総司が駆け込んで来た。土方を探していたらしく、少し息を乱している。

「なんだようるせえな、はしゃいで血ィ吐いたらてめえで掃除しろよ」

 呆れ顔で悪態をつきながらも沖田総司の声に振り返るその様は、どこか微笑ましいものがあった。

 いいものだな、かつて志を共にした友が同じ場所にいるというものは。

 共に暮らし、死地を潜り、理想を共有した仲間というものは、時として自分よりも信頼足り得る存在となる。彼らの間には性別も、年齢も、今や英霊であることすら関係がない。

 誠の一文字に掲げた理想は、隊員がいなくなろうとも、どれだけの月日が流れようとも朽ちはしない。そんな夢物語のような在り方を、その愚昧とも言える不器用な生き方で実現したのだ、この男は。

 彼だけの手腕ではない。勿論沖田の手助けもある。

 それだけに、土方にとって沖田とは掛け替えのない存在なのだろう。

 と、その掛け替えのない仲間が後ろ手に何かを隠しながらにやにやと土方の前に立っていた。

「うふふ、ふふ、うふふふふ……!」

「……気持ち悪ぃ笑い方するんじゃねえ。変なもんでも食ったか?」

 自前の病弱を気にしているのか、と邪推してしまうくらいに常時笑顔の絶えない沖田だが、土方の言う通りその笑顔には邪心が見え隠れしていた。正直、土方の言う通り気持ちが悪い。

「うえへへへぇ、これ、なーんだ?」

 と、沖田は背中から一冊の本を満面の笑みで広げて見せる。その紙面には等間隔で何行か文字が書かれていた。文字が達筆すぎて一見、なんと書いてあるのか現代人である私には読み取れない。

「あん? なんだこりゃ……俳句か?」

「あっ……」

 思わず声が出てしまう。

 沖田が持って来た本の背表紙が目に入る。

「――――――――」

 何が書かれているのか理解したのだろう、土方が硬直し絶句するのが背中越しにも感じ取れた。

 その本のタイトルは【豊玉発句集】。

 何を隠そう、あの新撰組の鬼の副長・土方歳三の俳句集である。その作品の中には恋を綴ったものなどもある。

 土方歳三は俳句が趣味で、ひとり部屋に篭っては俳句を詠っていたことが多々あったそうだ。豊玉とは彼の俳号で、彼が実家に置いて行ったものが、最近になって刊行されたのだ。

「さっきおヒゲのナイスミドルに教えてもらったんですが、あの鬼とまで言われた土方さんが! こんな! 私でも詠まないような乙女な俳句を詠んでいたなんて!」

「――――――――」

「うふふふふふ……! 昔はよく隊のみんなで川柳合戦して遊びましたねぇ。これ、原田さんや近藤さんあたりが読んだら何て言うでしょうねえ?」

「――――――――」

「おい沖田、その辺にしておけよ……」

 かつての厳しい上司であった土方をからかうネタを見つけたのが相当嬉しいのか、ねえ土方さん今どんな気持ちですどんな気持ちです?とまくし立てる沖田を諌める。このまま続けたら土方が怒り心頭に発するのは目に見えている。

 俳句を詠むこと自体はあの時代では嗜みのようなものではあるが、その内容にもよる。

 鬼という二つ名で諡された土方歳三が恋愛を詠んだものなど、本人にとっては黒歴史ノートを全国に開帳されるようなものだろう。

 しかし沖田の言うヒゲのナイスミドルとはシェイクスピアの事か?

 人間模様を観察するのが彼の趣味とはいえ、余計なことをしてくれたものだな……。

「――選べ、沖田」

「へ? 選べって……何を」

 長い静寂の後、地獄の釜の底から響くような低音を、土方が喉から絞り出した。

 と同時に、すらりと佩刀していた刀を抜き、切っ先を沖田に向ける。その厳しい表情は、鬼と呼ばれるに相応しく。

「かつての同志として、せめてもの情けだ……俺に斬られるか、自分で腹切るか、選べ」

「ちょ、ちょっと土方さん! この本出したのは私じゃないですよ!?」

「知るか、関係ねえ――――新撰組局中法度其ノ一、『士道ニ背キ間敷事』」

 土方の眼は本気だった。新撰組の鉄の掟を破った者は例え幹部であろうとも切腹を命じるような男だ。まだ子供と呼べる年齢からずっと同じ釜の飯を食った仲間とは言え、冗談が通じる相手ではない。だからやめておけと言ったのだが……。

「い、いいんですか!? 私に手を出したら新撰組のみなさんを召喚しますよ!? この本が新撰組全隊員に知れ渡っちゃいますよー!?」

 と、全力の逃げ腰で怯えながら、英霊沖田総司の宝具である誠の旗を取り出す。あの旗は新撰組の面々を単独召喚する破格の代物だ。恐らくはこうなることも予測して、対土方用宝具として用意してあったのだろう……が。

 まさかいくら沖田でもこんな身内揉めで使いはしないだろうし、そんな脅し文句が土方に通じると言われれば――。

「面白え、やってみろ」

「ファッ!?」

「おら、早く喚べよ。丁度いいじゃねえか、誰とは言わんが直接ぶった斬ってやりてえ奴もいた事だ……全員三枚におろしてやらァ!」

「ヒイイイイイイイイ!」

 ……予想通りすぎて清々しいくらいだった。もはや止めること叶わずと悟ったのだろう、途中からガタガタと震え出した沖田は背を向けて一目散に逃げ出した。

「てめえ、待ちやがれ沖田ァ!」

「すいませんごめんなさい許してください土方さああああん!」

「逃げんじゃねえこらァ! 腹切れ、てめえこの野郎!」

「ハラキリは嫌ですう! 助けてノッブ! 助けてマスt――ごはふぁ!?」

 喀血しながらも血を撒き散らし食堂から飛び出していく沖田に、それを追う土方。

 まともに対峙すれば剣の腕では沖田が勝つのだろうが、長い期間をかけて培った上下関係というものはそう簡単に覆せない。いくら剣の腕が上がろうとも、頭が上がらない相手にはあんなものだ。

 本人にとっては死活問題だろうが、何か微笑ましい光景を見た想いで、土方のくれた樽の蓋を開ける。米糠にまみれた薄く色のついた大根のたくあんを一本取り、端を切って口へ運んでみる。

「……ふむ」

 特別変わった味はしない。だが歯応えや塩加減はちょうどよく、昔ながらの素朴でお手本のようなたくあんだった。好きこそ物の上手なれ、との格言通り、趣味で作るだけのことはある。

 さて、落ちもついたことだ。私はこの血まみれになった床を片付けて、厨房の主としての職務を果たすとしよう。

 



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ブリテン流野菜煮込み

ナイチンゲールとアルトリアオルタ(槍)です。


「つ……っ」

 ある日キッチンで届いた食材の仕分けをしていたところ、上腹部がちくりと痛みを訴え、思わず腹を押さえる。いつもの胃痛だ。程度は軽いものの、突然やってくるこの痛みにはいつまで経っても慣れることができない。

 原因はわかっている。ストレスだ。

 カルデアはそのシステム上、あらゆる英霊が召喚される。そのこと自体は人理修復において非常に有用なので構わないのだが……何故か私に縁のある者が非常に多いのだ。

 元々英雄であるアーサー王や第五次聖杯戦争の面子はまだいいとしても、義父である切嗣、アイリスフィールやイリヤスフィールも何故か他人とは思えない。

 擬似サーヴァントではあるもののイシュタルはどう見てもあいつだし、ジャガーマンに至っては口にすることすら億劫だ。更に上乗せで私のオルタまでついこの間召喚された。私の安寧は一体どこにあるのか、と根源に問い質したい。

「どうしたエミヤ。体調不良か」

 アルトリア・オルタ。

 セイバーであるアーサー王よりも少々年を経た姿であり、ランサーのクラスで召喚されている。こちらも本来の姿と同様にオルタが存在し、それが彼女だ。

「ああ……少々、胃が痛くてな」

「ふん、軟弱者め。胃痛など強靭な精神力を持てば発症せん」

「あいにく、私は君のような王でもなければ小心者なのでね……」

「馬鹿者、人に強弱あれど貴賤も上下もあるものか。貴様が不調で寝込むような事があればここでの数少ない私の楽しみが減る。せいぜい静養せよ」

「……そうだな、そうするよ。ありがとう。だが心配される程の事ではない」

「そうか、ならば良い」

 私の胃痛を嘲笑するかのように、夥しい量のステーキを次々と腹に送り込みながらオルタは言う。彼女の楽しみとは言うまでもなく食事のことだ。

 セイバーのアーサー王との違いと言えば晩年の姿を反映したお陰で年相応に落ち着いており、オルタになってもそれは変わっていない。普段ならば他人の体調など微塵も気に掛けないオルタが、言い方はともかくこのように私を気遣うのもその為である。

 加えて体型もかなり変わっている。具体的にはそのはち切れんばかりの胸部なのだが、その辺りは双方の為にも追求すべきではないだろう。

「次」

「まだ食う気かね……」

 優雅に口元をナプキンで拭きつつ追加注文をするオルタだった。先程からステーキだけを食べ続けているオルタだが、その枚数は現時点で実に十枚を超えている。その食材となる牛は彼女が直接レイシフト先で狩ってきたものなので、カルデアの食費を心配する必要がないのは救いなのか、用意がいいと呆れるべきなのか……。

「このステーキという調理法は実にいい。フィレ、ロース、リブ、サーロイン……それぞれが違う魅力と個性を持ち私の舌を飽きさせぬ。ステーキさえあればカムランで果つることもなかっただろう」

 それは言い過ぎだろうが、ステーキの命は焼き加減と下味だ。アーサー王の時代では食物と言えば保存が第一なので、そんな生に近いマットな食感を楽しむ余裕などなかったと予想できる。現代ほど衛生観念も定着しておらず、菌の存在も知られていない時代、生で食べて食中毒にでもなった日にはそれこそ死に直結する。美味い食事と命ならば、どう考えても後者に旗が上がるだろう。

「焼き方は?」

「そうだな……現代で規定されている焼き方の一通りは食ったか?」

「ああ、残ってるのはロー……いわゆる生くらいだが」

「生食ではステーキとは言えんな。では最後に食ったブルーレアとやらがいい。あれが一番うまい。まとめて十枚ほど順に焼いてくれ」

「了解だ」

 ステーキには焼き加減というものがある。一切火を通さない生を指すローに始まり、ブルー、レア、ミディアム、ウェルダンと後に行く程焼く時間が多くなって行く。

 オルタの言うブルーレアはその名の通りブルーとレアの中間。時間にして両面を数十秒ずつ焼くだけのもので、中心はほぼ生、どころか生そのものだ。よほど新鮮でなければ出来ないが、刺身やユッケなどが好きな者はそのマットな食感に虜になること請け合いだ。

 予め五百グラム単位で下拵えした肉を取り出し、ミルで塩を振る。フライパンで強火にて数十秒ずつ肉を焼き、すぐさまアルミホイルに包みそのまま数分置く。こうすることで肉汁を内部に閉じ込めつつ、余熱で肉の中心にも火を通すことが可能となるのだ。

「お待たせ。バターもつけるかね?」

「うむ」

「つ……」

 と、固形バターを用意したところでまたもやちくりと胃痛が襲う。仕方ないこととは言え、自分の精神の弱さに少々呆れるばかりだ。

 私も鋼の心が欲しいものだ……何があっても一切揺れないとまでは行かぬとも、せめて胃痛にならない程度は。

「無理をするなよ」

「気遣いありがとう……薬を飲んでおくから大丈夫だ」

「そうか。いただきます」

 私への心配も束の間、オルタは出来上がったステーキにバターを乗せ、ナイフを入れる。それを後目に、ダヴィンチ印の胃薬を飲んでおく。成分は定かではないがよく効くので何錠か分けてもらったものだ。

「うむ……やはり肉は血が滴るほどの焼き具合がベストだな。ワインを持て」

「飲みすぎるなよ」

「いらん世話だ」

 冷めては全てがお終いだ、と言わんばかりの速度で肉を切り口へ運ぶオルタ。

 オルタ化しても私の体調を心配してくれるのは正直、恥ずかしくも嬉しい。その恩情に応えられるよう、心持ちも新たに万難を排するよう心掛けよう。

「何を笑っている、気味が悪い」

「いや、別に」

「失礼します」

 微かな喜びに浸っていると、食堂に来客があった。

 凛々しい顔付きに、静かでありながら有無を言わせぬ迫力を灯す瞳。

「遠目にお見受けしたところ、身体の調子が悪いようですが」

「いや、そんな事はない。私は至って健康だよ、ナイチンゲール女史」

 平静を装って返してみせる。

 何も嘘をつく必要はないのだが、相手が彼女となると話は変わる。

 フローレンス・ナイチンゲール。バーサーカーのサーヴァント。

 彼女は世界的に知られている看護師の代名詞だ。クリミア戦争にて多くの怪我人を治療し、クリミアの天使とまで称された献身の慈母。

 カルデアに召喚されてもなお、その伝説に違わず看護師としての役割を果たそうとしているのだが――彼女のクラスはバーサーカー。バーサーカーとして召喚され、加えて狂化スキルは最大級のEX。その結果、理性がものの見事に吹き飛んでしまった。

 最大レベルの狂化スキルを所持している割には会話も可能で意思疎通もできる……のだが、やはり所々でほつれは見える。具体的には、人の話を聞かず、その治療の手段が極端なことがある。

 衛生管理や怪我に対しまともに処置することが大半なのだが、時折、それが狂化の下に暴走する。

 モードレッドがキメラから受けた腕の怪我を、未知の病原菌が繁殖する可能性あり、と腕ごと切断しようとしたこともある。蚊に刺されたマスターの頬をマラリア感染の疑いあり、と患部ごと切除しようとした例もある。その時はマシュが盾の英霊の名に違わぬ鉄壁で守り抜いたので大事には至らなかったが。

 狂化してなお他人の治療を第一に考えるその生き様は大したものだが、とんでもない治療を施されるこちらはたまったものではない。

 なので、カルデアにおいては戦闘中以外はナイチンゲールに不健康なところを見せない、というのがいつしか暗黙の了解となっていた。風邪をひいた、などと彼女に知られたら殺菌と称してエタノールのプールに沈められる可能性が笑えない確率であるからだ。生前より結核持ちで病弱な沖田総司などは、一度肺を素手で摘出されそうになってからは、全力でナイチンゲールに遭遇しないよう過ごしているくらいだ。

「では先程飲んでいた薬の瓶を見せてもらえますか?」

「ぬ……」

 見られていたか。

 ダヴィンチのお手製なので瓶にラベルなどはないが、ナイチンゲールはカルデアの医薬品の類は全て検閲している。一方で有用な薬や医療道具を適切な見解から揃えているのも彼女なため、止める理由も考え難いのが難点だ。

 と、

「胃が痛いそうだぞ」

「おい、よせオルタ!」

 肉を頬張るオルタが横槍を入れる。

「胃……?」

 ききききき、とナイチンゲールの瞳孔が拡大していく音が聴こえる気さえした。怖すぎる。

「胃ですか。ならばまずは開腹しましょう。さあ、上着をはだけて」

「開腹!?」

「ご心配なく。痛みは一瞬ですので」

 それは死ぬということではないのか?

「ストレス性の胃炎は直接見なければ程度がわかりません。もし穿孔でもしていたら命に関わります! 場合によっては胃の全摘も――」

「ひ、必要ない! 確かに胃痛はあるが原因もわかっているし、服薬による対処も出来ている! それに穴が空いていたら流石に気付くだろう!」

「大病だったらどうするのですか!」

「お、おい!」

 狂戦士に相応しい怪力で私の服を脱がそうと、カウンター越しにエプロンを引っ張ってくるナイチンゲールだった。そのエプロンも虚しく断裁音と共に千切れる。

 いかん、仮にも食堂の主として、ここで素手解体スプラッタショーを催す訳にはいかん。

 ええい、これが嫌がらせや悪意からでなく、純粋な善意でやっているのだから余計に扱い辛い。

「オルタ、助けてくれ!」

「王は晩餐の最中だ。後にしろ」

「……貴女は何を食べているのです?」

 と、オルタが積む膨大な量の皿に気が行ったのか、私のエプロンだったものを捨ててテーブルへと。

 オルタには悪いが、九死に一生を得た気分だ。今のうちに薬を隠しておこう。

「見てわからんか、肉だ。やらんぞ?」

「結構です。それよりも夥しい量の焼いた肉に酒……貴女は自殺願望でもあるのですか!?」

「なに?」

「食事は大切です。人間の身体づくりの基本は食事と適度な運動に休息……しかし、貴女のそれは度を越しています」

「……よく聞け、我が誇り高きブリテンの看護師よ。我が異名はワイルドハント、嵐の王。かの海賊の長と同じ名を冠する王でありながら民を統べる異形だ。屠り、思うがままに喰らうのが我が在り様。加え、是は世界を救う戦いである。兵站の重要さは戦争に参加した貴女ならば理解できるだろう」

「何を言っているのかさっぱり理解できませんが、貴女に言いたいことはひとつ。お肉を食べたのならばバランスよくお野菜も食べなさい」

「おい」

 珍しいオルタの大見得もさらりと流される。

 まあ、オルタの言っていることも暴食に対する自己弁護でしかないのだが。

「私は現代に召喚され、栄養学も勉強しました。動物性たんぱく質は人体の構成に必要不可欠ですが、偏食は習慣病、ひいては死亡のリスクを高めます」

「……だが私はサーヴァントだ、健康など瑣末なこと。経口の食事による変化など――」

「サーヴァントは霊体ゆえに身体に変化がないと聞きますが、それも私に言わせれば眉唾物。偏った食生活が精神を蝕むことだってあるのです。加えて例え身体的成長が出来ずとも、精神的成長には如何なる時も充分に余地が残されています」

「だから、私は――」

「人とは進歩し続けない限りは退歩しているのと同じこと……目標を高く掲げ邁進しなさい!」

 微妙に会話の舵が逸れている気もするが、次々に健康についての正論をまくしたてるナイチンゲール。

 騎士王とは言えどオルタ化した身。そんなナイチンゲールの説教にさすがに堪忍袋の緒が切れたのか、

「黙れ」

「…………」

 と、険しい表情で、短くも相手を黙らせるのに充分な一言を吐き捨てた。何やら不穏な空気が食堂に流れる。

「貴様が医療の場において人命を助くる為に生涯をかけて尽力した事は聞いている。それ自体は素晴らしい事だ。かつての王として褒賞を与えるに足る偉業であることは間違いない。賞賛も感服もしよう。だが、私の享楽に口出しする権利は貴様にはない」

「…………」

「理解したのならば疾く去ね。肉が冷める」

 オルタ化しているからこその辛口だったが、彼女がここまで饒舌になるのも珍しい。寡黙にして威厳を以って相手を圧倒するのがランサーのアルトリアだ。オルタ化していない獅子王もセイバーのアルトリアに比べると口数は少ない。

 その理由は恐らく、ナイチンゲールの言に認めるところがあるからだろう。

「……ご存知かどうかは知りませんが、私は看護師としては有名ですが、医師ではありません」

 と、力押しの説法では逆効果と思ったのか、ぽつりとナイチンゲールが口を開いた。

「私は飽くまで看護師。極論を言えば人を生かすことも殺すことも出来ない。毒にも薬にもならないのです」

 ナイチンゲールという偉人の主な功績は、卓越した技術で傷付いた兵を治療した事ではない。端的に一言で表せば『病院内の衛生改善』だ。

 他にも患者のデータに統計学を導入したり患者のために病室を自ら設計したりと数々の偉業を成し遂げてはいるが、彼女の言う通り、それは間接的なものであり、病の根治を目指したり手術をして病巣を摘出することでもない。

「院内の環境を改善し、統計による事実を軍部に叩きつけることで総死者数を減らす事は出来ましたが、それとて根本的な解決にはなっていません。戦争において死者は必ず出ます」

「何が言いたい」

「医師ではない以上、私は直接的な治療は出来ません。いくら治療環境を整えても、首を切られた人間が生き延びる筈もない。不治の病に冒された者が快復する訳でもない。目の前で何も出来ずに、己の無力さに奥歯を噛み締めながら、病人が死んで行く様を見る日々――」

「…………」

「貴女に共感してくれとは言いません。これは私による私の為の戦い。それこそ人類が絶滅するまで、私のクリミアは終わらないのですから」

「戦そのものが、人間最大の不治の病と言うか。面白い事を言う」

「はい。いずれ全人類を殺してでも治療してみせます。それが私の戦いであり願い……ですが、争いを終わらせること――戦争という病の根治が出来るのは、貴女のような力を持つ者だけなのです」

「…………」

「その力と権利を持つ貴女が、快楽の為に不摂生に身を浸しているのを私は許せない。私は自分が狂っていることも自覚しています。狂っているゆえに私はこの救命衝動を理性で抑える事は出来ません。私の小言が疎ましいと仰るのならば、不摂生は私の目の届かない場所で――もしくは、私をその槍で貫いてからにしてくれませんか」

 それは、ナイチンゲールの狂戦士という仮面の下に隠れた激情だった。

 私は彼女に対しての評価を誤認していたと認めざるを得ない。私はナイチンゲールはバーサーカーであるがゆえに、得意の治療もまともに出来ず暴走しているのだと思っていた。

 そうではない。

 彼女はバーサーカーの狂化スキルが原因で治療の方式が極端なのではなく、元々治療の専門知識を持っていないのだ。だが英霊として全ての患者を救う、という信念のもと召喚された彼女は、是が非でも患者を治療しようとする。そして狂化スキルが普通では考えられないような突飛な方法を編み出すのを促進させるのだ。

 先ほどの私に対する行動もそうだ。胃が悪いのならば胃を無くしてしまえばいい、なんて考えは普通、少しでも医療に携わる者であれば浮かばない。だが先ほど口にした、全人類を殺してでも命を奪う戦争を止めて見せる、という絶対的な矛盾にすら本人は気付いていない。

 いや、気付いていないのではない。心の何処かでは全人類を死から救う事など出来ない、と諦観している。だが、救えるか救えないか――そんなことは彼女にとっては最早どちらでもいい。

 何故天使とまで呼ばれた彼女がバーサーカーのクラスで召喚されたのか長く疑問だったが、今ようやく理解できた。

 他人に対する、暴力的なまでの献身。そこには自分の身はおろか、治療する相手の事すら考慮の内に含まれていない。

 私は人類存続の為の掃除屋として近代の人間ながら英霊となった。その目的は単純明快、人の命を一人でも多く救う事。

 一方、彼女は似ているようで少し違う。例えばそこに二つの勢力による戦争がある状況下、私の場合は一人でも犠牲者の少ない選択肢を選ぶが、彼女は双方を皆殺しにすることで解決を図るだろう。それはそうだ、そこに人間がいなければ、人が死ぬ事はもうないのだから。無論それはバーサーカーだからこその考えだが、それ程までに彼女の救命への執着心は一線を画している。

『人を救う』という一点のみに生涯をかけ、病的なまでに固執した一人の女性が作り出したばけもの。それがフローレンス・ナイチンゲールという英霊だ。

 己の人生全てを献身に捧ぐ。それ自体は素晴らしい事だが、生半可な覚悟と精神力で出来ることではない。

 鋼の女――そんな言葉が脳裏をよぎる。

 その不屈の精神は、ここにいるどんな英霊よりも強く頑強だ。

「……貴様の言い分はわかった」

 と、目を閉じ、深い息をひとつ。

 かちゃり、とナイフとフォークを並べて置くと、オルタは僅かに口元を緩ませる。

「私の負けだ。今日の所は貴様の信念に敬意を評し身を引こう……だが今ここにある調理済みの肉を廃棄する事は許さん。これだけは譲らんぞ」

「それには同意します。では代わりに私がいただきましょう」

 と、満足気に目を細める。今日初めてのナイチンゲールの笑顔だった。

「おい、エミヤ」

「ん……なんだね?」

「野菜をくれ」

「……わかった」

 オルタに自らの意思で野菜単品を食わせる。これはある意味、人理修復よりも難しいことなのではないか?

 ジャンクをこよなく愛するあのオルタが自ら健康の為に野菜を摂る日が来るとは、円卓の面々ですら思うまい。

 野菜専用の大きな冷蔵庫を開け、中を眺める。ここはカルデアの食を担う場所だ。それ相応に量も種類もある。そうなると漠然と野菜と言われても少々困るのだ。

「そうだな……野菜と言っても様々だが、種類や調理法は何がいい?」

「食事に関しては無類の信頼を置いている。貴様に任せるとしよう」

「それは光栄だ。では、」

「私が選びましょう」

 何種類かサラダでも作ろうかと思っていた矢先、有無を言わせず厨房へと侵入してくるナイチンゲール。もちろん、私などが止められる筈もなく。

「エミヤさん、彼女が食べたお肉の量はいかほどですか」

 業務用の巨大な寸胴鍋に水を注ぎ、火力を最大にしつつ私に訊く。炊き出しなどに使う、直径と高さが五十センチ近いものだ。

 どうやら料理をする気らしい。タマモキャットの前例はあるが、彼女に料理など出来るのか?

「あ、ああ……五百グラムの肉を二十枚程と言ったところか」

「ご協力ありがとうございます。お野菜とお肉の理想的比率は二対一……」

 何かをうわ言のように呟きながら次々と各野菜を大雑把に十個単位で取り出して行くナイチンゲール。

 パプリカ、トマト、大根、青菜、じゃがいも。

「栄養素もバランスよく……葉菜、果菜、根菜を均等に」

 エンドウ豆、白菜、タマネギ、ブロッコリー、ゴボウ、アスパラガス。

「カリウム……マグネシウム……ビタミンC……カルシウム……」

 トウモロコシ、スイカ、小松菜、しいたけ、たけのこ。

「おい……ナイチンゲール?」

「これくらいでいいでしょう。では」

 何をするのかと思いきや、膨大な量の野菜全てを煮立ったお湯へと突っ込んだ。もちろん皮を剥くなんてことはしない。

「生野菜は消化も悪く、腸内で発酵しガスを発生させます。こうして茹でることで消化も良くなり食べることも容易となるでしょう」

「それは……そう、だが」

 ナイチンゲールの言っていることは正しいが、何もかもが間違っている。

 そんな様々な野菜を一緒くたに煮てどうするんだ、とか。皮を剥かないと食べられない野菜も多い、とか。まず前提としてそんな大量の野菜を人並外れた胃袋を持つオルタといえど食べられるのか、とか。お湯に塩すら入れていないところを見ると、本当に茹でて出すだけのつもりらしい。もはや潔すぎて突っ込む気力すら湧かない。

 と、ことの一部始終を脇で見ていたオルタが私に寄り添い耳元で呟く。

「おいエミヤ……嫌な予感しかしない。貴様は厨房の主だろう。なんとかしろ」

「私程度になんとか出来る状況だと思うのか?」

「いや……うむ……そう、だな……」

 これも自業自得か、と諦観の面持ちで目を伏せるオルタだった。オルタと言えど民を統べるブリテンの王。ナイチンゲールは時代こそ違うがブリテンの民に違いはない。王が一度口にした言葉を簡単に覆す訳には行かないのはわかる。

 ナイチンゲールが単純に自分の考えを押し付けるだけの自己欺瞞ならば、まだ反論のしようはあったろう。

 だが彼女は、狂化してなお他人の健康を気遣う、という献身の化身だ。そこには困ったことに、透き通るような純粋な善意しかない。オルタ化していようと、自分の身を慮る者の行動を一蹴することは出来ないのだろう。

 私とオルタがこれから起こるであろう惨劇に戦慄を覚えながらも立ち尽くしていると、水と野菜で数百キロはある鍋を片手で掴み、湯を流すところだった。凄まじい量の湯気が厨房に立ち込める。

 まるで蛙と蛇を煮込む魔女のようだ。オルタも間違いなく同じ感想を抱いているに違いない。

「私は料理の心得がないので無作法ではありますが、お野菜であることに変わりはありません。どうぞ」

 どん、と湯気の立つ寸胴鍋を目の前に置かれる。中身は言うまでもなく、茹だった様々な種類の野菜。食器に取り分ける様子もないので、このまま鍋に手を突っ込んで食えと言うことらしい。

 しかし、とんでもない有様だ。鍋の中は茹だってぐずぐずになったトマトなどもあり、あらゆる野菜の煮汁が混じり合い、形容することも難しい色合いになっていた。お世辞にも食欲をそそる色ではない。むしろ、何も知らない者が見たら魔術関係の薬か何かと思うこと請け合いだ。

「さすがにこの量を一度に食べるのはお辛いでしょうから、何度かに分けて召し上がってください。ですが、お肉を食べた分の帳尻は合わせなければなりません。これを全て食べきるまではお肉は食べてはいけませんよ」

「あ、ああ……」

「約束、ですよ」

 約束、の部分を強調してにこりと笑うナイチンゲール。聖母のような笑みが、今は悪魔の微笑みに見えた。

 役目は果たしたと言わんばかりに自分は食卓につき、先ほどまでオルタが食べていたステーキを頬張り始める。

「まあ……美味しい。美食に興味はありませんでしたが、わずか百年あまりだと言うのに、食文化の進歩には目覚ましいものがありますね」

「…………」

「…………」

「おっと……お肉を食べたらお野菜も摂らなければいけませんね」

 と、豪快に鍋に手を入れ、人参を皮のついた丸のままぼりぼりとかじり出すナイチンゲールだった。

 最早我々には言葉を発する気力すら残っていなかった。

 そして心に誓う。

 ナイチンゲールの前では今後一切、偏食をしてはいけない、と。

 そのまま立ち尽くす訳にも行かず、オルタが無言のままキャベツを取り出し、葉を一枚はぎ取ると一口かじり出す。この中では無難な選択だろう。

「…………」

 ぽりぽりとオルタがキャベツの芯を咀嚼する音がやけに大きく聞こえた。そこになんとも言えない寂寥感が漂っているのは、私の気のせいではないだろう。

 素材の味こそあれど、何の味付けもしていない野菜は美味いとは言い難い。先ほどまで塩胡椒で味を付けた肉汁たっぷりのステーキを食べていたのならば尚更だ。

「……エミヤ、肉……肉が食べたい……」

「……諦めろ。偏食の代価だと思って、今後は自重するんだな」

 オルタの切実な訴えも、私にはどうする事も出来ない。もしナイチンゲールとの約束を違えればこれ以上の悲劇が起こるのは想像に難くない。運悪く天災に遭ったとでも思うしかないだろう。

「……味気ない……」

「…………」

「ラムレイ……お前は毎日このようなものばかり食べて平気なのか……?」

「大丈夫か……?」

 ここまで凹んだオルタを見るのは初めてかも知れない。どんな劣勢でも、絶体絶命の窮地でも眉をひそめる事すらしないオルタが、見る影もなく意気消沈していた。少々可哀想ではあるが、これを機にオルタのジャンク暴食が少しでも治れば儲けものだ。

「……もう少し待て。彼女がここから去ったら私が作り直す」

「……頼む」

 仕方がない。せめてもの情けとして、ナイチンゲールが去った後に食べ易いよう、然るべき調理を施すとしよう。

 



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オペラ・カヴァリエ

メルトリリス語り、CCCザビ子・無銘ルート後設定です。
多少カップリング要素ありますので気になる方はご注意を。



「……本当にここにいるの?」

「うん、そうだよ」

 マスターに連れられて案内された先は、予想の斜め上を行く場所だった。

「……でも、ここは」

「ここって、食堂ですよね? 人間がご飯を食べるっていう……」

「そうだよ?」

 私の言葉を遮り、(なぜか)ついてきたパッションリップの問いにも、首を傾げ答える我がマスター。

 そう、リップの言う通り、食堂だ。

 食欲、睡眠欲、性欲。人間の三大欲求とされるもののうち、性欲を除くふたつは定期的に摂らねば人間は衰弱しいずれ死に至る。その摂理に従い人間は定期的に食事をする必要があるので、こうして食事専用の施設もある。このカルデアに召喚された際に付与された情報によれば、食事の作成を専門職とする人間もいるらしい。

 だが、あの人はサーヴァントだ。サーヴァントの存在意義など、使い魔として活動する以外にある筈もない。

「褐色の肌に、白髪に、赤い外套のアーチャーでしょ? それならエミヤしかいないよ。似たような外見と同じ名前のアサシンならいるけど」

「……そう」

 確かに、あの人は世話焼きだった。私みたいなアルターエゴを命懸けで救ったりと、サーヴァントとしてはあり得ない行動もしていた。

「わあ、私一度、食事をしてみたかったんですう」

 と、リップがふんにゃりと緊張感のない顔で笑う。SE.RA.PHにいた頃では、考えられない程に柔らかな笑顔。

 でも本当に何しについて来たんだか……。

「食事をしに来たんじゃないわよ。大体なんであんたがついて来るの」

「だ、だって……メルトがどうしても会いたい、なんて言う人なら私も見たいし……」

「なんでよ。貴女には関係ないでしょう?」

「か、関係なくないもん! それにメルト、口が悪いからうまく話せるかなって、思って……」

 まるで今から好きな男に告白に行く女子を、応援するという建前でついてくる出歯亀だ。

 余計なお世話よ、と吐き捨ててやりたいところだが、そのお節介も今ではこそばゆい。悪くない、と思う自分に辟易しつつも妙な安心感を覚える。

 私は、二度のSE.RA.PHを経験し、変わったのだろう。きっと。

 アルターエゴという、人間を憎み否定するプログラムとしてではなく、ひとつのメルトリリスという存在として。

「はぁ……大体、その手じゃナイフもフォークも持てないでしょう」

「う……」

「だーいじょうぶ、まーかせて! 私があーんして食べさせてあげるから!」

「ほ、本当ですか?」

「…………」

 私の毒舌をさり気なくフォローしてくれるマスターもいる。

 どこか頼りないマスターではあるけれど、あの彼女同様に揺れない鉄の意志と鋼のメンタルを持っている。

 BBですら彼女に従うことを良しとしているのだ。そうとなればもう私を遮るものは何もない。私を取り巻く環境に、懸念すべき材料もない。

 ならば自分の為に一度、けりをつけておこう――そう思って、あの人に会うことをマスターにお願いしたのだ。

「はあ……食事はいいけど、それ以上重くなっても知らないわよ」

「わ、私そんなに食べないもん!」

「あはは、エミヤのご飯は美味しいからわかんないよ?」

 さて、おふざけはここまでだ。

 食堂と言うからにはカルデアの職員もやって来る。晒し者になるのだけはごめんだ。人が来る前に片をつけてしまおう。

 入り口に立ち、二人を振り返る。

「じゃあ、行ってくるわ。悪いけど二人にさせて頂戴」

「こ、ここで応援してるから! メルトは思ってもいないこと言っちゃうクセがあるから気を付けてね!」

「……リップ、貴女ね」

「そういう時はね、自分の気持ちに素直になるといいよ! 心からの言葉なら、きっと相手に伝わるから!」

 私を何だと思ってるの、と一喝してやろうとも思ったけれど、怯えた子犬のように必死ににじり寄るその顔を見て、怒る気も失せてしまった。

 お節介にも程がある――けれど、リップのその余計な心遣いも今は少しだけ、嬉しかった。

「ああもう、うるさいわね……わかったわよ、気をつけるわ」

「いってらっしゃーい」

「がんばってね!」

 食堂に足を踏み入れた途端、こつん、と乾いた足音がやけに大きく響く。緊張しているのだろうか。この私が?

 食堂の厨房には、エプロンを着て皿を洗っている男の後ろ姿が見える。白髪に褐色の肌。

 間違いない。私が見間違える訳がない。

 血の通わない世界(ムーンセル)に現れた、誰よりも人間臭い名前のないサーヴァント。

 愚直なまでの正義の味方。

 私は貴方に会って話をすることで、変わった自分をようやく認めることが出来る――そんな、気がする。

「ん?」

 私に気付き、振り返る。

 ああ、間違いない。

「やあ、初めましてだなメルトリリス。SE.RA.PHでの活躍はガウェインやトリスタンからここで聞いている。私はエミヤ、弓兵のサーヴァントだ。どうしたんだ?」

「食堂に来たのよ。食事をする以外に何かあるかしら?」

 そうではないのだが、私の口は勝手に皮肉を紡ぎ出す。リップにすら懸念されたのにこの有様だ。とは言え、この加虐趣味はもはや私の一部。

「それとも私が来たら何か不都合でも?」

「そんな事はないさ、他のサーヴァントもここを利用している。何が食べたいんだ?」

「何を……?」

 そう言えば、何も考えていなかった。そもそも食事が目的ではないので当たり前なのだが、口実として何か考えてくるべきだった。

「…………えっと」

 馴染みがないため、食事、と言われてすぐに思い付くものがない。なんと言えば違和感なく済ませられるのだろうか、などと無為な思考が巡る。

 ……実を言うと、食べたいものはある。マスターの話を聞いて、一度食べてみたいと思ったのだが、あまりにも私には似合わない。マスターにならまだしも、彼の前で口に出すのは躊躇われる。

 私らしくて、かつ材料がありそうで、更に普遍的な料理。

「――――」

 そんなもの、料理どころか食事の知識も経験もほぼない私にわかるはずなかった。

「……実は茨木のわがままでチョコレートが大量に余っていてね、先ほどオペラを作った。君さえ良ければどうかね?」

 と、なんと答えていいのかわからなくて固まっている私を気遣ってくれたのか、助け舟を出してくれる彼。

「そうね、それでいいわ」

 断る理由もないので平静を装い答え、席に着く。

 ……ところでオペラとは何なのだろう。まさかそのままオペラの舞台が出てくる訳ではあるまい。まあ、さすがに食べられないようなものは出さないだろう。

「では少し待ちたまえ」

 言って、背を向け湯を沸かし、食器を取り出す。

 その大きな背中は間違いなくあの彼のものだ。

 でも――――。

 わかっている。

 彼はあの人ではない。

 姿形こそ似ているどころか同じだが、私がこの世に生を受けてから唯一慕った、あの人では決してないのだ。

 気障で、皮肉屋で、現実主義かと思えばお人好しなあの人では。

「お待たせ。紅茶はアッサムで良かったか?」

「結構よ、ご苦労様」

 と、目の前に置かれたのは一杯の紅茶と茶色の四角い固形物。これがオペラとやらなのだろうか。

 色合いからして、先ほど言っていたチョコレート料理なのだろうが、チョコレートも食べた事はないので味の予想はつかない。召喚された際の知識では黒くて甘い、程度の認識しかないのだ。

 それに紅茶の種類なんて聞いたところでわかりはしない……が、経験したことのない、いい匂いがする。

「いただきます」

 現界して、初めての食事。

 サーヴァントとしてほとんど意味のない行為とはいえ、私が人間に擦り寄る為の第一歩。

 備え付けのフォークを手に取り、尖った先端を刺し入れると、それはほぼ抵抗なく通った。

 手先の感覚はほぼない私だが、ものを持つくらいならば可能だ。言うなれば高性能の義手をつけているようなものなので、細かい動きが出来ないだけでフォークやスプーン程度なら扱える。

 拙くたどたどしい動きで切り分けた一片を突き刺し、口へと運ぶ。

「……おい、しい」

 産まれて初めての衝撃に、思わず声が喉をついて出る。

 触感覚の鈍い私でさえしかと感じる、噛む感触さえ不確かな蕩ける柔らかさ。濃厚な甘味と香り立つチョコレートの芳香。カブリオルのように跳ね回る心地よい弾力の生地。

 なるほど、これがチョコレート……。

 年頃の女性を中心に好まれる、と知識にはあるが、なるほど納得のいく内容だ。

 すかさず二口目。舌が初めての衝撃に慣れたためか、一度目よりも鮮烈にオペラの輪郭が感じ取れる。

 続いて一緒に出された紅茶を甘味で支配された口内へ。一転して微かな苦味と共にコクのある香りが鼻腔を伝う。

 なんということだ。このオペラと紅茶の組み合わせは素晴らしい。互いが互いを引き立て合い、一種の永久機関と化している。

 SE.RA.PHに居た時は必要性が皆無な為、『食べる』という行為そのものに意義を見出せなかった私とリップだが、これほどの衝撃があるとは思いもしなかった。これならリップも喜んで間抜けなほどに表情を崩して食べるだろう。

「お気に召してくれたようで何よりだ」

 と、その一部始終を見ていたらしい彼が、にやにやと無駄に包容力の高そうな笑顔でそんな事を言う。

「レディの食事を盗み見るなんて貴方、いい趣味を持っているとは言えないわね?」

「盗み見るとは人聞きの悪い。ここに食事をしに来たのは君の方だろう?」

「む……」

「冗談だよ、失礼した。あまりにも美味そうに食べるものだからつい見入ってしまった」

「――――――――」

 その彼の困ったような笑い顔は、SE.RA.PHにおいてついぞ見なかったものだ。

 何かに追われて裂帛した状況ではあんな顔は出来まい。

 信頼できる仲間と、安心できる場所、共にひた進める目的。それらの全てが、ここカルデアにはあるのだろう。

 ――そう。

 貴方は、今が幸せなのね。

 ……よかった。

「……その、本当は、ケーキというのを食べてみたかったのだけれど」

「……ケーキ?」

 気が緩んだからか、隠し通すつもりでいた本音がほろりと漏れた。

 仕方ない、今更誤魔化したところで滑稽なだけだ。

「ええ、女子供が好むと聞いたわ……可笑しければ笑いなさいな」

「なに、そんな事はないさ。大の大人でも好んで食べる者は大勢いる」

「マスターがとても美味しいから一度は食べてみなさい、と言うものだから」

「……ちなみに、それがケーキというものだぞ」

「えっ? うそ……これがケーキ? そうなの?」

「ああ、広義的には間違いなくケーキだが?」

 なにかおかしいかね、と首を傾げる。

「……マスターに聞いた話では、白くて甘くてふわふわしてると聞いたから」

「それは生クリームを使った一般的なスポンジケーキのことだな。チョコを使えばこの通り黒くなる。ケーキを食べたかったのならば最初からそう言え。マリーやナーサリーなどお茶会を開きたがる輩が多いせいで、ケーキならば他にも作り置きがあるぞ?」

「そ、そう……」

 図らずも密かな目標を達成してしまい、気が抜けてしまった。

 彼の言う他のケーキとやらも興味が尽きないが、今日はケーキを食べに来た訳ではない。

「ところで、話とは何だ?」

「話?」

「外でマスターとパッションリップの三人で何やら喋っていただろう? 女性同士の会話に聞き耳を立てるほどデリカシーが欠如しているつもりはないので何の話かは知らんが、結果一人で来たからには私個人に用があるのではないか?」

「……そうね、大事な話よ。私にとっては、ね」

 今日の本来の目的。

 私と貴方の関係の清算、というのは意味合いが違うか。何しろ彼にとって私は新たにカルデアにやって来た一体の新たなサーヴァントに過ぎない。

 それに――、

「でも、もういいの」

 彼と少し話し、オペラケーキを口にした事でどうでもよくなってしまった。

 こんなにも楽しそうに。

 まるで普通の人間であるかのように。

 そんな振る舞いを見せられたら、もう何も言えない。

 純真無垢な赤子に説法するようなものだ。何を言うのも馬鹿らしくなる。

「……その様子だと、どこか別の世界で私に似た者に会ったのか」

「そうね、そんなところよ」

「私は他の英霊とは違い、人に語り継がれた結果英霊となったのではなく、世界そのものと直接英霊の契約をしている……どの時代でもどんな場所でも召喚されて役目を果たす便利屋としてね」

「そう」

 だからか、名もない英霊があのSE.RA.PHに現れたのは。

「だからと言う訳ではないが、すまない。今ここにいる私は君の事を一切知らない……が、君の知る別の私が何か失礼をしたのならば代わりに謝ろう」

「やめて頂戴、そんな事じゃないわ」

「いや、ここにいる私が知らぬとは言え、女性に失礼を働いた罪は深い。私に出来る事はないか」

「……っ!」

 ぐい、と強引に迫ってくる彼。その誰にでも優しいドンファン振りも変わらないのね。蹴り飛ばしてやりたいくらい。

「あ――え、っと、その、」

「……メルトリリス?」

「…………っ」

 なんでだろう。

 声が出ない。

 彼の顔が近付くのに比例して、胸が高鳴りが速く、大きく増して行く。思考はかき乱されまともに考えることなんて夢のまた夢。

 そんな人間みたいな欠陥(かんじょう)が、私にあるって言うの?

「おい、メルトリリス?」

 急かさないでよ、デリカシーのない男ね。

 そんな呆れの感情とは裏腹に、頭の中がぐるぐるとかき回される。

 話。何を話せば? こういう時、この人は違う、でも同じ、駄目、ああ。どうしたら――、

『そういう時はね、自分の気持ちに素直になるといいよ!』

 混沌とした思考の中、先ほどのリップの言葉が脳裏に浮かぶ。なによ、私より精神年齢幼いくせに。

 素直――私の、素直な、気持ち。

 なんだったっけ、ああ、思い出した。

 それは、

「……………………すき」

「――――」

 ぴしり、と空間に亀裂が入った音が聞こえた気さえした。

 彼と私の周囲が、固有結界に囚われたかのように時間停止する。

「――――――――っ!」

 勢いで口にした言葉を理解してしまうにつれ、顔を中心に全身が加温されていくのを感じる。

 当たり前だ。気に入ったものは本人の意思なんて関係なしに所有物とすることで好意を示す私が、よりによって思春期の小娘みたいに囁くことしか出来ないなんて。

 見ると、入り口ではリップが嬉しそうに頬を染め、マスターがガッツポーズをするのが見えた。後で覚えてなさいよ。

 それよりも優先されるべきは、この状況の打破……ならば!

「す、隙ありっ!!」

「ふぐぉっ!?」

 身を沈め、軸足に全力を込めて鳩尾に突き蹴りを叩き込む。私の脚技は手を使えない分、他の英霊よりも特化していると自負している。そう、大の男であろうと身体が浮くくらいには。

 すぐさま垂直に跳躍。宙に浮いた彼を地に落とさないよう、跳躍の勢いを利用し下から上への膝蹴り、左右の脚でのサマーソルトを一撃ずつ。蹴りによる慣性の法則でバック宙した後、背中から魔力を放出、前方への推進力とする。もう意識はないのか、されるがままの彼の身体を百八十度の前後開脚で蹴り上げ浮力を維持。その勢いでかかと落としを腹部に入れる。このままでは地面に落下してしまうので、彼の腹筋にめり込ませた踵をそのままに空中で前方宙返り。頂点で脚を抜き、共に重力に引かれながら落ちる中、念の為、渾身の胴回し回転蹴りを側頭部に叩き込む。

「出たァーっ! メルトの空中浮きっぱなし七連コンボ!」

「メルト……」

「……はあ、はあ……」

 受け身を取る意識もないのか、地面に叩きつけられぴくりとも動かない彼。

 具足はつけていないとは言え、私の蹴りを余すことなく受けたのだ。ここまでやっておけば先ほどの記憶もきれいさっぱり消えていることだろう。うん、これでいい。

「……さて」

 食堂の入り口へと歩を進め、マスターとリップの元へと。

「おかえりなさいメルト、やったね!」

「いやー、メルトがここまでピュアだとは思わなかったよ。可愛いなぁ」

「…………」

「メルト?」

「貴女たちの記憶も消さなければいけないわ……そうよね。そうだわ。そうでしょう?」

「  」

「  」

 私とあの人とのお話は、これでお終い。

 彼はエトワールじゃなく、私もプリマじゃない。

 後は、お馬鹿なマスターと一緒に、精々無様に華麗に踊るとしましょう。

 

 

//

 

 

「殿…………エミヤ殿?」

「む……?」

 身体と声に揺り動かされ、意識が覚醒する。共に開いた視界に入って来たのは、髭をたくわえた作家サーヴァント、シェイクスピアの姿だった。後ろには同じ作家のアンデルセンの姿も見える。

「なんだ……どうした?」

「どうしたはこちらの台詞です。ここに来たら貴方が倒れていたのですよ」

「倒れて……?」

 どうにも記憶が薄い。確か、メルトリリスが来て、オペラケーキを出した辺りまでは覚えているのだが……。そのメルトリリスの姿もない。身体の節々も痛む。何があったのかわからないが、後ほどメルトリリスに聞くとしよう。

「大丈夫ですかな?」

「サーヴァントが倒れるとは抱腹絶倒ものだな。求められるからといって働きすぎなんじゃないのか?」

「いや、〆切に魂を削ってる君達に比べたら無理はしていないよ……ところで何か用かね」

「いやなに。原稿に一区切りつきましたので、一杯やろうかとアンデルセン君と話が弾みましてな」

「先日、御伽噺で意気投合した鬼にこれを貰ってな。聞けば酒に非常に合うという話じゃないか」

 と、アンデルセンが片手に吊り下げるのは、小振りな木製の容器。アンデルセンが僅かに蓋を開けると、きつい匂いと共にイカの塩辛のような色合いが見える。

「これは酒盗か?」

「ああ、いい機会だからこの際、片付けてしまおうと思ってな……ワインを出せ」

「構わんが酒盗にワインは合わんと思うぞ……」

 酒盗は魚の内臓を発酵させたものだ。匂いも味も濃厚で好き嫌いが分かれるところだが、文字通り酒を盗むと言われるほど酒が進むので、肴としては優秀だ。意気投合した鬼とは恐らく酒呑童子のことだろう。

「じゃあ日本酒だ。冷酒にしてくれ」

「では我輩も同じものを……おや、これは何ですかな?」

「ん?」

 シェイクスピアの指摘に目を向けると、机の上に小さな人形がひとつ。

「お前を模した人形に見えるが?」

 アンデルセンの言う通り、その手のひらサイズのガレージキットは、確かに私をモデルにデフォルメ化した物のようだった。

 が、なぜそんな物がここにあるのか見当もつかない。

「いや……全く心当たりがない」

「ふむ、稚拙なれど細部にまで拘りが見えますな」

 確かに所々塗装が雑だったり細かい造形が欠けていたりと出来がいいとは言えなかったが、私を再現しようとしている心意気は読み取れた。

「はは、在り方が歪なところまでお前にそっくりじゃないか。どこの物好きが作ったのかは知らんが、貰っておけ」

「ああ……そうするよ」

「では腹ごしらえも兼ねてアルコールで胃を痛めない為にもまずは食事を頼みましょう! 我輩は袋ラーメンを塩で」

「俺は醤油だ。海苔とゆで卵もな」

「了解、少し待ってろ」

 その小さな人形を、厨房のよく見える場所に置いておく。

 あまり考えにくいが、誰かから私へのプレゼントで、私が昏倒していた間に置いていったのかも知れない。

 もしそうならば、その内誰かが名乗りあげるだろう。

 

 



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シガレットチョコ

 慣れた手つきで尻ポケットから煙草の箱を取り出し、口にくわえ、吸いながら火を点ける。

 深呼吸のように大きく息と共に煙を吸い、肺の中へ。ヤニで黒くなった肺は健康を害するはずの煙を心地よい陶酔感へと変えてくれた。一瞬の後、紫煙を吐き出す。中空に吐き出された煙は、霧散して景色に溶ける。

 この一連の流れ、煙草を吸うことを覚えてから、一体何度繰り返したのだろうか。数えたこともないし知りたくもありませんけどね。

「かぁー、この一服こそ生きてる証っすわ」

 けどまぁ、オレの救った命の数よか確実に多いんでしょうねえ。

 ……いかんね、どうも卑屈になっちゃっていけない。こんな立派な英雄様だらけの中にいちゃあ尚更だ。ロビンフッドなんて大層な名前こそ貰っちゃあいるが、実際オレなんてそこらで粋がってる十把一からげのチンピラとなんら変わりない。そりゃ身も縮こまるってもんですよ。

 そもそもオレは、なんで煙草を吸い始めたんだっけ?

 こんな身体に悪い、歯は茶色くなる、肺は黒くなる、可愛いおねーちゃんとキスする時に気遣うようになる。そんなデメリットしかないものをなんで吸おうと思ったんだっけ?

「まあとっくに死んでるんだけどね、俺たち」

「かはは、それなら健康に気遣う必要もなくていいっすわ」

 そんな自虐ネタをへらへら笑いながら紫煙と共に吐き出すのは、ヘクトールだ。言わずとも知れたトロイアの英雄である。

「あーあ、ここにもキレイなおねーちゃんがタバコ吸いに来ないかなあ」

「あれ、ヘクトールの旦那はタバコ吸う女の子は許せるタイプ?」

「そんなの別に気にしないよ。俺も吸ってるからチューしても気にならないし」

「あっはっは、間違いねえっすわ」

「でもカルデアじゃあ吸う子いなさそうだねえ」

「似合いそうなのは何人かいるんですけどね」

「おっ、歴戦のナンパ師ロビンフッド君のお眼鏡に適ったのは誰?」

「モードレッドの嬢ちゃんとか、どう?」

「かぁー、似合うねぇ! 是非ともジタンかラッキーストライクを吸って欲しい!」

「銘柄のチョイスがまた渋いねぇ旦那。一度でいいからモードレッドの嬢ちゃんみたいな気の強そうな女の子とシガーキスしてみたいっすわー」

「いいねえ、浪漫だねえ」

 喫煙所でいい歳した野郎二人が哄笑する様は中々に滑稽だった。

 ちなみにシガーキスってのは火の点いている煙草の先っちょを、火が点いてない方にくっつけて火を点ける行為のことだ。煙草ってのは吸いながらじゃないと火が点かないから、煙草越しにキスをしているように見えることからこう呼ばれる。

 男同士ならともかく、男女でやるとそこはかとなく退廃的な趣があって絵になる。相手がとんでもなく気の強い女なら尚更だ。

 ただまあ、片方に火が点いてんのに二人とも火種を持ってないなんて状況、滅多にないんですがね。

「しかしあれだねぇ、こんな喫煙所なんてもんまで作っちゃって、現代では喫煙者も肩身が狭くなったもんだ」

「本当にねえ。なんでかね、孔明の旦那? おたく、中身はともかく器は現代人なんだろ?」

「ふむ、そうだな……少し長くなるがよろしいか」

 とんとん、と紙巻煙草の灰を落とし、オレ達の会話にも無関心を決め込んでいた諸葛亮孔明ことウェイバー・ベルベットが読んでいた本を閉じる。

 彼もよくここで見かけるが、いつもしかめ面で本を読みながらむっつりしているので会話はあまりない。

 今回も世間話のつもりで話を振ったのだが、興が乗ったのか腕を組み、手のひらを上に向け右手の指先で輪を作ってみせる。

「結論から言ってしまえば、嫌煙は金になるからだ」

「金ェ? 煙草を嫌うのが金になるのかい?」

「ガンガン売った方が金になるんじゃないの?」

「そも現代の嫌煙、禁煙の発端は行き過ぎた健康ブームが主だが、煙草税が国家予算の一部を担っているのも確固たる事実。ならば国は税金を上げつつも喫煙を推奨するべきなのだが、世論がそれを許さない」

「まぁ、お上が正面切って身体に悪いモンを勧める訳にも行かないわな」

「そこに目をつけたのが製薬会社だ」

「製薬会社?」

「ああ。現代の製薬会社は法によって、昔からある薬で利益を上げる事が難しくなっている。製薬会社は認可されていない新しい薬を作り売ることが最も利益に繋がるんだ。そこで嫌煙というブームを自ら作り出し、『煙草を止める為の薬』を作ったのさ」

 これも眉唾ものだがね、と新しい煙草に火を点け、孔明は続ける。

「つまり、この風潮は時代の流れでも何でもなく、単純に金儲けの為の世論操作ってことかい」

「その通りだ。彼らにとっては自分の意思で喫煙を止められない人間が金になる。健康第一を看板に掲げる事で企業のイメージアップにも繋がる上、嫌煙ブームによって禁煙を試みる人数が増えれば尚好し、と一石二鳥どころか三鳥なのさ」

「何ともまあ、世知辛いねえ」

「煙草くらい好きに吸わせて欲しいもんだ」

「全く、喫煙愛好家にとっては迷惑もいい所だよ。現代で煙草は百害あって一利なしの悪の権化のように語られるが、間違いなく煙草自体は悪ではない。人類史上最悪の発明とさえ言われる核兵器ですら、使う者の意思が反映され初めて悪になり得る。正しい運用をすれば世界平和も夢ではないのだがね。そう言う訳で、煙草に悪と呼べるものがあるとしたら、マナーの悪い喫煙者だろうな」

 珍しく、その年季の入った仏頂面を僅かに緩ませて孔明は紫煙を吐く。

「…………」

「…………」

「……なんだ、その顔は」

 その言葉は、オレとヘクトールに対して発せられたものだ。

 まあ、大の男ふたりに豆鉄砲食らったみたいな顔を向けられちゃあ、そうなりますわな。

「あんた、いっつもしかめっ面で黙って本読んでるのに、割とよく喋るんだな」

「はっはっは、休憩中くらい眉間にシワ寄せるのやめたら?」

「…………失礼する」

 孔明は恥ずかしかったのか、点けたばかりの火をもみ消すと咳払いをひとつしてそそくさと喫煙所から出て行ってしまった。ちとからかいすぎましたかね。

 さっきも言ったように、現代に限らず、いつだって喫煙者は肩身が狭い。喫煙者同士でちょっと饒舌になっちまう孔明の気持ちもまぁ、わかる。

「それじゃあ俺も失礼するよ」

「うィース。またカードでもして遊びましょうや」

「おう」

 言って、ひらひらと手を振りながらヘクトールも去って行く。ただでさえ人の少ない喫煙所に残るのはオレ一人だ。

 いくらヒマとは言え、ずっと何もしないってのも性に合わない。オレもこれを吸ったら世界を救うお勤めに戻りましょうかね。

「……ふぅ」

 最後のひと吸いを、名残惜しく堪能しながら吐き出す。

 ああ、思い出した。オレが煙草を吸い始めた理由。

「あ……」

「ん?」

「あー、また煙草なんて吸ってる」

 煙草をもみ消してさぁ出よう、と思ったところに現れたのは、我がマスターと……後ろに隠れてるのは、最近召喚されたパッションリップだ。アルターエゴって特殊クラスのサーヴァント。

 まあ、可愛い顔に似合わないごつい両腕と胸を持ってる彼女だ。実際は全然隠れられてないんですがね。

「いいじゃないですか。口寂しい野郎の休憩中の唯一の楽しみなんですから」

 そのリップは喫煙所から出てくるオレに怯えた子犬みたいな視線を浴びせてくる。今までは持ち前の軽薄さで気付かないフリこそしているが、リップにはカルデアでの初見の時から、避けられてるようだった。

 オレとリップはカルデアに来る前から面識があるせいで、心当たりは腐るほどあるんですがね。リップはどうか知らないが、オレから進んでそのことについて触れるつもりはない。

「それとも可憐なマスターの唇がオレの口を塞いでくれるんですかい?」

 なんて軽口を叩きながらマスターの元へ。リップも反応して一歩下がる。

 やだねえ、理由が理由とは言え、女の子に避けられるってのはいい気持ちはしないねえ。

「そうだねー、タバコやめたら考えてあげよっかな?」

「その言葉に嘘はないなマスター? ……って言いたいところだけど、残念ながら煙草はやめられそうにありませんねえ」

「大体、なんでそんな煙たいもの吸ってんの?」

「ん?」

「タバコなんて百害あって一利くらいしかないじゃない」

 煙草が害しかないと言わないあたり、さすがはマスターだ。

 煙草を吸い続ける理由、ね。

「カッコつけてんですよ。仕事の後の一服とかワイルドで様になってるでしょ?」

「ふうん?」

 何か言いたそうに首を傾げるマスター。まあ、本音や核心は滅多に外に出さないのが天邪鬼なオレのやり方だ。マスターもその辺りはわかってくれているでしょ。

 それに、こんなオレの辛気臭い話なんて聞いて面白いもんじゃねえですしね。

「あんまり吸いすぎるとサーヴァントでも身体に毒だよ。はい、これあげる」

「んん? なんだこれ」

 マスターがポケットから取り出したのは、ケースに入った十本ほどの紙巻き煙草。マスターが煙草を吸うところなんて見たことないけれど、ひょっとして吸うのか、なんて考えるのも束の間、

「なんだ、チョコレートじゃないの」

 確かシガレットチョコとか呼ばれてる駄菓子だ。

「なんでこんなもの……配給ですかい?」

「食堂でタバコの話してたらエミヤがなんか大慌てで作ってくれたんだよ。今度タバコを吸いたくなったらこれ吸ったら?」

 何やってんだあの弓兵……多分マスターが煙草を吸わないように、と代替品を与えたつもりなんだろうけど……あの野郎、ちとマスターに対して過保護が過ぎるんじゃないですかね。

「まあいいや、あいつが作ったってのはちと癪だけど、折角のマスターからの贈り物だ。喜んで頂いておきますよ」

 言って、一本咥えてみせる。口にした途端につんと香る、チョコレートとミントっぽい鼻をつく匂い。

「…………」

「あっはっは、似合う似合う」

 分かっていたことではあったが、様にはならなかった。いい大人が駄菓子を咥えても滑稽なだけだ。

 ところでどうやって食うんだ、これ。吸っても中のチョコは出てこない。まさか紙を剥いで中身を取り出すのだろうか。

「それよりさ、リップ」

 恥ずかしさを払拭するためにも話の舵を切る。

 二人きりじゃあちと億劫だが、マスターもいるしいい機会だ。ちょっとだけリップに踏み込んでみましょうかね。

「は、はい?」

「避けてるでしょ、オレのこと」

「え、えええ!?」

「そうなの?」

 なんでわかったんですか、とでも言い出しそうな表情で驚くリップ。いや、本当に気付かれてないと思ってたら生粋の天然モノですがね……いや、あり得るな、リップの場合。

「いやまあ、人様に嫌われんのは今に始まったことじゃないんでいいんですけどね……どうも、昔のことを引きずったままってのは消化不良っつーか、気持ち悪くてね」

 オレのやって来た事なんてのは、あの気障な弓兵と一緒で、一括りにしちまえばただの人殺しだ。そこに正義なんてもんがあったとしても、事実が変わる筈もない。それが原因で死後もこうやってロビンフッドなんて名前で喚ばれちゃあいますが、オレがやって来た事を顧みれば、石を投げられ唾を吐きかけられても仕方ない。

「どうなのリップ?」

「え、えと……」

 臆面もなくリップを問い質すマスター。流石はマスター、二人きりじゃあこうは行かない。

 気遣いと驕慢は紙一重だ。マスターはその辺りをわかっているのかどうかは知らないが、絶妙なラインでどんなサーヴァントとも接するあたり、カルデアのマスターと言うべきですかね。

「は、はい……そう、です……」

「なんで? ロビンになんか変なことされた?」

「してませんよ。むしろされたのはこっちだっつーの」

「あの……ロビンさんが悪いんじゃないんです……わ、私が悪いんですけど、苦手というか……」

「?」

「その、SE.RA.PHに召喚されたロビンさんと……ちょっと……」

「何かあったの?」

 と、リップから聞き出すのは難しいと判断したのか、矛先をこっちに向けるマスター。

 まあ、今更隠すようなことでもない。

「いやなに、SE.RA.PHでBBの手下だったオレに、リップのお守りを申し付けられましてね」

「…………」

「ところがそこでこの子と来たら、仕事はサボるわ、オレの顔のない王(ノーフェイス・メイキング)を破ってリボンにしちまうわ、挙句の果てには自分で破っといて宝具(それ)を役立たずとまで言うわ。さすがのフェミニストなオレもトサカに来ちまいましてね、舅みたいに厭味ったらしくグチグチ愚痴を言ったり、ケツを引っ叩いてやろうとした結果がコレっすわ」

「あー……なんか、その光景が目に浮かぶよ」

「ち、違うんです! SE.RA.PHでの私は悪い子で……ロビンさんはそれを叱ってくれたって言うか……!」

「いいよ、オレはもう気にしちゃいねえし。そこにオレなんかが召喚されたのがお前さんの運の尽きだ。たとえロビンフッドでも、オレじゃないロビンフッドならまだ――」

「ちがいます!」

「っ!?」

 と、何の脈絡もなく迫るリップに思わず一歩退く。これじゃあさっきと立場が逆だ。

「わ、私、本当は、ロビンさんに一言お礼を言いたくて……その、SE.RA.PHでは私を叱ってくれる人なんて、い、いなかったから……!」

 聞けばリップたちアルターエゴは、複数のサーヴァントの霊格を持つハイサーヴァントとか言うものらしい。その中でリップは三人の女神を核に形成されたとか。つまりは単純計算でも破格の英霊三人分の霊格。

 オレみたいなそんじょそこらの英霊では歯すら立たないサーヴァントだ。SE.RA.PHの仕組みは未だに詳しくは知らないが、あそこでもリップやメルトはかなりの猛威を奮っていた。

 加えてあの頃、アルターエゴである彼女たちは産まれたばかりの赤子に近かった。この世に力を持った子供ほどタチの悪いものはない。

 そんな善悪の区別も定かじゃない彼女たちを叱れるのは創造主であるBBくらいのもんだが……生憎、あの性根がフワフワした嬢ちゃんにそんな甲斐性がある筈もない。やりたい放題やらせといて、散々愚痴った後に尻拭いはオレみたいなのにさせるのがBBのやり方だ。ああ、思い出したくねえ。

「私はあの時、いいことも悪いこともわからなくて……ロビンさんは悪いことをした私に、悪い子にはこれが一番効くんだって、お尻を叩いてくれて……」

「いやいや、実際は叩いてませんからね? そこんとこ大事よ?」

「私にとってのロビンフッドさんは、あなただけなんです……!」

「…………」

 誰かにとってのロビンフッド。

 リップの言葉が脳内で反芻される。

 さっきも言った通り、ロビンフッドなんてのはただの言葉だ。オレもただ、ロビンフッドっぽいからそう呼ばれるようになったってだけで、本物なんているかどうかすら定かじゃない。

 だが逆を言えば、ロビンフッドなんて誰でもいい。誰だってロビンフッドになれる。重要な箇所があるとすれば、何をもってロビンフッドとなるか、だ。

 ふと、口内に甘い香りが広がるのを感じる。口の熱で溶けたチョコレートが、流れて口に入って来たらしい。本来はこうやって食うものなのだろうか。

 ああ、リップに向ける筈だった軽口も、つまんない見栄も、全部チョコと一緒に飲み込んじまった。

 甘ったるくて、喉が渇く。

 ああ、煙草が吸いてえ。

「そうかいそうかい……じゃあリップ、お前さんがオレのリトル・ジョンになってくれるってのかい?」

「へっ?」

「冗談はさておき、まあなんだ……悪かったよ。お前さんがあの時より精神的にも成長してるってのは、この間の事でよく理解したつもりだ。お前さんはお前さんなりに頑張って来たんだろ」

「ロビンさん……」

「偉かったな、リップ。せめてお前さんが頑張ってる内は、オレもお前さんのロビンフッドでいられるよう、頑張りますよ」

 なんて、ガラにもなく頭を撫でてやる。

 本当にこいつはその反則級の身体に反して、中身は子供そのものだ。

 子供相手に愚痴ったり皮肉を言ったって何にもなりゃしない。まだ狂化EXクラスの女バーサーカーを口説いてる方が益になるってもんですよ。

「ちょいと失礼するぜ」

 言って、お二人さんと距離を取り喫煙所の中へ入ると、もう数え切れないほど繰り返して慣れた動作で煙草に火を点ける。最初の一口を深呼吸のように深く吸うと、いつもより多めの紫煙を吐き出す。

「あー! 言ったそばからタバコ吸って!」

「チョコは貰ったけど、禁煙するなんて一言も言ってないでしょ」

 オレが煙草を吸い始めた理由。

 それはストレス解消やカッコつけもあった。なす術もなく死んで行った奴らの痛みを、百万分の一でもこの身体に刻まなきゃ気が済まない、ってのもあった。

 吸うことで自分はアウトローだって思い込む、自分に対する自己催眠の側面もあった。悪ぶって、自分は人を傷付けていい人間なんだって何処かにありもしない救いを求めてたこともあった。

 けど本当の理由は。

 どこまで行っても中途半端な自分の在り方とか、死にそうなってまで戦う理由とか。

 どうにもならねえ理不尽とか、いつの時代になっても尽きない不義不当に対する歯痒さとか。

 全部飲み込む事なんて、根が弱っちいオレには土台無理な話なんだ。だから嫌なもんは全部一度胸に溜め込んで、誰も知らない内に煙に巻いて吐き出す為。

 何もかもしょい込める程、強かないんですよオレは。

 と、マスターが何を思ったのか、喫煙所の中に入って来て顔を寄せてくる。思わず煙草を持つ手を頭上高くへ。

「……ありがとね」

「はい?」

 リップに聞かれたくないのか、小声で礼を言ってくるマスター。

「リップのこと、気遣ってくれたんでしょ? あの子、色々と繊細だから」

「――――」

「ああもう、タバコ臭いなぁ」

 マスターと、いつか何処かでローマ皇帝様と戦った時の誰かさんの顔が並んで頭に浮かぶ。

 外見は普通のくせに、中身はとんでもなくて、真面目で、どこか危うくて。

「…………」

「えっ、ちょっと、なに?」

「あんたも、あんまり無理しなさんなよ」

 煙草を持つ逆の手で、少々乱暴にマスターと頭をぐりぐりと撫でる。

 どこの世界にも、こういう奴はいるもんだ。ほっとけないっつーか、危なかしいっつーか。

 そういう奴は大バカか大人物のどっちかだ。マスターがどちらなのか、なんてのはオレにはどうでもいいですけどね。オレはオレが主と定めたお人についていくだけだ。

「そんじゃま、今日も元気にお役目を果たすとしましょうかね」

 煙草の火を消し、カラ元気に近い声を上げる。

 こんな事言うのはガラじゃねえんですがね。

 オレがロビンフッドであることを求めてくれる奴が一人でもいるなら、オレはどこまでもロビンフッドでいられる気がする。

 それが可愛い女の子なら尚更ってもんですよ。

「ねえロビン、やっぱりタバコやめようよ。健康に悪いよ? ロビンの好きな女の子もタバコ嫌いな子の方が多いよー?」

「……そんな言い分ではいそうですか、って釣られると思われてんですかね、オレ。そうだとしたら問題なんですが」

「そ、そうですよ……ロビンさんが死んだら私、悲しいです……今なら多分」

「多分かよ……そうだねぇ」

 多分オレは、この先も煙草はやめられない。

 それは煙草に対する依存もあるけれど。

 何よりオレは、マスターみたいに強い人間じゃあない。煙ごと飲み込んで、何事もなかったかのようにやっていける程のタフネスは、いつか失くしちまった。それはサーヴァントとなったって変わりゃしない。

 マスターが何と言おうと、オレぁ煙草はやめませんよ。

「世界が平和になったら、禁煙しましょうかね」

「本当に?」

 実際のとこ自信はないけど、この先どうなるかなんて誰にもわかりはしない。

 オレがロビンフッドになったように。

 オレが禁煙する未来だって、どっかに転がってるかも知れませんしね。

「はいはい、約束しますよ」

 今はそういうことにしときましょうや。

 

 

 



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温泉卵のブルスケッタ

 夜になると、食堂はやおら活気に溢れる。夕食の時間が過ぎ、就寝時間が近くなった今、食堂の席は多くの人やサーヴァントで埋まっていた。

 その理由として、朝と昼もそれなりに人のいるこの食堂だが、食事の必要性が薄いせいで朝昼晩と三食しっかり摂るサーヴァントは少ない。ゆえに食堂に来るのはカルデアのスタッフが主になるためだ。

 サーヴァントで毎食摂っているのは天草や土方といった几帳面で生活リズムを壊したくない奴や、アルトリア系列のように食そのものに楽しみを見出しているものに限られる。あとは、デミサーヴァントであるマシュくらいか。

 だが夜ともなると一日の締めとして人間、サーヴァントを問わず酒を求める者は多い。酒は人間の嗜好品としてそれこそ紀元前より続けられているもの。身体に良いとは言えないが、度が過ぎなければガス抜きとして優秀であることは間違いない。

 という訳で、この時間帯になると食堂は居酒屋と化す。料理は出来ても酒の知識のない私なので、酒はあるものを出すだけでつまみや肴を作るだけだが。

「ねーエミヤ殿ー、拙者もたまには女の子と飲みたいにゃー。紹介してよー」

 空になったビールジョッキを洗っていると、カウンターでひとりグラスを開ける黒髭がくだを巻いてきた。酒好きは海賊の職業病のようなものなのでよく飲みに来る黒髭だが、彼はその性格のせいで異性と飲んでいるところをほとんど見た事がない。

「私に言うな。ドレイクでも誘ったらどうだ? 彼女なら喜んで付き合うだろう」

「BBAなんかと飲んで何が楽しいのよ! 拙者はこう……マリーちゃんやマタハリママみたいな美人さんと、キャー黒髭さんかっこいい!ステキ!抱いて! みたいな場が欲しいのでござる!」

 こう言ってはいるものの、黒髭は本心ではドレイクと飲みたがっている。何度かドレイクの方から誘われて飲んでいるのを見た事があるが、その時の黒髭は本人は隠しているつもりなのかも知れないが非常に楽しそうに見えた。

 が、恐らくは恥ずかしいのだろう。黒髭にとってドレイクは尊敬すべき先達であり唯一無二の英雄だ。全くもって素直じゃない奴だが……まあ、気持ちはわからなくもない。

「キャバクラに行け」

「雑ゥー!」

「大体、そんな独りよがりの思考で女性がついてくる訳なかろう……美味い目に遭いたかったら、それ相応の努力をしたらどうなんだ?」

「う……ここで正論を言われるとは拙者予想GUY。まあそうなんでござるが、都合のいいハーレム展開なんて、男なら一度は夢見るものでしょ?」

「興味がないな」

「あっそ。エミヤ殿、締めにアイスちょうだいアイス」

「はいはい」

 これ以上ドレイクの事を追求されても困るとでも思ったのか、単純に飽きたのか、帰る準備をする黒髭だった。

 普段からおちゃらけている黒髭だが、生死を賭ける場で敵に回すと奴ほど厄介な相手はいない。私も藪をつついて蛇を出すつもりはない。冷凍庫から適当にアイスクリームを取り出して黒髭の目の前に置く。

 と、

「……よう」

 そのタイミングでカウンターに覚束ない足取りで歩み寄る人物が一人。

「ああ、その様子では原稿は終わったのか?」

 今にも閉じそうな焦点の合わない胡乱な眼つきと、ふらつく足取り。憔悴しているのが一目でわかる様相のアンデルセンだった。

「終わってはいないが一区切りはついた。たまには脳を休めんと脳溢血になりかねんからな、気分転換だ」

「それは結構、何か食うかね?」

「とりあえず熱いコーヒーと、そうだな、何か甘いものを……ん?」

 と、隣でワインと一緒にアイスを食っている大柄な男に気付き、視線を遣るアンデルセン。彼にしては珍しく、ひょこひょこと近付き隣に座る。

「ほう、美味そうなものを食っているじゃないか黒髭」

「なんですかアンデル先生。言っときますけど拙者、男の娘かおねショタならまだしもショタ属性はないでござるからね」

「アホか、俺とて貴様のようなレイパーモブ汚っさんに捧げる処女も童貞も持ち合わせておらんわ」

「な、なんですとー! 拙者これでも生前モテモテリア充だったんですからね! 真性童貞(グランドキャスター)のアンデル先生とは違うんですぅー!」

「何とでも言え。それにモテていたと言っても、どうせ貴様の場合は強奪した財宝目当ての女ばかりだろう? それでは羨ましくも何ともないな」

「んな――――! クラス相性逆のくせにアサシン並に痛いところをピンポインツで突くのやめてくださる!?」

 いや、アンデルセンの逸話を聞く以上、彼の恋愛事情も相当突っ込みどころが多いんだが……まあ、余計な口を出してわざわざ矛先をこちらに向ける必要もあるまい。

 ※アンデル先生は生前、好きな相手に自分の自伝や恋愛遍歴を何度もしつこく一方的に送りつけたりしてました。結果はご存知の通り。

「それよりそのアイスは実に美味そうだな。エミヤ、俺にも同じものを」

「ああ、わかった」

 アンデルセンに言われ冷凍庫を開ける。が、

「……すまんな。雪見だいふくはそれで終わりだ」

「そうか、致し方ない。なら黒髭、ひとつよこせ」

「ピノとかアイスの実とかならともかく雪見だいふくをひとつよこせってアンタ…… 」

「いいじゃないか、散々悪行を重ねて来た貴様だ。今から少しくらい善行を積んでも罰は当たらんぞ?」

「イヤですぅー。アンデル先生がロリ幼女ならまだしもでござるけどね?」

「おにいちゃん、おねがい!」

「いや、そんな子安ボイスでおねだりされても……拙者腐男子じゃありませんし」

 珍しく黒髭が引いていた。まあ、普段のアンデルセンを知っている以上、上目遣いでねだられたところで黒髭でなくとも引く。

 元々あんな手段に出るアンデルセンではない。今は修羅場明けで疲れているのだろう、きっと。

「しかしそのナリでこの伝説の海賊黒髭から何かを奪おうとはいい度胸だァ! そんなに欲しいのならば力づくで奪ってみ――」

真性童貞(グランドキャスター)チョップ!」

「アっ――――!」

 黒髭が何かを言い終える前に、手刀を黒髭の尻にかますアンデルセンだった。

 予想外の事で驚いたのか、ただの芝居なのか量りがたいが、椅子から転げ落ちる黒髭。

「尻が――! 拙者の可憐なおヒップ様が二つに割れたでござる――――!」

「ではこれは名実共に俺のものだな。いただきます」

 楽しそうに床を転げ回る黒髭を後目にアイスを頬張るアンデルセン。黒髭は自他共に認める悪人だが、子供が好きとも言っていた。アンデルセンが子供と呼べるかどうかは微妙なところだが、わざと乗ってやったのなら憎めない奴だ。

 機会があれば誰かと相席させるくらいの機転は利かせてやろう、等と思っていると、

「患者はどなたですか」

「ほへ?」

 その二人に、ゆらりと近付く影があった。

「臀部が二つに割れたと聞こえ、只ならぬ状況と悟り参りました。僭越ながら、私が治療を」

 医療用の薄手のゴム手袋を着けながら、瞳孔の開ききった瞳を爛々と輝かせる、ナイチンゲール女史その人が。

 黒髭もナイチンゲール女史の危うさは承知している。このままではまずいと思ったのか、急いで立ち上がりナイチンゲールに向き合う。

「……あ、なるほどなるほどー! いやでも拙者、ナースさんは大好きですが残念ながら――」

「ああ、患者はこいつだ。手遅れかも知れんが早急に治療してやってくれ」

「アンデル先生ェェェェェ! アンタ鬼でござるか!?」

「ふむ、わかりました。では医務室に行きましょう」

「ヒィッ!?」

 黒髭の襟を掴み、問答無用に引きずっていくナイチンゲール。細腕の彼女が大男を引きずるのはどこかシュールだった。

「あーん!いやーん! やるならせめてロリナースさんにしてくーだちーい! 具体的には茶々殿かイリヤたんあたりでー!」

「……頭もどうかしていそうなので、ついでに頭蓋の切開もしてみましょうか」

「ヒイイイイイイイイ! 助けて英霊ポパーイ!」

「…………」

 黒髭の悲鳴がフェードアウトして行く様を無言で見送るしかなかった。まあ、黒髭もサーヴァントの中で1、2を争う頑丈さを持つことだし、死ぬことはあるまい。

 当人のアンデルセンはアイスを平らげて机に突っ伏して寝ていた。背中にはいつもの『Not Dead(死んでいません)』の張り紙が忘れずに貼ってある。この分では今の出来事も忘れていそうだ。これでは黒髭も報われない。

 少々黒髭が気の毒になり、微力ながら無事を祈ってやる。

 と、

「……今、黒髭が婦長に引きずられていったけど、何したの?」

 入れ替わりでマスターがやって来た。後ろには不機嫌そうな表情でそっぽを向く巌窟王エドモン・ダンテスの姿も見える。

「なに、いつもの事だ、気にするな。それよりこんな時間に来るとは珍しい。何か用かね?」

「うん、今から浴場に行こうと思って。そのついでに寄っただけ」

「浴場へ?」

 カルデアの風呂事情は各部屋に備え付けられたシャワールームと、銭湯のような大浴場の二つがある。前者は主にマスターやカルデア職員の部屋についているが、数は少なくサーヴァントは人数が多いゆえに全ての部屋に備え付けられている訳ではない。職員に加え百を数えるサーヴァントの風呂を一人ずつ用意していたらそれこそカルデアの財政は破綻してしまう。

 とは言ってもサーヴァントは基本、人間ほど身体が汚れることはない。衣服もエーテルで編み直せば汚れは消える(とは言え物理的に洗った方が魔力の節約になるので基本的には洗濯だが)。

 毎日のように入っているのは風呂好き綺麗好きのサーヴァントくらいで、大半が戦闘で返り血を浴びたりと汚れた時に入る程度だ。

「それがね、エドモンったら今日戦闘でひどく汚れたのにお風呂入らないって言うんだよ。だから無理やり連れて行こうと思って」

 ああ、それで明らかに不機嫌そうなのか。改めて見るとその特徴的な深緑色の外套が返り血で汚れている。

 女の子らしく綺麗好きなマスターのことだ、恐らく先程のナイチンゲールのように有無を言わせずに引っ張って来たのだろう。

「風呂が嫌いなのか?」

「……生前から入浴などと言う習慣がないだけだ。存在自体は知っている」

「そうなのか?」

「フランスでは真水が高価な上に水道から出る水もそのほとんどが硬水だ」

「ほう、それは知らなかった。ならば風呂の文化が発達し難いのも頷ける」

「硬水だと何か違うの?」

「風呂に使う水は軟水が基本だよマスター。硬水だと石鹸の泡立ちが悪く、水垢も出やすく髪や肌もごわつくため軟水に比べメリットがほとんどない。真偽はともかく、あの太陽王ルイ14世でさえ生涯で二度しか入浴した事がないと言われている程だ」

 硬水と軟水の違いは文字通り水の硬度。具体的にはミネラルの含有量で変わる。

 世界的にも風呂好きで知られる日本はそのほとんどが軟水で、硬水が出るのはごく一部の地域に限られている。

「うえ……なにそれ信じられない……」

 マスターも日本人だ。毎日風呂に入ることが常識となっている身からすれば、風呂に入らないのが普通、というのは受け入れ難いのだろう。

「それもあるが当時のフランスでは入浴、という行為自体が病気になる忌むべきものとして扱われていた。フランス紳士(パリジャン)である俺も例外に漏れん。そんな入浴に縁がないフランスだからこそ香水が発達したとも言えるが」

「お風呂に入らないから香水で誤魔化すって……なんか根本的に間違ってる気がする……」

「間違ってるのはお前だマスター。俺を風呂に入れるよりも重要な事は腐る程あるのではないか?」

「重要だよ! マリーやデオンくんたち同じフランスのサーヴァントたちは毎日入ってるんだよ!?」

「……あいつらは好きでやっているだけじゃないのか」

 その点に関しては巌窟王と同意だ。華やかなものが好きなマリーのことだ。発達したバスタブや入浴剤、ジャグジーなどを見たら目を輝かせるのが眼に浮かぶ。デオンやサンソン、アマデウスもマリーがやるならば、と右に倣うのは当然の帰結だ。

 巌窟王に借りがある訳ではないが、風呂嫌いを無理やり風呂に入れるのも少々酷だ。ここは巌窟王に助け舟を出してやるとしよう。

 それに我々はサーヴァント。先程言ったように、風呂に入らなかったからと言って汚れたり体臭が酷くなったりする訳でもない。

「そうだマスター、先ほどネロが薔薇の花とフレグランスを散りばめた薔薇風呂を作ると言って出て行ったぞ」

「薔薇のお風呂!? なにそれすっごい入りたい!」

 ローマは風呂文化が発達した第一人者と言ってもいい。追随してローマ皇帝であるネロも風呂好きだ。

 そのネロが華やかで豪華絢爛な薔薇風呂を作ろう、と鼻息も荒く出て行ったのがつい三十分ほど前の話だ。

「ネロの自室でやると言っていた。今ならまだ間に合うんじゃないか?」

「行ってきます!」

 一瞬で矢のように飛び出して行くマスターだった。あの天真爛漫さは見習うべきか呆れるべきか。

「一応礼を言っておく、贋作の英霊よ。全く……サーヴァントに風呂に入れとぬかすマスターが何処にいる」

「日本人は昔から綺麗好きでね。そのお陰で風呂やトイレ文化が発達したのだが……民族間の価値観の違いというやつだ、許してやれ」

「クッ、いつの時代でも人を殺すのは価値観の相違か。滑稽だな……ついでだ、ワインをもらえるか」

「ああ、赤でいいか?」

「何でも構わん」

 庶民である私にワインの良し悪しなど分かる筈もない。適当な赤ワインをグラスに注ぎ、巌窟王の前に置く。

 巌窟王は懐から純白のハンカチを取り出すと流麗な動作でグラスを回転させつつ、ハンカチに透かし色を確かめる。その後、香りを確かめ一口含む。その一連の動作は手慣れたもので、一切の無駄がなかった。

「安物だな。だが悪くない」

「そうか、酒も嗜まない平民の私には分からんよ」

「……正しく有りながら正しく在らない英霊エミヤ。貴様に聞きたい事がある」

 と、巌窟王は視線を伏せながら私に問う。その様子は、とてもではないが世間話をしようとしている風には見えない。

「私に答えられる事なら」

「貴様は夢を見るか?」

「夢?」

 夢という単語には大まかに二種類の意味がある。

 一つは将来実現させたいと願っている願望。もう一つは寝ている間に見る非現実の映像だ。

 英霊には聖杯への願いこそあれど、死んでいる以上、将来など最早存在しない。巌窟王の言うのは恐らく後者だろう。

「……最近、夢を見る」

 眼を閉じると巌窟王は語り出す。

「俺が俺を責める夢だ。エドモン・ダンテスという個人ではなく、復讐者としての俺なのだろう――限りなく憎悪を燃やせ。その身を産み落とした世界を憎め。一時も弛まず復讐者であれ、と」

 巌窟王の出自はマスターに聞いたことがある。物語としての巌窟王も、はしり程度ならば私でもわかる。

 エクストラクラスである復讐者として召喚されるには、生半可な事では成し得ない。

 それこそ、彼のようにその生涯の大半を復讐に費やす、くらいでなければ叶わない。

 復讐とは、言葉にするとたったの二文字で完結するものだが、その実は汚穢と汚泥に充ち満ちている。何せ敵意、殺意、悪意、憎悪――あらゆる負の感情を常に心の中に宿さねばならない。

 更にはそれらを糧にひた進むのだ。その道程たるや、間違っても気持ちの良いものではない事は容易に想像できる。

 アヴェンジャーの面々、巌窟王を含めたジャンヌオルタやゴルゴーン、新宿のアヴェンジャーが総じて常に不機嫌そうなのもそんな理由があるのではないか、と勝手に想像する。アンリマユだけは例外だが、あいつは最初から全てを諦め、何も求めていないが故のあの性格だ。

「『それが、あんな小娘如きにに絆されやがって』とな」

「……霊基に何か問題が?」

「いや、そこまでは及んでいない。だが、気分は最悪だ」

 復讐者として召喚された以上、マスターにも心を許すなと、無意識のうちに自分が囁く。

 その理由は少しわかる。それはきっと、心の何処かで思っているのだ。

 復讐に身を焦がす存在である自分が、協力者であるとはいえ、他人と馴れ合うなど相応しくない、と。

 だが――、

「それでも貴方自身は、悪くはないと思っているのだろう?」

「……ふん」

 私の問いに、巌窟王は否定も肯定もせず、鼻で笑うだけだった。

 巌窟王がカルデアに召喚されてかなりの時間が経つ。その間、マスターと巌窟王のやり取りも何度か目にしている。

 それを見る限り、私見ではあるが巌窟王は滅多に感情を外に出さないものの、マスターを主として、共に戦うパートナーとして認めているように見えた。

 かつてマスターが夢で出会い、契約を果たしたという英霊、巌窟王エドモン・ダンテス。

 その夢の中でどのような出来事があり、結果巌窟王が英霊召喚に応じる結果となったのか、私は知らない。私を含めた他のサーヴァントやカルデア職員達も、二人が自ら語るまでは聞き出すつもりもないようだ。

 それでも、傍目に見ている者にすらわかる事はある。

「復讐者としての自分との葛藤など、自己を保っていればいいだけの話。風呂にでも入って忘れてしまえ」

 巌窟王自身も、明確な答えを求めて私に訊いた訳ではあるまい。

 恐らくは多くのサーヴァントと接する機会の多い私に、確認したかったのだろう。

 今ここにいる事が、どんな意味を持つのか。

「私を含めた、ここに在籍する英霊のほとんどがそうだ。生前の罪、自己の在り方、英霊として現界したことの意義……そんなもの、考えるだけ無駄だ、とな」

「……貴様はここに居る英霊達が皆、自己を否定しながら存在している、と?」

「否定ではない。享受だよ」

「何?」

「そんな難しい事も直に言ってられなくなるぞ」

「……?」

「あれだ」

 巌窟王が振り返る。私が指し示した先には、湯上りなのだろう、やたら無駄に豪奢なバスローブを羽織るマスターと、浴衣を着る皇帝ネロが仲良く足並みを揃えてこちらに向かって来ていた。二人とも見事なほどに肌艶がいい。

「お帰りマスター、いい湯だったようだな」

「聞いてよエミヤ! ネロが作ったバラのお風呂すっっっっっごいんだよ!」

「ふふん。余がこの手で自ら設計し作り上げたのだ! 当然であろ?」

「もう何ていうか……豪華でキレイでお姫様になった気分だよ!」

 興奮気味に迫り来るマスターとネロからは薔薇の香りがふわりと漂う。どうやら本当に浴槽に薔薇の花とエッセンスを入れて作ったらしい。

「そのローブと浴衣は?」

「ああこれ? ネロが貸してくれたの。ネロの浴衣は一回着てみたいって言うから私が見繕ったんだ」

「このユカタというやつは動きやすく通気性もよく、実に良い! 異文化交流もローマ皇帝である余のつとめ。マスターの国の文化に倣い、この後マスターとタッキューとやらを嗜む予定である!」

 浴衣姿で卓球をする皇帝ネロ……容易にその姿が想像できるのはローマ皇帝としてどうなのだろうか。本人はノリノリなので良しとしよう。

「それは良かった。ところで風呂上がりの軽食を作っておいたが、どうだね?」

 言って、予めオーブンで焼いていた、中央を少しくり貫いたフランスパンを取り出し、その上に卵を割り落とす。

「ブルスケッタと呼ばれるイタリアの前菜だ。パンにオリーブオイルを振って塩胡椒で味付けしたものにトッピングしただけのものだが、酒のつまみにも腹ごなしにもなる」

「これ、温泉卵?」

「そうだ。今日は風呂の話題に事欠かなかったからね、遊び心だよ」

「ほう、これが噂に聞く温泉卵というやつか……どれ」

 好奇心の塊であるネロがひとつを指でつまみ上げ、口にする。

「む……この滑らかな舌触り、芳醇にて濃厚な卵の味、後引く絶妙な塩加減……うまい、実にローマ味だ!」

「本当だ、おいしい!」

 温泉卵は日本を発祥とする卵の調理法だ。あらゆる卵の食べ方の中で最も消化が良く、その口当たりは滑らかで虜になる者も多い。

 加え、炭水化物と卵の相性は抜群だ。パンと一緒に食べて不味い訳がない。

「ローマに温泉卵はあったのか?」

「いや、ない。卵と言えば生で飲むか茹でて食うくらいであったからな。温泉で卵を茹でるとは余でも思いつかなかった! 褒めて遣わそう!」

「悪くないな。ワインにも合う」

 横ではさりげなく巌窟王がブルスケッタをひとつ、つまんでいた。美食で名高いフランス人である巌窟王に認められたのは正直言って嬉しい。

 と、その巌窟王に湯上りの熱も冷めやらぬマスターが突っかかる。

「そうだ、せっかくだからエドモンも薔薇のお風呂入ってきなよ」

「またその話かマスター。先程も言ったが、俺は――」

「余はローマの王にして寛大である! 巌窟王よ、貴様にも余の浴場(テルマエ)を見、触れ、入浴することを許す! いや、是非とも入るべきだ。入らなくてはいかん。そうであろうマスター!」

「そうだよ! あれを経験しないのは人生の損失だよ!」

「…………」

 怒涛のように押し寄せる二人を前に、巌窟王は見るからに嫌そうな表情をしていた。が、そんな事でこの二人を止められる筈もなく、

「ローマ!」

「ローマ!」

「…………わかった、後で入る。入ってやる。だがこれが最初で最後だ、いいな?」

 とうとう特大の溜息と共に折れる巌窟王だった。

「ようし、ではタッキューへと赴こうぞマスター! マスターといえど勝負となれば余は手加減などせぬぞ?」

「私だって負ける気なんてないからね!」

「ではコックよ、帰ってきたらその料理を肴に宴会(comissatio)を開こうではないか! 上等のワインを用意し余の凱旋を待つが良い!」

「私はコーヒー牛乳! じゃあね!」

 と、こちらの返事などどこ吹く風で去っていく。嵐のような二人だった。

 残された男二人は、どちらからともなく、共に苦笑を浮かべていた。

「……四六時中あんな奴らと接していれば、悩むのも馬鹿らしいだろう?」

 我々英霊は、様々な理由でサーヴァントとして現界している。

 その中には巌窟王のように、負の感情を原動力にする者もいる。そんな者たちの葛藤や自問自答は当然の帰結だ。

 だが、

「その通りだな……赤子に復讐の存在意義を問うているようなものだ」

 あのマスターと接していれば、そんな事は直にどうでもよくなる。

 自分が召喚された理由。聖杯にかける願い。英霊としての在り方。

 そんなものは、目の前の難題を片付け、事が全て終わってから思う存分悩み尽くせばいいのだ。

 今我々がここにいる事、その事自体を楽しまなければ損だと、ここにいる大半の英霊たちは無意識ながら思っている事だろう。でなければ、先程の黒髭、アンデルセン、ナイチンゲール、ネロのように、カルデア内がこんなにも普段から活気付くことなどありはしない。

 もちろん、私も、だ。

 さて、とせめてもの抵抗なのか、ワインとブルスケッタの乗った皿を持ち腰を上げる巌窟王。

「くだらん内容ではあるが一応、主たるマスターとの約束だ。これを肴にワインを傾け、精々楽しませてもらうとしよう」

 言って、背を向け食堂から去っていく。

 その後ろ姿からは、先程まで感じていた重い空気は微塵も感じられなかった。

 重い荷は、マスターに預けておけばいい。

 代わりにマスターを護り、全力で道を拓く。それが我々カルデアのサーヴァントの役目だ。

 我々が背負うべきは己の過去の咎ではなく、この時代の未来なのだから。

「……さて」

 私は戻って来るマスターとネロの為に、新しい食事と飲み物を用意しておくとしよう。



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薬膳鶏雑炊

「おしまいやすぅ」

 時は日付も変わる頃。

「なあ、赤いお兄やん、なんや酒のアテあれへん?」

 そう言いながらひょっこりと食堂に顔を出したのは、頭部に一対の角を生やした鬼――酒呑童子だった。その後ろには、同じく鬼である茨木童子が、不機嫌そうに周囲を警戒する姿も見える。

 彼女たちはとてもそうには見えないが、日本の昔話における、最たる悪の象徴として名を馳せる鬼そのものだ。同じ国に産まれた人間としては恐れおののくべき存在――とは言え、ここカルデアでは目的を同じくする同僚に過ぎない。

 もちろん本質が悪である以上警戒の必要はあるが、目の敵にする程のものではない……と、思いたいのが実際のところだ。

「今あるものだと……そうだな、常連の大食いが嫌うお陰でタコが余っているが?」

「ええなぁ、酒の肴にぴったりやん」

「茨木、チョコがあるが食うか?」

「あの甘黒い奴か! ふん、どうしてもと言うなら食ろうてやらんこともないが?」

「はいはい。食べ方や味付けにリクエストはあるか?」

「うちはなんでもかめへんよお」

 ならば任せてもらうとしよう。新鮮ならば刺身がいいのだが、少々鮮度が心許ないので火を通してしまおう。タコを適当にぶつ切りにし、多めのバターと塩コショウで炒める。

 ついでに余った米でマスター用の夜食でも作っておこう。土鍋に水を注ぎ、昼食の際に残ったフライドチキンの鶏骨を入れ火にかける。

 酒は飲まないが酒飲みに肴を作ったことは何度もある。酒を飲むと味覚や嗅覚といった感覚が鋭敏になり、味の濃いものや煙草などがいつもより美味く感じる。酒のつまみが総じて味付けの濃いものが多いのはその為だ。

 まあ、それらは総じて塩分や油分が多く身体に良くないのだが……痛い目を見るのもまた教訓だ。それにサーヴァント、しかも鬼である彼女たちを経口の食事で弱らせるとしたら、それこそ概念毒や呪い、または特殊な細工を施した食事が必要となる。健康を気遣ったところで徒労に終わるのがいいところだろう。

「ほら出来たぞ、言うだけ無駄だろうが、あまり飲み過ぎるんじゃないぞ」

「おおきになぁ、赤いお兄やん」

「おお、これよこれよ!」

「呑むで呑むでえ♪」

 肴とチョコの乗った皿と自前の酒を持ってうきうきと机に向かう二人。その無邪気な様は、二人とも一見小柄な少女の外見をしていることもあり、とてもではないが悪徳を極めた鬼には見えなかった。

 だが、先ほども言ったように彼女たちは紛うことなく鬼だ。悪事を働き人を喰らう、悪の代名詞と言っても過言ではない鬼なのだ。

 カルデアに召喚された英霊の中には、スパルタクスのように常時叛逆を企てる異分子もいる。彼の場合はマスターの態度次第である程度抑えられるものではあるが――酒呑や茨木のそれは本質が違う。

 共に闘う仲間を信頼したいのは私も山々だ。どこかで線を引き、お互い譲歩しつつ認め合える関係を構築したいものだが……それが難しい。そう思うと、改めてあの天真爛漫なマスターは凄いな、と感心する。

 相手が誰であっても持ち前の明るさと性格で平等に接し、気が付けばサーヴァントたちの信頼を得ている。私もサーヴァントではなく、ひとりの人間として見習いたいものだ。

 冷や飯と共に生姜、ネギ、にんにく、松の実、枸杞の実などを土鍋に放り込み、蓋をする。後は弱火で放っておけば完成だ。

 私たちサーヴァントと違い、れっきとした人間であるマスターは身体が何よりの資本。例え厨房の主などという不名誉な肩書をつけられようと、微弱ながらも私の料理が役立てれば幸いだ。もしマスターが食わなくとも、私が片付けてしまえばいい。

「なあ茨木、今、人喰いたい思うけ?」

「……そうだな、思わぬと言ったら嘘になるな」

「なんや、じゅんさい(どっちつかず)な答えしとぉてからに」

 儘ならぬ人間関係に思いを馳せていると、酒盛りを始めた酒呑と茨木の会話がふと耳に届く。そこには不穏な単語が含まれていた。

 人を、喰う、と。

 酒による酔いと、ここが食事をする場所だから思わず本音が洩れたのか――いや、そうであれば尚たちが悪い。それは、彼女たちが日常的に人を喰う化物であるという確固たる証明となる。

「そう言うお前はどうなのだ、酒呑?」

「あかんあかん。先に訊いたのはうちなんやから、茨木から言わんとうちも言われへんよ」

「む、そうだな……然り。吾は、特に喰いたいとは思わんよ。それこそ据膳の状況ならば話は変わるかも知れぬが、事実、人間よりも菓子の方がずっとうまいからな!」

「せやねえ。うちらが人喰うのは別に喰いたいからやあらへんもんなぁ」

「うむ。人間はそこをわかっておらんゆえ、吾らを悪としか捉えられん。哀れな奴等よな」

 人を喰いたくて喰っている訳ではない……?

 確かに言われてみると、我々人間は人喰いの化物に対し、『人を喰う』という事実のみを捉えているように思える。

 同種である人間が捕食対象とされる。それは人間にとっては間違いなく悪だ。同種を食い殺された憎悪、いずれ自分の身にも及ぶやもという危惧、理由は人それぞれだが悪に違いはあるまい。

 だが、我々はその人喰いの化物がなぜ人間を喰うのか、とあまり考えようとはしない傾向にあるのではないか。

 そんなもの元より知りたいとも思えないが、思考停止はよろしくない。ただ危険だから、良くないからと言って一方的に切り捨てるのは褒められたものではない。

「うちは別に悪名でええけどねぇ、名が売れた方が小僧みたいなええ男も遊びに来るしなぁ」

「くはは、酒呑の言う通りよな。獲物があちらからやって来てくれるに越したことはない」

「せやなぁ、ますたぁなんかざんぐりと(いい肉付き)しはって、ええ身体しとるもんなぁ。殺してから喰うか、生きたまま喰うたろか迷うわぁ」

「そうさなぁ、今夜あたり襲うのも一興よ。のう?」

 ちらり、とこちらを流し目で一瞥しながら、聞き捨てならない台詞と共にこちらを伺ってくる酒呑と茨木だった。どうやら聞き耳を立てていたのが二人には気付かれていたらしい。観念して鍋の火を止め、二人の元へと。

「……盗み聞きをしていたのは悪かったよ。だが、そういう話はせめて誰もいない所でしてくれ」

 聞いてしまったからには、何も言わない訳には行かない。例え冗談であろうと、たちが悪すぎる。もしこの場に頼光や牛若丸あたりがいたら間違いなく戦闘になっていただろう。

「うちはなぁ、人間が好きなんよ」

 盃を傾け、飲み干すと酒呑は語り出す。茨木も否定しない所を見ると、同意しているのだろうか。

「せやけど、うちは鬼やろ? もしうちやのぉても鬼が人と仲良うしたい、ねんごろにしてや、言うて近付いてきたら、お兄やんはどないする?」

「それは……拒否する、だろうな」

 ほぼ即答だ。自分よりはるかに強く、自分を捕食するかもしれない生物がすり寄って来たところで、そんなものは罠としか思えない。

 人と鬼――鬼だけではない、他の生物との共存とは、何かしらメリットがあって成立するものだ。

 例えば犬。犬ははるか古来より、世界単位で共存している。狩りの共として、家の番人として、友として、家族として、似た社会性を持つ犬は人の文化に根付いている。

 それら多くの理由のひとつとして、人間が犬よりも強い、という点も挙げられる。

 もちろん個体差はある。新宿のアヴェンジャーのような犬が相手であれば大抵の人間は噛み殺されてしまうだろう。だが、いかに強い個体だろうとたかが知れている。人間の叡智をもってすればどうにでもなる、という範疇に収まっているからこその共存と言えよう。

 だが鬼は別だ。彼らの社会性と言えるものは終始弱肉強食でしかなく、鬼より弱い人間はただただ一方的に嬲られるしかない。対策をしようと、同程度ないしは人を超える知能を持つ鬼相手ではいずれ破綻する時も来るだろう。

 だから人は鬼を滅ぼそうとする。鬼も黙って滅ぼされる謂れはない、当然のように反撃する。殺人、捕食は恐らくその一端に過ぎないのだろう。

 我ながらこういう言い方はどうかと思うが、人間は自分たちよりも弱い生物としか共存できない、どんな生物よりも臆病な生き物だ。だからこそ、ここまで繁栄したとも言えるが。

「そうや。うちらが人を襲い、殺し、喰らうんは言うてしまえば自然の理や。人と鬼が仲良うするなんてのは、昔も今もこの先も、絶対に、万に一つもありえへんよ」

「然り……今は人理焼却という敵あってこそ、この馴れ合いよ」

 仲の悪いふたつの勢力をひとつにまとめる方法は簡単だ。共通の敵を作ればいい。

 そこまで聞いて、ふと気付く。

 鬼という生物の存在意義。

『人間より個体として優れている』という、それだけの理由で全人類から嫌われる彼女たちの在り方は――。

「せやから、な。かるであの暮らしは悪うないよ? 今まででいっとう楽しいかも知れへんなぁ」

 人間を団結させ、強くする為に用意された、あまりにも分かりやすい、都合のいい『悪』。

 いくら相手を愛そうが、好ましいと思おうが、相手からしたら自分たちは滅ぼすべき敵でしかない。

「うちもおどれも何の因果か知らんけど、こんな事になってもぉて……人喰うて暴れ回っとったうちらが人助けやなんて、ほんま世の中わからんなぁ、茨木?」

「は、人助けなど柄ではないわ」

「せやねえ、これは遊びやさかい」

「そうよ、只の遊びよ」

 酒を呷りながら、けらけらと無邪気に鬼たちは笑う。

 茨木は知らないが、金時に聞いた話によれば、酒呑は金時の差し出した毒酒を毒と知った上で迷いもせずに飲み、笑いながら死んだと言う。

 それが自分の愛する人間の出した答えならば、と笑いながら彼女は滅びた。

 正義とは。悪とは。

 生前、脳が擦り切れる程に悩んだ問いだ。未だに答えは出ていない。

 初めから答えなどないのかも知れない。

 だからという訳ではないが、人類の存続を唯一の聖典とし、私は駆け抜けた。その末路はご覧の通りだ。

 オレは、愛する一人の者の為に死ぬことは出来なかった。一の幸せよりも十の幸せ。十の命よりも百の命。正義を算盤ではじき出した数字に求めた結果だ。

 対して酒呑の出したその答えは、きっと、相手の全てを許容するものだ。その覚悟は、愛されたい相手に愛されず、あまつさえ絶対悪として殺される事さえも厭わなかった。

 オレと切嗣が掲げた理想は、愛する一人の人間を救うものではなく、『人間』という超個体を救う為の方便。酒呑の思想の矛先はまるで別方向だが――何故か、酒呑に共感する部分がある。

「……そないに難しい顔したらあかんよ。男前が台無しやで?」

 見ず知らずの他人に向ける、無償の愛だ。

「死に際に小僧にも言うたけど……ええんよ、これで。うちが勝手にやってる事やさかいに」

「然り。同情なんぞするでないぞ、赤い人よ。それこそ吾らに対する侮辱と受け取るぞ」

「あかんあかん、うちらしくもない。やっぱり男前と呑むと口の滑りもようなってもぉてあかんなぁ」

 ふざけてみせるその姿には、どこか寂寥感が漂っていた。

 泣いた赤鬼、という有名なおとぎ話がある。

 あれは人間と仲良くしたい赤鬼の為に、乱暴者を演じる青鬼との友情、人と鬼との確執を描いた物語だが、それに似たものがある。

 愛する者がより良く生きられるように。より良い進歩を遂げるように。自らを悪と定義し犠牲にするその精神は、生半可な覚悟で得られるものではない。

 常時酒を手にふらふらと遊び、気に入った人間をからかい尽くし、煙に巻く。

 そんな自由気ままな振る舞いの裏でふと想う彼女達の孤独は、如何ばかりのものなのか――。

「…………っ」

 いても立ってもいられず、厨房に向かい鍋を強火にかけると溶き卵を入れてすぐに消す。

 ヴラド謹製の鍋掴みを装備し、土鍋を二人の元へと運ぶ。

「……良かったら食ってくれ。マスターの夜食にと作ったものだが、酒の締めとしても優秀だ」

 叫びそうになる衝動を料理にぶつけ、半ば強引に勧める。

 こんな事で誤魔化されるとは思わないが、他に彼女たちに言うべき言葉が見つからない。

「美味いもん食えるんはええけど……なんやのんこれ、白うこごって見た目悪いなぁ」

「鶏雑炊だ。出汁も一からきちんと取ったから味は保証しよう」

 雑炊は出汁が命と言っても過言ではない。今回使ったのはフライドチキンの骨だが、店物のスモークチキンやフライドチキンの類は圧力鍋で作られているものが多く、骨に鶏の旨味が凝縮している。

 出汁を取るのに使えば普通の鶏骨よりもはるかに美味いものが出来るのだ。無論、灰汁取りなどの手間は必要だが。

「はふ……へえ、言いはった通り、飲みの締めに丁度ええね。今まで食うた雑炊の中でいっとう美味しいなぁ」

「な、中々やるな赤い人よ……あのいつでもちょこれえとをくれる緑の人と甲乙つけたがたい……ううむ」

「……私を奴と比べるな」

 緑の人とは恐らくロビンフッドの事だ。以前、酔いながら鬼の餌付けに成功したとか言っていたので、その事だろう。と言うか、チョコを常備しているのかあいつは?

「その雑炊には生姜に枸杞の実など巷で薬膳と呼ばれる強壮作用もある。身体にもいいぞ」

「へえ、薬膳なんてこないに汚れた身体には逆に毒になりそやなぁ」

「無限のちょこれえとと……量は少ないが唯一無二の膳……吾はどちらを選べばいい……?」

「そんなん両方に決まっとるやん。好きなだけ奪うんがうちらのやり方、やろ?」

「なるほど……うむ、酒呑の言う通りだ。と言うわけだ赤い人、もっとよこせ!」

 空になった鍋を突き出し、茨木が言う。

「それしかない。新しく作るから少し待っていろ」

 罪滅ぼしという訳ではない。そんな想いを抱く事は彼女たちにとって失礼だ。

 だが、今日ばかりはこの胸の奥を焦がした激情の礼に、いくらでも我儘を聞いてやろう。

 と、

「こないに美味いもん食えるやなんて、嘘でもたまにはええ事言うてみるもんやねえ茨木」

「くはは、そうだな………………む? どうした赤い人」

「……おい」

 今、嘘と言ったか。

「くっははは! 騙されたな人間!」

「ふふん、騙してこかして総取りはうちらの十八番やでぇ?」

「そうよ。吾らの法螺話に騙されるとは、まだまだだな?」

「うちらにそないな美談ある訳ないやろ。ちょぉと考えたらわかる思うんやけどなぁ」

「…………」

 私の感動を返せ、とでも言いたかったが――。

 けたけたと私を嘲笑う鬼たちを前に散々にこき下ろされ、言い返す気力もなくなってしまった。諦めて二人に背を向ける。もちろん追加の雑炊はなしだ。

 それに、だ。

 酒呑は先ほどの話を嘘とは言ったものの、本当ではないと言った訳ではない。人を好む鬼の本心は酒呑の胸の内深く、解らずじまいだ。

 今回はそれで良しとしようじゃないか。

「まぁふざけただけやし、そう怒らんといてや。今度、うちのこさえたぶぶ漬けご馳走したるさかい、楽しみにしとき」

 そう言えば鬼ヶ島では茶店を開いていた、と聞いた。そこそこ料理の心得はあるのだろう、と推測できる。

 鬼の作ったぶぶ漬け……か。怖くはあるが少し興味はある。

 その期待を慰めに、今日は眠るとしようか……。

 と、

「何やのん小憎、さっきからそないにこそこそしよてからに」

 酒呑が食堂の入口に向けて声をかける。そこには、気付かなかったが坂田金時がこちらを伺っているように見えた。入口の扉に隠れているようだったが、その筋骨隆々の恵体は扉程度で隠し切れるものではなく。

「出て来ぃや、うちと呑みたいんか? そやったら歓迎したるでえ?」

 観念したらしく、すごすごとその巨体を縮めてこちらにやって来る。

 何かあったのか、一目でわかる、いつもの豪放磊落な金時らしくない大人しい様子だった。

「……酒呑。恥を偲んでてめェに頼みがある」

「へえ?」

 酒呑の前に立ち、頭を掻きながら頬を染め、視線も定まらず落ち着かない。

 ただ事ではなさそうだ。こんな金時は初めて見る。

 茨木でさえ大人しく金時の言葉を待っていた。酒呑だけが、くいっと盃を傾け、いつも通りに妖艶な笑みを浮かべていた。

「その……よ、明日、単車出すから一緒に行って欲しいとこがあンだけど……」

「車て、あのきんぴかくまさん号やっけ? うち、あないなはいからな乗り物、苦手やねんけど」

「ゴールデンベアー号だよ! って違ぇ!」

「わ、わ、ちょっと、小僧?」

 このままでは埒が明かない、とでも思ったのか、金時は酒呑の肩を掴み強引ににじり寄る。

 そして、

「俺と、付き合ってくれ!」

「――――」

「――――」

「――――」

 金時の野太くも良く通る声が、やけに大きく食堂内にこだました。

 私と茨木はともかく、あの隕石が落ちようが火山が噴火しようが平然と笑っていそうな酒呑でさえ真顔で固まっている。

「頼む!」

「え、あ、はぇ?」

 あろうことか、加えて腰を九十度曲げて頭まで下げる金時。あまりの急展開に、誰もがまともな思考すら出来ないでいた。

 あの金時が。

 あの酒呑に。

 数は少ないとは言え、衆目の下であんな告白を。

 頼光は無表情で剣を抜くだろう。牛若丸は怒り狂うだろう。小太郎は金時をナイチンゲールの下へ強制連行するかも知れない。幸運なことに、彼らはここにはいないが。

「え、えぇと……小僧? それ、うちに言うてはるん?」

「他に誰がいるよ。てめェじゃなきゃダメだからこうして頭下げてんだろ」

「あ、そ、そうなんや……え、と……」

 赤くなったり、驚いたりと目まぐるしく酒呑の表情が変わる。さっきの真顔と言い、こんなにも多彩な酒呑の表情を見るのは初めてだ。

「そ、そや、ちなみにどこ行くん?」

「あー……その、クレープ屋だ」

「くれえぷ?」

「卵を薄く焼いてクリーム等を挟んだ西洋の甘い菓子だ。年頃の女性が好んで食う」

「さっきマシュとマスターが話してたんだけどよ……ゴールデンでグレートなクレープ屋台が今、新宿に出てるらしいんだよ」

「はぁ?」

「野郎が一人でガキと女だらけのクレープの屋台に並べるかって話だよ! 全然ゴールデンじゃねェだろ!」

「…………へぇ」

「マスターや後輩にカッコ悪ぃ所見せたくねぇし、大将なんかに言った日にゃあ武士(もののふ)としての生き方について一日説教だ。あと誘える女っつったらお前くらいしか――あ痛っ!?」

 次の瞬間、金時の後頭部にレンゲと木製の鍋敷きが直撃した。私と茨木が投げたものだ。ほぼ同時だった。もの自体は大したことないとはいえ、鬼の力とアーチャーである私によって投擲されたものだ。それなりに痛いはずだ。

「さて、吾は帰って寝るぞ、酒呑」

「私も後片付けをして寝るとしよう」

「おやすみやすぅ。さて、興も削がれたことやし、うちも寝よかい」

「お、おい酒呑! 返事聞いてねえぞ!」

「……しゃあないなぁ」

 盃の酒を飲み干すと、酒呑は新たに酒を注ぐ。同じように、さっきまで茨木が呑んでいた盃にも同じように注ぎ、金時の前に置いた。

「付き合うたるから、小僧もうちに付き合いや。な?」

 その顔が、どこかいつもより嬉しそうに見えたのは、私の気のせいだろうか。



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影の国アイリッシュ・シチュー

 その日、サーヴァントとしての役目を終えていつも通り食堂へと向かうと、厨房の中には先客がいた。客席にはちらほらと職員やサーヴァントの姿が見えるだけで、混んではいない。もう一時間もすれば、夕食を目的にやって来る者達でここも賑やかになることだろう。

「――――」

 自分の見間違いか、もしくは久しい出撃で疲れているのか、と思い目をこするも虚しくその光景は変わらない。

 艶やかな紫の長髪。見る者が見れば一眼で武芸の達人だとわかる佇まい。加えてなぜか縦のラインが入ったセーターにロングスカートを着た上、エプロンを着けるスカサハの姿がそこにはあった。

 鍋の前に立ち、レードルに口をつけている所を見ると、もしかしなくとも何か料理を作っているのか。

 彼女は食堂に来る事すら稀なのに、その上料理とは無縁のイメージが強い。

 あらゆる面で純粋な強い女。女である前に、生粋の戦士。

 それがカルデアにおけるスカサハの印象だ。他のサーヴァントや職員に聞いても大差はないのではないだろうか。

「すまないな、エミヤ。勝手に使わせて貰っているぞ」

 と、驚愕と戸惑いに声を掛けるのも忘れて突っ立っていたところを、流し目で指摘される。だいぶ前から気付いていたらしい。

「いや、元々私の私有物でも何でもない。ただカルデアの財産である以上、節度を持ってくれれば誰であろうと使って貰って構わんよ」

「そのつもりだよ。どれ、私を見て呆ける暇があるのなら手伝ってくれぬか?」

「…………そうだな、承った」

 戦士たるもの、いついかなる時も平常心を忘るる事なかれ、と暗に言われた気がした。ましてや相手が戦女神に近しい存在であれば沁み入ることこの上ない。

「何をすれば?」

「じきに完成する。汁物を入れる皿を四つ、出してくれるか」

 大人しく言に従いエプロンを投影、棚から食器を取り出す。

 と、今までスカサハに意識が寄っていた為気付かなかったが、カウンターには既に客がいた。

 ミルクを傾けるダビデに、スカサハに呼ばれたのか、不貞腐れ顔のランサーのクーフーリン。手持ち無沙汰なのか、二人で何やら話している。

「縦セーターにエプロン……あれは卑怯だとは思わないかい、クーちゃん」

「そうかい。あんなのがいいたぁ、あんたも相当な物好きだな。あとその呼び方やめねえとぶっ刺すぞ」

「いやいや、文句のつけようがないくらいにアビシャグだよあれは」

「……あんたが女好きなのは知ってる。他人の惚れた腫れたに関わる気もねえ……だが、一応関係者として警告はしとく。やめとけ」

「どうして? 自分の師匠を取られるのが癪なのかい?」

「全然。丸く収まってくれんなら大歓迎だ、是非持ってってくれ。だけどなぁ、ありゃ女の形をした他の何かだぜ」

「でもいいじゃないか、あの後ろ姿はアビシャグものだよ。まるで団地にある五階建てマンションの隣に住む夫は単身赴任であまり家におらず会うと必ず無愛想ながらも挨拶してくれて食事は毎日外食かコンビニ飯の僕の体調を慮って時折肉じゃがやおでんと言った家庭の味を作りすぎたから貰ってくれ口に合わなければ捨ててくれればいいとお裾分けしてくれる小学生くらいの可愛らしい娘が一人いる料理と裁縫が趣味の五年振りに会った暁には全く変わらない容姿で『でかくなったな』なんて途方もない包容力と共に迎えてくれる若奥様のようだよ」

「キャラ付けが長えよ……けっ、何が若奥様だ。大体師匠が何歳だと思っ――うおわっ!?」

 酒も口にしていないのに管を巻くクーフーリンの目の前に、目にも留まらぬ速さで投擲された中華包丁が、すこん、といい音を立てて突き刺さる。

「スカサハ、カウンターを壊してくれるな」

「ああすまん、眉間を狙ったのだが槍以外の扱いは不得手でな、狙いが外れた。なに、もし壊れたらそこの馬鹿弟子に修理させよう」

「んなっ、だっ、なんで俺が、」

「何か文句でも?」

「…………いや」

 殺気溢れる笑顔で凄まれては、何も言えず首肯するしかないクーフーリンだった。いい気味だ。

「ところで、あそこの二人ではないが、その服はどこで調達した?」

 服は魔力で編むサーヴァントに衣服は必要ないし、スカサハが趣味でこんな服を持っているとは到底思えない。

 もし私が趣味で作った、なんて言われた日には、カルデアに未知の病原菌が蔓延していると疑うだろう。それ程にスカサハには相応しくない服だ。

 いや、ダビデの言う通りこの上ないほど似合ってはいるのだが。

「この服か? 普段着を持ち合わせていない、とマスターに相談したらくれたものだ」

 動きにくいがなかなか暖かいぞ、と微笑を浮かべて見せるスカサハだった。

 何だか全力でマスターの趣味が入っている気もするが、スルーしておこう。私も命は惜しい。

 服の話題で茶を濁しはしたが、それよりも、最優先で聞かねばならない事がある。

「……何故料理をしているのか、聞いても?」

「ああ……私が料理など似合わんからな。何が起こったと思われても仕方がない。最もな疑問だ」

 鍋の中身を盗み見ると、大き目に切られたじゃがいも、にんじん、玉ねぎ、牛肉などがごろごろと煮えている。材料から見るにクリームシチューだろうか。だがシチューにしてはルウや牛乳が見当たらない。

 傍らに置いてある調味料は塩こしょうにパセリやタイムといった香草の数々、そしてビール……ビール?

 まさか調理しながら飲むわけではあるまいし、煮込み料理にビールを使うとは珍しい。

 勝手に料理について考察していると、弱火にかけた鍋の中身をレードルでゆっくりかき回しながら、スカサハは続ける。

「なに、単なる慰労だよ」

「慰労? 貴女のか?」

「いや、そこにいる不肖の弟子にな」

「――――」

 と、流し目でクーフーリンを指すスカサハだった。

 当の本人はどんな心持ちなのか、目を見開いて固まっている。

「私の許可もなくねずみのように増えた馬鹿弟子どもも、たまには労ってやらんといかんと思ってな。らしくもないが故郷の料理を食わせてやろうと思い立ったのだ」

 その横顔は、こう言っては何だが、慈愛に溢れたものだった。

「やあ、いいお師匠じゃないかクーちゃん。僕の彼女に対するDP(ダビデポイント)急上昇中だよ!」

「なんだこれ……なんだこの状況……嫌な予感しかしねえぞ……」

「スカサハ殿、良ければ今夜僕と一杯美味い酒でも酌み交わしませんか?」

「身に余る光栄だが、私はただの槍を振り回す事しか能のない一介の戦士だ。貴方に釣り合う女などではない」

 止める隙もなくナンパを始めるダビデを軽くあしらうスカサハだった。

(クーフーリン曰く)冷酷で、比武にしか興味のない女性と聞いていたが……先程のような女性らしい表情も出来るのか。

 だから、と言うわけではないが、その彼女が作っている鍋の中身に興味が湧いた。

「これはなんという料理なんだ?」

「現代風に言えばアイリッシュシチューだな。具はお主が作るクリームシチューと同様だが、味付けは塩だけで作る」

 セタンタやフェルグスとも良く食ったぞ、と付け足す。なるほど確かに素材と基本的な調味料さえあれば作れる内容だ。作り方もシンプルな故に、文化として根付いたのだと予想できる。

「なるほど。ビールを入れたのは肉を柔らかくする為か?」

「そうだ。本来ならば羊肉を使うのだが、ここには無かったのでな」

 羊肉は焼肉にすると美味いのだが、香りに癖があり好みが分かれる上に調理も難しい。厨房に常備してあるのはオーソドックスに豚、牛、鳥だけだ。

 アイリッシュシチュー、か。素材と調理方法で大体の味の予想はつくが、聞いたこともない料理な上に、あのスカサハが作ったものとなれば、私も是非後学の為にも食べてみたい。そう思い、

「良ければ私も一口、頂いてもいいかな」

 その問いに、スカサハが珍しく目を見開いて驚いていた。戦闘中であろうと表情ひとつ崩さない彼女が、だ。そんなに意外な事を言ったつもりはないのだが……。

「ただの好奇心だよ。無論、無理強いはしないが」

 などと、思わず半身退いてしまった。普段とは違うスカサハの様子に気圧されたと言ってもいい。

「お主も物好きだな。自分で作った方が確実に美味いぞ」

「日常的な料理をする身としては、貴女の作品に興味が尽きなくてね」

「あ、くれるのなら僕も食べたいな」

「……セタンタ共に食わせる分があるからな、一口だけなら構わんよ。だがそれ以上は許さん」

「ああ、十分だよ」

「ほれ」

 ダビデと共に、小皿に牛肉と野菜を各一つずつ盛ったものを受け取る。

「いただきます」

「普段は無骨な女戦士が手ずから作った家庭料理……いいね、すごくいい」

 料理当番であるブーディカやキャットを除けば久々の他人の作った料理だ。

 しかも相手はあのスカサハ――それなりに覚悟を決めて箸でつまんで口に入れる。

「…………!」

 味はスカサハの言う通り塩味一辺倒だが、煮崩れる寸前まで煮込まれた野菜に染み付いた香草の癖のある香りがあとを引く。ビールによって柔らかくなった牛肉も独特の弾力が心地よい歯応えとなって生きている。

 全体的に評するのならば、力強い味。

 これは単品ではなく、付け合わせにパンやライスなどの穀物類を足すことによって真価を発揮する味だ。主食をその少々強いとも思える塩辛さと様々な食感で飽きさせずに進ませる、日本食における肉じゃがのような立ち位置だと予想できる。

「これはいけるね……本当に郷土料理って感じだ。懐かしい味がするよ」

 それに、ダビデも言うように味付けこそ素朴で単調ではあるが決して不味くはない。小細工に頼らず素材の味だけで勝負する料理だ。

 何とも単騎駆けの正面突破を好むスカサハらしい料理とも言えた。

 ああ、一緒に焼きたてのパンが食べたい。

「どれ、どうやら出揃ったようだな」

 未知の料理にしばし浸っていると、いつの間にか食堂には役者が揃っていた。

「なんだよ師匠、急に呼び付けたりして」

 最初からいたランサーのクーフーリンに加え、キャスターのクーフーリン、若き頃のランサーのクーフーリン、バーサーカーとして召喚されたクーフーリン・オルタまで集まっていた。先ほどからのスカサハの口振りからするに、どうやらスカサハが全員集めたらしい。そろそろ光の御子がゲシュタルト崩壊しそうである。

「日頃からの感謝の意を込め、貴様らに料理を振る舞おうと思う」

「はァ?」

「……感謝? 悪意の間違いじゃねえの?」

「拒否することは許さん。食え」

「…………」

 クーフーリン達が互いに互いの顔を突き合わせながら困惑している。

 それもそうだろう、私とて同じ状況になれば間違いなく混乱する。

「おい、槍の俺。なんだよこれは」

「知らねえよ、俺だってさっき呼び出されたばっかで訳わかんねえんだよ」

「正直言やぁこんな気持ちの悪いもん食いたかねえが……」

「食わずに逃げる方が怖ぇ……か」

 いくらクラスや年齢が違えど根は同一人物。結論は皆一緒らしく、オルタでさえもなにも言わずにスカサハの盛ったアイリッシュシチューの前に座り、もくもくと食べ始める。

「んじゃ、いただきます……」

「…………」

 しばし無言の咀嚼音だけが食堂に響く。

 同じ顔が四人も揃って無言で食事をするというのはどこかシュールだった。

「どうだ、うまいか?」

「あ、あぁ……うまい……多分」

「なんだ、その歯切れの悪い回答は」

「いや、師匠の作ったもんだからどんなキワモノかと思いきや、普通に美味くて反応に困るんだよ」

「何を言うか、貴様らがまだ尻の青い頃は良く作ってやったではないか。忘れたのか?」

「忘れるかよ……このシチュー一皿の為にフェルグスやフェルディアと殺し合いさせたのはどこの誰だよ」

「ったく、塩加減も直せって何回も言ったじゃねえか。師匠が作るシチューは辛いんだよ」

「そんな事もあったか? ふふ……忘れたな」

 かつての修行の日々を思い出したのか、目尻を柔らかく細めるスカサハの横顔が見えた。

 どんな姿であろうと、スカサハにとってクーフーリンは最も優れた弟子だ。想像だが、育ての親に似た感情もあるのかも知れない。

 馬鹿な子ほど可愛い、という言葉もある。その点、クーフーリンは猛犬の二つ名通り、英霊となっても大人しく責務を果たすような男ではない。

 その義理堅さは数少ない評価点となり得るが、奴は理屈ではなく直感と本能とその場の気分で動く。基本、合理主義である私とは根本的にそりが合わないのもその為だ。

 話を戻すが、そんな愚直なまでに我を通し続け歴戦を潜り抜け、今も戦い続ける殊勝な弟子を労ってやろう、というスカサハの親心もわからなくもない。

 いくら年月を経ようと親にとって子は子であるのと同じく、スカサハにとってクーフーリンやフェルグスは何処まで行っても手塩にかけて面倒を見た弟子だ。

「師弟愛……ってやつかな? ちょっと強引な気もするけど、彼女らしいといえばらしいね」

「……そうだな」

 普段は厳しくも自ら前線に出て戦士としての生き方を教え、憩いの時間には不器用ながらも労う。

 いい師匠ではないか。奴には勿体無いくらいだ。

「ごちそうさん」

「うむ、お粗末様。全員、全部残さず食ったな」

「ああ、最初は何事かと思ったけど、たまにゃ師匠の塩辛い料理も悪かねえな」

「そうか、では――」

 と、

「――構えよ」

 一瞬にして霊基を解放し、エプロンとセーター姿からいつもの動きやすい戦闘形態へと霊衣を変える。

「な……」

「今、貴様らの食べたシチューには毒を入れてある。神格を持つサーヴァントであろうと問答無用で冒される、毒に最も長けた暗殺者が丹念に創り上げたものだ」

「はあ!?」

「……僕も何だか吐き気が……エミヤ?」

「…………ああ。私もだ」

 毒に長けた暗殺者……静謐のハサンのことだろうか。

 ダビデと同様、私もサーヴァントになってから体験した事のない頭痛と吐き気がする。

 正直言って、かなり辛い。まだ孔明の宝具で呪いの魔術を受けた上で酒呑の毒酒を呷った方が楽なくらいだ。

「本来ならば死に至る毒を盛るつもりだったが、残念ながら貴様らはカルデアの戦力ゆえ殺すことは出来ん。だが死にはせんと言うだけで、丸三日は死痛にのたうち回る事になるであろう」

「――――」

「それこそ、死んだ方がマシだ、と思う程度にはな。そろそろ効いてくる頃だろう?」

「マジ……かよ……ぅおえっ」

 若き頃のクーフーリンが吐き気を催したのか、口を押さえて青い顔をしていた。他のクーフーリンも似たような有様だ。

 少量食った私とダビデですらこれ程に辛いのだ。一皿平らげた奴らはどれ程の……。

「死痛から解放されたければ――私からこの解毒剤を奪って見せよ」

 と、胸元から小さなビニールに入った四粒のカプセル錠を取り出して見せる。

「戦士は窮地にて本領を発揮すべし。殺す気で掛かって参れ!」

「おい、どうする術の俺……四人がかりで師匠をぶっ倒すのと、毒の出所を突き止めて解毒剤作らせるの、どっちが早ぇ!?」

「馬鹿野郎、師匠がそんな詰めの甘いことするかよ……予めそこら中に根回ししてるに決まってんだろ……!」

「後はマスターに泣きついて師匠を……いや、んな事したらそれこそ二度と朝日の拝めねえ身体にされちまう……か……」

「……やるか」

「やるしかねえ……な」

「みんな、得物は持ったな!」

「全呪……開放……!」

 どうやらクーフーリン達の意見も一致したらしい。

 オルタが全力の戦闘態勢に入るのを皮切りに、全員が必死の形相で得物を構えてスカサハに向き直る。

「スカサハ、横槍を入れるようで悪いが、一ついいか」

「なんだ」

「……ここではなく、外でやってもらえるか」

「うむ、確かにそうだな。ではついて参れ」

「――――――――!」

 恐らくはカルデアの外へと向かったのだろう、クーフーリン達の悲鳴にも似た四つの号哭を従え、スカサハは俊敏に食堂を後にする。

 残された私とダビデだが――、

「……とりあえず、静謐ちゃんの所に行こうか」

「そうだな……事情を話せば解毒剤も貰えるだろう……時に、ダビデ」

「なんだい?」

「彼女のあのやり口を見た後でも口説けるか?」

「うん? 当たり前じゃないか」

「そうか……凄いな」

「またあの縦セーター着てくれないかなぁ」

 その後、屍山血河の努力も虚しく、カルデア内で四人のクーフーリンが意識不明の重体で発見されるのは半日後の未来の話。

 スカサハだけは何があっても怒らせてはならない。

 そんな事を学んだ事件だった。



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人斬りお刺身定食

 それは、夕食時のことだった。

「……強くなりたい」

 マスターが夕餉を前にぽつり、と小さく、それでいて強い意志を含んだ芯のある言葉を発したのは。

 その場にいた私を含めたサーヴァントの面々が例外なく、普段聞き慣れぬマスターの台詞に各々反応する。

 食堂の隅でたくあんを肴に、熱燗で少しずつ唇を濡らす土方歳三。僅かにその狂戦士にしては狂気の色が薄い眼を細めるのが見て取れた。

 酒は嫌いなのか、その対面で土方と会話を交わす訳でもなく、ただ暇そうに頰を机に擦り付けていた沖田総司。退屈凌ぎでも出来たと思ったか、その猫のような大きい眼に好奇心の色が灯る。

「……突然どうしたのかね、マスター」

 放っておけば誰かが訊いただろうが、この場の最古参として、彼等を代表してマスターに問い掛ける。

 ここにレオニダスがいなくて助かった、と思う。もし彼がいたら、筋肉の素晴らしさと肉体鍛錬について怒涛の如くまくし立てる姿が容易に想像できる。

「何か気になることでもあったのか?」

「ううん、特に何かあった訳じゃないけど……ほら私、いつも守ってもらってばかりだから」

「何言ってんですかマスター。将軍様を守るのが、」

 沖田が席を立つとマスターの向かいに座り、私たちの役目ですよ、と続ける。

 沖田の言う通り、マスターとサーヴァントの関係は使い魔とその主人だ。マスターは司令と後方支援が役目であり、前線に出て戦う事はほぼ皆無と言ってもいい。

 それはそうだ、腕の一振りで人体を破壊するような力を持つ敵を前に生身の人間が先んじるなど、自殺行為に等しい。

「そりゃサーヴァントのみんなより強くなれるとは思ってないけど……やっぱり、さ。いざという時に自分の身を守れるくらいの強さは欲しいな、って」

「なるほど……とは言っても、そう簡単に一朝一夕で身につくものでもないですよ」

「ええー、なんかないの? こう、バーっと沖田さんみたいに強くなれる心得とかコツとか」

「無茶を言うものではないぞマスター」

 そも強さとは鍛錬の結果であり、日々の積み重ねによって作り上げられるものだ。

 例え相手が稀代の剣士、沖田総司と鬼の新撰組副長、土方歳三が相手とて無理な話である――はず、なのだが、

「それじゃあ優しくカワイイ沖田さんが手っ取り早く強くなる方法を伝授して差し上げましょう!」

「やった、さすが沖田さん! なになに、剣術でも教えてくれるの?」

「剣術? 剣術なんか習ったところで強くはなれませんよ?」

「え?」

「少なくとも沖田さんの時代ではあんなものは既に様式美ですよ。まあ身体は鍛えられますし、戦いの手段のひとつにはなりますが、どれだけ鍛えたところで急所を刀でひと突きされたり、鉄砲で撃たれたら人は死んじゃいますからねえ」

「そりゃそうだろうけど……それじゃあ、沖田さんが言う強くなる方法ってなに?」

「よくぞ聞いてくれました! それはですね、ずばり、人を斬ればいいんです!」

「――――」

 沖田の底抜けにあっけらかんとした声音に、マスターが思わず絶句する。

 それもそうだ。

 沖田総司と言えば日本人ならば誰でも知っている名高き新撰組一番隊隊長――だが、実際会ってみればなんてことは無い、どこにでもいそうな女の子だ。

 病弱であることをカバーするかのように冗談を言い気丈に振る舞い、いつも笑顔を絶やさない元気印のサーヴァント。それがカルデアにおける沖田総司という剣士だ。

 その沖田総司の口から出た言葉は、強くなりたければ人を殺せばいい、と言う。

 毎日のように天真爛漫に信長と夫婦漫才を繰り広げている沖田とは思えない言葉だ。

 そんな普段と違う雰囲気の沖田に呆気に取られている私とマスターに対し、沖田は興奮気味に続ける。

「いいですかマスター。敵に勝つ、ということは極論、相対する敵を行動不能にする――つまり息の根を止めることです。どんななまくらな腕の人間だって、人を何人も何人も斬っていくうちに相手を倒せるコツが――」

「沖田」

 と。

 何かを察したのか、今まで沈黙を保っていた土方が沖田の名を呼ぶ。

 その声は低く重く、殺意すら含まれているとさえ感じる。眼の色を変えた沖田を止めるには十分過ぎた。

「眼ェ濁ってンぞ、顔洗って来い。それとも腹ァ斬りてえか」

「……はい」

 すみませんでしたマスター、と土方に咎められて正気に戻ったのか、視線を伏せて申し訳なさそうに縮こまる沖田だった。

「いやあ、あはは……人斬りの話になるとテンション上がっちゃって……ほらー、沖田さんの唯一の取り柄ですから」

 なんて笑いながら冗談めかして取り繕うも、いつもの天真爛漫ぶりに精彩は見られない。本人の言う通り、何か変なスイッチが入ってしまったようだ。

「……まあ、沖田の言ってる事ァ間違ってる訳じゃあねえ。許してやれ」

 どのような腹積もりなのか、殺伐とした空気の中、土方が便乗して話を続ける。

やっとう(・・・・)なんて実戦じゃ糞の役にも立たねえよ。沖田の言う通り、強くなりてえってのが敵を倒すって事だってんなら、」

 なるべく多く、人を殺す為に刃を振るう事だな。

 と、土方は言い切った。

「――――」

 マスターは何と返していいかわからずにいるのか、まばたきもせずに絶句している。

 そんなマスターに追い討ちをかけるかのように新撰組副長、土方歳三は続ける。

「おいマスター、なんだその顔は。俺と沖田を何だと思ってンだ」

「何、って」

 新撰組副長と、一番隊隊長。その筈だ。

「ただのたくあん好きの親父とはしゃいで血ィ吐く面白え馬鹿じゃねえぞ。もっと始末が悪い(・・・・・・・・)。何故だか現代じゃ妙に持て囃されちゃあいるが、俺等ァ只の人斬りだぜ」

 と、自虐的に嗤う。皮肉にも今日初めて見た土方の笑い顔だった。

 信長が時々沖田を評して弱小人斬りサークルの姫め、とからかう事があるが、あながち間違ってはいない。

 新撰組の前衛組織である壬生浪士組は、元々権力を持つ者が明確な目的の下に作った正式な組織ではない。

 各々の思惑こそあれど、成り立ちを見ると偶然出来てしまった、と言っても違和感はない程だ。面子も九割が武士ではない農民や平民で、悪く言えば少々腕に覚えがある者の寄せ集めである。

 それを歴史に大きな名を残す組織にまで伸し上げた、近藤、土方を含める隊員達の手腕は流石と言うべきだが。

「……そうですね。新撰組は、誰かを斬る度に大きくなりました。個人の能力も。新撰組そのものも」

「しかもその殆どが仲間殺しだ。勝手に組作って勝手に殺し合ってんじゃあ、世話ねえよな」

 土方の言う通り、新撰組の大きな特徴のひとつとして、戦闘による討死よりも内部粛清による死亡数の方が多かった、という事実がある。

 初代新撰組局長・芹沢鴨を筆頭に、副長・山南敬助、参謀・伊東甲子太郎、五番隊隊長・武田観柳斎、八番隊隊長・藤堂平助など、その全てが士道不覚悟による粛清の名の下に断罪されている。幹部クラスでもこの数なのだから、一般隊士はもっと多いのだろう。

 そして沖田も言ったように、これらの事件が起こる度に新撰組という組織は強く大きくなって行った。

「他の奴らはどうだったか知らねえが、沖田も俺も、やれ佐幕だ何だと綺麗事を抜かしちゃいたが、根っこの所じゃ人斬るのが大好きなんだよ。だから死んだ後ですら聖杯なんて与太に騙されてンだ」

 その時私は、土方歳三という一介の人物がバーサーカーとして召喚された理由を、垣間見た気がした。

 人を斬る、相手を倒す、正面切って表現してしまえば他人を殺す。

 それは弱肉強食に当てはめると、相手より優れているという事になる。私も正直、生前も戦闘の末に倒した相手に対し、優越感を覚えた事がないと言えば嘘になる。

「……そうだな。土方の言う通り、強くなりたいと言うのならば、実践に勝る経験はないのは確かだよマスター」

「エミヤ……」

 土方の言うことは最もだ。正論過ぎて返す言葉すら見つからない。

 短絡的だと思うし、言い方はどうかとも思うが、私も人を殺せば強くなれる、という点に関しては同意できる。

 目の前の相手を倒す。次の相手も倒す。次の次の相手も、次の次の次の相手も倒す。相手がいなくなるまで生き残れば名実共に間違いなく最強にはなれる。

「だがなマスター、他人の命を奪う事を前提とするこの方法では――何も、得られない」

「…………」

「そうだ。強くなりたきゃ自分以外皆殺しにすりゃいい。それが一番手ッ取り早ぇ。だが人殺しはどこの国、いつの時代だって大罪だ。跡に残るのァ死体の山と次の敵よ。全人類皆殺しにするまで終わらねえ」

 何か思うところがあったのか、そんな事出来る訳ねえのにな、と誰にともなく土方が柄にもない言葉をこぼす。

 土方は新撰組の隊員の中で唯一、結成から解散までの終始を一貫して戦い続けた男だ。晩年においては意地のようなものさえ汲み取れる。

 どんなに桁外れの能力を持っていたと仮定しても、個人が殺せる数などたかが知れている。

 例えうまくやったとしても、辿り着く先は――私や土方、沖田のような、人殺しが上手い傭兵くずれだ。

「んもう、土方さんの話は飛躍しすぎですよ。なんで人類皆殺しまで発展するんですか」

「うるせえ」

「さっきも言いましたがマスターを護るのは私たちサーヴァントの役目です。マスターは今のままでいいと思いますよ」

「俺たちはかつて幕府の刀だった。今はお前さんの刀だ、マスター。刀は敵味方問わずに良く斬れるが、自分から何かを言ったりはしねえ。持ち主に従うのが正しい刀の在り方だ。主人の代わりに手を血で染めるのが俺たちの仕事だが、その行為そのものに意味を持たせるのは上に立つモンの仕事だ」

「意味を、持たせる……」

「はい、マスター次第で私たちは極悪人にも救世主にもなれますから」

 強くなることとは、決して敵を打倒することだけではない。

 相手を説得することの出来る弁舌も強さであり、金で解決できる財力も強さだ。

「要は強さとは、自分の思うままに他人を動かせる力のことだよ、マスター。今の君には、充分にその力があると思うが?」

「お前さんなら、俺を上手く使えると思った、時代は違っても俺は新撰組で在れる――そう思ったから、使われてやってんだよ」

「…………」

 珍しく饒舌な土方のせいもあるのだろう、マスターはいつになく神妙な面持ちで、膝の上に置いた手に力を込めていた。

 今、マスターは安易に強くなりたい、等と言ったことを恥じているのかも知れない。

 カルデアにいるサーヴァント達は、一人一人が一個大隊に匹敵する力を持ちながら、それでもなおこの世に未練を遺して喚び出された者ばかりだ。私だってそうだし、ここにいる土方と沖田も理由は各々違えどそうなのだ。

 言わば我々の強さとは、人として生きてきた人生の軌跡と、死してなお戦わねばならない、という死後の安寧を犠牲に得たものとも言える。

 それを人の身で追い付こうなど、烏滸がましいにも程がある。

 だが、

「それに、刀は何処まで行った処で刀だ。包丁になって野菜を切ったり、鍬になって畑を耕したりは出来ねえ、人を斬る、殺す事しか能がねえのよ。だがマスター、てめえにはまだいくらでも変われる余地があるだろう」

 そう、マスターはもうある意味終わってしまった我々とは違い、『この先』がある。

 それはいくら我々が聖杯に願っても得られない、無限の可能性だ。

「君の手は人の命を奪う為に在るのではない。溢れた水を掬う手だ。血塗れの手じゃ水まで濁ってしまうだろう。こういう言い方は卑怯かも知れないが……君は、綺麗なままでいてくれないか」

「……みんな、らしくない。ずるいよ」

「そうだな」

 思わず苦笑いが溢れる。土方はいつもの仏頂面だが、沖田は私と同じ思いだったのか、面映そうにあさっての方向に視線を遣っていた。

 確かに、らしくはない。

 土方も沖田も要はマスターに自分たちと同じ道を歩んで欲しくないのだ。少々言い過ぎな表現もその為だろう。

「……ありがとう。私、強くなるね」

 マスターが胸の前で握った拳に力を入れる。

 一安心、というところか。これでサーヴァントの身体能力に追い付こうと無茶な鍛錬をするような事はしまい。

 胸を撫で下ろす。

「よしっ、難しいこと考えたらお腹すいた! エミヤ、ごはん!」

「そう来ると思っていたよ……沖田と土方もどうだ?」

「いらん」

「まあまあ土方さんそう言わずに、エミヤさんのご飯すっごく美味しいんですよ!」

「おい離せ沖田……人の話聞け!」

 早々と無関心を決め込んでいた土方の腕を沖田が引っ張り、マスターと挟んでテーブルに座らせる。生前もこんな感じだったのだろうか、と思うと鬼の副長の肩書きも微笑ましい。

「好きだからってたくあんばっかり食べてたらハラワタまで黄色くなっちゃいますよ。あ、土方さん腹黒だから丁度いいかもですね!」

「阿呆か……勝手にしろ」

 辟易した表情でわざとらしく特大の溜息を吐き出す土方だった。

 かつて信頼し合った、背中を預けられる相手が戦場にいるというのはいいものだな。

 私には――彼女しかいなかった。今の私には名乗る資格も権利もないが、それでも目に見えない何かで繋がっている。そう思いたいものだ。

 今日の夕飯に、と予め仕込んであった大皿を冷蔵庫から取り出す。人数分の小皿も忘れない。

「こんなのはどうだ? 主菜にも酒の肴にもなる」

「お刺身だ、やった!」

 皿の上に並ぶのは、色とりどりの刺身。海賊一味とランサー部隊が船まで出して釣って来たものだ。

「醤油とわさびをつけて食べてくれ。こちらのアジのたたきは醤油と生姜、抵抗がなければおろしにんにくを入れると美味いぞ」

 ご飯大盛りね、とはしゃぐマスターに対し、土方と沖田は未知の食材でも見るかのような様子だ。

「刺身? 刺身って確か……」

「生の魚だな」

「ああ、先ほど君の例え話ではないが、刃も用途によってはこのような綺麗な切り口で切れる……好きではなかったか?」

 日本人で刺身が嫌いな者はそうはいない、とは高を括ってはいたが、生ものは苦手なのだろうか。

「いや、珍しいだけだ。海際に住んでるなら兎も角、刺身なんて平民には簡単には手が出なかったからな」

「すごい! ごちそうですよ土方さん!」

「うるせえよ。美味いのは知ってるが鉄砲鍋と同じで当たったらただじゃ済まねえから、好き好んで食う奴はそういなかったってだけだ」

 鉄砲鍋……河豚か。さすがに河豚は調理したことがない。

 明治維新の頃に刺身は既に浸透していたとはいえ、冷蔵庫もない時代では保存も難しい。内陸に生きる者にとっては目にすることも珍しかったのやも知れない。

 食中毒という言葉すらない時代だ。敬遠されるのも無理はない。

「鮮度に関しては問題ない。毒のある魚も使っていないから、懸念すべきは私の調理の腕と、君達が私に毒を盛られる心当たりがあるかどうかくらいだが?」

「は、言うじゃねえか」

 と、不敵に笑いながら指先で刺身を摘んでぺろりと口に入れる土方だった。

「ん、美味え。もっと生臭えかと思ったが、そうでもねえな」

「これがまた白いご飯に合うんだよ……おかわり!」

「んん〜、やっぱりエミヤさんのご飯は美味しいです! あとでノッブに自慢してやりましょ」

「何だったら信長と茶々も呼ぶか?」

「私の取り分が減るからダメです。というかノッブは今死にました」

「貧乏性は治ってねえな」

「新撰組みたいなお腹空かせた野郎どもの中で生活してたら嫌でもそうなりますよ……食べられるうちに美味しいもの食べておかないと、全部食べられちゃいますから」

「でも賑やかで楽しそうだね」

「とんでもない、ご飯どきなんて毎日戦争ですよ。原田さんや井上さんなんていつも私のおかずを奪おうとして……」

「おい、酒」

「ああ、あまり飲み過ぎるなよ」

 土方と沖田は自分を刀だと言った。刀として生きた以上、それ以外の何物にもなれない、と。

 だが、刀は人を傷つけもすれば護りもする。遣い手がマスターならば、土方の言う通り、間違った結果にはならないだろう。

「エミヤ、おかわり!」

「私もおかわりです!」

 茶碗に白米を山盛り、二人の前に置く。

 私もいざという時にマスターを――しいては自分の身も護れる刀で在りたいものだ。



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キャラメリゼ・ネメシス

「っ、ん……」

 かくん、と船を漕いだ勢いで目が覚める。不覚にも、座ったまま少し眠ってしまっていたようだ。

 枕元にある時計を確認すると、記憶にある秒針の位置と比べても一分も経っていない。

 傍らで変わらずに横たわるマスターが静かに胸を上下させる様子を見て、思わず微かな安堵の息が漏れる。

「……マスター」

 安らかに寝息を立てる彼女の髪を撫でる。年相応の女の子らしく手入れはされているのか、さらさらと触り心地のいい髪は私の無骨な指の間を流れる。と、同時にシャンプーの微かな芳香がふわりと鼻腔に届いた。

「ふふ……」

 髪を触られたのがくすぐったかったのか、笑いながら僅かに身をよじるマスターだった。

 その様子は、とてもではないがつい一時間前まで惨劇の渦中にいたとは思えない程だ。

「…………」

 今思えば、あれはマスターからの救援を求める無意識的な合図だったのだろう。

 だが私はすぐに気付けなかった。

 気付くことが、出来なかった。

 この世に生を受け生きて行くことは、後悔の連続だ。それはサーヴァントとなった今でも依然として変わらない。

 あの時こうしていれば良かった、ああしていればこうはならなかった筈だ。何度悔やんだことか、数えたくもない。

 だが過去を悔やんだ所で事実が改善される訳でもない。今を生きる私たちは、飽くまで前を向いて歩まねばならないのだ。

 とは言え、だ。

 もし仮に――そう、私がいち早く気付いてマスターの力になってやる事が出来ていたのなら、こんな悲劇にはならなかったのかも知れない。

 そう思えずにはいられない。

 サーヴァントは、マスターを守るのが役割だ。

 だと言うのに、私は――、

「……エミヤ?」

 懊悩の中、マスターが目を覚ます。

「すまない、起こしてしまったか」

「ここ……私の部屋?」

 首だけを動かし、周囲を確認するマスターだった。恐らく記憶に混乱があるのだろう。

 無理もない、あれだけの事があったのだ。

「なあ、マスター」

「なに?」

「私はここにいる限り、最後まで君の剣であると誓おう」

「エミヤ……いきなりどうしたの?」

 突然の私からの告白に、戸惑いつつも笑みをこぼすマスター。

 だが、何と笑われようとこれだけは譲れない。

 かつて、彼女が私の剣として在ってくれたように。

 私もまた、君の剣となろう。

「だから――」

 

 //

 

 事の起こりの口火を切ったのは、そう。

「最近、先輩の様子がおかしいんです」

 午後三時頃、マリアージュフレールのアールグレイを前にする、マシュのその一言だった。

 それはきっと、最も長い間マスターと共に肩を並べてきたマシュだからこその発言だったのだろう。

 それ以前にも予兆らしきものはあった。

 あったのだが、私を含めたカルデアの面々は、些細な日常の一場面としてそれらを額縁に収めていたのだ。

「そんな大ごとになるような事じゃないんですけど……僅かに違和感がある、と言いますか……」

 口にしたはいいものの、確信と言える程にまでは至っていないのだろう、マシュが自信なさ気に歯切れも悪く不安を紡ぐ。

 その言葉に意識を引かれ、ここ数日のマスターを思い浮かべる。

「そう改めて言われてみると、そうだな。確かに最近のマスターはいつもと比べると食が細い」

 いつもは大きめの茶碗に最低でも二杯は米を食うマスターが、ここ数日は茶碗に半分ほどしか食べていないのを思い出す。主食だけではなく、副菜も普段と比較すると消費量は半分以下だ。

 キャットが担当している食後のデザートに関しても、あれこれと理由をつけて他のサーヴァントと半分こにして食べている。

 加えて三時のおやつの時間になれば呼ばずとも食堂にやって来るマスターだが、今日も未だ姿を現していない。

 これは由々しき事態とも言える……が、

「心配する程の事でもないのではないか? マスターは重要な問題を一人で抱え込むような人間でもない。何か問題があれば本人から言うだろう」

 人理修復に携わるマスターとて、年頃の一般人だ。些細な事で悩むこともあれば、食欲がなくなる時だってある。

 と、

「マシュ殿。ティータイムとは優雅ですね」

「ジルさん、こんにちは」

「こんにちは」

 静かな微笑を湛えながら静かな佇まいでやって来たのは、セイバーのジルドレェだった。

 その皮肉にも聞こえかねない台詞に嫌味がないのは、彼の実直さが故だろう。反英霊として召喚されているキャスターのジルドレェと同一人物とはとても思えない。

「元帥、貴方も一緒にどうかね?」

「ええ、よろしければ是非。ジャンヌがマリー殿らと楽しそうにしているのを何度か見て、以前より体験してみたかった次第です」

「声をかけて混ぜてもらえばよいのでは?」

「ジャンヌの愉しみを私ごときが邪魔するなど畏れ多い。若輩者の私にそんな勇気はありません。それに」

「それに?」

「私もジャンヌも生前は気の休まる時間すらない程、戦の毎日でしたから。あのように、年相応にお茶を飲んで微笑むジャンヌを遠巻きに見ているだけで、私は十二分に満たされるのです」

「ジル元帥……」

 ジル元帥が指すのは言うまでもなくルーラーのジャンヌの事だ。同じフランス出身で気が合うのか、ジャンヌはマリーやデオンと良く一緒にお茶を飲んでいる。その様はまさに圧巻、彼女らが放つ麗らかなオーラはその場の空気を一瞬にして塗り替えるほどの威力を秘めていると言えよう。

 ただ、毎回物陰から仮面を被った男や処刑人やキャスターのジルが監視しているのはご愛嬌だ。

「では少々待ってくれ。せっかくの紅茶だ、出涸らしではつまらん。一から淹れ直そう」

「それはありがたい。ではマシュ殿、お相伴させてもらってもよろしいですか?」

「はい、もちろんです」

 水を入れたやかんを火にかけ、一リットル用のティーポットとルイボスの茶葉を用意する。

 当然ではあるが、紅茶は作り置きよりも淹れたての方が断然美味い。紅茶の銘柄に明るくはないが、種類はわかるし淹れ方で味は多いに変わる。鮮度が命と言ってもいい。

「やあ、楽しみですね」

 僅かに頰を吊り上げマシュの隣に座るジル。その仕草は流暢ながらも何処か遠慮がちに見えた。

 これでも彼はカルデアの最古参のサーヴァントの一人だ。

 彼は良く言えば寡黙にて質実剛健。悪く言えば陰鬱で他者との関わりを避けるイメージの強い人物だった。

 元々物静かな男だったのであろう、召喚された当初は口を開く事も少なく、黙々と任務を遂行していたのをよく覚えている。

 後にジャンヌが召喚され、時が経つうちにマシュを含むカルデアの面々とも打ち解けるようになった。

 思えばサーヴァントとは思えない程、カルデアでは長い月日を過ごしている。いつまでもこんな日常が続けば――いや、こんな事は一介のサーヴァントの考える事ではない。やめておこう。

「……っと」

 湯が沸いたので火を止め、予め用意した茶葉を入れたティーポットに湯を注ぐ。

 緑茶と違い、紅茶を淹れる時の湯は沸かしたてのものが好ましい。熱湯を少々勢いよく注ぐことでポットの中に対流を起こし、茶葉を均等に抽出することが目的だ。熱湯を注ぐとほぼ全ての茶葉は水面に浮き、次第に浮き沈みを始める。この現象を日本ではジャンピングと呼び、この一連の流れを経ると紅茶を美味く淹れることが可能になるのだ。茶葉が全てポットの底に沈めば頃合いである。

 それら一連の流れを見ながら、マシュが感心を含む声をあげる。

「いつ見てもエミヤさんの淹れ方は絵になっていますね」

「褒め言葉として受け取っておくよ」

 マスターの為に戦うことが本領であるサーヴァントである私に対し、紅茶の淹れ方が上手い、と言われても正直、反応に困る。最も、今に始まったことではないが。

「お待たせ、ミルクと砂糖は好みで使ってくれ」

 ミルクティーを好むマシュが小ぶりのスプーン一杯の砂糖とミルクを入れるのに対し、ジル元帥はそのままカップを口につける。

「コーヒーとは違い、絹のような口当たりなのですね。香りも実に芳しい」

「気に入って貰えたようで良かった。お茶請けもどうだ」

「これはキャラメルですか?」

「ああ、手作りだが」

 小皿に乗せたいくつかの小さな薄茶色の塊を差し出すと、マシュが反応する。

「て、手作りのキャラメルなんですか。エミヤさんは本当に何でも作れるんですね」

「何でも、というのは買い被りが過ぎる。なんだったら作り方を教えようか? マスターも喜ぶだろう」

「ぜ、ぜひ!」

 キャラメルの作り方は簡単だ。

 砂糖とバターを水で煮詰め、生クリームを加え更に煮る。適当な粘度になったら蜂蜜や塩で味を整え、後は冷やすだけだ。

「素晴らしい。甘すぎず雪のように口の中で溶けていきます」

「これは油断すると止まりませんね……」

「……ふ」

 ジル元帥と一緒にマシュがあと一つだけ、あと一つだけ、と呪文のように繰り返しながら次々とキャラメルを口に運ぶ様を微笑ましくも見ていると、

「おや、マスター」

「ジル? 珍しいね、マシュとお茶なんて」

 通りかかったのだろう、マスターがいつの間にかこちらに歩いて来るところだった。

「マスターもご一緒に如何ですか」

「え?」

「お茶請けにエミヤさんの作ったキャラメルもありますよ先輩。甘すぎなくて口の中でとろけて、すごく美味しいんです、私も食べすぎちゃって」

「キャラメル」

 ごくり、とマスターが生唾を飲み込む音が微かに聞こえた。

 いつものマスターならばここで誰かが止めようと参加する筈なのだが、

「ごめんねマシュ、私ちょっとやる事があって」

「そうですか……残念です」

「う、うん。ごめん」

「…………」

 やはり、どこかおかしい。

 ジル元帥も何かしら察してはいるのだろう、神妙な表情で紅茶の残りを啜っていた。

 さて、私はどうするべきか。

 マスターとて年頃の女の子。食が絡むとなるとデリケートな問題かも知れない。

 ならば遠回しにマスターの胸の内を聞くのがベストなのだろうが、私はそこまで器用でもないし、心配なのも事実だ。

 ここは真っ向から聞き出したほうがいいだろう。

「マスター」

「なに?」

「何があったのかは知らん。私達にも話せない事ならば話さなくともいい。だが――一人で背負い込むな。重い荷物でも一人で持つよりも、数人で持てば軽くなる」

「……どうしたの、いきなり」

「さっきまでエミヤさんと話していましたが……最近の先輩は、少し変です。元気がないと言いますか」

「ん……そっか、そうかもね」

「抱え込むよりは、吐き出してしまった方が良いでしょう。異性に話しにくい事であれば、私とエミヤ殿は消えますので」

「ジルまで……そんな、」

「私なんかじゃ頼りにならないかも知れませんけど……でも、元気のない先輩を見てると、辛くて」

 マシュが、泣きそうだった。

 マスターは、カルデア唯一のマスターとなった時から、強くあろうとしていた。それは知っている。

 数々のサーヴァントの上に立つ者として、弱味を見せず、いつでも朗らかに振る舞っていた。

 誰もいないところでひとり泣いていた事もあった。

 それ程に彼女の双肩にかかったものは、その小さな身体には不相応に重い。

 今更マスターが弱音を吐いたところで誰も責めたりはしない。

 だが、何かあれば助け合うのが人間というものだ。

 それに明らかに挙動のおかしいマスターをいつまでも放っておけるほど、マシュを含めた我々は気が長くもない。

「大丈夫だよマシュ。心配かけてごめんね」

「先輩」

「本当に、大した事ないから、ね?」

 泣きそうになるマシュの肩に手を置き、にこりと笑ってみせるマスター。

 この様子ならば本当に問題はなさそうだ。深刻な状況であれば、マスターは真摯に問いただせばきちんと腹を割って話してくれる。

「私達の杞憂だったか。どうやらその様子だと、食べ過ぎで体重が気にでもなってきたか?」

「なっ、そ、そんなんじゃないよ! 確かにエミヤのごはんはおいしいけど」

 見る限り、マスターの体型も大きく変化はない。太ったから甘いものを控える、といった事ではなさそうだ。

「太るのが嫌でエミヤのごはんを控えるくらいだったら、その分運動してダイエットするよ」

「面映ゆいことを言ってくれる。素直に嬉しいよ」

 とは言え、女子の心の機微は繊細だ。こればかりは何度世界を救おうと読むことは不可能に近い。

「食欲がない訳では無さそうだがね。先ほどキャラメルを見た時逡巡しただろう」

「先輩は太ってなんていませんよ? 同性の私から見ても素晴らしいプロポーションだと思いますけど」

「だから違うってば、ええと、ううううう!」

 その瞬間、

 髪をかきむしりながら唸るマスターの口内に見えたそれを、鷹の目と呼ばれるアーチャーとしての視力が捉えた。

「……ひょっとして虫歯か、マスター?」

「えっ!? なっ、なんでバレたの?」

「アーチャークラスの目の良さを甘く見るな」

「虫歯?」

 マスターの口内、下段最奥の奥歯に、微かに黒い点が見えた。

 これで合点がいった。虫歯となれば、食が細くなるのも頷ける。噛みしめるキャラメルなどは天敵にしかならないだろう。

「虫歯ですか。それは早急に治療が必要ですね」

「そうだ、たかが虫歯、されど虫歯だ」

 病のように虫歯が原因で死ぬ事は滅多にない。が、歯は食生活と密接な関係にある。

 歯を失うということは食生活が変わると言い換えてもいい。

「私の時代では虫歯は不治の病と同じくらいの大病でした。何しろ治らないから抜くしかない」

 歯科学が本格的に盛んになるのは18世紀頃だ。それまでは歯の治療といえば抜歯が基本だったと聞く。

 何しろ菌の存在が明確になるまでは歯を磨く、という習慣すらなかったのだ。

 食べ物を咀嚼し、嚥下できるようにする歯は食事という生物に必要不可欠な行為を行う重要な器官だ。

 歯科学の発達で人類は寿命を伸ばしたと言っても過言ではない。

「そりゃ治療した方がいいのはわかるけど……いくらカルデアでも歯医者さんはいないでしょ」

「安心しろ、名医がいる。今すぐに呼ぼう」

 厨房に備え付けてある内線電話を取る。決まった番号を押すとすぐに繋がった。

『はいはい、こちら管制室。クレーム対応の電話からモールス信号までお手の物、奇跡の天才ダヴィンチちゃんだよ』

「マスターが虫歯だ。進行段階は恐らくC1。手遅れになる前に歯医者をひとつ派遣してくれ」

『了解。すぐに手配しよう』

 受話器を置く。マスターは嫌がるだろうが、虫歯はすぐに治療しないと下手をしたら命に関わる。

 現代で歯医者に行ったことがあればわかるが、C1とかC3というのは虫歯の進行段階を表す。一般的にはC0からC4まであり、C3で神経や血管まで冒された重篤状態、根管治療が必要となる。

 断言は出来ないが、マスターの虫歯はまだ軽いように見えた。冷たいものや固いものを食べると多少しみる、程度だろう。治療出来るのならばすぐに治療しなければならない。

 怪我や風邪と違って自然治癒するものではないのだ。

「え……婦長じゃないよね……? 『根治します』とか言って歯を全部引っこ抜かれた挙句、エジソンとテスラが作った口から術ネロの宝具(ラウダレントゥム・ドムス・イルステリ)が出る入れ歯を移植される未来しか見えないんだけど」

 と、

「虫歯はわるい文明」

「アルテラ!?」

 マスクをし、ひたいにシングルCDに似た鏡をつけ、片手におもちゃのような小型の軍神の剣を持ったアルテラが現れた。

 てっきりフェルグスが来ると思っていたので、私も少々驚いた。

「聞けば虫歯とは歯の内側より神経までも腐らせると聞いた。人を滅ぼす可能性のある文明が良い文明の筈がない。破壊する」

「文明っていうか病気なんだけど」

「病も文明の一部に変わりあるまい。よってこの歩くライオンと帯電している妙な男にカスタマイズしてもらった宝具にて粉砕する――真名解放、穿て、『軍神の剣(フォトン・レイ)』!」

「ぎゃ――――――――!」

 ちゅいいいい、とアルテラの持っていた小型の凄まじい回転速度で回り出す。その音は良く言えば小気味よく、悪く言えば人間の神経を磨耗させる類の音だ。

 そう、結論を言ってしまうのであれば、カラフルなエアタービンだ。マスターも現代人だ。あの音で恐怖することうけあいだろう。

 ……しかし、アルテラの軍神の剣(フォトン・レイ)は形状変化が可能なのは知っていたが、あそこまで小型化することも出来るのか……。ミスターエジソンとテスラが改造したと言っていたが、大丈夫なのか?

「その削るやつだけは嫌!」

「逃がさん」

「ぐえっ」

 逃亡しようとするマスターの襟首を掴むと、カエルが潰れた時のようなうめき声と共にテーブルに押し倒される。

「さすが筋力B……やだよぉ、怖いよぉ……助けてマシュー! 先輩のピンチだよ!」

「申し訳ありませんが先輩、さすがに虫歯は放置せずに治された方がいいかと……」

「うわーん!」

「諦めろマスター。貴様とて入れ歯にはなりたくあるまい」

「うぅ……せめて優しくしてねアルテラ……」

「善処する。口を開けろ」

「あ、あーん」

「もっと大きくだ、私の剣(フォトン・レイ)が入らん」

「あ、あー」

「いいか、絶対に動くなよマスター。下手をしてマスターの口を垣原組長のようにはしたくはない」

「何それこわい!」

「いざ!」

「――――――――――――!」

 その後、慟哭と形容するのも生易しい程のマスターの泣き叫ぶ声が食堂に響いたのだった。

 

 //

 

 アルテラの治療(?)の甲斐もあり虫歯は完治し、気絶したマスターはマシュと私でマイルームへと送り届けたのだった。

 そして話は冒頭へと戻る。

「だから――」

 寝起きで茫洋とした表情のマスターに、懐から一枚の紙を取り出す。

「君の為にこんなものを用意した」

「ん……? なにこれ」

 マスターに手渡したA4紙にはこう書かれていた。

 月――メフィストフェレス

 火――スパルタクス

 水――土方歳三

 木――黒髭

 金――ヘラクレス

 土――ナイチンゲール

 日――ダレイオス

 控え――クーフーリンオルタ、カリギュラ、呂布奉先、ベオウルフ

「……もう一度聞くけど、なにこれ?」

「君の歯みがき当番だ、既に話はつけてある」

「歯みがき……えっ?」

「ここに書かれた者が毎日君の就寝前に現れ、強制的に君の歯を徹底的に磨く。情に絆されないよう、舌先三寸で丸め込まれないよう、全員バーサーカーにしたよ」

「ちょっと待って! これ完全に私が死んじゃうやつ! あとバーサーカーじゃないけど身の危険を感じるのもいる!」

「嫌ならば毎日欠かさず歯を磨け。一日でも怠ったら」

「お、怠ったら?」

「問答無用でこのローテーションを回す」

「わたし歯みがきだーい好き!」

「よし」

 これでマスターは二度と歯みがきを怠ることはないだろう。

 少々可哀想ではあるが、これもマスターの為だ。慢性化した虫歯ほど怖いものはない。

「食は人間の欲望のひとつだ。それが満足に満たせないとなれば、君も苦しいだろう」

「ん、そうだね……ありがとう。心配かけてごめん」

「そのセリフはマシュに言ってやれ。一番心配していた」

「うん」

「よし、ひと段落ついたところで、食べるか?」

 言って、先ほどのキャラメルをマスターに差し出す。

 無論、紅茶の用意もある。



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紅芋アイスクリーム

 静かな、それは静かな怒気だった。

 同じ空間にいるだけで、呼吸が止まる錯覚さえ覚える。

 原因は誰かに問わずとも分かっていた。

「――――」

 食堂のカウンターの隅。背筋をぴんと張ったまま、目を閉じ、時折思い出したかのように湯呑みの緑茶を啜る壮年の男。

 彼の放つ、殺気にも近い刺々とした威圧感が食堂内に張り詰めている。

 マスターを含む、この場にいる全員がそれに気を遣っているようで、いつもは和気藹々とした雰囲気の食堂だが、今はどこか殺伐としたものになっていた。

「ところでアンデル先生は艦これ誰が好き?」

「鹿島も捨て難いがやはり愛宕だな」

 ……訂正しよう、約二名を除いて、という一文を付け足すのを忘れていた。

 黒髭とアンデルセンは妙なところで意気投合したのか、食堂ではよく一緒にいるところを見る。

 カウンターで大男と子供が並んで座る姿は異様な光景ではあったが、いつしか見慣れてしまったのはいい事なのか悪い事なのか。

「ドレッドノート級にストレートですなぁ」

「生前でもショタになってお姉さんにエッチなイタズラをされたいと思った事は一度や二度ではない。なのにここにいる女どもはどうだ、せっかく俺のような格好の試金石がいるというのに手を出そうともせん」

「そりゃコ◯ン君ならともかくアンタ中身おっさんですもの」

「ロリババアは許されてもその逆は許されん。世知辛い世の中だ」

「拙者は、雪風ちゃん!」

「そうか、哀れだな……む、」

 アンデルセンの懐からアラーム音が鳴る。慣れた手つきでスマホを取り出すと、すぐに音を消す。

「休憩もここまでか、仕方ない。ではな黒髭。その嗜好はせめて脳内で留めておけよ」

「あ、拙者もおっきーに用があるんで途中まで一緒に行きますぞ」

「全く、何故死んでまで原稿に追われねばならんのだ」

「がんばれ♡がんばれ♡」

「非力な俺でも銃を使えばお前の脳天を撃ち抜くくらいは出来るんだぞ?」

「そんな事したら拙者死んでしまいますぞ~」

「…………」

 意味不明な会話と共に食堂を去って行く二人を、私を含めた何人かが見送る。場の空気を読まないスキルはEXを超えているらしい。

 いや、読んだからこその振る舞いやも知れないが真実はわからない。

「失礼、但馬殿」

「……む」

「今日はスタッフが空調を間違えたのかな、やけに蒸す。冷たいものでもどうかね」

 我ながらわざとらしいとは思いつつも、それとなく諭す。宗矩は私に一瞬視線を寄越すと軽く一息つき、

「……これは相済まぬ」

 と、私の意図を汲み取ってくれたらしく、表情ひとつ変える事なく口にした。

「各々方、趣を乱す不心得者は去る故、どうかご容赦を」

「まあまあ、誰も怒ってないから気にしないのりゅうたん。エミヤ、私にもお茶ちょうだい」

 自分が場違いだとでも思ったのだろう、席を立ち帰ろうとする宗矩を、マスターが半ば強引に押し留める。

「カルデアはみんな家族みたいなものだし、何か悩みごとがあるなら言ってよ」

「……お気遣い、痛み入る」

 宗矩の隣に座るマスターと、宗矩にも新しいお茶を出す。

 柳生宗矩。弱小氏族であった柳生家を幕府お抱えの、実質日本一の剣術家にまで伸し上げた柳生石舟斎を父に持つ、日本有数の剣豪の一人。

 その厳つい外見に違わず質実剛健、不言実行を体現したかのような剛の者である。

「で、何があったの? 差し支えなければ相談しあてほしいな」

 マスターの言葉に目を閉じ、ひとつ、深く息を吐くと宗矩は語りだした。

「先日、偶然ますたぁ殿の素肌を拝見する機会があり申した」

「あ」

 マスターが気まずそうに苦笑しながら視線を逸らす。その一連の流れで、何があったのかは大体想像がついた。

 マスターの身体は、そう――傷だらけだ。

 肌を晒す必要のある魔術礼装を着るときは簡単な誤認の魔術で隠してはいるが、彼女の白い柔肌には無数の歴戦の傷が刻まれている。

 それこそ、現代に生きる年頃の女の子とは思えない程に、だ。

 無理もない。数々の特異点での激戦を、生身でくぐり抜けて来たのだ。

「我ら英霊は消耗品。壊れようが斃れようが一向に構わぬ」

 消耗品、か。

 魔術に疎い時代に産まれた人間だろうに、彼は英霊召喚システムの何たるかを弁えている。

 宗矩の言う通り、サーヴァントは消耗品だ。マスターの代わりに戦い、時には盾となる。消滅したところで次の召喚を待てる、という意味では仮説的に不老不死に近い存在とも言えるかも知れない。

 無論、そんな事をマスターに言えば烈火の如く怒り出すだろうが。

「だがますたぁ殿は現世を生きる人間。我らのような亡霊ではない」

「でもさりゅうたん、私が少しでも頑張ればその分、」

「驕るな、小娘」

「――――」

「自惚れるでない、我が主。帥としての素質があるのは認めよう。だが貴殿などかるであの加護が無ければ其処らの村娘と変わらぬ事を忘れるな」

 それは、誰もが初めて触れる宗矩の激情であった。

 マスターは、確かにただの女の子だ。

 特別な魔術の家系に産まれた訳でもない。

 隠れた魔術師としての素養があった訳でもない。

 マスター候補生としてスカウトされたとはいえ、カルデアに来た時点では魔術の魔の字すら知らない普通の女の子だったのだ。

 だからこそ、宗矩は許せないのだろう。

 魔術師を志し、自ら望んでこうなったのならばいい。それは本懐の筈であり、自業自得と言い換える事もできる。

 だがマスターはそうではないのだ。

「このような女子供が傷つかぬ為に、我々は刀を手にしたのではなかったのか」

 その言葉に、若干の共感を覚える。

 何の為に剣を握ったのか。

 私も、何かの為に弓を手に取り、矢をつがえた。

「御徳川の治世は間違っておったのか」

 それは何だったのか、今となっては良く思い出せない。

 大切なものは確かにあった。

 だが愚かにも全てを救おうと驕った結果、オレは英霊エミヤとなった。

 宗矩の持つ湯呑みに亀裂が入る。

「この戦が間違った歴史を糾すと言うのであれば。人の平穏を奪い返す戦いであると言うのであれば――我が主の安寧はいずこにある!」

 大きな音と共に湯呑みが割れ、机の上に破片と茶が撒き散らされる。

 いつも雑談で溢れている食堂が、水を打ったように静かになった。

「名を馳せた武士であろうと一歩退く程の剣戟と銃声の轟く戦場の中、ますたぁ殿は何故怯えぬ。何故笑っておられる。何故立ち向かおうとする」

 その宗矩の問いに答えを出せる者は、きっとここにはいない。

「年端もゆかぬ小娘の成し得る業ではなかろう……!」

 ぎり、と歯を食いしばり手を握る音が痛い程静かに響く。

 マスターは、こんな世界とは縁もゆかりもない。なのに、世界の為に、なんて重荷をその小さな背中に一人で背負い、笑いながら歯を食いしばって耐えている。

 その事自体はカルデアに属する者ならば誰でも知っている。だから、我々もマスターに全幅の信頼を寄せているのだ。

「――確かに、」

 マスターは静かに語り出す。

「こんな身体じゃ、もうお嫁には行けないかもね」

「…………」

「でもいいんだ。私じゃなくたって、ちょっと頑張るだけで元の世界に戻るって言うなら、誰だってそうするよ」

 それは少し違う。

 普通の人間ならば、とっくに再起不能な怪我を負うか精神を病むかしているだろう。

 それ程に人理修復の任務は困難だ。その点、マスターは魔術師として大成はしなくとも、英雄に値する人物なのだろう。

 宗矩もそれは承知の上なのか、黙ってマスターの口上を聞いている。

「どっちみち誰かがやらなきゃいけない事だもん。それがたまたま私だったってだけ」

「その為に貴女ひとりを犠牲にせよ、と?」

「犠牲だなんて、そんな事思ってないよ」

「では我が主人よ。貴女の幸福はいかに?」

「みんな笑って過ごせる方が絶対いいじゃない」

「――――」

 歯を見せてにっこりと笑うマスターを見て、宗矩が目を見開いて絶句していた。

「――貴女は、私が思っていた以上の傑物なのやも知れぬ」

 目を閉じ、何か得心がいったのか口元を緩ませる宗矩だった。

 マスターの強さは、その何があろうと矛先を歪めない鉄の心だ。

 他人の為にどんな困難も厭わない。それこそが英雄たる証なのだろう。

「失礼した。主人に対するとは思えぬ暴言の数々……腹を切る覚悟は出来ております故、どなたか介錯をお願いしたい」

「だめ」

「しかし」

「私の為を思って言ってくれたんでしょ。むしろりゅうたんの本音が聞けて嬉しいよ」

「……では、改めて忠義を尽くします故。この身、如何様にも役立てて下され」

 マスターの正面に立ち頭を下げる宗矩。

 どうやら丸く収まってくれたらしい。思わず安堵の息が漏れる。

 さて、誰かが怪我をしない内に机の上を片付けてしまおう。

「すまぬ、えみや殿」

「気にするな」

「この借りは何かしらの形でお返しいたす」

「相変わらずお固いなぁりゅうたん。いいんだよ、さっきみたいに言いたいことややりたいこと、いくらでも言ってくれて」

「やりたい事、ですか」

「りゅうたん、いっつも張り詰めてるイメージだからさ。たまには息抜きも必要だよ?」

「では……ひとつ、不肖の身ながら、願いが」

「おっ、なになに?」

「かの第六天魔王、織田前右府信長公にお会いしたい。かるであに召喚されていると風の噂に聞いております」

 一瞬、机を拭く手が止まってしまった。

 マスターも同じ気持ちなのだろう、一瞬、その無垢な笑顔が凍りついていた。

「……理由を聞いてもいい?」

「信長公と言えばその器量にて多くの将軍を差配するまでに身を立てた、将としても帥としても優れた兵法家。この歳になれど、男子として憧れずには居られませぬ。以後英霊として召喚されたとしても、同じ場に呼ばれる事はまずありますまい。この機会を逃しては二度と相対することは叶いませぬ」

「あー……うん、そうだね……うん、わかるー……」

 マスターと私が同じことを考えているであろう事が手に取るようにわかった。

 宗矩と信長を会わせてはならない。

 宗矩の言うことも十分にわかるが、実際の織田信長は――、

「おうエミヤ! 頼んでおったものは出来たかの?」

「茶々もう待ちくたびれたんですけど! けど!」

「  」

 と、凄まじいタイミングで食堂にやって来る信長(と茶々)だった。

 宗矩が彼女こそかの信長公だと知ればどんな反応を示すのか。興味はあるがあまりにも哀れだ。

 しかし絶妙な間の悪さはさすがと言うべきか、炎上芸にも程がある。

「わしらを待たせるとはいい度胸じゃのう、エミヤ?」

「あ、あぁ……悪い。出来ている。連絡するのを忘れていた」

「イケメンじゃなかったら許されないんだから! 茶々は殿下一筋だけどね!」

「惚気るのう茶々、サルは幸せ者よな。はー、あっついあっつい。あてられて燃えそうじゃのー」

「叔母上、炎上しただけに?」

「あっはっはっはっは! それはお前もじゃろ!」

 信長と茶々と沖田にアイス食べたいから作れと言われ作ったのだが、宗矩との一件もあってすっかり忘れていた。

 もう既に完成品が冷凍庫に入っている。

 アイスクリームの作り方はそんなに難しくはない。

 卵白を泡立てメレンゲにしたものに卵黄とバニラエッセンス、砂糖、好きなフレーバーを加えて冷凍庫に入れるだけだ。

 さすがに店売りの高級アイスクリームには作り方が異なるのか味は劣るが、ハンドミキサーさえあればすぐに出来る上に原料は卵だけで作れる。

「まあよい、とっととよこすがよい」

「可憐な童だ。飴は如何かな」

 と、気付くと宗矩が屈んで目線を合わせ、どこからか取り出した黒飴を信長と茶々に渡していた。

「じい様よ、こやつはともかくわしを子供扱いするでないぞ」

「はは、これはすまぬ。お主を見たら孫のことを思い出してしまい、ついな」

 いつものいかつい表情を僅かにではあるが綻ばせ、二人の相手をしていた。あの様子を見ると、どうやら宗矩は見かけによらず子供好きらしい。

 そこに、お盆に自家製アイスクリームを乗せて持って行ってやる。

「ほら、待たせた詫びに三段にしてやったぞ」

「わーい!」

「マスターも食べるだろう?」

「もっちろん!」

「やっぱり暑い日はアイスクリームだよネ!」

「あいすくりいむ?」

 紫色の球状の塊を見て、宗矩が興味深そうに眉根を寄せる。

「ああ、乳糖と卵液を甘く味付けして冷やした氷菓子だ。今回は風味付けに甘藷を使っている。貴方もいかがかね」

「氷菓子か。成る程面白い」

「じい様、見たところ日ノ本の侍じゃな。食べてみい、びっくりするぞ。この匙で掬って食うのもよいが、やはり通は直接かじったりなめたりするのがオススメじゃ」

「おい、余所見をしていると、」

 言うが遅いか、

「あっ」

 宗矩に構っていたせいで気が疎かになっていた結果だ。信長の持つコーンの先端に盛ってあった三連アイスが、ぽて、と小さな音を立てて地面へと吸い込まれていった。

「わしの! わしのアイスがぁぁぁぁぁぁぁぁ! あーあああーあああぁぁぁぁぁ!」

「叔母上ったらおっちょこちょいー」

「泣くでない、童よ」

「泣いてないモン!」

 言いながら目の端に涙を浮かべ、憤る信長だった。

 恐怖の為政者として語られる第六天魔王も、実際はこんなものである。余計に宗矩に真実を伝える訳には行かなくなった。

 さて、どうしたものか。

「私のを食べるがよい」

「うむ……ありがとうよじい様。ところでお主、誰じゃ?」

「柳生宗矩と申す」

「やぎう……柳生……おお、思い出した! いつもマッチーの尻にくっついておったやつじゃな!」

「まっち……?」

「松永じゃ松永」

「松永久秀公の事か。それは生憎私ではなく、父上だな」

「あやつは出来るやつだったんじゃがのう、取り扱いを間違えてしもうた。是非もなかったとはいえ、苦労したじゃろ。すまんの」

「久秀公の事を知っているとは、その時代の産まれかな」

「うむ! 生まれも何もわしは、」

「但馬殿! 貴方も是非ひと口食べてみてくれ!」

「む」

「紅芋味だからきっと緑茶が合うよね! 私とっておきの玉露淹れてくる!」

「あー! ノッブずるい! なに私を差し置いて先にアイス食べてるんですか!」

「なんじゃ沖田、生きとったんかお前」

 私とマスターの妨害、そして沖田の乱入によりなんとか事なきを得ることができたようだ。

「あ、柳生のおじい様。はじめましてー、幕末の超新星、沖田さんです!」

「なにが超新星じゃうつけ」

「うむ、冷えておる上に甘い……この老体には勿体無い程の代物」

 いずれはばれる事かも知れないが、宗矩の純な憧れを無碍にする事もあるまい。

 それに信長も普段はこうだが、いざとなればその名に相応しい働きもする。

 人は見かけには拠らない。信長や沖田がそうであるし、マスターだってそうだ。

「但馬殿。先ほどのマスターの話だが」

「…………」

「彼女は他人の為ならば何があろうと足を止めない類の英傑だ。だが彼女は一人では何も出来ないに等しい。それを我々が水も漏らさぬよう守り、時には一振りの刀として役に立てばいい」

「……そうですな」

 マスターがサーヴァントを従える魔術師として相応しくないのは本人も百も承知だ。

 だから彼女は、サーヴァント達を一人の人間として接する。

 一人では力が足りない為、助力を必要とする。

 そんなただの人間が、愚鈍にもひたむきに前を向く姿に、我々も惹かれるのだ。

「お茶お待たせ、エミヤも飲むよね?」

「ああ、いただこう」

「口の中がかつてない程に甘い……かたじけない、ますたぁ殿」

 英雄が皆、個体として強い訳ではない。

 どんな過去の英雄よりも弱く、その弱さを誰よりも自認するが故に強い。

 それが、藤丸立香というひとりの人間を、カルデアのマスターたらしめているものなのだろう。

 



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スリーピングビューティ

1.5部新宿の真名ネタバレありです。


「先輩、ごはんですよ」

「――――」

「はい、あーん」

 場所はマスターのマイルーム。

 椅子に座るマスターに、マシュが鼻先に柔らかな声音と共にたまご粥を掬ったレンゲを差し出す。と、ぱか、と虚ろな眼をしたマスターの口が開く。マシュがその隙を逃さずマスターの口内へ。

「――――」

 僅かに咀嚼したのち、こくり、と粥を嚥下する音が静かに響く。

「まだありますからね、ちゃんと食べて下さいね」

「すまないなマシュ。このような介護めいた役目を任せてしまって」

「いえ、そんな。こんな事でも先輩のお役に立てて嬉しいですよ」

「そうか、助かるよ」

 精神のみのレイシフト、とでも言うのだろうか。年に一度ほどの頻度ではあるが、マスターは時折こうして何処かに精神を持って行かれる事がある。

 精神が別世界に行っていようと、マスターは普通の人間だ。実際の肉体は確かにここにある。

 人間の身体とは何もしなくとも呼吸などの基礎代謝だけでカロリーを消費する。その値は意外と大きく、私くらいの体格で一日1800キロカロリーほど。マスターの体格と年齢を考えれば、1200から1300キロカロリーと言ったところだろうか。マスターは激戦で鍛えられているからもう少し上かも知れないが、大体炊いた白米を茶碗に盛って四、五杯分くらいだ。

 寝たきりの病人を放置しておけば衰弱死するのと同じで、何日も放っておけばマスターも衰弱してしまう。無事に戻って来た時に体調を崩してしまっては、カルデアの命運そのものに影響が出かねない。

 マスターは意識がなくとも最低限の生物反応は示すので、腹が減れば目前に食事をちらつかせれば緩慢な動きではあるが食べる。という訳で、噛まずとも容易に嚥下できるものを私が一日二回、食事として作っていた。

「それに、こうやって先輩のお世話をするのも……その、不謹慎とは思いますが、嬉しいんです」

「マスターもマシュに手ずから食事をさせてもらえるとは幸せ者だな」

「えっ、そ、そんな……そ、そうだといいですね……」

 微かに頬を紅潮させるマシュを微笑ましく眺めていると、マイルームの自動扉が開く音がした。

「マイレディ聞いておくれ! 先ほどミスターPの協力で美人薬を作ったのだがどうかネ!?」

 同時に嵐のような勢いで侵入って来たのは、口髭を蓄えた白髪の老紳士――ジェームズ・モリアーティだった。片手には如何にも怪しげな、ピンク色の液体を満たした試験管が数本あった。

「おや?」

「モリアーティさん、お静かに。先輩は今お取り込み中でして」

「ふむ、そう言えばそうだったネ。この歳になると物忘れの頻度もバカにならないよ」

 悲しいよネ、なんて言いながら加齢による深い皺の刻まれた目尻を緩ませ、試験管を手品のように手元から消すモリアーティ。

 中身は美人薬とか言っていたが、パラケルススも関わっているとなればいかがわしさ満載である。後々追求せねばなるまい。

「これが噂のアレかネ」

 そんなやかましい輩が入って来たにも関わらず微動だにしないマスターを見て、モリアーティが顎に手を添え観察を始める。

「ふむ。呼吸も心拍も通常通りなのに意識だけがない。不思議なこともあるものだ。どうだろう、マスターの世話を私に任せてもらえないかな?」

「モリアーティさんが、ですか?」

 頭上に疑問符を浮かべ首を傾げるマシュ。

 それはそうだ、いくら齢を重ねているとは言えモリアーティは男だ。箸も転がる年頃のマスターの世話にはマシュのような親しい女性を充てるのが妥当だ。

 それに、彼は、

「なに、見ての通りこれでも齢だけは重ねている。子供の扱いもそれなりに、ネ」

 お茶目にウィンクして見せるその仕草も、私には上っ面だけのものにしか見えない。

 ジェームズ・モリアーティ。

 鬼の子酒呑童子。この世全ての悪アンリマユ。稀代の海賊の代名詞エドワード・ティーチ。悪魔の化身メフィストフェレス。

 彼らに並ぶ、悪の枢軸。

 普段は好々爺を演じる彼もまた、悪性を基に生きる存在だ。

「私は反対だ。理由は私が言わずとも、身に覚えがあるのではないか?」

 ただでさえ逼迫している状況下で仲間を疑うことなどしたくはないが、それでも彼にマスターを託すのはいただけない。

「ヒドイなぁエミヤ君。私も信用ないねェ」

 喉の奥でくつくつと嗤い、まぁ仕方ないね、と続ける。

 食えない男だ。

「しかし、間抜けな寝顔だねェ。カワイイけど。とても世界を救うマスターとは思えないよ」

 マスターの胡乱とした表情を覗き込みながら、モリアーティが微笑む。

「大事を成す人物が全員、絵に描いたような立派な人物である方が不自然だと思うが?」

「それもそうだネ。反英霊とはいえ、私みたいなのが認定されちゃうくらいだし……願わくば、キミが私のような腹黒サーヴァントの力を必要としない日が来るといいネ」

「モリアーティさん」

 不思議と、その顔には慈愛に近い色があった。

 彼の本心は本人以外の知るところではないが、どんな悪人であろうとたらし込むマスターの事だ。モリアーティ程の男が籠絡されても不自然ではない。

「ようし! やはり私もそんなマイレディの為に何かしてあげたい! と言うわけで頼むよエミヤ君! ね?」

「だから、マスターとて年頃の女性だ。貴方だから駄目、なのではなく身の回りの世話は男性がやるべきではないことくらい理解できるだろう」

 それこそ身体を拭いたり着替えをさせるのもマシュが献身的にやっている。

 マスター本人は誰だろうとわからないだろうが、そもそも道徳的に男がやるものではない。

「わかってるさ、私はこれでも正真正銘のイギリス紳士(ジェントルマン)だからね。そんな事をしたくてこうも頼み込んでいると思われているのだったら、それこそ心外だヨ」

「では何をさせろと?」

「何、キミがやっているのと同じ事だ。食事を作って食べさせてあげたい。ただそれだけの事だ」

「食事を?」

 モリアーティの言葉に思索を巡らせる。

 通常の聖杯戦争と違い、カルデアのマスターとサーヴァントの関係は少々特殊だ。

 通常の聖杯戦争であればサーヴァントがマスターを裏切る、という事は珍しくない。聖杯戦争においてマスターとサーヴァントの目的は最後まで勝ち抜く事であり、決して相方が自分が召喚されたサーヴァント、またはマスターである必要性は必ずしもない。

 だがカルデアにおいてはマスターは彼女一人しかおらず、サーヴァントがマスターを裏切り危害を加えるメリットが無いに等しい。マスターがいなくなってしまい、結果人理が焼却されてしまえば自分の存在すら消えてしまう可能性が大だからだ。

 ごく一部、スパルタクスやメフィストフェレスといった例外はいるが、他人に従う事を決して良しとしない英雄王のような男が黙ってマスターの指揮下にいるのもその為と言えよう。

 その点においては悪の老紳士モリアーティでもさすがに食事に毒を盛る、なんて事はするまい。

「……そこまで言うのであれば、マシュとダヴィンチさえ良ければ構わないのではないか」

「私も構いませんが……モリアーティさん、お料理できるんですか?」

「勿論だとも。こう見えても休日には家族にスコッチエッグやクランブルを作って振舞ったりしていたのだよ?」

 見たところ手先も器用そうだし、料理の腕については大して問題視していない。が、

「本音を言え、ジェントルマン。そうすれば任せてもいい」

「私もマイレディにあーん、ってやりたい!」

「そんな事だろうと思ったよ」

 子煩悩、と言うかモリアーティはマスターやフランなど、年若い女の子に対してはとことん甘い。

 対象が自分を認めてくれているのならば尚更だ。フランにパパと呼ばれている時など、悪の品性の欠片もない程である。

「マスターの食事は朝と夜の二度だ。今しがたマシュが夜の分を終えたから、次は明朝だな」

「了解した。ではおやすみマイレディ! 明日を楽しみにしていたまえ!」

 満面の笑みをたたえて去って行くモリアーティの背中を見送る。

「……大丈夫でしょうか」

 扉が閉まったところで、マシュがぽつりと口にする。

 マシュの危惧もわかる。マスターに危害を加えることは皆無に近いだろうが、何しろ相手はかの稀代の名探偵・ホームズの好敵手だ。

「奴とてカルデアのサーヴァントだ、おかしな真似はしないだろう。何なら毎回、私か君が監視でつけばいい」

「そうですね……何事も、なければいいのですけれど」

 それは、何もモリアーティだけに向けられた言葉ではないのは明確だった。

 モリアーティの事も心配ではあるが、それよりも。

 目の前で何もない空間を見つめ呆とする少女が無事に意識を取り戻す保障もまた、何処にもないのだ。

 我々から出来る事が少ないとはいえ、決して楽観視していられる状況でもない。マシュは、それを一番痛感している。

「……きっと、大丈夫さ。何せうちのマスターはしぶとさだけはアルスターの御子並だ」

「そうです、よね」

「ああ、では我々も戻るとしようか」

 自分に言い聞かせるように頷くマシュの肩を、軽く叩いてやるのだった。

 

 //

 

「お待たせ諸君アーンドマイレディ! 親愛なるダディがやって来たヨ!」

「イーヒヒヒヒ! 呼ばれてなくとも飛び出ます! 助手のメッフィー君でェす!」

 翌日、マスターの状況は変わらずのままの所に、やけに可愛いキッチンミトンをはめた手に大きな鍋を持ち、約束通りモリアーティはやって来た。

 ……後ろに数多くの一口サイズに切られた食材を抱えた道化師を従えて、だ。

「なんだその鍋と……助手は」

「チーズフォンデュだよ、カロリーも腹持ちもいい。今のマイレディにはピッタリだと思わないかネ?」

「チーズフォンデュですか……私は初めて見ますね」

 チーズフォンデュ……スイス発祥の料理で、チーズを溶かしてワインやオリーブオイルなどと一緒に煮詰めたものに、パンや野菜を絡ませて食べるものだ。メフィストフェレスが持つ食材にも、フランスパンや色とりどりの野菜、加熱済の肉などが並んでいる。

 日本では名こそ知られているが、その作る手間とチーズを主食とする歴史のないことからあまり馴染みのない料理でもある。

「彼は自分で言った通り、助手だヨ。あいにく多くの食材を運ぶのにこの老体では厳しくてネ、通りすがった所を協力してもらったんだ」

「いやはや、私のような悪魔がお手伝いなんて柄ではないのですが、なんとも美味しそうな香りに惹かれまして! 勢いで私も食べられないかなーと助平心と共にやって来た次第でェす!」

「たしかにおいしそう……ですね」

 こくり、とマシュが僅かに唾を飲む音が聞こえた。

「勿論、ここにいる皆にも振舞うつもりだとも。その為の大鍋だ」

「ほ、本当ですか?」

 身を乗り出すマシュに少々、微笑ましいものを感じ口元が緩む。彼女とてマスターと同じくして、成長期真っ只中の少女なのだ。

「本当だとも。マイレディも皆で食べる方が賑やかで嬉しいと思ってネ」

 それは、私には思い付かない発想だった。

 確かに食事は独りで食べるよりも大人数で囲んだ方がいい。マスターは意識がないとはいえ、異論を挟む余地はなかった。

 暇な悪党の享楽かと思ったが、モリアーティもマスターの今の状況を慮っているのか。

「では、参ろうか。パンにチーズを満遍なくつけて、と。熱いからやけどしないようダディがフーフーしてあげようネ!」

「……」

 口にするのも恥ずかしいセリフを臆面もなく行動に移すあたり、やっぱりただの子煩悩なだけかも知れなかった。

「ほらほらマスター、おいし〜いチーズフォンデュだヨ〜?」

 マスターの鼻先に竹串に刺さったパンをちらつかせると、微かな反応の後、小さな口が開く。

「はいマイレディ、あーん」

「…………」

 大した抵抗もなく、口に入れ、咀嚼し、嚥下する。

「うんうん、ダディはたくさん食べるキミが好きだよ。さて、我々もマスターにあーんしつつもいただくとしようか」

「イイィィヤッホオオオオゥ! ではでは遠慮なくいっただっきマース!」

「エミヤさん」

 私も参加していいでしょうか、と喜色を抑えきれない表情でマシュが訴えかけてきていた。

「ふっ……くっくっく……」

「わ、笑わないでくださいよ!」

「いやいや、こんなにもはしゃぐ君を見るのも珍しいと思ってね、すまない」

 更に言うのならば、マスターがこの状況に陥ってから、マシュは何処となく元気がなかった。

 致し方のないことだ。長い間信頼し合ってきたパートナーが原因不明の意識不明状態にある――いつも通りに過ごせ、と言う方が酷だ。

「問題はないだろう、マスターと一緒に楽しんで来るといい」

「はいっ」

 ぱああ、と表情を輝かせて、多くの食材を前に逡巡を始めるマシュだった。

 チーズフォンデュは自分で食材を選び串に刺し、自らチーズをつけて食う、というエンターテイメント性の側面もある。日本でもバイキング形式の飲食店ではちらほら見られる。

「メフィストフェレスさん、お肉ばっかり取らないでください、先輩の分が!」

「これは失礼、しかしお肉を好むのは悪魔のサガでして!」

「お肉1にお野菜2ですよ、破ったらナイチンゲールさんに言いつけますから」

「それだけはご勘弁を! 私悪魔ですがあの方には勝てる気がしませェん!」

「なに、食材は山ほどある。好きなものを食べるといい」

 その様子を同じように微笑を浮かべて見守るモリアーティと目が合う。

「何かネ、エミヤ君」

「いや……予想外の内容だった。礼を言おう」

 マスターの世話はともかく、マシュに関しては礼を言うべきだ、そう思っての言葉だった。

 私はマスターの事ばかりを考えて、周りにいる者のことを考慮に入れていなかった。

「なに、元々君がやっている事に少々色をつけただけだ。礼を言われる筋合いはないヨ」

「しかし」

「マスターの事は皆心配している。だが、残された者の事も考えてやらねばならん」

 残された者、か。まさにその通りだ。

「はい先輩、あーん」

 今現在、戦っているのはマスターだけではない。マシュはもちろん、ダヴィンチもホームズもカルデア職員も、今こうしている間にもマスターの為に尽力しているのだ。

「私もどちらかと言えば『残された者』側だった。生前もあれこれと悪事を巡らせたが――望んだこととはいえ、置いて行かれるのは、あまり気分のいいものではないからね」

「……そうだな、心得ておくよ」

「さて、そろそろ私もいただこうかネ。キミも精々楽しむといい」

「ああ。マスターの意識が戻ったら、もう一度催すとしよう」

「フ。そうだネ、それもいい」

 ホームズと対立し、ひとり孤立した悪の老紳士。

 それは決して褒められるものではない。やっている事は紛れもなく悪事であり、それはいつか正義の者によって誅される。

 だが彼とて人間には違いはない。自分のやったこととはいえ、自分の手駒が次々と消え、最期の時、ライヘンバッハの滝に至った際、彼は何を思ったのだろうか。

 その矛盾とも取れる彼の孤独を、私は今日、垣間見た気がしたのだった。

 

 //

 

 後日談。

「きぃええええええぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 マスターの意識が戻った数時間後。

 突如として猿の叫び声のような慟哭がカルデア内に響いた。

「この声は」

「うむ、マスターだナ。Gとでも遭遇したか?」

「マスター!」

「待てエミヤ! Gと戦うのならば洗剤をもっていけ!」

 タマモキャットと共にマスターのおかえりパーティの準備をしていた私は、その悲鳴を聞きタマモキャットの静止(?)も聞かずマスターのマイルームへと直行する。

「大丈夫かマスター、何があった!」

 と、

「あ、エミヤさん」

「え、エミヤ……」

「なっ、すっ、すまない!」

 マイルームの扉を開けるなり、全裸のマスターと、その脇に控えるマシュに遭遇した。

 脊髄反射で後ろを向き視線を泳がせる。

「き、君の悲鳴が聞こえて駆け付けたのだが……見てしまったことは事実だ。謝ろう、すまない」

「いいよ別に……うえええん……マシュぅ……」

「それよりも早く服を着たまえ! というか少しは恥じらいを持ったらどうなんだ!」

「エミヤさん、食事前に服を全部脱いで測るのは女子として当然です」

「そうか……わかった。わかったから服を着てくれ」

 マスターが服を着るのを待ち、本題へと戻る。

 見たところマスターがべそをかいていたが、一体何があったというのだろうか。意識が戻った当初は特に異常は感じられなかったが……。

「で、何があった?」

「たっ、体重が」

「体重?」

「その……なんか、ふっ、増えてて……」

「そうか、大変だったな。パーティは二時間後だ、遅れるなよ」

 マスターの言葉を一刀のもとにばっさりと切り捨て、マイルームを後にしようとする。

 年頃の女子としては一大事なのやも知れないが、全力で駆け付けた自分が馬鹿らしくなって来た。

「待ってよエミヤ、ちょっとは話聞いてよ!」

「…………」

「エミヤさん、お気持ちはわかりますが、明らかにおかしいんです」

「おかしい、とは?」

 マシュがいつになく真摯な表情だった。

「先輩はこれでも体型の維持には全力を尽くしているんです」

「ほう」

「はい。いつも三食欠かさずアルトリアさんに匹敵するほど食べ、三時のおやつどころか夜食も欠かさない先輩ですが、長い間お傍で見て来たので間違いありません」

「マシュ? 先輩のヒットポイントはそろそろゼロだよ?」

「その先輩が……それも意識の回復の直後にこんな体重の増加なんて、あり得ないんです」

「…………」

 言われてみれば、そうなのかも知れない。

 マスターはここ数日、言ってしまえばずっと寝ていただけだ。食事も最低限、体調を崩さない程度にしか与えていない。どれだけ増えたのかは知らないが、マスターの様子を見る限り、誤差の範囲で済まされるものではないのだろう。

 大食いの直後ならばまだしも、空に近い胃袋で体重が増加する。そんな不可思議な現象が起こり得るとしたら――、

「やあマイレディ! 目覚めたと聞いてダディがおはようのあいさつに来たよ――うん?」

「あんたの仕業か、モリアーティ」

 今回、マスターに関わったのは職員を除けば、私とマシュ、それにモリアーティだけだ。

 私は勿論身に覚えなどないし、マシュがマスターの意向に反することをするとは思えない。

 となれば、だ。

「寝ているマスターに何かしただろう、それしか考えられん」

「ンー……思いの外、早かったネ。エミヤ君、探偵の素養があるんじゃないかネ?」

 やはりか。

「モリアーティ……私に、何をしたの」

 いつになく真面目な顔つきで、マスターが令呪の刻まれた手の甲を見せつつ、モリアーティに問う。自分の意志で答えなくとも令呪を使って聞き出すぞ、という脅しだ。

 その内容が彼女の体重について、というのは若干締まらない点ではあるが。

「いやなに、特別なことはしていないよ。ただ――」

「ただ?」

 マスターの尋問に対し、白髪混じりの口髭を凶悪に歪ませ、モリアーティは嗤う。

 それこそ悪の象徴であると言わんばかりに。

 獣性を剥き出しにした嗜虐的な笑みだった。

「寝ているキミに、美味しいものをたくさん食べさせてあげたのだよ」

「な……」

「実に――実に楽しかった」

 大仰に両手を広げ、回顧を始めるモリアーティ。

 その様は、悪人が誇らしげに自らの悪事を語るには相応しく。

「ここに誰もいない時間帯、ここに忍び込んだ。君の好物をたっぷりと用意してね」

「常に監視カメラが回っていた筈だが」

「カメラなど。そんなもの、偽の映像を流すだけでどうにでもなる」

 カルデアのシステムにも干渉済み、という訳か。これでこの件は衝動的なものではなく、計画的な犯行に間違いなくなった。

「眠るマイレディは実に良く食べてくれた――焼肉に白米、ラーメン、うどん、ステーキ、からあげ、チョコレート、カフェオレ、みたらし団子にケーキ――!」

「この、外道……!」

「食堂の食材が毎日微妙に減っていたのはお前の仕業だったのか」

 てっきりアルトリアの誰かがつまみ食いでもしているのだろう、と思ったのは浅慮だったと言えよう。

 しかし、ひとりで毎日秘密裏にせっせとマスターに食事を与えるモリアーティの姿を想像すると、あまり威厳があるようには思えなかった。伝説的な悪の象徴となれば猶更である。

「笑顔でモリモリ食べてくれるものだから私も張り切ってしまってネ……いやぁ、楽しかったヨ」

「モリアーティ、目的はなに!?」

「アラフィフ、女の子は少しくらいぽっちゃりしていた方がカワイイと思う!」

「女が可愛いって言えば何でも許してくれると思うな!」

「はぁ……」

 頭が痛い。

「モリアーティは今から日付が変わるまで正座。『私はマスターを怒らせました』ってフリップつけてね。あと二週間はパパって呼ばないから」

「そんな殺生な!」

「レオニダス! レオニダァス!」

「お呼びでしょうかムァスター!」

「今から私用の筋トレのメニューを考えて、一切手加減しなくていいから!」

「んぬううううううう……なんということだ! マスターがついに筋肉に目覚められた! よろしい、このレオニダス、あらん限りの知識を振り絞ってマスターを鍛え上げて見せましょう!」

 怒号と哀願の声がひしめく中、マスターの部屋を後にする。

 さて、私は引き続きパーティの準備をしてくるとしよう。

 

 

 

 

 

 



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午前二時の爛れた果実

刑部姫に対する自己解釈が入ってます。
許容できる方のみお願いします。


 時刻は日付の変わる頃。

 カルデアの火は節電状態になり、主要通路以外は薄暗く、サーヴァントを含めたカルデアの面々は眠りにつく。

 食事や酒を求めるスタッフやサーヴァントの姿もなく、普段は賑やかな食堂も今は静寂に満ちていた。

 その薄闇の中、忍び足で音を立てることを避けながら歩く影がひとつ。

「気分は某ダンボールの傭兵ね……クリア、クリア、クリア。よし、誰もいない」

 影の正体、刑部姫は小声の指差し呼称と共に歩を進める。

 仮にもアサシンのクラスなのだから見つかりたくなければ気配遮断スキルを使えばいいものなのだが、超長期にわたる引きこもり生活のせいで、刑部姫は気配遮断の使い方なんて忘れてしまった。

 引きこもっていれば気配を隠す必要なんてない。誰とも関わらないのだから、そもそも隠す相手がいない。

「こんな時間に飯テロ画像なんか見ちゃったら我慢できるわけないよね。えっと、くろひーの情報によれば確かここに……」

 なるべく物音を立てないよう、抜き足差し足でカルデアの食堂の奥に位置するキッチンへと侵入し、刑部姫は食料庫を開ける。

「ここかな……お、あったあった」

 扉が軋む音と共に、そこには冷蔵庫に入れる必要のない食材の数々が詰め込まれていた。缶詰や保存食、乾物が主たるものである。

 消費するのがマスターとマシュ、スタッフだけ、と考えるとかなりの量だが、いつ供給が覚束なくなるかわからないカルデアにおいて、保存食はマスター及びスタッフの生命に関わる。

 出来る時に大量に仕入れ、足の早い食材や時が経ち悪くなりそうなものから普段の食事に使用する、という方針がカルデアの食糧事情だった。

 加えて、サーヴァントでも娯楽や嗜好品という意味で消費する者もいる。中には常軌を逸した量を胃袋に収めるサーヴァントすらおり、そういう意味では少々溜め込みすぎ、くらいが丁度良かった。

 が、そんな事を引きこもりの代名詞とも言える刑部姫が知る由もなく。

「ひっひっひ、これこれ」

 現代になって開発された、簡単かつ短時間で調理が可能な保存食、いわゆるインスタント食品の中からカップ焼きそばを選び出す。

 そのお手軽さたるや、ブリテンの王をして『これさえあればカムランで負ける事はなかった』とまで言わしめた程である。

「えーっと、お湯を入れて三分待ってお湯を捨てる……簡単すぎて魔法の域だね、これ。そりゃ現代にも姫みたいな引きこもりも増えるって」

 包装ラベルを剥がし、厨房に備え付けてあるポットの湯を注ぐ。夜通し働くスタッフもいるカルデアの食堂では、ポットが簡単な夜食と共に設置されていた。

「おにぎり……これもついでにもらっとこ。いいよね、私も一応カルデアの戦力だし?」

 今日の夜食である塩むすびを二個持ち出しカウンターに置き、箸やら飲み物の麦茶の用意やらを一通り終えたところで、三分に設定していたタブレットのタイマーが鳴った。

「お湯を捨てて、えーと、ソースを入れてよくかき混ぜる……うわっ、なにこのにおいテロ、やばっ」

 鼻腔の奥を刺激するソースの芳醇な香りがもわっと周囲に満ちると共に、刑部姫の胃が、くう、と早くしろと言わんばかりに音を立てる。

 カウンターの上に並ぶは、カップ焼きそばにおにぎり二個、作り置きの麦茶。

 昼食ならばまだしも、炭水化物の暴力とも言えるそのラインナップは、うら若き女性の夜食としては若干どころか相当な危機感を覚えるレベルだった。

「ちょっと食べすぎかな……でも夕飯もおせんべだけだったし、夜なら身体も寝てるからカロリーゼロ! ってまーちゃんも言ってたから大丈夫! いっただきま――」

「おいしそうですね」

「おひゃあ!?」

 手を合わせ、麺をかき混ぜた際にソースの染み込んだ割り箸を手に取った瞬間、後ろから声をかけられ刑部姫は飛び上がった。

「どうかしましたか」

「し、心臓が口から飛び出るかと思った……」

「ユニークな体質ですね」

「え、えっと……Xオルタさん、だっけ」

「はい。我ながら長い名前だと思うのでお好きにお呼び下さい。えつ子とかえっちゃんとか」

 闇の中に溶けるかのように気配を消して現れたのは、謎のヒロインXオルタだった。

 人見知りの引きこもり体質のせいでカルデアに召喚された英霊もほとんど把握できていない刑部姫だったが、Xオルタのことは知っていた。黒髭がパワーポイントで作ったプレゼン資料『拙者が選ぶカルデア萌えサーヴァント百選』で見ていたからである。

 そのXオルタ当人は刑部姫の奇妙な悲鳴にも眉ひとつ動かさず、それでいて視線だけはカウンターの上に釘付けだった。

「ええと……それで、えっさんはなんでここに?」

「おいしそうですね、それ」

「へ?」

「おいしそうですね」

 会話の最中も終始、ターゲット集中スキルをかけたかのように目線を焼きそばから外さないXオルタの妙な圧力が刑部姫を襲う。

 そいつをよこせ、と。

 その感情の色が読み取れない、ノイズのようにざらついた狂戦士の瞳が言葉以上に物語っていた。

 その目力に刑部姫は瞬時に理解する。

 この場において、私は獲物で、彼女は捕食者なのだ。

 もし断ったりしたら食われるのは私だ、と、引きこもりと言う名の防御にポイント全振りした直感が告げていた。

「よ、よかったら一口食べる?」

 固唾を飲み、熟考の結果ようやく出たのはその一言だった。

 いくら相手がバーサーカーとはいえ、刑部姫もここまでお膳立てをしたからにはもう、焼きそばを食べないことには収まりがつかない。このまま生贄のごとく全てを献上して逃げるのが一番安全なのだが、焼きそばを食べる為に珍しく部屋から出たというのに、すごすごと帰っては悶々として眠れる気がしない。

 それに黒髭の話によれば彼女は和菓子専門の大食い天然キャラ。焼きそばならば少し食べたら満足するだろう、というのが刑部姫の予想だった。

「いいのですか、やさしいお姉さん」

「うん、まあ、一口くらいなら」

「では遠慮なく」

 Xオルタは待ってましたとばかりに箸を手にする――ことはなく、

「えい」

 ポリスチレンの容器ごと手にすると、上を向き、そのまま自分の口の上で逆さにするという残虐行為に出た。

「ちょっと! 何してくれてるのよあんた!」

「ひほふひれふ(一口です)」

「これだからかわいい顔しててもバーサーカーは! 返して! 姫の焼きそばを返してよぉ!」

「……何を騒いでいるんだ」

 と、なんとかして吐き出させようと刑部姫が咀嚼を続けるXオルタの身体を揺すっていたところに、第三者がいつの間にかすぐ近くまで来ていた。

 魔力焼けした褐色の肌に赤い外套。

 カルデアの食堂において調理を担当するエミヤだった。

「悲鳴が聞こえたから何事かと思えば……Xオルタと、刑部姫か? 君が部屋から出るとは珍しい」

「ふぁい(はい)」

「行儀が悪いから喋るのは飲み込んでからにしろ」

「私のなのにぃ!」

 無表情のまま咀嚼を続けるXオルタに、彼女を責めるかのように涙する刑部姫。

 カウンター上に乗った麦茶と塩むすび。

 それらを見てエミヤは直感で察する。

「つまり、あれか。カップ焼きそばを食べようと作ったはいいが、彼女に全て食べられた、と」

「大体あってる」

「成程な。それはいいが年頃の娘がこんな時間にそんな添加物と炭水化物たっぷりの身体に悪いものを食うんじゃない。太るぞ」

「そっ、そんなの私の勝手でしょ! そもそもサーヴァントは太らないし! 姫はいつまでも適度にお肉のついた愛されマシュマロボディなんだから!」

「それこそ思い上がりだ。普段からろくに魔力も使わんであろう君が暴食を続けたらそれなりに蓄積するんじゃないか?」

「ていうかなんで姫だけ責められてるの? そこで口の周りソースだらけにしてもぐもぐしてる子はいいの!?」

「彼女たちには言うだけ無駄だ。スパルタクスに恭順のありがたみを説いた方がまだ有益だぞ」

「……さいですか」

 Xオルタを見るエミヤの視線には、一種の諦観の念が見受けられた。アルトリアの名を冠する英霊たちの大食いスキルは刑部姫も聞いていたので、それ以上は突っ込まないことにした。

「食うなとは言わん。私も出自は現代人だ、時折ジャンクなものを食べたくなる気持ちもわかる。だが肉野菜炭水化物はバランス良く食え」

「バランスよくって言われても……私、料理なんて出来ないし」

「全く……仕方ない。五分待て」

 投影開始、と魔術を使いエプロンを投影すると、刑部姫の返事も待たずにエミヤは厨房に立つ。

 冷蔵庫から取り出したのは、焼きそば用の蒸し麺に豚バラ肉、キャベツ、シメジ、もやしにピーマン。それらを手慣れた手つきで瞬く間に包丁で刻み、火にかけた油をひいたフライパンに投入。材料に火が通ったところで蒸し麺に日本酒を少量振りかけてほぐし、一緒に炒める。

「すご……」

 その、あまりに鮮やかな調理の流れに刑部姫は魅入っていた。

 そもそも、刑部姫は料理などした事もなければ、見たことすらない。姫路城で引きこもっていた時に、偶然目の端に入れた、程度だ。

 城化物という妖怪に属される刑部姫は、大きな力を持ちながらも欲を持たず、人と会うことを厭い、結果引きこもった存在である。

 人間という種は単体では虚弱なものの、全体を一つの個体と捉えると、その能力は他の生物と一線を画すと刑部姫は思う。

 刑部姫が愛してやまないネットやパソコンを作ったのも人間だ。そのお陰で引きこもりに拍車はかかったが、元より関わるつもりすらない刑部姫にとってはメリットしかない。

 そう、関わるつもりなんて最初からなかったのだ。

 人を助け、善行を積み、神を気取ることも出来た。人に崇められていれば寂しさだけは埋められたかも知れない。

 暴れ回り、人類の敵として必要悪を演じることも出来た。人間に畏れられることで、存在理由だけは得られたかも知れない。

 だが、刑部姫はどれにも興味がない。

 ならば自分は何の為に産まれ、何の為に存在し、何の為に死ぬのか。そんな事を考えるのは最初の百年でほどなく飽きる。

 友人である清姫はひとりの人間を愛し、裏切られ、盲目の愛に溺れる蛇となった。

 玉藻は人間そのものをこよなく愛したが、化物である以上、最後はその人間の手によって封印された。

 愛そうが、殺そうが、何をしても結局は無駄なのだ。最後は人間にとって都合のいい形で利用され、捨てられるに過ぎない。刑部姫はそれを無意識的に理解していたのだろう、力を持つ存在として産まれても、何かをしようという気にはなれなかった。

 そう思うと、刑部姫には、生きること自体に無気力になった。死ぬにしても、わざわざ自殺する程の理由も無ければ痛いのも嫌いだ。死後の世界があるかどうかは知らないが、そこも同じだったら単なる死に損である。

 だからなるべく誰にも会わず、関わることもせず、ひたすら退屈の海に身を沈めた。

 それから後は惰性だ。引きこもりという、生きているのか死んでいるのかもはっきりとしない無益の日々が続いた。

 カルデアに召喚されても、場所が変わっただけでやる事は一緒だ。マスターが変わり者なのと機械類に不自由しないお陰で、前以上に引きこもりライフは充実している程だ。

 それに反して、目の前で鍋を振るう名も知らぬ英霊は何なのだろうか。

 少なくとも料理の上手い英霊なんて刑部姫は聞いたことがなかった。

「よし、完成だ。おまけで目玉焼きも乗せてやる」

「……っ」

 皿に盛られた焼きそばに満遍なく青のりと紅生姜が散りばめられ、とどめと言わんばかりに目玉焼きが乗せられる。

 ごくり、と身体に響く聞き慣れない音が、刑部姫が自分の唾を飲み込む音だと気付くのにしばらくかかった。

 ちりちりとソースの焦げるにおいが食欲を増進させる。さっきのカップ焼きそばとは段違いのにおいテロだ。

 そもそもカップ焼きそばは焼いていない、焼きそば風カップ麺なので当たり前ではあるのだが。

「わたしのはないんですか」

「君はさっき刑部姫のカップ焼きそばを強奪したんじゃないのか」

「強奪なんて人聞きの悪い。合意の上です」

「世の中には合意の上でも罪になる事があるんだ」

「お姉さんは未成年ではないので大丈夫です」

「あのな……まあいい、昨夜、栗きんとんを作ったんだが、それでいいか?」

「栗きんとんとはすばらしい。さすがです」

「刑部姫、君もぼうっとしていないで折角だから冷める前に食べたらどうだ」

「え、あ、うん。いただきます」

「いただきます」

「君はその前に口の周りを拭け、Xオルタ」

「むぐ」

 一方的におしぼりで口許を拭かれているXオルタを横目に、仲のいい兄妹みたいだと思いつつ刑部姫は箸を取る。

 目玉焼きの黄身を箸の先で突き破り、刑部姫の引きこもり生活で完成させた不健康優良児体質を気遣ってか、野菜を多めに入れた焼きそばを口にする。

「……!」

 濃厚でべったりとした焼きそばソースに甘い卵のとろみが絡むことでまろやかになった酸味と芳醇な香りが口内に広がる。

 麺もカップ焼きそばのそれとは大違いで、日本人の大好きなもちもちとした食感があとを引く。

 野菜は炒められたことで食べやすくなっており、豚バラ肉の脂にソースと絡み合うことで白米を進ませるのに一役も二役も買っていた。

 ともなればしつこすぎるとも思えたその濃厚な味も、多めの野菜と、あっさりとした紅生姜を時折箸休めとしてつまむことで、焼きそば、おにぎり、紅生姜の無限ループを形成していた。

「はぁ……おいしかった」

 気付けば皿は空になっており、今まで味わったことのない充足感が刑部姫を包む。

「それは結構。気は済んだかね」

「え、う、うん」

「栗きんとんのおかわりをいただけますか」

「駄目だ。君ももう寝ろ。残りは明日だ」

「明日は好きなだけ食べていいのですか?」

「ああ、おかわりもいいぞ」

「わかりました。約束ですよ。では今日は撤収します」

 結局彼女はなんだったのだろうか、と刑部姫が聞く機会を逸したまま、Xオルタは表情ひとつ変えずに恐らくは自室へと帰っていった。

「彼女、何者なの?」

「ん? ああ、私は生前、彼女の系譜を辿っている者に世話になった事があってな……まあ、よく食べるだけで害はないから気にするな」

「そう……あ、言い忘れてたけど、ごちそう、さま。その……ありがと」

「お粗末様。さあ、君も早く部屋に戻りたまえ」

「……むう」

 と、手早く食器の片付けを始めるエミヤを、刑部姫が口先を尖らせ、上目遣いで睨むように凝視していた。

 それに気付いたエミヤが洗い物を両手に立ち止まる。

「? まだ何かあるのか? これ以上の夜食は暴食だぞ。頼まれても作らんからな」

「ち、違うわよ!」

「じゃあなんだ、口に合わなかったか?」

 刑部姫は何度も言うように誰とも関わりたくないが為に引きこもることを選んだ、生粋の引きこもりである。

 必然的に普段から人と接しない彼女の対人コミュニケーション能力は、黒髭やエリザベートといった趣味や波長の合う友人以外には既存のテンプレートをなぞる事しか出来ない。

 こういう時。

 仲のいい人間以外、それも異性に慣れない頼みごとをする時。

 何と言っていいのか、わからないのだ。

「あの……た、たまにでいいから、また姫にごはん作ってもらっても、いい?」

 数十秒の試行錯誤の末、やっと絞り出したのは、そんな普遍的な言葉。

 食事に楽しみを見出せるなんて、思いもしなかった。

 嗜好品としてのお菓子や食事は時たま摂っていたけれど、生前も英霊化した後も食事が生きる上で大して重要な要素ではなかったせいか、食事そのものにこれ程の感動があるとは思わなかったのだ。

「それは別に構わんが……次はこんな真夜中ではなく、食事時に来るんだな」

自宅警備員(シールダー)として召喚されても不思議じゃない姫に一人で人のたくさんいるところに来いって言うの? それ、深海魚にラニカイビーチで泳げって言ってるのと一緒だよ?」

「君の部屋までデリバリーしろと?」

「それいい。すごくいい。姫が連絡したら作って、サランラップかけてドアの前に置いといてくれるともっといい」

「お断りだ」

「ぐっ……やっぱりダメかあ」

「なに、一人で来にくいのであればここには君の友人だと聞く黒髭は毎日のように来ているし、何ならマスターや友人と一緒に来たらどうだ」

 誰かと一緒にごはんを食べる。

 そんな事、思いつきもしなかった。

 食事は一人で摂るもの、という固定概念がいつの間にか彼女の中にはあった。長い人生において、誰かといるよりも孤独な時間の方が長かったのだから、無理もないことではあるが。

 刑部姫は想像する。

「…………」

 この食堂で、エミヤの作った食事を囲んで、清姫や玉藻、エリザベートにマスターと談笑する自分の姿。

「うん……そうね。そうしよっかな」

 考えたこともなかったため、想像するのに時間はかかったが、悪くない。

 女子会みたいなリア充イベントには一生縁がないものと思っていた。だが、あの友人たちならばきっと快諾してくれるだろう。

 柄ではないけど、今度はここに誘って来てみよう。

 何か、今までずっと足りなかったものが補われたような気分だった。

 初めて経験する、どこか晴れ晴れしい気分で刑部姫はエミヤに向き直る。

「それはそうと」

「ん?」

「お兄さん、どこの英霊?」

 その日、刑部姫には黒髭以外に異性の友人が出来た。

 後日、わがままを言って部屋まで夜食を届けてもらった際、部屋を強引に掃除され、刑部姫の悲鳴がカルデア中に響き渡ったのは、また別の話。



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野菜たっぷり芙蓉蟹

 日課の鍛錬後、小腹がすいて夜の食堂へと足を向けた時のことだった。

 食事というものは人間の三大欲求に根付くもの。サーヴァントの身体となってもそれは完全には無くならないらしく、腹が減らない身でも気分的に食い物を腹に入れたくなる。それに真夜中にに一人で隠れて食べる食事ほど背徳的で美味いものはない。

 いつの時代も、人間の欲には驚かされる。

 どんな国、時代でも常に人を大きく動かすのは人の欲だ。

 戦がいい例だろう。あれこそ人の欲の美しさと醜さを同時に表す。

 それは愛欲、食欲、支配欲、様々ではあるが、人は、いや生物である以上理由なく争う事はない。

 俺も御多分に漏れず、だ。たった一つの大切なものを守る為に、随分と無茶をやらかした。

 その結果はやって来たことの割には合わなかったが──それが自分にとっては必然の帰結だったのだろう。

 英霊の身になったところで、自分の過去を思い返せば後悔と、それに付随するやり場の無い自責だらけだ。生前の自分を客観的に見る事が出来たのなら、間違いなく自分をぶん殴っている。

「……?」

 自虐に近い笑みを浮かべて食堂に入ると、仄かに灯りが点いているのに気付く。見ると暗くなった食堂の一画にだけ電気がつけられ、その下で誰かが机に向かって本を読んでいる。

 ここカルデアに不審な人物がいるとは思えないが、癖で気配を消して確認する。

 あの後姿は間違いない。

「怠慢なマスターが勉強とは珍しい。どんな風の吹き回しかね?」

「あ、エミヤ。どうしたの、こんな時間に」

「いや何、両儀に頼まれて仕込んでいた納豆の発酵具合が気になってね。それより、それはむしろこちらの台詞だ。調べ物をするのならば書庫を使いたまえ」

 犯人はマスターだった。何冊かの分厚い本と文庫本を重ね、冷え防止のブランケットを羽織っている。

 あれは中国の歴史書だろうか。表紙やマスターの持つ本の文面は漢字で埋め尽くされていた。

「いやぁ、本読むのって頭使うでしょ?」

「確かに思考は思っているよりもカロリーを消費する。それと食堂で本を読むことに何か関係が?」

「書庫でなんか食べながら本読むとその……なんか、式部ちゃんの目が怖くて」

「ああ」

 なるほど、マスターの手元には湯気を立てるココアとチョコレート菓子が置かれていた。

 紫式部は召喚されてより現在、誰に頼まれるわけでもなくカルデアの書庫の番をしている。

 書物をこよなく愛する彼女の事だ。自分の蔵書でなくとも本を汚されるのは嫌うだろう。菓子などを食べながら本を読まれては、油の染みが付着しかねない。飲み物を本の上にこぼされては大惨事だ。紫式部の懸念もわかる。

「ここなら夜はあんまり人来ないし、おやつもいっぱいあるからね」

「……結果は同じな気がするが」

 本を返す時に本が汚れていたらそれこそ紫式部はマスターが相手だろうと必ず怒る。

 まあ、マスターもそこまで馬鹿なことはしないとは信じているが。

「ちょうどいいや、勉強してたらお腹すいたから何か作ってよ」

「全く……時間も時間だ。あまり食べ過ぎるんじゃないぞ」

「やった! さっすがエミヤ、やっさしー」

 厨房に入り、入口に掛けてあったエプロンを装着する。

 業務用の巨大な冷蔵庫を開けると、すぐ目に付いたのは卵ともやし、人参や筍といった野菜の数々。冷凍庫には冷凍された米や麺類などがあるのだろうが、人間の、しかも年頃の女の子であるマスターに、この時間に炭水化物を食わせるのは若干心苦しい。女の子は多少肉付きがいい方が健康的で可愛いと思うのだが、無駄なお肉がつく事はマスターも望んでいないだろう。

 だからといって卵と野菜炒め、では芸がない。夜食を戒めはしたものの、人の事は言えない上に作り手としてマスターの期待には応えたいところだ。

 では何を作ろうか、等と考えていると、冷蔵庫の隅に蟹の缶詰を見つけた。

「マスター、芙蓉蟹を作ろうと思うのだが、構わんかね」

「ふよう……? 何それ」

「かに玉だ」

「やった、かに玉大好き!」

 子供のように無邪気に喜ぶマスターの顔を見て、思わず口元が緩む。

 いや、歴戦をくぐり抜けてはいるが、まだ子供だ。若干感心しない夜食くらいは許されて然るべしだ。

 芙蓉蟹ことかに玉は卵を溶いたものに蟹肉を入れ、味をつけた後にオムレツのように炒めたものに甘酢あんをかけたものだ。ふわふわの卵と甘酢あんによる滑らかな食感が日本人に受けがいい。

 本場中国では蟹肉だけではなく色々なものを一緒に炒める事が多い。卵と蟹肉だけでは栄養バランスが悪いので、ビタミン豊富な野菜も一緒に炒めてやろう。

 かに玉のいいところは、蟹肉さえあれば大抵の家庭にあるもので簡単に出来てしまう点だ。最低でも卵と片栗粉と調味料さえあれば作れる。

 卵を溶き、ネギと野菜を刻んでほぐした缶詰の蟹肉と共に炒め、オムレツ状にする。

 もう一つの鍋で中華スープに砂糖と醤油を加えたものを片栗粉でとろみをつけ、上からかけたら完成だ。

「ほら、出来たぞ」

「ありがと。いただきます!」

「どうぞ。よく噛んで食え」

「でもかに玉の素を使わないなんてエミヤも本格的だね。いつもは市販の素使ってるでしょ?」

「あ、あぁ。たまには趣向を凝らすのもいいかと思ってね……口に合わないか?」

「ううん、これはこれですごく美味しいよ。中国行ったことないからわかんないけど、本場の味? って感じ」

「そうか、それは良かった。ところでその本は歴史書か?」

「うん、水滸伝」

「水滸伝」

 思わず鸚鵡返しにマスターの言葉を反復する。

 水滸伝。言わずとも知れた三国志演技、西遊記と並ぶ中国三大奇書のひとつである。

 この三作に金瓶梅を加え四大奇書とすることもあるが、そも金瓶梅が水滸伝の今で言うスピンオフなので、三大奇書の方がしっくり来る気はする。

 水滸伝の物語を簡潔にまとめるのならば、民衆が圧政を敷く国に対して自ら国を建て直そうと革命を起こす物語だ。

 その民衆の集まりを土地の名前から因んで梁山泊と呼び、頭目である宋江と晁蓋を含む百とんで八人の傑物を軸に国と戦う。

 カルデアにおいて召喚されている梁山泊の一員は燕青のみだ。

 百八もいながら燕青だけ、というのも若干寂しい気もするが、もっと登場人物の多い同じ三大奇書の三国志からの出身も呂布と孔明と司馬懿のみだ。それも孔明と司馬懿に関しては擬似サーヴァントである。

 もう一人くらいいた気がするが、恐らく気のせいだろう。

 マスターが積んでいるのは、水滸伝の原本や翻訳本、日本の作家が書いた小説形式のものだ。

 マスターが暇を見つけてはカルデアに召喚された英霊の話を読んで勉強しているのは皆知っている。だが、

「しかし原本まで読むとは物好きだな」

「んー、やっぱり翻訳の齟齬で結構変わっちゃう部分もあったりするから。両方読んでおけばなんとなく補完できるしね」

「中国語を読めるとは凄いな」

「話せたりはしないけどね。荊軻ちゃんや書文先生に教えてもらいながら、って感じだよ」

「荊軻はまだしも、若い方でも年召した方でも書文に教えを乞うのは勇気と言うよりは蛮勇な気もするが」

「その方が必死な分よく覚えられるよ。書文先生、教えられたこと間違えるとめっちゃこわいもん」

 そう言って、マスターは歯を見せて笑ってみせる。

 本人はあっけらかんとしているが、実に二百五十近くを数える使い魔であるサーヴァント一人一人を理解しようと、異国の言語まで学ぶマスターの勤勉振りは恐れ入るの一言に尽きる。

 そんな効率の悪い、愚直とも思える行動を取るマスターだからこそ、皆から慕われているのだろうが。

「水滸伝、ということは燕青の勉強かね」

「うん。でも水滸伝を一通り読んだけど、燕青の出番そこまで多くないんだよねー」

「それはそうだ。奴は主人公でも主要人物でもない、百八の中の一だからな。同じ三大奇書の人物でも呂布や孔明、司馬懿などと並べるまでもない」

「でも、燕青はすごいと思うよ」

「……それは、どんな所が?」

「色んな人に色んな方向から違う書き方をされてるけど、どの作品でも共通するのは、最後まで主を想って行動した忠臣だって書かれてるところ」

 それって中々できることじゃないよ、とマスターは言う。

「自分の住む国の為に戦ってるほかの梁山泊のメンバーと比べると、燕青だけ戦う理由が違うんだ。燕青にとっての戦う理由は、主人である盧俊義の為」

 盧俊義は梁山泊の主要幹部の一人である商人で、主に梁山泊の財政を担った。

 燕青は彼の部下である。梁山泊に入山したのも、盧俊義の為に他ならない。

「私ね、ひねくれ者だからかも知れないけど、『他の人と違う考えが出来る』ってすごいことだと思うんだ。特に梁山泊なんて、常に背水の陣で国に抗ってた訳だよね。汚職や着服で汚れた国を綺麗にしよう。今より良い暮らしを、良い政治を、争いもなく平和な世界を、って、逆賊の誹りを受けてまで革命に身を費やしたんだよね」

 人理修復。

 異聞帯。

 叛乱。革命。逆賊。

 そんな言葉と、マスターの姿が重なる。

「革命の目的って、現状の改善だよね。でも燕青だけが周りがそんな必死で自分や家族の為に戦ってる中、たったひとりの主人の為に戦ったんだよ」

 自分の益も何も考えず、ただひとつ『主人に仕える』という意志を貫き通した男だ、とマスターは言う。

「ディルムッドもそうだけどさ、何処までも誰かに仕える、って人の上に立つよりも難しいことだと思うんだ。だって、自分の生き死にや行き先を全て他人に委ねる訳じゃない?」

 いや、違う。

「……でも燕青は、最後は主人の元から消えた」

 違う。

 違うんだ、マスター。

「最期の際まで一緒にいてこその忠臣だろう。燕青は、あろうことかそれを投げ出したじゃないか」

「…………」

 かに玉の皿を空にすると、マスターは思うところがあるのか、箸を置いて改めて身体ごと向き合う。

 その眼はどこまでも純真で、自分の行く道を信じて疑わない者が持つものだ。

 ふと、宋江殿とマスターの姿が重なった。

「私は盧俊義を知らないし、燕青が生きてた時代がどんな所だったのかも知らない。ひょっとしたら、私なんかじゃ到底想像できないような場所だったのかも知れない」

 でも、とマスターは続ける。

「燕青は訳もなく主人を見限るような人じゃない。それは、燕青と接してたらよくわかるよ」

「それは──」

「私の予想だけどさ、燕青はきっと、盧俊義の、主人の為に身を引いたんじゃないかな。理由はわからないけれど、自分がいない方が主人の為になると思って消えたんだと思うよ」

 梁山泊三十六位、天功星浪子・燕青。

 梁山泊が興る以前より盧俊義に仕えてきた彼は、盧俊義が死ぬ直前、置手紙と共に盧俊義の前から姿を消す。

 その理由は歴史上明らかにされていない。

 自分の諫言を一向に受け入れない盧俊義に愛想を尽かしたとも、それでも盧俊義を助けようと先手を打とうとし、失敗したとも。

 どれも違う。

 違うんだよ、マスター。

「……諦めたんだ」

「え?」

 ぼそり、とマスターに聞こえるかどうか程度の呟きが絞り出すように溢れた。

 どう考えても罠だった。

 行けば、必死の目に遭うと一目瞭然だった。

 それでも、俺は止められなかった。

「燕青は、自分の力ではもはや主人を救う事が出来ないと、諦めたんだよマスター」

 手が無かった訳じゃない。

 主人をふん縛って、ほとぼりが冷めるまで何処かに軟禁でもすれば、少なくとも主人は死ななかっただろう。

 けれど、そうする気すら起きなかった。

 主人が、好きだった。

 孤児だった俺を拾ってくれた、という恩は勿論、梁山泊の一席に加えられる程に強くしてくれた。

 大きい身体に似合わない気の小ささも、どこか好ましかった。

 自分の身と引き換えにしてもいいと思える程には、好きだった。

 けれど、

「もう自分ではどうしようもない、と悟り、自分の力の無さに悲観したんじゃないかな。だから姿を消した」

 何よりも自分が許せなかった。

 どんなに技を磨こうと、筋骨を鍛えて強くなろうと。

 何が天功星だ。

 何が浪こ燕青だ。

 お前は、命に代えても守らなければいけない人間を、止める事すら出来なかったじゃないか。

「そっか……そうだよね。どんなに優れた従者でも、自分から破滅に向かって歩いていく人間を止めることは出来ないもんね……」

 あの時主人を止めたところで、次がある。

 元梁山泊の幹部であった盧俊義を生かしておく理由など、あの時点では皆無だった。

 生き延びる方法があるとすれば、財や土地、人間関係、全てを捨てて新天地にて別の人間として生きる事だけだっただろう。

 だが主人がそれを是とはしなかったことは容易に想像できる。

 もしも。

 もし、主人があの時。

 今までの何もかもを捨て、共に生きようと言ってくれたのならば。

 俺は──、

「じゃあ、さ」

「ん?」

「私は自分から死地に足を向けることがないよう、燕青がいつまでもそばにいよう、って思えるようなマスターにならないとね」

 その何物にも代え難い笑顔を守るのは、他の誰でもない。

「……そう、だな。君は少し考え無しで無鉄砲なところがある。以後、サーヴァントやダヴィンチの言うことを良く聞くことだ」

 この身果てようと。

「もう、私そこまで命知らずじゃないよ」

「ふっ、どうだかな」

「それに、さ」

 この身朽ちようと。

「今の私には、悪いことをしたら叱ってくれる人がいる。無茶をしたら止めてくれる人がいる。一緒に戦って、守ってくれる人がいる」

 この小さな身体で大事を成そうとする新しい主人を。

「燕青も、私のこと、最後まで守ってくれる?」

「……いいよぉ」

 

 今度こそは。

 



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セフィロトのトリハス

「理解しがたい」

 ある日のまだ日も登らぬ早朝の頃。

 開口一番、アヴィケブロンは腕を組み、首を傾げながら、本気でそう思っているのであろう、簡潔ながら率直な感想を端的に述べた。

 アヴィケブロンは魔術師である。

 人形工学に長けた、と言うよりはゴーレム遣いに一点特化した魔術師である。

 生涯をそれのみに傾倒しただけあって、ゴーレムの扱いに関しては、例え大魔術師・メディアであろうがグランドキャスター・マーリンであろうが、彼の右に出るものはいないだろう。

「普段は私とタマモキャット、ブーディカ、紅閻魔の四人で食事当番は回しているが、有事の際、バーサーカー等そもそも意思疎通自体が難しいであろう者を除いて食事当番は交代制。召喚された際にそう説明を受けたはずだが?」

「ああ、受けた。無二の友からの言葉だ。無論忘れてなどいない」

 彼が友、と呼ぶのはマスターのことである。

 極度の厭世家で人付き合いを嫌う彼は、カルデアにおいても滅多に人前に姿を現すことはなかった。

 普段は工房に改造した自室に篭り、サーヴァントとしての役目を与えられた時のみ外へ出る。そのせいか、未だアヴィケブロンと面識のないサーヴァントも何騎かいるのが現状だ。

 その彼が唯一心を許しているのが我らがマスター、という話だ。初の異聞帯にて召喚に応じたと聞くが、何があったかまでは私の知るところではない。

「だから約定通り調理に特化したゴーレムをキッチンに派遣しただろう。まさかとは思うが、到着しなかったのか?」

「いや来た。一秒の差異もなく時間ぴったりにな」

「ならばゴーレムに欠陥が? 僕は料理こそ専門外だが、あのゴーレムには古代から現代までのありとあらゆる時代、国家を網羅した料理の情報を詰め込んだ。注文を聞き分ける十八種の言語音声認証機能もつけた。繊細な作業も出来るよう数十種類に及ぶアタッチメントも着けた。我ながら初めて作るにしては会心の出来だったと自負しているが」

「いや、君の言う通りだ。厨房に入るなり、注文を受けた後に用意された材料に的確な調理を施して見せてくれた。正直、ゴーレムにこれほどの機能を付与できるのか、と舌を巻いた程だよ」

「ならば何故僕は咎められている?」

 本当にわかっていないのだろう、頭上に疑問符が見える勢いで更に上半身を横に倒していた。

「…………」

 思わず頭痛がしてきた。

 想像してみて欲しい、キッチンに立つ巨大なゴーレムが黙々と料理をする様を。

 いきなり約束の時間にやって来て、その天を衝く巨体で無言でキッチンに入り込み、受けた注文を黙々と作り出す光景を。

 シュール極まりない。というか、それ以前の話だ。

 それを止めようとした紅閻魔がその規格外の重量と頑強な装甲に歯も立たず、かと言って食堂で得物を出すわけもいかず、怒りに身を震わせていたのは忘れられない。

 私も毒味を兼ねてそのゴーレムが作った料理を食べたが、至って問題はなかった。むしろ欠点すら思いつかない程の完成度で驚いたものだ。

 だが──、

「アヴィケブロン、少し時間はあるか」

「ああ」

「ならば食堂に付き合ってくれないか」

「出来る限り人の多いところには行きたくないのだが」

「君はこんな事を望まないかも知れないが、サーヴァントが多数在籍するカルデアにおいてはある程度の信頼関係が必要不可欠だ。それは理解しているな?」

 本来ならばサーヴァントは単騎で戦う事の方が多い。サーヴァントというものは個人の差はあれど、単騎でも近代兵器に匹敵する能力を持つと言っても過言ではないからだ。

 それに、サーヴァントを召喚するのには莫大な前準備と魔力リソースが必要不可欠となる。カルデアのような大所帯がそもそも異常なのである。

「ああ、理解出来るとも。ただでさえ大きな力を持つサーヴァント同士で連携を組めれば、更なる戦果が望めるだろうことは容易に予測できる」

 だが、カルデアは二百を越すサーヴァントが集結している。

 常識で考えたらあり得ない。大袈裟に比喩を用いれば、いち組織が二百を越す核兵器を所持しているようなものだ。

 それは敵がそれほどにまで強大であるという証拠でもある。結果、望まずとも他のサーヴァントとの協力、連携を強いられることもある。

 私だって組みたくもないクー・フーリンや英雄王、私のオルタ等とコンビを組むことだってあるのだ。

「マスターも僕が他の英霊と交流を持つことを望んでいるのは知っている。友の為にもなんとか人嫌いを克服したいところだが……僕にはまず、はじめの一歩ががわからないんだ」

 厭世家で世俗を自ら絶ってきたアヴィケブロンに、仕事なんだから自己主張の強い者が多いサーヴァント連中と仲良くしろ、というのもまあ、酷な話だ。

 そも、アヴィケブロンは絵に描いたような典型的な魔術師だ。

 魔術に己の人生を含めたあらゆるものを注ぎ込み、他の有象無象には目もくれず、死してなお大願は成就されない。

 元々、魔術師なんて人種はそういうものである。行き着く先が蟻地獄とわかっていて歩を進める蟻のようなものだ。ろくな者はいない。

 それにアヴィケブロンには魔術師として尊敬している面もある。偏った性能の魔術師という点では私も似たようなもので、妙な親近感も覚える。

 だから、というわけではないが。

 この偏屈な魔術師に、人というものを知って欲しい、と思った。

「ならば、君の為にも君の何がいけなかったのかを知って欲しい」

 アヴィケブロンは少し考えた後、

「……我が友から君は面倒見のいい皮肉屋と聞いていたが」

 仮面のせいでその表情は読み取れない。

 マスターめ、私のいないところで何を吹聴しているんだ。

「だが、何かね」

「不思議とその言葉には僕を非難、或いは蔑視しているといった悪意を感じない」

「……」

「極めて気が進まないが、いいだろう。僕も失態の理由を知らないままでいるとなれば、一介の魔術師としての名折れだ。行こう」

「ではついてこい」

 背を向けると、無言のまま私の身体に隠れるようについてくる。

 人目につきたくない、ということなのだろう。彼の人嫌いは筋金入りらしい。

 

 //

 

「……来たでちねアヴィケブロン」

 食堂に入るなり、烈火の如く怒った紅閻魔が親の仇のように私の後ろに隠れるアヴィケブロンに食ってかかってきた。

「お前様という輩は!」

「いや、その、待ってくれないか」

 状況すら理解できていないアヴィケブロンはその怒りを押し留めるかのように両手の平を前に一歩下がる。

「待て紅閻魔、話を聞く限り彼は決して悪意があった訳ではないんだ」

「悪気はなかったで済むなら町奉行はいりまちぇん!」

「ここは矛を収めて私に任せてくれないか。悪いようにはしない」

「むう……仕方ないでちね。エミヤの料理の腕とお節介は誰もが認めるところでち」

「一言余計だ」

 アヴィケブロンを庇い立てる理由は特にないのだが、何が悪いのか分かっていない相手をただ一方的に責め立てた所で何の益もない。

 これもアヴィケブロンのため、ひいてはカルデアのためにもなる。

「あちきに代わってちゃんと教育してくだちゃいね!」

「わかっているよ。投影開始──アヴィケブロン、厨房に入ったらまずこれを着けろ」

「衛生面を考慮したユニフォームだな。わかった」

 投影したエプロンを渡すと、機械製の腕を使って器用に身につける。

 元々が魔術師らしい奇抜なデザインの格好をしたアヴィケブロンだ。驚くほどエプロンが似合わないが、想像通りなので何も言わずにスルーすることにする。

「さて、君には注文が来たら私の指示に従って材料を取ったり、完成した料理を配膳してほしい」

「承った」

 郷に入っては郷に従え、ということなのか、アヴィケブロンは大した抵抗も示さずに唯々諾々と従う。人間としては捻くれているのかも知れないが、この辺りの素直さは好感が持てた。

 単純に、人前にいる事で寡黙になっているだけかも知れないが。

 と、

「おはようございます、エミヤさん」

「おはよう、沖田、土方」

「おう」

 土方と沖田が朝食を目当てにやって来た。

 信長や茶々、坂本とお竜あたりも時々一緒に朝食を摂りに来るが、ほぼ毎日来るのは土方だけである。

「飯」

 どっかとカウンターに座り、開口一番出たのがその一言。

 受取手によっては失礼と取られるやも知れないが、私としてはここまで率直だと清々しいとさえ思える。

 その隣に沖田が苦笑いを浮かべつつ座る。

「土方さん、ほんと絵に描いたような日本の亭主関白ですよね。普段もメシ、フロ、ネル、ヌゲしか言わないじゃないですか」

「当たりめえだ、男の四箇条だからな。それに誰がてめえに脱げっつった。妄言はせめて生まれ変わってから言え」

「土方さんこの話題になると毎回そんな事言いますけどね! そりゃ源氏のお母さんみたくぼいんぼいんではありませんが私だって脱げば鍛え上げられた機能美ってものがですねぇ!」

「てめえが洟垂らして寝小便してた頃から知ってンだ。女として見ること自体、土台無理な話だっつってんだよ、ど阿呆」

「ね、寝小便なんてしてませんから! 風評被害ですよ!」

「あァ? てめえ試衛館に入りたての頃、天井の染みが怖えとかでボロ布団にでっけえ地図を、」

「わ──っ! あ────っ!」

「ンだよ、るっせぇな」

 確かに、二人を側から見る限り、男女というよりは喧嘩が絶えずとも仲の良い兄妹のように見える。

「こっちが土方、こちらが沖田のだ。間違えるなよ」

 カウンターで石像のように直立して待機していたアヴィケブロンに膳を渡す。

 土方は酒を嗜むこともあってか、濃いめの味付けを好む。たくあんを始め漬物の類も大好物だ。だが塩分の摂り過ぎは身体に悪いので醤油を変えたりとそれなりの工夫をしてある。

 対して沖田は身体が弱い分、米を柔らかめに炊き、消化の良いものを中心に出している。

 健康を気遣う事自体、サーヴァントにはあまり関係のないことかも知れないが、病は気からとも言う。何が影響して霊基に変化をもたらすかはわからない。「……人によって細かな味付けや分量を変えるのか」

「ああ、そうだが」

 配膳が終わって気が付いたのか、騒ぎながら朝食を摂る二人を遠巻きに眺め、アヴィケブロンが言う。

「果たして我々サーヴァントに細かな栄養素や消化率を考慮する意味はあるのか──とは問うべきではないのだろうな」

「……我々人間にとって、食事というものは生物が身体に必要な栄養素を摂取する、という事だけが目的ではない」

「と言うと?」

「食事の場はコミュニケーションの場にもなる。戦場ならばいざ知らず、少なくともカルデアでは普段いがみ合っている者同士でも、飯を食う時は避けこそすれ取っ組みあったりはしないだろう?」

「…………」

 アヴィケブロンは思うところがあるのか、押し黙って食堂を見渡していた。

 カルデアのサーヴァント在籍数は実に二百を超える。

 そんな数にもなれば私と英雄王、アルジュナとカルナ、酒呑童子と源頼光、ヘクトールとアキレウスのように、致命的に相性の悪い組み合わせというものは必然に出来てしまう。

 だが食堂において小競り合いこそあれ、本気で争いになったことはない。

 カルデアとマスターから禁止されているとはいえ、我の強いサーヴァント達においては珍しい現象である。

「おやマスター、おはよう様でち」

「おはよう、紅閻魔ちゃん。今日のメニューはなに?」

「今日の朝ごはんはあおさのおみそ汁と焼き鮭とほうれん草のおひたしでち」

「いいねえ、やっぱり和食は落ち着くなぁ……そこに納豆と生卵もつけて」

「おはよう、マスター」

「あ、アヴィケブロンだ。珍しいね。やだ何そのエプロン、すっごい似合わない」

「これは彼が見繕ってくれたものだ。僕の意思ではない」

 そんな中、朝食を摂りにきたのであろう、後頭部に寝癖をつけたマスターがやって来た。挨拶ついでに熱いおしぼりを投げてやる。

「今日の料理当番だからな。ほら、これで寝癖を直せ。頭の後ろ、ひどいぞ」

「ありがとー。ああ、そういえば今朝はキャットもブーディカも出撃だもんね。じゃあなに、アヴィケブロンが作ってくれたりするの?」

 マスターのその言葉にふと思い付く。

 目の前にいる、人との交流を避け、人間関係を忌避し、己の全てを魔術に捧げたひとりの魔術師を。

 いずれ魔法に到達せんと、生前は余計な障害でしかないと切り捨てたものを拾おうとしている彼を。

 死後サーヴァントとして召喚され、ようやく変われそうな時が来た彼のことを。

 少しだけ、手助けしてやりたくなった。

「ああ、デザートを作ってくれるそうだ」

「ほんとに!?」

「おい君、待ってくれ。何を」

「やった、楽しみ!」

「お待たせでち。お残しは許しまちぇんよ」

「あ、おいしそう。いただきまーす」

「……」

 止めるのを諦めたのか、マスターの喜色満面な笑顔に気圧されたのか、長い嘆息の後にアヴィケブロンは私の元へとやって来る。

「恨むぞエミヤ。どういうつもりだ。僕はマスターを騙るような真似はしたくない」

「なに、あれ程立派なゴーレムを作れるんだ。魔術とて手先の器用さは必須。簡単な料理のひとつくらい出来るだろう?」

「それはそうだが、料理は塩のひと匙、配分を間違えるだけで別のものに変化しかねない。そして僕は君のように専門ではない」

「遺憾ながら私も専門ではないのだがね。とにかく君にも人として生きていた時間があった以上、食事の記憶くらいはあるだろう。何か簡単に作れ、デザートになるものは思いつかないか?」

「……トリハスくらいのものでいいのなら、糖分補給を目的に、魔術の片手間に作ったこともある。僕の腕でも何とかなるとは、思うが」

「トリハスか、いいじゃないか。いい具合に固くなったバゲットも余っている」

 トリハスとは、簡単に説明するとフランスパンで作るフレンチトーストである。

 輪切りにしたフランスパンにミルクやワイン、卵液を浸し、油で揚げる揚げパンの一種だ。

 料理と言うよりは、固くなって食べにくくなったパンを美味しく食べる為の工夫から産まれたものだ。だからこそ現代にまで根強く文化として残っているのだろう。

 パンを浸して揚げるくらいならばアヴィケブロンでも可能だろう。

「……よもや英霊として召喚され、料理をする羽目になるとは」

「最もな不平だ。身に染みるよ」

 彼は不承々々ながらキッチンに立つと、ナイフやフライパンやフライ返しなどの道具を手探りに取り揃えていく。

「ほら、バゲットだ。ほかに必要なものは?」

「ミルクと蜂蜜と白ワイン。食用油は……なんだこれは、種類がありすぎてわからない」

「揚げ物ならばオリーブオイルかサラダ油がいいだろう」

「そうか。料理など、何世紀ぶりかな。正直言って、マスターに美味しいと言ってもらえる自信がない……エミヤ、やはりここは君が代わりに、」

「アヴィケブロン」

 マスターの為に料理をする、と決めたものの尻込みをするアヴィケブロンに、冬瓜汁の仕込みをしていた紅閻魔が見かねたのか、後ろから声をかけた。

 アヴィケブロンの衣服を後ろからくいくいと引っ張るその姿は、見た目相応に愛らしく映る。

「紅閻魔か。すまない、厨房特化ゴーレムに関してのお叱りは後にしてくれないか。僕は今マスターにデザートを作るという重大な責務を」

「そんな事はどうでもいいでち」

「?」

 その言葉に、アヴィケブロンがここに来た時のような怒気は感じられない。彼をを諭すように背に手を添えると、

「ご主人に料理を作ると決めたのなら最後までやり通しなちゃい。そのデザートは、エミヤやあちきが作っても何の意味もないでちよ」

「……それは、」

「お前様が作るから意味があるでち。料理とはお腹を満たす為だけのものではないでち。誰にどんなものを食べさせたいか、それさえはっきりしていれば大丈夫でちよ」

 先程まで怒髪天を突く勢いだったのが嘘のように、紅閻魔は出来の悪い子供を諭す母親の如く、にこりと笑ってみせた。

 流石は紅閻魔だ。その矮躯をもってしてカルデアの母と言われるだけの事はある。

「アヴィケブロン。君の作成したゴーレムが作った料理は確かに美味かった。魔術師の君らしく、お手本のような出来だったよ」

 食べた感じでは恐らく、レシピ通りにグラム単位の相違もなく作ったのだろう。欠点らしい欠点が何一つ見当たらなかった。

 だが、料理というカテゴリにおいてはそれこそが欠点になり得る。

 万人が万人、同じ味を好む訳がないのだ。

 アベレージは高いに違いない。が、毎回同じ味、同じ完成度では誰の心にも残らない料理だ。

 人は失敗をする。

 料理においても、塩が多かったり砂糖が少なかったりすることもあるだろう。

 だが、それを積み重ねてこそ自分の、ひいては相手の好みの味というものを追求できるのだ。

「だがそれは、単に美味いだけだ」

「……君たちがゴーレムに怒っていた理由が、今やっとわかった気がする」

 それだけ言うと、拙いながらも的確な動きでアヴィケブロンは複数の腕を同時に動かす。

 心なしか、仮面の下で僅かに笑った気がした。

 固くなったバゲットをナイフで切り、ミルクとワインと卵を混ぜたものに浸し、熱した油に入れ揚げ焼きにする。

 フライ返しでひっくり返すのに少々手間取った後、予め用意された皿に完成品を盛り付ける。備え付けのシナモンパウダーとメープルシロップも忘れない。

「……出来た」

「わぁ、ちょっと形が違うけどフレンチトーストだよねこれ」

「僕の国ではトリハスと呼ぶんだ」

「へえ、懐かしいな」

「懐かしい?」

「うん、お母さんが子供の頃よく作ってくれたの」

 日本においてもフレンチトーストは食パンと卵と牛乳という、どの家庭にもある材料があれば作れる。多少手間はかかるが、普遍的なおやつと言えよう。

「すまないマスター。その、少し、焦げてしまった。裏返すのを失敗してしまい、見栄えも良くない。君のご母堂の作ったものには遠く及ばないと思うが、その」

「いいよいいよそんなの。アヴィケブロンが作ってくれたんだもん、喜んで食べるよ。いっただきまーす」

 マスターが一口大に切り分けたトリハスにシナモンとメープルシロップをかけ、口に含む。

「────」

 と、動きが一瞬止まる。

 目を見開き、もくもくと咀嚼する音だけがその場に響いた。

「ど、どうだろうかマスター。不味かったら吐き出してもらって構わない。僕は誓って気分を害したりはしないから、」

「なにこれ、おいしい!」

「あ……」

「なんかこう、私の食べてた食パンで作ったやつと違って、独特の香りとカリっとした歯ごたえがある!」

「それは白ワインの香りだろうな。パンも固いフランスパンを使っているから、味も凝縮されて美味い筈だ」

 私の話を聞いているのかいないのか、心配そうに見ていたアヴィケブロンと私を後目に、トリハスに夢中になるマスターだった。

 と、

「……不思議な感情が僕の中で渦を巻いている」

 アヴィケブロンが私だけに聞こえるように、ぼそりと一言をこぼした。

「あのゴーレムならば、焦げもせず見栄えもいい、もっと完璧に近い形で作ったはずだ」

「だが、普段料理などしない君がマスターの為に作った、というだけであれ程喜んでいる」

「……理解しがたい。僕ら魔術師は全てを擲って魔法と言う名の至高にて完璧を求め続け、それでも叶わずここに至ったと言うのに」

 何かを思い出しているのか、顔を上げてアヴィケブロンは思索に耽っていた。

 聞いた話によれば、彼はゴーレムをより完璧な形にするべく自分を慕う人間を炉心にした過去があると聞く。

 それは道徳的に非難されるべき事ではあるが、魔術師としては至極当然の行動だ。

 人間一人を犠牲にして自分の魔術が更なる高みに進歩するのならば、まともな魔術師であれば誰であろうとそちらを選ぶ。

 その証拠として、異聞帯の記録を見てもゴーレムの炉心に自らの身を使用している。

 そんな完璧を求め続けた自分。

 自分の作った完璧とは程遠い菓子に喜ぶマスター。

 その二つを比べて、何か思うところがあるのだろう。

 しばらくの無言の後、

「エミヤ、礼を言う。僕は友と巡り会えて以来、また一つ変われた気がする」

 それだけ言うと、アヴィケブロンはマスターの元へと向かう。

 偏屈で武装し、魔術を信奉し、融通性や柔軟性を失い殻に閉じこもった魔術師は、死後英霊となり殻を破り形を変える。

 人間は如何なる時でも些細なことが契機で変われるのだ。

 それは未来の存在しない英霊であっても例外ではない。

「マスター、少しいいかな」

 私も、いずれ彼のように変わる事が出来るだろうか。

「今度、僕と食事でもどうかな」

 

 

 

 

 

 



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