ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫── (夕凪楓)
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prologue 勇者と魔王の消えた世界







拙い文章ですが、初投稿なので目を瞑ってください。




 

 

 

 

 浮遊城《アインクラッド》第76層

 迷宮区 ボスの間 2024年 11月 7日

 

 

 クォーターポイントと呼ばれるその階層のボス部屋では、今まさに一触即発の空気が漂っていた。

 対峙するのは2人の剣士。

 《二刀流》黒の剣士キリト。

 《神聖剣》ラストボス、ヒースクリフ。

 

 周りが沈黙してる中、黒の剣士が口を開いた。

 

 

 「…悪いが、一つだけ頼みがある」

 

 「…何かね」

 

 

 私、本当はどこかで期待してた──

 

 

 「簡単に負けるつもりはないが…もし俺が死んだら、…しばらくでいい。アスナが自殺出来ないようにはからってほしい」

 

 「ほう…よかろう」

 

 

 たとえ、どんな敵やモンスターが相手でも──

 

 

 「くそ……はああああぁぁぁぁあ!」

 

 

 このゲームのラスボスが相手だとしても──

 

 

 「っ…!? き、キリト君っ!」

 

 

 それでも、キリト君なら──

 

 

 「さらばだ、キリト君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 キリトくんなら、きっと、勝ってくれるって───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その時、世界に裂け目が出来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「…夢」

 

 目が覚めると、アスナはその部屋にいた。

 ベッドに机、棚。隣の部屋には浴場もついている。必要最低限のものしか備わっていないその場所は、あまりにも冷えていた。

 そこまで見て、アスナは思い出した。

 ここは、浮遊城《アインクラッド》第七十六層。名前は《アークソフィア》。

 品揃えが良い商店街や、橋のかかる綺麗な水路に噴水。賑やかな街、というのが第一印象である。

 エギルが76層に新しく建てた店、その宿の一部屋に横になっていたアスナは、天井を見上げる。

 その目蓋はとても重く、酷く疲れているのを感じた。

 

 

 「…嫌な夢…」

 

 

 起き上がったアスナは、苦い顔で右手で頭を抑えた。寝起きにこんな夢を見るなんて、あまりにも不吉だ。

 

 

 そう。

『キリトが死ぬ夢』なんて。

 

 

 そうだ、キリトが死ぬはずなんてない。随分と可笑しく、馬鹿げた夢だ。笑えるものでもない。

 

 

 逆に、アスナの頬には涙が伝っていた。

 

 

 「あ、…あれ…?」

 

 

 アスナは不思議に思い、涙を手で拭った。しかし、涙は再び、アスナの瞳からこぼれ落ちた。

 拭っても拭っても、涙が止まらない。

 

 

  ──その理由を、アスナはとっくに理解していた。

 

 

 「……『夢』、じゃない……現実だ……」

 

 

 アスナは、顔を手で抑えた。溢れんばかりの涙を、どうにかして抑えたかった。

 フラッシュバックするのは、キリトが自身の目の前から消えゆく瞬間の光景。

 

 それは、三日前に現実に起きた光景。

 

 七十五層で起こった、攻略組トッププレイヤーの一人キリトと、《ソードアート・オンライン》製作者、茅場晶彦ことヒースクリフの決闘。

 ヒースクリフの正体を看破したキリトに対して、茅場が出した報酬は、『ゲームクリアを賭けた決闘』だった。

 ここは引くことを提案したアスナだが、キリトはこの決闘を受けたのだった。

 自分達のタイムリミットと、百層まで辿り着くまでの時間。ヒースクリフとの勝率。それらを天秤にかけて、それでもなお、キリトは茅場に向かっていった。

 結果、残ったものは何もなく、ただ、『キリトの死』という事実のみが残された。

 

 ユニークスキル《二刀流》

 

 この仮想世界随一の反応速度を持つプレイヤーに与えられるそれは、こと戦闘においては無類の強さを誇る。常人の使う共通のスキルでは追いつけない境地に、キリトは立っていたはずなのだ。

 何よりこのスキル保持者は、この世界の『魔王』を倒す『勇者』の役割を担うものだったのだ。

 

 ──だが、それでもなお、キリトは、ヒースクリフには勝てなかった。

 

 戦闘を続ける中、キリトは焦りを感じていたのだろう。この世界の創造者である彼に向かって放ったのは、この世界に存在する《ソードスキル》。

 それはヒースクリフ──茅場晶彦に向かって使用するにはあまりにも愚かだった。

 だが、キリトはそれでも自身の持つ速さでヒースクリフに立ち向かい、そして結局、二人ともその場から消失してしまった。

 

 キリトもヒースクリフも、何故かその場から姿を消していた。中には、相打ちだったのではないかと発言する者もいた。だが、この世界は終わらなかった。故に、キリトもヒースクリフも死んだのではと、その仮説は現実味を帯び始めていた。

 浮遊城《アインクラッド》は、勇者を失った攻略組に対して。無慈悲にも次の階層への扉を開くのだった。

 七十六層に辿り着いた攻略組は、闘志を失いかけていた。特に、血盟騎士団所属のプレイヤーの表情は、ボスを倒した直後よりも酷い顔だった。自分達が忠誠を誓っていた団長、ヒースクリフが、この世界の創造主、茅場晶彦だったとは想像もしてなかったのだろう。

 裏切られる形になった上に、先頭に立つリーダーも失った。彼らが分散するのも、時間の問題だった。

 今回のボス討伐に参加したプレイヤーの内、ほとんどは血盟騎士団のプレイヤーだ。

 

 当然、アスナも。

 

 エギルに抱えられているアスナからは、生気を感じなかった。虚ろな瞳からは、涙が伝って止まらない。

 クラインも、エギルも、そんな彼女を見ていられなかった。

 ヒースクリフの消失に続き、アスナも戦意喪失。キリトの死。攻略は絶望的だった。

 これが、三日前の出来事である。

 

 

 「くぅっ… …ううっ……キリト……くん……キリトくんっ……!」

 

 

 アスナは膝を抱えて蹲り、しきりにキリトの名前を呼ぶ。だが、いくら呼んでも返事は返ってこない。

 もう二度と、それに応えてくれる人はいない。

 何故、どうして、そんな事ばかりが頭の中で巡る。でも、誰もそれに答えてはくれない。

 

 

 アスナはこの日、アインクラッドに来て初めて大声で泣いた。

 

 

 それを慰めてくれる人さえ、もういない。

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 エギルの店、その一階の酒場の様な場所は、あまりにも静かだった。人は数人いたが、皆が大人しい。恐らく、攻略組のプレイヤー達だろう。

 今の自分達が置かれている現状を冷静に考え、そして絶望しているのだろう。

 

 

 「アスナさん……大丈夫でしょうか……」

 

 

 そう言って、アスナの部屋のある二階に向かう階段を見つめる、頭にフェザーリドラを乗せた少女──シリカは、不安そうな表情を浮かべていた。

 何かのバグなのか、七十六層から下に降りられないというとんでもない状況の中、キリトの身を案じて駆けつけた、ビーストテイマーのプレイヤーである。シリカはそう呟きながら、テーブルに置いてあるジュースに手を伸ばす。

 ここは、七十六層に新しく立てられた、エギルの店である。事情を知らずに来てしまったシリカを、エギルが保護してくれたのだ。

 

 そして、もう一人、何も知らずに来てしまったプレイヤーがいた。

 彼女はリズベット。女の子にしては珍しい、鍛治職のプレイヤーだ。彼女もまた、キリトとアスナを心配し、ここまでやってきた。クオーターポイントである75層のフロアボスは、今まで以上に強い事が予想されたのだ、心配しないはずがない。

 けれど、あの二人のことだから、きっと心配はいらない。リズベットはそう思っていた。

 倒して、帰って来て。そしたらまたいつものように、二人に労いの言葉をかけるつもりだったのだ。

 

 シリカの隣に座るリズベットは、シリカの言葉を耳に入れた瞬間、アスナの顔を思い出した。76層に来てみれば、キリトが死んだと言われたり、アスナが酷い状態になっていたり。

 そんなの、大丈夫なんてものじゃなかった。

 

 

 「大丈夫……じゃ、ないでしょうね……」

 

 「そう、ですよね……」

 

 

 二人はその会話で、すっかり途切れてしまった。

 アスナだけじゃない。シリカも、リズベットも、今のこの状況に頭が追い付かない。

 けど事実として胸に刻まれたのは、キリトが死んだ、という事だった。

 カウンターのエギルは、かけてやる言葉も見つけられなかった。そんな彼に気付いたのか、リズベットは自嘲気味に笑う。

 

 

 「私達……これからどうしたら良いんだろうね」

 

 「……結局、ゲームをクリアする為にやらなきゃいけない事は、変わらないんだろうな……」

 

 「……やだな……私。キリトが死んで、ヒースクリフは茅場晶彦で、アスナはあんな状態で……もう、これ以上は……」

 

 「リズ、さん……」

 

 

 リズベットの絞り出す細い声には、悲しみと絶望が綯い交ぜになって含まれていた。今にも泣きそうで、それを我慢している様にしか見えない。

 シリカも、そんなリズベットを見て、キリトが死んだ事実、ゲームクリアが絶望的なものへと変わってしまった事実を段々と感じ始めていた。

 

 

 「……そういえば、その……クライン、さんは……?」

 

 

 シリカは、この場にいない彼の姿に気付き、エギルへと視線を上げる。エギルは小さく息を吐くと、ポツリと囁いた。

 

 

 「……76層の攻略に出てる」

 

 「っ……そう、なんですね……」

 

 「もうここに来てから三日も経ってる。時間的にも、そろそろ攻略は再開しないといけない」

 

 

 それだけ聞けば、一見、キリトの死よりも攻略が優先だと見えるかもしれない。クラインが冷酷に見えるかもしれない。

 だが、きっとクラインも自分達と同じだ。この悲しみを紛らわせ、怒りをぶつける為に攻略しているのかもしれない。

 それ以上に、ゲームクリアの為に止まれないと思っているのかもしれない。どっちにしても、この状況で行動を起こせるクラインが、リズベットには凄く見えた。

 

 

 「……凄いわね、アイツ。もう駄目だって思ってる人達の方が多いのに……」

 

 「……ああ、そうだな。あまり言いたくはないが、キリトもヒースクリフもいなくなっちまって、攻略組の戦力も士気も大幅に下がってる。アスナもあの状態だ、このままじゃ、いつ攻略が再開するか分からない。クラインの奴も、それが分かってるんだろう」

 

 「そう、だけど……」

 

 

 エギルの言葉は正しく正論だった。クラインのしてる事も、きっと褒められた行為だ。リズベットはそれが分かっているからこそ、この行き場の無い悲しみをぶつけられないでいた。

 ふと思い出すのは、アスナの絶望一色に染まった顔。

 

 

 「私は……もう、アスナに戦って欲しくないな……だって、辛過ぎるわよ……あの子の隣りに、キリトがいないなんて……」

 

 

 キリトが死に、自分のギルドの団長もこの世界の創造者だった。

 これだけの事が一度に起きたのに、アスナにまだ戦えなんて、そんな事が言えるはずが無い。

 今のアスナは、何をするかも分からない。もしかしたら、自殺も考えてるかもしれない。そんな彼女を、前線に行かせる、なんて。

 だが、そうなれば攻略組はこの先、アスナさえもいない攻略をしなければならない。ゲームクリアは遠のくばかりだった。

 それでも、クラインは、エギルは、やらなきゃいけない事を分かってる。感傷に浸ってるばかりじゃなく、ちゃんと選択して行動している。

 

 

 「クラインもエギルも攻略、続けるのね……強いのね、大人って」

 

 

 それは、決して皮肉では無かった。リズベットは本当に、自分の気持ちよりも優先して行動出来る彼らが凄いと思ったのだ。

 テーブルに乗せた握り拳が少しだけ強くなる。唇を噛み締め、今にも泣きそうな気持ち、その悲しみを押し殺す。

 けど、それはエギルも一緒だった。リズベットとシリカが見上げた彼の表情は、悔しさが滲み出ていた。

 

 

 「……んな事は無えよ。けど、俺達の目的は一貫してゲームクリアなんだ。悲しんでばかりいられないってだけだ。……じゃねぇと、キリトも浮かばれねぇよ」

 

 「エギルさん……」

 

 「俺達の為に、アイツは命を懸けてくれたんだ。なら、俺達もそうしなきゃならねぇ。やる事は多いぞ、二人とも」

 

 

 シリカもリズベットも気付いてしまった。今この場で一番悲しいのはきっと、キリトと仲が良く、そしてキリトとヒースクリフが戦うその現場にいたエギルだったのだ。

 何も出来ず、ただヒースクリフがかけた麻痺毒に侵され、黙って決闘を見る事しか出来なかったエギルのその表情は、悲しみに満ちていた。

 そんな彼が、キリトがした事と同じ事をすると、そう豪語しているのだ。

 それを見たリズベットは、ぐっ、と悲しみを押し込め、立ち上がった。

 

 

 「……あたし、この層に《リズベット武具店》の二号店を出すわ」

 

 「リズさん……」

 

 「もう《リンダース》には帰れない。だったら私も自分の出来る事、精一杯やるわ。バグでスキルも幾つか飛んだけど、またやり直す」

 

 

 リズベットはそう宣言する。攻略組にとって命である武器、それをここからまた新たに作るのだと、そう告げた。ここへ来て、何のバグかは知らないが、鍛冶スキルやその他のスキル幾つかが飛んでいたのだ。またやり直すには時間はかかる。

 けれど、エギルの言う通り、そうでなければキリトに合わす顔が無い。

 

 

 「わ、私も頑張りますっ」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 シリカも、おもむろに立ち上がった。ピナもそれに便乗し、息巻いていた。彼女もレベル的には攻略組に参加出来るものじゃない。やる事は多かった。

 シリカのその表情と言葉に、エギルとリズベットは笑う。シリカも、それを見て小さく笑った。

 

 

 「じゃあ、そうと決まったら早速行動しないとね」

 

 「…そうですねっ」

 

 

 その誰もが空元気なのは、互いに分かっていた。

 けれども、このままではいけない。残り時間は多くない。だから。

 

 残り、二十五層。

 

 少ないようで多いこの数字。 上に行くたびに強くなるボス。しょげてる時間さえ、カーディナルは与えてくれない。

 この残りを、キリトもヒースクリフも、アスナも無しに上がっていかなければならないのだ。

 たとえ不可能に近くとも、挑戦し続ける事を止めてはならない、そう思ったから。

 無理にでも笑顔を振りまこうとする二人。けれど、その二人を見て、エギルは安心した。彼女達は少しずつゲームクリアの目標を思い出し、前に進もうとしている。

 エギルは、静かに微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ───突如、二階から音が響く。

 

 

 人が降りてくる、そんな音が。

 シリカもリズベットもエギルも、その表情が固める。その音のする方へ視線を向けた。

 他にも人はいたはずなのに、全員の視線が階段へと向けられた。

 

 

 「っ……」

 

 

 降りてきた少女は栗色の長髪を靡かせ、白を基調とした衣装を身に着けている。

 腰に刺すのは、リズベットが作った細剣《ランベントライト》。

 誰もが振り返るであろう容姿をもつ彼女。リズベットにとって、彼女はよく知っている人物だった。

 だが彼女の表情は、かつての、リズベットが好きだったあの笑顔など、嘘だったのではないかと思う程に。

 

 

 「……アス、ナ……」

 

 

 その表情からは、かつての彼女を感じない。まるで、人形のように冷たくて。触れれば壊れる脆い存在に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 75層、ボス部屋。

 

 

 その場所は、三日前にキリトがヒースクリフとゲームクリアを賭けた勝負をした場所。役割を終えたその場所は、闇の様に暗く、冷たかった。そこは死を体現していた様に見える。

 

 

 

 

 ────その場所には、一人の剣士が立っていた。背中に紫に光る剣を刺し、部屋の真ん中に佇んでいる。

 

 

 

 

 「ようやくここまで来た……。もう少しで最前線か……」

 

 

 七十六層に続く階段を探すその剣士は、この長めの黒髪を左右に揺らす。きょろきょろと辺りを見渡し、この場所が他のボス部屋よりも広い事に気が付いた。

 

 

 「何だこの部屋……他の層のボス部屋より広くない?……っとあったあった」

 

 

 その視線の先には、探していた76層に続く階段が。この剣士は、は小走りで階段付近まで駆け寄った。

 その足取りは軽く、彼が歩く度に響くのは、首にかけられた小さな銀色の鈴。

 そして、その階段の前まで来るとその足を止め、先を見上げる。その青い瞳は、その階段の先、そこから紡がれる物語を映し取る。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────これは、とある一匹の猫の話。

 

 永遠に続くかもしれない、そんな絶望の世界に現れた、唯一の存在。

 望んだもの、欲しかったものの為に奮闘した、彼の人生の物語。

 

 

 ────ここから、彼の物語は始まる。

 

 

 「……さてと、……行くか」

 

 

 そう言って、彼は階段に向かって歩を進めた。

 剣を背負い、黒髪は揺れ、それでも意志だけは揺らがぬ様に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翻すコートは、かつての勇者と同じ色──

 

 

 

 

 

 







アキト「……寒っ」




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Ep.1 攻略の鬼の復活







前だけを見るのは、全ての悲しみを誤魔化す為に。


 

 

 

 

  アスナが攻略に復帰してからというもの、停滞していた攻略が、嘘のように捗った。

  というのも、その功績のほとんどは、その復帰したアスナによるものだったのだ。

 

  このところ変わってきているモンスターのアルゴリズムなどお構い無しに、その正確無比な突きを叩きこんでおり、その精度は、今までのアスナよりも洗練されたようにも感じる。

 

  そして何より、攻略の進行速度が異常だった。

 

  七十五層のボス戦後、その時にあったキリトの死とヒースクリフの消失によって、攻略組は混乱し、正直攻略どころではなかった。 七十六層に到達して、その後すぐに攻略を進めるパーティなど、どこにもいなかった。

  翌日になって、クライン率いる《風林火山》は攻略に出向いていたが、それだけだった。

  皆、クリアの可能性が薄れてきたことに絶望していたのだ。

 

  だがその二日後、アスナが前線に赴いた。

  その攻略速度は、この攻略が滞っていた三日間の遅れを取り戻してなおお釣りがくる程に速かった。

  その姿を、アスナを心配してついてきたリズベットとシリカは驚愕した。

  休みなく続く攻略、その突きに、一切の容赦を感じない。モンスターに向ける冷徹な瞳、辺りの魔物を蹴散らしてなお、その歩みを緩めない。

  まるで、以前の、《攻略の鬼》と呼ばれていた時の彼女に戻ってしまったかのように感じた。

  血盟騎士団のメンバーは、そんな強さを持つアスナを見て、再び活気を取り戻しつつあった。

 

 

  ──だが。

 

 

  そんな、無表情に見えて、本当はどこか苦しそうなアスナを。

  彼女をよく知るリズベット達は、とても見ていられなかった。

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

  七十六層 《エギルの店》

 

 

  その宿には、シリカ、リズベット、そしてクライン、カウンターを挟んでエギルが集まっていた。

  彼らからは、あまり良い雰囲気を感じなかった。

  彼らは黙って何も言わない。

  否。 何も言えなかった。

 

  あのアスナの狂気とも言える姿に、困惑した心持ちだったのだ。

  この静寂の中、最初に声を発したのはシリカだった。

 

 

  「…アスナさん…どうしたんでしょう…」

 

  「きゅるぅ…」

 

 

  カウンターに乗せられたピナも、心なしか落ち込んでいるように見える。

  リズベットは、そんなピナを撫でながら、震える口を開く。

 

 

  「…あんな攻略をこの先続けてたら…アスナがもたないわ…」

 

  「なあ、クライン。今日の攻略はどうだったんだ?」

 

  「お、おう。…日が沈む頃に迷宮区前に辿り着いたんだがよ、その前にフィールドボスがいてよ。そりゃあデッケー蜘蛛みたいなモンスターでな。明日、そのモンスター討伐の攻略会議を開くってんだ」

 

 

  アスナが前線に出て、丸二日。もう既にそこまで辿り着いたことに、エギルは驚いた。

  浮遊城《アインクラッド》が、上の層に上がるに連れて狭くなっているとはいえ、恐ろしい程の速度だった。リズベットがアスナを心配することにも頷ける。

  今日は店のことで攻略に出なかったリズベットは、クラインに恐る恐るといった感じで問いかけた。

 

 

  「…それ、アスナはなんて?」

 

 

  その質問に、クラインは溜め息を吐きながら答える。

 

 

  「さっき、日が沈む頃にフィールドボスを見つけたって言ったろ?もう暗くなるからこれで今日はお開きーと思ったらよ…」

 

 

 ──今から、街に戻って攻略会議を開きます──

 

 

  「あ、アスナが?」

 

  「ああ。こう暗くちゃあ、まともに戦えねぇって言ったんだが……中々折れてくれなくてよ」

 

 

  《攻略の鬼》と呼ばれていた頃のアスナは、ゲームクリアのみを目指したハイスピードの攻略をしていたが、それはあくまでも、彼女なりに安全と効率を考えた上のものだった。

  作戦も、キリトが納得しなかったものも含めて、効率は概ね良いものだとも言える。

  だが、今のアスナは安全や効率よりも、速さを優先している感じがした。

 でなければ、闇夜の中でフィールドボスの討伐など有り得ない。

  スキルである程度は視認出来るが、正確に攻撃をするのなら、多少時間はかかっても、日が昇るのを待つべきなのだ。

 

  この時のアスナは、『この三日間、攻略が進まなかった分、スピードを上げるのは当然』らしい。

  キリトが生きていた頃に見たアスナの面影を、その時のクラインは感じなかった。

  まるで別人のようだと、そう思った。

 

 

  「そう、なんだ…」

 

 

  そう呟いたリズベットを横目に、クラインとエギルは顔を合わせた。

  多分、お互いに同じことを考えているだろう。

 

  以前のアスナよりも荒れているだろうということに。

 

  今、アスナの心根にあるのはなんだろうか。

  キリトが死んだことによる悲しみ?

  クリアが遠のいたことによる焦燥感?

  最愛の人を殺した茅場晶彦に対する復讐心?

  色んな思いがないまぜになって、今のアスナが出来上がっている。

 

 

  ──アスナが自殺出来ないように図らってほしい──

 

 

  キリトはこうなることを予想していただろうか。

  アスナが、自身を殺した茅場晶彦に、復讐するかもしれないと。

  だがもし、あの異常な速度の攻略が、死に急ぐためのものだとしたら。

  アスナが死ぬのも、そう遠くない。

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

  翌日、午前九時。七十六層 《アークソフィア》

 

 

  定例通り、フィールドボス討伐の際の作戦会議が始まった。

  前の層のボス戦で、攻略組の戦力が大幅にダウン。今、この場にいるのは、血盟騎士団所属のメンバーがほとんどだが、全くの新顔もいた。

  最前線で戦うプレイヤーは、どんどん減っており、今では500人もいない。

 なりふり構っていられなかった。

 

 

  クラインのエギルの参加は勿論、そこにはシリカとリズベットもいた。

  シリカは、最前線で戦うキリトの力になる為に、これまで必死のレベリングを続けていた。

 もう支えるべき人間は、この世のどこにもいないというのに。

 それでも、シリカはこの攻略会議に参加した。

 

  今のアスナを、見ていられないから。

 

  そんなシリカの決意を見たリズベットは、自分も行くと言い出した。彼女はマスターメイサーだが、それらは鍛治職によって得た経験値によるものだ。

 フィールドボスとはいえ、いきなりボス戦に赴くなど、危険極まりない。

 

  「お店のことより、アスナの方が大事でしょーが!」

 

  ということらしい。

  クラインもエギルもシリカも、そんなリズベットを見て、頼もしく感じていた。

 

 

  ───しかし。

 

 

  「フィールドボスの近くに、小さな村があります。そこまでボスをおびき寄せます」

 

 

  アスナの口から出た言葉は。

  キリトに言われたことの全てを、否定する言葉だった。

 

 

  「ボスがNPCを襲っている間に、一気に攻撃を仕掛けます」

 

 

  「…え?」

  「な…なんて…?」

 

 

  シリカは、何を言ってるのか分からないというように、素っ頓狂な声を上げていた。

  リズベットは、何を言ってるいるのか分からないといったような表情だった。

  クラインも、エギルも。なんなら今までアスナと戦ってきた攻略組よメンバーは。

  皆その作戦に動揺していた。

 

 

  「なっ…お、おい待てよ!」

 

 

  クラインは思わず声を荒らげた。アスナは耳障りだと言わんばかりに、イラついたような顔でクラインを睨みつける。

 

 

  「…何か?」

 

  「何かじゃねえよ!なんだよその作戦は!?」

 

  「ボスには、私達とNPCの見分けはつけられない。囮にするには最適です」

 

  「そんなことを言ってんじゃねえ!NPCは…」

 

  「アレはただのオブジェクトです。破壊されても、またリポップする」

 

  「…オマエさん、本気で言ってるのか…?」

 

 

  逆上するクラインに平然と返すアスナ。エギルは、そんなアスナを信じられないという顔で見つめた。

  かつてキリトに、NPCを犠牲にする作戦は認められないと。そう言われたはずなのに。

  アスナだって、それからはNPCを使う作戦は絶対しないものだと思っていたのに。

 

 

  「…あ、アスナ?…冗談…よね?」

 

  「本気です。これが一番効率的です」

 

  「っ…」

 

 

  リズベットの問いかけにも、冷静に、平然と。当然だろとも言いたげなその物言いに、クラインは段々と耐えきれなくなっていた。

 

 

  「キリトがこの場にいたら!そんな作戦はゼッテェ認めねえよ!」

 

  「お、おい!クライン!」

 

 

  エギルが制するも、クラインは止まらない。

 

 

  「だってそうだろ!アンタはキリトの思いを踏み躙ってんだろ!」

 

  「っ…」

 

 

  『キリト』という単語に、アスナは僅かに反応するも、アスナはその冷ややかな視線を変えなかった。

 

 

  「…そのキリトくんは…」

 

  「…あ…?」

 

  「そのキリトくんは…もういません」

 

 

  「っ…」

  「アスナ…」

  「アスナさん…」

 

 

  クラインも、リズベットもシリカも、そんな言葉を、アスナからは聞きたくなかっただろう。クラインもここに来て、自分の言ったことに後悔をし始めていた。

  エギルも、そんなクラインの肩を叩く。

 

 

  「クライン…言い過ぎだ」

 

  「っ…。…悪い、アスナさん」

 

  「…いえ」

 

 

  クラインは頭を下げて謝り、アスナは『何でもない』といった風に返す。

  その、キリトの死を『何でもない』ように振る舞うアスナを、ここにいる者達は痛々しく思った。

 

  何故こんなことになってしまったのだろう。彼らはただ、みんなでゲームをクリアしたかっただけなのに────

 

 

  あまりの痛々しさに涙がを流すリズベットをよそに、アスナは周りに宣言した。

 

 

  「私達は今、とても危うい状況です。戦力が圧倒的に足りない今、ゲームクリアを目に見える目標にするには、多少の犠牲は無視しなければなりません。我々には、時間が無いんです」

 

 

  正論だった。アスナが言っていることは、的を射た発言だった。もはやキリトもヒースクリフもいない。縋るものが少なすぎた。

 現実の身体も限界を迎えているはず。だから、仕方のないことだ。それは納得出来る。納得のいく発言のはずなのに。

 二年近くアインクラッドで暮らしていた彼らにとって、NPCはただのオブジェクトではない。この世界で暮らすには、なくてはならない存在だった。

 そんな彼らを犠牲にしてボスを倒す。あまりにも辛い選択だった。

 けど、ゲームクリアの為に、そう割り切るしか無かった。

 

  辺りが静寂に包まれる。

  静まり返った会議室で、アスナはふっと息を吐いた。

 

 

 「では、他に意見の無いようなら、今から一時間後、迷宮区前の村に向かいます」

 

 

  それを聞いたプレイヤー達は、次々に立ち始めた。回復薬の補充をしていない奴もいるだろう。この一時間で、準備を万全にしなければならない。

 リズベットはそんな中、すれ違っていくプレイヤー達をよそに、ただアスナだけを見つめていた。

 瞳が揺れ、体が震える。

 

 

 ────ああ……アスナは、変わってしまったんだ。

 そう実感してしまった。

 

 

  「リズさん…」

 

  「……」

 

 涙を流すリズベットに、シリカは寄り添う。エギルにもクラインにも、もうどうしようも出来なかった。

  見るに耐えないアスナの姿を、これからずっと見ていかなくてはならないなんて。

 

 

  アスナを先頭に、この部屋の出口に向かい出す攻略組を見て、四人はそう思った。

 

 

 

 

  「異議あーり」

 

 

  「…え」

  「っ…!?」

  「誰だっ!」

 

 

  突如発せられた声に、ここにいる全てのプレイヤーが振り向いた。

  その声のする方へ。

  その声の主は、人混みに紛れて見えないが、自らこちらに向かってくる。

 

 

  「二年間お世話になったこの世界の先住民様方に随分な態度だな。育ちの悪さが窺える」

 

 

  アスナはその発言に憤りを感じ、声のする方を睨みつける。

  クライン達も、その声のする方へ顔を向ける。

 

 

  今このタイミングで、《攻略の鬼》に歯向かうのは、どんな奴だと彼らは思った。

  だが、その姿を見た瞬間、シリカは。リズベットは。クラインは。エギルは。

 

 

 そして、アスナは。

 

 

  ───心臓が止まるかと思った。

 

 

  そのプレイヤーは、一言で表すなら、《黒》。

 そのコートも、ブーツも、髪も、剣も。何から何まで黒く染まっていた。

  彼らは、驚愕の視線を向けていた。先程まで睨みつけていたアスナでさえ。

 

 

  だって。

  だって、その姿はあまりにも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「…キリト…くん…?」







アキト(め…めっちゃ皆見てくる……)


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Ep.2 その黒い剣士の名は







独自解釈があります。ご容赦ください。





 

 

 

 

  「…キリト…くん…?」

 

 

  アスナは小さな、震える声でその名を呼ぶ。

 シリカも、リズも、クラインもエギルも、その驚きを隠せない。

 攻略組の誰もがその黒き装備の男を見た。

 上半身は、黒いシャツの装備を下に、黒いコートが装備され、下半身は黒いズボンに黒いブーツ。

 その姿は、75層で死んだキリトを思わせる姿をしていたのだ。キリトと間違えても不思議はない程に。

 

 その少年は、鋭い視線をアスナに向けており、その瞳には明らかに怒気が含まれていた。

 アスナは思わず一歩後ろに下がってしまう。少年はそれと同時に一歩、また一歩と、アスナの元へと近づいていく。

 

 

  「ご大層に言ってるけど、お前がやろうとしてんのは殺人となんら変わんねぇよ。ラフコフと同じだ同じ」

 

  「っ…何を…」

 

  「それに、NPCがお前の思うように動いてくれる保証も無いだろ。作戦にもなってねぇよ……それにだ」

 

  「っ……!?」

 

 

  アスナの目の前まで辿り着いたその少年は、いきなりアスナの胸ぐらを掴み顔を引き寄せた。

 アスナはいきなりの事で何も出来ず、至近距離で少年の顔を見る事に。

 しかし、その少年の顔は、決してやましい事を考えてるようには見えず、さっきと変わらず怒りの表情だった。

 ハラスメントコードの表示などお構い無しに、少年はアスナにしか聞こえないように呟いた。

 

 

  「デスゲームで……人の形をした奴をモンスターに殺させようなんて、いい度胸してんな」

 

  「っ……!」

 

  「お前だけが辛いと思うなよ、小娘」

 

 

  彼の言い分は最もだった。

 ここはデスゲーム。人が死ぬ、決して遊びではないゲーム。誰もが、人が死ぬ瞬間を目の当たりにしている。それは、いつまで経っても慣れるものではない。

 NPCとはいえ、人が死ぬ瞬間を目の当たりにするのは、あまり気分が良いものとはいえないだろう。

  アスナは何も言えない。何も口から発しない。

  少年は、アスナから手を離す。アスナを一瞥し、周りの攻略組に目を移す。

 彼女のおかげで攻略組の覇気が高まったといっても、やはりキリトの死は大きいものだったのだろう。見れば分かるほどに、攻略組の雰囲気が暗い。

 

 

  黒い少年は、そんな彼らを見て、鼻で笑った。

 

 

  「……キリトとヒースクリフがいなくなっただけでこの体たらくか……案外情けないな、最前線も」

 

 

  その言葉は攻略組、アスナにとって、許せる範囲のものでは無くなっていた。

 

 

  (いなくなった……『だけ』……?)

 

 

  アスナは、その怒りを隠せない程になっていた。

 その表情は周りから見ても、彼女がどのような感情を抱いているのか見てとれる程に。

 

 

  「……何ですって……?」

 

  「最前線で攻略してんだ、死ぬかもしれないってのは分かってんだろ?人が死んで一々ショック受けて攻略が滞るなんてアホか」

 

  「っ……あなた……」

 

  「今日から攻略組になろうって時に最前線がこんなんだったら志望者なんて来ねぇぞ。切り替えろ」

 

 

  攻略組のメンツは、何も言えず下を向く。

 しかし、彼らはその少年に、少なからず怒りを抱いていた。

 確かに少年の言っている事は、一見正論に聞こえる。彼の言うように出来れば、それが理想だろう。しかし、そう出来ないのが人間である。死に近い場所で戦う攻略組なら尚更だ。

 それを、今日初めて見る新顔が、何も知らずに語るその言い様が、あまり気に食わなかった。

 

 

  「……おお、なんだよお前ら。俺、何か間違ったこと言った?」

 

 

  周りの空気に気が付いた少年は、ニヤけた顔で周りを見返す。

 その態度に、彼らは益々怒りを増していく。シリカもリズも困惑気味だ。久しく見ていない、まさに一触即発の雰囲気だった。

 

 

  「もうやめろ。みんな落ち着け。こんな時に言い争いをしてる場合じゃない」

 

 

  その雰囲気を壊すのは、エギルだった。

 攻略組のメンツは、我に返ったのかエギルの発言に下を向いたりする奴もいれば、舌打ちしたり、何か少年に文句を言いたそうな輩もいた。

 エギルは、アスナと少年の元に近寄り、少年を見下ろした。

 

 

  「……お前さんもだ。少し落ち着け」

 

  「俺は落ち着いてる」

 

 

  少年はそっぽを向き、部屋の出口の方へと歩いていった。

 その後ろ姿まで、キリトにそっくりで。

 エギルはつい呼び止めてしまった。

 

 

  「っ……おい、……アンタ、名前は?」

 

 

  それはきっと、ここにいるみんなが知りたい事の一つだったはずだ。

 アスナも、シリカも、リズも、クラインも、攻略組も。みんなが少年へと視線を動かす。

  少年は、気だるそうにコチラを振り向いた。

 だが、気だるそうに見えただけでその視線は鋭く、睨みつけられてるのかとさえ思う。

 

 

  「…アキトだ。…以後、よろしく見知りおけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

  攻略会議が終わり、シリカはリズが新しくアークソフィアで建てた店、<リズベット武具店>の2号店で、武器のメンテナンスをして貰っていた。

 ボス戦の備えて、武器も調整しないといけない。

 シリカもリズも、その店の工房で座って飲み物を啜っていた。

 しかし、その雰囲気は少し暗い。

 

  理由は言うまでもなく、攻略会議に現れた少年だ。

 

 

  「……キリトに、よく似てた」

 

  「……そう、ですね……私もそう思いました」

 

  「装備もそうだけど……雰囲気っていうか……どことなく、ね」

 

  「……きっと、アスナさんも……」

 

  「……そう、ね……」

 

 

  アスナのあの顔は、驚愕というか、焦りといった感情が窺えた。

 確かに、彼はキリトによく似ている。

 アスナもきっと、そう感じたのだろう。

 

 

  「けど……見た事ない人だったわね」

 

  「確かに……私も見た事ないです」

 

  「下層から来たのかしら……装備は見た感じ、最前線の攻略組のよりレアなのかもって感じたけど……」

 

 

  リズは、彼の装備を思い出していた。

 キリトによく似ていた事の驚きで、あまり防具に目を向けてなかったが、あの装備、見た限りではレベルの高いものだと感じた。

 あれほどの装備なら、下層でドロップしたとは考えにくい。

 上層で手に入れたとしても、それほどの実力者なら名前くらい聞いたことがあっただろう。

 

 

  「『アキト』なんてプレイヤー、聞いた事無いわね」

 

  「どーいう事なんでしょうか…?」

 

 

  二人は同時に腕を組む。そのタイミングがピッタリで、途端二人はお互いの顔を見合わせる。

 すると不思議と、笑みが零れる。

 お互いにクスクスと笑い合う。

  久しく、笑ってなかった気がする。

 キリトの突然の死、アスナの変化。色んな事があって、泣いてばっかの気がする。

 二人は不思議と、暖かい気分になった。

 

 

  すると、店の入り口の開閉音が聞こえた。誰かが店に入ってきたようだ。

 シリカとリズはそれに気付くと、お互いに立ち上がった。

 

 

  「さてと、仕事しないとね!」

 

  「あ、私もお手伝いします!メンテナンスのお礼って事で!ね、ピナ」

 

  「きゅる!」

 

  「ありがとっ」

 

 

  彼女達は勢いよく、工房の扉を開ける。

 そして、客を確認する前に、客への挨拶を忘れない。

 

 

  「いらっしゃいませー!リズベット武具店にようこそ!……って……!?」

 

  「武器のメンテ、頼みたいんだけど」

 

 

  二人の目の前には、先程の攻略会議に乱入してきたあの黒き少年、アキトが立っていた。

  シリカもリズベットも、アキトを目の前に視線を外せない。アキトは、そんな二人を不思議そうに見つめる。

 黒く長めの髪に、綺麗な青色の瞳。その容姿は女性に好まれるであろうものだった。

 背に担ぐ剣は、黒というよりは紺色で、刀身までもがその色で覆われている。

 別人だと認識出来るが──やはり、どことなくキリトに似ていた。

 

 

  「……あの」

 

  「え……あ、ああ!メンテ、ですよね、はい!」

 

  「……?……えと、じゃあよろしく」

 

 

  アキトは、そう言って背にある剣を取り外そうとする。

 しかしシリカもリズも、アキトに違和感を覚えていた。

 

  攻略会議の時と、どこか雰囲気が違う。

 会議の時は、アスナを言いくるめたり、攻略組にケンカを売ったりと、自信家というか、勝手な印象があったのだが…。

 今ここにいるアキトは、口調が丁寧で、態度もなんだか柔らかいように感じる。まるで別人のようだった。

 そんな事を考えていると、アキトが剣を差し出してきた。我に返ったリズは、アキトの剣を受け取る。

 

 

  「っ……お、重っ……!」

 

 

  アキトのその剣は、キリトの<エリュシデータ>に匹敵する重さだった。リズはうっかりその剣を落としそうになる。リズはその剣のステータスを恐る恐る確認し、そのステータス要求値に目を見開いた。

 

 

  「な、何よこれ……魔剣クラスじゃない……」

 

  「ええっ!?」

 

 

  シリカも驚きを隠せない。そのステータス画面を可視状態にし、シリカにそのアホみたいなステータスを見せる。

 シリカも驚きを隠せないようで、もの凄く目を見開いていた。

 

  固有名: 《ティルファング》

 

  リズは身を乗り出して、アキトに近づく。

 

 

  「…アンタ、これどうやって…」

 

  「……モンスタードロップ……だけど」

 

  「何処で手に入れたの!?」

 

  「何処だっけ……あー、確か72層の……見た事ないボスのドロップで……えと…それ以上はちょっと分かんないかな……あと近い」

 

  「っ…!? あ、…えと…ゴメンなさい…」

 

  「リズさん…」

 

 

  興味津々に聞くリズだったが、アキトの引いたような表情と言葉で我に返ったのか、すぐアキトから離れる。その顔は若干赤かった。

 シリカはそんなリズをジト目で見る。

 リズはそんなシリカから視線を反らす。そして、わざとらしく咳をしてアキトに向き直った。

 

 

  「えっと…いつまでにやったらいいかしら?」

 

  「これからフィールドに出るから、なるべく早く。けど無理しなくてもいいよ、そしたら別の剣で行くし」

 

  「常に万全にしないと駄目でしょ!…この剣一本なら時間は掛からないから、少し待ってて」

 

  「あ、ああ……分かった。じゃあ、頼む」

 

  「はいはい。シリカ、表よろしくね」

 

  「は、はい」

 

 

  リズはシリカに店を任せると、工房の扉を開き、入っていった。

 アキトはその扉が閉まるのを確認すると、店に並ぶ剣を拝見し始める。

 シリカは、そんなアキトをただただ見つめた。

 しかしどれだけ見ても、キリトの面影がチラつくだけで他には何も考えられなかった。キリトの死は、想像以上に心にきたという事だ。

  シリカはこれまで、最前線で戦うキリトの役に立ちたい一心で、必死にレベル上げをしていたのだ。ピナの件でもお礼がしたいと、今度は自分が力になりたいと。

 そして、75層攻略後。ようやく追いついたはずのキリトは、もうこの世界の何処にも存在してなくて。それを知った時、自分はどんな顔をしていただろうか。

  シリカは自然とその表情を暗くする。ピナも、そんなシリカに気付いたのか、悲しげな表情に見える。

 

 

  「……どうしたの」

 

  「え……?」

 

 

  顔を上げると、アキトが店の剣を持ちながら、シリカを見ていた。

 その瞳は何もかもを見透かしているようで、シリカは途端に顔を赤くする。

 

 

  「あ……い、いえ!何でもありません!」

 

  「……」

 

  「何でも……あれ…?」

 

 

  シリカは自分の頬に何かが伝うのを感じた。触れると、それは水滴、涙だった。

 拭っても拭ってもその涙は止まらない。涙腺が決壊したかのように、ぽろぽろの流れていく。

 

 

  「きゅるぅ…」

 

  「あれ……あれ、何でだろう……ご、ゴメンね、ピナ」

 

 

  キリトが死んだショックはアスナの方が大きいだろうと感じていたシリカ。

 そのアスナが泣かずに攻略に励む姿を見て、泣いてはいられないと、自分も頑張らなくてはならないと、気を張っていた。けれどシリカは、まだ14歳。そう簡単に割り切れるわけもなかった。

 今まで我慢していたものが、アキトを見ていた事によって解かれてしまったようだ。

 

 

  「す、すいませんアキトさん…わ、私…」

 

  「…えっと…え?な、なんで泣いて…ど、どうすりゃあ…!」

 

 

  泣いてる原因が分からず、アキトはオロオロするしかない。どうすればと考えていると、工房の扉が開く音が。

 そこにはアキトの剣を抱えるリズの姿が。

 

 

  「お待たせー……って…え?」

 

  「うう…ぐすっ…り、リズさぁん…」

 

  「……アンタ…何女の子泣かしてんのよ……っ!」

 

 

  泣いているシリカを見て、リズはアキトが泣かしたものだと一瞬で判断した。間接的には正解なのだが、アキトは何も分かってなかった。

 

 

  「はっ……!? お、俺は何もしてないぞ……」

 

  「問答無用!この…っ!」

 

  「危ねっ!? …ってちょ、それ俺の剣!」

 

 

  要求値が足りていないはずなのだが、凄い勢いで振り回すリズ。説得するのは骨が折れるであろう事は明白だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「……アキトさん、すみませんでした」

 

 

  「いや、別にいいけど……」

 

 

  「全く……アンタが泣かせたんじゃないなら最初からそう言いなさいよー」

 

 

  「……言いましたが……」

 

 

  リズの勘違いにより酷い目にあったアキトは、リズを力なく睨み付ける。しかしすぐに、何か疑問に思ったのかシリカの方に目を向けた。

 

 

  「…そういや、何で俺の名前知って…」

 

  「アタシらも攻略会議に出てたのよ。それに、もう噂になってるわよ」

 

  「…あの場にいたのか」

 

  「…ちょっと…アスナが心配でね」

 

  「…アスナ…ああ、閃光か」

 

 

  アキトは思い出したかのようにアスナを口にする。

 リズは、アキトにあの時の事を色々聞きたかった。

 

 

  「アンタ…なんであんな風に攻略組にケンカ売ったわけ?今のアンタの態度を見た感じだと、あの時言ったのわざとでしょ」

 

 

  今のアキトは、攻略組にいた時の雰囲気や態度が違って見える。

 今のアキトが本当のアキトならば、攻略会議でのあの態度は演技なのでは、というように見えた。

 

 

  「確かにあの作戦は、アタシも聞いてた気分の良いものじゃ無かったけど…」

 

  「…別に。間違った事は言ってないだろう。76層まで来て毎回葬式みたいなムードだったら攻略組に入りたいって思う奴だって減ると思うし」

 

  「…けど、人が死んでるのよ…?すぐに切り替えなんて…出来ないわよ…」

 

 

 むしろ、 アキトの言うように出来たらどれだけ楽だろう。大切な人を失った悲しみは、一日二日じゃ拭えない。

 アスナだって表面上は冷静に取り繕っているが、実際の所は分からない。

 シリカも、顔を下に伏せる。

 

 

  「だからだよ」

 

  「え…?」

 

  「ここはデスゲーム、人の死には敏感だろ。NPCだからって、人の形をしたものを殺してる間にボスを倒すって…道徳的にどうなのかと思ったんだ」

 

  「あ……」

 

 

  シリカもリズも、そこまで言われて納得した。アキトのやろうとしていた事が。

 

 

  「あの時の態度は…その…そんな作戦を立てた奴に腹が立ったからってのも間違いじゃない。…まあ他にも理由はあるけど」

 

  「…そっか…意外ね。会議で感じた印象とは大違いだわ」

 

  「……」

 

 

  アキトは何も言わずにそっぽを向いた。リズはアキトのそんな態度にフッと笑みを浮かべる。

 

 

  「…で?シリカはなんで泣いてたわけ?」

 

 

  リズは、思い出したかのようにハッとした後、シリカの方へと顔を向けた。

 シリカが泣き出した理由を問うことにした。

 シリカは、顔を少し赤く染め顔を上げる。恐らく、泣いた事を思い出し、羞恥に見舞われたのだろう。

 

 

  「その…アキトさんを見てたら…キリトさんを思い出して…それで…」

 

  「…シリカ…」

 

 

  リズは、シリカの気持ちが痛い程分かっていたし、我慢していたであろう事は察していた。きっと、キリトの面影があるアキトを見て、その我慢が解かれてしまったのだろうと。

 リズも今でこそ泣いていないが、キリトの死を知らされた日はとても冷静ではいられなかった。好きだった人が、自分の知らないところで死んだのだ。ショックでないはずがない。

 けれど、アスナが心配で、泣いてばっかではいられなくて。

 きっと、自分も我慢してる。

 

 

  そう、シリカもリズも。

 アスナが泣かないから泣かない、泣けなかった。

 

 

  黙るシリカとリズを、アキトは見つめる。

 

 

  「…アンタら、キリトのこと…知ってるのか」

 

 

  口を開いたアキトは、表情が暗い感じに変わっていた。

 アキトのその問いに、シリカもリズも、表情を暗くさせる。

 

 

  「…友達よ」

 

  「…キリトの最後…知ってるか」

 

  「…断片的な事は、エギルとクラインから聞いたわ…ヒースクリフが茅場晶彦だったっていうのも。ゲームクリアを賭けて、キリトが私達の為に戦ってくれた事も」

 

  「…そう、か…」

 

 

  アキトはそう言うと、顔を下に向ける。シリカは、そんなアキトを見て、口を開く。

 

 

  「…キリトさんとは…お知り合い…なんですか…?」

 

 

  アキトのその反応に、シリカは疑問を抱く。

 リズもシリカと同じ事を考えたようだ。

 その姿は、キリトのそれとよく似ている。無関係とは考えにくい。

 

 

  「…まあ、有名だからな」

 

  「違うわよ。個人的に…何かあるんじゃないの?」

 

  「……アンタらには、関係ないだろ」

 

 

  その口調は、なんとなく苛立ちのようなものを感じた。

  アキトは、そう言うと立ち上がる。ティルファングを鞘に仕舞い、店の扉へと歩き出す。

 シリカもリズも、アキトの態度で聞くのをやめた。

 しかしその後、リズはすぐに閃いたように口元を歪める。

 

 

  「…じゃあ、もう行く。武器、ありがとう」

 

  「ああアキト、ちょっと待ちなさい」

 

  「…?何?」

 

  「フレンド登録しましょう。76層から下にはバグで降りられないんだし、鍛冶屋とのコネはあって損は無いと思うわよ」

 

  「…そう、だな…分かった」

 

  「あ、あたしも!」

 

 

  リズのフレンド申請に、アキトは少し考えた後了承した。シリカも立ち上がり、アキトとリズの元へ駆け寄った。

 

 

  「…シリカにリズベット…。…キリトの友達…か」

 

  「ん?何か言った?…何ニヤけてんのよ」

 

  「いや、別に」

 

 

  フレンドリストにシリカとリズベットの名前が載ったのを確認したアキトは、何故か嬉しそうで。

 頬が緩んだのを、シリカとリズは見逃さなかった。

 不思議に思いながらも、二人はアキトの名前を自分のリストで確認する。

 すると、二人はアキトのプロフィールで気になるものを見つける。

 

 

  「アキトさん、ギルドに入ってるんですか?」

 

  「あ、ホントね。…てか気づかなかったけど、カーソルの横にギルドマーク付いてるじゃない…」

 

  「……」

 

 

  アキトのカーソルの隣には、ギルドに加入している事を証明するギルドのマークが表示されている。

 キリトに似ている事の衝撃が勝り、マークが目に入って無かったのだろう。

 リズは呆れたように笑った。

 

 

  「こんなに見やすい場所にあるのに…。…見た事ないマークね、月に黒猫なんて」

 

  「……」

 

 

  アキトは何も言わない。リズは構わずそのマークに目を凝らす。

 三日月に乗るように座る、黒い猫のイラスト。上層では見た事もないマークだった。

 リズはシリカに目配せする。どうやらシリカも知らないギルドのようだ。

 二人はアキトに視線を向ける。

 

 

  「…アンタ、ソロのイメージがあったから意外ね」

 

  「なんて名前のギルドなんですか?」

 

  「…それは…」

 

 

 アキトはそこまで言ったっきり、黙ったまま何も言わない。ただただ下を向くだけだった。

 シリカとリズは互いに顔を見合わせる。

 言いたくない事なのだろうか。そう思っていると、アキトが顔を上げた。シリカとリズはそれに反応して、視線をアキトに戻す。

 

  しかし、次にアキトが口を開こうとした瞬間、扉を開く音が聞こえた。

 三人は、入り口の方へと視線を移す。

 入ってきたそのプレイヤーは、アキトを見ると、顔が強ばった。

 アキトも、そのプレイヤーを見た瞬間、顔が先程と打って変わって豹変した。

 

 

  「…貴方…さっきの…」

 

 

  「…よう、閃光」

 

 

  アキトの黒い笑みの先にいたのは、攻略の鬼アスナ。

 シリカもリズも、この場から逃げ出したいような、これから始まるかもしれない言い争いを止めさせたいような、二つの気持ちで葛藤していた。

 

 

 

 








アスナ「……」

アキト「……」

シリカ・リズ((に…逃げ出したい…!))




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Ep.3 妖精少女と落下少女






書いてて、コイツって、こんなキャラだっけか…って考える事が多くなった。
文才無いなあ…(´・ω・`)


 

 

 

 シリカとリズベットは、現在困惑していた。

  原因は、自分の店にいる目の前の二人。

 一人は、今回の攻略会議で乱入してきた、黒い剣士アキト。

  一人は、キリトの死により攻略の鬼と化した、ギルド《血盟騎士団》の現団長アスナ。

 

  アキトは不敵な笑みを浮かべながらアスナを見ており、アスナはそんなアキトに睨みをきかせる。

 一触即発の雰囲気が漂っており、シリカもリズも焦っていたが、先にこの沈黙を破るのはアスナの方だった。

 

 

  「……何故ここにいるの」

 

  「鍛冶屋にいる理由なんて聞かなくても大体分かんだろ。何、俺は来ちゃマズかった?」

 

 

  アスナの問いに、鼻で笑って答えるアキト。一々癪に障るその態度が、シリカとリズと会話していた時のそれとまるで違う為に、シリカとリズの困惑はさらに増していく。

  何故アスナにはそのような態度なのか。というか、今の彼女を見てどうしてそんな度胸でいられるのか。そんな疑問も虚しく、アキトは眉を顰めて問い掛けた。

 

 

  「…ってかアンタこそなんでここにいんだよ。この時間帯ならフィールドボスと交戦してるはずだろ」

 

  「……仕切り直しにしたの。攻略は明日。それまでは各自レベリングするようにって…」

 

  「へぇ……少しは他の奴らの事も考えるんだな。それとも、考えてるフリか?」

 

  「……」

 

 

  アキトはそう言うと、アスナを上から下にかけて見た後、徴発的な笑みをアスナに見せつける。値踏みするような視線はきっと、今のアスナにとっては怒りを助長するものでしかないのに。

 

 

  「そっか……今は、アンタが血盟騎士団の団長なんだ」

 

  「……何か言いたい事があるの?」

 

  「いや、まあ別に」

 

 

  その含みのあるように言うアキトに、アスナは若干の苛立ちを覚えているのは傍から見ても明白。その視線が段々と鋭くなるのは当然だった。

  アスナはアキトを睨み付けながら、口を開いた。

 

 

  「……先程の攻略会議の作戦を貴方にも伝えておきます」

 

  「……ああ、あの人の形をしたオブジェクトをボスに殺させるって奴?なんか変わったの?」

 

  「っ……」

 

 

  彼の言い方は辛辣だが、実質その通りの作戦だ。

 アスナがやろうとしていた作戦は、傍から見ればアキトが言ったように映るだろう。アスナは唇を噛み締めた。

 

  それからアキトは、アスナに作戦の変更を聞いた。それは、先程のように、NPCを囮に使うような非人道的なものではなかった。

  作戦内容を一通り聞いたアキトは、フッと息を吐く。

 

 

  「まあ、妥当だな。最初からそれでいけよ」

 

  「貴方にはアタッカーに当たって貰います」

 

  「加入テストとかはしなくていいの?」

 

  「あれだけ大口叩けるんですから実力はあるんでしょう?」

 

  「それなりにはね。今のアンタよりかは役に立つことを約束するよ」

 

  「……」

 

 

  二人の雰囲気は、先程よりも険悪なものへと変貌していく。

 シリカはアキトとアスナの顔を交互に見て、アワアワとしている。見兼ねたリズは溜め息を吐きながら、アキトとアスナの間に割って入った。

 

 

  「はいはい、店の中でケンカしない!」

 

  「っ、リズ……」

 

  「アキト、アンタ攻略に出るんでしょ。早くしないと時間無くなるわよ」

 

  「んな事言われなくても分かってる」

 

 

  アキトは、リズに対してもアスナと同じ態度で言葉を返した。アスナを一瞥した後、店の扉に手を掛け、外へと出て行く。

  そうして漸く、店に平穏が戻ったのだと実感する。シリカもリズも、アスナになんて言おうか迷っているようだった。

 

 

  「えっと…アスナ? 今日はどうしたの?」

 

  「……メンテナンス……してもらおうと思って」

 

  「分かったわ」

 

 

  アスナは、アキトの出ていった扉を見つめながら、リズにそう答えた。

 しかしすぐに扉から目を離し、シリカとリズに向き直る。

 

 

  「……あの人は何しに来てたの……?」

 

  「普通に武器の整備を頼まれただけ。フィールドに出るから早めにって」

 

  「……そう」

 

 

  アスナはそう言ってウィンドウを開き始めた。メンテナンスをして欲しい武器を取り出すつもりなのだろう。

 この沈黙をどうにかしようと、シリカは口を開いた。

 

 

  「あ、アキトさん……凄いんですよ!魔剣クラスの武器を持ってて!ね、リズさん!」

 

  「え?…あ、ああそうね!見た事ないような武器で!キリトのエリュシデータ並に強くて…っ」

 

  「……」

 

 

  リズはしまったとばかりに口を抑えるが、アスナは少し苦しげな表情を一瞬見せただけで、すぐに無表情に戻ってしまった。

  仲間内では、アスナの前でキリトの話は半ば禁句のようなものになっていた。だというのに、アスナはなんでもないように取り繕うとする。

 シリカもリズも、そんなアスナを見ていられない。リズベットは、失言したと思いつつも、苦い顔で笑った。

 

 

  「……アイツ、キリトに…似てる……よね」

 

  「……」

 

  「…アイツとはさっき初めて…それも少ししか話さなかったけど……なんだかキリトを思い出した」

 

  「リズ、さん…」

 

 

  シリカは、力なく笑うリズの傍に寄る。

  アスナは、ウィンドウを動かす指を止め、顔を下に伏せる。

 やはり、アスナも同じように感じていたのだ。

 

 

  「…あの人は、キリト君とは違うわ」

 

  「……アスナ?」

 

  「…あんな人と…キリト君は全然違う」

 

 

  アスナは武器をウィンドウで取り出す武器を選択し終える。その武器がオブジェクト化し、シリカとリズの前に現れた。

 

  その武器を見て、リズは目を見開く。

 忘れるわけもない、その魔剣クラスの黒い刀身を持つ剣を。

 

 

  「…エリュシデータ……!?」

 

 

  そう、アスナが取り出したのは、キリトの愛刀の一振りだった。

 シリカはどういう話なのか分からず、リズの驚愕の表情を見るばかり。

 リズは、どういう事だと言わんばかりにアスナに視線を向ける。しかし、アスナはその冷たい表情を変えてはいなかった。

 

 

  「…あの人はキリト君じゃない」

 

  「…アスナ…」

 

  「キリト君は…ここにいるもの」

 

 

  アスナは、エリュシデータの刀身にそっと触れた。

 その瞳には、何が映っていただろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「…失敗したな…はあ…」

 

 

  森のフィールドにて一人で歩いているのは、黒い剣士アキトだった。

 明日のボス戦に備えてレベルを少しでも上げようとフィールドに出たはいいが、ここら辺のモンスターは粗方倒してしまった。

 リポップするまで待ちつつ、アキトは先程のリズの店での出来事を思い出していた。

 何を失敗したのか…それはその一言だけでは分からなかった。

 

 

  「あれが…<閃光>…」

 

 

  キリトの…愛した人。

  最前線の様子を見に行った時に、キリトと一緒にいるのを何度か見た事があった。

 キリトの隣りで笑う彼女は、本当に綺麗で。その時はアキトも、キリトが心底羨ましいと感じた。

 今の彼女からは想像もつかない。

  笑顔が消え、攻略のみを続ける機械のような彼女。

  キリトの死によって変わってしまったであろう彼女は、一体、今どんな気持ちで前線に赴いているのだろうか。

 みんながいない所では、どんな思いを抱いているのだろう。

 

  アキトは、溜め息を吐き、帰路に立った。今日はもう攻略の気分ではなかった。

 モンスターもリポップしないし、丁度いいだろう。

 

  アキトは、そうして辺りを見回したが、その瞬間、ある事に気付く。

 

 

  (…そーいや、ここら辺って最近 <妖精> が出るとかなんかで噂になってた森だった気が…)

 

 

  最近76層で噂されている情報の一つで、アキトの今いるこの森は、<妖精>が現れる、というのがあった。

 アキトがその情報を耳にしたのは偶然だが、気になっていたのは確かだった。

 

 

  「……」

 

 

  帰る気分ではあったが、少し散策する気になったのか、アキトは帰路から外れてまた森を徘徊し始めた。

  その森はとても静かで、モンスターが出なければ昼寝には持ってこいだろうと考えていたアキト。

 木々の間から指すように照らされる光が神秘的であり、とても心が安らぐ。

 どこまでも続いているような、そんな気にさせる幻想的な雰囲気。

 

 

 

 

  ── その先に、《妖精》 はいた。

 

 

 

 

  「っ……」

 

 

  アキトは目を凝らし、自身の目の前に立っている《妖精》 に目を向ける。

  その少女は、こちらに背を向けて立っていた。

 その装備品は全体的に緑色で、このフィールドに合っていた。

 金に輝く長髪を、上でまとめて垂らしている。俗に言うポニーテールだ。

 耳は、エルフのように長く尖っており、背中には、小さいが羽のようなものが付いている。

  なるほど、妖精と呼ばれるのも頷ける。

 

  アキトは一歩、妖精の方へと踏み込んだ。しかしその妖精は、アキトの存在に気付いたのか、急に後ろを振り向いた。

 その少女とアキトの視線が交錯する。

 

  少女はこちらに体を向けた。

  アキトは背中の剣に手を伸ばす。いつでも戦闘に移行出来る。目の前の少女が、NPCなのか、人の形をしたモンスターなのかは分からないが、まずは先手必勝だ。

  アキトは、ゆっくりと剣を抜く。ティルファングは、木の間から差し込む光で切っ先を照らす。

 しかし、目の前の少女は全く動かない。それどころか、こちらを見て驚愕のような視線を向けていた。一瞬クエストでも始まるのかと身構えていたが、次の瞬間、その少女は予想外のセリフを口にした。

 

 

  「……お兄、ちゃん……?」

 

  「……いや、違いますけど」

 

 

  アキトは文字通り、固まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

  「……」

 

  「……」

 

  「……」

 

 

  76層の街 《アークソフィア》。

  明日の攻略に向けて、ポーションの買い貯めに赴くアスナに付いてきたシリカとリズだが、何を言えばいいのか分からない。

  アスナはそんな二人など気にせずに次々と買い物を済ませていく。淡々と。冷静に。無表情で。

  しかし、アスナが次に来たのは食材や調味料などが売られている店だった。

 シリカもリズも、顔を見合わせる。

 もしかしなくても、料理を作るのだろうか。

 シリカは途端に口を開く。

 

 

  「…何か作るんですか?」

 

  「…ユイちゃんに…ご飯作らないといけないから」

 

  「…アスナ…」

 

 

  アスナの口から出た人物の名前を聞き、シリカとリズは悲痛な表情を浮かべた。

 アスナと同じくらいにキリトの死にショックを受けているであろうユイ。彼女もまた、無理して周りに笑顔を振り撒く存在の一人だった。キリトとアスナの娘であるユイは、見た目から判断しても幼過ぎる。これから思い出を作ろう時に、父親の死は早すぎた。

  彼女は今、エギルの店で留守番を務めているが、周りに気を遣って笑っているのは明白だった。

 あんなに小さい子も泣かないで、無理して。リズは心が締め付けられる思いだった。それなのに、どうしたらいいのか、解決策はまるで分からない。

 

 

  「…あ、あの!アスナさんっ!あたしも料理手伝います!」

 

  「……ありがとう、シリカちゃん。今度、お願いするね」

 

  「あ……はい」

 

 

  シリカは、そのアスナの笑う顔を見て、力なく下を向く。もうどうしたらいいのか分からない。どうしたら、アスナを救えるのか。

 キリト。こんな時、キリトだったら。

 

 

  (アンタならどうする…?キリト……)

 

 

  すると、リズは目の前のアスナが立ち止まるのに気付いた。

 どうしたのだろうとアスナを見ると、彼女は転移門の上空を見ている。リズも釣られて上を見ると、その不可思議な現象に目を見開いた。

 

 

  「なっ…!?」

 

 

  空から、裂け目の様なものが広がる。その中から、人の形をした何かが現れる。

 

 

  「女の子…!?」

 

 

  その少女は、そのまま裂け目から飛び出し、落下してくる。

 このままだと、地面に激突してしまう。

 

 

  「…っ! ヤバッ…!」

 

 

  リズが走るより先に、アスナが走り出した。その光景に、シリカもリズ目を見開く。

  アスナの走る速度はかなりのもので、少女が落ちるより先に落下地点に到達する。

 落下する少女を両手で受け止め、その勢いで地面に伏した。

 

 

  「っ…アスナ!」

 

  「アスナさんっ!!」

 

 

  シリカとリズは慌ててアスナの元へと駆け寄る。

 アスナは、冷や汗をかきながら、腕の中にいる少女を見た。

 短めの黒い髪を持ったその少女は、眠るように気を失っていた。

 女性の少ないSAOのであるが、彼女は見た事がなかった。

 

 

  「アスナっ、大丈夫!?」

 

  「っ…ええ、大丈夫」

 

  「っ…う…ん…?」

 

 

  すると、その少女は目を僅かに開く。アスナもリズもシリカも、少女の顔を見つめる。

 目を完全に開いたその少女は、どこか冷たく、儚い感じがした。

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

 

  「…あの〜アキト、君?」

 

  「…なんだよ」

 

  「アタシ、すっごい見られてない…?」

 

 

  アークソフィアに戻って来たアキトは、先程森で出会った少女、リーファと行動を共にしていた。

 取り敢えず話をまとめようと、街に戻ってきたはいいが、その後どうしようか考えておらず、街を徘徊するだけだった。

 リーファのその姿は、SAOの中でも特に変わったものだった。噂も相まって、彼女が例の森の妖精だと周りが判断するのに、そんなに時間はかからなかった。

  今周りには、攻略組にケンカを売ったキリトもどきが、妖精を連れ回しているというように見えてるだろう。

  リーファは周りにジロジロ見られている事で、若干顔を赤くしていた。

 

 

  「まあ、アンタみたいな格好の奴は珍しいからな。アンタ噂になってたんだぞ」

 

  「そ、そういう事は早く言って欲しいなぁ……」

 

 

  アキトの態度にげんなりするリーファ。距離が離れてきた事に気付き、リーファは慌ててアキトに追いついた。

 

 

  「何処に行くの?」

 

  「お前の話が本当なら、この街のことも知らないだろ。宿くらいなら紹介してやる」

 

  「……ありがと」

 

 

  リーファのお礼を聞きつつ、アキトは歩を進める。

 すると、左手に宿らしき建物を見つけた。

 

 

  「……ここだ、入るぞ」

 

  「あ、うんっ」

 

 

  アキトはその建物の中に入る。リーファも慌てて付いていった。

 入口を過ぎると、中に入るテーブルや椅子が並べられており、どうやら食事をする場所のようだ。

 リーファは辺りをキョロキョロしており、アキトはそんなリーファを置いて、奥にあるカウンターに向かって歩き出す。

 

  が、すぐにその足を止めた。

 そして、その顔を歪ませる。

 

  カウンターには、何人かが座っている。

  そこには、数時間前に剣をメンテしてもらった少女に、フェザーリドラを頭に乗せた少女、そして、会う度に睨んでくるキリトの嫁。

 見知った奴でも三人はいた。

 そして彼女らも、アキトの存在に気付いた。

 特にアスナは、アキトに鋭い視線を向けていた。

 

 

  アキトは、アスナを視界に捉えた途端、その顔を顰めた。

 

 

  「今日はよく会うな」

 

  「……何か用なの」

 

  「たまたまだ。そう会う度にアンタに言う事なんて無いしな」

 

 

  またもやケンカの予感。

 シリカとリズは慌てて対応する。

 

 

  「あ、あら!アキトじゃない!さっきぶりね!」

 

  「その後ろの方はどなたですか?」

 

  「森で会ったんだ。お前らも噂くらい知ってんだろ?妖精だよ妖精」

 

 

  話題を逸らすつもりで話しかけた二人だったが、その少女の予想外の情報に目を見開いた。

 アスナも心做しか、少し驚いているようだ。

 その後ろにいる野武士面の男も、リーファをマジマジと見ていた。

 リズはアキトの後ろにいるリーファに近づき、ジロジロと見る。

 

 

  「た、確かに妖精ね…あ、羽もあるわ…」

 

  「み、耳が長いですね…」

 

  「…え、え〜と…」

 

 

  リズに、いつの間にかシリカも加わって、そのリーファを上から下まで見る。

 リーファ、見られてる事で落ち着かない様子であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

 

  「他のゲームから来た…!?」

 

  「ああ…現実の話を聞くに、信憑性がない話でもないしな」

 

  「…でも、そんな事って有り得るんでしょうか…?」

 

  「まあ、そこら辺は調べてみないと分かんねぇな…俺は専門じゃねぇし」

 

 

  アキトは壁にもたれかかる。クラインは、そんなアキトに視線を送る。

 

 

  「けどよぉ、それってこの子と一緒って事だろ?」

 

  「…あ?…誰の事だよ」

 

 

  アキトはクラインを見る。クラインは、アキトから視線を外し、一人の少女に顔を向けた。

 その少女は、短めの黒髪で、全体的に華奢な子だった。

 

 

  「…アンタが?」

 

  「…シノンよ。よろしく」

 

 

  冷たく言い放つシノンは、アキトから視線を外した。

 アキトは、気にせず、口を開く。

 

 

 

  「…どういう事だよ」

 

 

  「調べた結果、シノンさんは先程ログインされたばかりのようです。ですが、IDの作成記録が無くて…」

 

 

 アキトの問いに答えたのは、小柄な少女ユイだった。

 アキトはユイに疑問も抱かず、話を聞く。

 

 

  「それってつまりどういう…?」

 

 

  「状況から考えるに…別のゲームからログインしてきたとしか…」

 

 

  ユイに分かる事にも限界があるようだ。

 アキトは、カウンターに目を移す。

 リズは、アキトの方を見て、口を開いた。

 

 

 

  「結局アンタ、何しに来たのよ」

 

  「リーファの宿をどうにかしようと思ってきたんだよ。ついでに俺の宿も」

 

  「それなら、ここの部屋が空いてるぜ」

 

 

  野太い声が響く。その声の方を向くと、カウンターの向こうには、色黒の巨大な男が。

 攻略会議の時に、見た事のある顔だった。

 

 

  「…ここの店主なのか、アンタ。俺もいいのか?」

 

  「おう、二人分くらいなら大丈夫だぜ。リーファって子はSAOの事はよく分からねぇだろうし…それに、お前さんも」

 

  「あ?…俺?」

 

 

  アキトはエギルを見上げる。エギルは顔こそ笑っているが、どこか悲しげな雰囲気を帯びていた。

 

 

  「お前さん見てると、なんだかな…放っておけなくてよ」

 

 

  その気持ちは、なんとなく分かっていた。

 シリカもリズも、クラインも。

 この少年アキトは、どこか放っておけない部分がある。

 出会って間もないのにそう感じてしまうのは、やはり、キリトによく似ているからだろうか。

 

  彼らの暗い雰囲気の中、アスナだけが、変わらずアキトを見据えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

 

 

  「アキト君…ちょっといい?」

 

  「…リーファ…」

 

 

  深夜ともいえる時間帯。アキトの部屋に、リーファが訪れた。その服装は、恐らく寝巻きであろう。

 リーファは、アキトの近くまでくると、近くのソファーに座る。

 その表情は暗い。だが、アキトには理由がなんとなく分かっていた。

 

 

  お互いに何も口に出さない。

 リーファは膝に置いた手をキュッと握り締め、顔は俯いている。

 アキトは、ベッドに座り、ただリーファを見つめる。

 

 

  「あの…さ、…あたし…」

 

  「嘘なんだろ?」

 

  「っ…!」

 

 

  リーファの言葉を遮って、アキトは言葉を発する。その一言に、リーファは目を見開いた。

 何が嘘なのか、それは言っていない。だけど、お互いの考えは一致していたのだ。

『リーファがこの世界に来たのは、故意である』と。

 

 

  「な、なんで…」

 

  「…なんとなくだ。嘘ついてる感じがしたってだけだ。SAOに来た理由が分からないって言った時から」

 

  「…初めて会った時から、分かってたんだ…」

 

 

  リーファは力なく笑う。その顔は、今にも泣きそうだった。

 

 

  「私のお兄ちゃん…SAOにログインしてたんです。けど、五日前に死んじゃって…」

 

  「……」

 

  「ゲームなんて、最初は私からお兄ちゃんを奪った憎い存在だって思ってた。けど、お兄ちゃんが夢中になった世界がどんなものなのか、だんだん知りたくなったの」

 

 

  リーファは、ぽつりぽつりと語り出した。

 アキトは、なにも言わず、リーファの話を聞くだけだった。

 

 

  「…私とお兄ちゃん、ホントは血が繋がってなくて。お兄ちゃんは、そのせいで私から距離を置くようになって…。それが寂しくて…」

 

  「……」

 

  「もう一度会いたかった。待ってるだけなんて嫌だった。…だから、会いに行こうって…SAOに行こうって…そう思ったの」

 

 「……そうか」

 

 「けど…友達からナーヴギアを借りた時に、病院から……お母さんから、電話が来たの…」

 

 

 リーファは、病院から震える声で連絡してきた母との事を思い出す。内容は、よく覚えてない。けど。

 感覚的に察したのだ。もう、遅かったのだと。

 

 

 

 

 

  ── 直葉っ…! 和人がっ…和人が…!──

 

 

 

  ── やめてっ! 聞きたくないっ…! 聞きたくないよ…っ!──

 

 

 

 

 

 

 

 リーファのその表情は、俯いている為、見る事が出来ないでいた。

 アキトはそんなリーファにかける言葉が見つからない。

 しかしリーファは、顔を上げ、自分の気持ちを打ち明ける。その表情は、真剣そのものだった。

 

 

  「…この世界に、お兄ちゃんを知ってる人がいるなら、話を聞きたいんです。お兄ちゃんのアバターネームも…どんな姿なのかも分からないけど、それでも頑張って探して、お兄ちゃんがこの世界でどんな風に生きたか…知りたいんです」

 

  「…それが…お前がここに来た理由か」

 

  「…うん」

 

 

  リーファは、そこまで言うと、また、表情を暗くする。

 それでも、キリトを失った悲しみは拭えない。

 彼女も、キリトを思うプレイヤーの一人。

 キリトの存在は、この世界だけじゃない。現実の世界にも大切に思われていたのだ。

 ソロプレイヤーが聞いて呆れる。

 

 アキトは、窓の外の景色を見る。

 辺りは暗く、街道の灯りが小さく光る。

 

 

  「…自分の知らないところで、大切な人が死ぬのって…辛いよな」

 

  「…え?」

 

  「自分の関わりのないところで、自分が何も知らない内に死んでしまう。あの時こうしていれば良かったって…後悔だけが残って…」

 

  「……はい」

 

  「失って初めて、その存在の大きさに気付かされて…涙が止まらなくて…さらに後悔が募って…」

 

  「…アキト君も…後悔してる事があるの…?」

 

 

  目に涙を溜めたリーファが、アキトに尋ねる。

 窓の外を見ていたアキトは、リーファの方へと振り向いた。

 

 

  アキトは、自虐的に、自嘲的に笑って見せた。

 

 

 

  「…ああ、あるよ」

 

 

 

 

 

 

  ── 二度と忘れる事のない後悔が。

 



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Ep.4 かつての英雄





この小説を書くにあたっての悩み。

・ ホロウ・フラグメントでのキリトの行動を、ただオリ主がやるだけの二番煎じものにしないように書かなければならない事。


 

 

 

 「…どーいうつもりなの」

 

  「お前の言う『効率』とやらを重視した結果だろ。誰も死んでねぇんだからうだうだ言ってんなよ」

 

  「だからって…っ!」

 

  対峙しているのは二人。

 彼らの事をよく知るメンバーはその光景を眺めるばかり。

  攻略が再開してから初めてのフィールドボスの討伐。対象は、蜘蛛のようなモンスター < The Crimson Spinner> 。その巨大な体と等しく大きい8本の足で、周りのタンクを薙ぎ払い、遠くの者は糸で捉えるといった厄介なボスだった。クォーターポイントを乗り越え、モンスターの強さは通常のものに戻ったが、モンスターのアルゴリズムは変化してきている。攻略組の面々は、注意深く対応していた。

  しかし、ボスのHPバーが赤に染まる頃、当然だがボスの動きが変わる。

 突進を繰り返し、壁役を吹き飛ばす動きが多くなってきた。その新しい動きに、何人かのプレイヤーは、どうすればいいのかと混乱した。

 

 

  が、とある少年の介入により、ボスはあっという間に倒されてしまった。その少年は言うまでもなく、先日攻略組にケンカを売った黒服のプレイヤー、アキトだ。

  だが、彼のその行動は、アスナの指示、作戦を無視した動きが目立ちすぎる。ヘイトを自身が全て請け負うといった危険な行為に加え、ボスを一人で相手にするような戦い方。

 その後、他のプレイヤーはその戦闘に介入出来なかった。まるで、邪魔するな、と言われているようで。

  実際、アキトのプレイヤーとしての実力は、お世辞抜きでハイレベルのものではあった。彼のお陰で、ボスを倒せたという事実も確かなものだ。だが、事前に伝えておいた作戦を無視し、他のプレイヤーを混乱させたのも事実だった。

  アスナは、作戦の立案者として、この攻略組の実質なリーダーとして、アキトの行動を見過ごせなかった。

 

  「大体、ゲージが赤になった時、モンスターの動きが変わるかもしれないってのはこの世界の常識だろーが。変わった動きをされて瞬間に慌てるような壁役は邪魔だ。モンスターの動きが変化してきているってんなら尚更だろ」

 

  『 っ… 』

 

  図星を突かれたプレイヤーの何人かは、悔しそうに唇を噛み締める。

 前回のフロアボス戦で、14人もの犠牲を出してしまった事により、攻略パーティも新生なものに変わっていた。

 血盟騎士団も、新しいメンバーを投入したのだろうが、それにしてもお粗末過ぎる。

  アスナは怒りを鎮めつつ、冷静にと心を構え、アキトに向き直る。

 

  「…貴方が一人でヘイトを受け持つ必要は全くありませんでした」

 

  「壁役が機能してなかったんだから誰かがやるしかねぇだろ。今回はたまたま俺だったってだけだ。…もういいだろ、俺は今日はもう帰る…後はアンタらに任せるわ」

 

  アキトはそういうと、攻略組のメンバーを一通り見た後、嘲笑にも似た笑みを浮かべ、彼らに背を向ける。

 

  「っ…ま、待ちなさい…っ!」

 

  「転移 < アークソフィア> 」

 

  アスナの静止も聞かず、アキトは転移結晶で街に帰っていった。

 残されたのは、アスナ率いる攻略組のメンバーだけだった。

 

  「チッ…んだよアイツ…新顔の癖に偉そうに…」

  「ホントホント…人不足だからってあんな奴がいてもなぁ」

  「あの黒ずくめの格好なんて…どうせ黒の剣士の真似事だろ?すぐにボロが出るって」

 

  「……」

 

  アスナは、何も言わず、ただただ拳を握り締める。アキトが消えたその場所を、静かに見つめていた。

  アスナにとって、今のアキトの印象はあまり良いものではない。最初こそその容姿に驚いたものの、今では嫌悪感しか生まれない。

 そのキリトに似せた格好も、態度も、雰囲気も。同じ宿にいる事すら、嫌悪の理由に入る程だ。

 

  何より、今回の戦い方も気に入らない。ヘイトを全て請け負う度胸。口では悪口を言いながらも、さり気なくタンクをカバーする動き。

 そして、ボスを一人で圧倒する強さ。

 

 その何もかもが、キリトを連想させてしまう。アキトにキリトを重ねてしまう。それがたまらなく嫌だった。彼はキリトではないキリトの代わりではないんだ。

 キリト君に、代わりなんていない。

 

 「っ…」

 

 アスナは、唇を噛んだ。

 

 

 

 

●〇●〇

 

 

  「…? えらく早いじゃねぇか。フィールドボスはどうした?」

 

  「もう倒したよ。余裕だった」

 

  エギルの店に戻ったアキトは、カウンターに腰掛ける。エギルに飲み物を注文し、頬杖をついて耽っていた。

 

  「…そーいや、あの野武士面は? 攻略で見てねぇんだけど」

 

  「…ああ、クラインか。アイツは今、シリカ達と買い物だ。ユイちゃんも連れてな。…はいよ、コーヒー」

 

  「なるほどね…いただくわ」

 

 

  クライン不在の理由を聞いて納得しつつ、エギルから貰ったコーヒーを啜る。

 すると、隣りからアキトを呼ぶ声が。

 

  「あっ、アキトくん。丁度良かった!聞きたい事があったの」

 

  「リーファ…に、シノンか…何か用か」

 

  アキトが振り向いてみれば、そこに座っていたのは先日知り合ったリーファとシノンだった。

 

  「ちょっと聞きたい事があって…」

 

  「言いたくないことだったらそれで構わないんだけど…貴方に聞いて見ようかと思って」

 

  「…何が知りたいんだ」

 

  あまり乗り気ではなかったが、アキトは聞く事にした。リーファもシノンも、ここに来てから日が浅い。答えられる限りの事は答えたい。

 アキトの質問に、リーファは口を開いた。

 

  「あたし達って、アインクラッドに来たの、最近でしょ?だから、血……盟騎士団…だっけ?それと、ヒースクリフについて教えて欲しいの」

 

  「それは俺の答えるべき質問じゃないな。それこそアスナに聞けよ。アイツその騎士団の現団長だぞ」

 

  「アスナさん…なんかちょっと怖くて…」

 

 

  リーファは、少し困ったような顔をする。

 確かに、今のアスナは近寄り難いイメージがある。シノンは溜め息を吐いた後、アキトに向かって冷たい視線を放った。

 

  「アンタ、攻略組なんでしょ?」

 

  「ああ、まあ、今日からな」

 

  「……」

 

  「…はぁ、分かったよ」

 

  シノンの視線に耐え切れなかったアキトは、溜め息を吐いた。リーファは少し嬉しそうで、小さくシノンにお礼を言っていた。

 アキトは、コーヒーを飲んだ後、口を開く。

 

  「 血盟騎士団…英語で <Knight of the Blood> 、通称 < kob >と呼ばれるプレイヤーギルドだ。白と紅の騎士服がそいつらのユニフォーム。まぁ…見りゃあ分かる。メンバーの数で言えば中規模だけど、プレイヤーの実力はハイレベルだと思う」

 

  「へぇ…意外だな。お前さんも褒めたりすんのか」

 

  話を聞いていたエギルが、アキトをニヤけた顔で見ていた。アキトはエギルを睨みつける。

 

  「うっせぇな…まあ、《Kob》っつったら、誰もが認めるトップギルドだからな」

 

  「ふーん…アスナさんって凄いんだ……」

 

  アスナの立ち位置を理解して、その凄さにリーファは感嘆の声を洩らす。そのリーファの隣りで、今度はシノンから質問が来る。

 

  「それで、ヒースクリフは?」

 

  「その血盟騎士団の元団長で、このゲームの創設者。茅場晶彦だよ」

 

  「ニュースで何回も聞いたよ、その名前……」

 

  「その人、今は……?」

 

 リーファが顔を顰める。確かに、こんな大事件なら、今の今までニュースで話される事はあるだろう。シノンの質問も最もだった。

 しかし、アキトはヒースクリフの所在を知らない。詳しい事は殆ど知らないのだ。

 なぜならあの場に、自分はいなかった。

 

  自分の知らないところで、キリトは死んだ──

 

  「……」

 

  「…アキト?」

 

  アキトの表情が暗くなったのに気付いたシノン。思わず、その手がアキトに伸びる──

 

 

  「たっだいまー!」

 

 

  店の入口からそんな大声が響き、シノンは思わず手を引っ込める。

 アキトが視線を向けると、そこには仁王立ちのリズベットと、シリカ、クライン、ユイが店に入ってきた。

 

 

  「ただいまです…」

 

  「ほら、エギルー、買ってきたわよ」

 

  「半分以上は頼まれた買い物とは関係ない店だったけどな」

 

  「ちょっと寄り道するぐらいいいじゃない。いやあ疲れた疲れた」

 

  「ちょっと、頑張りすぎちゃいましたね…」

 

 

  クラインとリズ、シリカは、会話しながらこちらに近づいてくる。しかし、リズはアキト達の雰囲気が気になったようで、こちらに視線を向けてきた。

 

 

  「…あれ?ちょっと雰囲気が重いような…なんか真面目な話でもしてた?」

 

  「アキト君に、ヒースクリフの事を聞いてたんです」

 

  「ヒースクリフ…なるほどね」

 

  「まぁ、俺はもう語るべき事なんてないんだけどな。エギルとそこの野武士面の方が知ってんだろ。リーファ、シノン、聞かせてもらえ」

 

 

  リーファの言葉に、リズは納得したように頷く。

 アキトは、リズに言葉を返し、エギルとクラインを見る。リズの後ろから、シリカも混ざり、そんな彼女は切なく笑った。

 

  「あの…あたしも聞いてていいですか…?…75層で起きた事…あんまり詳しく知らなくて…知りたいんです」

 

  「シリカ……クライン、エギル、一緒に聞かせて。あたしもシリカも断片的に聞いただけで、よくは知らないから」

 

  シリカの思っている事を理解したリズも、ここからの話を真剣に聞くようだ。その眼差しも、真剣そのもの。

 アキトは、そんな彼女らを、ただ見るだけだった。

  クラインは、エギルと顔を見合わせ、少し黙っていたが、やがて空いてる席に座り、口を開いた。

 

  「…おしっ、分かった。多大な犠牲を払いつつ、オレ達は75層のボスを倒す事に成功したわけだ。その後、ある一人のプレイヤーがヒースクリフの正体を看破したんだ。奴は 【immortal object】……不死存在だった。…最強の味方がの一人が、実は最悪の敵ってシナリオだったわけさ」

 

  「……」

 

 アキトは、クラインの話を聞いて、その時の出来事の想像をしていた。クォーターポイントのボスは、他のフロアボスよりも強力なモンスターだ。何人もの犠牲が出ただろう。14人は死んだと聞いている。ヒースクリフの正体を暴いたのは…きっと、恐らくキリトだろう。

  アキトは、無意識にその拳を強く握り締めていた。

 

  「その目論見を暴かれた奴は、そのプレイヤーにこう言ったんだ。『一対一で戦って勝ったら75層でゲームを終わりにしてやる』と。…………」

 

  「…クライン、さん…?」

 

  そこから口を閉じ、顔を俯かせるクライン。その様子に、シリカは気付いた。リズも、ここから先、どうなるのか分かっていたから、クラインに何も言えなかった。

 ユイも黙ったまま、何も言わない。エギルも、クラインを心配そうに見る。

 リーファとシノンだけが、この状況を分からずにいた。

 

  「……オレァあの時……もっとちゃんとよ、アイツを止めてりゃよかったって、今もスゲェ後悔してる」

 

  「クライン……」

 

  クラインは、組んでいた手の力を強める。その腕は、僅かに震えていた。

 リズも、そんなクラインを見るが、言葉が出なかった。

 

  「何が、あったんですか……?」

 

  リーファは、ただならぬ雰囲気を感じ取っていたが、恐る恐る口にした。

 クラインは、震える声で話し出した。

 

  「ヒースクリフの正体を見破ったソイツは、ヒースクリフの決闘を受けた。勝って、この世界を終わらせる為に……オレ達の為に戦ってくれたんだ」

 

  「……今もこのゲームが続いてるって事は……その人は……」

 

  「いや……結果は相打ちだった。アイツは最後まで諦めねぇで、オレ達の為にヒースクリフを打ち破ってくれたんだ。けどこのゲームは終わらなかった。キリトが、命をかけてくれたってのに……」

 

 

  クラインのその表情は、悲しみに暮れていた。

 リーファもシノンも察しただろう。そのプレイヤーは、ヒースクリフと共に死んでしまったのだと。

 そこまで話すと、クラインは再び口を閉ざした。これで話は終わりだと、そう言っているようにも見えた。

 そして、長いようで短い、沈黙が続いた。

 

  「……やっぱり、キリトさんは凄いです。最後のボスを倒したんですから」

 

  その沈黙の中、シリカは悲しげに笑う。

 彼らはそんなシリカを見て、微笑を浮かべた。

 

  「…ええ、そうね」

 

 リズは、シリカの肩に手を乗せる。シリカは、リズを見て力なく笑った。

 クラインも、エギルも、そんな二人を見て口元が緩んだ。

 

  「…そのキリトって人が、ヒースクリフを倒したプレイヤー?」

 

  「ああ、アイツは間違いなく、この世界の最強プレイヤーだったぜ」

 

 シノンの質問で、クラインは自身を鼓舞するかのようにテンションを上げて答える。

 

  「…そうです…」

 

  「っ…!? …ユイっ…ちゃん…」

 

  突如、幼い声がその中に響く。

 その場にいる誰もが声のする方を見た。

 そこにはユイが、それまで一言も言葉を発しなかったユイが、小さな声でそう呟いていたのだ。

 

  「パパは、とっても強いんです…向かうところ敵なしだったんですから…ママと二人…最強夫婦だったんですから…っ!」

 

  「……」

 

  「パパは…これからも…ママとっ…一緒にっ…て……!」

 

  「ユイちゃん…」

 

  「三人…一緒で…っ!…うぇっ……ぐすっ…!」

 

  「っ…」

 

 

 リズは思わず、涙するユイを抱きしめる。

 その細い体は震えていて。やはり我慢していて。けど、この悲しみを消す方法を、自分達は知らなくて。

  シリカは、ユイのその涙を見て、自分も泣きそうになるのを抑える。ユイまでもが泣くのを我慢していた事実に、堪えきれないものがあったのかもしれない。

 クラインはユイのその泣き顔を見て、苦しい思いに襲われた。初めて会った時、ユイがキリトとアスナの娘だと聞かされても、何故か納得したのを覚えてる。たとえその関係は違うものでも、ユイの流すその涙は間違いなく本物で。

 クラインは、拳を握り締めた。

  彼らは、泣き続けるユイを、ただ見つめる事しか出来ない。

 それがもどかしくて、たまらなく切なかった。

 

  アキトは、ユイから目を逸らせなかった。ユイの泣き顔を見て、瞳が、心が揺れた。

 あんな子までもが、キリトの死にあれほど嘆き、苦しんでいる。ユイがキリトとどんな関係なのかは、具体的な事は何も分からない。けれどアキトには、ユイのその涙でキリトとの繋がりを理解した気がした。

 

 

 

 

●〇●〇

 

 

  「…あっ、リズさん…ユイちゃんは…」

 

  「泣き疲れて…寝ちゃったわ。今は部屋よ」

 

  リーファの問いに、階段を降りてきたリズはそう答える。今はきっと、出来る事は少なくて。これくらいしか出来ない。

 

  「…あの子も、ずっと我慢してたんでしょうね…」

 

  「そりゃそうよ…自分の父親を失くしたんだもの…」

 

  シノンとリズは、ユイが眠る部屋の続く階段を眺める。

 あんなに小さい女の子も、泣いてばかりではいられない事を分かっていて、ずっと泣くまいと堪えていたに違いなかった。キリトの存在が、どれほど心の中で大きくなっていたか、改めて実感する。

  すると、リーファは気になる事があるのか、恐る恐ると口を開いた。

 

 

  「あの…ユイちゃんのママって…もしかして…」

 

  「……アスナよ」

 

  「……って事は、キリトって人とアスナさんは恋人だったんですか?」

 

  「恋人どころか、結婚してたわよ」

 

  「ええーーー!? き、キリトさん…結婚してたんですか…!?」

 

 

 リズの結婚の一言で、シリカは驚愕の声を上げる。

 リーファもシノンも、少なからず驚いたようだ。リズはそんな反応をするシリカを見てクスクス笑い、やがてどこか遠くを見るような目で、口を開いた。

 

  「アスナ…今は少し張り詰めてる感じだけど…ホントはもっと、優しい娘なのよ?強くて、カッコよくて…笑った顔がホントに美人で…キリトといる時なんて…すっごく幸せそうで…」

 

  「……」

 

  リズのそんな悲しげな声音は、アキトの耳にすんなりと入り込む。

 アキトは、ずっと黙ったまま、彼らの話を聞いていた。

  リーファもシノンも、なんならシリカも、今のアスナしか見た事がない。けどそんなに優しい人だったのなら、変わってしまった理由も明白だった。

 それはきっと、キリトの死。

 

  「けど…今のアスナは凄く不安で…心配で…どうにかしてあげたいけど…どうしたらいいか分かんなくて…。もしかしたら、アスナはゲームクリアまでずっとこのまま、前のように笑ったり怒ったりしなくなるんじゃないかって…今も怖いの」

 

  「リズさん…」

 

  誰も、リズに言葉を返せない。彼ら自身、どうしたらいいのか分からないから。この世界に来たばかりのリーファとシノンなとっては尚更だった。

 

  「キリト…さんって、どんな人だったんですか?」

 

  リーファとシノンは、キリトの事も、アスナの事もよく知らない。だからこそ、話を聞きたいと思った。彼らの悩みを、一緒に共有したい。

 出会ったばかりだけど、彼女達は、リズの事を仲間だと思っていたし、力になりたいと思っているからだ。

  不意にリーファに質問を受けて、リズは少し驚いたようだったが、すぐに小さな笑みを浮かべた。

 

  「そうね…凄く…強かったわ。レベルとかだけじゃなくて、心、みたいなところも」

 

  「それに、すっごく優しい人でした」

 

 リズに続いて、シリカも笑ってそう答える。クラインもエギルも、そんな二人の言葉に頷いた。

 

  「そうだなっ、キリトの野郎はスゲェ奴だった。一人でボスを倒すくらい強かったしな」

 

  「だな。74層攻略の記事を見た時は笑ったもんだ」

 

  クラインとエギルも、そう言って笑う。

 二刀流の五十連撃、なんて話に尾ヒレのついた記事を思い出しながら。

 

 「それに、色々メチャクチャだったわね〜…壁とか走るし」

 

  「そ、それは凄いわね…」

 

  その常人ではありえないような行動を聞いて、シノンは若干引いていた。

 

 

  「あっ、それにこの前もアイツが…」

 

  そうやって会話が続く彼らを、アキトは何も言わず、眺めていた。

 いつの間にか、彼らの中には暖かな空気が生まれていた。みんな、キリトとの出会い、そこから紡がれた思い出を、楽しそうに語る。

 キリトを知らないリーファやシノンも、その話を聞いて、笑みを浮かべている。そんな彼らを見て、アキトはなんとも言えない感情を抱いていた。

  キリトは死んでもなお、彼らの心に寄り添っているような…そんな気がして。

 ふと、彼らの姿が、かつての仲間と重なった。

 

  (俺も…ずっと前に、キリトとみんなと…)

 

 リズはそんなアキトに気付いたのか、少しニヤけた顔でアキトを指さした。

 

  「そうね…外見は全身真っ黒でね〜…丁度そこで黄昏てる奴そっくりだったわ」

 

 そう言うと、シリカも、リーファも、シノンも、クラインも、エギルもアキトに視線を動かした。

 皆、アキトを見ていた。

 

 

  ── こんな景色を、俺は見た事がある。

 

 

  アキトはその時、一種の幻を見た気がした。

 彼らがかつての光景に重なり、過去に戻ったかのような幻覚に襲われた。

 

 

 

 

  ── いやー!今日の狩りも順調だったなー!──

 

 

 ── キリトとアキトは、やっぱり戦い方が上手いなー…──

 

 

  ── 二人が居れば最強だな!──

 

 

  ── ちょ、やめてよ…キリトはともかく俺はそんな…──

 

 

  ── おい、俺はともかくってなんだよ…──

 

 

 ── ふ…フフッ…──

 

 

 ── さ、サチ…笑うなって…───

 

 

 

 

  …これは、かつての俺が願ったもの。

 俺が望み、掴み、そして手放してしまったもの。

 

 アキトは、我に返った。目の前を見ると、そこは先程の光景が広がる。リーファやクラインが、アキトに向かって口を開いた。

 

  「へぇー…そのキリトさんって人も、アキトさんみたいに真っ黒だったんですね」

 

  「そうそう!奴は<黒の剣士>って二つ名が付くくらい、装備は黒かったんだぜ」

 

  話が弾んでいる中、アキトは不意に立ち上がった。みんな、いきなりの事で、目を見開いていたが、気にする余裕もつもりもない。

 

  「……一緒にするな」

 

 アキトは、彼らの話を早く終わらせたかった。かつての光景と重なる彼らを、これ以上見たくなかった。

 

  「…俺は…あんな奴とは違う…」

 

  『っ…!』

  「あんな奴だとぉ……!」

 

 その言葉に、クラインが立ち上がる。

 リズ達も、少なからず怒りの感情があったかもしれない。しかし、アキトはそんな事に気が付かない。早く、この場を離れたい一心だった。

 

  「俺とキリトは全然違う…あんな奴と一緒にされたら迷惑だ」

 

  「っ…テメェ…」

 

  クラインがアキトの胸ぐらを掴む。

 怒りの感情を少なからず持っていたリズ達でさえ、そのクラインの行動に驚いた。アキトは、そんなクラインの瞳を真っ直ぐ見つめる。

 そうだ。自分とキリトはあまりにも違う。自分はキリトのように、アイツのように強くない。キリトの為に怒ってくれるような仲間も。死んでもなお大切に思ってくれる仲間も。

 

  自分にはいない。

 

 エギルは、クラインのアキトを掴む腕を掴んだ。

 

  「クラインっ…やめろ」

 

  「っ…だってよぉ…!」

 

  「店で騒ぎを起こすな…みんな見てる」

 

  「っ……チィッ…!」

 

  エギルに制されて、クラインはアキトを掴む手を離した。

 アキトは、乱れた服を整えることもなく、自室に続く階段に向かって歩を進める。

 リズは、階段を登るアキトの背を見ながら、口を開く。

 

  「…キリトは『あんな奴』なんて言われるような奴じゃない。アンタなんかと違って、強くて、優しくて、人の事を思える奴だった」

 

 ── そんな事…誰よりも俺が分かってる。

 

  「キリトの事何も知らないのに…偉そうな事言ってんじゃないわよ」

 

 ── 知ってるよ…ずっと前からな。

 

 アキトは、そう思いながらも、彼らに反論はしなかった。何も言わず、その階段を上り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

  「…はあ…」

 

 

 アキトがいなくなった事を感じたリズは、力を抜くかのように溜め息を吐く。

 そして、力なく笑う。

 

 

 ── …こんなキャラだったかな、あたし。

 

 

  溜め息を吐くリズを、一同は見つめていた。

 リズはその事に気付いてか、口を開いた。

 

 

  「……あたしもさ、なんだかんだ言って、キリトの事、よくは知らないのよね」

 

 

 むしろ、これから知っていきたいと思っていた。願っていた。

 こんなにすぐに会えなくなるなんて、思ってもみなかった。

 

 

  「…っ………あれ……」

 

  「っ…。リズ…貴女…」

 

 

  リズから伝う涙に、シノンは驚いた。シノンだけじゃない、誰もがリズの涙する姿を想像していなかった。

 

 

  「……あ、あれ…なんでだろ…ははっ…みんな、ゴメンちょっと…全然、止まんなくて…」

 

  「リズ、さん…」

 

  「…リズさん…」

 

 

  シリカとリーファは、涙するリズに寄り添った。

 リズは、そんな二人を見て、色々限界だった。

 

 

  「…っ、二人とも…ゴメンっ…」

 

 

  シリカめリーファもリズのその言葉に、切なく笑うだけだった。

 二人も、シノンも。クラインもエギルも。こんな時にかける言葉など、知るわけもなかった。

 大切な人を失う事が、こんなに辛い事だなんて、想像出来ただろうか。

 大切な人を失った時のことを、深く考えた事があるだろうか。

 

 

  「…くそぅ!!」

 

 

 クラインは、壁を勢いよく殴りつけた。破壊不能の警告が表示されるが、そんな事はどうでもよかった。

 その顔は、怒りのような、悔しさのような、そんな感情が入り混じっていた。

 エギルはそんなクラインに文句を言うわけでもなく、ただ拳を握り締めた。

 ただただ、泣いているリズを悲しげに見つめていた。

 

 

 彼らは、失う辛さを、知らなさ過ぎた。

 

 

  「……」

 

 

  ふと、シノンは階段の先を見上げた。

 そこは、先程アキトが上った階段だった。

 シノンの足は、自然に動いた。

 

 

  「……」

 

  「?…っ、シノンさん…?」

 

 

 階段を上るシノンに気付いたリーファは、シノンに声をかける。

 そんなリーファに反応し、他のメンバーもシノンを見た。

 しかし、シノンはリーファの呼びかけにも反応せず、階段を上る。

 

 

 その時の行動原理がなんだったのか。

 この時、シノン本人にも分からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●〇●〇

 

 

  階段を上り切ったアキトは、重い足取りで自室に向かった。

 しかし、中々自分の部屋に着かない。

 アキトは、今にも倒れそうだった。

 

 

  右手で頭を抑える。頭痛がするようだった。

 何度振り払っても、先程の事を思い出す。そのせいで、色々な事も連鎖的に思い出してしまう。

 

 

  「…キリト…」

 

 

 ふと、その名を呼ぶ。かつての、英雄の名を。

 その名を口にするだけで…怒りのような、悲しみのような、どこにぶつけていいか分からない苛立ちのような感情が募る。

 

 

  「っ…」

 

 

  キリトはソロプレイヤーだった。

 けど、それは孤独という意味では決してなかった。

 あんなに、キリトを思う仲間がいた。

 

 

  彼は、一人ではなかったのだ。

 

 

  「独りなのは…俺か…」

 

 

  自室の扉の前まで来た。けど、その部屋には入らない。

 アキトは、その扉の横の壁にもたれかかった。

 

 

  独りは…とても寂しかった。

 けれど、この世界に来て、寂しくはなくなった。

 

 

 それは、過去の出来事。

 俺にも仲間がいた時の事。

 けど、気が付けば、俺はまた独りで。

 失ってしまうのは、ほんの一瞬で。

 

 

 失いたくないと、感じる事すら許されなかった。

 

 

 それでも、また欲しくて手を伸ばした。

  なのに、またその手は届かない。

 

 

  俺に無いものを、キリトは持っていた。

 俺が欲しかったものを、キリトは手に入れた。

 それが羨ましくて、妬ましくて。

 キリトは俺の憧れで。憎しみの対象で。

 ヒーローみたいなキリトにイラついて、それでも、決して嫌いにはなれなくて。

 

 

  気が付けば、アキトの頬には水が伝っていた。

 その瞳は、髪に隠れて見えなくなった。

 アキトは拭う事もせず、ただ壁にもたれ続けるだけだった。

 

 

  「……」

 

 

 その涙は止まらない。

 だが、その瞳には、忘れられない過去の光景が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ── …なぁ、アキト。…えと、…あの、さ…──

 

 

  ── …歯切れ悪いなぁキリト…どうしたの?──

 

 

  ── …ゲームクリアになってもさ…俺達、現実でも友達になれたらいいな──

 

 

 ── ……うん。そうだね ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「……バカヤロー……」

 

 

 






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Ep.5 黒猫&閃光 異色のパーティ






大嫌い。だから、知ろうともしない。



 

 

 

 ふと、アスナは目を覚ます。辺りは暗く、視界はぼやける。

 しかし気が付けば、そこは現在泊まっている宿だった。

 体を起こし、右に顔を動かす。そこにはユイがアスナの服を掴んで眠っている。アスナはそんなユイに微笑みかけ、その黒髪を優しく撫でる。

 

 昨日帰った時には、ユイはもう既に眠っていた。早めに帰ったつもりだったのだが、どうやら遅かったようだ。

 下に居たのはエギルだけだったが、下りて話を聞くことにした。エギルに話を聞くと、ユイは泣き疲れて眠ってしまったという。

 

 

「無理、させちゃったんだ、私。ゴメンね、ユイちゃん。母親失格ね……」

 

 

 そうだ。辛いのは自分だけじゃなかった。アスナとおなじくらい、ユイも苦しくて、辛くて、悲しくて、泣きたかったはずだ。

 ユイも相当我慢してたはずだ。そんな事も考えず、自分だけの悲しみだと思っていた。

 そんな事、あるはずないのに。

 

 ユイが再びこの世界に帰ってきてくれた時、キリトの死を伝えなきゃいけないのが凄く嫌だった。伝えるのが怖かったし、自分の口からキリトは死んだなどと言いたくなかった。

 認めたくなかったのだ。

 

 キリトの死を理解した時のユイの顔を、アスナは今でも忘れない。そんなわけないと、嘘だと、そんな事を言い放ちながらも、その頬には段々と涙が流れていき。

 そんなユイを見たくなくて、アスナは攻略に出た事もあった。娘から逃げるなんて、母親としてあるまじき行為だったと、今は後悔している。

 アスナは再び横になり、ユイの体を抱き締める。ユイが起きるまで、この体を離しはしない。

 その瞳にはやはり、涙が伝っていた。

 

 

 

●○●○

 

 

 

 同時刻 午前5時

 

 

 

 

「…おっ…早いじゃねぇか。おはようさん」

 

「……ああ」

 

 エギルのそんな挨拶に、アキトは目を丸くした。

 いつもより早めに起きてしまったアキトは、部屋でする事もなく、取り敢えず下の階に行く事にした。エギルは眠っていても、NPCが居れば問題ないと思っていた為、エギルが起きていたのは予想外だった。

 それに、昨日の事もあって気不味かったのも事実だ。しかし、見つかってしまったものは仕方ない。アキトは渋々カウンターに腰掛けた。

 

「……コーヒー」

 

「…あいよ」

 

 エギルは、特にアキトに何かを言うわけでもなく、コーヒーの準備を始める。この世界で、料理の類は簡略化される為、コーヒー一杯分ならそれほど時間はかからない。

 案の定、コーヒーはもう登場した。

 

「ほらよ」

 

「…ん」

 

 カウンターに出されたコーヒーを、アキトは無言で啜った。

 この世界のコーヒーを飲むようになったのは何故だっただろうか。

 現実世界と同じ物を飲む事で、現実世界にいるかのように錯覚させる為だったかもしれない。

 

「…どうだ、味の方は」

 

「…普通」

 

「フッ…そうかい」

 

 エギルは微笑を浮かべ、システムウィンドウを展開し始める。不可視モードになっている為、アキトには、エギルが空中に指でお絵描きしてるようにしか見えない。

 エギルは鼻歌を交えながら、ウィンドウを動かしていた。

 

「……昨日の事、何も言わないんだな」

 

「何か言って欲しいのか?」

 

「い、や……そういうわけじゃないけど……」

 

 それでも、キリトの仲間なら、何か言われるかと思ってた。だからこそ、さっきエギルと出会ってしまった事に動揺を感じたのだ。

 アキトは、エギルから目を逸らす。エギルは、そんなアキトをチラッと見てから、またウィンドウに視線を移した。

 

「お前さん、キリトの知り合いだろ」

 

 エギルの突拍子もない一言に、アキトは思わず体を震わせた。と、同時にしまった、と感じた。

 今の反応は、正解だと言っているようなものだった。

 エギルは、アキトのそんな反応に満足したのか、口元を緩ませる。

 

「……なんで」

 

「キリトの事を知らなきゃ、あんな言い方しねぇと思ってな」

 

「言い方……?」

 

 

 ── 俺は…『あんな奴』とは違う…──

 

 

「…っ……そ、か」

 

 

 確かに、『あんな奴』なんて言い方、キリトの人となりを知らなきゃ出て来ない。

 まあ、第一印象だけでそう口に出す輩がいないわけでもないだろうが、エギルには、アキトがそうとは感じなかったのだろう。

 あの時、クラインやリズ達は、キリトをバカにされたように感じたんだ。

 アキトはそういう意味で言ったわけでなかったのだが。

 

「別に言い触らそうなんて思っちゃいない。少し気になったからな。みんなに喋るかどうかはお前さんの自由だ」

 

「……そうかよ。…コーヒーご馳走さん」

 

 

 これ以上何か言われる前に退散を決め込む。こんな早い時間だが、攻略に行くのもきっと悪くない。

 アキトは立ち上がり、その場所を後にする。エギルに背を向け、宿の外に出る為に歩き出す。

 しかし、その後すぐにエギルに声をかけられた。

 

「アキト」

 

 そう呼ばれて、アキトは思わず振り向いた。

 エギルの顔は、真面目なものだった。

 

「…嫌なら答えなくてもいいんだが…」

 

 エギルは頭をかきながら、そんな風に口を開く。

 アキトには、何を言いたいのか、なんとなく気付いていたかもしれない。

 

「お前さんにとって…キリトはどういう存在なんだ?」

 

 エギルは、キリトと無関係には思えない姿をしたアキトに、ずっとこれが聞きたかった。

 初めて会った時から、そう感じていたかもしれない。

 キリトと何らかの繋がりがあると分かった今なら聞ける、と。

 アキトはエギルを見つめたまま、何も言わない。エギルもアキトを同じように見つめていた。

 

 アキトは目を細め、そして口を開く。

 その顔は少しだが、エギルには悲しげに笑っているように見えた。

 

 

「俺の目指すものだ」

 

 

 ─── その影は、もう二度と掴めはしないけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

「分かったわ。ちょっと待ってなさい」

 

「…ありがとう」

 

 時間は過ぎて、現在午前8時。

 リズベットの店に来ていたアスナは、自身の武器のメンテナンスをしてもらっていた。

 だがリズは、そのアスナの武器の耐久値を見て震えた。

 

(…一昨日、メンテしたばっかなのに…もう、こんなに…!)

 

 リズの打った名剣 <ランベントライト>。その耐久値は、かなり減少していた。一日二日でこんなにしてしまうなんて、一体どんな攻略をしているのか。

 リズは背筋が寒くなる思いだった。

 

 この様子だと、ポーションの減りもかなりのものだろう。

 アスナの強さだけいうなら心配いらないと思いたいが、アスナの今の精神状態も合わせて考えるなら、そうもいかなかった。

 死に急いでるように見えるアスナに、こんな攻略を続けて欲しくなかった。今のアスナの心は、他人の意思を排除した思考を持っているのではと感じてしまう。

 

 前回の会議の作戦もそうだ。効率だけを考えた、慈悲もない作戦。人の形をしたNPCの囮。周りのプレイヤーの心情を考えないその沙汰に、リズはアスナを別人だと思った。

 アスナは今後も、こんな作戦を使うのではないかと思っても仕方なかった。

 

 だから、アキトの介入によって作戦が変更になった時、アキトの事を見るアスナの表情が感情的だったのを見て、少し希望を持ってしまった。

 口は悪いし、偉そうに見えるアキトだが、どことなくキリトを思わせる彼なら、アスナを変えてくれるのではないかと。

 

 会って間もないその少年に、ここまで言うのは言い過ぎだろうか。事情を知らないアキトに、こんな事を頼むのは荷が重すぎるだろうか。

 

 きっとアスナは、キリトに似たあの少年を誰よりも嫌悪している。けれどその一方で、アキトの事を誰よりも意識しているのもきっとアスナだ。

 リズでさえキリトと重ねて見てしまうのだ。きっとアスナもそのはずだ。

 

「……アキト」

 

 無意識に、その名を口にする。

 キリトと重なる、その少年の名を。

 

 そうして《ランベントライト》のメンテナンスを終え、工房の扉から表に出る。待っていたアスナに、それを差し出した。

 

「はいっ、完璧よ」

 

「……うん。ありがとう」

 

 そのアスナの声音は冷たい。いつもアスナは、顔を見てお礼を言ってくれるのに、今は自身の武器しか見ていない。

 けど、それでも。

 

「……じゃあ、もう行くね」

 

「っ────アスナ!」

 

 店の扉から出て行こうとするアスナを、リズは声を上げて引き止める。その声の大きさにアスナも驚いたのか、その動きを止める。

 ゆっくり、アスナはリズの方へと視線を向けた。

 

「……何?」

 

「っ…あ、いや…その…」

 

 アスナの視線は、冷徹なものだった。リズは思わず言葉に詰まる。今のアスナは、確かに他人の事を寄せ付けない。

 けど、それでも。

 

「……あたし、嬉しかった。あの時、アスナが誰よりも先にシノンを助けようとしてくれた事」

 

「……」

 

 あの時、転移門上空から落下してきたシノンを助ける為に、いち早く走り出したアスナを見て、リズは少し安心したのだ。

 アスナは、やっぱりアスナなんだと。

 あの頃の優しいアスナが、本当のアスナなんだって。

 

「……リズ」

 

「…それだけっ! 行ってらっしゃい!気を付けなさいねっ!」

 

「……」

 

 アスナは何かを言いたげだったが、すぐに扉の方へ向き直り、店を後にした。アスナに手を振っていたリズは、やがて力が抜けたかのようにその手を下ろした。

 

 

「ねぇ……アンタならどうする?キリト……」

 

 

 今は亡き、想い人の名を、リズは口にした。

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

「…っ…貴方…」

 

 

「……閃光」

 

 

 

 76層の迷宮区にて、アスナは今一番会いたくらい存在であるアキトと出会ってしまった。迷宮区は広いし、他のプレイヤーとは会えない事も多いが、そんな中で、大嫌いな彼と。

 

「……アンタぐらいになると、護衛でも付けるのかと思ってたけど」

 

「……」

 

 アスナは何も言わず、アキトの横を通り過ぎる。

 ダメだ、違うと分かっているのに、どうしても彼とキリトを重ねてしまう。

 見たくない。話したくない。声を聞きたくないと。そうしてアスナはスタスタと先へと進んでいく。

 

「……おい、ちょっと待て」

 

 アキトは、どんどん進んでいくアスナに声をかける。アスナは、呼ばれてしまった事でその足を止める。本当なら、無視して進むべきなのに。想い人を想起させる彼からの声掛けが、自分の心を震わせた。

 

「……何よ」

 

「パーティ組もうぜ。攻略組の加入テストって事でよ。迷宮区は危険も多いし、テストにも無難だろうし」

 

「っ……!」

 

 そのアキトの提案に、アスナは顔を顰める。

 今さっき、彼とは関係を持ちたくないと思ったばかりだというのに。アスナは嫌だと言いたかった。

 必死に、理由を作って断ろうとする。

 

「……貴方のような勝手な人は、攻略の時他のプレイヤーを混乱させる要因になるの」

 

「むしろ攻略組はどんな状況でも臨機応変にならんとダメだろ。状況が変わって慌てるようじゃ話になんねぇし。それに、混乱させるって点に関してはアンタと変わんねぇよ。なんだよあの作戦と攻略速度」

 

「っ……」

 

「今まで通りの攻略法で充分だろ。アインクラッドも上層になるに連れて狭くなるんだし」

 

「今の私達には、戦力が足りないの! 今までのスピードで攻略なんて出来るはずない!モンスターだって強くなっているし、私達には時間が無いの!」

 

 

 焦りや苛立ちにも似た感情が、アスナの言葉に乗る。

 嫌悪の対象であるアキトだからこそ、こんな感情が湧くのだろうか。

 

 今はもうキリトもヒースクリフもいない。攻略組も減ってきている。

 モンスターのアルゴリズムも変化しており、上層に進むに連れてそんなモンスターも強くなるに決まっている。戦力の不足が否めない今の状況、いつも通りの攻略スピードでは必ずどこかで止まってしまう。

 現実世界の体にだって、タイムリミットは存在する。悠長な事は言ってられないのだ。

 アキトはそんなアスナを見て、溜め息を吐いた。

 

「だったら尚更、戦力を補う時間はあった方がいいだろうが」

 

 アスナは、アキトを見つめる。アキトも、またアスナに向き直った。

 

「アンタが俺を気に入らないんだろって事は見りゃあ分かる。けど私情挟んじゃいらんねぇだろ。時間がねぇってんなら尚のことだ」

 

「……」

 

 正論で、アスナは何も言えない。

 いや、彼は出会ってから正論しか言ってないような気がする。

 間違っていたのは、自分ではないかとさえ思えてくる。

 

 

「アンタの言う『戦力』になってやる為のテストだっつんだよ。いいからパーティ申請受けろよ」

 

 

 その言葉に、アスナは多少なりともイラついた。

 アスナのいう『戦力』は、決して攻略の為に必要な事を指して言ったわけではない。

 それは、かつての自分の英雄の事。

 自分の愛した、生きた証。

 

 

「……貴方は、キリト君の代わりにはならない」

 

「……当然だろ」

 

 

 アスナは、アキトのパーティ申請を受諾した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷宮区はその名の通り、迷路のようになっており、ボス部屋を見つけるのには苦労するものだ。

 途中モンスターも出るし、最近は強くなってきている為にそれは尚更だった。

 

 

 

「──しっ!」

 

 

 

 リザードマンの剣による攻撃を、アキトは紙一重で躱す。しゃがみこみ、足にソードスキルを放つ。

 

 片手用直剣単発ソードスキル<ホリゾンタル>

 

 リザードマンの攻撃を掻い潜って放ったソードスキルは、リザードマンを一撃で絶命させた。

 リザードマンの一体は、ポリゴンになり弾け飛んだ。

 

 

 二体目のリザードマンと距離を取りつつ、アスナの方へと視線を向ける。

 アスナは、丁度対峙しているリザードマンにトドメを刺す所だった。

 

 

 

「──はぁ!」

 

 

 

 細剣単発スキル <リニアー>

 

 アスナの代名詞とも呼べるそのソードスキルは、まさに閃光。

 その正確無比の突きと速度を見て、その二つ名は伊達じゃないと思い知らされる。

 アスナと対峙していたリザードマンは、ポリゴンへと姿を変えた。

 

 

 アキトは、アスナのその実力は、レベル以上のものだと理解した。

 すぐに自身の目の前のリザードマンに意識を切り替える。

 

 

 リザードマンの剣を弾き返し、そのまま体を回転させ、腹を斬りつける。

 リザードマンの腹部から、血のようなエフェクトが発生した。

 リザードマンがノックバックしている瞬間に距離を縮める。

 

 

 片手用直剣突進技 <ヴォーパルストライク>

 

 

 その強烈な突きが、リザードマンの胸を貫く。

 リザードマンは、一瞬でポリゴンとなり、破片が空中に飛び散った。

 

 

 アスナは、そのアキトの戦闘を、半ば食い気味に見ていた。

 中層から来たというのもあり、アキトのレベルは現在89。攻略組の平均より少し高い程度のもの。

 しかし、その実力はレベル以上のものだと認めざるを得ない。

 リザードマンに与えるダメージ量を考えるに、かなりSTR値に振っていると見える。

 AGIもかなりのものだろう。

 まるで、どこかの黒い剣士のよう────

 

 

 

「…っ…」

 

 

 

 アスナは、左手で顔を抑える。

 

 

 ── まただ。

 

 

 また私は、彼をキリト君と──。

 

 

 

 

 

 

 

「…ふう…こんなもんだな。おい、閃光。どうだよ」

 

 

 

 アスナは、アキトの一言で我に返る。アキトと一瞬目が合うが、すぐに逸らした。

 

 

 

「…っ。…見てませんでした」

 

 

「は、おいふざけんな」

 

 

 

 アキトを無視し、迷宮区の奥へ進む。その足取りは、先程より僅かに速い。

 

 

 嘘だ。ばっちり見てた。凄いと思った。強いと思ったし、キリト君みたいだと思った。

 そして、そんな自分がさらに嫌になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ふぅ」

 

 

「……」

 

 

 

 迷宮区も大分奥まで進んだ。

 マップもかなり埋まってきただろう。

 これも、アキトとアスナ、それぞれの実力によるものだ。

 

 

 疲れを紛らわすかのように息を吐くアキトを、アスナは後ろから見た。

 アキトは、ティルファングを背中の鞘に収め、ポーションを取り出していた。

 

 

 パーティを組んで、アキトについて分かった事がある。

 まあそれは、この前のフィールドボス戦の時に大体察しはついていた事ではあるが。

 

 

 アキトという少年は、中々アスナの指示を聞かない。

 スイッチの指示も無視して敵を倒してしまうし、連携も禄にとってくれない。

 それでも、アキトはその個人の能力でモンスターを圧倒してみせた。

 

 

 けど、正直危なっかしくて仕方がない。

 

 

 話したくはないのだが、アスナは仕方なくといった表情でアキトに話しかける。

 

 

 

「…もう少し、連携を考えてくれないと、今後の攻略に支障が出るんだけど」

 

 

「…は?モンスターは倒せてるんだし、問題ないだろ」

 

 

「そんな事言ってるんじゃないの! 一人で戦うのは限界があるって話よ!他の人との連携や指示を考えて動かないと…」

 

 

「今の攻略組にそんな御大層な事が出来るとは思えねぇけど」

 

 

「……」

 

 

 

 アキトは、さも面倒そうに頭をかいた。アスナはそんなアキトを睨み、拳を強く握り締めた。

 だが、やがてその手の力も抜けた。

 その顔には、諦念の表情が浮かんでいた。

 

 

 

 

 そうだ。理解していた。最初から分かっていた。

 彼はキリト君じゃないし、キリト君の代わりにもならない。

 だから、こんな事を言うのも当たり前だ。

 彼に分かるはずがない。

 一人では限界があるから連携を取れ?

 我ながら何を言っているのかと笑ってしまう。

 そんな言葉、彼がキリト君に見えたからつい言ってしまっただけ。

 また失いたくないから、そう思ってしまっただけ。

 けど、彼は別人だ。キリト君じゃない。

 

 

 ── 貴方はただの、『偽物』よ──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…一人で戦える事が強さだと思っているなら、それはとんだ勘違いよ」

 

 

「っ…」

 

 

「貴方は…キリト君とは違うもの」

 

 

 

 アスナはそういうと、完全にアキトから視線を離す。

 もうその目には、アキトの向こう側に続く道の先にある扉しか見えなかった。

 

 

 おそらく、あの扉の先が76層のフロアボスの部屋。

 

 

 アスナは、アキトとのパーティを解散した。

 

 

 

「今日は解散します。ボスの情報は2、3日で出回ると思うので、攻略会議はその日にあると思って下さい。…実力的には、攻略組の戦力になると思います。……では」

 

 

 

 アスナは、動かないアキトの横を通りすぎる。

 ボス部屋へと、その歩を進ませる。

 道は暗い為、しばらくするとアスナは見えなくなっていた。

 

 

 アキトは、その場に独り残された気分になっていた。

 

 

 

「……」

 

 

 

 その拳を、強く、強く握り締める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── 一人で戦う事が強さだと思っているなら、それはとんだ勘違いよ──

 

 

 

 ── 貴方は…キリト君とは違うもの──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…そんなの…分かってるよ…!」

 

 

 

 アキトは、唇を噛み締めた。

 その言葉は小さな声だった。

 けれど、それは魂の叫びに感じた。

 

 

 

 

 キリトみたいになりたいわけじゃない。

 

 

 けれど、アキトはこの苛立ちを抑えられなかった。

 そして、そんな自分が嫌になる。

 アキト自身、分からなくなってきていた。

 

 

 

 

 

 アキトは一体、何を欲していて、何を望んで、何になりたかったのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、今孤独な自分は、一体何がしたかったのだろう。

 

 







そして…私は何を書きたかったのか。(いやマジで)

ここから先、書きたい話があるので、それまでは何しても良いかなーと思っている適当に書いたつもりが…どうしてこうなった(汗)



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Ep.6 不幸を告げる黒い猫

完全に見切り発車である今作品。

さらに処女作。

けど、ストーリーの流れは大体決めてるんだよ…?(震え声)




 

 

宿へ帰る、アキトその足取りはやや重い。

 

街灯に照らされる《アークソフィア》の道を、アキトは独りで歩く。

アスナがいなくなった後も、アキトはたった独りでレベル上げを続けていた。

レベルが90代に乗ったことで、精神的余裕が生まれ、一段落と思い帰路に経った。

その時刻はもう夜中の十二時を過ぎており、並ぶ建物の窓から漏れる光はとても少なかった。

 

あの後、アスナが向かった先を確認しに行くと、運良くボス部屋を確認することができた。

アスナがその場にいなかった事を考えると、転移結晶で街に戻ったのだろう。

ボス部屋の場所をすぐにでも報告すれば、明日には出回るだろう。そこから、ボスの情報収集に時間をかけ、三日後には攻略に行けるだろう。

 

 

「……」

 

 

アキトはその一本道を、未だにフラフラと進んでいた。

その顔は、暗い影を落としている。

不意に、アスナに言われた事を思い出す。

 

 

「……独り」

 

 

── 一人で戦える事が強さだと思っているなら…───

 

 

アスナのあの一言に、心の内を見透かされているような気がした。

独りで戦える事が強さではない。アスナは確かにそう言っていた。アスナが何故急にそんな事を言い出したのか、アキトには分からないが、その言葉はアキトの心を強く打った。

 

 

「……けどアイツは…独りでも強かったじゃないか…」

 

 

そう言って脳裏を過ぎるのは。思い出すは、かつての英雄────黒の剣士。

彼は孤独の中、それでも強かった。自分の比にならない程、圧巻だった。

 

 

── あの時から。

 

「……っ」

 

アキトは、頭を抑える。

その苛立ちをもどうにか抑えようとして。 しかし、この苛立ちは間違いだと気付いた。何せ、キリトは結局独りではなかったのだと、この場所に来て気付いたのだから。

 

 

「……アスナの言う通り、か」

 

 

────たった独りでも、生きていけるようになりたかった。

 

孤独でも平気な強さが欲しかった。誰かに頼らずとも、世界を変えていけるような、そんな力が。

寂しさなんて感じない、揺らがない強い心を持ちたかった。

そうすればきっと、今みたいにならずに済んだのに。

そんな事出来るわけないと、無理な事だと分かっている。人間は誰しも、他人の温もりを必要とする生き物だから。

 

それでも、自分はこの行き方を変えられなくて。その在り方しか知らなくて。

 

 

「……最近、こんな事考えてばっかだな……」

 

彼らに出会ってから、こんな事を考える事が多くなってきた。自分でもくどいと分かっている。幾度となく振り払っても、またこの劣等感にも似た負の連鎖が止められない。

 

 

「……アキト?」

 

不意に声をかけられ、その声のする方へと自然と顔が向けられる。

 

 

「……シノン」

 

 

そこには、つい最近知り合った、別のゲームから転移してきたとされる少女が、街灯に照らされるベンチに座っていた。

 

 

「……こんな時間まで攻略……?」

 

「……」

 

 

アキトは、シノンの問いを返さず、その目の前を通り過ぎる。

正直、今は誰かと話す気分ではなかった。しかし、その歩みはシノンに袖を摘まれたことによって止められた。

アキトは観念したかのように項垂れ、シノンの方へと視線だけを向けた。

 

「その……少し、話さない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ベンチに座るシノンの隣りに、アキトは腰掛けた。

誰とも話す気分ではなかったはずだ。

けれど、シノンのその表情を、瞳を見ていたら。

何故かそんな事も忘れてしまっていた。

 

 

「……何か用があるんじゃねぇの」

 

「急かさないで、友達減るわよ」

 

「そもそもいねぇ………そんな事を言いたかったのか」

 

「そんなわけないでしょ。……少し、ね」

 

 

そう言って、シノンはどこか遠くの景色を眺めていた。

その横顔につられ、アキトもシノンが見ているだろう風景を見る。

街灯に照らされ、噴水が太陽の出ている時とはまるで違った輝きを見せる。

僅かに吹く風が、髪を揺らす。

同じ街並みでも、昼と夜でこれほど違うとは。

 

ふと、シノンが口を開いた。

 

 

「…いつも…こんな時間までレベル上げしてるの?」

 

「…ここに来てからは、今日が初めてだ。こんな遅い時間に街に戻ってきたのは。……お前はこんな時間まで何してんだよ」

 

「…少し…眠れなくて」

 

「……あっそ」

 

 

シノンのそんな言葉一つ一つを、アキトは適当に返す。彼女はそんなアキトのあからさまな態度に、顔を顰めた。

 

 

「……それと。その『お前』とか、『アンタ』って呼ぶの、やめて。私はシノンよ」

 

「……シノン」

 

「……うん、よろしい。貴方は、アキト…よね?」

 

 

アキトがシノンの名を呼ぶと、彼女の口元が緩んだ。

そして、今度は彼女はアキトの名を呼んだ。

アキトは、そんなシノンの微笑から目を逸らす。

何故か、シノンに逆らえないと感じた。

 

 

その瞳は、この場にいるアキトをしっかり見てくれていて。

アキトは、自身の瞳が揺れるのを感じた。

 

「……別にキリトに見えねぇだろ」

 

「またそんな事……そもそも私はそのキリトを見た事ないし」

 

 

アキトのそんな返し方に、シノンは溜め息を吐く。

確かに、シノンはキリトの事を知らない。

この世界に来たのはつい最近の為、それは当然だった。

 

 

「…お前、」

 

「……」

 

「し、シノンは…その、ここに来る前は何してたんだよ」

 

 

アキトは、『お前』と言った瞬間睨んできたシノンから目を逸らしながら、そんな質問をした。

そして、自分でも驚いた。何故、自分はこんな質問をしているんだろうと。

しかし、シノンはその顔を俯かせた。

 

 

「…分からない」

 

「……え?」

 

「私、ここに来る前後の事…全然思い出せなくて…だから、ここがSAOだって聞かされた時、すぐには信じられなかった」

 

「……」

 

 

アキトは、そのシノンの話を聞いて目を見開いた。

そんな話は聞いてなかったし、そんな事がありえるのかと少し驚いたからだ。

シノンの表情は、どんどん悲痛なものに変わっていく。

 

 

「…一人でいると…今も怖くなる時もある…何も覚えてないって…結構怖いのね」

 

 

シノンは、そういうとアキトに向かって力無く笑ってみせる。

大丈夫だよ、とそう言ってるみたいで。

無理しているのが丸分かりで。

 

アキトは、そんなシノンの顔を見て、体が動かなくなった。

目を見開いて、笑うシノンを見つめた。

 

 

 

 

── 二人がいるもの。怖くなんてないよ…フフッ、ホントだよっ──

 

 

 

 

「っ…サチ…」

 

「…え?…何?」

 

「っ!あ、いや…何でもない…」

 

 

シノンの顔から、慌てて顔を逸らす。その顔は、少し赤く染まっていた。

しかし、すぐにその表情を暗くする。

シノンは、そんなアキトを不思議そうに見るが、そのアキトの表情はよく見えなかった。

 

かつての、想い人の面影を見た気がした。

けどその想いは届かない事を知っていた。

 

その想いを伝える事すら出来なかった事を。

守りたかった、守れなかった人の面影を。

 

アキトは、消えていく仲間達を思い出し、その体を震わせる。

自身の腕を抱き、蹲る。

 

 

「…アンタ…大丈夫?辛そうだけど…」

 

「…ああ…うん…大丈夫」

 

「…っ…アキト…」

 

 

そのいつもと違うアキトの反応に、シノンの心は揺れ動いた。

普段の、高圧的な態度ではなく、こんな、孤独に苛まれ恐怖し、怯えるようなアキトを、シノンは初めて見た。

 

シノンは…そんなアキトの背中を摩った。

こうする事しか出来ないが、せめて楽にしてあげられたらと。

自分と重なるアキトを、見たくなかったから。

 

シノンの顔が、かつての見知った顔に見える。

それだけで、心がこれほど乱れるとは思わなかった。

 

 

「落ち着いた?」

 

「……ゴメン…シノン……」

 

 

震えを止めるのに、20分はかかっただろうか。

シノンはずっとアキトの傍で、背中に手を置いてくれた。

アキトはそんなシノンにお礼を言う。

その口調は、いつものものとは違う、柔らかいものだった。

 

シノンは、アキトを見て口を開いた。

 

 

 

「…アンタ、やっぱり無理してたのね…」

 

「……」

 

「…何があったの…?」

 

「…いや…何もないよ」

 

「…アキト」

「……もう行く。…さっきは…悪かった………ゴメン」

 

 

アキトは半ば話を打ち切るように立ち上がり、シノンを視界から外す。

彼女から背を向けて歩く道の先には、エギルの店があった。

後ろからシノンの声が聞こえたが、アキトの歩みは止まらなかった。

 

 

シノンの伸ばしたその右手は、アキトには届かなかった。

そのまま、アキトの後ろ姿をただ見る事しか出来なかった。

やがて、アキトを引き止めるのを諦めたかのように、小さく息を吐いた。

 

何故引き止めようと思ったのか。

引き止めてどうするつもりだったのか。

 

シノンは、伸ばした右手を自身の元に戻す。

その手のひらをシノンは見つめる。

 

 

(アイツ…震えて…)

 

 

 

アキトの背中を摩った時、その体は震えていた。

何かに怯えたように。何かを思い出したかのように。

その姿を見て、シノンは気が付いたら手を伸ばしていた。

 

 

どうしてあんな事が出来たんだろう。

出会って間もない相手に、こんな事はしない。

 

 

 

 

 

──けれど。

 

 

── 私は、ただ。

 

 

 

 

 

(…アイツが…アキトが、私と重なって見えたから…)

 

 

 

 

震えるアキトが、何故か自分のように見えて。

決して他人事とは思えなくて。

 

 

「……」

 

 

 

 

 

 

── あの日。

 

 

リズが涙したあの日。

アキトの元へと向かう足を自分では止められなかった。

 

 

階段を上りきった先に、自室の前で泣き崩れるアキトを見た時、シノンは動く事が出来なかった。

キリトと自分は違うと。あれほど言っていたから。

 

 

キリトの為に泣いているとは思わなかったのだ。

 

 

 

「……なんで」

 

 

 

初めて会った時から、他人ではないような気がしたのは何故だろう。

何故、アキトと自分は似てると思ったのだろう。

 

 

 

自身の事なんて、何も覚えていないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

自室に戻ったアキトは、そのままベッドに倒れ込んだ。

最近、色々と無茶が過ぎていた気がする。

レベル上げやスキルの強化。アイテムの確保。

今日のように迷宮区に篭ったのも久しぶりだった。

 

 

寝転んだベッドがとても心地よく感じる。

アキトは、その気持ち良さにウトウトしていた。

 

 

しかし、その感情もすぐに消し飛んだ。

また、彼らの光景が目に飛び込んでくる。

 

 

 

「っ。……またか。どうして俺はこんなにも醜いんだろう…」

 

 

 

76層に来てから何度も考えるキリトと自身の差のようなものに。

アキトは、いい加減嫌になってきた。

 

 

 

くどいと分かっている。

面倒くさいヤツだと自覚している。

 

 

それでも、考えてしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

彼らは、キリトが紡いだ絆の証。

 

 

キリトの存在を肯定し、今も尚キリトを想い、突き進んでいく人達。

アキトにはないものを持っていたキリト。

キリトが手に入れたものは、どんな人達なのか知りたかった。

 

 

けど、知って後悔した。

彼らのキリトを想う気持ちが、想像以上で。

どうしても自分と比べてしまう。

 

 

別に、憧れてたからって、キリトになりたかったわけじゃない。

だけど、ついそう思ってしまう。

 

 

俺には、ただの一瞬だって、ただの一人だって、あんな存在がいただろうかと。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

アキトはベッドに仰向けになり、自然とその手が天井に伸びる。

おもむろに開いたのは、アキトのフレンドリスト。

そこに登録されているフレンドは、あまりにも少なかった。

 

 

フレンドリストは、登録した順番に上から表示されていた。

そのリストの一番下には、つい最近フレンド登録したシリカとリズベットの名前が。

二人の名前を見た後、アキトはそのリストの上に視線を移した。

 

 

 

 

そこには、とある6人のプレイヤーの名前が。

しかし、その表記はいずれも<DEAD>。

 

 

── 死亡を示す表示だった。

 

 

 

 

「っ……」

 

 

 

 

彼らはきっと、俺のせいで死んでしまった人達。

俺と関わってしまったから。

俺と出会ってしまったから。

 

 

 

 

── 俺が、望みさえしなければ。

 

 

 

 

 

「怖い…怖いよ…!」

 

 

 

 

そう言葉を吐いたアキトの姿は、かつてのものへと戻っていた。

あの頃の、間違っていた自分に。

 

 

手が震える。声が震える。

心臓が鳴る。意志が揺らぐ。

 

 

ここに来た当初の目的は、今も変わらない。

あの日、あの場所でそれを成し遂げるとキリトに誓ったはずだ。

 

 

 

 

けれど考えずにはいられない。

自分が彼らに近づく事で、また失ってしまうのではと。

 

 

 

考えないようにしていた。

彼らの前でも、強がっていた。

 

 

 

 

けれど。

どれだけ取り繕っても、この恐怖を消しきれなくて。

 

 

 

 

自分が関わる事で、また…。

 

 

 

「…不吉を告げる黒猫みたいだな……」

 

 

アキトは、自虐的な笑みを浮かべた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── Link 5% ──

 




アキトの成し遂げるべき目的。
望む力。
欲しかったもの。
憧れた人。


……流石にそれは決めてるからねっ…!(震え声)


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Ep.7 彼女達の悩み




ホロウリアリゼーションをする毎日。
モンスターが強すぎて何度も死ぬ(´・ω・`)


 

 

 

 

 午前6時半頃。

 

 

  アキトはふと、瞼を開いた。

 その目に映るのは、既に見知った天井。

 76層に来てから何度も使ってる、エギルの店の宿部屋だった。

 

 

  (…今日も早起きだな…)

 

 

  その足は自然と下の階へと向かう。

 案の定エギルは起きていて、昨日と同じように目があった。

 

 

  「おう、おはよう」

 

  「……おはよう」

 

 

  エギルの挨拶を、アキトは素直に返す。

 エギルも、そんなアキトを珍しいものを見たかのように瞬きしていた。

 しかし、特に何も言わず、カウンターの奥へと歩いていく。

 

 

  「コーヒーでいいか?」

 

  「……ああ」

 

 

  エギルから渡されるコーヒーを、アキトは昨日と同じように啜る。

 苦いのは小さい頃は苦手だったのに…今は懐かしく感じる。

 

 

  「どうだ、コーヒーの味は」

 

  「…美味い」

 

  「っ……そうかい、そりゃあよかった」

 

 

  エギルは、昨日と違ったアキトの素直な返答に少し驚いたが、嬉しかったのかその表情は明るかった。

 アキトは、店の作業に戻っていくエギルの背を見ながら、口を開いた。

 

 

  「…なぁおっさん。アンタ商人なんだよな?」

 

  「ああ…それがどうした?」

 

  「いや…何度か中層で見た事あると思ってな」

 

 

  この禿頭・髭面の上に筋骨逞しい外人なんて、あまり見間違えたりしない。

 中層で見たのは、確かにこの男だ。

  エギルは、儲け優先の言動はとっているが、 実は利益の殆どを中層プレイヤーの育成支援に注ぎ込んでおり、アキトも何度かその恩恵を受けた事があったのだ。

  久々に見たものだから確信はしていなかったが、改めてエギルに会うと、やはりこの男だと確信出来た。

 

  ここはデスゲームと言えどゲーム。

 人の醜い心が顕著に現れる。

 その心に負け、ゲームのマナーやモラルに反する行動をする輩もいれば、それこそ犯罪などを平気でするプレイヤーだっている。

 金銭面の話しなら尚更、人の心が現れる。

 だから、儲けの殆どを中層のプレイヤーに注ぎ込んだと聞いた時、上手く言葉に出来ない感情を抱いた。

 

 

  (キリトはこんな奴らに囲まれて生きてたんだな…)

 

 

 デスゲームでの慈善活動なんて、してる奴は少ない。

 優しいなんて言葉じゃ安い気はするが、エギルの行動は褒められるべきものだったと思う。

 

 

  「…おはよ〜ございます…」

 

  「おうシリカ、早いじゃねえか」

 

 

  階段から下りてきたのは、ビーストテイマーのシリカだった。

 エギルの言葉から察するに、シリカの早起きは珍しいのかもしれない。

 シリカはまだ眠そうだった。

 シリカは、アキトと目が会うと挨拶をする為に口を開いた。

 

 

  「…あっ…アキトさん。おはようございます」

 

  「…ああ」

 

 

  シリカはカウンターまで足を運ぶと、アキトと一つ席を開けて座る。

 そして、やはり眠いのか顔をテーブルに突っ伏した。

 頭に乗っていたピナは、そんなシリカに寄り添うように羽を下ろした。

 

 

  (…彼女も…何も言わないんだな…)

 

 

  先日、キリトの事で色々言った自分に対して、シリカはエギル同様に何も言ってこない。

 挨拶もしてくれたところを見ると、彼女はかなりの優しい心の持ち主だと窺える。

 

  あの時、リズの店で涙する彼女を見た時。

 キリトの事を思い出して泣いていたという事を理解した時。

 なんとも言えない気持ちになった事を思い出す。

  まだ年端もいかない女の子ですら、ずっと我慢して戦ってきたのだと思うと、胸が痛かった。

 

  アキトは、そんなシリカの装備を見て目を見開く。

 全体的に赤を基調とした彼女の装備は、どう見ても中層レベルのもの。

 この76層を攻略するにはあまりにも頼りない防御力だ。

 思い返して見れば、彼女はいつでもこの装備を身につけていた。

 ならば、寝間着というのと考えにくい。

 

 

  「なぁ、お前の装備ってそれが最高なのか?」

 

  「は、はい…私、その…何も知らないで76層に来ちゃって…。今のあたしのレベルじゃ迷宮区なんてとても行けなくて…」

 

  「っ…」

 

 

  シリカは困ったように笑った。

 きっと、75層のボス戦から帰ってこないキリトを心配して、なりふり構わず追いかけて来たのだろうと、アキトは感じた。

 

  安全マージンを取らずにキリトの為に駆けつけたのに手遅れで。

 アスナ達の手伝いをしたくてもレベルが全く足りていなくて。

  今のシリカは、頼る存在も、やれる事もない。

 何も出来ない状態だったのだ。

 シリカにとって、それは辛い事だろう。

 

  アキトの心は揺れる。

 この目の前の少女シリカに。

 キリトの仲間である彼女に。

 

  アキトは、フレンドリストからシリカの現レベルを確認する。

 76層で戦うには、割とギリギリなレベルである。

  けれど、キリトに追い付きたい一心でレベル上げをしたであろう事はアキトにも分かるものだった。

 

 

  「…なあシリカ。今日って時間あるか?」

 

  「…?はい、ありますけど…」

 

  「ちょっと付き合ってもらいたい場所がある」

 

  「はあ…えっと…何処に行くんですか?」

 

 

  シリカは、周りに食ってかかるような態度をとっていたアキトからの誘いに、若干、いやかなり困惑しているが、今日のアキトからはそのような雰囲気が感じられなかった。

 そんなアキトが、自分と行きたいところなど思いつくはずもなく、シリカは首を傾げる。

 

 

  「戦闘しなくてもレベル上げ出来る場所を教えてやる」

 

 

  そのアキトの答えに、シリカは目を見開く。

  それは、今まさにシリカが悩んでいた事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

  「この店のクエストなら、料理スキルがなくても料理出来るし、経験値も結構ウマい」

 

  「わぁ…」

 

 

  日も照り始める頃、アキトはシリカとピナを連れてアークソフィアの街中を歩いていた。

 目的はシリカのレベル上げ。それを成す為の生産クエストの紹介だった。

 現在紹介しているクエストは、料理によって経験値を得る類のクエストだった。

 ピクルスやチーズなど、発酵食品が多く、料理スキルを必要としないクエストで、料理スキルを持っていないプレイヤーでも難無く受ける事が可能だった。

 他にも、水車を借りて脱穀や製粉をしたりするものや、街の端から端までの配達クエストだったり。

 アキトはシリカのステータスに合わせて、色んなクエストを紹介していった。

 

 

 

  そして、早い事に時間は過ぎ、現在お昼過ぎ。

 ある程度紹介し終えたアキトは、シリカと共に転移門付近を歩いていた。

 シリカと歩きながら、自分は何をやっているのだろうと思った。何故自分はシリカにクエストを紹介しているのだろう、と、

 けれど、その理由なんてとっくに知っていた。

 

 

  「…とまあ、こんな感じか…階層的に要求パラメータが高いクエストも多いけど、今のシリカに出来るヤツも少なくない。まずは身の丈にあったクエストである程度レベルを上げたら、そういうクエストに挑戦するのもいいかもな」

 

  「は、はい!頑張ります!わざわざ教えてくれて…ありがとうございました!」

 

 

  シリカは、アキトの前で頭を下げる。

 その真っ直ぐな感謝に、アキトは思わず目を逸らす。

 シリカは頭を上げ、そんなアキトに口を開いた。

 

 

  「あの…どうしてあたしの為にこんなにしてくれるんですか?」

 

 

  それは、アキトに誘われてからずっと疑問に感じていた事だった。

 何時だって高飛車で、偉そうで。

 そんなアキトから、レベルが低くても経験値を稼ぐ方法を教えてくれて。

 

 

  アキトは、頭を掻いた。

 

 

  「…別に…ただの暇潰し。ただの気まぐれだよ」

 

 

  そう言うと、シリカから背を向けて商店通りへ歩き出した。

 後ろから視線を感じたが、それに応えること無く進んでいく。

 

 

  そして、シリカにされた質問を思い返していた。

 

 

  (…ホントは…キリトだったら、こうするかなって思ったから…)

 

 

  それに、かつての自分の様に思えたから。

  あまりにも無力だったかつての自分と重ねて見えたのかもしれない。

 エギルの店で見た彼女の表情に、見覚えがあったからかもしれない。

 

 

  あの無理してるのが丸分かりな、悲しげな笑みに。

 

 

 

 

 

  「……サチ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  アキトは、その足で鍛冶屋に向かう。

 明日のボス戦に備えて、装備品のメンテやアイテムの補充を行わなければならない。

 しかし、この前の事でリズとは顔を合わせづらいようなそうでも無いような。

 

 

  「……はぁ」

 

 

  アキトは、やがて観念したようにリズベットの店に入る。

 視界に捉えたリズは、武器の整理をしていたようで、扉の開閉音と共に、その頭をこちらに動かした。

 

 

  「あ…」

 

 

 アキトを見たリズの顔は、少し悲しげのような、焦りのような。

 アキトは、そんなリズを気にしないように、リズの元へと歩き出す。

 

 

  「…い、いらっしゃいアキト」

 

  「……武器のメンテ、頼みたいんだけど」

 

 

  この店に来た時にも放ったそのセリフに、リズはほんの少しだけ笑った。

 

 

  「分かったわ。少し待ってて」

 

  「…武器の片付けでもしてたのか?」

 

  「お店が散らかってたらお客さんへの印象も悪いでしょ」

 

 

  リズはそう言うと作業に戻る。

 アキトはリズの整理する武器の山に手を伸ばす。

 それを横目で確認したリズな、アキトを見上げてフッと笑った。

 

 

  「折角だから、アンタにも掃除手伝って貰おうかな」

 

  「…別にいいけど」

 

  「…意外。アンタなら嫌だって言うと思ったのに」

 

  「…言いだろ別に。で、何すりゃいいわけ?」

 

  「そうね!取り敢えず武器の中であんまり質が良くないものを集めてくれる?全部練習用に鋳直そうと思うの」

 

 「練習用?」

 

 

  アキトはリズのその返答に引っ掛かりを覚える。

 詳しくは知らないが、リズは鍛冶の腕はいい筈だ。

 女性の鍛冶屋と有名で、マスタースミスだった筈。

 

 

  アキトのその疑念に気付いたのか、リズは苦笑いを浮かべた。

 

 

  「あ〜…実はね…75層攻略後に自身のスキルが幾つか消えるバグがあったじゃない?アスナ達にもあったみたいで」

 

  「ああ…俺にもあった……ってまさか、鍛冶スキルが…?」

 

  「うん…鍛冶の熟練度が下がってて…それで…前のクオリティに戻そうと思って、今練習中なの」

 

 

  リズの顔は、段々と暗くなっていった。

 自分が2年間で積み上げてきたスキルがロストした理由が、バグと言う一言で片付けられてしまっては、納得もいかないだろう。

 アキトも76層に来た時にそれに気付いた時は苛立ちでモンスターを狩りまくっていた。

 

 

  (料理スキル…カンストだったのに…)

 

 

  だからこそ、リズのこの落ち込む様は仕方ないと思った。

 けれど、その表情を見て。

 また、シリカと、かつての仲間と重なって見てしまう。

 

 

  「…これ、仕分けすればいいんだよな」

 

  「え…あ、うん」

 

  「分かった…手伝うよ」

 

  「…アンタホントにアキト?」

 

  「あ?当たり前だろバカか」

 

  「…ああ良かった…あたしの知ってるアキトだったわ…」

 

 

  リズはアキトの態度にイラッとしたがそれを抑え、自分の作業に視線を戻す。

 アキトも、それを確認して、質の良くない武器の厳選を始めた。

  二人で行っていた為、作業効率は良かったが、互いに沈黙は気不味かった様で、会話は途切れない。

 

 

  「…ねぇ…アンタは何のスキルがバグでやられたわけ?」

 

  「…料理と…」

 

  「は!? アンタ、料理スキル持ってるの!?」

 

  「カンストだった」

 

  「アンタ…アスナみたいね…それで?後は何かあるの?」

 

 

  グイグイ聞いてくるリズに、アキトは若干引き気味である。

 リズから目を離し、作業を続けつつ口を開いた。

 

 

  「……刀」

 

  「刀?」

 

 

  その予想外のスキル名に、リズは目を丸くした。

 

 

 「…アンタ刀スキルも持ってるの?」

 

  「…まあな…やれる事はやる主義なんだよ」

 

  「へぇ…アンタ刀も使えるのね……因みに武器は?刀は持ってるの?」

 

  「持ってる」

 

 

  その言葉を聞いた瞬間、リズは瞳を輝かせる。

 恐らく、片手剣同様、魔剣クラスの刀を持っているのではないかと期待しているのだろう。

 アキトは、そんなリズをチラッと見てから溜め息を吐く。

 そして、ウィンドウからとある刀カテゴリの武器を取り出した。

 

  それは、持ち手も刀身も真っ黒な、少し不気味な刀だった。

 全体的に禍々しく、何かの呪いを纏ってそうな…そんなイメージを抱く。

  リズはアキトから恐る恐る受け取り、そのステータス画面を開く。

 

  刀カテゴリ: 厄ノ刀【宵闇】

 

  リズのイメージは、あながち間違ってなかったようで、名前からもその不吉さを漂わせている。

 しかし、この剣はティルファングのようなステータスはなく、魔剣とは言い難い。

 強化はしているようだが、この層で使えるようなものではなかった。

 それどころか、中層でも使えないステータスだ。

 

 だがこの刀を、鍛冶屋であるリズは見た事がなかった。

 

 

  「…この刀、前線どころか中層でも使えるかどうか怪しいんだけど…30層後半辺りが山場の武器でしょ」

 

  「…別に、今は刀スキル使ってないんだし」

 

  「やれる事はやる主義なんじゃないの?」

 

  「やれる事ならな。けどもう76層だ。欠如したスキルを再び上げてる余裕はない」

 

 

  リズから刀を取るとウィンドウを開き、刀を仕舞った。

 その後、リズの武器の山を再び漁り出す。

 少し不可思議に感じたリズではあったが、何も聞かずに作業に戻った。

 

 

 

 

  そして、一通り片付くと、二人は分けた武器の山を見つめていた。

 

 

  「こんなに武器あったんだ…改めて見ると壮観ね」

 

 

  「これ全部ここに来てから作った武器なのか?」

 

 

  「うん…少しでも早く鍛冶スキルを元に戻したくて…」

 

 

  「……」

 

 

  そんなリズを横目に、アキトは武器の山を見る。

 76層に来てまだそれほど日が経ったわけではない。

 だからこそ、この武器の山が、リズがここへ来てから作ったものだと聞いて驚いた。

 リズがどれほど鍛冶スキルを戻したいのか、その意志を感じられる。

  この様子なら、鍛冶スキルが戻るのも時間の問題だろう。

 

 

  「……ねぇ、なんか…何も出せなくてゴメンね」

 

 

 

 少し弱々しい声を発する方へと、アキトは再び視線を向ける。

 その声の主は、言うまでもなくリズだった。

 

 

  「お茶くらい出さなきゃいけないのに、あたしってば気が利かないね…」

 

 

  「…ここは鍛冶屋だ、喫茶店じゃない。茶菓子作るより武器作れば、それでいいだろ」

 

 

  「…あと…この前の事も。あたし…言いたい事ばっか言っちゃって…その…」

 

 

  リズの言っているのは、一昨日の夜の事。

 アキトのキリトに対する言動に苛立ち、アキトに食ってかかった事だった。

 アキトとしては、自分ではキリトとは比べものにならないという意味で発したものだった為、特に気にしていたわけではない。

 だが、訂正しなかったからこそ、みんな何かしら言ってきたり、態度で示したりするものだと思っていた。

 だから、謝られたのは予想外だった。

 

 

  頭を下げるリズに、アキトは目を見開いた。

 

 

  「あ、いや……リズ、お前は別に何も悪くない。仲間を馬鹿にされたと思っての言動だったんだろ。確かに、俺はキリトの事を何も知らない」

 

 

  そう、俺はキリトの事を何も知らない。

 いつか交わした約束通り。

 現実で会えるものだと思っていたから。

 

 

 まだ、時間はあるのだと思っていたから。

 

 

  リズは、アキトのその表情を見て、思わず口にしてしまう。

 その、キリトと重なる少年の顔。

 言葉を紡ぎながら変わる、彼の表情。

 キリトと赤の他人だとは、とても思えない。

 

 

  「…アンタ…やっぱり…キリトと何かあるんでしょ…?」

 

 

  「……ねぇよ。何も」

 

 

  アキトは、リズの正面に立ち、ウィンドウから自分の武器を取り出した。

 

 

  「…メンテ頼む」

 

 

  「…アキト…」

 

 

 リズは、アキトからティルファングを受け取る。

 その剣は、この前よりも重く感じて。

 重くなった分は、アキトの抱えてるものなのではと、思わずにはいられなかった。

 

 

 

 

 






更新しないとなぁ…けどお気に入り増えないしなぁ…
感想欲しいなあ…←ウザイ


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Ep.8 勇者と魔王のいない戦い

なんか段々拙くなってきたなぁ…。
もっと真剣に書こう(´・ω・`)


 

 

 

「クライン……いい加減機嫌直せ。今から攻略って時に仲間割れなんてしてられないぞ」

「分かってるっての……」

 

76層の迷宮区に、彼ら攻略組はいた。

迷宮区の奥の奥。フロアボスのいるボス部屋へと、彼らの足は動いていた。

先陣を切るのは血盟騎士団団長、<閃光>のアスナ。

その表情は鬼気迫るものを感じ、その視線はボス部屋のある方向から動かない。代わって、列の一番後ろで歩くのは黒の剣士と酷似した姿の剣士アキト。

そして、商人のエギル。風林火山団長のクラインだった。

 

クラインは、この前のアキトの言動に思う事があるらしいが、エギルに制されて、今現在不貞腐れている。エギルはそんなクラインに苦笑しており、アキトはそのクラインを視界から外していた。しかし、クラインはエギルの言っている事を本当に分かっているようで、しかしその顔は暗かった。

 

「……もう、キリトもヒースクリフもいねぇからな」

その言葉に、エギルも顔を曇らせた。

そう、攻略を支えていた黒の剣士と血盟騎士団団長のヒースクリフはもういない。今後は、このメンバーで攻略をしなければならない。

 

「……」

 

アキトは、目の前を歩く攻略組のプレイヤーに目を向ける。

皆、どこか覇気がない。諦念を抱いているかのような、そんな奴も見てとれる。エギルも、それに気付いているようだった。

 

 

「みんな何処か諦めてるように見えるな」

 

「見えるんじゃなくて、実際諦めてるようなとこあるだろうな。…特に、血盟騎士団の奴らはな」

 

 

そう言ったアキトの瞳は、その血盟騎士団の連中を捉えていた。

彼らの表情はどこか暗い。だが、それも無理のない話だった。

自分達が忠誠を誓っていたリーダーが、この世界の創造主だったなんて、想像もしてなかっただろう。

そして、その上ヒースクリフとほぼ対等の力を持っていたキリトも、今ではもういない。

信じていた者も、頼りにしてきた者も、いなくなってしまった事で、彼らは拠り所を失ってしまったのだ。

彼らにとっての頼みの綱は、最早アスナのみだろう。

 

 

だがそのアスナも、今は拠り所がないのに等しい。

アキトは、この団体の先頭にいるアスナに目を向けた。

 

 

「攻略組がこの調子なら、ラストアタックボーナスも簡単に手に入りそうだな!」

 

「っ…お、おい!」

 

 

アキトは、何を思ったのか目の前の奴らに聞こえるように、そんな事を発した。

クラインは制するが、もう遅い。

攻略組の連中は、そんなアキトを睨みつける。

陰口を言う奴や、舌打ちをする連中など様々だった。

アスナは、そんなアキトをチラッと見るだけ。

クラインもエギルも、アキトのその行為に疑問を抱く。

 

 

「お、おいお前…」

 

「そんな事したら…」

 

「いいんだよ、これで」

 

エギルの言葉を遮って、アキトは言う。

その瞳は、真剣そのものだった。

 

「これで少しはやる気になるかねぇ…」

 

 

「…アキト…お前…」

 

 

エギルは目を見開いた。

自らが嫌われる役を演じ、攻略組をまとめる。

こんな事をする奴を、自分は知っている。

 

 

「……キリトとヒースクリフのいない初の攻略だ。この攻略で、今後攻略組がどうなるのか大体分かる。トロイ攻略なんてさせらんねぇよ」

 

「…そうだな」

 

 

エギルは、アキトのその言葉を聞いて、口元が緩んだ。

戦うところを見た事はないのに、アキトの姿がとても頼もしく見えた。

 

 

そして、アキトという人間の事を、少し理解出来た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ?…リズさん、エギルさんの店で何やってるんですか?」

 

「店番…エギルに頼まれたのよ…あたしにも店があるってのに…」

 

 

シリカが部屋から降りてくると、カウンターにはリズが気だるげに座っており、客寄せの意志が全く感じない様子だった。

エギルが攻略に行っている間に、リズはこの店の店番を頼まれたのだ。

 

 

「もうボス戦に行ったんですか?早いですね…」

 

「アンタが起きるのが遅いのよ…もう10時過ぎよ?」

 

「あ…あはは…えと、最近、クエストで疲れちゃって…」

 

 

痛い所を突いてくるリズに苦笑いを浮かべ、シリカはカウンターに座る。

机にピナを降ろし、その背中を軽く撫でる。

 

 

「…大丈夫…ですよね」

 

「…え?」

 

「クラインさんもエギルさんも…アスナさんも……アキトさんも。…皆さん、帰ってきますよね…」

 

「…シリカ」

 

 

その気持ちは、リズにも痛い程分かっていた。

もう、大切な人が死ぬのは見たくない。

耐えられない。

なのに、助けに行けない。

そのもどかしさが。

 

 

「…昨日、アキトが店に来たのよ」

 

「…アキトさんが?」

 

「武器のメンテを頼まれてね。けど…その武器の耐久値を見て驚かされた」

 

 

リズは頬杖をつき、天井を見上げた。

 

 

『っ…ついこの前メンテしたばっかなのに…!』

 

 

アキトから差し出されたティルファングを見た時、その耐久値の減り方を見て驚いた。

アスナの時同様、信じられない減り方をしていた。

キリトの死により、攻略速度が上がったアスナと同様の減り具合に、リズは色々考えたのを覚えている。

 

 

「…もしかしたら…アイツもアスナみたいに、何か悩んだり、抱えたりしてるんじゃないかって…」

 

「リズさん…」

 

 

リズのその表情を見て、シリカも俯く。

そう、自分達だけじゃない。

きっと、誰だって何かを抱えている。

だから、もしかしたらアキトも…。

 

 

シリカは顔を上げ、そんなリズに向かって口を開いた。

 

 

「…あたしも昨日、アキトさんに会ったんです。あたしでも出来る街中でのクエストを紹介してくれて…」

 

「…アキトが…?」

 

 

リズは意外だと言わんばかりの顔をしていた。

シリカは続けて口を開く。

 

 

「どうしてあたしの為にここまで親切にしてくれるのかって聞いたんですけど…その時、凄く悲しそうな表情をしてて…」

 

 

このVRMMOでは、感情表現が極端に現れる。

嬉しければ笑った顔、悲しければ涙が出る、恥ずかしければ顔が赤くなるといった具合に、感情が過剰に演出されるものも少なくない。

だから、シリカが見たアキトの顔も、きっと嘘偽りない彼の心なのだろう。

リズの言った事はきっと的を射ている。

アキトは、何かを抱えている。

それは、キリトに関わる事なのかもしれないし、そうでなくても、何か深刻なものなのかもしれない。

 

 

こんな事を考えながら、シリカもリズも考えていた。

 

 

出会って間もない少年に、自分達は何故こんなにも気にかけているのだろう。

容姿がキリトに似ているから?想い人に重ねているだけ?

確かにそれもあるだろう。

だが、この店にアキトが初めて来た時にエギルが言った一言。

それが一番の理由かもしれない。

 

 

「放っておけない…ね」

 

 

そう。単純に、放っておけないのだろう。

76層で一人佇む、孤独な黒の剣士を。

アキトにはどこか人を惹きつけるものを持っているのではと、リズは感じた。

それはきっと、エギルもだろう。

シリカだって気になっているだろうし、リーファやシノンもきっとそうだ。

 

 

そして、きっとアスナも──。

 

 

キリトと重ねて見える分、アスナが一番アキトを意識しているかもしれない。

言葉や態度は冷たいが、きっと心のどこかでアキトの事を気にしている。

 

 

シリカもリズも、アキトの事を何も知らない。

キリトと同じように。

だから彼が何かを抱えている、なんてのは想像でしかないし、二人が関わる事ではないのかもしれない。

 

 

──けど。

 

 

「…今度は…ちゃんと知りに行かなきゃね」

 

「…リズ、さん…」

 

 

リズは、シリカに微笑む。

シリカは、そんなリズを不思議そうに見つめる。

 

 

今度こそ、ちゃんと、知っていく。

キリトの時の過ちは、繰り返したくないから。

 

だから──

 

 

「…帰って来なさいよ、アキト…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ここだな」

「やっとか…」

 

 

攻略組のメンバーが立っているのは、76層のフロアボス、そのボス部屋だった。

プレイヤーの何人かは、緊張でか、顔が強ばっている。

だがその反面、やはりどこか力のないプレイヤーも見られた。

アキトははぁ、と溜め息を吐いた。

 

 

「さっきの威勢はどこ行ったんだよ……てか、何でここまで歩きなんだよ。回廊結晶使えっての」

 

「…レベル上げの一貫だとよ」

 

「ボス戦前に疲れさせてどうすんだよ…キリト死んでからポンコツだな閃光…まあそんなに戦闘はしてねぇけどよ」

 

 

アキトはそう言ってアスナを睨みつける。

アスナも同じく、アキトを睨みつけていた。

 

 

「……今日は、私の指示に従って貰います」

 

「…ま、正しい指示ならな。後はお前の態度次第だ。俺はお前の駒じゃねぇ」

 

 

74層から、ボス部屋が結晶の使えない領域となっている為に、ボスの情報もロクなものがない。

その為、プレイヤーの技量や戦略に依存した攻略になるのは必至。

下手な行動は命取りになる。

何より、指示を出しているのが今のアスナならば、その不安は拭えない。

キリトが死んでから、心のどこかに穴が開いたような、そんな彼女では。

死に急いでいるように見える彼女は、今回指示をしないで特攻する可能性だって捨て置けない。

 

 

アキトとアスナは扉の前に出た。

ボスへのファーストアタックはアキトが請け負う。

アキトの後ろに壁役が控えており、アキトのカバーが出来る状態になっている。

左の扉にアキト、右の扉にアスナが手を掛けた。

 

 

アスナは、アキトにバレないよう、彼の横顔を見つめる。

その口元は弧を描いている。

その表情が、自信満々の時のキリトに良く似ていて───

 

 

「っ……何笑ってるのよ」

 

「あ?」

 

 

アスナは、キリトと重ねてしまう自身の思考を振り払おうと、思わずアキトに話し掛けてしまった。

しかし、アキトは不思議そうな顔をした後、その顔を再びニヤケさせる。

 

 

「…別に…少し楽しみで武者震いがな」

 

「……」

 

 

嘘だ。

アスナは、扉に手を掛けるアキトの手を見る。

少し、震えていた。

あれだけ攻略組のメンバーを煽っておいて、アキトは震えていたのだ。

アキトは、そんな自身を騙すかのように笑っているのだ。

彼らを馬鹿にし、煽って、偉そうで。

そんな彼が震えている。

 

 

だけどアスナは、そんなアキトを馬鹿にする気になれなかった。

あれほど気に入らなかったのに。

あれほど高圧的だったのに。

その怯えているような彼に、文句の一つも湧かなかった。

 

 

そんな彼が、再びキリトと重なった。

 

 

ボス部屋の扉が、二人によって開けられる。

その瞬間、アキトとアスナを先頭に、プレイヤー達がボス部屋へと駆け込んでいく。

ある程度進んだところで、部屋の中央にボスと思わしきモンスターを見つける。

プレイヤー達は、そのボスと距離を保つ。

 

 

ボスは全体的に丸みを帯びており、その身体は浮遊している。

その巨大な一つ目をコチラに向けており、その触手はヘビの様。

さながら、メデューサを想像させるボスだった。

それは、悲鳴にも似た鳴き声をボス部屋に響かせた。

 

 

 

 

No.76 BOSS <The Ghastlygaze>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ねぇ」

 

 

アスナは、その言葉を、誰にも聞こえないような声で発する。

だから、この言葉を聞くものは誰一人いないのかもしれない。

 

 

この時のアスナは、何故そんな事を呟いたのか分からなかった。

嫌っていた筈なのに。関わりたくないと思っていた筈なのに。

彼が、キリトの面影を持っていたからか。

それとも────

 

 

 

「──死なないで」

 

 

 

その言葉は、アキトに届いていた。

 

 

 

「当たり前だ」

 

 

 

 

 

──今。この瞬間。

英雄も魔王もいないボス戦が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── Link 10% ──





次回 ボス戦。

実は、戦闘描写が苦手。


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Ep.9 派手にいこうぜ


この下手糞戦闘描写が世に出されると思うと羞恥で死ねる…( ´ཫ` )


ボスの名は、読みやすさ重視で、この場ではカタカナで表示します。
ガストレイゲイズです。


 

 

ガストレイゲイズはコチラを視認した途端に、その瞳を光らせる。

初見の動きだが、間違いなく攻撃の準備動作だった。

この場に留まるのは不味い。皆瞬間的にそれを察知した。

 

 

「散開っ!!」

 

 

ボスの目の前は危険と判断し、掛け声と共に攻略組のメンバーは左右に散る。

その刹那、ボスの巨大な瞳から光線の様なものが放たれた。

その光線は先程まで攻略組が固まっていた場所を突き抜ける。

地面からは熱気が漂ってくる。

攻略組のメンバー達は、その攻撃に目を見開いていた。

ボスとの距離はかなり離れているのに、ここまで攻撃を飛ばしてくる。

 

 

「眼からビームとか…」

 

 

アキトは、ボスに向かって走りながら舌を巻く。

それにあの威力。流石ボスと言ったところだ。

ダメージが高そうな上に、特殊効果もあるかもしれない。

防御にステータスをあまり振っていないアキトにとって、あれはまともにも食らうわけにはいかないものだった。

 

 

しかし、それでもアキトは走る速度を緩めない。

分かっていても、この足を止められない。

アキトはティルファングを構え、ボスに迫る。

狙うは目玉。

 

 

(どう見たって弱点!)

 

 

その眼球に、迷う余地無くソードスキルを叩き込む。

 

片手剣突進技<ヴォーパル・ストライク>

 

光り輝くその剣は、そのままボスの目玉に突き刺さり、悲鳴にも似た咆哮がボス部屋に響く。

やはり、眼が弱点なのは間違いない。

アキトは剣を引き抜き、ボスが目を閉じた瞬間、その後ろに回り込む。

その動作の間に、アキトはボスのHPバーを確認する。

その速度に、攻略組の彼らは動く事もせず唖然としていた。

 

 

アキトはその剣を再び光らせ、今度はボスの背面を狙う。

 

片手剣四連撃<バーチカル・スクエア>

弱点の眼を攻めた事で、未だに眼を閉じているボスの背はガラ空きで、その四連撃は直撃だった。

一発、二発、三発。その攻撃が妨害される事なく入る。

四発目が入った瞬間、ボスを中心に四角いエフェクトが迸った。

反撃される前に、アキトはボスから瞬時に離れ、アスナ達のいる後方へ下がった。

ボスのHPバーを確認する。四本あるうちの一本がいい感じに減っている。

そして、今までの自身の攻撃と、ボスへのダメージを考えて、冷静に分析していく。

アキトは、頭を搔きながら後ろに控えるアスナ達に口を開いた。

 

 

「まあ今の見てりゃあ分かると思うが、目玉が弱点だな。後、斬属性のソードスキルよりかは突属性のソードスキルの方がダメージは入る。特に、レイピアと槍使ってる奴らは出番だぜ」

 

 

攻略組は、アキトのその発言と、一人でボスと対峙した後のその態度に驚愕していた。

 

これが、アキトのファーストアタック。

 

ロクな情報が入手出来ない今の状況で、彼の今の戦いで得た情報はあまりにも価値があった。

アスナも、その驚きの色を隠せない。

 

 

(今の…あの一瞬で…?)

 

 

アキトは、弱点と予想される場所とそうでない場所に初めから目星を付け、どの程度ダメージが入るかを確認してきたのだ。

わざわざ属性の違うソードスキルまで使って。

それを、あの一瞬でやってしまうなんて。

 

 

ボス戦のファーストアタックというのは、実は色んな意味がある。

入るダメージ量の確認だったり、その攻撃に対するボスの反応の確認だったり。

分かる情報が多い程良い。

しかし同時に、未だ見ぬボスに初撃をぶつけるのは、恐ろしい事でもある。

ましてや、アキトは恐らくボス戦は初。それも、キリトとヒースクリフといった二大勢力が欠けてから初のボス戦。

アキトは、それを一人で成し遂げた上に、有益過ぎる情報を持ってきた。

そして、自身の行動とボスのダメージ量を照らし合わせ、冷静に分析したのだ。

 

とても、初戦とは思えなかった。

 

 

「ほら閃光、出番だぞ早く行け」

 

「っ…分かってるわよ!」

 

我に返り今度はアスナが走り出す。

唖然としていた攻略組のメンバーも、アスナがボスに向かっていく姿を見て我に返ったのか、声を上げながらボスに向かっていった。

既にダメージから回復したボスは、その眼を大きく見開き、彼らを見渡す。

ガストレイゲイズの威圧に彼らは少したじろいでいるが、ボスの邪眼に映るのは、彼らでは無かった。

見据えるは、先程自身を好き勝手いじめてくれた黒の剣士ただ一点。

 

 

ボスはタンクを触手で掻き分けアキトの方へと向かっていく。

その速度に、アキトは思わず苦笑い。

 

 

 

 

「足も速いのか…いや、足も何も浮いてるんだけど」

 

 

自分にヘイトが集まっているというのに、アキトは余裕綽々といった感じに、剣を肩に乗せ立つ。

その顔は段々とニヤケ顔に変わっていく。

アキトはティルファングを構え、ボスを見据えた。

 

 

何故、自分は今笑っているのだろう。

笑っている場合ではないというのに。

ボス相手なら、震えてもいい筈なのに。

怖がってもいい筈なのに。

 

 

「…漸く…ここまで来たんだ」

 

 

 

 

──この時を、ずっとずっと待っていた。

 

 

──この機会を、俺は一年待ったのだ。

 

 

 

 

「さあ──」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode 9 ── 派手にいこうぜ ──

 

 

 

 

 

「──しっ!」

 

 

迫り来るボスの触手を紙一重で右に躱し、伸びた触手にティルファングを叩きつける。

しかし、ボスは効かないと言わんばかりにその触手の連撃をアキトに放ちに来た。

アキトは、その触手攻撃を躱し、捌き、受けていく。

その表情は真剣そのもの。

STR-AGI型のアキトにとって、その攻撃一つ一つが、まともに受ければ致命傷である。

だが、一人では捌き切れない。攻撃は次第にアキトに当たるようになり、HPはみるみるうちに減っていく。

目玉の怪物と、侮っていては負ける。

こんな時に限ってタゲ取り専門の壁役が来ない。

アキトは痺れを切らした。

 

 

「っ…おいタンク!仕事しろ!」

 

 

重装備のタンクに走る速度は期待出来ない。

自分の発言は無理のあるものだと自覚した。

他のメンバーも、アキトとボスの攻防に割って入れない様子だった。

 

 

しかし、ただ一人。

コチラに向かってくるプレイヤーを視界に捉える。

アスナが、ランベントライトを構え、コチラに向かって走ってくる。

アキトはその顔をニヤケさせ、迫り来る触手攻撃を躱すのを止める。

そして、ソードスキルを放つ構えを取った。

 

 

「──はぁっ!」

 

 

その声と共に、アキトのティルファングは再び輝きを放ち、ソードスキルを発動させた。

アキトの放つソードスキルは、ガストレイゲイズの触手を弾き、そして仰け反らせた。

そしてその瞬間、アキトの脇をアスナが通り抜ける。

 

 

 

 

── <スイッチ>。

パーティでの基本戦術。一人が敵を仰け反らせ、硬直し無防備になった敵をもう一人が入れ替わりでダメージを与える行為。

出会って間もなく、ロクに連携をとっていない彼らだが、効率の良さを考えた結果、二人の思考は一致していた。

 

 

「せあああぁぁぁ!」

 

 

アスナは、ボスの眼に向かってそのレイピアを突き刺す。

彼女のレイピアも、アキト同様に光り輝く。

 

細剣八連撃技<スター・スプラッシュ>

 

白銀のソードスキルが、ボスの眼球を貫く。

ボスは為す術もなく、そのスキルをモロに受けた。

そのスキルの威力、速さ。申し分無し。

アキトはアスナを見つめて、苦笑いを浮かべた。

 

 

(…もうアレユニークスキルでいいだろ…剣速おかしくない?)

 

 

アキトがそんな事を考えていると、後ろから漸くタンクが追い付いた。

それを確認し、アキトはタンクと入れ替わる。

後方まで戻り、漸くといったように溜め息を吐き、ポーションを口に突っ込んだ。

その間、ボスの動きから視線は動かさない。

 

 

ボスを囲うようにして、攻略組は陣形をとる。

アキトの情報を今は信じているのか、タンクの後ろには槍使いのプレイヤー達が控えていた。

ボスのヘイトをタンクが稼ぐ間に、エギルやクラインといった見知った顔が、側面や背後から攻撃しているのが目に見え、アキトはホッと息を吐いた。

 

 

(…思ったより安定してるな)

 

 

アキトは、ボスと対等に渡り合う彼らを見て、素直にそう思った。

 

 

キリトもヒースクリフもいない、最初の攻略。

二人とも攻略組に欠かせない、プレイヤーの希望のような存在だった。

そんな二人がいなくなって、彼らのゲームクリアへの勢いが衰えていったのは否めない。

きっと、もう無理だ、もうクリアなんて出来るわけが、とそんな事を考えていたプレイヤーも少なくないだろう。

それでも、この世界にずっとはいられない。

だからこそ、彼らは立ち上がる。

 

 

アキトの挑発によって、少しはやる気になってくれたらと思っていた。

自身がどれほど嫌われても、どんな手を使っても、彼らをゲームクリアに導く。

それが、アキトのすべき事だった。

 

 

彼らは腐ってもこの世界のトッププレイヤー達だ。クリアが不可能な筈はない。

 

 

「これなら………?」

 

 

笑みを浮かべていた筈のアキトの顔は、その笑みを失っていた。

アキトの視線の先には、ボスと攻略組が。

 

 

いや、正確にはボスとタンクの距離だった。

タンクのプレイヤー達が、一向に攻撃を仕掛けない。

 

 

アキトの目には、タンクがヘイトを稼いでいる間に、側面と背後からソードスキルで攻撃していたように見えたのだが。

それにしてはボスとタンクの間隔が離れ過ぎている。

しかし、ボスはそんなタンクとの距離を詰めようもせず、その場で触手攻撃を繰り返している。

何も無い筈の場所に。

 

 

クラインやエギル達がボスの側面を攻撃しているにも関わらず、ボスは彼らの方を見向きもしない。

よく見ると、何かを叫んでいるようにも見える。

ボスを囲っている為に、よく見えず分かりにくいが、タンク達は一向にタゲ取りをしようとしない。

まるで、ボスに近づくのを躊躇うかのような──。

 

 

そこまで考えて、アキトは気付いてしまった。

未だにあの輪から出て来ない、栗色の女性プレイヤーを。

 

 

「っ…あの馬鹿っ…!」

 

 

アキトは空のポーションを投げ捨てて、ボスの元へと走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アスナぁ!早く下がれ!」

 

 

クラインがコチラにタゲを向けさせようと高威力のソードスキルを叩き込んでいるにも関わらず、ガストレイゲイズは自身の目の前で動く少女、アスナから視線を動かさない。

何を考えているのか、アスナは一心不乱にボスと対峙している。

血盟騎士団のプレイヤー達は、見た事もないアスナの攻防に、どうしたらいいのかと焦るばかり。

 

 

しかし、クラインはなんとなくこうなるのではと、無意識に感じていた。

76層に来てから、アスナの攻略を何度も見た。その戦闘は、かつての攻略の鬼を彷彿とさせたが、クラインには何処か違って見えていた。

クラインには何処か、アスナが死に急いでいるように見えたのだ。

戦いの中で死んで、キリトの後を追ってしまうのではないか…そんな事ばかりが頭を過ぎっていた。

そして、その勘はおそらく当たっている。

 

 

アスナは攻略の鬼と言われていた時は、仲間に指示を出し、的確

な陣形をとり、効率の良い策を考えてきた。

そしてその上、人が死ぬような策は決して取らないプレイヤーだった。

今のアスナは、仲間に指示を出さず、愚かにも一人でボスに向かっている。

アスナの胸のうちで、今、何が葛藤しているのだろうか。

 

アスナは指示や陣形、そんな事はどうでもいいと言うように、ただただボスにレイピアを突き付けてた。

 

細剣十連撃技<オーバーラジェーション>

 

ヒット&アウェイが定石のボス戦で、明らかに連撃数の多いソードスキルを使用するアスナ。

彼らは、そんなアスナに驚愕していた。

攻略の鬼と呼ばれていた頃のアスナも、キリトが死んでからのアスナも。

常に効率を考えた策を弄していたあのアスナが。

ボスにたった一人で挑むという愚策に身を投じている。

 

 

ガストレイゲイズも、アスナのソードスキルを甘んじて受ける筈がなく、触手でアスナに攻撃を仕掛ける。

スキル発動中のアスナが躱せる筈もなく、その触手に吹っ飛ばされた。

 

 

「ぐぅっ…!!」

 

 

アスナはそのまま転がり、タンクの元まで行き着いた。

メンバーは、そんなアスナに駆け寄る。

しかし、心配する暇すら、ボスは与えてくれない。

 

 

「大丈夫ですか、アスナ様!」

「お、おい!攻撃来るぞ!」

 

 

その言葉に、アスナを含めたプレイヤー達はハッと顔を上げる。

ボスの眼が輝きを放ち始める。

間違いなく最初に放った光線の予備動作だった。

 

 

「っ…お前達!盾を構えろ!」

「くそっ…!」

「来るぞ!」

 

 

タンク達は、アスナや他のプレイヤー達の前に出て盾を構える。

しかし、間に合わない。

ガストレイゲイズは、その邪眼を光らせ、アスナのいる方向目掛けて光線を放った。

その光線は、タンクを簡単に弾き飛ばし、盾を持つ筈の彼らに相応のダメージを与えていた。

アスナもその余波を受け、再び吹き飛んだ。

 

「ぐぅ…!」

「そんな…盾があるのに…ダメージがこんな…!?」

 

彼らは驚きの色を隠せない。盾を貫通して来たと言われても不思議ではないダメージ量に、彼らは焦り始めていた。

そして、それだけではない。

 

 

「…え」

「っ…!? う、動かねぇ…!」

「嘘だろっ…おい!なんだよこれ!」

 

 

光線を受けた連中は、皆その場から動けない。

地面に伏すプレイヤーは立ち上がれず、立っている者もその場から一歩も動けない。

これがボス、ガストレイゲイズの邪眼の追加効果。

邪眼の攻撃を受けた者は、一定時間動く事が出来ない。

ここに来て絶望を感じさせる効果だった。

 

 

安定して見えた攻略。

作戦通りに行けば、きっといつもの様に戦えた筈。

しかし、その作戦を立てた筈のアスナが、何故か作戦にない行動を取り始めた事による連携の崩壊。

キリトやヒースクリフなしでも攻略出来れば、これからも進んでいける。

それは、アスナの独断専行という明らかな原因で崩れていた。

 

 

「っ…!」

 

 

アスナは漸く我に返る。

自分の身勝手な行動のせいで、今の状況が出来上がってしまっていた事に。

だか、気付いた時にはもう遅い。

ボスは目前まで迫ってくる。

唇を噛み、拳を握り締める事しか出来ないアスナは、その麻痺にも似た追加効果に、動く事すら出来ない。

 

 

「クソッ…!」

 

「っ…エギルさん…!」

 

 

エギルがその斧を触手目掛けて振り抜く。

光線を受けてない他のプレイヤーも、ボスに向かってソードスキルを使用する。

少しでいい、身動きの取れないアスナ達からタゲを外さなければ。

アキトの情報通り、槍、レイピアを使用するプレイヤーは、そのソードスキルを連続で使用する。

大技を使った後だからか、ボスが彼らの攻撃で怯んでいる。

 

 

「っ!今だ!」

「うおおおおお!!」

「くらえこの野郎!!」

 

 

トッププレイヤー達は、その隙を見逃さない。

彼らは一気に畳み掛ける。

眼に向かって放つソードスキルはかなりのダメージで、やはり眼が弱点なのは明白だった。

 

 

しかし、いつまでもそうされている筈もなく、ボスは体を回転させる。

未だ見ぬ動きに、彼らは対応が遅れてしまう。

ボスを囲っていたプレイヤー達は、その回転攻撃で吹き飛んだ。

 

 

ボスは近くにいたエギルにタゲを変えた。

その攻撃を受けたお返しと言わんばかりに、瞬時にエギルを吹き飛ばす。

エギルは地面を削るように飛ばされた。

そのダメージ量はかなりのもので、HPを一瞬でレッドゾーンに持っていく。

 

 

その光景を目の当たりにして、アスナの声は震える。

 

 

「っ…そんな…私の、せいで…」

 

 

 

 

瞬時に立て直したクラインはその隙を突き、ソードスキルを使用する。

 

刀三連撃高命中技<東雲>

 

その蒼く光る刀身を、ボスの背後から放つ。

クリティカルが入りやすいソードスキルではあるが、ダメージ量はそこそこだった。

 

 

「この野郎…!」

 

「はぁっ!」

 

 

漸く追い付いたアキトは、エギルに向いたタゲを自分に向けるべく飛び出す。

エギルとボスの間に割って入り、ティルファングを再び輝かせる。

 

片手剣突属性六連撃技 <スター・Q・プロミネンス>

 

紅く煌めくそのソードスキルは、ボスの眼を捉える。

しかし、ボスはそれを察知していたのか、触手で六連撃全てを弾いた。

ここに来て、アルゴリズムの変化が見られた瞬間だった。

 

 

「チィ…!」

 

 

アキトは聞こえるように舌打ちする。

しかし、この場から離れようとしない。

エギルはそんなアキトから視線を逸らせない。

 

 

「っ…おい!早く逃げろ!」

 

 

エギルは必死に叫ぶ。

アキトのステータスは、見るからに攻撃に特化したもの。

防御力はからっきしの筈だ。

一人ではとてももたない。

それでも、アキトはこの場から離れない。

 

 

ボスは、エギルに向かってその邪眼を光らせる。

間違いない、先程の動きを封じる光線だ。

エギルとボスの間にいるアキトは、再びティルファングを輝かせる。

 

 

「っ…!アキト!お前まで巻き添えになるぞ!早く逃げ…」

 

「うるせぇ!!」

 

 

アキトはエギルの声を遮り、ティルファングを光る邪眼目掛けて叩きつけた。

 

片手剣斬属性4連撃技<サベージ・フルクラム>

 

切り付けるモンスターの攻撃力と防御力を一時的にダウンさせる追加効果を持つソードスキル。

その攻撃は、邪眼が発動する前に当てる事が出来た。

しかし、ボスのそのHPをかなり削ったそのスキルは、同時に硬直も長かった。

そして、ガストレイゲイズはその光線をアキトに向かって再び放った。

 

 

エギルの前に立っていたアキト、その後ろにいたエギル諸共、後方に吹き飛ばされる。

クラインもその余波で後ろに飛ばされた。

 

 

「っ…!!」

 

 

その姿を、アスナは目を見開いて見ていた。

エギルを守る姿が、再びキリトと重なる。

人の為に自分の身を投げ打つその姿が。

 

 

「キリト…君…!」

 

 

 

 

「がはっ…!」

 

「ぐっ…!」

 

 

アキトとエギルはそのまま倒れ伏す。

先程のアキトのソードスキルの追加効果で、一撃死は免れたものの、光線の追加効果で互いに動けない。

 

 

ボスの周りにいるのは、倒れている者。動けない者。そして、動かない者。

それだけだった。

作戦は崩壊し、連携も陣形もままならない。

チームはバラバラ、キリトとヒースクリフの不在による不安感。

それらが重なり、彼らは動けない。

勝利の可能性より、諦念が勝ってしまったのだ。

 

 

エギルは苦しげにその瞼を開く。目の前に伏すアキトのHPは、レッドゾーンに入っており、エギルは目を見開いた。

 

 

「アキト…お前…」

 

「…黙ってろおっさん…」

 

 

状態異常回復スキル<トライレジスト>

 

アキトは、そのスキルにより邪眼の追加効果を消し去る。

そして、未だにタゲがエギルから変わらないボスに目を向けて、ヨロヨロと立ち上がる。

 

 

 

この場でたった一人。立ち上がった黒の剣士。

 

 

 

「クソ…そんなにおっさんが気に入ったのかよ…」

 

 

アキトは苦しげに笑いつつ、ティルファングを構える。

ポーションすら飲まず、ただ剣を構える。

エギルは、そんなアキトを信じられないように見つめた。

 

 

何故、アキトはこうまでして自分の前から動かないのか。

何故、死の危険が近いのに逃げようとしないのか。

そんなエギルの視線に気付いたのか、アキトはエギルの方にチラリと視線を向ける。

そして、フッと笑ってみせた。

 

 

「…んだよその顔。心配すんな…すぐに片付く」

 

 

その表情は、覚悟の表れのようで。

エギルからタゲが変わるまで、自分はここから動かない。

 

 

「何で…そこまで…」

 

 

エギルは、素直にその疑問を口にした。

きっと、この声は、アキト以外には聞こえない。

アキトは、その視線をボスに戻した。

 

 

その背中は、かつての英雄そのものに見えて。

エギルは、再びその瞳を大きく開いた。

 

 

 

 

「…この手に誓ったからだ」

 

 

 

 

逃げたりしない。

もう二度と、目の前で人を死なせはしない。

例え自分が助かる為だとしても、誰かの命を、犠牲にしてはならないと。

 

 

自身の目的を遂げる為。

あの日の誓いの果たす為。

かつての約束を守る為。

 

 

誰にも邪魔などさせはしない。

誰にも文句は言わせない。

 

 

 

 

「来いよ目玉野郎…こんな逆境、鼻で笑ってやる」

 

 

 

 

 





戦闘描写が苦手なので、少しグダグダに見えるかもしれないです。
感想次第で修正して行きたいと思います。
拙い文章ですいません。
自分でも少し文が浅いかなーと思ってるんで、多分その内直すと思います。


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Ep.10 その剣は加速する


少女は隠す。自身の弱い心を。

少年は偽る。愚直で優しい自分を。






 

 

── 76層に来てから毎日、夢を見る。

 

 

キリト君と団長がゲームクリアを賭けてデュエルを行った、75層のボス部屋での事を。

何度見ても慣れない。何度見ても、結果は変えられない。

 

 

何度その夢を見ても、私はキリト君が斬られるのを、ただ黙って見ているだけ。

 

 

キリト君が斬られる度に目が覚めて。その度に後悔する。

あの時、何でもっとちゃんと止めなかったんだろうって。

今も凄く後悔してる。

 

 

団長にシステムで麻痺をかけられた時。

何故、その麻痺毒に逆らおうとしなかったのだろうかと。

 

どうして、キリト君は死んでしまったのだろうって。

 

私が、私達がキリト君を信じてしまったから。

私達が、私が彼に全てを背負わせてしまったから。

 

 

『私は、君を絶対に守る』

 

 

口先だけだった。

一緒に背負っていくと決めたのに。

君を守ると決めたのに。

 

 

「っ…キリト、君…」

 

 

こんな私に、涙を流す資格があるだろうか。

キリト君の後を追う資格なんてあるのだろうか。

 

 

夢でさえ、自分の言葉を守れないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

HPはレッド、立っているのは自分だけ。

目玉の怪物、ガストレイゲイズのHPバーは一本半もある。

だというのに、アキトの心は冷めていた。

この絶対絶命のピンチだというのに、あまりに焦りの感情を感じない。

 

 

「…何度も繰り返し見てきたんだよ…この程度の困難は…」

 

 

アキトは、ティルファングを斜に構える。

ティルファングは再び、その刀身に光を纏う。

アキトは、ボスに向かって走り出した。

 

 

 

 

── あの日から何度も夢に見る。

 

 

何度も何度もあの日の事を。

その夢を見る度に抗って、その度に失敗して。

そして毎回涙して。

そんな自分に何度も幻滅して。

 

 

それでも諦め切れなくて。

夢だと分かっていても、この行いを投げ出したりはしない。

結果は変えられないとしても、変える意志を失くしはしない。

 

 

例え何回、何十回、何百回失敗したとしても。

何千回、何万回、何億回と挑戦し、必ず救ってみせてやる。

だからこそ、この程度のピンチで屈したりなどするわけがない。

 

 

 

 

 

 

「そうだろ…キリト」

 

 

片手剣六連撃奥義技<ファントム・レイブ>

 

ボスより先に、アキトが動く。

アキトは既に、敵の懐に入り込んでいた。

 

 

初撃、右下から左上にかけて斬り上げる。

ボスが怯む瞬間を、アキトは見逃しはしない。

 

 

二撃目、左下から右上への斬り上げ。

仰け反るボス相手に、その斬撃はいとも容易く入っていく。

アキトはそのボスの動きを全て把握していく。

 

 

三撃目、右上から左下へかけ、ティルファングで斬り付ける。

蒼く輝くこの剣は、ボスの弱点である眼球を斬り裂いた。

ボスの絶叫は、部屋全体にビリビリと響く。

それでも、アキトは顔色一つ変えず、ただ冷静にその剣を握るのみ。

 

 

四撃目、返す形で剣を突き刺す。

その瞬間、ボスの瞳が大きく開かれた。

アキトはそれに気付きつつも、ソードスキルのモーションは止まらない。

 

 

ボスは雄叫びを上げながら、アキト目掛けて触手で襲いかかる。

HPが視認できるかどうかのアキトが、この攻撃を受ければどうなるかは明白だった。

エギルは必死に叫ぶ。だがその声はアキトには届かない。

クラインがこちらを焦ったように見ている。しかし、その視線にアキトは気付かない。

アスナが手を伸ばす。だが、今はその手を掴む事は出来ない。

 

 

アキトは攻撃の手を緩めない。

その剣はボスの瞳を捉える。

ボスの触手は自分の目の前まで迫って来ている。

けれど、迷いは無い。

恐いとは思わない。怖いとは感じない。

誰かを失う事の方が、もっとずっと恐ろしい。

 

 

「──遅せぇよ」

 

 

その触手は空を切る。

アキトが、その触手を全て躱したのだ。

 

 

「はあああぁぁぁ!!」

 

 

<ファントム・レイブ>は、躱した触手の間を通り、全てボスに命中する。

奥義技というだけあって、その威力も凄まじい。

ボスが有り得ないように吹き飛ばされ、浮遊していた体は遂に地面に伏した。

 

 

周りは、その異様な光景に何も言えなかった。

開いた口が塞がらないとは正にこの事。

誰もがこの信じられないような出来事に言葉を発せないでいた。

HPレッドゾーンの、それも今回初のボス戦のプレイヤーが、たった一人でボスを吹き飛ばしたなんて。

 

 

<ソードスキル>

 

 

この世界での<必殺技>に該当するそれは、プレイヤーが所定の動作をする事で発動し、その後は体が勝手に動くものだ。

発動出来ればあとはシステムが体を動かす為、自分ではその決められた動きを変える事は出来ない。

無理に変えようとすると、スキルがキャンセルされ、その反動で体が一時的に硬直してしまうのだ。

 

 

アキトは、ソードスキルが中断されないギリギリの範囲で攻撃を躱してみせたのだ。

ソードスキルのモーションを崩さず、フロアボスの攻撃を躱し、尚且つダメージを与えるなど、並のプレイヤーに出来る事ではなかった。

 

 

「…な?心配なんて要らねぇだろ?」

 

 

 

 

──この少年は、何者なのだろうか。

 

 

そんな疑問が始めに浮かぶ。

だが、そんな事、今はどうでも良かった。

後ろにいるエギルに、アキトは屈託なく笑う。

その笑顔を見て、エギルは何故か儚さを感じた。

しかし、そんな事を今考えている場合ではない。

アキトが作ってくれたこの隙に、エギルはグランポーションを飲み干す。

体力が回復していくのを感じる。

自身のHPは、既に安全域にまで達していた。

エギルは斧を支えに立ち上がり、アキトの隣りに並んだ。

そしてその視線は、自然とアキトの方へ向く。

 

 

逃げろと何度も叫んでも、決して逃げなかったアキト。

出会って間もない自分に、命懸けで守ってくれた理由は何だろう。

年端もいかない少年に守られた事を情けなく思い、恥ずかしく思いつつも、その心には感謝しかなかった。

アキトはエギルの視線に気付いたのか、怪訝そうな顔をした後、ニヤリとその顔を変えた。

 

 

「いい飲みっぷりじゃねぇの」

 

「…アキト」

 

「あ?」

 

「…ありがとよ」

 

 

今の自分に出来る、精一杯の感謝。エギルが少年に出来る事は、現時点では少ないかもしれない。

けれど、その気持ちに、この意志に、嘘偽りは決してないから。

 

 

「…一日一杯、コーヒー奢れよ」

 

「…お安い御用だ」

 

 

アキトは視線だけエギルに向けて、その口元を緩ませた。

エギルも、そんなアキトに微笑み返す。

エギルは確かにこの少年に。

英雄の影を見たのだった。

 

 

 

 

ガストレイゲイズはその体を再び浮かせる。

ダメージから立ち直り、その巨大な瞳で瞬きを繰り返す。

その後、アキトとエギルを見据え、その目を大きく見開いた。

そして、声にならない絶叫を再び放ち、ボス部屋を震撼させた。

 

 

「…沸点低いなアイツ。スゲェキレてんじゃんか」

 

「当たり前だろ…眼だぞお前」

 

「おっさん…周りの奴ら立て直してくれ」

 

「…お前はどうするんだ?」

 

このボス戦、ただ勝つだけでは意味が無い。

アキトは、周りを見やる。

トッププレイヤーである筈の彼らが、今、諦念を抱き動けないでいた。

彼らが動けないのは、攻略組の戦力と連携の不足によるもの。

キリトとヒースクリフがいないのと、アスナの指示がないのは、かなり堪えているようだ。

今後も攻略して行くには、彼らの協力は必須なのだ。

その為には、キリトとヒースクリフの穴を、誰かが埋めなくてはならない。

 

 

彼らの様な強さを。彼らの様な希望を。

この場所に登場させなければならない。

 

 

その為には──

 

 

 

 

「…俺はもう少し、アイツの相手をしてやるよ」

 

 

アキトは笑みを浮かべ、ボスを見据える。

エギルはそんなアキトを黙って見据える。

普段だったら止めているし、普通だったらやらせられない。

だが、そのアキトの顔を見ると何故か──

 

 

「…分かった。頼んだぞ」

 

「了解。承りましたっと」

 

 

エギルはそう言うと、動けない攻略組の集まる方へと駆けて行く。

アキトはその背を見送ると、ボスの方へと視線を向ける。

相も変わらず激情しているようで、アキトは思わず笑ってしまった。

 

 

「怒るなよ、怖いだろ」

 

 

アキトはティルファングを再び光らせる。

HPは、依然変わらずレッドゾーンだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大丈夫か!?」

 

「エギル、さん…」

 

 

アスナ達の元へ駆け寄ったエギルは、素早く彼らを介抱する。

アスナを始め、タンクのメンバー、それ以外もメンバーも次々とポーションを飲んでいく。

しかし、回復が完了しても、彼らが立ち上がる気配がない。

エギルは目を見開いていたが、すぐに察した。

皆、怖気付いているのだ。

 

 

希望であったプレイヤーを二人も失い、付いていく者に裏切られ、彼らは立ち上がる気力を失いかけていたのだ。

エギル自身も、その気持ちは痛い程分かっている。

けれど、今、たった一人ボスと対峙している奴がいるのに、自分達が何もしないなんて沙汰、許してはいけない。

 

 

アスナは力なく起き上がる。

そして、エギルを視界に捉えると、その顔を俯かせた。

それは、自身の過失によって引き起こされた事の後ろめたさか。

 

 

「エギルさん…私…」

 

「…話は後だ。このままだと全滅するぞ…!」

 

 

そこまで言ってアキトの方へと視線を動かす。

アキトは未だ、ボスと一対一の交戦中だった。

それを見て舌を巻く。

アキトはあの至近距離で、ボスの触手をソードスキルを使いつつ躱しているのだ。

そして、先程のようにソードスキルを叩き込む。

ソードスキルを中断せずに攻撃を躱すなんて神業、マグレで出来た代物だと思っていたのに、連発出来るものだとは。

 

 

「今アイツが一人で戦ってる…これ以上はもたねぇぞ…!」

 

「っ…」

 

 

エギルの言動により、アスナもアキトを見る。

その瞳は揺れている。

アキトは、あれから全く回復行動を取らずにボスと対峙しているのだ。

エギルは立ち上がり、急いで他の倒れているプレイヤーのところに向かうべくその足を動かす。

彼の援護に向かう為に、早く体勢を立て直さなければ。

普通なら助けに行かなければいけない状況。

けれど、エギルはアキトの言葉を優先した。

何故か、アキトならと、そう思えて。

言葉より先に、体が動く。

 

 

しかし、そんなエギルの心情など知る由もなく、アキトはボスの触手を躱し続ける。

たった一人でこの長時間、しかもHPレッドゾーンの状態で戦い続けるなど、異常もいいとこだった。

そんなアキトの口元には、笑みが浮かんでいる。

この状況で笑えるなんて。

 

 

──だが。

 

 

アスナには、アキトの笑顔は戦闘狂のそれとは違って見えた。

ただ純粋に楽しんでいるようにも見えない。

なんだか、無理して笑っているような。

そんな儚さと寂しさを感じるものだった。

 

 

アキトとエギルがボスの光線で飛ばされた時、アスナは確かに、キリトの面影をアキトに重ねていた。

そして、自分はまた、それを眺めていただけ。

ヒースクリフにキリトが斬られた、あの時と同じ様に。

 

 

「っ……」

 

 

嫌だ。

もう、死なせたくない。

傷付くところを見たくない。

また見てるだけなんて。

もう何度も悔やんだ筈ではないか。

また彼の死を眺めるだけなのか。

 

 

アスナは、ランベントライトを握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ボスの触手を、アキトはまたも躱す。

捌き、受け流し、跳ね返す。

決して自身の体に触れさせはしない。

ティルファングは触手の攻撃に対抗すべく、何度もその刀身を輝かせる。

あれからどれ程時間が経っただろうか。

アキトのHPは、未だにレッドゾーンから回復しなければ、1ドット足りとも減っていない。

全ての攻撃を把握し、予測し、躱していく。

感覚がどんどん研ぎ澄まされていく。

ボスの一撃一撃が手に取るように分かる気がする。

 

 

どうしてかは分からない。

けど、どうすればいいかは分かる。

 

 

死の淵にいるからだろうか。

けれど、そんな事はどうでもいい。

 

 

恐怖は感じない。

けれど、体は震えている。

 

 

ならばどうする。

笑え。楽しめ。

その奥底に眠る恐怖を殺せ。誤魔化せ。

偽れ。

斬れ。

 

 

その思考は、剣は、アキトの意識に関係なく加速していく──。

 

 

片手剣六連撃技<カーネージ・アライアンス>

 

その剣を金色に輝かせ放つは、ボスの触手。

迫り来る触手を、一つ一つ斬り付けていく。

ボスのHPは、いつの間にか残り一本だった。

 

 

「はぁっ!」

 

 

アキトは再び、ボスを吹き飛ばす。

ボスは学習したのか、今度は距離が離される程度に留まった。

そして、その瞳は変わらずアキトを映している。

アキトは怖気付く事なくボスを睨みつけた。

 

 

その様子を、攻略組のメンバーは見つめていた。

 

 

「…マジかよ」

「アイツあのHPのまま三本目のバー消し飛ばしやがった…」

「ソードスキル中に攻撃躱すとかどうなってんだよ…」

 

 

彼らは口々にそう呟く。

もしかしたら、勝てるのではと思い始める。

その心持ちを取り戻しつつある。

そのまま武器を、盾を持ち、立ち上がってくれれば。

 

 

まだだ。まだ足らない。

もっと自身を偽れ。

彼らの意志を奮い立たせよ。

無理にでも嘲笑え。

 

 

「この程度で音を上げるなんて雑魚過ぎるだろ攻略組…早々に引退した方がいいんじゃねぇの?」

 

 

アキトは、攻略組を馬鹿にする様に笑う。

いや、実際に馬鹿にしている。

攻略組の彼らは、そんなアキトを見て悔しそうに歯噛みする。

 

 

すると、ボスが再びコチラに迫る。

その速度は更に速くなっている。

アキトは、そのボスから背を向けて、逃げる様に走り出す。

向かう先は、彼ら攻略組。

彼らはそのアキトの行為に、怒りより先に焦りが勝ったようだ。

彼らはアキトがボスを連れて来た事で、否応無しに立ち上がった。

 

 

── そうだ、それでいい。

 

 

「ほら来たぞ!死にたくなけりゃあ回避しなっ!」

 

 

アキトは攻略組の間を通り過ぎ、後方まで走る。

攻略組の彼らは、皆盾を持ち、武器を持つ。

その表情に恐怖、焦りはあるものの、諦念は感じられない。

皆が、ボスを倒すべくたその心を一つにしつつあった。

 

 

真正面からボスの触手を受け、側面から攻撃。

隙を見て、弱点へソードスキル。

当初の戦略に戻った。

 

 

「…よし」

 

 

アキトはフッと安堵の息を吐いた。

アキトがここへ来て、やらなければならなかった目的。誓い。

守らなければならない約束。

漸く、その初めの一歩を踏めた気がした。

 

 

「……あ、れ?」

 

 

それと同時に、アキトは腰が抜けたかの様に、地面にへたり込んだ。

今になって、分かりやすく体も声も震えていた。

HPがレッドゾーンのまま、ずっとボスと戦ってきたのだ、それは当然だった。

 

 

「…今に、なってとか…ハハ…」

 

「何座ってるのよ」

 

 

その声のする方へ、アキトは顔を上げた。

そこには、怒ったかの様な表情のアスナが、細剣を持って立っていた。

その隣りにはエギルも立っており、その口元は緩んでいた。

 

 

「お前こそ…さっきまでへばってた癖に…」

 

アキトは、そう言って立ち上がる。

抜けていた力が、一気に引き締まる。

彼女の前では、弱いところは見せられない。

 

 

アキトはボスを見る。

HPはそろそろレッドゾーンに達する。

攻撃のパターンが変わるとしたら、ここしかない。

 

 

「…ん?」

 

アキトの目の前に、突如ウィンドウが開かれた。

何事かと思って見てみると、そこにはアスナからのパーティ申請の表示がされていた。

流石にアキトも少し驚き、アスナの方を見る。

アスナは変わらず無表情で、しかし、何処か柔らかい。

 

 

「…この方が…やりやすいから」

 

「……」

 

 

アキトは、そんなアスナを見た後、再びウィンドウを見る。

«Asuna»と表示されたその文字を、アキトは見つめていた。

 

 

キリトが愛し、愛された人。

キリトを想い、大切にしてくれた人。

 

 

キリトを失ったその心は、きっととても辛く苦しいものだったに違いない。

いや、今もきっと苦しい筈だ。

彼女がどんな気持ちでボスと対峙していたのかは分からない。

死に急いでいるように見えた彼女の、その行動の意図が分からない。

だから、このパーティ申請に何の意味があるのかは、彼女にしか分からない。

 

 

アキトは、再びボスを見る。

ボスのHPは、遂にその色を黄色から赤に染めた。

ガストレイゲイズは、その悲鳴の様な咆哮を、今まで以上に大きく上げた。

しかし、彼らはもう怯んでいない。

 

 

アキトは、その口元に弧を描いていた。

 

 

 

 

 

「今度は、間違えんなよ閃光」

 

 

アキトはyesと、その申請を承諾するボタンを押した。

 

 

その先に、ただボスだけを見据えて───

 

 




次回、ボス戦決着。

そして、独・自・解・釈!


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Ep.11 黒猫&閃光 流麗の剣舞

少女は走る。愛する者を守ろうとして。

少年は駆ける。守りたいもの全てを手に入れる為に。



 

ガストレイゲイズの触手を、盾でどうにか凌ぐ壁役のプレイヤー達。

先程より手数が多く、その何人かは吹き飛ばされた。

 

 

「ぐはっ…!」

「ぐぅ…!」

 

 

HPが危険域に達した事で、ボスの攻撃パターンも変わったのだ。

触手による攻撃の手数が多くなった事で、タンクの対応が遅れてしまったのだ。

盾が飛ばされた事で、攻撃に備えていたプレイヤー達が顕になり、ボスは目を見開いた。

 

 

そのプレイヤー達の間を、二つの影が通り過ぎて行く。

少年は黒いコートを翻し、ティルファングをボス目掛けて突き付ける。

少女はその紅と白の装備を纏い、ランベントライトを光らせる。

 

 

アキトとアスナが、ボスに向かってスキルを放つタイミングは、見事にシンクロした。

 

片手剣突進技<ヴォーパル・ストライク>

細剣単発技<リニアー>

 

その二本の剣は、ガストレイゲイズの眼球を見事に捉えた。

ボスはそのスキルの威力に後ずさる。

周りはその二人の姿に見惚れているのか、動かない。

 

 

「連携崩すな!体勢を立て直せ!」

 

「ボスの正面は厚くして、残りの人達は側面から攻撃して下さい!」

 

 

アキトとアスナは間髪入れずに周りに指示を出す。

我に返った彼らは、すぐに体勢を立て直す。

そして、アスナの指示通りに隊が動いていく。

 

 

アスナは仰け反ったボスに畳み掛ける。

まさに閃光と呼べるその剣速で、ボスの体に突きを見舞う。

アスナの隙を突こうと伸ばされた触手を、アキトがソードスキルで弾き返す。

 

片手剣単発技<レイジスパイク>

 

ゲームの初期で覚えられる基本的な技ではあるが、ボスの触手を弾くには充分過ぎる。

触手が弾かれた事で更に仰け反るボスを見て、アキトとアスナはスイッチを行った。

アキトが離れ、アスナが三度、ボスの懐へと足を踏み出す。

 

 

もう、先程までの独断専行ではない。

その瞳には、勝利を目指す希望の光が点っていた。

 

 

「せあああぁぁぁ!!」

 

 

細剣九連撃奥義技<フラッシング・ペネトレイター>

 

その流星にも似た光が、閃光とも呼べる速度で次々とボスの体を突き刺していく。

その連撃全てが、ボスに吸い込まれていく。

アスナはすぐに後方に下がり、立て直したタンクと入れ替わる。

ガストレイゲイズは、タゲの対象であるアスナとの間を壁役に阻まれた事で、彼らを煩わしく感じているようだった。

その隙を突くかの如く、側面からプレイヤー達が次々とソードスキルを当てていく。

ボスは再び悲鳴を上げる。HPは急激に減少していく。

 

 

アスナはボスの動きを見ると、すぐに周りに指示を出す。

 

 

「触手による攻撃が来ます!各自距離を取ってください!」

 

 

アスナのその一言で、血盟騎士団のメンバーが軍隊の様に動いていく。

彼らはアスナの指示通り、ボスからある程度の距離を保ちつつ、隙を狙う様に武器を構えていた。

 

 

その動きの良さに、ポーションを咥えていたアキトは想像以上に驚いていた。

 

 

「…凄い」

 

 

これが、アスナ。

これが、血盟騎士団。

 

これが、攻略組か。

 

 

何故か気分が高まってくる。その顔に笑みが浮かぶ。

ボスの元へと再び走り出し、ティルファングを構える。

 

 

(──ここが、キリトのいた場所──)

 

 

片手剣四連撃技<ホリゾンタル・スクエア>

 

 

その剣は今まで以上に、高揚するアキトに応えるかのように煌めく。

ボスの背後から、その攻撃を叩き込む。

ボスの中心から、四角いエフェクトが飛び散った。

その攻撃に気付いたボスが、アキトを睨みつける。

 

 

そしてその隙を、アスナは見逃さない。

 

細剣斬属性単発技<アヴォーヴ>

 

アキトの方を向いた事によってガラ空きになった背中に光り輝くランベントライトで斬り上げる。

一定の確率で敵をスタンさせるこのソードスキルは、運良くボスの動きを止めてくれた。

 

 

それを確認したアキトは、さらに畳み掛ける。

 

片手剣四連撃技<バーチカル・スクエア>

 

先程とは違う色の四角いエフェクトが、ボスの周りに現れる。

当てた敵を麻痺させる追加効果を狙ったソードスキル。

思惑通り、ボスは体が麻痺し、再び動かなくなっていた。

 

 

アキトとアスナはコンタクト無しで、その隙を同時に狙う。

二人共、再びその剣を光らせ、ボス目掛けて叩き込む。

その顔は真剣そのもの。

ただボスに攻撃を入れる事のみを考えた無駄のない動き。

 

 

「スゲェ…」

 

 

誰かが、そうポツリと呟いた。

目紛しいソードスキルの連続に、周りは唖然とするばかり。

アキトとアスナ。

周りには指示を出すのに、互いに互いを指示しないその連携は、何故か見事にシンクロしていた。

二人が作り出しているこの剣舞に、彼らは半ば見とれていた。

勝てる。このままいけば。

 

 

麻痺が解けたボスは、何度目か分からない悲鳴を上げる。

瞬間、アキトとアスナは後方の連中と入れ替わる。

ガストレイゲイズはその触手を広げ、その眼球が光を放つ。

その眼を中心に、光が集約していく。

ボスのこの後に取る動きを、彼らは把握していた。

 

 

「光線が来るぞ!散開!」

 

 

光線攻撃を喰らえば、再び動きを封じられてしまう。

タンクの一人が大声を上げ、周りは回避行動に移った。

タゲの対象外の他のプレイヤーは、ボスの側面に移動し、隙を見て攻撃しようと構えている。

エギルも、クラインも、アスナも。

完璧な体勢、布陣、対処。

そう思うのに。

 

 

ただ一人、アキトだけはボスに違和感を感じた。

ボスの溜めの時間が長い。

 

 

「っ!マズイ…お前ら!離れろ!」

 

 

アキトのが口を開くのと、ボスの攻撃のタイミングはほぼ同じだった。

ガストレイゲイズは、集約したその光を放つ。

全方位に。

対処に遅れたアキト以外のプレイヤーは、その攻撃に為す術なく吹き飛ばされた。

その威力、範囲、共に先程までの比にならない。

HPゲージが赤になった事で、ボスの攻撃が変化したのだ。

そんな事は常識だった筈なのに、それをすっかり忘れていた。

いや、レッドゾーンに入ってから、光線攻撃を使うのはこれが初めてだ。

対処が遅れても無理はない。

だが、周りの状況を見て、そんな事は言ってられなかった。

 

 

ガストレイゲイズは倒れたプレイヤー達を見渡す。

すると、その視界に映ったのは、先程まで自分を散々痛めつけてくれた栗色の髪の少女だった。

ボスはその少女に近付いていく。

彼女は倒れたまま、ボスの接近に気付かない。

 

 

「クソッ…!」

 

 

今動けるのはアキトだけ。

ボスのHPは残り僅か。

なら、周りに被害が出る前に。

倒すしかない。

 

 

アキトは、ボスに向かって走り出した。

ボスはアキトに気付いたのか、その視線をアキトに向ける。

その悲鳴の様な雄叫びを、アキトに向かって放った。

アキトはそれに応えるように、声を上げて向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…あれ…私…)

 

 

アスナは、何時間も気絶していたかの様に感じながら、その瞳を開ける。

気がつくと、自身はボス部屋の床で這いつくばっていた。

その状態で周りを見渡せば、プレイヤー達が皆、自分と同じ様に地面に伏していた。

そして、一人の少年と、ボスの姿が目に入る。

瞬間、その瞳を大きく見開いた。

 

 

アキトが、たった一人でボスと対峙している。

早く助けなければ。

それを見た瞬間、アスナは立ち上が───

 

 

(くっ…!?う…ごけ…な…!)

 

 

体が、思う様に動かない。

そうだ、自分はボスの広範囲攻撃の追加効果によって、移動を封じられていた。

HPゲージがレッドゾーンに達していたというのに、攻撃の変化に気付かなかったのは、もう少しで勝てるという思いが生んだ驕りだった。

アスナは必死に、その体を動かそうとする。

動かない体に、苛立ちを覚えた。

 

 

その視線の先には、今も変わらずあの少年が。

そのHPゲージは、みるみる減っていく。

先程より、ボスの触手攻撃が速く、鋭く、多くなっていて、アキト一人では対処し切れていなかった。

アスナはそれを見て恐怖を感じる。

アキトが、キリトと重なる───

 

 

「っ…!?…あ……」

 

 

 

 

 

 

瞬間、アスナの脳裏には、何度も見る夢の光景が広がった。

アキトとボスに、その記憶を重ねた。

キリトと、ヒースクリフのデュエルが、その眼に映る。

 

 

キリトとヒースクリフの命懸けの攻防。

何度も何度も後悔した筈だ。

なのに、それなのに私は。

アスナは動けず眺めるだけ。

 

 

──また。

 

 

──また、私は……。

 

 

(…私は…キリト君を…!)

 

 

──何故。

 

 

──どうして。

 

 

こんなに必死になっているのか。

アキトをキリトと重ねて見てしまうのか。

体が勝手に動くのか。

助けようとしているのか。

キリトがいない世界を生きてる意味など無いと、そう言った筈ではないか。

 

 

 

「グハッ…!」

 

 

ボスの触手を捌き切れず、アキトは後ろに吹き飛ばされる。

そのHPは、最早風前の灯だった。

 

 

「…キリト…君…!」

 

 

やめて。

もうやめて。

何度思ったか知れない。

その夢は、まるで呪いの様に。忘れるなというように。

毎日毎日現れる。

何度も何度も、自分の愛する人の死を目の当たりにして。

その度に抗えない自分自身を殺したくなる程憎らしく思えて。

死にたくても死ねなくて。

死ぬ間際のキリトの言葉を、何度も何度も思い返す。

 

 

『君だけは生きて』と。

 

 

黒の剣士キリト。

アスナがSAOという世界で過ごした2年間の意味であり、生きた証。

そんな彼が私に。

死んで欲しくないと言う。

そう言った彼は死んでしまったというのに、なんて残酷な事を言うんだろう。

 

 

「っ…!…っ…!…くっ……っ…!」

 

 

アスナはその体を、震える体を、その腕を、その足を動かす。

動きを封じられている筈のその体が、アスナの意志に応えるかの様に。

上半身を起こし、細剣を手に取る。

倒れそうなその体を、震えるその足を細剣で支える。

その視線は、今も尚、キリトと重なるアキトから変わらない。

 

 

そうだ。

キリト君は無責任だ。

自分勝手だ。

私の事なんて考えてくれてない。

私が、君の事でどれだけ苦労させられていることか。

どれだけ頑張ってきたか。

君は知らないんだろう。

 

 

まだ、キリト君に伝えてない事があった。

キリト君に言いたい事があった。

キリト君とユイちゃんと行きたい場所があった。

 

 

また、死ぬのを見てるだけなんて──。

 

 

「…そんなの…!」

 

 

その足は、一直線にボスへと向かう。

ランベントライトは、かつてない程の輝きを放つ。

アスナのボスに向かうその速度は、目で追えない程のものに。

今にもアキトにトドメを刺さんとするボス目掛けて、その剣の輝きをぶつける。

 

 

「キリト君!」

 

 

何度も後悔した。

何度も涙した。

何度も彼を思った。

何度も自身を呪った。

想い人の死を眺めるだけだった自分を。

 

 

だから──

 

 

 

「っ…!? 閃光…!?」

 

「はぁっ!」

 

 

細剣多段多重攻撃九連撃技

<ヴァルキュリー・ナイツ>

 

その連撃は、まさに神速。

ボスがアキトに伸ばしていた触手は、その突きで弾け飛ぶ。

凄まじい威力だった。

 

 

しかし、今度はアスナに向けて触手を伸ばす。

ソードスキルの硬直によって、アスナの隙が顕になる。

アキトはその触手に剣を届かせる。

 

 

(届け──!)

 

 

片手剣突進技<ヴォーパル・ストライク>

 

ティルファングは、ボスの触手を見事に弾く。

ガストレイゲイズは弾かれ、後方へと仰け反った。

瞬間、アキトは走り出す。

 

 

「閃光、手ェ貸せ!これでラストだ!」

 

「っ──!」

 

 

その言葉に、アスナは応えるべく動き出す。

アキトとアスナは、ボスに向かって一直線に走る。

ガストレイゲイズは迎え撃つべく、その触手を広げた。

 

 

アスナは、走る最中、アキトの背に懐かしいものを感じた。

 

 

ああ、この光景どこかで──

 

 

それは、第一層のフロアボス戦の記憶。

キリトがプレイヤーの憎しみを一心に背負い、ビーターと呼ばれる様になったあの時の光景。

あの時もこうして、キリトと共にボスに向かって走り、トドメを刺しに行った事を。

 

 

 

 

「はぁっ!」

 

 

アキトがボスの触手を弾く。

そして、アスナがボスに詰め寄る。

 

 

「せあああぁぁぁ!」

 

 

アスナが突きを入れる。

ボスが怯み、その隙をアキトが斬り付ける。

目を見開き、その剣に意志を込める。

 

 

「ぜああぁぁ!」

 

 

片手剣単発技<ソニック・リープ>

 

 

その剣は、その足は最速でボスに近付き、ガストレイゲイズの体を斬り裂いていく。

瞬間、ボスのHPバーが色を失った。

アキトはバランスを崩し、ボスの下に倒れ込む。

しかし、ボスが襲ってくる事はもう無い。

 

 

ガストレイゲイズの体は、これまで以上に強く光り、やがてポリゴンとなって飛び散った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…や、た…?」

「た…倒したのか…?」

「勝った…勝ったぞ!」

「やったぞ!」

「スゲェ!」

 

 

目の前に<Congratulations!>というフォントが現れ、ファンファーレが鳴り響く。

呆然としていたプレイヤー達は、その勝利という事実に次第に湧き上がり、各々が歓声を上げていく。

 

 

「…か…た、のか…」

 

 

倒れ込んでいたままだったアキトは、そう呟くと仰向けになる。

そして、初めて見る天井を見て、その事実を実感していく。

 

 

「…勝った…勝った……勝ったんだ…」

 

 

その瞳は、その表情は、信じられないといった雰囲気を醸し出していた。

何せ初のボス戦の上、戦力も少なかった。

攻略組の雰囲気も相まって、死者が出てもおかしくなかった。

だが結果としては、死者は0という完璧なものだった。

 

 

「は…ははっ…ははは…はっ…」

 

 

何故か、涙が出そうだった。

その瞳を、服で拭う。

この笑いは、嬉しさ故か。

何だって構わない。

 

 

「まずは、第一歩だな…」

 

 

アキトは仰向けになっていた体を起こす。

目の前には、アスナが立っていた。

しかし、彼女はコチラを見ておらず、細剣を持って立ち尽くしていた。

 

 

「…終わった…」

 

 

アスナは力無くへたり込み、アキトと同じ目線になる。

そして、気付いた様にハッと顔を上げ、アキトを見る。

そのいきなりの事で、アキトの体は震える。

 

 

「……」

 

 

キリトに見えていた少年は、もう正真正銘アキトに戻っていた。

アスナは、その顔を俯かせる。

あの時、ボスの移動封印の追加効果に抗った事。

それを解除してアキトを助けた事。

それらを思い返していた。

 

 

(…私、守れたのかな…)

 

 

あの日の、あの夢の出来事が重なって見えた。

 

 

あの時、キリトを助けにられず、ただ見てるだけだった事を悔やんでも、もうキリトは帰ってこない。

あの時の事を何度夢に見ても、その結果を変えられなかった。

だけど、アスナは今回、あの時と同じ事は繰り返すまいと、必死になって抗った。

あれは、間違いでは無かっただろうか。

抗えば、キリトを救う事が出来たのだろうか。

 

 

(私は…助けられたのかな…)

 

 

 

 

「……」

 

 

アスナが目の前で何も言わずにただ俯いているこの時間を、アキトは気不味く感じていた。

周りは勝利の余韻に浸っているというのに、アスナは喜びもせず自分のそばで座り込み、だというのに何も言ってこない。

てっきり何か文句を言われるのかと思って身構えていたのだが。

 

 

「…おい」

 

「……」

 

 

アスナからの返事は無い。

顔は俯いている為、その表情は窺えない。

アキトはそれでも、ただアスナだけを見つめていた。

 

 

今回、キリトとヒースクリフが不在という、戦力が大幅に低下した状態での初の攻略。

アスナにかかる負担はどんなものだったか。

そもそも、今回のボス戦はアスナにとってどんな意味を持っていただろう。

もしかしたら、あの独断専行も、キリトの後を追うための、死に急ぐ行動だったのかもしれない。

キリトと同じ様に、戦いの中で死ぬ為の。

世界に抗うと決めた筈なのに、耐えられなくなって、死にたいと思う様になった事の表れだったのかもしれない。

 

 

けれどアスナは、そんな意志に負けず、ボスの追加効果を破って、自分を助けてくれた。

抗う道を選んでくれたのだ。

そんなアスナに。助けてくれた彼女に。

 

 

自分がかける言葉は一つ。

 

 

「……アスナ」

 

「っ…」

 

 

彼女を呼んだ瞬間、彼女はその顔を上げる。

初めてアスナの事をまともに呼んだから、無理もないかもしれないが。

 

 

「お疲れさん。グッジョブだったぜ」

 

「────」

 

 

アスナはその目を見開いて、そのまま固まってしまった。

この至近距離で目と目が合った状態に、アキトも流石に目を逸らす。

 

 

「ま…まあ、殆ど俺の活躍みたいなとこはあったよな。お前前半ホントポンコツで……っ!? お、おい!何で泣くんだよ!?」

 

 

「え……あ……」

 

 

アスナは、その涙を止める事が出来なかった。

拭っても拭えない、データの涙。

アスナは耐えきれず、その両目を両手で覆った。

 

 

「っ…っ……」

 

「え…あ…え?俺のせい…なのか…だよな…そうか…いや、あの、さ、ポンコツっていうのは3割方嘘だからな!ほら、前半だけだったし、後半いい動きだったって!流石攻略の鬼!」

 

「おう、アキト。お疲れさ……おい、何泣かしてんだよ…!」

 

「っ!?あ、おっさん!ち、違うんだって…!」

 

 

勝利の喜びを分かち合いに来たエギルが、涙するアスナとアキトを見比べて、その顔を豹変させる。

アキトが必死に弁明しているが、アスナの耳には入っていなかった。

 

 

アスナの耳には、あの言葉が。

 

 

『お疲れさん。グッジョブだったぜ』

 

 

キリトに言われた様な気がして。

キリトの笑顔を見た気がして。

世界に抗えた事が、報われた気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

76層<アークソフィア>

 

 

77層のアクティベートを完了させ、戻って来た攻略組は、多くのプレイヤーに出迎えられた。

彼らは皆、称賛の声を上げ、その勝利を喜んだ。

 

 

各自それぞれ解散して行き、転移門に残ったのはアキトとアスナのみ。

エギルとクラインは、早々に店番を任せていたリズの元へと帰っていった。

 

 

夕暮れの刺すアークソフィアの街を、少しだけ離れた距離で、並んで歩いていた。

お互いに声を出さず、ただエギルの店へと向かうだけだった。

先程の泣かせた疑惑もあって、アキトからはアスナに話し掛けにくい。

アキトの前で泣いてしまったアスナも、アキトに話し掛けにくい状態になっていた。

二人はなんとなく気不味い状態の中ただ歩いていた。

 

 

「アスナ!アキト!」

 

 

そうして歩いていると、エギルの店が見えた。

入口付近には、二人を呼ぶ声が。

その声の主は走り出し、アキトとアスナの元へと向かって来る。

それもかなり全力で。

 

 

「リズ…」

 

「よお」

 

「はぁ…はぁ……たくっ…遅いわよ」

 

 

リズは息を整えて、体を起こす。

その視線の先には、自分の目では変わって見えていた親友、アスナが立っていた。

アスナはそんな真剣な眼差しを向けるリズに、何故か耐えきれずに目を逸らす。

しかし、リズはその行為を咎めもせず、アスナの手を取った。

 

 

「…おかえりなさい」

 

「っ…リズ…」

 

 

アスナは、そんな笑顔を向けるリズを見て、涙腺が壊れそうだった。

アキトは、そんな二人を親の様な目で見つめていた。

 

 

(親友、か…)

 

 

「…アキトも。おかえりなさい」

 

「…ああ」

 

 

リズのその表情に、アキトは目を逸らす。

リズはその反応で満足したのかその顔がニヤけていた。

 

 

「アスナさーん!アキトさーん!」

 

「おかえりなさーい!」

 

「……」

 

「ママー!おかえりなさい!」

 

 

リズの背の向こうには、シリカ、リーファ、シノン、そしてユイが立っていて、コチラに手を振っていた。

それを確認したリズが、笑顔でアスナとアキトの方に向き直る。

 

 

「さ!早く入りましょう!今日はパァーッとやるわよー!」

 

「あっ…ちょ…リズっ…!」

 

 

アスナの言葉など聞かないと言うように、リズはアスナを引っ張っていく。

入口まで着くと、ユイ達に出迎えられて、その店に入っていった。

それを眺め、アキトは口元は緩む。

 

 

「…大切にしなよ」

 

 

アキトはそう呟くと、そのエギルの店の入口へと歩き出す。

しかし、暫く歩いてその足を止める。

その入口の前には、一人の少女が立っていた。

 

 

「…シノン」

 

「おかえりなさい、アキト」

 

 

シノンはそう言うと、アキトの方へと近付いた。

アキトはシノンを見つめるだけで動かない。

 

 

「…攻略、どうだった?」

 

「…まあ、そこそこかな。初めにしちゃあ悪くなかった」

 

「そう、それはよかったわ」

 

 

シノンはそれだけ聞きたかったのか、くるりと背を向けエギルの店へと入っていく。

 

 

「早く行きましょう?皆待ってるわ」

 

「俺は頭数に入ってないだろ」

 

「エギルに呼んできてって頼まれたのよ。アンタも打ち上げのメンバーに入ってる」

 

「っ…」

 

 

その一言が、何故か胸を打つ。

仲間として認められたと感じる。

それが、何故か嬉しくて、何故か切なくて。

何故かたまらなく嫌だった。

 

 

アキトはその足をエギルの店へと踏み出す。

その店の奥では、エギル達以外にも、攻略の打ち上げをしているプレイヤー達がチラホラと見えた。

アキトは、ゆっくりと歩き出す。

その隣りを、シノンが並んで歩いていた。

 

 

「…ねぇ、聞いていい?」

 

「…なんだよ」

 

「…アンタ、攻略組になったばかりだってこの前言ったわよね。どうして、戦おうって思ったの?」

 

 

その質問は、距離的に考えてもアキト以外には聞こえていない。

シノンのその確信めいた質問に、アキトは目を逸らす。

 

 

どうして、前線で戦おうと思ったのか。

その答えなど、もう一年前から決まっている。

 

 

成し遂げなければならない目的があるから。

守らなければならない約束があるから。

果たさなければならない誓いがあるから。

 

 

手に入れたいと欲する、願いがあったから。

 

 

 

「別に。ただの暇潰し、ただの気まぐれだよ」

 

 





…なんか分かりにくい。

自分でも何言ってんのか分かんないなぁ。

そう言う感想が来たら書き直すと思います。

処女作とは言え、文才無くてすいません。


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Ep.12 英雄の影 アキトVSリーファ




最近、適当に書いてる感じが否めない…。


 

 

 

 

 

 

 「おうアキト。おはようさん」

 

  「…アンタいつ寝てんだよ」

 

 

 ここに来てから、アキトは割と早起きになったと自覚していたが、エギルはその上を行くようだ。

 最初は早起きなのかと思っていたのだが、この前3時に1階に下りた時も起きていたエギル。

 現在5時半。営業するにも早すぎる時間帯だった。

 こんな時間まで起きて、エギルにどんな得があるのだろうか。

 

 

 カウンターに座ると、エギルはアキトにコーヒーを差し出した。

 アキトは思わずエギルを見ると、その色黒巨漢はドヤ顔をかましていた。

 

 

  「コーヒーだろ?」

 

  「マスターか」

 

 

 いつの間にか常連扱いになっているアキト。

 エギルのその対応の速さに驚くのを通り越して呆れていた。

 

 

  「なあに、リアルで似たような店を持っててな」

 

  「んだよ…本当にマスターじゃねぇか」

 

 

 関心して損したぜ、と言わんばかりにコーヒーを啜る。

 エギルは笑って、備品の整理をし始めた。

 その背中を、アキトは黙ったまま見つめていた。

 

 

  「…てか、リアルの話は御法度だろ」

 

  「別に店経営してるってだけなら言っても問題ないだろ。それに…お前さんになら、言ってもいいかと思ってな」

 

 「…随分と信用されてる様でビックリだよ。俺に」

 

 「自分にかよ」

 

 

 エギルは苦笑いを浮かべる。

 アキトはコーヒーを飲む。

 正直、エギルにこれといって信用に値する様な行為をした覚えは無い。

 ここへ来てからというもの、エギルとの関わりなんて、この店でコーヒーを啜るこの時間帯のみとなっている。

 自身のコーヒーを美味そうに飲んでくれるからって理由で信用されていたとしたら、それはそれで色々困る。

 

 

(バリスタかよ…)

 

 

 エギルの心がぴょんぴょんしている様子を想像し、そんな思考を一瞬で振り払う。

 今のは考えてはいけない光景だった。

 飲んだコーヒーを吐いてしまうところだった。

 言い過ぎだろうか。

 

 

 「リアルでも、アイツらに会いたいしな」

 

 「……そうか」

 

 

 エギルのその眼差しから、アキトは目を背ける。

 エギルの言うアイツらとは、きっとアスナ達の事。

 そして、生きていればキリトも含まれていた事だろう。

 

 

 随分とまあ、愛されている。

 

 

  「なら頑張って攻略しろよな」

 

  「他人事みたいに言いやがって…お前さんにもいるだろう?リアルでも会いたい人が」

 

  「ああ…」

 

 

 ──── いたよ。

 

 

 アキトはコーヒーカップを手元で遊ばせ、そう答える。

 その瞳には、そのコーヒーカップは映って無かった。

 エギルは、そんなアキトを不思議そうに見ていたが、やがてその顔を真面目なものへと変え、アキトに向き直る。

 それに気付いたアキトは、その顔を上げた。

 

 

 「そうだ…ちゃんと、礼を言おうと思ってな」

 

 「…?」

 

 「昨日、助けて貰った事だよ。借りが出来ちまったな」

 

 「ああ…」

 

 

 アキトはその一言で思い出す。

 昨日のボス戦において、エギルの死なせない様にボスの前で、攻防を繰り広げた事を。

 自分が何故そんな事をしたのか分からない。

 人って存在は、いつだって我が身大事に生きる者だと、そう思っていたから。

 ただ。

 ただアキトは────

 

 

  (キリトの友人に…死んで欲しくなかったから…)

 

 

 それを、エギルに伝えたりはしない。

 キリトの紡いだものを守りたいなどと。

 傲慢にして身勝手で。

 自分が口にするのも烏滸がましい。

 

 

 何も無かった俺が。何もかも持っていたキリトの仲間に縋ろうなどと。

 そうすれば俺もキリトの様になれるのではないかなどと。

 

 

 そうだ。

 キリトになりたいわけじゃないと。

 そう心を騙し続けても。

 結局俺は、キリトへの憧れを捨て切れないでいる。

 もしかしたら俺は、キリトの仲間を助ける事で、キリトの様になった気でいたのかもしれない。

 そう思うと実に滑稽で、あまりにも傲慢で。

 あまりにも幼稚な思考だった。

 

 

 「…感謝なんかしないでくれ…別に貸しだなんて思っちゃいない。コーヒーだってタダで飲ませてくれてるしな」

 

 「…そうだな。命の対価がコーヒー一杯分だなんて、随分な商売をしたもんだ」

 

 「…このケチ商人め。性格が知れるぞ」

 

 「褒め言葉だな」

 

 

 エギルのニヒルな笑みを見て、アキトは顔を俯かせる。

 今はこの巨漢の笑顔だって、眩しく見えた。

 

 

 

 

 「…アンタにとって、キリトってどんな奴だったんだ…?」

 

 

 口が、勝手に動いて。

 自分でも驚いた。

 エギルの感謝の言葉を遮ってまで、聞くような事じゃない。

 アキトは慌てて顔を逸らした。

 

 

 「いきなり何だよ?」

 

 「あ…いや、別に。ちょっとした気まぐれだ。答えなくてもいい」

 

 

 アキトのその反応に、エギルは不思議そうな表情をしていたが、やがてその顔を柔らかくしていった。

 

 

 「そう…だな…スゴイ奴だったよ」

 

 「……」

 

 「アイツは…ただ強いだけじゃない。人の事を思える奴で、優しい男だったよ。ソロプレイヤーなんて気取ってやがったが、アイツはアイツで周りをよく見てくれていた」

 

 「……そうか」

 

 「…お前さん、キリトにそっくりだ」

 

 「っ…何、言ってんだよ…」

 

 

 アキトは、エギルのその言葉に目を見開く。

 自分がキリトみたいだと、そう言われるとは思ってなかった。

 そんなアキトを見つつ、エギルはフッと笑みを見せる。

 

 

 アキトの攻略組に対する態度。

 それは、諦念に駆られた攻略組に発破をかける為のものに、エギルは見えていた。

 自身が周りから嫌悪の対象となる事で、彼らを躍起にさせようとしているのではないか。

 そんなアキトを見て、エギルは思い出していた。

 第一層フロアボス<Gill Fang The Cobalt Load>の討伐戦後、βテスターへの怒りを一心に背負い、ビーターの汚名を掲げたキリトを。

 理由は違えど、アキトはキリトと本質的には同じ事をしていたのではないかと。

 そう思うと、また年端のいかない少年に背負わせてしまっていた事を、エギルは申し訳なく感じてしまう。

 

 

 「お前さんのおかげで、みんな戦う事が出来た。昨日もボス戦に勝ったしな。今回の勝利は、お前さんがいたからこそのものだった」

 

 「っ…」

 

 

 そんなに真っ直ぐ言われるとは思わなかった───

 アキトは、その顔を下に向ける。

 アキトは、自身の目的の為に行動しただけ。

 だから、他人に礼を言われる筋合いは無いと思っていた。

 けれど、エギルにそう言われると、何故かこみ上げてくるものを感じた。

 

 

 「お前、強かったんだな」

 

 「…そりゃどうも」

 

 

 ── 違う。違うんだよエギル。

 

 ── 俺は、強くなんてない。単純に強がっているだけだ。

 

 

 なんて、その場では言わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「── フッ!」

 

 

 未だ早朝、6時を過ぎた頃。

 アキトは外で武器を振っていた。

 しかし、振っている武器はいつものティルファングではない。

 いつの日かリズに見せた、刀身まで黒く染まった刀。

 厄ノ刀【宵闇】だった。

 

 

 経験値を稼いで強くなるシステムであるSAOではあるが、反復練習が無意味なんて事は無い。

 振っていればスキル熟練度は上がるし、発動のスピードはプレイヤーのテクニックに依存する。

 こういう早朝には、使ってない刀を振るのも悪くないと思い、アキトは一心不乱に刀を振っていた。

 

 

 「……」

 

 

 一年前から、刀は使っていなかった。

 けど、この【宵闇】は今も尚、しっかりとこの手に馴染む。

 それを実感する度に、あの時の光景が瞳に映る。

 

 

 まるで、忘れるなと言っているようで。

 

 

 

 

 「…あれ…?アキトくん…?」

 

 「…リーファ…」

 

 

 思考を振り払い、声のする方を見ると、妖精の少女リーファが眠たそうにコチラに近付いて来た。

 

 

 「…いつもこんなに朝早いんですか?」

 

 「最近はな。あと、敬語はいい」

 

 「え、あ…はい…じゃなくて、うん…」

 

 

 リーファはいきなりの事で少しアタフタしていたが、やがて落ち着いたのか雰囲気が安定してきた。

 リーファはアキトが、刀を持っている事に気付いた。

 

 

 「…こんな早くから朝練?SAOって経験値稼いでレベル上げて強くなるシステムなんだよね。反復練習なんて意味あるの?」

 

 「…この世に意味の無い事象の方が少ないと思うぞ」

 

 「へぇ…アキトくんってそういう事言っちゃう人なんだ」

 

 

 アキトはリーファから目を逸らして刀を降ろす。

 その刀身は、陽の光を反射する。

 

 

 リーファは、そんなアキトの事を見る。

 ここに来た当初、その雰囲気のせいで『お兄ちゃん』と呼んでしまったのは記憶に新しい。

 自分の兄とどことなく似ていて、それでいて何処か儚げな少年。

 よく見ればあまり兄とは似つかない部分もある。その容姿は綺麗だと言える。

 しかし彼を見ると、兄を思い出すのも事実だ。

 この世界に来て、兄の事を知っていきたいと思った。

 兄がこの世界で、どのように生きたのだろう。どんな世界だったんだろうと。

 けれど、兄がこの世界で過ごしたのと同じように、目の前の少年もこの世界で生きてきた。

 彼にとって、この世界はどう見えるのだろう。

 ふと、その口が開いた。

 

 

 「…ねぇアキトくん…あたしと試合してみない?」

 

 「…試合?デュエルか?」

 

 「うん。昔は、よくお兄ちゃんと剣道の試合をしたんだ」

 

 「…剣道」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── キリトはさ、現実で何かやってるの?──

 

 

 ── 今はやってないけど…剣道は昔に…──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…アキトくん?」

 

 「……ああ、剣道の試合ね。別にいいけど、瞬殺だぞ」

 

 

 その記憶を頭の隅に追いやり、リーファを見据える。

 その挑戦的な視線に、リーファは闘志を燃やした。

 

 

 「む…言うねアキトくん。あたしこれでも全中ベスト8なんだよ?」

 

 「関係無いな。この世界…いや、俺の前じゃ何の意味も無い」

 

 「む〜…!あたしだってSAOは初心者だけど、ALOでは一年近くやってたんだから一方的に負けるつもりなんてないからねっ」

 

 「はいはい…」

 

 

 リーファの言葉を適当に遇う。

 リーファはそのアキトの態度に顔をぷりぷりさせていた。

 すぐに目にものを見せてやる。

 そう、彼女の目が言っていた。

 

 

 リーファはウィンドウから剣を取り出し、その剣を両手で持ち、剣道の姿勢をとる。

 アキトは、【宵闇】をそのまま片手で持つ。斜め下に刀身を降ろし、斜に構える。

 

 

(デュエル…何時ぶりだろう…)

 

 

 命の重さを痛感するこのゲームにおいて、デュエルというのは思ったよりもプレッシャーがかかるもの。

 勿論、デュエルのレベルは決められるが、全損決着なんて恐ろしくて出来ない。

 ここは圏内。デュエルシステムを使用しなければダメージは与えられない。

 周りからすれば、ただ剣を振り回したチャンバラに思われても不思議ではない。

 けれど、別に構わない。

 負けを認めた方の負け。

 対人戦の経験が浅いアキトのとって、このリーファとのデュエルという事自体、何だか新鮮に感じた。

 

 

 「すー…はー…うん、準備オッケー!」

 

 「先手は譲るぜ。ALO本家で、全中ベスト8の実力、見せて貰おうか」

 

 「それじゃあ、こっちから!めぇん!」

 

 

 その構えを変えず、一気に詰め寄るリーファ。

 その突きは、アキトにあっさり躱される。

 アキトは、そのまま刀を横に薙ぐ。

 

 

 「しっ!」

 

 「っ!」

 

 

 咄嗟にしゃがんだリーファの上を、【宵闇】が通り抜ける。

 リーファはその状態から、剣をアキトに斬り上げる。

 アキトはそれをギリギリで躱し、そのまま回転しながら刀を振り抜く。

 リーファは剣を自身に引き寄せ、防御姿勢をとる。

 そして、刀と剣がぶつかった。

 

 

 「っ…凄いパワー…!」

 

 「はぁっ!」

 

 

 アキトはその鍔迫り合いを認めず、そのまま剣を振り抜いた。

 力で押し負けたリーファは、そのまま後方に飛ばされる。

 リーファはそのまま着地して、アキトと距離を取るべくバックステップをとった。

 

 

 リーファは立ち上がり、剣を再び構える。

 アキトも体制を立て直し、刀を下ろす。

 

 

(反応が早い…!)

 

 

 リーファは、全中ベスト8と自分で言うだけあって、自身の剣技には自身があった。

 それを難無く躱すアキトに、思わず舌を巻く。

 結構な速度で詰め寄ったのに、あっさりカウンターを許し。

 隙を突いた斬り上げも、紙一重で躱されてしまった。

 そして、あの筋力値。

 人を吹き飛ばす程の力がある。

 

 

 「──っ」

 

(っ…来る!!)

 

 

 リーファに考える暇を与えない。

 アキトはリーファに一気に近付くべく、ソードスキルを発動し、突進する。

 

 刀スキル単発技<辻風>

 

 その赤く輝く刀身は、一瞬でリーファの元へと辿り着く。

 リーファはその刀の軌道を反らし、アキトの背に剣を向ける。

 

 片手剣三連撃技<シャープ・ネイル>

 

 しかし、アキトはその突進のスピードを緩めず走り抜く。

 リーファのソードスキルはアキトの体を掠めるのみ。

 アキトは体を反転させ、再びリーファに向かって走り出す。

 リーファも、剣を両手で構えて走る。

 アキトの刀は、紅く輝く。その瞳はリーファを見据える。

 リーファもそれを確認し、その剣を金色に光らせる。

 

 刀スキル奥義五連撃技<散華>

 

 片手剣六連撃技<カーネージ・アライアンス>

 

 ほぼ同じ連撃数のソードスキルが、お互いの剣にぶつかり合う。

 その度に、お互いのスキルの色のエフェクトが飛び散る。

 

 

 「はあぁああぁあぁ!」

 

 「…!」

 

 

 リーファの掛け声とともに、アキトの刀が弾け飛び、真上と飛んでいく。

 連撃数の僅かに多かったリーファのスキルが、アキトの剣を斬り飛ばしたのだ。

 アキトはおかげで、現在生身。

 

 

(今!)

 

 

 リーファは剣を振り上げる。

 目掛けるは、アキトの体。

 ソードスキル後の硬直と、剣を弾き飛ばした事によるノックバックで、彼は動けない。

 

 

(貰った……っ!?)

 

 

 だと言うのに。

 彼のその顔は、不敵な笑みを浮かべている。

 その顔を、その表情を、リーファは知っている───

 

 

 昔、兄と一緒に剣道をした時。

 互いに譲らない、鍔迫り合いの最中。

 その面の間から除く兄の顔。

 その時の顔にそっくりで。

 リーファの剣速が鈍る。

 

 

 ── 瞬間。

 アキトのその拳が光り、黄色いエフェクトを纏う。

 その拳を、リーファの振り下ろす剣に向かって叩きつける。

 

 体術スキル<エンブレイザー>

 

 リーファが気付いた時には、もう遅い。

 その拳は、リーファの剣を右に吹き飛ばした。

 そして、先程リーファが吹き飛ばした厄ノ刀【宵闇】が、アキトの手元に落ちてきた。

 そして、その刀をリーファの喉元に突きつけた。

 

 

 「…降参」

 

 「…だろうな」

 

 

 アキトは刀を下ろし、ウィンドウに仕舞った。

 リーファはそんなアキトを見つめる。

 

 

 最後の、あの攻撃。

 ソードスキル後の硬直無しで、体術スキルを発動したアキト。

 SAO初心者のリーファだが、戦闘の事は一通りリズ達に教えて貰っていた。

 スキル発動後には、一定時間、動けなくなる硬直というものがある。

 それは、スキルの種類によって異なるが、直前にアキトが放ったソードスキルは刀の上位スキル。硬直はその分長い筈。

 だと言うのに。

 

 

 「…どうして、スキル硬直無しで別のスキルが…?」

 

 「ああ…左右で別々のスキルを発動させる事で、その間の硬直をカット出来るんだよ。名付けるならそうだな…スキルチェイン…スキルユニゾン…スキルコネクト…うん、<スキルコネクト>で」

 

 「て、適当…」

 

 

 リーファはそんな何でもないといった風なアキトに苦笑いを浮かべるが、やがてその視線はアキトから離れないものになっていた。

 

 

 「……」

 

 「…スゲェ悔しがると思ったんだが」

 

 「…え…あ、うん、勿論悔しいよ?悔しかったんだけど…」

 

 

 そのまま口を閉ざすリーファに首を傾げつつ、アキトは仕舞った刀と入れ替えるように、ティルファングを取り出し背中に仕舞う。

 リーファは、そんなアキトをまだ見つめていた。

 

 

 あの時、勝ちを確信したあの瞬間。

 アキトのあの表情。

 昔の、一緒に剣道をしていた頃の兄と重なって。

 今でもそれが頭から離れない。

 

 

 「…その…お兄ちゃんと試合した時の事を思い出して…」

 

 「……」

 

 

 そのリーファの表情は笑みを浮かべていたが、きっとそれは、哀しみに満ちていた。

 子どもの頃、リーファが兄と共に剣の道を進んでいた時の事。

 よく兄と試合した事を思い出す。

 あの頃は、まだ一回も兄に勝てなくて、その度に悔しくて泣いていたのを思い出す。

 さっきも、アキトが兄に重なって見えたから、負けた事を無意識に納得していたのかもしれない。

 

 

 「あの頃は、私はずっと…お兄ちゃんには勝てないんだろうなぁって思ってた。今じゃ、もやしっ子のお兄ちゃんに負けるなんて有り得ないけど…けど…」

 

 

 その表情からは、やがて笑みが消え、その腕は力無く落ちる。

 

 

 「…もう試合する事も出来ないと思うと…少し、寂しいかな」

 

 「……」

 

 

 こんな時、どう声をかけたら良いのだろう。

 そんな事、アキトが知るわけも無い。

 自分なら?自分ならどんな言葉をかけて欲しい?

 そんな事、どんな言葉も聞き入れられるわけが無い。

 

 

 リーファがここに来た理由。

 それは、自身の兄が生きたこの世界を知る事。そして、兄がこの世界でどのように思い、生きてきたのかを知る為。

 兄を見つける事すら困難だが、例え自身の兄の話が聞けたとしても、その度に兄の死を感じなければならない。

 

 

 その度に、リーファはこのような表情を浮かべるのか。

 

 

 「……」

 

 

 

 

 

 

 それでも、かける言葉は見つからなかった。

 

 

 






スキルコネクトに関して、適当感が半端ないな…

後でちゃんと説明する描写に変えるかもです。


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Ep.13 0と1 人とAI





少女は失望する。亡き影を追う弱き自分に。

少年は嫉妬する。かつての英雄と自分の差を痛感して。





 

 

 

 

「あ…」

 

「……」

 

 

 午前9時。

 新しく開かれた77層は、空へ浮かぶ島々が舞台だった。

 周りを見れば、鳥人型のモンスターが蔓延っている。

 

 

 76層のボス戦が終わり、まだ1日。

 下見のつもりで足を踏み入れたアキトだったが、暫く進んだ辺りで見知った顔を見つけてしまった。

 言うまでもなく、血盟騎士団現団長、<閃光>のアスナ様である。

 アキトとアスナは現在、お互いの存在を認識しつつも、その場から動けないでいた。

 

 

「……」

 

「……」

 

「………」

 

「………」

 

 

 ……何故か、お互い何も言わない。

 アキトは、何か言われる前にアスナの横を通り過ぎる。

 また何か小言を言われたら面倒だ。

 だが、それ以上に。

 アスナは、恐らく自分を嫌ってる。理由は知らないが、それでもアキトが何か直接的な事をした覚えは無い。

 つまり、アスナは自分の事をなんとなく気に食わないのではないかと推測した。

 ならば、理不尽に文句を言われる前に退散しよう。そう思った矢先。

 

 アキトの目の前に、パーティ申請のウィンドウが開かれた。

 この場にはアキトとアスナしかいない。

 つまり、この申請はアスナからのもの。

 

 

「……何」

 

「見れば分かるでしょ」

 

「見て分かんないから聞いてんだよ」

 

 

 本当に見ても分からない。というか、この前のボス戦でいきなりパーティ申請した時も、正直言って何考えてるか分からなかった。

 確かにパーティを組めば効率的だったが、あのタイミングで申請してきたのも分からない。

 

 

「知らないフィールドだから、念の為よ」

 

「へぇ……この前は俺の誘い蹴ろうとした癖に、どーゆう心境の変化?」

 

「……」

 

「……分かったよ」

 

 

 アキトの皮肉めいた言葉に対しても、アスナは何も言わない。

 その冷たい瞳と表情が、アキトの視線から離れない。

 何故かアスナに逆らえず、申請を了承した。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「──っ!」

 

 

 アキトは目の前のスライム型モンスターに、その輝く剣を向ける。

 そのスキルは、スライムを分散させ、やがてポリゴンとなる。

 

 

「……こんなもんか……」

 

「……」

 

 

 アスナは、アキトがそう言って剣を鞘に収めるところを少し離れた場所で見つめていた。

 そして、そんなアキトを見たせいで色々な事を思い出した。

 パーティを組んで迷宮区を攻略した事、ボス戦で最後に共闘した事。

 その際、アキトを夢のキリトと重ねてしまい、移動封印の状態異常を振り払い、体が勝手に動いてしまった事まで思い出した。

 あの悪夢を、あの現実を、繰り返したくなくて。

 アキトを救った瞬間、夢が覚めるように、キリトに見えていた幻覚も解け、目の前にはアキトがいた。

 かつての英雄、かつての想い人の面影を持つその少年が。

 

 

 いや、『かつて』じゃない。私は今も、彼を想ってる。

 

 

 だからこそ、自殺したくても出来なかった。

 君が、『生きて』と言ったから。

 生きてる意味を失った自分が、もう一度生きる意味を見出す為に。

 キリトの代わりを、自身が受け持つように。

 けれど、そんな事は出来やしない。

 キリト以上の、自分が生きる意味など無い。

 

 

 そんな時に現れた、黒のコートを羽織った少年。

 最初は、キリトの真似事をしたプレイヤーだと思い、不愉快で、嫌悪の対象だった。

 けれど実際は真似事なんて安い言葉じゃ足らなくて。

 その実力は本物で。

 何から何までキリトに似ていて。

 でも実際は赤の他人。そんな人に、想い人を重ねて見る度、自分が嫌になった。

 

 

 何故、今日私は彼にパーティの申請をしたのだろう。

 

 

 アスナは、ティルファングを眺めてるアキトを見つめ、改めて考えた。

 このキリトによく似た、アキトという少年を。

 

 

(年齢は私と同じくらい…武器は片手剣、黒ずくめ…それに、ギルドのマーク。…月に黒猫…このフレーズ何処かで…)

 

 

 アキトは、そのアスナの視線に気付いたのか、嫌そうな顔で見つめ返していた。

 

 

「……だから何」

 

「……別に」

 

 

 アスナは考えていた事を頭の隅に追いやり、アキトから目を逸らす。

 アキトにとって、居心地は最悪だった。

 取り敢えず、いつの間にか12時を過ぎていたので、休憩がてら腰を落とす。

 

 

「……さて、と。休憩するわ。もう昼時だし」

 

「……」

 

 

 アスナは、黙ってアキトを見る。

 索敵スキルを張りながら、その場に腰掛けているアキト。

 アスナは何を思ったのか、アキトに近付いた。

 すると、ウィンドウから何かを取り出し、アキトに突き付ける。

 よく見ると、サンドウィッチのような食べ物が、紙に包まれた状態で差し出されていた。まさか手作りか。

 アキトは、突然の事で訳が分からず、思わずアスナを見上げる。

 

 

「……何これ」

 

「見れば分かるでしょ」

 

「だから見ても分かんねぇから聞いてんだよ……」

 

 

 このやり取りはさっきやった。

 それ以前に、アスナが何故こんな事をするのかが分からない。

 アスナの意図が読み取れない。

 何が、何が目的なんだ。

 アキトの疑いの視線に気付いたアスナは、バツが悪そうにアキトからまた目を逸らす。

 

 

「昨日のお詫び。別に他意は無いから」

 

「昨日……?」

 

 

 そこまで言われて、アキトは気付く。

 昨日のボス戦での助けた礼、もしくはその後の号泣の詫びだろうと。

 アキトにとっては別に気にしてなかったというか、泣かせてしまったのは自分なんじゃないのかなど、心の中は小心で、焦っていたというのに。

 

 それにしても、アスナからこんな差し入れが来るとは思ってなかったアキトは、目を丸くしていた。

 自身を嫌っているアスナが、詫びと言って昼食を差し入れるなどと。

 意外にも律儀である。

 借りを作りたく無いという事かもしれないが、くれるというなら貰っておこう。

 

 

「えと……んじゃまぁ、貰っとくわ」

 

「ん…」

 

 

 アキトが、アスナの持つ包みを受け取る。

 その瞬間、アキトとアスナの指が触れ合う。

 アスナの心臓は跳ね上がった。

 

 

「っ……」

 

 

 アスナは手元から包みが離れた瞬間、バッとその手を引っ込める。

 その顔は、少しだけ赤く染まる。

 それは、照れからか、怒りからか。

 キリトに似ているせいだ。

 その度に自分が嫌いになっていく。

 彼は、キリトじゃない。そう思っているのに。

 何故、私は彼を意識するんだろう。

 アスナは、包みのサンドウィッチを今にも頬張ろうとしているアキトを睨みつけた。

 

 

 アキトは、そのサンドウィッチを口に含む。

 よく噛み締めていると、突如その顔は青くなる。

 

 

「…む…っ!? ゲホッゲホッ…ゲホッ! …おい、閃光…テメェこれ辛過ぎるぞ…ホントに料理スキルカンストかよ」

 

「────」

 

 

 その辛さによって噎せ返るアキトを見て、アスナは目を見開く。

 唇は、震えていた。

 

 

 自分はこの少年に、何を作った──?

 何故、私は彼に、よりにもよってこの品を──?

 

 

 それは、何度もキリトに作った品。

 辛いものが好きだった彼を想って、何度も考え、何度も実験し、何度も改良し、何度も作ってきたもの。

 

 

 そして、アスナは気付く。

 このサンドウィッチを、キリトの味付けを考えて調理していた事に。

 アキトの詫びの品を、キリトの好みで作っていたのだ。

 その事実が、アスナを酷く動揺させる。

 

 

(…私、は…)

 

 

 いつから?いつからキリトを想って作っていた?

 いつから?いつからアキトをキリトだと思って?想って?

 

 

 アスナは目を見開いたまま、その視線はアキトを捉える。

 辛そうにしているアキトからは、もうキリトの面影を感じなかった。

 分かっていた事、始めから理解していた事。

 それなのに、何故か心が揺れる。

 アスナは、来た道を戻るようにスタスタと歩き出した。

 

 

「っ、おい!」

 

 

 アキトの言葉など聞く耳持たず、アスナは来た道を帰るように駆け出した。

 駄目だ、嫌だ、今、私は彼の顔を見たくない。

 

 

 一心不乱で歩く。だがそれはいつの間にか走りに変わっていた。

 やがて、鳥型のモンスターとスライム型モンスターのエリアの境目にある橋まで辿り着くと、その走りを止め、立ち止まった。

 アキトは、視界にはいない。追っては来なかったのだろう。

 それに気付くと、アスナは橋に腕を置く。

 アスナは、力無く笑った。

 

 

「…馬鹿だなぁ…私」

 

 

 なんとなく、気付いてた。

 無意識にそう感じてた。

 それは、現実から目を逸らした、自己願望のようなもので。

 

 

 恐らく76層ボス戦後。

 彼がキリトと重なったあの瞬間。

 彼のピンチを助けようと、悪夢を断ち切った時から。

 彼は、キリトだと。

 そう意識していた、誤魔化していた事に気付いた。

 彼をキリトだと無意識に思って、彼の好みに合わせたサンドウィッチを作り、彼をキリトだと感じて、攻略の為と言いパーティ申請をした。

 

 

 ── なんて。

 なんて醜い──。

 

 

 その瞳からは、ポタリと、涙が落ちる。

 それを拭う力すら、今のアスナには無い。

 この世界、キリトのいないこの世界で。

 自分は何を理由に生きれば良いのか。

 

 

(ダメだよ…もう、ムリだよ…キリト君……君が…君がいない世界で、私は…)

 

 

 

 

 こんなにも弱い───

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「…?…やけに早ぇご帰宅じゃねぇか」

 

「……コーヒー」

 

 

 現在2時前。

 自身の店に帰って来たアキトを見て、その帰宅時間にエギルは目を丸くする。

 アキトはそれを無視するべく、エギルにコーヒーを注文した。

 エギルは何も言わず、コーヒーを差し出してくれた。

 

 あの後暫くアスナを探したが、パーティ解散をされていた事もあって見つける事が出来なかった。

 何故いきなり走り出したのかも分からない。

 そもそもアキトはアスナとそれほど親しい訳もない。

 だから、探す事を率先してしようとは思わない。思えなかった。

 

 

 だが、今はそれを後悔している。

 

 

(…やっぱり…探しに行くべきか…)

 

 

 そう考えていると、ふと視線を感じた。

 振り返ってみると、そこには一人の少女が。

 長めの黒い髪で、前髪は揃えられている。

 白いワンピースを身につけており、まだ幼いその少女は、カウンターに座るアキトを見上げていた。

 アキトは、その少女を凝視する。

 

 

(この娘…確かキリトとアスナの…)

 

 

 そう、この少女は確かキリトとアスナをそれぞれ『パパ』、『ママ』と称していた少女だ。

 シノンが落ちてきた時の状況を、見た目の年齢にそぐわぬ知性を感じる発言を持って説明していた事。

 後から聞くと、彼女は<メンタルヘルスカウンセリングプログラム>、通称MHCPと呼ばれるAIだと言う。

 まだちゃんとは話した事は無い。

 確か名前は──

 

 

「…ユイ」

 

「はい、ユイです」

 

 

 名前をポツリと呟いたアキトに、ユイはオウム返しで返事をした。

 彼女は、ポーッとした目でアキトを見つめていた。

 アキトは、そんなユイに狼狽え、視線をあちこちに動かす。

 

 

「あー…えっと、そういや自己紹介がまだだったな…アキトだ」

 

「はい、リズさんやシリカさんから聞いています。よろしくお願いします」

 

「そ…そうか…よろしく」

 

「はい」

 

「…」

 

「…」

 

「……」

 

「……」

 

「…………」

 

「…………」

 

「……………………え、と」

 

 

 白状すると、アキトは会話能力が優れているわけではない。

 今でこそ、周りを挑発するかのような態度で話したりしているが、実際は別。

 彼は、初対面でこうも黙ったまま見つめられていては何も喋れない。

 そんな様子を、エギルが鼻で笑っている。

 アキトはそんなエギルに心の中で助けて欲しいと願いながら、ユイに向き直った。

 

 

「な…何か用事か?」

 

「っ…あ、えと…すみません…その…パパに、よく似てるなって思って…その…」

 

「……」

 

 

 ────また、それか。

 

 

 そう思ってしまった。

 キリトの知り合いに会う度に、この返事、この反応。

 自分を見る度に、キリトを思い出して、キリトに似てるな、他人とは思えない、何だか放っておけない。

 そんな事ばっかり言われて。

 それらの全てが、キリトに似ているからだという理由で。

 その度にキリトとは違う自分に、キリトとの差に、ウンザリさせられる。

 俺はキリトじゃない。

 けれど、キリトのようになりたかった。

 なのに、キリトと間違えられる事に腹が立つ。

 この矛盾のような、自分がどうしたいか、どう思われたいかも纏まらないこの感覚が、どうしても嫌だった。

 

 

「…俺はキリトじゃないよ。悪いな」

 

「い、いえ!私の方こそすみません…アキトさんは、アキトさんですよね…」

 

 

 そう力無く笑うユイに、罪悪感を感じないわけではない。

 けど、仕方ないじゃないか。

 自分は、キリトじゃない。

 キリトの代わりには、なれないんだよ。

 アキトは、その顔を俯かせた。

 

 

 かつて、誰よりも強いと感じたキリトを凄いと思った。

 かつて、誰にでも優しい彼のような人になりたかった。

 いつか、そんな彼と肩を並べられるようにと思ってた。

 そして、そんなヒーローのような彼に憧れを抱いてた。

 

 

 けれど、『越えたい』と、そう思った事は無かった。

 自分は一生彼には勝てない、そう思ったから。

 憧れてしまえば、越えられない。

 自身がキリトを越えるビジョンが、一瞬足りともチラつかなかった。

 

 

 そんな彼に追い付くべく、76層に足を踏み入れた時だった。

 キリトが死んだと、そんな情報が76層で広まっていたのは。

 それを聞いた時、アキトは何を言えば、何を考えればいいのか分からなかった。

 その目的も、約束も、願いも。キリト無しでは叶えられないと思った。

 

 

 けれどその反面、何処かホッとしていた。安心していたのだ。

 ああ、これで自分は、もうキリトに離される事は無い。

 自分は、キリトを越えられるのだと、そう思っていた。

 けれど実際はそんな事は無くて。

 ここに来て、自分とキリトの違い、差を嫌という程理解させられた。周りがキリトを想う強さ、キリトが紡いだ絆の強さ。

 

 

 ああ、俺は、一生キリトに追い付くことなんて出来やしないんだ。

 

 

 そう思い知らされた。

 それからは、キリトと比べられる事がとても嫌になった。

 キリトの憧れは捨てられないのに、キリトとして見られる事がとてつもなく煩わしかった。

 そんな矛盾を抱えた自身の存在が、あまりにも虚しく、滑稽で身勝手で、酷く醜く感じた。

 

 

「……ユイ、はさ…キリト…パパの事、好きか?」

 

 

 何故、そんな事を聞いたのか分からない。

 その問いの答えなんて、決まっているではないか。

 だが、ユイの返事はアキトの予想に反したものだった。

 

 

「…キライです」

 

「え…」

 

 

 俯いていた顔を上げ、ユイの方を見ると、今度はユイが俯いていた。

 アキトとエギルがその答えに目を丸くしていると、やがてユイの体が震え始めた。

 その瞳から涙が伝うのを見て、アキトは目を見開いた。

 

 

「…私を…っ…私とママを置いてっ……勝手に居なくなったパパなんか……大キライ……大キライです……!」

 

「ユ、イ…?」

 

「ユイちゃん……」

 

 

 ユイは涙を拭う事もせず、ただ感情に従って泣いている様だった。

 今まで我慢していたものが、決壊したような、そんな風に。

 アキトもエギルも、ユイの発言を聞き、その顔を悲哀のものに変えていく。

 

 

 その答えは、決して本心じゃなくて。

 それでも、それは本当の事で。

 ここにも、矛盾した言葉、曖昧な答えが存在していた。

 

 

 ユイは、言ってしまえばプログラム。この涙や、先程見せていた笑顔も、0と1の組み合わせと言ってしまえばそれまで。

 だが、彼女の流す涙には、そんな安い言葉の羅列では語れない。語ってはいけないものだった。

 AIなんかじゃない。プログラムなんかじゃない。ユイは紛れも無く『人間』だった。

 

 

 そんなユイに、アキトは言葉をかけられない。リーファの時もそうだった。

 失った人にかける言葉なんて、実は何も存在しないのでないだろうか。

 何を言ったって、慰めにはならない。

 だって、死んだ人は生き返らないし、死んだ人の代わりなんている筈がないのだから。

 

 

 ── けど。

 ── それでも。

 ── そう、頭では理解していても。

 

 

 何故、自分は彼女に涙して欲しくないと思うのだろう。

 まだあまり話した事もない、プログラム相手に。

 何故、俺はユイの手を取っているのだろう。

 

 

 アキトは椅子から立ち上がり、エギルを見る。

 エギルは真剣な眼差しで、頷いて見せた。

 アキトは、そんなエギルの態度に目を丸くしたが、やがて笑みを浮かべた。

 アキトは、ユイの手を尚離さず、驚いているコチラを見上げたユイを見下ろす。

 その瞳には、未だ止まらぬ涙の跡が。

 

 

「ユイ…ちゃん。少し、付き合って欲しいところがあるんだ。付いてきてくれる?」

 

 

 それは、かつての口調。

 弱かった頃の自分。

 強さなど求めず、ただ憧れていただけの自分。

 

 

 ユイは、その目を見開く。

 だがアキトは、ユイの返事を聞かず、エギルの店から飛び出した。

 ユイは、アキトに引っ張られながら、その足を進める。

 エギルは、そんな彼らを暖かな眼差しで見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中途半端(´・ω・`)
しかも書く度意味不明な事書いてる気がする(´・ω・`)


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Ep.14 それは誰かの、優しい願い

 

 

 

 

 

 エギルの店を出て、おおよそ五分が経過していた。アキトは今も尚、ユイの手を引いて歩いている。

 アークソフィアの街並みは、いつもと変わらずプレイヤーやNPCで賑わっていた。

 人の間を縫うように進むアキト。ユイは、そんなアキトを見上げる。困惑しながらも、彼に何も聞かなかった。ただ黙ったまま、繋がれた手を見つめていた。握られたその手は、とても優しくて。歩く歩幅は、自分に合わせてくれていて。普段の彼の態度からは考えられない行動だった。

 これが、本当のアキトなのか。

 

 アキト自身、こんな事をするつもりではなかった。

 嫌われたっていい。恨まれたって、ゲームクリアの為に全力を尽くすだけのつもりだった。他人など関係無いと思っていた。けれど、ユイをあの状態にさせてられなかった。

 体が、勝手に動くのだ。

 

 暫く進むと、やがて人通りの少ない路地裏に行き着く。その壁に沿って、アキトは進んでいく。まるで迷路のようなその街の裏側に、ユイは益々困惑していた。

 

 

 「…あの、アキト、さん…何処に向かっているんですか…?」

 

 「もうすぐ着くから、それまではお楽しみで」

 

 

 その顔には笑みが。その表情が、最愛の『パパ』を思い出させる。

 だから、何も言えなかった。そして、その進む路地裏の目の前には、いつしか光が差し込んでいた。アキトは迷わずそこへ進む。ユイは少し緊張した表情で、その歩を進める。

 繋がれたその手を、強く握り締めながら。

 

 

 

 

●〇●〇

 

 

 「…着いた。ここだよ」

 

 「…わぁ…!」

 

 路地裏を抜けた先、ユイを待っていたのは、絶景と呼ぶにふさわしい景色だった。

 見渡す限り、広い湖で覆われており、端には街が浮かぶように存在している。水面に反射する日の光で、湖がキラキラと輝き、目も心も奪われるようだった。もし、時間が過ぎて夕日になったら、さらに幻想的だろう。

 アキトはその景色を一通り眺めると、傍にいたユイに声をかける。

 

 「綺麗でしょ、ここ。俺のお気に入りの場所なんだ」

 

 「…はい…凄く綺麗です…!」

 

 

 ユイはその景色に見入っているのか、視線は動かない。

 そんな反応にアキトは満足したのか、ユイから手を離し、湖付近まで歩き出す。

 アキトは力無く笑い、やがて口を開いた。

 言おうかどうか、ずっと考えていたけど。ユイになら、話してもいいと思った。彼女に対して、何故か誠実でありたいと思った。

 

 

 「…ここ見つけたの、76層に来てすぐだった」

 

 

 そう口にするアキトに、ユイは思わず目を向ける。アキトはその場に座り込み、変わらず景色を眺めていた。

 その瞳には、かつての記憶が。

 

 「…キリトが死んだって聞いて…なんか信じられなくてさ…本当は何処かに隠れてるんじゃないかって…もしかしたら、そうやってキリトを探しているうちに見つけた景色だったのかもしれない」

 

 「…アキト、さんは…パパとお知り合いなんですか…?」

 

 そのキリトを知っているようなアキトの口振りに、ユイが反応する。

 それが、アキトが隠していた事の一つ。アキトはユイの質問に、未だ景色を見て答える。

 

 「友達、だった…いや、そう思っていたのは俺だけかもしれないけど…」

 

 アキトはフッと自嘲気味に笑う。

 あんなにキリトに嫉妬していたのに、友達だなんてよく言えたなと、我ながら馬鹿だと思った。その言葉に偽りは無いが、それでも思う。キリトは、本当は自分の事をどう思っていたのかと。

 

 「一年くらい前に…ギルドで、一緒に戦ってたんだ。けど…色々あって一緒にいられなくなったっていうか…」

 

 そうアキトは言葉を濁す。ユイになら話せると思っていたのに、結局怖くて話せない。

 それに、一緒にいられなくなった訳では無い。きっと、自分がキリトを避けていたんだ。堪らず別れる事になった時の事、今でも覚えてる。その時、キリトは何か言いたそうだったが、結局何も言わなかった。

 いや、それも違う。きっと、自分が耳を塞ぎ、聞く事を放棄したのだ。あの時アイツは、何を言いたかったのだろう。何故、あの時彼の言葉に耳を傾けようとしなかったのだろう。

 

 

 「…悲しい事が、あったんですか…?」

 

 「…うん。俺は、あの日の自分の行動全てを、今でも悔やむよ」

 

 

 ユイも、そういう事情があったのだと、なんとなく察したのだろう。遠慮がちに質問するその目は、明らかに気を遣っていた。アキトはユイにそんな顔をさせたのだと思うと、何だか申し訳ない気持ちになっていた。

 辛いのは、きっと自分だけじゃない。勿論ユイだって辛い。アスナも、シリカもリズベットも、エギルもクラインも。けれど、それでも自分達は、そんな彼らを互いに慰める言葉を持たない。辛い時、苦しい時にかける言葉など、何を言っても堪えるものだ。その優しさが時に辛くなるから、憐れまれるような卑小な存在だと言われてるみたいだから、人の優しさに救われているだけの何も出来ない自分を認めてしまう事になるから。

 

 言葉を選んでも、死人は生き返ったりしないから。

 祈れば叶う願いなど無い。現実はいつだって理不尽で不条理で。誰も傷つかない世界など存在しない。誰もが痛み、苦しみ、踠き、足掻き、それでも欲しいものに手が届かない。皆が痛みを伴う世界。

 現実も仮想も、本質的には変わらない。何もかもが夢じゃいられない。夢でいさせてはくれないのだ。けれどもしこれが夢ならば、早く覚めて欲しい。

 勇者がいないこの世界は、酷く残酷に見える。

 

 

 「ユイちゃん…俺、もう誰も死なせたくないな…」

 

 「アキトさん…」

 

 

 だから、こんな弱音を吐くのもきっと間違っている。そう頭では理解していても。

 そう言わずにはいられなかった。

 もしかしたら、この奥に秘めている想いを誰かに聞いて欲しかったのかもしれない。

 一年間、溜まりに溜まったこの想いを。

 その悲しげに笑うアキトが、ユイにはとても痛々しくて、触れたら壊れてしまうような、そんな印象を抱いた。

 ふと、止まっていた涙が再び流れる。

 ユイは、アキトの元へと歩み寄り、その隣りに座った。

 ユイも、アキト同様にその景色を眺める。

 

 

 「…私も…もう、誰にも死んで欲しくないです」

 

 「…だよね」

 

 

 ユイはその手をアキトの地面に置かれた手に乗せる。

 アキトは、そんなユイを見て儚げな笑みを浮かべた。

 

 

 それからユイは、見た目相応、子どものように泣きじゃくった。

 キリトの死を、ずっとずっと我慢して。何度も何度も我慢して。

 それでも、この悲しみは消えてくれない。

 辛い筈なのに、それでも自分に付いてくれる彼女は、流石カウンセリングプログラムといったところか。

 だがアキトには、彼女が一人の娘にしか見えなかった。

 彼女の痛みがどれほどのものかは、自分には分からない。分かってやれるなんて無責任な事は言えない。

 それはあまりにも傲慢な考えだから。自分の痛みを理解出来るのは自分だけ、そこに他人が介入する余地は無い。

 同じ苦しみを持ったからって、同じ痛みとは限らない。だから、誰かと痛みを分かち合う、分かり合うなんて不可能で、その痛みをどうにか出来るのは自分しかいない。

 けれど、それでも。

 

 

 その痛みを『誰か』と分かち合いたかったのは、他でもなくアキト自身だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…今日は、此処に連れて来てくれて、ありがとうございます。…また、連れて来てくれますか?」

 

 「…うん。今度は夕日の時間に見に行こう。凄く綺麗だよ」

 

 「本当ですか?楽しみです!」

 

 

 アキトとユイはそう言うと立ち上がる。最初と比べて、ユイは元気を取り戻したように見える。あれだけ泣いて、きっとスッキリしただろう。だが、ユイを慰めるつもりが、逆に慰められた気がした。

 弱い自分を見せてしまった事に後悔しつつも、それでいいと思った。ユイは笑顔になってくれた。まだきっと、何処か無理をしているところはあるが。自分には出来るのは、ここまで。これより先には、踏み寄れない。欲しいと思ったものに、手が伸ばせない。

 

 「アキトさん、凄く優しい人なんですね。以前お会いした時は少し、その…怖かったので…」

 

 「え…あ…」

 

 「ですが、先日エギルさんから、アキトさんは攻略組の人達に態と嫌われるようにしてるんじゃないかって聞いてたんです」

 

 「…そんな、事…」

 

 ユイのいきなりの発言で目を見開いた。

 ユイがエギルから聞いていたアキトの行動の意図。それは、攻略組の士気の向上させる為の明確な共通の敵の存在。それを、アキトは担っていたのではないかと。アキトのその反応は、図星と言っているようなもので。

 だが、アキトはまたユイから目を逸らす。

 

 「…別に、そんな高尚な理由があった訳じゃない。あの停滞状態が続いていたらゲームクリアは絶望的だったし、イラついてたってのも本当だから。あの態度はその表れってだけだよ。それに…」

 

 「…それに?」

 

 「…口調を、態度を…自分を変えて見せるだけで、過去の弱かった自分を消し去った気になってたんだよ」

 

 強がって、偽って、誤魔化して。

 あの頃の弱い自分をいつまで経っても認められなくて。あの時こうしていれば、なんてタラレバを頭の中で考えるだけの毎日。

 あの死んだような毎日。変化無き、屍の日々。態度を変えるだけで、そんな過去から逃れられている気がしてたのだ。だけど、心の中ではいつだって劣等感に苛まれていて。

 それでもどうにも出来なくて。

 

 「だけど、強がるだけで…何でも出来そうな気がしてた。自分はこの世界で最強だって、そう偽るだけで、騙すだけで、この世界の全プレイヤーを救えるような…そんな気が」

 

 けれど断言出来る。

 この世界で最強だったのは、いやこれからも変わることのない最強は、間違いなくキリトだと。自分のこれはただの幻想。現実逃避。そんな安い言葉で捨てられるような矜持だった。

 

 

 「けど、ユイちゃんの言う通り、俺は結局俺のままなのかもな…」

 

 

 変わりたいと願ったのに、変えられなかった。

 キリトのようになりたかったのに、その足元にも及ばなかった。

 誰かを守れる、守ってみせると言えるような強い自信も、それに見合った強さも、誰かを思える優しさも。

 そんな彼を支える仲間も、周りにはいない。

 自分はいつだって自分の事しか考えてなくて、自分はいつだって独り善がりで、いつだって一人だった。

 きっと、これからも一人。

 

 

 「そ…そんな事ないですっ!」

 

 「っ…」

 

 

 すると、ユイが声を張り上げアキトに近付いた。

 その鬼気迫る彼女に、アキトは思わず後ずさる。

 

 

 「76層のボス戦において、アキトさんは凄く強かったって、エギルさんが言ってました。命の恩人だって、借りを返したいと言っていました。だから、アキトさんは決して一人なんかじゃありませんっ」

 

 「…ユイちゃん」

 

 「それに、私を此処に連れて来てくれました。アキトさんは、人の事を思える優しい人だと、私は知っています」

 

 「…それは…変わりたいって…思ったから…」

 

 

 矛盾の塊である自分が、誰かを助けたいと思う。

 その気持ちだけは本物だった。

 

 

 「ならきっと、変わる事だって出来ますよ!」

 

 「…そう、だといいな…」

 

 

 ユイのその笑顔に連られて、アキトも思わず笑ってしまう。

 もしかしたら最初から最後まで、励まされていたのは自分だったのかもしれない。

 

 

 「はいっ、アキトさんなら、きっと変わりたいと思える自分に変わっていけますっ。……だから…だから…」

 

 「…ユイちゃん?」

 

 

 

 

 

 「だから…ママの事、よろしくお願いします…!」

 

 「っ…」

 

 

 予想外の返事に、思わず視線がユイに戻る。

 頭を下げるユイの方に体を向ける。

 ユイはきっと気付いているのだ。アスナが今、危ない状態である事に。

 ユイは続けて言葉を紡ぐ。

 

 

 「攻略組の皆さんに、ママが凄く無茶な攻略を続けてるって聞きました。私、凄く心配で…でも、私には待ってる事しか出来ませんから…」

 

 「ユイちゃん…」

 

 「シリカさんとリズさんも、リーファさんにシノンさんも、クラインさんもエギルさんも心配しています。だから…」

 

 「……」

 

 「私じゃ…無理なんです…」

 

 「え…」

 

 

 ユイの体が震え出す。

 そして、一滴の涙を零した。

 それは、先程よりも辛そうで、苦しそうで、見ていられなかった。

 

 

 「わた…し、じゃ…ママの…生きる理由に…なれ、な、なれ…ない…から…だからっ……!」

 

 「っ…」

 

 

 ユイは知っているのだ。

 アスナがキリトの後を追うかのように、死に急ぐ攻略をしている事に。まるで、この世界に未練は無いと、そう言っているようで。

 ユイは今、どんな気持ちで言葉を発しているだろう。先程から何度も言っているが、他人の痛みは分かり合えるものでは無い。だがユイのこの行動に、アキトの心は大きく揺れていた。父であるキリトの死、母であるアスナの豹変により、彼女はずっと一人だった。自身よりも攻略を優先して鬼のように侵攻していくアスナに、ユイは泣き付く事も出来なかっただろう。

 アスナの目に自分は映っていないと気付いた時、ユイは何を思っただろうか。

 自分の存在じゃ、アスナをこの世界に留めておけないと知った時、どんな感情を抱いただろうか。

 それでも彼女は、自分の苦しみよりもアスナの身を案じ、アキトにアスナを任せようとしている。

 キリトに似ているだけの、たかが一剣士に。会ったばかりの、見知らぬプレイヤーに。それほどまでに、ユイは辛かったのだろう。

 

 俺は、彼女のように、他人を優先して考える事が出来るだろうか。

 

 アキトはユイの頭に、ポンと手を置いて。

 そして、自信満々に言ってみせた。

 

 「ユイちゃん、約束する。アスナは俺が絶対に守る」

 

 「…本当、ですか…?」

 

 「当たり前だ。みんなに希望持たせといて死ぬなんて許さない。頼まれたって死なせてやらねぇよ。……だから泣かないで。笑ってよ」

 

 「っ…はいっ…! ありがとう、ございます…!」

 

 アキトは、ニヤリと不敵な笑みを見せてやる。ユイはその涙をポロポロと流し、アキトの笑顔に応えて見せた。

 そして、安心した。アキトのその自信満々といった表情が、ユイにはとても頼もしかった。

 

 

 そうだ、年端もいかない女の子の育児を放棄する母親など、名乗るに相応しくない。

 そんな奴の自殺願望なんて、叶えてやらない。

 キリトとアスナの娘の願いを、無関係の自分が守る。

 それはでしゃばった行動かもしれない。余計なお世話かもしれない。

 けれど、ユイと交わしたその約束を、違える事など決してしない。

 

 

 ─── 変わってやる。変えてやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あの…皆さんの前では、取り繕う必要は無いと思いますよ。皆さん優しいですからっ」

 

 「…えーと、うん、 そうね…」

 

 

 先程の約束をした辺りから、ユイがグイグイ攻めてくる感じが否めないアキト。

 懐いてくれたと思うと悪い気はしないが、なんとなく冷や汗をかく。

 

 

 「…おう、遅かったじゃねぇか」

 

 「あ、アキトさんっ!」

 

 「あら、アキトおかえり」

 

 「アキト君おかえりなさーい」

 

 「…おかえり」

 

 

 ユイと共に帰ったエギルの店には、シリカにリズ、リーファにシノンがそれぞれ席に座っており、カウンターの奥では既にエギルがコーヒーを置いていた。

 その手際の良さに苦笑いを浮かべつつ、周りを見る。

 アスナは、まだ帰っていない様だった。

 ユイのその顔が、暗い影を落とす。

 アキトは、そんなユイの手を握り、カウンターまで進んで行く。

 いきなりの事で驚いたユイだが、先程と変わらず優しく握られたその手を振り払う事など出来ず、無意識にその手を握り返した。

 ユイの手を離し、カウンターに腰掛ける。すると、ユイがアキトの隣りに座りだした。

 この一連の行動を見逃す筈がない女子、主にリズがニヤニヤしながらコチラを見ていた。

 

 

 「あら〜アキト、随分と仲が良いわね」

 

 「…いつの間にそんなに仲良くなったんですか?」

 

 「あ?オメェらには関係無いだろ」

 

 

 ニヤニヤするリズを睨み、コーヒーを啜る。しかし、その隣りでユイがムッとした表情でコチラを見つめていた。

 何を言いたいのかなんとなく分かってしまうのが嫌になる。

 大方、仲間内なら素で話せみたいな事だろう。

 何故かユイに言われると逆らえない感じが漂う。

 リズ達はいつもの対応をされた為に特にイラついている様子もないが、アキトを怒るような視線でじっと見つめるユイを不思議に思っていた。

 

 

 「あー…えっと、その…今日仲良くなったんだよ…な」

 

 「はいっ!」

 

 「 「 「 「 「 !? 」 」 」 」 」

 

 

 そのアキトの反応に一同は動揺を隠せない。

 ユイに睨まれてからの反応の変化に目を見開く。

 その鋭い口調がなんとなく柔らかく、その態度も、少し柔らかい。

 というより、あの誰も寄せ付けない態度を纏っていたアキトとユイが普通に会話している事が割と驚愕だった。

 ユイはアキトのその態度に満足したのか満面の笑みで頷いた。

 

 

 「…アンタどうしたのよ…」

 

 「…別に、どうもしてないけど」

 

 「いや…何ていうかこう、いつももっとキツイ事言うじゃない」

 

 「…別に。単純に疲れたんだよ」

 

 

(それに…変わるって言ったしな…仕方ない)

 

 

 アキトはユイを見てそう誤魔化す。仕方なくそうしてると。

 けれど、心ではそれでも良いと感じていた。

 逃げていると言われても構わない。

 理由が無ければ、今はまだ歩み寄れないから。

 まだ、彼らには近付けないから。

 近付いて、また失ってしまったら。そう思うと、その歩みを止めてしまう。

 

 

 だからこそ、キリトへの嫉妬が増すばかりだった。

 

 








少し更新遅くなると思うので、早めに投稿しました。
評価やお気に入りを確認しては震える毎日(´・ω・`)。


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Ep.15 過去の投影



ストーリー進んで無いですが、一応投稿します。
もう少しすると、更新が遅れるようになると思いますので。
(´・ω・`)
あと今回、そんなに面白くないかも…(泣)


 

 

 

 とある家の、とある部屋。

 窓から差し込む光が、部屋を照らす。

 開いたその窓からは、涼しい風が吹き抜ける。

 そこにはやはり、とある親と子がいた。

 二人はそれぞれソファに座り、各々の趣味に没頭する。

 少年は子ども向けのゲームを喜々としてプレイしており、男はその手にタブレット端末を持ち、コーヒーを飲む。

 何ら変わらない、在り来りな日常。

 男はふと、少年に視線を移し、声をかける。

 

 

『…なあ、それ楽しいか?』

 

『…うん。まあ…』

 

 

 その少年は、7歳の割には大人しく、手に持つゲームばかりに視線が行く。

 男は、そんな少年に苦笑い。

 こんなにゲームばかりしていては、将来が危ぶまれる。

 なりたいものになれなかったらと思うと、親としては気が気でない。

 

 

『な、なあ桐杜。桐杜は、将来なりたいものとか無いのか?』

 

『…将来?…うーん…分かんない…』

 

『だよね…』

 

 

 まだ7歳の少年に将来の夢を聞いたって、明確なビジョンなどある訳が無い。

 男が発言を間違えた事に後悔していると、桐杜と呼ばれたその少年は、ゲームから視線を外し、男の方へと向けた。

 

 

『じゃあ…父さん。父さんの将来の夢ってなあに?』

 

『え!?…う、うーん…もうなるべきものになっちゃったからなぁ…』

 

『なるべきもの?なりたいものになれたの?』

 

 

 同じ質問を桐杜にされた事で、男は狼狽える。

 少年は頭を抱えて苦笑いを浮かべる男を見て、そんな疑問を投げかける。

 男は、依然その苦笑いを消す事無く、少年の方を見た。

 

 

『いや…子どもの頃になりたかったものにはなれなかったけど、大人になってから目指してたものにはなる事が出来たよ』

 

『へー…子どもの頃には何になりたかったの?』

 

『…あー…』

 

 

 その少年の純粋な疑問を前に、男は目を逸らす。頬を掻き、外の景色を眺める。

 少年には、何故か言うのを躊躇っているように見えた。

 言い難い事なのだろうか。

 やがて、意を決したような顔になると、少年の顔を窺い、恐る恐る口を開く。

 

 

『…笑うなよ…?』

 

『え…うん』

 

 

 そんな子どもみたいな事を言う男に、桐杜はなんとなくおかしく感じていたが、やがて真面目な顔をする男を見て、少年の表情からも笑みが消える。

 

 

『…父さんな…正義の味方になりたかったんだよ』

 

『正義の…味方…?』

 

 

 少年は、その男の真面目な顔をキョトンと見つめる。

 予想外の答えに、少年はきっと驚いたのだろう。

 男はその表情を柔らかいものに変え、言葉を続けた。

 

 

『お前には、ヒーローって言った方が分かりやすいかな…。孤独でも、誰にも理解されなくてもさ…誰かを守れる強さ、困っている人を全て救えるような…そんな正義の味方になりたかったんだ』

 

『……』

 

 

 少年は、そんな夢物語を語るその男を馬鹿にする気など起きなかった。その真剣な眼差しに、心が揺れるだけで。

『正義の味方』『ヒーロー』。この言葉を、少年はよく知っている。

 テレビでやる特撮ものや、アニメで、その存在は幾度も登場する。

 仲間のピンチを颯爽と助けてくれて、悪を滅ぼす強い存在。

 誰に頼まれたわけでもない。見返りも求めない。ただ、誰かの笑顔を守る為に、その身を犠牲にする存在。

 

 

『…どうして…ヒーローを諦めちゃったの?』

 

『え?…いや、そりゃあ…その…社会的に無理だったっていうか…俺、ただの人間だし…』

 

『…?』

 

 

 少年が首を傾げる。男は急な質問にアタフタしつつも、やがて落ち着きを取り戻したのか、その表情は悲しげだった。

 

 

『正義の定義がさ…分からなくなっちゃったんだよ』

 

『正義の…定義?』

 

『なんて言えば良いかな…』

 

 

 男はタブレット端末をテーブルに置き、腕を組む。

 その視線は窓の向こうの景色に行き、やがて男は口を開いた。

 

 

『例えばさ、桐杜に好きな女の子がいるとしよう』

 

『っ…』

 

『ん?…え、何、いるのか!?』

 

『い、いないっ、いないよっ!ほ、ほら、話の続き!』

 

『あ、おう…』

 

 

 顔を赤くし酷く慌てる少年は、話が逸らされそうになるのを全力で回避する。

 しかしその反応は、想い人がいると言っているようなものだった。

 男はその事実に感激しながらも、話を続けるべく口を開く。

 

 

『…で、その女の子がクラスメイトに殴られてるのを桐杜が見たとしよう。そしたら、お前はどうする?』

 

『先生に言う』

 

『ゆ、夢が無いな…そこは嘘でも助けるって言えよ…』

 

『…じゃあ、助ける』

 

『じゃあって…まあいいか』

 

 

 その現実的な返答に男は溜め息を吐く。

 少年は、そのゲームを男は同様テーブルに置き、男を見上げた。

 

 

『桐杜は今、先生を呼ぶにしたって、自分で助けるにしたって、結局は「助ける」って道を選んだ。それは好きだからか?』

 

『…いや、それもあるけど…でもいじめられてるのを見てるだけなのも……何か、違うと思う』

 

『そうだな。けどもし、クラスメイトが女の子を殴った理由があったとしたら?例えば、その女の子がクラスメイトのお気に入りの筆箱を壊しちゃったとか』

 

『それは…』

 

 

 一概にクラスメイトが悪いとは言えない。

 桐杜が見た段階では、女の子がクラスメイトに殴られている場面だったから、クラスメイトが悪いと決めつけたに過ぎない。

 けど、その前にそうした理由があったのなら、女の子が殴られても仕方ないと言える。

 けれど、わざと壊した訳じゃないなら、殴るのもやり過ぎだと思う。

 そう考えると、殴ったという事象が正当なものなのかは判断出来なかった。

 

 

『まあ、今のは例としては浅いだろうけど…見方によっては悪とは言い切れないだろ?悪と見なされたものにだってその行為を行う理由がある。そいつにだって言い分はあるんだ。どんな人にだって、自分の掲げる正義がある。それはな、桐杜…人それぞれ違うものなんだよ。誰もが皆自分の考えを持っていて、自身の言い分があって、貫きたい意志があって』

 

 

『……』

 

 

『正義の味方は、いつも悪を倒す。だけど、その悪と言われた者にだって、貫きたい「正義」があった筈なんだ。それは周りからは悪とされるものでも、そいつにとっては大切な事だったのかもしれない』

 

 

 それを悪と見なすものは集団だ。

 主観的なものよりも客観的な意見を重要視するこの世界、その客観視から出来上がった常識という範疇に収められてしまうと、その枠外の行為は皆悪とされてしまう。

 民主主義と言う名の元に、少数派の意見は切り捨てると言った排他的行為だ。悪と見なされてしまえば、そいつはもう悪となってしまう。

 だからこそ、その少数の人間は、多勢に相槌を打つ存在になってしまうのだ。

 誰だって、一人は怖いから。一人だと、自分が正しいという気持ちが揺らいでしまうから。

 

 

『世間で言う「正義の味方」って言うのは、一体誰の「正義」においての味方になる存在なんだろうって思ったら…なんだかな…』

 

 

 男はそう言い切ると、力無く笑った。

 少年はそんな男を見て、瞳が揺れた。

 彼はきっと、目指していた夢の曖昧さに困惑し、誰の為の味方になるのか分からなくなってしまったのだ。

 正義とは何か、それは誰にとっても違う。

 正義とは考え方なのだ。

 考え方は人それぞれ違うし、その価値観の相違が、人間関係を変える事もある。それらの違いで対立し、それでも互いに自分が正しいと譲らない。

 ならば、正義の味方は、一体誰の味方をするのだろうかと。

 

 

 少年は、そう言葉を紡ぐ男を見据えたまま、口を開く。

 

 

『…7歳の子どもに随分と難しい話をするんだね』

 

『うっ…!…いや、お前なら分かるかなーって…まあヒーローって言っても聖人君子じゃないからな…自身の主観が入ると、どうしても自分が悪いと思った奴を嫌っちゃうし』

 

『…うん…なんとなく分かる…僕も、嫌いな子とは仲良くしたくないし』

 

『…歩み寄る努力はしような…』

 

 

 物分りが良過ぎるのも考えものである。

 男はそんな少年にまた苦笑いを浮かべた。

 少年は男を見て考える。その達観したような考えに至った男は、どんな風にこれまでを生きてきたのだろうかと。

 普通に生活するだけでは、そんな思考に辿り着きそうにない。

 どうして、そもそも正義の味方になりたいと思ったのか。

 

 

 けど、そんな事よりも何故か。

 

 

『…じゃあ…もう父さんはヒーローにはならないんだね』

 

 

 挫折したというその事実が、なんとなく悲しかった。

 少年は儚げにそう言って笑い、俯く。

 何故こんなに残念に思うんだろうか。

 もしかしたら少年は、その男にその夢を諦めて欲しくなかったのかもしれない。

 男はそんな少年を見てキョトンとするが、すぐにフッと笑って見せた。

 

 

『そうだな…今は、自分が大切だと思えるものが守れれば、それでいい』

 

 

 男は、少年の頭にポンと手を乗せる。

 そんな事を言う男の方へと、自然と視線が行っていた。

 その手がとても優しくて、暖かくて、とても安心した。

 彼は夢を諦めたというのに、その顔は嬉しそうだった。

 

 

『お前はどうだ?誰かを守りたいって、そう思った事無いか?』

 

『…無いかな。ヒーローになれる程強くないし』

 

 

 それに、男に分からなかった夢を、自分が目指したって変わらない。

 結局、同じ道を辿って挫折するだろう。

 しかし、男はそうではないと首を振る。

 

 

『違うよ。ヒーローになんてなる必要は無い。大事なのは守ろうとする意志だよ、桐杜』

 

『守ろうとする意志…』

 

『そう。俺はお前にヒーローになって欲しいわけじゃないんだよ。強くは望まない…けど、大切なものくらいは守れる強さを持って欲しいんだよ。…お前にはいないか?大切なものとか、人とか』

 

『大切な…人…』

 

 

 少年はそう呟くと、たった一人、頭に浮かぶ人がいた。

 自分と同じくらいの女の子。優しくて、笑顔が絶えない、そんな女の子が。

 少年はそこまで考えると、ほんの少し頬を赤らめる。

 その反応を、男は見逃さなかった。

 

 

『お!や、やっぱり…好きな子がいるんだな!?誰だ!どんな子だ!大切なもので何を思い浮かべた!?』

 

『ゲーム!ゲームだよっ!好きな子なんていない!』

 

『ゲームを守れる強さなんて必要無いわっ!』

 

 

 少年の肩を掴んで前後に揺らす男。少年の頭は前後左右に揺れる。

 やがて少年が男を突き放し、ハアハアと息を整える。

 男は納得してない様だが、やがてその表情を真面目なものにした。

 

 

『まあ…いないと言うなら仕方ない…今はそれでいい。けどな、いつかはそんな存在に出逢うかもしれない。その時は、ちゃんと考えろよ、俺が言った事』

 

『…うん』

 

 

 男の真剣な態度に、少年は真摯に向き合う。

 真面目な話をされたのだから、こちらも真剣にならなければと、そう思った。

 今はまだ大切なものとか、守ろうとする意志とか、そんなものは曖昧で、分からない事ばかりで。

 だけど、男のその言葉だけは、心に残っていた。

 少年の反応に満足したのか、男は笑顔で胸を張った。

 

 

『よしっ…桐杜、お前には強くなる呪文を教えてやろう』

 

『呪文?…そんなのでホントに強くなれるの?』

 

『…夢の無い奴め…良いんだよ、これはおまじないみたいなものなんだから』

 

『おまじないねぇ…』

 

 

 少年は疑惑の眼差しを向ける。その視線に、男は目を逸らす。

 だがやがてその視線を少年に戻し、ニヤリと笑う。

 そして、おまじないだと称する言葉を口にした。

 

 

『──、────。』

 

『…それ、父さんの時代にやってたアニメの主人公のセリフじゃん…』

 

『な!?…なんで知って…と言うか、父さんの時代とか言うな。年の差感じちゃうだろ…』

 

『…なんか、さも自分が考えました感あったよね…』

 

『ぐおおぉぉ…恥ずかし過ぎるっ…!』

 

 

 男は、少年がそんな昔のアニメを覚えてるとは思っておらず、セリフをパクったと知られて顔を真っ赤にし、頭を抱える。

 余程恥ずかしかったのか、ソファーの上で体を捻りまくっている。

 その男の年齢にそぐわない行動にかなり引きつつも、少年は男に疑問を投じた。

 

 

『けど、なんでそのセリフなの?昔のアニメを選ぶなら、もっといっぱいあると思うけど…』

 

『一々抉ってくるな……まあ、理由は色々あるけどさ。この言葉にはさ、「自分という存在は、誰かを守る為にある」、みたいな意味が込められてると思うんだよ。…まあ俺の勝手な解釈だし、ホントは的外れなのかもしれないけど』

 

 

 男は、少年の肩に手を乗せて、微笑んだ。

 その笑顔は、酷く優しくて。

 

 

『お前にも、そう思えるくらいの大切なものが出来ればいいな』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…夢」

 

 

 アキトは瞼を開く。見知った天井が目に入り、そこがエギルの店の宿だと一瞬で理解した。

 殺風景なその部屋には、ベッドや机など必要最低限のものしか置いておらず、酷く寂しい気持ちになる。

 体を起き上がらせ、窓の外を見る。まだ暗く、朝とは言い難い。

 街灯の光が、窓のから差し込んでくる。

 アキトは体を再び倒し、天井を見上げた。

 

 

 「父さん、か…」

 

 

 酷く懐かしい夢を見た気がした。

 まだこの世界の理不尽さを知らない、無垢な子どもの頃の夢を。

 まだ父と共にに歩んでいた、一人ではないんだと、そう思っていた頃の夢を。

 ふと、会いたいと思ってしまった。

 

 

 「…今はもう…この世にいないっていうのにな…」

 

 

 アキトは天井に手を伸ばし、寂しく笑った。

 信じていたものを全て失った時の、あの頃を思い出して。

 そして、今見た夢を思い出して。

 

 

『──、───。』

 

 

 「…なんだっけか…あのおまじない…」

 

 

 その言葉は、ノイズのようなものがかかって聞き取れない。

 伸ばしていた手を頭に置き、瞳を閉じた。

 しかし、やはり思い出せなかった。

 けど、それ以外の事は、鮮明に覚えている。

 

 

 このSAOという世界においても、殺人は唾棄すべき悪だ。

 だけどそれらの罪は全て、この世界を作った茅場のせいとなる。

 だから彼らにとって、茅場晶彦という存在は悪であろう。

 だが、父の言葉を借りるなら、きっと茅場にも正義があって、この沙汰とも呼べる行為をする理由があったのだろう。

 

 

 茅場晶彦の貫く『正義』とは、一体どんなものだったのだろうか。

 

 

 もどかしい気持ちを頭の隅に追いやり、アキトは再び起き上がる。

 時間を確認すると、現在3時25分。深夜帯の時刻だった。

 

 

 「…エギル起きてんのかな」

 

 

 二度寝する気になれず、バッチリ目が冴えてしまった為、コーヒーでも貰いに行こうかと立ち上がる。

 その足取りは、酷く重かった。

 扉を開け、1階に向かおうとすると、思わぬ人物に目を丸くする。

 よく知っている、栗色の髪をした、トップギルドのリーダー。

 

 

 「…閃光」

 

 「…貴方…」

 

 

 言わずがもがなアスナである。

 アスナもアキトを見て驚いたのか、その場から動かない。

 ドアノブに手を掛けているところを見ると、今から部屋に入るところの様だが、驚くべきはその格好。

 いつもの攻略に赴く際の、血盟騎士団のユニフォームだった。

 

 

 「…まさか、今の今まで攻略してたのか…?」

 

 「……」

 

 

 アスナは何も言わずに俯くだけ。だが、沈黙は肯定だとはよく言ったものだ。

 その反応は、図星だと言っているようなものだった。

 その執念に、背筋がゾッとした。取り繕うにも、言葉が震えてしまった。

 アスナのこの行動は異常だった。幾らゲームだからって、身体に影響は無いからといっても、疲労は必ず溜まるものだ。

 アスナが倒れるのも時間の問題だった。

 

 

 いや、寧ろ、それが目的なのかもしれない。

 全力で攻略して、全力でボスに挑み、そして死ぬ。

 そんな事を、アスナならやりそうだった。

 やはり、アスナの目には何も映っていないのか。

 

 

 「……」

 

 

 グッと拳を握る。ユイのあの泣きながらの懇願を思い出した。

 自分ではアスナの生きる理由にはなれないと、涙を流す彼女の姿を。

 そんな事、信じたくなかったのはユイ自身の筈なのに。

 

 

 アキトは、アスナの目の前を通り過ぎる。

 アスナは、そんなアキトに視線が動いた。

 アキトは暫くして立ち止まり、振り向きざまにアスナを睨む。

 

 

 「人に『死なないで』とか言っといて、死ぬんじゃねぇぞ」

 

 「……」

 

 

 それは、76層でアスナがアキトに言った一言。

 アキトは当たり前だと、死なないと断言した。

 一方的に守らせるだけなんて、そんな事は許さない。

 

 

 アスナは何も言わずに、再び俯いた。

 だがアキトは、そんなアスナの返事は聞かなかった。

 きっと、今言っても何も変わらないと思うから。

 アキトはアスナに背を向け、1階に向かって歩き出した。

 

 

 

 

 

 

『自分という存在は、誰かを守る為にある』

 

『お前にも、そう思えるくらいの大切なものが出来ればいいな』

 

 

 

 そんな今は亡き父の言葉を思い出した。

 そんな言葉を反芻し、やがて力無く笑った。

 

 

 

 「俺にもいたよ…この世界で…そういう人が」

 

 

 

 今はもう、いないけど。

 






そう言えば、日間にランクインしたんですよね…
ビックリです(´・ω・`)

皆さん読んで下さってありがとうございます。

もう消えたけどさ…( -ω- `)フッ
あーゆーのって一瞬で消えるものなの…?(震え声)
ちょっとショックですけど、目的は呼んでもらう事なので特に気にしません!
面白い!って言ってもらえれば嬉しいですし、つまんねぇ死ね!って言われたら凹みます( ´ཫ` )

けど、そういう批判を貰える事が、上手く書く事に繋がると思います。




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Ep.16 辛い気持ち


この作品って、確かに言ってしまえば『キリトのパクリが主人公に成り代わってるだけじゃねぇか』と言われるとなんとも言えないんですよね。
何処まで面白く書けるか…(´・ω・`)
それを理解の上、これからも読んでくれると有難いです。
今回もあまり進まない上に、それほど面白くないかもですが、少し更新が遅くなったので長めになっております(´・ω・`)



 

 

変わるという事は、それまでの自分は死ぬと言う事。それは、過去の自分を否定すると言う事。

周りはそれを、『悪』と見なすだろうか。

だけど、それが悪い事だとは思った事は無い。

無かった事にしたい過去なんて、誰にでもある。それを肯定するかどうかは自分自身に委ねられるべきもので、他人にとやかく言われる筋合いは無い。

他人にどう思われようと、自分は自分であるべきだから。

アキトはずっと、今もそう思っている。

それはきっと、今までの自分が嫌だったから。

此処に来るまでの道のりは、長いようで、短いようで。

 

 

あれから一年経って、自分は変われただろうか。

強い自分に。誰かを守れる自分に。自分の誇れる自分に。

…他人を想える、優しい自分に。

 

 

きっと、変われていない。変わった、いや、変えたのは態度だけ。

それは過去の自分から逃げる為の、偽りの自分。

そんな偽物の自分は、他人を寄せ付けず、周りを見下す強者。

誰よりも繋がりを求めていた筈なのに、他人と関わる事が酷く恐ろしくて。

そんな過去を消し去りたかった。無かった事にしたかった。

だけど、そんな事は無理だった。

あの頃の自分を、あの頃の自分と繋がりを持っていた仲間を否定し、無かった事になんて出来なかったから。

 

 

矛盾している。理解している。

けれど、俺はこの矛盾の解き方を知らなくて。

 

 

だけど、それでも良いと思っていた。

キリトの大切なものを、守れるなら────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アキトがリズベット武具店に入ると、いつものようなもてなしが無かった。

不思議そうに周りを見ると、店の端の方で剣を持ったリズが何やらブツブツと何かを呟いていた。

アキトは暇潰しに来ただけだったので出直す事も考えたが、アキトはなんとなくリズに近付いた。

 

 

「…やっぱりパラメータが微妙ね…前のクオリティに戻るまで、まだまだ先は長そう…」

 

「……」

 

 

予想通り、鍛冶スキルを元に戻す為の鍛錬だったようだ。

76層に来て、商売道具でもある鍛冶スキルの熟練度を失った事は、リズにとって絶望でしか無かっただろう。

だがリズは落ち込む時間すら勿体無いと、ひたすらに武器を打ち続けていたのだ。

このアキトが手伝ったリズの76層に来てから作った武器の仕分け。

あれほどの量、きっと寝る間も惜しんで剣を作り続けていたのだろう。

そのひたむきなリズに、アキトは何とも言えなかった。

しかし、リズが急にコチラを振り向いた。

アキトはしまったと思いつつ、その場から動けない。

案の定、いきなり後ろに立っているアキトに、リズは驚愕の表情を浮かべた。

 

 

「うひゃああぁああぁあああぁぁあぁ!!!」

 

「うおっ!?」

 

 

その悲鳴の大きさに、アキトも思わず体を震わす。

リズは腰が抜けたのか、尻餅をついてから立ち上がれない。

しかしその顔は怒りと焦り、驚きを顕にしており、リズは声を荒らげる。

 

 

「お驚かさないでよ!心臓止まるかと思ったじゃない!」

 

「…いや、扉開ける音なら聞こえただろ」

 

「はぁ!?そんなの聞こえな…っていうか、来るなら来るって連絡くらい…」

 

「そんなの、わざわざ言わなくて良いだろ」

 

 

アキトがプイっと視線をあらぬ方向へ飛ばす。

リズは腰に手を当て溜め息を吐く。

 

 

「…あたしがいなかったら、どうするつもりだったのよ」

 

「ここは店なんだろ?不定期な休業なんてしたら店としては二流だな」

 

「こっのぉ…ああ言えばこう言う奴ね…」

 

 

リズは立ち上がりながらそう言うと、アキトをジトっと見る。

アキトはバツが悪そうにあからさまに目を逸らし、店に陳列している武器を眺め出した。

リズはそんなわざとらしい態度に再び溜め息を吐きつつ、アキトに近付き手を差し出した。

 

 

「…何その手」

 

「は?武器のメンテナンスよ。昨日来たばっかりだってのにもう磨り潰しちゃったんでしょ?さっさと寄越しなさい」

 

「…あ、ああいや…」

 

「…ほら、さっさと寄越す!」

 

 

アキトはリズのその言葉に思い出したかのように鞘からティルファングを取り出した。

その反応が少し気になりつつも、リズはティルファングの耐久値を見る。

しかし、メンテナンスに来た筈なのに、ティルファングの耐久値はまだかなりある。

 

 

「何よ、耐久値全然減ってないじゃない。アンタの事だから、またすぐ磨り潰しちゃうと思ったのに」

 

「……」

 

 

アキトは何も言わず、リズから目を逸らしたまま。

返事をしてくれないアキトを不思議に思いながらティルファングを見つめた。

メンテナンスをする為に来た筈なのにティルファングの耐久値はMAXに近い。

確かに昨日メンテナンスには来たが、アキトの事だから耐久値は減らして来るものだと思っていた。

だがメンテナンスは必要無い。

つまり、この店に来たのはメンテナンスが目的じゃない。

そこまで思考が追い付いて、一つの答えに辿り着く。

リズは顔を上げ、アキトを凝視した。

 

 

「…もしかして、スキル上げの手伝いに来てくれたの…?」

 

「……」

 

「…アンタ…ホントにアキト…?」

 

「その質問何回してんだよ」

 

 

だが実際、リズがそう言うのも無理は無い。

ユイと共にエギルの店に帰ってきたあの日から数日、なんとなくではあるが、アキトの態度が柔らかく感じていたのだ。

リズ達は驚きで目を見開いていたが、アキトは知らぬ存ぜぬ。

周りから、主に攻略組のアキトへの印象は、キリトの真似事をした二流剣士というもの。

その発言は、アキトの態度と実力が気に入らない連中が言いふらした噂。

だがあの時、アキトと話すユイの顔はとても嬉しそうで。

あの噂を流した攻略組の奴らに、なんとなく憤りを感じた。

あんな笑顔のユイを、リズ達は初めて見たから。

 

 

「…アンタ、少し変わったわね。この前までは周りは皆敵、みたいな感じだったのに」

 

「…別に。自分のやるべき事を思い出しただけだ。…その為にヘボ鍛冶屋のスキルが必至なんだよ」

 

「ああーーー!? 言ってはならない事を言ったわねーーー!?」

 

 

その変わらぬ物言いに、リズも憤慨する。

こう大声で誤魔化してはいるが、今現在リズが一番気にしている事でもあった。

やっぱりコイツはキリトに似ていない。

そもそも、格好や雰囲気がキリトに似ているからパッと見てそう感じるだけで、実際、顔だけで言うならばそこまで言うほど似てはいない。

確かにアキトも、キリトと同じく中性的な顔をしてはいるが、何処と無くアキトの方が女顔感はある。

女性ウケが良さそうな綺麗な顔ではあるが、今の態度もあって、その目は鋭いものを感じた。

しかし、その鋭い筈の視線も、何故か儚げに見えた。

不思議に思うと、アキトが口を開いた。

 

 

「…けど、変わった訳じゃない。…以前の自分に戻ってるだけだ…人間、そんな急に変わらない…変わらねぇよ」

 

「…それは…そうかもしれないけど…」

 

「お前だってそうだろ?リズベット…お前だってそうやって取り繕って、自分を騙してる。本当は鍛冶スキル無くなったの、かなりショックなんだろ」

 

 

そのアキトの発言に、思わず目を開く。

その言葉は的を射ていたからだ。

スキルが無くなったと聞いて、来る客もお得意様も減る一方で。

上げれば良いと思ってただひたすらに、何も考えずに剣を打って。

そうやって誤魔化していた。

 

 

「…やっぱり、気付いちゃうか…」

 

「……」

 

「…何も、言わないんだね」

 

「…労いの言葉くらいなら言えるんだがな。俺は他人を励ます言葉を、何一つ知らないんだ」

 

 

だけど知っている。

自身を偽るそのやり方は、何一つ変えられないと。

変わるのは、そんな事を繰り返す度に摩耗していく自分の心だけ。

それでも、そんな哀しみに暮れるくらいならと、笑って誤魔化しては、またその変化無き日常を憂う。

彼女は今、スキルが無い事のショックを、スキル上げをする事で寧ろ誤魔化している。剣を打てばスキルがまた元通りになると考えている、というよりかは、剣を打っていれば嫌な事を忘れられると、そう考えている節がある。

だけど知っている。

そのやり方ではいずれ癇癪を起こす。

自分の感情を誤魔化せるのはほんの一時で、暫くすればまた思い出す。それも、誤魔化していた分、大きな波となって。

 

 

「…けど、ウジウジしてるわけにはいかないじゃない…今一番辛いのは、アスナだと思うから…」

 

「…は?」

 

「アンタにも分かるでしょ…?好きな人の死って、そう簡単に割り切れるものじゃない…アスナ、キリトの恋人だったのよ…?それでもあの娘は、それを誤魔化してる…クリアの為に頑張ってくれているの…」

 

「…それは違うな。アイツは死に急いでいるだけだ。自分の勝手な都合で引っ張った攻略組を置いて、一人で死ぬつもりなんだよ」

 

「っ…そんな事っ…!…そう、かもしれないけど…」

 

 

リズは俯いた顔をバッと上げてアキトを睨み付ける。

しかし、そのアスナの行動の理由を否定出来ないでいた。

そのアキトの表情は、どこか悲哀の情を感じた。

 

 

「…失ったのはアイツだけじゃない。この世界に閉じ込められて、恐怖で体が震えても尚、だからこそ繋がった奴らは何人もいる。だけどこの世界では誰だって簡単にその繋がりが切れる可能性があるんだよ。ここはゲームであって遊びじゃない。キリトの死は、お前らが遊んでたツケが回った結果だ」

 

「っ!そんな言い方…!」

 

「この世界の繋がりは、現実世界に帰るまで取っておくべきだったんだよ。現実世界とは違うこの世界は、所詮仮初めの世界。何人もの人が願った夢の世界、けどそれは人の業…。あるべき世界じゃない。恋人だの何だのは…現実に戻ってからするべきだった」

 

「そんなのおかしいわよ…この世界でだって、ちゃんとご飯は美味しいし、みんなと笑い合える…人と繋いだ手は温かいのよ…?」

 

 

それは、キリトに教えて貰った事。

繋いだ手は、こんなにも温かいのだと、そう教えてくれた。

だがアキトはその言葉を切り捨てる。

 

 

「この世界に来てしまったから、死んでしまった奴もいる」

 

「っ…」

 

「それも…みんなと笑い合う事も、人と手を繋ぐ間も無くな」

 

 

アキトのその言葉に、リズは返答する事が出来なかった。

確かに、この世界に来なければ死ぬ事が無かった人となんて沢山いる筈だ。

寧ろ、死の恐怖を感じたのはこの世界に来てからだ。

現実世界で、ここまで死について敏感になった事など無い。

アキトの言葉には、段々と苛立ちが見て取れた。

 

 

「誰だって人の死を目の当たりにする世界なんだ…閃光が自殺するなんて事、そんな道理が通る筈が無い…必死に生きようとしている奴らの目の前で命を捨てるなんて、そんな行為は許さない。辛いのはお前らだけじゃないんだ」

 

「…アキト…」

 

「…変に深く干渉するから、辛くなるんだ…現実世界のものよりも、こっちの世界の方が簡単に切れる…だからこそ現実に帰るまで強く繋がるべきじゃねぇんだよ」

 

 

そんな事、出来る筈が無い。

この地獄のような世界ではきっと、誰だって絆を求めてしまう。

アキトの言うように出来たら、どんなに良かっただろう。

キリトを好きにならなければ、ここまで辛く苦しく感じる事が無かったのだと言われれば、確かにアキトの言う通りなのかもしれない。

だけど、この好きになった気持ちは嘘偽り無いもので、無かった事にはしたくない。

 

 

「…けど、アンタのそれだって…誰にでも出来る事じゃ無い…間違ってるわよ…」

 

「…そうだな…知ってるよ」

 

 

アキトは踵を返し、リズベット武具店を後にした。

お互い、スキル上げの雰囲気ではなくなってしまった。

リズはその場にへたり込み、両手を地面に付いた。

きっとアキトにも、辛く苦しい事があったのだ。

理解しなきゃと思っていた。キリトの時とは違う。ちゃんと近付いて、知っていかなきゃと思っていた。

だけど、彼の言葉を聞く度に、こんなにも辛くなるなんて思わなかった。

アキトのあの考え方は、決して間違っていたとは言えない。

だけど、あの孤立した考えは、どこか歪んでいて、きっと寂しいものだった。

間違っていると思うのに、反論する事が出来なかった。

 

 

「…キリト」

 

 

今は亡き、英雄の名を、小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

76層アークソフィア街道。

まだ昼時で、その道にはプレイヤーで賑わっていた。

事情も知らぬまま中層から来てしまったプレイヤーも、今ではそれを受け入れたのか、仲間内で賑わっているのが見て取れた。

そんな彼らを見て、アキトは溜め息を吐く。

 

 

いつか失うかもしれないのに、何故そこまで楽しく出来るのか。

 

 

そこまで考えて首を振る。

いや、人の事は言えない。自身もエギルを助けたじゃないか。

あの時は無我夢中だった。失いたくないと思えたのだ。

まだ会って間もなかったあの巨漢を。

思わず笑ってしまう。

 

 

そして、またその顔を暗くする。

先程のリズとのやり取りを思い出した。

あの言葉、その全てが自分に返ってくるこの感覚が、どうしょうもなく嫌だった。

あの発言の何もかもが、自分を攻撃しているようで。

人の事など言えなかったのに、あれほど偉そうで。

一体自分は、何をしたかったのか。

 

 

きっと俺は、誰よりも弱くて、誰よりも孤独で。誰よりも繋がりを欲していて。

きっと、誰よりもキリトに縋っていた。

アスナと同じくらい。

 

 

「…ダメだな…ホント」

 

 

アキトは頭を掻き、街中の食店を眺める。

料理を作る気分でも無かった為に、何処かの店で済ませてしまおうと考えていた。

食べている間だけでも、この感情を忘れていたい。

そしてアキトは、なんとなく目に入った店の扉を開け──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おかえりなさいませ!ご主人さ……ま……?」

 

 

 

 

─── そっとその扉を閉じた。

 

 

「…今そんな気分じゃないんだよ…」

 

 

というか今の出迎えたメイド、どう見たってシリカだった。

そうして店の看板を見ると、どうやら店の名前は『あい☆くら』。

内装とシリカの服装をチラッと見るに、メイド喫茶らしい。

そこまで考えて、アキトの顔は更に暗くなった。

この店にうっかりとは言え、入ってしまったのは自分のミスだ。

ここでアキトとシリカが顔を合わせたという事実は、気不味さしか生まれない。

アキトからすれば、『シリカがここでバイトしてるのか』という疑問しか湧かないが。

だが逆にシリカからすれば、『アキトにメイド姿を見られた』という事実に何かしら思う事があるかもしれない。

なんなら、『アキトさんってこんな店に来るんだ…』といった感情を抱くかもしれない。

他人なら何を思われても構わないが、シリカは知人である。

これからも顔を合わせるとなれば、今回の事情は嫌でも思い出す。

アキトは自嘲気味に笑った。

そうだ。自分はもう二度と後悔しないと決めていたのに、自身の油断が今回の事件を招いてしまった。

やはり自分は、何も変わっていない。何度やっても失敗ばかりか…。

 

 

「…もう、俺は変われないのかもな…」

 

「何言ってるんですか!ちょっと、説明させて下さい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…なるほどな、クエストか」

 

「はい…効率の良いクエストだったので…」

 

 

シリカの説明もあって、どうやら互いの誤解は解けたようだ。

シリカの今の仕事は、経験値の量が多い生産系のクエストらしい。

この店での店員、もといメイド。

シリカの容姿は幼いが、可愛らしいものだ。そのミニスカート型のメイド服も、彼女に合っていて似合ってなくもなくもなくもない。

 

 

「あの…あまり見ないで下さい…あたし、こんなちんちくりんなのなに、ふりふりのメイドさんなんて…」

 

「そうだな、分かった」

 

「…否定してくれないんですね…」

 

「どっちだよ…」

 

 

女はそういう所があるから難しい。

シリカのその視線から目を逸らす。

すると、この店の客のほとんどに睨まれているのに気付く。

大方、シリカ目当ての客だろう。

シリカ相手に欲情出来るなんて、相当な猛者に違いない。尊敬するあまり、視界に入れたくない。

ダメだ、こんな所にいたら自身も変態の仲間入りになる。

それに気付いたアキトは、溜め息を吐きつつ立ち上がる。

 

 

「…じゃ、事情も分かったし帰るわ」

 

「え…?食べに来てくれたんじゃないんですか?」

 

「いや、俺はお前がここにいる事自体今知ったし、この店に来たのも偶然だ。食べられるなら何処でもいいと考えて入った店だったんだが、ここはダメだ。論外で圏外で、管轄外で守備範囲外だ」

 

「そこまで…そ、そんな事言わずに食べてって下さい!あたし、まだちゃんとお礼もしてないのに…」

 

「お礼ね…クエスト見つけたのはお前だろ。それにメイド姿でお礼とか言われたら正直、そっち系の事しか思いつかん。悪いけどそういうのもお断りだ」

 

「そんなわけないじゃないですか!普通に!この店で!食べっていって下さい!」

 

「…分かったよ」

 

 

店の中で騒ぐわけにもいかない。

アキトはこうして、変態の仲間入りになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それではアキトさん……じゃなかった!ご主人様、メニューをどうぞ」

 

「ああ…うん、どうもね」

 

「本日のオススメは、『あい☆くらカレー』と『あい☆くらオムライス』です!特にオムライスがお勧めです!ケチャップはお客様の前で、あたしたちメイドが愛情を込めてかけるんです!」

 

「…愛情、ね。…じゃあパスタで」

 

「…オムライスでもカレーでもないんですね…」

 

「愛情なんて言われたら期待するからな。ガッカリが大きいようなリスクは払わん」

 

 

アキトはそう言ってそっぽを向いた。

シリカは溜め息を吐きつつ、その注文を了承したのか厨房へと入っていった。

その間アキトのその目はどこか遠くを眺めていた。

愛情。その言葉の意味を模索する。

愛情とは何か。それは人を愛すると言う事と同義。

愛された人間は、自分が必要な存在なのだと気持ちが満たされる。

それを一番最初にくれるのはきっと肉親だ。

望まれない子ども以外ならきっと、誰もが親からの愛を受ける。子どもはそれだけできっと笑顔になれる。親という存在は子どもにとっては神であり、世界だから。

そんな愛情を、オムライスにケチャップをかけるだけで満たされるとは思わない。

それよりも、ここがクエストのための店という事は、プレイヤーによって後天的に建てられたものではないという事の方が重要だった。

 

 

つまり、この『あい☆くら』なるメイド喫茶はカーディナル、ひいては、茅場晶彦の設計という事。

 

 

「…愛に飢えてたようには見えなかったけどな」

 

 

アキトは、茅場晶彦の痩せこけた顔を思い出し、鼻で笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…ご馳走さん」

 

「ありがとうございました!」

 

 

客に変わらず睨まれながら食べるパスタの味はまあまあだった。

長居するわけにもいかず、食べ終えてすぐに外へと踏み出す。

シリカが笑顔で入り口まで付いてきた。

しかし、その顔はすぐに真剣なものに変わった。

 

 

「…あの、本当にありがとうございました。効率のいいクエストを見つけられたのも、アキトさんのおかげです。もう少しで、あたしも攻略のお手伝いが出来ますね」

 

「…やっぱり、それが目的なんだな」

 

「…はい。最初は、キリトさんの役に立ちたくてここに来ました。だけど、キリトさんがいなくなったからって、ただ街中でクリアを待つなんて、そんなの嫌だって思ったんです…あたしも、アスナさんやアキトさんの、攻略組の力になりたいです」

 

「…そうか」

 

 

そこまで聞いて、アキトはシリカを見つめた。

あの時リズに言った言葉が頭を過ぎる。

辛いのはお前だけじゃない。

シリカも哀しみを抱えていて、本当は怖い筈なのに、それでも前を向く努力をしている。

まだ幼い彼女も、こうして必死に足掻いている。

そんな彼女の強さが、とても羨ましかった。

 

 

「まあ、頑張りな。そこまで面倒は見ないからな」

 

「…この前シノンさんに戦闘の仕方教えてたじゃないですか」

 

「…何故それを」

 

 

アキトはバツが悪そうに顔を顰める。

最近になって、シノンから戦闘の訓練をお願いされていたアキト。

部屋に来た時は扉を閉めたものの、段々と逆らえない雰囲気になり、結局折れて付き合っているアキト。

最近、シノンが何を考えているのか分からないまである。

 

 

「アイツは初心者だ。ちょっとした手解きは必要だろ。俺は何でもかんでも手伝えるわけじゃない」

 

「そうですよね…でも、ありがとうございました」

 

「……」

 

 

食べてる間だけでも、嫌な事を忘れたいと思って入った店だった。

思わぬ人物と出くわしはしたが、ここへ来て、なんとなく救われた気がした。

シリカはきっと、強くなる。だから、きっと大丈夫だ。

彼女のその強い心が羨ましい。自分も、そうなれたらと思った。

こんなに幼いのに、哀しみに暮れる事無く前を向くその姿が、その凛とした佇まいが、キリトのように見えて。

やはり、関われない、近付けないと思った。

自分は、必要無いと、そう言われているようで。

 

 

ああ…ここにも、お前の影がいるよ。

 

 

アキトは力無く笑って、その店の扉を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いってらっしゃいませ、ご主人様!」

 

「やめろ」

 

 

 





感想のgoodとかbadってどういう時に使えばいいか分からなかったんですけど、いい感想にはgood、悪い感想にはbadなんですね。
感想をくれればgoodします!ただ、『つまんね』とか『死ね』とか言われたらbadはせずなにもしません…心折れるから(涙)


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Ep.17 訓練の傍らで





…(´・ω・`)
最近、話にキレが無いと、そう思います。
だからまた、『面白くないと思いますが』という保険をかけたいと思います(ビビリ&チキン)


 

 

「──ッ!」

 

シノンの短剣のソードスキルが、空気を斬り裂いた。

アキトはそんな彼女を、近くの木にもたれて眺める。辺りは陽の光が照りつけ、草原が風で凪ぐ。

シノンに戦闘のいろはを教えるようになってから数日、シノンの短剣の熟練度は次第に上がっていった。この世界に来たばかりらしいのだが、何故かレベルは1からではなく、幾分か高いレベルからの始まりだった。おかげでレベリングが大変というわけではないが、かと言って最前線で戦えるレベルでもない。今はまだこうして剣の熟練度を上げていくしかないのだ。

アキトがそんな事を思いながら耽っていると、シノンがコチラを睨み付けていた。

 

「ちょっと、何かアドバイスとか無いと訓練にならないんだけど」

 

「……まあ、そこまでの動きが出来るなら後は反復練習だな。実戦で使うなら尚更だ」

 

「…それって、あと何回やればいいのよ」

 

「体に馴染むくらいには。敵に襲われた時に咄嗟に判断して自分が選んだソードスキルが打てるようになれば言う事無い」

 

「なるほどね……他にやる事は?」

 

「ソードスキル発動後の硬直時間の記憶、それを考えた立ち回り、基本的な武器の使い方とかだけど……生憎俺は短剣使いじゃない。詳しい事ならシリカに聞きな。短剣の使い方は知り合いの中で一番優秀だ」

 

「……そう」

 

シノンはそれだけ言うと、小休止の為なのか、木の下に座り込む。アキトよりも少し離れた場所に座るシノンは、どこか遠くを見ているようだった。しかし、何かを思い出したかのように目を見開き、アキトの方へと顔を向けた。

 

「……そういえば、77層のボス部屋が見つかったって話を聞いたわ」

 

「ああ」

 

「……何よ、反応薄いわね」

 

「今77層だぞ?そ別段珍しい話でもなくなった。それに、クリスタル無効化エリアになったボス部屋なんだ、情報は今までよりも少ないだろうし。まあ、甲殻類系の、なんかサソリみたいな奴だとは小耳に挟んだが」

 

「甲殻類…なら、打撃が有効なのね」

 

「まあそうらしいな。メイスを使う奴が活躍すんだろ」

 

そこまで言って、アキトは考える。

今の攻略組にメイスを使っているプレイヤーはそんなに多くない。まあ仮にも『ソード』アート・オンライン。メイスなどというあまりパッとしない武器を使うよりかは剣や刀を使っていた方が見栄えが良いだろうし、何よりメイスは使い手を選ぶ武器でもあると思う。一撃一撃は重いものだが、モーションが一々大きかったり、その後の硬直が少し長かったりといったデメリットがあったりする。

それに、これはアキトの個人的な意見だが、モンスターであれ人であれ、殴るより斬る方がダメージが大きそうなどといったイメージがあると思っている。

悪い例になるが、現実世界でも、ただ人を殴るより、刃物で斬り付ける方が手っ取り早い。

 

話は脱線したが、そういった先入観や固定概念が邪魔をして、そうした事象に傾く例は少なくない。甲殻類なら、剣でのダメージは入りにくいだろうし、寧ろ剣が折れる可能性だって大いにある。

出来る事は何でもやる精神のアキトだが、メイスという武器に関しては、完全な素人だった。勿論使えるといえば使えるのだが────まあ、アキトもそんな先入観に囚われた一人なのだ。

 

「明日ボス戦でしょ?アンタ、今日の攻略会議に参加しなくてもいいの?」

 

「お前が訓練頼んできたんだろ」

 

「私は、空いた時間でいいからって言ったわよね。訓練を言い訳に会議をサボるなんてやめてよね。攻略に支障が出たら私のせいみたいになるし、何より腹が立つから」

 

「……そんなつもりじゃない。ただ……」

 

シノンのその刺々しくも的を射た言葉に、アキトは苦虫を噛み潰したような顔になる。

確かに、シノンの戦闘訓練は最初は乗り気では無かったが、こうして会議をサボる口実になっている節があった。前回のボス戦に関しても、あまり主だった作戦にアキトが組み込まれていたわけではなかったし、アスナがアキトを認めていなかったというのもある。

 

───何より。

 

「……今のアイツの指示に……従うつもりは無いだけだ」

 

「『アイツ』って、アスナの事?」

 

「今のアイツは、まともな指示を出すかどうかも分かんねぇからな」

 

 

シノンのその質問に、アキトは表情を暗くした。

アスナは前回のボス戦よりも、かなり危うい状態に見える。今回も作戦会議などは形だけで、本番で指示らしい指示を出さないかもしれない。

それに、今回の作戦が理にかなったものなのかも分からない。彼女は今、自分の事、ひいては、キリトの事しか頭に無いように思える。この前のユイの悲痛な叫びが、何よりの証拠とも言えた。

だから、アスナが正気に戻るまでは、アキトはアスナの指示には従わない方針にしたのだ。

 

「……アンタ、アスナと……何かあるの?」

 

「個人としては、何にも。何でそんな事聞くんだよ」

 

「少し気に、なってだけ」

 

いきなりの質問に、アキトはシノンの方へと自然に顔が向く。そんなシノンは、顔をやや下に向けて、ポツリと呟いた。

 

「なんだか……アンタもアスナも、互いに互いを意識しているような気がしたのよ」

 

アスナのアキトを見る目は確かに嫌悪に近いものに見える。だが、その瞳の奥には、悲哀のようなものが映っていたようにシノンには見えたのだ。その何かに縋るような、何かをアキトに求めているかのような。

アキトも、周りに対する態度には棘のようなものがあるが、アスナに対してはそれが顕著に表れているように感じていた。アスナに対して何か思うところがあるのかもしれない、そう思っていたから。

そんなシノンの予想を聞いて、アキトは視界からシノンを外した。

 

「……そんなの無いっての。それにあったとしても、お前には関係無い」

 

「その『お前』って言うのやめてって、前に言ったわよね」

 

「お前だって俺の事『アンタ』って呼ぶだろ」

 

「あら、不満だったのかしら」

 

「別に。取って付けた屁理屈だよ」

 

アキトはそう言うと、その場に寝そべる。両手を頭の後ろに置き、そのまま天を仰ぎながら思考の波に身を委ねた。

アキトの目には、アスナという少女は酷く脆いものに見えた。キリトという愛する英雄を失い、その悲しみはきっと茅場への恨みを通り越して、虚無感のようなものを生んでいるのだろう。

だから攻略を続けてゲームクリアを目指す事でキリトの無念を晴らし、仇を打つ、というよりは攻略の中で死に、キリトの後を追うように行動していると感じたのだ。現実世界の事を忘れたわけでは無いだろう。誰もが帰りたいと願っている筈だ。

だが恐怖に駆り立てられ、そんな意志もきっと微弱で脆弱なものへと変わる。だからこそ、弱い人間達は徒党を組み、互いに支え合うのだろう。それは、吊り橋効果にも似たようなものかもしれない。それでもきっと、この世界での繋がりも生活も本物だろう。けどだからこそ、死を身近に感じる、いつ死ぬかも分からないこの世界で、そんな関係は築いてはいけない。

この世界にいる限り、繋がりは簡単に失ってしまう事を実感し、胸に刻まなければならない。

 

そう、頭では思っているのだが。

アキトはそんな繋がりを、誰よりも求めていたような気がする。また、自分の中に矛盾を見つける。言葉や考えと行動が一致していないような気さえする。だからこそ、シノンの戦闘訓練の依頼を了承してしまったのだろう。

アキトは、気になっていた事をシノンに聞く事にした。

 

「……なあ」

 

「何?」

 

「……何で訓練を頼んだのが俺なんだよ。短剣使うだけってならシリカにでも頼めばいいだろ」

 

「シリカは攻略組じゃないじゃない」

 

「そうだけど……って、お前攻略組になるつもりなのか……?」

 

「……」

 

 

シノンは明確な返事はしなかった。だがそれは、沈黙は肯定だと、そう言っているようで。

アキトは横になっていた体をバッと起こした。発した自分の声は、何故か僅かに震えているような気がした。

 

「……何で、そんな事」

 

「……分からない……けど、私はそうするべきだと思うから。記憶は無くても、私はそうしなければならない気がするの」

 

「何馬鹿な事……」

 

そこまで言って、口を閉じる。何故、どうしてこんなにも焦りを感じている?彼女はつい最近出会ったばかりの他人じゃないか。 何を…自分は一体どうしたいんだ。

シノンは構わず口を開く。

 

「この街で縮こまって、ただクリアを待つなんて、嫌だったのよ。私も戦いたい……強くなりたいの。だから、強い人に訓練を頼むつもりだった」

 

「俺は……強くなんか……」

 

その声は、シノンには聞こえない。だがアキトは、ずっとそう思っていた。

強くなんてない。強がっているだけだ。

カッコよくなんてない。カッコつけてるだけだ。それがアキト。それが自分自身だ。

ここに来るまで、ずっとそうしてきた。だけど分かっている。そんな自分に矛盾がある事は。

仲間なんて、繋がりなんて持つべきでは無いと言いながらも、かつてはそれを渇望し、今も他人に近付いて、ボス戦では他人を守った。それは『誓い』だから、という言葉で片付けられるものだっただろうか。本当は何処かで、死んで欲しくないと、そう思っていたのかもしれない。それを『誓い』だなんて誤魔化して、強がって、そんな弱い自分を偽りたかったのかもしれない。

だから、もしかしたら自分は、シノンが攻略組に入るという意志を感じて、きっと最悪の事態を想像したのだ。

そうだ…きっと、シノンの死のイメージをして嫌悪感を感じたのだ。

 

「けど……そうね、アンタが適任だと思った……っていうよりは、アンタが良かったって……そう思ったのよ」

 

「…どう、して…」

 

「…さあね。どうしてかしら。ただ私とアキトが……似ていると思ったのかも」

 

「っ……」

 

シノンはフッと笑みを浮かべ、その視線の先には自然豊かな景色、その街並みが広がっていた。

そんな彼女に、アキトは何故か、かつての仲間の面影を見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

──── 私達…案外、似たもの同士だね────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そんな事無いよ」

 

「え……?」

 

「……シノンの方が……ずっとずっと強い。俺なんかとは……大違いだよ」

 

「アキト……?」

 

「『死』と隣り合わせのこの世界……ここはきっと、現実よりもリアルにそれを感じる場所だと思うんだ。だからこの世界に来たばかりのシノンが強くなりたいって……そう思えるっていうのは凄い事だと思う。ホント、尊敬するよ」

 

アキトは、何か劣等感を感じ、力無く笑った。

実際アキトは、シノンには自分には無い強さを、ここ最近の訓練で感じていた。目を見張るべきは訓練中の彼女の表情。記憶は無い筈なのに、何か明確な意志が、目的があるように感じていた。

アキトはそんな彼女をとても羨ましく感じていた。自分がこの世界に囚われたばかりの時は、震えで体が動かなかったというのに。

 

「アキトは?」

 

「え?」

 

「強くなりたいって、そう思う?」

 

シノンのその質問は、きっと自分と似ているアキトなら、そう感じているのではないかと、そう考えての質問だったのかもしれない。

今のアキトは、いつもの強気な態度は一切感じられなかった。酷く弱々しくて、触れたら壊れてしまいそうで。とても悲痛な表情で。

 

 

「……うん。守りたいもの全てを手に入れる強さが……欲しかった」

 

 

これがきっと、矛盾を抱えた、少年の本音だった。

 

 

「…そっか」

 

 

シノンは何かを察したのかもしれない。

それでも、何も言わず、アキトと同じ景色を眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●〇●〇

 

 

「今日はありがとう。助かったわ」

 

「…まあ…別に」

 

辺りが夕焼け色に染まる頃、二人の戦闘訓練は終了した。だが、この時間までずっと訓練していたわけではなく、大半はずっと景色を眺めるだけの、傍から見れば退屈な時間だった。アキトもシノンも、一本の木を隔てて何も言わずに、ただ静寂な時間を過ごした。

それがなんとなく心地よくて、シノンは悪くない時間だと感じていた。

アキトはすっかりいつもの態度に戻っており、シノンはクスッと微笑を浮かべた。

 

「それ、誤魔化してるのかもしれないけど、もう取り繕ってるのバレバレだから」

 

「ぐっ…」

 

もう弱音を吐かないと決めていた筈のアキトは、そのシノンの言葉に顔を逸らす。

シノンはそんなアキトを見つめながら、先程までの弱々しいアキトを思い出していた。ずっと強がって、隠していたアキトの本心。その欠片だけでも、知る事が出来た気がしていた。

 

「…あまり肩肘張らないでいいんじゃない?私は、もう貴方をなんとなく理解してるつもりよ」

 

「…理解なんて…誰にも出来ねぇよ。してもらう気も無い」

 

「してる『つもり』って言ったじゃない。そういうのって、少しずつ知っていくものでしょ」

 

「……」

 

「だから…私の前では、とは言わないけど…偶には力を抜いてもいいんじゃない?」

 

そのシノンの言葉に、心が揺れる。

今も変わらず、かつての仲間がシノンと重なる。その表情も、優しさも、差し伸べてくれる手も。優しさというのはある意味では毒だと思う。味を占めてしまえば、何度も縋ってしまう麻薬だと思う。

もう二度と手を出さないと思っていても。そう固く誓っていても。両手両足を鎖で繋いでも。きっと手を伸ばしてしまうだろう。人という生物は酷く弱い存在で。群れを、社会を、世界を創る。人は独りでは生きていけないから。いつだって他者の、人との温もりを求めるものだから。

 

 

「…それじゃあ、私は先に帰るから」

 

 

シノンはアキトの返事を待つ事もなく、アキトに背を向けて歩き出す。

歩きながら、シノンは今日の出来事を思い返していた。何故自分にこんな事が言えたのだろう、何故あんな事を言おうと思ったのだろうと、そう思った。

彼が、私と似たようなものを持っている気がしたからだろうか。

だけど、不思議と嫌な気分はしなかったのだ。

 

 

「───シノン」

 

「…?」

 

 

不意に呼ばれ、足を止める。

振り向けば、アキトがコチラを見つめていた。

口を開いては、何を思ったのかその口を閉じる。視線は右や左を行き来していた。

その顔は慌てているのか、焦っているのか、何をどう答えればいいのか分からないと、そう言ったような表情を浮かべていた。

だけど、何を言いたいのかは、なんとなく分かる気がした。

 

 

「…その…ありがとう」

 

 

「…どう、いたしまして…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シノンの背中を、アキトはただ眺めるだけだった。それと同時に、アキトは歯噛みした。

どうして自分は、彼女に弱みを見せてしまったのだろう。何故、尊敬してるなどと、そんな巫山戯た事を。どうして、彼女に過去の仲間を重ねて見てしまったんだろう。

 

 

アキトは、自分の罪を重ねたような気がしてならなかった。

 

 

 

 








と、いう事でいかがでしたでしょうか。
書きたい話があり過ぎて、展開が早く感じるかもしれません。
こうして欲しいというようなアドバイスや要望をくれると嬉しいです。
改善の余地は沢山ありますので。


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Ep.18 今の自分に出来ること








 

 

 

 ポーションの補充、完了。

 武器の耐久値、問題無い。

 

 

 ウィンドウからティルファングを取り出し、その耐久値を確認し、再びウィンドウに仕舞う。

 フロアボス戦の経験は殆ど無いが、その準備の手際の良さはまるで、長年最前線で戦ってきたプレイヤーのそれだった。

 

 

「っ……?」

 

 

 突如、目の前の手の感覚が無くなるかのように感じた。

 今日のボス戦は、何故かこの前のボス戦前よりも緊張している気がした。

 なんとなくではあるが、その体は震えており、心臓が高鳴る。

 常に死と隣り合わせのこのゲーム、日に日に強くなるモンスターを目前に戦う攻略組は流石の一言に尽きる。

 こんな恐怖を、彼らは今まで76回も経験してきたのだ。

 何故彼らは、こんなにも強くいられるのだろう。

 

 

 

 

『怖いか?』

 

 

 

 

「…怖くなんてないよ…誓ったろ…誰一人死なせないって」

 

 

 その幻聴に乾いた笑みを零す。

 そうしてアキトは、アスナの事を思い出した。

 血盟騎士団の現団長であり、<閃光>の二つ名を持つその実力は本物だ。

 現在のその攻略進行速度は驚きの一言で、彼女の表情は冷徹そのもの。

 だがそれでいて、どこか悲哀に満ちていた。

 キリトの死というその事実が、彼女の行動をここまでさせた。

 だがそれは決して、 キリトの無念を晴らすための行動ではない。

 キリトに会いたい一心での行動のようだった。

 

 アキトはここに来る以前に一度、彼女の事を間近で見た事があった。

 あれは確か、キリトと血盟騎士団の誰かが決闘をしていた時だったか。

 キリトを心配する彼女の顔、キリトの帰りを待つ彼女の顔を。

 そして、キリトの前で見せた、あの笑顔。

 アキトは、それを素直に美しいと感じた。

 

 この世界は、現実とは違う。そんな考えを揺らがせるくらいには。

 誰かを思う笑顔はこんなにも美しいのかと、そう思った。

 そして、その笑顔の理由がキリトだと知った時、何とも言えない気持ちになった。

 

 だがそれは、決してプラスの感情では無かった。

 キリトの隣りに人がいる事が。キリトが笑っている事が。どうしようもないくらいに嫌悪感を抱かせた。

 何故、お前はそんなに笑っていられるんだ。どうして、何もかも忘れたかのように振る舞えるんだと。そこまで思った瞬間、ふと考えてしまったのだ。そうではないと、そんな筈ないと思いつつも。

 キリトは、あの頃の事をなんとも感じてないんじゃないかと。

 そう思ったら、今までやってきた事が無駄になった気がした。

 

 けど実際はそんな事はなくて。

 キリトはいつも周りの事を見ていて、人の事を思える人で。

 だからここへ来た時に、キリトを慕う仲間が羨ましいと感じた。

 

 自分とキリトは違う。

 あの時はきっと、失望と、決別を込めた意味だった筈だ。

 だけどここへ来て、キリトの仲間に触れて、その思いはきっと真逆なものへと変わっていた。

 そして同時に羨ましかった。

 キリトのようになりたいと、そう思った。自分も彼のように強く、守りたいものを守れるように。

 

 だけどその願いすら、かつて自分が抱いていたものとは違っていた。

 本当はずっと、独りでも生きていける強さが欲しかった。

 いつからか、仲間がいる事を前提に考えていた。

 いつからだろう。他人との繋がりを求め始めたのは。

 いつからだろう。自分の望みが分からなくなったのは。

 

 

 いつからだろう。誰かの笑顔を欲していたのは。

 

 

 アキトはベッドから立ち上がり、その私服を装備へと変える。

 黒いシャツに黒いレリーヴ。そして、黒いコート。

 かつての英雄と同じ色を持つその装備を見て、アキトは静かに顔を伏せる。

 

 

(もし、彼女の傍に君がいたのなら…)

 

 

 アキトは、そのコートを翻す。

 宿の扉を、ただ静かに開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下に降りると、そこにはいつものメンバーが何人か椅子に座っていた。

 シリカやリーファ、シノンにユイ。そしてカウンターの向こうにはエギルが立っていた。

 彼らはアキトに気付くと、各々が挨拶を送る。

 

 

「あ、アキトさん、おはようございます」

 

「おはようアキトくん」

 

「おはようございます」

 

「…ああ」

 

 

 アキトはそう返すと、視界の端にいるシノンと目が合った。

 その瞬間、昨日の事を思い出した。

 あの時見せた弱さを、また思い出した。

 それがたまらなく嫌だった。結局変われていないんだと、そう立証されたみたいで。

 

 

「…おはよう」

 

「…おう」

 

 

 どうしてあの時、俺は彼女に。

 そんな思考を振り払い、アキトはカウンターに座る。

 彼女達は依然アキトを視界に収めていた。

 エギルはいつものようにコーヒーを差し出す。

 アキトはそれを手に取りつつ、エギルを見据えた。

 

 

「あと二時間後くらいには転移門集合だってな。アンタも参加すんのか、ボス戦」

 

「おう、まあな。お前も勿論参加だろ?」

 

「ああ…アンタ、商人じゃなかったのかよ」

 

「あ?そうだが?」

 

「それでもボス戦には参加すんだな」

 

「戦利品は欲しいからな。…前は毎回参加してたって訳じゃなかったんだが…今は、こうしなきゃいけねぇと思うんだよ」

 

 

 エギルはそう言うと、寂しげに笑う。

 それはきっと今の攻略組、ひいてはアスナを心配しての言葉だっただろう。

 誰だって、今のこの状況をよく思っていないだろうから。

 周りを見渡せば、ボス戦に参加するであろうプレイヤー達の何人かを確認する事が出来た。

 彼らは装備をしっかりと整えた状態で食事を取っていた。

 そんな張り詰めた雰囲気を、リーファもシリカも察しただろう。

 

 

「…なんか私まで緊張してきちゃったな…」

 

「あたしもです…」

 

「きゅるぅ…」

 

 

 リーファとシリカはそう言って体を震わせた。

 ピナも、シリカのそんな思考を読み取ったのか、体を忙しなく丸くした。

 そんな彼女達を眺めた後、アキトは再びエギルの方を向く。

 

 

「じゃあボス戦中はこの店どうすんだ?閉めるのか?」

 

「あ…ああいや…」

 

「…?」

 

 

 その質問をした瞬間、エギルの顔が強張るのを感じる。

 あまり変わった質問ではないと思ったのだが、とアキトは首を傾げる。

 するとエギルは困ったような表情で呟いた。

 

 

「普段なら店番を頼むんだが…」

 

「店番?」

 

 

 アキトは周りを見渡す。

 シリカとユイは年齢的に任せられる訳はない。リーファとシノンはここへ来たばかり、店を任せられなくはないが、きっとないだろう。

 クラインはボス戦参加なので選択肢からは外れる。

 ならば、自ずと答えは見えてくるが───

 

 

「…リズベットか。それで、何か問題でもあるのか?」

 

 

 リズなら似たような職種だし、勝手も分かるだろう。

 だがエギルのその躊躇いのような、焦りのような、どうしようもない表情が気になった。

 しかし、次の言葉を聞いた瞬間、今度はアキトの顔が強張る番だった。

 

 

「アイツ、どうやら今日のボス戦に参加するらしい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、アキトはリズベット武具店へとその足を動かしていた。

 その足取りはどんどん速くなり、否、既に走っていた。

 何故こうも自分は必死になって走ってるのだろう。

 いや、その言葉に意味は無い。

 きっと、本当はもう答えを知っている。

 

 

 ふと、エギルの店での会話を思い出した。

 リズベットがボス戦に参加すると聞いて、椅子を倒す勢いで立ち上がってしまったのを覚えている。

 

 

『な…なんでそんな事になってるんだ…!?』

 

『俺達も最初は止めたんだけどよ…だけどアイツは譲らなかったんだよ。足でまといにはならないって言って…』

 

『アイツの経験値は全て生産職で得たものだ。モンスターとの戦闘経験は皆無に等しい、まともに戦えるとは思えない』

 

『……』

 

『…どうして止めなかった』

 

『アキト…さん…』

 

『ど、どうしたのアキト君…』

 

 

 シリカとリーファのその小さい声に、アキトはハッと我に返る。

 周りを見れば、そのアキトの雰囲気に呑まれたのか、皆怪訝な表情でコチラの様子を伺っていた。

 アキトもそれを見て、次第に心が冷えていくのを感じた。

 そうだ、何故自分は焦ってるんだ。

 

 

(どうして…こんなにも俺は…)

 

 

『…アイツも、色々考えたんだろうさ。だから…止められなかったんだ』

 

『…閃光は…止めなかったのか…』

 

『……心配は…してるだろうが…………』

 

 

 その沈黙は、最早答えだった。

 アキトはらしくないと感じながらも、その拳を握り締める。

 どうしてアスナは、そんなリズの意志を見て見ぬ振りが出来るんだ。

 どうして仲間を、蔑ろに出来るんだ。

 どうしてもっと、真剣に向き合ってやらないんだ。

 何故、自分独りで完結するんだ。

 それは全て自分に問いかけられたものに感じた。

 

 

『…リズベットは…友達なんだろ…?…巫山戯るなよ…』

 

 

 その言葉はとても小さい。

 だけど、確かに周りには聞こえていた。

 だからそれを聞いた彼らは、酷く困惑しただろう。

 それは、今までのアキトのイメージを大きく変える言葉だったから。

 

 

 

 

 

「リズベット!」

 

「わぁっ!? …って、アキト?…驚かさないでよっ!?」

 

 

 扉を勢いよく開け、中にいたリズを凝視する。

 リズはいきなりの事で体をビクつかせていたが、アキトだと分かると、その怒りを顕にする。

 だが、アキトにとって、そんな事はどうでもいい。

 リズベットに聞きたい事だけが、頭の中を占めていた。

 

 

「…武器のメンテナンス?だったらちょっと待ちなさい、今片付けを…」

 

「今日のボス戦…参加するのか?」

 

 

 その問いは、リズの行動を止めるだけの力があった。

 しかしリズはすぐにまた動き出す。持っていた武器達をテーブルに置き、笑いながらコチラを向いた。

 

 

「何よ急にー、クラインにでも聞いたのー?」

 

「何だっていいだろ、そんなの」

 

「……そっか。ボス戦間近まで黙っててって言ったんだけどなぁー」

 

「それだけお前の事を心配してるんだろ。シリカ達も心配してたぞ」

 

「…意外ね。アンタの口からそんな言葉が聞けるなんて」

 

 

 リズは二ヒヒと口元に弧を描く。

 その楽観的な態度に、アキトの焦り、苛立ちが募っていく。

 

 

「大丈夫よ!私、こう見えてマスターメイサーなのよ?」

 

「生産職で稼いだ経験値だろ、戦闘で得たものじゃない。ボス戦、初めてなんだろ?」

 

 

 確かに、メイス使いの少ない攻略組で、マスターメイサーである彼女の能力は今回のボス戦において役に立つ。しかしそれを念頭に置いたとしても、リスクが大き過ぎる。戦闘経験の浅いリズベットに、今回のキーであるメイスを振らせる訳にはいかなかった。

 しかしリズは、なんて事無いといった顔で悪戯げにニヤける。

 

 

「誰だって最初は初めてよ。…もー何よ、心配してくれてるのー?」

 

「…知り合いに死なれちゃ、後味悪いだけだ」

 

「ちょっと!死ぬって決めつけないでよ!」

 

「…実際、死ぬかもしれない」

 

「…アキト…」

 

 

 何をこんなに必死になって止めてるんだ。

 独りでいいと、そう考えていたのに、どうしてこうも他人を気にかける。

 いや、本当はもう理解している。

 決して矛盾なんかじゃない。単に自分が認めたくなかった、怖かっただけで。

 

 会って間もないが、アキトにとってリズベットという少女は、ここへ来て初めてフレンド登録した人間という関係以上に、どこかで失くしたくないものに変わっていたのかもしれない。彼女だけじゃない。シリカもエギルも、リーファにシノン、そしてユイも。

 きっと、失いたくないもの。

 だからこそ、また失ってしまうかもしれないものだった。

 

 アキトは本当は優しい人間だ。

 誰かを傷付けたり、馬鹿にしたりなど、決してしない性格で、だからこそ今まで無理をしてきたのだ。

 だけど、だからこそ断言する。

 もう過去と重なる光景を目の当たりにしたくない。同じ目にあって欲しくないのだ。それがリズだからというわけじゃない。きっと、目の前で誰かが死んでしまうかもなんて考えて攻略に望みたくない。

 

 いっそ自分が世界最強の、全知全能の神のような強さなら、どれだけ良いだろう。

 たった独りでボスを倒せる強さがあれば。周りを巻き込まなくて済むというのに。

 そう思うのは傲慢だと分かっている。どれだけ不相応な願いを抱いているのかも理解している。

 だけど、そう思わずにはいられない。

 だって。俺は────

 

 

「…俺が行くから心配はいらねぇよ。閃光(アスナ)が心配なんだろ?お前が行くまでもねぇよ」

 

 

 死んで欲しくない。

 だけど、リズベットは折れなかった。

 

 

「そう言ってくれると助かるけど…あたしは行くわ、行きたいのよ。…アスナの事、放っておけないもの」

 

「っ…だから、それは俺が…!」

 

「…あたしね、アスナの攻略の様子を見たくてさ、シリカと一緒にクラインに連れて行って貰った事があるの」

 

「え…?」

 

 

 それは、アキトがここへ来る前の話。

 その時、シリカとクラインと共に見た彼女の顔からは、かつての笑みが消えていて。

 飛び散ったポリゴン片、モンスターを見るその瞳が、あまりにも冷たくて。

 

 

「あんなアスナ…もう見てられない…見てるだけじゃ嫌なのよ…笑っていて欲しいのよ…あの娘の悲しみは、あの娘の問題なのかもしれない。だけど、ただ見てるだけっていうのは違うでしょ…?あたしがアスナに出来る事は少ないかもしれない。けどだからこそ、出来る事は精一杯やりたいの」

 

「……お前に出来る事なんて……武器作る事、だけだろ」

 

「…確かにあたしは戦闘に関しては、アンタ達よりも弱いし、何も出来ない普通の女の子かもしれない」

 

 

「だけどね」っとリズは顔を上げ、笑ってみせた。

 

 

「けど、普通の事くらいは出来るのよ?……友達を助けるのは……普通でしょ?」

 

「っ……」

 

 

 その言葉は、アキトがかつて抱いていたものだった。

 

『誰かを助けるのに、理由はいらない』

 

 今は亡き、父親の言葉。

 それをどこかで守りたかった。

 

 そんな綺麗事を、確かなものにしたくて。

 誰もがきっと、見返りを期待する。

 口では誤魔化していても。心からそう思おうとしていても。

 きっと何処かで期待しているのだ。

 だけどきっと、リズのこの言葉にそんな意味は無い。

 そう思えた。

 それはかつて、自身が抱いたものだったから。

 彼女と自分は同じ、そう思ったから。

 

 今回のボス戦で、例え死のうとするアスナを助けても、それは解決した事にはならないかもしれない。その場凌ぎに過ぎないのかもしれない。

 だけど、リズベットにはそんなアスナを助ける事は出来ない。

 でもだからこそ、今の自分に出来る事をしたかった。

 

 

「……けど、ね。やっぱりちょっと、怖いかな……」

 

 

 だが、リズベットのその手は少し震えていた。

 ボス戦は初めてだから。死ぬかもしれないから。

 そう分かっても尚、リズベットはこの意志を変えない。

 どうして、死ぬかもしれないと分かっていて、そんな事が出来る?

 何が、彼女をそうさせるのか。

 けど、理由は知っている。

 彼女からはシリカと同じ、かつての英雄、その意志と影を見た気がした。

 だからこそ、彼女のこの強い意志を捻じ曲げる事など許されない。

 もう会えはしない、唯一無二の英雄、その意志を継いでいるように見えたから。

 

 

「……危なくなったら、エギルやクラインにでも守ってもらえば良い」

 

「……アキトは守ってくれないの?」

 

「は?あ、いや……俺は……」

 

 

 アキトは顔を伏せる。

 かつて守れなかった仲間を思い出して。

 だけどリズはそんなアキトの前に達、小指を突き立て差し出した。

 

 

「もし、さ…あたしが襲われてたら、助けてくれる?」

 

 

 そう不安気に聞く彼女の顔は、恐怖のせいか、目に涙が溜まっていた。

 それはリズベットの、縋りたいものだったのかもしれない。

 死にたくない。けど、友達を助けたい。

 矛盾を抱えた、そんな彼女の。

 

 

「……俺は、守れない約束はしない主義だ」

 

 

 そう言って、アキトはリズベットの小指に自身の小指を絡ませた。

 

 

 守れない約束はしない。けどそれは、守りたいけど守れないから。

 だけど、だからこそ。

 そんな約束を守りたいと思う。

 そんな覚悟を持った彼女に、誠意をもって応えたい。

 

 

「……だから約束する。必ず、君を守るよ」

 

「っ……!」

 

 

 リズベットはその目を大きく見開く。彼女から見たら、アキトがキリトに重なって見えたのかもしれない。

 やがて、涙を流し、その頬を緩めた。

 恐怖に抗う、世界に抗うその彼女の笑顔は、涙に濡れていてもとても美しいと感じた。

 

 

 俺は英雄なんかじゃない。だから、困っている人全てを助けるヒーローになんてなれない。

 正義の味方なんてなれない。

 

 

 だけど、この目に止まる人くらいは、自身の手を伸ばしたい。

 

 

 リズベットを見て、そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『怖いか?』

 

 

 

 

 

 

 怖くない。

 

 

 あまり、舐めてくれるなよ、キリト。

 



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Ep.19 結晶化した爪




戦闘描写は相変わらず苦手です(´・ω・`)


 

 

 

「…行きます」

 

 

77層の迷宮区。その最深部に位置する、フロアボスへと続く部屋の扉を開く。

その背の向こうには、攻略組のメンバーが中へと突入する準備を整えた状態で待機していた。

エギルやクライン、アキト。そしてリズベット。

その両手にはそれぞれ、メイスとバックラーが装備されていた。今回のボスは打撃が有効。リズベットの持つメイスは効果的だった。

そんな彼女の表情は、恐怖で怯えているのか震えていた。

エギルもクラインもアキトも、そんなリズベットを見つめる。アキトはそんなリズベットに馬鹿にするかのような笑みを浮かべた。

 

 

「…怖いかよ、マスターメイサー」

 

「なっ…!……怖くなんてないわよ?アキト様が守ってくれるものね〜?」

 

「…言わなきゃよかった」

 

 

リズベットが言い返してきた言葉を聞いた瞬間、そんな事を口走ってしまった。

だが、リズの緊張は幾分か解れたかもしれない。そう思って納得した。

隣りを見ればエギルがこちらを見てニヤけていた。軽く舌打ちをしつつ、開かれるボス部屋の奥を見つめる。

そして、リズベットの先程の言葉を聞いて思い出していた。

 

 

『守る』

 

 

その言葉は、口にするだけなら簡単な言葉。

だけど、命の重みを知らない奴らには、この言葉の重みだって理解出来るはずが無い。

これは、そう簡単には言ってはいけない言葉なのだ。ましてや、その約束を違えた奴は絶対に口にしてはいけない言葉だと思った。

だけど、失いたくないと、思ってしまった。

仲間など必要ないと思っていた。だけど、誰かを助けたいと思ったのは事実で、この気持ちは本物だと思いたかった。

 

 

誰も死なせたくない。その思いを。

 

 

アキトは、その視界にいる栗色の髪を持つ少女に視線を落とす。

一度見たら忘れられないような美貌を持つ、その少女を。

かつての英雄を愛し、守ろうとした、もう一人の英雄だった彼女の姿を。

彼女を気にかけていたのは、きっと『誓い』だからという理由だけではない。

 

 

きっと、鏡を見ているかのようだったのだ。アスナが、彼女の姿が、昔の自分に重なって見えて。

それを見て苛立っていた事は、そのまま自分に当て嵌っていて。

立場も性別も性格も違う。なのに、抱えていたものに似通ったものを感じた。

大切なものを、大切な誰かを、失ってしまった思いを。だから彼女の気持ちは痛い程分かっていた。

自分も、かつては死を望んでいたから。

 

 

(…けど…約束、しちゃったからな…)

 

 

そう言って、儚く笑った。

アキトは、背中の鞘に収まる紫色の剣、ティルファングを抜く。

攻略組のメンバーがボス部屋へ向かって走り出した。

それを確認し、アキトもボス部屋へと踏み出した。

 

 

辺りは暗がりが広がっていたが、それも一瞬。

光が照らされた時には、既にボスに視線が行っていた。

黒い体に、金色に輝く鉱石に似た甲羅を背に纏ったサソリのようなモンスター。

そのハサミと尾にある棘には、殺傷能力の高さが伺えた。

 

 

 

 

 

 

No.77 BOSS <The Crystalize Claw>

 

 

その口からは、虫とは思えない程の声量での咆哮が放たれ、4本のHPバーが表示された。

その咆哮を聴き、我に返ったメンバーは、それぞれ自身の持ち場へと着く。

ボスを囲い、タンクはボスの目の前へと近付いた。

瞬間、ボスが尻尾を上に突き上げる。

彼らはそれを見て一瞬固まった。

瞬間、ボスは体を回転させ、その尻尾で周りを薙ぎ払った。

対応に遅れた彼らは、防御する間もなく跳ね飛ばされていく。

 

 

「いきなり範囲技かよ…!」

 

「───っ!」

 

「っ、アキト!?」

 

 

クラインがそう呟く隣りをアキトが走り抜き、ティルファングを斜に構えてボスへと近付いていく。

そのいきなりの行動に、リズは思わず声を出した。

攻略組のメンバーが飛ばされた事により、ボスの周りには誰もいない。

倒れた彼らの合間を縫って、ボスの懐に辿り着く。

 

 

「せあっ!」

 

 

アキトは肉質の柔らかそうな足元を目掛けて四連撃技<バーチカル・スクエア>を放つ。

が、その剣は一撃目で阻まれる。

ボスのそのハサミが、アキトの剣を受け止めたのだ。

そのハサミの先には鉱石が伸びていて、まるで爪のよう。

そのハサミにティルファングを掴まれて、アキトは身動きが取れなかった。

瞬間、ボスはもう片方の腕を振り上げた。

 

 

「っ!」

 

 

アキトは空いてる左手で体術スキル<閃打>を叩き込む。

その拳はボスの顔面にクリーンヒットし、ボスはその顔面を逸らす。

その瞬間にアキトは自身の剣をハサミから抜き取り、ボスと距離を取った。

息を整えつつ周りを見ると、跳ね飛ばされた連中のHPバーに目が行った。

序盤だというのに、HPの減りが早いように見える。

その事実になんとなく違和感を感じたが、すぐに理由を推測出来た。

 

 

「毒、か…!」

 

 

そこまで確認するとアキトはボスを見据える。

このサソリ型のボス、見た目同様、サソリと同じく毒の状態異常を付与した攻撃を繰り出すようだった。

この一瞬の戦闘でアキトは、なんとなくアルゴリズムの変化を感じた。

周りを囲まれた瞬間に打った全範囲攻撃。

その隙を着いた剣を手早く防御。

動けなかった自分にもう片方の腕を振り抜こうとしたあの対処の仕方。

敵が考えるようになって来ている事を思い知らされる。

 

 

対処出来ていた何人かは体勢を立て直すべく移動していく。

その中からアスナが飛び出した。

アキトはそれを見た途端に視線がアスナへと向く。

何をしている。今回レイピアは明らかに力不足だ。一人で向かうなんて───

 

 

「───っ!」

 

 

アスナはその細剣を輝かせ、一人ボスに向かって行く。

 

 

細剣多段多重攻撃九連撃技

<ヴァルキリー・ナイツ>

 

 

アキトもリズも目を見開く。

万全な状態へと復帰しつつあるボス相手に一人で向かうには、明らかに連撃数の多い大技だった。

一撃、ニ撃、三撃、ランベントライトがボスの体へと吸い込まれていく。

だが、相性の悪さが顕著に表れる。ボスのHPがあまり減っていない。

アスナはお構い無しに突きを繰り返す。

まるで、怒りや苛立ちを剣に載せているかのようだった。

 

 

「アスナ…」

 

 

怒りに身を任せたかのような彼女の姿を、リズは悲痛な表情で見つめていた。

アスナは76層に来てから、ずっとこんな戦い方を。

自然と、メイスを握る力が強くなった。

 

 

ボスは体勢を立て直し、目の前で攻撃を繰り返すアスナを確認すると、その腕をノーモーションで振り抜いた。

咄嗟に気付いたアスナは細剣を自身に引き寄せる。

瞬間、ボスはアスナを殴り飛ばした。

 

 

「アスナ!」

 

 

リズベットは走り出し、アスナの元へと駆け寄る。

ボスもアスナ目掛けて走り出した。

 

 

「っ…!」

 

 

リズベットは倒れたアスナの前に立つと、バックラーを構え防御姿勢を取る。

その盾目掛けて、ボスはハサミを交互に振り続けた。

その重い一撃一撃が、リズにのしかかる。

決して浅くないダメージが、HPバーに切り刻まれていく。

 

「うおおおりやぁあああ!」

 

 

ボスの側面を、クラインが斬り付ける。

その声に呼応するかのように、体勢を立て直した攻略組が次々とボスに迫る。

斬り、突き、殴っていく。

 

 

「───しっ!」

 

 

アキトはリズとボスの間に割って入り、ボスのその爪をスイッチの要領で弾き飛ばした。

瞬間、タンクがヘイトを取るべくボスの目の前へと移動していく。

 

 

「アキト…ありがとう」

 

「貴重な戦力だからな」

 

 

アキトはそう言って目を逸らし、アスナの方へと視線を落とす。

アスナは立ち上がると、ボスの方向へと歩き出した。

 

 

「あ、アスナ、ポーション飲まないと…」

 

「大丈夫」

 

 

アスナは特に笑う事もなくリズベットの横を通り過ぎる。

アスナの為に取り出したリズのポーションは、行き場を失ってしまい、リズはその手を下ろした。

分かっていた。けど、認めたくなかった。

だが、知ってしまった。

アスナの瞳に、自分は映ってない事に。

 

 

「…リズベット、今は」

 

「…分かってる。ボス戦、だもんね」

 

 

アキトの言葉を制し、リズは顔を上げ、ボスに向き直る。

彼らの怒涛の攻撃に、HPはどんどん減らされていったボスは、再び咆哮を上げていた。

ボスは目の前に迫る脅威を叩き潰すべく、その腕を振り回す。

その一撃一撃が重く、ガードしていてもダメージが入る。

 

 

「お、重い…!」

「くっ…」

 

 

クォーターポイントを過ぎた筈だというのに、ボスがいつもより強く感じる。

ここへ来て、ボスの強さが変わってきている。

そんな嫌な予感が現実のものになったと、誰もが理解した。

 

 

「ボケっとすんな!」

 

 

アキトは困惑しそうになる攻略組へと声を荒らげると、その足に向かって<バーチカル・アーク>を放つ。

ボスはまるで効かないと言うかのように、アキトを見下ろした。

 

 

「リズベット!」

 

「はああぁぁあぁああ!」

 

 

反対方向から、リズベットのそのメイスがボスを捉える。

 

片手棍三連撃技<ストライク・ハート>

 

薙ぐようにしてメイスを振り抜き、ボスの足を殴打した。

そのダメージ量を確認しても、ボスのその反応を見ても、かなり打属性に弱いのは明白だった。

スタンの追加効果のあるリズベットのソードスキルで、ボスは見事に動けなくなっていた。

 

 

「今だ!一斉攻撃!」

 

 

誰かがそう発すると、攻略組のメンバーは一気にボスへと押し寄せる。

この機を逃すまいと、ありったけの力でボスを斬り、殴り、貫く。

アキトも、リズベットも、エギルも、クラインも。

そしてアスナも。

ボスのHPはみるみる減っていく。

剣にはかなり強いようだが、打属性の武器にはかなり弱かった。

そのダメージ量がそれを物語っていた。

生産職でレベルを上げているリズベットのスキルでこのダメージだ、続けていけば難無く倒せる。

 

 

しかし、次の瞬間、ボスは高く跳躍する。

その新しい動きに、全員が驚き、上を見上げる。

そのボスは、そのまま落下してくる。

 

 

「お、おい…!」

「離れろぉ!」

 

 

ボスの真下にいる彼らは叫びながら走り出す。

しかし間に合わず、彼らは直撃を食らう。

周りにいたメンバーも、その余波に吹き飛んだ。

何人かはそのまま、ボスの目の前へと倒れ込んだ。

 

 

「っ…閃光、下がらせろ!早く!」

 

 

アキトは目を見開き、アスナの方へと視線を向ける。

だが、アスナはボスの後ろからソードスキルを放つ構えを取っていた。

仲間への指示もせず、ただボスだけを見据えて。

 

 

「ふ…ざけやがって…!」

 

 

アキトは駆け出す。

ボスと倒れ込む彼らの間に割り込み、ティルファングを構え、防御姿勢を取る。

ボスから迫り来る爪を、ダメージを受けながらもいなしていく。

そのダメージ量は、決して少なくない。

若干苛立ちながらも、アキトは後ろで倒れ込むプレイヤーに向かって叫ぶ。

 

 

「チィ…!おい、早くポーション飲め!離脱しろ!」

 

「あ…うあ……」

 

 

だが、そのプレイヤーはボスを見上げて震えるだけで、ポーションを飲むどころか、足が竦んで動けない。

恐らく、75層での大幅な戦力ダウンのせいで、最近最前線に参加する事になった血盟騎士団のプレイヤーだ。

ボス戦の経験が浅いのがここへ来て痛手となっていた。

 

 

「っ、おい!タンク、こっち来い!ヘイト稼げ!」

 

 

アキトは後ろで未だに動けないでいるプレイヤーからボスを引き離す為に、タンクプレイヤーに協力を煽る。

だが、誰もが動けない。いや、動かない。

どうしたら良いのか分からない輩もいるが、それだけではない。

何人かのその瞳には、嫌悪、憎悪にも似た何かが映っているように見えた。

恐らくそれは、アキトに向けられたもの。

攻略組の士気を高める為にアキトが取っていた態度がここへ来て裏目に出ていたのかもしれない。

 

 

(っ、今はそんな時じゃ…!)

 

 

「うおおおお!」

 

 

エギルが声を上げながらボスの側面に斧を振り下ろす。

ボスはその痛みのせいか、その頭を上げる。

アキトはそれを確認した瞬間、後ろにいる未だ動けないプレイヤーの装備を掴み、後方へとぶん投げた。

 

 

「っ!アキト後ろ!」

 

「っ!?ぐっ…!?」

 

 

隙を突くように、ボスがその爪をアキトに向かって振り抜く。

防御姿勢を取ろうとも間に合わず、その爪はアキトの腹部を直撃した。

 

 

「がはっ…!」

 

「アキト!…っアスナ!」

 

 

アキトは倒れ込んだまま動かない。

その激しいノックバックで気絶しているのかもしれない。

吹き飛ばされたアキトと入れ替わるようにアスナがボスの目の前に立つ。

リズベットはアスナを見て焦りを感じた。

攻撃の隙を突くように、アスナはレイピアを構え、貫く。

 

 

「せやあああぁぁぁ!!」

 

 

ダメージ量は大した事は無い。

ボスはアスナに向かってその尾を叩きつける。

アスナはそれを紙一重で躱し、そのまま<リニアー>を発動。

一際輝く細剣が、再びボスを貫く。

ボスは咆哮を上げ、その尾を突き上げる。

アスナはそれにいち早く気付くが、それでも間に合わない。

ボスは再び、範囲攻撃をすべく、その体を回転させた。

 

 

「くぅっ…!」

 

 

アスナを含めた何人かは、その攻撃にまた吹き飛ばされる。

決まった法則性で動いている筈のデータの塊が、柔軟に対応してきていた。

リズベットは体勢を立て直す時間を作るべく走り出す。

高く跳躍し、その甲羅にメイスを叩きつける。

その側面を、エギルとクライン、その他何人かが着実にダメージを与えていく。

 

 

しかし。

 

 

ボスがいきなり甲高い声を上げる。

瞬間、ボスから迸るオーラのような黒い突風が、周りのプレイヤーを吹き飛ばした。

 

 

「きゃあ!」

「うおおぉぉっ!!?」

 

 

彼らはそれぞれ違うタイミングで地面へと伏せる。

ボスは再び、その尾を突き上げる。

また、範囲技。

この一瞬とも言える感覚時間で、ボスは味を占めたかのように範囲攻撃を乱発してきている。

 

 

(このまま、じゃ…みんな…!)

 

 

攻撃が迫り来る恐怖に、リズベットは体が震えるのを感じる。

他のみんなも毒の状態異常に加え、万事休すともいえるタイミングでの範囲攻撃。

ゲームオーバーへのタイムリミットは、1分も無かった。

 

 

(…どう、して…)

 

 

ボス戦って…こんなに大変だったんだ。

いつも親友の帰りを待つだけのリズベットは、そんな事実を改めて突き付けられていた。

攻略組のプレイヤーは、いつもこんな恐怖に抗ってきたと。

分かってはいた。だけどきっと、分かっていなかった。

ただ、自分にも。

自分にも、何か出来るのでは、何かやれる事が、自分にしか出来ない何かがあるのではないかと、そう思っていた。

いや、そう願っていたのかもしれない。

 

 

アスナのあんな顔を、もう見たくなくて────

あの子には、笑っていて欲しくて────

 

 

キリトを失ったアスナには、もうそんな事は望めないのかもしれない。

これは自分の我儘だ。

だけど、それでも。

武器のメンテナンスをするだけで、彼女を見送るだけで。

もう、帰って来なかったら。

また、私の知らない所で、大切な誰かを失ってしまったら。

 

 

私はアスナに、生きていて欲しくて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「助けてよ…キリト…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はあっ!」

 

 

次の瞬間、復帰したアスナがボスの額に細剣をぶつけていた。

ボスはその攻撃により、範囲攻撃がキャンセル、一瞬だが仰け反った。

リズベットはハッとして顔を上げる。アスナはこちらを見る事もせずにボスへと駆け出した。

 

すぐに私も行かなくては。

けど体が……動かない。

リズベットは周りを見た。

既に毒を解除しているプレイヤーが何人か見られたが、攻撃しに行こうとしない。

 

アスナの豹変振りに、唖然としているのか。

どうしたらいいのか、分からないのか。

指示が無ければ、動かない、動けないのか。

リズベットはギリッと歯軋りする。

 

 

「何…してんのよ…っ!アンタ達、仲間なんでしょ!早く立って、あの子を助けなさいよ!」

 

 

誰でもいい。立って。戦って。

あの子を、助けてよ…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それからどのくらい経ったかなんて、アスナには分からない。

だが、ボスのHPは、もう半分も無かった。アスナの瞳には、ボスしか映っていない。自身にヘイトが集中していようが、HPバーが黄色く染まっていようが、構いはしない。

ただひたすらに、何も考えず、その細剣を突き続けた。

弱点、有効打、効率、連撃数、何も考えない。目の前のこのデータの塊を殺すか、それとも自身が死ぬか、それだけだった。

 

けど、もうそれでもいいと思った。別に死んだって構わないと。

もう、大好きなあの人は私の目の前から消えてしまったから。

これ以上は、耐えられそうになかった。

 

ボスは再び、その尾を振り回す。

その行動の速さに対処出来ず、何人かは吹き飛ばされる。

当然アスナも。

 

 

「アスナ!」

 

 

誰かが自分を呼ぶ。

けどその声もくぐもって聞こえた。

HPバーが赤く染まる。

これが目に入った事で漸く気付いた。

 

 

(あ…私、死ぬんだ…)

 

 

酷く冷静に、そう感じた。

けど、不思議と恐怖は無い。

寧ろ、なんとなく期待していた。

これできっと、彼の元へ行ける、と。

 

 

初めて、彼と共に戦った第1層のボス戦。彼と協力してボスを倒した、あの時。

どうせみんな死ぬと思っていた自分の目の前に、希望の光が差し込んだ気がした。

 

諦めなければ、ゲームをクリア出来る。

レベルを上げて強くなれば、ボスを倒せる。

現実に帰れる。

 

現実のアスナは、いわゆる『エリートコース』を歩く良家の令嬢だった。両親の指す道へと、何の疑問も無く歩むだけの、人形のような生活。だがその反面、狭く閉ざされつつある自身の世界に、恐怖や焦りを感じていた。

だから、兄の持ってきたナーヴギアとSAOを借りたのはきっと、そんな世界から飛び出したい思いがあったのかもしれない。

デスゲーム開始直後、そんな思いを抱いていた数時間前の自分を殴りたい気持ちでいっぱいだった。エリートコースから脱落する事で浴びるであろう失望や嘲笑に、アスナのは恐怖した。

だから、帰還後も周囲の心を繋ぎ止める為、事件を解決した英雄になろうとした事もあった。アスナの頭の中には、ゲームをクリアする事しか考えられなかった。

 

だから、このゲームを楽しんでいるプレイヤー達を見て、アスナは嫌悪感を抱いていた。こうして遊んでいる間にも、自分達の現実の時間は失われていく。何故そんなにゆとりが持てるのか、アスナには理解出来なかった。

そして、実力があるのに木の影で昼寝をしていたキリトの事も、始めは苛立ちを覚えていた。

けど。

 

 

『けど今俺達が生きてるのは、浮遊城アインクラッドだ』

 

 

そんな彼の言葉に乗せられて、寝転んだ芝生はとても気持ち良かった。

現実の事だけを考えていたのに、何故かその事実が忘れられなくて。

仮想の、偽りの世界でも、食べた料理は美味しかった。第1層でキリトと食べたあのパンの味を、アスナは今も覚えてる。

いつしかこの世界は、もう一つのリアルだと、そう思えるようになった。

それを教えてくれたのは、他でもないキリトだった。

第1層からずっと、コンビを組んでいた。けど25層からコンビを解消し、血盟騎士団に入ってからは、その負い目や副団長の責任もあり、彼に素直な態度を取れないでいた。

攻略会議で何度も反発し、決闘した事もあった。

自分に色んな事を教えてくれたの彼の事を、いつしか好きになっていた。

 

 

「アスナ逃げて!アスナ…アスナぁ!」

 

 

死に近付く親友に、リズベットは必死になって叫ぶ。アスナに向かって走るも、間に合わない。

ボスがアスナに迫る。その腕を高く上げ、突進してくる。アスナはキリトとの思い出に、その自身の気持ちを思い出し、涙を流しながら、迫り来るボスを眺めていた。

 

 

いつから、私は彼の事が好きだったのだろう。

いつから、彼の事が気になっていたのだろう。

キリトとの思い出を、アスナは思い返す。死が近付く事で、走馬灯のようにその記憶は脳を駆け巡る。

アスナは、ボスの突進を目の前に、何かを察したように笑う。

その頬は、未だに濡れていた。

 

 

ボスはもう、アスナの目と鼻の先まで来ていた。

 

 

 

 

 

ああ…そうか。

そうだったんだ。

私はもう最初から、初めてあった日から君の事を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────刹那。

 

 

ボスの側面を、何かが直撃する。

そのあまりの突進力に、ボスの軌道が逸れ、そのままアスナの横をスレスレで通り過ぎ、ボス部屋の壁へと激突した。

アスナは目を見開き、動かないボスを見やる。

 

瞬間、アスナの目の前に、黒い影が降り立った。

息を切らし、その顔には汗が見える。

その人は、最近になって現れた、ずっと気になっていた人。

顔は全然似てないのに、性格はまるで違うのに。

その姿、その雰囲気、私は知っている。面影が、重なる。

 

 

「…どうして」

 

 

助けたの、死なせてくれないの。

そんな言葉は、口に出せないほどに。

嫌という程に、何度も何度も重ねてしまう。

 

 

それは、私の唯一無二のヒーロー。

信じてた。いや、今も信じてる。

これまでも、これからも。

いつだって私を助けてくれる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…よう閃光、偉い醜態じゃねぇか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな私のヒーローに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







子どもの頃、私も友達とヒーローごっこってやった事があるんです。
友達となりたいヒーローの取り合いになって、喧嘩して。
泣かせてしまったら、「怪獣の役だから攻撃するのは当たり前だ」と先生に言って怒られたことも。
これじゃあどっちが正義か分かりませんね。
本当のヒーロー、正義の味方っていうのは、本当に大事なものを履き違えない事だと思います。
誰にでも優しいっていうのは無責任な事だとは思いますけど、それが正しい事もありますよね。


…って、作品関係無い…(´・ω・`)


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Ep.20 同調



遅れました。今回書いていて何となく満足してない、しっくりしてない、納得してない部分が多々あるので、感想次第で大幅に変えるところがあるかもです。

それを了承しつつ呼んでもらえると嬉しいです。
では、どうぞ。




 

 

 

 

 とある層の、緑豊かな丘の上。

 そこには、少年少女が攻略の小休止を取っていた。

 

 

『ねぇ二人共。攻略組と僕らは何が違うんだろう?』

 

 

 かつての記憶。その中の誰かが、芝生に寝転んでそう問いかける。

 それを問いかけられた二人、黒づくめの装備を纏う剣士と、対称的に白い装備を着込む少年は、互いに顔を見合わせ、やがてその青年の方を向く。

 黒の剣士は口を開いた。

 

 

『…情報力、かな。アイツらは、効率的に経験値を稼ぐ方法とか、独占してるからさ』

 

『…アキトは?』

 

『えと…場数…かな。今の攻略組は、俺達よりもスタートが早かった分、ボスとの戦闘経験量が違うと…思うし…あと度胸、とかも…』

 

 

 アキトと呼ばれた少年は、しどろもどろにそう言葉を紡いでいく。

 そんな彼の反応に、青年は笑って起き上がった。

 

 

『うーん…ま、そりゃあ、そーゆーのもあるだろうけどさ。僕は意志力だと思うんだよ』

 

『…意志』

 

『アキトの度胸っていうのにも似てると思うんだけどさ。仲間を…あ、いや…全プレイヤーを守ろうっていう意志の強さっていうのかなー…。僕らは、今はまだ守ってもらう側だけど、気持ちじゃ負けないつもりだよ』

 

 

 そう言った青年は、目の前の景色を眺める。だが、その目に映るのは景色だけではない。

 きっと、彼の目にはその先の未来も見えている。

 

 

『勿論、仲間の安全が第一だ。でも、いつかは僕らも攻略組の仲間入りをしたいって思うんだ』

 

『さっすがリーダー、かっくいい〜!』

 

『のわっ!…おい、ダッカー…!』

 

 

 ダッカーと呼ばれた少年は、リーダーと呼ばれた青年の首を弱く絞め上げる。

 そんなダッカーの後ろから、優しい表情を浮かべるもう一人の少年が。

 

 

『デカく出たな〜。俺達が血盟騎士団や、聖竜連合の仲間入りってか〜?』

 

『目標は高い方がいいだろー?』

 

 

 そんな少年の問いかけに、リーダーは凛として答える。

 自信に満ち溢れたリーダーは、声高々に言った。

 

 

『取り敢えず、みんなレベル30まで上げるからな!』

 

『え〜…無理だよ〜…』

 

 

 リーダーのノルマを拒否するような声を上げる少女。

 そんな彼女を含めて、彼らは笑い出す。笑顔は絶えず、幸せを感じる。

 そんな彼らが攻略組に加われば、きっと良い雰囲気になるだろうな。

 アキトと呼ばれた白いコートを纏う少年は、そう思いながらも、何処か儚げな表情を浮かべていた。

 現実世界で知り合っている彼らと、後から加入した自分では、絆の強さ、繋がりの強さが違う。きっと自分は、あの中に入れない。

 

 

(羨ましいな…)

 

 

 

 

 

 

 

 

『レベル30くらい余裕だっつーの!なんてったって、俺達にはこの二人がいるんだからな!』

 

『っ』

 

『えっ』

 

 

 ダッカーが自慢気にそう言いながら、アキトと黒いコートを装備した黒の剣士の肩をポンと叩く。

 彼らは二人して目を見開き、ダッカーの方を向いた。

 彼らは一瞬キョトンとしたが、ダッカーが肩を叩いた二人を見ると、途端に柔らかい表情を浮かべた。

 

 

『だな!二人共戦い方上手いし!』

 

『アキトなんか、ネトゲ初心者だったのに成長したよな〜』

 

『初めて会った時、リアルネーム名乗っちゃうくらいだったしね』

 

『ち、ちょっと…もうその話は…』

 

『…フフッ』

 

『さ、サチまで…』

 

 

 サチと呼ばれた少女は、アキトの慌てぶりが可笑しかったのか、自然と頬が緩むのが分かった。アキトはそんな彼女を見て顔を赤くし、やがて目を逸らした。そんなアキトに周りは気付かず、互いに笑い合っていた。

 だがやがて、リーダーがそのままの笑みでアキトを見据える。

 

 

『けどアキト、君は本当に強くなったよ』

 

『…ケイタ』

 

 

 ケイタと呼ばれたリーダーは、変わらず真っ直ぐにアキトを見つめていた。

 

 

『今じゃあ、このギルドに無くてはならない存在になってると思うよ』

 

『っ…』

 

 

 そのケイタの言葉に、アキトは目を見開いた。そのまま動けないでいた。

 それは、アキトがずっと求めていた、欲しかった言葉だったから。

 仲間だと認められた、その証拠が欲しかったから。

 

 

『っ…?…あ、あれ…なんで…』

 

『お、おい、アキト!?』

 

『どうしたどうした!?』

 

『大丈夫?アキト?』

 

『あ…うん…大丈夫、だよ…』

 

 

 そう言いつつも、流れる涙が止まらない。

 何故、こうも気持ちが込み上げてきているんだろう。

 

 

『なんだよアキト〜、そんなに嬉しかったのか〜?可愛い奴め〜!』

 

『や、ち、違う…く、は、ないけど…』

 

『なんだよ脅かしやがって…泣き虫だなぁ全く…』

 

 

 ポロポロと涙を零す少年を、彼らは囲い、慰める。

 そんな彼らは変わらず笑顔で、アキトはそんな彼らの中心にいる事に、とても幸せを感じた。

 出会ってからずっと、寂しい思いはしなかった。そんな事、彼らはさせてくれなかった。

 アキトは自分の流す涙に驚きながらも、その表情には笑みを浮かべていた。

 

 

 そんな彼を、黒い少年は肘で小突く。

 アキトを見てニヤけるその少年と顔を見合わせ、再び笑う。

 欲しくて、何度も手を伸ばしたものは、すぐ側にあって。

 二度と失いたくないと思えて。そんな彼らと一緒に戦っていきたいと思えて。

 

 

 アキトは願った。いつか、みんなと。

 此処にいる、<月夜の黒猫団>のみんなと一緒に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 最前線で戦えたらって───────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その願いが叶ったのは。

 この場にいる、たった一人だけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「偉い醜態じゃねえか」

 

 

 アスナの目の前には、そう言って不敵に笑う、黒いコートを靡かせた少年が立っていた。

 その背中には、何処か孤独の気配がした。

 

 

 「アキト…君…」

 

 

 初めて、彼の名を口にした。意識して言わないようにしていたその名前を。

 愛した人に似ているのに、本当は別人である事の苛立ち。一緒にいると、否応無く感じてしまうキリトへの思慕に耐えられなくて、それだけの理由で敵視し、避けていた存在が。

 私の前に、格好よく現れた。

 こんな光景を、私は。彼に会ってから、ずっと。

 キリト君に重なる貴方を誰よりも嫌って、誰よりも意識して。

 

 

 「アスナ、大丈夫!? …アスナ…?」

 

 

 すぐ側まで走り寄る自身の親友を背に、アスナは両手を胸の前に置く。

 その肩は小さく震えていて、リズベットは動きを止めた。

 アキトは、そんなアスナを一瞥した後、すぐさまボスに向かって走り出した。

 その背中を、アスナはやはり重ねてしまう。揺らいでしまう。

 心臓が、その鼓動が、強く激しく脈を打つ。

 

 

 ──どうして?なんでよ…?

 どうして、突き放しても、近付いてくるの?

 なんで、こんな私に、踏み込もうとするの?

 何故、死なせてくれないの?どうして助けてくれるの?

 

 

 やめて。放っておいて。

 そうしてくれないと、私は希望を持ってしまう。

 だって、感じてしまうじゃない。期待してしまうじゃない。

 決して無い筈のその可能性に、縋ってしまうじゃない。

 

 

 「…君がっ…キリト君なんじゃないかって……!」

 

 「っ…アスナ…」

 

 

 アスナは俯き、今は亡きその名をか細く呟く。何度流したかしれない涙は、地面に落ち、その場を濡らした。

 リズベットは、ただそんなアスナの背に、手を置く事しか出来なかった。

 彼をキリトだと思うのは、願望だと分かっている。それでも、死を受け入れられないアスナは、たった一筋の希望でも、しがみつきたいと思った。

 けどそんな事は無い。自分の愛する人は、もうこの世界にいない。

 彼はキリト君じゃない。そう思いたかった。そう思いたくなかった。

 色々考えてしまう前に、命を投げ出したかった。この世界に、未練なんて無い。

 

 

 なのにどうして。

 君が助けてくれた事を、嬉しく感じてしまったんだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「せああっ!」

 

 

 リズがアスナの傍にいるのを確認し、アキトは走り出す。目の前のボスにのみ、その神経を集中させ、左手に持つティルファングを一気に振り抜く。

 

 片手剣四連撃技<ホリゾンタル・スクエア>

 

 白銀に輝く刀身で、空気を薙ぐように、ボス目掛けて当てていく。ボスは自身の爪でそれを受け止め、もう片方の腕でアキトを潰しにかかる。

 

 

 「───っ!」

 

 

 途端に、アキトの右手が光る。その拳を一旦後ろに下げ、瞬時にその拳を放つ。

 その拳は、迫り来るボスの腕とぶつかり、反発。アキトとボスの距離を離す結果になった。

 

 《剣技連携(スキルコネクト)

 

 スキルを左右交互に発動する事で、間のディレイをほぼ無しに出来るシステムを度外視したその技術は、周りで突っ立っていた攻略組の彼らを驚かせるものだった。

 エギルやクラインは我に返り、すぐさまアキトの援護に向かう。攻略組の彼らも、ボスへと攻撃を仕掛けるべく走り出した。

 今は私情を挟んではいられない。アキトを死なせる事はマイナスだと、無意識に判断したのかもしれない。

 アキトは左から近付いてくる集団の気配を感じると、目の前で雄叫びを上げるボスを睨み付ける。

 

 

 そしてふと、背後を見る。少し離れた所に、その場にへたり込むアスナと、そんな彼女の前に盾を持って構える、肝の座った鍛冶屋が立っていた。

 そんな彼女を見て、アキトはフッと笑ってしまう。

 

 

(約束したからね…守るって…)

 

 

 リズベットを見た後、その視線はアスナに。

 彼女の俯くその姿は、触れればポリゴン片となって砕け散ってしまいそうだった。

 これまで一人で戦って、周りを全て置き去りにした、自分の命を投げ打とうとした一途な少女がそこにいた。

 そんな彼女を見て、何かが脳を過ぎる。彼女の笑った顔、怒った顔、泣いた顔。色んな彼女を。

 そんな彼女の顔は見た事が無い。いや、見た事があるかもしれない。

 

 

 それは、誰かの記憶。自分の記憶。

 かつての仲間と、アスナの表情が、誰かの記憶と重なった。

 アキトはボスの方へと視線を戻し、剣を構える。その瞳の色は、何処か今までのアキトとは違う光を宿したように見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『…何があっても、絶対に帰してみせる』」

 

 

 

 

 瞬間、その言葉、その声が。誰かと重なった気がした。

 

 

 

 

 アキトは再度、ボスに向かって駆け出す。ボスはそれを確認すると、攻撃の構えを取っていた。他のプレイヤーの位置と状態を横目で確認しつつ、ティルファングで腕に向かって<レイジスパイク>を放つ。

 

 

 「…っ!」

 

 

 ボスがそれを再び腕で受け止める。アキトはすぐに距離を離し、再び近付く。距離を離すかと思わせ、再び距離を詰める。ボスは一瞬だけ反応が遅れた。

 その瞬間を、アキトは見逃さない。

 再び<レイジスパイク>を使い、ボスの頭を跳ね上がる。

 その瞳を光らせ、その体を極限まで動かし、反応速度を上げていく。

 そのソードスキルを、体術スキルを、繋げて躱してを繰り返していく。

 

 

 「せあぁああぁああっ!」

 

 

 片手剣四連撃技《バーチカル・スクエア》

 

 コネクト・体術スキル《閃打》

 

 コネクト・片手剣七連撃技《カーネージ・アライアンス》

 

 コネクト・体術スキル《掌破》

 

 コネクト・片手剣六連撃奥義技《ファントム・レイブ》

 

 

 その連撃は、まさに神業。

 仰け反るモンスターの隙を突き、立て直したボスの視界から外れ、攻撃を躱し、ソードスキルを硬直無しで繋げていく。

 今の彼には、ただ目の前のボスを攻撃する事だけ、ただ、後ろの少女を守る事だけを考え、ひたすらに集中力を上げていく。

 

 

 その神がかった戦闘に、周りのプレイヤー達は唖然とした。

 なんだ、あの異様な力は。なんだ、その見た事の無いスキルの連携は。

 だがアキトが次の瞬間、ボスの攻撃で跳ね飛ばされていく。

 その瞬間、彼らは我に返った。

 そうだ、もう少しで勝てる。ならば戦わねばと。

 

 

 攻略組がボスを取り囲み、最初の陣形を作る。ボスの前に盾を置き、周りは側面から攻撃。

 ボスはアキトにのみタゲを取っており、瞳に映すのはその少年のみ。

 エギルは行かせまいと、そんなボスの足を一気に薙ぐ。

 

 両手斧単発範囲技<ワール・ウィンド>

 

 その一撃は、感覚の狭いボスの足全てにダメージが入る。ボスは呻き声を上げ、その体勢を崩す。

 隙を突くかのように、一斉にボスへと攻撃を開始する彼ら。その攻撃は重く、ボスのHPはみるみるうちに減っていく。

 体勢を立て直すボスを確認すると、彼らは一旦後退するが、アキトはそれと入れ替わるかのように前へ出た。

 アキトはボスへと再び駆け寄る。左手の剣を右手に持ち替え、その刀身を光らせる。

 放つのは<ヴォーパル・ストライク>。その突進技はボスを掠らせ、そのままボスの後ろへと通り過ぎる。

 ボスの背中まで来ると、ティルファングを上段に構え、一気に振り下ろした。

 

 片手剣単発技<ヴァーチカル>

 

 その剣は、ボスの尾へと深々と刺さり、そのまま下へと切り込みが入れられていく。

 アキトはまたもボスの懐へ飛び込み、その剣を突き立てる。ティルファングを振り抜き、斬り裂き、叩き込む。

 攻略組も、それに呼応するかのように、声を荒げてボスに迫る。

 まだだ。もっと。

 

 

(速く…もっと速く────!)

 

 

 

 

 攻略組の彼らは、アキトと戦いながらも、その目で彼の動きを追う。

 その攻撃、その速さ。間違いなく本物だった。

 彼の言動や態度が気に食わなくとも、それはきっと、認めなくてはならない。

 けど、その動き、その表情。古参のプレイヤーは何度も見た事があったような気にさえなる。

 

 

 

 

 「…黒の、剣士…」

 

 

 

 

 誰かが、そう呟く程に。

 かつての英雄と同調して見えた。

 

 

 「っ!範囲攻撃だ!離れろ!」

 

『っ!』

 

 

 その言葉に、彼らは我に返った。ボスが尾を突き立てるのを見た瞬間、自身の武器を引き寄せ、防御体勢を取る。

 瞬間、ボスが体を回転させ、攻略組を弾き飛ばした。彼らはその筋力値に押し負け、吹き飛ばされ、地面に転がる。

 

 

 ボスの目には、アキトただ一人。アキトはその瞳の奥に宿る闘志を燃やし、迫り来るボス目掛けてソードスキルを叩き込む。

 ボスの顔に、<バーチカル・スクエア>を食らわせる。その黄金に輝くティルファングを、ボスが防御すべく出した腕にぶつけていく。

 

 

 一撃、二撃、三撃。ボスの腕と、ティルファングの間から火花が飛び散る。

 最後の一撃もまた、ボスの腕に弾かれるが、まだ終わらない。アキトは左手を構える。その拳はイエローに輝き、ボス目掛けて振り抜く。

 

 

 コネクト・体術スキル《エンブレイザー》

 

 

(届け──!)

 

 

 ボスのHPは残り僅か。攻略組がさらに畳み掛ける為の隙を作るべく、アキトの左手が突き出る。

 しかし、ボスのもう片方の腕が、それを良しとしなかった。再びその攻撃は、ボスの腕に阻まれ、有効打にならなかった。

 

 

 「っ!?」

 

 

 ボスはその腕を下から上に、アキトの体を吹き飛ばした。<エンブレイザー>を打った瞬間を狙うその攻撃は、アキトに防御姿勢すら取らせない。

 アキトはボスのほぼ真上まで飛んでいき、やがて落下していく。

 エギルやクラインは目を見開き、空中を飛ぶアキトを見る。

 真下のボスは、トドメを刺すべくアキト目掛けてハサミを開いた。

 

 

 「まだだっ…らぁ!」

 

 

 アキトは空中で体勢を立て直し、赤く光る剣と共に、落下してくる。

 いや、突進してきていた。

 

 コネクト・片手剣単発技<ヴォーパル・ストライク>

 

<エンブレイザー>からの三連目のスキル、その突進力でボスの顔を突き刺し、ボスのハサミを置き去りにした。

 

 

 「やったか!?」

 「まだだ!」

 

 

 ボスはアキトを暴れる事で引き離し、周りのプレイヤーを巻き込んでいく。何人かは再び飛ばされ、何人かは地面に伏す。

 アキトが作った隙が、無くなっていく。

 

 

 だが一人、ボスの視界に入らないプレイヤーが、ボスの真上にいた。

 それを見たアキトは笑みを零し、思い切り叫んだ。

 

 

 

 

 「『今だ!リズ!』」

 

 

 「っ!はあああぁぁあぁああぁああ!」

 

 

 

 

 リズベットは跳躍し、ボスの甲羅に向かって、そのメイスを振り下ろした。

 その一撃はメイスにしか出せない、重い、想いの一撃。

 

 片手棍四連撃技<ミョルニル・ハンマー>

 

 そのメイスを着地と同時に叩き落とし、ボス目掛けて左から右からと振り抜いていく。

 彼女のその姿が、誰かを救う為に、誰かを思って戦ったその姿が、とても美しいものだと思った。

 ボスはリズベットのそのソードスキルで、動きを止め、その体を光らせる。

 やがてポリゴン片となって、空気中に霧散した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 辺りは歓喜に溢れていた。ボス戦後はいつもそうなのかと、半ば苦笑いを浮かべていると、視界にメイスを持ってへたり込むリズベットの姿を見た。

 アキトはリズベットの元まで歩き、その少女を見下ろした。

 

 

 「…アキト…私…」

 

 「ま、初のボス戦なんだから、こんなもんだろ」

 

 

 アキトな特に表情を変えることもなく、そう言い放つ。リズベットは乾いた笑みを見せ、ヨロヨロと立ち上がった。

 その後、暫くアキトの事を見つめていた。

 

 

 「……」

 

 「…なんだよ」

 

 「…アキト」

 

 「?」

 

 「う、ううん、なんでもない」

 

 

 リズベットはそう言って俯く。アキトは首を傾げたが、気にするのをやめたのか、辺りのプレイヤーを見渡していた。

 リズベットはアキトの目を盗んで、再び彼を見つめる。

 ボスへのラストアタック。その刹那、最後の一瞬。

 あの時、あの瞬間。

 

 

(キリトに…呼ばれたような…)

 

 

 アキトの戦闘が、アキトの声が、アキトの表情が、アキトの放つ雰囲気が。

 何もかもがあの瞬間だけ、その英雄を想像させた。それを懐かしく感じた。

 それはきっと、この場にいる殆どのプレイヤーは感じていただろう。ずっとキリトと戦ってきたプレイヤー達ならきっと、彼をキリトと重ねて見ただろう。

 本人は、何とも思っていないようだが。

 

 

 「さて…」

 

 

 アキトはフッと息を吐くと、周りを見る。今だ歓喜の声を上げるプレイヤー達。

 だが、喜びの感情の他に感じるのは、怒りを孕むいくつかの視線。その先にいるのは、途中からずっとへたり込んだまま、指示を出す事もしなかった自分達のリーダー。

 彼らは少なからず憤りを感じているだろう。当然だ。今まで信頼を寄せてきた。今まで散々引っ張られた。なのに、それを全て投げ出して、自分達を見捨てて、それで自分だけは死のうだなんて。

 彼らからは、憎悪、侮蔑にも似た鋭い視線が刺さる。

 アキトはリズベットの脇を通り過ぎ、座り込むアスナの目の前まで歩み寄る。

 アスナは顔を上げない。だが、誰が来たのかは分かっただろう。

 

 

 「どうして…助けたの」

 

 「あ?」

 

 

 何人かの歓喜ムードを壊すかのように、ポツリと、そんな声が聞こえる。次第に、周りからの声が消えていった。

 その声の主は、震えた声で、辛そうに紡ぐ。

 

 

 「お前こそ、この攻略組のリーダーだろ。お前の指示が無けりゃあ動けねえポンコツばかりなんだ、お前が現場放棄してるんじゃねぇよ」

 

 

 その言葉に、周りのプレイヤーは一斉にアキトを睨み付ける。

 だが、アキトのそんな一言も事実であった。

 攻略の鬼とさえ呼ばれたアスナだ、作戦やら攻略の仕方やら、何から何まで自身の都合で指示されて来たのだ。

 76層のボス戦に続いて、77層のボス戦でも同じ事が起こった。今回も彼らは、アスナの現場放棄によって、どう動いたらいいか分からないでいたのは事実だった。

 彼らは、アスナの次の言葉を待つ。

 

 

 「私は…もういいの」

 

 「何が」

 

 「っ…私には!もう、生きてる意味が無いの!生きているのが辛いの!だから…!」

 

 「…お前、せっかくリズベットが守ってくれたってのに」

 

 「そんなのっ!頼んでないっ…!」

 

 「……」

 

 「…お前…」

 

 

 アスナは俯いたまま、ボス部屋に響く程の声で叫ぶ。

 分かっているくせに。アキトにそんな思いを抱きながら、あえて聞いてきた彼に腹が立った。

 もうどうでもいい。何もかもが。周りがどうなろうと関係が無い。

 そう何度も、言葉を発した。

 

 

 その言葉に、怒りを覚えた攻略組のプレイヤーは何人もいるだろう。

 

 

 勿論、アキトも。それは、彼女の傍にリズベットがいたから。

 アスナの為に、何かしてあげられたら。そんな願いを元に、怖かった筈のボス戦に参加した。

 アスナに生きて欲しいが為に、彼女を最後まで守り通した彼女の前で。

 頼んでない、だなんて。

 

 

 「おい、いい加減にしろよ。人が簡単に死ぬ世界なんだ。お前が指示しなきゃ動けねえ奴らがいるって言ったろ。そんな雑魚どもの世話くらい、最後までやり通せよ」

 

 

 そう告げるアキトを、睨むように見上げるアスナ。彼女のその瞳には、確かな怒りが見て取れた。

 

 

 

 

 「貴方に…私の気持ちなんて分からない」

 

 

 「────」

 

 

 

 その一言に、アキトは拳を握り締める。

 開いていた口は、何も言えずにそのまま閉じられた。

 アキトはこの時、何を考えていたのか、リズベットもエギルと知る術は無い。

 だが、その時のアキトの声音、体、それらが僅かに震えているのは、彼らには分かっていた。

 

 

 「…ならお前に、俺の気持ちは分かるのか」

 

 「っ…」

 

 「他人の気持ちなんて…考えた事があったのか」

 

 

 アキトのその言動に、アスナは口を紡ぐ。そして、彼が言わんとする事を理解した。

 NPCを囮にしたり、それらをただのオブジェクトだと言ったり。

 道徳的な事を無視して、ボスの事だけ、自分の死だけを考えていた事。それらに、彼らを巻き込んだ事。何から何まで心当たりがあるものだった。

 だが、アキトのその表情は、冷たいの一言で。

 リズベットの声も震えていた。

 

 

 「アキ…ト…?」

 

 

 辛いのはアスナだけじゃない。誰だって辛いのは同じ。

 ここに来るまで、アキトは挫折を繰り返し、それでも自身の目的を果たすべく、ここまで来たのだ。

 大切な人を失ったのは、アスナだけじゃない。けどそれでも、このゲームをクリアする為に攻略組としてここにいる。

 だというのに。

 アスナのヘイトを自身に移す。そんな事は既に忘れていた。

 この目の前の少女を、とにかく責めたかった。

 やめろ、そうじゃない。そんなやり方じゃない。誰かがそう、心で叫ぶ。

 

 

 「この世界で一体何人死んだと思ってる。コイツらの知り合いもいただろう。親、兄弟、友人、それに『恋人』も。お前はそんな奴らの前で、NPCを囮にしようとした。人の気持ちがどうだのなんだの、聞いて呆れる」

 

 

 アスナがピクリと反応する。ダメだ、言うな。

 

 

 「自分の恋人が死んだ途端にそれか。都合が良過ぎるとは思わないか」

 

 

 アスナの体が震える。ダメだ、これ以上は。

 

 

 「そもそも、お前は何をそんなに悲しんでる」

 

 

 アスナのすぐ近くまで歩み寄り、彼女を見下ろす。やめろ。

 

 

 

 

 「この世界のものなんて、みんなただのオブジェクトなんだろう?」

 

 

 

 「っ…!」

 

 

 

 

 アスナは目を見開く。

 アキトは、アスナを侮蔑の視線を向け、感情のままに言葉を連ねる。

 

 

 「何故茅場がこの世界を作ったと思う。こんな世界、ありはしないからだ。あればいいと願った幻想が創り出した人の業だ。つまり、偽物の世界なんだよ。何もかもが。なのにこの世界で生きた時間だけは本物だと?よくそんな矛盾極まりない事を思えたな。お前は先の一言でキリトや娘との生活を否定したんだよ。自身の想いも、愛されたという感情も」

 

 「っ…」

 

 「あ、アキト!…もういいからっ…やめて…!」

 

 

 誰にも何も言わせまいと、自分ではない何かが言葉を紡ぐ。

 頼むから、やめてくれ。

 

 

 「お前達がここへ来て、何か一つでもリアルで得するようなことがあったのか?」

 

 

 アスナを見て、憎悪にも似た視線を、彼女にぶつける。

 アスナは怯えたような顔でこちらを見上げていた。もうやめて。これ以上言わないでと。

 だが、この目の前の少女を何故か、許してはおけないと思ってしまった。苛立ちが、アキトを襲っていた。

 

 

 

 

 「感情も偽物なんだ、悲しむ事は無い。お前は最初から、“愛されてなどいなかった”」

 

 

 

 「────」

 

 

 

 「っ…!」

 

 

 

 

 ────パァン!と、空気が破裂するような、そんな音が静寂を壊す。

 

 

 ボス部屋全体に響き渡ったその音は、桃色の髪の涙目の少女が放った、黒い少年への平手打ちのものだった。

 当人は、平手打ちをした手と、もう片方の手を、顔に持っていく。

 その流れる涙を、必死に抑えようとする。

 

 

 「…お願いだから…もう、やめてよ…!」

 

 

 彼女の泣き顔を見たかったわけじゃない。そんな事をしたかったわけじゃない。

 この平手打ちだって、受けたくて受けたわけじゃない。

 決してダメージには入ってない。リズベットのカーソルの色にも変化は無い。なのに。

 とてつもなく、痛かった。

 

 

 「……ハッ」

 

 

 アキトは攻略組を背に歩き出した。目の前にあるは78層へと向かう扉、その階段。

 その足取りは半ば重く感じるが、それも気にならない。

 扉の前にはエギルが立っていたが、気にせずその横を通り過ぎる。

 

 

 「…あんまり無理すんなよ」

 

 「…なんの事だか」

 

 

 エギルの表情を見る。エギルは何もかも分かっていると、そういった表情をこちらに向けていた。俺は理解していると。大丈夫だと。

 アキトはそんなエギルに感謝のようなものを抱きつつ、78層への階段を登った。

 

 

 あの時、攻略組はろくに指示も出さないアスナに不審感や苛立ちを感じていただろう。だがここでアスナにヘイトが行くのは避けたかった。彼女は今後も攻略組には必要な存在になる。彼女が孤立するような状況になってしまうのは、彼女自身の為にも避けなければならない。

 ならばどうするか。決まっている。76層に来てから、ずっと攻略組に対して取ってきた態度で、アスナを傷付ける。

 何ら変わらない。アスナは悲劇のヒロインを飾り、アスナを傷付けたアキトはさらにヘイトを稼ぎ、攻略組の士気は安寧を保つ。

 それでいい。彼女が無事なら。『誓い』を果たせるなら。

 それさえ叶えられれば、それでいい、そう思っていたのに。

 

 

 言い過ぎたと自覚していた。あんな事、本心じゃないと。

 何故、あんなにアスナを傷付けたい衝動に駆られたのか。

 

 

 

『貴方に…私の気持ちなんて分からない』

 

 

 

 きっと、あの言葉がアキトの心を殴り付けたのだろう。自分でもそう理解していた。

 自分がこれまでやってきた事を、否定されたような気がしたのかもしれない。

 

 

 「俺が…今までどんな気持ちで…」

 

 

 そんな言葉を発した時にはもう78層に到達していた。その街並みは、他の層と取り立てて変わったものは無かったが、その隙間から吹く風が、アキトの髪を凪いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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Ep.21 夢で見た記憶、いつか見た記憶




お疲れ様です。心理描写以外苦手な筆者、夕凪楓です。
感想からありましたこの作品の書き方について、いくつか説明したいと思います。

相変わらず戦闘描写が苦手です。もしかしたら、恋愛描写も苦手かもしれない…(´・ω・`)






 

 

 

 気が付けば、自分は独りだった。

 

 

 ある日、自分は不幸を引き寄せる人間だと思った。

 ある日、自分の周りから繋がりが消えていった。

 それから、もう人とは関わらないと決めていた。だけど、心はずっと繋がりを探していて。

 そして、また人と繋がった。自身を思ってくれる仲間に出会った。大切に想う人が出来た。

 もう二度と、手放したくないと思った。この命に変えても守ってみせると心に誓った。

 

 

 

 そしてそれを、知らぬ間に失った。

 

 

 

 

 

 

 「……あれ……俺、寝てたのか……」

 

 

 天井を見上げる。いや、天井など無い。目が覚めて一番に視界に入ったのは、空に満遍なく輝く星々だった。

 不思議に思い、上体を起こしてみると、辺りは草原で、自分が寝そべっているのは、フィールドのとある丘の上。モンスターがポップしない、プレイヤー専用のセーフティーゾーン。確認すると、ここは78層のフィールドらしい。

 丘の上から見下ろすと、飛龍種モンスターが飛び交っていた。

 

 

 どうやら77層のボス戦を終えた足でそのまま78層のマップ探索をして、そのまま寝入ってしまったようだ。辺りはもう既に暗く、時刻を見れば11時を過ぎていた。

 もう帰ろうかと思い立ち上がると、アキトはふと、その体の動きを止めた。

 

 

 「……」

 

 

 思い出したのは、先程のボス戦後のアスナとのやり取り。

 アスナの為とはいえ、言い過ぎたのは否めなかった。

 アスナの瞳からポロポロと流れる涙。平手打ちを食らわされた少女、リズベットの涙目で何かを訴えるような表情が、とてもリアルでフラッシュバックする。

 

 

 「……」

 

 

 

 

 

 

『大丈夫か?』

 

 

 「…うん…大丈夫だよ」

 

 

 そんな幻聴に律儀に返事を返し、フィールドに背を向ける。

 帰路に立つアキトの背中は、何処か寂しげに見える。

 アキトは、数時間前にリズベットに平手打ちを食らった頬を撫でる。当然だが、跡はもう残っていない。

 だけど、不思議とその頬に、熱がこもっているように感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 少年アキトは、矛盾を抱えている。

 

 

 アキトは、『繋がり』が欲しかった。

 決して切れる事の無い、確かな絆を求めていた。

 だけど、何度もそれを失って、いつしか感じるようになった。

 

 

 いつか失くしてしまうなら、この手に何も欲しくない。

 

 

 だけど独りはとても寂しくて。心が折れそうになって。

 だから、独りでも生きていける強さが欲しかった。これから先、繋がりを持たず、独りで何もかもを統べる力が欲しかった。

 けれど、それでも、伸ばされた手を掴みたいと思ってしまう事がある。

 きっと、強さを求めるのは、手に入れたものを失くさないようにしたいから。

 だけど、強くなったところで、また失ってしまったらと思うと、怖くてどうしようもなくなった。

 

 

 そんな矛盾を、抱え続けている。

 

 

 

 

 

 

 

 「…あれ」

 

 

 76層<アークソフィア>。夜中にも関わらず、その待は街灯で明るく道を照らしていた。プレイヤーはおらず、静寂に包まれた世界。とても幻想的で、自分以外誰もいないのではないかと錯覚してしまう。

 その道に沿うように置かれたベンチに一人、座って眠る少女の姿が見えた。

 しかも、その少女はアキトの知り合いでもあった。

 

 

 「……」

 

 

 いつもなら無視するかもしれない。けれど、アキトの足は自然と彼女の方へと動いていた。

 アキトはその少女の傍まで歩いていくと、シノンの顔を見る。

 シノンの顔は心做しか怯えているようで、酷く魘されているように見える。

 アキトは少し、焦りを感じた。咄嗟にシノンに声をかける。

 

 

 「おい、何してんだよ、シノン」

 

 

 「ん……?……あれ…アキト…?」

 

 

 その少女──シノンは、その瞼をゆっくりと開き、目の前の少年を見上げた。

 寝起きだというのに、シノンの目は大きく見開いていた。この場にいるアキトに驚いているのだろう。

 

 

 「こんな時間に何してるのよ」

 

 「…攻略」

 

 「攻略…って、もう12時前じゃない。また無茶して…」

 

 「別に無茶なんかしてねぇよ。実際、まだやれる」

 

 

 ウィンドウを開き、時刻を確認したシノンは、呆れたようにアキトを見上げる。アキトはそんなシノンから目を逸らし、顔を顰めた。

 

 

 「…こんなところで寝てんなよ。街中だからって安全じゃねぇんだぞ」

 

 「…?街中は安全だって言ってなかった?」

 

 

 シノンはキョトンとしながらこちらを見つめる。アキトはシノンがこの世界に来たばかりなのでは、とユイが話していたのを思い出した。加えて、彼女は記憶が抜けているとの事だ。記憶が無いにしても、別のゲームから来たとしても、知らないのは当然かもしれない。

 

 

 「《アンチクリミナルコード有効圏内》、通称《圏内》。プレイヤーを傷付けたりするのはシステム的に不可能だけど、寝てる相手の腕使ってアイテムトレードしたり、デュエルで人を殺したりする奴がいたりすんだよ。どこにいたって人間、やる事は同じって事だ」

 

 「…心配、してくれてるの?」

 

 「…別に」

 

 

 フッと笑うシノンから、また顔を逸らす。シノンのその一言が、アキトの脳を駆け巡った。

 

 

(心配…か。もう何も求めないって思っても、根本は変わらないな…)

 

 

 アキトは自嘲気味に笑った。自分の信念が揺れまくっているこの状態に、情けなさを感じた。

 だから、シノンの事を心配するような振る舞いをしてしまう。

 

 

 「…酷く…魘されてたみたいだけど」

 

 「…え?」

 

 「…いや、いい」

 

 

 何を聞いてるんだろう。そう思い、シノンの目の前を通り過ぎる。

 すると、その背の後ろから声がした。

 

 

 「…夢を、見ていたのよ」

 

 シノンの言葉でアキトは立ち止まり、彼女の方へと視線を動かす。

 しかしその表情は、決して明るいものとは言えなかった。

 

 

 「夢…ね」

 

 「そう。忘れるなって事なのかしら…とにかく、夢のおかげで大分思い出した」

 

 「思い出したって…記憶が?」

 

 「ええ。……座ったら?」

 

 

 シノンが自身の隣りをポン、と手で叩く。アキトは一瞬躊躇ったが、おずおずとベンチに腰掛けた。

 シノンはそれを確認すると、目の前の景色へと視線を動かした。

 

 

 「…聞いても驚かないでね。私も戸惑ってるんだから」

 

 「じゃあなんで話そうなんて思ったんだよ」

 

 「…戸惑ってるからこそ…誰かに聞いてもらいたいのかも…」

 

 

 もしかしたら、アキトに聞いて欲しかったのかもしれない。

 何故そう思ったのかは分からない。だけど、先程アキトの背中を見た時、何故かいたたまれなくなった。

 このまま帰したくないと、そう思った。

 

 

 「……」

 

 「私がSAO……ソードアート・オンラインの事を聞いたのは、テレビのニュースでよ。沢山死人が出ている最悪のゲームだって。首謀者はまだ捕まっていないって言ってた。落ちてきて、アスナに助けられた。あの時に、私はこの世界に迷い込んだ」

 

 

 アキトはその言葉を聞いて、ほんの少し拳を握る力が強くなる。

 首謀者、つまりは、茅場晶彦。この世界を創造し、一万人もの人間を幽閉した闇の科学者。

 そして、大切な人達の、仇のような存在。

 アキトは心を静め、シノンの話を聞いた。

 シノンの言葉が本当なら、シノンは外部からログインしてきた事になる。だが、ナーヴギアが今も世に出回っているとは考えにくい。恐らく、何らかのハードが、ナーヴギアの後継機のような物があるのだろう。

 リーファのアバターは、別のゲームのものだと聞いた事がある。ならば、VRMMOは今でも健在で、ハードだけは変わっている可能性が高い。

 脳波を検出し、五感にアクセス出来るハード。それが無ければダイブ出来ない筈だ。

 その問いに、シノンはすぐに答えてくれた。

 

 

 「ナーヴギアなんてとっくに発売も生産も中止よ。多分、《メディキュボイド》のせいね」

 

 「…メディキュ…ボイド…」

 

 「医療用の機械なんだけど…フルダイブ技術を応用して医療に役立てようって機械で、ナーヴギアと同じシステムを積んでいるの。目や耳が不自由な人にVR技術が役立つってのはかなり昔から言われてた事でしょ」

 

 

 アキトはそこまで聞くと、色々と思い出す。確かにナーヴギア、もといVR技術が進歩してからというもの、他の面でも活かせるのではないかと思案していた番組やニュースを見た事がある。

 医療は勿論、スポーツの練習、ダイエット。そして、軍事利用など。

 

 

 「あと感覚の遮断も、麻酔の代わりに使えるかもしれないとか……まあ色々医者が説明してたわ」

 

 「…お前、何かの病気なのか」

 

 「いいえ、私はそのどっちでもなくて、カウンセリングのテストだったんだけど…VRMMOは、…ナントカ療法に良い効果が期待出来そうだとか…勿論SAOじゃない、もっと無難なVRMMOでね」

 

 「…VRMMOってのは、こんな状況でもポンポン世に出てんだな」

 

 

 カウンセリングという言葉に違和感を覚えつつ、シノンの話を聞くアキト。

 自分達がいない2年間で、リアルの世界では色々と変わってきている事を実感する。この世界の誰もが願っているであろう、『現実への帰還』。その世界では、自分達を閉じ込めたVRMMOが、今も尚進歩している事を、どう思うだろう。

 

 

 「…それで、アバターを作成してカウンセラーを待ってたら、急に足元が揺れて…そこからはもう訳が分からなかった。落ちているのか、吸い込まれているのか…頭もクラクラしてたし……」

 

 

 シノンはそう言って俯き、瞳を閉じる。

 その声は震えていて、どこか辛そうで。アキトはかける言葉を失った。

 アキトは俯くシノンを視界から外し、少し大きめの声を発した。

 

 

 「…まあでも、何も覚えてないのは意外と怖いって言ってたじゃねぇか。記憶が戻ったんなら、それはマイナスってだけじゃねぇだろ」

 

 「…そうでもないわよ。忘れていたかった事まで思い出したから」

 

 

 顔を上げたシノンの顔は、酷く悲しみに満ちていた。アキトはその表情を見て、思わず視線が固まる。

 シノンが、かつての仲間に重なる。その声と体の震えが、見えない恐怖に怯えているような姿が。

 

 

 「……でも、私がここに来たのは運命だったのかもしれない」

 

 「っ…まだ攻略組になるつもりでいるのか。何が目的なのかは知らねぇけど、それはこの世界でやらなきゃいけない事か」

 

 

 その声は、どこか焦りのようなものを感じた。アキト自身、わかっている。

 目の前の少女、かつての仲間と同じように怯え、震えている彼女に、何を思っているのか。

 

 

 「モンスターは日に日に強くなってきている。攻略組の連中だって苦労してるんだ」

 

 「そんなの、関係無いわ。私は、強くならなきゃいけないのよ。…自分の過去に、打ち勝つ為に」

 

 

 その過去がどんなものかは聞かなかった。だが、今から攻略組に参加するには時間も経験も足りていない。

 そんな彼女が出て来たところで、無駄にプレイヤーを死なせるだけだ。

 だけど、自分はきっと、この少女を止められない。

 

 

 いつか見た景色が、アキトの脳裏で再生される。

 シノンが、モンスターの輪に囲まれ、蹂躙されていく姿を。泣き叫ぶ彼女の姿を。手を伸ばしても届かない、自分の惨めな姿が。

 何度も夢で見てきた。仲間が消えゆく様を。

 何度も助けようとした。何度も何度も剣を振り続け、短いようでとても長い距離を走り続け、何度も何度もその名を呼んだ。

 

 

 何度も。何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も────

 

 

 それでも最後に目にするのは、ポリゴンが宙に舞う景色。幻想的であっても、決して幸せになる事は無い。

 その欠片は、死人のもの。この世界から存在が消失した事の証。

 

 

 ああ…俺はまた、彼女を────

 

 

 

 

 

 「…まだ、実感はないんだけど…この世界で敵に倒されると、プレイヤーは本当に──」

 

 

 

 

 

 「…俺が…守る、から」

 

 「…え?」

 

 

 アキトの手はシノンの手に伸びており、やがてその手を握る。

 シノンが困惑する中、アキトはその手を両手に包み込み、それを自身の額に持っていく。

 

 

 「っ…あ、アンタ、何を──」

 

 「今度こそ…絶対に助けに行くから…間に合って…みせるから…だから…」

 

 「…アキ、ト…」

 

 「もう…君を、一人にしないから…だから……独りに…しないで……」

 

 

 その振り絞られた僅かな声は、とても小さく、弱々しくて。その声も体も、酷く震えていて。

 シノンは目の前の少年を前に、瞳が大きく揺れる。自身の手を握る彼の手は、徐々に握る力が強くなる。

 だけど不思議と優しく、暖かいその手の持ち主は、目の前で何かに怯え、震えている。

 彼もきっと、自分と同じ。何か辛く、重いものを背負っている。

 そう思うと、とても手を振り解けなかった。シノンは、その手を握り締めた。

 

 

 「…アキト」

 

 「…っ!?…ゴメン…」

 

 

 シノンがアキトの名を呼ぶと、我に返ったのかシノンの手をバッと離し、ベンチから立ち上がった。

 シノンに背を向けて、早歩きで去っていく。シノンは思わず立ち上がり、アキトの背を見つめる。

 呼びかけようと手を伸ばすも、その手は空を切り、結果的に彼を見送るだけとなってしまった。

 

 

 「アキト…」

 

 

 その伸ばした手を自身に引き寄せる。アキトに握られたその手を。

 凄く震えていて、酷く怯えていて。

 あんな姿を、いつか見た事があった。

 

 

(…昔の……私の顔……)

 

 

 アキトのその顔は、自身の過去に苛まれ、怯え続けていた頃の自分のようで。いや、今も怯え続けている。

 だからこそ分かる。アキトは、自分のように、辛い過去があって、乗り越えようとしてるのでは、と。

 いつか、自身とアキトは似ているかもしれないと、そう感じた事がある。その気持ちは今も変わらない。

 だが、似ているだけで、決して『同じ』ではない。根本的な何かが、自分とアキトとは違うのだと思った。

 自分の前じゃなくてもいい。取り繕わないで、気を抜いて欲しい。そう言ったのは、記憶に新しい。

 だけど、シノンには分からなくなっていた。

 攻略組に啖呵を切る、高圧的な態度。ユイの前で見せる、あの優しげな表情。

 そして、今見た、何かに怯え、縋るような彼。

 一体、彼の気持ちはどこにあるのだろうかと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿に帰るその足は、段々と速くなった。頭では、かつての仲間に重ねたシノンに縋る、自分の姿。

 自分に腹が立つ。

 シノンが彼女に見えただけならまだしも、かつての過去を否定するかのように、シノンを彼女の代わりに見えてしまった事に。

 

 

 宿に入り、階段を上る。自室の部屋へと飛び込む。そこまですると、体から力が抜け、ベッドへと転がり込んだ。

 

 

 「……」

 

 

 先程の光景を思い出す。シノンの手を握った、自分自身の掌を見つめる。

 いつだったか、あんな風に、誰かの手を握った事があったような。

 

 

(…弱いな…いつまで経っても…)

 

 

 なんにも変わってない。心も体も、弱さも。

 自嘲気味に笑う。仰向けに寝転がり、天井を見上げ、その手を伸ばす。

 

 

 リズベットもシノンも、目的は違えど立ち上がった。シリカも、攻略組に参加する為にレベルを上げている。リーファも街を周りながら、たまにクラインやリズと圏内付近のフィールドで戦闘訓練をしていると聞いた。

 皆が、キリトの死を乗り越えようと、アスナを死なせまいと、自身の目的の為にと、自分の足で進んでいる。明らかに変わっていっている。

 

 

 「…仲間の死を乗り越えるなんて…俺には無理だよ…」

 

 

 

 

 ───なら、俺は?

 

 俺は何か変わっただろうか?

 ここへ来て感じた事は、キリトに対する憧れや、アスナに対する苛立ち、キリトの仲間への羨望、それだけ。

 何か、目的があって、ここへ来た。だけど、彼らを見ていて思う。

 俺は、必要ないんじゃないかと。

 ぐるぐると、螺旋のように思考が混ざり狂う。

 

 

 何を考えて、何を思って。何をすべきで、何を成すべきで。何がしたくて、何を求めて。

 俺はただ、誰かを死なせたくなくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── 『誰か』?顔も知らない奴を守りたかったのか?違うだろ?

 

 

 

 

 「っ…そうだよ…本当に、守りたかったのは…」

 

 

 その腕を、自身の顔に持っていく。

 天井から、自身の目を隠すように覆われたその腕の部分は、涙で濡れつつあった。

 

 今日のボス戦で、アスナに言った言葉を思い出す。

 この世界のものは、全て偽物。

 そんな訳は無い。この世界で、アキトは欲しかったものを手に入れる事が出来たのだから。

 確かに、今の攻略組は、アキトが求めたものとは似ても似つかない。

 アキトの脳裏には、今日のボス戦の様子が映し出されていた。

 指揮官の脱落による連携の乱れ、そこから決壊していくチームとしての信頼感。

 今の敵は、モンスターだけじゃない。『人の感情』が邪魔をする。

 

 

 …もしかしたら。

 そもそもこの世界に、信頼なんて言葉は無いのかもしれない。

 この世界で組まれた徒党は全て、『現実への帰還』という目標の元、利害の一致が生んだ協力関係ってだけなのかもしれない。

 血盟騎士団を見ていると、それを顕著に感じる。

『信頼』ではなく『忠誠』。自身の指揮官を崇め、ゲームクリアを期待している。

 彼ならやってくれる、彼女ならきっと。そんな理想を押し付けるだけの集団に見えた。

 理想を、誰かに求め、押し付けるのは弱さだ。自分じゃ何も出来ないから他者に任せるなどと、綺麗事で片付けてはいけない。それは罰せられるべき怠慢で、唾棄すべき悪だ。自分と周囲に対する甘えだ。

 その期待を、理想を押し付けたのは自分自身だ。だから、その期待が外れても、それで失望していいのは自分に対してだけだ。

 だけどこの世界では、人の心は顕著に現れる。崩壊の原因が、全員にあったとしても、崩壊させた奴を悪だとみなし、それを責める。集団の悪ほど正当化されていく。

 そういう風に出来た世界だ。

 

 

(…けど…あの空間だけは…俺が守りたかったあの場所だけは…)

 

 

 アキトの世界は、あれだけで完成していた。あの世界に、アキトの求めたもの全てがあった。

 それは、傍からみれば狭い世界かもしれない。だけど、広さは関係がない。

 大切なのは、想いだったから。

 あの世界だけは、決して利害関係ではなかった。確かに最初は攻略の為の効率の良さを考えたかもしれない。だが決して、それだけの希薄な関係ではなかった筈だ。それは誰よりも自分自身が理解していた。

 ただそれだけあれば良かった。それだけあれば、他に何もいらなかった。

 それが無ければ、生きている意味など無いと、そう思える程に。

 

 

 

 

『私には…!もう、生きてる意味がないの! 』

 

 

 

 

 

 

 

 「…俺も、だよ…。っ…俺にはっ…あの場所だけが…俺のっ…全てで…!……俺の…っ……!」

 

 

 

 

 

 

 アキトの、本当に守りたかったものは───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







過去を捨て去れない。捨てたくない。それ故に続く、負の感情。
欲しかったものは、常に一つ。だけど、そればかり追うことは叶わなくて。

何を目指す作品なのか、分からなくなるのも仕方ないよね(震え声)



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Ep.22 目覚めの傍で





今回は後半、シリアス無しで書いております。珍しい…(震え声)

あまり慣れていないので、前話までとは質が劣っているかもしれません。すいません(´・ω・`)

今後も書き連ねて行くことでそういった部分も上手く書けるようになりたいです。(`・ ω・´)ゞビシッ!!


 

 

 

 

 

 アキトはまた、この場所を訪れた。

 見渡す限りが自然のもの。太陽の光が水面に反射して眩しく、思わずその目を細める。街がある孤島が橋で続いており、まるで湖の上に浮かぶ島国の様だった。いつか、ユイに見せてあげた景色。最近はここに来る頻度も多くなった気がする。

 理由はなんだっていい。スキル上げの為だとか、昼寝の為だとか、綺麗な景色だからとか。

 独りになりたいからだとか。

 

 

 「……」

 

 

 この場所を見つけたのは、この76層に来て数時間経った時だった。

 街中を、何か大事なものを探すように駆け巡り、建造物の合間を縫いながら、焦りと困惑で彷徨いながら。

 そうして見つけた場所だった。

 何を、いや、誰を探していたのかなんて、とっくに自覚していた。

 彼の死を信じ切れなかった自分の、最後の足掻きのようなものだった。

 

 

 「……」

 

 

 特に何もする事をせず、ただただボーッとその景色を見渡していたアキト。だが、今日はそれが目的でこの場所に来ていた。

 ここにいる間は、全てのしがらみから隔絶された世界にいるように錯覚出来るから。この場所なら、色々な事を考えなくて済むから。

 剣を抜き、スキル上げをする事も無く、ただひたすらにその景色を眺めていた。

 だけど、やがて後悔する。

 何も考えないようにと思って来た場所だったのに、景色を見るだけで思い出す事があった。

 

 

 前もこんな風に、彼とこんな景色を眺めた事があったっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 それは、とある夕暮れのひととき。

 

 

『…なあ、それ、美味いか…?』

 

 

 何処かの層の、セーフティーエリア。二人の少年はレベリングの小休止を取っていた。

 その丘の上で、黒いコートの少年は、白いコートの少年の食べる饅頭のような食べ物を凝視する。

 

 

『…へ?あ、これ?うん、美味しいよ』

 

『…一口くれないか?』

 

『キリトの一口大きいんだよなぁ…』

 

 

 白いコートの少年は、キリトと呼ばれた黒い剣士に持っていた饅頭を差し出した。

 一口ちぎってくれるものかと思っていたキリトは、思わずキョトンと目を丸くする。

 

 

『…えっと』

 

『あげるよ。どうせまだ6つあるし』

 

『そ…そうか…じゃあ…って、なんでそんなに…』

 

『みんなにお土産』

 

 

 キリトはその目を爛々と輝かせ、饅頭を頬張る。予想通りに大きいその一口に、アキトは思わず苦笑した。

 そして、今のこの状況にも笑ってしまう。

 

 

『折角今日1日は休日にしようって皆で決めたのに、俺達は二人でレベリングなんてね』

 

『た…確かに…け、けど、アキトが頼んで来たんじゃないか』

 

『どうせする事なんて無かったろ?…それとも、何かあったの?』

 

『ぐっ…いや、無いけどさ』

 

 

 ギルドの皆で決めた。毎日根を詰め過ぎるのも良くないから、たまには休日もあっていいだろうと。

 妥当な判断だし、流石リーダーだと思ったのだが、アキトとキリトには、生憎休日の潰し方というのを知らない。

 結局、休むべき筈のレベリングを勤しむ事になってしまった。

 と言っても、キリトはアキトに頼まれたから付き合っている。勿論、キリトに予定は皆無だったが。

 

 

『…けど、なんでレベリングしたいなんて頼んで来たんだ?』

 

 

 キリトはアキトにそう頼まれてから、ずっと疑問に思っていた。いつもよりも上層でレベリングしたいと言ってきた事、それに自分を選んだ事。

 キリトのその真っ直ぐな視線に応えるように、それでいて悪戯気に笑った。

 

 

『キリトは、さ。強いから…。俺が知ってる、誰よりも』

 

『…そんな事は…』

 

 

 その一言で、キリトは思わず背筋を伸ばす。もしかしたら、アキトには、自身がレベルを偽っている事に気付いているのでは、と思ってしまったからだ。

 

 

『…どうして』

 

『そう思ったのかって?…なんとなく、かな』

 

『…え?』

 

 

 自身のレベルを偽っていた事がバレたのではと、恐る恐る聞いたキリトではあったが、アキトからの返事は、そんな曖昧なものだった。

 アキトも『んー…』と頬を搔き、何て言えばいいか迷っている様だった。

 

 

『…ゴメン…なんか言葉に出来ないや…とにかく、なんとなくだよ』

 

『…俺は強くなんかないよ』

 

『どうしてそう思うの?』

 

『どうしてって…』

 

 

 アキトのキョトンとしたその表情に、キリトは困惑する。

 どうしてそう思うのか。それは。

 自分が彼らに嘘を吐いているから。

 レベルの差が大きいパーティは、その差の分だけリスクが高い。それは何故か。

 理由は色々ある。高レベルのプレイヤーが一人いるだけで、上層のモンスターの討伐は楽になるが、その結果を自分達の力だと過信してしまう低レベルのプレイヤーが後を絶たないからだ。

 自分達はこんな上層でも戦える。ならば、もっと上に、もっと先へ。その結果が欺瞞に満ちたものだとも知らずに、未知の領域へと足を踏み入れてしまう。

 要は、レベルと実力の差が出てしまうのだ。レベルが上がれば、それで強くなったと思い込み、上に行く事だけを考える。それが人だから。競走本能が、正しい思考の邪魔をする。

 だからその分、死亡率も上がる。それも、死んだら死んだで、高レベルプレイヤーの責任にされてしまう。

 例え引き入れたのが彼らでも、加入を申請したのが自分自身でも。

 それに、キリトは本当のレベルを隠してる。始めからレベルを公開すれば、そんなトラブルだって回避出来た。だけど、隠してしまった。それはきっと、疚しい事があったから。

 

 嘘を吐くのは、弱い証拠。そう思って。

 本当の事を言う勇気が無くて。

 だけど、そんな思考をグルグルとさせているキリトを、アキトは不思議そうな目で見た。

 

 

『…俺が…君に…君達に嘘を吐いているから…』

 

『……それって、いけない事なの?』

 

『…は?』

 

 

 アキトはキリトを真剣な眼差しで見つめながら、そう言葉を発した。

 キリトは目を丸くして、アキトを見つめ返す。

 

 

『俺もあるよ。君に嘘ついてる事、隠してる事』

 

『え…』

 

『いや、どうかな…きっと、俺だけじゃない。誰だって、嘘は吐くし、話せない事もあると思う』

 

 

 その純粋な瞳に、キリトは何も言えなくなった。アキトはフッと笑い、その場を立ち、大きく伸びをした。

 それは、キリトの嘘の告白など、特に気にもしていない様子で。

 

 

『キリトが何を思ってるのかは、分かんないけど…嘘を吐いてでも、この場所にいたい気持ち、凄く分かる。…俺も、そうだし』

 

『…アキトも、何か隠してる事が…』

 

『…存外、君と似たような事かもね』

 

 

 隠している事は。

 そう言った彼は、キリトを見てクスクスと微笑む。

 

 

『だから、いいんじゃない?嘘にだって、種類はあるよ。許せるか許せないかは人それぞれだけど、きっと俺は許してしまう』

 

『…それ、は…どうしてだ…?』

 

 

 キリトのその困惑したような表情から、アキトは目を逸らした。

 なんとなく、言い難い事だった。昔の自分なら、きっと言わないセリフだから。

 そう思ってしまえば、消えてしまうような気がしたから。

 だけど、この気持ちに、嘘は吐きたくないと思ったから。

 

 

『このギルドの仲間だから』

 

『っ…』

 

 

 キリトは思わず目を見開いた。アキトは照れるようにはにかみ、やがて目の前の広大な景色を眺める。

 この場所が、自分の全て。

 彼らが、自分のいるべき、いたいと思える世界。

 いつまでも怯え続けていた自分に、手を差し伸べてくれた。そんな彼らを、アキトはそう思える程に、狂おしい程に大事だった。

 

 

『…俺、さ、キリト。強くなりたい。…ゲームをクリアするだけの力だとか、悪を滅ぼす為の力とか、そんな大層なものじゃなくていい。俺は…ヒーローじゃないから。ただ…』

 

 

 アキトは儚げな笑みを浮かべ、自身の手を空に、天に伸ばす。

 

 

『自分にとって、大切なものだけでも、守り抜く力が欲しい』

 

『…アキト』

 

『…なんて、ちょっと重いかな…はは…』

 

『…そんなことはない』

 

 

 照れるように、或いは自嘲気味に笑うアキトに、キリトはそう言葉にした。

 真剣な眼差しで、アキトの意志を感じ取っているようで。

 

 

『俺も…みんなが大事だよ』

 

『…そっか。一方通行じゃなくて良かった…』

 

 

 アキトはそんなキリトの絞り出したような声に、儚い笑みを浮かべた。

 アキトには、守りたいものがある。それは、この世界で出来た、自分の宝物。存在する意味。

 自分が、自分である為の理由。

 

 守りたいもの全てを、手に入れる力が欲しい。

 

 傍から聞けば、強さに固執したような言葉に聞こえるかもしれない。だが、その言葉の持ち主の心は、とても純粋で透明で。

 この世界でも認められるべき、優しい感情だった。

 

 

『…そ、ろそろ戻ろうか、キリト。何か食べて帰ろうよ』

 

『…ああ、そうだな』

 

 

 なんとなく気恥ずかしい雰囲気に呑まれぬよう、捲し立てて話すアキト。

 キリトも似たような事を感じたのか、その動きが忙しない。キリトも立ち上がり、お互いに帰路に立った。

 

 キリトは、前を歩くアキトの背中を見つめた。ここにいてもいいと言ってくれた、少年の背中を。

 自分にかけてくれた言葉の一つ一つが、とても嬉しくて。現実世界では考えられない、友達が出来て。

 

 

『…なぁ、アキト』

 

『ん?』

 

『…えと、…あの、さ…』

 

『歯切れ悪いなぁキリト…どうしたの?』

 

 

 しどろもどろに口を開いたり閉じたりするキリトが珍しくて、アキトは笑ってしまう。

 キリトは、酷く慌てているように見えて。でも、その眼はこちらを向いていて。

 

 

『ゲームクリアになってもさ…現実でも友達になれたらいいなって…』

 

『……うん、そうだね』

 

 

 キリトから紡がれた言葉を聞いて、アキトは目を見開く。

 驚き、焦り、喜び。そんな感情が綯い交ぜになって。

 だけど、キリトのその言葉にも、嘘は無いように感じたから。

 

 アキトも、そんな彼を見て、小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思えば、キリトと友達として話すようになったのは、ここからかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……ん……」

 

 

 重い瞼を、ゆっくりと開ける。天井は無く、上に広がるのはオレンジ色に輝く空。

 

 

 「……寝ちゃってたか……」

 

 

 いつの間にか、眠ってしまったらしい。アキトは仰向けになりながら、そう呟いた。

 酷く懐かしい夢を見ていたような気がする。もう既に朧気で、思い出す事は難しいけど。

 だけど、忘れてはいけない、過去にしてはいけない、過去に出来ない、そんな夢だったような。

 

 とはいえ、もう夕方とは。随分と長く眠ってしまったものだと思った。

 それも、とても気持ちのいい寝起きだった。

 久しぶりかもしれない、良く寝たと、そう感じたのは。この場所は、何かと気が抜けてしまう。けど、きっと悪い事では無いだろう。

 

 アキトは上体を起こそうと頭を上げる。

 否、首から下が上がらない。

 

 

 「……ん?…なんか、重い……っ!?」

 

 

 アキトは体がいつもより重く感じて、思わず自分の体を見る。

 すると、そこには。

 

 

 

 

 「ん〜〜……」

 

 

 

 

 ──── 一人の女性が自分に乗っかって眠っていた。

 

 

 「…は、え!? …え、っ…?…っ!…○✕¥%☆♪〒〆\\÷<=→#€&!!?」

 

 

 アキトは、76層へ来てから一番の驚きと焦りを感じていた。

 その女性が自身に寄り添って眠っている事に困惑し、上手く思考が働かない。

 

 

(は?え?…誰!? なんでここに!?…ていうか誰……えっと、誰!?)

 

 

 アキトの思考は未だ纏まらず、そのまま彼女を凝視する。

 白銀とも呼べるような綺麗な髪に、紫を基調とした装備。そして、主張の激しい胸が、アキトの体に覆い被さって────

 

 

(──で、誰!? )

 

 

 アキトはここへ来て、頭の中が騒がしかった。

 どんな色っぽい現象が起きていようとも、アキトの頭はそれだけだった。

 

 

 「んー……?」

 

 

 脳内を必死に整理していると、そんな彼女から声が聞こえる。

 彼女はモゾモゾと体を動かし、ゆっくりと体を起こしていく。

 そして、顔を上げると、丁度彼女を見つめていたアキトと、至近距離で目が合った。

 

 

 「……え、と」

 

 「おはよ〜…ふあぁ…」

 

 「お、おはようございます………や、じゃなくてさ…」

 

 

 欠伸をしながら挨拶する彼女に律儀に挨拶するも、いやいやと、突っ込みを入れる。

 ゆっくりと上体を起こすと、彼女もそれに気付いたのか、アキトから体を離し、すぐ側の芝に座り、瞼を擦る。

 腕を上げて、背筋を伸ばし、体を反らす。

 

 

 「ん〜〜〜!良く寝た〜!ありがとね、アキト!」

 

 「あ…ああ………っ、…俺の事、知ってるのか…?」

 

 「?うん、知ってるよ!」

 

 

 私は知らないんですがそれは。

 アキトは彼女を見つめる。

 何処かで会った事があるだろうかと。だが、既に先程からのインパクトが強い分、感じる。いや、確信する。

 彼女とは初対面だ。

 アキトは思わず、その口を開いた。

 

 

 「…誰」

 

 

 そんな素朴な疑問に、彼女は答える。

 

 

 

 

 「…アタシ?アタシはストレア!よろしくね!」

 

 

 

 

 ストレアの名乗るその少女は、裏表の無い笑顔を、アキトに向けてきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「…それで、ストレア…だっけか」

 

 「うん!そーだよ」

 

 「…えと」

 

 

 現在、アキトはとある喫茶でストレアとテーブルを挟んで対面していた。

 急にストレアが何か食べたいと言い出して、半ば無理矢理ここへ連れ込まれたのだ。

 アキトが溜め息を吐きつつ彼女を見つめると、彼女は嬉しそうにミルクティーを嗜んでいた。というか、初対面の相手の胸で眠るような彼女に、アキトはこれまでにないくらい警戒をしていた。だというのに、彼女に警戒心が無さ過ぎて、アキトは少し空回りしている気分だった。

 女性っていうのは何を考えて、何を思って行動するのか分からない事があるし、彼女とは初対面。

 それに。

 

 

(…索敵に引っ掛からなかった…)

 

 

 普段から索敵スキルを張っているアキト。これでもスキルの熟練度は高いと自負している。

 寝ていたって、誰かが近付いてくれば気付くのだ。だが、今回ストレアが近付いてきた時には、索敵スキルは反応しなかった。

 つまり、彼女の隠密スキルが自身の索敵を凌駕しているという事。

 熟練度が高いという事は、それだけレベルも高い、強いという事。

 もしかしたら、彼女は自身よりも強いかもしれない。

 だが。

 

 

(…攻略組でも見た事無いな…)

 

 

 アキトが新米というのもあるが、ストレアの事をアキトは見た事が無かった。

 知らないという事は、無名という事。

 雰囲気や装備、それに隠密スキルの事もあり、強いのはきっと明白だが、無名なんて事、あるだろうか。

 ストレアをずっと見つめていると、ストレアもそれに気付いたのか、怪訝な表情を浮かべた。

 

 

 「どうしたの?怖い顔して」

 

 「…なあ、なんであんな所にいたんだよ」

 

 「あんな所?」

 

 「…俺が寝てた場所」

 

 

 そう、互いにきっと初対面、あの場所にいるだけなら分かるが、彼女は自分の事を知っている様だった。

 知っているだけだったら、初対面の男の傍に無防備に眠ったりしない。

 だが、ストレアはパァッと笑顔になり。

 

 

 「凄く気持ち良かったよね!」

 

 「…まあな。…それで」

 

 「くっついて寝たから暖かかったし!」

 

 「…そうね、でさ」

 

 「ねぇ、また一緒に寝ようね!」

 

 「誤解、誤解招くから!」

 

 

 質問に応えるどころか、さらに状況を悪化させていく。先程から全て別の意味に聞こえてしまうような言葉を選んでいるのは態とだろうか。

 誤解が生じるからやめて欲しい。

 何処と無く周りからの視線が痛い。アキトはストレアを見てゲンナリした。

 アキトはストレアに向き直り、彼女を見据える。彼女はニコッと笑いながら可愛げに首を傾げた。

 

 

 「…で、初対面だよな」

 

 「うん、初めましてだよ」

 

 「でも、アンタは俺の事知ってるんだよな」

 

 「アキトは最近ここじゃ有名だよ?」

 

 「有名?」

 

 「うん。『黒の剣士だー』って」

 

 「っ…」

 

 

 アキトはその一言で言葉が詰まる。

 拳を握り締め、顔を俯かせる。ストレアは再び首を傾げ、アキトの様子を伺っていた。

 76層が解放されてから、もうすぐ1か月経つ。下層に下りられない事を知らずにここへと赴くプレイヤーも増えて来ていた。

 そんな中、アキトの耳にも最近入ってくる。自身の事を見た周囲が、何も知らないプレイヤーが、自身をその名で呼んでいる事を。

 

 《黒の剣士》

 

 かつての英雄、キリトの二つ名。だが決してそれだけの意味があった訳じゃない。

 その二つ名は、きっと悪名。《ビーター》と、そう呼ばれる事もあった彼の印象。下の階層に下りられない事を知らずに来たプレイヤーは多数いる。中には中層、下層のプレイヤーも。

 彼らは《黒の剣士》という名は知っているが、実際にそのプレイヤーを見た事のあるプレイヤーは少ない。だから、全身黒づくめのアキトを見て、そう思うのも無理は無かった。

 《黒の剣士》という名は通っていても、《キリト》という名はあまり知れ渡っていないようだったのだ。

 アキト自身、複雑な心境だったが、この手の噂は無くならない。

 

 だって、人は希望を求めるから。

 例え、アキトが《黒の剣士》でないと主張しても、周りはアキトを《黒の剣士》だと思いたいのだ。

 縋るものが、導いてくれる者が、欲しいから。

 《神聖剣》は姿を消し、《閃光》は役に立たない。だけどまだ、私達には《黒の剣士》がいる、と。そう願いたいから。

 縋るものが少ないから、アキトをキリトだと思いたいのかもしれない。

 

 アキトは、拳を握る力が強くなった気がした。

 

 

 「…アイツらは《黒の剣士》の名前と顔を知らないんだよ。ずっと下層にいたんだし。俺の格好が黒いから誤解してるだけだよ……俺は、黒の剣士なんかじゃない」

 

 「それも知ってるよ!《黒の剣士》はキリトだもんね!」

 

 「っ…キリトも知ってるのか」

 

 

 アキトは少なからず驚いて言葉に詰まったが、ストレアは変わらない笑顔で答えた。

 

 

 「キリトは強くて有名人だもん。興味を持って当然!」

 

 「そっか……そうだよな……知ってる奴もいるよな」

 

 

 《キリト》の名前を。

 それが、なんとなく嬉しかった。《黒の剣士》なんて記号のような名前じゃない。《キリト》という、確かに存在したプレイヤーの名前。《黒の剣士》が、《キリト》なのだという事実は誰もが知っている訳じゃない。けど、理解していたプレイヤーが目の前にいる事が、何故かとても嬉しかった。

 

 

 「……ってか、アンタがあの場所にいた理由を聞いてなかった」

 

 「ねぇねぇアキト、アタシのミルクティーちょっとあげるから、そっちも飲ませて」

 

 「え、は、ちょ、ちょっと……」

 

 

 アキトの静止を聞く前に、アキトのココアに手を伸ばすストレア。

 先程から会話のテンポが一定にならない。ストレアの奔放さが、アキトの心を乱していく。

 

 

 「思ってたより甘くて美味しい!ココアってコーヒーみたいな見た目だから敬遠してたんだ〜。コーヒーとかって、大体苦いじゃない?苦いのって苦手なんだよね」

 

 「……あ、そう」

 

 

 アキトはなんとなく諦念を覚えたのか、頰杖を付いて景色を眺めていた。

 だが、彼女に振り回されているのに、ちっとも嫌な気持ちにならなかった。

 彼女は、一体何者だろうか。何処か、安らぎを覚える少女だった。今までに会った事の無いタイプの女性に、困惑を覚えるアキト。会話の主導権はずっと彼女だったし、聞きたい事も聞けてない。

 

 

 「…でも」

 

 

 だけど彼女の行動全てが、打算的なものだとは思えなかった。

 初対面だった筈だ。だけど、凄く暖かくて。

 

 

 

 

 ────それでいて酷く、懐かしい感じがしたのだ。

 

 

 

 



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Ep.23 変化




今回メッチャヘタクソです。待ってくれた方本当スミマセン!
何故かって…?クライン書くの難しいからさ…(白目)

その他、訳分からん所や、物申したい事がありましたら、感想に書いて下さい…修正します…( ´•̥̥̥ω•̥̥̥`)



 

 

 

 斬る。刺す。殴る。抉る。殺す。殺す。殺す。殺す。

 他の事は考えない。無駄な思考は必要ない。

 この時だけは、どんな感情も介入しない。嫌な思い出も、忘れたい過去も。

 決して忘れてはいけない記憶も。

 この時だけは、何も考えなくていい。

 

 

 ただひたすらに、目の前に広がる飛龍の群れを、殲滅するだけ。

 

 

 「──死ね」

 

 

<レイジスパイク>

 片手用直剣のスキルの中でも初期に使える単発技。だがその威力は、78層のワイバーンすら一撃で沈める程のものだった。

 アキトのSTR値の高さが垣間見える。

 

 斬り伏せ、砕け散ったワイバーンの影から、またさらに2匹。

 だが──

 

 

 「───死ね」

 

 

<ホリゾンタル>

 白銀に光るティルファングを、横に一閃。

 それだけで、その2匹のワイバーンはその体を輝かせ、やがてポリゴンとなった。

 アキトの、モンスターを見るその瞳は、まるで親の仇でも見るようだった。

 目の前には、まだモンスターが蔓延る。オーク型が3体、ワイバーンが2匹。

 アキトはその瞳を見開かせ、一瞬でオークに迫った。ワイバーンの真下にいるオークに向かって一気に駆ける。

 途中2体のオークは、<バーチカル・アーク>で吹き飛ばした。

 残ったオークの顔に蹴りを入れ、そのまま上空に飛び上がる。真上にいるワイバーンに目掛けて、その剣を光らせる。

 

<ヴォーパル・ストライク>

 

 その突進力で、アキトはさらに飛び上がり、その剣はワイバーンの胸に深く突き刺さる。

 ワイバーンが雄叫びを上げた瞬間、アキトの体が動く。

 

 コネクト・体術スキル<飛脚>

 

 両の足をワイバーンに突き立て、そのままワイバーンを蹴り飛ばす。ティルファングはワイバーンから勢いよく引き抜かれ、さらにダメージが換算された。

 アキトはそのスキルの反動で横に飛んでいく。その進行方向の先には、2匹目のワイバーン。

 

 コネクト・<シャープ・ネイル>

 

 片手用直剣三連撃技。その突進力がそのままダメージに乗り、ワイバーンはやはり初撃で破片と化した。

 だが、まだこのスキルは続いている。

 アキトはそのまま落下していき、その真下には、先程ジャンプ台に使ったオークがコチラを見上げていた。

 オークは咄嗟に盾でガードするが、拙い。

 

 

 「死ね」

 

 

 落下と共に繰り出されたそのスキルは、オークの盾を吹き飛ばし、最後の一撃でオークをポリゴンに変えてしまう。

 あまりにも無慈悲に。あまりにも冷酷に。

 あれだけの数を、ほんの数秒で。

 

 そのモンスターの破片が空気中に霧散していく中、アキトは静かにその景色を見つめていた。

 だがその瞳に感動は無く、ただただ怒り、哀しみのような。

 そんな表情を浮かべていた。

 

 

 ─── らしくない。分かっている。

 いや、分かってない。自分らしいとはなんだろう。

 どれが本当の自分?アキトはティルファングを地面に突き刺し、顔を俯かせる。

 少なくとも、モンスターであったって、こんなに軽々しく『死ね』なんて言うような奴では無かった筈だ。

 この世界は偽物なんかじゃない。アスナには逆の事を言って傷付けたが、本当はそんな事思っちゃいなかった。

 この世界だって、もう一つのリアル。だからこそ、今まで倒してきたモンスターにだって、きっと命があった。

 いつもあんな狂気的に、殺人を楽しむラフコフみたいに。モンスターを斬り伏せた事があっただろうか。

 

 

 「…全部偽物だったら…どんなにいいか…」

 

 

 ある筈もないタラレバが口から零れる。そんな事を無意識に言ってしまう自分の弱さに、自嘲気味に笑った。

 これが、これまでの2年間が全て瞞しで、全て偽りで、全て幻想だったならば。

 今まで目の前で消えていった数多の命が、偽りのものだったら。

 全てドッキリで、このゲームをクリアすれば、また皆に会える仕様だったなら。

 

 

 「…そんな世界だったら」

 

 

 どんなに良いだろう。

 アキトは、何気無くティルファングを見つめる。

 

 

 「…耐久値も、そろそろ限界かな」

 

 

 あのボス戦以来、一度もリズベット武具店に顔を出していないアキト。その為、ティルファングの耐久値が回復しておらず、77層の時の状態であった。

 リズベットから平手打ちを食らったあの日から、なんとなく顔を合わせる事に躊躇いを覚える。実際、平手打ちを食らうに値する事をしたのだ、そう考えるのはお門違いというものかもしれない。

 だけど。

 

 

 「……」

 

 

 アキトはティルファングをストレージに仕舞い、別の武器を取り出した。

 それは、何処にでもあるようなデザインをした刀だった。

 

 刀カテゴリ : <琥珀>

 

 クリティカルに補正がかかるだけの武器。とてもティルファングの代わりは務まらない。

 最近宝箱で見つけたものだが、現在売られているものよりも少し性能が良いというだけのもの。

 だけど、今は彼女に顔を見せるより、この刀に頼りたかった。

 

 

 「…次はアイツか」

 

 

 目の前にはリポップしたオークの群れが。コチラを確認してゾロゾロと集まっていく。

 アキトはその質の劣った刀を構え、一心不乱にソードスキルを叩き込んだ。

 

 

 まるで、八つ当たりをする子どものように───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから数時間、ひたすらにモンスターを倒した。

 火力が出ない分、多少ダメージは負ったが、それすら気にならない。

 リポップするまでの時間が惜しく感じて、すぐさま別のエリアへと走って、見たもの全てを刀の錆に変えるかの如く。

 

 

 「……」

 

 

 だけど、斬っても斬っても、別に優越感に浸れた訳じゃない。

 ただただ虚無感に襲われた。

 その瞳は、前髪に隠れて見えはしない。だけど、唇を噛んでいるのは分かった。

 

 

 

 

 

『…どうして、お前はここにいるんだ?』

 

 

 

 

 「…どうして、だろうな。俺でも、何か出来るかもしれないって思ったからかも。お笑い草だよな、俺は英雄なんかじゃ…君なんかじゃない、ただの一プレイヤーなのにさ」

 

 

 卑屈に笑う。その幻聴に。

 刀を鞘に収め、帰路に立つ。

 攻略組に来て、毎日こんな事を繰り返している。変わり映えの無い、在り来りな毎日。

 元々はこの世界が非日常だった。それなのに、今はこれが当たり前になっている。

 

 いつからだろう。モンスターに怯える事無く、彼らをレベル上げの材料と感じるようになったのは。

 いつからだろう。強敵を倒しても何も感じなくなったのは。

 

 

 「変わらなくてもいい所ばかり変わってるな…」

 

 

 変わりたい所は、何一つ変わってないのに。

 そう呟いても現状は変わらない。目の前には、また新たにモンスターが現れていた。

 アキトは再び刀を構える。この層は飛龍型のモンスターが多い。上空にいると倒すのは至難の技ではあるが、倒せないわけじゃない。

 

 

 「──っ!」

 

 

 アキトは上空へと飛び上がり、刀スキルの<緋扇>を放つ。

 やはり、ティルファングのステータスよりも弱い為、一撃というわけにはいかなかった。

 

 

 「っらあ!」

 

 

 力任せに刀を振り抜く。その連撃に、やがてワイバーンは消滅した。

 その表情は、先程よりも冷静なものだったが、心は晴れない。

 

 

 

 

『私には!もう、生きてる意味が無いの!生きているのが辛いの!だから…!』

 

 

 

 なら、自分は?生きている意味を、存在意義を失った自分は?

 俺は、何の為に此処にいる?俺が今、すべき事は何?

 俺という人間が、この世界に在り続ける理由は何?

 

 

 「くっ…!」

 

 

 ダメージを受けつつも、大した事は無いと吐き捨て、目の前にオークの四肢を切断する。

 HPが尽きるのを見た瞬間、すぐに別のモンスターへと視線を切り替える。ポリゴンとなるモンスターの最後は看取らない。

 倒したら、また次。殺したら、また次。そうして屍の山を作る。

 アキトの心は、その度に傷付いていく。

 

 

 「っ!?…あ、れ…」

 

 

 アキトはその瞬間、糸が切れたように地面へと体制を崩す。

 急いで起き上がろうとするが、体に力が入らない。

 もう何時間も休まずモンスターを斬っていた為に起こった、当然の事だった。

 

 

 「…っ!」

 

 

 アキトはハッと何かを察知して振り向く。そこには、既に片手斧を振り上げるオークの姿が。

 アキトは間に合わないだろうと感じつつ、それでも防御姿勢を取る。

 だが。

 

 そのオークの攻撃は、乱入してきたプレイヤーによって凌がれ、そのままポリゴンへと姿を変えた。

 思わず目を見開き、乱入してきた人物を見上げる。

 エギルの店で何度も顔を合わせた相手、だけどあまり話した事も無い人物だった。

 

 

 「おい、大丈夫か!?」

 

 「っ…<風林火山>の…」

 

 

 そこには、野武士面の主張が強い、ギルド<風林火山>のリーダー、クラインが立っていた。

 クラインは周りにモンスターがいない事を確認すると、コチラに走り寄って来た。

 

 

 「…ったく、無茶しやがって…ほらよ」

 

 「…必要無い、自分で立てる」

 

 

 クラインから差し伸べられた手を無視して、ヨロヨロと立ち上がる。

 クラインは心配するような眼差しをコチラに向けていた。

 

 

 「お前さん、ちゃんと休んでるのか?こんな事ばっかしてると体もたねぇぞ?」

 

 「いらん世話だ、無茶してないと言ったろう。それに、あの一撃が入ったくらい、大したダメージじゃない」

 

 「っ…何言ってんだテメェ!自分のHPちゃんと確認しやがれ!」

 

 

 クラインが怒気を孕んだ声でコチラを睨み付ける。

 その尋常ではないクラインの覇気に、アキトは自分のHPバーを確認すべく、視界の左上へと視線をずらす。

 すると、HPが危険域に入っているのが見て取れた。レッドになっているHPを見て、思わず目を見開く。

 どうやらダメージが入る度に、『一撃くらい大した事は無い』と考えながら戦い続けたツケが回っていたようだ。ただ無心にモンスターを屠っていたので、アキト自身気付かなかったようだ。

 いつもと違う武器、それも性能が低い刀で戦っていた為に起きた、ギャップのようなものだった。

 だが、アキトはその事よりも、クラインがこうも自分を気に掛けてくれる事が気になった。

 クラインからは、あまり好感は持たれていないだろうと思っていたから。

 アキトはクラインを見て、卑屈に笑った。

 

 

 「…随分とお優しいんだな。自分で言うのもアレだが、お前への印象は最悪だと思ってたぞ」

 

 「こんな時に冗談言ってんじゃねぇぞ!」

 

 

 クラインはアキトの胸倉を掴み、アキトを自分に引き寄せる。

 そんな事をされるとは思っていなかったアキトは、クラインを凝視した。

 

 

 「お前は目の前で死にそうな奴が嫌いなら助けねぇのかよ!生憎俺はそんな事考えてる余裕なんて無ぇんだよ!」

 

 

 クラインのその目は、何かを訴えているようで。

 アキトは何も言えなかった。

 クラインは溜め息を吐くと、アキトから手を離し、一言謝った。

 

 

 「…すまねぇ、カッとなっちまって」

 

 「……」

 

 「けどよ…俺はもう、誰かが死ぬのを黙って見てるなんて出来ねぇんだよ…」

 

 

 クラインは顔を俯かせ、その拳を強く握る。悔しがるようなその表情を見て、アキトは目を逸らす。

 そうか、彼は、自分と同じだったのか。

 誰かが死ぬのを、見たくないと。

 

 

 「…ゴメン」

 

 

 思わず謝罪の言葉が、口から零れた。

 クラインも素直にそう返されるとは思ってなかったらしく、コチラを見て目を瞬く。

 キリトの仲間の一人である彼は、見たところかなり情の熱い男のようだ。

 こんな見ず知らずのプレイヤーにも、手を差し伸べる事が出来る。

 アキトはそんなクラインを見て、寂しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 ─── クラインらしいな。

 

 

 「っ…あれ…」

 

 

 アキトはその考えに首を傾げた。

『らしい』ってなんだ。自分はクラインの事、何も知らない筈なのに。

 アキトはふと疑問に思ったが、クラインが顔を上げたのを視界の端で確認し、顔を上げる。

 

 

 「…それに、お前には俺のダチを助けて貰ったしな」

 

 「……」

 

 

 クラインにそう言われて、76層と77層でのボス戦を思い出す。

 エギルの盾となった自分、アスナのピンチを凌いだ自分。

 リズベットと、指切りした自分。

 どれも全力を出した戦いだった気がする。あの時、皆を守りたいと思った気持ちに、きっと嘘は無かった。

 アキトはクラインを視線から外し、ポーションを取り出した。

 

 

 「…約束、したからな…リズベットと」

 

 「…そうか」

 

 

 クラインも、儚げに笑った。

 アキトのその一言だけで、クラインのアキトに対する印象は変わっていた。

 アキトは、きっと悪いヤツでは無いと、そう感じて。

 それがなんだか嬉しかったのか、安心したのか、クラインはアキトにポーションを投げる。

 アキトは放物線を描くそのポーションを慌てて受け取った。

 どういうつもりなのか、アキトはクラインを見ると、クラインは頬を掻きながら口を開く。

 

 

 「その礼と詫びだ。受け取ってくれ」

 

 「…なら、これは助けて貰った礼にやるよ」

 

 

 アキトはそう言って、元々持っていたポーションをクラインに放り投げる。

 それを受け取ったクラインは、実質貸し借りゼロになった結果に、苦い顔をした。

 

 

 「…ケッ、可愛くない野郎だぜ…」

 

 「貸し借りは作らない主義なんだ」

 

 

 アキトはクラインを見もせずに、そのポーションを口に突っ込んだ。

 クラインはそれを確認し、アキトから貰ったポーションを飲んだ。

 HPバーが回復していくのをお互いに確認し、漸く一息着いた所で、クラインが口を開いた。

 

 

 「…にしてもよ、お前いつも一人で攻略してんのか?」

 

 

 その一言は、アキトの胸に深く刺さる。

 クラインに悪気が無いのは理解しているが、アキトにとってその話はある意味タブーだった。

 

 

 「お前には関係無い。そっちこそ、ギルドのリーダーの癖に一人じゃねぇか」

 

 「まあな。…最近は、一人の時の方が多いかもしれねぇ」

 

 「…それでよく俺の事でとやかく言えたな」

 

 

 その野武士面の男は、如何にも何か言いたそうな表情をコチラに向けて来ていた。

 アキトはそんなクラインの顔を見て、息を吐いた。

 クラインは身を乗り出すような勢いで話を続ける。

 

 

 「けどよ、もうこんな上層の上に、モンスターのレベルも上がってる。一人じゃあ限界があるぞ」

 

 「限界なんてのは諦めの早い奴が自分を慰めるのに使う言葉だ。嫌いな言葉だな」

 

 

 かつての自分を、思い出す言葉だ。

 

 

 「だけどよ、お前もギルドに入ってんなら………っ!?」

 

 

 突如、クラインの言葉が途切れる。

 不思議に思いクラインの方を向くと、その目を見開き、コチラを凝視していた。

 いや、見ているのはアキトじゃない。どちらかと言うと、自分の頭上の辺り────

 

 

 「…その、ギルドマーク…」

 

 「っ…」

 

 

 アキトは言葉を詰まらせ、体が固まる。

 お互いに、その視線が動かない。

 クラインが見ているのは、アキトのHPバー、その上に描かれた、ギルドに加入している事を表すエンブレムだった。

 イラストは各自決める事が出来る為、自分達のギルドのイメージをそのエンブレムとして使う事が出来る。

 即ち、その種類は無限。だからこそ、クラインが見間違える筈が無い。

 

 

 一年前のキリトがギルドに加入していた時に見たのと、同じイラストだったのを。

 

 アキトはしまったと思い、目を逸らした。

 まさか自分で墓穴を掘ってしまうとは。自分の詰めの甘さが恨めしい。

 気付かれて無かったのだから、ギルドの話なんて触れなければよかったのにと、凄まじい勢いで後悔した。

 

 

(そうだ…この人もキリトの仲間…なら、知ってても…)

 

 

 クラインは、信じられないと、そういった表情で。

 クラインはその表情のまま、震えるような声で言った。

 

 

 「……お前さん、もしかして、キリトの……」

 

 「……お前には、関係無い」

 

 「っ…、お、おい!」

 

 

 アキトは立ち上がり、クラインを背に歩き出した。その進行方向の先には、78層の街が。

 クラインが咄嗟にその肩を掴むが、その肩は震えていて、すぐにその手を離してしまった。

 

 

 「頼むから…やめてくれ」

 

 「…分かった」

 

 

 そのアキトの反応は、自分の考えが当たっている事を示していたみたいで。

 お前の思っている通りだよと、そう言っているみたいで。

 だが、アキトのそのか細い声を聞いて、クラインは離したその手を力無く落とす。

 アキトはクラインには目もくれずに歩き出した。

 クラインはその背中を見て、心がざわめく。

 あの背中を、あの去り際を、きっと自分は見た事がある。

 ずっと後悔していた、助けられなかった少年の背中。今も悔やむ、一人にさせた友の背中。

 それにとてもよく似ていて。

 

 

 「な、なぁ!なぁおい、アキト!」

 

 「……」

 

 

 クラインは思わず飛び出す。

 アキトは、背中から感じるその視線に足を止めた。

 

 

 「…フレンド登録…しちゃくれねぇか」

 

 

 クラインはそう言って、ウィンドウを動かす。

 アキトの目の前に、フレンド申請の通知が表示された。

 

 

 「っ…」

 

 

 アキトはその瞳を開かせ、心臓の鼓動が強く打たれるのを感じた。

 脳裏に焼き付くは、自身のフレンド欄。

 もう二度と更新される事は無い、<DEAD>と表示されたフレンド。

 シリカとリズベットとフレンド登録したその日も、その表記を見て我に返った。そして、後悔した。

 

 

(これを…これを押してしまったら…俺はまた…)

 

 

 目の前のYESボタンを見て、瞳が揺れる。

 これまでずっとそうだった。自分が欲したものが、この手から零れ落ちる感覚。

 何度も味わってきた。失って感じる哀しみと絶望を。

 また、失ってしまうのでは。

 アキトのその手が、その指が、そのウィンドウに伸ばされては、引っ込められる。

 フレンド登録をしてしまったら。仲間だと、感じてしまったら。

 俺は…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── 約束…する、から…誰も…死なせないから…必ず、みんなで、現実の世界に……!───

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あ……」

 

 

 アキトは、いつか誓ったその言葉を思い出した。その拳を、固く握り締める。

 それは、誰と交わした誓いだっただろうか。

 誰も死なせたくないと、そう思ったのは本当で。後悔だけはしないと、そう決めていた筈だった。

 そんな大言を守れる保障なんて、何処にも無かった筈なのに。

 絶対に、やり遂げると決めてしまったから。

 この『誓い』だけは、決して破らないと誓ったから。

 

 

 「…ほらよ」

 

 

 アキトは、クラインからのフレンド申請を受けた。

 フレンド欄に、新たに互いの名前が記される。

 

 

 「…ありがとよ」

 

 「…別に」

 

 

 だからこそ、キリトの大切なものを守ると決めたからこそ、この行いに意味がある。

 きっとこれが、今のアキトの此処にいる理由。

 だけど、本当に大切なものは、遠ざけるべきだと、そう思った。

 そうすれば、そうしておけば、こんな事にはならなかったかもしれないのだから。

 

 

 目の前の男がこんな顔をするのも。アスナが哀しみにくれるのも。

 

 

 俺が、大切なものを失う事も。

 

 

 

 

 「…じゃあな」

 

 「…最後に一つだけ、聞いてもいいか…?」

 

 

 アキトの別れの挨拶を遮り、クラインがそう呟く。

 アキトは再び振り返り、クラインの言葉を待つ。

 

 

 「ギルドの名前、教えてはくれねぇか」

 

 

 名前は知っているけれど、キリトから直接教えて貰った事は無かった。

 いつか、共に攻略組で出会い、肩を並べ、互いに背中を預ける存在になると思っていた。

 いつか、孤独だったキリトの背中に涙した。

 もうきっと、キリトに仲間は出来ないのではないか、独りで死んでしまうのではないかと、そう思った。

 だけど。

 

 此処に、キリトのかつての仲間がいる。

 

 ちゃんと聞いたわけじゃない。だけど、そう思う事にした。

 そう思いたかった。キリトと共に歩いてくれたであろう、目の前の少年だと。

 

 

 アキトはそのクラインの質問を聞いて、その口を開きかけて、気付いた。

 別に隠している訳では無い。だけど、そういえば自分の口からこの名を出すのは初めてかもしれないと、そう思った。

 

 

 いつか、このギルドにいる事が誇りになったら、自慢してやろうと思っていたのに。

 最前線で、轟かせたかった筈の名前なのに、一度たりとも口にしなかった。

 

 

 

 

 大切な場所の名前を、俺は口にした事が無かったんだなと、今更胸が痛かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「───《月夜の黒猫団》」

 

 

 

 

 

 







そろそろフィリアを出す時か…。
いや、今回の本当に何処かいつもと違う感じするんですよね…書いてて不審感あったと言うか…(´・ω・`)
慣れない事はするものじゃないな…( )

そういえば、本日の日間ランキング、なんと12位でした。
感無量です( இ﹏இ )
これから下がっていくんだろうな…(白目)
頑張ります!(`・ ω・´)ゞビシッ!!



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Ep.24 彼女達の胸の内




遅くなりました。


 

 

 

 

 

 自室で仰向けになりながら、アスナは記憶を辿る。

 突如目の前に現れた、一人の少年の事を。

 

 

 その少年は、何の前触れも無く現れて、自分を睨み付けていた。

 

 

 初めて会った時、驚愕で動けなかった。

 とても綺麗な顔で、誰もが見惚れるものだったけど、決してそんな理由ではなくて。

 とても、似ていたから。自分の想い人に。

 

 愛する人のいなくなった世界で、生きている意味なんてないと思ってた。実際、色々な事が見えていなかった。

 親友の顔も、キリトを心配して追いかけてきてくれたビーストテイマーの少女も、新しくこの世界に来た二人にも。

 自身の娘にだって、酷い態度を取っていたかもしれない。

 なのに。

 どうして、あの少年だけに対して、ここまで意識して、ここまで食ってかかっていたのだろう。

 意味の無い世界で、どうしてあんなにも、彼を意識していたのだろう。

 

 

『…ならお前に、俺の気持ちは分かるのか』

 

 

 「……」

 

 

 自分は彼の言う通り、自分の事しか考えていなかった。

 あの時の表情、苦しげで、哀しみを帯びた、儚げな顔。触れれば壊れてしまうような、脆いものに感じた。

 

 

 「…分からない…私は…貴方じゃないもの…」

 

 

 だけど、彼らに私の気持ちが分かる筈が無いとは、思えなかった。

 アキトの言う通り、この世界で大切な誰かを失った人は多いのだから。

 だからこそ、きっとアスナがしていた事は、間違いなのだと分かる。

 皆の命を背負う事も無く先導して、命の危機に晒して。

 もしかしたら、アキトも自分と同じ、誰か大切な人を失ったのかもしれないのに────

 

 

 「…パパ……ママ……」

 

 「っ…」

 

 

 突如隣りでそんな声が聞こえる。細く、震えるような声。

 視線を動かしてみれば、そこに眠るのは自身の娘。コチラの服をキュッと掴み眠っている。

 

 

 「…ユイちゃん」

 

 

 アスナはポツリとそう呟くと、彼女の髪を梳く。頭を撫でる。

 ユイにも、寂しい思いをさせていただろう事は分かっていた。だけど、自分は彼女に何もしなかった。

 それはきっと、死ぬ事を前提に攻略してきたから。

 ユイを独りにさせることを、理解した上での行動だったから。

 なんて、身勝手な母親だろう。まだ、自分の母親の方が娘の事を思っていた。

 

 だけど、どうする事も出来なくて。

 ただ、キリトに会いたくて。

 

 

 「キリト君…」

 

 

 私は、どうしたら────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その部屋では、剣を研ぐ音だけが響く。鉱石を叩く音だけが聞こえる。

 その音が響く場所は工房、76層<アークソフィア>に建てられた、リズベットの新しい武具店だった。

 彼女はこの層に来る前、スキルがバグで消失するまでは、女性のマスタースミスとして、下の層で有名なプレイヤーだった。

 今彼女は何を考えながら、その鉱石を打っているのだろうか。

 

 

 「っ…、あ……」

 

 

 手元が狂ったのか、剣の形になっていた鉱石が、一瞬で破壊され、その剣はポリゴンとなって散っていった。

 

 

 「あー…またやっちゃった…」

 

 

 リズベットは頭を抱える。だけど、こう何度も失敗すると、流石にそれも慣れてくる。

 最近、この手の失敗が多い。他人の武器のメンテナンスでこそ失敗しないから良いものの、こうも一人でスキル上げに勤しんでいると、こういったミスが目立つようになっていた。

 理由など、考えるまでもなく分かっている。

 

 

 「……はぁ」

 

 

 あれから、アキトは店に来ない。

 それどころか、エギルの店でも会う事は叶わなかった。

 エギルだけじゃなく、シリカもリーファもシノンもクラインも、ユイも、最近顔を合わせていないという。

 いや、フレンド登録している訳だから、位置情報は分かるし、生きている事は確認出来る。

 会うのを躊躇っているのは自分の方だった。

 メッセージを送る勇気も無い。ただ一言、謝りたかった。

 

 

 ─── 叩いてゴメン、と。

 

 

 今度は、知っていくつもりだったのに。何か、理由があったかもしれないのに。

 守ってくれと、そう頼んだのは自分だったのに。

 結局自分がした事は、アキトの言葉に反応して平手打ちを食らわせただけ。

 情けなくて笑えてくる。

 

 

 リズベットは、消えかかっている空気中のポリゴン片を眺めて、思いを馳せる。

 アキトを見ていると、どうしてもキリトの事も思い出してしまう。

 初めて、キリトに出会った時の事。自分が丹精込めて鍛えた業物を、一瞬で粉砕されるという衝撃の出会い。

 あの時は、キリトの事を好きになるなんて、とても思わなかった。なんて失礼な奴、そんな風に思っていて。

 一緒にボスを倒しに赴き、一緒にボスの巣穴に落ちて、一緒に夜を過ごして。

 あの時に感じた手の温もりは、確かに本物で。

 好きになった気持ちに、嘘偽りは無くて。

 

 

 アスナにアキトが放っていた言葉の一つ一つを、リズベットは覚えていた。

 感情表現が過剰に演出されるこのSAOで、自身の感情を隠す事は難しい。

 あの場でアキトの顔を真っ直ぐに見つめていたリズベットだから分かる。アキトのあの言葉が、本心では無かったであろう事は。

 アキトも、この世界の温もりを知っているであろう事は。

 あれはきっと、アスナを庇った行為だった。

 なのに────

 

 

 「…ホンット…馬鹿なんだから…」

 

 

 リズベットは自嘲気味に笑い、その場にしゃがみ込んだ。

 その言葉は、或いは自分に対して。

 こうもあっさりと、自分で立てた目標を破ってしまうのだ、アキトの事に文句など言えたものじゃない。

 あの時、苦しげに見えたアキトの表情が、頭から離れなかった。

 

 

 「こんにちわー、リズさんいますかー?」

 

 「っ…」

 

 

 店の方から声が聞こえる。知っている声。

 ビーストテイマーのシリカのものだった。

 リズベットは慌てて立ち上がり、工房を後にする。

 店の方の扉を開くと、声の主の他にもう一人いるのが見えた。

 

 

 「いらっしゃい、シリカ…あれ、シノンも?どうしたの?武器のメンテって訳じゃないわよね」

 

 「街をブラブラしてたら、そこでシリカに会ってね。これからリズの店に行くから一緒にどうかって誘われたのよ」

 

 「ちょっと遊びに来たというか…」

 

 

 シリカと共にこの店に足を踏み入れたのはシノン。

 来るのは初めてなだけあって、物珍しいのか、辺りを見回していた。

 そんな二人を見て、リズベットは思わず笑ってしまう。

 シリカは出会って間もないが、よく周りを見てくれていると思う。気遣いが出来て、今もこうして自分の様子を見に来てくれて。

 シノンも偶然風を装っているが、もしかしたら思う事があったのかもしれない。

 そう思うと、感謝の気持ちで一杯だった。

 

 

 「へぇ〜…なら手伝って貰おうかしら」

 

 「あっ、武器の鍛錬ですか?…そういえば、武器が出来る所って見た事ありませんでした」

 

 「…そういえば、スキルが幾つか消えたって聞いたけど…」

 

 「そうなのよー、鍛冶スキルをねー…元のクオリティに戻すのにまだまだ時間掛かりそう…」

 

 

 たはは…と笑うリズベットの表情は、少し固い。

 この層に来た瞬間に、バグで鍛冶に必要なスキルが幾つかロストしていた事は、今でもショックだ。

 また鍛えれば良いと思っていても、やはり何処か悲しくて。

 

 

 「…何をすればいいの?」

 

 「シノン…?」

 

 

 シノンはそんなリズベットを見て何を思ったのか、真っ直ぐに見つめてそう言ってきた。

 けどその表情は穏やかで、とても温かい。

 心配してくれているのが伝わった。

 

 

 「あ…あたしも手伝います!」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 シリカも笑顔でリズベットに視線を向けた。頭に乗っているピナも、そんなシリカの意気込みが伝わったのか、呼応するように嘶いた。

 

 

 「シリカ…ありがとね。じゃあまずこの武器を質が良いのと悪いので分けてくれる?」

 

 「っ…分かりました!」

 

 「凄い量ね…」

 

 

 リズベットが出した武器は山のように重なり、シリカもシノンも驚いた。

 だがすぐに武器を手に取ってステータスを確認していく。

 リズベットはそれを横目で確認しながら、躊躇いがちに口を開いた。

 

 

 「あの、さ…二人とも…。最近、アキトに会った?」

 

 「アキトさん…ですか?いえ…」

 

 「……」

 

 

 その質問に、シリカは首を傾げつつ応える。シノンは何か心当たりがあるのか、剣を持ちながら固まっていた。

 

 

 「…シノン?」

 

 「っ…あ、ええと…ごめんなさい…私も見てないわ」

 

 「…そっか」

 

 「…何かあったんですか?」

 

 

 リズベットのその反応を不思議に思ったのか、シリカはリズベットにそう問いかけた。

 シノンもリズベットを横目に、武器のステータスを確認していた。

 リズベットは苦笑いしながら、持っている武器の鑑定を続ける。

 

 

 「…ちょっと…この前のボス戦でね」

 

 「…そういえば街中でいろんなプレイヤーの方が話をしているのを聞きました」

 

 「…『黒の剣士』がどうとかってヤツよね」

 

 

 シノンのその言葉で、リズベットはこの前のボス戦を思い出す。

 キリトのような強さを見せたあの少年を。

 あの時の雰囲気、戦う姿、声。いろんなものが、想い人に重なって。

 きっと、そう思ったのは自分だけじゃなくて。

 キリトを見た事がない、中層から来たプレイヤーも、黒づくめの剣士が攻略組にいるのを見て、アキトが黒の剣士と思うのも無理は無かった。

 下層に下りられない今、キリトの死という情報はあまり出回っていないからだ。

 

 

 「アイツ…凄く強かったのよ…ホントに、キリト…みたいで…」

 

 

 だけど、あの時見た表情は、そんな事を感じさせなくて。

 とても辛そうで、痛々しくて。

 

 

 「ちょっとね…色々あって…あたしが我慢出来なくてひっぱたいちゃったんだけどさ…」

 

 

 今にしてみれば、あんな状態のアスナへのヘイトを自身に向ける為のものだと何故分からなかったのだろうと思う。

 エギルはあの様子を見ても何も言わなかった。クラインも、そんなアキトを見つめていただけ。

 自分は、アキトの事を、何か一つでも分かってあげられていただろうか。

 

 

 「ううん…違う…アキトはきっと、叩かせてくれたんだ」

 

 

 儚げに俯くその視線に映るのは、自身の作った武器。その刀身から、あの時の光景が映し出されるように感じた。

 アキトはあの時、寂しそうに笑った。誰よりもここに居る皆の事を守ろうとしてくれたその少年は、誰よりも強くて、誰よりも脆く見えた。

 誰もが皆、大切な人の死を感じて。それを我慢して。

 きっとアキトも、その一人だというのに。

 彼は、アスナとはまるで正反対。彼はきっと、乗り越えた人間なんだ。

 そう思うと、とても悔しく感じて。

 

 

 「…どうして…こんな世界があるのかな…」

 

 「…え?」

 

 「ここに来なければ、私達は出会わなかったかもしれない。…だけど、この世界に来なければ、失わなかった命だって沢山…」

 

 「リズさん…」

 

 

 その問いはきっと、この世界で誰もが無意識に感じるものだろう。あったかもしれない未来。死ななかったかもしれない命。だけど、手に入らなかったであろうもの。出会わなかったであろう大切な人達。

 タラレバを言い出せばキリがない。

 

 この世界の存在する意味。

 この世界に、その問いの解を出せる者がいるだろうか?

 自分達がどんなに考えても、それは正解ではないかもしれない。とても崇高な願いの元に創られたのかもしれない。もしかしたら、大した理由など無かったのかもしれない。

 きっとそれは、この世界の創造主でなければ分からない。

 

 

 「…みんなその答えを、探しているのかもね…」

 

 「…そうかな…うん、そうかも」

 

 

 シノンのポツリと呟くその言葉を聞き、リズベットは小さく笑う。

 誰もがこの世界に抗い、戦い、生きる理由がある。求めた願いがある。手に入れたい未来がある。

 きっと、誰もがこの世界で生きる意味を探している。

 

 

 「ゴメンね、しんみりさせちゃって」

 

 「…いえ。…あの、リズさん。何か困った事があったら、いつでも呼んでくださいっ、あたし、手伝います」

 

 「…ありがと、シリカ」

 

 

 捲し立てるように言葉を発し、自身を慰めてくれているであろうシリカに、リズベットは情けなさを感じた。

 自分より年下の子相手に励まされるなんて。

 そんな事を考えていると、シリカの後ろからシノンの視線を感じた。シノンはコチラを見ると、すぐに口を開く。

 

 

 「…それで?アキトとはどうするの?」

 

 「へ…?」

 

 「こういう事って、長引けば長引く程謝りにくくなりますよ!」

 

 「え…えと、その…別にケンカって訳じゃ…」

 

 「アイツ、凄く頑固そうだもの」

 

 「ですよね…あ、この前も私のバイト先で…というか、クエストなんですけど、その時に…」

 

 

 シノンとシリカがアキトの会話を続けるのを見て、リズベットは堪らず目を逸らす。

 だが、確かにアキトに謝りたい気持ちもある。アキトがこの店に顔を出さないのは、アキトも自分と顔を合わせづらいと思っているからかもしれない。

 もしかしたら、武器の耐久値も危ないかもしれない。だとしたら、アキトの為にも、仲直りしなければならない。

 

 

 「…うん…そうね。早く、仲直りしないとね…」

 

 

 その一言に、シリカとシノンは互いに顔を見合わせて微笑む。自分達の知り合いが気不味い雰囲気なのは、コチラとしてもどうにかしてあげたくなってしまう。

 リズベットが拒むならそれまでだったが、リズベットは優しい女の子なのは、出会って間もない二人でも理解出来ていた。

 

 

 「じゃあ、早速アキトさんを呼びましょう!えっと…アキトさんは…」

 

 

 シリカはフレンド登録されているアキトの位置情報を確認すべく、ウィンドウを開く。

 シノンはその動作を見て、リズベットとシリカを交互に見た。

 

 

 「…他のプレイヤーの居場所が分かるの?」

 

 「あ…うん。フレンドなら一応…」

 

 「…って、事は、二人はアキトとフレンドなのね」

 

 「はい、初めて会った時に…」

 

 「…そう。そうなのね…」

 

 

 シノンはそういうと、二人から視線を外し、武器が積まれた山から武器を掴み、鑑定していく。

 その表情は、いつもと変わらないように見えるが、なんとなく不機嫌にも見える。

 

 

(…私が申請した時は拒否した癖に…)

 

 

 シノンは以前、戦闘訓練の為の連絡手段として、アキトにフレンドの申請を出したことがあった。

 だがアキトは目の前に出されたフレンド申請のウィンドウのNOボタンを躊躇いなく押したのだ。

 街にいるなら登録する必要なんてないと言われ、そのまま帰られてしまったのは記憶に新しい。

 その時の表情が寂しげだったのも覚えている。

 だけど、なんとなく気に入らなかった。

 

 

 「っ…!? え……!?」

 

 

 シノンがそんな事を考えていると、隣りからシリカの声が。見れば、その瞳は震え、ウィンドウから目を逸らさない。

 リズベットもシノンも不思議に思い、シリカの近くに寄る。

 

 

 「シリカ?どうしたのよ?」

 

 「何かあったの?」

 

 「こ…これ…」

 

 

 シリカがウィンドウを可視化させ、二人に見せる。

 そのウィンドウを覗き込んだリズベットとシノンは、互いに瞳を大きく見開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキトの位置情報が、ロストしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 その黒い少年は、いきなりこの場所に現れた。

 転移のエフェクトを体に纏って。

 その場所はやや暗い空気に包まれ、木々が並ぶ森のようだった。

 一層ずつ登って来たアキトに、このフィールドの記憶は無かった。

 

 

 「…何処だここ」

 

 

 78層の迷宮区前でモンスターを討伐していた筈のアキトは、見た事も無い場所に転送され、辺りをキョロキョロと見渡していた。

 そもそもここが78層なのかどうかも怪しい。アキトは辺りの雰囲気と、78層の雰囲気を重ね合わせて、そんな事を考えていた。

 

 

 アキト自身、見た事のないフィールド。つまり、未知の場所。

 このデスゲームにおいて、未知のフィールド程怖いものは無い。

 どんな恐怖が待ち受けていて、どんなタイプのモンスターがいるのか。

 誰も踏み入れた事の無い場所なんて。開拓されてない土地なんて。

 

 

 「…キリトなら、喜びそうだけどな…」

 

 

 あのゲームオタクなら、きっとこの場所に進んで足を運ぶだろう。レアな装備やスキルがあるかもしれない、そう言って。

 かつての仲間、光景を脳裏に映し、懐かしむように笑う。やはり、どこか寂しそうに。

 

 

 だが次の瞬間、その表情は固まり、俯いていたその顔をパッと上げる。

 

 

 「…何か…聞こえる…?」

 

 

 アキトは辺りを再び見回し、その音を聞く。

 確かに聞こえる。何かの金属音、モンスターの雄叫び。声量からするに、大型のモンスター。金属音は、恐らく武器。

 つまり、プレイヤーが大型モンスターと抗戦中の可能性が出てきた。

 金属音の間隔から考えるに、プレイヤーは恐らく一人。

 

 

 「っ…マズイ…!」

 

 

 アキトは急いで音のする方へと駆け出す。

 あらゆるスキルを駆使し、木々を避け、スピードを緩めずに突っ走る。

 木と木の間から光が差し込むのを確認し、アキトは一気に森を抜けた。

 

 

 

 

 するとそこには、HPがイエローの状態で膝をつくオレンジカーソルの少女と。

 

 

 巨大な鎌を持った、骸の百足のような大型モンスターがいた。

 

 

 

 

 アキトは思わず目を見開いた。骸型のモンスターのHPバーは4本。つまり、ボスモンスター。

 そんなモンスターと、彼女は一人で対峙している。

 だが、アキトはそれ以上の驚きを感じていた。

 

 

 何故か、既視感を感じた。

 

 

 目はそのボスから逸らせない。体は震えて動けない。体の全細胞が、目の前の敵は危険だと発している。

 頭の中を、何かが駆け巡る。プレイヤーが次々と死んでいく様子が。それも一撃で。

 

 

 

 

 

 全て、目の前のモンスターによって。

 

 

 

 

  BOSS : 《 Hollow Reaper 》

 

 

 

 

 

 初めて見るモンスター、名前も知らない筈なのに。

 だけど、何故か知っている。

 

 

 この、目の前のモンスターを。骸の真名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『…スカル…リーパー… 』」

 

 

 

 アキトがそう呟くと、その言葉に呼応するように、ホロウリーパーは咆哮した。

 

 

 

 







そろそろフィリアが登場ですね。
誤字は修正機能の方からお願いします。
何かありましたら、感想欄にお願いします。修正します。

そうでなくても、感想を貰えるだけで嬉しいですけどね。


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Ex.1 現実世界で君の名を呼ぶ




皆さんに報告をば。
8月から9月にかけて、小説を書ける時間が無くなってしまうので、また連続して投稿出来るようになるのは10月からになると思います。
迷惑を掛けてすいません。

さて、今回の話は現実世界での、アキトの帰りを待つ、オリキャラのエピソードです。
完全オリジナルですが、本編とはあまり関係が無いので、見なくても大丈夫です。
そんな方々は、続きを待って下さっている事を考えて、本編の方の話も投稿する予定です。
ということで、今日は番外編と本編と、同日投稿です。
オリキャラ嫌な人は、この話を飛ばして、次の話をお読み下さればと思います!

では、どうぞ!





 

 

 

 

 ─── ずっと、後悔している事がある。

 それを、謝る事すら出来ていない。

 だけど、もしも。もしも、もう一度やり直せるなら。

 もう一度、あの頃に戻れるなら。

 きっと、私は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●〇●〇

 

 

 

 

 

 「…ん」

 

 

 ─── 光が、差し込む。

 その場所が、その光に照らされる。

 その少女は、ふと目を覚ました。

 顔を上げれば、目の前に広がるのは、夕暮れ色に染まった教室。窓の外からは、運動部の掛け声が聞こえた。

 

 それは、とある高校の、とある教室。

 

 

 「…寝ちゃってたか…」

 

 

 その少女は伏せていた机から立ち上がり、その長い黒髪を整える。

 横に掛けた鞄を手に取り、その教室を後にした。

 段々と日が短くなっている為、夕暮れから日没までの時間は早く、廊下は既に人の気配は無い。

 外からは部活動による掛け声が聞こえるのに、この世界には自分しかいないような、そんな感じがした。

 ケータイを開いて時刻を確認すると、部活動を行っている生徒達もそろそろ帰るであろう時間帯に差し掛かっていた。

 

 

 「もうこんな時間…」

 

 

 マズイな…と思いながら、廊下を歩き、階段を下り、下駄箱へと進む。そのスピードは徐々に上がっていた。

 靴を履き替え、外に出ようとした所で、肩を掴まれる。

 驚き、その場を振り向いてみれば、見知った顔がそこに居た。

 

 

 「…佳奈」

 

 「お疲れ巧ーっ」

 

 

 佳奈と呼ばれたその少女は、青いジャージ姿で少女の横に並ぶ。

 茶髪の髪を後ろで纏め、活気溢れる少女といったイメージを持つ彼女は、笑顔を振り撒きながら、巧と呼ばれた少女の隣りへと歩み寄る。

 この高校は部活に力を入れており、下校時間ギリギリだというのに、スポーツ少年、スポーツ少女の声が止む気配が無い。

 校舎を背に歩きつつ、校庭の方へと視線を動かしながら、巧は佳奈へと口を開いた。

 

 

 「…今日早いね」

 

 「終わるのでしょ? そろそろ大会だし、休息も必要だって。…他の部よりちょっと早く終わっただけじゃんね。…そーいや、巧はなんでこんなに遅く?部活やってないじゃん」

 

 「…えっと、教室で寝ちゃってて…それで…」

 

 「おーおー、寝込みを襲われても知らないよー?狙ってる男子多いんだからさー」

 

 「…ほっといてよ…」

 

 

 佳奈から目を逸らし、不貞腐れたような表情を浮かべる巧。

 この手の話題は、色々と思い出すから好きでは無いのだ。巧は話を逸らすべく、再び佳奈の方を向いた。

 

 

 「そういえば聞いたよ。自己ベスト更新したんだってね、陸上」

 

 「ウチ的にまだまだよ。もっと速く走れる気がするんだよなぁ…」

 

 「…種目何だったっけ…200?」

 

 「残念、その半分」

 

 

 外した巧を見て、二ヒヒと笑う佳奈。

 佳奈は陸上の推薦でこの高校に入った程の実力者だが、それでも自己ベストは凄いと思った。

 中学から見てきた巧は、その事がなんとなく嬉しかった。

 

 

 「巧も何かやれば?気晴らしになると思うけど」

 

 「えー…疲れるじゃん」

 

 「んな当たり前の事を言うんじゃないよ…」

 

 「けど、佳奈は疲れた感じ無いね」

 

 「そお?まー、走るの好きだし、いくらでも走れるね」

 

 「体力オバケだなぁ…」

 

 

 冷たい風が、二人の間を突き抜ける。周りの生徒達も、部活動を終わらせ、道具の片付けを始めていた。

 佳奈はどこか遠くの景色を眺めていたが、やがてハッとした後、顔に綻びが生まれた。

 

 

 「そーだ、この後どっか食べに行かない?」

 

 「…ゴメン。予定ある」

 

 「…もしかして、病院?」

 

 「…うん」

 

 

 佳奈のその問いに、顔を俯かせる巧。その表情は寂しそうで、無理して笑っているのが丸分かりだった。

 佳奈には、巧にかけるべき言葉を見つけられなかった。

 巧がもう週に何回行っているかも分からない。ほぼ毎日病院に行っているかもしれない。

 巧自身、体が悪い訳じゃない。

 病院に赴く理由は別にある。

 

 佳奈はフッと笑い、その歩みを止めた。

 

 

 「…そっか。じゃあまた夜にでも。ログインするでしょ?」

 

 「…多分ね。アリシャと約束あるし、その後なら」

 

 「約束があるのに多分て…。あっ、そーだ、ユージーン将軍と勝負した話、その時に聞かせてよね」

 

 「わ…分かった…けど、そんなに面白い話じゃ…」

 

 「はいはい、じゃあ私こっちだから。じゃーねっ」

 

 「…もう」

 

 

 いつの間に着いたのか、そこは既に佳奈と別れる交差点だった。

 佳奈はコチラに手を振った後、すぐに背を向け走り出した。陸上部があった後だというのに、その速度は変わらない。

 振り返した手をそっと下ろし、顔を俯かせる。

 一人になった瞬間に、何故かとても虚しさを感じた。

 

 

 いつも通り、近くのバス停に行く。近くのベンチに腰を下ろし、ポケットからケータイを取り出し、時間を確認する。

 あと5分程でこのバス停に来るバスに乗って、巧は病院に行く。

 重ねて言うが、決して体が悪い訳じゃない。

 だけど、最近はほぼ毎日病院へと足を踏み入れていた。

 そこに、見舞うべき人がいる。会いたい人がいる。

 何度も何度もそこに行き、帰りを待つべき人がいる。

 

 

 最近になって、よく思い出す。昔の記憶を。その人との記憶を。

 あの頃はまだ何も知らない少女で、自分の事しか考えてなくて。

 彼がどんなに辛かったのか、理解しようとすらしていなかったのかもしれない。

 物心ついた頃から、一緒にいた彼。だけど、その距離が近かったのは物理的な意味でのみ。きっと、心は離れ続けていて。

 

 

 巧はケータイから目を離し、そのまま視線を上に移動する。空が暗闇を帯び、オレンジ色の空を侵食していく。

 その空を眺めていると、左の方からぞろぞろと部活を終えた生徒達が押し寄せてくる。

 巧は立ち上がり、バス停の一番前を陣取った。

 すると、後ろから聞いた事のある声が聞こえた。

 

 

 「…あれ、逢沢?」

 

 「…山寺君、部活お疲れ様」

 

 

 巧は山寺にそれだけ言うと、すぐに前を向いた。同じクラスだし、知らない仲ではないので、挨拶だけはしなければと思っていたからだ。

 山寺は巧のすぐ後ろに並び、そのまま生徒達の列が出来る。

 

 

 「サンキュ。…こんな時間まで何してたんだよ」

 

 「…教室で寝ちゃってて」

 

 「…珍しいな、そんなの」

 

 「そう、かな…そうかも」

 

 

 我ながら乾いた返事だなと思い、苦笑いを上を浮かべる。

 巧は山寺の方へと振り向き、その瞳をじっと見た。

 

 

 「…最近どう?部活」

 

 「まあ順調かな。俺、次の大会でスタメンなんだぜ」

 

 「へぇ…ポジションは?」

 

 「FW」

 

 「凄いじゃん。この前ベンチ入りしたばっかなのに」

 

 「っ…あ、ああ…まあな…」

 

 「…?」

 

 

 巧の学校のサッカー部は特に強豪で、スタメンになる苦労は理解出来ているつもりだ。

 途中山寺が慌てるような素振りを見せて首を傾げるが、巧は納得したようで、それを聞いた後ケータイで再び時刻を確認した。

 あと1.2分でバスが来るであろう時間に迫っていた。

 

 

 「…知ってたんだな」

 

 「え…何が?」

 

 「その…ベンチ入りしてた事」

 

 「…ああ、うん…というか、山寺君人気なんだし、そういう噂はすぐ流れるから」

 

 「そ…そっか…」

 

 

 山寺はそれを聞くと、視線を巧から外し右往左往していた。

 巧は不思議に思いながらも、バスが迫ってきていたのを確認し、前を向いた。

 バスのドアが巧の目の前で開き、巧はそのままバスの中へ入る。思ったよりも空いていて、巧は迷うこと無く一番前の席に座った。

 山寺は巧のすぐ隣りに立ち、その後ろから生徒達がぞろぞろと入ってくる。

 

 

 やがてドアが閉まり、バスが進み出すと、山寺は何かを思い出したかのようにハッとして、巧の事を見下ろした。

 

 

 「あっ、そういえば成瀬から聞いたぞ。ユージーン将軍とデュエルしたって」

 

 「…佳奈め」

 

 

 またその話か、と巧は溜め息を吐く。

 リアルでそんな話をするのは無しだろうと思いうが、口が軽い佳奈なら仕方ないとも思えてしまう。

 山寺はやや高めのテンションで口を開いた。

 

 

 「…てかなんでそんな急展開になったんだよ」

 

 「…領主の会合の時にアリシャについて行ったら、偶然会って…」

 

 「それで?」

 

 「…興味持たれちゃっって…」

 

 

 彼らが現在話をしているのは、《アルフヘイム・オンライン》、通称《ALO》というVRMMORPGでの出来事である。

 SAO事件が起きてから1年後に『レクト』の子会社である『レクト・プログレス』より発売されたものだった。

 チュートリアル間で選べる9つの種族に別れて遊べるもので、種族間のPKを推奨している。最大の特徴は、フライト・エンジンを搭載している事で、妖精となった自らの翅で空を自由に飛ぶ事が出来るというところだ。

 ゲームシステムはスキル制で、レベルの概念は存在しない。そのスキルの中には《魔法》と呼ばれる概念が存在しており、決められた呪文を詠唱する事で、その魔法を顕現させる事が出来るのだ。

 種族によって、使えるスキルや特徴も異なる。

 このゲームでは、その種族毎の領があり、選ばれた領主がその土地を治めている。

 その会合について行った矢先、ユージーンと偶然出くわしたのだった。

 

 

 「で、結果は?」

 

 「…引き分け」

 

 「っ!? ひ、引き分け!? あのユージーンに!?」

 

 「声が大きい…!」

 

 

 巧は必死に山寺に諭す。だが、山寺が驚くのも無理はなかった。というのも、サラマンダーの領主、モーティマーの弟であるユージーン将軍は、現ALOの中では最強だと謳われたプレイヤーだったからだ。

 山寺自身の種族のリーダー的な存在であるユージーンが、まさか目の前の知り合いと引き分けるなど想像していなかった。

 

 

 「…信じられねぇ…流石は『白猫』って事か…」

 

 「…前から思ってたんだけど、それ二つ名じゃなくて渾名だから」

 

 

 二つ名がある奴は皆強いのだと、勘違いする輩が多くて困る。

 巧は深い溜め息を吐き、窓の外を眺めた。

 巧のALOでのアバターはケットシー。身体的特徴として、猫のような耳と尾が付いており、触れるとちゃんと感覚がある。

 巧のアバターは全体的に白く、髪も初期装備も真っ白だった。

 初めてログインし、ケットシー領に現れた時、その美しさがケットシー領内で噂になり、その色と容姿が相まって『白猫』という渾名が生まれていた。

 そう、渾名である。最早二つ名でも何でも無い。

 二つ名ってそういうものではないのでは?と思った巧だったが、広まってしまっているからもう何を言っても仕方ない感は否めない。

 因みにユージーン将軍が興味を持つ理由というのも、別に大した話ではないと思っている。

 とある理由で辻斬りにも似た沙汰を続けていた時期があり、その強さは他種族間でも話題になった事があっただけだと。

 アリシャが介入した時には、既にALOトッププレイヤーとなっていた。

 本人にその自覚は無いが。

 

 

 「…それに、デュエルの事だってそう、あれは私の負けだったのに、ユージーン将軍が『引き分けだ』って言うから…」

 

 

 ユージーン将軍の武器には、通常の武器とは違うスキルが付与されている。名を《エセリアル・シフト》と言い、その武器の保持者の攻撃は、剣や盾で防ごうとしてもすり抜けて攻撃出来るというものだった。

 巧はそのスキルに上手く対応しつつ攻撃していたが、結局タイムアップ。結果HPの残量を見るに、巧の方が少なかったのだ。

 だが、ユージーン将軍は、このスキルが無ければ負けていただろうとか何とかと言い、結局引き分けになってしまったのだ。

 プライドが高そうに見えて実は結構紳士な人なのかな、とか色々考えてしまってどうしようかと思っていたが、『ユージーン将軍は美少女には激甘』という根も葉もない噂を間に受けてしまった巧はそんな考えてを改めて、目の前で不敵に笑うユージーン将軍を前に、心はさざなみのように引いていたのを覚えてる。

 恐らくデマではあったのだろうが。

 

 だが実際、あの時のユージーン将軍とのデュエルの結果に納得していないのは事実。

 どうせなら勝ちたかった。

 

 

 「…じゃあさ、その…」

 

 「…え?」

 

 

 そんな事を考えていると、山寺が真剣な顔でコチラを見ている。影になっている為、巧からは分かりにくいが、その顔は心做しか赤い。

 

 

 「今日、ログイン出来るか?何か奢ってやるよ」

 

 「ああ…今日はその、約束があって…」

 

 「そ、そっか。じゃあ今からは?」

 

 「…今日はいつもの場所で降りないから」

 

 

 今日は病院に行く。それはもう決めてしまったことで。変えるつもりはなくて。

 ただ、彼に会いたくて。

 

 

 「そうか…何か用事でもあるのか?」

 

 「…まあ、ね」

 

 「…そっか、じゃあまた今度誘うわ」

 

 「…ありがと。っ…あ、私ここだから」

 

 「…病院?」

 

 

 気が付けば病院前に付いており、巧は立ち上がった。出入口に定期を貼り付け、山寺の方へと視線を向けた。

 

 

 「じゃあね、山寺君」

 

 「…おう、また明日」

 

 

 別れの挨拶を交わすと、巧は颯爽と外に出た。そのままの足取りで病院の入口へと向かっていった。

 

 

(…逢沢、どこか悪いのか…?)

 

 

 山寺は発進したバスが病院を通り過ぎるまでずっと、巧の背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも、部屋に入る前は心臓が高鳴る。

 思うように体が動かず、その扉にかかる手が震える。

 ふと思うのだ。もしかしたら、扉を開けたらそこには、彼が待ってくれているのではないかと。

 巧はその扉の隣りに貼られている、ネームプレートを見つめる。それは、この病室で入院している人の名前が書かれていた。

 

 

 《 逢沢 桐杜 》

 

 

 

 

 

 「…桐杜、来たよ」

 

 

 返事は返って来ない。分かっていた。けど、言わずにはいられなくて。

 目の前には、ずっと帰りを待ち望んでいる少年の寝顔があった。

 元々長かったその髪は、この二年で更に長くなった。細くなった体と、元々の容姿も相まって、まるで美少女で。

 

 

 そして、少年の頭には、《ナーヴギア》が被せられていて。

 

 

 彼こそが、巧がこの病院に通う理由。

 二年前からSAOに囚われた、家族の一人。といっても、血縁関係は無いに等しく、八年前は赤の他人で。

 時に一緒に遊び、時に喧嘩して。そうした普通の兄妹のようで。

 けど、あの日は────

 

 

 「っ…」

 

 

 返って来る訳ないと分かっていても、やはり辛い気持ちを抑えられない。話し掛けられずにはいられなかった。

 巧はベッドのすぐ隣りにある椅子に腰掛けて、彼の寝顔へと視線が移った。

 

 

 「…全く…今日も、寝てるなんて…」

 

 

 きっと、この世界とは別の世界で、桐杜は今も抗っている。

 そう思うと、涙が止まらなくて。初めは周りの目も気にならずに泣いたものだった。

 

 

 「…ねぇ桐杜知ってる?私、最近良く男子に告白されるんだ。…早く起きないと、私付き合っちゃうかも」

 

 

 フフッと笑い、その少年の顔を眺める。

 その声や体は、少し震えていて。

 

 

 「…この前話したでしょ?私もVRMMO、始めてみたって。私結構強くなったんだ。もし帰ってきてくれたら、デュエル出来るよ」

 

 

 少年は依然として眠っており、その表情すら変わらない。

 それが何よりも悲しくて、何よりも痛かった。

 

 

 「桐杜、今何してる?桐杜の事だから、戦わないでずっと篭ってるんだろうけど」

 

 

 クスクスと笑う巧。だが、その表情は次第に悲しげなものへと変わっていた。

 他愛ない話でも、返事が無いのは堪える。

 こんなに話し掛けても、桐杜は答えてくれない。ずっと眠ったまま、いつ自分の目の前から消えてしまうか分からない、そんな危うい存在で。

 

 

 「…最近思うんだ。もしかしたらこのまま、話す事もなく居なくなっちゃうんじゃないかって…」

 

 

 だから、こんな弱音も吐いてしまう。もしかしたら、実際にそうなるかもしれない。

 

 

 「最近、見たんだ。同じ病院に入院してる人で、死んだ人」

 

 

 その時の事を、巧は鮮明に覚えている。部屋から何人かの悲痛な叫びが、少年少女の泣き声が。

 部屋を覗き込めば、医者達が集まり、死亡確認を取っていた。

 その輪の中には、きっと家族であろう人達がいて。死んだ人の手を握り、必死に名前を呼ぶ。涙は決して止まらず、目の前の事実が嘘であって欲しいと泣き叫ぶその姿が。

 死んだその人は、凄く窶れていたけれど、とても死んでいるなんて思えなくて。静かに眠っているように見えた。

 

 

 その人はナーヴギアを被っていて。決して人事ではいられなくて。

 

 

 「ナーヴギアを被っているからかな。どうしても重ねて見えて…もしかしたら…桐杜もああなる日が来るんじゃないかって…」

 

 

 顔を抑えていたその手を、力無く落とした。

 そこから先の言葉は紡がれなかったが、言わんとする事は分かっていた。

 佳奈はその話を聞いて、人の死を身近に感じてしまった。

 SAO、ソードアート・オンライン。二年前に起きて、今も尚続くデスゲーム。その中での死は、現実世界と直結していて。

 そんな事、到底信じられなかったけれど、ニュースでは今も騒がれていた。

 多くの死者が出てると聞いて。巧の見舞い人も、その一人で。

 

 

 「……ずっと、後悔してたんだ、私。どうしてあの時、気付いてあげられなかったんだろうって…」

 

 

 桐杜のその手を、両手で強く掴む。

 その恐怖が、自身の心臓を揺るがすようで。

 巧の体が、声が震える。

 ずっとずっと後悔していた。彼を一人にさせたことを。分かっていた筈なのに。理解出来ていた筈なのに。

 きっと、無意識に見て見ぬ振りをしていたのかもしれない。

 彼なら大丈夫だと、心の中で都合良く解釈していたのかもしれない。

 何度も、何度も懺悔する。きっと、この世界から消えてしまったであろう、彼の心に。

 この世界を不要だと思った、居場所が無いと悟った彼に。

 

 

 「桐杜…会いたいな…」

 

 

 話したい。声が聞きたい。また笑い合いたい。

 傍で眠る少年の手を握り、額に持っていく。懇願する彼女の瞳には、涙が滲み出ていた。

 この病室に入れば、いつも思い出される二年前の記憶。

 半ば喧嘩別れのようになってしまった事を思い出す。その後、外でSAOがデスゲームだと知った時、急いで家に戻った。

 謝りたかった。自分が悪かった。だから、無事でいてと。

 体力などお構い無しに走り続けた。吐きそうになり、口からは血の味がした。転んでもすぐに立ち上がり、ひたすら家に向かって。

 けど。

 部屋に入って最初に映ったのは、死んだように眠る彼の姿で。

 力無くへたり込み、泣きじゃくったのを覚えてる。

 いつも不安で眠れない。最悪の現実だけを、いつも夢で見て。

 その度にはね起きて、夢で良かったと涙して。

 けれど現実は変わらなくて。いつ死ぬかも分からなくて。

 もしかしたらこのまま、もう終わりかもしれない。

 もう二度と、桐杜に会えないかもしれない。そう思って。

 

 

 「…ずっと…待ってるから…」

 

 

 戦わなくてもいい。無茶しなくてもいい。

 ただ無事に、生きて還って来てくれれば。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に戻り、部屋に閉じ篭る。病院から帰ればいつもの事だった。

 その足取りはいつだって重くて。

 母も父もそれが分かっているから、何も言わなかった。

 それがなんだか有難くて。申し訳なくて。

 巧はベッドに腰掛けて、両手を見つめる。先程まで、桐杜の手を握っていたその手を。

 

 

 「…情けない」

 

 

 

 

 

『なっさけないなーきりと! おとこのこでしょ!』

 

『ご…ゴメン…』

 

 

 

 

 

 

 「…ホント、情けない…」

 

 

 自嘲気味に笑うその顔に、両手を見つめるその瞳に。

 小さな影が落ちる。

 いつからだろう?

 いつから、私はこんなに弱くなったのだろう。

 

 

 「…桐杜」

 

 

 彼は今も苦しんでいるのに。そんな時に、傍にいてあげられない。

 それが、とても辛かった。

 ふと、机の上に置かれた《ナーヴギア》の後継機、《アミュスフィア》に視線が動く。

 ALO。SAOのデータをコピーしている部分が多いとの噂を聞いて、すぐに買いに行ったのを覚えてる。

 

 

 もしかしたら、ALOとSAOは、繋がっているのではないかと思って。

 

 

 我ながらバカみたいだと思った。だけど、そうせずにはいられなかった。

 体が、勝手に動き出していた。

 あの世界に行けば、もしかしたら。桐杜の苦しみを少しでも理解出来たなら。

 

 

 「あ…約束…」

 

 

 時間を見ると、ALOでの約束の時間間近で。巧はベッドから立ち上がり、重い足取りでアミュスフィアに手をかける。

 頭に装着し、ベッドに寝そべった。

 

 

 初めてログインした時の感動を覚えてる。空を飛べた時の感動を。空気に触れた感触を。

 だけど、彼との思い出は薄れていくようで。

 

 

 ───何故、この世界が存在するのだろう。

 

 

 巧は常にそう思う。このゲームさえ無ければ。桐杜はきっと────

 私も、もっと────

 そんな事ばかり考える。

 この世界でいくら強くなろうとも。いくら気高くあろうとも。

 迎えになんて、行けないのに。

 

 

 「…リンクスタート」

 

 

 その言葉は、二年前は地獄への扉を開けるものだったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっとずっと、後悔している事がある。

 謝りたい事がある。聞きたい事がある。

 

 

 

 

 

 ─── 伝えたい、気持ちがある。

 

 







プロフィール

名前 : 逢沢 巧 ( あいざわ たくみ )

年齢 : 16歳
誕生日: 2008年 2月 29日
種族 : ケットシー


本編の主人公、アキトの形式上の妹。とある事件により、アキトを養子として引き取った家庭の一人娘。
アキトとは小学生の頃からの友人で、よく二人で遊んでいた。

ALOでのアバターの種族はケットシー。武器は刀。
相手の力を利用した攻撃、主にカウンターのような戦法を得意としている。
アバターは、ケットシー特有の耳、尻尾に加え、髪の色、初期装備、現在装備している防具、何から何まで白であり、その美しい容姿は、ケットシー領外でも有名で、『白猫』と言えば巧だと、誰もが口を揃える程。
渾名が二つ名のように扱われ、そのイメージと実力差に悩むこの頃。




養子縁組の制度への理解が曖昧なんですが、そこはご都合主義と言うことで…(´・ω・`)




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Ep.25 虚ろな瞳を持つ少女




はい、オリキャラの話を飛ばした方、そして、読んで下さった方共にありがとうございます!
ということで、本編の続きです、どうぞ、


 

 

 

 

 「っ──!」

 

 

 アキトは、気が付いたら走り始めていた。

 脳裏に映るのは見た事もない記憶のビジョン。多くの命を消しさらんとする、死神の鎌。

 あのモンスターは、その記憶を呼び起こす。

 そのモンスターは、たった一人の少女にのみタゲを取っている。

 少女は膝を屈しながらも、諦めた表情はしておらず、ただその短剣を構えるのみ。

 

 

 「っ…」

 

 

 そのオレンジ色にも似た髪を揺らし、ホロウリーパーを睨み付けていた。

 絶対に死なない、死んでたまるかと、そういう意志を感じた。

 アキトは琥珀を鞘から引き抜き、ホロウリーパーに迫る。

 ホロウリーパーは、その少女に向けて鎌を振り上げる瞬間だった。

 

 

(間に合え────!)

 

 

 アキトの刀は、いつもよりリーチが長い分、ギリギリでホロウリーパーの鎌に届く。

 その状態でスキルを発動し、その鎌をはね上げた。

 

 

(っ! 思ったよりも軽い…、これなら…!)

 

 

 アキトは仰け反ったボスの懐に一瞬で近付き、その刀を構える。

 

 刀スキル高命中範囲技< 旋車 >

 

 体を捻ってボスの腹部を叩き上げる。ホロウリーパーは一瞬怯むが、アキトの存在を認知すると、その鎌を突き付ける。

 その鎌に焦点を当て、右の拳を引き絞る。

 

 コネクト・体術スキル<エンブレイザー>

 

 黄色に輝くその右手を、鎌に目掛けて振り上げる。その鎌と拳がぶつかり、その反発力でお互いに距離が生まれた。

 アキトは、ボスのHPバーを見る。本数こそボスと変わらないが、そのHPバーの1本は既に空だった。

 自身のスキルによるダメージもあるだろうが、それだけで1本は削れない。

 すると、これまでのダメージはすべて後ろにいる少女が与えたものという事になるが、ボス相手に一人でそこまで戦えるとも考えにくい。

 だが、先程のボスの一撃の重さを考えれば、導き出される答えは一つ。

 

 目の前のボスは、そこまで強くないという事。

 

 

 ならば、このまま時間を稼げばなんとかなるかもしれない。

 アキトはその少女の方を向く。そこには、先程の少女がコチラを見て目を見開いていた。

 何かを見て驚いているようだが、アキトとしても、話している時間は無い。

 彼女を逃がす時間を作ってから、転移結晶で逃げるしかない。

 

 

 「おい、そこのオレンジ!早く逃げろ!」

 

 「っ…!あんた、どうして私を…」

 

 「早くしろっ……っ !?」

 

 

 アキトは殺気を感じて前を向く。するとその瞬間、地面と水平に鎌を薙ぐホロウリーパーの姿が目に映る。

 咄嗟に刀を構えるも、準備していなかった為に吹き飛んでしまった。

 

 

 「がはっ…!」

 

 「っ…!」

 

 

 いくら思ったよりもステータスが低かったとしても、相手はボス。気を抜けば一瞬でやられてしまう。

 アキトはストレージに仕舞っているティルファングを思い出し、リズベット武具店に顔を出しておけばと今更後悔していた。

 

 ボスは木にぶつかって身動きが取れないでいるアキトの元へと迫り来る。

 アキトは急いで立ち上がるも、まだ体勢を整えられていなかった。

 刀を急いで掴み、目の前の攻撃を必死に捌いていく。

 

 

 「チィッ…!」

 

 

 刀と鎌が削れ、火花が飛び散る。自身の顔面スレスレのその攻撃に、アキトの心音は強くなる。

 ホロウリーパーは左右と交互に鎌を出していく。

 アキトは刀スキルと体術スキルを接続していき、その攻撃を凌ぎ続けるが、段々とダメージが蓄積されていく。

 

 

(マズイ…このままじゃ転移結晶使う暇だって…)

 

 

 

『っ…!左だ!』

 

 

 

 「っ…!? くっ…!?」

 

 

 アキトは咄嗟に体の左に刀を寄せる。瞬間、ホロウリーパーの尾のようなものが、アキトの左半身に襲いかかった。

 アキトは耐え切れずに再び吹き飛んだ。

 地面を擦れ、滑っていく。アキトは刀を地面に突き刺し、その滑走を強引に止めた。

 HPはこのままいくと危険域まっしぐら。早めに後退したいが、それもさせてくれない程に、ボスとの一対一はキツかった。

 今のこの状態は、決定打にかける為、倒すにしても逃げるにしても難しかった。

 ホロウリーパーは休む暇を与えるつもりは無いようで、一瞬でコチラに詰め寄った。

 アキトは再び刀を構える。

 

 

 だが、次の瞬間、ボスの振り下ろした鎌は、乱入者によって弾かれた。

 ボスの鎌は軌道を逸らされた事で、攻撃は空を切る。

 

 

 「っ…!? …お前…」

 

 

 アキトがその乱入者を見上げれば、それは先程の少女だった。

 少女はコチラを一度見下ろすが、すぐに前方を向いてしまった。

 アキトは思わず声を荒らげる。

 

 

 「ど…どうして…!?」

 

 「あんた達のようなならず者に、借りなんて作らない!」

 

 

 少女はアキトの言葉を突っ撥ねて、ホロウリーパーだけを睨み付ける。

 ホロウリーパーは改めて、その少女の存在を認知した。

 その咆哮が、森中に響く。その振動で、ボスの周りに風が起こる。

 少女はそれを無視してボスの下へと潜り込み、その短剣をぶつける。刀を青く光らせ、ソードスキルをぶつけていく。

 ホロウリーパーは体をくねらせ、その技の連撃から逃れようとする。

 少女はそうはさせまいとボスを追う。

 だが次の瞬間、ボスは上空に跳ね上がった。

 

 

 「っ…!?」

 

 「なっ…!」

 

 

 アキトも見た事の無い動きに思わず目を見開く。ホロウリーパーは鎌を少女に向けて構え、そのまま落下してきていた。

 少女は咄嗟に短剣で防御姿勢を取るも、鎌は体を掠り、着地の衝撃で吹き飛ばされた。

 

 

 「くっ…!」

 

 

 少女はすぐに体勢を整え、短剣を構える。

 だがホロウリーパーはお構い無しに少女に突っ込んだ。

 

 

 「っ…!せああぁあぁああ!」

 

 

 アキトは少女とボスの間に咄嗟に割って入り、その刀でホロウリーパーの攻撃軌道を逸らす。

 ホロウリーパーは回転してその尾を二人に目掛けて振り抜いた。

 躱すのはおろか、防御も間に合いそうにない。

 

 アキトは咄嗟に少女を自身の身体に引き寄せ、ボスに背を向ける。

 その尾による攻撃が、アキトの背中に食い込んだ。

 

 

 「がはっ…!」

 

 「っ…!」

 

 

 アキトと少女はそのまま飛ばされるも、アキトは少女を離さない。そのまま近くの木に激突し、その二人はその場に投げ出された。

 少女は咄嗟に起き上がり、アキトのHPを確認する。

 彼女のHPはまだイエローだったが、アキトのHPはレッドにまで落ちていた。

 思ったよりも飛ばされたので、ボスも自分達を見失っている。回復するなら今の内だと考え、少女はアキトの元に駆け寄り、ポーションを取り出した。

 アキトの手に無理矢理そのポーションを収める。その間、少女は気になっていた事をアキトに問うた。

 

 

 「あんた…何で私を庇ったの…?」

 

 

 少女はアキトの瞳をまっすぐに見つめる。アキトは、弱々しくも起き上がり、その少女の瞳を見た。

 

 

 「…人助けるのに…理由なんかいらないんだってさ」

 

 「え…?」

 

 「…昔、そう教えてくれた人がいたんだよ。…ありがとな」

 

 

 アキトはそう言うと、少女から持たされたポーションを口に突っ込んだ。少女はそんな彼の発言に、信じられないといった表情を浮かべた。

 

 

 「あんた、アイツらの仲間じゃないの…?」

 

 「は…?誰だよアイツらって…」

 

 「…本当に、違うの…?」

 

 

 少女はアキトの顔を見つめる。アキトは不思議そうに少女の顔を見た。

 ボスの足音が、近付いて来るのを感じた。

 

 

 「…でもあんた、見えてるんでしょ?私のカーソル」

 

 「カーソル…?…あ、オレンジだ」

 

 「…え?」

 

 

 アキトは少女の言葉で、少女の頭上のカーソルを見つめ、初めて彼女がオレンジカーソルである事を知った。

 だが、少女はそんなアキトの反応に異議を唱えた。

 

 

 「あ、あんたさっき、私の事『オレンジ』って…」

 

 「ああ、お前の髪オレンジっぽいから…」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「………」

 

 「………え、何、何だよ」

 

 「……フフッ、何でも無い」

 

 

 その惚けた感じのアキトを見ていたら、何故か可笑しくて、少女は笑ってしまった。

 彼が逃げるように言った時、自身のカーソルを見て叫んだ皮肉だと思っていたから。

 まさか身体的特徴で呼ばれただなんて思わなくて。

 オレンジカーソルだと、そう言われた訳じゃ無くて。

 

 アキトはもしかしたら気にしたかもしれないと色々考えていた。アキトは基本優しい人間である。少女がオレンジカーソルを気にしていたのなら、先程の発言は紛れもなく侮辱だった。

 

 

 瞬間、目の前の木々が倒れ、土煙が舞う。

 アキトと少女はすぐには動けず、その土煙の方を向く。

 目の前には、ホロウリーパーが現れ、コチラを確認すると、体を反らして咆哮した。

 アキトは立ち上がり、しゃがむ少女を見下ろした。

 少女もそれに気付き、アキトを見上げる。

 

 

 「…じゃあ、名前…教えてくれるか」

 

 「……フィリア」

 

 「…いいセンスだな」

 

 

 どちらかともなく笑い合い、フィリアは立ち上がる。

 アキトとフィリアは、共にホロウリーパーを見上げた。ホロウリーパーは既に攻撃動作に移行していた。

 ホロウリーパーはその鎌を両手いっぱいに広げる。

 その鎌が、彼らを挟むべく左右から迫って来る。

 

 

 「っ…来るぞフィリア!」

 

 「分かってるっ!」

 

 

 アキトは左の鎌を、フィリアは右の鎌をそれぞれ武器で受け止めた。だが思ったよりも威力が強く、その鎌にドンドン挟まれていく。

 そしてアキトとフィリアの背中が合わさり、その危険を肌で感じた。

 

 

 「っ…!」

 

 「こ、のぉ…らぁっ!」

 

 

 アキトとフィリアは共に鎌を上にずらし、瞬間下にしゃがむ事で攻撃を回避する。

 二人はは互いに目配せし、先にアキトがボスに迫る。

 

 

 「スイッチ!」

 

 

 アキトはボスに向かってソードスキルを放つ。

 

 刀スキル<辻風>

 

 相手をスタンさせるそのソードスキルスキルを、ボスの胸部向かって放つ。

 ボスが仰け反るのを確認し、フィリアがその短剣を光らせた。

 一瞬で、ボスの元まで駆け寄る。

 

 

 「らあぁっ!」

 

 

 短剣高命中重攻撃五連撃技< インフィニット >

 

 金色に輝くその短剣は、八の字を描くようにして放たれる。

 ホロウリーパーは痛みからかその咆哮が強くなる。その攻撃は確かに効いており、ボスのHPを一瞬で減らす。

 ホロウリーパーは自身に痛手を負わせたであろうその少女を見下ろした。

 フィリアにヘイトが行った瞬間、背後からアキトが迫る。

 

 刀スキル三連撃 <羅刹>

 

 その一瞬の隙を、作ってくれたチャンスを、アキトは決して無駄にしない。

 自身に出来る事を、誰かじゃない、自分がやらねばならない事を。

 そうやって生きてきたアキトだからこそ、このチャンスは必ずものにする。

 その三連撃は全て、ホロウリーパーの足を切断した。

 ホロウリーパーはバランスを崩し、左に倒れ込んだ。

 

 

 「…凄い…」

 

 

 フィリアは、確かにそう呟く。

 アキトのその武器を振るう姿に、確かに見惚れていた。だがフィリアはすぐに短剣を構え、ホロウリーパーに迫る。

 このチャンスを、自分も無駄にさせない為に。

 アキトとフィリアは互いにボスを挟み、その刀身を輝かせる。

 

 

 「───しっ!」

 

 「───っ!」

 

 

 刀スキル五連撃奥義技 <散華>

 

 短剣スキル四連撃奥義技 <エターナル・サイクロン>

 

 

 その刀が、何度もボスの体へと吸い込まれ、その短剣は風を作る。

 ボスのHPは次第に黄色く、赤くなっていく。

 

 やはり、ボス自体はそこまで強くない。こうして、誰かと協力し合えば、きっとどんな相手にだって。

 それを二人は体現しているようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、その数分後、ホロウリーパーをポリゴンにする事に成功した。

 逃げるつもりだった為、倒せた事は驚きで、アキトは可笑しくて笑ってしまった。

 フィリアも驚いたのか、放心状態にも似た状態で立ち尽くしていたが、すぐに我に返ったのか、ストレージからポーションを取り出していた。

 アキトもそれを見てポーションを取り出し、飲み干す。喉が潤い、HPが回復しているという感情に満たされた。

 そんなアキトを見て、フィリアは口を開いた。

 

 

 「ねぇ…あんたの名前、まだ聞いてないんだけど」

 

 「…アキト」

 

 「…あんたは私のオレンジカーソルを見て何とも思わない?なんで普通に接する事が出来るの?」

 

 

 フィリアはようやく聞きたかった事が聞けた事に半ば達成感のようなものを抱きつつ、アキトの瞳をまっすぐに見つめた。

 アキトも、そんなフィリアの顔から視線を逸らさない。

 

 ふと、リズベットと約束した時の事を思い出した。

 彼女の涙ながらの笑顔を、よく覚えている。

 あの時、確かに感じたから。守りたいと思ったから。

 それが偽善に満ちた行為でも、助けなんて求められていなくても。

 この手を伸ばしたいと思うから。

 

 そんな事、とても言えないけど。

 

 

 「…別に…ただの暇潰し、ただの気まぐれだよ」

 

 「っ…こっちは真剣に…」

 

 「はいはい…あー…アレだ。ここが何処だか分かんねぇから、少しでも情報が欲しくてな。助ければ見返りになんか教えて貰えると思ってよ」

 

 

 アキトのその発言は、フィリアにとってまだ信じられるものだった。ただの善行で助けられたと言われるよりも、何かメリットがあったからと考える方が自然だ。

 むしろ、そっちの方がまだ信じられる。

 

 

 「…けど、私が言ってる事が本当の事だとは限らないじゃない。犯罪者の言う事を信じられるの?」

 

 「そん時はそん時だろ。騙された俺が悪い」

 

 「…オレンジプレイヤー相手に、随分と甘いんじゃないの」

 

 「言われた事ねぇな、そんな事」

 

 

 アキトは刀を鞘に収め、ウィンドウを開く。見た事も無いマップが広がっていて、首を傾げていた。

 フィリアが俯いているのが気になったのか、アキトはフィリアをチラリと見る。

 フィリアにとって、オレンジカーソルというのはとても心にくるものなのかもしれない。

 だからこそ、ああも自身のカーソルの色を強調して、自身を遠ざけようとしているのかもしれない。

 そう思うと、何故かとても切なくて。

 アキトは、思っていた事を素直に口に出してしまった。

 

 

 「─── けど」

 

 「…え?」

 

 「オレンジカーソルの奴らが皆悪だと思ってる訳じゃ無いから。カーソルの色って、結構簡単に変わるだろ。正当防衛とかでも変わるし」

 

 「……」

 

 「オレンジカーソルの理由だって、聞いた訳じゃ無い。知ろうとも思ったりはしないけど、カーソルの色だけじゃ人となりは分かんないだろ」

 

 

『悪だと認識したその人にだって、言い分はある。貫きたい正義がある』

 かつて、そう父親に教えて貰った事を思い出す。あの頃は、難しく考えていたけど、実際は単純な事だったんだなと、今更実感した。

 フィリアは複雑そうな顔をして、コチラを伺うように言った。

 

 

 「…あんた、お人好しだって言われない?」

 

 「生憎、言ってくれる仲間がいないもんでな」

 

 「っ…ご、ゴメン…」

 

 

 アキトがそう言うと、フィリアはすぐに謝罪してきた。その様子を見て、アキトはフッと笑ってしまった。

 随分と礼儀の正しい、優しい犯罪者だ。

 フィリアは何故笑われたのか分からず、怪訝な表情をしていた。

 

 

 「そんなすぐに謝れるんだ、悪いヤツじゃないって事でもういい。だからお前はとやかく言うな、一々面倒くさいから」

 

 「…へんなの」

 

 「ほっとけ」

 

 

 フィリアはプイっとそっぽを向き、アキトは溜め息を吐く。そして、マップを見た結果、ここはどの層にも属さないエリアの可能性が出てきてしまい、アキトは割と焦っていた。

 思わず再びフィリアを見る。

 

 

 「…なあ、結局ここ何処なんだよ。階層が表示されないんだけど」

 

 「……分からない。私は一ヶ月前にここに飛ばされたんだけど、生き残るので精一杯で、殆ど探索出来てないから」

 

 「い…一ヶ月…!?」

 

 

 そのフィリアの発言に、アキトは言葉を失う。

 この未知のフィールドに、一ヶ月。それはアキトにとっては凄まじい事だった。

 もしかしたら、結晶アイテムが使えないエリアなのかもしれない。

 アキトは咄嗟に検証を開始した。

 しかし、特に禁止されているようではなかった。

 

 

 「…?アイテム使えるじゃん…」

 

 「ここの階層は分からなくなっているけど、アイテムやメッセージは通常通り使える」

 

 「階層が分からないってのが分からないな…ここはアインクラッドの中なんだろ?」

 

 「そんなの、こっちが聞きたい」

 

 

 フィリアはイラついたようにそう呟く。

 アキトは情報の無さによって、行動の方針が決められないでいた。

 ここが何処で、どういったエリアなのか。

 そして、元の場所に戻るにはどうしたらいいのか。

 

 

 だが、次の瞬間、アキトとフィリアの上空から、聞いたことも無い事象が起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 [《ホロウ・エリア》データ、アクセス制限が、解除されました]

 

 

 

 

 

 「っ…!?…何…?」

 

 「…アナウンス?」

 

 

 突如そのエリア全体に、女性寄りの声が響き渡る。

 それは、どう考えても何かのアナウンスだった。

 アキトとフィリアは互いに目を見開いた状態で、エリアを見渡した。

 だが、それ以前に、このシステム的なアナウンスが発生した事に対する驚きの方が、アキトにとっては大きかった。

 異世界を舞台としたこの世界で、こんなゲームイメージを崩壊させるようなアナウンスが流れるなど────

 

 

 「あ、あんた…その、手に浮かんでる紋様は……」

 

 「…?…っ、な、何だ…これ…」

 

 

 フィリアが驚いた表情でコチラを見ていた。その視線の先、自身の掌を見つめる。

 するとそこには、見た事の無い紋章のようなものが浮かんでおり、光を発していた。

 アキトは思わず目を丸くする。先程までは、こんな紋様は出てなかった筈だ。

 もしかすると、先程のアナウンスと何か関係があるのかもしれない。ひいては、ホロウリーパーを倒した事で、何かのイベントが発生したとか。

 つまり、これはクエストなのかもしれない。

 

 

 「…あんた、一体何者?」

 

 「…お前こそ何者だよ」

 

 

 この良く分からないエリアにいきなり飛ばされたアキト。そこで出会ったのは、目の前の少女フィリア。

 今のところ、アキトはフィリア以外のプレイヤーは見た事が無いし、ホロウリーパーとの戦闘を見るに、攻略組でも戦えるレベルだと思う。

 だが、彼女の事を一度だって見た事は無い。ただでさえ女性プレイヤーが少ないこの世界で、女性が攻略組に居れば気付きそうなものだ。

 

 

 フィリアは質問を質問で返されたのが気に食わなかったのか、一瞬不機嫌な顔をするが、やがてアキトに近付くと、その腕を掴んで引き寄せた。

 

 

 「っ…お、おいっ…何すん…」

 

 「黙って、この手よく見せて……やっぱり同じ」

 

 

 フィリアは無理矢理アキトの手を掴んで凝視したと思えば、何か納得したようで、目を見開いていた。

 アキトは全く付いていけておらず、フィリアの横顔を見つめるばかり。

 何が同じだというのか。

 フィリアはそれに気付いたようで、アキトの手を離し、すぐに説明してくれた。

 

 

 「それと同じ紋様がある場所を知ってる」

 

 「そこに行けば、何か分かるかもな…んじゃま、案内してくれよ」

 

 

 他に手掛かりも無い為、フィリアの言うその場所に行ってみるしかない。

 アキトはフィリアに、そこまでの道案内を頼もうと申し出る。

 何も知らないのは自分だけじゃない。フィリアも何も知らないらしい。だったら、一緒に行けば互いにこの場所を理解出来るし、情報交換も効率良く出来る。

 

 

 …決して、口には出さないが。

 

 

 フィリアは、アキトがそう言って来たことで、目を丸くしながらコチラを見ていた。

 

 

 「…別に構わない。でも、そんな簡単にオレンジ…いえ、レッドを信じていいの?」

 

 「しつこい」

 

 

 アキトはその発言を切って捨て、フィリアに背を向け歩き出す。アキトはフィリアに、付いて来いと、そう言っているようで。

 アキトという少年は、自身のカーソルについて、何一つ言ってこない。なら、自分がこれ以上何を言ったって煩わしく感じるだけなのかもしれない。

 だけど、あんな簡単にオレンジプレイヤーに気安く話しかけられるなんて。

 そう思うと、何だか不思議で。

 

 

 フィリアは何も言わずに、その背中を追い掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アキト、そっち逆方向」

 

 

 「早く言えよ」

 

 

 








感想、指摘、どしどし送って下さい!<(_ _)>


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Ep.26 ホロウ・エリア



連日投稿は無理ですが、書ける時間が出来たので書きます!

今日は短めです。
未開の土地について、アキトとフィリアが話すだけ……(´・ω・`)
ゲームとあまり違いはありませんが、どうぞ!




 

 

 

 高く聳え立つ木々の中に、二人のプレイヤー。

 アキトとフィリアは、巨大な神殿跡地を背に、広々とした空間に出ていた。

 そして、少し歩いた先にあるのは、急な下り坂だった。

 その坂道はアキトがいた森とは違う森へと続いており、その先は暗がりに包まれ、ついでに未知にも包まれていた。

 

 

 「この先を下ったところよ」

 

 

 フィリアはそう言った後、その顔を斜め上に向ける。

 それにつられてアキトもフィリアの視線の先を追う。

 その先の上空には、青い球体のようなものが浮いており、その下には光が差し込んでいた。

 とても幻想的な景色で、思わず息を呑む。

 

 

 「…最終的にはあの球体が目的地なのか」

 

 「ええ…入った事は無いんだけど…でも、あんたがいれば入れる気がする。その紋様と同じものが描かれていたから」

 

 「…?あの球体に入った事無いなら、その紋様はどこで見たんだよ」

 

 「その紋様がついた転移石みたいなのを見た事があって…もしかしたら関係があるのかもと思って」

 

 

 フィリアは色々記憶の引き出しを漁るように、思い出すように途切れ途切れに言葉を紡いでいく。

 アキトはフィリアから視線を外し、再び上空に浮かぶ球体を見上げた。

 あの球体の中に、求めるべき謎があるかもしれない。

 フィリアに付いて行き、坂を下ると、その森の奥に洞窟らしい場所があった。

 フィリアはその洞窟の中へと躊躇いなく入り、アキトはその背を何も言わずに追い掛けた。

 暗がりの中、フィリアの歩みは速い。未知というだけで、アキトにとっては恐怖の対象であるというのに。

 

 見た事の無いフィールドの、未開のエリア。見るもの全てが珍しく感じる。他の洞窟と大差は無い筈なのに。

 アキトは周りを見渡しながら、その口を開いた。

 

 

 「…あのアナウンス…確か《ホロウ・エリア》とか言ってたな」

 

 

 確かにそう言っていた。だが、そんなエリアの情報なんて聞いた事が無い。

 階層が表示されない、隠しエリアの可能性あり、それだけでインパクトが強そうなだけに、情報が出回っているなら気付かない訳が無い。

 恐らくこの場所は、一般的に周知されたエリアでは無い。

 

 フィリアは暗闇でも目が効くのか、特に何かにかかる事無く進んで行き、その間、アキトの呟きに気が付いたのか、こちらを一瞥した。

 

 

 「あんたはどうやってここに来たのか覚えてる?」

 

 「マッピング中に突然転移したんだよ。お前は?」

 

 「私も殆ど同じ。ただ違うのは…」

 

 

 フィリアは再びチラリとコチラを振り向いた。その視線の先には、アキトの掌に今も尚輝く紋様だった。

 アキトも浮かび上がっている紋様を見つめる。フィリアは紋様からアキトへと顔を視線を上げた。

 

 

 「あのボス倒したのが切っ掛けなんじゃねぇの?ラストアタックは俺が取ったんだし」

 

 「…ホロウリーパー…あんなモンスター初めて見た。…あんたは『スカルリーパー』とか言ってたっけ。見た事があるの?」

 

 

 そのフィリアの言葉を聞いて、アキトは固まった。

 そう、フィリアの言っていた言葉が、文字通り引っかかっていた。

 あの時の、ボスのネーム表示には《 Hollow Reaper 》と確かに書いてあった。だが、アキトはそのモンスターに対して、『スカルリーパー』と、違う名前を口に出したのだ。

 アキト自身それに驚いているが、間違いだと、それを訂正するつもりにもなっていなかった。

 

 

 あのモンスターを、何処かで見た事があったような。

 

 

 「────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── こっちだ!早くっ、走れっ!

 

 

 ─── ぐっ…!うわあああぁぁあぁああぁぁあぁあ!

 

 

 ─── い、一撃で…!?

 

 

 ─── 下がれっ!

 

 

 ─── ひっ…!う、うわあああぁぁあぁ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…75層の、ボスに似ていた…」

 

 「フロアボスが、なんでこんな場所に…」

 

 

 フィリアが考え込むように俯きつつ、洞窟を進んでいく後ろで、アキトは自身の口走った言葉を頭の中で反芻していた。

 その脳内で、見た事も聞いた事も無いような記憶のイメージがグルグルと回る。

 

 

(なんで俺…75層のボスなんか知って…)

 

 

 それこそ、自分は見た事も聞いた事も無い。ただ、とてつもなく大きな被害が出た事。

 失ったものは大きかった事。それだけがアキトの心に張り付いていて。

 

 

 「…って事は、アキトは攻略組なんだ」

 

 「っ…あ、ああ」

 

 

 フィリアの言葉で我に返り、今も尚前を向いて進む彼女の背を見つめた。

 フィリアは何か納得したのか、何かスッキリしたような雰囲気を纏っていた。

 

 

 「あんた結構強かったものね。もしかしたらその紋様も、あんたの取っているスキルに関係があるのかも」

 

 「こんな事が起きるスキルなんて……」

 

 「…?どうしたの?」

 

 

 アキトは何かを思い出したのか、その言葉を途中で止めてしまう。まるで、そのスキルに心当たりがあるような。

 何か、知っているような。

 アキトはすぐに冷静になり、フィリアに向かって首を横に振る。

 

 

 「いや、何でもない。そんなスキル聞いた事無いなと思っただけだ」

 

 「嘘。さっき使ってたあのスキル、あんなの見た事無い」

 

 「は?どのスキルだよ」

 

 「あんなに連撃数のある刀スキルなんて初めて見た。もしかして、ユニークスキル?」

 

 

 フィリアの言っている事で、アキトは漸く理解した。恐らく、《剣技連携》の事を言っているのだろう。

 ホロウリーパーを倒す際に何度か使用したのだが、どうやら見られていたようだ。

 足を止め、食い入るようにコチラを見るフィリアの視線から逃れるべく、アキトは視線を横にずらす。

 

 

 「あれは既存の刀スキルと体術スキルを交互に使ってるだけだ。タイミングが良けりゃ、硬直無しでスキルが連発出来るんだよ。やろうと思えば誰にでも出来る」

 

 「そ、そうなの…?それも充分凄いけど…」

 

 

 フィリアは関心したように目を見開いていた。

 実際、やろうと思えば誰にでも使用する事が出来ると思う。タイミングとイメージ、それさえ掴めれば。

 

 

 

 話していると、やがて洞窟の先に光が見える。ここまで一度もモンスターに出くわさなかったが、外に出れば分からない。

 フィリアとアキトは互いに武器を取り出し、光差す出口へと向かった。

 その光に照らされ、アキトは思わず目を細める。

 

 洞窟から出れば、そこにはまた新たに森が広がっていた。木々が並び、道は四方に続いている。

 迷路を彷彿させるような場所だった。

 勿論、アキトはどの方向に行けばいいか分からない為、フィリアに付いて行くしかない。

 

 

 「……」

 

 「…?どうかした?」

 

 「いや…結局のところ、なんでここに飛ばされたんだろうなって思ってよ。紋様の件は置いておくにしても、何か理由があると思ってな。他にプレイヤーはいない様だし、俺とお前で共通点を探すしかないけど」

 

 

 実際、このエリアに来てからというもの、フィリア以外のプレイヤーには会った事が無いし、その気配もあまり感じない。

 もしかしたらこのエリアには、自身とフィリアしかいないような、そんな錯覚を受ける。

 この広大なエリアを踏破するのに二人は心許ないが、とアキトは心の中で苦笑した。

 すると、目の前を歩いていたフィリアは、いきなり立ち止まり、こちらを振り向いた。

 アキトはその行動の意図が読めず、首を傾げた。

 

 

 「…私達以外にもいるよ。プレイヤー」

 

 「…本当か?」

 

 

 そのフィリアの言葉にアキトは目を見開く。今まで見た事は無いが、プレイヤーがいるという情報は大収穫ではある。

 この強制転移という訳の分からない状況に巻き込まれたのが自分だけではないと安心出来たし、何よりこのエリアの情報をより多く持っているプレイヤーもいるかもしれない。

 だがフィリアは決してそんな高揚とした雰囲気では無かった。

 

 

 「ええ……でも…少しおかしなところがあるというか…」

 

 「プレイヤーが?…具体的には?」

 

 「説明が難しいの。実際に会って確かめた方がいい」

 

 

 フィリアはそう言って背を向け、再び歩き出した。

 アキトは彼女の言っていた事を頭の中で考えながら付いていく。

 

 

(おかしなところのあるプレイヤー…ね)

 

 

 

 

 ─── 瞬間、再びこのエリア全体に女性の声が響き渡った。

 

 

 

 

 [規定の時間に達しました。これより、適性テストを開始します]

 

 

 

 

 「い…いきなり何?」

 

 「っ…またか…」

 

 

 いきなりのボリュームにフィリアの体は震え上がる。

 アキトは再び流れたシステムアナウンスを半ば食い入るように聞いていた。

 規定の時間、適正テスト。アナウンスは確かにそう言った。

 もしかしたら、クエストが起動したのかもしれない。

 何か、何かそれが確認出来るものは無いか。

 アキトが周りを見渡す。ウィンドウを開く。

 

 

 すると、このホロウ・エリアのマップの他に、見慣れない単語が記載されていた。

 

 

 「…『ホロウ・ミッション』…?」

 

 

 《HOLLOOW MISSION》と大文字で書かれたそれは、クエストとは異なる使用でウィンドウに表示されている。

 タップして見ると、そこにはクエストログのようなものが書かれていた。

 

 

 「…『マッスルブルホーンの討伐』ね…」

 

 「アキト、さっきのアナウンス……何か分かったの?」

 

 

 焦ったようにアキトの元に近付いて来たフィリアだが、ウィンドウを見ているアキトを見て、何か分かったのかもしれないと察したのか、その目を見開き聞いてきた。

 

 

 「…テストだとか言ってたよな」

 

 「私も…確かにそう聞こえた」

 

 「俺テスト嫌いなんだけど」

 

 「それは聞いてない」

 

 

 何か分かったのかと思っていたフィリアは、アキトのそんな発言で溜め息を吐く。

 アキト自身も溜め息を吐いており、ウィンドウを閉じると、フィリアを追い越し、マップを探りながら歩いていく。

 

 

 「ちょ…どこに行くの」

 

 「あ?テストだよ。紋様の件はテスト終わってからだ。どの道やんねぇとあの球体も行けないだろうし」

 

 「 …何をするのか分かったの?」

 

 「つっても、何処に行けばいいのかは分かんねぇけど。だからマッピングすんだよ」

 

 

 アキトは鞘から琥珀を引き抜いた。

 フィリアがそれに驚き、アキトの視線の先を見ると、モンスターがポップしていた。蜂型のモンスターが大量に蔓延っていた。

 フィリアも慌てて短剣を引き抜く。

 アキトは刀を構え、目の前の蜂達を静かに見据える。

 

 

 「フィリア、この戦闘が終わったらホロウ・エリアで戦ったモンスターのデータ全部くれ。状態異常の種類とトラップの傾向、それからやりやすい戦い方と連携の情報も提供しろ」

 

 「…分かった」

 

 

 フィリアは一言そう返すと、駆け出すアキトの背中を追った。

 

 

 

 






次回「罪ありし虚ろな少女」


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Ep.27 罪ありし虚ろな少女


感想が欲しい…(切実)
今回も原作ゲームと変わらぬところが多いでしょうが、次回からは再びオリジナルを混ぜ込んで行きます。
見捨てないで(震え声)


 

この《ホロウ・エリア》と呼ばれる未知のエリアに生息しているモンスター達は皆、アキトが攻略していた78層のモンスターよりもレベルが若干高く、それでいて見た事が無いようなモンスターもポップする様だった。

フィリアが戦ったモンスターにはそう言ったモンスターが多かったらしい。

一ヶ月もここにいたという彼女のプレイヤーとしての実力が垣間見えた気がする。

フィリアも相当強い事を実感した。

このホロウ・エリアでは、本来の仕様と異なるシステムと、いつもとは違う景色が見えていた。

それが────

 

 

「柱が見えない…」

 

 

アキトは上空を見上げ、本来あるべきものが見えない事に苦い顔をした。

そう、本来あるべき迷宮区、それがある塔が見えないのだ。

次の層へと続くそれは、本来洞窟以外でならどこにいても見れるようになっているのだ。

それが見えないとなると、ここはアインクラッド内のエリアでは無い、どこか別空間のものということになる。

そんなエリアが丸々未発見なんていう事があるだろうか。

 

 

「アキト、敵がいる」

 

「っ…分かった」

 

 

アキトは刀を構え、フィリアの後に続く。

フィリアは先程も上げた通り、かなりの実力者だった。

最初こそ油断していて気付いていなかった様だが、彼女の索敵スキルには目を見張るものがある。

実際、アキトよりも早い段階で敵の位置を把握しており、お陰で待ち伏せや奇襲といった作戦の種類も増えていた。

それと、トラップに対しても勘が働くようで、先程見掛けた宝箱を、一瞬で罠だと言い張り短剣で切り伏せていた。実際宝箱がミミックだった時、アキトは目を丸くしていた。

 

 

フィリアとアキトは互いにアイコンタクトをしつつ、モンスター達を斬り伏せる。

 

 

「スイッチ!」

 

「っ───!」

 

 

そうこうしている内に、最後のモンスターのHPが危険域に達していた。

フィリアが弾いたオークに目掛け、アキトはソードスキルを叩き込んだ。

その動きは一瞬で、オークの体は四散した。

アキトはフッと息を吐くと、琥珀を腰の鞘に収める。

 

 

ふと、フィリアの方を見つめた。

彼女も鞘に短剣を収め、一息吐いていた。

 

 

「……」

 

「ふう……?…何?」

 

「…別に」

 

「何よ、気になるでしょ」

 

「何でもねぇよ、しつけぇ」

 

 

アキトはフィリアの言葉を切って捨てると、フィリアに背を向けマップを開く。

マップの大体の大きさや地形は把握出来た為、倒すべき敵の位置もなんとなく理解出来た。

大分効率良くマッピング出来た事を実感しつつ、先程フィリアに対して思っていた事を思い返した。

フィリアと組んで、この未開のエリアを探索した時間。戦闘における連携。その全てがタイミング良く重なって、モンスターを上手く倒す事が出来た。

見た事の無いモンスターにも対応出来たし、その全てがフィリアと組んだ事による恩恵の様に感じた。

 

 

一緒に戦って、互いに指示し合って。連携が上手くいって。

それでいて思い出す、いつかの高揚感。

 

 

いつからだろう。他人と組む事を拒むようになったのは。

いつ以来だろう。誰かと戦う時に、高揚とした気分を感じたのは。

ここがアインクラッドの隠しエリアだと知った時、未開の土地で恐怖も感じたが、同時にどこかで安堵していた。

今この場所にいる時だけは、色んな事から逃れられる。そう思えて。

誰もいないこの場所でなら、気を紛らす事が出来ると、そう思えて。

攻略組ではないフィリアだけなら、弱い自分が顔を出しても文句は言われないだろうと、そう思えて。

 

 

(そんな事、フィリアには言えっこないけど…)

 

 

誰かと一緒にいると、必ず思い出してしまうからいけない。

共にいると、それだけでかつての仲間を過去のものにしてしまう気がして。置いていってしまう気がして。自分だけが成長している気がして。

いや、失い過ぎた自分は、もう成長すらしていないかもしれない。

誰かといる時だけじゃない。一人でいる時だって思い出す。思い出して、感じる。自分が今、たった独りなのだと。

そして、独りになった原因だって、きっと自分自身。そう思うと。

アキトは思わず考えてしまう。

 

独りは嫌だった。孤独による恐怖に苛まれる日々は辛かった。

だけど、誰彼構わず傍にいて欲しかった訳じゃない。アキトが求めるのは、常にあの場所で。

自分はもう、拠り所を必要としてはいけないのかもしれない。誰かに近付こうだなんて、寄り添おうだなんて思ってはいけないのかもしれない。

今新たに繋がりが出来てしまったら。過去の彼らを、もう過去の事だと自分で認めてしまう事になるのではないだろうか。

今、ここでフィリアと共にいる事でもし、楽しいと、そう感じる事になってしまったら。

きっと、黒猫団に対する裏切りになってしまう気がして。

 

 

アキトは再びフィリアの方を向く。それに気付いたフィリアは、今度は何だと言わんばかりにこちらを見てムッとしていた。

アキトはすかさず前を向く。目の前には、広大な野原が広がり、何体かモンスターが歩いていた。

オーク型が多く、片手斧と盾を持っている小物もいれば、鎧を身につけ、両手斧を構えるオークもいた。

ここにも、探しているモンスターはいなさそうだった。

 

 

「…ここは、スルーだな」

 

「…ねぇ、そろそろ教えて。何を目的にマッピングしてるの?」

 

 

フィリアは、さも不満ですと言いたげな表情をこちらに向けていて、その視線に耐えかね、アキトは即座に目を逸らす。

だが正直ここまで、彼女に指示だけして、彼女からの質問には何も答えていなかったような気がする。

未知の場所で焦っていたというのもあるが、それはきっと彼女も同じ筈だ。

自分の事しか考えていなかった自分に気付き、今になって後悔した。

アキトは溜め息混じりに口を開いた。

 

 

「…モンスターを探してる」

 

「モンスター?どんな?」

 

「マッスルブルホーン」

 

「…何それ」

 

 

フィリアは目を細めてこちらを見つめる。

アキトは確かにそんな返しだよなぁ、と心の中で苦笑しつつ、フィリアの質問に答えるべく、彼女の方を見返した。

 

 

「名前の通りマッスルな牛なんだろ。《ホロウ・ミッション》の項目にソイツの討伐って書いてあるから、取り敢えずコイツを倒してから…」

 

「ま、待って待って!…そのホロウ・ミッションって何?」

 

「これ」

 

 

アキトはウィンドウを可視状態で開き、フィリアに見せる。

フィリアはウィンドウを食い入るように見て、アキトの言う通りの事が記載されているのを確認すると目を見開いた。

 

 

「これって…」

 

「多分、さっきアナウンスが言っていた『適正テスト』とやらの正体。あのアナウンスがあってからこれが起動したから、コイツ探して倒せばなんか変わると思ってな」

 

 

アキトはそう言うとそのウィンドウを閉じ、マップを開く。

あと一箇所だけ行っていない場所がある。最後になってしまったが、恐らくこの場所に、倒すべき敵がいる。

アキトはウィンドウを閉じ、声をかけるべくフィリアの方を向く。だが、フィリアは何故か納得がいかなそうな表情を浮かべており、不貞腐れた様にこちらを見ていた。

 

 

「…何だよ」

 

「…別に」

 

「言いたい事があるならはっきり…」

 

「何でもないって。しつこい」

 

 

フィリアは先程のアキトのように、彼の言葉を切り捨て、先へと進んでいった。

その表情は依然変わらぬまま。

アキトは訳が分からず首を傾げるが、その理由は、後で彼女の口から聞かされる事になる。

 

そして、《ホロウ・エリア》に迷い込んでから、既に数時間経過していた。

 

その一本道の先に、目的のモンスターはいた。

名前の通り筋肉質のモンスターで、牛のような頭に人型という異質な敵だった。

体は全体的に緑、両手に斧を携え、その体からは赤いオーラを発していた。

アキトはそのモンスターに視点を当て、そのモンスター名を見つめた。

 

 

NM : " Мuscle Bull Horn "

 

 

 

 

 

「…アイツだ」

 

「…名前の通りだ…」

 

 

物陰に潜みつつ、目的のボスを見ていたアキトとフィリアからは、そんな言葉が発せられていた。

フィリアは名前の通りのモンスターだった事で、その目を丸くさせていた。

アキトは琥珀を引き抜こうと手を付けたが、やがて躊躇う様にその手を離す。

フィリアはそれを見て、アキトに視線を向ける。

 

 

「…どうしたの?」

 

「……」

 

 

アキトはフィリアの言葉を耳で聞きつつ、ボスに視線を戻した。ボスのレベル自体は大した事無いが、問題なのはアキトの持つ武器だった。

アキトは鞘に収まっている刀、《琥珀》に視線を落とした。

最近宝箱で見つけた、商店で売られているものよりは若干性能が高いだけの刀。だがそれだけで、ステータスは高いとは言えない。

会心に補正がかかるだけの刀では、勝負どころで火力が不足するであろう事は目に見えている。

アキトはウィンドウを開き、ティルファングの文字を見つめる。

耐久値が危険域のまま、依然変わらず、そのストレージに収まっている。

メンテナンスを怠った結果だった。

最悪フィリアがいる為、火力不足は補えるが、それでも思ってしまうのだ。

 

 

(…やっぱ、謝りに行くべきだったよな…)

 

 

ふと、リズベットの顔が頭に浮かんだ。

必ず守ると約束した、するべきではなかった約束を交わした鍛冶屋の少女を。

あの時の彼女の笑った顔を、今も鮮明に覚えてる。ずっと我慢していたものを、留めていた感情を、一気に決壊させた。そんな表情を。

どうしてあの時、衝動的にも彼女と指を絡めてしまったんだろう。

何故、絶対に守るなどという戯れ言を吐けたのだろう。

どうして、約束なんて言葉を簡単に口に出せてしまったのだろう。

 

 

守れる確証など、無いというのに。

その約束はいつか、破ってしまったというのに。

 

 

「ねぇ、ホントにどうしたの?」

 

「…何でもねぇよ」

 

 

アキトは琥珀を引き抜き、その物陰から顔を出す。ボスは未だこちらに気付いておらず、ただ周りを見渡していた。

こちらに背を向けている今が好機、アキトとフィリアは互いに走り出した。

フィリアは、先程までのアキトの様子が気になって、チラリと彼の方を見た。

その少年は、とても大きな苦痛を隠している、そんな表情をしている様に見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[クリアを確認しました。承認フェイズを終了します]

 

 

「…ふぅ」

 

「また出た、このアナウンス…」

 

 

マッスルブルホーンを討伐した事によって、《ホロウ・エリア》に再びアナウンスが響き渡る。

散り行くポリゴン片を見上げながら、アキトは琥珀を鞘に収める。

火力不足は結局、ボス戦後半に響いていたが、フィリアとの連携でどうにかなった。

頬を伝う汗を拭い、ウィンドウを開く。

《HOLLOOW MISSION》の項目に、クリアの文字が記されていた。

アキトは息を吐くと、フィリアの方へと視線を向けた。

 

 

「おい、お前が言ってた転移石行くぞ」

 

「…それは良いけど、分かってる事があるなら、私にも教えて欲しいんだけど」

 

 

フィリアは鋭い視線をアキトに向ける。アキトはそんな彼女から目は逸らさず、ただ見つめ返す。

アキトだって、何もかも分かっている訳じゃないし、考えている事だって、まだ仮説の域を出ない。だがこの《ホロウ・エリア》の中では、『承認フェイズ』やら『適性テスト』やら、おおよそこの世界のイメージにそぐわない単語が、しかもアナウンスで飛び交う。異世界と言っても差し支えないこのSAOにおいて、違和感を覚えたのは事実。

だからこそ、考えられる事は絞られる。

 

 

「…この場所、ゲームシステムの根幹に近しいものなんじゃねぇかなって思ってる」

 

「え…」

 

 

予想外の発言に、フィリアは目を見開いた。

当然の反応ではあるし、アキトもまだ確証を得た訳じゃない。だからこそ、フィリアの言っていた、アキトの持つ紋様のある場所へ行く必要がある。

 

 

「あくまで予想だからあんま間に受けんな。情報が足んねぇから、今から確認しに行くんだよ」

 

「……」

 

「…だから、言いたい事があるなら言えって言ってんだろ」

 

 

フィリアはまたもや不満そうな表情を浮かべてこちらを見つめており、アキトは怪訝な顔をする。

ボス戦前も似たような顔をしていたのを思い出す。

彼女はアキトを暫く見つめていたが、やがて彼を視線から外し、溜め息を軽く吐いた。

 

 

「…だって、私がずっと調べても分からなかったのにさ、ここに来て間もないあんたが謎を解いちゃったら……悔しいに決まってるでしょ?」

 

「…そんな事かよ」

 

 

どうやらフィリアは、アキトなのだこの場所の理解力の速さに嫉妬している様だった。

思ったよりも子どもっぽい理由に、アキトは心中で苦笑していた。

フィリアは尚も不貞腐れた様子で、森の方に視線を向けた。

 

 

「あーあ、これじゃあトレジャーハンターの名が廃るわ」

 

「トレジャーハンター?」

 

「…まあ自称だけど。SAOに職業って無いし」

 

 

アキトがポカンとした顔をすると、フィリアは逸らしていた視線をこちらに向けて、ほんの少しだけ恥ずかしそうに呟く。

 

 

「モンスターと戦ったり、クエストクリアするより…ダンジョンに潜ってお宝を見つける方が私には向いてると思ってるから。それが…生き残る為に重要なアイテムである事多いしね」

 

「…へぇ。ま、連携組んで思ったけど、ステータスは高そうだしな」

 

「まあ…ね。一応自分の身を守れるくらいには、上げてるつもり」

 

「…宝探し好きなのか」

 

「…別に良いでしょ」

 

 

色々取り繕ってはいるが、結局のところ、宝探しが好きだというだけの、ただの女の子の様に見えた。

フィリアはまたもや視線を逸らし、気不味いのか恥ずかしいのか、その声には覇気がない。

そんな一面を可笑しく思ったのか、アキトは静かに笑う。だがその反面、どこか暗い影が見える様だった。

 

 

(みんなも、宝探し好きだったな…)

 

 

みんなで宝箱を開けて。中身で一喜一憂して。互いに笑い合って。そんな輪の中が暖かくて。

どんな恐怖があるダンジョンの中でも、みんなと一緒なら乗り越えられるって、そう思って。

みんなで死の危険を身近に感じた戦闘もあったし、トラップに引っかかったりもした。だけどその度に力を合わせ、その度に強くなった事を実感出来て。

宝箱は、そんな自分達の御褒美で。

 

いらない。欲しくない。宝箱なんて、その中身なんて。

欲しかった物は、望んだものは、常に一つで。

それ以外は何も要らなくて。だけど、現実はいつまでも俺を否定し続けてきて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここを抜けると例の装置よ、行きましょ」

 

 

二人が歩む、その道はただの一つ。

分かれ道は無く、迷う事は無い。奥へ奥へと進むに連れて、何かが近付くのを、何かに近付いているのを感じる。

ふと気付くと、既にその場所に着いていた。

フィリアは顔を上げ、目的の物を見付けたらしく、そこに向かって走り出した。

 

 

「ほら、これ」

 

「…これか」

 

 

フィリアの隣りには、見た事も無い転移石が浮遊しており、その真ん中には、アキトの掌に浮かぶ紋様と同じものが張り付いていた。

アキトは掌と転移石を交互に見て、フッと力を抜いた。

 

 

「ね?見間違いじゃないでしょ?ここが球体の入口だと思う。ねぇ、試してくれる?」

 

「試すったって…」

 

 

アキトはフィリアの要求に困惑するも、すぐさま転移石に向き直り、その手を石に翳す。

するとその瞬間、転移石から光が溢れ出た。掌と転移石に映える文様が呼応する様にひその光を放っており、辺りにハッキリとした影が映る。

どうやら、この転移石をアクティベートする事が出来た様だった。

フィリアの考えは当たっていた事になる。

流石はトレジャーハンター。なんて、褒めたりは出来ないが。

 

 

「当たりだな」

 

「…私も球体の中に何があるかは知らないんだけど、きっと…この先には《ホロウ・エリア》の秘密があると思う…アンタの思ってる様に」

 

「…かもな」

 

 

これで76層に戻れるのだろうか。アキトは浮遊する転移石に指でそっと触れる。

この訳の分からない場所から帰れるというのに。何故か心は晴れぬままで。

なんとなく、アークソフィアに戻るのを躊躇われた。

ここへ来て、フィリアと会って、共に戦って。それで色々思い出してしまったからだろうか。

かつての、そう思いたくは無い数多の記憶。忘れたくない、過去にしたくない、そんな仲間達を。

自分の世界を、もう少しだけ感じたくて。

 

 

「…ねぇ、私も…行っていい?」

 

「っ…、あ、あ?…なんだよ」

 

「だから、私も付いて行っていいかって」

 

「…好きにしろよ」

 

 

背中からかけられる声に、アキトは身を震わせながら、そう口を開く。何も考えずに発したその言葉に意志は無く、アキトの脳裏には、仲間との思い出が蘇っていた。

フィリアはアキトの隣りに立つと、その手が転移石に伸びる。

アキトと同じ様に、フィリアがその転移石に触れる。その瞬間、彼らの体から光が。

アキトは転移石から視線を外し、フィリアの方へと向けた。フィリアは自身と同じ様に、体が転移の過程により目の前から消失していく。

アキトは視線を向けた事を後悔した。その顔は、苦痛に満ちていて。

 

 

(何度見ても、慣れないな…)

 

 

転移だと分かっていても、目の前で人が消える瞬間は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

突如その空間から、光が溢れる。丸みを帯びたその光は段々とその場から霧散していき、その中からは二人のプレイヤーが現れた。

アキトとフィリアは、光によってやられた目が回復していくのを感じる。その場所は予想よりも暗く、予想よりもイメージを崩される場所であった。

目が慣れて、その瞼を開けば、目の前に広がるのは驚くべきものばかりだった。

 

 

「何だ…ここは」

 

 

アキトはその景色に言葉も出ない。何故ならその場所は、明らかにアインクラッドのイメージと異なる場所だったからだ。

それほど広くは無いエリアの周りに広がるのは、数字や文字列の波。空中には、数多のシステムウィンドウが表示されたままになっており、その中の一つに、アインクラッドが映し出されている。

他にも、恐らくこの《ホロウ・エリア》全体のマップであろうものが表示されており、その広さはかなりのものだと理解出来る。

フィリアは辺りを見渡して、ここが球体の中だと理解すると、興奮したような口振りになった。

 

 

「ビンゴ!やっぱりそうだった……っ!ねぇ、ここって…」

 

 

だがすぐに、フィリアは何かに気付き目を見開く。

アキトは首を傾げるが、すぐにその異変に気が付いた。

ここは、先程までのフィールドでは無く、街とほぼ同じ仕様に変化していたのだ。

つまりこの場所は、《アンチクリミナルコード通称圏内》と言う事だ。

だがそうなると一つ、おかしな点が。

 

 

(…《圏内》、なのか…?…なら、どうしてガーディアンが出現しない…?)

 

 

アキトは周りを見渡しながらも、その疑問は的を射ていた。本来、オレンジプレイヤーが《圏内》である街へ入ろうとすると、おおよそプレイヤーでは倒す事が不可能とまで言われるガーディアンが、門番として立ちはだかるのだ。

忘れそうになるが、フィリアのカーソルはオレンジ。ルールに則るなら、今すぐにでも門番がポップしてもいい筈だ。

だが、そのガーディアンは、一向に姿を現さない。

いつもとは勝手が違う場所に戸惑うアキト。すると、目の前に見た事も無いような黒い物体が設置されているのを見つけた。

アキトが不審に思い、近付いて見ると、その物体の表面には、パソコンにも似たキーボードが浮かび上がっており、真上のウィンドウとリンクしていた。

そのコンソールに表示されているリストには、またもや聞いた事の無い単語が並んでいた。

 

その名を、《実装エレメント》。

 

何の話だかさっぱり分からないアキトだったが、この場所の総称を把握する事は出来た。

この球体の中身の名は、《ホロウ・エリア管理区》。恐らく、《ホロウ・エリア》の中枢で、ここを調べれば色々と分かるかもしれない。

 

 

だがやはり、ここはSAOの世界観とはまるで合わないと思った。

システムだの実装だの、テストやアクセス制限など、どちらかと言うと運営側の────

 

 

(…運営側?)

 

 

「ねぇ!ちょっとこっちに来て!」

 

 

そのアキトの思考を遮るかの様に、フィリアの声が球体内に響く。アキトはハッと我に返り、フィリアの方へと視線を向ける。

早歩きで向かうと、フィリアはしゃがんで床を見つめていた。

だが、その床の部分には、四角く何かがくっついており、そこには文字が書かれていた。

アキトもフィリアも、少し形は違うが、この物体に見覚えがあった。

 

 

「これって転移門……かも。ちょっと見た目が違うけど」

 

「…そうだな」

 

「…?…あまり、嬉しそうじゃないね」

 

「……」

 

 

転移門が見つかって、アークソフィアに帰る手段が手に入った。未知のフィールドには恐怖を覚えていた。だけど、この場所から戻るのが、なんとなく名残惜しかった。

 

 

(…折角、思い出したのにな)

 

 

辛くなるから、思い出したくない。だけど思い出すと、やっぱり嬉しくて。

みんなと一緒にいる様な気がして、心が軽くなったような。

そんな気持ちを振り払い、アキトはフィリアの顔を見る。

 

 

「…お前だって嬉しくなさそうだけどな」

 

「私は…」

 

「ああ…そういや、お前オレンジカーソルだったな」

 

 

フィリアの頭の上を見て、アキトは思い出したかのように呟く。

オレンジプレイヤーは、圏内に入れない。けど、この場所も圏内だし、アークソフィアに戻れる可能性はある筈だ。

実際、フィリアと共に行動してきた中では彼女がオレンジプレイヤーだとは感じなかったし、戦闘技術も正当なものだった。

オレンジになる理由が見当たらないくらいには。

フィリアは、アキトが何を思っているのか理解したのか、コチラを鋭い目付きで見つめていた。

 

 

「私は…一緒には帰らない。あんた一人で帰りなよ。あんたと一緒で…結構楽しかった」

 

「…そうかよ」

 

「…やっぱり…気になるの?私のカーソル」

 

「別に。知ろうとは思わねぇって言っただろ。興味ねぇし。…それともなんだ、聞いたら教えてくれんのか?」

 

 

アキトは皮肉混じりにそう言い放つ。

誰だって、言いたくない事の一つや二つはある。彼女だって、オレンジになった理由など話したくは無いだろう。

アキト自身が気にさえしなければ、フィリアだって気持ち的には軽くなる筈だ。

そう思った。だけど────

 

 

 

 

「……いいわ。……私、人を殺したの」

 

 

 

 

フィリアは、何の躊躇いも無く口を開いた。

その瞳に、戸惑いも焦りも、恐怖も感じない。ただ純粋に、真実を告げたといった表情だった。

自分は、人殺しだと。

これを聞いたのが、他のプレイヤーだったら、どんな反応をするだろうか。軽蔑するだろうか。怒りをぶつけるだろうか。恐怖に怯え、逃げ出すだろうか。

もしこれを聞いたのが、過去の、あの頃のアキト自身だったら。

だけど、その問いに意味はいらず、理解するべきは、既に起きた事象のみ。

それでも、アキトに彼女をどうこう言う資格は無かった。

 

何故なら────

 

 

 

 

 

「…なんだ。…俺と一緒か」

 

 

「っ…え、…!?」

 

 

フィリアの目が、大きく見開いた。その表情は驚愕が明らかに混じっており、アキトを捉えて離さない。

アキトはフィリアに向かってそう言うと、フッと笑い、背中を向ける。その足は、転移門に向かっていた。

アキトはその悲しげな表情を偽る仮面を付けて、無理に笑ってみせる。彼女には決して、悟られぬように。

 

 

「…じゃあな」

 

「あ…」

 

 

フィリアは思わず、その手を伸ばす。だが、当然その手は空を切る。

その手の先に、黒い剣士の背中が映り、彼女の心は揺れた。

もう関わらない方がいい、そう言うつもりだったのに、彼から聞かされた事は、自身と同じ内容のもので。

何て言ったらいいか分からなかった。多分、それはアキトも同じだったのかもしれない。

 

 

「あ、アキト…!」

 

「……?」

 

 

転移門の光で消えゆくアキトに声を掛けるフィリア。急に声を掛けてしまったが、伝える言葉は決まっていた。

 

 

「…もし来る事があったら、私にもメッセージを頂戴。ここに来るようにするから」

 

「…気が向いたらな」

 

「…じゃあ、期待しないで待ってる」

 

 

フィリアは小さく笑うと、こちらに視線だけを向けているアキトにそう呟いた。

アキトは、フィリアに視線を逸らすが、彼女に向かって手を上げていた。

やがて、転移門の光がアキトを包み込み、そしてこのエリアから消え去った。

 

 

「……」

 

 

フィリアからは笑みは消え去り、ただ転移門を見つめている。

自身と同じ罪を持つと言う、アキトという少年を思い出して。

フィリアはそのままゆっくりと、先程彼が消えた転移門に近付く。

 

 

「転移…」

 

 

そう呟くと、フィリアの体を、アキト同様に光が包む。だが次の瞬間、その光は消え去り、その場にはただポツンと立ち尽くすフィリアの姿が。

 

 

 

[システムエラーです。《ホロウ・エリア》からは転移出来ません]

 

 

 

管理区に響き渡る、何度か聞いた声。

フィリアは別段驚く事も無く、ただその場には立っていた。

そのアナウンスの意味を、理解出来ないままに。

 

 

「…私って…なんなんだろう」

 

 

 

 





プロフィール

《Akito》

名前 : 逢沢 桐杜 (あいざわ きりと)

年齢 : 16歳
誕生日 : 2008年 6月 12日
使用武器 : 片手用直剣、刀(熟練度低下)、曲刀(刀スキル派生の為)、???
好きな物 : 甘い物、苦い物(コーヒーに限り)
嫌いな物 : 辛い物


本作の主人公。
突如76層から攻略に参加する事になった少年。全身を黒に統一したその装備は、さながら《黒の剣士》キリトを彷彿とさせるもので、容姿こそ中性的なキリトとは似ていないものの、その纏う雰囲気はキリトによく似ており、キリトと結婚関係にあったアスナですら意識する程。

彼本来の性格はとても温厚で、困っている場面に遭遇すれば、誰彼構わずに首を突っ込んでしまう程の優しさを持つ。
父親に尊敬の念を抱いており、『人を助けるのに理由はいらない』という父親の言葉を信条にしている。両親は既に他界しており、現在は別の家庭に養子として引き取られて暮らしている。
76層に訪れた彼は、攻略組の停滞や、アスナの乱心、またその他の理由により、半ば攻略組に対しては敢えて煽るような態度を取っている節がある。
だが、攻略組に対しては、他にも感じるところがあるようで…?


レベルこそ攻略組の平均レベルと特別秀でている訳ではないものの、彼個人の戦闘能力は高めで、その技術も高度なもの。キリトのような凄みは今のところ無いが、空中戦を取り入れた三次元戦闘と、ソードスキルや体術スキルを左右の手から交互に発動する事で、スキルとスキルの間隔の硬直をほぼ無しにして連続でスキルが発動出来るシステム外スキル《剣技連携》を得意としている。

キリトと同じギルド《月夜の黒猫団》に所属していた過去があり、キリト以上にあのメンバー達に固執している様子が見られる。
最前線に赴く事にも、何か理由があるようだが…?








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Ep.28 帰りたいと思える場所に




自分自身を信じてみるだけでいい。

きっと、生きる道が見えてくる。

── ゲーテ(1749〜1832) ──


 

 

 

 

 やるべき事があってここに来た。

 やらなければならない事の為に、この場所に来た。

 けどそれはきっと、自分自身でやりたいと、そう感じたから。

 誰かに頼まれた訳でも無い、『目的』があって。

 誰かと交わした、果たすとそう決めた『約束』があって。

 かつての英雄に宣言した、『誓い』があって。

 

 自分自身の、『願い』があった。

 

 他人にどうこう言われる筋合いは無い。誰かの言葉なんて関係無いと、そう思っていた。

 だけど、それでも時々思う事がある。

 別に自分がいてもいなくても関係無いのかもしれないと。自分がいなくても時は進み、その歴史は刻まれていく。

 それを眺めている自分は、いつだって輪の外でだった。

 

 だからこそ、『お前は必要無い』と、そう言われているみたいで。

 世界が自分を、拒絶しているかのようで。

 急にそれが切なくなる。

 

 違う。

 俺にだって、かつて必要とされる世界があった。お前らにそんな目で見られる道理は無い。

 俺にだって、必要だった、大切だった世界があった。あの時だけは、輪の中に、世界に組み込まれた歴史の一つだった。

 自分がいる事で初めてその世界は変わり、世界が自身を認めてくれた。

 あの場所を守りたかったのはきっと、そんな世界を手放したくないと思ったからかもしれない。自分にとって心地良い場所が欲しかったという、理由だけだったのかもしれない。

 

 

 だけど本当は────

 

 

 そんな自分を受け入れてくれた彼らを、きっと、大切に思っていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 76層《アークソフィア》の転移門から、転移の光が溢れる。丸みを帯びたその光からは、徐々に人の形が現れる。

 やがて、そこから黒いコートを来た一人のプレイヤーが目に見えて映る。

 その少年、アキトは転移した事を確認すると、辺りを見渡した。

 転移門を中心にして広がる広場、周りにバランス良く設置された橋の下に流れる川に、フィールドの出口の近くに立てられているクエストボード。

 何を取っても、知っている場所である事は明らかだった。

 

 

 「…帰って…来た、のか」

 

 

 馴染みある場所を見た瞬間から、帰って来たのだと実感する。嬉しさ、というものは無いが、酷く久しぶりに感じた。

 転移門の周りの道には、何人かのプレイヤーとNPCが歩いており、空を見れば、今はまだ昼時だという事をアキトに教えてくれている。

 

 

 「……」

 

 

 《ホロウ・エリア》の事も気掛かりではあるが、まずは武器のメンテナンスに行かなければならない。これ以上、気不味いからなどという理由で行かない日が続けば、武器が何本あっても足りはしない。

 最後に見たリズベットの顔を思い浮かべ、アキトは商店通りを歩いた。

 

 

 ───しかし。

 

 

 

 

(…あれ…開いて…ない?)

 

 

 リズベット武具店を訪れても、その店にはどうやらリズベットは不在のようで、店の扉はうんともすんとも言わない。

 何処かへ外出しているのか、だとしたら、エギルの店だろうか。

 こちらが謝ろうと決意した途端に、その人物がおらず、アキトの決心がぐらつく。

 この程度で情けないと、アキトは静かに苦笑した。

 

 リズベットが怒るのも、無理は無いと思った。

 本心でなくても、自身の生きていた世界を否定されたのだ。友達思いのリズベットが、アスナの為に怒るのは当然だったと思う。

 この世界のものが、偽物であると。何もかもが人の業で、罪ありしものだと。この世界のものは現実に反映される事は無く、人は皆夢想の世界を過ごしていると。

 仮初めの、欺瞞に満ちた世界であると、そう言われたら。

 そんな事は、ただの一欠片だって思った事は無いのに。

 

 アキトは再びその歩を進める。向かう先はエギルの店。今日は《ホロウ・エリア》に飛ばされたり、巨大なモンスターと戦ったりと、アキトの精神は疲れていた。

 今日はとても攻略という気分でも無かった。《ホロウ・エリア》での探索も理由の一つではあるが、何より、フィリアと共にパーティを組んで、未知なるものへと遭遇する状況が何度もあって、その度に過去の光景が蘇って来ていたから。

 今この気持ちで攻略に出ても、きっと嫌になる。

 

 

 アキトはその重い足取りで、商店通りを進む。

 立っていたNPC達を素通りし、プレイヤーの視線を無視する。その視線からは、興味、好奇心といった感情が見て取れる。

 下層から来たプレイヤーならば、『黒の剣士』について知っているのは恐らくその容姿だけ。全身黒づくめ、アキトがまさにそうだった。

 話し声こそ聞こえないが、プレイヤー達はきっと勘違いをしているのだ。

 あれが、『黒の剣士』だと。

 

 

(黒の剣士…か)

 

 

 アキトは自嘲気味に笑い、そのプレイヤー達に背を向け、エギルの店へと赴く。

 周りで噂が立つ度に、自身とキリトの差を、嫌でも感じる。

 キリトに憧れを持っている自分。けど、『黒の剣士』と噂されると、途端に嫌になる。

 自分なんかが、『黒の剣士』と並ぶ筈など、ありはしないのに。

 

 もし、自分がキリトと同じくらい強かったら、これから先の攻略ももう少し捗るかもしれない。

 もしあの時、自分がキリトと肩を並べる程の実力者だったら、何か変わったのかもしれない。

 

 もし、俺がキリトだったら、アスナやユイ、それに他のみんなも。

 悲しまずに今も笑っていられたかもしれない。

 

 

 もし、俺がいなかったら────

 

 

 

 

 

 「アキト君!」

 

 「っ…!」

 

 

 突如声がして、ハッと我に返る。気が付くと、自身が今立っている場所は、エギルの店の前、その扉を無意識に開いていた状態だった。

 店の奥のカウンターには、シリカにリーファ、そしてシノンの三人が座っており、アキトを見て目を見開いていた。

 何故そんな大きな声で呼ばれたのか、心当たりが全く無いアキトは、店の扉を閉め、カウンターに向かって歩き出す。

 だが、リーファとシリカはそんな彼を待たずに、自分からアキトに迫って来た。

 アキトはその勢いに後ずさるも、リーファとシリカはその距離すら詰め寄ってくる。

 途端に、シリカが口を開いた。

 

 

 「アキトさん!」

 

 「な…ん、だよ…何そんな慌ててんだよ」

 

 「だ…大丈夫なんですか!?」

 

 「は?…何が」

 

 「アキトさんの位置情報が、長時間ロストしたから…あたし…」

 

 「よ、よかった〜…あたしてっきり…」

 

 

 シリカもリーファも、その後の言葉は言わなかったが、アキトはそれだけで色々と察してしまっていた。

 《ホロウ・エリア》にいる間、自身の位置情報が消えてしまう事、それによって、アキトがあちらに居た分の時間、こちらの位置情報がロストしていたのだろうと言う事。

 

 そして、シリカ達の反応を見るに────

 

 

 「…心配、してくれたのか」

 

 「当たり前じゃない。知らない仲じゃないんだから」

 

 

 シリカとリーファの後ろから、シノンがこちらに歩み寄ってそう言った。

 その態度は高圧的で、表情には怒気を孕んでいるように見えた。

 だがすぐにフッと息を吐くと、シノンはアキトに微笑を見せた。

 

 

 「…まあ、無事で良かったわ」

 

 「…悪い」

 

 

 アキトは素直にシノンにそう謝った。シノンは驚いたのか、一瞬目を丸くしたが、再びその顔からは笑みが零れていた。シリカにリーファも、そんなアキトを見てシノン同様の態度を見せ、シリカの頭上にいるピナも、嬉しそうに鳴いた。

 

 現在、この《ソードアート・オンライン》では、原因不明の揺れや、バグなどが起きている。

 その中の一つが、『一度76層に赴いたら最後、76層より下の階層に降りられない』というものだ。このバグにより下層の人間は最前線での状況が分からず、上層の人間も、下層の状況が分からないといった、半ば危険な状態にある。

 今回のアキトの位置情報ロストの件も、第1層《はじまりの街》にある《生命の碑》を見れば生存状況が確認出来た。だがそれもバグのせいで確認出来ない。

 そう考えると、アキトは彼女達に相当心配をかけたのだ。

 

 あれだけ嫌な態度を取っていても、キリトの事を悪く言っても、彼女達は自分を心配してくれて。

 それがとても有難いと思ったし、とても辛いとも思った。

 

 

 「……そういや、エギルはどうしたんだよ。今カウンターにいるのってNPCだよな?」

 

 

 アキトは話題を変えるべくカウンターに目をやった。そこに立っているのはいつもの巨漢では無く、何処にでもいそうなNPCだった。

 そう考えると、今は店を空けているのだろうか。ならば、何故空けているのか。

 その理由は自ずと見えてきてしまう。

 

 

(…そういえば、リズベットも店にいなかった…)

 

 

 アキトは店を見渡す。いつもこの店で騒いでいるクラインも見えない。勿論、アスナも。

 アキトは考えるが、だがその理由も、もう分かっていた。

 リーファはアキトが求めているであろう答えを、アキトの予想通りであろう言葉を口にした。

 

 

 「…ボス戦に行きました。78層の」

 

 「っ……そう、か…」

 

 

 その言葉に、アキトは静かにそう返した。意外にも驚かない自分にも、特に何も感じない。

 アキトは肩の力が抜けるのを感じる。そのまま疲れてへたり込みそうになった。

 その状態で、アキトは自身に一番近い席に腰掛け、深い溜め息を吐いた。

 その行動に、シノンは目を丸くする。

 

 

 「…行かないの?」

 

 「…俺がいなくても、ボス戦ぐらい何とかなんだろ」

 

 

 攻略は、参加を希望するプレイヤー達で結成されてる様なもので、会議に来ない人間をわざわざ呼びに行ったりはしない。

 途轍もない戦力を有しているプレイヤーなら勝手は違うのかもしれない。だがアキトは、戦力としては充分だと思われるが、ボス戦経験は浅い。加えて、前日までの攻略組に対しての態度もあって、必要無いと思われていても不思議ではなかった。

 実際、彼らがアキトを意識していたかどうかは分からないが。

 

 だが今は、絶対的エースの様な主力はいない上に、アスナの精神も複雑なものになっている。リズベットやクライン、エギルといったアスナを支える仲間や、攻略組の中心となるであろう人物は揃っているが、ヒースクリフとキリトを失ったのは大きいと言わざるを得ない。

 チームワークにおいては、寧ろアキトがいない方が良いのかもしれない。

 

 いつもなら、飛んで行ったかもしれない。だけど────

 

 

 「心配…してないの?」

 

 「は?別に…つい最近知り合っただけで、そんな情なんか湧かねえよ。それに、攻略組はベテランのボスキラーばかりなんだ。心配したって意味ねぇよ」

 

 

 リーファの不安気な声に、思ってもいない言葉を繰り出す。リーファの隣りで、シリカもまた不安そうな顔をした。

 アキトはそんな視線に苛まれ、居心地が悪くなる。彼女達が、何かをアキトに訴えている様で。

 なんとなく耐えられず、座ったばかりの席から立ち上がり、店の出口へと歩き出す。

 だが、その視線は彼女達の方へと向いていた。

 

 

 「…何か勘違いしてる様だから言っとくぞ。特にシリカ」

 

 「っ…」

 

 「街で俺を『黒の剣士』だと噂してる奴らがいるが、それは俺の見てくれでそう決め付けてるだけだ。最前線に来た事も無い奴らはキリトの顔を知らねえからな」

 

 

 この中で唯一キリトと面識があるであろう彼女を真っ直ぐに見つめ、そう発する。

 キリトに似ているのは見た目だけだと、そう諭す。

 

 

 「俺はキリトじゃない。…だから、キリトみたいに強くねぇんだよ。行っても何も変わらねえ」

 

 「っ…」

 

 

 シリカは目を見開き、言葉を詰まらせる。シリカの考えていた事は、おおよそアキトの言った通りだったのかもしれない。

 震えるシリカから背を向け、その店を出る。だが、すぐにシノンがアキトの元へ駆け寄り、呼び止められた。

 シノンはアキトにしか聞こえない声で呟く。

 

 

 「待ってよ。…本心なの、それ」

 

 「……」

 

 「今攻略組が危うい状況だって、アンタ言ってたじゃない…知ってて…助けに行かないの…?」

 

 「…言っただろ。俺がいても、何も変わんないって。アイツらも、そう思ってボス戦してんだろうし」

 

 「そんなのっ…アンタが死んだと思ったから…、」

 

 

 シノンのその言葉は正論だった。アキトとフレンド登録しているのは現在シリカとリズベット、クライン、そして彼女は知らないがフィリアのみ。

 そんな状況で、アキトの位置情報が丸々一日ロストしていたのだ。そんな状況なら、死んだと思って当然だった。

 

 

 「…けど、あんまり変わらなかっただろ?攻略組の空気は」

 

 「……」

 

 

 キリトが居なくなった時は、あんなに重苦しい空気だったのに。

 恐らく自分はそうじゃない。経歴も不明、態度も高圧的。そういう風に振舞っていたけど、それでも。

 

 

 「キリトと俺じゃ…偉い違いだな。それが俺とキリトの戦力の差だ。俺は必要無いって…そう思われたんだよ」

 

 「…そんなの、アンタの思い込みじゃない」

 

 「…ていうか…今までも、必要な場面なんて無かったのかもな」

 

 「え…?」

 

 

 アキトはそのまま、シノンを背に歩き出した。シノンからの呼び止めは無い。

 

 

 どうしたのだろう、俺は。ここへ来てから、どんどんと壊れていくようで。

 普段ならきっと、迷宮区のボス部屋まで駆け出すくらいはしたかもしれないのに。何故か、そんな気分では無かった。

 

 意志が、揺らいだ。

 

 《ホロウ・エリア》で思い出した。かつて自分が必要とされた居場所があった事を。

 だが今、アキトは攻略組に必要とされていないと、そう感じて。

 今の自分に、居場所なんて無くて。

 そんな自分が居なくても、きっと結果は変わらない。

 これまでも、もしかしたら自分が何もしなくてもアスナは死んでなかったかもしれない。自分が居なくても、彼らは立ち直ったかもしれない。

 そう思うと。何故か動けなくて。

 他人に何を言われても、関係無いと思っていたのに。

 そんな小さな事で、アキトは自身の決意を揺らしてしまう。

 

 

『黒の剣士』

 

 

 街での噂が、本当になるくらい強かったら。体も心も、キリトの様になれなら。

 みんな、幸せなんじゃないだろうか。

 アスナとユイと、家族揃って笑い会って。クラインやエギル達と馬鹿やって。リーファやシノンといった、キリトにとっては新しい仲間と触れ合って。

 アキトの代わりが、キリトだったなら。

 

 

(俺にだって…もう生きる理由なんて…)

 

 

 《ホロウ・エリア》に行った事で思い出してしまった過去の記憶と、自身不在でボス戦へ行ってしまった攻略組という状況が、アキトの心を揺らいでしまった。

 自身が求めていた居場所が、もうこの世の何処にもありはしないと、もう二度と、それは手に入らないものなのだと、突き付けられた気がして。

 

 

 

 

 「あ…!」

 

 「ん?…っ…、」

 

 

 突如目の前でそんな声が。下に向けていた顔を、ゆっくりと上げる。

 目の前にいたのは、長い黒髪と、白いワンピースを身に付けた小さな少女がいた。

 

 

 「ユイ…ちゃん…?」

 

 「あ…アキ…ト、さん…?」

 

 

 二人は互いに目を見開いた。二人の横に設置された噴水が、陽の光に照らされてキラキラと輝く。

 だが、そんな綺麗な景色など見えないといった様に、ユイは震える体でアキトに近付き、その瞳を見つめる。

 そんなユイを見て、アキトの顔が強ばった。

 彼女にまで心配をかけたのかと思うと、焦りがこみ上げて来た。

 

 

 「い…今までどこに…!」

 

 「ご、ゴメン、その…知らないエリアに飛ばされ…」

 

 

 アキトが説明しなければと口を開くが、ユイはそのままアキトに近付き、彼の服を両手でギュッと握った。

 その瞳からは、涙が薄らと滲んでいて。

 言い訳しようと開いた口は、そのまま固まった。

 

 

 「心配っ!…したんですからね…」

 

 「っ…ゴメン」

 

 

 ユイの涙するその顔を見て、アキトは何ともいえない気分になった。また自分は、目の前の少女を泣かせてしまったのだという事実が、胸を抉る様で。

 彼女にとって、人が死ぬというのはとても応えるものの筈だ。自身の父親が死んで、母親も、その後を追おうとしている。そんな立場の娘を、そんな少女を。

 

 

 「…ホントにゴメン」

 

 「…もう良いです。帰って来てくれましたから…」

 

 

 ユイはアキトを見上げて、無理して笑って。そんな痛々しい彼女の頭を、アキトはそっと撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからアキトは、噴水の前のベンチで二人で腰掛け、アキトの位置情報がロストした理由をユイに説明した。

 《ホロウ・エリア》という謎の場所に飛ばされた事、ボスモンスターが沢山蔓延っていた事、そのモンスター達のレベルが軒並み高い事、自分の他にもプレイヤーがいて、フィリアという少女と出会った事。

 勿論、オレンジカーソルという事情は隠して。

 

 ユイは一通り聞くと、驚いたかの様に目を丸くしていた。

 

 

 「…そんな事が…」

 

 「うん。…それで、少し聞きたいんだけど、そんなエリアが丸々未発見なんて事、良くあるの?」

 

 「確かにアインクラッドには様々な事情で一般のプレイヤーには公開されていないエリアがあります。でもそれはゲーム開始時に封鎖され、誰もアクセス出来ない様になっています」

 

 

 つまり、プレイヤーが非公開エリアに入る手段は無いという事。だがそうなると、他にもプレイヤーがいる理由も、アキトがそのエリアに飛ばされた理由も分からない。

 

 

 「ですが、今はカーディナルシステムが不安定になっています。それを考えると……絶対に無いとは言い切れません。現在の稼働状況が分かれば良いのですが…」

 

 「いや…ありがとう、助かったよ」

 

 「…なら、良かったです!」

 

 

 アキトがそう笑いかけると、ユイも途端に笑顔になった。アキトはそんなユイを見て心が暖かくなるのを感じる。

 彼女と話していると、思わず素の自分を出してしまう。優しくしなければというのもあるが、どこか、彼女には嘘が付けない。誠実でありたいと、そう思った。

 キリトとアスナの娘だと、なんとなく実感した。

 

 

 「…それで、ユイちゃんはここで何してたの?」

 

 「私、良くここで散歩しているんです。あちらには美味しいクレープ屋さんがあるんですよ!」

 

 「そっか…」

 

 

 ユイはそう言うと、景色の方へと視線を移す。その瞳、その表情は、笑っているけど、どこか悲しそうで。

 理由は分かっている。先程自分が逃げ出した案件であろう事は。

 

 

 「…アスナ、待ってるのか」

 

 「っ……はい。ママが…攻略組の皆さんが強いのは分かってます。ですが、何があるのか分かりませんから」

 

 

 アキトが突いた図星によって、ユイの表情は少しずつ暗く、けど無理して笑おうと、その口元は歪んでいた。

 

 

 「ママの事、信じてます。…信じたいです。でも、私には待ってる事しか出来なくて…。皆さんの力になりたいのに…とても、歯痒いです」

 

 

 それは、いつしか聞いた言葉。アキトは、目を見開く。

 確か、あれはユイとはじめて話したあの日。

 ユイと、『約束』を交わした時の。

 

 

 

 

『わた…し、じゃ…ママの…生きる理由に…なれ、な、なれ…ない…から…だからっ……!』

 

 

 

 

 瞬間、アキトは自分が勘違いしている事に気付いた。

 自分の居場所なんて、キリトとの差なんて、考える前にやらねばならない事があったのに。いつの間にか、また同じ事を考えていた。

 

 そうだ。あの時、確かに『約束』したんだ。ユイを泣かせないって。

 変わるって。変えてやるって。

 他人の事を思えるユイの、そんな願いを聞き届けようって。

 会ったばかりの見知らぬプレイヤーに、彼女は縋って来ていた事を思い出した。

 あの時彼女は、アスナの目に自分が映っていない事にショックを受けていた筈なのに、それでもアスナの身を案じていたのだ。

 

 

(俺…いつの間にか、自分の事ばっかで…)

 

 

 ユイは、自分と同じだった。アスナに必要無いと、そう思われたユイと、居場所の無いアキト。アスナは無自覚だったかもしれないが、ユイのショックは大きかっただろう。

 けど、同じなのはそれだけで。アキトとユイは、全然違っていた。

 ユイはこうして、今も変わらずアスナの事を思っている。

 けどユイ自身は何も出来なくて。ただ、待ってる事しかできなくて。

 それでも、ユイはアスナを待ち続けている。いつ死ぬか分からない彼女を、きっと帰って来てくれると。

 

 アキトはポツリと、呟いた。

 

 

 「…待つのも、無駄じゃないって気はするな…」

 

 「…え?」

 

 

 アキトはそう言って、ユイと同じ景色を眺める。ユイはそんなアキトの横顔を、キョトンとした目で見上げた。

 アキトの表情は、少し悲しげで、けどそれでも笑っていた。

 

 

 「誰にだって必要だろ、帰る場所…いや、帰りたいと思える場所が。俺達は、元々その為にゲームを攻略してた訳だし」

 

 「……」

 

 「待ってる人がいるって、凄い有難い事だと思う。だって、誰かが待ってくれているなら、きっとそこが帰る場所だ。自分のいるべき場所があるって…恵まれてる事だし…這ってでも帰って来るもんだろ…そういう場所に」

 

 「アキトさん…」

 

 

 俺にもあった。帰りたい場所が。戻りたいと願う世界が。

 それはきっと、誰でも同じ。みんな、自分の居場所を求めて、帰るべき場所へ帰る為に生きている。

 

 

 「帰る場所に誰もいないのは、とても寂しい。だから、家族って…暖かみのある存在だったんだなって…ここに来て思った」

 

 

『家族』。その言葉の有り難みを、アキトは忘れていたのかもしれない。

 現実での光景が、頭の中で蘇る。曖昧にだが覚えてる母親。生き方を学んだ父親。そして、現在の家族。新しく出来た妹。

 ずっと避けていた、この世界に来る前、かつて好きだった、彼女の笑った顔が。

 

 

 2年間、ずっと待たせてる。帰る場所を、作ってくれている。

 ユイも、きっとアスナの────

 

 

 

 「…さーてと!」

 

 「っ!…どこに行くんですか?」

 

 「決まってるだろ?ユイちゃんの家族の頭を叩きに行くんだよ」

 

 

 急に立ち上がるアキトに、ユイは慌てて声を掛ける。だが、アキトは笑ってユイにそう言った。

 ユイは目を見開き、そのまま固まった。

 

 

 「ゴメンな、ユイちゃん。もう少しで、嘘吐きになるところだったよ」

 

 「っ…あ…あの…」

 

 「…約束、したもんな」

 

 「っ……っ…、!」

 

 

 言葉にならない声で、ユイはアキトに訴える。聞き取れはしない。けど、言いたい事はなんとなく分かる。

 アキトは涙を溜めるユイの頭を、軽く撫でた。

 

 

 「心配しなくていい。ユイちゃんの大切なものを、何一つ失わせはしない。必ず、アスナ達をここへ帰してみせるから」

 

 

 アキトは不敵に笑ってみせた。

 この76層に来た時に、死んだキリトにした『誓い』。

 

『キリトの忘れ形見を、アスナ達を、必ず現実に帰す事』

 

 もう二度と、約束を違えたりしない。投げ出さないと、そう決めた筈だった。

 再びここに宣言する。必ず、この誓いを果たしてみせると。

 

 

 「…だから…アイツの、帰る場所であってくれ」

 

 「…っ…はいっ…!」

 

 

 涙するユイを背に、アキトは駆け出す。AGI振りの彼のステータスにより、走り去った道からは時間差で突風が来る。

 アキトの瞳は、その一本道を見据えている。この道を抜ければ、転移門。そこから迷宮区へと一気に駆ける。途中のモンスターは全て無視し、ボス部屋を目指す。

 

 

 もう、迷いは無かった。

 

 

 ユイはその彼の背を、目と頬を赤くして見送った。

 その顔は笑顔で。嬉しそうで。

 

 信じてる。きっと、みんなで帰って来てくれるって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…あら、さっきぶり」

 

 「シノン…」

 

 

 転移門へと着くと、その柱にはシノンがもたれかかっていた。

 アキトは、シノンを一瞥し、すぐに転移門へと足を踏み入れる。

 シノンはそんなアキトの背を見て、口を開いた。

 

 

 「…ちゃんと帰って来なさいよ」

 

 

 その言葉に、アキトの動きが止まる。振り返り、シノンを見つめる。

 互いに目が合い、そんな時間が続く。

 それはほんの数秒。けど、彼女の言いたい事は分かっていた。

 

 

 「……当然だろ。やらなきゃいけない事がある。もう投げやりになんかならない」

 

 「…そっか」

 

 「……ありがとう」

 

 

 アキトは真っ直ぐに、シノンにそう言った。自分の事を心配してくれた彼女に、誠意を持って。

 シノンはほんの少し驚いた様で、目を逸らすが、すぐにフッと笑って目線を戻した。

 

 

 「…ん。…行ってらっしゃい」

 

 「…行ってきます」

 

 

 アキトは今度こそ、転移門に足を踏み入れる。その体は眩い光に包まれ、やがてその姿は光とともに消え去った。

 シノンはその光が完全に消えるまで、その場から動かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その迷宮区を、黒い剣士がひた走る。

 

 

 

 何かを求めて、何かを成す為に。

 ずっと居場所が欲しかった。守りたいと思える場所があった。

 もう既にそれはこの手から零れ落ちて、気が付いたら失ったものの方が大きかった。

 生きてる意味は無いと思っていた。未練なんて無いと思っていた。

 

 

 

 

 

 ─── いまさら何を守るのか?

 

 ─── 守りたいものはある?

 

 

 

 

 

 

 

 「『…それでも俺は───』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 護れるものは、まだその手に残されているだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── Link 35% ──





過去の事思い出しただけで決意揺れるとか…

アキト小さっ!っと思った方々、申し訳無いです。
彼心弱いんです。察してあげて…(白目)
質問や感想は受け付けます。どうぞ遠慮なく書いて下さい。



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Ep.29 願う事は一つだけ







感想、指摘、アドバイス、願望、どしどし送ってください。


 

 

 

 

 

 

 ── 78層の迷宮区を、一匹の黒猫が駆ける。

 

 

 暗がりで先が見えない。未知の恐怖がアキトを襲う。だが構いはしない。この足を、止めたくない。

 途中に蔓延るモンスター達を躱し、その隙間を縫って走る。多数の時は切り伏せる。

 左手に持つは片手用直剣《ティルファング》。メンテナンスを怠っていたその武器は、もう耐久値が限界を迎えていた。

 それでも彼はその選択を変えない。武器よりも、失いたくないものの為に。

 

 

 「くそっ…ボス部屋はどっちだ…!」

 

 

 78層マッピング中に《ホロウ・エリア》に強制転移させられたアキトは、この辺りの地形、迷宮区の道を把握し切れてはいなかった。道に迷うのも当然なのだ。

 ここまで来れたのもかなりの速度だが、それでも、まだ足りない。

 

 

 「────っ!」

 

 

 いつの間にか背後にいたオークの斧による攻撃を躱し、その剣を横に薙ぐ。流石に魔剣、オークは一撃で破片と化した。

 このまま迷って、間に合わなかったらと思うと、途端に背筋が凍る。

 かつての過ちが、脳裏を駆け巡る。

 

 迷宮区を独り駆け抜ける、あの光景が蘇る。かつての記憶が、焼き付いて離れない。

 アキトの走る目の前には、多くのモンスターがポップし始める。その光景に、アキトは焦りを感じる。

 だけど、その足は止まらない。あの場所は、あの世界は。

 

 キリトの、大事なものだから。

 

 

 

 

 「『っ!そこを…どけぇぇぇええぇええぇえ!』」

 

 

 

 光の差し込む余地の無い迷宮区で、ティルファングは確かに光り輝き、目前のモンスター達を一掃した。

 そのポリゴン片を撒き散らす広場の先には、大きな階段が見えた。

 アキトは途端に目を見開く。恐らく、あれを登ればボス部屋に辿り着く。

 

 

『っ…!アスナ…!』

 

 

 「間に合え…!」

 

 

 ひたすらにその階段を駆け上がり、その走りは風を作る。

 頭の中はグチャグチャで、それでいて冷静で。このどうしようもない矛盾を無視して、それでも必死にその足を動かす。

 自身の思考と、そうではない何かが、完全に重なったような気がした。

 

 

 「…っ、あれだ…!」

 

 

 階段を上った先にあったのは、ただの一本道。暗がりに包まれ、その道の先に見えるものは闇のみ。

 だが分かる。この先にあるのがボス部屋だと。

 

 

 「────っ」

 

 

 気が付けば、アキトは再び走っていた。左手に剣を持ち、今までよりも速く、その道を駆ける。

 何故こんなに必死に走っているのか、自身でも考えてしまう。誰かの為に走る事など、もう無いものだと思っていたから。

 ずっと偽って、誤魔化して、何もかもを斬り捨てて行くものだと思っていた。

 失うくらいなら、二度と求めたりしない。けれど、それでも手を伸ばしてしまう自分が許せなくて。

 それでも彼らは、キリトの大切なものだから。

 

 そうして辿り着いたボス部屋の扉は、いつもより大きく見えた。その巨大な扉を見上げるアキトの瞳には、未だ闘志が宿っていた。

 アキトは、その扉に手を掛け、一気に押した。

 

 

 ────だが。

 

 

 

 「……!? …っ、…っ…!……開かない……!?」

 

 

 どんなに押しても、その扉は開かなかった。

 急に背筋が凍りついた様な気分に襲われ、アキトは焦りを抱き始める。目を見開き、驚愕を隠せないでいるが、それでも懸命に扉を押す。

 だがそれでも、扉は開かなかった。

 

 

 「っ…なん…で、だよ…!なんで開かないんだ…!」

 

 

 その問いに答えてくれる者はおらず、アキトはただ開かない扉を押すだけだった。そんなアキトの変わらぬ行為に、扉も応えてはくれなかった。

 そうして、アキトは思い出していた。今までのボス戦の事を。

 

 アキトが参加してからのボス戦において、結晶アイテムが使われていなかった事に、彼は疑念を抱いていた。

 アスナの乱心時も確かにピンチではあったが、転移結晶を使う場面はアキトのおかげで免れていたような部分はあったと思う。だが、回復結晶すら、ボス戦では使われていなかったのを思い出す。

 そして、74層のボス部屋は以前と違って結晶が使えなかったという話を下層で耳にした事がある。さらに、75層のボス戦も同様だった事も。

 74層、75層と結晶が使われておらず、そして76層以降も攻略組が結晶アイテムを使っていた場面をアキトは目にしていなかった。

 つまるところそれは、今後のボス戦では結晶アイテムが使用出来ない仕様に変わっているという事実へと、アキトを導いていた。

 

 

 「…そんな…事って……、嘘、だろ……?」

 

 

 アキトは乾いた様に笑う。扉に両手を添えつつ、目を開きながら、嘘であって欲しいと、神に願うかの如く。

 

 

 「…開けろよ」

 

 

 ポツリと、そう呟く。誰に言った訳でもない。だがそれでも確かに、怒りをぶつける様に、その扉を拳で叩く。

 

 

 「開けろよ……開けよ!…ここを開けろよ茅場ァ!」

 

 

 今はもう生きているのかすら分からない男の名を叫ぶ。この世界の創造主、神である彼の名を。

 そう。この世界に、自身に都合の良い神様などいない。それなのに、彼はその神に願いを乞うた。

 何度も何度も、血が出てしまうのではないかと、心配する程に壁を叩き、そして叫ぶ。

 

 

 「また奪うのか!俺から…アイツから!…早く開けろよ!おい!」

 

 

 アキトの脳裏を巡るのは、かつての仲間。そして、76層で出会った、キリトの仲間達。

 近付いてはならないと、一緒にいてはいけないと、心の中で感じつつ、どこか暖かみを感じるあの空間を。キリトがいなくても、彼を中心としたその世界を。

 その輪の中に、自分が入る必要は無い。

 だけど、それでも。守りたいと思うこの気持ちは、本物だから。

 

 扉は、開かない。

 

 知っていた。この世界で、自身に都合の良い願いは叶う事がない事を。

 感じていた。どれだけ願っても、頼んでも、現実は何一つ変わりはしない事を。

 理解していた。奇跡なんていう概念はこの世に存在せず、全ては数字の羅列だという事を。

 

 それでも、願わずにいられるだろうか。感じる事無く生きていけるだろうか。

 この世界は、紛うこと無き、もう一つの『世界』だと。

 

 

 「っ………頼むよ…」

 

 

 アキトはその扉に頭を付け、そのまま下へと崩れていく。

 理解していた。だからこそ、この扉は決して開かないのだと気付いてしまった。

 世界は残酷なのだと、誰かが言った。

 その世界は、まさにこの場所なのだと知った。

 

 

(あの時と…同じ…)

 

 

 前もこんな風に、開かない扉を叩いた事があったような気がする。かつての記憶が、今と重なる。モンスターを無視して、斬り捨てて。求めるものの為にひたすらに走って。

 あの頃は、凄く弱虫で、泣き虫で。失いたくないものの為に必死に泣き叫べていたのに。

 今目の前の扉は、自分の願いを叶えてはくれなくて。叩いた勢いで開いたりはしてくれなくて。

 今、何かを諦めてしまいそうで。

 自分が『独り』なのだと、感じてしまいそうで。

 

 アキトは扉から頭と両手を離して、へたり込んだその場所から扉を見上げる。

 見上げる程に大きいその扉にはまるで、見えない門番が立っているようで。

 そして、その顔を下に向け、乾いた声でつぶやく。

 

 

 「……俺には…もう…」

 

 

 為す術が無い。自分はゲームマスターでもなければシステムでもない。ただのプレイヤーだ。

 このゲームを楽しむ為に現実世界からやって来た、デスゲームの奴隷。このデータの塊の中のデータの一つ。

 手に持つ剣も、黒いコートも。全ては数字の羅列。目の前の扉は、彼の意志で開いたりはしない。

 なら、もう諦めるしかないじゃないか。

 

 

 「何も…変わってなかったんだ……なんにも…」

 

 

 一年前からきっと、自分は何も変わってなどいなかった。変わったのは態度だけ。それも自然なものではなく、意志によって変えただけの紛い物。

 弱いから、いつも仮面を付けていた。

 強がりという名の仮面を。

 そうすれば過去の自分が消えたつもりになれたから。

 だけど、それは偽りの強さで、決して自身のものでは無い。

 自分はずっと、人との繋がりを、欲していたものを二度と失わない為に、かつての仲間を裏切らない為に、仮面でその境界を隔てていただけだった。

 そうやって、逃げ続けていただけだった。

 シリカから、リズベットから、クラインから、エギルから、ユイから、リーファから、シノンから。

 もしかしたら、ストレアとフィリアからも。

 そして、アスナとキリトからも。

 それでも、その強がりを続けていれば、いつかは本物になると信じていた。

 いつか、嘘が本当になる日を、ただ待っていた。

 待ってる、だけだった。

 

 

 俺は、何か一つでも、彼らにしてあげられただろうか。

 

 

 何も、出来ていない。ずっと、一緒にいられると思っていたから。

 

 

 このまま、現実世界に帰れると思っていたから。

 

 

 時間は、残されていると思っていたから。

 

 

 「…こんなにすぐに居なくなるなんて……思いも、しなくて……」

 

 

 ここまで走って来た。それでも、また間に合わなかった。過去の事を繰り返し、変化無き自分を痛感する。

 泣いても、時間は戻らない。目の前の扉も、きっと開かない。

 ポツリと呟く声も小さく、迷宮区には響かない。扉の向こうの状況だって変わりはしない。

 ユイと、シノンと、約束したのに。きっと、アスナを助けるって。絶対に、帰ってくるって。

 だから───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── 信じてるから… ───

 

 

 

 

 「……え」

 

 

 ふと、俯いていた顔を上げる。勢い良く立ち上がり、扉から離れ、辺りを見渡した。

 周りには誰もいない。索敵にも反応は無い。けど、確かに。

 聞いた事のある声が、耳に届いた。

 決して間違えはしない。ずっと好きだった、大切な人の声。

 

 

 「……サ、チ…」

 

 

 アキトは目を見開いた。幻聴かもしれない。けど、そうは思いたくない。確かに聞こえたんだ。彼女の声が。

 それは明らかに非現実的な事で、それでも決して違うとは言えなくて。

 

 

 「…見てて、くれてるのか…俺を……」

 

 

 信じて、くれているのか。こんな、弱い自分を。

 ずっと、伝えたかった言葉があって。届かなかった言葉があって。

 受け取った言葉があった。

 彼女は彼の事を笑ったり、怒ったり、文句を言ったりしていたけれど、最後には『信じてる』と言ってくれていた。

 だからこそ、アキトはその期待に応えたかった。

 

 アキトはその足を、ボス部屋に向ける。見上げた扉は、やはりとても大きくて。

 右手と頭を扉に付け、その瞳をゆっくり閉じる。背中に、手が添えられているような感触がする。

 

 そして、その扉の向こうに、たくさんの命を感じた。

 

 

 ああ…誰かが泣いている。

 沢山叫んでる。

 たった一人を除いて、この強敵に抗おうともがいてる。誰も、諦めてなどいなかった。

 世界に挑み、現実へ帰る為に。

 

 

 「……キリト……サチ……」

 

 

 まだ、間に合うだろうか。

 この意志を、貫く事が出来るだろうか。

 

 

 「…もう一度、二人の力を当てにさせてくれないかな…」

 

 

 アキトは小さく、寂しく笑う。

 誰もいないこの迷宮区で、彼は懇願する。再び願う。

 同じ過ちを、二度と犯さんとする為に。

 

 

 「俺…一人じゃ何も出来ない…弱虫なんだ…だから…」

 

 

 だからこそ、この手を伸ばす。

 きっと、最初から間違っていたんだ。自分は、諦めてなんかいない。

 諦められなかったから、自分はここにいる。

 

 

 「俺…頑張るよ。これから先も、何度も何度も転ぶだろうけど」

 

 

 それでも。いつか誓った『約束』の為に。

 アキトは扉に触れた右手に力を入れる。今こそ、自分のしたい事をする為に。後戻りしない為に。

 思う事こそを、力にする為に。

 

 

 

 その扉からは、軋むような音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 78層、そのボス部屋。

 その場所では、今まさにボスとの戦闘が勃発していた。

 どれほどの時間が経っただろう。団体としての統率は愚か、個人の連携すら儘ならぬ様子が目立ち、彼らは皆、決して小さくないダメージを追っていた。

 

 

 「くっ…」

 「くそっ…!」

 

 

 そう呟くプレイヤー達の目の前には、その標的が立っており、その咆哮がボス部屋と、プレイヤー達を震撼させる。

 ボスは二足歩行ではあるが、見た目で言うならさしずめ闘牛。その巨大な角を持ち、銀色の胸当てを装備し、巨大な斧を有している。

 その牛ならざる巨漢は、ギラギラと目を光らせ、こちらを見下ろしていた。

 

 

 No.78 : 《The Horn Of Madness》

 

 

 アキトが《ホロウ・エリア》で戦ったマッスルブルホーンに酷似しているが、その大きさは恐らく倍以上。

 その巨大な斧からは、同じ斧を持つエギル同様、両手斧のソードスキルが放たれる。全方位攻撃で、攻略組のプレイヤー達は四方へと吹き飛ばされていくのだ。

 幸いにも死者はゼロ、ボスのHPも、残り1本にまで減少していた。

 だが、ボスはまだ余力を残している様で、その咆哮にも弱さを感じない。

 その立ち姿に、攻略組の彼らは怯えている様に見える。

 何人かは倒れ、地面に伏している。弱腰になる彼らには、攻略組の威厳を感じなかった。

 

 

 「このままじゃ…」

 

 

 リズベットはその状況の悪さに歯噛みする。

 自身は攻略組ではなかったから、詳しい事は分からないが、ボスの強さはクォーター・ポイントという例外を除けば安定していると聞く。

 だが、76層以降攻略組は全てのフロアボスに手を焼いている。

 アルゴリズムの変化も理由の一つではあるだろうが、それはきっと戦力の低下と意志の弱さによるもので、リズベット一人ではどうしようもない事だった。

 撤退しようにも、ボス部屋75層以降、一度入ったら出られない仕様という絶望的なものへと変わっている。ヒースクリフがそう言っていたらしいので、それは恐らく事実だろう。

 結晶アイテムも、今後は使えない。

 なら、このボス部屋は死ぬか生きるか、そういう世界に変わったという事。

 リズベットは、心が折れそうだった。

 クラインもエギルも、まだ諦めてはいない様だが、全滅も時間の問題だった。

 どうしてこうも上手く行かないのだろう。キリトがいないと、こんなにも違う。

 

 

(…アキト…!)

 

 

 キリトを思い出せば、自然とその脳裏には、キリトと良く似た少年の顔が映る。

 77層で自身が傷付けた少年の顔を。あの時の儚げな笑みを、決して忘れない。

 けど、もう二度と会う事も無い。

 

 

 アキトの位置情報のロストを確認してから、もう数日が経っていた。フレンド登録をしているプレイヤー自体が少ない為に、アキトのロストは公にはならなかった。

 シリカとリズベットとシノン、事情を聞いたリーファとクラインとエギルにも探してもらったが、結局アキトは見つからなかった。

 

 だが彼が不在の中始まった攻略会議では、彼の名前すら上がらなかった。それとは別にアスナは心做しか元気が無いように見えたが、会議は滞り無く進み、その輪にはアキトの居場所など無かった、アキトというプレイヤーは、初めから存在していなかったかのようだった。

 

 そうして初めて、アキトがしてきた事の辛さを理解した。

 自身を犠牲にして、攻略組を少しでも纏めようとした事。アスナへの敵意を、自身に向けさせ、更に自分へとヘイトを集めていた事。

 そうして、彼はずっと独りだった事を。

 そんな彼の頬を、自分は。

 

 ─── また、私は間違えたのだろうか。

 

 リズベットは会議の後、自身の店でへたり込んだ。自然と涙が流れていた。

 出会って間もないアキトの事を思い出して、リズベットは後悔した。

 キリトの時に学んだ筈だったのに。知っていこうと、そう思っていたのに。

 辛いのは、誰だって同じなのに。

 自分はアキトに、甘えていただけだった。

 彼だけが、みんなの事を考えていたんだという事に気付いて、そんな自分が嫌になった。

 謝るつもりだった。知っていくつもりだった。今ある時間を大切にするつもりだった。

 けど結局、考えていたのは自分の事だけだった。

 アキトは死んだのだと、そう理解するのに、キリトの時以上の時間を有した。

 

 どうして、彼は人の事を優先して考える事が出来るのだろうと、そう思った。

 きっと彼も、大切な何かを失った経験があるだろう。何よりも守りたいものがあっただろう。けれど、彼は失っても尚立ち上がり、今まで自分達の手助けをしてくれていた。

 どれほどの勇気が、どれほどの意志が必要だった事だろう。

 

 

 「っ…!?」

 

 「アスナッ!」

 

 

 その巨大なボスがアスナを蹴り飛ばす。壁が近かった事もあり、アスナはそのまま壁に激突した。

 リズベットは彼女の元へと駆ける。

 激突したその勢いでアスナは息が出来ないのか、咳き込み、荒い呼吸をし、蹲る。

 辛そうな表情で見上げれば、ボスがこちらに近付いてくるのが見える。

 ボスの周りには、全方位のソードスキルで跳ね飛ばされたプレイヤーで溢れていた。体勢を立て直そうとしている彼らでは、アスナの援護に間に合わない。

 

 

 「っ…!?リズ…!」

 

 「……」

 

 

 リズベットは、そんなボスとアスナの間に割って入る。ボスに睨みを聞かせ、メイスと盾を構える。

 アスナは、焦ったように目を見開いた。

 

 そうだ、私も誰かを、アスナを助けたいと思っていたから、アキトのように行動出来た。

 怖かった筈なのに、最前線に赴く事が出来た。

 どうして彼が他人の為に動けるのか、分かったような気がした。

 自分もきっと、そんな彼のように、後ろの少女を守れるように。

 

 

 「…だーいじょうぶよっ!そんな顔しないで、アスナ」

 

 

 だからこそ、こうして笑う。その盾を前に突き出し、強がってみせる。

 キリトだって、アスナに死んで欲しくない筈だから。自分も、アスナに死んで欲しくないから。ユイちゃんが、待っているから。

 アキトが、それを望んでいた筈だから。

 もう二度と、会う事はないけれど。

 

 ボスは持っていた両手斧を光らせる。その光とモーションは、ソードスキルの発動を意味するものだった。

 リズベットは逃げない。アスナを守る為に、ただ盾を構えるだけ。

 もう後悔しない為に。大切なものを、失わない為に。

 

 

 「…来なさいよ…アンタなんかに…あたしの親友を…」

 

 

 リズベットはアスナにも聞こえぬ声で、そう呟く。

 だがボスは、そんなリズベットに応えるかのように、その体を動かした。

 

 両手斧重攻撃七連撃技<クレセント・アバランシュ>

 

 ここへ来て、連撃数の多いソードスキル。専門のエギルは、大きく目を見開いた。他のメンバーも、あのスキルは不味いと察しただろう。

 アレを全部受けたら、生存は絶望的だと。

 それでも、リズベットは逃げない。震える足を、確かに地面に突き立てる。

 アスナは、そんなリズベットを、ただ見る事しか出来なくて。

 

 やめて。私の為に。私のせいで。

 

 アスナはその焦りを隠せぬまま、倒れたまま。

 そうしてリズベットに、決して届かぬ手を伸ばす。

 

 

 「…リズ…早く…早く逃げ…」

 

 「…嫌よ…絶対に…逃げない…」

 

 

 お互いに声が震える。アスナはリズベットの危険を案じて。リズベットは目の前の恐怖に。

 ボスのソードスキルは七連撃。耐えられるわけがない。

 でも。

 私は────

 

 

 ボスの斧が迫り来る。

 リズベットはその軌道に合わせて盾を動かす。その一撃一撃が重く、飛ばされそうになるのを何とか耐える。

 だが、ボスの攻撃はとても重く、リズベットのHPは勢い良く減少していく。

 

 

 「…くっ…!…っ…!」

 

 

 痛みを感じる。

 頬を、腹を、腕を、足を、その斧で斬られていく感覚。

 痛みは感じない筈なのに、その一撃は重く、とても痛い。

 リズベットは、それでもその場から動かない。

 きっと、キリトの方が。アキトの方が。何倍も痛くて。何倍も辛かった。

 彼らが残したものを、無駄にしない為に。必ず、現実世界へと帰る為に。

 みんなと、親友と一緒に。

 

 6回目の斬撃で、リズベットの盾を持つ腕が跳ね飛ばされて、リズベットはその場にへたり込む。

 アスナは目を見開き、攻略組のメンバー達は、そんなボスを怯える目で見上げる。

 ボスは最後の一撃の為に、その斧を振り上げる。

 

 

 「リズ…!…お願いだから…逃げて……逃げてよ……!」

 

 

 今にも消えてしまいそうな、メイスも盾も地面に置き、力が抜けたように俯き座り込む親友の背を見つめ、アスナは途端にそう発した。

 その瞳には涙が。もう何度も流した筈の、流す事は無いと思っていた涙。

 その届かない手を、再び伸ばす。

 リズベットが、あの時のキリトと重なった。

 

 

 「…あーあ…だから…泣かないの…」

 

 

 リズベットは、そんなアスナを見て儚げに笑う。

 悲しくはない。だから、泣いたりしない。

 親友の涙を見て、なんだか嬉しかった。自分の為に泣いてくれている。

 彼女はやはり、変わったわけじゃなかったんだって。そう分かって。

 迫る最後の一撃を背に、リズベットはアスナに笑ってみせた。

 かつてアスナが、キリトに見せていた時の笑顔のように。

 

 

 リズベットは目を瞑り、瞼の裏に、かつての想い人を描く。

 その黒の剣士は、この世界の暖かみを押してくれた。

 もう一人の黒の剣士は、それとは対照的に、この世界の残酷さを教えてくれた。

 二人とも死なせてしまって、ちゃんと知る事も出来なくて。

 

 

(私がこのまま死んだら…会えたりするのかな…)

 

 

 そのボスの一撃が、リズベットの腹を貫く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── そのボスの視界を、『不幸の象徴』が横切る。

 

 

 ボスは斧を動かしながら、確かにその姿を目に入れる。

 その黒い猫は、その爪をもって、ボスの瞳を斬りつけた。

 ボスは視界が消えた事で、その斧をリズベットの体の横をギリギリで通り過ぎ、その斧の重さで地面へと倒れた。

 リズベットとアスナの近くに、その衝撃で風が通り抜ける。

 

 リズベットとアスナはそんなボスに目を見開き、そして、やがて上から降りてくる一人の少年に視線が動く。

 リズベットは、その少年を見て、その開いた瞳から涙を流した。

 死んだと思っていた、その少年の顔を見て、色々なものが決壊した。

 

 

 「…ア……キト…」

 

 「……よう。随分とまあ、ナイスタイミングだったろ」

 

 

 そこには、ずっと謝りたかった顔が。アキトが、そこにはいた。

 エギルもクラインも、攻略組のメンバーも、現れたアキトを見て、驚愕の視線を向けていた。

 そんな彼らに対しても、いつもの高圧的な態度で、不敵に笑ってみせていて。そんな顔が、リズベットはずっと見たかった。

 その流れた涙を拭い、リズベットは笑う。

 

 

 「…もう少し…早くても良かったかな…」

 

 「我慢しろよ」

 

 

 アキトはフッと笑ってそう切り捨てる。リズベットはそんなアキトを見て、再び涙を流した。

 どうして位置情報がロストしたのか。開かない筈の扉をどうやって開けたのか、聞きたい事は山ほどあった。

 けれど、何よりもただ、生きていた事が嬉しかった。

 

 アスナもただ目を見開いて、アキトを見上げていた。

 アキトはそんなアスナを見下ろしていたが、やがて彼女に近付き、彼女の前にしゃがむ。

 アスナは、何か言われる前にと、皮肉を込めて言い放つ。

 

 

 「貴方の言った通りだった…。私はもう、使い物にならない…生きてる意味が…もう無いの…もう私は…」

 

 

 ── 頑張れない。

 ずっとどこかで、死に場所を探していた。

 キリトが居なくなってからずっと、死にたいと、そう思っていた。

 自殺が出来ないなら、戦いの中で死のうと、ずっとそう思っていた。

 現実で失われた時間、自分は確かにこの世界で生きていて、そこでは失いたくない大切な人が出来た。

 現実世界では二度と手に入らない、自身の宝がそこにはあった。

 それが自分の全てであり、この二年間の意味であり、生きた証だった。

 それが無い今、自分はもう頑張れない。

 

 

 「私は…キリト君がいないこの世界では…こんなにも、弱くて…」

 

 「言い訳だな。それに、強さなんて別に求めてないよ」

 

 「…え?」

 

 

 アキトのその言葉に、アスナは目を丸くする。流していた涙は、止まる事無く溢れていた。

 

 

 「強さも意志も目的も、俺が持ってる。だから、お前はそのままでいい。ただ……命だけは捨てるなよ」

 

 

 その言葉はとても重くのしかかる。生きる意味の無い世界で生きるなんて、どうしてそんな残酷な事が出来よう。

 アスナは唇を噛み、アキトを見ていた。

 

 

 「けど…私はもう…」

 

 「……ユイが待ってる。君の帰りを」

 

 

 それはアキトの、素直な願い。

 その言葉に、アスナは言葉が詰まる。

 自分に向けてとびきりの笑顔を見せる彼女を頭に思い浮かべて。

 

 

 「母親なんだろ。だったら、途中で投げ出すな。お前の生きる意味なんて知るかよ。意味が無いとか、もう頑張れないとか、そんな言葉で娘を捨てるのは、可哀想だろ」

 

 「っ…」

 

 「俺は投げない。独りでも逃げ出す事はしないと決めた。何が何でも、このまま100層まで駆け上がる。その邪魔は、誰にもさせない」

 

 

 忘れるところだった。自分の実力、キリトとの差。

 自身の境遇。そんなものは全て後回しだ。

 そんな言葉で誤魔化して、危うく逃げ出すところだった。

 ユイが、全部思い出させてくれたんだ。だから自分も────

 

 

 「っ…!くっ…!」

 

 「っ…!?」

 

 「きゃあ…!?」

 

 

 アキトはリズベットとアスナを即座に掴み、その場から離れる。

 その瞬間、先程までいた場所に、重い衝撃が響く。

 目の前には、その巨大な斧を持った、巨大な牛のような異形が立っていた。

 HPは残り僅か、とは言い難いが、それでもあと一本。

 

 アキトは、ティルファングを握り締める。

 その行為で、リズベットはティルファングに視線が映る。

 

 

 「…!?アキト…耐久値は…」

 

 「何ともねぇよ」

 

 

 ここで耐久値が無いなんて話をしてもどうにもならない。攻略組全体の状況から考えても、決着は早めに付けるべきだ。

 ならば、武器のステータスは高くなければいけない。何より、アキトにはこれしか無いのだ。

 

 こんな時に、ツイてない。

 なんて、理不尽な世界だろうか。

 だが、それがこの世界。

 望んだ事は決して叶わず、どれだけ願っても聞き入れられる言葉は無い。

 この世界に神はおらず、あるのはただのシステム。

 けれど、それでも必死に抗わなければならない。

 アキトは不敵に笑い、ティルファングを構える。

 そして、その瞳を閉じる。

 逃げたりしないと、この手に、二人に誓ったから。

 

 

(…キリト…サチ…見ててくれ…二人の願いを、俺が叶えるところを…)

 

 

 アキトはゆっくりと瞳を開き、ボスを見上げる。そして、後ろにいるリズベットとアスナ、攻略組に向けて、ニヤリと笑って見せた。

 涙を流していたリズベットは、そんな彼の姿がとても頼もしくて、心が暖かくなるのを感じた。

 

 

 この世界に、都合の良い未来は無い。

 望んだものが手に入る事など、ありはしない。

 あるものは、ただ虚無。

 希望も無く、願いも潰え。奇跡は起きず、意志を抱く事は無く。

 力は消え、心は揺れる。

 夢は幻のまま。

 絶望が膨張し、願いは、暗闇を彷徨う。

 だが、それでも────

 

 

 

 

 「…悪いな、話は後だ。…そこにうるせぇ牛がいるからよ…」

 

 

 

 

 ─── まだ、俺が残っている。

 

 

 

 

 

 「ちょっと、斬ってくるわ」

 

 

 

 




次回 『生きる意味』


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Ep.30 生きる意味






明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。

── ガンジー(1869〜1948) ──



 

 

 

 

 78層ボス部屋。

 

 今まさに、攻略組とボスの最後の戦いが始まっている。

 攻略組のメンバーは各々立ち上がり、アキトに続く。

 クラインもエギルも、アキトの生存を心の中で喜びつつ、今は切り替えてボスへと向かう。

 攻略組の彼らもきっと、認めたくは無いだろうが、アキトが来てから、心の中に余裕が出来ていただろう。

 先程よりも、動きにキレが生まれていた。

 誰もがきっと、異端である彼の存在を認めたくは無かった。

 いきなり現れては、攻略組を嘲笑い、その実力にものを言わせる態度、そして、妬みたくなる程の実力の高さ。

 まるで、本当に『黒の剣士』のようで。

 

 

 ボスの咆哮が再び響き、その斧をプレイヤー目掛けて振り回していく。

 アキトは横に薙いだその斧を飛んで躱し、その斧を踏み台に飛び上がる。

 ティルファングを光らせ、ソードスキルの体勢を取る。

 武器が破壊される前に、ボスを絶命させてみせる。

 

 片手剣単発技<ヴォーパル・ストライク>

 

 刀身が赤く輝き、その突進力でボスの胸元まで一気に移動する。

 その心臓の部分に宛てがわれている胸当てのすぐ真横に、ティルファングを突き立てる。

 ボスが呻き声を上げ、振り払おうと体を攀じり、暴れるが、アキトは決してティルファングから手を離さない。

 アキトは突き刺した剣を両手で掴み、ボスの胸板に両足を立て、引き抜きながら蹴り飛ばす。

 

 体術スキル<飛脚>

 

 両足をボスに向かって勢い良くぶつけ、その反動でアキトは後方へと飛ぶ。

 引き抜かれた剣の痛みからか、ボスはその場で声を上げる。

 それを隙と見るや、攻略組のプレイヤー達が一斉にボスへと迫り、有りっ丈のソードスキルをお見舞いしていく。

 ボスのHPはみるみる内に減っており、もう少しで赤く染まりそうだった。

 そんな彼らをその場から見ていたアキトだったが、手元の武器へと視線を下ろした瞬間、その表情はイラついたものへと変わっていった。

 

 

 「…チッ…」

 

 

 アキトはティルファングを見つめ、舌打ちをする。

 目に見えてその剣にはヒビが入っていた。もう、この剣は限界なのだ。

 けど、それでもやらなければならない。力を貸してもらったんだ。今度こそ約束を守ると誓ったんだ。

 アキトは素早く立ち上がり、ティルファングを左手に再びボスへと迫る。

 その足は決して緩めない。誰が何を思おうと、決めた誓いは破らない。

 

 

 

 

 

 「…どうして」

 

 

 その背中を、アスナはただ眺めていた。攻略に参加するでもなく、立ち上がる訳でもなく、ただ純粋に見つめていた。

 見れば見る程に重なる、アキトとキリトの背中。何度も間近で見て、そして守ると誓った筈の背中。

 あの場にいるのはキリトではない。キリトは、自分が死なせてしまったから。

 分かっている。でも。

 なら、それなら、あの少年は一体何者なのだろうか。

 彼は自分に言った。『この世界は偽物だ』と。全てが現実に反映される事は無い、人の業だと。ここで得る感情は全て紛い物だと。

 なら、何故彼は私を助けてくれたのだろうか。どうして、あんなにも必死になって走れるのだろうか。

 アスナは、今も尚ボスと対峙する彼から目が離せなかった。

 誰もが死を身近に感じる世界なら、きっと、アキトもそれを経験した事がある筈。

 ならアキトは今、何を理由に生きているのだろうか。

 一体自分と彼の何が違うのだろう。

 

 

(…『逃げるな』、か…)

 

 

 彼が言おうとしていた事も、自分の事も、分かっていた。

 自分は、逃げてるだけだって。キリトがいない世界に意味なんて無いと、現実から逃げて死にたかった。

 ユイの気持ちを、ちゃんと考えていなかった。死んだら、キリトが悲しむなんて、そんな事すら考えなかった。

 ずっと、自分の事ばかり考えていた。攻略組である彼らの命を預かる意志も無く、ただ自分の為に先行して。

 いざ死にそうになると、やっぱり怖くて。体が震えて、叫びそうになる。

 あの時、自分を守ろうと盾になったリズベットも、そうだったのだろうか。

 自分の命の危険より、アスナを優先して守ろうとした彼女。あの時確かに自分は、リズベットに死んで欲しくないと、強く願った。

 キリトのいない世界に、意味など無いと思っていた筈のに、やっぱり涙は止まらなくて。

 もしかしたら、リズベットもアスナに対して、ずっと同じように思っていたのではないだろうか。

 

 もし、自分が───

 

 

(もし…私の方が先だったら…)

 

 

 もしも、自分がキリトよりも早く死んでしまっていたら、キリトはどんな行動を取っただろうか。どんな感情を抱いただろうか。

 自分の為に泣いてくれるだろうか。何もかも嫌になって、私の後を追うのだろうか。ユイを置いて。

 

 ───それは…嫌だな。

 

 

 

 「っ…」

 

 

 アスナは体を動かす。腕に力を入れて懸命に上体を起こす。

 汗が流れ、腕は震える。それでも、アスナは地につく自身の武器に手を伸ばした。

<ランベントライト>、リズベットがアスナの為に作ってくれた名剣。大切なものを守る為の力だと、そう誓った武器。

 けれど、今更立ち上がってどうしようというのだろう。もう何かをする気にもなれないというのに。

 

 

 「っ…!? アスナ…!」

 

 

 リズベットが起き上がろうとするアスナに気付き、近付いてその体を支える。

 アスナはそのリズベットの腕を掴み、彼女に支えてもらう。そして、そんな彼女を見つめる。

 リズベットの気遣いが、とても辛かった。自分のせいで、彼女は死にかけたというのに。

 リズベットは、自分の事をこんなにも心配してくれて。

 アスナはたった今、大切な友人を失うところだったのだ。また、大切なものを一つ、自分のせいで消してしまうところだった。

 彼女はずっと、キリトがいなくなってからの自分を気にかけて、声をかけてくれて。

 話しかけてくれて、話を聞こうとしてくれて。

 そんな存在を、自分は蔑ろにした。それがどんなに許されない事かも自覚していた。

 

 

 「…リズ…私……」

 

 

 彼女に、何て言ったらいいのだろう。正解なんて無い。私は、大切な存在をこの手で傷付けていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 「…ねぇ、アスナ」

 

 

 アスナの言葉を遮って、リズベットは笑う。アスナはそんなリズベットに困惑しながらも、その視線は逸らさない。

 ずっと、この想いは打ち明けないつもりだった。彼らの幸せが、自分の幸せに繋がっていると思っていた。

 

 

 「…あたし…キリトが好きだった」

 

 「っ…」

 

 

 アスナは目を見開いて、そんな事をいきなり言い放ったリズベットを見た。リズベットの表情は真剣そのものだったが、やがてすぐに笑みを零す。

 ずっと隠していた、キリトへの想い。親友だからと、身を引いたあの時。

 

 

 「黙っててごめん…アンタ達、凄くお似合いだからさ…言うに言えなくて…」

 

 

 けれど、親友ならきっと、その想いを打ち明けるべきだったのかもしれないと、今になって思う。後悔だけは、もうしたくないから。

 キリトを失ってから、ずっとそう思っていた。こんな事なら、思いの丈を伝えるべきだったと、後になって思うなんて。

 そう考えたら、余計に自分が情けなくて。

 

 

 「今も…キリトの事が胸につっかえて…偶にね、ちょっと、泣いちゃったりして…はは」

 

 「…リ、ズ…」

 

 

 たはは、と困ったように笑うリズベットに、アスナは困惑を隠せない。自分の親友が、同じ人物を好きだったなんて。

 そんな素振りは全く感じられなくて。

 なら、自分はずっとリズベットを傷付けてきたのではないか。

 彼が死んだ時、悲しいのは自分だけだと思い込んではいなかっただろうか。

 きっとアスナだけじゃない。キリトの事を慕い、想ってくれてる人達は沢山いて、それなのに、逃げていたのは自分ばかりで。

 アスナは漸く、自分のしようとしていた事の浅はかさを痛感した。

 

 

 「一緒にいた時間はアスナよりも短いし、キリトの事、良く知ってた訳じゃない。それでも…この気持ちは本物で、アスナに負けない、負けたくないって…今は思ってる」

 

 

 仮想世界は全てでデータ出来た偽物。アキトは前にそう言った。それが本心がどうかは分からないが、リズベットもかつて同じように考えていた。

 その反面、『本物と呼べる何か』をずっと探していた。人の温かさに飢えていた。

 キリトが教えてくれたのだ。思い出させてくれたのだ。この世界が偽物だったとしても、自分達は今この世界で生きていて、感じた事はけして紛い物なんかじゃないという事を。

 

 

 「私はアイツとの思い出とか少ないからさ…だから、私は生きて現実世界に帰る。この先ずっと、何度でも、キリトの事を思い出せるように」

 

 「っ…」

 

 

 アスナは目を見開いてリズベットを見つめた。

 リズベットの瞳は死んでおらず、その決意は固かった。

 キリトの事をよく思っていないプレイヤーは多い。だから、彼の良いところを知っている自分は生きていかなければならない。

 この命を投げ出す事はきっと、死んだキリトに、好きな人に対する冒涜だと思うから。

 好きな人の事を、何度でも思い出したいと思うから。

 アスナとリズベットは互いに互いを見つめる。何を考えているのかは分からない。

 誰だって、他人の本当に望んでいる事など、理解出来る筈もない。それでも、お互いが思い合い、支え合って、進むべき道を作るのだ。

 それはリズベットの、不器用ながらの願い方だった。

 

 

 「…アスナは…?」

 

 

 リズベットは立ち上がり、アスナへと手を差し伸べる。アスナはその手をただ見つめていた。その瞳は揺れている。

 沢山悩んで、凄く苦しんで、辛くて痛くて、それでも頑張って。

 そんな道を、親友は進むという。

 そんな道を、自分は進めるだろうか。

 

 

 「…私、は…」

 

 「……」

 

 

 進める、なんて事は言えない。

 キリトがいない苦しみは、今も尚この胸を締め付けるから。

 だけど。

 

 

 「…私…みんなと…」

 

 「…うん」

 

 

 そこから先は、言葉に出来なかった。けれど、きっと伝わった。

 エギルやクラインに、お礼と謝罪がしたい。シリカと一緒に料理がしたい。リーファとシノンと、もっと話がしたい。

 ユイを目一杯抱きしめたい。

 そして。

 キリトの面影を持った彼に、戦う理由を聞いてみたい。生きる意味を聞いてみたい。助けてくれた理由を知りたい。

 何より、その身にかけて守ってくれた親友に応えたい。

 それは、今この時を生き抜くには、きっと充分な理由だった。

 リズベットは嬉しそうに笑い、アスナはそんなリズベットに目を丸くした後、申し訳なさそうに小さく笑った。

 まだ朧気で、まだ不安定で、まだ確立されてない意志だけど、それでも、今は。

 

 

 

 

 

 ─── 瞬間、鈍い金属音が聞こえた。

 リズベットとアスナは、その聞き慣れない音がした方へと、その視線を動かした。

 すると、その目に止まったのは。

 

 

 プレイヤーを庇う為に盾にしたティルファングを、ボスに破壊された、黒い剣士の姿だった。

 

 

 「っ…!」

 

 

 アキトは破壊されたティルファングに構う事無く、庇ったプレイヤーを後方へと投げ飛ばす。

 その後即座にボスへと視線を戻すが、気が付けばアキトは後方へと蹴り飛ばされていた。

 ボスの筋力値も大したもので、アキトは一番後方にいるリズベットとアスナを突き抜けて壁に激突していった。

 

 

 「がはっ…!…っ……」

 

 「アキト!」

 

 

 リズベットはアキトの元へと駆け寄り、ポーションを取り出す。アキトは壁にもたれながら、リズベットを見据えた。

 リズベットは、ポーションをアキトに差し出すと、床に落とされた、ティルファングだったものに目を向けた。

 その剣はやがて砕け散り、ポリゴン片となって消えていく。

 

 

 「…アンタ…何考えてんのよ…折角の武器が…」

 

 「……閃光と……話は出来たのか?」

 

 「っ……」

 

 

 リズベットはアキトのその言葉に困惑の表情を浮かべる。

 まさか彼は、自分とアスナに話をさせる為に、武器を犠牲にしてくれたのか。

 

 

 「嘘まで吐いて……何ともないって、言ったじゃない……」

 

 「ホントに何ともねーよ。武器より命だろ」

 

 「その命を守るのは武器なのよ…?」

 

 「……違うな」

 

 

 リズベットの言葉を遮って、アキトはそう言葉を紡ぐ。受け取ったポーションを飲み干し、アキトは立ち上がろうと足に力を入れる。

 

 

 「命を守るのは、最終的には自分の意志だろ……武器はその手助けをするだけで、武器が強くたって、レベルが高くたって、結局は意志の問題だろ」

 

 「……」

 

 「つまり……えーと、武器が無くても……投げ出したりしないから」

 

 「アキト…」

 

 

 心配するリズベットの頭に手を置き、アキトはボスを見つめる。

 どんな状況でも、投げ出さないと決めた。そうだ、一年前、あの頃からずっと、自分は。

 そうだった。誓ったんだ。

 俺がどう思ってるのかなんてどうだっていい。

 もう逃げない、この剣一本で何処までも行けるこの世界を、ただひたすらに駆け抜けると。

 どんな恐怖だって鼻で笑い飛ばせる、そんな存在になるって。

 前に、進むって。

 

 

(ヒーロー…正義の味方、か…)

 

 

 父の言葉を、脳内で再生する。強くなる為のおまじない。誰かを守る為に呟く言葉。

 そんな事を教えてもらったっけ。

 

 

 残りのHPは風前の灯。だがその闘志を消す事無く、ボスは強く咆哮した。

 自身の攻撃力を強化するスキルを持っているボスは、全身にオーラを纏っていた。

 アキトは刀カテゴリ<琥珀>を取り出すべくウィンドウを開こうと指を動かす。

 だが、目の前に立った人物の影に気付き、その動作を止められた。

 顔を上げれば、そこに立っていたのは、何かを決めたかのような、それでいて不安定な表情を浮かべたアスナだった。

 

 

 「よお……頭、冷えたか」

 

 「アキト君」

 

 「……何」

 

 「……これ」

 

 

 皮肉に意も介さずに、アスナはアキトに何かを差し出した。

 アキトはアスナの持つそれに視線を移す。

 それは見たところ剣のようで、鞘に収まっていて刀身は見えない。

 だがリズベットは、アスナがアキトに差し出したその武器に見覚えがあった。

 その剣を見て、リズベットは目を見開いた。

 

 

 「それ…エリュシデータ……!」

 

 「……使って、アキト君」

 

 「……」

 

 

 その剣の名は<エリュシデータ>。

 結婚システムによって、キリトとアイテムを共有化したアスナが持つ、キリトの形見の品だった。

 アキトはそのエリュシデータと呼ばれた剣とアスナを交互に見る。

 アスナの表情にはまだ迷いが見て取れる。アスナが何を思い、何を感じているのかは分からない。

 けれど、リズベットと話して、何か変わってくれてのなら。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは、アスナからエリュシデータを受け取った。

 鞘から剣を引き抜き、その刀身を眺める。

 その剣は一言で言えば『黒』。刀身までもが黒く染まり、それが逆に神秘的で。

 初めて目にした筈なのに、初めて手に取った筈なのに。

 

 何故かとても、手に馴染んだ。

 

 

 「『…サンキュー、アスナ』」

 

 「っ…」

 

 「…?何だよ」

 

 「…何でもない」

 

 

 一瞬、アキトがキリトと重なって見えた。アスナは目を逸らすが、すぐにまたその視線をアキトに戻した。

 

 

 「…ちゃんと使える?」

 

 「……ああ。しっくりくるよ」

 

 

 アキトは、エリュシデータの重さを確認しながらアスナの横に並ぶ。

 目の前には、周囲のプレイヤーを蹂躙する、巨大な牛が立っていた。

 どうしてだろう。負ける気がしなかった。

 これ以上の被害を出さない為にも、残りのHPを一瞬で削り切る。

 

 

 「…すぐに終わらせるぞ。やらかすなよ」

 

 「…こっちのセリフ」

 

 

 アキトとアスナは合図も無く、同時に走り出す。

 リズベットはその背を、ただ嬉しそうに見つめた。

 

 

 ボスにトドメを刺す、ただそれだけ。

 アキトがプレイヤーの間を走り抜き、ボスへと一瞬で近付く、そのスピードに、ボスは僅かに反応が遅れる。

 アキトはその瞬間を見逃さず、ボスの真下まで入り込む。

 

 片手剣四連撃技<ホリゾンタル・スクエア>

 

 エリュシデータが白く光り輝き、その斬撃は四方へと散らばる。

 初めて使うその剣は、驚く程に使いやすく、その斬撃はボスの肉をHPと共に削り取る。

 一瞬の出来事に、クラインやエギル、攻略組のメンバーが目を見開く。

 足を攻撃された事で、ボスの体勢が僅かに傾く。

 

 そのタイミングで、アスナがボスの胸元まで飛ぶ。

 アスナは目を見開き、その胴体へとランベントライトを突き立てる。

 

 細剣重突進攻撃五連撃技<スピカ・キャリバー>

 

 青白く輝くその刀身が、ボスへと吸い込まれていく。

 その剣技、その動き、まさしく閃光。攻略組の誰もが見惚れ、憧れた存在。

 ずっと、何処か踏ん切りがつく場所を探していたのかもしれない。この行いは間違っていると、止めてくれるのを期待していたのかもしれない。

 キリトのいない世界に意味は無い。けれど、死ぬ事はとても怖くて。

 それでも、自分で自分の気持ちが分からなくて。

 ユイの事、リズベット達の事、何も考えていなかった。

 まだ、間に合うだろうか。

 まだ、やり直せるだろうか。

 この人生に、意味を見出す事が出来るだろうか。

 

 

 ボスはその攻撃に呻き声を上げるが、アスナを視界にいれると、その斧を振り下ろす。

 着地したばかりのアスナでは、対応が出来ない。

 アスナは驚きながらも、自身の武器を胸元に引き寄せる。

 

 

 「っ…おお…!」

 

 「くっ、おおおおぉぉおぉおおぉおお!」

 

 「っ!クラインさん…!エギルさん…!」

 

 

 だがその斧の攻撃を、クラインとエギルが二人掛りで受け止める。その表情は辛そうだが、貫きたい意志を感じた。

 クラインもエギルも、ずっと待っていたのかもしれない。アスナが元に戻ってくれるのを。そうなる機会を、そうしてくれる人を。

 今、今がその時なのではないかと。

 

 

 「アスナ!」

 

 「へへ…行ってこい!」

 

 「決めてやれ!」

 

 

 リズベットは叫ぶ、友達の名を。クラインは背中を押す、親友の彼女を。エギルは見守る、一人の少女の生き方を。

 攻略組メンバー全員が、アスナを見つめる。その闘志を、希望を、アスナに託す。

 アスナはランベントライトを強く握り締め、そんな光景に瞳が揺れる。

 自身が巻き込んだ攻略組、そんな彼らから感じる、期待の眼差し。何度も何度も死の危険に晒した自分に、彼らはまだ────

 

 

 「くっ…うおぉお…!」

 

 「ぐっ…!」

 

 

 ボスはクラインとエギルを力技で吹き飛ばす。

 辺りに近付いた攻略組に向かい、範囲技を発動するべく、その斧を光らせる。

 だが、その一撃は決まらない。

 

 

 「悪いな、牛野郎。……漸くここまで来たんだよ」

 

 

 片手剣単発技<ヴァーチカル>

 

 その剣を金色に光らせ、その背を上から斬り付ける。

 初期に覚えるスキルとは思えない威力を発揮したそれは、ボスの手から斧を手放させた。

 アスナはスキルを放ったそのプレイヤーへと視線が動く。

 それは、かつての想い人を思い出させる、一人の少年。

 

 

 「っ…アキト君…」

 

 

 アスナは小さな声でそう呟く。

 見れば見る程、戦えば戦う程に、あの時の思い出が蘇るようで。

 キリトに出会い、共に戦い、笑い合ったあの頃を。

 アスナは唇を噛み締め、ボスを見上げる。

 その巨大な体に、向けて剣を構える。

 これが、最後の一撃。

 

 

(キリト君…私ね───)

 

 

 ランベントライトは、今までに無い輝きを放つ。

 この場にいる誰もが目を見開き、その刀身を見つめる。アスナは僅かに体が震える。

 何故だかは分からない。だけど。

 目の前の敵を倒してしまったら、何かを決めてしまいそうで。

 キリトという最愛の存在と、決別してしまうような気がして。

 だけど。

 

 

 「───っ!」

 

 

 細剣奥義技九連撃<フラッシング・ペネトレイター>

 

 細剣スキルの奥義技、正真正銘の最終奥義が、ボスの元へと迫る。アスナの表情は、ただ闇雲に、一心不乱に、ソードスキルを叩き込んでいるようにも見えた。

 けど彼らはただ、その姿をじっと見上げるだけだった。

 

 

 「せああぁぁぁああぁああぁあああ!!」

 

 

 最後の一撃が、ボスの胸元を貫く。

 瞬間、ボスの動きが止まり、その体から光が突き破った。

 やがてその体は破片となり、光の粒子になって、上空へと霧散していった。

 アスナはゆっくりと地面へと着地し、ボス部屋にはファンファーレが響き渡った。

 

 

 「 「 「 「 よっしゃあぁあああぁああぁあ!!! 」 」 」 」

 

 

 勝利を確信した彼らは、皆一同に歓声を上げる。何度ボスを倒しても、この喜びだけは色褪せない。

 アスナとアキトが参加したのは最後だけ。

 トドメを刺すその瞬間、僅か一分程ではあったが、それでも、誰もアスナ達が美味しい所を持っていったと責め立てる者はいなかった。

 皆が各々で喜びの言葉を漏らす。ハイタッチを交わし、肩を抱き合い、そして笑い合う。

 クラインやエギル、リズベットも集まって、互いに笑い合う。

 

 

 そんな中、ボス部屋にただ一人、アスナは立っていた。

 

 

 「アスナ…」

 

 

 彼女に気付き、少し離れた距離でその名を呼ぶ。

 クラインもエギルも、そして別の場所でアキトも、ただ立ち尽くすアスナの背中を、黙って見つめていた。

 

 アスナの背中はとても儚く見えて。栗色の前髪でその瞳、その感情は隠れて分からない。

 その呼吸は荒く、震えているようで。

 アスナはランベントライトを持ち、その場に立ち尽くして。

 

 

 そして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── ただ、ぽろぽろと涙を流していた。

 

 

 

 

 

 








次回「今日からこの場所が」

ちょっと分かりにくい描写や、気に入らない箇所があれば、言って欲しいです。性格の把握が難しくて(´・ω・`)

あと、純粋に感想や願望も送って貰えれば幸いです。



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Ep.31 今日からこの場所が



この作品、キリトがいない事で読み手を選ぶものではありますが、読んでくださった方々、本当にありがとうございます!
特に読読君さんとカーキャさんにはいつも感想頂いて…本当にありがとうございます!
読読君さんは事細かく一話一話に対する感想を書いてくれるお陰で、色々と考えさせられる場面が多かったです。
カーキャさんは、私の為に推薦を書いて頂いて…とても嬉しく思います!

その他の皆様、感想を書いていただき、そして、読んでくださりありがとうございます!
お気に入りに登録して下さっている方々、とても嬉しく思います!

今回で取り敢えず一区切りです。では、どうぞ!


 

 

 

 79層<アイオトル>

 

 

 ボス部屋から抜けた先には、広大な街が広がっていた。

 辺りは既に暗くなって来ており、街灯が点くのも時間の問題だった。

 土地の高低が大きく、いくつもの建物が並んでおり、その街が囲うようにして聳え立っているのは、巨大な崖だった。その崖の上にも建物が設置されており、街の端から埠頭のような場所で広がっていた。

 その先は湖なのか、はたまた海のようにこの層のどこまでも続いているのか、そう考えさせられる程で。

 そして、街の中心に立つは、巨大な教会。とても神秘的な造型で、結婚式を挙げるには相応しいものだった。

 

 

 そんな街の港に一人、栗色の髪を持つ少女、アスナは立っていた。

 少しだけ強めの風が、彼女の髪を揺らす。

 彼女はその場所から見える、どこまでも広がる湖を、ただじっと見つめていた。

 まるで、取り憑かれているかのように。

 考えている事は、頭の中に浮かんでいる光景はずっと同じ、78層のボス戦の出来事。

 自分は、何もかもが独り善がりだった事を痛感した、あの瞬間。

 

 

 「……」

 

 

 何かを、捨てたような感じがした。

 あの時、ボスにトドメを刺そうとしたあの瞬間。

 自分で決めた意志を捻じ曲げて、キリトと決別してしまったような気がした。

 アキトにキリトの形見であるエリュシデータを渡したり、死のうとしていたのに、いつの間にかボスを倒していたり。

 自分が何を望んで、どうしたかったのか、意思と行動が綯い交ぜになって、迷って、アスナはここに立っていた。

 自分の判断が正しかったのか、それだけを考えて。

 

 けれどあの時、アキトの顔を見て、リズベットの想いを聞いて、心が動いたのは紛れもなく事実で、それは否定したくないものでもあった。

 親友の志を、嘘で偽りたくなかった。

 

 

 「…何も…」

 

 

 何も、知らなかった。何も、分かっていなかった。

 あの時、リズベットが自身に話してくれた事。自分とリズベットは、互いに同じ人を好きになって、そして、彼女が自分の為に身を引いてくれた事。

 それがどれだけ辛かったか。キリトが死んで、一番ショックを受けていたのは自分だと、何故そう思ったのだろうか。

 自分がキリトの恋人だから?

 誰よりも彼を知っていると思っていたから?

 自惚れもいい所だ。

 リズベットは想いを伝える事も無く、大切な人を失ってしまったのだから。

 それでも彼女は泣き言すら吐かず、自暴自棄になっていたアスナを助けるべく、攻略組にまで参加するようになった。

 それが、どんなに重い決断なのか、考えもせずに。

 アスナは、キリトが死ぬ以前からずっと、自分勝手だったのだと、自覚した自分が嫌になった。

 エギルやクラインにも迷惑をかけた。ずっと一緒に戦ってきたのに、キリトが死んでも尚、ゲームクリアの為に頑張っていたのに、そんな彼らの命を、自分は蔑ろにしようとしたのだ。

 そんな自覚は無かったが。

 キリトに想いを伝えて、一緒にいられて、嬉しい思いをしたのは自分だけ。けれど、彼が死んで辛かったのは、リズベットも一緒だったのだ。

 リズベットはただ辛い思いをしていただけ。なら、アスナよりもずっと苦しい思いをしていたかもしれない。

 なんて卑しい女なのだろう、自分は。涙が出そうだった。

 

 

 すると、後ろの方から足音が聞こえる。

 アスナはそれに気付くと慌ててその涙を拭い、その方角へと視線を移す。

 そこには、自分が散々迷惑をかけたプレイヤーの一人、アキトが立っていた。

 

 

 「…アキト君」

 

 「…これ、返しに来た」

 

 

 アキトは一言そう言うと、アスナに向かって持っていたものを突き出した。

 それは先程のボス戦中に、アスナがアキトに渡した剣、<エリュシデータ>だった。

 アスナは少しだけ困惑したような表情を浮かべ、アキトとエリュシデータを交互に見る。

 

 

 「それは…もう、アキト君に…」

 

 「キリトの…形見なんだろ」

 

 

 アスナが使っている武器は細剣、主にレイピアと呼ばれる、刺突に優れた武器である。

 他の武器と比べて軽量で扱いやすく、正確無比な突きを乱発するアスナにとってはとても相性の良い武器だ。

 このアスナのユニークスキル染みた動きは、武器による恩恵もあり、他の武器にした時点でそのメリットを殺してしまう行為なのだ。それは、他の武器では重さもリーチも彼女に合わないからだ。

 彼女の持ち味は正確さとスピード。それを落とすのは自殺行為であり、だからこそ、アスナは盾を装備しない。

 故に、アスナにとって、カテゴリ別の片手剣は保持しておく理由が無い。そう考えると色々疑問が浮かんでくるのだ。

 アスナがこの剣を取り出した時のリズベットの反応、あれは明らかにあの剣を知っていた事になる。鍛冶屋の彼女がエリュシデータを認知していたという事は、一度メンテナンスに出した事がある、もしくは見た事があるという事。

 アキトはこの剣を戦闘で使ってみて、そのボスへのダメージの減り方や、使い易さに舌を巻いていたのだ。まるで、ずっと前から持っていたような、そんな感覚。

 そうでなくても、この剣自体のステータスは魔剣と呼んで差し支えない程に異常な数値を示していた。

 こんな剣はそうそうお目にかかれる物じゃない。恐らく、この世界にただ一本だけ存在している。

 それをアスナが持っていた事。

 つまり、導かれる結論は一つだけだった。

 

 

 「……」

 

 

 その問いかけに、アスナは答えない。ただ視線を沖の方へと移動させただけだった。

 だがその反応を見ただけで、その問いの答えをアキトは理解した。

 その突き出した腕を自身へと引き戻し、手元のエリュシデータを見下ろした。

 アスナはチラリとこちらを、エリュシデータを見た。

 

 

 「…でも…キリト君だったらきっと、クリアの為に使って欲しいって…そう言うと思ったから…」

 

 「…どうかな。他人が何を思ってるかなんて、誰にも分かんねぇだろ」

 

 「…なら、どうして私に返そうと思ったの…?」

 

 「それは…」

 

 

 アキトは言葉に詰まり、即座に答える事が出来なかった。

 人の気持ちなど分からないと言っておきながら、キリトの形見だからと、アスナに返そうとしていた自身と矛盾してしまうから。

 アキトはエリュシデータを持つ手を下ろし、顔が俯く。

 そんなアキトを見た後、アスナは目の前の景色に視線を戻す。

 

 

 「でも…君の言う通りだね…リズの気持ちも、今思えば、知ろうともしてなかったんだなって…」

 

 「……」

 

 「辛いのは自分だけかのように感じてた。周りの事なんて何も見てなくて…自分の事ばっかりで」

 

 

 だからこそ、NPCを囮にする、などといった作戦を立てる。

 自暴自棄になったまま、けれど攻略組には参加し、ろくに動きもせずに、プレイヤー達を死の恐怖に追い込んだ。

 今思えば、あまりにも酷い事をしたと思う。

 

 

 「…ねぇ、アキト君。…どうして貴方は、他人の事をそこまで思えるの?」

 

 「…俺は別に何もしてねぇだろ。寧ろ、攻略組に嫌われてるようで何よりだ」

 

 「…それは、態と嫌われるように振舞ったから、でしょ」

 

 「っ…」

 

 

 アキトその言葉でアスナの方を見直す。アスナは少しだけ寂しそうにして笑った。

 

 

 「分かるよ…君がしてる事、キリト君にそっくり…見てて辛くなるくらい…」

 

 「…俺とアイツは違う」

 

 「…でも、誰かの為を思うところは同じだよ…」

 

 

 そんな彼を、好きになったのだから。

 アスナはそこまでは言わなかった。アキトを見れば見る程に、キリトの事を思い出して、辛くなって。

 キリトもアキトも、攻略組に嫌われるように振舞って、偽って、強がって。

 けれどアスナは、キリトの心が決して強くなかった事を知っている。いろんな後悔と苦悩があって、それでも最後まで戦い抜いた英雄を知っている。

 きっとアキトも、何処か無理をして強がっている部分があって。それを隠して生きているような、そんな風に見えた。

 誰もが人の死を身近に感じると、アキトは言った。それはきっと、自分の事でもあると、アスナは思った。

 けれど、アスナとアキトのその後は酷く違う。自分の事しか考えてなかったアスナとは逆に、アキトは憎まれ口を叩きながらも、ずっと誰かの事を考えていた。

 大切な死を経験して尚、どうして自分とアキトはこうも違うのだろうと、悔しかった。

 

 

 「アキト君は…何の為に生きるの…?」

 

 

 ずっと、聞きたかった。誰しもが絶望を抱える世界で、アキトは何を思って今日という日まで生きているのか。

 どうして76層から攻略組に参加したのか。何の為に、自分を助けてくれたのか。

 

 

 「…生きられるって…凄く有難い事だって、この世界に来て思った」

 

 

 アキトは、素直な言葉でそう紡いだ。

 答えにはなっていないかもしれないが、アキトはそのまま言葉を続ける。

 

 

 「俺も…ずっと生きる意味を探してた。誰かの為にと思っても、結局は自分がどうしたいか。ここまで来るのに、相当悩んだし、辛かったし……死にたかった」

 

 「……」

 

 「…ずっと、後悔してた」

 

 

 過去の事を思い出して、アキトは言う。

 あの頃、何もかもを失って、死の恐怖など麻痺してた。一歩間違えれば、今頃この世界にはいない。

 けど、それでも生きなければと思った。

 人は常に後悔と付き合っていかなきゃならない。後悔しない生き方なんて出来やしない。あの時こうしていれば良かった、なんてのは誰でも思うし、そんな後悔を簡単に忘れられたりしない。そんな現実からはいつだって逃げたくなる。

 けどだからこそ、抗わないといけないと思った。死ぬのは逃げだと思ったから。

 そんな事をしたって、現実は何一つ変わらないと知っているから。

 必死に生きようとしている人がいるこの世界で、命を投げ出すのは、罪だと思うから。

 どんなに死にたくても、生きるしかない。

 それが、それだけが彼らに対する罪滅ぼしだと思うから。

 

 

 「けど今は…自分がこうしたいって思う事を全力でやるって決めたから…それだけだ。理由なんて無い」

 

 「…そっか」

 

 

『キリトの大切なものを守る事』が、今アキトがやりたい事。最初は義務染みたものを感じていたが、今は自分がしたい事だった。

 目の前の人を死なせたくない。口で言うのは簡単だし、言うだけなら偽善にも聞こえる。けれど、それでもアキトは生きて、誰かの為に戦おうと思う。

 それは、自分の意志なのか、歪んだ思考なのかは分からない。

 アキトも、自分自身の生きる理由を探している段階で。『誓い』や『約束』なんて言葉で生きる理由を作って、現状から逃げている。

 

 アスナが聞きたかった事を、アキトは答えられただろうか。

『どうして他人の事を思えるのか』という質問には全く答えられていないような気もする。

 けれど、アスナは何か納得したように小さく、悲しげに笑った。

 アキトにも自分のように、色々な葛藤があって、苦悩を抱えて生きていた事を知る事が出来て、何となくだが安心した。

 アスナはゆっくりと手を伸ばし、アキトのもつエリュシデータを指さした。

 

 

 「やっぱりそれ、アキト君が持ってて」

 

 「…いいのかよ」

 

 「アキト君に使って欲しいの。だから…」

 

 「…分かった」

 

 

 アキトはウィンドウを開き、エリュシデータを装備した。背中に鞘が現れ、その鞘にキリトの形見が収められる。

 その姿はまさしく『黒の剣士』。アスナはそんなアキトに、やはりキリトを重ねてしまう。

 アスナはそれ以上アキトを見てられず、また港の方へと視線を戻した。湖は風で小さな波を作り、風は再び髪を撫でた。

 

 

 「…じゃあ、な」

 

 「…帰るの?」

 

 

 アキトはアスナに差を向けてその場を去る。アスナはアキトの方へと再び体を向けて、そのキリトそっくりの背中を見つめた。

 

 

 「…お前は、早く帰ってやれよ」

 

 「っ…」

 

 

 アキトのその言葉に、アスナは目を見開く。

 そんなアスナを一瞥した後、彼は街から姿を消した。

 

 

 彼の言った事が何を意味しているのかは分かっている。ユイが、自分の娘が、今も尚自分の帰りを待ってくれているという事。それをアキトは教えてくれたのだ。

 アスナはきゅっと、その拳を軽く握り締める。

 ユイにも、散々迷惑をかけてしまった事を、今になって後悔する。後悔なんて、もう何度もしていたというのに。

 ユイだけじゃない。シリカやリズベット、クラインにエギル、リーファにシノンにも心配させた。彼らの差し伸べてくれた手を悉く無視して、結果アキトに助けられて。本当に情けなかった。

 けれどまだ、胸のつっかえが取れた訳じゃない。アキトが助けてくれた事、リズが守ってくれた事、本当に申し訳なかったし、感謝もした。

 でも、キリトへの未練もまだ捨て切れないでいた。キリトに会いたいこの気持ちは変わらないし、もしかしたらまた、自分を見失うかもしれない。

 そう思うと、とてもユイに会わせる顔が無い。

 

 

 キリトの形見であるエリュシデータも、ほんの少しだけ手放すのが惜しいと感じてた。

 何か、キリトを感じるものが欲しかった。キリトをすぐに思い出せる代物が手元に欲しかった。

 忘れたくない、過去にしたくないといった思いが、胸に強く残っていたのかもしれない。

 

 

 ダメだな、私…こんなに弱くて───

 

 

 アスナはキリトが死んで以降、碌にアイテムの整理もしていない。キリトとの思い出を捨ててしまう気がしたのかもしれない。

 アスナは何の気なしにシステムウィンドウを開き、キリトと共有化していたアイテムストレージへと移動した。

 何をしてもキリトへと結び付いてしまう事に、本当にゾッコンだったんだなと、少しだけ笑ってしまう。

 

 アスナはアイテムストレージにあるキリトのアイテムを次々と眺めていく。その度にまた、彼の事を思い出した。

 エリュシデータの他にも、キリトのコートだったり、使ってたアクセサリーだったり。

 

 こうして見ると、キリトの私物はとても少ない。必要最低限のアイテムや装備品、それにちょっとした食材アイテム。

 その程度だった。

 アイテムの少なさと、思い出の量は比例しないが、それでも少し寂しかった。もっと、これからずっと、キリトと思い出を作っていけると思っていたから。

 

 

(あ、れ…?)

 

 

 だが、そんなキリトのアイテムの中にあった、一つの<記録結晶>が目に入る。

 既に何かを記録している様で、記録済みと表示されていた。

 

 

(何だろう、これ…キリト、君の…?)

 

 

 アスナは何故かその記録結晶が気になって、ウィンドウをタップして、その記録結晶を出現させる。

 ひし形のそれはアスナの手元でふよふよと浮いて、ゆっくりと回転している。

 タップすると、この記録結晶に記録したプレイヤーの名前が表示された。

 

 その名前を見て、アスナは驚愕の表情を浮かべた。

 

 

<Sachi>

 

 

 「…サ、チ…って……っ!?」

 

 

 その名前は聞いた事があった。キリトが人を避ける大きな理由になった人物の名前。

 あの時、アスナをかけてヒースクリフとキリトがデュエルした後、キリトに教えてもらった名前。

 何故彼女の記録結晶がこんな所に。そう思わずにはいられなくて、思わずその手と口が震え、瞳が揺れた。

 彼がまだ、ギルドに入っていた頃の仲間、その彼女の記録結晶。

 キリトももしかしたら自分のように、ギルドの仲間を死なせて、自暴自棄になった事もあったのかもしれない。

 ならば、これはもしかしたら、キリトの支えになった代物なのかもしれない。

 

 

 ─── 何が。

 

 ─── 記録されているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メリークリスマス、キリト。

 

 キミがこれを聞いている時、私はもう死んでると思います。

 なんて説明したら良いのかな…。

 

 えとね、ホントの事を言うとね、私、はじまりの街から出たくなかったの。…でも、そんな気持ちで戦ってたら、きっといつか死んでしまうよね。

 それは誰のせいでもない、私本人の問題なんです。

 キリトは、私にずっと、絶対死なないって言ってくれたよね。だからもし私が死んだら、キリトは凄く自分を責めるでしょう?

 だから、これを録音する事にしました。

 

 それと、私ホントはキリトがどれだけ強いか知ってるんです。前にね、偶然覗いちゃったの。

 キリトがホントのレベルを隠して、私達と一緒に戦ってくれる理由は、…一生懸命考えたんだけど、よく分かりませんでした。

 

 …へへっ…でもね、私、キミがすっごく強いって知った時、嬉しかった…凄く安心出来たの。

 

 だから、もし私が死んでも、キリトは頑張って生きてね。

 生きてこの世界の最後を見届けて、この世界が生まれた意味、私みたいな弱虫がここに来ちゃった意味、そして…キミと私が出会った意味を見つけてください。

 

 

 それが私の願いです』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「───っ」

 

 

 言葉にならなかった。

 

 

 アスナは、そこで録音を止めた。まだ続きがあったが、それを聞く事は出来なかった。

 その瞳からは自然と涙が溢れ、止める事は出来なかった。

 知らない人の声、キリトの知らない物語。

 

 分かってしまった。

 知ってしまった。

 これが、キリトの生きる理由になっていたのだと。

 

 

 「…キリト、君っ…」

 

 

 キリトは決めたのだ、この世界で生きる事を。

 どんなに辛くて苦しくても、死んでいった彼らの為に。サチの為に。

 自分が死んだというのに、キリトを決して責めず、彼にエールを送る彼女の声を聞いて、とても悔しかった。

 彼女がキリトの支えになっていた事ではない。サチの、その強さに。

 サチは、自分が死んでも、キリトにはこの世界の最後を見届けて欲しいと、そう言った。

 その残酷さを痛感し、アスナは心が痛かった。

 

 自分も、これから同じ道を辿らなければならないなんて。

 どれだけの意志、強さが必要だろうか。

 一歩も進めていなかったのは、自分だけだったんだと自覚した。死のうとしていたのは、自分だけだったんだと痛感した。

 リズベットのように、生きて何度も彼の事を思い出そうなんて思いもしなかった。どうせ、辛くなるだけだろうと、そう決めつけて。

 ユイも、キリトと自分がこんな形になってしまっても、ずっと心配してくれていたし、リーファとシノンも出会って間もなく、あまり会話もした事が無いのに自分を気にかけてくれた。

 アスナは、仲間を失ったキリトよりも恵まれていたのに、ずっと逃げて来た。

 

 

 「わ…私、は……あ……うあっ……!」

 

 

 涙が、とめどなく溢れ、拭っても止まらない。

 キリトの隣りに立つと決めたなら、この道を進まなければならない。

 キリトと同じ道を、自分も歩まなければならないなんて。大切な人を失って尚、生きる事を諦めてはならないなんて。

 けれど、それでも彼の隣りに立ちたいなら────

 

 

 これがきっと、『生きる』という事。背負うという事だ。

 アスナはその場で蹲り、記録結晶を抱き締めるようにして、ただ声を出して泣いた。

 この世界の残酷さ、それを痛感したから。

 79層の街、辺りは暗く、静寂に包まれていた。

 アスナのその心の叫びを、見守るかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 76層<アークソフィア>

 

 

 転移門から現れたアキトは、見慣れた街をその高さから見渡した。

 辺りは既に暗く、街灯に照らされる頃合いだった。

 アスナと別れてから小一時間程、79層のフィールドマッピングをして来たアキトだったが、ボス戦の疲れもあって、今日は早めに切り上げて帰って来たのだ。

 

 階段を下りる度に、背中に収まる剣の重さを痛感した。

 これが、英雄の意志の重さだと。

 

 

(これを、キリトが…)

 

 

 使っていた時も思った事だが、初めて手にした気がしなかった。ティルファングに近い重さで、ステータスも高い。

 キリトとほぼ同じステ振りをしているアキトにとって、エリュシデータはとても手に馴染んだのだ。

 それに────

 

 

(何だろう…何処かで見た事があるような…)

 

 

 エリュシデータを見ると、視界がブレる。いつの日かの光景が蘇るようで。何かが重なって見えた。

 アキトは頭を左右に振り払い、そんな考えを止めた。

 キリトの事を思い出せば、自然とアスナの事が頭に浮かぶ。

 

 

 自分は、彼女を変える事が出来ただろうか。

 あの時、ユイが涙を流してまで自分に頼み込んできた『約束』を、果たす事が出来ただろうか。

 彼女の『願い』を、叶える事が出来ただろうか。

 

 その足は、自然とエギルの店へと向く。今日はもう帰って、明日に備えなければならない。

 アスナがもし、立ち直れなかったのなら、これからは自分がやるしかない。アキトはそう思った。

 キリトの死はそれ程までに大きい。関わりの少ない人だとしても、彼は強力なプレイヤーとして名が広まっている。だからこそ、死の事実が浸透していけば、周りは困惑の感情で広がり、攻略組の士気も下がる。

 分かっている。キリトの死が、それ程までに重いという事は。

 

 

 「っ…」

 

 

 自分は、彼の代わりにはなれない。そもそも人が違うのだから当たり前だが、そういう話ではない。

 自分はキリトのように、まだまだ強くない。

 彼らはそれ程弱くないし、自分が守る必要なんて無いのかもしれない。

 彼らはキリトの死で悲しみに暮れるだけじゃない、しっかりとその悲しみを乗り越えようとしている。

 彼らはキリトの紡いだ意志と、一緒に過ごした思い出と共に、この世界を生きていて、それがアキトには、とても眩しく見えていた。

 決して彼らの輪に入りたい訳じゃ無い。入りたいとも思わない。自分の仲間は、かつての、あの場所だけだ。

 

 ただ、羨ましいと思った。

 

 あそこまで大切に思われているキリトは、未だに彼らの中心で、共に笑い合って、過ごしているようで。

 過去の記憶で苦しんでいるのは、引き摺っているのは自分だけのように感じていた。

 きっとキリトも忘れた訳ではなかったのかもしれない。だけど、そう簡単に割り切れる話でもなくて。

 自分はもう、あんな場所に出会える事は無いんだろうなと、そう感じてしまって、その表情が暗くなる。

 

 

 「…、あれ?」

 

 

 アキトは視線を前に戻すと、エギルの店に近付くに連れ、その入り口から少し離れた噴水のベンチに、見慣れた少女が座っているのが見えた。

 近付いてみると、少女はアキトに気付いたようで、そわそわしながらもこちらへと歩み寄って来た。

 

 

 「ユイ、ちゃん…?」

 

 「…!お、お帰りなさい、アキトさん」

 

 

 その少女、ユイはアキトを見上げて笑顔を見せた。その頬は少しだけ赤く、些か緊張しているのかと思えてしまう。

 店にも入らず、こんな所で一人座っていて。

 何かあったのだろうか。

 

 

 「…どうしてここに…みんなは?」

 

 「今はエギルさんの店で夕食を取っています」

 

 「…アスナも、か…?」

 

 「…はい」

 

 

 ユイは、とても照れ臭そうに、それでもとても嬉しそうに笑ってくれた。

 アキトは目を見開いて驚くが、やがてその口元には笑みが。

 

 アキトが帰って来る前、アスナはユイの元へ帰って来た。アスナはいきなりユイを抱き締め、リズベットに感謝の言葉を述べたという。

 ユイは感極まって泣いてしまい、後から聞くとそれにつられてシリカやリーファも貰い泣きしてしまったらしい。

 それを聞くと、アキトは心が軽くなったのを感じた。

 アスナが、これからどうしていくのか、どう生きていくのかを決めたという事実に、報われた気がしたのだ。

 ユイの笑顔を見て、彼女との『約束』、『願い』を叶える事が出来たのだと、そう思った。

 

 

(…良かっ、た…本当に…)

 

 

 本当の意味で、彼らは一つになれるんじゃないだろうか。今はまだ、アスナは不安定ではあると思う。けれど、それでも、きっとリズベット達が支えてくれる。

 そう思うと、もう自分はお役御免かもしれない。

 そう思っていると、ユイが自身の白いワンピースの裾を掴み、こちらを見上げていた。

 

 

 「…アキトさんを待ってました。…迷惑、でしたか?」

 

 「っ…い、いや、別に…でも、お礼とかなら大丈夫だよ。最初に言ってもらったし」

 

 「…いえ、それもあるんですが…そうじゃ、なくて…」

 

 

 ユイは視線を固定せず、あちらこちらと向いており、何を言おうとしているのか分からない。

 アキトは首を傾げたが、ユイは決意したのか、再びこちらを見上げていた。

 

 

 「…私、待つ事にしたんです。ママや皆さん…アキトさんを」

 

 「っ…俺、を…」

 

 

 その言葉に、アキトは心を強く揺さぶられた気がした。

 自分を、待ってくれると、そう言ってくれた彼女から目が離せなかった。

 

 

 「アキトさんに教えて貰いましたから。『誰かが待ってくれているなら、そこが帰る場所だ』って」

 

 「あ…」

 

 「アキトさんのお陰で、待つ事も、ほんの少し、好きになれそうです。…だから…だから…今日からこの場所が、アキトさんの帰る場所です」

 

 「っ…」

 

 

 その言葉を聞いて、涙が出そうになった。

 その健気で儚い少女の笑顔に。

 その優しさに包まれた言葉に。

 帰る場所は、ここにあるのだと、そう言ってくれる、思わせてくれる少女に。

 あの場所は二度と元に戻らないというのに、どうしても期待してしまう、手を伸ばしてしまう。

 

 

 「さあ、行きましょう!皆さん待ってますよ!」

 

 

 ユイは動けないでいるアキトの手をギュッと掴み、エギルの店へと引っ張っていく。

 アキトは、何も抵抗せず、ユイに引かれるままに歩き出した。

 店はいつものようにプレイヤー達で賑わっていた。攻略組を初め、その身内達が丸いテーブルを囲んで食べ物を食べて、笑って、喧嘩して。

 そんな店のカウンター付近には、いつもの顔ぶれが。

 皆が笑顔で、とても幸せそうで。そんな中、ふとアスナの事が目に入る。申し訳なさそうに、遠慮なく、けど、それでも笑っていた。

 今は歪に見えたとしても、きっと、あれが彼女の本当の顔。

 

 

 

 ── ああ…俺はずっと、あんな彼らの笑顔を見る為に ──

 

 

 

 「…?あっ!アキトさん!」

 

 「アキト君!おかえりなさい!早く早く!」

 

 

 シリカとリーファがこちらに気付き、手を振っている。あの時、シリカにきつく当たったというのに、彼女は凄く魅力的な笑顔をこちらに向けていて。

 どこまでも優しいそんな彼女に、自然と心が安らいでしまう。

 シノンも、こちらを見て優しそうな笑みを浮かべていて。クラインやエギルも、自分を待ってくれていて。

 リズベットが、アキトの分だと言うように、コップを両手に持っていて。

 そして、アスナ。

 

 76層からずっと、その顔は暗い影があった。今も、完全に立ち直った訳じゃないだろう。

 それでも、どうにか頑張ろうと、そう決めたのだろうか。

 彼女の作ったような、無理してるような笑顔。けどそれでも、アキトにとって、76層から今までで、初めて見る事が出来た、彼女の笑顔。

 

 自分は彼女を、変えられたのだろうか。

 

 でも、この先何度彼女が自分を責めようと、絶対に死なせてなんかやらない。そう、ユイと約束したのだから。

 だから、今だけは────

 

 

 ユイが引っ張り進むその足を止め、アキトはその場に立つ。

 手が離れた事で、ユイは少し驚いたのか、アキトの方を振り向いた。

 辺りは未だに賑わっており、大声でなければ聞こえないだろう。

 だから、そんな彼女にしか聞こえないような声で、アキトは口を開いた。

 

 

 …そういえば、まだ…ちゃんと言ってなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…ただいま、ユイちゃん」

 

 

 「…お帰りなさい、アキトさんっ」

 

 





今回ちょっと文章不安定(震え声)
持ち味活かせてない感が半端ない…カタ:(ˊ◦ω◦ˋ):カタ
急展開じゃね?とか意味不明なんだけど、とか、何かありましたら、質問どうぞ(´・ω・`)

そうでなくとも、感想を…モチベが…モチベが…!


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Ep.32 未開の謎



感想のお陰で、モチベが高まりましたので投稿します!が!今回あまりシリアスは無しです!
話も余り進みません!すみません!
でも、次の話も現在文章を構成中ですので、なるべく早く投稿したいです!
感想をくださった皆さん!ありがとうございます!




 

 

 

 父は言った。正義の味方になりたかった、と。

 

 孤独でも、誰にも理解されなくても、進んだ道の先全てが茨でも、その称号を張り続ける、そんな存在になりたかった、と。

 そんな事は不可能で、偽善だと思った。

 誰かを守る為の強さ、困ってる人を助ける力、そんなものは空想の産物、御伽噺だと思っていた。

 

 誰かが言った。正義の味方は、万人の味方ではないと。

 誰彼構わず救う事など出来はしないと。何かを選ぶという事は、何かを捨てるという事。

 父は、家族を守る為、他のもの全てを捨て去った。

 それは正しい選択だっただろうか。

 

 子どもの頃、正義の味方、ヒーローに憧れた事はあった。

 けれど、それは渇望していた訳じゃない。なれるならなる、といった意志無き選択だった。

 けれど、仮想世界に足を踏み入れ、仲間と共に過ごしている内、『本物』を見た。

 黒いコートを靡かせて、その剣士は現れたのだ。

 ヒーローはいないと、そう思っていたのに、初めて憧れた。初めて、あんな風になりたいと思ったんだ。

 

 あれが、『ヒーロー』だって、そう思えたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「…あ。…いらっしゃい、アキト」

 

 「…ん」

 

 

 アークソフィアに建てられた新店舗、<リズベット武具二号店>に、アキトは意を決して入る。といっても、もうあの時程複雑な空気にはなっていなかった。

 お互いに、特にリズベットは、アキトに悪い事をしたと思っていた。

 アキトはリズベットをチラッと見た後、すぐに視線を逸らし、リズベットはそんなアキトに苦笑いを浮かべていた。

 

 

 「…じゃあ、サクッとやっちゃうからさ、武器出して」

 

 「…んじゃ頼むわ」

 

 

 アキトは背中の鞘からエリュシデータを引き抜き、リズベットに差し出す。

 見慣れた剣を見て、リズベットの表情が一瞬だけ固まった。やはり、意識していても、彼をキリトに重ねてしまう。

 

 リズベットは工房に入って、黒い刀身を削りながら、アキトの事を考えていた。

 具体的には、メンテ終わった後、アキトに何と話しかければ良いのかという事だった。

 仲直り、というか、いつの間にか話すようになっていたので、特に謝罪をしていなかった。謝罪というのは言わずがもがな、あの時、78層のボス部屋でアキトの事を叩いたあの案件である。

 このまま何事も無かったように過ごすのも罪悪感を感じており、リズベットの頭では現在アキトへの謝罪の言葉の思案で埋め尽くされていた。

 昨日の夜、みんなで食事をした時はその場の空気で話せていたようなもので、我に返って見ると、昨日は調子に乗り過ぎたような気もしていた。

 

 

 「はぁ…」

 

 

 キリトの時は、もっと素直に言えたと言うのに。ただシンプルに『好き』と、そう言えたのに。

 まあ、本人は聞こえてなかったみたいだったが。

 メンテナンスが一通り終わり、リズベットはエリュシデータを持って立ち上がる。その剣はやはり重くて、命の重さ、背負っているものの重さを痛感した。

 これが、勇者として戦ったキリトの、背負っていたもの。そう思うと、メンテナンスにも神経を磨り減らしてしまう。

 

 

 工房を開き、店の中で待っているアキトの元まで歩み寄ると、鞘に収まったエリュシデータをアキトに向かって突き出した。

 

 

 「…はい」

 

 「ん…」

 

 

 アキトは淡々とそう呟くと、エリュシデータを背負う。

 位置を確認し、しっくり来たのか次の行動に移行していた。アキトはシステムウィンドウを開き、そこからマップを確認していた。

 

 

 「こ…攻略に行くの?」

 

 「昨日話したろ、《ホロウ・エリア》。クラインが連れてけってうるせぇから、一人で行けって言ったんだけどよ…」

 

 「ああ…確かに、そんな事言ってたわね…」

 

 

 リズベットは、昨日のクラインの顔を思い出して苦笑いを浮かべていた。

 というのも、昨日、78層のボス討伐の成功を祝して、身内で食事会を開いた時の話である。

 けれど、それはほんの少しだけ建前。きっと、アスナの為に場を設けたかっただけなのだろう。リズベットの思いの丈を聞いて、ユイの気持ちを汲んであげて。アスナはほんの少しだけ、変わったように彼らは感じたのだ。

 だからこそ、アスナと親密を深める為の会、取り敢えず、アスナを楽しませる為のものだったのだろう。

 なんともお人好しの集団である。

 その時に、アキトとフレンド登録をしていたシリカ、リズベット、クラインから、アキトの位置情報がロストした件を聞かれたのだ。

 アキトは『関係無い』の一言で一蹴したが、その隣りに座っていたユイによって盛大に暴露されていた。

 《ホロウ・エリア》という謎の隠しエリアがあるという事。モンスターのレベルも高い高難易度エリアである事、世界観が違う圏内エリアがあった事など、自身の推測を織り交ぜて話したのを覚えている。

 システムの根幹に近いかもしれないと言った途端、まだ見ぬ素材やスキル、武器や装備品の可能性を考え、目を輝かせていた面子が多かったのは記憶に新しい。当然リズベットもその一人で。

 アスナとユイだけがそんな彼らに慌てており、それだけは良かったと、アキトは安心出来た。

 

 リズベットはそんなアキトを見て、ほんの少しだけ視線を強めた。

 この前までは、何を聞いても憎まれ口ばかりで、ちゃんとした受け答えをしてくれなかったのに。

 そう思うと、何となく嬉しかった。

 リズベットは、そんなアキトを『変わった』と評した。けれど、アキトからすれば『戻った』と言うだろう。人間はそんなに簡単に変わらないと。

 だけど、もしアキトが言うように、以前の自分に『戻ってきている』のなら、それは昔のアキトは優しかったという事実に繋がるのだ。

 今、憎まれ口を叩いているのだって、きっと────

 

 

 「…あの、さ、アキト…この前は、その…」

 

 「あ?…何だよ」

 

 「っ…えと…その…」

 

 

 何をそんなに慌てる必要がある。ただ真っ直ぐに謝ればいいじゃないか。頭では分かっているのに。

 そんなリズベットを見兼ねたのか、アキトは溜め息を吐いた。

 

 

 「…アレか、昨日の事か。武器の事なら別にいい。ってか、壊しちまったんだから、今言ったって変わんねぇだろ」

 

 「違うっ…く、もないけど…、でも、あたしのせいでここに来づらかったんでしょ…?」

 

 「…いいんだよ別に。武器はもう手に入れたし、それに…」

 

 

 アキトはそう言うと、言葉を詰まらせる。武器職人の前でこう言ってもいいものかと思案したが、もう壊れてしまったのだ、言っても良いだろう。

 アキトはそう決めると口を開いた。

 

 

 「嫌いだったんだ、自分の武器」

 

 「…武器が…嫌い…?」

 

 

 その予想外の答えに、リズベットは目を丸くする。当然だ、武器が嫌いなんて言うプレイヤーなど、そうそういない。寧ろ、武器が人の命を左右する世界なのだ、無くてはならない存在だろう。

 

 

 「…というか、あの剣。<ティルファング>。アレがずっと嫌いだった」

 

 

<ティルファング>。その紫がかった黒い剣。装飾は少なく、ただ敵を斬る為だけに特化したような、そんなステータスで。

 名前は少し違うが、神話の武器に似たような名前のものがあったのを覚えている。

 その名を<魔剣ティルヴィング>。黄金の柄で、決して錆びる事無く鉄をも容易く斬り潰し、狙った獲物は外さない、そんな剣。

 そして、持ち主の破滅と引き換えに、望みを三つ叶えてくれる、そんな剣だった筈だ。

 

 アキトが願うのは一つだけ。それさえ叶うなら、この身が潰れても良いと思っていた。

 けれど、あの剣は願い事など叶えてはくれなかった。ここはゲームの世界、そんな設定は瞞しなんてのは、もうとっくに理解していた。

 それに、アレは神話、『神』の剣だ。この世界の神なんて、たった一人。

 許せない相手。

 だからこそ、それを彷彿とさせるあの剣が死ぬ程嫌いだった。

 

 

 「…アキト…?」

 

 「…そういう訳だから、別に気にしなくていい。これ以上言うなよ、執拗いのは嫌いだ」

 

 「…分かった」

 

 

 リズベットはよく分からなかったが、アキトがそう言うならと、渋々ながら納得した。

 本当なら、お詫びに剣を鍛えてやりたいが、鉱石の相場は上がり、鍛冶スキルは下がっている今、作れるものは何も無かった。

 耳が痛い話だ。アスナの為にヘイトを稼ごうとしていた相手を平手打ちし、この店に来づらい状況を作ってしまった上に、そのせいで耐久値を磨り減らした武器が壊れてしまうなんて。全部自分のせいだった。

 

 

 「…もし、その…《ホロウ・エリア》で珍しい素材とかあったら、剣とか、鍛えてあげる」

 

 「へぇ、そんなスキルで大丈夫かな」

 

 「…容赦無いわね、ホントアンタって…」

 

 

 額に筋が入るのを懸命に抑え、顔を引き攣らせながら笑ってみせる。

 そんな態度を取れるくらいには、仲直り出来たかな。

 そう思った。

 店の扉を開いて出ていく、かつての想い人に良く似た背中を見送りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

(…そうだ、フィリアに連絡入れるかな)

 

 

 店を出てすぐに、アキトは《ホロウ・エリア》に行くのならフィリアを呼ぶ事を思い付く。

 あの時、スカルリーパー討伐の際に共闘した、オレンジカーソルの少女。

 もしまた来る事になったらメッセージが欲しいと言っていた彼女。自分もそれに合わせてここへ来ると、そう言ってくれた少女。

 そんな彼女の言葉に、気が向いたら、なんて心にも無い言葉で、彼女の告白を蹴った覚えがあった。

 

 フィリアが、人を殺したという告白を。

 

 彼女からすれば、勇気を出して言ってくれたのかもしれないのに、自分は結構な態度を取っていた気がする。

 何度も言うが、アキト本人はとても優しい少年なので、憎まれ口を叩いても、内心は罪悪感で溢れてるヘタレなのだ。

 取り敢えず、フィリアとあちらで合流する為に、彼女にメッセージを送る。

 

 

 「おいアキト!」

 

 「っ…」

 

 

 前方から自身を呼ぶ声にアキトは体を震わせて、システムウィンドウを閉じる。顔を上げると、凄い剣幕のクラインがこちらに向かって来ていた。

 

 

 「…何」

 

 「何、じゃねーっての!《ホロウ・エリア》なんて転移先存在しねーぞ!ちゃんとアクティベートしたんだろうな!?」

 

 「…は?」

 

 

 そのクラインの発言に、アキトは首を傾げる。クラインの言っている事が、一瞬理解出来なかった。

 クラインに引かれるがままに、転移門の方まで歩く。そこには彼の仲間だろうか、クラインと良く似た装備を着けているプレイヤーが数人立っていた。

 おそらくクラインのギルド<風林火山>だろう。

 

 

 「《ホロウ・エリア》管理区…間違ってないよな!?」

 

 「ああ」

 

 「…転移!《ホロウ・エリア》管理区!」

 

 

 クラインはアキトに確認すると、意を決して再び転移門に立ち、その名を叫ぶ。風林火山の彼らも、それを固唾を飲んで見守った。だが、転移門は全く反応する事なく、ただその場に立っていた。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 「……」

 

 

 

 

 クラインは清々しい程に凛として直立しており、とても誠実そうに見える。

 だが傍から見れば、訳の分からない単語を転移門前で叫ぶ迷惑なおっさんである。

 辺りのプレイヤーは訝しげにこちらを、クラインをチラチラと見ており、やがて関わらないように、そそくさと去っていった。

 クラインは未だにその場から動かず、アキトはその背中をただただ眺めるばかり。

 少しだけ強めの風が、二人の髪を撫でた。

 

 

 

 …何だこれ。

 

 

 

 

 

 「…ホントに反応しねぇな」

 

 「オイ!俺が周りに変な目で見られただけじゃねぇかよ!」

 

 

 クラインのそんな発言を無視し、転移門まで歩く。クラインを退けて、門の中心に入ると、アキトは口を開いた。

 

 

 「転移。《ホロウ・エリア》管理区」

 

 

 すると、アキトの体から眩く光が立ち込め、その光が全身を包む。その眩しさに思わず目を瞑るその寸前、クライン達の驚く顔が目に入った。

 再び目を開けると、そこはほんの少し暗く、それでいて冷たい雰囲気を纏った、何処か違う世界に来てしまったのではないかと思わせる場所、《ホロウ・エリア》管理区に到着していた。

 

 

(…ちゃんと転移出来る…じゃあ、なんでクラインは…?)

 

 

 入るプレイヤーを選ぶ?そんな事があるのだろうか。だが、もしかしたらと、アキトは自身の掌を見つめる。

 すると、それに反応したのか、左の掌から、いつぞやの紋様が浮かび上がってきた。もしかしたら、この紋様が関係しているのかもしれない。

 

 

 「あ…」

 

 「? あ…」

 

 

 ふと、声のする方へ視線を動かすと、そこには、初めてこの場所に来た時に出会い、共に行動した存在、フィリアが立っていた。

 どうやらアキトのメッセージを見て、ここへ来てくれた様だった。

 

 

 「…また、来てくれたんだ…」

 

 「…気が向いたからな。何だ、待ってくれたのかよ」

 

 「まあ…期待しないで、ね」

 

 

 フィリアはフッと少し笑ってそう答える。その柔らかな表情に、アキトは思わず目を逸らす。

 やはり、彼女がオレンジなど、とても思えない。

 そのまま目の前のコンソールへと歩み寄り、ウィンドウを構わず開いた。

 

 この《ホロウ・エリア》についてほんの少し考える時間があった。前にここに来た時、アインクラッドとまるで違う光景に、この場所は運営側に近しいものなのではないかと、そう考えた事があった。

 空中に広がるマップは恐らく《ホロウ・エリア》のものだろう、地上はどこまでも広がっているように見える。

 にも関わらず、迷宮区のある塔がフィールドから見えなかった事を考えると、このエリアは階層構造ではなく平面構造。

 この浮遊城では閉鎖的な洞窟エリアを除けば、どの場所にいても迷宮区のある柱が見える。アインクラッドは、その柱が連なって、全部で100層のフィールドがあるのだ。

 柱が見えない、なんて事が有り得るのは、その浮遊城の頂点。100層の<紅玉宮>だ。だがそこは本来ラストボスが待ち構えている為論外だ。

 そもそも、この城は上に行けば行く程にフィールドが狭まるのだ。こんな広いエリアは設置出来ない。

 それなら別の可能性、頂点以外に、迷宮区の柱が見えないであろう場所。

 ここがアインクラッドの中だとすると、この場所は恐らく────

 

 

 「…アインクラッド地下か」

 

 「何か、分かったの?」

 

 

 気が付くとフィリアがすぐ傍まで近付いて来ており、思わず距離を取る。その反応が気に入らなかったのか、フィリアは眉を釣り上げていた。

 

 

 「…何よその反応」

 

 「…いや、別に。…何も分かってねぇよ、このエリアが浮遊城のどの辺にあるのか考えてただけだ。根本的な解明にはなってない」

 

 

 実際、この場所がどこにあるのかはあまり関係無い。問題は、ここがどういうエリアで、何をする場所なのか。

 ただの隠しエリアにしても、色々と不明な点が多すぎる。この圏内エリアだって明らかにアインクラッドのイメージを壊すデジタル的な場所だし、コンソールがある時点で運営に関わる何かである事は大体察しが付いてしまう。

 

 

(…こんなに、考えるタイプだったかな…)

 

 

 アキトはコンソールを眺めながら、そんな事を考えていた。いつも消極的で、自分には無理だからと、最初から諦めるような人種だった筈だ。

 こんなにも積極的に、何かを懸命に考える事など、今までに数える程しかなかったように思える。

 

 

 「…アキト、今日は…その、攻略に行くの?」

 

 「…このエリアに来たがってる奴がいたんだけど入れなくてな、色々調べようと思って来たんだよ。攻略はもしかしたら別の日になるかもな」

 

 「…じゃあどうして私を呼んだの?」

 

 「…一人でこっちに来る筈だったんだよ」

 

 

 それはつまり、本当は今日、アキトがフィリアと攻略するつもりだったという事を示していた。

 クラインと来るつもりはなかったと、そういう事だった。

 アキトが本当は今日、攻略の為にここへ来たと知ると、何となく嬉しかった。

 別の日になると言われた途端、逆に少しだけ寂しいような、そんな気がした。

 

 

 「…じゃあ、また今度…かな」

 

 「…あっちの奴がうるせぇから、今日は検証して、明日また来るわ」

 

 「あ、明日…そっか…」

 

 

 意外にも早い期日に、フィリアは少し驚くが、同時に楽しみでもあった。

 初めて会ったあの時、スカルリーパーと戦った時、危険だったけど、ほんの少し楽しかったのを覚えている。デスゲーム、ゲームであって遊びではないけれど、それでもそう思う事が出来るというのは、生きる為に必要な事だと思うから。

 

 アキトもアキトで、フィリアに自然と会う約束をする自分に驚いた。けど、すぐに納得がいった。

 この前、二人で考えて、話し合って、戦ってと、あの頃を思い出してしまったから。きっと、味を占めたような感覚になったのだ。

 何となく、嫌だった。かつての仲間の事を思い出す為に彼女と行動しようとする、自分の浅ましさが。

 

 

 それから二人、圏内にあるウィンドウに示される項目を調べ、二人で会話を重ねていき、気が付けば、あの野武士面の顔など頭から抹消されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「…それで?どうだったんだよ」

 

 「アキト以外のプレイヤーは《ホロウ・エリア》に転移出来ない。それに、一緒に行けるのは一人だけと来たもんだ。訳分かんねぇよ…」

 

 

 エギルの店に着き、すぐに結果を報告するクライン。それを横目に、アキトはカウンターでココアを啜っていた。

 クラインはエギルにそう愚痴を零し、その哀愁漂う背中をリーファとシノンがテーブルに座って見つめていた。

 フィリアと別れた後、再びアークソフィアでクライン達と検証した結果、クラインが言った事が事実として残った。

 フィリアと別れて最初に戻って来た時のクラインの待ち惚け様といったら酷かった。まあ、それは置いとくとしよう。

 ともかく、アキト以外のプレイヤーは、個人で《ホロウ・エリア》に入れないという事だった。

 

 

 「隠しエリアとかそういう所には大抵お宝がごっそり眠っているもんだってのに…」

 

 「何か条件がある、とか?」

 

 「可能性としてはあるんじゃないの?」

 

 「隠しエリアなんだ、もう何人かは向こうに行ってるかもしれないしな」

 

 

 ゲンナリするクラインに、リーファとシノンがそう問いかける。エギルも何かを思案するように腕を組んだ。

 アキトもそれは考えているが、そもそも自分とフィリアの他にプレイヤーを見た事が皆無な為、推測すら出来ない状態だった。

 《ホロウ・エリア》に入る事が出来る、そのプレイヤーの顔すらアキトは知らない。

 

 …そういえば。

 フィリアが前に、《ホロウ・エリア》のプレイヤーにはおかしなところがあると言っていたのを思い出す。

 もしかしたら、それが《ホロウ・エリア》へと入る為の条件なのだろうか。

 なら、実際にあちらに赴き、コンタクトを取るしか無い。

 フィリアに言った通り、明日にでも────

 

 

 「…アキト、何考えてるの?」

 

 「…別に、何でもねぇよ」

 

 

 シノンの視線から逃げるように、手元のココアを口に含む。隣りに座るクラインは、目の前に立つエギルとアキトを交互に見た。

 

 

 「でもよぉ、これは公開出来ないな」

 

 「ああ、無用の混乱を招くだけだろう」

 

 「ただでさえ下の階層に下りられなくてパニックなのに、曖昧な情報を公開したら余計混乱しますもんね…」

 

 

 エギルのその言葉に、リーファが同意するように頷いた。それを聞いたクラインは悔しそうに呟く。

 

 

 「くぅー!折角お宝が目の前にあるってのによぉ!おいアキト!向こうへ行く時は俺の事も誘えよな!」

 

 「後ろ向きに検討しといてやるよ」

 

 

 そんなクラインの心の叫びを、アキトは適当にあしらう。

 76層に来てからというもの、バグが多く、下の階層に下りられない、スキルが消える、下がるなどの事件が後を絶たない。

 エギルとリーファの言うように、余計な混乱は避けるべきだし、何より《ホロウ・エリア》も、その類の原因で出入り出来るようになった可能性だってある。

 彼らが関わる事で、また別のバグが発生するかもしれない。不容易な発言には気を付けなければならない。

 そう考えていると、エギルは組んでいた腕を解き、アキトに向き直った。

 

 

 「…にしても、一緒に行けるのは一人だけ…か。厳しいな。それで満足に戦えるのか?」

 

 「フィリアはソロで何とかなってたし、無理って事はねぇだろ」

 

 

 

 

 「…フィリア?」

 

 「………あ」

 

 

 訂正。早速不容易な発言を漏らしてしまった。

 その聞いた事の無い名前に、シノンは目敏く反応する。それを聞き、似たような反応を取る彼ら。質問されるのは目に見えていた。

 リーファは目を丸くしており、クラインは眉を釣り上げている。エギルはこちらを見て、ニヤリとした視線を向けていた。

 シノンはこちらをジト目で見ており、アキトはゲンナリした表情で彼女を見返した。

 

 

 「…昨日の話には出てなかったわよね?」

 

 「…別に言わなくても関係無い話だったし」

 

 「という事は、意図的に隠していたのかしら」

 

 「必要性を感じなかっただけだ」

 

 「あ、あの、二人とも…?」

 

 

 アキトとシノンの視線のぶつかる場所にいるリーファは、居心地が悪く縮こまってしまう。

 アキトからすれば、シノンが何故そんな事を聞いてくるのかすら分からない。それを聞く事による彼女のメリットは何なのだろうか。

 クラインはわなわなと唇を震わせて、目を見開いてこちらを見ていた。

 

 

 「お、おいアキト…フィリアってのは…女の子か」

 

 「…だったら何だよ」

 

 「うおおぉおおぉおい!お前もか!お前もなのか!」

 

 「うっせぇな何だよ…ちょっ、近い近い離れろキメェ」

 

 

 あちらで知り合った彼女の事で口を滑らせただけでここまでの反応をするとは。

 特にクラインを見る目は次第に可哀想なものを見る目へと変わっており、それに気付いたクラインがさらにこちらに顔を近付ける。

 半ば怒気を感じるが、取り敢えず無視。

 ───出来ない。顔が近い。

 

 クラインを体術スキル<エンブレイザー>で吹き飛ばすと、未だにこちらに視線を向けているシノンが気になり、思わずそちらへと顔が動いた。

 

 

 「…フレンド登録は…したの?」

 

 「…したけど、それが何だよ」

 

 「へぇ…そう。ふーん…」

 

 「…何だよ、言いたい事があるならハッキリ…」

 

 「おい!痛覚無くてもノックバック気持ち悪いんだぞ!」

 

 

 シノンへと向けていた視線を遮るようにクラインが押しかける。何だ、何をそんなに怒っているのか。

 アキトは全く分からず、ウンザリしたのか、取り敢えず店から逃げるように出て行く。その背をクラインが追いかけて行った。

 リーファはポカンとした顔で眺めていたが、やがて我に返ったのか、取り敢えず目の前の飲み物に手を伸ばす。

 シノンは何となく不機嫌な表情で、同じように飲み物を啜っていた。

 

 

 「…やれやれ」

 

 

 そんな光景を見て、ただ一人、エギルは笑っていた。

 少しずつ、少しずつ。アキトがこちらに近付いて来ているような気がして。

 

 

 

 同時に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間が、巻き戻ったような気がして。無意識に違和感を感じていた。

 

 

 

 






オリジナルのコメディ的な番外編を作ろうかなーとか思ってます。何かリクエストはありますでしょうか?
もしかしたら活動報告で質問する事があるかもしれないので、その時はよろしくお願いします。

その他にも感想、要望ありましたら、どうぞ送ってください!
(`・ ω・´)ゞビシッ!!


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Ep.33 ストレアとの邂逅



久しぶりに彼女登場!


 

 

 

 その日、《ホロウ・エリア》攻略をフィリアと約束した後の夕暮れ時、クラインを撒いた後、アキトは無意識にあの場所へと足を踏み入れていた。

 76層に来てから最初に印象に残った場所。どこまでも広がる湖に、島のように浮かぶ街が見える、河川敷のような場所。

 前にユイを連れて来た事があった。その時は太陽はまだ真上に登っていて。

 けれど、今にも沈みそうな太陽が、水平線に沈んでいくかのようなこの時間の光景は、昼のこれとはまるで違って見える。

 とても神秘的で、とても幻想的で、とても儚い。

 

 この場所が、アキトにとっての唯一の憩いの場。疲れた時や、何か思うところがあった時、自然とこの場所に足を運ぶ。

 ある時はスキル上げの為に、ある時は昼寝の為に。

 またある時は、何かを思い出す為に。

 

 

 「……」

 

 

 アキトはただその場に座り、目の前の景色を眺める。どこまでも広がる湖、水平線で太陽がキラリと光り、思わず目を細める。

 だが何も考えないなんて行為は、やろうと思う程難しく、ふとした瞬間に色々な事が脳内に巡っていく。

 かつての記憶、仲間。今までの自分、新たに出来た知人。ユイの笑った顔。アスナの、儚げな表情。

 

 そして────

 

 

(…いや、きっと気のせいだ)

 

 

 アキトは瞳を閉じ、思考を放棄した。

 一度横になってから足を上げ、勢い良く立ち上がる。太陽も水平線に隠れ、そろそろ暗くなる時間帯へと差し掛かっていた。

 

 

(帰る─── いや、)

 

 

 戻る、か。

 

 

 アキトはその場に背を向けて、居住区の方へと歩を進める。

『帰る』、その一言を、この時はまだ無意識に避けていたのかもしれない。

 アキトはまだ、過去に縛られ続けていた。本人は、縛られてるとは思ってはいないだろうが、ユイがあの時自分に言ってくれた言葉を、受け止められないでいたのかもしれない。

 

 

『今日からここが、アキトさんの帰る場所です』

 

 

 帰る場所は、とうに決めていたというのに、その場所を自分の都合で変えてしまうなんて事、あまりにも身勝手なものだと思っていたから。

 あの時は、ユイの笑顔に、思いに応えるべく出した返事だった。けれど、心の何処かで、彼女の言葉を受け入れる事に抵抗があったのだと思う。

 ユイが懸命に、勇気を出して歩み寄って、伸ばしてくれた手を、アキトは掴めずにいた。

 縋っては、いけない。

 勘違いしない。受け入れる事など出来ない。

 彼らがどれほどこちらに歩み寄って来ようとも。

 彼らは『キリト』の仲間であって、『俺』の仲間じゃないんだ。

 

 理解されなくてもいい。女々しい奴だと、そう思われても構わない。

 自分はずっと、あの場所を守る為に生きて来たのだから。

 誰にも、この思いを否定する権利など無い。

 

 

 人通りが多い場所へと出ると、アキトはその人の流れに身を委ねる。

 このまま何処かに流されるように、無気力に、無意識に、流れるままの葉のように歩き続ける。

 彼らに囲まれていると、どうしても過去と重なる。

 アスナを見ていると、現実世界に忘れたものを思い出す。

 ユイを見ていると、あの頃に感じた寂しさが蘇る。

 彼ら一人一人を見て、思い出す事、感じる事は違えど、記憶は常に過去の出来事。

 尊いからこそ、儚いからこそ、この胸の苦しみが募っていく。

 誰もがふと、過去を思い出す瞬間がある。それは些細なキッカケで、簡単に脳裏に浮かび上がる。そして、嫌な思い出、忘れたい思い出、悲しい思い出程、頭から離れなくなる。気を紛らわせようとしても、そんな思い出ばかりはすぐに思考から消えてくれない。

 人間はいつまでも後悔を忘却出来ないからだ。自分が犯した失敗を、誰かが励ます度に罪悪感が増すのと同じ、忘れようとする程、その時の記憶が鮮明に思い出される。

 アキトにとっては、決して忘れたい訳じゃない。忘れる事なんて出来ない。それでも、こんなに苦しい思いをし続けるよりは、何処かでこの思いが紛れるようにしたいと思った。

 このジレンマをどうにかしなければ、ひょっとした事で思い出してしまったら。

 自分のやりたいと願った事が、出来ないような気がするから。

 

 

 「アーキトっ!」

 

 「っ…?」

 

 

 そんな負の感情を吹き飛ばすかのような、元気な声が背中に響く。

 その声の主は、アキトの肩をポンと優しく叩き、振り向いてみれば、割と近い距離で、こちらに笑顔で手を振っていた。

 

 

 「…ストレア、か」

 

 「うんっ!覚えててくれたんだね!」

 

 

 ストレアはパアッと笑顔になる。アキトはそれを見てしばし挙動不審気味に後ろへ下がるが、やがて苦笑いを浮かべて溜め息を吐いた。

 覚えてるに決まってる。

 出会いから、パンチが効いていたのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 エギルの店は現在、夜というのもあって、プレイヤー達で賑わっていた。

 皆が笑い合うその中で、リズベットがポツリと、アスナに向かって呟いた。

 

 

 「…で、あの人は何?」

 

 「…何と言われても…」

 

 

 エギルの店では現在、全員集合している。

 店主のエギルに、風林火山のリーダーであるクライン、血盟騎士団現団長のアスナ、ビーストテイマーのシリカ、鍛冶屋のリズベット、そして新しく加わった、リーファとシノン、アスナとキリトの娘であるユイ。

 彼女達の視線の先は、少し離れたテーブルに座る二人のプレイヤー。

 その内の一人は皆が知っている人物、アキトだった。

 だがもう一人、紫を基調とした装備を身に付ける、銀髪の少女。彼女に関しては全くの無知であり、彼女達は視線が固定し動かない。

 

 

 「見た事ありませんね…」

 

 「…そういえば、何回かアキト君と一緒にいるのを見た事がある気がする…」

 

 

 シリカは見た事が無いようだが、リーファに関しては全くの無知という訳でも無いようだ。

 が、アキトと彼女の関係に関しては何も知らなかった。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 シノンは何も言わずにチラリとアキトとその少女を見た後、何でもないようにカップを持ち上げ、口元へ持っていく。

 興味が無いと、そう言っているのか。はたまた、不機嫌な表情を浮かべているのかは定かではないが。

 ユイはアキト達の行動を、ソワソワしながら見つめているように見える。

 そんな中、リズベットが口を開いた。

 

 

 「NPC…じゃないわよねあれは…下の階層から来た人とかそういう人?」

 

 「それにしては随分仲が良いみたいですけど…」

 

 

 

 シリカの疑問は最もなのだが、それも束の間。

 何があったのかは知らないが、その銀髪の少女がアキトと何回かやり取りした後、アキトの膝の上に座り出したのだ。

 アスナ達の内何人かは目を見開いており、ユイはコップを掴む力が無意識に強くなっていた。

 リーファは思わず声を上げる。

 

 

 「うわっ!あの人アキト君の膝の上に座った!?」

 

 「ちょっとちょっと〜?何なのよ一体?アイツも隅に置けないわね〜…」

 

 

 リーファの声は心做しか喜んでいるように見える。

 リズベットも、周りの驚愕など関係無しにニヤニヤとしていた。

 こういう話は、女子にとって、ひいてはリズベットにとって大好物のようだった。

 シリカも口をあんぐり開けて驚いているが、その頬は赤く染まっている。シリカも、恋愛方面へと話を持っていくのが好きなようだった。

 

 

 ───だが。

 

 

 三人程そんな彼女達とは違う態度を見せる者が。

 

 

 「……」

 

 

 シノンはそんなアキトと謎の少女のやり取りを見て一瞬イラついたような態度を取るが、馬鹿馬鹿しくなったのか、変わらず飲み物を啜っていた。

 完全に興味を失ったのか、それとも何か思うところがあったのか。

 

 

 「くぅ〜…!」

 

 

 さらにもう一人、クラインはバッカスジュースの入ったコップを持ち、恨めしそうにアキトを睨む。

 アキトに女性の気があったのが気に食わないのか、それはそれは恨めしそうにアキトを見つめている。

 そんな彼を呆れた顔で笑うエギルと、ただ真っ直ぐに、興味がある、といった風貌でアキトを見つめるアスナ。

 彼らはただアキトと謎の少女の事を見つめていた。観察に近いように。

 そして、もう一人。

 

 

 「っ…」

 

 

 キリトとアスナの娘、ユイ。

 彼女はアキトと銀髪の少女が一緒に店に入って来てから、一度もアキトから視線を逸らさない。

 じっと彼らを見つめているが、心做しかソワソワしている。焦りにも似た何かがユイを襲っていた。

 アキトの膝の上に、少女が座った途端、その目を見開き、わなわなと口が動く。

 手に持つコップの力が強まり、視線が揺れていた。

 

 そんな彼らを尻目に、シリカとリズベットは二人近付き、何やら話し合いを始めていた。

 

 

 「ちょ…ちょっと、行ってきましょうか…?」

 

 「そうね…あれはあれで面白いと思うけど…流石に放置して良いレベルじゃないし…」

 

 

 アキトと仲直りしたばかりだというのに、いきなりフレンドリーになるリズベット。

 面白い玩具を見つけたと、そう言わん顔でニヤける。いつも揶揄われている側からすれば、仕返しの一つもしたくなるのだ。

 

 

 「あー…なんだ、俺の膝ならもれなく全員座れますよー…なんて」

 

 「アンタは観葉植物の植木鉢でも乗っけてなさいよ」

 

 「ひでぇ!ちょっとした冗談じゃねぇか」

 

 

 クラインのその言葉を、シノンは一蹴。そのキレのある言葉に、アスナやリーファ、エギルも苦笑いを浮かべる。

 だが、シノンはそのままシリカとリズベットに向かって口を開いた。

 

 

 「貴女達も、やめておいたら?アイツ、ギルド…だっけ?入ってるんでしょ?もしかしたら彼女、ギルドのメンバーなのかもしれないし」

 

 「あ…」

 

 

 そう言われると、シリカもリズベットも我に返る。

 そういえば、アキトはギルドに入っているのだと、今になって思い出す。

 シノンはそれを視野に入れて考えていた為、特に何も言う事はしなかったのだ。

 

 ずっと、一人で自分達の事を守ってくれていたから、そんな事、すっかり忘れていた。

 彼が一人なら、支えてあげなければと思っていた。けれど、もし彼女が同じギルドのメンバーなら、アキトにもちゃんと仲間がいたという事。

 久しぶりに会ったのなら、再会の挨拶を邪魔するのは野暮だろう。

 それは何となく嬉しいようで、寂しいようで。

 自分達は、攻略組の為を思い、憎まれ口を叩き続け、ヘイトを稼ぐ事を請け負ったアキトという少年に、いつの間にか好意を感じていたのだと、改めて実感した。

 自分達が助けて貰っている分、自分達も、彼に何かしてあげられたら。

 よくよく考えてみれば、自分達は、アキトの事を何も知らないのだ。

 ここへ来た目的、過去に何があって、ギルドはどんなギルドなのか。

 

 

 「…あたし達、何も知らないのよね。アイツの事…」

 

 「…そうね」

 

 「……」

 

 

 そのリズベットの言葉に反応したのは、アスナだった。

 ただキリトの面影を感じるアキトという少年の表情を、じっと見据えて。

 そしてもう一人。クラインは何も言わず、アキトと彼女を見ていた。そこには、先程のような恨めしい視線は残っておらず、何かを思い出したかのような、悲しげな表情を浮かべていた。

 アキトに聞いた、ギルドの名前を思い出しながら。

 

 すると、アキトが彼女達に気付いたのか、居心地の悪そうな顔で視線を逸らす。

 が、ストレアはアキトが見ていた方へと視線を動かす。リズベット達を見付けると、途端に笑顔になり、驚くアキトを引っ張ってこちらまで歩み寄って来た。

 彼女達はその行動に目を丸くし、ただただ迫るアキトと謎の少女を見つめるばかり。

 

 

 「皆さん、どうも!」

 

 「ど、どうも…」

 

 

 その少女はニッコリと微笑み、リズベット達へと挨拶する。その勢いに、リズベット達も困惑の表情を浮かべる。

 裏表の無さそうな、屈託の無い笑みに、思わず言葉が詰まる。

 リーファはアキトへと視線を動かし、遠慮がちに手を上げた。

 

 

 「アキト君、えと…その人は?」

 

 「…ストレア」

 

 「……え、おしまい?」

 

 

 アキトのその淡白な発言に、リーファは転けそうになる。その他の皆も苦笑いを浮かべていたが、やがてストレアと呼ばれた銀髪の少女が、その笑みを崩す事無く自己紹介をした。

 

 

 「はい、アタシストレア!よろしくね、みんな!」

 

 「よ、よろしく…」

 

 

 アスナやリーファがやや困惑気味にそう返す中、シリカとリズベット、シノンにクラインはストレアのHPの部分に焦点を当てていた。

 彼女にはアキトと同じギルドマークは表示されておらず、アキトとは全くの他人という事が立証されそうだった。

 焦ったように、シリカが口を開く。

 

 

 「あの…アキトさんとはどういう関係なんですか?」

 

 「アキトとは、とっても仲良しな関係!」

 

 「……」

 

 

 なんてアバウトな関係だろうか。彼らは揃ってアキトを見るが、先程までいた場所には既におらず、気が付けばアスナと一つ席を開けた場所、カウンターに座り、エギルにココアを頼んでいた。

 シリカは気になったのか、そのまま質問を続ける。やはり、恋愛方面は気になる年頃なのだろうか。

 

 

 「えっと…さっき、膝の上に乗るほどの関係というと…その…」

 

 「おいシリカ、馬鹿な考えはやめろ。ストレアはこの店に勝手に付いてきただけだ。そんで勝手に『店が混んできてるね』とかほざいた挙句、『席を譲る』とか言い出して、勝手に膝の上に座ってきただけだ。関係を持ってる訳は無い。大体、会ったのだってこれで3、4回くらいだ」

 

 

 アキトは初めてストレアと会ってからも、たまにストレアに引っ張られてお茶を共にした事があったのだ。自分の都合でこちらを振り回したかと思えば、自分の用事ですぐに消えてしまう。

 前に一度尾行を考えた事もあったが、すぐに撒かれてしまったのは記憶に新しい。

 彼女は思ったよりもステータスがずっと高い。今まで無名だったのは気になるが、その索敵と隠蔽スキルの高さにも驚きを隠せない。

 アキトはストレアを見据えたままココアを啜った。

 

 

 「ねぇねぇアスナ!アタシ、アスナの部屋に行ってみたいな〜、勿論アキトの部屋にも!」

 

 「っ…、おい…」

 

 「え、え〜と…」

 

 

 いきなり隣りから声が聞こえ、思わず視線を動かす。

 アキトとアスナの間に空いたカウンター席にいつの間にか座り込み、アスナに笑顔を振り撒くストレア。アスナは多少驚いているようだが、なんとか安定した姿勢を見せていた。

 

 

 「…じゃあ、えと…来る?」

 

 「んー…でも私これから用事があるから、今日はやめとくね!」

 

 「じゃあなんで頼んだんだよ…」

 

 

 アキトが思わず口を開く。本当に本能で動く人間だなと、アキトは溜め息を吐かずにはいられない。

 ストレアは人差し指を口元へ運び、考える姿勢を作っていた。

 

 

 「それに、今日はみんなとも仲良くなれたし!だからみんなの部屋に行くのは、また今度にとっておくね!」

 

 

 アキトとアスナの部屋訪問の筈が、いつの間にかストレアの頭の中では、全員の部屋にお邪魔する方針へと変わっているようだった。

 

 

 「え、ええ…貴女がそれで良いなら良いけど…」

 

 「うん、それじゃあアタシ帰るね!アキトもみんなも、またね!」

 

 

 ストレアは席から立ち上がり、そう言葉を残すと、こちらに背を向けて走り出した。みんなが見えなくなるまでこちらに手を振りながら。

 店は変わらず賑わっていたが、アキト達の周りだけは、妙に物静かになってしまった。

 そんな中、アスナはポツリと一言呟いた。

 

 

 「…嵐のような子ね…」

 

 「なんだったの…ホント…」

 

 「…本当に、前々からの知り合いって訳じゃないんですか?」

 

 

 リーファの言葉の後に、シリカが興味を持ったのか、アキトを見つめてそう紡ぐ。

 だがアキトは表情を全く変えずに口を開いた。

 

 

 「知らねぇよ。…初めて会ったのだって、77層のボス討伐後だし……てか、別にお前らには関係無いだろ」

 

 「何よその言い方。私達は、アンタの仲間だと思ったから聞いてるのに」

 

 「は?」

 

 

 シノンのその食ってかかる態度と言葉に疑問を抱き、アキトが反応する。

 そのシノンの言葉を要約するように、リズベットが口を開いた。

 

 

 「もしかしたら、アキトのギルドの仲間、なのかと思って…」

 

 「っ…」

 

 

 

 

 ───ドクン

 

 

 心臓の音が、大きく鳴っているようだ。その音が、聞こえるようだ。

 他人の口から、自身のギルドの話が紡がれるとは思ってなくて。

 思わず目を見開いた。

 過去の光景が、脳裏に焼き付いて離れない。色々な事が、連鎖して思い出されていく。

 これ以上は、いけない。

 言葉が詰まり、瞳が揺れ動く。

 

 

 「…関係、無いだろ」

 

 

 その言葉は、小さくて聞こえない。

 だが、前髪で瞳が隠れ、その表情がよく見えないにも関わらず、傍にいたアスナだけは、その言葉を聞き逃さなかった。

 

 

 「…というか、アンタのそのギルドマーク、見た事無いのよね…アンタ以外に付けてるプレイヤー」

 

 「あたしも、見た事ないかもです」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 リズベットとシリカの発言は、確かに正論だった。

 だが、そんな事など聞く余裕も無いほど、アキトは狼狽している。体が僅かに震えているのを、アスナとクラインは気付いていた。

 

 

 「私達も知らないわよね」

 

 「もし良かったら、アキト君の事教え──」

 

 

 

 「関係無いだろ!! 」

 

 「っ…」

 

 「え…、アキト…?」

 

 

 リーファの言葉を遮り、アキトは勢い良く立ち上がる。飲んでいたコーヒーカップは、地面へと落下していき、やがて光の破片となって砕け散った。

 あれほどまでに賑わっていた店も、アキトのその怒声で一気に静まり返る。皆が一様に、アキトの事を見つめていた。

 シリカやリズベット、シノンやユイ、エギルも、そんなアキトに目を見開いていて。

 

 ただ一人。

 クラインだけは、そんなアキトに悲しげな表情を浮かべていた。

 

 

 「あ…ア、アキトさ──」

 

 

 ユイのその声掛けを無視し、アキトはそのまま2階へと上っていってしまった。

 まるで、逃げるように。

 彼らは驚きを隠せずにいて、ただアキトが登った先を見つめるばかり。

 リズベットは、あんな悲痛な表情を浮かべるアキトを見た事が無くて。だからこそ、気付いてしまったのだ。

 過去に、大きな何かがあった事を。

 

 

(アキト…アンタは、一体…)

 

 

 アスナはアキトの背に、キリトの背負っているものが見えたような気がした。その背を見て、困惑を隠せずにいた。

 シリカやリーファは、あんな怒声を上げるアキトを見た事が無くて、驚きに声も出ないようだった。

 エギルは何も言わず、息を軽く吐くと、カウンターの作業に戻り、クラインは悲しげな表情のまま、飲み物に手を伸ばしていた。

 ユイはアキトの上った先の階段を見て、瞳が揺れ動く。どうしたら良いのか、考えているようで。

 シノンは、何かを考えるように、何かに思いを馳せるように、アキトの背が見えなくなるまで見つめていた。

 

 

 辺りのプレイヤーはまた、何事も無かったかのように声を上げ、賑やかなものへと変わっていった。

 アスナ達の場所だけは、未だに静寂に包まれていた。

 

 

 人生は、選択の連続。

 何かを得るという事は、何かを失うという事。

 一つ何かが解決したら、今度は別の何かが生じる。

 負の連鎖が、この世界には蔓延っていて。けれど彼らは、その世界の抗い方を知らない。

 その為には、失うものが無さ過ぎたのだ。

 

 

 

 

 

 突如現れた、黒い剣士アキト。

 

 

 彼の事も、彼らはまだ何も知らない────

 

 

 




近付いては、また離れて。
縮まったかと思えば、また拗れる。
出会いだけでは決して無くて。アキトとのその距離も、近付いたかどうか分からなくて。
仲直りかと思いきや、まだまだ溝は深まるばかり。


女々しい主人公かもしれませんが、お付き合い下さっている皆さん、ありがとうございます!

感想、質問、要望など、ドンドン送って下さいませ!
これは違うんじゃない?というのもオーケーです!納得がいくものであれば修正させていただきます!


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Ex.2 仮想を生き抜く白い猫



更新遅れて申し訳無いです。m(_ _)m
この話は現実世界のオリキャラの話を描いた番外編です。
ストーリーは直接本編と関わりが無いので、オリキャラが苦手な方は飛ばしても大丈夫です。
番外編をやる時は、本編を待って下さる方々の為、必ず本編の方も同時に投稿しますので、この話は読まなくてもいいという方は、本編へとお進み下さい。

では、どうぞ!


 

 

 

 人は誰しも、旅をする生き物だと思う。

 社会へ、思考へ、国へ、世界へ。

 その理由は人それぞれ違うと思う。けれど、最終的に行き着く場所、その理由の根幹は、自分探しだと思った。

 

 私には、自分が無い。

 何も、見えていなくて。

 ずっと、一つの事に囚われて、前に進めずにいる。

 

 

 だから、私は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 《アルフヘイム・オンライン》、通称《ALO》。

 ナーヴギアの後継機、《アミュスフィア》を使ってプレイする事で遊べるVRMMORPG。

 魔法という摩訶不思議なものを使用出来、空をも飛ぶ事で人気を集めるVRMMO。

 九つの種族間のPKを推奨しているゲームであり、直接戦闘はプレイヤーの反応速度に依存する。

 ゲームシステムはスキル制、レベルの概念は存在しない。

 

 サラマンダー、ウンディーネ、シルフ、ノーム、インプ、スプリガン、ケットシー、レプラコーン、プーカ。

 それぞれに特徴や得意な系統の戦い方やスキル、魔法などがあり、それを駆使して戦っていくのだ。

 種族間の戦闘とは言ったが、他種族同士で組むパーティやギルドも多く存在する。

 

 

 例えば今、シルフ領の森の近くにいるこの集団。

 大柄のサラマンダーを筆頭に、シルフ、ノーム、インプ、スプリガンの5人の男性プレイヤー。

 ゲームの中では現在夜、月明かりが明るく煌めき、星々が舞っていた。

 その森は月明かりに照らされ、ある程度は視野が明るかった。

 その中のリーダー格、サラマンダーの男は近くの大岩にどかりと座り込み、何やらイラついているのか貧乏揺すりが目立っていた。

 その他の4人も、そんな彼の様子を半ばビビりながら伺っている者、それとは関係無く武器を眺めている者、鼻歌を歌っている者と様々。

 

 彼らもまた、例によって種族間の集まりではなく、とあるギルドに所属しているプレイヤー達だった。

 

 

 「…チッ、おっせぇな…」

 

 

 サラマンダーの男は今にもキレそうで、その背に収まる大剣を今にも抜きそうだった。

 そんな彼を見て、シルフの男がビクリと震える。

 

 

 「も、もう少しで約束の時間だし、その内来るって!」

 

 「うっせぇな、ほっとけよ。ガレアは短気過ぎだっつの」

 

 「…ほっとけ…」

 

 

 シルフの言葉に同調するように、スプリガンの少年がサラマンダーの男、ガレアを見て嘲笑う。

 ガレアはスプリガンを睨み付けた後、興味が失せたのか、やがて森の向こうへと視線を移した。

 そんな彼らを眺めた後、インプのプレイヤーが木に寄りかかったまま言葉を繋げる。

 

 

 「しっかし、確かに遅いよなー…索敵にも引っかからないし、連絡も無いし…もしかしてメルの奴しくじったんじゃね?」

 

 「嫌、そりゃねぇだろ。『リアルでは詐欺師やっますー』とか、頭イカれた事言ってるけど、確かにアイツは騙す事に関してはプロだぜ?初心者ならホイホイ付いてくってーの」

 

 

 インプの言葉に反応し、ノームのプレイヤーが小馬鹿にしたように笑い出した。

 それもそうかと、インプの少年も笑う。

 

 

 そして、暫くすると5人の索敵に反応があった。

 

 

 「…おい、来たんじゃねぇの」

 

 「…やっとかよ…へへ」

 

 

 ガレアはその反応を見て、嬉しそうに腰を上げる。

 大剣の柄を握り、いつでも抜刀出来るよう構える。

 シルフのプレイヤーは片手棍を手に取りガレアの真横に立つ。スプリガンは変わらず大岩に寄りかかっており、インプのプレイヤーは刀を、ノームの男は両手斧を構える。

 索敵の反応は目線の先、凡そ50メートル程。暗闇で良く見えないが、確かにプレイヤーが近付いて来る。

 

 

 反応は1人。

 

 

 

 

 「……あ?…1人?」

 

 

 ノームの男はどういう事だと顔を顰める。シルフのプレイヤーもオドオドしながらも目を見開く。

 

 

 「オイオイ、どーゆー事だよ。今日は3人の予定だったろ」

 

 「…まさか取り逃がしたとか?」

 

 

 インプのその発言に、シルフは答える。

 ガレアは変わらず、森の奥へと視線を向けていた。

 

 やがて、その森の奥から、プレイヤーの影が見える。

 彼らはそれに気付くと、漸くしっかりと武器を構えた。

 予定とは違うが、それでも構わない。彼らは各々気を高ぶらせる。

 が、次の瞬間、彼らはその姿に一瞬魅入られた。

 

 

 木々の影から、開けた場所へと、一人の少女が現れた。

 

 

 その少女は、一言で表すのなら、『白猫』。

 その姿、何から何までが白く統一されており、その頭には、ケットシーならではの耳が付いていた。

 髪は長く、白を貴重としたその装備は、スピード重視の軽装備。

 武器は白銀に光る刀。

 その瞳は冷たく彼らに突き刺さった。

 

 

 彼らは、目の前の少女が誰かなのか、一瞬で理解した。

 

 

 「…お、おい…コイツ、まさか…」

 

 「し…『白猫』…!」

 

 「な、なんでこんな所にいんだよ!」

 

 

 インプ、シルフ、ノームはそれぞれ目を見開きながら、目の前の少女に訴える。

 スプリガンはただ彼女を睨んでおり、サラマンダーは変わらず少女を見据えている。

 少女は彼らを一瞥した後、漸く口を開いた。

 

 

 「…悪いけど、君達の仲間は来ないよ。同じ種族とはいえ、ウチの領の仲間に手を出していたから、ちょっとお仕置きしておいた」

 

 「なっ…」

 

 「なんだと…!」

 

 「初心者狩り…趣味が良いとは言えないね」

 

 

 彼女はその一言に、盛大に怒気を含ませて言い放つ。彼らは思わず尻込みした。

 そう、彼らはここ最近ALOを始めようとする初心者を狙ってPKを行う集団として、掲示板に掲載される程のお尋ね者だったのだ。

 彼らは種族がバラバラなのをいい事に、それぞれの領に潜伏しては、プレイヤー間の『友達をALOに呼びたい』等と言った話、情報を盗み聞きしては、その初心者をこのような人気の無い場所に誘い込んではこうして襲っているらしいのだ。

 

 そして、今回の標的は彼女のいるケットシーの初心者プレイヤーだったのだ。

 

 

 「ど…どうして俺達がケットシーを狙うって分かったんだ!?」

 

 「知り合いに情報通がいてね」

 

 

 彼女はそれだけ言うと、もう答える事は無いと彼らから視線を逸らす。

 彼女は事前に彼らの動向を探っており、今日この日、自身の領内のプレイヤーが襲われる事を知り、事前に手を打っていたのだ。

 彼らは種族問わずにそれを繰り返しており、被害は尚も続いていた。

 討伐隊という大袈裟なものを組んだにも関わらず、一掃されてしまったらしく、実力は本物。

 サクヤもアリシャも手を焼いていた。

 その事を説明すると、流石にガレアも目を見開いていた。

 

 

 聞きたい事は、きっと色々ある。お互いに。

 何故それほど手間をかけてまで初心者狩りを繰り返しているのか、その目的とは何か。

 初心者を襲っても、大したアイテムは手に入らない。

 だからこそ、意味の無いPKに思えてならなかった。

『白猫』と呼ばれたその少女は、自身の鞘から刀を抜き取った。そして、リーダーのサラマンダー、ガレアに向かって突き付ける。

 

 

 「…ガレア。サラマンダー領で副将クラスだった実力者。力に物を言わせる態度と、度重なるチーム間での暴走によって領を追放。今はギルド《シャムロック》に入隊…。よくシャムロックが入隊を許可したね」

 

 「んなもん、反省した顔を見せりゃあすぐだったよ。俺はそこらの雑魚と違って強ぇからよ、何処も欲しがんだよ」

 

 「…ギルドに入っても、その性格は変わらないみたいね」

 

 

 白猫は溜め息を吐くと、彼らを睨み付けた。

 

 

 「…貴方達がどんな目的で初心者狩りをしてるのか、私は知らない。知りたくもない。だけど…」

 

 

 ここでは無い他の世界では、死が現実に直結している。

 例えゲームでも、必死に生きている人がいる。

 それなのに、無駄に命を散らす事をしているなんて。

 

 今回標的になったのは、このゲームでの彼女の友人、その後輩3人だった。彼女達はそれは仲が良くて、ALOも3人一緒にログインすると決めていたらしい。

 種族は彼女とその友人と同じが良いと言って、ケットシーのみの一択だったそうで、それを聞いた時、とても嬉しかったのを覚えている。

 3人は同時にスタート出来るようにと、全員が買えるようになるまで我慢していた。

 少しずつお小遣いを地道に貯めて、漸くソフトを買って、3人一緒にスタートする筈だったのだ。

 

 それを脅かそうとした彼ら。右も左も分からないうちに、強者に斬り伏せられてしまった日には、ショックで二度と遊べなくなるかもしれない。

 到底許せるものではなかった。

 

 

 ガレアは大岩から飛び降り、白猫に近付く。

 その大剣から手は離さない。

 

 

 「…『だけど』、何だよ。許せねぇってか?だったらどうすんだよ、俺ら5人相手じゃいくらお前でも───」

 

 「心配要らない。…寧ろ」

 

 「っ…!?」

 

 

 気が付くと、ガレアの目の前から、白猫は消えていた。

 

 

 「え…?っ!う、うわぁ───」

 

 「っ…」

 

 

 声のする方へ、ガレアは勢い良く振り向く。

 そこには、支援専門のシルフのプレイヤーが白猫に斬られ、なす術なくリメインライトと化す姿があった。

 その瞳は冷たく、真っ直ぐにガレアを見つめていた。

 

 

 「…5人じゃ、足らないくらいだよ」

 

 「っ、このっ…!」

 

 

 即座にインプが刀を白猫に振り抜く。彼女はそれを紙一重に躱すと、一瞬でそのインプに詰め寄った。

 

 

 「なっ…!?」

 

 「───っ!」

 

 

 隙だらけのインプに目掛け、白銀に輝く刀が、月の光に照らされて辺りに光を撒き散らす。

 その刀の連撃は、瞬く間にインプの体に入り込み、HPを一瞬でゼロにした。

 この間、僅か20秒足らず。凄まじい連撃数とダメージ量だった。

 

 ノームはその隙を突くかのように、横に斧を薙ぐ。

 しかし彼女はそれにも反応し、素早く飛び上がり、その斧を蹴り落とす。

 

 

 「うおっ!」

 

 「───っ!」

 

 

 上から蹴られた事により、斧は地面へと突き刺さる。体勢を崩したノームのガラ空きとなった背中を、白猫は見逃さない。

 彼女は物凄い勢いで落下し、ノームの背中を斬り付けた。

 

 

 「ぐあぁあ!」

 

 「テメェ!」

 

 「っ!」

 

 

 再び隙を突くようにガレアが上段から大剣を振り下ろす。

 だが白猫は動じない。背中に迫るその大剣を、そのまま背を向けた状態で受け流した。

 流れたその大剣は、そのままノームの背に突き刺さった。

 

 

 「がああぁぁああ!?」

 

 「なんだと!?」

 

 

 ガレアは驚いたように声を上げるが、瞬時にその場から離れる。

 大剣のダメージはかなりのものだったらしく、そのノームも残り火と化していた。

 その光景を、ガレアは目を見開いて困惑していた。

 何だ。何なんだこれは。こんな一瞬で、呆気なく、3人が。

 白猫の周囲を囲うように、小さな炎が灯される。その光で彼女の容姿がくっきりと現れる。

 白銀のそのアバターは、誰が見ても美しく感じる程の容姿。リメインライトとなった3人は、思わず見惚れていた。

 

 

 「へぇ…『白猫』、ここまでやるとはねぇ…」

 

 

 仲間が既に半数倒されたというのに、スプリガンの男は飄々としており、白猫の容姿を上から下まで舐め回すように見つめる。

 その視線を真っ直ぐに受けるも、白猫の表情は変わらない。その冷たき視線を変える事無く、その刀を胸元へと引き寄せる。

 

 

 「…まだ、やるの?」

 

 「っ…ナメ、るなぁ…!」

 

 

 ガレアはスプリガンに指示を出す事もせず、大剣を持って白猫に迫る。白猫は決して油断する事無く繰り出されるであろう連撃に備える。

 上から、下から、左から、右から。四方八方から襲い来る大剣の全てを斬り落とし、目の前の男の戦意を削いでいく。

 そして、隙を見て連撃を重ねていく。

 ガレアの体からは、血のようなエフェクトが。

 

 

 「チィ…!クソがぁ!」

 

 「っ…!───っ!」

 

 

 躱し、凌ぎ、斬り付け、斬り落とす。

 もっと、もっと、もっと、もっとだ。

 彼はもっと。

 

 

(桐杜は、もっと過酷な世界で…!)

 

 

 「うおおおぉぉおぉおおぉおおぉお!!!」

 

 「っらあっ!」

 

 

 瞬間、ガレアが大剣を振り上げた瞬間を見逃さない。

 白猫はその刀を素早く彼の懐に潜り込ませ、その刀身を彼の体に這わせる。

 そして、一閃。

 

 

 「────」

 

 

 ガレアの言葉は、聞こえる事は無く、そのまま炎となって消し飛んだ。

 その炎を背にした白猫は、フッと軽く息を吐く。

 まだだ、まだ気を抜く訳にはいかない。あと一人、残っている。

 白猫はバッと顔を勢い良く上げ、刀を構える。

 だが視界に先程までいたスプリガンの男が見当たらない。

 

 

 

(っ…!?スプリガンがいない…!)

 

 

 

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よぉ」

 

 「っ…!?くっ…!」

 

 

 突如すぐ隣りから声がしたと思えば、いきなり脇腹を蹴り飛ばされる。

 体重の軽い彼女とはいえ、かなりの距離を吹き飛ばされた。

 急いで体勢を立て直すべく立て直すが、目の前には既にスプリガンの少年が。

 

 

 「ほらよぉ!」

 

 「っ…!」

 

 

 咄嗟に刀で防御する。彼の持っている武器は、少しだけ長めの短剣。リーチが短い分、自身の力が刃先まで強く伝わる。

 素の筋力値では、女性でもある白猫が不利だった。

 

 

 「余所見すんなよ」

 

 「っ…!?」

 

 

 鍔迫り合いの中、スプリガンがいきなり白猫の足元を思い切り蹴り上げた。

 体勢を崩した白猫に、スプリガンが一気に詰め寄り、その短剣を突き刺す。

 驚きで目を見開くのも束の間、白猫は刀を引き寄せてどうにか受け流すが、崩れた体勢である事には変わりない。

 男は、白猫の腹部を思い切り、突き刺すように蹴り飛ばす。

 

 

 「あうっ…!」

 

 

 少女はそのまま飛んでいき、近くの木を背にぶつかった。

 ドサッと音が鳴り響き、少女は木の根元にへたり込む。

 

 

 「ほらほら、まだまだぁ!」

 

 「っ!」

 

 

 だが男は休ませてはくれない。即座に少女は立ち上がり、剣を捌くべく刀を構える。

 だが次の瞬間、男は短剣を上に放り投げた。彼女は思わず目を見開く。

 

 

 「えっ…っ!?」

 

 「おらぁ!」

 

 

 白猫が上空に舞う短剣に視線を動かした瞬間、男は再び彼女の腹部を蹴りつける。

 白猫は驚いた上に、対処出来ずに蹲るも、男から視線を外さない。

 畳み掛けるように、今度は回転しながら、彼女の首元を右の手刀で叩いてくる。白猫は目を見開くが、それを腕で防ぐ。

 

 

 「甘ぇよ」

 

 「あっ…!」

 

 

 読んでいたのか、男は手刀と同じ利き手の右足で回し蹴りするように白猫の右足を引っ掛ける。

 そのまま後ろに倒れそうになる白猫の顔を、左腕で殴り付けた。

 白猫は、それこそ石ころのように飛ばされる。地面を削り、草花を散らせ、やがて木の根元に辿り着いた。

 

 倒れたその体を、何とか起き上がらせようと、わなわなと震える腕を地面へと突き立てる。

 その様子を見て、スプリガンの男はニヤける顔を隠せない。

 

 

 「オイオイオイオイ!マジかよ『白猫』!お前こんなに弱かったのかよ、ハハッ!ガレアと良い勝負じゃねぇか!」

 

 「……」

 

 

 強い。少女は悔しげに彼を見上げる。

 今まで見た事もない戦闘方法。短剣を武器として扱うだけでなく、放り投げて視線を誘導したり、格闘術を織り交ぜたり、相手の隙を突く戦闘が様になっている。

 あの動き、現実で何か習っているのかもしれない。

 他の4人とは比にならないくらい強い。ガレアがリーダー格に見えたのは、彼が強さを、存在感を消すのに長けていたから。

 このスプリガンは、正真正銘のトッププレイヤーの一角。

 

 

 「んだよぉ〜…折角遊べると思ったのによぉ、『白猫』っつってもそこらの雑魚と変わんねぇじゃねぇか」

 

 「っ……」

 

 「チッ、つまんねぇなぁ…つまんねぇよ。どいつもこいつも雑魚ばっかでよお。この前来た討伐隊も話にならなかったし、目を見張る初心者もいやしねぇ。後はもう領主くらいじゃねぇか」

 

 

 スプリガンはさもつまらなそうにそう言葉にする。

 だが、白猫はその前に彼が言った一言が、頭の中で反芻していた為、それを聞いていなかった。

 

 

『そこらの雑魚と変わんねぇ』

 

 

 変わらない。その言葉を聞いて、白猫は拳を握り締める。

 白猫はずっと嫌っていた。その言葉を。

 あの日、二年前のあの日から。

 あれから何も変わってない?そんな事、分かっている。だからこそ、変わろうとしているんじゃないか。強くなろうとしているんじゃないか。

 ずっと、後悔していた。ずっと、謝りたかった。

 だからこそ強く。だからこそ、速く。

 いつか、いつでも、彼の隣りに立てるように。

 

 

 「っ…笑わせ…ないで…」

 

 

 少女は立ち上がる。ただ目の前の敵を睨み付け、その刀を構える。

 スプリガンはそんな彼女を煩わしく感じているような表情を見せつつ、その高揚とした気分を隠せない。

 その短剣を握り締め、再び彼女に迫った。

 

 

 「まだやんのか?精々楽しませてくれよ雑魚がぁ!」

 

 「────」

 

 

 少女は、迫り来る男の事を、その短剣を、その動きを思い出す。

 ずっと、後悔していた。そう言った。

 自分は、何も見えていなかったのだと、ずっと後悔していたのだ。

 だからこそ、もう何も見失わないように、見落とさないように、見逃さないように。

 全ての事から、目を逸らさないように。

 目に見える全ての事を、見て、感じて、記憶して。

 

 

 目の前の男の一挙手一投足を、何もかもを記憶する。

 

 

 

 「死ねぇ!…っ!?」

 

 

 次の瞬間、男の前から少女の姿が消える。

 一瞬の事で、男も戸惑っていた。辺りを見渡すが、目に見える所には何処にもいない。

 彼は次第に苛立ちを覚え、歯軋りをしだした。

 

 

 「チィ…今更逃げんのかよ雑魚ぉ!かかって来いよぉ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ───刹那。

 

 

 

 

 

 「こっち」

 

 「っ…!?」

 

 

 男のすぐ近くで、少女の声が。

 急いで振り向いた時には、もう遅い。

 

 

 「があっ!?」

 

 

 男は脇腹に衝撃を覚えながら、真横へと一直線に飛ばされる。

 物凄い勢いでぶつかって来た為、かなりの距離を移動していく。

 男はヨロヨロと立ち上がり、すぐに顔を上げた。

 

 

 「クソが!」

 

 「逆」

 

 「なっ…!?」

 

 

 今度は後ろから声がする。彼は驚き、咄嗟に短剣を構える。

 白猫が上段で刀を叩き込み、男は辛うじてそれを短剣で受け止める。

 上からの攻撃で重みもあり、白猫が段々とその刀を男の頭へと近付けていく。

 その結果に男は更に怒りのボルテージを上げていく。

 

 

 「渋てぇ野郎が…!」

 

 「余所見」

 

 「っ…うおぉっ!?」

 

 

 男が言葉を発した瞬間、少女は彼の支えになっている足元を蹴り上げる。

 男は驚愕を隠せないまま、為す術無くその体勢を崩していく。少女はそれを見逃さず、その腹部に両足で蹴りを叩き込んだ。

 男はそのまま飛ばされ、地面を削るように転がった。

 男は起き上がろうと体を上げるも、その瞳は驚愕と困惑により揺れていた。

 

 

(何だ…何が起きてる…!?)

 

 

 だが、男は確かにこの違和感に気付いていた。

 彼女の立ち上がってからの戦い方。この戦闘法、このコンボ。

 何から何まで。

 

 明らかに先程自分が白猫に浴びせた連撃だった。

 

 

 「う、そ…だろ…!?」

 

 

 最初から、今の攻撃の全て、彼の動きに寸分の狂い無く合わせて来たのだ。

 多少筋力値によって実現出来ない所も、両足を使う事で補い、スプリガンの男の戦い方を再現していたのだ。

 男は驚愕と困惑が合わさり、対応出来ずにダメージを受け続け、気が付けばHPも後僅か。

 だが、そんな事すら気にならない程に、そのショックは大きかった。

 

 

(た、たった一度、見せただけで…ここまでだと…!?)

 

 

 その男の焦りも最もだ。

 人間、一度見たものを全て暗記する事など不可能に近い。ましてや、それを実現するとなると、記憶力だけじゃどうにもならない。

 必ず、身体的な能力も必要となるのだ。

 だというのに、彼女は。

 たった一度、彼の動きを見ただけで。

 

 

 《白猫》、逢沢巧は、もう二度と後悔しないような生き方を望む。決して、間違えたくない。過ちを犯したくない。

 だからこそ、今度こそ、その目でちゃんと見るのだ。

 色んな事を見て、知って、決して忘れない。

 何も見えていなかったからこそ、何もかもを見たいと思った彼女だけの戦い方。

 これが彼女の切り札。

 ケットシー領内でも知ってるプレイヤーは少ない彼女の戦闘法で、プレイヤーのハイレベルな戦闘技術を一瞬でものにする、言わば彼女のユニークスキル。

 ケットシー内で、彼女のその技は、渾名にちなんでこう呼ばれている。

 

 

『コピーキャット』と。

 

 

 

 

(嘘だ…この俺が…俺が負ける訳ねぇ…!)

 

 

 「っ…!」

 

 

 我に返ると、その白い猫はすぐ傍まで迫っていた。

 男は焦って咄嗟に立ち上がるが、ふと考える。

 そして、何かを思い付いたかのような顔をすると、その口元が弧を描いた。

 スプリガンは短剣を構えて白猫を迎え撃つ。

 白猫の動きに、困惑したような表情を浮かべながら。

 そして、白猫が、先程男がしたように、刀を宙に放り投げた。

 

 

 「っ…!……なぁんてなぁ!」

 

 

 一瞬、その上空に舞う刀に視線を移したかのように見せ、その視線は白猫を捉えて離さない。

 あの技は、相手が脅威となる武器を放り投げられて困惑した隙を狙う技。武器に視線が行かなければ、何の意味も無い。

 そのまま刀に目もくれず、少女に突進していく。

 

 

 「これで終わりだ白猫ォ!死ねぇ!」

 

 

 男は短剣を、白猫の腹へと向かって伸ばした。

 これで終わりだと。俺が最強だと。

 だが、白猫の表情は冷静だった。

 

 

 

 

 「悪いけど、それはこっちのセリフだよ」

 

 

 

 

 白猫は上空へと飛び上がり、その男の一撃を躱した。

 驚くスプリガンは、そのまま体勢を崩して倒れ込んだ。

 急いで立て直すも、もう遅い。

 空中で刀を掴んだ白猫は、こちらを見上げて目を見開くスプリガン目掛けて、その刀を一気に振り下ろした。

 

 

 

 

 「がああぁぁあああぁあぁあぁぁぁあああ!!!?」

 

 

 

 そのHPは、みるみる内にゼロになり、その体が炎へと変わっていく。

 その姿を、白猫は冷めた目で見つめていた。

 彼らは討伐隊ですら敵わなかったプレイヤーの筈だったのだ。

 だが、そんなプレイヤー達も彼女の前では無力に等しかった。常に見て、把握して、隙を突く。

 小柄で非力な少女だからと侮った結果でもあったし、始めからの実力差でもあった。

 彼らは再び初心者狩りをするかもしれないが、この情報が周りに知れ渡れば、多少対策の目処は立つかもしれない。

 彼らは一度、負けてしまったのだ。それも、たった1人のプレイヤーに。

 それだけで彼らの強者としてのイメージは崩れ去る。今後は、彼らの行いを規制しようとするプレイヤーも増える事だろう。

 

 

 「…クッソが…ああぁぁああ!」

 

 「っ…」

 

 

 炎へと成りゆくその最中、スプリガンの男は白猫をただただ睨み付けていた。

 彼の目的、今まで初心者狩りをしていた理由は分からない。何か、大事な理由があったのかもしれない。

 

 でも、知ろうとは思わない。

 

 

 男は最後の捨て台詞かのように、彼女に向かって吐き捨てる。

 

 

 「…へっ…たかがゲームで…こんなマジになるなんてよ…現実じゃあ何も出来ないガキの癖によ…!」

 

 

 それは、彼の精一杯の負け惜しみだった。

 だけど、彼女は全く表情を変えない。彼の負け惜しみを、彼の捨て台詞を何とも思わない。

 だって、私はずっと待っているから。

 たかがゲームを、真剣に生き抜いている人を、いつまでも待っているから。

 都合が良い事は分かっている。

 だけど、それでも私は待ち続けるんだ。

 

 

 だって、桐杜は今もまだ、ゲームに命をかけている。

 だから────

 

 

 

 

 

 

 

 「…充分」

 

 

 

 

 完全に残り火になった彼を見下ろし、その白い猫はこう告げた。

 

 

 たかがゲーム。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「私が命をかけるのに、それ以上の理由は必要無い」

 

 

 

 

 




プロフィール更新

名前 : 逢沢 巧 (あいざわ たくみ)

種族 : ケットシー

アキトの形式上妹に当たる同年代の少女。
アバター名は《ユキ》。彼女が昔飼っていた猫の名前からつけた名前である。
アバターは、その何もかもが白い事から《白猫》と呼ばれている。
主な使用武器は刀。相手の力を利用する戦い方、カウンターなどを得意としている。


戦闘法 : 《コピーキャット》

『模倣する、真似をすること』という意味を持つ言葉、彼女のもう一つの戦い方。
相手の戦闘技術を一度見ただけで模倣し、相手を動揺させる事を目的とした戦闘法。
だが、思いの外その模倣技術がかなりのもので、使用すると殆どのプレイヤーが動揺どころか敗北してしまう程。
大抵の場合、主武装である刀で模倣するが、場合によっては武器をも変えて行う事が出来る。
但し、技の威力だけは模倣出来ないので、ダメージ量は自身の筋力値に依存する。
彼女のとあるトラウマによって生まれたものだが、模倣する技術に関しては元々持っていたものだと思われる。




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Ep.34 未知を旅する黒い猫


こちらは本編です!
読み飛ばしていただいた方々、どうぞ!


 

 

《ホロウ・エリア》セルベンディスの神殿前広場

 

 

その名の通り、転移石のすぐ近くには、大きな神殿が建てられている。

巨大な神殿の周りには、幾つもの巨大な樹木が連なり、とても幻想的な風景を作っていた。

周りには巨大な虫型のモンスターやスケルトン、蜂型のモンスターも蔓延っており、いかにも森を基調としたエリアとなっていた。

 

 

アキトはフィリアとの約束通り、《ホロウ・エリア》へと足を踏み入れていた。

今日から少しずつ、この場所を理解していこうという目的の為に。

本当はこんな所にいる時間が勿体無いと、そう思うかもしれないが、隠しエリアである事は紛れも無い事実。

ならば、きっとまだ見ぬスキルや装備、素材があってもおかしくはない。

少しでも攻略が楽になるならと、アキトはその希望にかけたのだ。

 

 

あれだけ未開の地は怖いと感じていたのに。けれど、クリアの為、誰かの為と思うと、それだけでやろうとする意志が芽生えた気がした。

それに、この場所にいれば、アークソフィアでの事を一時的に忘れられるから。

 

 

「……」

 

 

昨日の事は、自分が悪いと思っていた。

いつまでも終わってしまった過去を乗り越える事が出来ず、落ち込んでいるように周りからは見えたのだろうか。

仲直りしたと思ったら。誰かと分かり合えたと思ったら。また拗れる。

自分がどれほど弱い人間かを突き付けられる。

彼らは、どうだっただろうか。

シリカはキリトが死んでも、攻略組の力になろうと必死にレベルを上げている。リズベットは、自分に出来る事を模索し、攻略にまで手を伸ばした。

クラインやエギルは、悲しみで動けないような事はしてはいけないと、己を律している。

ユイは、キリトの死を受け入れ、悲しみに暮れて尚、それでもアスナの事を心配していた。

自分はそんなアスナに、偉そうな事を言っておいて、自分は何も変わっていなかった。

自分の事を、棚に上げていた。

 

過去の事を、皆が乗り越えようとしているのに、自分だけ────

 

 

(俺だけは───)

 

 

「…ねぇ、聞いてる?」

 

「っ…」

 

 

ふと顔を上げてみれば、フィリアが割と近くにいて、こちらを心配そうに見つめる。

アキトはバッと体を起こし、彼女から離れる。

そんなアキトの失礼な態度に構いもせず、フィリアはアキトに問いかけた。

 

 

「…何かあったの?」

 

「…別に、何もねぇよ」

 

 

フィリアのその言葉から逃げるように、アキトは彼女の前を進む。

まだ出会って間もない彼女にまで心配されるような顔をしていたと思うと情けなく感じてしまう。

アキトは己を戒め、その背の鞘から剣を抜いた。

すると、アキトの持つ剣に目がいった。

 

 

「…ねぇ、それって片手剣だよね?どうして今日は刀じゃないの?」

 

 

フィリアはアキトの持つ黒い剣、《エリュシデータ》を見てそう呟く。

初めて出会った時使っていたのは、何の変哲もない刀だった筈だ。

だが、この片手剣はかなりのステータスがあるように見える。

アキトは手元のエリュシデータに視線を落とすと、フィリアに向かってこう告げた。

 

 

「寧ろこっちがメインだ。この前は事情があって刀使ってたんだよ」

 

「ふーん…その剣、結構な業物だよね。何処で手に入れたの…?」

 

「…いや、これは貰い物────」

 

 

 

 

そこまで言うと、アキトの視界が曇る。ザザッ、とスノーノイズのようなものがかかって、前がよく見えない。

何が起こっているのか分からない。手で払っても消えてくれない。

やがて、その視界のスノーノイズから隙間が出来てうっすらとその景色が見えた。

脳裏に映し出されるは、見た事も無い光景。戦った事も無いモンスターの姿。

なんだ、これは。知らない記憶。知らない声が、聞こえる────

 

 

 

 

「…?」

 

「……50層ボスの……ラストアタック、ボーナス……」

 

「クォーターポイントの?それからずっと使えてるって事は、それが魔剣とかいう武器なんだ…」

 

 

フィリアはその事実に目を丸くしながら、関心したようにエリュシデータを見つめていた。

だがアキトは、そう答えた自分のおかしさに、動揺を隠せず、瞳が揺れていた。

心做しか呼吸が荒くなり、心臓が大きく動く。

 

 

(な……なんだ、これ……なんで……これ、は……)

 

 

その視界を覆う嵐は、段々と薄まっていく。その視界もゆっくりと広がっていく。

やがてその目の前には、現在自分が立っていた景色、《セルベンディスの神殿前広場》と呼ばれるエリアが広がっており、アキトは漸く視界が戻って来た事に、途轍もない安堵を覚えていた。

 

 

「……」

 

 

その瞳を軽く右手で抑える。もうノイズは感じない。

何もかもが、今まで通り。

けれど、不快感は拭い切れない。

 

 

「…ねぇ、大丈夫?あんた今日ちょっと変だよ?」

 

「っ…別に…大丈夫だって…」

 

 

アキトはその重い足を悟られぬよう、力強く地面を踏み締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その神殿の中は想像より明るく、道は左右で対称になっていた。

二人は入口付近で立ち止まり、左右を交互に確認して進む。

その静かな空気にいたたまれなくなったのか、フィリアは口を開く。

 

 

「…これからどうするの?」

 

「特にこれといって決めてた事は無いな。お前は何か無いのかよ」

 

「…私?」

 

 

アキトはこのエリアの用途や、マッピングを目的としている為、特に明確な目的があって行動している訳では無かった。

フィリアが何かあるのなら、それに合わせてもいいと思っていた。

彼女は考え込むようにして俯くが、やがてアキトは気になっていた事を口に出した。

 

 

「お前アインクラッドに一度でも戻ったのか?」

 

 

アキトのその言葉に、フィリアは一瞬だけ固まる。

本来オレンジプレイヤーは《圏内》に立ち入ると、プレイヤーでは凡そ討伐は不可能と言われる程に強いNPCガーディアンに大挙して襲われるため、事実上《圏内》へ立ち入ることが出来ない。

転移門は《圏内》にのみ設置されているため、オレンジプレイヤーが層を移動する方法は限られている。

転移結晶で圏外の安全地帯、《圏外村》を指定したり、攻略済の迷宮区タワーを歩く事で街へと入ったり、極めて高価な回廊結晶を使用するなどの方法でのみ街へ入る事が出来るのだ。

現在フィリアは《圏内》である《ホロウ・エリア管理区》には入れる為、圏内から圏内へと転移すれば、アインクラッドに戻れる可能性は高いのだ。

そうすればあちらでカーソルの色を元に戻す為の、カルマ回復クエストを受注する事が出来る。

 

だが、アキトはフィリアと出会って暫く経つが、フィリアのカーソルは依然としてオレンジのまま。

カルマ回復どころか、アインクラッドにすら戻っていないのではないか。

フィリアは目を逸らしながら、小さく口を開いた。

 

 

「別に……戻ってないわ」

 

「……あっそ」

 

 

アキトはそんなフィリアに若干の心配を抱きつつ、視線を前へと戻した。

フィリアは軽く返事するアキトに拍子抜けしたのか、目を丸くしてその背を見つめた。

 

 

「……それだけ?」

 

「あ?それだけだっつの。別に一々理由聞こうだなんて思わないし、興味無い。オレンジカーソルを気にしてる、とかならまあ仕方無ぇしな。この場所にカルマ回復クエストがあるか分かんねぇし」

 

「まあ……カーソルは確かに気になるかもしれないわね」

 

「……仲間、とか…いんのか?連絡、とか…」

 

 

興味無いと言いつつも、アキトはフィリアの方へと再び目線を配る。

仲間の大切さを誰よりも知っているからこそ、心配させるべきじゃないと、そう思うから。

フィリアはアキトの言葉に一瞬だけ驚いたような顔を向けるが、すぐにフッと力を抜いた。

 

 

「……大丈夫よ。トレジャーハントで何日も篭って連絡を取らない事だってよくあるし、そんなに心配される事なんてない」

 

「そうかよ」

 

 

だがずっと《ホロウ・エリア》にいる訳にもいかないだろう。

フィリアは今現在ソロでこのエリアを生き抜いている訳だし、体力的にも精神的にも疲労はある筈だ。

もしかしたらこのエリアにも、カルマ回復クエストがあるかもしれない。

 

 

(一応、攻略しながら探してみようかな)

 

 

アキトはそう思いつつ、ポケットに手を突っ込んだ。

だが、アキトは何かを思い出したのか、歩みを止めて後ろを向いた。

 

 

「……んで?お前、何か目的あんのかよ。聞きそびれたわ」

 

「あ、そうだった。えっと…これ」

 

 

フィリアも思い出したかのようにハッとした後、自身の腰に収めていた黒い短剣を引き抜き、アキトの目の前に差し出して見せた。

アキトはフィリアの顔を一度見た後、その黒い短剣に目を通す。

 

 

「……ああ、耐久値か」

 

「ううん、なるべく戦闘は避けてきたから装備の耐久値には、別に問題は無いんだけど…武器の強化はしたいかな」

 

「…強化、ね」

 

「この前、樹海エリアをまわっていた時に、強化素材になりそうな鉱石を見つけたのよ。ほら、一つ持ってるんだけど」

 

 

フィリアはウィンドウを操作すると、その手に一つの鉱石を可視化させた。

アキトの方へと手を伸ばし、その鉱石を近付ける。

アキトはその鉱石を見るが、それが見た事の無いものだという事はすぐに理解した。

名前は《鈴音鉱石》。

79層まで来て全くの見知らぬ鉱石というのも珍しいが、もしかしたら《ホロウ・エリア》限定の代物かもしれない。

 

 

「今のままの攻撃力だとここの敵相手にはちょっと心細いから、これで武器を強化したいんだ」

 

「…なるほどな。けど、一個じゃ足んねぇだろ。何処で手に入んだよそれ」

 

「丁度この辺り」

 

 

この《ホロウ・エリア》にいるモンスターは比較的レベルが高い。プレイヤーのスキルも当然の事だが、充実した装備も必要になってくる。

フィリアの申し出は最もだし、今後行動を共にするなら相方のステータスは高い方がいい。

やる事は決まった。丁度ここで素材が手に入るようだし、マッピングも兼ねて攻略してしまおう。

 

 

「…了解。んじゃ、行くか」

 

「…手伝ってくれるの?」

 

 

フィリアのその一言で、アキトの体が強ばった。

いつの間にか協力する流れになっていた事に気付き、アキトは頭を抱える。

どんなに憎まれる存在になろうとも、根底にあるものは変わってくれない。

アキトはフィリアを睨むように見据えるが、やがて前を向き歩き出した。

 

 

「マッピングもあるんだ、付き合ってやる」

 

「…ありがと」

 

 

素直には言えない、このもどかしさ。けれどアキトはそのやり方を変えられない。

フィリアは不思議そうに見つめながら、アキトのその背を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

《ホロウ・エリア》

 

 

アキトが突然転移した、正体不明の秘匿エリア。

何もかもが新しく、自分を中心に未知が広がっている。アキトは今、その未知の空間にいるのだと実感させられる。

それが、どれほど恐ろしい事か。

知らないという事こそ、恐ろしいものは無い。情報が曖昧だと失敗する可能性の方が大きいからだ。

そうでなくとも、自分は何度も失敗しているのに。

 

 

神殿を出ると、再び樹海が続いており、植物系モンスターが多めの場所となっていた。

階層ではなく平面構造だけに、やはりどこまでも大地が広がっている。その度に実感するのだ。同じように、未知もまた広がっているのだと。

アキトはフィリアの案内に従いつつ、目的地までの道を進んでいく。

途中、いくつかの食材アイテムを手にしつつ、やって来たのは、苔で覆われたダンジョンだった。

 

 

「ここが目的地よ」

 

「……見た目的には入りたくない場所だな」

 

 

入口付近の石碑には、このダンジョンの名前が表記されていた。

《遺棄された武具実験場》。なんとも、見た目通りの名前である。

中にゆっくりと入っていくと、薄暗い中小さな光が灯り、それでいて明るく、戦いやすい雰囲気が出ていた。

 

 

「…まあ、適当に倒していくか」

 

「ええ」

 

 

アキトは鞘からエリュシデータを引き抜く。そして、その重みを実感する。

これを抜く度に、差を感じるのだ。自分はまだ、アイツの足元にも及ばないのではないかと。

 

 

「…いた」

 

 

フィリアの声でアキトは意識を引き戻し、フィリアに続いて壁から広場を眺める。

そこには騎士型のモンスター2体、スライム4体、ゴーレム1体といった種類豊富なモンスターが何体も蔓延っており、倒すのに手間がかかりそうだった。

 

 

「どいつからでも落ちんのか?確率は?」

 

「そんなに低くない。あそこにいる奴ら倒し切れば、それで終わるかもしれない…し、終わらないかもしれない」

 

「どっちだよ」

 

 

フィリアの曖昧な発言に肩を落としつつ、アキトは彼女よりも前に出る。

その剣を強く握り締め、モンスターの群れを見つめた。

 

 

「……」

 

「ちょ、ちょっとあんた、何する気?」

 

「…お前はここで見てろ」

 

「……え?」

 

 

どうしてだろう。今、この瞬間、目の前のモンスター全てを自分一人で倒したい。

何もかもを守れる力、一人で全てを手に入れる力を欲したいが為。

キリトなら一人で、倒せるであろう敵の群れ。

 

 

「────っ!」

 

 

アキトはその場所から一気に目の前に溜まるスライムの群れに向かって、エリュシデータを横に薙ぐ。

 

片手剣単発範囲技<ホリゾンタル>

 

エリュシデータは魔剣クラス。アキトの筋力値と相成って、目の前の黒いスライムは一気に死滅した。

その速度、この威力、ここに来るまでのそれとは明らかにランクが違う。

フィリアは驚愕を隠せず、その瞳を見開いた。

 

 

(何…今の…、今までと全然……!?)

 

 

彼女が困惑を見せる中、その戦いは続く。

アキトの乱入に気が付いた騎士型2体が一斉に迫る。

1体が剣を振り上げた瞬間に、アキトは右手を振り抜いた。

 

コネクト・体術上位スキル<エンブレイザー>

 

黄色く燃えるようなエフェクトを纏わせ、騎士型の腹部を正確に撃ち抜いた。

騎士型は吹き飛び、ゴーレムへと激突していった。

瞬間、2体目の騎士型が剣を振り抜く。アキトはその攻撃を、ソードスキルで弾き、そのまま攻撃へと移行する。

 

コネクト・片手剣四連撃技<バーチカル・スクエア>

 

煌びやかな剣戟が、騎士型の体に吸い込まれていく。HPは既にゼロ。その威力、最早オーバーキルもいい所だった。

アキトは気を緩めず、離れた場所にいるゴーレムと騎士型1体ずつを見据え、そのまま走り出す。

騎士型の攻撃を避け、背中から斬る。ゴーレムの突進を紙一重で躱し、その胸元を蹴り上げた。

 

 

(まだ、まだ上がる…!まだ速くなる…!)

 

 

自分は、近付けているだろうか。憧れの英雄に、なりたいと願う自分に。

誰かを守れる力、全てを手にする力を。

その黒き剣は英雄のもの。俺が目指す、親友の形見。

英雄の、剣。

 

その剣は絶望を斬り裂き

その剣は暗闇を照らし

その剣は意志を纏い

 

そして、その剣は加速する────

 

 

なりたい自分に、誇れる自分に。

果たしたい『約束』の為に。

 

 

「せああぁぁああっ!」

 

 

片手剣四連撃技<サベージ・フルクラム>

 

横に斬り払い、下から斬り上げ、そして今度は上から叩きつける。

騎士型は呻き声を上げながら、光の破片となり飛び散った。

 

 

「っ…、ぐっ…!」

 

 

その隙を突くかのように、ゴーレムの腕が腹に刺さる。

アキトは苦痛の表情を浮かべるも、そのまま拳でゴーレムの腕を叩き落とし、その剣を突き立てる。

 

片手剣単発突進技<ヴォーパル・ストライク>

 

その攻撃が、ゴーレムの体に一閃。

斬属性に耐性があるゴーレムも、その威力に耐えられはしなかった。

体を光が覆い、やがてポリゴン片となり飛び散った。

 

 

「……」

 

 

その広場からモンスターが消え去り、アキトはポツンとその場に立ち尽くした。

倒し切ったのに、心は晴れない。

きっと、キリトだったらもっと速く殲滅出来たのにと、比べて自分の未熟さを痛感しただけだった。

 

 

「……ねぇ、何で一人で……」

 

 

壁から姿を現したフィリアは、そんなアキトを見つめる。

アキトはフィリアの方を振り向いた後、悲しげな表情で笑みを作った。

 

 

「…少し、確認したい事があってな。…結果は散々だったけど」

 

 

アキトはエリュシデータを鞘に収め、ドロップした《鈴音鉱石》をフィリアに放り投げる。

フィリアは慌ててそれを受け取るも、お礼を言う前にアキトは進んでいってしまった。

彼は何を確認したくて、一人でモンスターを蹴散らしていたんだろうか。

フィリアに、それは理解出来る筈も無い。

 

 

でも、それでも。

彼が一心不乱で戦う姿が目に焼き付いて離れない。

 

 

彼はモンスターを斬り伏せながら───

 

 

 

 

必死に、何かを探しているようで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── Link 40% ──

 





ちょっと手抜き感あるなぁ…
後で修正するかもです。


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Ep.35 選択の連続


続きが書けたので早めに投稿します!


 

 

 76層<アークソフィア>

 

 時間的にはまだ昼下がり、太陽はまだ上に登っている時間帯。

 だが、最近は現実の世界に合わせているのか、日が落ちるのが早かった。

 もう少しすれば夕暮れ時に変わってしまう。

 フィールドに出ているプレイヤーもいれば、街で買い物や、食店をまわるプレイヤーもいる。

 76層より下の階層には下りられないという事実を知らないで来てしまったものも多い為、その比率は半々という所。

 だが上層であればあるほど、未知のものは多い。

 鉱石のような素材アイテム、装備品も然る事乍ら、食べ物、ひいては食材アイテムなどこの世界のアイテムは上に行けば行くほどその質は高いというものだ。

 最前線で戦う攻略組も、この天気で迷宮区に入るのは勿体無く感じるかもしれない。

 

 

 かく言う彼女もその一人、かもしれなかった。

 

 

 「ママ、今日はとても楽しかったです」

 

 「…そっか。ありがとね、ユイちゃん」

 

 

 アスナは現在、ユイと共に街中を歩いていた。手を繋いで歩くその姿は、まさに親子そのものだった。

 繋がれた手を見てユイはとても嬉しそうで。そんな彼女を見たアスナは、笑顔こそ返していたものの、心の中は罪悪感に押し潰されそうだった。

 

 アスナはこれまでずっと自分の事だけを考えてきた。ユイの事を半ば、いや、完全に放置していたのだ。

 キリトの死は、恋人であるただ自分だけの悲しみだと、そう思っていた。

 辛いのは、家族であるユイも同じ。悲しいのは自分だけだと思っていた。自分以上に、悲しく思っている者などいないと。

 でもその考えは間違いだった。誰もが人の死を悲しむ心を持っている。その思いを比べる事など、そもそも出来なかったのだ。

 シリカもリズも、エギルもクラインも、キリトの死を受け入れられず、ずっと心の中で涙した事だろう。

 恋人だから、結婚していたから、キリトに一番近いのは自分だけだと無意識に感じてたのかもしれない。

 

 生きる意味など無いと感じ、ユイを置いていった事は、紛れも無い事実だろう。

 自分ではアスナの生きる意味になれないと悟ったユイは、どんな気持ちだったのだろう。

 

 それを考えると、とても自分が許せなくて。

 あの時のアキトの言葉が、立ち姿が、とても眩しく見えて。

 

 都合の良い事だと分かっているが、アスナは今日、攻略を休んでユイと同じ時を過ごしていた。

 今まで通り、キリトと暮らしていた時のように、この世界を楽しんでみようと、そう思った。

 キリトの死は、決して乗り越えられるものではない。完全に割り切った訳じゃない。だけど、自分からユイを置いて行くような真似を、もう二度としないと誓ったのだ。

 そんなんじゃ、死んでもキリトに合わせる顔が無い。

 

 だからこそ、朝早くからユイと出掛け、77層、78層、79層と、いろんな街や自然を体験し、今さっき帰って来たのだ。

 その時のユイは、キリトの死を悲しみ、アスナの行動に涙していた頃の彼女の表情だけで無い。母親と共に遊ぶ、屈託の無い娘の笑みがそこにはあった。

 

 

 「…また、連れて行ってくれますか?」

 

 「うん。勿論だよ」

 

 「えへへ…ありがとうございます!」

 

 

 ユイはパァッと笑顔になり、アスナの手を少しだけ強く握り締めた。

 指切りの代わりと、そういうように。

 アスナは、この約束を絶対に守ろうと、心に決めた。

 

 

 「…それじゃあ、帰ろっか」

 

 「はいっ」

 

 

 アスナとユイは互いに転移門下の階段をおり、そのままエギルの店へと続く通路に足を向ける。

 すると、ユイがふと足を止め、通路とは違う方角へと視線を動かした。

 アスナは急に止まったユイが気になったのか、彼女を見てから、ユイが見ている方向へと視線を向ける。

 すると、転移門から球体の光が現れ、その光が人の形を浮かび出した。

 中から現れたのは、パッ見ればキリトだと勘違いしてしまう程、背格好や装備が似ている黒の剣士、アキトだった。

 アスナが託したキリトの形見を背負い、ポケットに手を突っ込みながら階段を下りていく。

 

 

 「っ…!」

 

 「…!え、ちょっと…ユイちゃん…!?」

 

 

 瞬間、ユイがアキトのいる方向へと走り出した。

 アスナはいきなりの事で対処出来ず、未だユイと繋がれた手を引かれて走る。

 アキトはこちらに走ってくるユイに気が付いたのか、ほんの少し柔らかな表情をした後、後ろからユイに手を引かれてるアスナを見て、怪訝な表情を向けた。

 

 ちょっと、何よその顔。

 

 

 「あ、アキトさん、おかえりなさいっ」

 

 「あ、ああ……ただいま」

 

 「……おかえり、アキト君」

 

 「……おう」

 

 

 ユイが高揚とした表情でアキトを見上げ、アキトは彼女の言葉にしっかりと応える。

 アスナもアキトに小さくそう告げるも、アキトは目を逸らしながら軽く返事を返すだけ。

 偉い違いである。

 

 だがアキト自身、彼らを見て一番驚いていた。昨日自分が癇癪を起こしたせいで彼らとの空気は悪い方向へ行ったと考えていたからだ。

 だけど、リズベットと空気が悪かった時に《ホロウ・エリア》に飛ばされた時も、キリトの仲間達は心配していてくれてたのを思い出した。

 そうだ、彼らは超が付く程のお人好しだったのだと。

 

 

 「……今日は閃光と一緒だったのか?」

 

 「はい!今行ける階層のいろんな街に行ってきたんです。凄く楽しかったですよ」

 

 「……そっか」

 

 

 その言葉を聞いて、アキトはアスナでも分かる程に、安心した表情を見せていた。

 アスナが、ユイの為を思って一緒にいてくれた。その事実が、アキトにとってとても喜ばしい事だったからだ。

 ずっと、ユイが幸せになれればと思っていた。彼女の幸せは、キリトがいない今、アスナがいなくては有り得ない。

 ユイの願いを叶える、その手助けが出来ればと思っていた。キリトの死を受け入れられるかどうかは、結局本人の考え方による。

 自分が何度アスナを助けようと、アスナ自身思うところが無ければ、きっとユイを置いて死んでしまったであろう。

 だからこそ、今日一日、アスナがユイと行動を共にしていたという話を聞いて、アキトは報われた気持ちになっていたのだ。

 

 

(よかった……本当に……)

 

 

 アスナはそんな分かり易く表情を変えたアキトを見て、意外そうに目を丸くした。

 

 

(…そんな顔もするんだ…)

 

 

 ずっと、憎まれ口を叩いて嫌われ者として振る舞い、攻略組全体の共通の敵を買って出た彼。攻略組の士気を落とさないようにしてくれた上に、ボス戦では誰彼構わずピンチを救ってくれた。

 だからこそ、彼が本当は優しい人間である事は、冷静になった今なら簡単に分かる事だった。

 だけど、彼の本当の意味での笑顔を、まだ誰も見た事が無いように思える。

 故に珍しく、ユイの言葉で安堵の表情を浮かべるアキトの顔から目が話せなかった。その笑顔も、キリトによく似ていて。

 

 

 「アキトさんは、これから宿に戻るんですか?でしたら…」

 

 「あ、いや…ちょっとリズベットの店に用事があって…」

 

 「そうなんですか…。あ、あの…私も一緒に行きたいです」

 

 「ゆ、ユイちゃん…?」

 

 

 今度はユイの発言に、アスナは目を見開いた。自分がユイと距離を置いていた間に、ユイとアキトはそれ程仲良くなったというのか。

 それを理解したアスナは、少しの不安要素を抱いた。もしユイが、キリトがいなくなった悲しみを、アキトで埋めてしまったら。もしユイが、アキトにキリトと同じような態度で接し始めたら。アキトをキリトに重ねてしまったら。アキトはユイの父親のような存在へと変わってしまうのではないだろうか。

 それは、今のアスナにとって耐え難いものだった。アキトがキリトの代わりなってしまうのは絶対に嫌だ。キリトに代わりなんていない。自分の愛した人は、ユイの父親は一人だけなのだ。

 アスナは思わずユイを見つめた。

 

 ────しかし。

 

 アスナは、ユイがアキトに見せる表情が、キリトの時と少し異なっているように見えた。

 何かを期待するような瞳、体のちょっとした震え、そして決定的なのが、心做しか赤い頬。

 

 ……これは。

 

 

 「いや…まあ、良いけど」

 

 「本当ですか!ありがとうございます!」

 

 

 アキトの承諾を喜んだユイは、そのままアキトの背中に付いていく。

 アスナはユイに引かれた事で、その思考が飛んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 リズベットの店へ行けば、案の定リズベットはいた。

 彼女も先日のアキトの態度は全く気にしていないようで、アキトが来た時も笑顔で出迎えてくれた。

 ユイはともかく、アスナと一緒に来たのを見た瞬間、表情が固まっていたが。

 

 暫くすると、アキトがリズベットに切り出した。

 取り出したのは、メンテナンスに出すエリュシデータと、もう一つ。

 

 

 「これの強化をしてくれ」

 

 「…これ、短剣?」

 

 

 アキトが取り出したのは、黒い長めの短剣だった。何を隠そう、フィリアの短剣である。

 あれから、強化に必要な《鈴音鉱石》は割とすぐに規定数集まった為、早めに強化するに越した事は無いと考えたアキトとフィリアは、早急に武器を強化してもらう事にしたのだ。

 

 フィリアのカーソルがオレンジである事を考えたアキトは、フィリアの代わりに武器の強化を買って出たのだ。

 あの時フィリアは驚いてた表情を見せていた。アキト自身、憎まれ役を続けていたのだから、フィリアが驚いたのも無理の無い事だと理解していた。

 

 

 「アキトさん、短剣も使うんですか?」

 

 「アンタ片手剣の他は刀と曲刀しか……ってあーそっか、フィリアって子の武器ね」

 

 「……何で知ってる」

 

 「リーファに聞いたのよ」

 

 

 リズベットは溜め息を吐きながらそう呟いた。

 今日の午前中はエギルの店でお茶しており、シリカとリーファ、シノンと四人でずっと話をしていたのだ。

 その際、アキトが《ホロウ・エリア》について話した事以外で、フィリアというプレイヤーに会ったという話を聞いたのだ。

 アキトが意図的に話していなかったのかどうかは分からないが、リズベットはとても気になっていた。

 

 

 「フィリア、さん…確か…アキトさんが《ホロウ・エリア》で出会ったというプレイヤーの名前ですね」

 

 「何?ユイちゃんは知ってたんだ……ねぇアキト?」

 

 

 ユイの前ではフィリアの話はしてなかった筈だ。それを知っていたリズベットはアキトをジト目で見つめる。アキトは何食わぬ顔で、自身より背の低いリズベットを見下ろした。

 

 

 「言う必要性を感じなかっただけだ」

 

 「けどユイちゃんは知ってたみたいじゃない」

 

 「ユイはお前らよりこの世界に詳しいからな。情報は多い方が良いだろ」

 

 「こっのぉ……ホンットにアンタって……」

 

 

 リズベットは一瞬だけムカッと感じたが、すぐに息を吐く。ユイはアキトが自分を褒めたように聞こえ、若干嬉しそうな表情を見せた。リズベットはアキトの短剣を見つめると、ふと感じた事を口走る。

 

 

 「……けど何でアンタが?武器の強化でもメンテでも、普通持ち主本人が来るもんじゃない?」

 

 

 その発言に、アキトは少しだけ顔が強ばる。

 だが、本当の事はあまり話したくない。彼女がオレンジを気にしてこちらに来ていない、なんて言ったら、彼らがどんな反応をするか分からないし、フィリアも良い気はしないだろう。

 リズベット達も、フィリアの事を不審に思うかもしれないし、何より、アキト自身良い気はしなかった。

 

 

 「別にどうでも良いだろ。知らないと強化出来ないのか?人のプライバシーを侵害しないと失敗するのか、鍛冶屋ってのは」

 

 「っ~~~……はぁ、分かったわよ、もう」

 

 

 一々癇に障る言い方をする奴だなと筋を立てるが、こんな人間だったなと感じると、すぐにフッと笑顔になった。

 リズベットはアキトからエリュシデータと短剣と、強化素材である《鈴音鉱石》を受け取ると、アキトに向けて笑顔を見せた。

 

 

 「ついでだからメンテナンスもするわ。少し待ってなさい」

 

 「…分かった」

 

 

 アキトがそう言うと、リズベットは背を向ける。

 すると、ユイがリズベットの元まで駆け寄って、彼女の事を見上げた。

 

 

 「あの、私鍛冶の仕事を見た事が無くて…見せて貰っても良いですか?」

 

 

 ユイは本来、好奇心旺盛な性格の持ち主だ。色んな事を知りたい年頃というか何というか。

 リズベットも、そんなユイの年相応な部分に、不思議と笑顔になった。

 

 

 「勿論良いわよ。私のスキルを見せてやるわ!」

 

 「スキル下がってんじゃん」

 

 「アキトうっさい!」

 

 

 強化やメンテナンスくらい出来る、とリズベットはアキトに食ってかかった後、ユイと共に工房へと入っていった。

 店は一気に静かになってしまった。強化にメンテナンスとなると、暫く時間がかかるだろう。

 問題は別にある。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 自分の隣りにいる少女アスナ。店に入ってから一度も声を発していないような気がする。

 彼女と二人きりなど、誰かに代わって欲しいと思うくらい嫌だ。

 何度か会話をした事があるが、それも殆ど仲違いしている。

 ユイと共に工房へ入れば良かったのにと、アキトは目線を逸らした。

 

 

 だが、この沈黙を先に破ったのは他でも無くアスナ自身だった。

 

 

 「……ありがとね、アキト君」

 

 「……え」

 

 「今までずっと……私と……みんなを、助けてくれて……」

 

 

 アスナの口から出たのは、アキトに対する感謝の気持ちだった。

 ずっと、自分勝手な自分と、バラバラだった攻略組を支えてくれた事への感謝。

 アスナは次にアキトと二人になったら、言おうと決めていたのだ。

 

 

 「…今日、ユイちゃんと一緒に過ごして、ユイちゃんの笑顔を見て、思ったの。生きてて良かったな、って。ずっと死にたいって、生きる意味なんて無いって…そう思ってたのに。全部独り善がりだったんだなって気付いて…今更だよね」

 

 

 アスナはそう言って自嘲気味に笑う。情けない態度を取っていた自分自身を、馬鹿にするように。

 アキトは黙ったまま、アスナを見つめた。

 

 

 「……でも偶に、本当にこれで良かったのかなって…やっぱり思っちゃうんだ。キリト君の事、まだ受け入れられた訳じゃないから」

 

 「……後悔してるのか」

 

 「ううん、自分が決めた事だし、この選択に後悔はしてない。けど、キリト君の事を助けられなかった、あの瞬間はずっと後悔してるんだ。もしあの時、体が動いていたら、違う未来があったんじゃないかって……」

 

 

 この道が正しかったのか、なんて分からない。ずっとタラレバの事ばかりを考えていたから。

 何度も何度もあの時の事を夢に見て、もしああしていれば、もっと違う未来に辿り着けたんじゃないかと思うと、悔やみ切れなくて。

 

 だから、ずっと考えてしまうのだ。

 何が正解なんだろうか、と。

 

 

 「……けど、決めたんだろ?」

 

 「……え?」

 

 

 アキトがそう呟くと、アスナはアキトの方を向いた。

 アキトはその店に並ぶ剣を見下ろし、その刀身を撫でながら言葉を続ける。

 

 

 「……人生は選択の連続だよ。意識的にしても、無意識的にしてもさ。何かを選ぶって事は、何かを捨てるって事なんだし」

 

 「……」

 

 「選択に後悔が無いんなら、きっとそれは正解なんだよ」

 

 

 アスナは、自分が選択した事に後悔はしてないと言った。ならきっと、その選択が正しい答えだ。人の道は人それぞれで違う。だからきっと、正解も違うのだ。どうしたら良いのかなんて本人にしか分からないし、だからこそ他人が出来る事など限られている。

 最後に地へと降り立つ足は、自分のものでなくてはならない。

 

 

 「……君は、この選択が間違って無かったと思う?」

 

 

 アスナはアキトから視線を逸らさず、そう問いかける。

 だがアキトはその問いを切り捨てる。その問いは、他人が応えられるものではないから。

 

 

 「自分の人生について考えるのは自分だろ。その答えを他人に求めてどうすんだよ」

 

 「……私を助けた癖に」

 

 「違うな。お前は生きようと自分で決めたから、今そこにいる。そこに俺の助力は関係無い」

 

 

 適当に遇うアキトに不満そうに見つめるアスナだが、アキトは本当に何もしていないと思っている。

 生きるか死ぬかは、最終的には個人の意志。どれだけ他人が諭そうと自分の人生だ。他人の言葉で変えられるならきっと、それはくだらない人生へと変わる。

 アスナ自身が生きる事を決断したから、アスナはこの世界で今も生きてるのだ。

 それがどれだけ大切な事か、彼女は理解しているだろうか。

 生きたくても生きられなかった、死んでいったプレイヤーは沢山いる。今生きているという事が、どれ程までに尊い事実なのか、彼女は理解出来る人間の筈だ。

 

 

 「それに……」

 

 「……?」

 

 「……自分で理解出来ない事を他人には教えられないだろ」

 

 「…君も、生きる意味を探していたの?」

 

 「俺だって、間違ってばっかだよ」

 

 

 吐き捨てるように告げ、呆れたように笑うアキトの表情は、幾分か暗く見えた。生きる意味など、とうの昔に失っている。けれど、それでも生きなければならないと、そう思っている。

 この命を投げ出す事は、死んでいった者達への冒涜だと思うから。

 

 

 「意味が無きゃ生きられないなんて、そんなのおかしいと思うから」

 

 

 人間、目的があって生まれくる者の方が珍しい。生まれてから色んな事を知り、感じるのが普通なのだ。

 主観というものはそこから転じて生まれるものであり、故に生きる意味などは後付けでしかない。

 

 

 だから、生きる意味が無いから死ぬ、なんていうのは決して道理じゃない。

 死んだ者達の分まで生きようとは思っていない。だが、生きる意味が無いというのは、死ぬ理由がある事と同義では無い。

 

 

 「意味なんてのはきっと、この先いくらでも見つけられるし、探せると思うから」

 

 「アキト君…」

 

 

 その言葉はまるで、自分自身に言い聞かせているように思えた。

 言葉遣いもいつもと違っていて、素の彼が垣間見えていたような気がする。

 

 すると漸く、リズベットとユイが工房から顔を出した。

 一仕事終えた彼女は笑顔でこちらを見つめており、ユイも興奮冷めやらぬといった表情でこちらに視線を送っていた。

 アスナはユイの元へと歩いて行き、ユイの頭を軽く撫でた。

 

 

 「お待たせー!アキト、強化出来たわよ!」

 

 「アキトさん、ママ、マスタースミスって凄いんですね!」

 

 「違うなユイ、『元』マスタースミスが正解だ」

 

 「ちょっと!武器渡さないわよ!」

 

 

 そんなリズベットの怒声が響き、ユイとアスナが思わず笑う。

 それを見たリズベットが困惑するも、やがて三人で笑い合っていた。

 アキトはそんな彼女達を、輪の外から眺めていた。

 

 

 その視線はリズベットから、ユイへ。ユイからアスナへ。

 そして、アスナの横顔を見て、アスナとの会話を思い出して。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺だって、ずっと後悔してるよ、アスナ。

 

 

 

 

 届いた筈なんだ…伸ばせた筈なんだ…。

 助けられた、筈なんだ…、って。

 

 

 

 

 彼らに出会わなければ、悲しむ事もなかったのに。

 守るものがなければ、苦しまずにすんだのに…、って。

 

 

 

 

 その選択どころか、選択肢を間違えたような気がして。

 ずっと後悔してきたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出会いを否定したくなるくらい、大切なものを失った事を。

 







感想、良ければ送って下さい…(切実)


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Ep.36 その言葉は

手を伸ばせば、届いた筈なのに。

辿り着けた、筈なのに。


 

 

 

 

 

《ホロウ・エリア》管理区

 

 

 

 

「ほらよ」

 

「あ…ありがと」

 

アキトはフィリアに、メンテナンスと強化を終えた彼女の武器をシステム的に譲渡した後、改めて管理区を見渡した。

 

リズベット武具店から出た後、アキトはフィリアを待たせていた為に、すぐに《ホロウ・エリア》管理区へと赴いた。一緒にエギルの店に戻るつもりだったアスナ達、特にユイは酷く驚いていたのを覚えている。

ソワソワとしだした彼女を見たアキトは何かを察したのか、取り敢えず、すぐに帰って来ると約束してここへ来たのだ。不本意ながらも、エギルの店では彼女達が食事をしながらもアキトの事を待っているだろう。

ユイが自分に言ってくれた言葉を思い出す。

 

 

── 今日からこの場所が、アキトさんの帰る場所です──

 

 

「……」

 

帰る場所が、ある。それが、自身が認めたものじゃなくても。

自分はこれからも、頑張っていけるだろうか。キリトの守りたかったものを、守る事が出来るだろうか。

気が付けばいつも下を向いてマイナスな事を考える。『出来るかじゃない、やるんだ』と、誰かが言っていたのを思い出す。確証や合理性など考えない、必ずやり遂げると、そんなセリフ。

とても無責任で、傲慢な考えで、それでいてどこか自信がつく言葉。

 

「アキ……ト」

 

ふと隣りからそんな声がして、アキトは顔を上げる。そこにはほんの少しだけ頬を赤く染める、フィリアの姿があった。

アキトはそんなフィリアを見逃さず、不思議そうに言葉を返す。

 

「……何」

 

「……実はさ、ちょっとお宝がありそうな場所を見つけたんだけど……でもそこにいるモンスターが強くて、一人じゃ手を出せないの」

 

「……で?」

 

嫌そうな顔をしてみせるアキト。実際ここまで聞けば、フィリアがアキトに何を求めているのかは大体理解出来るものだった。

 

「…もし、よかったら…付き合って……くれない?」

 

予想通りの答えだった為、アキトは特に反応する事も無く、彼女の言葉を聞き届ける。

この《ホロウ・エリア》に蔓延るモンスターは皆、比較的レベルが高い。これまでフィリア一人でもなんとかなっていたのだが、そろそろ厳しく感じていたのだ。

アキトとしては特に断る理由もない。それに、フィリアにはこの場所の探索に付き合って貰っているし、恩を返すのは当然だった。普段周りに見せているアキトとは違い、内面はとても紳士のアキトだった。

 

「……明日で、いいなら」

 

「ホント?よかったー…」

 

アキトの了承を聞いたフィリアは目に見えて安堵しており、そして嬉しそうに口元に弧を描く。

そこまで喜んで貰えるとは、と少し驚きながら彼女を見つめる。

フィリアもフッと肩の力を抜くと、アキトの事を見返した。

 

「もしかしたら断られると思ってた。アキト、そんな感じだし」

 

「ほっとけ。それに、どのみち《ホロウ・エリア》は探索しようと思ってたから、ついでだついで」

 

誰も寄せ付けない、近寄ってはいけないと、自分を戒めるつもりで取っていた態度も、段々とメッキが剥がれてきたのかもしれない。

気持ちと行動が段々と同じになっていって、最後は自分自身となったら。

そしたらまた、あの頃の弱い自分に戻ってしまうような気がしてたから。

アキトは左右に首を振った後、フィリアに目的地を尋ねた。

 

「んで?どの辺なの」

 

「今探索してる樹海エリアの……ダンジョンの中。隠し扉を見つけてね、その奥なんだけど、そこに出てくる奴が強くて……」

 

フィリアは自身の探索したマップを可視状態にしてアキトに見せる。

初めてアキトがフィリアと出会った場所からそのエリアは続いているようで、アキトはマップの道を目で追っていく。

そのエリアは樹海にあった墓地マップの向こう側、教会のような場所だった。

フィリアの口振りからするに、既に挑んでいるのだろう。この高難度エリアのモンスターに一人で挑むとは、流石トレジャーハンターだが、悪くいえば命知らずの行動だった。

フィリアは悔しそうな顔でマップを見た後、再び顔を赤くした。

 

「でも、あん……えっと、ア……キト、が協力してくれるなら、大丈夫だと……思う」

 

フィリアはそういうとアキトから視線を外す。

アキトは怪訝な表情でフィリアを見つめる。彼女が何をそんなに赤くしているのか、大体察しがついたのだ。

 

「……名前呼ぶだけで何そんなに赤くなってんだよ」

 

「べ、別に赤くなんかなってないから」

 

「自分の顔も見ないで何でそんな事分かんだよ。赤くなってるって。あ、手鏡貸そうか?持ってるよ」

 

「な、なってないっ」

 

「いや、なってる」

 

「もう、うるさいっ!」

 

この話はおしまいだと、フィリアは背を向ける。

アキトは彼女が何を怒っているのか分からず、首を傾げるばかりだった。

 

 

 

 

●○●●

 

 

「……」

 

エギルの店、その扉の前。この場に立つと、何故か緊張してくる。

何をそんな、ただ店の中に入るだけ。その行為にこれといった大事な意味がある訳ではないし、何ならこの店に入る為という理由以外、他に何の意味もない。

昨日の態度だって、誰も気にしてないと、リズベットが言っていたのだし、そうでなくても関係無い。

自分は、彼らとは何の繋がりも────

 

(……何の、繋がりも無いんだよな、実際……)

 

実際、アキトと彼らはつい最近まで互いに顔すら知らない、赤の他人だったのだ。

今だって、アキトが勝手に彼らを守るんだと、そう決めているだけで。

彼らはアキトを認知していた訳じゃないし、アキトも彼らには何も話していない。今の環境が自身にとって都合の良いもので、動きやすくて。

何より、心地好かったのかもしれない。

だけど。

 

「…アイツらは、キリトの形見だ」

 

何度も自身を戒めるのだ、彼らは『キリト』の仲間。

『俺』の仲間じゃない。

 

(俺の仲間は……)

 

アキトはゆっくりと店の扉を開けた。

扉の向こうにはいつも通りの光景が広がっていた。昼はそうでもないのに、夜になると繁盛し出すこの店は、今夜も多くのプレイヤーで賑わっていた。

普段なら真っ先に階段を上って部屋に帰るアキトたが、今日はユイと約束してしまった為、顔を出さなければならない。

 

先程まで考えていた事が脳内を過ぎる。街中で自身が受ける、『黒の剣士』の肩書き。

彼らは皆、自分の中にキリトを見ているのだ。だから彼らは自分に構う。キリトに似ているから、キリトの事が好きだから、キリトの事が心配だから。

そう考えると、彼らの事を決して良い目で見る事が出来ないし、そんな事を考える自分も嫌になる。

別に、どう思われても関係無いじゃないか。彼らは、自分とは関係無いのだから。

 

(顔だけ見せてさっさと寝よう……)

 

アキトはいつも彼らが屯うカウンター前の席へと赴く。するとそこにはやはり、いつものメンバーが座っており、食後の休憩を取っていた。

彼女達はまだこちらに気付かず何かを話し合っていた。真面目な話なのだろうか、皆真剣な眼差しをしていた。

その中で、一番にアキトの存在に気付いたのはユイだった。

ユイは席を勢い良く離れ、アキトに向かって駆け寄った。

 

「アキトさん、おかえりなさい!」

 

「……ああ、うん」

 

───だからこそ、彼女の事を見ると不安になる。

彼女も、自分にキリトを重ねているのではないかと、嫌でもそう思ってしまうから。

自分がどうしたいのか、どうなりたいのか、どうして欲しいのか、ここへ来てまた分からなくなりそうだった。沢山の矛盾を抱えて、この場所に立っていて。この曇り無き眼をしたキリトとアスナの娘を見て、負の感情が押し寄せる。

そんなアキトに気付かずに、彼らはアキトを確認すると、各々挨拶をし始めた。

 

「おかえりー、アキト」

 

「アキト君、おかえりなさい」

 

「お、アキト、いい所に来た」

 

「……何だよ」

 

クラインが立ち上がり、こちらを手招きしている。ユイに後に付いて行き、彼らが座るテーブルの前で立つ。

ふと、視線をしたに下ろすと、そこにはシノンが頬杖をつきながら座っており、こちらを見上げていた。シノンは暫くアキトを見ると、小さく口を開く。

 

「……おかえり」

 

「……ただいま」

 

そのやり取りは他の者には聞かれなかったのか、クラインはそのままアキトに向かって話し出した。

 

「今、シノンについて話してたんだけどよ、これが聞いてビックリ…」

 

「ああそれ、もう知ってる。一足先に聞いたから」

 

「何だ、もう知ってんのか」

 

エギルがカウンターの向こうで目を丸くして口にする。他の者も驚いているのかこちらを一斉に見つめていた。

もしかしたら言わない方が良かったのかもしれない。アキトは溜め息を吐きつつ何とか視点を逸らそうとするべく、近くの柱に寄りかかった。

 

「んで、それがどうしたんだよ」

 

「いやよ、改めて聞いても未だに信じられなくてな、まさかSAOの外から来たって…」

 

「……凄い登場の仕方だったから何か事情があるのかなとは思ってたけど、驚いたわね」

 

クラインの後にリズベットがそう続ける。

その言葉に反応して、アキトの隣りに立っていたユイが口を開いた。

 

「カーディナルシステムへの負荷により、幾つか発生したエラーの一つだと思います。ネットワーク上のナーヴギア端末を検出してSAOプレイヤーと誤認してここに呼び寄せたんだと思います」

 

実際シノンが言うには、現在現実世界では、ナーヴギアと同じシステムを積んだ医療用フルダイブマシン《メディキュボイド》というものが存在しているらしい。

ユイの言葉を鵜呑みにするならば、一番可能性のある答えだった。

 

「な、なんだ?その、カーディナルシステムって?初耳だぞ」

 

「SAOの基幹プログラムの総称だ。前に茅場が言ってた」

 

クラインの質問にそう返すアキト。

だがその言葉にいち早く反応したのはリズベットだった。

 

「何よアンタ、ヒースクリフと面識あったの?」

 

「は?あ、いや……」

 

リズベットの言葉を真に受け、ふと我に返るアキト。その瞬間、彼女が言った言葉が脳内で響き、瞳が揺れた。

 

(……俺……ヒースクリフ、茅場と、そんな話した事なんて……)

 

 

「……しかし、そいつは不運だったな。よりによって、こんなゲームに途中参加させられちまうなんてな」

 

エギルはシノンを見てそう呟く。

確かに彼女の境遇には同情せざるを得ないだろう。気が付けばいつの間にかデスゲームだった、なんて事が実際にあったら、発狂するレベルだろう。

 

「…ま、早い所クリアすれば何も問題ねぇだろ」

 

「…うん、そうだね」

 

アキトは誰も視界に入れず、そう言葉を続ける。

その言葉に反応したのはアスナだった。テーブルの上に置かれた拳を、ギュッと握り締める。

それは誰もが願い、感じるもの。その言葉に反応し、彼らはそれぞれ闘志を燃やした。

アキトはこれで話はお終いだと態度で示し、階段の方向へと体を向ける。

だが、次のシノンの発言で、その足を止めてしまう事になる。

 

「……つまり、この世界をクリアしてしまえば、全て問題無いのよね」

 

「え?…そりゃまあ、そういう事だが……」

 

クラインが不思議そうな顔をしてそう返す。アキトは体をシノンの方へ向けた。

彼女達もシノンの次の言葉を待つが、その彼女の放つ言葉で、その顔が驚愕に染まった。

 

「なら、私もこのゲームの攻略に加わる。良いわね?」

 

「っ…!?」

 

アキトはシノンのその発言で、思わずその口を開きかけた。

シノンはまだ、攻略組に加わるつもりだったのだと察し、その瞳が大きく揺らいだ。

 

「ええっ!? ちょ、ちょっと…」

 

「おいおい、本気かよアンタ」

 

リズベットとエギルも思わずシノンに問いかける。彼らだけじゃない。リーファもシリカもシノンのその意志を初めて聞いて困惑しており、ユイもクラインもその目を見開いていた。

アスナはシノンを見つめ、少し焦ったように語りかける。

 

「それは、幾ら何でも危険だよ……」

 

「危険な事は分かってる。でも……私、やりたいの」

 

現在攻略組として先頭に立っているアスナの言葉にも動じずに、シノンは真剣な眼差しでそう返す。

アキトは知っている。そんな発言ではシノンの意志は変えられないと。

 

「ここで膝を抱えて縮こまっても何も解決しないもの。なら、私は立ち向かわなきゃ」

 

その揺るぎない言葉の数々に、彼らは何も言えない。ただ困惑した表情で、彼女の言葉を聞き続ける。

アキトは理解している。シノンがこれほどにも攻略に固執しているのは、ゲームクリアの為じゃない。もっと、何か別のものだと。

 

「……私は、もっと強くなりたい。この困難なゲームをもクリア出来る程に、強く……」

 

その思いの丈を、心の底からの気持ちを、言葉にして伝えたような、そんな声。

シノンの拳は強く握り締められていて、それでいて震えていた。

アキトは、分かっていた。

強さを求める彼女の心が、自分よりも強い事を。

彼女に、かつての仲間の面影を見たのは、勘違いだったのだろうと。

 

「……」

 

何故、自分の周りには、これ程までに強くあり続けようとする存在が多いのだろう。

恋人を失って尚、生きると決めたアスナ。

好きだった人が死んでも尚、親友の為に戦うと決意したリズベット。

力になりたかった人を失って尚、誰かの助けになりたいと、そう言ったシリカ。

家族を失って、そんな世界を知ろうとしているリーファ。

親友を死なせてしまったと後悔し、もう誰も死なせたくないと、そう固く誓ったクライン。

友人を失って尚、攻略組の行く末を、みんなの為を思うエギル。

父を失って、母に置き去りにされそうになっても、他人の事を思えるユイ。

 

そして、また一人。自分の前で。

キリトと全く関わりの無かったシノンが、たった今。

キリトの仲間入りを果たしたかのようで。

 

「で…でもシノンさんはSAOに来たばかりじゃないですか。レベルもスキルも、この階層で戦うには辛くないですか?」

 

固まっていたシリカが漸くそう切り出した。

それを聞いたシノンは、チラリとこちらを向く。それに合わせて彼らもアキトの方を向いた。

 

「…レベルはそんなに問題じゃない。武器も使えてるし、今も一人でスキル上げしてるみたいだし、何とかなるだろ」

 

「おいおい、良いのかよアキト」

 

「別に。俺には関係無い。ただお前が言うほど簡単な話じゃない。今からレベルを上げたって役に立つかは分からないし、無駄死にするだけかもしれない。それでもやるなら勝手にしろ、死んでも俺は責任は取らん」

 

クラインは慌てて聞くが、アキトはそう吐き捨てた。

本当はアキトもシノンにそんな危ない事はして欲しくない。だけど、彼女の意志は固く、自分が何を言ってもそれを変える事はしなかった。何を言っても無駄なら、この場で言っても仕方が無い。

アキトの発言に、周りは少し張り詰めた空気になる。しかし、そんなアキトを見ていたリーファがポツリと呟いた。

 

 

「……その割にアキト君、たまにシノンさんのスキル上げ見てあげてるよね」

 

「っ…」

 

「えっ、そうなの?」

 

その言葉にリズベットが目を丸くし、アキトの方を見上げる。つられて彼らがアキトの方を向き、状況は一転して最悪なものに。

アキトは一瞬だけリーファを睨み付けるが、リーファは何も無かったように平然とこちらを見るばかり。シノンはフッと笑いながらリズベットの質問に答える。

 

「ええ、付き合って貰ってるわ」

 

「……ただの暇潰し、ただの気紛れだ」

 

アキトは視線を逸らし、そう答える。だが周りは変わらずこちらを見て、中にはニヤニヤしながら見つめている者も。

そんな中、リーファが言葉を続けた。

 

「でも、アキト君がそう言うからには、きっと才能あるんだよね、シノンさん」

 

「…シノンさん、本当に大丈夫?」

 

「うん、大丈夫だから」

 

アスナの心配そうな顔を見て、シノンは笑みを作って答えてみせる。それを見た彼らは、不安ながらも、嬉しそうに笑った。

実際リーファの言うように、シノンには素質があると、アキトは思っている。

だけど、シノンはやはりこの世界に来たばかりだし、如何せん不安は消えない。

アキトはシノンの訓練に付き合っていて、ずっと彼女に違和感を感じていたのだ。武器が手に馴染んでいない感じがいつまでも消えなかったのだ。

槍やメイス、大剣よりは短剣が合っていると思い、実際その他の武器よりは使えているとは思うのだが。

 

(他に、シノンに合う武器が無いととても攻略なんて…)

 

そんな事を考えていたら、シノンが何かを思い出したような表情を浮かべ、みんなに向かって口を開いた。

 

「あ……それにアキトが私の事守ってくれるって言ってたし」

 

「……え?」

 

「……は?」

 

そんな呆けた声を発したのは、アスナともう一人。アキト本人だった。

それを聞いた彼らは、冷やかすと思いきや、驚いたような表情を浮かべていた。

 

「…アキト君、そんな事言ったの…?」

 

「…アンタ、ホントにアキト?」

 

そう言ってリーファとリズベットがアキトを見つめる。普段のアキトの事を見ていると、とてもそうは考えられないから無理も無かった。

だがアキトは全く心当たりが無く、困惑の表情でシノンの事を見下ろすばかり。

シノンはこちらを見て挑戦的な笑みを浮かべており、アキトは思わず筋を立てる。

 

 

「んな訳ねぇだろ」

 

「あら、私は覚えてるけど?」

 

「いや待て…そもそも俺はそんな事…」

 

 

 

─── …俺が…守る、から───

 

 

─── 今度こそ…絶対に助けに行くから…間に合って…みせるから…だから…───

 

 

─── もう…君を、一人にしないから…だから……独りに…しないで……───

 

 

「……あー」

 

アキトはそこまで言って固まった。

何かを思い出したかのような表情を、今度はアキトが取っていた。

無かった筈の心当たりが、ここへ来て脳裏を駆け巡る。

 

あの日、77層のボスを討伐した日の夜。

シノンの陥った境遇を聞いたあの日。強くなりたいといった彼女を見て。

かつての、守れなかった、守ると約束した女の子と重なって。

思わず出てしまった言葉。

 

あの言葉は、あの時の行動は、半ば事故のようなものだったと、アキトは珍しく慌てる。

 

 

「い、いや…あれは…」

 

「シノンさんっ、あたしもレベル上げ頑張ります!」

 

 

しかしアキトの言葉はシリカに遮られ聞かれる事は無かった。

シリカもシノンと同じく攻略組を目指す者同士。共感したのかシノンの手を強く握っていた。

それに続けてリズベットも言葉を続ける。

 

 

「そうね、本当に攻略組が増えるなら、あたし達も心強いしね。改めて、これから一緒に頑張ろーね、シノン」

 

「ええ、よろしくね」

 

「なら、私も攻略組目指そうかな…」

 

 

立て続けにリーファもそう発言し、彼らはまたもや驚愕した。

そして、その輪の中は再び会話で賑わう。

クラインは何かあったら俺が守ると言って胸を張り、エギルは彼らに飲み物を提供する。

張り詰めた空気は、いつの間にか柔らかいものへと変わっていって。

 

そんな光景を少し遠くで見つめ、アキトは拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……違う」

 

 

アキトは小さな声でそう呟く。その声は、他の人達には聞こえない。

だけど、アキトの心の中で、その思いは巡っていく。

 

 

違う、違う、違う、違う。

本当は、他に守りたい人がいたんだ。

ずっと守りたかったもの、守りたかった人の為の、それだけの言葉。

本当の意味で守りたかった、守らなければならなかった人に誓った言葉なんだ。

 

 

本当は、君の為じゃ、なかったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君達の為じゃ、無かったのに。

 

 






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Ep.37 教会の主



そういえば、活動報告を使った事が無かったので、試験運用という事で投稿しました。
読まなくても全然問題無いので気にしないで下さい。

それではどうぞ。


 

 

 

 《ホロウ・エリア》セルベンディスの樹海エリア

 

 そこは、二人の始まりの場所。

 アキトがフィリアと初めて出会ったエリアであり、そのマップには森が広がっている。フィリアに頼まれた強敵がいる場所は、そこから更に深い場所へと続く道の先にあった。

 瘴気漂うといった墓地マップの更に先、そこはおあつらえ向きに教会が建てられていた。

 

 アキトとフィリアは現在そこに立っており、その教会を見上げていた。

 フィリアはふと、アキトの事を見て口を開いた。

 

 

 「…アキト、ここに着くまで殆どのモンスターをソードスキルで一撃だったけど…ステータスどんな風に振ってるの?」

 

 「見りゃ分かるだろ。筋力値と敏捷に極振りだっつの」

 

 「う…うわぁ…」

 

 

 アキトの軽い発言に、フィリアは若干引き気味だった。ここに来るまで色んな種類のモンスターが蔓延っており、スケルトンや、ゴースト系、スライムや蜂系、ボアなど。だがアキトの剣はその殆どを一撃で葬ったのだ。

 この《ホロウ・エリア》未知のエリアではあるが、高難易度のものである事はすぐに察しが付いたアキトとフィリア。理由は、存在するモンスターの平均レベルの高さにあった。

 どれもが殆どアキトとフィリアよりも高いレベルを有しており、一般のプレイヤーなら倒すのに多少の時間が必要だろう。

 だがアキトはその殆どをソードスキル一振りで沈めてしまう。レベルが下であるアキトにそんな芸当が出来る理由など、自ずと見えてくるものなのだ。

 

 

 「…けど、やっぱりアキトが来てくれて助かったよ」

 

 「礼なんか要らねぇよ。マッピングも兼ねてるし、一度調査すると決めたからな。まだお前の言う強敵とやらも倒して無いし」

 

 

 どれだけ未知が怖くても、やると決めた以上はやり遂げたい。

 あの時からの、アキトの信条だった。後悔しない道を進む為に、これだと決めたらもう迷いたくない。

 

 

 「…それに、『イイもん』が手に入ったからな」

 

 「…?」

 

 

 アキトの言葉に理解が及ばず、フィリアは首を傾げる。見つめた先にいるアキトは、自身のアイテムウィンドウを見てフッと顔を柔らかいものにしていた。

 

 

 

 

 その教会の名は、《二人が邂逅した教会》

 

 その中は静かだったが、すぐに気を引き締める。

 入口を抜けてすぐに、何体ものスケルトンモンスターが歩き回っており、剣やメイスを持ってこちらを見つめていたのだ。

 アキトはエリュシデータを引き抜き、一気にモンスターに詰め寄る。

 内の一体は、それに反応して持っていた盾を構えていた。

 

 

 「───っ」

 

 

 アキトは盾を構えるスケルトンの目の前で急ブレーキを掛けたかと思うと、すぐにそのモンスターの側面に飛んだ。

 モンスターがこちらに反応した時には既に、アキトの剣が黄色く輝いていた。

 

 片手剣単発技<ヴァーチカル>

 

 上段から放たれたその一閃が、スケルトンの頭から真っ二つに切断されていく。筋力値極振りのステータスの恩恵が顕著に現れており、そのモンスターは一撃で塵と化した。

 その隙を狙うように3体が同時にその武器を振り上げて近付いて来る。

 アキトはその3体の気配を背中で感じると、一気にその足を上げて横に薙いだ。

 

 コネクト・体術スキル<アーク・デトネイター>

 

 弧を、円を描くように回し蹴りが決まり、まるで爆発したかのような衝撃で飛んでいくモンスター達。

 3体が同時に破片になったいく様を見て、アキトは少しだけ自信が付いた。

 

 

 フィリアはメイスを持つスケルトンとの距離を一気に詰め寄り、半ば鍔迫り合い状態だった。そのフィリアの後ろから、剣を持ったスケルトンが突き刺そうと剣横に構えて走ってくる。

 フィリアはそれを確認すると、競っていたスケルトンから少しだけ離れ、その場でソードスキルを発動する。

 

 短剣高命中範囲技二連撃<ラウンド・アクセル>

 

 青白く光る短剣が、前と後ろから迫るモンスターを仕留めていく。モンスターがその攻撃の痛みからか奇声を発しながら光の粒子となっていく。

 フィリアはそれを確認した後、短剣へと視線を落とした。

 アキトに強化を頼んだお陰で、以前よりもモンスターに入るダメージ量が多い。

 フィリアは嬉しかったのか、その短剣の持ち手をギュッと握った。

 

 アキトがエリュシデータを鞘に収め、フィリアの方へと近付く。それに気付いたフィリアは、アキトに向かって笑みを見せた。

 

 

 「アキト。武器の強化…ありがとね」

 

 「あ?礼なら昨日言ってもらった。何度も言うな」

 

 「そうだけど…ちゃんと言ってなかったなって」

 

 「感謝の言葉なんて、言えば言う程、その有り難みが薄れるもんだろ」

 

 「…アキトって、そういう事言う人なんだ…」

 

 

 フィリアがジト目で見つめるも、アキトはフィリアの横を通り過ぎ、その道の先を歩いて行く。

 フィリアはそれに付いて行きつつ、隠し扉の場所を思い出していた。だがそれもすぐに済む。

 彼女は広々とした空間に出てすぐに、アキトよりも前に出て走り出し、何も無いただの壁に直立していた。アキトはそれに付いて行き、フィリアの後ろまで来ると、それを確認したフィリアが口を開く。

 

 

 「着いたわ」

 

 「…ここか。見れば見る程ただの壁だな」

 

 

 周りの壁と何ら変わらない。高難易度エリアともなると、隠し扉のクオリティも高くなるのかもしれない。

 だが、アキトはそんな事を考えつつも、頭から離れない事象があった。

 何を隠そう、目の前にある、『隠し扉がある壁』である。

 

 

 「扉が隠されているわ。仕掛けを解けば先に進めるの」

 

 「っ……」

 

 

 フィリアが壁に触れて、その仕掛けを解除していく。アキトはそんな彼女の背中を見て、自身の背筋が凍るのを感じる。

 瞳が揺れる。体が震える。初めてみる光景なのに、何故か見た事がある気がして。

 何か、何かが重なって。何かが見えた気がして。

 

 

 今ならまだ、間に合う。

 今ならまだ、引き返せる。

 今度こそ、自分はその手を、その足を緩めない。だから。

 

 

 

 

 やめろ。

 やめて。

 行かないで。

 

 

 一人にしないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「よし、開いた……っ!……アキト?」

 

 「っ……」

 

 

 気が付いたら、アキトのその手はフィリアの手首をしっかりと掴んでいた。フィリアはいきなりの事で訳が分からず、いきなり表示されたハラスメント警告のメッセージに目を丸くする。

 だが次の瞬間、アキトのその震えが掴まれた手首を通してフィリアに伝わっていく。それに気付いたフィリアは、何かに怯えたようなアキトの表情を見て困惑していた。

 アキトは慌ててフィリアからその手を離した。

 

 

 「っ……悪い」

 

 「…ねぇ、大丈夫?今日は、やめとこうか?」

 

 

 アキトに掴まれていたを擦りながら、フィリアはアキトの顔色を伺う。その表情を見て、アキトが心配になってしまったのだ。

 あんなに強くて、高圧的な態度の彼が、見た事も無い表情をしている。

 それだけで、こんなに不安が募るなんて。

 

 

 「……大丈夫。行こう」

 

 「え…でも」

 

 「平気だよ。ゴメン、心配かけて」

 

 「っ…?」

 

 

 アキトから、聞いた事も無い柔らかい物言いに、フィリアは困惑の色を隠せない。

 取り繕ったような笑みを見せて、開いた隠し扉の向こうへと足を踏み入れて行く彼を見て、フィリアは混乱していった。

 あんなアキトを、自分は見た事が無くて。どうしたらいいのか、分からなくて。

 何が、どうなっているのか。

 

 ねぇ、誰が?どれが?どれが本当のアキトなの?

 

 そう聞いてしまいたかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その扉の先を、アキトとフィリアは歩いて行く。

 教会の中は思ったよりは明るくなっており、見易くて戦いやすい環境下になっていた。

 フィリアは未だにアキトの背中を心配そうに見つめるが、アキトの表情は普段のものに戻っていた。

 

 アキトはいつでも戦えるように、エリュシデータを鞘から引き抜く。

 その重みを実感しつつ、アキトは先程の事を思い出していた。

 あの時、何かに怯え、フィリアの腕を掴んでしまった事を。

 何故かは分からない。だけど、あの光景を、フィリアが隠し扉を開けた瞬間の光景を、何故か見た事があった気がして。

 止めなきゃ、いけない気がして。

 開けたら、最後の気がしたのだ。

 

 

 「…さっきは、悪かったな」

 

 「え…?」

 

 「急に…取り乱したりしてよ」

 

 「…さっき謝って貰ったけど」

 

 

 フィリアが言っているのは、アキトが震えていた段階での謝罪の事だった。

 だがあの時のアキトは安定した思考では無かったし、その謝罪も無意識に行っていたものだ。

 ちゃんと謝った訳じゃない。

 

 

 「いや、あん時は…」

 

 「私、謝罪って、謝れば謝る程その価値が下がるような気がするのよ」

 

 

 フィリアのその言葉に、アキトは目を丸くする。

 それを見たフィリアは、してやったり、のような表情をしていた。アキトは自分が言った事のブーメランを盛大に受けた事を知り、フッと笑みを零した。

 

 

 「…そうかよ、なら、今後は謝らない事にするわ」

 

 「いや、謝るべき時には謝って欲しいけど…」

 

 

 そんなアキトを見て苦笑するフィリア。アキトはそんな彼女を見て、何故か俯いていた。

 ずっとこうして、自分は誰かに助けて貰っている。

 76層に来てからも、誰かに支えて貰って、助けて貰って、手を差し伸ばして貰って。今もこうして、フィリアに気を遣わせて。

 情けなくて、悔しかった。

 それを認める事が、認めてしまう事が。

 弱い自分は見せないと決めたのに、こうしてまた、自分に嘘を吐く。

 死という悲しい未来に行きつかないようにと焦って。過去の記憶に怯えて。

 自分の弱さを晒すなんて、醜く、滑稽で。とても悔しい。

 弱い自分が、何かを守ろうとした結果、結局は自分一人では何も出来ないという事が立証されるだけだった。

 自分自身で、自分が何も出来ないと認めてしまっただけだった。

 

 

 「…ねぇアキト」

 

 「……?」

 

 

 ふと声がする方向へと、アキトは視線を動かす。その先にいたフィリアは、真っ直ぐとアキトの事を見つめていた。

 瞳が微かに揺れ、何かを訴えているようで。

 

 

 「その…やっぱり、今日はやめとこっか…?」

 

 「……」

 

 

 その一言で、アキトは我に返る。

 目の前のこの少女を見ていると、オレンジカーソルとは何だったのかと、本気で忘れてしまいそうになる。

 そうだった。決めた筈だった。元々自分は何も出来ない奴だったではないか。

 だからこそ、強くなろうと決めたのだった。誰かをこんな風に、心配させる事の無いくらいに。

 アキトはフッと笑みを零した後、フィリアを見て嘲笑うかのような表情を見せた。

 

 

 「何でだよ?まさか怖くなったのかよ、情けなっ」

 

 「な…!?そ、そんな事無いっ。寧ろアンタが…!」

 

 「別に怯えてねぇから。お前が言ったんだろ、俺が協力すれば大丈夫だって」

 

 「い…言ったけど…」

 

 「ほら、さっさと行くぞ」

 

 

 アキトの急な変わりように、困惑するフィリア。アキトはお構い無しにスタスタと前を歩いて行き、フィリアは慌ててその背を追った。

 

 

 「っ…アイツか」

 

 「え…あ…!」

 

 

 しかしすぐにその足は止まる。そこはとても広々とした空間で、まるでちょっとしたボス戦場のようだ。

 アキトとフィリアはその広場の中心点に佇むモンスターを睨み付ける。

 まるで煉瓦を敷き詰めたような巨体が、こちらを見下ろしている。上半身が下半身の倍程の幅で、その付け根は赤い球体で支えられており、体からは青いオーラが立ち込めていた。

 その一つ目も赤く輝いており、アキトとフィリアをロックオンしているようだった。

 

 

 NM : <Sanctuary>

 

 

 HPバーが表示され、ボスは雄叫びを上げる。

 アキトはエリュシデータを引き抜き、フィリアもその短剣を素早く抜き取る。

 

 

 「…気を引き締めて行こうね」

 

 「戦闘で緩める訳ねぇだろうが」

 

 

 アキトはそんな軽口を叩きながら、その口元に弧を描いていた。

 

 ボスは一気にこちらに迫って来る。アキトとフィリアは左右に散らばり、そのボスの側面へと走る。

 先にボスのターゲットになったのはアキト。ボスはアキトに向かって、その拳を叩き落とす。

 アキトはその攻撃を後方へのステップで躱し、その瞬間エリュシデータを光らせる。

 地面へと突き刺さったボスの腕目掛けて、白銀に輝くその剣技をお見舞いしていく。

 

 片手剣四連撃技<ホリゾンタル・スクエア>

 

 その攻撃地点を中心に、白い四角のライトエフェクトが発動し、ボスのHPが減る。

 ゴーレム系という事もあり、ダメージは少量。だが、フロアボスのような耐久もHPも無い。絶対に倒せない程では無かった。

 もう片方のボスの腕がアキトに迫る。アキトは咄嗟に剣を引き寄せ防御体勢を取るが、そのボスの力が強く、後方へと飛ばされた。

 防御していた為、ダメージは少ないが、威力の大きさは伺えた。受けたらひとたまりも無い。

 

 

 「っ…!」

 

 

 アキトを狙うボスの背後に、フィリアがソードスキルを突き立てる。

 金色に輝く短剣が、ボスの後ろ足を斬り付けていく。

 

 短剣高命中重攻撃五連撃技<インフィニット>

 

 八の字を描くように刻まれたその攻撃に、サンクチュアリは思わず蹌踉めく。

 その仰け反った胸元に向かって、アキトは盛大に飛び上がる。

 

 片手剣突進技<ヴォーパル・ストライク>

 

 エリュシデータが赤く煌めき、勢い良くその胸元に突き刺さった。血のようなライトエフェクトが、ボスにダメージを与えた感触、手応えを感じさせてくれる。

 ボスは再び雄叫びを上げ、アキトを振り払おうと体を回転させた。

 

 

 「ぐっ…!」

 

 

 アキトは回転する腕に直撃し、左半身から強い衝撃を受ける。咄嗟に腕でガードしたが、その防御力はあって無いようなものだった。HPは一気に削り取られ、アキトはかなりの距離を飛ばされるが、すぐに体勢を立て直す。

 こちらを見つめるボスのタゲを、フィリアが取ろうとソードスキルを放っているのが見えた。

 アキトはすぐさまポーションを飲み干し、ボスに向かって走る。

 

 フィリアに向かってその腕を振り回すボスの足元を、ソードスキルで斬り飛ばすかのように薙ぐ。

 

 片手剣単発技<ホリゾンタル>

 

 白銀に輝く一閃が、ボスの足に決まる。フィリアはボスの動きが止まるその瞬間後方へと離脱する。

 ボスはこのヒット&アウェイの戦法に痺れを切らしたのか、再び咆哮し、アキトに向かってその両腕を叩き落とした。

 アキトは咄嗟にエリュシデータを横に持ち防御姿勢を取るが、その両腕の重みのせいで耐えられそうになかった。

 

 

 「ぐっ…!」

 

 「アキト!」

 

 

 フィリアは動けないアキトを見て目を見開いたかと思うと、急いでボスの後方へと走る。

 その短剣を光らせ、その背中に向かって飛び上がった。

 

 短剣高命中三連撃技<トライ・ピアース>

 

 突き刺すような三連撃が、ボスの背中に直撃する。ボスはその背中からの攻撃に前のめりになりつつ、その瞳をフィリアに向けた。

 

 

 「っ!」

 

 

 その瞬間、アキトは自身の上に落とされていたボスの両腕を地面へと受け流し、その腕に飛び乗った。

 アキトはそのまま腕を地に一気に駆け上がり、ボスの頭上に飛び上がった。

 ボスがそれに気付いてフィリアから視線を外すも、もう遅い。

 

 片手剣単発技<スラント>

 

 その黄色い閃光が、ボスの瞳に直撃する。ボスは視界を遮られた事により、声を上げながらも動けない。

 アキトは、今度は右の手を輝かせ、ボスに向けて突き付ける。

 

 コネクト・体術スキル<エンブレイザー>

 

 空中で動けないでいた筈のアキトは、そのスキルの突進力で仰け反ったボスの顔元に再び接近し、その拳は再びボスの赤い瞳に直撃した。

 

 

 「凄い…」

 

 

 フィリアはそんなアキトを見て思わず感嘆していた。自身の攻撃が疎かになる程に、その攻撃は脱帽の一言だった。

 そして、そんなアキトを見て、フィリアは目を見開いた。先程からずっと気になっていたのだ。

 

 

 いつまで。

 いつまで空中にいる───?

 

 

 だが、まだ終わらない。

 ボスが空中にいるアキトに向かって拳を振り上げた。未だ空中にいるアキトに、躱す余地は無い。

 だが次の瞬間、アキトは再びエリュシデータを赤く煌めかせ、その腕とは別の方向へと突き付けた。

 

 片手剣突進技<ヴォーパル・ストライク>

 

 空中でも発動出来るそのソードスキルは、その突進力によって空中を移動する。

 ボスの腕の攻撃は、見事に躱された。

 それを見たフィリアは、再びその瞳を驚愕の色で染めた。

 

 

 「嘘…」

 

 「っ!」

 

 

 コネクト・体術スキル<エンブレイザー>

 

<ヴォーパル・ストライク>で移動した場所から、再び<エンブレイザー>を発動し、ボスの顔まで一気に迫る。ボスの顔を思い切り殴り飛ばし、ボスは思わず倒れ込んだ。

 アキトは漸く地面へと着地して、そのボスを見据えていた。

 

 

 「…何…それ…」

 

 

 フィリアはその攻撃方法を見て唖然とするばかりだった。

 空中をソードスキルと体術スキルの突進力を使って移動し、ボスの弱点の一つであろう瞳を連撃する。

 空中戦と呼ぶには生温い、まるで空を飛んでいるような動き。

 《剣技連携》という、半ばユニークスキル染みた技術に合わせ、それを応用した空中戦闘。

 アキトというプレイヤーの強さが、根底にあるものが垣間見えた気がして。

 

 

 「次、来るぞ」

 

 「っ…分かってる…!」

 

 

 アキトの一言で我に返るフィリア。立ち上がったボスに向かって、アキトとフィリアの二人は勢い良く走り出した。

 

 

 その後のアキトも、その動きの一つ一つにムラが無く、ボスの攻撃をひらりと躱し、体に飛び乗ったりと、身軽の一言だった。

 フィリアは彼と連携を取る中で、そんな彼の身軽さと、黒い装備を見てこう思った。

 

 

 

 まるで、黒い猫みたいだ、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ボスの討伐は、思ったよりも時間が掛かってしまった。

 何せ、斬属性の攻撃は、ゴーレムに致命傷を与えられないのだ。メイスが使えればまた違った結果になったかもしれない。

 アキトとフィリアはお互いに疲れたような顔をしており、ボスであった筈のポリゴン片を見上げていた。

 

 

 「…随分とまあ、メンドイ相手だったな」

 

 「…でも、アキトは凄かったよ。連戦でこれだけ戦えて、しかもあの空中での動き。流石攻略組!」

 

 「…何興奮してんだよ」

 

 

 普段見る事の無いフィリアの反応に、若干引き気味のアキト。

 フィリアはそんなのお構い無しに、アキトに羨望の眼差しを向けてくる。

 

 

 「…お前も全然戦えてただろ。攻略組にいてもいいくらいだ」

 

 

 アキトはフィリアから視線を外してそう答える。実際、フィリアの戦闘技術も大したものだ。

 常に間合いを考えた立ち振る舞い、短剣ならではの身軽な動きに加え、戦い方の種類も豊富。どんな作戦を組んでもついて来られるのではないかと、そう思えた。

 フィリアはアキトがそう言うと、やや顔を赤く染め、チラチラとアキトを見上げた。

 

 

 「ほ、褒めすぎだよ……褒めてもなんにも出て来ないよ?」

 

 「そうか、そりゃ残念だ」

 

 「な…何よ…こっちは褒められるの久しぶりだったのに…」

 

 

 フィリアが小声でボソボソと話す中、アキトは我関せずといったように周りをキョロキョロと見渡していた。

 すると、アキトの目に、赤い宝箱が見えた。

 急いでフィリアに報告しようとするも、フィリアも同じタイミングで気付いたようで、既に宝箱に向かって走り出していた。

 

 

 「アキト、ほら見て、宝箱があるよっ!」

 

 「分かってるよ…」

 

 

 走るフィリアとは対照的に、アキトはゆっくり歩きながら向かう。宝箱の前ではしゃぐフィリアを見ていると、初めて出会った時とのギャップを感じてしまう。

 初めて出会った時のフィリアは、常にこちらを警戒したような顔で。スカルリーパーの時に助けてくれた時も。

 

 

『あんた達のようなならず者に、借りなんて作らない!』

 

 

 などと言っていたのに。

 現在フィリアはとても高いテンションで。

 

 

『アキト、ほら見て、宝箱があるよっ!』

 

 

 とこちらに笑顔を振り撒いている。最初はとてもクールな印象だったが、やはり女の子だなと、そう感じた。

 これが彼女の素なんだろうかと、そう思うとどこか嬉しく感じる反面、どことなく切ない何かを感じた。

 アキトはフィリアの元へ辿り着くと、フィリアは宝箱の前でしゃがみ込み、何かを思案しているような顔で首を捻っていた。

 

 

 「見たところ、蓋に罠が仕掛けられてる」

 

 「ミミックの類って事か?それとも…」

 

 

 宝箱に罠と、その事実を理解した瞬間、何故か心臓の鼓動が高くなった。何故かは分からない。だけど、とても怖くて、とても寂しい感情に襲われた。

 だがフィリアはアキトのその質問に、首を横に振った。

 

 

 「それは大丈夫、れっきとした宝箱だよ。罠は大した事無い」

 

 「そ、そうか…」

 

 

 アキトは胸を撫で下ろす。それを聞いた瞬間、その心臓の鼓動が鳴り止み、恐怖といった感情が抜け落ちていくようだった。

 アキトはその事を頭から追いやり、話を逸らすべく、フィリアを見下ろして再び口を開いた。

 

 

 「罠は解除出来るのか?」

 

 「あー…それって私の腕を信用してないって事?」

 

 「信用も何も、その腕とやらを見せて貰った事が無いしな」

 

 

 アキトがフィリアを馬鹿にするような嘲笑を見せると、フィリアも負けじとムッとした表情を返した。

 

 

 「罠のレベルの種類なんて、私くらいになればすぐ分かるの。その為に、スキルに随分振ってるんだから」

 

 「…『私くらいになれば』ねぇ…」

 

 

 アキトはこれまでフィリアのように、宝箱を求める専門職のようなプレイヤーを見た事が無い。自称トレジャーハンターって時点で既に珍しいというのに。

 アキトは再びフィリアに向かって口を開こうとした瞬間、フィリアの前の宝箱の罠が解除される音が聞こえた。

 アキトは思わず目を見開いた。

 

 

 「開いた!」

 

 「え、早っ……あ」

 

 「…ふふーん」

 

 

 思わず声に出してしまったアキト。しまったと口を抑えるも、下でこちらを見上げているフィリアにはどうやら聞こえてしまったようで、彼女はこちらを見てドヤ顔を決めていた。アキトは思わず視線を逸らす。

 その様子に満足したのか、やがてフィリアは宝箱の蓋に手を掛けた。その顔はとても嬉しそうで、宝箱の中の物に思いを馳せ、胸を踊らせているようだった。

 

 

 「へっへっへ…さあ出ておいでお宝ちゃん」

 

 「お宝ちゃん(2回目)」

 

 

 アキトはフィリアのキャラ崩壊なんじゃないかと疑うレベルのテンションの違いに、言葉をリピートするだけだった。

『私くらいになれば』、お宝の性別も判断出来るのだろうか。その内『お宝くん』とか、『宝姉さん』とか出てくるかもしれない。

 何なら『宝大明神』とか現れて、フィリアが宝箱に向かって土下座する未来が想像出来る。

 そんなどうでもいい事を考えているアキトの目の前で、フィリアは宝箱を開けて中身をまさぐっていた。

 

 

 「武器かな、それとも、アクセサリーかな……じゃーん!」

 

 「アクセサリー……か。レアモノだな」

 

 「えへへ、やったね!」

 

 

 フィリアが取り出して広げたそれは、不思議な形をしたペンダントだった。

 名前は《虚光の燈る首飾り》。

 フィリアは満足そうに口元を緩め、高々とそのペンダントを持ち上げていた。

 やがてフィリアはその腕を下ろしてアクセサリーを見つめた後、その手をアキトに差し出した。

 

 

 「……はいコレ、あげる」

 

 「は?…あ、いやそれは…」

 

 「私は大丈夫だから……アキトが持ってて」

 

 

 戸惑うアキトを他所に、フィリアは儚げに笑う。

 アキトはそんなフィリアを見逃しはしなかった。

 

 

 「……なら、貰っておくけど…」

 

 「うん…あ、アキトはもうペンダント付けてるんだね」

 

 「……ああ」

 

 

 フィリアはアキトの首元に付けられているシンプルなデザインのペンダントに視線を移す。アキトはそれに気付いてか、目を逸らしていた。

 そのペンダントは、かなり下層で手に入るものと似ていて、フィリアは首を傾げた。

 

 

 「……大事なものなの?」

 

 「大事っていうか……なんか、手放せなくて、さ」

 

 「…そっか」

 

 

 フィリアは、アキトのその表情を見て、それしか言えなかった。踏み込んではいけない、そんな感じがしたのだ。

 アキトとフィリアはやがて、その場を後にした。もうこのエリアに用は無いと、そう言うように。

 

 アキトはフィリアに貰ったペンダントを手のひらに乗せて、ただ眺めていた。

 フィリアはそんな彼の横顔を、チラリと見つめるだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキトのペンダントからは、鈴の音が聞こえた気がした。

 

 






黒猫に鈴の音がするペンダントって…黒猫に鈴て…飼い猫やんけ!

相も変わらず戦闘描写が苦手過ぎる…(白目)
今後も精進致します!


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Ep.38 みんなで





今回はシリアス無しのホンワカストーリーです。
今後書く時間が減ると思います(毎回言ってる)ので、今回は文字数多めので書ける話を描きました。
《ホロウ・フラグメント》でもお馴染みのストーリーです!
文字数はなんと、15332文字…(´・ω・`)

それでは、どうぞ!


 

 

 

 「お帰りなさい!アキトさんっ」

 

 「……ただいま」

 

 

 エギルの店の扉の前でアキトを待っていたのは、キリトとアスナの娘であるユイだった。

 いつも通りの白いワンピースを翻し、アキトが見えた瞬間その顔を輝かせ、アキト目掛けて駆け寄って来たのだ。

 

 

 「他のみんなは?」

 

 「皆さん、クラインさんに呼ばれて集まってますよ」

 

 「俺もメッセージを貰ってさ。こっちは色々あるっていうのに……」

 

 

 あの後《ホロウ・エリア》にてフィリアと共に教会を抜けた先は、広々とした野原だった。

 だが、その隣りには空中に浮かぶ要塞のような、今までのエリアとはイメージが違うエリアと繋がっていたのを見つけたのだ。

 その境界線を隔てていたのは、フィリアが宝箱で手に入れたペンダントと同じ紋様が描かれた光の壁だった。開くには他にも条件があるらしく、探そうとしたタイミングでクラインから連絡が来たのだ。

『至急、エギルの店に集合』と。

 

 

 「色々って…フィリアさんと…ですか?」

 

 「そうだけど……ユイちゃん?」

 

 「な…なんでもないです!行きましょうっ」

 

 

 ユイは少し呆けた表情をした後、我に返ったような素振りを見せてからエギルの店へと向かって行く。

 アキトはそんな忙しないユイの背中を首を傾げながら追いかけた。やがて店に入ると、いつものメンバーが集まっており、それぞれが他愛の無い話をしているところだった。

 その中の一人、今日アキトを呼び出した人物であるクラインが、アキトを見つけて得意気に笑った。

 アキトはその表情を見て、来なければ良かったかもしれないと本気で感じてしまっていた。

 そんな事はお構い無しに、クラインは声を張り上げ、このメンバー全員に聞こえる声で話し始めた。

 

 

 「来たなアキト!よし……みんな聞いて驚け!オレは遂にやったぜぇ!」

 

 「……声が大きい」

 

 「これが騒がずにいられますかってんだ!」

 

 「いや知らないけど……」

 

 

 何より、クラインが何故こうもハイテンションなのかすら分からない。心当たりも無ければ、そもそも興味が無い。

 クラインのその高揚ぶりに、アスナを始めシリカとリーファは困惑し、リズベットとシノンは呆れたような表情で見つめていた。

 

 

 「オレは遂に念願のアイツを手に入れたんだ…!」

 

 「……何だよ。まさか彼女か?」

 

 「違ぇよ!いや、そうだったらオレもどれだけ良いか……、いや、今はそんな事言ってられねぇ!見て驚け?ええとストレージの……おお、あったあった!コイツだ!!」

 

 

 常時テンションが高いクラインが、ニヤニヤしながらウィンドウを操作していく。

 正直周りは引いていた。アキトはそんなクラインをボーッと見つめるも、やがて飽きたのか宿のある2階の階段に足を踏み入れた。

 が、クラインにその襟を捕まれ、みんなが集まる場所へと引き寄せられる。

 見るとクラインがこちらを見てしかめっ面をしていた。

 

 

 「待ってろって。今オブジェクト化するからよ」

 

 「何なんだ一体……」

 

 

 そう聞くと、クラインは待ってましたと言わん表情を作り出し、ウィンドウからそのアイテムを取り出した。

 オブジェクト化したそれは、光の塊となって、そのテーブルに置かれた。やがて、その光が消えていき、そのアイテムの実態が顕になっていく。

 光が晴れたその場所には、巨大な肉の塊が鎮座していた。

 皆がこの目の前の食材アイテムであろうものを不思議そうに見つめると、アイテム名を確認したエギルが驚愕の表情を浮かべた。

 

 

 「…おいおい、マジかよ…!コイツは『フライングバッファローA5肉』!……S級食材じゃねぇか!」

 

 「……マジかよ」

 

 「おう!もっと褒めてくれ!」

 

 

 エギルのその発言に、アキトは目を丸くする。クラインはドヤ顔を決め込んでおり、割と腹が立つ顔だった。

 リズベットはそれを聞いて目を見開いて、まじまじとそのS級食材である肉アイテムを凝視した。

 

 

 「……S級食材?このお肉が……?」

 

 「間違いない……みたいね」

 

 

 リズベットの問いに答えたのはアスナ。その『フライングバッファロー A5肉』を見つめ、そう口を開く。

 それを聞いたリズベットは感嘆したように息を吐き、その肉を穴が開くほど見つめていた。

 

 

 「うそー!そう言われて見ると、なんだか美味しそうに見えてきた…」

 

 「凄く大きいね。何人分くらいあるんだろ?」

 

 

 リズベットにつられて、リーファもその隣りからひょっこり顔を出す。初めて見るS級食材が気になって仕方ないようだ。

 そんな中、ユイは目の前の肉を見て冷静に分析をしていた。

 

 

 「フライングバッファローがレアモンスターである上に『A5肉』のドロップ率は、レア中のレアです。もしかしたら、アインクラッド全体でのファーストドロップかもしれません」

 

 「マジかよ!? つーことは本邦初公開ってヤツかぁ?」

 

 「……マジかよ(2回目)」

 

 

 ユイの解説に驚きを隠せないクラインの隣りで、アキトはまたもや同じ台詞を繰り返す。

 クラインはすっかり上機嫌だった。そんなクラインを、アキトは溜め息を吐いて見据える。

 

 

 「へへっ、オレにもいよいよ運が向いてきたってところだな!なあアキト!」

 

 「……寧ろ、未来に取り置きしてた分使っちまったんじゃ……」

 

 「なんて事言うんだオメーはよ!」

 

 

 具体的には将来の出会いが無くなるとか。ここで運を使ってしまった事によって、将来的にクラインが自身と生涯共に寄り添ってくれる相手と出会える運を失ってしまった、みたいな感じだろうか。

 クラインの『運命の人』も現れる事は無いのかもしれない。『運』が『命』な訳だし。

 またもやよく分からない方向へとアキトの思考は上っていく。

 それを横目に、クラインは話を広げる。

 

 

 「でも運だけじゃねぇな!素早く逃げ回るコイツを倒した、このオレの実力も相当なもんって事だよな、いやー空を飛び回るコイツを倒す事がどれだけ難しかったか!まあコツを掴んだオレにとっては今やそんなに難しい事でも無いんだがな」

 

 「へー…」

 

 「……まず、コイツの出現ポイントを極めてだな、身を潜められる場所を探すんだ。そしてヤツに見つかんないように…」

 

 「……その話まだ続けんの」

 

 

 適当に流す事すらさせてくれない。クラインはどうも自分の功績を褒めて欲しいらしい。

 こちらの嫌そうな顔すら気にもとめず話し続ける。だが、その話を遮ったのは同じ嫌そうな顔をしていたシノンだった。

 

 

 「そんな事より、このお肉美味しいのかしら?」

 

 「そんな事って……そりゃあんまりだぜ、シノン。まぁいいか、んじゃ……」

 

 

 クラインはニヤリとそのA5肉を見下ろす。それに合わせて彼らも口元に笑みを作りつつ、その肉を見下ろした。

 この肉をどうしようか、その話に移る瞬間だった。

 リズベットが今にも涎を垂らさん表情で目を輝かせている。

 

 

 「噂じゃ絶品って話ね」

 

 「何処情報だそれ」

 

 

 アキトが呆れた顔でリズベットを見る。アインクラッドファーストドロップのアイテムの味が絶品だって噂は信憑性ゼロではなかろうか。

 といっても、S級食材にはハズレは無いと言っても過言では無い。S級食材ならどれも相応の美味しさがあるべきだし、ある筈である。

 リズベットは何かを強請るようにクラインを見上げた。

 

 

 「……という事でさ、クライン。このお肉、みんなにご馳走してくれるんだよね?」

 

 「ああ勿論だ。ただまあ、流石に全部って訳にはいかねぇ……」

 

 「売るつもりが無いなら、料理方法を考えた方が良いぞ」

 

 「そうですね。折角のS級食材なんですから、美味しく食べたいですよね」

 

 

 エギルとシリカがクラインに向かってそう口を開く。S級ともなれば、ただ焼くだけでも充分に美味しいが、それでは勿体無い気もするだろう。これだけの大きさがあるなら、色んな種類の料理を楽しむのも手だろう。

 

 

 「この店でみんなに振る舞うってんなら、場所は貸すぜ。……あとはそこのシェフ次第だ」

 

 

 そう言うとエギルはアスナの方を見る。彼らもつられてアスナに視線を動かした。

 アスナは一瞬だけ強ばった表情を作るが、すぐにフッと笑みを作り、その場で頷いた。

 

 

 「……みんなで食べるなら、勿論手伝うわよ」

 

 「アスナ……」

 

 

 アスナのその答えに、リズベットは嬉しいのか、それ相応の笑みを零していた。いつもの、今までのアスナに戻ろうと、彼女なりに頑張っているのが分かる。

 それがとても嬉しかった。

 そのアスナの反応を嬉しく思ったのは、リズベットだけではなかった。クラインも、そんなアスナを見てニヤリと表情を変えた後、声改めて張り上げた。

 

 

 「おーし、決めた!ケチくさい事言わないで、残さず全部食っちまおう!」

 

 「さっすがクライン!よっ、太っ腹!」

 

 「あったりめぇよ!」

 

 

 リズベットに煽てられ、クラインも満更では無さそうだ。シリカやリーファもそれに同調して、クラインに感謝の意を伝えていた。

 それを横目に、アスナは目の前の肉を見つめて口を開く。

 

 

 「じゃあ、準備に取り掛かりましょうか」

 

 「俺はパス」

 

 

 声のする方をみんなが向くと、そこには溜め息を吐いたアキトの姿が。アキトはみんなに背を向けて階段を上ろうと歩き出す。

 クラインは目を見開いて、アキトの襟首を鷲掴みにする。

 

 

 「何だよアキト、ノリが悪いぞ?オメーさんも食ってけって」

 

 「別に興味無い」

 

 「S級食材なんて、滅多に食べられるものじゃないのよ?ましてや『フライングバッファローA5肉』なんて」

 

 「興味無いって」

 

 

 クラインやリズベットの説得にも応じず、アキトは襟首を掴むクラインの手を払う。

 アキトはその後、再びその肉を中心に座る彼らを一瞥した。

 

 みんなで輪を作って、食事を楽しむ。それだけの事なのに、こうも拒みたくなる。

 いろんな事が、いろんな場所が、いろんな人が。アキトの記憶を呼び起こしていく。ほんの数秒でさえ、忘れさせてくれやしない。アキトは静かにその握り拳を強くした。

 

 

 「今日はもう寝るわ、じゃあな……って、……ユイ」

 

 

 再び彼らに背を向けると、その瞬間、誰かにその手を掴まれた。振り向いて見れば、その手に握られていたのはユイの手だった。

 ユイはこちらを見上げて問い掛ける。

 

 

 「アキトさん、もう、寝ちゃうんですか……?」

 

 

 ユイはその手を握ったまま離さない。振りほどいて行く事も出来るが、こんな小さな子にそれをするのは躊躇われる。

 アキトは顔を上げて周りを見る。アスナもシリカもリズベットも、リーファもシノンも、クラインもエギルもこちらを見て、皆が笑みを作って頷いた。

 アキトは再びユイを見下ろし、溜め息を吐いた。

 

 

 「……部屋に行こうと思ってただけ。ホントはまだ、そんなに眠くない」

 

 「っ……じゃあ、アキトさんも一緒に食べましょう!」

 

 

 ユイのその表情の変わりように思わず苦笑いを浮かべるアキト。彼女には敵わないと、アキトは悟った。

 彼女は本当に、人の心に寄り添う事に長けたAI、いや、『人間』だ。

 アキトは今日何度目か分からない溜め息を吐いた。

 

 そして、皆がそれぞれの準備を始めようと立ち上がる。アスナはA5肉に近付き、その手を伸ばす。

 すると、ピナが近くまで飛んできて、アスナの周りをバタバタと飛び回る。

 

 

 「きゅるる♪」

 

 「ピナ?まだ食べちゃダーメ!ちゃんと料理してからじゃなきゃ」

 

 「きゅるぅ…」

 

 

 興奮気味のピナを制するシリカ。その傍でアスナはフッと笑った後、A5肉を厨房で運び、そのまま調理器具を取り出していた。

 

 

 「…あ、あの、アスナさんっ。私も手伝います!」

 

 「…うんっ、それじゃあ手伝ってくれる?」

 

 「っ…、はいっ!」

 

 

 シリカは分かりやすく嬉しそうな表情をした。

 いつかアスナに、同じ事を言った記憶があった。料理するのを手伝う、と。あの時のアスナは色んなものを置いてきていて。シリカの言葉も、ちゃんと聞いてはいなかったのかもしれない。

 だけど、今こうして、あの時お願いした事の実現が出来ている。それがとても嬉しかった。

 アスナが、段々とこちらに手を伸ばしてくれてるようで。

 カウンターの向こうの厨房では、エギルが食器や別の料理の準備をしていた。

 

 

 「材料は、店にあるもので足りるだろう。肉が立派だからな、添え物程度で充分な筈だ。……って、あー…しまったな」

 

 「どうしたの?何か足りないものがあるなら買ってくるわよ」

 

 「すまない、リズベット。じゃあちょっと行ってきてもらえるか?肉料理に合う美味いドリンクがあるんだ。場所はだな……」

 

 「あっ、あたしも行きます!」

 

 

 エギルに近付いて注文を聞くリズベットとリーファ。エギルの背の向こうでは、アスナがA5肉に手を掛けていた。

 ユイはそれを見て嬉しくなったのか、笑顔でシノンに向かって口を開く。

 

 

 「でしたら、私とシノンさんはテーブルメイクをしましょう!」

 

 「そうね、ただ食べさせてもらうだけっていうのも良くないわね」

 

 

 そう言うと途端に近くのテーブルを運ぼうと手を掛けるユイとシノン。

 皆が各々のやるべき事を見つけて、手伝いをしている。皆でS級食材を食べる為に。早く準備すればする程、早く食べる事が出来る。

 そしてアキトと言えば。

 

 

 「それでアイツが出てきた時に素早く飛び出てバーン!いーや、今思い出しても会心だったな。その時はアキト、いや、キリの字にも負けてなかったと思うぜ」

 

 「……」

 

 

 興奮冷めやらぬクラインの自慢話を、アスナの料理が出来るまで延々と聞かされる役回りになってしまっていた。

 アキトは頬杖を付きながら、クラインから視線を外し、話を流し流し聞いていた。

 

 それを見ていた他のメンバーは、クラインのご機嫌振りに苦笑いだった。

 その中で、エギルだけが嬉しそうにアキトとクラインを見つめていた。

 

 

 「…何だか新鮮だな」

 

 「え…?」

 

 「今までアイツ、俺達と一緒に集まって食事をする事って無かっただろ」

 

 「確かにそうですね…」

 

 

 エギルの言葉に目を丸くするリーファ。隣りで聞いていたリズベットも、やがてアキトの方へと視線を動かした。

 ユイもシノンも、クラインの話を嫌そうに聞くアキトを不思議そうに見つめていた。

 だけどリズベットにはなんだかそれが変わった事のようには感じなかった。寧ろ、あれが本来のアキトなんじゃないか、確証も無いのにそんな事を思った。

 

 

 「……でもまあ、アキトも一人で食べるより、みんなで食べた方が美味しいって思うわよっ。さ、行きましょリーファ」

 

 「……はいっ」

 

 

 リズベットとリーファは店の外へと駆け出していく。それを見てエギルも作業に戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……そこでオレはすかさずヤツの背中に飛び乗った!そうして、手にした剣でヤツの首をガッ!とな」

 

 「……」

 

 「振り落とされる可能性もあったが、ここで逃げたら男じゃねぇって必死で掴まって……」

 

(この話、この短時間で3回くらい聞いたんだけど…何、ループしてる?これもバグ?)

 

 

 アキトは深い溜め息を吐きつつ、クラインの事を見る。クラインはそれはそれは鼻の下を伸ばして話をしていた。何がそんなに嬉しいのか、そのテンションは下がる事を知らない。

 アキトはそんなクラインから視線を外し、近くにいる他のメンバーに視線を移した。

 シノンやユイがテーブルメイクを行い、エギルとアスナが料理をして、シリカはそのアスナの手伝い。シリカとアスナが顔を見合わせて笑っているのを見て、アキトも心の中で笑みを作っていた。

 

 キリトの死。その事実は、今も彼らの心に強く根付いているだろう。だけど、皆が皆それぞれ前を向いて、それでもゲームクリアの為に必死で生きようとしている。

 彼らはみんな心から笑っているように見えるが、キリトの事を忘れた訳ではないだろう。

 きっと、いつまでも悲しんではいられないから。必ずそれらの過去に訣別する瞬間が訪れてしまうから。

 

 彼らも、アキトも。

 

 だからきっと、彼らは。

 

 

 

 「オイアキト、聞いてるのか?」

 

 「ああ、聞いてる聞いてる」

 

 「そうか?んでよ、ヤツが俺を本気で振り落とそうとその体を……」

 

 「たっだいまー!飲み物、買ってきたわよー!」

 

 

 クラインの話を遮るようにして、リズベットとリーファが帰ってきた。2人は買ってきたドリンクをオブジェクト化し、エギルに見せつける。

 エギルはそのドリンクを遠目で確認すると、口元を緩めて頷いた。

 

 

 「ああ、それでいい。……こっちも丁度、料理が一通り出来上がったところだ」

 

 「ちぇっ、ここからがまた盛り上がるところなのによぉ……」

 

(3回も聞いた上で盛り上がるも何も…)

 

 

 アキトは漸くクラインから解放された事に安堵した。その席から立ち上がり、カウンターへと移動すると、そこに腰掛け、カウンターテーブルにうつ伏せになる。

 

 

 「はぁ…疲れた」

 

 「お疲れ様、アキト君」

 

 「っ……」

 

 

 すぐ近くで声がして、思わず顔を上げる。その声の主は、カウンターの向こうにいるアスナだった。アスナはアキトに微笑み、労いの言葉を掛ける。

 

 

 「……料理は出来たのか」

 

 「…うん。今、そっちに持ってくね」

 

 

 アスナはそう言うと、厨房にある出来上がった料理の数々をテーブルへと運んでいく。シリカとエギルも、それに合わせて食器類をテーブルへと持っていった。

 クラインはテーブルに並ぶ料理を見つめて目を輝かせていた。

 

 

 「……おお、どいつもこいつも凄く美味そうだ、流石オレのA5肉!」

 

 

 クラインが飛び付くその背に、他のメンバーも料理を見て笑顔になっていく。

 アスナはそんな彼らを見てつられて笑みを零し、料理を紹介しようと口を開いた。

 

 

 「まずは何よりステーキでしょ。それと、シチューも用意してみたの」

 

 「あとは、ローストビーフにタタキだな。折角だから、肉の味を堪能出来るメニューを頼んだんだ」

 

 

 エギルが胸を張りそう呟いた。アキトはほんの少し離れた場所であるカウンターから、そのテーブルを除く。

 遠目で見てもかなりの肉の量だった。現実では絶対に食べられないだろう。

 

 

 「……凄い量だな」

 

 「元のお肉の量が凄かったもの。……でも人数も多いから、お腹いっぱいにはならないかも」

 

 「……なんでこっち来んだよ」

 

 「アキト君は食べないの?」

 

 

 アキトに近付いて来たのはアスナだった。アキトは嫌そうな表情を作りつつ、アスナから目を逸らし頬杖を付いた。

 

 

 「俺は別に……元々興味無かったし、お前らで食べれば良いんじゃねぇの」

 

 「……こんなにたくさんあるんだし、食べ切れないかもしれないよ?」

 

 「お前今さっきと言ってる事違うんだけど」

 

 

 たった今自分で『お腹いっぱいにはならないかも』と言ったばかりではないか。

 だがアスナは引かず、アキトと一つ離れた席に座り、体ごとこちらに向き直る。

 流石にアキトも狼狽え、その体が強ばった。

 

 

 「な……何だよ……」

 

 「……今までのお礼って事で、その……食べていって欲しいな」

 

 

 アスナは両の拳を膝にギュッと置き、アキトを真っ直ぐに見据える。アキトはその真剣さに一瞬瞳が揺れるも、すぐに顔を逸らす。

 彼女はきっと、今まで自身がしてきた事の罪悪感で、思うように笑えてない。どこかで遠慮して、一歩引いた姿勢を取っていた。だからこそ、この料理が意味するのはきっと、感謝だけじゃない。

 リズベット達への、今までのお詫びも兼ねての行為だっただろう。

 声音も、表情も、何処と無く固くて。アキトはそんなアスナを見て溜め息を吐く。

 周りは肉に釘付けでこちらは見ていない。だからこそ、アキトはアスナに素直な言葉を紡ぐ。

 

 

 「……感謝される事なんかしてない。言ったろ、選んだのはお前だ」

 

 「っ……で、でも……私は……」

 

 「うるせぇな、執拗いのは嫌いなんだ。もう言うんじゃねぇよ」

 

 

 何がアスナをそうさせたのか、何がアスナを生きようとさせたのか、それは分からない。

 けれと、アスナが今この場所にいるのは、彼女が選んで決めた道。苦しくても辛くても、きっと進まないといけない道。

 

 それだけで、自分がここに来た意味を見い出せた気がした。

 生きる道が分からなくても、俺に出来る事はきっとある筈。そう思ったから、ここに来た。

 時間はかかるかもしれない。一から何かを始めるのは、簡単ではないから。だけど、簡単じゃないからこそ、やらなければって、そう思ったから。

 だからきっと自分は、この道を選んだのだと、そう思っている。

 

 その道が、間違ってなかったって。進んだ先が、正しかったと信じたい。

 

 

 「……それに」

 

 「……?」

 

 

(本当に感謝してるのは、俺の方────)

 

 

 アキトは寂しそうな表情で、アスナを見つめた。目の前の、触れれば壊れてしまいそうな、そんな彼女を。

 アキトは伸ばしそうになった手を別の手で掴んで制し、その場から立ち上がった。

 

 

 「……何でもない。仕方無いから、食ってやるよ」

 

 「っ……うん」

 

 

 アキトにつられてアスナも立ち上がる。心做しか彼女の口元は、笑みを作っていた。

 クライン達のいるテーブルへ近付くと、まだ彼らは話を続けてはいたが、今にも食べる寸前だった。

 

 

 「もう二度と食べられないかもしれない高級食材だものね、ありがたくいただきます。あ、でも、クラインは相手を狩るコツを掴んだから、またいつでも手に入れられるんだっけ?」

 

 「なら、このお肉をまた食べる機会があるっていうの?羨ましい限りね」

 

 「ま、まぁな!でもオメェらは次いつ食えるか分からねぇだろ?今日の内に腹いっぱい食っとけよ!」

 

 

 リズベットとシノンにそう言われ、胸を張るクライン。エギルはそんなクラインを見て、顔を顰める。

 

 

 「……だがよ、コイツはお前の獲物だ、クライン。まずはお前さんが食べない事には……」

 

 「オレ様は、またいつでも食えるから、今日はお前らが腹いっぱい食えって」

 

 

 クラインのその一言で、周りにいた彼らは一瞬だけ固まった。

 アキトはそのクラインの言葉に、心の中で困惑しながらも、クラインに問いかけた。

 

 

 「……あんだけ自慢しといて、お前食わねぇの?」

 

 「いーや!お前らが腹いっぱいになって、もう食えねぇっていうなら、その時はオレも食わせてもらうがな!」

 

 

 その言葉を聞いて、周りからは歓声が聞こえるが、アキトは苦笑いだった。

 クラインのこういうところは、褒められるべきところなのかもしれないが、損な役回りとしか言えない気もする。

 そんな事を言えば、彼女達がどうするのかは目に見えている。特にリズベットとかは、その辺り本当に遠慮しない人間に見える。

 

 皆が何を食べようか眺める中、リーファが料理を一通り見て呟いた。

 

 

 「どの料理も美味しそうだなぁ…全部食べて見たいけど、一口ずつ食べるとか…ダメかな?」

 

 「その方がみんなが楽しめるかもしれないわね。…ねぇクライン、それでもいいかな?」

 

 「好きにしてもらって構わないぜ。どうせならバイキング形式にしちまえ」

 

 

 アスナの要望に、クラインは男前に答える。途端にリーファの表情が綻んだ。

 

 

 「やった!それじゃあ、いただきまーす!」

 

 

 そうして彼らは各々の料理に手を伸ばし、色んな味に舌づつみを打っていく。

 どれも絶品揃いで、皆が皆、その表情を柔らかいものにしていた。

 アキトはそれを眺めながら、カウンターにひっそりと座り、ドリンクを口に入れる。アスナには食べると言っておきながら、その料理達に箸を伸ばさないでいた。

 アキト自身、そこへ行くのを躊躇っていた。

 

 

 「……」

 

 

 どれだけ彼らに、何を言われても、中々心内は変わらない。彼らに近付こうとする反面、何処かでそれを拒み続けている。

 彼らは、『自分』の仲間じゃない。勘違いは、しない。

 いつだって求めるものは一つだけで。彼らじゃなくて。面倒な事は分かっているけど、だけど、そう簡単にこの思いは消えなくて。

 彼らは前に進もうとしているのに、自分は何も変わってなくて。アスナに言った言葉の一つ一つが、自分に帰って来るようで。

 

 アキトは、アスナの事をチラリと見た。リズベット達と笑いながら、シチューを口に含む様子を見て、アキトは儚げに笑う。

 キリトを失って、心を乱した彼女のこれまでは、過去の自分と何処か似ていた。だからこそ、自分を見ているようでイラついていたのも事実だった。

 だけど、今の彼女は違う。立ち直ってはいないものの、進むべき道を自分で見つけて、最後まで抗おうとしている。

 それを見て、やっぱり最初から、自分とアスナは違っていたのだと、当たり前の事を改めて自覚した。

 

 すると、アスナが視線を感じたのか、ふとアキトの方を向く。アキトは慌てて視線を逸らし、カウンターの向こう側を視界に収める。

 しかし、暫くすると隣りの方から音が聞こえた。恐る恐る振り返れば、そこには色んな肉料理を取り寄せた二枚の皿を持ったアスナが立っていた。

 その顔は心做しか不貞腐れているように見える。アキトは心底嫌そうな顔を見せて、アスナを牽制した。

 

 

 「……今度は何」

 

 「……食べてくれるって、言ったじゃない」

 

 「あー……お前らが腹いっぱいになって、もう食えねぇって言った後に食おうと思ってた」

 

 「クラインじゃないんだから……はい、これ」

 

 

 そうしてアスナは、持っていた料理をアキトの座るカウンターテーブルに乗せる。ステーキやタタキ、ローストビーフが乗った皿と、ビーフシチューが収まる皿と一枚ずつ。

 アキトはその皿を見下ろした後、再びアスナを見る。

 アスナは動かず、その場に立っており、アキトの事を見つめていた。恐らくアキトが食べるのを待っているのだろう。アキトは困惑しつつも、ゆっくりとスプーンをビーフシチューへと持っていく。

 その肉を口に含んだ瞬間、アキトは目を見開いた。今まで食べてきたどのシチューよりも美味であると、瞬時に認めてしまう程に。

 中に入った柔らかな野菜と合わせて食べる肉は最高で、口の中でシチューと一緒に溶けていく感覚。

 これまで食べたシチューは、きっとシチューじゃない。そんな感覚に浸ってしまう。

 

 

 「っ…」

 

 「……」

 

 

 アキトは途端に我に返り、隣りにいるアスナを見つめる。アスナはアキトの食べる様子を変わらずに見ていた。

 もしかしたら、今考えていた事も悟られてしまっていたかもしれない。アキトは悔しげな表情を浮かべながら、素直な感想を述べる事にした。

 

 

 「……いや、まあ…何?その……美味い、けど……」

 

 「っ……そ、そっか……ふふ、ありがとう」

 

 

 アスナはアキトの感想に満足したのか、その体を翻してみんなの元へと戻っていった。

 アキトはアスナのそんな背中を眺めていたが、やがてそのシチューに再びスプーンを伸ばした。

 

 

 「どれも美味しいです!特にこのビーフシチュー、私のお気に入りです!」

 

 「あたしはやっぱりステーキよね。如何にもお肉って味の感じがして堪らないわー!」

 

(……ゴクリ)

 

 

 ユイとリズベットのそんな感想を聞きつつ、みんなが美味しそうに食べる肉料理に釘付けのクライン。だがそんなのお構い無しに、皆が自分のお気に入りの料理を答えていく。

 

 

 「私はこの……肉のタタキが好みね。タレがまた良い味出してる」

 

 「おうシノン、そいつとローストビーフのタレには、この肉から出た肉汁を使ったみたいだぜ」

 

 「うーん…どれも美味しいですけど……あたしはシノンさんと同じで、お肉のタタキに一票です!あ、アスナさんはどうですか?」

 

 「どれも美味しいっていうのは私も同じかな。ただ、今回のメニューの中からなら…シチューかな。お野菜と合わせると美味しくて…」

 

 「あたしもシチューが一番美味しいと思う!」

 

 

 シノン、エギル、シリカ、アスナ、リーファの順に答え、それを聞くクラインがその眼力を強くする。

 みんなに食わせると言った矢先、引き返す事が出来なくて、食い入るように見るしかないクラインを、アキトは引き気味で眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うーん…あたしお腹いっぱい…もう食べられそうにないよ〜…」

 

 「暫くお肉はいいわ……というか、この味を覚えている間は他のお肉なんて食べられそうにないわね」

 

 「…だそうだからクライン、残ってるもの、早く食べちゃった方が良いんじゃない?」

 

 

 「……残ってるものって……オメェらよぉ……あんだけあった料理を殆ど食べ尽くすとか……」

 

 

 クラインの目の前にあるのは、たった一切れのステーキ。予想通り、皆遠慮せずに食べた結果だった。

 クラインもこうなる事は想像していなかったらしく、かなり凹んでいるのが見て分かる。

 

 

 「アキト君、あんまり食べて無かったけど、お腹いっぱいになったの?」

 

 「ああ。元々少食だからな」

 

 

 アスナの言葉を蹴ってクラインを見つめるアキト。

 というのも、この食材を調達してきたクラインよりも多く食べるという行為に、アキトはそもそも気が引けていた。

 実際、アスナから貰った皿だけは食べたが、お代わりなどは一切していなかった。

 やがてエギルが皿に乗ったステーキ一切れを見下ろし、フッと笑った。

 

 

 「ステーキが一切れだけか……まぁ良かったじゃねぇか。この肉を味わうならそいつに限るぜ」

 

 「慰めにもなりゃしねぇよ!」

 

 「じゃあオレが食っても良いか?」

 

 「ダメに決まったんだろ!……ったく、しっかりと味わわないとな。……それじゃ、いただきま……」

 

 

 エギルとの会話の末に、ステーキにありつこうとフォークを伸ばすクライン。

 だが、その言葉を遮ったのは、意外な声だった。

 

 

 「きゅるぅ……」

 

 「あ……食べるのに夢中でピナの分忘れちゃってた……ゴメンね、ピナも食べたかったよね……」

 

 

 シリカの頭上のピナが、悲しげな表情を浮かべて飛んでいた。どうやら肉の一切れすら食べていないようで、お腹を空かせているのが丸分かりだった。

 ピナの鳴き声と表情を見ながら、クラインは困惑したような表情を浮かべる。

 

 

 「きゅるるぅ…」

 

 「……おい、やめろ……!そんな切なそうな顔でオレを見るな……!」

 

 「……」

 

 「……って、シリカまで!残ったのこの一切れだけなんだぞ!?オレが取ってきたS級食材なのに……」

 

 

 クラインの言い分は最もだ。確かにピナに食べさせなかったシリカにも非はあるだろう。元々クラインは残ったものは食べさせて貰うと公言していたのだし、食べるべきはクラインだろう。

 だが、そもそもクラインが格好など付けずに素直に食べていれば、こうなる事も未然に防げていたのだ。クラインの自業自得とも取れる。

 

 

 「でも、また取れるんでしょ?コツを掴んだとか言ってたじゃない」

 

 

 クラインに追い討ちをかけるようにリズベットがそう告げた。

 出現する頻度とドロップ率にそもそもコツも何も無いとは思うが、確かにクラインはそう言った。

 クラインはリズベットにそう突き付けられた事により、腹を決めた表情になる。

 

 

 「……ああ、取れるさ!取ってやろうじゃねぇか!だからこの肉はくれてやるよっ!」

 

 「きゅるるぅ!」

 

 「わぁ…!クラインさん、ありがとうございます!」

 

 

 ピナは嬉しそうにそのステーキに食いついた。たった一切れではあるが、ピナの体格からすれば恐らく大丈夫だろう。問題は、現在進行形で心の中で泣いているであろうクラインだった。

 周りからはお褒めの言葉を預かってはいるが、クラインは自分が言った事に後悔しているかもしれない。

 この2年間の中でのファーストドロップなのだ、もうクリアまで手に入らないかもしれない。

 今夜寝る時になったら、今日の自分の行いを悔い改めるだろう。

 

 

 だが、クラインが気の毒だと思ったのは本当だった。

 

 

 「……仕方無いな」

 

 「?……アキト、君?」

 

 

 カウンターの椅子から降り、アキトは立ち上がった。

 アスナの他、みんなアキトに視線が向かう。アキトはウィンドウを開き、アイテムストレージを確認すると、目線はウィンドウのまま、エギルに声を掛けた。

 

 

 「おっさん、厨房借りるぞ」

 

 「あ…ああ、それは別に構わないが……」

 

 

 エギルが了承した途端、アキトがストレージにあるアイテムをタップし、オブジェクト化する。

 そのテーブルに置かれたのは、またもや肉。フライングバッファローA5肉』よりも一回り小さい食材アイテムだった。

 

 

 「…なーに、また肉?今度は何……エギル?」

 

 「オイオイ、まさか一日で2回もS級食材を見る事になるとは思わなかったぞ…!」

 

 「え…!?何、これもS級食材なの!?」

 

 

 最初は肉を見てウンザリした様子のリズベットだったが、エギルの言葉を聞くや否や目を見開いて飛び付いた。

 周りが驚きの表情でそのアイテムを見つめる中、ユイがそのアイテムを見て口を開いた。

 

 

 「これ……『ロースト・カウ』です……お肉とミルクを同時にドロップするS級食材ですよ!」

 

 「うっそぉ…そんなものもあるの……!?」

 

 

 ユイの解説でリズベットは開いた口が塞がらない。

 ただでさえS級食材だというのに、肉とミルクの二種類もドロップするなど、聞いた事も無い。

 もしかしたら、これもアインクラッドでのファーストドロップなのではないかと、周りは静かに考えていた。

 リーファにクラインは目を丸くしてその肉を見ており、シリカとシノン、それにアスナはこちらを見ていた。

 

 

 「アンタ、これ…どうしたの?」

 

 「《ホロウ・エリア》で手に入れたんだよ」

 

 

 《カウ》と言うくらいだから、乳牛なのかと思っていたが、まさか肉もドロップするとは思わなかった。

 あの時、フィリアと教会に向かう際に戦ったモンスターの中に、そのS級食材は混じり込んでいた。

 その時は『イイもん』を見つけた、そんな程度の解釈だったのだが。

 

 アキトはその肉を持って厨房へと赴く。その背中に向かって、リーファが慌てて口を開いた。

 

 

 「ちょ、ちょっと待って!今から料理するの…?」

 

 「アキトさん、料理出来るんですか?」

 

 

 シリカの質問は、誰もが気になった事だろう。だがそのシリカの質問に答えたのは、アキトではなくリズベットだった。

 

 

 「……そう言えば、75層のバグで、料理スキルがおかしくなったって言ってたわね……」

 

 「……って事は……お前さん、料理するのか」

 

 「うるせぇな、どうだって良いだろ」

 

 

 エギルの言葉にアキトはそう吐き捨てると、クラインを見据える。クラインはアキトに見られている事を理解して、体が強ばる。

 だが、次にアキトが放つ言葉は、クラインにとっての救いの言葉だった。

 

 

 「仕方無いから食わせてやるよ」

 

 「あ……アキトォ!」

 

 

 クラインは今にも泣きそうな表情でアキトの名前を呼ぶ。

 そのアキトの言葉を、彼らは驚いて聞いていた。

 

 

 「…アンタ、本当にアキトなの…?」

 

 「お前その質問何回してんの」

 

 

 だがリズベットの問いは最もで、誰もがアキトの言葉に耳を疑った。普段のアキトからは考えられない振る舞い、それも、誰かの為に料理を作るなどと。

 攻略組に喧嘩を売り、ミスを犯したプレイヤーを嘲笑し、その口調は相手の神経を逆撫でする。

 

 

(いや…違う…)

 

 

 その考えは、改めるべき事だ。

 あの行為が、巡りに巡って攻略組を思っての行動だと言う事は、攻略組として最前線で戦うアスナ、リズベット、クライン、エギルには分かっている事だ。そしてユイも。

 なら、アキトが元々優しい少年だという事は、既に知っていた筈だ。顔も知らないプレイヤーをボス戦で庇い、攻略組を助けようと迷宮区を走って来てくれて、アスナの乱心を止めようとしてくれた。

 どんなに自分を偽ろうとも、その事実は変わらないし、それは客観視されるものだ。アスナ達は皆、アキトがそんな少年だと、心のどこかで理解していた。

 それは勿論攻略組に限らず、クエストを教えて貰ったシリカや、宿を紹介してもらったリーファ、スキル上げを見てもらっているシノンも分かっている。

 

 

 だからきっと、意外だと思っても、信じられないと思っても、心の何処かで納得していた。

 

 

 「アキト君…」

 

 

 アスナはそんなアキトの事をじっと見つめる。そんな彼に、キリトの面影を重ねながら。

 

 

 「アキト……オメェって奴は……」

 

 

 クラインが感動しつつアキトの背中を見つめる。

 そんなクラインの言葉に溜め息を吐き、やがて視線だけを彼に向けた。

 

 

 「言ったろ。貸し借りは作らない主義なんだ」

 

 

 

●○●○

 

 

 「……畜生、美味い!うめぇよ……」

 

 

 数分後、アキトの目の前には自身の作ったステーキを泣きながら頬張る野武士ヅラの男だった。

 そのとても美味しそうに食べる様を見て、シリカやリズベット、リーファはじっと見つめていた。

 やがて痺れを切らしたのか、リズベットがクラインに近寄った。

 

 

 「ね、ねぇクライン?あたしにも一口、さ?」

 

 「ダメに決まってんだろ!お前もう暫く肉はいいって言ってたじゃねぇか!」

 

 「ぐっ…」

 

 

 今度はリズベットがクラインに痛いところを突かれ、苦い表情を浮かべる。

 そのリズベットの横をパタパタとピナが飛んでいき、やがてクラインの近くで静止した。

 クラインはピナを視界に捉えると、その表情をさらに笑顔にし、ピナに向かってステーキを一切れ差し出した。

 

 

 「きゅるぅ!」

 

 「おうピナ!お前も食えよ!さっきの一切れじゃあ足りねぇだろ!」

 

 「きゅるるぅ♪」

 

 「あ…ピナ…」

 

 

 その肉を美味しそうに食べる自身のテイムモンスターを見て、シリカは切なそうな顔になる。

 そんな様子を、アスナとエギルとシノンは遠くで見据えていた。

 アキトはクラインから視線を外し、エギルに入れてもらったココアを啜っていた。

 

 

 「……しっかし、お前さん料理が出来たとはな。S級食材を調理出来るって事は、かなりの熟練度じゃないのか?」

 

 「…もしかして、コンプリートしてるの?」

 

 「してた。けどバグで飛んだ」

 

 

 といっても、既に前と遜色無い程に戻ってはいるが。

 アキトは彼らを見ずに、カップを見つめる。そして、今さっきまで自分がした事を思い返していた。

 普段なら、きっとやらなかった。みんなで食事をする前から、自分は彼らに近付くのを拒んでいた事を自覚していたのに、クラインに情が湧いて、料理まで振る舞うとは。

 とても暖かくて、とても眩しくて。彼らの仲間は素敵だと思った。

 

 

(やっぱり、キリトの仲間だな…)

 

 

 アキトはカウンターから離れ、その足取りで2階へ続く階段へと赴く。彼らは一同、そんなアキトの背中を目で追った。

 

 

 「もう寝るの?」

 

 「ああ。これ以上ここにいる理由も無いし、二階の方が静かだしな」

 

 

 シノンの問いかけにも皮肉で答え、階段を上っていく。

 その背中を、ただ眺める彼ら。

 

 

 誰も、そんなアキトを悪くは言わなかった。

 ただその背を見つめるだけで。

 そんな素直じゃないアキトを見た後、みんなで顔を合わせて笑い合う。

 

 

 今じゃなくて良い。知っていく時間は、これからも。

 

 

 時間は、まだきっとある。今度こそ、キリトの時みたいな間違いは起こさない。絶対に死なせない。

 だからきっといつか、アキトの色んな事を知っていける。

 今までの行いの理由を、自身の事を。彼の心内に秘めた思いも、きっと。

 

 

 時間をかけて、彼の人となりを知っていける。

 そう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── そう、思っていた。

 






感想お待ちしております。
これまでの話の質問なども受け付けますので、よろしくお願いします!


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Ep.39 フィリアのこれまで




知り合いの方に「アキトの名前の由来は?」と聞かれたのですが、名前はふと思い付いて適当に考えた所はありますね…(´・ω・`)
まあ、意味もちゃんとありますが…それは後程(意味深)
遅れましたがお待たせです!どうぞ!


 

 

 

 

 

 

 いつもの時間。いつもの部屋。いつもの階段。いつもの店。プレイヤー達が攻略に出向くであろうこの時間帯は、人の出入りは少ない。

 アキトはその階段を下りると、カウンターの方へと視線を向ける。そこには、店のオーナーであるエギルの他に、珍しくシリカとシノンが座っていた。

 アキトに一番最初に気付いたのはエギルだった。彼の視線につられ、シリカとシノンもこちらに視線を向けて来た。

 

「おうアキト、おはようさん」

 

「アキトさん、おはようございます」

 

「おはよう」

 

「……おう」

 

 アキトはそれだけ言うと、背中に背負うエリュシデータの重みを実感しながら階段を下りる。

 普段ならエギルにコーヒーかココアを貰うのだが、シリカとシノンがいる事によって、その選択肢に躊躇いが生じていた。アキトはカウンターに足を向ける事無く、そのまま店の扉の方に体を向けていた。

 エギルは、普段とは違うアキトの行動が気になったのか、思わず声をかけた。

 

「……今日は飲んでいかないのか?」

 

「……別に。何だって良いだろ」

 

「今日も《ホロウ・エリア》の攻略に行くんですか?」

 

「……別に。何だって良いだろ」

 

「……フィリアと、行くのかしら」

 

「……何なんだよお前ら」

 

 やけに多い質問攻めにアキトは溜め息を吐く。足を止め、彼らにその顔を向ける。

 その中で一人、シノンが、シリカとエギルの思っているであろう事を代弁した。

 

「随分とあっちにご執心なのね」

 

「一度やると決めた事だからな。投げ出すのは性に合わない」

 

「……そう」

 

 アキトのその一言だけで、シノンは何かを察してくれたのかもしれない。それ以上は何も言わなかった。

 彼女には前に、似たような事を言った記憶がある。やらなきゃいけない事がある、と。だからこそシノンはそれ以上言葉を音にする事は無かった。

 シノンがそれきり黙ってカップを啜るを見て、シリカは困惑していたが、エギルもそんなシノンとアキトのやり取りで満足したのか、アキトに向かって呆れたような表情を見せた。

 

「また一人で行くのか?クライン辺りがまた騒ぎそうだ」

 

「知らん。そんなのは俺の管轄外だ」

 

 アキトはそう吐き捨てて背を向ける。黒いコートを翻し、店の扉に手を掛けた。

 高難易度エリアである《ホロウ・エリア》。どんなスキルや武器があるのか、どんな強敵が潜んでいるのかすら未知数。そんな中を、キリトの仲間達に進ませる訳にはいかなかった。

 もう失敗は出来ない。もう二度と。

 

 

 ─── そう、思っていたのに。

 

 

「おうアキト!待ってたぜぇ!」

 

「……」

 

 目の前の転移門に、クラインが仁王立ちしていた。時間も時間、しかも人が行き交うこの場所でのクラインは明らかに浮いていた。周りが彼を遠目で見つめてはヒソヒソと何かを話しているのが聞こえる。

 アキトはその他大勢に溶け込み、クラインをやり過ごそうとする。しかしクラインはそれを見つけるとアキトの襟首を引っ掴み、転移門まで連れて来た。アキトはいい加減煩わしくなったのか、クラインのその腕を振り払った。

 

「……何か用か」

 

「分かってるだろ?《ホロウ・エリア》だよ!そろそろ俺もそっちに連れてってくれよ」

 

「……」

 

 アキトはクラインから目を逸らした。そのクラインの活き活きとした表情を見てられない。

 アキトがここにいるメンバーを連れて行きたくない理由はもう一つある。それは、フィリアと出会った場合の反応である。フィリアは、そうは見えなくとも、そのカーソルはオレンジなのだ。どれだけ優しい少女でも、どれだけ善良な人間でも、そのシステムには抗えない。

 それに彼女自身、人を殺したと口にしている。

 

 クライン達を連れて行く事になった場合はフィリアを呼びつけなければ良い話ではあるが、《ホロウ・エリア》での圏内は今のところ管理区しか見つかってないのだ。フィリアとかち合うのは時間の問題だった。

 彼女自身、オレンジカーソルを気にしている筈だ。だから、少しでも他人の目を避けたいだろう。だからこちらに転移しないであちらで生活しているのだ。

 それを分かっている上でクラインを《ホロウ・エリア》に連れて行くのは…。

 

「……」

 

「ん?どうした?」

 

 黙って自分を見つめるアキトに気になったのか、クラインは首を傾げていた。

 いっそ正直に話せば、クラインは分かってくれるだろうか。フィリアの事を警戒せず、仲間だと認めてくれるだろうか。

 そんな事を考える自分にすら驚きを隠せない。仲間、なんて単語をこんなに聞く事など珍しい。

 もはや自分には無いものなのに。

 

「何を見ても驚いたり、疑問持ったりすんなよ」

 

「そりゃ無理だろ!?」

 

「じゃあ連れてってやるから、文句言うんじゃねぇぞ」

 

「よっしゃあ!分かってるって!」

 

 クラインは再びアキトの肩に腕を回そうとして、アキトはそれを躱す。そんな事をしながら、アキトはフィリアの事を思い出していた。

 彼女はアキトがいない間も一人で活動しているらしい。この時間なら、もしかしたら管理区にはいないかもしれない。今日はフィリアに連絡はせず、クラインにある程度満足してもらえれば大丈夫だろう。

 アキトはクラインと共に、転移門へと足を向けた。

 

 

 

 ●○●○

 

 

《ホロウ・エリア管理区》

 

 

「おお……」

 

 転移した先の世界観の違いに、クラインは驚きを隠せない。忙しなく辺りを見渡し、見た事も無いものばかりの景色に視線は釘付けだった。

 数字の羅列の波、空中に表示されるウィンドウの数々、見た事の無い単語や、変わった形の転移門。何から何までアインクラッドとは違う。

 アキトも個人で辺りを見渡した。フィリアがいない事を確認すると、心に安堵が生まれた気がした。

 

(フィリアはいない……か。まぁ、クラインに色々聞かれるのもアレだし、助かったかな)

 

 考えていた事が杞憂に終わって良かったと、そう思ったのも束の間だった。

 突如、その場所に光の球が現れた。アキトはその音に反応し、その場から距離を取る。クラインも気付いたようだが、何が起こっているのか理解が追い付かないようで、そこから動けずただその光を見つめ続ける。

 ここは《圏内》、ダメージや死に繋がる事は起きない。二人は黙ってその光が消えゆくのを待つ。

 だが、その光が消えた瞬間、そこに立っていた人物を見て、アキトは失敗を実感した。

 

「……あれ、アキト?……と、誰……?」

 

「っ……フィリア」

 

 目の前に立つフィリアを見て、アキトは声が震えているのに気付く。フィリアのカーソルは変わらずオレンジ。それを見たアキトは、すぐさまクラインの方に視線が動く。

 クラインとフィリアは見つめ合い、お互いに目の前の人物が誰なのか思考を凝らしていた。だがクラインは、フィリアのカーソルの色に気付き、その顔が強ばった。

 オレンジに気付いたのだとアキトは理解し、こちらを見てくるクラインから視線を逸らさずにはいられない。

 

 オレンジカーソル。犯罪を犯したプレイヤーに表示されるそれは、ペナルティが課せられるだけじゃない、周りの反応とも付き合っていかなくてはならない。

 だけどそれはとても難しい話だ。特に攻略組において、それは顕著に現れる。

 彼らは一度大々的に、オレンジ、いや、レッドギルドの討伐隊を結成してまでオレンジカーソルのプレイヤー達に挑んだ事がある。

 それを理解していたから、クラインとフィリアを会わせたくなかったのだ。

 事情を話せばなんとかなるなど、確証も無い事を考えた自分が馬鹿だった。

 アキトは次にクラインから発せられる言葉を静かに待った。

 

 だがクラインは何も言わず、そのままフィリアへと近付いた。フィリアは困惑しながらもその場からは動かない。

 アキトはクラインの動きに警戒しつつも、その瞳が左右する。

 次の瞬間、クラインはフィリアの目の前で膝を付き、顔を伏せて手を伸ばした。

 

「お初にお目にかかります、お嬢さん。私の名はクライン。24歳独身、現在彼女募集中です」

 

「は、はぁ……」

 

「……」

 

 そのクラインの意味不明の言動に、アキトは絶句した。フィリアは益々困惑の色を隠せずに、今も尚目の前で膝を立てるクラインを見下ろすばかり。

 クラインの表情は、いつもとは打って変わってキラキラと輝いており、言うなれば紳士の顔だった。

 だがアキトは、そんなクラインの変わりようよりも、フィリアに対する反応に驚いていた。

 焦るようにクラインの襟を引っ張り上げ、フィリアから離れる。クラインは煩わしそうな顔をするも、アキトはそれを無視して彼を見上げた。

 

「……おい、会ったばかりでナンパすんな。条例に引っかかるぞ」

 

「甘ぇなアキト。SAOには法律なんて無いんだぜ?」

 

「……そのセリフ、お前の顔と合わせると犯罪的なんだけど」

 

「ちょっとした冗談で言い過ぎだろ!」

 

「い、いや……そうじゃない、そうじゃなくて……何とも思わないのかよ」

 

「あん?」

 

 クラインは何を言ってるんだというような表情でアキトを見下ろす。改めて言うのも憚るが、アキトは意を決してクラインに向き直る。

 

「その……フィリアがオレンジである事に、何も言わないんだなって……」

 

「ああ、やっぱりあの子がフィリアちゃんか……いや、オレも最初は驚いたけどよ、見た感じ、悪い子には見えねぇしな。それに……」

 

 クラインはフィリアのいる方向へと視線を運ぶ。こちらが何を話しているのか聞こえない彼女にとって、クラインの反応は気になるものなのだろう。こちらに向かって背を伸ばしていた。

 クラインはそんな彼女を見て笑みを作ったかと思うと、再びアキトを見つめ直した。

 

「お前さんと今まで一緒に居たんだろ?だったら別に大丈夫じゃねぇか」

 

「っ……お前……」

 

 その言葉を聞いて、アキトは何とも言えない思いだった。クラインは、オレンジだというだけで人を判別するような人間じゃなかったのだという事を理解した。

 そしてその判断基準を、アキト自身に委ね、それでいて信じてくれていたのだ。

 今までアキトと共に攻略してきたのなら、悪いプレイヤーではないのだ、と。

 アキトが何かを言う前にそう完結して、そう告げて。クラインは割り切ったのだ。

 説得しようとしていた訳では無いが、説明しなければならないと思っていた為、肩透かしを食らった気分だが、それ以上に、クラインというプレイヤーの印象を改めなければならないと知った。

 

「……そうだよな……()は、そういう奴だったよな……」

 

「何だよ?」

 

 良く知っている訳でも無いのに、そんな言葉が自然と口から出る。

 アキトの小声はクラインには聞こえてなかったようで、怪訝な顔でこちらを覗いていた。

 

「……いや、何でもない」

 

 何故か焦りを覚えた声音で、そんな事しか言えなかった。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

《セルベンディスの神殿前広場》

 

 

「おお……!」

 

 名前の通り、巨大な神殿の前に転移した3人、そのうちクラインは、初めて見るであろうこの広大な木々と景色を見て、その目を見開いていた。

 階層エリアでも中々見られない程の巨木が連なり、クラインはその木々のてっぺんを見上げる。そして、その後は丘の向こう、先程まで3人がいた《ホロウ・エリア管理区》があった場所、空中に浮かぶ青い球体を中心とした景色を眺めて、その瞳を光らせていた。

 目を奪われるのも無理は無いが、こちらには予定があった。

 

「おい、ボサッとすんな。早く行くぞ」

 

「お…おう」

 

 クラインはそう返事を返し、アキトの背を追いかける。だがその視線は彼方此方へと動き、その景色を堪能していた。

 アキトとフィリアとの歩く感覚が、少しずつ離れていて、アキトはそれを見て溜め息を吐く。

 しかしそれとは逆に、フィリアはそんなクラインを見てクスクスと笑っていた。

 

「……何笑ってんだよ」

 

「私も初めてこの場所に来た時、あんな感じだったかなーって思ったら、何だかね」

 

「……確か一ヶ月くらい前に飛ばされたとか言ってたな」

 

 アキトのその言葉に、フィリアは頷いて答える。

 アキトは続けて気になっていた事を質問しようと口を開くが、一通り見て満足したのか、クラインがアキトとフィリアの間に割って現れた。

 

「いやースゲーな!これだけのフィールドを見ちまったら、まだ見ぬお宝ちゃんに胸が高鳴るってもんだぜ!」

 

「お宝ちゃん(復唱)」

 

 お前もかクライン。アキトはクラインを見上げて苦笑した。

 半ばフィリアと同じ思考回路で笑えてしまう。クラインなら宝箱に恋してしまうなんて事も……無いな。

 フィリアもそんなクラインを見て笑みを零す。クラインは二人の反応を見てつられて笑みを浮かべ、アキトに視線を動かした。

 

「……そういや、俺達は何処に向かってんだよ?」

 

「もう着いてる。この神殿の中」

 

 アキトは目の前にある巨大な神殿を見上げた。フィリアとクラインも同じように顔を上に向けてそれを眺めていた。

 クラインはそれを見て何かに気付いたのか、再びアキトへと顔を下ろした。

 

「転移して目の前にある神殿だってのに、攻略してねぇのか?」

 

「入ったは入ったけど、全部じゃない」

 

 クラインが首を傾げるのと同時に、アキトはクラインにマップを可視状態にして見せる。

 アキトはクラインに近付いて、そのマップに向かって指を指す。

 そこは先日、フィリアと共に見付けた、新たなエリアと、この森林エリアを隔てる境界線だった。

 

「昨日、フィリアとこの辺りまで行ったんだが、そこから先はシステム的に行けないようになってたんだよ。何か条件があると考えるのが妥当だろ」

 

「……確かにそうだな」

 

「今俺らが動けるのはこの森のエリアだけだ。だから、この中に条件を満たせるものがあるんだよ。それを探す」

 

「……」

 

「…?何だよ」

 

「あ…ああ、いや…成程な」

 

 クラインは慌てたような素振りでそう返事を返す。アキトは首を捻るが、クラインは慌てて顔を上げた。

 こんなに丁寧に教えてくれるとは思ってなかったクラインは、何だかよく分からない気持ちが込み上げてきていた。言葉にはしにくいが、アキトがこうして人に分かってもらおうとしている光景が新しいというか、変わっているのだろうかと、そう考えてしまう。

 少しだけ、気分が良かった。

 

「おっしゃあ!任せとけって」

 

 クラインは盛大に胸を張り、そこを拳で殴り付ける。その意気込みを見たアキトは、何だかクラインが頼もしい存在に見えてきた。

 決して、本人には言わないけど。

 

 

 神殿の中は暗闇に包まれていたが、何とか先が見える明るさでもあった。

 アキトは慎重にその道を進んでいき、フィリアとクラインは後へと続く。

 この神殿の中は、一度だけ入った事があった。左右それぞれに道があり、探索したのは記憶に新しい。だが、中央に続く道の先に足を踏み入れた事は一度も無かったのだ。

 めぼしい場所は粗方探索したのだ。次に進むべくは目の前に広がる真っ直ぐな道。

 

「さっきチラッとモンスター見たんだけどよ、やっぱ高難易度ってだけあってレベルも高ぇなぁ」

 

「レベルだけだ。強さは大した事は無い」

 

 実際、レベルが高いだけで動きや隙はアインクラッドのモンスターの何ら変わらない。見た事も無いモンスターもいるにはいるが、時間をかけて観察すれば簡単の極みだった。

 クラインの声にそう返すアキト。だがクラインはそれに構わず言葉を続ける。

 

「つってもよ、フィリアさんはこんな所に一ヶ月近く居たんだろ?それを考えるとレベルが高いってのは意外とくるもんだぜ?」

 

「フィリアでいいよ。私も生きる事に精一杯だったから、戦闘はなるべく避けてたし……」

 

「……拠点は」

 

「え?」

 

「拠点はどうしてたんだよ」

 

 2人の会話で、アキトは先程フィリアに質問しようとしていた事を思い出す。

 アキトは、この《ホロウ・エリア》において、拠点となるであろう街を目にした事が無かった。ここにもプレイヤーはいると、フィリアは言っていた。だが補給も無しにこの場所で探索を続けられる程レベルが低いエリアでも無い。

 今のところ管理区以外の《圏内》を見た事が無いアキトにとって、プレイヤーがこのエリアで活動する拠点については気になるところでもあったのだ。

 それを音にして伝えると、フィリアは途切れ途切れに説明してくれた。

 

「えっと……ダンジョンの、安全地帯だけど……でもオススメはしないかな」

 

「そりゃ、どうしてだ?」

 

 フィリアの言葉にクラインが食いつく。フィリアは躊躇いながらも、アキトを見てその根拠を説明し始めた。

 

「…初めて会った時、プレイヤーにおかしなところがあるって言ったの覚えてる?まあ、それとは少し違う話かもなんだけど……」

 

「…ああ」

 

「…ある時、私が安全地帯で休憩しようとしていたら、近くから話し声が聞こえたの。で、声のする方に近付いてみたら、一人のプレイヤーを大勢のプレイヤーが囲んで……その……PKをしていたんだ……あれは相当慣れている感じだった」

 

「っ…」

 

 それに反応したのはアキトではなくクライン。その瞳を大きくして、驚きを隠せない様子だった。

 アキトも別に驚いていない訳では無かった。アインクラッドでも、《ホロウ・エリア》でも、人間やる事は同じなのだと改めて理解していた。

 アキトはそれを横目で見つめるも、フィリアに続きを促した。

 

「…それで、安全地帯はモンスターの襲撃は防げるけど、悪質なプレイヤーの襲撃は防げないって事に気付いたの。それからはロクに睡眠も取らず、他のプレイヤーとも接触しないようにして過ごしてたって訳。そんな時、アキトに出会ったの」

 

「おいおい……そりゃハードだな」

 

 話しながら暗い顔になっていくフィリアにクラインは同情する。だがフィリアはクラインのその言葉に首を振り、少しばかりの笑顔を見せた。

 

「…でもアキトが来てくれたおかげで管理区っていう《圏内》で休みが取れるようになったし」

 

「ここに飛ばされた理由は知らないけどな」

 

「…それに、武器の強化もしてもらったし…その…」

 

「メンテナンスのついでだったからな」

 

「…でも、素材集めも手伝ってくれたじゃない」

 

「マッピングとレベリングを兼ねてたからな」

 

「もうっ、素直に感謝してるんだから受け取ってよ!はい、もうこれで私の話は終わり!」

 

 フィリアは声を荒らげてそう言い放つ。その清々しさにアキトもクラインもたじろいだ。

 けれど、二人、特にクラインはそんなフィリアを心の中では笑っていた。

 オレンジといえども、こうして普通に人と話せている。カーソルの色だけでは人となりは分からない。色々な事情、色々な角度から、物事を捉えれば、勘違いなど起こり得ない。

 アキトもきっと、フィリアが悪いプレイヤーではないと、心の何処かで感じているのだろう。そう思うと、この三人での探索も悪くないように思えていた。

 

 だが次の瞬間、クラインは我に返った。

 気が付けば、かなりの道を進んで来ていた様だ。辺りは先程よりも暗く、それでいて冷たい。

 アキトもフィリアもそれを肌で感じ取っていた。

 武器を鞘から引き抜き、辺りを警戒しながら進む。

 すると、クラインが目の前のものに気付き、その声に真剣味を混ぜながら告げる。

 

「っ…おい、二人共…!」

 

「あ?っ…」

 

「これって……」

 

 目の前には、ダンジョンで見られるどの形とも異なる扉が設置されていた。

 中央には、赤い球体が嵌め込まれており、その扉の奥は、今までとは違うであろう事を、肌で感じる事が出来た。

 

「これ…もしかして…」

 

「おいアキト…これって、ボス部屋なんじゃねぇのか」

 

「かもな……?」

 

 アキトはその扉の赤い球体に注目する。宝玉にも似たその球体の中には、何かのマークが描かれていた。アキトはそのマークに見覚えがあった。アイテムストレージを開き、その中から、その根拠を取り出した。

 それを見たクラインは珍しそうにするが、フィリアはそれを見て気が付いた。

 

「…それって…」

 

 フィリアが見覚えがあるのも当然だ。前回の探索でフィリアがアキトに譲った、《虚光の燈る首飾り》。

 不思議な形をしているが、その中央にある蒼い宝石の中にも、この扉の球体と同じマークがあったのだ。

 すると、その首飾りと扉が共鳴するかのように光り出す。アキト達はその扉から少しだけ距離を取る。

 やがてその扉はゆっくりと左右に開き、その先の道を現した。赤いカーペットが敷かれ、目の前の暗闇へと続いている。

 

 アキトとフィリアは《虚光の燈る首飾り》を見て少なからず驚いていた。このアイテムが目の前の扉を開けるものだとはとても思わなかっただけに、その驚愕もかなりのものだった。

 フィリアとクラインは固唾を飲んでその先を見据える。その間を、アキトはゆっくりと抜け、その先を歩いていく。

 

「…おいアキト、もしここがボス部屋なら、人集めた方がいいんじゃねぇか?」

 

「生憎、ここに来てからフィリア以外のプレイヤーを俺は見た事が無い」

 

(けど…もしかしたら…)

 

 アキトはここに初めて来た時に戦ったスカルリーパーを思い出す。HPバーの本数からして、あれはボスの類だった事は間違いない。だが、アキトとフィリアの二人だけで倒せる程の強さだった。

 それを踏まえると、ひとまとめにエリアボスといっても、その強さのランクは階層ボスよりも低いのではないだろうか。

 アキトは、そんな確証の無い推理を頭に巡らせていた。その考え全てを振り払い、アキトはその先に足を踏み入れた。

 

「…取り敢えず下見だな。中の様子見て、危ねぇと思えば下がればいいだろ」

 

「…それもそうだな。んじゃまぁ、行くか!」

 

「…うんっ」

 

 三人は、その暗闇の中へと消えていく。その扉は、彼らが入るのと同時に閉じられた。

 中は今までとは正反対に、段々と明るくなっていく。一度ボス部屋と考えてしまうと、緊張で視界が狭まった。

 

「……なんか、いかにもって感じだね。緊張してきた」

 

「ま、いざとなったらオレ様がなんとかしてやっからよ!」

 

 クラインはフィリアにいい顔をしようとしてか、はたまた自分に言い聞かせているのかは不明だが、声高々にそう言い放つ。

 アキトはフッと嘲笑にも似た笑みを零し、クラインを見上げた。

 

「……随分な自信だな。ここに来てすぐにボス戦かもしれねぇってのに」

 

「へっ、言ってろ!可愛い子の為ならば、例え四肢がもげても漢を貫く自信があるぜ!」

 

「何その放送事故」

 

 四肢が無く、五体不満足になりながらも刀を咥えてボスに向かって這うクラインを想像してしまう。色々な意味で背筋が凍る気持ちだった。

 だけど、そんな窮地に二人を立たせるつもりは無い。アキトは確かにそう思った。

 

 

 そんな状況になりたくないし、そんな状況にさせたくない。

 

 

 アキトのその瞳の色が、変わったような気がした。

 

 

 

 










次回 「虚ろに潜む幻影」


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Ep.40 影に潜む獣



今回は戦闘回です。
戦闘描写は得意ではありませんが、今後も精進致します。

では、どうぞ!


 

 

セルベンディスの神殿前広場《供物の神殿》

 

 

《ホロウ・エリア管理区》から転移して、すぐ目の前にある古びた神殿。その中の最深部。

その闇のように黒く、固く閉じられた扉は、アキトの持つ《虚光の燈る首飾り》に反応し、簡単に開いた。

この先はきっと、今までとは違うと、そう思った。

 

 

 

 

─── そこは、光が差し込んでいた。

 

神殿の中にいるとはとても思えない。上にあるべき筈の天井は崩壊しており、差し込んでいるのは陽の光である事は明らかだった。

室内であるとは言えない程に、巨大な木の根がその広場の至る所に侵食している。

地面にも緑が生えており、部屋を支えていた筈の柱は、天井の崩壊により、意味も無く何本も等間隔で並んで直立していた。

そんな自然は、天井の光に照らされてキラキラと光り輝き、とても神秘的に思えた。

その部屋には、何も無い。ボスも、モンスターも、宝箱も。

ただ破壊された部屋に、自然が溢れるだけだった。

 

その場所を、奥へ奥へと進む、クラインとフィリア、そしてアキト。

この広々とした部屋に意を決して入るも、その静かな空気に困惑を隠し切れない。

ボス部屋だと予想して入った分、拍子抜けなクライン。だがそれでも、長い間攻略組として最前線で戦ってきたのだ。決して油断したりしない。

フィリアとアキトも未だ警戒は怠らなかった。だがフィリアも、何もいないこのフィールドを見て、次第に警戒を緩めていた。

 

暫く時間が経ったが、全く変化が見られない。体勢を低くしていたクラインは、胸元に引き寄せていた刀を持つ右腕を力無く落とし、その体を起こした。

それを見たフィリアも、気が緩んだのか膝に手を付いた。

 

 

「…何にも、いねぇぞ…」

 

「…ボス部屋じゃなかったって事…?」

 

「……」

 

 

二人がその場に立ち止まる中、アキトだけはこの広大なフィールドを見渡していた。

この場所は明らかにおかしいと感じていた。

これだけの広さがありながら、モンスターは愚か、宝箱も一つも無い。破壊された神殿、まるで、食い千切られたこのような柱。

このボス戦をするには丁度良い広さも。

 

 

『っ…下だ!』

 

「っ…!」

 

 

アキトは咄嗟に下を見る。瞬間、フィリアとクラインの襟を掴み、その場から飛び出した。

 

 

「ぐえぇっ!」

 

「きゃああぁ!」

 

 

クラインとフィリアはいきなりの事で思わず声を上げた。

先程の場所より離れた場所まで引っ張られ、漸くアキトから解放されると、クラインは勢い良く立ち上がった。

 

 

「っ〜、いきなり何しやがんだ!」

 

「…何かいる」

 

「え…?」

 

 

アキトの見据える先を、二人は視線で追い掛ける。

視線の先は、先程まで居た場所。その地面には、巨大な黒い影が敷かれていた。

ついさっきまでそこにいた、アキトとフィリア、クラインをまとめて飲み込んでしまえる程に。

 

 

「…何だ、コイツは…」

 

「っ…」

 

 

クラインは即座に刀を構える。フィリアも短剣を逆手に持ち、体勢を低くした。

アキトはエリュシデータを目の前に出し、斜めに構え、少し離れた場所に広がる影を睨み付ける。

 

 

その地面の影は徐々に広がり、次第に濃くなり、闇を孕んでいく。

黒い瘴気がその影から漂い、まるで何かが潜んでいるようで。

 

 

 

 

─── そして、『それ』は現れた。

 

 

地に張る影から、さらに巨大な影が飛び上がる。『それ』は上空へ静止して、やがて重力に逆らう事無く落下してきた。

何もかもを黒く塗り潰した、その獣のようなモンスターが。

 

 

「っ!」

 

「!?」

 

「…コイツは…!」

 

 

三人は驚愕を顕にした。

 

その獣は体全てが闇に覆われたかのように黒く、未だ瘴気を放っていた。

犬にも似た四本足で、ワニのような巨大な顎。血のように赤く染まった瞳がこちらを見下ろす。

その体と足には、まるで封印でもされているかのように楔が打たれ、銀色の鎖が巻かれていた。

 

そして何より、それは巨大だった。

 

 

BOSS <The Shadow Phantasm>

 

 

その異形は、獣と称した、そのイメージにそぐわぬ咆哮を上げた。

空間を振動させ、その雄叫びだけでプレイヤーを吹き飛ばせそうな、そんな勢いだった。

フィリアは思わず耳を塞ぐ。クラインは片目を瞑り、しかしボスから目を離さない。

 

瞬間、叫び終わったその異形から、3本のHPバーが表示される。

アキトはそれを見て、何もかもを確信した。

 

 

(このエリア一帯のボスか…!)

 

 

目の前の巨大な獣は、そんなアキト達を、縄張りを荒らす侵入者だと認め、危険視したのか彼らから目を離さず、警戒してか、その喉を鳴らす。

クラインは横目で他の二人を見て、慌てて問う。

 

 

「どうする、撤退するか!?」

 

「っ…!?二人とも、あれ!」

 

 

フィリアは左手を上げ、指を差す。その先はボスの向こう、三人が入ってきた入口だった。

アキトとクラインはその方向を見て、絶望の色を見せる。

入口は、システム的に閉じられていたのだ。アキトの掌に現れた紋様と酷似したものが、入口の前に張られていた。

 

 

「っ…マジかよ…!」

 

「そんなっ…!」

 

(これじゃあ……!)

 

 

これでは離脱どころの話では無い。場合によっては全滅も有り得る。

 

 

 

 

(全滅────)

 

 

 

 

その単語が頭を過ぎる瞬間、一緒に色々なものが脳裏を駆け巡った。

いつか見た景色、見覚えの無い光景も共に。

だけど、一つだけ理解した事がある。

 

 

それは、二度と口にしたくは無い、耳に入れたくない言葉。

 

決して、もう誰かをそんな目に合わせたくないと、決めた事。

 

 

 

 

 

「『もう、二度と────』」

 

 

その言葉と同時に、地面を強く蹴った。

フィリアとクラインの間を抜け、ボスに向かって一直線に走る。

そのスピードは、まさに刹那。

何かが自分を突き動かすような感覚。自分では無い何かに背中を押されたような感触。

だけど、何もかもを切り捨て、目の前の異物を倒す事だけに脳を使う。

 

全ては、繰り返さない為に。

 

時間差で風を感じたフィリアは、いつの間に自身より前へと進む黒の剣士を視界に捉えた瞬間、慌ててその名を呼んだ。

 

 

「…っ!? アキト!」

 

「あの馬鹿っ…!」

 

 

クラインはアキトの後を追いかけ始める。フィリアもそれに合わせて彼の背を追う。

だがアキトは、気が付けば既にボスの懐に飛び込んでいた。

その瞳はボスを捉え、ボスもまたアキトを見下ろす。

そして、ボスは楔が打たれたその巨大な右前足を地面から離し、高く上げた。アキトはその前足の影に覆われ、その黒いコートの色が、更に濃いものへと変わっていく。

だがアキトは迷う事無くその剣を白く光らせる。ボスの動きの一瞬一瞬を目で追い掛ける。

 

次の瞬間、ボスはその前足をアキト目掛けて振り下ろした。まるで、蟻を踏み潰すかの如く、何の躊躇いも感じない。

アキトはその場で走るのを止めると、直前まで迫る足にエリュシデータを当てがった。

 

 

「っ!」

 

 

ボスの前足を受け流すようにいなし、それを起点に旋回、発動中のソードスキルを、地に付いた右前足目掛けて振り抜いた。

 

片手剣単発技<ホリゾンタル>

 

血のように赤いエフェクトが切断面から飛び出す。

ボスの頭上のHPバーに、決して少なくないダメージの結果が表れた。

そのダメージ量は、階層ボスのそれよりも大きい。やはり、アキトの考えた通り。

このボスは、この三人で倒せる。

 

ボスは自身にダメージを与えたアキトを煩わしく感じたのか、その斬り付けられた足でアキトを払う。

アキトはエリュシデータを引き寄せ、その攻撃を受け止めた。

その隙にクラインが迫る。

刀を炎のように煌めかせ、ボスの下顎にそれを放つ。

 

刀単発技<旋車>

 

体を捻らせ、ダメージを上乗せしていく。単発だからこその威力に、ボスの上半身が跳ね上がる。

フィリアはクラインの後ろから飛び出て、もう片方の前足に向かって、ソードスキルを放った。

 

短剣高命中四連撃<ファッド・エッジ>

 

エメラルドグリーンに輝く、強化されたその短剣は、ボス相手にも通用した。

HPバーは急激と言っても過言では無い程の勢いで減っていく。

スカルリーパーの時と同じ、階層ボスよりもステータスはかなり下に設定されている。

即ち、攻略組と攻略組クラスの実力を持つこの三人なら、時間をかけて倒せる相手だという事。

撤退出来なくても、この場で倒せれば────

 

 

次の瞬間、ボスが地面に体を近付けた。

怯んだのかと考えたのも束の間、ボスはバネのような脚力で、彼らの頭上を飛び越えた。

 

 

「えっ…!?」

 

「なっ…!?」

 

 

初めての動きに、彼らは一瞬だけ動きが止まった。だが、命懸けのこのゲームで、その一瞬、刹那とも呼べるような隙でも、敵に見せるのは命取りとなる。

ボスが着地したかと思った瞬間、再びこちらに向かって迫ってきた。

その速度、彼らの隙を突くには充分間に合う速度だ。目の前まで接近し切ったその獣に、フィリアは対応が遅れる。

ボスはその前足の楔の部分で、フィリアを殴り付けた。

 

 

「きゃああぁあ!!」

 

「っ───」

 

 

アキトはボスに向かって走っていたその足を咄嗟に捻らせ、殴られたフィリアの元へ走る。

何故かは分からない。だが、一瞬でボスからフィリアに意識を切り替えてしまっていた。

くの字になって飛ばされるフィリアの行き着くであろうその先へ、先回りするかのように、その足を全力で動かす。

 

 

(っ───)

 

 

アキトはフィリアの体を受け止める。しかし、その威力に耐えられず、そのまま共に柱に向かって飛んでいく。

アキトはその柱に背を向け、フィリアを庇うように包み込む。

激突したその柱は、元々脆かった事もあってかアキトとフィリアの直撃で亀裂を作り、やがて崩壊した。

その破片、瓦礫達がアキトとフィリアを下敷きにしていく。

 

 

「ぐっ…!」

 

「っ…アキト…!」

 

 

フィリアはその瓦礫から顔を出し、アキトに視線を移す。

いくら弱体化してるからといっても、やはりボス。そのダメージ量は言わずがもがなだった。

自分を庇ってくれたのだと理解したフィリアは、咄嗟にポーションを取り出す。

だが、段々とこちらに近付いてくる音、それに合わせて地面が振動するのを感じた。

 

 

「くっ…また…!」

 

 

その闇纏う獣は狩りをする猛獣の如く、獲物を見付けた肉食動物の如く、涎を垂らして二人に向かって来る。

その四足歩行によるスピードは、巨体に合わないもので、ドンドンと増していく。

フィリアはアキトを背に立ち上がり、咄嗟に短剣を構える。

 

 

「させるかよ!」

 

 

クラインはその刀を輝かせ、ボスに沿うように迫る。

その巨体に合わせてこちらにクラインが走り込み、その左側面にソードスキルをお見舞いした。

 

刀単発技<浮舟>

 

脇腹へと刺さるその攻撃にボスはよろめき、その軌道をずらす。

フィリア達のすぐ横を通り過ぎ、隣りの柱にぶつかっていった。

辺りが砂煙で覆われ、周りが曇って見えない。クラインはそれを好機にフィリアとアキトの元へと駆け寄った。

 

 

「大丈夫か…!?」

 

「私は大丈夫…でも、アキトが…」

 

「何ともねぇよ。距離取るぞ」

 

 

アキトはすぐ立ち上がり、クラインとフィリアと共にその場から離れる。

土煙が舞う、ボスのいる場所を目で見れる距離まで離れ、その様子を剣を構えて待つ。

やがてボスの鼻息で煙が霧散し、その辺りが顕になっていく。

ボスはアキト達が近くにいないのを悟り、首を左右に動かしていた。

そんなボスのHPバーを見れば、3本の内の1本、その半分程が削れており、残りは2本と半分だった。

それを見たアキト以外の二人も、このボスがフロアボスよりも強くはないという事を理解した。

 

 

これなら、きっと勝てる。

その瞬間、ただならぬ殺気を感じ、アキトはエリュシデータを構える。

 

 

「来るぞ!」

 

「っ…!」

 

「くっ…!」

 

 

周りの瓦礫を盛大に吹き飛ばし、その獣は立っていた。

体から漂うその瘴気はより深く、より濃いものへと変わっていく。

ただ目の前の獲物を屠るだけを考え、視線を逸らさない。

まさに闇の化身と呼べるものだった。

 

ボスは、再びこのエリアを揺るがすような咆哮を放ち、その場から離れ、こちらに走ってきた。

アキト達はそれぞれ違う方角へ散開する。

ボスはその小動物のように散らばる小さなプレイヤーを見て頭を動かすが、やがて一人に決めたかのように、そのプレイヤーただ一人の背中を追いかけ始めた。

その背中の持ち主は────

 

 

「っ、来やがったな!」

 

 

クラインはボスのいる後ろを見て叫ぶ。ボスのその赤い瞳は、間違いなくクラインを捉えていた。

アキトはそれを確認すると、走る方向を転換し、ボスに向かって駆け出した。

クラインがヘイトを稼いでいる今がチャンス、再び側面から攻撃をしようと、アキトは筋力値に言わせたジャンプを繰り出した。

飛び上がったその先には、ボスの上部が見える。下で見上げてばかりで、見下ろす事の無かった上顎の部分。

その場所に目掛けて攻撃すべく、エリュシデータを上段に構える。

 

片手剣単発技<ヴァーチカル>

 

黄金に光る英雄の剣を、一気に振り下ろした。

 

 

「っ!?」

 

 

しかし、ボスはアキトを視界に入れたかと思うと、急に立ち止まり、その体を傾ける。

すると、システムアシストによって繰り出されたアキトのソードスキルは、運悪くボスの楔、それを縛る鎖にぶつかった。

ガキィン、と金属の鈍い音が聞こえ、その反動で火花が散る。アキトは剣に振動を感じながら落下していく。

恐らく今の一撃は、ダメージにはなっていない。

 

先程の攻撃、アキトを視界に捉え、そのソードスキルを確認した瞬間にボスが反応したように見えた。

つまり、ボスがあの咄嗟にアキトの攻撃を読んで、防御まで行ったのだ。

自分に付けられている、楔と鎖を使って。

 

 

(コイツ、自分を縛ってる鎖の位置を把握してる……!)

 

 

アキトは静かに舌打ちをする。ボスは既にアキトを通り過ぎ、元々の標的であるクライン目掛けて一直線だった。

 

 

「チィ…仕方ねぇ…!」

 

 

クラインはその場で立ち止まり、ボスを迎え撃つ姿勢を作った。刀を横に寝かせるように構え、いつでもソードスキルを放てる準備を完了させる。

ボスはそれに気付かず、いや、分かっていたとしても尚クライン目掛けて走るスピードを緩めない。

クラインはただボスを待つのみ。額から汗が流れ、心臓の音が聞こえる。

 

そして、ボスの鉤爪がクラインを襲おうとした瞬間、クラインはその刀を動かした。

 

 

「おらぁ!」

 

 

刀単発技<辻風>

 

ボスの爪をギリギリで躱し、そのすれ違いざまにボスの腹を抉るように斬り込む。

クラインはその持ち手にかかる重量に負けんとその顔に気合いを入れ、自身の持つ筋力値をフルに使ってその腹に食い込む刀を思いっ切り振り抜いた。

 

 

「っ、らあぁっ!」

 

 

周りにエフェクトが迸る。

ボスはその一撃で体勢を崩し、クラインの後ろで倒れ込んだ。

敵を高確率でスタンさせる効果を持つそのソードスキルは、ボスを怯ませる事に成功したようだ。

その機を逃さぬよう、立て直したアキトと、ボスを追い掛けていたフィリアが左右から挟み込む。

クラインもその身を翻し、ボスが立ち上がろうとする前にその巨体の傍まで駆け寄る。

アキトはその黒い剣を、フィリアはその長めの短剣を、クラインは武士の象徴たるその刀を、一斉に輝かせる。

連撃数の多いソードスキルは、確かに強力ではあるが、モンスターの隙が無い限りは発動を控えるべきものだ。

連携数が多ければ多い程に、自身の攻撃時間が長いという事。ソードスキルが長いと、それだけでモンスターへ隙を与えてしまう事と同義。

だからこそ、連撃数の多い上位スキルは、ボスの隙が大きい時に使うのが有効とされる。

 

今まさに、この瞬間。

 

 

「っ…!」

 

「───っ!」

 

「しっ───!」

 

 

刀奥義技五連撃<散華>

 

短剣奥義技六連撃<エターナル・サイクロン>

 

片手剣奥義技六連撃<ファントム・レイブ>

 

 

それぞれの持つ武器の最終奥義を、寝そべるボスに向かって叩きつけていく。クラインは後ろ足を、フィリアは前足を、アキトは背中を。

彼らは言葉で指示をしていない。それを音にする事は無い。

長年の、このSAOに囚われた2年間による経験が、彼らをシンクロさせていた。

斬る、斬る、斬る、斬る。ただそれだけの作業。けどそれでも、その体を休めたりはしない。

生きるか死ぬか、そんな瀬戸際。だけど、この隙は好機、全力でその剣を振るう。

 

これだけの連撃、威力。ボスの残りのHPバーは2本目に到達し、それも半分になりつつあった。

しかし、いつまでもやられる側ではない。ボスの目が見開き、体をくねらせて周りのプレイヤー達を弾き飛ばす。

アキト達は地面との摩擦でどうにか踏みとどまり、慌ててボスを見つめた。

 

すると、ボスに異変が起きている事に気付き、アキトはその眉を顰める。

その体を、小さく、しかし確実に震わせている。何かに怯えるように。

いや違う、我慢していた何かを、解き放つかのように。

 

 

「何……?」

 

 

フィリアが固唾を飲んで見つめる。クラインも困惑を顕にしており、黙ってボスを見続けていた。

 

次の瞬間、ボスが三度目の咆哮を繰り出す。

そして、その咆哮に合わせて、体に打ち付けられていた楔と鎖がガラスの割れたような音で破壊される。

ビリビリと空間を振動させるその咆哮の持ち主は、楔と鎖という名の封印を解かれ、その体を自由にさせた。

楔と鎖はガラスの破壊音にも似た音で割れ、光の破片となって消えていった。

そして、体の半分が顎で出来ているかのように、その上顎は大きく割裂け、反り返る程に開かれた。

口内は血よりも真っ赤に染まっており、黒い糸をひいており、本当に獣のようだ。

 

第二形態。

恐らくここから攻撃パターンも変わる。

だが、フロアボスよりも早くHPを減らしてしまったので、あまり多くの攻撃パターンを見ていない。

どんな攻撃が来るのかも予測出来ない状態だった。

 

 

「おい、また来るぞ!」

 

 

クラインの声を合図に、再び距離を取る。

だがボスはそのその裂けた口を閉じたかと思うと、地に映る影に溶け込み、沈んでいく。

 

 

(何っ!?)

 

 

アキトはその全く違う動きに目を見開く。

影に溶け込む能力があったなんて。ボス部屋に入ってきた時のボスの登場の仕方を思い出し、すぐに納得させる。

しかしこれでは、いつ出てくるか分からない。このまま同じ場所に留まるのは危険だ。

アキトは咄嗟にクラインとフィリアを見ると、二人も同じ考えに至ったようだ。

 

三人はそれぞれ散開し、ボスに自身の位置を悟らせないよう走り続ける。

各自その影を目で追いつつ、一定の距離を保つ。

だがその影は、一番近くにいたアキトに目星を付けると、一瞬でアキトの元まで接近してきた。

その速さに、アキトは思わず声が出た。

 

 

「っ、マジかよ…!」

 

 

アキトは咄嗟にエリュシデータを構える。

次の瞬間、ボスが地面の影から飛び出して、その牙を振るった。

アキトは紙一重で躱し、その隙にボスの顎に向かって剣をぶつける。それを頭を振ることで弾き、ボスは右前足をアキト目掛けて叩き落とす。

アキトは目を見開き、その場でバク転し、その鉤爪を掠る程度にまで回避した。

しかし、ボスは畳み掛けるかの如く、アキトを追い回し続ける。足で踏み潰し、牙で噛み砕き、体をぶつけようと接近を繰り返す。

その度にアキトは剣でいなし、躱し、殴り付ける。

だが着実にその体にはダメージが蓄積していた。

 

 

「アキト、スイッチ!」

 

「っ!」

 

 

見兼ねたフィリアはアキトの元へと近付き、その短剣は光を放つ。

アキトは彼女の掛け声に反応すると、その拳を開き、ボスの懐に飛び込んだ。

その右手は青いエフェクトを纏う。引き絞ったその腕を、ボスの下顎に向かって打ち出した。

 

体術スキル<掌破>

 

ボスの顎をかち上げ、その上体を吹き飛ばした。フィリアもクラインも驚いてそれを見ていた。

なんと高い筋力値だろうか、と。

フィリアはそのチャンスを逃す事無くボスに近付き、アキトと位置を入れ替わる。

 

短剣高命中技三連撃<シャドウ・ステッチ>

 

連撃中に蹴り技が入るこのスキルは、確率で相手を麻痺させる事が出来る。

その目論見は成功し、ボスはその体を怯ませた。

クラインとアキトはその瞬間に一気に迫り、その体にソードスキルを叩き込む。

 

刀五連撃技<鷲羽>

 

片手剣六連撃技<カーネージ・アライアンス>

コネクト・体術スキル<閃打>

 

 

その目を大きく見開いて、そのボスに向けて剣戟を放つ。

闇纏うその獣を祓うかのように、斬り裂き、突き刺し、殴り飛ばす。

目の前の敵を倒す事が全て。強さを実感する、その快感を求めるように。

誰も死なせたりしない為に、目の前のデータの塊を絶命させる。

クラインと正反対にいるアキトは、未だ動けないボスの脇腹を、ただ素早い剣技で斬り付けているだけだった。

 

やがてボスが体を左右に揺らし、麻痺から立ち上がる。

それを確認したアキトとクラインは即座に離脱し、フィリアの近くまで退避した。

その影の獣は地面にしっかりと足を着け、赤く煌めく瞳でアキトを捉えていた。

恐らく、今の攻撃でアキトが与えたダメージの方が大きかったのだろう。連撃数を考えれば、当たり前ではある。

ヘイトは完全にアキトに向かっており、ボスは威嚇するかのように再び咆哮を重ねた。

 

 

「……」

 

 

その黒の剣士は、何も言わずにただその剣を寝かせて構えた。

そんなアキトを、フィリアは見つめるだけだった。

目の前のアキトは、普段とは何も変わらない、冷静なものに見えた。

特に異変を感じた訳じゃない。恐怖を覚えた訳でも無い。

 

 

ただ、それでも何かを感じたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恨みを晴らすかのように、ただ敵を屠るその瞳に。

 

 






アキト、今回は特別秀でた活躍無し!
読んでみれば何の面白味もない話だった…(白目)
まあクラインもフィリアも堅実なので、アキトが霞む部分はありますね(´・ω・`)

これを読んでSAOへの好意が再燃したと言ってくれた方々が沢山いました!
原作主人公不在という、明らかに喧嘩を売っている作品を好んで読んで下さっている方々には、感謝しかありません!

改めて、今後もよろしくお願いします!


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Ep.41 蘇る恐怖

 

 

《セルベンディスの樹海》供物の神殿

 

 

BOSS <The Shadow Phantasm>

 

闇纏うそのモンスターは、犬のような形の巨体で、ワニよりも大きい顎を持ち、体からは瘴気を放っている。

先程までは、全身に楔が打たれ、鎖が巻かれていた。まるで力を封印されているかのように。

だが今はその身に付けてた装飾を全て解放し、その上顎を反り返らせていた。

元々速かった動きも、楔や鎖が無くなった事でさらに身軽になっていた。その攻撃も単調なものでなく、そのパターンも豊富だった。

影に潜んで近付いたり、頭を横向きにしてその巨大な顎を限界まで開いて噛み付くような攻撃、鉤爪で地面を抉るような攻撃など、どの威力も桁違いだった。

だがアキトとフィリアとクラインは、消して油断せず、一定の距離を保ち、隙を互いに作り、その体に剣戟を繰り出していく。

 

 

その戦いは、どのくらいの時間がかかっていただろう。数十分くらいに感じれば、一時間以上かかっていたかもしれない。

だが、そのHPも、残り僅かになっていた。

 

 

「ソッチ行ったぞ!」

 

「分かってる!」

 

 

クラインのその声に、フィリアは走りながらそう答える。

影に潜むその獣は、次第にフィリアの足元へと近付いていた。

フィリアは息を飲みながらも、短剣を握る力を緩めない。その瞳は揺れながらも、闘志だけは置いていかない。

このまま走り続け、ボスが影から飛び出した所をギリギリで躱し、その隙を狙えれば。

頭の中でのイメージは常に持っておく。どんな攻撃にも備え、一撃でも多く、その巨体にお見舞いする為に。

 

 

(っ…、来た!)

 

 

その背中から、気配を感じる。

振り向けば、巨大な影が地面から迫ってきていた。その影から巨大な黒い獣が飛び出し、そのままフィリアに襲い掛かる。

その鉤爪は黒く鋭く、フィリアの頭上に差し掛かった。

 

 

「くっ…!」

 

 

横に飛ぶ事で、なんとかその攻撃を回避したが、ボスはそれを逃さない。走ってきた軌道を無理矢理、その4本の足で変え、一気にフィリアへと飛ぶ。

フィリアは先程の攻撃を転がって避けた為に、立ち上がりに時間がかかっていた。

気が付けば、ボスはもう目の前に────

 

 

「っ…くっ…!」

 

「アキト…!」

 

 

フィリアとボスの間に入ったアキトは、そのエリュシデータを上顎に突き刺した。

その牙が、アキトの腕に何本も刺さる。だが、ボスの動きを止めるには充分だった。

ボスはその上顎の痛みで頭を左右に振り、アキトを払い飛ばそうとする。

瞬間、クラインがその背に向かって跳躍し、その刀を光らせる。

 

 

刀技三連撃<緋扇>

 

 

その背に重い一撃一撃がクリティカルヒットする。ボスは口を大きく開いて鳴き、その巨体で暴れ始めた。

クラインは跳ね飛ばされて、近くにいたフィリアも迂闊に近寄れない。

瞬間、ボスがその頭を思い切り上げた。アキトはその反動で、上顎に刺していたエリュシデータ諸共上空に投げ飛ばされる。

これにはフィリアとクラインも驚きを隠せない。目を見開いてボスの真上へと飛んでいくアキトを見上げた。

ボスはアキトが落ちてくるのを待ち受ける体勢をとっており、このままではアキトがボスの口の中に為す術無く呑み込まれてしまうかもしれない。

 

 

「アキト!」

 

 

思わずアキトの名を叫ぶ。そのフィリアの声が聞こえた瞬間、アキトはその体を翻す。

 

 

「っ!」

 

 

ボスに向かって正面に体を捻り、エリュシデータを下に構える。

落下してくるアキトを見上げ、その顎を大きく開こうとするボス。アキトはその剣を光らせる。

 

 

まだだ、まだやれる。空中に投げ出されたとしても、この体はまだ動く、動かせる。

アキトは、その術を知っているし、持っている。

自分の体を自在に操るセンスを、自分は持っている。

 

 

「っ───!」

 

 

片手剣単発技<ヴォーパル・ストライク>

 

 

ソードスキルの光が、エリュシデータの刀身全てを覆う。

空中で身動きのとれなかった筈の体は、そのソードスキルの突進力で、一気にボスの元へと落下していく。

 

 

(くらえっ───!)

 

 

その増すばかりの勢いが、ボスの頭を突き刺した。悲鳴を上げ暴れるボスの即座に飛んで躱し、再びその剣を光らせる。

 

 

片手剣単発技<ホリゾンタル>

 

 

空中で静止した状態で、そのソードスキルを放つ。体を回転させて放つソードスキルは、ボスの鼻先を斬り付ける。

今度はボスの頭部の側面を、システムにアシストされた状態で蹴り上げた。

 

 

コネクト・体術スキル<孤月>

 

 

文字通り弧を描いた三日月のように振り抜いたその蹴りは、アキト自身の筋力値の高さもあって、ボスの顔を吹き飛ばした。

再び、自身と距離が離れたボスに向かって、その剣を突き付ける。

 

 

コネクト・<ヴォーパル・ストライク>

 

 

その突進で、アキトは空中を再び移動する。何も無かった場所から、一瞬でボスの体に辿り着く。

ボスに刺さるその一撃一撃が、残り僅かのHPを削っていく。

続けて放つ空中での連撃が、ボスの動きを妨げる。

その攻撃の重みが、ボスへと与えるダメージの総量が、アキトの意志の表れにも思える。

 

何ともいえないような思いを、闇雲にぶつけているように見えた。

 

 

(死ね───)

 

 

戦う時間が経つにつれ、その心が無意識の内に揺らぐ。

その洗練された剣技の中、その表情は次第に変わっていく。

 

 

(死ね───)

 

 

顎を突き刺し、皮膚を斬り裂き、肉を削ぎ落とし、纏う闇を払う。

体を殴り、抉り、潰す。目の前のデータを、消去する事だけを考える。

 

 

(死ね───)

 

 

いつからこうだっただろう。いつから、目の前のモンスターをこうも蹂躙する事に何かを感じるようになったのだろう。

 

 

「『死ね、死ね、死ねよ…!』」

 

 

瞳の色が変わり、声が重なる。

次第にその《剣技連携》の連撃数が、速さが増していく。

何かに動かされ、何かに同調するように。

 

 

 

「な、何だよあれ…」

 

 

クラインはアキトのそのSAOで暮らした2年間でも見た事の無い動きを見せられて、その顔を分かりやすいものに変える。困惑、驚愕といった感情を、フィリアは見て捉えていた。

確かにあの動きは、フィリアも初見はかなり驚いた。

空中でも使用可能なソードスキルや体術スキルを、普通のプレイヤーにはおおよそ不可能なシステム外スキル《剣技連携》で連発する事によって、空中での滞在時間を伸ばすなんて、神業と言わずしてなんと表現すれば良いのか。

ソードスキル、体術スキルに各々存在する突進力があるスキルの連携により、空中を移動しながら攻撃するなんて。

あれならば、高所にある弱点なども容易く突けるというものだろう。

 

だけど、そんなアキトに危うさを感じずにはいられない。

その異常な動きをする、どこか脆そうな少年を。

 

 

「クライン!」

 

「っ…分かってる!」

 

 

その思いは互いに一致していた。クラインもフィリアも、目の前で蹂躙を続けるアキトの助けに向かって走る。

援護は必要無いのかもしれない。足でまといかもしれない。

それでも、何故かこれ以上はいけない気がした。

 

 

アキト一人に戦わせては、いけないと感じた。

 

 

刀高命中三連撃<東雲>

 

短剣超高命中九連撃<アクセル・レイド>

 

 

残りHP僅か、アキトが怯ませ、弱っている今この瞬間、多連撃のソードスキルは使い時だった。

クラインは一撃が重いスキルを、フィリアは連撃数の多いスキルをそれぞれ発動する。

それぞれ特徴の違うスキルだが、自身の願いを叶えるには、効率の良いソードスキル。

 

早く、この戦いを終わらせる。

 

未だに空中で剣舞を続けるアキト。一体、合計で何連撃なのか、何回繋げているのだろうか。

何かに憑かれたような、別人のような動き、おおよそ見た事も無いスペックで、スキルを重ね続ける。

フィリアも、クラインも、システムアシストに身を任せながら、アキトを見上げていた。

 

やがて、ボスは弱々しく喉を鳴らすと、その体をポリゴン片へと変えていった。

 

 

「っ…」

 

 

空から、アキトが降り立つ。何も言わず、肩を上下に動かしていた。

フィリアとクラインも、黙ったままアキトの背を見つめる。その背にかける声を、頭の中で必死に探す。

だが、クラインは何かを決断したように息を吐くと、アキトに近付いてその背中を叩いた。

 

 

「よっ、お疲れさん!」

 

「お疲れ、アキト」

 

 

フィリアもクラインと共にアキトに近付き、その顔に笑みを作った。

ところが、アキトはそんな二人を見てキョトンとした表情のまま動かない。

ただボーッと二人を見つめるばかりで、言葉を音にする事は無い。

二人は流石に心配になり、その声音が震えた。

 

 

「お、おい、大丈夫かよ?」

 

「どこか具合でも悪い…?」

 

「あ……っ…え……?」

 

 

アキトは彼らを交互に見た後、辺りに視線を動かす。

ボスが消された事により、この場所には何も無い。ただ勝利を告げるファンファーレが空間に流れるだけだった。

それを見て、アキトは理解した、あるいは、我に返ったのかもしれない。

その表情は、いつものアキトに戻っていた。

 

 

「……そう、か。……終わった……のか……」

 

 

まるで、忘れていたかのように、ポツリとそう呟いたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

 

「いやー…それにしても、《ホロウ・エリア》来てすぐにボス戦とは思わなかったぜ…」

 

「文句言わねぇ約束だろ」

 

「だってよぉ!俺は新しい武器やスキルが見つかると思って胸を踊らせてきたんだぞ!? いきなりボスとかよぉ、文句の一つも言いたくなるっての!」

 

「男に二言は無ぇんだろ」

 

「んぐっ…」

 

 

ボスのいた神殿を出て、現在は転移してきた場所に向かって歩く最中。消費したポーションと、摩耗した武器のメンテナンスをする為、管理区に足を運んでいた。

疲労でゲンナリするクラインの文句を、一蹴していくアキト。そんな二人の後ろで、フィリアは小さく笑った。

先程様子がおかしかったアキトも、今はいつも通り皮肉を返すアキトに戻っており、クラインも安心していた。

皮肉を言うアキトに安心感を覚えるのも変な話ではあるが。

 

 

「…にしてもよぉ、フロアボスの討伐の時も思ったんだが、何なんだよさっきのは!」

 

「あ?何が」

 

「あの連撃数の多過ぎるソードスキルに決まってんだろ!見た事無ぇぞあんなの」

 

「あれは既存のスキルを連発してるだけだ。タイミングが合えばディレイ無しで発動出来んだよ。やろうと思えば誰にでも出来る」

 

 

アキトはそうやって簡単に言っているが、それは嘘である事は、フィリアが一番知っていた。

『やろうと思えば誰にでも出来る』。そんな言葉を信じて、アキトのいない管理区で一人練習した事があったのだ。幸い、体術スキルは会得していた為に、《剣技連携》の条件は揃っていた。

だが幾らやっても、一度たりとて成功しなかった。アキトのあの言葉は、ぬか喜びさせる為の妄言である。

フィリアはそう考えながら、アキトをジト目で見ていた。

クラインはそれを聞いて、何だか納得していない表情だった。

 

 

「……いやそれにしたってオメェ、スゲェ連発してたじゃねぇかよ」

 

「……覚えてねぇよ」

 

「嘘つけ!あんなに空中でドンパチやってたじゃねぇか!」

 

 

そんな二人の会話を聞いて、フィリアはその目を細める。

 

 

(仲間、か…)

 

 

このエリアに来てから、まともに会話をしたのは目の前の二人だけ。

《ホロウ・エリア》のプレイヤーは、どこかおかしい。ここへ飛ばされて、もうそろそろ二ヶ月が経つ。変なプレイヤー達に囲まれて生きていて、碌に休む事も出来なかった。体も、心も。

だけど、だからこそ、アキトとクラインに救われたと思う。

アキトが自分の目の前に現れてくれた事、クラインに出会えた事に、フィリアは感謝しか無かった。

だからこそ、別れを惜しんでしまうのだ。

 

 

「二人はアインクラッドに、一旦戻るんだよね……」

 

「おう!だけどフィリアと俺達の武器をメンテナンスしたら、またすぐに戻ってくるぜ」

 

「……?」

 

 

そうフィリアに笑顔で返すクラインの横で、アキトはその表情を曇らせる。

辺りをキョロキョロと見渡し、その顔は段々と強ばる。

 

 

─── 何か、気配がする。

 

 

確証は無い。だが、確信した。

何かいる。何か、良くないものが、この体を不快にさせる。

そんなアキトの様子に気付き、フィリアとクラインはアキトに近付いた。

 

 

「……アキト?」

 

「おい、どうしたアキ…」

 

 

そのクラインの言葉は、アキトが腕を伸ばした事で遮られた。静かに、と。暗にそう言っていた。

不思議に思い、アキトの表情を見る。

アキトのその顔は、どこか一点を見つめており、その表情は段々と変わっていく。

二人はアキトのその視線の先を見ようと、自然と頭を動かした。

 

 

そして、それを見たクラインは、その瞳を大きく見開いた。

 

 

「お…おい…!」

 

 

その声が震えた。アキトの視線にあったのは、プレイヤーの団体だった。

《ホロウ・エリア》で初めて出会った他のプレイヤー達。アキトとクラインにとっては、この場所の情報を得る為の重要な鍵。

だが、それも素直に喜べない。

 

 

視線の先に小さく見えるその団体は、争っていた。

しかも、多人数で、一人を一方的に甚振っていたのだ。

 

 

フィリアもそれに気付き、驚きの声でアキトに向かって口を開いた。

 

 

「!!! ねぇアキト、あれってもしかして……」

 

「っ……!」

 

 

だが、フィリアのその言葉を最後まで聞く事無く、アキトは走り出した。

そのいきなりの事に、フィリアもクラインも驚愕を見せた。

 

 

「あ、アキト!危ないよ!」

 

「チィ、あの野郎……!」

 

 

フィリアとクラインはその背中を追いかける。敏捷値が高いアキトとの差はどんどんと離されていく。

その事実を理解して舌打ちをするクラインの横で、フィリアは走りながらかつての記憶を思い出していた。

ダンジョンの安全地帯で休息していた時の、あの光景を。

 

 

(まさか、また…?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アキトの目の前には、輪になって一人のプレイヤーを甚振る数人のプレイヤー達が見えた。

彼らは皆フードを被り、倒れ込むプレイヤーを見下ろしていた。

その足を緩めない。そのスピードで、眼前にいる彼らに向かって、エリュシデータを引き抜いた。

今にも、地に這いつくばるプレイヤーにトドメを刺そうと武器を持ったその腕を上げるオレンジカーソルのプレイヤーに向かって、その剣を解き放った。

 

 

(間に合え───!)

 

 

片手剣単発技<ヴォーパル・ストライク>

 

 

その速度は、まさに音速。鋭い一撃が、そのプレイヤーの腕を切り落とした。

男は急な事態に悲鳴にも似た声を上げ、蹌踉めく。周りもそれを見て驚愕の声を洩らした。

アキトはすぐに振り返り、その乱れた輪の中にいるプレイヤーに目をやる。

助けなければ、救わなければ。そんな使命感にも似た何かが、アキトを突き動かしていた。

男はその切断された腕を抑え、狂おしい程に叫ぶ。

 

 

「ぐああぁああぁああ!!!」

 

「テメェ…やりやがったな……!」

 

「な、何だコイツ……!?」

 

 

目の前にいるプレイヤー達は揃いも揃ってオレンジカーソル。手加減してやる道理は無かった。

アキトは瞬時にプレイヤーの一人に迫り、その剣を振り下ろす。男は一瞬の事で困惑するも、持っていた武器で防御した。

アキトはその場でソードスキル<ホリゾンタル>を発動し、襲われていたプレイヤーから距離を取らせる。

アキトは未だ地面に這う男性プレイヤーに視線を動かした。自分が時間を稼ぐ間に、逃す事さえ出来れば、後はどうにでもなる。

 

 

その瞬間、アキトは目を疑った。

そのプレイヤーは、出血と麻痺の状態異常がかけられていたのだ。

ダメージを与え続ける出血の状態異常は、そのプレイヤーの残り僅かのHPを無慈悲に削り取った。

 

抵抗虚しく、そのプレイヤーは光の破片となって、虚空へと飛んでいった。

たった一瞬で、アキトの目の前で一つの命が霧散した。

 

 

「────」

 

 

アキトはその瞬間、その瞳を大きく見開いた。恐怖にも似た感情が、心臓を襲う。

何かを言おうとした筈なのに、その言葉は空気に溶け込み消えていく。その瞳は大きく揺れ動き、心臓が高鳴る。

脳裏に、かつての光景が蘇るようで。

 

 

「あ……ああっ……」

 

 

また。

また、俺は。

また、間に合わなかった。助けられなかった。

 

 

「っ…はっ…は、…はあ……あ、はぁ………は…!」

 

 

言葉が出ない。体が震える。目の前の光景から視線を逸らせない。

ただ、襲ってくるのは、途轍も無い不快感。

そして、湧き上がるのは、ただただ怒り。

駄目だ、もう、限界だ。目の前の悪を、許してはいけない。

そう思うのに、体が動かない。

 

色々な記憶が、頭の中を行き来する。駆け巡り、その脳が揺さぶられる感覚がする。

何もかもがグチャグチャに、かき混ぜられていくような感覚が襲う。

過去の映像が何度も何度も再生され、巻き戻され、繰り返し脳裏に表れる。

呼吸は乱れ、大量の汗が出る。アキトの意識は、朦朧とし始めていた。

 

 

「アキト!」

 

 

漸くフィリアとクラインが追い付き、目の前の光景に目を凝らす。

頭を抑えて蹲るアキトを見たフィリアは、瞬時にアキトに寄り添った。

クラインはそんなフィリアとアキトを背に、数人のプレイヤーに向かって刀を構えた。

 

 

「アキト…アキト、大丈夫…!?」

 

「テメェら、何しやがった!」

 

「……チッ、ターゲットは片付いた。とっとと行くぞ!」

 

 

フードを被った男達は、片腕をアキトに切り落とされたそのプレイヤーに促され、クライン達に背を向けて走り出した。

 

 

「待ちやがれ!……クソッ……」

 

 

クラインは舌打ちをしつつ追おうとするも、多勢に無勢。無謀なのが分かっている状況では追いかけられなかった。

それに今は、取り乱しているアキトの方が心配だ。

悔しそうに拳を握り締めるも、すぐにアキトの元へ駆け寄った。

 

 

「アキト…大丈夫…?」

 

「……フィ、リア……クライン……」

 

「アイツらに何かされたのか!?」

 

 

クラインはアキトの両肩を掴む。力無く座り込んでいたアキトは、そんなクラインとフィリアを見て、震える声で呟いた。

 

 

「……俺が、悪いんだ……間に、合わなかったから……」

 

「……アキトが悪いんじゃない。どんなに急いでも、間に合わなかったもの……」

 

「……助けられた、筈なんだ……手を伸ばせた筈なんだ……」

 

「アキト……」

 

 

何度も何度も、後悔の言葉を口にする。

そう、あの時だって、助けられた筈だった。伸ばせた筈のその手は、あの時しっかり伸ばせた筈なんだと、そう何度も呟く。

涙が零れ落ちて、その弱さが垣間見える。

 

今まで見た事も無いそのアキトの様子に、二人は困惑するしかない。

あれだけ強気で、皮肉屋で。それでも誰かを助けてしまえる、そんな存在だと思っていた。

だけど、目の前にいるアキトは、全くの別人のようだった。

 

アキトがこんなに脆く、痛々しい人間だったなんて、フィリアもクラインも思わなかっただろう。

アキトのその様子に、困惑するだけだった。

そんな彼に、かける言葉が見つからなかった。

 

 

「……悪いフィリア、今日はもう……」

 

「……うん、分かってる。管理区まで付き合う」

 

 

クラインの言葉の意図を察して、フィリアはそう返す。

今日は、攻略どころではなくなってしまった。何より、こんな状態のアキトに未だ困惑を隠せずにいたからだ。

今までの彼とは、まるで違って。

 

それでも、これが本当のアキトなのではないかと、そう思えてしまって。

 

 

「……言ってくれたんだ……俺は……『ヒーロー』だって……だから……助けなきゃ……いけなくて……」

 

 

アキトは小さな声で、消え入るようなか細い声で、そう言い放つ。

助けられるプレイヤーを助けられなかった。その痛みは嫌という程に分かる。

だけど、アキトは本当にそれだけなのだろうか。

本当は、まだ何かあるのではないか。

 

 

自分達は、アキトについて何も知らなかった。

知らなさ過ぎたのだ。

 

彼の抱えている事に、怖くて踏み入る事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

── Link 45%──

 





迷走してる……!( ゚д゚)ハッ!

後で書き直す可能性あり(´・ω・`)


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Ep.42 正義の定義



皆様、こんなウジウジしたアキトが主人公の今作を読んで下さってありがとうございます!
彼の葛藤はまだまだ続くと思いますが、これは彼の成長物語。
成長する時がきっと来ます!
それをご了承の上、読んでください…(泣)

それでは、どうぞ!


 

 

 

 

 いつも使う通学路、その先にある公園。

 よく見る小さなものではなく、もっとずっと大きい公園だった。

 中央にあるのは、芸術とも呼べる巨大な噴水。時間経過で水のアートが出来、これを見る為に放課後は何度も通った。

 遊具は沢山あるから遊びには困らない。広大な草原がどこまでも続いているようで、本当は有限、でも、無限なんじゃないかと、こう思える場所。

 

 この頃はまだ、やろうと思えば何だって、いつかは出来るものだと思っていたかもしれない。

 けれどもしかしたら、どうせ何を目指そうとも無理かもしれないと、そう諦めていたかもしれない。

 

 

 ── ねぇ、将来の夢は何?──

 

 

 そんな事を、かつて現実世界で好きだった子に聞かれた事があった。

 放課後の帰り道、いつもの公園、その場所で。

 ブランコに揺れながら、隣りにいる自分に。

 あの時は明確な未来なんて、とても見える年齢じゃなかった。

 何故彼女はそんな事を聞いたのだっただろうか。

 確か、学校に提出する作文の宿題だった記憶がある。

 当時は、お互いに小学生で、将来への考えも浅くて、なりたいものにもあまり関心が無かったかもしれない。

 二人共、小学生にしては賢い方だった。なのに、なりたいものが、自分には見えていなかった。

 

 

 「……分かんないよ、そんなの」

 

 「けど、宿題だよ?適当でも何か書かなきゃ」

 

 「……その、あるの?将来の夢」

 

 

 急に、彼女にそう聞きたくなった。彼女は何か目指すものがあって、明確な意志の元動いているのだろうかと、そう感じたのかもしれない。

 

 

 「…私?……まぁ、ある……かな……」

 

 「そう……なんだ」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……え、お終い?」

 

 「え……うん」

 

 

 彼女はブランコから身を乗り出してそう尋ねた。その近さに一瞬心臓が大きく脈を打つ。サッとその顔を逸らし、乗っているブランコから見える景色へと視線を移した。

 彼女は質問の意図が分からず、首を傾げていた。

 

 

 「将来の夢があるか聞きたかっただけ?何の夢か気にならないの?」

 

 「いや、まぁ……気になる、けど……」

 

 「……私、桐杜はずっとおじさんみたいになりたいのかと思ってた」

 

 「…父さん?」

 

 

 その意外な単語に、目を丸くする。

 彼女のいう『おじさん』とは、桐杜の父親の事だ。二人の親同士は、とても仲が良く、親友同士だった。その関係もあって、子どもの二人も距離感は近かった。

 それはともかく、彼女のそんな発言に驚いたのは事実だった。

 

 

 「前におじさん言ってたじゃない。『正義の味方』になりたかったって。桐杜もそうかなって思って」

 

 「……あれは、子どもの頃の夢だし……それに、僕はならないよ」

 

 「…どうして?」

 

 

 その彼女の純粋な瞳に、一瞬だけ言葉が詰まる。

 彼女の発言を即座に否定した癖に、理由がスッと出てこなかった。

 だけど、考えれば考える程に、その理由は明確なものへと変わっていった。

 

 

 「そんなに、強くないし……柄じゃないし。あんまり興味無いし」

 

 「……私は、良いと思うけどなぁ……『正義の味方』」

 

 「……父さんだってなった訳じゃない。父さんもなれなかったのに、僕がなれる訳……」

 

 

 実際、自分がもしそうなれたら、自分の眼前に広がる世界はどう映るだろうか。

 困っている人間なんて腐る程いる。そんな彼ら全員を助ける事なんて不可能で、自分にとって都合の良い人を優先して助けてしまうかもしれない。

 私情混ざりの不完全な存在。それはきっと、『正義の味方』なんかじゃない。

 誰の為の『正義』か、その答えなど、分かる筈もない。

 

 

 それに、自分は他の人とは違う存在だと思っていた。

 決して痛い発言などではなく、本気でそう思っていた。

 昔から、人間関係が長続きした試しが無かったのだ。友達が出来たと思えば、すぐに離れていってしまう。

 それは事故だったり、転校だったり。

 いつしか自分は、そういう呪いにかけられた人間なのだと感じていた。だから、極端に人を避けていた。

 そんな自分が、そんな存在になれる筈も無い。そう決めつけていた。

 きっと、目の前にいる彼女とだって、いつか別れる日が必ず来るのだ。

 

 

 「じゃあどうしたら『正義の味方』になった事になるの?」

 

 「え…?」

 

 「そーゆーのって、助けて貰った側が決める事じゃない?」

 

 

 自身の目が見開くのを感じる。彼女はブランコに揺れながら、こちらを見つめていた。

 その答えだって、自分が知る訳も無い。

 だけど、その答えは、自分が一番知りたい事だったかもしれない。

 どうして、こうもそんな事を気にするのだろう。

『正義の味方』なんて、露ほどの興味無いというのに。

 父親の道を、自分が辿るような事など、する筈も無いのに。

 

 それに、そんな言葉は嫌いだった。

『正義』だなんて、あまりにもいい加減で、あまりにも曖昧で、あまりにも自分勝手で、あまりにも無責任な言葉に聞こえたから。

 だからこそ、自分の口からそんな言葉は決して吐かない。

 いつだって、その存在を濁して言っていた。

 

『正義の味方』ではなく、『ヒーロー』と。

 

 彼らは似てるようで、違う存在に見えたから。

『正義』なんて曖昧な単語に流されるくらいなら、『ヒーロー』に頼りたかった。

 その方が楽だったのかもしれない。

 父親からかつての夢を聞かされてから、興味なんて無いものにここまで悩まされ、今も尚彼女にそんな話を聞かされている。

 

『正義の味方』は、その誰しも持っている異なる『正義』の為に、悩みながらも行動する存在に見えて、酷く痛々しくて。

 

 だけど『ヒーロー』なら、何でも救ってしまえるような気がしてた。

『正義』なんて言葉は要らない。救いたいと思えば、救おうとしてしまう。そんな優しい存在。

 そんな存在になれたら────

 

 

 「……そう、だね」

 

 

 ああ、そうか。

 

 

 「……夢、決まったかも」

 

 「え、ホント?作文書ける?」

 

 「分かんないけど、自分なりに書いてみるよ」

 

 

 そう答えると、彼女は途端に笑顔になる。そのブランコを大きく揺らし、その場から飛んで、地面に着地した。

 先程まで話をしていた事は、どうでも良くなったのか、そう感じるくらいに彼女は笑ってこちらを見つめていた。

 

 

 「…よく分かんないけど、見つかったならこうしてられないね。帰って作文書かなきゃ」

 

 「あ、うん。…ありがとう」

 

 「ど……どう、いたしまして」

 

 

 素直にそう言葉にすると、彼女はサッと顔を逸らす。

 帰り道は公園を出ればそれぞれ違う。自分の前を歩く彼女の背中を、黙って見つめながら歩く。

 その巨大な噴水が、水飛沫をあげていて、いつもの時間になったのだと実感する。

 まるで、現実の世界に引き戻されたように。

 彼女のその背に、思わず声をかける。

 

 

 「ね、ねぇ」

 

 「?どうかした?」

 

 「あの、さ。将来の夢、聞いてもいい?」

 

 

 自分は伝えていないのに、彼女に聞こうなんて虫が良すぎるだろうか。

 だけど彼女は一瞬キョトンとするだけで、やがて笑顔で口を開いた。

 

 

 「私の夢は───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「……」

 

 

 その重い瞼をゆっくりと開く。

 影から差し込む光に、思わず目を瞑る。次第に慣れたのか、その瞳を再びゆっくりと開ける。

 そこはいつもの部屋とは違う天井の色。いや、天井ではない。

 アキトは今、木の上にいた。

 どうやら眠ってしまっていたようだった。それも木の上で。目の前に映るのは、自身よりも高い位置にある木の枝、そこから生える緑達だった。

 

 76層の街<アークソフィア>

 75層よりも下に下りられない攻略組達が現在拠点としている街、その広場の外れにある木々の一本。

 アキトはそこに横になっていた。

 そこから見えるのは人が行き交う仮想の街並み、広場の噴水には人が集まり、出店の食べ物を手に取るものもいた。

 それを見ると、平和そのものを体現しているように見えた。この世界に閉じ込められているという危機感が、薄れている事が顕著に表れていて、人々の適応力に驚かされる。

 勿論、それは自分にも当てはまる。帰りたいと、そんな思いは、時間が経つにつれ薄れていく。

 時間は残されていなくとも、彼らはあまりそれを気にしていないように見えてならない。

 どうせ助からないと諦めているのか、きっと攻略組がなんとかしてくれると、そう決めつけて、勝手に期待を押し付けているのか。

 

 なんとも無責任な事だと思った。

 そして、それと同時に思い出した。無責任な、もう一つの言葉。

 

 

 「……夢、か」

 

 

 ずっと昔の、どこか別の世界の夢。いつかの記憶そのもので、あの時から、自分は何かを目指していて。何かに縋るのをやめた。

 だけど、目指したものになろうと努力した事は、この世界に来てしまうまで無かった。

『あんな事』があったから、なんていうのは言い訳で、どこか虚無感のような、倦怠期のような、反抗期のような、そんな感覚があったのだと、今にして思う。

 自分が夢を見つけたと言って、彼女はあれ程喜んでくれたのに、自分はその努力を何一つして来なかった。

 もう後悔はしないと決めた。この世界で色々あって、そう誓ったのだ。

 だからこそ、この世界に来る前に作ってしまった『後悔』は、今も尚この胸に残っていた。

 

 

『──、───────』

 

 

 「何だっけ……本当に」

 

 

 父に教えて貰った、強くなる為のおまじない。

 眉唾ものではあったし、その上、昔のアニメの主人公のセリフで、決して父親のものではなかったけれど。

 初めて父親に何かを授けて貰ったような、そんな気がしてた。

 その言葉はノイズがかかって上手く聞き取れず、思い出せない。

 その瞳を手で軽く抑え、やがて離す。

 そんな事を思い出して、何かが変わる訳ではないのに。

 アキトは再び、その瞳を閉じた。

 

 

 すると、下に生える草原を踏み締める音が聞こえた。

 段々とこちらに近付いて来るのが分かる。その風が、アキトにそう教えてくれる。

 アキトはその瞳を開き、木の上で横になった状態で、音のする方へと視線を下ろした。

 

 

 「……こんな場所で何してるのよ」

 

 「……お前こそ何しに来たんだよ」

 

 

 そこにいたのは、アスナだった。

 紅と白を貴重としたユニフォームで全身を覆い、腰には細剣<ランベントライト>が備えられている。

 綺麗な栗色の長髪は、そよ風に撫でられ、ふわりと浮かんでいた。

 そんな彼女は、こちらを見上げてその顔を不機嫌にも似たものに変えた。

 

 

 「……ボス部屋が見つかったの。明日には討伐隊が組まれると思う」

 

 「聞いた、知ってる」

 

 「なら、どうして会議に出ないのよ」

 

 「情報なんて殆どゼロだろ。今後のボス部屋では結晶アイテムは使えねぇし、一度入れば出られない。ドア開けた時点で目の前にボスがいなきゃ、見た目だって分からねぇ。話す事なんてたかが知れてるだろ」

 

 

 アキトはそう吐き捨てると、その瞳を閉じる。この皮肉屋を演じるのも段々慣れてきた。

 もう自分が攻略組を鼓舞するような事は必要ではなくなるかもしれない。

 アスナはこうして、攻略をする事に決めたのだから。

 

 

 「攻略は自由だけど、会議には参加して」

 

 「俺がいてもいなくても関係無いだろ。こんな日に迷宮区に潜るのも勿体無いしな」

 

 「っ……」

 

 

 前にも、何処かで聞いたような発言に、アスナの心臓の鼓動が早くなるのを感じる。

 それを強引に振り払い、アスナは変わらず彼を見上げる。

 アキトはそれを見てフッと嘲笑うかのような表情を浮かべた。

 

 

 「それで?お前は説教する為にここまで来た訳だ。閃光様は真面目だな」

 

 「……ずっと思ってたんだけど、その閃光って言うのやめて。私はアスナよ」

 

 「よせよ、気持ち悪い。お前は閃光、それ以外は呼ばない」

 

 

 アキトは彼らの名前をあまり呼びたくはなかった。

 名前を呼ぶ度に、彼らとの距離が近付くのを嫌でも感じてしまう。一緒にいると、決意したその意志が揺らいでしまう気がしてしまう。

 境界線、線引きは必要だ。

 アキトは、真下まで歩み寄って来たアスナを無視して、上を見上げた。

 そんな彼を見つめて、アスナは口を開いた。

 

 

 「……心配、したのよ」

 

 「要らん心配だ、それは」

 

 「……クラインに聞いたの、昨日の事」

 

  「っ……」

 

 

 その言葉で、アキトは息を呑んだ。

 昨日、つまるところそれは、《ホロウ・エリア》での出来事に他ならない。

 エリアボスを討伐し、管理区に戻るその道中、集団PKを見つけた事。

 その体が持つステータスの全てを使っても、そのプレイヤーを救う事が出来なかった事。

 そんな自分の無力さに、思わず涙した事。

 そんな姿を、フィリアとクラインに見せてしまった事。

 失態は沢山あって、後悔も多々あった。弱い部分は決して見せないと誓ったその口で、また自分に嘘を吐いた。

 二人に自身の心の内を、覗き見られた気分がした。見せたのは、他の誰でも無い、紛れもなく自分自身。

 

 

 「……殺されたプレイヤーに付与されてた状態異常の話も聞いたわ。出血に、麻痺がかけられていたんでしょ……?」

 

 「……」

 

 

 アスナは顔を俯かせ、その拳を強く握る。その雰囲気は、怒りを孕んでいるように見えた。

 

 

 「……バッドステータスで動きを封じて人を殺すやり方……私は、よく知ってる……もしかしたら……」

 

 

 アキトも、大体察しが付いていた。

 殺人ギルド<ラフィン・コフィン>、通称<ラフコフ>。嘲笑うような顔のある棺桶がギルドマークのその集団は、殺人を厭わない。

 ゲームオーバー=死であるSAOに於いて、積極的にPKを行う殺人者達の集うそのギルドは、多くの一般プレイヤーにとって恐怖の対象である。

 人を殺す事に快楽を求める彼らは、ただ殺人をするだけでは無く、バッドステータス、状態異常を付与し、死の恐怖に怯えるプレイヤーの蹂躙を何よりの楽しみにしている。

 攻略組が以前、討伐隊を編成して彼らを捕縛するという行為に及び、結果ラフコフに壊滅的な打撃を与える事が出来た。勿論犠牲は少なくなかった上、リーダーであるPoHは姿をくらましている。

 それを考えると、《ホロウ・エリア》にいたあの集団がラフコフの残党である確率は高い。絶対に無いとは言い切れない。

 あの討伐隊には、キリトだけでなく、アスナもいたのだ。だからこそ、今自分の真下で、その怒りに満ちている。

 

 

 やがてアスナはその握り拳を解き、フッと溜め息を吐いた。

 腕は力無く降ろされ、顔は未だに俯いたまま。

 キリトを失ったアスナにとって、『死』という単語に敏感なのは仕方が無いと思うし、無理も無いと思った。

 キリトの死も、結局は茅場の責任になってしまう。そういう意味でも、キリトは人に殺された事になるから。

 人の死を軽く見るラフコフは、決して許せる存在ではない。

 

 

 「……どうして、犯罪をする人がこんなに多いのかな」

 

 「んなもん、聞くまでもねぇだろ」

 

 

 アスナのその問いは、ある意味世界の真理でもある。それは仮想世界も現実の世界も同じ。どの世界にいたって、人のする事は同じなのだ。

 

 

 「自分の欲望を叶えるのに一番効率が良いのが、世間一般に悪と認識される行為だからだ」

 

 

 金が欲しいなら、盗めばいい。

 嫌いな人がいれば、殺せばいい。

 そうやって突き詰めて考えてしまう極端な人間が、この世界には多く存在しているから。

 人の欲と言うものは、場合によるが、悪と直結してる事が多いのだ。それが一番手っ取り早く、自身の欲を満たす事が出来るから。

 では何故そんな事をする者が絶えないのか。

 その欲望の大半は、悪を成すことで実現出来てしまうから。

 金は盗む、物は壊す、女は犯す、人は殺す。人の意思を捻じ曲げる行為は悪とみなされてしまう。

 そんな事をしてしまう理由はたった一つ。

 人は皆、強欲だから。

 周りが、社会が、世界が、自分の思い通りにならないから。気に入らない事を受け入れる忍耐が、人には足らないから。

 このゲームでの事象は全て茅場の責任へと変わる。故にこの世界では、人の欲が顕著に現れるのだ。

 

 

 道徳的な、人道的なプレイヤーの方が少ないのかもしれない。

 だからこそ、アキトは父親の言葉に納得がいかなかった。

 

 

『どんな人にだって、自分の掲げる正義がある』

 

 

(……殺人をしてまで掲げる正義って、何なんだよ……)

 

 

 彼らの殺人という行いは、世間では悪とされる行為だ。

 命を奪う事など、どんな理由があっても素直に受け入れる事は難しい。

 大切な人が殺されたら、決して許せる事など無い。殺人者の言う事など、妄言にしか感じない。

 そんな彼らの貫きたい『正義』とは、本当に守らなければいけないものなのだろうか。

 それは、世界を捻じ曲げてでも貫かなければならない道理なのだろうか。

 何が『正義』か分からない。

 だから、『正義の味方』なんて言葉は好きじゃなかった。

 

 

 

 「アキト君、凄い辛そうだったってクラインから聞いたから……その……」

 

 「……」

 

 

 アスナは何かを言おうとして、その口を開いたり閉じたりしていた。

 何を聞きたいのかは分かる。取り乱した理由、自身の過去に近しいもの。

 躊躇いがちなその様子を見て、本気で心配してくれているのが分かる。

 だけど、それはきっと自身に向けられたものでは無い。これまでのお詫びか、それともお礼。

 それとも、キリトに似ているから?

 アキトは深く溜め息を吐くと、そこから起き上がり、その木から飛び降りた。

 着地したすぐ横で、アスナが目を丸くしている。そんな彼女を見て、アキトは口を開いた。

 

 

 「…お前には、関係無いだろ」

 

 「っ…そんな事ないっ、アキト君は私達の…」

 

 「違う」

 

 

『仲間』だなんて言わせない。言ったら最後、戻れなくなる気がした。

 アスナのその言葉を遮ってでも、この意志だけは貫き通さなければならない。

 自分の仲間、そして、アスナの仲間の分別は。

 アキトのその即答に、アスナの体は強ばった。ビクリと震え、アキトの言葉の続きを、黙ったまま待っていた。

 

 

 「お前らと俺は、協力関係だ。利害の一致、合理的な協定の元に集まった集団だ。それが攻略組だっただろ」

 

 「そんな事っ…」

 

 「初めはそうだっただろ。……最初から最後まで、本当はそう在らなきゃいけなかったんだ」

 

 

 形あるものは、いつか失う。この世界でのそれは、現実世界よりシビアで、とても脆いもの。

 アイテムだけじゃない、人間関係もその一つ。

 崩れる未来が確立しているなら、想いを伝えても、長くは続かない。

 決して無駄なんて事は無い。その関係は、どの世界でも大切にあるべきものだ。

 だけど、きっとそれは正しい事で、間違った事でもある。

 

 人と人との別れは、どの世界でも唐突だ。別れは誰にでもある。思いもよらないタイミングで、突然で、だけどそれは必然で。

 それは、自分達だけではどうにもならない時が必ずある。どんなにお互いの距離が近くとも、どんなにお互いがそれを拒絶しても、それを避ける事が出来ない時がある。

 片方がどれだけ相手を思っていても、その未来は必ず訪れる。それは自然の摂理にも似た自明の理、どんなに抗おうとも、世界がそれを許さない時がある。

 アキトも、アスナもきっとその一人だった。

 

 あんな思いは、誰だって拒みたい。そんな目に合わせたくないと、そう強く思ってしまう。

 繋がれば繋がるほどに、アキトがアスナに近付く程に、その思いは強くなる。

 彼らと共にいる事で、きっといつか不幸になる。

 本当は完全に拒絶出来れば良いのに、それが出来ない自分にも嫌気がさす。

 自分の持つ優しさに、要らないと感じた感情が、そんな行動を阻害する。

 彼女のしている事は決して間違っていない。だけど、正しい事だと言いたくない。

 

 

 「……失ったら、辛いだろ」

 

 「っ…アキト、君…」

 

 

 顔を伏せて呟くその言葉は、アキトの本音だった。

 強がっても、演じていても、偽っていても、これがアキトの気持ちだった。

 目の前の彼女を失いたくないと、本気で思ってる。

 キリトの大切な人で、何度も何度も傷付いた彼女を、これ以上、自身の都合で傷付けたくなくて。

 そしてその顔は、大切な人を失った事のある表情だと、アスナは無意識に感じていた。

 

 

 「……でも、それでも私は、誰かと関わる事を、もう拒んだりしないって決めたの」

 

 

 その真っ直ぐな瞳は、アキト一人を見つめていた。それは、キリトが死んでからずっと人との関わりを避けてきたアスナの、改心の言葉だった。

 アキトはその目に見て、心が揺れ動くのを感じる。

 

 

 「君が教えてくれたんだよ?後悔の無い選択が正解だって」

 

 「……進んだ先全てが、茨かもしれない」

 

 「それでも…キリト君も、進んだ道だから。だから……」

 

 

 キリトは過去にあった出来事で、人との関わりを避けていた。

 だけど、決して誰かを見捨てたりはしなかったのだ。困っている人を助けようとその身を投げ出して、必ずその手を差し伸べてくれる人。

 それはきっと、サチという一人の少女のおかげでもある。あの日、記録結晶で聞いた事が全てだった。

 そんな彼の隣りに立ちたいと願ったのだ。

 そんな人になりたいと、そう願ったのだ。

 だからこそ、アスナはこの道を行きたい、生きたいと思う。

 キリトも進んだ、この道を。

 

 目の前の、かつての想い人に似た、黒の剣士を放っておけなかった。

 それは、キリトと同じ道を歩むと決めたからというだけじゃない。お礼やお詫びもあるが、それも核心的な理由では無かった。

 アキトの事を知りたくて、力になりたいと願った、この気持ちに嘘は無かったのだ。

 

 

 「……強いな」

 

 「え……?」

 

 

 アキトは小さくそう呟いた。その言葉が、アスナの耳に届く事は無かった。

 本当に、どいつもこいつもキリトみたいで。彼のように輝いている。

 アキトには、眩しすぎた。

 関係無いとは言えても、関わるなと言えない自分が悔しかった。

 だけど、そんなアスナに当てられて、何も言う気にはならなかった。

 彼らが近付いて来たって構わない。こちらから近づかなければ良いだけなのだから。

 アキトはアスナに背を向けて歩き出した。

 

 

 「……この話は終わりだ。俺はもう行く」

 

 「ど、どこに……?」

 

 「明日ボス戦なんだろ。レベリング」

 

 「っ…私も行くわ」

 

 「報告なんか要らねぇよ。行きたきゃ行けば」

 

 「……パーティを組もうって言ってるんだけど……」

 

 「言ってねぇだろ、今初めて聞いたわ」

 

 

 アキトとアスナは二人並び立ち、転移門へと足を運んでいく。かつての蟠りが、どこかへ飛んでいってしまったかのようで。

 キリトの仲間達は、皆優しい。こんな意味不明な男を見捨てようとせず、常に自分達の輪に入れようとしてくれる。

 アスナだって、どれだけ拒もうとアキトに関わろうとしてきてくれて。

 

 こんな言い合いだって、する日が来るだなんて思わなかった。

 シリカを初対面で泣かせてしまうとは思わなかった。

 リズベットと喧嘩して、仲直りをするような関係になるとは思わなかった。

 リーファとは、そもそもSAOで会えるとは思わなかった。

 シノンの戦闘訓練に付き合うだなんて思わなかった。

 クラインに自分の料理を振る舞うなんて思わなかった。

 エギルの入れたココアやコーヒーが、気に入るとは思わなかった。

 ユイにあれ程懐かれるとは思わなかった。

 ストレアとあんな出会いをするなんて思わなかった。

 フィリアとの攻略が心のどこかで楽しく感じていただなんて思わなかった。

 

 アスナが、キリトのように生きると決めた、その意志の変化が、どうしようもなく嬉しかった。

 

 

 彼らを死なせたくないと、本気で思っている。

 守りたいもの全てを手にする力を、ずっとどこかで求めてた。

 同じような事を繰り返したくなくて、関わりを持ちたくなくて。

 

 

 でも、答えなど、もうとっくに決まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分はずっと、キリトのような『ヒーロー』になりたかったのだと。

 




次回「80層到達パーティ」


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Ep.43 80層到達パーティ

この世界に来る前のアキトの一人称を「俺」から「僕」に変更したいと思います。
変化の程を際立たせるためですので、ご了承ください。もう一つ理由はありますが、この場は伏せます。
まだ変えてない部分も多いですが、推敲した後、変えていきます。
この世界に来た時点では、アキトは「俺」ですので、それもご了承くださいます様、今後もよろしくお願いします。その理由も、今は伏せます。
予想は出来ると思いますし、大した変化ではないので、気にしないで貰えると嬉しいです。

それと、この作品では、<ホロウ・フラグメント>でのヒロインキャラのイベントをあまり加えない方針で進めています。

キリトだからこそ紡げる物語で、アキトはキリトとは違いますので。
それは建前で、本当は早く完結したいだけなんですけどね……書きたい話まで長い……!
勿論、書くエピソードもあります!お楽しみ下さい!

長くなりました!それでは、どうぞ!



 

 80層<カーリアナ>

 

 その街は、沖に上がった海底遺跡を彷彿とさせる街並みだった。

転移門の周りは湖に囲まれて、その場所と街を左右の橋で繋いでいる。

建物毎の間は小さく、幾つも連なっている。木々の見た目は、さながらハワイを想像させるものだった。

上層に上がる度に層が狭くなり、その街も始まりの街と比べれば、随分と小さく見えた。

少し遠くを見れば、そこはもう階層の端、壁がある。この場所は、この街は、この80層の一番端に位置するのだろう。

 

 

「アキトさんっ、この層のアクティベート、済ませて来ました!」

 

「……おう」

 

 

 シリカはピナと共にアキトの元へと駆け寄り、屈託の無い笑顔を見せる。

アキトはそれを見て一言そう返すと、その少女から視線を逸らす。

 

 

 現在攻略組はその<カーリアナ>に足を踏み入れていた。

つまり、79層のフロアボスは、滞り無く討伐する事に成功したのだ。

79層のボスは蛇のような体を持った、3つの頭を持った龍だった。その3匹の連携には、敵ながら目を見張るものがあり、序盤は苦戦を強いられた。

ブレスや噛み付き、尻尾による打撃、動きの素早さもあって、対処に遅れる事も仕方無し。

 だが、今回は新しく攻略組に参加したシリカによる活躍が大きかった。

その身軽な動きは、龍の頭の1匹1匹を上手く翻弄し、攻略組のメンバーは、それを機にボスに攻撃を当てる事が出来たのだ。

その翻弄振りに、3頭が仲間割れし始めた時は流石の攻略組も唖然としていたが。

 今回は、なんとピナの活躍も大きかった。

というのも、最近街中のクエストでは経験値が足らなくなったらしく、リズベットやリーファと街の外でモンスターとの戦闘に赴いた際、ピナに助けてもらったとか。

詳しく聞くと、中ボスクラスのモンスターとの戦闘で危険な状態になり、止む無く転移結晶を取り出した所、それをピナが食べてしまったそうだ。

その際、ピナの体が強く光り、ボスに向かって凄まじい威力のブレスを発射して、その場を離脱出来たらしいのだ。

シリカはそれが気になって、街中で色々と調べに走っていた所、どうやらティムしたモンスターは、鉱石などを食べさせると、その種類によって色々な効力を発揮するという情報を掴んだのだ。

シリカは自分で考えて、検証し、今使える鉱石をピナに食べさせ、攻略の援助に回していた。

 

 結果として、今回の討伐においてのピナのブレスは、ほんの僅かではあるが、目に見えてボスのHPゲージを減少させたのだ。それも運良く、ボスのトドメの段階で。

よって、LAボーナスはシリカに譲渡され、暗黙のルールに従って、次の街のアクティベートを一任されたのだった。

 

 76層に来たばかりのシリカは、レベルもそれほど高くなく、誰の力にもなれなくて歯痒い思いをしてきた筈だ。

それでもめげずに街中で出来るクエストを着実に熟し、こうして攻略組としてみんなの役に立とうと頑張っていて。

シリカはとても嬉しそうだし、ピナもそんな主人の役に立てた事が嬉しいのか、目を細めながらシリカに頬擦りしていた。

 

 アキトからしてみれば、目の前の幼い少女に危険な目にあって欲しくない。出来る事なら、76層の街から出ずに、ゲームクリアを待って欲しかった。

だけどそれはアキト自身のエゴでしかなくて、当のシリカ本人は自分の意志で此処に立っている。

 それを止める術は無いし、それが彼女の気持ちなら、アキトは精一杯応援する事しか出来ない。

 

アスナを守り、シリカやリズベットを守り、クラインやエギルを守り、攻略組を守り、プレイヤーを守る。

この世界のプレイヤー全てを救う事は、きっと出来ない。

だからこそ、危険な行為は全て排除したい。そんな道理は通る筈は無い。

この目の前の小さな少女を守る事しか、自分には出来ない。

 

 

「おう、みんな。お疲れさん」

 

「あ、皆さん!」

 

 

 シリカとアキトのすぐ近くに声がして、それを見ればいつものメンバーが近付いて来ていた。

アスナとリズベットは並んで歩いており、その後ろからクラインとエギルが続いている。

 

 

 ……酷い絵面。

 

 

「おうアキト、お前さんも」

 

「……ああ」

 

 

 クラインやエギルがアキトの元まで歩いて来て、そしてその足を止める。

笑ったその顔を直視出来ず、アキトはシリカの時同様にその目を逸らした。

エギルはそんなアキトの態度に気を悪くする事は無く、やがてフッと息を切らすと<カーリアナ>の街並みを見渡した。

 

 

「……とうとう、80層だな」

 

「ホント、漸くって感じよね」

 

 

 エギルの達観したような発言に、リズベットはそう答える。

ここまで来るのに2年かかったのだ、そんな言葉を出てくるだろう。

 実際、ゲーム開始時は絶対にクリア出来ないと誰もが思っていただろうし、だがそれでも、この世界から出たいと感じていた筈だ。

 

 

「10の桁が上がると、節目って感じがするわね」

 

「ああ、10の位の数字が変わると、もう少しって感じがするもんな」

 

 

 アスナのその言葉は、まさしく共感を得ていた。クラインはその言葉に、腕を組みながらうんうんと頷いていた。

 浮遊城アインクラッド。その城は、上層に行けば行く程狭くなっている為、ボス部屋を発見する速度も最初の比ではなくなっている。

戦力も上がってきている。攻略速度もその分だけ上がっていく筈だ。

 ゲームクリアは確実に近付いている。攻略組の彼らも一時は崩壊しかけたが、きっとその思いを確信に変えつつあるだろう。

 自分達は、ゲームをクリア出来る、と。

 

 

 ────そう考えた瞬間、突然、地面が揺れた。

 

 

 「っ!」

 

 「きゃっ!!」

 

 「ひゃあっ!?」

 

 「な、なんだ…!?」

 

 「じ、地震か?」

 

 

 その大きな揺れに、一同は驚愕の色を見せる。

空に浮かんでいる筈のこの城が、グラグラと大きく、確実に揺れていた。

 突然の事でシリカは尻餅をつき、リズベットも前のめりに倒れた。

アキト達は倒れまいと、どうにかバランスを取りつつも、この揺れに困惑を隠せない。

 やがてその揺れは小さくなっていき、段々と消えていった。

攻略組の各々は、その地震という未知の体験にざわめいた。

 それはアキト達も例外ではない。暫くの沈黙の後、リズベットが最初にその口を開いた。

 

 

 「……ビックリしたわね」

 

 「アインクラッドで地震なんて初めてじゃない…?」

 

 

 リズベットに同調して、アスナが困惑気味にそう言った。

 誰もが過去を振り返り、今までで地震という現象があったかどうかを模索した。

 その結果、地震を経験したのは、アインクラッドでは初めてだという結論に至ってしまった。

 クラインはアスナにその考えを伝えた。

 

 

 「確かに記憶にはねえな……昔のMMOじゃあ地殻変動イベントとかあったけどな。こういうイベントを切っ掛けにして、新しいマップが解放されたりしたんだよ」

 

 「そうなんだ」

 

 「ちょっと期待しちまうな。ただまあ、底意地の悪い改変じゃなきゃいいが……」

 

 

 その表情はその頃のゲームを思い出したのか、段々と嬉々としたものへと変わっていく。そんなクラインに、アスナも笑顔で相槌を打った。

 その線は有り得なくもないが、今はアインクラッド自体が不安定な状態だ。システムに不備が多い。

だから、良い事ばかりだとは限らないのだ。

 そんな話に期待を含ませるクラインを余所に、リズベットが溜め息を吐きながら、この街から見える迷宮区のある柱を、どこか遠い目で見上げていた。

 

 

 「……それにしても、結局ログアウト出来ないままここまで来ちゃったわね……」

 

 「今のペースを考えたら、100層到達もそんなに遠くはないんじゃないかな」

 

 「最初の頃と比べると、凄くハイペースですよね」

 

 「そりゃこんだけ攻略をこなしてりゃ、要領も良くなってくるってもんだよ」

 

 「だが、慣れた時が一番危ねぇからな。気を付けろよクライン」

 

 「分かってるって」

 

 

 アスナ、シリカ、クライン、エギルの順に、会話を弾ませていく。彼らを傍から見ていたアキトは、自分のその握り拳を強くした。

 残り20層。ゲームクリアまで後僅か。

だけど決して油断はしない。ゲームをクリアする、その瞬間までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 場所は変わって、エギルの店。時刻はもう遅く、空は暗くなっており、そろそろ夕食時だった。

 その店は、夜という事もあってプレイヤー達で賑わっていた。いつも夜はそうなのだが、フロアボスをまた倒したからだろうか。その賑やかさは、いつにも増しての大盛り上がりだった。

 

 そして彼らも、その例外ではない。

 

 

 「これで全員揃ったかな?」

 

 

 クラインはそう言うと、自身のいるテーブルの周りにいるプレイヤー達を見渡す。

 アスナ、ユイ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン、エギル。そして、カウンターに不機嫌そうに座っているアキト。

全員が集まっている事を確認し、クラインはゴホンと、わざとらしく咳をした。

 

 

 「……んじゃ、そろそろ80層到達パーティを始めたいと思います!思い起こせば2年前……俺は一流のプレイヤーになろうと……」

 

 「あんたの話はどうでもいいから、さっさと乾杯しなさいよ」

 

 「ひでぇ!まだ話のさわりも語ってないってのによ!」

 

 

 長いくだりになりそうなクラインの話を一蹴し、溜め息を吐くリズベット。

クラインも不満たらたらだが、その顔をやがて笑みにして、凛と立ってグラスを掲げた。

 

 

 「まあいいか……それじゃみんな、かんぱーい!」

 

『『『かんぱーい!』』』

 

 

 クラインの掛け声に一同が合わせ、そのグラスを静かにぶつける。だが、その掛け声に合わせたのはいつものメンバーだけじゃない。周りにいたプレイヤー達も、クラインに同調して、それぞれの仲間達でグラスをかち合っていた。

 クラインはそれを見て嬉しいそうにグラスの中のドリンクを口に含んだ。

みんなも、グラスを手に取り、その顔に笑みを作りながら、アスナとエギルの作った料理に手を伸ばす。

 呑気なものだが、たまにはこういう趣向も悪くは無いだろう。こうして自身を労うのは大切な事だと思う。

 この80層到達パーティは誰が企画したのかは分からないが、反対する者はいなかった。皆が楽しそうに食材やドリンクを買い、こうして集まったのだ。

 

 

 ただ一人、言わずがもがな、乗り気でない者もいるが。

 

 

 「……」

 

 

 アキトはいつものカウンターに座り、やはりいつもの様に傍から彼らを眺めていた。

 当然ながら、このパーティにも加わるつもりは無く、部屋で寝ると決め込んでいたのに、帰り道に待ち受けていたのは、リーファとシノン、そしてユイだった。

 ユイは、言ってしまえばアキトにとっては天敵に近い。あの表情で頼み込まれてしまえば、とても断る事は難しい。

クライン達はそれを知っていて、リーファとシノンに根回しをしていたのだとアキトが気付いた時には既に遅く、現在不本意ながらカウンターでドリンクを飲んでいた。

 

 

 「よおアキト!80層到達おめでとうさん!」

 

 「……何か用か」

 

 

 こちらに近付いてきたのはクラインだった。アキトがカウンターに置いてあるそのグラスに、自身のグラスをぶつけた後、そんなアキトの表情を見て顔を顰めた。

 

 

 「なんだよ、折角のパーティなんだ、もっと楽しめよ。あれから2年……こうして今の今まで生きてられるなんて感慨深いじゃねぇか」

 

 「……」

 

 

 確かにそうだ。何度も死のうと思ったのに、今もこうして生きている。

死ねないという事は、生きなきゃいけない理由がある。そんな気がして、死ぬに死ねなかった。

 今はもう、自分から死ぬ気なんてただの一欠片だってありはしないが、自分が今この瞬間まで生きているというのは、半ば驚きに近かった。

 少し間違えれば、自分はどこかで死んでいた。色々な事が積み重なって、今のアキトがいるのだ。

 今も、自身の目的の為に生きている、生きていられてる。だから、クラインのその言葉が耳に残った。

 

 

 「これからもよろしく頼むぜ、アキト!残り20層もさっさとクリアしちまおうぜ!」

 

 「……」

 

 「アーキトッ!楽しんでる?」

 

 

 クラインの言葉に何も言わずに黙っていると、リズベットが間に割って入ってきた。

 アキトはいきなりの事で体を震わせ、リズベットはその反応を見て笑うと、クライン同様にアキトのグラスに自身のグラスをぶつけた。

 2人共、先程の乾杯に参加しなかった自分に不満なのだろうか、そう考えていたら、リズベットがアキトの座るカウンターテーブルに何も無い事に気付き、アキトをジト目で見つめ始めた。

 

 

 「なーに?あんた全然食べてないの?料理持ってこようか?」

 

 「要らない」

 

 「何でよ?こんな機会滅多に無いのよ?」

 

 「無くても困らない」

 

 「一流シェフのアスナ様が直々に作っている料理だから、美味しいに決まってるわよ?」

 

 「あの程度、自分で作れる」

 

 「……そうだった、あんた料理スキル持ってるのよね……」

 

 

 頑なに拒むアキトを説得しようにも、取り付く島もない。

リズベットはどうしたものかとクラインを見て、クラインも困った様にリズベットを見た。

 だがその瞬間、その2人の間を抜けてアキトに向かっていった人物を見た途端、2人は途端に笑みを作った。

いや、ニヤけ始めたと言ってもいい。

彼女なら、アキトが折れると確信していたからだ。

 

 その人物──ユイは、アキトの座る席まで駆け寄ると、こちらを見ていないアキトに向かって口を大きく開いた。

 

 

 「あ、アキトさんっ…!」

 

 「っ…」

 

 「あの……これ、凄く美味しいですよ!」

 

 

 アキトはその声のする方を向き、その場に立っていたユイを困惑気味に見下ろす。

 ユイはそう言うと、持っていた皿をアキトに向かって差し出した。その細くて小さい手を精一杯伸ばし、その目はアキトを見つめていた。その皿にはたくさんの種類の料理が一度に楽しめるように、小分けにして幾つもまとめて載せられていた。

 アキトはまたしても図られたと感じたのか、リズベットとクラインに視線を向ける。当の2人は知らぬ存ぜぬといった様子で持っていた料理にありついていた。

 周りを見渡せば、アスナ達もこちらを見て微笑ましく笑っていた。しかし、その瞳の幾つかは『断るな』と目で言っているのが丸分かりだった。

 誰だって、こんなに幼い少女の皿を、要らないと拒むのは気が引けてしまう。

 アキトもその例に漏れず、渋々その皿を手に取った。

 

 

 「……まぁ、じゃあ……頂くわ。ありがとな」

 

 「っ…は、はいっ…!」

 

 

 アキトは周りに人がいたのもあって、ユイにいつもの感じで振る舞えない。だが、ユイにはそれでも伝わった様で、顔を真っ赤にしつつ、嬉しそうにアスナの元まで駆けて行った。

 女性陣の極一分とクラインはニヤニヤしながらこちらを見ているが、アキトは気にならないといった様に無視を決め込んで、ユイの持ってきた料理を口に含んだ。

 美味しかった。

 

 

 

 

 暫くの間、アスナ達やそれ以外のプレイヤー達が賑わい、パーティの中盤といったところで、エギルが厨房から顔を出した。

エギルに続き、アスナも出てきたが、その表情は幾分か暗い。

 

 

 「おいみんな、こっちの料理も食べてみてくれないか?」

 

 

 その言葉で、彼らはエギルの持つ皿の大きさにその目を見開く。

エギルは厨房からこちらに移動し、ヅカヅカとみんなが集まるテーブルに近付いた。

 その皿に乗っているものが気になったのか、リズベットが身を乗り出す。

 

 

 「なになに?今度はどんな料理なの?」

 

 「美味いもんを用意したぜ。期待してくれていいぞ」

 

 

 エギルは自信満々に胸を張ると、その皿をドカリとテーブルの真ん中に置いた。

それは、現実世界では有名な、懐かしい形をした料理だった。

 シリカとリーファは目を輝かせ、シノンは遠目で見るも、その顔を豊かなものにした。

 

 

 「あっ、ピザだ!」

 

 「うわぁ……懐かしい……」

 

 「きゅるぅ♪」

 

 「へぇ…美味しそうじゃない」

 

 「まあ、この世界に存在する素材で作ったものだからな……ピザの味が再現出来ているかは各々の判断に任せる。でもアスナに手伝ってもらったから、美味さにおいて間違いは無いだろう」

 

 

 そう発言するエギルの後ろで、アスナは未だに曇った表情をしており、アキトはそれが気になっていた。アスナはチラチラとエギルを見ており、つられてアキトもエギルを見る。

 みんなはピザに視線が行っている為に気付いてないが、エギルのその瞳が、今までに無い程に爛々と輝いており、アキトは悪い予感しかしなかった。

 そのエギルの視線の先には、ピザに手を伸ばそうとするクラインがいた。しかしエギルは、そのクラインを静止した。

 

 

 「おっと待ってくれ」

 

 「ん、何だ?」

 

 「実はな……余興も含めて、一つ趣向を凝らしてみた」

 

 

 エギルの言っている事が理解出来ず、彼らは皆首を傾げる。

 エギルはその笑みを絶やす事無く、嬉しそうに口を開いた。

 

 

 「この中の一切れに、激辛が混ぜてある」

 

 

 その一言で、アキトはぶわっと汗が出たのを感じた。

やはり、考えていた悪い予感が的中してしまった。その嫌そうな顔は、誰一人として見られる事は無かったが、アキトの本音がその表情に表れていた。

 

 

 「味見はしてないから、どれだけ辛いか分からんが、まあ《圏内》だからな。死ぬ事はねえだろ」

 

(馬鹿なんじゃないの)

 

 

 エギルのその阿呆みたいなセリフに嫌気がさし、アキトは彼らから顔を逸らして手元のドリンクを飲む。

 その背中からは、嬉々とした声と、不安そうな声が聞こえた。

 

 

 「へぇ、楽しそうじゃねーか。誰が激辛ピザを食べちまうか、やってみようぜ!」

 

 「どれだけ辛いんだろう……」

 

 「うん……ちょっと怖いかも……」

 

 

 クラインのその発言は、まさにエギルのやりたい事を射たものだった。

 リーファとシリカは、未だ一切れも欠ける事無く目の前に鎮座している激辛ピザに背筋を震わせる。

そんな彼女達に追い討ちをかけるべく、アスナが不安そうに口を開いた。

 

 

「作るところ見てたけど、半端ない量の辛味パウダーをまぶしてたわよ……」

 

 「何で止めなかったのよ……」

 

 「凄く楽しそうだったから……」

 

 

 アスナはシノン共々、その表情を暗くする。そんな2人の隣りで、リズベットが一人、テンションを上げていた。

 

 

「運試しだと思えば良いのよ!寧ろ当たればラッキー、くらいの気持ちでね!」

 

「ラッキーか……それならよ、激辛を食べた奴は誰でも好きな奴に好きな事命令して良いとか、どうだ?」

 

 

 そのクラインの発言に、各々が僅かばかりに反応する。

エギルは変わらず楽しそうに見守っており、リズベットは呆れた表情でクラインを見ていた。

 

 

「あんた……いつもそういう遊びばっか考えてそうね」

 

「おいおい!別にやましい事を考えてる訳じゃねーぜ!誤解すんなよ!美味しいもんを作ってもらうとか、レアアイテム探しを手伝ってもらうとか、色々あんだろ!」

 

 

 クラインの言う通り、その命令、言わばお願いの範囲は広い。

激辛ピザ一切れを食べるだけで、好きな人に色々なお願いが出来るのだ。

 

 

「一緒に買い物に付き合ってもらうとか、レベリングを手伝ってもらうとかも?」

 

「成程……そういうお願いも、ありか……」

 

「きゅるぅ?」

 

「素材を集めてきて欲しいとかもねー?」

 

 

 各々が当たった時の事を考える中、アスナはピザの枚数を数えていく。

その様子を、ユイは近くで眺めていた。

 

 

「えーと、8ピースだから、確率は8分の1ね」

 

「参加する人は誰ですか?」

 

 

 ユイがそう言うと、彼らは一斉に名乗りを上げ始めた。

クライン、シリカ、リーファ、リズベット、シノンの順で手を伸ばす。

 

 

 「当然俺は参加だな!」

 

 「あ、あたしもです!」

 

 「うーん、あたしも!」

 

 「んじゃあ、あたしもー」

 

 「私も、やってみようかな」

 

 

 続けてアスナと、そしてユイも手を伸ばした。

 

 

 「私も挑戦する」

 

 「私もやってみます」

 

 「ゆ、ユイちゃん!?大丈夫なの!?」

 

 

 アスナだけでなく、周りも困惑気味にユイを見つめる。

だがユイは気合い満々といった表情で、両手にガッツポーズを作っていた。

その瞳も、真剣そのもの。

 

 

 「はいっ、大丈夫です!私、やりたいです!」

 

 「……前にユイちゃんが辛いものを食べた時、凄く渋い顔をしてたような……」

 

 

 アスナがそう言いつつも、ユイは参加する事に決まったようだ。

みんながテーブルを囲んだ状態で、その手を伸ばしていたが、ふと、誰もがそのピザを見て首を傾げた。

 ピザの枚数は8ピース。参加する人数は、今のところ7人。

エギルは参加しないと見ると、1ピース余るのだ。

 

 彼らは揃いも揃ってカウンターを見た。

エギルがピザを持って厨房から出てきてから、一度たりとも発言していない黒の剣士を。

 

 

 「……アキト?」

 

 

 その輪の中から、シノンがポツリとその人物の名前を呼ぶ。

彼は壁の花となる事を決め込んだかの様に黙り込み……というか、こちらを見ていない。

ひたすら壁しか無い場所を視界に収めつつ、グラスを口に持っていく。

 その背中を、一同総出で眺める。

 アキトはシノンの発言すら無視して、壁をひたすらに見つめていた。

だがそれも適わぬと思ったのか、アキトはくるりと彼らを見て、さもいつも通りといった表情で口を開いた。

 

 

 「……俺はパス」

 

 「声凄い震えてるけど」

 

 

 リズベットのその指摘すら反論せず、アキトは再び視線を逸らす。

そのいつもと違い過ぎる様子に、彼らは不安がった。

 

 

 「何よ、ノリが悪いわねー」

 

 「作った本人にでも食わせとけ。そして反省しろ、自身が作ってしまった、その拭う事の出来ない罪にな」

 

 「ピザ一切れで大袈裟でしょ……」

 

 

 シノンがそう呆れた様に溜め息を吐く横で、アスナがアキトを見つめていた。

 アキトのその様子に、何か、引っかかりを覚えていた。

いつもならもっと過激に文句を言う所だっただけに、アキトのその言霊の鈍さを不思議に思っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── ゲホッゲホッ…ゲホッ! …おい、閃光…テメェこれ辛過ぎるぞ…ホントに料理スキルカンストかよ!───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ……もしかしてアキト君、辛いの苦手だったりする?」

 

「っ…別に…興味無いだけだ」

 

 

 アキトのその体が、僅かに震える。

その反応は正解と言っているのが丸分かりだった。

 アスナは覚えている。アキトをキリトだと無意識に感じながら、彼の為に作ったサンドイッチの事を。

 辛いのが好物であるキリトに合わせて作ったもので、22層でユイが食べた時は、その辛さに顔を顰めていた。

 アキトはアレを食べた時、物凄い顔をしていた事を思い出し、アスナはその考えに至ったのだ。

 

 リズベットは良い事を聞いたと言わんばかりにその顔を悪い笑みに変える。

ゆっくり、ゆっくりとアキトに近付いて、揶揄い混じりに呟いた。

 

 

 「へぇー…アキトって、辛いもの苦手なんだ〜…?カレーは甘口じゃないと食べられないタイプ?」

 

 「……」

 

 

 アキトはそんなリズベットを視界に入れまいと頭を動かす。

 だがその後ろで、今度はクラインやリーファ、シリカも口を開いた。

 

 

「オメェ、ユイちゃんが参加するのに、それはちょっとカッコつかねぇんじゃねぇか?」

 

「へぇ……アキト君、辛いの苦手なんだ……」

 

「私も辛いのは少し苦手ですけど……アキトさん、食べるの嫌がる程なんですね……」

 

 

 アキトは反論すらせずに無視を決め込んでいた。バツが悪そうな顔をしていたのを、彼らは見逃さない。

だけど、そんなアキトを見て微笑ましく感じていた。

 どんな事でも良い、アキトの事を知る事が出来て嬉しかったのかもしれない。

 自分達は、76層に来てからのアキトしか知らない。攻略組の為に汚れ役を買って出る様な優しい人間である事は、この場にいる彼らは理解していた。

 だけど、それだけ。それだけでは、彼の人となりは分からない。何が好きで、何が嫌いで、どんな事が趣味か、プライベートの事を聞いても良いのか。

 辛いものが苦手。そんな子どもの様な可愛い一面を知れて、なんとなく嬉しく感じてしまうのは、仕方が無い事だった。

 

 

 そんな風に考えられているとはつゆ知らず、アキトはそんな彼らの言葉を聞いて、心の中で反論を重ねる。否、反論では無い。彼らの発言は、既に心の中で肯定済みだった。

 因みにアスナの予想通り、アキトは辛いものが大の苦手である。

カレーはリズベットの言う通り甘口、寿司にワサビは絶対に入れない、唐辛子に辛さは必要無い、そんな思考の持ち主だった。

 アキトにしてみれば、寧ろ参加しようと腕を天に伸ばす彼らの方が不思議だった。

 最初の方で凄く不安がっていたのに、何故腕はそんなにそびえ立っているのだろうかと。

 

 だが、そんな目で見られる筋合いは無い。

リズベットが未だに笑っているのを見て、アキトはフッと息を吐いた。

 周りにどう思われても構わないが、弱く見えてしまうのは頂けない。

今まで強がってきたのだから、道理は貫かなければならない。

 

 

「……やるよ」

 

「え?どうしたのよ急に」

 

「うるせぇ、さっさと始めるぞ。そのお喋りな口に激辛ピザが入った瞬間が目に浮かぶぜ、ポンコツ鍛冶屋」

 

「な、何ですってぇ!?」

 

「そんな挑発に乗っちゃうのね……」

 

 

 アキトの切り替えの速さに、シノンは苦笑いを浮かべる。

 だが、アキトの参加を喜ぶ者もいる。参加してない人間に命令するのは気が引けた。

これならば、合理的にアキトに命令を下す事も出来るのだ。

 アキトは、テーブルを囲う彼らの輪に混じり、彼らを見渡す。みんながピザに視線を落とす中、一人、小さく儚げに笑った。

 

 

(……気、遣わせてるよね、やっぱ……)

 

 

 理由は分かっている。この前の、《ホロウ・エリア》で取り乱したあの事件。

 アスナはクラインから聞いたと言っていた。今日の彼らの視線や反応を見ていれば分かる。

 彼らは一人残らず、自分の事を心配してくれていたのだと。

このロシアンルーレットの参加だって、みんなでやれば盛り上がるといった、エギルの計らいだったのかもしれない。

申し訳なさを感じるし、それがありがたくも感じる。

 彼らといると、また失った時の事を考えてしまっていけない。必ず守ると誓ったのに、出来なかったらのタラレバを考えてしまう。

それは、自信の無さの表れで、そんな考えは成功する確率を低くするものだ。

彼らの気持ちに、少なからず応えなければいけない気がした。

 

 

 「さあ、誰が激辛を食べてぶっ倒れてくれるかな」

 

(趣味悪っ)

 

 

 けど、やはり辛いのは苦手だった。

 

 

 こうして、各自好きなピースを手に取り、全ての準備が整った。整ってしまった。

 アキトは今までに無いくらい嫌そうな顔をしており、両隣りにいるシノンとアスナはその見た事も無いアキトの顔に思わず笑ってしまう。

 そんな中、クラインの言葉で、その体を引き締めた。

 

 

 「準備はいいみたいだな……みんな、いっせーので食うぞ」

 

『『『……』』』

 

 「激辛が当たれば、誰かに好きな事をしてもらえる……いいな……それじゃいくぞ!いっせーの!」

 

 

 「あーんっ!!」

 「はむ!」

 「んむ……」

 「あむっ!」

 「ん……」

 「もぐもぐ……」

 「……」

 

 

 一斉にピザを口にする彼ら、みんなひたすらに口をもぐもぐと動かすが、誰も何も言わず、その沈黙を保っていた。

 今のところみんな平常心を保っており、ピザを良く噛み締めている。

 アキトはそのピザがとても美味しく感じた瞬間、激辛では無かった事による幸運を、ピザ諸共噛み締めていた。

 他の女性陣は、辛くない、辛くない、とピザを何度も口に含みながら、やはり辛くないのか首を傾げていた。

 

 

 ───なら、激辛を引いたのは人物は言うまでもない。

 

 

 

 

 「……む!? ぐ!? んんんん!! か、かれえええええええぇぇぇぇ!!」

 

 

 クラインはこれまで見た事も無い程に顔を赤く染め上げ、辺りを走り回り始めた。

 喉が痛むのか、瞳からは涙が溢れ、むせ返っていた。

 その彼の絶叫に、彼らだけでなく、周りのプレイヤー達も驚きで体を震わせた。

 

 

 「んがあああ!! か、辛すぎる!おい、これ限度ってもんが……あああああ!!ヤバイ、頭痛がしてきた、アキト!!水くれ……ゲホゲホ!」

 

 「あ、ああ……」

 

 

 その凄まじい表情に、アキトは皮肉を言うのも忘れて水の入ったグラスを用意する。

 その間、アスナとシノンはそのクラインの顔を困惑しながら見つめ、リズベットは引き気味で見ていた。

 これをつくったエギル本人も、涙が出る程に大笑いしていた。

 

 

 「ははははは!! 良いリアクションだぞクライン!」

 

 「エギル〜!お前なんてもん作りやがった……あああ!舌が痛え!あ、アキトすまねぇ!んぐっ……んぐっ…んっ……はぁ……」

 

 

 辛さで悶えるクラインの元に、アキトが水の入ったグラスを持ってきた。

 クラインはそれを引ったくる様に奪うと、一気に飲み干した。

 アキトはそれを眺めながら、先程までのクラインの暴れ回っていた時の表情を思い出す。

 

 赤く染まる顔、焦点の合わない瞳、そこから溢れる涙に、24歳という歳で暴れ回るその様子。

 およそ公共の電波じゃ放送出来ないような顔で(自主規制)

 

 

 「ちょ、ちょっと当たらなくて残念って思ったけど、やっぱり当たらなくて良かったかも……」

 

 「うん……危なかった……」

 

 

 あまりに辛そうに振る舞うクラインを見て、当たらなくて良かったと尻込みするシリカとリーファ。

 その他の彼らも、そんな2人に同意見だった。エギル恐るべしと、みんなして未だにクラインを見て笑っている巨漢を見つめた。

 

 暫くして水を飲み干したクラインは、未だにキツイのか表情は暗めだが、やがてキリッとその瞳を光らせた。

 

 

 「うう、ひでぇ目に遭ったぜ……だが当たりは俺様よ。ここからが本番だからな!」

 

 

 そう、このロシアンルーレットで激辛を引き当てた者への報酬が、クラインにはまだ残っていた。

 クラインの口元は次第に弧を描し始め、女性陣達は身震いした。

 

 

 「ふはははは!さーて……誰に何をしてもらっちゃおうかなー!」

 

 

 そんな態度を180度変え、テンション高めのクラインのその気持ちの悪いねっとりとした声(言い過ぎ)に、アキト含め、この場にいる人間が汚物を見る様な視線をクラインに向ける。

 

 

 「ひょっとして……あたし達物凄いピンチなんじゃ……」

 

 「だ、大丈夫よ……人並みの良識はある筈よ……多分」

 

 

 リズベットの言葉に、そう返すアスナ。だが、言い切れない部分が怖い所でもある。シリカやリーファも不安そうにアスナ達の背に隠れた。

 正直、クラインの女への節操の無さに関しては一欠片も信用していないアキト。

 どんなお願いをするのかは大体目に見えていた。

 

 

 「ん〜〜〜〜どーすっかなぁ〜!! ねぇ、お嬢さん方?」

 

 

(これは酷い)

 

 

 クラインのその聞いた事も無い高い声に、アキトはなんて残念な男なのだろうと、思わずにはいられなかった。

 救いようの無い男だった。断罪されても文句は言えない。

 ヒーローにとっても救えない人間はいる。勿論、それは救いたくない人間も同様である。

 アキトはサッと目を伏せた。

 

 しかし、そんな女性陣の救世主となったのは、アキトではなくシノンだった。

 

 

 「何言ってるの?アンタもうお願い事聞いてもらったじゃない」

 

 「へ?」

 

 「今さっきアキトに水を貰ったでしょ?それでもう終わったじゃない」

 

 

 アスナ達は、それを聞いて目を見開いた。

 そして思い出す、クラインが激辛を食べた瞬間、アキトに水をくれと頼んでいた事を。アキトは皮肉を言うのも忘れてクラインに水を提供していた。

 つまり、クラインのお願いは既に達成されていたのだ。

 

 

 「お、おいおいおい!! あれは違うだろ!!」

 

 

 クラインは必死にそう捲し立てる。だが、シノンの発言は正当性のあるもので、女性陣達は反撃のチャンスとばかりに正論を叩きつけていく。

 

 

 「そ、そうですね!確かにあれは、アキトさんに対するお願い事でした!」

 

 「そうよね、さっきので終わりよね」

 

 「……え?おい、ちょっと、何だよこの流れ……」

 

 

 シリカとアスナのその発言に、クラインの表情は段々と儚いものに変わっていく。だが、この流れに逆らおうとしているのはクラインだけで、彼の目論見は着実に失敗へと向かっていた。

 リズベットもリーファも、焦った様に言葉を重ねた。

 

 

 「良かったわね〜、アキトにお願い聞いてもらえて」

 

 「うんうん!」

 

 「そりゃねぇだろうよー!激辛食っただけ損じゃねぇか!おいアキト、お前もなんか言え……っておい!アキト?」

 

 

 クラインが辺りを見渡すが、アキトの姿が何処にも見当たらない。

 いつの間に、と彼らも驚くが、ユイただ一人が、その行く末を見守っていた。

 

 

 「アキトさんなら、今日はもう寝るそうで、2階に上がっていきました」

 

 「おおおおー!お前もか!」

 

 

 最後の頼りだったアキトは、既にこの場にいなかった。

 クラインの目論見は、完全封殺された瞬間だった。流石、不憫な男というカテゴリに関しては右に出る者はいない野武士面(言い過ぎ)。

 救う慈悲無し。神は死んだ。

 

 

 「下心ありありの態度を見せるからこうなるんだよ……」

 

 「そこまでやましい事をしようだなんて、別に考えてなかったのによぉ……」

 

 「お前がそう思っても、周りはそう思ってくれなかったんだな……」

 

 「可哀想な俺!!」

 

 

 エギルとクラインのその会話を耳に、彼女達は笑い合う。こうして、幸せな時間が、笑い合う瞬間が、段々と増えていく。

 キリトの死は、まだ乗り越えられた訳じゃない。それでも、彼らは着実に前に進みつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 故人曰く、人生楽あれば苦あり。

 楽しい事があれば、苦しい事もある。幸せなだけじゃ居られない、と。

 

 

 ある人が言った、『人生はプラスマイナスゼロ』だと。

『プラスな事』あれば、必ず『マイナスな事』もある。

 楽しい事があれば、幸せな時間が続けば、それだけ悲しい事、不幸な事が起こる、と。

 

 

 

 こうして、アスナ達は今この瞬間をみんなで笑い、幸せな時を過ごしている。

 

 

 だが、それを帳消しにする程の事が、これから先起きる事になるかもしれない。

 

 

 それは突然、思いもよらぬタイミングで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── その時は、刻一刻と迫っていた。





最近妄想で、この作品をクリアした後の話を考えていたら、ロスト・ソング編や、ホロウ・リアリゼーション編を書いてもいい気がし始めて怖い。
というか気が早い。書けるのはもっと後、この作品が完結してからですね。まあ、まだ書くかどうかは未定ですが。

モチベの為にも、か、感想を……(震え声)


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Ep.44 黒猫&閃光 気持ちを新たに


『多作ネタあり』のタグがあるので皆さんお察しかも知れませんが、今作品は数多のアニメやら小説やらの影響を色濃く受けております。
『おや、この台詞聞いた事あるな…?』とか、『この展開なんか知ってる』みたいなのがこの先あるかもしれません。
キリトが居なくなったifストーリーではありますが、純粋なSAOという訳では無いかもしれません。
一応、私達がいる世界の、地続きの未来という世界観で書いていますので、アキト君が父親から教えて貰った『強くなる為のおまじない』もとい、アニメの主人公のセリフというのは、ちゃんと私達の世界で放送されているアニメとなります。
クロスでは無いので、ネタを知らなくても楽しめる作品にするつもりです。

ちゃんと説明してなかったので、この場を借りて説明させていただきます。
では、どうぞ!



 

<アークソフィア>の街並みは、朝早くという事もあって、人通りはそこまで激しくない。いつも誰かしらはいる筈の噴水広場も、人影一つありはしない。NPCの建てる店が、静かに鎮座するだけだった。

 無風状態のこの街が活気付くのは、もう少し日が昇ってから。草原が広がる公園も、木々は揺れる事無く聳えたち、見渡す限りの緑が続いていた。

 

 

 そんな76層の街を、一匹の黒い猫が道なりに進んでいた。

 

 

 特に変わった表情では無く、いつも通りの雰囲気を纏い、ゆっくりと眼前に続く道を歩いていた。

 商店街エリアを抜け、転移門に差し掛かる頃には、何人かプレイヤーを見る事が出来た。

 彼らは通り過ぎるその黒猫を視線で追いかけ、口を揃えてこう呟いた。

 

 

『黒の剣士』と。

 

 

 そんな言葉を耳にしても、特に反応する事は無い。そう呟く彼らを見たりする訳でも無く、そのまま転移門広場に辿り着く。

 自身の居る場所から真っ直ぐに階段を上れば、白い石碑にも似た門がそこにはあった。

 転移門へと近付くその足取りは、思ったより重くない。

 速度は遅い。だが、ちゃんと歩けているし、体調も問題無い。

 

 

「……」

 

 

 その黒猫──アキトは、転移門を見つめながら階段を上る最中、以前の自分を思い出していた。

 《ホロウ・エリア》での殺人を目の前にあれだけ取り乱すとは、自分自身でも驚きだった。

 その視界に映る光景に嗤う彼らへの憎悪は今もこの胸に残っている。

 意識する度にその心臓の鼓動が僅かに速くなる。

 

 人の死ぬ瞬間など、とても見たいとは思えない。この世界では、誰もが必死になって生きようとしているからこそ、そんな彼らの死ぬ間際の絶望した顔など、決して拝みたくない。

 この世界での死は現実に反映されるのだ。だからこそ、殺人は唾棄すべき『悪』だと認識出来る。

 

 生きたくても、生きられない人間がいる。それはこの世界だけじゃない、現実の世界でも同じ事。

 病気で死ぬ人もいる。

 戦争で死ぬ人もいる。

 事故で死ぬ人もいる。

 それは唐突で、予期する事が出来ない。だからそれまでの日々を、皆が一生懸命に生きている。

 

 故にアキトは、殺人を犯す事で、そんな彼らの命を否定し、利己的に終わらせる様な奴らを決して許せなかった。

 そんな奴らの『正義』など、知った事では無い。言い分なんか聞きたくない。

 

 

(だけど────)

 

 

 ─── 私、人を殺したの───

 

 

 あの言葉が、今になって頭を過ぎる。フィリアと初めてあの場所で出会った時に、彼女が放ったその言葉が。

 彼女がどういうつもりでそんな事を発言したのかは未だに分からない。いや、分かろうともしていなかった。

 あの頃は、ずっと自分の事ばかり考えていて、他人に目を向ける余裕が無かったと思う。敵う筈も無い英雄(キリト)と自分を比べ、勝手に劣等感を感じていて。自分がいなくとも、彼らは自分の意志で立ち上がり、ゲームをクリア出来る筈だと、そう考えて。

 

 でも、もう決めたのだ。自分がどう感じて、どう思おうと。キリトの大切な人達を守り抜こうと。やると決めた事なのだから。

 ユイとも約束したのだから。

 それが、彼に、彼らに出来る罪滅ぼし。

 だからこそ、フィリアの事も無視出来ない様な気がしてた。

 

 

「……よし」

 

「アキト君」

 

「うおっ!?」

 

「ひゃあっ!?」

 

 

 意気込みを改めて転移門へと足を踏み入れようとした瞬間に、後ろから声がかけられた。

 人がいないと思って油断していたアキトは、思わず飛び上がってしまった。心臓が跳ね上がるのを直に感じるようだった。

 そして、こちらに声を掛けた本人も、彼のその驚く様で声を上げてしまっていた。

 アキトはその声のする方をゆっくりと振り向く。そこには、最近自分に付きまとう様になった栗色の髪の少女、アスナがいた。

 

 

「ビックリした……っ、何だよ」

 

「ご、ごめん……そんなに驚かれるとは思ってなくて……」

 

 

 思わず素で反応してしまったアキトは、ハッと息を呑むと、アスナを嫌そうな表情で睨んだ。アスナも、アキトのその反応を見て悪く思ったのか、無意識に謝っていた。そして、彼の事をチラリと見る。

 人を寄せ付けない雰囲気を纏っている彼でも、あんな反応をするんだな、と少し思ってしまう。いや、その人を寄せ付けない雰囲気も、停滞していた攻略組に発破をかける為のものだった。今の反応は、本来の彼のものなのだと、瞬時に納得してしまう。

 

 

 アスナは今もこちらを見ているアキトを見返し、我に返ると、アキトに向かって口を開いた。

 アキトを追ってきた事には理由があった。

 

 

「《ホロウ・エリア》に行くんでしょ?私も連れて行って欲しいの」

 

「……まあそんな事だろうなとは思ってた」

 

 

 アキトはゲンナリした表情を作る。

 最近、アスナと迷宮区を攻略した時、そして79層でのボス戦の時の彼女の様子を見て、いつかは頼まれるんじゃないかと密かに警戒していた。

彼女のモンスターに向かうその視線、正確な太刀筋。決して何もかもを投げ出した様なものでは無かった。

 キリトを失い、自暴自棄になった頃の彼女とは明らかに違う。目の前の敵を倒す、その明確な意志を感じたのだ。

 

 彼女の中で何かが変わったのか、その原因は分からないし、完全に吹っ切れた訳では無いのかもしれない。だけど、気持ちを新たに攻略に望んでいるように見えた。

 そして、ゲームクリアを目指す様になったのなら、彼女が《ホロウ・エリア》に興味を持つのは必然な訳で、その移動手段がアキトしか無いのなら、こうなる事は当然だった。

 

 

「迷宮区も攻略して、《ホロウ・エリア》にも手を伸ばすのか。随分と殊勝なんだな」

 

「……それは君もでしょ」

 

 

 皮肉を言おうと口を開くも、アスナは表情を変えずにそう答えた。その表情に、アキトは心の中で焦りを覚えた。

 アスナはじっとこちらを見つめており、その瞳は揺れていた。

 

 

「……大丈夫なの?」

 

「……何が」

 

「……」

 

「……言ったろ、要らん心配だ。やると決めたから行くだけなんだ」

 

 

 彼女が心配しているのは、最近《ホロウ・エリア》から帰って来た時のアキトの様子を聞いたからだろう。その瞳は、こちらを気遣っているのが伺える。

 だけど、これは自身の過去に触れる話でもある。それをアスナに教えるのは、今ははばかられるものだった。

 彼女達がどれだけこちらに歩み寄ろうとしたとしても、踏み入れてはいけない領域がある。これは自分の問題で、彼女達には関係の無いもの。そこは変えられないし、変えない。

 これは自分という存在が自分である為の矜恃。目指したもの、果たすと決めた事の行動だから。

 アスナは、アキトのその意志に合わせるように、自分の気持ちを言葉にする。

 

 

「……私も、ちゃんと自分で決めてここに来たの。ゲームをクリアする為に、少しでも可能性を上げるものが欲しいって」

 

「……自殺願望はもう良いのかよ」

 

「茶化さないで。アキト君が助けてくれたんじゃない」

 

「…違うな」

 

 

 その言葉に、アスナは首を傾げる。

自分がこうして生きているのは、リズ達が自身を心配してくれて、何より、アキトが助けてくれたからだと思っている。なのに、本人はそうじゃないと切り捨てる。

 そんなアキトは、アスナの顔より下に視線を落とし、らしくもない事を口走った。

 

 

「……死ねなかったって事は、生きなきゃならない理由があったって事だろ。お前がその理由を知らないだけで」

 

「っ…」

 

 

アキトも、ここまで何度もそんな目に遭ったし、そんな目に遭おうとした。それでも結局死ぬ事無く、今の今まで生きている。

 生きる理由など、自分自身で気付けなくたってちゃんと存在しているのだ。もうアスナの命は、彼女だけのものではなくなっている。

 死にたいと決めるのは本人だとしても、死ぬ行為を容認するのは本人ではない。それは周り、自身の関係者、集団、社会、引いては世界の理が決めるものだ。

 何か見えない力が働いているかの様に、アキトもアスナも生きている。ならば、そうしなければならない理由があるのだと、アキトは信じてる。

 生を持っている限り、人はそうでなければならない。生きる為の目的など、ほんの些細な事で良い。

 

 

「それはお前が選択した結果であって、俺は何もしていない」

 

「……でも、変えてくれたのはアキト君やみんなのおかげだよ」

 

 

 そうやって、アスナは笑う。まだ完全な笑顔では無いけれど、その笑みはとても脆く、触れたら崩れてしまいそうだけど。

 

 

「……まだ、辛いか」

 

 

 そう口を開く自分に驚いた。目の前の少女があまりにも見ていられなくて、自然に口から出てしまった。

 アスナ自身も、そんなアキトに驚いたのだろうが、その儚い笑みのまま、俯きがちに答えた。

 

 

「……うん。辛いよ……けど、みんなよりも沢山泣いたし、沢山塞ぎ込んだし……沢山、迷惑かけたし」

 

 

 忘れた日など一度も無い。色濃く鮮明に、キリトとの一瞬一瞬を思い出せる。その度に、目頭が熱くなる。下ろした拳をきゅっと握る。先程まで吹いていなかった風が、建物の隙間から、街道から吹き抜け、アスナの髪を撫でる。

 今までずっと自分だけが辛いと思っていた。だけど、この世界に、辛い思いをしていない人間などいない。

 

 

「きっと、みんな辛いから…だから、私も前に進むの。…大切な人の事を、これから先もずっと想えるように」

 

「……」

 

 

 

 

─── それは、とても辛い道だよ……?

 

 

 

 

「っ……」

 

 

 そう言葉にする事は無かった。出来なかった。これは、彼女の決めた選択。それをどうこうする権利や、意義を立てる道理は無い。

 そもそも、自分はアスナを死なせない様に接して来た。そんな風に思うのは無責任で、お門違いだ。

 

 これが、アキトのしてきた選択の結果。アスナは今後、キリトのいない世界を生きる。そう決めたのはアスナでも、そうさせたのはアキトだった。

 ならば、彼女の想いに誠意を持って応えるのが、アキトのしなくてはならない事だ。彼女自身が決めた事に、後悔だけはさせない為に。

 

 アキトは、アイテムストレージから、《虚光の燈る首飾り》を取り出した。フィリアに貰ったこの首飾りは、《ホロウ・エリア》に出現したエリアボスを倒した後から、ずっと光が灯っていた。

 恐らく、樹海エリアのボスを倒した事で、新エリアへの道は開ける。この首飾りは《ホロウ・エリア》を攻略する為に必要なアイテムだったのだ。

 アスナは初めて見るそのアイテムに、その瞳を光らせる。だが、アキトがこれを出した事の意図が掴めず、眉を顰めた。

 

 

「…今日行くのは新エリアだ。俺にとっても、お前にとっても未知の場所…だから、命の保証は出来ない」

 

「…うん」

 

「…それでも、良い…なら、その……勝手にすれば良いんじゃねぇの」

 

「アキト、君…」

 

 

 アスナは少しばかり、胸が高鳴るのを感じた。目の前の、キリトの面影を持つ少年のその言葉や仕草が、なんとなくではあるが、かつての想い人に重なって見えた。重症かもしれないと思いつつ、それでも、この命を投げ出さないと決めたから、こうして真っ直ぐにアキトを見る事が出来た。

 アキトは首飾りをストレージに仕舞うと、転移門の方へとその身を翻す。その瞬間、彼の身に付けたペンダントから、微かに鈴の音が聞こえた。

 

 アスナは転移門への階段を上る彼のその背を小走りで追い掛け、やがて転移門真下で辿り着く。

 チラリとアキトを横目で見ると、その目を細めて転移門にある石碑を見つめていた。

 一瞬だけドキッとした。その儚げな、何かを憂いた表情に、僅かながらの危うさを感じたから。

 

 

「……」

 

 

 アスナの視線に気付かずに、当の本人は転移門石を見下ろす。つい最近、フィリアと共に転移した時の事を思い出していた。

 転移の際の光はとても綺麗に感じる反面、人が死ぬ時のエフェクトに似ていると感じていた。何度見ても慣れないあの光景。アキトにとっては、あまり好ましくは無い。

 彼女は、平気なんだろうか。息を一つ吐くと、アスナにその顔だけを向けた。

 

 

「っ…」

 

「あ…」

 

 

 だが、アスナもアキトを見ていた為に、その視線は交わってしまう。ばっちりと目が合って、二人は互いに目を見開いた。

 

 

「あ…そ、そういえば、フィリアさんも呼ぶの?」

 

 

 見ていた事に気付かれたと思ったアスナは、なんとかその場を誤魔化そうと取り繕う。その視線は既にあらぬ方へと移動しており、視界の端にすらアキトの影は見えない。

 アキトもアスナがこちらを見ているなんて思ってなかった為、少し慌てながら答える。

 

 

「あ…ああ、アイツの方が俺よりも詳し……あ」

 

「な…何?」

 

 

 アキトはそこまで言って漸く思い出す。フィリアのオレンジカーソルの事を。オレンジだと伝えていない為に、驚かれる事は必至かもしれない。

彼女達が邂逅したら、嫌でもその光景を見る事になる。

 アスナはアキトのその様子に、思わず視線を戻してしまう。アキトは暫く固まっていたが、頬を掻いた後、フッと溜め息を吐く。

 クラインの時はその寛容な心に助かった。だが、キリトの仲間は皆、優しい心を持っている。こんな自分に、飽く事無く関わってきて。

 だから、きっとアスナも。

 

 

「……」

 

 

 自分は彼らに嫌な態度を取っているのに、そう思うのはあまりにも勝手なのではないだろうか。

 ああやって突っ張った態度を取らないと、近付いてしまうと、仲間だと思ってしまうと、また失ってしまうような気がして。まともに近付く事も出来ない。

 そんな勝手な自分の言う事を信じてくれる、だなんて。傲慢な考えでは無いだろうか。

 

 

「…オレンジ、なんだ。けど、その…あんま気にならねぇから、文句言うなよ」

 

 

 そうやって、誰かの事を気遣う様に話すのも、とても久しぶりな気がした。

 仲間を作ってはいけないと戒めても、他人を気にするというこの行為に、矛盾は存在するだろうか。独りで良いと思っても、誰かと関わるこの行為に、勝手な思想は混在しているだろうか。

 

 だけど、そんな自問も杞憂に終わってしまうのだ。彼らはいつも、自分の予想外の答えをくれるから。

 アスナはキョトンとした後、その首を傾げてこう言った。

 

 

「?…アキト君、今まで一緒に攻略してたんでしょ?クラインからも聞いたけど、良い人そうじゃない。なら大丈夫でしょ?」

 

「…!」

 

 

 さも当然の様に言い放つアスナに、アキトはクラインと同じ様な、感極まった何かを感じてしまった。

 誰かに、信じられている様な感覚。ダメだと思っても、込み上げてくる嬉しさがそこにはあった。欲しかったものを失ってから、久しく感じた事の無い色々なものを76層の彼らは自分に与えてくる。それが意識的でも無意識的でも。だからタチが悪い。

 強がって偽って、過去の自分を否定している自分に、罪悪感を感じてしまうから。仲間などもう欲しくないと思っているのに、その手を伸ばしたくなってしまうから。

そんな感情を振り払う様に、アキトは転移門に向き直った。

 

 

「…転移、《ホロウ・エリア管理区》」

 

 

 門を踏み締めていたその体が、合言葉を合図に光に包まれる。何度見ても慣れないその輝きを感じながら、今一度アスナを見た。

 彼女はその視線に気付くと、こちらを見てニコリと微笑んだ。

 

 

 不覚にもドキッとした。好きじゃなかった転移門の光が、彼女の笑みと合わさって、とても綺麗に見えたから。

 

 

 




そういえば、多機能フォームを使いこなせる様になったんですよ……だれか褒めて。

ついでに感想プリーズ(ृ ु*´・∀・`)ुウヘヘェ


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Ep.45 未知と違和感


今回は寡黙なアキト君。アスナとフィリアがメインです。
そして、ホロウ・フラグメント編が進むます!

それでは、どうぞ!


 

 《ハステアゲート浮遊遺跡前広場》

 

 

 その名の通り、何処までも続く道全てが、空中に浮遊しているこのエリアは、《セルベンディスの樹海》エリアのボスを倒した際に、開放する条件が揃った状態で待機されていた。

 アキトの持っている、《虚光の燈る首飾り》の光、エリアボスを倒した際に現れたその光が、システム的に封じられていたその光の壁を消し去ったのだ。

 そしてそれと同時に、首飾りの光は消えてしまった。

 

 浮遊遺跡という事もあって、目の前に広がるのは、幾つもの小さな島が列を作り、一つの道となって続いていた。そこから見下ろしても、白い雲しか見えない。どれだけ高いのかを感じてしまう。

 その浮島の先には、その名の通り遺跡の様な雰囲気を漂わせる建築物に、道に、柱があった。その道は十字路になって、あらゆる所に繋がっており、その中には洞窟に続く様なものもあった。

 見渡せば視界の中で完結してしまうそのエリアは、樹海の時の様な広さは感じられず、案外早く攻略出来てしまうかもしれないと、そう感じてしまう。

 勿論、洞窟の先にも何かがあると思うし、あるならばその限りではない。

 

 そして、そのエリアからなら何処にいても見えるであろう巨大な塔。

 湾曲した柱が反り返り、空へと向かっているかの様に、何本もその中心の巨大な塔に沿うようにまとわりついている。巨大な塔の頂きは、目で捉える事が出来るも、まるで天まで届くんじゃないのかと思わせる。

 

 今までの樹海エリアとはまるで違う風景に、アキト、アスナ、フィリアの3人はそれぞれ息を呑む。新たなエリアに足を踏み入れるその心情は、期待か、不安か。

 

 

「随分高い塔ね……頂上は遥か上空……」

 

「あの塔は何の為に存在しているのかな。昇るだけで大変そう…」

 

「十字架を象ったオブジェクトも気になるわね…これはお宝の匂いがするわ」

 

「浮遊遺跡ってくらいだから、その可能性もあるかもね」

 

 

 アキトの後ろで、フィリアとアスナは会話を弾ませていた。

 彼らにとっては、未知である事に関しては期待が勝った様だった。特にアスナは、《ホロウ・エリア》に来るのは初めてな為に、アキトも多少なりとも気にかけていた。しかしアスナは高難易度である事は自覚しているし、彼女自身実力も高いから余り心配はしていないが。

 アキトは彼女達の会話を背に、浮遊遺跡へと歩き出した。それを合図に、二人もその後に続く。

 

 

「……」

 

 

 フィリアはふと、アキトの事をチラリと見る。その黒い剣を携えた剣士の背中は、とても寂しいものに見えた。少しの衝撃で崩れ去ってしまうのではないか、そう感じてしまう程に。

 前回、《ホロウ・エリア》でのエリアボスとの戦闘を思い出す。空中で織り成すソードスキルの連撃は、確かに強力なものだった。あれだけの強さを傍から見れば、頼もしいものにしか見えない。だけど、あの中には狂気染みた何かが混在している様にも見えた。モンスターを見るその目が、その笑みが、フィリアの心を不安で襲っていた。

 そして、ボス戦が終わった後の、PK事件。あの時の彼は、打って変わって何かに怯えた様な様子を見せていた。そこから紡がれた彼の言葉には、殺されたプレイヤーを救えなかった自責の念が見て取れた。

 明らかに違う、アキトの様子。

 一体────

 

 

(どれが、本当のアキトなの───?)

 

 

 

「フィリアさん?」

 

「っ…え…な、何?」

 

 

 ふとアスナに声をかけられて、その体が固くなる。アスナがこちらを見ていた事に気付いて慌てふためく。

 アキトを見ていた事に気付かれただろうか。フィリアの心臓が高鳴った。

 

 

「どうしたの?何か、ボーッとしてたけど…」

 

「えっと、その…アキトにこんな美人な仲間がいるなんて思わなかったから、ちょっと驚いて…」

 

 

 上手く誤魔化せたかどうか、フィリアは困惑しながらそう答える。実際、アキトがこんな綺麗な女の子と仲間だった事には驚いた。

 クラインは男だったからまだ分からなくはないが、アスナ程の美人だと、フィリアも畏まってしまう。

 咄嗟に思いついたにしては良い誤魔化し方だったかもしれない。そう思ってアスナを見た。

 だが彼女は、謙遜する事も胸を張る事も無く、小さな笑みを浮かべるだけだった。

 

 

「…仲間だと思ってくれてるかな…」

 

「え…」

 

 

 アスナはそう言って、彼の背中を見つめた。距離が少し離れている為、こちらの会話は聞こえていない。目の前の浮遊遺跡エリアの風景に混じる彼の背中を見て、フッと息が漏れる。

 フィリアは彼女のその予想外の答えに目を丸くした。

 

 

「私も…私達もフィリアさんと同じ。つい最近なんだ、アキト君と初めて会ったの」

 

 

 初めて会った時の事は、今でも鮮明に覚えている。なにせ、自身の想い人であるキリトと、雰囲気が酷似していたのだから。

 彼のその攻略組に反旗を翻したかの様な口調、それに見合う実力を持っていて。その全てがキリトと重なって。そう感じさせる彼と、そう感じてしまう自分がとても嫌だった。

 だけど、彼が本当はとても優しい事は分かっていた。彼はキリトそっくりだったから。雰囲気ではない。その行動が。

 

 彼の攻略組に対しての行動は、停滞していた攻略を進める為に、彼らにとっての共通の敵を作る事で、競走への発破をかけるものだった。実際その目論見は成功したと言えるのかもしれない。攻略組はアキトが来てからというもの、活気が戻りつつあったからだ。

 彼らもアキトの存在自体に嫌気がさしていたのは事実だろう。だけど、その実力は認めていた。

 

 血盟騎士団に一人、アスナと同じくらいの年齢の壁役のプレイヤーがいる。キリトとヒースクリフが不在となった初めての攻略で、彼はアキトの実力に物を言わせる態度に怯えて縮こまっていた。けれど、ボス戦における命の危機を二度も助けて貰い、今では感謝しかないと、アキトを未だ良く思っていない集団に言っていた事を思い出す。

 会議に出ていないアキトは、知りもしないだろう。

 無論アスナもその壁役の彼同様に、アキトの事を認めていた。本当は優しい少年なんだと、そう確信していた。

 そう思ってしまうのは、きっと彼にキリトを見てしまったから。違うと分かっている。駄目だと感じている。それでも頭から離れない。命を投げ出そうとしていた愚かな自分を、何度も何度も助けてくれたアキトという少年の戦う姿が、頭から離れない。

 酷い事を言った、酷い事を言われた。助けられなかった、助けてくれた。命を投げ出そうとした自分を、命を懸けて守ってくれた。

 そしていつも、自信満々に笑う。そんな彼を。

 きっと今までの全て、彼の演技なのかもしれない。だったら、自分はアキトの何を知っている事になるだろうか。

 

 

「…何にも…知らないんだよね。アキト君の事…」

 

 

 ポツリと、そう零れる。考えた結果、自分は助けてもらっていたばかりで、彼の事など何も知らなかったのだと実感した。自分の事しか考えていなかったあの頃は、知ろうともしていなかった。

 キリトに重なって見えたから、決して本物ではない彼に嫌悪した。周りが見える様になってから、彼には自分に似た何かを感じたのだ。

 だけど、彼は何も話してくれない。

 

 

 フィリアはそんなアスナに、気になった事を述べる。

 

 

「アスナは…クラインは、知ってる?」

 

「え?うん…」

 

「…じゃあ、この前の事、聞いてる…?」

 

「…うん。聞いてるよ」

 

 

『この前の事』、その発言だけで、なんの話か理解出来てしまう。PKを目の前に震えて涙したアキトの話を。震えて、怯えて、泣いて、謝って。自分が悪いのだと、彼はそう言っていたと。

 普段のアキトしか見ていないアスナ達は、そんな彼の姿をとても想像出来なかった。だけど、クラインへの信頼度が高かった手前、それが嘘だとも思えなかった。

 空中でのスキルの連撃、それを続けるに連れて変化していく言動に表情。そして、PKを前にして悲しみを抱く黒の剣士。

 それら全てが、アスナにとっては未知のもので、自分は何も気付いてなかったのだと自覚した。

 

 

「その…アークソフィアで、アキトはどんな感じだった…?」

 

「…何にも無かったみたいに振舞ってた…だから、分からなかった」

 

 

 目の前にいる彼は、そんな事があったのだと感じさせる様な事は何もしなかった。だからこそ、気付けなかった部分もある。

 何でもないという風に振る舞う彼は、まるで気にしてくれるなと暗に言っているようで。

 フィリアの抱いたその心配も、今は杞憂だと思っても、本当は心に根強く残っているかもしれない。そう思うと、アキトのその背が、とても脆そうに見えてくる。

 

 

「…私も、アスナと同じだよ」

 

「え…?」

 

「…何も、知らないんだ」

 

 

 自分がオレンジカーソルという事もあって、距離を開けていた事は否めない。だけど彼は一度だって、自分のカーソルについて言及した事は無かったのだ。

 彼が知ろうとしてこなかったから、自分も知ろうとしてこなかったのかもしれない。彼がこちらに遠慮しているのに、自分が気になって彼にあれこれ聞くのは、何だか狡猾だと思ったから。

 アキトも自分の事は話さない。ただ、あの時の言葉がチラついた。

 

 

 ───…なんだ。…俺と一緒か───

 

 

 自分が『人を殺した』と、そう言った時の彼の言葉。思い出す度に何故か不安が頭を過ぎる。堪らず彼の背を見る。

 

 ───それは、本当の事なの?

 

 アキトが、人を殺したというのだろうか。憎まれ口を叩きながらも、どこか温かみを感じる彼が、泣いてまで許せないと思ったあのPKの集団と、同じ事をしたのだろうか。

 

 

「……」

 

 

 分からない。自分の気持ちも、アキトの事も。自然と強くなる拳に気付き、そっとその手を解く。

 彼の何がそうさせていて、彼はどういった人なのか。そんな事を考えながら進む浮遊遺跡は、途轍も無く大きく見えた。

 無知なもの程巨大に見えて、未知なもの程不安になる。塔の麓まで歩くその道に、モンスターの気配は無い。

 だけど、その心は晴れない。どうしてここまで彼を気にしてしまうのだろうか。放っておけないと思うのか。目を離せば、どこかに行ってしまうような、そんな危うさを消し去れない。フィリアは小さく息を漏らした。

 

 

 

 

「……」

 

 

 そんな彼女達の考えなど知らないアキトは、麓の先に十字架を象ったオブジェクト、システム的に保護された光の壁を見つめていた。

 つい最近見た事が、というか、今さっき見た事のある紋章がそこにはあった。

 アキトは再びストレージから《虚光の燈る首飾り》を取り出すと、その壁に向かって翳した。だが、首飾りから光が発せられる事は無く、目の前の光の壁も反応を示さない。

 このエリアを開いた時にはこの首飾りを使った為、同じ要領で開くものかと思っていたが、どうやら条件は違う様だ。

 代わりに、何処か天空から声が響いた。

 

 

 

 [竜王の許可を持たぬ者は、直ちに此処から立ち去るが良い]

 

 

 

「な、何…?」

 

「アキト君、何したの…?」

 

 

 アキトの後から付いて来た二人は、いきなりこのエリアに響いた声に驚きを隠せぬ様子だった。だがフィリアに関しては、その声に困惑しながらも、塔の麓まで近付くと、アキトのしていた事を大体把握出来ていた。

 アキトはそんなフィリアを横目でチラリと見た後、またすぐに目の前の壁を見上げた。

 

 

「ここ来てすぐ塔って訳にはいかねぇみたいだな」

 

「何か条件があるのかもね」

 

「アイテムの可能性もあるね」

 

 

 アスナとフィリアがそう続ける。先程の声は、『竜王の証』と言っていた。フィリアの予想通り、もしかしたらアイテムの類かもしれない。

 

 そう考えた瞬間、モンスターの咆哮が聞こえた。あまりにも突然で、アキト達は体を震わせた。

 

 

「きゃっ…何!?」

 

「っ…!? 2人共、上!」

 

 

 アスナの言葉で、アキトもアスナも上空を見上げる。するとそこには見た事の無い種類の飛竜が飛んでいた。

 両手両足にそれぞれ翼が生えており、尻尾は剣の様に鋭い。空中で静止したその紺色の竜は、こちらをその鋭い瞳で見下ろしており、その口からは白い息が漏れていた。

 

 

「ド、ドラゴン!」

 

「……」

 

 

 アキトはエリュシデータを引き抜き、剣道の様に構える。フィリアとアスナも、それぞれ武器を抜刀すると、竜を睨み付ける。その瞳は焦りが見て取れた。

 だがその竜は、こちらを見下ろすだけで何もしてこない。それどころか、その体を翻し、塔の頂上へと飛んで行ってしまった。

 急ながらも臨戦態勢をとっていた彼らにとっては若干の拍子抜けではあったが、準備も儘ならない状況でもあった為、助かったともいえよう。

 

 

「び、ビックリした…」

 

「塔のてっぺんまで飛んでったね…住処でもあるのかな?」

 

 

 そう話す彼女達の前で、アキトは構えていたエリュシデータを下ろす。この塔への道を塞ぐ光の壁を見るに、まだ戦う時ではないのだろう。ならば、先程このエリアに響いた声の主が言っていた『竜王の証』とやらを手に入れるしかない。

 アキトはエリュシデータを鞘に収めると、その場から離れ、全くの別方向へと歩いていく。

 その言葉足らずの行動に、アスナもフィリアも慌てた。

 

 

「ち、ちょっと…!」

 

「あ?何?」

 

 

 アスナの静止の言葉を聞いて、不機嫌そうに振り向く。アスナの隣りにいたフィリアは、眉を顰めて問い掛けた。

 

 

「何、じゃないよ、何処行くのさ」

 

「塔はまだ行けねぇんだから別の場所から攻めんだよ」

 

「アテがあるの?」

 

「ある訳ねぇだろ、このエリア来たの今さっきだぞ」

 

 

 アキトはそう言うと再び視線を前に戻し進んでいく。そのまま暫く歩いて行けば、その先には洞穴の様なものがあった。恐らくアキトは、あそこに向かっているのだろう。

 それに気付くも、アスナはその表情を曇らせた。

 

 

「…だったらそう言ってくれればいいのに…」

 

 

 何故優しく言ってくれないのだろうか。その発言にはフィリアも同意で、彼女の隣りで思わず頷く。そんなお互いを見て、フッと笑ってしまう。初めて出会った二人だが、同じ悩める人同士、仲良くなれそうだった。カーソルなどの色は関係の無い、確かなものがそこにはあった。

 アキトは何故彼女達が笑い合っているのかは離れていた為に分からなかったが、仲良くなれたなら良かったと、彼女の見えない所で笑みを零した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《思い人の手を引いた隧道》

 

 

 浮遊遺跡の島々を繋ぐ橋を渡って進んだ先は、如何にもモンスターが住みついていそうな洞穴だった。マップ名には『思い人の手を引いた隧道』とあるが、正直想い人とデートするには適さない雰囲気であり、何ともミスマッチな名前だなと笑えてしまう。

ちなみにここに来るまでの数回戦闘があったが、三人共高レベルという事もあって捗った。グリフォンや、見た事の無い虫型のモンスター、機械の様なものもいたが、アスナとフィリアの連携はそれなりのものだった。戦いを重ねていく内に二人の仲が深まっているようで。そしてそんな彼女達は距離を互いに近付けてこの洞穴の至る所をキョロキョロと見つめていた。

 

 

「…何か出そう」

 

 

 フィリアがポツリとそう呟く。アキトと全く同じ事を考えていた様で、アスナもアスナで辺りを忙しなく見渡していた。

 

 

「ゆ、幽霊とか出ないよね…?」

 

「分かんないよそんなの…」

 

 

 そんな彼女達を背に、アキトは呆れた様に溜め息を吐く。幽霊なんている訳が無い。いるとすれば、それはシステム的に倒す事が可能なゴースト系のモンスターである。攻略組筆頭のアスナが何故そんなに怯えているのか分からない。

 だが暫くすると、アキトは何かを思い出した様にハッと顔を上げ、その思考を巡らせる。

 

 

(…そういえば、アスナは幽霊が苦手────)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── 何故、そんな事を知っている?

 

 

 気付いた瞬間、その思考を停止する。だがアキトの脳内では、絶えず知らない映像が流れ始める。

 アスナに良く似た女性が、ゴースト系統のモンスターに怯える様子。それはノイズとなって、良く見えないが、見た事も無い景色、でもそれでいて知っている様な光景だった。

 

 

(っ…!最近こんなのばっかりだ…)

 

 

 アキトはそれら全てを振り払う様に、頭を左右に揺らす。やがて消えゆく映像の中、アキトは先程の幽霊の話を思い返していた。幽霊が怖い、幽霊を見たくない、そんなアスナの言動に、自嘲気味に笑った。

 もし本当に、幽霊という存在がこのゲームのシステムに組み込まれていて、それが今まで死んでいった者達の意思を持っているならば。

 

 もし、幽霊という存在がいるならば、詫びる事も出来るというのに。

 

 その表情が自然と暗くなる。悩んでも仕方無いものでも、人は簡単にそれらを振り切れない。その後悔は、思い出す度に募っていく。それが女々しくても執拗くても、みっともないと言われようとも、割り切れないものがある。

 

 

「……?」

 

 

 考えるのをやめようと、取り敢えず顔を上げると、少し離れた場所に人影が見える。アキトは瞬時に立ち止まり、その視線の先をその人影に向ける。

 途端、背中にポスンと軽い何かが当たる。アキトは思わず振り向いた。

 

 

「っ…!」

 

「あっ…!」

 

 

 そこには、すぐ近くにアスナの顔があり、驚きで互いに瞳が見開く。

 その顔の近さにアキト即座に視線を逸らし、アスナはアキトからバッと離れる。

 

 

「ど、どうしたの?急に止まったりして…」

 

 

 慌てて取り繕うアスナ。どうやらアキトがいきなり止まったせいで、歩いていたアスナがぶつかって来たようだった。距離が離れていた事を思い出すと、どうやらフィリアと会話してて気付かなかったのだろう。

 気が緩み過ぎだと思ったが、今までのアスナよりはマシかと納得すると、その視線を先程の人影に戻した。

 

 

「…向こう、誰かいる」

 

「…ま、まさか…幽れ──」

 

「執拗い。多分プレイヤーだろ」

 

 

 未だ幽霊の話をしているアスナの言葉を遮り、自身の考えを告げた。するとフィリアがアキトの横に並び、人影に向かってその瞳を細めた。

 

 

「…一人、みたい。こんなダンジョンでソロだなんて珍しいね」

 

 

 確かにそうだ。ここは高難易度エリア、ソロプレイには度胸も技量も必要だろう。たった一人でこのダンジョンを攻略しようだなんて、とても勇気あるプレイヤーだろう。

 それに、見たところ女性の様で、益々珍しい。それどころか、アキトはここへ来て自分と同じ様にこのエリアで攻略を行っているプレイヤーを初めて見たのだ。興味が湧くのも当然だった。

 アキト達はその足を速め、その女性プレイヤーに近付いた。

 

 

「おい」

 

「はい?」

 

 

 アキトがそう言い放つと、その女性は振り向いた。その振り向いた瞬間に空中に浮いた彼女のペンダントに視線が向く。赤と青の宝石が埋め込まれた、とても綺麗なアイテムだった。

 アキトのその言葉遣いは何も気にしていない様だったが、アスナとフィリアはアキトの事をジト目で見ていた。

 初対面の人に『おい』は無いだろうと、その視線は言っていた。アキトはそれを見てバツの悪そうな顔を作る。

 アスナはそれを見た後、その女性プレイヤーに向かって口を開いた。

 

 

「えっと、初めまして。少し、お話を聞かせてもらっても良いですか?」

 

「ええ、大丈夫ですよ」

 

 

 アスナのその柔らかい物腰に、女性も途端に笑顔になった。それを見てアスナとフィリアは互いに笑みを作る。アキトが3人を眺める中、その内の一人、フィリアがその女性プレイヤーに問い掛けた。

 

 

「…貴女もアインクラッドからここに飛ばされて来たの?」

 

「アインクラッド?変な事を言うわね。ここはアインクラッドじゃない」

 

 

 女性はそう言うと首を傾げる。確かにここは一応アインクラッドの中ではある。屁理屈を言っている訳ではないようで、本気で分からないといった表情だった。

 フィリアも質問の仕方が悪かったと思い、質問を少し捻る。

 

 

「そうじゃなくて……えと、元々は何処にいたのかなーって…」

 

「元々……何処だったかしら。あちこちを移動しているから、何処とは言えないわ」

 

「じゃあ貴女はここで何をしているんですか?」

 

「何をって、勿論攻略よ。アイテムやスキルを使って敵を倒して…」

 

 

(…なんだろう)

 

 

 彼女のその発言を聞いて、アキトは首を捻る。受け答えは普通にしているのだが、何か、何か変な気分がした。

 アキトは思わずその口を開く。

 

 

「…拠点は」

 

「え?」

 

「拠点はどうしてんだ。アイテム使うってんなら補充する術があるんだろ」

 

 

 いきなりアキトが口をきくものだから、アスナとフィリアも少しだけ驚く。だが彼の質問は、このエリアを攻略していくなら必要な情報だ。聞いて損は無い。

 だが女性は少し考えた様な顔を作ると、小さな笑みで答えた。

 

 

「拠点は……えーと……ド忘れしちゃったみたい。でもそういう事、初めて会う知らない人に喋るものじゃないでしょう?」

 

 

 アキトはその言葉を聞いて目を見開く。確かにそういった事を初めて会う自分達に話すのは躊躇われる事だ。だがアキトが驚いたのはそこじゃない。

 

 彼女は、『拠点をド忘れした』と言ったのだ。

 

 この高難易度エリアでは休息やアイテム補充は嫌でも必要になってくる。その場所を忘れたなど、笑い話では済まされない。

 アスナやフィリアもそれに気付いたのか、その表情は良いものでは無かった。

 フィリアは女性に言葉を続ける。

 

 

「…貴女はここから出ようとは思わないの?」

 

「今は良いわ。私、これでも忙しいの」

 

「な、ならせめてパーティを組みませんか?私達もこれからここを攻略するんです」

 

「誘ってくれてありがとう。でも、また今度ね」

 

 

 彼女はそういうと、こちらに背を向けて走っていく。再び首から掛けられたペンダントが宙を舞う。それを見ながら、アキトは段々と離れていくその女性の背中を眺めていた。

 暫く沈黙が続いたが、やがてアスナがそれを破った。

 

 

「…あの人、何か変だった。会話受け答えはしっかりしてるのに…」

 

「うん。拠点を忘れたっていうのも気になったし…」

 

 

 二人もアキト同様に違和感を感じた様だった。それが何かは分からない。だけど何かが変。それだけは理解出来た。

 

 

「……」

 

 

 アキトはその女性プレイヤーが消えた先を見て、また別の何かを感じていた。虫の知らせなのか、何なのかは分からない。

 

 

 ただただ、嫌な予感を肌で感じていた。

 




私は感想を見てモチベーションが高まる。
早く書ければそれだけ早く見る事が出来る……!

ギブアンドテイクで行こうぜ!(何様)

冗談はさておき……感想をください(現在の話までにおいての質問も可)


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Ep.46 射撃


時系列あやふやじゃね?みたいなイベントの順序。
最近、『クロスオーバー』タグを付けようか迷ってます(´・ω・`)

今回の話、もしかしたら後で少し修正すると思うので、軽めに見てもらえればと思います。






 

 

 

76層<アークソフィア>

 

 

 現在、アキトとシノンは商店街の外れにある、木々が立ち並ぶ草原に来ていた。

 先日、アキトがアスナと会話をした場所である。

 少し離れた場所にある噴水広場では、多くのプレイヤーやNPCで賑わっているのに、この場所はうって変わって静かだった。風に乗って、彼らの笑い声が聞こえる。その風がシノンとアキトの髪と頬を撫でた。

 いつもシノンはこの場所でスキル上げに勤しんでおり、今回はアキトも共に付き合っていた。

 というのは形式だけで、実際はシノンのスキル上げの傍ら、草原に寝そべって自身のステータスウィンドウを仰向けになりながら開いていた。アキトの横になっている場所は丁度木陰になっており、気が抜ければ寝てしまうかもしれない。

 そんな彼に文句を言う訳でもなく、シノンは短剣を振っていた。

 そして、偶にチラリとアキトを見つめた。

 

 

 ────彼は、私と似ているかもしれない。

 

 そう思ったのは、初めて彼とちゃんと話をしたあの夜。

 この世界に来る前の記憶があやふやで、不安だった夜にただ一人だけ。

 暗い闇夜の中、街灯に照らされて、ゆっくりと歩み寄ってきて。

 言葉にはしないけど、決して顔には出さないけれど、私を心配してくれていたのが分かって。

 いつだって強気で、皮肉屋で、周りを怒らせる天才だけど、それは全部偽りで。本当は、大切なものを守りたいのと願った、とても優しい少年だって知っている。周りに対して強がって、だけど裏で涙していたのを、私は知っている。

 

 だけど、知らない事もある。

 いや、知らない事の方が多い。

 

 似た者同士だと思った。彼も私の様に、何か大きな過去を抱えた人間だと思った。自分の事は話してもいないのに、彼の事を知りたいと思うのは、傲慢だろうか。

 彼を見ていると、たまに自分よりも危ない存在に見えて。似た者同士だと感じるからこそ、放っておく事が出来なくて。

 ついつい目で追ってしまう。

 

 

 だがその瞬間、アキトとバチっと目が合ってしまった。

 

 

「……何」

 

「っ……えっ、と……その……そういえば、スキル系統について聞きたいなって思って……」

 

 

 シノンの視線を、アキトは敏感に感じ取っていたようで、シノンは思わず体が震えた。柄にも無く慌て、どうにか言葉を詰まらせる事無く音にした。それに、スキル系統について聞きたいと思っていたのは嘘では無い。

 街中で出来るクエストで幾分か経験値を稼ぎ、レベルもそれなりになってきた。

 スキルスロットの数も増え、色々取得出来る様になったのだ。今後のスキルの種類やステータスの割り振り方は、攻略を効率良く行うのに大きく関わってくる。

 アキトは納得したのか、ウィンドウを閉じると、フッと息を吐いて起き上がった。

 

 

「……んで、何が聞きたいんだよ」

 

「……試しに幾つか習得したけど……見てくれない?」

 

「……は?」

 

 

 途端にアキトの体が固まる。アキトのその様子を不審に思ったのか、シノンが訝しげに表情を伺った。

 

 

「…何よ、問題があるの?」

 

「逆に無いと思ってんのかよ。ステータス見せるって事は弱点晒すって事だぞ」

 

 

 デスゲームであるこの世界では特に、ステータスを他者に見せる行為は控えた方が良い。レベルやHP、能力値、スキル、アイテム。それらの情報は、見られた相手に大きなアドバンテージを与える事と同義である。そんな状態でデュエルにでもなれば、まず勝つ事は不可能だし、それがPKをするプレイヤー相手なら致命的なものになり得るのだ。

 だがシノンは特に気にしてない様な表情でアキトの目を見て口を開いた。

 

 

「……でもアンタ、私にデュエルやPKなんてしないでしょ?」

 

「…そんなの分かんねぇだろ。場合によっちゃ──」

 

「もう、良いからそういうの。ほら、面倒だからさっさと見て」

 

 

 シノンはアキトの捻くれ発言を遮ると、ウィンドウを可視化状態にして体をずらす。アキトに見える様にその場から退いたのだ。アキトはそれを煩わしそうに見ると、立ち上がってシノンの元まで歩み寄る。

 随分と一方的に無慈悲な信頼をされたものだと、半ば皮肉めいた様に嗤う。出会ってまだ数える程しか話してないのに、こうまで信頼されると逆に不安になる。

 そんなにチョロいと将来悪い男に引っかか…やめよう、何故か寒気がする。そもそもシノンはそういうタイプでもない。

 アキトはシノンのすぐ隣りでそのウィンドウを見下ろす。シノンの息遣いがすぐ近くで聞こえ、アキトは僅かにその距離を離す。

 

 

「…?」

 

 

 だがウィンドウを見ていると、色々と目に付くスキルがあり、アキトのその視線が固まる。

 

 

(《精密動作》に《命中補正》…?珍しいスキルが出てるな…)

 

 

 これらのスキルはある程度狙っていないと中々習得リストに出て来ない。アキトは思わず首を傾げた。

 それを見たシノンは、そんな彼の様子が気になったのか、アキトとの距離を縮め、そのウィンドウを除く。その突然の事に、アキトの体が一瞬固まり、再び少しだけシノンとの距離を離した。

 シノンはアキトが見ていた自身の習得スキルを見て、少しだけ困惑した。

 

 

「…?それ、取ったらマズかった?」

 

「…別に。熟練度高えなって思っただけ」

 

 

 実際熟練度は高く、戦闘でも使えるレベルであった。シノンは不安そうな顔でアキトに尋ねてくる。

 

 

「それって良い事なの?何かの役に立つ?」

 

「知らないなら取るんじゃねぇよ……っ!?」

 

「…まだ何かあるの?」

 

 

 そうシノンに告げたアキトは、そのウィンドウを見て思わず目を見開いた。その様子に、シノンは再びその目を細める。

 だがアキトは、そんな彼女の言葉など気にならないという様にウィンドウに視線が釘付けだったが、やがて自身の目に映るものをシノンに見せた。

 

 

「これ、見てみろよ」

 

「……《射撃スキル》?……これ、私も知らない。昨日は習得リストに無かったし」

 

 

 二人の目に留まったのは、《射撃スキル》。見た事も聞いた事も無いスキルだった。シノンだけじゃなく、この世界に2年もいるアキトでさえ情報を一つも持っていない状態だ。シノンの話を聞く限り、どうやら今日の訓練で習得可能になった様だった。

 当人は、そのスキルウィンドウから目を離すと、不安そうに、震えた声でアキトに問い掛けた。

 

 

「射撃って事は……銃、とか?」

 

「世界観的に無いだろそんなもん」

 

 

 それどころか、遠隔武器自体が精々投擲用のピックや、チャクラムといったブーメラン系統のものくらいだ。名前からして《ソードアート・オンライン》、剣技で戦うゲームの為、射撃と言われてもイマイチピンと来ない。

 そもそも出現条件が分からない。上層に上がれば取得出来るようになるエクストラスキルなのか、もしくはシノン特有のものなのか。もしかしたら、76層に来てから発生しているバグの一種かもしれない。そうなれば習得するのは一度考えた方がいいかもしれない。

 

 そうして視線を戻すと、《射撃スキル》の習得をウィンドウで済ませたシノンが立っていた。アキトは思わず絶句した。

 

 

「……」

 

「……え、何、取ったの?」

 

「いけなかった?」

 

「…別に、どうなろうが自己責任だしな。取りたきゃ取ればいんじゃね」

 

「……」

 

「な、なんだよ。仕方無いだろ、知らねぇスキルなんだから」

 

 

 適当に返していたらシノンがみるみる不機嫌そうな表情へと変化していた。アキトはバツが悪そうに目を逸らす。

 だが、もしシステムエラーに関係する様なバグスキルなら、今ので何か異常が起きる可能性もある。今のところは何も起きない為、何とも言えないが。

 

 

「このスキル、気になったから……でも取り敢えず何も起きないわね」

 

 

 シノンのステータスも特に異常や文字化けなどは起こっていない。取り敢えずは問題無さそうだった。

 だとしたらこれは正規のスキルだという事になる。アキトは射撃スキルについて今一度頭を捻る。

 

 

(射撃…射撃…銃は世界観的に無いだろうし、射撃っていうからには遠距離攻撃だよな…遠距離、遠距離…)

 

 

 何度も言うが、この世界における遠距離攻撃は、投擲の為のピックやブーメランの様なものだ。そう考えると、射撃というのは投擲による遠距離攻撃の可能性が高かった。

 

 

「…ちょっとその短剣投げてみろ。思いっ切りな」

 

「……こう?」

 

 

 シノンは真剣な顔で、目の前にある巨木に向かって短剣を思い切り投擲した。だが、その短剣は手首のスナップによりとても速い回転がかかっているだけで、やがて目の前の幹に突き刺さった。

 見たところ変わった様子は無い。威力が上がったというのも無さそうだった。

 

 

「今ので何か分かった?」

 

「ああ、俺の投擲の方が速いし正確だと、改めてな」

 

「…ケンカ売ってるのかしら」

 

 

 こちらを睨み付けるシノンを無視し、アキトは手を口元に持っていく。これはもしかしたら、所謂《ユニークスキル》というやつかもしれない。

 アキトはチラリと、シノンを見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

「…ねぇ、何処に行くの?」

 

「あ?何処だって良いだろ」

 

「…ねぇ、私のスキルについて、まだ聞きたい事があるんだけど…」

 

「だから知らねぇって」

 

 

 現在、いつも訓練していた広場を離れ、アキトは商店街に来ていた。シノンはいきなりアキトが歩き出すものだから、慌ててその背を追い掛ける。だが、アキトは既にシノンとの会話を切り上げた様な姿勢を見せており、シノンには見向きもしない。

 それが、彼女にとって妙に腹立たしかった。

 

 

(…何よ、ユイちゃんにはあんなに笑顔振り撒いてた癖に…)

 

 

 シノンはユイと一緒にいる時のアキトの顔を思い出して更に不機嫌になった。心做しか、他の人達と会話する時よりも、ユイと話している彼の方が柔らかいイメージがあるのだ。

 偶には力を抜けとは言ったが、まさかユイの前でとは。確かにユイと共にいると心地の良い気分になる。これはMHCPの本分かもしれないが、そんな言葉では片付けたくない。きっとユイは、他人を引き寄せる性格なのだ。あの強情なアキトも、あんな表情を作れる程に。

 

 アキトの背中を追い続け、気が付けば路地裏に来てしまっていた。アキトは変わらずその先を歩いている為、シノンは少しだけ不安になる。

 

 

 「っ……」

 

 

 そっと、アキトの装備の裾を摘む。アキトは一瞬だけシノンを見るが、すぐに視線を前に戻した。何か言われるかもと身構えていたシノンは、目を丸くするが、やがて表情を柔らかいものへと変えていく。

 何も言わずに自身を引っ張ってくれる彼に、ほんの少しだけ温かみを感じた。彼本来の優しさ、アキト自身の気遣いが目に見えた。

 …まあ、こんな不安になるような場所にさえ来なければこんな事する必要なんてないのだけれど。

 

 

 やがてアキトは立ち止まり、先の方へと目を向ける。シノンもアキトの目の前あるものを覗き込んだ。するとそこには、赤い絨毯に色々なアイテムが陳列された、店と呼ぶには疑わしいレベルの出店があった。店主は赤いフードを被っているが、そのフードの中から長い髭が見て取れた。

 シノンは思わず口を開いた。

 

 

「…何、ここ」

 

「骨董品屋」

 

「……え?説明終わり?」

 

 

 シノンは思わずコケそうになる。アキトは話の要点を幾つかすっ飛ばして答えた様だ。シノンは呆れた様にもう一度聞き返す。

 

 

「……ここに何しに来たのよ」

 

「射撃スキルに関係ありそうなもん探しに来たんだよ」

 

「…え?」

 

 

 アキトの溜め息と共に出たその答えに、シノンは目を見開いた。

 射撃スキルというスキルは、名前すら聞いた事が無い。もしかしたら、アインクラッドでシノンしか持っていないスキルなのかもしれないのだ。だからもし射撃スキル専用のアイテムがあるとすれば、それは今まで役に立つ事の無かったアイテムの筈。

 だがこれは仮説の話で、もしかしたら攻略度によって時限的に開放されるスキルなのかもしれない。その場合はNPC店舗にいずれ並ぶだろう。

 

 だがシノンはそんなアキトの説明よりも、アキトがシノンのスキルについて考えてくれていた事に驚いた。少しだけ動揺し、少しだけ困惑して。

 少しだけ嬉しかった。

 だけど、目の前にあるその骨董品屋を見て、そんな気も薄れてしまう。こんな路地裏の狭い所でひっそりとやっている店など、不振もいいところだ。

 

 

「……ここ、本当に営業してるの?」

 

「……らっしゃい」

 

 

 シノンの疑問に答える様に、その店の店主が声を上げる。といっても、明らかにやる気の無いNPCだった。

 

 

「……私一人だったら絶対に入らないわね、この店」

 

「……」

 

 

(俺もです)

 

 なんて、絶対に言わないけど。

 だがこういう所に偶に凄いものが眠っていたりするものだと、前に誰かが言ってた気がする。今のところ、本当に役に立たないものしか目に見えないが。

 

 

「……あ、これなんか珍しいんじゃない?」

 

 

 すると、シノンが早速珍しいものを見付けた様だった。しかもそれは、明らかにシノンのニーズに近い商品だった。なるほど、この世界観で銃以外の遠距離武器、これを見れば瞬時に納得してしまう。

 店主はシノンの持っていたそれを見て、説明の為に口を開いた。

 

 

「……そいつは《弓》だな。数日前に偶然手に入ったんだ。珍しいものだが役には立たんよ」

 

「じゃあこの値段は何ですか……」

 

 

 アキトは弓の値段を見て溜め息を吐いた。とても役に立たないものを売る値段じゃない。エギル以上のぼったくりである。

 そんな事などつゆ知らず、シノンはその弓を持ったり、弦を引っ張ったりしていた。

 

 

「……うん、持てる。打てそう」

 

 

 シノンは真剣な表情でそう答えていた。だが、確かにシノンにその弓は使えそうだが、値段的に買えなそうだった。ジレンマである。

 だが確かに《弓》ならばこの世界観にも合ってるし、何よりシノンもやる気に満ちている。今まで、短剣がいつまで経っても馴染んでない様に見えたのも、弓の適性があったからかもしれない。

 この世界で3つ目のユニークスキル、シノンはきっと、攻略組になる。

 

 

「……」

 

 

 アキトはそんなシノンを見て、その拳を強く握る。この弓を買うという事は、シノンが攻略組に参加するのを手伝うという事だ。彼女の何がそうさせるのかは分からないが、彼女の決めた選択を、自身が捻じ曲げる事は許される事じゃない。だけど、危険な目に合って欲しくないと思うこの気持ちは間違ってない筈なのだ。

 なのに、どうして。どうして彼らの手助けをしてやりたいと思うのだろうか。その答えは、その場では出なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、その弓はシノンではとても買えない値段だった為に、アキトが購入せざるを得なくなった。だが実際、金だけは家を3件買えるくらいには持っていたので、この程度の出費はあまり気にはしてなかったが、シノンはそうでも無さそうだった。

 申し訳無さそうに、シノンはこちらを見つめていた。

 

 

「……借りは、あまり作りたくなかったんだけど」

 

「別に貸しだなんて思ってねえから気にしなくていい。言ったろ、そういうのは作らない主義なんだ」

 

「私が気にするのよ。色々してもらった分は、ちゃんと清算したいわ」

 

「…セイサン、ね」

 

「?…ええ、清算よ」

 

「……」

 

 

 彼女が言うと別の意味に聞こえるのは何故だろう。今はそうでもないが、いつも冷たい表情をしているからだろうか。

 凄惨にしたって青酸にしたって怖すぎる。

 そんなアホみたいな考えを捨て、アキトは目の前の少女から視線を外す。そんな中、シノンが思い出した様に告げた。

 

 

「そうだ、ちょっとお腹空いてきちゃったし、何処かで食べていかない?お礼に私が奢るから」

 

「…俺は別に空いてないからいい」

 

「何よ、私には奢られたくないって言うの?」

 

「ここ来て日も浅いお前が持ってるコルなんて、街中のクエストで稼いだもんだけだろ。金銭量なんて高が知れてる」

 

「別にそこまで高いものなんて食べないわよ」

 

「いいっつの別に。金ならくれてやる程あったし、大した出費じゃない」

 

 

 中々に強情なアキト。シノンは段々とその表情を固いものに変えていく。アキトはそんな事知りませんといった表情でシノンとは別の方向に視線を向けていた。

 そんな彼にシノンは何故か食い下がる気になれない。こちらの事は気にかけてくれる癖に、こちらの事を拒もうとするその矛盾した態度が気に食わなかった。

 だが、今まで何度もアスナ達の誘いを拒み、距離を置こうとしていたアキト。ユイの頼みなら、半ば断れずに渋々承諾していた所を見ると、頼み込まれれば断れない優しさを持っている。

 彼はこちらが何も言わずとも、勝手に助けてくれる。なら、私達も勝手に彼に関わろう。

 この男には、そのくらい強引の方が良いのかもしれない。

 

 シノンはアキトに近付くと、その片方の手をギュッと握った。

 

 

「っ…!?」

 

 

 アキトはその彼女の行動に体が固まる。その瞬間、シノンにその手を引かれて、何かを言うタイミングを失ってしまった。シノンはこちらを見ずにドンドン前へと進んで行き、アキトはただその手を握られ引かれるのみ。

 アキトは思わずその口を開く。

 

 

「お、おい…!何すん───」

 

「いいから、行きましょう。絶対に損はさせないから」

 

「っ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── あそこだよ、アキト!行こう、絶対に損はさせないから!──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

 過去が、また重なって見えた。それ以上シノンに何も言う事が出来ず、振り払う事もしない。ただ引かれるがままになっていた。

 昔、同じ様に誘われた事があったなと、今になって思い出す。思い出せば後悔ばかりで、懐かしむ様な事などした事もなかった。アキトはその顔を俯かせ、シノンと繋がれた手を見つめる。強引に引かれる中、優しくて、温かみのある握り方。

 決して握り返したりはしないけど、振り払う様な気も起きなかった。こうなったら、シノンの希望通り、何か奢ってもらうしかないなと、諦念を抱きつつもその表情は小さく笑みを作っていた。

 

 とても、悲しげな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入った店は、言わば喫茶店と呼べる類のものだった。ほんの少しだけ派手な装飾が気になるが、シリカのバイト先、もといクエストだったメイド喫茶よりかはマシな気もする。

 なんとなくアキトからしてみれば落ち着かないが、シノンは我関せずといった様子で近くのテーブル席に腰掛けた。アキトはそれを立ちながら見ていたが、中々座らないアキトにシノンは視線で訴えてきた。

 

 

(…『座れ』ってか…)

 

 

 アキトは溜め息を吐くとシノンと向かい側の席に不機嫌全開オーラを纏いながら座る。シノンはそんな事お構い無しにメニューを確認し、NPCに注文を開始した。聞いていれば、注文の量が多い。

 

 

「……そんなに食うのかよ。デブになるぞ」

 

「…余計なお世話よ。というか、ゲームなんだから太る訳ないでしょ。それに、あれはアンタの分込みの量よ」

 

「何勝手に注文してんだよ」

 

「どうせ食べるつもりなんて無かったんでしょ?だから先に頼んでおいたのよ」

 

 

 シノンはキッと睨み付け、そう答える。アキトは一瞬怯んだように体が強ばり、視線を店内へと移す。

 先程言った様に、派手な装飾がいくつかあるのが気になるが、内装自体は嫌いじゃない。だが商店街の道なりに並んでいるた訳ではないので、不遇な店にも思える。

 

 

「…よくこんな店知ってたな」

 

「フィールドのモンスターはまだ私には手強過ぎるし、街にいてもスキルの訓練以外やる事も無いし。だから、色々な店を見てまわっているの」

 

 

 シノンの言ってる事は最もだ。する事が無ければ、娯楽の少ないこのSAOでの暇潰しの種類など予想出来る。シノンは頬杖をついて店内を見渡し始めた。

 

 

「…それにしても、ゲームなのに色々なお店があるのね。これは夢中になるのも分かるわ。この店も…雰囲気がね、落ち着ける感じで」

 

「お待たせしました」

 

 

 その会話を断ち切る様に、NPCが皿を持って現れた。それらを次々に二人の座るテーブルに置いていく。アキトは思わずテーブルに乗せられたものに視線を下ろす。

 シノンは紅茶に林檎のシブースト、アキトにはコーヒーとチョコレートケーキだった。そのメニューに、アキトは目を見開く。

 

 

「これを目当てに一人で何度も通っちゃったんだから」

 

「……何で、コーヒーとチョコレートケーキなんだよ……」

 

「…?…もしかして、嫌いだった?」

 

「い、いや…そうじゃなくて…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── ここ、チョコレートケーキがオススメなんだって。アキトはコーヒーでしょ?───

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(同じだ…あの時と…)

 

 

 アキトは目の前にある皿を見て、そう思ってしまった。チラついてしまったのだ、過去の記憶が。前にも誰かとこんな風に、同じテーブルで、同じものを食べて、笑って。チョコレートケーキとコーヒー。今も、あの時の事を覚えてる。

 逸脱した毎日の中に覗く、小さな平穏の日々が。とても懐かしくて、とても楽しくて。

 とても────

 

 

「……あ、れ……」

 

「っ!? あ、アキト…、どうしたの!?」

 

「え…?あ、いや…」

 

 

 気が付けば、その瞳からは一筋の涙が伝う。それに気付くのは、シノンに指摘されてからだった。アキトは慌てて裾で涙を拭う。だが、とめどなく溢れてくる涙が、アキトを余計に掻き乱していた。

 

 

「な…なんでも無い。欠伸したら。思いのほか眠くてな…」

 

「……」

 

 

 そうやって取り繕う彼が、とてもらしくなくて。シノンの心が揺れ動く。いつもの彼なら、もっと余裕があって。強がって。偽って。

 

 ───本当に?本当に、それだけの涙なの?

 

 そう聞きたい。何がアキトをそうさせていているのかを、知りたい。だけど、それを聞いたら、彼が離れていってしまう気がして。シノンは伸ばそうとした手を、そっと下ろした。その拳はテーブルの下にあり、アキトからは見えていない。

 そのテーブルの下では、強く、ただ強くその拳を握り締めていた。目の前の、触れれば壊れてしまいそうな、目の前の少年を見据えて。

 

 

「─── アキト」

 

「な…何だよ」

 

 

 まるで何事も無かったかの様に振る舞うアキト。手元のコーヒーを口元へと持っていく。

 そんな彼の可愛さに、思わず笑ってしまう所だった。強がっている普段とは違う、彼本来の姿。心配させまいと、誤魔化しているのだろうか。恥ずかしいから、関わって欲しくないのだろうか。

 彼はずるい。誰かの命を守ろうとする意志が見え見えなのに、それを取り繕い、自分は関わらせない様に偽悪的に距離を開ける。アスナ達がどれだけ心配しているのか、彼は分かっていない。

 《ホロウ・エリア》での件も、アークソフィアで共に過ごす彼も、自分は、本当の彼を知らないから。

 

 だから、これは囁かな仕返し。

 

 

「…まるで、デートみたいね」

 

「ゴフッ!…ゴホッ、ゲホッ…、な、何言ってんだお前…!」

 

 

 飲んでいたコーヒーで噎せ返ったアキトは、カップを離して盛大に咳き込む。いつもは見せる事の無いその慌てぶりを見て、シノンはしてやったり、と顔に笑みを作った。アキトはシノンを睨み付けようと顔を上げるが、彼女のその妖艶な表情を見て、言葉が詰まった。

 アキトの事は、今はよく分からないけど、前に彼に言ったではないか。そういう事は、時間をかけて少しずつ知っていくものだと。

 だから。

 

 

「さ、食べましょう。ここのケーキ美味しいんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────強く、なりたい。

 

 

 ただ自身の過去を乗り越えるだけの強さじゃない。誰かを守る事が出来る程の、そんな強さが。

 

 

 立ち止まっていた過去から立って、歩き出す為の力が。

 

 





アキト「…何これ美味い」

シノン「ね?言ったでしょ?……少しもらいっ!」

アキト「あ、テメッ、ふざけんな!」


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Ep.47 変わりつつある心


ネタです、はい。
まあ原作とそんなに変わらないので、知っている方には暇なストーリーになるかも知れません。
少し曖昧な部分もあり、文章も軽めです(手抜きじゃないよ?)
ご了承くださいませ。

それと、最近携帯の状態が悪く、誤字が目立ちます。誤字修正機能での指摘、それでも分からなければ感想で書いていただけたらと思います!
手間をかけてしまってすいません。

ではどうぞ!



 

 

 エギルの店に集まるには丁度良い時間帯である夕暮れ時。

 今日この店の中にいるメンツに、新しい顔触れがあった。

 

 

 

 

「じゃあ今度、皆で買いに行こうよ!」

 

「良いわねー、いつにしよっか?」

 

「あたしはいつでも大丈夫ですよ!」

 

 

(…いつの間にあんなに仲良くなったんだろう…)

 

 

 エギルの店でいつも座っているカウンターから見て右のテーブルの方向へと、アキトの視線が動く。そこにはいつものメンバーと、加えてストレアが座っていた。何やら皆で談笑している様で、男性陣からすれば目の保養間違い無しだった。

 

 ストレアは初めて会った時から不思議な雰囲気を纏う少女で、アスナ達とのファーストコンタクトにおいても、彼女達はそのストレアの自由奔放な態度に付いて行けてなかったのを思い出す。

 だが今はそれとは正反対と言っても過言ではないほどに、彼女達の仲には蟠りが存在していない様に見えた。話に花を咲かせ、皆が笑みを作る。その中心にいたのは、間違い無くストレア当人だった。

 実際、アキトが知らない所でアスナ達は何度かストレアとの邂逅を果たしていたらしく、今ではすっかりグループの一員と化しており、何ら違和感は無い。初めからそこにいた気にさえなってしまっている。彼女達も、無名の割に高い隠蔽スキルに舌を巻いており、神出鬼没のストレアに毎度毎度驚かされていたらしい。だが、彼女本人には悪気は無く、とても憎めない。それどころか彼女の性格は、キリトの死という大きな悲しみを背負った彼らにはとても温かみのあるものに思えただろう。

 

 そんなストレア自身にも秘密は多い。先程挙げた隠蔽スキルの高さ。攻略組であるアスナ達でさえ気付かないレベルという事は、彼女らに匹敵する実力者という事でもある。圧倒的に女性プレイヤーが少ないこのSAOなら、否応無しに有名になる筈なのだ。

 

 実際、ここにいる女性陣達は、76層以降のプレイヤーなら知らない者はいないのでは無いだろうか。

 アスナは言わずもがな、76層以前においても攻略組の紅一点として活躍した時の名声が今でも浸透している。

 

 シリカは極めて珍しいフェザーリドラを初めてテイムしたビーストテイマーだ。そもそも、ビーストテイマーという時点で既に珍しい為、その上女性とあれば、名が知れ渡るのも自明の理だった。

 

 リズベットも、この世界じゃ珍しい女性鍛冶屋、それでいてマスタースミス(元)だったのだ。スキルの鍛え直しをしている今はそれほどではないらしいが、リズベットの武器を求めて店に足を運んだ者も少なく無いだろう。

 

 リーファは76層到達後間もなくして、フィールドの森に現れる妖精キャラとして巷で噂になっていた。特徴的な耳や背中の羽の事もあり、現実世界の容姿だとは思えないのも仕方無い。

 

 シノンはアークソフィアの転移門真上から、見た事も無い登場の仕方をしたという事で、当時は物凄い人集りだったらしいが、今では別の事が原因で注目を集めている。

 それは言うまでもなく、ここに来て新しく発見されたエクストラスキル《射撃》である。出現方法は不明で、彼女以外会得した者はいない。現状、ユニークスキルとして扱われ、この数日シノンは街を歩く度に注目されている。といっても、噂もあまり浸透している訳では無いので、アスナ程有名という訳でもない。

 因みに《射撃》スキルの事は、シノンと訓練をしている所を、買い物の為に歩いていたアスナ達とばったり鉢合わせしてしまった事でなし崩し的にバレた。リズベットは見た事も無い武器に目を光らせており、アスナやシリカ、リーファもシノンの持っている弓に興味津々だった。

 ユイだけは何故か不安そうにこちらを見上げていたが。

 

 

 この様に、女性が実力者であれば、それだけで有名足り得るのだ。だからこそ、ストレアという存在が異質に思えてくる。考え過ぎなのかもしれないが、不安要素は少ない方が良い。

 

 

「……」

 

 

 だが、アキトにはもう一人、気になっているプレイヤーがいた。

 そのプレイヤーの行動や様子を見て、なんとなくではあるが、違和感を覚えていたのだ。

 アキトはそのプレイヤーに視線を動かそうと、手元のカップに戻していた視線を今一度動かし────

 

 

 いつの間にか隣りに座っていたユイのところで、その視線は固まった。

 一瞬だけ驚いたが、すぐにその困惑も霧散した。ユイはこちらではなく、別のテーブルを眺めていたのだ。アキトはユイの見つめる先に顔を向けると、そこにはプレイヤーが数人集まって、トランプゲームで賭け事をしていた。

 ユイは興味があるのか、思いの外深く見据えている。アキトは彼らのやっているゲームを遠目で確認すると、賭け事には向いているゲームである事に納得した。

 

 

「…ポーカーか」

 

「ポーカー……?」

 

「トランプゲームの一つでな、5枚のカードの組み合わせで役を作り、得点を競うゲームなんだ」

 

 

 ユイの疑問に、カウンターの向こうのエギルが答える。アキトは彼らから視線を外し、飲んでいたココアのカップを手元で遊ばせる。

 

 

「アキトさんはやった事ありますか?」

 

「そう…だな…、うん。あるよ」

 

 

 まだ父親が生きていた頃、今の家族達と集まって遊んだ事があった。今はもう取り戻せる筈も無い、懐かしさに浸る事も無い、浅いものへと化している気がしているが。

 エギルはユイの反応を見ると、アキトに向かって笑みを作る。

 

 

「ポーカーをやるって言うんなら、付き合ってやっても良いぜ」

 

「別に良い、興味無いし」

 

「ユイちゃんにどんなゲームなのか見せるのも良いかもしれないぜ」

 

「はい、私気になります!」

 

「……」

 

 

 そのセリフ、ユイ自身の髪型も相成って本人にしか見えないんだが(震え声)。

 エギルはいつの間にか取り出したトランプを、アキトの前にポンと置いた。エギルは得意気にアキトを見下ろし、ユイも期待の眼差しを向けていた。

 すると、それを聞き付けたのか、ストレアがこちらに身を乗り出して来ていた。彼女達の会話は一区切り付いた様で、何ともまあタイミングの良い事だ。

 

 

「なになに、こっちでもポーカーやるの?だったらアタシも入れて!」

 

「おお、構わないぞ。人数は多い方が良いからな」

 

「ハイハイ!あたしもやるわ!」

 

 

 ストレアの後ろから、リズベットが手を挙げてそう答える。皆もポーカーをしていた彼らに当てられたのか、こっちでポーカーをやるという事に興味大ありといった具合だった。

 

 

「私も参加します!」

 

「あたしもやります!」

 

「きゅるるぅ♪」

 

 リーファやシリカも続いて手を挙げる。その隣りで、シノンやアスナも挙手を並べた。SAOは娯楽が少ない。人が多ければ、それだけで楽しめるだろう。

 逆にアキトは、完全に逃げるタイミングを失って、バツが悪そうな顔をする。そんな彼の事など考える筈も無く、ストレアが畳み掛ける。

 

 

「ねぇねぇ、勝ったら何が貰えるの?賞品は?」

 

「そういや考えて無かったな……店のメニューから何か一品奢るってのはどうだ?」

 

「そんなの全然嬉しくないよー!」

 

「酷い言われ様だな……」

 

 

 ストレアの悪意の無いであろう言葉に、エギルはガックリと肩を落とす。普通ならお金を賭けるのだが、後々揉め事になるものは避けるべきでもある。何より、ユイが見てる所でそんな賭博行為をする事も、道徳的に考えて良くない。

 

 

「じゃあよ、勝った奴は負けた奴に好きな事を命令出来るってのはどうよ?」

 

 

 その声のする方へと、全員が顔を向ける。そこには腕が天高々と聳え立つ、クラインの姿があった。どうやら参加の意気込みは高い様だが、その女に節操の無い見た目と性格が、この場の女性陣を警戒させていた。

 例によって、リズベットがまた呆れた様に呟いた。

 

 

「またそれ?アンタってホントそういう所ブレないわね…」

 

「前回のピザでオレ様は学習したかんな!もう今回という今回はガチでやる!やってやる!」

 

「…まだ賞品がそれだとは決まってないんですけど…」

 

 

 クラインの潔さに、リーファが苦笑いを浮かべる。アスナも同様の笑みを浮かべた後、アキトの隣りに座るユイの方へと赴き、その瞳を見つめた。

 

 

「ねぇユイちゃん。ユイちゃんだったら、ご褒美は何が欲しい?」

 

「ご褒美、ですか?」

 

 

 アスナのその考えを察したのか、クライン以外はその行為を見て納得し始めた。確かに、先入観が少ない子どもに決めて貰うのが一番良いかもしれない。それに、優しいユイが決めた賞品なら、どんなものでもきっと皆が楽しめるものになるだろう。

 だがユイは、自分が欲しいご褒美を中々口に出さない。両手を胸の前でモジモジと絡ませながら、その顔はほんのり赤く染まっている。

 そしてチラチラと、とある一点、否、とある一人に視線が動く。

 

 

「え、えっと…」

 

 

 ───嫌な予感がした。

 

 

(……え、待って……違うよね?……俺の事見てる訳、じゃ、無いよね…?)

 

 

 そう心の中で誤魔化しても、目の前の事象は変わらない。ユイは明らかに、アキトの方を見ていた。その頬は段々と赤みが増しており、何を言おうとしているのか、なんとなく想像出来る。

 具体的には分からないが、これはアレだ。きっと、アキトのこの場から離脱する術を断ってしまう様な、そんな願いの様な気がする。

 アキトはその席から離れようと、ゆっくりと椅子から腰を上げた。

 

 だが、もう遅かった。ユイは勇気を振り絞って、自身の気持ちを打ち明けたのだった。

 

 

 

 

「あ…あ、アキトさんを一日独り占め出来たら、とっても嬉しいです!!」

 

 

 

 

 ピシィッ──と空気が割れる様な、何も無い空間に亀裂が入った音が聞こえた気がした。文字通り、この場にいる全員が固まった。

 彼女達は皆、その驚きの発言をしたユイとアキトを交互に見て、わなわなと唇を震わせていた。アスナに関しては手に持っていたマグカップを地面へと落とし割ってしまう始末。

 先入観どころか、私情挟みまくりのユイの望むご褒美。彼らは驚きと困惑と、それでいて沸々と煮え滾る何かを感じた。

 当のアキト本人も、そんな直接的な願いだとは思わなかった為、その体が石の様に固まっていた。メデューサの能力以上に衝撃が大き過ぎたのだ。

 そんな中、漸くアスナが口を開いた。放たれた言葉には、怒気が含まれているように聞こえるのは、きっと気の所為じゃない。

 

 

「…アキト君…ちょっと話があるんだけど…?」

 

「い、いや待て、これは違うだろ…」

 

 

 アキトも珍しく動揺を隠せない。取り繕おうにも、リズベットやクラインがその肩をガッと掴んで引き寄せる。顔を近付けて、ユイに聞こえない様に小声で喋り出す。

 

 

「ちょっとちょっと…アンタ随分好かれてんじゃない、惚れられちゃってんじゃないの~?」

 

「お前オレには条例だの犯罪だの言っておいて人の事言えねえじゃねえか!」

 

「そんな訳無いだろ…」

 

 

 普段の嫌われキャラは何処へ行ったのだろうか。アキトも内心かなり困惑しており、正直それどころじゃない。まさかそう来るとは思ってなかった。

 斯く言うリズベット達も、冷やかしてはいるものの、このユイの反応は意外だった。今まで確かに、アキトとの距離を縮める為にユイに協力してもらっていた事は否めない。だが、ユイのアキトへの思慕がここまでだと、一体誰が想像出来るだろうか。

 最早冷やかすべきなのか危ぶむべきなのかさえ分からなくなってきた。ユイ本人は恥ずかしかったのか、その発言をしてからずっと、赤くなった顔を両手で覆っていた。

 あまりにも予想外過ぎるユイの乙女な反応を見て、アキトとストレア以外のメンバー全てが共通の答えに行き着いていた。

 

『全て、アキトが悪い』と。

 彼らは一斉にアキトを見つめる。

 

 

「な、なんだよお前ら…」

 

 

 彼ら、特に女性陣達からの視線が熱い。決して良い意味では無い。勿論冷やかしもあるが、その瞳からはロリコンだのケダモノだの変態だのと、不名誉過ぎるニックネームを頂戴した気がした。特に、アスナとシノンからはそれが強い。クラインやエギルも、その顔を破顔させ、にんまりとしていた。ウザイ。

 慈悲は無い、多勢に無勢。

 おいおいなんだよこの数は、これじゃあミーの負けじゃないか…。

 

 

「良いじゃん良いじゃん!賞品はそれに決定ね!」

 

「おいふざけんな」

 

 

 ストレアが出してくれたのは助け舟でも無ければ泥舟ですらない。このまま賞品がアキト独占権になってしまう。逃げるタイミングも完全に失い、最早ゲーム参加の流れだった。

 

 

「…まあ、単純にお金賭けるよりかは面白いわよね」

 

「そうですね、アキトさんを一日連れ回せるって事ですもんね」

 

「……」

 

 

 意外にも賞品にノリノリな彼女達。あくまで遊びの中の賞品なので、あまり深くは考えていないのかもしれないが。

 独占権だの何だのとくだらないの極みなのだが、その賞品が自分自身だとあれば話は別。アキトは観念した様に席につき、円テーブルの一席に腰掛け、カウンターの向こうにいるエギルを睨み付けた。彼女等も皆円テーブルを囲うように座り、ポーカーの流れに。

 ユイは漸く火照りが冷めたのか、アスナと隣りに立った。途中アキトと目が合うと、サッと目を逸らし、アスナの方へと視線を移していた。

 

 その中、ディーラーを務めるらしいエギルが、アキトのシノンの間に立ち、コホンと咳払いをする。

 

 

「ポーカーって話だったが、人数が多いからな。ちょっと特殊なルールを使おう」

 

「特殊なルール?」

 

 

 リーファが首を傾げるのを横目にした後、エギルは周りを見渡して説明を始めた。

 

 

「カジノでよくプレイされているテキサス・ホールデムを元にしたポーカーをするのが良いだろう」

 

「…テキサス…ホールデム?」

 

「プレイヤーには2枚のカードが配られる。そして場には5枚のカード。自分の手札との合計7枚で、一番強い役を作るんだ。手持ちのチップを使い切れば脱落、一番多く稼いだ奴が優勝だ」

 

「成程…」

 

 

 各々が知らない単語に質問を入れながら、頭の中で整理していく。その間、アキトは配られた形だけのチップとカードを見つめていた。

 トランプなんてものがこの世界にある事なんて知らなかったな、と意外に思う反面で、もっと早く見付けられていたのなら、と半ば後悔の念を抱いた。

 

 

「これ以上やりたくなかったらFold、受けて立つ時はCall、賭け金を上乗せしたい時はRaise!と叫ぶんだぞ。そうだな……トランプは2セット使うか」

 

(何故こんな事に…)

 

 

 未だそこに食いつくアキト。そんな中、各々が今から始まるゲームに楽しみを抱き始めていた。

 ユイは今から始まる自分にとっての未知なるゲームに心躍らせ、ピナもそんなユイの頭上で主人の事を見つめていた。

 

 

「…ルールは分かったな?じゃあ、ゲームを始めよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「…フォールド」

 

「私もフォールド」

 

 

 たかがポーカーでこの緊張感は何なのだろうと、周りのプレイヤーは思った事だろう。まるでボス戦の様な雰囲気が漂う。

 エギルはテキサス・ホールデムだと言ったが、実際、ポーカーを初めてやる人にさせるには難しいところもあり、純粋なテキサス・ホールデムではないのだが、それでもこの張り詰めた雰囲気が霧散する様子も無い。

 時計回りに勝負するかを決めていき、現在シノンまで全員フォールド、勝負を降りたのだ。

 まあ最初だからというのもあり、様子見の意味も兼ねていただろう。だがここで、生粋の馬鹿が現れたと、後になってアキトは思ったという。

 

 

「全賭けのオールイン!」

 

「は?」

 

 

 リズベットのいきなりの発言に、アキトは不覚にも声を出してしまう。周りも予想外過ぎたのか目を丸くする。まさか開始序盤からチップ全賭けなどするとは思えない。

 だが逆に考えて、序盤から勝負を仕掛けてきたという事は、それだけ良い役が出来た事と同義だった。リズベットは両手を重ねて懇願の構えを取っていた。

 

 

「これで勝てなかったら脱落なんだから、何とかなってよー…!」

 

 

 リズベットが全賭けする程の役ならば、勝負をするの憚られる行為。だが、その勝負に乗ったプレイヤーがたった一人。

 

 

「コール!」

 

「コール!?」

 

「勿論だよ。ふっふっふっ」

 

 

 ストレアのコール発言に、リズベットは目を見開く。現時点ではまだチップの量は均等、つまりチップ全賭けに対して、チップ全賭けで挑むという事だ。そのストレアの気合いに、周りのメンツも多少だが押され始める。

 エギルは周りを見渡し、もう他に勝負する者がいない事を確認すると、ストレアとリズベットを交互に見やった。

 

 

「Showdown、それじゃあ手札を見せてくれ」

 

 

 焦った表情のリズベットに対して、自信満々に笑みを作るストレア。互いに自身の役を開示する。

 その結果────

 

 

「じゃじゃーん!」

 

「ストレート!?」

 

 

 リズベットはストレアの持ち役を見てさらに驚きを重ねる事になった。ストレアは喜びを控えめに抑え、リズベットに諭した。

 

 

「あはは、残念でした♪Kのスリーカードも強いんだけどね~。でも勝ちを確信しちゃダメだよ?何事にも失敗はあるでしょ?」

 

「く、悔しー!」

 

 

 リズベットは本当に悔しそうに歯噛みしていた。そう言うストレアは、初めから勝ちを確信していた様に見えたけどな、と思うアキトだった。

 リズベットは序盤にして全賭けというアホをやらかし早くも脱落。嚙ませ犬も良いところだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うーん…ピナ、どうしたら良いと思う?」

 

「きゅる…」

 

「思い切ってレイズにするべきかな?普通にコール?」

 

 

 暫くすると、今度はシリカが手持ちの役と周りの反応を見て、勝負するかどうか迷っていた。賭け金の上乗せをしようかどうか迷っている様だった。現在ベットされている金額ならコールして負けたとしてもまだ戦えるが、勝負に出てレイズした結果負けてしまったら、シリカは脱落という事になってしまう。

 シリカはウンウンと首を捻り、ピナと相談を重ねる。

 

 

「うーん…どうしよう、順番が来ちゃうよ~…」

 

「次、シリカの番よ」

 

「は、はいっ、えーと……レイズで!」

 

「……よし、全員終わったな。じゃあ手札を見せてくれ」

 

 

 シリカは悩んだ末に、賭け金の上乗せを宣言した。それを確認し、エギルが指示を出す。現在勝負に出ているプレイヤー達が各々の役を見せ合い、結果、シリカの負けが決まった瞬間だった。

 

 

「ああっ……やっぱりダメだったぁ……負けちゃった……」

 

「きゅる…」

 

「しょんぼりしないで、ピナのせいじゃないよ。負けちゃったのは残念だけど、あたしは楽しかったよ」

 

「きゅるる!」

 

 

 ピナはその言葉で元気を取り戻し、シリカに擦り寄る。彼らの絆も深まった事だろう。

 アキトからすれば、何故みんなこのゲームをガチでやってガチで悔しがっているのか不明であったが。自分の独占権で何させようとしているのだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、勝負はまだ続く。各々のチップが減っていく中、今回の勝負ではみんな勝負に消極的で、誰も賭けていない状態だった。そのまま順番が回って来る中、リーファは自身の役と睨めっこをかましていた。

 

 

「うーん…チップも減って来たし、今回はみんな消極的だし……思い切って勝負に出るかな!」

 

 

 リーファは自身の持っていたチップをテーブルの中心へと持っていく。

 

 

「ベット!」

 

「コール」

 

「えっ!?」

 

 

 リーファの苦渋の選択であるベットに、レイズ即答を宣言したのは、今回の賞品枠であるアキト本人だった。リーファも予想してなかったらしく、その目は驚愕に満ちている。

 シノンはそんなアキトを見て挑戦的に笑う。

 

 

「あら、さっきまでフォールドばかりだったのに、良い役でも出来たのかしら」

 

「……」

 

(……読めないわね)

 

 

 アキトはシノンの言葉にも顔を変える事は無い、完璧なポーカーフェイスを見せつけてくれた。表情筋死んでるんじゃないかと思う程の無表情。いや、集中力の賜物かもしれない。

 実際は内心冷や冷やである事を周りは知らない。強い役ではあるが、もしかしてという事もある。リーファはこんな妖精の様な可愛らしい見た目をしていて、実は超高校級のギャンブラーである可能性だって否めない。

 

 

「Showdown」

 

 

 エギルの発音の良い合図に、アキトとリーファの役が開示される。彼らもアキトの役が気になったのか、身を前のめりにしてカードを覗く。

 リーファがツーペアであるのに対して、アキトの5枚のカードの内の4枚は、全てQのカードだった。彼らは全員その目を見開いた。

 

 

「フォ、フォーカード!?あーん負けたー!」

 

「な、なんて幸運…!」

 

「オメー、スゲェガチじゃねぇか…」

 

 

 フォーカード。同じ数字のカード4枚で出来る役であり、強さのランク的にはかなり高い。二人の戦績は圧倒的な差となって表れた。リーファは驚きで開いた口が塞がらない。

 因みに周りはアキトの勝負所の良さと大人気の無さに若干引いていた。

 

 

「…賞品にされてんだから当たり前だろ…」

 

「ううう……くやしい……」

 

 

 脱落が決定したリーファは落ち込む様に肩を落とした。その横で、アキトは安堵の息を一息吐いていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 更に時間が経つと、今度はクラインの顔がニヤけた。

 手持ちのカードとアキトを交互に見てその表情を緩ませている。アキトはそれを見て軽く引いていた。キモい。

 

 

「ふっふっふっ……来たぜ来たぜ、俺の所にも運が巡って来たぜ!勝負だアキト!オールイン!」

 

 

 クラインは手持ちのチップ全てをテーブルの中央へと持っていく。余程自身があるのだろうかと、アキトは考える。だが勝負と言われて降りる訳にもいかない。

 最悪手持ちの役も悪くない。周りも皆フォールドしており現在ベットしているのはクラインのみ。

 

 

「……」

 

「オレの手札は最強だ、アキトに勝ち目はねぇぞ。降りるなら今のうち──」

 

「レイズ」

 

「なんで降りねぇんだよー!?」

 

「は?い、いやお前が勝負だって…」

 

 

 最初と言ってる事に齟齬がある。クラインは慌ててこちらを凝視していた。アキトは意味不明過ぎるクラインに首を傾げるが、エギルの合図で役を開いて見れば、成程、クラインの威勢はブラフだったのだと理解した。それにしたって4のワンペアでオールインとか、リズベットよりも酷い。

 因みにアキトはAのスリーカード。圧倒的勝利だった。クラインは簡単に脱落の道辿るのだった。

 

 

「……くっそーーー!お前にまで良いところを全部持っていかれるのかよぉーーー!!」

 

「…誰と比較してんだよ」

 

 

 そのクラインの心の叫びを軽くいなし、次のゲームへと進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……」

 

 

(…何その顔)

 

 

 既に勝負を降りたアキトは、チラリとアスナの顔を見つめる。

 鋭い視線で手持ちのカードを見つめるアスナ。彼女からは、真剣そのものを感じる。この勝負にどれだけ本気なのかが理解出来た。

 いや、やっぱり理解出来ない。何故賞品がアキトであるこのポーカーでそれ程までに真剣味を帯びた試合運びをしているのだろうか。

 

 

(なんなの…アスナ、俺に何させる気なのさ……)

 

 

 それが予想出来ない分余計に怖い。今まで自分が彼女にやってきた事を考えると、一日中扱き使われる、とかそんな内容だろうか。絶対に嫌だ。そもそも、一日中アスナと一緒だなんて考えただけで鳥肌が立つ。

 

 

「…オールインよ。うん、間違い無い」

 

「コール」

 

「なっ…!?」

 

 

 考えに考え抜いたであろうアスナのオールイン、全賭けというだけで彼女の役がそれなりに強いであろう事を想像させるこの状況で、シノンは怯える事無くコールを宣言した。

 アスナはその間髪入れない彼女の即答に目を丸くする。シノンの口元には自信の表れであろう笑みが零れていた。

 結果、アスナがストレートなのに対し、シノンはフラッシュ、僅差でシノンの勝利だった。

 

 

「クラブのフラッシュ。私の勝ちね」

 

「そ、そんな……」

 

 

 残念そうに笑うアスナを横目に、今日何度目か分からない安堵の息を吐く。自分が賞品である上にこの場にいる全員が敵なのだ。そのプレッシャーは大きい。遊びだけど。

 ストレアはそんなアキトとシノンを見て笑顔になる。

 

 

「やったー!これで残るはアタシとアキトとシノンの3人!とっとと優勝を決めちゃお!」

 

「……負けるつもりは無いわ」

 

 

 シノンとストレアは互いに火花を散らしており、アキトは怠そうな表情を見せる。既に脱落したメンバーは、そんな彼らを外側から眺めていた。

 

 

「あーあ、アキトを扱き使うチャンスだったのにな~…」

 

「そんなアキトさん、見てみたいですよね」

 

「が、頑張って下さいっ、シノンさん!」

 

「おい……」

 

 

 言いたい放題の外野を他所に、回収したカードを切ったエギルが、改めて口を開いた。

 

 

「……カードを配るぞ」

 

 

 エギルはストレア、アキト、シノンの順番に切ったカードを配っていく。段々とテーブルに溜まっていくカードを、アキトは何も言わず、静かに見つめる。周りのメンバーも固唾を呑んでその行く末を見守る。いつの間にか、見知らぬ顔のプレイヤー、先程までポーカーを遊んでいた者達まで集まって大所帯になっていた。

 

 

 

 

 ────ふと、思う。

 

 

(……どうして、こんな事……)

 

 

 何故ゲームに参加しているのだろうかと。思えば最初から、拒絶の意志が弱かった様な気がする。いつもなら、例え賞品に自分がなっていたとしても、その偽悪の態度で無視出来ていた筈なのに。ポーカーなんて娯楽、『興味無い』と拒否出来た筈なのに。いつもの様に、ユイに懇願された訳でも無いのに。

 今はこうして、キリトの仲間達とテーブルを囲んでいて。

 

 

「……おおーっ!これは最強のカードと言わざるを得ないよ!」

 

 

 周りに流され、ゲームに参加して、そして相手の思考を読もうなんて事を考える程に本気になっていて。

 いつの間にか、ゲームの勝負の一つ一つで緊張したり、安堵したりする自分自身がそこに居て。

 

 

「えーっと、どうしよっかなぁ……うん、そうだな、アタシはここでオールイン!」

 

 

 ずっと失くしてた、『楽しい』という感覚が、フィリアの時にも感じた高揚が、胸の内から湧き立つ様で。

 

 

「コール」

 

 

 キリトの仲間、協力関係、赤の他人、顔見知り、そんな言葉で片付けるべき相手なのに。自分の仲間じゃ、ないというのに。

 彼らのそんな笑顔を見て、思い出してしまう。自分にとっての全て、世界だった、かつての仲間達を。

 ずっと自分は、こんな笑顔を守りたかったのだと。

 

 

(…居心地の良さを、感じてしまってるんだろうか────)

 

 

 アキトは自分の手元のカードを見て、そして目を見開く。

 持っている7枚のカードの組み合わせで、今まで以上の役が出来る。先程のフォーカードよりも強力な組み合わせだ。

 

 

 

 

 ────これなら、勝てる。

 

 

 

 

 普段なら、きっと拒絶する。近付かれれば、離れようとする。ずっと過去に縋って生きてきて、それなのに過去の自分を否定する様な自分だったら。

 アキトはストレアとシノン、そして、周りのメンバーの表情を見る。皆が自分の答えを待っている。皆が自分を見ている。

 

 

「っ…」

 

 

 自分の仲間は、大切だったものは、かつての仲間だけだと、そう思った。アスナ達に近付けば、彼らが本当に過去のものになってしまう様な気がしていた。記憶が薄れていってしまう様な気がした。自分だけがのうのうと生きて、楽しんで、そんなのは罪だと思っていた。

 だから、独りは怖かったけど、一人を選んだ。

 だけど、かつての仲間が。キリトが、大切にしていたものを。守りたいと思うこの気持ちは、大切だという事と同義なのではないだろうか。

 欲しい世界があった。いるべき、いたいと思える世界が出来た。

 ずっと欲しかった、揺るがないもの。壊れる事のない明日が欲しかった。

 望んでくれたみんなの為に、望まれる自分になりたかった。

 

 

 ────自分は、また失ってしまうのだろうか。今度こそ、守る事が出来るだろうか。

 

 

 

 

「……コールだ」

 

 

 アキトは、震える声でそう告げた。

 それでも、この勝負に本気だという事を感じさせる、熱の篭ったその一言に、周りのメンバーは温かさを感じて、自然と微笑んだ。

 そんなアキトを見て、嬉しそうに笑うエギルは、最後の勝負になるであろうこの一戦の幕を開ける。

 

 

「Showdown」

 

 

 その合図と共に、ストレアがハイテンションで役をテーブルに開いた。

 

 

「じゃじゃーん!Kのスリーカードだよ!」

 

 

 ギャラリーから感嘆の声が漏れる。ストレアは勝ちを確信していた。だが、勝ちを確信してはいけないと、そう言ったのはストレア本人だ。

 アキトは手元の5枚のカードを、ストレアの役と対面する様に差し出した。

 その役の強さに、周りは言葉を失った。

全て同じマークで、順番に並ぶ数字達。

 

 

 

 

 

 

 

「ストレートフラッシュ……俺の勝ちだ」

 

 

 

 

『『『おおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!』』』

 

 

 一瞬で歓声が上がる。アキトの出したストレートフラッシュという役が出る確率はかなりのものだ。人数の問題によりトランプを2セット使っているにしても、その確率は依然低い。

 だからこそ、この役の強さがどれ程のものかは分かるだろう。アスナ達も目を丸くしており、アキトと役を交互に見ていた。

 

 

「ストレートフラッシュ!? そんな強い手札が最後の勝負に入るぉ!?」

 

 

 自信があっただけに、負けとあれば落ち込みもするだろう、ストレアは本当に残念そうな顔をしていた。

 

 

「はぁ…やっぱりアキトは凄いや。負けるしなかったんだけどなぁ……」

 

「…いや、それにしたってアンタ、ストレートフラッシュって…」

 

「かなりの確率…ですよね…」

 

 

 リズベットとリーファは途切れ途切れでそう話す。

 ユイはアキトの事を見て、その瞳を輝かせていた。

 

 

「し…シノのんは…?」

 

 

 アスナはハッと気付いた様にシノンの方へと視線を向ける。

 いつの間に『シノのん』なんてニックネームで呼ぶ様になったかはさておき、周りは未だに役を提示していないシノンへと注目した。

 シノンは、アキトの出したストレートフラッシュを見て、自身の役に視線を戻す。ギャラリーは一気に静かになり、その勝敗の行く末を見守る。

 だが正直、ストレートフラッシュが出てしまえば勝つのは不可能だろうと、誰もがそう思った。そんな強い役の前で自分の弱い役を見せるのは躊躇われる。

 

 シノンはふう、溜め息を吐くと、持っていた5枚のカードをテーブルに開示した。みんなそのカードに視線を動かす。

 

 

 

 

 

 

 ────そして、全員が目を疑った。

 

 

 

 

 

 

「……残念だけど────」

 

 

 

 

 

 その5枚のカードは、全てスペード。数字は下から順番に、10、J、Q、K、A。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「───私の勝ちね」

 

 

 

 

 

────最強の、ロイヤルストレートフラッシュ。

 

 

 

 

『『『おおおおぉぉおおぉおおお!!?』』』

 

『『『はあああぁぁぁあぁあぁあ!!?』』』

 

 

 驚愕と困惑で、その店は過去最大級に喧騒逞しい。自分達がやる場合では決して見た事が無いであろう、ファイブカードを除く、ポーカー史上最強の役。

 これにはアキトの組み合わせと重ねて驚いても不思議では無い。なんだ、このハイレベルなポーカーは、とテンションが高まらずには居られない。

 そんな中、固まるのはいつものメンバー達。絶句は勿論、シノンとアキト、そしてそれぞれの役を見て開いた口が塞がらない。

 当人であるアキトも、彼女とその役を交互に見て、苦笑せずには居られなかった。

どうやら、超高校級のギャンブラーはシノンだったらしい。

 

 

「っ……マジかよ……」

 

「勝ちを確信しちゃダメだって、ストレアが言ってたでしょ?」

 

「いやお前のそれ最強だから…」

 

 

 そう呟くアキトに、シノンは本当に楽しそうに笑った。驚いていた彼らも、ハッと我に返ったのか、笑顔でシノンに近付いていった。

 

 

「おめでとうシノン!凄いじゃない!」

 

「やりましたね、シノンさんっ!」

 

「おめでとうございます!」

 

「……ありがと」

 

 

 今何をしても負け犬の遠吠えにしか聞こえない為に、何も言えないアキト。今後いつの日かに、シノンに振り回される一日があると思うと、今から嫌になってくる。

 最初から拒否していれば、知らぬ存ぜぬで通せたのだが、勝負に参加してしまったのは自分自身で、自業自得だった。

 

 

 目の前の、楽しそうな彼らを見ると、そんな野暮な事も言えないな、心の中で笑った。どれだけ屁理屈を重ねても、自分自身を偽っても、きっと認めるしかなかったから。

 

 

(……楽し、かった…って……)

 

 

 久しく忘れていた、懐かしい感情を。

 

 

「…ねぇ」

 

「っ……な、何だよ……」

 

 

 突然横から声を掛けられて、見上げてみれば、自分を負かした少女が立っていた。シノンは未だ座っているアキトを見下ろすと、フッと笑みを浮かべた。

 

 

「今度、近い内に付き合って貰うから。私と、ユイちゃんと、三人で」

 

「は…ユイ?な、何で……」

 

「そもそも、アンタの独り占めを要求したのはあの子なのよ?だったら、ユイちゃんが一緒なのは当たり前でしょ。……それとも、二人だけの方が良かった……?」

 

「い、いや、そんな事は無い。三人で、三人が良い…!」

 

「……いつに無く必死なのが腹立つけど……じゃあ、よろしくね」

 

 

 シノンはそう言うと背中を向け、仲間達とハイタッチを交わす。見知らぬプレイヤー達も、そんな彼らに当てられたのか、ポーカーを始めようとしている連中も増えてきた。

 アキトは溜め息を吐くと、視界に映る全てがプレイヤーの笑顔で溢れているこの光景を見て、その瞳を輝かせていた。

 こんな光景を、ずっと守りたかった。これからも、ずっと守っていきたいと、そう思えるこの景色を、目に焼き付けて置くために。

 

 

 ずっと孤独を駆けていた黒い猫。

 今はまだ、周りを拒絶し、その牙を向く。だけど、『誓い』と『約束』を守る為に、今一度思い出そう。

 自分がここにいる、ここに来た目的を。

 

 

 きっと、強くなる。必ず、クリアする。

 いつか、みんなに誇れる自分になる為に。

 目の前の誰かを失わない為に、俺は強くなる。

 

 

 

 

「『今度こそ────』」

 

 

 

 

 

 アキトは再びそう誓い、その拳を握り締めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らによって、段々と溶けていく氷の心に気付かぬまま。




負けた彼らの、アキト独占権でしたい事。

リズベット : 《ホロウ・エリア》に連れて行って貰い、フィリアを紹介してもらうついでに、珍しい鉱石の採掘を手伝って貰う。

シリカ : ピナの強化素材集めに付き合って欲しい。普段はリズベットやリーファにお願いしている。

リーファ : レベリングと、必需品の買い物。

アスナ : ユイを誑かした疑惑で尋問(冗談)。ホロウ・エリアの自由探索。

ストレア : デート。

クライン : ホロウ・エリアでフィリアと三人でまた攻略をしたい。


ボツタイトル: 『ドキッ!美少女だらけのポーカーゲーム!』





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閑話 とある夢の予兆


お気に入りが1000件を越えたァ!マジかぁ!
嬉しいです、感無量(涙)

今回は一旦の、話の区切りです。文字数少なめ、読まなくても問題無いですが、読んでもらえたら嬉しいです!
まあ、訳分からん話なんで、首を捻って下さい(意味不)


 

────これが夢だと、すぐに分かった。

だけど、無意識に忘れてしまっていて。

 

 

ここが何処かと言われれば、この世界の何処かとしか答える事は出来ない。だが、それでも、何故かこうするべきだと思うから。

だから、今自分は走っているのだと、そう思うのだ。

 

 

「はぁ…はぁ、はぁ…くっ…」

 

 

ただひたすらに迷宮区に似た道を走る。デジタルな雰囲気を漂うその空間は、壁や天井の溝、線から一定の間隔で光が走る。まるで、何かが起動し始めるかの様に。

この場所に見覚えはある。かつて、大切なものを失った場所。

 

 

「なっ…!」

 

 

進めば進む程に、その道を獣が塞ぐ。こちらの行く手を阻もうとする。その種類も数も多く、とても無視出来るものでも無い。

背中のその黒い剣を、一気に引き抜いた。

その表情には、焦りと怒りが見てとれた。進行を妨げる奴ら全てに、憎悪の視線を向けていた。

 

 

「……邪魔を、するなあああぁぁあぁあ!!!」

 

 

その黒いコートを靡かせた少年は、周りのもの全てを斬り伏せる。砕き、抉り、削ぎ落とす。殺し方に形は無い。ただ、一瞬で絶命すればいい。

こんな事をしてる場合じゃない。自分は、もっと先へ、今度こそ。

斬って、斬って、斬って進む。自身の何かを失ってでも、前に進まなければならない理由があるから。

 

 

「間に合ってくれ────!」

 

 

約束したんだ、自分が助けに行くと。

誓ったんだ、自分が守ると。

その思いだけでこの足を動かす事が出来る。この意志だけでこの有象無象を斬り潰していける。

 

 

言ってくれたから、守ってくれと。

自分は、私のヒーローだと。

 

 

(だから────!)

 

 

目指すべき場所はただ一つ。今度は、間違えない。今度は、見失ったりしない。今度こそ、守ってみせる。

間に合え、間に合え、間に合え、間に合え。

 

 

それは、この世界にいるはずもない神に懇願するかの様に、切実な願いだった。

 

 

「っ…!」

 

 

目の前に映る光景に、思わずその瞳が開く。モンスターに襲われて、今にもこの世界から命を絶ってしまいそうな、大切な仲間達。その心に余裕が出来た。

まだだ、まだ間に合う。この手を伸ばせば、届く筈。少年は、その腕を懸命に伸ばして走る。

 

 

だが、次の瞬間、その内の一人、ケープを羽織ったプレイヤーが、光の破片となって上空を舞った。

 

 

「っ…ダッカー!」

 

 

その少年は、大切な人の散る呆気なさに、その瞳が揺れ動く。心臓を握り潰されそうな不快感と、悲壮感に苛まれる。

けど、まだ、まだ助かる人がいる。絶望でこの足を止めてはいけない。

 

 

「ササマル、テツオ…!」

 

 

だが次の瞬間、視界からまた二人、大切な存在が消滅して。消えゆくその時の表情は、今から死ぬなど考えられないものだった。

少年は更にその足の速度が上がる。意識的か、無意識的か。けど、もうやめてくれ、もう消えないでくれ、消さないでくれと、そんな思いが強くなっていた。

 

 

「動けっ…はや、く……速く動けよ…!」

 

 

その命令を、その懇願を、言葉に込めて足に放つ。苦しくとも、辛くとも、痛くとも、この足を止めない為に。

けど────

 

 

「……!ケイ、タ……ケイタ!」

 

 

気が付けば、また一人。こちらを見て悲しげな笑みを浮かべ、やがて消え去った。自分を認めて、手を差し伸べてくれた恩人。少年の足は更に加速する。

だが、それでも間に合わない。

 

 

「っ…!?……嘘、だろ……!?」

 

 

視界に映るのは、あと二人。少年と同じ様に黒い装備を纏ったプレイヤーと、槍を持った少女。二人はこちらを見て、寂しそうに笑った。

 

 

「き、キリト!サチ…!」

 

 

近付いても近付いても、段々と塵になっていく二人。彼らは未だ少年を見据えていて、申し訳なさそうに口を動かした。

 

 

『ごめん』

 

 

「待って……待ってよ……待ってくれ!」

 

 

その少年は走る。なのに、その距離は縮まる気がしない程遠く感じた。

もう一歩、あと一歩。そう思って伸ばした手も、全く届いていない。

まるで、お前の手は決して届かないのだと、断言された様に。

 

 

そしてその通り、少年の出したその手は間に合う事無く、空を彷徨った。二人は少年が辿り着く前に、光の破片となったのだ。

 

 

「あ……あ、ああ……ああぁぁあ……ああああああああぁぁぁぁあああぁああああぁぁあぁあああぁぁぁああああ!」

 

 

その光が消えてしまわぬ様にと、必死に手を挙げ掻き集めようとする。だが、手に取った瞬間、それは溶けて消えていく。まるで少年を嘲笑う様に。

少年はその場にへたり込む。一見周りを見れば、宙に舞う光が幻想的に見えた。だがこれは、死によって作り上げられた世界。決して感動の涙は出ない。

これは、哀しみから出る涙だ。

 

 

「…また……俺、は……僕は……!」

 

 

結局こうなるのだ。何度やっても救えやしない。伸ばしたって届きはしなかったのだ。

少年────アキトの頬からは、涙が滴り落ちる。留まる事は無く、体は震える。誰もいない、たった一人になったこの空間で、絶望の叫びを上げた。

だが、ふと後ろを向けば、また新たに守りたいと思った彼らが立っていた。

 

 

「…シリカ……リズベット……なんで…」

 

 

震える声でそう呟く。どうして、なんで、こんな所に。

その名を呼んだ瞬間、二人の体は砕け散った。先程の彼らの様に。

アキトは、その感情を露わにした。

 

 

「う、そ……ま、待ってくれ…!」

 

 

別の方向を見れば、またキリトの仲間達が。新たな知人達が。

エギルやクライン、リーファにシノン、ストレアにフィリア。みんなこちらを見て、笑って消えていく。手を振っている者もいて、それがアキトを更に焦らせる。

 

 

「待って……待って……頼むから、待ってくれよ……!」

 

 

力無く座っていたアキトは、力を振り絞って立ち上がる。振り向けば、そこには親友の想い人と、その娘が立ち尽くしていた。

 

 

「『ユイ…アスナ…!待ってろ、今…!』」

 

 

力強く地面を蹴り、視線はただ目の前の二人だけに集中する。

このまま彼らを死なせてしまったら、認めるしかなくなってしまうから。自分はこの世界で、何も出来ない人間なのだと。

『誓い』も『約束』も果たせないのだと、感じてしまうから。

 

 

「そこを、どけぇ!」

 

 

突如地面から湧き出る様に現れたモンスターを一撃で沈める。ダメージを与えられる事無く躱し、いなし、斬り伏せる。

その攻撃は、もう()()()と言わんばかりで、まるでどう来るのか()()()()()かの様だった。

 

 

キリトの大切な人、アスナとユイ。

二人だけは、必ずこの手で────

 

 

「っ────、………………え」

 

 

だが、モンスター全てを塵と化したその視線の先には、無の空間が広がっているだけだった。

何も無い。プレイヤーも、モンスターも。光の粒子が上空へと飛び去り、その場所には、ただ『無』という事実が残るだけだった。

 

 

「……アス、ナ……ユイ……?」

 

 

声に出してその名を呼んでも、返ってくる事は無かった。無音の部屋に、アキトの声が響くだけ。

何故二人がいないのか、本当はもう分かっていた。分かっていたけど、認めたくなかったのだ。

 

 

「…どこ、行ったんだよ……揶揄うにもタイミングが、ある…だろ……頼むよ……冗談は、やめてくれよ……」

 

 

髪をくしゃくしゃにしながら、言葉が溢れる。その場にいるのは、たった一人で独りの剣士。

何かを守ろうとした結果、アキトに残されたものは何も無かったのだ。

瞳から零れ落ちる涙は、重力に逆らう事無く地面へと落ちて弾けた。

 

 

「……僕は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───どうすれば良かった?

 

 

「……僕さえ、いなければ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───どうスレば良かッタ?

 

 

「独りでも……生きられる強さがあれば……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

───ドウスレバ良カッタ?

 

 

 

「……強さがあれば」

 

 

 

アキトは、力無く立ち上がった。

本当はずっと思ってた。この世界に来る前から、求めていたのは一つだけだった筈なのだ。

なのに回り道ばかりして、段々と遠のいていった様に思えたのに、本質はすぐ側にあって。その居心地の良さのせいで、今までそれに気付く事など無かったのだ。

 

 

独りでも生きられる強さが。

守りたいもの全てを手に入れる力が。

不運や不幸を蹴散らす力が。

この世界に抗える力さえあれば。

統べる力が、この手にありさえすれば。

 

 

欲しかったものは、たった一つ。自分にとっての、大切だと思える、温かで、それでいて帰る場所と思える空間。

それは誰のものでも無い、自分のものだった。

 

 

 

そう、俺は、僕は────

 

 

 

 

 

「────が欲しい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『─── ソレガ、君ノ望ミカ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

●○●○

 

 

 

「っ……!?」

 

 

勢い良く、その体を起こした。瞳孔は開き、呼吸は荒く、汗が目立って見えた。

辺りを見渡せば、暗がりの広がる空間。殺風景だと感じる中にも、大きなベッドに机もあり、生活感が漂う場所だった。窓を見れば、外はまだ暗い。時間を見れば、まだ朝と呼ぶにはあまりにも早い時間。

既視感の強いその場所は、いつも睡眠に使っているエギルの店の宿屋だった。

 

 

「はあ…はあ…はあ、……夢、か……」

 

 

アキトはそう呟くと、安堵したのか、大きく息を吐いた。そして、袖で額の汗を拭った。こんな嫌な気分で目が覚めたのは久しぶりだった。

 

 

「……」

 

 

夢を見た。このまま進めば辿り着くかもしれない、そんな光景を。

決して有り得ない訳じゃない、そんな夢。いつか先の未来を想像させる、そんな悪夢。

正夢になる可能性を感じる、そんな夢だった。

 

 

「……ははっ」

 

 

何度も何度も見た筈の夢に、初めてアスナ達が現れて。その夢は、アキトの失うものを増やしていく。

大切だと認めてしまいそうになったその瞬間に、こうして夢に出てくるなんて、この世界の神様とやらは随分非情な奴だなと、そう割り切って笑うしかない。

アキトは小さく冷笑し、その片方の手を額に持っていった。

 

 

「……くそっ……なんて夢だ……」

 

 

かつて、求めた世界があった。それはとても小さくて、傍から見れば価値の無いものに見えたかもしれない。

今はもう存在していないけど、そこに確かに存在していて。それを過去にしたくなくて、ずっと弱かった自分を否定してきた。

 

ずっと英雄と比較して、その度に弱い自分に幻滅して。だけど、それでも良いと感じていたのだ。ただ、大切な人を守れるならば、と。

万人の味方じゃなくていい。自分はずっと、『誰かの為のヒーロー』になりたかったのだ。

あの世界を守る、ただそれだけの存在に。

 

 

「……させない」

 

 

アキトは静かに、その拳を握り締める。

あんな夢の様な光景を、二度現実のものになんてさせない。

正夢になんかさせてやらない。絶対に守るのだ。彼らの笑顔と、あの空間を。

 

 

アキトは音を立てずにベッドから降り、装備を整える。まだ早朝とよぶには早い。だけど、じっとなんてしてられなかった。

英雄の剣を背負い、その扉に手を掛ける。

 

 

「……」

 

 

ふと、部屋へと視線を戻す。

何も無い空間、夢で見た虚無な場所と似たものを感じた。

 

 

「……行ってきます」

 

 

決して帰ってくる筈の無い挨拶。だけど、アキトは笑みを浮かべてそう告げると、扉を開けて出ていった。

その黒いコートを靡かせて、みんなで帰る道を開きに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──── 行ってらっしゃい、アキト』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、一匹の黒猫の物語。

 

 

大切なものを守りたかった、一人で独りの剣士の、本来語られる事の無い、何処か別の世界の物語。

 

 

もう何も欲しくないと思っていた彼が今、気持ちを新たに攻略へと向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─── ここから、物語が動き出すのだ。

 




一区切り付けるための話です。取り敢えず終了!
次話から、物語が段々と進んで行きます!ちょっとずつしか進んでなかったものが、一気に進みます。
アキトの過去、Linkの謎、ホロウ・エリア編や、ストレアの秘密など、盛り沢山ですね、死んじゃいます(白目)

今後とも、『── 月夜の黒猫──』をよろしくお願いします!
(`・ ω・´)ゞビシッ!!


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Ep.48 異変



新編、始動────

最近読者の方々に見入って貰えるような文章を書けていない様な気がしてなりません。
この話も後半だけ修正するかもしれないです、話を変えるのではなく、文章、描写を変えたいです。
上手い事書きたいなぁ……(切実)

拙い文章ですが、今後もよろしくお願いします!
では、どうぞ!





 

 

 

 ────そこは、ボス部屋に良く似ていた。

 

 その部屋の中心に佇むのは、たった一人の剣士。こちらに背を向けており、持っている武器は腕と共に力無く下ろされている。風も無いのに、その黒いコートは靡き、強者の雰囲気を漂わせていた。

 

 その体の周りには、散りばめられた光の欠片が舞っていた。倒して間も無いモンスターの残骸が、その空間と同化し、幻想的な光景を創り上げている。

 そんな中、その剣士の顔は伏せられている為に良く見えない。前髪で目元が隠れてはいるが、無表情に近いものだった。

 

 周りはそんな黒い剣士に賞賛の声を上げる。歓声でその部屋が響き、空気が震えた。

 来てくれた、助けてくれた、と。それは、今まで彼が受ける事の無かった、心の叫びに聞こえた。

 だが、そんな剣士をずっと見てきた者達は、そんな気にさえならなかった。

 見せられたものに、魅せられた様に、彼から視線が逸らせない。その目を見開き、口は閉じず、ただ驚きと困惑といった感情が押し寄せる。

 

 

 そんな中、その剣士に良く似た一人の英雄を愛した栗色の髪の少女が、震える声で口を開いた。

 

 

 

 

「……どう、して……?」

 

 

 

 

 そう言い放つ声音は、困惑と、哀しみ、だがその中に、ほんの少しの期待が混じる。

 だって、ずっと心の中で、そうあって欲しいと思っていたかもしれないから。

 

 

 

 

 

 ──── この瞬間が来る前に、気付くべきだったのかもしれない。

 

 

 

 

「嘘……でしょ……?」

 

 リズベットが信じられないという様に、その名を呼ぶ。彼は本当に、自分達の知る少年なのかと。

 だがその少年は、そんな彼女の声をまるで聞こえないかの様に、微動だにしなかった。

 

 

 

 

 ──── どこかで、きっと違和感を感じていた筈だったのに。

 

 

 

 

「ほ、本当に……」

 

 シリカは傷付いたピナを抱え、倒れながら、そう問い掛ける。何故、彼はこんなにも、『それ』を感じさせるのか。

 

 

 

 

 ──── 何かがおかしいと、そう思っていた筈なのに。

 

 

 

 

「なんで……!」

 

「どういう、事だ……」

 

 クラインは驚愕を隠せないと、そんな風に呟く。隣りに倒れるエギルも同様だった。どうして気付かなかった、どうして、気付けなかった、と。

 彼は、それを責めることすらしない。

 

 

 

 

 ──── 散りばめられた記憶から、一緒に過ごした年月から、共に戦った記憶から、こうなる事を予想するべきだったのに。

 

 

 

 

「っ……」

 

 シノンは、そんな彼の、自分の知らない立ち姿に、哀しみの表情を浮かべた。その拳と、アキトから貰った弓を握り締めながら。

 

 

 

 

「…そ、んな……嘘だよ……だって……」

 

 

 

 

 そしてそんな中、金髪の妖精リーファは、彼の背中から、彼のそれまでの言動から、一つの答えを導いていた。

 とめどなく言葉がポロポロと溢れる。同時に、頬も涙が伝っていた。

 有り得ない、ある筈無い、なのに。どうして。

 

 

 

 

 ────どうして、涙が止まらないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お兄ちゃん、なの……?」

 

 

 

 

 

 そう認識するには、彼の目はあまりにも冷た過ぎて。

 

 

「……」

 

 

 振り向いた彼────キリトは、寂しそうに、それでいて悲しそうに。

 ただ、静かに笑みを作り、エリュシデータを握っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、このまま時間が流れれば、いずれ辿り着いてしまうであろう未来の、一つの可能性。

 そうなるまでの時間は、刻一刻と迫っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 最近、層の攻略よりも《ホロウ・エリア》の探索をしている時間の方が多い気がしてならないと、アキトは思っていた。だからといって、それがどうしたと言われれば、確かにどうでも良い気もする。

 今の攻略組のレベルなら、ソロで行かない限りすぐにボス部屋まで辿り着くだろう。上層に行けば行く程に、そのエリアは小さくなっているのだから、それは当然だ。誰が先にボス部屋を発見したとしても、時間的にはあまり変わらないだろう。

 今では三、四日に一層といったペースで、現在は82層。周期的に考えても、そろそろボス部屋が見つかるといった所だろう。

 

 

 だが、このペースで攻略していけば、《ホロウ・エリア》の踏破のタイムリミットも近付いている訳で。

 それならそれで構わないと思いつつも、やると決めた以上最後までこのエリアを探索したいという気持ちが、アキトの中でせめぎ合っていた。

 

 

 《バスデアゲート浮遊遺跡》

 空に浮かぶ浮島を転々と進んだ先にあるその遺跡は、空へと高く伸びる巨塔を中心に広がっていた。その天高き塔に入る為には《竜王の証》なるものが必要らしく、現在はその探索に勤しんでいた。

 その周りにある森や洞窟は遺跡とは無縁と思えたが、実際はそうでも無い。

 

 その中の一つに、《隠れ潜んだ宝物庫》というエリアがある。宝箱ばかりの部屋で、その大半は殺傷能力の高いミミックという鬼畜仕様のエリアだった。フィリアのお陰で、無事本物の宝箱達だけを選んで開ける事が出来た。その後、その部屋の奥に進むと、この宝物庫の主であろうモンスター、《グリードエンペラー》が立っていた。

 かつて皇帝だったのだろう、その装備となる衣装は、王族のそれを彷彿とさせるもので、その手には皇帝が持つに相応しい巨大な両手剣が。その骸骨である見た目は、長い年月を感じさせる。

 ここへ来て久しぶりに、アキト達よりもレベルの離れた相手。2体の取り巻きと共にこちらに襲い掛かってきた。

 

 そして今、そのモンスターと彼らは戦闘していた。

 フィリアとアスナで取り巻きを相手している間、アキトはひたすらボスと対峙していた。

 両手剣を難無く扱うボスはかなりの筋力値で、アキトの体は簡単に吹き飛ぶ。思ったよりも部屋が狭く、飛ばされた先にあるのは壁だった。決して休ませるつもりは無いのか、ボスは畳み掛ける様にアキトに迫る。その両手剣からは、ソードスキルの光が放たれ、何発も何発もアキトに襲い掛かる。アキトはそれを自身のソードスキルで相殺しようとするも、何発かは筋力値の差で競り負けていた。

 ダメージは決して低くない。《ブラスト》、《テンペスト》、使うソードスキルは初期で手に入るものではあるが、このモンスターが使うとそれも無関係に思えてならない。

 苦しそうな表情を作るアキトを見たアスナは、すぐにでも彼の援護に回ろうと急いで取り巻きのHPを削っていく。だが焦れば焦る程に、その正確無比の突きが拙くなるのは当然で、段々とモンスターがそれに対応出来る様になったのだ。

 

 

(っ…このままじゃ、アキト君が…!)

 

 

 アスナは焦りと苛立ち、そして恐怖が綯交ぜに篭った突きをモンスターにぶつける。ソードスキルを幾度と無く貫き、確実にHPを減らす。

 フィリアも同様に、その短剣には力が込められる。連撃数の多い技を、相手の急所に当てていった。

 

 

「チッ!」

 

 

 アキトはその上段からの振り下ろしを左に転がって避ける。ボスは振り下ろした剣をそのままアキトのいる方向へと薙いだ。アキトは瞬時に背中に剣を収める様に持っていき、その剣とエリュシデータがぶつかり合った。

 吹き飛ぶアキトは、その体勢を変える事でしっかりと地面へ着地し、すぐにボスへと走り出す。ボスは焦る事無くその大剣を引き寄せる。

 

 アキトはボスの防御のタイミングをずらそうと、一気に加速。一瞬でボスの足元へ辿り着く。

 

 片手剣範囲技二連撃《スネーク・バイト》

 

 黄緑色に輝くソードスキルは、ボスの両手足を砕くが如く放たれた。ボスは叫び声を上げ、すぐに脚を上げる。そのタイミングで、アキトがボスの胸元まで飛び上がった。

 

 体術上位スキル《エンブレイザー》

 

 拳が黄色い炎の様なエフェクトに包まれ、一気にボスの胸元に叩き込む。HPはかなり削られ、片足を上げていたボスはその威力に耐えられずに後方へと倒れる。

 空中にいたアキトは、その剣を真上に構えながら、ボスの元へと落下していく。

 

 コネクト・《ヴァーチカル》

 

 上段から一気に下へと振り下ろす、片手剣の単発型ソードスキル。落下速度と相成って、ボスにかなりのダメージを与えていた。

 起き上がろうとするボスに、アキトは再び体勢を変える。

 

 コネクト・《アーク・デトネイター》

 

 地面と平行に回し蹴りを繰り出す体術スキル。上体を起こしつつあったボスの顎にピンポイントでぶつける。反動でボスの頭は、また地面へと叩き付けられた。

 

 このまま畳み掛けるつもりで、アキトは再び剣を構える。だがいつまでもやられているボスでは無い。アキトに近い腕を振り上げ、アキトに向かって勢い良く振り下ろす。

 アキトは咄嗟に剣を下に構える。その剣は青い光を纏っており、その剣先はアキトによって上に移動する。

 

 コネクト・《バーチカル・アーク》

 

 振り下ろされた腕と、斬り上げられたエリュシデータがぶつかり、火花を散らす。ボスの腕は跳ね上がり、アキトは反動でその場に背中から倒れ込む。

 

 

「アキト君っ!」

 

「アキト!」

 

 

 フィリアとアスナはモンスターを倒し、アキトの元へと駆け寄った。

 その間にボスは立ち上がり、その大剣を手に持った。

 HPは半分程といったところか。この《ホロウ・エリア》のモンスターは、レベルこそ高いものの、比較的倒しやすい敵ではある。勿論油断している訳では無い。倒す事に関してはとても苦労するが、与えるダメージの総量が少なくて済むのだ。アキトとフィリアとクラインの三人でエリアボスを倒せたのが何よりの証拠。

 

 このエリアで一番死の確率を上げる状況は、自身がソロであると言う事と、数の暴力である。

 

 故に一対一ならば、多少危険はあるが、倒せない道理は無い。

 ボスは両手剣を構え、こちらに向かって勢い良く迫り来る。アキトもそれに合わせて走る。フィリアとアスナもそれに続いた。

 この攻撃でトドメを刺すべく、その剣を各々構える。

 

 

「…俺が正面をやる、二人は側面から攻撃しろ」

 

「っ…分かった!」

 

 

 アキトの言葉にアスナが答え、フィリアは頷く。

 その巨体は三人との距離が近付いた瞬間に、その脚を大地に突き立て、その大剣を横に構える。

 フィリアとアスナは顔が強張る。だがアキトだけは構わず走っていた。

 ボスが剣を横に振り回した瞬間、スライディングしてその攻撃をギリギリで躱す。大きく隙が出来たボスの体に、多連撃のソードスキルをぶつけた。

 

 片手剣六連撃《カーネージ・アライアンス》

 

 オレンジ色に棚引く光が、ボスの体に差し込んでいく。唸り声を上げながら仰け反る巨体に、アスナとフィリアは側面から攻撃していく。

 二人ともハイレベルのプレイヤーなだけあって、そのソードスキルの威力もかなりのもの。ボスのHPはみるみるうちに減り、やがて光に変える。

 その瞬間、アスナはアキトへと、ほんの少しの時間だけ視線を動かした。アキトのその横顔から、たった少しの間だったが、目が離せなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お疲れ様、アキト、アスナ」

 

「うん、お疲れ様」

 

 

 フィリアの言葉に、アスナは笑みを返す。アキトは視線だけ動かして、アイテム報酬を閲覧していた。

 二人はポーションを飲んでから、自身の武器の耐久値を確認し、見た目に関しても、傷付いたところが無いかを探す。何も無かった事に安堵しつつ、その武器を鞘に収めた。

 フィリアはアキトに近付いて、そのウィンドウを覗こうと顔を近付けた。

 

 

「アキト、何か手に入れた?」

 

「…ああ、《飛龍の王玉》ってアイテム」

 

 

 アキトはそのアイテムをオブジェクト化して手に持った。紅く煌めく球体で、片手で持っていたら零れてしまいそうだ。

 

 

「素材じゃないみたいだけど…」

 

「何処かのダンジョンで使える類のものかもな」

 

 

 アキトはそう言ってアイテムを仕舞い、ウィンドウを閉じた。クルリと二人に背を向けて、部屋の出口へと歩く。その背中をフィリアとアスナは追い掛けた。

 アキトのそんな他人を考えない様な振る舞いは今に始まった事では無いが、アスナはそんなアキトの背中を見つめて、その瞳が揺れた。

 

 

(…なんだか…少しだけ…)

 

 

 ほんの少しだけ、以前よりも態度が柔らかい様に感じた。

 先程の戦闘においても、アキトは初めてアスナとフィリアに指示を出したし、今のフィリアとの会話のやり取りも、皮肉無しのものだった。

 最初出会った頃はもっと、周りの人全てに悪口ばかりの態度だった様な気がするし、何を聞いても別に、とか、関係無いだろ、の一点張りだった。

 それを考えると、アキトは少しずつだけど変わって来ているのかもしれないと感じてしまう。

 

 

(仲間だって…思ってくれてるかな…)

 

 

 アスナはそう思って、小さく笑った。

 今までだって、その横暴な態度に反して、ずっと自分の事を助けてくれたし、誰も死なせない様に頑張ってくれていた。攻略組への態度だって、突き詰めて言えばゲームクリアの為だった。

 

 外側が違って見えても、その根本はそっくりだった。

 まるで────

 

 

(キリト、君────)

 

 

 ふと、思ってしまう事がある。

 目の前を歩く少年は、本当は自分に関係のある人間なんじゃないか、本当は、自分が知っている人間なんじゃないか、と。

 分かりやすく言えば、こういう事だ。

 

 アキトは、キリトなんじゃないのか、と。

 

 そんな訳無い、都合の良い話だと、首を左右に振りたくなる。だけど、キリトを失った哀しみはあまりにも大きくて。決して現実逃避をしている訳じゃ無い。

 アキトの今の性格や口調は、キリトのそれとはまるで違うし、雰囲気こそ似ているが、顔が似ているという訳でもない。自分が勝手に、そう感じてしまっているだけで。決して、アキトがキリトなんて事は無い筈なのに。

 

 

(なのに────)

 

 

 その黒い立ち姿が、その纏う雰囲気が、その戦い方が、偶に見せる笑った表情が、自分を守ってくれるその姿が、みんなを助けてくれるその優しさが。

 それらの全てがアスナを襲い、自身の心臓を煩くするのだ。

 

 

(…駄目だな…私……)

 

 

 自分は、こんなにもキリトを想っていたんだな、と改めて思った。そして、それが寂しくも思った。

 リズベットもきっとこんな風に想って、それでも自分の為にと身を引いてくれて。そんな彼女にも誇れる様な生き方をすると、そう決めた筈なのに。

 どうして、アキトの事が気になるのだろう。

 段々と、アキトの自分達への態度が柔らかいものへと変わっていく度に。

 

 段々と、()()()()()()()()()()様に思えて。

 

 それは、本当に気の所為だろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宝物庫を来る際に通った洞窟に、三人はいた。

 先程手に入れたアイテムの使い道を考えながら、アキトは先頭に立ってその道を進む。モンスターはまだポップしていないのか、進んでいる道の先には、モンスターの影が一つも無い。アキトは一応警戒を緩めずにその足を動かしていた。

 

 このまま何も無ければ、やがて《竜王の証》に辿り着くだろう。そうなればきっと、浮遊遺跡中心に聳え立つ塔へと足を踏み出す事になる。

 あの塔の頂上には、このエリアに初めて来た時に出会った巨大な飛龍が住んでいる。恐らくあれがこのエリア一帯のボスだ。

 この浮遊遺跡の先、道なりにドンドン進んでいくと、雲の下へと続いている道があった。だがその道は、システム的に防御され進む事は叶わなかった。つまり、あれがエリアボスを倒した後に開かれる道で、その先が次のエリアなのだ。

 

 だが、樹海エリアよりもモンスター達の平均レベルが高いのは認めざるを得ない。筋力値や素早さ、その他諸々のステータスも、明らかに高くなっているのが分かる。

 アキトはチラリと後ろを振り向いた。

 

 

「あーあ、あれだけの宝箱があったのに、殆どミミックだったなんて…」

 

「でもフィリアさん凄いよね。あんなにいたミミックの中から本物だけを当てるなんて」

 

「ありがとう、アスナ。私にかかれば開けられない宝箱は無いね」

 

 

 お互いに笑顔で語り合うフィリアとアスナ。そして、アークソフィアにいるシリカやリズベット、リーファにシノン、クラインとエギル、ストレアにユイ。

 モンスターが強くなればなる程に、彼らを守りにくくなる気がしてならない。相手が強くなる一方で、自分は何一つ変わっていないのかもしれないという恐怖。

 守りたいと、心の中で確かにそう感じたのだ。だからこそ、二度と失敗出来ない。

 

 

 誰に何と思われても、必ず守り抜くと、そう『誓った』筈だから。

 

 

 そう考えながら、アキトは二人から視線を外し、再び前を見る。

 その瞬間、アキトの目が見開き、その場に立ち止まった。

 フィリアとアスナも、いきなり止まったアキトに少し驚きつつ、その顔色を伺う様に隣りに立った。

 フィリアはアキトに向かって問い掛けた。

 

 

「…どうしたの?」

 

「…人がいる」

 

「人?人だったら前にも────」

 

「…フードを被ってる。前に見た奴かもしれない」

 

 

 その言葉だけで、フィリアは息を呑む。どういう事なのか一瞬で理解したのだろう。アスナも、二人の異様な雰囲気で、前にクラインから聞いた話を思い出した。

 樹海エリアでPKを行っていた集団に酷似した姿のプレイヤー達が、そこにはいたのだ。

 

 三人は一瞬で近くの岩陰に隠れ、そこから覗く様に彼らを見つめる。

 数はこちらと同じ三人、皆がフードを被り、顔割れを防いでいる。手に持つ武器の種類も、前に樹海エリアで見た時のものに近しいものを感じた。

 

 

「…あんな所で何してるんだろう…」

 

 

 フィリアは率直な疑問を抱く。彼らは二度三度会話を挟むと、その洞窟の奥へと繋がる道へと走り出した。

 

 

「おい、行くぞ!」

 

 

 フードの一人がそう言い放つと、残りの二人も頷き、後を追う。

 アキトはその背中を睨み付け、やがてその岩陰から飛び出した。

 

 

「ちょ、ちょっとアキト君…!」

 

 

 アスナの静止を無視し、アキトは奥へと、彼らが向かって行った先へと足を運ぶ。ただひたすらに奥を見つめ、走る。

 心臓が高鳴る、憎悪が込み上げる。どうして、どうしてこんなにも────

 

 

「っ…!」

 

「あ、アスナ…!」

 

 

 アスナとフィリアは慌ててその背中を追う。その表情には、困惑と焦り、そして不安が混ざっていた。

 アキトのあの様子、とても儚く、脆いものに思えた。目を離した瞬間に、壊れてしまいそうで。

 かつての、想い人を思い出して。

 アスナは唇を噛み締め、自身の持つ素早さの限りを発揮した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どのくらい走っただろうか。アキトは、あの三人の気配が近くなったのを感じて、その足を止めた。荒い呼吸を抑え、近くの岩陰に身を潜める。

 アスナとフィリアも追い付き、アキトのいる場所へと身を屈めた。

 

 

「アキト君、一人で行ったら危ないよ…!」

 

「静かにしろ…気付かれる」

 

 

 アキトのその声は、冷静を装いつつも、何か恐怖にも似たものが混ざっている事を、アスナは感じた。

 フィリアもそんな二人に戸惑いつつも、その岩陰に一緒になって隠れる。

 アキトは、意を決してその場所から彼らを覗く。

 

 その三人は、呼吸を整えるとその足を止めた。その視線の先には、また一人のプレイヤーが。

 他のメンバーより一回り大きい体格を持ったそのプレイヤーも、ポンチョを着込み、顔が隠れていた。

 アキトはその目を細めてそのプレイヤーを見据える。アスナとフィリアも、各々の場所から彼らを見つめた。

 

 そのオレンジカーソルのプレイヤー達は、新たに現れたプレイヤーの元まで歩み寄ると、途端に口を開いた。

 

 

「片付けてきましたぜぇ、ヘッド」

 

 

「遅ぇじゃねぇか。何手間取ってやがったんだぁ?」

 

 

 

 

 ドクン────

 

 

 その声を聞いた瞬間、心臓が大きく鳴った。目は大きく見開かれ、汗が出始めた。

 

 

「いやー、案外手強かったんスよ」

 

 

「言い訳はいいんだよぉ!…次はしっかりやれよぉ?」

 

 

 その声と、独特の話し方。何故か聞き覚えがあった。体が途端に震え出し、思う様に動かせない。

 その隣りにいるアスナは、アキト同様に驚いている様だった。

 

 

「な…んで…」

 

「アイツは…!」

 

「…アスナ、知ってるの…?」

 

 

 二人の尋常じゃないその様子に、フィリアも色々察したのか、その疑問を投げ掛ける。

 アスナは震える声で、その質問の答えを返した。

 

 

「…殺人ギルド《ラフィン・コフィン》…そのリーダー、PoHよ」

 

「っ…、そんな奴が、なんでこんな所に…!?」

 

 

 そのフィリアの疑問は、誰よりもアキトが聞きたい事だった。何故、どうして。

 

 《PoH》、レッドギルド《ラフィン・コフィン》のリーダーにして、この世界で最も猛威を振るったPKプレイヤー。

 人心の策略と先導に秀でた能力を持っていて、数多のプレイヤーを誘惑、洗脳し、殺人に走らせた。

 攻略組の討伐戦においては、彼は参加していなかったらしいが、どうしてこんな所に。

 だが、アキトは別の疑問が頭を過ぎっていた。

 アキトは、PoHを見た事が無かったのだ。

 

 

(どうして…俺は、()()()()()()()()()……!?)

 

 

 アキトはPoHは互いに全く面識は無い筈なのだ。その名前を聞いたのだって、ただの噂だった。

 だと言うのに、どうして、こうも見覚えがあるのだろうか。

 知らない筈、見た事も無い筈、声を聞いたのも、話し方だって初めて聞くもので。

 それなのに────

 

 

「それで、NEXT TARGETは……んん?」

 

 

 「「「っ…!」」」

 

 

 PoHは何かを察したのか、アキト達の方を向いた。アキト達は慌ててその岩陰に隠れる。

 

 まさか、気付かれた────?

 

 アキトの心臓は鳴り止まない。脳内にまで響きそうで、途端に頭を抱える。瞳孔は開き、その瞳は揺れ、体は依然震えていた。

 

 頭に、何かが、知らない何かが流れ込んでくる。

 

 PoHはアキトの隠れている場所を見ると、気の所為だと思ったのか、それとも何かを感じ取ったのか、その口元を歪ませるだけだった。

 もしくは、何もかも察したのかもしれない。

 

 

「……ふぅん?」

 

「なんかあったんスか、ヘッド?」

 

「……いいや、何でもねぇ。少し場所を変えるぞ。ここは人が来るかもしれん」

 

「うぃっス」

 

 

 彼らは身を翻し、このエリアの出口へと足を向けた。段々と小さくなるその人影に、アスナとフィリアは肩を撫で下ろす。

 

 

「行った…みたいだね」

 

「ええ…でも、ラフコフがどうしてここに…」

 

 

 まさかこちらで潜伏していたとは、とアスナは冷や汗をかく。

 だが同時に、一つの可能性が浮かび上がる。

 

 

「…もし、ここで手に入れたアイテムや武器で戦力を増強していたとしたら…!」

 

 

 アスナは、自身の背筋が凍るのを感じた。もしそんな事になったら、またあの悲劇を繰り返すだけになってしまう。

 アスナは、アキトの方を向いた。

 しかし────

 

 

「…あ、アキト、君…?」

 

 

 アキトは頭を抱えたまましゃがみ込み、震えていた。

 まるで、先程までこの場所にいたPoHの恐怖が、消え去っていないかの様に。

 その呼吸は、荒れ、心臓は鳴り止まず、瞳孔は開き、瞳は恐怖の色に染まっていた。

 アスナはその様子を見て、ただただ困惑した。

 

 

「はぁ…はぁ…はぁ…はぁ…!」

 

 

 その呼吸はどんどん荒く、早くなる。

 PoHは殺人鬼だ。人を快楽の為に殺す、意図的に殺すプレイヤーだ。

 何かを守ろうとする、助けたいと思うアキトにとって、彼の存在は脅威以上の存在で、恐怖の対象だった。

 これ以上この場所にいたら、アスナとフィリアが危険になってしまうんじゃないか。死なせてしまうのではないだろうか。

 彼に、よって────

 

 

「っ…はっ、はぁ…は、はぁ…!」

 

 

 PoHの事など、知らない筈なのに、彼のしてきた行為全てが、頭の中にインプットされていて。

 その全てが、アスナ達に降り掛かってしまうのでは無いかと、そう思わずには居られなくて。

 

 

「アキト君!大丈夫…!?」

 

 

 もう二度と、失敗なんて出来ない。死なせる事なんて、出来ない。

 だからこそ、あのポンチョの男にここまでの恐怖を抱く。

 もし、彼とまた出会ったら。もし、誰かに殺意が向けられたら。

 

 

「あ、アキト…、しっかりして!」

 

 

 その頭の中にあるのは、ただの恐怖。自身が彼に劣っていると無意識に感じる。負ける、負ける、負ける。

 自分はきっと、彼によって、また誰かを傷付けて。

 

 

(…守るって…決めたんだ…ヒーローだって、言ってくれたんだ…だから……だから……!)

 

 

 無力だった過去に戻る訳にはいかない。だから。

 やり直しなんてきかないから、一度きりしか無いから、だから。

 あんな奴には、決して────

 

 

「ち、くしょう…」

 

 

 かつての光景が、脳裏に現れる。

 

 

「『…畜、生…!』」

 

 

 

 この手に『誓い』、『約束』したんだ。

 絶対にこの世界をクリアする、誰も死なせないと。

 その決意を、あんな奴に揺らがされるなんて────

 

 

「────っ」

 

 

 その震える手を、誰かが掴む。

 アキトはビクリと震え、その方向を見る。そこには、こちらを心配の表情で見つめるアスナがいた。

 瞳が揺れ、困惑しながらも、アキトを気遣っている事が分かる。

 

 

「……アス、ナ───」

 

「大丈夫だよ、アキト君」

 

 

 アスナはアキトのその手を両手で掴み、強く握る。

 自身の顔の近くまで持っていき、祈る様に動かす。

 

 

「大丈夫だよ。君の事は、私が───」

 

「『アス、ナ……俺、は……』」

 

「───私達が、守るから」

 

 

 その言葉は、アキトの恐怖を打ち消すには、きっと充分な言葉だっただろう。

 アキトは目を見開き、その強ばった心が、高鳴った心臓が、段々と静まるのを感じた。

 その強く握られた手から、温かみを感じる。

 震える唇は、ワナワナと動き、アスナを捉える。

 自然と涙が出そうで、それをどうにか堪える。堪らずその顔を伏せ、アスナに自分の気持ちが悟られない様に。

 

 

 ───その手を、握り返した。

 

 

 何故アスナがそんな事を言ったのかは分からない。だけどその時、凄く安心したのだ。

 その震えは止まり、段々と理性が戻ってくるのを感じた。

 

 

「っ…」

 

 

 アスナは握り返されたその手を、また強く握る。今まで助けてくれた恩に報いる為にも、彼の事は、絶対に守ると。

 

 それに───

 

 アスナは握り返されたその手を見つめて、笑みを作った。

 

 

 

 

 

 

 

 ───仲間だと感じていたのは、『守る』と感じていたのは、自分だけじゃなかったんだと、そう思えたから。

 

 

 





フィリア(…あれ、私今日影が薄い様な…)

まさにホロウ(白目)←それ程上手い事は言えてない作者


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Ep.49 妖精と太陽



お待たせです!
ドンドンと、物語が進みます。キャラのエピソードを入れると、根幹のストーリーに触れにくくて困る……(´・ω・`)

では、どうぞ!


 

 

 

 

 この世界に初めて来た時の事、今でも良く覚えてる。

 

 現実世界では決して見る事の無い風景やモンスター、世界観がそこにはあって。その世界は剣一本で何処までも行けるのだと、そう思った。

 あの時、確かに高揚したのだ。

 けれど、きっとこの世界でも、自分は独りなのだろうなと、何処か諦念を抱いていた。

 両親を失くし、友人関係も長続きしない。ある種の呪いの様に感じていたそれは、逢沢桐杜という少年にとって、もうどうにかしようとして出来るものじゃなくなっていたのかもしれない。

 この歳で、沢山の人を失い過ぎた。きっとこの世界でも、現実とは違うこの体でも、変わったものはそれだけで、後は何も変わらないのだと、そう思った。

 

 チュートリアルに入り、この世界におけるあらゆる蘇生方法は機能しないと、ここはデスゲームだと、この世界で死んだら現実世界でも死ぬと、そう言われた時も、きっとそれが運命なのだと知った。

 この世界でも自分は、人知れず独りひっそりと消えゆくのだと。だけど、自分は今もこうして生きている。

 色々なものを置き去りにして、一人、独りのうのうと。

 あのはじまりの街で、たった一本伸ばされた手によって、随分と遠くまで来たものだ。

 

 

「っ…」

 

 

 あの時の幻覚を見たのか、自然とその手が空へと伸びる。木陰に寝そべり仰向けになっているアキトは、辺りの草原と共に風に撫でられる。

 今はもう失ってしまった、その手の幻覚を思い起こして。

 アキトはそのままその上体をも起こした。寝そべっていた草原のすぐ目の前の柵の向こうには、プレイヤーやNPCで賑わっていた。

 まだ昼頃だから、この人集りは普通ではあるが、この平穏だって、きっと簡単に崩れ去ってしまうかもしれない。

 

 先日《ホロウ・エリア》で見た、PoHのポンチョから見え隠れした口元の笑みを思い出す。

 あの悪戯を思い浮かべた子どもの様な笑み、それでいて何処か冷たい雰囲気。決して悪戯では済まされない、彼らにとっての『快楽』。

 それが自分達に降り掛かる事を想像すると気が気で無い。

 平穏が壊されると思うと落ち着かない。

 

 ────いや。

 平穏なんて、もうとうの昔に壊れていて、それが徐々に目に見えているだけなのかもしれない。

 

 

 あの場所に入り浸るフィリアもそうだが、もうアスナを《ホロウ・エリア》に行かせるのはやめた方が良いのではないだろうか。アキトはアスナの顔を思い浮かべながらそう考える。

 実際そっちの方がリスクは小さい。今後の為にも、自分自身の為にも、彼女の生存はゲームクリアにおいての絶対条件だ。

 それに────

 

 

(…死なせたくない)

 

 

 何を馬鹿な、と以前なら、というかこの世界に初めて来た時ならそう思うだろう。失ってしまうなら、関係を持つべきではないと、そう決めていた筈なのに、中途半端に関わってしまったツケが回って来たのだと思うと、自分の馬鹿さ加減に嫌気がさす。

 だがもうそれは後の祭り。アキトにとってアスナ達は、もう赤の他人なんかではなくなってきている。大切だとか、仲間だとか、そんな風にはまだ思えないが、少なくとも、『死なれては気分が悪い』くらいには思っていた。

 まあ、これはあくまでアキトの表面上の気持ち。本心はどうかは分からないが。

 

 

 そんな事を考えていると、どこからともなく声が聞こえた。

 

 

「あ!アキト君みーっけ!」

 

「?」

 

 

 前方へ顔を上げると、金色に靡くロングヘアを後ろで束ねた、現実の容姿とはとても思えない少女が柵の向こうに立っていた。

 

 

「……リーファ、何か用か」

 

「えへへ……」

 

 

 アキトの疑問を返す事も無く笑いかけるリーファ。彼女は柵を飛び越えて、アキトの元まで歩み寄る。アキトはどんどん近付いてくる彼女に戸惑いを隠せない。

 そんな様子など知らない様に、リーファはアキトの腕を両手でガッシリ掴み出した。これにはアキトも思わず目を見開く。

 

 

「捕まえた!ほら、こっち来て、こっち」

 

「は、お、おい…!」

 

 

 リーファはアキトを引っ張り上げて、腕を掴んだままその場から離れる。突然の事というのもあり、アキトはリーファに引かれるままに、その足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「お、おい…何だよ急に…!」

 

「いいからいいから」

 

「いや、良くねぇよ…何なんだよお前…」

 

 

 何故リーファにこんな事をされているのか、全く理解出来ていないアキト。無理矢理振り解くという選択肢も無い訳ではないのだが、それをやるのはやはり躊躇われてしまうのだ。

 だからアキトは、彼女に引かれるがままに引かれてる間、この彼女の行動の意図をかんがえる事しか出来ない。

 進んでいく内に分かってきた事があった。それは、段々と人集りがなくなってきているという事だった。それは彼女がアキトを人気の無い路地裏へと連れ出しつつあったからだ。特に疚しい事などは考えてないが、いきなりこんな所に引っ張られてしまっては警戒せずには居られない。

 

 アキトはドギマギしながら、ふと、彼女と自分の繋がれた手に視線を下ろした。

 お互いに繋がれた手。思わず、先日のアスナとのやり取りを思い出してしまう。

 

 

 

 

『大丈夫だよ。君の事は、私が───私達が、守るから』

 

 

 その拍子に握られた片手。アキトはそれを思い出していた。我ながら醜態だなと思わずには居られない。けど、アスナのあの言葉で恐怖に襲われていた筈の心が軽くなった事は否めない。

 彼女は何故自分に、あんな事を言ってくれたのだろうかと、あれから暫く考えていた。だけど、答えなんてとっくに分かってる。彼女は、彼女達は、優しいから。

 こんな自分にも、手を差し伸べてくれるから。だからこそ、アキトも縋ってしまって。

 だからこそ、あの時アスナの手を握り返してしまったのだ。

 

 

(…なんで、アスナは…)

 

 

 アキトはアスナに握られた手を、リーファに繋がれた手を、暫く眺めるだけだった。

 どちらも温かみを感じる、優しい握り方で。

 

 

「……」

 

 

 思わず、その手を握り返してしまった。

 すると案の定、驚いたのか、リーファは顔を急に赤らめ、思わず声を上げた。

 

 

「ひゃっ…!」

 

「っ…あ、わ、悪い……」

 

「う、ううん!最初に掴んだのはあたしだし……」

 

 

 何をやってるんだと、アキトは思わずその手を離そうと力を抜く。だが、リーファは逆にその手に力を込め、アキトの手が離れない様にした。

 アキトは目を丸くして前を歩く彼女を見た。その顔は見えなかったが、耳元がほんのり赤かったのは、気の所為だっただろうか。

 取り敢えず何か話題を振ろうと、アキトは先程からずっと思っていた事を発言した。

 

 

「……で、何なんだよ、急にこんな所まで……」

 

「う、うん…。ほら、この人のお話聞いてみて」

 

 

 その路地裏に居たのは、赤いフードを被ったNPC、四角いテーブルに置かれている水晶を見るに、役職は占い師といったところだろうか。

 長い髭を生やしたその占い師は、こちらの存在を確認すると、懇願するかの様に口を開いた。

 

 

「旅のお方、どうか私の願いを聞いて下され……」

 

「…クエストか」

 

 

 リーファがここに連れて来たのは、このクエストと関係があるらしい。このクエストで分からない事でも起きたのだろうか。そんな事を考えている間にも、NPCの話は続いている。

 

 

「83層に広がる森を訪れて欲しい。その奥に鬱蒼と茂る木々の間に、遥か昔に置き去りにされた一つのペンダントがある。それこそが私の求める《太陽のペンダント》。それを見付け、届けてくれまいか?」

 

「83層……」

 

「ね、面白そうじゃない?」

 

「…別に」

 

 

 リーファの嬉々とした声に、アキトはそっぽを向く。だが次の瞬間、彼女はNPCに承諾の返事を返してしまった。

 

 

「占い師さん、貴方の願いは私、リーファと、この《黒の剣士》アキトが聞き届けたわ」

 

「っ…おい…!」

 

 

 そのリーファの発言を聞いて、アキトは思わず彼女を睨み付ける。だがその前にNPCが感謝の言葉を述べ出してしまった。

 

 

「おお……ありがとうございます。引き受けて下さるとは……。されど、気を付けなされ。あの森の中には獰猛なモンスター達が住み着いておる。並の戦士じゃあ歯が立たぬだろう」

 

「任せておいて!アキト君はそんじょそこらの戦士とは違うんだから!」

 

「……」

 

 

 リーファは自信満々に胸を張り、NPCは静かに御辞儀する。アキトには止める事が出来ず、二人を眺めるだけ。

 トントン拍子で進んでいくクエストに、アキトは拳を握り締めるだけだった。

ただ、彼女がNPCに言い放った、《黒の剣士》という単語が、頭の中を駆け巡っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 83層《ドルバ》

 

 

 地形に合わせて造り上げられた建物が並ぶ街で、中央に位置する転移門の真上には、巨大な巨木が聳え立っている。その周りは水が溜まっており、転移門だけが孤立している様だった。

 その街を出てすぐのフィールドには、蟹型の甲殻類系統のモンスターが蔓延っており、その丘を降りていく事で、《太陽のペンダント》なるアイテムがあるとされた森へと続いている。

 

 現在アキトとリーファはそこへ赴いており、モンスターを倒して回っていた。

 リーファはこの層から攻略組へと参加する事に決まり、レベルも実力もアスナの折り紙付きだった。

 最近はシリカやリズベットと共に、攻略やクエストを手伝っているらしい。シリカとは最近、ピナの強化鉱石を集めに迷宮区を訪れ、リズベットとは何かの鉱石を取りに行っていたらしい。

 確か、《レラチオン鉱石》という名前だったか。聞いた事の無い鉱石だと首を捻るが、素材に関しての善し悪しはアキトじゃ判断は付けられない。

 

 それよりも、今はこの状況に首を捻りたい。

 思わず、その口が開いた。

 

 

「……なあ」

 

「うん?どうしたのアキト君?」

 

「どうしたじゃねぇ、何で俺にこのクエストやらせたんだよ」

 

「…もしかして、嫌だった…?」

 

「正直、あんまし興味は無え」

 

 

 恐る恐る聞いてくるリーファに、そう切り捨てるアキト。だがやがて、リーファは嬉しそうに笑ったのだ。

 

 

「……へへっ」

 

「……何だよ、気持ち悪いな」

 

「…でも、ここまで付いて来てくれたよね」

 

「っ……」

 

 

 そう。アキトは突然のリーファの行為に多少なりとも文句を言ったが、『やめろ』とは言わなかったのだ。

 結局ここまで付いて来て、口から飛び出す言葉は、ここに自分を連れ出した理由のみ。彼女の誘いを拒んだりはしていなかった。その事実に、アキトは思わず目を見開いた。

 そんな彼から視線を外し、リーファは目の前の森へと視線を動かした。

 

 

「特に深い理由とかは無いの。……ただ、アキト君と一緒にクエストをやりたかったなーって」

 

「……」

 

 

 ────嘘だ。

 

 

 瞬時に、そう思った。でも、それを口にしたりはしなかった。

 だけどすぐに分かったのだ、彼女が嘘を吐いたその瞬間を。彼女はきっと、何か理由があって自分を誘った筈なのだと、その表情を見て悟った。

 

 リーファという少女は、このSAOに後から、それも自分の意思でログインを決めた数少ないプレイヤーだ。アバターは他のゲームのもので、ナーヴギアは友人から譲り受けたのだという。

 ログイン当日、病院にいる母からの徒ならぬ雰囲気に、兄の死を悟ったという。母の言葉の続きを聞く事を本能的に拒否し、逃げる様にこのデスゲームにダイブしたのだという。

 彼女は、自分の兄が生きたこの世界を知りたいと、そう言っていた。それが彼女がこの世界に来た理由だと、そう言っていた。

 

 

「……」

 

 

 ────何か、違和感を感じた。

 

 

 何かは分からない。だけど、彼女の言葉と行動と、ここに来た過程に、途轍も無く違和感を感じるのだ。

 アキトはずっと、リーファの事が気になっていた。最近の彼女は、この世界に来てからよりも、頻繁にレベル上げの為にシリカやリズベット、果てはアスナやクラインにも付いて行っていたのだ。

 

 何か、嫌な予感がした。

 

 

「……なあ、お前さ───」

 

「あっ、アキト君!きっとコレだよ!」

 

 

 アキトの声は偶然にもリーファによって掻き消された。当の本人は木々の間に光る何かを見付けて駆け寄り、それを手に取った。

 リーファはアキトの元まで持っていき、その手を広げて見せた。

 そこには羽根の様に反り返った石に、金色に輝く丸い宝石が付けられた首飾りがあった。

 恐らく、これが占い師の探し求めていた《太陽のペンダント》。ならば、これでクエストは達成された。

 だがリーファは納得がいかない様な、そんな表情でペンダントを見下ろしていた。首を捻ったり、唸ったりしている。

 

 

「綺麗だけど……デザイン的に何か足りない様な気がする。こう…なんて言うのかな…別の何かと対になってて、一つのデザインとして成立するっていうか…」

 

 

 アキトはリーファの持つペンダントに視線を下ろす。確かに言われてみればそうかもしれない、と思う程度のものだ。

 

 すると突然、そのペンダントが光を放ち始めた。

 アキトは目を丸くし、リーファは慌ててそのペンダントを跳ね除けてしまいそうだった。

 

 

「ペンダントが、ひ、光った……?」

 

『私の名は《太陽のペンダント》。ありがとう、私を見つけ出してくれて……』

 

 

 そのペンダントは、小さく光を灯しながら、声を発し始めた。

 

 

「うわぁ!?しかも喋った!!」

 

『その勇者達に是非叶えて貰いたい願いがある。聞いて貰えるだろうか……』

 

 

 リーファは再びオーバーなリアクションを取る。そんな彼女に応える事も無く、ペンダントは続きを述べ始めた。どうやらクエストの続きのようだ。

 どうも図々しいペンダントだなと思わなくも無いが、頼まれたら断れないアキトは、そのままペンダントに話の続きを促した。

 

 

『私と《月のペンダント》を、もう一度会わせては貰えないだろうか。彼女とせめて、もう一度……』

 

 

 そのペンダントの声は、光と共に、段々と小さくなり、やがて消えていってしまった。

 アキトとリーファはそのペンダントを見下ろしており、リーファはポツリと、寂しそうに呟いた。

 

 

「光が消えちゃった……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あのクエストにはどうやら続きがあるらしく、現在リーファが《太陽のペンダント》を持って占い師の話を聞きに行っていた。

 その間、アキトは近くのベンチに座って、そのNPCのいる路地裏への道を眺めていた。

 隣で湧き立つ噴水の水飛沫が、少しばかり頬につく。ほんの少しだけ冷たさを感じ、アキトは袖で頬を拭った。

 すると、その路地裏からリーファが笑みを浮かべて出てきた。アキトの姿を視界に捉えると、真っ先に彼の元へと駆け寄って来た。

 

 

「アキト君、聞いてきたよー!やっぱり占い師さんのセリフ変わってた」

 

「そうか」

 

「…何かリアクション薄くない?」

 

「お前のクエストなんだから、お前がやれば良いだろ。俺には関係無い」

 

 

 アキトはそういうとリーファから視線を外し、多くの出店が並ぶ街道を捉える。リーファはムスッと表情を変えると、アキトの座るベンチに腰掛けた。

 

 

「えー、いいじゃない、少しぐらい付き合ってくれても」

 

「もう充分付き合ったろ」

 

「…でもクエストの続き、気にならないの?」

 

「執拗いな。俺は元々興味無かったんだよ。今さっきまでの様子じゃあ、別に強いモンスターが出る訳じゃなさそうだし、益々俺がいる意味無えじゃねえか」

 

「それでもいーの!お願い、このまま一緒に最後までやろう?」

 

「……」

 

 

 アキトは、そんなリーファの懇願に思わず体の向きさえも変える。座るベンチが軋む音が聞こえる。

 実際、それ程困難なクエストでも無さそうだし、彼女一人でもなんとかなる案件のものだ。自分が気にする事でも無ければ、参加する意義を感じない。

 

 

 なのに、何故────

 

 

 

 

「……お願い」

 

 

 

 

 彼女はこんなにも────

 

 

 

 

「っ……」

 

 

 リーファはアキトの裾を掴み、か細い声でそう言った。

 彼女に背を向けている為に、その表情までは分からない。けれど、何故か無性に、彼女の事が気になった。

 どうして、そこまで。

 

 

「ハァ……占い師は何だって?」

 

「!一緒にやってくれるの?」

 

「早くしろ。気が変わらない内に早く話せ」

 

「う、うん!」

 

 

 リーファは俯いていた顔を上げ、途端に嬉しそうな表情になる。アキトは現金なヤツだなと苦笑しつつ、リーファの話を聞く事にした。

 正直、今でも乗り気では無い。これ以上関係を強めてしまったら、失ってしまった時に立ち直れなくなってしまうから。

 それは逃げだった。だけど、それしか出来なくて。

 

 

「《太陽のペンダント》と《月のペンダント》はペアのアクセサリーなんだって。かつて名を馳せた天才彫金師が、自分の想い人の為に作ったペンダントでね」

 

 

 リーファと話していると、現実世界の事を思い出してしまう。自分にも、血は繋がって無いが、妹がいたから。

 彼女もこうやって、楽しそうに話をする女の子だった。

 

 

「二人はそれぞれ太陽と月のペンダントを首にかけて互いの愛を誓い合ったの」

 

 

『誓い』

 その言葉に、アキトは小さく反応した。かつての友の事を思い出しながら。

 リーファと話していると、色々な事が蘇って来るようで。懐かしくもあり、寂しくもあり、辛くもあった。

 

 

「そして仲睦まじく暮らしていたんだけど、そんな幸福も長くは続かなくって……禁忌を犯して神に嫌われた二人は、遂に引き裂かれてしまったって事らしいの……って、聞いてる?」

 

 

 リーファの言葉で我に返り、深く考えていた思考を取り払う。アキトは取り繕うべくその表情を変えた。

 

 

「っ、ああ、聞いてる聞いてる。で、禁忌って?」

 

「さあ?そこはちゃんと話してくれなかったけど。彼女は神様の手によって天空の世界へと攫われ、二人は決して会えなくなってしまったの。その時彼女の落としたペンダントが、85層に落ちたんだって。二人はもう死んでしまったけど、想いのこもったペンダントを引き合わせれば、彼らの寂しさも和らぐだろうって……」

 

「へぇ…」

 

 

 何だか、SAOに囚われた人達と、その家族との関係みたいな話だなと、そう思った。

 今もきっと、生存しているプレイヤー達の帰りを待っている家族が現実世界には居て。攻略組の中にも、その家族に会う為にゲームクリアを目指している者達もいるだろう。

 アキトは、現実世界に置き去りにした、かつての想い人を思い出す。

 

 

(……アイツは、今も俺の事を待ってくれているだろうか……)

 

 

「……アキト君?」

 

「……何でも無えよ。けど、85層ってんならまだ先だし、このクエストは一旦終わりだな。また再挑戦って事になる……マジか」

 

「うん、そうだね!」

 

 

 アキトは小さな声でそう言った。てっきりすぐに終わるものだと思っていたからだ。

 だが目の前のリーファは、そうでも無いらしく、とても真剣な表情を作っていた。

 

 

 

 

 ────だけど、アキトは見逃さなかった。

 

 

 

 

「……絶対、逢わせてあげようね」

 

 

 

 

 彼女のその、とても脆い、悲しげな笑みを。

 

 

 「…おう」

 

 

 アキトは、そんな事しか言えなくて。

 彼女にどうしたのか、とか、何があったんだ、だとか、そんな事を聞けなかった。

 

 彼女が自分の部屋に来て、この世界に来た理由を聞いた時も、初めて彼女とデュエルした時も、自分は彼女に何の言葉もかけてあげられなくて。

 

 

 それでも、彼女に違和感を感じ、気にしていたのは確かなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 共に過ごす中で偶に見える、その空元気な笑顔に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




Episode : Leafa

↑ってやったらカッコよくない?
という事で、最近ずっとDEBANが無かったリーファの話です!まあ、シリカもシリカでDEBAN無いんですが……
アルゴ?うっ、頭が……(´・ω・`)


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Ep.50 強くなりたい、その理由


今後はリーファ自身、そのたわわな胸同様、大きく物語に関わって来ると思いますので、今後もよろしくお願いします!
(`・ ω・´)ゞビシッ!!(`・ ω・´)ゞビシッ!!(`・ ω・´)ゞビシッ!!





 

 リーファの事が頭から離れないまま、その日の午後。現在アキトは、シノンの部屋の前に立っていた。

 先日の夜、スキルについて話がしたいと言われたのを思い出した。

 最近は色んな事に関して首を縦に振り過ぎている感じが否めないが、今更言っても仕方が無い。

 

 アキトは、その扉をノックした。

 そして、間もなくシノンがその扉を開けた。

 

 

「アキト、こんにちわ。スキルの話なんだけど……ええと、武器を使える場所が良いわよね。外に出ましょうか」

 

「……ああ」

 

 

 特に何も考える事無く、そう二つ返事を返した。シノンからすれば、きっと少なからず驚いただろう。敢えて何も言わなかったのも、彼女なりに配慮していたのかもしれない。

 

 

 いつもとは違う、76層の草原フィールドへと足を運び、そうしてスキルの一覧を確認し、今までやってきた事を並べて話し出す。ルーティンに沿ったこのやり取りは何度目だろうか。

 牧場の様に広がる草原は、いつも変わらず一定のそよ風が吹き抜け、傾いた草花に太陽の光が照らされている。雲一つ無い空の下、シノンがウィンドウを開き、その言葉一つ一つを音にしていく。

 彼女のレベルも着実に上がって来ている。弓の使い方をマスターし、それでいてこのまま事が進めば、シノンの目的である攻略組参加も目と鼻の先だった。

 シノンもシノンで何かを抱えていて、それで攻略組へと参加する。この世界に来て、何も抱えていない人を、アキトは知らなかった。

 つまりリーファ、彼女もきっと何かを抱えていて、けどそれを公にしてないというだけの事。このまま何も言わず、何を目的としてこの世界に来たのか、その明確な事情も知らぬまま、このゲームで過ごさせるのか。

 今のリーファには、どこか危うさを感じた。分かりやすく言うならば、まるで死に急いでいた頃のアスナの様な、そんな危うさを。

 

 

「…ねぇ、聞いてる?」

 

「っ…あ、ああ、聞いてる。命中補正スキルは距離が遠ければ、それだけ修正が良くなるんだろ」

 

 

 ハッと気が付いた様にアキトは表情を変える。シノンがこちらの顔色を伺うかの様に頭を傾け、こちらを覗く。アキトは顔を逸らしてあさっての方向へと動かした。

 

 

「…まあいいわ。あと、相手から未発見の状態で射撃すると、命中にもダメージにも、かなりのボーナスがあるみたい」

 

 

 となると、遠距離からの隠密射撃が最も有効な攻撃手段という事だ。上手くいけばその一撃でモンスターを倒す事が可能だし、倒せなくてもその敵がこちらに接近するまでに第二射、第三射と放つ事が出来る。

 なんとも、今までのSAOでは考えられない、全く違った戦法であった。

 

 

「……お前だけ別ゲーだな」

 

「でも、このスキルは私に合っている気がする。……最初は不安だったけど……」

 

 

 そう言って笑い、手元の弓《アルテミス》に視線を落とす。ステータス的に見れば、せいぜい名剣クラスのものだが、ユニークスキルはどれも威力が桁違いなので、足りない部分はそのスキルが補ってくれる。

 今にして思えば、シノンは最初からずっと使っていた短剣がいつまでも馴染む様子が無かった様な気がする。最初からシノンの適性は遠隔武器にあって、だから《射撃》なんてスキルが習得リストから顔を出したのかもしれない。

 

 

「ここで幾ら考えても机上の空論ね。実用レベルで使えるかはフィールドに出て試してみないと」

 

「……弓でフィールドに出るのは初めてか」

 

「ええ。丁度76層のフィールドにいるんだし、モンスターを探しましょう」

 

「……分かった。丁度良い奴を見繕ってやる。お前だけで倒せれば、攻略組として戦えるだけの力があると見て良い。……付いて来い」

 

 

 アキトはそう言って背を向ける。シノンはそのアキトの急な行動に目を丸くするも、すぐにその背中を追う。

 アキトは彼女の射撃が充分に活かせるであろう、見晴らしのいい場所を求める。以前この近くに細い川道があったのを思い出し、そのフィールドへと足を運ぶ。

 依然変わらず、色々な事を頭に思い浮かべながら。

 ラフコフのリーダーであるPoHの事、オレンジであるフィリアの事、正体不明なストレアの事、何処か表情に暗い影を落とすリーファの事、そして、自分の事。

 挙げればキリがないが、それでも、全部片付けなければいけないのだろうか。その足取りは気持ちを乗せ、ドンドンと重くなっている様な気がする。

 

 

「…ねえ」

 

 

 その場所へと歩を進める間、二人の間に会話は無く、沈黙を続けていた中、シノンが不意にアキトに声をかけた。

 

 

「…あ?何?」

 

「…最近…その、ちゃんと休めてる?」

 

「…んだよ急に」

 

 

 アキトはその足を止め、シノンへと振り向く。彼女はアキトの瞳を見据え、変わらない表情で口を開いた。

 

 

「…何だか、最近変わったわよね」

 

「……」

 

「そうね…余裕が出来たっていうか…。言葉にも皮肉が少なくなったしね」

 

「大きなお世話だ」

 

 

 アキトはバツが悪そうな顔のまま視線をずらす。そんなアキトに、シノンはクスクスと笑みを作っていた。

 実際、アキトは初めて出会った当初よりも今の方が好印象だと思う。シノンからすれば、態度や口調は横暴だったものが、今では偶に皮肉を混ぜるだけの、心根は優しいであろう性格が見え隠れしている様に見える。

 思えば表情も、柔らかくなったと思う。ふと偶に見える笑顔を見る事が出来るのが、シノンにとっては嬉しいものだった。

 明らかに、アスナ達との交流が切っ掛けになっているだろう。

 けど、だからこそ、最近のアキトには不安を抱かずには居られない。色んな事を考えて、悩んで、苦しんでいる様に見えて。キリトの死に泣いていた夜、怯える様に震えていた手、喫茶店で涙していた彼、その全てが、シノンの心を揺さぶった。

 

 

「……」

 

「…何だよ」

 

 

 周りには見せない様に、分からない様にしているだけで、彼はもうボロボロなのではないだろうかと、ふと感じる時があるのだ。

 なのに、彼はそれを打ち明ける事もせず、階層と《ホロウ・エリア》の同時攻略をやってのけている。

 その顔や歩く姿を見ていると、ちゃんと休んでいるのかが不安になってくるのだ。

 

 

 ─── 一体、何が彼をそうさせるのか。

 

 

「…まあ、お前が攻略組になって、ちゃんと戦力になってくれりゃあ、俺が休む時間も出来るってもんだろ」

 

「前は私の参加に乗り気じゃなかったじゃない」

 

「ここまで来ちまったんだ、今更だろ」

 

 

 そう吐き捨て、アキトは再び背を向ける。そんな彼の背中を見て、シノンはある事を思い出した。

 

 

「…アンタも後から攻略組になったのよね」

 

「…ああ」

 

 

 特に何かを言う事も無く、アキトは答えた。

 以前、一度だけアキトに聞いてみた事がある。あの時ははぐらかされてしまったが、今は答えてくれるだろうか。

 知りたいと、シノンがそう思った事に、アキトは答えてくれるだろうか。

 

 

「どうして攻略組に…いいえ、どうして強くなろうと思ったの?」

 

「……」

 

 

 アキトは再び足を止める。シノンには未だに背を向けており、その表情は伺えない。

 少しばかり、長めの間が生じる。この場に聞こえるのは、風に吹かれて靡く草木の音のみ。その風は二人の髪を揺らし、アキトのコートを翻した。

 シノンは、まだ聞くべきではなかったかもしれないと、軽く後悔をし始めていたが、やがて、アキトはポツリと口を開いた。

 

 

「……男なら、誰もが一度は考える、単純な理由だよ」

 

「…え?」

 

 

 キョトンとした顔をするシノン。アキトは、チラリとシノンを見た後、躊躇いもなく言い放った。

 

 

 

 

「好きな子がいて、その子を守る力が欲しかったんだ」

 

 

「……」

 

 

 

 

 彼のその言葉は、過去形だった。

 シノンは、思わず息を呑むのを感じた。

 

 

「…その子、今は…?」

 

「……」

 

「っ…」

 

 

 その沈黙がどのような意味を持つのか、彼女には分かっていた。分かってしまった。

 シノンは、やはり聞かなければ良かったと、後悔の念ばかりを抱いた。自身の過去は話さない癖に、アキトの過去ばかりを探って、それでいてこんなにも辛い話をさせてしまったなんて。

 

 

「…ごめんなさい…私、その…」

 

「あ?…まだ何にも言ってねえだろ。それに、もう過去の話だ。気にしてない」

 

 

 アキトはそう吐き捨てると、再び視線を前に戻した。

 

 ───その言葉が嘘なのは、すぐに分かった。

 

 以前までの彼なら、決して自身の過去の事など口にはしない。前にその様な流れになった時、彼が癇癪を起こす程に取り乱したのは記憶に新しい。

 たった一回怒鳴っただけで、その店全体は静まり返った。アキトのその表情が、とても悲哀に満ちていたから。あれからそれ程時間も経ってない。自分は、彼に話したくない事を話させたのかもしれない。

 なんて馬鹿な事を聞いたのだろうと、シノンは自分を責めるしかなかった。

 その顔を俯かせ、それでいて見失わぬ様にと、アキトの足元を見つめていた。

 

 

(…好きな、人…)

 

 

 その言葉が、頭の中で反芻する。何度も何度も。

 彼が強くなろうと決めた、その根源。それを聞けて、良かったと思う反面、それが気になるというのも嘘では無い。

 

 

 

『…俺が…守る、から』

 

『今度こそ…絶対に助けに行くから…間に合って…みせるから…だから…』

 

『もう…君を、一人にしないから…だから……独りに…しないで……』

 

 

 

 いつかの夜、自身の思い出した記憶を彼に話したあの日の言葉。

 

 

(…あの言葉は、きっと…)

 

 

 あれはきっと、自分に向けられた言葉じゃないのだと、そう気付いた。

 あの時はきっと、何か自分がアキトの過去に触れてしまう様な言動や行動をしてしまって、それで起きてしまった事故みたいなもの。

 

 あれは、アキトが好きな人に告げた言葉。

 そう思うと、何処か納得出来た反面、何処か切なかった。

 自分は最初から、思い違いをしていたのだと、恥ずかしくなった。

 

 

(馬鹿ね…)

 

 

 いつかアキトと自分は何処か似ていると、そう思った事がある。なら、自分の過去の話に触れられる事がどれ程の意味を持つのか理解出来た筈なのに。

 ただただ、考え無しの自分を責める事しか出来なかった。

 昔の自分と、いや、現実の今の自分の酷い顔と、彼の顔を、頭の中で照らし合わせながらそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(…言わなきゃ良かったな)

 

 アキトもアキトで、自分の発言、その浅はかさに嫌気がさす。だがそれでいて、そんな自分に僅かながらに驚いていた。

 まさか他人にこんな事を言う日が来てしまうなんて。良くもあんな事が言えたなと、寧ろ何処か感心を覚えた。

 どうしてか、口が滑ってしまったのだ。

 

 

(…案外、誰かに聞いてもらいたかったのかもしれない…なんて)

 

 

 この苦しみを打ち明ける事で、何もかもを楽にしたいと、そう感じたのかもしれない。張り詰めすぎた感情は、いつか何処かで決壊してしまう。ずっと何かを抱えている事など、精神的にも難しい。

 隠したい事、黙っておきたい事、辛い事、それらを話した時、お互いの関係は変わる。良い方向にも、悪い方向にも。

 だからこそ、話してしまったら。それをしてしまったら、自分は本当に彼らと繋がってしまう様な気がしてしまう。今度こそ失えない大事なものへと変わってしまうかもしれない。

 二度と失敗出来ないからこそ、彼らの事で間違えたくないと思う自分がいる。

 

 シノンはアキトを『変わった』と評した。

 だがそれは、以前リズベットに言った時と変わらない。戻っているのだ、前の、大切なものが出来た頃の自分に。

 そしてその大切な存在になりつつあるのは、目の前の彼女と、キリトの仲間達の事に他ならない。

 

 大切なものを手に入れ、そして失ったあの頃に戻るという事は、また失ってしまう日が来るかもしれないという事で。

 それは、アキトにとっては二度と経験したくないものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 目的地は、割とすぐに到着した。

 

 76層に位置するその草原フィールドの間は、一本の川のようなものが流れ、隔てられていた。その深い溝に、緩やかな速度で流れていて、木々も茂っている。

 遠くには森が見え、空の一部を遮っているが、それを除けば確かに見晴らしの良い場所だった。

 シノンもそれを理解したらしく、アキトに向かって問い掛けた。

 

 

「…試し撃ち、この辺りが良いんじゃない?見晴らしが良くて、狙いやすそうだけど」

 

「待ってろ」

 

 

 アキトはそれだけ言うと、近くの木に向かって駆け出した。根元近くで飛び跳ね、幹に足をかけると一気に跳躍し、近くの太い枝へと手を掛ける。

 その勢いに乗って体を上空へと移動させ、半回転して枝へと着地した。

 アキトのその軽快な木登りに、シノンは目を丸くする。

 

 

「…まるで猫ね」

 

 

 その感嘆する声を耳に、アキトはその枝から広範囲を見渡す。すると、川の向こう側に一匹、イノシシにも似たモンスターが一匹、トロトロと歩いていた。

 シノンの位置からだと、丁度向こう側の木の所為で視認出来ないかもしれない。

 アキトはそのイノシシを見つつ、下にいるシノンに言い放った。

 

 

「…川の向こうにモンスターがいる」

 

「私でも倒せそうなの?」

 

「余裕だな、距離も充分だ。…そこからだと木が邪魔で見えねえから、ちょっとずれろ」

 

「待って、私もそっちに行く」

 

「…ちょっと待て。んじゃ俺が下りる……っておい…!」

 

 

 アキトが発言し終わる前に、シノンが木に登って来ていた。アキトは思わず声が大きくなる。

 だがシノンは関係無いといった様子でアキトのいる枝に辿り着いた。

 

 

「高い所の方が狙いやすいし、飛距離も稼げるでしょ」

 

「二人乗るには狭いんだ……って……はあ……」

 

 

 またもやアキトが言い切る前に、シノンはアキトと同じ枝に身を乗り出す。その視線の先は、ずっとイノシシに向かっていた。

 これはもう射撃の事しか考えてないなと、アキトは溜め息を吐く事しか出来ない。

 シノンは辺りを見渡した後、背中に畳まれた弓を手に取った。

 

 

「射撃ポイントとしては、この枝が最適みたいね。ここから狙うわ」

 

 

 腰に収められた矢の一本を、その弓に添える。その様子は、さながら歴戦のプレイヤーのそれと遜色無い様に見える。

 シノンはその弓で矢を引き、そして伸ばす。その矢の先には、ドロップした肉が美味しいらしいと評判のイノシシモンスターが。

 

 

「…ターゲット補足」

 

 

 シノンの瞳はギラりと光が灯り、その矢を一気に引き絞る。

 アキトは邪魔しない様にと、その枝から降りようと身を動かした。

 しかし、シノンにとってそれは癇に障った様で、その眉を顰める。

 

 

「モゾモゾ動かないで、標準がブレる」

 

「…いや、二人は狭いんだって」

 

「あと喋らないで、気が散る」

 

「……」

 

 

 あまりにも理不尽。

 そもそも自分を木から下ろしてさえくれれば良かったのに、と思わなくもないアキト。今更ではあるが。

 

 

 だが、集中出来てないのはシノンも同じだった。

 先程アキトに話を聞いてしまった事の後悔と、彼の言葉が頭から離れない。アキト本人は普通にシノンに振舞っているが、内心どうなのかは分からない。

 その所為で、ここに来る前に何度か放った筈のスキルモーションに中々移れないのだ。

 

 

「っ…」

 

 

 しかし、そうして構えを固めている内に、シノンの矢が光を放ち始める。その光は、ソードスキルの光。弓である為に、『ソード』スキルとは呼び難いが、種類は同じものだろう。

 エメラルドグリーンに輝きを放つその矢を、シノンは一瞬で発射した。

 

 だが、集中してなかったシノンは、そのスキルの威力、その反動を考慮した姿勢をとっていなかった。加えて、今彼女がいるのは不安定な木の枝。

 

 その矢は見事、モンスターを貫通し、ポリゴン片へと姿を変えた。だが、喜ぶ間も無く、シノンの足は枝から滑り落ちた。

 

 

「っ、きゃあ!」

 

 

 シノンは体勢を崩し、そのまま落下していく。

 枝から離れ、真下にある川へと向かって。

 

 

「────」

 

 

 その瞬間、アキトの瞳には二つの光景が重なって見えていた。

 落下していくシノンと、そしてもう一つ。

 

 

 

 

 かつての仲間が、こちらに背を向けて飛び降りる光景が。

 

 

 

 

「っ…シノン!」

 

 

 

 

 アキトは咄嗟に、シノンのその腕を掴んだ。前のめりになった為に、上手く枝の上でバランスが取れない。

 シノンは、掴まれたその腕とアキトを交互に見て、やがてその目を見開いた。

 自分の落下を、アキトが助けてくれたのだと察したのだ。

 

 

「ア…キ、ト…」

 

「…待ってろ…今、引き上げるから…」

 

 

 アキトのSTR値なら、シノンを引っ張り上げる事は造作もないが、咄嗟の事だった為に、今自分がいるのが木の枝という不安定な場所だという事もあって、上手く引き上げる事が少しばかり難しい。

 何より、アキトの表情がとても辛そうなのを、シノンは一目で察したのだ。今のこの状況が辛いのか、でもそれだけじゃない様にも見える。

 まるで、怯えている様だった。

 

 

 シノンは困惑しつつも下を見下ろした。

 最悪、落ちてもすぐ下は水面なので、ダメージなどは発生しない。アキトも辛そうだ。これ以上無理はさせられない。

 シノンは慌てて口を開いた。

 

 

「あ、アキト…ここから落ちたって、下はすぐ川だし、大した事な────」

 

「嫌だ…!」

 

「い、嫌って…」

 

「約束…しただろ…」

 

「え……?」

 

 

 その言葉に、シノンは瞳が揺れる。

 アキトは今にも泣きそうな程に、顔を変えていて。

 

 

「……必ず、助けるからって……独りにさせないって……だから…俺を…俺を独りに…………!」

 

「……」

 

 

 その声はとても小さくて、よくは聞こえなかった。でも、所々は聞こえており、シノンはその口を噤んだ。

 

 どうせ落ちたって、ダメージ一つ無いというのに。

 独りも何も、自分はずっとアキトの近くにいたのに。

 アキトのその言葉は、かつての大切な人へのものなのに。

 

 

 見れば見る程に、痛々しいアキトを、シノンはぶら下がりながら見る事しか出来ない。

 だけど、これ以上は見ていられなかった。

 彼女は意を決した様に、キッとアキトを見上げると、すぐに行動へ移した。

 シノンはアキトの腕をもう片方の手で掴む。

 そして────

 

 

「────っ!」

 

 

 

 その体を大きく揺らし始めたのだ。

 

 アキトは思わずその顔を驚愕のものに変えた。

 支えが効かないその体が、左へ右へとずれていく。

 

 

「お、おい!シノン、テメ、何して……うわぁ!?」

 

「ひゃあっ!?」

 

 

 案の定、アキトは枝からシノン同様に滑り落ち、シノン諸共川へと落ちていった。

 勢い良く水が跳ねる音が、静かな草原に響き、その辺りを水飛沫で濡らした。

 川といっても、とても浅く、流れも緩やか。アキトとシノンは真下に叩き落とされただけだった。

 

 アキトは下敷きになっている柔らかい何かを感じながら、ゆっくりと上半身を上げる。

 

 

「シノン、お前何しやが……る……」

 

「っ……」

 

 

 アキトは思わず目を見開いた。

 

 下にいたのは、シノンだった。

 

 

「……あ」

 

 

 まるで、アキトがシノンを押し倒しているかの様に見えるこの光景。

 顔が赤くなるシノンを見て、アキトは咄嗟に飛び起きようとした。

 

 だが、その瞬間、シノンがアキトの胸ぐらを引っ掴み、自身の元まで引き寄せた。

 アキトとシノンの顔は、まさに目と鼻の先。アキトは何も言えず、言葉が詰まる。

 それに対して、シノンは頬を赤らめながらも、アキトに向かって小さく口を開いた。

 

 

「っ……な……」

 

「……アンタが言い出したんだからね」

 

「え……」

 

「…独りになんか、させてやらないわ」

 

 

 その一言は、アキトがずっと待ち望んでいた答えだった。

 アキトは自身の瞳が開かれ、体が震えるのを感じた。

 

 かつて、『独りにさせない』と、そう約束した女の子がいた。

 そして、その女の子を失い、『独り』になったのは自分だった。

 独りぼっちはとても怖くて、どうにかなりそうだった。だから、独りでも生きていける強さが、何かを守れるだけの力が欲しかった。

 

 ここに来るまで色々なものを、アキトは失った。

 失って喪って、壊して、壊れて、進んで来た。

 一つ一つ、大切な何かを置き去りにして。

 振り返れば、得たものよりも失くしたものの方が大きかった。

 

 

 そんなアキトにとって、シノンのその言葉はとても大きな意味を持つ。

 

 

「…あ…っ……え、……」

 

「…大丈夫よ。アンタは独りじゃない。私だけじゃない、アスナ達だっているもの」

 

「……シ、ノン……」

 

「だからアンタも……独りにならないでね」

 

 

 水に濡れた髪は、頬に張り付いており、服は、体をピッタリとくっついている。

 とても妖艶な彼女に、アキトは視線を逸らせない。シノンもまた、アキトから目を離さない。

 シノンは、やがてアキトからその手を離し、アキトはそれに合わせて起き上がる。シノンも、その後に起き上がった。

 互いに互いの濡れた顔と体を確認した後、シノンは再び頬を赤く染めた。

 

 

「……あんまり見ないで」

 

「……悪い」

 

 

 アキトは視線を森へと向け、シノンはアキトに背を向ける。

 彼が立ち上がるのを水の音で感じ取り、そんな彼に視線だけをむける。

 

 

「…ねぇ、アキト」

 

「…何?」

 

「…まだ、その子の事、好きなの?」

 

「な、何だよ急に…」

 

 

 アキトはシノンに不機嫌そうな顔を向けるが、シノンのそのこちらを見る表情を見て考えを改めたのか、視線を向けずに答えた。

 

 

「……ああ……好きだよ……」

 

「…そっか……ふふっ」

 

「……何だよ、何の意図があったんだよっ…!」

 

「いいえ、素敵な理由だと思ったのよ。……私とは大違いね」

 

「……」

 

 

 シノンはそう言うと、その顔に暗い影を落とす。

 アキトはそんな彼女にかける言葉を、必死に探した。こんな時、自分は無力なのだと痛感しながら。

 アスナの時も、シリカの時も。リズベットの時だってそうだし、最近じゃリーファもそれに当て嵌る。

 

 

「…さあ、服が乾いたら、続きをやりましょう。今の一回じゃ、まだ弓の性能は何とも言えないわ」

 

「…ああ、そうだな」

 

 

 乾いた声で、そう答えた。

 それしか言えなかった。

 

 

 

 

 自分は、誰かに慰めてもらって、助けて貰って、それだけだった。

 自身の目指す『ヒーロー』には、程遠い事を痛感した。

 

 

 

 




その後のレベリング

アキト「……」

シノン「?…何よ?」

アキト「…百発百中の上に一撃って…アマゾネスか何かなのお前」

シノン「…今日はその……少し、調子が良いみたい」

アキト(……何で見られてんの俺)


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Ep.51 ままならない世界


忙しい!モチベも低下しつつあり!

急いで上げたので、拙い文章かもです。
急いで書いてても、上手く書けるようになりたいです。
誤字も目立ちつつあります。いつも報告してくださる方々、ありがとうございます!

それでは!どぞ!




 

 

 アークソフィアにある、噴水広場に位置するカフェ、そのテラスから見える噴水には、カップルと思われる人達が何組か座っており、話に花を咲かせている。

 ふと懐かしさを感じさせるその光景に、アスナは軽く笑みを作る。

 あまり知られてはいないが、あの噴水から湧き出る水は、コップ一杯分飲むとHPが1回復するという効果があるとされている。

 前にユイと二人で街中を歩いていた時に教えて貰った事を、アスナは覚えていた。

 

 

 「……」

 

 

 アスナは何もせず、ただその様子をボーッと見つめながら座っていた。

 日はまだ高く、いつもなら攻略へと赴く時間。《ホロウ・エリア》ばかりに気を取られる訳にもいかず、上層の攻略もアスナの仕事、引いては血盟騎士団現団長としての責務である。

 だが、今日は攻略に出掛ける事もしなければ、ただカフェに入り浸り紅茶とケーキを嗜むのみ。

 それらも全て食べ終え、現在はからの容器がテーブルに並ぶのみ。本当に何もせずに惚けているだけだった。

 

 

 ただ、頭の中には、先日の光景が。

 《ホロウ・エリア》でのアキトの姿か浮かんでいた。

 

 

 「……」

 

 

 フィリアを含めた三人での攻略、その後に発見した、《ラフィン・コフィン》の残党。

 そして、その殺人ギルドのリーダー、PoHの存在。

 アスナもフィリアも確かに驚いてはいたが、アキト程ではなかった。

 その体は小刻みに震え、その両手は頭を抱えて蹲っていて。小さく漏れる声にも、恐怖の色が感じられた。

 普段あれ程強気なアキトの姿が嘘の様で、あんな彼は初めて見て。アスナは、胸が苦しくなる思いに駆られた。

 

 

 「……どうして」

 

 

 こんなにも心が痛むのだろう。彼は確かに仲間だけど、それ程仲が良い訳じゃないのに。

 何度も助けてくれたから、恩義を感じているのは確かだけど、それだけじゃない様な気がするのだ。

 

 

 

 ── 君の事は私が……私達が守るから ──

 

 

 

 「……」

 

 

 自然と出てしまった言葉だけど、嘘偽りは決して無い。あの時の怯えた彼は、確かにそんな自分の手を握ってくれたのだ。

 アスナは、自身の両手をテーブルの上に出し、それを見下ろす。

 あの時、両手で掴んだ彼の手は、とても冷たく感じた。優しくて、誰よりもみんなの事を考えてくれていた彼の、氷の様に冷たく、無機質な手。

 

 分からない。知りたい。

 何故彼が、あれ程までに変わったのか。何故、あんなにも怯えていたのか。

 PoHと以前何かあったのだろうか。それとも、何かを思い出してしまったのか。

 

 

 何も、知らないのだ。彼の事を。

 

 

 「っ…」

 

 

 アスナは、広げたその掌を、力強く握り締めた。

 怒りか、哀しみか。アスナはただ悔しかった。助けてもらっておいて、彼に対して何一つ返せていないその事実に。

 何もかも見透かして、自分の事を諭してくれたのに、自分はアキトという人間に関しての一切の事を知らなかったなんて。

 周りは彼に助けてもらっていて、彼だけは救われてないだなんて、そんな話があるだろうか。

 

 

 カフェから出たアスナは、溜め息を吐きながら街道を歩いていた。日は高い為、人通りも多く、何人ものプレイヤー達とすれ違う。

 その中に、あの黒いコートの少年はいない。最近、気が付けば彼を目で追ってしまっている事に、自覚はあった。

 初めて会った時から、その他人とは思えない雰囲気に、きっとずっと惹かれてた。キリトに良く似たその少年の事を、誰よりも強く意識していた。そんな彼が誰よりも気に食わなかったし、誰よりも嫌いだった筈なのに。

 なのに────

 

 

 「……何、してるんだろ」

 

 

 アキトという存在が、キリトと関わりの無いものに見えなくなってしまってから、ずっと彼が気になって仕方が無かった。なんていやらしい女なんだろうと自分を卑下しても、根の方は相も変わらずキリトの事でいっぱいだった。

 アキトとキリトには、何か関係があって、アキトという少年が、キリトに見えて仕方ないから、こんなに心配しているんじゃないのかと言われたら、きっと否定出来ない。

 

 

 彼に、アキトに近付くこの気持ちは、下心だろうか。

 

 

(……でも)

 

 

 それでも。

 助けてくれた事に感謝して、自分も彼の力になりたいと思ったこの気持ちには、キリトとの関係無しに嘘偽り無いものだった。

 それだけは、胸を張って言い切る事が出来るものだった筈なのだ。

 彼の抱えてるものを、少しでも共有出来たなら。彼の心を支える事が出来たなら。きっと自分の時の様に────

 

 

 「あれ……?」

 

 

 ふと、視線が目の前へと向かう。その先には、今までずっと考えていた黒いコートの少年がこちらに背を向けて歩いていた。

 

 

 「アキト君……?」

 

 

 その背中はここからは離れている為、この声は届かない。だが、ここから彼の背中は良く見えた。

 フラフラと、左右に体が揺れていて、今にも倒れてしまいそうで。

 

 アスナは、思わずその足を速めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼に悟られぬ様に、一定の距離を空けて付いていく。だが、歩むその道はとても変わっていた。

 アキトの進んでいくその道は、ドンドンと狭く、細くなっていった。街から外れ、人気の無い場所へと足を運んでいた。

 この街を根城にしているアスナでさえ、こんな抜け道は知らない。アキトが何処に行こうとしているのか、この先に何があるのかさえ、未知の領域。

 彼の事を何も知らないという事実と合わさって、胸が痛かった。

 

 

(私、知らない事ばかりだな……)

 

 

 そんな事を考えていると、やがてその建物と建物の間の細道の先から光が差し込むのが分かった。自分の現在地も分からないアスナにとって、その光は救いに思えた。

 この先に彼がいる。この先には何があるのだろう。アスナはその光に目を細め、その道を抜けた。

 

 

 

 

 

 

 「わぁ……」

 

 

 その景色に、アスナは目を見開いた。何処までも続いている様に錯覚させる湖に、ポツリと浮かぶ島の様な街、辺りに広がる芝生や、綺麗な花々。

 透き通った湖が、青い空をくっきりと映し、陽の光が乱反射している。通り抜ける風がとても心地好く、アスナは心が晴れるようだった。

 

 

 「綺麗……」

 

 

 アスナはその瞳を輝かせる。現実世界では決して見られない様な景色が、そこにはあったのだ。自然の豊かさを感じさせるこの場所は、アスナのお気に入りの場所になりそうだった。

 

 そうして辺りを見渡していると、その丘の下りに仰向けになるアキトを見付けた。

 高揚としたテンションが、一気に戻るのを感じた。そうだ、自分は彼を追い掛けてここまで来たんだ、と再確認したからだ。

 だがアキトは、アスナのいる方向へと視線を動かしただけで、特にアスナに何か言う事はせず、また視線を目の前の景色に戻した。

 

 勝手に付いて来た事に関して文句の一つでも言われるのかと思っていたのに、何も言ってこない彼に、少し肩透かしを食らったアスナ。その反面、何も言ってくれないのも癪に障った。

 アスナはその丘をゆっくりと下り、アキトより少し離れた場所に腰掛けた。そして、目の前の景色を、アキトと同じ景色を眺めた。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……何か用か」

 

 

 何も言わないアスナに痺れを切らしたのか、アキトは溜め息を吐いてそう言った。

 だが、思ったよりも怒気を孕んでいる様には感じないその物腰に、アスナは疑問を抱いた。

 

 

 「…もしかして、付いて来てたの気付いてた?」

 

 「…まあな」

 

 「だったら…どうして何も言わなかったの?」

 

 「態々言うのも面倒だったし、別にいいかなって思っただけだ」

 

 

 その態度は、やはり先日よりも柔らかい。つい最近までは、皮肉の一つも吐いて会話をしていたのに。

 何か、彼の中で変わったのだろうか。だとしたら、それは、みんなのおかげなのだろうか。

 アスナは笑みを浮かべて景色へと視線を戻した。

 

 

 「……アークソフィアにこんな場所があったなんて知らなかったなぁ……どうやって見付けたの?」

 

 「…別に。歩いてたら普通に」

 

 「良く来るの?」

 

 「……関係無いだろ、別に」

 

 

 特に文句を言う訳でも無く、アキトは淡々とそう答える。そんなアキトにアスナは微笑む。

 

 

 「好きなんだ、この場所」

 

 「ここだって、偽物の景色だけどな」

 

 「…でも、私はここで過ごした時間は本物だと思うな」

 

 「……」

 

 

 アキトはバツの悪そうな表情になる。

 そんな彼を見て、アスナは聞いてみたかった事を聞く事にした。

 

 

 「君の、君にとっての仮想世界って…どんなもの?」

 

 

 今まで彼は、ずっと周りに嘘を付いていた。この世界は偽物、人の業、本当はそんな風に思っていなかったのに、自分の為に嘘を付いたのだと、アスナは思っていた。

 勿論、彼も心の中ではそう思っているだろうけど、それでもどこかに割り切れない気持ちがある筈だから。

 

 

 「教えて、くれる?」

 

 「……」

 

 

 だから、真摯に聞いてみたいと思った。

 アキトは暫く沈黙を続けていたが、やがてポツリと、その口から言葉が漏れた。

 

 

 「……ままならない、ところだって思った」

 

 「ままならない?」

 

 

 アキトのその発言に、アスナは首を傾げる。だが、何を言おうとしているのか、本当は心のどこかで理解していたのかもしれない。

 アキトのその遠くを見据える瞳を見て、アスナは息を呑んだ。

 

 

 「レベル制のこのゲームじゃ、その場限りの全力とか、火事場の馬鹿力なんてラッキーは無い。毎日レベル上げして、努力しないといけない」

 

 

 努力した分だけ、確実に自身の力になるのがこのゲーム。

 その自身の行いに、カーディナルは確かに応えてくれる。上げたレベル分、ステータスに反映され、それを見て歓喜して、再びレベルを上げる。

 ゲームという事もあって、この世界の人はレベル上げに関してだけは簡単に努力出来る。

 

 

 「だけど、『死の恐怖』だけは、鍛えようが無いだろ。どれだけレベルを上げたとしても、その恐怖を克服しなきゃ結局は死ぬ」

 

 

 現実世界よりも簡単に人が死ぬこの世界では、努力しようが無いその『死の恐怖』は、レベルだけではどうにもならないのだ。

 自分は強いから、レベルは高いからと、そう思っても、目の前に現れる、現実世界では決して見る事の無いそのモンスターに怯え、苦しむのは仕方が無い。

『努力』を簡単に踏み躙る程の『恐怖』、それは理不尽極まりない。自身の積み上げてきたものが、それだけで崩壊してしまうのだから。

 どれだけ頑張っても、理不尽な『恐怖』が全てを帳消しにする。

 

 

 「『努力は裏切らない』なんてのは、現実の価値観が作り出した幻想だなー…とか」

 

 

 アキトは儚げに笑ってそう答えた。アスナは何も言えずに、複雑な表情を浮かべる。

 アキトは続けて口を開く。

 

 

 「現実なら、知らない国でも飛行機で簡単に行けるけど、この世界では、知らない場所に一瞬で行くなら、アクティベートしなきゃならない」

 

 

 その伸ばした手は、虚空を掴む。

 

 

 「電話やチャットが無いから、態々メールを打たなきゃならないし、誰かの居場所を探すなら、フレンド登録しなきゃならない。現実で出来た筈の料理は、スキルが無いと作れないし。当然だと思っていた事が、何にも出来なくなってさ…」

 

 

 今まで当たり前に出来る事でも、この世界では、その一つ一つが困難で大変で、辛く険しい道のりで。

 アキトは伸ばしていた腕を下ろし、地面へと付ける。

 

 

 「現実世界で出来た事が、この世界じゃ出来なくなって。その代わり、現実世界じゃ絶対にやらない事を、この世界でして、さ。そういうもどかしさって言うか……そういうのを感じてる」

 

 「…絶対に、やらない事?」

 

 「…こんなに必死になって、剣を振るなんて思わなかった」

 

 

 アキトは目を細め、目の前の景色に視線を動かす。

 先程まで高かった日は、次第に下へと移動し、その空はオレンジ色に変色していく。

 

 アキトにとってのこの世界、初めて入った時はこの世のものとは思えない程の景色に感動したのを覚えている。

 この世界なら、きっと────。そう思っていた。この仮初めの世界なら、嘘偽りだらけのこの世界なら、きっと自分は自分でなくて良い。現実とは違う自分でいられると、そう思った。

 

 だがデスゲームと化して、この世界でも『命』の重さは現実とは変わらない事を痛感して、いつも周りを傷付けてばかりだった現実を思い出して、どこか諦念を抱いていた。

 

 ああ、この世界でも自分は、自分でしかないのだ、と。

 

 

 ────そう、

 この世界を本物だと、誰よりも強く感じていたのは、他ならぬアキト自身だったのだ。

 

 

 「利己的な目的で上げてたレベルが、誰かの為になる。そう思うと、その苦行がとても意義あるものに思えて、嬉しかった。ずっと、他人の事なんて考えてなかった筈なのに。自分が生き残る為に、そう思ってた筈なのに」

 

 

 現実で誰かを傷付けるだけだった自分が、失うだけだった自分が、仮想世界では誰かを助け、救う事が出来て、生かす事が出来て。

 

 

 「大切な誰かを生かす、活かす技みたいなものが、必要だと感じる様になって。守りたいと思えるものを、護れるだけの力が欲しくなって」

 

 

 その為だったら、何だってやった。慣れない武器を振るい、熟練度を極め、レベルを上げて。

 誰かの為に、みんなの為なら、あの頃はとても頑張れた。

 そんな自分に、一番驚いていたのは自分自身だった。現実世界での出来事、境遇、歩んで来た人生、それら全てを体感して諦観した結果が、あの頃の自分だった筈だから。

 ずっと、周りの人などどうでも良かった。ヒーローを目指していた筈なのに、救うべき人を、アキトは見つめてはいなかったのだ。

 

 

 それを教えてくれた人達も、もうこの世にはいない。

 

 

 気が付けば、辺りも随分とオレンジ色に染まっていた。シリアスなムードを作ってしまった事で我に返る。

 アキトは誤魔化す様に溜め息を吐き、上体だけを起こした。

 

 

 「…アホらしい、なんでお前なんかにこんな話───」

 

 「私も…この世界に来たばかりの頃はそうだった」

 

 

 アスナのそんな発言で、アキトの言葉は遮られる。

 アキトはふと、声のする方へと視線を動かす。

 

 

 「自分の事で精一杯で、ログアウトする事だけを考えてた。この世界でのんびり過ごしている間に、私達の現実世界での時間が失われていく事が怖かった」

 

 「……」

 

 「だけど、この世界で過ごしていく内に、見えてなかったものが段々と見える様になって……大事な友人と、大切な人が出来て」

 

 「……」

 

 「この世界で生きている時間も、私にとっては大切な、本物なんだって思う事が出来た。全部……全部、キリト君のおかげ……」

 

 

 寂しそうに笑う彼女の瞳は、目の前の水平線に沈もうとする夕日が映る。

 膝を抱えて俯く彼女のその姿は、彼の死を乗り越え切れてない事実を顕著に表していて。

 

 

『君の事は私が── 私達が守るから』

 

 

 大切な人を守れなかったアスナ。あの言葉を自分に向ける事に、どれ程の勇気が必要だっただろうか。

 約束を違え、死なせてしまったアスナ。また破ってしまうかもしれない、死なせてしまうかもしれない、そんな恐怖は無いのだろうか。

 

 そんな彼女が、再び『守る』という言葉を口にする、その勇気に、アキトはどこか申し訳なさと、悔しさを感じた。

 自分じゃきっと、同じ約束をすぐにしたり出来ない。

 思わず、その口が開いた。

 

 

 「…悪かったな」

 

 「え…どうしたの急に?」

 

 「この前、その…急に取り乱したりして…」

 

 

 《ホロウ・エリア》でのPoHとの邂逅、その際に生じた体の震え、失ってしまう事の恐怖。

 それら全てを、あの時アスナは抑えてくれた。あの時、手を握り返しただけで、ちゃんとお礼も謝罪も出来ていなかったから。

 

 この世界は、確かに現実世界と何ら変わらない。この世界でも人は空腹に見舞われるし、眠たくもなるし、そして、死ぬ事だってある。

 誰もが苦しみを抱いて暮らしていて、それはキリトを失ったアスナも、仲間を失ったアキトも同じだった。

 なのに、あの時だけは、アキトよりもアスナの方が強かった。自分がずっと、守らなければならないと思っていたのに、いつの間にか救われていて。

 キリトを失ったばかりの当初は、あんなにも荒れていたのに、今はそんな雰囲気をまるで感じない。立ち直っている訳でも、乗り越えた訳でもないのに、その表情はどこか凛としていて。

 

 これが、かつて憧れた攻略組筆頭、《閃光》のアスナなのだと、そう思った。

 

 

 アスナは謝られた理由を思い出して、軽く笑った。何を笑われているのか分からず、思わず顔を顰める。

 だかアスナから返ってきた言葉は、予想外の言葉だった。

 

 

 「困った時はお互い様でしょ、私達は仲間なんだから」

 

 「っ…」

 

 「…あの時の言葉、嘘じゃないよ」

 

 

 アスナはその丘を立ち上がり、アキトの元まで下りる。そして、アキトの横に並ぶと、そのすぐ側で腰掛けた。

 アキトは驚いて目を見開くが、アスナは膝を抱えたまま、こちらを見つめると、優しい笑みを浮かべた。

 

 

 「君の事は私が、私達が守る。だから、君も、私達を……」

 

 「……」

 

 

 私達を、信じて欲しい───なんて、そんな強要は出来なくて、アスナは思わず口を閉じ、視線を逸らした。

 今まで、ずっと自分達を守ってくれたアキト。人を助けるのは当然なのかもしれないけれど、アキトは命を懸けてまで守ってくれた。

 普通ならそんな事は出来ないし、何か理由があるのかもしれない。けれど、お互いにお互いの事を何も知らない。

 そんな相手に、私達を信じろだなんて、そんな事は言えなかった。

 

 

 ─── だけど。

 

 

 「───ああ、」

 

 「え……」

 

 

 ふと、声を出したアキトの方を、掠れる様な声で応える。アキトには聞こえていなかったかもしれない。

 自然と、その視線が再びアキトの元へ向く。

 

 

 「…守るよ、必ず」

 

 「っ…」

 

 

 アスナは、その言葉で何故か涙が出そうだった。

 あんなにも脆くて、儚い、幻の様な少年が、こうして自身に笑みを浮かべてくれて。

 

 

 それだけで、充分だった。

 アスナは、決して涙は流さず、ただただ笑顔だった。

 目の前の、キリトの面影を持った少年の前で、これ以上弱い自分を見せない様に。

 

 

 「…うん。ありがとう、アキト君」

 

 

 確かに、自分達はアキトという少年の事を何も知らない。

 アキトは、もしかしたら自分達を知っているのかもしれない。

 知らないのは、自分達だけかもしれない。

 

 

 だけど、知っていくのは、これからでも良い。今すぐじゃ、なくてもいい。

 彼が私達の事を、仲間だと思ってくれる、そう言ってくれる日を待とう。

 

 いつか、キリトと交わした約束。

 守り、護られる関係。今度こそ、その誓いを違えぬ様に。

 キリトが歩んで来た道を、自分も精一杯進める様に。

 

 アスナは軽く、アキトに微笑んでみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな時間など、あまり残されていないというのに。

 

 





アスナ「ねぇ、明日はどうするの?」


アキト「…《ホロウ・エリア》の遺跡塔の上に行k」

アスナ「私も行くわ」

アキト「……階層は?」


キリトの仲間達(女性陣)、みんな戦闘好き過ぎぃ…( )


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Ep.52 空を統べる王者の剣



遅れました。
今回は戦闘描写のみ。苦手分野なので、あまり面白みは無いかもですが、以前のエリアボスの時よりは工夫して書きました。
多分、大丈夫!多分…!多分!!!

それでは、どうぞ!



 

 

 

 《バステアゲート浮遊遺跡》の中心部、天空へと向かって聳え立つその塔は、システム的に封じられていた。

 

 そのロックを解除する為の『竜王の証』。言ってしまえば、それはアイテムだった。

 《竜王の巣》という回廊エリアの最深部《竜の玉座》に佇むボス、《ターミナントドラゴン》の討伐が、入手のキーとなっていたのだ。

 アキトとアスナ、フィリアの三人は、そのボスを上手く連携して倒し、早い時間でそのエリアの攻略を終えた。

 

 手にした『竜王の証』を遺跡塔の前の橋、光の壁の前で掲げると、その壁は証に反応し、消えていった。

 その橋の向こうには、ずっと目指していた遺跡、その塔だった。

 目的地は更にその上、初めてこのエリアに入った際に出会った、あの巨大なドラゴン。恐らくあれがエリアボスで、倒せばこの広大な《ホロウ・エリア》での行動範囲が広まるであろう。

 

 塔の中は薄暗く、中には機械仕掛けのモンスターも居れば、騎士型のモンスターも蔓延っており、言うまでもなくレベルも高かった。

 数の暴力がこのエリアで一番死亡の可能性が高い為、それぞれ手分けして戦う戦法よりも、三人で1体を着実に倒す戦闘法に変えていた。

 

 その間、アスナはアキトの戦闘に釘付けだった。

 《剣技連携》は然る事ながら、一番変わったのは、二人へ指示を出す様になった事だった。

 元々、周りを見る事に長けていた彼が、咄嗟の命令ではなく、予め考えていた連携を提示してくれたりする事が多くなったのだ。

 スイッチも率先して行い、危なくなったらさり気なく庇ってくれる。

 段々と変わりつつある、キリトに似た少年から、アスナは目を離せなかった。

 

 

 

 そして、現在。

 アキト達はバステアゲート遺跡塔、その外壁にいた。

 

 

 「うひゃぁ…高い…」

 

 「本当…色んなものが小さく見える…」

 

 

 フィリアとアスナは下に広がる景色を見ようと、顔を恐る恐る覗き込む。

 薄く雲が張っており、その下に今まで自分が攻略に勤しんでいたエリアである樹海や洞窟が、アスナの言う通り小さく見えていた。

 今彼女達がいる場所も、ある程度は広いが、壁になるものが何も無い。突風が吹こうものなら、為す術無く飛ばされ、落下していくだろう。

 

 アキトはその様子を横目に、彼女達とは反対方向に視線を向ける。

 そこには頂上に向かって、塔の周りを螺旋状に繋がる階段が存在していた。

 ゴクリと、唾を飲み込む。

 

 

(…この先にエリアボスが…)

 

 

 体がぶるりと震える。それは恐怖からか、武者震いか。その拳を強く握り締める。

 あの時見たドラゴンがエリアボスならば、空を飛ぶモンスターとの戦闘という事になる。広げた翼はかなり大きかったし、それに近付けば風圧だってある。

 塔は頂上に行くにつれて面積が小さくなっている為、恐らくボスとの戦闘エリアは狭い。ボスの翼の風圧だけで、最悪塔から落ちる事も考えられる。

 前回とは明らかにレベルの高い精密さを求められる戦闘になる事に、アキトは眉を顰める。

 

 

 「アキト、頑張ろうね」

 

 

 背中から声を掛けられ、ハッと我に返る。振り向けば、そこには小さく笑みを浮かべたフィリアが立っていた。何時に無く気合いが入っており、それらしい表情になっている。

 先日アキトが不甲斐無い一面を見せた反動だろうか。そう思うと、素直に喜べないアキト。心の中で苦笑した。

 フィリアだって、きっと何かアキトに問いたい事があるだろう。だけど、それを聞いて来る事はしない。それは彼女の優しさなのか、何にせよ有難かった。

 

 

 「アキト君」

 

 

 その声に、アキトは思わず体を強張らせる。声のした方を向けば、案の定もう一人の少女、アスナが立っていた。

 アスナはこちらを見ると、優しく笑みを浮かべた。エリアボスとの戦闘前に固いアキトを解そうとしたのかもしれない。

 だが、アキトにとっては逆効果でしかなかった。

 

 

 「…大丈夫だよ。私が君を────」

 

 「っ…あ、ああ、分かってるから、言わなくていい」

 

 

 アキトは目の前で手をブンブン振り、アスナの言葉を制した。アスナはそんな珍しいアキトの反応に首をかしげる。

 彼女の言いたい事など、聞かなくても分かっていた。昨日の約束の事だろう。

 だが、アキトにしてみればあまり掘り返して欲しくない案件でもある。昨日の今日でアスナとまともに話せる訳が無い。

 大体、何故彼女はこう、聞くとこちらが照れる様な発言をポンポン言えるのか。一度言えば、もう充分じゃないか。一度聞いたのだから、もう別にいいじゃないか。

 最近色々な事に首を縦に振るからこんな事になるんだろうな、と大体察しはついているが。リーファとのクエストや、シノンとの射撃の訓練、そして目の前のアスナ。最近は何とも濃い日々を過ごしている。

 

 段々と、彼らに対する壁が薄くなっている事も、少なからず感じていた。あの頃の懐かしさを、彼らに重ねて見てしまっているのかもしれない。

 少しだけ、後悔を抱いた。

 

 

 「…じゃあ、行くか」

 

 「うん…!」

 

 「ええ…!」

 

 

 アキトは気持ちを切り替え、階段の先を強く睨み付ける。見上げたその先に、倒すべき敵がいる。

 アキトは、最初の一段目を、強く踏み抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 登った先は、円形状のフィールドだった。

 特に障害物がある訳でも無い、塔の頂上。

 その周りを柱が囲っており、外側からの攻撃を遮断する、巣の壁の様な役割を感じさせた。

 

 何もいない。ただ、高所特有の突風を肌で感じる。その風の切り裂き音が聞こえる。

 そして気付くは、その場所が影になっている事。

 三人は思わず、真上を見上げた。

 

 

 

 その塔の頂上、その更に上。

 

 

 

 ────そこに、奴はいた。

 

 

 

 紺色よりも濃い、黒より淡いその体は細身ながら、その翼は倍以上に大きい。長い首を伸ばし、その白い眼はこちらを見つめて離さない。

 首同様に長い尻尾の先は剣になっており、とても鋭い。

 想像よりも狭い戦闘エリアで、そのドラゴンは大きく咆哮した。そのビリビリ来る様な衝撃は、アキト達の髪、装備を靡かせた。

 その雄叫びが終わる頃、その頭の隣りにHPバーが三本表示された。

 

 

 BOSS《Zordiath The Blade Dragon(刃竜ゾーディアス)

 

 

 ボスは間髪入れずに迫る。その脚の爪をこちらに突き立て落下して来た。

 アスナとフィリアが身構える中、アキトは咄嗟に二人の前に飛び出し、その爪目掛けて《バーチカル・アーク》をぶつけた。青白い火花が散り、その衝撃波が辺りに広がる。

 

 

(っ…重い…!)

 

 

 その体格からは想像出来ない程に重い攻撃。アキトは歯を食いしばり、どうにかその剣を振り上げた。

 

 

 「───っ、らあっ!」

 

 

 ボスは弾かれ、崩れた体勢を、空中に飛び上がる事で立て直す。距離が離れた瞬間、アキトは後ろを振り向き、二人に指示を出す。

 

 

 「囲うぞ!」

 

 「分かった!」

 

 「了解!」

 

 

 アスナとフィリアはアキトの後ろから飛び出し、ボスを囲うように回り込んで走る。

 ボスは辺りを見渡し、三人が散り散りになったのを確認すると、瞳を赤く光らせ、その身体を捻る。

 尻尾の先端に付いている剣を、彼らに向かって横に薙いだ。

 

 アキトはエリュシデータを縦に構え、迫り来る尾に対しての防御姿勢をとる。ぶつかった剣と尾からはチリチリと音を立てながら火花が発生していた。

 振り抜いた尻尾を、今度は逆方向から食らわせてくる。アキトは再びエリュシデータで防御の構えをとった。

 

 

 「閃光!」

 

 「分かってる、任せて!」

 

 

 その間、アスナは未だ空中で飛んでいるボスに向かって飛び上がり、その細剣を突き立てた。

 

 細剣重攻撃三連撃《アクセル・スタブ》

 

 ソードスキル特有の光を纏わせ、閃光と呼べる速度で突き刺していく。決して浅くないダメージが、ボスのHPを減らしていた。

 そのドラゴンはダメージを受けた方向、アスナを睨み付けると、高らかに咆哮を上げた。

 瞬間、今度は反対方向にいたフィリアが、ボスの浮いた脚元に辿り着く。

 

 短剣高命中三連撃《シャドウ・ステッチ》

 

 麻痺の追加効果のある、高威力のソードスキル。アスナに視線が動いた瞬間に飛び出す、チャンスを見過ごさないその巧みな動き。正しくトレジャーハンターの名に恥じない動きだった。

 

 狭いフィールドに、巨大な竜、そしてその竜からすれば小さいプレイヤー達。

 フィールドの小ささは、決してデメリットばかりではない。こうして敵を翻弄するのに、この場所は最適だった。

 

 フィリアのスキルがボスの脚元に三撃、全て食い込む様に入る。鮮血にも似た、赤いライトエフェクトが煌めく。

 だが、ボスはそれに構わず上に飛び、再び身体を捻る。そして、今度は回転しながらその尻尾を振り回したのだ。

 

 アキトは思わず目を見開いた。

 この狭いフィールドでこの巨体が、尻尾を振り回そうものなら────

 

 

 「きゃあっ!」

 

 「うっ…!」

 

 

 ボスの素早い一撃が、彼らの身体を抉る。

 それぞれが石ころの様に跳ね飛ばされて、外側を囲う柱に激突した。アキトは咄嗟に剣を構えていた事で、何とか地面から足を離す事無く留まった。

 だが、見上げてみれば、ボスは再び声を上げ、身体を緑の光が覆う。

 インターバルの少ないボスは今までに何度も見たが、こうも素早く次の攻撃に移るモンスターは珍しい。

 壁にもたれるアスナは、思わず対峙しているアキトを見つめた。

 

 

 アキトの目の前のボスは、そのまま翼をはためかせると、今度は後ろに回転した。その尾に付く剣が、下からアキトに迫る。

 横だけでなく、縦からの攻撃手段もある事を理解したアキトは、すぐさまエリュシデータを横に持ち、下に寝かせる様に構える。

 その尻尾の切り上げを、アキトは全力で耐える。

 

 

 「スイッチ!」

 

 「了解!」

 

 

 アキトの掛け声にフィリアが応える。

 その短剣をボスの脚に向けて斬り付けた。攻撃後、体勢を整える間もなく食らったその攻撃に、ボスの身体が沈む。

 

 

 「アスナ!」

 

 「せああぁぁああぁあああ!」

 

 

 今度はフィリアの合図。体勢を立て直したアスナが、地面との距離が近くなったボスに迫る。AGI値を全開にした速度で走り、その喉元に深く、その細剣を突き刺した。

 手応えあり。アスナは心の中でガッツポーズをした。

 

 HPはかなり減っていた。やはり、このエリアのボスは三人でも戦える。

 だが、刃竜ゾーディアスはそんなダメージを気にもとめず、更に上空へと舞い始めた。咆哮しながら、威厳を保つが如く上昇していく。

 あれでは、ジャンプしても届かない。アスナは悔しそうに歯噛みした。

 

 だが、フィリアは違う。ボスと自分達との距離を正確に測っていた。

 そして理解する。あの高さなら、アキトは届く。

 

 

 「アキト!」

 

 「分かってる」

 

 

 アキトはフィリアにそう応えると、柱に向かって走り出す。

 その麓まで近付くと、その場で柱に大きく飛び上がった。アスナが目を丸くして見つめる中、アキトはジャンプした先の柱に足を掛ける。

 そして、身体を反対方向へ向け、未だ上昇していくボスを見上げた。

 

 

 「届け───!」

 

 

 体術スキル《飛脚》

 

 アキトの足が小さく煌めく。そして次の瞬間、アキトは柱から大きく飛び上がった。

 体術スキルを駆使した跳躍、そしてそれは、一直線にボスの元まで飛び上がる程の力を発揮した。

 しかし、まだ足りない。アキトの上昇は、一定の所で止まり、そのまま落下の一途を辿る。だがアキトにはまだ、空を飛ぶ術がある。

 

 コネクト・《ヴォーパル・ストライク》

 

 アキトは《剣技連携(スキルコネクト)》を発生させるべく、その剣を上に突き出す。

 ボスに目掛けて構えた、そのエリュシデータが赤く光り、空中にいたアキトをそのソードスキルの突進力で上昇させる。

 

 

 「凄い…」

 

 

 アスナが驚きの表情を作る中、アキトはボスの元まで一気に近付き、再び拳を突き付けた。

 

 コネクト・《エンブレイザー》

 

 黄色いエフェクトを纏わせて、ボスの頭に向かって殴り付ける。STR値の高いアキトの体術スキルは、ボスに少なからずダメージを与えた。

 しかし、ボスは苦しむ様子も無く、空中で身体をいきなり前転させる。そして、そのまま尾に付く剣をアキト目掛けて振り下ろした。

 

 

 「っ…!」

 

 

 空中にいるアキトは対処の仕様が無い。アキトは目を見開き、咄嗟にエリュシデータを何も無い空中に向けた。

 

 コネクト・《レイジスパイク》

 

 《ヴォーパル・ストライク》程の伸びは無いが、躱すのには充分過ぎた。

 アキトは咄嗟にそのスキルを空中で発動し、その突進力を利用する事で空中を移動する。

 ボスの剣の振り下ろし攻撃を紙一重で躱した。

 

 

 スキルの突進力を利用した空中移動。正に神業だった。

 その初めて見る光景に、アスナは瞳を輝かせた。そして同時に、自身の記憶を思い起こしていた。

 あの常識を覆す様な動き、驚きが絶えない攻撃方法。

 そして、空中でソードスキルを発動させた時の、彼の姿。

 

 

 「…キリト、君…」

 

 

 その姿は、いつも彼と重なってしまう。

 無意識に、自然に。思わず、その名を口にした。

 

 

 アキトはそのまま何もせずに落下していく。ボスはそれを追い掛けるかの様に下降してきた。

 その予想通りの動きに、アキトは笑みを作ると、地面に身体を向ける。

 決して弱くない着地の反動。だが、狙われているアキトと入れ替わる様に、アスナとフィリアがボスとアキトの間に割って入る。

 

 

 細剣高命中範囲技《リニアー》

 

 短剣高命中単発技《アーマー・ピアス》

 

 滑空しながら突進してくるボスに立ち向かうべく、そのソードスキルを同時にぶつける。

 

 

 「くぅっ…!」

 

 「こ、のぉ…!」

 

 

 アスナとフィリアはボスの突進とソードスキルの競り合いに押し負け、後ろに倒れる。ボスはその場で静止し、大きく雄叫びを上げた。

 重さ、速さ、どれをとってもレベルが高い。三人でも倒せるからといって、やはり油断は禁物なのだ。そしてこのボスは、一々アキト達の攻撃に反応している節がある。

 アルゴリズムの変化が、まさか《ホロウ・エリア》でも見られる事になるとは思わなかったアキト。

 

 そして次の瞬間、ゾーディアスは再び空中へ上昇し、その口を大きく開いた。

 その奇妙な動きにアスナとフィリアが困惑する中、アキトだけは何かを察した様に表情を歪ませた。

 

 

 「……マジかよ」

 

 

 アキトは即座に二人の前に出ると、その剣を白く光らせる。

 

 そしてそれと同時に、ボスの口から大規模の光線が放たれた。

 

 

 「なっ…!?」

 

 「え…!?」

 

 

 二人が驚愕の表情を浮かべる中、アキトは迫り来る光線に向かって、その白く輝くエリュシデータをぶつけた。

 

 防御スキルカテゴリ:《エアリーシールド》

 

 モンスターのブレス攻撃を相殺出来るスキルを、タイミング良く光線にぶつける。

 その光線はアキトの元で打ち消され、白煙が舞う。その衝撃波がフィールド全体に広がりゆく。アスナとフィリアは髪を揺らし、目を細めながら腕で顔を防御した。

 しかし次の瞬間、白煙を払い、目の前に立っていたのは、無傷のアキトと、HPを減らしたボスだった。

 

 

 「アキト君…」

 

 

 アスナとフィリア、特にアスナは、アキトの今までの動きに驚いていた。

 初めて見る攻撃に対しての反応速度、空中へと上昇するボスに対しての咄嗟の判断力。

 まるで、予め分かっていたかの様な動き(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 

 アスナの瞳が、僅かに揺れた。

 

 

 だが、アキトにしてみれば、この目の前のモンスターに少なからず違和感を覚えていたのだ。

 いや、覚えているのは違和感ではなく、その動き(・・)

 

 空中でのバク転、上空からの鉤爪の攻撃、滑空での突進、空中からの遠距離攻撃。

 

 この攻撃の形、見覚えがあった。

 幼少から今までの記憶を辿り、やがてその元に辿り着いた。

 

 VRMMOにおいては初心者だったアキトだが、ゲームは色んなものを何度もプレイしてきたのだ。

 その中で、今現在はレトロゲーと呼ばれる程に古い、最早化石とも呼べるゲーム機で遊べるモンスター討伐ゲーム。

 目の前のボスは、そのゲームに登場するモンスターの一体に良く似ていた。

 

 

(…なんだ、簡単じゃないか)

 

 

 アキトは思わずニヤリと笑う。

 そうだ、こんなドラゴン、あのゲームのパクリじゃないか。茅場もリスペクトしてたんだな。

 それなら何度も戦ったんだ。何度も負けて、何度も勝った。

 アキトは剣を構え、ボスを見上げた。

 

 

 

 

 

 

 

 「───かかって来いよ、雄火竜」

 

 

 名前を間違えられたからか、ゾーディアスは今まで以上に大きく、空気を震わす様な雄叫びを上げた。

 

 






ゾーディアス『誰がリオレウスだコラアァァアア!!!』

フィリア「…な、なんかアイツ怒ってない…?」

アスナ「アキト君、何言ったのよ…?」

アキト「空の王者(笑)」



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Ep.53 共鳴



一週間程、更新が止まる可能性あり。
WARNING、WARNING!


……それ程でも無いかな。
それは兎も角、今回も文才が欲しいと感じる話。
(*´・ω・`*)グスン



 

 

 《バステアゲート遺跡塔 外壁》

 

 

 そのエリアの中心点、その塔の頂上。

 雲に覆われ、地上からは目視する事も叶わない、そんな頂き。

 そこでは、三人の剣士と、巨大な飛竜の戦いが勃発していた。

 

 剣と剣のぶつかり合い、その金属音が天空で鳴り響く。血によく似たエフェクトが飛び交い、互いのHPを減らしていく。

 

 

 アキト、アスナ、フィリア。そして、対するのは刃竜ゾーディアス。

 その竜はその口を大きく開く。空間全体を痺れさせる程の咆哮が迸り、その攻撃力を高めていく。

 三人はその咆哮に悲痛な表情を浮かべながら、それでも奴から目を離さない。

 ボスのブレスに素早く反応し、彼らはそれぞれに距離をとる。ボスはその中の一人、アキトに目を付けると、その翼を羽ばたかせて迫り来る。

 アキトはボスに向けていた背を反転させ、その剣を振り上げた。

 

 

 「っ────」

 

 

 剣を一気に振り下ろし、硬い音が鳴り響く。火花を散らす中、ボスはアキトの顔を見てその瞳を光らせる。

 その瞬間、アスナが側面から《リニアー》を発動し、その首元を貫通させる。

 身体をくねらせ、踠くボス。苦痛に見舞われているのは、お互い様だった。

 光線を口から吐き出す。それをスキルで防ぎ、その隙に攻撃を仕掛ける。各々の武器は、ちゃんと敵に通用している。

 

 

 「はあっ!」

 

 

 フィリアがアキトへのヘイトを減らすべく、短剣を浮遊する竜の足下を斬り上げる。

 だがボスは靡く事無く、真下のアキトに敵意を向ける。随分と好かれたものだと、嬉しくない為苦笑い。

 だが、決して背は向けない。その瞳、耳、鼻、口、感触、全ては目の前のボスの為に。

 

 

 その巨大な翼が叩き落とされ、アキトは左に飛び込む事で何とか回避する。横に流れた尻尾の剣を、自身の剣で受け止める。

 

 

 「ぐっ…!」

 

 

 弾いた先に、再び尻尾による連撃。アキトは力強く地面を踏み締め、身体を捻る事でその力を流した。

 

 

(大丈夫…何度も戦ったんだ…!)

 

 

 似た様な相手の何度も対等に戦った。画面越しだが、謎の自信。

 その眼は輝きを増す。懐かしさに浸る事も無く、ただ目の前の敵の動きとかつて戦ったゲームのモンスターの動きを刷り合わせていく。

 昔はこうだった、今はこう、共通点はどれか、違いは何か、その葛藤全てが脳内で巡る。

 

 

 ボスの僅かな機微を見逃さず、全ての動きを把握しろ。

 集中しろ。脳の細胞全てを、目の前のボスの為に使え。

 自身を偽れ、強がれ。想像するのは、常に最強の自分。

 五感全てを行使して、目の前の難敵を蹴散らせ、殺せ。

 考える事を止めはしない。もう決して止まらないのだ。

 無力だった過去に戻る訳にはいかない、失えないのだ。

 

 

 飛んで来るその爪を何とかいなす。突進して来るその巨体をギリギリ躱す。

 その連続斬りの一つ一つを弾き、それが段々と躱せる様になってくる。

 

 

(集中しろ────俺はコイツに、"慣れた"筈だ…!)

 

 

 だからこそ視える、聞こえる、感じる、分かる。

 次に相手が使うであろう攻撃手段が、それによってさらにその先の動きが。

 

 

 ボスが身体を起こした途端に、アキトは僅かに身体を左にずらした。

 その瞬間────

 

 

 ボスの剣を帯びた尻尾が、アキトのいた場所のギリギリのラインを通過した。

 動いていなければ、今のは致命的だった。だが、アキトには視えていた(・・・・・)

 

 

 「っ────いけ……!」

 

 

 そのタイミングでアキトはボスに迫る。口を開こうとしていたゾーディアスの眼前に辿り着き、エリュシデータを光らせた。

 

 片手剣六連撃技《カーネージ・アライアンス》

 

 回転し、ボスの頭を殴る様に斬り付ける。それはまるで、ボスが光線を放つのを事前に知っていたかの様な動き。

 

 フィリアとアスナは驚きで動けていなかった。アスナは以前、似た様な雰囲気を纏う彼を見た事があった。

 確か、彼が一人で76層のボスと対峙した時。ソードスキルのモーション中にボスの攻撃を躱すという離れ業をやり遂げた、その時の彼に近しいものを感じていた。

 ボスの攻撃をたった一人で躱し、捌き、いなしていった、あの時の神がかった彼と。

 《剣技連携(スキルコネクト)》というシステムを逸脱した攻撃のせいで忘れていたが、あの時のアキトは、その技術すら使わずにボスと戦っていた事を思い出す。

 

 

 「閃光!」

 

 「っ…了解!はあああぁぁぁああ!!」

 

 

 アキトとボスの攻防を縫って、我に返ったアスナがひた走る。引き絞った細剣が輝きを帯び、粒子を撒き散らす。

 今は考えなくていい、倒すべきは、目の前の竜。

 一気にボスとの距離を詰め、全力でそれを放つ。

 

 細剣多段多重攻撃技九連撃

 《ヴァルキュリー・ナイツ》

 

 AGIに補正が入るソードスキル。閃光と呼ばれても尚、その速さを渇望する姿勢。

 速く、もっと速く。その攻撃は全て、ボスの身体へと吸い込まれていく。

 だがそれは、アキトも同じ。その片方の足を後ろに下げた後、一気に振り上げた。

 

 コネクト・《孤月》

 

 その名の通り、弧を描いた蹴り上げがボスの顎に直撃する。頭をかち上げ、ボスは天空を見上げた。

 アキトは再び踏み込み、エリュシデータを横に薙ぐ。

 

 コネクト・《ホリゾンタル》

 

 白銀のソードスキルが一閃、赤いエフェクトが飛び散る。その中、アキトだけはボスから視線を逸らさない。

 

 

 「『速く…もっと速く…!』」

 

 

 片手剣奥義技六連撃《ファントム・レイブ》

 

 紫色に剣が光り、迸る。その瞳にはアキトとは違う何かが重なって見える。

 アスナは瞳が揺れていた。

 

 重なり、織り成すアキトの剣戟はボスに的確にダメージを与えていく。

 あと少し、もう少し。

 もう少しで。

 

 

(届く────!)

 

 

 アキトがトドメの一撃を放つ、その瞬間。

 勝ちを確信したアキトを嘲笑うかの様にボスが距離をとる。とても急で、とても自然で。

 その見た事の無い動きに、一瞬身体が固まった三人。

 

 

 ────瞬間。

 

 

 ボスが青白く光り、その剣を身体ごと回転させた。

 そして、その回転斬りが、空間を斬り裂いた(・・・・・)

 

 

 「な…!?」

 

 「っ…!」

 

 「え…!?」

 

 

 亀裂が入った空間が歪み、縮小し、一気に暴発し、その剣戟か襲って来た。辺りにいた全てに強大な一撃を与えるべく発せられたその攻撃は、目で追えるものではなかった。

 一瞬で身体が吹き飛び、後ろにある柱に各々が激突する。

 

 

 「がはっ……!」

 

 

 柱にヒビが入る程の威力に、アキトは苦しげに瞳を細める。こんな隠し玉があるなんて思ってなかった。

 呼吸が一瞬出来ず、焦りと恐怖に襲われる。視界の左上を見れば、HPがかなり危うかった。

 

 

(っ…! 二人は……!?)

 

 

 アキトは急いで起き上がり、アスナとフィリアを探す。

 すると、ゾーディアスの視線の先に、動けない彼女達を捉えた。HPはレッドゾーン。風前の灯火。

 アキトは思わず目を見開いた。

 

 

 「……!!」

 

 

 苦しげに歯を食いしばるフィリア。アスナは悔しそうに竜を見上げる。

 ボスはそんな彼女達を気にも留めない様な瞳で見下ろし、その尻尾を突き上げた。

 あれを食らってしまったなら、二人は、フィリアは。

 

 アスナは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクン────

 

 

 心臓が、脈を打つ。

 かつて英雄が愛した少女が、視界から離れない。

 アキトの中の何か(・・)が、その身体を突き動かす。

 

 

 「『っ…ぐっ、おお……!』」

 

 

 アキトは震える腕で立ち上がりながら、小さく声を漏らす。

 視界の先、ボスのさらに先に倒れる、栗色の髪の少女を見付けて。

 動け、動け、速く。もっと速く。

 彼女だけは、何があっても、『返してみせる』。あの世界に。

 

 

 「『アスナぁあぁああっ!』」

 

 

 アキトは一気にボスに向かって駆け出す。その速度は、今までの比じゃない。

 

 

 「アキトく…」

 

 

 消え去る程にか細い声を振り絞り、彼の名を呼ぶアスナ。

 だが、呼ばれた少年は、本当にアキトだろうか(・・・・・・・・・・)

 

 

 「『うおおおぉぉおおぉああぁあああ!!』」

 

 

 片手剣突進技《ヴォーパル・ストライク》

 

 赤く、速く、弾丸の様に。その背中に剣を突き立てる。

 ボスは途端に目を見開き、苦しげに身体を捩る。背中に剣を突き立てるアキトを振り下ろそうと懸命に身体をはためかせる。

 決して離れない、集中しろ、把握した敵の全ての行動を予測し動け。それが無理なら、残り少ないHPを減らす為、死に物狂いで食らいつけ。

 

 

 だが、アキトは次の瞬間、その狭い戦闘エリアから飛び出したボスの勢いに、思わずその手を離してしまった。

 

 

 「『え────』」

 

 「なっ…」

 

 「!? あ、アキト君!」

 

 

 アキトの身体を空中を舞う。まるで時間がゆっくり進む様に、スローモーションの様に、アスナとフィリアの瞳には映る。

 

 

 アキトはボスに投げ出され、その塔の頂点から転げ落ちた。

 

 

 「『ぐっ……くそ、マジかよ……!』」

 

 

 焦るな、落ち着け。アキトは重力に逆らう事無く落下していく。

 かなりの高さだ、この残りのHPで耐えられる訳が無い。

 アキトは歯を食いしばり、落下した場所を目視すると、なんとボスまでもが滑空して追い掛けて来ていた。

 

 

 「『な……執拗い奴だ……!』」

 

 

 最早笑うしかない。アキトは咄嗟に身体を翻し、ボスを迎え撃つべく睨み付ける。

 上手く行けば、アイツを使って頂上に戻れるかもしれない。背中に剣でも指して上昇すれば。

 

 アキトは今尚落下していく中、剣を構え…………あれ、剣?

 思わずその手を二度見した。

 剣が手元に無い。

 

 

 「『え』」

 

 

 アキトは文字通り、目が点になった。

 為す術無く落ちていく中、剣が無い事に驚愕するのにほんの数秒かかった。

 

 

(な、何で…!? っ、あの時か…!)

 

 

 ボスに投げ飛ばされた時、剣を彼女達のいるフィールドに落としてしまった事を思い出す。

 こうなってしまえば、攻撃手段が無い。

 ウィンドウを開こうにも、ボスが落下するアキトにタイミングを合わせて尻尾を振りながら回転していく。

 

 

 「『くっ…!』」

 

 体術スキル《エンブレイザー》

 

 突進技であるこのスキルでどうにか身体を空中で動かし、ギリギリで躱していく。

 落ち行くその近くには塔がある為、足場として蹴り上げる事も出来るだろう。だが、このままいけばジリ貧だった。

 

 アキトは勢い良くその塔の壁に足をつける。

 火花を散らしながら未だ下降するが、その速度はドンドン落ちていく。

 

 

 「『いっ……けええぇぇえ!』」

 

 

 体術スキル《飛脚》

 

 タイミング良く塔の壁を蹴り、その場から上に高く飛び上がる。

 ボスの胸元まで飛翔し、今度はその拳を突き立てる。

 

 体術スキル《閃打》

 

 刹那の速度で放ち、ボスの動きを止める。そして、そのボスの身体に足を乗せ、再び《飛脚》を発動した。

 高く飛び上がった身体は、段々とアスナ達のいる頂きへと進む。再び塔の壁に足を付け、《飛脚》を発動すべく足に力を溜める。

 

 だが、立て直したボスは一瞬でアキトのところまで戻ると、その翼で彼を叩いた。

 そのまま壁に激突し、身体が動かないまま落下していく。

 

 

 「『くっそ…!』」

 

 

 

 

 

 

 「アキト君! っ……!」

 

 「アキト…!どうしようアスナ!?」

 

 

 何とか打開策を考えたいフィリア。アキトは今も尚、ボスと塔の下、空中で何とか対峙しているが、武器も無く、体術スキルも単発。落下の速度やそれによるダメージを考えると、アキトが絶命するのも時間の問題だった。

 

 

 何よりも、焦っていたのはアスナだった。

 このままでは、アキトが。

 また、何も出来ず、一人に。独りにしてしまうのか。

 キリトの時の様に。

 

 

『……死なないで』

 

 

 いつかの攻略で、アキトに自分が言った言葉。あの時からずっと、アキトの事が気になって、嫌って、意識していた。

 怖い。怖い。もう、私は誰かを。

 キリト君を。

 

 

 「っ…!」

 

 

 塔の下へと落ちていったアキトを塔の上から見下ろしていたアスナ。そして思わずハッとする。彼が武器を持っていないという事は、何処かで武器を落としたという事。彼女は何かを思い出したかの様に現在いるフィールドを見渡す。

 するとそこには、アスナ自身が彼に託した英雄の忘れ形見、《エリュシデータ》。持ち主を失くしたその黒き剣はフィールドの真ん中に寂しく寝かされていた。

 思わずアスナはエリュシデータの元まで駆け出す。急いでアキトに届けないと。彼のスペックなら、剣をこの場所から落としても、きっと手にしてくれる筈。

 確証は無いけど、確信はあった。無慈悲な信頼ではあったが、アスナは何故か、今のアキト(・・・・・)なら決めてくれると思っていた。

 

 

 ────だが。

 

 

 「っ…くっ……お、も……!」

 

 

 アスナにとって、この《エリュシデータ》という剣は大剣並に大きく、重い存在だった。

 当然だ、ステータスも装備している武器も、何もかもが彼と違う。キリトと違う。

 

 

 「アスナ、大丈夫!? 手伝う……っ、何これ、重過ぎ……!」

 

 

 アスナのやろうとしている事を理解したフィリアは、アスナに変わって剣を運ぼうと持ち上げる。

 だが、あまりにも重過ぎて塔から落とすどころか、持ち運ぶ事も出来ない。

 

 

(アキトはずっと、こんな剣を……!)

 

 

 フィリアは驚愕でその瞳を揺らす。

 そして、アスナはその剣を見つめながら、アキトの顔を思い出していた。

 

 

(…やっぱり…アキト君は……)

 

 

 彼は、キリトと殆ど同じステータスなのだと確信した。

 このエリュシデータは、持つべくして彼の手元に行ったのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)と。

 だがこのままじゃ、アキトが。今この剣を持ち上げなければ、彼という存在が。

 

 

 嫌だ。絶対に嫌だ。アスナは段々と恐怖と焦りで心臓の鼓動が強くなるのを感じた。

 どれだけ力を入れても、フィリアと力を合わせても、それがキリトの力だと、背負って来た重みだと、そう痛感させられる様で。

 

 

(どうしよう…このままじゃ、このままじゃアキト君が……!)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイツ、刀も使えるんだってさ』

 

 

 

 

 「っ────」

 

 

 ふと、リズベットが以前自身に言い放った言葉を思い出した。

 アスナがメンテナンスをしに行った時、彼女の店でそれを知った。

 

 

 

 

『……って事は、曲刀も使えるって事よね?』

 

 

『そこから派生するスキルだからね。やれる事はやる主義なんだってさ。他の武器も使えるんじゃない?』

 

 

 

 

 リズベットがそうやって笑って、それにつられて自身も笑う。それ程可笑しな話では無かったのに。

 だけど、何故か嬉しかった。

 多分、リズベットの本心を聞いて、こうして真の意味で親友になれた、その喜びを分かち合っていたから、ああして笑えていたのだ。

 そして、その切っ掛けを作ってくれたのは。

 

 

(アキト君────)

 

 

 アスナはその闘志を未だその瞳に宿しながら、その場から立ち上がる。

 

 

 「あ、アスナ…?」

 

 「っ…!」

 

 

 アスナはエリュシデータを掴むフィリアの元を離れ、一気に塔の端まで走る。

 鞘に収めたその細剣《ランベントライト》を引き抜いた。

 

 確信は無い。こればっかりは確証すら無い。

 だけど、何も無いよりは戦力になるし、何より。

 やる事はやる主義で、誰にでも本当は優しい、ひたむきで真っ直ぐなアキト君なら。

 

 

 「───アキト君!」

 

 「『……!』」

 

 

 

 

 そのアスナの声を、アキトはしっかり聞いていた。

 アスナは、ランベントライトを高く頭上に上げ、一気に────

 

 

 

 

 

 

 そのまま塔の下へと思いっ切り投げた。

 

 

 「えっ!?」

 

 

 フィリアはエリュシデータを地面に置き、アスナの元へと駆け寄る。

 落ちていくランベントライトは、真っ直ぐ、まるで彼女の突きの様に、回転すること無く真っ直ぐに進む。

 アキトは思わず目を見開いていたが。

 

 

 「『っ…………上等だぜ」

 

 

 その口元に笑みを作った。ボスのその巨体を《飛脚》で思い切り振り抜き、塔の壁へと足を掛ける。

 そして、そのまま一気に壁を走りながら登り出した。

 

 

 「っ!」

 

 「う、嘘…!?」

 

 

 アスナとフィリアが目を見開く。だが、ニヤけた顔のアキトを見下ろしたアスナは、つられて自然と笑みを溢す。

 アキトの真後ろには、身体を翻して追い掛けるゾーディアスの姿が。

 だけど、不安は無い。

 アキト君なら。

 

 

 キリト君なら。

 

 

(いける…いけるよ、アキト君!)

 

 

 「アキト君!」

 

 

 アスナは思わず、その名を口にする。

 アキトはそんなアスナに驚いたのか、目を丸くした。

 だが、すぐに小さく笑ってみせた。

 

 

 「────うるせぇな」

 

 

 アキトは走って登っていた壁を蹴り上げた。すぐ後ろには口を大きく開けた飛竜の姿が。

 アキトは高く飛び上がり、その手に、アスナから託された細剣《ランベントライト》を掴んだ。

 

 

 「────いくぜ、空の王者」

 

 

 その身体を反転させ、ゾーディアスと対面する。

 迫り来るその竜の口内が淡い光に包まれる。あの強大な威力を誇る、光線が待ち受ける。

 だが、はっきり言って負ける気がしない。

 

 

 イメージするのは、常に最強の自分。

 そう、何処かの世界の英雄が言っていた。

 ならば、イメージするのは、この世界最速の剣技。

 《閃光》の異名を持つ、彼女の絶技。

 

 

 「いっけえぇええぇええ!」

 

 

 

 細剣奥義技九連撃

 《フラッシング・ペネトレイター》

 

 

 閃光の様に鋭い刃が、ボスの口内を貫く。ボスは悲鳴を上げながら、そのままアキトに食ってかかる。

 アキトはボスに攻撃されながら、ボスの上昇に乗り、そのままアスナ達の元へと近付いていく。

 やがてアスナ達よりも高く上昇したボスの真上に、アキトは投げ出される。

 そして、その瞬間。

 

 

 アキトは身体を捻り、その頭蓋に最速の技を放つ。

 閃光の代名詞。避けられるものならば、避けてみやがれ。

 

 

 

 「くらえっ────」

 

 

 

 細剣単発範囲技《リニアー》

 

 

 その正確無比に近い音速の突きが、ゾーディアスの頭を貫いた。

 ボスはその身体の内側から光が差し込み、やがてその身体をポリゴン片に変わった。

 そして、その光の粒子の中、空中から黒い猫が舞い降りる。

 勝利のファンファーレが空間に響き渡り、ミッションを遂行出来た事を実感する。

 遺跡の頂上、遥か頂きに、幻想的な風景が漂っていた。

 

 

 アスナはその足を動かし、アキトの元へと歩む。

 アキトは、近付いてくるアスナから、視線を逸らしはしなかった。

 

 

 「…アキト君」

 

 「……」

 

 

 安心した様な笑みを浮かべるアスナに、アキトはランベントライトを差し出した。

 細剣とアキトを交互に見るアスナに、アキトは小さく笑ってみせた。

 

 

 「……ありがとな」

 

 「っ……う、うん……!」

 

 

 救えた。助けられた。

 それだけで、身体の力が抜けそうだった。泣きそうだった。

 だけど、それは決してしてはいけない。

 本当は優しい彼に、心配させる訳にはいかない。

 

 

 

 その名剣を力いっぱい抱き締め、何かを堪える様に俯いた。

 

 

 






ゾーディアス『空間斬り裂くとか俺強くね?』

アキト「細剣も使えるとか俺強くね?」

ゾーディアス『あ?』

アキト「は?」



次回『少女に迫る狂皇子』



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Ep.54 少女に迫る狂皇子



一週間、お待たせしました!
今回も拙い文章、分かりにくい表現が目立ちますが、いつも読んで下さっている方々には感謝しかありません。
この作品を読んで下さる全ての方々に、感謝を。

それともう一つ。
ポケモンウルトラサン、ウルトラムーン発売記念!
というのは建前で、気分転換にポケモンの短編小説を書きました。
連載する気は無いです(´・ω・`)

では、どうぞ!
(相変わらず機器の調子が悪く、誤字が目立つと思います。五時報告して貰えると嬉しいです)←早速誤字

感想欲しい(厚かましい)




 

 

 

 《バステアゲート浮遊遺跡前広場》

 

 

 エリアボスを倒した事により、以前フィリアに貰った《虚光の燈る首飾り》が再び光に包まれた。

 恐らくこれを何処かへと持っていけば、次のエリアへの道を開く事が出来るだろう。

 

 アキト達三人は、それぞれボス戦で疲弊した体力を回復し、思いの外軽い足取りで塔を後にしていた。

 だが、その中に会話は無く、静まり返っていた。だがそれは気不味いとか、恥ずかしいとか、そんな理由では無く、単純に疲労したからだろう。

 ポーションでは精神的な疲労は癒せない。足取りは軽くとも、心は重かった。

 

 

 だが、気不味くないというのは、若干偽りに近い。

 塔を下り、その目の前の橋を渡る三人、その中、アスナはただ一人、自分よりも斜め前を歩くアキトを、そっと見つめていた。

 

 

 「……」

 

 

 あの時、あの戦闘の光景が蘇る。

 ボスに果敢に攻める姿勢、どんな体勢からでも攻撃するそのフィジカルに、他者に驚きを与えるスキルの連撃。

 今まで、何度もアキトを自身の想い人に重ねる瞬間はあったが、今回はそれが顕著だった様な気がしてならないのは自分だけだろうかと、アスナは疑問を抱いていた。

 

 壁を走り、空中でソードスキルを放つ姿。

 そして、彼の放つ、片手剣のソードスキル。

 エリュシデータを持っているから、そう見えてしまうのかもしれない。戦い方やフォーム、姿勢制御、歩法。それらはキリトのそれとは全然違う。

 けど、アスナにとって、アキトの姿は、キリトよりも若干の拙さが垣間見得るものの、何処か既視感があったのだ。

 

 

(…デジャヴ?)

 

 

 ───どうして?顔なんかちっとも似てないのに……。

 

 

 だけど、その纏う雰囲気とか。時折見せる不意の笑顔とか。根底にある思いの強さとか。見え隠れする優しさが。

 誰かを守る、その強い意志が。キリトを思い出させていた。

 

 

 「っ…」

 

 

 アスナはそれを自覚すると、アキトから目を逸らした。これ以上、彼を見続ける事が出来なかった。

 変な希望を持ってはいけない。キリトは、もう死んだのだ。自身の目の前で、何も出来ずに独りで行かせた、あの茅場との最終決戦の時に。

 アスナは唇を噛む。アキトを見ない様にその顔を伏せ、彼の足元を見下ろす。

 だが、アキトの歩く速度が、このパーティで一番後ろを歩くアスナに合わせての歩幅だと気付くと、その優しさにまた更に苦しくなった。

 

 

 ほんの数ヶ月前が。今の中に、紛れ込んで来て。

 苦しくなってくる。

 

 

 ────もうこの世界の何処にもいないキリト君を、探そうとしてしまう…────

 

 

 

 

 そんな沈黙が続く中、フィリアがポツリと呟いた。

 

 

「……ボス、手強かったね」

 

「っ…う、うん。そうだね」

 

 

 取り繕う様に笑うアスナをチラリと見た後、アキトはフィリアへと視線を動かした。

 フィリアはそんなアキトとアスナを見て、へへっと頬を掻いて笑う。

 

 

「私傷だらけ……って、ポーション飲んだし、そもそもこの世界なら傷は残らないか。……でも、何度もヤバイなって思った」

 

「……お前だって、それなりに戦えてたと思うけどな」

 

 

 アキトのその言葉にアスナとフィリアは目を丸くする。

 あのアキトが誰かを褒める様な言い方を、初めて聞いたからだ。アキトもらしくないと思ったのかそっぽを向き、フィリアはそんな彼を見てクスリと笑った。

 

 

「…でもそれは、二人の力があったからこそ……かな」

 

「……私達の?」

 

 

 アスナがそう言うと、フィリアは首を縦に振る。そして、アキトの方へと向き直った。

 

 

「うん。戦闘に関しては、二人を信用してるから。本当にやばかったら、アキトが逃げろって言うでしょう?」

 

「状況による」

 

「そんな事無いよ。…初めて会った時も、アキトはそうしてくれたもの」

 

 

 フィリアはそう言うと、初めてアキトと出会った時の事を頭の中で思い起こしていた。

 目の前に、見た事の無い骸のモンスター。見ず知らずのオレンジプレイヤーの前に颯爽と現れた黒の剣士は、目の前のボスと対峙して、『逃げろ』と、そう言ってくれた。

 

 

「アキト達はオレンジの私に普通に接してくれる。だから私も、アンタ達を信頼するのよ」

 

「……そうかよ」

 

「…な、何か面と向かって言われると照れるね……」

 

 

 アキトはフイッと何も無いところへと顔を動かす。隣りでアスナは顔を少し赤く染め、頬を掻いた。

 フィリアも自身の言った事に羞恥心を覚えたのか、段々と顔を朱に染めた。

 

 

「…もう、赤くならないでよ、こっちまで恥ずかしくなるじゃない…」

 

 

 そうやって笑い合う二人を、アキトは他人の様に眺めていた。

 

 

「……」

 

 

 きっと、この選択は正しいものなのだろう。

 辛い過去に縛られず、今目の前にいる二人と笑い合う事が、最善の道なのだろう。

 仲間だと認め、助け、救い、支え合う事が、得策なのだろう。

 

 そんな風に割り切って、今は行動出来てないけれど。

 アスナの様には、振る舞えないけれど。

 きっと、後悔しない道を歩けてる。

 

 

 なのに────

 

 

 

 

「…アキト?」

 

「……何でもない」

 

 

 フィリアの呼び掛けにそう返し、アキトは息を軽く吐く。

 先程までいた塔を見上げ、このエリアでやる事を終えたのだと実感した。

 

 

「…じゃあ、戻りましょうか」

 

 

 アスナはそう言葉を告げる。

 フィリアもアキトも何も言わずに頷き、その塔に背を向けた。

 

 

 

 

 

『…気を付けろよ、アキト』

 

 

「っ…ああ…」

 

 

 アキトはふと、思い出した様に目を見開いた。

 そう、この踏破したエリアにおいても、まだ油断出来ない理由があった。

 アキトは急に辺りを見渡し始め、アスナとフィリアは首を傾げてそれを見ていた。

 いきなりどうしたというのだろうか。半ば困惑気味に眺めていたが、やがてフィリアは何かを察する。

 

 

 あのアキトの、怯える様な、焦った様なあの感じ。

 以前洞窟でPK集団を見た時と似ていた。

 

 

「…アキト、もしかして…あの時のフードの奴らを探しているの?」

 

「っ…」

 

 

 思わず、そう口が動く。それは図星だった様で、アキトは分かりやすく表情を変える。

 アスナもその言葉に驚いたのか、咄嗟にアキトの方を向く。

 アキトはその場に立ち尽くし、何も言わずに肩を落としていた。

 

 

「……ねぇアキト。アキトは、あの人達……知ってるの?」

 

 

 あの時、PoHと出会った時。

 あの時の、怯える様に震えるアキトを思い出す。あれは、すぐ近くに死の恐怖があったから怖がって震えているものだと思っていた。

 だけど、今の様子からすると、そうとも言い切れない。寧ろ、怖がるどころか、探している様に見えた。

 

 

「……」

 

 

 フィリアのその問いに、アキトは何も言わない。

 いや、何も言えないのだ。

 

 

 アキトは、奴らを知らない(・・・・・・・)

 

 

(……知らない、筈なんだ……)

 

 

 だけど、アキトは何故か彼らに関しての色々な事を知っていた。会った事も無い筈なのに、その根底にあるものが彼らを理解していた。

 知らない筈なのに、何故か知っている。

 体験した事の無い記憶が、光景が、脳裏に焼き付く。アキトは目を抑え、その顔を苦いものへ変える。

 

 

 何だ、これは。そう自身を問い掛ける。だけど、本当は理解していた。心の何処かで感じ取っていた。

 今まで何となく感じ取っていたのだ。

 

 

 これは、この記憶は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…アキト?」

 

「……ああ、知ってるよ。嫌になるくらいにな」

 

「っ……」

 

 

────何故か、自然と言葉が出た。

 

 

 アキトは諦観を抱いたかの様に、儚げに笑う。アスナはそんな彼の表情に、胸が締め付けられそうだった。

 フィリアはアキトの事をまじまじと見つめ、続きの言葉を促した。

 

 

「…かつてアインクラッドでPKを繰り返していたレッドギルド…《ラフィン・コフィン》。アイツらの手にかかったプレイヤーは数知れない」

 

「っ…!」

 

 

 ギルド《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》。その名前は、フィリアでも聞いた事がある。

 あの時、PoHを初めて見た時も、アスナの説明で話の一部分は聞いていたが、改めて聞くと、やはり驚きは大きい。フィリアは背筋が凍るのを感じた。

 

 

「直接的に、間接的に。殺しに関しては多芸な奴らばかり。ただ自身の欲を満たす為の快楽殺人。そんな沙汰を平気でやってのける屑だ」

 

 

 その言葉は、いつも文句や皮肉を口走るアキトであっても、聞く事の無い最大限の軽蔑の言葉だった。

 アスナはそれを感じ取ったのか、普段と様子の違うアキトに困惑の表情を浮かべた。

 

 

「…そいつらが、ここに?」

 

「…攻略組が討伐隊を組んで、《ラフィン・コフィン》は壊滅……した筈なんだけどな。残党がここにいるらしい」

 

「…………」

 

 

 フィリアは何かを言いたげだったが、結局口を紡いだまま、そう言葉を紡ぐアキトを見つめた。

 そんなアキトの、瞳の色が変わった。

 

 

 

 

「『……俺は、PKを楽しむ様な奴らを許す事は出来ない』」

 

 

 

「……アキト、君?」

 

 

突如、アキトの声音が変わったように感じる。

アスナは何故か、その場から動けずにいた。

この声、この感じ。それを知っていたから。

 

 

「『みんな、生きて帰る為に必死で戦ってるんだ。前線に戦うだけじゃない。生産系プレイヤーも、ずっと下層にいる人達も、みんな、現実世界に帰れる日を夢見て生きている』」

 

 

 拳に力が入る。その瞳は、憎悪に満ちていた。

普段アキトが言わないであろう言葉の数々が並び、フィリアは困惑を隠せない。

 

 

「『そんな人の命を……ただ楽しいからと言って奪う様な奴らを、俺は絶対に許さない』」

 

 

「……」

 

 

 

 

 ───今のは、本当にアキトだろうか?

 

 ───本当に、アキトの言葉なのだろうか?

 

 

 アスナの瞳が大きく揺れる。アキトの眼の色が青から黒く変わり、いつもの彼じゃない様に見えて。

 いつもの彼なら言わない様な、誰かを思う様な素直な言葉を聞いて。

 その予感が確信に変わりつつあって。

 

 

 本当に、本当に?

 本当に、目の前の彼は────

 

 

 

 

「あ…アキト、君…?」

 

 

「『…………何?」

 

 

 そのけだるげに返事をする少年の表情は、いつものアキトだった。

 自分が今言っていた言葉を思い返す事もせず、ただアスナの方を見つめている。

 アスナは目を見開き、自分のしようとしていた事を思い返した。

 確信しつつあった疑念を咄嗟に振り払い、アスナは首を左右に振った。

 

 

「う、ううん、何でもない……」

 

「……?」

 

 

 アスナのその様子の違いに首を傾げるアキト。

 そんなアキトを、フィリアは悲しげに見つめていた。先程の言葉を思い出して、あれがアキトの本当の気持ちなのかと、そう感じて。

 

 

「……アキトは……真っ直ぐだね」

 

「は?何がだよ」

 

「ううん、何でもない」

 

 

 フィリアはアキトに歩み寄り、軽く笑みを作った。

 

 

「ありがとね、教えてくれて」

 

「……何が」

 

「え?《ラフィン・コフィン》の事よ。今教えてくれたじゃない」

 

「……」

 

「…アキト?」

 

「あ…ああ…、アイツらは何でもアリだからな。《圏内》だからって気を抜くんじゃねえぞ」

 

 

 何故か焦った様にそう答えるアキト。フィリアは特に問い質す事も無く、二つ返事で頷いた。

 

 

(何だったんだろう、今のアキト君…)

 

 

 アキトとフィリアのそんな空気を、隣りでアスナはただただ眺めていた。

 先程感じた違和感を、拭い切れないまま。

 明らかに、今までのアキトとは違っていた。普段の彼は、あんな事を言わない。

誰にでも強気で、優しさは内に秘めていて、決して憎悪を口にするような人じゃなかった。

 

 

あの一瞬、瞳の色が変わって見えたあの瞬間。

あの時の彼は、本当にアキトだったのだろうか。

 

 

 この時、本当は気付いた事を、気になっていた事を、自信が無くても発言出来ていれば。

 

 

 そう思う事になるかもしれないのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 文字列の波が漂い、天井は星々が輝く様に、キラキラと光が走る。

 ウィンドウが至る所に浮いており、その下にはコンソールが設置されている。

 現在《ホロウ・エリア》で唯一見つかっている《圏内》である。

 アキトとフィリアが初めて出会い、共に発見した場所。

 SAOの世界観を無視したその機械的な空間は、現在とても静かだった。

 

 

 ただポツリと、オレンジカーソルの少女が立っていた。

 目の前にある転移門を見下ろしながら、あまり良い顔はしていなかった。

 

 

 「……行っちゃった、か……」

 

 

 先程アキトとアスナを見送ってから、ただ一人、この静かな空間に留まってから、色々な事を思い出す。

 初めてアキトと出会い、共に難敵と戦った事。それがとても楽しくて、段々と警戒心が無くなっていた事。

 そのせいか、本来の自分自身、素の自分をアキトに曝け出せた事。それを彼が受け入れてくれた事。

 オレンジカーソルである自分自身の、カーソルではなく人となりを見てくれた事。彼の仲間も皆、そんな自分を受け入れてくれた事。クラインやアスナ、二人とも、とても優しい人達だった。

 

 

 そして、先程のアキトの言葉。殺人を犯した人を憎む、あの表情。

 あの時の彼は、今まで一緒に過ごした中で、初めて見るもので。

 まるで、別人の様だった(・・・・・・・)

 

 

 「……」

 

 

 何かを抱え、辛くのしかかる。その辛さを、フィリアは知っていた。

 自分にも似たような経験があるからだ。

 だからこそ、独りはとても心細かった。寂しくて、どうにかなりそうで。

 知らないエリアに飛ばされ、人から、モンスターから、逃げ続ける日々。

 

 

 そんな毎日に終止符を打ってくれたのは、突然に現れたアキトだった。

 オレンジである自分を、見捨てる事無く行動を共にしてくれて。色んな場所に付き合ってくれて。連携を取る事に嬉しさを覚えて。

 一緒に居られて。

 傍にいてくれて。

 

 

 辛い時、一番近くにいてくれたのはアキトだった。本人にその自覚は無いだろうけど、フィリアは彼に救われた。

 アキトが辛いなら、力になりたい、そう思うのは当たり前だった。

 助けてくれたから、自分も、彼を助けたい。何かあるなら相談して欲しいし、頼って欲しい。

 そう思うのは傲慢だろうか。

 

 

(……けど)

 

 

 フィリアはそっと、地に付く転移門に触れる。

 何度試しても、自分はアキト達のいるアークソフィアへと転移する事が出来なかった。

 《圏外村》を指定しても同じだった。自分は、この《ホロウ・エリア》からは出られない。

 アキトやアスナ、クラインはあんなに簡単にこちらを行き来していたのに。アキトが今、きっと何か苦しんでいるのに。

 その歯痒さが、もどかしさが、フィリアを苛立たせる。

 だけど、どうにもならないその事実に、フィリアは落胆するしかない。一介のプレイヤーである自分に、システムは凌駕出来ない。

 

 

 自分は、彼らとは違うのだと、そう考えてしまう。

 フィリアは、儚い表情を浮かべ、ポツリと呟いた。

 

 

 「やっぱり、アキトは……向こうの人なのかな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「良く分かってるじゃねぇか」

 

 

 

 

 ────その空間に、影が差した。

 

 

 

 

 「!!!」

 

 

 ゾワリと、背筋を襲う悪寒。ねっとりとしたその低い声に、フィリアは身体を震わせた。

 背中から感じる気配、その声の主を辿るべく、フィリアは咄嗟に短剣を抜き取り、それを構え、突き付けた。

 

 

「誰っ!?」

 

 

 

「おっと危ねぇ、そんなモン突き付けるなよ。怖くて膝がブルっちまうじゃねぇ」

 

 

 

 その声の主は、フィリアよりも少し離れた場所にいた。

 彼女よりも背は高く、黒いポンチョを着込んでいる。フードは深く被られており、目から上は伺えないが、頬には刺青が刻まれていた。

 

 

 フィリアは警戒心を強め、その突き出す短剣に力を込める。

 

 

「どうやってここに……」

 

 

「そんな事はどうだっていいだろう?世の中、不思議な事だらけだしなぁ…」

 

 

 

 フィリアの問い掛けにまともに答えるつもりは無いらしい。男の口元は、歪んだ笑みを浮かべていた。

 フィリアは目の前の男を凝視する。そして気付いた。

 

 

 目の前にいる奴は、つい最近アキトとアスナと共に一度見た事がある。

 アキトは奴を目にして震え、アスナは憎悪を含ませ話していた、例の殺人ギルドの長。

 可愛げな名前とは裏腹に、殺人を助長する道化。

 

 

 

 名前は、PoH。

 

 

 

「お前は……アスナ達が言ってた……《ラフィン・コフィン》とかいう……」

 

「おーおー、俺らも有名になったな。こっちの世界でも知られているとは」

 

 

 そのPoHの発言は、フィリアの疑問が正解だと言っていた。やはり、目の前の男は、殺人ギルドのリーダーなのか。

 フィリアは口を引き絞り、臨戦態勢をとっていた。

 

 

「私を殺しに来たの?そう簡単にやられると思って……」

 

「おーいおいおい、まぁ落ち着けよ。別にお前ぇ殺しに来た訳じゃねぇ」

 

「……じゃあ、何の用」

 

「そんな怖ぇ顔するなよ。同じオレンジ同士だろぉ?」

 

 

 

 

 ────オレンジ。

 今、この瞬間だけは、自身のカーソルが目の前の殺人鬼と同じ色である事が死ぬ程嫌だった。途轍もない不快感、一緒にされると斬りかかりたくなってくる。

 

 

「……だったら、何だって言うの?」

 

 

 苛立ちと恐怖をぶつける様に、そう言葉を吐き捨てる。

 PoHは何が楽しいのか、その笑みを崩さぬまま、フィリアと一定の距離を保ちながら彼女の周りを歩く。

 それに合わせ、フィリアも構えた短剣の角度を変え、目の前の男相手に警戒を緩めない。

 片手を上げ、クネクネと指を遊ばせながら、PoHは口を開いた。

 

 

「オレンジ、オレンジ、オレンジ、オレンジ。肩身の狭いオレンジ同士。仲良くやろうぜ」

 

「ハッ、よく言う……」

 

 

 仲良くする気なんか無い。こいつはきっと、今までこうやって甘い言葉で誘って仲間を増やして来たのだ。

 決して、口車に乗せられてはいけない。

 

 

 だがPoHは、そんなフィリアの返事に何かを言う事はせず、口元をさらに歪めて呟いた。

 

 

「知ってるぜ、俺は。お前が何をしたか」

 

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 

 心臓が、一際大きく鼓動する。

 声が震える。瞳が、揺れ動く。

 

 

「それは……どういう意味」

 

 

 震える声でそう問うフィリア。PoHは彼女のその反応に満足したのか、声高らかに言い放った。

 嘲笑うかのように、歓喜するように。

 

 

「言えないよなぁ……言えないよなぁ……あのビーター野郎には」

 

 

 ビーター。

 

 

 聞き慣れない単語に、フィリアは眉を顰める。

 だが、無意識に理解していた。この男が、一体誰の事を言っているのかを。

 

 

「……アキト……アキトの事?っ…アキトに何かしたら……!」

 

 

「…あん?」

 

 

 フィリアは今にも噛み付かん程に昂っている。

 だが、アキトの名前を出すと、目の前の男は首を傾げた。フィリアはその様子を見て、PoHはアキトの事を言ってる訳ではないのかと安堵しそうになった瞬間だった。

 

 

 PoHは何かを思い出した様な表情を浮かべると、嬉しそうに声を上げた。

 

 

 

 

「…ああ、そっかそっか、そうだよな。()()()()()()()()()()なぁ」

 

 

 

 

 その発言は、フィリアにとって聞き流せるものでは無かった筈なのだ。

 だが、今はその発言よりも、やはりこの男がアキトを狙っているのだと判断して、それを優先してしまった。

 

 

「…どういう事?やっぱりアキトを狙ってるの!? だったら…!」

 

「おお、怖い怖い。別に何もしねぇよ。……今はな」

 

「……」

 

 

 フィリアは黙ったまま、その短剣だけは緩めない。

 PoHはそんな彼女を警戒する事も無く身体をだらんと垂らし、息を軽く吐いた。

 

 

「まぁ今日は帰るわ。でも、俺達話が合うと思うぜ。オレンジ同士」

 

 

 PoHはその後、声を低くして、ニヤリと嗤った。

 

 

「あんなヒーロー気取りの弱っちいヤローよりはな」

 

「……用が無いなら消えろ」

 

「OK、分かった分かった」

 

 

 お手上げというように両手を軽く上げ、男はフィリアに背を向ける。

 フィリアは身体を震わせながら、それでも、いつでも攻撃出来る様に、構えは決して解かない。

 PoHはそんな彼女を見ると、終始ニヤけていた口元をさらに歪ませた。

 

 

 

 

「……お前ぇ……アイツと一緒にいたら死ぬぜ……」

 

 

「え……!?」

 

 

 その反応はきっと、奴の思い通りだった。

 だけど、フィリアはそんな事、考えられる精神状態では無かった。

 思わず構えを解き、PoHに近付こうと足を動かす。

 

 

「ちょっとそれどういう意味!?」

 

「おお~怖い怖い。じゃあ帰るぜ、また来るからよぉ」

 

 

そう嗤うと、PoHは淡い光に包まれて消えていった。フィリアの背にある転移門ではなく、態々持っていた転移結晶を使った様だった。

 

 

再び静寂に包まれる中、フィリアの頭には、今のやり取り、そして、最後にPoHが自分に言い放った言葉がへばりついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……アキトといると……私が死ぬ……?」

 

 

 

 






小ネタ

PoH「オレンジ、オレンジ、オレンジ、オレンジ」

訳 : 「(バレンシア)オレンジ、(ネーブル)オレンジ、(ノバ・)オレンジ、(ブラッド)オレンジ」

くっ…流石オレンジ(ミカン)ギルド……(白目)!




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Ep.55 食い違い



前回の話、前半少し分かりにくかったと思います。
文才超欲しい(´・ω・`)

今回の話もそんな感じです。
物凄くポエム感。

そして感想が送られてこない時間をドギマギしながら、お気に入り数が減る瞬間を見て落胆する日々が続く。

……( ゚∀゚):∵グハッ!!


次回の話からはちゃんと元の書き方をします!
(`・ ω・´)ゞビシッ!!




 

 

 《ホロウ・エリア管理区》での、PoHとのやり取り。

 ほんの数日前の事が、昨日の出来事の様に思い出される。

 

 

 

 

『知ってるぜ、俺は。お前が何をしたか』

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

『言えないよなぁ……言えないよなぁ……あのビーター野郎には』

 

 

 

 

 ────やめろ。

 

 

 

 

『……ああ、そっかそっか、そうだよな。今はそんな名前だったよなぁ』

 

 

 

 

 ────それは、アキトの事なの?

 

 

 

 

『肩身の狭いオレンジ同士、仲良くやろうぜ』

 

 

 

 

 奴と自分のカーソルの色は同じ。それは即ち、同じ穴の狢。奴と自分は何も変わらない。

 

 

 だからこそ思い出す。

 過去に自分が犯した事も。そして、アキトが言い放った言葉も。

 

 

 

 

『…私、人を殺したの』

 

 

 

『……俺は、PKを楽しむ様な奴らを許す事は出来ない』

 

 

 

 

 楽しんではいなくとも、人を殺したという点において、フィリアはPoH達と同類だった。

 だからこそ、以前のアキトの言葉が胸に突き刺さる。

 

 

 

 

『……お前ぇ……アイツと一緒にいたら死ぬぜ』

 

 

 

 

(死ぬ……?アキトといたら……私が……?)

 

 

 

 

 グルグルと頭の中を巡るのは、自分のした事、アキトの言葉、PoHとの邂逅時の話、ただそれだけ。

 他には何も無い、空虚な存在。空っぽな自分。

 正に、そんな様子だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「フィリアさんっ!」

 

 「────っ!?」

 

 

 アスナのその声で我に返る。

 顔を上げれば、三又の龍の一匹が、こちらに牙を向けて迫っていた。

 ハッと気付き、急いで短剣を構え対処するも、このままだと間に合わない。

 

 

(しまっ…!)

 

 

 

「はああぁぁあっ!」

 

 

 フィリアにかかる竜の頭に、エリュシデータの重い一撃が入る。確認するまでもなく、アキトが割って入ったのだ。

 ボスの攻撃軌道はフィリアの右に反れ、そのまま地面を滑って行った。

 

 

 「ボサッとすんじゃねぇ!」

 

 「っ…ゴメンッ…!」

 

 

 アキトの怒声でフィリアは気持ちを改める。

 短剣を逆手持ちに切り替え、背中を向けるボスに斬りかかった。

 綺麗に肉に食い込む感覚と手応え、フィリアは持ち手に力を入れて一気に振り抜いた。

 

 

 「スイッチ!」

 

 「了解!」

 

 

 ボスが呻き声を上げると同時に、フィリアが声を出す。アスナがそれに合わせて走り、ボスの首元に強烈な突きをお見舞いした。

 

 

 「アキト君!」

 

 「っ────」

 

 

 片手剣奥義技六連撃《ファントム・レイブ》

 

 

 紫に染まる剣が、途轍もない速さでボスを斬り付けた。

 一撃一撃のダメージが重なり、三つ首の竜は三匹揃って咆哮を上げた。

 

 

 「閃光!フィリア!ラストだ!」

 

 「分かった!」

 

 「う…うんっ!」

 

 

 竜の三つ首がそれぞれ連携して襲いかかるも、彼らは巧みにそれを躱す。

 アキトとアスナに限っては、最近の階層ボスで同じタイプと戦っている為、攻撃パターンは読めていた。

 

 

 斬り、突き、払う。その無駄の無い洗練された動きに、フィリアは目を見開く。

 やはり攻略組は凄い、と切に思った。

 

 

 「……」

 

 

 ────同時に、安心もしたのだ。

 

 

 

 

『……お前ぇ……アイツと一緒にいたら死ぬぜ』

 

 

 

(大丈夫…だよね…? だってアキトは……今だって私を助けてくれた……だから……)

 

 

 だから、自分は死なない。あれは、PoHの妄言だ。

 アキトを見る瞳が、僅かに揺れた。

 

 

(そう思って……良いんだよね……?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《グレスリーフの入り江》

 

 

 それが、浮遊遺跡のエリアボスを倒した報酬、あのエリアの先にあったエリアの名前だった。

 あの遺跡エリアの浮島を転々としながら雲の下へと下りていくと、そこにあった新たなエリアは、見渡す限りの美しい海が広がっていた。

 

 キラキラと光る水面、その中にもモンスターはいるし、後ろには洞穴や洞窟、岩の隙間の僅かな道など、行くべきエリアは選り取りだったが、とても綺麗なエリアだと、3人は思った。

 

 ここでの攻略も、最初は捗っていた。

 洞穴に入り、どこまでも続く通路をひた歩く。見た事の無いエイの様なモンスターや、背ビレの付いたリザードマンなどが多々見られ、やはりどれもレベルが高い。

 時間が経てば経つほどに噛み合う連携によって、その洞穴は順調に踏破されているものに思えた。

 

 だが洞穴の最奥、《水棲竜の(ねぐら)》に到着した時。

 目の前に三つ首竜のボス《Alphard》との戦闘になった辺りから、フィリアの様子がおかしくなった。

 いや、ここに来るまでに腑に落ちない点はいくつもあったが、戦闘に支障が出る程では無かったのだ。

 何かを考える様に俯いたり、悲しげな表情をしたりと、目の前の戦闘に身が入ってなかった。

 

 

 ボスに狙われる事になったあの隙は、ボスが上手だった訳でなく、単純にフィリアの気の緩みだったのだ。

 

 

 ボスを倒し、報酬を確認していると、フィリアがアキトの元へと歩み寄った。

 アキトはそれに合わせて顔を上げ、こちらを見てくるフィリアを見返した。

 

 

 「ありがとう、アキト。さっき助けてくれて……」

 

 「……別に。ボスのヘイトがそっちに行ってたから、隙だと思って攻撃しただけだ」

 

 

 アキトはフィリアから視線を外し、目の前のシステムウィンドウを閉じた。

 すると今のやり取りを見ていたアスナが、不満顔を彼に向けていた。

 

 

 「もー、またそういう事言うんだから」

 

 「……うるせぇよ、何だお前」

 

 

 そんな会話をしていると、洞窟の中だというのに、波の音が聞こえた。

 3人は思わず音のする方へと視線を向ける。

 

 

 すると、先程まで地面に張っていた海水が、分かりやすい速度で引いていった。

 どうやら今のボスを倒すと引き潮になるロジックだった様だ。

 アスナはそれを見ると、思い出したかの様な表情でアキトに顔を向けた。

 

 

 「…! ねぇ、さっきの砂浜の先に海水のせいで行けなかった場所があったわよね」

 

 「…………ああ、あったな、そんなの」

 

 

 アキトも思い出したのか納得した様に頷いた後、もうこの洞窟には用は無いと言う様に背中を向けた。

 アスナはその背を追い掛け、その横に並んだ。

 

 

 「じゃあ、次はあそこだね」

 

 「いや、洞窟の隣りにあった灯台から行く」

 

 「どうして?」

 

 「あっちこっち行くのメンドイから。ここから近い方から行くんだよ」

 

 「……引き潮満ち潮って、時間に寄って変わると思うんだけど、もし灯台の方を攻略してる間にまた満ち潮になったらどうするの?」

 

 「その時考える」

 

 「もう、計画性無いなー」

 

 

 フィリアの目の前で、アキトとアスナが会話を弾ませている。その光景を見ると、なんだか疎外感を抱いてしまう。

 自分は、この《ホロウ・エリア》からは出られない。だけど、あの二人は違う。

 自分と彼らの違いを感じたフィリアの、その表情は暗かった。

 

 

 

 

 だが、何かを感じたのはお互い様だった。

 アスナは少し後ろに離れたフィリアをチラリと見た後、アキトの顔を下から覗いた。

 

 

 「……ねぇ、アキト君」

 

 「今度は何?」

 

 「今日、フィリアさんの様子おかしかったよね」

 

 「……」

 

 

 その言葉で、アキトは押し黙った。それは、アキトもずっと感じていたから。

 今日初めて会ってから何処と無くいつもと違うのは感じていたのだが、彼女も何も言わない為に踏み込む事はしなかった。

 彼女が何も言わないのに、直接聞くのは野暮だと感じたからだ。

 

 

 アスナもアスナで、フィリアの様子がおかしかったのは分かっていた。

 そして良く見れば、そんな彼女は今日、アキトを見る頻度が多かった。悲しげな、何かを訴えるかの様な、そんな顔をしていて。

 

 

 「……アキト君、フィリアさんに何かした?」

 

 「何かあったら俺のせいにすんのやめてくんない」

 

 「何よそれ、そんなに何度も疑った事無いじゃない」

 

 「それこそ俺に言わせれば『何よそれ』だわアホ」

 

 

 

 

 先日のポーカーで、ユイを誑かしたと、瞬時にアキトを疑ったアスナの事を、彼は忘れていない。

 

 ああ言えば、こう言う。久しく忘れていた。アキトは元々、こういう風に他人とやり取りする人だった。

 だけど、アキトが何もしていないというなら、きっとそうなのだろう。

 アスナにとってアキトという存在は、もうそう決め付けられる程に信頼に値する人だったから。

 

 

 なら。なら、どうして?

 どうして彼女は、アキトの事を。

 

 

 アスナはフィリアが離れたところから付いてきている事で、視界に映った彼女のオレンジカーソルに目線が行った。そして、それを見てポツリと呟いた。

 

 

 「……やっぱり、気にしてるのかな」

 

 「あ?」

 

 「この前アキト君言ってたじゃない。『PKを楽しむ様な奴らを許す事は出来ない』って。フィリアさんがそんな人だとは思ってないけれど、カーソルの色は同じだから……自分の事も、そんな人達と同じだって考えてるのかも……」

 

 

 フィリアが何故オレンジカーソルなのか、アスナは知らない。だがオレンジカーソルとは、犯罪をしたプレイヤーに与えられるペナルティカラーなのだ。

 どんなに今が優しくたって、彼女とアスナが仲良く話したって、彼女はオレンジカーソルなのだ。勿論、それに関してアスナは何かを言う事はしないが、それでもフィリアの方はそうもいかないのかもしれない。

 優しくされればされる程に、居た堪れない感情が芽生えるのではないだろうか。

 

 アスナはフィリアと過ごしてまだ短いが、それでも彼女の性格はなんとなしに理解出来ていると思っている。

 正直、オレンジカーソルが似合わない程に、優しい少女だというのが、アスナの評価だった。

 だからこそ彼女は、自身がオレンジカーソルである事に罪の意識を感じていて、先日のアキトの彼らしくない言動に思うところがあったのかもしれない。

 

 

 「っ……あ、ご、ゴメン、アキト君を責めてる訳じゃ……」

 

 

 だがアスナは、思わず口を閉じ、アキトに謝罪と訂正を入れた。

 こんな言い方をしてしまえば、それこそ、本当は優しいアキトだって、フィリアに申し訳なさを感じてしまうではないか。

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「────」

 

 

 「……アキト君?」

 

 

 アキトは、何も言わずに立ち止まった。

 目の前に何かある訳でも、索敵に反応があった訳でもない。

 

 

 ただ目を見開き、ゆっくりとアスナの方を向いた。

 

 

 「……俺が、何だって?」

 

 「え…?何が───」

 

 「今、言ったろ。俺が何だって…?」

 

 「だ…だから、別にアキト君を責めてる訳じゃなくて───」

 

 「その前」

 

 「えっ……PKを楽しむ人達は許さないって……」

 

 

 

 アキトはそれを聞くと、何処か怒気を孕んだ口調で。

 そして、耳を疑う様な発言をしだした。

 

 

 「な…え…は、ハッ、何だそりゃ。俺がそう言ったってのか…?」

 

 「え…な、何言ってるの…?ついこの間の事じゃない…」

 

 

 アスナは一瞬、彼が本気で何を言ってるのか分からなかった。

 まるで彼のその言い方は、()()()()()()と、そう言ってるみたいで。

 

 

 アキトは、固まったままに。

 視線の先のアスナを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 

 

 まただ。

 また、この感じ。

 

 

 

 

 「……いつの事だ」

 

 「二日前よ……遺跡のボスを三人で倒した後、そう言ってたじゃない……本当に、覚えてないの…?」

 

 「……」

 

 

 

 

 ────覚えていない。

 

 というより、そんな事言ってないと、そう強く感じた。

 だって、アキトにはそんな事を言うつもりも、理由も記憶に無い。

 

 

(俺…が……僕、が……?)

 

 

 グルグルと、脳内で見た事の無い光景が駆け巡る。

 アキトは片手で瞳を抑えた。

 

 

 止めようとしても、止められない。

 この記憶は、この気持ちは。

 この意志と、この心は。

 

 

 「……っ、ああ…そうだったな…そういや、そんな事…言ったっけな……はは、俺もそろそろ歳かもな」

 

 「……」

 

 

 アキトはアスナを心配させまいと、どうにか取り繕うとする。

 だが無駄だった。アスナの中では、もうアキトという存在に疑問を持ってしまっていた。

 

 

 これ以上、踏み入ってはいけないのかもしれないというのに。

 アスナは、アキトに聞く事しか出来ない。

 

 

 こんな事しか、聞けない。

 

 

 「……アキト君、大丈夫……?」

 

 「っ…なっ、んだよ…そんなの、お前には関係……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 視界がブレる。視線が揺れ動く。

 彼女の表情が、見た事の無い別の表情と重なって見えて。

 こんな記憶、アキトには覚えが無くて。

 

 

 「……アス───」

 

 

 「ゴメン二人ともっ…、私歩くの遅かったよね…!」

 

 「っ…」

 

 

 アキトがアスナの名前を呼ぼうとしたその寸前に、後ろを歩いていたフィリアが追い付いた様で、アキトはその口を噤んでしまった。

 アスナも我に返り、慌てて彼女に取り繕う。

 

 

 「う…ううん。大丈夫よ、フィリアさん」

 

 「そう…?なら良いけど……」

 

 「……行くぞ」

 

 「…! あっ…」

 

 

 アキトはアスナの質問に答える事無く、帰路へと足を運んでいった。

 アスナは思わず声を漏らし、フィリアは二人を交互に見る。

 

 

 自然と伸ばされたアスナの手は、まるでアキトに触れる為に挙げたものの様で。

 触れれば、一瞬で壊れてしまいそうな、アキトの為に伸ばした手に思えて。

 アスナはその手を下ろしてしまった。

 

 

 「……」

 

 

 その背中を追い掛ける事しか出来ない。

 彼は、何も自分に話してくれない。

 力になりたいのに、自分達はあまりにも無知過ぎて。

 

 

 優しくて、誰かの為に一生懸命になれる人で。

 キリトとは違うバトルスタイルで、顔だってそんなに似てないのに、雰囲気はキリトそのもので。

 けど、本質的な事は何も知らない。

 ただアキトをキリトと重ねて見てしまっているだけで、アキト自身の事をしっかりと見ていなくて。

 何も、何もかもを、自分は知らなくて。

 

 

 何かを抱えている筈なのに。

 アキト自身ですら分からない事が起きているのかもしれないのに。

 

 

 踏み込む事が出来なかった。

 触れてしまえば、もう、取り返しがつかない気がして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、アキトもアスナも、誰も知らない。

 誰も、気付いていない。

 

 

 きっと、気付けと言う方が無理だったのかもしれない。

 だけど、アスナだけは誰よりも感じていた筈なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼を蝕む、その何か(・・)を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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次回 『猫と鼠』


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Ep.56 猫と鼠


お待たせです!どうぞ!

か、感想を……( ゚∀゚)・∵. グハッ!!


 

 

 ────自分が、自分でなくなる感覚。

 

 

 それを体験した事がある、なんて人は少ないだろう。

 そんなの、小説やアニメだけの表現で、実際に体験する事など皆無に近い。

 

 

 だけど最近、何かがおかしいと、奇妙だと。

 歯車が噛み合っていないような、そんな感覚に陥るのだ。

 

 

 見た事も無い映像が、頭の中を駆け巡る。

 知らない景色、知らない人達。

 知らないモンスター、知らない状況。

 

 

 気が付けば、薄暗くて広大な場所にいて。

 見た事があるような、無いような広いフィールドの真ん中に立っていて。

 自身の立つ周りには、倒れ、動けないプレイヤー達がいて。

 目の前には、白い十字の盾を持った、赤い装備の剣士がいて。

 

 

 そして後ろを向けば、見た事の無い、アスナの泣き顔。

 

 

 

 

 

『──ト君ダメだよ!そんなのっ…そんなの無いよぉ!!!』

 

 

 

 

 

 何だ、これは。これは、一体何?

 

 

 こんなの、俺は知らない。

 こんな光景、見た事も無い。

 

 

 周りに倒れ、絶望の表情を浮かべている者も。

 憎悪を宿した瞳で、目の前の赤い剣士を睨み付ける者も。

 その中に混ざる、クラインとエギルの苦しげな表情も。

 

 

 見た事の無い、アスナのあんな涙を。

 

 

 

 

 ────違う。

 違うんだよ、アスナ。

 

 

 俺は君に。アスナに、そんな顔をして欲しかった訳じゃない。

 ただ彼女に、たくさんの笑顔を。

 

 

 ただ君に、笑っていて欲しくて────

 

 

 

 

 

 

 それが、『俺』の願いで────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「っ…!」

 

 

 ガバッと、横にしていた身体を勢い良く起こす。

 最近、見る夢の種類が豊富になりつつあるこのどうでもいい事実に、アキトは汗をかきながら溜め息を吐いた。

 

 

 いつも独りになりたい時に来る、憩いの場所。

 何かから逃げたい時、考え事をしたい時、或いは、何も考えたくない時に来るこの場所で、夢に追われて飛び起きるなんて。

 

 

 その丘から見える太陽が湖に沈む夕暮れ時の景色も、酷く恐ろしく感じた。

 

 

 どんな些細な夢でも、どんなに優しい夢でも。

 一瞬身体がビクリと大きく震え、こうして目を覚ましてしまう。その時は決まって、こうして汗をかいて、呼吸が乱れている。

 

 何故か、怯えるかの様に身体が震え、止まらないのだ。あと少し、あと数秒でも夢の中に留まっていたら、自分は自分じゃなくなってしまっているのではないかと、そう思えてならない。

 そんな訳はないのかもしれない。そんな事、本当はある筈ないのだ。

 

 

 「…なら…何なんだよ……この感覚は……」

 

 

 まるで、内側からじわじわと違う何かが染みてきている様な、そんな感覚。

 ドクドクと脈打つ音が耳に響き、アキトの瞳は揺れ動いていた。

 

 

 夢から覚めた筈なのに、まだ夢の中にいるようなこの感覚。

 自分が、まだちゃんと(・・・・)()()()()()()様な、そんなよく分からない感覚が襲う。

 

 

 まだ、夢から全ての自我が帰って来ていないみたいな。

 

 

 「っ……」

 

 

 片手で顔を抑える。頭が、ズキズキと痛む。

 いつも綺麗に見える、広がる湖。ここから立ち上がって畔まで歩いて、すぐに顔を覗けば、そこにはちゃんと自分の顔が映っているだろうか。

 もしかしたら、自分ではない誰かが、映っているのではないか。

 

 

 アキト自身も気付かない。

 その瞳の片方が、青から黒へと、変わりつつあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 アークソフィアの商店街の景色は、アキトにとって、もう見慣れたものになっていた。

 行き交う人々、アイテムの売買を行う人々、カフェで休憩する人々。

 話した事は無くとも、見た事のあるプレイヤーが、チラホラと見える。

 視線が動き、その歩を進め、荒れていた呼吸は、もう通常通りに回復していた。

 

 

 そんな彼の黒づくめの装備に、彼らは奇異の視線を浮かべる。見た目、雰囲気、背中に収まる黒い剣。

 ヒソヒソと話される言葉の中には、もう聞き慣れてしまった単語が含まれていた。

 

 

 ────《黒の剣士》

 

 

 それは、かつての英雄の称号。

 この世界で最速、最強を意味した言葉。そしてそれはアキトじゃなく、キリトただ一人に与えられた不変のものだった。

 どれだけ見た目が近くても、どれだけ雰囲気が似ていても、使用する武器が同じでも、アキトとキリトは、全然違う。

 求めたもの、手に入れたもの、失ったもの。

 願ったもの、叶ったもの、受け取ったもの。

 それはパッと見るだけなら同じに見えるかもしれない。だけど、本質的には何もかもが違う。

 環境が、境遇が、強さが、力が、速さが、世界が違う。

 

 同じものを感じ、信じていた筈なのに、二人は違う道を歩んだ。

 キリトはたった一人、ゲームクリアの為に攻略を進め。

 アキトはたった独り、孤独の苦痛に苛まれていて。その場から動ける様になったのは、どのくらいの期間が経ってからだっただろう。

 変わり映えの無い、その場で足踏みするだけの毎日。そんな在り来りな世界を望んでいた筈なのに、独りになった途端に涙が出そうだった。

 現実世界ではずっと独りだったのに、平気だった筈なのに、と自分を励ましても何も変わらない。誰かと共にいた日々が頭から離れなくて、涙が止まらなかった。

 

 それは、後悔の涙。

 求めなければ、失う事も無かったのに。

 出会わなければ、もしかしたらまだ、彼らは生きていたかもしれないのに。

 この世界では、違う自分になれるのかもしれないと、望まなければ、こんな事にはならなかったのかもしれないのに。

 後悔しても、全ては後の祭り。そんな事は分かっている。それでも、この世界にいる限り、そんな事を考えるしかないではないか。

 

 

 美しくても、こんなに残酷な世界で。

 

 

 「……俺、は……黒の剣士なんかじゃ……」

 

 

 この世界に生きる全てのプレイヤーの、希望の象徴。

 それが、『黒の剣士』。

 ヒースクリフが死んだ今、唯一のユニークスキル保持者だった彼はきっと、この世界最後の希望だった。

 そんな大きな存在が、いつの間にか自分という事になっている事実に、アキトは暗い影を落とした。

 

 

 気が付けばエギルの店で、アキトはそれを視認した途端に瞳を伏せた。

 この入り口の先には、《黒の剣士》の守りたかった者達がいる。アキトが、キリトの代わりに守ると誓った人達がいる。

 キリトが成し得なかった事を、アキトが成そうとする、その理由がある。

 《黒の剣士》に出来なかった事を、《黒の剣士》の紛い物である自分が担おうだなんて、今にして思えば随分と大それた事だと苦笑するしかない。

 

 

 ────ズキリ。

 瞳が痛む。押さえれば、見た事の無い光景が瞼の裏に現れる。

 笑う者、涙する者、怒る者、叫ぶ者。そんな人達が、脳裏を駆け巡る。

 

 

 「……」

 

 

 疲れてる。今日は休もう。

 もう、そんな事しか考えられなかった。今になって、なんだか振り出しに戻った気分だった。

 自分の劣等感や、感じ方、他人にどう思われようと、この願いを貫くと、あの時のユイを見て決めたというのに。

 これではきっと、自分に好意を持ってくれてるユイ自身にも申し訳が立たない。

 

 

 「……?」

 

 

 ふと足を止め、その顔を上げる。店の中から、ワイワイと賑やかな声が聞こえてくる。

 現在はもう夕暮れだが、いつも夕飯を食べる為にこの店にくるプレイヤー達は、もう少し遅い時間に来るのだ。

 今日は珍しく早いのだろうか。

 だが────

 

 

 「っ……」

 

 

 聞き覚えのある声が聞こえる。仕事をしているエギルと、クラインを除くいつものメンバーに加え、ストレアと、そしてもう一人。

 久しく聞いてない、だけど耳につくその声を。

 

 

 「……まさか」

 

 

 アキトはエギルの店に入る。いつもの場所、カウンターの近くの円テーブルに、彼らはいた。

 そしてその中に、アキトの予想通りのプレイヤーがいた。

 

 

 

 

 特徴的なヒゲを左右に生やしたフードの少女が。

 

 

 

 

 「あんたは鍛冶屋のリズベットだヨナ。数少ないマスターメイサーノ」

 

 「え、あたしの事知ってるの?」

 

 「勿論ダヨ。マスターメイサーの鍛冶屋で、しかも女性。情報屋なら当然押さえておく情報だかラナ」

 

 「へぇ〜、リズさんって有名人なんだ」

 

 「そ、それほどでも……」

 

 

 リーファに感心され、頬染め照れるリズベット。そんなリズベットの有名な理由を話していたそのフードの少女。金褐色の巻き毛で、ショートヘアのその女性を、アキトは知っていた。

 

 情報屋、《鼠のアルゴ》

 元ベータテスターで、アインクラッドでは数少ない、『情報屋』のパイオニア。

 ゲーム開始当初に、自身がベータテスターである事を明かし、自分の持つ情報をガイドブックに纏めて無料配布していた勇気ある少女。

 

 久しく見ていなかったが、このアークソフィアに来ていたのか。

 アキトは目を丸くして見ていた。

 それと同時に、どうしてこんなところに、とも感じた。

 

 そんな中でも、会話は続いた。

 会話を聞くに、何人かはアルゴとは初対面らしかった。

 

 

 「そう言えばアルゴさんは、みんなの事は知ってるの?」

 

 「エギルの旦那とクラインは顔見知りダナ。それからリズベットにシリカに……」

 

 

 アスナの質問に、流麗に答えていくアルゴ。

 その中に自分の名前を確認したシリカは、驚きで目を見開いた。

 

 

 「あたしの事も知ってるんですかっ!」

 

 「初めてフェザーリドラをテイムした有名人ダ。勿論知っていルサ」

 

 「えへへ、なんか照れちゃいます」

 

 「あとはそっちのユイちゃんは知ってルナ」

 

 

 アルゴに有名だと言われて満更でもないシリカの隣りで、今度はユイが驚く番だった。

 

 

 「私の事も知っているなんて、アルゴさんは物知りなんですね」

 

 「1層であれだけキー坊と一緒にいれば、イヤでも耳に入ってくルサ。アーちゃんも軍相手に色々やらかしたらしいシナ」

 

 「うっ…さ、流石アルゴさん、何でも知ってるんですね〜…」

 

 

 痛い所を突かれたアスナは、リズベットやシリカとは違う意味で顔を赤くし、話題を変えるべく慌ててアルゴに取り入った。

 しかし、当のアルゴは胸を張った後、怪訝な表情を浮かべた。

 

 

 「当たり前……と、言いたいところだが、そうでもナイ。そちらのお嬢さん方と──」

 

 

 そう言ってアルゴはリーファ、シノン、ストレアを見た後、その身を乗り出し、彼女達の向こうに立ち尽くしていたアキトを見て、その表情をニヤリとさせた。

 

 

 「ソッチの黒いオニーサンについては殆ど知らないかラナ」

 

 「っ…」

 

 

 アルゴの視線は、間違い無くアキトを捉えていた。

 皆がアルゴの視線の先を追う事で、彼女達は漸くアキトの存在に気が付いた。

 一番に反応したのは、他ならぬユイだった。その表情を笑顔にし、トテトテとアキトに駆け寄った。

 

 

 「え……?っ、あ、アキトさん!お帰りなさい!」

 

 「アキト…! いつの間に帰って来てたのよ」

 

 

 リズベットが目を丸くしながら言い放つ。

 アキトは何か言い返す事も忘れ、アルゴを見据えていた。

 アスナはそれを見て、丁度良いと笑顔を作り、アルゴと彼女達の間に立った。

 

 

 「じゃあ、良い機会だし紹介しようか。アルゴさん、この子はリーファちゃん」

 

 「よ、よろしくお願いします…」

 

 

 アスナの紹介でたどたどしく挨拶するリーファ。ぺこりと頭を下げ、そのポニーテールが揺れた。

 アルゴはリーファの現実とは思えない容姿をまじまじと見つめ、感嘆の息を漏らしていた。

 

 

 「……森に妖精が現れたとか噂になった事があるけど、まるで本物の妖精みたいダナ」

 

 「ええと、これは……」

 

 「いや、これ以上タダで聞くつもりは無イヨ」

 

 

 アルゴはそう言うと軽く笑った。

 売れる情報は何でも売るのが彼女だが、ちゃんと良識もある。

 自身のポリシーをしっかりと確立させ、そのルールに従って動く、信頼のおけるプレイヤーである。

 アスナはシノンと目配せした後、再びアルゴに向き合った。

 

 

 「それから、こっちがシノン」

 

 「……よろしく」

 

 

 シノンはリーファと打って変わって淡々と言葉を放つ。アルゴは特に何かを言う事もせず、シノンを見つめる。

 そしてその後、彼女に対して何か思う事があるのか、考えていた事を口にした。

 

 「……ウム。ユニークスキルが開放されたって話を聞いたケド……」

 

 「えっ!?」

 

 

 これには流石にシノンも驚く。他のメンバーも目を丸くした。アルゴの情報力に改めて関心するところだ。

 シノンが弓を使うという噂は、アークソフィアに少なからず浸透し始めていた。この76層に来たばかりだとしても、《鼠のアルゴ》ともなれば、そんな噂を嗅ぎ付ける事も時間の問題だっただろう。

 シノンの反応で何となく察したのか、アルゴは再び口元を緩ませた。

 

 

 「正直過ぎる反応ダナ。まあ確証を得るまでは話さないカラ、安心しナヨ」

 

 「……そうだと良いけれど」

 

 

 シノンは表情を曇らせてそう返した。流石に初対面の相手は警戒するだろう。怪訝な視線を向けていた。

 そんなシノンとアスナの間に割って入って、今度はストレアがアルゴの前に躍り出た。

 

 

 「アタシは?アタシの事知ってる?」

 

 「……綺麗なオネーサンって事しか分からなイナ」

 

 「綺麗だってー!ありがとう!アタシはストレアっていうの、よろしくね」

 

 「ストレアか、覚えておクヨ」

 

 

 ニコニコとするストレアの目の前で、アルゴは表情を変えずにそう答えた。

 

 そして、漸くといった雰囲気で、彼女達の後ろに立つ黒いコートの剣士へと視線を動かした。

 皆が、その視線の先にいるアキトとアルゴを交互に見つめる。

 アキト自身も、アルゴの事を見つめ返していた。

 

 そんな中で、アスナはアキトの元へ寄り、アルゴに紹介し始めた。

 

 

 「それで、この人がアキト君。76層から攻略組に参加してくれてるの」

 

 「……」

 

 「……アキト、ね」

 

 

 そう呟くと、アルゴは女性陣の間を通り、アキトの元へと近付いていく。

 彼女達は不思議そうにそれを見ていた。

 やがてアキトの目の前まで歩むと、その場で立ち止まり、彼を上から下まで眺めた。

 そして、納得したのか、アルゴはアキトに向かって笑いかけた。

 

 

 「…初めまして、ダナ。ヨロシク、《黒の剣士》」

 

 「……」

 

 

 アキトは拳を握り締める。腹を立てた訳では無い。

 アルゴはキリトを知っている。ならば、アキトの事を《黒の剣士》と呼ぶ、その意図は何なのか。

 キリトを知っている筈なのに、自分の事を《黒の剣士》と呼ぶアルゴに、どういうつもりだと問い質したかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 クラインが帰って来てからは、いつも通りみんなで食事の流れに入った。新しくアルゴを加え、賑やかだったメンバー達が更に騒がしくなる。

 アルゴが知り得る彼女達やクラインの秘密の暴露大会を始め、ちょっとしたミニゲームや、クラインがどこからか持って来た壊れたカラオケボックスのくだりなど、いつも以上に騒いだのは確かだ。

 

 

 アキトは平常通りカウンターで飲み物を口に入れるだけで、彼らの中には入らない。

 ただ眺め、見つめ、憧れるのみだった。

 

 

 「ここ、邪魔すルヨ」

 

 「っ…鼠…」

 

 

 すると、いきなり隣りの席にアルゴが腰掛けた。その向こうでは、アルゴが抜けても尚談笑を続ける彼らがいた。

 エギルも今は注文が無いのか、珍しくカウンターの外で会話に混ざっていた。

 アルゴは飲み物と食事ものの皿をアキトの前に置く。どれもアスナとエギルのお手製で、どれもその為美味なものだった。

 

 ふと、アルゴを見ると、アルゴもアキトを見つめていて。

 その距離の近さに思わず目を丸くすると、アルゴは小さく笑って口を開いた。

 その声の大きさは、きっとアスナ達には聞こえないだろう。

 

 

 

 

 「…久しぶり、ダナ」

 

 「……ああ」

 

 

 アルゴのその挨拶に、アキトは素直にそう返した。

 

 

 そう、アキトとアルゴは、初対面ではない。

 彼女はとある時期から、交流を深めているプレイヤーだった。

 

 

 アルゴはニヤリと笑うと、グラスを手に持ってアキトを見やった。

 

 

 「見ない内に随分黒くなったじゃなイカ」

 

 「お前も見ない内に……いや、何も変わってないな」

 

 「女性相手に失礼な奴ダナ。……そういうお前は、随分と変わったヨナ」

 

 「……どうだろうな。変わったのは外側だけかもしれない。…まあそれも、変わったんじゃなくて、変えてるんだろうけど」

 

 

 自嘲気味に笑ってそう答える。アルゴは何も言わずに口に飲み物を含ませた。

 強い訳では無く、ただの強がり。それはイコール、自信の無さの表れだった。みんなの事を過去にしたくないと思う反面、過去の弱い自分を否定したいという矛盾を抱えたアキトの、小さな本音。

 アキトはそんなアルゴに顔を向けると、それを振り払うべく話題を変えた。

 

 

 「…お前、何でさっき…」

 

 「ン?」

 

 「…俺の事、知らないって…」

 

 

 先程、みんなの前でアルゴは、アキトの事を知らない様に振舞った。彼女達も、アルゴとアキトは初対面だと思っただろう。

 どういうつもりかは分からなかったが、アキト自身何となく気が楽になったのは事実だった。

 アルゴは思い出したかの様に『あー』と声を出すと、彼に向き直った。

 ポツリと、アキトは言葉を漏らした。

 

 

 「…ありがとな」

 

 「…詮索されたくなかったんダロ?依頼主の希望は遵守するのがオレっちのポリシーってだケダ」

 

 「……そう、だったな。別に隠してる訳じゃないけど…今はまだ、自分の口からは話せないと思ってたから……」

 

 

 アキトはそう言って笑う。

 アルゴもそれに返すように笑った。

 

 

そう、アルゴはアキトの過去、アキトの抱える事を知っている。

口に出して話した訳じゃない。ただ、キリトがギルドに入った事、それによってギルドのメンバーにアキトがいる事を知っていて、あの日、独りだけになったアキトを見て、何もかもを悟っていたのかもしれない。

 

 

 「…いつから、この層に?」

 

 「みんなと顔を合わせたのは初めてだケド、来たのは結構前ダヨ」

 

 「…じゃあ、キリトの事は…」

 

 

 きっと、聞かなくてはならない。

 アルゴはそれに反応すると、顔を下に向けた。フードの影で、その横顔は良く見えなかった。

 

 

 「ああ……知ってルヨ」

 

 

 アルゴのグラスを掴む力が、僅かに強くなる。それを見たアキトは、思わず顔を伏せた。

 そうだ、アルゴだってキリトの仲間。悔しくない筈が、悲しくない筈が無かった。

 76層より上に来ると下層に下りられなくなる事、もしかしたらアルゴなら事前に分かっていたかもしれない。それでもここに来たのは、新しい情報を手に入れるという建前で、キリトに会う為だったかもしれない。

 二人は決して悪い関係じゃなかった。アルゴがキリトを心配するのだって当然だった。

 アルゴがどれだけの思いを持っていたかは分からない。けれど、悔しさはきっと、アスナ達と同じくらい強かっただろう。

 

 

 ────何故か、涙が出そうだった。

 

 

 「…ゴメン、アルゴ…」

 

 「っ…」

 

 「あれだけ大口叩いたのに、俺……また(・・)間に合わなかったよ……」

 

 

 気が付けば、アルゴに頭を下げていた。アルゴは目を見開き、慌てたようにアキトを見下ろす。

 

 

 「や、やめてクレ、お前が悪いんじゃないダロ。みんなに見られルゾ」

 

 「……」

 

 

 いつの日かに、アルゴに自身の思いの丈を告げた。

 今後、自分がどうするか、どうなりたいか。

 それをアルゴは最後まで聞いて、見届けてくれると、そう言ってくれたのに。

 アキトは、アルゴの為にもキリト達の戦いの場に参加しなければならなかったのに。

 また自分は、誰かを救えずにここまで一人、独りのうのうと生きていた。

 このまま変わる事無く、誰も救えないまま、この世界から消えていくのかもしれないと思うと、恐怖で身体が震えた。

 アスナ達を救えず、自分は、また同じ事を繰り返すのではないかと。

 

 

 「……お前、前にオレっちに言った事覚えてルカ?」

 

 「っ…」

 

 

 アルゴの言葉に、アキトは伏せていた顔を上げる。丁度今、その事を思い出しつつあったからだ。

 アルゴは優しい眼差しで、アキトの事を見据えた。

 

 

 「…あ、ああ…覚えてるよ…」

 

 「忘れてなイカ?」

 

 「…当たり前だ」

 

 「また背負うものが増えたケド、辛くは無イカ?」

 

 「……」

 

 

 ────辛くない、と言ったら嘘になる。

 そんな人、この世の何処にいるというのか。

 だけど、もう決めた事で。

 それを成し遂げなければ、自分が自分で無くなってしまうから。

 

 

 「……あの日、宣言しただろ。ここから出る為に頑張るよ」

 

 「……なら、オネーサンも安心ダナ」

 

 

 にゃハハと笑う彼女は、屈託の無い無邪気な笑顔で。

 何が大丈夫で、何を安心したのか、アキトは困惑して何も返せなかった。

 

 

 「アンタ達、何話してんの?」

 

 「なになに、二人とももう仲良くなったの?」

 

 「まーナ、シューちゃんとオレっちはもう親友ダナ」

 

 「??? シューちゃん?」

 

 「っ…」

 

 

 アルゴとアキトの会話に、漸く気付いた彼女達がこちらに近付いて来た。

 アキトは普段より過剰に身体を震わせ、それを見てアルゴが笑って答える。

 やがて、ユイがアキトを引っ張り、円テーブルへと連れて行く。アキトをみんなが迎え、席に座らせ、会話に混ぜる。

 

 

 「何?何でシューちゃんなの?」

 「し、知らねぇよ…アイツが勝手に…」

 「もしかして、現実世界での知り合いとかですか?」

 「俺とアイツは初対面だ…!」

 

 

 アキトは質問の押収に困惑しながらも、その表情は軽くなっていた。

 

 

 

 

 

 「……良かっタヨ」

 

 それを見て、アルゴは心底安心した。

 気がかりだったのは、キリトだけじゃなく、アキトもだったから、元気そうな姿を見て、心が軽くなった。

 あの頃のアキトは、とても危うくて、今にも死にそうで。

 触れたら、消えてしまいそうで。

 

 

 アルゴは、あの日、アキトが自身に言った言葉を思い出していた。

 

 

 

 

 

 

 

『乗り越えたりなんて……出来るわけ無いだろっ……!』

 

 

 

 

 

 震えながら、拳を握るかつての彼。

 

 

 

 

 

『ずっと背負って行く…!俺が目にした全ての人の死、友達と仲間の死も…全部全部背負って行く…背負ったまま前に進むっ…!』

 

 

 

 

 

 その決意は。涙しながら呟く意志は、きっとこの世界のどんな剣よりも強くて。

 

 

 

 

 

『忘れて乗り越えたりなんかしない…!死も想いも何もかも背負ったまま、ここから出るんだっ…!』

 

 

 

 あの言葉は、嘘じゃない。

 だから、安心して良い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「…アイツは、ゲームをクリアすルヨ、キー坊」

 

 

 

 

 アルゴの瞳に映るのは、キリトの面影が重なる事の無い、紛うこと無き新たな《黒の剣士》だった。

 

 

 






アルゴ命名 アキトの呼び方

アキト→あきと→あき→秋→秋(しゅう)→シューちゃん

アキト「くだらなっ」

アルゴ「なんダト!」


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Ep.57 失敗を糧に



……最近キリトのコピペ感(白目)
くっそぉ!何故だ……!

最近投稿した話、不振な点、不可解な点、読み取り難い点が多々あったと思います。申し訳ございません。
今後も精進致しますm(*_ _)m



 

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 エギルの店で、いつものようにカウンターに座り、パスタを口に含むアキト。

 最近疲れが溜まっていたのもあって、珍しく遅く起きたのだ。店を見渡してみれば、いつものメンバーの殆どがおらず、恐らく攻略などに足を運んでいるのだろう。

 カウンターの向こうで商品を数えているエギルを視界に捉え、そのままテーブルのパスタに目を落とした。

 

 

 「……えっと」

 

 

 無視しようかどうしようか迷った末に、敢えて何も言わない事を貫いていたが、割と限界だった。

 先程からアキトの隣りには、アキトよりも明らかに小さい、白いワンピースの少女、ユイが座っていたのだ。

 何が嬉しいのか、顔をニコニコとさせながらカップ内の飲み物を飲みながら、偶にチラリとアキトの顔を伺っていた。

 

 

 「……何か、俺に用とかあるの?」

 

 「え?いえ、どうしてですか?」

 

 「あ、ああ、いや……」

 

 

 さっきから隣りに座ってこっちを見てるものだから、なんて直球で言ったら傷付くだろうか。

 女の子の扱いなど上手い筈も無く、アキトはユイが何故こんなにも嬉しそうに自分を見ているのか分からなかった。

 というか、あまり見られていると朝食を食べにくい。

 

 

 

 

『あ…あ、アキトさんを一日独り占め出来たら、とっても嬉しいです!!』

 

 

 

 

 「……」

 

 

 ふと、以前のポーカーの勝負前に、ユイが要求したご褒美の内容を思い出した。

 あの時、誰もが驚き、混乱しただろう。アキト自身もあの時は酷く混乱していた。ユイからはキリトの代わり、父親の様なものだと思われていたと思っていたからだ。

 あの時の発言も、聞くだけなら可愛い娘の発言だと頬を緩ませる事が出来るのだが、流石にあの赤くなった顔を見て勘違い出来る程、アキトも鈍感じゃなかった。

 

 けど何故だろう。困惑や焦り、驚愕もあるけれど。嬉しい気持ちも混在している。ユイにそこまで想われているからだろうか。

 それもあるだろう。だけど、もう一つ。

 76層に来てから、幾度と無くキリトと比べられ、重ねられ、その格差に辟易していた日々。

 その頃は、彼らが優しくしてくれるのは、お人好しだからと分かっていても、どこかこう思う気持ちがあったのだろう。

 

『キリトと自分を重ねて見ているんじゃないか』と。

 

 あの時はまだ、他人にどう思われようが構わないと思っていたのに、キリトと比べられていた事にとても不快感を感じていた事は否定出来なかった。

 彼らの救いになるならそれで良いと思っていた。でも、ここへ来て『自分は必要無いんじゃないか』とも考えていた。

 結局、どう転んでも負の感情が襲っていたのだ。

 だからこそ、ユイのその明るさが救いになっていたのかもしれない。『キリト』じゃなく『アキト』を見てくれて、『アキト』を必要としてくれて。

 嬉しかったのかもしれない。

 

 

 けど────

 

 

 「っ…!」

 

 「…アキトさん?」

 

 

 ズキリと、瞳に痛みが走る。

 ユイに見せないように、咄嗟に顔をあさっての方向へと向けた。

 

 また、この感覚。

 じわりと、確実に身体に浸る何か(・・)

 最近自覚した症状ではあるが、本当は、ずっと前から感じていたものだったのかもしれない。

 アキトは再びユイに向き直り、軽く笑みを作った。

 

 

 「……何でもないよ」

 

 

『キリト』ではなく、『アキト』として見てくれる人達がいる。

 それなのに自分は今、もしかしたら、『アキト』ですらなくなっているのかもしれない。

 もし、そうなってしまったら。

 自分は何者で、どんな存在になるのだろう。

 彼らは、それをどう見る事になるのだろう。

 

 首を傾げるユイの頭に、そっと手を置いた。

 瞬間、ユイの表情が時間差で赤く染まった。

 

 

 「…!? あ、アキト、さん……?」

 

 「…ユイちゃん、俺は────」

 

 

 

 

 ────俺は、ちゃんとアキト(・・・)だよね?

 

 

 

 

 「っ…」

 

 「……どうか、したんですか……?」

 

 

 その開きかけた口を閉じる。ユイも流石に不思議に思ったのか、そう聞いてきた。

 だが、アキトは何も口にする事が出来ないでいた。

 

 言えない。カウンセリングプログラムである彼女にそんな事は話せない。それを言ってしまったら、自分はまた誰かに縋って、大切なものを失ってしまいそうだったから。

 何より、ユイの負担に、引いてはみんなの負担になるかもしれない。

 それだけは、絶対にさせたくなかった。ただでさえキリトの死により傷付いているのに、自分の事まで背負わせてしまう事になるのは嫌だったから。

 

 

────思い違いであって欲しい。

 

────杞憂であって欲しい。

 

 

 

 

 「アキトさん」

 

 「え…」

 

 

 自分の思考に浸っていたアキトは、そのユイの優しい声に顔を上げる。

 ユイはこちらを真っ直ぐに見上げ、顔を赤らめた状態で、両手でワンピースの裾をきゅっと握った。

 

 

 「今度、またあの場所に連れていってくれますか?」

 

 「…あの場所って…」

 

 

 ユイの言うあの場所とはきっと、以前ユイが泣いていた時にアキトが連れていった場所。アキトの、お気に入りの場所の事だ。

 

 

 何の脈絡も無く提案された、そのユイの言葉の意味。

 

 

 それはきっと、いつもと違う様子のアキトを元気づけようとした、彼女の精一杯の勇気。

 流石と、言うべきなのだろうか。自分が辛くなりそうな時、いつも傍に駆け寄ってくれる彼女。自分に見せてくれるとびきりの笑顔。

 彼女の、MHCPとしての性なのかもしれないけれど、アキトにとって、みんなにとっても、彼女は人間と変わらない。

 彼女のこれは、ただの純粋な『優しさ』だった。

 

 慌てる様に言葉を紡ぐユイに、アキトは笑みを零した。

 

 

 「お、お時間がある時で良いんです…!その、あまり忙しくない時に、ほんの少しの時間で良いので、その……」

 

 「────良いよ」

 

 「っ…!」

 

 

 ユイは頭に乗せられた手の温もりを感じながら、ハッと顔を上げる。

 アキトは小さく笑って、その手を動かし、彼女の頭を撫でた。

 

 

 「明日にでも、行こうか」

 

 「は…は、はいっ!私、すっごく楽しみです!」

 

 

 本当に嬉しそうに笑う彼女を見て、アキトも素直に嬉しかった。

 顔を朱に染めてぱあっと笑顔を浮かべる彼女は、されるがままに、アキトが撫でる手を受け入れていた。

 一見、ただ明日の予定を二人で決めただけに思える。

 だけど、二人にとって、特にユイにとって、これは大切な約束だった。

 明日には果たされてしまう、儚い、だからこそ大事な、『小さな約束』だった。

 

 

 

 

 

 

 「アキト君、ちょっと良い?」

 

 

 「「っ!」」

 

 

 後ろからアキトを呼ぶ声が聞こえ、アキトは驚いて瞬時に手を離し、ユイは見られるのが恥ずかしかったのか、即座に身体をアキトから背けた。その顔は、やはり赤かった。

 

 振り向いて見れば、そこにはユイの母親、アスナの姿が。

 アキトは背筋が凍った。

 今のこの光景を見られていたのだとしたら、間違い無く殺される。

 アキトにその気が無くとも、ユイを誑かした罪はアスナにとって重い筈。

 何を言われるのか。

 

 

 「……?」

 

 

 アスナの問答を今か今かと待ち構えていたアキトは、中々来ないアスナの怒声に首を傾げ、思わずアスナを見直した。

 彼女のその表情は何処か暗く、顔は俯いていた。どうやらこちらをちゃんと見ていなかったか、それよりも重要な案件なのかもしれない。

 そんなアスナにユイも不安になったのか、心配する表情を浮かべる。

 

 

 「ママ、どうかしたんですか?」

 

 「何か用かよ」

 

 「…うん。シノのんの事なんだけど…」

 

 「……?」

 

 

 アスナが話題に出したのはシノンだった。

 アキトは何故彼女からそんな発言が飛び出たのか分からず、再び首を傾げた。

 アスナはそのまま言葉を続けた。

 

 

 「なんだか最近元気が無い感じだったから。何かに悩んでたみたいで……。私の思い違いなら良いんだけど……迷宮攻略してる時の事を気にしてるのかもしれない」

 

 「……そういやこの前、お前らで迷宮区行ったんだってな」

 

 

 シノンの射撃の腕前はかなりのものだった。

 スキルの威力だけでなく彼女の技能が秀でたもので、射撃スキルは彼女が持つべくして持ったと言っても過言じゃない程だったのだ。

 アキトが許可を出してから、彼女は自身が望んでいた攻略組の仲間入りを果たしており、アスナ達とパーティを組んでレベリングをしていたという話はアキトも聞いていた。

 

 

 「射撃武器だと、敵に接近された時に攻撃を捌ききれないでしょ?勿論、その時は私や他のみんながフォローに入るんだけど…」

 

 「…はあ」

 

 「でもそれは遠距離武器なら仕方無い事だと思うし、私達も気にしなくていいよって言ってるんだけど…」

 

 「…ほお」

 

 「シノのん、凄く気にしてるみたいで。もしかしたら、自分が負担になってるって感じているのかも……」

 

 「…へえ」

 

 「その話をさりげなくしとこうと思ってシノのんの部屋に来たんだけど……見当たらなくって」

 

 「…ほお」

 

 

 それを聞いたアキトは、瞬時にシノンがいるであろう場所を予想した。

 恐らく、いつもスキル上げをしている、あの小さな草原の丘だ。

 思考しながら話を聞いていた為、反応が巫山戯た感じになってしまったのは仕方無い。だが、アスナは彼のその反応に思うところがあったのか、眉を吊り上げて迫って来た。

 

 

 「…アキト君聞いてるの?人が真剣に話してるのに、さっきからホーホーホーホー!」

 

 「き、聞いてるっつの……ってか、そんなホーホー言ってねぇだろ」

 

 

 アキトはアスナが近付いた為に、距離を取ろうと席から立ち上がり、彼女から離れる。

 アスナの表情は未だ変わらず、不服そうにこちらを見ていた。

 アキトは溜め息を吐き、彼女に返答した。

 

 

 「大体、そんなもん弓使ってたら当たり前じゃねぇか。遠距離の有利と近距離の不利がトレードオフなのは」

 

 「そうだけど……」

 

 「一応アイツには短剣も持たせてるし、近付いて来た敵も短剣で対処出来るようになるだろ。時間の問題だよ」

 

 「でも……」

 

 「それにアイツはこの世界に来てまだ日が浅いんだ。昨日今日で攻略組に並ぼうなんてのが無理な話なんだよ」

 

 

 アスナが何かを言う前にそう捲し立てるアキト。ユイはオドオドしながら、話の顛末を聞いていた。

 そう言う反面、アキトも最近のシノンの元気の無さは察していた。

 アスナ達と攻略したのが原因だとは思ってなかったが、その原因だって今のシノンなら仕方の無い事だ。

 彼女はここへ来てまだそれほど時間も経ってない。レベルも他の攻略メンバーと比べたらお世辞にも高いとは言い難い。

 

 それなのに、彼女が手にした武器は《弓》。この世界にただ一つしか存在しないそれは、弓を持たない他のプレイヤーでは誰も彼女に教える事が出来ないものだった。

 彼女はたった一人で、誰も知らない未知のスキルを使って攻略しなければならないのだ。

 彼女が近距離と遠距離を制する為に必要なのは、時間と経験だ。まだ攻略し始めたばかりのシノンが、訓練と実戦のギャップに慣れ、自身の弓の一撃がモンスターにどれだけの有効打なのかを把握し、遠距離という空間把握に長けた存在になって初めて、彼女の悩みの対策を模索する事が出来るのだ。

 

 だが、アスナが言ってる事はアキトも思っている事だ。

 遠距離キャラが接敵すると辛いのはRPGなら定番だ。その分遠距離から敵を削れる点で貢献している訳だから、本当に気にするところでは無いと思っていた。

 

 

 「……違うの」

 

 「…?」

 

 

 アスナがポツリと、そう口にした。

 アキトもユイも、アスナの顔を見つめる。

 

 

 「シノのんが悩んでるのって、それだけじゃない気がするの……」

 

 「……」

 

 

 アスナが何を言わんとしているか、アキトはその一言だけで理解した。

 それは、アキトも感じていた事。

 彼女は思えば、ずっと強くなる事に拘っていた。

 

 

 「シノのんが弓を射る時の表情とか、倒した時の表情とか、いつもと違って見えて……心配なの」

 

 「……出来る事なんて、沢山あると思うけどな」

 

 「そう、かな。私はまだ何も見つけられてない……前は、何も出来なかったから、今はやれる事は何でもやってみたいの」

 

 

 アスナはそうやって儚げに笑った。

 彼女のその言葉は、何に向けられた言葉なのか。何を思って放った言葉なのか。

 アキトのは理解出来ていた。

 

 

 きっと、何も出来ずに見送った、キリトの最期。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは身体を傾け、アスナの横を通り過ぎる。

 アスナは目を見開いて振り向き、彼の背中を見た。

 

 

 「……悪いけど、用事思い出したから出るわ」

 

 「え…うん…」

 

 

 アスナの相談に何一つ答える事無く、アキトは外へと赴いた。

 そんな背中を、キリトに似た背中を、アスナは眺めるばかりだった。

 

 いつもツンケンして、他人に皮肉ばかり言って、だけど本当は優しくて、どこが無理をしていて。

 そんな彼に相談すれば、きっとシノンの事も。そう思っていたけれど、アスナはまた失敗したかもしれないと後悔する。

 アキトだって何か抱えている筈。ずっと助けられてきた自分が、また助けてもらおうだなんて虫が良すぎたのかもしれない。

 

 アスナは力無く、ユイの隣り、先程アキトが座っていた場所へと腰掛けた。

 顔をテーブルに俯せ、どうしようかと頭を捻る。

 

 

 「ママ、ママ」

 

 「え……ユイちゃん?どうかしたの?」

 

 

 ユイに呼ばれ、再び顔を上げる。

 自分の娘はにんまりと口を弧に描き、自信満々といったように口を開いた。

 

 

 「シノンさんの事なら、きっと心配いりません!アキトさんが何とかしてくれますから!」

 

 「っ……」

 

 

 その言葉で、アスナは何故かクスリと笑ってしまった。

 随分と娘に信頼されているのだなと、アキトの背中を思い出しながら考えていた。

 確かに、アキトは優しい。見ず知らずの自分を何度も助けてくれた。リズベットとエギルもピンチから救ってくれたし、ユイの面倒を見てくれて。

 今にして思えば、先程の用事とやらも、もしかしたらシノンの元へと行ってくれる為の建前だったのかもしれない。

 そう思うと、その素直じゃないアキトに好感を持ってしまった。

 

 

 そんな彼女達の前に、商品の整理を終えたエギルが現れて口を開いた。

 どうやら一部始終を聞いていた様で、エギルは達観した様に笑った。

 

 

 「いつまで経っても素直じゃねえな」

 

 「…そうですね」

 

 

 そう、彼は本当に優しい。

 だけど、素直じゃない。

 そしてそれは、自分達に心は開いていない事と同義の様に思えた。

 

 

 「……色々難しいと思うが、あまり色々悔やむなよ」

 

 「え…? エギルさん…」

 

 「失敗しない奴なんて、この世にいない。何度も失敗や挫折、反省をして、そこから拾えるものを次に繋げていくのさ」

 

 「っ……お見通しですね」

 

 「抜け目ないのが商人だからな」

 

 

 今まさに、自分は失敗したと嘆いていたところだった。

 商人などは関係無く、エギルはよく見てくれている。流石は保護者といったところだろうか。エギルは笑って奥へと歩いていった。

 アスナも思わず笑ってしまう。ユイも嬉しかったのか、ニコニコと笑みを作った。

 そして、エギルの言葉が頭の中で反芻する。

 

 

(何度も失敗や挫折をして、拾えるものを次に……)

 

 

 もう二度と、大切な誰かを失わない為に。

 後悔と反省を繰り返し、同じ過ちを犯さない為に。

 

 

(今の私に出来ること────)

 

 

 

 

 アスナは立ち上がり、ユイを見てニコリと笑った。

 

 

 

 






小ネタ

アキト 「用事思い出したから出るわ」

アスナ・ユイ ( ( シノンさんのところに行くなんて……優しい……) )


エギル 「失敗や挫折をして、拾えるものを次に繋げていくのさ」

アスナ・ユイ ( ( エギルさんマジカッケエエェエェェェ!!!) )


※小ネタは本編とは無関係です。


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Ep.58 自覚した思いと想い



描写が……!感動させられるような描写が欲しいっ…!
今回も文章力が欲しくなる話……!( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

そしてアキトの若干のキャラ崩壊。
いや、本来の姿かな(´・ω・`)

感想下さい……描写のアドバイスでも何でも……



 

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 街から少しだけ離れた場所。

 まるで牧場のようにどこまでも広がる草原。柵を飛び越えるとそこは小さな丘になっており、下っていけばその草原がどこまでも広がっているようで。

 

 その場に立っていたアキトの淡い色の黒髪が風で揺れ、コートも靡いていた。

 アキトはその場で足を止め、辺りを見渡す。

 目的はただ一つ、シノンの事だった。

 

 

 「……」

 

 

(…心配だな)

 

 

 本当は優しい少年である彼は、アスナの様子を見て、すぐにシノンの元へ向かうと決めていた。

 あんな顔のアスナを見たくないのもそうだが、攻略での戦闘を気にしてるというシノンも心配だったからだ。

 今後モンスターのレベルはドンドン上がっていく。その中で、レベルも経験も乏しいシノンを投入するのはあまりにもリスキーだ。

 アスナ達の心配も当然で、傍から聞いてたアキトですらこうして見に来る程。

 

 一人で街の外には出ない筈。いるとすれば────

 

 

 「あれ、アキト?」

 

 「…よう」

 

 

 予想通り、シノンはいつものこの場所で訓練していたようだ。手元にはアキトが買い与えた弓《アルテミス》が収められていた。

 ここにはシノン一人しかおらず、どうやらずっと一人で弓を引いていたようだ。

 

 

 「一人で訓練やっても効率悪いだろ。誰か誘えば良かったじゃねえか」

 

 「……訓練始めた時、アンタは寝てたけどね」

 

 「別に俺じゃなくても……ちょっと待て、お前何時からここにいる……?」

 

 

 アキトはそんなシノンに素朴な疑問を投げかける。いつまより起きるのが遅かったとはいえ、シノンは朝からアスナに探されていた筈だ。

 アスナがシノンの部屋に行くよりも前に訓練してたとしたら、もう結構な時間だった。

 だが、シノンはアキトの質問に答えず、彼に向かって歩いた。

 

 

 「それより、折角来たんなら手伝ってくれない?近接戦での回避の練習がしたい」

 

 「……」

 

(…アスナの言う通り、やっぱり気にしてたのかな…)

 

 

 アキトはシノンの要求を聞いてそう思った。彼女が気にしてる事は遠距離武器を使うなら宿命だ。本当にシノンが気にするような事では無いのだが、シノンはただ真っ直ぐにアキトを見つめた。

 

 

 「……今チラッと見てたけど、お前動き鈍くなってんぞ。休憩入れてんのか?」

 

 

 身体は疲労しないといっても、無理し過ぎるのは良くないというのはゲームの中でも同じだった。

 

 

 「何日も寝てない訳じゃない。今は大丈夫よ、訓練を優先するわ」

 

 「何が大丈夫だ、足元フラフラだった癖に」

 

 「……えっと、手伝う気が無いならどこかへ行ってくれない?集中したいから」

 

 「……わーったよ」

 

 

 シノンの不貞腐れるような表情に、アキトの方が折れた。

 何処かへ行くのも考えたが、それではシノンは再び休みなく訓練するだろうし、それでは何の解決にもなってない。

 自分が付き合って、彼女の調子の悪さを突き付けるしかない。

 

 

 「……じゃ、やるか」

 

 

 アキトはシノンが危なくないように、短剣を装備し、シノンから距離を取った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 そうして、暫く時間が経った。

 現在、アキトはその短剣を胸元に引き寄せ、弓を構えるシノンに向かって走り出していた。

 

 

 「っ────!」

 

 「しっ!」

 

 

 引き絞られ、放たれた矢を、アキトは紙一重で躱す。第二、第三と続く矢の押収に対し、アキトは瞳を動かすだけで軌道を読み取った。

 先程と同じ撃ち方、軌道、筋、狙う場所。

 それはもう、一度見た(・・・・)

 

 短剣単発技《アーマー・ピアス》

 

 アキトは、その矢を短剣で斬り落とした。

 

 

 「そんなっ……!?」

 

 

 シノンはその常識外れの技術に目を見開く。だがアキトにしてみれば、これは予測出来て当たり前だった。

 何せ、シノンは先程から攻撃がワンパターンになって来ていた。長時間の訓練により、集中力が切れてきているのだ。

 アキトはシノンが驚いた一瞬を狙って詰め寄り、その喉元に短剣を突き付けた。

 

 

 「っ……」

 

 「……ここまでだな」

 

 

 アキトはその短剣を下ろし、シノンから離れる。

 シノンはそれを聞いて目を丸くした。

 

 

 「え…?」

 

 「反応出来てない。これ以上やっても良くならない、一度休憩だな」

 

 「でも……」

 

 

 シノンは何か言いたそうにアキトを見る。

 だがアキトはそこだけは譲れなかった。彼女は確かに頑張っているが、根を詰め過ぎだ。

 勉強も運動も、間に休憩を挟む事で効率よく進める事が出来るのだ。今のシノンの行動は悪い例だった。

 

 

 「作業ってのは集中力がいるだろ。けど、人の集中力なんてもっても30分。何時間も持続出来る訳ねえ。効率良くプレイするなら短時間がセオリーなんだよ。ダラダラやんのが一番進まないやり方だ。今のお前の事だ、シノン」

 

 「……」

 

 

 言い過ぎだろうか。だけどここまで正論を言わないと、シノンは引き下がってくれない気がした。

 ここで追い討ちをかけるべく、アキトはアスナの話していた事を持ち掛けた。

 

 

 「……今日、閃光が話してたよ。自分が足でまといだと思ってんならとんだお門違いだとよ」

 

 「アスナが…?」

 

 「パーティ組んで攻略に行ったんだろ?集団戦闘に必要なのは個々の強さより役割分担だ。遠隔武器であるお前が一人いるだけで戦闘の幅が広がるんだ、結果的に戦力は上々だろ。お前が接敵されてそれをアスナ達に守ってもらったとしても、まだお釣りが貰える貢献度だろ」

 

 

 持ちつ持たれつの関係。それは決して傷の舐め合いなどではなく、頼り合い、支え合う関係性だ。

 ソロであるアキトに言えた義理ではないのかもしれないが、シノンが迷惑を感じているのならそれは間違いである。

 攻略組は決して一人で戦える場所じゃない。ソロであるアキトでさえ、命令口調ではあるが指示を出す。協力もするし、誰かが危なければ助けに入る。

 シノンが劣等感を感じる必要は全く無いのだ。

 

 

 だが、シノンは顔を俯かせ、ポツリと口を開いた。

 

 

 「……そういう事じゃないの」

 

 「……じゃあどういう事なんだよ」

 

 

 いつまでも折れてくれないシノンに、アキトは若干の焦りを抱く。声に苛立ちに似たものが込められた気がした。

 だがシノンは臆する事無く、気にする事無く口を開いた。

 

 

 「私は強くなりたいの。今の私は、誰かに頼らないと戦えない。それじゃダメ、全然意味が無い」

 

 

 彼女も何処か、焦るような口調で捲し立てる。

 強さを渇望し過ぎて、大事な何かを見失っているように見えた。

 シノンは胸元に弓を引き寄せ、ぐっと握り締めた。

 

 

 「私、これは運命だったと思う。この世界に来たのも、射撃スキルが習得リストに現れたのも。自分を守る為に、あらゆる敵に向けて矢を放つ……これが、これだけがきっと、私を救ってくれる、ただ一つの道」

 

 

 声が段々と震え、その瞳が揺れる。

 彼女は今、周りが見えていなかった。

 

 

 「何百匹でも何千匹でも撃ち殺して、膨大な屍の山で全てを埋め尽くして……それで私は、私を取り戻せる、強くなれる。そうすれば……」

 

 「っ……」

 

 

 シノンは途端に顔を上げ、アキトの顔を見つめた。

 アキトは困惑しながらも、なお彼女を見返す。彼女は、何を求め、何がしたいと言うのだろうか。

 だが、シノンはワナワナと口を震わせ、ゆっくりと後退していった。

 

 

 「そうでなければ……強くなければ、意味が無いの……」

 

 「シノ────」

 

 「っ!」

 

 

 アキトが彼女の名前を呼び切る前に、シノンはアキトの横を通り過ぎた。

 突然の事でアキトは目を見開き、彼女の走った先へと振り向く。

 シノンは人通りの多い道を走っていき、やがて見えなくなっていった。

 アキトはそれを追う事もせず、ただポツンとその場に立ち尽くしていた。走り去る彼女の悲しげな表情を見て、何も言えずに。

 

 

 「……強くなければ……意味が、無い……か」

 

 

 シノンの言葉を、音にする。

 彼女が何故あそこまで強さを求めているのか、アキトには分からない。

 この世界にいれば、強くなりたいと思うのは誰しも共通の欲望である。ゲームに貢献しているプレイヤーなら大抵は願う事だと思う。

 

 だがシノンのそれは、そんな彼らの望みとは少し違う気がした。

 もっと必死で、切実な理由があるような。

 

 

 「……」

 

 

 いつの日か、シノンの記憶の話をしてもらった事があったのを思い出した。

『忘れていたかった事まで思い出した』と、彼女は言っていた。現実世界ではカウンセリングを受けていたとも言っていた。彼女が忘れたいと思っている記憶は、それほどに深刻なものなのだろうか。

 もしかしたら、シノンはそんな『何か』を乗り越える為に強くなろうとしているのかもしれない。

 

 

(強く────……強、く……?)

 

 

 

 

 その瞳が見開き、大きく揺れた。

 

 

 

 

 

『まさか他の階層に転移したのか!?』

 

 

 

 

 「っ…!? もしそうだったら……!」

 

 

 

 

『手当たり次第、他の層も探さないと!』

 

 

 

 

 「分かってる!」

 

 

 アキトはその場から急いで離れ、転移門のある広場に向かって全力疾走で駆け出した。

 もしかしたら、まさか、そんな可能性が頭を過ぎる。そうであって欲しくないと思う程、その可能性が肥大する。

 シノンは、他の迷宮区に────

 

 

 「っ……チィ……!」

 

 

 アキトは大通りに集まる人の群れに舌打ちした。

 混雑した人波を潜り抜けて転移門広場へと行くには時間がかかる。生憎転移結晶は無く、買うには時間もお金もかかる。

 

 

(…仕方ない────っ!)

 

 

 アキトは街中でエリュシデータを引き抜いた。そして身体を屈め、一気に走り出した。

 それを見たプレイヤー達は、こちらに剣を持って近付くアキトに目を見開き、声を上げながら散り散りになろうとしていた。

 アキトはそれを見ると、先程まで人が座っていた大きめの木箱に目を向ける。

 

 

(いけ────!)

 

 

 体術スキル《飛脚》

 

 木箱に足をかけて、そのまま斜め上に飛び上がる。

 人々が驚きの声を上げて見上げる中、アキトは建物の側面────壁に向かって足を付け、そのまま一気に壁を走った。

 

 

 「ええぇええ!!?」

 「嘘…!」

 「何だあれ…!」

 

 

 驚くのも無理はないが、アキトは気にする事もしない。

 他のプレイヤーよりも優先すべき事項が今はあったからだ。

 現在行けるのは84層。合計8層ものフィールドを探さなければならないのは中々に骨だ。

 こんな事ならフレンド登録をすべきだったと、自分を呪う。自分の勝手な都合で、シノンからのフレンド申請を幾度と無く拒否したツケが回ってきたのだと痛感した。

 

 急いで他の層へと転移していき、辺りのプレイヤーに話を聞く。いつもの口調が崩れ始める程に、アキトは焦りを覚えていた。

 もしかしたら、また、あの時みたいに。

 大切な誰かを────

 

 

 「いやー、さっきの女の子一人で大丈夫かな」

 「でもあの冷たい感じが、なんか強そうだったな」

 「随分珍しい武器持ってたよな……何あれ、弓?」

 

 

 「っ!」

 

 

 その声のする方へとアキトは視線を動かす。

 するとそこには、転移門から下りて話をしながら階段を下る三人のプレイヤーがいた。

 気が付けば、アキトは三人の元まで駆け寄り、その内の一人の肩を掴んで見つめた。

 

 

 「なあ、その子、何処に行ったか分かるか!?」

 

 「な…なんだお前…!」

 「お、おい…こいつ、《黒の剣士》じゃね…?」

 「ま、マジか…!」

 

 「探してるんだ!場所を教えてくれ!」

 

 

 彼らが自分をどう呼んでいるのかなど、気にしてられる時間も惜しかった。

 焦りと恐怖が勝り、アキトの瞳は揺れていた。

 三人のプレイヤーも、その徒ならぬ雰囲気を察したのか、顔を見合わせた後、ポツポツと語り出した。

 

 

 「80層の迷宮区の方に向かってったけど……」

 「なあ、あの弓って迷宮区を一人で狩りに行ける程の武器なのか?だったらすげぇな、何処で手に入れたんだ?」

 

 「っ!その話はまた今度、ありがとう!」

 

 

 アキトは彼らに背を向けて走り出した。

 目指すは80層迷宮区。アキトは転移門へと着地し、進むべき道を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 80層の迷宮区。

 

 他の迷宮区と何ら変わりない、暗く淀んだ場所。

 モンスターしかいないその場所を、アキトは全力で駆けた。

 

 

 

 

『この層の迷宮区にソロだなんて無茶だ!急がないと…』

 

 

 「分かってる!」

 

 

 幻聴を遮り、アキトは剣を構える。

 目の前に蔓延るモンスターを見て、アキトは憎悪を瞳に宿した。

 

 

 「『邪魔をするなぁ!』」

 

 

 片手剣単発技《ソニック・リープ》

 コネクト・《掌破》

 コネクト・《ホリゾンタル》

 コネクト・《閃打》

 

 

 「『退け!』」

 

 

 何体も何匹もいる獣共を一撃で沈め、アキトは必死に辺りを見渡す。

 じわりじわりと、何かが侵食するその感触すら、構ってられない程に。

 瞳の痛みなど、気にしていられない。

 躱し、すれ違いざまに斬り抜き、その道を走る。階段を上り、部屋を漁り、隠しエリアを虱潰す。

 

 

 「『どこだ、シノン……どこだ!?』」

 

 

 何処を探しても見当たらない。だけど、最悪の事態は決して考えたりしない。

 強くなろうと決意した彼女が、こうも簡単に死ぬなんて、絶対にあってはならない。

 

 

 ────ドクン

 

 

 また。

 

 

 また、俺は。

 

 

 また、「『俺達』」は。

 

 

 大切な誰かを────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……うっ!!」

 

 

 「『っ…!』」

 

 

 ふと、遠くの方から小さな声がした。

 その声はアキトの耳に届き、アキトは大きく目を見開いて声のする方へと顔を向けた。

 

 

 

 

『今の声は……シノンッ!!』

 

 

 「くっ……間に合え……!」

 

 

 気が付けば、アキトは走り出していた。

 《ホロウ・エリア》の攻略ばかりで、疎かにしていたその迷宮区を、知らない筈の迷宮区を、迷う事無く突き進んだ。

 

 ズキリと、瞳が痛む。

 かつての光景が、頭の中を過ぎった。

 

 

(…ああ…あの時も、こうやって俺は……)

 

 

 この状況は、何処か似ていた。

 大切な人達を失った、あの頃と。

 必死に走って、最悪の事態ばかりを考えて、一心不乱にモンスターを斬り捨てて、他の事は何も考えてなくて。

 

 

 「『くっ…!』」

 

 

 また、間に合わないのか。

 また、死なせてしまうのか。

 助けると、約束したのに。

『ヒーロー』になると、誓った筈なのに。

 

 

 「『間に合ってくれ……』……サチ……!」

 

 

 いつの間にかアキトは、別の少女の名前を呼んでいた。

 

 

 

 

 そうして走った先に、ずっと探していた少女が、シノンがいた。

 その場に崩れ落ち、弓を手放し、ただ殺されるのを待つかのように、怯えたようにモンスターの集団を見上げていた。

 

 

 モンスターを斬り飛ばしてここに来たアキトと、シノンは、一瞬だけ、視線が交錯した。

 

 

 「アキトッ……!?」

 

 

 「────」

 

 

 アキトは、目を見開いた。

 

 

 

 

 その少女が、かつての────

 

 

 

 

 失った大切な人に見えたから。

 

 

 

 

 「────サ、チ」

 

 

 シノンを見て、そう、呼んでしまった。

 敵に囲まれ、怯えるその少女が、かつてモンスターを怖がっていた頃の彼女と重ねて見えてしまった。

 HPが赤く染まる彼女を見て、瞳孔が開いた。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 「────シノン(サチ)、に」

 

 

 

 

 その黒き剣を、握り潰しそうになった。

 

 

 

 

 「『その子に、触るなあああぁぁああ!!』」

 

 

 

 

 アキトは、シノンとモンスターの間に物凄いスピードで割って入った。

 モンスターが慌てて後退するも、もう遅い。

 アキトはその場で片手剣を振り抜いた。

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 その白銀に染まる騎士型の2体は、瞬間に死滅した。

 散り行く光の破片をかき分けて、アキトは両手剣を持つ首無しの騎士に迫る。

 

 コネクト・《エンブレイザー》

 

 イエローに輝くエフェクトが、騎士の鳩尾に食い込んだ。

 モンスターはくの字で吹き飛び、壁に激突して霧散した。

 

 

 「『────らあっ!』」

 

 

 コネクト・《ファントム・レイブ》

 

 紫に光る剣が、残りのモンスター達に一撃ずつ入る。

 死神型のモンスターの大鎌を躱しながら、スキルモーションに移行する。

 その速度は、まさに神速。この時ばかりは、閃光のスピードを凌駕していたかもしれない。

 アキトは目の前にいるモンスターを倒す事だけを考え、全ての攻撃を当てていく。《ホロウ・エリア》で上げすぎたレベルは、この迷宮区で大きいアドバンテージだった。

 

 

 「『せああぁあぁああぁあああ!!』」

 

 

 その声と共に、モンスターは消えてゆき、やがてその場に残るのは光の粒子だけだった。

 アキトはそれを感じ取ると、張り詰めた空気を一気に吐き出した。

 

 

 「『はあ、はあ…っ、はあ…はっ……くっ、はあ…」

 

 

 いつの間にか、あの瞳の痛みは消え、一気に汗が出た。

 色々なものが決壊し、その場に崩れ落ちそうだった。

 荒い呼吸を整える。

 

 

 「…、シノン…!」

 

 

 そして、慌てて少女の無事を確認する。

 そこには、こちらを不安そうに見上げる、シノンの姿があった。

 

 

 「アキト…」

 

 

 「あ────」

 

 

 その姿を見て、アキトは目を見開いた。

 

 

 間に、合った。

 助けられた。

 

 その事実だけで、身体が震えた。

 言葉にならない衝動が、表現出来ない心情が、アキトの身体を動かしていた。

 目の前の少女を。シノンを、サチを。

 

 

 

 

 「アキト……ごめんなさい、面倒をかけ────」

 

 「っ…!」

 

 

 

 

 シノンが何かを言うより先に、アキトが彼女の身体を抱き締めた。

 

 

 「なっ…、あ、アキト……!?」

 

 

 突然の事で、シノンは目を見開き、顔を赤くする。

 いきなりの彼の行動に、理解が追い付かない。シノンの視界には、見た事も無い表示がされ、警告音にも似た音が鳴り響く。

 

 

 しかし────

 

 

 「……よかった……よか、…た……君が、サチが……シノンが、無事で……俺は……、俺、は……!」

 

 「……アキト……?」

 

 

 小さく溢れるアキトの声に、シノンは耳を傾ける。

 震え、泣き声のように、アキトは口を開いていて。

 

 

 「俺はまた……君を……君を、死なせる……ところだった……」

 

 「……」

 

 

 アキトはシノンを抱き締める力を強くする。

 シノンはそれを感じ取り、顔を赤く染めるも、アキトのこの行動に、今までと違う様子に困惑した。

 

 自分は、こんなアキトは知らない。

 自分の知ってるアキトは、いつも強気で、皮肉屋で素直じゃなくて、口が悪い。けど、本当は優しい。そんな少年だった筈だ。

 

 だけど目の前の少年は、幼い子どものように縋り付き、涙を流し、嗚咽を漏らしている。身体は震え、泣き喚いていて。

 こんな弱々しい少年を、シノンは知らなかった。

 

 アキトのその言葉はきっと、自分に向けられたものじゃなかった。

 だけど、強く抱き締められる中にも、彼の温もりと優しさを感じて。

 シノンは、行き場の無かったその手を、アキトの背中と頭の上に乗せた。

 

 

 何故だろう。シノンは、自然と涙が流れていた。

 いや、きっと理由は分かってる。

 

 このままずっと、無力に怯えて生きていくよりは、死んだ方がいいと思った。

 だけど、HPが赤くなった瞬間、これで消えるのかと思ったら、怖くなった。

 怯えたまま、ずっと何も出来ないまま終わってしまうのが怖くて、辛くて。

 だから、アキトが来てくれた時、凄く安心して。

 

 

 「『ありがとう、アキト。臆病な私を助けてくれて』」

 

 「っ……!俺、は……僕は…!……くっ……うあっ……う……ああ……!」

 

 

 アキトにとってその言葉はまるで、かつて大切だった人から言われたように聞こえて、限界だった。

 もう涙は見せない、弱い自分は見せないと決めたのに。

 もう、もたなかった。

 

 

 アキトは、シノンの身体を強く、強く抱き締め、涙を流し、言葉に出来ない声を漏らした。

 そんなアキトを抱き締め返し、シノンも死の恐怖を身近に感じた事で、溜めていたものが決壊し、声を漏らした。

 

 

 

 

 かつて、守れなかった少女がいた。

 助けると誓ったのに、間に合わなかった少年がいた。

 何度も何度も失敗した彼は、今日、漸く。

 

 

 守りたいものの一つを守る事が出来たのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「……ごめんなさい。急に泣いたりして」

 

 「……こっちこそゴメン。抱き着いたりなんかして」

 

 

 暫く経つと、そこには迷宮区だというのに地面に正座する少女と、土下座気味の少年がいた。

 我に返るとお互いに抱き合っているという状況。

 アキトとシノンはお互いに顔を赤くし、途端に離れたのだった。

 そこからは互いに謝罪のキャッチボールだった。

 

 

 「それは、まあ……別に。……私も、その……抱き締め返しちゃったし……」

 

 「いや、それは俺も泣いちゃったからで……」

 

 

 気が付けば、アキトもいつもの態度では無くなっていた。

 ずっと取り繕って、強がって、偽りの仮面を付けていたのに。

 シノンは、そんなアキトを見てポツリと呟いた。

 

 

 「……私、このまま何も出来ずに死ぬと思ったら、怖くなった。自分から迷宮区に足を踏み入れたのに、身体が思うように動かなくて……」

 

 「……」

 

 

 シノンがそう言って自嘲気味に話すのを見て、アキトは口を開いた。

 

 

 「……シノン。聞いてくれ」

 

 「え?」

 

 「……俺は、お前が過去に何があったのかは知らないけど、話したくない事なら無理に聞こうとは思ってない。それは多分、みんなも同じだと思う」

 

 

 彼女が一人で迷宮区に行こうとする程に悩んでいたとしても、彼女が言いたくないなら聞く事は決してしない。

 リアルの事を聞くのはマナー違反だし、聞いたところで気の利いた事を言える自身も無い。

 

 

 「……だけど、君が俺に言ってくれたんだ。『一人になるな』って」

 

 「あ…」

 

 

 それは以前、射撃訓練で一緒に川に落ちた時に、シノンがアキトに言ってくれて言葉。

 

 

 「君の悩みはきっと、君にしか解決出来ないのかもしれない。だけど、閃こ─── アス、ナ、達もシノンを心配してる。何か悩みがあるなら、きっと力になってくれる」

 

 

(ああ……俺、みんなの事、そんな風に思ってたんだな……)

 

 

 シノンを説得する内に実感する。

 あの空間はアキトにとって、きっと、大切な場所になりつつあって。

 

 シノンはそれを聞いて俯くと、その膝に乗せた拳をきゅっと握り、先程アキトの言った事をそのまま返した。

 

 

 「……これは私の問題だから……きっと私にしか解決出来ない」

 

 「…うん」

 

 「……でも、ありがとう。気持ちは嬉しい」

 

 

 そうやってシノンは、小さく笑った。顔はほんのりと赤く染まっており、とても女の子らしかった。

 

 

 「……助けてくれて、ありがと」

 

 「……約束、したからな。絶対に守るって……」

 

 「…あ、あれは、私にじゃなかったでしょ…?」

 

 

 それを聞いてシノンは慌てる。

 いつの日か、震えながら言ってくれたその言葉は、きっとアキトが好きな人に言い放った言葉だったから。

 だけどアキトは首を横に振り、小さく笑い返した。

 

 

 「そんな事無い……俺にとって君は……君達は、俺にとって……きっと……大切なものだから……」

 

 「っ……よく、そんなっ、恥ずかしいセリフ……!」

 

 

 シノンはそれを聞いて顔を赤くする。

 何だ、この男は。口調が違うと態度も性格も違う。

 なんてキザな男なのか。こんな男だっただろうか。シノンはあたふたとしだした。

 

 

 「アンタ、今までの態度からしてそんな事言うような奴じゃないでしょ」

 

 「……あっ…えっと……」

 

 

 アキトは漸く、自分が素で話していた事に気付いた様で、思わず口元を手で抑える。

 シノンはそれを見て呆れるように笑った。

 

 

 「もう良いわよ。アンタがそんな感じだったのは前から知ってたし」

 

 「……」

 

 「…みんなには言わないわ。見せたくないんでしょ?」

 

 「……弱い自分は、見せたくないから」

 

 

 儚げに笑うアキト。シノンはそれを見て、アキトの過去が気になった。

 だけど、自分が言わないのに彼の事を聞くのは、きっと矛盾していると思うから。

 だから、今は。

 

 

 「……じゃあ、帰ろうか。立てる?」

 

 「え…えと……あれ、立てる……」

 

 

 シノンは立ち上がり、そんな疑問を口に出した。

 先程まで、足がガクガクして、まともに動けそうに無かったのに。

 

 

 「よし、帰ろう」

 

 「……ええ」

 

 

 いや、きっと理由は自分でわかっている。

 あの時、震えていた時に、アキトに抱き締めて貰って、凄く安心したのだ。

 

 

 「……」

 

 

 アキトのその背中を後ろから見つめ、シノンは以前アキトにした質問を思い返していた。

 どうしてアキトが強くなろうとしたかを、それを突き詰めて聞いて後悔した事を。

 あの時は、彼の過去を抉るような話を聞いた事に後悔して。

 傷付けるくらいなら、聞かなければよかったと、そう感じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────どうして強くなろうと思ったの?

 

 

 

 

 

 

 

 

『好きな子がいて、その子を守る力が欲しかったんだよ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────…まだ、その子の事、好きなの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ああ……好きだよ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……聞かなきゃよかった」

 

 

 

 

 アキトの背中を見つめ、顔を赤くしながら。

 シノンは確かに、強く脈打つ鼓動を感じ取っていた。

 

 

 






小ネタ 『おんぶだったら』

シノン『……アキト、重くない?』

アキト『…まあ、乗せてないよりかは重いよね』

シノン『……』

アキト『……その矢どうする気(震え声)?』


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Ep.59 異質の存在




ウルトラサンムーンが発売!超楽しい。
よってこちらが疎かに……(メソラシ)






 

 

 

 

 

 

 数日が経ち、そうして行き着いたとある一日。

 

 

 アキトは転移門近くの広場に向かってその足を進めていた。途中通り過ぎる人達を横目で見ながらも、進行方向を忘れぬように。

 

 彼らを見て、色々と考える。

 

 こうして、何気無く歩いているだけに見える人々にも、ちゃんと自身の掲げる『意志』がある。

『正義』なんて確固たるものじゃないだろうけど、それでも自分の目標を持って、信条を抱いて生きている。

 この世界にいる人達は特に、心に根強い傷がある。この世界に囚われてもう2年が経っている。現実への復帰は絶望的で、将来性も大きく損なわれてしまった。

 それでもここを歩く人達からは、ただ幸せな時を過ごしている時の笑顔を見る事が出来る。

 いつか現実に帰る事になって、彼らが本当の意味で笑顔になれるように。

 アキトは改めてそう思った。

 

 

 転移門近くに差し掛かると、見知った栗色の髪を持つ少女が立っていた。

 何となく機嫌が良さそうで、口元を緩めている。

 

 …うん、関わらない方が良さそうだな。

 

 アキトは来た道を帰るように背を向けた。だが時既に遅く、アスナは彼の事を視界に収めてしまった。

 アスナは途端にその場を離れ、アキトの元へと駆け寄った。

 

 

 「あ。アキトくーん」

 

 「……はぁ」

 

 「ちょっと、何よその反応」

 

 「……何か用か?」

 

 「今暇だったりするかな?」

 

 「……だったら何だよ」

 

 

 ここで嘘を付けないのが嫌な所だ。

 今まで散々嘘を吐いてきたのに、彼らへの認識を改めつつある今になって、本心を偽る事に抵抗を感じ始めているだなんて。

 アキトは一瞬だけ苦しそうな表情を浮かべたが、それも本当に一瞬。アスナは気付く事無く言葉を重ねた。

 

 

 「実はこの前、攻略組に参加したいって血盟騎士団宛に連絡があってね。今からそこのギルドマスターと会う約束なの」

 

 「あ、ああ…そうか……それで?」

 

 「最近、頭角を現したハイレベル集団!かなりの強さなんだって。結構評判になってるよ」

 

 

 アスナは笑顔でそう話した。

 それを見ていると、彼女は本当に嬉しそうで。

 クリアする気を失って死に急いでいた時の彼女とは大違いだった。

 

 

 「……」

 

 

 それは、アスナが本気でゲームをクリアする気でいて、クリアしたいと、そう願っているという事。

 ならば、今回血盟騎士団に届いたその攻略組への参加申請は嬉しいものだろう。

 実力が確かなら、それだけゲームを早くクリアする事が出来る。それは、今のアスナにとっては喜ばしい事だろう。

 そんな彼女の成長した姿が、とても眩しく見えた。

 

 

 「……大体分かった。要は面接官役としていて欲しいとか、そういう頼みなんだろ」

 

 「そんなに偉そうにするつもりは無いんだけどね。ご意見番として一緒にいて欲しいの」

 

 「ヤダ」

 

 「早っ!? ホントにいてくれるだけで良いの!」

 

 「絶対ヤダ。お前一人で何とかなるだろうが」

 

 

 アキトの即答に目を見開くアスナ。

 だがアキトに言わせれば、相手の実力の有無などアスナ一人居れば大体把握出来る事だろう。態々自分がいる必要など無い。

 

 ……というのは建前で、本音はただ初対面の人との接し方が分からないといったヘタレ思考故の理由だった。

 

 

 「……ふーん」

 

 

 アスナは目を細めてジト目でアキトを見つめる。

 アキトはそんなアスナの顔に眉を顰めながら見つめ返した。

 そうして見つめ合う中、アスナが口を開いた。

 

 

 「今日、みんなの夜ご飯に煮込みハンバーグを作ろうと思ってたんだけど、やめて黒パンね」

 

 「テメェ、黒パン馬鹿にしてんじゃねぇよ。上等だ、小麦粉から焼き加減まで最高の黒パンを作ってやるよ」

 

 「その黒パンへの信頼は何なのよ……ってそうだ、アキト君料理出来るんだった……」

 

 

 ならばこの脅しは通用しないじゃないか。どれだけ嫌なんだろうか。

 アスナはガクリと項垂れた。

 

 

 ────そして、同時に心がズキリと傷んだ。

 今の交換条件の出し方、もし相手がキリトだったら通用したやり方だった。

 アキトとキリトは違うのに。

 また、自分は彼をキリトだと思って接していたのだと痛感した。

 

 

 

 

 そうしていると、転移門から一人、異質な雰囲気を纏ったプレイヤーが現れた。

 転移門の光に包まれ、やがて顕現したそのアバターは、見た限りとてもレベルの高い装備を着込んでいた。

 アキトとアスナは二人して、その転移門の方を見た。

 

 

 「……アレか」

 

 「う…うん、多分」

 

 

 アキトは転移門下の階段を降りてこちらに向かってくる、その一人のプレイヤーに目を向けた。

 恐らく彼が、今回血盟騎士団宛に攻略組への参加申請を出したという、ギルドマスターだろう。

 

 金よりも淡い色の髪型の色白の青年で、とても整った顔立ち。装備も髪の色に似て、淡い金色と白をベースにした鎧型だった。

 腰に血のように赤い剣幅の太い細剣を差しており、小さく柔らかな笑みを浮かべてこちらを見ていた。

 やがて、アキトとアスナと元へ近付くと、頭を軽く下げて口を開いた。

 

 

 「お初にお目にかかります。アルベリヒと申します」

 

 

 アルベリヒ。聞いた事の無い名前だった。

 だが見た限りではとてもハイレベルの装備をしていて、ステータスでいうならば、もしかしたらアキトよりも高いかもしれなかった。

 

 だが────

 

 

(……何か、変な感じだ……)

 

 

 目の前のアルベリヒという青年。見れば見る程に眉が吊り上がるのを感じる。

 彼からは、装備に相応するだけの気迫というか、経験的なものを感じなかった。

 そう思ったのはアキトだけだったらしく、アスナはアルベリヒに笑いかけて挨拶を返した。

 

 

 「初めまして。私が血盟騎士団現団長のアスナです。本日はよろしくお願いします」

 

 「お噂はかねがね聞いております、《閃光》のアスナさん」

 

 

 アルベリヒはそう言うとアスナに近付き、失礼の無いだろう範囲でアスナの事を上から下まで見ていた。

 やがてアルベリヒは満足したのか、ニコリと笑みを作った。

 

 

 「いやはや、お美しい限りです。もしや現実世界ではご令嬢だったりするのでは?……っと失礼。この世界では現実の世界の事はタブーでしたね、ふふふふふっ」

 

 「は、はあ……」

 

 

 アルベリヒとの距離が近く、突然に世辞を言い放つアルベリヒに、アスナは苦笑い。

 それを遠目から見ていたアキトは、その片方の瞳の色がほんの少し変わった事に気付かなかった。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────何か、気に入らない。

 

(…………)

 

 

 

 じわりと、アキトの中の何か(・・)が揺れ動いた。

 何故か、それに関してアキトが思う事は無かった。もしかしたら、その何か(・・)と思考が一致していたのかもしれない。

 アルベリヒに褒められ、近寄られ、困惑しつつも笑うアスナ。そんな彼女を見ているだけで、アキトの心、その奥の何か(・・)が嫉妬のような感情に駆られていた。

 二人を見ているだけだったアキトは、自然とその歩を進め、未だに距離が近いアルベリヒとアスナの間に割って入った。

 

 

 「『離れろ』」

 

 「おっと……」

 

 

 目の前の青年に、そう言い放つ。

 アルベリヒは突然の事で思わず距離を取り、割って入ったアキトをじっと見つめた。

 アスナは突然割って入った彼に驚いた。

 

 

 「っ…あ、アキト君……」

 

 「……これはこれは。アスナさん、こちらの方は?」

 

 「え……え、ええっと、この人は今日はオブザーバーとして同席してもらってる────」

 

 「……その黒づくめの姿、もしや《黒の剣士》では?」

 

 

 アスナに質問しておいて、アルベリヒは彼女の言葉を遮った。

 目の前にいるアキトの黒い装備を見て検討を付けたのか、自信ありげにそう答えた。

 それを聞いて、アスナは言葉に詰まる。

 

 

 「っ……い、いえ…彼は────」

 

 「『だったらどうするんだ?』」

 

 「あ、アキト君……!?」

 

 

 アスナは再び驚きの声を上げる。だがアキトはそんな彼女を無視し、ただアルベリヒを見つめるだけ。

 だが、明らかに態度の悪いアキト相手に、アルベリヒはただただ笑顔だった。

 

 

 「おお…やはり《黒の剣士》様でしたか!貴方のご活躍のおかげで僕達もここまで来れました。攻略組の方々のお力になれますよう、粉骨砕身の覚悟で尽力致す所存です。どうぞ、よろしくお願いします」

 

 

 アルベリヒはそう言って再び頭を下げる。そんな青年の姿を見て、アキトはやはり違和感を拭い切れない。

 不自然なくらいに礼儀正しい。寧ろ慇懃無礼だった。

 

 

 「さて、それでは本日はどのように致しましょう?我々の実力をお見せ出来れば、攻略組として、お互い(わだかま)り無く協力関係になれると思うのですが……」

 

 「そうですね。ではお手数おかけしますが、試験代わりに私とデュエルを────」

 

 

 

 

 「『俺とデュエルだ」

 

 

 この短時間で、アスナは何度驚いた事だろう。

 アルベリヒも意外に思ったのか、目を丸くするが、余裕そうに笑っていた。

 アスナはそんなアルベリヒの目の前で、アキトに向き直った。

 

 

 「え?アキト君が?」

 

 「別に良いだろ。新進気鋭のギルドリーダーと聞いたら、お手合わせ願いたくなった」

 

 「光栄ですね。《黒の剣士》様直々に剣を交えていただけるとは」

 

 「ちょ、ちょっとすみません」

 

 

 アスナはアルベリヒに一言そう言うと、アキトの腕を掴んで後方へと引き寄せた。

 引かれるがままに移動したアキトは、やがて我に返ったかの様に目をパチクリさせると、アスナの顔と掴まれた自身の腕を交互に見て首を傾げた。

 

 

 「……何してんの、お前」

 

 「こっちのセリフよ……急にどうしたの?」

 

 「……お前には関係無い」

 

 

 アキトは言う事など無いと言うようにそっぽを向く。その瞳の片方が、また黒く淀む。

 アスナは眉を顰めて小声で囁いた。

 

 

 「そんな事無いでしょ、元々血盟騎士団宛の申請なのよ?」

 

 「…………」

 

 

 そう、それなのだ。

 アキトの、アキトの中の何か(・・)が拒んでいたのは。

 

 あのアルベリヒというプレイヤー、無名なのにレアな装備、それ相応には感じない風格。何から何まで胡散臭かった。

 そんな彼の実力が、もし期待にそぐわなかったら。

 

 

 「っ……」

 

 

 そう思うと、とても許せなかった。

 アスナが嬉々として、自分に話してくれたのだ。

 これでクリアへまた一歩近付くと、キリトの事を乗り越えつつあった彼女が、こうして前を向いて生きてくれているのだ。

 そんな彼女の期待を裏切るような奴なら。

 

 

(それなら、()が……っ……)

 

 

 アキトは思わずそう言おうとして、口を閉じた。

 

 

 ────俺が?

 

 

 これは、本当に自分だけの意志だろうか。

 まただ。

 また、この感覚。自分でなくなるような、そんな気分。

 アキトは息を呑み、額から汗が流れるのを感じだ。

 

 

 「……アキト君?」

 

 「あ…いや、そうだな……少し違和感がするんだよ。お前は横から眺めてろ。俺が相手する」

 

 

 アキトは誤魔化すようにアスナにそう答えた。

 実際、自分が抱いていた疑念を払拭するなら、デュエルをするのが一番だ。

 アキトはその場から離れ、アルベリヒの元へ出た。

 アルベリヒも乗り気のようで、こちらを見て不敵に笑うと、腰の細剣を引き抜いた。

 アキトはそれを見ると、エリュシデータを背中から取り出した。

 

 転移門の前という事もあって、いつの間にかギャラリーが増えてきていた。

 アスナも気が付かなかったのか、辺りをキョロキョロ見渡していた。

 だが、アキトもアルベリヒもお互いを見合うだけ。ギャラリーは視界に入っていなかった。

 

 剣を構え、距離を取る。

 双方、互いの眼を見つめ合う。

 

 

 「好きなタイミングで良いぜ……どっからでも、かかって来いよ」

 

 「ほほう、何と言いますか、随分と余裕がおありだ。流石《黒の剣士》様だ」

 

 

 アルベリヒは不敵に笑い、身体を斜に構えた。

 

 

 「それでは、お言葉に甘えまして、行かせてもらいますよ……!」

 

 

 アルベリヒは瞳をカッと見開き、一気にアキトとの距離を詰め寄った。

 その速度、やはり想像通り、いや、それよりも速い。

 

 

 「はぁっ!」

 

 「しっ!」

 

 

 アルベリヒの上からの振り下ろされる剣を、横に構えた剣で防御し、下に受け流す。

 その時、その一撃の重さに思わず歯を食いしばる。攻撃力も予想以上だ。

 アルベリヒは畳み掛ける様に剣を振り、薙ぎ、攻め寄った。

 

 

 「どうです!これが僕の力ですよ!」

 

 

 そう言って笑みを浮かべるアルベリヒは、尚も攻撃の手を緩めない。

 アキトはその剣速になんとか防御している様に傍からは見えただろう。

 アキトはどうにか迫り来る攻撃を流している中、アルベリヒの動きを余す事無く観察していた。

 

 やはり、パラメータは自分やアスナ達よりも高い。

 だが、それ相応のテクニックがまるで無い。稚拙な動きがアキトと比べれば初心者でも分かるだろう。

 アルベリヒが使っているのは細剣だというのに、先程から振り回すばかり。斬る事に重きを置いてるような動きのせいで、細剣の利点を自分から潰していた。

 

 ソードスキルはお互いにまだ使用していないが、システムフォローの無い彼自身の動きに関しては、完全に素人。

 まるで最強のアバターを初心者が使っている様な感じだった。

 2年もSAOにいて、そんな事が有り得るだろうか。

 

 

 「…………」

 

 

 アキトがチラリとアスナを見れば、彼女も何かしら感じ取った様で、眉を顰めてアルベリヒを見ていた。

 どうやら、違和感を感じていたのはアキトだけでは無かった様だ。

 アキトはフッと溜め息を吐き、少し探りを入れる事にした。

 

 

 「……随分な自信があった様だから強いのかと思ってたけど、やけに親切だな。手加減でもしてるのか?」

 

 「なっ、何!? それは僕が弱いとでも言いたいのかっ!?」

 

 

 アキトの発言は彼の逆鱗に触れたようだ、アルベリヒは一瞬で顔を強ばらせた。やはり、あれが素の表情。

 

 

 「いいさ、分かったよ。僕が戦いというものを教えてやる。はああああっ……!」

 

 

 アルベリヒは距離を取って細剣を胸元に引き寄せた。

 アキトはソードスキルを放つ事を予想して《剣技連携(スキルコネクト)》の準備を開始した。

 

 

 「はあっ!!」

 

 「っ!?」

 

 

 だがアルベリヒは、一体アキトのどの部分で隙だと判断したのか、普通に対処出来るタイミングでアキトに向かって剣を突き出した。

 これにはアキトも別の意味で驚き、思わず目を見開いた。その突きはエリュシデータで流す。

 そして、これもソードスキルでは無い。一体どういうつもりなのか。

 

 しかし、次の瞬間、アルベリヒがニヤリと笑った。

 

 

 「フッ…」

 

 

 剣を地面に突き立て、そのまま一気に振り上げた。

 地面に撒かれた砂を巻き上げたのだ。砂埃のエフェクトで目眩しでも狙っているのだろうか。

 こんな使い古された戦い方、生温いにも程がある。

 

 

 「くらえぇっ!!」

 

 「っ────」

 

 

 アキトは砂塵の中から突き出た剣を、身体を反り返る事で躱す。そしてそのままバク転し、アルベリヒと距離をとった。

 

 

 「おっと外したか。運良く躱したな」

 

 

 その言葉すら、アキトは違和感を持つ対象になっていた。

 見えていたから躱しただけで、別に運が良かった訳じゃない。

 相手の能力も推し量れないなんて、やはり何処かおかしい。何もかもがビギナーだった。

 

 

 「そらそら!僕の攻撃はまだ終わってないぞ」

 

 

 アルベリヒは砂埃から顔を出し、再びアキトに迫る。

 その攻撃を躱し、流し、アキトは結論を出した。

 

 理由は良く分からない。

 だが、目の前のアルベリヒという男は、間違いなく弱かった。

 ステータスが異常に高い事との差に違和感を感じない訳ではないが、この実力で攻略組に出られても周りとの連携を乱すだけだ。

 

 

(……俺が言えた訳じゃないけど……潮時だな)

 

 

 アキトは一定に保っていた間隔を捨て、一気に距離を詰めた。

 

 

 「むっ……!」

 

 

 アルベリヒが驚き、距離をとろうと後退する瞬間、アキトの拳がアルベリヒが剣を持つ腕に叩き付けられた。

 

 

 「ぐっ…」

 

 

 思わず手を離し、空中にあった細剣を、アキトがエリュシデータ叩く事で、ギャラリーの方へと吹き飛ばした。

 一瞬の事で思わず腰を地面に付かせたアルベリヒの顔の前に、アキトの剣が突き付けられていた。

 そこには、立って不敵に笑う勝者と、悔しげに勝者を睨み付ける敗者、明確な差が見えていた。

 

 

 「……俺の勝ちだ」

 

 「う、ぐ……う、嘘だ!僕が負ける筈が無い!データがおかしいんじゃないのか?このクソゲーが!」

 

 

 クソゲーなのは同意のアキトだが、他は違う。このゲームの戦闘は決してステータスだけ高ければ良い訳では無いのだ。

 今ウィンドウで必死になってステータスを確認しているアルベリヒに言っても分かってくれるかは怪しいが。

 

 そのアルベリヒを見下ろすアキトの隣りに、戦闘の一部始終を見ていたアスナが歩いて来た。

 アスナはアルベリヒを見て、残念そうに口を開いた。

 

 

 「あの、アルベリヒさん。残念ですけど……もう少し力を付けてからまたご連絡いただくという事で……」

 

 「……能力的には問題無い筈だと思いますが?」

 

 

(技術と性格は問題ありそうだけどな)

 

 

 アキトが呆れた様に見据える中、尚もアスナの言葉は続いた。

 

 

 「最前線はレベルが高ければ攻略出来るというようなものでは無いんです。……ですから、今回はごめんなさい」

 

 「……っ、わ、分かりました……」

 

 

 アルベリヒはそう言うと、顔を伏せながら立ち上がった。

 そしてアスナを見つめると、またふと、軽く笑いかけた。

 

 

 「しかし、いずれ僕の力を必要とする時が来るでしょう。その時は、是非お声をお掛け下さい」

 

 

 アルベリヒはアキトとアスナに背を向けて、ギャラリーを押し退け、転移門の光と共に消えていった。

 そして、段々とギャラリーが居なくなり、人数が少なくなったあたりで、アスナがポツリと呟いた。

 

 

 「なんだか、その……おかしな人だったね。ゴメンね、付き合わせちゃって」

 

 「あんな奴が攻略組に入るよりはマシだ。まあいずれにしてもアイツはダメだな。クリアまでの時間を考えるとアイツが成長して攻略組に参加する事は無いだろうし、キリトやヒースクリフの代わりをつとめるには色々と足りな過ぎる」

 

 

 頭脳、戦略、戦術、性格。何から何までキリトの足元にも及ばない。

 後々何かの火種にならなければいいが、先の事は分からない。

 

 

 「……に」

 

 「……あ?」

 

 

 すると、アキトの隣りで顔を俯かせ何かを呟くアスナに気付いた。

 アキトは思わず彼女の方を見た。

 

 

 「……キリト君に」

 

 「……」

 

 「キリト君に、代わりなんていないわ」

 

 

 ────失言だった。

 アキトは言葉を詰まらせた。漸く乗り越えつつあったのに、自分の自己満足の為に、アスナに辛い想いをさせていた事に気付いたのだ。

 

 

 アスナは、だからこそ心のどこかでアキトにイラついていた。

 あの時、アルベリヒに《黒の剣士》かと聞かれて否定しなかった事を。

 アキトと一緒に居ればいる程。キリトの事を乗り越えようとすればする程。

 自身の中のキリトが薄れていくような気がして。

 そしてその場所を、アキトが埋めていく。

 もしそうなったら、自分は────

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトの横を、何も言わずに通り過ぎる。

 キリトをいつでも思い出せるように。そう思っていたのに。彼と一緒にいたら、キリトの事を嫌でも思い出してしまう反面、どこかキリトとの記憶が薄れていきそうで怖かった。

 なのに、今日は自分からアキトの事を誘った。

 

 

 段々と変わっているのは、アキトだけじゃないのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 そして、その日の夜。

 エギルの店で事の顛末を聞いた皆は、各々が似たような顔をしていた。

 装備に対して実力の無いプレイヤーなど、違和感以外の何者でも無いからだ。

 その中で、リズベットが一番早く、アスナに思った事を口にした。

 

 

 「ふうん……そんなに凄い装備を持てるなら、ちょっとぐらい名前が知られててもおかしくない筈なのにね」

 

 「そうなのよ、それも不思議なの。アルベリヒなんて名前聞いた事無いでしょ?」

 

 「はい、聞いた事無いですね」

 

 「あたしもです」

 

 

 アスナの問いにシリカとリーファが答えた。斯く言うアキトも、そしてカウンターで仕事をしていたエギルも、どうやら聞いた事が無いようだった。

 それを聞いたシノンは、気になっていた事を口にした。

 

 

 「でも、装備だけっていうなら例えば、イカサマなトレードかなんかで稼いだとか、そういう可能性もあるんじゃない?」

 

 「レアな装備っていうのは、自身のステータスがそれに見合ってないとそもそも装備出来ないんだよ。仮にシステムに穴があって、何らかのイカサマでトレードしていたとしても、アレを装備するだけのステータスが奴にはあった筈なんだ」

 

 

 アキトはそう答えて思い出していた。あの装備は間違いなくこの世界でトップクラスのものだった。

 その装備の恩恵もあってこそのあの攻撃力や速さではあるが、だからこそあれらを装備する為の条件となるステータスが、アルベリヒに無ければおかしいのだ。

 

 

 「動きがいつまて経っても直らないから、レベルだけ必死に上げ続けるって線も無くは無いけどな」

 

 「でも実際にそんな事は考えにくいよね……」

 

 

 アスナの言う通りだ。あの数値まで到達するにはかなりのレベルになっている筈だが、ままならない動きで倒せるのは下層のモンスターだけ。

 上層の敵は思考がかなり賢くなっており、能力値だけでは倒す事が困難になっている。

 そんな相手に不慣れなレベリングは文字通り命取りとなる。

 アキトの隣りに座るユイが、考えるように呟いた。

 

 

 「結局、能力の高さは謎のままですね」

 

 

 だが、あの装備の中に能力を底上げするようなレアリティの高い装備があったとかなら話は別だ。

 そうなれば、それを買うだけの金があれば何とかなるのかもしれない。

 それも中々に考えにくいが。

 

 

 「まあ、なんか注意した方がいい奴だって事は分かったわ」

 

 

 リズベットはその話全てを聞いて、そう完結させた。その隣りで、シリカは怒ったように言い放った。

 

 

 「お金だけ持ってて、実力が無い人がやる事なんてろくな事じゃ無いですよね」

 

 「そうよお、金に物を言わせてなんか変な事してくるかもよお」

 

 「や、やめてくださいよリズさん」

 

 「特にアスナ。アンタ目立つんだから気を付けるのよ。そのアルベリヒとやらは血盟騎士団宛に連絡してきたんでしょ。ちょっと粘着気質を疑った方がいいよ」

 

 「嫌な事言わないでよ……でも、みんなも気を付けてね。この世界にも変な人はいるから……」

 

 

 リズベットに言われて嫌そうな顔をするアスナ。

 そしてみんなに諭す中、シノンが頼もしく口を開いた。

 

 

 「返り討ちにすればいいんでしょう?リアルよりもこっちの世界の方が単純じゃない?」

 

 「シノンさん……頼もしい……あたしもその気でいかなくちゃ!」

 

 

 シノンの意気込みを聞き、リーファも自分を鼓舞し出す。

 その向かいでリズベットが、ふと思い付いたような表情をすると、ニヤニヤとしながらアキトを見た。

 

 

 「まあ、いざって時はアキトが助けてくれるわよねー?」

 

 「ここにいる奴らに関していうなら守る必要無いな。シノンの言う通り、寧ろ返り討ちだろ」

 

 「ちょっと、そこは任せておけとか言うとこでしょ?か弱い女の子を戦わせる気?」

 

 「今世紀最大のジョークだな。か弱い女は迷宮区で棍棒振り回したりしない」

 

 「っ…こっのぉ〜……アンッタってホント……!」

 

 

 アキトの言う通り、ここにいる女性陣ならば倒せる程に奴の動きは素人だった。

 だが、女の子が襲われても守る必要が無い、みたいな事を言われると、強さを認められていると感じる反面、どこか納得のいかないリズベット。

 まあ、アキトに関しては彼女達を絶対に守り抜くつもりではあるが。

 

 アキトとリズベットのそんなやり取りを、皆が苦笑いで見つめる。

 こんな光景も、当たり前になりつつあった。

 だからこそ、それを脅かすような存在があるならば、それはどうしても避けたいものだった。

 アルベリヒ。彼がどんな存在でも。

 

 

 

 

 現在、85層。残りはあと、15階層だ。

 

 








小ネタ


① 煮込みハンバーグ


ユイ「わあ……!とっても美味しそうです!」

リーファ「うん、見てるだけでお腹空いてきちゃったよ〜」

リズベット「どうしたのアスナ?急に豪華に作っちゃって」

アスナ「う、うん……まあ、ちょっとね……」チラッ

アキト「…あ?…何」

アスナ「う、ううん!何でも無いの…!」


アスナ(アキト君の言ってた最高の黒パン……ちょっと気になったんだけどな……)





②夕食が黒パンだった場合


シノン「……美味しい」

リズベット「何これ!? 1層で食べた固いパンと全然違うんだけど!? 超美味しいじゃない!」

クライン「やっぱ見た目で判断すんのはダメってこったなぁ」

リーファ「確かに…見た目はあんまり美味しそうじゃないですもんね……」

アスナ「でもこれ、はじまりの街で食べたものとそっくりなのよね……凄く美味しいけど」

アキト「……」


アキト(……なんだろう……あんまり嬉しくないな……)


※見た目が悪いと言われて、ちょっぴり不機嫌なアキトです。


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Ep.60 大きな強がり



何故こうなった……!

ポエム感が半端ない話に……( ゚∀゚)・∵. グハッ!!

戦闘においては続かない予定です。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────霞む。

 

 

 視界が、感覚が、思考が、身体が。

 自身に浸るその何かは、確実に広がっているのを感じる。

 ジワリ、ジワリと、その身体の中に染みていくように、何かに、塗り潰されていくように。

 その度に瞳が疼き、その度に何処から声がする。

 自分だけ、自分にしか聞こえない声が。

 それが何なのか、分かるはずもなく、侵食だけが進んでいるように思えて、辛かった。

 

 どの時点でそれが起こるかは分からない。

 何が目的かは分からない。

 だからこそ不明瞭で、酷く恐ろしい。

 未知のもの程、恐ろしい事は無い。

 夢を見た後の寝起きはいつだって震えてる。まるで、まだ自分が夢から戻って来ていない様な気がするから。

 自分ではない誰かが、そこにいる気がするから。

 ふと、気が付けば違う場所にいる。いつの間にか、覚えのない事を口走っている。

 明日には、もう自分じゃないかもしれない。

 もしかしたら、今日かもしれない。

 

 

 ────嗚呼、なのに。

 

 

 痛い(でも)怖い(でも)恐い(でも)辛い(でも)

 怯える日々を過ごしているのに。

 恐ろしいのに、震えているのに。

 嫌な筈なのに。

 

 

 何故だろう。

 受け入れているつもりではないのに。

 

 

 

 

 

 

 ────()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 人の行き交う時間帯にアキトが赴くのは、リズベット武具店。定期的に行うべきである武器のメンテナンスが主な用事である。

 エギルの店から出て、それほど時間はかからない。気が付けば、もうすぐそこにあった。

 

 「……」

 

 リズベット武具店の扉を、特に変わった心持ちも無く開ける。

 最初の頃は色々張り詰めていて、入るにも緊張したのだが。

 

 

(────変われてる、のかな……)

 

 

 首にかかる鈴のペンダントと同じタイミングで、扉に付けられたベルが鳴る。その音を耳に、アキトは武器が並べられるその店の中を見渡した。

 しかし、そこには出迎えるべき筈の店主が、こちらに背を向けて何かを持って、何かをブツブツと呟いていた。

 あまりに異様で不気味である。

 アキトは気になり、そのまま近付いていく。尚もリズベットはこちらに気付いていないらしく、手に持っている何かの書みたいなものを食い入るように見ていた。

 

 

 「……これがあれば……でも、85層かぁ……」

 

 「おい」

 

 「うひゃあ!?」

 

 

 リズベットのすぐ横まで近付いたアキトはそう声を出す。

 いきなりの事でリズベットは若干猫背気味になっていた背中をピンとして飛び上がった。

 振り返ってアキトを確認したリズベットは、涙目でこちらを睨み付けていた。

 

 

 「あ、アキト!? び、びっくりさせないでよ!……はっ!?」

 

 「……?」

 

 

 リズベットは自身の持っていたものをアキトに見られる事に気付くと咄嗟に背中に隠した。

 ビクビクしながらこちらを見て若干の苦笑いを浮かべている。誤魔化しのつもりなのだろうが、そこまでされると、逆に何を読んでいたのか気になってしまうではないか。

 

 

 「の、ノックくらいしなさいっての…」

 

 「……ここ店だろ?ノックなんてする訳ねえだろ。見られたくないものがあるなら、工房で見ろよ。流石にそこに居たなら俺もノックした」

 

 「うっ……そ、そうね……」

 

 「……まあいいや、武器のメンテに来た」

 

 

 アキトは自身の要件を簡潔に済ませると、背中のエリュシデータをリズベットに差し出した。

 彼女は取り敢えずそれを受け取り、確かな重みを感じながら、一先ずそれをテーブルの上に置いた。

 そして、アキトをチラリと見た。

 

 

 「……あたし、結構怪しかったと思うけど、何も聞かないの?」

 

 「別に。言いたくないんだろ、無理に聞かない」

 

 「……気にはなってるって言い方ね」

 

 「じゃあ訂正。興味無い」

 

 「そ、そういう風に言ったつもりじゃなくて……いいわ、すぐに済ませちゃうから、少し待ってて」

 

 

 リズベットはそう言うと、エリュシデータを持って工房へと消えていった。

 その店の中に一人残されたアキトは、ふと、辺りを見渡した。

 武器は種類別に並べられ、その中で更に、筋力値の必要な武器の順番に並べられている。

 ここに初めて来る人達にも分かりやすく、そんな気持ちが込められているように思えた。武器は命を守るもの、と言うリズベットの言葉、それが店にも現れていて、彼女の優しさが垣間見える。

 

 リズベットも、初めて会った時よりも変わったように思えた。

 自分も誰かの役に立ちたい。自棄になっていた親友を助けたい。そんな一心で攻略組にまで参加するようになった彼女。

 どれだけ強い意志が必要だろうか。

 

 この世に、変わらないものなど無い。

 形あるものはいつかは壊れ、そうでなくても廃れていく。それが、良い方にも悪い方にも転がるから分からない。

 

 アスナは変わった。キリトを失い、自暴自棄になった。だがその後、色々な事を経て、またさらに変わった。前へ進もうと歩き出したのだ。

 何も出来ないと自分を卑下して、歯痒い思いをしていたシリカも、戦う術を身に付け、強さを求め、こうして攻略組に参加するまでに変わった。

 そして、リズベットも。

 

『キリトの死』という大き過ぎる事実が、彼女達をここまで変えたとなると素直には喜べない。

 今ここに、彼がいれば────

 

 

 

 

 ────ズキリ。

 

 

 

 

 瞳を抑えれば、見たことの無い景色が映る。

 もう何度目か分からない、どこか懐かしさすら感じる光景の数々。

 もう慣れつつあるその症状に、言葉にならない感情を抱く。

 

 

 「……俺は」

 

 

 

 

────『どんなものでも、不変ではいられない』

 

 

 いつか必ず、変わったと、そう自覚する時が来る。

 それは誰にでも、それでいて唐突に。

 いつか変わるその瞬間、その場に自分は、『変わった』と、そう自覚する事が出来ているだろうか。

 

 

 「お待たせー!」

 

 「っ…」

 

 

 どのくらい時間が経ったのか覚えてないが、いつの間にかリズベットがアキトの前に居て、アキトはその身体を震わせた。

 それに気付かずに、リズベットはアキトにその黒い剣を差し出し、アキトは恐る恐ると手に取った。

 アキトはエリュシデータを手に、その感触を確かめる。それを横から眺めながら、リズベットは何か言おうとしてるのか、口が開いたり閉じたりしていた。

 だが意を決したのか、その顔を上げ、アキトを見据えた。

 

 

 「……ねぇ、アキト?」

 

 「……何」

 

 「えっと…実はその、お願いがあるんだけど…」

 

 「……」

 

 「欲しいアイテムがあるんだけど……その、私一人じゃ手に入らないかもしれなくて……だ、だからそのぉ〜…」

 

 

 そのどこまで行っても要領を得なそうなリズベットの話し方にウンザリしたのか、アキトは溜め息を吐くと、こちらから彼女に呼びかけた。

 

 

 「何が欲しいんだよ」

 

 「これっ!」

 

 

 実質ノータイムでこちらに迫り、自身が先程まで隠していた書物をアキトに突き出した。

 その急な変わりように目を丸くしつつも、アキトはその顔に広げた状態で近付けられた書物を読んだ。

 そこには古い文献なのか、ボロボロになった文字に、とあるハンマーのイラストのようなものが書かれていた。

 

 

 「……《その力神の如く》……《ヴェルンドハンマー》……?」

 

 「そう、これ!これなの!このハンマー!ヴェルンドハンマーが欲しいのよ!」

 

 

 そのテンションの高さにアキトは更にその背を仰け反らせる。先程からリズベットが近い近い。

 アキトは思わず彼女との距離を離し、その書物に改めて目を通す。そして同時に、その眉を顰めた。

 

 

 「……それ、鍛冶用のハンマーなのか?」

 

 「そうだけど、どうしてよ?」

 

 「パッと見、メイスかと思ったから。ハンマーならお前、工房に幾つもあったじゃねえか」

 

 

 一度工房を見せてもらったアキトは覚えていた。もう使わないハンマーから今使ってるハンマーまで、リズベットは捨てられなくてそのまま陳列していた事を。

 そんなアキトに、リズベットは呆れたように言った。

 

 

 「分かってないわね〜…。まあ、聞きなさいアキト。このアイテム、鍛冶のクオリティの上限を上げるって書いてあるのよ!」

 

 「……で?」

 

 「ちょっと!もっと驚きなさいよ!」

 

 「あ、え?…今の驚くとこなのか…?」

 

 

 鍛冶に関しては本当に分からないアキト。

 鉱石の価値や相場などはある程度把握してはいるが、鍛冶に必要なスキルやアイテムに関しての知識は皆無に等しかった。

 

 

 「あのね、武器の品質ってスキルや素材によってランダムに決定するじゃない?この秘伝の書によれば、そのランダムで出る品質の上限を引き上げられるの!」

 

 「???」

 

 「……もう!つまり、強い武器が出来る可能性が高くなるって事!」

 

 「そういう事か。それはお得だな」

 

 「……懇切丁寧に説明したのにそのリアクション……。《ヴェルンドハンマー》!これ単体でも凄いアイテムなのよ!? それなのに感想が『お得だな』って……」

 

 

 まるで家計を任された主婦感。

 ガックリと項垂れるリズベットを横目に、アキトは秘伝の書を眺める。

 そこに書かれているのは、その《ヴェルンドハンマー》なるアイテムがある場所を示した地図と文章だった。

 こむずかしい事が書かれていたが、要約するとそのハンマーは、『85層の洞窟にある』という事だった。

 

 

 85層。それが意味する事は一つ。

 

 

 「……あの……最前線なんですけど」

 

 「そうなのよ。だから、ちょっとあたしに付き合いなさいよ」

 

 「……」

 

 「な、何よ…。あ、レベルの心配?大丈夫よ!私これでももう攻略組なのよ?」

 

 

 リズベットがフンッと胸を張る。まるで自分に言い聞かせているような態度。

 どれだけそのハンマーが欲しいのだろう。

 だが、何にしても最前線。常に死の危険は隣り合わせである。アキトは少し考えた後、口を開いた。

 

 

 「……それ、お前が行かねえとダメか?代わりに俺が取ってくるとか……」

 

 「何言ってるのよ。私が欲しいアイテムなんだから、私が行くのが筋じゃない」

 

 「……そう、だけどよ」

 

 

 リズベットの言ってる事は最もだ。だからこそ、アキトも何か言い返す事は難しい。

 けれど彼女には、アキトが何を心配しているのか既に察しが付いていた。

 そんなアキトに呆れたように深く溜め息を吐くと、彼に小さくはにかんでみせた。

 

 

 「大丈夫よ。アキトが守ってくれるもの」

 

 「……」

 

 「でしょ?」

 

 「っ…、……ああ」

 

 

 ────あの日。

 リズベットが攻略組の参加を決意したあの日に、指切りをした。

 守れなかった約束を、現実のものにしようと誓った。

 あの涙ながらに笑ってくれた、リズベットのくしゃくしゃな顔は、それでも綺麗だったと思ってるし、決して忘れてはいなかった。

 

 

 「約束、したからな」

 

 「ひひっ、じゃあ安心じゃない」

 

 

 リズベットはそう言うと、女の子らしく、可愛げに笑った。

 それを見たアキトは、思わず笑みを浮かべてしまった。

 

 ────ああ、やはり。

 

 キリトの仲間達はみんな、強いな。

 

 

 

 

 「よし、じゃあ待ってて。すぐに準備するから」

 

 「……ん?は?…え、今から行くの?」

 

 

 アキトは素っ頓狂な声を上げ、目を丸くしてリズベットを見る。

 リズベットはそんなアキトの軽い反応に、何を言ってるのだと食いかかった。

 

 

 「当たり前じゃない!何処の馬の骨かも分からない奴に取られたら笑えないわ!そんな事になったら、攻略組全体の、ひいては、私の店の損害に他ならないわよ!」

 

 「本音漏れてるぞ」

 

 「── ふふ……絶対に手に入れるから、待ってなさいよ、《ヴェルンドハンマー》!」

 

 

 リズベットは最早、アキトの話すら聞いてなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 85層《ニドラト》

 

 

 夜になると、蛍の様な光で溢れるこの街は、午前中という事もあって、決して幻想的な光景とは呼べなかったが、それでもやはり最前線。

 新しい街はどんなものかと、プレイヤーの多くが集まり、賑わっていた。

 上層に行くに連れて、フィールドも狭くなり、ボス部屋を見付けるのも早くなってきていた。クリアも時間の問題で、もしかしたら、もうボス部屋を見付けているプレイヤー達がいるかもしれない。

 

 

 そんな最前線のフィールドの奥。

 エリア名は、《追われし隠者の住処》。

 迷宮区の手前に位置する薄暗い洞窟でリザードマンが多く蔓延るそのエリアには、血腥い雰囲気が漂っていた。

 そしてこの洞窟には、リズベットの探し求めているアイテムがあった。

 

 

 「…で、洞窟内の具体的な場所とか分かってるのか?」

 

 「そんなに広い洞窟じゃないし、虱潰しで行きましょう。待ってなさいよ、ハンマー!」

 

 

 リズベットはもう、ハンマーの事しか頭に無さそうだった。アキトは溜め息を吐く。

 彼女の熱意が空回りしない事を祈るばかりだった。

 そうして、洞窟の探索を開始した。リザードマンの他にも、ボアなどのモンスターが多く居て、リズベットは最初手間取っていたが、次第に感覚を掴んだようで、段々と熟れてきていた。

 アキトも、《ホロウ・エリア》で上げたレベルがここで活きたようで、一撃が重く、モンスターに突き刺さった。

 一瞬で霧散したモンスター達の破片が上空に舞い、消えていくのを眺めるくらいの余裕が出来ていた。

 リズベットはそのアキトのテクニックの高さに舌を巻いていた。

 

 

 「……なんか、見ない内に育ったわね」

 

 「親かお前は。そんな言う程経ってないだろ」

 

 「だから不思議なのよ。動きが違って見えるから」

 

 「お前でも戦闘の善し悪しが分かるんだな」

 

 「馬鹿にしてる?」

 

 「感心してる」

 

 

 そうやって軽口を叩き合いながら、ドンドンと奥に進んでいく。薄暗かった洞窟は、さらに暗くなってきていた。

 そんな静かで暗い場所の中で、会話をしないというのはお互いに不安だったかもしれない。どちらとも無く会話が続いていた。

 

 

 「もうお前、戦闘のスキルの方が鍛冶スキルより高いんじゃね」

 

 「……ふん!聞いて驚きなさい!鍛冶スキル、カンストしたのよ!」

 

 「……マジかよ」

 

 

 それを聞いて、アキトは驚いた。

 バグで失ったスキルの熟練度は、相当下がっていたし、上げるにはかなりの時間が必要だった筈だ。

 使わないスキルならきっと、多くのプレイヤーがもう一度上げる気になならないだろう。

 だけど、リズベットは今までずっと、何度も何度も武器を叩いて来た。色んな事を忘れる為に、色んな事を乗り越える為に、自分にも出来る事が、確かにあるのだと、そう思う為に。

 アキトは、店に行く度に増えている武器を思い出していた。あの量を見れば、リズベットの努力が知れた。彼女は今の今まで頑張って、傷付いて、無理を通してスキルを上げ続けたのだ。

 

 アキトは、思わず笑ってしまった。

 

 

 「……な、何よ」

 

 「いや、凄いなって」

 

 「……アンタ本当にアキト?」

 

 「……久しぶりに聞いたな、それ」

 

 

 自然と、素の言動が溢れる。

 彼女の努力は尊敬に値するし、そんな彼女を守りたいと思った。

 リズベットも、アスナを守る為に、ゲームをクリアする為に、こうして今、アキトの、隣りにいる。

 何となく嬉しかった。

 

 

 だが次の瞬間、道の先から感じる気配に、アキトは気を引き締めた。

 その場で足を一度止め、前を見ながらリズベットに話しかける。

 

 

 「……近いな」

 

 「そうね……」

 

 

 リズベットは両手に持ったメイスに力を入れ、アキトエリュシデータを斜に構えつつ進む。

 そして、その道の先、広い場所へ出ると、そこには、巨大なモンスターがいた。

 

 ボア型のモンスターだが、全体的に白く、鋭く湾曲した牙が天井に向かって突き上げるように生えている。

 目元は黒く、その瞳は青い。白いオーラを出しながら、そのどこか凛とした佇まいに、二人は思わず息を呑む。

 

 

 「……どっから見ても乙事主だな……」

 

 「おっこと……何?」

 

 「いや、何でもない」

 

 

 途轍もない既視感が否めないアキトだが、そんなどうでもいい思考は頭を横に振る事で吹き飛ばす。

 そして、目の前に鎮座するこのイノシシもどきを見て、今一度現状を整理した。

 

 

 「……アイツ、倒さなくちゃいけないっぽいな」

 

 「あれがあたしの《ヴェルンドハンマー》を持ってるのよね」

 

 「……まあ、まだお前のでは無いんだが」

 

 

 リズベットは本当にハンマーの事だけを考えているらしい。

 それが逆に心配の要因になっているのだが、リズベットには届かない模様。

 彼女はそのボスを上から下まで眺め、簡潔に感想を述べた。

 

 

 「それにしても、随分と大きい相手ね……」

 

 「この85層に来て尚、ボア型がボスとして現れるなんて何かあるとしか思えないな。多分、今までの単調な動きとは別に、特殊な行動パターンなんかもあるかもな」

 

 

 簡単にそう言ったアキトだが、目の前のボスは思ったよりも手強そうで、アキトは考えを改めていた。

 リズベットには、攻略組としての戦績があるが、明らかに経験が足りてない。メイスのスキルも、鍛冶屋としての生産職で得た経験値で上げており、技術的には危うい場面も多い。

 加えて、彼女は先程から《ヴェルンドハンマー》なるものの事で頭がいっぱいで、戦闘面が疎かになる可能性だってある。

 ここへ来て、SAO初期からいる割と簡単に倒せるボア型が、ボスとしている理由だって危険視するべきところだ。

 

 

 「……」

 

 「どうしたの?」

 

 

 リズベットの疑問を背に、アキトはエリュシデータを構え直し、ボスに向かって一歩出た。

 

 

 「……ちょっとファーストアタック取ってくる。動きが分からないから、暫く下がってろ」

 

 「オッケー、アキトがタゲ取りしてる間に、私が叩けば良いのね」

 

 「違う」

 

 

 アキトはチラリと、後ろにいるリズベットを見た。

 リズベットはどういう事なのかと、アキトを不思議そうに見ていた。

 

 

 「……」

 

 

 こんな事を言ったら、誤解させてしまうかもしれない。

 だけど。

 

 

 「動きが把握出来ない間は、経験の浅いお前はポンコツだから、そこで暫く待ってろ」

 

 

 けど自分は、こんな言い方しか出来なくて。

 リズベットは、言ってる事が分からないと、困惑した表情を浮かべていた。

 

 

 「え…?…ちょっと、何言ってるの? ここまで来て、あたしにただ見てろって?」

 

 「そうは言ってねえだろ。パターンが分かるまで待ってろって言ってんだよ。俺だって一人で倒せるなんて思ってない」

 

 「あたしは、あたしのアイテムの為に頑張ってるんだから、ただ見てるだけなんて……そんなの出来る訳無いじゃない!」

 

 

 リズベットは聞きたくないと、そう言って叫ぶ。

 だがそれが引き金になったのか、ボスが身体を上げ、大きく咆哮した。

 ビリビリと洞窟内を振動させるそれは、アキトとリズベットの動きを一瞬止まらせる。

 だが、それで充分だった。そのイノシシは、一気にリズベットの元まで駆け寄り、その巨体をぶつけた。

 

 

 「しまっ───」

 

 「きゃあああっ!!」

 

 

 リズベットはその場の石ころのように飛んでいき、そのまま近くの壁に激突した。

 アキトは、尚も連撃を続けようとしていたボスの牙を、スイッチの要領でかち上げ、怯ませると、リズベットの元まで駆け寄った。

 

 

 「おい!大丈夫か!」

 

 

 ヨロヨロと身体を震わせてどうにか起き上がるリズベット。

 そのHPは、一瞬で危険域に達していた。やはり、ただのボアじゃない。ボスという事もあるが、攻撃力が桁違いに高い。

 リズベットの動揺も相当だ。まだ戦いすら始まってないというのに、仕切り直しを提案するしかなかった。

 

 アキトは咄嗟にフィールドを見る。

 身体を左右に揺らし、体勢を整えているボスの左右には、先程来た道と、もう一つ、未知なる道が存在していた。

 アキトはそれを確認するとリズベットに向き直った。

 

 

 「……仕切り直すぞ。あそこにある道、どっちでも良い。走って逃げろ」

 

 「で、でも、アキトは……」

 

 「一人で倒せるとは思ってないって言ったろ、お前が逃げたの確認したら俺も逃げる」

 

 「ご、ごめんなさ────」

 

 

 リズベットが謝る前に、ボスが再び奇声を上げた。

 ボスから出た突風が、二人の髪を大きく揺らしていた。

 アキトはボスがこちらに向かって駆け出した瞬間、その足で地面を蹴っていた。

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 白銀の刃がボスの牙を躱し、右の横腹を斬り裂く。

 ボスの巨体が、左に傾く。アキトは咄嗟に、リズベットに向って叫んだ。

 

 

 「早く行け!」

 

 「っ…アキト、ゴメン!」

 

 

 リズベットは悔しそうに顔を歪めると、空いた空間を突っ走り、そのまま一番近い道に向かっていった。

 それを確認すると、アキトはボスの巨体を利用し、ボスの視界から外れるような動きを繰り返し、その隙に連撃を入れる。

 

 そして、ボスが倒れた瞬間に、アキトはリズベットが逃げた道を続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 アキトがその道を抜けた先には、案の定リズベットが両手を膝に付いて、呼吸を繰り返していた。

 そこは思ったよりも狭く、それでいてその先に道は無い。行き止まりだった。

 

 

 「はあ……はあ……アキト……」

 

 「……ここは安全地帯っぽいから、少し休むか」

 

 

 そうは言っても、かなりまずい状況だった。

 この場所が安全地帯で、行き止まりという事は、帰り道は逆方向という事になる。

 アキトはマップを開きながら、ストレージにあった転移結晶をオブジェクト化させた。

 

 

 「……ここ、結晶使えないな」

 

 「そんな……」

 

 

 リズベットはか細い声でそう呟いた。

 つまり、帰るにはどうあっても、またあのモンスターと遭遇しなければならないという事を虚実に表していた。

 リズベットは声を振るわせながら、アキトを見上げた。

 

 

 「どうするの……?」

 

 「考え中。どうすっかな……回復しとけよ、一応」

 

 「うん……ありがと」

 

 

 リズベットはそう言って、ポーションを少しずつ口に含んだ。彼女は心做しか、いや、確実に意気消沈していた。

 あれだけ意気込んで、それでいてボスに飛ばされ、挙句逃げる始末。終いには逃げた先が行き止まりで、転移結晶は使えない。

 あまりに絶望的な状況を作り上げた、自分自身を恥じていたのだ。

 

 リズベットは壁を背に、小さく蹲った。アキトは、そんな彼女の少し離れた場所、少し大きめな石の上に腰掛け、アイテムストレージを開いた。

 

 

 「……何も」

 

 「あ?」

 

 「何も、言わないんだね。こんな状況になったのは、あたしのせいなのに……」

 

 「いや、なっちゃったもんは仕方無いだろ。もしお前に文句を言う事で、この壁に穴が開いて逃げられるんなら、俺はお前を泣かせてる」

 

 「……」

 

 「……前にも言っただろ。俺は失敗した奴を励ます術を知らない。そんなの、教えられた事も無かった」

 

 

 教えてくれる親も、もうとっくに死んでいる。

 そんな事、彼女を前に言えた事では無いけれど。

 蹲り顔を膝で隠すリズベットに、アキトは走って来た道を眺めながら話し掛けた。

 

 

 「…お前がハンマーを欲しがってたのは分かってる。お前が使うアイテムだから、お前が頑張るってのも筋は通ってるし、間違ってない」

 

 「……」

 

 「そのハンマーで強い武器を作りたい、スキルを使って役に立ちたい、売り上げを伸ばしたい、金儲けしたい。そんな私利私欲が混じるのも仕方無い。けどそんなの全部、命あっての物種だろ」

 

 

 死んだら、そこで終わり。何もかも。

 誰かと笑い合ったり、喧嘩したり、泣いたり、叫んだり。そんな事だって、生きてないと出来ない。

『死んでも尚、この胸の中で生きている』、そう言ったセリフを、物語で何度も聞いた事がある。

 だけど、どれだけ自分達の胸で死んだ人を生かそうとも、死んだ本人の時間は、永遠に止まったまま、進む事は無い。

 もう二度と。

 

 

 

 

 「だから────」

 

 「分かってる」

 

 

 リズベットは、アキトの言葉を遮ると、その顔を上げた。

 その声は弱々しくて、口を挟めば、何もかも崩壊してしまいそうだった。

 

 

 「……アキトの言ってる事、全部分かってる。戦闘に関しては、アキトの方が強いから、あたしじゃ、あのボス相手にうまく立ち回れないっていうのも、納得してるの。けど……だけど……」

 

 

 それでも。引き下がれない理由があって。

 彼女はその思いの丈を、ポツリポツリと紡いでいった。

 

 

 「あたし、悔しかったんだ。アキトにああ言われたの。アキトの後ろに居て、戦ってるのを見てるだけなんて、嫌だった」

 

 「……」

 

 「頭では分かってるの。アキトの言った事は正しいって」

 

 

 その膝を抱える腕の力が強くなる。

 その膝から見え隠れする瞳が揺れ、身体は震えていた。

 

 

 「でも、それじゃ全然対等じゃないじゃない。攻略組では戦えていても、二人になった途端、肝心なところで役に立たずなんじゃ……」

 

 「リズベット……」

 

 「あたしは、アキトの、アスナの隣りに立ちたいの!ただ守ってもらうだけじゃなくて、隣りで一緒に……二人を、支えて……守って……」

 

 

 何が言いたかったのか、それすらもまとまらない。

 リズベットは、荒らげた声を、ワナワナと鎮めた。

 

 

 「今度は……一緒に……」

 

 

 上げた顔は、再び膝の中に埋もれる。

 アキトは、そんな弱々しいリズベットを久しぶりに見た。いつも、みんなのムードメーカーで、勝ち気で、そんな彼女ばかりを見てきたから。

 

 

 「初めてあたしが攻略組に参加した時のボス戦、覚えてる?あの時、アキトの声のおかげで、あたしは動く事が出来た。信じられないでしょ?初めてのボス戦で、ラストアタックを取れるなんて」

 

 

 忘れるわけが無い。彼女が親友を救おうと恐怖に打ち勝ち、ボスに一撃を入れた、あの77層のボス戦。

 

 

 「あの時……あたしもみんなの役に立てるんだって思って……凄く嬉しかったの。だから今日も役に立って……一人の攻略組のメンバーとして、パートナーとして、アキトの隣りに立ちたかったの……」

 

 「……」

 

 「……それに、怖かった」

 

 「え…」

 

 「あたし一人が逃げて、振り向いたら、そこにはアキトとあのボスだけ。もしアキトがこのまま戻って来なかったらって……凄く怖かった。もしかしたら、また……あたしのいないところで……また……!」

 

 

 それは、きっとキリトの事。

 自分の知らないところで、自分のいないところで。

 大切だった人が、命を落として。

 その恐怖を、アキトは知っていた。

 

 リズベットは嫌だった。

 もう、誰かを失う事が。

 大切な人が、大切な仲間が。自分のいない時に、知らない場所で、思いもよらぬ時に、前触れもなく突然にいなくなるのが、耐えられなかった。

 そして、それを防ぐ事すら、守る事すら、駆け付ける事すら出来なかった自身の無力さを呪った。

 もしかしたら、リズベットが攻略組に参加したのは、そんな大切な人の大事に駆け付けて、守る事の出来る強さを無意識に求めていたからかもしれない。

 

 

 「あたし……まるで変われてない……今もアキトに迷惑かけて、結局、足でまといのままで……」

 

 

 リズベットは、目指したものに手が届いていない事を実感し、絶望を感じてた。

 自分が目標としていたキリトは、憧れていたアスナは、ずっと遠い場所にいるような気がして、それを痛感したから。

 目の前のアキトに、迷惑しかかけていない事を改めて理解してしまったから。

 

 もう、どうしたら良いか分からない。気が付けば、《ヴェルンドハンマー》の事なんて、頭の片隅にも存在していなかった。

 アキトは、そんな自分になんて言うだろう。

 励ましてくれる?慰めてくれる?それとも、何も言わない?こんな自分に失望したかもしれない。

 リズベットは怯えながら、アキトからの声を待った。

 

 

 「……お前さ」

 

 「っ……」

 

 

 リズベットの身体がビクリと震えた。アキトの声が、嫌に耳に通る。

 聞きたくないような、でも、真実を突き付けられれば諦めも付くだろうか、なんて考えてしまって。

 だけど、アキトが言ったのは思いもよらない事だった。

 

 

 「……全然センチメンタル似合わねえのな」

 

 「…………は、はあああぁぁあっ!?」

 

 

 リズベットは目を見開き、大声を上げた。なんて事を言うんだと、アキトに詰め寄る。よく見れば、彼の顔はニヤけており、まるで笑うのを堪えているようにも見えた。その事実が、リズベットをさらに激昴させた。

 この状況で、そんな空気の読めない発言をするような人だとは思わなかった。

 何を期待していたというのか。リズベットはアキトに向かって声を荒らげた。

 

 

 「あんたねえ!人がこんなに悩んでるのに言う事欠いてそんな事言うの!? 信っじらんない!サイテー!」

 

 「仕方無えだろ、だって、ガチで似合わな……くくっ」

 

 「こっのお~……!」

 

 

 そんなアキトに向かって、持っていたメイスを振り下ろしたい衝動に駆られる。そんな中、ふと思ってしまった。

 

 アキトが笑いを堪えてるところなんて、初めて見たかもしれない。

 

 なんて、そんな空気の読めない事を考えているのは、きっとお互い様だった。

 リズベットも、そんなアキトに連れつられて、思わず笑ってしまって。

 本当に、どうしようもなかった。

 

 

 「……ふふっ…あははっ……あははは……はー、馬鹿みたい。アンタなんかにこんな話、するんじゃなかった」

 

 「まあ、相談事と俺の相性は最悪だろうと自負してる」

 

 「何の自慢にもなってないのにその胸の張り様は何…」

 

 

 最近になって、段々と態度が柔らかくなってきたアキト。取っ付きやすいその話し方に、リズベットは呆れてしまう。笑ってしまう。

 そうか、アキトは。アキトという少年は。

 自分が思う以上に、もっとずっと優しくて。

 

 

 そうやって笑い合う中、アキトはポツリと言葉を告げる。

 

 

 「────そう」

 

 「え…?」

 

 「俺は、誰かを慰めたり、励ましたり、支えになったり。そんなに色々な事は出来ない。教わったとしても、きっと俺は、この生き方を変えられない」

 

 

 アキトはその場から立ち上がり、逃げて来た道の前まで歩き、その場で止まった。

 こたらには背を向けており、リズベットからでは、アキトの表情は伺えない。

 

 

 だけどその背中は、とても大きくて、とても頼もしく見えた。

 リズベットの、その心臓が高鳴るのを感じる。

 

 

 

 

 「だから俺らしく。お前らから見える俺らしく、一つだけ、『約束』してやる」

 

 

 

 

 アキトは左手をバッと広げ、視線だけをリズベットに向けて見せた。

 

 

 「アキ────」

 

 「全部」

 

 

 

 

 まるでその背は、キリトそのもので。

 

 

 

 

 「……全部、何もかも。俺が守ってみせるから」

 

 

 強さを求めたのは、アキトも同じだった。

 大切なものを守れる力を、ずっと渇望していた。

 そればかり欲しがって、大事なことを見失っていたかもしれないと、今になって後悔が募って。

 

 

 そんなアキトに残されたのは、この身一つだけ。

 大切なものを失って尚、出来る事を模索した結果の姿。

 

 

 励ます事も。

 

 慰める事も。

 

 支える事も。

 

 

 自分には出来ない。

 

 

 自分が出来るのは、ただ。

 

 ────何もかもを背負う事だけ。

 

 

 

 故に、ただ一つだけ。

 リズベットが悩む心配など無いと、そう言えるように。

 彼女の悩みなど、気にならなくなるくらいに、頼もしいヒーローになる。

 だから、心配は要らないと。

 自分が全部守ってみせるから、お前が悩む事など無いと。

 不器用ながら、その佇まいが語っていた。

 

 

 「アキ、ト……」

 

 

 リズベットは、そんな頼もしい、強い背中に、どこか儚さと脆さを感じて、痛々しく見えて。

 何故か泣きそうだった。

 

 

 「……守れない約束はしない主義じゃないの?」

 

 「だからこそ、約束するんだろ」

 

 

 それはつまり。

 アキトは、この約束が守れるものだと思ってる。

 そこには驕りも矜恃も無い。自信と呼べるものも無い。

 ただ一つ、純粋な願いだった。

 とても頼もしく、安心する。

 

 

 

 

 ────良いの?簡単にそんな事言って。

 

 

 

 

 「……ホントに、そんな事出来るの?まるで賭けじゃない」

 

 「分の悪い賭けは嫌いじゃない」

 

 

 

 

 ────また、期待しちゃうよ?

 

 

 

 

(……ああ、見ててくれ、サチ。今度は、失望なんてさせないから────)

 

 

 アキトはリズベットに向き直り、余裕の笑みを浮かべていた。

 

 

 

 

 「お前が抱える悩みも、周りの事も、何もかも。隣りに立って、一緒に走って。そうやって全てを守ってみせるから。そんな悩み、抱える必要も無いと、そう思わせてやるからさ」

 

 

 

 

 「……だから、安心しなよ」

 

 

 彼女の悩みなど取るに足らない。

 そう言い放つだけの一言。

 だけどそれは、きっと茨の道で。

 

 

 それでも、この道を最後まで行くと決めたアキトの、少しばかり欲張りな願いが。

 目の前の彼女を安心させたいが為の、大きな強がり。

 

 

 

 

 アキトは無意識に感じていた。無自覚だった。

 彼らをもう、かつての仲間と同じくらい大切な存在として認識し始めているという事を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前には、先程の巨大なイノシシがいた。

 白いオーラを纏い、こちらにタゲを向けていた。

 途端に咆哮が響き、空気が振動するのを感じた。ビリビリとそれを肌で感じながらも、アキトはその瞳をボスから離さない。

 

 アキトもリズベットも、それぞれ自身の武器を構え、その標的を睨み付けていた。

 

 

 「さっきお前が言ってた案で行くぞ」

 

 「え…?」

 

 「俺がタゲを取る。お前は隙を見てその鈍器でぶん殴れ。ヘイトは全て、俺が背負ってやる(引き受ける)

 

 「……分かった!でも、無茶しないでね。あたしも、もう無茶はしないって約束するから」

 

 「……お前の無茶なんて、してもしなくても変わんねえよ」

 

 

 

 アキトはエリュシデータをその手に掴み、リズベットを見て笑みを溢した。

 アキトはまた一歩、キリトの仲間の一人と距離が縮まった。

 

 

 「……んじゃま、乙事主を討伐するか。足引っ張んなよポンコツ鍛冶屋」

 

 「だからぁ!もうスキルカンストしてるって言ってるでしょうがああぁぁあ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────たくさんの嘘を吐いた。

 

 

 ────果たせなかった、『約束』があった。

 

 

 

 だからこそ、もう二度と繰り返さぬよう。

 だからこそ、もう一度。

 

 

 キリトの仲間達と、自分の仲間達と。

 そして、このキリトの形見(エリュシデータ)に誓い、そして願う。

 

 

 

 

 一歩。

 

 

 

 

 この一歩を。

 

 

 

 

 全てに変える力にしたい。

 

 

 






小ネタ



アキト「おい、ドロップしたかよ《ヴェルダンハンマー》」

リズベット「《ヴェルンドハンマー》よ!『レア』なアイテムなんだからね!?」

アキト「ヴェルダン、レア……上手い事言ったな」

リズベット「何がよ!」


※焼き加減の話です。


今回、かなり素の感情を出したアキト君を描いてみました。
少しずつ、確実に、彼らを大切なものとして感じている彼を、そんな彼らの為に精一杯の強がりをするアキト君を書きたくて。

反省してます。後悔もしてます。


( ゚∀゚)・∵. グハッ!!


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Ep.61 世界を壊す探し物




ポケモンだのじい(白目)

感想が欲しい(発狂)


 

 

 

 

 

 

 「んふふ~♪」

 

 「……キモいな」

 

 「ちょっと!女の子に向かってなんて事言うのよ!」

 

 

 アキトがポツリと呟く声に、リズベットは過剰に反応した。

 だが、ボス討伐後にドロップした《ヴェルンドハンマー》を、オブジェクト化した状態のまま、手に持ち眺めながらニヤニヤしているリズベットのその顔を見れば、誰だってそう思ってしまうだろう。

 

 

 「仕方無いだろ。およそ公共の電波じゃ放送出来ないような顔してたぞ」

 

 「そ、そこまで言う……?」

 

 

 リズベットは項垂れたが、それも一瞬。アキトの言葉よりも、今は目の前にあるレアアイテムにお熱のようで、リズベットはうっとりとその表情を崩していた。

 

 現在は、その洞窟の奥にある迷宮区に足を踏み入れている。このまま迷宮区を攻略しようと、リズベットから提案してきたのは少しばかり意外だったが。

 何せ、手に入れたハンマーの善し悪しを確かめたいが為に、すぐさま帰りたいだのと言い出すかと思っていたアキトは、肩透かしを食らった気分だった。

 

 現在85層迷宮区、その中にいるにしてはアキトとリズベット、特にリズベットに関して言えば、緊張感が無さ過ぎた。

 言い出したのは彼女なのだから、そろそろそのハンマーをしまって欲しい。

 渋々《ヴェルンドハンマー》を仕舞うリズベットを見て、アキトは先程から考えていた事を口に出す事にした。

 

 

 「……お前の事だからすぐにでも帰ってそのハンマーを試すかと思ったんだがな」

 

 「結局攻略するなら、先にした方が効率良いじゃない。アキトだってそう思ったから、さっき一人で残るって言い出したんでしょ」

 

 「……」

 

 

 この迷宮区に来る前、つまるところ、《ヴェルンドハンマー》を入手した洞窟内で、アキトの仕事は終わった。

 リズベットを早々に転移結晶の使える場所まで連れて行ったら、後は一人でこの迷宮区を攻略するつもりだった。

 最近《ホロウ・エリア》の攻略ばかりだったから、こうして迷宮区を、それも誰かと攻略するというのは久方ぶりであった。

 

 

(……アスナと、結構前に行ったな、そういえば……)

 

 

 最後に迷宮区を共に攻略したのは彼女が最後。まあ、彼女に関しては《ホロウ・エリア》でも一緒なのだが。

 

 

 「あたしも強い武器を作りたいから《ヴェルンドハンマー》が欲しかったんだけど、このアイテムだって、効率を考えたらとても優れてると思うし」

 

 「……鍛冶の善し悪しなら俺に言ったって分からねえぞ」

 

 「ほんとよねー、もっと鍛冶屋の存在に有り難みを感じて欲しいわ」

 

 「……」

 

 

 リズベットが不満そうな表情をすると、そのままアキトよりも前に歩き出した。

 その小さな背中を見て、アキトは優しく笑った。

 

 

(……感じてるよ)

 

 

 そう、口には出さなかったが、アキトは彼女に感謝していた。

 アスナと為に攻略組に志願し、今もこうして戦ってくれている事、自分には出来ない武器のメンテナンスを無償でやってくれてる事、こうして傍に居てくれるだけで、キリトの仲間達は、アキトに色々なものを与え、感じさせてくれていた。

 

 かつての仲間と同じように、自分に新しい事を教えてくれる。

 それが、アキトにとっては救いにも似ていて。

 

 

 

 

 そう考えていると、近くから声がした。

 

 

 

 

 「あ!アキト!」

 

 「え…?」

 

 

 アキトは咄嗟に動きを止め、声のする方へと顔を動かす。

 リズベットも警戒したのか、一瞬身体をビクつかせた後、アキトの傍に寄った。

 だが、警戒していたその声は、とても聞き覚えのあるものだった。

 視線を動かし、その主を捉えると、アキトの瞳は警戒の色を解いた。

 

 

 「……ストレア」

 

 「こんな場所で会えるなんて、嬉しいな!」

 

 

 そこに居たのは、銀髪で、紫を基調とした流麗な装備を身に纏った可憐な少女、ストレアだった。

 背中に細めのロングソードを背負い、こちらに向かって手を振りながら歩いて来た。

 リズベットは彼女の周りを見て、目を見開きながら問い掛けた。

 

 

 「アンタ……一人なの?こんなところで何してるのよ?」

 

 「ちょっと探し物があったんだけど、疲れちゃったから、一休みしてたところ」

 

 「……迷宮区に一人でか。友達いないんだな」

 

 「……ストレアはアンタより明らかに社交的だと思うけど」

 

 

 アキトの軽口を良い具合に斬るリズベット。

 苦い顔をするアキトだが、すぐにストレアに向き直る。

 探し物はなんであれ、一人で迷宮区を攻略するのは、この上層では危険極まり無い。

 

 ……人の事を言えないのが辛いところではあるのだが。

 

 

 そんなアキトの隣りで、リズベットは心配するようにストレアに告げる。

 

 

 「一人で攻略は危険だと思うけど…」

 

 「うーん、それじゃあさ、一緒に迷宮攻略してくれないかな?足手まといになったりしないから!」

 

 「……アンタ今疲れてたから休憩してたんじゃないの?」

 

 「大丈夫だよ!それに、急いでるの!お願い……一緒に行かせて!」

 

 

 ストレアは両手を合わせて懇願してきた。

 リズベットは困ったようにアキトを見つめ、アキトは溜め息を吐いた。

 実際、彼女は今疲れたから休憩していたと言っていた。ならば、動きが鈍る可能性だってある。

 上層のモンスターはレベルが高くなっており、簡単に倒せるようにはなっていない。そんなエリアを、先程までストレアは一人で攻略してたのだ。疲労があるというのは嘘ではないだろう。

 ストレアをパーティに組み込めば、間違い無く攻略のペースは上がるし、効率も良くなるだろうが、肝心な時や、窮地に立たされた時に、ストレアの調子が悪くなった時、手助け出来るかは分からない。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは、自身の拳を強く握った。

 こんな時、守ってやる、そう言い切れないのが悔しい。

 だけど、ストレアは探し物があって、それも急いでいるらしい。もし断れば、彼女はまた一人でこの層を攻略するのかもしれない。

 もし、そうなったら────

 

 

 こんな風にしか言えないけれど。

 アキトは小さく、その口を開いた。

 

 

 「……頼んで来たのはそっちだ、疲れを理由に怠けるようなら、悪いけど願い下げだ。そこまで面倒は見ない。街に帰るんだな」

 

 「大丈夫だって!言ったでしょ?足手まといにはならないって!」

 

 「なら良い、人数がいた方が楽出来るからな。ちゃんと仕事してもらうぞ」

 

 「うん、アキトの言う事なら聞くよ」

 

 

(無償の信頼やめて怖い)

 

 

 何故そこまでストレアが言い切るのか不思議でならない。まだ出会って間も無ければ、会う頻度だって多くない。

 だがまあ、一人にさせるよりは安全だと思った。

 

 

 

 

 

 

 「……素直じゃないわね」

 

 「うるせえポンコツ」

 

 

 途中、リズベットが達観したようにそう言うから、アキトは思わずそう言い放った。

 リズベットは憤慨した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「ふっ!!」

 

 

 ストレアは目の前のモンスターに一瞬で詰め寄り、その両手剣を上段から素早く振り下ろす。

 その一撃は速く、そして重い。モンスターは即座に霧散した。

 

 彼女のその表情は、いつもの気さくな笑みを浮かべる彼女とは打って変わって真剣で、強い意志と必死さを感じた。

 

 アキトとリズベットも、粗方この場のモンスターを片付け、辺りは静寂に包まれた。

 それを確認すると、ストレアはその重たそうな剣を地面へと下ろした。

 

 

 「ふぅ~……ね?足手まといにならないでしょ?」

 

 「…ああ。まあそれに関しては最初(ハナ)から思ってなかったけど」

 

 「ホント?嬉しいな~♪」

 

 

 ストレアはそう言うと、いつものように笑った。

 彼女には秘密が多い。アキト達攻略組をも凌ぐ隠蔽スキルに、女性であり、この強さなのに関わらず無名。不安要素は多いが、強さに関しては全く不安にならなかった。

 だけど、戦闘時の彼女はまるでいつもとは別人に思えた。先程から攻略を共にしているが、リズベットですらストレアのその表情の変化に気付いていた。

 

 

 「……そうまでして、何探してんだ?」

 

 

 純粋に、気になった。ストレアが探しているというものを。

 いつもなら『興味無い』『どうでもいい』と、そう言う筈なのだが。アキト自身に眠る、その好奇心に負けてしまった。

 

 ストレアは、アキトのその質問を聞くと、複雑そうな表情を浮かべ、静かにその答えを述べた。

 

 

 「この世界を壊してしまう、何か。それを探しているの……多分」

 

 「……?なんだそれ」

 

 

 その表情から読み取るに、アイテムの類じゃない。だけど、アキトはストレアが何を言っているのか理解出来ていなかった。

 だけど、彼女はそれを必死に探している。

 

 

 「……お前の言い方だと、それが何なのかは分からないんだな」

 

 「でもだからこそ、たくさん探索に出て、色んなものと出会わなきゃいけないんだ」

 

 

 アキトを見つめていたその瞳を、横に逸らした。

 

 

 「アタシは、この世界を守らなくちゃいけないから」

 

 「……守る……この、世界を……」

 

 

 何となく、既視感を覚えた。

 彼女が掲げる、その『意志』に。

 この世界を守る。その言葉はまるで、『正義の味方』みたいで。

 

 

 

 

 「……というか、アタシの事よりも!」

 

 

 ストレアは途端に笑顔を作り、アキトに詰め寄る。

 アキトはいきなりの事で、思わず後ずさった。

 

 

 「っ…な、んだよ…」

 

 「アキトはクリアの為に頑張ってるんだよね?だったらさ、パーティのメンバーもよく考えてさ……」

 

 

 ストレアは強引に話を変えたかと思えば、パーティの話になった。彼女はそこまで言うと、アキトの隣りにいつの間にか来ていたリズベットをチラリと見つめた。

 リズベットはそれに気付き、ほんの少し警戒をし始める。

 

 

 「な、何よ…」

 

 「アキトには、もっと強力で頼りになる、おねーさんの助っ人が必要だと思う」

 

 

 何を言い出してるんだこの子は(錯乱)

 アキトは思わず溜め息を吐く。リズベットも彼女の言葉に首を傾げていた。

 アキトは呆れたようにストレアに向かって口を開いた。

 

 

 「おねーさんって……アルゴじゃねえんだから。大体、『強力な』とか言ってるが、今の攻略組の個々人の強さなんて、そんな変わんねえよ。誰もがバグでスキルが色々飛ばされてるんだ、イーブンだろ。それに……」

 

 「それに?」

 

 「……不満を抱くような奴とはそもそも組まない。イラつくだけだ」

 

 「アキト……」

 

 

 その言葉を聞いて、何となく嬉しいリズベット。

 自分で言っておいて、既に後悔しているアキトを他所に、ストレアが怒ったような表情を作る。

 

 

 「ダメだよ、アキト。今で満足なんて間違ってると思う」

 

 「別に満足なんてしてねえよ。誰もが発展途上だろ」

 

 「でもでも、アタシが活躍出来ちゃうくらいなんだもん。もっとパーティとしてのバランスも必要だし、一人一人、ソロでの強さにももっと拘らなくちゃ」

 

 「……まあ、お前の言い分は間違ってはないけど」

 

 

 実力があるだけあって、彼女の言ってる事も的を射ていた。いつもほんわかしてるイメージしか無かったが、ストレアもかなりのやり手だと伺える。

 ストレアはリズベットに向き直ると、彼女の事を上から下まで眺めてから告げた。

 

 

 「えーと、具体的に言うと、リズベットは武器に頼らず身体能力を高めるべき」

 

 「あたし、筋力は結構上げてる方だと思うんだけど……」

 

 「ああ、ゴメンゴメン。もっと速度を上げた方が良いって事」

 

 「速度ねえ……鍛冶と関係が薄いのはあんまり上げたくないんだけど……」

 

 

 リズベットは困ったようにそう呟く。

 横で聞いていたアキトはストレアのアドバイスに感心していた。

 確かにリズベットは、重量のあるメイスを使っている分、攻撃速度は勿論、移動速度も他のプレイヤーよりも劣っている感じは否めない。

 今はまだ致命的なものにはなっていないが、いつか素早いモンスターが相手になった時、防御の速度が遅れて、命の危険が増える、なんて事になるかもしれない。

 いつかは指摘した方が良いかもしれないと、少しばかり気になっていた点だった。

 加えて彼女は、攻略組としての経験も浅く、メイスのスキルも、鍛冶屋という生産職で得た経験値を注ぎ込んだものだ。戦闘経験も少ないだろう。

 ストレアの言葉は、リズベットも思い当たる節があったのか、否定から入ったりはせず、考えるように唸っていた。

 

 

 「でも、それだとアキトと釣り合うパートナーにはなれないと思う」

 

 「パートナーって言われても、あたしは……」

 

 

 リズベットはストレアの言葉に戸惑った。先程の《ヴェルンドハンマー》の件もあって、アキトやアスナの隣りに立つには、自分の力は未だ不十分である事を痛感していたからだ。

 アキトは不満は無いと言ってくれたが、これはあまり割り切れる事では無い。

 キリトの隣りに。そう思うだけで努力しなかった事を後悔した。アスナを助けるという理由で志願した攻略組だが、今はアスナの親友として、アキトの友達の一人として、彼らを支えたいと思っていたから。

 だからこそ、ストレアのその言葉が的を射ている事を理解した反面、何となく悔しかった。

 

 自分はまだ、友達である二人に守ってもらう側なんだと。

 

 

 「それに、アキトのパートナーには、アタシみたいにメリハリの利いた身体が必要だし」

 

 「……ん?」

 

 「は?」

 

 

 だが、ストレアのその言葉を聞いて、リズベットは首を傾げる。黙って話を聞いていたアキトも、彼女の言葉には反応した。

 そんな彼らを知ってか知らずか、ストレアは楽しそうに話を続ける。

 

 

 「出るトコが出てて、引っ込むトコが引っ込んでる。そういった魅力的な身体が必要だと思うんだよね」

 

 「……え、パートナーって、そういう意味?」

 

 「なわけないだろポンコツ……」

 

 

 リズベットの問い掛けに、アキトは嫌そうに答える。

 先程まで戦力的な話をしてた筈なのに、ストレアの話はいつの間にか人生のパートナーの話に変わっていた。

 リズベットは先程まで考えていた自身の悩みとは関係無い話だったのかと素っ頓狂な声を上げるが、アキトはそうでは無いと否定した。

 

 それに、ストレアの言い分は、まるでアキトの性癖に見合うのは自分だというような言い方だった。

 このままじゃ自分の好みのタイプがストレアという事になる。

 実際、ストレアはとても魅力的な身体をしてはいるが、今この場にいるリズベットに誤解されると、後々エギルの店でそういった話題になった時に面倒極まりない。

 アキトは取り敢えず弁明を図る、というか、ストレアの言ってる事の否定に入る事にした。

 

 

 「アキトだって、スタイルの良い女の子がパートナーの方が嬉しいよね」

 

 「……攻略に身体付きは関係無いだろうが。むしろ胸なんて戦闘時は邪魔なだけだ」

 

 「えー!アキトは胸が無い女の子の方が良いって事?」

 

 「え……それってシリカとか……ま、まさか……ユイちゃんとか……」

 

 「おいやめろリズベット」

 

 

 誤解を解くつもりの発言で、さらに誤解を生むという連鎖。

 リズベットは、アキトのロリコン疑惑の浮上(主にストレアの発言が原因)に、その瞳を大きく揺らしていた。

 リズベットからシリカとユイの名前が出てくる辺り、アキトの発言はかなり問題だったようだ。

 アキトは珍しく、見て分かる程に焦る。

 

 

 「だ…大体、なんで女限定なんだよ。そもそも、攻略組ってのは元々男の方が多いんだよ。命張ってまでボスを討伐しようなんて脳筋女の方が珍しい。組む事事態が稀なんだよ」

 

 「じゃあアキトは男の人の方が良いって事?」

 

 「何でもかんでも恋愛方面に持ってくのやめてくんない?」

 

 「ま、まさかクラインとかエギル……」

 

 「やめろっつってんだろポンコツ鍛冶屋」

 

 

 更に誤解が生まれ、状況は悪くなる。

 誤解の無いように言っておくが、アキトはスタイルでパーティを選んではいない。元々ソロだし、何なら誰も傷付けるリスクが無いよう、一人を選ぶくらいだ。

 それにアキトには。

 

 

 自分には────

 

 

 

 

 「まあでも、アキトに一番お似合いで、役に立っているのはやっぱりアタシかな」

 

 「……い」

 

 「え?」

 

 

 小さく何かを呟くアキトに、ストレアとリズベットは視線を動かす。

 アキトは顔を俯きがちにしていたが、やがてストレアに向かって言い放った。

 

 

 「別に……役に立つとか、お似合いだとか……そんな事は、考えなくて良いんだ」

 

 「……?」

 

 「ただ、死ぬ事無く……傍に、居てくれたら……それで……」

 

 

 儚く、寂しそうに笑った。

 何かを誤魔化すように、それでいて、何も誤魔化せていないような作り笑い。

 それでも、それが精一杯だった。

 

 

 そう、自分には。

 

 

 好きだった人がいた。

 

 

 まだ断ち切れない想いがあるから、まだストレアの言うような事は考えられない。

 そんな事は思えないし、想えない。

 失ったものが大き過ぎたから、感覚が麻痺してる。

 ただ、アキトの中では、もう彼らは掛け替えのないものへと変わりつつあった。失いたくないと、素直に言えなくとも、心の中で切実に思う。

 だから、無理はしなくて良い。自分を救おうだなんて、思わなくていい。

 

 

 ただ目の前から居なくならないで。

 

 

 傍にいて。

 

 

 それだけで、救われる気がするから。

 

 

 「アキト……」

 

 

 リズベットが、彼の名を呼ぶ。

 特に何か意味があった訳じゃなく、ただ、彼が心配で。

 やはり、アキト自身にも抱え込んでいるものがあって。それを抑えていて。

 ずっと、誰かを助け、救って。そんな事をしてしまう彼。

 なら、彼の事は誰が助けてくれるのだろう。

 

 

 アキトはこの話は終わりだと言わんばかりに、その身体を反転させ、迷宮区の奥へと足を動かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 上層になるに連れて狭くなるフィールドは、割と簡単にボス部屋を見つけられるようになっていた。

 構造的に考えても、そろそろボス部屋を発見出来るかもしれない。

 迷宮区の奥に足を踏み入れたアキト達は、各々がそう思った。

 この独特の雰囲気、静寂に包まれ、モンスターの気配も無い。辺りは暗闇に包まれ、空間自体が冷たく感じた。

 ボス部屋は近い、そう思えた。

 

 

 途端、ストレアがいきなりアキトに向き直った。

 

 

 「ゴメン、アキト。ちょっと用事思い出しちゃった。今日はここでお別れ」

 

 

 いきなりの一言で、緊張感が緩む。

 

 

 「……唐突ね」

 

 「探し物はいいのかよ」

 

 

 リズベットとアキトはそれぞれ思った事を口にした。

 だがストレアは軽く笑うと小さく頷いた。

 

 

 「うん。少しは前に進めたかなって思うから、今日はそれでいい」

 

 「……そうか」

 

 

 アキトはそう言ってストレアに向き直ると、ストレア自身も、アキトに詰め寄っていた。近い。

 

 

 「……さっきはゴメンね?」

 

 

 ストレアは珍しく悲しげな表情でこちらを見上げていた。

 何の謝罪か、何となく分かっていた。

 先程のパートナーの話だろう。アキトの表情や言葉から、地雷を踏んだのかもしれないと察したのだろう。

 アキトも顔に出てしまっていたかと自戒し、それでいてストレアにこんな顔をさせて申し訳なく思った。

 アキトはフッと軽く笑うと、ストレアの頭に手を置いた。

 

 

 「……別に、気にしてねえよ。一人で帰れるか?」

 

 「……うん!大丈夫だよ!」

 

 

 ストレアは頭に置かれた手を見て嬉しそうに笑う。アキトは笑顔になったストレアを見て、その手を離した。

 

 

 「……気を付けろよ」

 

 「ありがと。じゃあ、またね!」

 

 

 ストレアはそう言うと、アキトとリズベットの元を離れ、こちらに背を向けた。途端に、転移結晶の光と共に、この場から姿を消した。

 暫くアキトとリズベットの間に沈黙が生まれたが、リズベットはニヤニヤしながらアキトに近付いた。

 

 

 「ちょっと~、随分優しいじゃない」

 

 「……」

 

 

 冷やかすつもりでそう言ったリズベットだが、アキトは何も言わずにストレアがいなくなった場所を見ていた。

 何となく寂しそうで。何か、懐かしんでいるようで。

 リズベットはその顔を真面目なものへと変えた。冷やかすタイミングでは無かったと、自分を責めた。

 今回、ストレアの介入によって、色々思い出したのかもしれない。先程のパートナーの話の時のアキトの表情を、リズベットは思い出していた。

 

 

 「……行かせちゃって、良かったの?」

 

 

 一人で迷宮区を攻略するような彼女だ。

 先程言っていた用事とやらも、もしかしたら一人でやるつもりなのかもしれない。

 アキトは何も無い空間を見つめ、ポロリと、溢すように告げた。

 

 

 「……束縛なんて、出来ないだろ。まあするつもりも無いし、無駄だと思うけど」

 

 「……」

 

 「何を探してるのかも分かんねえし、やれる事なんてそう多くない」

 

 「……ふうん」

 

 「……何だよ」

 

 「何か、してあげる気はあるって言い方ね」

 

 「……ポンコツ」

 

 「また言ったわね!」

 

 

 リズベットは激怒した。

 アキトはそんな彼女のメイスを飄々と躱す。そうしてボス部屋までの鬼ごっこが開始した。

 だけど、アキトがストレアの為に何かしてあげられたらと、そう考えている事が分かって嬉しかった。

 

 

 

 

 そんなリズベットの思いなど知らずに、アキトは一人、考えていた。

 ストレアが探しているという、『世界を壊す何か』を。

 

 

(世界を……壊す何か…か……まさかな……)

 

 

 アキトは溜め息を軽く吐く。

 途端に、ストレアの言葉を思い出していた。

 

 

『アタシは、この世界を守らなくちゃいけないから』

 

 

 アキトはふと、考えていた。その『何か』を。

 ストレアが探してるものではないかもしれない。

 だけど、世界を壊すものに、アキトは心当たりがあったのだ。

 

 

 

 

 

 

 ゲームをクリアすれば、この世界は消えてしまう。

 

 

 

 

 

 

 つまるところ、世界を壊すのは、我々プレイヤーなのではないかと思ったから。

 

 

 

 

 

 

 なら、ストレアが世界を守る為に、探しているものとは。

 

 

 

 

 一体────

 

 

 





小ネタ (本編とは無関係です)


Q : アキトの好きなタイプ。実際のところどうなの?


ユイ 「……」ソワソワ

ストレア「やっぱり、スタイルが良い女の子の方が良いよね?」

リズ 「…それ、タイプ関係ある?」

アキト 「いや、別にスタイルとかは本当に気にしないから。えと、その……好きになった人がタイプっていうか……」

シノン 「……」 (……ふうん)

シリカ 「……」(ロマンチックだなぁ…)

リーファ 「……アキト君って、やっぱりそういう事言っちゃう人なんだね……」

アキト 「……え、何この温度差」


A : 好きになった人がタイプ←(一番面白くない答え)







Q : 女性は『胸』ですか?


シリカ 「……」ムスー

アキト 「この質問絶対クラインだろ」

リズ 「アイツは本当にどうしようも無いわね…」

アキト 「……さっきも言ったけど、別に俺はスタイルで決めたりはしないよ。あんまり気にする事じゃないと思うけどな」

シリカ 「アキトさん……!」(感動)

アキト 「……まあ、女子も気にするって言うから、人並みにはあった方が良いとは思うけど……シリカ、ゴメン」

シリカ 「…今ので台無しです」

ユイ 「……アキトさんは、女性の胸部が大きい方が好きなんですか?」(不安&探究心)

アスナ 「ゆ、ユイちゃん!?」

アキト 「あ、ああいや、その……えと……好きになれば、あまり関係無いと思うけどな……。ユイちゃんも充分可愛いし」

ユイ 「そ、そうですか……えと……じゃあ、その……良かったです……」(///_///)

アキト 「……これで良い?」

アスナ「良い訳無いでしょ!? ユイちゃん顔真っ赤じゃない!」



A : 好きになれば関係無い←(これもつまらない)






Q : 好きな髪の長さと色は?



アキト 「黒髪、かな……長さはあんまり気にしないけど……女の子らしくて長いのは素敵かなーとか思うな」

シノン 「……即答ね」

アキト 「えっと……あんまり髪染めてる人好きじゃなくて……いや、この言い方は失礼かな……髪染めるのって髪を傷めるでしょ?だから、何かちょっとね……SAOなら問題無いんだろうけど」

リズ 「……何かまともね」

アスナ 「確かに……っ!? あ、アキト君……!」

アキト 「へ……?……あ!」

ユイ 「……」(///_///)←黒髪ロング



A : ユイちゃん



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Ep.62 虚構の存在


申し訳ございません。
完結したいが為に展開早くない?みたいに感じる方々がいるかもしれません。お許しを。
その辺りは完結した後、もしかしたら番外編として組み込むかもしれません。

そして、感想を下さい……( ゚∀゚):∵グハッ!!


 

 

 

 

 

 

 夢を、希望を失った日。

 それを取り戻そうと、全力を尽くしたあの時。

 

 真っ白な、銀世界。

 一面が雪で覆われ、吐く息は白くなる。木々には雪が積もり、今も尚粉雪が空から舞い落ちる。

 その日は、どの街も夜は明るくイルミネーションで照らされ、人々が夜でも賑わう。とある、クリスマスだった。

 仮想空間でもその日は肌寒く、現実世界の冬そのもので。だからこそ、プレイヤー達もその日を楽しんだ。

 

 

 

 

 

 

 「……」

 

 

 そんな街の外で、たった独り。

 雪のような白いコートを着込んだ黒髪の少年がいた。

 ゆっくり、ゆっくりと雪で覆われた地面を踏み締め、彼が歩く後ろには足跡が分かりやすく出来ていた。

 

 武器は鞘に収める事無く、手に持って歩いていた。剣先を地面に下げながら、ゆっくりと歩く。確実に前に歩く。

 その黒い刀、《厄ノ刀【宵闇】》は、こんな雪の中でも純黒な光を纏っていた。

 その刀身を見下ろして、少年は思い出す。ギルドのみんなでダンジョンを突破した時に手に入れた、この刀。みんなが自分に相応しいと、そう言って渡してくれた刀。

 名前がとても恐ろしくて、縁起でもない事が起きてしまうのではないかと思っていたが、当時、そのステータスは割と高めで驚いたのを覚えてる。

 今、この層で使うにはあまりにもお粗末極まりない。

 

 

 けど、それでも。

 

 

 

 

 ──── 一人きりで歩いてるの?

 

 

 「……ああ」

 

 

 ──── そんな格好じゃ寒いでしょう?

 

 

 「……まあ、ね。でも、なんて事無いよ」

 

 

 ──── ゴメンね

 

 

 「……何がだよ……何、謝ってるんだよ……!」

 

 

 ──── もう、声を掛ける事さえ出来ないけど

 

 

 「……謝るのは……俺の方だよ……僕が……君を……!」

 

 

 その刀の持ち手を強く握る。

 怒りと悲しみ、悔しさでどうにかなりそうだった。

 身体は所々に斬られた後があり、顔にも幾分か傷が出来ていた。片手には石のようなアイテムを持ち、その瞳は虚ろそのものだった。

 それは青く光り、雪降る夜に良く映えた。

 

 《蘇生アイテム》

 

 それだけ聞けば、喉から手が出る程に欲しい、眉唾物のアイテム。

 実際、それは存在した。

 クリスマスの限定クエスト、その報酬という形で。

 

 だがそれは、求めたものとは違っていて。

 制限付きで、条件付きで。

 この少年には、不要のものなのだと自覚した。

 

 

 「……ハッ」

 

 

 そうだ、そうだとも。

 何故自分は、期待してしまったのだろう。

 そんなこの世の理に背く様なものが、存在する筈が無いのは分かっていたのに。

 この世界にだって、自分の都合の良い未来など起きる筈もないのに。

 

 

 「……?」

 

 

 ふと、目の前に人の気配がした。

 アキトはその足を止め、その俯く顔を上げる。

 

 

 「……アキト」

 

 「っ……」

 

 

 親友の声が聞こえた。

 そこには、自分とは正しく対称的な色の装備を身に付けた、黒い剣士がいた。

 その少年は、とても辛そうで、痛々しくて。心配そうに、こちらを見つめていた。

 何か言いたげにして、それでいて何も言えなくて。そんな表情を作っていた。

 

 

 「……キリト。久しぶり」

 

 「……お前一人で倒したのか……?」

 

 

 その少年── キリトは、彼の手元にある《蘇生アイテム》を見て、震えた声でそう聞いた。

 彼は。アキトは、キリトの視線の先にある自身の手元、《遺魂の聖晶石》を見て、小さく笑った。

 虚ろな瞳、キリトを真っ直ぐに見て、それでいて何も見ていないような瞳で。

 

 

 「……分かんないや。記憶飛んでてさ。……必死に刀振り回してたから、何も覚えてない。気が付いたら、何か手の中にあったんだ」

 

 「っ……なんでっ……」

 

 

 どうして一人で。

 一人でボスに挑むなんて。そんなの。

 そんなの、まるで死にに行くようなものではないか。

 だけど、アキトはキリトの言葉を聞いて、その笑みを深くした。

 

 

 「キリトも、そうするつもりだったんでしょ?」

 

 

 アキトの言葉に、キリトは何も言えずに口を閉ざす。

 死に急いでいたキリトには、丁度いいクエストでもあったからだ。

 色々な事を、もう一度会えたのなら、色々な事を話して、聞いて。そして許されなくても良い。謝りたかった。

 なのに、目の前のアキトという少年は。キリトを責めず、笑って、今まで通りの態度で接しようとしてくる。

 

 

 それが、とても悔しかった。

 何も言ってくれない、アキト自身が。

 

 

 「……どうして、俺を責めないんだ……」

 

 「え…?」

 

 「黒猫団が……みんなが死んだのはっ……俺の……!」

 

 

 今にも泣きそうになりながらも、キリトは必死にそう口を開く。

 いっそ責められ、斬られる程に憎まれた方が、どれだけ楽だっただろう。

 この罪が、罰となり、自分に返ってくれば。それをするのがアキト本人だったら。

 この命を終わらせる事にだって躊躇いが無いのに。

 

 

 アキトとキリトの距離は、近いようで遠い。けど、決してこれ以上近付けない。そんな気がした。

 キリトが震えているのは、悲しみからか、寒さからか。

 だけど、そんなキリトに返ってきた言葉は、とても心にくるものだった。

 

 

 「……そんなの、決まってるじゃん」

 

 

 俯くキリトに、アキトはポツリと口を開く。

 キリトは、その彼の言葉に、ゆっくりと頭を上げる。

 

 

 「キリトは俺の……僕の、友達だから。同じ悲しみを背負った、仲間だから」

 

 「っ…!」

 

 「それに、言ったって仕方無いじゃん。もう、何もかも手遅れなんだからさ」

 

 

 アキトは手元の《蘇生アイテム》の説明欄を可視状態にして、キリトに突き付ける。

 キリトはそれを見て、目を見開いた。

 

 

『死んだ人間を10秒以内なら蘇生可能』

 

 

 要約すると、そんな内容のアイテムだった。

 キリトは、今にも崩れ落ちそうだった。

 

 

 その事実が、胸を貫く。

 つまり、既に死んだ人間は蘇らないという事。

 

 

 もう、二度と────

 

 

 「あ……うぁ……あぁ……」

 

 

 キリトは、一歩、また一歩と後ろに下がる。

 怯えるように、逃げるように。

 もし、これが手に入れば。みんなを、サチを、生き返らせる事が出来たなら。

 自分はきっと、またアキトと────

 

 

 そんな事を考えていたのに。

 彼らの中に後から入った自分が、彼らとずっと一緒に居たアキトを、たった一人にしてしまったのだと理解した。

 

 

 「俺、は……俺は……!」

 

 「……ゴメンね、キリト。折角みんなで攻略組を目指そうって、そう約束したのに」

 

 

 アキトはそう言って、キリトに向かって歩く。

 そうして近付き、今も尚震えて動けないキリトの横を、小さく笑って通り過ぎた。

 

 

 「……僕、ホントはそんなに強くないんだ……」

 

 

 強がる必要は無くなった。

 誓ったものは、果たせなかった。

 交わした相手も、消え去った。

 

 残るは、自分だけ。

 

 大切だった人は、もう居ない。

 掲げた理想も、もう既に自分で捨てた。

 ただ一人。たった独り。

 この世界に取り残された自分は、どうしようもなく。

 

 

 ────空っぽだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《グレスリーフの入り江》

 

 広大な《ホロウ・エリア》のフィールドの一つで、綺麗な海が広がる場所。

 一見、モンスターは何もいないように見えて、実は海の中や浜辺にちゃんと存在しており、バカンスを楽しむには向いてない。

 坂の上には森もあり、浜辺の先には遺跡も多く存在していた。

 その中にある遺跡の一つ、その最奥に位置する場所、《ならず者の王座》。

 

 

 ────そこに、ボスはいた。

 

 

 

 

 「フィリアさん!スイッチ!」

 

 「了解!はあっ!」

 

 

 アスナの細い腕でどうにかボスの持つ大剣をかち上げる。その瞬間に懐に入り込んだフィリアは、飛び上がってその胸元に短剣を突き立てた。

 

 ボスは痛みに耐えかねてか、その口を大きく開き、咆哮を上げた。

 ビリビリと空間を振動させるそれは、フィリアとアスナ、アキトを吹き飛ばした。

 

 

 「きゃあっ!」

 

 「わあっ!?」

 

 「くっ…!」

 

 

 各々がかなりの距離を飛ばされ、アキトはどうにかその場で踏ん張る。

 そして咆哮を終えたボスは体勢を立て直し、大剣を構え、こちらを睨み付けていた。

 HPも残りあと僅か。死んでたまるかと、そう訴えているかのようだった。

 

 

 目の前にいるのは、このフィールドのエリアボス。

 名前は《Destonator The Kobold Lord(デトネイター・ザ・コボルドロード)》。

 

 1層のフロアボスにとても良く似たそのボスは、以前よりも強固な装備を身に纏い、取り巻きを出現させるなど、他のエリアボスとは違う事をしてくれた。

 コボルド自体は3人とも経験があったが、幾ら少人数でも倒せるボスだからといっても多勢に無勢、取り巻きに気を取られながらボスの相手をするのは至難だった。

 ボスの攻撃にもデバフが存在する上に、こちらの状態異常攻撃が効かないというおまけ付きで、アキトも舌を巻いていた。

 

 HPが赤くなれば、こちらも1層の時と同じように武器を変えた。持っていた斧と盾を投げ、腰に差していた巨大な剣を掲げ、散っていったコボルド達の仇を取らんとばかりに暴れ出す。

 法則性の無い攻撃程に予測出来ない事は無く、各々が苦しい顔をした。

 使うソードスキルも多段攻撃かつ、スタンが付与されており、想うように動けなかった。

 だが着実に、堅実に。アキトはボスの動きを観察し、あらゆる可能性と攻撃の法則性を読み取り、一歩先を考えた。

 その攻撃に刃を合わせ、拳を交え、動きを記憶していく。

 

 焦るな、慣れろ、読み切れ、動かせ。

 もう少し、あと少し。

 

 

 「っ───!」

 

 

 アキトはその足を強く踏み、途端に地面を蹴った。

 片目はもうすぐ本来の色を失い、黒く染まりそうだった。だが、本人はそれに気付かない。

 

 アキトの飛び出したのに反応し、ボスも一気に駆け出した。お互いに距離が縮まり、もう間もなく激突する。

 瞬間、アキトはその剣をボスの振り下ろす剣に合わせ、弾く。

 その瞳を、大きく開く。

 

 片手剣単発技《バーチカル・アーク》

 

 筋力値極振りのステータスを利用して思いっ切り振り上げる。ボスの大剣はあさっての方向へ飛び上がり、その体勢を大きく崩す。

 ボスの身体は、後ろへ仰け反り、今にも倒れそうだった。

 アキトは剣を振り上げた勢いでその身体を回転させ、もう片方の手に光を宿す。

 

 コネクト・《閃打》

 

 その拳をボスの腹に一閃させる。重い一撃が、ボスの身体を地面に倒した。

 アキトは咄嗟に後ろで体勢を整えたアスナとフィリアの方に顔を向けた。

 

 

 「行けっ!」

 

 「了解!」

 

 「う、うん!」

 

 

 アキトの指示で、アスナとフィリアは彼の横を通り過ぎる。

 起き上がろうとしているボスに、大き過ぎる隙が生まれており、叩くなら今だった。

 

 二人は同時に自身の武器に光を宿し、それをボスの身体にぶつけた。

 そして、ボスのHPゲージが透明になり、ボスは大きく咆哮しながら光となって消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り回復を終え、HPが満タンになるのを確認し、漸く3人は同じ場所に集まった。

 アキトは《虚光の燈る首飾り》を取り出すと、エリアボスを倒した際に発生する光が灯ったのを確認した。

 これでまた、次のエリアへの鍵が手に入ったと、3人は顔を見合わせた。

 

 

 「やったね、アキト!」

 

 「……おう」

 

 「二人共、お疲れ様」

 

 「アスナもお疲れっ」

 

 

 アスナとフィリアはそうして笑い合う。

 アキトはそれを見てなんとなく微笑ましい気持ちになると、ウィンドウを開いて時刻を確認した。

 割と良い時間帯で、いつもならそろそろ帰宅を提案する時間だった。

 

 

 「……次はあの扉の向こうか……」

 

 

 アキトはエリアボスがいたこのフィールドを見渡す。

 第1層のボス部屋に酷似したその部屋の壁には、大きな扉が設置されており、恐らくまだ行った事の無い、今まで探索した場所の何処にも繋がってないだろう、正真正銘の新ステージへの道が開かれる場所なのだと理解した。

 扉を開いたら、また好奇心でドンドン時間が経つのを忘れてしまいそうになる。

 

 いつからそんな風になったのだろうか。

 小さく溜め息を吐くと、アキトはフィリアに向かって口を開いた。

 

 

 「……今日は帰るわ」

 

 「あ…う、うん…そうだね…」

 

 「え…?あ、もうこんな時間……」

 

 

 フィリアが答えた後、その言葉に反応したアスナが時間を確認して目を見開く。

 思ったよりも時間が経っていた事に驚いたのか、なんとなく焦っているように見えた。

 

 

 「……何だよ閃光。何か用でもあんのか?」

 

 「ユイちゃんに、夕食は一緒に作るって約束してるのよ」

 

 「……約束」

 

 

 アスナが嬉しそうに話す中、『約束』という単語に、アキトは強く反応した。

 一種の地雷のように、すぐさま反応しては色々と思い出してしまう。

 アキトのその表情はなんとなく暗く、それでいて柔らかかった。

 

 

 「……なら、早く帰ってやれよ」

 

 「……どうしたの急に」

 

 「別に。で、何作んの?黒パン?」

 

 「違うわよ……ふふん、でもアキト君も関係無い話じゃないしね、教えてあげる」

 

 

 そう得意気に話すアスナはとても嬉しそうで、本当の笑顔に思えた。

 ゲームをクリアすると決めた直後は、何処と無くその表情には暗い影が落ちていた。

 けど、ここ最近は仲間達に囲まれて、ちゃんと女の子らしく笑えてる。とても可憐で、美しい、アキトの知る《閃光》のアスナだった。

 アキトの顔が、段々と緩む。

 

 

 「……別に良い。どうせ後で食べられるんだろ?」

 

 「え…?う、うん…そうだけど……」

 

 「なら、楽しみにしとくよ」

 

 

 アスナに、アキトはそう告げた。

 その表情がとても柔らかく、誰も見た事の無いような顔をしていたのを、本人は知らなかった。

 

 

(そんな顔……初めて見た……)

 

 

 アスナはそれを見て、心臓が高鳴るのを感じた。

 それにアキトが、帰ったら当然のように、自分の料理を食べる前提で話していた事にも気付いて、何とも言えない気分になった。

 だけど、決して嫌な感情じゃなくて。

 アキトも、自分達を仲間だと思ってくれてるのかと。みんなで食事する時間も、悪くないと感じてくれているのかもしれないと。

 そう思えて嬉しかった。

 

 

 「……うん。楽しみにしててね」

 

 「分かったっつーの」

 

 

 アキトとアスナはそう言い合いながら帰路に立った。ここから一番近く転移石に向かって歩き始める。

 

 

 「……」

 

 

 だからこそ、アキトもアスナも。

 二人を見て、その表情を変え、俯くフィリアに気付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 「……」

 

 

 フィリアは二人を見送った後、いつも感じる事がある。

 自分はどうあっても、孤独。独りなのだと。

 

 自分は、あちらの世界には帰れない。

 アキト達のいる、《アークソフィア》には戻れない。

 それがどんな意味を持つのか、フィリアには分からない。いや、もしかしたら分かっていて、知らないフリをしているのかもしれない。

 

 どっちにしても、フィリアは辛かった。

 このどうにもならない疎外感と孤独感。自分はもう二度と、ここから出られない。先に進めない。そんな気がするから。

 

 二人が自分の傍で、自分の知らない場所の話をしている。それがとても羨ましくて、寂しかった。

 最初はアキトを警戒していたのに、段々とアキトといると楽しくて。彼が連れて来てくれたクラインやアスナもとても優しくて、強くて。

 

 だからこそ憧れた。

 アークソフィアにはまだ、あんなに楽しい人達が沢山いるのだと。

 アキトの仲間達が、まだ見ぬ人達がいるのだと。

 会いたくなってしまった。欲が出てしまったのだ。

 

 人殺しである、自分が。

 

 

 「……」

 

 

 フィリアは悲しげな表情で転移門を見つめた。

 

 

 

 

 

 

 「よう、王子様は行っちまったのかぁ?」

 

 

 ゾワリと、背筋が凍るのを感じる。

 フィリアは思わず、声のする方へと身体を向けてしまった。そして、その瞳を見開いた。

 

 

 「あ…アンタはっ!?」

 

 

 そこに映るプレイヤーの事を、忘れる訳が無い。黒いポンチョに身を包み、フードで顔を深く隠し、でもそれでも、その口元から見える笑みは、皮肉にもフィリアの恐怖心と警戒心を煽った。

 

 その視線の先にいたのは、PoHだった。

 殺人ギルド《ラフィン・コフィン》。そのリーダーで、最悪のプレイヤー。

 フィリアは、腰に差す短剣に咄嗟に手を伸ばす。

 だが、PoHはフィリアのその行動を、片手を上げる事で制した。

 

 

 「だからさぁ、そう身構えるなって。別に取って食ったりはしねぇからよ」

 

 「……オレンジギルドが私に何の用?」

 

 

 互いの距離は決して遠くない。

 踏み込めば、踏み込まれれば、攻撃されてしまうだろう。

 周りには誰もいない。助けてくれる人も、モンスターもいない。0と1の数字の羅列、それで出来た波が管理区の周りを漂う。星々が天井に彷徨い、まるでそこから自分達を見下ろすよう。

 辺りには静寂が広がった。

 

 だがやがて、PoHはフィリアを見ると、その口元から笑みを消した。

 

 

 「お前ぇ、いつまであのビーターと組んでるつもりだ?」

 

 「アンタには関係無い」

 

 

 先日の話からも察するに、奴が呼ぶ『ビーター』というのは、もしかしたらアキトの事なのかもしれない。

 どういう意味なのか、なんでそう呼ばれているのか、そもそもそれはアキトの事なのか、具体的な事は分からない。

 だけど、もしアキトの事だというなら、フィリアは自分から離れる気は無かった。

 

 

 だがPoHは彼女の反応も予想の内だったのだろう、口元を再び歪ませ、フィリアを見据えた。

 そして、フィリアに向かって、彼女を動揺させる一言を送った。

 

 

 「俺の推測が当たってるとしたら、お前ぇはそろそろ『自分の正体』ってヤツに気付いている筈だ」

 

 

 ────ドクン

 

 

 何を。

 

 何を言っている。

 

 この、目の前の男は。

 

 

 「違うか?」

 

 

 違う。

 

 私は。

 

 

 

 

 

 

 「─── オレンジホロウのフィリアさんよぉ」

 

 

 フィリアは自身の心臓が、強く跳ね上がるのを感じた。

 その瞳が揺れ、抜こうとして腰に差す短剣に当てていた手が震えるのを理解した。

 彼が何を言っているのか分からない。分かりたくない。

 これ以上、何かを言わせたくない。

 フィリアは必死に、取り繕うべく口を開く。

 

 

 「……だから、この前から何?ホロウとかよく分からない事を言って……」

 

 「はぁ〜〜〜〜だからさぁ〜」

 

 

 だが、彼女の言葉を遮り、PoHはわざとらしく溜め息を吐く。

 フィリアの否定をねじ伏せようと、逃がさないと、そう目が言っていた。

 

 

 「お前ぇとアイツじゃ住む世界が違う」

 

 

 やめて。言わないで。

 

 

 「別に言葉の綾とかじゃなく、そのまんまの意味……でな」

 

 

 聞きたくない。否定したい。

 

 

 「お前ぇは所詮、影の世界……《ホロウ・エリア》の住人なんだよ。俺達は……そう、人じゃぁ……無い」

 

 「……そんな事……信じられる訳ないでしょ!?」

 

 

 フィリアは必死にそう叫ぶ。否定する。拒絶する。

 このまま行けば、何もかもを鵜呑みしてしまいそうで。

 フィリアは、その腰の短剣を抜き取り、PoHを警戒して構えた。

 

 だがPoHは、特に何もする事無く、そんなフィリアを見てニヤリと笑った。

 

 

 「じゃぁ、何故お前ぇはあっちに帰れないんだ?」

 

 

 痛すぎる質問だった。

 フィリアはその瞳を見開き、咄嗟に何かを言う事と出来ず、この口元が震える。

 何故自分がここから出られないのか。何故、アークソフィアに帰れないのか。

 どうして、アキトと一緒に行けないのか。ずっとずっと考えていたから。

 

 

 「私はお前らとは違う……私は人間だって……」

 

 「ただ認めたくねぇだけだろ、自分が人じゃぁないって!俺らとな〜〜〜んも変わらねぇよ……お前ぇは」

 

 

 その表情が、崩れる。絶望に、染まりつつある。

 否定したいのに。そんな筈ないのに。

 目の前の男の言っている事が、嘘だと言い切れなくて。

 

 

 「WoW!その表情……いいねぇいいねぇ!思わずヨダレが出ちまうよ」

 

 「だから……だから何だって言う!アキトは私の為に……!」

 

 

 そこまで言って、フィリアはハッとする。

 そうだ、アキトはこれまで自分のピンチを何度も救ってくれた。初めて会った時から、今の今まで。

 その無愛想な態度から見え隠れする優しさに、フィリアはいつも温かみを感じていたのだ。

 だから自分も、アキトの為に────

 

 

 「お前ぇの為、ねぇ〜?本当にそう思ってるのか?これは傑作だぜぇ」

 

 「どういう意味!?」

 

 

 PoHの言葉の一つ一つに、フィリアは過剰な反応を示した。

 それ程までに、フィリアの心は揺れていた。

 聞いてはいけない。耳を傾けては駄目だと、そう分かっているのに。それなのに、止まれなくて。

 

 

 「アイツは《ホロウ・エリア》にある新アイテムや新スキルに興味を持ってんだ。お前ぇは……そう、便利な案内人ってとこか……分かる?」

 

 「嘘……嘘よ!そんな事……そんな事無い!アキトは……」

 

 「会ったばかりの奴に命を張って助けるってかぁ?ナイナイナイナイ」

 

 

 フィリアの否定の言葉も、PoHの前では意味を成さない。

 彼は、フィリアの泣きそうな表情を見て、ニタリと笑った。

 

 

 

 

 「自分がした事を、もう一度振り返ってみな」

 

 

 

 

 その一言で、フィリアはPoHを凝視した。

 奴の言葉。その言い方。

 

 まるで、自分が何をしたのか、それを知っているかのような言い方。

 思わず、その口を開いてしまった。

 

 

 「……アンタ、どこまで知ってるの?」

 

 「オォォル!ALL、ALL、ALL!!! 残念ながら全部知ってんだ、お前ぇがやった事は!」

 

 

 PoHは嬉しそうに叫ぶ。

 それを聞いたフィリアは、その身体が震えるのを感じた。

 どうして、知っているのか。

 途端に、焦り出した。知られてはいけない。誰にも。

 

 

 「だから、どうして……なんでアンタが知っている!?」

 

 「はぁ〜〜〜〜〜〜なんで知っているかって?んな事ぁどぉ〜でもいい。大事なのは『俺が知っている』っていう事実だ。経緯とか理由とか、そんなもんは……聞くのが野暮ってもんだろ?」

 

 「…………」

 

 

 PoHはその笑みを終始崩さない。

 ニタリニタリと口元を歪め、右へ左へと足を動かす。

 フィリアは黙って、それを見つめる事しか出来ない。

 

 

 「で、本題だ」

 

 

 PoHはその足を止め、彼女に向き直る。

 その持ち上げた腕を伸ばし、フィリアに向かって指を指した。

 

 

 「この前も忠告したじゃねぇか……お前ぇ、このままだと死ぬぜ?」

 

 

 再び、心臓が強く鳴り響く。

 この前奴に言われてから、ずっと心の中を彷徨っていた言葉であり悩みだった。

 だから、聞いてしまった。

 

 

 「……なんで?」

 

 「お前ぇだけじゃねぇ。俺も、ここにいる他の連中もみんな、み〜〜んな……ゲームオーバ〜」

 

 「意味が分かんないし、そんな事、信じられる訳が無いじゃない!」

 

 

 その短剣を、強く握る。

 これ以上聞いたらいけないと、そう思うのに。信じないと、そう思っているのに。その心はどんどん崩れていく。

 耳を傾け、感情が左右する。

 

 

 「あの男……今はアキトとか言ったなぁ……アイツはこの《ホロウ・エリア》で確実に強くなる。むかっ腹が立つ事実だが、アイツが100層をクリアする可能性はかなり高い」

 

 

 PoHは不機嫌極まりない顔と声音で告げる。

 フィリアは右左と歩きながら言葉を続けるPoHから目を離せずにいた。

 確かに、アキトは強い。今まで会った誰よりも強いのは理解していた。アキトなら、このエリアを踏破して、スキルや武器を手に入れて、きっとゲームをクリアしてくれる。

 

 そうなれば自分も、この《ホロウ・エリア》から────

 

 

 

 

 「そうなったら……《ホロウ・エリア》にいる俺達はどうなると思う?」

 

 「…………え?」

 

 

 その言葉に、フィリアは固まる。

 その瞳が、大きく開かれる。

 

 

 もし、そうなったら。

 もし、アキトがゲームをクリアしたら?

 そうしたら、自分は、自分達は?

 

 

 「……知らないわ」

 

 「少しは考えろよなぁ、その足りない頭でよぉ!SAOの世界がなくなった時、『俺達』がどうなるのか、想像くらいつかねぇか?」

 

 

 もう、やめて。

 これ以上、言わないで。

 

 

 予想出来てしまった。嘘だと思いたかった。

 でも、それでも。奴の言っている事の何一つが、嘘だと思えなくて。

 それ程までに、揺れていて。

 

 

 「……まさか……」

 

 

 「そうだ、お前ぇの思った通り」

 

 

 フィリアは、PoHにその答えを求めてしまった。

 聞いたら戻れない、そう分かっているのに。それを聞いたら、自分はもう、PoHと同じになってしまうのに。

 

 

 もし、ここが奴の言う通りの世界で。

 自分が、奴の言う通りの存在で。偽物だと言うのなら。

 なら、SAOをクリアしたら。

 

 

 私は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「That's right! SAOをクリアされれば、データである俺達は消える」

 

 

 

 

 フィリアの心が、折れる音が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 







小ネタ


①リーファの手料理


リーファ「ユイちゃんが料理するって聞いたから、あたしも作ってみました!はい、アキト君!」

アキト 「……これは?」

リーファ 「ポトフです!」

アキト 「……どう見てもおでんなんだけど」




② ユイの手料理


ユイ 「あ、アキトさん……!」

アキト 「は、はい…」

ユイ 「こ、これ……良かったら食べてくれませんか……?」

アスナ 「オムライスよ。夕食には向いてないかもだけど」

アキト 「……」←トマトケチャップ苦手

ユイ 「……」ソワソワ

アキト 「い、頂くよ……ありがとな、ユイ」

ユイ 「っ…は、はい…!」

アキト (……ええい、南無三!)パクッ

アスナ 「……」

ユイ 「……ど、どうですか……?」

アキト 「……美味い」

ユイ 「っ…!」パァッ

アスナ 「っ…良かったね、ユイちゃん!」

ユイ 「は、はい……!」(///_///)



アキト (え、待って、本当に美味しい……これケチャップじゃない?)



※デミグラスソースでした



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Ep.63 重ねる面影



息抜き感覚なので、お話にはあまり進まないかな……
いや、番外編とかでは無いので関係はあるんですけど、それほど気にしなくても良いというかなんというか(殴

次回から急展開行きます。


 

 

 

 

 

 

 

 最前線、85層。

 その迷宮区でのレベリングの帰り道、アスナは溜め息を吐きながら帰路に立っていた。

 ボス部屋が見つかり、明日には会議が開かれるであろう。だが、そんな事を思っていた訳では無かった。

 

 

『最近、アキトと仲良いじゃない』

 

 

 そう言われたアスナは、酷く困惑したのを覚えている。

 メンテナンスに赴いた際、リズベットに言われた一言を、アスナはずっと頭の中で考えていた。

 

 

『……そう、かな……』

 

『……あ、変な意味じゃないのよ?何て言うか……その……』

 

『……?』

 

『……前みたく、笑うようになったわ』

 

 

 キリトがいなくなって、悲しいのは自分一人だと勘違いして、その癖親友に無理をさせて、そして出会って間もない黒の剣士に助けられて。

 それでも、アスナは漸く自身の力で立ち上がり、前に進む事を決めた。

 

 だけど、リズベットにそう言われ、考えてしまうのだ。

 キリトが死んで、まだそれ程時間が経っている訳じゃないのに、まるでそれを忘れたかのように振舞って、笑っている自身の事を。

 キリトも、自分の事でアスナが悲しむのは嫌だと思う事は分かっている。逆の立場なら、アスナもそう思うから。

 でも、理屈ではそう思っていても、割り切れない想いがあって。

 

 けど、そう思うようになってしまったのはきっと。

 アキトという、キリトに似た少年が目の前に現れたから。

 

 彼といると、キリトを思い出す。顔も性格も言葉遣いも態度も全然違うのに、根底にある優しさ、それはとてもよく似ていた。

 

 だけど、彼はキリトとは違う。

 分かっている。自分が、アキトに何かを求め、縋っているという事は。その何かも、もうとっくに理解してた。

 結局、自分はその想いも、可能性も捨て切れないでいたのだ。そんな都合の良い事など無い。有り得ない。

 だからこそ、彼といるととても心地好くて、とても辛くなる。

 

 

『……なーにアキト凝視してんのよ、アスナ?』

 

『え……べ、別にそんな事ないわよ……』

 

 

 キリトに似ているからこそ、自分はここまで意識しているのだろうか?

 初めて会った時は、嫌悪感すら感じたというのに、今ではそんな事、全く感じていなかった。

 ふとアキトと目が合う事があり、その度に逸らすのは、いつもアスナ。

 

 アキトが自分を見ているのでは無い。見てるのは自分。

 分かっていた。あれだけ自分が見ているのだ、時には目も合うだろう。

 

 そして私が見ているのは、想い人の影を纏う少年。

 もっとずっと見つめていたかった、大好きだった人の。

 

 

 「はぁ……」

 

(これじゃあ……アキト君に悪いよね……)

 

 

 思い浮かべるのは、現在の《黒の剣士》。

 アキトも他人に重ねて見られるのを良くは思わないだろう。

 

 だけど、そこまで考えて思い出してしまった。

 あれだけ自分とキリトは違うと否定していたのに、アスナ自身もそれを望んでいたのに。

 キリトに代わりはいないと、そう思っていたのに。

 だけどアキトはあの日、アルベリヒとの邂逅時に、自身が《黒の剣士》であると認めるような発言をしたのだ。

 分かっている、あれが正解である事は。妥当な判断だった事は分かっている。

 ヒースクリフもキリトもいなくなったのは、プレイヤー達には希望が無くなった事と同義。

 黒の装備を纏い、それ相応の強さを持ったアキトが、《黒の剣士》を背負うのは自然の流れだったのかもしれない。下層のプレイヤーはその二つ名だけで、顔と名前を知らない者の方が多かった。

 だからこそ今の今まで浸透し、アキトが《黒の剣士》であるという事実が確立されつつあった。

 

 怖い。

 アキトが完全にキリトの位置に成り代わる瞬間が来るのが。

 そうなったら、自分はキリトの事を忘れてしまいそうな気がして。そして、それ相応の重荷を、アキトに背負わせてしまう事が怖い。

 

 どうして。

 何故急にアキトは、《黒の剣士》を否定しなくなったのだろう。

 もっと、自分達を頼ってくれればいいのに。

 

 重ねて見えているからこそ、辿る末路も予想出来て。

 もう、何も失いたくないのに、手の伸ばし方を知らなくて。

 

 そう考えるのも、自分がアキトの事を都合良く考えてしまっているからなのだろうか?

 とても浅ましく、疚しい考えを持っているからなのだろうか?

 途端に、その心が傷むのを感じた。

 

 

(……あんまり、見ないでおこう……)

 

 

 見てしまうから、目で追ってしまうから意識する。

 期待する。願ってしまう。縋ってしまう。求めてしまう。

 キリトが、傍にいてくれたらと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(見ないで置こうと思った端からいるし……)

 

 

 何の気なしに向かった、いつしかの場所。75層の街、商店街を抜けた先にある、小さな丘。

 アキトを追い掛けて見付けた、幻想的で綺麗な場所。

 細い裏路地を抜けて、そこから小さな坂があって。

 その先には、広大な湖が広がっている。水面に映る街並みが、鏡写しになってとても神秘的で、頬を撫でる風が、とても冷たい。

 

 そんな丘で、アキトは眠っていた。

 

 いるかもしれないなと、ここに向かいながら考えてはいたけれど、本当にいるとは思ってなかった。

 丘の斜面に寝そべって、小さく寝息を立てていた。頭の後ろに両手を組んで、枕にして眠っている。

 ご丁寧に毛布まで掛けており、寝る気満々である事が伺えた。

 

 

 「……こういう所も、キリト君そっくりなんだよなぁ……」

 

 

 アスナはその丘を音を立てずに降り、アキトより少しだけ離れた場所に腰掛けた。

 そして、所謂体育座りでアキトの寝顔を見つめる。

 いつものアキトとは打って変わって大人しい。眠っているから当然だが、静かに、子どものように眠るアキトを見るのは初めてだった。

 まるで猫みたいで、アスナは小さく笑った。

 

 

(だけど……)

 

 

 アスナは、アキトの頭上、カーソルの隣りに位置するギルドマークに目を向けた。

 何処かで見た事があるような、無いような。なのに何処か引っかかる、そんなイラスト。

 三日月に寄り添う黒猫のマーク。フレーズも何処かで聞き覚えのあるものだった。

 このマークの持つ意味を、アスナは知らない。目の前の彼以外に、このマークを持ったプレイヤーを必死に思い出す。

 けれど、結局思い出す事は出来なかった。

 

 つまるところそれは、もしかしたら。

 このギルドのメンバーは、今はアキトだけなのかもしれないという事実に行き着いていた。

 

 

 「……」

 

 

 アスナはカーソルから視線を下に下ろす。

 再び、アキトの寝顔を見つめた。

 

 

(似てる……こうして目を閉じてると、余計に……)

 

 

 長めの黒髪、整った顔、真っ直ぐな鼻筋、小さな口元。

 顔や戦い方は全く似てないのに、纏う雰囲気や、本の小さな仕草。

 それでいて、こうした寝顔。それがとても懐かしくて。

 

 

(キリト、君……)

 

 

 どうして、あの時。

 自身の欲望を優先してしまったのだろう。

 何故、キリト一人に全てを背負わせてしまったのだろう。

 キリトなら、きっとこのゲームをクリアしてくれる。そんな希望を抱くだけ抱いて、何もかもをキリトに任せて。

 守ると、そう約束した筈なのに。

 

 出会って、喧嘩して、笑い合って、助け合った。

 色んな事を知って、色んな事を知らな過ぎて、その度に教えて貰って、たくさんのものをくれた。

 すれ違って、やっと両想いだと分かって。

 きっと、浮かれてた。

 リズベットの気持ちも知らないで、一人、楽しく。

 

 

 「馬鹿だな……私……」

 

 

 アキト君を見なければ、何も期待しなければ。

 キリト君を思い出して、悲しくなる事も無いのに……。

 

 

 後悔は、最初から始まっていた。

 

 

 どうして、初めてのボス戦で彼を一人にしてしまったのだろう。

 ずっと組んでいたのに、何故血盟騎士団に入って、彼を孤独にしたのだろう。

 どうして、ヒースクリフに一人で挑ませてしまったんだろう。

 どうして、もっと必死になって止めなかったのだろう。

 

 あの時、死に物狂いで身体を動かしていれば良かった。

 そうしていたのなら。もしかしたら麻痺を無視して動けたかもしれないのに。

 そうすれば。全然違う未来があったのかもしれないのに。

 

 何度も願った、違う未来が。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……閃、光……?」

 

 「っ……!?」

 

 

 その小さな声に我に返ったアスナは、思わず声の方を見る。

 アキトは目を細めながら、こちらを見上げていた。

 

 

 「あ、アキト君……!? お、おはよー……」

 

 「……なんで」

 

 

 アキトは起き上がる事なく、そのまま横になった状態で隣りに座るアスナを見る。

 アスナは慌てて弁明を図った。アキトの寝起きに自分が隣りにいたら不思議極まりない。アキト自身、索敵をかけていなかったのか、アスナがここにいる事を不思議に思っているようだった。

 

 

 どうにか誤魔化そうと、アスナは笑う。

 いつもと違う、分かりやすい作り笑い。

 アキトは目を丸くして、そんな彼女を見上げていた。

 

 

 「えっと……ここ、私も気に入っちゃって……でもそしたら、アキト君が寝てたから、その……起こさないように……ね……」

 

 「……なぁ」

 

 「……だ、大丈夫よ、何もしてないから……というか、する訳ないじゃない……」

 

 「……あのさ」

 

 「あはは……ゴメンね、何慌ててるんだろ、私……えっと、じゃあ私もう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アスナ」

 

 

 「っ…!」

 

 

 その一言で、アスナの言葉が止まった。

 目を見開いて、誤魔化して笑っていたその表情を崩す。

 ゆっくりと、アキトの事を見下ろす。

 

 アキトは、自身の手を、腕を、ゆっくりと伸ばす。

 アスナの顔の方へと、遠慮がちに、段々と近付ける。

 アスナはそれに驚く事も、逃げる事も、払う事もしなかった。ただ、身体が震えて、動けなかった。

 

 

 どうして、急に名前で呼ぶの?

 顔が似ると、声も似るの?

 

 

 アスナは何も言えず、黙ってアキトを見つめるのみ。

 

 

 やがて、アキトのその腕が。

 ぎこちなく伸ばされたその手が、アスナの頬に触れた。

 アスナも、もう限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 「……泣くなよ」

 

 「っ……アキト、くん……」

 

 

 いつの間にか、募っていた想いが。溜め込んでいた気持ちが、一気に涙になって。

 アスナは、頬に添えられたアキトの手を、両手でギュッと握り締め、涙を流した。

 

 忘れる事なんて出来ない。キリトは、自分のこの世界での2年間の意味であり、生きた証。

 今まで、彼の為に頑張って、苦しんで。それなのに、急に目の前でいなくなって。

 どうして、どうして。

 どうして、いなくなってしまったの?

 一緒にいてくれるって、言ったのに。

 

 

 「キリト君……キリト君……!」

 

 

 「……」

 

 

彼女が泣くのは、当然だった。

キリトが死んで、まだそれほど時間が経ってないのだ。

あれだけ荒れていたのに、今こうして仲間と笑うだけでいられる筈が無い。

 

もう心配させたくないからと、偽って、強がって、無理をして。

悲しみを心に押し込めていたのだ。

限界まで耐えて、そうして、今それが祟って涙を流している。

 

────そして、そうなった理由は間違い無く。

 

 アキトはずっと、心が痛かった。

 自分がした選択によって、アスナは今、泣いてるのだと知ったから。

 もしかしたら彼女は、自分が来なければ、こうして泣く事も無かったんじゃないだろうかと、そう思ってしまう。

 それどころか、自分は何も救えておらず、ただ、彼らの運命の歯車を狂わせてるだけなのではないだろうか。

 

 自己満足でアスナを助けた。

 アスナは、キリトのいない世界を生き抜く事を決めた。けれど、それはキリトを乗り越えた事と必ずしも同義では無い。

 彼女が無理をして、ずっと溜め込んでいるのは明白だった。

 

 それなのに、俺は。

 自分は。

 また、彼女を────

 

 

 「……ゴメンな」

 

 

 アスナの涙を、頬に添えた手の親指で拭う。

 そんな事、本当はしてはいけないのかもしれない。配役は、自分じゃないのかもしれない。

 けれど、この場には誰も居なくて。彼女に寄り添える人を、自分は知らなくて。

 

 アキトは思った。

 自分はきっと、この手で生かした彼女に、生涯償わなきゃいけないのかもしれないと。

 こうして涙を流すのも我慢させたのも、無理をさせたのも。

 ひとえに、自分のせいなのだから。

 この夢を、この願いを。

 このワガママを通す為に、アスナに生きて欲しいと願ったのは、他でも無い自分だから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「……夢を、見るんだ」

 

 「……え?」

 

 「何もかもを失った日の夢を」

 

 

 アスナが泣き止み、こうして二人、並んで丘に座る。

 アキトがふと、アスナに向けてそう呟く。

 アスナは彼の言葉を聞き、視線を向けた。

 

 

 「毎晩毎晩、大切な誰かが死んだその瞬間を夢に見る。何度も何度も救おうともがいても、手が届く事は無くて。その度に後悔するんだ」

 

 「……」

 

 「どうしてあの時、こうしなかったんだろうって、さ。最近は見なくなったけど」

 

 「……それは、その……君のギルドの話……?」

 

 

 アスナは、恐る恐るそう聞いた。

 もしかしたら、聞いてはいけない事なのかもしれない。だけど、アキトから話してくれたのだ。だからこそ、聞いてみたいと、そう思った。

 アキトは目の前の景色を見ながら、儚げに笑って頷いた。

 

 

 「……あそこには、求めた全てがあった。一人で、独りだった俺の、たった一つの居場所だったんだ」

 

 「……」

 

 「……前にさ、『選択に後悔が無いなら、きっとそれが正解なんだ』って言ったの、覚えてる?」

 

 「……うん」

 

 

 段々と、アキトの態度と話し方が柔らかくなっていく。

 アスナはそれを感じながら、アキトの言葉に頷いた。

 

 

 「でも、いつかは必ず、選択しなかった方の未来を考える瞬間があるんだ。別の道を選べば、きっとこんな未来も望めたんだろうなって」

 

 

 それは、ほんの少しの期待と、ちょっとした予想。

 それでいて、ただの希望的観測。

 だけど、決して後悔だけじゃない。

 選ばなかった道の想像は、きっと後悔だけじゃない。

 だから、選んだこの道だって、後悔だけじゃない。

 

 

 「俺、最近は選んだこの道の未来を想像するんだ。『なんであの時、ああしなかったんだろう』って思うんじゃなくてさ。『自分で決めて選んだこの道の先には、どんな可能性が広がってるんだろう』って」

 

 「……」

 

 「……前だけ見るのは難しいし、これから先、何度も後ろを振り返ると思う。だから、別に良いと思うんだ。たくさん泣いて、たくさん悔やんで、それでも最後に、未来を見つめる事が出来るなら」

 

 

 後悔したって、もう何も変わらない。

 なら、嘆けば嘆くだけ、それは死んでいった彼らに失礼だし、報われないと思ってる。

 アキト自身も、かつての仲間の事を乗り越えてなどいないし、決して忘れる事なんて出来ない。

 だけど。

 

 

(いつか俺が死んで、みんなと再会した時に、胸を張って居られる自分になりたいから……だから……)

 

 

 だからこそ、もう悔やまない。

 たとえこの道が、自分自身が間違っていたとしても。

 それを信じた事に、後悔だけはしないように。

 

 

 「……アキト君」

 

 「……要は考え方だけどさ、君には、分かち合える仲間がいるんだし。だから、あんまり無理しないで、ゆっくりな」

 

 

 柄にもなく語ってしまって、アキトは若干照れてしまう。

 よりにもよってアスナ相手に、こうも自分の考えを述べるだなんて不覚極まりない。

 本当に、なんで彼女にこんな話を。

 

 

 「……アキト君にも」

 

 「え…」

 

 

 アキトは、ふいにアスナの事を見つめる。

 アスナは瞳が揺れ、それでと真っ直ぐにアキトを見ていた。

 

 

 「君にも、私達がいるから……」

 

 「……」

 

 「もっと……もっと、頼ってよ……」

 

 

 アスナは、アキトの地面に置かれた手を見つめて、そう告げた。女の子のように細く、それでいてどこか大きく見える手。

 孤独を走り、一人で背負い、そうして何かに一生懸命になれる彼のその想いは、キリトの生き方そのものに見えた。

 

 だからこそ、もう置いていって欲しくない。

 これ以上、キリトと同じ道を歩んで欲しくなかった。

 また。

 また、私は。

 大切な人を失ってしまうかもしれない。

 

 今でもアスナは、キリトを想っている。

 だからこそ、キリトに似た彼が、同じように一人で進むのを良しとしたくなかった。

 アキトは今までずっと、自身を助けてくれた。だからこそ、自分達にも、アキトを助けさせて欲しい。

 

 

 「……そう、か」

 

 

 アスナはその声を聞いて、顔を上げる。

 そこには、片目が黒く染まりつつあった、アキトが小さく笑みを溢していた。

 

 

 「今の俺には……君達がいるんだ……」

 

 

 気が付かなかったかのように、そう呟いた。

 守る、背負う、それだけで。自分一人で決め付けて。

 

 アキトはこれまでたくさんのものを失って、手に入れて。

 何もかもが初めてで、知らない事が多過ぎた。

 何を望んで。何が欲しかったのか。

 それを失わぬように、守る為にと強さを渇望した。

 そればかりで。

 

 だからこそ、アキトはまだ。

 誰かを頼る事を、知らなかった。

 

 何もかもを背負い込んで、隠して。

 辛い事、悲しい事も、心の中に閉じ込めて。

 周りが危険に晒されないようにと、ずっと一人で。

 過去に、色んな事があって、それを聞く事はまだ出来ていない。だけど、そんな苦しみさえも、独りで抱えて。

 

 

(そんな、とこまで……)

 

 

 そんなところまでそっくりで。

 キリト以上に危なくて。脆く見えて。

 アスナは取り繕おうと、誤魔化すように、笑顔になった。

 

 

 「…そうだよ、アキト君にも私達がいる。守られるだけじゃない、私達も君を絶対に守るから。だから、信じて欲しい……」

 

 「……疑ったりなんて、した事無いよ」

 

 

 アキトは困ったように、照れたように笑った。

 それを見て、アスナも身体の力が抜けるのを感じた。

 

 互いに大切なものを失って。

 互いに荒れて、それでも前に進もうと、今こうしてここに座っている。

 

 アスナはキリトを一人にして。

 アキトはかつて、仲間を失い独りになった。

 どこか似てる二人が、こうしてまた、小さな『約束』を交わす。

 

 

 

 

 彼らの目の前の湖には、オレンジに輝く太陽が沈みつつあった。

 






小ネタ

アスナ 「アキト君、明日の予定だけど」

アキト 「あ?何で俺の予定聞くんだよ、関係無えだろ」

アスナ 「……」

アキト「……何」

アスナ 「……さっきはもっと優しい口調だった」

アキト 「うっ…」

アスナ 「頼ってって言ったのに……」

アキト 「い、いや……えと……」

アスナ 「ユイちゃんには優しいのに……まさか、アキト君、ユイちゃんの事────」

アキト 「明日はその!……ボス戦に向けたレベリングを迷宮区で行おうかと……」

アスナ 「じゃあ、パーティ組みましょうか」

アキト 「……はい」


※アキトもキリトもアスナには頭が上がりません。


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Ep.64 黒猫と月


Ep.49 『妖精と太陽』の続きです。

リーファの気持ちを書くの難しくて……もしかしたら文体修正するかもです。

そろそろ、完結見えて来そうかな……(見通し甘過ぎ)


 

 

 

 

 

 

 「ほらアキト君、早く早く!」

 

 「……」

 

 

 リーファに急かされるままに、アキトは足を動かす。アキトは溜め息を吐きながら、背を向けて走るリーファの後を追った。

 

 現在二人がいるのは、85層のフィールド。

 一面が霧で覆われ、酷く薄暗い。まだ日は昇ってる時間帯だというのに、湿気が多いこの土地は、その霧の濃さで何も見えない。

 夜中と勘違いしても仕方無い程だった。

 

 この湿地帯に足を踏み入れている事には理由がある。

 リーファが76層で受けたクエストの続きである。83層で手に入れた《太陽のペンダント》は、今はリーファの首に下がっていた。

 

 クエストの内容はこうだ。

 

 かつて、名を馳せた彫金師が想い人の為に、《太陽のペンダント》と《月のペンダント》を作った。

 二人はそれぞれにペンダントを身に付け、愛を誓い合ったという。

 だが禁忌を犯した二人は、神に酷く嫌われ、遂には引き裂かれてしまったという。

 彼女は神の手によって天へ誘われ、二人は決して会えなくなってしまった。その時彼女の身に付けていた《月のペンダント》が85層に落ちたという。

 

 概ねこんな感じだろうか。

 76層にいた占い師は、この《太陽のペンダント》と《月のペンダント》を揃えて欲しいようなのだ。

 このクエスト、何故かリーファが物凄くご執心で、かなり真剣に取り組んでいる事が、アキトには気になっていた。

 

 あの時、彼女の真剣さを感じたからこそ、このクエストを受ける事を断り切れなかった。

 リーファには、このクエストを絶対に成功させたい切実な願いがあるのかもしれない。

 だからこそ、アキトも敢えて何も言わなかった。

 

 

 そんな時、突如リーファが下げていた《太陽のペンダント》が光を灯し始めた。

 それに反応したリーファは、途端に目を丸くする。

 

 

 「《太陽のペンダント》が、急に光出して……!」

 

 

 そして、その光は一つの線となり、霧の奥まで伸びていった。

 まるで、その方向へ行けと、そこに《月のペンダント》があると、そう言っているみたいで。

 途轍もない既視感に、アキトは苦い顔をした。

 

 

 「……飛行石かよ」

 

 「あっちに何かあるって事かな?」

 

 「大方、《月のペンダント》だろうな」

 

 

 それを聞いたリーファは、段々と嬉しそうな顔をする。

 《太陽のペンダント》を手に取り、小さく口を開く。

 

 

 「きっと二人は……《太陽のペンダント》と《月のペンダント》が呼び合ってるんだよ。これは愛の力だね!」

 

 「やめろ恥ずかしい。そういうシステムなんだろ」

 

 「もう~すぐそういう事言うんだもん」

 

 「……取り敢えず、行ってみるか」

 

 「うん!」

 

 

 そうして、二人は光指す方向、霧の奥へと足を踏み入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ真っ直ぐに伸びる光を辿る二人の間には、会話は無かった。

 リーファは自身のペンダントと、その光の先を交互に見ながら歩いている。

 でも、リーファも時折何かを話そうとしてか、アキトをチラチラと見ながら、その口を開いたり閉じたりしていた。

 それを見たアキトは、フッと息を吐いた。

 

 

 「……慣れたかよ」

 

 「え…?」

 

 「この世界……SAOに」

 

 「あ……うん。最初は不安だったけど、みんな凄く優しくて……」

 

 

 リーファは色々思い出したのか、嬉しそうに呟いた。

 だが、段々とその表情も暗くなっていくように見えた。

 

 

 「最初の頃は……ちょっと興奮しちゃって。ゲームの中の宿屋で、本当に寝るなんてやった事無かったんだ。……お兄ちゃん達は、この世界でずっと生活を送ってきていたんだよね」

 

 「……」

 

 「なんて言うのかな……ALOとは街の人達の空気が全然違う。生活感があるっていうか、ログアウトしないでゲームの中で暮らすって、こういう事なんだって感じ」

 

 「……ALOってのは、お前がここに来る前にやってたVRMMOか?」

 

 「うん!ソードスキルは無いけど、その代わり魔法があって、空も飛べるんだよ!」

 

 「空、か……なんか良いな、そういうの」

 

 「でしょでしょ?」

 

 

 リーファのこちらを向かって笑った顔を見て、アキトは小さく笑う。

 彼女もこの世界に慣れてきたようで何よりだった。勿論、それが良い事だとは言い難いが、それでもこの世界で生きるには仕方無い事でもある。

 ここは色んな意味で人間の生活が詰まっている。一つの現実とも言えなくないのだ。

 もうこの場所は、SAOプレイヤーにとって、もう一つの現実と言える世界になっているのだ。

 

 

 「……まあ、お前が言ってる事も当然だ」

 

 「へ?」

 

 「この世界のプレイヤーの生活感の話だ。俺達はここで2年間も暮らしてるからな。そういうのも自然と身に付く」

 

 「そっかぁ。あたしも長く暮らしてたら、アキト君みたく強くなったのかなぁ……」

 

 「……剣道、やってるんだよな。何だっけ……全中ベストエイト?」

 

 「そう!高校だってそれで推薦貰ったんだから!」

 

 「リアルの個人情報はタブーだぞ」

 

 「アキト君から言い出したのに……」

 

 

 そうして会話をするだけで、互いの空気が和らぐ。

 自身の兄の死。それが原因で、この世界にログインしたリーファ。

 今彼女は、何を思って攻略に望んでいるのだろうかと、ずっと考えていた。

 ずっと、違和感を感じてた。

 

 たまに見せる空元気な笑顔。まるでどこか、無理しているような。

 モンスターに向ける視線の強さ。目の前の敵を屠る攻撃の力強さ。

 

 まるで、かつてのアスナを見ているようで。

 だから、もしかしたら。

 

 

 もしかしたら、彼女は────

 

 

 

 

 「アキト君!あ、あれ!」

 

 「っ…」

 

 

 リーファの言葉に、アキトは意識を引き戻す。

 随分と森の奥まで来たようで、最初よりも霧の濃さが目立った。

 リーファが指さす先には、白いオーラを纏う鳥人型のモンスターがいた。

 そこら辺にポップするような雑魚とは違う、明らかに異質な存在だった。ゆっくりと翼を上下に動かし、宙に滞在するそれは、こちらを白い眼で睨み付けていた。

 

 

 NM :《Crescent Wing》

 

 

 「……ボスだな。83層ではすんなり手に入ったから、今回もそうかと思ったんだけどな」

 

 「…どうするの?」

 

 「引き上げる」

 

 「え!? そんな……」

 

 

 リーファはアキトの言葉に驚いたのか、目を丸くしてこちらを向いていた。

 その顔は、まるで『嫌だ』と、そう言っているようで。

 だが、いきなりのボス戦はかなりのリスクがある。この世界に来て日が浅いリーファなら尚更だ。

 もう一度準備を整えてからでも遅くない。

 

 

 「アイツが攻撃動作に入る前に離脱するぞ」

 

 「でも……早くペンダントを手に入れなきゃ、もしかしたら他のプレイヤーに先を越されちゃうかもしれないし……」

 

 「仕方無えだろそんなの、そうなったらそれまでだ。正直、命の危険に晒されてまでクリアしなきゃならないようなクエストだとは思わない」

 

 「で、でも……あたしは……引き裂かれた二人をもう一度会わせてあげたいの!」

 

 

 リーファは、その想いを吐き出すように叫ぶ。

 アキトはそんな彼女を、ただ黙って見据えた。彼女は本当に辛そうに言葉を続ける。

 

 

 「あの二人はただのNPCで、単なる作り話だって分かってるけど……それでもSAOの中では同じ人間で……どうしても二人を放っておけなくて……」

 

 「ならそれこそ、まともに準備してない俺達よりも、後から来た奴らに任せるべきだな。俺達よりも早く、その二人を再会させてくれるだろ」

 

 「そ、それは……」

 

 「命には変えられないだろ」

 

 「っ……」

 

 

 リーファは途端に言葉に詰まる。

 兄を失った彼女に、こんな言い方が酷なのは分かっている。

 だけど、まだ経験の浅い彼女に、まともな準備無しで挑ませたくないのだ。

 

 だが、そんな思いをボスは叶えてはくれなかった。

 奇声を上げたかと思えば、その翼をはためかせ、辺りが一気に炎に包まれた。

 アキトとリーファは急いで後ろを見るが、来た道までもが炎のオブジェクトで消え去っていた。

 

 

 「わわっ!通路が!?」

 

 「……くそ」

 

 

 何とも酷いトラップだ。ボスを倒すまでここから出さないつもりとは。

 アキトが舌打ちをすると、リーファが途端に困惑したような表情を見せた。

 

 

 「あ……あたしのせいで……」

 

 「……剣を抜け」

 

 「え……?」

 

 

 アキトは背中からエリュシデータを抜き取り、ボスの目の前に立った。

 睨みを聞かせつつ、リーファに声を掛ける。

 

 

 「コイツを倒さなきゃ帰れない。生きるか死ぬかだ、付き合ってもらうぞ」

 

 「う、うん!あたしの力、見せてあげるんだから!」

 

 

 リーファはアキトの言葉に意気込んだとか、勢い良くその腰の剣を引き抜いた。

 その瞳にはほんの少しの焦りと、強い闘志が。

 アキトは彼女に若干の不安と、大きな期待を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 ボスは、普段の準備、そして普段通りの連携なら倒せる筈の敵だった。

 使ってくるのは翼で打つ攻撃や、火を吹く攻撃、それに風起こしに足蹴り、そんなものだった。

 だが、どういう訳なのか、リーファの動きがおかしかったのだ。焦るように、怒るように、ただ一心不乱に剣を振り抜く。そんな風で。

 連携を考えずに動いていた。それがわざとなのか、無意識なのかも分からない。

 けれど、ただただ必死さを感じた。

 

 

 「それは予備動作だ!隙じゃねぇ、躱せ!」

 

 「っ…!?くっ…うぅ……!」

 

 

 リーファはアキトの声に反応するも、ボスの攻撃に対処出来ずに吹き飛ばされる。

 アキトはその隙にボスの背中に連撃を叩き込む。宙に浮いていたボスが、身体のバランスを崩し、地面へと落下した。

 その瞬間に、アキトの剣からオレンジ色の光が宿る。

 

 片手剣六連撃《カーネージ・アライアンス》

 

 回転しながら、ボスの身体に刃を当てていく。叫び声にも似た声が森に響き、アキトも一瞬、その瞳を思わず閉じる。

 だが、知っている(・・・・・)、次にこのモンスターがとる行動を。

 

 アキトの瞳に、一瞬光が走った。

 ボスがいきなり空中へと飛び上がった瞬間、アキトは既に地面を蹴って先回りしていた。

 ボスがこちらに気付き、見上げた時にはもう遅い。

 アキトは上段の構えでエリュシデータを持ち、その刀身を光らせた。

 

 片手剣単発技《ヴァーチカル》

 

 一気に振り下ろしたエリュシデータは、ボスを頭から真っ二つに斬り裂いた。

 やがて二つに割れた身体が、ガラスのように砕けて散った。

 

 

 アキトはそのまま地面へと着立すると、ふうっと息を吐いた。エリュシデータを左右に振りながら、鞘へと収める。

 途端に、自身の目の前にウィンドウが開かれる。確認してみると、ボスを倒した事による報酬と、そして《月のペンダント》。

 アキトは《月のペンダント》をオブジェクト化して、ウィンドウを閉じた。

 

 振り返ると、リーファが恐る恐るとこちらを見ていた。

 

 

 「や、やったの?アキト君……」

 

 「……ああ。ほら」

 

 「わわっ…!?」

 

 アキトはリーファに向かって《月のペンダント》を放る。リーファは思わず目を見開き、慌てるようにキャッチした。

 そして、そのペンダントを手のひらに乗せて確認する。

 三日月に象られた宝石に、ハートの片割れのような石が付けられたペンダント。

 《太陽のペンダント》と合わせると、ピッタリくる感じのデザインに、リーファは安堵した。

 それを見ると、ゆっくりと胸に抱き締める。

 

 

 「よかった……」

 

 「……」

 

 

 アキトはそんなリーファを見て、先程までの戦闘を思い出していた。

 彼女の攻撃、動作はいつもの調子じゃなかった。

 いつもはもっと、周りとの連携をしっかりと考え、指示も聞いていた。

 だからこそ、今回のこのクエストが如何にリーファにとって成しえたいものだったのかが伺えた。

 彼女は、何か大きな理由の元で、こうして無理を通してボスに挑んだ。

 

 

 「……アキト君」

 

 「……」

 

 「ありがとね。あたしのワガママ、聞いてくれて」

 

 「……リーファ」

 

 「どうしても……どうしてもね。二人を会わせてあげたかった。いつまでも引き裂かれたままじゃ、可哀想だもんね。えへへ……」

 

 

 リーファは、本当に嬉しそうに笑った。心の底から良かったと、そう思っているように見えた。

 アキトは、そんな彼女を見て、何も言えなくなってしまっていた。

 

 なんとなくだが、分かってしまったのだ。

 

 彼女は、このクエストに登場する、離れ離れになった二人に、自身を重ねていたのかもしれない、と。

 兄をゲームに奪われ、現実で待つだけの日々。そうして、二年の時が過ぎ、会う事を決意して。

 それまでずっと、長い期間、リーファは兄と二度と会えないかもしれない恐怖を感じ続けたのだ。

 このクエストの、愛し合った二人のように。

 

 

 気付けば、声に出してしまっていた。

 

 

 「……重ねてたんだな、自分と」

 

 「っ…」

 

 

 リーファは顔を上げ、アキトを見た。

 アキトの表情は、悲しげで、苦しげなものだっただろう。

 彼女はアキトの言葉を聞いて、その表情を見て、観念したように笑った。

 

 

 「……気付いてたんだ」

 

 「確証があった訳じゃない。ほんの予感だった」

 

 「……」

 

 「あんまり乗り気じゃなかったけど、考えたんだよ。このクエストの事」

 

 

 それは、リーファがこのクエストにとても入れ込んでいた事。

 今か今かと85層の解放を心待ちにしていた事。

 それらが気になって、アキトは思考を凝らしたのだ。

 

 そして、クエストの内容。

 愛し合った二人が、互いにペンダントを付け、そして禁忌によって引き裂かれる。

 それだけ聞けば、その二人がどんな関係で、どんな禁忌を犯したのかなど分かるはずもない。

 だからこそ、リーファのこの行動と、今までのクエスト内容の全てを一から調べ直したのだ。

 態々アルゴにまで頼んで。

 

 

 「……このペンダントの持ち主、兄妹なんじゃないかってさ」

 

 

 だからリーファは、あそこまで必死だったのだと、そう感じた。

 リーファは目を丸くするが、すぐさまその口元に笑みを作った。

 

 

 「それも気付いてたんだ……凄いね、アキト君」

 

 「……愛し合ってるって言うから、恋人なのかと思ってたけど」

 

 

 なら、その『禁忌』っていうのは兄妹間の恋愛事情なのかと考えなくもなかったが、そこはあまり深く調べなかった。

 

 だが、アキトのその言葉を聞いた瞬間、リーファの表情に、暗い影が差した。

 

 

 「……アキト君は……兄妹が愛し合ったら、おかしいと思う?」

 

 「え…」

 

 「そういう事、有り得るかもって、考えた事無い?」

 

 

 何を言ってるんだと、そう斬り捨てる事は出来なかった。

 リーファの表情と、その言葉の意味。

 それを知っているから。

 

 とても冗談に聞こえなくて。

 俯く顔が悲哀に満ちていて。

 アキトは、ポツリと言葉を発した。

 

 

 「……確か、血が繋がってないんだよな」

 

 

 この世界にリーファが来た日に教えてくれた、彼女のここへ来た理由の一端。その際に聞いた、彼女の境遇。

 リーファは表情を変えず、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 「うん……この事件が起きてから少し経った時に、お父さんとお母さんが教えてくれたの……お兄ちゃんが本当は……お母さんのお姉さんの子どもだって……それを聞いた時、あたし凄く混乱しちゃって……お母さんにも酷い事、いっぱい言っちゃった……」

 

 

 リーファは、年齢的にもまだ幼い。事件が起きて少しという事は、教えて貰ったのは二年前。

 それなら、彼女は今よりもっと幼くて、そんな事情を聞いても心の整理は付かなかっただろう。

 

 

 「頭グチャグチャだったけど……一番気になって不安だったのは、お兄ちゃんの気持ち」

 

 「っ……」

 

 「お兄ちゃんはずっと前から、あたしが本当の妹じゃないって知ってたんだって。じゃあお兄ちゃんにとって、あたしは何なんだろう……それが、分かんなくなっちゃって。まるでお兄ちゃんの妹だった事が、嘘になっちゃった気がしてた」

 

 

 彼女の言葉の一つ一つが、自身の心に刺さる。

 アキトは、心臓を鳴らしながら、それでも彼女の言葉に耳を傾ける。

 

 

 「でも、その事を聞きたくても、お兄ちゃんはSAOに行ったまま、もう話す事も出来なくて……だから、あたしはここに来ようと思ったの」

 

 

 リーファはその瞳に強い意志を宿し、アキトに向き直った。

 その瞳に、アキトは一瞬飲み込まれそうになる。二人の距離は、ほんの2メートル程で、それなのに、ここから先へは踏み込めないような気がした。

 

 

 「……なのに……」

 

 「っ……」

 

 「この世界は……あたしのお兄ちゃんを奪った……あたし……許せないの……ずっと憎かったVRゲームへの気持ちで……もうどうにかなりそうなの……!」

 

 

 気が付けば、リーファの頬には涙が伝っていた。

 悔しさと悲しさ、それらが綯い交ぜになったような表情で、こちらを見つめながら。

 アキトは、それを見て目を見開いた。笑顔が絶えなかった筈の彼女の涙を、初めて見たから。

 

 そうだ。彼女は、兄のいないこの世界に飛び込んで来たのだ。自分と兄の関係を知りたくて、この世界に来ようと思ったのに。

 もう一度会いたいと、そう願っただけなのに。

 

 そう、きっと。

 この目の前のリーファという少女は。

 兄の事を想い、慕っていたのだろう。

 

 

 「……仇討ちでも考えてるのか」

 

 「いけないっ!?」

 

 

 リーファはアキトの一言に、その気持ちを顕にした。

 流れる涙を抑える事もせず、ただ、その想いをぶつけるだけ。

 

 

 「あたし……悔しいの!悲しかったの……目を覚まさないお兄ちゃんを見て、泣いてたの……他の病室のSAOプレイヤーは一人ずつ亡くなっていって……次はお兄ちゃんの番なんじゃないかって……」

 

 

 普段の彼女からは考えられない程に激昴して、アキトを睨み付けていた。

 

 

 「病室のドアを開けるのが……いつも怖かった。あたし達は家族なのに……一緒にいるのが当たり前なのに……あたしっ、何も出来なかった!ただお兄ちゃんの傍で怯えてる事しか!」

 

 「……」

 

 「そんな生活、耐えられると思う……?」

 

 「……リーファ」

 

 「っ……アキト君には、分かんないよ……決意した矢先に、大切な人の死の知らせを聞いたあたしの気持ちなんて……」

 

 

 そんな事、無い。

 そう言ってやりたかった。

 だけど、何を言っても、今のリーファには逆効果に思えた。

 リーファはずっと、こんな想いをひた隠しにしていて、取り繕って、我慢して。そうしてみんなと過ごして来たのだと知って。

 アキトは、言葉に詰まった。

 

 

 「……そんな事、お前の兄貴が望むとでも思ってるのか」

 

 「……分かんないよ、そんなの……お兄ちゃんは、もういないんだもん……現実世界にも……この世界にも……どこにも……!」

 

 

 リーファは途端に後ずさる。

 その両手を顔に押し付け、必死に涙を抑える。

 だけど、とめどなく溢れる涙は、リーファの心を段々と壊していく。

 

 兄と会う為に手に入れたナーヴギア。

 兄の力になる為に決意した心。

 でも、いざ使うとなるととても怖くて。

 そんな時に、病院にいる母から電話がかかってきて。怖くて、怯えて、聞きたくなかった。

 自分でも、こんな風にナーヴギアを使う事になるなんて思ってなかったのだ。

 この世界に来て、初めて手に入れた感情は、『悲しみ』だった。

 

 

 「お願い……アキト君……」

 

 「……」

 

 

 

 「あたしを……一人にして……」

 

 

 

 

 現実世界と仮想世界。

 二つは交わらないようで、繋がってる。

 それは、目の前の、現実世界からやって来た少女を見れば明らかだった。

 

 兄に会いたかった。

 勇気がなかった。

 でも、飛び込む決意が出来て。

 ずっと、茅場晶彦を恨んでいて。

 仇を取りたいと、無意識にもそう思っているだろうリーファの涙の止め方を、アキトは知らない。

 

 現実にはまだ、自分達の帰りを待ってくれている人達がいて。

 病室で死んだ人達に覆い被さって、涙する人達がいて。

 この世界では、現実の身体がどうなっているのか分からない。だから、本当に死んでいるのかさえ分からなかった。

 なのに、こうして自分の目の前で、止まらない涙を拭う少女がいて。

 

 

 困惑した。

 動揺した。

 どうして、自分は。

 

 

 こんなにも無力で。

 

 

 

 

 ヒーローを目指していた筈なのに。

 

 

 

 

 

 正義の味方になりたかった父親の想いを知ったのに。

 

 

 

 

 

 自分は、目の前の少女を救う方法を知らなかった。

 

 




森のど真ん中

リーファ 「えっぐ……うぅ……ひっく……」

アキト(……これ、一人にしづらい……)



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Ep.65 信頼に応える為に



折れても、挫けても、失敗しても。

それでも俺は────





 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気付く事を、恐れていた。

 

 

 知らない方が良かった事だってあった。

 

 

 あまりに近くて、あまりに当たり前で。

 

 

 それらが、自身の中でたくさん渦巻いていて。

 

 

 

 

 相変わらず殺風景な自身の部屋の扉を閉じる。

 見渡せば、暗い雰囲気と影が差し込み、その空間の光は消えかかっていた。

 消えかかるその小さな光は、どこか既視感を覚えた。

 この世界で悲しみを抱える全ての人の心を、体現しているように見えたから。

 壊れそうで、折れそうで、諦めそうで。

 それでいて、まだ諦めないぞと、その内に秘める闘志を燃やしているように見えた。

 

 

 リーファはずっと、無理していたのかもしれない。兄との別れを噛み締め、こうして仮想世界で同じように生きる中で、そうした気持ちを抑えていたのかもしれない。

 アスナが自暴自棄になっていた時も、みんなで楽しく食事している時も、後略に勤しんでいる時も、アキトと二人であのクエストをこなしていた時も。

 ずっと、心の中心で強く渦巻いていたのかもしれない。

 

 この世界の誰でも、現実世界の誰でも、自身の心に嘘を吐く瞬間がある。強がって、偽って、フリをして、そうして自分の気持ちを留めていて。

 それでいて、それを消し去る術は持たず、ただ苛まれ続けるだけ。後悔、疑惑、それらを捨てられず、けどその原因を潰したって、消えてくれなかったりして。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは、自身の部屋の壁にもたれかかり、そのままズルズルと腰を下ろしていった。

 その瞳は、前髪でよく見えない。もたれる壁の向こうにはリーファの部屋があって、無意識に背中で感じてた。

 もしかしたら、まだ泣いているんじゃないかって、そう思うと辛かったから。

 

 

 「……くそっ……」

 

 

 ずっと、彼女に違和感を感じてた。

 兄の死と同時にログインなんて、そんな事出来る筈が無いと分かっていたのに。

 そんな悲しみを持ったままその直後にゲームにログインなんて、そんな事をする彼女の心はきっとボロボロだった筈なのに。

 

 何が、守るだろうか。

 

 何が、正義の味方だろうか。

 

 何が、ヒーローだろうか。

 

 

 彼女が顔に出さなかっただけで、大丈夫だろうと決め付けて、その結果があの見た事も無い彼女の泣き顔だった。

 動揺したし、困惑したし、それでいて現実を突き付けられた気がした。

 何も変われていない自身と、その自身の無知加減を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……なぁ、アキト」

 

 「……何だよ」

 

 「最近、リーファっちと何かあったのか?」

 

 「っ……」

 

 

 エギルの店のカウンターに、珍しくクラインが座っており、それでいて神妙な顔付きだなとアキトが思っていると、それ相応の理由がクラインの口から述べられた。

 エギルもそれは気になっていたのか、アキトの方をカウンター越しに見下ろしていた。

 

 最近、アキトとリーファの間にはなんとなく気不味い雰囲気が漂っていた。

 それは、リーファがアキトに泣き顔を見せた当日から始まっており、その時からもう既に周りは違和感を感じていたのだ。

 いつもならリズベット辺りがどうしたのかと問い詰めるのだが、二人のあまりにも暗い表情に、何も言えなくなってしまっていた。

 

 先日、85層のフロアボスとの戦闘時においても、二人は全く会話をしていなかったように見えるし、いつもは勝ち気なリーファも、心做しか無理して笑っているような気がした。

 このままではいけないと、クライン自らが意を決して口を開いたのだ。

 アキトは一瞬身体をビクつかせるも、やがて軽く溜め息を吐いた。

 

 

 「……別に何も無えよ」

 

 「本当かよ」

 

 「執拗いな……大体、お前には関係無えだろ」

 

 「なわけねぇだろうが。お前さん達が何か気不味い雰囲気出してたら攻略にも支障が出るってんだ」

 

 「っ……それは、そうだけど……」

 

 

 クラインが言ってる事が正論過ぎて、アキトは口を噤む。

 このままの状態が続けば、攻略の際の連携すらまともに取れなくなってしまう。

 最悪の場合、どちらかが命の危険に晒される可能性だって無いわけじゃ無い。

 

 

 「言えねえ事なら言わなくてもいいけどよ、せめて仲直りくらいはしてくれよ」

 

 「……分かってる」

 

 「もう86層のボス部屋を見付けたって情報があったからな、それまでには頼むぜ」

 

 「……分かってるよ」

 

 

 最近のボス部屋を見付ける速度は本当におかしい。

 上層に連れてフィールドが狭くなっているから当たり前なのだが、迷宮区の最奥にある筈のボス部屋が、こんな時に限ってすぐに見付かっても、あまり嬉しくなかった。

 

 そうして息を軽く吐くと、カウンターの向こうにいたエギルが、クラインの方をチラリと見た。

 

 

 「……そういうお前も、なんだか不景気な顔してるじゃねぇか」

 

 「……確かにそうだな」

 

 

 エギルにつられてアキトもクラインを見る。

 クラインはなんとなく不機嫌というか、落胆したような表情を終始作っていた。

 クラインは否定せず、その表情は益々不景気になっていた。

 

 

 「そーなんだよエギル、まぁアキトも聞いてくれや。86層にいる老人のNPCが攻撃スキルの習得クエストをくれそうだって情報を買ったんだよ」

 

 「……へぇ」

 

 「この上層で珍しいな。で、一体どんなスキルだったんだ?」

 

 「まあ聞けって。それでその老人のとこに行ったわけだ。そしたら延々長話を聞かされたあげく、クエストなんて起動しやしねぇ。とんだ無駄金を使っちまったぜ」

 

 

 不貞腐れた顔でドリンクを飲み干す。

 エギルはそれを聞いて眉を顰めた。

 

 

 「ソイツは災難だったが……起動条件が何か足りないってオチじゃないのか?」

 

 「……その長話ってどんなだったんだよ」

 

 

 エギルに続いてアキトが口を開く。

 するとクラインは思い出すのも嫌なのかウンザリした顔に変わる。百面相である。

 

 

 「その爺さんの若い頃の武勇伝だよ。長過ぎてあまり覚えてねーけど……確か、飛んでいるドラゴンの目を潰したとか、川向こうの扇を一撃で射落としたとか、そんな話だったかな」

 

 

 クラインはそこまで言うと、何か察したように瞳を開き、その手の片方を顎に置いた。

 

 

 「……ん?よく考えると遠くのものを攻撃した話ばっかりだったな。てことは投擲スキル系のクエストなのか?いや、でも投擲スキル持ってる奴なんていくらでもいるのに、未だにクエストが起動したって話は聞かねぇしなぁ……」

 

 

 クラインに合わせて、エギルも腕を組み考える。

 その傍らで、アキトだけは何かを理解したのか、その身体を固めた。

 

 

(遠くのもの……攻撃……射落とす……成程な)

 

 

 アキトはカップに映る自身の姿を見て、悲しげに笑った。

 隣りにいたクラインはふと、そんなアキトの笑みを見ると、その口元を緩ませた。

 

 

 「お、アキト、おめぇ何か心当たりあんのか?」

 

 「……まあ、あくまで予想だけどな。クエストの起動条件を満たしてる奴に一人だけ心当たりがある」

 

 「本当か?一体誰が……」

 

 

 エギルが身を乗り出してその名を聞こうとしたその矢先、2階から階段を下りる音が聞こえた。

 3人は一斉にそちらを見ると、そこにはシノンがいて、見られている事を察してその顔を歪ませた。

 

 

 「な、何……?みんなして……私の顔に何か付いてる?」

 

 

 そう言って顔をペタペタと触るシノンを一瞥し、アキトはクラインとエギルに向き直った。

 

 

 「……アイツが起動条件だ」

 

 「……成程な、弓か」

 

 「納得だぜ。そりゃあ誰もクエスト受けられねぇ訳だ」

 

 「……何?一体何の話?」

 

 

 シノンは話が見えないせいで、不満顔が分かりやすい。

 説明してやるか、とアキトが呆れ笑いを浮かべながら口を開きかけた瞬間、クラインがシノンからこちらに視線を動かした。

 

 

 「なあアキト、おめぇシノンさんと行ってこいよ」

 

 「……は?……え、行くって、クエストを?」

 

 「おうよ」

 

 「俺は……良いよ、別に。後で他の奴らと行った方がいいだろ」

 

 

 アキトはクラインの提案を蹴る。

 今は正直誰かに構っている気分では無いし、そんな自分がいたってシノンにも悪い。

 今現在、この場で用事が無いのはアキトだけで、他のみんなは出払ってしまっていた。なら、別に今日じゃなくてもいい訳だし、集団での方が、シノンにもパーティの連携を教えられて好都合だろう。

 

 

 「いーや、行ってこい!んで、その辛気臭い顔直してこいって。良い気分転換になるかもしれねぇだろ?」

 

 「まあ、86層のボス部屋がもう見つかってるんだ。次のボス戦まで時間も無い。新しいスキルが手に入るなら、早めに取った方が良いとは思うぜ」

 

 「エギルまで……」

 

 

 彼らの言ってる事は最もだ。

 クラインの言うように、この調子じゃ攻略もままならないだろうし、エギルの言うように、手に入るスキルは早めに取得した方が良いのは確かだ。

 だけど、この上層で手に入るスキルなのだから、楽観的に見る事は出来なかった。

 

 

 「気分転換とかいう程の難易度だとは思えない。……それに、そんな気分でいたってシノンに悪いだろ。アイツだって暇じゃ無えかもしれねえし」

 

 「別に良いわよ」

 

 

 そんな声がすぐ傍で聞こえて、アキトの身体が思わず震える。

 振り返れば、そこにはシノンが立っており、カウンターで座るアキトを見下ろしていた。

 

 

 「っ…、な、……え?」

 

 「だから、別に良いって。少しだけ聞こえたけど、何かのクエストなんでしょ?私暇だし、その……付き合っても良いけど」

 

 「……や、付き合うも何もお前限定クエなんだけど……」

 

 「?どういう事?」

 

 「えっと……」

 

 

 アキトはチラリと隣りを見た。

 クラインとエギルはこちらに笑みを作っていた。二人とも暖かな瞳をこちらに向けている。

『行ってこい』と、そう語り掛けているようで。

 

 アキトは、どこまでもお人好しな二人に、呆れたように笑った。

 席から立ち上がり、シノンの横を通り過ぎる。彼女は目を丸くしながら、こちらを視線で追っていた。

 

 

 「……後で説明してやる。手に入るなら早い方が良い。取り敢えずその街まで行くぞ」

 

 「えっ……ちょ、ちょっと待ってよ……」

 

 

 アキトのその背を、シノンは早歩きで追い掛ける。

 そんな二人を、大人二人は嬉しそうに眺めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 86層の街は、最前線という事もあって、やはり賑わっていた。

 綺麗に建造物が横並びになっており、一本の道が出来ている。その上空には、そんな建物を覆うように、気や崖で傘が出来ていた。

 

 シノンは、見知らぬ土地にキョロキョロと視線を動かしながらも、アキトの背中を追い掛ける。

 それを確認しながら、アキトは無意識にシノンのペースに合わせて、歩く速度を遅らせた。

 

 そんな中、アキトはとある建物の前で、椅子にポツリと座っている赤いフードの老人がいた。あの家の主なのだろうか。

 怪しくてあまり話し掛けたくないが、もしかしたら、いやもしかしなくてもあれがクラインの言っていたクエストを起動する為にこれから長話を語るであろう老人だろう。

 今から聞くとなるととても面倒臭い。アキトは自分でその表情が歪むのを感じた。

 

 

 「シノン。あの爺さんに話し掛けてみろ」

 

 「……この人が何だっていうの?」

 

 

 ここまで何も教えてくれなかったアキトに若干の不満を感じながら、シノンは怪訝な表情でアキトに問い掛けた。

 アキトは老人を遠目に見ながら、彼女にここへ来た理由を告げた。

 

 

 「クラインが言うにはこのNPC、スキル習得のクエストがあるらしいんだが、まだ誰も起動出来てないらしい」

 

 「それで?」

 

 「さっき話の内容を聞いたら、遠距離のものを射落とす武勇伝ばかりだったんだとさ。もし射撃専用のクエストなら、この世界にこれを受けられるのはお前だけだ」

 

 「へぇ……分かった、やってみる」

 

 

 シノンは納得したように頷くと、その老人の前に出た。

 俯くその老人は、シノンの気配を感じたのか、その顔を上げた。

 

 

 「あの……こんにちは、お爺さん」

 

 

 物腰を低く、優しげな笑みを浮かべて話し掛けたシノン。

 だが、そんな彼女に、老人は突拍子もない事を話し出した。

 

 

 「おや、すまんのう郵便屋さん。それで、わし宛の荷物は何処にあるんじゃ?」

 

 「は?あの……」

 

 「郵便屋さんじゃなかったかの?じゃあ、お前さんはパン屋のマリオの子か。おおきくなったのぉ……そうじゃ、お前にはまだ話した事無かったの。あれは30年前じゃったか、村の勇士として名を馳せておったわしが……」

 

 

 と、聞いてもないのにつらつらと話し出した老人を前にして、シノンはアキトに向かって困ったように眉を顰めた。

 

 

 「……何、この小芝居?」

 

 「相当長いらしいから、我慢するしかないな」

 

 「……RPGって面倒くさいのね」

 

 

 シノンはゲンナリした状態で立ち尽くす。

 アキトはそれを遠目に見ながらも、今から始まるであろう老人の話を聞き流す準備を始めたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……まさか、こんなに長いなんて……)

 

(もう1、2時間くらい経ってるだろ……!)

 

 

 「……で、わしの放った矢がぶつりと右目に……と、何処まで話したかの?」

 

 

 老人すらもボケ始める程の長話、アキトもシノンももはや目の前の老人に嫌悪感すら感じなくなっていた。

 こんなに長時間立ち尽くした事はない。校長先生が可愛く思えてくるくらいだ。

 

 

 「まあええ、こんな話をいくら聞かせようとも、わしの技が伝わる事は無いからの」

 

 「……じゃあ何だったのこの2時間」

 

 「これでクエストじゃなかったらキレて良いよな……」

 

 

 だが、各々がそう呟いた瞬間、老人が懐から鍵を取り出し始めた。シノンはそんな老人を見て首を傾げる。

 老人はそれをシノンに見せ付けながら言葉を続けた。

 

 

 「わしのスキルを受け継ぐには、試練の中で己を磨く必要があるのじゃ」

 

 「試練?」

 

 「そう、お主はこの層のダンジョンに封じられている《試練のアミュレット》を取ってこなければならん。この《鍵》で《封印の扉》は開く。アミュレットを手にしたら、またここに戻ってくるがよいぞ」

 

 

 そう言って差し出された鍵を、シノンは恐る恐る受け取った。

 その瞬間、老人の頭には『!』のマークが表示され、クエストの起動が確認出来た。

 

 

 「……えっと、上手くいった?」

 

 「……ああ。長かったな、もうこれでクエストクリアでも良いくらいだ」

 

 

 アキトは溜め息を吐いた。

 これでただ長話を聞かされるだけなんてオチだったら体術スキルが発動してしまうところだった。

 だが、他のプレイヤーは全滅で、シノンが起動させる事が出来た。そんな彼らとシノンの違いなんて、一つしか無かった。

 

 

 「やっぱり、射撃スキルが起動条件だったんだな」

 

 「って事は、要するにこれ、射撃が強くなるクエストなのよね?」

 

 「ああ、射撃強化クエストなのは確定だな」

 

 

 シノンの質問に、アキトはそう答える。

 射撃系の上級スキルか、もしくは新しいソードスキルか、いずれにしても、シノンにとって損は無いクエストなのは間違い無かった。

 

 それを聞いたシノンは、途端にその表情が明るいものに変わり、嬉しいのか、アキトのすぐ傍まで近付いた。

 

 

 「凄い!やったわね!退屈な話をずっと聞いていた甲斐があった。ねっ、アキト?」

 

 「っ……ああ……そうだな……ってか爺さんの前でそんな事言ってやんなよ……あと近い」

 

 「あ……」

 

 

 自身とアキトの距離に気付いたのか、シノンは顔を赤くし、咄嗟にアキトとの距離を離した。

 俯き、その表情は伺えないが、とても気不味かった。間にいる老人がNPCだといっても、この状況を見られているようで恥ずかしかった。

 

 だが、アキトはそれよりも不安な事があった。

 それは、このクエストを行う場所。

 

 

 「……この層のダンジョン、か」

 

 

 この層、つまり86層。

 そう、最前線なのだ。

 シノンのレベルが安全マージンギリギリな為に、そんなにすぐには行きたくないと思ってしまう。

 シノンはやる気に見えるのだが、こればかりは踏ん切りが付かない。

 リーファの事も相成って、手遅れでは遅いのだからと、アキトをいつもより慎重にさせていた。

 

 

 「……なあシノン」

 

 「……何?」

 

 「俺は、お前のレベルがギリだから、このクエスト受けるのはもう少し後でも良いと思ってる」

 

 「え?」

 

 

 シノンの瞳が、アキトを突き刺す。

 アキトはそんな彼女に慌てるように言い訳を立てまくる。

 

 

 「お前が強くなりたいって望みがあるのは分かってる。だけど命の危険があるなら、行かない方が良い。せめてこの層のボスを突破してからとか……」

 

 「アキト……」

 

 

 狡い。そう思った。

 自身の弱さが、足りない部分が顕著に出たから、急にそんな事を言い出して。

 リーファの時みたく、一人で抱え込ませたりさせるくらいなら、と思うと、行かせた方が良いのかもしれない。けれどもしまた、自身の知らないところで誰かが悲しみを抱く事があって、対処出来なかったりしたら、また自信を無くしてしまう気がした。

 

 もし、危ない目に合ったりしたら────

 

 言葉を切って、俯くアキト。

 そんなアキトに不安そうな表情を浮かべたシノン。

 

 

 だが、シノンはやがてその口元を緩め、アキトの前に一歩出た。

 

 

 

 

 「……でも、アキトが来てくれるんでしょ?」

 

 「え……」

 

 

 アキトは、シノンの事を見る。

 見開いたその瞳には、自信ありげな彼女の笑顔があった。

 

 

 「私は襲われても、助かるんでしょ?」

 

 「……」

 

 「アキトが守ってくれるから、私は死なない。そうでしょ?」

 

 「っ……シノン……」

 

 

 その大き過ぎる信頼に、アキトは息が詰まる。

 そう、彼女は自身と交わした『約束』を信じてくれているのだ。なのに、自分は繰り返したくないからと逃げてばかりで。

 

 情けない。だけど、失いたくないからと、そう思える。

 きっとリーファも、信じたかったのだ。帰ってくる兄の姿を。

 だからこそ。

 自分がここで折れてたら、きっと誰も助けられないから。

 

 

 

 

 「……助けるよ。……俺が、この手で」

 

 

 「……ふふっ……それじゃあ、お願いね」

 

 

 「……うん」

 

 

 シノンは、嬉しそうに笑う。顔を赤らめて、とても魅力的に。

 アキトはそれを見て、同じように小さく笑った。

 

 こうして何度も、彼らに諭され、思い出させられる。

 アキトは誓った筈だった。だから、こんな事にだって挫けたりしない。

 リーファの事も、必ず解決してみせる。だからこそ、このクエストを必ずクリアしてみせる。シノンを守ってみせる。

 

 

 今は、きっとそれで良いのだろう。

 

 

 アキトの中の何か(・・)が、笑った気がした。

 

 

 

 







小ネタ『ナンパ?』


Ep.18 リズベットに対して

アキト 「…だから約束する。必ず、君を守るよ」


Ep.21 シノンに対して

アキト 「…俺が…守る、から」


Ep.51 アスナに対して

アキト 「…守るよ、必ず」




シノン 「……アンタ、女の子に『守る』って言って回ってるの……?」

アキト 「タラシ的な意味で言ってるなら否定しとく」






次回『この気持ちを音に』


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Ep.66 この気持ちを音に



おかしい。
書きたかった話なのに、何一つ上手く書けてない。
いや、傍から見れば良いのかもしれないけれど、全く納得出来ていないのは何故だ……( ゚∀゚):∵グハッ!!


 

 

 

 86層の街から出れば、すぐ目の前には塔のダンジョンが広がっていた。人形のモンスターが蔓延る少しだけ急な坂道を下ると、アスレチック迷路を想像させる不思議な形をしていた。

 フィールドが狭くなり、多くのダンジョンが設置出来ないこの上層だからこそ、シノンのクエストはそこで起きるものである事はほぼ確実だった。

 

 ダンジョン名は、《生ける屍の前線基地》

 肌寒さを感じるその場所は、どこか西洋の雰囲気を感じさせ、とても閉鎖的なものだった。

 所々にある松明が、その空間の闇を明るくしてくれてはいるが、空気も悪く息が詰まりそうだった。

 

 辺りに散らばるモンスターを斬り伏せながら、シノンの事を確認する。

 弓の精度、レベル上げの速度、近接戦闘における立ち回り。段々慣れてきているのが伺えた。

 実践で彼女が使うようになってから、攻略の幅も広がったのは確実だった。ただでさえ遠距離攻撃というのが革新的だったのだ、効率が良くなったなんてものじゃない。

 流石はユニークスキルだと言ったところだろうか。

 

 アキトは剣を収め、シノンの前に出てモンスターの索敵を再び開始した。

 すると、シノンの方から小さく声が聞こえた。

 

 

 「……ねぇ、聞いていい?」

 

 「……何」

 

 「さっき、宿屋でクラインとエギルと話してた時にチラッと聞こえたの。『気分転換』って。アンタ、どこか気分でも悪いの?」

 

 「……別に」

 

 

 シノンの質問に心の中でギョっとするも、何でもない感じを装う。

 だが彼女、色々な事を敏感に感じ取っており、想像力を働かせていた。

 要は、大体察しがついていたのだ。

 

 

 「……リーファの事?」

 

 「……」

 

 「ずっと気になってたんだけど……何かあったの?」

 

 

 シノンもずっと違和感を抱いていたのだ。アキトとリーファは目を合わせればすぐに逸らし、攻略の連携もままならない。このままでは、いつかどこかで狂ってしまいそうで、とても心配だった。

 アキトは何も言わなかったが、その表情は当たりだと言っていた。

 シノンが理由を聞こうと身を乗り出すも、アキトは何も言ってはくれなかった。

 だけど、何か思う事があったのか、次第に口を開くようになっていた。

 

 

 「……知った気になってたんだよ」

 

 「……え?」

 

 「リーファの事……みんなの、事を……」

 

 「みんなの?」

 

 「まだ出会って間も無いのに、何もかもを理解した気になって、達観してた。だけど実際は何一つ知らなくて、何も気付けてなくて、何も築けてなかったんだなって……」

 

 

 リーファの空元気な笑顔の中に潜む、割り切れない恨みの感情。

 本当は彼女も辛くて、それなのにこの世界に頼る人がいなくて、ずっと一人で。

 誰かに寄り添い、支えて欲しかった筈なのに、それすらも気付けなくて。

 

 

 「……相手の事を全部知る事なんて無理だし、傲慢な考えだって事は分かってる。だけど、大事なところだけはもう見落としたくなかったのに……」

 

 「アキト……」

 

 「そりゃ、知って欲しい事と知られたくない事があるだろうけどさ、それでもこの手を伸ばしたいって思ってしまうのは、きっと勝手な思想なんだよな……」

 

 「っ……」

 

 

 知られたくない、過去。

 アキトの言葉で、シノンの脳にその言葉が過ぎった。言葉に詰まり、何も言えなくなる。

 いや、何も言える事は無いのかもしれない。聞いておいて情けない話だが、どうすれば解決出来るかなんて、リーファの事を詳しく聞かなければどうにもならない。

 自分もまた、知られたくない事があって、ずっとそれを隠してる。けど、それが人間というものじゃないかと、そう思うと、リーファの事での解決策が見つからなかった。

 

 でも、それでも。

 もっと頼ってくれて良いのにと、そう思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 このダンジョンも、かなり奥まで歩いた。

 モンスターも多く討伐した為に、シノンのレベルも上がっていた。

 

 そして、そこまで行くと壁にあからさまに怪しい扉が設置されているのを見つけ、アキトとシノンはその扉に近付いた。

 だが────

 

 

 「……開かない」

 

 

 押しても引いても目の前の扉は開かず、アキトは頬を掻いた。

 何かギミックがあるのか、鍵が必要なのか。だが、ここに来るまでにそれらしいものは見つからなかった。

 もう一つの扉の先には迷宮区が続いており、このダンジョンは終わりを告げている。

 もしかしたら迷宮区でのクエストなのかもしれないが、一先ずは今このダンジョン内を探索するのが妥当だろう。

 

 

 「……あっ」

 

 

 すると、シノンが何かに気付き、その身体を動かす。

 手に持っていたのは鍵だった。それは、ここに来る前にクエストを引き受けた老人から受け取ったものだった。

 

 

 「貰った《鍵》がぼんやり光ってる……」

 

 「……この目の前のが《封印の扉》か」

 

 

 クエストを受けた者のみが入れるインスタンスマップだろうが、それにしたって態とらしいと、アキトは若干の苦笑いを浮かべた。

 シノンはその鍵を手に待って、アキトを見つめた。

 

 

 「開ける?」

 

 「警戒だけはしとけ」

 

 「分かった……じゃあ、開けるわね」

 

 

 シノンはその小さな鍵を、扉の穴に差し込む。捻ると、カチッと音がして、その扉が自動で開く。

 その奥はうっすらと暗くて、とても冷えていた。

 モンスターはいないようで、光も一際小さかった。辺りは暗かったせいで、今見た限りじゃ何も無い部屋に見えた。

 シノンがアキトよりも一歩、二歩と前に出る。

 

 

 「この部屋に《試練のアミュレット》が……あれ、かな。祭壇の上の」

 

 

 シノンはそう言うと、アキトにも分かるように指をさす。アキトはシノンの所まで歩き、その指の先を見上げた。

 するとそこにはとても大きな祭壇があり、その先端にはキラリと何かが光っていた。

 目を凝らすと、金色に輝くアミュレットが掛けられていた。赤い宝玉が中央に嵌め込まれていて、とても綺麗だった。

 

 だが、どう考えても手が届く高さじゃなかった。アキトもシノンも見上げるばかりだ。

 アキトが壁を蹴って飛び上がる方法も考えたが、これはシノンのクエストだ。他の方法を考えるのが妥当だろう。

 

 だが、もう答えなど決まっていた。

 スキル絡みのクエストは、前提のなるスキルを行使するのがパターンなのだ。

 別に要らないが、一応老人の武勇伝を加味すれば、導き出される結論は一つだけだった。

 

 

 「射落とせ、って事か……」

 

 「そう言えば、あのお爺さんの自慢話にも、遠くからアイテムを撃ち落としたってのがあったわね」

 

 

 シノンもそれに気付いたのか、そうポロポロと呟いた。

 恐らく、シノンが弓で祭壇の上のアミュレットを撃ち落とすというのが方法だろう。

 そうして、シノンは視線を祭壇の右側に視線を向けた。アキトもつられてそちらを見ると、そこには高台があった。祭壇と高台とでは結構な距離があった。

 

 

 「あの意味ありげな高台は、あそこに登って撃てって意味かしら」

 

 「だろうな」

 

 

 角度的に見ても、下からじゃ難しいだろう。

 そう考えていると、シノンがこちらを振り返り、軽く笑みを見せた。

 

 

 「じゃ、ちょっと行ってくる」

 

 

 シノンはアキトに背を向けると、高台の梯子に手を掛け、少しずつ登っていく。なんだか辿々しい感じの登り方で、危なっかしい。

 やがて登り切り、シノンはその高台で立ち上がると、弓《アルテミス》を取り上げ、矢をアミュレットに向けて引き絞った。

 

 

 「おい、シノン……」

 

 「今見上げたら、先にアンタを打つから」

 

 「……別にお前スカートじゃねぇだろ。……まあ、後ろ向いてるわ」

 

 「大丈夫、ちょっと遠いけど、これくらいなら当たる……!」

 

 

 シノンの引く矢が光る。ソードスキルの発動だろう。

 その瞳は真っ直ぐに祭壇の頂点を見据えており、強く、強く、その意志を感じた。

 

 

 「……!」

 

 

 目を見開き、その矢を放つ。

 その矢は一瞬にして、祭壇のアミュレットを掠め取った。アミュレットは支えを失い、そのまま地面へと落ちていき、やがてカシャリと、金属が落ちるような音が響いた。

 

 

(…あの距離を一発で……凄いな……っ!?)

 

 

 そう考えたのも束の間、アキトは自身の身体の動きが効かないのを感じた。

 身体が宙へ浮き、そして落下していく感覚。

 

 

 立っていた床が、突如消えたのだった。

 

 

 「なっ…!」

 

 「アキト!!」

 

 

 落ちる瞬間、高台にいるシノンの顔が見えた。

 アキトはそれを見るだけで為す術も無く、そのまま重力に逆らわずに落下していった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……まさか、床が消えるとは……)

 

 

 落下してすぐに地面があり、アキトはそこに仰向けに倒れていた。

 恐らくトラップだろう。どんな魂胆があるかは知らないが、アミュレットを落とすと床が消える仕様だったのだろう。

 アミュレットに気を取られて床の異常に気付くのが遅くなったという事だ。油断は命取りだというのに、とアキトは溜め息を吐いた。

 

 

 

 

 「……きゃあぁっ!!」

 

 「っ!シノン!」

 

 

 突如、天井の空いた穴から、シノンの悲鳴が聞こえた。

 シノンはアキトとは違い祭壇にいた為に、下の階に落とされずにまだあの部屋にいるのだ。

 アキトは焦った様に叫んだ。

 

 

 「おい!どうした!シノン!」

 

 「祭壇からモンスターが!ボスモンスター!」

 

 「なっ…!」

 

 

(手の込んだトラップを……!)

 

 

 アミュレットを撃ち落とすだけが試練だとは思っていなかったが、こんなトラップで二人を一人と一人にするなんて、とんだ手の込んだトラップだ。

 アキトは舌打ちをした後、ハッとなって天井に向かって呼びかける。

 

 

 「転移結晶を使え!」

 

 「ダメ!クリスタル無効エリア!」

 

 「……くそっ!」

 

 

 シノンはまだ高台だろう。ならば、シノンもこちらの穴に飛び込むという方法も取れない。

 なら、残る選択肢は一つしかない。

 戻るルートを探しながら進むしかない。

 

 アキトは歯を食いしばり、シノンに向かって叫んだ。

 

 

 「待ってろ!すぐ戻る!必ず助ける!」

 

 「……分かった、それまで持ち堪えてみせる」

 

 

 シノンのその言葉を最後に、天井の穴が消えた。アキトはそれを見て、焦りを強く感じる。

 心臓の鼓動が強く鳴り響き、頭が痛くなる。

 

 射撃専門のシノンはボス相手に長くは持たない筈なのだ。

 絶望的な状況、時間の問題だった。

 

 

 まただ。

 また、こんな事に。

 約束したのに、絶対に助けると。

 また、あんな過去を繰り返すのか。

 

 

 「……くっそがああぁぁあ!」

 

 

 アキトは剣を抜き取り、地面を蹴る。

 走れ、走れ、走れ。間に合え。

 他の事は考えられない。頭には、かつての記憶の光景が蘇る。

 

 諦めて、たまるか。

 失って、たまるか。

 もう二度と、大切なものを────

 

 

 「邪魔なんだよ!」

 

 

 目の前のスケルトンとナイトのモンスターをソードスキルで斬り潰す。

 腹を殴り、骨を砕き、鎧を断ち切る。こんな奴らを相手にしている暇は無かった。

 そのモンスターに憎悪を向けて斬り伏せる。光の破片となった者共を突破して、その先の道を走る。

 

 

 かつての光景が、蘇る。

 既視感を、覚える。

 前もこうやって走って、みんなを探して。

 そして、結局間に合う事はなくて。救えなくて。

 だからこそ、もう諦めたりなんて出来ない。

 

 最悪の事態は決して考えない。

 信じろ、シノンを────

 

 

 「ぐっ…!」

 

 

 再びモンスターが突然現れ、一瞬対処が送れ、アキトは吹き飛ばされる。

 地面を滑るように転がるも、すぐに体勢を立て直し、目の前のスケルトンに向かって走る。

 

 

 「ぜあぁぁあ!」

 

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 目の前の2体のスケルトンを一撃で吹き飛ばす。そのポリゴン片の間から騎士型のモンスターが剣を振り下ろす。

 アキトは目を見開き、咄嗟にいなした。アキトがカウンターを決めるべく突き出した剣は、盾で防がれてしまう。

 

 

『邪魔だ!』

 

 「弾けろ!」

 

 

 片手剣二連撃技《スネーク・バイト》

 

 緑色に輝く剣がモンスターの腹を殴るように斬られ、返す形でその首を斬り飛ばした。

 脳を失った騎士型のモンスターは、そのまま膝から崩れ落ち、そのままガラスのように砕け散った。

 そんなモンスターに目もくれず、アキトは目の前の階段を駆け上がった。

 

 

(もう二度と、俺は────)

 

 

 ────ドクン

 

 

『誰一人、死なせはしない────』

 

 

 ────ドクン

 

 

 心臓が高鳴ると同時に、アキトの片目がまた少しだけ、黒く霞んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その階段を登れば、すぐにまたあの部屋への扉だった。

 アキトはそれを見て目を見開くと、すぐにその扉に手を掛け、勢い良く開いた。

 

 

 「シノン!」

 

 「……アキト!!」

 

 

 こちらの声に応える声が。

 シノンは、攻撃された部分が切り傷のように赤いエフェクトで現れていた。それでも、まだ気力は失っておらず、アキトの事を見て、心底安堵したような表情を見せた。

 

 HPはレッドゾーンで、ギリギリだった。

 だが、まだ生きてる。

 まだだ、まだ、終わってない。

 

 アキトは、シノンと対峙する赤い飛竜を見上げた。

 

 

 NM : 《Scarlet Disaster》

 

 

 そのボスはこちらを見下ろし、嘲笑うように嘶いた。

 途端に、エリュシデータを握る力が強くなった。

 

 

 「……っ!はあぁっ!」

 

 

 アキトはへたり込むシノンを背に、ボスに向かって走った。

 ボスは瞬間にその眼を光らせ、その口からノータイムでブレスを吐いた。

 だがアキトは、知っている(・・・・・)かのように、同タイミングで防御スキル《エアリーシールド》を展開させ、そのブレスを無力化する。

 ボスは慌てて上空に逃げようとその翼をはためかせるが、もう遅い。

 

 片手剣単発技《ヴォーパル・ストライク》

 

 赤く煌めく刀身が、一気にボスの胸元に突き刺さる。ボスは呻き声を上げて空中で暴れ出すが、アキトは突き刺したエリュシデータを決して離さない。

 もう片方の手が、エフェクトを纏う。

 

 体術スキル《閃打》

 

 高速でボスの胸元を抉るように殴り付ける。

 何度も、何度も。ボスはその度に悲痛な叫びを上げるが、アキトはまだ、そのエリュシデータを離したりしない。

 

 

 「離す……ものか……!」

 

 

 体術スキル《飛脚》

 

 ボスの身体に両足を突き立て、一気に蹴り飛ばす。

 反動でエリュシデータが引き抜かれ、アキトの身体が横に飛ぶ。

 その身体を再び捻り、ボスに向かってその剣を再び構えた。

 

 コネクト・《レイジスパイク》

 

 そのソードスキルの突進力で、空中にいたアキトはボスに向かって移動する。

 その剣をボスに再び突き刺し、ダメージが入るのを確認すると、今度は片足を振り上げた。

 

 コネクト・《孤月》

 

 ボスの腹を思い切り蹴り飛ばす。筋力値極振りのステータスは、見事ボスの身体を動かす。

 だが、ボスもやられるだけではない。身体を捻り、その翼を上空のアキトに向かって叩き付けた。

 

 

 「ぐはっ……!」

 

 

 そのまま地面を削るように転がる。

 思ったよりもダメージが深い。アキトは起き上がるのが一瞬遅れ、瞬間ボスがアキトに向かって追い討ちをかける。

 

 

(くそ……!)

 

 

 「アキト!」

 

 

 だが、そんなアキトとボスの距離を離すような矢が間を横切り、ボスは後ろに飛び上がる。

 慌ててみれば、シノンが座った状態で弓を構えていた。

 ボスがアキトからシノンにタゲを移そうとした瞬間、シノンは歯を食いしばり、その弓矢を光らせた。

 

 

 「このっ……!」

 

 

 弓連続射撃技《ヘイル・バレット》

 

 

 その矢の全てがボスに向かって飛んでいき、余すこと無く突き刺さる。

 飛竜のHPゲージが一瞬でかなり減っていった。

 

 

 「っ…!」

 

 

 瞬間、アキトはボスの近くの壁に向かって走る。そして、その壁に足を掛け、思い切り上空へ飛び上がった。

 アキトはそのままボスに向かって落下していき、その剣を上段に構えた。

 

 片手剣単発技《ヴァーチカル》

 

 

 「くら、えぇえ!」

 

 

 落下速度によって威力の増したスキルが、ボスの身体に吸い込まれていく。

 ボスは強く、大きく咆哮を上げ、この空間を震わせる。だが、抵抗虚しく、ボスは段々と光り輝き、やがてその身体はガラスのように砕けていった。

 

 

 「はあ…はぁっ……っ、はあ……」

 

 

 荒い呼吸をどうにか抑える。

 高鳴る心臓をどうにか鎮める。

 終わったのだという事実が今になって襲い、その額からは汗が滲み出ていた。

 

 

 アキトは我に返り、咄嗟に振り返る。その場に座るシノンは、そんなアキトを見つめていた。

 その瞳からは、僅かに涙が。

 アキトはそれを見て、その瞳を揺らした。

 

 

 「シノン……」

 

 

 守れた。救えた。

 今度こそ。

 

 アキトはゆっくりとシノンに近付き、やがて力無くその場に座り込んだ。

 目の前には、シノンが座り、俯くアキトを見下ろしていた。

 

 

 「アキト……」

 

 

 その声はとても震えていた。

 怖かった筈だ。シノンのその声とともに、若干の荒い呼吸が耳に響いた。

 それを感じたアキトは、心底、間に合って良かったと感じた。

 

 

 「よかった……もし、間に合わなかったら……俺は、……僕は、また……」

 

 

 また、大切な誰かを失ってしまうところだった。

 絶対に守ると誓った約束を、また破ってしまうところだった。ヒーローなんて戯れ言を、もう二度と吐けなくなるところだった。

 そんなアキトを見つめ、シノンは笑って言った。

 

 

 「アキトは、絶対に私を守ってくれるんでしょ?」

 

 「え…」

 

 

 その顔を上げると、濡れた頬で笑うシノンがいた。

 そう、彼女はアキトと交わした約束を、信じて待ってくれていたのだ。

 

 

 「そう、だった……そう、約束したんだ……」

 

 「アキトはちゃんと守ってくれたね。この前も、今も」

 

 「シノンが、頑張ってくれたからだよ……俺一人じゃ、絶対に間に合わなかった……」

 

 

 あの時もきっと、自分の力不足だった。

 だから、みんなの危機に間に合う事が出来なかったのだ。

 

 だけど、シノンはそんな事無いと首を左右に振った。

 

 

 「私を守るって本気で約束してくれたから、私は信じられた。アキトがここに戻ってくる事を」

 

 「っ……」

 

 「だから私は戦えた。怯える事無く立ち向かえた。だから、間に合ったのはアキトのおかげだと思ってる」

 

 「……そう、かな」

 

 

 アキトは、力無く笑った。

 自身の力で、自分が頑張ったから、きっとシノンも頑張ってくれたのだと知った。

 それが、何故か無性に嬉しくて、泣きそうだった。

 

 

 「……ねぇ、アキト」

 

 「え……?」

 

 

 シノンはそう呼び掛けると、その思いの丈を紡いでいく。

 

 

 「私は自分の力でこの世界を生き抜いてみせる……それはこの世界に来た時からずっと変わらないわ」

 

 「……」

 

 「でも……もし、もしも私がまた危険な目にあったら……」

 

 「え……」

 

 「その時は今みたいに……助けに来てくれる?」

 

 

 シノンが、そんな事を言うなんて。

 アキトは、確かにそう思った。けれど、そんな彼女の切実な願いに答える、その言葉は決まっていた。

 

 

 「……当たり前だろ、シノン」

 

 

 アキトは、その顔を俯かせる。

 信じられている事実が、とても嬉しかった。

 

 

 今度は彼女の名前を、かつての仲間と重ねたりしない。

 

 

 「絶対に……君達を守り抜いてみせるよ……これからもずっと……」

 

 

 シノンは、顔を赤く染めて笑う。

 アキトは、そんな彼女の笑顔が眩しくて、直視出来なかった。

 

 

 信じられる事が、頼られる事が。

 頼れる事が、こんなにも有難いことだなんて、知らなかった。

 ずっと、守らなければと思っていた彼らは、自分の想像以上に強くて、羨ましかった。

 

 

 アキトは、確かにその顔に笑みを作っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……重く、ない?」

 

 「重くないよ」

 

 「……本当?」

 

 「ホントホント」

 

 「……借りは作りたくなかったんだけど」

 

 「貸しだなんて思ってないよ」

 

 

 転移結晶が使えないエリアの為に、帰りは歩きだった。

 だが、シノンは死の恐怖を間近で体験し、そしてアキトが助けてくれて安心した反動からか、足が竦んで動けなくなっていた。

 モンスターがポップする前に帰りたかった為に、アキトがとった行動はシノンを担ぐ事だった。

 俗に言うおんぶである。

 

 モンスターは一匹としておらず、辺りは静寂に包まれていた。

 シノンはアキトの背中を見て頬を赤らめ、なんとなく視線を逸らす。そんなシノンに気付く事無く、アキトは辺りに索敵を巡らせていた。

 

 

 「……色々大変だったけど、このアミュレットをお爺さんに渡せばクエスト終了ね」

 

 

 シノンはその手に金色のアミュレットを持って、軽く笑った。

 アキトは視線だけを向けた後、再び前を向いて告げた。

 

 

 「結構高難度だったし、結構強いスキルが貰えるかもね」

 

 「ホントに高難度だと思ってる?あんなに簡単にボスを倒しておいて」

 

 「あの時は必死だったし、あんまり覚えてないです……」

 

 「……ふうん」

 

 

 シノンは何かを疑うようにその目を細める。

 アキトは本来の性格上、結構ビクビクしながらシノンを見上げていた。

 だがやがて、シノンは軽く息を吐くと、小さく口元に弧を描いた。

 

 

 「……まあ、そうだと良いわね。攻略組の最低ラインからは、もう卒業したいし」

 

 「安全マージンギリギリだったのにあれだけボスと渡り合えたんだ、シノンはもう充分強くなったと思うよ」

 

 「……そう、かな」

 

 「シノンが今回手に入れたスキルを使いこなせるようになれば、攻略もより安定するだろうし。ゲームクリアもこのペースならすぐだよきっと」

 

 

 アキトは、そう言うと笑みを作る。

 シノンが今よりも強くなれば、攻略組のモチベーションだって上がる。遠距離の攻撃でも大打撃を与えられれば、戦術にも幅が出るし、その分だけクリア出来る可能性も速度も上がる。

 良い事ばかりだった。

 

 

 「……お」

 

 

 気が付けば、ダンジョンの外への出口が見えた。

 そこを出ると、その空はオレンジ色に染まりつつあり、もうすぐエギルの店に皆が集まる時間帯だった。

 風が冷たく頬を撫で、アキトは身体を震わせる。

 いい具合に時間が経っているなと、アキトは苦笑した。

 

 

 「……ゲームクリア……か」

 

 「……シノン?」

 

 

 だが先程のアキトの言葉を聞いたシノンは、その顔を曇らせる。アキトは気になったのか、シノンの名前を呼び、その足を止めた。

 

 でも、そんなシノンの顔は次第に赤く染まり、アキトの事を見つめていた。

 

 

 「……そういえば、私を守るってアレ、いつまで有効なの?」

 

 「……え」

 

 

 そんな彼女の言葉に、アキトは一瞬だけ固まる。

 だけど、すぐに彼女の言っている事を理解出来た。

 

 

 「……えっと……言われてみれば期限とか考えてなかったな……でも、ずっと守るって言ったでしょ」

 

 「……現実に戻っても?」

 

 「え……いや、うん…そう、だね……それを君が、みんなが望んでくれるなら」

 

 「……良いの?簡単にそんな事言っちゃって」

 

 「簡単に言った訳じゃないよ。まあでも、ずっととは言ったけど、ずっとは無理だろうなぁ……」

 

 

 アキトはそう言うと、顔を空に向ける。

 つられてシノンも見上げれば、オレンジ色に広がる空があった。そして、その瞳を再びアキトに下ろし、ポツリと口を開いた。

 

 

 「どうして?」

 

 「そりゃあ、いつかは大切な人が出来るからだよ。将来、一緒にいたいって思える人がお互いに出来るでしょ?そしたら、シノンはその人に守ってもらうんだ」

 

 「……」

 

 「だから、きっと俺が君達を守れるのは、それまでだろうな」

 

 「……」

 

 

 アキトは何故か、自身の肩を掴むシノンの手の力が強くなるのを感じた。

 ちょっと、痛いんですけど……。

 見ると、シノンは冷めた目でこちらを見つめており、アキトは背筋が凍った。別の人種なら、御褒美だっただろうが。

 

 だがシノンは深く溜め息を吐くと、その頬を赤らめ、やがて呆れたように笑った。

 

 

 「……まあ良いわ。アンタはそんな奴だって分かってるし」

 

 「な、何それ…ちなみにどんな奴?」

 

 「いつも自信に溢れていて、誰に対しても強気。なのにユイちゃんにだけは甘くて。けど素直じゃないし、不器用だし、ちゃんと言ってくれないしで、凄いムカつく。それでいて強いから、余計ムカつく」

 

 「……はは」

 

 

 かなり辛辣な評価で、アキトは苦笑する。

 態度などを偽り、強がっていたからこそのこの評価だというのは分かってるが、なんとなく凹んだ。

 だが、シノンはそんな不満顔から、一気に優しい笑顔を作った。

 

 

 「…でも、私は知っているから。アキトは別に強い訳じゃないのよね」

 

 「え…」

 

 

 アキトは、そんな彼女の言葉に目を見開く。

 思わず、シノンの方に顔を向けた。彼女は、とても優しげに、言葉をゆっくりと紡いでいく。

 

 

 「アンタは色んな事で悩んで、苦しんで、傷付いて。でもそれでも前に突き進もうとしているのは、強いからってだけじゃない。みんなを守ろうと必死だから、強い自分を見せて安心させてあげたいから、そんな自分でいたくて、努力してるから。…私、ちゃんと分かってるから」

 

 「っ……!」

 

 

 彼女のその言葉が、とても胸に響いた。

 どうして、そんな事が分かるのか。アキトは、その驚きで固まった。

 その一つ一つ紡がれた言葉が耳に入る度に、色んな事が思い起こされた。

 みんなを守る為にこの身を犠牲にして走った事や、周りに希望を見せようと強がっていた事。そんな自分になりたかったと、心の底で願っていた事を。

 

 そんな自分の努力を、彼女は知ってくれていた。

 何故か、言葉に詰まった。

 

 

 「…シ、ノ…」

 

 「私はアンタより強くない。アンタみたいに明確な意志も無いし、色々な事でアンタよりも弱い存在で」

 

 

 シノンはその腕を、アキトの首に回す。

 アキトはただ、シノンの言葉に耳を傾けるだけで動けなかった。

 

 

 「アンタを支えるとか、守るとか、そんなカッコイイ事は言えないけど」

 

 

 目頭が熱くなるのを感じた。

 アキトはその瞳を揺らし、身体が強ばった。

 

 

 「その代わり、アンタの事は誰よりも分かっててあげるから。全部は無理かもしれない。けど、アンタの強いところも、周りに見せない弱いところも。…理解してあげるから」

 

 

 シノンはそう言って笑い、アキトを見つめていた。

 

 そんな彼女の言葉一つ一つが、アキトの心を揺らした。

 ここまでの努力が、固く決意した誓いの為の経緯が、認められた気がした。

 

 そうだ。自分はきっと、この存在を認めて欲しかっただけなのかもしれない。

 仲間が欲しくて、世界が欲しくて。

 ずっと独りだった自分に、『独りじゃない』と言って欲しかったのかもしれない。

 

 求めたものがあって、何より大切で。

 それを失わぬ為に頑張ったのに、その手から零れ落ちて。

 もう失くさないと誓ったのに、守ると決めたのに。

 それなのに自分は、必要とされていないような気がしてた。

 みんな、思ったよりも強くて。居場所なんて無いんだと考えて。

 だから────

 

 アキトは、目に溜まった何かを見られぬようにと、顔を下に向けた。

 

 

 「……アキト?」

 

 「な、なんでもない……なんでもないんだ……ちょっと、太陽が眩しくてさ……」

 

 「そっか……」

 

 「うん……」

 

 

 シノンは何も言わずに、回した腕の力を更に強くする。頭をアキトの肩に乗せ、その瞳を閉じた。

 そんなシノンを乗せたアキトは、顔を伏せて小さく笑った。

 

 背中の彼女を。妖精の女の子を。

 想い人を失った彼女を。親友を失った娘を。

 出会った人達が笑えるようにと、頑張って来た事が無駄じゃなかったと、心からそう思えて嬉しかった。

 

 

 

 

 

 夕焼けは、とても綺麗だった。

 

 






① おんぶの後で


シノン 「ゴメンね、長い事担がせちゃって……」

アキト 「全然良いよ、軽かったし」

シノン 「そ、そう……」

アキト 「まあ現実の身体じゃ絶対に無理だろうけど。耐えらんない」

シノン 「……」

アキト 「……いや、アレだよ?腕の力の問題だよ?全然シノンの重さは関係無いから、その弓下ろしてくれない?」(震え声)



② シノンのフレンドリスト


・アスナ
・シリカ
・リズベット
・リーファ
・ストレア
・クライン
・エギル
・アルゴ


シノン 「……」




・アキト(新)




シノン 「……」

シノン 「……♪」





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Ep.67 薄れる感情


最近ほぼ毎日投稿してましたが、これを境に暫く投稿出来ませぬ。

ご了承ください(´・ω・`)
↑いつも似たような事言ってる。

しかし、感想が私のモチベに変換される……!
オラに感想を分けてくれ……!

冗談はさておき、では、どうぞ!



 

 

 

 

 

 アスナが涙するのを見た。

 想い人を失い、生きる意味を失い、それでも生きていくと決めたのに、何処か無理をしていたから。

 

 シリカの涙が流れたのを見た。

 大切だった人、力になりたかった人の為に赴いた場所には、支えるべき対象が何処にもいなかったから。

 無力で、何も出来ない、そんな自分を責めたから。

 

 リズベットが泣くのを見た。

 親友の為に自身の気持ちを押し殺した事、そして、ただ帰りを待つだけだった自分自身を呪って。

 そして想い人を失い、後悔を募らせたから。

 

 シノンが泣きじゃくるのを見た。

 強くなりたい一心だったのに、何一つ上手くいかなくて、自分自身じゃ何も出来なくて。

 無力な自分を、怯えて死ぬだけだと思い、恐怖したから。

 

 ユイが泣きながら訴えた願いを聞いた。

 父を失い、母までもが後を追おうとした時、自身の存在が消えた気がした事を嘆いていた。

 けどそれでも、彼女は他人の事を一番に考えて、そしてその願いを叶えたくて、必死に縋った彼女を、今でも覚えてる。

 

 そして、リーファが泣き叫ぶのを見た。

 兄の死から逃げるように、ログインした彼女。

 この世界で初めて手に入れた感情は決して『感動』なんかじゃなくて。

 兄を奪った仮想世界は憎いものでしかなくて。それでも、兄がどんな世界を旅しているのか、知りたくなって、ALOというゲームに触れた。

 だけど兄を失ってから、彼女の心はずっと揺れていたのかもしれない。ずっと無理していたのかもしれない。

 みんなと笑い合っている中でも、心の中ではみんなとの思いを共有していなかったのかもしれない。

 そう思うと、心が傷んだ。

 まるで、今までの時間を。

 否定されたみたいに感じたから。

 

 

 そんな彼女の為に。

 

 自分には、何が出来る────?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「あ、いらっしゃーい、アキト」

 

 「……おう」

 

 

 この店の主であるリズベットとは対照的に、アキトは簡素な受け答えで返す。

 けれど、リズベットは顔色一つ変えずに、その笑顔のままこちらに歩み寄り、その腕をアキトに向けて突き出した。

 

 

 「武器のメンテでしょ?やったげるから、貸して」

 

 「……頼む」

 

 「はいはい、ちょっと待っててね」

 

 

 リズベットはそう言うと、アキトから渡されたエリュシデータを両手に抱え、ゆっくりと工房へと運んでいく。

 アキトは、リズベットより先に工房行きの扉に辿り着き、両手が塞がっているリズベットの為に、その扉を開けた。

 

 リズベットはそんな彼の行動に目を丸くし、そのままパチクリと瞬きを繰り返していた。

 だが、その口元は段々と弧を描いていて、その顔は優しげに綻んだ。

 

 

 「……ありがとっ」

 

 「……別に」

 

 

 アキトの横を通り過ぎ、リズベットは工房へと続く小さな階段を下りる。

 そこには鍛冶屋が使うハンマーや炉、台や鉱石など、色んなものが備わっていた。

 アキトは初めて見るものばかりで、目を見開いていた。

 そんな彼を見て、リズベットは小さく笑った。

 

 

 「工房見るのは初めて?」

 

 「まあ、な。大方予想通りだけど」

 

 「見ててもいいけど、メンテナンスの邪魔しないでよね。話し掛けられたら集中出来ないから」

 

 「その代わりちゃんとやれよポンコツ」

 

 「だからあたし、もうスキルコンプリートして……アキトも分かってて言ってるのよね……」

 

 

 リズベットは呆れたように笑うと、エリュシデータのメンテナンスに入った。

 チリチリと火花を散らし、その剣を削り、鋭くしていく。彼女のその瞳は、キリトの形見だけを真っ直ぐに見つめていて、とても職人らしく、それでいて、とても魅力的に見えた。

 アキトも、思わず見惚れてしまっていた。

 

 リズベットは今までこうして、みんなの為に武器をメンテナンスして、武器を作って、そうしてここまで築き上げてきたのだ。素直に凄いと思った。

 自分だけじゃない。努力しているのは、みんな同じ。だからこそ、報われて欲しいと切に思った。

 

 だが、こうしてただ待っていると、色々考えてしまう。

 何も無い時間が、アキトを悩ませる。

 そうして工房の周りをウロウロしていると、やがて剣が削れる音が鳴り止み、リズベットが立ち上がる。

 アキトもそれに気付いて振り返ると、エリュシデータを鞘に入れて担いだリズベットが立っていた。

 

 

 「お待たせ。はい、どうぞ」

 

 「……ん」

 

 「確か、明日だったわよね?86層ボスの攻略会議。何か、とんでもないペースになって来たわね」

 

 「そうだな……」

 

 「今日はもう良い時間だし、早めに休憩したら?」

 

 「……ああ」

 

 

 リズベットはそんな彼を見て首を傾げる。

 先程から受け答えが適当過ぎて、話を聞いているのかすら分からない。

 

 

 「……ねぇ、どうかしたの?」

 

 「……別に」

 

 「アンタがそんな感じに言う時って、大抵何かあるのよねー……」

 

 「……」

 

 「あ、もしかしてリーファの事?」

 

 「っ……」

 

 

 アキトは愚かにも、そんな彼女の言葉に反応を示してしまった。

 リズベットはそんな彼を見て、深く溜め息を吐き、その表情は呆れ顔だった。

 

 

 「何よ、アンタらまーだ仲直りしてない訳?明日はボス戦なのよ?」

 

 「……別にケンカしてる訳じゃない」

 

 「じゃあ何でギスギスしてるのよ」

 

 「……」

 

 

 リズベットはきっと、興味本位で聞いている訳じゃないのは分かっている。

 キリトの仲間達は、みんな優しい。こうした仲間内のいざこざを、見て見ぬ振りが出来ないのだろう。

 そんな姐御肌なリズベットを見て、小さく笑みを作るも、この話はなんとなく言いにくかった。

 リーファのこの世界に来た理由に触れる事になるし、それはある意味リアルの情報を他人に漏洩するという事だ。

 リーファのあの時の泣き顔を思い出すと、とてもじゃないけど言えなかった。

 

 何も言わずに押し黙るアキト。

 そんな彼を見続けていたリズベットだが、やがてその視線を左に逸らした。

 

 

 「……相談くらいなら、聞いてあげるわよ」

 

 「……リズベット……」

 

 

 リズベットはアキトの横を通り、入口前の階段に腰掛けた。

 両肘を膝に付き、その手のひらに顎を乗せる。その視線はアキトだけを見据えていた。

 

 

 「あたし達は仲間なんだから、悩みは打ち明けてくれれば良いのよ。そりゃあ、リアルに関わる話とか、どうしても言いたくないーとかなら仕方無いのかもしれないけどさ……」

 

 「……」

 

 「何もできないってのも、結構堪えるのよ……?」

 

 「っ……」

 

 

 その発言は、リズベットが言うからこそ、重みを感じた。

 アキトは言葉に詰まり、彼女から視線を逸らす。受け取ったエリュシデータが、いつもより重く感じて、アキトはその表情に影を落とした。

 

 だが、アキトは何かを決意したのか、エリュシデータを台を支える柱に立て掛けると、近くの壁にもたれかかった。

 そして、ポツリと、その口を開いた。

 

 

 「……もし、さ」

 

 「うん」

 

 「……お前が、その……この世界の誰よりも強くて」

 

 「うん……へ?」

 

 「目の前に茅場晶彦……ヒースクリフが、HP残り1ドットでその場に転がってたとする」

 

 「ちょ、ちょっと待って……何の話よこれ?……というか、何その状況……?」

 

 

 アキトの口から繰り出される珍発言に、リズベットは困惑を抱く。

 一体何の話なんだこれは。アキトも、言い方が間違ったかと、その頬をポリポリと掻いた。

 

 

 「あー……えっと、さ」

 

 「……」

 

 「茅場晶彦を……殺したいと思った事はあるか……?」

 

 「え……」

 

 

 アキトの口から、そんな言葉を聞いて、リズベットは固まった。

 けれど、彼の表情はとても真剣で、とても悲しげで、冗談じゃないだろう事が伺えた。

 

 

 「この世界に2年も閉じ込められて……その現況を、それ程までに恨んだり、とか……してないのか……?」

 

 

 言葉を続けるアキト自身も、何を聞いているのだろうと自分を責める。彼女に聞いても、そんな事に答えてくれる訳もないのに。

 

 アキトは軽く溜め息を吐くと、もたれた壁からスっと立ち上がり、エリュシデータを背中に収めた。

 

 

 「悪い、忘れてくれ」

 

 

 アキトはそう言うと、リズベットの隣り、空いた空間から階段を登って店へ出ようと、その足を進めた。

 けれど、そんな彼の目の前に座るリズベットが、小さく口を開いた。

 

 

 

 

 「……恨んでる」

 

 「…………え」

 

 「そりゃあ……恨んでるわよ……恨んでるに決まってるじゃない……」

 

 

 アキトは、小さな声でそう答える彼女を見下ろした。

 階段に座る彼女は、その膝を抱えて蹲っていた。

 

 

 「この世界には……いないんじゃない?茅場晶彦を恨んでない人なんて。まあ、全員かどうかは分からないけど……」

 

 「……そう、だよな」

 

 「さっきの、アキトが言ってた事。『殺したいっと思った事があるか』ってやつ。そんな風に考えた事は、無かったかな。そもそも、それって犯罪だしさ」

 

 

 ハハ、と乾いた笑みを浮かべるリズベットを、アキトは何とも言えない表情で見つめるばかり。

 だが、やがてリズベットはその笑いをやめて、表情を暗くした。

 

 

 「けど……キリトが死んだって聞いた時は、一瞬だけ思った」

 

 「っ……」

 

 「もし、茅場晶彦が目の前に現れたら、殺してやりたいって思うだろうなって……」

 

 

 言葉が詰まった。

 そんな風に、思いを打ち明ける彼女を、アキトは見た事が無かったから。

 いつも笑顔な彼女の、そんな黒い感情を、アキトは見た事が無かった。

 自分は、やっぱり何も理解していなかったんだなと、そう思った。

 だが、リズベットはやがて顔を上げ、アキトを見つめた。

 

 

 「……けど、けどね? もしそんな事をしても、心は晴れないと思う。それどころか、自分がやった事に後悔して、もっともっと辛くなるだろうし……そんな勇気も無いしねっ」

 

 「……」

 

 「それに……この世界に来たのも、悪い事ばかりじゃ無かったしね」

 

 「え……?」

 

 

 アキトは、そんなリズベットの言葉に目を丸くする。

 リズベットは温かい笑みを浮かべて、その瞳をゆっくりと閉じた。

 

 

 「この世界に来たからこそ、出会えた人がいたし、感動する景色があった。そりゃあ、この世界が無ければ、死ぬ事だって無かっただろうし、そう考えたら、やっぱり茅場晶彦のやった事は許せない」

 

 「……」

 

 「……けど、この世界に来た事、あたしは否定したくないんだ。この世界に来たおかげで、あたしはアスナって親友が出来たし、あの子を守りたいと思えた。……ここに来たから、キリトに会えて……好きになれた」

 

 「っ……キリトを……」

 

 

 そうやって告白するリズベットは、顔が少し赤くて、照れを誤魔化すように笑った。

 

 

 「この世界で過ごしたあたしは、この出会いと気持ちを無かった事には出来ないのよ、きっと。だって、こうして生きている世界は本物だと思うし……誰かと繋いだ手は、温かいって教えてもらったから」

 

 「リズベット……」

 

 「……だから、きっと恨みだけじゃないのよ。思ってる事は」

 

 

 リズベットは、閉じていた目を開き、前を見据える。

 炉心の火が燃えているのを見つめながら、その表情を曇らせた。

 

 

 「……そうやってみんなに会って、こうして仲良くなって、笑って……現実との隔たりとか、違いとかを感じなくなって行く内に……少しずつ、なのかな……茅場晶彦に対する憎しみっていうのが、段々薄れていっちゃって……」

 

 「……そうか」

 

 

 アキトはそう一言返すと、その目を伏せた。

 自分が作り上げたこの雰囲気で我に返ったのか、リズベットは再び誤魔化すように笑った。

 

 

 「あ……あはは、おかしいかな?あたしの思ってる事」

 

 「……いいや、何も。何もおかしくないよ」

 

 「そ、そう……な、なーんか語っちゃって!ゴメンね、アキトあたしだけ話しちゃって……」

 

 

 リズベットはその場から立ち上がり、炉へと近付いていった。

 その背中を、アキトは眺めるだけだった。

 

 

 彼女の言っている事は、大半のプレイヤーが感じている事だろう。

 憎しみ、恨み。それに限らず、人間は一つの感情をずっと持続させる事は不可能だ。

 最初は皆、茅場晶彦を恨んでいた筈だ。だがこうして2年経つと、そうでも無い連中が増えた。

 そのいい例がオレンジプレイヤーだ。

 

 そしてリズベットの言うように、茅場晶彦への憎しみだけじゃない。この世界で紡いだ絆は本物で、そんな出会いの場をくれた奴を、憎しみだけの目で見れない奴もきっといる筈なのだ。

 感情が持続出来ないという事もあり、茅場晶彦を殺したい程に憎む人々も少ないだろう。

 時間が経てば経つ程に、その感情は薄れていく。

 

 もしかしたら、リーファもそうだったのかもしれない。ずっと隠して、偽っていた訳じゃない。

 こうしてみんなと笑い合ったあの時間は、決して無駄じゃ無かったのかもしれない。リーファも、心の底から楽しんでくれていたかもしれない。

 けれどあのクエストを見付けて、兄への想いを、再確認して、茅場晶彦の事を考えるようになったのかもしれない。

 

 リズベットの言っている事が、この世界の大半の考え。

 それはきっと正しくて、それが常識なのかもしれない。

 

 

 だけど────

 

 

 

 

 「……憎しみが薄れる感覚、よく知ってる」

 

 「え?」

 

 

 リズベットが、そんなアキトの言葉に振り返る。

 アキトは、ほんの少しだけ、分かりにくい笑みを浮かべて、リズベットを見つめていた。

 

 

 「ましてや、好きな人を失った事考えたら……そう割り切るリズベットも、憎しみに駆られたのも、仕方無いと思う。誰も責められないよ」

 

 

 そう。だって、それが普通なのだ。

 仲間の死や、自身の置かれた状況を見れば、茅場晶彦を恨むのは当然だが、その感情が薄れてしまうのが、当たり前なのだ。

 

 だけど、それでも。

 

 

 「……俺も、似たような事があったんだよ」

 

 「え……?」

 

 

 そんな彼の言葉に、リズベットは思わず聞き返してしまう。

『似たような事』とは、キリトを失った自分のような事なのかと、そう考えてしまったから。

 アキトは、彼女から目を逸らすと、炉心の炎を見つめた。

 

 

 「絶対に茅場が許せなくて……納得するまで戦うって、そう決めた筈なのに……その思いは日に日に薄れていった」

 

 「……」

 

 

 それが、普通。

 感情が薄れてしまうのが、普通なのに。

 それでも。

 

 

 「……けど俺、気付いたんだよ……」

 

 

 そうやって自嘲気味に笑うアキトは、何処か辛そうで。

 リズベットは、ただ黙って見る事しか出来なくて。

 

 

 

 

 「納得するまで戦わない限り……この憎しみ(思い)は完全には消えないんだ、って……」

 

 

 「アキト……」

 

 

 

 

 その腕を、もう片方の腕で強く掴む。

 そう、そうなのだ。

 この思いは、どんどん薄れていく。けど、それでも完全には消えてはくれなかった。

 どこかで、必ず精算しなければならない事なのかもしれないと、そう思ってしまった。

 そうしなければ、前に進めない人だっている。

 

 勿論、過去に起こった事は悲劇だった。

 誰が悪い事でも無かったかもしれない。それでも、アキトは自身を責めて、茅場晶彦を責めた。

 出会いを否定したかった訳じゃない。この世界が無ければ出会えなかったかもしれないという事も理解している。

 けれど、アキトは思ってしまったのだ。

 この世界さえ無ければ、彼らが死にゆく事は無かったのに、と。

 

 

(……だから、リーファも……)

 

 

 彼女も、本当は楽しかったのだろう。あの笑顔は、紛れもなく本物に見えた。

 みんなといる時間を、思いを分かち、共有していた。けれど、どんなに楽しんでも、誤魔化しても、仮想世界への憎しみが薄れても。

 完全には消えてくれなかったのだ思う。

 

 そんな彼女に、自分のエゴを押し付けるのは間違っているのかもしれない。

 だけど、彼女はかつての自分に良く似ていた。大切なものを失った、かつての自分と。

 だからこそ、放ってはおけなくて。あんな苦しみを、感じて欲しくなくて。

 

 

(だから……俺は……)

 

 

 アキトは身体を反転させ、工房の入口、その扉へと手を掛けた。

 顔だけを後ろに向けると、リズベットが目を丸くしてこちらを見ていた。

 

 

 「悪い、リズベット。ちょっと用事思い出した」

 

 「わ、分かった……あっ!ちょ、ちょっと待って!」

 

 「……?」

 

 

 リズベットは慌ててアキトを呼び止めると、自身のウィンドウを開き出した。

 忙しなくその指を動かし、アイテムストレージを操作していく。

 

 すると、リズベットのその手元に、鞘に収められた一本の剣が顕現した。

 リズベットは重そうにそれを持つと、アキトに向かって歩き出した。

 アキトは彼女の行動が読めず、その場に立ち尽くすだけだった。

 

 やがて、リズベットがアキトの前にまで来ると、その手に持つ剣をアキトに差し出した。

 

 

 「……受け取って欲しいの」

 

 「……これ」

 

 

 アキトはリズベットから渡された剣を、鞘から抜き取った。

 それは、今まで見た事のある剣の中でも一際美しい、紅く輝く剣だった。

 とても重く、アキトが使うに適したもので、刃の付け根には、青く光る宝玉が嵌め込まれていた。

 そして、その剣の性能は、エリュシデータと同等、いや、それすらをも凌ぐステータスを誇っていた。

 

 

 「名前は《リメインズハート》。今あたしが作れる、最高傑作」

 

 「……どうしたんだ、これ」

 

 「前にシリカとリーファとで、この剣を作る鉱石と炎を手に入れたんだ。それで、この前アンタと二人で手に入れた《ヴェルンドハンマー》で、打ったの」

 

 「……」

 

 

 その話は、リーファに聞いていた。

 いつだったか、リズベットとシリカと、《レラチオン鉱石》と呼ばれる鉱石を採りに出かけたという話を。

 まさか、ずっとこれを作る為に────

 

 

 「……けど、どうして剣なんだよ。刀とかレイピアとか……お前がメイスで使うって事も出来た筈だろ」

 

 「馬鹿ねー、強い武器が作れるなら、一番有効に使ってくれる人に渡すべきでしょ?」

 

 「……けど、俺にはコレが……」

 

 

 アキトはそう言って、その背に背負う黒い剣《エリュシデータ》に目をやった。

 たとえ、リズベットの剣の方が優れていたとしても、キリトの形見であるこの剣を使う事に、無意識に拘っていたからだ。

 この剣が、自身を強くしてくれている気がして、彼と共に戦っているような気がしたから。

 

 リズベットは、それを聞いても表情は変えず、ただ笑顔でアキトを見上げた。

 

 

 「……分かってる。けどこれは、アンタの為だけに打った訳じゃないの」

 

 「え……」

 

 「自分の為……そして、キリトの事を思って作ったの。色々な事を乗り越えて、乗り切って、前に進む為の剣を」

 

 「……リズベット」

 

 

 だから、剣の形なのだ。

 彼の事を想って、本気で好きになってしまって。

 諦めなきゃと思っても、この気持ちを偽れなくて。

 そんな彼の為に、覚悟を決める為に、自分の集大成として作ったこの剣。

 その剣には、リズベットの心が確かに込められていた。

 

 

 「アンタは前科があるからねっ、予備としてとっておいても損は無いでしょっ!」

 

 「うっ……」

 

 「今度は折るんじゃないわよ?」

 

 「……分かった」

 

 

 そう言うと、アキトはその手の剣に視線を落とす。

 腕に自然と力が入るのを感じた。

 

 

(……重いな)

 

 

 まるで、この世界に生きる全ての人の意志と願いを、全て集めて収めた剣のように思えた。

 これを作るのに、一体どれほどの────

 

 

(想いを背負って、前に進む為の剣……か)

 

 

 アキトは《エリュシデータ》をストレージに仕舞い、《リメインズハート》を背中に装備した。

 それを見たリズベットは、驚きで目を見開いたが、やがて嬉しそうに、その頬を赤らめて笑った。

 

 

 「良いの?」

 

 「……ああ」

 

 「そっか……へへっ」

 

 

 そうして笑うリズベットは、本当に魅力的だった。

 アキトは、そんな彼女を一目見て、今度こそ彼女にその背を向けた。

 

 

 「じゃあ、行ってくる」

 

 「リーファの事、頼んだわよ」

 

 「……ああ、引き受けた」

 

 

 アキトはその扉を勢い良く開き、その部屋を後にした。

 だが、扉が自然と閉まるその瞬間、アキトはリズベットに向けて笑みを受け取った。

 

 

 

 

 「ありがとう、リズベット」

 

 

 「っ……アキ、」

 

 

 

 

 リズベットが何かを言う前に、その扉は閉まった。

 何気無く伸ばされたその腕は、自然と力無く落とされた。

 リズベットはその扉を見て、寂しそうに笑った。

 

 初めて聞いた、彼の感謝の言葉を思い出して。

 

 

 「言い逃げなんて……ずるいわよ」

 

 

 素の彼を垣間見たような気がして、リズベットは少しだけ嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキトはフレンドリストに最近登録された名前を見付け、位置情報を検索しだし、いつもの丘にいる事を知り、そこまで全力で駆け出した。

 人混みを抜け、裏通りを抜け、夕焼けに染まるその丘と、その目の前に広がる湖。

 その丘で小さくなりながら座る栗色の髪の少女を見て、アキトは途端に口を開いた。

 

 

 「閃光!」

 

 「ひゃあっ!」

 

 

 アスナはいきなり呼ばれた事でその身体を震わせ、慌てて呼ばれた方向へと視線を向ける。

 その声の主がアキトだと認識すると、その胸を撫で下ろし、ムッとした表情でアキトを見上げた。

 

 

 「も、もー、驚かさないでよー!」

 

 

 アスナにしてみれば、アキトに黙ってこの場所に来ている事に若干の羞恥を覚えていた。

 だが、そんな彼女の言葉を無視し、アキトはアスナの元まで駆け寄った。

 アスナは突然の事と、いきなりこちらに近付いてくるアキト、そしてそんないつもとは違う様子の彼を見て、困惑で心臓が鳴り響いていた。

 

 やがてアスナの隣りまで来ると、アキトはアスナと同じ目線になるようにしゃがんだ。

 アスナは目を見開き、慌ててアキトとの距離を少し離した。だが、彼のその表情を見て、その身体が固まってしまう。

 あまりにも真剣で、それでいて何処か辛そうな彼を見て、その瞳が揺れていた。

 

 

 「……アスナ」

 

 「は、はい……」

 

 

 突然、彼にその名を呼ばれ、アスナはその身体を震わせる。

 なんだ、何を言うつもりなのだ、彼は。

 アスナはその目を丸くして、彼を見つめた。

 

 やがて、その顔を上げた彼が、アスナを真っ直ぐに見つめて、そしてまた顔を逸らした。

 だが、アキトはポツリと、その口を開いた。

 

 

 「……相談が、あるんだ」

 

 「……相、談?」

 

 

 アスナは首を傾げる。

 そんな事でこんなに躊躇していたのかと思ってしまってはそれまでだが、人に頼る事を知らなかったアキトからすれば、かなりの勇気が必要だった。

 

 

 「……助けたい、人がいるんだ」

 

 「うん……」

 

 

 かつての自分に似ている、今のリーファ。

 もしかしたら、キリトを失ったばかりのアスナよように、いずれはなってしまうかもしれない彼女を、アキトは放っておけない。

 そんな生き方は、必ず死に繋がる。たとえ、彼女がそうなる事を望んでいたとしても、それは間違った望みだと思うから。

 

 

 「けど……それは俺のエゴでしか無くて……」

 

 「……そんな事無いよ」

 

 「っ……え……?」

 

 

 アスナのその言葉に、アキトは顔を上げる。

 彼女はアキトを真っ直ぐに見据え、顔を傾けて笑った。

 

 

 「誰かを助けたいって思うその気持ちは、絶対に間違ってないと思う。たとえ、それを相手が望んでなくても、そう思う気持ちは絶対に間違いなんかじゃない」

 

 「……アスナ」

 

 「……聞かせて、アキト君」

 

 

 アスナはそう言って、変わらず笑顔を見せてくれた。

 アキトは、その瞳を細めた。

 

 ああ、そうだ。

 

 

(俺は……君のそんな笑顔が見たくて……)

 

 

 だから、リーファも。

 

 

 「……早速、頼らせてもらっても良いかな……」

 

 

 それは、前にこの丘で交わした言葉。

 アスナの気持ちを聞き、自分には頼るべき人達がいるのだと自覚したあの時。

 

 そんな彼の発言を聞いて、アスナは当たり前だと、そういった表情で再びアキトに笑って見せた。

 

 

 

 

 アキトがずっと見たくて、守りたかった笑顔を、アキト自身に見せてくれたのだった。

 

 

 

 

 最前線に来た意味が、全うされた気がした。

 












誰かが願い、誰かが求めた。


だから今、この部屋の中心で、その願いが顕現していた。


愚かにも、誰もが希望を持ち、それを何処かで信じていたから。


理に背く願いを、幻想を抱いてしまったから。








皆が平伏すその中心で、彼は一人、目の前の敵と対峙していた。


「……どう、して……」


加速していく光の剣戟、呻き声を上げるボス。
その咆哮が、部屋に響き、空気を震わせる。

誰もが、その光景を見ていた。
誰もが、その姿に魅了され、希望を抱いた。

けれど、それでも。
割り切れない思いがある。




「何で……どうして……君が……!」




栗色の少女はどうにか叫ぶ。
彼女の仲間達も、各々が心の中で思っただろう。

その切実な疑問を。
僅かな期待と、大きな不安を。




────けれど、もう遅い。












『「…………」』













視線の先には、片目を黒く染めた、かつての剣士の姿が。


ただ、静かに敵を睨み付けていた。






















次回 『その◼の剣士の名は』


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Ep.68 その()の剣士の名は



お待たせしました……!
これ以上のものは書けない……(´・ω・`)

頑張りました……!
更新のペースは以前よりも遅くなるでしょうが、必ず完結させますので、末永く宜しくお願い致します。

文字数1万7000越えです。何故こうなった……!




 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────夢を見た。

 

 

 

 

 いつもとは全く違う夢を。

 

 誰かが苦しみ、泣き叫び。

 

 痛み、嘆き、足掻き、そして最後には、諦める。

 

 そんな夢を。

 

 暗い、暗い、闇の中を彷徨う様な夢を。

 

 何かを必死に探していて。

 

 願いの先を。

 

 夢の続きを求めて。

 

 

 

 

 

 ────そして。

 

 

 そんな彼らの中心に立つ、黒い剣士の夢を。

 

 

 それは、自分だっただろうか。

 

 

 それとも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 86層迷宮区 最奥

 

 

 そこに、フルレイドで組まれたパーティ集団がいた。

 段々と近付いていく、フロアボスと邂逅する事になる扉。

 揃いも揃って、自身よりも遥かに大きいその扉を見上げながら歩いていた。

 

 もうすぐ、着いてしまう。

 もうすぐ、始まってしまう。

 また、恐怖の時間が。

 

 奥へと進むにつれ、空間が闇に覆われていくようで、不安が彼らを襲った。

 もう86回目の体験だというのに、死へと近付くこの感覚だけは慣れる事は無かった。

 左右にある壁は、奥までずっと等間隔で続いている筈なのに、次第に狭まっているように見える。とても閉鎖的で、息が詰まった。

 

 確かに階層を上がるペースはかなり早くなっている。だが、それが油断に繋がりかねないのだ。

 簡単に上がってしまえば、簡単に倒せてしまえば、それだけ自尊心が満たされてしまうから。

 そう、決して自分達だけが強くなってる訳じゃない。モンスターも段々と強くなっているのだ。

 思考するようになり、対処するようになり、学習するようになり、今じゃもうレベルだけの問題じゃなくなっているのだ。

 

 

 ────今日、彼らはその身を持って知る事になるという事実を、まだ知る由もない。

 

 

 

 

 「……いよいよだな」

 

 「……ああ」

 

 

 エギルがアキトの顔に合わせて屈み、そう告げてくる。アキトは一言だけ同意すると、視線の先、アスナの背中を見つめた。

 隊列を乱さぬ様に歩く。先頭は血盟騎士団のメンバー、次いでアスナ、その後ろに、アキト達といつものメンバーが続いていた。シリカ、リズベット、シノン、クライン、そしてリーファも。

 各々、顔付きは違うが、達成するべき目的は見据えていた。

 

 アキトは何となく重苦しい空気だなと思いつつ、ボス戦に向けての準備の再確認を開始した。

 シノンの方へと視線を向ける。

 

 

 「……シノン、弓のスキルには慣れたか?」

 

 「ええ、問題無いわ。そういうアキトこそ背中の剣、ちゃんと使えるの?」

 

 「あれ、そういや……お前、あの剣どうしたんだよ?」

 

 

 クラインは目を丸くしてアキトの背中にある《リメインズハート》を見つめて言った。

 その質問で、リズベットは何とも言えないような複雑な顔をしていたが、アキトはフッと軽く息を吐くと、近付いてくるボス部屋への扉を見上げた。

 

 

 「……まあ、今まで付き合ってくれたからな、たまには休ませてもバチは当たんねえだろ」

 

 「へぇ〜?自分の武器を折った奴のセリフとは思えないわね〜?」

 

 「……」

 

 

 リズベットのそのニヤけ顔を、不機嫌に見るアキト。リズベットだけじゃなく、彼がそんな事を言うとは思わなかったのか、意外そうな表情を示した。

 アスナも目を丸くしてアキトの方へと振り返っていた。

 だがその隣りで、シリカがポツリと、寂しそうに笑った。

 

 

 「……キリトさんの、剣だったんですよね……」

 

 「……らしいな」

 

 

 アキトはそっぽを向いた。

 

 ────らしい、じゃない。

 

 自分は、あのキリトの形見である《エリュシデータ》を、もっとずっと前から知っている(・・・・・・・・・・・・・・)

 初めて手にした時から、そんな気がしたのだ。初めて握ったにしては、とても良く、手に馴染んだから。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────また、これか。

 

 サザッ……と、ノイズのようなものが、視界を妨げる。

 そして、その中から、何かが霞んで見えるのだ。見た事の無い景色、見た事の無い顔。

 見た事の無い、アスナの顔が。ユイの顔が。

 

 アキトはその手を、片方の瞳へと持っていく。

 静まれ、鎮まれと、心の中でそう願う。知らない何かが入ってくる。

 知らない人達の感情が流れ込んでくる。

 だけど、それを何故か拒めなくて。

 

 

 「お、おい……アキト?」

 

 「っ……何でも無い」

 

 

 クラインが心配そうにその顔を覗き込んでくるが、アキトは目を逸らし、その自身の手を目から払った。

 だが、その様子を見て、リズベットが眉を顰めた。

 

 

 「……アンタ最近変よ?ホントに大丈夫な訳?」

 

 「余計なお世話だ、自分の心配だけしとけ」

 

 

 アキトは周りを煩わしそうに振る舞うと、その足を早め、アスナの横に並んだ。

 アスナはそんなアキトを見て心配したのか、その表情が困惑したものだった。瞳を揺らし、こちらを伺っている。

 

 

 「……アキト君」

 

 「リーファの事、頼む」

 

 「……分かってる。アキト君も、無茶だけはしないでね」

 

 

 アスナはそう言った。

 それは、懇願にも似た何かに聞こえた。もう失いたくないからこそ、無茶させたくない、と。

 無茶させた結果を、彼女は知っているから。

 

 

 「……お前らが、そうさせないでくれるなら、な」

 

 

 アキトは扉を見つめたままそう言った。

 素直じゃない。分かってる。

 けれど、これでいい。

 

 

 目の前には、既にボスへの入り口があった。

 各々が、自身の武器を装備する。彼らの瞳は、怯えながらも闘志を秘めていた。

 情報はほぼ皆無。それでいて全てが終わるまで出られない、一発勝負なのだ。緊張、困惑、焦燥、恐怖、それらが混在するのは当然だった。

 これ程の大人数だと言うのに、とても心細い。進化していくボスを相手に、戦力はいつだって心許ない。

 それでも、残り時間は少ないから。

 

 

 「皆さん。勝って……生きて帰りましょう!」

 

 

 扉の目の前まで来て、振り返ったアスナのその掛け声で、彼らは声を荒らげた。

 絶対にクリアして、帰ってやる。そんな強い意志を各々から感じた。

 

 

 アスナは彼らの様子を一通り確認すると、目の前の扉に向き直る。

 意を決して、その扉を開いた。

 

 

 

 

 「……行くぞおおおぉぉぉぉおお!」

 

 

『『『うおおおおぉぉぉおおぉお!!』』』

 

 

 

 

 開いた扉から、全員が突撃していく。

 重装備であるタンクから、ガシャガシャと金属の音が聞こえる。

 隊列を整えながら、決して乱れず、綺麗に散開していく。

 そして、全員が入った瞬間。

 

 

 その扉は閉じられ、ボスは、目の前に現れた。

 

 

 「っ……!」

 

 

 誰かの息を呑む音が聞こえる。

 声を荒らげた先程とは打って変わって、その部屋には静寂が襲った。

 目の前の、そのボスの姿に、人々は恐怖を覚えた。

 

 

 錆びた銅色の王冠。そこには、血のように真紅な宝玉が埋め込まれていた。

 

 皇帝が着るに相応しい貴族のような装備。それらが身体全身を覆っていた。

 

 その両手で持つ一本の大剣は、自身と同じくらい巨大で、それを軽々と持ち上げているのが見て取れた。

 その大剣の鍔には、大きな一つの瞳が備わっていた。

 

 そして、その高階級な装備を着こなす巨大な身体は、その所々から人間としての尊厳、あるべきものの全てを否定したものが映っていた。

 

 王冠を被るその頭が、全身が、骸で出来ていたのだった。

 

 

 BOSS No.86

 《The King of Skeleton(スケルトンキング)

 

 

 そのボスは、空間を痺れさせるほどの高い奇声を上げた。

 そして、自身の縄張りを侵入する攻略組である彼らを、生かしておくつもりは無さそうだった。

 

 

 「来るぞ!」

 

 

 エギルがそう叫んだ瞬間、骸の王は動き出す。

 その大剣を軽々と片手で掴み、そのままそれを引き摺るようにこちらに向かって走り出して来た。

 アキトはその動きの俊敏さに目を見開いた。

 

 

(思ったより速い────!)

 

 

 「散らばれぇっ!」

 

 

 タンクの誰かがそう叫び、我に返った彼らが一足遅く動き出す。

 だが、このボス戦においてはタイミングが全て。一瞬でも動きが鈍れば、ボスはそれを見逃さない。

 

 標的となったのは、シリカだった。

 彼女は恐怖で一瞬尻込みした。

 

 

 「ひっ……」

 

 

 シリカの眼前まで、そのボスが迫る。

 その剣を両手で斜め下に構えながら走ってくる。

 

 アキトはその足に力を込め、地面を思い切り蹴る。そして、そこから対処法を一瞬で脳に巡らせた。

 シリカの元まで辿り着いたとして、彼女を守りつつボスの攻撃をいなす事も考えるが、まだ動きが読めない為、リスクが高い。

 かと言って、シリカを捕まえてその場から思い切り飛んで避けても、体勢を立て直している内にその隙を突かれる可能性がある。

 

 

(なら────)

 

 

 アキトはシリカよりも手前にいて、かつこちらに背を向けているボスに向かって《ヴォーパル・ストライク》を放った。

 紅く煌めく刀身が、一瞬にしてボスのところまで辿り着かせてくれる。その突進力をボスの上体にぶつけ、シリカへの攻撃軌道を反らした。

 

 

 「!アキトさんっ!」

 

 「離れろ!」

 

 

 助けてくれたアキトに対して笑顔を向けるシリカにそう指示をだし、アキトはシリカが離れるまでボスへと対峙する。

 

 

 「囲え!」

 

 

 誰かのその指示で、攻略組は一斉にボスの周りに散らばった。壁役が前に出て、ひたすらにヘイトを稼ぐべく詰め寄る。

 シリカは一先ずはその場を離れたようで、アキトは心の中で安堵した。

 ボスはゆっくりと攻撃を食らわせたアキトを見据える。アキトは、そんなボスの頭上のHPバーに目を向けた。

 

 流石に筋力値極振りというのもあって、HPの減少は見て取れたが、その減りはあまりにも小さい。

 傍に来たクラインが苦い顔をした。

 

 

 「オイオイ、あんま減ってねぇぞ」

 

 「見た目骨だし、神経通ってないんじゃね」

 

 

 アキトがそんな巫山戯た事を口にしていると、ボスがその大剣をノーモーションで思い切り横に薙ぐ。

 前衛のプレイヤーは、その盾を持ってどうにか防いだ。だが、そのあまりの威力に、自身の位置がずらされた。

 

 

 「っ────!」

 

 

 弓連続射撃技《ヘイル・バレット》

 

 ボスの攻撃後の隙を狙った、シノンの弓での遠距離攻撃が放たれる。

 連続の早撃ち、それでいて正確なコントロールにより、それらの矢は全てボスへと突き刺さる。

 だが、ボスにはまるで効いていなかった。ユニークスキルとはいえ、今回のボスに弓は確実に相性が悪かった。

 

 

 「チィ……」

 

 

 シノンは悔しそうに舌打ちする。

 だが、それでもボスは倒れてはくれない。その巨大な剣を掲げ、その刀身を金色に光らせた。

 

 

 「ソードスキル来るぞ!」

 

 「全員警戒態勢をとれ!」

 

 

 攻略組の中で、互いに指示し合う声が飛び交う。

 やがて、ボスは素早い動きでその大剣を振り回した。

 

 両手剣範囲技二連撃《ブラスト》

 

 物凄い高速回転で周りのプレイヤーを薙ぎ払う。

 その強大な威力により、前衛の何人かが後方に吹き飛ばされる。

 

 

 「っ!」

 

 

 飛ばされる彼らの間を縫って進み、ボスの攻撃後の隙を狙って飛び出したのはアスナだった。

 目の前のボスの攻撃後のインターバルは短い。ここは、たとえ単発でも確実に重い一撃を────

 

 細剣単発技《リニアー》

 

 それは正しく『閃光』、彼女の代名詞であるその突きが、ボスの腹部に刺さる。

 

 

 「せあああぁぁあっ……っ!?」

 

 

 だが、ボスは静かにアスナを見下ろすと、その拳をアスナに向けて叩き付けた。

 まるで何事も無かったかのように、素早い動きで。

 自身の目の前に拳が迫るその瞬間、アスナは理解した。自身の武器では、この敵に脅威となりうる程のダメージを与えられないと。

 ステータスではない。ひとえに、相性の問題だった。

 だがそのアスナの前に、黒い剣士が立ちはだかり、彼女はその目を見開いた。

 

 

 「っ────!」

 

 「っ、アキト君!」

 

 「らぁっ!」

 

 

 片手剣単発技《バーチカル・アーク》

 

 アスナとボスの間に割って入ったアキトは、その青く輝く《リメインズハート》を奴の拳にあてがい、全力で弾いた。

 ボスが仰け反る瞬間に、リズベットとリーファが同じタイミングでボスに向かって跳躍した。

 

 

 「スイッチ!」

 

 「はぁっ!」

 

 「りゃあっ!」

 

 

 アキトの声に合わせ、リズベットとリーファが各々の武器を上段に構える。

 そして、ボスの動きが固まっているこのタイミングで、その武器を叩き落とした。

 

 片手棍単発技《サイレント・ブロウ》

 

 片手剣単発技《バーチカル》

 

 ぶつけた瞬間、ボスからは呻き声にも似た声が漏れる。

 アキトの元まで後退したリズベットとリーファは、ボスのHPバーの減少を確認すると笑みを浮かべた。

 

 

 「上手くいったわね、リーファ」

 

 「はいっ!」

 

 

 そんな彼女達の傍らで、アスナはボスを見ながら、アキト達に向かって小さく呟いた。

 

 

 「けど……あのモンスターには、私のレイピアが全く効いてないように見えた……」

 

 「今見た限りじゃ、突き系統の攻撃はアイツにとっちゃ蚊に刺された程度なんだろうな」

 

 「まあ、骨だしね……」

 

 

 アキトの答えに、リズベットは苦い顔をする。

 実際、アキトの放った突進技《ヴォーパル・ストライク》も突き系統の技なので、奴に対してそれ程のダメージでは無かっただろう。

 あの時、シリカへの攻撃を反らせたのはアキト自身の筋力値による恩恵だった。

 そのシリカが、ボスへの警戒を続けながらこちらに近付いて来た。

 

 

 「あの敵のダメージの量を見ると、リズさんのメイスが一番有効そうですね」

 

 「粉砕骨折の要領だな」

 

 「嫌な表現ね……」

 

 

 だが、この攻略組にメイスのプレイヤーは少ない。リズベットを入れて4、5人いるかどうかだ。その上レベルや役割の問題もあり、明らかに火力が足りてない。

 そして何より、相性による《閃光》アスナの無力化は、攻略組の精神的支柱を危うくする事実だった。

 

 

 「取り敢えず考察だ。ヤツには範囲技がある。だから完全包囲は無しだ。閃光、全員に指示しろ」

 

 「分かった」

 

 

 アスナは踵を返し、ボスの方に集まるプレイヤー達に向けて声を上げる。彼女が周りに指示を出す事で、攻略組全体の動きが変わり始めていた。

 その間、アキトはリズベット達に向き直り、苦い顔で口を開いた。

 

 

 「弱点武器が少ないなら数の暴力しかない。特にリズベット、悪いが……」

 

 「なーに謝ってんの!支え合っての攻略組でしょっ」

 

 

 何とも頼もしい、彼女のそのいつも通りの笑顔にアキトは安堵すら覚えた。

 弱点武器であるメイスが、今回活躍しなければならない。リズベットは攻略組としての経験も浅い為、かなりの重荷かもしれない。

 でも、彼女は心配させまいとしてか、意気込んで、挑戦的な笑みを作っていた。

 彼らは頷き合い、そしてボスへと向かって走った。

 

 

 ボスの咆哮を背中に受け、各々が武器を構える。その瞳はボスにのみ向けられ、恨み、憎しみ、そんな感情すら見受けられる。

 アキトが走ってボスに近付く間にも、ボスの攻撃は止まらない。攻撃と攻撃の間隔はとても短く、その身体を構成する固い骨のせいでダメージもままならない。

 

 その大剣が周りを跳ね飛ばして、空いた拳で目に付いた一番近くのプレイヤーに向かって叩き落とす。

 前衛で戦う壁プレイヤーの完全防御態勢でも、そのHPを削り取ってしまうその理不尽な攻撃力に、アキトは焦りを覚える。

 走っているのに、全然ボスに近付けない、そんな幻覚を覚える。速く、早く追いつけ。そう願っても、ドンドン自身の動きが遅くなる感覚に陥る。

 

 ボスの両手剣範囲技《ブラスト》は、斬った相手の動きを一時的に止める、スタン効果が付与されている。

 まともに食らえば防御していても危うい。実際、先程の攻撃でまだ動けずにいた者がいた。

 

 

 「下がれっ!」

 

 

 アキトはそんなプレイヤーとボスの間に、アスナの時と同様に割り込み、《リメインズハート》をボスの脛に叩き付けた。

 しかし、その骸の王はそれにいも介さずその足を高く上げて、再びアキトに向けて思い切り下ろした。

 アキトは庇っていたプレイヤーがその場から離脱した事を確認した為、そのボスから落とされる巨大な足を身体を捻る事で紙一重で躱し、再びその真紅の剣でボスの脛の裏を斬り付けた。

 だが、その王は全くアキトの攻撃によるダメージを感じていないのか、ノータイムで振り返り、その剣を振り下ろした。

 

 

 「っ!」

 

 「おらぁっ!」

 

 

 ボスに背を向けていたアキトの横を、クラインが通り過ぎ、その大剣に自身の刀スキルを思い切りぶつける。

 だが、相手の巨大な身体と筋力値も相成って、次第にクラインの体勢が崩れていく。

 苦しげな表情を浮かべるが、それでも負けじとその刀を押し出す。

 

 

 「野郎っ……こ、この……!」

 

 「クライン……!」

 

 

 アキトは身を翻し、クラインによって位置を固定された大剣を《バーチカル・アーク》で斬り上げた。

 ボスの上体が仰け反り、再びその行動に空白を作る。

 途端に、リズベットが入り込み、その棍棒を振り抜いた。黄色いエフェクトを纏い、ボスの足元を力の限り殴り付けていく。鈍い音が響き、ボスへのダメージへと変換されていく。

 ヤツの骨がどれだけの強度なのかは知らないが、リズベットの攻撃で減ったボスのHPバーを見て、確実にそれは討伐の希望に繋がっていた。周りも、その事実に段々とその心が解れていった。

 

 だが、やはりすぐにボスは立ち上がった。

 両手剣を地面に突き刺し、それを支えに立ち上がるその風貌は、歴戦の騎士と遜色は無く、その見た目も相成って、幽霊よりもタチの悪い恐怖を感じずには居られない。

 時間の経過によってかは分からないが、腐敗し切ったその錆色に濁った骨の節々がギシギシと音を立てている。その骸骨の眼からは、赤い炎が奥底から灯っていた。

 

 ダメージを与えたといっても、本当に極僅か。86層、そんな中途半端で、クォーターポイントでも何でもない筈のフロアボスなのに、ここまで強固な防御力を誇っている事実に舌打ちする他ない。

 加えて、誰もが手を付けにくいメイスといった打撃系統の武器が弱点という、攻略組にとってあまりにも相性の悪いボス。

 それも然る事乍ら、両手剣から繰り出されるソードスキルもかなりの威力だと伺えた。防御態勢をとった壁役のHPすらをも安易に削るその攻撃力と、その巨体による攻撃範囲の広さは言うまでもない。

 見た目が骸骨というのも相成って、この場にいる何人かの攻略組は、いつかの大戦を彷彿としていた。

 

 75層、クォーターポイントのフロアボス、骸の狩り手を。

 

 それを経験している彼らは、少なからず身を震わせる。

 アキト達の稼いだ時間により、どうにかボスの攻撃で崩れた態勢を整えた攻略組だったが、そのボスの容姿にあの時の惨劇を思い出す。

 その骸骨という姿そのものが、死の具現であるが故に引き起こされるイメージがある。

 まるで、この世界で命を落としたプレイヤー達の無念が体現されているようで。

 

 ボスは、自身のマントすらも震わせる程の衝撃を持った咆哮を放った。攻略組のメンバーを益々萎縮させるボスは、その剣を担ぎ、集団に向かっていく。

 鋭い眼光が突き刺さり、地響きすら聞こえる足音が迫る。

 不味い、そう思ったアキト達の何人かは、その場所からボスに向かって走り出した。

 

 

 「っ……固まるなぁ!距離を取れぇ!」

 

 

 アキト達が地を蹴るのと同時に、エギルの指示が飛ぶ。焦慮の色が見えるが、判断力までは失っていなかった。

 そんなエギルを有り難く思いながら、アキトはボスの前へと立ちはだかる。

 だが、そんなアキトを見向きもせずに、ボスはアキトの真上を飛び上がり、その先へと走っていった。

 

 

 「なっ……!?」

 

 

 その先には、エギルの言葉に退避が遅れたプレイヤーが何人かいた。盾持ちの重装備のプレイヤーが二人、未だに75層のボスとイメージを重ねて怯んだのか、突然のボスの強襲に判断が追い付かなかったのか、その場を離れる事無くその場に留まり動けずにいた。

 ボスの駆け出すその足が地面に触れる度に激震が走る。そのせいで、彼らはその目を見開き近付くボスを見上げるだけ。

 それどころか、このタイミングで、既に距離をとっていた攻略組のプレイヤー達の元への合流を図ろうと、ボスに向けてその背を向けてしまっていた。

 アキトは驚きのあまり一瞬だけ身体が固まる。が、間に合わないと分かっていても、すぐにその場をあとにしてボスの背中を追った。

 彼らの取ろうとする行動を目にして急速に血の気が引いていくのを自覚する。巫山戯るな、と声にならない悲鳴が胸中に渦巻いた。

 

 

(そんな至近距離でボスに背を向けるなんて……!)

 

 

 攻略組の誇る精鋭が、こうも容易く判断を誤るのかと、アキトは苛立ちを覚えずにはいられないが、同時に仕方ないのかもしれないと感じてしまう。

 張り詰めた空気、少量しか与えられないダメージ、立ち直り時間と攻撃間隔の短さ、逃げ遅れた焦り、クォーターボスを彷彿とさせる威容が示す重圧、何より今までとは違う、相性の悪いフロアボスの脅威的な戦闘力を意識しすぎたのだろう、完全に浮き足立ってしまっていた。

 だが、逃げるにしたって逃げ方というものがある。この場面で必要なのは踏み止まってボスの一撃を防御し、それから退避するか救援を待つことだ。闇雲に逃げの一手を打つのは悪手でしかない。

 ましてや、ボスの攻撃範囲に入っているこのタイミングでヤツに背中を向けるなんて、間抜けにも程がある。隙を晒しながら動いているようなものだ。

 

 走っても届かない、もう手後れだった。

 ボスは地面に足をつき、思い切り力を入れる。その自身の大剣を軽々と振り上げ、猛烈な速さで横に振り抜いた。

 そんなヤツの背中を見て、アキトは思わず目を瞑る。

 

 

(駄目だっ……間に合わな────)

 

 

 だが、アキトが想像していた光景が展開される事は無かった。

 ボスに背を向けて尚も逃げる彼らと入れ違いで、一人の剣士がボスの振り抜く大剣に立ちはだかったのだ。

 そのプレイヤーは反りのある片手剣をエメラルドグリーンに輝かせ、上段からの振り下ろしの軌道を描いて、ボスの大剣に思い切りそれをぶつけた。

 ガキィン!と金属音が鳴り響き、そこからチリチリと火花を散らす。そのプレイヤーは歯を食いしばりながら、その場から動かんと足に力を溜めた。

 それを見たアキトは、咄嗟にそのプレイヤーの名前を呼んだ。

 

 

 「リーファ……!くそっ……!」

 

 「リーファちゃん!」

 

 「あの子、何やって……!」

 

 

 アスナが叫び、リズベットがボヤく中、ボスのその背を追っていたアキトは、ボスが剣を振り抜くであろう方向に走る進路を変える。

 何も無い場所ではあるが、これから起きる事を想像する事で、この走りは無駄では無いと確信する。

 何故リーファが、どうして一人で、そんな事は全て後だ。今は自身に出来る事をするのみだった。

 

 

 「逃げて!早く!」

 

 

 リーファがボスの大剣にどうにか耐えながら、彼女が庇ったプレイヤー二人に向けてそう叫ぶ。

 彼らは彼女に何かを言うでもなくその場から離脱した。これで、ボスが今ヘイトを向けるのは目の前の妖精リーファのみだった。

 そして次の瞬間、骸の王はギシギシと骨を鳴らすと、その大剣を思い切り振り抜き、競っていたリーファを盛大に吹き飛ばした。

 

 

 「きゃああぁぁあっ!」

 

 

 リーファの身体は地面と平行に暫く飛ばされ、やがて地面を削るように転がった。現実なら擦り傷どころか皮が向けて火傷をしてしまうくらいに滑った彼女の肌は、それ相応に熱く感じた。

 だがボスは、吹き飛ばしたリーファにまだロックオンしており、先程のダメージで動けないリーファに向かって走り出していた。

 

 

 「リーファちゃん!」

 

 「逃げろぉ!」

 

 

 シリカとクラインがそう叫ぶと、リーファはハッとしてその顔を上げる。迫り来るボスに目を見開き、慌てて立ち上がろうとも力が入らない。

 ヨロヨロとゆっくりと身体を起き上がらせている間にも、ボスとの距離は近付いていた。

 このままじゃ殺される、そんな恐怖を少なからず感じ、身体が震えるリーファだが、そんな感情も一瞬で消し飛んだ。

 先程方向転換していたアキトが、タイミング良くリーファとボスの間に登場したからだ。

 リーファは、思わずその名をポロリと口にしてしまっていた。

 

 

 「っ……アキト、君……!」

 

 「不相応な事しやがって……!」

 

 

 振り下ろされる大剣に合わせて、アキトは《リメインズハート》をその刀身と同じく紅く輝かせ、その剣にあてがった。

 互いに剣が弾かれ、ボスは再びその身体を天井へと向ける。

 だが、アキトはボスの隙が出来たのを確認したその瞬間、膝に手を付くリーファを抱き抱えた。

 

 

 「へっ……ひゃあっ!?」

 

 

 突然異性に抱えられ、リーファは目を見開き、顔を朱に染める。

 だが、アキトのその表情は必死そのもので、ある程度ボスとはの距離を離した瞬間、遥か後方にいるシノンに向かって口を開いた。

 

 

 「シノン、やれ!」

 

 「了解っ……!」

 

 

 ボスの攻撃範囲、そしてシノンの矢が被弾してしまう事も無い程に全員がボスと距離が離れていたのを理解すると、シノンはその弓で引き絞った矢を上空に向けた。

 いや、実際には、アキトに剣を弾かれて態勢を崩した骸の王の真上、そこを狙っているようだった。

 段々と矢に光が集まる。

 緊張は無い、心はこの戦場という状況下でも冷めており、今のシノンは言わば冷静そのもの、氷の狙撃手だった。

 躊躇いも恐怖も緊張も無い。こんなのはただの作業。こんな簡単な事なら、弱い自分でもやってのけられる。

 

 

 「っ────」

 

 

 引き絞った矢に、光が収束し切るのを見た瞬間、シノンの瞳が見開き、天井を睨みつけた。

 

 

 

 

 

 

 「発射(ファイア)

 

 

 

 

 

 

 弓奥義技《ミリオン・ハウリング》

 

 放たれた1本の矢は、一瞬で天高く舞い上がる。白銀に輝く光が線を作り、天井まで続いていく。

 そして、ボスの真上まで到達した瞬間、その矢がキラリと光を放ち、そこから無数の矢が雨のようにボス目掛けて落ちてきた。

 ボスは予想外だったのかその場から動けず、シノンの放った無数の矢の雨をその身にまともに受けた。

 

 相性は悪い、だがその無数の矢の1本1本がジワジワとボスのHPを削っていくのが見える。

 いつものメンバーを含め、攻略組全員がその光景を驚愕の眼差しで見ていた。

 

 

 「スゲェ……」

 

 

 誰かがそう呟く。

 それもその筈、この技は初公開、シノンとアキトがこの前クエストで手に入れた弓の上位スキルなのだ。

 このスキルの有用性と恐ろしさは、一度テストという名目で見せてもらったアキトだけが知っていた。圧倒的な攻撃範囲の広さと、1度に与えられるダメージ量が半端では無いのだ。

 ボスの周りを前衛が囲っている間は使えないが、こうしてボスから距離をとった状況下なら難無く使用する事が出来る。そして、今回の強固なボスにも目に見えたダメージを与える事が出来た。

 

 しかし、ボスは相変わらず立ち直りが早かった。

 段々と降り注ぐ矢の対応を理解したのか、自身の大剣を雨を凌ぐ傘のように天井に張り、その無数の矢を防御しだしたのだ。

 これでは放った矢を操る事が出来ないシノンは歯噛みするしかない。

 周りも、依然として学習能力が高いボスに目を丸くしていた。相性が悪いだけで、こんなにも違う。

 今までもそんな敵は何度も当たったが、アルゴリズムが変化すると、こうも戦況と精神に打撃を与えてしまうのだ。

 だが、萎縮している彼らを、ボスは待ってくれない。口を半開きにしながらこちらを見据えるボスを見て、アスナは言葉に詰まった。

 

 

 「っ……もう一度陣形を取ります!壁戦士(タンク)部隊は攻撃部隊(アタッカー)のガードに専念、その他は特にメイスと重量級の武器、刀使いのフォローをお願いします!無茶だけはしないで、焦らずローテーションを行って下さい!」

 

 

 ボスが走る中、再びプレイヤー達が移動する。

 距離が縮まり、重なる剣戟の音が部屋を反響し、鼓膜を刺激する。

 ボスの奇声、プレイヤーの悲鳴、指示の飛び合い、ボスに攻撃を与える音が聞こえる。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 アキトは、それらを確認すると、未だ自身の腕の中にいるリーファに視線を落とした。

 彼女は顔を赤くしながらも、気不味そうに顔を逸らした。この前のクエストでの出来事と、今まさに自身がやった行いに思うところがあったのかもしれない。

 彼女のした事は、褒められるべき事かもしれない。けれど、それで自身が危険に合うならして欲しくは無い。

 彼女に、何て言ったら良いのだろう。

 

 

 「……いつまでそうしてるつもり?」

 

 「「っ……」」

 

 

 後ろを振り向けば、後方にいたシノンがリーファを未だに抱えるアキトを何とも言えない凄い冷たい目で見ていた。

 まさに氷の狙撃手。心臓を撃たれたのか止まっているような錯覚に陥った。

 彼女の言っている事は最も過ぎる為、アキトは辿々しくリーファを降ろした。リーファはアキトの顔を見て、複雑そうな表情を浮かべると、顔を伏せてボスの元へと走っていった。

 先程は運が良かっただけで、もしまた同じようになったら、助けられるかどうか分からない。リーファの精神状態も分からない上、どうしたらいいのかさえ分かってない。

 このもどかしい気持ちを抑える術も知らない。ズキズキと痛む片目を抑え、彼女の背中に異様な既視感を覚えた。

 

 

 そうして、アキトも先陣に加わり、ボスに向けて攻撃を仕掛けていく。

 布陣としては、常にボスの正面のみに壁戦士(タンク)を集中させ、ヘイト値及びボスの両手剣を抑える。攻撃部隊(アタッカー)は側面や背後から隙を見て波状攻撃を仕掛ける。完全に囲うと範囲技が発生する為、ボスの動きを常時見極める。

 アスナの指示は的確で、通常の武器で大きなダメージが望めないなら、両手斧や両手剣のような重量級の武器を持つプレイヤーや、クリティカルに補正のある刀スキルを使うクラインなどを主軸においた戦術が効率的だ。

 ヒースクリフがいない今、このレイドの最上位指揮官はアスナだ。戦局の変化に応じて、彼女はその都度細かい指示を出していく。

 

 骸の王が、前衛の集団をスキル一振りで羽飛ばし、空いた足で陣営を破壊する。アスナの指示が追い付かない程に、ボスの動きが研ぎ澄まされていき、アキトは舌打ちする他ない。

 シリカの敏捷性を活かした翻弄も、シノンの遠距離からの狙撃も気にする事無く、ヘイトは前衛のプレイヤーに固定されつつあった。こちらの戦術、作戦に乗る事無く自分が最適だと思った攻撃を打ち付けていく。

 

 そして、骸の王は再び新たな動きを見せる。

 その両手剣を高々と振り上げ、その刀身の光でこの部屋を明るく照らす。

 

 

 「な、何かヤベぇぞ……!」

 

 「た、退避……!」

 

 

 彼らはそんなボスの動きに恐れをなし、再びヤツに背を向ける。

 アキトは途端に目を見開き、心の中で苛立ちを叫びながらボスに向かって走る。

 だが、一足先に、ボスはその剣を振り下ろし、辺りのプレイヤーを剣圧のみで跳ね飛ばしていく。

 

 両手剣範囲技五連撃《ファイトブレイド》

 

 殴り付けるように振り回す攻撃の数々が、プレイヤーを薙ぎ倒していく。ダメージ量は相当で、吹き飛ぶプレイヤーのHPが、注意域を飛ばして危険域まで減っていく。

 

 

 「くっそおぉ!」

 

 

 アキトは《ファイトブレイド》の五連撃目が振り下ろされるプレイヤーの間に割り込み、その剣を横に構えて防御態勢をとった。

 だが、真上に落とされた両手剣の重さは尋常じゃない。アキトは自身が潰れそうな気さえしており、焦りと恐怖で歯を食いしばる。

 

 アキトの後ろにいたプレイヤーが後方へ下がるのと入れ違いに、アスナがボスに向かって走る。

 《ランベントライト》からは青白い光が飛び出し、ボスの膝辺りに向かって連撃を放つ。身体を捻らせ、踊るように細剣を突き出す、まさにソードアートを繰り広げるアスナ。

 だが、そのダメージ量はあまりにもお粗末で、アスナは悔しそうに表情を歪める。

 

 

 「代われ、アスナ!」

 

 

 アスナの技硬直のカバーに、エギルが飛び出す。

 高く飛び上がり、ボスの頭上に両手斧を振り下ろす。全体重をかけて、鋭い一撃を振り下ろしたのだ。HPが確実に減る手応えを感じる。

 それでも尚、ボスは止まらない。競り合うアキトを蹴飛ばしたかと思うと、その足でアスナと、着地したエギルに回し蹴りを食らわせた。

 

 

 「きゃああぁぁ!」

 

 「ぐはあぁあっ!」

 

 

 アキト、アスナ、エギルは地面を削る。

 摩擦で装備の耐久値が削れるのを感じ取り、その度に砂埃が発生し、目の前の視界を曇らせる。

 彼らをフォローしようと整えられた布陣も、圧倒的なまでの攻撃力で無に帰す。薙ぎ倒し、斬り潰す。それだけで、骸の王からすればアリ同然のプレイヤー達はHPを減らしてしまう。

 クラインが刀で叩いても、シリカとピナが力を合わせても、リズベットが弱点武器をぶつけても、死の具現であるその骸は、その両手剣を禍々しい色に濁らせるだけだった。

 

 

 

 

 駄目だ。

 そう思っても、もう遅い。

 

 

 

 

 「っ……ま、待て……!」

 

 

 アキトは剣を突き立てて立ち上がる。

 だが、ボスのその両手剣は、既に動いていた。

 

 両手剣範囲技七連撃《アストラル・ヘル》

 

 ヤツを中心に風が舞ったかと思うと、それは一瞬。

 ボスはその両手剣をその光の軌道にそって振り下ろす。切り上げ、切り下ろし、突き刺す。

 

 

 

 

 ────本当に、瞬きする間も無かった。

 

 

 

 

 目を背けたくなる光景を、誰もが目の当たりにした。

 ボスのすぐ傍にいたプレイヤーの何人かは、たったの一撃でその身体を同時に散らした。

 ガラスが割れるような音が響き、呆気なく砕ける。光は砂塵のように空に舞い、やがて消えていった。

 そして、さらに何人かは放物線を描くようにしてアキトやアスナの目の前に落下していく。

 だがその最中、HPは注意域を過ぎ、危険域ですら止まる事無く、無慈悲にHPを削り取ったのを見た。

 HPがゼロ。即ち、彼らは死んだのだ。

 

 

 「あ……っ…あああ……くっ……」

 

 

 その事実に、アキトの心臓の鼓動が強く響く。

 死にゆく間際の彼らの顔が焼き付いて離れない。

 

 ────本当にこれで終わりなのか?

 

 ────自分達は死ぬのか?

 

 ────嫌だ、死にたくない!

 

 そんな表情が、頭の中を巡る。そんな想いを、声にする事とも無く消えていった彼らを思い出す。かつての光景が、見た事も無い惨劇が、

 数多の感情が、流れ込んでくる。

 

 周りも、死にゆく彼らを見て、すっかり魂を抜かれたように放心する。久しくなかった死への確信的な恐怖が、その心の根底を強く揺さぶるのだ。

 そんな彼らを、ボスは待ってはくれなかった。

 

 

 「っ…!?な、何を……」

 

 

 一人が、ボスを見上げてそう呟く。

 これまでの連撃で殆どの者が地面に身体を伏していた。アキトも、アスナも、クラインも、エギルも、シリカも、リズベットも。

 攻略組の大半がHPに多大な被害を受けており、そんな彼らに追い打ちをかけるかのように、無慈悲に、その剣を掲げる。

 その構えが、何を意味するのか知っていた。

 

 

 両手剣奥義技《カラミティ・ディザスター》

 

 

 「っ────!!!!」

 

 

 誰もが不味いと、そう悟った。両手剣の奥義、ただでさえ重量級でダメージの大きいそのスキルは、プレイヤーが使用するものと違って、あまりにも溜めが長い。アレを受けたら、間違いなく死ぬと、そんな確信を誰もが持った。

 中にはボスの目の前で地に伏している者もいる。絶望を感じずにはいられない。

 シノンが放つ矢の数々も、ボスの動きを止める致命傷には成り得ていなかった。

 

 

 「ふざ、けんな……!」

 

 

 アキトは瞳孔が開き、揺れる瞳をボスに向けながら、震える足をどうにか動かす。

 これ以上、目の前で誰かが死ぬのを見てはいられない。

 だが、その身体には、麻痺のデバフが付与されていた。

 

 

 「こ、この……!」

 

 「くそっ……!」

 

 「うっ……」

 

 

 アキトだけでは無い。被害を受けたプレイヤーの殆どが、ボスの攻撃に動けないでいた。麻痺のせいでもあり、植え付けられた恐怖心のせいでもあり、プレイヤーが死んだ事による意気の消沈もあった。

 途端に、アキトの心が焦燥に駆られる。その瞳を大きく揺らし、恐怖にも似た感情が、失うかもしれないという哀しみが心を抉る。

 

 

 このままじゃ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「せええぇぇい!」

 

 

 突如、剣に力を溜める骸の王の膝に、黄色い閃光が走る。

 その三連撃全てが吸い込まれ、ボスにその膝を付かせた。誰もが驚き、その瞳を開いた。

 ボスは自身の大技を不発に終わらせたそのプレイヤーを、鋭い眼光で睨み付ける。

 アキトも同様に、自身の遥か視線の先にいるボスに立ちはだかる、金髪の妖精を視界に収め、その口を震わせた。

 

 

 「何……してんだっ……!」

 

 「あたしが時間を稼ぐから!みんなが立ち直るまで!」

 

 

 リーファはその反りのある剣を剣道のように両手で構え、ボスを睨みつけている。

 その剣は震えており、それでも絶対に退かないという不変の意志を感じた。

 

 

 「リーファちゃん!」

 

 「何してんのよ!早く逃げて!」

 

 

 見知った面子がそう叫ぶも、リーファはそこを動かない。仲間が死に近付くその恐怖を、誰もが知っていた。

 アスナも、シリカも、リズベットも。リーファを大切に思うからこそ、涙を流し、叫ぶのに。

 アキトは、あの夢の再現を現実に重ねて見てしまっていた。

 

 

 「やめろ……!お前にまで死なれたら……俺は……!」

 

 

 大切だと自覚したものが、何もかも手から零れ落ちる。

 言葉だけで、身体は動かない。こんな時だけ、麻痺の持続時間が長く感じた。

 早く、早く切れろ!そう願っても、何も変化は起こらない。

 ただ、誰もが絶望し、抗い、リーファを見るだけ。

 

 ボスから振り下ろされる大剣を、精一杯いなし、躱す。

 それでも、殴られ、飛ばされる彼女は、それでも折れずに立ち上がり、骸の王のヘイトを一心に受ける。

 誰もがその光景を見る事しか出来ない。アスナ達は涙を流し、祈る事しか出来なくて。

 

 

 

 

 そして、アキトは彼女から目を逸らせない。

 

 

 

 

 「っ────」

 

 

 

 

 そんな、みんなの為か立ち上がったリーファは。

 

 

 

 

 「なんで……だよ……!」

 

 

 

 

 とめどなく、涙を流していた。

 

 

 どうして、とそう自問しても、本当は理解している。

 リーファという少女は、決して自分を優先に出来ない優しい少女だという事を。

 この仮想世界を恨んでいても、この世界に価値を見出していて。

 そして、こうしてアスナ達という仲間が、何より大切で。

 兄を奪った仮想世界を居心地良く思ってしまう自分自身を、心のどこかで許せなくて、そうして揺れ動き、癇癪を起こしているのだと、本当は知っていたのに。

 

 じゃあどうしたら?どうしたらいいの?何が正しいの?

 お兄ちゃんを失った自分は、ここで何をしたらいい?

 

 そんな感情を、そんな迷いを持ち続けて。彼女は、恐らく無意識なのだ。本能的に。潜在的な部分で。

 この想いをぶつける相手を探している。

 それでも、アスナ達は大切で、何より守りたくて。仮想世界を本当は捨て切れない彼女の、精一杯の我儘で。

 兄を奪った世界が憎い。けれど、この世界で出会った人達が大切で。

 そうした矛盾が、今のリーファを突き動かしていて。

 何もかもが、アキトに似ていて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 「ぐっ……!」

 

 

 瞳が痛む。頭が軋む。辺りの悲鳴や音がドンドン聞こえなくなるのを感じる。

 そうして、色々なものが頭に流れ込んでいき、その瞳は憧憬と過去に焦がれる。

 

 知らない記憶、知らない光景、色んな人々、数多の感情。

 そして、見知った人の笑った顔や泣いた顔を、知っている。

 

 

 

 

 ────プツリと、何かが切り替わるのを感じた。

 

 

 

 

 「『────』」

 

 

 

 

 ────ああ、知ってるよ。

 

 

 

 

 アキトは、その身体に精一杯の力を込める。

 腕を突き立て、膝を突き、剣を支えに立ち上がる。ワナワナと震える足に力を入れ、ボスに斬られて飛ばされるリーファを見据えた。

 その金髪の妖精の小さな背中を、アキトは目を細めて、そして、小さな笑みを浮かべた。

 

 

 

 

『…お兄、ちゃん…?』

 

 

 

 

 ────初めて会った時、そう言われたっけ。この時から、どこか他人じゃないような気がしてた。

 

 

 

 

『…私とお兄ちゃん、ホントは血が繋がってなくて。お兄ちゃんは、そのせいで私から距離を置くようになって…。それが寂しくて…』

 

 

 

 

 ────本当はずっと、それを後ろめたく感じてた。

 

 

 

 

『昔は、よくお兄ちゃんと剣道の試合をしたんだ』

 

 

 

 

 ────ああ、覚えてるよ。

 

 

 

 

『お兄ちゃんはずっと前から、あたしが本当の妹じゃないって知ってたんだって。じゃあお兄ちゃんにとって、あたしは何なんだろう……それが、分かんなくなっちゃって。まるでお兄ちゃんの妹だった事が、嘘になっちゃった気がしてた』

 

 

 

 ────そんな事無いよ。俺にとって、お前はたった一人の────

 

 

 そうだ。

 知っていた、筈なんだ。

 ずっと前から、俺は。

 

 

 アキトはその足を踏み出し、その地を思い切り蹴り飛ばす。

 加速していくその身体が、へたり込み、今にもボスに斬られる寸前の彼女に、思い切り手を伸ばす。

 

 

 届け。届け。届け────

 二度と、その手を伸ばす事を躊躇ったりはしない。

 何も間違えたりはしない。後悔など二度としない。失わない為に強くなったこの手を、失わない為に伸ばしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『スグ……直葉ああぁぁあぁああ!!!!」』

 

 

 

 

 リーファが、その顔をボスからアキトに向ける。その瞳は大きく揺れ、アキトだけを見据えていた。

 迫り来るボスの大剣を前に、アキトは飛び出す。

 リーファを抱き抱え、その場所をあとにした。

 

 瞬間、シノンから放たれた矢が、ボスの顔面を直撃し、その場から煙が舞う。

 アキトはリーファを連れ、アスナとリズベットが近くに倒れているところまでどうにか運び込んだ。

 

 

 「リーファちゃん!」

 

 「リーファ!」

 

 

 アスナとリズベットの瞳は涙で濡れていた。

 麻痺していた身体は回復し、ゆっくりと起き上がり、その場に座り込むリーファと視線を合わせて涙しながら笑った。

 彼女達はHPを回復し切れていない上に、身体の動作にもまだ問題があった。

 アキトは、その場を立ち上がり、ボスに視線を向けた。

 

 

『「リーファを頼む」』

 

 「え……う、うん」

 

 

 アスナはそう指示を出すアキトの背中を、ただ見つめる事しか出来ない。

 この時、何かに気付けていたらと、後悔する事になるとも知らずに。

 

 

 

 

 「……待ってよ……」

 

 

 

 

 アキトのコート、その裾を強く握る。

 そんなリーファは、未だ止まらぬ涙を流し、驚愕で瞳を揺らしていた。

 

 

 「……どうして、なの……?」

 

 「……リーファ、ちゃん……?」

 

『「────」』

 

 

 アキトは、何も言わずに見下ろすだけ。

 けれど、彼女が言いたい事を、心のどこかで理解していた。困惑と驚愕と焦燥に駆られたその瞳は、アキトを捉えて離さない。

 ボスが立ち直りつつあるのを背に、ただリーファを、悲しげに見つめるだけだった。

 

 

 「なん、で……、どうして……?どうして、あたしの名前を……?」

 

 「え……?」

 

 「な、何言って……」

 

 

 その場にいるアスナもリズベットも、リーファが何を言っているのか、すぐには分からなかった。

 けれどあの時、リーファを助けようと飛び出したアキトが呼んだ、知らない人の名前。

 それが、全てを物語っていた。

 

 

『「……」』

 

 

 その少年は、リーファと同じ高さになるように膝を付く。

 コートを掴んでいた手を上から握り、ゆっくりと引き離す。その手の温かさに、リーファは目を見開いた。涙に濡れたその頬を、少年は拭う事もしなかった。

 ただ、申し訳なさそうに、儚く笑うだけだった。

 

 

『「……ゴメンな、スグ……」』

 

 「っ……」

 

 

 リーファは言葉にならなかった。

 言いたい事がたくさんあったのに、何もかもが脳から消滅していった。

 そんな事ある筈無い、そんな小さな期待さえしなかった。

 どうして、どうして君が────

 

 なんで、謝るの?

 

 

『「っ────」』

 

 

 アキトは身を翻し、ボスに向かって走る。

 その脆く見える背中に、リーファは手を伸ばす。だが、届かない。

 アスナが、そんな彼を見て心臓が大きく高鳴った。

 

 

 「っ!? アキト君っ、ダメ!」

 

 「アキトォ!」

 

 「アキトさんっ!」

 

 

 誰もが彼に向かって声を投げる。

 一人じゃ、絶対にかなわない。行かせたくない。

 行かないで。

 アスナは、彼らは、その名を呼んだ。

 

 

 だが、次の瞬間、目を疑うような光景がその瞳に映った。

 

 

 

 

 「え……?」

 

 

 

 

 栗色の少女が、そう力無き声を発する。

 誰もが、目の前で繰り広げられる光景に目を疑った。

 

 織り成すは光の剣戟。その黒の剣士は、その光を繰り出す度に加速していき、その瞳は強く意志を抱く。

 骸の王は凌ぎ切れず、その大剣を後ろに吹き飛ばされていた。睨み付け、見下ろすだけ、それしか出来ず、自身よりも小さいその剣士に、恐怖を感じているように見える。

 

 

 

 

 「……なんで……」

 

 

 

 

 彼らは、アスナは。

 まるで脳を鈍器で強く殴られたような衝撃を覚えた。

 今目の前で起きている事象の全てを、まだ受け入れられていなかった。整理が追い付かない、考えが及ばない。

 意志はまとまらず、ただ、震えて見てるのみ。

 

 

 「どうして……どうして、君が……」

 

 

 その骸の王を、少年は吹き飛ばす。

 歓声すら耳に入らない。アスナは、何も考えられなかった。

 シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 そして、リーファもシノンも。誰もが動けない。

 

 

 

 

 期待も、困惑も、戸惑いも、哀しみも、全てがそこにはあった。

 その彼の戦う姿を、誰もが知っていたから。

 

 

 「どう、して……だって……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「だってそれは……キリト君の………!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼らの視線の先、そこにいるオッドアイの少年は。

 その黒いロングコートを靡かせ、凛と立つその姿は。

 星々のような白銀色にその刀身を輝かせ、ボスを怯ませるその姿は。

 

 

 かつての英雄キリトの姿そのものである、どこか懐かしさを覚えるその《黒の剣士》は────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 真紅の剣(リメインズハート)漆黒の剣(エリュシデータ)を握り締め、ボスを強く睨み付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『「……《スターバースト・ストリーム》」』

 

 

 


















ユイ「……アキト、さん……?」


嫌な予感が、心を刺激する────


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Ep.69 重なる剣戟




皆さん、過分な評価、ありがとうございます。
これ、一応処女作なんですが……故に、投げやりな感じの文章や、うまく行かないところもあるとございますが、これからも頑張ります!(`・ ω・´)ゞビシッ!!

今回、現実世界での番外編と同時投稿予定と感想欄に記載したのですが、止めることにしました。

何故か。モチベーションががが(´・ω・`)

それでは、どうぞ!





 

 

 

 

 

 誰もが願い、求めたものがある。

 それは、『希望』という名の、酷く曖昧な概念だ。

 望んでいるのに、その明確な形は見えてこなくて、それでもこの状況を打破する光の道標が欲しかった。

 暗闇を照らし、道を示してくれる者が現れてくれるのを、願う事しか出来なかった。

 死ぬのは怖い。汚れ役が欲しい。そんな杜撰な願いすら、どこか純粋に見える程に、彼らの意志は統一されていた。

 

 この世界には、絶望が蔓延る。

 現実よりもこの世界の方が死が近くに感じ取れた。

 故に誰もが恐怖し、死を感じ、覚悟し、最後には諦める。

 抗う者も、心のどこかで、そんな恐怖を終わらせてくれる存在を探している。

 

 

 だからこそ、ただ、切実に願った。

『勇者』という名の存在を。

 何度も挫折し、絶望し、そして後悔を繰り返した。それはきっと、しなくても良い筈のものだった。

 この世界が無ければ、感じる事など無かった痛みと悲しみ。

 その感情全てが、この身に流れ込んでいた。

 

 

 

 

『「……いくぞ、アキト」』

 

 

 

 

 ボスに立ちはだかるは、独りの黒の剣士だった。

 黒いロングコートを靡かせ、部屋の中心に凛として立っていた。

 彼の両手には、かつての英雄の剣と、想いを背負う為の剣がそれぞれ握られていた。

 

 その姿は、まさに『希望』の具現。

 

 その部屋の中心に、迸る光の束が現れる。

 何人ものプレイヤーが集い、そして屈した骸の王相手に、たった一人剣を振るうプレイヤーがいた。

 

 

『「っ────!」』

 

 

 その黒い剣士は目を見開き、ボスを見上げると、その地面を思い切り蹴り、一気に駆け出した。瞬きする間も無く一瞬でボスへと近付き、気が付けば、既に骸の王の懐へと入り込んでいた。

 

 

『「ぜあああぁぁあっ!」』

 

 

 その黒の剣士は、両の手に持つ剣を交差し、目の前のボスから振り下ろされる大剣を受け止め、そして跳ね除ける。

 眼前にいる骸の王を鋭い眼光で睨み付け、その双剣に光を宿す。

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ストリーム》

 

 白銀に輝く刀身で、ボスの腹、膝、足に剣戟を入れ込む。

 二刀が交互に、同時に奴の身体を斬り付けていき、自身の感情を乗せていく。

 加速していく自身を感じながら、それでもまだその速度を上げていく。攻撃速度が上がるにつれて、ボスはアキトの攻撃を凌ぎ切れなくなっていた。

 弾かれ、飛ばされ、躱される。今までと明らかに動きが違う目の前の黒の剣士を見て、どこか焦っているようにも見えた。

 

 

 

 

 ────そして、それを見ている攻略組も、焦り、困惑、驚愕、色んなものを綯交ぜににしながらこの状況を見ていた。

 

 

 「……ちょっと……何よあれ!? どうしてアキトが……!」

 

 

 リズベットがアスナ達に向き直り信じられない、信じたくないというように叫ぶ。

 彼女の疑問は最もだが、そんな事はこちらが聞きたかった。

 彼の動きの一つ一つが、かつての光景を蘇らせてく。アスナは目を見開き、目の前で繰り広げられる黒の剣士の剣戟を見つめる事しか出来なかった。

 

 だってあのスキルは、あの《二刀流》は。

 たった一人だけのもので────

 

 

 「どういう、事だよ……!」

 

 

 クラインも食い入るように見るだけで、動く事が出来ない。

 いつの日にか見た、74層の時のように、あの少年の邪魔にならないようにする事しか出来ない。

 けれど、それはきっと、驚愕で動けないというのもあっただろう。クラインは、その手に持つ刀を思い切り握るのみ。

 

 リーファはその場にへたり込んだまま動けず、アキトを見つめるばかり。リズベットもシリカも同様に、アキトから視線を逸らせない。

 シノンは、何が起きてるのか分からず、一人でボスに圧倒するアキトの姿を見て、驚きを隠せないでいた。

 

 周りはそのアキトの研ぎ澄まされていく高速連撃に歓声すら上げ始めているというのに、キリトの仲間達はそんな気にさえなりはしない。

 似てる、なんてものじゃない。ずっと見てきたからこそ分かる、目の前の少年、アキトの動きは。

 

 

 その、二刀流を操る黒の剣士は。

 

 

 「……キリト、君……なの……?」

 

 

 その後ろ姿を凝視する。

 ところどころがブレて、電気のようなものを身体に纏っている彼は、それでも凛と佇み、二刀を振って攻めている。

 かつての想い人と、姿が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ボスの咆哮すら、少年は耳に入らない。

 速く、速く、もっと速く。思考はそれだけになりつつあった。

 自身が相手している視線の先にいる王、奴の動きだけを頭に取り入れ、学習していく。

 

 集中しろ、模索しろ、予測しろ、想像しろ、創造せよ。

 全ては今、目の前にある。

 

 一瞬一時の僅かな動きの機微すら見逃さず、それを元に次の行動を予測する。時折上がる歓声は遠くなっていき、その集中力は益々高まっていた。

 余分な力は入れず、必要な事だけにその筋肉を行使する。脱力した身体はボスに合わせて静と動を切り替える。自身と奴の動きを的確に把握し、さらにその動きの無駄を無くしていく。

 ボスが動くより先に行動し、ボスが走るより先に攻撃し、ボスが構えるより先にその攻撃手段を潰しにかかる。

 

 骸の王は自身の攻撃の一つ一つを事前に潰されていく事実に腹を立てたのか、奇声をあげるばかり。

 だが、それを見て怯む事は無く、少年は自分のするべき事を頭の中で張り巡らせる。

 

 やる事は一つだけ、この部屋の主を倒す事。

 ボスの武器、容姿、戦い方を見通し、その上で攻撃を予測する。把握し、観察し、予想しろ。

 ボスに組み込まれている何百通りの攻撃パターンが織り成す法則性を見出し、攻撃に転じる僅かな隙すら見逃すな。

 出来ない筈は無い。やって出来ない道理は無い。

 元よりこの身は、それだけに特化したステータス。

 

 二刀流高命中技十六連撃

 《ナイトメア・レイン》

 

 闇色に染まる両の剣が、敵を突き刺し、抉り、砕いていく。

 ボスの叫びは聞こえない。感覚が研ぎ澄まされていく度に、余計な情報は切り捨てられていく。

 身体に幾つもの斬り傷を付けられたボスは、ただその咆哮で空間を震わせるだけ。そんなもの、この目の前の少年は怯む事さえしなかった。

 HPは今までの比じゃない速度で減っていき、やがて注意域、そして危険域へと陥る。

 

 構うな、読み切れ、すり減らせ。

 この身と精神を摩耗させ、それでも全てを捻り出せ、出し切れ。

 

 速く、もっと速く────!

 

 ボスの踏み付けを身体を反らす事でギリギリで躱し、回転しながらその剣で足を斬り付ける。

 その瞳はただ、奴にのみ向ける。本気で、ただ全力で、目の前の敵を無力化する。

 全てはただ、皆の為に。

 

 

『「っ……!」』

 

 

 こちらがボスに攻撃を届かせようと走り出した瞬間、骸の王はその大剣を上段で構え、それを思い切り下ろし始めた。

 振り下ろされる大剣を捉えるも、少年はボスに向かう足を緩めない。

 重力に逆らう事無くドンドン加速して落ちてくる大剣の刃を見て、少年はその剣を構える。

 そして、ボスと少年の剣が交わる。

 

 

『「ぐっ……!」』

 

 

 ズシリと確実に重い一撃が響く。

 手が痺れ、交差する両の剣の中間点にあるボスの大剣がチリチリと火花を散らしている。

 先程よりも重い。死んでたまるかと、そんな意志さえをも感じてしまう。

 

 

(こんなところで死ねるか……!約束したんだ……何があっても……君だけは必ず────!)

 

 

 少年はその剣に思い切り力を込める。

 そんな抵抗も虚しく、その身体はドンドンと潰れかけていく。

 もう死ねない。決して。そう思っても、ボスの力は強まるばかり。

 

 

(押し切られ……っ!?)

 

 

 ────瞬間。

 

 左の手が突然温かく感じた。

 何が理由か分からない。けれど、手に持つ《エリュシデータ》への力の負担が心做しか軽減されたような気がする。

 何かが、誰かが、自分の手を握ってくれている、そんな風に感じた。

 

 

 

 

 負けないで────

 

 

 

 

『「上、等……!」』

 

 

 少年はその《エリュシデータ》を捻り、ボスの大剣を地面へと流す。

 支えを失ったボスの剣はそのまま地面へと刺さり、そこには亀裂が走っていた。

 そして、その瞬間少年は迫る。右手に持つ《リメインズハート》に光を宿し、それを思い切り横に薙いだ。

 その軌道の先には、ボスの大剣、その刃の付け根があった。

 

 

『「はあああぁぁぁあああ!!!!」』

 

 

 思い切り、その真紅の剣を叩き付ける。

 その一撃で、ボスの持つ武器は根元からヒビが稲妻のようにジワジワと走り、やがて折れた。

 これを見た攻略組の大半は、さらに驚きを募らせる。

 今のはどう見ても、黒の剣士キリトの技。相手の剣に自身の剣をぶつける事で武器の破壊を可能にするシステム外スキル《武器破壊(アームブラスト)》。

 

 

 「……嘘……」

 

 

 アスナ達は、誰もが息を呑む事しか出来ない。伏せる身体を一心に起こし、そんな光景を見つめていた。

 もう、行き着いた答えは一つしか無い。もう別人とはとても言えなかった。

 容姿や態度は全く違う。それでも、その雰囲気や装備の色、武器は同じ。そして、違う戦い方だった筈のアキトが、いきなりその動きを変えた。

 その動きは、彼らにとって、とても見覚えのあるもので。

 目の前にいる少年のその強さは────

 

 

 ────明らかにキリトそのものだった。

 

 

 ポリゴンとなって散っていく両の剣を見て、ボスは一瞬だけ固まった。だが、その僅かな隙だけでいい。

 ボスに詰め寄り、高く飛び上がる。慌てて対処しようと頭を上げる骸の王。

 だが、遅い。

 

 二刀流奥義技二十七連撃

 《ジ・イクリプス》

 

 金色に宿る、太陽のコロナを想像させるほど広大な光を纏い、何もかもをボスに叩き付けるように、ただ斬り飛ばすのみ。

 壊れた剣から少年に意識を移したボスは、目の前で今も尚自身を斬り付ける剣士に向けて、その固い拳をぶつける。

 

 

『「っ……ぐっ……うおおぉぉぉおあああぁぁああ!!!」』

 

 

 それでも、少年は動きを止めない。自身のHPが注意域に入るが、構わない。

 もう少し、だから、まだやれる。そんな意志を強く宿し、その剣速は増していく。

 殴られても殴られても、少年は対応していく。致命傷以外は構わず、少しでも多くのダメージを与え、少しでも多く前へ。

 

 

 そして────

 

 

 HPは一瞬で消滅し、ボスの身体からは光が差し込む。

 死の具現、これまで死んでいった者達の怨念の塊、そんなイメージを抱かせる今回のボスは、その身体を四散させ、その破片は宙へと舞っていく。

 今回、死者を出す程の強敵だったボスとの戦闘は。

 たった一人の剣士によって、終わりを告げた。

 

 

 「……」

 

 

 辺りは静寂に包まれた。部屋の中心はボスの残骸、光の破片が舞っており、そこには一人の少年が立っているだけだった。

 背を向け、その表情は見えない。その腕は力無く下ろされ、手に待つ剣の一本が、地面へと落ちていく。

 

 やがて、周りはそんな黒い剣士に賞賛の声を上げる。歓声でその部屋が響き、空気が震えた。

 倒してくれた、助けてくれた、と。それは、今まで彼が受ける事の無かった、心の叫びに聞こえた。

 だが、そんな剣士をずっと見てきた者達は、そんな気にさえならなかった。

 見せられたものに、魅せられた様に、彼から視線が逸らせない。その目を見開き、口は閉じず、ただ驚きと困惑といった感情が押し寄せる。

 

 

 

 

 「……どう、して……?」

 

 

 

 

 アスナがそう言い放つ声音は、困惑と、哀しみ、だがその中に、ほんの少しの期待が混じる。だって、ずっと心の中で、そうあって欲しいと思っていたかもしれないから。

 けれど、それはあまりにも脆くて。

 

 

 

 

 ──── この瞬間が来る前に、気付くべきだったのに。

 

 

 

 

 「嘘……でしょ……?」

 

 

 リズベットが信じられないという様に、その名を呼ぶ。彼は本当に、自分達の知る少年なのかと。

 だがその少年は、そんな彼女の声をまるで聞こえないかの様に、微動だにしなかった。

 

 

 

 

 ──── どこかで、きっと違和感を感じていた筈だったのに。

 

 

 

 

 「ほ、本当に……」

 

 

 シリカは傷付いたピナを抱え、倒れながら、そう問い掛ける。何故、彼はこんなにも、『それ』を感じさせるのか。

 

 

 

 

 ──── 何かがおかしいと、そう思っていた筈なのに。

 

 

 

 

 「なんで……!」

 

 

 「どういう、事だ……」

 

 

 クラインは驚愕を隠せないと、そんな風に呟く。隣りに倒れるエギルも同様だった。

 どういう事で、何が起きているのか。目の前にいる彼は、一体何者なのかと。

 あらゆる理屈を用いても、出てくる答えはたった一つで。

 

 

 

 

 ──── 散りばめられた記憶から、一緒に過ごした年月から、共に戦った記憶から、こうなる事を予想するべきだったのに。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 シノンは、そんな彼の、自分の知らない立ち姿に、困惑と驚愕の表情を浮かべた。その拳と、アキトから貰った弓を握り締めながら。

 

 

 「…そ、んな……嘘だよ……だって……」

 

 

 そしてそんな中、金髪の妖精リーファは、彼の背中から、彼のそれまでの言動から、一つの答えを導いていた。

 とめどなく言葉がポロポロと溢れる。同時に、頬も涙が伝っていた。

 有り得ない、ある筈無い、なのに。どうして。

 

 

 

 

 ────どうして、涙が止まらないのだろう。

 

 

 

 

 「……お兄ちゃん、なの……?」

 

 

 そう認識するには、彼の背中はあまりにも冷たくて。

 

 

『「……」』

 

 

 振り向いた彼────アキト(キリト)は、寂しそうに、それでいて悲しそうに。

 ただ、静かに笑みを作り、エリュシデータを握っていた。

 

 

 「……リーファ……今、なんて……?」

 

 

 リーファのすぐ横にいたリズベットとアスナは、彼女のその発言を聞き間違えたりはしなかった。

 彼女達に凝視されるも、リーファは今も尚視線の先に背を向けて立つアキトから視線を逸らせない。

 顔も名前も性格も違う。でも、それでも自分の名前を呼んだあの瞬間、確信にも近いものを感じたのだ。

 彼は間違い無く、自分の兄なのだと。

 

 

 そして、その黒い少年は、彼らの方へと振り返ると、そのまま歩いてくる。

 ゆっくりとその歩を進め、身体は左右に揺れている。

 アスナ達は何も言えず、アキトが近付いて来るのを黙って見ている事しか出来ない。

 何せ、聞きたい事が多過ぎた。整理のつかない事実があり過ぎた。

 《武器破壊(アームブラスト)》、《二刀流》、これらを操る戦闘術、それ以外の小さな立ち回り、その何もかもが、かつての想い人と重なった。

 それはアスナだけじゃない。一緒に戦ってきたクラインとエギル、そして《二刀流》を知っているリズベットやシリカも同様だった。

 キリトは、もう死んでいる。そう思っていても、目の前の良く似た少年が、そう思わせてくれない。

 

 

 やがて、彼と自分達との距離がゼロになりそうなその瞬間に、アスナは、我慢していた言葉がポツリと出てしまった。

 これを聞いたら、きっと戻れないと、そう分かっていたとしても。

 

 

 「……キリト、君……?」

 

『「……アス、ナ……俺は……」』

 

 

 だが、彼がその先の言葉を続ける事は無かった。

 その瞳が段々と閉じていき、アキトはその地面に膝を付いた。剣をその場に落とし、甲高い剣の音が部屋に響く。

 そして、ゆっくりと上体が地に向かって倒れていき、やがてアスナの前に鈍い音を立てて倒れた。

 

 

 「あ、アキト君っ!?」

 

 「アキト!!」

 

 

 アスナとリズベットは慌ててアキトの元に近付く。

 うつ伏せに倒れる彼は、まるで死んだように目を閉じ、苦しそうな表情を作っていた。

 アスナはその身体を仰向けにさせ、アキトのカーソル、HPバーを確認する。だが、状態異常などの付与はされておらず、HPは危険域で止まっていた。どうやら気を失っているようだったが、この状況でそれすらも安心出来る要因にはなり得ない。

 この状態に、アスナは既視感を覚えた。74層でキリトがボスを倒した後に倒れた光景が、脳内でフラッシュバックする。

 

 

 「アキト君!アキト君ってば!」

 

 

 アキトの身体を揺さぶる事無く、ただ声を荒らげて彼の名を呼ぶ。

 けれどあの時とは違い、どれだけ待っても全く目を覚ます様子は無かった。

 

 

 「どうしようリズ、目を覚まさないよ……!」

 

 「お、落ち着いてアスナ……!」

 

 

 今までに無く慌てるアスナを、リズベットは目を丸くして落ち着かせようと試みる。

 だが、アキトが結果的に目を覚まさない事は事実で、その原因も不明、リズベットもアスナ程では無くても慌てていた。

 それだけじゃない。《二刀流》の事もあり、アキトの事を他人として見る事が出来なくなっていたのは、きっとリズベットも同じだった。

 違うと思っているのに、どこか期待してしまっている。だからアスナも、ここまで慌てているのか。

 そんな彼女達の間から、リーファが割って入る。その視線はアキトにのみ向けており、他のものは目に入っていなかった。

 

 

 「お兄ちゃん……お兄ちゃん、起きてよ……!」

 

 「リーファ……お兄ちゃんって……」

 

 

 やはり聞き間違いじゃない。アスナとリズベット、そしてこちらへと近付いて来ていたシリカやシノン、クラインとエギルにも、彼女の言葉が聞こえていた。

 どういう事なのかは分からない。けれど、それ以上にアキトの容態が気になった。

 

 エギルはアキトに近付くと、ゆっくりとアキトを持ち上げた。

 クラインがそれを支え、アキトをエギルの背に乗せる。それを見た彼女達は、慌てて彼らを見上げた。

 

 

 「クライン……エギルさん……」

 

 「一先ず、宿に戻るぞ。ここからなら87層をアクティベートした方が早い」

 

 「……はい」

 

 

 エギルはそうして次の層へと続く階段へと向かう。彼女達はその後ろから力無く追い掛ける事しか出来ない。

 リーファはアスナの隣りを通り過ぎると、エギルの元まで駆け寄り、そこからアキトの顔を見ていた。

 その表情には、心配しかなくて。困惑や焦りを綯交ぜにした感情を抱いたリーファが、エギルには見えていた。

 

 彼らには分からなかった。

 アキトの事を急に兄だと呼ぶようになったリーファと、彼との関係が。

 アキトが急に動きを変えた事実が。そして、それがとても既視感のあるスキルで敵を圧倒した事。

 《武器破壊(アームブラスト)》、《二刀流》。これらはどちらも、キリトの持つ技術だった。とてもじゃないが、アキトという少年がキリトと全くの無関係だとは思えなかった。

 ヒースクリフ──茅場晶彦は言った。二刀流はユニークスキルだと。魔王を倒す勇者の役割だと。

 つまり、この世界にそれを持つ者は一人しか存在せず、それはキリトだと。

 ならば、このアキトという少年は。

 

 

 「……アキト……何なのよ、アンタ……」

 

 

 リズベットは苦い顔で、エギルの担ぐアキトを見上げた。

 彼の目を閉じたその表情は、かつての想い人に重なって見えた。

 

 

 各々が、それを知りたい筈だった。

 アスナも、シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 そして、兄の面影を見たリーファも。

 何も知らないシノンも。

 

 

 あの異質なまでの強さ。

 二刀の扱い方。立ち回り方。

 一人でボスと渡り合えるその実力は明らかに今までのアキトとは違っていた。

 

 

 彼は、あの時。

 彼らが一度は願った、キリトの生存の可能性を引き上げる存在となっていた。

 故に。

 

 

 

 

 

 

 

 ────アキトの事を、見てはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── Link 55% ────

 

 







小ネタ


アキト 「(*_ _)zzZ」

エギル(……コイツ、疲れて寝てるだけなんじゃ……?)



※本編とは無関係です。



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閑話 一年後のクリスマス・イヴ




メリークリスマス!

という事で!
何の案も無いのに書いた話をどうぞ。

アキトのクリスマスへの想いを綴ったポエム的な話を書きました!
時系列は50~59話辺りと結構前ですが、アスナ達は殆ど登場しません!殆どアキト君の話です!


そんな話が読みたい訳じゃねぇ!って?
ゴメンなさい……私もですはい。



 

 

 

 

 自身の部屋の窓を、徐に開ける。

 すると当然ながら、雪舞う景色が、アキトの視界を覆った。

 吐息は白く、空へと消える。

 雪はいつ見ても、決して良い気分なれはしなかった。

 白は、好きな色だった筈なのに。

 

 

 いつから嫌いになったんだろうと考えたが、そんなのはとっくに分かってた。

 それは一年前。

 色んなものとの別れを思い知った、あのクリスマス・イヴ。

 親友と決別し、仲間の死を痛感し、そして『約束』を立てたあの日。

 

 

 それを思い出すと、この日はとても過ごしにくかった。

 こんな事を思いながら目を覚めるなんて、我ながら嫌になる。

 けれど、決して捨て切れない過去があり、忘れたくない想いがある。

 ベッドに横になるアキトは、そこから感じる肌寒さで思わず毛布に包まれる。

 

 寒い。それでいて、冷たくて、どこか寂しかった。

 

 

 「……変わらないな、いつまで経っても」

 

 

 そう一人溜め息を吐く。女々しいと感じても、この日ばかりは何をする気にもならない。

 《ホロウ・エリア》や迷宮区の攻略も、どこかへの散歩も、お気に入りのあの丘も。

 どこにも足を動かす気になれない。

 

 時刻は朝の8時を回っている。デスゲームに閉じ込められてもう2年。それだけ経つと、もうこの世界での生活も慣れ切ってしまっているだろう。

 窓の外から見えるプレイヤー達はすっかりイベント気分なのが分かり、アキトはその目を伏せる。

 危機感の失せた、現実と何ら変わらない世界。だけど、それでもこの世界から出て、現実世界に帰りたいと願った人達がいた。

 そんな彼らとの別れを痛感した、このクリスマス・イヴは。

 やはり割り切る事すら難しく、とても好きにはなれなかった。

 

 

 12月24日。リアルタイムで稼働しているこの《ソードアート・オンライン》、つまり当然現実世界でもクリスマス・イヴなのだ。

 仮想も現実も本質的には変わらない。危機感も無ければ現実と遜色無い世界。

 きっとあちらの世界でも、ここと変わらず賑わっている事だろう。下層がどうかは分からないが、それでもアークソフィアのプレイヤーを見れば、なんとなしに察する事が出来る。

 

 

 「……」

 

 

 駄目だ。やはり、何もする気にもならないし、何も考えたくない。

 アキトは窓を閉めて、そのベッドに向かって倒れる。

 反動で身体が軽く跳ね、やがて沈む。

 その感触を、ボーッとしながら感じ取る。その手を自身の目の前に持っていき、その手を見つめる。

 

 

 「……くそ」

 

 

 この時期は嫌いだった。

 雪の降る景色、街並み、フィールド。特にクリスマスの時期になると、色々な事を思い出す。

 その度に自分の変化やそれまでの弱い自分に辟易し、責め続けるだけの時間が始まる。

 仲間を守れなかった、無力な自分を────

 

 

 

 ────コンコン

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 突然の扉のノック音に、アキトは身体を震わせる。

 考えていた事が脳のどこかへと飛んで行き、アキトの視線は自身の部屋の扉へと映る。

 暫く見つめていると、聞き慣れた声がくぐもってきこえた。

 

 

『アキトさん、入っても良いですか?』

 

『アキト君、起きてるー?』

 

 

 その声の主はユイとアスナのようだった。

 正直、あまり話したくない相手ではあった。というか、今のアキトには、誰かとの会話すら億劫だった。

 けれど、そのまま放置しておく訳にはいかず、アキトは気だるそうにしながら扉まで向かい、その手を掛けた。

 

 開いた先には、いつもの服を来たユイとアスナがいた。

 アキトはそんな彼らを一通り眺めると、小さく口を開いた。

 

 

 「……何か用か」

 

 「今日、下の階でクリスマスパーティーをやる事になったんです!」

 

 「エギルさんが店を使っていいって言ってくれて、自由参加って事になったの。私達は勿論全員参加するけど、アキト君はどうするかなって思って」

 

 

 話を聞くと、どうやらクリスマスパーティーのようだ。

 今日はそもそもイヴなのだが、と思わなくも無いが、世間はクリスマス当日よりもイヴの方が盛り上がるのだ。

 正直イヴと銘打ってはいるものの、12月24日は我々にとって何の縁も無い世界のどこかにいる誰かの誕生日、つまるところ全く関係の無い日だろうと思ったアキト。

 ユイはとても楽しみなのかキラキラと目を輝かせており、アスナはニコニコと嬉しそうに笑っていた。

 今の話を聞く限りだと、どうやらいつものメンバーに加え、良くエギルの店で屯っている他のプレイヤー達も参加する、割と規模の大きいパーティーなのだろう。

 アルゴに確認を取らせて見れば、この75層よりも上の層で、大々的なクリスマスイベントクエストなどは無いそうだ。

 

 ──── 一年前と違って。

 

 

 「……それ、今からやるのか?」

 

 「ううん。やるのは夕方から。それまでは各自自由なんだけど、私達はみんなでクリスマスの街並みを見て回る感じかな」

 

 

『みんな』というのは言わずがもがな、いつものメンバーだろう。

 それから察するに、彼女達は自分を誘いに来たというところだろうか。

 だがそれは、雪に溢れた街の中を歩くという事で、それはアキトにとっては、辛い事を思い出す引き金になりかねなかった。

 忘れたいわけじゃないし、忘れてはいけない事だ。そして、忘れたくないものでもある。

 だからこそ、今日というこの日だけは、と思うのは、いけない事だろうか。

 

 

 「あ、アキトさん……良かったら一緒に……」

 

 「……悪いけど、俺はパス」

 

 「え……」

 

 

 アキトは自然とそう言葉にしていた。

 それを聞いたユイは、残念を通り越して何とも言えない顔をしていた。

 先程までの嬉しそうな顔とは打って変わって、何だかこちらが悪いみたいで、アキトはバツが悪かった。

 

 

 「……用事がある訳じゃないんでしょ?エギルさんから聞いたわよ?」

 

 「……根回し早すぎだろ」

 

 

 アスナの発言に眉を顰める。

 そういえば、昨日の段階でエギルに今日の予定を聞かれた気がする。

 あの時は、今日という日の事を嫌でも考えてしまっていた為に、半ば適当に返事をした感じは確かにあるし、用事が無いのも事実だ。

 当日は、さらにその想いを募らせた。

 だから、彼女達と外に出るのは抵抗があった。

 

 

 「今日寒いから、外に出たくねぇんだよ」

 

 「何よそれー、子どもは風の子でしょ?」

 

 「そう、子どもは風邪の子なんだ。体調崩したりしたらやってられねぇ」

 

 「VRで風邪なんてある訳無いでしょ……」

 

 

 微妙な意味の違いにゲンナリしながら、アスナはアキトをジト目で見る。

 すると、アスナでもアキトがいつもとどこか違う雰囲気を纏っている事に気が付いた。

 いつもなら頼み事は、嫌々な表情を作りつつ、それでもユイが頼んだりすると最終的には渋々と了承していた。

 だけど今回、そもそもユイの誘いを言い切る前にアキトが断りを入れていた。事前にその誘いを断るつもりだった事が伺える。

 ならば、彼の言っている理由は巫山戯たものだ。そんな理由で断るつもりではないだろう、その表情がそう言っていた。

 どこか寂しそうで、悲しそうで。

 

 

 「……他に理由があるの?」

 

 「……」

 

 

 アキトは僅かに反応すると、その視線を横にずらす。

 アスナからも、ユイからも目を合わせないようにと、宿の床を見つめる。

 この時期に外に出たくない理由など、色々ある。

 だけど、どれもこのタイミングでは彼女達に話したくなかった。それを言う事は、とてもじゃないが、今のアキトには難しかった。

 けれど、理由も無しに納得はしないだろう。彼女達も無理矢理には連れて行かない筈だ。

 

 

 「……雪が……白が、嫌いなんだ」

 

 「白……?」

 

 「だから、悪いけど外には出ない」

 

 「え、ちょ、アキト君……?」

 

 

 アスナ達の返事も聞かず、アキトはその扉を閉めた。

 扉に背を預け、そのままズルズルと腰を下ろしていく。

 彼女達に当たる訳にはいかないと、そう思ったのに、ユイにあんな顔をさせてしまうなんて。

 まるで進歩してない自分に、アキトは自嘲気味に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「あ、おかえりー。アキトは何だって?」

 

 

 1階でアスナとユイを待っていたのはいつものメンバー。

 シリカ、リズベット、リーファ、シノン。クラインは風林火山のメンバーと何やらする事があるらしく、夕方のクリスマスパーティーまでは帰って来ない。

 エギルは変わらず店番と、そのルーティンを保っていた。

 

 アキトを誘う事になり、アスナとユイに行ってもらったは良いが、少し戻って来るのが遅かった為に、彼女達は不思議そうにアスナとユイを階段の下から見上げていた。

 リズベットは開口一番、アスナ達に戦果を聞いたが、アスナは困ったように小さく笑った。

 

 

 「……パスだって」

 

 「……まあ、そんなんだろうと思ったけどさー……」

 

 

 リズベットもある程度予想していた為、苦笑を浮かべるばかり。

 シノンは不思議そうに首を傾げて口を開く。

 

 

 「ユイちゃんが頼んでも断ったの?アイツ」

 

 「うん……誘い切る前に断ったから、初めから誰が来ても断るつもりだったのかも」

 

 「本当は何か用事があるんですかね?」

 

 

 アスナの説明でシリカが思い付いたように問い掛ける。

 その線も無くは無いが、アキトの様子を見るに、あのまま部屋に居続けるつもりなのでは、と思ってしまった。

 いつものような態度はあまり感じられなかったし、どこか疲れているようにも見えた。

 

 

 「もしかしたらアキト君、今日はこのまま部屋にいるのかも……」

 

 「……え、な、何?アイツ具合でも悪いの……?」

 

 「具合というか……その……少し、元気が無さそうだったっていうか……」

 

 「ちょっと、心配ですね……」

 

 

 リーファがそう言うと、アスナは先程の彼の表情がフラッシュバックした。

 こちらの誘いに断る前から、その表情はどこか暗く、半ば強引に会話を打ち切り、扉を閉めようとした時は、とても悲しそうで。

 何かあったのだろうか、それとも。

 このクリスマス・イヴという日に、何か特別な意味があるのだろうか。

 周りの空気が悪くなりつつある中、アスナの隣りにいたユイは一際落ち込んでいるように見えた。

 

 

 「……」

 

 「ユイちゃん?」

 

 「っ……は、はい、どうしましたか?」

 

 「えっと……大丈夫?」

 

 「……はい、大丈夫です……」

 

 

 ユイはそう言って無理して笑うが、やがてその顔を俯かせる。自分の着ているワンピースを見下ろし、そのスカートの部分をきゅっと握った。

 アキトに断られた事が、余程応えたのだろう。

 そのユイの顔を見た彼女達からすれば、『アキトの野郎……』くらいの気持ちを持った事だろう。

 だがそれは、ユイの想いを汲んだらの話だ。もしかしたら、アキト自身にも、何か事情があったのかもしれない。

 外どころか、部屋からも出ない理由が。

 

 ともかく、ユイがこうして悲しげな表情を作っていると、どうにかしてあげたいと思ってしまう女性陣。

 彼女達は自然とユイの元へと集まった。

 

 

 「よぉーし!それじゃあ予定通り、みんなでお出掛けしましょう!ね、ユイちゃん!」

 

 「り、リズさん……」

 

 

 リズベットはユイちゃんの手を優しく握り、引いて歩く。

 ユイは目を丸くしながらも、リズベットに引かれるがままに階段を下りた。

 それを見たリーファやシリカも、笑みを浮かべてユイに駆け寄った。

 

 

 「どうせなら、夕方まで思いっ切り楽しんじゃおっ!」

 

 「行こっ、ユイちゃん!」

 

 

 「リーファさん、シリカさん……はいっ!」

 

 

 ユイの顔は、段々と明るいものへと戻りつつあった。

 アスナはそんな彼女の笑顔と、それを作ったリズベット達を見て、改めて感謝した。

 エギルはそんな彼女達を、遠くから微笑ましく見守っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 どれだけ時間が経とうとも、アキトはその場に座り込んでから全く動かない。

 今までは平常だったのに、雪降るこの時期が来た瞬間にこうなるのかと、自分でそう思っても変えられなかった。

 部屋には明かりが付いておらず、時間が経つほどにその室内は闇に染まる。外は晴れてるわけでは無く、曇りで淀んでいる。

 気温が低くなるこの時間帯、アキトの部屋は冷えに冷え切っていた。

 

 

 「……雪……白、か……」

 

 

 アキトは、先程アスナに断りを入れた時に発した自分自身の言葉を思い出していた。

 言い訳染みた発言に思えたが、実はあながち嘘じゃなかったのだ。

 

 白は、好きな色だった。

 何も知らない無知の色。始まりの色。ここから、新たな色へと染まる事が出来る、自由な色。

 何者にも変われる、そんな力があるように思えた。

 白は正義の色だと、誰かがそう言っていた。

 

 自分が正義だとは思っていないが、何者にもなれる白は、とても魅力的で、憧れだった。

 なりたいものへとなる事が出来る、それがとても素晴らしいものに、あの時は思えたのだろう。

 

 あの頃は、それが装備にも顕著に現れていた。全身を覆う白い装備は、遠目からでも良く目立っていた。

 白いコート、白いズボン、白い刀。何もかもが白くて、今にしてみれば恥ずかしい事この上ない。

 けれど、そうする事で、変わる力が欲しかった。弱さに怯えるばかりじゃなく、独りでも生き抜いていける強さが欲しかった。

 そうすれば、いつかきっと、何かに変われると思っていた。

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトは、今の自分の装備を思い出し、その拳を強く握る。

 黒いコートに、黒いズボン、黒い剣。何もかもが黒くて、深い闇の色に思えた。

 

 あの時はまだ、黒は嫌いな色だった。

 何色にも変われない、何者にもなれない。どんなものにも染まらない、拒絶の色だから。

 そして、それは自分に良く似ていたから。

 決して変わる事の無かった、自分自身に思えたから。

 

 変わりたかった自分に、変われない色がそっくりで。

 とても嫌いな色だった。

 

 なのに、全身を黒に染めた剣士に、自分は憧れた。

 彼が身に付けると、自分にとっては拒絶の色だった黒が、違う意味のあるものに見えた。

 それが彼と自分の差なのだと痛感し、それがとても羨ましくて、とても妬ましかった。

 

 現実では変わる努力どころか、変わろうともしなかったのに、この世界に来た途端に都合の良い人間だと、自分自身で嫌になった。

 誰かを守れる力など、この世界に来るまでは欲する事すら、考えた事すら無かったのに。

 守りたい大切なものが出来た瞬間に、その欲は肥大して。

 結局、望むだけ望んで、欲しかったものは何もかも失った。

 

 

 「……空っぽだな」

 

 

 何も無い、何も持ってない、何も残ってない。

 皮肉なものだ。何もかもを手放し、何もかもが滑り落ち、失ったからこそ、空っぽになった手で、自分はもう一度剣を握る事が出来たのだから。

 守るものを失ってから、戦う術を手に入れたなんて。

 なんて滑稽で、酷く醜い。たった一人、ただ独りの悪足搔きだったなんて。

 

 何か、罪滅ぼしのつもりでいたのかもしれない。

 

 今自分が掲げた『誓い』すら、初めは義務的なもので。自己満足で。

 決して、自分から出た願いでは無かった。他人の願いを、自分のもののようにしたかったのかもしれない。

 誰か(キリト)の願いを、いつの間にか自分の願いだと、そう置き換えて、仲間を守るだなんて、悦に浸って。

 自分が(キリト)を気取っても、それはただの間抜けに思えた。

 

 

 けれど、たった二人だけ。

『黒が似合う』と、そう言ってくれた人がいた。

 この世界と現実世界に一人ずつ。自分を肯定してくれた、そんな風に感じさせてくれた人がいたのだ。

 

 

『今のアキトなら、黒もきっと似合うよ』

 

『桐杜は、やっぱり黒が一番似合うって』

 

 

 二人の意味は、全く違うものだったけれど、自分にとって、自身によく似た色の意味を変えてくれた人達だった。

 それはきっと、アキト自身の生きる意味合いにも関わってくる事だったかもしれない。

 たかが色の事でと、そう誰もが思うかもしれない。それでもアキトにとっては、考え方が、それこそ、世界が変わったような気がした。

 あの世界だからこそ、自分は本気で戦えたのだ。

 嫌いな色が、好きになれた気がしたのだ。

 

 

 そして、そんな幸せが過ぎ去り、アキトは白が嫌いになった。

 それは、雪の色。何もかもを失ってしまったのだと、自分で認めてしまったあの日。無力な自分が身に付けていた色、どこまでも広がる、終わりの見えない雪原の色。

 この世界に、たった一人取り残されてしまったような、そんな感覚に陥る。

 透明だからこそ感じる、恐怖と悲しみの色。

 何も無い、何者でもない、自分によく似た色だった。

 ずっと憧れていた筈の色が、今になって自分と重なって。

 あまりにも皮肉だった。

 

 

 どうして。

 どうして自分だけ。

 何故、こんなにも上手くいかなくて。

 自分はただ、たった一つ、願い事をしただけなのに。

 

 

 ただ、大切だと感じられるものが欲しかったのに。

 世界を敵にしたっていい。守りたいものがあったのに。

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば、闇の中に埋もれていた。

 目を覚ますも、何も見えない。本当に目を覚ましたのかも、疑いたくなる程に暗く、アキトは目を見開いた。

 

 よく目を凝らせば、そこは自分の部屋だった。とても冷えていて、現実世界なら風邪を引く事間違い無しだろう。

 窓の外は何も見えず、もう深夜帯である事が伺えた。

 

 時刻を見れば、夜の11時半。

 外は街灯と、ほんの少しのイルミネーションの輝きを放っており、それでも、外を歩くプレイヤーは思ったよりも少なかった。

 それを、ずっと扉に寄りかかったまま座っていたアキトには分かるはずは無かったが、辺りがとても静かな為に、無意識的は察していた。

 

 

 「……もう、こんな時間か……」

 

 

 アキトは力無くそう呟くと、俯いていた顔を上げる。

 自身の今の状態も相成って、部屋もより一掃暗く感じる。今の今まで、自分は眠っていたのかと思うと、何とも勿体無い日を過ごしたものだ。

 

 この時間帯なら、ユイ達が誘ってくれたクリスマスパーティーも終わっているだろう。

 彼女には悪いが、あの時はそんな気分じゃなかったのだ。

 

 

 「……何で……そんな気分じゃなかったんだっけ……」

 

 

 アキトはその足を伸ばし、扉に背を預けたまま、天井を見上げた。

 目が覚めるその瞬間まで、何を考えていたのか、それを考えていた。

 いつから眠っていて。

 今まで何を考えていたのか。

 

 何か、夢を見たような気がする。

 どんな夢かは、全く覚えていない。

 けれど、酷く懐かしく、大切な想いを感じた。

 

 

 

 

 「……っ……え……あれ……」

 

 

 

 

 いつの間にか、その頬には涙が伝っていた。

 アキトは思わず目を見開いて、慌ててその頬を拭った。

 けれど、とめどなく溢れる涙、原因も分からずに流れる涙に、アキトは遂にその動きを止めた。

 ポロポロと、際限なく。自分と理性とは裏腹に決壊する想いが、体現されていた。

 

 彼らを失ってから、もう1年以上が経った。

 それから、ここに来るまでに色々な事を感じた。ずっと独りでここまで来た。

 最初はそれでも良いと思った。それが最善だと思った。

 だが、その途中一度だけ、一人のプレイヤーとパーティを組んだ事はあった。

 その時感じたのは、懐かしさ。一緒に組む事で感じるのは、いつだってかつての仲間達。

 この層へと赴いて、それは顕著に現れた。キリトの仲間達と出会って、それ以外でも知り合いが出来て。その誰もが優しくて、アキトは自然と彼らをかつての仲間と重ねてた。

 

 

 

 

 ああ、そうか。

 俺は。

 

 

 

 

 「……独りぼっちが……怖かったんだ……」

 

 

 涙は止まらない。自分が変わらず弱かった事を知った。

 誰かが傍に居てくれないと、自分は頑張れない事を理解してしまった。

 ずっと、誰かが笑った顔を見たかった。自分に向けられるものが欲しかった。認められない事実が辛くて、その全てがどこか独り善がりで。

 ただ、自分は。

 他者との繋がりが欲しかったのに。

 

 

 「…………っ……っ……」

 

 

 流れた涙は止まらない。

 何が悲しかったのかなんて分からない。今まで何を考えていたのかさえ曖昧で、この涙に意味など無いかもしれない。

 それでも、アキトは自身の涙を止められないでいた。

 とても切なくて、とても悔しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その扉を静かに開く。

 1階へと下りる階段までは廊下が続いており、その間に幾つかの部屋への扉がある。

 それぞれ、アスナ達の部屋だった。

 すっかり静かのを見ると、もう皆寝てしまったのかもしれない。とすると、既にクリスマスパーティーは終了したのだろう。

 

 アキトは最初にアスナ達とあった時よりは、スッキリしたような表情を作れていた。

 ずっと自分を責め続ける、地獄のような時間は終わり。

 いつまでも嘆いていたって、仕方が無い事は分かっていた。どこかで踏ん切りを付けなければならないと理解してた。

 だからこそ、今日という日を一日使って、幾分かマシになった気がする。

 過去に浸るのは、楽な道だが、それは逃げだ。

 

 

 「いつまでも、くよくよしてらんないな……」

 

 

 アキトは静まりかえった2階を見渡す。

 夕方にクリスマスパーティーをやったのは、恐らく明日に響かないように早めに終わらせる為だろう。

 いくらクリスマスだといっても、この世界のプレイヤーはのんびりしていられない。二日三日も攻略を疎かには出来ないからだ。

 エギルの店としての役割も、この時間なら終了し、今の時間帯なら、この宿で部屋を借りてる者しかエギルの店は出入り不可能だろう。

 

 アキトは部屋からゆっくりと出ると、そのまま静かに廊下を移動する。

 あまりにも冷たく、それでいて静かで。アキトはほんの少しだけ、心細くなっていた。

 単純にお腹が減っており、何か食べる物が無いか、無ければ外へ出るつもりでいつもの戦闘時の装備まで身に付けていたアキトは、その背の《エリュシデータ》の重みを感じながら歩く。

 クリスマスパーティーに出なかった自分が、空腹で外を出るなど何ともアレだが。

 

 

(……ユイちゃんに悪い事したな……)

 

 

 折角誘ってくれたのにと、それを断った事に罪悪感があった。

 勿論、断った理由が単なる私用だからこそ、後ろめたく感じている部分もあった。だからこそ、誰かと顔合わせになるのは避けたいが為のこの時間帯だった。

 けれど、ここまで静かだと、やはり感じてしまう。

 このどうにもならない、どこまでも『独り』だという感覚。取り残されたと感じる。

 また、自分だけ生き残って、と自身を責め立てるように。

 不快感ばかりが身体を襲う。

 

 

(独りって……こんなに辛かったっけ……)

 

 

 ずっと孤独だったのに、いつの間にかそれを寂しく感じるようになっていた。

 これは成長なのだろうか。いい意味で変わったと言えるだろうか。

 こんな想いをしたくなくて、大切なものを失いたくなくて彼らを守る為に強さを求めた。

 自分は今度こそ、大切なものを守れるだろうか。

 

 

 アキトはその階段をゆっくりと下りる。

 下はまだ明るいのが見えた為に、エギルはまだ起きているのが分かった。

 有難い、と心の中で感じつつ、その階段を一段ずつ下りていく。

 そして、下の階が見えた瞬間────

 

 

 

 

 

 

 アキトは、目を疑った。

 

 

 

 

 

 

 「……あ、アキトさん!」

 

 「アキト〜!」

 

 「え、嘘!? ……あ〜……やっと起きて来たー!」

 

 「全く……随分な寝坊ね」

 

 「遅えぞアキト!折角の飯が冷めちまってんだろうが!」

 

 

 そこには、いつものメンバーが円テーブルに料理を囲って席に座っていた。

 アスナ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン、クライン、エギル、ユイ、そしてストレアまで。

 他にプレイヤーはおらず、どうやら彼らだけのようで、料理には一切の手を付けずに座っていた。

 各々がこちらを見上げて文句を言いつつ笑みを浮かべている。アキトが来た事で漸くご飯にありつけると、クラインが満面の笑みと共に感動の涙を流してた。

 

 だが、そんなのは問題じゃない。

 この深夜近くにみんなで料理にすら手を出さずに何をしているのだと、そう思った。

 アキトは、震える声で、目を見開きながら慌てて口を開いた。

 

 

 「な、何、してんだよ……パーティーは……」

 

 「そりゃあやったわよ。あたし達は何も食べて無いけど」

 

 「っ……なんで……」

 

 「アンタを待ってたんでしょ」

 

 

 リズベットとシノンの返しで、アキトは瞳を揺らす。信じられないと頭がそう言っていた。

 夕方の時間帯から今の今まで、一体何時間経ったというのか。

 

 

 「……俺を……待ってた……?な、なんでそんな事っ……」

 

 「アキトさん」

 

 

 アキトの言葉を遮って、ユイが前に躍り出る。

 自身を真っ直ぐに見上げるユイに、アキトは気圧された。

 

 

 「私、今日はアキトさんとも一緒にいたいです。一緒に料理を楽しんで、笑い合いたいです……!」

 

 「……ユイ……」

 

 

 その切実な願いに、曇ったものは一つも無くて。

 午前中に誘ってくれた時よりも強気に言い放った彼女は、とても可愛らしい笑顔を向けてくれていた。

 

 

 「アキト君」

 

 「……閃光」

 

 「私達はもう仲間なんだし、パーティーはみんなでやらないと、ね?」

 

 「……」

 

 

 仲間。

 その言葉が、酷く胸に突き刺さる。孤独だった去年の今日を思い出し、その顔を思わず伏せる。無上な程の優しさが、無性に心に響いた。

 

 

 「……悪かった、待たせて」

 

 「……少し遅いけど、おはよう、アキト君」

 

 

 アキトの精一杯の謝罪を、アスナは笑顔で受け取った。周りも、そんなアキトの言動を意外に思いつつも、各々何も言わず、ただ笑顔で彼を見つめるだけだった。

 ユイはそのアキトの手を、恐る恐るといった風に握る。

 

 

 「アキトさん、行きましょう!たくさんご馳走用意してますよ!」

 

 「……ああ」

 

 

 アキトはユイに引かれるままに、そのテーブルへと向かう。

 周りの暖かな視線が向けられるが、それも悪くないなと小さく笑った。

 

 

 「よぉし!んじゃまっ、早速食べようぜ!何からにすっかな〜?」

 

 「クライン、アンタさっきつまみ食いしようとしてたでしょ?」

 

 「リーファ、そっちの野菜取って貰える?」

 

 「あ、あたしも食べます!」

 

 「きゅるぅ♪」

 

 「アキト、これ凄く美味しいよ!」

 

 「お前らがっつき過ぎだろ……」

 

 

 各々が喋り出し、一瞬で騒がしくなる。

 そんな光景を黙ったままに眺め、そして懐かしく感じた。

 こんなちっぽけな世界を守る為に奮闘したあの頃を思い出す。

 ずっと嫌な気分で過ごしていたクリスマス・イヴだったが、最後の最後で悪くないものを抱く事が出来た気がする。

 それは、ひとえに目の前の彼らのおかげ。

 

 キリトの仲間達は、誰もが強くて、温かくて、優しくて。

 いつか、そんな優しさに溺れてしまう日が来てしまうかもしれない。

 今度こそ、自分は守りたいものを守る事が出来るだろうか。

 考えれば、考える程に、不安が募る。

 けれど。

 

 今、目の前には笑い合う彼らの姿が見える。

 そんな彼らの前で、こんな顔をするのは、きっと失礼だ。

 自分が来るまで、ずっとここで待っててくれた彼らの為にも。

 

 今はただ、この時間を楽しもう。

 

 

 

 

 「うおおぉ!?これ美味ぇ!アキト、食ってみろって!」

 

 「そういやアキト、アンタ今日部屋でずっと何してたの?」

 

 「アキトさん、このお肉にはこっちのソースが合いますよ!」

 

 

 

 

 ……ただし、自分のペースで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 遅くに始まったせいで、日はすっかり変わってしまった。

 そのタイミングでメッセージが入り、パーティーを抜けて店の入口に寄りかかる。

 賑やかな声を背にして、アキトはそのメッセージを開く。

 

 

『アキト君、メリークリスマスだよーっ♪最近どう?私は元気だよー(*´ω`*)』

 

 「……日変わる瞬間に送りやがって……」

 

 

 受信時間を見れば、イヴからクリスマスへと、その日が変わった瞬間に送られたようだった。そう愚痴を溢すも、アキトは小さく笑みを浮かべていた。

 知った名前のプレイヤーからのメッセージというだけで、結構嬉しいものだなと、アキトは感慨深い何かを感じる。

 アキトはメッセージを送ってきた人物に対して、返信を打つ。

 

 

To アキト

『はいはい、メリクリメリクリ』

 

 

 「……こんなんで良いかな」

 

 「良いわけ無いでしょ」

 

 「うおっ、ビックリした……」

 

 

 アキトの背中から声が掛けられ、瞬間その身体が震え上がる。

 後ろを見れば、栗色の髪を持つ、アスナがこちらを覗いていた。

 

 

 「な、なんだよ……ってか、勝手に人のウィンドウ見んなよ」

 

 「見たんじゃなくて見えちゃったの。それにしたって、折角のメッセージをそんな適当に返すのはどうかと思うな」

 

 「別に……関係無いだろ」

 

 「誰から?友達?」

 

 「いなそうに見えるだろ。悪かったな」

 

 「そんな事言ってないじゃない……」

 

 

 アスナは呆れるように溜め息を吐き、アキトと扉を挟んで寄り掛かる。

 アキトはそんなアスナを一瞥した後、ウィンドウに視線を落とした。

 先程まで書いていたメッセージを消し、新たに代案を考える。

 

 

 「……ここに来る前に、一人だけ……パーティを組んだ事があったんだ。その時、フレンド登録したってだけで、それっきり会ってない」

 

 「へえ……何だか意外」

 

 「……何が」

 

 「アキト君、確かにあんまりフレンドいそうにないから。申請しても断るし」

 

 「……かもな」

 

 

 些細な会話が、ポツリと寒空に消える。

 粉雪が降り、それが肌に触れる度に、色々な事を思い出す。

 嫌いになってしまった色が、視界を覆っていく。

 そんな中、アスナが小さく口を開いた。

 

 

 「……今日、ゴメンね。無理に誘っちゃって。アキト君、最初からパスだって言ってたのに、なんか無理矢理参加させたみたいで……」

 

 「……別に、謝る事じゃないんじゃね?民主主義的に言えば、多数決でお前らが正しいんだし」

 

 「もう……またそういう事言って……本当に良かったの?」

 

 「……?」

 

 

 彼女の声のトーンが低くなる。

 それに気付いて、アキトはウィンドウから視線をアスナへと移した。

 アスナは首を傾けて、こちらを見ていた。

 

 

 「今日の朝のアキト君見たら、やっぱりパーティーは、アキト君にとっては迷惑だったかなって」

 

 「……」

 

 「体調が悪かった、とかじゃ、ないんでしょ?」

 

 「……まあ、な」

 

 

 彼女の気遣いが、心に染みた。

 今日の朝の一度きりの顔合わせで、アキトがどんな状態なのか、なんとなく察していたのかもしれない。

 

 

 「別に、嫌だったとか、そういうんじゃないんだ」

 

 「え……?」

 

 「俺……クリスマス……特にイヴは、独りなんだって、ずっとどこかで思ってた気がするから」

 

 

 アキトはアスナから視線を外すと、雪舞う暗い空を見上げる。

 そうして、自身の思いの丈を、自然と口にした。

 

 去年は、独りだった。それだけなのに。

 あれが全てな気がしてた。あの時たった独りだった自分は、これからもずっと独りなんだと思っていた。

 孤独をこれからも貫けば、どこか楽になれた気がした。失うものがなくなったなら、もう失った時の悲しみを抱く事も無い。それがきっと、正しい選択なのだと、無理矢理に、強引に、納得した。

 

 

 「けど……今年は君らが傍にいて……そしたら、また……怖くなった」

 

 「アキト君……」

 

 「……悪いな、自分から話振っておいて。これ以上は喋る気になれないや」

 

 

 彼のその苦笑いは、とても切なそうに見えた。

 アキト自身、きっと無理して笑っている自覚があった。

 彼らを失ったのだと、そう認めてしまってから、初めてのクリスマス。

 やはり、こんな気持ちには嫌でもなってしまう。

 アスナ達にはまだ、この気持ちの理由を話せずにいた。彼らを仲間だと思うなら、いつかは話さなければならないのかもしれない。

 けれど、アキトにはどうしてもそんな気分にはなれなかった。

 

 

 「けれど、今年は私達がいるから」

 

 「え……」

 

 

 隣りからのそんな声に、アキトは目を丸くして見つめる。

 アスナは優しげな笑みを浮かべて、アキトを見つめ返していた。

 

 

 「君は一人じゃないし、独りになんかさせない。私達は、いつだって君と一緒にいるから。だから、無理しなくても良いんだよ?」

 

 「……アスナ……」

 

 

 彼女のそんな言葉を、何度聞いたか分からない。

 けれど、それはすんなりと胸に入り、心地良い気分を抱く。

 言葉に詰まり、何も言えなくても、そう思ったのは確かな事実で。

 

 

 「ゆっくりで良いんだ。アキト君のペースで、いつか、自分には私達がいるんだって、そう思ってくれれば良いの。そうなったら……」

 

 「……」

 

 「……いつか、聞かせてね?」

 

 「……ああ。いつか、な」

 

 

 アスナの言葉に、アキトは小さく笑みを浮かべた。

 彼女も、そんなアキトを見て、寒さからか、その頬をほんのり赤くしながら笑った。

 今はまだ、無理かもしれない。けれど、きっといつか、少しずつ。

 そうして前に進めていけたなら。

 この選択を、誇れるものに出来たなら。

 目の前の彼女にも、ちゃんと話せるかもしれない。

 

 

 「……あ、リズが呼んでる。そろそろ戻ろっか」

 

 「……先、行っててくれ。メッセージ打ち直す」

 

 「ちゃんとしたのを送ってあげなよ?」

 

 「分かってる」

 

 

 アスナは嬉しそうに店の中へと入っていく。

 それを見た後、アキトはウィンドウのメッセージを打ち直し、そして送信した。

 フッと軽く息を吐いて、雪舞う景色を眺める。

 イヴは終わり、クリスマスへと、日が移行する。

 あれからきっかり、1年が経ったのだと自覚した。

 

 その指で虚空を撫で、ウィンドウがまた開く。

 アイテムストレージを開き、その中の一つを、オブジェクト化した。

 それを見つめたアキトは、小さく、儚く笑った。

 

 

 「……サチ。俺は、ちゃんと前に進めてるかな……」

 

 

 

 

 

 

 その手には、既に何かが記録された、記録結晶が握られていた。

 

 








小ネタ


① 例えば、こんな解釈(今話後半参照)


アキト 「俺……クリスマス……特にイヴは、ずっと独りなんだって、思ってた気がするから(引き篭もってゲームとかやるし、毎年外は寒いし)」

アスナ 「……(彼女とかつくらなそうだもんなぁ……)」

アスナ 「……けれど、今年は私達がいるよ」メソラシ

アキト 「その哀れみの視線やめろ」








② 白が嫌い


ユイ 「あ、アキトさん……これ、どうですか……?」

アキト 「……良いんじゃないかな、いつものワンピースだと今日は寒いし、セーターなら丁度良いぐえっ!……な、何すんだよ……!」

アスナ 「(アキト君が『白が嫌い』って言うから、ユイちゃん着替えたのよ!? ちゃんと褒めてあげて!)」

アキト 「あ……そういう……だからピンクのセーターなのか……」

ユイ 「……」ソワソワ

アキト 「凄く似合ってると思うよ」

ユイ 「……!」パァッ

アキト 「……勘違いさせてるなら、謝るけど」

ユイ 「え……?」

アキト 「ユイちゃんの白いワンピースも、俺は似合ってると思うよ。俺は、いつものユイちゃん(のワンピース姿)も好きだな」

ユイ 「っ……す、すす、好きって……!?」

アキト 「え……?うん、(ワンピースも)可愛らしくていいなって思う……あ」←察し

ユイ 「っ……!っ……!」(///_///)










③ メッセージの相手


リズベット 「……そういえば、さっき誰からのメッセージだったの?」

アキト 「……別に、誰だって────」

アスナ 「アキト君がここに来る前にフレンドになった人からだって」

リズベット 「へぇー!アンタ友達いなさそうなのにね〜」

アキト 「……余計なお世話だ」

シリカ 「……」ジー

リーファ 「……」ジー

ユイ 「……」チラッ

ストレア 「……あっ、これ美味しい♪」

シノン 「……で?」ジトー

アキト 「あ?……何だよ」

シノン 「……もしかしなくても、女の子よね?」

アキト 「……」

全員 『……』

アキト 「……そうだけど」

ユイ 「っ……」

シノン 「……はぁ」

アスナ 「やっぱり……そういうところ、誰かさんとそっくり……」

クライン 「何だよオイ!お前ぇもかよー!ホントお前もキリトも女の子ホイホイだなぁ!」←ガチギレ

アキト 「……んなんじゃねぇよ……ってか何だよ、女の子ホイホイって……」




④ アキトの今日


シノン 「……で、アンタ今日1日部屋に閉じ込もって何してたわけ?」

アキト 「……ね」

全員 『ね?』

アキト 「……寝てたけど」

全員 『……』

シリカ 「アキトさん……」

リーファ 「幾ら何でも……」

リズベット 「それは流石に……」

アスナ 「私達がどれほどアキト君を待ってたか……」

アキト 「何この言われよう……」


























⑤ メッセージの返事



送信したメール
『アキト君、メリークリスマスだよーっ♪最近どう?私は元気だよー(*´ω`*)』


??? 「……」

??? 「……」ソワソワ


──── ピコン♪


??? 「っ!」バッ!


To アキト
『ああ、悪くないよ。態々ありがとな』


??? 「……」

??? 「……ふふっ♪」






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Ep.70 狂う歯車



おまたせです。

何度も言いますが、どれだけ面白くなくとも、どれだけ時間がかかろうとも、決して逃走も凍結もしません!
この話に限っては、必ず完結させると誓います!

今回も分かりにくいですはい。
目覚めた後の話が中々に難しくて……納得のいかない部分は各々の脳内補完という事で……
ではどうぞ。




 

 

 

 

 その閉ざされた空間の中心に立っているのは、一人の黒の剣士。

 世界に望まれ、顕現した希望の勇者。

 けれど、その心は。

 

 まるで夢心地。

 

 その場に立っているのは、自分の筈なのに、どこか落ち着かなくて。

 その身体を動かしているのは、自分ではなく他の『誰か』で。

 

 その手には、真紅と漆黒の剣。

 

 翻すは黒いコート。

 

 その瞳は青と黒。

 

 周りには、地に伏せ、こちらを見上げる期待の眼差し。

 凡そ自分に向けられる筈の無い、縋るような瞳。

 自分の立場が、居場所が、世界が、一瞬で変わった気がした。

 

 そのたった一人の『誰か』の登場によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 目を覚まして最初に映るのが見知った天井である事の安心感。

 アキトはその天井を、何を考えるでも無く、ぼんやりと見つめた。

 静寂に包まれ、どこか肌寒さを感じる自身の部屋に、小さな呼吸音が籠る。

 

 

 「……俺は……」

 

 

 次第にここに居る理由を思い出す。記憶が鮮明になり、その瞳は段々と見開いていく。

 思い出されるのは、フロアボスとの戦闘。骸の王の攻撃で死にゆくプレイヤー達と、瀕死の彼らの前に立ちはだかる、金髪の妖精の背中。

 

 そして────

 

 

 「……どう、なったんだ……?」

 

 

 そこからの記憶が途絶えていた。

 未だ仰向けの状態で見上げる天井。そして、そこから視界を窓に向ける。

 夕暮れを通り越し、もはや夜に差し掛かっていた。

 視界は既にクリアになっており、辺りのものは明確に見えるようになっていた。

 

 だからこそ、心臓の高鳴る音が聞こえる。

 自身の記憶が無い事の困惑よりも、ボス戦の結果と、みんなの安否が気になり、段々と焦りを覚えていた。

 自分がここに居るという事は、ボスの討伐自体は成功したのだろうが、あの強固な防御力と、凄まじい攻撃力、加えてHPもかなり残っていた筈だ。

 リーファが骸の王に対峙したところからの記憶が曖昧だが、その後で誰かが死んだ可能性だってある。

 その瞳が揺れ、呼吸が荒れるのを感じる。

 

 

 みんなは、どうなった?

 自分は、どのくらい眠ってた?

 

 

 「っ……」

 

 

 唐突に頭に痛みが走る。どうにか抑え、その痛みに耐える。

 その間、知らない光景が一瞬過ぎる。見た事の無い動きをする自分の姿が見えた気がした。

 

 

 「……何なんだ……ん?」

 

 

 右手で頭を抑えていると、逆の手、というか逆の腕が動かないのを感じる。

 まるで何かに固定されている様だった。

 アキトは上体をほんの少しだけ起こし、その左腕を見る。

 

 

 「え、なっ……!?」

 

 

 そこには、自分の腕を抱えて眠る、ユイの姿があった。

 きゅっと力を小さく込めて、アキトのその腕に自身の身体をピッタリとくっ付けていて、その手はアキトの左手を握っていた。

 所謂『恋人繋ぎ』である。

 

 アキトは途端に目を見開き、思わず声が出そうになるのをどうにか右の手で抑え、大きく息を吐く。

 そして、ゆっくりとユイの顔を見下ろした。

 かなり深い眠りに付いているのか、少し揺すっても全く目を覚ます気配が無い。

 相当疲れているのか、それとも、かなり心配させたのだろうか。

 それも当然なのかもしれない。

 自分の攻略の時の記憶が途中から無いのは、もしかしたらモンスターの攻撃で気を失ったからなのかもしれない。もしそうなら、ここで眠っていたのも、ユイがここに居るのも、なんとなく辻褄が合う気がした。

 要は、心配させたのだろう。

 

 

 「……ゴメンな、ユイちゃん……」

 

 「んんっ……あぃと、さん……」

 

 

 寝言でアキトの名前を、呂律の回らない口で溢すユイ。

 そんな彼女に、アキトは小さく笑った。

 彼女がこの様子なら、もしかしたらみんな無事なのかもしれない。

 やはり、キリトの仲間達は、みんな強いのだなと、納得もしたし、どこか虚しかった。

 

 ユイが起きないように、ゆっくりと身体をユイと切り離し、ユイをベッドの中心へと寝かせる。

 やはり起きる事無く一定のリズムで呼吸するユイの寝顔を確認すると、アキトは静かにその部屋をあとにした。

 

 扉を閉め、1階への階段へと向かう。

 この曖昧な記憶の辻褄を合わせる為に、下にいるであろういつものメンバーに話を聞かなければと、無意識にその足が向かっていた。

 ズキズキと、未だに痛む頭をガシガシと掻き、どうにか痛みを振り払う。

 ゆっくりとだが、その階段を下りて、下へと向かう。

 

 

 みんなは無事だろうか。

 生きて、笑っているだろうか。

 それだけが望みで、それ以外は何もいらない。

 どうか、みんな生きて────

 

 

 「っ……」

 

 

 そして、そこにはいつものメンバーがいた。

 

 

 その事実に、アキトは途轍もない安心感を抱くが、すぐにその違和感に気付く。

 彼らのその雰囲気は、どこか暗い。アキトは首を傾げ、それでもそのまま下へと下りていく。

 階段から音が聞こえ、彼らはみんな、その方向へと視線を向ける。

 アキトを見た瞬間、その瞳が見開いた。

 アスナも、シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 リーファとシノンでさえ。

 各々が似たような表情を作っており、誰もがアキトから視線を外さない。

 アキトはそんな彼らに居心地の悪さを感じながら、いつものカウンターへと向かう。

 その瞬間、背中から声をかけられた。

 

 

 「ア……キ、ト……?」

 

 「……何だよ」

 

 

 震えるような声を絞り出すリズベットに、面倒くさそうに振り向くアキト。

 だが、彼女のその表情は、何かを聞きたがっているような、それでいて困惑しているような、そんなものだった。

 リズベットは何も言わずにその視線を右往左往させていた。そんな彼女の背中から、栗色の少女が立ち上がった。

 

 

 「……アキト君、なんだよね……?」

 

 「……何だよ、その質問」

 

 「っ……う、ううん……ユイちゃんは?」

 

 「部屋で寝かせてる。何で俺の部屋に居たんだよ」

 

 「離れたくないって言うから……」

 

 

 アスナは口を閉ざし、その視線を下ろす。

 アキトは知らないが、自分をここまで運んで来た時のユイの反応は凄まじいものだった。

 状態異常でもないのに気絶したまま目を覚まさないアキトに、ユイは終始大泣きしていた。アキトの側を片時も離れないその姿は、見るに耐えないものだった。おまけに彼の気絶も原因不明、不安が募るのも当然だった。

 

 だがアキトはそれよりも、そんな彼女達の不可解な行動と表情に眉を顰めていた。

 何とも言えない雰囲気が、辺りを漂う。

 

 

(……何だ、この雰囲気……)

 

 

 特にリーファからは、途轍もない視線を感じる。

 終始睨み付けているような、そんなイメージだ。決してそうではないのだろうが、その視線に、悪い意味で熱っぽさを感じた。

 アキトは困惑しながらも、エギルが向こう側にいるカウンター席へと腰掛ける。

 クラインが近寄り、アキトと一つ離した席へと腰掛けた。そんな彼の顔も、リズベットやアスナと何ら変わらなかった。

 

 

 「お、おいアキト、お前ぇ、もう大丈夫なのかよ?」

 

 「何が?」

 

 「何がって……体調とかよぉ……その、いきなりぶっ倒れるもんだからビックリしたっつーの」

 

 

 クラインはしどろもどろにそう呟く。

 要領を得ないその話し方に、少しばかりの不信感を覚える。

 

 

 「そりゃ悪かったな。で、倒れた原因は?」

 

 「んなもん俺に分かるわけ無えだろ。ボス倒した後、すぐだもんよ」

 

 「……ボスを、倒した……後?」

 

 

 クラインのその発言を、アキトは聞き流せなかった。

 彼の言った事を鵜呑みにするならば、自分はボスが倒されるその瞬間までは意識を保っていた事になるからだ。

 だが、アキトが覚えているのは、攻略組のプレイヤー達が地面に伏せる中、一人、ボスに向かってリーファが対峙するところまでで、ボスの倒された瞬間は全く記憶に無かったからだ。

 

 クラインを見たまま固まっていると、周りが心配そうにアキトを見つめていた。

 そんな中、彼の様子に気付いたシノンが、眉を顰めて、その口を動かした。

 その言葉は、アキトにとっては理解出来ない事だった。

 

 

 「……何聞き返してるのよ。アンタが倒したんじゃない」

 

 「……俺、が……?」

 

 

 その瞳を見開いて、アキトは驚きの声を上げる。

 彼女のその言動の何一つを理解出来ない。シノンの言った事実が、アキトの記憶には無かったから。

 それが、物凄く怖くて、背筋が凍る思いで。

 

 

 「覚えて……無い、んですか……?」

 

 

 アキトのその様子に、シリカは察したように問い掛ける。

 頭にフェザーリドラを乗せた彼女に、アキトは震えるように顔を向ける。

 彼女達が何を言っているのか、その記憶すら無いアキトは、途端に慌てる。

 分からない、怖い、そんな気持ちがアキトを襲う。

 

 

 「い、いや……覚えてないも何も……俺は倒れたって……」

 

 「……だから、ボスを倒した後に倒れたのよ」

 

 「ち、違う、俺はボスに一対一で向かうリーファを見た後に倒れて……大体、ボスを俺が倒した……?冗談だろ、死者が出る程の強さだったんだぞ……!そんな訳……」

 

 

 そう言いかけて、その言葉を止める。

 その身体は動きを止めて、その瞳には、こちらを見る彼らの姿が映っていた。

 彼らの目は、アキトを捉えているようで、違う何かを見ているように思えた。

 アキトを、自分自身を、誰も見ていない。そんな気がした。

 皆がこちらを見つめる中、アスナが顔を伏せ、ポツリと口を開いた。

 

 

 「……アキト君が倒したのよ」

 

 「っ……」

 

 

 まるで図ったかの様に、皆がアキトを功労者として称えているかの様に見える。けれど、誰一人、アキト自身を見ていない。

 アキトには、それが分かっていた。

 彼らの言っている事は、あまりにも不可思議だったからこそ、納得いかない。あの強敵を、自分一人で倒せる道理など無い。

 

 

 「……だから、あのボスが相手で、一人で倒せるわけが────」

 

 

 

 

 「二刀流」

 

 「……!」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アスナの口から溢れたその単語に、アキトは固まった。

 瞳孔が開き、アスナから視線を逸らせない。

 何故、そんな単語が彼女の口から────

 

 

 「二刀流、使ったじゃない……キリト君と、同じ……」

 

 「っ……!?」

 

 

 驚きの連続で、声も出なかった。

 咄嗟に周りを見るも、誰もが似たような反応をしていた。目を逸らしたり、アスナに同調するように、その瞳をアキトに向けている者もいて。

 そんな彼らを見て、アキトは動揺を隠せない。

 

 

 「な、何だよそれ……俺は、知らないぞ、そんなの……」

 

 「アキト……アンタ、本当に何も覚えてないの……?」

 

 

 アキトのその真に迫る動揺振りに、リズベットが思わずそう問い掛ける。

 本当に何も知らない、そんな風に彼らには見えていた。

 けれど、それで納得がいかないのも事実。

 アキトが使った二刀流に、漂わせていたその雰囲気。戦い方の何もかもが、あの時は違い過ぎていた。

 

 

 「……何も、覚えてない……何も、知らない……」

 

 

 だから、彼の言動は、納得はいかなくとも、受け入れるしかないものだし、本当の事なのだと、そう思った。

 

 

 彼女以外は。

 

 

 

 

 「……嘘だよ……」

 

 

 その声の先にいた少女に、一斉に視線が集まる。

 そこには、わなわなと身体を震わせ、俯くリーファの姿があった。

 

 

 「……リーファ?」

 

 

 誰かが、ポツリとそう溢す。

 様子のおかしい彼女に近付く中、それでもリーファは言葉を放つ。

 

 

 「だって……あの時……!」

 

 

 必死に声を絞り出すその様は、あまりにも脆くて。

 アキトを見上げるその表情は、縋るように、期待するように。

 

 

 それでいて、涙で濡れていた。

 

 

 「あたしの名前、呼んだじゃないっ!」

 

 「名、前……?」

 

 

 どうにかそう聞き返すアキト。

 これ以上に情報を頭に入れると、おかしくなりそうだった。

 けれど、リーファのその言葉の意味を、必死になって探すアキトがいた。

 周りが驚き、焦る中、それでもリーファは言葉を続けた。

 

 

 「あたしのっ……本当の名前……『直葉』って、そう言ったじゃない!」

 

 「リーファ……」

 

 「ちょっと、落ち着きなさいって……」

 

 

 取り乱すリーファを宥めようと、彼女に寄り添う仲間達。

 変わらずこちらを見るリーファの瞳を、アキトは直視出来なかった。

 カウンター越しのエギルが、アキトを見下ろし、躊躇いがちに問い出した。

 

 

 「……お前さん、リーファと現実でも知り合いなのか?」

 

 「……いや」

 

 

 アキトは、リーファを見てそう答える。

『直葉』というのが、彼女の本名で、それを自分が呼んだ?

 最早意味が分からないとか、そういう次元の話では無くなって来ていた。

 リーファの事など、アキトは何も知らない。

 

 

 

 

 知らない筈。

 

 なのに。

 

 自分は、目の前の彼女を。

 

 

 

 

 桐ヶ谷直葉(・・・・・)を知っていて。

 

 

 

 

 「ぐっ……!?」

 

 

 

 

 『スグ……直葉ああぁぁあぁああ!!!!』

 

 

 

 

 知らない記憶が、頭に飛び込む。

 じわりじわりと、侵食していく。その頭の痛みに目を細めても、何一つ変わってはくれなくて。

 その目の前に広がるのは、キリトの仲間達、その、疑惑と期待の視線のみで。

 

 

 何だ。

 何なのだ、これは。

 

 

 「アキト……アンタ、何か隠してるんじゃないの……?」

 

 

 彼女達の、自身を見るその目が。

 笑顔を見せてくれていた筈のその表情が。

 優しい言葉をかけてくれた筈のその言動と態度が。

 何もかもがいつもと違っていて。

 

 

 目が覚めたら、まるで知らない世界で。

 アキト自身を取り巻く環境の全てが変わったような気がして。

 

 

 誰一人として、アキトを見ていないような気がして。

 そこに、自分はいないような気がした。

 

 

 

 

 「知らないって言ってるだろ!!」

 

 

 

 

 恐怖でどうにかなりそうだった。

 大声でそれを誤魔化すかのようで。

 ビクリと震える彼らのその反応も、アキトの知らないものだった。

 

 

 「っ……」

 

 

 誰もが、他人のようだった。

 知らない人を見るかのような視線、いつも向けられていた温かいものとは大違いで、焦燥と恐怖が拭えない。

 目が覚めたら、まるで違う世界。

 初めから自分が存在しなかったかのようなその空間から、アキトはすぐさま逃げ出したかった。

 

 そして、それは行動に現れた。

 気が付けば、その身を翻し、店の外へと飛び出していた。

 

 

 「っ……アキト!」

 

 「アキト君、待って!」

 

 

 店から出来るだけ離れたくて、全力で地面を駆けた。

 段々と彼らの声が小さくなる中、アスナの声だけが大きく聞こえていた。

 自分を追い掛ける、その足音と呼吸音が聞こえる。

 こんなみっともない自分を、アスナに見られたくなかった。

 だが、どれだけ速く走ろうとも、それでもアスナは諦めず、追い掛ける事をやめなかった。

 

 

 結局、いつもの丘へとその足は進み、目の前には夕日が沈み、夜へと差し掛かる幻想的な光景が浮かんでいた。

 

 アキトの少し離れた場所に、アスナは立っていた。

 アキトは、それを見る事も無く、彼女に背を向けたまま、その景色を視界に収めていた。

 

 

 「……アキト君……」

 

 「……」

 

 

 なんて答えるのが正解なのか分からない。

 彼らの様子が、目覚めた時と違っていた理由が分からない。

 納得のいくような言葉を言わなければ、彼らには通じないのだろうか。

 彼らが何を求めて、何を期待していたのか、アキトには分からない。

 あの期待するような眼差しに、自分は映っていなかった。

 先程までのやり取りを思い出し、諦念を抱いたのか、溜め息を吐いた。

 

 

 「二刀流……使ったんだな……やっぱ……」

 

 

 思わず溢れた、不意の言動。

 その言葉に、アスナは瞬時に反応した。

 

 

 「……やっぱり、覚えてるの……?」

 

 「覚えてない……けど……」

 

 

 《二刀流》は、確かにこの手にあったから。

 アキトはウィンドウを開き、自分のスキルの中にある、《二刀流》という名前に視線を固定した。

 75層を越えた辺りで、いきなりスキル欄に現れたそれは、アキトを驚かせるには充分過ぎた。これが世界で唯一のもので、誰が保持していたのか、アキトが知らない筈が無かったからだ。

 自分の手にこれがある事実は、キリトに何かがあった事と同義だった。

 必死になって探して、そうして見つけたのがこの丘で。

 キリトの死の宣告を受け入れたのも、きっとその時で。

 

 

 これまでは、自分が正しいと、そう思っていた。

 だがアスナ達から『二刀流』と、その単語が出てしまったなら、認めるしかない。

 アキトは彼らの前で、二刀流を使った事が無い。だから、アキトがそのスキルを持っている事は誰も知らない筈なのだ。

 だからこそ、アスナ達からその単語が出たという事は、自分の記憶が間違っているという事に他ならない。

 到底信じられる事ではないが、アキトは、二刀流を使用し、86層のボスを倒したのだと、認めるしかなかった。

 

 覚えていないからこそ分からない。

 リーファのあの取り乱し様も、シリカやリズベットの縋るような視線も。

 クラインとエギルの躊躇いがちな表情も。

 

 今、自身の後ろに立つ、栗色の髪の少女の心持ちも。

 

 

 「……ありがとね、アキト君」

 

 「え……」

 

 

 アキトは、突然の感謝の言葉に、思わずアスナの方へと振り返る。

 だが、その顔は伏せられ、よく見えない。小さな、どこか無理しているような口元の笑みだけが見えていた。

 ゆっくりとこちらに近付き、影が重なる。やがて通り過ぎ、アキトよりも前へと、その足を踏み出していた。

 

 

 「……覚えてなくても、お礼を言いたくて。あの時、みんなを助けてくれた事……」

 

 「……」

 

 

 アスナは口元の笑みを消さず、その声はほんの少しだけ、震えていた。

 

 

 「あの時のアキト君、格好良かったよ。……まるでキリト君みたいでっ……!」

 

 「っ……」

 

 

 アキトに背を向けて、景色へと顔を向け続けるアスナの背中は、とても儚く見えた。

 振り向いた彼女は、無理して笑っているのが、何かを誤魔化しているのが、バレバレだった。

 そして、何かが、カチリと嵌った気がした。

 

 

 「……本当に……キリト君みたいで……」

 

 「ア、スナ……」

 

 

 その瞳からは、一筋の涙が。

 アキトは途端に目を見開き、動けずにいた。彼女の涙と、その言葉が、ただただ頭の中を過ぎる。

 静寂に包まれ、草原が波打つ。小さな風が頬を撫で、アスナの瞳からは、未だ涙は消えていなかった。

 

 

 「……けど、違うんだよね……?」

 

 「……」

 

 「……キリト君じゃ、ないんだよね……?」

 

 「……っ」

 

 「そう、なんだよね……?」

 

 「────」

 

 

 知ってしまった。

 理解してしまった。

 目が覚めた後の彼らが、いつもと違う様子だったその理由を。

 縋るような、期待するような眼差しを向けていたのも、覚えてないのかと執拗く聞かれたのも。

 自身ではない、誰かを見ているような、そんな感覚に陥った理由も。

 全部、何もかも、理解してしまった。

 

 彼らが自分を通して見ている『者』に。

 自分が、失った場所に、彼は嵌っていた。

 自身の内に侵食していく誰か。

 みんなは、その『誰か』を、ずっと待っていたのだ。

 

 

 誰もが、あの時は躊躇って口に出さなかっただけで。

 

 

 それが分かった瞬間、哀しみが心に押し寄せる。

 自分が大切にしていたものを、奪われるあの感覚。

 記憶が無いその間に、自分の大切なものを奪われた気がした。

 

 

 「……俺は、アキトだよ……」

 

 「っ……!」

 

 「お前らは、何処を……誰を見てんだよ……」

 

 

 怒りなどない。ただただ、悲しかった。

 他人の目なんか、関係無い筈だったのに。認めて欲しいと、そんな欲が出てきてしまった。

 今まで一緒にいたのは自分で、キリトじゃない。だから、今の自分をアキトとして見てもらうのは、傲慢だろうか。

 

 

 「お前が言ったんだろ……俺とキリトは違うって……」

 

 「ぁ……」

 

 「……悪かったな。本人じゃなくて」

 

 

 アキトはアスナに、自嘲気味に軽く笑ってみせた。

 フラフラと、アスナに背を向ける。アスナの伸ばした手は、届かない。

 一瞬だった。

 一瞬で、知らない世界へと変わった。記憶がなくて、目が覚めたら、そこには今までとは全く違う顔持ちの人達がいて。

 

 

 ────そして。

 

 

 自身の胸の中にいる、『誰か』を。

 アキトはようやく掴めた気がした。

 

 その『誰か』はたった1回の登場で、アキトの環境全てを狂わせ、奪っていった。

 いや、元々はきっと、彼のものだった。

 自分のものなんて、何一つ残ってなかったのだ。

 

 

 「奪ったのは……俺か……」

 

 

 自身の心臓をグッと握り、苦しげな表情で声を絞り出した。

 

 

 

 

 「……君なんだろ……キリト……」

 

 

 じわじわと身体に浸る正体に気付いたアキトは、儚げに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 宿へと向かうその足取りは、行きと違って重かった。

 俯くその瞳は、自身の栗色の前髪に隠れてよく見えない。

 

 

 「……」

 

 

 アキトがいなくなり、一人残ったアスナは、悲しげにその街灯に照らされた道を歩く。

 彼との会話の一つ一つを、思い出しながら。

 暗がりがどこまでも広がり、静寂に包まれる。いつもと違って、何故か人も少なく思えた。

 

 

『お前が言ったんだろ……俺とキリトは違うって……』

 

 

 なのに自分は、アキトにキリトを重ねていた。

 それどころか、きっと、アキトがキリトなら良いのにと、無意識にそう感じてしまっていたのかもしれない。

 それが、アキトにとってどれだけの傷になるかも知らないで。

 

 アキトは、たった一人。独りだった。

 攻略組の前に初めて現れた時も、そこからボス戦に参加した時も、先程の丘で眠っていた時もずっと。

 常に表示されているギルドマークは、まるで意味を成していなかった。

 アキト以外のギルドのメンバーを、自分達は見た事が無かったのだ。

 彼は常に孤独で、だからこそ、自分達といる事で見せる柔らかい表情が、とても価値あるものに思えていた。

 確かにキリトに似てはいるが、アキトはアキトで、また違う人間で、大切な仲間だと、確かにそう感じていた筈だった。

 彼の支えになりたいと思ったし、助けてくれた分、今度は自分がアキトを助ける番なのだと、そう思っていた。

 

 孤独な彼に、私達がいるよ、と。

 そう伝えたかった。そんな私は、彼を見ていなかった。

 

 自分は、先程の言動で彼をきっと傷付けた。

 ずっと自分達を助けてくれた人の名前を、自分は間違えて呼んでしまったのだ。

 諦め切れない、そんな想いがあったから。

 

 

 「……」

 

 

 何も口にせず、そのままエギルの店への扉を開く。

 リズベット達が、驚いた顔でこちらを見上げ、そして駆け寄って来た。

 見渡せばリーファが居なくなっており、ほんの少しだけ、空間が出来た気がした。

 近寄って来たリズベットは、心配そうにこちらを見た後、その顔を強ばらせていた。

 

 

 「おかえり。アキトは……って、ちょ、ちょっとアスナ……!?」

 

 「え……?」

 

 

 リズベットが慌てふためく様子を、アスナは不思議そうに眺める。

 その隣りで、シノンが辛そうに表情を歪め、アスナを見上げる。

 

 

 「……どうして泣いてるのよ……」

 

 「……ぁ」

 

 

 気が付けば、再び瞳から雫が溢れた。

 拭う事もせず、止まることも無く。

 リズベットとシノンが寄り添い、シリカが駆け寄る中、アキトの悲痛に歪めた表情だけが脳裏に浮かんでいた。

 

 

(……馬鹿みたい)

 

 

 ただ純粋に、アキトを傷付けたであろう自分達に、自分に腹が立った。

 自ら汚れ役を買って出て、顔も知らない人を身を投げ打ってでも助けに入って。

 そしていつでも救ってしまう、そんな彼への恩を、自分の願いのせいで仇として返してしまった。

 

 

 「アスナ、大丈夫……ほら、泣かないでよ……」

 

 「っ……ゴメン……」

 

 

 独り、寂しそうに笑う彼に伝えた言葉は全て、紛れも無くアキト自身に向けた言葉の筈だったのに。

 さっきの自分の言動で台無しにしてしまった。

 何もかもが、キリトに向けられた言葉なのだと、アキトは思ってしまっただろう。

 

 

 今まで伝えた、言葉全てが。

 アキトに伝えた筈の言葉が、全てキリトへ向けたものへと。

 

 

『大丈夫だよ。君の事は、私が───私達が、守るから』

 

 

『君は一人じゃないし、独りになんかさせない。私達は、いつだって君と一緒にいるから。だから、無理しなくても良いんだよ?』

 

 

『君にも、私達がいるから……もっと……もっと、頼ってよ……』

 

 

 アキトの為の言葉が。自分の気持ちが。

 全て、アキトの中に見えたキリトへの、無意識な言葉。

 

 

 私はアキト君の事を何も知らないのに、知ったような態度を。

 

 

 

 

(……恥ずかしい。きっと……)

 

 

 

 

 軽蔑された────

 

 

 

 

 リズベット達が困惑する中、涙が止まらなかった。

 自分の卑しさが堪らなく憎らしかった。

 

 アキト君はアキト君なのに、何故、あんな期待するような事を言ったのだろう。

 どうして、アキト君が《二刀流》を使った事に、こんなに腹が立つのだろう。

 どうして、こんな気持ちになるのだろう。

 私は、何も知らないのに、馬鹿だな────

 

 

 アスナは周りの人達に囲まれる中ただ一人、この涙の理由を探していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それから暫くの事だった。

アキトの位置情報が、ロストしたのは。

 

 







今回も分かりにくくてすみません。
またすれ違いが始まったと思ってもらえればと思います。
足りない部分は、各々の脳内補完という事で……。
文才に目覚めたら、この話を修正していきたいと思います。


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Ep.71 歪んだ決意




自分は何処にいて、何をしているのだろう。

この胸の中にいる、君は誰?


 

 

 

 

 誰にどう思われても構わないと、そう思っていた。

 けれどいつしか、認めて欲しいと、そう願うようになっていた。

 

 ここに居て良い、お前はここに存在している、と。

 そう言ってくれる人が欲しかった。

 

 物心付いた時から、自分は独りだった。

 出来た友達は全て、自身の目の前から消えた。まるで、自身を取り巻く呪いのようにそれは続いた。

 科学が発展しているこのご時世で、呪いなんてオカルト染みたものを信じてしまいたくなるほどに、その不幸は続いた。

 いつしか、『アイツといると不幸になる』と、そう言われるようになった。

 

 まるで黒猫のようだと、そう思った。

 不幸の象徴として、忌み嫌われていた存在。猫に自覚はなくとも、人々はそう認識してしまう。

 

 いつしか、誰かに言われて好きになったその色を纏った自分の姿は。

 アスナ達からすればキリトのようで。

 アキトに言わせれば、不幸を告げる黒猫のようだった。

 

 

 「……」

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》にある、システムコンソールにもたれかかる。

 数字の羅列で出来た波がエリアを覆い、殺伐とした電子音のみが鼓膜に響く。

 星にも似た景色を作る天井は、まるで限界を知らない。

 まるで、宇宙の一部として存在しているような、そんな気がした。

 

 

 「……」

 

 

 背中に収められた二振りの剣は、いつもより重く、冷たく感じた。それを鞘ごと背中から外し、手元へと持っていく。

 《エリュシデータ》と《リメインズハート》。

 キリトの形見と、キリトを想って作られた剣。

 どちらにも、自分はいなかった。

 

 

 「くっ……」

 

 

 《ホロウ・エリア》に逃げたって、何かが変わるわけじゃない。

 けどそれでも、あの世界と隔絶した場所にいたかった。

 帰る場所は、侵食していた『誰か』によって、消えてしまった。

 目が覚めたら、全くの別世界。誰もが自分ではなく『誰か』を見ていて、そこに自分はいない。

 彼らの中にいた『アキト』という存在が、消えていく。

 それが、途轍もなく怖かった。

 

 久しぶりに感じた、『独り』という感覚。

 いつからか、彼らと一緒にいる事が当たり前になってきていた。

 かつての仲間と遜色ない程に、大切なものへとなりつつあった。

 もしかしたらみんなも、そう思ってくれているのではないかと、そう感じていた。

 

 痛む瞳が、そうじゃない、とそう言っているようで。

 それは紛い物で、勘違いだと、そう示唆されているようで。

 アキトは、二本の剣を徐ろにストレージに収めた。

 

 《二刀流》

 

 かつて、《黒の剣士》キリトが保持していた唯一無二の(ユニーク)スキル。

 文字通り二本の剣を携え、光速の連撃を叩き込む、世界に仇なす者達の切り札。

『勇者』の役割を担う筈だった彼は、この世界から消え去り、そして、彼の意志を引き継いだ《二刀流》は。

 今、この手の中にあった。

 

 手にしたその時点で、《二刀流》スキルの全てがコンプリートされた状態だった。

 キリトから、そのままそっくり引き継いだ気がして、そして、それと共にキリトの意志を継いだように感じた。

 文字通り、自身の中にいるかもとは、思っていなかったが。

 

 

 「……」

 

 

 この瞳と頭の痛みも、たまに浮かぶ見た事の無い記憶も、全てキリトのものだったとしたら。

 自分ではない誰かに変わってしまう恐怖。その『誰か』が、キリトだったとしたら。

 

 そしたら、自分は。

 

 

 「……アスナ達からすれば、その方が良いのかもな……」

 

 

 なんて、そんな弱音すら吐けてしまう。

 かなりショックだったのかと、自覚して嘲笑する。

 他人の目なんて気にしなかった筈なのに、今では自分の事を認めてくれる人を望んで、縋って。

 ここにもまた、矛盾が生まれて。

 

 彼らが望んでいるのは、英雄。

 キリトの生存、キリトという存在。

 自分ではなくて。

 

 

 「……っ」

 

 

 そうして頭を下げていると、後ろから気配を感じる。

 咄嗟に後ろを振り向くと、そこには見知った少女がいた。

 

 

 「……アキト?」

 

 「……フィリアか」

 

 

 彼女の姿を見た瞬間、アキトは表情を柔らかいものへと変える。安心しきったような顔で、フィリアを見つめた。

 何も知らない彼女が、何となく有難かった。勝手に押し付けるのは傲慢だと分かっているが、フィリアの存在が少しだけ救いだった。

 

 

 「……どうしたの?顔色、悪いように見えるけど……」

 

 「……別に。もう充分寝たしな。今から攻略でもしようって……思ってたから」

 

 

 アキトはそう言うと、慌てたように立ち上がる。

 それを見たフィリアは、儚げに笑う。申し訳無い感じに下を向き、チラリと、アキトを見上げた。

 

 

 「……ねぇ、アキト」

 

 「……何」

 

 「今日……一緒に行って良い?」

 

 「……」

 

 

 フィリアは寂しそうに笑うと、こちらを見つめて来た。

 アキトは彼女のその問いに戸惑い、つい聞き返した。

 

 

 「……なんだよ、急に」

 

 「……うん。今日は、アキトと一緒に探索したいなって、朝から思ってたんだ」

 

 

 そう答えるフィリアは、思い詰めたような顔をしていた。

 だが、今のアキトの精神状態では、彼女の悩みに向き合う自信が無かった。

 フィリアが自分と攻略する事で気持ちが和らぐなら、それだけでも聞き入れよう、そんな気持ちしかなくて。

 

 

 「……いつもの事だし、別に良いけど」

 

 「ありがとう……アキト」

 

 

 フィリアの感謝の言葉を受けて、アキトはストレージを開く。

 《リメインズハート》と《エリュシデータ》以外の武器なら何でも良い。

 短剣でも細剣でも、使えるならば。

 そうして指でストレージをスクロールしていき、刀武器《琥珀》を取り出す。

 フィリアと初めて会った時に使っていた武器。

 一応強化しており、今も尚使おうと思えば使える強さがあった。

 それを腰に収め、転移門へと近付く。

 

 その表情は、お互いに暗い。

 だけど、その事に対して、何かを言う気力は、お互いには無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア》も、もう半分は攻略出来ているだろう。

 初めは、《セルベンティスの樹海》。その名の通り、巨大な木々と神殿に囲まれたエリア。

 次は、《バステアゲート浮遊遺跡》。天高く聳える塔を中心に、浮島が転々とした場所。

 そして、《グレスリーフの入り江》。水平線が見える程に広大な海、そしてその岸辺にあるのは遺跡や森。

 

 どれも高難易度エリアに恥じないレベルの高さを誇っていた。

 危うい場面は多々あったが、どれも切り抜ける事が出来た。それはフィリアやアスナ、クラインの助力があってこそだと、アキトはそう思っていた。

 

 このエリアのボスを倒した遺跡の先の洞穴まで歩く。

 その目の前に、システム的に封じられた光の壁があった。

 例によって、フィリアから預かった《虚光に燈る首飾り》が光を帯びる。

 かざすと、その壁はガラスのような破壊音を立てると散り散りに消えていった。

 その先にあった出口から差し込む光が、次のエリアへの入口でもあった。

 

 

 《ジリオギア大空洞》

 

 

 そこが、新たなエリアの名前。

 洞窟を抜ければ、《円環の森》と呼ばれるエリアが広がる。森はどのエリアでもあった為に、これだけじゃまだどんな舞台なのかは分からない。

 空気が澄み渡り、暗い雰囲気が無く、他の森よりは居心地は良かった。

 だが、初めてここへ来た時の樹海を彷彿とさせるそれは、静寂に包まれ、アキトとフィリアの雰囲気を一層気不味いものへと変えていた。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 ここまでほんの数十分の道のり。

 だが、何度か戦闘を繰り返し、アキトは思った事があった。

 自分も、フィリアも、戦闘に集中出来ていない事実。

 先程のアスナ達とのやり取りを引き摺っているのは明白だった。

 

 フィリアの方も、どこか攻撃に無駄が多かった。

 けれど、彼女を気遣う余裕さえ、今のアキトには無かった。

 

 

 「……休憩するか」

 

 「……うん。ゴメンね、迷惑かけちゃって」

 

 

 フィリアの言葉に、アキトは振り向く。

 アキトからすれば、集中できてない自身の為にとった休憩で、フィリアの事など何一つ考えていなかったからだ。

 フィリアが自身のせいだと思うのは少しだけいただけなかった。

 

 

 「……単純に俺が疲れただけだ」

 

 「……やっぱり優しいね、アキトは。私の方から行こうって誘ったのに……」

 

 

 俯くフィリアは、いつもより明らかに元気が無かった。

 最近、彼女が集中していない時は何度かあったが、今日はいつもよりも少しおかしいと感じていた。

 アキトはその性格上、やはりどうしても放っておけなかった。自分の気分など忘れて、フィリアへと向き直る。

 

 

 「……何か、あったのか?」

 

 「え……う、ううん、何にも無いよ……何にも……」

 

 

 フィリアはアキトから目を逸らす。斜め下を俯く様は、それが嘘だと言っているようなものだった。

 何かを隠しているような彼女に、アキトのその口は自然と開く。

 

 

 「……何かあるなら────……っ!」

 

 

 そこまで言いかけた時、近くからドサリと、何かが崩れ落ちる音がした。

 アキトは咄嗟に振り返り、その音の原因を探す。

 

 

 「はあ、はあ、はあ……」

 

 

 そこには大きめの斧を背に収めた、男性プレイヤーが膝を付いて崩れていた。

 呼吸が荒く、酷く疲れているようで、その身体は震えていた。

 HPバーが黄色なのを見た瞬間に、アキトはフィリアから離れて、その斧使いへと駆け寄っていた。

 そのプレイヤーの瞳は、とても虚ろで、目的のものしか見ていないように思えた。

 

 

 「もう少し……もう少し先へ……」

 

 「おいアンタ、大丈夫か?」

 

 「ん……?ああ……大丈夫だとも……とにかく、先に進まなくては……」

 

 

 その目だけを一瞬だけアキトの方へと向けるも、すぐに進むつもりだった道の先へと顔を上げた。

 アキトは焦ったように男性の肩を掴み、ポーションを取り出した。

 

 

 「とにかくじゃねぇ、先にポーション飲めよ。攻略するなら体力の管理くらいしっかりしろ」

 

 「……」

 

 

 だが、アキトのその指示に対して、彼はもはやアキトを見てはいなかった。

 アキトの静止を押し退け、ヨロヨロと立ち上がると、そのまま回復もせずに歩いていってしまった。

 これには流石のアキトも、憎まれ口を叩いている場合では無く、珍しく動揺を顕にしていた。

 

 

 「あ……ち、ちょっと……待ってくれ!」

 

 「アキト!危ないよ一人で……!」

 

 

 彼を追うようにしゃがんだ身体を起こして追おうとすると、後ろからフィリアの声がかかる。

 だが、目の前に死の予感を感じさせるプレイヤーを前に、フィリアの相手はしてられなかった。

 取り繕う事も忘れ、フィリアへと向き直る。

 

 

 「悪い、話は後で。今は彼を追うのが先だ」

 

 「良いんだよ……どうせ、私達は……」

 

 「良いわけ無いだろ!待ってて、今の人連れて帰ってくるから!」

 

 「どうしてそこまで頑張れるの!?オレンジギルドの罠かもしれないじゃない!」

 

 「罠じゃないかもしれないだろ!無駄に死んで良い命なんて、この世に一つだってありはしないんだ!」

 

 「っ……」

 

 

 いつもより冷たく当たってしまったかもしれないと、フィリアの顔を見て思った。

 けれど、自分の信じた事だけには、嘘を吐きたくなかったから。目の前に消えそうになっている命を、見捨てる事など出来はしないから。

 

 

 「……ゴメン。ちょっと、行ってくる」

 

 

 アキトのそこに正義感も偽善も理屈もない。

 言うなれば本能。考えるより先に、行動してしまう。

 命を散らす事に、純粋に嫌悪感を抱く。だからこそ、アキトはどんどん先へと進む斧使いへと、足を踏み出した。

 

 

 

 

 暫くして、アキトはフィリアのいるであろう場所へと戻って来ていた。

 近くの木に膝を抱えて座るフィリアを見つけて、アキトは小走りで近付いた。アキトに気が付いたフィリアは、儚げに笑うと、その場からゆっくりと立ち上がった。

 アキトの様子を一目見た後、小さな声で問いかけた。

 

 

 「……あの人は、どうなったの?」

 

 「ポーションすら飲んでくれないから、回復結晶使った。休めって言ってんのに聞かねえんだよ」

 

 

 アキトは先程の斧使いとのやり取りを思い出しながら、そう答えた。

 ポーションを押し付けても、まるでアキトをいない者のように扱って先へと進もうとする。

 その目的に妄信的である姿に、底知れぬ恐怖感と焦燥感を覚えた。

 ダンジョンを出るように言っても、全く聞き入れて貰えず、結局回復だけさせた後、走っていってしまった。

 アキトは執拗く追いかけたが、最後の最後で撒かれてしまったのだった。

 

 

 「……前々から思ってたんだけど、ここのプレイヤーって何かみんな変わってるよな。随分危ない橋を渡ってる気がする」

 

 「危ない、橋……」

 

 

 フィリアはアキトの言葉の一部を繰り返す。

 実際、アキトはここを攻略していく内に、何人かのプレイヤーに出会った。

 実は、先程のような斧使いの状態に会うのは初めてでは無いのだ。

 HPが半分程まで差し掛かっているにも関わらず、回復をしていないプレイヤーを、この《ホロウ・エリア》で見た事があった。その時、彼はパーティを組んでいた為に、仲間が注意してくれるだろうと、あまり強くは言わなかった。

 そして極めつけは、どこから来たのか拠点を聞くと、例によって『忘れた』と発言したという事だ。

 今回、それを思い出した事により、また改めてこの場所にいるプレイヤー達に疑問を持ち始める。

 

 

 「……妙、なんだよな」

 

 

 あまりにも、危険に対して鈍感過ぎやしないだろうか。

 高難易度ダンジョンだというのに一人で攻略したり、拠点の位置も曖昧など、無鉄砲にも程がある。

 フィリアはアキトの話を聞いて、少しだけ表情を曇らせる。それを見たアキトは、何となく焦りを感じた。

 

 

 「……まぁ、みんなお前くらい注意深ければ幾分かマシなんだけどな」

 

 「……そっか」

 

 「なんだよその反応。お前も気になるだろ?」

 

 

 彼女から目を離し、そばにある木に触れる。

 すると、フィリアを差し置いて、また空虚な脳に浮かぶ景色が頭を過ぎる。

 何かを思考している時は良い。だが、何も考えていないと、嫌でもアスナ達の事を思い出してしまう。

 

 逃げ道にしているようで悪いとは思っている。

 けれど、彼らと関係の無いフィリアと共に行動する事はとても心地好いものになっていた。

 余計な事を忘れられる。違う事に思考を使える。楽しい時間だと、自覚して過ごせる。

 そう、思ったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……気にならないよ。だって……」

 

 

 アキトに聞こえない声で、フィリアは告げる。

 彼の背中を眺め、寂しそうに俯く。

 自分達の、本当の正体を呟く。

 

 

 「ここにいるプレイヤーはみんな……ホロウ……影の存在だから」

 

 

 斧使いが立ち去った方向へと、その虚ろな瞳が視線を移す。

 彼もまたホロウ。そう、自分と同じ。

 

 

 「あの人も……ここからは出られない」

 

 

 そして、同じホロウである自分も、同じ穴の狢。

 データとしてあり続ける、アキトとは違う存在。

 

 

 「私も……ずっとこうして……ずっと……」

 

 

 その顔はどんどん悲痛に歪んでいく。

 どうしたら良いのかも分からないから、こうして辛い思いを続けるしかなくて。

 それを、アキトに悟られたくなくて。

 

 ずっと、一緒にいられると思っていた。

 でも、そうじゃ無かったんだ。

 

 私は、アキト達とは違う。

 ここに、この《ホロウ・エリア》に、ホロウとして。

 ずっと一人、ずっと……独りで。

 そうして、その思考は深くなっていく。あの殺人者の顔を、思い起こそうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 ──── お前ぇとアイツじゃ住む世界が違う

 

 

 

 

 

 

 「……フィリア?大丈夫かよ」

 

 

 気が付けば、アキトが振り向き、こちらの様子を伺っていた。

 フィリアはハッと気付くと、笑って取り繕う。

 

 

 「っ……う、うん、大丈夫……進もっか」

 

 「……別に急いでねえんだ、やめたいならそう言えよ」

 

 「うん、分かった……」

 

 

 フィリアは心配させまいと、必死に笑顔を振りまいた。

 アキトは不思議に思いつつも、こちらが大丈夫だと言った為か、一先ず納得してくれたようだった。

 先頭に立ち、《円環の森》を進んでいく。つられて追い掛けるフィリアは、そのアキトの細い身体、その背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 ────お前ぇは所詮、影の世界……《ホロウ・エリア》の住人なんだよ

 

 

 

 

 

 

(私は……ホロウ。この世界の、住人……)

 

 

 以前、PoHに言われた言葉しか、もはや自身の心を占拠していなかった。

 アキトといると楽しかったこの時間が、アキトではなく、PoHの方へと向いていた。

 

 その頭は、以前アキト達と別れた後に邂逅した、PoHとの会話にまで遡っていた。

 

 

 

 

 

 

 ──── That's right! SAOをクリアされれば、データである俺達は消える。

 

 

 

 

 

 

『だからさぁ〜俺達はアイツに……殺されるって事だ』

 

 

 そう言った、《ホロウ・エリア管理区》でのPoHは、本当に楽しそうで。

 フードから見えるニヒルな笑みが、フィリアの心を揺さぶった。

 殺されるというのに、その余裕綽々と言った態度が、彼女を動揺させたのだ。

 

 

『違う!アキトはそんな……私達を殺すだなんて……』

 

 

 フィリアは必死になってそう言い放つ。

 PoHにではない。まるで、自分に言い聞かせるように。

 だが、そうなった時点で、きっと自分はPoHの思い通りだったのかもしれない。

 

 

『さっきも言ったろぉ〜に?理由や過程はどうでも良いんだ、結果!結果がどうなるかなんだよ!』

 

 

 イラついたように声を荒らげるPoHは、あの時、何か企みがあるように見えた。

 そして、それは現実となった。

 

 

『アイツがやった事で俺達は死ぬ、俺はそれを止める。だってよぉ……死にたくねぇしなぁ。だから……』

 

 

 

 

 

 

 

 

『お前ぇの力を借りに来たんだぜ?』

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

『私に……アキトを裏切れって言うの?』

 

 

 そんな事……出来る、訳が……。

 PoHは、傾きつつあるフィリアに、嬉しそうに笑ってみせた。

 

 

『NON NON NON……なぁに、ちょっと誘い出してくれれば良いのさ。お前ぇは何もしない、何も知らない』

 

 

 管理区の静寂が、二人を包み、それぞれの視線が交錯する。

 瞳が揺れ、心臓が高鳴るフィリアを見て、PoHは言葉を続ける。

 

 

『まぁ〜ちょいっと事が終わるまで邪魔しないで貰うってだけだぜ?別に殺すわけじゃぁない。あとは勝手に物事が進むだけだ』

 

『そんな事……出来るわけないじゃない……』

 

 

 きっとそれが、フィリアの最後の抵抗だった。

 

 

『アイツの強さは知ってるんだろォ?大丈夫、アイツならきっと生き延びる。死なずに、俺達と(・・・)同じ世(・・・)界の住人になる(・・・・・・)だけなんだから』

 

『私達と……同じ世界……』

 

 

 反論しながらも、薄々は感じてた。

 自分の存在、その正体と、それが意味する事を。

 自分は、アキト達と一緒にはいけない。

 

 永遠に。

 

 だからこそ、あの時、彼の発言が悪魔の誘いなのだと思った。

 

 

『このままアイツと別々の世界で誰にも知られずに死ぬか、アイツと同じ世界の住人になって永遠に存在し続けるか……よぉーく考えてみろよ』

 

 

 PoHは、勝ちを確信したように、その口元を歪めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だ自身の前を歩く黒い剣士、その少年の背中を見て。

 フィリアは、涙が出そうになった。

 

 こんな近くにいるのに、一緒に居られることは、決してない。

 そう思うと、こんなにも苦しい。

 一人だった自分に、一人じゃない事を教えてくれたアキトやアスナ、クラインに。

 自分は、寄り添えない。

 

 

 「……アキト……私やっぱり……怖いよ……」

 

 

 その声すら、アキトには届かない。

 彼女の心は、その事実を迎え入れて事により、限界を迎えていた。

 有限であるこの世界で、共に居られるのはあと僅か。

 揺れ動き、乱されたその心は。

 

 

 

 

 

 

 

 彼女に、歪んだ決意をさせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……だから、ゴメンね。アキト」

 

 







小ネタ


『アキトの持っている武器全てを見せてもらった結果』



リズ 「アンタってさ、結構いろんな種類の武器持ってるわよね。曲刀、刀、細剣、短剣……槍に斧まで……アンタどれだけ使うのよ」

アキト 「まあ、使えるものだけ選んで溜め込んではいるけど」

リズ 「けど、どれもスペアがあるのよね。そんなにあっても嵩張るんじゃないの?」

アキト 「まあ、折れても大丈夫だって安心したいのかもな」

リズ 「……アンタ、もしかしてしょっちゅう武器折ってるの?」

アキト 「……」メソラシ

リズ 「……何回?」

アキト 「…………8回」


この後、メイスでめちゃくちゃにされた。




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Ep.72 裏切りは棺桶と共に



……因みにアキト君。

クロス大歓迎です。
魅力的かどうかは分かりませんが、採用してくださる方は一声下さい。
とても嬉しい気持ちになります。(白目)




 

 

 

 

 斧使いの男性プレイヤーの一件から、数時間が経過していた。

 休みを多めに取りつつ、新たなエリアを開拓していった二人は、《ジリオギア大空洞》と呼ばれるエリアの根幹を見つけたような気がした。

 

 

 《ジリオギア大空洞》展望上部

 

 森を抜けたその先のエリア名がそれだった。

 そこに広がるのは、ダムの形と酷似した滝。高いところから覗くと、上から流れ落ちる大量の水が、底の見えない深淵へと混ざり合っていく。

 辺りにある木々には葉の一枚も付いておらず、すっかり枯れ果ててしまっていた。

 巨大な滝の中も、もしかしたらダンジョンになっているのかもしれないと考えると、一番下に行くまでに相当骨が折れるだろう。

 滝沿いの道に沿ってある道をゆっくりと降りていくと、かなり離れた先に遺跡型のダンジョンへの入口が存在していた。

 そこへと向かい、歩く中、フィリアがチラリと滝の方へと視線を移し、底を覗き見しながら呟いた。

 

 

 「深すぎて底が見えないね……」

 

 「あそこにダンジョンがあるから、そこから派生して中に行けるかもな。お前の大好きなお宝ちゃんとやらも期待出来るだろ」

 

 「うん……そうだね」

 

 

 崖から見える滝の深淵は、波で渦巻いて、夜空の様に輝く。

 そんな景色を瞳に収め、フィリアは小さな声で、そう答えた。

 いつもなら飛び付くであろうお宝の話にも、彼女は反応を示さない。

 

 

 「……気が乗らないならやめとくか」

 

 「ううん、大丈夫」

 

 

 フィリアは深く息を吸って、大きく吐く。

 気を引き締めようとしているのか、その瞳は先程よりも活力を取り戻したように思えた。

 アキトからすれば、それが空元気ならば、やはり今日はやめとくべきだと思っていた。

 

 別に急いでなどいない。むしろ、自分はその逆を望んでいるから。

 

 ここに居たい。戻りたくない。彼らと顔を合わせたくない。

 そんな思いが、今のアキトにはあったのだ。

 戻っても自分の居場所は無い。あったと思ったその場所にいたのは、元々そこにいる筈だったキリトの影。

 

 あの時のボス戦での記憶があったのなら、もう少し考えようはあったかもしれないのに。

 仕方ないと、割り切る事が出来たかもしれないのに。

 でも、そんなタラレバは叶わない。

 

 自分を見てくれていたのはきっと。

 かつての仲間だった、黒猫団だけ。

 元々は、彼らの為に自分は生きていた。それが今は、キリトの仲間達の為に生きている。

 自分を必要としていない、彼らを。

 

 あそこに居れば、嫌でも彼らと顔を合わせてしまう。

 その度に自分の必要性と、キリトへの劣等感が襲う。だからこそ、アークソフィアに戻りたくは無かった。

 ボス戦が続く以上、いつかは戻らなくてはならないのは分かっている。けれど、今この時間だけは。

 何もかもを忘れさせてくれる、階層の無いこの世界だけは。

 あちらの世界とは関係の無い、フィリアがいてくれるなら。

 それだけで、少し安心出来た。

 

 だから、そんなフィリアが元気の無いところを見ると、放っては置けなかった。

 彼女が話してくれないのなら、自分は彼女の力になれるように努力するだけ。

 そう思っていた。

 

 そうして、二人の間に会話の無い状態で歩き続けた。

 グリフォンやオークなどのモンスター相手には、細かな連携は必要無かった。

 その為に、気にはなっているのに、彼女に話しかけられなくて。

 アキトは、もどかしく感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 《追跡者に捕えられた祭事場》

 

 

 遺跡の中は例によってうっすらと暗く、小さな灯りが松明によってプレイヤーの影を照らす。

 土の色で巡らされた壁は、どこまでも続き、冷たい空気を纏わせていた。

 《ホロウ・エリア》は階層のあるアインクラッドとは違って、どこまでも広がる地続きの世界。だが、エリアボスを倒す度に道が開かれ、モンスターのレベルも上がっているのを見ると、アインクラッドと同じで、このエリアは初めの樹海よりも難易度が上がっていると見て良いだろう。

 

 自身の持つ武器は宝箱で手に入れた、その場凌ぎの刀《琥珀》。

 キリトへの想いが込められたあの二振りを使う事には、抵抗を覚えてしまっていた。

 あれを使うのは、自分では無い気がした。それは、間違っているように思えた。

 リズベットに悪い気がした。

 

 

 その刀を握り締め、目の前のリザードマンに目掛けて叩きつける。

 動物らしい鳴き声を上げるモンスターの肩に当てがった刀を一気に振り下ろした。

 ポリゴンへと化し、破壊されたそのリザードマンの後ろから、新たにリザードマンが押し寄せる。

 《琥珀》で奴らの攻撃をいなし、受け流し、流れるようにカウンターを打つ。

 フィリアへと視線を動かし、彼女の準備が完了しているのを確認すると、スイッチを行う為に、モンスターの振り上げる武器を弾き飛ばす。

 フィリアはいつもより少し遅いタイミングで入り込み、リザードマンの胸に短剣をぶつけた。

 

 モンスターが消え、光の破片ばかりが宙に舞い上がる。

 お互いに武器を収め、それを眺める。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 先程から、ずっとこの繰り返し。

 単調に、それでいて戦闘は複雑で。それでも、互いに指示を出し合う事は無く、回復アイテムで体力を回復するだけ。

 

 フィリアの方をチラリと見ると、彼女はウィンドウを開き、何かを見ているようだった。

 その瞳は揺れ動き、指は震えていて。

 

 

 「……何見てんだ?」

 

 「っ……ちょっと、アイテムの整理……」

 

 「……そっか」

 

 

 アキトは、フィリアといるこの時間が、ずっと楽しかった。

 死と隣り合わせなのは変わらないが、過去の仲間達を思い出せたから。

 だからこそ、彼女がそんな表情をすると、かつての仲間を思い出して、どうしようも無かった。

 

 

 「……結構奥まで来たし、次の階に行ける階段も見つけた。この階の探索に時間でも潰すか」

 

 

 それは、フィリアに宝箱を見つけさせる為の案でもあり、アークソフィアへの帰りを先延ばしにする為の案でもあった。

 汚い手かもと思ったが、フィリアはそれに応えてくれた。

 

 

 「……なら、ちょっとだけ、行きたいところがあるの……良いかな……」

 

 「……別に良いけど」

 

 

 フィリアは来た道へと戻っていき、アキトはその背中を眺めながら付いて行く。

 モンスターを倒しながら来た道は、まだモンスターがポップせず、静寂がこのエリアを占拠していた。

 

 やがてフィリアは、この階の南西にある場所の、なんて事無い壁を見上げ、指を指した。

 だがよく見ると、この目の前の壁だけ他の壁より色が薄い。

 

 

 「……ここの壁、よく見て」

 

 「……隠し扉か。よく見つけたな」

 

 

 流石はトレジャーハンター、そんな意味を込めた声に、フィリアは気不味そうに笑って返す。

 

 

 「……まぁ、ね……ほら、あそこに……」

 

 「……宝箱か。隠し扉の中の宝箱なら、期待出来るかもな」

 

 

 隠し扉を開けた先には、大きめの宝箱が鎮座していた。

 一瞬、昔の光景が蘇ったが、トラップやミミックとの違いを把握しているフィリアなら、あの宝箱がどういった類のものなのかは分かるだろう。

 そう思うと安心した。

 部屋の中は灯りが無く、より一層闇を孕んでいる。そこにある宝箱は、トレジャーハンターとしてはとても唆られるものかもしれない。

 

 

 「私が開けて来るから、アキトはその入口で見張っててくれる?」

 

 「分かった」

 

 

 アキトが了承すると、フィリアはその隠し部屋へと入っていった。

 それを見ながら、アキトは部屋の外の壁にもたれ、この薄暗い遺跡の中を見渡す。

 とても静かで、まるでこの世界には自分とフィリアしかいないようだった。

 

 

 「……はあ」

 

 

 やはり何も考えずにいると、自然とアスナ達の事を思い出してしまう。

 けれど、思い浮かぶのは、一番最後に見た彼らの表情のみ。期待し、困惑し、縋るような、そんな表情。

 彼らと過ごした楽しかった日々、見たかった笑った顔が、思い出せなくなっていた。

 でも、それほどまでに彼らが心の中を占めていたんだと自覚すると、何故だか嬉しかった。

 

 黒猫団だけだと思っていた。

 けれど自分には、こんなにも大切に思える人達が出来たんだと、誇らしかった。

 勿論、アスナ達だけじゃない。リーファやシノン、ストレア。

 そしてフィリアも、今ではいなくてはならない存在で。

 

 自分は必要とされていなかったのに、必要だと認めていた自分自身が、とても、誇らしくて。

 

 

 

 

 ──── ……また、会えるよね……?

 

 

 

 

 ここに来る前に出会った、一人の女の子。

 一時的にだが、パーティを組んだ少女の顔を思い出す。

 彼女もきっと、自分の事を認めてくれた人達の一人で。

 

 

 そうか、自分は。

 大切にしたいと、そう思える人達が。

 いつの間にか、こんなにも増えていたんだな。

 

 

 「っ……」

 

 

 天井を見上げて憂いていると、ふと我に返った。

 チラリと、部屋の中にいるフィリアの様子を確認する。

 ガチャ、と宝箱の開閉音が聞こえ、やがてフィリアが立ち上がるのが見えた。

 アキトは宝箱を開ける事に成功した事実を知ると、その部屋の中へと入る。

 明るかった場所から、一気に暗い場所へ。

 その視界は、その明るさのギャップで一瞬だけブレる。

 

 

 だからだろうか。

 未だ変わらずにいた筈のフィリアの表情が、先程よりも曇ってきている事に、気付かなかった。

 

 

 「……ねぇ、アキト」

 

 「……なんだ?」

 

 

 声のトーンも、いつもより低い。

 弱々しく話し出したその声のまま、フィリアはゆっくりと顔を上げ、アキトの事を見据えた。

 

 

 「私が……人を殺した理由……オレンジになった理由を聞いてこなかったね。なんで……なのかな」

 

 「……なんだよ急に。今更だろ」

 

 「……」

 

 

 本当に今更過ぎる話だと思った。

 けれど、フィリアの今までの様子を思い出し、考えてしまう。

 

 もしかして、ずっと元気が無かったのは、それが理由なのだろうか、と。

 

 アキトは、彼女がオレンジである事さえ、忘れているくらいに、彼女に対して警戒心や不信感といった類の事を全く感じていなかった。

 それは、今までの行動によるところが理由でもあるが、何より彼女の性格、それが悪人のそれとは考えにくかったからかもしれない。

 

 今のアキトにとって、フィリアの存在はとても大きい。傷付いた心を癒す存在でもあった。

 あちらと隔絶された世界に、何も関係の無い少女。全てを忘れられ、過去の大切な仲間達を思い出させてくれる。そんな彼女。

 

 そんな彼女が悩んでいる事が分かり、アキトは少しだけ、心が軽くなった気がした。

 取り繕う事はせず、思った事を素直に打ち明ける。

 

 

 「言ったでしょ、カーソルの色だけじゃ人となりは分からないって。何か理由があるのかもしれないし……言いたくない事って、あると思うから」

 

 「……」

 

 「なんだかんだ言っても、フィリアが良い奴っていうのは、今まで一緒に戦ってきたフィリアが証明してくれる」

 

 

 そう、結局はそれなのだ。

 彼女がオレンジだったとしても、それが純粋悪だったかどうかは彼女の行動で分かる。

 気遣ってくれたし、連携してくれたし、笑ってくれた。

 彼女のその表情は、犯罪プレイヤーの笑みとは全く違う。ずっと戦ってきたからこそ、彼女の人となりは理解出来る。

 流石に、全部を理解しているなどと傲慢な事は言えないけれど、それでも、アキトはフィリアを本気で信頼していた。

 

 だけど、フィリアは。

 アキトが言葉を重ねる度に、その表情を歪めた。

 

 

 「……私は、アキトにそんな事を言ってもらえるような……人……ううん、性格じゃないよ」

 

 「……一緒にいたら、分かるよ。確かにフィリアはオレンジだけど……俺は、今の君を見て良いなって思えば、それを信じるよ」

 

 「違う……私は……」

 

 

 アキトの言葉も、彼女には届かない。

 フィリアはアキトとの距離を数歩話すと、自身の腕を抱き、瞳を揺らした。

 

 

 「私は……人を殺したの。ううん、それより酷い……私は……」

 

 

 フィリアは思い詰めた表情を変えず、そして。

 

 

 

 

 涙を、一雫流した。

 

 

 

 

 

 「私を殺したんだ」

 

 

 「……え」

 

 

 彼女の言葉の意味を、すぐには理解出来なかったアキト。

 それもその筈だ、フィリアの言っている事は、傍から聞けば意味不明のものとして扱われてしまうだろう。

 この狭い隠し部屋で、小さく呟いた彼女の声も、反響してアキト自身の耳に入る。

 それが、フィリアの言動が聞き間違いで無いことを示唆していた。

 

 

 「……何を、言って……」

 

 「私もね、アキトと同じように、気が付いたらこっちの世界にいて、森の中を彷徨っていた」

 

 

 アキトの言葉を遮り、フィリアは自身のこれまでを。

 彼に出会う前の事を語り出した。

 

 

 「そうしたら、誰かが目の前に立っていたの……その人は、私だった」

 

 「……その人を、殺した……って、事か……?」

 

 

 言っている事は分かるのに、その意味を理解出来てはいなかった。

 けれど、聞き返したアキトに応えるように、フィリアは小さく頷いた。

 

 

 「NPCとプレイヤーを間違えたりしない……あれは、絶対に私……」

 

 「……」

 

 

 言葉に詰まった。

 特殊なクエストだという可能性だってある。《ホロウ・エリア》での出来事に絞るなら、それは有り得なくもない話だったから。

 けれど、彼女の表情が、言葉の重みが、それは違うと諭している。

 アキトは、フィリア同様、その瞳が揺れた。

 

 

 「……信じられる?その時の事……無我夢中で……、必死だった……我に返った時、目の前の私は消えていたんだ」

 

 

 それはつまり、フィリアが自身の武器で、目の前の自分を斬り付けた結果という事に他ならない。

 

 

 「……その後、私のカーソルの色はオレンジになっていた。私が、私を殺したからかなって……」

 

 

 腕を抱き震えるフィリア。アキトは自然と、彼女のカーソルに視線が動く。

 どう見てもオレンジ。アキトのグリーンとは違う、犯罪行為をしたプレイヤーに掛けられる、差別の色。

 アキトは思わず、フィリアへと数歩近付く。

 だが、フィリアはビクリと震えると、近寄るアキトに合わせて、その距離を離した。

 

 

 「……フィリア……」

 

 「……アキト。だから私の罪は、カーソルの色を戻しても決して消えない」

 

 

 彼女の頬から流れる涙は本物で、それが彼女の言っている事が真実であると告げていた。

 そんな事、あるわけが無いと思っても、それでもそうは思えない自分がいた。

 アキトの思う理屈よりも、フィリアの言葉を信じたかった。

 そんな彼女の瞳は未だ揺れ動き、とめどなく溢れる水滴が、地面へと落ちる。

 その心は、既に壊れていて。

 

 

 「ずっと……ずっとこの影の世界で、生き抜かなきゃいけない……」

 

 「っ……」

 

 

 知らなかった。

 彼女がここまで悩んで、迷って、傷付いている事を。

 そして同時に、自分の無責任で身勝手な行動を自覚した。

 アークソフィアにいたくないと逃げたこの世界。

 この世界にいた方が、居心地が良いと感じていた自分の隣りで、フィリアはずっと、この世界で生きる事に恐怖を覚えていたのだ。

 一体これまで、どんな思いで────

 

 彼女はずっと、自分がいたくないと逃げた場所に帰りたいと願っていたのに。

 自分は────

 

 

 「フィリア……お、俺……」

 

 「私……貴方達と出会わなければ良かった……こんな……気持ちにならなくて良かったのに……」

 

 

 地面へと頭を傾け、俯く彼女に、アキトは慌てるように訴えた。

 

 

 「……大丈夫、絶対俺が何とかしてみせるから!大切な仲間なんだ、絶対、何か方法を見つけてみせるから!だから……!」

 

 

 フィリアの傷付いた心を支えるように、アキトは言葉を放つ。

 彼女を逃げ道として使っていた自分を戒め、ちゃんとフィリアと向き合う。

 気が付けば、自分の事など既に忘れかけており、目の前のフィリアへと、その思考は向いていた。

 彼女がどんな過程で自分を殺した、という行為へと向かっていったのかは分からない。けれど、きっとそれは、《ホロウ・エリア》という場所の意味を知る事が出来れば分かる筈なのだ。

 このエリアには、変わったクエストが幾つもある。それこそ、アインクラッドでは見られる事の無いクエストや報酬が。

 だから、きっと────

 

 

 「……アキト」

 

 

 自分へと再び歩み寄るアキトに反応し、フィリアは顔を上げる。その顔は小さく笑みを作っていたが、涙で濡れていた。

 アキトはそれを見た瞬間、驚きでその足を止める。

 そんなアキトに、フィリアは。

 

 

 

 

 泣きながらも。

 本当に嬉しそうに笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ありがとう……でも……少し……我慢してて」

 

 

 

 

 「え────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間。

 

 

 

 

 誰かに、背中を思い切り押された。

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 

 そして、バランスを崩し倒れそうになるタイミングで、その床が突然抜けた。

 なんて事無い、単純なトラップ、だけど。

 

 アキトは、何が起こったのか分からないと言った表情で、その穴へと落ちていく。

 足場も無く、重力に逆らう事無く落ちていくその最中、見上げたその先には、涙で頬を濡らす、フィリアの姿が。

 

 

 

 

 

 

 ────そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うわあああぁぁぁあああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その底の見えない深淵へと落ちていく中、フードを深く被った、一人のプレイヤーが、フィリアの向かいに立っていて。

 こちらを見下ろし、口元を歪め、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「じゃぁな、《黒の剣士》」

 

 










小ネタ(本編とは無関係です)


PoH 「HAHAHAHA!オイオイ見たかよ、すげぇ間抜けな顔で落ちてったぞ、やべぇ……腹痛てぇ……ぶっふふぁあはははははぁ!」

フィリア 「ちょ、……わ、悪いって……くくっ、うふふふふ……」

アキト 「お前ら……笑い過ぎだから……」





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Ep.73 零化からの夢の中で



裏切り。

それは、彼がまだ知らなかった、拒絶の味。





 

 

 「……」

 

 

 かなり深く、落ちたようだった。

 落下速度とその距離により、かなりのダメージを負った。幸い、死ぬ程のものでは無かったが、天井を見上げれば、落ちてきた穴があり、どれ程深くまで自分が落ちてきたのかを知らされるものだった。

 

 

 「……俺、は」

 

 

 仰向けに倒れたアキトは、その状態で首を動かす。

 今自分が横になっているこの場所は、変わらず遺跡内のようではあるが、先程の場所よりもずっと暗く、どこか闇を思わせる場所だった。

 一寸先は闇、まさにそれを顕著に表していた。

 松明のような、小さな明かりすら無い。そんなエリアで。そこは肌寒さを感じた。

 

 その状態でアキトは、今起こった事を思い返していた。

 

 フィリアと、隠し部屋へと入って。

 彼女から、オレンジカーソルになった理由を聞いて。

 そして突然、後ろから誰かに押されて。

 ふらついた先の床がいきなり抜け、この場所まで落ちてきた。

 

 ゆっくりと上体を起こし、あの時の光景を鮮明に思い出す。

 あの時、あの落ちる瞬間に見えた人影と声。

 

 

 

 

 ──── じゃぁな、《黒の剣士》

 

 

 

 

 あれは、間違いなくPoHの声だった。

 姿もこの目で確認した。落ちていくあの瞬間、フィリアと共にあの場所でこちらを見下ろし、ニヒルな笑みを浮かべていた。

 そして、それと同時に、小さな声で聞こえてきた。

 

 

 

 

 ──── ゴメン……ゴメン、アキト……。

 

 

 

 

 何度も何度も、泣きながら謝るフィリアの声を。

 自身が落ちる前に、彼女が自分に言った言動を思い出し、一つの結論を導く。

 

 

 「フィリアは……俺を、罠に……嵌めたって事……?」

 

 

 震える声で、そう呟く。

 誰もいない空間で、その声は反響する。その疑問に答えてくれる者は、誰一人としてこの場にいない。

 だからこそ、その疑問の答えは自分の気持ち自身でしかない。

 

 アキトには分からなかった。

 フィリアが自分を罠に嵌めたとして、その動機が。

 あまりにも、不可解な事が多すぎて、一概にはフィリアがどうとは言えなかった。

 けれど、それでも、彼女がPoHといた事から、共犯で自分をこの場所まで落とした事は事実に他ならない。

 

 アキトは立ち上がり、ウィンドウを開く。

 アイテムストレージを開き、検証を行った結果、ここが《結晶無効化エリア》だという事が分かって、背筋が凍る。

 この狭い空間の先、扉は無く、そのまま暗闇へと道は続いている。

 ふと歩いて見ると、その暗闇の中に、ひっそりとモンスターが徘徊しているのを目撃し、その目が見開く。

 

 

 「っ……!」

 

 

 いつもよりもレベルが高いのは当然だが、問題は数。

 一部屋にその高レベルが4、5体以上蔓延っている。

 それが、今現状ソロであるアキトにとって、どれ程くる事実だっただろうか。

 転移結晶は使えないから、ここを突破するしかない。

 モンスターの数が多い上にソロな為に、いつもよりも集中しなければならない。

 ダメージを多く受ける事が予想されるが、一気に回復出来る回復結晶は使えない。

 相当不味い状況だった。

 

 

 モンスターの種類も豊富という、全然嬉しくない情報が視覚から得られる。

 虫型の巨大モンスターや、鎧を身に付けたオーク、長い斧を持ったリザードマン。

 戦い方はそれに合わせてその都度変えなければならない。アキトは、ここを突破するイメージを、頭の中で張り巡らせた。

 

 心してかからないと、確実に死ぬ。

 アキトは口を引き絞って、その一歩を踏み出した。

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「っ……あ、あれ……?」

 

 

 アキトの意志とは裏腹に、自身の足がいきなりガクンと崩れ、その膝が地面へと落ちた。

 そのまま身体が倒れるのを、何とか両手で抑え、四つん這いの状態で地を見下ろす。

 

 突然、力が抜けて、地面へと崩れ落ちた事に困惑するアキト。

 動かそうとも、身体が震えて力が逃げていく。

 懸命に堪えようと、身体が動かない。

 

 

 「くっ……うっ……な、なんで……?」

 

 

 アキトは困惑しつつも、そのまま壁へと寄りかかり、その壁を使って、ふらつきながらも立ち上がる。

 ただそれだけの事なのに、その呼吸は荒れていた。

 

 どうして、と。

 そう呟く。心の中で、イラつくように叫ぶ。

 恐怖などは感じていない。こんな逆境、いつもと何ら変わらない。

 動きたいのに、足が動かない。そのもどかしさに、心がざわつく。

 

 

 ────本当に?

 

 

 本当に、ここから出たいと思っているだろうか。

 アスナ達のところに、自分の求めるものは無い。あの場所には、まだ戻りたくないと、理性より感情が邪魔をして。

 ここに居たいと、そう思わせてくれたフィリアは、自分を裏切り、PoHと共に、自身を罠に嵌めた。

 

 アキトは今、真の意味で孤独となったのだ。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 そう。フィリアが、自分とは違う事を考えていたという事実。

 仲間だと、そう思っていたのは自分だけだったのかと、そんな不信感がアキトを襲い。

 そんな訳ないと、心に言い聞かせても、この身体は正直で。

 

 そのショックで、身体がいう事を効かないのだ。

 

 あちらの世界のアスナ達は、自分を見てはいない。

 こちらの世界のフィリアは、自分ではなく、PoHと共に。

 大切に思っていたのは、自分だけ。

 

 自分、だけ────

 

 

 「っ……動、け……行か、なくちゃ……」

 

 

 その言葉と心は、一致してはいなくて。

 口にしていれば、そう言い聞かせていれば、心もつられてくれるんじゃないかと思って。

 それでも、この心に空いた穴が、アキトの動きを鈍くさせていた。

 

 必死に、自分に言い聞かせる。

 さっきフィリアに言ったではないか。

 カーソルだけじゃ人となりは分からない、今のフィリアを信じると。

 罠に嵌めたのだって、何か理由があったかもしれない、裏切ったなどとは言いきれない。

 だから、きっとまだ────

 

 

 「ぐっ……!?」

 

 

 足場が乱れ、再び地面へと崩れ落ちる。

 うつ伏せに倒れるアキトは、未だ諦めずにその身体に力を込める。

 何故、立ち上がろうとしているのか、その明確な理由も見い出せないまま。

 

 そうして何度も立ち上がり、何度も倒れ、その繰り返し。

 懲りずに立ち上がろうとする彼の精神は、もうすっかり摩耗している筈なのに。

 それでも。

 

 

 「っ────」

 

 

 気が付けば、その瞳からは涙が。

 何が悲しくて、何が悔しくて、絶望しているのか。

 

 

 「……ま、まだ……!」

 

 

 考えたりはしない。それを認めてしまったら、もう二度と立ち上がれない気がするから。

 それでも、心の中では分かってる。

 

 

 この身は今、自分の生きる目的を探している。

 必要とされないこの身体が、存在していい理由を。

 

 

 アスナに言った言葉の数々が、自分に返ってくるようで。

 それを、脳内で無意識に繰り返す。

 

 

 意味が無きゃ生きられないなんて、そんなのおかしい。

 意味なんて、この先で幾らでも見付けられるし、探せるから、と。

 あの時、確かにそう言った。

 

 

 ああ──なんて矛盾だろうか。

 自分は今、必死になって、必要とされるものを探して、求めて。

 そして、何一つ見つからない。

 どうして、こうまでして立ち上がろうとしているのだろう。

 無力感や諦めといった感情が、この身体に押し寄せているというのに。

 

 

 再び倒れたアキトは、顔だけを上げ、自身のいる小さな部屋の先にある、暗闇纏う道を見つめた。

 この道は、何を目指す為の道なのか。この道の先にあるであろう分かれ道で、自分は何を選択出来るのだろうか。

 目の前の道が何処に続いているか分からない。

 これまで、どんな道を歩いて来たかも分からなくなっていた。

 右と左、YESとNO、戦うか戦わないか。

 どの道を行くか、全ては選択の連続。

 無限の網の目のように、それは入り組んで。

 正解の道筋は分からない。

 

 もしも、それが分かったならば、これまでの逢沢桐杜の選択を、全て間違えずに、逆に辿り直せるならば。

 そこにはきっと、黒猫団のみんながいる。

 やり直したいと、何度も願ったその先が手に入る。

 

 だけど、もう戻れない。

 失われた過去は見つけられない。

 そんな事は望めない。

 

 

 アキトの身体は、その意志とは裏腹に、根底にあるものは崩れかけていた。

 遠い未来で、《零化現象(ゼロフィル)》と称されるそれは、心の変化に合わせ、その人を縛り付ける。

 闘志無きプレイヤーに、アバターは動かせない。

 

 それを認めてしまった自分が、どうしようもなく悲しかった。

 

 こんな仲間の失い方もあるのかと、そう思った。

 裏切りや仲違い、それは今まで体験した事無い、友達の失い方で。

 アキトは、ショックを隠し切れずにいた。

 この身体が動かないのが、何よりの証明。

 

 

 「……っ」

 

 

 その瞳は、段々と細くなる。

 眠るように、ゆっくりと、その瞼が閉じられる。

 

 

 身体は、完全に機能を停止した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 どこか、見覚えのある風景が広がる。

 最近よく夢に出る、とあるフィールドのなんて事ない平地。

 だが、雪が降り積もった結果、そこは雪原と化していた。今もなお雪は降り続け、その場に立ち尽くすアキトの髪に触れる。

 日も沈み、辺りは暗い。まるで、今の自分の道標。どこへ行けば、向かえば良いのか、全く分からない。

 足元が冷たい。肌が冷たい。髪が冷たい。背負う武器が冷たい。

 

 

 夢、だろうか。

 先程まで自分は、冷たい床に倒れ、動かなくなったばかりだというのに。

 けれど、どこか生々しく感じる雪の冷たさと、その白さ。

 白は、もう好きでもなんでもない色なのに。もう、見たくないのに。

 嫌な事を思い出してしまうから。

 

 

 嫌な事って、なんだっけ。

 

 

 「……ん」

 

 

 だが目の前には、降り続ける雪の中、自分と同じような立ち尽くしているプレイヤーがいた。

 思わず、そのプレイヤーの元へと足が向かう。一歩一歩進む事で、曖昧な影がハッキリと目に映る。

 そこには、長めの槍を背に担いだ、女性プレイヤーがいた。短めに切りそろえた短髪に、小さな泣きぼくろ。優しそうな瞳で、こちらを見つめていた。

 

 

 とても見覚えのある、大切な人。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 彼女の名前は、なんて言ったっけ。

 アキトは、朦朧とする意識の中、彼女の名前を記憶の棚から探し出す。

 そうして少女の前で固まっていると、少女は小さく微笑んだ。

 彼女は小さく笑って、アキトに近付いた。

 

 

 「寒く、ないの?」

 

 「……寒い。君は……?」

 

 「私も……寒いかな」

 

 

 彼女は寒そうに腕を抱き、困った様に笑った。

 アキトは咄嗟にアイテムストレージを開き、厚めのロングコートを取り出す。

 彼女へと近付き、それを羽織ってやる。

 驚いた顔でアキトを見上げた彼女だが、やがて嬉しそうに、顔を赤く染めて笑う。

 

 

 「……あ、ありがと」

 

 「別に、減るものでもないし」

 

 

 素直にお礼を言われると照れるのか、アキトはそっぽを向く。

 そんな仕草の一つ一つが可愛らしくて、短髪の少女はクスリと笑った。

 アキトは誤魔化すように、話題を変えようと口を開く。

 

 

 「……けど、コートだけじゃどうにもならないと思うよ」

 

 「あ!なら、かまくら作ろうよ」

 

 「か……かまくら?」

 

 

 その変わった発言に、アキトは眉を顰める。

 彼の驚いた表情と声で、少女はまた笑ってしまう。辺りを見渡す彼女につられ、その首を動かす。

 今もなお降り続ける、積もっていく雪原。かまくらを作るには、充分過ぎる雪の量。

 

 

 「作ってみたら、案外楽しいかもよ?」

 

 「……手が冷たくなるよ」

 

 「大丈夫、私手袋持ってるから」

 

 

 少女はストレージから手袋を取り出す。桃色に赤で模様付けされたそれは、彼女によく似合っていた。

 それを嵌めた彼女は、嬉しそうに見せ付ける。

 そんな彼女の笑顔に、アキトは頬を赤くした。

 

 

 「い、良いんじゃないかな。似合ってるよ……センスが良いね」

 

 「……くれたのはアキトなんだけどなぁ」

 

 「え……?」

 

 「何でもないっ、さぁ作ろう!」

 

 

 少女はすぐ近くで腰を下ろし、雪を自身の膝元に掻き集める。

 アキトはそれを見て、慌てて手伝おうと腰を下ろす。互いに雪を見下ろし、その両手で掬いとる。

 雪は形を取り、その手に収まる。砂と違って、間から零れ落ちる事は決してない。

 皮肉なものだな、とアキトは自嘲気味に笑う。

 

 

 「……ねぇ」

 

 「っ……な、何?」

 

 「……かまくらって、どうやって作るんだっけ?」

 

 「俺に聞かないでよ……まあ、なんとかなる気がするけど」

 

 

 そう言って笑い合う。

 まだ作り始めて数分も経っていないのに、何だかとても楽しい。些細な事一つ一つに、知らなかった何かが詰まっていて。

 アキトが雪を掻き集め、彼女が固める。その繰り返し。偶に見せるその笑みが、とても愛おしくて。

 

 

 そうして、少しずつ時間が経つ度に、知らなかった一面が垣間見えて。

 

 

 「アキト、見て見て!えへへ、大きいでしょ?」

 

 「はしゃがないでよ……というか、かまくらに雪玉は必要無いけど」

 

 「分かってるよ……作ってみたかっただけ」

 

 「ほら、固めるのは君の役目でしょ」

 

 「ぶー」

 

 「……手が冷たいとかなら、休んででも……」

 

 「……やっぱり、変わらないね。アキトは」

 

 

 会話の中で見え隠れする、アキトの気遣いに、少女は頬を染める。

 アキトは何故そんな事を言われているのか、分からずに首を傾げる。

 彼に答えたりする事無く、少女はアキトの近くで腰を下ろす。

 

 

 「かまくらって、どうして『かまくら』なのかな」

 

 「何それ、どうしてロミオがロミオなのかって事?」

 

 「違うってば。『かまくら』って名前の由来が気になって」

 

 

 分かってるくせに、と不満そうな顔でこちらを見つめる。

 アキトは気不味そうに顔を顰め、雪へと視線を戻す。掻き集めた雪を固めながら、少女の質問の返答の為に口を開く。

 

 

 「いろんな説があるから、何とも。形が(かまど)に似てるから『竈蔵(かまくら)』っていう説だったり、かまくらに祀る神様の名前に『鎌倉』が付いてるからだとか」

 

 「へぇ……物知りなんだね」

 

 「生憎、リアルじゃゲーム以外の趣味が無くて。気が乗らなければ勉強しかする事が無いんだ。だから、要らない知識まで身に付いちゃって」

 

 

 自分の過去を思い出し、苦笑いを浮かべる。

 少女はそんな彼を一瞥した後、また視線を雪に戻した。

 アキトも再び、他の説を思い出そうと頭を捻る。

 

 

 「あとは……神様の御座所の名前が『神座(かみくら)』で、それが訛ったとかって説もあったなぁ」

 

 「神様かぁ……なんか良いなぁ、そういうの」

 

 

 嬉しそう目を細める少女。

 そんな彼女に、アキトはその腕の動きを止めて向き直った。

 

 

 「……信じてるの?神様」

 

 「……え?」

 

 

 アキトの真っ直ぐな瞳に気圧され、少女は一瞬だけたじろぐが、すぐその表情を引き締め、アキトを見返した。

 

 

 「……アキトは?」

 

 「……俺は……信じてた。けど……」

 

 

 少女の視線に負け、その瞳を逸らす。逃げるように。

 自身の質問が返され、困惑しながらも答える。手に付いた雪を見つめ、その腕を下ろす。

 かつては信じていた。今だって、きっと無意識にその存在を求めてる。けれど、それは絶対に認めたくなかった。

 願ったもの全て、叶わなかったから。

 

 

 「祈っても……届かない瞬間があった」

 

 

 かつての仲間達の無事を祈っても、届かない。

 結局、大切なものは零れ落ちたまま、拾う術は持たなかった。

 

 

 「期待しても……応えてはくれなかった」

 

 

 今の仲間達を大切にしていたけれど、あちらは自分よりも大切なものがあった。

 それは当たり前の事で、最初から分かっていた筈なのに、どうしようも無く、悲しかった。

 

 

 「助けたくても、裏切られた」

 

 

 フィリアの悲しげな表情を思い出す。怒りの感情は無い。ただ、心にぽっかりと大きな穴が空いたような感覚。

 そんな友達の失い方を、体験した事は無い。違った衝撃が、心に走った。

 

 

 かつて守りたかったものは、守れなかった。

 大切だと思い始めた仲間達は、自分を見てはいなかった。

 最後に残った、この世界の仲間は。PoHと共に、自分を蹴落とした。

 何もかも失い、こうして孤独になった。

 

 

 「……けど、どうしてかな。全く憎めない、憎みたくないんだよ。どうあっても……嫌いにはなれなくて」

 

 「アキト……」

 

 

 アキトは困った様に笑い、少女を見た。

 少女はそんな、どこまでも優しいアキトに、悲しげな表情を浮かべる。

 彼のそれは、純粋な優しさというにはあまりにも歪んでいて。

 どうしようもなく切なくて、痛々しい。

 誰かを憎めない、嫌いになれない、恨めないなんて。それらの感情が欠落しているような、そんな気がした。

 それは救いようの無い、壊れかけの仮初の心。

 狂っているようで、でも、ただただ優しいだけのようで。

 

 

 「……出来た」

 

 「……本当だ」

 

 

 気が付けば、かまくらはしっかりと形になっていた。

 二人が入るには広過ぎる程に、それでいてとても綺麗で。

 

 

 「かまくらって、意外と中は暖かいんでしょ?」

 

 「どうかな……入った事無いから分かんないや」

 

 

 かまくらを作る為に動いた為に、身体が温まってきている。

 けれど、折角作ったのだし、入らなければ、そんな気もする。少女は装備していた槍をストレージへと仕舞い、恐る恐る中へと入る。アキトはその後にかまくらへと身体を入れた。

 互いに近くに腰掛け、出来上がったかまくらの中を見渡す。

 やがて少女は膝を抱え込み、小さな声で呟いた。

 

 

 「……暖かい」

 

 「……うん」

 

 

 少女の言葉に、アキトは一言だけを返す。

 彼女の言う通り、かまくらの中は外よりも暖かい。冷たい雪で作ったのに、不思議だ。

 入口から見える雪は、段々と激しくなっていく。

 あと少し出来上がるのが遅れたら、吹雪の中に晒されるところだった。

 

 

 「……間一髪ってとこかな」

 

 「作った意味があったね」

 

 

 少女はそう言って笑いかける。

 だが、それとは反対に、アキトの表情は曇り始めた。

 

 

 「……意味、か」

 

 「……アキト?」

 

 

 少女の言った一言が、どうにも胸に引っかかる。

 先程まで、ずっと頭の中で考えていた事だったから。

 

 

 「……なぁ」

 

 「なあに?」

 

 「……自分がここに居る意味が分からなくなった時、どうするのが正解なのか、分かる?」

 

 

 自分の存在する理由、それが分からなくなっていた。

 必要とされていなかったのではないか、そんな感情が押し寄せて、そんな弱気になってしまって。

 自分がかつて言っていた事と矛盾しているのは分かっているけれど、実際、立場が変わってしまえば、そんな事を考えてしまう。

 

 けれど、少女はアキトのその質問に、眉を吊り上げて答える。

 

 

 「……それ、私に聞く?」

 

 「そう、だよね……ゴメン……」

 

 

 アキトは少女から目を逸らし、小さく息を吐く。

 この事を彼女に聞いたのは間違いだったと、今更ながらに悟った。

 目の前のこの少女は、ずっとそれで悩み、苦しんでいた事を、アキトは知っていた筈なのだ。

 少女は、膝を抱える腕の力を強め、遠くを見るような瞳で告げた。

 

 

 「私は……それが分からなくて、ずっと縮こまっていただけだから。なんでこんな目に会わなくちゃいけないの、どうしてこんな世界に私みたいな弱虫がいるの、って……」

 

 「……そっか。今俺は、あの時の君と同じ感覚なんだな……」

 

 

 自嘲気味に、諦念を抱くように。そうして出来たその笑みは、きっと作り笑い。

 上手くは笑えてなくて、そしてどこか儚くて。寄りかかる雪の壁が、冷たく肌に浸透するようで。

 彼女はずっと、こんな思いで生きてきたのだなと、改めて感じた。そして、後悔がぶり返すかのように押し寄せてくる。

 どうして、あの時。そんなタラレバを想像する。幾ら想像と妄想を繰り返しても、それは幻想のまま、変わる事は無い。

 それが異様に、堪らなく苦しかった。

 

 

 「……でも……でもね?」

 

 「え……」

 

 

 アキトはふと、少女の方を向く。

 彼女は、頬を赤らめ、躊躇いがちに口を開いた。

 

 

 「いつか死んでしまうかもしれないって思ってた私が、生きたいって、そう思えたのは……キリトとアキトのおかげだって思ってるよ」

 

 「っ……俺と、キリトの……?」

 

 

 えへへ、と照れる彼女は、その瞳でアキトを見つめた。

 アキトはどうして、と、言葉にならない疑問を彼女へと伝える。

 

 

 「二人は私に、この世界に私が来ちゃった意味を教えてくれた。弱虫な私に、必要だって、そう言ってくれた」

 

 「そんなの……当たり前だよ……!」

 

 

 アキトはその広いかまくらの中で立ち上がり、目を丸くする彼女に向き直る。

 言葉に詰まりそうなのをどうにか抑え、アキトは口を開く。

 

 

 「俺はずっと、君に支えられてきたんだ……だから、俺も君を支えたいって思った……!この世界に意味の無い事なんて、あるわけが無いんだ……!」

 

 

 そう言って、思った。

 この世界に、意味の無い事は無い。

 かつて、リーファと圏内でデュエルした時、そう言ったのを思い出す。

 きっとそれが、探してたものの答え。けれど、欲が出るのは仕方のない事で。

 

 この世界が出来た事も、自分がこうして生きている事も、みんなと出会った事も。

 そして、目の前の彼女が、死んでしまった事も。

 それに意味があるだなんて、思いたくないけど。

 

 

 少女はアキトの言葉を聞いて、笑顔を作る。

 それはとても魅力的に見えて、ずっと見ていられるものだった。

 やがて彼女は、入口から見える雪原を見て、小さく呟いた。

 

 

 「二人は私にとって、トナカイとサンタなんだ」

 

 「え……」

 

 「キリトがトナカイで、アキトがサンタ。私に勇気をくれるの」

 

 

 少女の言葉が、胸に刺さる。

 アキトは、そのまま立ち尽くして、景色を眺める彼女を見下ろす。

 身体が震える。瞳が揺れる。けれど、彼女の言葉に耳を傾けたまま、動けずにいた。

 

 

 「キリトは、先の見えない暗い夜道を明るく照らしてくれるトナカイみたいで」

 

 「……」

 

 「……アキトは……ダメな私を励ましてくれる、いつも私を笑顔にさせてくれる。温かいプレゼントをくれる、優しいサンタクロースみたい」

 

 「っ……俺、は……」

 

 

 アキトは、涙が出そうだった。

 自分は、彼女と約束したのに、それを守る事が出来なかったのに、そんな風に言ってもらえる資格なんて。

 そう思ってしまった。

 

 

 「神様、私はいると思うよ」

 

 「え……」

 

 「アキトに出会えたのは、神様のおかげだって……今は思ってるの」

 

 「っ……」

 

 「アキト……私と出会ってくれて、ありがとう」

 

 

 アキトは、その場に膝を付いた。

 崩れ落ちる身体に、少女は寄り添う。

 

 

 そう、自分は。

 目の前の少女の為に。

 かつて彼女と、黒猫団のみんなの笑顔を脅かそうとするあらゆる理不尽と戦った。

 それはゲーム開始当初から、あの《はじまりの街》から始まっていた。

 その闘いの先にあったのは、いつも自分を待ってくれる大切な場所。

 アキトが彼らと行動し、攻略を成し得た中で一番の成果があるとするならば。

 それは、ひとえに彼らの笑った顔に違いなかった。

 

 感謝されたかったわけじゃない。

 なのに、ボロボロになるまで戦った自分に、サチがくれたささやかな。

 感謝という名前の報酬は。

 アキトの心に染みて。

 

 

 「くっ……うっ……」

 

 

 言わなきゃいけない事が、沢山あったのに。

『ありがとう』とか『ゴメン』とか。

 でも。

 涙や感情が次々と押し寄せて、溢れてきて。

 まともに言葉にならなかった。

 

 

 蹲る中で、彼女に肩を抱かれ、その中で思う。

 彼女は神様がいると、そう言った。

 ならば、何故神様はこんな理不尽な世界を許してしまったのだろうと。

 失くしたくないものが、溢してしまったものが沢山あったのに。

 

 そんな問答を、少女は遮る。

 アキトの首にかかった、鈴の音が鳴るペンダントを、視界に収めながら。

 

 

 「……そのペンダント、まだ持ってくれてたんだ」

 

 「え……」

 

 「……ううん、何でもないっ」

 

 

 アキトの聞き返しに答えず、少女は立ち上がる。

 気が付けば、かまくらの外は、雪が止み、日差しが昇りそうで。

 

 

 「……綺麗」

 

 

 二人はその日を互いに見上げ、綺麗な銀世界を、かまくらの外に出て見上げる。

 吹雪が終わり、夜が明ける。もう、時間が無いように思えた。

 

 

 「……アキト」

 

 「っ……」

 

 

 突然呼ばれ、アキトは振り返る。

 少女は小さく笑い、アキトを見上げた。

 

 

 「私はここから、君を見守ってる。だから……その……頑張ってね」

 

 「……」

 

 

 言葉足らずに思える彼女の言葉。けれど、とても暖かく感じた。

 アキトは、悲しそうに少女を見つめる。

 これで、お別れなのだろうかと、そう思った。けど、それを言葉にしたりはしない。

 さよなら、なんて、決して言えない。

 

 

 「……また、会おう」

 

 「っ……うんっ、また……」

 

 

 少女────サチが。

 

 最後にアキトに見せた表情は。

 

 

 

 

 涙で濡れた笑みだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 ひんやりとした地面が頬に付く。

 瞳を開けば、ぼんやりと目の前の光景が広がる。

 一寸先は暗黒で、今まで以上に危険であろうダンジョン。

 

 時刻を見れば、かなりの時間が経過しているのを理解した。

 もしかしたら、一日二日経っているかもしれない。

 そんな長い間、このまま横になって倒れていたのかと思うと背筋が凍る思いだが、そんな事はどうでも良かった。

 

 

 アキトは、目を見開き、動かなかった筈の腕を地面へと思い切り突き立てた。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 歯を食いしばり、震える身体を心の中で叱責する。

 その腕が倒れ、再び地面へと落ちる。

 だが、その瞳はもう、諦念を抱いてはいなかった。

 

 

 「……こんな、ところで……死ねるか……!」

 

 

 かつて、大切だった少女の夢を見た気がした。

 こんな自分が、彼女に生きる意味を与えていたと、知る事が出来た。

 大切だと思っていたのは、自分だけじゃなかったのだと理解した。

 

 奪うだけじゃなく、与える存在だと、そう言ってくれた。

 

 

 「だから……まだ……」

 

 

 再び、その地に腕を立てる。

 グッと今まで以上の力を込めて、膝を突き立て、立ち上がる。

 壁に寄りかかったままに立ち上がるアキトのコートは、摩擦で削れていく。

 目の前の暗黒の先にある道、蔓延るモンスターを、遠目から睨み付ける。

 

 

 「……」

 

 

 ずっと動かなかった身体が、嘘のように動く。

 それは、アキトの心の形が変化した事を、顕著に伝えてくれていた。

 《琥珀》をストレージに仕舞い。

 取り出したのは、《エリュシデータ》。

 かつて、共に戦った親友の形見。

 

 このエリアを突破するのに、これ以上相応しい武器は無い。

 長らく忘れていたものを、なんとなく、朧げにだが、取り戻す事が出来た気がする。

 

 

 ボロボロになって、弱気に押し潰されそうになっても。

 彼らがいたから、俺はずっとこの道を進んでこれた。

 

 

 だからこそ、彼らに誓う。約束する。

 

 

 俺は、必ずなってみせる。

 世界で一番大切だった彼らに相応しいヒーローに。

 

 

 

 

 「……力を、貸してくれるかい?」

 

 

 

 

『っ……当たり前だろ……!』

 

 

 そんな弱々しい声に、思わず笑ってしまった。

 

 

 ──── あの日の誓いは、変わらずここに。

 

 

 

 

 

 

 

 「……行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 たとえ、誰も見ていなくとも。

 自分が選んだこの道だけに、後悔だけはしないよう────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっと、誰かが見ててくれている。

 

 

 この世界で、誰よりも。

 

 

 誰よりも優しくて。

 

 

 誰よりも傷付いて。

 

 

 誰よりも頑張って。

 

 

 誰かの笑顔の為に走る、ヒーローみたいで。

 

 

 

 

 サンタクロースのような君を。

 

 

 

 

 

 







サチ 「たとえば私とかね」(´◉ω◉` )ジー

アキト 「怖い、怖いよ!」


※本編とは無関係です。


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Ep.74 死ねない理由があるから






全てを背負うと、そう決めたから────







 

 

 

 

 

 

  《ジリオギア大空洞》のとある遺跡。

 

 その小さな暗黒の世界で、大きな金属音が鳴り響く。

 風切り音が聞こえる。モンスターの鳴き声が聞こえる。

 

 そして、一人の少年の声が聞こえる。

 黒のコートを纏い、黒い剣を持って、数多の敵に向かっていく。

 

 

 「ぜあああぁぁあっ!」

 

 

 壁を蹴って跳躍する、黒の剣士。

 上空を見上げるだけのモンスター達に、その黒き剣を振り下ろす。

 破壊されてるモンスターの残骸は捨て置き、次の動作へと移行する。

 その剣をリザードマンの胸に突き刺し、向かいから来る虫型を足で蹴り飛ばす。

 身体を捻って剣を振り回し、近付くモンスターを全て薙ぎ倒す。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 そのモンスター達の合間を縫って、また新たにリザードマンが斧を振り上げる。

 アキトは悲痛な表情を浮かべながらも、歯を食いしばり、睨むようにリザードマンを見上げた。

 重力に逆らう事無く落下するその斧を《エリュシデータ》で流し、その流れで身体を地面と平行に斬る。

 切断面が綺麗に現れ、そのまま光の破片と化した。

 

 

 「はぁ、はっ、くっ……はぁっ……」

 

 

 ずっと、この調子だった。

 戦うと決め、走り出してから、もうどれだけの時間が立ったかは分からない。

 暗闇の中、ずっと一人、孤独に剣を振った。

 誰の為でもない、自分が生きる為の行動。

 一寸先は闇で、先に続く道があるのかどうかも分からない。

 

 膝に手を付き、流れる汗を無視して呼吸を整える。

 やがて、次の部屋へと続く道の先にいるモンスターに目を付ける。

 ずっと戦ってきた事により、攻撃の衝撃で手の痺れを感じた。

 

 

 けれど。

 

 

 「────次」

 

 

 止まるものか。

 

 

 救いようのない黒猫は、外の空気を欲していた。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

 斬る。ただ、斬るのみ。生き残る為に、自身が積み上げてきた技術を行使する。

 前に進んでいるのかすら分からないこの暗黒世界を、黒い猫は浸走る。

 何の為に。誰が為に。

 分からなくても良い。ただ、今だけは。

 

 

 この想いを、剣に乗せる。

 

 

 片手剣六連撃《カーネージ・アライアンス》

 

 

 黒い刀身が光り輝き、オーク達を惑わせる。

 瞬間、アキトは地面を蹴り飛ばし、オーク達の間を通り過ぎる。

 それは一瞬、まるでテレポートのような速度で、一体ずつに一撃を当てていく。

 気が付けば、オーク達の身体は四散した。

 

 今までよりも速く、その剣戟は繰り広げられていた。

 帰りたい、その意志が強く、その技に現れていた。

 

 

 「はぁっ!」

 

 

 スケルトンが繰り出すメイスのソードスキルを、自身のソードスキルで弾く。

 後ろから隙を見て剣を振り下ろしてくる、もう一体のスケルトンを紙一重で交わし、回し蹴りを繰り出す。

 そこから《剣技連携(スキルコネクト)》で片手剣スキルを発動させる。

 スケルトンの骨組みを砕き、破壊する。二体目も、同じように散らした。

 

 

 整えた筈の息はまた上がり、だがそれでも、道はまだ続いている。

 

 

 「────次」

 

 

 戦いながら思う。

 一人で戦うとは、こんなにも命の危険があって、寂しいものだったのかと。

 ずっと独りで攻略してきた筈なのに、そんな事、知らなかった。

 いや、忘れていたのかもしれない。知らないふりをしていたのかもしれない。

 感情を押し殺して、ここまで来たのかもしれない。

 

 

 「ぐはっ……!」

 

 

 騎士型のモンスターの剣が、アキトの胸に刺さる。

 他のモンスターも、それを機にアキトへと駆け寄ってくる。アキトは目を見開き、驚きを顕にするも、すぐに次の動きへと転じる。

 ほんの少しだけ生まれた隙にストレージを開き、とあるアイテム名にタップする。

 それを合図に、背中から顕現したそれを、アキトは引き抜いた。

 

 

 リズベットに作ってもらった一振りの剣。

 《リメインズハート》は、アキトの手に馴染み、そしていつもより温かさを感じた。

 

 二刀流範囲技二連撃《エンド・リボルバー》

 

 両手の剣をそれぞれ光らせ、アキトは身体を回転させる。

 周りにいたモンスター達は、彼の剣と、その筋力値により吹き飛ばされていく。

 散りゆく粒子の中、見据えるのは次の道。どこまで続くか分からない道の果てを探し、奔走する。

 

 ここに落ちてから、時間だけで見るならば、もう二日以上は経っている。ゾッとしない話だ。

 もしかしたら、アークソフィアではボス部屋を見付けているかもしれない。

 フィリアは、PoHと共にいるとしても、安全とは限らない。

 戦いながらも考える事は同じで、彼女の泣き顔。アスナ達の苦しそうな表情。

 まるで自分の事のように思えて、自身の顔も歪む。

 帰ってどうする?何を話す?そんな事を考えて、身体の動きが鈍った気がする。

 目の前に現れたオークの剣を右手に持つ《エリュシデータ》でいなし、左手の《リメインズハート》をその身に叩き落とす。

 顔を歪めて地面へと倒れるオークを飛び越え、その後ろにいたリザードマンに蹴りを入れる。バランスを崩した瞬間にその身体を翻し、リザードマンの腹部に二刀を当てがった。

 

 二刀流突進技二連撃《ダブル・サーキュラー》

 

 黄色いエフェクトを纏い、その腹部が張り裂ける。

 切り裂いたリザードマンの肉体の合間から飛び出し、次の場所へと向かう。

 だが、走ったりはせず、その足はゆっくりな歩みへと変えていた。

 少しずつ、休みながら。

 今までよりもかなりの危険が伴うこのエリアでは、焦る事が一番の致命傷である。

 急いでいても、決して気は緩めず、確実に前に進む。

 アキトは次のエリアに来たタイミングで壁に身体を預け、ポーションを咥えた。

 結晶アイテムが使えない為、失ったHPを一気に回復する術は無い。アキトの今の回復手段は、ポーションと戦闘時回復(バトルヒーリング)スキルのみ。

 

 ゆっくりと、だが確実に回復していく体力。

 それを見たアキトは、HPゲージが七割を過ぎた辺りで壁から背中を離す。

 

 

 「……行こう」

 

 

 誰に言ったわけでも無く、自分へと言い聞かせる切り替えの言葉。

 そしてそれを合図に、目の前のモンスターがこちらをターゲットとして視界に収める。

 その部屋の入口からモンスターの数を目視で確認し、そこから全てのモンスターの種類と、それに準ずる法則性のある動きと、変化したアルゴリズム下で有り得る攻撃パターンを予測する。

 二本の剣を左右に持ち、迫って来るモンスターに合わせて振るう。

 確かな手応えと、衝撃による手の痺れが剣を通して感じてくる。それに歯を食いしばり、やがて笑みへと変える。

 

 

 

 

(──── なあ、サチ……)

 

 

 

 

 聞こえているだろうか。

 信じられないだろうけど……俺は今、攻略の最前線にいる。

 

 けど今は《ホロウ・エリア》っていう高難易度エリアの、とあるダンジョンを、たった一人で攻略してるんだ。

 森があって、空中に浮かぶ遺跡があって、広い海があって、宇宙に輝く星みたいな輝きを見せるダムみたいな滝があって。

 

 アインクラッドの攻略は順調だよ。

 仲間のいない状況で、攻略をする事は凄く久しぶりで、独りぼっちの感覚、暫く忘れてた。

 今では一人も慣れてきて、一対一なら死ぬ事は無い。

 

 だけど、そんな油断もここじゃ禁物だ。

 確かに高難易度だけど、レベルだけじゃない。モンスターが考える事を覚え、こちらの戦略や戦術を予測して動く。

 それがどれだけ面倒か、分かるかな。

 

 アインクラッドではある程度楽に思えた事が、《ホロウ・エリア》では命取りだ。

 だから、思ったんだ。

 

 これまでボスを倒せてきたのは、俺の腕じゃなかったんだよ。

 今まで誰かが経験と共に積み上げてきた戦略や知識、信頼や仲間だったんだ。

 

 そんなものを失くした俺は、人一人救う方法すら知らない。

 

 2年もここにいて、俺はそんな事も知らなかった。

 自分がこんなにちっぽけだった事を、俺は知らなかった。

 

 謙虚なつもりだったけど、俺みたいな奴が誰かを助けたい、救いたいと、ただただ願うだけだなんて。

 考えてみれば、随分と巫山戯た話だ。

 

 君は、ずっとそう言いたかったのかもしれないな。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

二刀流OSS十三連撃《レティセンス・リベリオン》

 

 

 空間と同じ闇色を纏うその剣は、世界への反逆の狼煙。

 そこに見える僅かな光が、自分自身と重なる。このちっぽけな光が、先の自分を照らすんだと、そう感じた。

 

 目の前の体験を持った巨大な牛人のようなモンスターの四肢を斬り付け、剣を流し、その想いをぶつける。

 これは意思表明。絶対にゲームをクリアする。

 みんなと共に────

 

 

 「せあああぁぁぁあぁあああ!!」

 

 

 剣戟が続く度に散る火花の中、その黒猫の瞳が光る。

 黒い瞳と青い瞳、その二色の眼が敵を見据え、その剣が滑り込む。

 全ての連撃を加えたその場に、敵の姿は存在しなかった。

 

 

 「はぁ……はぁ、……っ、はぁ……」

 

 

 不規則な呼吸を続け、やがて息を呑む。

 何も無くなった空間を見て、この場所の敵も全て倒したのだと理解した。

 何の為に、今走っているのかは分からない。

 けれど、意味なんて、これから先で見付けられる。

 

 

 みんながどう思ったって。

 俺がみんなを大切だって思ってる事実が変わる訳じゃない。

 

 

 今は、それで良いと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 《追跡者に捕えられた祭事場》

 

 

 何度目の階段かは、疾うに忘れていた。

 けれど、上った先のこのエリアが、一番最初にフィリアと来た場所だと理解した。

 冷たい雰囲気の中で、僅かに感じる土の匂い。小さく燃える松明が辺りを照らし、モンスターの居る場所を教えてくれていた。

 マッピングはある程度済ませていたこの階は、アキトにとっては安心感を覚える場所だった。

 

 

 戻って来れた。

 あの鬼畜ダンジョンを突破した。

 レベルも高くてモンスターの種類も数も多いだなんて、もう二度と行きたくない。

 だが、そんな安心感も束の間、アキトはフィリアの事を思い出した。

 

 

 「……フィ、リア……!」

 

 

 アキトは急いで数日前、自分が落ちた部屋へと向かう。

 もう居ないであろう確率の方が高いのだが、それでも行かずにはいられなかった。

 あんな涙を見てしまったから。

 全力で走り、その開いた隠し部屋に手を掛ける。

 

 

 「っ……」

 

 

 だがそこには、既に開閉された宝箱と。

 自分が落下した、抜けた床のみが存在していた。

 人影は無い。つまり、もうここには居ない。そんなのは分かっていたけれど。

 

 アキトは口を噤んで、その部屋から背を向ける。

 壁に付いたその手が、段々と握り拳を作る。強く、強く握り締める。

 悔しいのか悲しいのか分からない。彼女があんな表情になるまで気付かなかった自分に腹が立つ。

 彼女はこの世界でずっと独りだったのに。

 気付けるのは自分だけだったのに。

 

 彼女に手を差し伸べたのは、PoHの方が先だった。

 それがどんな悪質なものだとしても、救いに思えた筈なんだ。

 独りである自分に垂らされた、一本の糸に。

 

 アキトはフラフラとした足取りでその場から前に進む。長時間の戦闘により、アキトの精神は摩耗し、身体的にも負荷が掛かっていた。

 疲労が蓄積したこの身体では、きっとフィリアを探せない。一度管理区へと戻ろう。

 

 

 

 

 そうして、開けた場所に出た瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────ぇ」

 

 

 

 

 射し込むような、軽い音が聞こえた。

 それと同時に、背中に感じる不快感。

 

 

 気が付けば、身体はその動作を停止し、地面へと一直線に向かう。

 逆らう事無く倒れた身体は、剣の重みを感じながら、固まった。

 

 

 

 「……な、にが……」

 

 

 

 どう動こうとしても、それは意志だけで身体に反映されていかない。

 全く、身体が動かない。

 背中から感じる不快感は未だ消えず、うつ伏せに倒れた身体で必死にもがく。

 

 

 何が起こったのか。

 まさか、数日前の、あの現象なのか。

 急に身体が機能を停止し、二日も眠ってしまったあの現象。

 アキトは瞬時にそれを思い出した。

 

 

 だが、自分のHPバーを確認して、その表情が固まった。

 

 

 自分の体力とレベルの数値の、その隣り。

『麻痺』の状態異常を示すマークが表示された。

 

 

 何故、急に。

 そう頭を働かせても、麻痺になる瞬間に感じた、背中の不快感以外考えられない。

 覚束無い動きで背中へと視線を動かすと、そこには、小さなナイフが刺さっていた。

 それが意味する事は一つ。

 

 

 「……麻痺、毒……!」

 

 

 今のこの状態が、人為的なものであるという事実だった。

 背中に感じる不快感を生み出すこのナイフには、麻痺毒が付与されていたのだと理解する。

 そして、それを行ったプレイヤーの検討も、無意識につけていた。

 

 

 

 

 「ワーンダウーン!」

 

 

 「っ……!」

 

 

 

 

 突如後ろから、巫山戯たテンションでそう叫ぶ声が聞こえる。

 身体が動かない為に確認出来ないが、その声の主は徐々に近付いて来ていた。

 

 

 そして気付く。

 足音の数が一人では無い事を。

 カツカツと数人が、何処にいたのか、アキトが今入った入口から現れる。

 その数、五人程。各々がフードを被り、その顔を隠していた。

 

 ただ一人、フードを被らず、頭陀袋を思わせる黒いマスクで顔を覆ったプレイヤーが、倒れるアキトの目の前に立つ。

 苦痛に耐えるように見上げるアキトから見えるそのマスクの男は、とても嬉しそうに笑いながら、彼の目線へと腰を下ろした。

 

 

 「いやー、流石に不意打ちは無理かと思ったけど、案外いけるもんだなぁ……」

 

 「お前……は……」

 

 「あん?……あぁそっかそっか、似てるだけだもんなぁお前。俺の事知らないよなぁ……俺はアイツの事、一日たりとも忘れちゃいないけど」

 

 

 アキトの質問に答える気が無いのか、そんな言葉を吐くマスクの男。

 その会話の中から滲み出る子どものような態度に、背筋が凍る。

 その小柄な容姿とは裏腹に感じる殺気は、アキトの瞳を開かせる。

 どうにか動こうとその身体を捩るが、その顔のすぐ側の床を、もう一人のプレイヤーが踏み抜いた。

 

 

 「……無駄だ」

 

 「っ……」

 

 「どれだけ足掻こうと、お前は、その身体を、動かせない」

 

 

 見上げれば、そこには髪と眼の色を赤にカスタマイズし、髑髏を模したマスクを着け、赤の逆十字を彩ったフードマントを纏ったプレイヤーがこちらを睨み付ける。

 腰に携えたシンプルなデザインのエストックが、まるでこちらを射抜いているようで。

 

 

 「……誰なんだ……お前ら……」

 

 「知る必要は、無い」

 

 「別に教えてもいんじゃね、ザザ?どうせ殺すんだし、冥土の土産って事でさ」

 

 

 マスクの男は、そう言うとアキトに向かって、自身の腕を見せ付けた。

 そこには、一度は見た事のある、けど見たくないものが映っていた。

 嗤う、棺桶のマークが、そこにはあった。

 

 

 「じゃじゃーん!これな〜んだ?」

 

 「っ……!?お前ら……《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》か……!」

 

 

 再び、背筋が凍るのを感じる。

 目の前にいる五人が、全員殺人ギルドのメンバー。そう理解した瞬間に、動けない身体も相成って恐怖心を助長した。

 目の前のマスクの男は嬉しそうにゲラゲラと嗤っていた。

 

 

 「せいかーい!俺らも有名になったもんだぜ。にしても随分遅かったな、お前。ここまで来るのにこんなに時間掛かるとか想像してなかったからさー……ヘイトな3日間だったぜ!」

 

 「な、に……?」

 

 「そんなに大変だったんだー地下エリア。もう死んでんじゃねぇかって思ったから良かったわー」

 

 

 マスクの外から頬を掻くその男は、変わらぬテンションでアキトを見下ろす。

 奴の言っている事を総合すると、彼らは自分がここに戻って来るのを待ち伏せしていたという事になる。

 アキトは未だ動かない身体に苛立ちを覚えながら、目の前の男を睨み付けた。

 彼らがここにいる理由。それはPoH以外には考えられない。今回、アキトを罠に嵌めた奴のやり口は至ってシンプル。

 高難易度ダンジョンにアキトを放り込む、MPKと呼ばれる殺し方。

 目の前の五人は、アキトが万が一ダンジョンを抜け出す事に成功した場合の保険。

 実際、これまでの長時間戦闘のせいで精神的に疲労が溜まっていたアキトは、マスクの男が放ったであろう麻痺毒のナイフに気付かなかった。

 奴らがPoHと繋がっているならば、フィリアの事も。

 

 

 「……フィリアは……無事なのか……?」

 

 「どうだろうなぁ……ま、時間の問題だと思うぜ?」

 

 「っ……テメェ……!」

 

 

 マスクの男のその適当かつ癇に障る態度に、アキトは腸が煮えくり返る思いだった。

 動かない筈の身体を、精一杯震わせ、行動に移ろうとし始める。

 動け、動けと身体に命令する。わなわなと震える腕は、地面へと突き立てる。

 

 

 「おっと」

 

 「ぐはっ……!?」

 

 

 瞬間、いつの間にか倒れるアキトの横に移動したマスクの男が、思い切りアキトの腹部を蹴り上げた。

 その細い身体は見事に吹き飛び、地面との摩擦で肌は熱を覚える。

 ゴロゴロと転がる身体はやがて静止したが、アキトは苦痛に歪めた顔で、彼らを見上げる事しか出来ない。

 麻痺で動かぬ身体の前に、彼らがゾロゾロと近付いて来る。

 

 

 「プッ、クッ、クハハハッハハハ!見た目そっくりだとホント爽快だわー!」

 

 「ゲホゲホッ、ゲホッ……くっ……!」

 

 

 腹を攻撃された事により、噎せ返るアキトは、変わらず奴らを睨み付けるが、それは彼らにとっては脅威でもなんでもなかった。

 頭陀袋のマスクの男はニタニタと笑みを浮かべながら。

 髑髏のマスクの男は冷めた目でこちらを見下ろしながら。

 並んで歩み寄り、アキトの近くで足を止める。

 

 

 「あー……ていうか、裏切られたのに、まーだアイツの心配するんだ?」

 

 「っ……うる、さい……」

 

 「分かってないなら教えてやるけど、お前アイツに嵌められたから、今この状況なんだぜ?分かる?」

 

 

 不思議そうなトーンでこちらを見つめる頭陀袋の男は、腰からナイフを引き抜いて、徐にアキトの背中へと突き立てた。

 

 

 「ぐあっ……!」

 

 「もしかして惚れちゃったとか?クハハ!ならお前は振られたってこったなぁ!」

 

 

 ドスドスと背中にナイフを抜いては刺し、抜いては刺しを繰り返す。

 その度にアキトは苦痛に声を上げ、その目を細める。

 確実に減っていくHP。ダメージは決して小さくなく、麻痺毒が切れるまでには死んでしまうであろうペースに、アキトは死の恐怖を覚えた。

 そうして、意識を手放しそうになるのをどうにか堪えるアキトの髪を引っ掴み、髑髏の男がその赤い目でアキトを見据える。

 その吸い込まれそうな瞳が、アキトの心を抉った。

 

 

 「諦めろ」

 

 「っ……」

 

 「お前は、何も出来ない。ここで俺達に殺され、あの女が無様に殺されるのを、地獄で待っている事以外は」

 

 「がっ……!」

 

 

 掴んだ頭を、そのまま地面へと叩き落とされる。

 確かに感じる痛みに、その表情が悲痛なものに変わる。

 背中に感じる不快感が、恐怖心を煽り、死ぬ事を確実とさせていく。

 そうして、何度も何度も背中を刺していた頭陀袋の男は、何故かその行動を止める。

 首を傾げた後、納得したように頷いた。

 

 

 「……うん、この剣邪魔だわ。刺す度に当たって気分悪くなる」

 

 

 背中に収まる二本の剣を見て、頭陀袋の男はそう呟いた。

 それは、《エリュシデータ》と《リメインズハート》。アキトは彼のその言葉のせいで、動揺の色を見せてしまった。

 それを、頭陀袋の男は見逃さなかった。マスクの下の口元を盛大に歪ませた後、徐に《エリュシデータ》を引き抜いた。

 

 

 「うっわおっも!……この剣、なーんか見覚えあんだよなぁ……見てると、スゲーイライラする」

 

 「っ……!か、返せ……」

 

 

 殺人ギルドのプレイヤーに、キリトの形見を触れられる事実に、アキトは動揺を隠せない。

 触るな、返せ、そうもがいても、奴には届かない。

 

 

 「おい、これやっちゃって」

 

 「うぃっす」

 

 

 頭陀袋の男は、《エリュシデータ》を後ろにいたフードの男に向かって投げる。

 地面へと強く叩き付けられた《エリュシデータ》は、火花を散らして削れていく。

 それだけで、アキトは奴らに憎悪の視線を向けた。

 だが、出来る事はそれだけだった。

 

 

 

 

 「や、やめ、……やめろ……!」

 

 

 

 

 奴らが、その《エリュシデータ》目掛けて振り上げるメイスを。

 アキトはやめろと、そう懇願する事しか出来なかった。

 そのメイスは光を纏い、《エリュシデータ》へと振り下ろされる。

 

 

 ガキィン!と金属音を立て、火花を散らしたその先には。

 粉々に砕け散った、形見の刀身があった。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 何度目を凝らそうと、目の前の光景は変わらない。

 砕け散り、ポリゴンと化し消えていく。宙へと舞っていく光と共に、失ったものがそこにはあった。

 

 

 

 

 あれは、アスナに託された、キリトの形見。

 

 

 一緒に戦って来た、親友の武器で。

 

 

 

 

 「あーあ、壊れちゃったー……プッ、クハハハッ!スゲーな!一撃で壊れるとか!」

 

 

 そうしてゲラゲラと嗤いまくる頭陀袋の男。

 周りもそれに合わせて嗤い合う。

 そんな中、アキトだけは身体を震わせ、怒りや悲しみが綯い交ぜになった感情を、言葉に変える。

 

 

 「……ふざけ……やがって……」

 

 「うるせぇよ、お前」

 

 

 頭陀袋の男は音も無く近付き、再びアキトの腹を突き上げる。

 今度は膝が入り込み、先程よりもかなりの距離をアキトは飛んだ。

 その拍子に《リメインズハート》も鞘ごと身体から切り離され、地面を削っていく。

 そんな事、気付く事も無く、アキトは咳き込む。その瞳には、僅かながらに涙が。

 

 

 《エリュシデータ》を失った。

 言葉だけで言うなら簡単に済ませる事実。

 けれどあれはアスナに託された形見で。

 キリトの象徴にも感じた。

 あれがあるから、みんなは頑張れて。

 自分は頑張れたと思っていたから。

 

 

 「そろそろ麻痺毒も切れるし、終わりにするか。《黒の剣士》そっくりだし、良い気分で殺せそうだなぁ……」

 

 「……」

 

 

 ……また、《黒の剣士》の名が響く。

 自分を殺しに来ている癖に、自分ではない他のプレイヤーの名前。

 もう、苛立つ気さえ起きなかった。

 だが、この背中から滑り落ちた《リメインズハート》を頭陀袋の男が手にした瞬間、その瞳が見開いた。

 

 

 「っ……離、せ……!」

 

 「あん?」

 

 「それ、に……触るなっ……!」

 

 

 必死に藻掻くも、身体は動かない。

 システムに抗う事の出来ない無力さに、激しい憎悪を感じる。

 

 その剣は。

 

 キリトの事を一途に想う彼女が残した、

 

 最初で最後の剣。

 

 それに、触るな。

 

 

 

 

 「……クハッ」

 

 「あぐぅ……!」

 

 

 頭陀袋の男はニヤリと顔を歪めると、その《リメインズハート》をアキトの背中へと突き刺した。

 先程よりも重く、痛い一撃が、じわじわとアキトのHPを削り取っていく。

 

 

 「クハハハッハハハ、アハッアハハハハハッハハッ!」

 

 

 自分の剣に殺される様を見て、心底楽しいのか、今まで以上に声を荒らげて嗤う彼らが、とても憎たらしくて。

 けれど、そんな事よりも、死への絶望が、自身を襲っていた。

 

 

 色んなものを失って、最後に残った命まで、この世界から消えるのだろうか。

 死んだら、黒猫団のみんなに会えるだろうか。

 

 

 漸く決意したのに、ここまでなのだろうか。

 失ったものを、取り戻す事さえ、神様は許してくれないのだろうか。

 

 

 もしかしてこれは、今は物言わぬ黒猫団のみんなからの、俺への罰なのだろうか。

 助けられなかった、救えなかった事への。

 

 

 

 

 嗚呼、

 

 家族を(失って)

 

 黒猫団を(失って)

 

 アスナ達との絆を(失って)

 

 フィリアに裏切られて(失って)

 

 

 そうして俺の手に残ったものは、ほんの僅かで。

 それすらも、今この手から溢れ落ちそうになっていて。

 

 

 

 

 今も尚絶えず嗤う彼らに、アキトは小さく呟いた。

 

 

 「……なぁ」

 

 「クハハハッハハハ、はー……あ?」

 

 

 その瞳は、今までのアキトでは考えられない程に、殺気に満ち満ちていて。

 ラフコフの中の何人かは、背筋が凍ったのか、動けなかった。

 

 

 「……是非、教えてくれよ……人を殺すその神経と、殺した後の気分ってのを……」

 

 「……今まで感じた事無いくらいの快楽だっつんだよぉ!」

 

 

 苛立つように、それでいて楽しそうに、頭陀袋の男は答える。

 両の手でリメインズハートをガチガチに固め、アキトを決して逃がさない様にする。

 顔を歪めるアキトを見て、その目を未開き、声を荒らげる。

 

 

 「それ!それだよ!殺される時のその表情を見るのが、たまらねぇんだよぉ!」

 

 「ぐっ……はっ……がっ……!」

 

 

 HPが赤く染まる。

 危険域に達した事実に、恐怖心と、どこか諦観を覚える。

 ああ、なんともまあ、救いようのない話だ。

 

 

 散々抗い、強がり、そうした結果。

 何も変わる事の無い人生を歩んで来た自分の、自分らしい終わり方。

 いつか本物になる日を夢見るだけで、肝心な時に傍にいてあげられなくて。

 

 

 フィリアは、今、泣いているだろうか。

 

 

 俺は、彼女の笑った顔しか知らなかった。だから、あの涙を見た時、衝撃が走ったんだ。

 

 

 彼女がオレンジになった理由も、知ろうともしなかった。それが最善だと思って、目を背けて来たんだ。

 

 

 ただ、ここに居るのが楽しくて。アークソフィアでの事を、こっちでは忘れられる。

 

 

 この世界は、ただ純粋に、逢沢桐杜として居られる、安らぎの場所だったのに。

 

 

 フィリアにとっては、恐怖以外の何ものでもなかったのに。

 

 

 

 こんな時、助けてくれる神様はいない。

 神様は、やっぱり信じられないよ、サチ。

 

 この世界に、都合の良い奇跡は無く。

 あるのは、ただ純粋なシステムという枠組みに収まった数値だけ。

 

 希望など、期待するだけ無駄で。

 夢や理想は朽ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……それに、触るな……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 まだ、俺には。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「その剣は……お前が触れられる程……!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 死ねない理由があるから────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『安くねぇんだよ!!』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 バチリと、何かが走った。

 電流にも似た刺激が、身体を襲う。

 

 

 頭陀袋の男は、その一瞬の事に目を丸くした。

 ふと、その腕を見ると。

 

 

 片腕が、《リメインズハート》と共に斬り飛ばされていた。

 

 

 「なっ……っ……!?」

 

 

 5人が囲う中心に、巨大な風が舞う。

 それが、周りのプレイヤー全てを吹き飛ばした。

 

 

 

 

 「ぐぁっ!」

 

 「な、何だ!?」

 

 「っ……!」

 

 

 

 距離を離し、彼らはその風の中心点に視線を固める。

 先程までそこには、死にかけの剣士が居た筈なのだ。

 

 

 だが、そこに居たのは、全く別のプレイヤーだった。

 その剣士を見た瞬間、彼らは皆、同じ表情を作った。

 

 

 

 「な、なんで……」

 

 

 

 頭陀袋の男は目を見開き、震えながらに指を指す。

 その風が止み、その中から顕になるその剣士は。

 

 

 長めの黒い髪に、中性的な顔立ち。

 

 

 先程とは違うデザインのロングコート。

 

 

 黒い瞳と青い瞳、その片目には、傷のように電子の道筋、回路のようなものが走っていた。

 身体からは電気を迸り、その片手には、結晶の輝きを持つ宝石のような剣を持っていた。

 

 

 その人物を、彼らは知っていた。

 先程までの余裕と打って変わって表情が驚愕を顕にしていた。

 震えるような声を抑えようとも、その発言が、動揺を見せ付けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「なんでここに居るんだよ、黒の剣士イイイィィィイイィイイ!!」

 

 

 彼らは各々武器を構える。

 その黒の剣士を囲い、武器を突き付ける。

 特に、髑髏の男と頭陀袋の男は、憎悪と焦りを綯交ぜにした視線を、彼に向けていた。

 

 

 だが彼は、至って冷静にその口を開いた。

 

 

 「随分なご挨拶だな、ジョニー・ブラック」

 

 

 「っ……!?」

 

 

 「一日たりとも忘れないくらい会いたかったんだろ?」

 

 

 そう呟く彼の声は、いつもより鋭くて。その瞳は、真っ直ぐ彼らを見据えていた。

 その剣を下に向け、戦闘の構えを取っている。転がった《リメインズハート》を見つめ、握る力を強くした。

 

 

 

 

 「もう少し喜んだらどうだ?」

 

 

 

 

 そう口元に弧を描く。

 だが、その瞳は決して笑っていなかった。

 

 

 親友を殺そうとした彼らを。

 

 

 黒の剣士キリトは、決して許しはしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── Link 60% ──

 







アキト 「チェンジ」

キリト 「了解」


ジョニー 「あ、そんなラフな感じなん?」



※本編とは無関係です。


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Ep.75 Re:黒の剣士






願う。

誓う。

今度は俺が────







 

 

 

 戦う理由がある。

 

 

 目の前で、大切な親友が殺されかけた。

 

 

 殺してやると、そう思った。

 

 

 今まで、俺がずっと傷付けてきた癖に、謝る事もせず、逃げ続けて来た俺に怒る事もせず。

 

 

 アスナ達を助けようと、誰よりも頑張ってくれた。

 

 

 どうして、と。そう思わずにはいられなかった。

 

 

 何かをする度に何かを失う彼に、痛々しさを感じていた。

 

 

 何も返せていなかった自分が、途轍も無く腹立たしかった。

 

 

 俺は、絶対に許さない。

 

 

 アキトを殺そうとした彼らを。

 

 

 助けたい。大切な友達なんだ。

 

 

 誰でも良い。何でも良い。

 

 

 アキトを助けてくれ。俺に助けさせてくれ。

 

 

 そんな、なんて事無い平凡な人間である俺の願いを聞いてくれるものなんて。

 

 

 たった一つだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 そこにいる誰もが困惑していた。

 殺人ギルド《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》の五人が囲っていた奴は、先程まで死の恐怖で顔を歪めていた筈なのに。

 

 その剣士は何処にもいない。

 いたのは、別のプレイヤー。

 そして、彼らがよく知る《黒の剣士》だった。

 

 

 「黒の、剣士……!」

 

 

 髑髏のマスクを付けた男が、歯軋りをしながら睨み付ける。

 それ以外の四人も、怯えたり、驚いたりと、様々な感情を抱きながら、囲っている一人の黒の剣士を睨み付ける。

 

 暗黒が立ち込めるその空間に、その黒いコートはよく映える。

 白銀の剣を手に持ったその少年は、バチバチと電撃を身体に纏わせ、同じように周りの連中を睨み付けている。

 その瞳は青と黒の二色。左目から頬にかけては、電子回路のような道筋が埋め込まれていた。

 

 

 彼らは、何故か麻痺毒が解かれているという事実に困惑する中、その黒の剣士が手にしている剣を見つめる。

 

 

 「……何だ、その剣は」

 

 

 髑髏のマスクの男が、苛立ちを込めて、静かにそう呟く。

 目の前の黒の剣士は、自身の身に纏う色とは正反対の輝きを放つ、結晶の剣を手にしていた。

 

 だからこそ不可解だ。

 

 あの場に奴の剣は、紅い剣(リメインズハート)黒い剣(エリュシデータ)のみだった筈なのだ。

 麻痺毒で身体を封じていたからこそ、ストレージから取り出す事も出来ない。そもそも、《クイックチェンジ》などお話にならないくらいの一瞬で、この剣は彼の手元に現れた。

 何もかもが未知、故に彼らは怯えた。

 

 

 「オイオイオイ!どうなってんだよ!なんでテメェがここにいやがるんだ!」

 

 「……」

 

 

 その剣士は、頭陀袋のマスクを被った男、ジョニー・ブラックの声に僅かに反応するも、何も言わずに静かに彼らを見据えるばかり。

 その近くにある、《リメインズハート》を見つめ、そして────

 

 

 「っ────!」

 

 

 地面を駆ける。

 暗がりの中走るキリトの姿に、誰もが反応に遅れる。

 《リメインズハート》の近くにいたジョニー・ブラックは、一瞬怯んだように思えたが、そのナイフを腰から引き抜き、臨戦態勢を取る。

 そして同時に、キリトの両サイドから、二人のプレイヤーが武器を持って迫る。

 それを見たキリトの瞳が、一瞬見開いた。

 ジョニー・ブラックは完全に隙を突いたと確信し、その顔を歪める。

 

 

 だが────

 

 

 「ぐぁっ!」

 

 「がぁっ!」

 

 

 キリトは右のプレイヤーの顔を剣の柄で殴り付け、左のプレイヤーを素の拳で殴り付ける。

 筋力値に極振りである彼のステータスの恩恵により、二人はあさっての方向へと吹き飛んだ。

 

 

 「なっ……チィ!」

 

 

 ナイフを一直線にキリトの頭目掛けて突き出した。

 だが、瞬時に反応したキリトは、手に持っていた結晶の剣で流し、懐に入り込む。

 ジョニー・ブラックが驚きの表情でそれを見下ろすも、もうキリトの攻撃を躱せる段階にはなかった。

 

 体術スキル《エンブレイザー》

 

 イエローエフェクトを拳に纏い、全力で目の前の男の鳩尾に突き刺した。

 その瞳は、怒りの感情を顕にしており、食らったジョニー・ブラックも、顔を歪ませながら跳ね飛ばされていく。

 

 

 「がっはぁ……!」

 

 

 壁に激突したジョニー・ブラックを目視する。

 が、その隙を突いたように、髑髏のマスクの男がエストックを抜き取り、キリトに向かって突き出す。

 キリトはその剣を煌めかせ、エストックの攻撃一つ一つをいなしていく。

 正確な太刀筋だが、全てキリトには見えていた。怒りを感じていても尚、冷静さだけは無くさない。

 

 

 「お前は、殺す……!」

 

 「やってみろよ……赤目のザザ!」

 

 

 その赤い瞳を見た瞬間、キリトのその瞳が本気を感じさせた。

 一瞬でザザとの距離を詰め、その剣を滑らせる。

 エストックを胸元に引き寄せ、防御姿勢を取るザザと鍔迫り合いに興じる。

 ジリジリと詰め寄り、その腕が震える。

 

 

 「っ……!?」

 

 「はあっ!」

 

 

 キリトは、ザザが見せた僅かな姿勢の崩れを見極め、一気に剣に力を入れる。

 そのまま全力で振り抜き、ザザを吹き飛ばす。

 その後ろには、最後の一人であるオレンジプレイヤーが構えており、ザザとぶつかって後方へと転がっていった。

 

 その異様な強さに、彼らは困惑を覚える。

 すぐに立ち上がろうと、その腕を地面に突き立てるジョニー・ブラック。

 だがすぐに、キリトがこちらを見ていない事に気が付いた。

 一瞬で五人を自身から退けたキリトは、そこに追い討ちをかける事はしなかったのだ。

 

 それどころか、五人のオレンジプレイヤーを差し置いて、キリトが向かった先は。

 

 

 地に転がった、《リメインズハート》だった。

 

 

 「……」

 

 

 それを片手で拾い上げ、悲しげに見つめる。

 リズベットが作ってくれた、最高傑作。アキトの為に、そして、自分の為を想って作ってくれた、背負う為の剣。

 口元を緩め、瞳を細め、その感触を懐かしむように振る舞う。

 一度たりとも、周りの五人を視界に入れていなかった。

 

 

 「っ……て、テメェ……」

 

 

 ジョニー・ブラックは歯軋りをしながら、その瞳は怒りを孕んでいた。

 倒れた相手に追い討ちをかける自分達と違って、キリトは攻撃をしなかった。

 俺はお前らなんかとは違う、と。そう言っているように思えて、屈辱を感じたのだろう。

 

 いや、それ以前に。

 キリトは彼らの事など、露ほども警戒していなかった。

 なんて事無い、彼はただ、《リメインズハート》を拾う為だけに走り出したのであって、ジョニー・ブラックを攻撃しようも動き出した訳ではなかった。

 ただ、迫り来る邪魔な障害を排他しただけだったのだ。

 それに気付いた彼らは、屈辱以上のものを感じた。相手にされていないという事実、武器の為に邪魔だったからと、そんな軽い態度を、許しはしなかった。

 

 

 今も尚背を向けるキリトに、ザザは怒りを抑えるように震え、ジョニー・ブラックは薄ら笑いを浮かべる。

 

 

 「良い気に、なるな」

 

 「……クッハ……随分と余裕じゃねぇか、黒の剣士ィ……ちょっと不意を突いたからって、この数を相手に出来るとでも……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────お前らさ」

 

 

 

 

 キリトは、そうして彼らに振り返った。

 その瞳はただただ冷めていて、静かに怒りを示し、それでいて軽蔑の視線だった。

 

 

 

 

 「暗殺者(アサシン)向いてないよ」

 

 

 

 

 彼は今、彼ら以上にその殺気を顕にしていた。

 その場にいる誰もが、キリトという少年に恐怖心を覚えた。

 その暗闇を払う剣(ダークリパルサー)と、想いを背負う剣(リメインズハート)を携え、キリトは彼らに向けて、その構えをとった。

 

 

 「っ……!」

 

 「チィ……!」

 

 

 来る────誰もがそう思った。

 静寂の中、緊張が走る。心臓の鼓動が、聞こえてくるようだった。

 バチバチと散りばめられた電撃を纏い、風が覆う。その黒の剣士を、ここにいる者全てが恐れた。

 あの殺人を繰り返し、この世界で恐れられてきたレッドギルド、《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》がだ。

 

 

 こちらは五人、あちらは一人。

 

 

 なのに。

 

 

 

 

 「……行くぞ」

 

 

 

 

 何を、恐れてる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 「しっ!」

 

 

 飛び出したザザのエストックを、《ダークリパルサー》で弾く。甲高い金属音が部屋に響き、各々の鼓膜に突き刺さる。

 変わる事無い速度で突きを繰り返すザザの死角から、《リメインズハート》を振るう。想いの乗ったその一撃は、先程よりも速い。

 それをギリギリで気付いたザザは、しゃがむ事で、間一髪躱す事に成功した。

 だが、次の瞬間、キリトが下に構えた二本の剣を、しゃがんだザザに目掛けて斬り上げる。

 

 

 「ぐぅっ……!」

 

 「らああぁぁああ!」

 

 

 STR極振り、その振り抜いた先まで、赤目のザザは吹き飛ばされる。入れ替わるように現れたジョニー・ブラックが、キリトのその喉元に向かってナイフを突き出した。

 キリトは斬り上げた剣を持つ肘で、ナイフを持つジョニー・ブラックの腕を叩き落とす。

 

 

 「なっ……!」

 

 

 バランスを崩して倒れそうになる背中に、キリトは片手剣ソードスキル《スラント》を繰り出した。

 

 

 「ぐあああぁぁあ!」

 

 

 転がっていくジョニー・ブラックを横目に、迫り来る残りの三人に警戒を始める。

 自分のギルドの幹部である二人がいとも容易く跳ね返された事実に、彼らはどうするのが正解なのか分からず、ただ剣を構えるのみ。

 だがやがて癇癪を起こし、各々が順番にキリトへと近付く。

 

 単調な動きに、その予測を合わせる。

 メイス、曲刀、片手剣、彼らが使うであろうソードスキルや戦術を読み取り、その剣を充てがうのみ。

 冷えた頭の中、煮え滾る怒りがキリトを動かす。その怒りが、この行動に移る速さへと変換されていく。

 

 片手剣範囲技《ホリゾンタル》

 

 白銀の剣に白銀の光を纏う。

 一瞬の隙を見て放つその一撃は全て、三人の持つ武器を一直線に抑える。

 各々の武器と共に、その身体がはね飛ばされていく。

 

 

 「っ!」

 

 

 瞬間、ザザは好機と見て飛び出した。

 そのエストックを滑らせ、身体を低くして駆け出し、キリトへと迫る。

 たとえ初級のソードスキルだとしても、この僅かなスキル硬直の隙を決して逃しはしないと、その血のように赤い瞳が、彼の首を捉える。

 

 だが、キリトは慌てる事無く、その瞳を見開いた。

 

 コネクト・《ソニック・リープ》

 

 

 「っ……!?」

 

 

 ザザが驚くのも束の間、そのエメラルドグリーンに輝いた《リメインズハート》は、ザザの身体を袈裟斬りする。

 ザザは苦しそうに呻きながら、咄嗟に後退した。マスクの下の表情は悔しそうで、悲痛に歪めていた。

 

 《剣技連携(スキルコネクト)》、アキトの持つシステム外スキル。体術と片手剣を織り交ぜて使用していたアキトだったが、今は剣が二本ある。

 ならば、片手剣技を交互に発動する事さえ、この身体なら造作もない。

 

 

 「クソがァ!」

 

 

 ジョニー・ブラックは乱れ狂うように立ち上がり、キリトへとナイフを当てようと腕を伸ばす。

 一撃でも当たれば、再び麻痺に掛かる。だからこそ、キリトは目の前の敵の情報を漏らす事無く吸収する。

 その動き、洗練された技術に衰えは感じず、その歩法の一つにすら無駄が無い。

 

 

 「っ……くっ……!」

 

 

 重なる剣戟の中、ジョニー・ブラックが死角から別のナイフを突き出した。

 咄嗟の事で、キリトは目を見開くが、紙一重でそれを躱した。

 あと一息で殺人に手が届いた事実に、ジョニー・ブラックは口元を緩める。

 

 

 「あるよー、ナイフまだあるよぉー!」

 

 「……」

 

 「……クフフッ、アッハハァ!」

 

 「────しっ!」

 

 

 ジョニー・ブラックは楽しくなってきたのか、段々とその顔が綻んでいく。

 ニタニタと笑みを作り、顔を歪めていく。

 未だ当たらぬナイフに苛立つ事無く、いつかキリトが倒れ伏す姿を想像しながら。

 

 

 だが、そんな時は絶対に来ない。

 

 

 ジョニー・ブラックがナイフを突き出す瞬間に、キリトはバックステップで奴との距離を離し、振り上げていた《リメインズハート》をナイフ目掛けて叩き付けた。

 

 

 「っ!?このっ……!」

 

 

 その衝撃で手が痺れたのか、ふるふるとその掌を震わせる。

 それも一瞬、ジョニー・ブラックは再びどこからかナイフを取り出す。

 気が付けば、後ろにはザザが立ちはだかっていた。

 

 

 キリトが剣を構え直した瞬間、再び闘争が始まる。

 エストックが懐に飛び込み、ナイフが喉元に迫る。メイスが頭目掛けて飛んで来て、曲刀は卑怯にも足を狙う。

 そんな繰り返しの中、キリトの集中力は研ぎ澄まされていく。

 全ての攻撃に的確に、冷静に対処していくその判断力と技能は、間違いなくかつての黒の剣士、キリトそのもの。

 誰もがそれを理解し、焦りと怯えを綯い交ぜに攻撃を繰り返す。

 

 五対一という圧倒的アドバンテージにも関わらず、自分が殺す、殺したいという欲望が勝り、連携は取れていない。

 誰かが作った隙に乗じて、自身のエモノをキリトに向ける。

 《黒の剣士》を殺した名声を我が手に、そうした思いがあるのかもしれない。だが、それも届かない。

 

 どれだけ時間を掛けようと、どれだけ卑怯な手をこの場で施そうと、キリトの反応速度は、今まで以上だった。

 殺そうと、迷うこと無く斬りかかる彼らに向けるその瞳は、ずっと変わらず冷徹で、侮蔑を込めていた。

 敵意と殺意を感じ取り、ただそれを叩き潰す。自慢の技を、得意な技を無意味化し、その自信を喪失させる。

 奴らは殺しを諦めない、キリトは決して折れたりしない。その繰り返しが時間を掛け、彼らの精神を摩耗させていた。

 

 

 「五人もいてこの程度か」

 

 

 彼らを跳躍で躱し、開けた場所へと着地する。

 揃ってフードを被るプレイヤー達に、その冷たい言葉が突き刺さる。

 

 

 「ラフコフってのは」

 

 「チィ……嘗めやがって……!」

 

 

 態勢を整えた彼らは、再びその武器を構える。

 ザザはエストックを、ジョニー・ブラックは両手に一本ずつ毒塗りのナイフを携える。

 ジリジリと、少しずつだが距離が縮まる。静寂が身を包み、聞こえるのは荒い呼吸音と、キリトの身体にまとわりつく電撃のみ。

 その頬に回路のようなものが走る、キリトの瞳はジョニー・ブラックと赤目のザザを見据えていた。

 

 殺意、怒り、そんな在り来りで強い意志が、相対するだけで肌に感じる。

 上手く攻撃が噛み合わない、当たらない、そんな苛立ちを自分にぶつける彼らに、キリトは小さく笑った。

 

 

 「もどかしいか?」

 

 「あ……?」

 

 「何……?」

 

 

 彼らはひとえに同じ答えを告げる。

 この世界はシステムによって制御され、それ以上の事は行えない。

 故に彼らが自分にかなわないのはレベル差による戦闘力。

 抗えないこの世界の理が、彼らの目的を阻害していた。

 

 

 「思い通りにならない、この世界が」

 

 

 「……」

 

 

 「……俺もだよ」

 

 

 共に地面を蹴る。

 僅かな跳躍で一人と二人の剣がぶつかった。

 ジョニー・ブラックのナイフとザザのエストックを一本ずつの鍔で競り合う。互いに憎悪を孕ませた瞳で睨み合う。

 空いた手で繰り出されるナイフを回避し、エストックを弾く。

 蹴りで相手の足場を崩し、その剣を振り下ろす。

 その剣戟の応酬が暗闇の中響き渡り、そして確実に互いをすり減らしていく。

 

 

 「うらぁっ!」

 

 「シッ────!」

 

 「っ、ぜあああぁぁああ!」

 

 

 これはゲームじゃない、デュエルじゃない。

 そんなものとは無縁で、そんなものとは根本が違う、単純な殺し合い。

 悪意と暴力の嵐。

 親友を、そしてその親友の友達を傷付けた彼らに向けるのは、明確な殺意。

 

 軋るように嗤う頭陀袋のマスク目掛けて、その剣を光らせる。

 その想いを形にする剣を、闇色に。

 その剣に映る自分の顔は、よく知る自身の顔そのものだった。

 そこに、アキトの面影は一つも無い。

 

 

 ずっと、アキトに謝りたかった。感謝だけじゃ足りない想いがあった。

 出会った当初から、キリトはずっと、アキトに憧れていた。

 誰かの為に自分を変えようと努力出来る、その真っ直ぐな彼に。

 

 自分も、ああなれたらって。

 

 

二刀流OSS十三連撃《レティセンス・リベリオン》

 

 

 これは、世界に反逆する、意志を表明したスキル。

 殺意や敵意、あらゆる理不尽を押し退けると決めた、アキトのスキル。

 ならば、それに応えるのが、友達として自分が出来る事。

 

 

 「はあああぁぁあああ!」

 

 

 一撃一撃を、交互にザザとジョニー・ブラックにぶつける。

 その速度、まさに神速。

 剣を構えても弾かれる、咄嗟の防御じゃ生温い、その反逆の狼煙は、彼らの身体に深く、刻まれた。

 

 

 「がああぁぁああぁああ!」

 

 「ぐおおっ……!」

 

 

 二人は最後の一撃による衝撃波で地面を転がる。その一撃は、この痛みの無い筈の世界で、とても痛かった。

 アキトとキリトの想いが、その剣に込められた気がした。

 先程まで余裕のあった筈の彼らのHPは一気にレッド、危険域へと突入しており、死へとの道が明確に見えてきていた。

 

 

 「ぐっ、畜生が……!」

 

 「っ……!」

 

 

 自分のしたい攻撃をさせてもらえない、殺させてもらえない、その歯痒さと悔しさが瞳に滲み、キリトを見上げる。

 キリトはそんな彼らを変わらず冷たい瞳で捉え、そして、《ダークリパルサー》を構えた。

 

 

 「……まだ吼えるか。なら、電子の塵まで消し飛ばしてやる」

 

 

 片手剣OSS単発重攻撃《ワールド・エンド》

 

 

 雪のように冷たい白銀の剣が、漆黒に染まる。

 その空間と同化したその剣は、恐怖や焦燥をも呑み込まんと、その輝きを肥大させていく。

 あれをくらえば、間違いなく死ぬ。そう感じた彼らは、僅かに震えた。

 

 

 「っ……くっ……!」

 

 

 恐怖しているのだろうか、足が竦んでいるのだろうか。

 だが、どうでも良い。

 

 散々人を殺して来て、自分だけは、なんて虫が良過ぎる。

 何より、親友を殺そうとした彼らをみすみす逃がすつもりもない。

 

 

 

 

 跡形も無く、消し飛ばしてやる────

 

 

 

 

 その剣を、一気に横に薙いだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『キリトやめろ!』

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 突然頭に声が響き、キリトのその腕が止まる。

 ソードスキルを発動していた筈のその剣は、中断した事により既に光を失っていた。

 キリトはそのまま身体が固まり、その声を反芻する。

 

 

 何度も聞いた、安心する、友達の声を。

 

 

 「……ア、キト……」

 

 

 目を見開き、目の前の奴らに突き出した剣を下ろし、その身体を起こす。

 二刀を下ろし、何もせずに目の前の殺人者達を見下ろすばかり。

 頭に響くアキトの声が、妙に堪えて、先程まで自分がしようとしていた事をする気には、もうなれなかった。

 

 

『……頼むから、やめてやってくれ……』

 

 

 「……くっ」

 

 

 

 弱々しく聞こえるアキトの声に、キリトは応えるしかなかった。

 何もせず、このまま見逃せば、また同じような事になるかもしれない。その時は、助けられないかもしれない。

 それなのにアキトは、彼らを逃がす選択をしたのだった。

 

 

 アキトが立ち尽くしていたその隙を見て、我に返った《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》のメンバー、残りの三人は、致命傷を負ったザザとジョニー・ブラックに近付き、その身体を抱えた。

 徐ろに立ち上がらせて、キリトが追わないのを確認すると、早歩きで離れていく。

 何か捨て台詞を言うでも無く、ザザは静かに、憎悪を滾らせた瞳でこちらを睨み付けた後、やがて転移結晶で消えていった。

 

 

 それを、ただ黙って眺める事しか出来なかったキリトは、悔しそうに、その剣を強く握り締めた。

 

 

 そして────

 

 

 その身体がポリゴンを纏い、ギチギチと音を立てて決壊していく。

 段々と身体から何かが抜け落ちていく感覚も束の間、気が付けば、そこには先程とは別のプレイヤーが現れていた。

 黒い装備だが、何処と無く違う。顔立ちも変化し、その瞳は何も捉えておらず、やがて脱力したように膝をついた。

 

 

 そこには、先程までの勇者はおらず、弱々しい黒猫が存在していた。

 

 

 アキトは、頭をズキズキと抑え、その呼吸は荒かった。

 地面に付いた手を見つめ、心臓の鼓動を感じ取る。

 

 

 「……どんなに……憎くても、俺には……殺せないよ……」

 

 

『……すまない』

 

 

 「……ううん。ありがとう、キリト……」

 

 

 そう呟いたアキトは、フラフラとしながらも、その場から立ち上がった。《リメインズハート》を拾い上げ、鞘へと収める。《ダークリパルサー》は、無くなっていた。

 その道の先には、帰るべき場所へと続く道が存在していた。

 視界に入るその出口は光り輝き、外の空気を感じさせる。

 ゆっくりと、その足を踏み締めながら、アキトは先程の事を思い出す。

 

 

 今回は、明確に意志があり、全て覚えてた。

 だからこそ、キリトのしようとしていた事を止める事が出来た。

 

 

 どれだけ他人を恨んでも、殺したいと思っても。

 それを願ったり、実行したりしてはいけないと思ったから。

 

 

 あんな人達でも、現実では帰りを待ってる人達がいる。

 誰かを失う事の辛さを、アキトは一番よく知っていたから。

 

 

 何度失っても慣れる事の無い、悲しみと恐怖の想いを。

 

 

 

 

 何故か涙が溢れたその頬は、外の風に当たって冷たく感じた。

 

 

 

 








小ネタ (本編とは無関係です)


キリト 「何が《嗤う棺桶》だ!棺桶に嗤わせるくらいなら俺が笑ってやる!アーハッハッハ!」

ジョニー 「なにおう!」

ザザ 「やんのか!」

アキト 「……真面目にやってよ三人とも……」


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Ep.76 この世の何処に




急いで書いたので拙いです。
ゴメンなさい。
この話を読まずに飛ばして次の話に移行しても、何の支障も無いくらいの蛇足なので、スーッと軽く読んでくださればと思います。



ではどうぞ。




 

 

 

 

 アキトの位置情報がロストして、もう三日以上が経過していた。

 空はそんな事など知る由もないと、快晴を示している。彼が居たなら、間違い無く昼寝を決め込む程に。

 爽やかな風が皮肉を告げる。この世界に来た時には誰もが絶望し、嫌悪した筈の世界の風は、苦しい程に心地良かった。

 

 76層《アークソフィア》では、今までと変わらず人が賑わっている。特別大きな変化は見られず、アキトが消えた事など、誰も知りはしないし、知り得ない。

 その西洋的なイメージを抱かせる街並み無機質ながらは、過ごす人達の活気によって、生き生きとして見えた。

 

 

 でも。そんな《アークソフィア》に生きるプレイヤーの全てが、活力に溢れている訳じゃなかった。

 今この世界には、確かに存在していた筈の存在がいない。

 《黒の剣士》に代わり、誰かの為にと命を削ってきた存在が、この世界から消え去っていた。

 その存在と強く関わりを持ち、絆を少なからず感じていた筈の人達は、必ずしも元気という訳では無い。

 

 彼らは知らない。

 皆が笑っているこの状況は、一人の黒の剣士によって実現されているという事実を。

 誰によって守られている笑顔なのか、誰一人知らない。

 彼は人知れずこうして、この街の人達を救って来てくれていたのだ。

 プレイヤーも、NPCも。

 

 そして今、彼がこの世界にいない事すら、彼らは知らないのかもしれない。

 気にもなってないのかもしれない。気にする事すら、忘れているのかもしれない。

 誰かが助けてくれる。攻略組がなんとかしてくれる。自分達には関係無い。そんな人達が集まり、自身では愉悦に浸り、この世界である程度の娯楽を興じている。

 もしそれが脅かされる事になるのなら、きっと責められるのは攻略組。

 なんともまた、皮肉にも上手く回る世界である。

 

 今まで、誰のおかげで75層まで来れたと思ってる。

 誰のおかげで、76層から今まで、駆け上がる事が出来たと思ってる。

 

 そう、だからこそ彼らは、ここで平然と暮らしている六千人以上のプレイヤーの幸せを、守った事になる。

 彼が色んな人の為に頑張ってきたのなら、それはきっと。

 彼自身も幸せにならなければならなかったのに。

 それこそ、六千人全てが束になってかかってきても比にならないくらい、幸せにならないと嘘だ。

 

 《二刀流》

 

 それは、この世界に抗う全ての人達の希望。

 《勇者》として、この世界で最後まで生き、世界を救い、終わらせなければならない。

 それがこの世界のルールで、呪いでもある。

 だからこそ、キリトという存在はこの世界を終わらせる為に、現実世界のプレイヤーの身体を案じたからこその、無謀な挑戦をしたのだ。

 それが、《二刀流》を手にする《勇者》の役割だったから。

 

 だが、結局それは届かない。

 この世界で誰よりも強かったその剣士は、その世界に消され、居なくなった。

 そして、その穴を補完する代替品のように、別の勇者が現れた。

 

 

 その人は一言で言うなら、とても脆く、不出来な勇者。

 元々、そんな使命が課せられる筈の無い一般のプレイヤーだったのだから、それは当然で。

 けれど、誰よりも優しく、気高く、そして強いと思った。

 

 

 そして、誰よりも弱いと思った。

 

 

 彼の過去を、そのカーソルの隣りに寄り添う黒猫の意味を、誰も知らない。

 けれど分かってしまうのだ。その心はとても儚く、触れてしまえば壊れてしまうのではないかと感じてしまう程に、ひび割れた硝子そのものだという事は。

 何かを求め、欲したものが彼にもあった筈で。手にしたものがあった筈で。

 そして、それを全て失ってきっと、今孤独で前線に立っている。

 

 誰よりも頑張って。誰よりも傷付いて。誰よりも痛みを感じやすくて。

 誰よりも、人の心に寄り添える人だった。

 

 この世界、《カーディナル》が彼に求めるのは、決して《幸福》なんかじゃない。

 このアインクラッドという浮遊城を終わらせる《使命》だ。

 それがプログラムとしての正常な動きで、効率的に機能しているという事実が、とても腹立たしかった。

 

 もし、《カーディナル》に意志があるのならば。

 お前がこうして世界を稼働し、管理している世界の中、彼らが笑っているのは、《黒の剣士》のおかげなんだぞ、と。

 この世界に、確かに存在した筈の《黒の剣士》。それは個人の名ではなくなっていた。

 

 アキトという、一人の少年によって。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつの日か、そんな彼に付いていって見付けた、綺麗で小さな丘。

 すぐ目の前には果てが無いのではと錯覚する程に広大な湖が広がる。照った日差しが水面に映り、反射する眩しさに目を細める。

 その丘に腰を下ろしていたアスナは、震える指を空中に彷徨わせた。

 

 

 「っ……」

 

 

 アスナはウィンドウを開き、そこに表示されたフレンド欄から、《Akito》の文字を見つけ、タップする。

 その位置情報は不明(ロスト)。いつもなら一日程で消えるその表示は、もう三日も継続されていた。

 

 

 「……アキト、君……」

 

 

 ふとその名を呼ぶも、それは空虚なもので。

 吐いた息と共に、霧散していってしまった。

 

 あの日、彼はこの世界から消えてしまった。

 《ホロウ・エリア》へと赴いたのならそれでいい。けれど、いつもは一日程で帰ってくるのだ。

 三日以上もこのままなのは、とても異様に感じた。もしかしたら、彼に何かあったのではないかと、彼を知る誰もがそう思った。

 けれど自分達には、彼と同じ場所へと向かう術が無い。

 

 それ以前に、私達にはその資格すら無いのかもしれない。

 あの時、《二刀流》を使用して、私達を助けてくれたアキトという少年に対して、こちらがした事はあまりにも身勝手なものだった。

 感謝より先に困惑。第一声に疑惑。アキトより、キリト。彼がキリトという存在と重ねて見えてしまった瞬間に、私達はアキトを視界から外してしまっていたのだと、あの時は理解出来ていなかった。

 もしかしたら彼は、こんな勝手な自分達に会いたくなくて、《ホロウ・エリア》へと居る時間を延ばしているのではないだろうか。

 それならそれで構わない。生きている事が最善なのだ。

 でも、もしそうじゃなかったら────

 

 

 アキトが居なくなったあの日、目を覚ましたユイは、彼の位置情報がロストした事実に再び泣き出してしまった。

 《二刀流》を使用し、原因不明の気絶、アスナ達とのすれ違い、それらがあった後の《ホロウ・エリア》なのだ。心配しない方がおかしい。

 二日経って、三日経って、誰もが慌て出したその時。もしかしたら、彼はもう死んでしまったのではないかと、密かに心のどこかで思っていたかもしれない。

 私達は彼を傷付け、そして見放した。アキトが投げやりになってしまった可能性だって捨て切れない。

 

 けれど、それでもユイだけは。

『アキトは絶対に生きている』と、そう言って譲らなかった。

 涙を流しながらに訴える彼女は、本当は無理をしていてるであろう事は、その場にいる誰もが理解していた。

 アキトがいない。生きているのか、本当は不安。それでも尚、彼の存命を信じていて。

 けれど、それを確かめる術を持たなくて。

 

 アスナは、自身の娘の泣き顔を思い出し、思わず歯噛みした。

 自分は一体何に対して怒って、泣いて、苦しんでいるのだろう。

 

 

 「……」

 

 

 ──── 彼と初めて会ったのは、76層のフィールドボス討伐作戦時の会議の時だった。

 

 最愛であったキリトの死、攻略組の中心となっていたヒースクリフの不在。それらが自分達を混乱させ、絶望させた。

 かく言うアスナも、どこか死に急いでいたのかもしれないと、冷静になった今なら分かる。

 何もかもがどうでも良くなり、生きる意味などもう無いのだと、普段なら決してとらない作戦内容を説明した。

 NPCにヘイトを取らせる、囮作戦。勿論反対の声はあった。クラインは、キリトなら絶対に賛成しないと、分かりきった事を言っていたのを思い出す。

 キリトはもういない。戦力は圧倒的に足りない。ならば、作戦を変えなければならないという思考は当然だった。

 誰もがそれは正しい事だと理解していたけれど、きっとその作戦は間違っていると思っただろう。

 だが、キリトを失ったアスナに、『お前は間違っている』と、そう言える人はいなかった。

 

 

 けれど。

 

 

 

 

『異議ありに決まってんだろ。この攻略組のリーダーは馬鹿なんじゃねえの?』

 

 

 

 

 そんな風に会議室の静寂を斬り裂いたのが、アキトという少年だった。

 誰もがアスナを心配していた中、たった一人。自分の意見を貫こうとするプレイヤーがいたのだ。

 出会った時はその装備の色や雰囲気に腹を立てたものだ。なにせ、自分の愛した人ととても酷似していたから。

 黒いコートに、濃い紫色の魔剣。長めの黒髪に、透き通る様な青い瞳。

 その容姿こそは似て居なかったけれど、一緒にいる内に、気付けば重ねて見えてしまっていた。

 そのちょっとした部分や、横柄な態度の中に見える優しさが、とても微笑ましくて。

 

 

 生きる意味が無いと思っていた自分に、彼は言ってくれた。

 生きる意味は、これから先で見付けられる筈だと。いつか、生きていて良かったと、そう思える日が来るかもしれないと。

 

 今は、本当にそう思う。

 生きていて良かったと、心からそう思える。

 

 このまま自棄になってしまえば、いつかは辿る筈だった死。

 それを救ってくれたのも、間違いに気付かせてくれたのも、いつだってアキトだった。

 死んでしまえば、リズベットが秘めていた想いにも、ユイの感じていた悲しみにも気付けなかった。

 大切だったキリトの事も、思い出せなくなるところだった。

 

 

 「……私は」

 

 

 気付いてしまった。

 いや、本当は知っていた。

 だからこそ、改めて理解した。

 

 

 自分は、いつだって。

 《黒の剣士》という名を持つ少年に助けてもらっていた事を。

 

 この世界が本物である事を教えてくれたキリト。

 この世界が残酷である事を教えてくれたアキト。

 

 彼らはどんな時も、自分を助けてくれた。寂しい時、怖い時に傍に居てくれた。

 泣いていれば、励ましてくれた。

 そんな彼らが居なくなった場所に、ただ一人座る自身は、とても弱く見えた。

 

 救われていたのはいつだってこちらで。

 傷付いていたのはいつだって、彼らで。

 

 

 「────っ」

 

 

 アスナは、考えが纏まるよりも先に、行動に移していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 マップは意味を成さない。フレンド欄から特定出来る位置情報など当てにしない。

 自分の手で、探さなきゃ、見付けなきゃ意味が無いのだ。

 何を手放してしまったのか、今一度自分に問い掛けねばならないのだ。

 石造りの西洋風な街並み、そこで歩む人々を掻き分けるように進むアスナは、必死に首を左右へ動かす。

 

 

(アキト君……アキト君、何処にいるの……!)

 

 

 人混みの中、紅白のユニフォームが乱雑に動く。

 周りが彼女に見惚れる中、アスナは気にせず走り回った。

 辺りを見渡し、必死に黒いコートのプレイヤーを探した。血眼になって、なんて表現が、もしかしたら正しいのかもしれない。

 

 みんな、アキトの事を待ってる。

 無意識に諦めているかもしれないけれど、本当は生きていて欲しいって、絶対に生きているって、そうも思っている筈なのだ。

 

 荒い呼吸を抑える事無く、休む事無く走り回る。

 マップにはロストの表示。ここには居ない、存在しない。そんな事は分かっている。

 けれど、それでも探すのをやめたりしない。

 

 きっと生きてる。絶対に生きているんだ。

 

 そう言い聞かせても、不安ばかりが頭を過ぎる。

 彼が行きそうな場所を、何度も何度も向かう。自身がしてしまった罪を、独りにしてしまった彼を、どちらも放っては置けなかったから。

 独りにしたのは、自分達。

 守ってくれた彼に対する仕打ちが、きっと彼を傷付けて。

 

 自分達は、アキトという少年を知らない。

 76層からの彼しか知らない。

 だから知りたい、君の事を。

 間違えたくない、あの時みたいに。

 

 そう思っても、現実は非常で。

 システムでこの世界が動く以上、マップに反応が無いのなら、それはここに居ないという事で、それは覆らない。

 けれど、そう思いたくない。彼は、絶対に生きてる。

 

 

 そう思いたいのに。

 

 

 「っ……」

 

 

 彼を探しているこの時間。

 走り回っているこの時間。

 ずっと頭は同じ事を考えていた。

 

 

 「あ、アスナ……!?」

 

 「お、おい!アスナさん!?」

 

 

 リズベットとクラインの声は、走り去るアスナには小さく聞こえる。

 その頭では、一つの事のみに思考を割いていて、それでいて考えが纏まらない。

 

 

 どうして、私はアキト君をここまで気にかけ出したのだろう。

 どうして、彼がする一つ一つの行為に、笑ったり、怒ったりしたのだろう。

 どうして、《二刀流》を隠していた彼に、こんなにも憤りを感じていたのだろう。

 彼が、キリト君に似てたから?

 けれど、それだけ?

 

 

 困惑と焦りが綯い交ぜになる。

 自身への憎悪と過ちの後悔が募る。

 

 

 会いたい、けど、伝わらなくて。

 

 

 ────ああ、そうか。

 

 

 私は。

 

 

 

(何処にいるの────?)

 

 

 

 

 やがてその場に立ち尽くし、膝に手を付き、呼吸を抑える。

 荒い呼吸で酸素を大量に吸い込み、その吐く息も身体も、小さく震えていた。

 

 

 探しても探しても見付からない。

 

 

 生きている筈なのに、何処にも。

 

 

 本当に、生きているの?

 

 

 この世の何処を探しても、何処にも居ない。

 

 

 そんな事、無いよね?

 

 

 

 

 「────アキト君!!」

 

 

 

 

 転移門へと続く階段を前に、その名を叫ぶ栗色の少女。

 周りが驚き、その視線が集まる中、アスナは一人その顔を転移門へと向ける。

 辺りのプレイヤーが、散り散りになっていく中心で、アスナは涙を流しながら、荒く呼吸をしていた。

 

 

 「……アスナ」

 

 

 アスナが気になって追い掛けて来たリズベットとクラインも、彼女に対して掛ける言葉が見付からないようだった。

 アキトの名前を大声で叫ぶ彼女の心が、痛い程に伝わって。

 

 

 アスナは、そんな彼らの視線を背中に感じながら、気付いてしまった事実に目を見開いた。

 荒い呼吸と涙で、その視界は曇って見えた。

 

 

 私は。

 怖かったのかもしれない。

 

 キリトと良く似た黒の剣士。

 《二刀流》を酷使した姿、その背中が想い人と重なって、漸く理解した。

 

 キリト君を好きになって。何より大切で。

 そんな彼と同じスキルを持った彼が。《勇者》の役割を担った彼が。

 いつか、キリトと同じ未来を辿ってしまうのではないかと思うと、怖かった。

 

 

 アキト君が私達を想ってくれているように。

 きっと、私も君の事を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……うるせぇな……なんだよ……」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 自身の瞳が、驚きで見開かれるのを感じた。とても優しくて、暖かくて、安心する大切な仲間の声。

 俯いた顔が、バッとその声の方へと向かう。

 その視線の先には、転移門へと続く階段。

 

 

 そして、その階段の先には。

 きっと、自分がずっと探していた筈の黒の剣士が立っていた。

 

 

 

 

 「……アキト、君……」

 

 

 アスナが震える声でそう呼ぶと、アキトは小さく笑った。

 

 

 「……また、泣いてんのかよ」

 

 

 そんなアキトの言葉も聞かず、アスナは走り出す。

 転移門へと向かうその階段を駆け上がる。

 

 

 アキトは、そんなアスナを視界に収めた後、その瞳を細め、やがて力無く地面へと倒れゆく。

 それを間一髪で、アスナが抱き留めた。

 アキトはそんなアスナに驚き、慌てて身体を起こそうとするが、アスナの身体が小さく震えている事に気付き、その動きを止めた。

 

 

 「……アキト君……!生きてる……生きてくれてる……!」

 

 「か、勝手に殺すなよ……ってか、悪い……今力入んなくて……」

 

 

 アスナは涙目で彼の身体を見つめる。

 所々切り傷や刺傷が見られ、アキトが心体共に疲弊しているのが分かる。

 何かがあちらであったのだろう。けれど、今は聞かないでおこう。

 アスナは謝罪するアキトに向かって、首を横に振る。

 

 

 「……ここに居るんだね、アキト君……」

 

 「っ……ああ……」

 

 

 アキトはアスナにそう言われ、言葉に詰まった。

 自分は、ここに居ると、そう言ってくれたから。

 

 

 「アキトぉ!」

 

 「アキト!」

 

 「っ……たく、相変わらず、うるせぇ奴らだな……」

 

 

 階段からこちらに向かってくるリズベットとクラインの姿を目に収め、アキトは完全に気を失った。

 ガックリと項垂れ、脱力したアキトを、アスナは精一杯支える。

 そして、クラインとリズベットが追い付き、アスナに代わって、クラインがアキトを支えた後、背中へと担いだ。

 

 

 「エギルの店に運びましょう!」

 

 「分かってる……っ……アキトの野郎……」

 

 

 その身体の切り傷を見て、その瞳が悲痛のものに変わる。

 自分達がアキトにしてしまった事を思い出し、悔しさに表情を歪めた。

 

 

 「っ……無理しやがって……」

 

 「ホントよ、もう……」

 

 

 そうして小さく笑う彼らに、アスナは涙ながらに笑った。

 クラインの背中で小さな呼吸を立てて眠るアキトという少年を見て。

 

 

 「……おかえり、アキト君」

 

 

 

 

 

 まだ彼らには、互いにすれ違っている部分がある。

 

 

 アキトが目を覚まし、そして、お互いが納得がいくように。

 

 

 今はただ、祈るしかない。

 

 








アキトが目を覚めたあとに起こるであろう、未来の話。



リズベット 「ん」

アキト 「ん?」

リズベット 「……ん!」

アキト 「う、うん……んん?」

リズベット 「ああああぁぁぁあもう!武器よ武器!早く出しなさい!メンテナンスするから!」

アキト 「あ、え、お、おう……じゃあ、頼む」

リズベット 「……ほら」

アキト 「……洞?」

リズベット 「……だから!剣よ剣!もう一本あるでしょ!《エリュシデータ》!」

アキト 「っ……あ、ああそうね、《エリュシデータ》ね……ま、まだ良いよ」

リズベット 「は?」

アキト 「《ホロウ・エリア》でも、そんなに使わなかったし……」

リズベット 「ボス戦の時使ったじゃない」

アキト 「……えと……その……」

リズベット 「……」

アキト 「……」

リズベット 「…………」

アキト 「…………」

リズベット 「……折ったわね」

アキト 「……はい」←本当は嘘つくの苦手の人



※この後、事情を説明した結果、分かってくれました。


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Ep.77 アキトという黒猫は





今こそ告げよう。

この身に宿る、君の名を。





 

 

 

 

 

 

 目元を赤くして眠るユイを自身のベッドへと寝かせ、アキトは小さく笑う。

 自分が居なかった三日間、彼女に酷く心配をかけたようで、とても申し訳ない気持ちだった。

 

 目が覚めて最初に見たのは、この部屋の天井。

 そして、傍で涙を溜めながらこちらを見つめるユイの姿だった。

 彼女はアキトが目を覚めた瞬間に、我慢していた色々な感情が決壊し、涙が溢れ落ちていた。

 それを見たアキトは、もらい泣きしてしまうかと思うくらい、ユイという存在に感謝していた。

 自分が失ったと思ったものを、手放してしまったものを、もう一度この目で見る事が出来たのだと思ったから。

 

 横たわっていたアキトは、彼女にゆっくりと手を伸ばし、その頬に触れる。

 その親指で彼女の涙を拭う。その手を、彼女は両手で握り締め、涙を流しながら訴えた。

 

 帰って来てくれると、信じてた。

 戻ってくると思ってた。

 帰ってきてと、願ってた。

 

 そう告げる彼女の声は、涙によって震え、上手く言葉に出来ていなかった気がする。

 小さく笑って、アキトはユイが泣き疲れて眠ってしまうまで、傍にいた。

 

 

 今、こうして瞳を閉じて、小さく寝息を立てているユイを、同じベッドに座って眺めていると、なんだか妹を持ったみたいだった。

 ユイに眠りながら握られた手を見下ろし、何だか少し気恥ずかしさを感じる。

 こんなに想ってくれてたのかと、改めて理解し、そしてそれが嬉しかった。

 

 

 「……ありがとう、ユイちゃん……」

 

 「……んん……」

 

 

 髪を梳くと、気持ち良さそうに口元を緩める。

 眠っている筈なのに、とても嬉しそうで。

 

 

 小さく扉が軋む音が聞こえる。

 顔を上げれば、そこにはアスナが立っていて、ユイへと視線を向けながらこちらへと歩み寄った。

 

 

 「……寝ちゃった?」

 

 「結構前に。かなり心配させたみたいで……なんか、悪い事したな」

 

 

 そう呟くアキトの声は、いつもより優しくて。

 その口調や態度も、すっかり変わって見えて。

 アキトはすっかり、そんな風に振る舞う事を忘れていた。いや、そんな事をするのを、やめたのかもしれない。

 アスナは嬉しく思ったのか、嬉しそうにその口を開く。

 

 

 「ユイちゃん、ずっと待ってたんだよ?アキト君の事」

 

 「知ってる。さっきめちゃくちゃ怒られたよ」

 

 「……ユイちゃんに?」

 

 「ユイちゃんに」

 

 

 アスナは意外に思ったのか、その瞳を丸くした。

 アキトは笑ってユイを見る。

 人間よりも人間らしい、優しい心を持った少女の寝顔は、誰よりも可愛らしく、暖かく見えた。

 

 

 「AIだなんて……プログラムだなんて、嘘みたいだ……そんな事、すっかり忘れてた」

 

 「……ユイちゃんは私達と何も変わらない……同じ人間だって、私は思ってる」

 

 「……俺もだよ。誰よりも純粋で、汚れを知らない。なのに、人間より人間らしくて、とても……綺麗だと思った」

 

 

 彼女の、その笑った顔が。

 自分は何度も彼女に救われてきたと思ってる。

 独りだった自分を、アスナ達と繋いでくれた存在なんだと、今では思ってる。

 プログラムだと、そんな言葉では片付けたくなかった。

 ずっと想ってくれて、ずっと待ってくれて、ずっと信じてくれて。

 感謝の意しか彼女に表せない。自分は彼女に、何もしてあげられなかったというのに。

 

 

 「……ソードアート・オンライン」

 

 「え……?」

 

 「……今は、来て良かったと、そう思うよ」

 

 

 ここに来なければ、見る事の無い悲劇があった。

 感じなくて良い想いがあった。失いたくないものが出来る事はなかった。

 けれど翻して言うなら、ここに来たから、自分は彼らに出会う事が出来て、笑う事が出来て、信じる事が出来て、目指すものが出来た。

 なりたい自分を、見付ける事が出来た。

 今の自分があるのは、全部、ここに来たから。

 今は、恨み以外の想いが、この胸の中にあった。

 

 そんなアキトの表情を見て、アスナも吊られて笑みが浮かぶ。

 

 

 「……そっか」

 

 「……アスナは?」

 

 「っ……私、は……」

 

 

 アキトにそう返され、一瞬言葉に詰まるアスナ。

 けれど、彼女は自信を持って、こう告げる。

 今は、そう思えてる。たとえ、想い人が死んでいても、出会った事を、否定したくないから、と。

 

 

 「私も……ここに来て良かったって、そう思うよ」

 

 「……良かった」

 

 

 本当に良かったと、アキトはそう思った。

 76層で出会った時と、明らかに顔付きが違う。その言葉に嘘は無いと、アキトには分かっていた。

 腹を括った、覚悟を決めた、そんな表情。アスナは、愛する者を失ってなお、大切な人達を失わない為に、愛した人を思い出せるように、生きる道を選択した。

 その選択に後悔が無いのかとは聞かない。今の言葉が全てだと、アキトは信じたかった。

 

 アキトは、ユイと握ったその手を、優しく離す。

 ベッドから立ち上がり、アスナと視線を同じにする。

 

 

 「……みんなは?」

 

 「……下にいるよ。みんな心配してる」

 

 「……そっか。ありがとう、声掛けに来てくれて」

 

 

 アキトはアスナの横を通り過ぎ、扉へと向かう。

 下へと向かえばみんながいる。受け入れられ、疑われ、そして自らが拒絶した人達が。

 けれど、丁度いい。

 話さないといけない事がある。話したいと思える事が出来た。

 相談したい事がある。

 みんなに力を貸してほしいと、そう頼みたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その扉に手を掛けた瞬間、アスナは思わず声を掛けた。

 みんなの所へと向かわせる前に、言いたい事があったから。

 

 

 「っ……アキト君っ……!」

 

 「っ……何?」

 

 

 アキトはいきなり強めの声で名前を呼ばれた事に驚き、困惑したような表情で振り返る。

 アスナは、そんな彼の顔を見て、引き留めたは良いが、何を言おうとしたのか、具体的な言葉を忘れてしまった。

 

 アキトはそんなアスナの反応が可笑しかったのか、クスリと小さく笑う。

 そんな彼の見た事の無い表情に、アスナの心臓が高鳴った。

 

 いつもの高圧的な態度は、そこには無い。

 今の彼は、自身の素直な感情をさらけ出し、本当の意味でのアキト。

 強がったり偽ったり、そんな事を考えていない。

 そんな彼に、そんな優しい彼に、ずっと謝りたいと思ってた。

 

 自分のした事を。

 きっと、たくさん頑張った彼を、たくさん傷付けた。

 だからこそ、伝えたくて。

 

 

 「私……君に言いたい事が……っ」

 

 

 けれど、その想いは伝わらない。

 アキトはその掌を広げ、アスナの前に突き出した。

 アスナはそれを見て、思わずその口が止まる。アキトのその行動は、まるでアスナの言動を静止したように見える。

 

 

 「ストップ。……それ以上は、もう良いよ」

 

 「っ……よ、良くないっ……私が君に言いたいの!」

 

 

 それでもアスナは食い下がらない。

 アキトに謝りたい事があって、言いたい事がある。

 けれどアキトは、そんなアスナを見て、寂しそうに笑って告げた。

 

 

 「……本当はさ、何処かで気付いてたんだ」

 

 「ぇ……?」

 

 「俺がこの我儘を通そうとする限り、いつかは、ね、そう見られる日が来るんじゃないかって」

 

 「っ……」

 

 

 それは、アキトがキリトと重ねられ、比べられてしまう事を指していた。

 彼が貫こうとしているのが何なのか、アスナには分からない。だから、そんな事無いとは言えなかった。

 実際、アスナも彼を通してキリトを見てしまっていて、アキトの事など、気にかけなかった。

 皮肉を告げられた気がして、胸が苦しくなる。

 

 でもね、とアキトは笑みを崩さずに口を開く。

 

 

 「……なのに、俺は君達に何一つ話した事が無い。だから、それは当然だったんだよね」

 

 「そんな事無いっ……話したくない事なんて、誰にだってあるよ……!」

 

 

 知らなくていい。

 これ以上、君を傷付けてしまうくらいならいっそ。

 けれど、アキトの覚悟はとうに決まっていて。アスナが何を言っても、きっと振り返ってはくれない。

 

 

 「うん……だからさ、その言葉の続きは、全部話せる日が来たら改めて聞く事にする」

 

 「……」

 

 「……約束するよ」

 

 

 アキトは小指を突き立て、アスナへと差し出した。

 それは、指切り。約束を必ず守ると、お互いに『誓い』を立てる行為。

 アスナは戸惑うように、その小指とアキトを交互に見る。

 アキトは、変わらず優しく、この口元を緩めていた。

 

 

 「……分かった。約束する」

 

 

 アスナはゆっくりとアキトの小指に、自身の小指を絡める。

 アキトはそれを見て何が嬉しいのか、変わらず笑みを浮かばせていた。

 何を言っても、心は決まっているのだろう。これから、何を話そうと、何を告げようと。

 なんとなく納得がいかないアスナは、小さく俯く。

 

 

 「……嘘ついたら、針千本だから」

 

 「……あの、一応聞いておくんだけどさ……針千本、どうする気?刺すの?飲ませるの?」

 

 「500本ずつ刺して飲ませるから」

 

 「……もうちょっと現実的な罰にして欲しいな……」

 

 「何よそれ、破る気なの?」

 

 「え、いや、そんな事は無いけど……」

 

 「本当にさせるから。だから……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「もう……一人で何処にも行かないで……」

 

 

 「っ……」

 

 

 本音だった。思わず溢れてしまった。

 消えないで、居なくならないで。手の届くところにいて。

 助けさせて。

 

 この手から落とさぬ様にと努めた筈だったのに、救えなかった存在がいて。

 その存在と重なる、優しい少年。その末路が、あんな悲劇だなんて、もうゴメンだった。

 

 

 けれどアキトは、そんな自分を見つめるだけで、何も返してはくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 チカチカと光るシャンデリアにも似た光が天井から降り注ぐ。

 いつもは盛況なエギルの店も活気は無く、ただそこには、見知った顔のみが揃えられていた。

 静寂がとても不快に感じる。誰かが何かを話してくれるのを待っている。そんな様子の者達ばかりで。

 

 シリカも、リズベットも、クラインも、エギルも。

 

 シノンも。

 

 そして、リーファも。

 

 エギルが気を利かしたのか知れないが、店の扉は閉じられ、貸切とも言える状態だった。

 この状態で店など経営出来ないといった心持ちなのかもしれない。

 その他のメンバーも、これが今、どういう時間なのかを無意識に理解している部分はあるだろう。

 けれど、各々がアキトに対する後ろめたさがあり、上手く発言出来ずにいたのかもしれない。

 

 

 「っ……」

 

 

 ふと、誰かがその音に気付き、階段の方を見上げる。

 それに吊られて、みんなが挙ってその方向に視線を向ける。

 

 二階へと向かっている階段の暗い影から、その音の主は現れた。

 黒いロングコート、鞘に収められた紅い剣、長めの黒髪に、透き通る様な青い瞳。

 似ている、けれど、そんな彼の正確な呼び名を、自分達は知っている。

 

 

 「……アキト」

 

 「……ああ」

 

 

 リズベットの呼び掛けに、アキトは一言だけ返す。

 けれど周りは、その発言だけで彼がいつもと何処か様子が違う事に気が付いた。

 いつもの冷徹な瞳ではなく、温厚さが垣間見得るその表情に、彼らは思わずまじまじと見てしまう。

 

 階段を下りてくるアキトに次いで、アスナがユイと手を繋いで下りてくる。

 ユイは寝起きなのか、眠たそうに目を細めていたが、やがて真面目な表情を作り、アキトの後を追う。

 アキトがみんなの前で立ち止まると、一度彼らを見渡した。誰もが皆、似たような表情をこちらに向けている。

 けれど、この前見た時とは少し違って見えた。

 あの時は、疑惑や困惑の視線。今は、心配と焦燥といったところだろう。

 申し訳なさをかんじる反面、どこか嬉しく思った。

 

 彼らは、アキトの思う通り、アキト自身の事をかなり心配していた。

 今こうして視線を彼に向けているのも、身体はもう大丈夫なのかと、彼を案じての事だった。

 けれどそれ以上に、自分達がアキトを傷付けたであろうと悟っていた為に、何も言えずにいた。

 瞳が揺れ、口が開くも、みんなそこまでで動きを止めてしまう。

 なんて言われるのだろうと、そんな恐怖にも似た感情が押し寄せていた。

 

 

 

 

 けれどアキトは、彼らを見渡した後。

 ゆっくりと、その頭を下げた。

 

 

『っ……!?』

 

 

 誰もが彼のその行いに目を疑った。

 驚きで開いた口が塞がらない。今目の前で起こっているそれは、きっと見る事は無かったであろう、アキトの精一杯な謝罪だった。

 

 

 「……三日間も心配させて……ゴメン」

 

 「ア、キト……」

 

 「お前ぇ……」

 

 

 そして、彼から告げられる言葉にも、驚きを隠せないでいた。

 何故、彼は自分達に謝っているのだろうと、そんな想いが頭を過ぎる。

 その瞳が揺れ、気が付けば、リズベットとシリカは慌ててその口を開いていた。

 

 

 「な、何でアンタが謝んのよ……」

 

 「そ、そうですよ……!」

 

 

 謝らなければならないのは、こちらの方────

 

 誰もが、アキトが傷付いたのではないかと、本当は分かっていた。

 あんな光景を見せられたら、期待してしまうのは当然だった。けれど、それは自分達の勝手な願望で、アキトには全く関係の無かった事なのだ。

 いつだって助けてくれたのは、他でも無いアキトだったのに、自分達はそんな彼に感謝の言葉すら掛けていない。

 それどころか、『お前は本当にアキトなのか』と、ずっと戦ってきた仲間に突き付けたのだ。

 そんな彼に、こちらから謝るのは当然で、自分達が謝られるような事など────

 

 

 「……怖かったんだ。目が覚めたら、みんなの視線がいつもと違って見えたのが。まるでそこには、もう俺の居場所が無いみたいに思えて」

 

 

 アキトのその態度と、正直な発言に各々が目を丸くする。

 そして同時に困惑した。どうして、そんな事を言うのかと。

 彼が放つ言葉、その原因の何もかもが、こちらの責任ではないか。

 

 そう言いたいのに、言葉が出ない。

 何を言っても、後ろめたさが滲み出て。

 けれど、そうして固まる彼らの中、エギルが小さく笑った。

 

 

 「……まさか、お前さんからそんな言葉を聞くとはな」

 

 「ぇ……」

 

 

 アキトが、下げた頭をゆっくりと上げる。

 彼の隣りにいたアスナが、嬉しそうに、優しく小さな笑みを浮かべていた。

 

 

 「居場所だって……そう思ってくれてたんだ……」

 

 「っ……」

 

 

 彼女の言葉で、アキト含めた一同が目を見開く。

 そう、彼は今、自分達の事を、『居場所』だと、そう言った。

 そう言ってくれたのだ。

 キリトに重ねてみてしまっていた自分達に。

 

 

 「ああ……大切な人達だと思ってるっ……」

 

 

 アキトは揺れる瞳でそう搾り出す。

 彼からは永遠に聞く事が無いと思っていたその言葉が、リズベット達の心に深く突き刺さる。

 そして、そう思ってくれていた彼に対して、自分達がしてしまった事を改めて理解した。

 

 

 「……ゴメン、アキト」

 

 「え……な、何でリズベットが謝るんだよ」

 

 「アキトさん……あたしも、すみませんでした」

 

 「きゅるぅ……」

 

 「シリカまで……」

 

 

 リズベットとシリカの突然の謝罪に、アキトは困惑を覚える。

 彼女達が頭を下げるのを見て、やめてくれ、と口に出す。

 

 

 「……俺が悪かったんだ。君らに、何も話さなかったから」

 

 

 関係無いだろ、知らない、興味ない、別に。

 そんな言葉で誤魔化して、偽って、嘘をついて。

 そうして欺瞞が重なり満ちた偽善の紛い物。それがアキトという存在。

 こうして、今まで強がって、横柄な口を開いて、そんな自分だって作り物。

 本当の自分は、とても弱くて。

 そんな自分を知られたくなくて。

 

 

 彼らはいつだって歩み寄り、知りに行こうとしてくれていた。

 それを拒否し続けた自分は、きっと怒る資格も無かったのだろうと、今になって思う。

 

 

 「……なら、話してくれるのかしら」

 

 

 今まで口を開かなかったシノンが、鋭い目付きでアキトを見据える。

 誰もがその視線に恐怖に似た感情を覚え、息を呑む。

 当然だ、彼女だけは、アキトのあの時の様子に何一つ心当たりがなく、加えてSAOも途中参加。

 アキトの過去など知る由も無ければ、86層のボス戦で《二刀流》を行使したアキトに対してあのような反応を示したアスナ達にも問い質したい事が山ほどあった。

 除け者にされているようで、気に入らなかった。

 

 それは、アキトにもすぐに分かった。

 

 

 「……ああ、話すよ」

 

 「っ……アキト君、無理しなくても」

 

 「いや……良いんだ、アスナ。出来るだけの事はしたいんだ」

 

 

 アスナにアキトはそう言って、システムウィンドウを開く。

 可視状態に設定した後、それを彼らに開示する。

 

 

 それは《二刀流》というスキルの、具体的な詳細と熟練度。

 ほぼコンプリートされていたそれは、まさに最強と呼べる力とも見れた。

 誰もが目を見開き、それをまじまじと見ていた。

 

 

 「……やっぱり、二刀流……キリトと、同じ……」

 

 「アキト、お前ぇこれ……」

 

 

 そう、間違いなく、キリトと同じ《二刀流》という名前のスキル。

 魔王を討ち滅ぼす『勇者』としての役割を果たすべく、相応しい担い手に宿る切り札。

 リズベットがそれを眺める隣りで、クラインがアキトへと視線を移す。アキトはウィンドウに記載された《二刀流》という文字を眺め、小さく笑った。

 

 

 「……初めてこれを手にしたのは、11月7日」

 

 「……って、事は」

 

 

 エギルがその日付けで何かを思い出したのか驚きを顕にする。

 アキトは彼にその視線を合わせ、小さく頷いた。

 

 

 「……そう。キリトが、この世界から消えた日」

 

 「ま、マジかよ……」

 

 

 クラインは困惑しつつも、アキトへの視線を逸らさない。

 どういう理屈なのかと、その視線が訴えていた。

 アキトはチラリとユイを見ると、ユイは何かを察したように頷いた。

 

 

 「本来、ユニークスキルと呼ばれるスキルは、90層を突破した時点で、それぞれ条件を満たしたプレイヤーに与えられるように設定されています。ですが、アキトさんの持つ《二刀流》は、その他のユニークスキルとは異なる仕様なんです」

 

 「……そういや、ヒースクリフの野郎も言ってたな。確か、《二刀流》はこの世界で随一の反応速度を持つ者に与えられる、だったか?」

 

 

 75層でヒースクリフが言っていた事を断片的に覚えていたクラインの言葉に、当時その場にいたアスナとエギルが思い出したようで、首を縦に振ることで同意する。

 その言葉に対してユイも頷き、言葉を続ける。

 

 

 「恐らく、ユニークスキルの持ち主が死亡したり、スキルの取得を拒否すると、その次に条件に見合うプレイヤーをカーディナルシステムが選定し、譲渡するのだと思います」

 

 

 ユイの言葉を鵜呑みにすると、つまりカーディナルというシステムは、魔王を倒す『勇者』の役目を、否が応でも誰かに託したいという事。

 そして、キリトに次いでの反応速度を持つプレイヤーが、アキトであったという事。

 何という因果なのだろうと、アキトはずっと思っていた。

 

 

 「けど……それだけじゃ……説明がつかない事だってある……」

 

 

 ふと、リズベットがポツリと告げる。

 そう、確かに説明出来ない事が多かった。

 86層のあのボス戦で彼が行使した《二刀流》。だが、それを操っていたアキトは、本当にアキトだったのだろうか。

 戦い方、雰囲気、言動、《武器破壊(アームブラスト)》と呼ばれるシステム外スキル。

 それは誰もが理解しており、彼女の言葉によって、その光景は脳裏に浮かび上がっていた。

 

 

 そして────

 

 

 リズベットがチラリと、視線を向ける。

 そこには、これまでまだ一度も言葉を発していない金髪の妖精、リーファが座っていた。

 この場にいる全員が、彼女へとその瞳を向ける。

 そう、アキトとリーファの関係。リーファはあの時、アキトの事を『兄』だと呼び、アキトは、リーファの事を、リズベット達には知らない名前で呼んでいた。

 

 

 みんなが注目する中で、リーファは。

 俯きながら、その口を開いた。

 

 

 「11月7日は……あたしが、ログインした日」

 

 

 誰もが、驚きで声も出ない瞬間だった。

 そしてアキトは、それが意味する事を知っていた。

 

 

 そう、病院にいる彼女の母親から、電話が来た日。

 焦りの声、涙で震えた声が、全てを物語っていて。

 聞きたくなくて、受け入れたくなくて、この世界へと逃げ出した日。

 

 

 「ど、どういう事だよ……だってリーファっち、この世界に来た理由は分からないって……」

 

 「彼女がこの世界に来たのは偶然じゃない。死んだ兄の敵討ちだ。友人からナーヴギアを借りて、自発的にログインしたらしい」

 

 「な、なんだって……!?」

 

 「そ、そんな……」

 

 

 シリカもその事実に驚きを隠せない。

 リーファは堪えるように、その膝に乗せていた拳を強く握る。

 この場にいる彼らは、そんなリーファの行動が、とても恐ろしいものに思えた。

 きっと、現実にいるよりも死を身近に感じやすいであろうこの世界に、どんな理由であろうと自分から乗り込むだなんて。

 

 

 そして、その驚きはまだ終わらない。

 

 

 「そして彼女がログインした日は、その兄が死んだとされてる日。そして……」

 

 「キリトが……消えた日……」

 

 

 エギルの声が震える。

 もう、その答えは分かりきっていた。

 アキトに向けられた視線は再び、リーファへと移る。恐る恐るといったように、誰もが、彼女への視線を逸らす事が出来ないでいた。

 リーファも、その事実に驚いたのか、その瞳が大きく見開かれ、そして揺れる。

 

 

 

 

 自身の兄と、キリトの死のタイミングが、同じ────?

 

 

 

 

 「そ、そういえばキリトさん……妹がいるって……」

 

 

 シリカは小さく、わなわなと身体を震わせて告げる。

 誰も知らなかった事実に、彼らは耳を疑う。欠けていたピースが、次々と嵌め込まれていく感覚。

 

 

 そして、最後のピースを持っていたのは、アキトだった。

 

 

 

 

 「……桐々谷和人」

 

 「っ……!?」

 

 「……この名前、覚えはある?」

 

 

 突然出てきた名前に、アスナ達は困惑する。何故このタイミングで、聞いた事も無い名前が繰り出されるのか、彼らには分からない。

 けれど、この場にいるたった一人だけは、その名前を知っていた。

 そして、何もかもを理解してしまった。

 

 

 「私の……お兄ちゃんの、名前です……」

 

 

 リーファは、声を震わせて告げた。

 頬へと伝う涙が、あまりにも儚く見えて仕方なかった。

 各々がどういう事が分からず、アキトへと視線を返す。

 

 

 

 

 「……アキト君、その名前って……」

 

 

 

 

 「……キリトの、現実世界での名前だよ」

 

 

 

 

『っ……!?』

 

 

 

 

 何度驚けば良いのだろう。

 唖然とし、最早声も出ない。

 何もかもが運命的で、悲劇的で。

 そしてあまりにも良く、そして悪く、出来すぎていた。

 

 

 「キリト、君の……妹……!?」

 

 

 アスナの言葉に、誰もが硬直する。

 未だに俯き涙する彼女、目の前の、金色の髪を持つ少女が。

 最愛だった人の────

 

 

 「……アキト、アンタやっぱり……」

 

 

 リズベットが納得したようにアキトを見る。

 そんな彼女の視線が訴える事の意味を、アキトは理解した。

 

 

 キリトの本名まで知っている目の前のプレイヤーは、やはり。

 

 

 「……ああ。俺はキリトの事を知ってる。一年以上前から」

 

 

 シリカよりも先に。リズベットよりも先に。

 クラインやエギルよりも深く、絆を結んだ筈の存在だ。

 やっぱりか、と、そんな思いが無かったわけじゃない。だが改めて聞くと、その驚きはかなりのもので。

 

 

 「……どういう関係なの……?」

 

 「……友達だよ。暫く一緒に行動してた」

 

 

 リズベットに問われた一瞬、躊躇うような表情を浮かばせたが、すぐにその問いを返した。

 

 

 「短い期間だったけど、現実世界で会おうって約束して、その時に本当の名前を教えてくれたんだ」

 

 

 彼の言っている事は、俄には信じ難かった。キリトの口から、そのような事を聞いた事は殆ど無かったからだ。

 けれど、初めからリズベット達は、アキトがキリトと何らかの繋がりがあったのではと察していた為に、何処かで納得もしていた。

 何も知らない、シノンを除いては。

 

 

 「……その時に、リーファの本名も聞いたって事?」

 

 「ぇ……いや、聞いてないけど……どうして?」

 

 

 シノンの言葉を聞くも、一瞬何を言っているのか分からなかった。

 彼女は眉を顰め、分かりやすく説明し始める。

 

 

 「覚えてないって言ってるけど、アンタあの時、リーファの事を別の名前で呼んでたのよ」

 

 

 86層のボス戦時、命の危険に晒されていたリーファに対し、アキトは彼女の名前を読んだのだ。

『スグ』、と。

 それについては誰もが知っており、確かにそうだと思い出す。

 

 

 「っ……そっか」

 

 

 アキトは一瞬その表情が固まったが、すぐにそれは柔らかいものへと変わっていった。

 

 

 「……でも、本当は気付いてるんだろ?」

 

 

 アキトはそう言って小さく笑う。

 その言葉、その表情の意味が分からずに固まるアスナ達。

 

 

 だが、すぐにその瞳は見開かれた。

 誰もが理解した。

 

 縋っていたものが、期待していた事が。

 少なからず叶っていたという事実を。

 

 つまり、彼が知りもしないリーファの本名を呼んだ事、その時、アキトの雰囲気や戦闘スタイルが変わっていた事、《二刀流》を行使した事の全ては、繋がっていたという事。

 

 

 「……もしかして、本当に……?」

 

 「嘘……」

 

 「マジ、かよ……」

 

 

 「……本当だよ」

 

 

 声震わす彼らに笑いかけ、アキトはその手を心臓部分に当てる。

 その場所に宿る命、鼓動を確かに感じ取り、優しく握り締めた。

 そこに居るであろう、親友を思いながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「キリトは生きてる。俺の中で」

 

 








キリト 「文字通り生きてるんだよなぁ……」

アキト 「そうだね、てっきり『キリトはこの胸の中で生き続けているんだ!』……みたいな精神論なのかとばかり」

キリト 「……お前の事じゃないか」

アキト 「確かに」

アスナ 「このタイミングで話す事じゃないよね……」




※本編とは無関係です。



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Ep.78 行動の理由



……何か、変な感じになってしまった。
不評だったらきっと書き直す、メンタル豆腐の夕凪楓です。
納得してねぇなら上げんじゃねぇ、感じですよねすみません……(震え声)

今後も頑張りますカタ:(ˊ◦ω◦ˋ):カタ


 

 

 

 声が聞こえたような気がしたのは、ずっとずっと前だった。

 多分、その頃から、本当は気付いていたのかもしれない。

 

 自分の中にいる、侵食していく何かの正体を。

 そして、それを拒もうとしていなかった、その理由も。

 

 憤りや焦り、喜びと悲しみ、それら全てを、分かち合っていた気がする。

 苦しい時、辛い時、傍で共に戦ってくれていたような気がする。

 

 そんな彼を無意識に感じたからこそ、決心が付いたのかもしれない。

 

 

 俺は、《黒の剣士》になる、と────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 周囲の時間が停止した。

 

 彼が何を言っているのか理解できない。全員がそう混乱してしまうほどに、アキトの一言は────

 

 

 「お兄ちゃんが……生きてる……?」

 

 

 一瞬抱いた希望も束の間、その受け入れ難い事実に、リーファは思わず口を開いた。

 彼女を含む全員が、アキトの言葉をすぐには鵜呑みに出来ないでいる。

 

 

 「嘘だよ……だって、お兄ちゃんは……」

 

 

 リーファはそう言いつつも、捨てられないものがあった。

 確かに、死を確認した訳じゃない。けれど、病院からの母親の声音は明らかにそれを思わせた。

 何より、自分の兄が彼らの知っている『キリト』の同一人物ならば、生存は有り得ないだろう。

 彼らの中の何人かは、キリトの死に目に会っている。

 

 

 けれど、みんな何処か、納得してしまっていた。

 キリトと同じ戦闘スタイル、リーファの本名を知っていた事など、思えば、そう感じる部分が幾つもあったのだと今にして思い出した。

 

 

 「……二刀流を手にしてからずっと、声が聞こえるんだ」

 

 「声……?」

 

 「うん。時には笑い合って、時には恨んで……それでも大切だった、安心する、友達の声が」

 

 

 シノンの疑問に、微笑で答えるアキト。

 瞳を抑え、これまでの事を思い出す。

 思えば、その声に何度も助けられて来たかもしれない。戦闘時や、仲間が危険な時など、アキトが焦っている時は、いつだってその声が傍にいた。

 

 

 「俺が助けて欲しい時、必ず応えてくれる。まるで、ヒーローみたいに……」

 

 「じゃあ、あの時のボス戦は……」

 

 「……多分、キリトが戦ってくれてたんだと思う」

 

 「っ……キリト君が……」

 

 

 アスナは言葉を失った。

 アキトの顔を見て、あの時の光景が蘇る。

 リーファを救おうと立ち上がり、斬り伏せ、剣を掲げた、一人の剣士の後ろ姿を。

 

 

 理屈は分からない。でも、誰もが信じられた。

 それだけの事が、あの時に起こったのだから。

 ずっと一緒に戦ってきたから、或いはずっと好きだったから、或いは戦友だったから。

 或いは、兄妹だったから。

 そんな様々な理由だが、彼の言う事にとても納得出来てしまっていた。

 

 

 「けど、そんな事って……」

 

 

 信じられるけれど、それでもその理由が分からない。

 どういう理屈やシステムで、その関係が維持されているのか。

 そもそも、それは本当にキリトなのだろうか。

 散々期待したからこそ、絶望などしたくなかった。

 

 

 彼らは挙ってユイを見る。

 だが彼女も、困惑したように首を横に振る。

 つまり、完全に未知の領域。分からない事ばかりという事だった。

 

 

 「恐らく、75層のフロアボス討伐時に起こったシステムエラーが原因だと思います。アキトさんが《二刀流》を手にした過程で、何かが起こったのかもしれません。ですが、その具体的な内容が……」

 

 「……そっか」

 

 

 ポツリと、そう返して静寂が戻る。

 ユイも困惑しているようで、その言葉に覇気が無い。

 前例が無い為、この事実がシステムエラーによるものだという事は恐らく事実であろう。

 今明かされた全ての事実が衝撃的で、きっと誰もが言葉も出なかった。

 

 

 「……ゴメン、隠してて」

 

 

 そんな中、アキトは再び謝罪を口にした。

 彼らは一同にその視線を声の主へと向ける。

 

 

 「言わなきゃいけないとは思ってた。けど、変に期待させるのは、あまりにも酷だとも思ったんだ。希望を持たせるような事は、したくなかった」

 

 

 そうして俯くアキト。

 だがふと、周りの戸惑った顔を見て、やがて観念したように笑う。

 

 

 「……いや、違うか」

 

 「え……?」

 

 「これは……俺の我儘だ。きっと、俺に向けられた視線が変わってしまうのが怖かったんだ」

 

 「アキトさん……」

 

 

 みんなは、キリトを大切に思っていた。

 自分じゃなく、その奥にいるキリトを、彼の生存を求める。

 その願い自体は叶っていたのかもしれない。

 けれどそれと同時に、アキトの願いは叶わないものへと変わっていったのだと、自分自身でそう思っていた。

 

 

 そう告げた部屋の空気は、途端に重くなった気がした。

 けれど突然、リズベットが立ち上がり、ツカツカとこちらへ歩み寄って来た。

 アキトは思わず身体を震わせるが、そのまま彼女に向き直る。

 リズベットは、そんな彼を見て、大きく息を吐いた。

 

 

 「はぁ〜……アンタって本当に馬鹿なんだから」

 

 「ぇ……」

 

 「確かに私はキリトの事を大切に思ってる。けどだからって、じゃあアンタは大切じゃない、ってなる訳ないでしょ?」

 

 「そうですよ!アキトさんも、大切な仲間です!」

 

 

 彼女達はだからこそ、仲間であるアキト対してのあの時の態度は、失礼だったと今では思っていた。

 重ねられ、疑われ、そうして傷付いた彼の心。

 彼は強いけれど、強がってる部分もあって。

 偽っているけれど、本当は心がとても弱くて。

 折れそうになる心を何度も何度も立ち上げて、ここまで来てくれた。

 キリトとアキトは全くの別人で、比べてはならないのだから。

 どちらも大切な人で、なくてはならない存在で。

 

 

 「だからあの時の事……謝らないといけないのはあたし達だったんだ……アキト、本当にゴメン!」

 

 「あたしも、すみませんでした!」

 

 「二人とも……」

 

 

 アキトはそんな彼女の真摯な態度に、思わず言葉に詰まる。

 謝る必要なんて無い、今は言わなくていいと、そう思っていたのに、こうして頭を下げられると、何故だかとても────

 

 

 「勘違いも良いところよ」

 

 「っ……シノン」

 

 

 そうして、シノンへと視線を向ける。

 彼女は組んでいた腕を下ろし、ポツリと、小さく口を開く。

 

 

 「私は……キリトって人の事、知らないもの。だから少なくとも……キリトじゃなくアンタとは、ちゃんと仲間だったつもり」

 

 「そう、だよな……」

 

 

 シノンはキリトの事を知らない。

 だから、これまでの自分とシノンの関係は純粋なもので、あの時だって、決してアスナ達と同じような目で見てた訳じゃ無かったのに。

 どうして気が付かなかったのだろう。

 ちゃんと自分にも、見てくれてた人がいた事に。

 

 

 「……ありがとう、シノン」

 

 「……ん」

 

 

 シノンは満足したように、ニッと笑みを作る。

 小さな笑みだったが、とても嬉しそうで、とても綺麗だった。

 

 アキトはそうして、リーファへと視線を向ける。

 リーファも、吊られてアキトを見上げた。

 

 今までの話を聞いて、そして自分が体験した事を思い出し、自分が感じた事を、こうして思い返す。

 そして、理解する。

 目の前にいるアキトという少年、その中に自分の兄がいる。

 そしてここにいる彼らは皆、自身の兄の仲間達。

 リーファは観念したように、小さく笑った。

 

 

 「……そっか。あたしのお兄ちゃんを知っている人達は、こんなに近くにいたんだ……」

 

 「……リーファ、俺は────」

 

 「…今度」

 

 「っ……?」

 

 

 アキトの言葉を遮って、リーファはどうにか声を搾り出す。

 まだ納得してない部分も多い。信じられないと感じている事もある。

 それ以上に、自分がこの目で見て感じた事を、何より、目の前のアキトという少年を。

 自分の兄と友達だったと告げる彼を、信じたかった。

 

 

 「今度……ちゃんと聞かせてもらうからっ……」

 

 「……リーファ」

 

 「お兄ちゃんがこの世界を、どう生きたのか……知りたいから……」

 

 「……分かった」

 

 

 今は、胸がいっぱいで、ちゃんと聞ける自信が無かった。

 自分の兄が本当に生きているのかなんて、まだ信じ切れないけれど、冷たく当たってしまったアキトに報いる為にも、信じてみたいと思ったから。

 アキトは、そんなリーファに小さく微笑む。

 

 そんなアキトの肩に、クラインが後ろから腕を回す。

 驚くアキトの隣りで、嬉しそうに笑っていた。

 

 

 「よっしゃあ!リーファっち、俺も協力するぜ!キリトとはこの中で一番付き合いが長ぇんだ!」

 

 「んだよクライン、俺とアスナとそんなに変わらねぇじゃねぇか」

 

 「俺はゲーム開始から知ってんだっつの!」

 

 

 エギルの茶化しに食ってかかるクライン。

 そうした仲で、段々と笑みが溢れ始める。各々が少しずつだが、いつかの元気を取り戻してきたようだった。

 

 

 アスナとユイと視線が合う。二人はニコリと、ただ嬉しそうで。

 アキトは、そんな光景を見て、瞳が揺れた。

 

 

 なんだ、簡単な事だったんじゃないか。

 話さなきゃ分からない事はたくさんあったというのに、逃げ続けるばかりだった自分は、欲しいものに辿り着ける訳が無かったのだと理解した。

 今、目の前に広がるものは、自身が勇気を出した結果。

 リーファも、決して納得はしていないかもしれない。だからこそ、ちゃんと前向きに話さなきゃならない時が来る。

 けれど、こうして今笑っている瞬間だけは。

 

 

 きっと、かけがえないものになる。

 彼らはただ、こうして初めて纏まった事実に、嬉しく思うだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……という訳だ。だから、三日もあっちに居たのは、別に不貞腐れてた訳じゃない。分かったかシノン」

 

 「はいはい」

 

 

 シノンは深く息を吐いてそう答えた。

 話し終えた周りの空気は、決して良いものでは無かった。

 

 何せ、アキトが三日以上も《ホロウ・エリア》にいた理由が、フィリアと《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》の仕業なのだと説明したのだから。

 奴らの事を良く知っている者からすれば、とても恐ろしい話だった。

 高難易度エリアへと落とし、MPKを行う。

 失敗した矢先、疲労したアキトへ集団PK。

 そしてそれを行ったのも、レッドギルドとして名高い《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》、その幹部。

 彼らからすれば、驚愕と困惑の連続だった。

 

 依然討伐隊を組んだ筈、幹部は拘束し、黒鉄宮へと送られた筈なのだ。なのに、どうして《ホロウ・エリア》で彼らが行動しているのだろうか。

 もし、これもシステムエラーによる影響なのだとしたら、そろそろバグじゃ済まない案件になってきている。

 

 最初の頃の静寂が再来したようで、誰もが口を噤んでいたが、やがてリーファとリズベットが呆れたように呟いた。

 

 

 「アキト君ってさ……ホント色々巻き込まれてるよね」

 

 「……そういう巻き込まれ体質まで、どっかの誰かさんそっくりなんだけど」

 

 「……俺に言われても」

 

 「まんまと騙されて、罠に嵌ってさ。……それで抜けて来れちゃうのもアレだけど」

 

 

 リズベットはまたもや呆れたように笑う。

 そんな中、エギルとクライン、シリカは少しばかり戸惑いを見せていた。

 そして気になったのか、エギルがカウンターに座るアキトに視線を下ろした。

 

 

 「……なぁアキト。俺はフィリアって娘を見た事は無いから、何とも言えないんだが……お前さんから見て、彼女はお前さんを騙すような奴に見えたのか?」

 

 「騙された俺が言っても説得力皆無じゃ……クラインは?」

 

 「いや……アキトよぉ、俺は正直、未だに信じられねぇんだが……」

 

 

 腕を組んで唸るクライン。

 そしてもう一人、考えるように眉を顰めていたシリカは、ポツリと小さく呟いた。

 

 

 「その……フィリアさんは本当にアキトさんを騙したんでしょうか?フィリアさん自身も、騙されていたとか……」

 

 「それは無いんじゃない?『ゴメンね』って言葉が聞こえたんでしょ?」

 

 「……うん」

 

 

 リズベットがバッサリと切り捨て、正論を突きつける。

 確かにアキトは、罠に嵌る瞬間、フィリアの涙ながらの謝罪を聞いた。

 懇願するように、何度も。

 けれど、アキトはどうしても、フィリアがそんな人だとは思えなかった。それは、一緒に過ごして来た時間が物語っている。

 

 

 「……理由があるのかもしれないだろ」

 

 「どんな理由よ!死ぬかもしれないダンジョンに人を落としておいて!これって立派なPKだよね!?理由も何もあるもんですか」

 

 「……落としたのはPoHだ」

 

 「似たようなもんでしょ!」

 

 

 折れないアキトに食ってかかるリズベットを、シリカやアスナが宥める。

 アキトの優しさは、時にこんな風にいざこざを生む。自分がフィリアにそんな目に合わせられたというのに平然としているアキトに、少なからず苛立ちを覚えるのは当然だった。

 

 

 「……私もリズに賛成。アキトは暫く、《ホロウ・エリア》に行かない方が良いわ」

 

 「シノン……」

 

 「良くは知らないけど、オレンジギルドの連中もいるんでしょ?こちらも大人数で行けるなら兎も角、行けるのはアンタ含めて二人だけなんだから」

 

 「……そうですよね」

 

 「あたしも、あんまり行って欲しくないかな」

 

 

 シノンの言葉に納得したのか、シリカもリーファもそう呟き始める。

 アキトはそんな周りの同調に、拳を握る。

 

 彼らはフィリアの事を知らない。

 だからこそ、顔も知らない誰かを信用出来ないのは当然だった。

 けれど、アキトが大切に思っている仲間に対して、そんな風に言われると、なんとなく辛かった。

 

 それに、彼女達の言っている事も正しいのだ。

 こちらは《ホロウ・エリア》に、どういう理由か二人だけしかいけない。

 だから、助けに行こうと赴いても、危険の方が多い。

 そもそも、彼女が本当にアキトを裏切った可能性だってある。

 

 

 なら、自分はどうしたら良いのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……やっぱり此処に居た」

 

 「……アスナ」

 

 

 いつもの丘。アキトのお気に入りであるその場所は、アキトの心を慰めるように優しい風が吹いていた。

 後ろからアスナが近付いているのを感じながら、アキトは悲しげに湖を眺めていた。

 何処までも広がる水面に静かさを感じて、とても哀愁を感じる。

 

 

 「……」

 

 

 フィリアは、自分を罠に嵌めた。

 これは、紛れも無い事実。けれど、何か理由があるのかもしれないと、そう思っていた。

 助けるのが当然だと、勝手に決めつけていた。

 けれど、リズベット達は必ずしもそうでは無かった。自分の身を案じてくれているのは分かっていても、フィリアを放っておけと、そう言われているみたいで。

 

 でももし、自分の助けを彼女が望んでいなかったとしたら。

 PoHと行動する事で、彼女が満足しているとしたら。

 そう思うと足が竦む。動こうとしていたのに、選択した筈なのに、それを選ぶ段階まで戻ってきてしまう。

 

 自分は、罠に嵌めた彼女をどう思っているのだろう。

 怒り?憎しみ?少なからずあるのかもしれない。

 でも、ただ悲しかった。

 フィリアと過ごして来た日々を、否定された気がして。それでも彼女を、自分は助けに行くべきなのだろうか。

 

 

 「……落ち込んでるの?」

 

 「ぇ……」

 

 「フィリアさんの事」

 

 「っ……何で……」

 

 

 今まさに考えていた事を言葉にされ、その目を見開く。

 その反応は、アスナに答えを言っているようなもので。

 

 

 「分かるよ。ずっと一緒に戦ってきたのに、突然罠に嵌められて……理由があるのかもって思ってるのに、リズ達の言葉も正しくて……私でも、どうしたら良いのか迷っちゃうもの」

 

 「……解説、どうもありがとう」

 

 

 アキトはウンザリとした表情で溜め息を吐くと、風が吹いて揺れる水面を見つめる。

 その瞳には、初めてフィリアと出会った頃を映し出していた。スカルリーパーという75層のフロアボスを一緒になって倒して。

 オレンジカーソルに気付いた後も、こうして共に行動して。

 

 

 「……何故森で彼女を見付けた時、放っておけなかったのかな……そうすれば、こんな思いしなくて済んだのに……」

 

 「……他の人ならそうしてたかもね。どうしてそうしなかったの?」

 

 

 アスナはアキトの隣りまで歩み寄り、アキトの横顔を見つめる。

 確かに、オレンジカーソルというだけで、差別の対象となってしまうのは、この世界なら仕方ない事だ。死を身近に感じる世界だからこそ、そういった部分はかなり敏感だ。

 アキト以外のプレイヤーなら、放っておくか、少なくとも警戒はするだろう。

 けれどアキトは────

 

 

 「……」

 

 「……どうしてなの?」

 

 

 アスナのその質問に、答えられないでいた。

 どうして、だなんて分からない。ただただ嫌だったのだ。

 けれど、この良く分からないモヤモヤとした気持ちが心に宿り、アスナへの質問を適当に返す。

 

 

 「……分からない。出来なかった」

 

 「答えになってない」

 

 

 そのアスナの執拗い様に、アキトはほんの少しだけ苛立った。

 アスナは変わらず、アキトを見据えている。そんな彼女に、アキトは言葉に詰まる。

 

 

 「っ……うるさいな、何でそんな事気にし出したんだよ」

 

 「聞きたいの、君の口から」

 

 

 アキトは、そんなアスナに不機嫌な表情を隠す事無く、彼女を睨み付ける。そうして、投げやりに答えた。

 

 

 「分かったよもうっ、俺は独りだと心細い臆病者で、根性無しなんだ、だから放って置きたくなかった……!」

 

 「『放っておきたくない』って言った?」

 

 「な、何だって良いだろっ、放っておきたくない、おけないんだ!オレンジに同情するなんて、攻略組史上俺が初めてだろうけど」

 

 

 そういって、アキトは、嫌気がさしたかのように、アスナから目を逸らす。

 俯き、近くの草花に視線を落とす。

 そうだ、攻略組一丸となって、ラフコフを討伐した彼らにとっては、アキトの行動はあまりにも理解出来ない事だろう。

 攻略を順調に進める為の討伐だった筈だ。だからこそ、それを邪魔するオレンジプレイヤーは、唾棄すべき悪だった筈。

 なのにアキトは、フィリアをそんな目で見る事が出来なかった。

 だからこそ今、フィリアに裏切られた事でその考えが間違っていたと、そう突き付けられたみたいで嫌だった。

 ウンザリしたように、小さく息を吐く。

 

 

 

 

 けれどアスナは、クスリと笑って、アキトのその背に声を掛けた。

 

 

 

 

 「……ずっと一緒に戦ってきたのも、攻略組史上初めてかもね」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 アキトは、その言葉で目を見開く。

 アスナの放った一言が、心に響いた。そうして、彼女と過ごした日々を思い出し、瞳が揺れた。

 フィリアの楽しそうな、笑った顔。守りたいと思った、誰かの笑顔を。

 オレンジカーソルだけじゃ、人となりは分からない。だからアキトは、疑う事をしなかった。

 

 

 「……それで?」

 

 

 アスナは、アキトの言葉の続きを聞こうと促す。アキトは、困惑したように、ゆっくりと彼女へと振り返る。

 

 

 そうだ、きっと、まだ理由があった筈なんだ。

 そんな事、とっくの前から知っていた。

 

 

 「……放っておけなかったのは……彼女も、居場所を探しているように見えたから……まるで自分を、見ているような気がして……」

 

 

 《ホロウ・エリア》に一人飛ばされて、1ヶ月もの間、必死に生きてきた彼女。

 何処か心が安らぐ場所が欲しかったのだろう。アキトと出会って、管理区という《圏内》に入れるようになって。

 フィリアは心の余裕が出来ていた。

 そして、そうして安らぐ場所を求めてから、手に入れるまでの彼女の態度や言葉、その中で見える表情が、とても自分に良く似ていたのだ。

 

 

 彼女は、ずっと独りだった過去の自分自身。頼るべき仲間が居らず、PoHに縋るしかなかったのかもしれない。

 一人の辛さを、独りの寂しさを、誰よりもアキトが知っている。

 だから────

 

 

 アキトは、悔しそうに拳を握り締めた。

 そんな彼に、アスナは小さく笑みを浮かべる。

 

 

 「……きっと今も一人で、怖がってる。……どうする気?」

 

 

 アスナは腰を少し屈め、上目遣いで問い掛ける。

 挑戦的な笑みは、アキトが何て言うのか理解していると、そう訴えていて。

 

 

 「……聞くなよ、分かってる癖に」

 

 

 アキトはそう言ってそっぽを向いた。

 アスナは、そんな彼の態度に、ムスッと顔を顰めた。

 

 

 「分かってるけど……言葉にして欲しい時だってあるのよ?」

 

 「……はぁ」

 

 

 アスナのその言葉はとても心当たりのあるもので。

 今まで散々口にしなかったアキトは、改めて自分の未熟さを理解した。

 

 

 「……アスナ」

 

 「……はい」

 

 

 アキトは、アスナに向けてその手を差し出す。

 それはきっと、彼女に対する精一杯の誠意。

 

 

 たとえ、騙されていたとしても、この手を伸ばす。

 そうでなかった時、一生後悔すると思うから。だから、伸ばせる手は伸ばし切りたい、そう思うから。

 

 

 「……フィリアを助けたい。力、貸してくれる?」

 

 「勿論。君の信じる事を、私は信じるよ」

 

 

 

 

 アスナは満面の笑みで、アキトに差し出されたその手を取った。

 

 

 

 

 太陽が、沈み始めていた。

 

 








アキト (なんかアスナ、握る力強くない……?試してんの?なら……!)グッ

アスナ (アキト君、握力強い……流石筋力値極振り……!)ググッ

アキト・アスナ (こ、この……!)グググ……

キリト 「喧嘩するなよ……」


※本編とは無関係です。


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Ep.79 テストエリア




「……ユイ」


アキトは、真剣な眼差しでユイを見つめる。


「ど、どうかしましたか……?」


ユイは、いつもと少しだけ違うアキトの様子に、顔を染め上げつつも、戸惑いを隠せないでいた。

怯えている?それとも、ドキドキしている?

けれど、アキトの心はもう決まっているようで。
ユイへと、その腕を伸ばした。
彼女へと伸ばしたその手は頬に触れ、優しく彼女を包み込む。


「ひゃぁっ……あ、アキトさん……!?」


心臓が高鳴り、顔はもうリンゴのように真っ赤で。
アキトのしている事が、ただただ理解出来なくて、それでも、それを拒めなくて。
自身の髪に触れるアキトの手が、とても心地好くて、そのまま自身を引き寄せるアキトの腕から離れられない。


「だ、ダメですっ、アキト、さん……んっ……!」


髪から頬へ、頬から顎へ、アキトの指が動く。
ユイには刺激があまりにも強過ぎて、最早ショート同然だった。


「ユイちゃん、嫌なら振りほどいて良いから」

「な、にゃにを……!」


瞬間、ユイの顎に添えられた指がクイッと上がる。
驚いて、その瞳を見開くと、そこにはアキトの顔が。
この態勢、この構えがどういうものかは分からない。けれど、本当は何をされるのか、無意識に理解していた。


「だ、ダメです……ダメ……!」


必死になってそう告げるユイは、唇をわなわなと震わせていた。
怖いのか、先程まで見開いていた瞳はバッチリと瞑っている。
ダメだと、そう言っているのに、身体はまるで、アキトへの行為を受け入れる準備が出来ていて。


「ダメ……アキト、さっ……」


視界が閉じられていも分かる。
互いの顔は、互いの吐息が届く程に近いという事実を。


もはや、止められない。


「あ……」


アキトはゆっくりとユイの唇へと視線を移し、そして。


自身のその唇を────


























────はい、それでは本編始めます。


※本編とは全くの無関係です。


 

 

 

 

 「わ、私ですか?」

 

 「うん。お願いできるかな」

 

 

 場所はエギルの店。

 アスナに自身の気持ちを打ち明けたその日の内に、アキトはユイの元へと駆け出していた。

 《ホロウ・エリア》へとフィリアを助けに行くという決心はもう付いている。

 リズベット達に何かを言われる前に、ユイの力を借りに来たのだ。

 もうすぐ夕飯の時間でもある。みんなが集まる前に、ユイに頼みたい事があったのだった。

 

 

 ユイ当人は、アキトに頼られた事自体はとても嬉しいものだったが、すぐさまその表情を曇らせた。

 

 

 「でも私は、モンスターと戦ったりは……」

 

 「そ、そんな危ない事させないよ。ただ、ユイちゃんだったら《ホロウ・エリア》の事、分かるんじゃないかと思って」

 

 

 忘れそうになるが、ユイはこの世界の住人であり、AIという、NPCの中でも自我を持つ珍しい存在だ。

 MHCPという立場にあった事もあり、ユイはSAO、ひいてはその根幹である《カーディナル》と呼ばれるシステムに詳しいのだ。

 

 《ホロウ・エリア》のデータやシステムについて、分かる事があるかもしれない。

 

 ユイは少し考えた後、納得したように頷いた。

 

 

 「……そうですね。干渉する事は難しくても、見たものを判別するくらいなら出来ます」

 

 「けど、どうしてユイちゃんを?」

 

 

 ユイとアキトの隣りに立って、アスナがアキトへと問い掛ける。

 アキトは煩わしく感じる事も無く、丁寧に説明を始めた。

 

 

 「《ホロウ・エリア》は、アインクラッドとは色々と違う。アスナも行った事あるし、それは分かるでしょ?」

 

 「……うん、確かにおかしいなって思う事は幾つかあったと思う」

 

 「その何もかもがもしかしたら、フィリアの事に繋がってるかもって思って……」

 

 

 見た事の無い武器やスキル。

 どこかおかしいプレイヤー。

 黒鉄宮にいる筈だったオレンジプレイヤー。

 フィリアの過去。

 

 

 《ホロウ・エリア》は明らかに、異質な場所だった。

 一プレイヤーであるアキト達では、この手の案件には正直お手上げで、詳しいものが必要だった。

 

 

 「だから……出来れば助けて欲しいんだ」

 

 「勿論です、アキトさんっ!」

 

 

 満面の笑みを浮かべる救世主ユイ様に、拝みたくなるのを抑えつつ、アキトはアスナへと視線を映す。

 管理区は《圏内》ではあるが、やはり不安なのか、その表情は曇っている。

 

 

 「……悪いアスナ、本当は嫌な筈なのに」

 

 「……でも、君がいるなら安心だよね」

 

 「っ……随分と評価が変わったみたいでビックリだよ」

 

 

 アスナのその言動がむず痒く、思わず目を逸らす。

 出会った当初はボロクソに言われた気がするが、今ではこんな笑みを浮かべるようになった。

 自分がここに来た意味が見い出せた気がして、なんだか嬉しかった。

 

 

 「ユイちゃんは必ず俺が守る。管理区からは出ないし、何か分かったらすぐ戻って来る」

 

 「……分かった」

 

 「夕飯には帰すから。そこからは少し一人で動いてみる」

 

 「……気を付けてね」

 

 「分かってる」

 

 

 アスナの真剣な眼差しに、誠意を持って答える。

 もしかしたらフィリアは今、苦しんでいるかもしれない。なら、時間は無駄に出来ないのだ。

 

 

 アキトはクルリと踵を返すと、ユイへと視線を下ろした。

 

 

 「じゃあユイちゃん、行こ……ユイちゃん?」

 

 「っ……え、は、はいっ!大丈夫です、行きましょう!」

 

 「う、うん……?」

 

 

 ユイの顔が真っ赤に染め上がっている事実に、アキトは眉を顰める。

 急にどうしたのかと、戸惑いを隠せない。

 アキトは恐る恐る、ユイへと問いかけた。

 

 

 「ど、どうしたの?まさか、具合でも悪い……?」

 

 「い、いえその……」

 

 

 ユイはその手をモジモジとさせながら、チラリとアキトを見る。

 すると、ポツリと小さく口を開いた。

 

 

 「……私は皆さんと一緒には戦えないので、命の危険が無い《圏内》で皆さんの帰りを待つ事しか出来ません。ですので、私は守られる必要は無いんです……」

 

 「え……」

 

 「なので、アキトさんが私を『守る』って言ってくれて……その、と、とっても嬉しかったんですっ……えへへっ……」

 

 

 最後まで言い切る前に、ユイは顔を両手で抑えた。

 その場にいる全てのプレイヤーが、ユイのその行動と言動を一部始終見て、そして固まった。

 

 この天使なんなの(震え声)

 

 誰もががそう思った事だろう。

 目の前の少女は純粋無垢、天使以外の何者でも無い。汚れちまった我々の前に現れた、汚れを知らないメシアである(白目)。

 

 

 「……アキト君」

 

 「俺が言わせた訳じゃなければ狙った訳でもないんだけど」

 

 

 アスナの震え声に答えるアキトの言動は、早口かつ棒読みもいい所だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 いつ見ても世界観が違うな、と溜め息が出てしまう。

 統一された静寂の中、デジタル信号の波が周りを覆う。

 空中へと浮かぶウィンドウの数々に、さらにその上、天井には星々が煌めいている。

 

 ずっと気になっていた。

 この世界に自分が来てしまった訳。それが、もしかしたら今明かされるかもしれない。

 中央にあるコンソールまで足を運ぶと、アキトはユイへと振り返る。

 

 

 「このコンソールで、ある程度色々見られると思う」

 

 「……!アキトさん……ここは……!」

 

 

 コンソールに触れてほんの数秒にも関わらず、ユイは驚きの表情だった。

 もう何か分かったのかと、アキトはその視線が固まった。

 

 

 「今までのアキトさんのお話には、システム的に幾つか説明出来ない事があったのですが……ここは、開発テスト用の秘匿エリアです!」

 

 「テスト用……?」

 

 

 その突然の単語に思わず首を傾げるアキト。

 だがすぐに、思い当たる節に気付き、その瞳を見開いた。

 

 

 「……そういえばこのエリア、アナウンスが響くんだ。確か、『テスト』だとかって言ってた……!」

 

 

 ユイはその一言に頷くと、説明しようと口を開く。

 

 

 「簡単に説明すると、開発中に新しい要素を実装する為に様々な実験をする場所……です。SAOに登場するアイテムや武器、スキルなどは、実装前に必ずテストされています。どんな小さなものでも、使われ方によっては大きな不具合を起こす事がありますから」

 

 

 つまりこの《ホロウ・エリア》では、実装前の武器やスキルがゲームバランスを崩す事が無いかをテストし、チェックしているという事だ。

 だからこうして、エリアを限定してテストしているのだろう。見た事の無い敵や武器が多くこの場所で見付けられるのは、そういった理由があったからなのか。

 アキトが依然から感じていた《運営側》の人間が使用するような場所、という考えはあながち間違っていなかったという事だ。

 

 

 「しかもここのシステムは、ゲーム開始時から、更に進化をしているようです」

 

 「進化……?」

 

 「現在の過酷なプレイ状況に応じて、より調整のしやすい形へ適応したのでしょう」

 

 

 ユイの推測と説明は全て辻褄が合っており、納得のいくものだった。

 確かにアインクラッドのこの状況は、開始時からは考えられなかっただろう。

 75層で生じた原因不明のシステムエラーも、その一つだ。

 

 

 ユイは気合いを入れ、アキトに向き直る。

 

 

 「私はもう少し此処を調べてみます」

 

 「……力になれなくてゴメンな」

 

 「そ、そんな事無いですっ!そ、傍に居てくれるだけで、その……」

 

 「……?当たり前でしょ?離れたりしないから、安心して」

 

 「!? は、はいっ……!で、では、調べてますね!」

 

 

 ユイは顔を赤くしてアキトへと背を向けた。

 コンソールをタップしている腕は心做しかギクシャクしているように見える。

 

 

 その覚束無い動きに、アキトは首を傾げていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アキトさんっ!ちょっと来て下さい!」

 

 「っ……」

 

 

 ユイの響く声を聞いて、アイテムの確認をしていたアキトはすぐさまその身を翻してユイの元へ向かう。

 そこまで駆け寄ると、ユイがコンソールを操作し、開いたデータを指差した。

 

 

 「このデータなんですけど、プレイヤーの登録情報を参照して──《ホロウ・エリア》のプレイヤーIDが作られています」

 

 「え……?」

 

 

 ユイの説明に首を傾げるアキト。

 言っている意味がイマイチ分からず、アキトは眉を顰めた。

 

 

 「《ホロウ・エリア》にいるプレイヤー達の行動を見て、おかしなところはありませんでしたか?」

 

 「……そういえば、拠点をド忘れした人とか、HPが危ないのに回復しない人とか……何て言うか、高難易度エリアなのに危機感が薄かった気がするな……」

 

 

 このエリアで何人かのプレイヤーを見たが、みんな揃って拠点をド忘れしていた。

 高難易度エリアなら、休憩するべき安全な場所の確保は当然だ。ましてや、それを忘れるなど有り得ない。一人だけならまだしも、何人もが拠点に大しての記憶が曖昧だった事に不信感があった。

 もう一つ、HPが注意域に達してもなお、回復せずに先へと進もうとするプレイヤーがいた。どれだけ言っても回復しようとしなかったのは、あまりにも不可思議だと思っていた。

 この場所にいるプレイヤーは、妙に危機感に対して鈍感だったり、目的に盲信的だったように思える。

 

 

 だがユイに告げられたその理由は、驚くべきものだった。

 

 

 「はい……ここにいる人間の大多数は、プレイヤーを忠実に再現した《AI》です」

 

 「え、AI……?」

 

 

 すぐには受け入れ難い事実に戸惑いを隠せない。

 思い返してみても、確かに受け答えは少しおかしいとは思ったが、普通のプレイヤーと遜色無かったと思っている。

 だがこれに関しては、ユイも難色を示していた。

 

 

 「良くは分かりませんが……プレイヤーの深層心理を探り、効率良くテストする事が目的だと思われます」

 

 「……じゃあ、何で俺はここに来たんだ……?」

 

 「アキトさんは、高位のテストプレイヤーとして登録されています。AIでは判別出来ないイレギュラーな行動、高いプレイヤースキルを要求されるテストを行う為に──アキトさんが招かれたんだと思います」

 

 

 高位テストプレイヤー。

 高いプレイヤースキル。

 その言葉を耳にして、ユイの話を統合すると、一つの結論に至った。

 

 

 「っ……《二刀流》、か……」

 

 「……はい、恐らく」

 

 

 アキトは自身の手を見つめ、そして握り締めた。

 《二刀流》は優れたプレイヤー、高位のプレイヤーに与えられるスキル。

 つまり、自分はキリトの代わりにこの場所に招かれたという事だ。キリトが居なくなったから、その代わりを、《二刀流》を手にしたアキトで補完する形を取ったのだろう。

 

 

 これで、黒鉄宮にいる筈のオレンジプレイヤーがいる理由と、自分がここに来た理由に納得がいった。

 

 

(もし、キリトがちゃんとした形で生きていたら、フィリアと出会うのはキリトだった……って、事か……)

 

 

 「なら……キリトなら、もっと早く気付けてあげられたのかもな……」

 

 

 ユイにも聞き取れない声でそう呟くアキト。

 もし、自分じゃなくてキリトだったら。そう思うのはもうやめにした方が良いと分かってる。

 けれど、自分よりも反応速度が高いキリトは、それだけでアキトとは異質の強さを持っていた筈だ。

 プレイヤーだけの素質でいうならば、アキトよりも上手である。

 その上手である彼だったら、アキトよりも早く、フィリアの事に気付けていたのではないだろうか。

 罠に嵌ったとしても、自分の時のように、二日も三日も動かない、なんて事にはならなかったんじゃないだろうか。

 

 

 そう思うと、フィリアを助けられなかった事が悔やまれる。つまり、本当ならもっと早く気付けていて、こうなる事だって防げたという事なのだなら。

 自分の鈍さに腹が立つ。

 

 

 

 

(……フィリア────?)

 

 

 

 

 アキトは、その名前を思い浮かべた瞬間、その身体が固まった。

 彼女が自身に話してくれた事を思い出す。

『自分を殺した』と。

 この場所の用途が分かった今、彼女の話が真実であると告げていた。

 

 

 「ユイちゃん、フィリアは、フィリアはどうなんだ……!?」

 

 「……このコンソールで調べる限り、テストプレイヤーのリストには、フィリアさんのお名前が登録されていません」

 

 「っ……」

 

 

 ユイの答えで、アキトは言葉を失った。

 なら、それなら────

 

 

 

 

(フィリアはデータって、事なのか……?)

 

 

 

 

 ならば、仮に騙されてたとして。

 PoHの元から彼女を救い出したところで、その後どうすれば良いのか分からない。

 もし彼女がデータなら、このSAOがクリアされれば結局────

 

 

 「アキトさんの話とここにデータが無い事を合わせて考えると、フィリアさんも特殊な境遇のプレイヤーのようです」

 

 「え……?」

 

 

 アキトは思わず、困惑の表情のままにユイへと視線を動かす。

 ユイはそんなアキトを見て、キョトンと首を傾げるばかり。

 

 

 彼女の今の発言は、あまりにもその場凌ぎに聞こえた。

 ここに自分の名前はあるのにフィリアの名前が無い。なら、彼女はデータなんじゃないだろうか。

 自分がユイに話したフィリアの事なんて、ちょっとしたもので、それがAIかそう出ないかなんて、ユイには分からないのではないだろうか。

 

 

 「あの……どうかしましたか?」

 

 「……何で信じられるんだよ、そんなの……ここに名前が無いんだし、俺が感じた事だって当てにならない。フィリアは、データかもしれないじゃんか……」

 

 「まだ決まった訳じゃありません。この規模のエリアなら、他にもシステムコンソールが存在すると思います。最後まで、希望は捨てないで行きましょうっ!」

 

 「っ……」

 

 

 ユイのやる気に満ちた笑みを見て、アキトは焦っていた心が段々と解れていくのを感じた。

 目の前の少女は、本当に人の感情に敏感で、とても優しい。

 彼女が言うならば、きっとまだフィリアの事が決まった訳じゃないのだろう。だったら、まだ焦るような時じゃない。

 そう気付かされた事に情けなさを感じつつ、ユイの頭へとその手を持っていく。

 

 

 「そう、だね……まだ希望は捨てないよ。コンソールを見付けたら、また協力してくれる?」

 

 「っ……も、勿論です!何度だって一緒に行きます!」

 

 

 触れられた頭に全神経を集中させ、顔を赤く染めながら嬉しそうに答えるユイに、アキトは微笑む。

 時間が無い、けれど、やる事は決まったのだ。まだ踏破してないエリアへとその足を踏み込もう。

 

 

 「ユイちゃん、その転移門から帰れる。少し進んでみるってアスナに言っておいて欲しい」

 

 「分かりました。絶対に帰ってきて下さいね」

 

 「分かってる。あそこが俺の帰る場所、だもんね」

 

 「っ!は、はいっ!」

 

 

 ユイは笑って踵を返す。

 転移門へと向かうその背を頬を緩めながら眺めるアキト。

 

 

 だが、ユイは転移門の真上でピタリと止まると、ふと、こちらへと視線を動かした。

 笑みを浮かべていたアキトは、ユイのその表情を見て、その笑みか崩れる。

 

 

 「……ユイちゃん?」

 

 

 「……アキトさんは」

 

 

 

 

 ユイは、不安そうに、心做しか震えた声で小さく、

 

 

 

 

 「アキトさんは……アキトさん、ですよね……?」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 俺は、俺かって?

 何を聞かれたのか、一瞬戸惑って身体が固まる。

 それでいて何故か、とても心に突き刺さった。

 

 

 どう答えるのが正解なのだろうと、そう考えた。

 そうして迷いはしたけれど、アキトは結果、ただ正直に答えるだけだった。

 

 

 「……ああ、勿論」

 

 

 「……そう、ですよね……が、頑張って下さいっ」

 

 

 そうして彼女は、自身が聞いた質問を誤魔化すように笑って、転移門の光と共に消えていった。

 小さな光の粒達が、空へと舞って、天井の星々と混ざっていく。

 完全にその煌めきが消え去っていくのを眺めた後、アキトはユイが消えていった転移門へとその足を踏み出した。

 

 

 「……転移、《ジオリギア大空洞》展望上部」

 

 

 途端、その身体から光が溢れ出す。

 既に何度も目にし、行った手順にウンザリする事無く、ただ目を細めて消えゆく姿を眺めるのみ。

 

 

 「っ……」

 

 

 そうして、ズキリと痛むその瞳を抑え、ユイに言われた言葉を思い出していた。

 

 

 「……まさか、な」

 

 

 小さく笑って、思考を振り払い、転移されるのを待ちながら、その瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 左眼は既に黒く染まり、青い右眼も少しばかり、黒へと染まりつつあった。

 

 








ユイ 「アキトさん、少しだけ調べ物があるそうです」

アスナ 「夕飯までに帰って来ると良いんだけど……」

シノン 「……アスナ」

アスナ 「あ、シノ……のん……?」

シノン 「……」

アスナ 「ど、どうしたのかな……?」

シノン 「アキトの居場所が分からなくなったんだけど、まさか《ホロウ・エリア》に行ったんじゃないでしょうね……?」

ユイ 「……」メソラシ

アスナ (は、早めにバレた……!)




エギル (……シノンの奴、アキトの位置情報、しょっちゅう確認してるのか?)




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Ep.80 きっと何度でも



急展開入りマース(´・ω・`)
話の流れ、文の流れが早いです。
ストーリーは全く進んでないのに……おかしいな。


 

 

 

 

 

 《ホロウ・エリア》

 

 

 一般のプレイヤーが入れる事は無い、開発用の秘匿エリアの総称。

 その用途は、《ソードアート・オンライン》、ひいては《浮遊城アインクラッド》に実装されるスキルや装備などのテストを行うのを目的とした場所である。

 ゲームバランスが崩れる事が無いか、使用する事でシステムに不具合を来たすものでは無いかを事前にチェックしているのだ。

 そこにあるのは決してレアなスキルや装備だけではなく、未知のモンスターなども蔓延っている。これもテストの対象なのかもしれない。

 また現在の《ホロウ・エリア》はデスゲーム開始時と比べ、過酷なプレイ状況に合わせてより調整のしやすい形へ進化しているようである。

 

 そして何より、このエリアにいるプレイヤーの殆どは、アインクラッドのプレイヤーIDを参照し、忠実に再現したAIデータである。

 オリジナルのプレイヤーと比べると危険に鈍感で、目標に妄信的で、一人だけで危険地帯を進んだり、回復よりも攻略を優先したりと様々な種類がいた。

 ユイは、プレイヤーの深層心理を探り効率よくテストを行うことが目的と推測している。

 

 

 けれど、フィリアは────

 

 

 真実を確かめるまで、アキトは止まらなかった。

 ただ知りたいがために進み、助けたいためだけに戦った。

 たとえ彼女が望んでいなくとも。それが、自己満足だとしても。

 

 

 《ジオリギア大空洞》情報集積遺跡内部

 

 

 そこにはもう、SAOとしての世界観は何処にも無かった。

 何もかもが実験の為に特化、最適化された空間だった。その場所の中心には光の柱が聳え立ち、そこから三本の細い道が壁の入口まで続いている。

 

 《人工生命体格納室》

 《不定形生物の実験場》

 《生体遺伝研究室》

 

 名前にももう、アインクラッドの面影は無い。

 本来、このエリアに人が入る事は無い為、仕方が無いと言えば仕方が無い。スライムやゴーレムなど、中々にそれらしいモンスターが溢れ、それぞれの奥には、次の階層へと進む為の封印があった。

 ボスといっても中ボス相当、アキト一人だけでも難無く倒せたが、肝心なのはモンスターでは無かった。

 

 

 この場所は、何処か似ていた。

 かつての仲間を失った迷宮区と。

 

 

 感じていたのはきっと、アキトだけじゃない。

 キリトが嫌悪し、恐怖で震えているのも、理解出来てしまっていたから。

 けれど、それでも後戻りする訳にはいかない。かつての過ちを繰り返さぬ為にも、今の仲間を守ると誓ったのだから。

 フィリアに会う為に、声を聞く為に。

 その為だけに、ただ剣を奮った。

 

 

 全ては、たった一人を救う為。

 そんな彼は、何処か他人と違っていて。その原動力、想う心、磨いた技術。それら全てが。

 その偽物の勇者が、数多の敵を斬り伏せ進む。

 その恐怖の過去と酷似する部屋を、一心不乱に。

 

 

 

 

 

 

 ────そうして、漸くそれを見つけ出した。

 

 

 

 

 

 

 「……あった……」

 

 

 

 

 

 

 

 そこには、ずっと探していたもう一つのエリアシステムコンソールルーム。

 この世界の内情が分かる、管理区とは別のコンソールだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 無機質なデータで塗り固められたような部屋にひっそりと置かれたシステムコンソールは、電気が通ったかのように光が走る。

 壁も同じように動き、その中心点に、アキトとユイは立っていた。

 もはやゲームとして楽しめるような景色も、世界観も存在してはいなかった。あるのはただ、この世界を設定をモニタリングする物体のみ。

 ユイはアキトを一瞥した後、ゆっくりとその歩を進め、その小さな手をコンソールに当てる。

 

 

 「これは……管理システムコンソール……ここからなら《ホロウ・エリア》の管理システムにアクセス出来ると思います」

 

 「調べられる?」

 

 「やってみます!」

 

 

 ユイはやる気をアキトに見せるとコンソールに触れ、操作し始める。その背中を眺め、アキトは小さく俯いた。

 何も出来ないアキトは、ただユイを信じ、見守る事しか出来ない。無力な自分がこんなにも歯痒くもどかしいと感じるなんて。

 

 

(そうか……ユイちゃんもずっと、こんな気持ちだったのか……)

 

 

 《圏内》という安全圏にいるだけで何も出来ないと嘆くユイの気持ちを、今になって漸く知る事が出来た。いつも彼女は誰かの役に立ちたいと願い、自身に出来る事を模索していた。

 アスナが乱心した時も、ボス戦を待っている時も、ただ一人だけ待ち続けて。

 それがどんなに恐ろしい事か。待ち続けて待ち続けて、その結果誰も帰ってこなかったら。

 そうしたらユイは、この世界にたった一人取り残される事になる。

 それはあまりにも残酷で、救われない結果だろう。

 今ユイは、自身に出来た目的の為に一生懸命に働いている。きっと、自分が誰かの助けになると、そう思うと嬉しいのかもしれない。

 アキトは小さく、ユイに微笑んだ。

 

 

 「……開きました!」

 

 「……どう?」

 

 「少し待って下さい……これは、プレイヤーデータとAIデータの重複チェックシークエンス……っ!中でエラーが発生しています!」

 

 

 ユイは驚きで声を上げ、その狭い空間に音が響く。

 その一言だけでは理解出来ないアキトは、ユイを見下ろし聞き返す。

 

 

 「エラー?」

 

 「はい。重複チェック中に想定外のエラーが発生した様です」

 

 「重複チェックっていうのは?」

 

 

 先程からユイの発言から出てくる単語に首を傾げるアキトに対し、ユイは見上げて口を開いた。

 

 

 「《ホロウ・エリア》では、実在するプレイヤーのデータを元にAIのIDを作成しています。ただ《ホロウ・エリア》には実在のプレイヤーとそのプレイヤーのAIが同時に存在しないように────IDの重複チェックを行っているんです」

 

 「……えっと」

 

 

 アキトは思わず思考が止まるが、その言葉の意味をゆっくりと理解していく。

 例としてあげるならつまり、アキトが《ホロウ・エリア》を訪れると、同時にアキトを元にしたAIが居た場合、そのIDは消えてしまうという事だ。

 

 

 「……成程。人とAIは同時に存在出来ないって事か。それで、AIが消えてしまうと……」

 

 

 ユイはアキトのその発言に頷き、さらに分かりやすく説明を始める。

 

 

 「その通りです。AIを優先的に削除する仕組みになっているので。《ホロウ・エリア》では、同じプレイヤーが存在した瞬間、AIが同時にいる事をNGと判断し、IDを削除します」

 

 「理由は?」

 

 「《人》を使用したテストデータに支障を来たしてしまう可能性がある為ですね。この重複チェックにより、本来は絶対にプレイヤーと同じAIは出会わない筈なのですが……重複チェックの最中にエラーの原因が発生した様です。アキトさん……その原因ですが……」

 

 

 そこまで聞いて、アキトも、アキトの中にいる()も、フィリアという存在が何者なのか漸く理解した。

 ユイが言おうとしていたエラーの原因も、凡そ把握出来た。

 

 

 「……誰のデータでエラーが出てるのか、分かる?」

 

 

 「はい……分かりました!これは……フィリアさんです」

 

 

 その名を聞いた瞬間、全てが繋がった気がした。

 モヤモヤとしていた心が、スっと晴れていく。全てが分かった訳では無いが、散りばめられたピースが嵌っていく音が聞こえた。

 これで、漸く前へ進めそうだった。

 

 

 「……アキトさん、嬉しそうですね」

 

 「……ユイちゃんのおかげだよ。ありがとう」

 

 「お役に立てて、とっても嬉しいです!」

 

 

 ユイの笑顔に魅せられて、アキトはつられて笑ってしまう。

 そうして、自身が理解した事の全てを、ユイに告げる。今まで起こった謎の全てを解くように。

 

 

 「フィリアが出会ったのはきっと、AIのフィリアって事か」

 

 「そうです。その時は一時重複チェックの機能が作動していなかったと推測されます」

 

 「フィリアは目の前に現れた自分に戸惑った結果、攻撃してしまったってところか……」

 

 「イレギュラーが重なり、本来起こり得ない出来事がフィリアさんを特殊なステータスに変え、エラーとして認識されていると思われます」

 

 

 これが彼女のオレンジの原因で、かつアインクラッドに戻れない理由。

 そしてそれが、今回フィリアがPoHと共になって、アキトを罠に陥れた理由。

 

 訳も分からずにこのエリアへ飛ばされ、戸惑い、逃げ迷った先に出会ったのは、もう一人の自分。

 錯乱して攻撃した結果、気が付けば自分のカーソルの色がオレンジへと変わり、目の前にいた筈の自分は消えていた。

 自分という存在を殺してしまった、その事実がフィリアの心を歪め、精神状態を不安定にさせていたのだ。

 

 ずっとここから出られなくて、一人もがいて。

 彼女はあの時、自分を殺したと言った。影の存在なのだと。

 彼女はずっと、自分が自分でない気がしてたのだ。だからこそ、フィリアへ悩み苦しみ、決壊するまで溜め込んでいたのだ。

 そんな時にPoHが現れ、恐らく彼女に何かを言ったのだろう。

 もし奴が、フィリアの事を知っていたのだとしたら。自分はデータなのだと勘違いしたフィリアに、お前はアキトとは違う存在なのだと突き付けたのだとしたら。

 縋るものすら無かったフィリアは、どんな行動を取るだろうか。

 

 

『……そうか。そうなんだな』

 

 「ああ。俺達はまだ、フィリアの味方でいられるんだな」

 

 

 アキトは口元を緩ませ、その拳を握り締めた。

 何か理由があったのかもしれないと、そう思っていた。共に過ごした時間から、そこで結ばれた絆が、フィリアが裏切ったという事実を良しとしなかった。

 間違いであって欲しいと願ったその希望は、夢幻じゃないのかもしれない。

 

 

 「ですが、このコンソールではエラーを解除出来ません。この管理区の何処かにある中央管理コンソールにアクセスする必要があります」

 

 「……分かった。頑張ってみるよ」

 

 

 アキトは彼女の頭にその手を乗せ、優しく撫でた。

 一瞬で顔を染めるユイだったが、嬉しそうに、それでいて少しだけ恥ずかしそうに、その撫でられる頭の感触を楽しんでいた。

 

 フィリアのオレンジは犯罪を犯した事で発生するものではなく、単にエラーとして現れているだけに過ぎない。なら、ちゃんとした手順で元に戻す為のコンソールが何処かにきっとある。

 この目の前のコンソールだってすぐに見つかった。きっと、次も見付けられる。

 

 

 「……アキトさん」

 

 「ん?」

 

 

 ユイの小さな声に、アキトは不思議そうに首を傾げる。

 彼女は瞳を揺らしながら、それでもその気持ちを吐露し始める。

 

 

 「私は戦闘は出来ませんが……で、でも、こういった事ならいつでも力になります!だ、だから……もっと頼って下さい!」

 

 「っ……」

 

 

 その一生懸命に絞り出した想いに、アキトは言葉を失った。

 ずっと一人でみんなの帰りを待つ事しか出来なかったユイの、漸く見付けた役割。

 だからこそ頼って欲しいと、彼女はアキトに願う。

 そんな一途でひたむきで頑張れる彼女に、アキトは何とも形容し難い感情を抱いた。

 

 

 彼女の想いと頑張りに応える為に、全力で抗おうと思った。

 

 

 「……あり、がとう……」

 

 

 少し戸惑いながら、照れながら。

 ユイにそう、小さく感謝の意を伝えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……あの、何か怒ってる?」

 

 「べっつにぃ?」

 

 

 アキトの恐る恐るの問い掛けに、わりと響く声で否定するリズベット。工房だから良かったが、街中にいたなら周囲の視線が集まった事だろう。

 彼女は不貞腐れたように見えたり、角度を変えれば苛立っているようにも見える。

 アキトは何も言えずに、ただ炉心の火を起こす彼女の姿を視界に捉えるだけ。

 けれど、彼女が何故自分にこんな態度なのかは察しが付いていた。

 

 

 「……ゴメン、心配かけて」

 

 

 アキトは素直にそう誤った。

 リズベット達はアキトの話を聞いた結果、アキトが《ホロウ・エリア》へと赴く事を反対していた。

 それにも関わらず、アキトはフィリアを助けるべく行動を起こしたのだ。

 彼の本来の素直な性格を知ったが故に、あの話の後に彼がどう動くのかは大体予想が付いていたのだろう。

 アキトが《ホロウ・エリア》からユイと共に帰って来た時、転移門前で腕を組んで立ちはだかっているシノンが、そこには居た。

 散々怒られ、睨まれ、毒を吐かれ、アキトは痛く傷付いた。

 そんなアキトの素直な言葉に、リズベットは目を逸らしながら応える。

 

 

 「第一、あたしは反対なんだからね?アンタが《ホロウ・エリア》に行くのは……」

 

 「……知ってるよ。だから黙って出掛けたんだ」

 

 「すぐバレたけどね」

 

 「んぐっ……」

 

 

 バツが悪そうに顔を歪める。

 いつもは用意周到なアキトも、フィリアを助けたい一心で他の事に手が回っていなかった。そんなアキトはさぞ珍しかった事だろう、彼女達も少なからず驚いていた。

 

 だがリズベットはこう考えていた。

 きっとアキトは、単に一生懸命で、他の事を忘れていただけなのかもしれない。一度決めたら、彼はきっと最後まで諦めないだろうし、誰よりも頑張るだろうから。

 たとえ、彼が誰より傷付こうとも。

 

 でもそれが、彼女達からすれば心配する原因にもなっていて。

 彼を大切な存在だと認知したからこそ、彼一人を危険な目に合わせたくない、合って欲しくないと思っている。

 だからこそ、彼があまり反省していない様子を見ると、腹立たしく思えてくる訳で────

 

 

 「……心配してくれて、ありがとね」

 

 「っ……」

 

 

 ────と、思っていたが、アキトはリズベットの瞳を真っ直ぐに見据えると、素直に謝罪を口にした。

 何の捻くれも屁理屈も無く謝られ、リズベットはギョッとする。こうして素直に謝られると、調子が狂うというか何というか。

 やはり、以前のアキトの方に慣れてしまった為に、対応に困っていた。

 

 

 「〜〜〜!っていうか、何なのよその態度!いつもの横柄な俺様キャラは何処行ったのよ!」

 

 「あ、いや……あれは……」

 

 「知ってるわよ!わざとなんでしょ!なら最後まで貫きなさいよ、調子狂うでしょうが!」

 

 

 もはや自分が何を伝えたいのかすら分からないリズベット。

 いつもの高圧的で、口を開けば悪口が飛び出るアキトだった筈なのに、今の彼には見る影も無い。

 あのままなら、自分も同じように文句が言いやすかったものを。

 けどそれは真の意味で、自分達の事を仲間だとアキトが思ってくれたという証拠でもあった。

 それが嬉しかったからこそ、それに対しての文句も言い出せない。

 行き場の無い想いが喉元で止まり、溜め息となって霧散した。アキトを不満そうに見ながらも、渋々その手を彼に差し出した。

 

 

 「……はぁ、もういいわよ。メンテナンスに来たんでしょ?武器出しなさいよ」

 

 「……てっきり、もっと怒られるかと……」

 

 「……止めたって、どうせ行っちゃうんでしょ?」

 

 

 リズベットの弱気な声での発言に、アキトは返答出来ない。それが答えだと言っていた。

 そうだ、きっと何を言っても、彼は止まらないだろうと、リズベットは理解していた。

 故に。

 

 

 「……だから、あたしからはもう何も言わない。ただ、せめてアンタの後悔が無いように……」

 

 

 彼女はアキトから《リメインズハート》を受け取り、小さく笑った。

 とても魅力的に、可愛らしく。

 

 

 「こうして、アンタの剣を鍛えてあげるから。何度でも」

 

 「っ……リズベット……」

 

 

 そんな切実な想いに言葉を失う。

 アキトに何か文句を言うでも無く、こうして支えると言ってくれて。

 その真っ直ぐな優しさに、アキトは感謝を抱かずにはいられなかった。

 

 

 「……ありがとう。凄く助かるよ」

 

 「……べ……つに、良い……けど……」

 

 

 アキトの優しい笑みを間近で見て、顔を赤くして狼狽えるリズベット。

 本当に、前の彼と違い過ぎて調子が狂う。

 その身を翻し、その部屋の奥で刃を削る。チリチリと火花を散らし、《リメインズハート》の刀身を鋭くさせていく。

 炉心の火がこの空間を温める。剣の削られる音は何故か不快感を感じず、斬れ味が増している事実に口元が緩む。

 

 

 「……はい」

 

 「……うん」

 

 

 やがてメンテナンスが終了した自身の武器が、アキトの手元へと戻って来る。

 その重みには色んな人達の想いが集まっているように見えて、とても温かく感じた。

 

 

 「これからどうするの?」

 

 「……フィリアを、探してみるよ」

 

 「……そっか」

 

 

 リズベットは寂しそうに小さく笑う。何かを堪えるように俯いたその口元は、何処か諦念を感じさせる笑みを浮かべていた。

 パチパチと火の音が耳を貫き、それだけが部屋に響いていた。

 何も交わす言葉が無くなった事に気不味さを感じたアキトは、鞘に収めた《リメインズハート》の重さを感じながらに身を翻す。

 

 

 だが────

 

 

 「……どうして、そこまで頑張れるの?」

 

 

 リズベットのその一言で、アキトのその足が止まる。思わず振り返れば、不安げな顔をしたリズベットの姿があった。

 その質問の意図と意味を考えながら、アキトは不思議そうに口を開いた。

 

 

 「フィリアは仲間なんだし、助けるのは────」

 

 「罠に嵌められたのよ?例えどんな理由があったとしても、アンタがそうされたって事実は変わらない。普通なら……少しは躊躇うでしょ……」

 

 

 リズベットは気付いてる。

 いや、きっとアスナ達も無意識的にだが理解している筈だ。

 

 彼が、誰彼構わず助けようとするその姿勢の形。それはとても歪なものなのだと。

 

 彼に一番近く、ずっと共に戦って来て、何より助けられた本人達だからこそ、その不安定さを痛感している。

 アキトは、目の前に死の危険に陥る人が居るなら、理由を求めずすぐさま駆け寄る程正義感に満ちている。けれど、それは優しさだとか、そんな簡単なもので纏めるにはあまりにも歪んでいる。

 

 ボス戦時も同じだ。殺されそうになった見ず知らずのプレイヤーの前に立ち、防御姿勢を取る彼。けど彼は、筋力値重視のステータス。防御はからっきしなのだ。なのに、彼は飛び出してしまう。そんな光景を何度も見てきた。

 

 アスナ達の様に、アキトと少なからず関わりがあるならまだしも、顔も知らない誰かの為に命を張れる彼のその行動力は異常だ。

 彼は誰かを助ける為の理由も、見返りを求めない。その答えを決して導かない。

 

 だけど、そんな存在は気持ちが悪い。

 酷く歪んでいて、どうしようもない。そんな人間が、この世にいる筈がないのだと、誰もがそう思う。

 この世界の誰もが打算的に生きており、最後には我が身大事。他人の為に命を懸ける事はあれど、それはきっと自身にとって大切なものだからこその筈なのだ。

 だからこそ、アキトのその在り方は、とても救われない。

 

 いつか必ず、壊れてしまう日が来てしまう。

 

 今回の件だってそうだ。

 仲間だと思っていた彼女に陥れられた。たとえどんな理由があったとしても。

 何か理由があるのかもしれない。けどそうだとしても、彼がフィリアの為にと、ほぼノータイムで行動を起こす事実は、一般人にはきっと理解出来ない。

 事情を知らなければ、彼はオレンジプレイヤーにPKされそうになった、と映るから。

 

 もし先程ユイと共に《ホロウ・エリア》へと赴き、フィリアの事情が分かった上で納得したのなら、助けに行く理由はあるのかもしれない。

 けどアキトは、そんな事を調べる前からフィリアを助けると決めていた。

 助ける必要など、無いのかもしれないのに。

 それはアキトも感じている筈なのだ。

 何故、フィリアの為にここまで一生懸命になれるのだろうか。リズベットはそれを聞きたかったのだ。

 

 

 

 

 「……どうして、か……」

 

 

 アキトはリズベットのその問い掛けを、頭の中で反芻する。

 

『人を助ける事に、理由はいらない』

 

 そう父親が言っていたのを思い出す。今にしてみれば、なんて痛々しいセリフだろうと、我が父ながら笑ってしまう。

 けれど、敢えて理由を述べるとするならば、それはとても我儘で、独善的で矮小で。

 ささやかな願いだった。

 

 

 「……泣いてる顔が、嫌いなんだ」

 

 

 そう答えたアキトを、不思議そうに見つめるリズベット。

 そんなアキトの脳に思い起こされるのは、今まで出会ってきた人達の、悲しみで満ちた涙だった。

 

 今は亡き、自分の父親の涙。

 とても正義感に溢れていて、とてもユーモアがあって、子どもっぽくて、アニメが好きで。

 強くなるおまじないだとか、偶に飛ばされる名言だとか、何から何までアニメに影響を受ける痛々しいオタクなのだと、笑ってしまう程の人だったけれど。

 人一倍傷付いて、誰かの為に涙を流せる人だった。そんな誠実で純粋で、他人の痛みを理解出来るヒーローの様な父親を、今になって尊敬する。

 けれどその反面、誰かが傷付く度に泣き虫の様に泣く父が、たまらなく嫌だった。

 情けないからではない。傷付く彼を見ていられなくて。

 

 全く血の繋がっていない妹の涙。

 彼女は、自分の父親が死んだ時、誰よりも慰め、泣いてくれていた。

 涙が出ない自分の代わりに私が泣くのだと、可愛い容姿が台無しになるくらい泣いていたのを思い出す。

 そして、彼女が泣いているのは自分が泣かないせいなのだと、ずっと自身を責めていたのを思い出す。

 

 かつて、共に過ごした一人の女の子の涙。

 モンスターに怯える毎日の中、ここへ来てしまった事の意味を必死に模索していた彼女の、死に恐怖する臆病な涙。

 この世界の恐怖を体現したような彼女の涙を、拭う事が出来なかった自分を何度も何度も憎み、恨んだ。

 

 ここに来る前に、パーティを組んだ一人の女の子の涙。

 いつか見たような臆病さを見せていた彼女は、それでも一生懸命に生きていた。

 現実世界へ帰りたいと願うその意志は本物で、強くありたいと高みを目指すその姿は、あの時の自分の目標だったと思う。

 そんな彼女の、裏で見せていた涙。綺麗だと思った反面、それが悲しみや恐怖で押し潰されそうになる自分を律する為のものだと知った時、自分の無力さを呪った。

 

 そして、親友の涙を見た。

 雪原で二人。自分と彼の二人きり。

 何度も何度も謝る彼に、自分は何か言ってあげただろうか。

 何も言わなかっただろうか。

 後悔と自責と憎悪と、そんな感情ばかり渦巻いて。

 

 この世界はそんな事ばかりだ。

 嬉しい事以上に悲しい事があり、生きようと多くの人間が渇望する以上に多くの人が死ぬ。

 常に隣り合わせ。安全な場所など、本当は何処にも無くて。

 

 ここに来てからも、色んな涙を見た。

 アスナ、ユイ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン。

 けれど、その全てが痛々しくて。

 見たくないと、本気で思っていた。

 

 

 「誰かの泣いた顔が、悲しみに満ちた表情が、ただただ見てられないって、そう思ったから……」

 

 

 あの時のフィリアの表情は、まさにそれだった。

 そう、結局はアキト自身の我儘なのだ。

 泣いた顔が嫌いだから。それだけで、彼は動く事が出来る。それさえも歪んでいると言われれば、彼はきっともうその生き方を変えられない。

 

 

 「届くのに伸ばさなかったら、一生後悔すると思うから。だから、俺の手が届く範囲の人達だけは、絶対に助けたいんだ」

 

 「アキト……」

 

 

 それに、見返りが何も無いとしても。

 

 

 リズベットは、そんな彼の在り方をとても否定したい気持ちに駆られた。

 だって、他人を優先する彼はきっと。

 

 

 自分自身を救う事は決して出来ないのだから。

 

 

 












無機質な空間、データの塊。
傍から見れば、それはただの数字の流れ。


折り重なる剣戟も、部屋に響くその音も、全てはまやかしで偽りで。
嘘っぱちで。


奇跡も希望も夢も無く、あるのは確率という名の必然と、消えること無く増幅する絶望のみ。
そして、その虚ろな世界のとある一部屋で、彼は立っていた。
そんな彼自身も《英雄》ではなく、《勇者》の仮面を被った、偽りの英雄。


傍から見た彼は、きっとヒーローみたいに見えたかもしれない。誰だって死なせたくない。そうして、自分を投げ打って助けようとする。それでいて見返りを求めない。

────だけど。

彼は、本当は弱くて。本当は寂しくて。本当は我儘。
どうしてと問われた理由に、決して解を導かない。
助ける事に理由は要らない。そんな存在が異常で、歪んでいるとしても。


それでも、目の前の殺人鬼を止めるその手を緩めたりはしない。




「……どうして、そこまで……」




フィリアの震える小さなその声が、黒猫の耳に入る。
驚き振り返るその瞳は揺れつつも、やがて小さく口元に笑みを浮かべた。
彼は目の前のポンチョの男に向き直ると、鋭い目付きで剣を突き付けた。


自分が、紛い物でも。
求められていなくても。
補完された存在で、代わりとされていたとしても。


それでも、大切だって。
確かにそう思ったから。











「失せろPoH。お前に、フィリアは任せられない」

















次回 『今、君が笑える様に』


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Ep.81 今、君が笑える様に




ストーリーというか、設定的な部分に感想で誰も触れていないのを見ると、もしかしてアキト達が今どういう理由で何をしているのか、その具体的な事を分かっていないのかなと不安になってしまうこの頃……。

伝わってるかな、私の文章力と説明力で……。





 

 

 

 

 

 

 《ジリオギア大空洞》

 

 

 巨大な滝、そこにある道に沿って歩くと遺跡がある。

 そして、そのさらに深淵には、SAOの世界観完全無視のデジタル空間にも似たエリア。

 何かを研究する為に特化した施設が集まり、そこには見た事も無いモンスターが蔓延っていた。

 壁は電流のようなものが一定のリズムで走り、その度に何かが起動するのではないかと思わせる。

 扉は近未来のような形で、自動で開く。通路には自動で動く機械人形のようなものが陳列されている。

 

 《ホロウ・エリア》は装備やスキルのテストエリア。元々一般のプレイヤーは入る余地が無い為、世界観を考えずに一番実験を行いやすいフィールドになったのは仕方ないだろう。

 けれどこの無機質で殺伐とした空間はとても冷たく、恐怖を覚えるものだった。

 

 

 《細菌の回廊》

 

 

 そんな施設の中、たった一部屋に。

 2つの影があった。

 

 一人はポンチョを羽織り、ニヒルな笑みを浮かべている殺人鬼、PoH。

 そんな彼が視線を向けているのはもう一人。フィリアだった。

 その部屋には何も無く、ただあるのは二人という存在だけだった。

 だがその部屋は、他の部屋の青白い壁とは違い、真っ赤に染まっていた。その血のように赤く染まった無機質な空間で、PoHは嬉しそうに声を荒らげた。

 

 

 「Yeah!ご苦労だったなぁ、フィリア」

 

 

 今の今までずっと一緒にいたPoHとフィリア。だがフィリアは、そんな中で一瞬だって、彼に心を許したりはしなかった。

 アキトを罠に嵌めてから、ずっと彼の事ばかりが気掛かりで、中々行動を働かないPoHに苛立ちを覚えていた。

 そして、それと同時に焦りもあった。もしかしたら、アキトはまだあのダンジョンに出られなくて苦しんでいるかもしれない。そう思うと、気が気でなくて。

 PoHに対する怒りを抑えつつ、それでも言葉に孕んだ怒気は消えていなかった。

 

 

 「……アキトはすぐに助け出すから、アンタが言っていた『全ての事』っていうのを、さっさと終わらせなさいよ」

 

 

 元々そういう約束だった。

 アキトを少し足止めするだけで、PoHのやりたい事は実現すると、そう思っていた。彼自身、自分にこの話を持ち掛けた時にそう話していたからだ。

 

 

 「これで用は済んだでしょ。もう私達の前に、二度と現れないでちょうだい」

 

 

 早くアキトを助けに行きたい。会いたい、声が聞きたい。

 今の自分にはそれだけだった。そして、精一杯謝りたかった。PoHの言葉に乗せられて、アキトを罠に嵌めてしまった事を。

 結局フィリアは、自分の事よりもアキトの事を優先した。その結果、今はPoHにこうして睨みを効かせている。

 彼はアキトを動けなくしている間に目的を果たすと言っていた。今この場所に居て、自分に労いの言葉を掛けている事実に怒りを覚えるが、逆に考えれば、PoHの目的はあらかた完了したという事だ。

 

 

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「ああ、お前ぇは十分に役割を果たしてくれた」

 

 

 

 

 そう言い放つ彼の言葉に、フィリアは震えが止まらなかった。

 

 

 

 

 「きっと今頃、あの野郎もくたばってる事だろうからな」

 

 

 

 途端、フィリアの身体が固まった。

 目を見開き、PoHから目を逸らせない。

 彼の言った言葉の意味を、すぐには理解出来なくて。声が出なかった。

 

 

 「ぇ……な……何、言ってるの……!?」

 

 

 その足が震える。

 彼の言動を、理解すると同時に、その焦りと恐怖が身体を侵食していく。

 つまり、アキトはあのダンジョンに閉じ込められて。

 

 

 今は、もう────

 

 

 「どうしたんだよぉ?まるでSurpriseなプレゼント貰ったような顔して」

 

 「話が……違う!アキトは別に死ぬ訳じゃ無いって!」

 

 「あぁ?俺ぁそんな事言ったっけなぁ」

 

 

 フィリアの反応が一々面白いのか、PoHは食ってかかるフィリアに惚けたように聞き流した。

 だがやがて態とらしく、まるで今思い出したかのように声を上げ始める。

 

 

 「あ〜〜〜悪い悪い。あのトラップに何人も落としたけどよぉ〜、誰一人戻って来なかった事伝え忘れたわ」

 

 「っ……この嘘つき野郎!」

 

 「だからよぉ〜、悪いと思って今ちゃんと伝えたじゃね〜か」

 

 

 悪びれも無くそう告げるPoHに、怒りの感情をもう抑えられない。

 けれどそれ以上に、フィリアはアキトがもう死んでいるかもしれないという事実に、その瞳から悲しみの感情が溢れていた。

 つまるところ、もし彼がもうこの世界から消え失せているのなら、そうさせたのは紛れも無く自分。

 その事実が、もうアキトに会えないという事実が、確かにこの胸に去来する。

 

 

 「……良いねぇ良いねぇ良いよ!その泣きそうな顔、最高だぜぇ」

 

 「……アキト今行くから!」

 

 

 フィリアはその身を翻し、その部屋の入口へとその足を向ける。

 もう間に合わないかもしれない。けれど、この身体が止まる事を知らない。

 アキトがいない、そんな事実を脳が拒絶するから。

 だがPoHはそんなフィリアの動きに逸早く反応し、フィリアの行く手へと回り込む。

 

 

 「あ〜〜〜〜〜〜〜〜ちょっと待てって、焦るなよ。どうせ《黒の剣士》様はお強いからねぇ〜、大丈夫なんだろ?だから、最高ついでにもう一つ聞いてけよ」

 

 「くっ……」

 

 

 PoHの後ろにある出口へ行きたいのに、そうさせてくれない彼に苛立ちを覚えながら、フィリアはPoHを睨み付ける。

 PoHは口元を大きく歪め、弱々しく震えるフィリアを見下ろした。

 

 

 「お前ぇが居てくれたおかげで、邪魔する奴が居なくなって助かったぜぇ〜。おかげで最高のPartyが、随分早く開けるようになったからな」

 

 「アンタの目的って……何?」

 

 

 抽象的で、そのPoHの言葉の一つ一つを理解出来ない。困惑する中、フィリアが紡いだ言葉は、目の前の男の目的への問いだった。

 思えばここまで共に行動してきたが、PoHの具体的な目的の内容を聞いていなかった。

 ただ促されるままに行動した結果が、今のフィリアだ。

 PoHは、フィリアに自分の気持ちを共有したいが為に、自分がしようとした事を語り出した。

 

 

 「SAOをクリアされれば《ホロウ》は消える。もうテストは必要無い。でもでもでも〜〜お前ぇのおかげで、永遠に殺しを楽しめるようになったんだよなぁ。感謝してるぜぇ」

 

 

 PoHはその悦びを隠す事もせずにひけらかす。話す内にドンドン気分が高揚していくように見えた。

 けれどフィリアにとっては、彼の言葉の意図を理解出来ない。彼が何を言っているのか、本当に分からなかった。

 

 

 「永遠に……殺しを楽しむ?言ってる意味が分からない!」

 

 

 分かりたくも無い。必死に耳を塞ごうとも、目の前の男の声は変わらずこの耳に入り込んで。

 やめろ。聞きたくない。私は、お前とは違う。

 

 

 「全部お前ぇと俺で選んだんだ。愛しのアキト君を罠に嵌めて殺したのも、人殺しを永遠に楽しめる世界にするのも!」

 

 

 違う。やめろ。やめて。

 お願いだから、もう────

 

 

 「全部!全部!ぜぇぇぇぇんぶ、俺と!……お前ぇで決めたんだよ」

 

 

 「違う!違う違う違う違う……」

 

 

 拒絶する度に、奴のその言葉を受け入れている気がした。

 否定している筈なのに、PoHの言っている事は正しいのだと、無意識に感じていた。

 その場から崩れ落ち、へたり込む。聞きたくないと耳を塞ぐ。けれど、自分は目の前のこの男と同じなのだと、心の奥で認めていた。

 

 

 「歓迎するぜぇ、《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》はお前ぇのような性根の腐った腐った……殺人者をよ」

 

 

 今もこの胸に響いてしまう奴の言葉。

 居場所を失った自分を、歓迎すると、PoHが告げる。

 けれど、フィリアが求めていたのはそんなものじゃなかった。

 

 

 「さぁ!オレンジ同士、仲良く人殺し続けようじゃねぇか!!」

 

 

 「お前とは違う!……違うよ……私は……私は……」

 

 

 顔を上げてPoHを睨むも、再び力無く頭が下がる。目元からは涙が溢れ、真っ赤な地面へと落ちていく。

 どうして、こんな事になってしまったのだろう。

 そんな事を、今更ながらに思った。いつから、何処で間違えてしまったのだろう。

 

 

 「あぁ?ど〜〜〜〜〜〜〜〜した?殺すの楽しくないのか?何で楽しそうじゃないんだよ……はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

 

 PoHは俯くフィリアに向かって溜め息を吐く。けれど、そんな奴の態度に一々反応出来る程、フィリアは正気では無かった。

 けど頭には、ずっとPoHの言葉が突き刺さっていた。これまでずっと、何もかもを。

 自分とコイツで決めた事だなんて。

 

 

 「……そんな事……して、ないよ……」

 

 

 最後まで、それだけは認めたくない。

 自分とコイツの思考が同じだなんて、考えたくもない。けれど、それすらも何処かで、認めてしまったような────

 

 

 

 

 「……殺すか」

 

 

 そんな声が聞こえた瞬間、気力を失ったフィリアに向かって、PoHの回し蹴りが飛ぶ。

 フィリアは為す術も無く、受け身も取らずに転がっていく。

 やがて摩擦で削れ、うつ伏せに倒れたフィリアに、PoHはゆっくりとした足取りで近付いた。

 

 

 「お〜悪いなぁ、思わず蹴っちまった、痛かったか?そんな訳無いよなぁ、ここSAOの世界だもんなぁ」

 

 

 そんな言葉は、もう耳に届かない。

 犯してしまった罪全てを、今になって後悔した。

 自分は、自分という存在を殺してしまった《ホロウ》。《ホロウ》は、この世界から永遠に出られない影の存在。

 アキト達のような人間と違って、未来の無い存在。ずっと、自分は空っぽな気がしてた。作り物のような、そんな気が。

 この身が有限だからこそ、自分はただ────

 

 

 

 

(……ただ、アキト達と行きたいだけなのに……)

 

 

 

 

 あんなにも優しい彼らに出会ってしまったから。

 アキトやアスナと共に戦って、欲が出てしまったのかもしれない。

 

 もしここから出られたら、いつか自分も攻略組として、二人の役に立てたらと。

 たったそれだけの願いだった筈なのに。

 その虚ろな瞳からは、変わらず涙が伝う。

 

 そんな彼女の頭を鷲掴みにし、PoHは床へと何度も叩き付ける。

 

 

 「良くねぇよ、そういうの良くねぇ。テメェで始めた事を途中で放り出して『自分もう関係無い』とかそういうの一番良くねぇ、そういうのダメだって親とか学校で習ったろぉ、習わなかったか?」

 

 

 ブツブツと静かに苛立ちを込めながら、PoHは立ち上がる。先程まで計画通りだったのに、ここに来てフィリアが思い通りにならない事に苛立っているようで、その反面、興味も失せているようで。

 そして、変わらずうつ伏せになっている目の前の少女の腹に目掛けて、その足を振り上げた。

 

 

 「……習ったよなぁ!」

 

 

 瞬間、PoHのその足のつま先が、勢い良くフィリアの腹部を貫いた。

 フィリアは抵抗する事無く蹴り飛ばされ、再び地面を転がった。

 

 

 「ぐっ……うっ……!」

 

 

 仰向けになる彼女の身体。軽くて、細くて、蹴られただけで飛んでいくような弱々しいその身体は、触れれば壊れてしまいそうな程に、限界を迎えていた。

 

 

 「……ゴメン、アキト……」

 

 

 会って直接言いたかった言葉を、何も無いこの空間へと放つ。

 だけど、返してくれる人は、もういない。

 自分ももうすぐ、死んでしまうのだろうか。そっちの方が、楽だろうか。

 

 PoHはフィリアの胸ぐらを掴み、自分の所まで持ち上げる。

 視界に入れた彼女の表情は、もはやPoHの興味すら削いでいた。

 

 

 「……あ〜あ、つまんねぇなぁお前ぇ。もっと女の子らしく可愛く泣き喚くとか、リアクション期待したのになぁ残念……お前ぇ使えねぇからもういいわぁ」

 

 

 PoHはそう言って腰に手を持っていく。

 やがて、引き抜かれたのは大型のダガーだった。

 名前は《友切包丁(メイト・チョッパー)》。人を殺す度にスペックを上げる、PoHの為の魔剣。

 その包丁が、フィリアの首を捉える。その刃先が、徐々にフィリアの首へと侵食していく。

 

 もう数秒で死んでしまうだろうというその刹那、フィリアが走馬灯のように思い出して居たのは、アキトと出会ってからの映像ばかり。

 アキトに助けられたり、アキトのシステム度外視のスキルを見て驚いたり、クラインの意外に強い所に関心したり、アスナと笑い合ったり。

 ずっと一人で、孤独で。心に空いた穴を埋めてくれて人達。

 

 

 あの時から、ずっと楽しかった。

 彼らが居たから、頑張れた。彼らと出会ってしまったから、もっと一緒に居たいと思ってしまった。

 だから、結果的にアキトを傷付けた。

 

 

 謝りたい。声が聞きたい。会いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「助けて……アキト……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────その手を離せ、外道」

 

 

 

 

 

 

 刹那、鈴の音がその部屋に響く。

 その声にPoHが反応する前に、その紅い剣先がPoHの身体を捉える。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 咄嗟にフィリアから手を離し、距離を取ろうとも、間に合わない。

 

 

 「────はぁっ!」

 

 

 その声の主が振り下ろした剣は、PoHの左肩から右腹部を斬り裂いた。

 PoHはその斬られた事実に表情を歪め、そこからバックステップで後退する。自身が受けたダメージを見て、悔しそうに前方へと視線を向ける。

 フィリアはバランスを崩し、後方へと倒れた。

 

 そして、そんな彼女とPoHの間に、黒い剣士が舞い降りる。

 

 PoHはその剣士を見て、歪んだ笑みを浮かべる。

 そして、フィリアは彼を見て────

 

 

 「ぁ……」

 

 

 見上げたフィリアは、目を見開き、唇が震える。

 目の前に立つ、黒いコートを靡かせた剣士を見て。

 そこにあったのは、もう二度と会えないと思っていた、安心する友達の背中。

 

 

 「……ア、キト……」

 

 

 絞り出すように彼の名を呼ぶ。

 その声は、ちゃんと目の前の彼に届いていた。

 

 

 

 

 「……遅くなった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 《細菌の回廊》

 

 

 無機質なデジタル空間。その部屋の中心に、その剣士は立っていた。

 鈴の音が鳴る首飾りを身に付け、怒りを体現したかのように紅い剣をその手に持っていた。

 黒いコートを羽織った彼は、静かに目の前のポンチョの男を睨み付けていた。

 

 

 「フィリアさん、大丈夫!?」

 

 「っ……あ、アスナ……?」

 

 

 フィリアのすぐ後ろからアスナが駆け寄り、倒れるフィリアを介抱する。

 この場所にアスナと彼がいる事実に、フィリアは困惑を覚えていた。

 二人は口を開かず、ただ目の前に繰り広げられた光景を眺めるだけ。

 そこには、黒の剣士アキトと、殺人鬼であるPoHが立っていた。

 

 PoHは、ここにアキトとアスナがいる事実を理解すると、小さく口元が歪んだ。

 

 

 「……へぇ〜?正義の味方の登場って訳か」

 

 「……違うな。俺は正義の味方なんかじゃない」

 

 

 戯れ言を聞くつもりは無い。そんな態度がアキトからは見て取れた。

 その瞳には憎悪が走り、その感情全てが、目の前のPoHのみに向けられていた。

 

 だがアキトは、PoHのその言葉に反応する。

 この世の普遍で不変の正義が何かなど、アキトには知る由もない。

 だから、自分が正義かどうかなんて、定義する事は出来なかった。

 

 けれど。

 この場にいる絶対的な『悪』は、たった一人だけだった。

 

 

 

 

 「悪の敵だ」

 

 

 

 

 アキトは《リメインズハート》を突き付け、PoHを見据える。

 その凛とした佇まいは、何もかもを決めて来たのだと、そういった覚悟が見て取れた。

 PoHは、その迷い無きアキトの表情を見て、静かに舌打ちする。

 

 

 「……アスナ、フィリアを頼む」

 

 「……分かってる」

 

 「アキト……アスナ……どうして……」

 

 

 フィリアは二人が現れた事にまだ戸惑っている様だった。

 アキトは、そんな彼女へと少しだけ視線を向けた後、またすぐにPoHへと視線を戻した。

 

 

 「決まってるだろ。助けに来たんだよ」

 

 「っ……そうじゃないっ、どうして、助けになんて……」

 

 

 彼女が何を言いたいのか、アキトには分かっていた。

 どうしてここに来たかを聞いているのではない。どうして、自分を助けに来たのだと、フィリアはそう問うていた。

 だが、アキトにとっては愚問だった。思わず、小さく笑みを浮かべた。

 

 

 「フィリアに会いに来たんだ。大変だったよ、フィリア凄い遠くにいるから」

 

 「で、でも……私は……貴方を裏切って……殺そうとした……」

 

 「大丈夫。あんなダンジョン、大した事無かったよ」

 

 

 アキトはPoHを見ながら、そう言い放った。

 明らかな挑発だが、PoHはニヤニヤと口元を歪めるだけだった。

 フィリアはその瞳を揺らし、アキトの背中を見つめる。

 アキトは再び振り返り、今も尚泣きそうな彼女を見て、目を細める。

 

 

 「フィリアが苦しんでいる理由も、もう分かってる。必ず俺が何とかするから。だから──」

 

 

 《リメインズハート》を構え、PoHを前に臨戦態勢を取った。

 絶対に、フィリアを助けてみせるから。だから。

 

 

 

 

 「帰ろう、フィリア。こんな奴とは縁を切れ」

 

 

 

 

 フィリアは、アキトのその言葉を聞いて、遂に決壊してしまった。

 先程よりも大粒の涙が、彼女の頬を伝う。

 

 

 「アキト……アキト!!ごめんなさい……ごめんなさい……」

 

 「フィリアさん、もう大丈夫だから」

 

 

 泣きじゃくるフィリアの肩を抱き、優しくそう告げるアスナ。

 アキトも、フィリアを漸く助けられた事に安堵し、再び小さく微笑んだ。

 

 

 「美しい事だなぁ……あ〜〜〜〜〜〜〜吐き気がする」

 

 

 だが、それまで沈黙を貫いてこちらを観察していたPoHが、漸くその口を開いた。

 アキトはその声の方向へと視線を動かし、その殺人鬼で視線を固める。

 PoHはフードの奥の瞳を細め、ニタリと顔を歪ませた。

 

 

 

 

 「もうすぐ死んじまうとは、とてもとても思えない」

 

 

 

 

 その言葉に、アキトもアスナも反応する。

 アスナは意味が分からず、思わず聞き返す。

 

 

 「……どういう意味?」

 

 「……もう間に合わねぇよ。もうすぐPartyが始まるんだぜぇ」

 

 

 PoHのその含みのある言い方は、誰かに聞いて欲しそうで、周りの神経を逆撫でさせる。

 要領を得ない奴の話し方に、アキトはそう口を開く。

 

 

 「随分と勿体振るんだな。てっきり聞いて欲しいのかと思ってたけど」

 

 「まあな。やっぱPartyには、お客様がいないとつまんねぇだろ?」

 

 「内容によるかな。良いから早く言えよ」

 

 

 アキトがそう吐き捨てると、PoHは怒りもせずに話し出した。

 距離は一定に保ちながら、この赤き無機質な部屋を右へ左へと歩き出す。

 

 

 「俺は……天啓を受けたんだよぉ……そん時ビビッと来たんだ。な〜〜〜〜〜〜〜んもなく殺してた《ホロウ》の俺様にヒビッとなぁ」

 

 「……」

 

 「……それからは、そりゃ〜そりゃ〜楽しかったぜぇ……」

 

 

 アスナやフィリアには彼の言っている事が分からなかったが、この世界の事をユイに教えて貰っていたアキトは、なんとなくだが彼の言っている事を理解出来ていた。

 この世界の《ホロウ》は、アインクラッドにいるプレイヤーにそっくりに作られている。

 つまり、黙々とPKをするだけだった《ホロウ》のPoHが、自我を手に入れたという事だ。

 それは、他の《ホロウ》とは違う動きをしている事から推測出来た。

 そして、PoHのみがそうなった原因は恐らく────

 

 

 PoHはその歩を止め、アキト達を見据える。

 何かを懐かしむように、PoHは物憂げに呟き、そして声を荒らげた。

 

 

 「あの世界が歪んだ瞬間……あの時分かったんだよ。俺が殺したいのは人間だってなぁ!!」

 

 「……自我があっても、本質は変わんないんだな」

 

 

 AIとして機械的に動いても、自我を手に入れても、結局奴がしている事は変わらない。

 アキトはその事実に歯噛みし、そんなアキトと視線を交錯しながら、PoHは言葉を続ける。

 

 

 「……人を殺すのって快感だよなぁ。《ホロウ》だって死ぬ間際はちゃんとイイ表情するんだぜぇ。しかもよ、アイツらを狩りまくってたらSurpriseなプレゼントが来たんだよぉ」

 

 

 そう言ってPoHは、自身の左手を掲げる。

 すると、次の瞬間、その手のひらが輝き出した。アキト達は驚きつつも、その目を凝らす。

 PoHのその手には、アキトがこの《ホロウ・エリア》に来た時に手に入れた紋章と同じものが浮かび上がっていた。

 

 

 「……高位テストプレイヤー権限か……」

 

 

 PoHの言っている事が本当なら、奴はここにいる《ホロウ》を何人も殺し、そうしている間に偶然手に入れてしまったという事だろう。

 AIだからといっても、人を沢山殺した事による恩恵が、自分と同じ紋章だと思うと、アキトは苛立ちを隠せない。

 そして、奴がその権限を持っているという事は、恐らくアキトと同じく《管理区》に入る事が出来る。

 その時にフィリアと接触したのだろう。

 

 

 「でだ。管理区にあったコンソールを調べてたらよぉ、この世界がなんなのか知っちまったわけ。ついでに、そこのフィリアちゃんの事もなぁ〜」

 

 

 フィリアはバツが悪そうに、アキトとアスナから目を逸らした。

 自分が何者なのか、それを知られてしまってたから。アスナが困惑する中、アキトは変わらずPoHから視線を外さない。

 

 

 「まぁ〜俺が誰で《ホロウ》がどうだとか、正直誰かを殺せればどうでも良かったんだけどよぉ……」

 

 

 すると、先程まで笑みを浮かべていたPoHの顔から、その笑みが消え、視線の先にいるアキトを睨んだ。

 

 

 「お前ら(・・・)が来やがった」

 

 「呼ばれたんでな」

 

 「ゲームクリアなんかしたら俺が消えちまうじゃねぇかぁ?だからさぁ……永遠の楽園を作る事にしたんだよぉ」

 

 

 ────楽園。

 

 

 その言葉は、甘美なものに聞こえるべきものの筈なのに。

 目の前の男が言うと、とても恐ろしいものに聞こえた。

 

 アキト達がどういう事だと問い質す前に、PoHは天高々にその紋章が浮かんだ左手を掲げ、大声で叫んだ。

 

 

 

 

 「この権限を使ってよぉ、《ホロウ・データ》でお前らの世界をアップデートしちまえば良いってなぁ!」

 

 

 「っ……お前……」

 

 

 PoHの目的が漸く判明したのも束の間、アキトは歯噛みする。PoHの声が部屋に響き渡る。

 フィリアとアスナも困惑したように二人を見つめていた。

 

 

『この《ホロウ・エリア》のデータ全てで、アインクラッドをアップデートする』

 

 

 これが、PoHの本当の目的。

 それがどういう事なのか、それにによってアインクラッドにいるプレイヤーにどんな影響を及ぼすのかすら分からない。

 完全に未知。だからこそ恐ろしい。

 このエリアも、AIで構成されたアインクラッドと同じプレイヤーも、全てアップデートされる。

 そうなったら、アインクラッドの本物のプレイヤーは、引いては現実の身体がどうなるのかさえ分からない。

 言わばこれは、アインクラッドに生きる全てのプレイヤーへのPK。

 もし、そんな事になったら────

 

 

 「《ホロウ》だけの世界になれば、俺は永遠に人殺しを楽しめるじゃねぇかぁ!最っ高にCoolじゃねぇ?」

 

 「っ……そんな事になったら……」

 

 「お前……自分が何しようとしてんのか分かってて言ってるのか?」

 

 

 アスナが戸惑う前で、怒りを抑えた震える声で、アキトはPoHに告げる。

 PoHの言動から察するに、アップデートする為の手順はもう踏んでいるのだろう。だからここで油を売っており、フィリアを用済みだと称して殺そうとしていたのだ。

 その事実も重なり、アキトの怒りは募っていくばかりだった。

 そんなアキトを気にもせず、PoHは小さく溜め息を吐いた。

 

 

 「分かってねぇなぁ〜。本当の俺って、俺の事だろぉ。なんでアインクラッドの俺を生かしてこの俺が消えなきゃいけねぇんだよ……そうだろ?」

 

 「アインクラッドのお前も似たような事を言うかもな。……俺も、何でお前みたいな奴の為にアップデートされなきゃなんないのかって思ってるよ」

 

 

 アキトのその声は、怒気を含んでいた。

 PoHは今、アインクラッドで必死に生きているおよそ6千人を敵に回したのだ。

 その事実だけで、アキトの戦う理由は充分だった。

 その構えていた剣を斜に構え、攻撃の態勢をとる。

 ここへ来て変わらぬ闘志を持っているアキトを見て、PoHは苛立ちを募らせていた。

 

 

 「……やっぱりさぁ、重要な事は自分でやるもんだよなぁ、うん。俺がちゃんと殺さないと、駄目だったよなぁ〜」

 

 

 PoHは腰から《友切包丁(メイト・チョッパー)》を取り出す。

 重い腰を上げるように、ゆっくりと歩き出す。視線の先はアキトをロックオンしており、動く気配は無い。

 この目の前の男はもう、他の事を考えるリソースを排し、アキトを殺す事だけを考えていた。

 

 

 「……悪いけど、簡単に殺されたりはしないから」

 

 「アキト……」

 

 「アキト君……」

 

 

 アキトはその瞳の色を変え、完全にスイッチを切り替えた。

 PoHなんかに、AIなんかに負けはしないと、そんな意志を感じた。

 アスナもフィリアも、普段は見せないアキトの殺気を分かりやすく感じ取り、思わず背筋が凍った。

 

 

 「お〜お〜随分と余裕だなぁ」

 

 

 そういうPoHも、余裕綽々といった態度で、アキトを挑発し始める。

 だが、アキトの次の言葉に、その表情が崩れる。

 

 

 「自信をくれたのはお前だぞ、PoH」

 

 「……あぁ?」

 

 「ここに来た時にお前が言ったんだ。俺を『正義の味方』だと」

 

 

 小さく、それでいて挑戦的な笑みを浮かべるアキトは、《リメインズハート》を手元に引き寄せ、PoHを見た。

 

 

 「正義の味方の目の前で、悪が栄えた試しは無い」

 

 

 いつだって、世の理を乱す者達は、正義によって断罪されてきた。

 自分はそんな高尚な存在ではないけれど、PoHが自分をそう思ってくれているのなら、もう奴は負けを認めたも同じ。

 ヒーローの前で、悪は決して栄えない。

 

 

 

 

 

 「……お前はここで、果てる運命(さだめ)だ」

 

 

 

 

 「……言うじゃねぇか。面白ぇ」

 

 

 

 

 

 

 

 お互いに笑い、同時にその床を蹴り飛ばした。

 

 

 

 

 









小ネタ 『英霊』



PoH 「黒の剣士(セイバー)をその身に宿す戦士よ、その名を聞きたい」(カル○感)

アキト 「アキトだっ……!」(ジ○ク感)

PoH 「良い名だ。ではこの第二の生において我が最大最強の好敵手に、最上の敬意を持ってこの一撃を捧げよう!」(カ○ナ感)

アキト 「来い!」(ジー○感)


アスナ 「遊ばないのっ」ボコッ

アキト・PoH 「「痛っ!」」



※本編とは無関係です。
















次回 『その紛い物の勇者の名は』


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Ep.82 その紛い物の勇者の名は





最近、《千年の黄昏》編のストーリーを妄想する毎日。
色んなシーンを思い描く度に書きたい衝動がががのが。

では、どうぞ。




 

 

 

 

 《浮遊城 アインクラッド》に新装備や新スキルを実装するテストエリアである《ホロウ・エリア》。

 その広大なフィールド、その小さな一部屋で、この世界の命運を分ける戦いが誰にも知られずに行われていた。

 剣の交錯する音が血のように赤い部屋に鳴り響く。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 互いに命を賭して剣を振るうその様に、アスナとフィリアは息を呑む。

 目の前で繰り広げられているのはきっと、デュエルなんて言葉じゃ生温い、殺し合いにも似た意志のぶつかり合い。

 

 《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》リーダー、PoH。

 そして、《黒の剣士》アキト。

 

 自分の快楽の為だけに戦うPoHと、自分以外の誰かの為に戦うアキト。

 互いに互いを絶対に理解出来ず、認める事が出来ず、決して相容れない二人の、文字通り世界を巡る戦いが幕を開けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「It's show time!」

 

 

 「っ────!」

 

 

 重なる剣戟の中、アキトが一歩前に踏み込む。

 隙と呼ぶには短いタイムラグを見抜き、その紅い剣をPoH目掛けて繰り出した。

 PoHは背を仰け反らせる事でそれを躱し、そのまま後ろへとバク転する。その拍子に上げた足で、アキトの剣を持つ腕を蹴り上げた。

 

 

 「ハッ────!」

 

 

 嘲笑う様に顔を歪めたPoHは、一旦距離を取ったかと思うと、地を這うような低い姿勢でアキトに詰め寄ると、懐に入り込み流れるようにダガーを振り上げる。

 PoHによって蹴り上げられた剣を持つ右手は未だ虚空を彷徨い、ダガーをいなすには間に合わない。

 アキトは咄嗟に左手を輝かせ、そのまま体術スキル《閃打》を迫り来るダガーにぶつけた。

 

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》を弾かれ身体が流れたPoHは、その威力のまま身体を回転させ、再びアキトに向けてダガーを振り抜く。

 アキトは右手に持つ《リメインズハート》を振り下ろし、ダガーの攻撃を受け止めた。

 

 

 「へぇ〜、やるじゃねぇの」

 

 「っ……らぁっ!」

 

 

 PoHの顔が近付く事に無意識的に嫌悪感を感じ、感情に身を任せてその剣を振り切る。

 アキトの筋力値によって飛ばされたPoHの身体は、そのまま宙にふわりと浮かぶ。そしてすぐ後ろにあった壁を蹴り飛ばし、再びアキトに向かって迫る。

 

 

 「なっ……!?」

 

 「ほらよぉ!」

 

 

 PoHのダガーが大振りでアキトに近付く。

 慌てて距離を取る為にバックステップを図るが僅かに遅く、そのダガーはアキトの肩を掠らせた。

 

 

 「くっ……」

 

 

 アキトは斬られた肩に手を置き、小さく舌打ちをする。

 まるでこちらの動きを予測したような動きには敵ながら感心するしか無い。

 恐らく先程空中で壁を蹴って迫ったあの攻撃も咄嗟の事では無く、アキトがPoHを弾いた時に、自分からジャンプしたのだろう。通りで振り抜いた時に手応えが軽かった筈である。

 

 

 「アキト君!」

 

 「大丈夫。アスナはフィリアと下がってて」

 

 

 アスナ達の声が背中から聞こえる。PoHに一瞬でも隙を突かれない為にも、振り返っての会話は出来ない。

 PoHは警戒心剥き出しのアキトを見て、ニヤニヤと嗤うばかり。

 

 

 「必死じゃねぇかぁ……さっきまでの威勢はどうした?」

 

 「威勢が良いように見られてたのか。案外アンタも俺を警戒してんだな」

 

 「はぁ〜〜〜〜、やっぱりムカつく野郎だぜオイ!」

 

 

 その怒号と共に一瞬でアキトへと間合いを詰めると、ダガーの刀身が赤黒く染め上がる。

 元々のステータスと、天性の圧倒的身体能力でアキトに迫るその速度はまるで音速。ゲームでなければ有り得ない速度だった。

 その一瞬がスローモーションのように見え、アキトはその間、目の前の男の動きの機微を見逃さず、何手先をも予測する。

 だが────

 

 

(ソードスキルか……でも、見た事無いモーション……!)

 

 

 PoHのダガー《友切包丁(メイト・チョッパー)》が見た事も無い色のエフェクトを纏っている。

 血のように赤く、闇のように黒い。

 

 

 「Yaaaaaaaah!」

 

 「っ、くそ……!」

 

 

 距離を取り、《リメインズハート》を胸元まで引き寄せる。

 奇声を上げながらダガーを振り抜くPoHのソードスキルに、アキトはどうにかいなす事しか出来ていなかった。

 

 短剣四連撃技《マーダー・ライセンス》

 

 そのエモノを上から叩き付ける。

 アキトはその刃先をどうにか剣でずらし、紙一重で躱すも次の瞬間、今度は下から斬り上げられる。

 その刀身は深めに、アキトの身体を抉った。

 

 

 「がっ……!」

 

 

 アキトは後方へと吹き飛び、そのまま地面を転がる。HPが二、三割程消し飛んでいるのが分かり、ソードスキルの威力を痛感した。

 態勢を立て直そうと身を翻すが、休ませる時間を与えないと言わんばかりに、既にPoHが距離を詰めていた。

 

 

 「ほらぁどうした!イイ声で泣いてくれよぉ!」

 

 「チッ!」

 

 

 再び振り下ろされたダガーを、剣を水平にして受け止める。態勢を立て直そうとしていた段階だった為にアキトはしゃがんでおり、上を取られたこの状態は非常に悪手だった。

 ガキィン、と剣がぶつかり合う音が聞こえたのも束の間、PoHが下にいるアキトの腹に思い切り蹴り技を繰り出す。

 

 

 「ぐあっ!」

 

 「アキト!」

 

 

 フィリアが慌ててその名を叫ぶ。

 耳に彼女の声が響いた瞬間、追撃を入れようとするPoHのダガーをローリングで躱す。

 そこから地面を蹴る事で、一瞬でPoHと距離を取った。

 

 

 「はあ、はあ……」

 

 「頑張るねぇ……」

 

 

 PoHは手元の武器をクルクルと遊ばせ、アキトを一瞥する。

 一瞬の攻防の中、たった数秒の隙さえ目の前の男には見せてはいけない。見せたら最後、殺される未来まで明確に見えていた。

 AIだとしてもこの強さは本物で、油断は決して出来ないという事を痛感する。

 PoHに斬られたこの身体の傷と共に。

 アキトが与えられたダメージによって、フィリアを助けた際に放ったPoHへの一撃、その有利性(アドバンテージ)が既に失われていた。

 奴が強いと認知していたからこそ、先にダメージを与える事は悪くない一手だったが、今のPoHの怒涛の連続攻撃で、それもイーブンになってしまっていた。

 いや、僅かに────

 

 

(俺の方が不利か……)

 

 

 HPの減り具合は兎も角、一撃の重さは奴に軍配が上がる。

 というのも、現在この戦闘において言うならば、明らかにPoHはアキトよりも優位にある事に違いないからだ。

 未知のソードスキルがその何よりの理由。連撃数は《二刀流》に及ばないが、一撃の威力は桁違いだ。

 どういう理屈でそれを手に入れたかは分からないが、それでも歯噛みせずにはいられない。

 あんな血のように赤黒く刀身を光らせる剣技だなんて、まるで人殺し専用のソードスキルのように感じて。だがその威力は本物で、初見だった為に回避も間に合わなかった。

 

 逆にアキトは現在片手剣装備。既存のソードスキルでは恐らく奴のスキルには速さは兎も角威力は劣るだろう。

 加えて、既知のソードスキルは予測されやすく、カウンターだって有り得なくない。未知というのは、それだけで脅威足り得るのだ。

 まだPoHは隠し玉を持っている気がしてならない。ならば、《二刀流》が割れているなら不利なのはアキト。

 《二刀流》を使えば凌げるかもしれないが、今このタイミングでストレージを開いて剣を取り出す隙を、奴が与える筈が無い。

 ならば、自分に出来る事は奴に予測されない動きをして勝つという事。ソードスキルに頼ってはいけないという事。

 だが、《剣技連携(スキルコネクト)》もある為、隙があればソードスキルも狙っていける。

 

 考えをまとめ、アキトは《リメインズハート》を地面に触れる程下げて構える。PoHは余裕そうにニタニタと嗤うのみ。

 奴が油断している内に決めるしかない。

 

 

 「────っ!」

 

 

 アキトはジグザグに低い姿勢走ってPoHに迫る。

 その紅い刀身をPoH目掛けて突き出す。PoHはそれを躱し、ガラ空きの背中に向かって《友切包丁(メイト・チョッパー)》を掲げる。

 アキトは勢い良く地面を蹴る事でその一撃をギリギリで躱す。

 そして再び身を翻し、PoHに向かって《リメインズハート》を振り抜く。

 大振りに構えて、今はもう振り下ろしている。油断もしている今、この瞬間が好機────

 

 

 

 

 

 

 「おいおい危ねぇじゃねぇか」

 

 「なっ……」

 

 

 完全に油断していた筈なのに、それすらも振り下ろしていた筈のダガーで防御されていた。

 これにはアスナとフィリアも驚いて目を見開く。アキトも同様を隠せない。

 力任せにいなされ、態勢を崩すアキトに向かって、再びその刀身が血のように染まる。

 拙い────そう思ってアスナが慌てて声を上げる。

 

 

 だが────

 

 

 「アキト君、避けて!」

 

 

 

 

 「────遅ぇ」

 

 

 

 

 短剣五連撃技《ブラッド・ストリーム》

 

 瞬間、アキトの腹部に強烈な一撃が放たれる。そしてすぐさま、PoHはスキルモーションに身を任せて身体を動かし、左下、右下からクロスするようにアキトを斬り上げる。

 アキトの身体にはX字のような切断面が付けられ、そのままソードスキルの威力で吹き飛ばされる。

 

 

 「ぐああぁぁぁあ!」

 

 

 アキトは地面を滑り、そのまま摩擦力で停止する。

 与えられたダメージは大きく、心身共にショックが募る。

 

 

 「こんなのはどぉだぁ!」

 

 「っ!」

 

 

 起き上がってすぐ顔を上げれば、PoHが目前に現れる。

 急いで武器を構え、迫るダガーを受け止める。だが、鍔迫り合いも束の間、PoHはその場で屈み、アキトの足を蹴り飛ばした。

 

 

 「クソッ……!」

 

 「Yeah!」

 

 

 ふらつくアキト目掛けて再び《友切包丁(メイト・チョッパー)》を突き出し、アキトの頬を掠らせる。

 アキトは戸惑い、舌打ちしながらも崩れそうな態勢のまま無理矢理にバックステップする。

 しかし、それすらもPoHの予測通りだったのか、同じタイミングでステップする事でアキトとの距離を近付け、ダガーを振るう。

 アキトは立て直す事すら出来ず、どうにか繰り出された剣を目視で弾くので精一杯だった。

 状況は明らかに劣勢、辛うじてPoHの攻撃を防いではいるが、この状況下を作り出されてしまった事により、現状手数の多さはPoHが勝っていた。

 押し出されるプレッシャーに、アキトは咄嗟に横にステップを踏むが、その足を自身の足に引っ掛けさせ、アキトのバランスを崩す。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 アキトは嫌な気配を感じ取り、すぐさま首を後ろに反らす。

 次の瞬間、空気を切り裂くような音を立て、アキトの顔面すれすれの位置をPoHのダガーが通り過ぎる。

 

 

 「シッ!」

 

 

 PoHは躱された事実に意も介さず、そのまま痛烈な薙ぎ払いをアキトに向ける。

 アキトは慌てて《リメインズハート》を突き出し、そのダガーを受け止めた。

 顔を歪めて両手で片手剣を支えているのに対し、PoHは涼しい顔でアキトを見下ろして、ニヤリと嗤いながらダガーを押し込む。

 

 

(くそっ……くそっ、くそっ!)

 

 

 アキトはどうにか片手剣に力を込めながら、心の中では悔しさが滲み出ていた。平常心を失った方が負けると分かっているのに、その心はそう上手く動かない。

 PoHの予想以上の強さと、スペックの違いに悔しさを感じずにはいられない。

 焦ったら負けだと分かっていても、このままでも負けてしまうのではないかと直感が訴える。

 

 

 「おいおいおい……随分と焦ってんじゃねぇの?」

 

 「くっ……」

 

 

 競り合う中、PoHが顔を近付けて来る。

 フードから見えるその瞳は、突き刺すように冷たく、アキトは思わず歯を食いしばり、剣に力を入れる。

 

 だが、PoHはアキトを見下ろし、その目を細めると。

 アスナとフィリアには聞こえないくらい小さな声で、ポツリと告げた。

 

 

 

 

 「……交代(・・)、した方がイイんじゃねぇかぁ?」

 

 

 「っ!?」

 

 

 

 

 アキトはダガーを全力でいなし、一瞬で距離を離す。

 その慌てぶりにPoHはケラケラと嗤うだけ。

 だが、アキト当人は、彼から発せられた言葉の意味を一瞬で理解したのか、驚きでその瞳を大きく見開いていた。

 ドクドクと心音が聞こえる。PoHの言葉が何度も頭を反芻する。

 

 

 交代────誰と?

 そんなのはもう分かり切っている。

 

 

 「……お前、まさか……」

 

 

 アキトはPoHを思い切り睨み付ける。

 PoHは態とらしく、惚けたように首を傾げて口元を歪めるが、アキトは奴の主張した言葉の意図を理解していた。

 

 

 アイツは、自身の中のもう一人(キリト)に気付いてる。

 

 

 一体いつから?そんな風に考えるのを止められない。今この戦闘下においてはあまり関係の無い事象なのに、思考を割かずにはいられない。

 思えば奴とアキトは初対面。そんな自分に、PoHはここまで警戒して、フィリアを使ってまで罠に嵌めて殺そうとするだろうか。

 

 

(まさか、最初から……?)

 

 

 アキトが初めてPoHを見た時、本当はPoHは隠れていた自分に気付いていたのでは?

 そこからずっと、自分の正体に気付いていたのだろうか?

 アキトが、キリトの存在に気付く前から────

 

 

(……じゃあ俺は、またキリト絡みでこんな目に合ってるって事なのか……)

 

 

 色んな奴らと関わる親友だなと、呆れて笑う事しか出来ない。

 この身にその存在を認識してからというもの、アスナ達との関係もギクシャクし、オレンジプレイヤーには襲われ、今は殺人ギルドのリーダーにまで目を付けられている。

 PoHとキリトの間に何があるのか、聞いた事は無いが、何故かなんとなく理解出来ている。

 彼がこの中にいるからだろうか。知らない記憶が入って来るような感覚がある。

 つまり、目の前の奴は自分を通してキリトを殺したがっていた、という事だ。

 

 

 「……はっ」

 

 

 成程。油断どころか、見られてもないのか。そう思うと、笑えてしまう。

 同時に、ふつふつと煮え滾る感情が顕になり始める。

 

 

 

 

 「さっさと代わって、せいぜい楽しい叫び声を聞かせてくれよぉ、《黒の剣士》様よぉ!」

 

 

 「────うるせぇよ」

 

 

 

 

 PoHに一瞬で詰め寄ったアキトは、その刀身にエフェクトを纏わせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「天国に逝っちまいなぁ!」

 

 「ぐっ、この……!」

 

 

 アキトとPoHの戦いは、未だに続いている。だが、明らかに劣勢なのはアキトの方だと、一目見て理解出来た。

 繰り出す剣は全ていなされ、僅かな隙があれば攻撃を成功させてしまうアキト。PoHの戦闘技術は明らかに対人戦特化であり、それ相応に戦闘慣れしていた。

 PvPをしないアキトと、人殺しを楽しむPoH。経験の差から明らかに勝敗が決まっており、アキトが不利であるのは明白。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 アキトがPoHを予測して動いても、PoHはさらにその上を行く。

 ソードスキルはアキトの予想通り躱され、そこからカウンターを仕掛けられていく。

 キリトに次いでの反応速度が功を奏し、どうにか致命傷にはならないものの、PoHの普通の短剣とは違う大型ダガーはリーチがその分だけ広く、アキトは完璧には躱せず徐々にダメージを受けていく。

 その事実が、アスナの心を揺れ動かす。

 

 フィリアを、みんなを助けたい。そんな想いが乗った一撃が、人殺しで染まった剣で弾かれる事実を、拒否したい感情に襲われる。

 正しいのはアキトなのに。

 彼は強い筈なのに。

 それなのに、どうしてPoHなんかに。

 

 

 

 

『……よう閃光、偉い醜態じゃねぇか』

 

 

『強さも意志も目的も、俺が持ってる。だから、お前はそのままでいい。ただ……命だけを持ってろよ』

 

 

『生きる意味なんてのはきっと、この先いくらでも見つけられるし、探せると思うから』

 

 

『利己的な目的で上げてたレベルが、誰かの為になる。そう思うと、その苦行がとても意義あるものに思えて、嬉しかった』

 

 

『力、貸してくれる?』

 

 

 

 

 アスナは知っている。彼は初めて出会った時はとても嫌な態度を取っていたけれど、本当はとても優しい少年だったという事を。

 強さにものを言わせる口振りだったけれど、本当は強がっているだけだという事を。

 アスナはもう、知っている。彼が誰よりも傷付いて、誰よりも頑張ってきたという事を。

 

 誰よりもひたむきで、真っ直ぐで。

 見返りなんて要らなくて、ただ誰かを見捨てられなくて。

 一生懸命努力して、今の彼があるのだという事を。

 

 彼は強かった。今、攻略組の中心核には間違いなくアキトがいる。

 彼の『強がり』は、ちゃんと『強さ』に変わっている筈なのだ。

 なのに────

 

 

 

 

(アキト君が、負ける────?)

 

 

 

 

 あれほど強かった彼が。

 あのアキトが、あそこまで鮮やかにやられるなんて。力の差を残酷なまでに見せ付けられているなんて。

 あんなに、頑張ってきたのに────

 

 

 

 

 楽しそうにダガーを振るうPoHと対称的に、苦しそうに戦うアキト。

 自身のこれまでの努力全てを振るっても尚、実力差は歴然としていた。

 アキトの身に付けた技術全てを、PoHは簡単に踏み壊していく。

 

 手を貸しに行きたいのに、足でまといになったらと思うと足が竦む。もし人質なんかに取られ、アキトを動けなくしてしまうケースが一番最悪なパターン。

 それに、フィリアを守らなければならない。

 動けないもどかしさを感じながらも、アキトから目を離せない。

 

 アキトを見てきた記憶が蘇る。

 皮肉を言われ、文句を吐かれ、それでも必ず誰かの為に動く彼は、本当は弱くて、それでも一生懸命頑張れる、何処にでもいる男の子で。

 

 

 「っ……ア、スナ……」

 

 

 フィリアが隣りで戸惑いの声を上げる。

 気が付けば、アスナの頬には涙が伝っていた。

 勝てない事実を一番痛感しているであろうアキトが、ボロボロになりながらもPoHと戦っているのを見て。

 

 

 「……怖いの」

 

 

 独り言のように、ポツリと呟いた。

 涙を拭う事もせず、真っ直ぐにアキトを見据える。見ていられない、なのに、見る事しか出来なくて。

 

 

 恐ろしかった。

 アキトが今まで傷付いて、それでも積み上げて来たもの全て────

 

 

(全て、この戦いで消えて失くなるんじゃないかって……)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「はあ、はあ、はあ……」

 

 

 《剣技連携(スキルコネクト)》も使えず、既存のスキルは予測され潰される。案の定カウンターまで決められる始末で、アキトのHPは減るばかりだった。

 流れるように連続で飛び出すダガーの一撃一撃が速く、重い。

 精神的にも肉体的にも、疲労が蓄積されていくのはアキトだった。

 PoHと距離を開き、その場で蹲るように態勢を崩したアキトは、荒い呼吸をどうにか整えようと必死になる。

 PoHは表情を崩す事無く身体を左右に揺らしながらアキトを見据えており、アキトはそんな巫山戯た態度のPoHに焦りを感じていた。

 

 

 ────強い。

 

 

 確かにそう思った。AIだなんて油断は禁物で、そうすればすぐ首を跳ねられる。

 けれど、だからこそ認めたくないと、そう思ってしまう。

 誰かを守る為に身に付けた力が、誰かを殺す為に身に付いた力に劣る。

 その事実が、アキトの心にヒビを入れていた。

 

 

 「くっ……」

 

 

 どうにか膝に力を入れて立ち上がろうとする。

 まだ終わってない。コイツを倒さなければ、みんなが危ないかもしれない。

 そう思うと止められなかった。

 だがそんなアキトを静止したのは、他でもないPpHだった。その手を上げて、アキトにやめろと言い放つ。

 

 

 「もう間に合わねぇって言ったろぉ?お前ぇがここで頑張ったところで遅せぇんだよ」

 

 「……」

 

 「もうちょい楽しめると思ったが残念……お前ぇじゃぁ俺について来れねぇよ」

 

 

 その宣告は認めたくはないけれど、とても痛い言葉だった。

 今こうして奴と戦って、自身が優勢になった事は無い。これは恐らく、PoHとアキトの経験の差。

 そもそも、アキトは人を斬る事に対して抵抗がある。それに対してPoHは寧ろ、人を斬りたいという人間。相性は最悪だった。

 でも、奴を止めなければ誰も救われないと思ったから。もう間に合わないとしても、この足を止められないから。

 立ち上がろうとするアキトにそんな意思を感じたのか、PoHは再びニタリと嗤った。

 

 

 「仮にお前ぇが全部止められたとして、そこのフィリアちゃんはどうするんだぁ?」

 

 

 アキトはその言葉と共に、フィリアへと振り返る。

 フィリアは、思わず視線を逸らした。フィリアはまだ、自分の事を《ホロウ》だと思っており、PoHの言ってる事が正しいと感じていた。

 アスナも具体的な事は知らないので、困惑しながらフィリアを見る。

 アキトはフィリアの事情も、PoHの言っている事も間違いだと知っていたが、今この瞬間は、そんな事頭の片隅にも無かった。

 ボロボロになりながら、ただPoHの言葉を聞くだけだった。

 

 

 「ゲームがクリアされれば、お仲間は消えちまうんだぜぇ?《ホロウ》だからって、見捨てられねぇよなぁ?」

 

 「……」

 

 

 そう、もしフィリアが《ホロウ》、ただの作り物だったとしたら。

 もうアキト達に為す術は無い。仮に、PoHのアップデートを止められたとしても、この世界の存在であるフィリアを現実へと帰還させる手段は存在しない。

 もしフィリアが《ホロウ》なら、ここでお別れ。

 アキトは、そんな事はきっと出来ない。フィリアという存在を知ってしまったから────

 

 

 「お前ぇに《ホロウ》……人は殺せねぇ。独り善がりな、下らねぇ正義感があるからなぁ。俺を殺せねぇのがその証拠だ」

 

 

 アスナとフィリアは、PoHの言葉を聞きながら、アキトを見た。

 何も言わず下を向く彼の顔は伺えないが、奴の言っている事はある意味正解なんじゃないかと思い始めていた。

 フィリアは正にそうだった。ボロボロになった斧使いの男性プレイヤーの《ホロウ》を、必死になって救おうとしていた姿を思い出す。

 たとえデータでも、人の為なら一生懸命になれるのがアキト。

 フィリア(ホロウ)を救おうとしているのがその証明だと、フィリア自身が思っていた。

 

 

 アキトは誰かを犠牲にして、誰かを助けるという選択肢を取れないかもしれないと。

 故に────

 

 

 「だからお前ぇはこの『世界』を犠牲に、ゲームクリアなんか出来ねぇんだよぉ!」

 

 

 フィリアのいる《ホロウ・エリア》という世界。そこには人の形をした、意思を持つ人間と変わらない存在がいる。

 そんな彼らを犠牲に、アインクラッドに生きるプレイヤーを生かす。そんな事が、アキトに出来る筈が無いと、PoHは主張した。

 

 

 アキトに《ホロウ》は殺せない。

 アキトは、《世界》を守る正義の味方だからと。

 

 

 その確信を突いたかのような発言は、アスナ達を動けなくさせる。

 これ以上はきっと、アキトの負担になってしまうと。

 もうやめてと叫んでも、声が出ない。

 ただこのまま、アキトが壊れるのを見る事しか出来ないのかと。

 

 ゲームクリアをしたら、もしかしたらフィリアが消えてしまうかもしれない。

 事情を知らない彼女達は、きっとそう思っている。

 ならアキトは、そんなフィリアがいるこの《ホロウ・エリア》を、どうする事も出来ないんじゃ────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あぁ?」

 

 

 PoHがふと、そんな声を発する。

 アスナとフィリアは一度PoHを見た後、その視線の先にいるアキトを見た。

 

 

 「ぁ……」

 

 「アキト、君……」

 

 

 二人の視線の先に、アキトはいた。

 そこにはPoHの言葉を聞いて尚、立ち上がろうとする《勇者》がいた。ヨロヨロと弱々しく、それでも前を向く事をやめない一人の男がいた。

 アスナは、再び涙を流す。こんなにも頑張れる人を、自分は知らなかったから。

 

 

 アキトは、立ち上がろうとするその時に、PoHを見据えて小さく笑う。

 

 

 「世界って、なんだよ」

 

 「……あ?」

 

 「どんな顔してんだよ……お前の言う『世界』って奴は」

 

 「……何言ってやがんだ……?」

 

 

 PoHはアキトの言葉の意味が分からないと言わんばかり。

 そして、ここまで言っても折れないアキトに、興味すら湧いて来ている様だった。

 

 

 「勘違いしてるようだから、言っとくぞ、PoH」

 

 

 アキトは剣を床に刺し、支えにして身体を起こす。

 荒い息は安定し、そして、身体からはバチバチと電気のようなものが走る。

 その光景を、誰もが見ていた。もう彼から視線を逸らせない。

 

 

 「俺は、世界の平和を守るような正義の味方なんかじゃない。俺が守りたかったのは……いつだって、誰かの笑った顔なんだ……!」

 

 

 絞り出す声で放たれた願いは、とても透き通っていた。

 結局は自己満足。

 守りたいと思ったのは、見たいと思ったのは、その程度のものだった。

 誰かの笑顔が、幸せだと感じたその顔は、いつだって美しかった。

 何も無かった自分を明るく照らしてくれたのは、そんな見ず知らずの、顔を見るのも初めてな、そんな彼らの笑った顔で。それを見ているだけで、とても満たされた。

 他者が幸せそうしていれば、自分も幸せになったような気がしてた。

 それはきっと、自分の幸せなのだと、今思えば錯覚していたのかもしれない。

 誰も苦しまない世界などないけれど、そんな世界なんて認めたくなかったのだ。

 

 

 「俺がなりたいのは……あらゆる現実やしがらみを否定してでも、幸せな笑顔を絶やさないようにって……そんなエゴを纏った、我儘なヒーローなんだ……!」

 

 

 誰かの為になれる人。それは偽善かもしれない。それでも、美しく綺麗で、切実な願い。

 だからこそ。

 自分の知りうる世界では、誰にも涙して欲しくなかったのだ。

 

 

 

 

 「……そんなもんは偶像だ」

 

 

 「……かもな。けど、俺はそう在りたいと思ってる。だからこそ……」

 

 

 

 

 そう、だからこそ。

 誰かの笑顔が見たいという、我儘な願いがあったからこそ。

 

 

 

 

 「……そんな顔の見えないものの為に、俺は頑張れない」

 

 

 

 

 フィリアの為なら『この世界』を。

 彼女が今、この瞬間でも笑えるように。

 

 

 

 

 「みんなの為だから、俺はっ……!」

 

 

 

 

 漸く立ち上がったアキトは、苦しそうに顔を歪めつつも、その闘志は失っていなかった。

 飽きていた筈のPoHは再び口元に弧を描いていた。

 身体中が傷だらけの、今にも壊れそうなアキトを見て、フィリアは瞳を揺らしていた。

 

 

 「なんで……どうして、そこまでっ……!」

 

 

 フィリアは叫ばずにはいられない。

 どうして自分なんかの為にと、そう思ってしまう。

 自分はきっとPoHの言う通り《ホロウ》で、ゲームクリアと同時に消えてしまう存在。

 ずっと傍に居てくれたアキトを罠に嵌め、間接的にアスナやクラインを裏切った。

 これは自分の問題で、アキト達には関係無い筈なのに。

 どうしてその身を犠牲にしてまで、ここに立ってくれているのか。

 

 

 

 

 「……どうして、だぁ……?」

 

 

 

 

 その質問に苛立つように瞳を滾らせるアキト。

 けれど、その答えは決まっていた。

 アキトはフィリアに視線を向けると、小さく、それでいて力強く告げた。

 

 

 

 

 「友達を助けるのに、理由がいるのかよ」

 

 

 

 

 フィリアはふと、瞳が熱くなるのを感じる。

 溜め込んだ色々なものを抑えられない。

 

 ああ、そうか。そうだった。

 結局はそんな事だったんだ。

 

 この目の前のアキトという名の黒の剣士は。

 たったそれだけの理由で助けてくれる。

 

 

 

 

 「……マジで面白ぇよ、お前ぇ」

 

 「……」

 

 

 ゆっくりと近付くPoHに向かって、《リメインズハート》を構えるアキト。

 その瞳は真っ直ぐに目の前の殺人鬼を捉えていた。

 そして────

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 PoHはその足を止め、アキトを凝視する。

 アスナ達も、アキトを見てその目を見開いていた。

 アキトのその身体からは、バチバチと電気が走り、その瞳の色が僅かに黒く、侵食されていく。

 

 ゾクリと、背筋が凍る。

 PoHは今、明らかに目の前の男に怯えた。

 

 あれは、拙い────

 

 本能がそう言っており、そこからの行動は速い。

 PoHは一瞬でアキトに詰め寄り、《友切包丁(メイト・チョッパー)》を振りかぶる。

 

 

 

 

 「っ……アキト君!」

 

 

 

 

 アスナが慌ててそう叫ぶ。フィリアも涙に濡れた瞳を開き、必死にその名を叫ぶ。

 今の彼のHPでは危ない。あれを食らったら致命的だ。

 

 

 だがアキトは、笑っていた。

 大丈夫だよと、そう伝えるように。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 自身の胸を、心臓を強く握る。

 その鼓動が教えてくれる。力を貸してくれている。

 

 

 そして、PoHのダガーがその身を引き裂くその瞬間、その口元が動き────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞳の色が、また黒く染まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「─── “ダイレクト・リンク”」

 

 

 

 

 

 







キリト 「……あれ、呼ばれた?」

アキト 「いつもは勝手に来る癖に……」

PoH 「グダグダじゃねぇか」







次回 『英雄と勇者の剣技』



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Ep.83 英雄と勇者の剣技




たった一つだけで良い、それだけで良いんだ。







 

 

 

 ────届かない。

 

 

 そう感じてしまう。

 目の前のPoHという男に、自分の重ねた研鑽の何もかもが容易く潰されていくその感覚に絶望すら感じる。

 

 誰かを助ける為にと、そんな高尚な事は言わない。

 けれど、責めて誰かの幸せを壊さぬようにと、そう願ったこの想いは間違ってなどいなかった筈なのに。

 PoHはその一歩上を行くのか。誰かを殺す為の、幸せを壊す為の力に、明らかに劣っている事実。

 それが悔しく苦しく、何より哀しかった。

 

 

 ────もし、キリトなら?

 

 

 彼がこの場に居たら。自分の代わりに戦えたなら、何かが変わっていただろうか。

 キリトなら、PoHに勝ちの可能性すら与えずに完封する事が出来るだろうか。何の犠牲も無く救えるだろうか。

 自分みたいな、誰かに対する劣等感を感じずに戦えるだろうか。

 彼とのその差に、これから自分も彼と同じように進むのかと思うと、足が竦む。心が折れそうになる。

 

 

 ────ドクン

 

 

 心臓が高鳴った。

 自身の無意識に生まれたその願いに応えるように、《彼》が目を覚ますのが分かる。

 その身体が、別の人間に侵食されていくのが分かる。

 

 自分には、彼がいるのだと。

 共に戦ってくれているんだと、そう応えてくれる。

 

 駄目だと分かっている。

 こんなのは仮初の力だと知っている。自分では無いと理解出来ている。

 掲げた願いを、自分では叶えられないのだと痛感してしまう。

 なのに、この窮地を助けてくれる彼がどうしようもなくヒーローに思えて仕方がなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────バチリ

 

 

 その部屋の中心に電撃が走る。

 溜まった電気が暴発したように、周りの空気を吹き飛ばす。

 

 

 「っ……!」

 

 

 ダガーを振り切っていたPoHはその現象に巻き込まれ、そこから部屋の壁まで吹き飛ばされる。だがすぐさま態勢を整え、自身が攻撃した筈のプレイヤーがいる位置へと視線を向ける。

 アスナとフィリアもその眩しさに目を細めるが、やがて頬を撫でる風を感じて、ゆっくりとその瞳を開く。

 

 

 その部屋の真ん中には、一人の剣士。

 

 

 吹き荒れる風で黒いコートが靡き、身体に纏う電撃がその存在を色濃く主張する。

 

 

 流れるような黒髪が風で揺れ、その手には2本の剣が。

 想いを背負う剣(リメインズハート)ともう一つ。

 

 

 ────暗闇を払う剣(ダークリパルサー)

 

 

 その姿は《二刀流》。

 今は亡き、英雄の力。

 

 

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 アスナはその瞳を逸らせない。

 フィリアは戸惑いながらも、その剣士から視線を外さない。

 その激しい電撃が晴れ、吹き荒れる風が段々と弱まっていく。

 その剣士は閉じていた瞳をゆっくりと開ける。

 彼が誰かなんて、愚問だった。

 何より、アスナが知らない筈は無い。

 その背中を、自分が誰よりも知っている。

 

 

 「……キリト、君……」

 

 

 瞳に溜まる涙のせいで、彼の事がよく見えない。

 けれど、そこに存在しているのが誰なのか、はっきり理解出来ていた。

 大切だった、大好きな人。

 アスナのその名を呼ぶ声に反応し、彼は彼女に小さく笑みを漏らす。

 

 

 そこに居たのは、紛れもなく《黒の剣士》キリトの姿だった。

 

 

 「出やがったか……待ちくたびれたぜぇ……」

 

 「PoH……お前は相変わらずの外道だな」

 

 

 PoHは項垂れるように首を動かし、次第にその口元を歪めていく。

 静かにPoHを見据え、怒りを乗せて言葉にするキリト。

 彼のその瞳には、PoH以上の殺意を感じる。

 キリトのその身に現る感情と雰囲気は正しく本物だった。

 これは、キリトの身体ではないのかもしれない。アキトのアバターを媒体として顕現しただけなのかもしれない。

 でも、それでも。

 この場に現れたのは間違い無くキリトだった。

 

 

 「これで漸く楽しめるってもんだ。……まぁアイツにも興味が湧いてたとこだったんだが、どっちも殺せるんなら関係無ぇよなぁ」

 

 「……やっぱり気付いてたんだな」

 

 

 これまでのPoHの言動を振り返ると、PoHはアキトの中にキリトが居ると確信して話している節が見て取れる。

 奴は今この場にアキトに代わって現れたキリトに歓喜している様だった。その笑みを抑え切れずに口元を歪める。

 

 

 「何でそうなったかなんてのはどうでもいい。お前ぇがそこにいるっていう結果があればなぁ」

 

 「生憎だけど、長居するつもりは無いよ。どうせすぐに片が付く」

 

 「言うじゃねぇの」

 

 

 キリトは《リメインズハート》と《ダークリパルサー》を持ち上げて構える。

 その身体は所々ブレており、触れればすぐに消えてしまいそうだった。

 留まれる時間は限られていると、そう示唆出来てしまう。

 その背中を見たアスナは、震える声で呼び掛ける。

 

 

 「……本当に、キリト君なの……?」

 

 「……アスナ。ゴメン」

 

 「っ……」

 

 

 ────たった一言。

 その言葉だけで、全てを理解出来てしまう。

 アキトの身に宿る彼の意志は紛れも無く本物で、決して作り物なんかではない事を。

 あれは、私を今までずっと守ってくれたキリト君なのだと。

 これからも守り続けると、必ず現実世界へ帰してみせると、そう約束してくれた人だと。

 彼はまだ、この世界に存在してくれているのだと、何よりもアキトが教えてくれた。

 

 キリトは今、確かにここにいた。

 色々な事象が折り重なって、この場に現れた彼は、まるでこの世界のバグのように、修正されていくかのように、眩んで見える。

 

 《二刀流(ユニークスキル)》を介した、《カーディナルシステム》への接続(アクセス)。スキルに応じた担い手(キリト)の力を短時間だけ写し取り、その精神をアキトへと上書き(オーバーライド)する。

 《二刀流》を取得してからずっとキリトと同調(リンク)していた事で、その境界線が薄れてきた事による精神の転換。

 《魔王》を倒す《勇者》としての役割を、《カーディナル》がアキトに押し付けた結果の姿だった。

 

 それはきっと、諸刃の剣。

 後天的に別の人格をアキトの脳に強引に植え付けた事と遜色無い事象が、後々アキトを苦しめる事になるかもしれない。

 キリトは自身の胸の中にいるであろう親友(アキト)を思い、剣を握る力を強くする。

 ボロボロになりながらもPoHに向かっていくアキトは、決してPoHに勝てない訳じゃない。

 

 

 「俺が証明するよ、PoH」

 

 

 アキトの願いが、決して偶像なんかじゃない事を。

 親友の努力が、無駄なんかじゃない事を。

 その憎悪に満ちたキリトの威圧感に、PoHだけじゃない、アスナやフィリアもゾッとする。

 

 

 「お前を楽しませる気はさらさら無いが、フィリアと……俺の親友を傷付けたお前を────」

 

 

 その地に付いた足に力を込め────

 

 

 「絶対に許さない!」

 

 

 全力で踏み抜いた。

 その剣はそのままPoHの元へと届き、その身体を掠らせる。

 PoHは舌打ちをしながら、その剣をダガーで弾く。

 キリトのその動きは、アキトよりも僅かに速い。距離を詰め、その剣を振り、火花を散らす。

 互いが互いを見据え、自身の剣を煌めかせる。

 

 

 そんな様子を、フィリアとアスナは眺める事しか出来ない。

 キリトを知らないフィリアは、突然姿が変わってしまったアキトを見て、目を見開いて固まっていた。

 

 

 「アキト……なの?」

 

 

 アキト────キリトから視線を逸らせないフィリア。彼女からすれば、今目の前にいる少年は赤の他人。

 先程まで苦戦していた時とは打って変わって、今は少なからずPoHと剣を打ち合っている。《二刀流》という手数が増えたお陰である程度戦えるようになったのかもしれない。

 だが先程とは半ば戦闘スタイル、それに伴う雰囲気が違って見えて、フィリアは焦る。

 

 誰なのか、今、自分の目の前で戦ってくれている少年は────

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 アスナは咄嗟に開いたフレンドリストから、一人の名前を見つける。

 そして、その目を見開き、涙が頬を伝う。

 死亡扱いされていた《Kirito》の表示が、段々と色を付けていく。

 この瞬間に彼が今、一生懸命になって生きているという事実が、この胸に去来する。

 自分とフィリアを守る為に、戦ってくれている。

 果たせなかった約束を、守れなかった約束を、今一度果たそうとしてくれている。

 アスナはその場に崩れ落ち、その両手を重ね、願うように俯く。

 

 

 キリトが、戦ってくれている。

 

 

 自分の為に。

 

 

 フィリアの為に。

 

 

 そして、アキトの為に。

 

 

 彼は今、アキトが果たせなかった事をしようとしている。

 彼が成しえなかった事を行動に変えようとしてくれている。

 その願いが、努力が無駄じゃないのだと、証明しようとしてくれている。

 涙が流れるも、それを拭おうとはしない。ただ願い、この戦いの行く末を見ることしか、今の自分には出来ないのだから。

 

 

(頑張って……頑張ってキリト君……君が信じるものの為に……私はいつだって君の傍にいるから。ずっと隣りで貴方を、支え続けるから……!)

 

 

 アスナは願う。かつて彼と交わした筈の、果たされなかった約束を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「せぁ!」

 

 「Ha!」

 

 

 交錯する剣がそれぞれ光の軌道を描く。

 星のような煌めきもあれば、血のような濁った色のエフェクトが混ざる。闇のように深く冷たい、そんなソードスキルが飛び交う。

 折り重なる剣戟、響き渡る音、それらが各々の耳に届き、その鼓膜を震わせる。

 

 PoHの他とは違う大きさのダガーを紙一重で躱し、その手元を弾く。

 仰け反った身体にもう片方の剣を突き出すが、PoHは瞬間移動とも呼べる速度でキリトの目の前から姿を消す。

 キリトが殺気を感じたタイミングで、PoHはキリトの背中に《友切包丁(メイト・チョッパー)》を振り下ろす。

 キリトは咄嗟に右手の《リメインズハート》を背中へ担ぐように持って行き、そのダガーとぶつけた。

 

 

 「Wow!流石だなぁ」

 

 「っ……らあっ!」

 

 

 《ダークリパルサー》をPoHに向かって振り抜く。その切っ先はPoHの腹部を確かに斬り裂き、そPoHはその身体を翻す。

 斬られた部分が赤いエフェクトで染まる。その部分を自身の手で優しく撫でながら、PoHは嗤う。

 

 

 「危ねぇ危ねぇ、後一歩踏み込んでたらお陀仏だったぜぇ」

 

 「どうかな……というか、そんな瞬間移動みたいなスキルがあるなんて聞いてないぞ」

 

 「もしもの備えってのは、大事だろぉ?」

 

 

 PoHに負けじと笑みを返してみせるが、内心は動揺を隠せずにいた。

 一瞬で目の前から背後へと回り込む速度は、キリトのステータスでも漸く反応出来るかどうかのものだった。

 アキトと戦っていた時には見せなかった動き、その時以上の移動速度。

 どういう事なのか、それはすぐに検討が付いた。アキトとの戦闘時に見せた未知のソードスキル、そしてここは装備やスキルをテストする《ホロウ・エリア》、加えてPoHは《高位テストプレイヤー権限》を有している。

 それらが導く答えは一つ。

 

 

(コイツ……まだアインクラッドに実装されてないスキルを使ってやがる……!)

 

 

 そう。《ホロウ・エリア》はアインクラッドに実装する前に、装備やスキルがゲームバランスを崩さないかどうかテストするエリアだと、ユイからアキト越しで聞いていたキリトは小さく舌打ちする。

 恐らくPoHは、その『ゲームバランスを崩す』恐れがあるスキルをスロットに入れているのだ。

 つまり、ステータスや経験だけの勝負では無い。そこには、極めて不公平な事実が存在していた。

 キリトはPoHに対する憎悪を必死に抑え、そして。

 

 

 どうにか笑ってみせた。

 

 

 「……成程な、道理でアキトが苦戦する訳だ」

 

 「あぁ?」

 

 「そんなスキルでも無きゃ、アキトがお前なんかに負ける筈が無いからな」

 

 「……ハッ」

 

 

 PoHはそう軽く嗤うが、表面上だけだった。

 その瞳は笑っておらず、キリトに対しての殺意が増す。

 飛び出すタイミングは互いに同じ、違うのはその意志の強さのみ。だが、それが負けてさえなければ問題無い。

 アキトの願いが、自身の願い────

 

 

 「はああああぁぁぁああ!」

 

 

 その二刀をエフェクトで輝かせ、眩い光が迸る。

 PoHが一瞬だけ目を細め、その視界が狭まった今こそが好機。それが僅かな隙だとしても、PoHに出来てキリトに、アキトに出来ない道理は無い。

 

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 

 黄金に煌めく剣技、二本の剣がPoHに迫る。

 PoHは舌打ちをしながらも、自身に近付く剣をギリギリで左へと弾き、余った拳を開き、手刀をキリトの背中に叩き付ける。

 キリトは咄嗟にローリングする事でそれを躱し、瞬時に立ち上がる。振り向きざまにその剣を上げ、近付くPoHにその剣を振り下ろした。

 

 

 「はあっ!」

 

 「チィ……!」

 

 

 PoHはその場で足を止め、ダガーを前に突き出す。

 剣と剣がぶつかり合い、凄まじい音が響く。同時に散らした火花が今も変わらずに飛び、キリトとPoHは互いに睨み合う。

 

 

 「シッ!」

 

 

 キリトは左に持つ《ダークリパルサー》を、鍔迫り合いをするPoHの肩に向かって下ろす。

 PoHはそれを察知したのか、そのダガーを輝かせる。放とうとしているソードスキルに含まれているしゃがむモーションにより、キリトのその攻撃を鮮やかに躱し、そこから足を伸ばしてキリトの足元を蹴り飛ばす。短剣のソードスキル《シャドウ・ステッチ》の動きだ。

 驚きで目を見開くも束の間、態勢を崩したキリトはその隙にPoHの接近を許してしまう。

 キリトは倒れるのを剣を床に刺す事で防ぎ、そこから身体を捻ってPoHに蹴りを入れる。

 PoHは咄嗟に腕でそれをガードするもその威力が流れ、身体が横に飛ぶ。だがその身体を宙で動かし、床に見事に着地した。

 

 

 「────っ!」

 

 

 キリトは畳み掛けるように、その地を蹴る。

 接近するその速度は、今までよりも速い。

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ストリーム》

 

 タイミングは外さない、絶対躱させはしない。

 自身で見極め、今この瞬間に賭けた想いに、決めた選択に、後悔だけはしないように。

 

 その連撃はまさに光速。

 左右の剣から飛び交う光の軌跡がPoHの身体に吸い込まれていく。どうにか弾き躱そうとするも、その殆どがPoHの身体を斬り裂いていく。

 

 

 「ぐぅっ……!」

 

 

 PoHの顔が歪む。自身でも対処出来ない速度の剣技がその身に襲いかかる事に苛立ちを覚え、そこに笑みは無かった。

 PoHは攻撃を受けつつもなんとかそれらを弾き、瞬時にバックステップで後退する。斬られた幾つもの部分を見下ろした後、キリトを見据えて舌打ちをした。

 休ませる暇など与えないと、再び互いに地面を蹴る。そしてまた、高速の攻防が始まる。

 

 斬る、躱す、殴る。

 

 そうして時間を掛ける毎に、誰もが理解し始める。

 間違い無い、PoHは確実に押されている。キリトの全力の剣技が、PoHのHPを着実に減らしていく。

 だが、それでも戦闘を焦りで乱したりしない。常に考え、予測し研ぎ澄ませ、キリトの攻撃に反応してカウンターを繰り出し、キリトはそれを見てから動くその反応の速さで、全てを紙一重で対処していく。

 互いに譲らず、目的の為に全力を懸ける。その意志や切実に思う願いの丈はキリトとPoHでは比べ物にならないが、それでもPoHはキリトに対して引く事はしない。

 どんな事をしても殺す、その目的が明確化されていく。普段なら、自身を有利な立場へと持っていった後に行動を起こすPoHからは考えられない。今この場で、目的の為に命を賭して戦うPoHには、この世界の《ホロウ》として与えられた、危機に鈍感で目的に盲信的なAIとしての性質が現れていた。

 だからこそキリトも予測出来ず、それでいて戦いにくい。AIとはいえ──否、AIだからこその動きがアキトとキリトを翻弄させる。そしてかつ、この世界にしか無い未実装のスキル。恐らく、今の《ホロウ》であるPoHの実力は、レベルとスキルで見るならオリジナルよりも速く、強い。

 オリジナルと違って策を幾つも弄さず、自己保身の為の逃亡すらしない。ここでキリトを殺す事、その為にはどんな手段も厭わない。オリジナルのPoHとは全くの別物と化しつつあった。

 

 そして、このAIのPoHは、アキト自体にも殺意を覚え始めていた。

 自身が考え、張り巡らせた策、戦術を掻い潜り、何度も立ち上がってきた。

 そんな彼に歪んだ信頼すら覚え始めていた。アインクラッドのPoHが、キリトに対して抱くものと遜色無い感情を。

 たった今明確に殺したいと、AIであるPoHが思い始めて来ていたのだ。

 だからこそ、ここは譲らないのだ。キリトを殺す事で、同時にアキトを殺せるのなら、ここは絶対退かないと。

 

 

 それでも────

 

 

(負けてたまるかっ……!)

 

 

 重なる剣戟の中、キリトがPoHの攻撃を弾く。PoHは驚きでその瞳を見開く。

 キリトは振り上げた腕に力を込め、勢い良くPoHの身体目掛けて振り下ろす。

 その身体が段々と霞んでいくのが見える。この状態を維持出来ず、アキトへと戻っていく感覚が分かる。

 

 

 故に、止まれない。

 

 

 「キリト君!」

 

 

 アスナの自分を呼ぶ声が聞こえる。ああ、俺は負けられないのだと、そう実感出来る。

 譲れないのはこちらも同じなのだ。アスナを置いていってしまった自分が、アキトを見捨ててしまった自分が、彼らに出来る唯一の事だからこそ。

 

 

 「ああああああぁぁぁああっ!!!」

 

 「ぐぁっ……!」

 

 

 流れるように放たれたその剣が、PoHの身体を綺麗に斬り裂いていく。

 PoHはその衝撃に耐えられず、後方へも吹き飛ぶ。キリトも想像以上の長時間戦闘に呼吸を荒くする。

 床に付きそうになる膝をどうにか抑え、戦闘状態を維持したまま、PoHを見つめる。

 

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 「チィ……ヘッ……」

 

 

 PoHは仰向けに倒れた身体をゆっくりと起こし、そしてまた嗤った。自身が押されていると分かっている筈なのに、まるで余裕だとそう言わんばかり。

 だが奴のHPはまだイエローでも、危険域に入りそうになっている。対してキリトはその反応速度によって、受けるダメージを最小限に抑える動きをとっていた事により、HPにはまだ余裕があった。

 対人戦闘に置いてはPoHに分があるとしても、モンスターを倒す事でレベリングを怠らなかったキリトとの、そのレベルによるステータスの差が現れてきていた。

 そして、キリトのその意志と反応速度が、目の前の殺人鬼よりも上にあったという事。

 もうPoHは、キリトには勝てない。アスナもフィリアも、そう思った。

 

 

 「っ……」

 

 

 キリトは自身の身体が消えゆくのを感じる。アキトに憑依しているこの状態の維持が限界に近付いていた。

 アバターから光が溢れ、段々と霞んでいくのが分かる。

 だが、PoHとの戦いも、これでケリがつく。

 

 

 「……俺の勝ちだ、PoH」

 

 

 キリトは剣を構え、PoHを睨み付ける。

 だがPoHは暫くキリトを眺めた後、その閉じていた口元を歪め────

 

 

 

 

 「……いーや、まだだぜぇ」

 

 

 

 

 ────嗤った。

 

 

 

 

 「っ!」

 

 

 ゾクリと背筋が凍る。その目を見開けば、もうそこにPoHの姿は無い。

 キリトはすぐにPoHの姿を探すが、実物を見つけるよりすぐに、奴が取ろうとする行動を理解した。

 途端に身体が震え、その身体を翻す。足に力を込め、全力で蹴り出した。

 

 

 「アスナ、フィリア!」

 

 

 キリトはPoHの姿を捉え、その予想が正しかった事、その事実に怒りを感じずにはいられない。

 PoHは自分からアスナとフィリアへと目標を変え、動けずにいるフィリアと介抱の為に傍にいるアスナ二人が固まる場所へと向かっていた。

 ここに来てPoHの本質を痛感する。卑怯な手なら一瞬で考えつくであろう奴のその口は楽しそうに弧を描いていた。

 

 

 「くそっ……!」

 

 

 キリトは意識が遠のくのを感じるも、それでもその足を止めない。PoHよりも速く、アスナ達の元へと走らなければ。

 アスナ達に手は出させない、死なせたりなんかしない。

 そうして、キリトはPoHよりも前に出る。

 

 

 PoHに、背中を見せてしまった。

 

 

 「アスナ!」

 

 「っ……!? キリト君、後ろ!」

 

 

 アスナがそう叫ぶのも束の間、キリトのその背にPoHの大型ダガーが深く刻まれた。

 

 

 「がはっ……!」

 

 「Ha、甘ぇんだよぉ!」

 

 

 PoHはそうして声を荒らげ、キリトに追撃を入れる。

 消えゆく身体と遠のく意識が、PoHの攻撃の対応を遅らせ、その斬撃が身体中を襲う。

 視界がぼやけ、その手から剣が溢れ落ちる。

 背中を斬られた事によるダメージが大きく、その身体がバランスを崩す。

 その瞬間をPoHは見逃さない。思い切り回し蹴りを決める事で、キリトを吹き飛ばした。

 

 

 「ぐっ……」

 

 「身体が震えてきたぜぇ……ほらよぉ!」

 

 

 PoHは再び追撃の為に一気に間合いを詰める。離れていた距離が瞬時に埋まり、上体を起こしたばかりの隙だらけなキリトに向かってそのダガーを思い切り振り下ろす。

 キリトはそれに気付き、咄嗟に剣を前に防御姿勢を取る。

 

 

 だが次の瞬間、左の腿に何かが突き刺さり、キリトの身体が膝を付いた。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 途轍もない不快感と、金縛りにあったような硬直を感じる。

 身体をピリピリと電気のようなものが走り、思うように身体が動かせない。

 キリトは、PoHの前でその膝を付き、そのまま動けなくなった。

 

 

(……麻痺、毒……!?)

 

 

 PoHを見れば、左手には短いナイフが数本握られていた。恐らく、麻痺毒が付与されたものだろう。

 レッドギルドの十八番であるそれは、かなりの力があるもので、キリトは何も出来ない自身とPoHに苛立ちを覚える。

 

 

 「……へへっ、誰の勝ちだって?黒の剣士様よぉ」

 

 

 PoHは楽しそうに表情を歪める。

 最初からこれが目的だったのだ。

 アスナ達を襲うかのように行動し、キリトの視線を自分からアスナ達へ向けさせ、その隙を攻撃する事で痛手を負わせる。

 目的はキリトとアキトを殺す事から変わってはおらず、アスナ達への視線はそれだけの為の手段。

 動けない身体はただPoHを見上げるだけだった。

 

 

 「そろそろおねんねの時間だぜぇ」

 

 

 PoHはキリト目掛けてそのダガーを構える。

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》は血のようなエフェクトを纏い、邪悪な光を集める。

 キリトは歯を食いしばり、身体を動かそうと必死に身を捩る。

 

 

 「いやああぁぁ!キリト君!」

 

 「っ!」

 

 

 今にもこちらに向かって走り出しそうなアスナのその声を聞き、キリトはPoHがダガーを振り下ろした瞬間に、両手に持つ剣を震える腕で持ち上げ、そのソードスキルを防御する。

 

 

 「っ……やるじゃねぇかよ。なら────」

 

 「がっ……!」

 

 

 PoHは一瞬でキリトの身体に迫り、左手に持つ麻痺毒のナイフをキリト目掛けて突き刺していく。

 麻痺毒で行動を制限されているキリトがPoHのその動きに対応出来る筈は無く、苦痛に顔を歪めるばかりだった。

 肩、腕、背中、そして心臓。ゲームだから心臓を刺されても死にはしないが、ダメージとしては致命的だった。

 

 

 「く、……くそ……!」

 

 

 キリトは両手の剣を地面へ落とし、その場に崩れ落ちた。

 

 

 「キリト君!……っ!?」

 

 

 アスナは飛び出そうとしたの足を止め、倒れたキリトを凝視する。

 そこには身体から光を放った後、消えゆく英雄の身体があった。

 魔法が解け、何もかもが消えてしまうような、そんな現象を目にする。

 キリトはその現象に驚きつつも、何も出来ない無力感に顔を歪めつつ、眠るように消えていく。

 

 

 その光が消えた後、そこに倒れていたのは、フィリアを助けようと奮闘し、誰かの為に走る事が出来る蛮勇の少年だった。

 

 

 「あ……アキト!」

 

 

 フィリアは思わずその口を開く。

 麻痺毒で崩れ落ち、まるで死んだかのようにピクリとも動かず地面に伏したアキトの姿がそこにはあった。

 先程までそこにいた筈のキリトはもう何処にもおらず、そこにいたのはアキト一人だった。

 二つの人格、戦術の操作、それはこのゲームに置いてはどちらも脳を酷使する事に他ならない。アキトの集中力と精神、そして脳は限界を迎え、そこにはただ、意識の無い身体が横たわっていた。

 

 

 「……はぁ、もう終わりかよ。まぁ、結構楽しかったぜぇ」

 

 

 PoHはキリトからアキトへと変わったそのアバターの腕を踏み付ける。

 彼のその手にあった筈の《ダークリパルサー》は、跡形も無く消えていた。

 キリトが、彼がもうそこにはいないという何よりの証拠で。

 アスナの瞳が涙で揺れる。

 そしてアキトは、自身ではPoHに勝てないと悟り、自身のプライドを投げ打ってまでキリトを呼んで、そうしてまで身体を行使して戦ってくれたにも関わらず、PoHの卑怯な手段によって、今その場に崩れている。

 そうまでして、アスナとフィリアを守ろうとしてくれた事実に、アスナは────

 

 

 PoHのそのダガーが、倒れるアキトに向かって光る。

 アスナのその瞳が大きく見開かれる。

 

 

 嫌。

 

 

 嫌だ。

 

 

 やめて。

 

 

 

 

 「せああぁぁあああぁあっ!!!」

 

 「っ!」

 

 

 気が付けばアスナは《ランベントライト》を抜き取り、PoHの背中にソードスキルを放つ。

 ビームのように伸びるそのソードスキルは、普段の射程を飛び越え、PoHの身体に迫る。

 PoHは咄嗟にそこからジャンプし、アキトから離れる事で攻撃範囲外へと飛び出した。

 PoHは自分の殺しを邪魔された事に対して、その苛立ちをアスナに向かって放つ。睨み付けたその先にいるアスナは、フィリアを自身で隠しながらも、レイピアの位置は高かった。

 

 

 「……んだよぉ、折角のお楽しみだぜぇ?邪魔すんなよ」

 

 「……させないわ」

 

 

 怒りと恐怖と焦燥で、その声は震える。

 本物の殺人鬼と相対して、それは抑えられるものでは無かった。

 けれど、フィリアを守る事を第一に、倒れているアキトを殺させる事さえ許さない。

 その瞳は揺れながらも、PoHに対しては闘志を宿していた。

 PoHはそんなアスナの動き、立ち位置を眺め、ニヤリとその口元を吊り上げる。

 未だに動かないアキトとアスナ、そして彼女の後ろにいるフィリアを見て、その口を開いた。

 

 

 「……随分と肩入れするじゃねぇか、そこのフィリアちゃんによぉ」

 

 「っ……」

 

 

 突然名前を呼ばれたフィリアはその身体を震わせる。

 アスナはフィリアを守るように左腕を伸ばし、右手に持つレイピアをPoHの方向に向けて突き付ける。

 彼女のフィリアを守ろうとするその姿勢が可笑しいのか、PoHは嗤う声を交えながら話し出す。

 

 

 「そこで寝てるお前ぇのお仲間はそいつに殺されそうになったんだぜぇ?何も感じねぇ訳じゃねぇんだろぉ?」

 

 「……」

 

 「本当は許せねぇって思ってる癖に、何でそうまでするのか、俺ぁさっぱり分からねぇ」

 

 

 言葉を重ねていく内に、フィリアの顔が下を向く。

 アスナとアキトに、その表情を見られたくないと、無意識そう思って。

 PoHの言っている事が最もであると、フィリアが一番痛感していた。

 聞きたくないと思っても、正しいと思う奴の言動がすんなり心に届いてしまう。

 

 

 「そこの野郎がそいつを助けようとしてたって、お前ぇにはそうする義理なんか無ぇじゃねぇかぁ。本当はアキトを殺そうとしたそいつを疎ましく思ってんだろぉ?素直になっちまえよ」

 

 

 そうだ。

 アキトとアスナがこんな事をする義理なんか無い。

 本当なら、ここに助けに来るなんて事、ある筈が無い。自分は、アキトとアスナを裏切った。

 自分の為に、友達を裏切ったのだ。

 アキトとアスナが、自分の為にここに来る理由なんて────

 

 

 

 

 「……確かに、フィリアさんが貴方に何を言われたかなんて関係無いと思ってる。アキト君を罠に嵌めた事実は変わらないから」

 

 

 「────」

 

 

 アスナのその言葉は、フィリアの頭に響いた。

 それが事実故に反論も弁明も無い。ただそうした自分の行動を後悔して、懺悔して、それでも許されない罪がそこにはあった。

 自分は所詮《ホロウ》、彼らと共には居られない。そんな勝手な願いのせいで、彼らを危険な目に合わせてしまった。

 だから、もう彼らとは────

 

 

 

 

(そうだよ……私は……)

 

 

 

 

 「それを許した、なんていうのは嘘になってしまうから、まだ私の口からは言えない」

 

 

 

 

(私は、ずっと一人で────)

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……仲間だから」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 フィリアの瞳が揺れる。時間が静止したような、そんな感覚が襲う。

 驚きで思うように身体が動かない。震えるように、その視線がアスナの背中へと向かう。

 その背中は、自分が裏切ってしまった筈の、大切だと感じた人の背中だった。

 

 

 「彼女は、私の仲間だから。ただそれだけよ」

 

 

 PoHに堂々とそう言い放つアスナの瞳には、もう恐怖の色は無かった。

 フィリアを、仲間を信じると口にしたその瞬間に、アスナの決意は固まっていた。

 アキトを信じる。キリトを信じてる。彼らが信じるものを、自分も信じたい。

 そして何より、ずっと一緒に戦ってきた彼女を蔑ろに出来る程に、自分は非常になれなかった。

 

 

 「……アス、ナ……」

 

 

 震えた声が後ろから聞こえる。

 アスナはフィリアの表情を想像してクスリと笑う。決してフィリアの方は見ず、ただPoHを見据えていた。

 けれど、その声は優しくて。

 

 

 「ゴメンね、フィリアさん。一番辛い時に傍にいてあげられなくて」

 

 「ぁ……ぅ……っ……」

 

 「でも今だけは、私に貴方を守らせてくれる……?」

 

 「……うん」

 

 

 涙を流して俯くフィリア。嬉し涙の筈なのに、自分が情けなくて、悔しくて、とても言葉にならなかった。

 けれどアスナは、そんなフィリアの声を聞き、ニヤリとその口元に弧を描く。

 それは確かな自信となって、そのレイピアを光らせる。

 

 

 「誰も死なせたりしない。貴方を倒して、みんなで帰ります!」

 

 

 「……」

 

 

 PoHはアスナの揺るぎない意志を感じ取り、もう何を囁いても変わらない事を理解する。

 激しい苛立ちをふつふつと滾らせ、本気の殺意をアスナに向ける。

 

 

 「は〜〜〜、興醒めしちまう。まぁ、殺せるんならどうでもいいけどなぁ」

 

 

 《友切包丁(メイト・チョッパー)》がソードスキルの光を纏い、それを手にゆっくりと近付いて来るのが分かる。

 アスナは瞳を揺らしながらも、決して退く事はしない。

 アキトは勝てなかった。キリトも卑怯な手で落とされ、今はこの場にいない。

 居るのはただ一人。戦えるのは自分だけ。

 未実装のスキルがどうかなんて関係無い。勝てないとしても、このままただ殺される訳にはいかないのだ。

 

 

(来る────)

 

 

 アスナは一歩、その足を踏み締め────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……あぁ?」

 

 

 

 

 PoHがその足を止め、ダガーを下ろす。

 そして、ゆっくりと右を向いた。

 

 

 向かい合うアスナとフィリアはその視線を追い、そしてその目を見開く。

 

 

 「っ……」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 身体が動かない。固まったまま、そこから視線を動かせない。

 ワナワナと口元が震え、その瞳からは涙が溢れる。

 

 

 その視線の先には、一人の少年の姿があった。

 

 

 黒い髪の、黒いロングコート。

 

 

 紅い剣を支えに、震えながらもゆっくりと立ち上がる。

 

 

 その瞳は前髪に隠れて見えないが、限界に達しても立ち上がる剣士が、そこにはいた。

 

 

 「……っ…………っ……」

 

 

 アスナは瞳から溢れる涙が止まらない。

 フィリアも驚きでその場から一歩も足を踏み出せない。

 所々が斬られ、血のように赤いエフェクトが舞う。身体には何本も麻痺毒付与のナイフが刺され、それでも立ち上がる少年がいた。

 

 

 そして小さく、鈴の音が鳴る。

 

 

 震える身体、麻痺毒に侵された身体をどうにかして動かす。

 キリトという存在をその身に宿し、限界まで脳を酷使して尚、彼は立ち上がる。

 キリトは居ない。それでも、その意志は変わらない。

 アスナは、立ち上がるアキトを見て、彼の言葉を思い出す。

 

 

 

 

 ────世界って、なんだよ

 

 

 ────どんな顔してんだよ……お前の言う『世界』って奴は

 

 

 ────そんな顔の見えないものの為に、俺は頑張れない。

 

 

 

 

 「アキト、君……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……馬鹿な」

 

 

 PoHの声が、僅かに震える。

 今までに無いその事象に驚きを隠せず、その笑みが消える。

 

 ここは『ゲーム』。全ては絶対の法則上に成り立っている。

 故に、奇跡なんて起こり得ない。

 アキトが麻痺を掻い潜る術は無い筈なのに。

 

 いや──アキトの麻痺毒はまだ続いていた。それなのに、彼はこの瞬間に立ち上がっている。

 その事実に、PoHは焦りと困惑、何より衝撃が走る。

 

 

 ──── 有り得ない。

 

 

 今まで、何人の《ホロウ(人間)》を麻痺毒(それ)で殺してきたと思ってる。

 動けないまま近付く死の恐怖に、悲痛に顔を歪ませる人間を飽きる程見てきた。

 どれ程の量で、何処に刺せば致命的かだなんて、嫌って程知り尽くしている。

 

 

 

 

 あれで、立ち上がれる、筈が────

 

 

 

 

 「……」

 

 

 アキトはゆっくりと顔を上げ、PoHを視界に捉える。

 そうして、その足を一歩踏み出す。

 ゾクリと背筋が凍り、PoHは思わず後退りする。だがすぐにその事実に気付き、湧き上がる思いに嗤う。

 まただ。また目の前の奴は自分の企み、行動の上を行く。自分がどれだけ苦しめようと屈しないその姿勢に、PoHは嗤った。

 

 

 ああ、こいつを殺せれば死んでも良い────

 

 

 PoHはその歪んだ笑顔のまま、アキトに向かって駆け出した。

 

 

 「っ……アキト君!」

 

 

 アスナの反応が僅かに遅れる。フィリアもいきなり動こうとした事で態勢を崩した。

 アキトはふらつきながらPoHへと向かっており、PoHは打って変わって俊敏にアキトに向かってダガーを構えている。

 奴の目には、最早アキトしか映っていなかった。殺意が欲望へと変わり、その欲を満たす為だけの行動と化していた。

 

 

 振り挙げたダガーはエフェクトを纏う。

 フェイントを織り交ぜ、アキトの視線が動くその瞬間に、そのダガーを全力で振り下ろした。

 完璧位置取り────

 

 

 

 

 「────っ!」

 

 

 

 

 アキトは《リメインズハート》でその一撃を弾く。

 今までよりも速い、PoHのその攻撃を。

 

 

 「ハッ……クッハハァ!」

 

 

 PoHはただ嬉しそうに嗤う。

 そして、自身の武器を弾いた事により生まれた隙をPoHは見逃さない。

 左手に仕込んだナイフを持ち、アキトの肩目掛けて振り下ろす。

 PoHの顔にはもう、殺意しか現れていなかった。

 

 

 「殺す!殺す殺す殺す!」

 

 

 嗤いを絶やさず、そのナイフをアキトに向けて突き出した。

 

 

 

 

 だが、それを見たアキトは。

 繰り出されたその一撃を見たアキトは。

 

 

 

 

 「……悪いな、PoH」

 

 

 

 

 小さく、笑った。

 

 

 

 

 「死んでも勝ちたい理由が出来た」

 

 

 

 

 瞬間、麻痺毒のナイフを手にしていたPoHの左腕が吹き飛んだ。

 PoHは何が起こったのか分からないといった顔で、その動きが止まる。

 

 

 アキトのその左手には、蒼い剣が顕現していた。

 《ダークリパルサー》でも、《エリュシデータ》でも無い。

 

 もう一本、最後の剣が。

 

 そして、これで二刀流。

 

 

 「っ……チィ!」

 

 

 PoHが思い切りダガーをアキト目掛けて振り抜く。

 だが、アキトはそれに反応し、一瞬でそれを弾く。

 先程と比じゃない速さに、PoHはその目を見開いた。

 

 

 「なっ……!」

 

 

 アキトのその瞳は、黒く染まる。

 だが、それでもアキトは戦う事を止めない。

 ここから先、この道の先が自分達の帰る道。それを阻むPoHを、絶対に許さない。

 

 

 見ててくれ、キリト。俺は────

 

 

 二刀流OSS二十五連撃

 《ブレイヴ・ソードアート》

 

 

 それは正しく勇者の剣技。虹色に輝く二本の剣が、アキトの進むべき道を照らす。

 アスナもフィリアも見惚れるその美しい光が、PoHの身体に刻まれていく。

 魔王を滅ぼす為の技、自分の道を指し示すスキル。

 この道の先が、この願いが、間違いなんかじゃないのだと、そう決意する為の技。

 

 

 「はあああぁぁああああ!」

 

 

 一撃一撃がとても重く強く、PoHの身体へと刻まれていく。

 PoHは斬られる度に苦痛に顔を歪めた。

 

 

 「があああぁぁあああっ!」

 

 

 PoHは対処しようにもその剣戟の速さに追い付けない。

 その事実にPoHは────

 

 

 「こんな……馬鹿な、事が……」

 

 

 そうして、そのHPが危険域を突破して、やがてゼロになった。

 

 

 

 

 何故。

 

 どうして。

 

 さっきまで、自分が優勢だった筈。

 

 コイツは、全然自分に歯が立たなかった筈。

 

 

 なのに────

 

 

 

 

 「何なんだよ、お前ぇはよぉ……」

 

 

 「────そういや、自己紹介がまだだったな」

 

 

 

 

 その両手の紅と蒼の剣を下ろし、PoHに背を向ける。

 ボロボロになりながらも、殺されかけながらも、戦ったプレイヤーにはらう、僅かばかりの敬意。

 PoHは確かに強かった。けど、間違いばかりだった。

 

 

 その身体から光が差し込み、ポリゴン片と化していくPoHに向かって、アキトは小さく口を開いた。

 

 

 自分から口にしなかった、大切なギルドの名を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ギルド《月夜の黒猫団》団長、アキトだ。消えゆくその間際に、名前だけでも覚えとけ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──Link 65%──

 

 





楽屋ネタ


キリト 「随分卑怯な事してくれたじゃんか」

アキト 「振りとはいえアスナ達を攻撃しようとするのは狡いよ」

PoH 「うるせぇな。台本に書いてあんだよ」

アキト 「あ、ホントだ」

キリト 「『卑怯な事をする』としか書いてないじゃないか。人の恋人に剣を向けるなんていい度胸だ」

アキト 「え、何あれアドリブなの」



※本編とは無関係です。


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Ep.84 気持ちの欠片





SAOの最新ゲーム《フェイタル・バレット》
とても楽しく遊ばせていただいています。


え?主人公の名前?

《Akito》ですけど(´・ω・`)?


ほんの少しだけ、過去に触れるお話です。
話は全然進みません。





 

 

 

 

 

 

 その小さな部屋の中心で、彼は立ち尽くしていた。

 周りに散らばる無数のポリゴン片は幻想的なまでに綺麗に見えた。

 先程まで人の形をしていたはずのそれは、光となって宙へと舞っていく。

 そうしてやがて、雪のように消えていくだろう。

 

 

 その黒の剣士は両手の力が抜け、持っていたその剣は地面へと落とされる。

 

 

 「……終わった、か」

 

 

 PoHを無力化する事が出来たアキト。だがそこにあったのは歓喜とは程遠い感情。

 達成感は無く、寧ろ大きな喪失感を感じた。

 人として、大切なものを捨ててしまったかのような感覚を。

 

 

 思い出す。最後、PoHにとどめを刺したあの瞬間を。

 

 

 「……」

 

 

 

 

 “これはフィリアの為だった”

 

 

 “相手はAI、それに人殺しだ”

 

 

 “殺さなければ、誰かが被害にあった”

 

 

 “見逃せば、また同じ事が繰り返された”

 

 

 “だから、仕方なかった”

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 どれだけ言葉を並べても、こんな考えは何一つ意味が無い事は分かっている。

 たとえ、今言った事が全て正しい事だとしても、結局は自分が納得するか否か。

 相手は人では無かったのだ。このSAOで生まれたプログラムの一つ、本物そっくりに造られたAIだった。

 けれど────

 

 

 「人の形をしたものを殺すって……やっぱり堪えるね」

 

 「アキト君……」

 

 

 アスナが戸惑う視線を向ける。アキトはそんな彼女に笑って見せた。

 でも、それが作り笑いだとバレバレなのは、当人ですら知り得ていた。

 

 もしあれが人だったら────

 

 そう考えてしまう。

 いや、あのPoHは人間と変わらない、一つの自我を持っていた。この世界で生み出された《ホロウ》だったとしても、自我があって、自身を認識していたのなら、それは人間と変わりないのではないだろうか。

 なら、やはり自分は人を殺した事になるのだろうか。

 幾ら悪人だったとしても、それは殺す事を容認する理由にはならない。なってはいけない。

 ならば、自身がした事は許される事なんかではなく、この手はきっと、血で汚れてしまったのだろうか。

 

 

 ────ズキリ

 

 

 途端に頭に激しい痛みが襲う。

 左の眼は既に黒く染まり切り、右の眼も、もう黒く侵食されつつある。

 けれど、その痛みを抑える程の力を、もうアキトは持っていなかった。

 フラフラとバランスを崩し、その場に膝を付く。

 

 

 「っ!アキト君!」

 

 

 アスナの驚く声が耳に入る。

 だが、それに応える事も出来ない。何故だか、とても眠い。

 そのままうつ伏せに倒れようとするその身体を、どうにもする事が出来ず、アキトは気を失った。

 

 

 朦朧とする中、感じ取れたのは────

 

 

 何かを、失った感触だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 アキトが倒れた事で、アスナとフィリアは一応の処置という事で管理区へと移動していた。

 ここへ来たからといって何か出来るわけでもなかったが、あの空間でアキトが目覚めるのを待つのもあまり気分の良いものとは言えなかった。

 何も無かった電脳空間とは違って、ここはまだ色々なものが残っている。コンソールやシステムウィンドウ、アインクラッドで実装される武器やスキルを統括するコンソールの天井は、星のように煌めいていた。

 アキトも目を覚ました時にあの場に居るよりは、こちらの方が幾らか気分は良いだろう────なんて、ただの思い込みなのだが。

 

 

 「……」

 

 

 アスナは自身の膝の上で目を瞑るアキトを見下ろす。所謂膝枕というものだった。

 固い地面よりはこちらの方が、と思っての善行だったのだが、アキトの元々の容姿と相成って、今では少しだけ気恥ずかしい。

 死んだように、ただ静かにそこに眠るアキトは、アスナをとても不安にさせた。

 

 

 「……目、覚めるよね」

 

 「……うん。もうすぐ起きるよ、きっと」

 

 

 フィリアの不安そうな声に負けじと、アスナは元気にそう言い放つ。

 目が覚めるかなんて分からない。保証も確信も無い。けれど、そう思わずして、彼に何を思えば良いのか。

 彼が自分達にしてきてくれた事全てを鮮明に思い出せる。彼が誰よりも頑張って来た事を、一番近くで見てきたアスナだからこそ。

 アキトの頭をそっと撫でる。髪はとてもサラサラとしていて、まるで女の子のようで。

 身体も全体的に細い。もしかしたら、キリトよりも細身かもしれない。

 こんな細い腕で、今まで自分達を助けてくれたのかと思うと、色々なものが込み上げて来る。

 

 

 「……早く、起きないかな」

 

 「……」

 

 

 フィリアがポツリと、そう呟く。

 アスナも全く同じ事を考えていた為、思わず小さく笑ってしまう。

 

 

 けれど────

 

 

 

 

 「……謝りたい」

 

 「っ……フィリア、さん……」

 

 

 静寂の中、消え入りそうな程弱々しい声がアスナの耳に響く。

 ふとアキトから視線を上げると、そこにはポロポロと涙を流すフィリアの姿があった。

 アスナとアキトのすぐ近くでへたり込み、下を向いて泣いていたのだ。

 アスナは目を丸くして固まった。フィリアが嗚咽を漏らして泣きじゃくる姿を見て、思わずその瞳が揺れる。

 

 

 「私……わたしっ……アキトを……アスナを、裏切って……、ずっと、謝りたくて……!」

 

 「フィリアさん……」

 

 「普通なら、絶対助けになんて来ない……なのに、どうしてアキトは……」

 

 

 フィリアの泣きながらのその質問は、アスナには答え難いものだった。彼女が仲間だと思ったから助けに来たのは事実だったが、一番の理由は違ったからだ。

 それは、アキトが心配だったから。これに尽きていた。

 裏切られたなら、きっと助けない。フィリアのその発言は的を射ていたけれど、アキトは決してフィリアの事を悪く言わなかった。

 アキトはただ、フィリアの事を思って、助ける事だけを考えて、この世界の秘密や、彼女の立場、状況を調べ尽くした。

 アキトは自分を裏切った人の為に、PoHと死闘さえも繰り広げた。

 何故そんな事が出来たのかなんて、アスナにだって分からない。

 

 

 「そういう人なの、アキト君は」

 

 

 アスナは自身の膝の上で目を瞑るアキトを見てから、フィリアに向かって笑いかける。

 フィリアは涙を拭う事もせず、黙ってアスナを見つめる。

 

 

 「初めて会った時から、アキト君はこうだったもの」

 

 

 アスナは、アキトの事を何も知らない。

 この世界での二年間、どんな想いを抱き、苦しい想いをして来たのかを。

 聞いても、きっと教えてくれなかっただろう。でも、こうして彼と深く関わる事で、もっと知りたいという気持ちは日増しに募っていた。

 それはきっとアスナだけじゃない。彼と親しくなった人達全てがそう思っている。

 だからこそ、フィリアをどうして信じきる事が出来て、助けに行こうと思えたのか、それは彼にしか分からない。

 

 

 「私達に事情を説明してくれた時だってそう。アキト君は一度だって、フィリアさんに裏切られただなんて言わなかった」

 

 「っ……」

 

 「フィリアさんには何か事情があって、それを利用されたんじゃないかって、そう思ったのよ。だから、この《ホロウ・エリア》の事を必死に調べてた。ここはね、フィリアさん。一般のプレイヤーは立ち入る事すら出来ないらしいの」

 

 「ぇ……」

 

 「だから、この世界の事を調べられるのはアキト君だけ。彼だけが、ずっと貴女を信じてた。私はこのエリアの事をよく知らないけど、アキト君はきっと、フィリアさんの事を解決してくれる」

 

 「……」

 

 

 フィリアは何も言わずアキトを見下ろした。

 言葉も無かった。何も言えなかったのだ。未だ頬を伝う涙は止まらないけれど、きっと拭っても拭っても溢れてくるだろう。

 

 アスナは自分でそうフィリアに放つ言葉の一つ一つを反芻する。

 そう、彼は優し過ぎる。本当なら、もっと怒っても良いのかもしれない。でも、彼はそうしない。

 PoHとの戦闘後もそうだ。アキトは、PoHを殺した事を悔いたような発言をしていた。自分を殺そうとしたプレイヤーにも、彼は憎悪をぶつけられなかったのだ。

 

 きっと彼は、どんな悪人でも傷付ける事を躊躇ってしまう。

 そんな人なのだ。

 そしてどんな悪からも、どんな危機からも、アキトならきっと助けてしまう。

 自分も、そうやってアキトに何度も助けられた。

 誰かの為に一生懸命になれるひたむきな所が、とても綺麗に思えた。

 

 

 

 

(だから、私は────)

 

 

 

 

 アキトの顔を見下ろし、クスリと笑う。

 自分が彼に膝枕をしている事実に、今更顔を赤くする。けれど、不思議と悪い気はしなかった。

 

 

(キリト君に、悪いかな……)

 

 

 心臓が小さく脈を打つ。

 そうして、自分が今ほのかに感じた思いに気付き、首を左右に振った。

 

 

 ────トクン

 

 

 

(……ううん)

 

 

 きっと、違う。これは勘違いだろう。

 それでいい。

 だから、これ以上考えるのはよそう。

 多分、これは見つけてはいけない感情だから。

 

 

 この想いはきっと、秘めるべきもの。

 そう思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ん……」

 

 

 ふと、小さな声がアスナの膝元から聞こえる。

 アスナとフィリアはすぐさま反応し、思わず声のした方へと視線を下ろす。

 

 

 「……アスナ、フィリア……」

 

 

 そこで意識を失っていた筈のアキトは、ゆっくりと瞼を開き、自身の真上にいるアスナとフィリアを視界に収めた。

 そこにいる二人の少女の存在を確認し、小さく笑みを漏らした。

 

 

 「……アキ、ト……」

 

 

 フィリアはアキトの顔を見て、先程よりも大粒の涙を流す。

 アスナも、その瞳が揺れ動く。

 傷付きながら、それでも戦う事を止めなかった勇者の目覚めを、一番近くで感じながら、アスナは笑った。

 

 

 「────おはよう、アキト君」

 

 

 「……おは、よう……?」

 

 

 アキトはアスナのそんな挨拶に、戸惑いながらも笑った。

 そして、自分が今何処にいるのか周りを見た後、自分が置かれてる状況をゆっくりと確認する。

 そして気付く。今、自身の頭がアスナの膝の上にあるという事実。

 

 

(……え)

 

 

 何故、とそう思ったのも束の間、アキトが口を開く前に、フィリアがアキトに近付いた。

 その瞳には涙が溜まっており、それを見たアキトはそれまで考えていた事が吹き飛んだ。

 思わず目を丸くして、フィリアを見た。

 

 

 「アキト!だ、大丈夫!?」

 

 「フィリア?う、うん、大丈夫……っ」

 

 

 とめどなく溢れる涙が、アキトの元へと落ちる。

 言葉にならない想いを、どうにか言葉にしたいのに。目の前の弱々しいアキトを見ていると、何も口から飛び出さない。

 そんなフィリアが、アキトにはとても脆く見えて。

 

 

 「もし目が冷めなかったら、私……わたしっ……」

 

 「……もう、大丈夫だよ。ほら、目、覚めたでしょ?だから……泣かないで」

 

 「……うん」

 

 

 横になった状態でも、フィリアの頭へと手を伸ばす。

 自責の念に駆られる彼女に出来る事は、そのくらいだった。まだ動きにくいその身体、その腕をどうにか伸ばして、フィリアの頭を優しく撫でた。

 フィリアは驚きで目を見開くも、何も言わず、小さく笑みを浮かべてそれを受け入れた。

 涙はまだ、流れていた。

 アキトはそんなフィリアに向かって笑う。アスナも吊られて笑ってしまう。

 フィリアもそうだ。もう二度と、こんな風にアキトと笑い合える日が来るだなんて、思ってもみなかった。

 助けに来てくれるなんて、想像もしてなかった。

 

 

 自分はずっと────

 

 

 「私……この世界に来てから、自分が自分じゃない気がしてたんだ」

 

 「え……」

 

 

 顔を上げたフィリアは、小さな声でそう呟いた。

 突然の事で、アキトの表情は固まるが、ただ黙って彼女の言葉を聞いた。

 アキトはその腕を下ろし、元の場所へと戻す。アスナも、フィリアの方へと向いた。

 フィリアは腰を下ろし、自身のその膝を抱き、何処か遠くを見つめていた。

 

 

 「私の中が空っぽな気がして……私は何処の誰なんだろうってね。だから生きる事に必死だったのかな」

 

 「フィリアさん……」

 

 「そんな時……私はアキトと出会っちゃんだんだ」

 

 

 アキトへと視線を戻して笑うフィリア。

 今思えば、かなり衝撃的な出会いだったと、アキトですら思う。

 聞いた事も無い突然の強制転移、見た事も無いエリア、階層は表示されず、地図すら無い。

 そんな状況で初めて出会ったのは、巨大なボスと、オレンジカーソルの女の子。

 

 

 「アキトと初めて会った時……私、結構口悪かったよね。アキトはそんな私を見捨てる事もせずにボスと戦ってくれた。私、あの時のごめんなさいも、まだ言ってなかった」

 

 「……」

 

 

 フィリアの突然の切り出しに戸惑いながらも、アキトは黙って話を聞いていた。

 けれど、彼女が小さく頭を下げた時、その目を丸くする。

 

 

 「今更だけど……ホント、あの時はゴメン……それから、今回の事も……」

 

 「あ、謝る必要なんか無いよ。俺が勝手にやった事なんだし、それに出会わなければ、こうやって仲良くなる事も無かったかもしれないし」

 

 「アキト……へへっ、ありがと」

 

 

 嬉しそうに笑うフィリア。けれど、それもほんの一瞬で、すぐさまその顔を暗くする。

 膝を抱く力を強くして、その瞳を揺らし始める。

 

 

 「不安、だったんだよね……」

 

 「え?」

 

 「自分自身の事もよく分からないのに、空っぽな私がアキト達の所へ帰ろうとする事は……すっごい怖かった」

 

 

 でもね、とフィリアは顔を上げる。

 さっきとは違って、その表情は明るさを取り戻していた。

 

 

 「……でも、それからアキトと一緒に冒険して、アスナといっぱい話をして、クラインと宝箱を見つけて喜んで……私の中の不安が無くなっていったんだ。だから……やっぱり欲が出ちゃったのかな。みんなと一緒にいたいって。我儘、かな」

 

 「わ、我儘だなんて、そんな事……!」

 

 

 フィリアの不安げな声に、アスナが強く反応する。

 何かを言葉にしようと口を開くアスナに、フィリアは首を振ると、アキトとアスナを見て呆れたように笑う。

 

 

 「だけど……謎のエリア……素性不明オレンジプレイヤー、普通なら怖がられて当たり前なのに……二人はよく付き合ってくれたよね」

 

 

 確かに、その字面だけ見れば、かなり危うい状況下だと誰もが思うだろう。

 けれど、アキトとアスナ、それにクラインにとっては違って見えていたのだ。

 フィリアという女の子の存在は。

 

 

 「……謎のエリアは不安だったけど、フィリアは全然怖くなかったよ」

 

 「私も。カーソルの色なんて関係無い。一緒に冒険して、フィリアさんが優しい人なんだって分かったもの」

 

 

 二人は共に、優しく微笑む。

 確かに、初めは戸惑った。オレンジプレイヤーがボスと対峙している状況など、あまり見受けられないからだ。

 けれど、彼女はアキトの事を思って戻って来て、共に戦ってくれた。

 過去に何かがあったのだとしても、あの時はその行為だけでフィリアの事を信頼出来ていた。

 アスナも、そんなアキトが見込んだ人なら信じられる、そう思っていた。今は、ちゃんと自分の意思で、フィリアの事を信頼していた。

 

 その言葉の意味、その温かさがフィリアの胸に届く。

 言葉にならない感動と、抑えきれない感情がそこにはあった。震える声で、ポロポロと呟く。

 

 

 「っ……アキト、達がいて……くれたから……私は人だって実感出来た。温かさを感じられた」

 

 「お互い様だよ。俺もフィリアと冒険して楽しかった。ずっと忘れてた感覚を、思い出させてくれたんだ。感謝してる」

 

 「でも!!……でもでも、私はそんなアキトを裏切って……しかもオレンジで……アキトやアスナと一緒にいる資格なんて無い……本当なら絶対私を……嫌いになるよ……」

 

 

 再び俯くフィリア。

 けれど、彼女の不安など露知らず、アキトは仰向けになったまま、膝を借りてるアスナを見上げて口を開いた。

 

 

 「……アスナ、フィリアの事嫌い?」

 

 「ううん、全然?」

 

 「だよね、俺も」

 

 

 そう言って、アキトとアスナで笑い合う。

 フィリアは目を見開き、困惑を示していた。

 アキトはフィリアを見上げて、優しい瞳のまま、その口を開いた。

 

 

 「フィリアが自分の事をどう思ってるかなんて知らない。俺もアスナも、フィリア自身がどう思ってても、大切な仲間だと思ってるよ」

 

 「そうだよ。みんなこうして生きてる。フィリアさんが自分を責める必要なんて、もう何処にも無いんだよ?」

 

 「アキト……アスナ……」

 

 

 

 

 

 「それに、フィリアが悩んでた事も分かったし。その解決策も見付けてる」

 

 「えっ!?」

 

 

 突然の告白に驚くフィリアは、その動きが一瞬止まる。

 斯く言うアスナも、具体的な部分は聞いていなかったので、フィリア程ではないが驚いていた。

 アキトはそんな二人の分かりやすい反応にクスクスと笑いながら、フィリアの方へと視線を向けた。

 

 

 「前に話してくれたでしょ?もう一人の自分の話。この《ホロウ・エリア》は、アインクラッドに実装する前の武器やスキルをテストする場所で、普通のプレイヤーは入れない。このエリアには、そのテストを効率良く行う為に、アインクラッドにいるプレイヤーIDを参照したAIが存在しているんだ」

 

 「……それじゃあ、フィリアさんが見たのはAIって事?」

 

 「そう。《ホロウ・データ》だったんだよ。だから、フィリアは人を殺してなんかない。そのカーソルがオレンジなのは────」

 

 

 アスナは飲み込みが早く、すぐさまそう問い返す。

 アキトは小さく頷き、更に説明を続けようと口を開くが、途端にフィリアがそれを遮って食い入るようにアキトを捉える。

 

 

 「ど、どういう事?私が《ホロウ・データ》で向こうが本物かもしれないじゃない!もしそうだったら、私は……」

 

 「ち、違うよ。フィリアがオレンジなのはシステムエラーなんだ。君がここに来た日付、もしかして11月7日だったりする?」

 

 「確か、11月……日にちもその頃だったと思うけど……」

 

 

 アキトの質問に対して、フィリアは思い出そうと眉を顰める。

 アスナはその日付を聞いて、僅かばかりに反応を示す。

 

 

 「その日って……キリト君の……」

 

 「……」

 

 

 それ以上は何も言わなかったが、理解はしていただろう。

 そう、あの日は別れの日。

 原因不明の巨大なシステムエラーと、キリトという英雄と、ヒースクリフという攻略組の支柱の消失に加え、リーファがこの世界にログインした日だった。

 

 

 「プレイヤーと同じ《ホロウ・データ》は、同時に存在出来ないんだ。もしそうなった時は、システムが《ホロウ・データ》を削除する仕組みになってるらしい」

 

 「……でも、私は自分と……」

 

 

 自信を失くして声が小さくなるフィリアを、アスナは静かに見つめ、やがてその口を開けた。

 

 

 「さっきの日付はね、フィリアさん。アインクラッドに大きなエラーが発生した日なの。……75層のボス攻略の時だった」

 

 「多分、フィリアはその時にこのエリアに飛ばされたんだよ。俺と同じで」

 

 

 そしてフィリアは、『もう一人の自分』と出会ってしまったという事だ。

 クエストを受けた訳でもなかったフィリアにとっては、かなり混乱した事だろう。そんなクエストだって、聞いた事も無い。

 

 

 「フィリアは、システムが問題を感知して《ホロウ・データ》を削除する前に、混乱して自分の《ホロウ・データ》を攻撃した。75層のシステムエラーもあって、多分フィリアをエラーだと判断したんだよ」

 

 

 そもそも一般のプレイヤーがこの《ホロウ・エリア》に来る術は無い為に、ここへ万が一にもプレイヤーが来てしまった事に対する処置の仕方は粗末なものだったのかもしれない。

 その上、フィリアが都合良く自身の《ホロウ・データ》に会ってしまい、しかも攻撃したという事実は想定出来るものではないだろう。

 予測外の事態が重なった結果、システムはフィリアのデータにエラーか生じていると認識したのだ。

 そしてそれが、オレンジカーソルという形で現れたという事だ。

 

 

 それを聞いたフィリアの瞳は、次第に色を取り戻していた。

 口を震わせ、たどたどしく指を動かす。

 

 

 「本当……なの?でも、私がプレイヤーだなんて確証は……」

 

 「確認したから大丈夫。詳しい仲間がいるんだ」

 

 

 アキトはアスナを見上げる。

 アスナは得意げな表情で胸を張っていた。

 

 

 「うちの娘は優秀でしょ?」

 

 「両親に似なくて良かったよ」

 

 「……ちょっと、どういう意味よ」

 

 

 アスナのジト目が突き刺さるも、アキトは苦笑しながらフィリアへと視線を戻す。

 自信をもって、彼女に告げた。

 

 

 「ログを見てきたんだよ。PoHは管理区のコンソールを見てフィリアを《ホロウ・データ》だと思ってたみたいだけど、フィリアの事は別のコンソールに表示されてたんだ。フィリアが攻撃したのは《ホロウ・データ》で、削除したのはシステムだった。この目で確かめたから、間違い無いよ」

 

 

 だから、と告げて、アキトは微笑んだ。

 

 

 「フィリアは誰も殺してない。俺やアスナと何も変わらないプレイヤーだよ」

 

 「……じゃあ、私は……」

 

 「中央コンソールの場所が分かれば、フィリアのエラーは解除出来る。そうすれば、転移門も使えるよ。一緒に帰ろう」

 

 

 それは今度こそ、フィリアに希望を与える言葉だった。

 一緒に帰る。帰る事が出来る。それだけで、フィリアは涙が溢れそうな思いだった。

 我慢しようとしても、止まらない。

 

 

 「フィリアさん!?だ、大丈夫?」

 

 「な、泣かないでって……」

 

 「……怖かった、アキト。私……このまま一人で死んでいくのかと思った……」

 

 

 アキトは慌ててフィリアに手を伸ばすも、PoHとの戦闘によって、まだ身体が思うように動かせなかった。

 慌てたアスナが急いでフィリアの涙を拭う。けれど、それでも止まらないフィリアの涙に、アキトとアスナは苦笑いを浮かべる。

 それはきっと、嬉し涙。だからこそ、とめどなく溢れてきていて。

 

 

 フィリアの心には、もう感謝以外の言葉が見つからなかった。

 その心はとても温かく感じていて、そして、それを与えてくれたのはアキト。

 

 

 フィリアは思う。

 

 

 アキトの言葉は、空っぽだった自分の隙間を埋める、温かい気持ちの欠片────

 

 

 

 

 ホロウ・フラグメントなのだと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……寝ちゃったね」

 

 「まあ、疲れてただろうし、しょうがないよ」

 

 

 泣き疲れたフィリアはその後、赤子のように眠った。

 色々な事があって、体力も限界に来ていたのだろう。まだ全て終わった訳では無い。

 アキトは思い出したように呟いた。

 

 

 「PoHのしたアップデートの項目、ここのコンソールで見付かるかな……」

 

 「アキト君が起きる前にフィリアさんが一応調べてたけど、多分ここじゃないって言ってた」

 

 

 それを聞いて、アキトの顔が僅かに歪む。

 PoHがやろうとした、《ホロウ・データ》をアインクラッドにアップデートするという計画。

 間に合わない、とPoHは言っていた。つまるところそれは、やるべき事は全て済ませてた事になる。

 後はアップデートが開始するのを待つだけの状態という事だ。

 これはかなり拙い状況だった。

 

 だが、アスナのその言い方が気になり、アキトは眉を顰める。

 今の言い方だと、まさかフィリアは────

 

 

 「……って事は、フィリアは中央コンソールの場所、知ってるって事?」

 

 「うん。アキト君、アレを見て」

 

 

 アスナの視線の先を、アキトが追う。

 するとそこには、目を疑うものが現れていた。

 今いるこの《ホロウ・エリア管理区》の中央、その床にアキトの手に現れる紋章と同じものが表示され、光を纏っていた。

 見るからに、転移の能力が備わっているのが分かる。

 

 

 「アレって……」

 

 「さっき言った中央コンソールがあるダンジョンに飛べるワープエリアみたい。フィリアさんがPoHと居た時に、PoHがここの地下に入るのを見たらしいの」

 

 「なら、すぐにでも……」

 

 「入口は封印されてて、全てのエリアを解放しないと開かないって……私もさっき試したんだけれど、メッセージが来てダメだった」

 

 「……じゃあ、PoHはこの《ホロウ・エリア》を踏破したって事か……道理で強かった訳だ……」

 

 

 アキトは呆れたように笑う。

 探していたコンソールが最初に見付けた場所に地下にあって、しかもそこに入るにはこの《ホロウ・エリア》の踏破とは。

 PoHは永遠に人殺しを楽しむ為に、態々そこまでの事を行ったのかと思うと、呆れを通り越して関心してしまう。だが、決して賛同は出来ない

 PoHが残したアップデート。こればかりは何が起きるか想像もつかない。

 一度街に戻って、ユイと話す場を設けなければならないだろう。他のメンバーにも、酷く心配させている。

 今日起きた事の全てを、話さなければいけない。

 

 

 

 

 ────そして、この事も。

 

 

 思えば、目が覚めてからずっと気になっていた。

 

 

 

 

 「……で、遅くなったけど……何してるのアスナさん」

 

 「っ……」

 

 

 アスナは途端に顔を赤くする。

 そう、ここへ来て漸く、アキトはアスナが自分にしている行為についての言及を開始した。

 この『膝枕』という状況についての。

 アキトは目を覚ましてすぐに、アスナの顔が真上にある事への違和感を感じていた。

 自分が横になっている事実に反して、頭は随分と高い位置にあり、加えて固い地面とは思えない柔らかさ。

 そこから自分がいる位置と視界に映るアスナを見て考えると、自分は今彼女に膝枕されているという状況の出来上がりだった。

 目が覚めたばかりのアキトは、一瞬でその目が冴えてしまっていた。フィリアとの事で突っ込むタイミングを失っていたが、フィリアが眠ってしまった今、話さなければならない事が見付からなかった。

 

 

 アスナはそんなアキトの苦笑の表情戸惑いながらも、やがてムスッとその顔を膨らませた。

 

 

 「何よ、固い地面に頭付けるよりは全然良いじゃない」

 

 「良い訳ないでしょ……嫌だよ俺、キリトに殺される」

 

 「い、嫌とか、そんな真っ直ぐ言わなくても……」

 

 

 アスナの心に突き刺さる言葉がアキトの口から飛ぶ。

 アキトは瞬時にアスナの膝から飛び起き、背を向けたまま彼女の方へと視線だけを向ける。

 

 

 「……まあ何、うん……ありがとね……」

 

 「……うん」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 

 

 

 ……なんだこれ。

 

 

 アキトは一瞬で出来上がった沈黙に冷や汗をかく。

 アスナと二人きりなんて何度もあったはずなのだが、こうしていざ静寂に包まれると何を話していいのか分からない。

 

 

 だが、アキトがそんな事を考えている後ろで、ポツリと。

 

 

 「……聞きたい事が、あるの」

 

 「え……」

 

 

 アスナが口を開いた。

 アキトは振り返り、アスナの事を見る。

 その瞳は僅かながら揺れており、戸惑いをその中に潜めていた。

 

 

 「さっきの戦い……キリト君になった事と、その蒼い剣の事、それから……ギルドの事」

 

 「……」

 

 

 それは、PoHとの戦闘時。

 不思議な現象が多々起こった事。彼女が気になっているのはそんなところだろう。

 なら、彼女が武器は兎も角、自身のギルドの事を聞く理由がよく分からなかった。

 

 

 「さっき、『《月夜の黒猫団》団長』って……」

 

 「聞いた事、無いよね……まあ、メンバーが俺だけだから団長って名乗ってるだけだよ。本当はリーダーがちゃんといて────」

 

 

 そう説明を始めるアキト。

 だがアスナは、そんな彼の言葉を遮って────

 

 

 

 

 「キリト君と、同じギルドだったんでしょ?」

 

 

 「っ……」

 

 

 途端に、アキトの動きが止まる。

 目を丸くしてアスナの方へと視線が再び移動する。

 アスナは不安気な表情でこちらを見つめており、まるで聞いても良い事なのかと思案しているような顔だった。

 彼女がその事実を知っているという事はつまり。

 

 

 「……そっか。アスナには話したんだ、キリト」

 

 「……詳しい事は何も教えてくれなかったよ。ただ、そのギルドで一緒だった友達を一人にしたって、そう言ってた」

 

 

 それは、闘技場で行ったヒースクリフとのデュエル後の事。

 キリトが《血盟騎士団》へと入隊した時の話だった。

 その時キリトが自分に教えてくれたのは、ソロを貫く前の、アスナと別れた後のキリトの時間。

 どんな仲間が出来て、どんなギルドに入ったか。

 

 

 そして、そのギルドが無くなってしまった理由も、彼から聞いた。

 

 

 「自分がみんなを死なせたって……キリト君、ずっと自分を責めてたよ」

 

 「……そっか」

 

 「……じゃあ、アキト君が……」

 

 

 否定しない彼を見て、アスナは戸惑いがちにそう問い掛ける。

 アキトとキリトの話が本当なら、目の前の少年が、そのギルドのたった一人の生き残り。

 そして彼が、キリトの心に根付いていた後悔。

 

 

 「っ……」

 

 

 これは二人の問題だから、深く聞くのは筋違いかもしれない。けれどアスナには、どうしてもアキトに聞きたい事があった。

 それは、アキトが仲間を失った原因とも言えるキリトを、どう思っているのか。

 

 

 「……キリト君の事、恨んでる……?」

 

 「恨んでないよ」

 

 

 即答だった。

 アスナは思わず目を見開く。アキトは悲しげな表情を浮かべるも、その口元は笑っていた。

 

 

 「キリトだって、同じ気持ちだっただろうし。辛かったのはきっと、お互い様だったんだよ」

 

 「……」

 

 

 口ではそう答えられる。そしてそれは紛れもない本心だ。

 けどあの頃は、ちゃんとそう思えていただろうか。

 

 

 「……いや、あの時は俺もキリトも、すれ違いがあったと思う。きっと……“今は”って事なんだろうな……あの時は、キリトの事を割り切れてなかったのかもしれない」

 

 

 だから、キリトから逃げてたのはきっと────

 

 

 「……俺の方、だったんだな」

 

 「アキト君……」

 

 

 アキトはただ、変わらない毎日だとしても。

 “絶対”と言い切れる明日が欲しかった。

 在り来りな日々だったとしても、大切な存在が居れば、それだけで世界が変わる気がしたから。

 そんな存在を守れる“ヒーロー”になりたかった。

 彼らの為なら。そう思った。

 

 

 「笑っちゃうでしょ?確かに俺は今日、フィリアの事を助けられたのかもしれない」

 

 

 アキトは傍で眠るフィリアを見て、小さく笑う。

 

 

 「PoHを倒した事で、それがこの世界のプレイヤーを救う事に繋がったのかもしれない」

 

 

 けどね、と告げるアキトの顔は。

 とても辛そうに見えて。

 

 

 

 

 「顔も知らない人達をこれから何千人と救ってもさ。────俺は好きな女の子を死なせたんだよ」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 管理区は、変わらず静寂を保つ。

 アキトのその冷たく感じる言葉は、音になった途端に消えていく。

 アスナは何も言わずに──否、何も言えずに俯く。

 なんて事はない。結局、アキトとアスナは似た者同士だったという事実だけが残っていた。

 互いに約束を守れず、大切な人を死なせてしまった。それだけの、それだけでとても辛い物語だったのだ。

 

 

 アキトは段々と蹲るように身体を動かし、その膝を優しく抱く。遠くを眺めるようなその瞳は、何を映していたのだろうか。

 

 

 「それから、周りに誰もいない日々が続いて思ったんだ。……俺には、キリトが必要だった」

 

 「……必要、だった……?」

 

 

 アスナは気遣うような声で、でも知りたい思いを隠せなくて、そう口を開いた。

 アキトは小さな声で、その続きを答える。

 けれどそれは子どもみたいな、純粋な我儘のようなものだった。

 

 

 

 

 「……独りぼっちが、怖かった」

 

 

 

 

 あの日の事を、今でも鮮明に覚えてる。

 みんなの為に走り、焦り、恐怖を抱きながら戦ったあの日は、生きた気がしなかった。

 そして、その努力は実らなかった。

 

 

 「……あの日、茅場晶彦が創ったSAOは、一瞬で俺を一人にした。弱虫な俺は、寂しくて寂しくて……どうにかなりそうだった。……だから、強くなろうって思ったんだ」

 

 

 か細い声で弱々しく答えるアキト。

 元々、アキトが欲しかったのは一人でも生きていける強さだった。

 それが今になってまた欲しくなるなんて、皮肉なものだと笑った。

 けれど、そんな強さがあれば、きっとこの孤独を紛らわせる事が出来るかもしれないと、あの頃はそればかりだった。

 

 

 そしてそんな時、自分の仲間が放った一言を思い出したのだ。

 

 

 

 

 ────二人がいれば最強だな!

 

 

 

 

 キリトとアキト、前衛で敵を上手く翻弄して、互いに連携しての攻めは隙のないものだった。出会って間もないはずなのに、キリトもアキトも、互いに互いを認め合っていた。

 大切なものを失って、キリトは前に進んだ。けれどあの頃の自分は、キリトの事など考えもせず、生きる気力を失いつつあって。

 だから。

 

 

 「二人が揃えば、もっと強くなる。もっと強くなって最強になる。だから俺にはキリトが必要だった。彼が居れば弱い自分を変えられると思ったんだ……でも」

 

 

 ここに来るまで、何度も挫折した。

 一人になった途端何も出来なくなって。誰も助けてくれなくて。

 ヒーローになりたかったはずなのに、ヒーローを求めていたあの頃の自分は、きっと。

 キリトと会ったって、足を引っ張るだけなのかもしれないと、何度もそう思った。

 結局は自分自身。誰かに頼る事しか出来なかった自分が、あまつさえヒーローの足でまといになる為に前線に行こうだなんて。

 

 

 「結局はその程度だった。俺一人で出来る事なんてたかが知れてた。強くなった気になってただけで、今更ボロが出たんだなって、そう納得出来たんだ」

 

 「……けど、アキト君はここまで来た」

 

 

 アスナは真っ直ぐにアキトを見据える。

 彼の言っている事は過去のもので、今はこうして前を向いているではないかと、アスナはそう伝えたかった。

 

 

 「……色々なものに助けられたからだよ。今だって、アスナ達に救ってもらってる。アスナは攻略組をまとめてくれてるし、エギルは頼れる壁役だし、クラインはいざって時に引かないところが魅力的だと思うよ」

 

 

 そう言ってアキトはおかしくなったのか笑い出す。

 その後、笑うのを止めたかと思うと、その背に担ぐ鞘から剣の持ち手を掴んだ。

 

 

 「《リメインズハート》を作ってくれたリズベットにも感謝してる。……これを作ってくれた奴にも」

 

 

 アキトはそうして、鞘から剣を引き抜いた。

 それは、アスナが知りたがっていたものの一つ。

 あの時、PoHにとどめを刺す時に使用した、蒼い色の剣。キリトが持っていた《ダークリパルサー》によく似ていた。

 透き通るようなその輝きに、アスナの瞳が揺れる。

 

 

 綺麗───素直にそう思った。

 だが、驚くところはまだ他にある。

 

 

 「……プレイヤー、メイド?」

 

 

 アキトに差し出されたその剣に、アスナは躊躇いがちにだが触れる。

 そこには、その剣の名前が表示されていた。

 

 片手用直剣カテゴリ :《ブレイブハート》

 

 勇敢なる心、そう意味を込められたその剣は、アキトにとても合っていると思った。

 そのステータスは、その《ダークリパルサー》とほぼ同等の強さを誇っており、アキトにとっては申し分の無いものだったろう。

 ステータスをもう一度確認して、その事実に驚愕する。

 リズベットの《リメインズハート》には及ばないが、それでもこの剣の強さなら最前線でも戦える代物だったからだ。

 それを作ったとなると、かなりの腕の鍛冶プレイヤーだ。

 けれど、最前線にいる鍛冶屋でそんなスペックを持つプレイヤーを、アスナはリズベット以外知らなかった。

 

 

 「……誰に作ってもらったの?」

 

 「クリスマスの時に言ったでしょ。ここに来る前に一人だけ、パーティを組んだプレイヤーがいるって。75層よりも下にいるから、メッセージで送って来てくれたんだ。『少しでも役に立ったら嬉しい』って、そう言ってくれた」

 

 「ぁ……」

 

 

 それを聞いて思い出す。

 クリスマスパーティーの日に、アキトがそのフレンドからのメッセージを返す場面に自分が出くわした事を。

 まさか鍛冶も出来るプレイヤーだったとは。

 アキトはそう告げると、思い出したかのように笑い、そして憂う。

 

 

 「……小さい頃の、自分を見た気がしたんだ」

 

 

 人見知りで、自信が無くて。

 そうして他人を避けていた、臆病で弱虫なあの頃の自分と。

 けれど、それでも必死に生きている様子が、アキトにはとても強く見えていた。

 彼女がくれたこの剣はきっと、勇気をくれる為のものなのだと、アキトは勝手に思ってた。

 自分の為に作ってくれたこの剣を、使うべき時に使うと決めていた。

 

 

 「彼女も、この剣も、前に進む勇気をくれている。だから……」

 

 

 止まりたくない。間違ってても、進まなければと思うから。

 その影は、アキトの表情を隠す。アスナは、思った事を素直に打ち明ける。

 

 

 「PoHの事、後悔してるの?」

 

 

 アスナのその的確な質問に、言葉に詰まる。

 アキトは誤魔化すように笑うが、口から溢れる言葉は正直だった。

 

 

 「……ちょっとね。時間が無かったし、ああするしか無かったけど……もしかしたら、剣で攻撃する前に、もっと何か出来たんじゃないかって……」

 

 

 悪人であったとしても、傷付ける事を躊躇する。

 それは、決して善人振った行いではなく、アキト自身が無意識に拒絶しているから。

 だけど、それはきっと優しさで。けど何処か残酷で。

 最後の瞬間、PoHにとどめを刺すその瞬間。

 あれが、人を殺す感覚なのだと知った。

 人を救う為に誰かを犠牲にする。正義の味方の限界を知った。そんな事、ずっと前から分かっていたのに、体験すると全く違って見えた。

 何かを得た代わりに、何かを失ったような気がしてた。

 

 

 「……強く、なりたいな。どんなしがらみも否定して立ち上がれるような、そんな心を持ちたい」

 

 「……アキト君」

 

 

 PoHを殺した事を否定して、みんなの為だからと割り切りたい。そう言っているようにアスナには聞こえた。

 けれど、アスナは知っている。

 敵にさえ情けをかけてしまうのは、優しさを見せてしまうのは甘さかもしれない。

 けどそんな彼だから、誰かの為に頑張れるのだと。

 

 

 PoHの行ったアップデートは、今後アインクラッドに影響を及ぼすだろう。

 アキトは、どんな心持ちでそれに挑み、成長していくのだろうか。

 

 

 

 

 

 

アップデートまで、あと数日────

 

 








小ネタ


① 新たな武器



リズベット 「……」

アキト 「……えっと」

リズベット 「ん」

アキト 「……ん?」

リズベット 「ん!」

アキト 「……あ、メンテナンスか。お願い────」

リズベット 「ちっがうわよ!武器よ武器!あたし以外の武器を使ったそうじゃない!どれほどのもんか見せてみなさいよ!」

アキト 「い、良いけど……」

リズベット 「……ふ、ふんっ、た、対した事無いわね……あたしの《リメインズハート》には遠く及ばないわね……(震え声)」

アキト 「……そんな風に言わなくても良いでしょ(キレ気味)」

リズベット「(何よこれ《ダークリパルサー》と同じくらい強いじゃない!こんな鍛冶プレイヤーがいたなんて……)」

アキト 「……あの」

リズベット 「何処で知り合ったのよ!紹介しなさい!」

アキト 「え、対した事無いんじゃなかったの……?」













②《ブレイブハート》の製作者様へ





────ピコン♪



???「……?」




Toアキト
『武器ありがとう。凄く助かった。これからも使わせて貰うよ』




???「……」

???「……っ!?」

???「っ!?……!?!?」


???「……」


??? 「……えへへ♪」




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Ep.85 仲間との在り方




SAOのフェイタルバレットで《アルティメットファイバーガン》ってあるじゃないですか。あの移動サポート機能という銃らしからぬ面白武器、通称《UFG》の。
あれって、マスターの強さに合わせて貰えるものが違うって事かなという勝手な解釈の元、考えたんです。

未定だし書くつもりもないんですが、もし私がフェイタルバレットを書くとしたら、恐らくアキトにもアファシスを付けますね。
そしてそのアファシスから貰う《UFG》も、銃らしからぬ性能にしたいと。


その性能とはぁ!(ダダンッ)


候補① 跳弾機能
撃った弾が跳ねる。壁、地面、跳ねて跳ねて敵を錯乱させる。超高難度。

候補② 追尾機能
撃った弾が音速で対象を追尾。超在り来り

候補③ ジェット機能
引き金を引いてる間、銃口から考えられない程のエネルギーが噴射する。地面に向けると持ち主は飛ぶ。非常識。


……考えた結果、移動サポートが一番良さげです本当にありがとうございました。



それでは、どうぞ。




 

 

 

 

 

 既に夕刻近い。あの後、目が覚めたフィリアと分かれて《アークソフィア》に戻ってすぐに、エギルの店でユイと話をした。

 内容は、アキトが倒した《ホロウ・データ》のPoH、奴の目的であった事。

 

 

 高位テストプレイヤー権限を使って、《ホロウ・エリア》のデータ全てで《アインクラッド》をアップデートするというものだった。

 どんな事が起きるのかは想像出来ないが、それがとても危険だろうというのは予測出来ていた。

 

 

 「アップデートによるデータの上書き……」

 

 「……こりゃあ、只事じゃなさそうだな……」

 

 

 ユイはアキトの話を聞いていく内に その規模の大きさに驚くばかり。まさに開いた口が塞がらない状態でアキトとアスナの間に座っている。

 各々がカウンターで座っている為に、向かい側にいるエギルには今までの話が筒抜けで、ユイ同様に驚いていた。斯く言うアキトとアスナも、PoHの目的の重大さは理解していたが、それだけだった。

 未知の事象に具体的な答えを見出せず、これから何が起きるのかの仮説も立てられない。

 アスナは不安そうに顔を曇らせ、

 

 

 「ユイちゃん、そんな事は可能なの?団長はもういないのに、そんな事が出来るなんて……」

 

 

 とポツリと聞く。

 だが、アスナのその質問はあまり意味のあるものとは考えられない。

 今の今までだって、この《ソードアート・オンライン》というVRMMOは、75層からヒースクリフ、つまり茅場晶彦を失っている。

 それでも尚この世界は稼働しているのだ。

 つまるところ、突き詰めたメンテナンスやイベント構築、システム管理などは中枢である《カーディナルシステム》が独断で行っており、そこにゲームマスターの介入は必要無いという事だ。

 なら、PoHが行おうとしている事だってそうだろう。

 

 

 「……アキトさんのお話を聞く限り、無いとは言い切れません。実際に《ホロウ・エリア》で審査されたデータがアインクラッドに実装され使用可能となっています」

 

 

 残念そうに応えるユイ、それが全ての答えだった。

 つまりは、そういう事なのだ。ゲームマスターの介在が無くともシステムはシステムエラーによる誤作動を除きほぼ正常に稼働している。

 

 

 「勿論、必要以上のデータ改革が無いようリミッターはあるはずですが……それが作動しない可能性があります。そして、推測ですがこのアップデートは実施されればかなり危険です」

 

 

 ユイは顔を曇らせる。

 何がそれほど危険なのかと、突き詰めてユイは説明し始めた。

 

 

 「規模、データ量は全く異なりますが、《ホロウ・エリア》は本来、アインクラッドと対をなす未接続のミラーサーバーのようなものだと推測されます。このようなエリアはまだ点在すると思われますが、75層のクリア時にこのアインクラッドと《ホロウ・エリア》のみが接続され、開示された可能性が高いです」

 

 

 ミラーサーバー。

 その単語は、妙にしっくりと心に嵌る。納得させるほどのものが彼処にはあった。

 アインクラッドと《ホロウ・エリア》は鏡写し。つまり、そのアップデートによる影響の程は聞くまでもないだろう。

 

 

 「本来、《ホロウ・エリア》のみに存在するAIデータのIDが、アップデートの上書きによりメインとなってしまうような事があれば、《ホロウ・エリア》で起きた事と逆の現象がアインクラッドで起こる可能性があります」

 

 「それって……?」

 

 

 《ホロウ・エリア》の事に詳しいのはアキトだけ。故にアスナはユイの言った事を具体的には理解出来ていなかった。

 だがアキトには、分かっていた。

 

 

 「《ホロウ》が存在するプレイヤーは、強制的にデータを消去されるって……こと?」

 

 「……はい。恐らくプレイヤーIDが削除された上で同じIDの《ホロウ・データ》がアインクラッドに実装されます」

 

 

 ユイの肯定に、アスナとエギルの顔が強ばる。

 つまり、このアインクラッドにいた本物のプレイヤーは消え、その消えたプレイヤーの《ホロウ・データ》が蔓延るという事だ。

 アキトの瞳が揺れる。

 本人は生きているはずなのに、アインクラッドで生きているのはプレイヤーのコピーであるAI。

 消去された本物のプレイヤーはどうなるか分からない。それは現実の身体にも影響を与えてしまう可能性だってある。

 

 

 「『プレイヤーは生存している』という情報は維持されるので、死亡扱いにはならないと思いますが……」

 

 「……でもそれを、『生きてる』とは言わない」

 

 「アキト君……」

 

 

 アキトは拳を握り締める。

 ユイはあくまでも推測の息だと主張するが、考えうる限りではそれが一番有力な説であり、あって欲しくない未来だった。

 アップデートによって、人が《ホロウ・データ》へと成り代わる。そんな事になれば、ゲームクリアだってきっと望めない。目的に妄信的な彼らは、命よりも目的を優先する。それがゲームクリアだとしても、命の危険はきっと変わらない。

 

 

 「……ですが、想定される最悪のケースとしては、《ホロウ・エリア》にIDの無いプレイヤーの状況の方が深刻です」

 

 

 しかし、ユイは追い討ちをかけるようにそう言葉を投げかけた。

 アキトは思わずユイを凝視する。

 IDの無いプレイヤー。つまり、《ホロウ・エリア》にプレイヤーが来てしまった場合、元々《ホロウ・エリア》にいたはずのそのプレイヤーのID、《ホロウ・データ》が重複チェックによって消えてしまったプレイヤーの事。

 アキトとフィリア、そしてこのエリアに連れていったアスナとクラインも同様だった。

 

 

 「先程にもあったようにIDの重複チェックシステムの認識が逆に働いてしまい……それを修復しなければならないエラーとして認識されてしまうケースです」

 

 「……つまり、アインクラッドにいるプレイヤー自体を《ホロウ》と認識して削除しちまう可能性があるって事か……?」

 

 

 エギルは腕を組みながらこの難しい話を理解するべく頭を捻る。

 ユイが肯定の意を示すと、戸惑いが表情に現れていた。

 つまるところ、アキトとアスナ、クラインはこのままアップデートが行われれば、いてはいけない《ホロウ》、エラーとして認識されて消え、『プレイヤーが存在していない』状態となるという事。

 それは、『死』を意味していた。

 

 

 「ゾッとしない話だな……」

 

 「本来アインクラッドには《ホロウ・データ》が存在しません。アップデート終了後、カーディナルシステムが大量のエラー修復の為プレイヤーの《ホロウ・データ》を作成し、上書きしてアインクラッドに実装してしまう可能性があります……」

 

 

 そのスケールの大きさに絶句する。

 どうしたら良いのか、何が起こるのか、その具体的な部分は何一つ理解出来ていないのかもしれない。

 けれど、これはPoHがアインクラッドで暮らす全てのプレイヤーに向けたPKだという事だけは、一瞬で理解した。

 《ホロウ・データ》が人に、人が《ホロウ・データ》になってしまう。この状況下における最悪のケース。

 

 

 「実際にアップデートされるまでこの推測が正しいかお答え出来ません……アキトさん、お役に立てなくてごめんなさい」

 

 「そんな事無いよ。どっちにしたって止めなくちゃならないんだから、その推測が正しいかなんて確かめる必要は無い」

 

 

 アキトは優しくユイの頭を撫でる。

 ほのかに頬を染めるユイが、嬉しそうに笑った。アスナもそんなユイを見て、その決意を顕にした。

 

 

 「……ユイちゃんありがとう……なら、私達がやる事は一つね」

 

 

 アキトは頷く。そんなものは決まっていると。

 《ホロウ》のPoHが残した最後の悪足掻きである、世界一嬉しくない大型アップデートの停止。

 絶対に止めてみせると、固くこの胸に誓う。

 

 

 「……覚悟は決まったみたいだな」

 

 「エギル……」

 

 「良い顔してるよ。なぁ、ユイちゃん」

 

 

 アキトとアスナを見て軽く微笑むエギルは、ユイと顔を合わせて笑った。

 

 

 「はい!すっごく……頑張ろう!っていうお顔です」

 

 「そ、そんな顔してたかな……」

 

 

 アキトは自身の顔をぺたぺたと触る。

 そんな彼を見てクスリと笑ったアスナは、ユイに笑って告げた。

 

 

 「うん。だって私は、ユイちゃんやみんなと現実世界に帰るって決めてるから」

 

 「アスナ……」

 

 

 その言葉は、アキトが彼女からずっと聞きたかったものだった。

 キリトを失った事で生きる希望を一度失った彼女。そんな彼女から、現実世界へと帰る、そんな決意ある言葉をずっと待っていた。

 それだけで救われた気がして、アキトは笑った。

 

 

 「……そっか」

 

 「……何他人事みたいに見てるのよ」

 

 「ぇ……」

 

 

 アスナの小さい声に、アキトの顔から笑みが消える。

 彼女はバツが悪そうにチラチラと目線を逸らし、やがて途切れ途切れに言葉を重ねながらも、最後は真っ直ぐにアキトを見た。

 

 

 「アキト君も……一緒に、帰るの」

 

 「っ……」

 

 

 思わぬ一言に、アキトは面食らった。

 言葉が出て来ない。ただ、何とも形容し難い気持ちが押し寄せた。まるで、塞がっていた扉の鍵を、開けてくれたみたいな。

 

 

 「……ママ?」

 

 「っ……そ、それで、他のみんなには?」

 

 

 少し間があって、ユイの声でアスナはアキトから目を逸らす。

 互いに我に返ったようで、アキトもたどたどしく口を開いた。

 

 

 「あ、うん……えと、心配してるだろうし、説明はするつもりだよ」

 

 「アイツらならもうすぐ戻って来ると思うが……」

 

 「な、なら、メッセージを送って待ってましょう」

 

 

 アスナは咄嗟にウィンドウを開く。2年も使っているウィンドウに、滑らかに指を這わせていく。

 それを眺めながら、アキトはただ、アスナの事を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキト君、みんな集まったよ」

 

 「うん、ありがとうリーファ」

 

 

 それから暫くして、エギルの店にシリカとリズベット、リーファにシノンが集まった。エギルは変わらずカウンターに立ってはいたが、アスナとユイは見当たらなかった。

 だが何処にいるのかと見渡そうとしてふと気付く。

 

 

 「「「……」」」

 

 

 「……えと、何?」

 

 

 アキトは視線の鋭い方々、シリカとリーファとシノンの視線が気になった。

 特にシノンの視線は恐怖を感じずにはいられない。氷の女王よろしく凍てつくような視線に、アキトは氷漬けにされる幻覚を見てしまう程。

 そんなシノンが、口を開いた。

 

 

 「……アンタがこうやって呼び出すという事はかなりの大事件なのね」

 

 「う、うん」

 

 「けどその前に、何か私達に言う事があるんじゃないの?」

 

 「……」

 

 

 ……怒ってらっしゃる。

 シノンは明らかに激怒しているように見えた。だからこそ恐ろしい。シリカ達もそんなシノンに何も言えないようだった。

 ただ彼女達もシノンとは同じ意見のようで、アキトになんとかしろと、そう目で訴えていた。

 彼女達が何故怒っているのかなんて決まっている。自分達が反対したにも関わらず、何も告げずに《ホロウ・エリア》に行ったアキトが気に入らなかったのだろう。

 アキトもそれを理解したようで、観念したように息を吐くと、シノンに向き直った。

 

 

 「……フィリアは、シノン達が思ってるような奴じゃない。会った事もないシノン達からすれば、信じられない部分もあったと思う。会わせる事をしなかった俺にも責任はある……と、思うし」

 

 「……それで?」

 

 「は、反対される事が分かってたから、何も言わずに行ったんだ。終わってから説明するつもりだった」

 

 「……で?」

 

 「っ……だ、だから……既成事実っていうか、事後承諾みたいな感じにすれば良いかな……って、思って……その……」

 

 

 言葉を重ねる度に自身が押されているような感覚にアキトは冷や汗が止まらない。

 シノンは変わらずアキトを見据えるだけだが、鋭い視線も変わらなかった。

 だがやがて何を言っても仕方ないと理解したのか、態とらしく深く溜め息を吐いた。

 

 

 「……はぁ、何でアンタっていつもそうなのかしら」

 

 「……こんなのすぐにバレるって分かってた。彼女を助けるまでのほんの数時間だけ黙っていれば、それで上手くいくはずだったんだ」

 

 

 会った事も無いプレイヤー、しかもオレンジを信じろと言う方が難しいだろう。だからシノン達が反対するのは仕方なかった。

 けれどアキトは知っている。カーソルの色だけじゃ判別出来ない、分からない人達がいる事を。

 犯罪者と同じ色のカーソルだからといって差別して、人となりもわからないまま避けるだなんて、あまりにも勿体無いではないか。

 フィリアは確かにオレンジだったけれど、共に冒険してきたアキトだからこそ、彼女がPoH達と同じ純粋な犯罪者とは違うと思えたのだ。

 助けに行くまでの数時間だけ気付かれなければと、それが理由だった。態々無用の心配をさせる必要は無いと思ったから。

 

 

 けれどシノンはアキトを見上げ、不貞腐れたように告げた。

 

 

 「……たった数時間だけなんだから、心配させて欲しかった」

 

 「っ……」

 

 「沢山ある選択肢の中からアキトが考えたなら、ベストな行動だったのかもしれない。結果的に私達が気付いて心配する前に、アキトは帰って来た。……でも」

 

 

 シノンは俯き、目を逸らす。

 戸惑いがちに、躊躇するように、それでも言葉を絞り出す。

 

 

 「……私は寂しかった。秘密にされていた事が寂しかったのよ」

 

 

 アスナは、ユイは知っていたのにと。どうしてもそう思ってしまうから。

 なんて、アキトの前では言えないけれど。

 分かってる。これは嫉妬なのかもしれない。だけど、心配する事すらさせてくれないなんて、そんなのはあんまりだろう。

 自分達の知らないところで大切な誰かが死ぬ、そんなのは酷だろう。

 

 誰もがシノンのその素直な気持ちの露呈に驚く。

 目を丸くしながら、それでも何も言わずに固唾を飲む。

 だってそれを、シノンのその切実な想いを、自分達も抱いていたから。

 

 

 「シノン……」

 

 「……言って欲しかった。それだけよ」

 

 

 シノンはただ悲しそうな顔でそう呟いた。

 何も言わなかった事が、逆に心配させてしまっていたのだとアキトは理解した。

 ずっと一人だったからこそ、仲間の存在を、彼らの気持ちを考えていなかった、失念していたのだ。大切に思うばかりに、その想いばかりを押し付けて、シノン達の事を考えていなかった。

 きっとみんな同じ気持ちだったのかもしれない。あの場所には多人数では行けないし、自分達も戦力にはならなかっただろうけど、アキトの帰りを待つ事だけは出来たはずだ、と。

 アキトは途端に、自分の愚かさに気付いて何も言えずに俯いた。

 

 

 「でも、それがアンタの優しさだって知ってるから、もう何も言わないわ。気持ちは嬉しかったもの。ありがとね、アキト」

 

 「……ゴメン」

 

 「もう良いって。私の方こそ悪かったわ、アンタのそういうところ、分かってたつもりだったのに」

 

 

 そうして儚く笑うシノンの背中から、シリカとリーファが抱き着いてきた。

 二人は揃って、アキトを鋭い目付きで見上げていた。

 

 

 「シノンさんが謝る事無いと思います!」

 

 「そうですよ!今回もアキト君が悪いんですから!」

 

 「……今回『も』……」

 

 

 確かにそうなんだけど……。

 アキトはそんな視線が痛く、どうにも出来ずに苦笑した。

 そんな光景を、リズベットとエギルが眺めながら、互いに笑った。

 シノンはシリカとリーファの行動にクスリと笑った後、席についてアキトを見上げた。それに合わせて各々が腰を下ろし、話を聞く姿勢になる。

 

 

 「それで話って?例の《ホロウ・エリア》について?」

 

 「……うん」

 

 「……何が起きるの?」

 

 

 不安そうな表情で問い掛けるリーファを一瞥し、アキトは大きく息を吸った。

 

 

 「……この前のPoHの話、覚えてる?アイツが《ホロウ・エリア》のシステムを使って仕組んだ大型アップデートがある」

 

 「あ……アップデート?」

 

 

 意外な単語にキョトンとする一同。当然だろう、アップデートといえば聞こえは良いに決まっている。常識的なゲームなら、アップデートで色々な機能やイベントが追加されるものだ。

 だがここはただのゲームでは無い。その上、仕組んだのはレッドプレイヤーの《ホロウ》。

 みんな、それがてだのアップデートては無いと理解していた。

 

 

 「……標的は、アインクラッドにいる全プレイヤー。多分……《圏内》にいても防げない」

 

 「ぇ……」

 

 

 誰もがその発言に絶句した。

『全プレイヤーがターゲットのアップデート』で、仕組んだのはPoH。

 嫌な予感しかしなかった。

 リズベットは思わず立ち上がり、凄い剣幕で声を荒らげた。

 

 

 「そんなのってありなの!?どういう事よ!?」

 

 

 そんなの、誰もが知りたがっていた。

 アキトが持ちうる情報だって、あくまでユイの推測から転じた仮説でしか無い。けれど、これが一番可能性のある事象で、防がなくてはならないもの。

 アキトは、アップデートされる事によって起きうるであろう可能性の話を始めた。

 

 アップデートによって《ホロウ・データ》をアインクラッドに実装。

 それに伴って、そのAIと同じIDを持つ本物のプレイヤーの削除。死亡扱いとは認識されず、ただ目的に妄信的なAIがその生を代わりに全うする事になる。

 既に《ホロウ・エリア》に行った事でAIを削除されたアキトとアスナ、クラインはエラーとして消失してしまい、死亡扱いとなって死ぬ可能性がある事。

 フィリアは《ホロウ・エリア》から出られない為、どうなるか分からないという事。

 

 そして、この世界にいるプレイヤーの真意。最大の望み、その目的は『生きる』という事だ。

 人が《ホロウ・データ》に、《ホロウ・データ》が人になるこのアップデート。もし彼らがAIの時の性質のままアインクラッドに実装されたとすれば、彼らが行う妄信的になる対象の目的。

 それは『ゲームクリア』より『生きる』事。つまり、彼らは『生きる』という目的の為に行動し、その目的の妨げになる戦いはしなくなり、ゲームクリアは叶わぬ夢となる。

 

 PoHのいう『永遠』の世界が完成するのだ。

 

 全て推測だが、それが危険だという事はもう誰もが理解した。

 恐ろしくおぞましく、何より怖い。大切な誰かが、自分という存在が消え、この先の未来を望めなくなるという事実。

 頭の中が真っ白に、クリアになり、またどうするべきかを模索する。

 けれど、システムに詳しくない一同は、行動の起こし方すら不明瞭のまま。

 だが、分かっている事もあった。

 

 

 「……確かに、何処にいてもデータを上書きされたらお終いね」

 

 

 話の一部始終を聞いたシノンは、その事実だけを述べた。

 その他のみんなも、これから起こりうる事象の規模が想像以上のもので混乱していた。

 

 

 「……けど、まだ助からないと決まった訳じゃない」

 

 「という事は、止める方法がアキト君には分かっているの!?」

 

 

 リーファが迫る中、アキトは大きく頷いた。

 そして軽く、優しく笑った。

 

 

 「……フィリアのおかげだよ」

 

 「フィリア、さんの……?」

 

 「きゅるぅ……?」

 

 

 ピナを頭の上に乗せたシリカは目を丸くする。

 リズベット達も同様だった。

 そう、彼女達はフィリアがアキトを裏切ったという事実に納得がいってない様子だった。フィリアを許し難い存在として見ていたのだ。

 そんな彼女が、今回自分達の危険を救う手助けをしてくれたのだとアキトに教えられ、困惑するのは当然だった。

 彼女はPoHと行動した事で、そのアップデートを行った場所、《中央コンソール》がある場所を特定出来ていた。後は、そこに行く為にエリアを踏破するだけ。そうすれば、アップデートを止める事が出来る。

 シノン達は暫く黙っていたが、やがて口を開いた。

 

 

 「……やるしかないわね。やらなければ終わりなんだから」

 

 「うん、私に出来る事があったら、何でも言ってよ、アキト君!」

 

 「はい!オレンジギルドの人なんかに負けません!」

 

 

 フィリアも戦っている。そう気付いたのか、分かってくれたのか。

 その瞳に迷いはもう無くなっていた。アキトは、何故だかとても嬉しかった。

 そしてリズベットが立ち上がり、机を挟んでアキトに上体倒す。瞳を見開き、アキトに向かって警告する。

 

 

 「武器や防具はしっかりメンテしてよね。出掛ける前には、必ずうちの店に顔を出す事!」

 

 「う、うん……」

 

 「……それと、他の人にはどうするの?」

 

 

 リズベットの問いに、みんなが眉を顰める。

 こんな大事態を、プレイヤー達に教えるべきなのかどうか、彼女はそれを問うていた。

 大勢に知られるとパニックは間違い無いだろう。実際、《ホロウ・エリア》に行けるのはアキトだけの為、この話を信じるかどうかは不明だ。案外違う意味で噂が広まるかもしれない。だったら、言わない方が吉なのだろうか。

 周りが一斉に首を捻る。

 

 

 けれど、それはアキトには関係無かった。

 

 

 「言う必要なんか無いよ。アップデートは起きないんだから」

 

 

 そう言って、挑戦的に笑った。

 そんなアキトにみんな目を丸くした後、シノンがつられて笑う。

 

 

 「へぇ……結構な自信じゃない」

 

 「こうでも言わないと不安になるだけだよ」

 

 「でも、それで自信がつくならそのままでいれば良いんじゃない?こっちはもうアンタの毒舌には慣れたわよ」

 

 「……その節は本当にすみませんでした」

 

 

 かつて態と嫌われるように振舞っていた頃の態度を指摘されて縮こまるアキト。そんなやり取りにカラカラと笑うみんな。

 この空間が温かく、とても優しいものに見えた。永遠であって欲しい。

 けれど、PoHが望んだ永遠は歪んでる。自分の守りたい永遠の為に、奴の目論見は潰さなくてはならないと、改めて決心した。

 

 

 そんな中、リズベットがアキトを見る。

 

 

 「そういえば……ずっと気になってたんだけど」

 

 「何?」

 

 「アスナは何処に行ったのよ?ずっと姿が見えないけど」

 

 

 言われてみれば、と彼女達は周りを見渡す。

 アスナもユイも、その場にはおらず、みんな首を傾げた。

 そんな疑問に、アキトは笑って答える。

 

 

 「二人なら厨房だよ。実は──」

 

 「丁度お話も終わった頃かな、アキト君」

 

 

 ふと後ろから、本人の声がかかる。振り返る必要も無く、それがアスナの声だと理解した。

 同時に、空腹を助長するような幸福な匂いが各自の鼻を刺激する。みんな一斉にその方向へと視線が動いた。

 

 

 「はーい皆さん!今日はママの作ったご馳走ですよー!」

 

 

 ユイとアスナとエギル、そしてなんとクラインまでもが大量の皿を持って現れる。彼らが机に置いた皿には、どれも美味が確定されたような見た目の料理で溢れ返っていた。

 彼女達はわけも分からずポカンと口を開けていたが、美味しそうな料理に目を輝かせ始めていた。

 

 

 「全く、いきなり言われても食材揃えるのが大変なんだがな」

 

 「ゴメンなさい、エギルさん」

 

 

 アスナの笑顔の謝罪にエギルは笑って返す。

 クラインはエギルの隣りで納得がいかないといった表情で立っていた。

 

 

 「俺はどっちかって言うと作戦会議に参加するべきだろう?」

 

 「仕方が無いだろう。食材を集めるにも人が必要なんだ」

 

 

 エギルにそう言われたクラインに、アスナがニコリと感謝を告げた。

 

 

 「クラインのおかげで美味しい料理が出来たわ、ありがとうね」

 

 「あ、アスナさんに頼まれたら断れないからな……」

 

 

 アスナに向かってクラインが胸を張る。

 調子の良いクラインに溜め息を吐きながら、今の現状を見てエギルが不安そうに呟いた。

 

 

 「しかし良いのか?こんなにのんびりしてて」

 

 「アインクラッド全体に及ぼすデータの実装となれば、早くても数日の時間がかかると思います」

 

 

 ユイの頭を撫でて、アスナが周りを見渡す。

 料理に視線を落として、みんなに笑顔を振り撒いた。

 

 

 「そういう事。だったら、焦るよりしっかりと準備を調えないとね。というわけで、私とエギルさんが腕を振るいました。決起会という事で、今日は沢山食べてね」

 

 「美味しいですよー!」

 

 

 決起会、その言葉で彼女達は料理に視線が釘付けだった。

 アップデートまで数日、なら、今はこの目の前の料理を楽しまなければ。

 

 

 「うわあ!凄いご馳走です!」

 

 「きゅるぅ♪」

 

 「これはまた豪勢だねー」

 

 「お代は当然アキト持ちなんでしょうね?」

 

 「え」

 

 「アキト君、ありがとう!いただきます!」

 

 

 アキトが支払いもいう流れのまま、彼らは各々料理に手を伸ばしていた。

 唖然とする間も無く減っていく料理と、みんなの笑顔を見て、アキトは笑った。

 この笑顔を見たいが為に。この笑顔を絶やさぬように。

 PoHのアップデートを、絶対に成功させたりはしない。

 信頼してくれる仲間の為に、信頼される自分でありたいと思う。

 だから、必ず。

 

 

 アキトはストレージに仕舞う、二本の剣に想いを馳せた。

 

 《リメインズハート》。リズベットがキリトを想い、アキトの力になる為に作った、想いを背負う剣。

 《ブレイブハート》。とある少女がアキトだけを一途に想い、彼の望みを叶える為に作った、心を動かしてくれる剣。

 

 みんなの笑顔を守る為と、この二本の剣に誓う。

 先程のアスナの言葉を、思い出しながら。

 

 

 

 

 必ず、生きて現実世界に帰る。みんなと一緒に────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……うん、それで良い)

 

 

 エギルの店の入口で、ストレアが微笑む。

 視線の先にいる、ストレアの大好きなプレイヤー達。その中心で笑う一人の少年、アキトの表情を見て、とても嬉しい気持ちになった。

 アキトの揺るぎない意志と、目的と誓い、それをこの目で見て思う。

 彼なら、きっと大丈夫。

 

 

 「これからも、私が見ててあげるからね」

 

 

 何度も折れて、傷付いたアキトの、それでも変わらない切実な想いを見て。

 ストレアは嬉しそうに笑う。

 君ならきっと、今度こそ。

 

 

 

 

 ストレアは、今も尚楽しそうな彼らを見て、なんだか羨ましくなってしまった。

 その輪の中に混ざろうと────

 

 

 

 

 ────変わらぬ笑顔で店に入っていった。

 

 

 

 

 








①乱入後のストレア


ユイ 「アキトさん!こっちの料理も美味しいですよ!」

アキト 「ありがとう、じゃあ貰お────」

ストレア 「アーキト♪こっちのも美味しいよ!はい、あーん♪」

アキト 「す、ストレア何すムグゥ!?」

ユイ 「あ、アキトさん!?」







②クラインの用意した食材


シリカ 「このお肉美味しいです!」

クライン 「へへっ、だろ?それは豚みてーなモンスターがドロップしたんだよ。もう兎に角身体が汚くてよ」

リズベット 「このキノコみたいな奴初めて見るわね……」

クライン 「そいつスゲー色してたんだぜ?なんか、紫っぽいっつか、光ってんだよな」

リーファ 「……このソース、独創的な色してる……」

クライン 「植物系のモンスターの粘液だってよ。色見るからに、そいつは奴の口から──」

リズベット 「一々食材の原型の話なんてしなくて良いわよ!聞いたら食べにくいでしょうが!」バキッ

クライン 「ぎゃあああぁぁあああ!!」






③暫くして


アキト 「……」

アスナ 「カウンターで一人で食べなくても良いのに」

アキト 「っ……アスナ」

アスナ 「その……隣り、良い?」

アキト 「……別に良いけど」

アスナ 「……その、料理、どう?」

アキト 「え……ああ、美味しいよ」

アスナ 「ふふ、当然でしょっ」

アキト 「まあ、俺も料理スキルはコンプリートしたんだけど、中々作る機会が無くてさ」

アスナ 「……なら、今度、作ってよ。私、アキト君の料理食べてみたい」

アキト 「……アスナが作るのとあまり変わらないと思うけど……良いよ」

アスナ 「……約束ね」

アキト 「う、うん……?」




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Ep.86 あの頃のリベンジを






奪われるだけの世界だった。それでも立ち上がれたのはきっと、まだこの手に残されたものがあったから────








 

 

 

 

 《ジリオギア大空洞》

 

 《ホロウ・エリア》の区分エリアであるその場所の中、一つのダンジョンに彼らはいた。

 名前は《少年が投獄された牢屋》。薄暗くひっそりとした雰囲気はその名の通り牢屋だった。

 鉄格子の中には凶悪なモンスターが牙と敵意を向けており、それらを監視するかのように、大鎌を持った死神のようなモンスター達が徘徊していた。

 PoHと戦った世界観無視のデジタル空間はそこには無く、いつものSAO、それを取り戻したかのような景気。

 久しく忘れていた違うベクトルの恐怖を、彼らは感じていた。

 

 PoHに罠に嵌められてから、この《ジリオギア大空洞》エリアは探索が途中であったが、そこからこの牢屋に来るまでは想像よりも早かった。

 時間が無いアキト達からすれば有り難いが、未知が恐ろしいものである事には変わりなかった。

 それでも、PoHのアップデートを止める為の中央コンソールがある場所に辿り着く為には、この《ホロウ・エリア》の踏破が前提条件なのだ。

 高難易度だろうと、進んでいくしかない。

 

 マップを見れば左右対称だが、まだ奥のエリアには手を付けていなかった。先へと続く道は暗がりで何もかもが謎に包まれている。

 時間的には昼頃だが、屋内で陽の光とも無縁であろうこの監獄のエリアは、相応の不気味さが漂っていた。

 それに伴って感じる肌寒さに、クラインは震えた。

 

 

 「……なんかよぉ、寒くねぇか?」

 

 「……良かった。私だけかと思ってた」

 

 

 フィリアがクラインに同意した後、腕を摩った。

 辺りを警戒しながら歩くも、何も見えないに等しいこの状況下は不安だろう。その肌寒さはこの霊でも出るんじゃないかと感じさせる雰囲気による鳥肌だった。

 先頭を歩くアキトも、二人の気持ちが分からないわけでも無かったからだ。

 暗闇の中においては視界に頼る戦闘が圧倒的に不利だ。ここに来るまで戦闘続きで、少し休憩した方が良いのかもしれないとは思っていた。未知の場所による恐怖と焦燥の中での戦闘、余分な体力の消費は避けられない。

 アキトはフィリアとクラインの様子を交互に見やった。

 

 

 「……二人共、少し休む?」

 

 「私は平気……クラインは?」

 

 「おうよ!俺様もまだまだ大丈夫だっての!」

 

 

 フィリアに強気な自分を見せたいのか、クラインは胸を張る──訂正、彼はフィリアでなくとも女性の前ではカッコよく見せたい病気であったと、アキトは溜め息を吐いた。

 

 PoHのアップデートを止める為には、この《ホロウ・エリア》の全エリアを解放し、踏破しなければならない。

 区分された各エリアのボスを倒す事で、次のエリアが開かれて来たのを考えれば、今回の《ジリオギア大空洞》エリアにもボスがいるはず。

 そのエリアボスを探して討伐するのが今回の目的であったが、その討伐に参加する事を、クライン自らが志願したのだ。

 アキトに加えてもう1人だけしか《ホロウ・エリア》に入れない。故に、アキトに協力したいと殆どが志願した中で、クラインの決意は珍しく固く見えた。

 アキト自身、みんなには協力して欲しいとは思っていたが、《ホロウ・エリア》へ連れていくとなれば人選は絞られた。

 

 それが、アスナかクラインだったのだ。

 

 理由は二つ。一つ目は、彼らが攻略組の中でも極めて優秀なプレイヤーだからだ。シリカやリズベット、リーファやシノンは彼らよりレベルが低く、経験も浅い。高難易度エリアである《ホロウ・エリア》に足を踏み入れさせる事は躊躇われた。

 これだけならエギルを連れていくのも選択肢の一つではあるが、それは二つ目の理由に引っかかる為に選べない。

 

 その二つ目は、《ホロウ・エリア》の仕組みによる制限だ。

 ユイの説明で明らかになった事で、アキトも確認している。本来一般のプレイヤーが介在する事が有り得ない《ホロウ・エリア》だが、一度でもこのエリアに来てしまえば、そのプレイヤーのAI、《ホロウ・データ》が削除されてしまう。

 そうなった場合、PoHのアップデートにより、AIが無いプレイヤーは消失し、『プレイヤーは存在していない』状態となり、現実世界のナーヴギアが作動する恐れがあるからだ。

 既にアスナとクラインは自身が《ホロウ・エリア》に連れて来てしまっているが故に事後なので仕方がないとして、これ以上《ホロウ・エリア》にAIが無いプレイヤーを連れて来る事は出来なかったのだ。

 

 それらの理由が無くとも、彼らは誰を連れていくのかはアキトに委ねるつもりだったのだろう。みんなが何も言わずにアキトの意見に納得していた。

 ずっと一緒に攻略していたアスナに関して言えば、クラインと変わる事に僅かに不服が無いわけでもない様だったが。

 アスナには《血盟騎士団》の団長としての責務があり、ずっと《ホロウ・エリア》に付きっきりというわけにもいかなかったのだろう。そうなれば、それだけゲームクリアまでの時間が伸びてしまうのだから、迷宮区の攻略も怠ってはならない。

 あちらにいるアスナ達にそれは任せて、アキト達は今この瞬間に、エリアボスを倒さなければならない。

 クラインが何を思ったここに来る事を決めたのかは分からないが、ボスとの戦闘を控えている今、疲労させるわけにはいかない。

 

 

 「……」

 

 「ん?どうした、アキト?」

 

 それが表情に出てしまっていたのだろうか。

 クラインはこちらを見つめるアキトに気が付いた。

 

 

 「……無理しないでよ。辛かったら相談してよね」

 

 「けっ、良く言うぜ。オメーにだけは言われたくないっての!」

 

 「なっ……」

 

 

 言い返そうとしても言葉が出てこない上に見つからない。クラインの言葉は全て真実だったから。

 昨日シノンに言われた言葉を思い出す。心配させて欲しかった、秘密にされていた事が寂しかった、と。

 クラインも、そんな気持ちで居てくれたのだろうか。だから、今回はアスナに変わってここに来てくれたのだろうか。

 

 

 「……ゴメン」

 

 「いやよ、別に謝って欲しかったわけじゃねぇけどよ……」

 

 

 クラインはバツが悪そうに頭を掻く。以前のアキトよりもしおらしい彼にやり辛さを感じる。思わず目を逸らすも、状況は変わってなかった。

 ただ、アキトがキリトにとても良く似てたから。雰囲気だけじゃない。その行動、みんなに心配させまいと振る舞うその行動が。

 そしてその行為が逆に心配させている事にも気付いてなくて。

 

 

 「私が悪いの……アキトが私を庇ったから……」

 

 「だから、別に責めてねぇっての。それにその話はここ来る前にしただろ」

 

 

 そう言ってフィリアから顔を逸らすクライン。

 《ホロウ・エリア》に来てすぐにフィリアからの謝罪を受けたクラインだったが、被害者でも無いクラインにとっては、アキトが許すならそれで良いと決めていた。

 行為自体は許される事ではないかもしれないが、フィリアがどんな人間なのか、クラインは会っていたから分かっていた。

 

 一気に暗くなる雰囲気に気付き、アキトの言葉に皮肉で返した事を後悔した。

 アキトが人一倍優しく、責任を感じる奴だというのは分かっていたはずなのに、それを理解せずにいつもの様に振舞ったのは間違いだった。

 この肌寒さを誤魔化そうと、場を和ませようとしたのは褒められるべきものだろうが、言葉は選ぶべきだったのだと、クラインは顔を顰める。

 

 けれど、本当はこう言いたかっただけなのだ。

 

 

 「……まあ、その……なんだ、今回の事でみんながお前さんを心配してたってのは分かったろ?お前さんが俺達を心配する様に、俺達だってお前さんを心配してる。お互い様だっつー事よ」

 

 「……そう、だよね。ありがとう」

 

 

 アキトはクラインの言葉に驚いたのか目を見開いていたが、やがて柔らかく笑みを浮かべた。素直な感謝の気持ちを受け、今度はクラインが驚く番だった。

 

 

 「へっ、オメェがそんな素直に礼を言うとはな」

 

 「……まさかクラインがそんな事言うなんて思わなかったから、ちょっと驚いた」

 

 「そりゃねぇよ……」

 

 

 確かに格好付けた言い方をした事は否定しないが、本当に思っている事を口にしたのだ、その感想はあんまりだろう。クラインは肩を落とし、苦笑いを浮かべた。

 アキトとフィリアは共に微笑しながら、そんなクラインを見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから暫くしての事だった。

 何度も何度もモンスターを斬り潰しては前に進むという行動の先の出来事だった。

 いや、何時そうなったのか、詳しい事は分からないが、目の前のモンスターばかりに気を取られていて周りが見えていなかったのかもしれない。

 

 閉鎖的で視界も悪いこの監獄というエリアに蔓延るモンスターは、どれも凶悪に思えてしまうから困る。

 中でも監視役の様に辺りを移動する死神のようなモンスターは、手に持つ大鎌の攻撃力の高さとレンジの広さがネックとなり、壁と壁の幅も狭い空間だととても戦いにくいのだ。

 間合いを詰めるにも間隔が狭いと近付けない。連携し辛いエリアだった。

 加えてそこにモンスターが集まりつつあり、そのヘイトが3人に一斉に向いた瞬間、彼らは散らばる事に決める。

 普段は固まるのがセオリーだが、ただでさえ狭い場所で固まるのは危険と判断したのだ。

 彼らは各々で対処出来る部分で庇い合い、隙を見て一撃を加える。集団相手にそれを続けていた。

 

 

 そして、最後の死神型のモンスターとの交戦後に、それに気付いた。

 

 

 「フィリア!」

 

 「了解!はあっ!」

 

 

 アキトが弾いた死神型の大鎌を視界に捉えたフィリアは、一瞬でモンスターの懐に入り込む。

 闇色の布、そのフードから見え隠れする顔目掛けてその短剣をぶつける。ソードスキルのエフェクトが迸り、モンスターの身体に傷を入れていく。

 やがてHPがゼロとなり、モンスターは四散する。暗い空間によく光るそのポリゴン片を眺めながら、漸く戦闘が終わりを告げた事を実感して、軽く息を吐いた。

 各々が失ったHPを回復すべく、ポーションを取り出す。親指で蓋を弾き、一気に喉を潤した。HPが段々と回復していくのを確認し、アキトは近くにいたフィリアへと顔を向けた。

 

 

 「……平気?」

 

 「うん……アキト、は?」

 

 「……大丈夫」

 

 

 お互いに小さく笑う。

 フィリアはまだ罪悪感が抜け切っていないのか、よそよそしい反応を見せる。でも、その顔に映る笑みは、以前よりも吹っ切れたように見えた。

 だから、今はまだ何も言わなくて良いのかもしれない。

 アキトはそのままフィリアから視線を外し、クラインがいるであろう方へと身体を向ける。

 

 

 しかし────

 

 

 「クラインは大丈……クライン?」

 

 

 その先に、クラインは居なかった。

 アキトは目を丸くし、途端に周囲を見渡す。だが、右も左も何も無い暗闇が広がっており、モンスターはおろかプレイヤーの気配が無い。

 

 その事実がアキトの心臓を煩くさせる。

 今の戦闘で、クラインが視界から消え失せていた。それだけで、アキトの身体は震えた。

 

 

 「……クライン……クライン!」

 

 

 フィリアもアキトに感化され、慌てて周囲を見渡し、クラインの名を叫ぶ。

 だが────

 

 

 「クライン!何処にいるの!?」

 

 

 その声は空間に響くだけで、彼の声は聞こえない。

 今の戦闘ではぐれたのか、それとも────

 

 

(……まさか、死────)

 

 

 その考えを必死に振り払う。

 アキトはフレンドリストにクラインを登録していた事を思い出し、咄嗟にリストを可視化させる。空中に開いたそのリストを必死にスクロールさせ、クラインの名前を探す。

 フィリアもアキトの行動に気付き、その傍へ駆け寄り、アキトの隣りからリストを覗き込む。

 背筋が凍りつくような思いで彼の名を探し、そして────

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 フレンドリストのクラインの名前を見つけ、それが正常を示しているのを確認して、アキトとフィリアは一気に脱力した。

 

 

 「っ……はぁ〜〜〜……」

 

 「ま、紛らわしい……」

 

 

 全くだ。確かに散開する事でヘイトを散らばせる作戦ではあったが、今の戦闘で何処まで遠くに行ってしまったのかと思うと溜め息が出てしまう。

 こちらは最悪の事態まで考えてしまったのだ、憤慨ものである。

 しかしクラインが戻って来る気配も無い事を念頭に置くと────

 

 

 「……って事は、単純にはぐれたな……」

 

 「一人は危険だし、早く見つけなきゃ」

 

 

 初見の上に高難易度エリア。道に迷うであろう可能性が高いのは勿論、先程のような戦闘が続くとクライン一人では危険だ。

 そう考えれば、最悪の事態は時間の問題だ。それが分かった瞬間、先程の恐怖が蘇る。早く見つけて合流しなければ。

 

 

 アキトとフィリアは互いに頷き、マップを開きながらクラインを探し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキトー!フィリアー!」

 

 

 クラインはたった一人でこの牢屋のエリアを徘徊していた。辺りを見渡しながら、声を上げる。

 幸いモンスターの気配は無い為に大声は上げられるものの、音がこもって遠くまで浸透していかない。

 アキトとフィリアが気付いてくれるかは五分五分だった。

 

 

 「……はぁ〜……まさか、あんなに吹っ飛ばされるとはなぁ……」

 

 

 先程の戦闘を思い返し、クラインは頭を掻いた。

 ヘイトを散らばせる為に散開した後、クラインはモンスターの攻撃を捌き切っていた。

 だが一瞬の不意を突かれて大鎌であらぬ方向へと吹き飛ばされ、気が付けば視界にアキトもフィリアも居なかった。

 何処まで飛ばされたのかと考えるより先に、見知らぬエリアに一人という事実がクラインを小心にさせていた。

 アキトとフィリアが動いている為、クラインは動かない方がいいと思われるが、クラインがその事実を知っているわけも無く、クラインは知らないエリアのマップを開きながら歩いた。

 バグなのかエラーなのか、パーティメンバーの位置が分からない。完全なお手上げ状態ではあるが、マッピングはしなければという攻略組としての強迫観念染みたものが働き、クラインはまだ行っていない場所へとその足を動かしていた。

 恐らくアキトとフィリアも、同じ考えに行き着くであろう、となんとなくではあるが信じていた。

 

 

 「……」

 

 

 薄暗い道、進む内に次第とモンスターの気配が僅かにだが感じられる。怖くないと言えば嘘になるだろう。それも当然だ。

 死が直結した仮想の世界、情報が命であるこのSAOで、初見、未知といったエリアやモンスターは生存の確率を著しく下げる。

 先程までアキトとフィリアがいたはずなのに、一瞬で一人になったこの感覚、クラインは初めて感じた。

 

 

 「っ……!? クソッ!」

 

 

 瞬間、こちらに一気に近付く気配を察知して咄嗟に刀を引き抜いた。

 迫り来る大鎌を持ったモンスターの攻撃に、その刃をあてがう。火花が散り、一瞬だけ辺りが明るくなるのも束の間、目の前の死神型は思い切りその鎌を振り抜いた。

 

 

 「うおっ……!」

 

 

 予想外の威力にクラインは地と並行に吹き飛んだ。ゴロゴロと床を転がり、摩擦でどうにか止まる。慌てて立ち上がれば、そこには似たようなモンスター達が集まって来ていた。

 ゾワリ、と鳥肌が立つのを感じる。この数を一人で相手に出来るだろうかと、慌てる事無く冷静に分析する。そして、流石に無理だと判断したクラインは、警戒しながら奴らに背を向けて走り出した。

 モンスター達は当然の如く追い掛けて来る。鎌を振り抜き、クラインの行く手を阻もうとする奴らに死の恐怖を感じながら、クラインは刀でなんとかいなしながら走る。

 

 

 ────怖い。

 

 

 誰もが感じるであろうその感情が、この状況で大きくなる。

 逃げても、倒しても、湧いてくるそのデータの塊は、徐々にクラインの精神を摩耗させていく。

 

 

 「チィ……!」

 

 

 その身を翻し、その刀に光が纏う。

 周りを囲うモンスター達に向けてその身体を捻らせ、そのソードスキルをぶつける。

 かなりの威力の斬撃、奴らはその威力と風圧でクラインから距離が離れる。

 瞬間、クラインはモンスターとの間を全力で突破し、その先にある道へと走っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はぁ、はぁ、はぁ……」

 

 

 刀を地面に置き、その場にへたり込む。

 どれくらい走っただろうか、それを考える事も無く、荒い呼吸を整える。モンスターが追って来ない事に安堵の溜め息を吐き、低い天井を見上げた。

 

 あれほど死の恐怖を身近に感じたのは何時ぶりだろうかと、ついぞ考えてしまう。今までもフロアボスと戦って来た中でそれを感じる事は何度もあった。

 ただ、今回のはいつものそれとは何かが根本的に違っていた。恐怖の感じ方、その在り方みたいなものが。

 

 

 「っ……」

 

 

 自身の手が震えているのを感じる。心臓が高鳴り、瞳が揺れているのが分かる。

 クラインには何が違うのか、それが既に分かっていた。

 

 

 「……キリトの野郎も、こんな感じだったんだろうなぁ……」

 

 

 懐かしみ、慈しむように呟く。

 そう。この恐怖はきっと、一人──孤独から生じるものだった。

 周りには誰もいない。自分はこの場に一人、独りだけなのだと自覚する。誰にも見られる事も無く、知られる事も無く死んでしまうかもしれない恐怖。

 それが、今のクラインが感じたものだった。

 キリトはずっと、こんな気持ちでソロを続けてきたのかと思うと、胸が痛む。

 

 キリトが完全に周りを拒絶し、ソロを貫いていた頃。彼のギルドが全滅した後の、生きる気力を失いつつあったあの頃のキリトを思い出す。

 

 《月夜の黒猫団》

 

 その名はキリトから、嬉しそうな声で聞く予定のものだった。いつかそのギルドが攻略組として上層に上がり、戦力としてその名を轟かせ、キリトから自慢げに聞くはずの名前だった。

 全滅しただなんて、そんな事は聞きたくなかった。震える声で切り捨てる彼の表情は、悲痛に歪んでいた。

 今も頭に焼き付いて離れない、彼のその表情。

 仲間を失って、独りになる感覚。これがそうなのか、とクラインは辺りを見渡す。その狭き空間にはモンスターの気配も無く、完全にクライン一人。

 アキトとフィリアという仲間とはぐれ、一人になったこの状況は、あの頃のキリトとよく似ていた。

 

 

 「っ……」

 

 

 その拳を、強く握り締めた。悔しそうに、その怒りをどうしようもなく鎮める。けれど、収まってくれなくて。

 

 ────ずっと、後悔していたのだ。

 

 ゲーム開始当時、キリトを一人にしてしまった事を。あの時から、キリトもクラインに少なからず罪悪感を感じていただろう。けどそれは、クラインも同じだったのだ。

 絶対に死んで欲しくない、いつの日か今にも壊れてしまいそうなキリトに、そう確かに思った事、忘れるはずが無い。

 75層のボス戦の時も、ヒースクリフとの戦いの時もそうだ。ボスの鎌はキリト達に任せ、自分は側面から不意を突くだけ。ヒースクリフの時は、何も出来ずに眺める事しか出来なくて。

 キリトがいなくなり、誰もが悔しがり、諦念を抱く中、クラインの心も、アスナ程では無くとも壊れかけていたのかもしれない。

 募るのは後悔ばかり、助けてもらっていたのは自分達ばかり。

 

 自分はキリトに、何かしてやれただろうか、と。

 

 アスナ、シリカ、リズベット、エギル、ユイ。彼らから感じるものは自分と同じ。後悔や哀しみ、そればかりだった。

 あの時ああしていれば、なんて何度問い返しても遅かった。ゲームクリアは大事でも、この世界でそれ以上に大切な者達と出会ってしまったから。

 だからこそ、キリトを失った事による攻略組の崩壊は時間の問題で、もしかしたらもう、ゲームクリアなど望めないのかもしれないと、何処かでそう思っていたのかもしれない。

 

 

 そんな時、キリトに良く似た少年と出会ったのだ。

 

 名前はアキト。

 容姿、戦闘スタイル、態度の何もかもが違ったのに、纏う雰囲気や言葉やその態度の中で見え隠れする優しさが、キリトそっくりで。

 顔も知らない、それほど親密でもない、そんなプレイヤーの命の危機に身体を張って飛び込んで来るその心の強さに、誰もが心を揺さぶられたはずだ。

 クラインもその一人だった。気が付けば、彼をいつの間にかキリトと重ねて見てしまっていたのかもしれない。

 

 そして彼が《月夜の黒猫団》、キリトと同じギルドにいたと知った時、これは戒めだと、何処かで思ってしまった。

 もう同じ過去は繰り返さないと、そう心に誓ったはずだった。だからこそ、今回フィリアの救出の際、アキトが自分達に黙って《ホロウ・エリア》に赴いてしまった時も、気付けなかった自分に腹が立った。

 もし間違えれば、アキトは死んでいたかもしれない。そう思うと、キリトを死なせてしまったあの頃を思い出してしまって。

 アキトの中にキリトがいる、それを信じさせられたあのボス戦の時も結局、最後まで彼の《二刀流》に任せ切りだった。キリトは自分達の前から姿を消しても尚、自分達の為に戦ってくれていたのに、自分は────

 

 

(俺は……っ!)

 

 

 クラインは足を地面へと突き立て、力強く立ち上がる。

 変わらず辺りにモンスターがいない事を確認し、マップを開く。まだ行っていない部分を景色と見比べ、その方向へと足を進ませた。

 

 そうだ。こんなところで座っている場合じゃない。

 今、自分の仲間が。キリトの大切な人が、そしてアキトが、PoHのアップデートによって苦しめられようとしている。

 アキトが、キリトがそれを食い止める為に躍起になっているのなら、自分もそれに応えなければならない。

 

 今度こそ────

 

 

(今度こそ俺はっ……!)

 

 

 クラインは目の前の他と違う禍々しい扉の前に立つ。紅い宝玉が埋め込まれているのを見ると、恐らくここがエリアボスの部屋。

 そして、自然とその扉が開かれ、その先に転移石が浮いていた。

 クラインは突然の事で驚いたが、そのまま意を決して足を踏み入れる。もしかしたら、既にアキトとフィリアはこの転移石の先にいるかもしれない。

 そう思うと、ここに留まる訳にはいかないと思った。

 

 

 クラインはそっと、その転移石に触れる。

 

 

 眩い光が、クラインを包んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ここは」

 

 

 身体を纏う光が消え、細めていた瞳をそっと開く。その広大なフィールドに、一瞬だけ身体が固まった。

 すぐ下へと続く長めの階段をゆっくりと下り、辺りを見渡す。

 何処か既視感を覚えるそのフィールドに、クラインは息を呑んだ。

 

 

 その場所は、一言で言うと『赤』

 

 血のような赤がフィールド全体を多い、天井は仄かに白く光を帯びている。

 

 以前戦ったエリアボスの時のフィールドとは、明らかに違う。この場所、ボスエリアは桁違いに広かった。

 

 クラインは、部屋の中心近くまで来て、漸く察した。

 そして、鳥肌が立つ。

 

 

 

 

 「────っ」

 

 

 

 

 気付いた。気付いてしまった。

 アキトが初めて《ホロウ・エリア》に行った時に聞いた話を、今更思い出した。

 

 

 そして、この空間に対する既視感。それは既視感なんて言葉で済ませられるものじゃなかった。

 

 

 忘れるはずがない。このフィールドは。

 

 

 このボスエリアは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────75層と、よく似ている。

 

 

 

 

 「っ……!」

 

 

 クラインは咄嗟に上を見る。

 その身体を中心に巨大な影が辺りを覆う。段々と巨大となっていくその影に背筋が凍りつき、気が付けばクラインはその足を動かしていた。

 瞬間、クラインが先程までいた場所に何かが落ちて来た。巨大な振動が地面を刺激し、思わず体勢が崩れる。地震でも起きたのかという感覚がクラインを襲う。

 舞う煙が晴れ、目を見開けばそこには、見覚えがあり過ぎる姿が現れていた。

 

 

 白い頭蓋、百足の足を思わせる無数の骨剥き出しの強靭な鋭い脚。頭蓋の両脇から鎌上に尖った2本の腕。

 その身体はあまりにも巨大で、何より死の恐怖を助長する。

 

 

 もう会う事は二度と無いと思っていたはずの、75層のフロアボス。

 

 

 

 

 「おいおい、冗談だろ……!」

 

 

 

 

 《The Hollowreaper(ザ・ホロウリーパー)

 

 

 その定冠詞を持つ巨大な怪物は、クラインを真っ直ぐに見据え、その眼を光らせる。

 クラインは刀を抜き取り、歯軋りした。確実に近付いている死の感覚に、脳が侵されてしまいそうだ。死ぬ、死んでしまう。そればかり。

 先程までのクラインなら、きっとそうだった。けれど。

 

 

 ふと、キリトとアキトの顔を思い出す。

 一人になっても、独りでも尚戦った、優しい勇者達を思い浮かべる。

 どんな理不尽でも、どんな逆境でも、誰かの為に一生懸命になれる存在。

 そんな二人の在り方を、自分と生き方と重ねて────

 

 

 クラインは笑った。

 

 

 「情けねぇ……情ねぇよ!」

 

 

 瞬間、骸百足はクライン目掛けて2本の鎌を振り下ろした。

 クラインは1本目の鎌を刀で流す。その目は闘志を燃やし、本気を示す。

 そして2本目の鎌を、身体を捻らせて躱す。

 一瞬で懐に飛び込んだクラインは、その刀を光らせる。

 

 

 「うおおおぉぉっ!」

 

 

 刀単発高命中範囲技《旋車》

 

 眩い光が刀に纏い、そのまま骸の顎に直撃する。

 奇声を上げて仰け反った隙を見て、クラインは後退する。上手くいった事実と、この手に握る刀の手応え。

 クラインは、また笑った。

 

 ああ、情けない。

 自分より年下の奴らの方が、カッコイイ生き方をしてるなんて。

 

 これは、きっとチャンスで。

 きっと、偶然じゃない。

 そうでなくとも、偶然だと思いたくない。

 目の前のボスは、きっと75層での不甲斐ない自分との決別をさせてくれる存在。

 何も出来ずに友を死なせた自分との決別。

 そして、大切なものを守り抜くとする意志、その誓いを果たす為の存在。

 キリトやアスナに任せ切りじゃない。

 今度はちゃんと、力になるんだ。

 

 

 「あの時の……リベンジってわけか……!」

 

 

 クラインは刀を強く握り、ボスを鋭い目付きで見上げる。

 

 

 

 

 「クライン!」

 

 「クライン、大丈夫!?」

 

 

 その声が背中から聞こえ、思わず振り返る。

 そこには、クラインが一緒に現実に帰りたいと願う二人の仲間がいた。

 

 アキトと、フィリアだ。

 

 こちらを心配するような表情で、慌てて走って向かってくる。

 クラインとホロウリーパーを交互に見て、その武器を急いで構える。

 その一瞬、アキトの姿がかつての仲間と重なり、クラインは目を見開く。

 

 

 「っ……キリの字……」

 

 

 それは一瞬だったけど、けど確かに、アキトの中にキリトがいる。

 それが見えた。だから、クラインは笑う。

 

 

 ああ、なんと頼もしい事か。

 けれど、今度は違う。力になる。そう決めたから。

 

 

 「……よう二人とも、丁度良い時に来てくれたぜ……!」

 

 

 ニヤリと、嬉しそうに笑うクラインに、アキトとフィリアは目を丸くする。

 急にカッコよく見えるクラインに、頼もしく見える彼に、アキトは僅かに羨望を覚えたような気がした。

 自信か、強がりか。そんなの、今の彼を見れば分かる。

 絶対に勝てる、勝ってみせる。そんな自信だ。

 

 

 ───そして、それはきっと現実のものとなる。

 

 

 クラインは大地を踏み締め、刀を構えた。

 見上げる瞳が、挑戦的な態度を示す。

 

 

 さあ、あの頃のやり直し(リベンジ)だ。

 

 

 

 

 「コイツを全力でぶっ飛ばしてぇ……!頼む、手ぇ貸してくれ!」

 

 

 「当たり前だ!」

 

 

 「うん!」

 

 

 二つ返事で応える二人に、クラインも、アキトも、フィリアも笑う。

 クラインの元に辿り着いた二人は、武器を手に顔を上げる。

 

 

 

 

 見上げたボスは、大地を震わす程の咆哮を上げ、彼らに襲い掛かろうとしていた────

 

 

 

 

 








※戦闘描写カットしようか思案中……


クライン 「うおい!俺様の勇姿!(ガチギレ)」

キリト 「今回のがお前の主役回だからもう良くね?キャラじゃない事ばっかり言って」

クライン 「良くねぇに決まってんだろ!カッコイイだろーが!」

アキト 「けど早く完結させたいらしいし……」

クライン 「そんな裏事情聞きたくねぇっての!」


※本編とは無関係です。


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Ep.87 虚ろなる刈り手




感想こそが、我が生きる糧(白目)

お待たせしました!最近リアルが忙しかったですが、これを機にまた再開していきます!
そんな再開第1話目はこちら!

1万3000文字も書いてました……(´・ω・`)

ちなみにこちら、カットする予定だった話です……労力使いすぎか……0(:3 )〜 _('、3」 ∠ )_



 

 

 

 

 

 《ジリオギア大空洞》

 

 

 その咆哮と共に、ホロウリーパーは動き出した。傀儡人形のようにカタカタと音を立てるその様は、自然と恐怖を掻き立てる。

 地を這うように姿勢を低くして迫る奴の眼光の先に、アキト達はいた。

 

 速い──分かっていたが、アキトとフィリアは改めて見て実感し、確信する。

 初めてこの《ホロウ・エリア》に来た時に戦ったホロウリーパーとは、明らかに強いであろう事実を。

 

 幾らこの世界のボスが数人足らずで倒せる程のレベルだとしても、気を抜ける理由になるわけがない。ここはデスゲーム、プレイヤーに用意された命はたった一つ。セーブポイントも無ければ、やり直しなど効かないのだ。

 人数は多いに越した事は無い。こんな巨大なモンスターを、《ホロウ・データ》であるPoHは一人で倒したというのか。

 

 

 「っ……離れるぞお前ぇら!」

 

 

 いち早く声を上げたクラインに従い、アキトとフィリアもそれぞれに散開する。先程まで三人が立っていた場所は既に、ホロウリーパーが走り抜け始めていた。やはり以前とは速さが違う。恐らく筋力値にも差があるはずだ。

 アキトの脳裏に75層の光景が蘇る。見た事も無いはずなのに、何故か分かる。75層のスカルリーパーは、あの両腕を一振りするだけで、ベテランのプレイヤーを埃の如く蹴散らす事を。

 

 

 ────ズキリ

 

 

 突如痛む右の目を抑え、ホロウリーパーが目指している先にいたプレイヤーに目を向けた。そのプレイヤー ──クラインは、ホロウリーパーの視線の先にいた。

 

 

 「クライン、なるべく正面での一対一は避けて!」

 

 「分かってらぁ!」

 

 

 アキトの指示にしっかりと答えたクラインは、自身にヘイトが集まっているのを瞬時に理解し、右腕の鎌の大振りの攻撃を、スライディングで躱す。

 懐に飛び込んだクラインの刀が、眩く光を纏い始める。強力なソードスキルであれば、それだけ硬直時間が出来る為、隙を作る可能性のあるその行為は、切れる選択肢の中では悪手。

 だから、打てるのは初期のスキル。ダメージは微々たるものでも、少しでも、前に進んで行く為に。

 

 

 「うおおぉぉおおおらあぁっ!」

 

 

 刀単発技《辻風》

 

 身体をスキルモーションに合わせて動かす。馴染んだ動き、高まる練度。位置取りに合わせて、その単発スキルは想像よりも高いダメージ数値を叩き出した。

 

 

 「フィリア!」

 

 「了解!」

 

 

 アキトの声でフィリアが駆け出す。クラインのソードスキルによって、ホロウリーパーの頭は向きを変える。自身の下に滑り込んだクラインに襲いかかろうと、その身体を柔軟に動かす。

 その側面、前脚の付け根に向かい、フィリアの短剣ソードスキル《アーマー・ピアス》が発動、深く身体に刺さる音、手応えを感じる。

 

 

 「速く離脱して!」

 

 「すまねぇ!」

 

 

 クラインはホロウリーパーの懐から飛び出す。奴の視線は既に眼前のフィリアに釘付けだった。

 だが、振り下ろした鎌は、フィリアが同時に放ったソードスキルにより相殺され、スイッチで入れ替わったアキトの攻撃の隙でしかない。

 フィリアは自身の横を通り過ぎるアキトに視線を動かし、自然とその口を開いた。

 

 

 「アキト、スイッチ!」

 

 「せあっ!」

 

 

 ホロウリーパーが上がった腕を弄ぶ中で、アキトの剣がその骨組みにぶつかる。気を抜けば弾かれてしまう感触を覚えながらも、その腕に力を込める。

 手応えを感じながらも、畳み掛ける事は出来ない。その骸の頭は既に立て直し、アキトを見下ろしていた。

 すぐさまアキトは懐を通り過ぎ、ホロウリーパーの後ろへと走る。何処までも続く背骨を頭上に、何十本とある脚を左右に走り抜ける。

 その間、左右の脚に幾度も剣を叩き付け、着実にダメージを与えていく。

 視界にいたはずのアキトを探すホロウリーパーの視界ギリギリをクラインとフィリアは辿っていき、その足元に近付いていく。クラインは刀をすれ違い様にぶつけた。

 

 だが次の瞬間、ホロウリーパーは眼光が一際強くなり、姿勢を低くすると一気に上空へと舞った。あの巨体が数十本もの脚を利用して飛ぶその姿は、アキト達を釘付けにする。

 ホロウリーパーは、宙に飛んだ事で景色が広がり、真下にいたアキト達を視界に捉えた。奇声を発すると、自身の重さと合わせて速く落下していき、刃状の長大な鎌を地面へと突き刺した。

 ガタガタと地面を揺らし、足を取られたアキト達はたたらを踏む。瞬間、突然地面から血のように赤い牙にも似た刃が突き出て来た。為す術無くその赤い刃は、彼ら三人の身体を削る。

 

 

 「ぐぁっ……!」

 

 

 一気にHPが減少し、アキト達はホロウリーパーから距離を取る。アキトも抉られた箇所を腕で抑え、どうにか二人の元まで駆けた。しかし、三人が固まった瞬間を、ホロウリーパーは見逃さなかった。

 右腕を高々と掲げると、大きく横に薙ぐように振り抜いた。その起動が波を打ち、そのまま衝撃波となって彼らに迫る。

 所謂、ソニックブームだった。

 

 

 「なっ……!?」

 

 

 クラインが目を見開く。フィリアも慌てて武器を前に突き出す。あまりに粗末な防御姿勢だが、初めて見る攻撃の数々が僅かに心を乱していた。

 それも当然で、三人ともこのボスとの戦闘経験があるにも関わらず、このソニックブームは初見だったのだ。威力、射程、範囲などは未知数で、突然の事で身体が一瞬固まるのも無理は無かった。

 

 

 「────っ!」

 

 

 アキトは咄嗟にクライン、フィリアの前に出た。

 地面と平行に走る衝撃波を前に、アキトは剣を掲げると思い切り振り下ろした。それはソードスキルとなって、ソニックブームにぶつかる。

 予想よりも甲高い金属音が鳴り響き、刃が削れていくのを感じ取る。耐久値を気にしながらもその勢いと起動を逸らし、斜め後方へと受け流す。背中からソニックブームが遠くの何かにぶつかる音が聞こえ、ガラガラと崩れていく。

 

 

 「アキト、大丈夫!?」

 

 「うん、けど……」

 

 

 アキトはフィリアとクラインと顔を合わせ、再び視線の先にいるホロウリーパーに目を向けた。ギチギチと骨組みが締まり、カタカタと口元の骨が動く。

 嘲笑うように動かす口に、紅い眼光。その姿だけで75層の時の恐怖すら、クラインは思い出せていた。

 

 アキトやフィリアも、以前戦った時のボスとは違う動きに戸惑っていた。

 錯乱目的の位置取りに対して放った範囲攻撃に加え、距離を取って三人が固まったのを見て繰り出した遠距離攻撃のソニックブーム。その対応力に、三人は驚きを隠せない。奴は明らかに思考していた。

 

 

 「っ……野郎……!」

 

 「アキト、あのボス……」

 

 「……なんかちょっと技巧派になってる」

 

 「そんな事言ってる場合じゃねぇだろうが……」

 

 

 アキトの一見楽観的に聞こえる言葉に溜め息を吐くクライン。

 だがホロウリーパーの依然としてアキト達を見据えたまま様子を見るように佇むだけ。姿勢を低くしてこちらの出方を伺っているようだった。

 思考する敵──言ってしえば、以前と違うアルゴリズムで動くモンスターとの戦闘経験は誰もが浅い。この手のモンスターと出会い始めたのは50層、つまり半分を越えた辺りからだ。その頃とは攻略組のメンバーも変わってしまったし、上層へと上がろうものならいつかは戦わなきゃならない敵でもあった。だがそんなモンスターと出会ってからここまでの期間は短い。互いに、決して慣れてるとは言い難かった。

 

 そして何より。

 なんとなく、目の前のボスに違和感を覚える。何かが違う、そんな気がした。

 

 そんな彼らに追い討ちをかけるべく、ホロウリーパーは上体を起こし、空気を震わせた。途端に何本もの脚を一斉に動かして、固まる三人の元へと胴をくねらせながら向かって来る。

 

 

 「っ……来るぞ!」

 

 

 アキト達は再び散開し、距離をとってボスの出方を伺う。ホロウリーパーが最初に視界に収めたのは、フィリアだった。

 すぐさま身体を思い切り捻り、彼女の元へと駆け出す。両腕の鎌を寝かせて迫るその先にいたフィリアは、ダガーを逆手に持って距離を保ちながら走っていた。

 だが、ホロウリーパーのその細身ながらに巨大な身体が全力で移動する度に、走るその地が揺れ動く。段々とホロウリーパーに近付かれているフィリアにとっては尚更だった。

 大振りに横に薙ぐ鎌を、怯んだフィリアに変わってアキトが防ぐ。剣が削れる音は、時に恐怖の他に嫌悪感すら抱く。歯を食いしばって剣を振り上げ、その軌道を頭上へと逸らす。フィリアの手を引いてボスの眼下から外れると、アキト達へと頭が動いた瞬間に、ソードスキルを発動したクラインの刀が振り下ろされる。首辺りに強い衝撃波が流れ、ホロウリーパーのHPが削れる。だが、クラインの刀が挟まった首元を強引に揺さぶり、クラインを吹き飛ばした。

 

 

 「っ……らあっ!」

 

 

 フィリアを安全な距離まで引っ張った瞬間にその身を翻し、クラインを狙うホロウリーパーの右腕の鎌に横側から剣をぶつけるが、ホロウリーパーはそのタイミングで身体を大きく半回転させ、アキトとクラインを弾き飛ばした。

 体勢が崩れたのを見逃すはずもなく、ホロウリーパーはアキトの頭上へとその腕を持ち上げる。アキトは剣を床に突き刺して勢い良く立ち上がり、振り下ろされる鎌を片手剣で受け止めた。

 

 

(くっ……前よりもかなり、重────)

 

 

 片膝が地面へと落とされる。ゆっくりと前傾姿勢になりつつあるアキトの脇腹を、ホロウリーパーは見逃さない。空いた片腕の鎌をアキトの脇腹へと滑り込ませていく。

 

 

 「しまっ────」

 

 「せぇい!」

 

 

 立て直したフィリアがすぐさまアキトと迫り来る鎌の間に割り込み、その短剣でどうにか防ぐ。が、火花を散らしながらジリジリと押されていく。

 以前よりも強い──そんな事は分かっている。けどそれだけじゃない、目の前のホロウリーパーがアキト達に向ける視線は、それだけじゃないように思えた。妄執にも似た概念を感じる。

 こちらを見下ろしながら、咆哮が轟く。耳を抑えたい衝動に駆られる。

 

 

 なんだ、コイツは────

 

 

 「おらあっ!」

 

 

 クラインが咄嗟に、アキトを潰そうとしている大鎌をソードスキルでかち上げる。身体が軽くなったアキトはすぐさま隣りで競り合っているフィリアの前にはだかる鎌を、フィリアの前に滑り込ませ、そのままいなした。

 そのまま身体が流れたホロウリーパーを他所に、アキト達はホロウリーパーから離れるべく駆け出した。

 

 

 だが────

 

 

 ホロウリーパーは次の瞬間、攻撃しようと上げていた腕の鎌を下ろし、すぐに周りを見渡し始めた。

 アキト達が目を見開く最中、こちらを見付けた骸百足は、ぐるりとその上体を反転させ、こちらに向かって一気に駆け出した。

 

 

 「っ!?」

 

 

 その対応の速さが、彼らを困惑させる。目を見開く暇もなく、ホロウリーパーは近付いて来る。

 そして、その鎌を思い切り横に薙いだ。

 

 

 「ぐあっ!」

 

 「きゃあっ!!」

 

 「がっ……!」

 

 

 吹き飛ばされ、転がって、地面を滑る。

 漸く止まったと思えば、その視線の先には骸骨の頭がこちらを見据えていて。決して、油断も隙もそこには無かった。

 アキト達は見上げ、歯軋りする。

 以前より圧倒的な雰囲気を纏う奴は、それに恥じない強さだった。

 

 

 

 

 

 

 

 この骸百足と戦うのは、誰もが二度目だった。だが、以前戦った時よりも確実に強いと、そう断言出来た。クラインに関しては、75層の時の方が手強く感じているのかもしれないが、このホロウリーパーとの戦闘ではこちらの人数が少ない分、その強さを余計に肌で感じた。

 ダメージは確実に当てられているとはいえ、奴の反応速度は明らかに異常だった。完璧に隙だったはずの懐への攻撃を一瞬でいなし、視界からプレイヤーが外れようものなら、すぐさま首を動かして近くのプレイヤー、もしくは攻撃してきたプレイヤーに焦点を当てた。

 ポーションを飲む時間すら中々にとらせてくれなかった。今までなら、誰かがヘイトを稼いでいる間にローテーションで回復するのがセオリーだったはずなのだが、このボスはそれを理解しているような動きに思えた。

 態々ヘイトを無視してまで体力を回復しようとしている者を強引に攻撃してくるのだ。それが無理なら、範囲攻撃が届く範囲まで近付き、すぐさまそれを実行する。明らかに他のモンスターとのアルゴリズムが違う。違い過ぎた。

 奴は理解している。長期戦のリズムを崩す、その方法を。

 

 

 「……オメーら、大丈夫か?」

 

 「うん。二人とも、今のうちにポーション飲んで」

 

 「分かった」

 

 

 ホロウリーパーが怯み、体勢を崩して倒れたその瞬間に距離をとり、すかさずポーションを取り出す各々。漸く出来た分かりやすい程のボスの隙。だが、追い討ちをかけられる程に、HPの余裕の無かった彼らは、追い討ちよりも自身の体力を優先するしかない。無論、それらを飲みながらも警戒は緩めない。

 見つめた先にいる骸の百足は、暫く動かなかったが、やがてその大量の脚で踏ん張りながら立ち上がり、ゆっくりと首を回してこちらを向く。開いた口からは白い吐息が煙のように吹き出ていた。

 アキト達を固まらせない、隙を作らせない、回復させない、見失わない。これらを徹底したような、それをルール付けされたような動きに、アキト達はすっかりやられていた。

 どうにか距離を置きながら連携してきたが、ここまでの長期戦になるとは思わなかった。精神的にも疲労が蓄積し始めており、もはや何十分、何時間経ったのかさえ良く分からなかった。

 

 現在、ホロウリーパーのHPバーが色付いているのは一本のみ。どうにかここまで減らす事に成功はしたものの、この長い戦闘と、思い通りにさせてもらえない事によるストレスで、思考が鈍り始めて来ていた。

 ホロウリーパーは、体力が減っても尚まるで衰えを知らない。

 アキト達に突き刺すその眼光は、未だに鋭かった。様子を見るかのように、固まって動かない。

 そんなホロウリーパーに、アキトはやはり違和感を覚えた。

 

 

 「……なんか、さ」

 

 

 そんな中ポツリと、フィリアは口を開いた。

 一瞬の静寂の後、アキトとクラインはフィリアへと視線を動かす。

 

 

 「あのボス、今までこの《ホロウ・エリア》で戦って来た他のボスと、雰囲気が違う気がするの」

 

 

 それは、アキトがたった今感じていた事そのままだった。

 目の前のホロウリーパーは、かなりの反応速度でアキト達に狙いを定める。先頭の中で何度か視界から外れようと変則的な動きを織り交ぜたが、すぐに攻撃を止めて頭を上げ、アキト達を探し始めていた。それほどまでにアキト達に執着したような動きを見せているのだ。

 まるで、こちらの戦術を理解しているような。

 

 

 そう。奴も、こちらも。

 出会うのは二度目。

 あの時は、アキト達が勝った。75層では、クラインやキリト達に敗れた。つまり、ホロウリーパーにとって、アキト達は自身を負かした相手なのだ。

 それを理解した時、アキトは感じていた違和感について、何処か納得した様子で呟いた。

 

 

 「……アイツにとって俺達は、リベンジの相手なのかもね」

 

 

 

 

 ────リベンジ。

 

 その言葉が、クラインの頭に響いた。思わず顔を上げ、視線の先真っ直ぐを見据える。

 満身創痍ながらもこちらを睨み付け、絶対に負けないと、そんな不変の意志を感じさせるモンスターがそこにはいた。

 ふと、75層の記憶が蘇る。クラインはその光景に、自ずと瞳が開かれた。

 絶望を感じるだけだったあの時の戦闘。友人を一人で行かせてしまった、後悔の念。

 あの日の事を、毎日のように悔やむ。偶に夢にだって見る。

 もうあんな想いはしたくないし、させたくない。そんな想いが、これまでずっとクラインを動かしていた。

 守られるだけじゃない。助けられるだけじゃない。この戦いで、自身が成長した姿を、キリトに見せてやるつもりだった。

 

 目の前の敵は、リベンジするべき相手だと思っていた。だが奴にとっても、自分はリベンジの対象だったのだ。

 

 

 「……」

 

 

 クラインは、拳を強く握る。そして、すぐ横で剣を構えるアキトを見下ろした。

 思い出す。ここに至るまで、自分はこの少年に何度も救われて来た事を。アスナを立ち上がらせ、シリカに道を示し、リズベットを守り、リーファに付き合い、シノンを育て、エギルを窮地から救い、フィリアを助け出し、ユイを笑顔にさせてくれた。

 自分達はここまで何度も、彼に甘えて来た。

 

 

 何度も何度も。

 

 

 「っ……!」

 

 

 ホロウリーパーの呻き声が聞こえる。

 体勢を立て直し、完全に調子を取り戻した骸百足は、軋る骨組みを操り、ガタガタと音を立てる。傀儡にも似たその音は、ホロウリーパーが茅場晶彦というゲームマスターに操られている事実を隠喩しているようだった。

 フィリアとアキトは剣を構え、ゆっくりと脚をこちらに向けて踏み出すホロウリーパーに視線を固めながら、互いに意見交換を始める。

 

 

 「……苦しいけど、さっきと同じでヘイト稼ぎを交互にやりながら、他の二人でダメージを与えていくしかないんじゃない……?」

 

 「けどそろそろ攻撃パターンが増える。あの攻撃力と速度じゃヘイト稼ぎは一人じゃ厳しいよ」

 

 

 ならば二人でヘイトを稼ぎ、残り一人がダメージを──と、口には出そうとして留まる。

 これまでだってかなりの時間がかかったのだ。ダメージを与えようにも、ホロウリーパーはいかにダメージを受けないか、それを徹底しているように思えたから。攻撃力だけでなく、防御力も以前より高いホロウリーパー相手に、これ以上の長期戦闘は命に関わる。

 けれど危険が少ない方を、死ぬ可能性が少ない方を選ぶしかない。ならば、危険なヘイトを一人に負わせるわけにはいかなかった。

 

 

 「……俺とクラインでヘイトを受け持つから、フィリアが────」

 

 

 

 

 

 「────ちょっと、良いか」

 

 

 アキトの言葉を遮ってすぐ隣りからそんな真っ直ぐな声が聞こえた。

 そこには、刀を下ろしたクラインが立っていて、ただ真っ直ぐにホロウリーパーを睨み付けていた。

 

 

 「ヘイト稼ぐ役、俺一人にやらせてくれねぇか」

 

 「ぇ……」

 

 

 そのクラインの言葉に、アキトはそんな情けない声しか出せなかった。一瞬、何を言っているのか分からなくなるほどに、その一言は残酷だった。

 

 

 「なっ……だ、ダメだよそんなの!危険過ぎるよ!」

 

 「もう大分時間かかってんだ、これ以上時間かければジリ貧だろーが」

 

 

 フィリアの慌てての反対に正論をぶつける。アキトが今まさに考えていた事を、クラインも考えていたのだ。伊達にずっと攻略組だったわけではない。

 けれどアキトは、それでもクライン一人にそんな重荷は背負わせられなかった。

 

 

 「……確かにそうだけど、でも流石に一人でやらせる訳には……」

 

 「……悪ぃな、アキト」

 

 

 そのクラインの重苦しい声に、壊れてしまいそうな声に。

 アキトは、言葉を詰まらせた。

 クラインは変わらず、ホロウリーパーと睨み合っていて、それでいてその決意は固く見えて。

 

 

 「危ねぇ橋だってのは、分かってるけどよ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────クラインは、悔しかった。

 自分よりも、年下の少年達が格好良く見えてしまったから。

 

 キリトとアキト。黒の剣士。

 そんな存在にいつだって守られて来た自分自身が情けなかった。

 本当なら大人である自分達が、子どもを守らねばならない立場のはずなのに。

 

 リベンジと銘打って、今この場にいるアキトとフィリアの負うリスク全てを、自分が受け持ちたいと。

 守ってやりたいと。

 これは我儘だろうか。強引だろうか。罪だろうか。

 

 自身で呟いた、これは危ない橋なのだと。

 けれど、その危ない橋を一人で渡れないようなら、きっといつまで経っても後悔だらけの人生になりそうで。

 向こうに辿り着かなければ。渡りきらなければ。そんな意識に苛まれそうで。何も出来なかった自分を呪うばかりになりそうで。

 

 ただ、キリトやアキトが自分を犠牲にしてまで守りたかったものを、自分も守ってあげたくて。

 守られるだけじゃない。そんな彼らを支え、一緒に戦っていきたくて。辛い時、自分が、自分達が傍にいる事を、理解して欲しくて。

 

 

 

 

 「……ねぇ、クライン」

 

 「っ……」

 

 そんな堂々巡りの中、クラインは自身の名を呼び掛けられるのを感じた。横を向けば、そこには自身がかつて失った親友に良く似た面影を持つ少年がいた。

 こちらを真っ直ぐに見据え、やがてその口を開く。

 

 

 「前に、“仲間が死ぬのを黙って見ているわけにはいかない”って……俺にそう言ってくれたの、覚えてる?」

 

 「あ、ああ……」

 

 

 忘れるわけが無い。キリトがいなくなってすぐに、死に急ぐような無理な攻略をしていたアキトの姿を。

 あの時のアキトが、キリトと嫌なくらいに重なって見えて。彼の胸ぐらを掴んで思った事を吐き出したあの日、キリトと同じギルドにいたという、彼の姿に、クラインは何とも言えない気持ちを抱いたのだから。

 

 

 「仲間を死なせたくないっていうのは誰もが思ってる事なんだって、クラインが教えてくれたんだ。俺も、フィリアも、クライン一人が危険な目に合う事をよく思ってないのは分かってるでしょ」

 

 「……おう」

 

 「……それでも、やるの?」

 

 

 アキトの言葉に合わせ、フィリアが震えるような声で呟く。本当に心配しているのだと、そう実感する。

 けれど。それでも。

 

 

 「やらせてくれ。さっさと倒して、勝って帰ろうぜ」

 

 

 クラインは強く、アキトとフィリアに告げた。

 その意志は不変なのだと。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは、そのクラインの表情を見ると、クラインとフィリアの前に出た。

 そして、ホロウリーパーに向き直る。

 

 

 

 

 「────ったく、何奴も此奴もどうしてこう我儘なんだよ」

 

 

 

 

 その冷たい声が、空間に響く。

 何処か懐かしく、そして何より、自分達を引っ張ってくれた声の主が、そこにはいた。

 

 

 「っ……アキト……?」

 

 「お前ぇ……」

 

 

 フィリアとクラインは、アキトのその背を困惑しながら眺める。

 そんな事などお構い無しに、アキトは言葉を紡ぐ。その高圧的で、人を寄せ付けない言葉の数々で。

 

 

 「お前にそんな事が出来るのかよ、クライン。女相手に振り向いてすら貰えないそのツラで、ボスの事を釘付けだなんてよ」

 

 「なっ……テメッ……!」

 

 

 クラインはアキトのそのあんまりな発言に苛立ちを覚えた。

 そして同時に、その正論にぐうの音も出ない。だが、クラインはそうして発破をかけてくれているアキトに、不器用なりの優しさに、思わず───

 

 

 ────笑った。

 

 

(ありがてぇ……偽物じゃねぇ……)

 

 

 クラインはその笑みを抑えきれず、アキトの横に並んでみせた。

 アキトの────アキトとキリトの隣りに、二人のヒーローの隣りに、クラインは並んだのだ。

 

 

 「舐めんじゃねぇ!俺様は攻略組でも年齢でも、お前ぇの先輩だっつの!」

 

 

 刀を構え、胸を張り、そう宣言した。

 もうそこには自信しかない。そんなクラインの姿を見て、アキトも笑った。

 ウィンドウを開き、ストレージにある剣を取り出す。顕現したそれは、鞘と共にアキトの背中に現れた。

 蒼いその剣は、自身に勇気をくれる剣。

 

 《ブレイブハート》

 

 その蒼い剣を引き抜いたその立ち姿は二刀流、かつての黒の剣士。それに勝るとも劣らない。

 その左目はまた少し黒く染まり、それでもアキトは変わらない。

 

 

 「『────良いぜ、クライン。お前のリベンジに付き合ってやる』」

 

 

 ホロウリーパーは残りの力を振り絞るかのような、悲鳴のような咆哮を上げる。

 振動と吹き荒れる風が三人を襲う。砂塵が舞い、目を細めるが、それでも決して、この想いは止められない。止まらない。

 フィリアも、そんな二人に並んだ。その短剣を強く握り、その瞳は闘志に満ちていた。クラインのその想いに応える為に、全力で戦うと決めたのだ。

 

 骸百足は、その鎌を振り上げながら、こちらに迫り来る。その速度は段々と上がり、徐々にその差を縮めて来ている。

 

 

 「『二人とも』」

 

 

 アキトは二本の剣を構えて、左右の二人に呼び掛ける。

 言わなくても分かってるだろう。けれど、それでもアキトは口にする。

 

 

 「『勝って、生きて帰るぞ!』」

 

 「うん!」

 

 「当ったりめぇよ!」

 

 

 アキトとフィリアはクラインを中心にして左右に散る。ホロウリーパーがその動いた二人のうち、アキトに視線を向けた瞬間に、クラインが懐に飛び込む。

 

 モンスターのヘイトは基本的に、ダメージを多く稼いだプレイヤーに向くのが一般的だ。ホロウリーパーは変則的な動きは多いが、その定石に当て嵌っていた。

 単体の攻撃力ならアキトが一番だが、クリティカル補正の高い刀スキルを使うクラインなら、ヘイトを担うに申し分無い力を持っているのだ。

 

 

 「こっちを、向けぇ!」

 

 

 刀二連撃技《幻月》

 

 ライトエフェクトを纏った刃が、百足の胸元に思い切りヒットする。ヒットした場所を中心に火花が飛び散った。

 ホロウリーパーは自身に起きた事象を探るべく胸元へと視線を下ろし、クラインを見つける。

 途端に、その口を開き、怒りの眼でクラインを見下ろした。

 

 

 「よお……お互いにリベンジの相手なんだ、仲良くしようじゃねぇか」

 

 

 それに応えるように、ホロウリーパーはクラインに右腕の鎌を振り下ろす。クラインはそれをいなし、すぐに左腕の鎌を躱す。

 その間、アキトとフィリアはガラ空きの側面にソードスキルをぶつけた。

 

 

 「らぁっ!」

 

 「はあっ!」

 

 

 ホロウリーパーを挟むように、二人は同時にスキルを放った。与えたダメージ量は増大していき、ホロウリーパーは悲鳴を上げる。

 すぐさまダメージを与えた二人に仕返しをしようとその身を翻し────

 

 

 「クライン!」

 

 「おうよ!」

 

 

 その隙を、クラインが突く。再び刀がソードスキルの光を纏い、疎かな足場に叩き付けた。

 ホロウリーパーは咄嗟の事で対処が出来ず、その巨体が揺らめく。畳み掛けるべくクラインはその刀を返す形でぶつける。アキトとフィリアもそこに同調し、着実にHPを減らしていく。

 だがホロウリーパーもすぐさま立て直し、クラインからアキトに視線を向ける。しなるようにアキトに向けて鎌を振るう。

 

 

 「くそっ!」

 

 

 クラインの攻撃よるダメージがアキトが与えたそれを下回った事により、タゲがアキトへとチェンジしたのだ。

 早くも自身の宣言が無駄になる。そんな事はさせないと、クラインは思い切り刀をぶつけるが、ホロウリーパーはアキトに向かってその両腕を振り下ろした。

 アキトは目を見開き、片手剣のソードスキルを発動する。片腕を弾き飛ばした後に、もう片方の鎌を《剣技連携(スキルコネクト)》でいなす。それににより繰り出された剣が鈍い音が響かせ、ボスの左腕すらも弾き飛ばし、ボスを仰け反らせた。

 左右両方の鎌による攻撃を弾いたアキトの技量にクラインとフィリアは感嘆するも、彼が作り出してくれた僅かな隙を無駄にはしない。アキトが仰け反ったボスに肉迫すると同時に二人はボスの左右へと走る。

 

 アキトはホロウリーパーの前脚に向かって片手剣三連撃技《シャープネイル》を繰り出す。斬る対象は骨である為に、手に襲う振動がアキトの顔を歪める。

 そうしている内に、回復したボスが真下にいたアキトを見下ろし、その眼が紅く光る。ギシギシと骨組みが動く音が響き、ボスは鎌をアキトのいる位置へと落とした。

 

 

 「うおらっ!」

 

 

 だがその前に、クラインがボスの側面からソードスキルを放つ。ごうっと凄まじい剣速による風圧が周りを覆った。アキトは瞬時にそこから離脱し、ホロウリーパーと距離を取る。

 HPバーが三本あったホロウリーパーの体力は、既に風前の灯火。だが、その動きに衰えは見られない。

 次の瞬間、ボスはその身を反転させてクライン目掛けて右腕を叩き付けた。クラインは目を見開き、咄嗟に刀を横にして迎え撃つ。

 

 

 「ぐうっ……!?」

 

 

 ────重い。

 その威力にクラインの顔が歪む。

 少しでも力を緩めてしまえば最後、押し切られてしまうと簡単に想像出来てしまう。どうにか地に足を付けて踏ん張るも、ボスのその筋力値にジリジリと床を滑るように後退していく。

 75層でこれよりも遥かに強かったスカルリーパーの攻撃を、キリトは一人で────そう思うと、まだまだ自分はキリトにかなわないのだと、クラインは歯を食いしばる。

 ボスの、ケタケタと軋る骨の音が不快感を助長する。悔しげに奴を見やるも、力を緩めてはくれない。

 それが75層の悲劇を連想させる。一撃でプレイヤーを殺す程のあの攻撃力を。このボスにそれほどの力は無い事は、今までの戦闘で感じ取れていた。

 けれど、この見た目から動きまでの何もかもが同じであるホロウリーパーの存在に、踏ん張っていたはずの足が竦んだ。

 

 

(くそっ……何思い出してんだ……!)

 

 

 キリトをあの時一人で行かせた後悔が、連想させられる。嘲笑うかのように首を動かすホロウリーパーに、恐怖と同時に憎悪を感じた。

 

 

 ────だけど。

 

 

 「クラインどうした!へばったか!?」

 

 

 止まれない。視界の端に、こちらを馬鹿にするような顔で、少年が発破をかけてくれているのだから。

 

 

 「──んなわきゃ無ぇだろうが!」

 

 

 ホロウリーパーの右腕の鎌と競り合いながら、その刀が輝く。それは、ここまで何度も放って来たSAOプレイヤーの御業。ソードスキル。

 クラインは両手で刀を掴み、一気に上へと押し上げた。

 

 

 「おらああぁぁっ!」

 

 

 刀範囲技《旋車》

 

 腰を起点に腕を振り上げ、ホロウリーパーの右腕を空中へとかち上げる。だがその視界の端に、左腕が落とされるのを目視する。

 

 

 「っ、クライン!」

 

 

 フィリアの叫びがクラインの鼓膜を震わせる。

 アキトとフィリアの焦りの表情が、その瞳に映る。

 

 ────なんて顔してんだよ。

 

 そう、苦笑いする。けれど、心配なんかいらない。

 両腕を上げているクラインの脇腹を、その大鎌が襲う。けれど、怖くはない。

 威張るだけじゃない。見栄を張るだけじゃない。

 

 

 今こそ、『強がり』を『強さ』に────

 

 

 

 

 コネクト・《緋扇》

 

 クラインは目を見開き、上段の構えになっていた刀が光を帯びる。迫り来る鎌を一瞬で叩き落とし、そのまま懐に滑り込む。

 

 

 「────っ!」

 

 

 奴にとっての完全な不意を、クラインは見逃さない。

 流れるように刀を横に振り抜き、反対側から切り返す三連撃が、ホロウリーパーの体勢を崩した。

 

 

 「嘘っ……!?」

 

 「クライン……!」

 

 

 フィリアとアキトは驚きのあまり顔が引き攣る。特にアキトは、クラインの今の動きに、確かに高揚した。

 あれは、間違い無く────

 

 

 「《剣技連携(スキルコネクト)》……!」

 

 

 しかも、刀スキルから刀スキルへの連携(コネクト)

 本来刀スキルは両手を使って放つものばかり。だから片手剣のように、剣と拳を交えた連携は行う事は難しい。

 ましてや、剣から剣へと繋げるだなんて、二刀流じゃなきゃ出来ないと思っていたし、アキトですら刀での《剣技連携(スキルコネクト)》は無理だと決め付けていたのに。

 

 

 「っ!」

 

 

 驚くのも束の間、ホロウリーパーは起き上がり、クラインを見て雄叫びを上げる。奴の目は、もうクラインしか見てなかった。

 アキトは、その足で大地を強く踏み締めて駆け出した。その黒いコートを翻し飛び上がり、奴の背中を捉える。

 

 ホロウリーパーが硬直で動けないクラインへとその鎌を掲げ、クラインの表情が焦燥に歪む。それを見たアキトは、咄嗟にその二刀を構えた。

 

 

 ────させるものか。

 

 ────お前が教えてくれたんだ、クライン。

 

 

 「届け……!」

 

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 回転しながら加速し、ホロウリーパーの背中に衝撃が走る。骸の頭は跳ね飛び、前のめりになった。

 

 

 「っ……アキト!」

 

 

 クラインが驚く中、空中でアキトが叫ぶ。

 

 

 「フィリア!」

 

 「分かってる!」

 

 

 倒れんと上体を支える鎌に、フィリアが迫る。その短剣がエメラルドに煌めき、その身に風が纏われる。

 

 短剣奥義技四連撃《エターナル・サイクロン》

 

 その鎌鼬にも似た斬撃が、体力の限界を迎えていたボスのその鎌にヒビを入れる。やがてそれが硝子のように崩れ、潰れていく。

 奴が倒れたその前に立つのは、刀を持ったクライン。

 

 

 「フィリア……アキト……!」

 

 

 呼び掛けた彼らは、小さく笑い、頷いた。

 二人がホロウリーパーに向けて、勢い良く指を指し示す。二人は最後の一撃を、クラインに委ねていた。

 

 

 ────そこで止まるな。

 

 

 クラインは何故か泣きそうになるのを必死に堪え、目の前で崩れるホロウリーパーへ向かって駆け出す。

 その刀がライトエフェクトを纏う。クラインの意志を表すように。キリトの守りたかったもの、アキトの守りたいものを、自分も守れるように。

 決して消えない灯火を、繋げて歩いて行けるよう。

 

 キリトとアキトに約束しよう。

 ゲームをクリアする、その手助けに、頼られるような男に、そんなプレイヤーになる。

 

 

 だから────

 

 

 

 

 「『いっけえええぇぇえ!クライン!』」

 

 

 「うおおおぉぉぉぉぁあああ!!」

 

 

 刀奥義技五連撃《散華》

 

 アキトの声に重ねるように、クラインが高らかに叫ぶ。

 煌めく閃光が、吸い込まれるようにホロウリーパーの胴体に傷を入れる。想いが、意志が、その身に刻み込まれていく。

 

 

 そして、全てを受け切ったホロウリーパーは動きを止め、青白い光を放ちながら爆散していった。

 

 

 光の破片が空へと舞い上がり、辺りに静寂が広まる。

 誰もがその場から、足を動かす事が出来なかった。

 

 

 「終わった……のか……」

 

 

 そんな静寂を破ったのは、アキトの情けない声。手に持つ二本の剣を力無く地面へと落とし、そのまま床に崩れた。

 フィリアも脱力し、そのまま地面へとへたり込む。

 

 

 ────勝った。

 

 

 それを受け入れるのに、少しばかり時間がかかった。けれど事実として、あれほどの長期戦に打ち勝ったプレイヤー達が、そこには居た事に変わりはなかった。

 

 

 「……」

 

 

 最後の一撃を決めてから、刀を下ろすでも無く固まっていたクラインは、よろよろと震えたかと思うと、その場に腰を落とした。何もかも使い切って、電池切れを起こしたように、糸が切れたかのように、尻餅をついた。

 

 

 「……はは」

 

 

 自然と、その口から笑みが溢れた。小さく、けれど明確に。

 クラインのそんな様子にアキトとフィリアは困惑しだす。心配するような表情で、彼を見つめる。

 そんな彼らに目を合わせたクラインは、笑いを止められなかった。

 

 アキトとフィリア。自分と共に最後まで戦ってくれて、最後の一撃を任せてくれて。

 踏み出す一歩を、歩み出すきっかけを、何よりも二人が与えてくれた。

 

 

 「……やっぱスゲーな。俺の仲間はよ」

 

 「っ……」

 

 「クライン……」

 

 

 アキトもフィリアも、そんなクラインの笑った顔を黙って見つめていた。やがてフィリアはそんな彼を見て、呆れたように、それでも嬉しそうに笑った。

 アキトは汗で濡れた髪を頬に付けながら、クラインの言葉を聞いて、そして彼の笑った顔を見た。

 

 

 その瞳に僅かばかりの涙が見えたのは、きっと幻じゃない。

 

 

 ────俺は、クラインの手助けが出来たんだろうか。

 自分に自信が持てないアキトは俯き、そんな事を思う。だがすぐに、そんな考えは止めた。

 

 

 

 その問いの答えは、今この場にいる、彼の笑顔だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──Link 70%──

 








クライン 「せい!……ん? ふんっ……ありゃ?」

クライン 「おりゃっ!……ほっ!ぬぅっ!うりゃあ!」

フィリア 「……クラインは何してるの?」

アキト 「剣技連携(スキルコネクト)だってさ。あれ以来一回も成功してなくて……」

フィリア 「掛け声変えては首捻ってるけど……意味あるの?」

アキト 「無いと思う」

クライン 「あれぇ?……あれれぇ?(錯乱)」


※マグレでした(ニッコリ)


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Ep.88 漆黒の夢



薄れてく。消えていく。

自分が歩んで来た道が。進んでいくべき道標が。

黒く、◼く染まってく。



 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 ホロウリーパーというエリアボスを倒し、アキトの持つ《虚光の燈る首飾り》が光り出したのを目にした彼らは、次のエリアに行く事が出来る事実に歓喜した。

 だがホロウリーパーとの戦闘は想像以上に時間を有し、アキトとフィリア、クラインの三人はそれぞれかなり消耗していた。時間も時間だったので、次のエリアボスを倒すのは翌日にしようとアキトが提案したのだった。

 この状態で戦っても危険なだけだと判断した各々はそれに賛同し、現在三人は《ホロウ・エリア》全体のマップが見れる管理区へと戻って来ていた。

 PoHの企てた、言わば《ホロウ・データ》でアインクラッドで暮らすプレイヤーを上書きする大型アップデートを止めるには、管理区地下のダンジョンの奥にあるという中央コンソールを使うしかない。

 そこに行き着くには、《ホロウ・エリア》にいるエリアボスを全て討伐しなければならないのだ。

 だがユイ曰く、この規模のアップデートは実装まで数日の時間がかかるらしい。ならまだ時間は残されているわけで、焦るばかりでは良い結果に繋がらない。

 

 

 「だあ〜〜〜!疲れたぁ……」

 

 「私も……」

 

 

 管理区に転移して早々、クラインがコンソール前の床にバタリと仰向けに倒れる。フィリアも膝から崩れ、休みやすい体勢へと身体を動かして座った。

 そんなだらしなく休む彼らが可笑しくて、アキトはクスリと小さく笑う。そのままクラインの隣りを通り、コンソールへと手を伸ばした。

 天井に煌めく星の下に開かれた数々のウィンドウの一つである《ホロウ・エリア》全体のマップが目に留まる。

 そこには既にエリアボスを倒したエリアと、そうでないエリアの区分が明確にされていた。

 

 

 《The Shadow Phantasm(ザ・シャドウファンタズム)》がいたセルベンディスの樹海。

 

 《Zordiath The Blade Dragon(刃竜ゾーディアス)》がいたバステアゲートの浮遊遺跡。

 

 《Destonator The Kobold Lord(デトネイター・ザ・コボルドロード)》がいたグレスリーフの入り江。

 

 《The Hollowreaper(ザ・ホロウリーパー)》のいたジオリギア大空洞。

 

 

 倒していったボスと、それがいたエリアを一つずつ目で確認していく。そうして追い掛けた先にあったのは、まだ行っていないエリア。今回ホロウリーパーを倒した事で、新たに行けるようになるであろう未開の地。

 そして、そこが最後のエリア。

 その場所の地図の上から重ねて表示されたのは、凡そエリアの名前だろうか。

 

 《アレバストの異界》という名が表示されていた。

 

 

 「あと一つだね」

 

 

 背中からフィリアの明るめの声が聞こえ、アキトは振り返る。疲労が募っていたはずの彼女の表情は決してマイナスのものではなく、嬉しそうだった。

 アキトは頷いて、再びマップへと視線を戻す。

 

 

 「……ここのボスを倒せば、管理区の地下に行ける」

 

 「……間に合うかな」

 

 「大丈夫だよ、きっと。間に合わせてみせる」

 

 

 そう答えたアキトは、ゆっくりと腰を下ろす。

 ホロウリーパーとの攻防で既に達成感すら覚えていたアキトは、最早立っているだけでも結構な労力を使うのだと苦笑した。

 上体を支える両の腕は、心做しか震えていた。

 

 

 「おいおいアキトさんよぉ、腕震えてんぜ?」

 

 「はは、そりゃ、ね……あれだけ長かったら疲れるよ」

 

 「へっ、違いねぇや……」

 

 「私も、もうヘトヘトだよ……」

 

 

 揶揄うつもりだったクラインでさえ、仰向けた身体を起こす事も億劫な程。フィリアも楽な姿勢をとって身体を休めていた。

 そんな彼らに先で背を向けて座るアキトは、ポツリとその言葉を呟いた。

 

 

 「……楽し、かった」

 

 「え……?」

 

 

 フィリアとクラインは、そんな彼に目を丸くした。アキトも自身が今言った事を思い返してはっとしていた。独り言のように口を開いたはずだった。だがフィリアの問い返しに我に返ったのか、自分が失言をしたのだと思い、慌てて振り返る。

 

 

 「あ……あ、いや……その……こうして誰かと力を合わせて、全力で戦って……そういうのって、久しぶりだったから……」

 

 

 確かに今回は、いつもの戦闘と違った。敵は想像以上に思考してきていたし、人間にも似た知性を感じた。長期戦にさせられたし、回復する暇を与えさせてはくれなかった。

 死が現実に直結するSAOの中では、絶望するはずの相手。なのに、それでもアキトはその戦闘に懐かしさすら感じたのだ。

 フィリアがいて、クラインがいて。

 自分もかつて仲間と呼べる人達と共に、こうして攻略を重ねていたはずだから。

 

 

 「……そうだなぁ。俺も、割と楽しめたぜ」

 

 「確かに。結構危なかったけどね」

 

 「……二人とも」

 

 

 ────怒られるかな。

 そんな考えは、寧ろ彼らには失礼だったのかもしれない。クラインもフィリアも、きっと合わせてくれているわけじゃなくて、本当にそう思ってくれているのかもしれない。

 この考えはきっと、不謹慎ではないのかもしれない。

 これはゲームであって遊びじゃない。けれどゲームは、本来娯楽。楽しまなきゃいけないものなのだ。だからたとえデスゲームだったとしても、この想いは間違いなんかじゃないのだと、そう思ったから。

 

 

 「ありがとよ、アキト、フィリア」

 

 「え?」

 

 「そう思えたのはきっと、お前さんのおかげだからよ」

 

 「そ、そんな事ないよ……」

 

 

 クラインは照れ臭そうに笑う。フィリアも顔を赤くして否定する。

 アキトは呆然としていたが、やがて込み上げてくる何かを感じて、俯いた。

 クラインの放った言葉が、嫌なくらい心臓を動かした。

 たくさん人が死んで、たくさん人が苦しんで、たくさん人が泣いて。いつか、100層を突破して、このゲームをクリアして。それでも最後に、楽しかったと、そう言える日が来るのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……あー!帰って来たー!」

 

 

 エギルの店の前まで歩いて来ていたアキトとクラインは、入り口付近に立っていたストレアの声で顔を上げた。

 こちらを見て元気良く思い切り手を振っている彼女に、アキトとクラインは顔を見合わせて笑った。天真爛漫な彼女の満面の笑みに惹かれ、二人は入り口まで歩く。

 すると、扉の向こうから勢い良くユイが飛び出して来た。恐らくストレアの声に反応したのだろう。アキトは驚きで少したじろぎ、ユイはそんなアキトをすぐに見付けた。

 

 

 「アキトさん、クラインさん、おかえりなさい!」

 

 「おう、ただいまユイちゃん!」

 

 「……ただいま」

 

 

 クラインは大きく手を上げ、アキトは小さく微笑んでユイに応えた。ユイは満足したのか、嬉しそうに顔を緩ませ、アキトの隣りに並んだ。

 

 

 「もー、二人とも遅い!もうお腹ペコペコだよー!」

 

 「えっ!俺ら待ちだったのか、悪ぃ悪ぃ」

 

 

 ストレアとクラインの会話を聞きながら、彼らはそのまま歩き出す。エギルの店へと足を踏み入れれば、いつもの場所でテーブルを囲う仲間達がいた。

 アスナ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン、エギル。みんなが入り口に視線を向けており、アキト達の姿を捉えて顔が綻んだ。

 

 

 「二人ともおかえりなさい」

 

 

 そう言ったアスナに軽く手を挙げて応える。シリカやリーファも各々に同じように言葉を重ねた後、リズベットが意地悪を思い付いた子どものような笑みで二人を見た。

 

 

 「随分遅かったじゃない。おかげでお腹と背中がくっつきそうだわ。これだけ待たせたんだもの、勿論ボスは蹴散らしたんでしょうね?」

 

 「……うん。勝ったよ」

 

 「へへー!ポリゴン片になってお空の彼方に飛んでったっつーの!」

 

 「本当ですか!?」

 

 「やったぁ!」

 

 

 アキトの肩に腕を回し、クラインがリズベットにピースしてみせる。その勝利の報告に、シリカとリーファを一声に、一同が歓喜に包まれた。

 みんなが嬉しそうにハイタッチを交わす中、肩を抱かれたアキトがクラインを見上げれば、鼻を高くした野武士面の男が立っていた。

 

 

 「いやー、手に汗握ったぜ。なんたって今の今までやり合ってたんだからよ。今回はまさに死闘、そんな中活躍したのはこの俺様の────」

 

 「はいはい、それは良いから」

 

 「おい!まだ触りも話してねぇだろうが!」

 

 

 シノンの一蹴にクラインが崩れる。苦笑いするメンバーの中、アスナが勢い良く立ち上がった。

 

 

 「二人とも、本当にお疲れ様。それじゃあ、シェフが腕によりを掛けてディナーを作るわね」

 

 「わぁ!アスナの手料理楽しみにしてたんだ〜!」

 

 「よっ、待ってましたぁ!くー!頑張った甲斐があったってもんよ!」

 

 

 料理スキルコンプリートのアスナの手料理。その事実だけで、ストレアは兎も角クラインの喜びようといったら凄い。周りが引き気味にそれを眺めて笑う中、アキトはクラインからアスナへと視線を移していた。

 今から料理を作る。つまりそれは、アキト達を待ってたという事実に繋がった。

 それに気付いたアキトは、小さな声でアスナに言った。

 

 

 「……待っててくれたんだ」

 

 「冷めたら勿体無いじゃない。折角なら温かいものを食べて欲しいもの」

 

 「……別にそんな凝ったものじゃなくても良いよ。まだ解決した訳じゃないんだし、なんなら待たせたお詫びに俺が────」

 

 「良いの良いの、私が作りたいんだから。功労者のアキト君は座ってて」

 

 

 アスナはニコニコしながらアキトの背中を押してテーブルまで連れて行くと、そのまま厨房の方へと足を運んで行った。それにユイも付いて行く。

 ストレアも便乗し、アスナに向かっていった。

 

 

 「エギルさん、厨房お借りします」

 

 「ママ、私も手伝います!」

 

 「はいはーい!アタシも手伝う!」

 

 「実は良い食材を仕入れたんだ。俺も何か作るぜ。アキト、クライン、お前らは休んでな」

 

 

 そうして四人は厨房の方へと消えて行く。

 エギルの男らしい声に何故か安心感を覚えつつ、リズベット達と何やら談笑しているクラインを背に、アキトはそのまま2階へと向かう階段の方へと移動する。

 すると、階段に一番近い席に座ったままのシノンがこちらを一瞥し、アキトはシノンと目が合った。

 

 

 「部屋に行くの?」

 

 「……少しだけ。すぐ戻るよ」

 

 

 そう言葉を返し、アキトは階段を上がる。それを見上げたシノンは、そこから数秒、階段から目を離せなかった。

 そんなシノンの隣りで、クラインとリズベット達が何やら言い合いを始めていた。

 

 

 「アンタ本当にそんな活躍したのー?アキトやフィリアがどうにかしてくれたんじゃないの?」

 

 「へっ、聞いて驚け!俺様は今日、《剣技連携(スキルコネクト)》を習得したのだ!」

 

 「なっ!」

 

 「嘘ぉ!」

 

 「ところがどっこいこれが現実。嘘だと思うならアキトに聞いてみ……ってあれ?アキトの奴は何処行った?」

 

 「部屋に行ったわ」

 

 

 アキトを探すクラインにそう一言告げるシノンは、その後厨房にいるアスナとユイに視線を向ける。二人は顔を見合わせては笑顔を作り、楽しそうに料理している。

 けれど初めてシノンがアスナを見た時は、まさかあんな笑顔が出来る女の子だとは思っていなかった。何処か儚く、触れれば壊れてしまいそうな、そんな雰囲気を感じた。

 

 

(……アスナが今、あんな風にユイちゃんと笑えるのも……きっとアキトのおかげなのよね……)

 

 

 そんな事を考えずには居られない。キリトという人物を失った当初はとても険悪なイメージで、何も事情の知らないシノンからしてみれば、この空間は居心地の悪いものでしかなかった。

 それが今ではどうだろう。誰もが笑って暮らせている。今シノンの目の前で繰り広げられているクラインとリズベットの言い合いだって、笑いながらリズベットを抑えるシリカやリーファだって。

 そしてそれはひとえに、あの黒の剣士のおかげ。

 鼻歌を歌いながらアスナと談笑しているストレアだって、アキトが初めに知り合った。

 

 

 「みんな出来たわよー!……あれ、シノのん、アキト君は?」

 

 「……階段上がって行ったわ」

 

 「えー、料理なんてすぐ出来るのに……」

 

 

 満面の笑みで料理を持って来たアスナは、すぐさま右左へと頭を動かす。アキトを探しているのは分かっているが、そんなに動かされると手に持つ料理が危うい。

 シノンは慌てて口を開いた。

 

 

 「……私、呼んでくるわ」

 

 「ゴメンねシノのん、じゃあお願いね」

 

 「分かった」

 

 

 シノンは半ば食い気味に立ち上がり、軽い足取りで階段を駆け上がる。一つ一つ段差を飛び越える度に、アスナ達の笑った顔と、アキトの顔が交互に脳裏に映し出される。

 それが少し嬉しくて、足の動きはより軽快になっていった。

 

 

 誰もいない2階へと辿り着くのはすぐだ。上り切って右奥がアキトの部屋。入った事はないけれど、きっと大丈夫だ。

 シノンは下から聞こえる仲間達の楽しげな声に微笑みながら、その足を前へと進める。

 これらは全て、アキトが作り出してくれたもの。今自分がこうして生きているのも、アスナ達が楽しそうなのも。

 

 

 「……」

 

 

 彼は周りからどれだけ嫌われても、蔑まれても、憎まれても、疑われても、決してその人となりを変えなかった。

 常に一点、前だけを見つめていて。必ず誰かの為を思って行動し、そして誰かを救ってしまう。

 そんな事が出来る人など、この世に何人いるだろうか。自分を犠牲にする事を厭わないその精神は、決して見習って良いものではないし、褒められたものでもないのかもしれない。

 けれど彼のしてきた事は周りを思っての事で、そしてそれは周りの為になっている。

 だから、シノン自身に何か言いたい事があった訳じゃない。

 けれど────

 

 

(少し……人が良過ぎるんじゃないの……)

 

 

 歩む度に前後に揺れる手のひらが拳に変わり、やがてそれは強く握られる。浮かべるのは、周りから疑惑の視線を向けられて、傷付いた表情を見せるアキト。

 86層のボス攻略で見せたアキトの動きは、明らかにいつも見ていた彼のそれではなかった。シノンは見た事がなかった《二刀流》。一人でボスを圧倒した技量。

 そして何より、知らない人のような表情。

 

 みんなはそんな彼を“キリト”と呼んだ。

 アスナの恋人で、ユイの父親で、リーファの兄である彼。そんな彼に重ねられ、居場所を感じ取れなくなってしまったアキト。

 傷付いて当然なのに、彼はやはり戻って来た。そして、《ホロウ・エリア》でフィリアに罠に嵌められても尚、彼だけはフィリアを信じ、そして一人で助けに行ってしまった。

 

 心配させたくないからと、何も言わずに。

 自分達はアキトを散々な程に傷付けた。なのに彼はまだ、誰かの為に動く。そんな残酷なまでの優しさに、シノンはずっと、心が痛かった。

 

 そして、アキトから聞いた自身の事情。

 アキトの中には、“キリト”がまだ生きているという事。その事実は信憑性のあるもので。見せられたのだから当然で。

 

 

 それを初めて聞いた時から、シノンはアキトから目を離せなくなっていた。

 何故だかは分からない。ただ一つ、言う事があるとするならば。

 

 

 嫌な予感がしたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、それは現実のものとなる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「アキト、アスナが料理出来たって……アキト?」

 

 

 ノックしても返事は無かった。シノンは不思議に思い、何度も彼の名を呼ぶ。

 そして、その扉は少しばかり開いていた。

 

 

 「……開いてる」

 

 

 恐る恐るドアノブを手にし、ゆっくりと前へ押し出す。その先に広がるのはシノンが普段使っているのと造りはさほど変わらない部屋。だがその空間に明るさなど微塵もなく、あるのはただ冷たい薄暗さだった。

 次の瞬間、シノンは驚愕で目を見開いた。

 

 

 そこにいたのは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 呻きながら頭を抑え、倒れているアキトの姿だった。

 

 

 

 

 「ぇ……!?」

 

 

 シノンは、その場から一瞬だが動く事が出来なかった。

 何が起こっているのか分からない。

 けれど気が付けば、頭を必死になって抑えて苦しむアキトが、目の前にいた。

 

 

 「────アキト!?」

 

 

 呪縛から解き放たれたような解放感と共に、シノンは急いでアキトへと駆け寄る。薄暗かった電気は、シノンが入った事によって明るく照らされた。

 シノンはすぐにしゃがみ込んでアキトに触れる。その身は震え、呼吸は荒かった。

 同時に、アキトは頭の痛みで声が上がる。

 

 

 「ぐぁっ……がぁっ……はぁ、はぁ…ぁぐ……!」

 

 「アキト!しっかりして!アキト!アキト!」

 

 

 アキトは苦しそうに頭を抑える。痛みで何かを言う事も難しそうだった。呻き声を上げる程に痛いのか。目を見開き、必死になって痛みを抑えようと頭を掴み、それでも苦しみは変わらなくて。

 

 どうしたら良い────?

 

 こんな現象を見た事も聞いた事も無くて、シノンは自分のすべき行動が分からない。

 《圏内》では死ぬはずが無い。けど今のアキトは、今にも消えてしまいそうで。

 

 

(アスナ達を呼ばなきゃ────!)

 

 

 必死になって考えた結果、選ばれた選択肢は恐らく最良のものだった。

 シノンはアキトを置いて行く事を躊躇ったが、やがて意を決してその場から離れようと膝を立てる。

 

 だがすぐに腕をアキトに捕まれ、それ以上立つ事を許されない。引き戻されたシノンは、慌ててアキトを見下ろした。

 

 

 「っ!?あ、アキト……!?」

 

 「はぁ……はぁ、まっ……ぐっ……待って……っ!」

 

 「な、何言ってるのよ、アンタこんなに辛そうじゃない……!」

 

 

 シノンは自身の腕を掴むアキトの手を引き離し、それを両手で握る。

 だがそれでも、アキトの様子は変わらない。徐々に、徐々に痛みは増して行き、

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 そして────

 

 

 

 

 「『ああああぁァァぁああああアアァぁアァあぁアアああ!!!!』」

 

 

 

 

 その叫びと同時に、アキトのアバターにブレが生じ始める。その身体が歪む。

 ザー、とノイズのようなものが辺りに響き、アキトの身体が変容を遂げていく。

 

 

 そして、苦しむアキトの姿が一瞬だけ変わったのを、シノンは見逃さなかった。

 アキトの姿が一瞬だけ、別の誰かに見えたのだ。

 

 

 「っ……!? 今のって……」

 

 「『はあ、はぁ、っ、くっ……はぁ……!』」

 

 

 アキトは、その手を頭から離した。痛みが引いたようだったが、その身体はぐったりとしていた。

 もの凄い量の汗をかき、その黒髪は濡れたばかりのようだった。

 

 

 「……何なの、今の……」

 

 

 震える声で、シノンが問う。だがアキトは横になりながらも、首を左右に振るのみだった。

 けれど、今この目に映った少年が誰か、シノンはとっくに理解していたのかもしれない。

 知らない顔だけど、アキトとは別の黒いコートを身に纏っていて、そして何処か同じ雰囲気を持っていた。

 あれが誰なのか、容易に想像出来ていた。

 

 

 「……もしかして、“キリト”なの……?」

 

 「……」

 

 

 呼吸はまだ整っておらず、アキトはただシノンを見上げるのみ。

 沈黙は肯定。そんな言葉を、シノンはこれほどまでに実感した事はなかった。

 そんなシノンの表情を見て、アキトは諦めたように目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 目の前でシノンが困惑した表情でこちらを見下ろしている。

 アキトはそんなシノンに、返す言葉が見付からなかった。ただ、この状態の自分を彼女に見られてしまった事に対する言い訳を考え始めている程で。

 《アークソフィア》に戻って来てから途轍も無い頭痛に急に襲われ、悟られぬようにと部屋まで逃げて来たというのに。よりにもよってシノンに見られてしまうとは思わなかった。

 

 段々と引いていく痛みを感じながらも脳裏に映るのは、自分のものではない誰かの記憶(・・・・・)

 

 第1層でクラインと出会い、基礎をレクチャーしている記憶。

 アスナと出会い、力を合わせて第1層のボスを倒し、ビーターの汚名を付けられた誰かの記憶。

 ピナが殺された場面に居合わせ、シリカと一緒に47層へと赴いた、花園の記憶。

 新たな武器を求めて、リズベットと共に雪山を登り、竜の巣で夜を明かした記憶。

 アスナと二人寄り添い合い、愛し合い、そんな中、ユイという大切な存在に出会った記憶。

 75層でヒースクリフと戦った時の、この殺意までもが。

 まるで、自分の事のように思えて、何処かで納得すらしていた。

 

 そしてそれと同時に映るのは、そんな記憶を持つ誰かの、現実での記憶(・・・・・・)

 とある一室の、パソコンの向こう側。窓の外を眺めれば、短髪の黒髪の少女が必死になって竹刀を振っている。そんな彼女に感じるのは、罪悪感と不信感。そして後ろめたさ。

 彼女は一体何処の誰で、自分とはどういう関係なのだろうかと、そんな想いで埋め尽くされる。

 

 分かってる。これは、自分の記憶じゃない。

 だけどアキトは、この記憶がやけに脳に馴染んでいた。自分の記憶じゃないはずなのに、誰かの記憶のはずなのに。

 いや、誰かだなんて、もうとっくに分かっていた。

 

 

(……キ、リト……)

 

 

 遠のきそうな意識を引き寄せながら、親友の名前を反芻する。

 脳裏に映った今の場所は、キリトの現実の家。そして竹刀を振る少女はきっと、かつてのリーファ。

 何処か納得していて、馴染んでいて、これは自分の記憶なのだと、何処かでそう言われているみたいで。

 そして、同時に────

 

 

 

 

 自分自身の記憶が(・・・・・・・・)朧気になってきていた(・・・・・・・・・・)

 

 

 

 

 家族の名前が、一緒に暮らしたはずの人の顔が、どんな性格だったのかさえ薄れていく。

 現実でどんな人生を送っていたのか、その光景が霞んでいく。

 開いていた手を、弱々しく握る。

 この世界にログインしたばかりの、デスゲームだと知らされた時に感じたものが、記憶が、キリトの記憶に上書きされていく。

 

 

 段々と自分が、かつての英雄に染まっていく。

 

 

 SAOの根幹、《カーディナルシステム》。

 この世界に必要とされる勇者の役割を、アキトへと押し付ける。かつての勇者を、上書きしていく。

 それと同時に、自分が消されていく感覚。

 

 

 その手が震えた。なんとなく気付いてた。エリュシデータがすぐに馴染んだのも、アスナが幽霊が苦手な事を知っていたのも、クラインがどんな性格だったのか理解していたのも、初めて見たはずのPoHの存在にすぐ気付けたのも全て。

全てが────

 

 

 「……ねぇ、アンタ分かってるんでしょ……?自分の身に何が起こってるのか」

 

 「……」

 

 「……話して」

 

 「……」

 

 

 シノンのか細い声にも、反応を示せない。瞳だけを彼女に向けて、壊れそうな彼女の表情を見つめる事しか出来ない。

 何故か、力が入らなかった。

 

 

 「アキト……!」

 

 

 話して──そう彼女は言っているように思えた。

 だけどアキトは、何も言えなかった。口を開く度にキリトの記憶が脳を埋めていき、その分だけ、自身の何かが潰れていく。

 

 

 「っ……」

 

 

 シノンは下唇を噛み締め、俯いていた顔を上げた。

 

 

 「……すぐ、アスナ達を呼んでくる」

 

 

 それを聞いたアキトは、こちらに背を向けたシノンの手を掴み、こちらに引き寄せた。バランスを崩したシノンは、立ち上がる事も出来ずに床に手を置いた。

 シノンは突然の事で驚き、慌ててアキトに視線を合わせた。

 

 

 「っ……アキト……?」

 

 「……みんなには、黙ってて」

 

 「なっ……何言って……!」

 

 「心配、させたくない……」

 

 「最悪の事態になってからじゃ遅いのよ……!?」

 

 「……」

 

 

 押し黙るアキトは、ゆっくりと起き上がる。近くにあったベッドの端に寄り掛かり、シノンからは目を逸らした。

 行かせまいとシノンを引き寄せた手を、いつの間にか、彼女は握り返していた。

 上げた顔は戸惑いと焦りが感じ取れ、その瞳は揺れていた。

 

 

 シノンは既に、アキトの状況に凡その検討は付けていたのかもしれない。

 紡がれる言葉には、全てを悟ったような音が響いていた。

 

 

 「……アンタの話を聞いてから、ずっと気になってた。だって、他人の意識が植え付けられたって事なのよ……?絶対に良い事ばかりじゃない」

 

 

 シノンの言っている事は、正しく正解だったのかもしれない。

 何故ならそれは、人が逃避の為に新たな人格を形成する二重人格といった精神的な病とはまるで違う。この世界でちゃんと存在していた本当の人間の意識が、記憶が、システムによって後天的に植え付けられた事になる。

 そしてそれは《二刀流》を手にしてからの出来事だった。このスキルを手にしてから、アキトはキリトを感じるようになった。

 《二刀流》にキリトの意識が混在していたのはユイ曰く、75層のシステムエラーによるとの。つまり、バグによって今のアキトは形成されているという事なのだ。

 それは、決して許容されたものではなかったのだ。

 

 

 「……ああ、そうだね」

 

 

 《二刀流》を手にして、そこにキリトが居た時点で、こうなる事は決められていたのかもしれないとさえ思う。

 この世界は勇者を必要としている。《カーディナル》が、勇者としてキリトを選んだ。

 そのキリトが、《二刀流》として存在しているのを知った《カーディナル》は、アキトに何度も干渉してキリトを上書き(オーバーライド)する事で、再び勇者を呼び起こそうとしているのかもしれない。

 

 

 そしてそれは、きっとキリトにもアキトにも、どうにもならないものなのかもしれない。

 なら、このまま《二刀流》というスキルを保持し続けてしまえば、自分は────

 

 

 

 

 「……アキト、今すぐ《二刀流》をスロットから外して」

 

 「え……」

 

 

 アキトの手を握るシノンが、なけなしの声を奮ってそう告げる。まるで、叶わないと分かっている願いを、必死になって叫んでいるようで。

 シノンの考えている事は、やはりアキトと同じだった。元々賢い少女だったし、キリトという存在無しで自分を見てくれているからだと、アキトは思った。

 そして、シノンのその提案はアキトの為になる正しいものなのかもしれない。

 けれどアキトは、首を横に振る。

 

 

 「……駄目だよ。このスキルは消せない」

 

 「っ……どうして!友達の形見だから!?」

 

 「ただでさえ、攻略組には……戦力が足らないんだ。その中でもユニークスキルは、他のスキルよりも強い……敵も強くなってきてる……今このスキルを失う訳にはいかない」

 

 

 消したところでこれが元に戻る確証も無い。アキトの代わりとなる二刀流使いが攻略組に現れる可能性だって低い。今手に入れたところで使いこなせるかはまた別問題だ。

 キリトの形見だからというのも間違ってはいなかった。だけど、シノンはアキトの手を握る力を強め────

 

 

 「使い続けたらどうなるのか、想像くらいしてるんじゃないの……?」

 

 

 「……かもね」

 

 

 ふと鏡を見れば、映るのは黒い瞳。

 青かったはずのその瞳は、まるで闇に濁ったようで。けど同時に思い出すのは、キリトの瞳の色。それに良く似た色へと侵食し始めていたのを知ったのは、結構前だった。

 アキトはきっと、無意識にこうなる事を予想していたのかもしれない。だから、86層でキリトに代わるまで《二刀流》を使わずひた隠しにしていたのかもしれない。

 

 

 けれど、《二刀流》無しに今後戦い抜く事は難しい。

 使う事でもしかしたら、自分じゃなくなるのかもしれない。

 

 

 だけど、それでも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……シノン。俺……今凄く、楽しいんだ」

 

 

 「ぇ……?」

 

 

 下を向いていたシノンの顔が、ゆっくりと上がる。

 そこに居たのは、虚ろながらも確かに高揚が宿る瞳を持ったアキトだった。

 瞳を揺らし、何処か遠くを見つめ、その心臓部分を強く握り締めていた。

 

 

 「ずっと孤独だと思っていたのに、こんなにも仲間が出来て。デスゲームなのにこうして笑い合う事が出来て、そんなみんなを見る事が出来て、力を合わせて強敵と戦って……必要とされている自分が、とても誇らしかった」

 

 

 かつて、大切だった仲間がいた。そんな彼らと戦った時の懐かしさが、楽しさが、鮮明に蘇る。楽しかった日々を思い出せて、仲間だと言ってもらえて、とても充実したような毎日を送れていた。

 そんな日常の為にも、自分にはやらなきゃならない事があると思った。

 この苦行が、誰かの為になる。それだけでとても満たされた。

 

 

 「……今、確かな生き甲斐を感じてるんだ」

 

 「っ……」

 

 「こんな気分は、久しぶりなんだよ……」

 

 

 シノンにとって、その時の彼はとても歪だった。

 アキトのその決意は歪んでいた。

 守りたいものしか見ていない、そんな残酷な存在に思えた。自分の状況さえも、見えていないのかもしれないと、そんな不安に駆られてしまった。

 シノンは悔しそうに、その唇を噛む。

 そんな彼女に構う事無く、アキトは小さく笑いかけた。

 

 

 「アップデートまで時間が無い。アインクラッドだって、あと10層近くでクリア出来る。それまで持ち堪えてくれれば良い。だから……」

 

 「……私に……見逃せって……そう言うの……?」

 

 「……うん」

 

 

 シノンの身体が震える。

 

 

 「誰にも、言わないつもり……?」

 

 「……うん」

 

 

 アキトの答えは変わらなかった。

 

 

 「ユイちゃんにも……?」

 

 「……うん」

 

 「……アスナにも……?」

 

 「……ゴメン」

 

 「っ……!」

 

 

 シノンの空いた手の拳がこれ以上ない程に握られる。怒りのような、哀しみのような、そんな感情が綯い交ぜになる。

 アスナとユイの笑った顔が、アキトに見せる柔らかな表情が呼び起こされる。そんな彼女達は知らないのだ、アキトが今、どんな状況なのか。

 そして、そんな彼女達に、アキトはこのまま隠し通すつもりなのか。

 

 そう思うと、どうにかなりそうだった。

 

 

 

 

 「アンタ、いい加減に……っ!」

 

 

 

 

 そうして声を振り絞ったはずのシノンの頭に乗せられたのは、誰よりも優しい少年の柔らかな手のひらだった。

 シノンの視界が、何故か歪み始めていた。たどたどしく撫でられた頭は熱を持ち、近くで囁く彼の言葉の全てが、とても脆く聞こえた。

 

 

 「……ありがとう、シノン」

 

 「……なんで、そこまで出来るのよ……」

 

 

 感謝される事なんか何も無い。なのに、すんなり言葉が心に響く。

 俯くせいで、互いに互いの顔は見れない。

 握られたその手は、離された。

 

 

 「料理、出来たんだよね。呼びに来てくれてありがとう。行こう」

 

 

 へたり込むシノンの隣りを過ぎ去って、アキトはゆっくりとその部屋の扉に手をかける。シノンを一瞥し、アキトは目を伏せる。やがてその扉は優しく閉められ、ガチャリと閉めた音が聞こえた。

 

 

 「っ……」

 

 

 シノンはただただ、その場から動けなかった。

 地面へと落ちる雫は、涙だろうか。

 

 

 どうして、こんなにも苛つくのだろう。

 どうして、こんなにも切なくなるのだろうか。

 

 

 アキトがいなくなるのかもしれない、そんな予感だけで心がざわついた。

 この気持ちの正体は何────?

 

 

 

 

(守ってくれるって……そう言ってくれたのに……)

 

 

 

 

 

 

 

 

「……嘘吐き」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 消えゆく未来は、あともう少し────

 

 

 

 







君ハ、コノ世界ニハ勝テナイ。


モウ、ヤメテ。抗ワナイデ。


辛イデショウ? 苦シイデショウ?


私モ辛イノ、苦シイノ。


ダッテ、伝ワッテ来ルカラ。感ジルカラ。


君ノ心ハ、ホラ────






















────コンナニモ、痛イ。






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Ep.89 異界の地へと



最近見付けた、Zweiの『ライア』って曲が素敵過ぎて何度も聞いてる。
この話のイメージソングにしたいくらいに素敵。
何が素敵ってメロディと歌詞が私的にポイント高い。(思考停止)

最近、電車の中でハーメルンを数人で漁っている学生が、『SAO』の二次創作で何が好きなのか話しているのを偶然発見しました。
期待してなかったと言えば嘘になりますが、私のお話の事には触れられてませんでした……(´・ω・`)ショボンヌ


ではどうぞ。



 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 その転移門前に、アキトとアスナは立っていた。攻略に赴く際の装備を身に付けており、武器はメンテナンスを済ませている。

 転移門前の広場には、既に多くの人がおり、それぞれの目的の為にその歩を進めている事だろう。小さな橋の下で流れる水は相も変わらず透き通っており、噴水は昇ったばかりの太陽に照らされてキラキラと輝いている。

 時刻は午前八時といつもより少し早い。だが後どのくらい時間が残されているのかの正確性が無い今、ただでさえ攻略難度の高い《ホロウ・エリア》には早く行くに越した事は無い。

 早めの朝食を済ませ、エギルの店でみんなに見送られる中、アキトとアスナは転移門に辿り着いた。

 

 最後のエリア《アレバストの異界》

 

 名前からは想像も付かないその場所が、《ホロウ・エリア》最後の未開エリアだった。PoHのアップデートを止める為の中央コンソール、そこに行く為の最後の条件が、そのエリアにいる。

 それが、どんなエリアボスか分からないが、あまり時間はかけられない。出来れば初見で倒すのが望ましいが、人数の制限もある為どうなるかは分からない。

 

 小さな階段を上がり、転移門の前で足を止める。これからボスを見付け、倒すまで帰る事は時間的にも難しい。想像するだけでストレスすら感じた。

 

 

 「あとどのくらいの時間が残されているんだろう……」

 

 

 吐息混じりの声がアキトの隣りから聞こえる。栗色の長い髪を風で靡かせながら、アスナは俯いていた。表情は不安気で、余裕の無さが伺える。

 ホロウのPoHが企てたアップデートは、アインクラッドにいる全プレイヤーが対象となっている。ユイが言うには、これほどの規模のアップデートには数日の時間が必要らしい。

 それが具体的に何日なのかが分からない以上、今にもアップデートが開始されるのではないか、そんな不安に駆られるのは当然だった。

 大丈夫───そんな無責任な声も掛けられない。そう言い切れない、確証がないからだ。言った手前アップデートが始まるかもしれない。そう思うと、アスナを励ましにくかった。

 何かを告げようとすれば、口が閉じる。そんな事の繰り返しをアキトがする中。

 しかしアスナは、自身で己を律したのだった。

 

 

 「……ううん。弱気になっちゃダメだよね、アキト君」

 

 「っ……アスナ……」

 

 

 そう己を鼓舞しながら顔を上げる。不安気だった表情はもう見る影も無く、宿しているのは闘志とやる気だった。

 その切り替えの速さにアキトは目を丸くする。蘇るのは、初めて出会った時のアスナだった。

 キリトの事で心を乱し、まともな思考すらままならない程に傷付いて、傷付けた彼女は今、ゲームクリアを確かに目指していて、それを脅かすPoHの野望を阻止せんと奮闘している。

 このSAOという今日を生きられるかも分からない世界で、誰もが『死』という概念を間近で感じているはず。けれどその度にこの世界の人々の中には絶望から立ち上がり、前を向き、目的を果たそうと努力している者もいる。

 アスナは、アキトが76層で初めて出会った時とは180度変わっている。希望を信じ、前を向く強さを彼女は持っている。

 それがとても眩しくて、アキトは目を細めて口元を緩めた。アスナはそれに気付き、アキトがこちらを見ている事実に頬を赤らめた。

 

 

 「な、何よ……そんなにじっと見つめないで……っ」

 

 「……え?あ、うん、ゴメン」

 

 

 アキトはキョトンとした態度でそう答えると、アスナから視線を外し、転移門へ足を一歩踏み入れた。

 アスナも我に返り、アキトの隣りに並ぶ。

 

 

 「じゃあ行こう」

 

 「うんっ」

 

 

 アスナが頷くのを見て、アキトは口を開く。告げるのは、自分が向かわねばならぬ場所の名前。

 これが、最後のエリア。そう思うと何処か昂った。

 絶対にやり遂げてみせると、そう心が告げていた。

 

 

 

 

 「転移────」

 

 

 

 

 だが、二人は気付かない。

 背後に近付く、一人の影に。

 

 

 

 

 「《ホロウ・エリア管理区》……っ!?」

 

 

 

 

 その名を呼んだタイミングで、アキトの左手が誰かに掴まれる。

 瞬間、転移門はアキトの行き先に反応し、彼のその身に光を宿す。

 そして、共に行くはずだったアスナからは光は宿らず、アキトの手を握ったプレイヤーの身体が光を纏い始めた。

 

 

 

 

 「なっ……!?」

 

 

 「えっ……!?」

 

 

 

 

 アキトとアスナは同時に声を上げる。

 《ホロウ・エリア》に入れるのはアキトともう一人だけ。そして、そのプレイヤーがアキトの手を握った事で、アキトと共に行く対象がアスナからそのプレイヤーへと切り替わる。

 

 

 

 

 アキトは咄嗟に手を握ったプレイヤーを見た。

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 

 そして、目を見開いた。

 

 

 

 

 彼女は、自分が良く知る人物だったから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《ホロウ・エリア管理区》

 

 

 その転移門から二つの丸い光が現れる。それぞれプレイヤーが転移する時の光だ。

 その二人の手は繋がれており、光の眩しさで目は開けられず、再びその姿を確認するには時間が掛かる。

 だがその転移の光が徐々に淡くなり始め、やがて虚空に消えていく。管理区の天井に煌めく星々の一つになるかの如く、高く舞い始め、次第に消えていった。

 《ホロウ・エリア管理区》はいつもと変わらず無機質で、データの塊の様だった。凡そSAOの世界観を壊しているそのエリアは、本来一般のプレイヤーは入れない。

 数字の波が管理区の周りを覆い、宙にはウィンドウが幾つも浮いている。空はまるで宇宙の様で。

 

 

 「……ここが、《ホロウ・エリア》……」

 

 

 アキトの隣りにいたプレイヤーの第一声はそれだった。アキトの手を握る力が強くなる。

 光が消え、目が慣れ始めたアキトは、漸く自身の隣りに立つプレイヤーを再び視界に収める事が出来た。

 何故君がここに、何しに来たの、言いたい事は色々あるが、突然の事だった為に驚きと困惑で言葉が喉に絡まり出て来ない。

 そうして絞り出したアキトの第一声は、思ったよりも小さな声だった。

 

 

 

 

 「……どういうつもり」

 

 

 

 

 隣りで今も管理区を見渡していた少女の名前を、アキトはしっかりと呼んだ。

 

 

 

 

 「────シノン」

 

 

 

 

 呼ばれた少女───シノンは、漸くアキトの方を向き、小さく笑った。その腰には短剣を、背には弓を背負っている。

 通常、《ホロウ・エリア》に行く為に転移門を使用した際、二人で行く場合に限っては、アキトに一番近いプレイヤーが同時に転移する対象になる。故に、最初にアキトに一番近かったアスナから、アキトの手を握ったシノンへと《ホロウ・エリア》に連れて行く対象がシフトしたのだ。

 つまり、今アスナは一人、訳が分からない状態で転移門前に立ち尽くしているという事。そして彼女の代わりにシノンがここへと訪れたという結果。

 自然とアキトの視線はシノンの姿に移る。彼女の装備や雰囲気を見ればひと目で分かる、この場所を攻略する気満々であると。

 そして、彼女がここに来たのは故意であり手違いなんかじゃないと、その表情と行動が物語っていた。

 シノンは何でもないといった態度で説明をし出す。

 

 

 「一度来てみたいと思っていたのよ。アンタ中々連れて行ってくれないし」

 

 「っ……そうじゃなくて、今日は新しいエリアの攻略をするって昨日────」

 

 「私も行くわ」

 

 

 会話に間など無く、シノンは即答し続ける。

 そして、最後の言葉を聞いて、アキトは今まで以上に顔を強ばらせた。彼女のその決意に背筋が凍る。口元が震えるのを感じ、思わず反射でそれを反対する。

 

 

 「駄目だ!」

 

 

 アキトのその言葉は最もだった。

 攻略組とはいえ、シノンはただでさえレベルが他のメンバーよりも低い。後から攻略組に参加したのもあって経験も浅い。

 そんな彼女が、幾ら数人で倒せるボスを相手にするからといって、全体的にモンスターの平均レベルが高いこの《ホロウ・エリア》での戦闘を認める訳には行かなかった。

 それでいて今回はただの攻略じゃない。PoHの仕掛けたアップデートを阻止しなければならないのだ。それも時間制限がある。シノンに付き合える時間など皆無な上に、ボスを倒す時間は短縮しなければならない。時間との勝負は、今のシノンには荷が重過ぎる。

 

 

 「悪いけど、帰るつもりは無いわよ」

 

 「……じゃあ、せめてここで待っててくれ」

 

 「嫌」

 

 「なんで!」

 

 「アキトこそどうしてよ。このままじゃアキト、フィリアと二人でボス討伐になるのよ?私がいた方が確実に効率が良い」

 

 

 それだけ聞けば正論に感じるから困る。忘れてもらっては困るが、そもそもここにはアスナを連れて来る予定だったのだ。

 戦い慣れしている彼女がいればというのもあったが、既にこの《ホロウ・エリア》に自身のAIが存在しないアスナとクラインは、アップデートと同時に死亡する可能性がある。だがシノンは一度もここに来た事が無かった為に、AIが存在していた。

 だがここに来てしまった事でシノンのAIは恐らく消失しており、アップデートと同時に彼女は────

 

 

 「っ……」

 

 

 ぐっと拳を握る。

 最早来てしまったものは仕方が無い。だが、このまま《圏外》に連れて行く訳には行かない。

 このエリアに来るのは彼女は初めてなのだ。その上、今回の新エリアは全員が初見。シノンを守りながら戦える保証など何処にも無い。

 

 

 「……初めて行く場所なんだ。今までよりもきっと大変だろうし、だから、シノンはちょっと……」

 

 「初めてだからこそ、何かあった時には人手があった方が良いと思うけど。それに、アキトが守ってくれるんでしょう?私の事」

 

 「ぐっ……」

 

 

 確かに言いました(白目)。

 なんて手強い。全く引いてくれる気がしない。アキトは意を決して、冷たくあしらう事に決める。

 初めて攻略組に参加した時の態度を思い出し、シノンを睨み付けた。心苦しい想いををどうにか振り払い、キッパリと彼女に言い切る。

 

 

 「お前がいたんじゃ足でまといだって言ってんだよ。気付けバカ」

 

 

 

 

 ────ピシッ

 

 

 

 

 ……ピシッ?

 

 

 アキトは今、確かにその音を聞いた。

 何の音かと慌てて辺りを見渡すが、変わった様子は無い。

 が、そんな考えは目の前のシノンを見た瞬間消え去った。その前髪に瞳が隠れてどんな表情かは分からない。だが、その口元は段々と歪んできており、しかしそれは絶対に笑っていないとアキトは理解出来ていた。

 

 

 「……し、シノンさん……?あの───」

 

 「───ねぇ」

 

 

 ピシャリ。アキトの発言を遮るかのようなシノンの声音に、アキトの身体が震える。

 怒っているのかなんなのか、目の前の少女を見てもイマイチ分からない。何を言われるのかとドギマギしながら見ていると、シノンは漸く口を開く。

 しかし、それはアキトの想像に反して、全く関係の無い言葉に思えた。

 

 

 「前にみんなでポーカーをした時の“賞品”、覚えてる?」

 

 「……え?あ、うん……覚えてる、けど……?」

 

 

 忘れるはずも無い。ユイがどんなゲームなのか見てみたいというので実施したポーカー。流されるままに勝者の景品にされたアキト。

 そうはさせまいと全力を尽くして最後まで勝ち残り、ドヤ顔で出したストレートフラッシュを、シノンのロイヤルストレートフラッシュで潰された事。

 

 

 それが今の話とどんな関係が────

 

 

 「………………っ!?」

 

 

 そしてアキトは気付いてしまった。その勝者の権限を、シノンがまだ使用していなかった事。

 シノンが何をしようとしているのか、アキトは分かってしまった。

 

 

 「ま、まさか……」

 

 「ええ。私は今日、“アキトを一日独り占めする権利”を使うわ」

 

 「な、なぁ!?」

 

 

 ────やられた。なんて卑怯な。

 シノンはさも楽しそうな顔でアキトにそう言い放った。アキトは何を馬鹿な、と慌てて反抗する。

 

 

 「ちょっ、待っ……それは、ユイちゃんと一緒にって言ったじゃんか……!」

 

 「仕方無いでしょ、アキトが認めてくれないんだから」

 

 

 シノンのそのやれやれといった態度は、まるでアキトが悪いと言わんばかり。

 そして彼女のその権利は、アキトがあのポーカーに参加した以上有効に働くべきもので、駄目だと言う事は適わなかった。

 シノンは悪戯げな笑みを浮かべ、アキトを見上げる。

 

 

 「私が貴方に付いていくんじゃない。貴方が私のボス戦に付き合うの。それなら良いでしょ?」

 

 「っ……君って奴はホント、ちゃっかりしてるな……!」

 

 

 アキトは頭を抑えて溜め息を吐く。

 アキトのボス戦にシノンが付いて行くのも、シノンのボス戦にアキトが協力するのも、結局は同じ意味だった。

 屁理屈も良いとこだ。アキトの脳に浮かばれるのはポーカーに参加した自分と、あの時の彼女の提案にすぐ乗らなかった自分への後悔。

 こんな事になるって分かっていたなら、なあなあにしないでシノンとユイと三人で何処かに出掛けたものを。などと言っても、後の祭り。現実は非常過ぎる。

 ポーカーに負けた敗者に反論の余地は無く、ここで逆らえば信頼関係が壊れる。今ここで何を言っても無駄な抵抗でしか無く、負け犬の遠吠えだと言われれば、悲しいかなそれまでである。

 命が懸かってるんだぞ────とシノンに言っても、きっと無駄だろう事はすぐさま理解出来た。そんな事で折れるなら、シノンは攻略組じゃないし、この場所に来たりしていない。

 全ては、シノンの手のひらの上。

 

 

 「……分かりました。全力で守らせていただきます……」

 

 「ん、よろしくね」

 

 

 項垂れ、諦念を抱いた表情のアキトに反して、シノンは嬉しそうに笑う。偉くご機嫌なようで、見ているこっちが笑ってしまう。彼女がここにいる事に関して言うなら全然笑えない訳だが。

 だが決めてしまったものは仕方が無い。せめてもの報復をしようか。今度はこちらが仕返しをする番だと、アキトは小さく笑い、隣りのシノンに向かって言い放った。

 

 

 「……じゃあ、そろそろこの手離して貰ってもいい?」

 

 「え?……っ!?」

 

 

 シノンはアキトのその発言で、漸く自分がまだアキトの手を握ったままである事に気付いたようだ。一瞬で顔を林檎の如く赤らめ、勢い良くその手を離した。

 気恥ずかしそうに目を逸らすシノンを見てクスクスと笑うアキト。

 だが、シノンがしてやられたと気付いたタイミングで、《ホロウ・エリア管理区》の転移門が輝き始めた。

 

 

 「……?」

 

 

 シノンは思わず首を傾げる。アキトを見ても、何も言わずに転移門を眺めるばかり。

 しかしシノンにはそれが分からない。この場所は、アキトの他に来れるのは一人だけ────

 

 

 「あ……」

 

 

 だがその考えは、転移門の光が晴れ、そこから現れた人物を見た事で消え去った。

 まだ一人ここへ来れる候補がいた事を失念していた。元々この世界にいた、出会った事の無いオレンジカーソルのプレイヤー。

 

 

 「アキト、お待たせー」

 

 

 そう言って手を振る彼女───フィリアを、シノンはまじまじと見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「……」

 

 「……え、と……」

 

 

 管理区の中心で、両者見つめ合う。

 シノンは何処と無くむくれた顔でフィリアを見据え、フィリアはその視線に耐えかねチラチラと目を逸らす。

 

 お互いが初対面であるが故の距離感なのだろうが何故だろう。シノンのフィリアに対する圧が凄い。

 アキトは半ば苦笑いでフィリアに向けて助け舟を出した。

 

 

 「えと……シノン、分かってると思うけど、彼女がフィリア。……フィリア、こっちはアインクラッドでの仲間で、名前はシノン」

 

 「……よろしく」

 

 「う、うん、よろしくね」

 

 

 アキトの紹介で、シノンは漸く口を開く。その口調も態度も依然変わっていなかったが、フィリアはフィリアで大人の対応だった。

 小さくはにかんだ笑顔で、シノンに挨拶を交わす。

 

 

 「……」

 

 

 シノンはアキトとフィリアを交互に見て、小さく息を吐く。

 目の前の彼女───フィリアを見て、アキトが罠に嵌ってボロボロで帰って来た時の事を思い出す。

 PoHに唆されて、アキトを罠に嵌めたフィリア。そんな彼女もこの世界に飛ばされてから、ずっと孤独で頑張って生きてきたのだ。

 それは分かっている。アキトもフィリアに対して怒っている訳でもないので、シノンがとやかく言う事でも無い。

 シノンにとっても、優しそうな表情を作るフィリアに対しての印象はさほど悪いものでは無かった。寧ろ、アキトやアスナ、クラインをこの世界で助けてくれていたのだ、好印象ですらある。

 

 だが何だろう。

 シノンですら無意識なのだが、微量に、極僅かに、ほんの少しだけだが、なんとなーく気に入らない。

 フィリアがではなく、彼女のその、アキトとのやり取りというか、心の距離感が。再びシノンはむくれた。

 

 そうしてアキトもフィリアが会話しているのを見ていると、フィリアがふと、シノンを見つめ出した。

 何だろう、そうシノンか思っていると、フィリアがチラリとアキトを一瞥した後、質問の為か口を開いた。

 そして、そこから出た言葉は。

 

 

 「……アキトがここまで連れて来るって事は、相当な手練なの?それとも……もしかして、この子がアキトの、大切な人?」

 

 「え?」

 

 「なっ……」

 

 

 アキトは素っ頓狂な声で目を丸くする。その逆、シノンはその言葉の意味を一瞬で理解し、その顔を紅潮させていた。

 いきなりの事で言葉がまともに出て来ない。慌てて何か言おうとしても、一文字一文字が途切れて音になり、それが言葉になっていかない。

 どうにか言葉を絞り出し、慌てて口を開く。

 

 

 「ち、違うからっ」

 

 「……そうなの?」

 

 「……コイツには、他に沢山いるから」

 

 「えぇっ!そうなの!?」

 

 

 驚きが大袈裟なフィリア。

 シノンはアキトを見てしてやったり顔を見せた。アキトは苦笑いを浮かべた後、フィリアのその誤解を解くべく口を開いている。

 が、シノンはシノンで、アキトは天然女たらしの気質があると確信している。きっと、今まで彼の毒牙にかかった乙女は沢山いる事だろう。

 いや、女たらしなんてものじゃない。もはや人たらしだ。

 だからこそアキトは、名前も知らない人の為にも自分を傷付ける事が出来るのかもしらない。

 

 

 けど────

 

 

 「……シノン?」

 

 「……何でもないわ」

 

 

 フィリアの呼び掛けに首を振って答える。

 今の考えを捨て去るべく、早く行こうと催促する。アキトとフィリアはそれに促されるようにして転移門へと歩き始めた。

 その間、彼ら二人は今日のエリア攻略に向けての話し合いをしていて、シノンはそれを眺める。

 

 

 視線はフィリアから、アキトへ。

 彼のその表情は柔らかく、特に辛そうなものでは無かった。

 

 

 「……」

 

 

 ────だが、蘇るのは昨夜の記憶。

 

 

 頭を抑え、苦しそうに声を上げ、一瞬だが姿さえもをキリトが上書きされた彼の体調が、今のシノンが一番考えていた事だった。

 このまま戦闘を続けて良いはずがない。そう思っても、アキトは止まってくれない。それがとても腹立たしく感じる。

 アスナ達には、本当に黙っているつもりなのだろうか。自分が、自分じゃなくなってしまうかもしれない一大事だというのに。

 この世界でシノンだけが、今のアキトの秘密を知っている。彼が黙っていて欲しいと言うのなら、誰にも言わないというのなら、彼の手助けを出来るのは、この世界で自分だけ。

 とても、心が痛かった。自分に出来るだろうか、重荷ではなかろうか、私一人で何が出来るのか、思う事は沢山あった。だけど今日、彼がアスナと二人で《ホロウ・エリア》に向かうその事実が、シノンの心を揺さぶった。

 彼がどうなってしまうのか、それが気掛かりで。とても待っている事なんて出来なかった。アキトの事がアスナ達に知られてしまう可能性を考えた行動でもあったのだが、それ以上にアキトの側にいたかった。

 もし行かせてしまったら、もう会えないんじゃないか。

 そう思ってしまったから。

 

 アキトが隠したがっている以上、アスナがアキトの攻略に付き合う中でボロが出た場合の対処が難しい。

 なら、少なからず事情を知ってしまったシノンがこの攻略に参加すれば、万が一アキトに何かあっても隠し通せるかもしれないと思ったのだ。

 そんな事は許されない。隠している場合じゃない。そんな事は分かっていた。けれど、自分を、自分達を何度も救ってくれたアキトの、切なる願い。

 それはきっと、叶えなければならないものなのかもしれないと、シノンは思ってしまったのだ。

 

 自分だけが、アキトの秘密を知っている。

 だがその事実に、ほんの少しだって優越感は感じない。そんな事よりも、考えねばならない事の方が多過ぎた。

 シノンの胸にあるのはただ、アキトという仲間を失う事への恐怖と焦燥だった。

 

 

(……絶対、そうはさせないから)

 

 

 心ではそう誓いつつも、一人で出来るのかと、そんな不安が募る。どうして、こんな時に限って自分だけなのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《アレバストの異界》

 

 

 封印された門を越え、洞窟を抜けた先。《ジリオギア大空洞》の先にあるその場所は、一言で例えるなら“不思議な森”だった。

 

 

 《強さを求めて彷徨った異形の森》

 

 

 それがこの辺りの小さなエリアの名前だった。

 周りは薄暗く、闇夜。そんな中でも目立つのは、不思議な形をした光る植物の数々。全体が光るものや、実のみが高くで光っていたりで、この薄暗い空間をほんのりと照らしている。

 だが少し離れた先を見れば、闇色の霧が覆っていて、何があるのか視認する事さえ出来ない。

 奇妙な形の蛹のようなものがエリアの隅に植え付けられていたり、幹の太い木がバランス悪く捻れてたり曲がったりしながら空へと伸びていたり。

 はっきり言って戦いにくそうだった。

 

 

 「うわぁ……まるで絵本の中みたいだね」

 

 

 辺りを見渡したフィリアのそんな一言は、アキトとシノンにも納得していた。

 魔女でも住んでるんじゃないのかと思わせる、ただの森では無かった。光る植物のおかげで見渡せるこの空間も、“黒”というよりは“紫”で覆われていた。

 まるで魔女の瘴気によって穢れ、明けない夜を永遠と続けているかのような、そんな空間だと示唆させているようで。

 

 

 「……行こう」

 

 

 三人は息を呑んでゆっくりと歩き出す。

 視界に収まるのは光る植物の奇っ怪なデザイン。まじまじと見つめながらも警戒を怠らないシノンとフィリア。

 誰もが初めてのエリアながら、目移りばかりでなくしっかりとプレイヤーとしての性分を果たしている。二人とも優秀だった。

 

 

 ────だが、暫くして。

 その先頭に立つアキトはふと、その足を止めた。急に大袈裟に辺りを見渡し始め、その表情にはやや戸惑いが現れていた。

 シノンとフィリアは顔を見合わせた後、アキトに近付いて口を開いた。

 

 

 「……アキト?」

 

 「……どうしたのよ?」

 

 

 アキトは変わらず周りに目を凝らしていたが、やがて二人に向き直る。

 

 

 「……何か、変だ」

 

 「変?どういう事?」

 

 

 アキトは、眉を顰めるシノンから、再びエリアへと視線を動かす。フィリアとシノンはつられて周りを見渡すが、そこには先程と変わらずの異界が広がっていた。

 だが、アキトが次に放つ言葉で、一同は緊張を走らせる。

 

 

 「……静か過ぎる」

 

 

 二人はハッとする。ここへ来た瞬間は、その幻想的な空間に目を奪われていた為に気付かなかったが、このエリアに辿り着いてからここまで、一度もモンスターを見ていない。

 今までのエリアなら、最初はどの場所にも必ずモンスターがいたはずなのに。それが参考になるかと言われれば決してそうではないのだが、初めての事だった為に違和感は感じる。

 

 

 だが、そのあまりにも静かな空間が、逆に恐怖を煽る。

 三人は武器を構え、警戒心を強める。心臓が高鳴り、その瞳は揺れる。

 そして────

 

 

 

 

 ────そいつは、現れた。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 「あれは……!」

 

 「……来るぞ!」

 

 

 空からそれは落ちて来た。その巨体が着地すると同時に地響きが辺りを襲い、三人はたたらを踏む。

 足場が揺れ動く事実に焦りながらも、落下して来たそれを凝視する。

 着地と同時に生じた土煙が晴れ、そこから現れたのは、巨大な虫型のモンスター。

 

 六本の脚の内、前脚の二本が太く、鉤爪のようなものが生えて強固なものへと進化している。腹は反り上がっており、まるでサソリの尻尾の様。その部分と瞳は発光しており、ギラリと光らせながらアキト達を見据えていた。

 

 

 《Amedister The Queen(アメディスター・ザ・クイーン)

 

 

 登場早々辺りに黄緑色の液体を吐き出し始める。そして、その液体が付着した地面や岩からは焼けるような音が聞こえ、蒸気が発生している。

 一目見て毒だと視認出来た。

 

 このエリアに来て、初めてのモンスター。だが、その規格外なうえに予想外の大きさに、アキトは揺れる。

 まさか、このエリアのモンスターは皆この大きさなのかと。

 しかし、そのモンスターの頭上に現れたHPバーを見て目を見開いた。目の前のモンスターは、HPバーが三本。それが意味する事は、一つだけだった。

 

 

 「何、コイツいきなり……まさか……!」

 

 「いきなりエリアボス!?」

 

 

 シノンは弓を構え、フィリアは短剣を逆手に構える。その瞳には驚愕と焦燥が明らかだった。

 アキトは彼らの前に出て、《リメインズハート》をボスである目の前の虫型に突き出した。

 

 どうせいつかは倒さなきゃならない敵なのだ。ならば、今このタイミングで出て来てくれたのは、タイムリミットがあるこちらにとっては都合が良い。

 

 

 「シノンは援護を頼む!いくよフィリア!」

 

 

 アキトの声でフィリアも頷く。二人が同時にボスに向かって飛び出した。

 

 

 「っ……」

 

 

 その背を視界に収めながら、シノンは弓を引き絞った。

 

 







①転移門にて


アスナ「……」ポケー

シリカ 「……あれ?転移門前にいるのって……」

リズ 「アスナじゃない。どうしたのよ、こんな所で突っ立って。アキトと攻略に行くんじゃなかったの?」

アスナ 「そのはず……なのに……帰って来ないの……」ズーン

シリカ・リズ 「「……?」」





②互いの印象


シノン(……ふーん、この子がフィリア、ね……ま、悪い子じゃ無さそうだけど……)


フィリア (……なんか、凄い見られてる……怖そうな人だな……というか、背中に背負ってるのって……弓?そんなのSAOにあったっけ?)


アキト (なんでシノンこんなに目付き悪いの。目が合ってからずっとそんな表情じゃん……チンピラみたい……)←アスナへの連絡を忘れている男





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Ep.90 射抜く剣





知人 「はよ書けや」

夕凪楓 「すいません(震え声)。け、けど今回のお話ですね、その……よく分からない描写が多々あると思うので、気になった方は質問をですね……」

知人 「うるせぇ」

夕凪楓 「はい( ˙-˙ )」





 

 

 

 《ホロウ・エリア》に来ていきなりのボス戦。

 だが、目的だったはずのボス自体が、今までと何処か違っていた。削れていくボスのHPを見ながら、アキトはそう思っていた。

 ボスの体力の減り方が、今までのボスよりも早い。それは、目の前の女王虫の防御力が、過去最低である事を示していた。

 その動きも攻撃力も、他のエリアで戦ったボスよりも下回っていた。

 

 そのおかげかボスのHPは異様なくらいに削れていく────

 

 

 「っ!」

 

 

 シノンは目を見開き、その引き絞った矢を解き放つ。ソードスキルの光を帯びたその一撃は、ボスの頭へと衝突した。

 ボスの小さな呻き声と確かな手応えを確認し、シノンはその場から離れ、別の場所へと移動する。

 

 《アレバストの異界》は、空間こそ闇に紛れて薄暗いものの、光を放つ植物が多い為、敵を狙うのに支障は無い。この程度の暗さなら、シノンは決して外さない。彼女自身、そんな自信があった。

 それを合図にアキトとフィリアが側面へと回り込み、比較的肉質が柔らかそうな部分、太くなった前脚目掛けてその剣を振り下ろす。

 振り下ろした部分は予想以上に柔らかく、その刃は深くボスの身体に入り込む。

 そして、HPが予想以上に減っていた。

 

 

(っ……これなら!)

 

 

 アキトは、自分が与えたダメージ総量と感じた手応えが比例していないような気がした。HPが多く減らせるなら有難いと思う反面、何かあるような気さえしていた。

 横から迫る前脚をスライディングで躱し、フィリアへと視線を動かす。それに合わせてフィリアが頷き、後方へと回り込んだ。

 

 

 「はぁっ!」

 

 

 立て続けにフィリアがソードスキル《アーマー・ピアス》を後脚に目掛けて放つ。その巨体を支えるにしてはやや細いその脚を、突き刺すように攻撃されたボスは、バランスを崩してフィリアの方向へと傾いた。

 再びHPバーを確認すると、既に三本ある内の一本が、半分以上色を失っていた。

 

 先程出会ったばかりのボス。いきなり過ぎるとは思っていたが、驚いたのはそれだけだった。攻撃力は兎も角、防御力はかなり低いうえに速度も反応も鈍い。

 最後のエリアなのだ、ボスも骨があるモンスターなのだろうと思っていたのに、これでは肩透かしだった。逆にだからこそ、何かあるのではないかと思わせる。

 他のボスとは違った動きが────

 

 

 「っ!? アキト!」

 

 「……!」

 

 

 フィリアに呼ばれてアキトは我に返る。考えてばかりで敵の動きの把握を疎かにしてしまっていた。

 アキトは慌てて《リメインズハート》を構える。目の前には既に、女王虫が迫って来ていた。こちらに向かって走りながら、何か溜めているのか、口を膨張させている。

 それが先程の毒をフラッシュバックさせる。アキトは咄嗟にボスが走る直線上からローリングで離脱した。

 案の定、ボスは口から毒を吐き出し、アキトが先程までいた場所にぶつけた。地面は肉を焼く時のような音と蒸気を発して溶けていく。

 射程外に移動したアキトを探して首を反転させたボスは、当人を見付けて甲高い鳴き声を上げる。

 

 

 「────っ!」

 

 

 瞬間、シノンからソードスキルの光を纏った矢が放たれる。それは真っ直ぐ一直線に空を駆け、女王の顔面に直撃した。痛みからか、奇声を発してはいるが、それでもアキトへと向かってその足を高速で動かしていた。

 アキトは片手剣を両手で掴み、目の前で縦に構える。それが合図となり、ソードスキルの光が放たれる。

 その剣は、この空間と同化する程に濃い、闇色に輝く。一気に目を見開き、迫るボスの軌道に逸れながら、すれ違いざまにその剣で胴体を斬り裂いた。

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 白銀に輝いた刀身を、地面と平行に寝かせてそのまま一閃──ボスのHPの1本を全て削り取り、女王虫はアキトの後ろで崩れ落ちた。

 アキトは《リメインズハート》を下ろし、ボスへと振り返る。見据えた先にいた奴は、既に起き上がっており、こちらへと身体の向きを変えていた。

 HPバーは一本削れており、残りは二本。今までのボスと比べて何かが違うと、そう違和感を感じる目の前の女王には、他のボスとは違った動きを見せるかもしれない。HPの節目、一本が削れたこのタイミングで、変わる事があるかもしれない。

 アキト達は目の色を変えてこちらを睨み付けるボスに対する警戒を怠らず、各々武器を前に突き出して構える。

 そしてやがて、目の前の女王虫が重心を低くし始めた。攻撃が来る──そう思い、それに合わせてアキト達は姿勢を低くした。

 

 

 だが────

 

 

 その女王虫は地に付いた脚に力を入れたかと思うと、全力で跳躍した。

 

 

 「えっ?」

 

 「なっ……」

 

 

 アキト達は目を見開いて頭上を見上げる。ボスが思い切り飛び上がった事により、地面がその衝撃で揺れ動く。

 飛び上がった当の女王虫は、そのまま弧を描いて森の奥へと落ちていった。

 その先は闇色の霧が濃く、何も見えなかった。奴が消えたと同時に、辺りは再び静寂が襲い、植物達は先程よりも光を放ち始めた。まるで、今までの戦闘が無かったかのように。

 そして、ボスが目の前から消えた事実を誰もが理解し、ポツリとフィリアが呟いた。

 

 

 「……逃げ、た?」

 

 

 辺りにモンスターの気配が無かった最初の変わりない。アキトとシノンも、動かした身体を整えるように息を上げる。ボスが飛んでいった方向を見据え、アキトは《リメインズハート》を下ろした。

 どうやら奴は、この場から離脱したようだった。今までに無い展開に、アキトは溜め息を吐いた。

 ボスが逃げた。それだけ聞けば、奴はこちらに臆した事になるが、きっとそうではない。これは仕様なのだと、アキトは納得すらしていた。

 確かに、このエリアに来てすぐにボス戦など、あまりにも出来過ぎているとは思っていた。恐らく今回のボスは、こうして何度か戦闘し、HPが一定量減ると離脱、その後の最終地点で倒すとかそんなところだろう。

 体力だって回復している可能性の方が大きいし、戦う度に強くなるであろう事は予想がつく。だから今回の戦闘ではボスのステータスが低く感じたのだ。

 

 どちらにせよ、倒さなければならない事に変わりはない。これは最初からずっと思っていた事であり、変えようの無い事実。アレを倒さなければ、こちらに未来は無いに等しいのだ。

 

 

 「……回復して、追いかけよう」

 

 

 それは自然に焦りとなって、言葉に混ぜられる。タイムリミットが迫っている中で、時間内に倒さなければいけないプレッシャーは計り知れない。

 現在《ホロウ・エリア》にいるのは三人のみ。アップデートを阻止する事が出来るのは、この世で三人だけなのだ。

 その事実がどうしようも無く、重くのしかかる。

 

 

 「っ……」

 

 

 その中で、シノンが小さく舌打ちをする。時間が少ないという事実による焦りか、苛立ちか。

 それとも、何か別の理由からか。

 

 

 「……早く追いかけましょう」

 

 「待って、先に回復しないと」

 

 「私は遠くから矢を射ってただけだもの。ダメージなんて受けてないわ」

 

 

 ────回復するなら、早くして。

 

 

 シノンは喉まで出かかったその言葉を飲み込む。声には焦りが含まれており、苛立ちを孕んでいた。アキトはフィリアと二人でポーションを飲んでおり、そのHPは徐々に回復していく。そのHPバーの色を緑で染めるのを視認したシノンは、急ぐ素振りを見せないアキトに僅かな怒りを覚えた。

 

 

 「……」

 

 

 シノンは、悔しそうに拳を握り締める。

 先程のボスは弱かった。受けたダメージだってそれ程多くない。筋力と敏捷が優先のアキトでさえ大した量は減らされていなかった。

 なら、その程度の回復なんて、今しなくたって良いではないか。

 早く、速く倒さなきゃいけない。なのに、どうしてそんなに悠長にしているのだ。

 

 

 時間が無いのだ。早くしないと、アキトが────

 

 

(……っ……違う。早くしないと、アップデートが起きるから……それだけよ)

 

 

 そう自身で言い聞かせるも、心に残る焦燥は、一欠片だって消えてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い森を駆ける中で、シノンはアキトの背中を見つめる。

 辺りを見渡しては焦ったような表情を見せる彼の呼吸はやや荒れていた。《リメインズハート》を片手に、《ブレイブハート》を背中の鞘に収めて。

 逃げたボスを探すべく、森の奥へ奥へと進む中で、あれほど静かだった森が騒がしくなり始めていた。見渡せば、虫系や植物系のモンスターが蔓延り、こちらを奇怪な目で眺めている。

 目配せし、配置につく。アキトが前に出て、フィリアがそれをサポート。シノンは後方支援。ボスを追いかけながらも、その間に出くわすモンスター達の対処は、常にそんな感じのものだった。

 そんな中で、シノンはアキトから目を離せない。彼が織り成す剣技は洗練され、無駄の無い動きに見える。けれどその表情は、その瞳に映す色は、以前と少し違って見えた。

 

 

(アキト……)

 

 

 アキトはまだ、一度も《二刀流》を使用していない。先程のボスとの戦闘でもそうだった。使えばもっと早くダメージを与えていただろうし、今後も使わないなんて選択肢は少なくなる。それをすれば、攻略組にも手抜きだと思われ反感を買う可能性もある。

 つまり、アキトは自覚して《二刀流》を使っていないのだと、シノンには分かっていた。使い続ければどうなるのかの想像が、アキトにはついているのだと。

 それでも彼は、選択を変えたりしない。戦うのをやめたりしない。

 今まで、何度も誰かを救って来た彼に、自分は何も返せはしていない。そして彼は、見返りを決して求めない。

 そんな存在、どう見たって歪んでいる。根源的には利己的な存在である人間の中でも、彼は異常に分類されるだろう。

 彼は──アキトは、いつからこうなのだろうか。

 

 

 「……あっ、アキト、シノン!」

 

 

 木々を通り過ぎる中、前方に薄らと見える巨大な影に気付いたフィリアが、そう声を上げ、アキトと、我に返ったシノンも辺りに回していた視線を前方に集中させる。

 未だ濃い闇色の霧が漂う中、その巨大な影はこちらが近付くにつれてくっきりとその正体を現す。

 それは、先程三人が相対したボスと同じ姿。暗闇の中でも光を放つ眼に、蟻のような顎、巨大な二本の前脚に、サソリのように反り返った腹。

 

 

 《Amedister The Queen(アメディスター・ザ・クイーン)

 

 

 その定冠詞は、この森へ来て初めて出会ったボスの名前そのものだった。

 先程の戦闘から離脱し、ここまで飛んで来たようだ。

 同時に、その名前の左隣りに三本のHPバーが表示され、そしてその全てが色を宿していた。

 

 

 「っ……回復してる……!」

 

 

 ボスが姿をくらましてからここへ辿り着き、再びこの女王虫を見付けるまでにそんなに時間は経っていないはずだ。それでも奴の頭上のHPは完全に回復し、出会ったばかりの状態に戻っていた。

 驚きは無い。ある程度予想はしていたからだ。だが、実際は減っていて欲しかったというのが素直な気持ちだ。時間短縮にもなるし、残りHPが少ないとそれに伴う戦闘への意欲が違う。絶望感が違う。まだこんなに、と思うより、もう少し、と思いたいのだ。

 驚愕の代わりに感じたのは、先程与えたはずのダメージが回復している事への悔しさだった。

 

 三人を視界に捉えたボスは、顎を開いて咆哮を繰り出す。振動が風となり、土煙を捲き揚げた。闇色の霧が晴れ、その中から女王虫が姿を現す。瞬間、こちらに向かって一直線に突進してきた。

 アキト達はそれぞれ指示し合う事無く散開する。ボスの動きを捉えながら距離を保って移動する。

 奴の脚が止まった瞬間に地面を蹴り、ボスの側面に接近し、アキトは思い切り《リメインズハート》を横に薙いだ。

 肉が斬り裂かれるのと同時に飛び散る赤いライトエフェクト。しかし、ボスのHPに与えたダメージ量を見てみれば、最初に出会った時よりも減っていた。

 明らかに固い。先程よりも強くなっている。

 

 

『っ……やっぱりこういう仕様かよ!』

 

 「チッ……!」

 

 

 頭に響く声の主と同時に舌打ちをかますアキト。予想通り、会う度に強くなる仕様のようだった。

 こちらにターゲットを移したボスの大きな前脚が襲いかかる。咄嗟に剣を胸元に引き寄せて防御姿勢をとる。だが、受け止めたその前脚の威力もやはり、先程よりも強くなっていた。その格差の違いに、足に込めていた力加減すら間違え、アキトは堪らず後方へと吹き飛んだ。

 

 

 「アキト!くっ……!」

 

 

 フィリアがこちらに見向きもしないボスの背中──サソリの尾のように反り返った腹に向かって短剣を突き出す。

 シノンが更に後方から弓を構え、矢を一気に解き放った。空気を切り裂いて進むその矢は、フィリアの突き刺した腹部の少し上に突き刺さる。

 手応えは感じる。だがボスのHPの減りを見れば、やはり出会った時よりも強くなっている事は明らかだった。

 

 射撃技《ヘルム・バレット》

 

 矢を間断無く引き絞り、連射していく。ソードスキルの光を纏って放たれた数本の矢は、アキトに焦点を当てていたボスのヘイトを変更させるには充分だった。

 シノンが射った矢の全てが、肉質の柔らかそうなボスの腹部に直撃し、HPが大幅に減る。ユニークスキルという事もあり、その威力は申し分無かった。

 そしてボスがシノンへと方向転換したタイミングで、フィリアがボスの側面へとソードスキルを放つ。

 完璧な不意打ちに、その女王虫がバランスを崩す。その隙をシノンは見逃さない。

 

 

 「そこっ!」

 

 

 シノンは再び弓を構え、矢の刃先を女王虫の頭部に向ける。目を見開き、狙い定めた場所へとその矢を射ち放つ。

 その一本の矢は見事にボスの頭部を撃ち抜き、ボスは上体を仰け反らせる。甲高い奇声は見た目にそぐわず虫の様だった。弱点なのか会心の一撃だったのかは不明だが、HPは目に見えて減少していた。ヘイトは一気にシノンへと注がれ、その眼光は輝きを増していた。

 だがシノンは怯まずに更にもう一本、矢を弓に充てがう。それを瞬時に引き絞り、ボスを睨み付ける。

 

 その表情は冷たく見えて、ただ敵を見据えている。

 だがその心にあるのは、純粋な我儘だけ。

 

 早く、速く。ただ目の前の敵を倒すだけ。優先すべきは早さ。矢を射抜く速さ。そして何より、フィリアの───そして、アキトの命。

 だからこそ迅速に早急に、この鳴き声の煩い女王虫を撃ち抜くだけ。

 

 射撃技《ストライク・ノヴァ》

 

 連射する矢の一つ一つが風を纏う。渦巻く旋風が空気を突き破り、連続でボスの身体に吸い込まれていく。

 矢を放ち、再び矢を弓に乗せて構えるまでの動きが速い。機械的な動作であるそれは徐々に加速していき、連続で射出されるそのソードスキルは全てボスに命中していく。

 

 

(早く……早く……早く、死ね────)

 

 

 段々と焦りがその表情に現れる。

 その脳裏に蘇るは、頭を抑えて苦しみ悶えるアキトの姿。

 

 

 アップデートだけじゃない。

 

 

 時間が無いのは────

 

 

 「っ────!」

 

 

 シノンのその連射は止まらず、ボスは段々とその攻撃に慣れ始めて来ている。その巨大な前脚で土煙を払い、シノンを視認し近付いていく。

 

 

(来るなら来い、殺してやる────)

 

 

 アキトにもフィリアにもヘイトを向けさせる事無く、この弓で全て撃ち抜いてやる。

 シノンはその瞳を細め、再び矢を腰から引き抜いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「……凄い」

 

 

 シノンが繰り出すその怒涛の攻撃に、フィリアはその場から動けない。少しでも近付けば、女王虫への攻撃に巻き込まれてしまうかもという感覚に襲われる。

 その矢の全てがボスへと向かっているはずなのに、邪魔すれば自分も攻撃対象にされるのではないかと身震いする程に、その矢は意志を持って向かっているように思えたからだ。

 そんなシノンの表情はとても冷めており、何を考えているのかはパッと見では分からない。

 ただ目の前の敵を倒す為だけに集中しているのかもしれない。

 

 

 ────なのに。

 

 

 「……シノン」

 

 

 既に万全の状態になっていたアキトから見たシノンは、いつもの彼女とは違って見えた。ここまで一緒に戦ってきたのだ、彼女の様子の違いにはなんとなく気付く。

 言うなれば、焦っている。ボスを急いで倒そうとしている。それが分かる程の連射。

 シノンのそれは明らかに後方支援の枠を逸脱した攻撃量で、そのダメージ数値は前衛が与えるべきダメージのそれだった。

 大量にダメージを与え過ぎれば、それだけヘイトを変える事は難しくなる。遠距離攻撃が主力であるシノンにタンクと同じ役割を背負わせるのは明らかな役不足だ。

 本来レベルも技量も他の最前線プレイヤーよりも劣っているシノン。後からこの世界にログインしたシノンにのみ限定している言えば、幾らボスが数人で倒せるからと言っても彼女はやはり色々と足りないと言わざるを得ない。

 

 

(何やってるんだ、シノン……!)

 

 

 「あ、アキト……!?」

 

 

 アキトは《リメインズハート》を構え、シノンへと向かうボスの背中に向かって走り出した。フィリアの声が聞こえるが、それに応える事無く視線はシノンとボスへと動く。

 アップデートまで数日。それがシノンを焦らせているのだろう。だからといって、そんな急いだプレイばかりしていれば防御も回避も疎かになるに決まってる。

 シノンは距離を保ちながら矢を放ち、ボスはそれを前脚で吹き飛ばしながら地響きを鳴らしながら彼女へ迫る。奴が弾いた矢の数々を掻い潜り、ボスの元へとその身を滑り込ませる。

 ボスの歩む速度は速くなっており、シノンは矢を放つ為の距離を取り切れ無くなっていた。苛立ちを隠さず舌打ちするも彼女は冷静で、矢を放つには距離が近くなり過ぎた事を理解すると、シノンは矢を左手に持ち替え、右手で腰の短剣を引き抜いた。

 モンスターが射撃スキルで倒し切れずに近付いて来た時の対処として用意した短剣がキラリと光る。弓を手に入れるまでシノンの主武装だったそれの手応えを確かめるように強く握り締め、ボスを見上げる。

 カタカタと顎が左右に開き、キーキーと虫同様の鳴き声を聞かせる眼前の女王虫に嫌悪感を隠す事無くその短剣にライトエフェクトを纏わせる。

 

 

(っ……マズい……!)

 

 

 シノンのレベルが攻略組の誰よりも低い事実は変わらない。そんな彼女がボスの攻撃を食らったら、ダメージはどの程度だろうか。幾らここのボスがフロアボスよりも倒しやすくとも、最後のエリアのボスなのだ。先程よりも強化された攻撃力に、シノンが吹き飛ばされるのは容易に想像がつく。

 どうにかしてヘイトをこちらに移さなければ。かといって、生半可な攻撃じゃシノンが連射した射撃スキルのダメージは稼げない。大量にダメージを与えられてしまえば、ボスはそれだけそのダメージを与えたプレイヤーを敵視するのだ。

 流石ユニークスキル。味方も敵をも()き付ける。

 

 

 けど──いや、ならば。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

(コイツしか無い────)

 

 

 

 

 アキトは背中に左手を伸ばす。伸ばされた先にあったのは、鞘から飛び出た剣の柄。

 蒼く煌めく勇気の剣《ブレイブハート》。自身に自信を生み出す剣。立ち上がる為の勇気を齎すその剣を、アキトは鷲掴みに、一気に引き抜いた。

 

 ユニークスキル : 《二刀流》

 

 《カーディナル》───この世界がアキトに与えた、勇者のスキル。そして、彼を蝕む呪いのスキル。

 だが、構うものか。

 

 

 「いけ────!」

 

 

 二刀流OSS十三連撃《レティセンス・リベリオン》

 

 暗闇の中同じ色に輝く紅と蒼だった剣を両手にアキトは飛び上がる。裂帛の気合と共に、その反り返る腹に目掛けてその両手に握った剣を交錯させる。

 弱点でも会心でも高命中でも何でも良い。ただ目の前の女王を振り向かせる事さえ出来れば────!

 柔らかい肉質を突き破り、何度も何度も腹部を斬り裂く。ボスからこれ以上無い程の鳴き声が発せられ、空気が振動する。

 

 

 「っ……!?アキト……!」

 

 

 《二刀流》を手にしたアキトを見上げたシノンが、先程とは打って変わってその表情を豹変させる。フィリアも《二刀流》の連撃に驚き、その目を見開いていた。

 シノンへと歩んでいた動きを止め、痛みで苦しむような態度を見せる女王虫。

 

 だが構うものか────

 

 コネクト・《弧月》

 

 下から上へと三日月を描くように足を突き上げる。ボスの腹を足場に空中でバク転し、落下するその身体を再びソードスキルで空中に留める。

 

 コネクト・《ヴォーパル・ストライク》

 

 左手の《ブレイブハート》が赤みを帯び始め、やがて振り返ったボスの頭部に突き刺さる。空中でも使用出来るこのソードスキルは、宙にいたアキトをそのスキルが持つ突進力で移動させる。《剣技連携(スキルコネクト)》を行えば、空中で攻撃をし続けられるのだ。

 それを利用し、弱点だと思われる比較的高い位置にある頭部と腹部にソードスキルを放つ。それだけで、やはりHPは多く削れていった。

 

 女王虫は自身の頭部に今も尚剣を突き刺す不届き者を振り払うべく、その頭を豪快に揺さぶる。だがそれも、予想通りだ。

 アキトは急いで左の剣を抜き取り、ボスの動きを利用して空へと飛び上がる。

 シノンとフィリアがそれを見上げる中、アキトは右手の剣《リメインズハート》に光を宿らせる。

 一瞬だけ空中で静止したかと思えば、そこが最高到達点。徐々にその身は落下していき、その速度に合わせてソードスキルをボスにぶつける。

 

 

 「くらえ────!」

 

 

 片手剣OSS三連撃《コード・レジスタ》

 

 赤、青、緑。一撃毎にその剣の色を変えながら振り下ろされたその剣は、ボスの頭上から首、前脚にかけて一撃ずつ斬り付けられていた。

 そのダメージ総量はこの一瞬でシノンの連射を越えたのかもしれない。今の攻撃で、ボスはシノンからアキトへと身体の向きを変えていた。

 だが、先程の怯んだばかりのボスは、再び怯みはしなかった。

 その前脚を、アキトに向けて振り下ろす。

 

 

 「チィ……ッ!」

 

 

 アキトは咄嗟に剣でその前脚をいなす。だが完全には受け流せず、その前脚の重さに体勢が崩れる。その瞬間を隙だと思ったのかは不明だが、まるでその不意を突くようにもう片方の前脚がアキトに迫る。

 それをアキトも同様にもう片方の剣で受け止め、全力でそれを受け流す。

 休む暇など与えんと言わんばかりに、ボスは前脚を振り上げては下ろす攻撃を繰り返す。その巨体から放たれるボクサーのフックのような前脚攻撃に、アキトは文字通り息吐く暇もない。

 

 

 「このぉ!」

 

 

 アキトを助けるべく短剣を後脚にぶつけるフィリア。だがそれも、ボスのあしらう様な攻撃で弾かれてしまっていた。

 シノンは弓を構え、矢を引き絞る。その先にいるのは、さも楽しそうに前脚を動かす女王と、それをいなしながら左右に動くアキト。

 そのせいで狙いが定まらず、シノンは何度目か分からない舌打ちを繰り出す。

 そして何より、この状況を作った自分に腹が立った。

 

 

 「くっ……」

 

 

 前脚の先端に付く硬い爪が刃先とぶつかり火花を散らす。防御し切れない攻撃の重さにHPが徐々に減っていく。

 アキトは目を細め、僅かな隙を修正しつつ、自身のその行動を最適化し続ける。

 集中しろ、油断するな、観察しろ、見極めろ。ほんの少しの機微も隙も見逃さず攻撃に転じる機会を逃すな。

 このまま打ち漏らしていけば、やがてこの身が辿り着くのは────死のみ。

 自分一人で勝てるかどうかなど、考えるまでも無い。

 

 

 「っ────」

 

 

 自身のみの力で足りないのであれば。

 この身体に宿った《二刀流(呪い)》すら酷使する。こちらはもう、引き返せないところまで来てるのだ。

 このユニークスキルは、自分よりもキリトの方が熟知している。後天的に手に入れた自分が今目の前の敵を倒す為にこれを行使しても付け焼き刃にしかならないのなら。

 

 

(キリト、力を貸して────っ!?)

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 「ぐっ……!?」

 

 

 

 

 突如、アキトは頭を抑える。途轍も無い痛みが、アキトを襲った。

 

 

 

 

 「ぐぁ……がぁ……!」

 

 

 

 

 どうしようも無く、その痛みで身体が崩れ落ちる。

 

 

 「え……!?」

 

 「あ、アキト!?」

 

 

 シノンとフィリアがその動きを一瞬だけ止める。突如剣を下ろし、頭を抱えるアキトに、二人は困惑する。

 瞬間、ボスの前脚による横薙ぎの攻撃が、アキトを吹き飛ばした。アキトは簡単に、石ころのように地面を転がり、近くの岩に背中を思い切りぶつけた。

 

 

 「がはっ……!」

 

 

 一瞬だけ呼吸が出来ずに息が詰まる。噎せて咳を続けるも、やがて思い出したかのように頭の痛みがアキトを襲った。

 頭が痛い。沸騰しているかのように熱い。うだるような熱が、身体中を駆け巡る。

 

 

 「うぐぁ……ああぁあ!」

 

 

 自らの身体と《二刀流》を介して接続した《カーディナル》という名のSAOの基幹プログラム。

 そこに眠る“何か”の胎動を感じる。心臓が強く鼓動すると共に、その身に流れる血液が頭を駆け巡り、その度に脳が突き刺すような痛みに襲われる。

 

 

 「く……そっ……!」

 

 

 血液だけじゃなく、何か別のものが流れて来るのを感じる。

 数多の怒り、悲しみ、憎しみ、恨み、そういった悪意の塊がこの脳を波のように襲う。

 あまりの痛みに、アキトは起き上がる事すら出来ない。

 

 

 何だ、これは────

 

 

 アキトは遂に両手の剣を地面へと解き放ち、両手で頭を抑えて倒れ込む。喘ぐ声は強くなり、喉を引き裂かんとばかりに放たれる。

 自身を侵食するのは、キリトの記憶だけじゃない。顔も名前も知らない人達の、数多の悪意。

 

 

 こんなの、知らない。

 

 

 これは何だ。

 

 

 この黒い、焼けるような、闇のような悪意の正体は何だ。

 

 

 

 

 ────その黒い何かが、自身の脳を、黒く塗り潰す。

 

 

 「『はっ……ぐっ……ああ!』」

 

 

 アキトの、元々は宝石のように透き通っていた蒼い瞳は、その輝きを濁らせていた。その左眼は黒く塗り潰され、そして右眼も遂に────

 

 

 完全に、黒く染め上げられていた。

 

 

 

 

 「アキト!くっ……!」

 

 

 シノンは短剣を構え、ボスが近付こうとしているアキトの元へと駆け出す。

 アキトの様子を見たシノンの頭には、昨夜の記憶が映し出されていた。今みたいに頭を抑え、苦しみ悶え、やがてキリトへとその姿を変えるアキトを。

 

 

 「フィリア、ボスを引き付けて!」

 

 「わ、分かった!」

 

 

 フィリアはたどたどしくそう返事するも、ボスに真下に身体を滑り込ませ、そのまま短剣を突き上げる。ボスのヘイトはフィリアへと移り、その身体を反転させる。

 その間、シノンは頭を抑えるアキトの元に辿り着き、その手を倒れるアキトの肩に乗せる。

 

 

 「アキト!アキト、しっかりして!」

 

 「『ぐっ……し、シノン……』」

 

 「っ……!」

 

 

 シノンはアキトを見て思わず息を呑んだ。

 アキトのその身体は段々とノイズのように靄がかかり、やがてキリトを映し出す。

 その瞳の色は完全にキリトの瞳と同じ色に代わり、着ていたコートも先程とは違うデザインを形作る。

 中性的な顔立ちで現れた彼は、抑えていた頭からその手を離した。痛みが引いたのか、そこから聞き取れたのは荒い呼吸音。

 

 話した事も無い。だが目の前の少年が《黒の剣士》キリトだというのは、シノンでも分かった。

 思わず、震える声でその名を呼ぶ。

 

 

 「……キリ、ト……」

 

 「……ぁぐっ!」

 

 

 だが再びキリトの身体にはノイズが走り、再びその身はアキトのものとなる。先程の中性的な顔立ちはそこには無く、シノンにとって見知った顔が現れた。

 

 

 「っ……アキト……!」

 

 「『はぁ……ぐ、はあ……っ……シ、ノン……」

 

 

 漸く朦朧とした意識が回復したアキトは、自身の傍にいるシノンを見上げる。どうしたら良いのか分からず、戸惑いがちに瞳を揺らし、今にも涙が溢れそうな表情で自身を見下ろす彼女。

 アキトは額の汗を拭いながら、どうにか笑って見せる。

 

 

 「……だ、大丈夫だよ……それ、よりも……フィリアが……」

 

 「……っ」

 

 

 ────どうして。

 

 

 シノンはその口を噤む。震える声と身体を鎮め、アキトを見据える。

 こんな時まで、自分よりも他人。その言動を前にどうにかなりそうな怒りを抑え、シノンは振り返る。

 

 

(待っててアキト……すぐ終わらせるから────!)

 

 

 再び焦燥がシノンを襲う。その射撃の制度はそれに比例して落ちる。

 フィリアを襲うボスに当たりはしても、決定打にはならない。そんな彼女の前で、ボスはフィリアを吹き飛ばした。

 

 

 「きゃああぁあ!」

 

 「っ……このっ……!」

 

 

 時間を稼いでくれていたフィリアを傷付けたボスに対する憎悪。シノンは弓と矢に力を込め、ソードスキルの光を纏わせる。

 一気に放った一撃は会心となり、ボスの腹部を抉った。

 

 

 「フィリア、早く後退して!」

 

 「っ……うん……!」

 

 

 ボスがシノンの攻撃に怯んだ隙にフィリアは苦しそうにしながらも後退。ボスの攻撃範囲から外れる。

 そうなれば、ボスの今度の標的はシノン。その身体を反転させ、シノンに向かって突進を繰り出した。

 迫り来るボスを見て、シノンはその弓を構えつつ左側へと走ろうと足を踏み出す。

 

 

(っ……ダメ、回避したらアキトが……!)

 

 

 シノンは後ろを振り返る。そこには未だ体勢が整わず膝を付く弱々しいアキトの姿があった。

 今ここで自分が離れれば、後ろのアキトに────

 

 

 「くっ!」

 

 

 そこまで考えたシノンは、空いた右手に短剣を構えてその場に立ちはだかった。

 迫り来るボスの足音が同時に近付いて来る。

 

 

 「……ダメ、だ……!」

 

 

 アキトの絞り出すような声。

 逃げろ、とそう顔が言っていた。シノンはそんな彼を一瞥した後、変わらずその場に立ったままだった。

 逃げない、絶対に。アキトも決して逃げはしなかった。だから、自分も────

 

 

 「はぁっ!」

 

 

 眼前まで来たボスに目掛けて短剣のソードスキル《アーマー・ピアス》を発動し、それをボスの胸部に突き刺す。

 一瞬だけ怯むのを感じ、一気に深くそれを捩じ込む。

 だが次の瞬間、ボスはその前脚を使ってシノンを左へと弾き飛ばした。

 弓はその手から溢れ、アキトの元へと落ちる。シノンの身体は地面を駆け、地面を削るように滑る。

 

 

 「っ……シノン……!」

 

 

 目を見開いて見据えた先には、HPを大幅に減少させたシノンの姿。

 短剣を手に、震える腕でどうにか上体を起こそうと躍起になっていた。フィリアが急いで駆け寄るも、ボスとシノンの距離は既に目と鼻の先。

 アキトはどうにか膝に力を込め、上体を起こす。眩む視界の先で地に伏せるシノンと、それを助けようと足を動かすフィリア。だがあれでは間に合わない。

 苦しげに目を細めるアキトはそれでも、どうすればいいかを模索する。早くしないと、シノンが────

 

 

 「っ……」

 

 

 不意に、アキト足に何かが触れる。自然と視線は下へと下りる。

 そこには、先程のボスの攻撃でシノンが手放した弓《アルテミス》があった。

 弦が強く、ちょっとやそっとじゃ切れはしないと、シノンが得意気に話していたのを思い出す。

 ふと、その弓の横の自身の二振りの剣が視界に入る。

 

 

 「……」

 

 

 ────気が付けば、アキトはその弓を手に取っていた。

 

 

 「っ……」

 

 

 その弓の上に、自身の剣《ブレイブハート》を乗せる。

 

 

 「────」

 

 

 柄の先が平らなのを確認し、そこに弦を這わせる。

 

 

 「……」

 

 

 そして自身の剣を矢に見立て、その弦を引き絞る。

 狙うは、ボスの弱点の可能性が高い頭部。その剣の刃先を、ボスに目掛ける。

 アキトは《射撃》スキルは持ってない。こんな構えを取ったところで、ソードスキルは発動しない。

 けれど、この場にいる自分よりも、フィリアよりも、いち早くシノンを助ける為の術があるとするならば。

 

 

 「これしか、無い────!」

 

 

 アキトは弓に充てがった剣を、矢のように解き放ち、そして────

 

 

 

 

 ボスの頭部へと、見事に直撃させたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── Link 75% ──

 







小ネタ


シノン 「剣を矢の代わりにするなんて……」

フィリア 「……なんか、何処かで見たような……」

キリト 「……はっ!《偽・螺旋剣(カラドボルグⅡ)》か!」

アキト 「そんなつもりで射ってないよ……」







相変わらずの下手くそ戦闘描写。
気になる事があれば質問をば。そうでなくとも感想を下さるとモチベーションが高まるんば(´・ω・`)





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Ep.91 痛ミ、苦シム





そういえば、プロローグ、「勇者と魔王の消えた世界」をリメイクしました。
改めてプロローグを見ると、なんか足りない部分多いなぁ……と感じるようになったので、書き直しました。
以前より分かりやすくなってると思います。報告遅れてすみませんでした。

それでは、久しぶりなので少し言葉足らずな場面があるかもしれません。キャラ崩壊とかもあるかもしれません(震え声)

それでは、どうぞ!







 

 

 

 

 

 

 

 ────アキト達が《ホロウ・エリア》でボスと戦っている、同時刻。

 

 

 《アインクラッド》での攻略は、怠る事無く進んでいた。現在攻略済みなのは86層まで。今最前線なのは87層である。

 87層は砂漠がイメージとなったフィールドで、それらしい遺跡や洞穴が点在している。ジリジリと照り付ける太陽の存在により、屋内であるその空間は現実同様に蒸し暑い。

 奥へ進めばいつも通り迷宮区が存在し、闇の様に暗く冷たい空気が押し寄せるが、この層に限って言えば涼しく感じる程だろう。

 86層、アキトが一人でボスを倒してから、もう一週間以上経過している。早期ゲームクリアを目指すなら、そろそろボス部屋は見付けないといけない。

 それは攻略組の仕事であり、それは当人達も自覚していた。

 

 

 ────87層。

 音が反響する迷宮区の一角で、正に今攻略を進める一行がいた。

 人数は四人、いずれも女性。このSAOでは数少ない女性プレイヤーであるうえに、攻略組にも参加しているプレイヤーとなれば、数は一気に絞られた。

 

 

 「シリカ、そっち行ったわよ!」

 

 「ひゃあ!き、気持ち悪いですぅ!」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 巨大な虫のモンスターが方向を変えた事を伝えるリズベットの声に返事をする余裕も無く、シリカは涙目でその虫から逃げる。

 その蟻と呼ぶには大き過ぎる余りにも巨大な腹を、引き摺るかの如く動く緋色のモンスターは、シリカの背中に一気に近付く。

 虫特有の甲高い声は耳を不快にさせ、近付く足音は不気味さを掻き立てる。

 

 

 「ちょ、アンタ何逃げてんのよ!?ちゃんと戦いなさーい!」

 

 「わ、分かってますよ!って、いやああぁぁあ!」

 

 

 今度はリズベットの声に返事をするが、すぐ後ろで物凄いスピードを出した巨大な甲虫がカタカタと音を立てて迫って来ており、シリカは悲鳴を上げつつ走り回る。彼女の声は迷宮区内部を反響する。

 彼女の周りを飛ぶピナは、チラチラと後ろにいる甲虫を気にしながら主の後を追っていた。

 そんな中で、シリカに目掛けて凛とした声で言い放つ、《閃光》の少女。

 

 

 「シリカちゃん、こっち!」

 

 「っ!あ、アスナさんっ!」

 

 

 亜麻色の髪を揺らし、アスナはシリカの前に立つ。シリカが自分の後ろへと移動したのを確認し、手に持った細剣《ランベントライト》を構える。

 目を細め、狙いを定める。そして、モンスターの顎が左右に開いた瞬間、ソードスキルの光が強く迸る。

 

 

 「せああぁぁああっ!」

 

 

 《閃光》と謳われるアスナの代名詞である《リニアー》が、モンスターの頭部に直撃する。その速度は正に音速、アルゴリズムに沿って動くモンスターが避けられるはずも無く、視界を奪わらよろめいた。

 

 

 「リーファちゃん!」

 

 「せええぇぇい!」

 

 

 その隙を逃すものかとアスナはリーファを呼び掛ける。応じたリーファは既に敵の頭上に飛び上がっており、上段の構えをとっていた。

 構えは《バーチカル》、剣は光を放ち、そのままモンスターの背中へとそれを叩き付けた。

 その一撃はアスナが与えた一撃と合わさって一瞬で擦り切れ、すぐにポリゴン片と化して宙へと舞い上がっていった。

 着地したリーファはそれを確認し、小さく息を吐いて剣を鞘へと収めた。

 

 

 「リーファちゃん、お疲れ様」

 

 「お互い様ですよ」

 

 

 アスナの労いの言葉にそう返したリーファの表情は、以前の暗さが抜けた気持ちの良い笑みだった。そこにあるのは兄であるキリトの生死の曖昧さによる悩みではなく、モンスターを倒した事による達成感だった。

 その表情を見たアスナは、つられて小さく笑った。

 

 

 「うう……気持ち悪かった……」

 

 「きゅる……」

 

 「シリカちゃんもお疲れ様」

 

 「あ……はい、お疲れ様です」

 

 

 シリカがそんな声と共に項垂れながらこちらに近付く。ピナの鳴き声も小さく細かった。アスナが彼女にそう呼び掛ける隣りで、リズベットが呆れた様子でシリカに対して口を開いた。

 

 

 「ちょっとシリカ、アンタ逃げ過ぎよ。さっきのタイミング、どう見ても隙だったじゃない」

 

 「だ、だって、ダメージを与えた時のあの鳴き声と、追い掛けて来た時の見た目が想像以上で……」

 

 「植物系のモンスターよりはマシでしょ?ツタで吊るされる事も無ければ、粘液で装備を溶かされる事も無いんだから」

 

 「へぇ……リズさん詳しいですね」

 

 「違うのよリーファ。すぐ目の前に経験者がいるのよ。ね、シリカ?」

 

 「ちょっとリズさん!言いふらさないで下さいよ!」

 

 

 経験者シリカは顔を赤くしてリズベットに怒声を浴びせる。以前リズベットとダンジョンに赴いた際に植物系モンスターに装備を溶かされたのは記憶に新しく、リズベットも忘れていなかった。

 リーファとアスナは苦笑いしつつ、シリカを宥める。その後、迷宮区の中という事あり、警戒態勢へと戻ったが、辺りのモンスターはあらかた狩り尽くしてしまったおり、次のポップまでは休憩という形になった。

 

 

 「マップ通りなら、この先にセーフティエリアがあるみたいよ」

 

 「じゃあそこで休憩しよっか。丁度良い時間だし、お昼も一緒に食べましょう」

 

 

 迷宮区にも存在する、モンスターの寄らない安全圏を目指し、固まって歩く。アスナの視線の先には僅かに離れ会話をするシリカとリズベットがいた。

 何やら小さな事で言い合いをしているようで、内容を拾ってみると、先程の戦闘でのシリカの動きにリズベットが物申しているようだった。

 そんな姿が、まるで姉妹みたいで。アスナは小さく微笑む。アスナ自身、上には兄が一人いるが、妹や弟といった存在はいない。もし下の子が出来るとしたら、シリカみたいな可愛らしい妹が欲しいな、と。そうアスナが考えた時だった。

 隣りでクスリと、そう小さく笑う金髪のポニーテールの少女。妖精のような容姿で圧倒的な存在感を誇る彼女──リーファは、視線の先の二人を微笑ましく見つめていた。

 リーファは、そんなアスナの視線に気付いたのか、視線は変えずに呟いた。

 

 

 「仲良いですね、二人とも。本当の姉妹みたい」

 

 

 それは、正しくアスナがたった今考えていた事だった。静かな迷宮区の中で、ぎゃあぎゃあと騒いでいるだけにも見えるが、仲間として彼女達を見るならば、仲が良いという感想しか出て来ない。

 リーファは目を細めてそれを見つめるも、表情は何処か重たかった。

 

 

 「……いつか、戻れるかもって……そう、思ってたんですよ。……あんな関係に」

 

 「リーファちゃん……」

 

 

 声音に籠るのは、悲哀の感情。物憂げな眼差しに、本当の意味で映っていたのは、きっとシリカやリズベットではなく、そこから重なって見えてしまう自分と兄であるキリト。

 いつか元通りに。仲の良い兄妹に。何度思ったか知れない。けれど、この考えが変わった事など一度だって無かったのだ。いつだって兄を想い、帰還を願っていた。だけどその想いは膨れ上がり、いつしか自分も兄と同じ場所で、力になれたらと、そう思っていた。

 けれど、この世界に足を踏み入れた時には、既に兄は故人となっていた。現実で死を確認した訳じゃない。母の言葉を最後まで聞いたわけじゃない。だがこの世界で暮らす内に、そんな誤魔化しは意味の無いものだと突き付けられた。

 リーファはただ、この世界に自分が抱える何かをぶつけたかっただけ。兄を良く知る人達に、どうして守ってくれなかったのだと、文句を言ってやりたかっただけ。

 だけど、アスナ達が、正しくリーファの探していた『兄の事を知る人』達で、そんな彼女達はとても優しく暖かくて、そして兄であるキリトの事を、何よりも重く受け止めてくれていた。

 その中でも、リーファが凄く気になっていたのが、兄と恋仲だったというアスナ、娘のユイ。

 

 

 ────そして。兄の親友で、その身に兄の意識を宿している、アキトという兄の面影を持つ少年。

 

 

 兄──キリトがこの世界でどのように生きたのか、何よりも彼が示してくれた。誰よりも強い彼は、キリトの強さを具現してくれている。

 自身の兄が、この世界で一番強かったのだと、そう自分に教えてくれている。

 そして、彼の中には今も尚、死んでいない兄の心が。そう思うだけで、なんだか救われた気がした。

 兄はこんなにも、大切に想われていたんだなと、そう感じた。リーファはチラリと、アスナに視線を向けた。

 

 

 「お兄ちゃんと、恋人……だったんですよね?」

 

 「え……あ、う、うん……」

 

 

 言葉に詰まるアスナ。リーファは全てを悟る。この世界に来て最初の頃のアスナが、キリトという剣士の死によって、攻略の鬼と化していた事を。

 アスナのあの様子が、兄であるキリトの死が原因だったと、そう理解したのだ。

 自分の兄がこんな美人と結婚までしていただなんて……と、兄と《黒の剣士(キリト)》がイコールだと知ってから何度思った事だろう。

 改めてまじまじと見ていると、アスナの表情が段々と曇り始めていた。

 

 

 「……嫌、だったよね。現実世界で待ってる人がいるのに、この世界で恋仲だ、なんて……巫山戯てるって、そう思う……?」

 

 「え……あ、いえ!そんなつもりで聞いたんじゃないんです!その……お兄ちゃんのどんなところが好きになったのかなって……」

 

 

 リーファは慌てて両手を前に出してわたわたと振る。だが、口に出した言葉は確かに、自分が気になっていた事だった。

 兄がこの世界でどう生きたのか、他のプレイヤーにどんな影響を与えたのか、それはこの世界に来てから気になっていた事で、ずっと変わってない。

 アスナは瞬きをすると、懐かしむように口元を緩める。

 

 

 「……私、キリト君とは第一層からの知り合いなんだ」

 

 「えっ……じゃあ、もう二年間ずっと一緒なんですか?」

 

 「結婚……っていうか、お付き合いし始めたのは、つい最近だったんだけどね。でも、キリト君と出会ってからの二年間、色んな事を体験して、何度も協力しては反発し合ったり……切っ掛けはあったと思うけど、気が付けば好きだったなぁ……。どんなところが好きだったかは、一言じゃ言えない。それくらい好きだった」

 

 「っ……」

 

 

 曖昧に聞こえて、それでいて想いははっきりと明確に告げられた。聞いたこっちが恥ずかしくなるくらい、純粋な想いが、そこにはあった。

 

 

 「だから、キリト君がいなくなってからは本当に辛かった。みんなにも凄く迷惑かけたし。アキト君には特に、ね」

 

 

 その過去に、想いを馳せる。

 キリトがいない。それだけで、他はどうでも良く感じていた。娘であるユイの顔さえ、あの時は見えていなかった。ただ攻略をすれば、何もかもを忘れられると思っていた。このまま死ねれば、キリトの元に行けると思っていた。

 そんな思いを、根底から砕いてくれたのが、アキトという少年だった。出会った当初は毛嫌いしていたのに、今では感謝しかなかった。

 今はただ、恩返し──とはいかないが、彼の抱えた何かを一緒に共有出来たら、儚く見える彼の心、その支えになれたらとさえ思う。

 シノンと共に《ホロウ・エリア》へと飛んでから、戻って来る気配も無ければメッセージすら返信が無い。その事を三人に話した後、こうして攻略へと出掛ける事になったが、何度も彼の顔が頭を過ぎる。二人は、大丈夫だろうか。

 アスナが我に返れば、そこにはこちらをジッと見つめるリーファの姿が。それを思い出し、なんとなく自己嫌悪する。

 

 

 「……ショック、だよね。自分のお兄さんと付き合ってたのが、こんな私みたいな女で」

 

 「そ、そんな事無いです!アスナさん美人だし!寧ろ、お兄ちゃんには勿体無いですって!」

 

 「ううん、そんな事無いよ。キリト君こそ、私には勿体無いっていうか……」

 

 「あ、アスナさん……」

 

 

 ドンドン自分を卑下していくアスナ。想い人の妹という事もあって、負い目のような何かを感じているのかもしれない。

 気が付けばシリカとリズベットはこちらを気にせずかなり先まで歩いていて、こちらの会話は聞こえていないようだった。

 この場でアスナをどうにか出来るのは自分だけしかいない。そう思うと、慌てていた意識が落ち着き、ポロリと本音が零れ出た。

 

 

 「……確かにあたしの知らないところで、いつの間にかお兄ちゃんが遠くに行っちゃったみたいで、そういう意味ではショックですけど……でも……」

 

 

 アスナは、そんなリーファの言葉で顔を上げる。その顔は先程とは打って変わって暗く、今にも泣き出しそうだった。アスナは目を見開き、思わず彼女の次の言葉に耳を傾ける。

 だが────

 

 

 「何よりもショックだったのは……お兄ちゃんに娘がいて、あたし、いつの間にか叔母さんになってたんですよね……」

 

 

 「そ、それは……」

 

 

 アスナは、その予想外の言葉で思わず顔が引き攣っていた。いや、リーファのショックは最も過ぎた。いつの間にか兄に恋人がいた、それだけなら許容範囲、考えられうる可能性ではあったのだ。だが、この二年間であんな可愛らしい娘が出来ると誰が考えられるだろう。

 リーファは知らぬ間に叔母となり、自身の父母は祖父母になってしまったのだ。

 この年で叔母。ユイに満面の笑みでリーファ叔母さんと呼ばれたら、ショックで立ち直れないかもしれない。

 でも、とリーファは顔を上げ、小さく笑みを浮かべた。

 

 

 「お兄ちゃんを想ってくれる人が、こんなにたくさんいて……あたし、物心ついた時には兄と距離があったので……羨ましかったし、嬉しかったです」

 

 「……」

 

 「お兄ちゃんにも事情があって、思うところがあって、それでお互いギクシャクしてた。ここは仮想世界だけど、それでもお兄ちゃんは、この世界で大切な何かを見付けられたんだって……そう思えたから」

 

 「リーファ、ちゃん……」

 

 

 ────やはり、兄妹だな、とアスナは感じた。

 

 その言動に、声音に宿る意志に、キリトと同じものを感じたから。この世界はもう一つの現実なのだ、とキリトは言った。この世界で大切だと感じたものが、たとえ偽物だったとしても、大切だと感じたこの意志は、本物だろう。

 ならば、キリトは正しく、大切なものを見付けられたんだろうか。

 そんなアスナに、リーファは真っ直ぐな瞳をぶつけた。

 

 

 「アスナさん。これからも、お兄ちゃんの事、いっぱい教えて下さいね。どんな冒険があって、どんな想いがあったとか。……現実世界に戻ってからも」

 

 「っ……」

 

 

 アスナはただ、言葉に詰まる。リーファの言葉に胸を打たれ、どうしてか泣きそうになってしまっていた。

 キリトを守れなかった自分と、彼女は現実世界でも会おうと、他でもない彼女がそう言ってくれていた。いつか、キリトと交わした、その約束を。

 

 

 「……凄く、長くなるよ?」

 

 「あたし、長編ものとか大好きです!」

 

 

 リーファの満面の笑み。それを見て救われた気になってしまった自分は単純だろうか。アスナは、つられて飛び切りの笑みを返した。

 お互い、こうして面と向かって話すのは初めてだった。けれど、たった今、互いの想いを話し、それを共有する事が出来た気がした。

 いつか、現実世界で会う、そんな約束が果たせれば良いな、とそうお互いが思った事だろう。

 

 

 「ちょっとー、遅いわよ二人とも!何話してるのよー!」

 

 

 気が付けば、シリカとリズベットが目の前に立っていた。自分達が進み過ぎたのか、はたまたアスナとリーファが来るのが遅かったのか、どちらにしろリズベット達はそれに気付き、こうして二人を待ってくれていた。

 

 

 「何のお話をしていたんですか?」

 

 「うん、ちょっと、ね?」

 

 「ふふ、はい!」

 

 

 シリカの質問に、アスナとリーファが顔を見合わせて笑う。そんな二人の様子に、シリカとリズベットが首を傾げた。

 

 

 「何よー、気になるじゃない」

 

 「何でもないって…………?」

 

 

 リズベットのジト目に苦笑しながら回避しようとしたアスナは、その表情を固める。ふと、何か違和感を抱き始めた。

 

 

 「……アスナ、さん?」

 

 

 シリカがそう呼び掛ける。今さっきと明らかに様子が違うアスナに、三人は不思議そうな表情を浮かべた。

 

 

 「……アスナ?どうしたのよ?」

 

 「……誰か戦ってる」

 

 

 その言葉に、一同耳を傾ける。静寂が包むこの迷宮区で、確かに小さく、その音は聞こえた。敵の呻き声、ソードスキル発動時の独特の音。

 全員に緊張が走った。同一の斬撃音。プレイヤーは恐らく一人。たった一人でこの層の迷宮区に挑んでいるのかと思うと少なからず驚くが、それはアスナだけでなく全員が感じ取っていた事だった。

 

 

 「……結構、近くないですか?」

 

 「行ってみましょう!」

 

 

 四人は一斉に同じ方向に駆け出す。一寸先は見えないのではと思わせる程に闇である空間を、警戒しながら。

 そうして真っ直ぐ進んだ先、目の前にあった曲がり角の先から声が聞こえた。

 そして、それは驚く事に女性の声だった。アスナは思わず目を見開き口元が震える。

 

 

 「っ……女の人……?この最前線で……!?」

 

 「というか、この声って……」

 

 

 リズベットはその声に聞き覚えがあった。咄嗟に曲がり角に身を潜め、そこから戦闘の光景を観察する。

 そこには、彼女達がよく知る人物が、両手剣を持って、モンスターを蹂躙していた。

 

 

 

 

 「やっ!はっ!えいっ!!」

 

 

 

 

 紫色の装備に薄い銀髪を靡かせる少女。自身と同等の長さの両手剣を軽々と振り回し、三体いたモンスターの内、二体をソードスキルで粉砕していた。

 

 

 

 

 「ストレアさん……!?」

 

 

 

 

 アスナは思わずその名を呼ぶ。今目の前でモンスターにソードスキルをぶつけていたのは、仲間の一人であるストレアだった。

 凛とした表情で敵を屠るその姿は、エギルの店で見る天真爛漫で自由奔放な彼女とは別人のように見えた。

 傍から見ても戦闘能力は驚くほどに高く、無名であった事が信じられないほどのものだった。

 リズベットは一度、アキトと共に彼女とパーティを組んでいた為知っているが、他二人、リーファとシリカは戦闘におけるストレアを初めて見たようだった。

 

 

 「こんなところで、一人で戦ってるの?」

 

 「あの……助けた方が良いんですかね……?」

 

 

 恐る恐るそう告げるシリカ。だが、残りのモンスターは一体で、HPもあと僅か。ストレアの調子を見るにもうじき終わるだろう。こちらがラストアタックを奪ったら、逆に迷惑になる。

 だが、アスナが自身の考えを、シリカに告げようとした時だった。

 

 

 

 

 「ええーいっ!やあ!あ、ああ……」

 

 

 

 

 ストレアの動きが、突如鈍る。振り回していた大剣が、動きを止めた。

 

 

 

 

 「ぐ、あ……あ……」

 

 

 

 

 そしてその場に倒れ込み、その両手で頭を抑え出したのだ。アスナ達は思わず立ち上がり、驚きで目を見開いた。

 

 

 「っ、す、ストレアさん……!?」

 

 「何、急にどうしたのよあの子!?」

 

 「アスナさんっ、モンスターが!」

 

 

 リーファが指差す先で、虫型モンスターが顎を開き、倒れ込むストレアへとゆっくり近付いていた。

 ストレアは変わらず、依然として頭を抑えている。

 急に苦しみ出したストレアに、一同は混乱を興じ得ない。ステータス異常にしたって、頭痛なんて聞いた事が無かった。

 

 

 「うう……が、ああ……!」

 

 

 しかし、苦しむストレアを前に、そんな事を考えている暇なんて無かった。

 各々、指示もなく武器を取り出す。そのまま曲がり角から飛び出し、ストレアに向かって走る。

 

 

 「ストレアさん!」

 

 

 アスナが叫ぶも、ストレアは答えない。それほどまでの痛みなのか。

 

 

 「っ……ストレアさんをお願いっ!」

 

 「分かってるわ!」

 

 

 リズベット達がストレアへと向かう中、アスナが一人、そんな彼女達とモンスターの間に割って入った。不快感を突き付けるような甲高い虫独特の奇声を上げるモンスターを睨み付け、《ランベントライト》にエフェクトを纏わせる。

 

 

 「せあああぁぁああ!」

 

 

 細剣単発技《リニアー》

 

 《閃光》の代名詞であるその一撃は、ストレアが減らした事で残り少ないHPしか無かった敵を削り取るには充分過ぎた。アスナにとってはかなりのイージーバトルだっただろう。

 モンスターは一気にポリゴンとなって四散する。しかし、そんな光景を眺める暇さえ惜しかった。経験値を気にする事無く、アスナはリズベット達の元へ駆け寄る。

 

 

 「ストレアさん!大丈夫!?」

 

 「うう……みんなが……みんなが……!」

 

 

 リズベットが抱えるストレアは、変わらず頭を抑え、苦しんでいた。汗だくで、意識は朦朧としていて、だが原因も分からず、どうにもならなかった。

 

 

 「ストレアさん……!」

 

 「どうするの……?こんなの、聞いた事無いわよ……」

 

 「……ここに居ても、敵がまたポップするかもしれない。安全な場所まで移動しましょう」

 

 「は、はいっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「う……ううん……」

 

 「ストレアさん?起きた?」

 

 「ア、スナ……?」

 

 

 うっすらとその瞳を開けたストレア。その視界にはリズベットとシリカ、リーファも映っていた。

 迷宮区は既に安全圏、モンスターが出る事の無いこの場所で、ストレアは漸く目を覚ました。誰もが心配そうな表情でストレアをのぞき込む。横になっていたストレアは、ゆっくりと上体を起こし始める。

 

 

 「ちょ、ちょっとストレア、まだ起きない方が……」

 

 「ううん、大丈夫」

 

 

 リズベットの制止を拒否し、小さく笑みを返す。そして、そのまま四人を見渡し、申し訳なさそうに眉を寄せた。

 

 

 「……みんな。ゴメンね、迷惑かけちゃったみたいだね」

 

 「そんな事無いよ。でも、急にどうしたの?敵の攻撃を受けたようには見えなかったけど……寝不足、とか?」

 

 「寝不足かぁ……ふふふ、違うよ」

 

 

 アスナの質問にまた笑ってそう返す。何処か遠くを見るように視線を上に動かし、物憂げな表情を浮かべた。

 

 

 「アタシ、時々、すごい頭痛になる時があって。そうなると、もう動けない感じで……」

 

 

 アスナ達の表情が強張る。あんな、戦闘を脅かす程の頭痛など、聞いた事も無かったからだ。それに、そんな症状を自覚しているにも関わらず、迷宮区に一人で赴くストレアにも、そんな驚きを隠し切れなかった。

 

 

 「そ、そんな……それが分かってるのに、迷宮区に行くのは危険だと思います」

 

 「そうですよ。そのうえ一人でなんて……」

 

 「うん、そうだよね……でも……」

 

 

 シリカとリーファの説得も、ストレアには響いていないようだった。彼女達の言動に難色を示し、でも、けれど、そんな言葉ばかり。そうまでして迷宮区に行く理由は何なのだと、アスナ達は表情を歪める。

 そんな中、ストレアとパーティを組んだ事のあるリズベットだけが、何かに気付いたのか、ポツリと小さく囁いた。

 

 

 「アンタ、探し物があるって言ってたわよね。『この世界を壊すかもしれない、何か』ってやつ」

 

 「世界を、壊す……?」

 

 

 リズベットのその言葉に、アスナの心が揺れる。ストレアが、それを探している。その一言で、リズベットに向かっていた視線が一斉にストレアへと移動した。

 リズベットは変わらず言葉を続けた。

 

 

 「けど、それが何なのかも分かってないんでしょ?なのに、一人でこんな危険を冒す必要なんてあるの?頭痛だってあるんでしょ?」

 

 「でもみんなだって、死ぬかもしれないのに、頑張ってるよ。みんなはなんで、そこまで頑張るの?」

 

 「そんなの……ゲームをクリアしたいからに決まってるでしょ。アンタも、そうなんじゃないの?」

 

 

 それが、この世界にいるプレイヤーの願い。誰もが懐かしの現実世界に想いを馳せているだろう。あれからもう二年だ、この世界にどっぷり足を浸かっても、帰りたくないと思う人間は少ないだろう。

 少なくともここにいるアスナ、シリカ、リズベット、リーファは、ゲームクリアの為に全力を尽くしているつもりだった。

 そして、それはストレアも同じだろうと、そう思っていた。

 けれど────

 

 

 

 

 「……そっか。そう、だよね……」

 

 

 

 

 ストレアのその表情が、何処か寂しそうだったのが、その時、嫌に気になってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 「ん〜っ!休んだぁ!ありがとう、みんな!」

 

 

 ストレアは、気持ちよさそうに伸びをする。その表情は先程とは打って変わって明るさを取り戻しており、エギルの店で初めて出会った時の奔放さが戻ったようだった。

 しかし、アスナ達は良かったと安心する反面、まだ調子が悪いのでは、と不安にならざるを得なかった。

 

 

 「う、うん……あの、大丈夫なの?」

 

 「うん、平気!それじゃ、アタシ行くね!期間限定のクエスト出てるの思い出しちゃったし。あと二日か三日で消えちゃうやつ」

 

 「あの、私達で良ければ手伝うけど……」

 

 「いいよいいよ、アタシの実力は、もう知ってるでしょ?それに、みんなのおかげでしっかり休めたから、頭痛も大丈夫!」

 

 

 その様子は、本当に元気を取り戻したように見えた。こちらの提案こそ断られたが、以前と変わらぬ表情を、アスナ達に見せていた。その笑顔は、何度見ても飽きる事の無い優しいもので、心が温かくなるのを感じた。

 

 

 「それじゃあね、みんな!また会おうね!」

 

 

 ストレアは踵を返すと、こちらの反応を伺う前に走り去って行ってしまった。自由奔放とは、まさにストレアを表す言葉に思え、アスナ達は苦笑しながら彼女の背中を眺めていた。

 

 

 「……心配だなぁ」

 

 「戦闘中に動けなくなる程の頭痛なんて、見た事も聞いた事も無いわね」

 

 「私も、無いです。ストレアさん、元気になったみたいですけど……」

 

 

 みんな、どこかストレアが無理して誤魔化しているのではと、そんな想像をしてしまう。表裏の無い少女だろうと思っていたが、その反面、心配させまいとした演技だったのかもしれないと思うと、気付けなかった自分達を責めるしかない。

 

 

 「アキト君が帰ってきたら、相談してみませんか?」

 

 

 リーファのその提案に、各々が顔を上げる。こんな時、頼りになる人を思い浮かべるとアキトかキリトが出てくるから困る。これ以上無理はさせられないと感じつつも、ストレアの事を思うと縋るしかないのかもしれない。

 

 

 「……うん、そうだね」

 

 

 アスナは、ストレアが走って行った道の先を眺め、ポツリとそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────けれど、彼女達は知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストレアと似た現象が、アキトの身にも起きている事を。

 

 

 

 

 








☆《剣技連携(スキルコネクト)》について☆


《発動条件》

①右手のソードスキルが終了する直前、右手への脳から伝わるナーヴギア(アミュスフィア)に出力される運動命令を一瞬だけ全カットするイメージをして、次の運動命令を左手のみに伝える。
→このとき、『右手のスキルが終了モーション時に動いた身体によって、左手が繋げたいソードスキルの初動モーションに入ってないといけない』というのが連携の前提条件。右手のスキルの硬直を、左手のスキルのモーションで上書きする形で発動する。

②右手のスキルから左手のスキルへと、意識的にナーヴギア(アミュスフィア)の運動命令を切り替える事が必要。①の動作中、左脳と右脳が別々の思考をしているような不快感に襲われ、ここで意識を統一しようとすると、ソードスキルはキャンセルされてしまう。

③連携時、意識を切り替える為の許容制限時間はコンマ1秒以下。


結論=無理ゲー


つまり、繋げたいスキルに繋げられる訳ではなくて、ソードスキル終了時の構えが、次に繋げたいソードスキルを発動する時の構えになってないといけないという事。
その際の左脳右脳の命令を統合してはいけないという事。そして、それらを行う時間はコンマ1秒以下だという事。
そして、キリトは思い出したくもない練習の末、漸く『成功率5割以下かつ、コネクトは4、5回が限度』という事。


※アキトはシステムアシストによって、動かされている身体に逆らって、ソードスキルを中断されないギリギリで自身の身体を動かしている為、終了時のモーションの段階で、次のスキルに繋げる為の構えを取る事を可能にしています。結果、色んな組み合わせでコネクトする事が出来ている、という事です。
思考に関しては完全に集中力で、戦闘時は特に研ぎ澄まされています。よって、左脳と右脳へと送る運動命令に対する違和感の無視は造作もない、という設定です。
アキトキモい(震え声)





アスナ 「え……これ、無理でしょ……?」

キリト 「繋げられるスキルも絞られるはずだし、繋げるのもそんな簡単じゃないんだけどな……」

アキト 「な、何……?二人とも、なんでそんなにこっち見てるの……?(震え声)」




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Ep.92 災いの紫水晶




ただ祈ろう、全てが、手遅れになってしまわぬように────






 

 

 

 

 

 《アレバストの異界》

 

 

 アキトの放った()のダメージで限界が来たのか、女王虫は再びフィールドから離脱し、森の奥へと消え行った。再び森は静寂と化し、取り残されたのは心身共にダメージを受けたアキトとシノン、そしてフィリアのみ。

 互いに呼吸は荒く、声を発する事は無く、ただこの雰囲気に合わせているのか口を噤いで互いに視線を動かすだけ。

 シノンのすぐ近くに落ちた《ブレイブハート》は、この闇色の空間に照らされているせいか、その蒼さは失われ、何かに侵食されているように見えた。

 それは錯覚だと分かっている。けれど、シノンが見たアキトの身に起こった現象は決して夢幻などでは無かった。

 

 シノンの弓《アルテミス》を使って剣を射放ったアキトは、戦闘が終わった事実を認識すると脱力し、深く息を吐いた。覚束無い足取りでシノン、フィリアの元へと歩き出すも、戦闘が終わった事への安心感と頭の痛みが引いた事による脱力感からか、やがて震えていた足がアキトのバランスを崩した。

 

 

 「っ、アキト……!」

 

 「大丈夫……?」

 

 

 シノンとフィリアはすぐさま駆け寄り、アキトの元へ膝を付く。アキトは顔を上げ、何でもないよと小さく笑う。

 彼のその対応が、シノンの心をまた締め付ける。自分を蔑ろにするその行いに、気がどうにかなりそうだった。

 先程の光景は今も尚鮮明に、この目に焼き付いている。何かに蝕まれているかのように苦しむアキトの姿を見るのはこれで二度目。シノンが知らないだけで、その頭痛は以前から起こっていたのかもしれない。もし頭痛の感覚が短くなっているのだとしたら。そう思うと血の気が引いた。

 このまま《二刀流》を使い続けていたら、また────

 

 

 「ねえアキト、さっきのアレは何なの?頭、凄く痛がってたけど……」

 

 

 森と同じように静寂で包まれた空気の中、フィリアが不安そうにアキトに問う。

 それは当然だ、彼女は何も知らないのだから。アキトの状況も、キリトの事も。殆ど状況証拠のみで、何の説明もされていない彼女にとって、アキトが頭を抑えて苦しむ状況は未知のものだった。

 先程アキトが一瞬だけ、その姿をキリトのものへの変えた。その瞬間を見たのはシノンだけで、フィリアはボスの時間稼ぎをしていた為にその事実は知らないが、それでもフィリアはアキトの頭痛という事象だけで彼に詰め寄る事が出来た。

 仲間の状態、それがとても心配で。

 

 

 「何かの状態異常とか?けど頭痛なんて聞いた事……もしかして、現実世界で何かの病気、とか……だとしたら私──」

 

 「本当に大丈夫だから。心配しないで」

 

 

 半ば食い気味にそう答えたアキト。小さな笑みは未だ変わらず、そしてその笑顔こそ、こちらの心配を緩和させるように仕向けるそれだった。

 

 

 「っ……」

 

 

 シノンは、我慢していたものがどんどんと自身の心に溜まって来ているのを無意識に感じていた。

 アキトのその振る舞いが、その態度が、言動の一つ一つが癇に障る。怒りにも似た感情が身体を震わせた。

 

 

 彼のその言葉が誤魔化しのものだと、シノンだけでなくフィリアも理解していた。それでもアキトはその事を言及しても決して口を割ったりしないだろうという絶対の予感があった。

 

 

(私、アキトの事何も知らない……だからアキトがそう言うなら、きっとそうなんだなって納得するしか無い……けど……)

 

 

 ────本当に、大丈夫なの?

 

 

 「っ……」

 

 

 なんて、言えるわけが無くて。疑っていると、信頼していないと、そう思われたくなくて。フィリアは思わず口を噤んだ。

 そんな彼女に気付く事無く、アキトは立ち上がって森の奥へと視線を動かした。その方向は、先程まで自分達が相対していたボスが飛んで行った方角でもあった。

 

 

 「……そんな事より、また逃げられたな……」

 

 「え……あ、うん。ボスだけあって手強いね。あともう少しまで追い詰めたのに……」

 

 

 疲労が表情に現れる。だが、恐らく次が最後ではないかとアキトは考えていた。

 あのボスのHPバーは三本。最初出会った時に減らしたHPバーは一本、今回は二本だった。なら次で全部削り取れると考えるのが常。そう考えれば、この戦闘もあと一回だ。自ずとやる気が出て来る。

 だがその前に、アキトは今一度しゃがみ込み、短めの茶色がかった髪の少女に近付く。弓に触れるその指は細く、脆く見える。

 アキトは、目の前に座り込むシノンと目線を合わせ、その顔色を伺う。

 

 

 「シノン、大丈夫?」

 

 「……何が?」

 

 

 シノンの声は、心做しか小さい。けれどアキトは、構わず自分が心配していた事を告げた。

 

 

 「その……さっき俺を庇って、ボスに……」

 

 

 アキトは言いづらそうに口を開く。それは、先程の頭痛に襲われて動けなかったアキトを守るべく、シノンがボスの突進を受けた事についてだった。

 シノンが目の前でボスに吹き飛ばされたあの時は血の気が引いた。アキトは仲間を失うかもしれないという恐怖でどうにかなりそうな心を抑え、シノンの弓で剣を放つといった離れ業に出たのだ。上手くいって良かったが、もし失敗していれば、今頃シノンがどうなっていたか分からない。

 あの時自分が動けなくなった事に苛立ちもあったが、それよりもシノンの方が心配だった。

 だがシノンは俯くだけで、こちらを見はしなかった。前髪でその瞳の色は伺えないが、小さく開かれた口は言葉を音にし始めた。

 

 

 「ええ……平気だから」

 

 「……そ、そっか……良かった……」

 

 

 アキトは本当に安心したように脱力し息を吐く。肩の荷が下りた後の安心感にも似た気分が彼に押し寄せた。

 自分を庇って仲間が死ぬ、なんて事になったらどうなっていたか想像すら付かないし、想像だってしたくない。

 今回シノンがした事は、アキトにとっては許容し難いものでもあった。

 

 

 「……けど、もうあんな無茶はしないで欲しい。君が危険な目に遭ったら、俺は……」

 

 

 「……っ」

 

 

 シノンは、俯くその表情を強張らせた。自分の命が助かった事に対する感謝の言葉より先に、シノンの身を案じるその姿勢は美徳なのかもしれない。けど、今のシノンにとっては聞き逃せないものだった。

 弓を掴んでいた力が強くなり、その腕が震える。唇を噛む力もそれに合わせて強くなり、やがてその気持ちは抑え切れないものに変わりつつあった。

 

 

 「……貴方が、それを言うの……?」

 

 

 「ぇ……」

 

 

 そのか細い声は、アキトに届いていた。伸ばしかけていたその手が止まり、シノンへとその視線が固まる。

 フィリアには聞こえなかったようだが、シノンのその様子の急変には、少なからず違和感を覚えた。

 

 

 「シノ、ン……」

 

 

 アキトのその呼び掛けに、彼女が応える事は無かった。アキトの目線から態と外れるように立ち上がったシノンのその表情は、以前と変わらぬ冷静さを取り戻しているように見えた。

 

 

 「……何でも、ないわ。ごめんなさい。回復はもう済ませたし、早く追いかけましょう」

 

 「っ、あ、シノン、待って……!」

 

 

 アキトから、ゆっくりと弓を取り上げる。その背に担ぎ、短剣をしっかりと腰の鞘に収めた。いつもと変わらぬように平静を装うその姿は完璧で、パッと見ではシノンが怒ってるのか、悲しんでいるのか、呆れているのかさえ分からない。

 その場から離れたいがためなのか、歩く速度は少し早く、フィリアは慌ててその背を追いかけていた。

 何も言えず、アキトはそれにつられて立ち上がる。シノンの視界に、もう自分は映ってはいなかった。アキトは、そんな彼女を見つめながら、先程のシノンの言葉を頭の中で反芻させていた。

 

 

 

 

 ── ……貴方が、それを言うの……?──

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 その言葉は、尤も過ぎた。その自覚すら、アキトにはあった。なのに、その行いを正そうとしていなかった。自覚はあったのに、意識はしていなかったのだ。

 それは、つい先日クラインに言われた事を連想させる。

 アキトがみんなを想っているように、みんなもまたアキトを想っている。心配はお互い様なのだと。

 今、シノンからそれを思わせる言葉を告げられた。それは、アキトが全く反省していない事が顕著に現れていた。

 

 

(シノン……)

 

 

 既に自身の目の前を歩き、次のエリアへと視線を向けるシノンとフィリア。シノンに関して言えば、先日と今日、この身に起こる異変を目撃されてしまっている。

 優しい彼女なら、こちらの心配するのは当然だった。それを、誰よりもアキトが分かってなきゃいけない事だったのだ。

 それなのに、自身を助けてくれた彼女に対してアキトが放った言葉は感謝ではなく、仲間を失うもしれないとという恐怖から出た、無茶を制する言葉だった。

 彼女は自分を守ろうとその身を挺してくれたのに。彼女は自分と同じ事をしていただけなのに。

 なら、自分はシノンに無茶するな、なんて事は言えないはずなのに。

 

 

(……でも、俺は……)

 

 

 ────ずっと、自分を認めてくれる存在が欲しかった。

 自分がいる、居場所はここに、そうしてその場に立つ事を許される世界が欲しかった。

 ヒーローになりたい。そんな願いは、ただ誰かと関わり、笑顔を向けてもらう為の建前に過ぎなかった。

 そんな存在に出会ってしまったアキトがした事は、失いたくない、その為に出来る精一杯の努力。

 自分の居場所は、自分が守る。仲間の事は何よりも大事で。

 

 これまでたくさんのものを失って、手に入れて。その何もかもが初めてで、知らない事が多過ぎた。それを失わぬように、守る為にと強さを渇望した。

 自分が強くなれば、と。そればかりで。

 

 いつだって、自分が、自分が、と。

 

 輪の中にいたはずなのに、そんな風に息巻いていたのは自分一人だけで。守る、背負う、それだけで。自分一人で決め付けて。

 誰かに頼る、力を合わせる、そんな考えは思い付きもしていなかった。

 仲間は守るものだと、何処か決め付けていたのかもしれない。そしてそれは、彼らの力を信用していない事と同義なのかもしれないと、そう悟った。

 

 

 だからこそアキトはまだ、誰かを頼る事に慣れていなかった。

 

 

 以前、アスナからも頼るよう言われたのを思い出す。クラインに言われた事も相まって、まるで成長していない自分を今にして突き付けられた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《女王の寝所》

 

 闇色の濃霧が立ち込め、先程よりも視界が曇る。が、奥へ奥へと進む内にそれは晴れていき、逆に現れたのは、蛍のような小さな光の数々。

 幻想的に見えるも、油断させるものだと己を律し感動は排他する。辺りを見渡すその警戒の用心さ深さには、油断の色は伺えない。

 そして何より、この場の雰囲気は他のエリアボスと対峙する前のフィールドの雰囲気に酷似していた。

 等間隔を保ち、一定の速度で、敵の出現に遅れを取らぬよう心掛ける。来るであろうその時に、油断は決してしないよう。

 

 

 「……」

 

 

 ────シノンはチラリ、とアキトに視線を走らせた。

 弓を構える姿勢は構えず、添える矢に意識は集中させている。しかし、やはり気になるのはアキトの様子だった。

 

 

 「っ……」

 

 

 そして、再び瞳が揺れる。

 アキトはその手に紅い剣(リメインズハート)蒼い剣(ブレイブハート)を躊躇いなく装備していた。それは《二刀流》、彼を蝕むであろう呪いのスキル。

 

 ────どうして、という問いかけは最早愚かだった。

 

 だが、《二刀流》による侵食の事だけじゃない。戦闘に置ける彼の行動もそうだ。シノンのこの思いは、以前から感じていた事だった。ずっとアキトの在り方に不安を抱いていた。

 彼の戦闘だって数回しか見ていないが、だからこそその全てを覚えている。

 ボスのヘイトを一人で請け負って耐え忍ぶ場面も、死の危険にあったプレイヤーを庇う場面も、ボロボロになりながらもフィリアの為に奮闘した姿も、アスナの為に強がっていたその姿さえも。

 そして、本当は心に何かを抱えていて、その在り方が自分に重なって。気が付けば、目で追うようになっていた。

 そんな中で何度も目の当たりにするのは、彼の異常なまでの優しさ。他人の為に自身を犠牲に出来る、歪んだ思想。誰かの為になるのならと、自分のステータスを道具として扱っているかのような危うささえも、このゲームではまだ初心者に近いシノンですら理解出来ていた。

 無償なまでの善意だった。いや、本当に自己満足でしかないのかもしれない。それでも必死になって強くあろうとするその姿勢が、自分を蔑ろにしているその姿勢が、シノンにとっては許容し難いものだった。

 だが本当に、アキトは見返りを何も求めず他人を助けようとしていた。そして、必ず救ってしまう。

 何も要らない。ただ、この空間を守りたかったと。誰かに認めて貰いたかったと、そんな思いを聞いて、シノンは。

 

 

 ────ずっと見て来たからこそ。

 

 

(どうして、こんなにも私は……)

 

 

 消えて欲しくない。いなくなって欲しくない。傷付いて欲しくない。そんな事ばかり考えて。そして、この想いは自分だけのものじゃない。アスナ達だって想っている事なのだ。

 そして、アキトだって。なら、この感情はお互い様なはずなのに。彼はこちらが同じ事をすると、やめてくれと口を開く。

 その矛盾は、とても許し難いものだった。彼は頼んでなくても守ってくれるのに、こちらに彼は守らせてくれないだなんて。

 彼は、その矛盾に気付いているだろうか。

 

 

 

 

 ────そして、そんな自己問答に思考が傾き始めた時に限って、ボスは突然現れる。

 

 

 

 

 「「「────っ!」」」

 

 

 

 

 ズシン、と地響きが起こる。それは、空からボスが落ちてきた事による衝撃波だった。三人は気を張っていたにも関わらずたたらを踏む。そして、ふらつきながらも落下してきた存在に目を向けていた。

 三度目だというのに薄れる事も無く、飽きる事も許されない圧倒的存在感。数多の虫の長所を融合させたかのような歪な形のそれは、その黄色い眼を光らせ、甲高い虫特有の奇声を放ち始めた。

 

 

 《Amedister The Queen(アメディスター・ザ・クイーン)

 

 

 この《アレバストの異界》エリアを統べるボスであり、この《ホロウ・エリア》で倒すべき最後のボス。奴を倒す事で、始めて管理区地下の中央コンソールのあるダンジョンへと足を付ける許可を手にするのだ。

 だが、戦う度にそのステータスを上げていく目の前の難敵の雰囲気は、先程とは打って変わって強者のものだった。この異界の森の最奥であるこの場所は、奴がもう逃げも隠れもしない事を三人に知らしめると同時に、ボスとしてのステータスを奴が取り戻したという事実を突き付ける。

 

 

 そして不幸にも、警戒を緩めていたシノン付近に、奴は着地しており、油断していたシノンは、地響きで足元を崩して地に両手を付けていた。

 

 

 「っ────シノンッ!」

 

 

 フィリアが叫ぶと同時にアキトが地面を蹴る。《二刀流》スキルの中にある突進技の一つ、《ダブル・サーキュラー》で一気にボスの元へと移動した。

 シノンとボスの間に割り込み、シノンへと振り下ろされる片腕を二本の剣を交差させる事で受け止める。

 

 

 「早く下がって!」

 

 「っ……!」

 

 

 遠距離攻撃が強みのシノンがボスと距離を詰めるのは愚策。シノンは一瞬で理解し、すぐさま後方へと走り出した。入れ替わるようにフィリアが飛び出し、ボスの側面にソードスキルを叩き込む。だが、HPバーを一瞥して分かるのは、与えたダメージ量が二度目の戦闘よりも減っているという当然の事実だった。

 防御態勢から抜け出るべく、アキトは流す形でボスの腕を地面へ落とす。見下ろしてくるボスの眼光を浴びながら、アキトは流れるような動きでボスの側面を沿って動く。それに合わせてボスが方向を変え始め、常にアキトを視界に収めるようその細い脚を動かした。

 そうしてアキトを追い掛けるボスのその背がガラ空きとなり、瞬間、シノンは翻ってその矢を引き絞る。

 

 

 「いけっ────!」

 

 

 射撃単発技《エイムシュート》

 

 一撃、故に強力。《射撃》というユニークスキルで初期の内に覚える使い勝手の良いスキル。連撃数という概念が希薄な弓だが、その一撃に込められた攻撃力はユニークスキルだけあってやはり群を抜いていた。

 解き放った矢は白銀の光を纏い、軌道が逸れる事も無く、ボスの蠍のように反り立つ腹部に見事命中した。背後からの攻撃によるボーナスとクリティカルヒットダメージで、ボスのHPを目に見えて減らしていた。ボスがよろめくその姿に手応えを感じる間すら惜しく、すぐさま第二の矢を弓へとあてがう。

 ボスの怯みを見逃さず、アキトは一瞬でボスの視界から外れる。ボスを挟んだ向こうにいたフィリアは、それに合わせるよう移動し、すれ違いざまにボスの脚に刃を当てていく。

 減り行くHPをその都度確認し、互いに位置を把握する。一回目、二回目よりも研ぎ澄まされる連携は、共に居た時間の長さを顕著に示していた。

 

 

 「はぁっ!」

 

 

 フィリアの短剣技《インフィニット》がボスの脚元を崩す。途端、女王がこれまで以上に高音の奇声を上げた。同時に、自身の周りを駆け回るプレイヤーを虱潰すかの如く、毒の弾丸を撒き散らしていく。

 

 

 「っ!フィリア!」

 

 「くっ……!」

 

 

 慌てて叫ぶアキトの声に応えるように、フィリアがローリングで毒を躱す。そのまま離脱しようと身体を持ち上げ、地面を蹴り上げる。

 だが、安堵する間も与えてはくれない。奴が飛ばした毒の弾丸は一つではなかった。

 

 

 「シノン!」

 

 「っ……!」

 

 

 その弾丸の一つは、後方にいるシノンの元まで飛んでいく。飛来する毒の威力は落ちる事無く、彼女へ向かって一直線へ。

 シノンは目を見開き、瞬時に横へ飛んで躱す。一瞬でも遅れていれば、猛毒状態だったろう。

 そして、地面を転がりながら移動したのも束の間、シノンは体勢を完全に立て直す前に、既にその弓を構え、矢を女王虫へと向けていた。

 

 射撃技《ヴァレスティ・レクト》

 

 矢を次々と連続で発射する。流れるような手つき、それも、体勢を立て直すどころか、弾丸が飛んで来ても避けられるよう、そのまま移動しながら放っていた。

 にも関わらず、撃ち込んだ矢の全てが、吸い込まれるようにボスの身体へ。

 呻くボスの近くで、アキトが目を見開く。不完全な体勢でのソードスキル発動は勿論の事、走りながらの連続射撃。

 

 

(移動しながら、これほどの正確な射撃を……!?)

 

 

 シノン自身、弓を手にしてからまだそれほど時間も経ってないはずなのに、まるで身体の一部のように扱い、奴の攻撃を警戒しての移動。走っていては照準が定まるわけがない。だが、シノンが放つ全ての矢が、ボスの身体に着実にダメージを与えていた。

 

 

(いつの間に、こんな強く────っ!)

 

 

 アキトは途端に大地を蹴る。二本の剣を後ろで寝かせ、そのままボスへと接近していく。シノンがボスの頭部に狙いを定めて矢を放っているおかげで、奴の視界からはこちらの動きを視認し難いだろう。

 今この時が好機────

 

 二刀流五連撃《デッド・インターセクション》

 

 比較的肉質の柔らかそうな胸元に、そのスキルをぶつける。シノンだけでなく、こちらもユニークスキルで応戦。使い手がかつての英雄に劣る勇者でも、この力は《魔王》を倒す、その為のスキル。

 

 

 「────はあっ!」

 

 

 短剣技九連撃《アクセル・レイド》

 

 アキトがスキルのフィニッシュモーションに入るタイミングで、フィリアがスイッチの要領でアキトとボスの間に割り込む。硬直を感じつつ、アキトは彼女と入れ替わるように後方へと半歩下がり、そのままシノンへと振り返る。

 そこには、再び矢を構え、ソードスキルを発動せんと立つ彼女がいた。その瞳はただ、強い意志を纏う。

 

 

 「っ────!」

 

 

 射撃技《ターゲット・ウィーク》

 

 ボスの視界は段々と晴れ、自身の真下にいるアキトとフィリアを視認する。鋭い奇声を放ったその瞬間、シノンの矢を持つその手が開く。

 同時に発射されたその矢は、白銀の光煌めかせ女王虫の所へ飛来する。

 だが、何度もくらえば流石に学習するのか、ボスはアキトとフィリアから視線を外し、その飛んで来る矢を受け止めるべく前脚を上げた。

 しかし────

 

 

 「っ!?」

 

 

 その矢はボスの構えた前脚を躱し(・・)、弱点である反り立つ腹部へと突き刺さり、そしてそこから爆風が起こした。

 ボスだけでなく、アキトとフィリアも顔を上げ、驚きの表情を作る。シノンは変わらず、ただ闘志を宿した瞳でボスを見ていた。

 射撃技《ターゲット・ウィーク》。その名の通り、ボスの弱点を狙う為のソードスキル。明らかに狙いと違う方向へと矢を放たない限り、僅かだがボスの弱点を軌道修正しながら向かっていく。

 その驚くべき性能のスキルに、アキトは苦笑した。遠距離攻撃系統のスキルは、どうしたって近接とは違う戦い方になってしまう。前例が無い以上、シノンは誰かにこのスキルの教えを乞う事さえ出来なかった。

 使い手がシノンであるだけで、ここまで化けるスキルなのか。

 

 

 「────アキト!」

 

 

 再びよろめくボスを見て、シノンが叫ぶ。アキトはそれに応えるように、その身を反転させる。

 

 二刀流重攻撃八連撃《クリムゾン・スプラッシュ》

 

 薄い赤色に剣が光る。そのまま突き刺すようにボスの胸元にその剣を交互に撃ち込んでいく。

 フィリアも合わせて短剣を逆手から通常の持ち方に戻し、ソードスキルを発動、エメラルドに輝くそれは、奥義技の《エターナル・サイクロン》。下へと腕を下げ、そのまま斬り上げるように、全力で腕を振り上げた。途端、小さな竜巻が起こり、その鎌鼬がボスの身体に傷を埋め込んだ。

 ボスのHPは、今の怒涛の攻撃で半分を削り取った。元々少人数で倒せるボスの為、強くなっているといっても倒せないほどではない。決して油断はしないけれど、この攻撃から生み出す勝利への渇望が、この動きに拍車をかける。

 

 

 ────しかし、いつまでもボスが倒れてくれている訳もなく、奴は突然起き上がる。寝かせたその前脚を、再び大地に突き立て、その左右に開く蟻のような顎をカチカチの鳴らす。

 アキトとフィリアは既にその場から後退し、女王たるその雰囲気を強く纏わせるボスの次の行動を予測し、待ち受ける。

 侮るなかれ。ここまで順調だったが、目の前の奴はこの《ホロウ・エリア》最後のボスなのだ。

 そして、ボスは今まで以上の高音で咆哮する。ピリピリと空気を振動させた後、奴はその反り返っていた腹部を地面へと突き刺した。

 

 

 「っ、見た事無い動き……!」

 

 「警戒して!」

 

 

 そのチューブのようになった腹部が地面へと何かを注入しているかの如く動く。そしてそこから数秒してすぐ、ボスの周りの地面から何かが三つ生えてきた。

 それは、まるで卵のような形をして、地面へと突き刺さっていたが、まるで何かを宿らせているような袋の部分が、段々と光り始める。

 

 

 「……蛹?」

 

 

 それは形こそ歪だが、卵や蛹といった類のものに見えた。

 そう口走るのも束の間、その三つの卵は内から突き破られた。バリバリと不似合いな音を立ててそこから生み出されたのは、およそ目の前の女王の子ども、良く似た姿の取り巻きだった。

 三体同時に卵から孵り、アキト達を見て鳴き声を上げる。

 

 

(このタイミングで取り巻き……!)

 

 

 フィリアとシノンも目を見開いていた。

 瞬間、女王とその子ども三体が同時に動き出す。ボスと違って速い足取りで、近くにいたアキトとフィリアに一体ずつ迫る。

 

 

 「なっ……!」

 

 「くっ……!」

 

 

 予想外の速度に、各々の反応が遅れる。アキトとフィリアは咄嗟に武器を胸元へと持っていき、繰り出された突進をどうにか受け止める。

 歯を食いしばりながらもここからの動き方を考えるアキト。だがそれよりも先に、気付くべき事があった。

 モンスターは合計四体、アキトとフィリアに子どもが一体ずつ付いた。つまり残りの二体、ボスと子どものもう一体は────

 

 

 「っ……シノン!」

 

 

 アキトが視線を向けた先に、シノンはいた。ボスと子どもが並行に並び、同時にシノンへと迫っていた。

 シノンは少なからず動揺を隠せないようだが、する事は変わらない。その弓に矢を寝かせ、一気に引き絞る。手に持つ奴は二本。

 優先すべきは子ども、先に倒す事で数の有利を取り戻す。ユニークスキルの恩恵もある為一撃で倒す事自体は難しくない。だがその隙にボスに攻撃されれば危うい。ならば最低でも使う矢は二体に一本ずつ、そしてボスに対しては弱点にぶつける事で怯ませ、自身が離脱する隙を作らなければならない。

 そこまで一瞬で思考し、シノンは目を見開く。迫り来るモンスターと自分との距離、そこから放たれた際のダメージ総量、弱点への狙い、その全てを考え────

 

 

 「っ!」

 

 

 射撃技《ヘルム・バレット》

 

 複数の矢が瞬時に放たれ、二体のモンスターへと飛んで行く。その矢の一本は、狙い通りボスの弱点の一つ、頭部へと迫る。

 

 

(よし……っ!?)

 

 

 だが次の瞬間、ボスの前脚が動き、隣りにいた子どもを鷲掴みにした。そしてあろう事か、それを自身の目の前、シノンへと思い切り放り投げたのだ。

 

 

 「なっ……!?」

 

 

 放たれた矢の全てが、こちらへと一直線に迫る子どもの身体へと突き刺さり、そのままシノンへとぶつかった。

 

 

 「きゃあっ!」

 

 「シノン!」

 

 

 アキトは目の前の取り巻きを四散させ、離れた場所にいるシノンへと走る。フィリアも同様だった。

 シノンも予想外だっただろう。アキトですらそうだった。まさか、シノンが放った矢を、自身の子どもを盾にして防ぎ、そのままそれをシノンへとぶつけるだなんて。

 防御と同時に攻撃まで。確かにこのエリアのモンスターは倒しやすいだけで、決して弱いわけじゃない。だが、そんな複雑な思考まで。

 そんな動揺を飲み込んで、足を踏み締める。しかし、既にボスは前脚を振り上げ、薙ぎ払いでシノンを巻き込んだ。

 彼女の軽い身体は、いとも容易く宙へ飛ぶ。アキトは今以上に足に力を込め、落ち行く彼女の真下まで走る。

 

 

(間に合え────!)

 

 

 咄嗟に身体を低くする。スライディングでシノンと地面の間に割って入り、しっかりとシノンを捕まえる。

 勢い余ってそのまま地面を二、三度転がるも、シノンの負担にならぬよう受け身を取る。漸く摩擦で止まった瞬間、腕の中のシノンを見下ろせば、その身に受けたダメージで表情を歪めていた。

 

 

 「ア、キ……」

 

 「っ……無茶して……!」

 

 

 途端、ボスが奇声を放つ。ユニークスキルはただでさえ他のスキルと桁違いの威力を誇る。その連続射撃から繰り出されたダメージ総量から見ても、シノンからヘイトを逸らさないのは納得だし、当然だった。

 悔しげに歯軋りし、シノンを見下ろす。だが、シノンは変わらず辛そうな表情のまま、小さく呟いた。

 

 

 「アンタも……、同じ、じゃない……無茶なのは、お互い様よ……」

 

 「……」

 

 

 ────やはり、シノンは。

 アキトはすぐにそう思った。彼女の今までの無茶振りは、自分と同じなんだと。彼女が投影していたのは、自分の後ろ姿。

 戦闘で幾つか見られた小さな、それでいて強引な戦い方。アキトの前に出てボスから守ろうとしてくれたその姿勢。その全てが、アキトが攻略組のメンバーにしていた行為そのものだった。

 彼女からは、こんな風に見えていたのか、と。アキトは、儚げに笑う。

 

 

 「……そう、だな。同じだ……」

 

 「……アキ、ト」

 

 

 迫り来る足音。瞬間、フィリアが彼らの間に割り込んだ。短剣がライトエフェクトを放ち、そのままボスへと斬り込みを入れる。煩わしそうにボスが足を振り下ろせば、すぐさま懐に飛び込み翻弄していく。

 ボスはやがて、シノンからフィリアへと、ターゲットを変え始め、その脚を巧みに何度も叩き落としていく。フィリアは身体にその攻撃を掠らせ顔を顰めながらも、どうにか体勢を保ち続けていた。

 彼女が時間を稼いでくれている間に、シノンはアキトのその腕から離れ、ゆっくりと立ち上がろうとする。

 その視線は、変わらずアキトへ。

 

 

 「俺、さ、シノン。“仲間”は絶対に守りたいって思うんだ。失いたくないから、何よりも大切だから……俺が、“俺が守らなきゃ”って、そう思うんだ」

 

 

 ずっと、そうだった。

 黒猫団のみんなは、慎重派で堅実で。ゆっくり自分達のペースを守れるギルドだった。元々、そんなに強かったわけじゃない。知らぬ間に、強くなったと勘違いしてしまっていただけ。

 宝物だからこそ、自分で守らなければと、そう思い続けていたのだ。ここに来て、アスナ達に出会って、仲間だと、大切だと思ってしまった。

 また、自分が守らなきゃいけないと、そう思っていた。自分が大事にしているものだから。欲しかった居場所だから。

 

 

 「────馬鹿にしないで」

 

 

 シノンはピシャリと、そう告げた。その瞳は変わらず闘志を宿らせている。その瞳に、思わず吸い込まれそうになる。

 

 

 「私はここに、アンタの足でまといに来たんじゃない。アンタは私の事、守ってくれるって言ってくれた。でも言っておくけど、私、ずっと守られてばかりのつもりは無いから」

 

 

 アキトと、同じなのだ。大切な仲間だから失いたくないと、そう思っているのはアキトだけじゃない。分かっていたつもりで、気付けていなかった。

 彼らは──アスナ達は、守られるだけじゃなく、こんなにも強いじゃないか。いつからか忘れていた。みんなその心に熱い想いを宿していて、強くて、まるでキリトみたいで。そんな彼らに嫉妬までしていたのに、すっかり忘れていた。

 

 けど、宝物だと感じる想いは偽り無い本物だから、ただ頼るだけなんて事はすぐには出来なくて。やはりどこかで、守らなきゃと思う自分がいて。

 でも。

 

 

 

 

 「────シノン」

 

 

 

 

 自身の前で立ち上がろうとする彼女に、音を放つ。

 二度目のボスとの戦闘の終わりに、言わなきゃいけなかった事を思い出したのだ。

 

 

 「……何?」

 

 

 不安そうに瞳を揺らすシノンを見て、ふっと頬が緩む。

 そう、アキトはシノンに説教などする立場になど初めから無かったのだ。けれど、この生き方を今すぐには変えられない。頼る事は大切なのかもしれないが、傷付けたくないと思うこの意志だって正しいものだと思うから。

 だけど、無茶を制するより先に、言わねばならない事がある。その点は、アキトが間違っていた。

 

 

 「さっき、助けてくれてありがとね」

 

 「っ……」

 

 

 シノンは、細めていた瞳を開く。固まった表情のまま、暫くアキトを見つめていた。やがて、ふっと息を軽く吐くと、彼女から笑みが僅かに溢れた。

 

 

 「……それも、お互い様でしょ」

 

 

 視線を逸らして呟いたそれは、決して怒気を孕んだものではなかった。アキトは、それが分かっただけで小さく笑みを零した。

 

 

 「何よ」

 

 「いや、何でもない。なんか、嬉しかった」

 

 「何それ」

 

 

 シノンの固い表情が、少しだけ和らいだような気がした。

 二人で立ち上がり、ボスへと視線を動かす。フィリアの全力の動きで、ボスを翻弄出来ていたようだが、丁度限界に期していたようだ。

 割り込むには丁度良い。

 

 

 「HPは残り半分。多いような少ないような……」

 

 「三人もいるのよ?ユニークスキルだって二つある。すぐに終わるわ」

 

 「油断してる?」

 

 「してないわよ」

 

 

 ────ニッと、アキトは歯を見せるように笑う。

 なら、俺も強がりでも何でもいい。頼れる自分に、誇れる自分になる為に。

 

 

 「────じゃあ、手並みを拝見してやるよ、シノン」

 

 「っ……」

 

 

 ────その口調。シノンは思わず目を見開く。

 そこには、ぶっきらぼうで不器用で、素朴で純粋な、誰かを放っておけない、強がりを見せるかつての彼が。

 

 

 「足でまといには、ならないんだろう?」

 

 「ええ……上等よっ!」

 

 

 ニヤリと笑うアキトの後ろ、何度目か分からない咆哮を上げたボスに向けて。

 

 

 ────シノンは、その矢を放った。

 

 

 起動は逸れず、変わらぬ真っ直ぐな意志のように、その矢はフィリアを叩き潰そうと持ち上げたボスの前脚を貫く。一瞬だけ動きが止まるその瞬間、フィリアと入れ替わるようにアキトが割って入る。

 

 

 「アキト!」

 

 「待たせたな、フィリア」

 

 

 大地を踏み締め、空中で静止したその前脚に向けてソードスキルを放つ。二連撃の《バーチカル・アーク》は青い閃光を放ちながら、その巨大な前脚をかち上げる。

 そしてすぐさま、空いた懐に向けて左手の剣をぶつける。

 

 コネクト・《バーチカル・スクエア》

 

 煌めく剣技は四方に散らばる。正確な四角形を描き、ボスのHPを削り取る。ボスは再び前脚を振り下ろし、アキトへとぶつけようと動かす。

 そこを、フィリアが割り込み短剣で静止する。歯を食いしばって尚、そこを退いたりしない。アキトの、邪魔はさせないと言わんばかり。

 アキトはそれを見て、小さく笑う。再び、その右の剣を光らせる。

 

 コネクト・《ホリゾンタル・スクエア》

 

 白銀に輝く剣が、続けてボスの胸元へ刻まれる。目を開き、歯を食いしばり、重くなる剣をしかと掴む。全力で、振り抜く。

 

 

 「らぁっ!」

 

 「せぇい!」

 

 

 フィリアが攻撃を流し、返す形で短剣を押し当てる。身軽な身体を駆使し、ボスの視界ギリギリ外れるように走り、そのままソードスキルを発動する。攻略組同等の力を持つ彼女のソードスキルは、確実に敵の急所に打撃を与えていた。

 ボスは身体を震わせ、身体を低くする。顎が開かれた瞬間、各々が理解する。毒弾の発射を。

 その瞬間、連携が切れ、その動きが止まる。フィリアとアキト、共にソードスキルの硬直が始まり、その場から固まる。

 HPが少なくなるにつれ攻撃力を上げるのはボスの常。この至近距離からあれをくらったら────

 

 

 「────させっ……る、かっ!」

 

 「っ────!」

 

 

 瞬間、アキトの頭のすぐ隣りから、矢が通過する。ボスの開いた顎に直撃し、HPを減らす。

 顔を上げれば、シノンが更に矢を構えていた。そのまま一気に、それを解き放つ。

 

 射撃技《タイム・オブ・スナップ》

 

 相手の始動を僅かに遅らせ、瞬間アキトが身を屈める。瞬間、紙一重で先程までいた場所に、毒の吐瀉物が通過した。

 そのまま身を反転させ、その剣を突き出す。狙うは、その顎。

 

 片手剣単発技《レイジスパイク》

 

 その刃が、ボスの喉元を突き刺す。ガチガチと音が響き、顎がアキトの腕を突き刺す。不快感に瞳を細めれば、そこには死を与えんとするボスの瞳が輝く。

 だが、決して引かない。ここで全て終わらせて、みんなで笑って帰るためにも────

 

 

 「あ、アキト!」

 

 「フィリア、下がれ!」

 

 「で、でも……!」

 

 「早く!」

 

 

 真下にいたフィリアを後方へと下がらせる。後ろにいたシノンに視線を向ければ、彼女は全てを理解していた。その笑みが、そう告げている。

 今こそ、かつては出来なかった事をする時。仲間に頼る時なのだ。

 

 

 「っ……!」

 

 

 瞬間、ボスが喉の奥まで剣を突き刺したアキトをブンブンと頭を振り回す事で振り落とそうと藻掻く。アキトは歯を食いしばり、体勢を保つ。

 しかし、やがてボスが頭を上に振り上げ、アキトを宙へと投げ出した。アキトは真上へと舞い、最高到達点に達した瞬間、真っ直ぐボスへと落下していく。

 ボスは待ち受けんと構え、顎を開き、反り立った腹を突き上げていた。それを見て、アキトはシノンの名を全力で呼ぶ。

 

 

 「────シノン!」

 

 「いける!」

 

 

 その合図で、アキトは目を見開く。空中で身体を捻り、剣技の構えを取る。瞬間剣が紅く輝き、溢れんエフェクトが迸る。

 

 片手剣突進技《ヴォーパル・ストライク》

 

 空中をその突進力で移動し、その場から一瞬で離脱する。落下するはずだった身体はフィリア達の元まで移動し、待ち構えていたボスは、驚きからかその動きを止めていた。

 

 

 

 

 「────発射(ファイア)

 

 

 

 

 射撃奥義技《ミリオン・ハウリング》

 

 シノンが放った一本の矢は、女王の頭上へと舞い上がる。瞬間、キラリと煌めき、そこから無数の矢が雨となってボスの身体全てを突き刺していく。

 動きを止め、弱点である頭部と腹部を真上に突き出していたボスのHPは、信じられない程の速度で削り取られていく。

 黄色から赤へ、それは一瞬だった。

 

 

 「凄い……、やった……!」

 

 

 フィリアは目を開けて驚く。シノンも、小さく息を吐く。

 だが────

 

 

 「まだだ!」

 

 「っ……な、アキト!?」

 

 

 フィリアの呼び掛けに返事する事無くアキトは二刀を手に再びボスへと走る。矢が全て振り止んだにも関わらず、後一歩届かない。HPは、僅かに残っており、ボスは瞳を黄色く光らせた。

 怒りからか、痛みからか、その死の恐怖を忘れたかのようにボスは簡単に立ち上がる。

 絶対に死なない────そんな意志を感じる高音の咆哮が、鼓膜を突き刺す。目を細め、悲痛に顔を歪めるも、その足を止めない。

 そうだ、止めない。止めたくないのだ。

 

 前脚がアキトを迎え撃つ。アキトがボスの攻撃範囲に入った瞬間、その前脚が勢い良く振り下ろされる。

 

 体術スキル《飛脚》

 

 瞬間、その前脚が自身に落とされるより速く、地面を蹴り上げる。現実では不可能に近い高さまで飛び上がらんとする為のスキル。

 しかしそれを読んでいたのか、アキトのその真横から、もう片方の腕が薙ぎ払われる。

 

 

 「っ!」

 

 

 コネクト・《ヴォーパル・ストライク》

 

 アキトは再び空へと飛び上がり、その二本目の前脚を躱す。そうして、ボスの頭部付近に辿り着いた。これが最後だと、もう片方の剣がソードスキルの構えを取る。

 途端、目を見開く。

 

 

 ────ボスの顎が開き、毒弾の発射準備を完了させていたのだ。

 

 

(っ……くっそ……!)

 

 

 ここまで読まれていたのか────!?

 

 

 何処まで高性能なのだと、悔しげに顔を歪め、ボスを睨み付ける。もう既にソードスキルの構えを取ってしまっている。ここから空中を移動する為のソードスキルの構えへと移行するのはアキトでも不可能だった。そして、今変えようとすれば、発動しようとしていたスキルがキャンセルされ、余計に硬直時間を増やすだけだった。

 これは、甘んじて受けるしか────

 

 

 「っ────!」

 

 

 射撃技《ツイン・ソニック》

 

 瞬間、アキトの身体の左右から、金色の矢が走る。驚きで目を見開くも束の間、その矢は綺麗に、ボスの両目に一本ずつ突き刺さり、ボスは呻き声を上げ始めた。一瞬で視界を奪われ、毒弾発射のモーションが途切れた。

 

 

 「今よ!」

 

 

 その声と同時に、アキトの剣が紅く煌めく────

 これは、シノンが作ってくれたチャンス。これを逃す手なんて、ありはしない!

 

 

 「いっけ────!」

 

 

 片手剣OSS三連撃《コード・レジスタ》

 

 紅、青、緑、三色に流れるソードスキルが、落下と同時に頭部、首、胸へと刻まれる。見えない恐怖に襲われ、身体を揺さぶる女王虫は、とても憐れに思えた。

 だが、自身で産んだ子どもを盾に使うようなモンスターに、慈悲をくれてやる道理は無い。

 

 

 二刀流OSS二十五連撃

 《ブレイヴ・ソードアート》

 

 

 七色に煌めくソードスキル。正しく、それはソードアート。

 この世界の名を冠するに相応しい、勇者の剣技だった。刻まれ行く数だけ、想いは募る。その一撃一撃が、魂の込められた攻撃だった。

 

 

 

 

 「はああああああああぁぁぁぁぁああ!」

 

 

 

 

 ────そして。

 

 

 やがてその動きを止めたボスは、その身を四散させていった。

 同時に、騒がしかった周りが、嘘のような静寂を取り戻したのだった。

 

 

 誰もが、その動きを止める。呆然としながら、舞い上がる光の破片を見上げていた。

 だが、誰もが目の前の事実を受け入れ、そしてその頬が自然と緩み始めた。

 

 

 「終わっ……」

 

 「たぁ〜……!」

 

 

 シノン、アキトが溜め息を吐く。

 アキトはその場に勢い良く座り込み、シノンは両手を膝に付いた。達成感よりも疲労感が勝り、それぞれクタクタになっていた。

 

 終わった、これで漸く、《ホロウ・エリア》を踏破したんだ────

 

 それは、まだ通過点に過ぎない。まだここからやらなきゃいけない事がある。

 だけど、今だけはこの喜びに浸らせて欲しかった。

 

 

 「やったね、アキト、シノン!」

 

 「ええ……お疲れ、フィリア」

 

 「フィリア、お疲れ様。最後、時間稼いでくれてありがとね」

 

 「そんな、私は何もしてないよ」

 

 

 シノンが危険域に達した際、立て直すまでたった一人でボスと対峙してくれていたフィリア。あの時、シノンと幾つかのやり取りがあったが、彼女を見ていなかった訳じゃなかった。

 今までよりも、動きに磨きがかかっているように。そう、まるで、生きようとしているみたいだった。

 何でもないと首を振る彼女に、アキトは小さく笑った。

 

 

 「いや、本当に助かったって。実際動きも違って見えた」

 

 「そうね……ありがと、フィリア。おかげで助かったわ」

 

 

 アキトとシノンがそう感謝を述べると、フィリアは顔を俯かせる。その表情は、暗くも見えて、けどその中に確かな気持ちが込められているように見えた。

 辺りはボスがいなくなった事でとても静かで、音一つ無いように見えて、それでも蛍のような幻想的な光が待っていた。そんな光が照らす彼女の顔は、儚げにも見えた。

 

 

 「……もしかしたら、気持ちの問題かな」

 

 

 ポツリと、フィリアがそう呟く。

 

 

 「私、ずっと自分が偽物かもしれないって思ってたし……アキトと一緒にいても、この人は私とは違うんだなって……そういう暗い気持ちを持ってた」

 

 「……フィリア」

 

 「でも、今は違う」

 

 

 フィリアは顔を上げると、真面目な表情でアキトを見つめた。かつて自身の存在の在り方に揺らがせていたその意志が、瞳のように固まって見えた。

 思わずたじろぐアキトに構わず、フィリアは決心したように告げた。

 

 

 「アキト達にお詫びとお礼をする為にも、兎に角中央コンソールまで行かないとね」

 

 「そんな……もうずっと頼らせて貰ってるのに」

 

 「足りないよ、全然っ。私の気持ちを表すには、全然足りない」

 

 「……はは、無理しなくて良いからね」

 

 

 彼女のそのグイグイ来る様子に戸惑いつつも、アキトは小さく笑みを零した。出会った当初と比べると、彼女の表情は大分明るくなっているし、笑顔も増えたように見える。

 悩みを抱えていた時の彼女の表情は、今と比べれば、やはり暗かったように思える。こうして今、元気な姿を見る事が出来てアキトはとても嬉しかった。

 これが、今目の前にいる彼女が、きっと本当のフィリアの姿なのだろう。

 

 

 「……ゴホン」

 

 

 ────と、フィリアと笑い合っていると、隣りから咳が聞こえる。チラリと見れば、何処と無く不機嫌なシノンがジト目でこちらを見据えていた。

 ムスッとしていて、瞳を細めている。無視するな、とその目が告げていた。

 アキトは冷や汗を掻き、フィリアは我に返って顔を赤くした。

 

 

 「っ……あ、アキトとシノンは、一度戻るんでしょ?」

 

 「え、ああ、うん。思ったよりも時間掛かったね。休む暇も無いけど、明日管理区の地下に行こう」

 

 「分かった。待ってるね」

 

 「……うん」

 

 

 アキト達はその重い身体を起こして立ち上がる。見上げた空は闇夜に包まれた森と違って星々の煌めきで照らされていた。

 思わず口元が綻びを生み、瞳を輝かせた。まるで、この先の未来を示す道標のように見えたその星空は、何処か懐かしさを帯びていたから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 なんとなく久しぶりに感じた馴染みのある街は、日が沈み夜を迎えたばかりで、先程の《ホロウ・エリア》と違って、星も見えなかった。

 だが夜にも関わらず人で賑わっていた転移門広場は、《ホロウ・エリア》での静寂と違って温かさを持っていた。

 《ホロウ・エリア》最後のボスを倒したアキトとシノンは、フィリアと別れ、76層へと戻って来ていた。顔を見合わせ、アキトが彼女に笑いかける。

 

 

 「じゃあ、宿屋に帰ろっか」

 

 「……ええ」

 

 

 何処か気不味さを感じつつ、転移門前の階段をおりて、その先の道を同じ速度で歩く。チラリとシノンを見れば、物憂げな表情で俯き、何かを思案しているような表情だった。

 そして、意を決したように顔を上げると、キッとアキトを見上げた。

 

 

 「っ……な、何……?」

 

 「……明日、その……最後の戦いでしょ?一人で行くの?」

 

 「え……」

 

 

 予想外の質問に面食らう。アキトは目を丸くしてシノンを見やった。

 《ホロウ・エリア》の踏破によって入る事が許される管理区の地下領域。そこにある中央コンソールこそ、アキト達の最終目的なのだ。

 PoHが企てたアップデートを阻止し、フィリアのオレンジを解除する。それが、残り僅かな時間で彼らがやらなければならない事だった。

 シノンの質問の意図はつまり、その攻略にこちらの人員を連れて行かないのかという事に他ならない。アキトは暫し、返答に困った。

 これが正真正銘最後の戦いで、今まで以上に厳しいものになるかもしれないという予想があったからだ。地下はダンジョンになっていた、とフィリアは言った。つまりそれは、戦いは避けられないという事で、何よりボスがいるかもしれないという事実に繋がるからだ。

 答えに戸惑うアキトを見て察したのか、シノンは小さく息を吐いた。

 

 

 「……別に私じゃなくても良いから、少しでも良い効率を上げる選択肢をとった方が良いと思うわ」

 

 「……うん。そう、だね」

 

 

 シノンのその言葉は、アキトの胸に響いた。今日、誰かに頼る事の意味を、彼女自身に教えて貰った気がしていたから。

 

 

 「……ありがとねシノン。今日は助かったよ」

 

 「何よ急に」

 

 「いや、ちゃんとお礼言ってなかったなって」

 

 「……言ったでしょ、お互い様だって」

 

 

 アキトのいきなりの感謝の言葉に戸惑うシノン。目を逸らしながら、そんなのは当たり前だと吐き捨てた。その態度はまさにシノンらしい。

 しかし、アキトは儚げな表情を浮かべながら、首を横に振った。

 そんな彼の態度に、シノンは思わずアキトへと視線だけでなく顔を向ける。彼は遠くを見据え、自嘲気味に、寂しそうに、ポツリと言葉を紡ぎだ出した。

 

 

 「……今日のシノンの行動は、俺を助けてくれた事実以上の意味を持ってる。さっきも言ったけど……俺さ、“仲間”は自分が守らなきゃって、そう思ってたんだ。自分の大切なものは、自分で守るって……今までも、ずっとそうだったから……」

 

 「アキト……」

 

 

 シノンのボス戦での立ち振る舞い、アキトに対する言動、それによって気付かされた事は数多い。彼女が体現していたのは、正しくアキト自身の姿。

 形振り構わず誰かの為に前に出るその姿は、自身のそれと酷似していた。あの時、自分の前に立って守ろうとしてくれたシノンに対して抱いたのは恐怖。失うかもしれないという感情。

 そして、アキトが彼らに抱いている感情は、彼らもまたアキトに対して持っているものだと教えられて。故に、今日アキトがシノンに対して抱いていた感情は、彼らも同様だという事。

 失いたくない、守りたい、そう思っているのは、自分だけじゃなくて。

 

 

 「……けど、シノンの言う通り、それはある意味でみんなを馬鹿にしてたんだな。みんな、俺よりも強いんだって、知ってたはずなのに、守るべき対象として見てた。上から、だよね」

 

 

 彼らの強さ、それは技術的な意味よりも心を指している。

 初めて彼らに出会ってからずっと、キリトの死に折れる事無くゲームクリアを目指そうとするその姿勢に、キリト同様の意志を感じた。それに嫉妬していたのは記憶に新しい。

 それを分かっていたはずなのに、いつの間にか忘れていた。

 彼らは、アキトが守らずとも自分で考え行動し、何より強い意志と同様に、戦闘においても強者揃い。頼られるだけでなく、たよれる存在だったのだと、今日のシノンを見て思い知らされた。

 

 

 「今日、シノンを見て痛感したよ。あの正確な射撃、凄かった」

 

 「あ、あれは……夢中だったから」

 

 

 しどろもどろに答えるシノン。あの時のシノンの動きを、アキトは今も明確に思い出せる。

 同じ場所に留まらず、常に移動しながらの射撃。狙いを定めるのは至難の業のはずなのに、放った矢は全て命中していた。

 そして最後、アキトがボスを倒そうと飛び上がった際に放った二本の矢。アキトに攻撃しようとしていたボスの眼に命中させ、その視界を奪った事で勝利へと導いた。あれは正しく、今回我々が勝利した理由となっていた。

 デスゲームへの途中参加にも関わらず、彼女は逃げずに戦う事を決意した。その時点で既に強さを見せていた彼女が、今こうして自身の隣りで、同等の強さを手に立っていたという事実。

 気付くのが遅かったアキトは、とても恥ずかしい気持ちになっていた。

 何でもかんでも一人でやろうとしていた、あの頃とは違う。彼らは強い意志を持って、今日この日まで生きてきたのだから。

 

 

 「シノン、いつの間に強くなってたんだなぁ。知らなかったよ」

 

 

 あはは、と力無く笑うアキト。

 実際、知ろうともしていなかったのかもしれない。彼らが強いか弱いかなど、きっと問題じゃなかったから。全てを守り、背負うのが、大切なものを手にした自身の役目だと本気で信じていた。

 けれど、そう考えているのは自分だけじゃなくて。アスナ達も、同じような思ってくれている。

 それなのに、自分だけこうして無茶ばかりしているのを、彼らはどう思っていたのかなんて分かり切っている。今日、自分がシノンに対して抱いた想いと同様に決まっていた。

 俺が、俺かやらなきゃ、とそればかりで、彼らの気持ちを考えていなかったのかもしれない。故に、彼らの強さを忘れていた。これは恥ずべき行為だ。

 それは“仲間”と呼ぶには相応しくない。自身の行いは、彼らの気持ちを蔑ろにしているのだからと、そう思う。

 この生き方をすぐには変えられないだろうが、二度と同じ間違いはしないように。

 

 

 

 

 「────」

 

 

 

 シノンはただ、アキトを見つめていた。何かを誤魔化すようにして笑う彼の言動が、シノンの頭に響いた。

 彼のいう“強さ”に、自分は当て嵌っているだろうか。今日はただ、無我夢中で、あまり覚えていない。いつもより射撃の精度が高かった気はしたが、シノン自身が実感しているのはその程度だった。

 考えていたのはただ、ボスを早く倒す事。その理由の根底は、常に目の前の少年だった。

 彼が消えてしまうかもしれない。その恐怖だけが、シノンをあの時動かしていた。

 もし、あの時自分がアキトの言うように強かったのだとしたら、それは────

 

 

 

 

 「……貴方が側にいるから」

 

 

 「え?」

 

 

 

 

 何処か儚げな表情で呟くシノンの言葉を、アキトはしっかりと耳にしていた。思わず目を丸くする最中、シノンは自身の発した言葉を段々と理解し、勢い良く目を見開いた。

 

 

 「え、あ、いや……アキトが、いつも危なっかしいから……いつの間にか、強くなってたって事!」

 

 「ご、ごめんなさい……」

 

 

 シノンの言葉に項垂れるアキト。彼女は顔を赤くしており、アキト君からは視線を逸らしていた。

 けれど、肩を落としているアキトをチラリと見て、何処か嬉しそうに笑った。

 

 

 「まったく……もうっ……ふふ」

 

 「っ……は、はは」

 

 

 そんなシノンを見上げ、目を合わせて笑う。そのアキトの笑った顔を見て、シノンは自身の胸を抑える。

 

 

 

 

 ────トクン

 

 

 

 

(ああ、そうか────)

 

 

 

 

 本当は、何処かで気付いてた。

 自身と良く似た彼が、放っておけなくて、消えて欲しくないその理由に。

 

 

 

 

 けど今はただ、この時間を大切にしよう────

 

 

 

 

 そうして、二人は宿に帰るまで、ただ会話を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「借りが出来ちゃったな」

 

 「別に良いわよ。アンタには弓を買って貰った時に貸しがあるでしょ」

 

 「けど、二回も危ないところを助けて貰ったし」

 

 「……なら、今度ユイちゃんと三人で何処かに出掛けましょうか。ほら、ポーカーの賞品は今日使っちゃったし」

 

 「……」

 

 「何よ?」

 

 「いや、帳尻の合わせ方が上手いというかなんというか……お、お後がよろしいようで……」

 

 「ふふ、何それ」

 

 

 






アスナ 「おかえりなさい、二人とも。アキト君、何か言う事は?」

アキト 「連絡忘れてすみませんでした」

シノン 「声凄い震えてるけど」



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Ep.93 やすらぎのひと時





楽しめ、残り僅かな安らぎを────






 

 

 

 

 

 エギルの店にて、帰って来たアキトを全員でお説教した後、漸く夕飯という事になった。

 アキトとシノンを待っていた彼らはそれなりにお腹を空かせており、今からアスナが調理という事で、何が食べられるのかと各々が思案していた。

 この温かな空気を微笑ましく眺めていると、途端、エギルの店のドアが勢い良く開かれた。

 店に屯していたメンバーの他、良く此処で飲み会をしているプレイヤー達も一斉に扉を見る。

 

 

 するとそこには、誰もが魅入ってしまう容姿とスタイルを持った美少女が立っていた。薄い銀髪に紫を基調とした装備。

 

 

 ────というか、ストレアだった。

 

 

 一同が目を丸くしてストレアを見ていると、彼女は辺りをキョロキョロと見渡し、アキトと目が合うと、すぐさま顔を明るさで染め上げ、アキトの胸に飛び込んだ。

 

 

 「アキトー!おかえりなさーい♪」

 

 「あ、ああうん、ただい──ぐぇっ!?」

 

 「あ、アキトさんっ!?」

 

 

 ストレアがアキトの首に腕を回し、抱き着く力を強める。彼女が知ってか知らずか不明だが、良い感じにキマッていた。密着している事で、豊満で柔らかいものが当たっているが、何か感じるより先に逝ってしまいそうだった。

 何も知らない周りのプレイヤー達は、そんなアキトを恨めしそうに睨み付け、ユイはすぐ傍でアキトとストレアのやり取りに顔を強張らせ、わなわなと震えていた。

 しかし、そんな彼らと打って変わって何人かは、アキトに抱き着きながらニコニコと笑うストレアを見て困惑の表情を浮かべていた。

 

 

 「す、ストレアさん!もう調子は大丈夫なの?」

 

 「んー?大丈夫だよ!もうすっかり元気!」

 

 

 ストレアはアキトから離れ、片手を上げて宣言する。本当に元気そうで、アスナとシリカ、リズベットにリーファは安堵の息を吐いた。

 アキトは彼女達の様子に気付き、視線をそちらに向けた。

 

 

 「調子って……アスナ、ストレア何処か悪いの?」

 

 「えっと……実は────」

 

 

 しかし、アスナが口を開こうとした瞬間、ストレアがアキトのすぐ近くまで迫り、アキトとアスナは思わず目を丸くしてたじろいだ。

 ストレアは変わらず元気な声で、アキトを見て告げた。

 

 

 「ねぇねぇアキト!アタシ、今日はアキトに会いに来たの」

 

 「え、あ、うん……って、俺に?」

 

 「うん!お土産があるんだ、こっち座って」

 

 

 そう言うと、ストレアはアキトの手を握り、いつもメンバーで座るテーブルのすぐ隣りのテーブル席にアキトを座らせた。困惑するアキトを他所に、ストレアは悪戯を思い付いた子どものように笑い、ウィンドウを開く。

 

 

 「い〜い?それじゃ出すよー!じゃじゃーん!」

 

 

 流れるような手付きでアイテムストレージをスクロールし、目的のものをオブジェクト化させる。

 円テーブルの上に顕現したのは、銀色のトレイに乗せられた、巨大な肉の塊だった。良くテレビで見るような巨大な霜降り肉、それを想像させた。しかしそのあまりの大きさに、一同は思わずギョッとする。

 リズベットは困惑しながら、恐る恐る近付き、そのアイテムの名前を確認する。

 

 

 「なになに……《ヒドゥンバイソンの肉》!?」

 

 

 その名を知っているプレイヤー達から、どよめきの声が聞こえる。かく言うアキト達でさえ、その肉をまじまじと見つめて名前を確認する程だった。

 名を告げたリズベットでさえ、その目を見開いており、思わずユイへと視線を向けていた。

 

 

 「ちょっと……これって、凄いレア食材じゃなかった!?」

 

 「はい、S級食材ですね」

 

 「それが、丸々一頭分……」

 

 

 リズベット他、アスナとシリカ、リーファはストレアへと視線を戻した。そういえば、今日の攻略でストレアと出会った時、期間限定のクエストがあるとか言っていたのを思い出す。

 もしかして、その時の報酬やドロップアイテムだったりするのだろうか。

 

 

 「ふふ〜ん、褒めて褒めて!」

 

 

 ストレアは笑みを浮かべてアキトのすぐ傍まで椅子を持って来て座ると、アキトに向かってズイっと頭を突き出した。アキトは唖然としていたが、やがて困ったように笑うと、ストレアの頭に手を乗せた。ストレアは途端、嬉しそうに目を細めた。

 

 

 「うん……ホントに凄いよ」

 

 「えへへ〜。今からアタシが、アキトにご馳走してあげる!」

 

 

 その言葉を聞いて、一同は再び目の前の肉へと視線が動く。その肉は威圧的なまでに存在感を放っていた。要は、かなり大きかった。

 エギルが慌ててストレアに問う。

 

 

 「ちょっと待て、この量をアキト一人で食べるのか?」

 

 「そうだよ!アキトならこのくらいの量、ペロッと食べちゃうよね?」

 

 「い、いや、流石にペロッとはいかない、かな……」

 

 

 アキトが目の前の巨大な肉にビビりながら半笑いを浮かべていると、リズベットが訝しげにストレアを見やり、気になる事を聞いてみていた。

 

 

 「ねえ、アンタの料理スキルってどのくらいなの?」

 

 「料理スキル?持ってないよ」

 

 「え」

 

 

 あまりにもキョトンとしたストレアの声に、一同固まった。まさかこの少女、スキルも無しにこの食材を調理するつもりだったのか。

 このS級食材がどのような変化を遂げてしまうのかは想像に難くなかった。

 

 

 「スキルが無いって……おいおい、それなら、そこの超級シェフに頼んだ方が良いんじゃねぇか?」

 

 「ま、確かに料理ならアスナが適任だろうな」

 

 

 クラインとエギルが各々ストレアにそう告げる。ストレアは二人に視線を移した後、アキトをじっと見つめていた。

 何を聞きたいのか、何を求めているのかがまるで分からず戸惑うが、アキトはやがてストレアに向かって苦笑しながらも口を開いた。

 

 

 「……料理スキルがあった方が美味しいものが出来ると思うよ。一緒に食べよう」

 

 「うーん……アキトがそう言うなら、アタシもそれで良いよ」

 

 

 ストレアは少し考えるような素振りを見せるも、笑顔ですんなりとその案を了承し、アスナを見上げた。アスナも彼女同様笑顔を見せ、彼女が聞かんとしている事への返事をする。

 

 

 「私なら、二つ返事で引き受けるわよ。S級食材なんて、そうそうお目にかかれないし」

 

 「じゃあ……悪いけど、頼むよアスナ」

 

 「うん!まかせて!」

 

 

 アキトの言葉を快く了承し、テーブルに乗せられた巨大な肉を見て笑う。みんなもゾロゾロと集まって、その円テーブルを囲い、S級食材を見て笑みを浮かべていた。

 それを微笑ましく眺めていると、アキトの目の前に褐色肌の巨漢が腕組みをしながら立っており、その威圧的な様子に、アキトは思わず身震いした。

 

 

 「……」

 

 「?……どうしたの、エギル」

 

 「いやなに、キリトに《ラグーラビット》をお預けにされた事を思い出しただけだ。俺はあの件を、常々根に持っていたんだが……」

 

 「あ、あー……」

 

 「とばっちりじゃん」

 

 

 アスナは納得したように声を漏らすが、アキトはエギルのそのガチな様子に項垂れる。アキトは記憶を思い起こし、《ラグーラビット》についての記憶を辿る。確かそれもS級食材だったはず。すぐに逃げてしまう為に捕獲が難しい種類だと記憶していた。

 

 

 

 

(……まあ、確かにあの時は俺とアスナだけ(・・・・・・・)で平らげちゃったからな(・・・・・・・・・・・)……っ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

────これ……《ラグーラビット》……!?

 

 

 

 

────取り引きだ、コイツを料理してくれたら、一口食わせてやる。

 

 

 

 

────ラグー……煮込むってくらいだから、シチューにしましょう。

 

 

 

 

────はぁ……幸せ……生きてて良かった……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────軽く、その瞳を抑える。

 

 

 覚えの無い記憶が、また明確な光景として脳裏に蘇る。映るのは、対面して食事をしているアスナの笑顔。中央にシチューを置き、二人きりでS級食材を堪能している。

 まるで、自分の事のように、あの日の《ラグーラビット》の味を思い出せる。

 困惑と動揺で、僅かにその瞳が揺れた。

 

 

 「っ……」

 

 「……おい、アキト?」

 

 

 先程まで威圧的だったエギルが、ふとアキトの異変を少なからず感じ取ったのか、腰を曲げてアキトの顔色を伺う。その行為に目を丸くしてたじろぐと、アキトは慌てて取り繕った。

 

 

 「あ、いや……ゴメンゴメン。そういう事なら、エギルも一緒に……っていうか、みんなで食べよう。ね、ストレア?」

 

 「うん!みんなで食べた方が美味しいもんね」

 

 「よーし、言ったな!今回は食わせて貰うぞ!」

 

 

 エギルは本当に嬉しそうでガッツポーズを決めていた。クラインや、他のメンバー達も喜びの声を上げる。ストレア自身も、元々はアキトに食べさせてあげる為のものだったから駄々を捏ねるかもと思いきや、みんなと食べる事に寧ろ賛成なようで、その空気はとても温かいものへと変わっていた。

 

 

 「あっ、アスナさん!もし食材に余裕があるなら、あたしもお料理してみたいんですけど」

 

 

 厨房に肉を置いて、一先ずみんなの元へ戻って来ていたアスナに、恐る恐るとシリカが近付いて言った。その頭に乗せていたピナも、ぱちくりと瞬きしながらアスナを見上げる。

 

 

 「うん!勿論良いわよ!一緒に作ろっ!」

 

 「はいっ!」

 

 

 アスナの了承にパァっと頬を綻ばせ、シリカは元気良く頷く。二人して顔を見合わせ笑みを作っていると、それを眺めていたリズベットも顔を伏せて思案すると────

 

 

 「それじゃあ……あたしも何か、作ってみようかな」

 

 

 と、言い出した。これには親友であるアスナも目を丸くしており、まじまじとリズベットを見た。シリカも同様だ。

 

 

 「リズが料理なんて珍しい」

 

 「悪かったわね!ちょっとした気まぐれって奴よ」

 

 

 そんな顔を赤くして捲し立てるように誤魔化すリズベットの隣りから、今度はユイが若干慌てて躍り出た。

 

 

 「わ、私も、お料理したいです!」

 

 「それじゃ、アキト君に美味しいもの、食べさせてあげようね!」

 

 「は、はい!」

 

 

 ユイも途端に顔を明るくして首を縦に振った。

 みんなでお料理、そんな流れにつられて、リーファも恥ずかしそうにおずおずと近付いて来た。

 

 

 「じゃあ……あたしも一緒に作っても良いですか?」

 

 「うん!勿論よ!一緒にお料理しよ!」

 

 「はい、よろしくお願いします」

 

 

 なんだか凄い大所帯になってしまい、エギルの店の厨房がそろそろ心配になって来た頃だった。アキトのすぐ隣りで座ってるだけだったストレアが、そんな女性陣の料理の流れに乗り遅れた事に気付き、慌ててガタリと立ち上がった。

 

 

 「えーっ!みんなが作るならアタシも作るし!」

 

 「な、何、みんなして……」

 

 「大事になって来たじゃねーの……」

 

 「厨房も、特別広いわけじゃ無いんだが……」

 

 

 アキトとクラインとエギルが、アスナの元へ集う女性陣を見て気圧される。SAOは女性プレイヤーの数が圧倒的に少ないのに、何故ここにはこんなに集まっているのだろうか。どの層に行ってもこんなレアな集団はいないんじゃないだろうか。

 そんな中、その流れに乗る事無く遠目から眺めるだけの女性プレイヤーが一人だけいた。

 

 

 「……」

 

 

 シノンはただ真顔で、そんな和気藹々のアスナ達を腕を組んで見ているだけ。アキトはなんとなくそれが気になって、思わずシノンに声を掛けた。

 

 

 「……シノンは、その……」

 

 「……何?」

 

 「えっと……みんなで料理するみたいだけど、シノンは行かないのかなー、なんて……そういう流れだったから、シノンも料理するとか言うのかと思って」

 

 

 シノンのこちらを見据える瞳に思わず目を逸らしながらも、そう言葉を紡ぐ。それを一部始終聞いたシノンは、じっとその視線を強くした。何か思う事があるのか、それを聞こうとアキトが口を開きかけた瞬間、シノンがそれよりも早く、アキトに向かって言った。

 

 

 「食べたいの?私の料理」

 

 「へ?……あ、えと……」

 

 

 想定外のシノンからの質問に、アキトはフリーズした。なんて答えるのが正解かなど分かり切っているのだが、言葉を脳内で考えるよりも先に、彼女のその目に気圧され少々焦り始めていた。

 シノンはそんなアキトの反応だけで満足したのかクスリと小さく笑って、テーブル上の《ヒドゥンバイソンの肉》に視線を下ろした。

 

 

 「冗談よ……で、何を作ろうかしら。相当良い食材なのよね、これ」

 

 「S級食材だしね……料理するの?」

 

 「まあ、勝手は分からないけど、聞きながらやればなんとか出来るんじゃないかしら。……その代わり、ちゃんと完食しなさいよ」

 

 「え、あ、うん……」

 

 

 思わず頷くアキト。シノンはよろしい、と呟くと、小さく息を吐いた。

 隣りで固まる女性陣の中、アスナがシノンの腕を掴んで引き寄せる。

 

 

 「ふふっ、シノのんも一緒に頑張ろっ!分かんないところは、教えてあげるからね!」

 

 

 みんなが料理に興味を持ち出して嬉しいのか、アスナは絶えず笑顔で、そんな珍しい彼女を、アキトはまじまじと見てしまう。

 そうでなくとも、女性陣が集まって仲良くしている様は目の保養だろう。クラインや、その店に入り浸る他のプレイヤー達もその眺めを楽しんでいるようだった。

 そんな中でストレアが、何かを思い付いたのか、途端に笑みを浮かべて手を上げる。

 

 

 「じゃあ、誰が一番美味しい料理を作れるか、競走しようか!」

 

 「競走ねぇ……それだとアスナが一位確定になっちゃうけど」

 

 

 その提案に渋い顔のリズベット。だが、すぐさま隣りでアスナが口を開いた。

 

 

 「それなら大丈夫!私がみんなのお料理を完全監修してあげる!それよりも何を作りたいか……こっちの方が重要になって来るわよ」

 

 「なるほど……味はアスナの保証付きって訳ね。それじゃあ、誰が一番アキトが気に入る料理を作ったかで競走しましょうか」

 

 「へ……え、俺?」

 

 「うん!審査員よろしくねん」

 

 

 いきなり話題の中心に混ぜ込まれ、アキトは驚いて視線をリズベットに向ける。ヒラヒラと手を振って笑う彼女に、みんなの表情が賛成を示していた。

 何故、と意見を提示しようにも、もうそんな流れでも無さそうだった。

 

 

 「俺、味とか、そんな詳しくないけど……」

 

 「難しく考えなくて良いのよ。ストレアは元々アンタに食べさせる為に持ってきたんだし、この案は妥当でしょ」

 

 「それは……まあ、そうかもしれないけど……」

 

 「それに、料理は誰かに食べさせる方が、美味しく作れるものなのよ」

 

 「……それは、鍛冶屋の経験から言ってるの?」

 

 「何よ、“作る”って部分は一緒でしょ?」

 

 

 らしくない事を言うものだと思ったら、リズベットが顔を赤くしてそっぽを向いた。自分でもそう思ったのだろう、アキトはクスリと笑ってしまった。

 料理も鍛冶も、確かに誰かに作るという面では同じだ。リズベットもきっと、誰かに喜んで貰う為に、武器を作っているのだろう。

 アスナ達もそんなリズベットに驚きながらもニヤニヤと見ており、リズベットは耐え切れず頭を抱えていた。

 

 

 「分かった。引き受けるよ」

 

 

 アキトは優しく、そう答えたのだった。周りは俄然、やる気を出し始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキトよぉ……オレ様はもう、腹が減って仕方がねえよ……」

 

 「ま、まあ確かに良い匂いはするけどね……」

 

 

 五分とかからずに、厨房から美味しそうな香りが漂って来る。それを一番に嗅いだクラインは、我慢出来ずテーブルに突っ伏した。それを見たアキトは苦笑いを浮かべつつ、女性陣の高い声が聞こえる厨房へと視線が動く。

 現実では空腹時に料理を待っている時は辛かったりするのだが、SAOの料理は出来上がるのが早く、そんな心配も無さそうだった。

 これならクラインが腹を満たせるのもそんなに遅くないだろう。

 

 

 「出来たわよ、アキト!」

 

 

 すると、早速リズベットがお皿を持って厨房から飛び出して来た。どうやら彼女が一番乗りのようだ。

 アキトはそんな快活な彼女の様子を眺めつつ、テーブルに乗せられるであろうリズベットの料理を待った。

 

 

 「リズベット特製チンジャオロースー!一丁上がりっ!」

 

 

 湯気が漂う青椒肉絲(チンジャオロースー)を、テーブルへゆっくりと乗せる。発祥の地、中国では豚肉が主流であり、牛を使う場合は青椒牛肉絲(チンジャオニウロースー)らしいのだが、日本ではどちらも同じ名で通っているし、今はあまり関係無い。

 見た感じだと、下味を付けた《ヒドゥンバイソンの肉》と、タケノコ、もやし、ピーマンに似た食材を細切りにして炒められている。芳ばしい香りは勿論、照り具合が食欲をそそる。

 アキトを挟んだエギルとクラインはまじまじと見てはゴクリと唾を飲んでいた。

 

 

 「へぇ……美味しそう。食べても?」

 

 「当たり前じゃないっ」

 

 

 と胸を張って答えるリズベット。が、アキトが箸で料理を口に持っていくその瞬間は、何処か不安な表情を浮かべていた。

 アキトは黙って肉を他の食材と挟んで一緒に口に含んだ。よく噛む事でしっかりと味を確かめる。

 

 

 「どう?って言っても、味はアスナの保証付きだけど」

 

 

 と、リズベットが呟く。その割りには随分と不安そうな顔をするものだ。アキトは小さく笑うと、彼女の質問に正直に答えた。

 

 

 「美味しいよ、凄く。リズベットが作っただなんて、正直驚いてる」

 

 「ほ、ホント!?……あ、と、当然でしょー?」

 

 

 素直に喜んでしまった自分が恥ずかしいのか、咄嗟腕を組んで胸を張った。

 アキトは本当に驚いた。やはり、鍛冶が優れていると家事も優れるのだろうか。丁度良い味付けに加え、野菜と合わせて食べる肉も格別だった。何より、S級食材である肉に合わせて味付けを変えているのが分かる。他の肉でこの味付けだと、バランスが悪くなるだろう。そこまで考えているとは、リズベットもアスナも流石である。

 これまたご飯が欲しくなる料理だ。

 

 

 「赤ピーマンの彩りの代わりに、ちょっと人には言えない食材使っちゃったけど……でも、問題無く食べられてるみたいだし、大丈夫みたいね!」

 

 

 ────訂正。とんでもない爆弾料理だった。

 さりげなく恐ろしい事を告げるリズベットに、その箸が止まった。

 

 

 「ゴクリ……」

 

 

 すぐ傍でクラインがアキトを、引いては青椒肉絲を見下ろしては生唾を飲み込む。アキトは目を逸らしながら、黙って料理をかき込む。

 すると、反対方向で今度はエギルがこちらを凝視していて、アキトは思わず吹き出した。

 

 

 「ちょ、二人とも……食べ辛いよ」

 

 「お、おぉ……」

 

 「すまん……」

 

 

 ……物凄く物欲しそうな視線が。

 とても痛いし見ていて可哀想なのだが、あげても良いのだろうか。

 と、考えていると、再びこちらに近付いて来る音が耳に入り、思わず振り返る。

 

 

 「アキトさん、あたしの料理も出来ました」

 

 「……シリカ」

 

 

 次に厨房から出てきたのはシリカ。お皿に乗せられた料理は盛り上がっており、固形物が入っているのが分かる。アキトは遠目でそれを眺めつつ、近付いてくるシリカに問うた。

 

 

 「シリカは、何を作ったの?」

 

 「その……あたし、あんまり料理とかした事無いから、普通の肉じゃがなんですけど……」

 

 

 そうしてテーブルに乗せられた料理は、確かに肉じゃがだった。この世界で見るのは初めてだし、現実世界に帰るまで見られるものではないと思っていたので、無意識にジロジロと見てしまう。

 そうして、料理をあまりしないと言ったシリカの顔を見上げた。

 

 

 「シリカは結構、家庭的なイメージがあったんだけどな」

 

 「そう、なんですか?あたし、料理なんて全然……家事だってそんなにした事無いし……」

 

 「けど、メイド喫茶ではあんなに様になってたから」

 

 「あ、あそこはもう辞めました!クエストだったんですから!」

 

 「そうなの?この前あの店でメイド服のシリカを見た気が……」

 

 「わあああぁあ!なんで知ってるんですか!? も、もう、早く食べて下さい!」

 

 「あ、ああうん、ゴメン。いただきます」

 

 

 顔を真っ赤にしてブンブンと両手を振って、強引に話を逸らすシリカ。促された肉じゃがへと、アキトは箸を伸ばし、口に入れた。

 不味い事でも言ってしまったのだろうかと困惑しながらも肉とジャガイモを噛み締める。

 

 

 「……ん……うん、美味しい。肉じゃが久しぶりに食べたけど、やっぱり好きだな」

 

 「ほ、本当ですか?」

 

 「うん。家庭的な……懐かしい味がする」

 

 「そんな……大袈裟ですよ」

 

 「そんな事無い」

 

 

 そう、即答していた。

 目の前の肉じゃがを見て、アキトは目を細める。現実世界で、今の家庭で食べた料理の中にあった肉じゃがを思い出していた。あの時は、特に何も考えず食べていたのだが、改めて料理と向き合うと、ただただ美味しかった。

 現実世界へ帰りたい、そう思わせてくれる味。

 

 

(……思えば、あの人達にはかなり酷い態度を取ってたような気がするや……)

 

 

 「……アキト、さん?」

 

 「あ……本当に美味しいよ、シリカ。ありがとね」

 

 「は、はい……?」

 

 

 アキトのその物憂げな表情に、シリカは困惑しながらもそう返事した。そんな中、ピナがアキトを見て何を思ったのか、シリカから離れ、アキトの肩の上に乗り出した。

 そうして、頬擦りするピナに、アキトは目を見開く。心配してくれてるのだろうか。そう思うと、何だか嬉しかった。

 

 

 「あ……はは。ピナ、君も食べる?君の主人が作ってくれた肉じゃがだよ」

 

 「きゅるるぅ♪」

 

 「シリカ、ピナに食べさせても?」

 

 「勿論です。こう見えてピナ、結構なんでも食べるんですよ?……最近は、鉱石なんかも……」

 

 「ああ……そう言えば言ってたね……」

 

 

 顔を見合わせ、互いに苦笑する。すぐ傍で肉じゃがにありつくピナの姿に可愛らしさを感じつつ、再び左右のクラインとエギルを見る。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 ……見なかった事にしよう。

 良い大人の例だったはずの二人が、凡そ目の前に欲しいものをお預けにされた子どもの様だった。

 

 

 「はい、出来たわよ一応」

 

 「っ……」

 

 

 そんな二人に困った様に笑っていると、すぐ隣りからシノンの声が。見上げれば、お皿を両手で持ったシノンがこちらを見下ろしていた。しかし、その表情は曇っていて、アキトと自身の料理を何度も交互に見やっていた。

 

 

 「……でも、幾らなんでも出来上がるのが早過ぎて……不安だわ……」

 

 「何を作ったの?」

 

 「ローストビーフよ。最低でも作るのに二時間はかかると思ってたんだけど……」

 

 

 そう言ってテーブルに乗せられたローストビーフは、良い具合に脂身が乗っていてとても食欲をそそる。肉が扇状に重ねられて並べてあり、見た目も綺麗だ。

 しかし、その出来上がった速度の所為でシノンは不安を拭えないようで、つられてアキトも自身の記憶を辿っていた。ローストビーフは普通なら確かに二時間以上かかるだろうが、ここはSAO。どんな料理もすぐに食べられるよう、調理工程も簡略化されている。

 

 

 「SAOで料理すると現実より早いから驚くよね。俺も最初そうだった」

 

 「そういえば、料理スキル持ってるんだっけ」

 

 「一応ね、今じゃ全然使ってないけど。えと、食べても良いかな」

 

 「どうぞ。口に合えば良いんだけど」

 

 

 未だ不安が消えないのか、シノンは眉を顰めてこちらを見ている。そんなに見られるとアキトとしては正直食べ辛いのだが、クラインやエギルに今の今まで嫌という程見られているので、今更シノンの視線が加わったところでさしたる問題じゃ無い。

 肉の一切れを、添えられたソースと共に口に入れる。口に入れた途端に感じるのは、肉につけたソースの風味。どうやら柑橘系の食材が混ぜられており、さっぱりした後味で肉ととても良く合っていた。

 

 

 「っ……美味しい」

 

 「そ、そう?」

 

 「……俺、ローストビーフ好きなんだよ。これなら幾らでも食べられそう」

 

 「褒め過ぎよ。美味しいのは食材の良さと、アスナが手伝ってくれたおかげ……って、聞いてる?」

 

 

 シノンが頬を赤らめて説明するも、どうやらアキトの耳には届いていないようで、一心になってローストビーフを頬張っていた。シノンは目を丸くしてアキトを見る。

 勢い良く料理を食べるアキトの姿を、初めて見たからだ。初めて会った時から、みんなと食事を取る事をしなかったアキト。クラインがS級食材を持って来た辺りからは、みんなから離れた位置からではあるが、同じタイミングで食事を取るようになっていた。だがそれでも、こんなに美味しそうに食べているのは初めて見て。

 そして、そうさせているのが自分の作った料理なのだと理解すると────

 

 

 「っ……そんなに、美味しいの?」

 

 「うん。肉も美味しいけど……特にこのソース、かなり好み」

 

 「っ……」

 

 

 途端、シノンは自身の顔が熱くなるのを感じた。アキトが先程から褒めちぎっている柑橘系のソースは、シノンが考案して作ったものだった。審査員として人一倍肉料理を食べるアキトの負担にならないようにと、こってりしたソースよりもさっぱりしたソースを考えていたのだ。

 それが功を奏したのか、何よりアキトが偶然ローストビーフが好きだったという事も相まって、シノンの料理はかなりの高評価だった。

 特に一番を狙っていたつもりの無かったシノンだったが、彼女の優しさが翻ってアキトを満足させていたのだ。

 

 

 ────シノンは、かつて無い程に頬を朱に染めていた。

 

 

 「あ……えと、気に入って貰えたなら、良かったかな」

 

 「勿論だよ。ご馳走様」

 

 

 屈託の無いアキトの笑み。シノンはそれを見て言葉に詰まり、思わず顔を逸らした。キョトンとするアキトの視線を背中に感じながら、シノンは小さく、口元を綻ばせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……あの、だから食べ辛いって……」

 

 

 クラインとエギルの視線がそろそろ限界だった。エギルこそまだ大人の対応を見せつつあるが、視線が食いたいと言っていた。

 クラインは以前自身の手に入れたS級食材をここにいるみんなに食べられている過去を持っている為、欲が顕著だった。

 

 

 しかし、まだアスナ、ユイ、リーファ、ストレアの料理が残っており、二人が食べるにはまだ時間がかかる。

 早く出来てくれ、と心の中で叫びながら、アキトは再びローストビーフを頬張った。

 

 

 







厨房にて

ストレア 「♪〜」ドバドバドバー!

アスナ 「……ストレアさん、何作ってるのかしら……」

リーファ 「さ、さぁ……けど、なんか色が……」





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Ep.94 幸せのひと時



投稿が空きまして、お待たせです。

物語的には寄り道なので、若干の手抜き感……。






 

 

 

 

 《ヒドゥンバイソンの肉》

 

 

 この《浮遊城アインクラッド》でも滅多にお目にかかれるものじゃないレアな食材、所謂《S級食材》である。

 ストレアがアキトにご馳走様しようと持って来た巨大な肉は、現在女性陣の手によって数多の料理に作り替えられている。

 リズベットは青椒肉絲(チンジャオロースー)、シリカは肉じゃが、シノンはローストビーフ。

 どれも肉の味を引き出していて、とても美味だとアキトは既に幾分か満足していた。平均よりも少食なアキトだが、どれも美味しくて何度も箸を伸ばしており、既に自身の料理を作り終えたリズベットとシリカ、シノンは盛り付けようのお皿を運びつつ微笑ましく笑った。

 審査員として料理を頬張っていたアキトだが、既に審査用として添えられた分の料理は食べ切っており、クラインとエギル──特にクラインの視線から逃げつつ、現在は次の料理を待っている状態だった。

 

 

 「どれも見てるだけなんて耐えらんねーよ!」

 

 「あと四人か……まだまだだな」

 

 「ちくしょー!おいアキト、羨まし過ぎんだろ!」

 

 「ご、ごめんね……」

 

 

 エギルとクラインの会話に巻き込まれ、思わず謝るアキト。しかし、SAOの料理はすぐに出来るので、問題なのはアキトの食べる速度である。

 クラインの早くしろとの最速に、アキトは堪らず溜め息を吐いた。

 

 

 「しかし、肉ってだけで色んな料理が出て来たな」

 

 「料理スキルを持ってない奴もいるってのに、どれも揃って美味そうでいけねぇ、俺もう我慢出来ねぇよ……」

 

 

 エギルが厨房を眺めながらそう呟く。クラインは料理を眺めて目を細めていた。

 そんなエギルとクラインから視線を外し、アキトは再びテーブル上の料理の数々を見つめた。

 どれもS級の肉というのを抜きにして良い味を出していた。アスナの監修の元、当然と言えば当然なのだろうが、料理が上手だと、偏見ではあるのかもしれないが女の子らしさを感じた。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 すると、漸く次の足音が厨房から飛び出す。クライン共々振り返ると、そこにはいつもの元気な雰囲気が消えた、リーファの落ち込んだ姿だった。

 トレイに乗せられたのは大きめの丼だった。湯気が白く飛んでいるが、その中でもリーファの落ちこむ表情は目に見えて分かりやすかった。

 

 

 「え、ど、どうしたの……?」

 

 「う……それが、アスナさんに手伝って貰って、途中までは上手くいってたんだけど……盛り付けたら、なんか美味しそうじゃなくなっちゃって。はい……これ……」

 

 

 弱々しい声で置かれたトレイの上には、何やらぐちゃっとしたものが丼の上に盛ってあり、一見すると何なのか分からないものだった。

 先程まで目を爛々としていたクラインも、思わず我に返り困惑しながらもまじまじとリーファの作った料理を見ていた。

 エギルや他のメンバーさえもが訝しげな目でそれを見ていて、必死にそれが何なのかを考えていた。

 

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「これ……牛丼?」

 

 

 当のアキトはその限りでなく、目の前の料理を見てすぐさまリーファにそう尋ねた。周りもそれを聞いて今一度料理を見る。するとどうだろう、言われて見て初めてそれが牛丼だと認識出来た。

 作ったリーファですら驚いており、目を丸くしてアキトを見る。

 

 

 「っ……そ、そう。なんで、分かったの?」

 

 「いや、なんでと言われると分かんないけど……」

 

 

 リーファの質問に対する答えが見付からない。しかし何故か、それがすぐに牛丼だと分かった。

 彼女の料理を見たのなんて、一度や二度しかない。その時の料理がおでんみたいなポテフ、というちょっと見た目で判断するには難しいものだったのは覚えているのだが、それならば尚更目の前のものが牛丼だと一発で判断するのは難しいだろう。

 アキトはその問いに答えられる程のものを用意しておらず、しかしそのままその手に箸を持った。

 

 

 「食べても良い?」

 

 「……大丈夫?」

 

 「え……何が?」

 

 「だって、美味しそうじゃないし……」

 

 

 困惑した表情でこちらを伺うリーファ。見た目の所為で美味しいイメージが湧かないのだろう。最初は美味しいものを作ろうとみんなで料理を楽しんでいるようだったのに、今では自分の作ったものに自信をすっかり失くしており、かなり落ち込んでいるようだ。

 いつも元気なイメージがあったリーファのそんな表情は、アキトとしても見たくないものだった。

 

 

 「味はアスナのお墨付きなんでしょ?なら大丈夫だよ」

 

 「でも……」

 

 

 アスナが完全監修している。それは分かっているリーファだったが、どうせなら良い見た目のものを食べさせてあげたかったのだ。

 これは、キリトに料理を振る舞えなかったリーファの精一杯のリベンジで、美味しいものを是非、自身の兄の面影を持ち、かつ兄の親友であるアキトに食べて欲しかったのだ。

 俯くリーファのそんな感情が、周りを伝染する。彼女がどうして料理を頑張っていたのか、その理由をなんとなく垣間見たからだ。

 

 

 

 

 ────だが、そうして周りの空気が沈みかけた時だった。

 

 

 

 

 「『────それに、折角スグが作ってくれたものなんだし』」

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 「え……?」

 

 「なっ……!?」

 

 

 突如、アキトの声が誰かと重なった。その場にいたメンバー全員の視線が、一気にアキトへと集中する。

 リズベット、シリカ、クライン、エギル、そしてリーファ。各々が瞳を揺らし、驚愕を隠せずにただその少年を見つめた。

 

 

 今の声、そして、リーファの呼び方。

 それは確かに────

 

 

 「お、兄ちゃん……?」

 

 

 リーファがポツリと、震える声でそう呼ぶ。誰もが、次に彼が発するであろう言葉を待ち受けた。

 

 

 ────しかし、アキトはキョトンとした表情でリーファを見て、首を傾げた。

 まるで、何事も無かったかのように。

 

 

 「ん?どうしたの、リーファ?」

 

 「っ……ぇ、ぁ……」

 

 

 そこには、いつもと変わらないアキトの姿があった。リーファは、思わず言葉に詰まる。

 今まさに、目の前に自身の会いたかった兄、キリトその人が現れた気がした。けれど呼んでみれば、変わらず自分の良く知るアキトがいて。

 

 

 「ね、ねぇ……今の」

 

 「ああ……」

 

 

 しかし、その場にいたリズベット達も動揺を隠せずに心を揺らがせる。今のは、間違いなくキリトだったのでは、と。

 アキトの中にキリトがいる。まるで嘘みたいな話だったそれは、段々と現実味を帯び始めていた。キリトを良く知る人達は、ただそれに驚きを隠せない。

 

 当のアキトはまるで何食わぬ顔をしていて、まるで今のが気の所為だったのではと思わせられる。

 彼は変わらず牛丼を見つめて、やがて両手を合わせた。

 

 

 「じゃあ、いただきます」

 

 「あっ……」

 

 

 沈黙を破り、アキトは牛丼にありつく。肉を熱々のご飯と合わせて頬張り、もぐもぐと口を動かす。

 リーファは途端小さく声を漏らし、アキトのその姿に兄を重ねて、僅かに頬が染まる。

 そんな兄に似た彼の口から出た言葉は、称賛のものだった。

 

 

 「うんっ、美味しい!」

 

 「ほ、ほんと!?」

 

 「タレが肉に合ってるし、ご飯と合わせるとやっぱり美味しいね。牛丼も久しぶりだな」

 

 

 何よりかき込んで食べるのが美味しい。アキト自体牛丼は好きなのだが、チェーン店に行くような事は少なかった。家庭的かと言われれば微妙だし、食べる機会は多くなかったのだ。

 SAOに閉じ込められてからはそもそも美味しいものにありつける事も少ない。だからこそ極めた料理スキルだったのだが、あまり使う事も無かった。

 今目の前に牛丼があるだけで、何処か現実への憧れを思い出した気がした。

 

 

 「……ねぇ、アキト君」

 

 「何?」

 

 「あ、いや……ううん、何でもない……」

 

 

 リーファは、アキトを見て口を開きかけたが、すぐに力無く口を閉じた。周りにいたリズベット達も、まるで幻のように一瞬だけその影を見せたキリトの姿に対して、特に何も言わなかった。いや、言えなかったという方が正しいかもしれない。気の所為だった可能性もある。何より、この場で料理を楽しむアキトに気を遣っていた。

 

 

 「……ホントに何でもないの?」

 

 「うん。普通に食べれるみたいで良かったなぁって思っただけ」

 

 「そっか、ありがとね」

 

 「えへへ」

 

 

 リーファは照れたように笑う。

 妖精のような綺麗で可愛らしいその仕草に、アキトは彼女らしさを感じた。

 この牛丼も、見た目こそ優れているとは言えないがとても美味で、少し不器用ながら優しさを持つリーファを体現しているみたいだった。

 

 

 

 

 「そっかそっか〜。見た目が変でも、味が美味しいなら合格だよね」

 

 

 

 

 そんな声と同時に厨房から飛び出たのはストレアだった。一同我に返って振り返る。

 シノンが受け皿を持って彼女の後に続いているのたが、何やら複雑な表情をしていた。アキトはそれを不思議に思いつつ、ストレアが持って来た料理に視線を動かす。

 

 

 

 

 ────しかし。

 

 

 

 

 「ストレアは何を……作って……くれた……!?」

 

 

 

 

 ストレアが持って来たものを見て、身体が固まる。その場にいた誰もが息を呑む音が聞こえる。S級食材を羨ましそうに見ていたギャラリーでさえも、ストレアが手にした『何か』を見て思わず後退りしていた。

 

 

 「なんか……あたしよりも凄い見た目……」

 

 

 誰も言わなかった事を、リーファが口走る。

 みんなして、テーブルに置かれたその料理なのか何なのか分からないものに視線を集める。

 ボウルにステーキ程に切られた肉が何枚も詰め込まれ、血に近い色の液体に浸かっている。その肉の周り、ボウルの縁には紫色のものや青色のもの、緑色のものと、色んな意味であまりお目にかかれない葉物野菜的な何かが敷き詰められている。

 

 もはや何をイメージして作ったのかすら分からず、一同背筋が凍った。

 

 

 「……す、ストレア様。あの、料理名は……?」

 

 「えっとね……分かんない!食べて食べてー!」

 

 「分かんないって、アンタ……そもそも料理……食べ物なの……?」

 

 

 震え声で呟くリズベット。その疑問は誰もが考えているものだった。

 だがアキトだけは、ストレアを悲しませまいと、自身の持つ常識全てを捨て去り、必死に自身の記憶とストレアの言動から目の前の料理に関する記憶を呼び起こす。

 

 

(分かんない……ワカンナイ?“和寒菜炒(ワカンナイ)”?そんな料理あったかな……?)

 

 

 半ば現実逃避気味の思考。これは本当に食べてもらう事を目的としたものかのかとまじまじ見てしまう。しかし、湯気も立っているし、熱々なのだろう。冷めるうちに食べ────訂正。湯気ではなく瘴気だった。それも赤紫色の。

 未知の恐怖に困惑し、その瞳を揺らしていると、ストレアがアキトのすぐ隣りに腰掛け、アキトの箸を奪った。そして、自身の料理をそれで掴み、アキトの口元へと運んだ。

 

 

 「ちょっと見た目は悪いけど、味は大丈夫!はいアキト、あーん!」

 

 「へ、いや、あの……むぐっ……」

 

 

 アキトが何かを言う前に、ストレアの料理が無理矢理口を割って侵入した。そのままどんどん口内に入っていき、ストレアの差し出した肉がまるまるアキトの口に収まっていった。

 

 

 「あ、アキト君……?」

 

 

 リーファが恐る恐るアキトの様子を伺う。リズベット達も、沈黙を保ちながら神妙な顔持ちでアキトを見やった。一体、どんな味がするのだろうか────?

 

 そうしてアキトがストレアの料理を噛み締め、飲み込んだところで、漸くアキトが口を開いた。

 

 

 「……美味しい」

 

 「やった!でしょでしょ?」

 

 

 ストレアが嬉しそうに両手で小さくガッツポーズを作る。周りもアキトの反応に驚いたのか目を丸くしていた。

 まさか、その見た目で美味しいだなんて。リズベットが慌ててアキトに近寄った。

 

 

 「ちょ、ちょっとアキト、ホントに?」

 

 「うん、本当に美味しい……!見た目に反して兎に角美味しいんだ。びっくりだよ……けどもっと食べたいのに、その見た目の所為で箸が伸びないこのジレンマ、なんだこれ、凄いな……!」

 

 

 アキトの反応が一々大きくて、周りも唖然としていた。

 何ていう食べ物なのだろう。食文化に一石を投じる、まさに一種の革命だった。

 

 

 「凄い褒められてる!」

 

 「褒めてるのかな……それ……」

 

 

 アキトの反応にストレアは大満足だったが、他のメンバーは未だ信じられない様子だった。

 しかし、後にリズベット達は思い知る。ストレアの作ったこの料理の凄まじい美味しさに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「はい、アキト君。お待たせ」

 

 

 暫くして、アスナが厨房からやって来た。既に料理を作り終えたシリカ、リズベット、リーファ、シノン、ストレアと、クラインとエギルは席に付いており、後はアキトの全料理の審査を待つのみとなっていた。

 アキトとしてはどれも甲乙付け難い程に美味しかった為、競争なんてしなくても良いんじゃないだろうかと思っているのだが、そうすると空気が冷めてしまうのではないかという不安から何も言えずにいる。

 そんな中、アスナが持って来た料理はこれまたレベルの高いものだった。

 

 

 「コトレッタ……ミラノ風カツレツだよ。付け合せのサラダとトマトソースを作ってたら遅くなっちゃったけど」

 

 「これはまた……すげえな」

 

 

 クラインの言葉を耳に、流れるように料理を見る。そうしてアキトの目の前に置かれた審査用の小さな小皿に乗せられた料理に、思わずその目が眩んだ。

 黄金色のカツレツに緑のサラダ、赤いトマトソースと目にも鮮やかで、第一印象から既に美味しいのが伝わった。箸でカツレツを掴めば、衣がカリッとしているであろう事が簡単に想像出来る。

 アキトはトマトソースがついたカツを口元へ持っていき、その口を開く。

 

 

 「……えと、じゃあ、いただきます」

 

 「う、うん……どうぞ」

 

 

 ────しかし、アスナのその声音を聞いてアキトはカツレツからアスナへと視線を移動した。

 

 いきなり視線を向けられた事でアスナはギョッとしているようだったが、胸に片手を当てており、まるで心臓の音を確かめるような仕草を取っていた。

 まるでアスナらしくない。アキトはそんな彼女を不思議そうに見上げる。

 見た感じ、頬も僅かだが赤く見えて────

 

 

 「……どうしたの」

 

 「え、え……?な、何……?」

 

 「いや、不安そうに見えたから。料理スキル完全習得してるんだし、味は間違いないと思うけど……」

 

 「っ……べ、別に緊張なんてしてないわよっ。ほら、早く」

 

 「あ、うん……」

 

 

 アスナに捲し立てられ、流されるようにカツレツを口に入れる。

 いや明らかに緊張してない?とアキトは脳内でのみそう呟いた。心配しなくとも不味いなんて事は無いだろうし、味見だってしたはずだ。余程の事が無ければ美味しくないはずがない。

 すると、すぐさま肉汁が溢れてアキトの目が見開く。やはり想像通り衣はカリッとした食感で仕上がっており、さっぱりとした付け合わせのサラダの爽やかさも加わって肉の味が引き立てられている。

 控えめに言って────

 

 

 「凄く、美味しいよ。こう……色々表現したいんだけど、言葉が出て来ないくらいには」

 

 「そ、そうかな」

 

 「このトマトソースも濃過ぎない感じで丁度良いし、俺は好きだな。サラダの味付けもあっさりしてて美味しい」

 

 「ほ、褒め過ぎだよ、アキト君。ふふっ、ありがと」

 

 

 アスナは謙虚な姿勢を保とうとしてはいるようだが、アキトの称賛の言葉に満更でも無さそうで、顔を赤くして頬を緩めていた。

 そんな彼女の表情に、リズベット達は呆然として見つめていた。彼女のその表情は、まるでキリトに見せる時のそれとよく似ていて、以前の彼女とはまるで違って見えたから。

 

 

 

 

 「最後は……ユイちゃんか」

 

 

 殆どの料理を審査し、漸く最後の一人となった。

 ユイが最後の最後まで出て来ない事に、アキトも少なからず不思議に思っていたのだ。かなり長い事厨房から出て来てないので、もしかしたら失敗したか、それともそんなに時間がかかる料理なのかと心配さえしていた。

 周りも似たような事を考えていたのだが、するとアスナがクスリと笑った。

 

 

 「ユイちゃんは大トリなんだ。最後に食べた方が、アキト君も印象に残りやすいでしょ?」

 

 「なるほど……ユイちゃんやるわね」

 

 

 リズベットは納得したように笑っては、アキトを見てニヤニヤし始める。アキトは訳が分からず首を傾げていたが、その他のメンバーは理解していた。

 要は、最後の最後にアキトに食べて欲しいというユイの考えなのだろう。最初に食べたもの程印象は薄くなるし、食べた料理の味が上書きされてしまうし、後に料理が続いていれば、アキトは急いで料理を食べなければならない。ゆっくり味わって食べてもらい、かつ印象を強く残させるには最後、アキトに自身の料理を食べてもらうのが一番なのだ。

 ユイ自身そこまで深く考えていた訳ではなく、最後に食べて欲しい、それだけだった。

 だが結果として、その印象を強くするのは間違いないだろう。

 

 アスナがユイを迎えに言っている間、アキトはテーブルに並んでいた料理の数々を見ていた。どれも美味しかったし、やはり一番というのは選べない。みんなが一生懸命作ったものに順位を付けるのは、やはり何かが違う気がしたから。

 

 

 

 

 「アキトさん!」

 

 

 「っ……ユイちゃん」

 

 

 

 そうしていると、背後からの元気な声がして、ゆっくりとその首を回す。

 

 そこには、トレイに小皿を乗せて笑う、ユイの姿があった。

 

 緊張してるのかユイの足取りが覚束無い。顔も少なからず強張っており、これから自分の料理がどう評価されるのか、その恐怖と期待が見て取れた。

 

 

 

 

 ────そして、アキトの目の前に置かれたその料理を見て、アキトはその目を見開いた。

 

 

 

 

 「ハンバーグです!食べてみて下さいっ!」

 

 

 

 

 ハンバーグ。肉料理の“定番”で、ユイが作った料理。普通のものより一回りも二回りもサイズの小さいハンバーグが、数個綺麗に乗せられていた。

 最後の最後で登場した事で、思わず目を見張る。そういえばこれだけ料理があったのにハンバーグは出てなかったな、と気付く。

 そんな隣りで、ユイが心配そうにアキトを見つめる。そんな彼女に笑いかけ、目の前の小さなハンバーグを箸で摘んだ。

 

 

 「一口サイズで可愛いね。食べやすくて丁度良いや」

 

 「それは、手がちっちゃくて……でも数はいっぱいありますよ!」

 

 「じゃあ、いただくね」

 

 「は、はいっ!」

 

 

 ユイが両手を胸の前でギュッと抑える。まるで何かを懇願するようだ。とても愛くるしくて、アキトは思わず笑ってしまう。

 周りに見守られる中、アキトは小さなユイの手のひらサイズのハンバーグを頬張り、噛み締める。その度に肉汁が溢れ、アキトは目を丸くした。

 

 

 「……うんっ、美味しいよユイちゃん。文句無しだよ」

 

 

 アキトのその一言で、ユイはその頬を綻ばせ、ぱあっと顔を明るくする。赤らめた頬のまま、嬉しそうに笑った。

 

 

 「本当ですか!良かったです!ママにも沢山手伝って貰って……」

 

 「アスナは料理が上手だし、ユイちゃんもきっと上手になるよ」

 

 「……またお料理作ったら、食べてくれますか?」

 

 「勿論、また頂くよ」

 

 

 えへへ、と照れたように笑うユイの頭を撫でる。

 嬉しそうに目を細める彼女に、アキトもつられて笑みを零した。

 

 

 「良かったね、ユイちゃん」

 

 「はい!」

 

 

 アスナがユイと同じ目線まで身を屈め、顔を見合わせて笑う。

 やがて、さて、と呟いて立ち上がり、厨房へと視線を向けた。

 

 

 「それじゃあ、みんなで食べましょうか。残りの食器を持ってくるわね」

 

 「あ、アタシも手伝います!」

 

 「大丈夫、あと少しだから。シリカちゃんも座ってて」

 

 

 シリカにそう促してアスナは厨房へと向かう。その背中をアキトが見つめていると、ハンバーグの審査からずっと隣りに立っていたユイがソワソワしている事に視線が向かう。

 

 

 「……ユイちゃん?」

 

 

 気になって、声をかける。それに周りも反応し、ユイに視線が集中し始めた。

 ユイは何か言いたそうに下を向いていたが、やがて顔を上げるとアキトを真っ直ぐに見た。

 

 

 「……アキトさんは、明日《ホロウ・エリア》に行かれるんですよね」

 

 「……うん」

 

 

 予想外の話に、アキトの表情が曇る。

 周りもこれから真剣な話をするのかと眉を顰め、S級食材を眺めていた他のギャラリーも、何やらただならぬ雰囲気にチラチラと視線を送っていた。

 

 

 「ママと、ですか……?」

 

 「え……?」

 

 

 しかし、ユイから紡がれた言葉にアキトは口をポカンと開ける。だが、すぐにその質問の意図に気付き、表情を変える。

 恐らく、一人で行くのかどうかが気になったのだろう。アキトは仲間を大切に思うが故にソロが多い。しかし、今回の事件は幾ら危険だとしても一人ではリスクが大き過ぎる。

 《ホロウ・エリア》の特性から連れて行けるプレイヤーも限られており、その中で最も優秀なのは、アスナだったからだ。

 ユイはアキトに、一人で行く事をやめて欲しいと、頼って欲しいと、そう言っているのかもしれない。

 アキトは小さく笑うと、彼女のその問い掛けに頷く事で肯定した。

 

 

 「……そうだね。時間も少ないし、アスナに頼る事になると思う。迷惑かけるかもしれないけど、彼女がいると心強いしね」

 

 

 アキトは厨房でお皿を重ねているアスナを見る。嬉しそうなその表情を可愛らしく思いながら想いを馳せた。

 キリトがいなくなってから、何度も後悔を繰り返し、悩み、苦しんだ少女。自分の我儘の結果、生きる道を選択した彼女。そんな彼女が、頼って欲しいと言ってくれた。

 それがどうにも嬉しくて。でも、頼り方を知らなくて。

 シノンやクラインにも、仲間の在り方を教えて貰った。仲間は守るだけじゃない。頼り、頼られる存在なのだと。

 

 

 だから────

 

 

 

 

 「……羨ましいです」

 

 「……え?」

 

 

 ポツリと、小さな声でユイがそう呟いた。

 それはアキトにしっかりと聞こえていて、しかし思わず聞き返してしまった。ユイも、自分の言った事に気付いて一瞬慌てたが、やがて小さく息を吐くと、苦笑しながら口を開いた。

 

 

 「あ……い、いえ……私はその、こうしてママのお料理のお手伝いとか、ちょっとした情報提供とか、そういった事でしかアキトさんのお役には立てませんから……」

 

 「ユイちゃん……」

 

 

 ユイは誤魔化すように笑う。

 彼女は今までずっと、そして今でも変わらず、アキトの役に立ちたいと思っている。攻略において何も出来ない自分を、彼女だけが変わらず悔やんでいたのだ。

 ユイはきゅっとスカートの裾を掴んで俯いていたが、やがてまた顔を上げ、こちらの様子を伺うようにして切り出した。

 

 

 「で、ですがその、せめて……私がお手伝いをする事で、明日ママが頑張れるなら……それは、アキトさんのお手伝いを私もした、という事に……なり、ませんか……?」

 

 

 ────その一言を聞いた者全てが、固まった。

 

 

 彼女のその何処までも健気な姿勢に、男性一同は崩れ落ちた。

 この天使のような可愛らしい容姿を持つユイが、たった一人の少年の目の前で顔を赤くしてそう告げているのだ、尊過ぎて死ねた。

 もはやアキトに対する嫉妬すら浮かばず、ユイのその考え方に垣間見得る優しさと尊さに、それを聞いていたこの店の男性プレイヤー一同は召されていた。

 かく言うアキトも、そんな健気なユイの姿勢と言葉に苦笑しつつも、目を見開いていた。

 

 

(ど、何処まで出来た娘なんだ、この子は……キリトには勿体無いよ……)

 

 

『な、なんでだよっ、そんな事無いだろっ!』

 

 

 親友の声が聞こえた気がするが、無視しつつユイを見る。

 それを聞いていたリズ達も手を口元に抑えて感動していた。クラインやエギルはマジマジとアキトを見上げては目を細めている。

 困惑していたアキトだったが、ユイのその言葉を聞いた後、やがて軽く口元を緩ませて、ユイの自然に合わせて告げた。

 

 

 「ユイちゃん。料理も情報も、生きる上で必要な事だよ。ぶっちゃけて言えば攻略なんて危ないだけで、ゲームクリアの為にはやらなきゃいけない事だけど、生きる上で必要かって言われたら、特になくても生活に支障が出るわけじゃないし。けど食事や知識は当然必要でしょ?」

 

 「そう、でしょうか……」

 

 「そうだよ。それに、《ホロウ・エリア》の謎はユイちゃんがいてくれたから分かったんだし。フィリアが助かったのも、今こうして俺がここにいるのも、ユイちゃんのおかげだよ。君がいてくれたから、ここまで頑張れたんだ。いつもありがとね」

 

 

 実際、本当にユイには感謝しかなかった。

 フィリアが悩んでいた理由や、ゲームの事細かなシステムやバグ、スキルやアイテムの説明など、彼女がいてくれた恩恵は大きい。

 何より、彼女がここで自分達の帰りを待ってくれている。それがアキトにとって、とても大切な事だったのだ。

 そんなユイに感謝こそすれ、役立たずだなんて思えるはずがない。彼女がいなければ、今の自分はない。

 

 

 

 

 「っ……ぁ、アキトさん……」

 

 

 

 

 ────しかし、アキトの目の前には、予想外にも赤面して固まったユイがいた。

 口元を震わせ、胸元の両手を行き場も決めずに漂わせ、身体は何故か震えていた。瞳には心做しか涙が溜まっていた。

 アキトは思わずガタリと席を揺らす。ユイのその変化に慌てふためく。

 

 

 「……しまった」

 

 

 顔を真っ赤に染めるユイを前に、アキトはやってしまったとばかりにウロウロとする。ユイがこうなる事は予想出来ていたはずなのに、素直に感謝をし過ぎた。

 そんな彼を、一同はジト目で見ていた。

 

 

 「あ、アキトさん……」

 

 「きゅるぅ……」

 

 「……罪な男ね」

 

 「まったくよ、キリトと良い勝負だわ」

 

 「へ、へぇ……お兄ちゃんもあんな感じだったんだ……」

 

 

 女性陣が一斉にアキトを視線で突き刺していた。傍から見れば幼女を泣かせたようにしか見えない天然スケコマシを許すまじ、キリトと行動が似ている事もあり、その苛立ちを助長した。

 

 

 

 

 ────この後、戻って来たアスナに散々怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「よし!そんじゃ早速みんなで食べようぜ!こっちは早く食べたくてさっきからウズウズしてるんだからよっ!」

 

 

 全員が席に着き、料理がテーブルに並ぶ。漸く食べられる事になったS級食材を前に、クラインの目は輝いていた。

 女性陣とアキトは、そんなクラインの分かりやすい表情に笑みを浮かべつつ、各々料理を自身の受け皿に乗せ、自身の前に置いた。

 

 

 「俺もだアキト!早く食べようぜ!」

 

 

 エギルが自分の皿に大量の料理を乗せ、ジョッキを片手に掴んでこちらを見ていた。

 各々、自分の食べるものは盛り終え、全員がこちらを見ていた。どうやら切り出して欲しいらしい。

 アキトは苦笑しながらも、やがて意を決して口を開いた。

 

 

 「それじゃ、いただきます」

 

 

『『『いただきまーす!!』』』

 

 

 「いただきまーす!!よっしゃーっ!一生分の肉を食うぜー!」

 

 

 みんなで挨拶したのも束の間、クラインが高速で料理を口へと書き込んでいく。散々待たされた事によるストレスが一気に解放したかのようで、その料理の美味さに頬を緩ませては、間断無く頬張っていく。

 その獣っぷりに女性陣とアキトは目を丸くして見ており、エギルは笑いながらそれに続いた。

 

 

 「がっつくんじゃねーぞ!しっかり味わえよ!」

 

 「そうは言っても……んぐ……むしゃ……高級食材なんだから、もぐ……もぐ……止まらねぇよ」

 

 「そんなに焦らなくても、まだ沢山あるのに……」

 

 「も、物凄い食欲です……」

 

 

 アキトの両隣りで暴食を続けるクラインとエギルを見て、アスナとシリカは苦笑いを隠せない。

 そんな彼らを頬杖を付きながら見ていたシノンだったが、やがてフッと微笑し、目を細めた。

 

 

 「でも、こうやって自分の作ったものを食べてもらうのは、悪くないわね」

 

 「そうそう、あたしが鍛冶屋をやっているのも、相手に喜んで貰いたいからだしね」

 

 

 リズベットがそう言って料理を頬張る。

 リーファは周りの食欲に気圧されながらも、笑って声を上げる。

 

 

 「み、みなさーん、お代わりもありますからね」

 

 「私達も早く食べないと、自分の分が無くなってしまいそうです!」

 

 「アタシのも、どんどん食べてねー!」

 

 

 ユイとストレアもそれぞれ料理に手を付け始め、その空間は笑顔に包まれた。同じものをみんなで共有し分かち合い、会話を挟みながら料理を楽しむ彼らは、本当に幸せそうに見えた。

 アキトは何処か感動すら覚えながら、その料理に手を伸ばし、同じように笑う。

 

 

 「……」

 

 

 

 ────失くしたくない。

 

 

 

 

 いつの日か、同じ事を想って、そして失ったものがあった。

 ここへ初めて来た時は、もうそんな空間は手に入らないと思っていた。大切な場所は、あの場所だけなのだと思っていた。

 なのに、また大切なものが出来てしまった。

 

 今度こそ、絶対に。

 

 そんな感情が、彼らを見て浮き彫りになっていた。

 彼らを見ていると、それだけで、黒猫団のみんなが重なって見えて。また、同じ未来を辿るのではないかと、そんな不安が頭を過ぎる。

 

 

 

 

 「……そうだ、アキト君っ」

 

 「っ……」

 

 

 感傷に浸っていると、向かいの席からアスナの呼ぶ声がする。ハッと我に返って見れば、彼女がアキトを見て微笑んでいた。周りもつられてアスナとアキトを見やり、何だ何だと訝しげな表情を浮かべる。

 

 

 「な、何?」

 

 「材料、まだ余ってるよ?」

 

 「え?」

 

 

 アキトは、突拍子も無い彼女のその発言に目が点になる。手にしていた箸は空に静止し、呆然とアスナを見ていた。

 周りも、どういう事だとアスナの発言に首を傾げていたが、やがて納得したように目を見開いた。

 

 

 「……あっ!そういやアンタ、料理スキル持ってんじゃない!」

 

 「確か、完全習得してるんですよね?」

 

 

 リズベットとシリカが同時にこちらを見やり、煌々とした瞳を向ける。それに気圧されつつ、アキトは小さくコクリと頷いた。

 

 

 「う、うん……一応は……」

 

 「えー!ホント!? アタシ、アキトの料理食べてみたいなー!」

 

 

 アキトの肯定にストレアが立ち上がり、手を上に挙げて提案した。それにみんなが賛同の意を示すように、視線を一斉にアキトに集めた。

 

 

 「私もアキトさんの料理食べたいです!」

 

 「あたしも!」

 

 「そうね。私達も作ったんだし、アンタも何か作ったら?」

 

 「……」

 

 

 ユイ、リーファ、シノンに続けてそう言われ、アキトは思わずアスナを見る。彼女はニコニコと笑っては、その中に悪戯気な表情が垣間見えた。

 完全に確信犯。

 もしかして、今さっき自分が過去を思い出していた事に気が付いて、気を遣ってくれたのだろうか。

 そう思うと、悪い気がして。

 

 

 ────アキトは、小さく笑った。

 

 

 「……じゃあ、何か作ろっか。と言っても、最近碌にやってないから、あんまり期待はしないでね」

 

 

 ゆっくり立ち上がって、厨房へと身体を向けた。

 わあっ、と彼らが歓喜し、待ってましたと声を上げる。煽てるのが得意だな、と笑いつつ、アキトは厨房へと急ぐ。

 

 

 彼らの期待の眼差しが、今は心地良い。

 

 

 「……さて、何を作ろうか。カレーかビーフシチュー……」

 

 

 アキトは再び小さく笑うと、白銀の包丁を取り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────因みに出来上がったアキトの料理を食べたメンバー──特に女性陣は、女として負けた気がしたという。

 

 

 




キリト 「お粗末!(松岡ボイス)」

アキト 「キリトストップ」






①審査の結果


リズ 「さあ、それじゃアキト、そろそろ決めて貰おうかしら」

アキト 「えっ」

ストレア 「アキトは誰の料理が一番だった?」

アキト 「……えと」


『『『…………』』』


アキト 「……その、どれも美味しかったし、決められない……です……ゴメンなさい……」


『『『…………はぁ』』』


アキト 「なんでっ!?」Σ(゜ω゜)







②将来は


ユイ 「アキトさんっ、またお料理作ったら食べてくれますか?」

アキト 「勿論だよ。ユイちゃんのハンバーグ美味しかったし、料理の才能あると思うよ」

ユイ 「そ、そんな……大袈裟ですよ」

アキト 「大袈裟なんかじゃないって。ユイちゃんは将来、良いお嫁さんになりそうだよ」

ユイ 「……ですか?

アキト 「……え?」

ユイ 「だ、誰のお嫁さん、に、なれますか……?」(///_///)

アキト 「へ?あ、えと……だ、誰かな……」

シリカ 「うわぁ……」

リズ 「……ホンットにこの男は……」

シノン 「見境無いのね」

リーファ 「無自覚なのがタチ悪いよね……」


アキト (な、なんかみんなの視線が痛い……)


























【謝罪】


最近、妄想してた今作のifストーリーであるALO編のプロローグを書き上げてしまった……(白目)
SAOゲーム版《ロスト・ソング》編をベースにした本作品のifストーリーなのですが……。


私夕凪楓、本作の投稿を蔑ろにして、遂に妄想を文字起こししてしまいました。


タイトルは
《ソードアート・オンライン ──歌姫と白猫──》


《主人公プロフィール》

ユキ : 逢沢(あいざわ)(たくみ)

誕生日 : 2008年 2月29日


《──歌姫と白猫──》編のオリジナル主人公。
アキトの現実世界での妹に当たる存在だが、血縁関係は一切無く、元々は同級生。小学校からの付き合いだが、距離感は微妙。
《ALO》では猫妖精(ケットシー)アバターを使用し、見た目が全身白銀で覆われている事から《白猫》の異名でALOに知れ渡っている。因みにアバターネームの由来は、以前飼っていた白猫の名前である。
使用する武器は固定せず、相手に合わせて戦い方を変える器用さを待ち合わせており、時間をかけて相手の行動を分析する戦い方を得意としている。
相手の動きを一度見ただけで、その動きは完全に記憶し、そして自身の動きに取り入れる高度な模倣技術を持っており、その応用で予知に近い攻撃予測を行う事が出来る。その戦術は、彼女自身の見た目と能力が相まって、後にシステム外スキル《戦術模倣(コピーキャット)》としてその名を知られる様になる。

現在判明中のOSSは、『Ep.if 好敵手の条件』で使用した《フェアリィ・ダンス》。ALO九種族存在する妖精のそれぞれのメインカラーで彩った九色九連撃の全属性付与ソードスキルである。

ALOでの容姿は《白猫》の二つ名が示すように、白銀の長髪ストレートに白い猫耳と尻尾、装備するローブ系の装備も白を基調としており、主武装は刀と片手用直剣である。
現実世界では黒髪の長髪ストレートで、端正な容姿。一見するとクールで冷徹に見えるが、実際は快活な性格。何事にも冷めたような態度に見えてその反面、内には情熱を秘めており、ALOに関してはゲームであっても常に本気で取り組んでいる。真面目でひたむき、努力家で、周りから持て囃されても決して驕らない。周りから羨望と、それ以上に嫉妬の対象となる程の容姿にも関わらず好感の的である。
だが、こと恋愛事に関しては鈍感な部分があり、その容姿から好意を寄せられる事が多いが本人は全くといって良いほど気が付いておらず、他人からの好意に対しての鈍さはキリトと同等。



そんな彼女と、SAO帰還者であるキリト達との出会いから紡がれる、オリジナル展開を織り交ぜたifストーリーです。
今作終わる前にプロローグを書き終えてしまった……!


因みにタイトルだけならSAO全ゲーム決めてるというキチガイ振り。


そんなん書く前に本編終わらせろ?
その通りですすみません(土下座)




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Ep.95 無邪気な君が





忘れてはならないと、何かが流れ、告げている。





 

 

 

 

 食後、エギルの店で全員が椅子に持たれて満足そうに息を吐いた。あれだけあった大量の料理はみるみるうちになくなっていき、彼らは見事に完食したのだった。

 どの料理も甲乙付け難い程に美味で、口に頬張る度に幸せそうに笑う姿が、とても温かく見えた事だろう。

 

 

 「いやあ、堪能したぜえ……オレ、生きてて良かった!」

 

 

 クラインが自身の腹をポンと叩き、天井を見上げて呟いた。その表情は幸福に満ち溢れており、未だ興奮が冷めない様だった。

 食事はこの世界の数少ない娯楽、つまりは、今回の食事は最高の娯楽のひと時だったと言えよう。彼の感動は全員が感じていた。

 

 

 「まったくだ。三日に一度は、こんな日があると良いな」

 

 「三日に一度S級食材を食べるって……どんなラッキープレイヤーなの……」

 

 

 エギルもクライン同様に幸せそうにそう呟く。それを聞いてアキトは困ったように笑った。

 S級食材は手に入れる事それ自体が困難なのだ。ドロップの確率はプレイヤースキルで賄えるものでは無いうえ、市場で売られてる可能性も低い。

 先程も言ったように、食事はこのSAOにおいて数少ない娯楽。S級の食材を手に入れたなら、自分で食べたいと思うだろう。勿論、料理スキルを完全習得をしているようなプレイヤーは数える程しかいない為、探せば売ってる場所もあるかもしれない。

 そんな発言に、リズベットは呆れたように笑う。

 

 

 「もう、エギルったら大袈裟ね。でも、本当にどの料理も美味しかった。思い出すだけで幸せになれそう」

 

 「全員で食べても、結構な量だったわね」

 

 

 シノンももう満腹なのか、疲れたように背もたれに寄り掛かる。そんな彼らを見て、アスナが嬉しそうに笑った。

 

 

 「ふふふ、お粗末様でした。あれだけの食べっぷりを見せられると、作って良かったなーって思っちゃうな」

 

 「みんなでこうやってワイワイやるのって、すっごく楽しいね!」

 

 

 ストレアはとても楽しそうそう告げた。そんな至極当たり前の事を言い放ったストレアに誰もが視線を向け、笑った。

 そんな当たり前の日々の楽しさを、久しく感じていなかった気がした。色んな事が起こり過ぎて、そんな感覚忘れかけていた。

 ストレアの今の発言が、改めてこの在り来りな日々の大切さを教えてくれていた。

 

 

 「そうだ!ねえねえアキト! アタシ、今夜はここの部屋に泊まっていくね!」

 

 「え?」

 

 「アタシ、もっとみんなとこうしていたいな」

 

 「ストレア……」

 

 

 アキトは、思わず言葉に詰まってしまった。

 そんな彼女の願いに、子どものような想いが、とても愛おしくて。

 周りもそう思ったのか、そんな彼女を微笑ましく見つめていて。そんな中、ユイが笑って駆け寄って、ストレアの腕を掴んで見上げた。

 

 

 「大歓迎ですよ!夜はいっぱいお喋りしましょう!」

 

 「うん!賛成!ストレアさんの事、色々聞かせて欲しいな」

 

 

 アスナもストレアに近付いて、そう答えた。

 シリカやリズベット、リーファやシノンも賛成のようで、ストレアの周りに集まっていく。ストレアが嬉しそうに笑みを浮かべて辺りを見渡す。

 そんな彼女に、アキトが口を開く。

 

 

 「だってさ。みんなストレアと一緒に居たいんだ。君の気が済むまで付き合ってくれるよ」

 

 「ありがとう、みんな!」

 

 

 ストレアは、太陽のような笑顔を向けるのだった。そうしてアスナ達に囲まれて、両手を広げていた。

 

 

 

 

 そんな彼女を見ていると、とても温かくて。

 

 

 

 

 ────何処か懐かしく、とても、切ない気持ちになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……ふう」

 

 

 そろそろ日を跨ぐ時間帯に差し掛かり、アキトはベッドに寝転んだ。大の字で仰向けになり、シミ一つ無い天井を見上げる。自分以外誰もいないこの部屋で聞こえるのは、自身の小さな呼吸音と、ベッドの小さな軋む音。

 楽しい時間程すぐに終わってしまうもの。みんなでテーブルを囲ってのトランプなどのゲームは想像以上に盛り上がりを見せ、絶叫などが聞こえる程。

 暫くして、普段は寝るであろう時間帯になった頃、アキトは部屋に戻ったが、女性陣は同じ部屋へと集結し、夜の会話を楽しんでいたようだ。少し部屋から出てみれば、ワイワイと快活な声が聞こえていた。

 今はもう聞こえていない為、みんな寝静まったのかもしれない。

 

 

 「……」

 

 

 一階も二階も静寂に包まれて、夜中である事を実感させる。気が付けばもう零時になっており、曜日が変わっていた。

 

 ────今日、この日だ。

 

 今から眠り、再び目を覚ませば、やって来るのは《ホロウ・エリア》での最後の戦い。《ホロウ・データ》であるPoHが企てた、この世界全員を対象とした大型のアップデートを阻止する為の攻略が始まる。

 もう猶予は残されていない。タイムリミットは、良くてあと一日、二日程だろう。

 最後のエリアである管理区の地下、そのダンジョンの先の中央コンソールにて、それを解除し、フィリアを連れ帰る。

 そして、みんなでゲームクリアをするのだ。

 

 

 「……」

 

 

 早く眠って明日に備えないといけない。そう思っているのに。

 何故か、不安で寝付けない。眠たくならないのだ。何かするでもなく、ただ天井を眺め続ける。

 

 明日に、全てがかかっていると思うと、身体が震えた。

 

 自身の選択や判断によって、明日の攻略が失敗するかもしれない。そうなれば、この世界のプレイヤー全てが《ホロウ・データ》を上書きされ、意識を消滅させ、IDを失ったアキトとフィリア、アスナ、クライン、シノンは死亡扱いとなって現実世界の身体に影響を及ぼす可能性もある。

 その事実が起こり得る未来のビジョンに、アキトは嫌悪感を覚えた。決して認める訳にはいかない、拒絶の意思だった。

 アキトの脳裏に蘇るは、先程までの光景。たくさんの料理を囲って談笑する、大切な仲間の姿。

 

 

 ────あの空間が、好きだ。

 

 

 今日、改めて感じた。

 彼らの柔らかな笑み、耳に残る楽しそうな声。何もかもが尊く、綺麗で。かつての仲間を重ねてしまう。

 だからこそ、もう、何も失いたくなくて。そして、そんな恐怖こそが戦闘での反応速度を鈍らせる。

 駄目だと分かっていても、また失うのではと、何も変われていないのではと、不安が胸を襲うのだ。

 怖い、ただ怖いのだ。また、何かを失う事が。

 

 

 「……君は、ずっとこんなプレッシャーの中、戦って来たんだね。キリト……」

 

 

 

 

 ────ズキリ。

 

 

 

 

 頭が痛む。再び覚えの無い光景が頭の中を流れる。

 誰も死なせない、そんな意志を纏わせた二本の剣を振り回し、一人でボスを圧倒する自身の姿を。

 涙を流して想いを吐露するアスナを抱き締める、自身の姿を。腕の中にいたアスナの身体は震えていて、そんな感触を、まだ覚えている。

 

 

 ────まるで、自分が体験した記憶のようで。

 

 

 「……」

 

 

 瞳を揺らし、焦燥を僅かに感じる。

 もう、現実での自分の家族関係や記憶、それに対して、何もかもが上塗りされたような不快感を感じる。

 大丈夫だ、と首を振る。

 けど、脳裏に映るその何もかもに。覚えの無いはずのものなのに、しっくりきてしまって。自分のものじゃない、そう自覚していても。本当の記憶は何処かへと飛んでいて。

 アキトは、頭を抑えた。

 もう、現実世界にいる本当の家族の顔すら朧気で。それらが全て、キリトのものに上書きされかけていて。

 自然と溢れる荒い呼吸は、恐怖からか、焦燥からかも分からない。

 

 

 

 

 「……くっ」

 

 

 

 

 ────すると、突然部屋の扉が軽く叩かれた。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 アキトはハッと我に返り、思わず起き上がる。額に汗を滲ませながら、慌てて扉を見やる。しかし、何の変化も無い。

 どうやら誰かが部屋をノックしたようで、こちらの返事を待っているようだった。

 アキトは汗を慌てて拭い、立ち上がる。扉に向かいながら、口を開いた。

 

 

 「誰……?」

 

『アタシ……』

 

 

 その弱々しい声は、聞き覚えのあるものだった。

 故に驚いた。その声の主は、先程まで元気で透き通った声を放っていたから。

 アキトは目を丸くしながら、ゆっくりとドアノブを回し、立っていた少女の目に視線を合わせた。

 薄い銀髪に、紫を基調とした装備。常に笑顔なのが取り柄だと勝手に解釈していたアキトだが、今の彼女のその顔は何処か暗かった。

 

 

 

 

 「ストレア……?」

 

 

 

 ストレアは、悲しげにも見える表情で、扉の前に立っていた。先程とは打って変わって大人しく、何処か具合が悪そうだった。

 

 

 「どうしたの?こんな時間に」

 

 「ゴメン……なんか苦しくて眠れないの……」

 

 「……中、入る?」

 

 「うん……」

 

 

 扉を開けば、ストレアが小さく頷いて、ゆっくりと部屋へと入る。扉を閉めてストレアを追い越すと、ベッドの隣りにあったソファーに座るよう促した。

 ストレアが座るのを確認すると、アキトも彼女の隣りに座り、彼女の様子を伺った。

 普段彼女からは考えられない程に弱々しく、触れれば消えてしまいそうだった。俯く彼女の顔を覗き込み、響かない程度の声で問い掛ける。

 

 

 「具合、どう?」

 

 「うん。まあまあ」

 

 「……そういえば、帰ってきた時にアスナ達がストレアの事、心配してたみたいだったけど……もしかしてずっと無理してた?」

 

 「ううん、そんな事無いよ。今日はホントに楽しかった」

 

 

 あはは、と無理して笑う彼女の表情は、普段と比べてあまりにも脆く見えた。そんな彼女の顔を見たくなくて、アキトはどうにか具合が良くならないかと、ストレアに少しだけ近付いて、原因が分からないか思案した。

 持病持ちなのか、食べた料理が悪かったのか。だがそれならストレア以外にも何か症状がないとおかしいと、アキトは再び首を捻る。

 そんなアキトを見たストレアは、再び俯き口を開いた。

 

 

 「ごめんね、心配かけて……多分アタシの問題だから……」

 

 「……やっぱり、何か病気、とか……?」

 

 「うーん……病気、なのかな……」

 

 

 彼女のその曖昧な様子は、まるで分からないといったものだった。病気なら、彼女自身何か知っているはずなのだが、そんな様子もなくて。

 そうして待っていると、ストレアが淡々と説明をし始めた。

 

 

 「えっとね……アタシ……時々、頭の中に、自分でない誰かが居る気がするの」

 

 「っ……自分でない、誰か……?」

 

 

 その言葉に、アキトは思わず言葉を詰まらせる。まるで、自分の境遇を想像させるから。

 ストレアのその状態に、自分を重ね合わせてしまう。思わず、視線が彼女に固まる。

 

 

 「うん……その誰かの頭が痛くなると、アタシも一緒に痛くなって……色々なものが、アタシの中に流れ込んでくるの」

 

 「色々……って?」

 

 「何か、色んなもの……でも、それが何なのかは、よく分からない。何か凄く大事なんだけど、忘れちゃってる事みたいな……」

 

 

 首を左右に振ってから、窓の外へと視線を向けるストレア。

 街灯の光が伸びているのが分かる。夜である事を改めて実感させ、暗闇が不安を助長する。

 

 

 「でも、それを思い出しちゃうと、アタシがアタシじゃなくなっちゃう気もするの。それが、とっても不安で……」

 

 「……」

 

 

 ストレアの説明は、良くも悪くも抽象的で。彼女の身に今何が起きているのか、明確な事は分からない。

 ただ、彼女のこの不安そうな顔から感じ取れる恐怖は真実で。それさえ分かれば、もう何も必要ない気がした。

 

 

 「っ……」

 

 

 ふと、何かがアキトの右手の指先に触れる。

 

 下を見下ろせば、ソファーに置いていた自分の右手のすぐ側に、ストレアの細い左手が置かれていた。

 ストレアが、恐る恐ると左手を動かす。行き着いたのは、隣りに座る、アキトの右手。躊躇いがちに伸ばされた彼女のその手が、アキトの右手に触れていた。

 

 

 「……」

 

 

 表情は暗く、何処か不安そうで。

 アキトは、それを黙って受け入れた。何も言わず、右の手のひらを差し出し、ストレアの左手に近付ける。

 一瞬だけ呆けた彼女だが、やがておずおずと左手がアキトと右手首をゆっくりと辿る。

 手のひら同士をくっつける。指をを動かし、優しく握り締めた。

 

 

 指を互い違いに絡ませると、その指先にそっと力を込めた。

 

 

 「……ストレア」

 

 「っ……」

 

 

 アキトに名前を呼ばれ、ストレアは少しだけ肩が震えた。その瞳は揺れていて、不安が顕著に現れていた。手を繋いでいる事で彼女から伝わる動きは、どんな微かなものでも追わずにはいられなかった。

 そして、そんならしくないストレアの、笑った顔が見たかった。

 

 

 「俺は、ストレアが何に悩んでいて、何に怖がっているのか、ハッキリとした事は分からない。分かっても、解決してあげられるとか、そんな無責任な事も……言えない」

 

 「……」

 

 「……けど、君が望むなら、何度だって手伝うし、力になるよ」

 

 「……アキト」

 

 

 ストレアの、アキトの手を握る力が少しだけ強くなる。小さく、心臓の鼓動が聞こえる。

 絡めた指から、彼女の想いを、不安を感じる。アキトは、ストレアを真っ直ぐに見て、小さく笑った。

 

 

 「ストレアにどんな事があっても、俺にとっては大切な仲間だし、みんなもそう思ってる。無邪気で楽しそうで、いつも笑顔なストレアにみんな惹かれたんだ。だから、ストレアに悩みがあるなら、君が笑顔になれない状況になってるなら、みんなきっと力になってくれる」

 

 「……」

 

 「……まあ、初対面では嵐のようだって言われてたけど」

 

 「えへへ……」

 

 

 ストレアが、小さく。けれど、確かに笑った。

 照れたような仕草に、曇りない表情。弱々しくはあったが、いつものストレアと良く似た笑顔だった。

 

 ストレアとの初対面は、驚きを連れて来た。

 眠りから目を覚ましてみれば、隣りで寝ていて。何故かアキトを知っていて。キリトを知っていて。信頼を寄せてくれていて。

 過去については曖昧で、強さに反して知名度が無い。色んな矛盾や不可思議な事を、彼女は多く持っている。それでもそれが気にならないほどに、アキト達はストレアに惹かれていた。

 傍から見れば違和感を感じるかもしれない。けれど、彼女の正体云々は関係無く、それ以上に、みんなストレア自身の事を大切に思っているのだ。

 

 

 「……だから、何も心配する事は無いよ」

 

 

 そう語りかければ、ストレアがアキトの手を握る力が強くなる。まるで、自身を按じてくれている存在を、確かめるかのように。

 

 

 「アキト……みんな……ふふ、ありがとうね」

 

 

 そう小さく告げたストレアは、漸く彼女らしい笑顔を向けてくれたのだった。

 彼女なりに、吹っ切れたのだろうか。アキトは、小さく息を吐いた。素直に良かったと、そう思えた。彼女と繋がったその手から、熱を感じて。何処か、懐かしくて。

 

 

 「ふあ〜……アキトとお話してたら、なんだか眠くなってきちゃった」

 

 

 ストレアはもう片方の手を口元へ持ってき、大きく欠伸した。アキトと話して、気が緩んだのか、思い出したかのように睡魔を感じ取り始める。

 ストレアがソファーからゆっくりと立ち上がり、アキトを見下ろした。手は未だ繋がれていた為、アキトはつられて立ち上がった。そろそろ帰るのだろうか、と思い、見送ろうとアキトが口を開く。

 

 

 

 

 「戻るなら送るよ」

 

 

 

 

 ────しかし、

 

 

 

 

 「今晩は、ここで寝ても良いよね」

 

 

 

 

 「…………えっ」

 

 

 

 

 ストレアは、とんでもない事を言ってきた。

 アキトが一瞬だけ、彼女の言葉に固まっていると、ストレアはその隙にアキトの手を引いて、ソファーのすぐ隣りのベッドへと移動を開始していた。

 ハッと我に返ったアキトは、すぐさま足に力を込めて立ち止まる。

 

 

 「ま、待って!それは流石にまずい……!」

 

 「もうここで寝るって決めたの」

 

 

 ストレアはアキトと繋がったままベッドへと腰を下ろし、いそいそと横になり始めていた。自由奔放な彼女だ、ここまでしたらテコでも動かなそうだった。

 アキトはここで彼女を寝かせる事を半ば強引に容認しつつも、絶対に引けない部分があった。

 

 

 「ストレア、手、手を離して!せめて俺はソファーで寝る!」

 

 「良いじゃん、一緒に寝ようよ。私ずっとアキトとこうしたかったんだよね」

 

 「な、何言って────」

 

 「えいっ」

 

 「っ……うおっ……!」

 

 

 アキトが固まった一瞬に、ストレアが繋がれた手を強く引っ張る。力の抜けていた身体は簡単にベッドへと倒れ込み、ストレアのすぐ隣りに簡単に収まってしまった。

 すぐ隣りを見れば、眠気でとろんとしたストレアの瞳。思わず顔を逸らす。

 すると、繋がれた手の力が強まり、そのまま片腕が彼女の腕の中に捕えられた。彼女の身体にぴったりと付けられたその腕は、豊満な胸が押し付けられて、逃げようにも彼女自身の腕に強く抱き締められている。

 

 

 どうにか手だけでも離さないと、と思い指を開いて僅かにずらすと、繋がっている彼女の指がピクリと震えた。

 彼女を見れば、解かれてしまうのか、そんな想いで表情を曇らせていた。

 そんな仕草に、アキトは顔を赤くしてわなわなと震えた。生憎現実でもゲームでもコミュニケーションを苦手としていたアキトが、経験した事も無い行動をこうも繰り広げられたら対処出来るはずも無く、何も出来ないまま、ただストレアの女性らしさを色々と感じざるを得なくなっていた。

 

 

 瞬間、ストレアはその手指を、アキトの指間に食い込ませるように、強く握ってきた。

 アキトは色々と限界が来ていて、思わずストレアを見る。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────彼女の瞳は、揺れていた。

 

 

 “離さないで”

 

 

 そう伝えてくるかのようで。

 

 

 「……はぁ」

 

 

 アキトは観念したのか、開いた手を再び握り、ストレアを見る。彼女は驚いたようだが、段々と表情を緩ませ、甘い声で笑った。

 安心したのだろうストレアは、とろんとしていた瞳、その目蓋を、ゆっくりと閉じていく。

 

 

 「ふふ……お休みなさーい……」

 

 「っ……ストレアさん!?」

 

 「すう……」

 

 「……もう寝たの?のび太君かよ……」

 

 

 今までのやり取りで体力を持ってかれ、力が抜けるアキト。隣りで無防備に眠りにつくストレアからは、女の子の甘い香りがした。小さな吐息に感じる色気が、アキトの思考を鈍らせる。

 これでは、彼女と初めて会った時と同じではないかと苦笑し、ストレアを見つめた。

 具合が悪そうだった彼女も、今ではこうして安らかに眠れている。なら、こんな状況になって良かったかも、と思う事にした。

 

 

 「……抜けない」

 

 

 しかし、かなりガッチリと絡まれてる腕は中々に抜けず、無理矢理引き離すのも気が引けた。脱力し、天井を見つめ、先程とは別の意味で眠れず、また彼女を見た。

 

 

 「……ストレア、か」

 

 

 ────彼女は、ソロだった。

 

 

 これまで歩んで来た道は不明だが、ソロという点においてのみ言えば、キリトとアキトと同じだった。

 なのに、いつも無邪気で、いつも楽しそうで、いつも笑っている彼女は、自分とは違う。

 

 

 アキトは、仲間を失って暫くは、感情を顔に出す事が出来ないでいた。その方法すら、忘れてしまっていた。

 仲間を失って、絶望して、もう何も無いと自覚し理解して。

 ただあの日、大切だった人からのメッセージを聞いて、頑張ってみようと暫く奮闘していたけれど。

 みんなを死なせたあの日からずっと、笑顔を作る方法を忘れていた。

 一人なら、独りでいるならば。喜びや悲しみ、そんな想いを誰かと共有する事さえ出来はしない。表現する必要性を失い、だからこそ笑顔も、怒り方も、泣き方も、段々と忘れていく。

 レベルを上げても、武器を手に入れても、強敵を倒しても。

 それを共有出来る人がいなければ、笑う事も出来ない。ただただ無表情で、戦闘はただの作業で。

 “約束”を果たすと決めても、それまでの道のりは虚ろな日々で。

 

 

 ────また笑えるようになったのは、いつだったかな。

 

 

 そうして76層に来る前の過去に、想いを馳せる。

 仲間を失ってからずっとソロだった自分が。

 他人と関わる事を放棄し、感情を共有する事無く笑い方を忘れた自分が。

 

 

 ────たった一人だけ、パーティを組んだ女の子を思い出す。

 

 

 その時、再び他人と関わりを持つ事で、漸く感情を取り戻した気がした。思えばあの時、誰かと一緒に居られたから、こうしてまた笑えるようになったのかもしれない。

 そんな出会いが無ければ、ここに来るまでずっと、一人で独りの活動が続いていただろう。

 

 

(ストレアは、そんな事は無かったのかな……)

 

 

 自由奔放で快活な彼女。誰もがそんな彼女に惹かれ、笑顔を咲かせている。ずっとアキトが望んだ光景を、今日は他でもないストレア自身が作り上げていた。

 綺麗だと思った、誰かの笑顔。誰かを笑顔にさせたくて、それでヒーローに憧れた。

 けれど、ソロでの生活はそんな理想を実現させられない。

 なのに、同じソロであるストレアは、アキトとはまるで違くて。今日、アキトは確かに彼女に魅せられたのだ。

 

 

(……彼女みたいなプレイヤーこそ、ヒーローになれる存在なんだろうな……俺とは……ぜんぜん……)

 

 

 眠れなかったはずなのに、段々と視界に靄がかかる。

 そうしてアキトは、ゆっくりとその瞳を閉じた────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……んぅ……」

 

 

 何故かふと、瞳が開く。

 まだ眠いのかその目蓋は重い、二度寝してしまおうと再び目を瞑るも、何か違和感を感じて再び頭を上げた。

 ゆっくりと上体を起こし、細い目で周りを見渡す。タンスや机、ソファーに、小さな四角テーブル。必要最低限の家具が取り付けられた殺風景な部屋。いつも自分が目が覚める場所とは違う景色に、段々と目が見開く。

 

 

 「あれ……アタシ……」

 

 

 漸く意識が覚醒してきたのか、透き通った声で小さくそう呟いた彼女───ストレアは、ふと窓を見た。日は登り始めており、時間を見れば6時半、そろそろみんなが起きるであろう時間だった。

 先程まで眠かったにも関わらず、ストレアの眠気は既に消え去り、目は覚めていた。

 

 

 「……?」

 

 

 ────ふと、自分が横になっていたベッドを見下ろす。

 そこには、仰向けになって小さく寝息を立てる、アキトの姿があった。黒い髪がさらりと流れ、瞳を閉じたその表情はとても綺麗で、女の子みたいに可愛らしかった。

 ストレアは目をぱちくりとさせながら自分の横で寝ているアキトを見ていたが、この状況を思い出したのか、納得したように口を開いた。

 

 

 「アキト……そっか。アタシ、アキトの部屋で寝たんだった……」

 

 

 だからだろうか。いつもより睡眠時間が短いのに、安心して良く眠れた気がした。アキトが隣りにいてくれる。それが、何よりも嬉しくて。

 いつも一人で眠るベッドよりも、ずっと温かい。ストレアは、それを実感した。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────しかし、そうしてアキトを見下ろしていると、ストレアは思わぬものを見て驚愕した。

 

 

 自分のその手が、未だアキトの手と繋がれていたのだ。

 離さないようしっかりと、お互いに指を絡めて握られていた。

 

 

 思わず口を開け、瞳を見開いた。

 その手は、自分が眠った時と、全く同じ形。ストレアは瞳を揺らし、自然と視線はアキトの方を向いた。

 未だ目を瞑って子どものように眠るアキト。眠る前はあんなに慌てていたのに、今はこうして隣りで一緒に寝てくれていて。

 ストレアは、段々と頬が緩むのを感じた。

 

 

 「……ずっと、握っててくれたんだ……」

 

 

 その手から伝わる温もりが心地好くて、少しだけ、ドキドキしたりして。こんな自分の我儘でも聞いてくれる事が、とても嬉しくて。

 

 

 ────ずっと、こうしてみたいと思ってた。

 

 

 アキトとこうして同じベッドで、横になって。

 会話しながら笑って、そうして互いに段々眠くなっていって。

 そんな、友達とか家族とか、恋人みたいなやり取りを、ずっとずっと憧れて。

 

 

 ────あの日からずっと。

 

 

 「……えへへ」

 

 

 右手でアキトの頭を、優しく撫でる。

 ずっと会いたかった、アキトという名前の少年。

 何処か儚くて、でも強い芯を持っていて。何度も折れそうになった心を何度も奮い立たせて。

 そんな彼が、放っておけなくて。

 

 

(……アタシは、知ってるからね……)

 

 

 君の頑張りを。

 

 一人でも戦う事をやめず、努力してきた事を。

 

 ずっとずっと、見てきたから。

 

 何度も、応援してたから。

 

 

 

 

 ────ズキリ

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 途端、頭に痛みが走り、ストレアは思わず目を瞑る。

 撫でていたアキトの頭から右手を離し、自身の頭を抑えた。

 それでも尚変わらず、色んなものが、忘れてはいけない何かが、頭の中に流れ込んで来て。

 感情が、想いが、とめどなく溢れて────

 

 

 そうして、顔を上げた。

 

 

 「……行かなきゃ」

 

 

 それだけ呟くと、ストレアは自身の頭から手を離す。そして、アキトと繋がれていたその手を、ゆっくりと引き離した。

 名残惜しさを感じつつ、アキトを見る。未だ変わらず瞳を閉じて眠る彼は、とても気持ち良さそうに寝息を立てていて。もう朝になるというのに、熟睡していて。

 起こしたら悪いだろう、と。ストレアはクスリと、思わず笑ってしまう。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ストレアは、身体を動かした。

 身体の正面をベッドに向けて四つん這いになると、覆い被さるかのようにアキトを見下ろす。

 

 

 

 

 「……またね、アキト」

 

 

 

 

 そう言って、ストレアは髪を耳にかける。

 そして、アキトへと顔を近付け────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そっと、自身の唇を重ねた。

 

 

 








アスナ 『アキト君?起きてるー?』コンコン

アキト 「ん……?アス、ナ……?」ネムネム

アスナ 『起きてるの?開けて良い?』

アキト 「んー……いーよ……っ!? あっ、ま、待って!」ガバッ

アキト (ストレアが寝てるんだ!見られたら誤解される!)

アスナ 「アキト君?」ガチャ

アキト 「しまった……遅かった……っ!ち、違うんだアスナ!決してそういうつもりじゃなくて、けどストレアが強引にっ……!」アワアワ

アスナ 「ストレアさん?ストレアさんなら、結構前に帰っちゃったわよ」

アキト 「……へ?……あ、本当だ、いない……よ、良かった……」ホッ

アスナ 「……いよいよ今日で最後だね、アキト君」

アキト 「え……うん。準備は万全に行こう。力、貸してくれる?」

アスナ 「ふふっ、勿論よ。まずは、朝ご飯をしっかり食べましょう!」

アキト 「……うんっ」

アスナ 「……ところでさ、アキト君」

アキト 「何?」

アスナ 「さっき慌ててたの……あれ何?」ジトー

アキト 「へ?あ、いや、それは……な、何でもないんだっ」メソラシ

アスナ 「ホントにー?」

アキト (こ、怖い……!)ガタガタ




何かありましたら、意見や感想お待ちしております!



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Ep.96 虚ろな世界の中心で




久しぶりに描いたので拙いと思います。
これは修正案件ですね……何か気に入らない描写や面白くない部分ありましたらアドバイス宜しくお願いします……私が傷つかない程度に……(´・ω・`)





 

 

 

 

 

 《ホロウ・エリア》管理区地下

 

 

 そこは、どのエリアとも違う、不思議な空間だった。

 地下にも関わらず管理区同様に星が連なり、闇色の雲がかかったその場所は、床も壁も透けていて、まるで宇宙に置き去りにされているかのような感覚に陥る。

 《アインクラッド》は、全体的に見れば、何処か西洋風な街並みをイメージする。だがこの場所は、それに当て嵌らない。何なら、地球上のどの場所も、ここと似たものは無いだろう。

 無機質なデジタル空間、ネットワークや電脳世界といった、次元を超えた場所に見えた。

 管理区中央のワープゲートから下ったアキト達が、一番に感じた印象だった。

 

 

 《開発機密エリア》秘匿領域

 

 

 そこが、管理区地下にあったラストダンジョンの名前だった。この世界の武器やスキル、モンスターなどを構築しテストする場所である《ホロウ・エリア》の最後のフィールドとしては、世界観は兎も角相応しい雰囲気だった。

 電子回路のようなものが透明の壁に何本も張り巡らされていて、入口と変わらずに、その向こうが透けて見える。銀河の渦にいるような感覚、それに伴って孤独感や恐怖が増大する。

 そんな中現れる敵は多種多様で、特に一定の法則があるわけでも無かった。

 《アインクラッド》では、法則性があるのかは不明だが、大体はその層のイメージに合ったモンスターが蔓延るものだ。森なら植物、洞窟なら虫や獣、沼地なら甲殻類、砂漠なら蠍やゴーレムなど。

 だが、そのどのイメージにも当て嵌らないこの《秘匿領域》なる場所では、実験するエリアというだけあって、この世界に存在する全てのモンスターがいるのではないかと思わせる程の種類を確認していた。

 当然だがモンスターによって、弱点武器やモーションが違う為、ただでさえ高難度エリアだというのに、レベルの高いモンスターがこうも多いと、倒す事は出来ても疲労が溜まっていく一方だった。

 ダンジョンは《アインクラッド》とは違い、下へ下へと下っていく。マップは曖昧で、具体的な場所は教えてはくれないが、どうやら地下10階まで下って漸く、中央コンソールへと辿り着くようだ。

 それは、決して簡単ではなかった。

 押し寄せるモンスターをたった三人のみで捌き、そのまま地下10階まで下りて行かないといけない。高難度エリアである《ホロウ・エリア》最後のエリア。モンスターの種類は疎らだが、まるで一つの意思として統率が取れているように見えた。

 

 “この先へは行かせない”という、そんな意思が。

 

 アキトが《二刀流》を解禁するのは時間の問題だった。

 ここで時間をかけるのは得策では無い。一瞬で鞘から二本を抜き取り、アスナとフィリアに迫る敵をソードスキルで屠る。それはとても鮮やかで、魅入ってしまう程綺麗で。“ソードアート”の名に恥じない動きだった。

 そのまま特攻を繰り返し、アキトの集中力は最高を越えていた。それをフィリアやアスナは頼もしく感じていたし、頼りにもしていた。

 

 

 だが、アスナは。

 どうしても重ねてしまう。懐かしく思ってしまう。

 

 

 二本の剣を持ったその黒い背中を、自身の想い人と。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 現在地下5階。変わらず星々が煌めく地下エリアでは、一通り戦闘を終えた各々が、深く溜め息を吐いていた。

 

 

 「思った以上に……疲れる……」

 

 

 ポツリと誰かが切り出した言葉に別の誰かが同調する。弱音という程心にきている訳ではないのだが、別々のモンスターが大量に押し寄せ、それが地下10階まで続いていると考えるだけで嫌になってくる。

 一々敵に合わせて戦い方を考え、変えていかなければならない。身体だけでなく脳をフルに動かすこのエリアはまさに鬼畜。このまま地下の最深部に行けばボスがいるのではないかと想像してしまっているだけに、それまでの道のりでかかる負担は少なくしておきたかった。

 残り半分でこの消耗量。SAOにおいても疲労は確かに感じるのだ。それは身体的なものよりも精神的なもの。しかしそれは戦闘におけるパフォーマンスを低下させるのには充分だった。

 この調子では最下層まで持たない。一度休息を取るべきだろう。そうアキトが提案すると、各々が頷いた。安全エリアの無いこの場所での休憩は、それなりに警戒しなければならない。

 三人はエリアの隅に位置取り、アスナの持って来たサンドイッチを頬張りながら、警戒は怠らなかった。

 

 

 「改めて思うけど……アインクラッドと、世界観が全然違うね」

 

 

 アスナの言う通り、あまりにもアインクラッドとはかけ離れた印象を持つそのフィールドは、違和感を感じつつも、ラストに相応しい雰囲気を漂わせていた。

 アキトとアスナが辺りを見渡す中、フィリアが一面を見渡して口を開く。

 

 

 「PoH(アイツ)がどうやって、こんな場所を攻略出来たかは分からない……」

 

 「PoHは高位のテストプレイヤーだったし、この前戦った時も、知らないスキルを使ってた。多分、《ホロウ・エリア》のテストを利用して、特殊スキルを手にしていたのかもね」

 

 

 《ホロウ・エリア》は、《アインクラッド》に新たな武器やスキルを実装する前に、それがゲームバランスを崩すものでないかテストをする場所だ。一般のプレイヤーはまずこの場所に入れない為、PoHは未知のスキルというだけで相当のアドバンテージを手に入れていた。

 層が上がる程に手に入れられるスキルは強くなるのは自明の理。現在80層後半に差し掛かっている《アインクラッド》に実装するスキルになれば、かなり強力なものだろう。

 恐らくそれらのものを使用すれば、現実的ではないがこの場所の後略が可能なのかもしれない。実際、奴はここに一人で訪れた。

 アキトがそう説明すると、フィリアは不安になってきたのか、次第に表情が曇っていった。

 

 

 「私達で行ける……かな?強靭な敵に囲まれたり、迷い込んで抜け出せなくなっちゃったり……」

 

 「……でも、現状この状況を打破出来るのは俺達三人だけなんだ。だから、やるしかない」

 

 「……そうだよね。うんっ、分かった」

 

 

 アキトの言葉を聞いて、フィリアは覚悟が決まったのか、その瞳に闘志を燃やしていた。

 “世界の命運”、それは決して誇張表現ではない。《アインクラッド》に生きる凡そ六千人のプレイヤー達の存在維持は、ここにいる三人にかかっている。フィリアがそこに重圧を感じるのは当たり前だった。

 けど彼女は何処か吹っ切れたのか、もう何も言わずに黙々とアスナのサンドイッチを頬張っており、まるでリスみたいな彼女の可愛らしさに思わずクスリと笑みが零れた。

 やがて自身の分のサンドイッチを完食したフィリアは、伸びをして壁にもたれかかった。

 

 

 「あー、美味しかった!アスナ、ご馳走様」

 

 「ふふっ、お粗末様でした。随分早く食べちゃったね」

 

 「俺なんかまだ一口しか食べてないのに」

 

 「それは流石に遅過ぎだけど……」

 

 

 そんな軽口を叩く中、フィリアは二人を眺めると、勢い良く立ち上がった。いきなりの事で思わず見上げるアキトとアスナを見やりながら、フィリアは辺りを見渡した。

 

 

 「私、見張ってるから。二人はゆっくり食べててよ」

 

 「え……あ、いや、見張りなら俺が────」

 

 「良いから良いから、味わって食べててよ。警戒は任せてっ」

 

 

 立ち上がろうとするアキトの両肩に手を置いて、無理矢理座らせたフィリア。そのまま身を翻し、モンスターが現れる可能性のある位置まで背を向けたまま歩いて行ってしまった。

 確かに三人同時に無防備になるには些か危険な場所ではある。ここは安全圏ではないし、最下層に行くにつれて強くなるであろうモンスター相手にこちらのプレイヤーは変わらず三人。一人だって欠ける事は許されないし、そうなればアップデートの回避は絶望的だ。

 だからこそこの休憩はローテーションで行うのは当然だが、フィリアは半ば強引に見張り役を引き受けたように見えた。

 普段以上に積極的に動く彼女に、アキトは安心感どころか不安すら感じていた。まるで彼女のその行動は、今まで彼女自身が犯した罪に対しての償いのような面があるのではないかと思ってしまうから。

 

 

 「……罪悪感とか、感じてるのかな」

 

 「アキト君……」

 

 「だったら……やだな」

 

 

 彼女のその行動の理由は罪悪感から来る善意だろうか。償いやお詫び、そういった部分から来た行動なのだろうか。

 それは何となく悲しい。仲間なのだから、頼り頼られる関係でありたい。もしフィリアが償いのつもりで、お返しのつもりでこんな事をしてくれているとしても、手放しで喜べなかった。

 

 

 「……でも、フィリアさん明るくなったよね」

 

 「え……?」

 

 

 チラリとアスナを見れば、柔らかな慈愛の笑みで、離れた場所に立つフィリアを見据えていた。アキトはつられてフィリアを見て、そして目を見開いた。

 彼女は何故か笑みを零していたいたのだ。何か理由がある訳でも無く、ただ柔らかな表情だった。彼女と共に攻略していく中で、あんな表情は滅多に見れるものではなかった。

 

 

 「初めて会った時は、何処か影があったっていうか……大人しい、寡黙な人なのかなって思ったりしたけど、こうして一緒に攻略する中で少しずつ笑顔が増えて……なんだか印象変わったなぁ」

 

 「……」

 

 「きっと、あれが本当のフィリアさんなんだね」

 

 「……そう、かな。そうだね」

 

 

 アキトは目の前のフィリアを、いつも一緒に冒険してた時の彼女と重ねる。

 本当の彼女は、自称トレジャーハンターで。名乗るだけあって宝探しが好きで。宝箱を見付けるだけで嬉しそうで。その中身で一喜一憂して。そんな彼女を、アキトは知っている。

 あの屈託の無い笑顔を向ける彼女こそが、フィリアの本当の姿だと、自分はとうの昔に知っているではないか。

 なら、あれは彼女の優しさで、償いなんかじゃ全然無くて。

 そう思えて、アキトは胸を撫で下ろした。小さく安堵の息を吐き、柔らかな笑みでフィリアを見据えた。

 

 

 「……フィリアを待たせる訳にもいかないし、早く食べないと」

 

 「急ぎ過ぎて喉に詰まらせないでよね、アキト君」

 

 「そんな、キリトじゃあるまいし」

 

 「……ふふっ、今のちょっと面白かった」

 

 「キリトが詰まらせてるの想像したでしょ」

 

 「うん……キリト君凄く食べるから、良くあったの」

 

 「知ってる。なのに全然学習しないよね」

 

 「そうそう……あははっ」

 

 

 サンドイッチを頬張りながら、アキトとアスナからはそんな話が転がる。

 互いに良く知る彼の話は、決して空気を暗くするものでは無く、寧ろ共通の話題で盛り上がる友人間のような空気を作り上げていた。

 以前の二人なら、きっとキリトの名前が出ただけで悲痛に顔が歪んだというのに。

 だからこそこの時間、二人のこの会話は、互いに前に進めている何よりの証だったのかもしれない。

 

 

 「……?」

 

 

 そうして二人で壁にもたれかかっていると、アキトはふと、アスナの膝元にある、サンドイッチが入っていたバスケットに視線が動く。

 その中には、まだ結構な量のサンドイッチが入っていた。今まで食べてたどのサンドイッチとも違う材料が挟んであり、綺麗に敷き詰められていた。アキトは目を丸くする。明らかに三人分にしては多過ぎた。

 アキトは気になって、思わずアスナに問いかけた。

 

 

 「……アスナ、なんかサンドイッチ多くない?そんなに食べるの?」

 

 「っ……」

 

 

 その一言に、アスナは明らかな動揺を示していた。途端にバスケットの蓋を閉め、誤魔化すように笑った。

 

 

 「……あ、いや、これはその……あはは、作り過ぎちゃって……」

 

 

 ────その表情は、とても痛々しかった。

 

 

 「……」

 

 「ぁ……」

 

 

 そんな彼女を心配そうに見つめるアキトの瞳に、アスナは誤魔化す事も出来なくなっていた。小さな声が漏れ、アキトの視線に瞳が揺れる。

 無理に笑っていた表情が崩れ、儚げに小さく息を吐く。アスナは満天に煌めく星々を見上げて、やがて懐かしむように呟いた。

 

 

 「……これ、キリト君に作ったの」

 

 「……キリト、に?」

 

 

 アスナは膝の上にバスケットを乗せ、子どもをあやす様に優しく撫でる。蓋を開けてみれば、先程のサンドイッチが。

 良く見れば、アキトには見覚えのあるものだった。76層に来たばかりで、まだアスナと険悪な関係だった時に、彼女から礼として渡された品物と同じものだった。その時のものはとても香辛料が効いていて、辛いものが苦手なアキトは思わず噎せてしまった。その時のものと良く似ていて、そして思い出す。

 

 

 「……キリト、辛いものが好きだったよね」

 

 

 キリトの味覚エンジンだけ壊れてるのではと疑いたくなるレベルの辛党だった事。良く二人で出店の食品を食べ回っていた光景が蘇る。

 アスナの表情は変わらず儚げだった。過去を振り返るようにポツポツと言葉を紡ぐ。

 

 

 「……最近、みんなと攻略してると、キリト君との攻略を思い出すの。前もこうやって、パーティーを組んで、お弁当を作ったなぁって。美味しいって言って欲しくて、色々試行錯誤して、何度も味見を繰り返して……」

 

 「アスナ……」

 

 「アキト君の優しいところ、困ってる人を見過ごせないところ、ふと見せる表情とか雰囲気が、自然とキリト君と重なって。このお弁当も、気が付いたら四人分作ってた。私とアキト君とフィリアさんと……キリト君」

 

 「っ……」

 

 

 彼女のその声音と瞳が、アキトの胸を締め付ける。物憂げな表情、ほんの些細な仕草。キリトが居なくなった悲しみを、生きて今までずっと感じてきたアスナ。そして、そうさせたアキト。

 彼女に、自分とキリトは違うと、代わりにはなれないと、そんな風には言えなかった。寧ろ、そうさせてしまったのは自分自身で、アスナには何の非も無くて。

 アキトは自身の胸に片腕を持っていき、心臓の部分に触れる。装備の上からキュッと小さく握り締める。

 

 

 ────キリトはちゃんとここにいるのに、彼の声をアスナに聞かせてあげる事も出来ないなんて。

 

 

 キリトは生きている。

 けれどアキトと混在していて、自由勝手に入れ替わったりしない。

 それを聞いた時、アスナはどんな感情を抱いたのだろう。歓喜?悲哀?

 どちらにしても、想い人がすぐ近くにいるのだ、重ねて見ずにはいられない。

 アキトは、思わず顔を伏せる。

 

 

 「アスナ……俺は……」

 

 「アキト君」

 

 

 アスナはアキトの言葉を遮って、彼自身の名前を呼ぶ。

 見上げた先の彼女は、柔らかな笑みでこちらを見据え、目を細めた。

 

 

 「私、今まで生きてきて良かった。みんなと一緒に居られて、笑い合えて。アキト君がいなかったら、今こうしてお弁当なんて食べられなかったと思う」

 

 「アスナ……」

 

 「ありがとね、私を助けてくれて」

 

 「っ……そんな、俺は何も……大袈裟だよ」

 

 「ううん、そんな事無い」

 

 

 自然と目を逸らしてしまうアキト。アスナは変わらず笑みを零し、何かを決心したように、その言葉には強い意志を感じた。

 

 

 「私、みんなともっと一緒にいたい。だから、アップデート、絶対に止めようね」

 

 

 彼女には、もう“死”の選択肢は無い。迷いは無かった。

 アキトは目を見開いて固まって、暫く言葉を発せないでいた。けれど、そんな彼女に応えるように、最後は頷いた。

 

 

 「……うん、勿論だよ」

 

 

 そう、微笑んだ。

 アスナは嬉しそうに笑う。アキトは、何処か寂しそうに笑った。変わらず辺りに光を散らす星々は、揃って自分達を見ているように思えた。

 

 

 アキトは静かに目を細めると、アスナの膝の上に乗ったバスケット、その中のサンドイッチに視線を固めた。

 

 

 「……それ、どうするの?」

 

 「え?あ……えと、どうしようか……あはは」

 

 

 作った後の事を考えていなかったアスナは、誤魔化すように笑った。無意識に作ってしまってたそれは、あまりにも辛くて自分では食べられない。そうでなくとも、アスナは既に満腹だった。キリトの辛党には本当に手を焼いてしまうなと、心の中で苦笑した。

 耐久値が切れて自然消滅するのを待つしかないのかもしれない。そうアスナが思った瞬間、ふとアキトから声がした。

 

 

 「もし良かったらなんだけど……それ、俺にくれないかな」

 

 「っ……」

 

 

 アスナは思わず、顔を上げる。アキトを見てしまう。

 何度目だろう。こちらを真っ直ぐに見て優しく笑う彼の笑みが、またキリトに重なってしまう。

 心臓が高鳴る。頬が熱くなる。

 

 

 「ぇ……で、でもアキト君、辛いの苦手じゃ……」

 

 「まあ、そうなんだけど……食べないのも勿体無いし」

 

 

 アキトは頬を掻いて苦笑する。アスナは再び、自分の持つバスケットを見下ろす。キリトの為に作った、サンドイッチ。何も言わずそれを見て、瞳を揺らした。

 何故か、顔が赤くなる。心臓の音が聞こえる。

 

 

 「……その、じゃあ……食べて、くれる……?」

 

 「うん、貰うよ」

 

 「っ……」

 

 

 アスナが恐る恐ると差し出したサンドイッチを、アキトが片手で受け取る。

 触れ合った指に敏感に反応し、アスナはバッと手を引っ込める。アキトはそれに気付く事無くサンドイッチを受け取り、それをまじまじと見下ろしていた。

 それをアスナは、ただ眺めるだけ。アキトが辛いものが苦手なのは知っている。だから、良い感想は聞けないだろう。

 なのに、どうしてこんなにも、緊張するのか。

 

 

 「……じゃあ、いただきます」

 

 「うん……どうぞ」

 

 

 視線が、否応無くアキトの口元へと向かう。

 もう作り慣れたはずのサンドイッチなのに、堪らなく不安になる。口に含むその瞬間、アキトが辛さに悶絶するのが目に浮かび、はらはらと胸がざわつく。

 

 

 「……」

 

 

 しかし、サンドイッチにかぶりついたアキトは、目をぱちくりさせながら固まっていた。何度もサンドイッチを見ては何かに驚いているようだった。

 

 

 「……アキト君?」

 

 「……美味しい」

 

 「え?」

 

 「なんか……ピリッとスパイスが効いてて……や、凄く、辛いんだけど……普通に食べられる……凄く美味しい……」

 

 

 アキトは段々と口元が緩み、サンドイッチに目を輝かせている。どうやら美味しく食べられるみたいだ。

 それにアスナは少なからず驚いていた。キリトはその辺りの辛党よりも辛いものを平気で食すうえに好んでいる為、アスナもキリトにこれを作る際はかなりの辛さに仕上げているのだ。

 以前同じものを食べた時のアキトはその辛さに噎せていたのに、とアスナは目を見開いて呆然と見ていた。

 

 

 いつの間にか、辛いものが平気になったのだろうか。

 いや、それよりも────

 

 

(幸せそうに、たべるなぁ……)

 

 

 アスナは小さく、口元に笑みを作った。

 彼のその高揚とした表情、かぶりつく姿勢や、急いで食べるような動きが、また想い人と重なって見えた。

 自分の作ったものを、こんなにも美味しそうに食べてくれる人を、久しぶりに見た気がした。

 

 

 

 

 そう、まるで。

 

 

 

 

 本物のキリトのようで(・・・・・・・・・・)────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《管理区地下》秘匿領域最深部

 

 

 地下10階の更に下、1階から変わらない風景に、ループしているのではと感じてしまう。無機質なデータの塊のような空間。暖かさも寒さも感じないはずなのに、星々煌めくこの場所は、何故か異質の冷たさを放っていた。

 中心部に転移した三人は、揃って目の前の門を見上げる。

 《ホロウ・エリア》にある《アインクラッド》とは違うデザインの転移石に描かれた紋章が中心に埋め込まれた、システムの壁。《ホロウ・エリア》各地のエリアボスを倒す事で解放されたものと良く似ていた。

 それが何重にも折り重なって、何処までも続いている。かなり厳重にロックされているようだった。

 壁に光が走り、それらは壁の中心に吸い込まれていく。それを見つめていたアキトは、封じられた門に近付く。

 すると、フィリアが何かに気付いたのか、驚きの声が辺りに響いた。

 

 

 「アキト……手が!」

 

 

 彼女の視線につられ、アキトは自身の手を見下ろす。

 そこには、初めてここに来て《ホロウリーパー》を倒した時に現れた紋章が浮かび上がっていた。

 瞬間、封じられた門とアキトの手の紋章が呼応し、共鳴する。門がアキトの手の紋章を認識し、次々とロックを解除していく。

 全ての門が消え去って見えるは、一本の光の柱。闇色の柱に挟まれた道を真っ直ぐに進むと、その光は虚空の彼方まで伸びていた。それがワープゲートだと認識するまでさほど時間はかからなかった。

 

 

 「いかにもね……」

 

 

 アスナがその柱に近付いて訝しげに見上げる。そのワープゲートはこのモンスターもいない最深部の中央にひっそりと聳え立っており、それが何処か恐怖を感じさせる。

 フィリアやアキトも光の柱へと近付き、漸くここまで来た事への達成感を少なからず抱いていた。

 ここが、《ホロウ・エリア》の最終エリア。《ホロウ・データ》であるPoHの企てたアップデートを止める為の中央コンソールが存在する、このエリアの基幹部分。

 未だ天に煌めく光の粒達が、彼らを祝福するかのようにキラリと光る。それを見上げては、またワープゲートへと視線を下ろす。

 

 

 「……嫌な予感がする」

 

 

 アキトと、彼の中のキリトが、そう感じ取る。この嵐の前の静けさといった空気。今まで何度も感じている。まるで、フロアボスへと続く迷宮区の扉のような、そんな雰囲気を纏っている。

 この先には、今までとは比べものにならない強敵が待ち受けているような気がするのだ。転移してすぐに、目的のコンソールがあるとは到底思えない。

 そんな場所にアスナとフィリアを連れて行くのは、アキトとしては躊躇われるものだった。

 しかし、そんなアキトの想いを敏感に感じ取ったのか、彼が口を開くより先にアスナ達は決意を改めた。

 

 

 「アキト、私は行くよ。これは私にとって、自分を取り戻す為の戦いでもあるの……だから、一緒に戦わせて」

 

 「フィリア……」

 

 「それに……早くアップデートを止めないと、私達だけじゃなくて、みんなが大変な事になっちゃうし……」

 

 

 フィリアは心臓部分に拳を持っていき、闘志を宿した瞳を向ける。そこには、もうそこには、何処か虚ろな瞳だった頃の彼女はいない。

 ずっと《ホロウ・エリア》に閉じ込められ、心を虚無にしたフィリアは、自分が人間として存在しているという意識を消失し、生きる意味を見い出せずにいた。

 PoHに唆され、自分がデータである事に何処か納得し、この世界でしか生きられないかもしれない事実に尚早を感じてた。

 だがフィリアは、アキトのおかげで人としての感情を、触れ合う事の温かさを思い出し、人として存在している自分自身を肯定し、実感出来たのだ。生きている事の素晴らしさ、温もりを感じられたのだ。

 PoHのアップデートは、そんな人の感情を根こそぎ奪い取る。プレイヤー全てがデータへと置換され、世界に操作されたAIが城を徘徊し、前に進む事をやめた、生きる事だけに執着した人形に成り果てる。そこに変化は無く、死んだのと変わらない世界が始まる。

 それを、生きているとは言わない。

 

 

 だから────

 

 

 「……分かった。一緒に行こう」

 

 

 そんな彼女の意志を汲み取り、アキトは深く頷いた。フィリアのその真っ直ぐな瞳と、言葉から滲み出る強固な意志を肌で感じた。今の彼女が傍に居てくれるなら、こんなに頼もしい事は無い。

 また、仲間を頼る事を忘れそうになってしまった。アキトは苦笑しつつ、その存在の大きさを実感した。

 

 

 「大丈夫だよ、アキト君」

 

 

 アスナが一歩前に出て、アキトに向かって微笑む。

 

 

 「今までだって色んな困難を、私達は乗り越えて来た。だから今回も、きっと大丈夫」

 

 「アスナ……」

 

 

 アスナもフィリア動揺迷いは無い。全ては、《アインクラッド》で待つみんなの為に。

 アキトは、グッと拳を握る。勇ましい表情で、光の柱を見上げた。それに合わせてフィリアとアスナも柱へと歩み寄り、アキトの両隣りに立った。

 

 

 ────これが、最後の戦い。

 

 

 「……行こう」

 

 「ええ」

 

 「うんっ!」

 

 

 三人は、その光の柱に足を踏み入れ、その身体を光らせた。

 転移の光を纏い、アキトはそっと瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 眩い光から解放され、目が段々と視力を取り戻す。互いに互いの位置を把握しつつ、辺りを見渡し観察する。

 

 

 だが、そこには何も無かった。

 目的のコンソールも、透き通った壁も、多種にわたるモンスターの群れも。

 

 

 転移したばかりのアキト達は、この異様な雰囲気に思わず武器を取る。辺りは明らかに違和感の塊で、何もかもが奇怪過ぎた。

 

 

 三百六十度見渡して、あるのはただ広大な宇宙。

 透明で円形の床の下からも、星々が透けて見える。

 転移された場所は、お世辞にも広いとは言えない円形の透明な床が敷かれただけの、銀河の果ての一部だった。星雲が漂い、それが不安を掻き立てる。

 何も無い、だからこそ感じる恐怖。この広大な宇宙に捨てられた孤独感。

 

 

 何も無い。ギミックも、オブジェクトも。

 ただ、真新しいクリアな地面が小さく広がるのみ。

 

 

 ────まるで、戦闘を行う為だけの場所。

 

 

 

 

 「……っ!?」

 

 

 

 

 瞬間、アキトは何かの気配を敏感に察知する。

 第六感、虫の知らせ、そんなものがその身を震わせた。

 

 

 「……何か、聞こえる……」

 

 

 フィリアがそう言い切ったと同時に、また音が聞こえる。小さくはあるが、音の響かぬはずの世界で、角笛のような音が。

 

 

 何かの、咆哮が。

 段々と、近付いて来る。

 

 

 「っ……二人とも、気を付けてっ!」

 

 

 アスナがそう叫んだ瞬間────

 

 

 

 

 

 

 

 ────ソイツは、浮上した。

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 「なっ……!」

 

 「くっ……!」

 

 

 

 

 ビリビリと肌でその存在を感じ取る。身体全身が轟音によって震わされ、思わず目を瞑る。

 アキト達はそれに耐えながら、ゆっくりとその影を見上げる。

 下から浮上した異型の主は、正しくエイリアンと呼ぶに相応しい姿でこちらを見下ろしていた。

 その巨体に、一同驚愕で顔を強張らせた。

 

 

 湾曲して反り返った六本の黒い触覚。

 

 

 蛇のように細長い白い頭部。

 

 

 何でも掴み上げてしまいそうな丸みを帯びた鉤爪。

 

 

 翻す翼のように雄々しく巨大な、桃色の二本の剣。

 

 

 背中からは黄色と赤色の魔法陣のようなものが設置され、それは咆哮と共に広く展開された。

 

 

 

 

 《Occuldion The Eclipse(オカルディオン・ジ・イクリプス)

 

 

 

 

 この宇宙を支配する、全能の主。その名前だった。

 その名が表示された瞬間に、そのモンスターの頭部辺りに三本のHPバーが表示される。

 それが、目の前の奴をボスだと認識させた。

 

 

 「アキト君、このモンスター……!」

 

 「…… ああ、ボスモンスターだ……!」

 

 「じゃあ……コイツと戦うの……?この何も無いフィールドで……!?」

 

 

 フィリアは声を震わせる。しかしそれも無理は無い。

 戦闘開始時点でのボスのアドバンテージが明らかに大き過ぎるのだ。奴は今、下から浮上して来た。つまり、奴はこの銀河を自由に飛んで移動出来るのだ。

 それに対してこちらの移動範囲は広がる銀河にただ設置された、透明な床板一枚。最終ボスを目の前にして、明らかに腑甲斐無い。

 こちらが常に、ボスに狙われる側なのだ。それは、明らかに絶望的だった。

 こちらは本来踏み入る事の出来ない場所に紛れ込んだ侵入者だ。システム側としては、何としても排除したいイレギュラーなのだ。だからといって、これはあまりにも────

 

 

(っ……四の五の行ってる場合じゃない……!)

 

 

 アキトは《リメインズハート》と《ブレイブハート》を構え、剣を広げるボスの前に立つ。

 このフィールドの如何に不利かに絶望しそうになっていたフィリアとアスナは、驚きで目を見開く。

 アキトのその背が、とても頼もしくその目に映る。

 

 

 「っ……アキトく────」

 

 「どんな攻撃が来るか分からない!二人とも気を付けて!」

 

 

 アスナの言葉を遮って無理矢理指示を押し通すアキト。二人は思わず気を引き締める。

 瞬間、ボスのその二本の剣がアキトに向かって振り下ろされた。アキトは左右の剣を輝かせ、その両腕に全力を込める。

 

 二刀流範囲技《エンド・リボルバー》

 

 左右から迫る大剣に合わせて、タイミング良くそれをぶつける。

 

 

 「っ……なっ……!?」

 

 

 ────しかし、ソードスキルで奴の大剣を弾けなかった。それどころか、アキトのソードスキルを打ち消し、その二本の大剣でアキトを真っ二つにせんとその腕に力を込め出した。

 その筋力値に、アキトは驚きに目を見開いた。途端に焦りが顔に出る。

 

 

(なっ……重っ……こんなの、今までのどのボスよりも────)

 

 

 「はあぁぁっ!」

 

 「せああっ!」

 

 

 ────刹那。

 

 

 アスナとフィリアがそれぞれ、アキトを挟まんとする大剣をソードスキルで弾く。ボスは弾かれた剣の反動で思わず仰け反り、体勢を一瞬だけ崩す。

 だが、それも束の間。ボスはすぐにこちらに向き直り、静かにこちらを睨み付けていた。

 

 

 「アキト君、来るよ!」

 

 

 「っ……ああ!」

 

 

 アスナの言葉で、アキトも切り替える。すぐさま二刀を構え直し、ボスを倒さんと見上げた。

 

 

 

 

 誰もいない。誰も知らない。

 

 

 

 

 そんな虚ろな世界の中心で。

 

 

 

 

 今、世界の命運を懸けた、最後の戦いの幕が、人知れずに切って降ろされた。

 

 

 

 

 

 






アキト (辛っ!……けど美味い……おかしいな、いつの間に辛いの平気になったんだろう……)モグモグ

アスナ (凄く食べるなぁ、アキト君……少食だったはずなのに……キリト君みたい……)

フィリア (……なんか、楽しそうだなぁ……)











●○●○




彼は、自分にとってのヒーローだった。


届かないから羨望して。


かなわないから嫉妬して。


それでも大切な友人で。


目指すべき、理想のヒーロー像だった。


そんな彼に一度だって、勝ったと思えた試しは無い。




そして今、この瞬間────













“憧れ”が、そこにいた。






















次回 『銀河の果てで君と出会う』




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Ep.97 銀河の果てで君と出会う




どうも、コラボ&クロス大歓迎の夕凪楓です
(`・ω・´)キリッ
私のキャラを使用の際はご連絡下さい。読みたいです( ˙-˙ )

……コホン、失礼しました。それではお待たせしました本編です。

ちょっと戦闘描写が手抜き感あるかもです。
私的には真剣に書いてるんですが、文字数の関係もあって、全体的に希薄な感じになってるかもしれません。精進あるのみですね。

……というより、久しぶりに書いたので、少し荒い部分があると思います。すみません。


この下手糞素人処女作野郎の作品を読んで下さっている方にはお目汚しになるかも知れない描写があるかもですが、段々と感を取り戻していきたいと思っております(´・ω・`)


それでは、続きをどうぞ。





 

 

 

 

 

 《OcculdioThe Eclipse(オカルディオン・ジ・イクリプス)

 

 

 銀河の果てでその仰々しい定冠詞を頭上に乗せた巨体は、開始当初からアキト達を翻弄した。

 二本の大剣による攻撃も然る事乍ら、それ以外にも赤い鉤爪による攻撃や、遠距離ビーム、透けた床下から剣を模した尾による攻撃等、その攻撃パターンも今までの比ではなかった。

 常に宙を彷徨っているが故に攻撃を当てる事すらいつもより苦労するというのに、未だに弱点は見えず、最初はただ相手の攻撃を躱しながらカウンターを入れている現状だった。

 咆哮は質量を持ってアキト達を退け、鉤爪と剣による連続攻撃には対処し切れない。遠距離攻撃は範囲が広く、そもそも行動範囲が狭いアキト達は明らかに不利だった。

 

 序盤は常に距離を取って攻撃パターンの把握に努め、反撃の糸口を見付けるまでにもかなりの時間を有し、精神的にもダメージが蓄積していたアキト達。

 しかしそれでも尚、彼らは闘志を失わない。各々が自分のするべき事を理解し、それを最大限活かす行動をし続けていた。

 空中を舞うボスに対して一番の火力が望めるのは、《剣技連携(スキルコネクト)》によって空中戦を行えるアキトだけ。アスナとフィリアはそれをサポートし、隙があれば連撃を叩き込む。そんな作戦と呼ぶにはお粗末な戦略は、今回のボスに対してはやや有効だった。

 幾ら反応速度が早くとも、空中で素早く移動するアキトを目で追い続けるのは困難だったらしく、続けていくうちに隙が生まれつつあったのだ。その身体を反転させる頃には、アキトは既にスキルの連携で斬撃を入れる。

 

 体勢が崩れたところを、アスナとフィリアが追撃する。ボスの巨体を見事翻弄した彼らは、このフィールドのディスアドバンテージをもろともしない立ち回りで圧倒してみせた。

 

 

 そして現在、ボスのHPをどうにか半分まで削り取ったところで、奴の動きが変化を来す。

 咆哮と共に翼のような剣を広げる。大きく左の剣を振りかぶり、一気に横に凪いできた。

 

 「っ……!」

 

 巨体に似つかわしくない程に速い初速、だが大振りのモーションにより、迫る剣の軌道は容易に把握出来る。

 三人はほぼ同時にバックステップし、危なげなくその大剣を回避する。

 

 ────しかしその瞬間、ボスの剣の軌道上の空間が爆発した。

 

 「うわっ!」

 

 「きゃあっ!」

 

 バックステップ後の覚束無い足元の中、その爆発は衝撃波として広がり、暴風だけでこちらにダメージを与えるだけの熱量を持って襲って来た。地で足を固めていなかったアキト達は無抵抗でそれに巻き込まれる。

 驚きに目を見開くのも束の間、三人はまた同時に吹き飛ばされ、後方へと転がる。

 

 「────っ!」

 

 アキトは身体を宙で捻って受け身を取り、剣を地面に突き刺してどうにか踏み止まる。そして、仕返しをせんとボスを睨み上げると即立ち上がり、そのまま一気に地面を蹴ってボスの胸元まで接近する。

 ジグザグに走って迫り、ボスの視界を持ち味の速度で翻弄し、タイミングを見計らって一気に距離を詰める。

 裂帛の気合いと共に、《リメインズハート》をボスの胸元に向かって振り下ろす。

 刻まれた一撃の手応えに反して与えたダメージは比例しない。ボスのHPは期待した程減りはしなかった。半分減らされた事で、防御力も上がっているようだ。

 アキトは僅かに舌打ちする。

 

 「アキト!」

 

 後方からの呼び掛けに、アキトは急いで顔を上げる。今度はボスの右側の剣が頭上から下ろされた。

 咄嗟に左手の《ブレイブハート》を横にしてそれを受け止めるも、その重さに体勢が一瞬で崩れた。

 

 「っ……!?」

 

 ガクリ、と片膝が地面に付く。他のエリアボスには無い圧倒的な筋力値が、アキトを押し潰さんと襲い掛かる。

 力の暴力。左手一本の剣でボスの大剣を受け止める事が、そもそも無茶な話だ。歯を食いしばりながら《ブレイブハート》を傾け、競り合う大剣を地面へと流した。

 

 「せやああぁぁっ!」

 

 細い剣先がアキトの横を通り過ぎる。剣を流した方の腕、その脇に向かってアスナがソードスキルを解放する。

 放つは細剣の重攻撃技三連撃《アクセル・スタブ》。青白い閃光が迸り、星舞う空間を駆け巡る。

 突き刺した部分からは赤いエフェクトが飛び散り、奴にダメージを与えている事実を伝える。だが、やはり想像以上に軽く、痛手にはなっていないようだった。

 まだ序盤だが、モーションが変わるHP危険域前から高めの防御力を誇る目の前のボスは明らかにかつてのエリアボスとは異質だった。

 これからの戦闘がどんなものになるのか、曖昧だがかなりリアルに近いであろう未来のビジョンが見えたアキトは、小さく舌打ちをする。ボスは静かにアキトとアスナを見下ろし、そしてノーフェイクから再び左右の剣を突き下ろした。

 

 

 「来るよ!」

 

 「っ……!」

 

 

 アスナの一声で集中力を研ぎ澄ませ、二人は迫る一本の剣を左右に跳ぶ事で回避する。

 瞬間、空中で身動きの取れない二人を狙ったかのようなスイングがもう片方の腕から始動する。

 近付く事につれ感じる圧倒的な迫力。アキトとアスナに向かって空気を切り裂いて迫る大剣を、後方から飛び出したフィリアが受け止める。

 

 

 「くぅっ……きゃあっ!」

 

 

 しかし、得物は短剣かつ、筋力値も決して高いわけでは無いフィリアが奴の大剣を受け止めるのはあまりにも無謀だった。アキトとアスナが後退する時間は稼げたが、フィリアは一瞬で横に薙ぎ払われた。

 

 

 「フィリア!」

 

 

 まるで石ころのように軽々と宙を舞うフィリアに背筋が凍る。だが、フィリアへと視線が向いたその瞬間を、ボスは見逃さない。

 一瞬で間合いを詰め、アキトの上半身を短いながらも太い手で掴み上げる。

 いきなり鳩尾に巨大な手が食い込み、アキトは一瞬呼吸を忘れた。

 

 

 「がっ……!?」

 

 「アキト君!?」

 

 

 ボスは一瞬でアスナの横を通り過ぎ、透明な床を高速で移動する。そして、その手に持ったアキトの身体を、移動しながら地面へと押し付けた。

 まるで、地面の摩擦でアキトを削るように。何かの破壊音にも似た音が響き渡り、同時にアキトが摩擦熱と痛みに悲痛な叫びを上げる。

 

 

 「ぐあっ……!」

 

 

 熱い、熱い、熱い。そして痛い。

 この世界に痛覚は無い。だが、何もかもが痛くないわけじゃない。受けているダメージから、何かしらの不快感は感じるのだ。そしてそれは、今のアキトには痛みとして明確に現れていた。

 ボスはそのまま地面でアキトを削り、そして上空へと飛ぶ。そして、そのまま身体をくねらせたかと思うと、そこからアキトを思い切り地面へと投げ付けた。

 重力の無い宇宙を背景としたステージで、アキトの落下速度は目で追えるものではなかった。

 薄い床に亀裂が走るのではないかと思う程に高速で、何かがひしゃげるような音がすると同時にアキトの身体が地面へと叩き付けられた。

 

 

 「────がはっ……!」

 

 

 何かを吐き出してしまいそうになる。呼吸が止まり、声が出ず、視界は暗くなる。HPは一気に危険域へと突入し、アラーム染みた音が脳内を駆けずり回る。

 背中に確かな衝撃と痛みを受けて、アキトは動けずそのまま地面へと伏す。悔しげに睨み上げれば、ボスは悠々と虚空をから嘲笑っていた。

 それも一時、ボスは急降下し、アキトに向けてその翼のような剣を左右に広げる。

 

 

 「っ……フィリアさん!」

 

 「分かってる!」

 

 

 ボスとアキトの間に、咄嗟に割って入るアスナと、体勢を立て直したフィリア。明らかにアキトの息の根を止めんとするモーションを瞬間的に感じ取り、二人は自身の武器に光を纏わせる。

 今のアキトとボスの攻防で、筋力値に大幅な差がある事が明確になった以上、筋力値に心許ないアスナとフィリアは瞬間的に威力を発揮するソードスキルに頼るしかない。

 一人一本、ボスの剣に対応する事で負担を柔らげ、アキトの回復する時間を作る。

 

 細剣高命中範囲技《ストリーク》

 

 短剣高命中技《アーマー・ピアス》

 

 互いにアイコンタクトを取り、迫るボスにタイミングを合わせて同時に武器を突き出す。

 こちらに向かっていたボスに対して放ったスキル、その刃は、当然ながら吸い込まれるようにボスに食い込んでいく。

 その白く柔らかな肉質部分を斬り裂き、HPを削り取る。ボスが高速で動いている事実に加え、すれ違いざまに放った事によりダメージが増量し、目に見えてHPの減少を確認した。

 ボスも体勢を崩し、アキトへと向かっていた軌道が逸れ、そのまま地面を滑るように転がった。

 

 ────だが、確かな手応えを感じたのもほんの一瞬で、ボスは再び地面を蹴り上げ空中へと身を躍らせた。

 

 しかし、それで充分。アキトを見れば、ポーションの入った小瓶を咥えて立ち上がっていた。体力は安全圏に戻りつつある。

 アスナとフィリアは、ボスが戻って来る前にアキトの元へと駆け寄った。

 

 

 「アキト君、大丈夫!?」

 

 「うん……ゴメン、迷惑かけて」

 

 「あんな動きもあるなんて……あと少しなのに……っ」

 

 

 フィリアがボスの頭上のHPを黙認して悔しげに呟く。

 明らかに思考し、学習している。攻撃のパターンが多いというよりは、こちらの動きを見て常にパターンが更新されているような感覚。

 流石、超高難度エリアの最終ボスといったところだろうか。半分まで削り取ったHPは、それ以降中々減ってくれない。アキトの空中での連携も、段々とタイミングを合わされてきていた。

 知能だけなら最早フロアボスを超えている。ステータスが劣っても、補う事で余りある反応と思考速度。

 長期戦による精神の疲労を狙っているように見える。《ジリオギア大空洞》で戦ったホロウリーパーを彷彿とさせる。

 

 

 「っ────」

 

 

 こちらが考えを纏める時間を、ボスが与える道理は無い。俯瞰していたボスは再び左右の大剣を羽ばたかせるように広げる。その赤い鉤爪をアキト達の立つ床に引っ掛けて固定すると、その大剣に光を纏わせた。

 

 

(なっ……ソードスキル!?)

 

 

 今まで使用してこなかった初めて見るパターンに、誰もが一瞬身体を硬直させる。その隙は作ってはいけないものだと理解しつつも、驚きが勝ってしまう。

 大振りのスキルモーション後、天高く掲げた二本の大剣がアキト達の地点で交差するよう振り下ろされる。

 

 《グランドクロスブレイカー》

 

 迫る影に目を見開き、アキトは咄嗟に振り返る。

 

 

 「離れて!」

 

 

 三人は一瞬でその場から距離を取り、そのソードスキルを回避する。しかし連撃は止まらない。その大剣は再び空を舞い、こちらを切り刻まんと迫ってきた。

 アキト達は移動しながらそれを回避していくも、目まぐるしく視界を移動する剣に翻弄され、段々と焦燥が駆け巡る。

 

 《テイルスターバースト》

 

 その巨体を翻し、アキト達の立つ透明な床下へと移動する。そして、そのまま鋭い尾を下から突き出した。途端そこから四方に衝撃波が走り、質量を持って三人を襲う。

 今までのフィールドではまず無い攻撃の仕方に対処が遅れる。未知の攻撃パターンは明らかに不意をついていた。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 流星の煌めきにも似た光を放ちながら、四方に分裂する衝撃波をどうにか躱すも、ボスは再び飛翔して追撃の構えをとる。

 アキトは再び舌打ちした。怒涛の追撃に隙が無い。次の動作に移るスピードが早過ぎて、攻めるタイミングでボスもまたこちらを狙っている。

 その白い巨体は剣を前で交差するように構えると、唸り声をあげた。瞬間、その二本の大剣は白銀のライトエフェクトを纏い、星々の煌めきを再現する。

 

 

 「なっ……!?」

 

 

 思わず声が出る。アスナも目を見開いていた。その構えを、その光を。

 

 ────このスキルを、アキト達は知っている。

 

 

 《スターバースト・ストリーム》

 

 

 背後の光達が共鳴するように輝き出し、奴の背中の魔法陣が赤い閃光を迸る。両翼を広げ、一気にアキト達に向けて叩き付けた。

 《二刀流》────かつての英雄と、今の勇者が使用するこの世界唯一無二の、世界に反逆する為の希望。ボスのその名と、二本の大剣を保有している事から、こんなパターンも想像出来たはずなのに。

 だが巨体から繰り出されるそれは、一プレイヤーが使用するものよりもかなり速度は劣っている。

 それを理解した瞬間、アキトは叫んでいた。

 

 

 「っ……二人とも、逃げて!」

 

 

 アキトの声を聞くより先に二人は動いていた。こちらに迫る巨大な影に押し潰されそうになるのを必死で回避する。巨体から繰り出されるそのスキルは、正しく流星。その名に相応しい威力を持っていた。

 行動範囲の小さいアキト達に向けて放つ、広範囲の圧倒的暴力。躱しても躱しても地面に叩き付けられていくそれは振動を起こし、アキト達はたたらを踏む。ぐらりと地面が揺らぎ、一瞬動きを妨げられる。

 その一瞬こそが、命取り。

 

 

 「────っ!?」

 

 

 その地震より、遂にアスナの体勢が崩れた。よろりと前のめりになり、片膝がつく。思わずハッと顔を上げれば、ボスは待っていたと言わんばかりにその剣を掲げていた。

 その軌道は、真下のアスナに直撃する。それを、アキトは瞬時に悟った。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 目を見開く。大切な人が、巨大な影に覆われていく。

 その光景が、かつて守れなかった人と重なり、気が付けばその黒い瞳が光を帯びた。

 

 

 「『くっ────!』」

 

 

 考えるより先に身体が動く。右手に持った《リメインズハート》をボスの頭に目掛けて思い切り放り投げた。回転しながら勢い良く宙を駆け上がった紅剣い剣は、狙い通りボスの顔面に突き刺さった。

 忽ち高音の奇声が響き渡る。振動が床を震わせ、アキトの視界の端ではフィリアが耳を抑えていた。

 ボスはよろめくも、剣はそのままアスナへと振り下ろされる。アキトは空いた右手をめいいっぱい伸ばし、視線の先のアスナへと突き出した。

 

 

 「『アスナっ!』」

 

 「っ……!」

 

 

 その声に反射で応えるアスナ、アキトの差し出した手を考えるより先に掴み、そのまま地面を蹴る。その手を強く握り締め、アキトはアスナを思い切り引き寄せる。そしてそのまま抱いた状態で横に跳んだ。

 瞬間、先程までアスナがいた場所に白銀の閃光が叩き落とされる。風圧でアキトとアスナは更に先へと飛ばされ、フィリアの元へと転がされる。

 

 

 「アキト、アスナ!」

 

 「だ、大丈夫……アスナは……?」

 

 「うん……ありがとう、アキト君……」

 

 

 駆け寄るフィリアに無事を知らせ、すぐさま視線をボスへと戻す。奴はただ虚空を舞い、俯瞰するだけ。今の怒涛の攻撃に反し、動かず威嚇するような声を発していた。

 

 

 「……強い」

 

 

 誰かの声が震える。

 ボスは己の力を誇示するように、赤い鉤爪を全開にしてこちらの出方を伺っているようだ。そこには一切の油断を感じず、凄い気迫だった。ただのデータの塊とはとても思えない。

 最後の最後まで、この世界は希望を簡単に与えてはくれない。

 

 

 「……それでも……」

 

 

 アキトは、重い身体を必死に立ち上げる。剣を支えに地に足を付け、隙は見せんとボスを見上げた。アスナとフィリアの不安気な表情を見て、より一層気が引き締まった。

 アキトは目を細めてボスに睨みをきかせ、強い口調で言い放った。

 

 

 「譲れない……まだ、みんなと……」

 

 

 笑っていたいから────

 

 

 漸く出来た繋がりなんだ。今度こそ失くしたくないんだ。

 そんな想いが、その途切れ途切れな言葉から滲み出ていた。

 

 

 「アキト君……」

 

 

 覚束無い足取りのまま立ち上がるアキトをその瞳に捉えたアスナは、戸惑いながらも、何も言えず口を噤む。そんな彼女を知らず、アキトはただボスを見上げていた。

 絶対に負けられない。勝つしかない。戦わなければ生き残れない。譲れないなら、戦うしかない。

 今までずっとそうだった。どの時間、どの戦いでもそれだけを実感し、死と何度も隣り合わせの関係を否応無く築き上げてきた。

 今回も、それと同じだ。

 アキトは“ヒーロー”に憧れていた。だが決して、この状況が、自分をヒーローとして確立する為の都合の良いシチュエーションだとはただの一欠片だって思ってはいなかった。

 アキトはただ、一人のプレイヤーとして、この危機を見過ごせないだけ。そこに憧れや理想は必要無い。

 ならば、やる事は決まっていた。

 

 

 「っ……」

 

 

 ふと、背中から音が聞こえる。

 思わず振り返れば、アスナとフィリアも、そんなアキトに鼓舞されるように立ち上がっていた。各々、その瞳に諦めは感じない。

 アキトの口元は、思わず緩んだ。ありがたい。とても、安心する。こんなにも頼りになる仲間が、自分の傍にいてくれる。

 

 言葉なんか、要らなかった。ただ、目的だけはハッキリしていたから。

 

 ならば『強がり』でも良い。偽物でも誤魔化しでも良い。不安にだけはさせないように。その意思を表せ。

 憧れに追い付けるように。ただ、みんなを守る為に。

 

 

 ────アキトは、不敵に笑った。

 

 

 「俺がヘイトを全て受け持つ。隙作ってやるから、ちゃんと付いて来いよ」

 

 

 かつてのように眼をギラつかせ、嘲笑うかのように口元を歪めた。

 アスナとフィリアは小さく笑みを持って応え、ボスを見やる。ここから、最後まで一直線だ。

 

 

 「……うん、分かった」

 

 

 アスナはそう答え、小さく笑う。その背にかつての懐かしさを感じて。初めて出会った時の、誰に対しても冷酷で、蔑むような視線を送り、自信満々で攻略組の前に立ち、嫌われながらも先導してきた、あの頃のアキトに。

 ヘイトを全て一人で受け持つだなんて危険過ぎる。ましてやこの敵相手にそれは命取りだ。

 

 ならば、いや、だからこそ。アキトのその背に希望を抱かずにはいられない。信じたい背中が、支えたいと思う背中がそこにある。

 彼が信じてくれるなら、自分も彼を信じるだけ。

 《ランベントライト》を握り締め、アスナも戦闘態勢に入る。フィリアも同じく《ソードブレイカー》を逆手に持ち、膝を曲げて背を低く構えた。

 

 

 「来るぞ、二人とも!」

 

 「了解!」

 

 「うん!」

 

 

 こちらの準備が整ったのを見るや否や、両腕を広げて雄叫びを上げた。血のように赤く煌めく魔法陣を背に、その二本の大剣を翻し滑空を始めた。

 その速度はやはり素早い。重力のない宇宙を背景に迫るその姿は恐怖を助長する。広げた鍵爪が光で反射し、近くの床を照らす。

 

 

 「……っ!」

 

 

 アキトは二人よりも先に前へ飛び出し、ボスへと走り出す。一対一の状態を作り出し、互いに互いに向かって距離を縮めていく。未だボスの頭上に突き刺さっている《リメインズハート》に目を向けると、左手の《ブレイブハート》を右手に持ち代えた。

 走る度に固く透明な床と自身のブーツがぶつかる音を耳に感じながら、アキトは目を細めてボスを見やる。

 

 

 「ふっ!」

 

 

 速度を落とさずに接近してくるボスに合わせ、途端にタイミング良くアキトは跳躍した。

 高く舞い上がったアキトの真下を、ボスが通過する。アキトは身体を空中で傾け、空いた左手を伸ばす。その先にあるのは、《リメインズハート》。

 奴の頭上に突き刺さったままのその剣の柄を掴み上げ、瞬間、その剣先に光が宿る。

 

 

(くらえ────!)

 

 

 片手剣単発技《バーチカル・アーク》

 

 突き刺さっていた片手剣をそのままソードスキルに転用し、ボスの頭を一気に斬り進む。柔らかい肉質が、刺さる剣の位置をいとも容易く変えさせてくれる。腕に力を込めたアキトは唇を噛み締めて、気合いと共にボスの頭上から背中まで、深い傷を植え付けた。斬り払うと同時に赤いエフェクトが飛び散り、HPバーを消し飛ばした。

 

 

 「────フィリア!」

 

 

 ボスの体勢が崩れるや否や声を上げる。明確な隙を前に、奴に一番近いフィリアが側面に回り込む。一瞬のアイコンタクトの後、短剣を手元で回転させたかと思うと、勢い良くボスの身体へと食い込ませた。

 その短剣からは紫色の閃光が迸り、高速で連撃を加えていく。

 

 短剣超高命中技九連撃《アクセル・レイド》

 

 一心不乱に身体を動かし、腕を思い切り叩き付ける。攻撃はクリティカルヒットし、更にボスの体力を減らす。

 反対側ではアスナが回り込んでおり、同じくボスに向かってソードスキルを放っていた。

 

 細剣多段多重攻撃九連撃

 《ヴァルキリー・ナイツ》

 

 視認さえも至難の絶技が、宇宙の主の懐に飛び込む。宛らマシンガンのように連射されるそれは、防御も回避も許さない。

 畳み掛けるように放つ連撃が、ボスの体力をみるみるうちに減らしていく。先程まで手も足も出なかったボスの怒涛の攻撃から打って変わって、三人の集中力は深くなり、研ぎ澄まされていく。

 奴がアキトのソードスキルで視覚を阻害された一瞬の隙だった。だが三人が同時に放ったソードスキルで、かなりのダメージをボスに与え、その体勢を崩す。やがてボスはその白い巨体を持ち上げ、宙へと堪らず飛翔した。船の汽笛のような鈍い唸り声は振動し、アキト達の身体を震わせる。

 

 

 「逃がすか───っ!」

 

 

 体術スキル《飛脚》

 

 アキトは床を思い切り踏み上げ、空中へと垂直に飛び上がる。アスナとフィリアはその際の風圧で思わず動きを止める。

 そんな二人を置き去りにしてボスよりも更に高く舞い上がり、アキトはすぐさま右手を振り上げた。

 

 片手剣単発技《バーチカル》

 

 上段から振り下ろされる黄金の煌めき。筋力値にものを言わせた一撃が、ボスの脳天を穿つ。

 手応えを実感するよりも先に左手の《リメインズハート》を平行に傾け、再びソードスキルを発動する。

 

 コネクト・《ホリゾンタル》

 

 横に薙ぐ白銀の一撃。背中の魔法陣を砕き、奴の怒りに反逆する。一閃した直後、ボスの身体の一部が砕かれ、破片が宙に舞う。驚愕か痛みか、白い巨体は身体を捩り、呻き声を上げる。

 

 

 「アキト君!」

 

 

 アスナの悲鳴に近い呼び掛けと同時に、ボスが宙で身動きの取れないアキトを視界に収める。その刹那、両翼の大剣を勢い良く振り翳して一気に縦に振り下ろしてきた。

 空間を裂く勢いで迫る大剣、しかしそれを予測していたのかアキトの行動は早かった。既に右手の《ブレイブハート》は紅いエフェクトを纏い始めており、瞬間、それは空中で発動した。

 

 コネクト・《ヴォーパル・ストライク》

 

 《ブレイブハート》をボスに突き出す形で発動したそれは、突進力を利用して空中を移動して、上段からの大剣を紙一重で躱す。そしてそのままボスの間合いに入り、再び左手を掲げる。

 

 コネクト・《コード・レジスタ》

 

 三色に煌めく三連撃が、ボスの頭部側面に叩き付けられる。腰を捻じり、その力を腕に伝える。筋力値の高いステータスを元々持っているアキトの作り上げたそのOSSは高い威力を発揮した。

 赤、青、緑、弧を描くように、だが一点を集中して繰り出されたそれは、やがてボスの視界を揺らめかせる程の振動を頭に与えていた。

 

 ドンドン削り取られて無くなっていくボスのHP。

 その手応えを感じ取り、アキトの動きは更にキレを増していく。

 

 

 

 

 「……凄い」

 

 フィリアが、そう思わず呟く。

 空を舞うボスとアキトの戦いを、翼を持たないフィリアとアスナは見上げる事しかできない。そんな彼らは目を見開き、アキトの戦闘の鮮やかさに舌を巻いていた。

 《剣技連携(スキルコネクト)》で空中を移動し、ボスの攻撃を避ける。本来、ソードスキルを繋げる事すら技術的には至難のもの。にも関わらず、アキトはさも当然のようにそれを連発し、ボスを翻弄し、圧倒すらし始めている。

 アスナもただ呆然とアキトを見上げるのみ。その背に、その頼もしさに、またしても懐かしさを感じ取る。明らかに戦闘のスタイルが違っても、やはり重ねずには居られない。

 

 

 彼は、私が愛した人と同じ────

 

 

 「っ……アキト君っ!」

 

 

 思わず、叫ぶ。

 天を仰いだ先で、アキトはよろめくボスの頭上に飛び上がり、その剣を振り下ろす。

 昂り荒ぶる気持ちを乗せて、その剣戟は加速する────

 

 

 「いっ……け!」

 

 

 コネクト・《ワールド・エンド》

 

 宇宙と同化する闇色に剣が輝く。一撃必殺の威力を纏い、アキトは目を見開く。それをボスの背中目掛けて思い切り振り抜き、途端に衝撃波が走る。

 

 

 「ぐっ……ああああああぁぁあああああ!」

 

 

 腕に力を込め、一気に押し出す。

 自身の何十倍もある大きさと質量を持つその巨体を、思い切り地面へと叩き落とした。

 宛ら隕石のように床に墜ちて来たボスは、呻き声を上げて力無く崩れる。

 

 

 「っ────!」

 

 

 「はあっ!」

 

 

 その隙を、アスナとフィリアは逃さない。

 ボスの身体、その両側面に回り込み、最大火力のソードスキルを放った。

 緊張や恐怖で震えた腕はもうそこに在らず、アキトが作ったチャンスを決して逃さぬよう、ただボス一点を見つめていた。

 光が収束し、この宇宙を駆け巡る。重なった剣戟は流星のように輝く。

 アキトは上空から落下しながら、その姿を見ていた。二人の連携、互いにソードスキルを放ち、ボスを立ち上がらせない。その隙のない動きに思わず目を奪われた。

 

 

 そして、ボスのHPは、とうとうゼロに。

 

 

 今までに無い程の光を放ち、やがて破片となって、宇宙へと消えていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……勝った……」

 

 

 どうにか発せた声と同時に、アキトはダラリと構えた二刀を下ろす。アスナとフィリアも肩の力が抜けたのか、大きく息を吐き出した。両膝に手を付き、身体を支える二人の呼吸は、まだ少しだけ荒れていた。

 

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 「終わったね……」

 

 

 フィリアとアスナは漸く顔を上げ、その事実を告げた。この《ホロウ・エリア》のラストボスを倒し、PoHのアップデートを阻止出来る段階にまで辿り着いた事実が、肩肘を張っていた三人の力を抜けさせていた。

 《ホロウ・エリア》のボスで一番厄介な相手だったと断言出来る。半永久的な滞空時間のせいで、地面に足を付けるプレイヤーの攻撃はほぼほぼ当たらない。近距離と遠距離、どちらからも攻められる破格の攻撃力に加え、思考・反応速度が常軌を逸していた。

 だからこそだろうか。こうして戦闘が終わり、ボスを無事に倒した事、全員が無事だった事に、誰もが大きな達成感を感じた。心做しか、三人は口元に笑みを浮かべていた。

 犠牲はゼロ、PoHのアップデートも阻止出来る。最高の形だった。

 

 

 「……二人とも、お疲れ様」

 

 「アキト君こそ、お疲れ様」

 

 「ホントに疲れたよー……」

 

 

 アキトの労いの言葉に応えたアスナの隣りで、フィリアはへなへなと地面へ座り込んだ。今まで張っていた緊張感が一気に弾けたのか、脱力した彼女の表情にはかなりの疲労が見えていた。

 

 

 しかし、段々と実感する。

 全て終わったのだという、その事実を。

 

 

 「っ〜〜〜!やったぁー!」

 

 「なっ、ちょっ、フィリア……!」

 

 

 疲労したはずのフィリアは顔を紅潮させて立ち上がり、アキトの手を取って子どものようにはしゃぎ始める。

 突然の事でアスナも、振り回されるアキトも呆然と眺めるだけだったが、フィリアのその屈託の無い笑顔を見て、自ずとつられて笑みが零れてしまった。

 

 

 「……はしゃぎ過ぎだよ」

 

 「だってだって!……やっと……終わったんだよ……?やっと……私、二人と……」

 

 「フィリアさん……」

 

 

 彼女のその声は、段々と小さくなっていった。先程まで快活だった表情も態度も身を潜め、身体を震わせている。

 今まで我慢していた、溜め込んでいた恐怖と焦り。自分は一生ここから出られない、そんな幻覚をずっと見てきたフィリアにとって、この戦いの終わりは、この瞬間だけはゲームクリア以上の意味を持っていたに違いなかった。

 自分一人だったら、きっとこんな想いや感情は、知らないままだった。

 

 アキトが、手を伸ばしてくれたから。彼が、傍にいてくれたから。

 

 フィリアのその瞳から、涙が零れた。

 

 

 「……ありがとう、アキト」

 

 「……俺は、何もしてないよ。フィリアが、頑張ってくれたから……」

 

 

 そして、アスナ達が自分とフィリアを信じてくれたから。アスナを見れば、胸に手を当ててこちらに笑顔を返してくれていた。『おめでとう』と、『お疲れ様』と、そう瞳が告げていた。

 

 

(アスナ……)

 

 

 アキトがフィリアから視線を外し、アスナへと向き直った。

 そして、彼女にも労いの言葉を、と。

 

 ────そう思った時だった。

 

 

 「……アスナも、おつ……かれ……」

 

 

 ────ふと、その異変(・・)を感じ取り、アキトの動きが止まった。

 

 

 「……アキト、君?」

 

 「どうしたの?」

 

 アスナが目を丸くして首を傾げる。フィリアも、目の前のアキトを見てその様子を訝しげに見やる。

 

 

 「……変だ」

 

 

 アキトは首を左右に回す。辺りを、何かを探すように見渡す。

 しかし、何処を見ても同じ景色。上下左右、全ての空間に星が散りばめられている、宇宙の片隅。ここは、そんな場所だった。

 

 だからこそ、戦闘が終わったこの場所に、最早意味など無いというのに。

 

 

 「……何も、起こらない」

 

 

 ────文字通り、何一つ変化が見られない。

 勝利のファンファーレも、転移現象も、中央コンソールが現れる気配すら無い。ただ空虚な空間が、不気味なくらい静かに続くだけ。

 アスナとフィリアもそれに気付いたのか、ハッと分かりやすく表情を変えてみせた。先程のアキトと同じように辺りを見渡すも、当然のように変化は無い。

 戦闘を終えたというのに、アップデートは回避されたはずなのに、まるで閉じ込められてしまったかのように。

 この宇宙空間に幽閉されてしまっていた。

 

 ────だが次の瞬間、その空間に声が響き渡った。

 

 

 [《システムガーディアン》の討伐を確認。最終シークエンスに移行します]

 

 

 「……ぇ」

 

 

 誰かの声が、聞こえるかどうかの程の声量でアキトの耳に入る。それはもしかしたら、自分の放った声だったのかもしれない。

 世界観を無視したように貫かれたその女性の声は、不自然な程に、この音無き世界に響き渡る。

 何が起こったのか。何を言っているのか。それを瞬時に理解出来ない。

 

 「……最終……シークエンス……?」

 

 アキトは、アナウンスされたその単語を復唱する。純粋に、何を告げたものなのか、その意図が把握出来なかった。

 

 なのに。

 だというのに。

 この、胸騒ぎは何だ。

 

 

 ────瞬間、バチリと、何かが弾ける音がした。

 

 

 「あうっ……!」

 

 「っ……な、に……!?」

 

 アキトの後方で、ドサリと何かが崩れ落ちる音が響く。思わず振り返れば、目にしたのは、先程まで立っていたはずのアスナとフィリアが、力無く倒れる瞬間だった。

 

 「なっ……アスナ、フィリア!どうしたの!?」

 

 「分かん、ない……身体が、動、かない……!」

 

 アキトは慌ててしゃがみ込み、アスナとフィリアに手を伸ばす。しかし、視界に入ったそれ(・・)を見て、その手の動きを止めた。

 アスナとフィリアの頭上には、黄色い、稲妻のマーク。とある状態異常を知らせるアイコンだった。

 

 「麻痺……?っ……なんで、急に……!?」

 

 突然の出来事、不可解の連続がアキトを襲う。混乱で思考が追い付かない中、アキトはただ目の前の倒れ動けない二人を見て瞳を揺らしていた。

 

 何だこれは。

 

 ボスは倒したはずだ。

 

 アップデートは食い止めたはずだ。

 

 全て上手くいったはずだ。

 

 終わったはずだ。

 

 みんな無事で、帰れるはずだ。

 

 なのに、何が起こった。

 

 何故、この場所に置き去りになっている。

 

 さっきのアナウンスは何だ。

 

 どうして、自分の仲間は麻痺で動けず、地に伏しているんだ。

 

 

 「……」

 

 

 何故、二人だけ────

 

 

 「────!? アキト、後ろ!」

 

 「っ!?」

 

 フィリアの声で我に返る。咄嗟に立ち上がり、振り返って鞘の剣を再び取り出した。そして視界の向こう、この宇宙の果ての世界、その中心を捉え、その目を見開いた。

 転移に似た光が、このエリアの中央へと姿を現す。煌めく光が収束し、小さく風が吹き荒れる。

 

 「っ……何が……」

 

 何かが、目の前で形成されていく。

 光が段々と消失していき、中から人の影が現れる。アスナもフィリアも、目の前で起きる現象に、ただ戸惑いながら見る事しか出来ない。

 全てが終わったはずの場所で、その中心点で、今、何かが顕現しようとしている。その嫌な予感が拭い切れぬまま、収束した光が完全に消え、そして────その影が、姿を現す。

 

 

 そして、目の前に現れたその影が晴れ、その姿を視認した瞬間────

 

 

 「────ぁ」

 

 

 アキトは、二本の剣を地面へと落とした。

 

 

 「ぇ……」

 

 

 そして、アスナの表情が凍りついた。

 目の前に現れたその姿に、見覚えがあったから。

 

 黒い髪に、黒い瞳。

 

 中性的な顔立ち。

 

 黒と、白銀の、二本の剣。

 

 黒いロングコートとブーツ。

 

 

 

[《ホロウ・エリア》実装テスト、最終シークエンスを始めます]

 

 

 そんな、静寂を壊すように空間に響いたアナウンスと同時に、アキトは震えた声を、絞り出した。

 

 

 「っ……ぁ……」

 

 

 

 

 ────(キリト)が、そこに居た。

 

 

 

 

 「……キ、リト……」

 

 その、親友の名を呼ぶ。

 その瞳が、その視界が何故か歪み、霞む。

 出会い、決別してから約一年間、まともに顔を合わせなかった親友の、久しぶりに見る姿。最後に別れてから、装備も雰囲気も、何もかもが違っていて。

 

 「キリト、君……なの……?」

 

 アスナも、地に伏しながらも見上げる。その瞳には涙を浮かべ、わなわなと唇を震わす。

 愛する人が、目の前で再び姿を現した事、その事実に頭が追い付かない。

 

 「……」

 

 キリト(・・・)は、何も言わず、ただ立っていた。

 腕をだらりと下げ、脱力した無の構えを取っており、その瞳は何処か虚ろ。何かを見ているようで、何も見ていない。

 死んだ表情をしていた。

 

 にも関わらず、アキトはそれに気付かない。

 

 「キリト……キリト、なんだろ……?」

 

 アキトは、震えていた足を、一歩、キリトへと近付ける。

 漸く会えた、その事実がアキトの胸を高鳴らせ、涙が自然と零れ落ちる。

 

 何故、君がここに居るのか。そんな問いをする事すら、時間の無駄だと切り捨てた。

 アキトは、また一歩、また一歩と足を動かす。物言わぬキリトを不思議にも思わず、疑問も抱かずに近付いていく。

 自身の中にいるはずのキリトの事など、頭から忘れ去られていた。

 

 親友が、大切な友達が、目の前にいる。

 その事実だけで、他は何も見えていなかった。

 

 

 「話したい事が……謝りたい事が、伝えたい事が、沢山あるんだ……」

 

 「……」

 

 

 キリト(・・・)は、答えない。

 

 

 「君に追い付きたくて、憧れて……ずっと、ずっと追い掛けて来たんだ……強く、なったんだ……」

 

 「……」

 

 

 徐々に、その距離が縮まる。

 

 

 「キリトの手助けをしたくて……一人にしてしまった君を支えたくて……だから、俺……僕は……」

 

 

 声が、震える。

 

 

 「約束、したもんね……一緒に、攻略組になるって……だから────」

 

 

 ────瞬間。

 

 

 「っ!? アキト、逃げて!」

 

 

 フィリアの悲鳴に近い声。

 

 だが、もう遅い。

 

 

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 アキトの動きが、一瞬固まる。

 

 

 次の瞬間、目の前の親友は。親友の姿をした、その《ホロウ》は。

 

 

 《エリュシデータ》を振り上げて、アキトの身体を斬り付けた。

 

 

 

 

 







キリト 「……」

フィリア (誰……?)←何の説明もされていない人





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Ep.98 キリトVSアキト




“憧れ”が、そこに居た────







 

 

 

 場違いな、懐かしさを感じていた。

 何よりも大切だったあの時間、あの空間を思い出してしまう。初めて感じた温もりと、心地好く感じた世界を、否応無く。

 初めてこの手で守りたいと切に願った、愛した少女。

 

 

 そして大切な、たった一人の親友の事を。

 

 

 何処か似ているような風貌で、けれどそれ以外の何もかもが違っていて。

 彼は自分に無い強さを持っていた。何度も願ったのに、結局手に入れられなかった、何もかもを救えてしまうくらいの理不尽な強さ。誰かを守る事が出来る、正義の味方のような強さを彼は持っていた。

 

 

 彼はいつしか“理想”となり、“憧れ”となり、絶対に負けたくない“ライバル”になった。そして、“親友”になった。

 理想の果てが、追い付きたい背中がそこにはあった。彼の存在がこの身を強くしてくれると思った。

 この『強がり』を『強さ』に変えて、いつかは並び立てる存在になれると信じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「があっ……!?」

 

 

 突然キリト(・・・)に斬り付けられ、その身をアスナ達の伏す後方にまで吹き飛ばされる。

 

 

 

 「アキト君!?」

 

 「アキト!」

 

 「ぐっ……!」

 

 

 二人の呼び掛けを受け、アキトは起き上がる。いきなり親友に攻撃された事実に、動揺を隠せない。視界に映る親友を見て、その瞳が揺れる。

 キリトはそんなアキトに対して無表情のままだった。ただ虚ろな瞳で、変わらずこちらを眺めるだけ。

 

 

 「キリト……なんで……」

 

 

 そんなアキトの問いにすら答えない。キリトは、再び床を蹴った。

 こちらに迫るその速度に、アキトは反応が遅れる。瞬間移動でもしたのかと思う程に速く、アキトは目を見開いた。

 

 片手剣単発技《ホリゾンタル》

 

 キリトの持つ《エリュシデータ》が白銀の光を帯びる。こちらに背を向けたかと思うと、流れるように横に剣を一戦した。

 

 

 「ぐぁっ……!」

 

 「きゃっ!」

 

 「うぁっ……!?」

 

 

 その一撃は空気と共にアキトの胸元を裂いた。同時に、そこから生まれる風圧で、アスナとフィリアも後方へと吹き飛ばされる。

 三人が同時に地面へと転がり、アキト以外の二人は運良くエリアの端へと追いやられた。

 アスナとフィリアはダメージこそ食らっていないが、特にアスナはキリトに剣を向けられた事に少なからず動揺していた。彼女達の目の前では、アキトが身体を震わせて、どうにか起き上がろうとしているところだった。

 そんなアキトに、再び黒の剣士が迫る────

 

 

 「っ……アキト、前!」

 

 「……!」

 

 

 アキトは急いで顔を上げる。目の前には、左手の《ダークリパルサー》を横に薙ぎ払おうとするキリトの姿があった。

 慌てて床に転がる二本の剣を引っ掴み、防御体制を取るアキト。瞬間、繰り出された《ダークリパルサー》の一撃が、二本の剣と交錯した。

 甲高い金属音、ギリギリと火花を散らすと同時に、その圧倒的な筋力値にアキトの防御する腕が震える。

 

 

 「キ、リト……」

 

 「……」

 

 

 キリトは物言わぬ人形の様に、こちらを俯瞰していた。虚ろな瞳でアキトを見下ろし、今度は右手の《エリュシデータ》を頭上に掲げる。

 

 片手剣単発技《ソニック・リープ》

 

 

 「っ……くそっ!」

 

 

 アキトは《ダークリパルサー》を弾いて左方向に飛ぶ。放たれたソードスキルは空を切り、床に叩き落とされる。途端に轟音が響き渡り、床を振動させる。

 ローリングしながら体勢を立て直すも、その一瞬でキリトはアキトの間合いに入っていた。

 

 

 「なっ……くっ!」

 

 

 再び振り下ろされる黒い剣。やむを得ずアキトは左手の《ブレイブハート》をキリトの剣にぶつけた。

 火花か盛大に飛び散り、その眩しさに一瞬目を細める。しかし、そうして視界が狭まったところを、キリトは見逃さない。

 視覚外、真下から足を突き上げ、そのままアキトの腹部を蹴り飛ばした。

 

 

 「ぐぁっ……!」

 

 

 後方へと身体が流れ、体勢が崩れる。そして、続けて左の《ダークリパルサー》を、後ろへ倒れるアキトに目掛けて振り下ろした。アキトは、二本の剣を交差して、自身の身体に落下してくる剣を受け止めた。

 倒れているこの状況で、押し潰さんと迫って来るキリトの剣。その力強さが、剣から伝わる。熱も、想いも全く篭っていないその剣が、ただただ重い。

 交錯する剣の向こう、キリトの瞳を見て、歯軋りする。

 

 その目は、決して自分を映してはいない。

 ただ、アキトを倒す為だけの存在、それ以外の意味など感じない。

 ただの獲物としか、こちらを認識していない。

 

 

 「────アキト、反撃してっ!」

 

 

 後ろから、フィリアの声が聞こえる。

 アキトもアスナも、この静寂の世界で響き渡る彼女の声が、よく聞こえていた。

 

 “反撃して”、と。そう言った。

 そんな事、出来る訳が無い。

 

 アスナは思わずフィリアを見て、アキトは思わず彼女の言葉に耳を貸す。

 

 

 「ソイツ、《ホロウ・データ》だよ!名前見て!」

 

 

 そう言われ、自然と目の前のキリト、その頭上を見やる。

 一瞬目が合ったかと思いきや、その虚ろな瞳はただ冷たくて、やはり何も見てなくて。

 プレイヤーと何ら変わらない一本のHPバーと、その上にあるはずの名前。目の前のキリトの姿をした、奴の定冠詞。

 

 《Kirito(キリト)》じゃない。

 

 その真の名前は────

 

 

 

 

 《Nightmare Hollow(ナイトメアホロウ)

 

 

 

 

 その名が、目の前の奴がキリトじゃない事を知らしめていた。目の前のコイツは、親友に似た、ただのAI。データの塊。

 悪夢(ナイトメア)の名を冠した、この世界の《ホロウ・データ》。

 

 

 「……!」

 

 

 アスナも我に返ったのか、その瞳からは動揺が段々と消えていた。アレがキリトでは無いと、いち早く踏ん切りが着いたのかもしれない。

 今、この状況の意図と意味を汲み取り、自身の感情を排斥し、アキトが今、やらなければいけない事を瞬時に理解した。

 

 

 あれは、キリトじゃない。

 自分が愛した人ではない。

 今は、自分達の前に立ちはだかる、《ホロウ・データ》なのだと。倒さねばならない敵なのだと。

 

 

 しかし────

 

 

 「くっ……!」

 

 「……」

 

 

 アキトは、未だ反撃すらせず、床に倒れたまま、上からキリトが押し潰そうとしてくるのを、剣で防御するだけだった。

 アスナもフィリアも、先程と変わらない状況に困惑を重ねる。何故、アキトは反撃しないのだと、そう表情が物語る。

 彼にとって、アレがたとえ親友の姿をしていたとしても────

 

 

 「っ……」

 

 

 ────辛い。

 アスナも、あの姿をした《ホロウ》を倒すという事実だけでどうにかなりそうだった。けれど、世界とアキト、そしてその《ホロウ》を天秤にかけるならば、アキトに決まっていた。

 あれは、キリトじゃない。そうアスナ自身も、自分に言い聞かせた。

 だから、アキト君も───

 

 

 「アキト君!その人はキリト君じゃ────」

 

 

 「分かってんだよそんな事はっ!」

 

 

 今まで聞いた事ない程の声量。ビクリと、アスナとフィリアも肩を震わした。

 あんなアキトは、見た事が無かったから。

 

 アキトは悔しげに歯噛みして、腕に力を込めると、空いた右足でキリトの腹部を蹴り上げた。一瞬宙へと吹き飛んだキリトだが、すぐさま後方へと着地し、無気力な体勢で再びこちらを見据えた。

 HPが思ったよりも減っていない。恐らく奴は、アキトが腹部を蹴ると同時に地面を蹴り飛ばし、威力を最小限に抑えたのだ。

 

 

 「っ……」

 

 

 その判断能力と反射速度は、紛れも無いキリトで。

 起き上がったアキトは、ただ悔しげに表情を歪めるだけだった。

 

 

 ────それでも、あれはキリトじゃない。

 

 

 そう。

 分かってる。

 とっくに、分かってるんだ。

 なのに。

 

 

 「何でだよ……!」

 

 

 最初にキリトに斬られた時点で、アキトは混乱と動揺を見せながらも半ば理解していた。

 先程のアナウンスが告げていた『最終シークエンス』とは、今この現状の事を指している。

 この目の前のキリトの姿をした《ホロウ・データ》と戦い、倒す事。それが、今アキトに課せられた試練。

 アスナとフィリアが麻痺状態になったのは、アキトとキリト(ホロウ)の一対一の状況を作り上げる為。

 

 

 頭では、分かっている。

 自分の中に、キリトがいる事だって分かっているはずだ。

 けれど。

 

 

 「……何で、君なんだよっ……!」

 

 

 一万人いるプレイヤーの《ホロウ》。

 その中で、何故選りにもよって君なんだ。

 何故、こうして互いに睨みをきかせ、剣を持たなきゃいけないんだ。

 

 

 漸く、会えたのに。

 顔を、もう一度見れたのに。

 面と向かったなら、話したい事があったのに。

 

 

 グルグルと感情が渦巻き、視野が狭まる。

 心臓の音で、他は何も聞こえない。アスナの声、フィリアの声、その全てがくぐもって聞こえる。

 

 

 「……っ!」

 

 

 再び、キリト(ホロウ)が飛び出す。

 その二本の黒白の剣を構え、アキトを殺す為に。

 戸惑いの中、剣を突き出すキリトに対してアキトが見せたのは、紙一重の回避だった。それも、まるで恐怖から逃げ惑う子どものような、拙さ目立つ躱し方だった。

 戦いたくない、そう無意識に感じているのか否か、傍からは分からない。だがその表情は明らかに、拒絶のそれだった。

 

 キリトから躱された事に対する驚きも焦りも感じられない。そのまま立て続けに左手の剣を横に振るう。

 今度はバックステップで回避するが、それすら予測していたのか瞬時に間合いを詰められ、再び右手の剣が振り下ろされる。アキトは舌打ちしながらそれを弾くが、今度はまた左手の剣が構えられていた。

 二刀流、相手にするとここまで厄介なのかと実感する。そうでなくとも、自身が憧れる程の強さなのだ、少しの気の迷いが死を招く。

 

 そう、頭では分かっているのに。

 

 

 「しっ────!」

 

 

 苦しげに、そして半ば強引に繰り出すは右手の《リメインズハート》。キリトの怒涛の攻撃の中に生まれた一瞬の隙を突くかの如く振るった刃は、そのまま奴の頭上へと下ろされる。

 だがキリトは目を見開くと、足に力を込めて一気に横へと飛んだ。アキトの剣は何も無い空間を斬り、目の前にいたはずのキリトを見失う。

 慌てて見渡せば、既に視界にキリトはいない。

 

 

(っ……まさか、後ろ───)

 

 

 しかし、気付くのが遅かった。

 振り向く間も無く、アキトの背中にキリトの剣が落とされる。肉が削がれる音がして、赤い血のようなエフェクトが宇宙を舞う。

 

 

 「がぁっ……!」

 

 「アキト君!」

 

 

 アキトは地を滑り、転がる。すぐさま立ち上がり、顔を上げる。

 眩い閃光迸り迫るは、キリトの剣。《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》の両剣が同一の光を纏っている。

 

 二刀流のソードスキルだと、瞬時に理解した。ならば、アキトにも対策は出来る。

 キリトの構えと、ライトエフェクトから発動するであろうソードスキルを見極め、同じスキルで相殺する。

 こちらに向かって駆けるキリトを迎え、アキトは《リメインズハート》と《ブレイブハート》を光らせる。

 互いに白銀に剣が染まり、その二本を振り上げる。

 

 

 「らぁっ────!」

 

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ストリーム》

 

 同一のスキルのぶつかり合いが始まる。火花が飛び交い、同じ速度で剣戟が生まれる。少しでも気を抜けば速度負けし、手を抜けば力負けするこの現状、一瞬の油断さえ命取り。

 迫る一つ一つの力、振り下ろし、繰り出される剣の一本一本を予測し、反応して相殺する。

 アキトは思いの外冷静に、この状況を見れていた。

 

 

 しかし────

 

 

 「なっ!?」

 

 

 瞬間、アキトの剣が弾かれた。慌てて立て直そうとするも、防御の為に構えた剣が空を切る。

 頬に、剣のかすり傷が生まれる。アキトは、その瞳を揺らした。

 先程まで同じ動き、同じ速さだったはずなのに。

 

 

(スキルが違う……!? そんなっ、さっきまで明らかに《スターバースト・ストリーム》のモーションだったのに……)

 

 

 途中から、キリトが動きを変える。

 ソードスキルのモーションが、変化していく。その事実に、アキトの表情は崩れた。

 相殺目的の為の同一のスキル発動。だが、キリトはそれすらも見越していたというのか。

 キリトはアキトの剣を弾き、体勢が崩れたアキトのソードスキルがキャンセルされた瞬間に、アキトの背後に回り込んだ。

 

 

 「しまっ────」

 

 

 アキトは対応出来ず、頭だけを後ろへ向ける。

 完全な隙。キリトのソードスキルは、まだ終わっていなかった。変わらず白銀の閃光が、アキトの視界を覆った。

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ギャラクシー》

 

 残り四連撃が、アキトの背後に集中していく。筋力値極振りのステータスを誇るキリトのコピーは、慈悲も容赦も無く、殺戮の機械と化してアキトの背中を刻み付けた。

 

 

 「あああああぁぁああ!」

 

 

 立て続けに背後を取られたアキト。連続で同じ戦術は愚策だという常識の裏をかいた、AIらしからぬ思考能力。防御すらままならないアキトは、そのソードスキルでHPを半分まで削られ、再び石ころのように吹き飛ばされた。

 

 三度地面を滑り、地に伏して倒れる。そして、また同じように震える足を叩いて立ち上がる。その連続だった。

 アキトは対処的にしか攻撃しておらず、奴を倒そうとする気配が傍からは感じられなかった。目の前に立つ相手が、キリトと同じ姿をしているだけで戦う気力を奪われていたのだ。

 その事実だけで、アキトの動きを鈍らせるには充分だった。

 

 

 「……」

 

 

 ────かつて、憧れた姿。

 

 それが今、自身に剣を向けている。見ているだけで、楽しかったあの頃の記憶が呼び起こされ、走馬灯のように頭の中を駆け巡る。

 共に戦い、笑い合い、話し合い、研鑽し合った。そして、互いに仲間を失って、同じ痛みと悲しみを共有した親友。

 あの時は自分の事ばかりで、彼の事を考えていなかった。辛いのは自分だけなのだと、無意識にそう思っていた。

 間違った怒り、行き場のない憎しみをキリトに向け、それを背負わせてしまった罪。

 強くなって、攻略組としてキリトに再び出会う事を目的に生きてきた。それなのに、辿り着いた先に彼はいなくて。

 

 

 もし、また出会えたのなら。

 

 

 「謝ろうと……思ってたんだ……」

 

 

 一人にしてしまった事。

 背負わせてしまった事。

 拒絶してしまった事を。

 それなのに。

 ナイトメアホロウという名を冠するキリトの《ホロウ・データ》。

 これが悪夢(ナイトメア)だなんて、思いたくないのに。

 

 

 戦う事に、なるだなんて────

 

 

 剣の握る力が強くなる。

 悔しさや悲しさ、行き場の無い苛立ちと焦り。この想いをぶつける何かを、必死に探してる。

 込み上げてくるものは、失くしたものに対する大きな罪の意識。キリトに対する、謝罪の気持ちだった。

 こんな、こんな出会いを望んだわけじゃなかったのに。物言わぬデータと化した親友と、剣を交えたかった訳じゃなかったのに。

 

 

(畜生────)

 

 

 伏せた顔、前髪で隠れる目元。けれど、その口元は何かを堪えるように、必死に歯を食いしばっていた。

 

 そんなアキトに迫る、黒い影。

 キリトは再び床を蹴り、お構い無しに迫って来る。その速度は衰える事無く、寧ろ俊敏になっていた。間合いを一気に詰め、《エリュシデータ》を突き出した。

 近付く刃、それを視認したアキトの瞳は、悲痛に歪んでいた。

 

 

 「畜……生っ!」

 

 

 アキトはそれを弾き落とし、もう一本の剣を上段から振り下ろす。相手の不意を突いた完全な隙。常人なら対応は難しい絶妙なタイミングだった。

 

 だがキリトは、身体を少し傾けるだけでその一撃を紙一重で躱す。《二刀流》保持者の反応速度は伊達では無いと改めて実感する。アキトは舌打ちをしながらも、相手から目を離さない。常に視界内に捉え、見失わぬよう細心の注意を払う。

 

 

 「っ……はぁっ!」

 

 

 アキトは右手の剣を床と平行に薙ぐ。

 気合いと呼ぶには投げやりな声と同時に振るった剣速は、万全の時のものと比べると明らかに劣る。手を抜いている訳では無いのかもしれない。だが、本気ではない攻撃をキリトが躱せない訳はない。

 

 キリトは悠々とバックステップで距離を取り、アキトを一瞥する。

 そして、再び閃光のような速度で近付くキリトの剣は、眩い光を放っていた。

 ライトエフェクトが空間に広がる。目を細めてしまう程に輝きを増し、接近してくる。

 構えた剣をアキトの左肩から斜め下へ袈裟斬りに放った。アキトの命を終わらせようと本気で迫るそれは、大振りで隙が大きいように見えて、キリトが使えば正に音速、躱す事すら至難の業。

 躱せないなら、受け止めるしかない。

 

 その太刀筋を予測して先に剣を構えていたアキト。タイミングよくそれを前に押し出し、キリトの剣を受け止める。

 甲高い金属音が辺りに響き渡り、火花が眼前に迸った。

 

 

 「ぐうぅ……!」

 

 

 アキトは全力でキリトの一撃に集中し、受け止めて力を加え続けたのだが、それでも押され続けた。

 ジリジリとポジションを取られ、詰め寄られていく。押し負け、体勢が崩れる。

 キリトのHPは未だ減っていないのに対し、アキトのHPは半分以下にまで減少している。アキトが今の状態のままならジリ貧だった。

 こちらの隙、体勢が崩れるタイミング、その全てを見極めてくる高知能AI。キリトは、アキトが力負けして膝が曲がった瞬間、アキトを思い切り弾き飛ばした。

 分かっていても、準備していても防げない程の筋力値。ステータスの違いと、自身がまだ憧れに追い付いていない事実を浮き彫りにされる。

 押しとどまっても、再び迫られる。親友だったはずなのに、目の前の敵からは一切の躊躇を感じなかった。ただ冷たい瞳がアキトを見据え、容赦無く剣でこちらの想いを根こそぎ斬り潰していく。

 防御も回避も拙くなり、好機と捉えたキリトは畳み掛けていく。HPはドンドン削れていき、危険域に近付いていく。

 

 

 「アキト!くっ……」

 

 

 アキトを助けようと、必死に抗うフィリア。しかし、どれだけ身を捩っても、その身体は動いてくれなかった。麻痺状態が延々と続き、ただアキトが傷付くのを眺める事しか出来ない。

 

 

 「アキ、トくん……」

 

 

 アスナの瞳からは、涙が溢れていた。

 愛した人と、大切な人。その二人が剣を交え、こうして戦っている。誰もが望まぬ再会だった。こんな再会を望んだわけじゃなかった。

 想い人がアキトを傷付けているこの状況を、心の何処かで拒絶する。受け入れたくない事実として、否定し続けている。

 

 同時に重なるのは、かつての光景。

 

 ヒースクリフと戦う、キリトの姿だった。

 あの時も麻痺で動けず、二人の決闘を眺めるだけだった自分。今みたいに一方的なものではなかったが、このままだと辿る末路は同じかもしれない。

 

 

 失う恐怖が、胸を突き刺す。

 

 

 視界に映るのは、キリトから斬撃を受け、投げ出されたアキトだった。この宇宙を背景としたエリアに反して、重力に逆らわずにごろごろと地面を転がり、漸く止まった時には、もう心身共に壊れる寸前だった。

 

 

 「……」

 

 

 動かない身体を、ゆっくりと仰向けにする。

 見上げた天井は現実のものよりも煌びやかな星々で輝いており、嫌なくらい綺麗だった。そんな星達に見下ろされながら、そのまま視線を落としていけば、キリトがこちらに歩いて来ていた。

 

 頭がぼうっとする。仰向けになった身体を動かす気力すら無く、ただキリトの移ろいゆく瞳を見据えるだけのアキト。

 ここへ来ても、まだ一言も発しないキリトに、形容し難いもどかしさと悔しさを感じた。

 

 他の《ホロウ》は、プレイヤー同様に言葉を放っていたのに。

 そこに居たのは喋る事を許されない人形。アキトを殺す事だけを使命に与えられた、この世界の奴隷。

 

 

 「っ……」

 

 

 まるで、今までの恨み辛みや憎しみを、本人にぶつけられているみたいだった。

 

 

 ────だからこそ。

 

 

 「……ゴメン、キリト……

 

 

 だからこそ、そんな言葉がか細く呟かれる。

 震える声音、今にも泣きそうな表情を想像させる。

 込み上げた想いが溜まりに溜まり、最初に口にしたのは、そんな謝罪の気持ちだった。

 

 

 「アキト……?」

 

 

 フィリアが、今まで見た事もない弱々しい姿を見せるアキトに、困惑を隠せない。瞳を揺らし、アキトの変貌を固まって見ていた。

 アスナも、《ホロウ》のキリトに圧倒されるだけのアキトに、心臓を高鳴らせていた。動かない身体に苛立ちを感じながらも、二人の戦いの行く末を見守っていたのに。

 こんな、一方的な戦いになるだなんて。

 PoHとは比較にならない強さに加え、アキトの意気消沈した戦闘。

 ここまで力を合わせてきたにも関わらず、クリアよりもゲームオーバーの可能性の方が大きくなっていた。

 

 

 それでも、アキトは────

 

 

 「……俺は……僕は……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 場違いな、懐かしさを感じていた。

 何よりも大切だったあの時間、あの空間を思い出してしまう。初めて感じた温もりと、心地好く感じた世界を、否応無く。

 初めてこの手で守りたいと切に願った、愛した少女。

 

 

 そして大切な、たった一人の親友の事を。

 

 

 何処か似ているような風貌で、けれどそれ以外の何もかもが違っていて。

 彼は自分に無い強さを持っていた。何度も願ったのに、結局手に入れられなかった、何もかもを救えてしまうくらいの理不尽な強さ。誰かを守る事が出来る、正義の味方のような強さを彼は持っていた。

 

 

 彼はいつしか“理想”となり、“憧れ”となり、絶対に負けたくない“ライバル”になった。そして、“親友”になった。

 理想の果てが、追い付きたい背中がそこにはあった。彼の存在がこの身を強くしてくれると思った。

 この『強がり』を『強さ』に変えて、いつかは並び立てる存在になれると信じていた。

 

 

 

 

(……なあ、キリト。教えてくれよ────)

 

 

 

 

 あの時、君に憧れたり、妬んだりしなければ。

 みんなを避けずにいられたなら。

 自分の心が強かったなら、何か変わった?

 

 

 あの時、俺がもっと強かったら。

 もっと早く気付けてたなら、助けられた?

 

 

 分からない。

 情けない。

 考えられない。

 

 

 心底、自分の弱さに嫌気がさした。

 目の前の敵が、偽物だって分かってるのに。

 

 

 君の姿をしている──ただそれだけで、戦う事すら出来ないだなんて。

 罪の意識を感じているからこそ、これ以上傷付けたくなくて。キリトの姿をしているからこそ、その想いは強くなっていて。

 

 

 傲慢だった。

 自惚れだった。

 

 

 「……全部、俺の所為なんだ、キリト

 

 

 大切な人達すら救えなかった自分に、何かを変える力なんてあるはずないのに。

 嫌な程、痛感してるのに。

 

 

 「……」

 

 

 小さな声、それでも静寂が覆う世界でそれは響いた。

 その懺悔が、《ホロウ》であるキリトに届くはずも無く、二本の剣を携えて無慈悲にこちらへ歩み寄って来る。

 アキトの言葉に、耳を貸さない。全く反応を示さない。目の前の奴が完璧に偽物だと判断出来るはずなのに、アキトの腕は震えていた。

 ここまでまともに戦えていないのは、アキトが無意識に戦う事を拒絶しているから。けど、そう頭では理解しているのに、身体が動いてくれなかった。

 

 ────考えるより先に、身体が動いてしまったのだ。

 

 それも、悪い意味で。

 世界が危機で、それを救えるのがこの場で自分だけだったとしても。

 だからといって、親友に剣を向けるのはまた別の話。天秤にかけられるものなんかじゃなく、比べられるものなんかじゃない。

 二つに一つ、そんな残酷な選択を迫られても、アキトはここまで決めあぐねていた。

 

 

 けれど。

 

 

(……立たなきゃ)

 

 

 ────そうだ。

 

 

(戦わなきゃ……)

 

 

 ────命が懸かっている。

 

 

(コイツを倒して……)

 

 

 ────みんなを救って。

 

 

(フィリアを助けて……)

 

 

 ────三人で、アークソフィアに帰らなきゃ。

 

 

 アキトは何も考えられなくなっていた。その瞳は段々と色を失い、キリトをぼうっと眺めた。こちらを見下ろすキリトは、剣の先端を此方に向け、後ろに引いて構え始めた。

 一気に突きを入れ、HPを削り取るつもりなのだろう。

 

 

 どうして、自分は今。

 自分が殺されそうになっているのをただ眺めているんだろう。

 

 

 なんで、身体が動かないのだろうか。

 

 

 「アキト!嫌ぁ、アキト!」

 

 

 フィリアの声が聞こえる。必死に身体を動かそうと藻掻く、呻き声が床から響く。

 それに答える事すら出来ない程に、悲しみが胸に去来して。

 彼女はずっと、自分に呼び掛けてくれて居たのにと、アキトは申し訳ない気持ちになる。

 

 思い返せば、フィリアには謝らなきゃいけない事が多過ぎた。そもそも、フィリアはキリトを知らないじゃないか。

 なら、今自分がこうして目の前の《ホロウ》に対して攻撃を躊躇っている理由なんて、知る由も無いだろう。

 説明すれば、フィリアは分かってくれるだろう。けど同時に、偽物なのだと、そう説得してくるだろう。

 

 

 ゴメン、フィリア。

 もう、とっくに分かってるんだよ、そんな事。

 

 

 みんなを、助けなきゃって、そう思ってるのに。

 絶対に阻止しなきゃいけないって、守りたいものを今度こそって、そう思っているのに。

 

 

 でも無理だよ、俺。

 割り切れないよ。

 目の前の奴を、他人だなんて思えるはずない。

 

 

 だって、漸く会えたんだ。

 話したい事が、いっぱいあるんだ。

 その為に強くなって、ここまで来たんだ。

 この時を、一年待ったんだよ。

 

 

 親友だったんだ。

 大切な存在だったんだ。

 

 

 だからなんだと、他人からすれば想うだろう。

 そんな彼らに、自分は謝る事しか出来ない。

 

 

 だって、どんなに取り繕ったって、どれだけ割り切ろうと思ったって。

 結局、身体が動いてくれないんだ。

 

 

 

 

 「……ゴメン……ゴメン、みんな……ゴメン……!」

 

 

 

 

 くしゃくしゃになった顔で、絞り出した声。涙と共に思い起こされるのは、キリトと出会ってからの懐かしい記憶。

 そして75層で出会った、新しい仲間達。彼らに返さなきゃならない事が、沢山あったはずなのに。それら全てが今、無に帰してしまうかもしれない。

 そんな彼らに、謝ることしか────

 

 

 「……」

 

 

 キリトの《エリュシデータ》が、赤いライトエフェクトを纏う。暗がりに包まれた空間で、その光はよく目立つ。

 強烈な一撃だろうと予想は付く。今の残りHPを鑑みても、まず助からないだろうと悟った。

 涙で歪められた視界の中、キリトが目を見開いて突き出してくるその剣はスローモーションに見えて。

 ゆっくりと迫って来るその刃をじっと見つめる自分がいた。

 

 

 穿つは心臓。一撃必殺。

 

 

 再び走馬灯のように呼び起こされる、かつての記憶達。

 薄れていくものもあれば、既に消えているものまで脳を巡る。

 

 初めてこの世界で出来た、大切な仲間。

 ケイタ、ササマル、ダッカー、テツオ、サチ。

 

 そして、人生で初めての親友、キリト。

 

 再び立ち上がる、その背中を押してくれたアルゴ。

 

 この決意を応援し、支えてくれた、かつてパーティを組んだ少女。

 

 そして、新たに出来た仲間達。

 一緒に戦ってくれる人達。

 アスナ、リズベット、シリカ、リーファ、シノン、ユイ、ストレア、フィリア、クライン、エギル。

 

 

 こんなにも、大事なものが出来たのに。

 なんて、どうしようもない男なんだろうかと、アキトは悲しげに目を瞑った。

 

 

 

 

 ────そして、キリトの剣が肉を貫く音が、耳に突き刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 時間が、止まったような錯覚に陥る。

 変わらず世界は静寂で覆われていた。誰もが動きを止め、呼吸すらも忘れていた。

 

 

 どれくらい経ったのかは分からない。一分、一秒。一時間以上経っているかもしれない。それほどに、感覚が不明瞭になる。

 

 

 いつまで経っても、衝撃が来ない。

 貫かれた際の不快感も、死を迎える気配も感じられなかった。

 

 

 逆に感じのは、影。

 自分を何かが覆っているような感覚だった。

 

 

 アキトは思わず、目を開ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして、表情が凍りついた。

 

 

 自身に覆い被さっていたのは、人だった。

 

 

 自分とは対称的な白い装備。

 

 

 透き通るように綺麗な、長い亜麻色の髪。

 

 

 慈愛に満ちた、優しい瞳からは涙が零れていて。

 

 

 地につけた両腕は、震えていた。

 

 

 

 

 「……大、丈夫……? アキト、くん……」

 

 

 「ぁ……あ、すな……」

 

 

 

 

 アキトの上に四つん這いになっていたのは、アスナ。

 彼女はいつものように、優しく微笑んでいて。

 

 

 

 

 ────その胸からは、キリトの剣が伸びていた。

 

 

 

 

 「ぁ……あ、あああ……」

 

 

 アキトの瞳が、恐怖の色を映す。

 彼女が、キリトの攻撃から自身を守ってくれたのだと瞬時に理解した。キリトの《エリュシデータ》に貫かれたアスナは、身体を恐怖と不快感で震わせ、上手く声を発せないようだった。それを理解した途端、アキトの口から漏れ出すは獣のような呻き声。

 自分の情けなさによって生まれた事象を悟り、衝撃で頭が揺さぶられる。

 

 フィリアも、その表情に同様の色を映していた。

 麻痺状態を掻い潜り、どうにか動かしたその身体で、アキトに向かって一直線に走ったアスナの行く末を見て、唖然とした。

 

 

 「あ、すな……アスナ……」

 

 

 アキトは仰向けになりながらも、震える腕をアスナへと伸ばす。

 頬へと近付けたその手を、アスナは優しく握ってくれた。そこから熱を感じて、アスナは安心したような笑う。自分の事などお構い無しで、安堵の息を小さく漏らす。

 

 

 「よか、た……アキト、くん……生きて、くれてる……」

 

 「な、んで……」

 

 

 麻痺状態にかかっていたはずなのに。

 何故、その身を盾に自分なんかを。

 どうして、なんで、そんな問いが頭から離れてくれなかった。

 言葉が出ない。そんなアキトの上でアスナは、嬉しそうに笑い、言葉を紡いだ。

 

 

 「……ゃ……た、ょ……アキト、くん……私、今度は……ちゃんと、動け……た……ずっと、後悔して、たんだ……」

 

 「ぇ……」

 

 「あの時と、同じ……動けなかった、あの日の、こと……キリト、くんを、守れな、かった……だから、今度は……っ」

 

 

 ────それは、かつて想い人を失ったあの日。

 あの時、どんなに頑張っても麻痺状態を解除出来なかった。キリトを信じ、全て彼に押し付け、背負わせてしまったあの日。

 あれから何度も夢に見て、その度に何度も後悔したのだ。

 もしあの時、自身にかけられた状態異常をどうにか解除して、ヒースクリフとキリトの間に入れたなら、何か違う未来があったんじゃないかと。

 

 

 ────また、繰り返しになるところだった。

 

 

 「また……失う、ところだった……大切な、人……を……」

 

 「っ……アスナ……」

 

 

 段々と、そのHPを減らしていく。緑から黄色へ、黄色から赤へと、死へのカウントダウンは迫っている。

 キリトは貫いた獲物を一瞥し、その剣に再び力を込め始める。HPの減少速度が僅かに上がり、アスナの表情が悲痛に歪む。

 

 

 アスナは、アキト以上にキリトを想っているはずだった。

 《ホロウ》だとしても、目の前に現れた想い人を見て、否応無く感じたはずだ。

 戦って欲しくない、傷付けて欲しくないと。それは、アキトと同じだったはずなのに。

 なのに彼女は、最後には偽物だと割り切って、こうしてアキトを守る為に麻痺状態に抗ってみせたのだ。

 かつてのトラウマを、蘇る恐怖を、再び感じたくなくて。

 

 

(なのに……なのに、俺はっ……!)

 

 

 過去に囚われて、大事なものを見失っていた。

 偽物に翻弄され、本物を失うところだったのだ。

 

 

 

 

 自分は────

 

 

 

 

 「私、ずっと……アキト君に、お礼が、言いたかった……ずっと、恩返しがしたかった……」

 

 

 

 

 アスナが、目を細めて、震える声でそう呟く。

 思わず顔を上げる。アキトのその頬に、アスナが落とした涙が伝う。

 身体を震わせても尚、頬を赤らめて、小さな笑みを浮かべて。

 

 

 

 

 「……生きる意味を、失った私に……手を差し伸べてくれた事……」

 

 

 

 

 ────違う。あれは、俺の勝手な自己満足で。

 

 

 

 

 「……みんなを、助けて、くれた事……」

 

 

 

 

 ────ただ、黒猫団を重ねてただけで。

 

 

 

 

 「頼って、くれた事……」

 

 

 

 

 ──── 感謝されるような事なんて、一つもないのに。

 

 

 大切なものを、全て自分一人で守ろうとしていた傲慢な自分。

 誰かに任せたりなどしないと、過去の経験からそう固く決意して、柔軟に頭を動かせていなかった。

 大切だと、そう感じているのは自分だけだと無意識に錯覚していて。そんな凝り固まった考えを、他でもないアスナが正してくれたんだ。

 寧ろ、感謝しなきゃいけないのは、自分なのに。

 

 アスナは涙を流しながらも、めいいっぱいの笑顔で、アキトに告げた。

 覆い被さる彼女の顔は、今まで見た事も無いもので。アキトの胸元をキュッと握り締めていて。

 

 

 

 

 「私に……私達に……“守る”って……そう言ってくれた事……本当に、嬉しかった……」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────守るよ、必ず。

 

 

 いつか、あの丘でアスナに告げた言葉。

 誰かを守る、その為に強くなったはずなのに。

 何故自分は今、目の前の彼女に涙を流させているのだろう。

 

 

 

 

 「────」

 

 

 

 

 アキトは、目を見開いた。

 アスナの頬に触れ、その涙を指で拭う。アスナが笑みを崩し、その行動に呆然とする。

 そんな彼女を見て、アキトも涙を拭いさり、固く、強く、その言葉を言い放つ。

 

 

 “守る”という、その言葉。

 アスナにはとても甘美に聞こえたのかもしれない。とても嬉しかったのかもしれない。

 ならば、自分は。

 

 

 

 

 「……そんなもん、何度だって言ってやる」

 

 

 

 手を伸ばす。

 蒼の剣、《ブレイブハート》を鷲掴み、握るその手に力を込める。

 アスナは、再び笑う。その顔は、先程とは違ってくしゃくしゃだった。

 そうだ。何度だって言ってやる。

 

 

 

 

 「……これからもずっと、俺が何度でもっ……!」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アキトは、アスナの先、未だ彼女の胸に剣を突き刺した状態のキリトを睨み付けた。

 その瞳は、どす黒い闇を宿しており、殺意を明確に感じ取る。

 段々と、その心に黒い感情が流れ込み、呼吸が荒くなる。

 

 アスナを傷付けたキリトに、その偽物に。

 アキトは遂に、確信を持った。

 同時に、渦巻く感情を抑えられない。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 なんだ、これは。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 そんなの、どうでも良い。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 アスナを傷付けたお前は、キリトなんかじゃない。

 皮を被った、偽物。

 なら────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────なら、殺してもいいよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────ハハッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間、キリトの胸が斜めに斬り裂かれた。

 

 

 

 

 「……!」

 

 

 そこから爆風にも似たエフェクトが発生し、キリトの身体が後方へ吹き飛ぶ。

 初めてキリトが驚愕に顔を染め、瞳を見開いていた。そのまま防御も受け身の姿勢も取らずに地面を削るように滑っていく。

 やがて静止し、土煙にも似た何かを周りに生み出しながらも、キリトはゆっくりと立ち上がった。

 何が起こったのか、その高度なAIでも瞬時に把握出来ない。

 

 胸元を見れば、斬られた部分から血のようなエフェクトが飛び散っていた。

 初めてHPを削られた事によるショックか驚きか、一瞬思考を停止させる。

 

 

 状況を把握し、予測演算を開始するキリトの《ホロウ》。

 しかし、奴に向けて放たれた言葉に、キリトは固まった。

 視線の先にいる、その黒い剣士。だが、彼を見た瞬間に。

 

 

 《ホロウ》は、恐怖に似た何かをプログラムながらに感じた。

 

 

 なんだ、こいつは。

 

 

 何者なんだ。

 

 

 思わず、《ホロウ》は顔を上げる。

 そこに居たのは、先程とは違う、変貌を遂げた剣士の姿だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……殺シテ、やる」

 

 

 

 

 黒い何かが、混ざる。

 

 

 

 

 「何もしなけりゃあ、良い気になりやがって……」

 

 

 

 

 アスナにポーションを渡す。

 涙に頬を濡らすアスナの前に立ち、壁になるよう凛とする。しかし、その瞳には何かが混濁していた。

 

 

 キリトのものでも、アキトのものでもない。

 

 

 もしくは、キリトのものでも、アキトのものでもあって、そして。

 

 

 もう一つ、別の何か(・・)が、二人を襲う。

 

 

 

 

 「アキト、くん……」

 

 

 

 

 アスナが名前を呼ぶ。

 しかし、目の前の少年には聞こえない。

 

 

 

 

 感じるのは、怒り。そして、負の、悪意の塊。

 

 

 

 

 英雄と勇者の意識が混ざり合い、

 

 

 

 

 そして世界が今、負の感情を押し付ける────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『人の女に、手ぇ出してんじゃねぇよ、偽物野郎』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────サア、コワシテ、クラエ。

 

 

 

 

 

 

 ── Link ?% ──

 

 

 








小ネタ


アスナ 「ひ、“人の女”って、そんなっ……私、い、いつからアキト君の女になったのよ……!」\\\

アキト 「……」←“(キリト)の女”と言う意図で言ったつもり



※本編とは無関係です。


















悪意が、負を生み出す。


感情が芽吹き、災いを振り撒く。


少年は激情する。その力を振るい、虚ろなる“憧れ”に、その剣を向ける。


闇色の瘴気、悪意に満ちた、絶望に煌めく瞳。


少年の心、その姿は────








────負を纏いし、災禍の鎧。











次回 『黒の英雄(ホロウ) VS 黒の勇者(ヴァリアント)










──── 今こそ。




憧れるだけだった自分に、別れを告げる時だ。




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Ep.99 黒の英雄(ホロウ) VS 黒の勇者(ヴァリアント)




私の二次創作を読んでくださってる方の中に、『Ep.if 好敵手の条件』の続きを読みたいと言ってくださる方がいました。
『アキトがユキに勝ったという前提で、決勝でアキト対キリトのデュエルを読みたい』と言って下さりました。

『アキト対キリトなら本編でやってるじゃん』と私が言うと、その方は『わだかまりの無い二人の、純粋で真剣な実力勝負を読みたい』と言ってくれました。
なんだか温かい気待ちになりました(*´ω`*)

……え?続き?未定ですけど(メソラシ)





 

 

 

 

 ────薄れる意識の中で、記憶が呼び起こされる。

 

 

『……大、丈夫……? アキト、くん……』

 

 

 ──── アスナが、刺されてる。何故?

 

 

『よか、た……アキト、くん……生きて、くれてる……』

 

 

 ──── “よかった”?……何が?そんな姿で?

 

 

『私に……私達に……“守る”って……そう言ってくれた事……本当に、嬉しかった……』

 

 

 ──── ……なら、どうして、泣いてるの?

 

 

 脳裏に過ぎるは、悲痛に顔を歪め、涙を流すアスナ。自分を見て、安堵したように笑う姿。

 生きててくれて、本当に良かったと、そう呟く声がする。

 そんな彼女が、辛そうに泣く。涙が、頬を伝い、落ちてくる。

 

 

 ──── ……誰が、泣かせた……誰が、傷付けた。

 

 

 感じたのは、激しい怒り。

 自身を守ってくれた彼女の、傷付いた姿に。その心に眠る感情が、目を覚ます。

 段々と消えていく自我。薄れゆく意識の中で目にしたのは、彼女の後方で剣を突き刺していた、親友の姿を模した偽物。

 

 

 

 

 ──── お前か。お前が、彼女を……。

 

 

 

 

『ドウスル?』

 

 

 

 

 声がする。キリトのものではない。

 何人もの声が重なって生まれた不協和音。それが、頭に響いた。

 だが、不思議と驚きはしない。自分の中にソレ(・・)がいる事に、初めから納得していたみたいに。

 その問い掛けに、自然と口を開いた。

 

 

 

 

 ──── ……あれは、キリトじゃない。

 

 

 

 

『ドウスル?』

 

 

 

 

 ──── キリトなら、絶対にアスナを傷付けない。

 

 

 

 

『ドウスル?』

 

 

 

 

 ──── あれは、偽物だ。キリトの皮を被った敵だ。

 

 

 

 

『────ナラ、ドウスル?』

 

 

 

 

 黒い何かが、心の中で渦巻く。

 色が反転し、視界が暗転し、激情が胸を焦がす。

 

 

 そう、あれは偽物。

 その姿で自身とアスナを惑わし、奴はキリトの姿を冒涜し、あまつさえ必要の無い憎しみや悲しみをばら撒き続けている。大切な人と戦う苦しみが、あの偽物には分からない。

 愛していたアスナにとっては尚更だ。やっと乗り越えた悲しみや嘆きを、アイツは振り返した。

 

 

 

 

『“許セナイ”?ナラ?ナラ────』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── なら、殺しても良いよね?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ソレガ、君ノ望ミカ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……」

 

 

 アスナが見上げた、その先にいる黒いコートの少年。

 いつもその目で、ずっと見てきた彼とは全く異なる雰囲気を醸し出すその少年は、明確な殺意を持っているように見えた。《ホロウ・データ》のキリトを見ているのかどうか、前髪で目元が隠れていてよく分からない。

 いつもとは違う口調。態と嫌われるよう高圧的な態度で接していた時よりも悪意が混じっているように思える。握り締めた剣の柄は、折れてしまうのではと思わせる程に強く掴まれていた。

 

 明らかにいつものアキトとは違う。かといって、キリトとも違う。

 まるで、全く知らないプレイヤーだった。

 

 キリトは二本の剣を構えて鋭い眼光でアキトを射抜いていた。脱力した先程の構えとは打って変わって、両手の剣をしっかりと持ち、臨戦態勢を取っていた。

 その姿は、本物のキリトの遜色無いもので、アスナは思わず息を呑む。油断も慢心も感じさせない、高度な知能を持ったAIにも関わらず、キリトと同じ動きに対応。

 

 そんなキリトに対しても、アキトは不気味な程に静かだった。

 

 

 

 

 が、次の瞬間────

 

 

 

 

 「ぇ────」

 

 

 

 

 ひゅん、と悲鳴のように甲高い風を斬り裂く音がアスナとフィリアの耳に入った。

 

 ふと気付けば、キリトの頬に切り傷が生まれ、黒い髪の何本かがはらはらと散っていた。

 キリトのHPは僅かだが減少し、虚ろだったその瞳は驚愕からか分かりやすく見開かれていた。咄嗟に後ろに飛び退り、剣を構え直していた。

 アスナとフィリアも、それを見て表情が固まった。開いた口が塞がず、何か言葉を発する事も出来ない。

 

 ────今、何が起きた?

 

 瞬きすらしていないのに、何が起こったのかを視認する事すらままならない。

 

 キリトも事態の収拾に追い付かず、思わず辺りを見渡していた。アスナ達もつられて首を回すが、ここにはアキトとアスナ、フィリア、そしてキリトの四人しか存在していない。

 

 フィリアは未だ麻痺状態で横に伏している上に、距離的に何かをするには不可能だ。アスナも、ずっと座り込んでいた為何かした訳じゃない。

 今戦闘が行えたのはアキトとキリトの二人だけなのだ。そのうち、キリトの方がダメージを負ったという事は、必然的に一人だけ。そう、アキトだけなのだ。目の前いるアキトしか────

 

 

 「アキト、君……?」

 

 

 思わず、その名を呼ぶ。

 アキトは、ただ真っ直ぐに立っていた。

 手に持つ二本の剣は、先程までのキリトと同じくダラリと落としている。構えと呼ぶには拙い、ただ立っているだけの姿で、天井の星を見上げていた。

 前髪から除く瞳は酷く虚ろで、そこには光が宿っていなかった。幸せや歓喜といった正の感情が全て削ぎ落とされ、負に染まった瞳。

 色々なものを、忘れ、失ったような、そんな瞳。初めからそんな感情なんて、存在していなかったかのようにも感じる。

 

 

 ────あるのは、憎悪、苦痛、劣等感。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 ゾクリと、寒気がする。背筋が凍り、表情が固まる。

 その少年の中心に、虚無感が纏う空気が広がっていた。恐怖にも似た何かが身体を支配して、アスナは動けない。

 変わらず満天の星空を見上げていた少年は、すうっとその視線を下ろし、目の前のキリトへとそれを向けた。

 

 

 「『……黒の、剣士……』」

 

 「ぇ……」

 

 

 少年が放った声を聞き、アスナは自身の耳を疑った。

 アキトのものとも、キリトのものとも違う声音。そこから感じる優しさも温かさも、何も感じられない。

 何百人、何千人といった人達の声が重なったかのような声。男なのか女なのか、それすら判別が付かない、恐怖を助長するような声。

 

 

 「────っ」

 

 

 一瞬空気が固まった途端、キリトは再び地を駆けた。

 こちらを警戒していないような戦闘態勢を隙と捉えたのか、一気に距離を詰めてくる。

 全員が反応に送れ、慌ててキリトを見やる。

 

 

 だが、遅い。

 

 

 繰り出された刀身は、少年の首元を抉るように迫り────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「『────ハッ』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 嘲笑するような薄ら笑いが、少年の口から漏れる。

 弧を描くその口元が次第に開かれ、楽しそうに。

 

 

 その黒髪から、血のように赤い瞳(・・・・・・・・)が覗く。

 その異常な様子に、機械的に動くだけだったキリトの瞳も見開かれた。

 だが、最早手遅れ。既にキリトは剣を止められない。

 そのまま流れるように腕を振るい────

 

 

 ────簡単に止められた。

 

 

 首元に迫っていたキリトの《エリュシデータ》。誰もが首を跳ね飛ばす勢いだと悟った。にも関わらず、それはアキトの左手の蒼い剣《ブレイブハート》に阻まれていた。

 

 キリトがどれだけ力を入れようとも、腕が震えるだけでビクともしない。少年はそんなキリトを見て、楽しそうに嗤っていた。

 

 《ホロウ》であるキリトも、アスナとフィリアも固まる。

 先程まで防戦一方だったアキトが、今の速度から繰り出された剣を、意図も容易く────

 

 

 「『はは……こんなもんかよ』」

 

 

 再び、色んな人間の声が重なったような声音が響く。その声の主がアキトだと誰もが察した瞬間、少年は行動に出た。

 

 キリトの《エリュシデータ》を押し退け、自身の剣を一気に振り抜く。アキトからは、先程までのキリトに対する躊躇いは微塵も感じられず、放たれた一撃はキリトを容易に吹き飛ばした。

 

 人形のように呆気無く、キリトは地面を滑る。

 その様を見て、再び悦に浸るかの如く口元が弧を描く。その姿が、いつものアキトと重ならない。

 

 混乱で思考が追い付かない中で、アスナは懸命に冷静になろうとしていた。

 アスナ自身がアキトを守ってキリトの剣を受けてからのアキトの攻撃。回数は少ないが、まるで先程まで圧倒的だった《ホロウ》のキリトを嘲笑うかのような暴力を感じた。

 最初にキリトに与えたかすり傷と、今キリトを吹き飛ばした一撃。前半は確かに剣先が掠っただけの様に見えたし、後半は競り合うキリトを力で弾いただけに見えた。

 だが、キリトのHPを見れば想像以上に減少しているのだ。

 

 親友の姿をした《ホロウ》を傷付ける事にアスナ以上の抵抗と躊躇いを感じていたはずのアキト。防戦一方で、ダメージを受けるだけだった彼は、既に満身創痍だったはず。

 にも関わらず、あの攻撃力からは最早躊躇いは感じなかった。本来のアキトが出す全力以上の何かを感じたのだ。

 それに誰よりも優しい彼が、あんな表情で、抵抗を感じていた相手に対してこんな不意打ち紛いの戦法を取るはずが無い。

 

 

 けど実際に、目の前で起きた。

 様々な矛盾がアスナの思考を麻痺させ、上手く考えを纏めさせてくれない。

 それでも、一つだけ分かる事があった。

 

 

 それは、今の彼が普通ではない事。

 いつもと明らかに様子が違う事。

 

 

 誰かを傷付ける度に悲しげな表情を浮かべていたはずの彼の、とても楽しそうな表情。

 まるで今は、殺人に快楽を求める非道、あのPoHのような────

 

 

 「『……黒の、剣士……』」

 

 

 アスナの思考を遮って、少年は呟いた。

 目の前の《ホロウ》に向けて、震えた声で呼ぶはキリトと、そしてアキトの名称。

 親友から貰ったはずの、アキトの────

 

 

 「アキト君……アキト君、よね……?」

 

 

 確かに、その名を呼ぶ。

 身体が震える、矛盾している。目の前の彼は、いつだって自分を助けてくれた少年なのだと。

 ずっと自分達を引っ張ってくれた、背中を追わせてくれた人。

 

 

 「……そう、なんだよね……?」

 

 

 問い掛けるアスナの震える声。

 恐怖からか、焦燥からか、悲しさからかは分からない。それでも紡がれた、泣きそうな声だった。

 聞かずには、確かめずにはいられなかった。

 

 

 「『────』」

 

 

 少年は答えない。

 まるでアスナの声など聞こえてない。ただ一点、目の前のキリトを見据えていた。

 蒼くもなく、黒くもない、血のように赤い瞳。再び、前髪からそれが覗いた。

 

 

 「『────消えろ』」

 

 

 憎悪に満ちたその冷たい声に、この場の全員の背筋が凍る。

 この二年間で培われた、アスナとフィリアの第六感が。目の前の相手に対する戦闘能力の把握する直感が。

 全細胞、全神経が告げる。

 

 

 ────彼は、危険だと。

 

 

 瞬間、弾丸のようなスピードでキリトの間合いに入り込み、その首元に先程のお返しと言わんばかりの一撃を放つ。

 偽物とはいえ本物のデータコピーである《ホロウ》のキリトは、本物と呼ぶに相応しい反応速度でその太刀筋を視界に捉え、二本の直剣を寸でのところで胸元に引き寄せて防御体勢を取った。先程少年から繰り出された一撃を学習し、剣一本では防げないと判断したのだろう。

 

 

 だが────

 

 

 「『────くはっ』」

 

 

 それがどうしたと言わんばかりの嘲笑が、少年から漏れる。

 その程度は愚策だと、まるで意にも介さないと、そう剣速が告げていた。

 ぶつかり合い、鍔迫り合いが起こる──間も無く、少年は強引に力でキリトの防御を捩じ伏せる。

 キリトは火花を散らしながらも足に力を込めるが、ジリジリとその圧倒的な力に押されてポジションを取られていく。

 

 傍から見ても、先程とは立場が逆転している。

 だがそこには、アスナ達の知っているアキトはいなかった。

 洗練されたスキルと体幹、経験から最適解を導き出す予測とキリトに次ぐ反応速度、《剣技連携(スキルコネクト)》によって空中をも制す三次元戦闘が、今や見る影も無かった。

 

 力よりも技術に秀でたアキトの、ましてやキリトの姿さえ浮かんでこない。

 急所や不意を狙い、筋力値にものを言わせた、相手を押し潰すような圧倒的な暴力。

 明らかに弱々しかった先程までのアキトはいない。ボロボロだった彼の何処にそんな力があったのだろうか。

 

 

 「────!」

 

 

 瞬間、キリトは競り合っていた自身の剣でアキトの武器を流し、後方へとバックステップで飛び退った。力で競り合うのは不利と悟ったのか、別のアクションをかける算段を頭の中でシュミレーションし、それを行動に移したのか分からない。

 

 

 だが───

 

 

 「『────あははっ』」

 

 

 それを見た少年は、嗤った。

 ニタリと、不敵な笑みを浮かべて目を細めていた。まるで、キリトがそうするであろう事を初めから予想していたかのように。

 その証拠に、アキトはキリトが後方へと飛んだのと同時に前に飛び、キリトに距離を取らせなかったのだ。

 素早く間合いに足を踏み入れ、今度は《ブレイブハート》を持つ左手の力が強まった。

 

 

 「────!」

 

 

 ソードスキルがくると予想したキリトは先手を打つ。素早く白銀の剣を翻し、それに同色のエフェクトを纏わせる。

 咄嗟にしては最適な行動。キリトに接近する為に床を蹴った瞬間のアキトを狙った、絶妙なタイミング。

 

 床と平行に剣を寝かせて繰り出されたのは、洗練された高速の御業。放てば最後、自分を中心に水色の光が正方形の軌跡を描く。キリトの、そして片手剣の強力な剣技の一つ。

 下から斬り上げ、そこから左右のコンビネーション、そして腰を捻って身体全体の力で繰り出す水平四連撃────《ホリゾンタル・スクエア》。

 

 これは防御も回避も許さない、完璧なタイミング。

 今度こそ決まる、決まってしまうと、誰もが疑わなかった。

 

 

 

 なのに────

 

 

 

 

 「『────アハ、アハハハッ!』」

 

 

 

 

 それも愚策だと、馬鹿にするように嗤うのはその少年だった。

 そして次の瞬間、キリトの、そしてアスナとフィリアの目の前で驚くべき現象が起こる。

 ほんの一瞬、瞬きする程の時間で────

 

 

 ────少年の姿が消失した。

 

 

 「「「!?」」」

 

 

 その場の全員が目を見開く。

 決して広くは無いこのフィールドで、今一番の存在感を放つ彼の姿を見失うなんて。

 

 

 だが、すぐに少年の姿は捉えた。

 しかし、彼がいた場所は先程とは異なり、キリトの背後だった。彼はキリトと背中合わせになるように佇み、振り返って嗤っていた。

 少年のHPは減っていない。アスナ達は、息を呑んだ。

 

 彼はあのタイミングで放たれたソードスキルを躱したのだ。それも、誰も視認出来ない程のスピードで。

 まるで瞬間移動をしたかのような、時間が飛んだような感覚。この世界最高峰の反応速度を持つキリトの《ホロウ》でさえもが、その事実を理解するのに時間を掛けた。

 

 

 ────だがすぐに、彼らはその考えが甘かった事を理解する。

 

 

 少年は決して、キリトのソードスキルを脅威だと感じて躱した訳では無かったという事を。

 

 何故なら彼は、キリトの攻撃に対して瞬間移動したと同時に、放っていたのだ。

 誰もが視認出来ない、キリトの高速を捩じ伏せる音速の連撃。

 

 

 “絶技”と呼ぶべき、力の具現を。

 

 

 

 

 「『────アハハハハハッ!!』」

 

 

 

 

 絶技・会心四連撃

 《ディメンション・スクエア》

 

 

 刹那、決して浅くない音速の剣戟は、遅れてキリトの四肢に一撃ずつ刻まれていた。

 そこから紡がれるは、闇色の正方形。

 斬られた事に気付かず、思い出したかのように。少なくないダメージがキリトの身体に刻まれ、足元が揺れる。

 

 

 それを捉えた少年の表情が、笑みから一転、憎悪に変わる。

 

 

 「『────ラァッ!』」

 

 

 途端にアキトの回し蹴りがキリトの脇腹に深く入り込み、キリトは横に大きく吹き飛ばされ、地面へと叩き付けられる。

 だが受け身を取ろうと身を捩り、バウンドする度に空中で姿勢を変えていたキリトは、そのまま綺麗に床へと着地した。

 保たれた距離のまま、静かに少年を見据える《ホロウ》。

 

 

 「……」

 

 「『────消えろ。消エロヨ……』」

 

 

 変わらず無表情のキリトと、同じ言葉を呟き続ける少年。怒りの感情を孕んだ声音は、まるで獣の威嚇。

 アスナ達は何も言えず、恐怖に瞳を揺らしてそれを見つめていた。

 それでも心の中で感じていた事は、アキトの異常な変化と先程繰り出されたソードスキルだった。どう斬られたのか、その型すら見えず、何もかもが謎に包まれている。

 先人のいない、“未知”のソードスキルだった。

 

 

 「……」

 

 

 絶句し、狼狽するアスナ。

 そんな彼女の後方から、小さな声がする。

 

 

 「……ねぇ……ア、スナ……?」

 

 

 震える声の主は、フィリア。

 少し離れた場所で、未だ解けない麻痺毒で血に伏せながらも、怯えた表情でアスナを見ていた。それは、今のアキトを見た事による恐怖からくる顔付きだった。

 アスナは、少しずつ、ゆっくりとフィリアの元へと座りながら近付いていく。

 距離が詰まる毎に見えるのは、想像以上に震えていたフィリアの身体。困惑しながら彼女と目を合わせると、フィリアは呟いた。

 

 

 「あれは……誰なの……本当に……アキト、なの……?」

 

 「っ……それ、は……」

 

 

 縋るような声で聞かれたのは、最もな疑問だった。

 だがアスナにも、それは分からなかった。呼び掛けに、彼は答えてくれなかったのだ。

 フィリアにもそれが伝わったのか、悲しげに俯く。その隣りで、アスナは自身の拳を固く握り締めていた。

 

 

 ────あれは、アキト君なんかじゃない。

 

 

 アスナは自身に、そう言い聞かせる。

 けれど、何を考えたって、目の前で起きている事が変化する訳じゃない。何をどうしたら良いのかも不明瞭のまま。

 このハイレベルな殺し合いに割り込む自信も勇気も無く、ただ怯えて眺めるしかない。

 

 

 愛する人と、大切な人の殺し合いを。

 

 

(……どう、して)

 

 

 アスナは、その二人の名前を呼ぶ。

 

 

 「キリト君……」

 

 

 愛する人の──キリトの笑顔は、そこには無かった。

 楽しそうに笑う彼の隣りにいるのが、何よりの幸せだったのに。そんな彼を支え、守りたかったのに。

 そう思わせてくれた彼の笑顔が、今ではまるで夢だったかのような無表情で。どうしようもなく切なくなる。

 

 

 ────そして、もう一人。

 

 

 「っ……アキト、君……!」

 

 

 大切な人の──アキトの笑顔は、酷く醜かった。

 今まで共に過ごして来て、何度か見た彼の笑顔。それを見る度に心が温かくなって、見ているこちらも笑顔になっていたのを思い出す。

 けれど、いつだってその表情には、何処か影が差し込んでいた。

 

 見せてくれるのは、寂しそうに儚げな、小さな笑み。いつか満面の笑みで彼が笑ってくれるようにと、アスナはそう思っていた。

 キリトの様に楽しそうに笑ってくれる彼を見る為に、ずっと自分を助けてくれた、そんな優しい彼の支えになりたかった。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────自然と、涙が零れ落ちた。どうしようも無く悲しかった。

 

 

 今のアキトは、確かに今まで以上の笑みを浮かべている。

 だがそれは、アスナが実現させたかった、“楽しそうに笑うアキト”だろうか。

 いや、絶対に違う。明らかに違っていた。

 間違っても、あのような表情は認められなかった。

 

 

 アスナは、あんな風に親友の姿をした敵との戦いを楽しみ、蹂躙する事で快感を得ているような、そんなアキトの笑顔が見たかった訳じゃ無かった。

 

 

 

 

(……違うの、アキト君……私……私、は……)

 

 

 

 

 そんな風に、君に笑って欲しかったわけじゃなかったのに────

 

 

 

 

 アスナの悲痛な叫びも虚しく、再び互いの剣が交錯する。

 一撃一撃全てが必殺だと、そう思わせる迫力の中で火花を散らし、彼らの視線も同様に交錯する。

 

 

 ────瞬間、少年の様子が一変した。

 

 

 「『ッ……ガアアアアァァァアア!』」

 

 

 「っ……!?」

 

 「な、何……!?」

 

 

 少年の獣のような雄叫びに、アスナ達は身体を震わせた。

 先程までの快楽に溺れていたような表情から一転し、凄まじい怒りと破壊衝動を内包したような顔に変わる。

 中々倒されないキリトへの憤りなのかは不明だが、嗤っていた時以上に凶悪な変貌振り。

 

 

 ────明らかに、様子が変わった。

 

 

 刹那、大振りの一撃が唐突に振り下ろされる。

 剣を叩き割るかのような力が轟音と共にキリトに迫るが、キリトはそれを視てから反応し、紙一重で躱す。瞬間、少年は振り下ろしたその剣でそのまま斬り上げ、そしてまたそれを振り下ろした。

 アスナ達から見れば、そこには二刀流としてのコンビネーションは無く、獰猛な獣ががむしゃらに剣を振り回しているかのような印象を受けた。

 

 故に、キリトの回避は容易なものになっていく。

 軸足回転で少年の視界から外れ、カウンターを少年の死角から放つ。

 水平に払った剣を、手首を返して再び逆方向に放つ二連撃──《ホリゾンタル・アーク》。その初撃が少年のうなじへと接近する。

 

 

 しかし────

 

 

 少年はまるで、初めから知っていたかのように。

 キリトを見ずに、しゃがんでその一撃を躱した。完全に死角だったはず。にも関わらず、まるで背中に目があるかのような反応速度。

 

 

 「『グアアアァァァァアア!』」

 

 「────!」

 

 

 下から少年の唸り声、同時に《リメインズハート》が突き出される。

 キリトは《ホリゾンタル・アーク》の二撃目──返す剣でそれを弾いた。

 瞬時にバックステップし、少年から距離を取るキリトに対し、ゆらりと立ち上がった少年はそれを見据えて歯軋りしていた。

 

 キリトは視線を低くして臨戦態勢をとっており、少年は腕をダラリと下ろした脱力状態。前髪が瞳を覆い隠しつつも、覗いた赤い瞳がギラリと光る。

 彼から漏れる声は、最早まともな言語を発しなかった。

 

 

 「────!」

 

 

 キリトは、少年の持つ剣が僅かに震えたその瞬間に飛び出した。二本の剣が白銀の光を放ち、キリトの速度に呼応するように輝きを増していく。

 

 

 二刀流奥義技十六連撃

 《スターバースト・ギャラクシー》

 

 

 先頭の序盤、アキトにダメージを与えたソードスキルだ。まるで対応出来ていなかったアキトを思い出したのか、それとも獣と化し、まともな戦術がとれていない今の少年を隙と見たのか。

 一気に距離を詰め、初撃を振るう。

 

 

 ────その瞬間。

 

 

 少年の二本の剣が、ドス黒い、血みどろのようなエフェクトを纏う。

 キリトがソードスキルをキャンセル出来ないタイミングで放たれたそれは、振り下ろされたキリトの白銀の一刀に閃光の速さでぶつかった。

 

 

 絶技・十六連撃《ガイア・インパクト》

 

 

 圧倒的な力が、キリトの剣と交錯する。

 キリトは、その俊敏さを以って、二刀流による剣撃を次々と叩き込んでいく。星屑のように煌き飛び散る白光が、一振する度に周囲に迸る。

 

 

 だが────

 

 

 「『アアァァァァアァァァアァアア!!』」

 

 

 少年は、その一撃一撃を同速で全て叩き潰していく。

 そして、最後の一撃まで武器が交差し、弾き合う武器の勢いが火花と爆発したような煙を巻き上げた。

 同じ連撃数を誇る“絶技”のソードスキル。キリトの放った技を無力化する為に、同じ連撃数のソードスキルを使い、相殺してみせたのだ。

 

 それを理解したキリトは、少年から再びバックステップで距離を取る。最初は圧倒していた《ホロウ》も、アキトの急変から一切の油断を見せない。ただ静かに目の前の対象を観察し、最適な攻撃をシュミレーションしていた。

 

 変貌した少年は、獣のように唸っていた。ダラリと剣を下げ、文字通り牙を向くその姿は、同じ人間だとはとても思えない。

 雰囲気も言動も戦術も、アスナ達の知っているアキトでは無かった。

 親友の姿をした《ホロウ》との戦闘を躊躇する、そんな優しい心を持った彼の姿は見る影も無い。

 あれがアキトだなんて、思いたくなかった。だが、そう否定し続けても、この戦いに介入出来る訳でも、何かが変わる訳でも無かった。

 自分には、この異常な戦闘の行く末を、見守る事しか出来ないのだと、そう思った。

 

 

  だが、その考えは甘かった。

 

 

 アスナもフィリアも固唾を飲んでそれを見ていた。

 キリトを圧倒する、少年のその姿。不本意ではあるが、このままいけば《ホロウ》には勝てるかもしれないと、そう思った瞬間。

 

 

 

 ──── それは、起こった。

 

 

 

 

 「『ッ────グッ……アァ……!?』」

 

 

 「っ……アキト君……!?」

 

 

 突如、眼前に立っていた少年の体勢が崩れる。足を震わせ、身体が揺れる。グラリとよろめき、膝をつく。

 それは、何の前触れも無く唐突に起こり、誰もが一瞬反応が遅れた。暴れ回っていた少年の、苦しむ姿がそこにはあった。

 

 

 「『ア……ああああァァああ……頭、が……っ!』」

 

 

 必死に頭を抑え、蹲るように倒れる少年。それを見たアスナは、自身の表情が凍りつくのを感じた。

 その少年の────アキトの苦しむ姿。ノイズが走り、彼の身体から黒い稲妻が迸る。

 その姿に瞬間的にキリトのアバターが上書きされ、再びアキトのアバターへと戻る。その繰り返しが発生していて、アスナは混乱を隠し切れない。

 

 

 ────何だ、今のは。何が、どうなって……。

 

 

 それは、現時点ではシノンだけが知っているアキトの異変。それが、今のアキトの精神状態と、そこに漬け込んだ《カーディナル》によって助長されていた。

 しかし、その詳しい事はアスナに分かるはずもない。ただでさえ今までの光景を持て余しているのだ。

 だがアキトの急変、そしてスキルやゲームのシステム上有り得ない理不尽な力が、そこに働いているのを無意識に感じ取っていた。

 

 

 「っ、な……!?」

 

 

 考える間を、与えてはくれない。

 瞬間キリトが飛び出し、アキトとの距離を詰めたのだ。ほんの一瞬目を離しただけ、だがキリトの持つ敏捷性があれば、その一瞬だけで事足りた。

 

 

 「『グァ……くっ、クソッ……!』」

 

 

 アキトはどうにか立ち上がり、迫るキリトに向かって剣を振るう。だが、その一振りは今までの中で一番弱々しいものだった。

 キリトはそれを視認してから、あっさりと躱した。しかし、アキトは痛みに耐えながらもキリト目掛けて何度も攻撃を繰り返す。

 だが、上段からの振り下ろしも、水平からの斬り崩しも全て、《ホロウ》には見えていた。

 

 しかし、それだけではない。

 衝撃の連続だったからこそ、この違いは誰もが理解出来る。

 今までの攻撃から売って変わって、アキトの次第に動きが単調になってきている事を。

 それが、アキトが苦しめられている事を顕著に表していた。

 

 

 「────!」

 

 

 刹那、キリトがアキトの懐に飛び込んだ。

 

 片手剣単発範囲技《ホリゾンタル》

 

 横に薙いだ《エリュシデータ》が一閃し、アキトは防御もままならず、意図も容易く吹き飛ばされた。そのまま回転しながら床を駆け、HPが危険域に突入する。

 

 

 「アキト!」

 

 

 フィリアの声が周囲に響く。

 アキトの体力が赤色に染まり、彼の視界は恐らく血のように染まってきている事だろう。だが、そんな事すら気にならないようで、アキトはただ頭を必死に抑えていた。

 這い蹲った姿勢で、再び近付いてくるキリトを苦しそうに見上げるのみ。

 

 

 「────」

 

 

 アスナはそんなアキトから、感じるのだ。

 必死に苦しみを振り払い、何かをしようとしている。悔しげに見つめるのは、勝とうとしているその証。

 

 

 ────彼は今、何かに必死に抗っている。

 

 

 「っ……!」

 

 

 それを見たアスナは、思わず立ち上がった。

 今のアキトの変貌と圧倒的な力が、決して良いものではない事を完全に理解したのだ。

 何をすれば良いのか、どうすれば良いのかは分からない。けれど、動かずにはいられない。

 

 

 ────けど、アキト君なら迷わない。

 

 

 そうだ。

 

 

 こんな時、アキト君だったらきっと────!

 

 

 「────アキト君っ!」

 

 

 ただひたすらに自身の足を動かす。キリトとの距離は既に僅か。

 何故麻痺を無理矢理解除出来たか理由は分からない。だがそれでも、今この場で動けるのは自分のみ。

 フィリアには、叫ぶ事しか出来ない。それは、かつての自分を見ているようで、アスナは歯噛みした。何も出来ない彼女の苦しみを、自分が一番知っている。

 

 

 だからこそ、ここで今こそ、自分がやりたかった事をする────!

 

 

 アキトとキリトの間に、颯爽と割って入る。

 予期せぬ介入者にキリトはその歩みを止め、急に視界に現れた少女を視認した。

 

 瞬間、アスナの細剣《ランベントライト》を身体の中心に引き寄せる。そして眩い光が刃を覆った瞬間、アスナはそれを、捻りを入れつつ思い切り突き出した。

 それは細剣スキルの基本技。“閃光”の名を持つアスナの代名詞───《リニアー》だった。

 敏捷性のステータスが高い程に速度が上がるそれは、およそ視認すら難しい速度でキリトの視界を覆った。

 

 

 その一撃は、まさに“閃光”。

 

 

 「せあああぁぁぁああっ!!」

 

 

 目掛けたのはキリトの頭。

 アキトの為と、目の前のキリトを《ホロウ》と割り切った全力の一撃。光の筋が、真っ直ぐ流星のように駆け巡った。

 

 

 しかし────

 

 

 「!?」

 

 

 キリトは、それを紙一重で躱したのだった。

 スキルから放たれた突風がキリトの背後へと突き抜け、その虚ろな瞳はアスナを俯瞰する。アスナは、恐怖と焦りを綯い交ぜにした表情で、キリトを直視してしまった。

 明らかに不意を突かれたはず。にも関わらず、あれに反応出来る異常な反射神経。

 

 

(っ……そんなっ……今のが、見えて────!?)

 

 

 その動揺を、悟られた。

 キリトは一歩、足を踏み入れた。深く、そしてアスナのその不意を突いて。

 

 

 「そんなっ……アスナ!」

 

 

 フィリアの呼び掛けも、虚しく消え去る。

 反応が遅れたアスナは後方へ下がろうと足を傾け、そして躓く。迫って来る彼の瞳は、アスナが愛したキリトのものとは、似ても似つかなかった。

 繰り出された突進、それと同時に突き出された閃光────《レイジスパイク》。

 

 

 「ぐっ……あぅっ!」

 

 「『ガッ……!』」

 

 

 それはアスナの腹部を貫き、後方で蹲るアキトと巻き込んでフィールドの端へと吹き飛ばした。

 地面を削り、道端の石ころのように転がる。やがて止まった先で二人は、少しだけ離れた場所でそれぞれ倒れ込んだ。

 

 

 「()ぅ……」

 

 

 アスナは、震える腕を使ってどうにか上体を起こす。

 ────そう、その腕は震えていた。今の一瞬の攻防と、ずっと共に戦ってきた最愛の人の《ホロウ》だからこそ、この二年間の戦闘経験と直感で理解する。

 

 

(……勝て、ない)

 

 

 その震えは、恐怖からだった。

 躊躇して、涙して。そうしてズルズルとここまで来た。なのに、その挙句の果てに戦った結果、実力の差を見せ付けられただけだった。

 

 

 「……っ」

 

 

 最初にキリトに刺されてから今まで、回復していなかったアスナのHPも危険域に突入していた。視界が真っ赤になり、脳内でアラームが鳴り響いている。

 同時に心臓の鼓動が鼓膜を破る勢いで迫り、間も無く到来するであろう自身の死を想像してしまう。

 こちらに迫る足音が聞こえる。それでもアスナは必死に己の腕を使って、地面を移動していく。

 

 

 ────視線の先は、立った一人。

 

 

 「……ぁき、と、く……」

 

 

 倒れたまま動かない、大切な人の名前。

 弱々しく小さな声で、自身でも聞き取れないような声。それでも、呼ばずにはいられなかった。

 

 

 「……ねえ……私の声が、聞こえる……? アキト、くん……」

 

 

 アキトに近付く度に、声が震える。涙が出そうになる。

 目の前の彼が、どうしてこんなにもボロボロになっているのか、どうしてこんなに頑張っているのかが、もう分からなくなっていた。

 何故、こんなにも他人の為に、みんなの為に必死になれるのだと。

 

 

 ────それでも。

 

 

 「……守る、から……アキトく……」

 

 

 そんな言葉とは裏腹に、心では願っていた。ヒーローみたいな彼に、アスナはもう縋る事しか出来ない。支えたい、守りたい彼をその瞳に映す視界が、涙で歪む。

 

 

 「力を、貸して……キリト、君……」

 

 

 彼の中にいる愛する人に、懇願する事しか出来ない。今の彼を、自分は救う術を知らないから。

 

 

 「……」

 

 

 背後から、キリトの影が差し込む。その片腕は、剣を掲げていた。

 そんなキリトの剣から守るように、アスナはアキトの身体を覆うように蹲る。

 

 

 絶対に殺させない。絶対に死なせない。今度こそ。今度こそ。

 

 

 

 

 ──── アキト君!

 

 

 

 

 振り下ろされたその剣と同時に、アスナは目を瞑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 それは、己を蝕み、姿を変える。

 

 

 今の自分は、化け物(ヴァリアント)

 

 

 心の中で、手が伸ばされる。

 

 

 悪魔のような囁きが響くのだ。

 

 

 ────“この手をとって、全て委ねろ”

 

 

 ────“欲しい全てを与えてやる”

 

 

 ────“戦え、殺せ、壊して、喰らえ”と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────“さあ、憧れるだけだった自分に、別れを告げる時間だ”、と。

 

 

 

 

 









作者考案、現在判明中のOSS一覧(需要無し)


・《レティセンス・リベリオン》
アキトが使用。二刀流十三連撃。《反逆(リベリオン)》の名を冠する、闇色に輝くソードスキル。会心率が高い。

・《ワールド・エンド》
アキトが使用。片手剣重単発技。暗い紫色に剣が光る。“重単発”というのもあり、一撃であるにも関わらず、与えるダメージ量が大きい。
名前はAWのとある黒の王の二つ名、“絶対切断(ワールドエンド)”から。

・《コード・レジスタ》
アキトが使用。片手剣三連撃。名前の由来はスマホ用ゲーム《ソードアート・オンライン コード・レジスタ》から。一撃毎に赤(火)、青(水)、緑(風)にエフェクトが変化する。
レジスタはサービスが終了するらしい(涙)。これからはこのスキルをどんどん使っていこうと心に誓った夕凪楓。

・《ブレイヴ・ソードアート》
アキトが使用。二刀流二十五連撃。SAOという世界の名を冠するソードスキル。直訳で“勇者の剣技”。PoHとの戦闘で初めて使用した。奥義技と遜色無い威力を持ち、七色のライトエフェクトを纏う。

・《剣技天翔(ソード・ウイング)
アキトが使用。『Ep.if ヒーローは遅れてやってくる』で初登場。魔法の同時使用による持続型ソードスキル。
全種族共通で使える簡易な鍛冶魔法で剣を作成し、重力魔法で剣を背中に翼のように展開し、風魔法で盾や矢のように放つ事が可能。かなりのレベルの魔法操作と集中力が必要な為、発動時間は一回凡そ三十秒。

・《ホロウ・フラグメント》
アキトが使用。『Ep.if 好敵手の条件』の最後に登場。片手剣八連撃。魔法属性他、《剣技天翔(ソード・ウイング)》同様の魔法操作が使用に関わっている。
名前の由来はPSVita専用ソフトの、
《ソードアート・オンライン ホロウ・フラグメント》より。

・《フェアリィ・ダンス》
ユキが使用。『Ep.if 好敵手の条件』にて登場。片手剣九連撃。ALOに存在する九種類の妖精のメインカラーでライトエフェクトを彩る九色九連撃。
名前の由来は原作《ソードアート・オンライン フェアリィ・ダンス》より。





























次回 『だって私のヒーロー』



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Ep.100 だって私のヒーロー







期待も羨望もするに決まってる。君は、だって私のヒーロー。





 

 

 

 

 

 

 ────見渡す限りの、黒。

 上も下も、右も左も分からない。この景色が何処まで続いていて、有限なのか無限なのかも分からない。

 

 

 「……ここ、は」

 

 

 気が付けば、アキトは真っ暗な場所に居た。

 何もかもが未知だった。自分が何処に、何故居るのかも。

 立っているのかすらも分からない。その身は、形容し難い浮遊感を感じていた。

 

 

 「……俺、何して……」

 

 

 ここに居るより前の記憶が無い。

 気が付けば目の前が、真っ暗だったのだ。アキトは戸惑いながらも、懸命に脳の奥底から記憶を呼び起こす。

 そうして段々と映像が流れ始める。映る光景は朧気だが、自分が何をしていたのか、それが明確に分かる。

 

 

(そうだ……キリトの《ホロウ》と出会って……それで、アスナが俺を庇って……)

 

 

 キリトを模した《ホロウ・データ》との戦闘。親友の姿をした奴に剣を向ける事を躊躇ってしまったせいで、死にかけた事を思い出した。

 そして最後の記憶は、アスナが自身に覆い被さって、キリトの剣をその身に受ける光景。

 涙を流しながらも尚、笑いかけてくれる彼女の表情。

 そしてそこから先は、何も覚えていない。今、彼女はどうなっているのか、それを考えた瞬間、最悪の事態を想定して背筋が凍り付くのを感じる。

 

 慌てて辺りを見渡すが、何処も彼処も真っ暗で、人の気配は感じられなかった。アスナも、フィリアも、《ホロウ》のキリトすらいない。

 

 

(何処だここ……早く二人の所に行かなきゃ……!)

 

 

 けど、どうやって────

 

 

 「……?」

 

 

 すると、何かの気配に気が付いて、アキトは思わず振り返った。

 そこには、無が広がるこの場所で唯一、質量を持った何か(・・)が存在していた。

 思わず目を見開くアキト。だが、段々と冷静になり、よく目を凝らす。それは、触手のように大量に張り巡らされた、複数の黒い手だった。

 

 何人、何十人、何百人──何千人といるのかもしれない。犇めき蠢くそれらが、一挙にアキトに向かって手を伸ばしている。

 

 

 「……」

 

 

 一歩、一歩と、その黒い手の集合体に近付く。だが、どれだけ近付いても、手から先は見えてこない。その事実に疑問を抱く事無く、アキトは流れるように、自然とそれらに歩み寄った。

 

 

 「……あ」

 

 

 だが、距離が縮まる度に聞こえるのは、声。

 男性、女性、子ども、大人。老若男女問わず、アキトに囁く声がする。

 アキトは、ただその手を見つめた。

 

 

 ──── 憎イ、苦シイ、怖イ、寂シイ。

 

 

 別々に呟くその何かは、やがて一つの意志となり────戦え、殺せと、そう訴えてくる。 

 だというのに、何故か不快感も拒否感も無い。

 心に浸透していくような感覚が胸を襲い、身体が羽のように軽い。身を委ねてみれば、段々と気分が優れていくような錯覚に見舞われる。

 それは、自分があの偽物に憎しみを抱いた、という事なのだろうか。

 

 ここは、最深部。

 外の様子が分からない。アキトは、自分がどれくらいここに居るのか、それが分からなかった。

 長いようで、短いような感覚。五分もいないような気がすれば、何時間もここに居たような気もする。

 

 

 「……アスナと、フィリアは……?」

 

 

 思わず、問い掛ける。

 その手は、応えない。

 

 

 「……無事、なの?」

 

 

 不安気な声。

 それらはユラユラと、陽炎のように揺れる。

 

 

 「戦わないと、いけないんだ」

 

 

 アキトは、拳を握り締めるが、それは震えていた。

 

 

 「たとえ親友の姿をしていても、倒さなきゃ……分かってる、はずなんだ……なのに……」

 

 

 勇気が、出ない。

 

 

 ──── ナラバ、望ミ、求メロ。

 

 

 「え……?」

 

 

 アキトは、段々と俯いていた顔をハッと上げる。

 するとその瞬間、目の前で蠢いていた手の集合体は、花弁のように四方に広がった。

 そして、その中心から実のように一本の腕が伸ばされた。

 

 

 ──── この手を取れと、告げていた。

 

 

 その手を取れば、あの場へ戻れるのか。

 アキトの握り拳が段々と開き始め、ピクリと、その指先が動いた。

 

 

 ──── 求めるものを、与えてやるとその手は告げた。

 

 

 求めるもの────それは力。

 あの、偽物とはいえ、親友と同等の力を持ったあの《ホロウ》に立ち向かえる勇気と強さ。

 その悪魔の囁きは、今のアキトにとって、それは甘美に聞こえていた。

 全身が総毛立ち、口元が震える。気が付けば、片腕が段々と上がっていた。

 

 

 ずっと、キリトに憧れていた。自分には無い、他人を容易く救えてしまうであろう強さがあったから。

 アキトにとって彼は、理想の“ヒーロー”そのものだった。彼のような強さが欲しかった。彼のようになりたかった。

 大切なものを、自分の力で守り抜けるような、そんな強さをこの手に────

 

 

 そして、不相応にも夢を見た。

 いつしか、憧れるだけだった自分に別れを告げ、理想を越える事を。

 

 

 「……」

 

 

 腕を伸ばせば、夢が叶うのだろうか。

 欲しかったものが、手に入るだろうか。

 

 

 徐々に、段々と。

 理由も無しに、確信めいたものが生まれてしまう。

 

 

 この手を取れば、手に入る。

 力も、勇気も、大切なものも全て。

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトのその腕が、その指先が。

 その闇と同化した手に、触れる────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ダメだよ、アキト」

 

 

 

 

 ──── 酷く懐かしい、声が聞こえた。

 

 

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 伸ばされたその腕が、思わず固まる。その瞬間、手首を優しく掴まれ、引き寄せられた。

 掴んできたその細い腕は、ありったけの力が込められていた。

 目の前の漆黒の腕達とは違う、自分と同じ色を宿した、優しい人の細い腕。

 

 

 思わず、視線が向く。

 視線の先の、その人影を視界に捉え、その瞳を見開いた。

 

 

 水色の装備。 

 短めの黒髪に、右目の泣きぼくろ。

 

 

 ────その姿を、アキトは誰よりも知っている。

 

 

 

 

 「……サ、チ」

 

 

 

 

 そこには、かつてアキトが大切にしていた少女が、守れなかった少女がいた。

 アキトに対して、勇ましい瞳を向けて。何かを言いたげな、そんな表情を浮かべて。

 

 

 「……久しぶり、アキト」

 

 「……なん、で、ここに……」

 

 

 挨拶をしてくれたにも関わらず、アキトは言葉に詰まって上手く喋れない。感動よりも先に、彼女がここにいる事実に困惑し、存在の理由を探している。

 そんなアキトの掠れた声を聞き取った彼女は、アキトを見据えて口を開いた。

 

 

 「アキトこそ、こんなところで何してるの」

 

 

 放たれた彼女の言葉には、怒気が孕んでいたように思える。

 アキトはその言動に思考が追い付かず、それを聞いて思わず聞き返した。

 

 

 「何って……戻って、戦わないと────」

 

 「その手を取ったら、戻れなくなるよ」

 

 

 彼女が指差す先を、アキトは振り返る。

 敷き詰められた黒い腕、四千人の負の感情が、懸命にアキトに腕を伸ばしていた。

 その中で、何本かの腕は震えていた。まるで、アキトを引き込めなかった事に対する悔しさと、少女に妨害された事による憤りから生じた動きだった。

 どうにかアキトに触れようと、数多の腕が一斉に伸びる。しかし、少女はそんな腕達とアキトの間に割って入った。

 

 

 「っ……」

 

 

 彼女はそれらを睨み付けると、アキトの腕を引き寄せる。そして、手を強く握って、反対方向へと駆け出した。

 いきなりの事で対応出来ず、アキトの身体はよろめいた。

 

 

 「え……なっ────」

 

 「アキト、こっち」

 

 「え、ちょっ、まっ」

 

 

 そうして、彼女に引かれるままにアキトは移動する。

 瞬間その背後の黒い腕達が伸び始め、サチとアキトを追い掛けてきた。

 

 

 「アキト、走って!」

 

 「え、で、でも……」

 

 「急いで!」

 

 「っ……う、うん!」

 

 

 彼女の焦りを感じ取ったアキトは、言われるがままに足を動かした。引かれるままだった時よりも身体が軽くなり、速度が増していく。背後の腕との距離が離れていく。

 それでも尚、サチと繋がれた手は決して離さない。固く、固くその手を結ぶ。

 手のひらを合わせ、絡め、しっかりと繋ぐ。

 

 

 「……」

 

 

 ────今も尚自身の前を走る、サチの後ろ姿。

 その頼もしい姿が、かつての怯えていた弱い彼女と重ならない。

 アキトは動揺で、思わず瞳を揺らした。

 

 

 「……」

 

 「……? 何?」

 

 

 じっとその背中を眺めていると、サチが視線を感じたのか振り返った。アキトは思わず目を逸らし、彼女を視界から外す。

 

 

 「な、なんでも……それより、何処に向かってるの……!?」

 

 

 走りながらで、上手く声量が調整出来ない。そのせいで思わず声が大きくなる。

 そしてそれは、目の前の少女も同じだった。

 

 

 「何処って……アキト、戻りたいんでしょ!」

 

 「そうだけど……どうやって! こんな、右も左も分からない場所で、一体何処に向かって……!」

 

 

 走りながら頭を動かす。見渡す限り、黒。

 進めているのかいないのか、ゴール地点があるだなんて到底思えない。不安が頭を過ぎる。

 このままではアスナとフィリアが、と最悪の未来を考えてしまう。

 

 何せ、聞きたい事が沢山あるのだ。

 ここが何処なのか。何処まで続いていて、広がっているのか。

 どうしてここに自分がいて、死んだはずのサチがいるのか。

 あの腕達はなんだ。あの声はなんだ。

 

 

 そうして不安に駆られるアキト。それでも、少女は不敵に笑ってくれた。

 そして、それはあまりにも懐かしくて────

 

 

 

 

 「大丈夫、信じて! 絶対に損はさせないから!」

 

 

 「っ……!」

 

 

 

 

 その一言で、アキトの中の何かが、カチリと嵌った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── あそこだよ、アキト!行こう、絶対に損はさせないから!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ああ、そうだ。

 

 

 前にも、こんな事があった。

 

 

 ────どうして、忘れてたんだろう。

 

 

 思わずアキトは、前を走るサチを見る。

 その駆ける姿と、前だけを向く勇ましい表情が、自分の知っている彼女とは違って見える。

 サチはただひたすらに、あの闇色の腕の集合体からアキトを守ろうと必死になって走っていた。

 この前後左右上下何処を見たって変わらない暗闇の中で、彼女は一体何処へ走っているのだろうか。

 

 

 「はぁ、はぁ……ここまで来れば、大丈夫かな……」

 

 

 どれくらい走ったかは分からない。長いような短いような、そんな感覚だった。

 けれど、振り返って見れば、あの漆黒の腕達は何処にもいなかった。

 

 

 「……一先ず、休憩しよっか。はぁ……」

 

 

 サチは漸く走る速度を落とす。引かれるがままだったアキトは、サチの減速に合わせて足を止めると、再び恐る恐ると振り返った。

 見渡す限り真っ暗な闇世界の中、この場所で初めて目にしたあの黒い腕の塊は、やはり見えなくなっていた。

 

 

 「……聞いても、良い……?」

 

 

 すぐ傍で息を整えるサチに、アキトは細い声で問い掛けた。

 

 

 「はぁ、はぁ……何?」 

 

 

 走った後の会話でお互いの声は荒く、必死さが表情に露呈する。

 サチのこんな声を、アキトは聞いた事が無い。自分を助ける為にそうなっているのだと思うと、自身が情けないと同時に心が熱を持ち、心臓が強く脈打った。

 アキトは振り返って、彼女が逃げている対象物を───黒い大量の腕達を見据える。

 今も尚変わらず、アキトを求めんと手を伸ばすそれらは、諦める事を知らないかのようだった。

 何故そんなにも、自分を望むのか。

 

 

 「……あの沢山の腕は、何だったの?」

 

 「……未練、みたいなもの……かな」

 

 

 だがそれらの気配は、サチとアキトが全力で走る毎に段々と遠のく。

 それと理解すると、アキトとサチも速度を落とし、二人とも走るその足を緩めた。

 遠くで蠢くそれらを眺めて、サチは呟く。

 息を整えつつ顔を伏せ、サチは小さく、それでも聞こえる声で言葉を紡ぎ出した。

 

 

 「……あれは、私達。この世界に怯えて、怖がって、そうして死んでいった四千人の────」

 

 

 ────怒りや、憎しみ。

 

 

 それは誰の心にも必ず宿っているもの。

 そしてそれが、どういう訳かアキトのアバターへと流出し、この現状が起きている。

 この世界が始まりを告げてからずっと、《カーディナル》に蓄積されていた、“負の感情”データの集合体。

 生きている者、死んでいった者達の恨み辛みが収束して生まれた、一つの意識。

 それらから生まれたのは、憎しみに身を任せ、全てを壊そうとする破壊衝動。

 その起源は痛み、嘆き、叫び、苦しみといったネガティブな感情。

 それは言わば、このSAOが始まってからプレイヤーが抱き続けてきた感情の塊。

 

 

 

 

 世界の“悪意”。

 

 

 

 

 ────ソレガ、君ノ望ミカ?

 

 

 

 

 アキトは、すうっと胸の中の靄が晴れたのを感じた。納得してしまったのだ。

 感覚的に分かる。

 目の前の手と、そこから紡がれる数多の感情。

 

 

 ────あの声の正体は、これか。

 

 

 そう、ここはアキトの精神世界。

 そして目の前のそれは、この世界で死んでいった四千人の負の感情、その集合体。

 死ぬ間際まで捨てきれなかった恐怖や憎しみが、凝り固まって出来てしまった擬似人格だった。

 

 

 この世界に、茅場晶彦に復讐したいと、そういった感情が伝わってくる気がした。

 

 

 それが悪いものなのかどうか、アキトには決められなかった。

 そこにはサチのものだって含まれているのではないか、そう思ったから。

 なのに彼女は、今こうしてアキトの手を引いて、あの魔の手から救おうとてくれている。

 四千人とは違う行為を、ただ一人の為にしてくれている。

 

 

 「……」

 

 

 アキトはふと、自身の手元に視線を落とす。

 そんな彼を見て、サチはキョトンとしながら声を掛けた。

 

 

 「? アキト……どうし……ぁ」

 

 

 だが、サチはすぐに気付いた。

 アキトの視線の先は、アキトとサチの、繋がれた手。逃げてからここまでずっと、互いに離さぬようにと固く、固く繋がれた、手。

 

 それは、先程の四千人もの意志を宿す、あの漆黒のものとは違う。温かくて優しい心を持った、想い人の手。

 

 

 「っ〜〜〜!」

 

 

 段々と顔を朱に染め上げるサチに反し、アキトはその細い手を見て懐かしむように笑った。優しく握り締め、その指先で肌を撫でる。

 サチは顔を赤くしたまま、手を握り続けるアキトを戸惑いがちに見ていた。

 

 

 「……あ、アキト……?」

 

 「……」

 

 

 ────彼女と、繋がれたその手。それが、かつての記憶を呼び起こした。

 

 

 「……前にも、君にこうやって引かれた事があったよね」

 

 「え……?」

 

 「ほら、二人でケーキ食べに行った時さ」

 

 

 キリトへの羨望と嫉妬が強かった、あの頃。

 サチに誘われて、赴いた、あの頃の最前線にあった高台の喫茶店。そこで、二人で笑って、景色を見ながら、話し合った事を、アキトは漸く思い出したのだ。

 サチは目を丸くした後、アキトの言った事を理解したのか、その表情を和らげた。

 

 

 「ぁ……覚えて、たんだ」

 

 「……ゴメン、違うんだ。ただ、思い出しただけ」

 

 

 あの頃の記憶は、今まで鮮明に思い出せていたはずなのに。

 死んでも忘れたくなかった、宝物のはずなのに。

 呼吸のように、心臓の鼓動のように。生きる上で、必要なものと化していたはずなのに。

 

 

 ────酷く、悲しかった。

 

 

 あの時見た景色が、とても綺麗だった。

 彼女と見た事で、それはかけがえのない思い出に変わったのだ。一人で見ていたら、それはきっと記憶にも残らず、ただの背景としていつか忘れ去られるものだった。

 

 

 「……どうして、忘れてたんだろう」

 

 

 懐かしむように、目を細める。

 色褪せてしまったというのだろうか。君と共に過ごした、あの濃密な日々を。

 その事実が、自分がどれだけ白状なのかを思い知らせてくれる。アキトは優しい笑みで誤魔化すも、その握り拳は僅かに震えていた。

 色々なものが、奪われていく感覚を感じて。

 

 

 このままいつか、全て過去になってしまうのだろうか。

 

 

 「……別に、忘れても────」

 

 「良いわけ無い」

 

 

 サチが馬鹿な事を言う前に、アキトはそう遮る。いつもそうやって、他人を優先するような考え方が、好きでもあり、嫌いでもあった。

 忘れる事が良い事だなんて、思えた試しは無かった。決して忘れてはいけない罪なのだと、アキトはあの日から胸に刻んでいたのに。

 

 

 「……けど、アキトも本当は分かってるんでしょ?あの“闇”が、アキトの怒りや、悲しみに反応してるって」

 

 「……」

 

 

 サチのその一言に、口を噤んだ。

 彼女が自身の目の前に現れた辺りから、アキトは朧気だった記憶を思い出していた。

 自分を庇って刺されたアスナと、剣を突き刺すキリトの偽物。その偽物に対する憎悪が、この空間を生んだ事。

 あの腕達────闇は、アキト自身に宿る負の感情を糧に動くのだと、アキトには検討がついていた。

 

 

 仲間が傷付けられ、怒りを増す度に。

 過去に想いを馳せ、悲しみを増す度に。

 それは侵食してくる、と。

 

 あの“闇”は、この世界の負の感情。募った怒りや憎しみだと。ネガティブな感情に反応し、破壊衝動をぶつけてくるのだと。

 過去に縋って後悔し続ければ、それを助長するだけだと。

 

 アキトは思う。自分はまさに、そんな“闇”の餌食だったろうと。

 仲間を守れない自分に憤りを感じ、過去を懐かしんでは後悔に苛まれ、仲間を傷付けられれば、憎悪が滲み出る。

 

 ならば。思い出す度に悲しみを抱く、黒猫団との思い出は、忘れてしまった方が良いと、そういう事なのだろうか。

 

 

 「……それでも、嫌なんだよ。腹が立つんだ。あの大切な思い出を、忘れそうになっていた自分自身が」

 

 

 今度は、サチは何も答えなかった。

 立ち止まったまま、アキトを先程のように導こうともしない。

 ただ、その場に立ち尽くしたまま。

 

 

 「っ……」

 

 

 何も言わない───言ってくれない彼女に、アキト顔を伏せた。非難の声を聞きたくなかったのか、顔を合わせられなかったのか。もしくは、そのどちらもか。

 

 

 「────アキト」

 

 

 その名が、呼ばれる。

 思わず肩が震え、心臓が跳ね上がる。何を言われるのだろうかと、彼女が口を開く一瞬で何通りも想像してしまう。

 避けた事への非難か。守れなかった事を責められるのだろうか。

 何にせよ、自分はもう嫌われてしまっているだろう。そう考えると、どんどん悪い方へと思考が変わる。

 しかし、彼女はただ笑顔で、その想いを口にするだけだった。

 

 

 「……それでも、思い出してくれたじゃん」

 

 「っ……」

 

 

 思わず、身体が震える。咄嗟にサチへ視線を向ける。

 彼女はとても嬉しそうな声で、そう告げていた。頬を赤らめ、こちらを見て微笑んでいた。

 

 

 「凄く……嬉しかったよ」

 

 「……サチ」

 

 

 その名を呼ぶ事しか出来ない。彼女が何より愛おしい。

 だからこそ、後悔しか頭を過ぎらないのだ。どうして自分は、彼女を守ってあげられなかったのか。

 自然と握り拳が強くなり、身体が震える。

 

 そんなアキトに、サチは近付いた。距離が近くなり、俯き下を見るその視界からも、サチの顔が見える。

 思わず顔を上げ、飛び退く瞬間、首から下げられた鈴の音が響くペンダントがキラリと飛び出した。

 サチは腕を伸ばして、それを撫で、懐かしむように笑った。

 

 

 「……まだ、付けてくれてたんだ」

 

 「……え?」

 

 「このペンダント」

 

 「っ……なんで、サチが、このペンダントの事を知って……?」

 

 

 瞳を揺らし、アキトはそう問いた。

 この胸に光る鈴のペンダントは、黒猫団が全滅して暫くした後、キリトからギフトメッセージで送られてきたものだったからだ。

 サチがこのペンダントの存在を知っているはずがない。

 なのに、サチは笑って応えてくれた。

 

 

 「えへへ、それね、私達が全滅したあの日、お金を稼いでみんなで買おうって決めてた物なんだ。あの時最前線だった30層のショップに売ってたやつで……きっと、キリトが買ってくれたんだ」

 

 「……なんで」

 

 

 サチから色々聞く度に、整理が追い付かない。

 どうして、あの日いつもよりも上層で狩りをしてまで、このペンダントを買おうと思ってたのかがまるで分からなかった。

 キリトからこれを送られてきた時、本気で意味が分からなかった。捨てようかとも思っていた。なのに。

 

 

 なのに、どうしてか手放せなくて────

 

 

 「アキトに、どうしてもこれを渡したかったんだ」

 

 「……どうして」

 

 「……あの日、もし無事に帰れたら、アキトに言わなきゃいけない事があったんだよ」

 

 「言わなきゃ……いけない、事……?」

 

 「うん。……少し、遅くなっちゃったけど」

 

 

 困惑しながら呟いた言葉に、サチは頷く。

『コホン』と態とらしく咳払いすると、アキトの前にピンと立つ。戸惑うアキトを見てクスリと笑みを零すと、そんな彼を見据えて告げた。

 

 

 

 

 「アキト、誕生日おめでとう」

 

 

 「っ……!」

 

 

 

 

 それを聞いた瞬間、アキトは胸のつっかえが取れたような気分になった。何もかもが解け、晴れたような気持ちになる。全ての謎が解けたような気がした。

 彼らが、いつもより上層で狩りをしていた、その理由が。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 言葉にならない、声が放たれる。

 事実を突き付けられ、口元が震えて、思うように言葉にならない。

 サチは、そんな情けないアキトを見ても、赤らめた頬で笑うだけだった。

 

 

 「6月12日、私達が死んじゃったあの日、アキトの誕生日だったよね。初めて会った時に聞いた事あったし」

 

 「な、んで……っ、それ、じゃあ……みんなはずっと……俺の為に……っ!?」

 

 

 声の震えが収まらない。何をしても止められない。

 気を緩めれば、今にでも泣いてしまう気がした。彼女の言葉の意味を何度も頭の中で繰り返し、その事実に辿り着いてしまったから。

 

 

 「えへへ。キリトがアキトに渡してくれたんだよね。本当は直接渡したかったんだけど……私、あっさり死んじゃって……ゴメンね」

 

 

 照れて素振りも一瞬で、サチはすぐに悲しそうに笑う。それを見たアキトの瞳は、すぐに見開かれた。

 

 

 「っ……何、謝ってんだよ……謝るのは、俺の方だよ……!」

 

 

 その態度に、アキトは思わず声を荒らげた。彼女が、そんな風に謝る必要なんて、何処にもなかったから。

 彼女を不安にさせたのは、全て自分に非があったから。

 

 

 「だって俺はっ……俺はあの時、自分自身の都合でみんなの事を避けてたんだ……黒猫団に自分の居場所を見付けられなくなっていて……自分の醜さに耐えられなくて、その現実から逃げ続けて……サチの気持ちなんて考えずに、自分の事、ばかりで……」

 

 「……うん」

 

 「そうして一人になる時間だって、苦痛だった……だから、レベリングばかりしてたんだっ……何もしなかったら、どうしてもみんなの事を思い出すから……辛くなるから……ただ、それだけなんだよ……」

 

 

 いつからか、キリトに憧れた。

 キリトの強さを直に見て、肌で感じる度につくづく思うのだ。《月夜の黒猫団》には、キリトの強さが必要だと。

 周りはみんな、何処かそう思っていただろう。同じレベルだと思い込んでも尚、キリトからは強者の空気が纏っていたから。

 そうして周りがキリトを中心に集まっていくような錯覚に陥り、いつしかアキトは、自分自身の居場所をキリトに奪われたような気がしていたのだ。

 

 決定打は、サチが失踪した時に聞いてしまった、キリトとサチの会話。

 キリトの肩に頭を乗せ、縋るように泣くサチの姿を見て、アキトは思った。痛感してしまったのだ。

 彼女を守るに値する力を持つのが、自身では無いことを。

 

 そうして全滅までの間、サチに対して壁を作ってしまった。それに伴って、黒猫団のみんなとも。

 まるで、初めて出会った時に戻ったような感覚だった。そうして、一人取り残されたような気分でいると、自然と楽しかった頃を思い出してしまい、辛くなるだけだった。

 だから、何もかもを忘れられるレベリングに勤しんだのだ。たった一人で。それが段々亀裂となり、溝となり、そして────全滅の一途を辿った。

 

 全て、自分自身の心が弱かったせいなのに。そんな自分に、あの日黒猫団のみんなはプレゼントを考えてくれていただなんて。

 それすらも、黒猫団を殺したのは自分なのではと思わせる材料にしかならなかった。

 そんな自分に、彼らが贈り物をする必要なんて。

 

 

 「……うん、分かってる。でも、辛い想いをさせちゃうのは、やだな……」

 

 

 アキトの話を黙って聞いていたサチは、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 「……」

 

 「アキトには、いつも笑顔でいて欲しいな。君はいつも人の事ばっかりで、自分の幸せは全然なんだから」

 

 

 そんな事、サチに言われたくない。

 そう思いつつも、聞き入ってしまう。

 

 

 「それでね……忘れるのが無理でもさ……私達を思い出して、笑っていて欲しいな……悲しむんじゃなくてさ。そうすれば、あの“闇”は寄って来ない。それに私は、もう……この場所にはいられないから」

 

 「……っ」

 

 

 突き付けられた言葉が、胸を突き刺す。

 自分が今、どんな顔をしているか。きっと、悔しげな、苦い顔をしているだろう。

 サチのその願いが、紡がれた言葉が、あまりにも報われなくて。切なくて、悲しくて。

 

 

 「君が私を思い出してくれれば、その瞬間だけ、私はこの世界で生きていられるような……そんな気がするの」

 

 「サチ……」

 

 

 気が付けば、景色が広がっていた。いつしか周りは、暗闇だけの世界ではなくなっていたのだ。

 何処かで見た事があるような丘、風に靡き揺れる芝生、目の前に広がる湖。

 そして、満天に広がる星々の煌めきと、月の輝き。

 アキトとサチ、二人してその夜空に瞳を奪われる。その光がキラキラと光を放ち、瞳を輝かせる。

 流れ星が、流星群の如く降り注ぎ、幻想的な世界を作り上げていた。

 

 

 「……綺麗だね。何か、願い事はしないの?」

 

 「……サチは?」

 

 「私はもう、願ったよ」 

 

 「……俺はいいや。今まで、一度も叶わなかったし」

 

 

 星から目を逸らし、俯くアキト。

 神にも、星にも願った。けれど、決して願いを叶えてくれはしなかったから。

 だから、信じないと決めていた。けれど、サチは違うようだった。嬉しそうに、魅入ってしまうような笑顔で、彼女は言った。

 

 

 「私ね、願い事って……自分の事を願うより、誰かの事を願う方が叶いやすいような気がするの。神様が、見守ってくれている……そんな気がしてさ」

 

 「……」

 

 

 サチが胸に組んだ両手を当て、願うような姿勢を取る。そして、アキトに笑いかけた。

 

 

 「だから私、きっとこれから先も何度も願うと思う。『アキトが笑って、幸せになれますように』って」

 

 

 ────何も、言えなかった。

 何処までも真っ直ぐなその願いに、アキトは返事をする事が出来なかった。他人の事だけを考えた、純粋な気持ち。

 それがとても眩し過ぎて、アキトは今にも泣きそうだった。再び俯いて、誤魔化すように小さく笑うしかなかった。

 

 

 「……すぐには……無理、かな……」

 

 「……ううん。少しだけだけど、私の願いはちゃんと届いてる。仲間に囲まれて笑っている君の顔を見れて、嬉しかった。……アスナさん、だっけ?」

 

 「……っ。見られて、たのか」

 

 「……フフッ」

 

 「……はは」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「…………アキト」

 

 「……なに?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……好きだよ」

 

 

 「……!」

 

 

 

 

 突然の言葉に、アキトは息を呑んだ。

 両手を後ろで組んで立っていたサチは、照れたようにはにかんでいた。

 

 

 決して、聞き間違いなんかじゃない。

 それは、ずっとアキトが聞きたかった、待ち望んでいた言葉。

 

 

 ────もう決して叶う事は無い、届かぬ想い。

 

 

 「……っ……ぁ……」

 

 

 アキトは目を見開いたまま動けず、ただサチを呆然と見つめていた。

 サチはそんな視線が恥ずかしいのか、目線を逸らす。その頬はほんのりと赤くて。それがとても、切なくて。

 

 

 「……へへ……ゴメンね。急にこんな……困らせると思って、ずっと言おうか迷ってたんだけど……やっぱり言っちゃおうって思って……」

 

 

 顔を真っ赤にしながら慌てる彼女を、同じく顔を赤らめて見つめるアキト。瞳を揺らし、口元が震える。これは夢では無いのかと、そう脳が叫んでる。

 サチはやがて深呼吸すると、頬の赤みが少しだけ引く。アキトを見つめる瞳を潤み、愛おしさが増すばかりで。

 

 

 「……後悔は、無い方が良いって思ったの。もう……二度と会えないかもしれない。これが最後かもしれない。だから、好きな人には好きだって……伝えられる時に伝えておきたいって思ったんだ。……本当は、生きてる内に……自分の口から言いたかったけどね」

 

 

 気付けば、サチの身体は小刻みに震えていた。

 

 

 「新しい家で……みんなでお祝いして……誕生日おめでとうって、みんなで買ったペンダント渡して……仲直り、して……それで、クリスマスまで頑張って生きて……好きって言って……」

 

 「……サ、チ」

 

 「……けれど、もうそんな機会は、二度と無いから……もう、会えるかも分からないし……だから……だか、ら……」

 

 

 泣くまいと我慢する彼女の、目では見えない涙。

 その仮想の涙を拭い去る術を、アキトは知らなくて。ただ瞳を揺らしながら、彼女の泣き顔を見る事しか出来なくて。

 思わず、アキトはサチに詰め寄った。途端に近付く距離。サチが驚きで目を見開く。涙に濡れた頬で見上げる彼女が、狂おしい程に愛おしくて。

 

 

 ────けど。

 

 

 口を開きかけたアキトを、サチは制した。

 

 

 「その先の言葉は、言っちゃダメだよ。私はこの気持ちを、伝えたかっただけだから……」

 

 

 サチはまるで、未練から解き放たれたかのように清々しい表情を浮かべて。

 もう何も思い残す事はないと、そう言っているみたいで。

 

 

 「……っ」

 

 

 同じ想いなのに。

 自分も、彼女の事が好きなのに。

 それを告げる事は叶わない。もう二度と、死んだ彼女に告白する事は出来ない。

 なら、なら今の自分に出来る、サチに言ってやれる一言。

 

 

 「……サチ……ありがとう……」

 

 

 ただ、感謝の言葉だった。

 こんな自分を好きになってくれて。想いを告げてくれて。見守ってくれて。助けてくれて。

 サチはその細い指で、自身の目元の涙を拭う。その指先の涙は、草木を撫でる風に運ばれ消えていく。星は、ただ輝きを放っていて。

 幻想的だからこそ、彼女とのこの出会いも、まるで夢幻みたいで。

 

 

 

 

 「……あっ……」

 

 

 「な、何……?」

 

 

 

 

 サチは、突如目を丸くして驚いたように声を漏らした。アキトはそんな彼女の反応に、困惑の表情を浮かべる。

 

 

 「っ……?」

 

 

 だが、すぐにその原因が分かった。

 アキトは、ハッと顔を上げる。その耳に、脳に、微かに響くその声を感じて。

 

 

 

 

 ────……キト……く……!

 

 

 

 

 「……声、が」

 

 

 

 

 ────……アキ……く……!

 

 

 

 

 何処からともなく、声が聞こえる。

 遠く、か細い声。けれど、確かに聞こえた、自分を呼ぶ声。

 大切な、仲間の声が。守らなければならない、護りたい人の声が。

 

 

 

 

 「……ア、スナ……」

 

 

 

 

 アスナ。キリトの恋人で、何度も自分を支えようとしてくれた人。頼れと言ってくれた、守ってくれた人。

 自分と同じで、大切な人を守れなかった悲しみで、自暴自棄になってなお、進むべき道を切り開いた、強い少女。

 身を呈して庇ってくれて、自分の為に涙を流してくれた優しい彼女。

 

 

 瞬間、その瞳にとある光景が広がった。

 それは、今のアスナとフィリアの現状を映し出しているのだと、瞬時に理解した。

 暴れる自分と、それに圧されながらも立ち回るキリト。不安気なアスナとフィリア。

 そこから一転し、頭を抑える自分を庇うアスナと、そんな彼女を殺そうとする《ホロウ》。

 

 

 そうだ。自分は、彼女を。

 現実に置き去りにしたアスナとフィリアを、助けに行かなければ。

 

 

 「……時間だね」

 

 「……サチ」

 

 

 アキトは、サチへと振り返る。彼女は、少しだけ、本当に少しだけ悲しげに笑った。名残惜しそうな声と共に視界に入れると、アキトまで寂しい気持ちになってしまった。

 

 

 「……行かなきゃね、アキト」

 

 「……うん」

 

 

 アキトは、今度こそサチに背を向ける。

 すると、そこには一本の光の筋が走っていた。満天の夜空を貫くように天へと昇る光の柱。

 ここを辿れと、そう言っているみたいで。

 ここを進めば、アスナの元へ行ける。そしてここを進み切れば、サチとは完全に別れる事になる。

 そう、感覚的に分かってしまった。

 

 

 

 

 ────これが、最後。

 

 

 

 

 「……なんだか、不思議だよね」

 

 

 サチが、背中越しにそう呟く。

 振り返ってはいけない。そう、思っていても。

 

 

 「……何がだよ」

 

 

 こうして、別れの挨拶を交わすでもなく、昔みたいななんでもない会話。それも、これが最後。

 

 

 「SAOに初めて来た時は、アキトとこんなに仲良くなるなんて思わなかったもん」

 

 「俺も、同じ事思ってた」

 

 

 臆病な自分に、手を差し伸べてくれたのは、同じく臆病で、弱い少女。そんな彼女に助けられ、今アキトは、こうしてここにいた。

 それは、今も変わらない。いつだって彼女の存在が、アキトを助けてくれていた。

 

 

 「……最初は、見ず知らずの俺に話し掛けてきたサチ達が、まるで信用出来なかったよ。囮にでもされるのかと思った」

 

 「あっ、ひどい」

 

 「……けれど……俺、みんなに会えて良かったよ。感謝してる」

 

 「……アキト」

 

 

 アキトとサチの距離は、これ以上近くならない。

 生きる者と、死んだ者。これが、その境界線。互いに、進むべき道は違う。

 こんなに近くに居るのに、共に在る事は叶わなくて。

 

 

 「それにしても……あの時は、まさかこんな風になるとは思わなかったよね……」

 

 「ああ……そうだな」

 

 「まさかあんな出会い方で、こんなにも──」

 

 

 

 

 こんなにも大切で、かけがえのない存在になるなんて。

 そんな事すらも、今となっては口に出しては言わないけれど。

 

 

 

 

 「……そうだね」

 

 

 

 

 言えないけれど。

 

 

 

 

 「……じゃあ、お別れだね、アキト。君は何も気にしないで良い。前だけを見て、真っ直ぐに進んでね」

 

 

 

 

 ────少しでいい。

 

 

 

 

 「……うん。じゃあ」

 

 

 

 

 刹那の時だとしても。

 

 

 

 

 「っ……ふーん……」

 

 

 

 

 ほんの一秒だって構わない。

 

 

 

 

 「……そんな、簡単に……っ……さよなら、出来るんだ……」

 

 

 

 

 少しでもこの時間が。

 

 

 

 

 「……サチが気にしないでって言ったんでしょ……」

 

 

 

 

 続いてくれれば────

 

 

 

 

 「そうだけど……そんなすぐに切り替えられると、何かフクザツ……」

 

 

 

 

 彼女の、涙が入り交じった声を。

 

 

 

 

 「……最後くらい、本音を言ったって良いんじゃないかな」

 

 

 

 

 頬を赤らめる、その仕草を。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 この目に、焼き付けておく為に。

 

 

 

 

 アキトは、小さく歯軋りすると振り返る。

 サチの元まで歩み寄り、真っ直ぐにその瞳を向けた。彼女のその顔は、今まで見た事が無い程に、涙で濡れていた。

 これが、最後。その意味を、重く受け止めてしまった結果だった。

 

 

 「……サチ」

 

 

 アキトは、サチの前に立ち、ゆっくりと口を開く。

 サチはいつだって、自分の傍に居てくれた。彼女だって怖い筈なのに、それでも俺自分を気にかけてくれて。寄り添ってくれて。

 そして、今も変わらず自分の事を想ってくれてる姿を見て、胸が苦しくなった。

 だからこそ、彼女にしてあげられる精一杯を。

 

 

 「……俺、ちゃんと笑えるようになるよ。君に心配ばっかりかけてられないから。だから……その時が来たら、また会おう」

 

 

 右手を、ゆっくりと上げてサチへと向ける。

 小指だけを立て、彼女に差し出した。

 

 

 「────“約束”する」

 

 

 その為の指切り────

 

 

 「っ……うん。……また、会おうね……」

 

 

 サチから再び流れる涙。アキトはただ、苦い顔で笑う。

 そんな顔が見たいんじゃないんだ。だから、笑ってくれ。

 サチから伸ばされた手、その小指を絡めとる。そこからほのかに感じる熱が、胸を熱くする。

 

 

 お互いの指が、絡み合う。

 

 

 “また、会おう”

 

 

 それが、新たな“約束”。

 

 

 その約束が果たされないであろう事は、二人には分かっていた。

 こんな夢のような奇跡が、何度も訪れようとは思えない。

 

 けれど、それでもまた立ち上がる為に。誰も知らない未来を、無限の可能性を秘めた明日を、夢見る為に。

 アキトとサチは、約束したのだ。

 

 

 「っ……」

 

 「……え、へへ」

 

 

 アキトは視線を逸らさず、サチを見つめていた。

 涙を流しながらも、それでもあどけなく笑う彼女の顔を、仕草を、少しでもこの目に焼き付けておくために。

 二度と忘れない為に。

 

 過去を思い出しても、悲しむだけで終わらない為に。

 

 彼女はたった一人で、“闇”に覆われそうになっていた自分を救ってくれた。

 だからこそ、憎しみに心を囚われぬよう、自身で選んだこの道だけは────

 

 

 

 

 「……あ」

 

 

 

 指切りの指を離し、その距離が離れる。

 目の前の光の柱へと足を動かし、その手を伸ばす。そうしてサチの目の前から消え、アスナ達の元へと意識を跳躍させるその最中に、アキトは漸く思い出した。

 

 

 「……言いそびれちゃったな」

 

 

 アキトは小さく笑って、もう見えないサチの方角へと振り返り、口を開く。

 それは、音にはならなかったが、きっと伝わったのかもしれない。

 

 

 彼女は、笑って見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 無音の世界で、風が吹く。

 それはとても冷たい風のはずなのに、何処か心に熱を灯してくれる風だった。

 見渡す限りの夜空、煌めく星々が見守る虚ろな世界の中心で、頬を撫でるその風は、黒いコートを翻す。

 

 

 目を瞑っていたアスナは、いつまで経っても剣が振り下ろされて来ない事で、思わず瞼をゆっくりと開く。

 すると、その瞬間だった。

 

 

 ギイィィイ────ン!!

 

 

 と、凄まじい金属がぶつかる音が辺りの空気を震わした。

 目にしたのは、《ホロウ》であるキリトが振り下ろした《エリュシデータ》とアスナの間に割って入った黒い背中。

 その剣を受け止め、その影はジリジリと立ち上がると、やがてそのまま《ホロウ》のキリトを弾き飛ばした。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 アスナは、目を見開いた。

 感じた。感じてしまったのだ。温かくて、頼もしくて、そして何処か懐かしい背中。

 もうダメだと、そう思った時に必ず助けてくれる、ヒーローの背中だった。

 

 

 

 

 「『……悪い、アスナ。すっかり、遅くなっちまったな』」

 

 

 

 

 その冷たい風に靡き揺れる、少し長めの黒い髪。

 優しい笑みを浮かべる口元。そして、こちらを見下ろすも温かい、黒い瞳。

 一瞬だけだが感じた、懐かしい愛する人の姿。それが重なる少年は、キリトではない。

 だけど、それでもアスナは、感動で涙が溢れた。

 

 

 

 

 「けど……ただいま」

 

 

 「っ……ぅ、ぁ……」

 

 

 

 

 言葉にならない。

 どんなに取り繕おうと、とめどなく溢れる涙を堪え切れない。アスナは、それでも構わず、小さく笑ってみせた。

 小さくて細い。けれど、とても安心する大切な人の背中に向かって。

 

 

 

 

 ────その首の鈴が、綺麗な音色を奏でる。

 

 

 

 

 「おかえり、アキトくん」

 

 

 

 

 そう零した彼女の前には、正気に戻ったアキトが立っていた。もう、あの暴走状態は何処にもない。その理由を、アスナとフィリアが知る由もない。

 暗闇が広がっていたアキトの精神世界で、他でもないアキトのかつての想い人が助けてくれたのだ。

 

 

 「アキト……!」

 

 「ゴメン、フィリア。心配かけた」

 

 

 泣きべそをかいているフィリアに苦笑で返すと、アキトはすぐさまもう一本の剣を拾い上げ、アスナを守るように立つ。

 《リメインズハート》と《ブレイブハート》を手に持つその姿、かつてのキリトそのものだった。

 

 

 「っ……アキトくんっ、もう、大丈夫なの……?」

 

 「平気だよ。アスナが、守ってくれたから」

 

 

 そう言って、目の前の標的を睨み付けた。

 《ホロウ》キリトはアキトに跳ね飛ばされてからすぐに着地姿勢を取り、最低限のダメージに抑えたようだった。といっても、先程の剣戟の押収で、アキトとキリトのHPは、共に危険域に近い。

 一撃一撃が必殺になり得る。だからこそ、一瞬の油断が命取りだ。

 

 

 「……これが、最後だ」

 

 

 アキトがそう言い放つと同時に、キリトが地面を蹴飛ばした。

 

 

 一瞬で間合いに入り込み、その二本の剣はソードスキルの光を放つ。

 同じ《二刀流》を扱うアキトは、そのモーションとライトエフェクトの色でソードスキルを瞬時に見抜く。

 突進技《ダブル・サーキュラー》だと判明した瞬間、軸足回転で胸を逸らし、突き出された二本の剣を紙一重で躱す。

 

 

 「っ────」

 

 

 《ホロウ》はすぐさま視界の端にアキトを捉え、前に出した足の向きを捻って変え、アキトの元へと動きの進路を変更する。上体を一気に起こし、突き出していた二本の剣を同時にアキトへと右斜めに振り下ろした。

 アキトはそれを左手に持つ蒼い剣でしっかりと受け止め、そのまま薙ぎ払う。

 

 

 「っ……らあっ!」

 

 「────!」

 

 

 豪快な薙ぎ払いにキリトの身体は地面から離れる。どうにか着地しようと、どうにか態勢を立て直そうと空中で身を攀じるキリトに、アキトは一歩で詰め寄り、右手の剣を振り下ろした。

 《リメインズハート》はキリトの左肩を深く抉り、宙を舞うキリトのその身を落としてみせた。受身に失敗した《ホロウ》は背中から地面へと落下し、まるで人間らしい反応を見せた。

 

 今までで一番の手応えを感じた。

 だが、それもそのはずだった。今まで、キリトの姿をしていた《ホロウ》への攻撃に躊躇していたアキトが見せた、初めての攻撃らしい攻撃。

 アスナとフィリアも、驚いたようにその光景を凝視していた。

 アキトは息を荒らげながら、それでもその意志は固まったようだった。

 

 

 もう逃げない。前を向いて進むのだ。

 けれど、過去を捨て去るわけじゃない。決して切り捨てたりはしない。

 全てを背負い、そして、もう同じ過ちは繰り返さない為に。

 

 

 ────今の仲間を守る為に。

 

 

 

 

 「せああぁぁあっ!」

 

 「っ────!」

 

 

 

 

 立ち上がったキリトに向かって足を動かし、すぐさま剣を天に掲げる。キリトは目を見開いて、振り下ろされた《ブレイブハート》をこの世界最高峰の反応速度を持って躱す。

 筋力値と敏捷値に振り切ったアキトの高速の一撃を見切った瞳は、そのままアキトの攻撃の隙を容赦無く捉える。

 

 アキトの左脇腹に目掛けて《エリュシデータ》を突き出した。その剣は赤いエフェクトを纏い、光となって迸る。単発の突進技《ヴォーパル・ストライク》だ。

 アキトに防御も回避も許したりしない無慈悲な一撃。だが、その突きは無情にも空を切ったのだ。

 《ホロウ》であるキリトは、驚きで表情を固める。キリトの視界には、既に左足で地面を蹴って横に飛び、キリトの突きの起動から外れたアキトの姿があった。当然のように《ヴォーパル・ストライク》は不発に終わった。

 

 アキトはその隙を逃さない。

 反対の足で地面を蹴り、今度はキリトの元へ飛ぶ。その胸元目掛けて、お返しと言わんばかりに《レイジスパイク》をお見舞いする。

 だが、先程まで驚愕で身体を固めていたキリトはすぐに立て直し、アキトのその剣を容易く受け流す。

 流された身体は、そのまま前のめりへ。アキトのその背後を、キリトが見据える。

 

 

 「っ……アキトくんっ!」

 

 

 アスナが叫ぶのと、キリトの《ダークリパルサー》が輝くのはほぼ同時だった。背中を向けているアキトに対して、情け容赦無い《ホロウ》が牙を向く。

 水色の輝きを持って繰り出されるそれは、片手剣四連撃技である《ホリゾンタル・スクエア》。

 圧倒的な速度を持って、そのスキルが背後に迫る。

 

 

 ────だが。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 キリトは、再び目を見開く事になる。

 アスナとフィリアも、焦燥だった表情を、驚愕のものに変えた。

 完全に死角、なのに。

 

 

 アキトはキリトに背を向けたまま(・・・・・・・)、キリトの《ホリゾンタル・スクエア》を躱し切ったのだ。

 

 

 「っ……はあああぁっ!」

 

 

 そんなキリトの一瞬の硬直を見過ごさない。アキトは一瞬で身体を反転させ、再び《レイジスパイク》を繰り出した。

 その一撃は、今度こそキリトを捉える。その頬を掠らせ、HPを減らす。

 キリトは堪らず、すぐさまバックステップを取る────同時に(・・・)、アキトは地面を蹴ってキリトに迫った。キリトが取ろうと思った距離は、アキトのステップで寧ろ縮まったのだ。

 まるで、キリトがそうする事を、分かっていたかのような速度。

 

 

 「せあっ!」

 

 

 アキトは《リメインズハート》を下から地面を削るように振り上げ、キリトの身体を斜めに斬り上げた。同様からか、キリトは受身も取らずに地面を滑り、摩擦で止まって倒れ込んだ。

 そのHPは再び減少し、キリトの体力は風前の灯火となった。アキトは荒い呼吸を整えて、獣のような瞳で静かにキリトを見据えていた。

 

 

 「……凄い」

 

 

 アスナは、今まで見てきた中で一番の強さを誇るアキトの動きに、ただそんな言葉を漏らす事しか出来なかった。フィリアも、何も言えずに瞳を揺らして、事の行く末を見守るのみ。

 

 

 アキトが正気を取り戻してからの回避は、キリトのような反射に基づくものではない。キリトが《ヴォーパル・ストライク》の構えになる前から──もっと言えば、攻撃の態勢を取る前から攻撃される位置が分かっていたかのような速度のものだった。

 そして次のキリトの《ホリゾンタル・スクエア》の回避に関して言うならば、アキトは背後を取られて何も見えていなかったはずで、彼からすれば明らかに死角だった。にも関わらず、まるで背中にも目があるかのような絶妙なタイミングで、キリトの技を躱してみせた。

 

 

 これは反射ではなく、予測だ。

 

 

 その御業の正体は、酷く曖昧。

 そしてその生い立ちは決して褒められたものではないのかもしれない。だが、それでもその力が今、目の前の《ホロウ》に引けを取らない力を生み出している。

 子どもの頃からゲームに費やした長い年月。

 その間に戦って来た、それぞれ攻撃パターンの違う何億もの敵。

 集中力が深まる度に研ぎ澄まされていく反応速度と思考能力。

 そして、この世界で見付けた“憧れ”に追い付きたいと、そう願ったアキトの想いが生んだ結晶であり、持って生まれた天賦の才。

 

 

 相手の動き、思考、攻撃パターン把握し、それに近い戦闘力を持つ敵のデータを長年培って来た戦闘経験記録から参照し、照らし合わせる事で、次に相手が行うであろうほぼ確立された未来の行動パターンを瞬時にシュミレーションして算出する。

 圧倒的な予測演算能力。

 ほぼ確定した未来を視る事が出来る、未来視の力。

 その“眼”を、アキトは持っている。

 

 

 これこそが、今まで眠っていたゲーマーとしての、アキトの真髄。

 

 

 

 

 システム外スキル《未来予知(プリディクション)

 

 

 

 

 「はああああぁぁぁあ!」

 

 「────!」

 

 

 アキトのその裂帛の気合いと共に、互いに地面を蹴る。

 同じタイミング、同じ速度、二人を結ぶ直線上の中心点で、二人の剣が火花を散らす。

 《二刀流》を手に、二本の剣が鍔迫り合いを起こし、刃の削れる音がする。

 足に力を込め、歯を食いしばって剣を押し込む。しかし、《ホロウ》のキリトは顔色一つ変えずに、こちらを潰そうと力を入れた。

 段々と詰められ、押し潰されそうになる感覚。死と隣り合わせの感覚を肌で感じる。

 

 

 「ぐっ……うぅ……!」

 

 

 ここで、止まるわけにはいかない。

 この場で戦えるのは、唯一自分だけ。世界で、たった一人だけ。

 一人しか、いないのだ。

 けれどその決意は、何でも一人でやろうとしていた以前のアキトとは違うものだった。

 

 アキトは事実、黒猫団を一人で守ろうとした。けどそれは断じて、彼らが弱いと感じていたからではない。

 生まれて初めて出来た宝物を、命に代えてでも守りたかっただけ。

 何も持たなかったアキトが、唯一手にしたものを、ずっと持ち続けたかっただけ。

 何も出来なかった自分が、唯一出来るようになりたかっただけ。

 むしろ弱かったのは自分で。

 そんな弱い自分を、強がって見せてただけ。

 

 けれど、今は違う。

 支えられ、守られてきた。頼っても良いと言ってくれた。

 それが仲間だと言ってくれた。

 だからこそ────

 

 

 

 

 「────っ!?」

 

 

 

 

 ────刹那、キリトの右側から細い影が迫った。

 

 

 キリトは咄嗟にアキトから離れ、仰け反る形でそれを躱す。

 その瞬間、キリトの体勢が崩れ、上体がよろめいた。

 

 

 「……!」

 

 

 アキトは思わず飛来物を確認し、そして目を見開いた。

 それは、白銀の細剣《ランベントライト》。アスナの持つ名剣だった。

 《ホロウ》のキリトは思わずアスナの方角を向いた。アスナは地面から立ち上がり、自身の剣を振り抜いたままの体勢になっていた。

 そう、彼女がここまで、《ランベントライト(自分の細剣)》を投げて来たのだ。

 

 

 

 

 「今よ、アキトくんっ!」

 

 

 

 

 必死さ垣間見得るその表情とその声を聞いて、アキトの口元から笑みが溢れた。

 アスナを見る事はせず、そのまま一歩でキリトの間合いへ踏み込んだ。キリトがアスナへと目を動かしたその瞬間を、アキトは見逃さなかったのだ。

 

 

 ────ああ、情けない。

 

 

 アキトは、苦笑しながらそう独りごちた。

 彼女達に、そして目の前の偽物にこんな姿を晒して、よくもまあキリトを越えたいなどと宣ったものだ。

 臆病が先行して、まるで戦えない弱腰の剣士、それが鍍金の勇者の正体。その鍍金を剥がしてみれば何の事は無い。ただ“憧れ”に希望を抱いた無知なる少年だった。

 こんな形で戦うだなんて。

 こんな形で、越えたかどうか知りたかったわけじゃなかった。

 

 

 昔も今も、自分は無力だ。

 大切なものを、一人で守る事も出来ず、あまつさえ自分は────

 

 

 守られていたのだから────!

 

 

 

 

 「っ!」

 

 

 

 

 ダン!と床を踏み締める音が響く。

 キリトは咄嗟にアスナから目の前の黒の剣士へと視点を切り替える。

 だが、もう遅い。

 さあ、ただ走れ。アスナが、想い人の《ホロウ》に剣を投げてまで作ってくれたこの隙を、決して無駄にはしない────!

 

 

 

 

 二刀流OSS三十二連撃

 《ブレイヴ・オーバーロード》

 

 

 

 

 七色の光が、辺りに迸る。

 それは、英雄を越える、その願いを込めた技。

 そして、大切なものを失わない為の、誓いのソードスキル。

 

 

 ────その御業、まさに“神速”。

 

 

 

 

 「はああああああぁぁぁぁああああっ!!」

 

 

 

 

 一撃、また一撃と迫るは、目にも止まらぬ剣戟。

 その輝きを纏った鮮やかな剣技は、まさしく《ソードアート》に恥じない動き。

 その全てがキリトの身体に吸い込まれ、残りのHPを一瞬で削り取り、やがて────

 

 

 

 

 キリトの姿をした《ホロウ》はポリゴン片となって、アキトの目の前で散っていった。

 

 

 

 

 ────それは、漸くこの世界最後の敵を倒した、その瞬間だった。

 

 

 

 








かなりの文字数ではありましたが、何があったのかちょっと分かんない、とか読めない、とかいう方々がいたかもしれませんので、補足で説明させていただきます。
一重に表現力のない私と落ち度ですが、何分素人です。今後も精進していきますので、どうか宜しくお願いします。
ざっくり言うと、『ネガティヴな感情の集合体が人格となって形成され、アキトの精神世界に現れてアキトを誘惑したが、サチ(?)が助けてくれた』という感じです。


それと、更新ペースが急激に落ちた事に対するお詫びも申し上げます。
そろそろ、ペースを上げていけたらと思っておりますので、これからもどうか宜しくお願いします。




























あ、コラボします(唐突)。


コラボ大歓迎ですので、アキト君を使って下さる方は是非私にご連絡ください。嬉しくて昇天します(*´ω`*)
いつかは、そういうのも読んでみたいですね。





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Ep.101 おかえりなさい




今作、『ソードアート・オンライン ──月夜の黒猫──』はこの度、コラボする事が決定致しました!
自身の描いたキャラクターが、他の方の手によってどう動くのか、とても楽しみです(*´ω`*)
コラボする方の情報を、この話が投稿する頃には活動報告で紹介してますので、宜しかったら見てください!



それでは、どうぞ!



 

 

 

 

 《ホロウ・エリア》秘匿領域

 

 

 広大な宇宙を思わせる、虚ろな世界の中心点。

 そこで今の今まで、まさしく世界の命運をかけた戦いが行われていた。

 生きるか死ぬかの瀬戸際、その修羅場を幾つも掻い潜り、その黒の勇者はそこに立っていた。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────勝った。

 

 

 歓喜も達成感も湧かない、ただの事実。それを確認しただけ。

 何処か遠い目をしながら、ゆっくりと顔を上げる。

 

 

[ 高位プレイヤー以外のロックを解除します ]

 

 

 そんなアナウンスと同時に、フィリアにかかっていた強制麻痺状態が溶ける。フィリアは漸く立ち上がる事が出来て、ホッと安心したように息を吐いていた。

 

 

 [《ホロウ・データ》のアップデートが、高位ユーザー権限により停止されました]

 

 

 続けて響いたアナウンスの内容。

 それはこの戦いを最後に、《ホロウ》のPoHが企てていた大型アップデート───プレイヤーとデータを入れ替える計画が完全に凍結した事実を告げていた。

 漸く、全てが終わった瞬間だった。

 

 

(……終わった……)

 

 

 二代目《黒の剣士》──アキトはその狭いフィールドの中央で、散りばめられた光の破片が中に浮かぶ様をただ眺めていた。

 その光の粒子は、ほんの数秒前まで親友の姿をしていたものだった。プレイヤーを守る為と銘打って、アキトは親友に剣を向け、そして貫いたのだ。

 心に、ポッカリと穴が空いたような感覚だった。達成感はそこに無く、虚しさだけが胸中を襲っていた。

 たとえ敵が偽物であろうとも、それは人の形をしていた。そして、それは親友《キリト》と同じもの。かつて憧れ、越えたいと思った親友。

 こんな形で戦いたかった訳じゃ、なかったのに。

 

 

 「……あ、あれ……」

 

 

 アキトの後方で、そんな小さな声が聞こえる。

 視線を向ければ、そこには床にペタリと再び座り込んだ、放心状態のアスナがいた。

 最後の最後で、アキトを助けるべく立ち上がり、自身の武器を投げてくれた彼女。愛するキリトの姿をした《ホロウ》に剣をぶつけるのに、一体どれほどの覚悟が必要だったのかは分からない。

 

 

 「……アスナ、大丈夫?」

 

 「え、ええ……」

 

 

 アスナは曖昧に頷き、か細い声を出したが、表情は真っ青で、酷く弱々しかった。

 けれど、それは無理も無い。そうなる気持ちは分かる事だった。

 

 

 ────アスナにとって、キリトが目の前で消えゆく光景を見るのはこれで二度目だったのだ。

 

 

 75層、キリトとヒースクリフの決闘の時も、ただこうして自身の前からいなくなった。

 キリトを助ける事も出来ず、眺めるだけだった光景が蘇る。結局何も出来ず、倒れていた今回の事も、一緒になって胸に去来する。

 大切な人を守れず、あまつさえ今回は、想い人に剣を向けてしまった事。

 そして偽物とはいえ、また愛する人が目の前から消えてしまった事。

 どうにかなってしまいそうだった。

 

 

 アキトは、アスナの元へとゆっくり歩を進める。

 弱々しいのは、アキトも同じだった。覚束無い足取りで、座り込むアスナの目の前まで歩み寄った。

 フィリアはただ、その光景を少し放たれた場所で見守るだけ。俯くアスナは、ゆっくりと顔を上げ、アキトと視線を交錯させた。

 

 

 「……立てる?」

 

 「……ご、ごめん、アキトくん……足が思うように……動か、なくて……変ね……」

 

 

 床に足が貼り付いてしまったかの如く、拳は膝下でギュッと握り締めていた。そのまま硬直してしまって、自力では立ち上がれなくなってしまっている。その内、小さく身体を震わせ始めた。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは、それと同時にウインドウを開いた。慣れた手つきで操作すると、とあるアイテムがオブジェクト化した。

 それを手にしゃがみこみ、アスナと同じ目線に立つと、アキトは、両手で持ったそのアイテムを彼女に差し出した。

 

 

 「……これ」

 

 「……今の《ホロウ》からドロップした……報酬のアイテムだよ」

 

 

 声を震わせるアスナに、優しく答えるアキト。

 おずおずと、か細い腕と指先で、差し出されたそれを受け取ろうと手を伸ばした瞬間、そのアイテムを見て目を見開いた。

 

 

 それは、一本の剣。

 

 

 しっかりとした皮の鞘に収められたそれは、柄から刀身まで真っ黒で、何より──アスナが知っている剣だった。

 一緒に行動し、同じ時間を過ごしていきたいと願った、一人の少年の剣。

 持ち主が消え、冷たくなったその黒剣を大切そうに両手で受け取り、呆然とした顔で見つめた。

 

 

 

 

 「っ……ぁ……」

 

 

 

 

 片手用直剣カテゴリ : 《エリュシデータ》

 

 

 

 

 「……う」

 

 

 

 

 その表記を見た瞬間、アスナの瞳からふと、涙が一筋こぼれ落ちる。

 我慢していた何もかもが、彼女の意志に関係無く吐き出すかのように。

 

 

 

 

 「う……ぅっ……ううっ……」

 

 

 

 

 もう、止まらなかった。限界だった。

 耐えられるはずがない、この剣を見れば、嫌でも思い出してしまう。大好きだった、あの時間を。

 

 

 

 

 「キ……キリト……く……っ」

 

 

 

 

 その名を、呼ぶ。叫ぶ。

 顔をくしゃくしゃにして、泣き崩れた。

 脳裏に焼き付いた思い出が再び駆け巡って。消えない。消えてくれない。

 

 

 

 

 「ごめん……ごめんね……っ……守って……あげられなくて……うぅ……」

 

 

 

 

 まるで、その剣がキリトであるかのように。

 

 

 

 

 「ごめんね……っ」

 

 

 

 

 それを胸に抱き締めて、嗚咽し続けた。

 

 

 それは、あの日の後悔。

 愛する人を、守れなかった事への懺悔。

 そのとても苦々しい、忘れてしまいたい記憶。無かった事にしたい現実。その全てを。

 今まで何度も夢に見て、それこそ夢幻であったらと願ったもの。キリトが生きてさえいたら、こんな回り道はしなかった。

 目の前の少女が、こうして涙する事も無かったのに。

 

 

 アキトは、悲しげな表情を浮かべ、拳を強く握り締める。

 ブルブルと震え、何かを必死に訴える。その瞳が、その表情が苦痛に見舞われた。

 その瞬間、心臓が熱を帯びた気がした。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────違うんだ、アスナ。

 

 

 

 

 聞こえるのは、懐かしい声。

 頭の中で、アスナに呼びかける誰かの声がする。

 

 

 

 

 ────俺は……ここにいる……ここにいるんだ……っ!

 

 

 

 

 ズキリと、頭が痛み、目を細めるアキト。内に眠るキリトが、心の中で叫んでいるのを感じた。

 もう、キリトと何ら変わらない真っ黒な瞳が、アスナを見据える。その瞳は、必死に愛する彼女に呼びかけていた。

 けれど、アスナには届かない。キリトは、彼女の涙を拭い去る術を持たない。

 

 

  ────こんなにも近くにいるのに、声も届かぬ遠い人。

 

 

 それがアキトの中で生きるキリトと、アスナの距離だった。とても近いのに、とても遠い。こんなもどかしい事があるだろうか。

 そんな二人の為に、アキトがしてあげられる事。それは少ないのかもしれない。

 けれど────

 

 

 「きっと……キリトは、安心したと思う」

 

 「……え?」

 

 「君が、無事で……生きててくれて、良かったって……」

 

 

 アキトは、アスナを見てそう告げた。

 今出来る精一杯の優しい笑みを浮かべて。アキトを見上げる彼女の眼には涙が溜まっていて、再び溢れそうだった。

 

 

 「だから……君が謝る事なんてない。謝らなくても良いんだ……」

 

 「っ……」

 

 「……大変、だったね」

 

 「……ア、キト……く……っ」

 

 

 ────瞬間。

 

 

 アスナは、すぐ傍にいたアキトに飛び付いた。

 腕をアキトの首に回して必死にしがみつき、その涙をこぼした。

 

 

 「……っ……ぅ……うぅっ……!」

 

 

 アキトの肩に頭を置いて泣く彼女を。

 抱き着いて離れない、震えた彼女を。

 驚きはしたけれど、決して拒んだりはしない。

 

 

 「……お疲れ様、アスナ」

 

 

 アキトは、抱き締め返す事はしなかった。けれど、その亜麻色の長い髪を、優しく撫でて、アスナが落ち着くのを待った。

 

 

 今回、アキトの身に起きた現象。

 全てが憎悪の対象に見える、あの破壊衝動の塊。アキトはサチに助けられた事で一時的には奴の侵食を回避出来たかもしれない。

 けれど、彼女は言った。あれは、負の感情に寄ってくると。再び、アキトの元へ現れるかもしれないと。

 

 

 自分だけじゃない。

 過去に囚われ前に進めない者は大勢いる。アスナもその一人だった。

 いつかは、それは思い出になって過去になって、懐かしんで、笑える日が来るのかもしれない。

 けれど、それは今じゃなくていい。今すぐじゃなくていい。

 だからこそ、泣いて良いんだ。

 

 

 アキトは、腕の中で泣きじゃくるアスナを見て、小さく笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキト、もう大丈夫なの?体調は?頭は?痛くない?平気?」

 

 「大丈夫大丈夫。心配かけてゴメンね、フィリア」

 

 

 戦いが終わり、アスナが泣き止んだ頃には、この場の空気はいつものように戻っていた。それは《ホロウ・エリア》最後のボスを倒し、大型アップデートを回避出来たという事実に、漸く歓喜を取り戻したからという事に他ならない。

 

 

 「……っ」

 

 

 アスナは散々泣いてしまった恥ずかしさで顔を赤くして黙っており、フィリアはアキトを心配してオロオロと慌てふためいていた。

 そんな彼女を宥めつつ、アキトは辺りを見渡して呟いた。

 

 

 「けど、これでアップデートは回避出来た……って事で、良いんだよね?」

 

 「うん……そうみたい。見て」

 

 

 フィリアがアキトの後方を指差した。

 振り返ってみると、そこにはこの宇宙空間を裂いて出来上がった、奥へと続く入口が出来上がっていた。

 恐らくあの入口の先に、《中央コンソール》があるのだろう。それを知った瞬間に、どっと疲れが押し寄せて来た気がした。

 

 

 「やっと……って感じだね。何度死ぬと思った事か……」

 

 「そうだね。流石はアキトだよ。あの《ホロウ》、ヤバいぐらい強かったし」

 

 「アスナとフィリアが見守ってくれてたおかげだよ」

 

 「そ、そんな……私なんか……アスナと違って動けなかったし……何も、出来ず終いで……」

 

 

 そう言うと、フィリアは俯いてしまう。

 彼女なりに何も出来なかった事を恥じ、悔いているようだった。正直、あのシステムに強制された麻痺をどういう訳か打ち破ったアスナこそ以上であり、フィリアが自分を責める必要など全く無いのだが、それでも彼女自身思うところがあるのだろう。

 

 アキトは、そんな彼女の健気さに対して、温かい気持ちになる。途端、笑ってフィリアを見据えた。

 

 

 「今日に限った話じゃないよ。フィリアはこの《ホロウ・エリア》で、いつだって俺を助けてくれたじゃん。君が居てくれたから、ここまで来れたんだ。だから……ありがとう」

 

 「アキト……」

 

 

 その真っ直ぐな感謝に、フィリアはほのかに顔を赤らめる。曇り無きその言葉は、傍から聞けば恥ずかしくなる程のもの。けれど、フィリアにとっては嬉しいものだったようだ。最後は口元を緩ませ、笑顔になってくれた。

 

 

 「ありがとう……そう言って貰えるのが、一番嬉しい……。でも……アキト……カーソルがオレンジになっちゃった。私と一緒……だね」

 

 

 アキトの頭上には、フィリアの言う通りオレンジ色のカーソルが表示されていた。《ホロウ・エリア》に迷い込んだばかりのフィリアが、自身の《ホロウ》に攻撃した時と同じ現象が起きたのだ。

 

 

 「……?」

 

 

 それに気付いた瞬間、アキトは眉を顰めた。

 

 

 フィリアのオレンジカーソルは、本来出会うはずの無い自身と同じ《ホロウ》を攻撃したという予想外の事態が引き起こしたエラーによって表示されたものだったからだ。

 今回アキトの目の前に現れたのは、《ホロウ》の自分ではなく、どういう訳かキリトだった。プレイヤーの数と同等の《ホロウ》がこの世界に居るならば、そのAIは一万人を超えるだろう。

 その中で、何故キリトの《ホロウ》が選ばれ、それを倒した自分はオレンジカーソルになったのか。

 

 

 

 

 つまり、《カーディナル》はアキトと同じ《ホロウ》として、キリトを目の前に出現させたという事。

 アキト=キリトだと、認識したという事──?

 

 

 

 

 それが意味するところは────

 

 

 

 

 「……」

 

 

 「……アキトくん?」

 

 

 

 今まで黙り続けていたアスナが、顔を強張らせたアキトに思わず声をかけた。

 ハッと我に返り、アキトは顔を上げる。心配そうに見つめるアスナと、それにつられるフィリア。アキトは慌てて両手をブンブンと振った。

 

 

 「な、何でもないんだ。ただ……データとはいえ、それを倒してオレンジカーソルになるっていうのが心情的に複雑だなーって……はは」

 

 

 キリトの《ホロウ》を倒した事実を、まるで気にしてないと言うように誤魔化すアキト。けれど、ちゃんと笑えていないだろう事は、なんとなく分かっていた。

 

 

 「それでも私は……少しでもアキトも一緒で嬉しいかな……うん

 

 

 けれどフィリアはその間、顔を赤くして物凄い小声で何かを言っていた。何やら照れたような仕草をしているが、アキトは全く聞こえていない。

 

 

 「フィリア?」

 

 「……ううん。大丈夫」

 

 「そっか。……それじゃあ、奥に進もう。最後の仕事が残ってる」

 

 「うんっ」

 

 

 そうして、三人は新たに出来た道を、真っ直ぐに進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 入った先は、先程の宇宙エリアに転移する前と同じ構造のフィールドが広がっていた。

 ネットワークを彷彿とさせるデザインで覆われたその場所の、正に中央に、無機質か直方体の大理石に似た黒い何かが設置されていた。

 《ホロウ・エリア管理区》のものと良く似たコンソール。これこそが、探し求めていた《中央コンソール》なのだと理解した。

 

 

 「……あった。これだ」

 

 

 アキトはコンソールに触れ、その項目を整理し、検索していく。そうして見つけた目的の項目に目を付け、パネルを操作していく。

 その瞬間、アキトとフィリアの頭上のオレンジカーソルの色が、正常のグリーンへと変化した。

 

 

 「あっ……」

 

 「二人のカーソルが……!」

 

 

 フィリアとアスナが目を見開いていると、立て続けに女性の声でアナウンスが響き始めた。

 

 

 [エラーが解除されました。エラーの種類はデータの重複。原因は……]

 

 

 その言葉を聞いて三人は、漸く本当の意味で全てが解決したのだと理解した。自ずと、それぞれの表情が明るいものになっていく。

 

 

 「……よし。これでオレンジも解消だね」

 

 「アキト……ありがとう……」

 

 

 フィリアは、素直に感謝を述べた。

 アキトと自身のカーソルの色が元に戻った時、ほんの少しだけ名残惜しそうな表情をしたフィリア。もう少しだけ、二人一緒のオレンジカーソルでいたかった……なんて事、勿論アキトが知る由もない。

 アキトはお礼を言ってくれたフィリアに向かって笑いかけた。

 

 

 「俺は何もしてないよ。そもそも、フィリアは何も悪い事してなかったんだし」

 

 

『本当だったら、アイツに文句の一つも言ってやりたいくらいだ』

 

 

 アキトの脳内で、キリトの声が響いた。

 “アイツ”とは、恐らくヒースクリフの事だろう。割と本気のトーンで言っているのが分かり、思わずアキトは苦笑した。

 確かに今回のフィリアの一件にはアキトも思うところがある。一プレイヤーである彼女は一ヶ月もの間この訳の分からないエリアに彷徨っていたのだ。アキトが来なければ、もしかしたらずっとここに留まっていたかもしれない。

 命に関わる問題だったのだ。何か言う権利くらいあるだろう。

 

 

 「ふふ……それじゃあ二人とも、帰りましょうか」

 

 

 アキトとフィリアを見て、アスナは小さく笑って言った。フィリアはアスナを見て、首を縦に振る。

 

 

 「うん。管理区に戻るんだね」

 

 

 だがフィリアがそう言った瞬間、アキトとアスナはキョトンとした。そして二人して顔を見合わせると、途端にクスリと笑い出した。

 フィリアは急に笑い始めたアキトとアスナに困惑し、キョロキョロと二人を見ながら戸惑い始めた。

 

 

 「え、え……? どうして笑うの?私、なんかおかしな事言った……?」

 

 「ああ、いや……染み付いちゃってるなぁって思っただけ」

 

 「え……?」

 

 

 アキトの言っている事がいまひとつ分からなかったフィリア。そんな彼女の隣りで、アスナは楽しそうに告げた。

 

 

 

 

 「私達が帰るのは、《アインクラッド》だよ、フィリアさん」

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 フィリアは、漸くアキトとアスナが笑っていた理由を理解した。

 そして、自分がやっと、《アインクラッド》へ帰れる事を実感したのだ。

 

 《ホロウ・エリア》に飛ばされて、凡そ二ヵ月間。SAOに閉じ込められてからの二年間と比べれば、刹那の時だったかもしれない。けれど、この二ヵ月は短いようでとても長かった。何度も死ぬ思いをし、何度も帰りたいと願ったフィリア。

 その願いが今、漸く叶うのだと。

 

 

 「アインクラッド……そっか、私も元々は、《アインクラッド》に居たんだよね……でも、私が行っても良いのかな?」

 

 

 しかし、未だ罪の意識が抜けないフィリアは、俯いて、自嘲気味にそう呟く。

 だが、フィリアの自分を卑下する言動を耳にした瞬間、アキトの表情が曇った。途端不機嫌な態度をとっては、フィリアをジトっと見つめた。

 

 

 「……まだ言ってるの?もういい加減にしなよ」

 

 「あ、あれ……アキト、なんか怒ってる……?」

 

 

 ビクッと身体を震わせ、恐る恐るとアキトへと身体を向けるフィリア。アスナは苦笑しながらそれを眺め、当のアキトは珍しく眉を吊り上げて言葉を続けた。

 

 

 「『私なんか』とか『こんな私が』とか、『私如き』とかフィリア多過ぎるよ」

 

 「さ、最後のは言ってないよっ……!」

 

 「アキトくんは人の事言えないわよ……」

 

 

 フィリアとアスナがそうボヤくが、アキトは聞き入れない。

 だが確かにフィリアは、アキトを罠に嵌めてから──もっといえばPoHの誘いに乗ってしまったその時から、アキトやアスナに対する罪悪感が存在していた。

 もし相手が違えば、フィリアは見捨てられ、今頃死んでいたかもしれない。そうならなかったのは、ひとえにアキトやアスナの優しさがあったから。

 だからこそ、そんな優しい二人を傷付けた自分が、この場に居て──みんなと同じ場所に居ても良いのかと、そう思ってしまうのだ。

 

 

 「……はあ」

 

 

 誰よりもフィリアと共に居たアキトには、そんな彼女が考えている事はお見通しだった。いつもの元気がまるでない、変わらず下を向くフィリアを見て居られなくて、アキトは頬を掻く。

 

 

 

 

 ────だが、意を決したアキトは、フィリアに向かって口を開いた。

 

 

 

 

 「いいから来いよ。お前には散々恩を売ったんだ。それを返してもらうぞ」

 

 

 「あ、アキトくんっ……!」

 

 

 

 

 途端、急に口調を変えたアキト。その表情は鋭く、フィリアを睨み付けていた。

 黙って見ていたアスナも、その強めの言い方に思わず声が出る。だが、フィリアは目を丸くしてそれを聞いていた。

 その偉そうな態度と口調はまるで、初めて出会った時のよう。高慢で、有無を言わせぬその雰囲気に、フィリアは思わず顔を上げた。

 

 

 

 

 そして────

 

 

 

 

 「っ……!」

 

 

 「……やっと、顔上げたな」

 

 

 

 

 フィリアが顔を上げたその視線の先。

 そこには変わらず、自身を優しく見つめているアキトが立っていた。何度も助けてくれて、何度も守ってくれた、フィリアにとってのヒーローが。

 そんなヒーローが、手を差し伸べてくれた。

 

 

 

 

 「……っ、ぁ……アキ、ト……」

 

 

 

 

 フィリアは、涙が出そうだった。

 

 

 

 

 「帰ろうぜ。俺達の家にさ」

 

 

 

 

 楽しそうに笑うアキト。

 それを眺めて、嬉しそうなアスナ。

 そして、今にも泣きそうな自分自身。

 この幸せな空間を認識して、フィリアは漸く実感した。

 

 

 ────本当に、全てが終わったのだと。

 

 

 「っ……うん……うんっ……!」

 

 

 フィリアは、アキトから伸ばされたその手を握り締め、もう片方の手で涙を拭った。けれど、何度拭いても溢れるその涙を、フィリアは抑えられなかった。

 アキトとアスナはそんなフィリアに寄り添い、ただただ嬉しそうに笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……じゃあ行こうか、《アインクラッド》」

 

 「いよいよだね、フィリアさん」

 

 

 《ホロウ・エリア》の管理区にある転移門に、並んで立つアキトとアスナ、そしてフィリア。

 この場所に立って《アインクラッド》にみんなで帰る光景を、フィリアは何度想像したか分からない。

 アキトとアスナのそんな呼び掛けに、フィリアは少しだけ複雑な表情を見せた。

 

 

 「うん……でも……なんか変な感じがする」

 

 「変な感じ?」

 

 「引っ越す前の家に戻るっていうか……そんな感じ」

 

 「引越し先が《ホロウ・エリア》じゃ、おちおち寝てられないじゃんか」

 

 

 アキトはくつくつと笑うと、そんな彼女を見て目を細めた。

 

 

 「すぐに慣れるよ。あそこが、俺達の帰る場所なんだから」

 

 「まあ、SAOの中なんですけどね」

 

 

 アキトの台詞を、面白そうに茶化すアスナ。あははと頬を掻くアキトを見て、フィリアは目を細める。

 SAOの、そして《ホロウ・エリア》での生活に想いを馳せながら、小さく言葉を放った。

 

 

 「そうだね……もう現実の事なんて、暫く考えてなかった」

 

 

 ずっと、訳の分からなかったこの高難易度エリアで、明日も我が身の生活だった。生きるか死ぬかで、現実の事なんてもうずっと記憶から抜けていた。

 

 

 「絶望の中から……引っ張り上げて、支えてくれたのは二人だよ。アキト、アスナ」

 

 「フィリアさん……」

 

 

 そんな真っ直ぐな言葉を、彼女は告げた。

 ただ、感謝しかない。その想いしか、心には無い。

 けれど、彼女の言葉に、アキトが返す言葉は変わらない。

 

 

 「……俺達は何もしてないよ。君が頑張ったから……生きたいって思ってくれたから、ここまで来れたんだ。だから……ありがとうフィリア。頑張ってくれて」

 

 「っ……アキト……」

 

 

 フィリアは、再び目に涙を溜める。

 こんなに優しい人間が、この世界にどれほどいるだろう。フィリアは、顔を真っ赤にしながら俯き、泣き顔を見られないように必死に誤魔化した。

 アキトとアスナは顔を見合わせ、クスリと微笑む。

 

 

 《ホロウ・エリア》

 

 

 本来、プレイヤーが来れる場所では無いテストエリア。数多の事象が折り重なって、そうして出会った虚ろな瞳の少女。

 一人で必死に生きて、耐えて、恐怖に怯え戸惑って。そんな彼女と共に繰り広げた数々の冒険が。

 

 

 

 

 ────今、漸く終わりの時を迎えたのだった。

 

 

 

 

 「じゃあ、帰りましょうか。あっちに行ったら、フィリアさんにみんなを紹介しないとね」

 

 「個性的だけど、みんな良い人達だから、すぐに仲良くなれるよ。来てくれる?」

 

 「うん……大丈夫。ちょっと不安だけど、アキトとアスナの仲間だもん。仲良くなれると思う」

 

 

 フィリアの答えなんて、初めから決まっていた。

 こんな二人の仲間なのだ。面白くて、楽しそうで、仲良くなりたいに決まっている。

 

 

 「それに……アキトの傍にいたいし

 

 「……フィリア?」

 

 

 ポソリと小さく呟かれたフィリアの言葉。顔を赤くして放たれたその一言を、アキトが聞くことはかなわない。

 けれど、それで良い。この想いはいつか、自分の言葉でハッキリと告げるから。

 

 

 

 

 「……何でもなーいっ」

 

 

 

 

 フィリアは嬉しさに涙を流しながらも、頬を染めて笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 自身を包んでいた転移の光が晴れ、フィリアはゆっくりと目を開ける。

 そこは、フィリアがまだ見た事の無い景色が広がっていた。

 透き通った噴水、小さな水路の上には石造りの橋、何処までも続く商店街にはたくさんのプレイヤーが溢れていた。

 

 

 「…………ここ、が」

 

 「76層《アークソフィア》、今の俺達の拠点だよ」

 

 

 フィリアは転移門から一歩、一歩と足を踏み出す。辺りを見渡し、息が漏れる。

 殺伐とした《ホロウ・エリア》とは違う、温かな雰囲気。それがフィリアに、生きている事を実感させてくれていた。

 

 

 「……ホントに、戻って来れたんだ……」

 

 

 実感が湧かないのか、何処かぼうっとしているフィリア。心ここに在らずといった様子で、ただ遠くを、そして辺りを眺めていた。

 

 

 

 

 「こ〜ら〜、なーにキョロキョロしてんの?」

 

 

 「えっ!?」

 

 

 

 

 ────途端、何処からか声が響いた。

 

 

 フィリアは素っ頓狂な声と共に顔を上げ、慌ててその声の主を探す。

 するとその視界の端に、プレイヤーの集団が現れた。

 視線を固定してそこを見据えると、そこには────

 

 

 

 

 「こっちですよ、フィリアさん」

 

 

 「よーやく《アインクラッド》で会えたわね。待ちくたびれたわよ」

 

 

 

 

 ────シリカ、リズ。

 

 

 

 

 「フィリアさん、おかえりなさい!」

 

 

 「ホントに良かった。貴女が無事に戻って来られて」

 

 

 

 

 ────リーファ、シノン。

 

 

 

 

 「くぅ〜……向こうでずっと大変な思いをしてきたんだもんな!よくぞ帰って来てくれたぜ!」

 

 

 「皆さんなら、必ず帰って来ると信じていました!」

 

 

 

 

 ────クライン、ユイ。

 

 

 

 

 そこには、フィリアを出迎える為に集まった、大切な仲間達がいた。

 皆が皆、彼女の帰りを今か今かと待っていたのだ。とても輝いた笑顔を一斉に向けられて、フィリアは呆然としていた。

 

 

 「えっ……え……?」

 

 

 状況の整理がつかないフィリアは、次第に戸惑った表情に変わり始め、困ったように眉を顰める。

 言葉に詰まって何も言えないでいるフィリアに、後ろからアスナが優しく声をかけた。

 

 

 「これからは、みんなと一緒に居ることが出来るね」

 

 「……ア、スナ……」

 

 「お帰りなさい、フィリアさん」

 

 

 

 

 ────その言葉が、フィリアの止まっていた時間を動かした。

 

 

 もう帰って来れないと、そう思っていた場所に帰って来れた事を、今漸く本当の意味で感じ取る事が出来たのかもしれない。

 フィリアは、いきなり出来たたくさんの仲間に迎えられ、途端に顔を赤くした。

 

 

 「……あ……えっと……?」

 

 

 なんて言えば良いだろう────?

 突然の事で、思考が追い付かない。けれど、何かを考えていなければ、また泣いてしまいそうだった。

 

 

 「フィリア」

 

 

 彼女の後ろにいたアキトが、フィリアの前に出る。

 フィリアが困ったように見つめていて、それが可笑しくて笑ってしまう。

 彼女がみんなに、まず初めに言う言葉。それを、アキトは彼女に伝える。

 

 

 「ようこそ、《アークソフィア》へ。それから……お帰り」

 

 「っ……」

 

 

 フィリアが目を見開いた瞬間、アキトは彼女の背中を軽く押した。

 いきなりの事で対処がきかないフィリアは、そのまま前のめりになってみんなの前に押し出された。

 フィリアが顔を上げれば誰もが笑って、彼女が言うべき言葉を待っていた。

 

 

 「……うん……あの……」

 

 

 赤い顔で俯いて、恥ずかしそうにするフィリア。

 全員がそれを微笑ましく眺め、その言葉を待つ。

 

 

 そして最後には、照れくさそうに笑って、始まりの言葉を紡いだのだった。

 

 

 

 

 「……た、ただいまっ!」

 

 

 

 

『『『おかえり!』』』

 

 

 

 

 

 







①その後


リズベット 「もー、いつまで泣いてんのよ〜!」(貰い泣き)

フィリア 「だ、だって……ふええぇぇ〜ん……」(ボロ泣き)

リーファ 「な、なんかあたしまで泣きそうだよ〜……」(涙目)

シリカ 「フィリアさん……今まで、お疲れ様でした……っ!」(涙)

シノン 「みんなして泣き過ぎよ……」(呆れ)

クライン 「よく頑張った……ホントによぉ、頑張ったよなぁ……!」(ガチ泣き)

アキト 「……ヤバ……俺も泣きそうだ……」ホロリ

アスナ・ユイ 「「!?」」







②その頃


《エギルの店》


エギル 「……」

エギル 「……」ボー

エギル 「……」キョロキョロ

エギル 「……はぁ」

エギル 「遅せぇなぁ……」←店番








③ その日の夕食


リズベット 「ほらフィリア、これも食べなさいよ」

フィリア 「う、うん」

シリカ 「フィリアさんっ、こっちも凄く美味しいですよ!」

フィリア 「あ、ありがとうシリカ」

リーファ 「フィリアさーん!これ、良かったらどうぞ!」

フィリア 「み、みんなありがとう……っ!これ、凄く美味しい!」

クライン 「トーゼンよ!なんたって、ウチの一流シェフが作ってんだからな!」

フィリア 「一流シェフ?」

ユイ 「ママとアキトさんです」

フィリア 「アキト!?」











④カウンターにて


エギル 「……彼女、大丈夫そうだな」

アキト 「……うん」

アキト (フィリア……思ったよりも早く馴染めて良かったな……)

シノン 「……随分な人気ね、彼女」

アキト 「シノン……シノンは行かなくて良いの?」

シノン 「……あ、後で行くわ」メソラシ

アスナ 「ふふ、みんなフィリアさんを放っておけないのね」

アキト 「まあ、大多数からすれば名前を知ってるだけの新顔だった訳だし、興味津々なんじゃないかな」

アキト 「……」

アスナ 「……アキトくん?」

アキト 「……あ、また泣きそうだ……」

アスナ・シノン・エギル 「 「 「 !? 」 」 」

















































────ただ、一つの願いだった。




────ただ、大切な“約束”だった。




────ただ、己が決めた“誓い”だった。




たとえその先が見えずとも、万人の為に戦えた。
その全ては、大切なものの為に。理想を追い求め、ただ縋った結果だった。


誰かが望んだ。
────“彼ならきっと”


誰かが求めた。
────“彼さえいれば”


そんな希望が今、この世界に未来を指し示す。


これは、語られる事の無い物語。
試練を越え、絆を結び、今漸く、その道に辿り着く。


────そう、これは。
英雄に憧れた勇者の、願いと奇跡の物語。
理想に手を伸ばす、未来を求める物語。




約束と誓いの為に突き進む、黒い猫の物語。







































────そのはずだった。



























●○●○


────そこは、ただの“地獄”だった。


「……」


目を開ければ、見渡す限り血みどろだった。


幾多の試練を越えた戦士達は、命の灯火を消され、灰になった。
四肢が無事な者は誰一人この場に存在せず、立ち上がれる者はいなかった。


「……な、んで……」


眼前に広がっていたのは、誰もが地に伏した、絶望一色の世界。
未来に希望を抱いた者達を、叩き落とす光景だった。


その空間の中心に降り立つ、圧倒的な“暴力”。


────奴が、全ての元凶。


それが咆哮を重ねる毎に、生きる希望が潰えていく。




────大切な仲間達は腕をもがれ、足を斬り飛ばされ、意識を失い倒れていた。




「……ピ……な……」


とある少女は、フェザーリドラを守る様にして抱えて倒れていた。
主人の頬を舐めて、必死に起こそうとするフェザーリドラ。だが、その虚ろな瞳が反応する事は無い。


「……ぁ」


とある鍛冶屋の少女は、腕を切断され、壁にもたれかかっていた。盾を持っていたはずの腕は消え、もう自身を守る壁はない。
メイスはもう片方の手から滑り落ち、恐怖で身体が動かない。


「っ……ぅ……」


妖精の少女は、その足をもがれた。
もう立って、目の前の“暴力”に歯向かう力も、勇気も失せた。
絶望の涙を流し、死するその時を待った。


「……く」


弓を持つ少女は、肩から下の腕全てを噛み千切られ、矢を放てず膝をついていた。
もう、弓を握る腕も、力さえない。
強さを求め続けていたはずなのに、勝てないと、そう身体が訴えていた。


「……」


かつて、虚ろの瞳を持っていた少女は、もう走る事は出来ない。
膝から下を斬り飛ばされ、立つ事も、死への恐怖で声すら出せなくなっていた。


侍染みた男も、巨漢の壁役も、見渡す限りその全ての強者達が、その地獄に浸かっていた。腕も、足も、武器も。その全てが、目の前の“暴力”によって、破壊し尽くされた。












────そしてこれは、終わりの始まり。












「……ね……え……起き、てよ……」




片足を失った亜麻色の髪の少女は、ポツリとそう呟く。
目の前には、この地獄を作り上げた“暴力”が近付いて来ていた。それなのに、彼女はその場に座り込んで動かない。
小さなか細い声で、腕の中の何か(・・)に訴え続けていた。




「っ……ねぇっ、たら……いつ、まで……寝てる、の……?」




────彼女の腕の中には、一人の少年がいた。




長めの黒い髪。


ボロボロになった黒いコート。


刃こぼれした二本の剣。


傷だらけの少年は、そんな彼女の腕の中で目を閉じていた。この空間で唯一の五体満足。
だがその少年からは呼吸音も、体温も、もう何も感じない。ただ、異様なまでの冷たさを感じた。




「……」




────少年は、動かない。




「……お願い……目を……目を、開け……て……」




何度も何度も、何度も。
何度呼びかけても。それでも、その少年が返事をする事も、目を開ける事ももう無かった。
ただ、その少女の腕の中で、死んだように眠っていた。
いや寧ろ、眠るように────。
そう、今まさに。








────この世界唯一の希望が、潰えた瞬間だった。








「っ……い、や……」




────それは、ほんの一瞬だった。
その腕の中に眠る少年の身体が、眩い光を纏う。
それは段々と粒子になって、虚空へと消えていく。




「っ……やぁ、いやっ……お願いっ……行かないで……アキトくんっ!いやあああぁあぁ!」




悲鳴と共に泣き叫び、行かないでと必死に縋り付く亜麻色の髪の少女。
抱き締めたその腕からその少年の身体は無慈悲にも、光の欠片となってすり抜ける。
世界は、そんな人の願いを嘲笑うかのように。ただ無情にも現実を突き付けた。
この世界は、残酷なのだと。








「……」




────その光景を、ただ見据える一人の少女。


俯瞰した態度で、虚ろな闇色の瞳で、消えゆく少年の姿をただ眺めていた。


そして、その光が消滅し、少女が蹲って泣き叫ぶその姿を見て。


少女は、従える“暴力”の後ろで呟いた。








「────さようなら、アキト」






























ソードアート・オンライン
──月夜の黒猫(ナイト・ブラック)──




Season Final Link Start ......
































────これは、アタシの物語。




自分にとって、大切なものを守る為の物語。




そして、裏切りと血の味が染み渡るアタシの──

















────叛逆と決別の、物語。




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Ep.102 新たな問題





Season Final 始動────






 

 

 

 

 

 

 《ホロウ・エリア》での戦い。

 あれから、数日が経った。

 

 

 《ホロウ》のPoHが企てた、プレイヤーとAIを反転させるという大規模なアップデートを阻止し、大きな戦闘から抜け出してからというもの、アキトの精神的な疲労はピークを迎えていた。

 というのも、《アークソフィア》に戻って来たその翌日から、アキトは迷宮区攻略を強いられていたからだ。フィリアと帰って来てすぐ、攻略組の面々は、アキトを見つけるや否や攻略に参加していない事に対する文句を次々とぶつけてきた。

 

 アキトが攻略組として参加した当初は、目の上のタンコブの如く妬んだり陰口を叩いていたはずなのに、手のひらを返すかのように付け上がってきたのだ。

 中には血盟騎士団のメンバーも多く、アスナは憤慨していたが、そこはアキトによって制止された。アキトがこの世界に生きるおよそ六千人のプレイヤーを救った事など、周りは知らないからだ。

 

 《ホロウ・エリア》は、高位テストプレイヤーのみが転移する事の出来る高難易度エリア。一般的には、そもそも行く事すら出来ない為、アキト達はこの情報を秘匿し続けて来た。

 故に、何も知らないその他攻略組からすれば、アキトが階層攻略もせずに怠けていると思った事だろう。

 加えて、アキトが初対面時にとった横柄な態度について、プライドの高い攻略組の何人かは未だに根に持っているようで、アキト自身を良く思ってないようだった。

 決定的だったのは、86層フロアボス討伐作戦で見せた《二刀流》だった。アキト自身は覚えてないが、それを見て大きな戦力になると踏んだ攻略組はそれまで忌み嫌っていたアキトに対する態度を180度回転させた。

 それからというもの、フィリアの失踪、《ホロウ・エリア》でのボス戦、アップデートの阻止が度重なり、かなりの時間が経っていたのだ。

 おかげでアキトはここ何日かは迷宮区に入り浸っており、そしてつい昨日、87層のフロアボスを討伐したのだった。

 

 攻略組のプレイヤーが揃って怒るのも無理無いな、と笑いながらアキトは転移門広場のベンチに寄り掛かり、空を見上げていた。

 

 

(……良い、天気だな……)

 

 

 雲一つ無い青空。今日は休日にする事にしたアキトは、解放したばかりの87層の街を一通り眺めた後で、こうして《アークソフィア》で暇を持て余していた。

 

 何をするでもない、空白の時間。ただこうして転移門広場の水路に流れる透き通った水に耳を傾けながら、のんびりとするだけの時間。

 久方振りの平和、束の間の休息が、今のアキトにとっては癒しだった。

 

 

 「……ん?」

 

 

 そうしてぼうっと道行くプレイヤー達を眺めていると、少し離れた場所にチラつく人影に視線が向いた。

 敏捷性を活かす軽装に、蒼いフード付きのマントを羽織っている。光の角度ではオレンジ色にも見えるであろう淡い金髪のショートヘア。

 よく見ると食べ物を山ほど抱えて、腰を落ち着ける場所を探しているようだった。

 

 

 そしてその顔を、アキトは知っていた。

 

 

 「……フィリア?」

 

 「あ、アキト!」

 

 

 アキトの声で振り返るフィリア。こちらを視界に捉えた瞬間、ぱぁっと分かりやすく表情が綻んで、アキトは思わずドキリとした。

 出会ってからこれまで、あまりしっかりと見た事が無い彼女の笑顔に、アキトは何とも言えない達成感にも似た、けどそれとはまた違う感情に襲われた。

 苦笑しながら手招きすると、フィリアは食べ物を落とさないようバランスを取りながら、ゆっくりとアキトの座るベンチまで歩き、やがてその隣りに座った。

 その表情はとても楽しそうで、彼女と自身の間に置かれた沢山の食べ物を見下ろし、口を開く。

 

 

 「随分楽しそうだね。食べ歩きしてたんだ」

 

 「うん。《ホロウ・エリア》には街は勿論、お店も無かったから。……食べ物といえば、自分が調達して来た食糧と野外調理キットで作る、わびしい夕食だけ……そこに比べると、ここは天国みたい。色んな食べ物があって」

 

 

 話しながらコロコロと変わる表情。《ホロウ・エリア》での食べ物を思い出して暗い顔をしたり、今目の前にある美味しい食べ物を見て幸せそうな顔をしたり。

 子どもみたいで、とても可愛らしい。アキトは再び笑った。

 

 

 「ふふっ……フィリアはサバイバル得意そうだもんね、納得。けど、あまり食べ過ぎると夕食の時に後悔するよ?」

 

 「っ、わ、私、普段はこんなに食べないんだよっ!? で、でもでもっ、凄く久しぶりだったから、ちょっと、ハメを外し過ぎて……」

 

 

 彼女は自身の行動を思い起こしたのか、急に顔を赤くして慌てて両手を左右に振った。

 自身が食べ物をたくさん買い込んでいるところを、他でもないアキトに見られた事実を漸く理解し、恥ずかしさに顔を俯かせる。

 アキトはそんなフィリアに心情をなんとなく理解し、戸惑いがちに呟いた。

 

 

 「あ、うん……そんな風には思ってないけど……俺もそんなに食べる方じゃないけどさ、美味しいものって幾らでも食べられる気がするし、気持ちは分かるよ」

 

 「ホントに?……あっ!なら、アキトも何か食べる?」

 

 「え?」

 

 「へへー、見て見て、ほら!」

 

 

 フィリアは思い出したかのように目を見開くと、食べ物の山から小さなパックを取り出した。中には球体のものが、何個か敷き詰められている。

 とても既視感のあるそれに、アキトは見入ってしまった。

 

 

 「……これって」

 

 「そう!たーこー焼ーきー!」

 

 

 未来の猫型ロボットよろしくの言い方と同時に差し出されたたこ焼き。現実世界のものと遜色ない色合いと、香ばしいソースの香り。それだけで食欲をそそり、かつとても懐かしく感じた。

 

 

 「たこ焼きなんて売ってたんだ。知らなかったなぁ」

 

 「青海苔やかつお節っぽいトッピングもかかってて、かなり忠実に再現されてる。本格的でしょ!! ファンタジー世界でたこ焼きって、なんかミスマッチな気もするけど、中々の再現率だと思う」

 

 「そ、そうなんだ……」

 

 

 ズイズイっと顔を近付けて来て、割と真剣な顔で手に持つたこ焼きについて力説するフィリアに、アキトはそんな言葉しか出ない。すると、フィリアはそのたこ焼きの入ったパックを開き、その一つに楊枝を突き刺した。

 

 

 「ほらほら、アキトも食べてみなよ。絶対美味しいから」

 

 「あ、うん」

 

 「ほら、あーんして」

 

 「へ?あ、いや、平気だよ、一人で食べられるって……それに周りの視線が……」

 

 「もう、アキトってば照れちゃってー」

 

 

 フィリアはこちらの事情などお構い無しにたこ焼きを寄越してくる。一口サイズの綺麗な丸みを帯びたたこ焼きが、アキトの眼前に迫る。

 その背後からは、普段からは想像し難いハイテンションかつ満面の笑みを浮かべながら、アキトがたこ焼きを食べるのを待っているフィリアがいた。

 

 

 「……」

 

 

 ここまで清々しい程の笑顔だと、逆に怪しく見えてくる。すると、その疑惑は目の前のたこ焼きへとシフトする。

 

 

 ────ひょっとしてこのたこ焼き、何かあるのだろうか。

 

 

 そう考えると、段々目の前の食べ物がたこ焼きではない別の何かに見え始めてくる。たとえば、中身がタコではなくイカのだったり、良く分からない果物が入っていたり、実はこのソースがジャムの可能性だってある。

 美味しそうだと思っていたたこ焼きが、一気にゲテモノに見えてきた。

 

 しかし、アキトが再びフィリアを見ると、彼女は変わらずニコニコと笑っていた。今のこの状況が楽しくて仕方が無いといったように。

 それを見たアキトは、無粋な考えをやめることにした。《ホロウ・エリア》から解放された彼女が、漸く日常に戻り始めている。だからこそ、今この状況は、彼女にとっては必要な事なのだ。

 久しぶりの《アインクラッド》で、テンションを上げるのも仕方が無いだろう。フィリアはきっと、ただただこの時間が楽しいのだ。

 

 どちらにしろここは《圏内》で、どんな料理だろうと死ぬ事は無い。なら、アキトがやるべき事は決まっていた。

 それに、丁度小腹を空かしていたのだ。

 

 

 「……じゃあ、頂くよ」

 

 「う、うんっ!はい、あーんっ」

 

 「……あむっ」

 

 

 フィリアを少しでも疑った自身を恥じ、アキトは突き出されたたこ焼きを一口でぱくりと食べた。

 

 

 「っ……」

 

 

 瞬間、自分の『あーん』にアキトが応えてくれた事実に頬を紅潮させたフィリアが瞳を揺らしながら、口の中をモグモグさせるアキトを見つめていた。

 

 

 「……うん」

 

 「ど、どう……?」

 

 

 アキトの様子を伺うフィリア。

 その傍で、たこ焼きをじっくり味わっていたアキトは、やがてそれを飲み込む。

 そのたこ焼きは、ピリリと隠し味が効いていた。辛いものが大の苦手なアキトではあるが、これくらいの辛さなら寧ろ好きになれるかもしれない。

 ソースや青海苔といった味付けの土台となっているものについても特に文句の付け所はない。控えめに言っても美味しいたこ焼きだった。

 

 

 「うん、美味しいよ。普通のたこ焼きと違って、ちょっとスパイシーだけど、これくらいなら食べられるし」

 

 

 アキトは正直な気持ちをフィリアに伝えた。

 そして、やはりフィリアが自分にたこ焼きを食べさせようとしたのは、ただの善意だったのだと理解した。

 疑ってしまって恥ずかしい、とアキトはフィリアの優しさに微笑んだ。

 

 

 「そ、そう……ねえアキト、もう一つあげる!」

 

 

 しかし、フィリアはアキトの感想に曖昧に返事をするだけだった。それどころか、再びたこ焼きを差し出してくる。

 

 

 「……うん、やっぱり美味しいね」

 

 

 アキトは、差し出されたたこ焼きを躊躇うことなく頬張り、再びピリッとした辛みが走る。だがそれも一瞬。後はただの美味しいたこ焼きだった。

 

 

 「……」

 

 

 しかし、フィリアはそんなアキトに戸惑いの表情を浮かべていた。

 美味しい美味しいと呟きながら口元をモグモグさせているアキトをチラチラと見た後、やがてフィリアは大袈裟に声を上げた。

 

 

 「あ、あれ? お、おっかしーなー……?」

 

 

 今度は小さくなった名探偵みたいな台詞が飛び出す。

 眉を顰めてたこ焼きとアキトを交互に見るフィリアに、アキトはたこ焼きを飲み込んでから問い掛けた。

 

 

 「何が?」

 

 「いや……こう、本当ならもっと、ガツン!ってくるはずなんだけど……う〜ん……ぱく」

 

 

 首を傾げながら、フィリアはたこ焼きに爪楊枝を刺す。

 そして、アキトと同様にそれを口元へ持って行き、一口で頬張った。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────次の瞬間。

 

 

 

 

 「……んっ、ンンッ! んんん〜〜〜〜〜〜っ!?」

 

 

 「!?」

 

 

 

 

 フィリアが急に頬を紅潮させて立ち上がり、手に持つたこ焼きを放り投げた。

 アキトは驚きながらも慌ててそれをキャッチするのも束の間、フィリアは目を見開きながら辺りを駆け出した。右へ左へと忙しなく足を動かしては、口元を抑えている。

 彼女のそのいきなりな動きに、思わずアキトはベンチから腰を上げた。ガタリと音が響く程に慌てながら、アキトは彼女に駆け寄った。

 

 

 「ど、どうしたのフィリア!?」

 

 「み……みずっ、みずうぅぅっ〜〜〜〜〜〜っ!!」

 

 「み、水?」

 

 

 アキトが聞き返すと、フィリアが首を取れんばかりの勢いでコクコクと縦に振る。どうやら彼女は水を欲しているらしい。よくよく見れば、顔が赤いだけでなく、必死さをも感じた。

 

 アキトは咄嗟にベンチから立ち上がり、近くの売店で適当なドリンクを購入した。そのまま踵を返してフィリアの元まで走ると、即効で彼女にドリンク手渡した。

 フィリアはそれを手にすると、両手で一気に飲み干す。やがて辛そうな表情から回復すると、深く息を吐いた。

 

 

 「う、うぅ……やっぱり激辛だ……し、死ぬかと思った……今までで一番命の危険を感じたかも……」

 

 

 彼女のその発言に、アキトは苦笑い。それは言い過ぎだろうと心の中で呟いた。アキトにとっては今のフィリアより、PoHに襲われている彼女の方が失う危険を感じたものだ。

 いや、しかしアキトは、先程の彼女の発言の一部に引っ掛かりを覚えた。

 

 

 「げ、激辛……?」

 

 

 アキトは手元のたこ焼きをまじまじと見やる。

 見た目や香りこそ普通のたこ焼きと遜色無い。実際アキトは、自身が食べたたこ焼きにそこまでの辛さは感じなかった。少々ピリッとスパイスが効いていたくらいだったはずだ。

 フィリアの反応こそが大袈裟なだけ、そう思った。が、フィリアは眉を顰めて近付いてくる。

 

 

 「なんでアキトはこんなの食べて、平気な顔してるの?聞いてた話と違うよー……」

 

 「話?」

 

 「アスナ達にエギルの激辛ピザの話を聞いたの。アキト、辛いの苦手だからって最初は参加しないって言ってたらしいじゃない」

 

 「ああ……」

 

 

 フィリアが持ち出したのは、80層攻略パーティーの時の話だった。エギルが8ピースあるピザの中の1ピースに激辛を混ぜ、クラインの提案で、それを食べた者が誰かに命令を下せる、といったルールの元行われたちょっとしたゲーム。確かにアキトはあの時、一度ゲーム参加を降りている。その話を聞いて、フィリアはたこ焼きをアキトに差し出してきたという事。

 

 なんて事は無い。フィリアは、辛いものが苦手だというアキトに激辛を食べさせるというイタズラを仕掛けてきただけだったのだ。

 彼女の想像内のアキトは、あまりの辛さに号泣している事だろう。先程までフィリアを疑っていた自分を恥じていたはずのアキトの心は、何処と無く哀愁を感じさせた。

 

 だがアキトはそもそも、ピリッと来るものさえ最初は苦手なはずだった。食べるのを拒む程ではないにしても、進んで食したりはしない。

 変わったのは、この前《ホロウ・エリア》の秘匿領域にて食べた、アスナの“キリトの為に作った”サンドイッチだ。

 アスナと初めて会った頃に一度食べた時は余りの辛さに食べられなかったが、この前は少しスパイシーに感じただけで難無く食べられた。

 アスナが前と違って味付けを変えたのか、それともアキト自身辛いものをある程度食べられるようになったのか。

 

 どちらにせよフィリアの寄越したたこ焼きは、本当にそこまでの辛さは感じなかったのだ。

 

 

 「で、でもこれ、ホントに激辛なの?このうちのどれか一個が激辛、とかじゃなくて?」

 

 「全部激辛だよ……うう、まだ唇がヒリヒリする……アキトのせいだ……アキトは絶対、味覚がおかしい」

 

 「そこまで言わなくても……というか、フィリアが持ってきたたこ焼きでしょ」

 

 「ちぇー」

 

 

 フィリアはつまらなそうな顔で軽く地面を蹴って、不貞腐れた振りをした。アキトの反応が自身の予想と違っていた事が不服なのだろう、顔をムスッとさせている。

 

 その傍らで、アキトはフィリアをただただ眺めていた。思い出していたのは、初めて会った頃の彼女。

 誰も信じられない、そんな表情がずっと張り付いていて、アキトにさえ牙を向いていたあの頃。

 

 自分の事さえ信じられず、傷付いた彼女。一時はかなり沈み込んでいたのに、こんなイタズラをしてくるだなんて。

 それはまるで、フィリアがこの新しい生活に馴染んだ証拠みたいで、アキトは嬉しい気持ちになった。

 

 

 「ねえアキト、ちょっと時間ある?」

 

 

 フィリアは柔らかな笑みでそう聞いてくる。《ホロウ・エリア》では見られなかった彼女の穏やかな表情に当てられ、アキトも笑った。

 

 

 「今日は攻略休むつもりだったし、大丈夫だよ。何か用事?」

 

 「そんなんじゃないけど……ちょっと、ブラブラしない?アキトはこれからどうする予定だったの?」

 

 「前にシノンに紹介して貰った喫茶店があってさ、久しぶりにそこに行こうかなって。ケーキ食べたい」

 

 「ケーキ!じゃあそれ、私も一緒に行っていいかな」

 

 「良いけど、まだ食べられるの?」

 

 「スイーツは別腹なのっ!じゃあ行こう、アキト!」

 

 「……もうイタズラしない?」

 

 「はいっ、しません」

 

 

 フィリアのピシッとした敬礼の真剣な表情に、思わず小さく吹き出した。それを見た彼女からも笑みがこぼれ、アキトとフィリアは、暫くその場で笑い合っていた。

 何気無い会話からこぼれる、温かな笑顔。それが、アキトにとっては何よりの幸せだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「こんなところもあるんだねー」

 

 「まあ、ここら辺はこの手の怪しげな店が多いんだ。……偶に掘り出し物なんて物が出る所為で、案外馬鹿に出来なかったりするけど」

 

 「へえー、面白いね。あ、ほらアキト!武器が売ってるよ!」

 

 

 目的地である喫茶店がある商店街に並ぶ、一般のNPC店とは少し違う怪しげな雰囲気が漂う露店商。辺りを見渡せば、チラホラとその手の店が存在していた。

 普通のプレイヤーなら胡散臭くてまず寄りたがらないだろうが、フィリアからしてみれば新鮮なのだろうか、子どものようにキラキラと瞳を輝かせてそれらを見ていた。

 そんな彼女の変わりゆく表情に、アキトこそ新鮮味を感じ、小さく笑う。

 フィリアはアキトを見て、キョトンとした。

 

 

 「ん?何?」

 

 「何でもないよ。それよりそろそろ着くよ、喫茶店」

 

 「え、ホント?どこどこ?」

 

 「あそこだよ。最近人気でさ、プレイヤーも多く来てるらしいけど」

 

 

 アキトが指差したその場所は、以前シノンと二人で訪れた場所。

 《射撃》というユニークスキルを得た彼女に弓を買った際に、礼として連れて来てもらった喫茶店だった。

 ここで食べたチョコレートケーキとコーヒーが、アキトの好みのツボをつく。シノンがここを勧めた所為で、アキトは人知れず何度もここを訪れていた。

 

 

 「わあ……楽しみだなぁ……ね、何がオススメなの?」

 

 「シノンは林檎のシブーストが好きだって言ってたなぁ。あとは……ガトーショコラとか、普通に苺のショートケーキも美味しいよ」

 

 「迷っちゃいそうだな〜……うーん……」

 

 

 腕を組んで唸るフィリア。

 話を聞くだけでスイーツに対する食欲が大きくなる一方、そんなには食べられないという理性。心の中で葛藤し、フィリアは眉を吊り上げた。

 アキトは苦笑しながら、一つの案を提示した。

 

 

 「そんな迷わなくても、今日何か一つ頼んで、次来る時に別のを頼めば良いじゃんか」

 

 「それは、そうなんだけど……」

 

 「他のケーキは、次に来る時の楽しみに取っておきなよ。俺もそうするから」

 

 

 すると、フィリアはジッとアキトを見つめていた。

 彼のその言葉を聞いて、少しだけ驚いたかのように。アキトはくるりと振り返り、彼女の様子を見て首を傾げた。

 フィリアは、ポソリと呟いた。

 

 

 「……また、一緒に来てくれるの?」

 

 「……? 勿論だよ。誰かと食べた方が美味しいしね」

 

 「……」

 

 

 その言葉を聞いた途端、フィリアは俯いてしまった。

 その所為で、少しばかり頬が赤い事にアキトは気付けない。彼女が今、どういう想いを胸に抱いているか。

 自分が彼の隣りに立つ事を、彼は当然と思ってくれているかのような。

 その事実が、胸を高鳴らせる。フィリアの口元が、自然と緩む。

 途端、フィリアは顔を上げ、アキトの手を引いて喫茶店まで軽快に駆け出した。

 

 

 「行こっ、アキト!」

 

 「え、ちょ、手ぇ引っ張らなっ……!」

 

 

 アキトは躓きそうになる足元をどうにか正し、未だ楽しそうなフィリアを見つめる。

 石畳を叩く音と風に靡く木々の香り、街の景色と太陽の光を背景にした彼女の姿がとても絵になっていた。

 

 

 

 

 ────しかし、店に入った途端に、その空気は一変した。

 

 

 

 

 「ちょっと、何するの!」

 

 

 

 二人が店に入った瞬間に、その喫茶店に響いた声。

 驚いたアキト達は思わずその声のする先へと視線が向かう。そこには、SAOでは珍しい女性プレイヤーが立っていた。アキト達だけではない、店にいた他のプレイヤー達も揃って彼女の方を見ていた。

 

 

 「良いだろぉ、べつに減るもんじゃないんだから」

 

 

 そんな女性の目の前には、不誠実そうな男性プレイヤーが立っており、彼女の怒声を気にもせず、彼女の腕を掴んでいた。

 男はヘラヘラと笑いながら、その槍使いの女性を舐め回すように見ており、掴んだ二の腕を、いやらしい手つきと指使いで触っている。

 

 

 「うわ、痴漢だよあれ。サイッテー……」

 

 

 フィリアはアキトの斜め後ろに身を隠し、軽蔑の眼差しでその男を睨み付けていた。周りもフィリア同様にその男に対して怒気を露わにしており、店で騒ぎを起こす迷惑行為と痴漢の両方の理由で視線を強めていた。

 だが、誰もがそんな男に声をかけたり注意を促したりしない。きっと、厄介事に巻き込まれたくないのだろう。

 

 それに、女性にはこういう男性プレイヤーから強引に迫られた際に発動出来る《犯罪防止コード》がある。男性側があれほどの行為をしているならば、表示されたボタンを押すだけで監獄送りに出来る為、周りが何かする必要性はあまりないかもしれない。

 

 

 「いい加減にして!監獄エリア送りにされたいの?しかも今は転送がおかしくなってるんだから、何処に飛ばされるか分かんないわよ!外周部に飛ぶかもしれないんだからね!」

 

 

 女性も当然そのつもりなのか、掴まれた腕を振り払い、目の前の男性にそう捲し立てる。

 75層のシステムエラーによって、その手の転送が不安定になっているというのは割と有名な話だ。男性プレイヤーはその事実だけで目立った行為を控えるようになるだろう。

 故に脅しとして、彼女が放った言葉の効果は高いはずだった。

 

 

 「いいよいいよ、やってみな。俺達にそういう無粋なものは意味が無いんだから」

 

 

 だがその男は、彼女のそんな言葉に怯むどころか、寧ろやってみろと促し始めたのだ。これにはアキト含めた周りのプレイヤーもぎょっとする。

 その男の後ろの席には、数人の男性プレイヤーが薄気味悪い下卑た笑みでそれを眺めていた。恐らく、痴漢行為を働いている男の仲間だろう。仲間がこれから転送されるかもしれないというのに、楽しげに笑っている。アキトはその事実に違和感を覚えた。

 

 すると女性はムキになり、その男性の言う通りに《犯罪防止コード》による転送手順を進める。普段アイテムを操作する時よりも速いであろう指使いに、周りはハラハラするばかり。

 そして女性プレイヤーは、画面に表示されたOKボタンを躊躇いなく押した。

 

 

 しかし────

 

 

 「っ……!」

 

 「ほらね?」

 

 

 女性の前に立っていた男性プレイヤーは、転送される様子は全く無かった。男性は、目の前で絶句している女性を見てニヤニヤと笑みを浮かべる。

 

 

 「なっ、なんで《犯罪防止コード》が動かないの!?」

 

 

 女性は驚きを露わにその声を店内に響かせた。瞬間、周りで経過を見ていたプレイヤー達もざわめき始める。

 中には他の女性プレイヤーもおり、《犯罪防止コード》が働いてない事実に、驚きのあまり両手で口を抑えている。

 フィリアも思わず目を見開いており、アキトはそれを食い入るように見つめる。

 

 

(あれだけの行為をしても働かない……!?何の反応もしてないなんて……)

 

 

 まさか、システムの抜け道?

 それとも、これもシステムエラーの影響?

 なんにせよ、《犯罪防止コード》が働かないなんて周りに知れたら、どんな被害が増えるかしれない。何故なのか、その理由を瞬時に考えうるだけ候補を上げ始める。だがどれも決め手にはならず、アキトは瞳を揺らした。

 だが、目の前の男は《犯罪防止コード》が働かない事を知っていたはずだ。でなければ、女性プレイヤーにあそこまでの態度を取れるはずがない。

 

 

 そして、その男性は女性の驚いた顔を一通り楽しんだ後、フッと軽く息を吐いて、再び目の前の女性に近付いた。

 

 

 

 

 「さて、俺達の強さを知ってもらったところでもう少し……あん?」

 

 

 

 

 ────だが、その瞬間に。

 怯える女性と、下卑た視線を送る男性の間に割って入った一つの影。

 

 

 ────アキトだった。

 

 

 「……」

 

 「あ、アキト……!」

 

 

 フィリアの驚いた声を背に、アキトは目の前の男性プレイヤーを睨み付けていた。以前の、攻略組に入ったばかりの頃に周りに向けていた、下等生物を見下ろすかのような瞳。

 周りは、女性を庇うように現れたアキトを見てホッと胸を撫で下ろすと同時に、それが《黒の剣士》である事に少なからず驚いているようだ。

 目の前の男性も、アキトを見てその事実を思い出し、苛立ったような視線でアキトを見下ろす。

 

 

 

 

 「──── おやおや、誰かと思えば《黒の剣士》様ではないですか」

 

 

 

 

 すると、静寂だった空間を壊すように、男の後ろから声が聞こえた。

 アキト含めたプレイヤー達が、揃って視線が移動する。

 その声の主はすぐ近く、男性プレイヤーの仲間達が座っていた席の中にいた。一際の存在感を放つ装備と共に座っていたのだ。

 

 

 そして、そのプレイヤーをアキトは知っていた。

 

 

 淡い金髪のオールバック。

 

 白をベースに、金色の装飾が施された高レアリティの鎧防具。

 

 整った顔立ちの青年。その瞳が、この状況と相まって悪役としての存在感を際立たせている。

 

 

 

 

 「……お前は」

 

 

 

 

 そこにいたのは、以前攻略組の参加を希望してきた、ステータスの高い割に動きが酷かった初心者丸出しの男だった。確か名前は────

 

 

 

 

 「……アル……アル……アルバトリオン?」

 

 

 「アルベリヒだ」

 

 

 

 

 しかし、名前は忘れた。

 アキトのド忘れに、怒気を孕んだ声で訂正するアルベリヒ。それも束の間、アルベリヒはニヤけた顔でアキトを見据え、嘲笑いながら呟いた。

 

 

 「こんなところでお会いするなんて、攻略組ってのは随分とお暇なようですな?いや、それとも正義の味方のつもりかな?」

 

 「お前こそ、攻略組を目指してたわりに暇してんだな。やってる事最低だけど大丈夫か?部下の面倒もまともに見れない奴の実力や器なんてたかが知れてる。やっぱあの時断っといて正解だったな」

 

 「っ……このクソガキ……!」

 

 

 アルベリヒの、こちらを下に見た舐め腐った態度。だが、それに対してのアキトの切り返しは客観視すればドが着くほどの正論だった。同時に、目の前のアルベリヒの琴線にも触れたようで、涼しい顔をしていた奴の眉が吊り上がる。

 以前会った時から既に感じていたが、やはりプライドの高い男のようだ。

 アキトはアルベリヒに負けず劣らず馬鹿にするような笑みを浮かべ、同様に口調を強くした。

 

 突っかかろうとしたアルベリヒは瞬間、周りに多くの目がある事を思い出し踏み止まった。既に注目は集めているが、これ以上に大事になってしまった場合、自分がこの世界で生きにくくなる事を悟ったのかもしれない。

 アルベリヒは吊り上がった眉を正常に戻し、再びその顔に高慢な笑みを貼り付ける。

 

 

 「……まあ、精々格好付けておくといいよ。お前が何も出来ない子供だって事は、そのうち身をもって教えてやるからな」

 

 「お前こそ忘れるなよ。その“何も出来ない子供”相手に何も出来なかった、あの時の惨めな自分の姿を」

 

 「ッ……!」

 

 

 それは、《アークソフィア》でのあの手合わせ。アルベリヒが散々馬鹿にしたアキトに対し、奴は為す術なく敗れたあの日の事だった。

 アキトの告げる全てが事実であり、アルベリヒは何も反論する余地が無い。

 

 

 「……チッ、行くぞ!」

 

 

 アルベリヒは最後にアキトに対して憎悪の視線をぶつけ、歯軋りをしながらこちらに背を向けた。部下はぞろぞろとそれについて行き、その中の何人かはアキトを見て舌打ちをかましていた。

 しかしアキトは気にも留めない。彼らが扉の向こうへと消える間、ずっと変わらず彼らを蔑視し続けていた。

 

 

『『『……』』』

 

 

 やがて、アルベリヒ一行が消えた喫茶店に静寂が生まれる。

 誰もが何を話したらいいのか、何をしたらいいのか分からず、気不味い雰囲気を漂わせていた。

 しかし、アキトに庇われていた女性プレイヤーは、溜め込んだ緊張を息と共に吐き出すと、アキトに向かって申し訳なさそうに微笑んだ。

 

 

 「面倒かけてゴメンなさい、《黒の剣士》さん」

 

 「それより平気?他に何か酷い事されたりしてない?」

 

 

 しかし、アキトは女性の感謝の言葉に応えるよりも先に、彼女の事を気にし始めたのだ。何かされてないか、傷付いていないか。それを気にする彼の表情からは、本気の心配が伺えた。

 

 そのアキトの一変した態度に女性も、周りにいたプレイヤー達も驚いた。

 何せ、あの集団相手に高圧的な態度で詰め寄っていた先程の《黒の剣士》とは、表情も声音も態度も違う。

 アルベリヒ相手に何も言わせなかった高慢な態度など一切なく、今のアキトからは、女性を気遣う純粋な優しさしかなかったから。

 

 

 「え、ええ……大丈夫よ。男ばかりのSAOにいるからね。ああいった連中はある程度慣れてる」

 

 

 その変わりように一瞬だけ戸惑っていた女性だったが、やがてそんなアキトを見て優しげに笑うと、自分は大丈夫だとアキトに教えた。

 

 

 「……けど、アイツらは違ったね。システムの干渉が無かった」

 

 

 そしてまた、暗い顔になった。

 それも当然、あの男性プレイヤーには《犯罪防止コード》が動かなかったのだ。効かなかったのではなく、そもそも発動さえしなかったのだ。

 これには、女性プレイヤーは特に不安だろう。

 

 

 「まあ、アイテムやスキルのデータがおかしくなったりで、今更何が起こったって不思議はないけど」

 

 

 女性は誤魔化すように軽く笑うと、アキトに背を向ける。向かった先は店の扉。どうやら彼女も帰るようだった。

 ドアノブに手をかけるとクルリと振り返り、アキトを見て手を振った。

 

 

 「じゃあね。今度機会があったら、何か奢らせて」

 

 「そんな、気にしなくて良いのに」

 

 「私がそうしたいの。さっきの貴方、凄くカッコ良かったわ」

 

 

 女性はそう言って、店から出ていった。

 途端、周りは静寂から解放されたかのように、小さな声ではあるが会話を再開させ始めていた。

 彼らの視線はアキトに釘付けになっており、その場にいた男性、女性からもひそひそと会話が絶えなかった。

 フィリアも心配そうな表情でアキトの元へと近付く。

 

 

 その間、アキトはアルベリヒが消えていった扉をジッと見つめていた。

 考えていたのは、先程の出来事。明らかに異常と呼べるシステムの不具合だった

 

 

 《犯罪防止コード》が働かないのは、やはりシステムエラーが原因なのか、はたまた別の原因があるのだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── そもそも、75層で発生したシステムエラーは、何が原因で引き起こされたものだったのだろうか、と。

 

 

 

 

 









① 彼の魅力


フィリア 「……」チラッ


女性A「さっきの、ヤバかったよね!」ヒソヒソ

女性B「《黒の剣士》でしょ?カッコ良かった〜!」ヒソヒソ

女性C「あの女の人守った時と後のギャップがもう……!あんな優しい人だったんだ〜……」ヒソヒソ


フィリア 「……」チラッ


男性A「……なんか《黒の剣士》って思ってたのと違ったな」ヒソヒソ

男性B 「それな。実力に物言わせた偉そーな奴かと思ってたのによ。助けて見返りも求めねーとか」ヒソヒソ

男性C 「強くて紳士でイケメンとか狡くね……なのに憎めねえ……」ヒソヒソ


フィリア 「……」ジー

アキト 「ん?どーしたの?」モグモグ

フィリア 「……なんか、嬉しいような悔しいような……」ムスッ

アキト 「?……ってこれ美味しい」ウマウマ









② 君の名は (楽屋)


アルベリヒ 「誰かと思えば黒の剣(ry」

アキト 「お前は……」

アキト (誰だっけ……アル……アル……アル、バイト? アル、コール?アル中とか?『アル』までは覚えてるんだけど……アルミホイル、アルミニウム……アルセウス、はポ○モンに失礼だし……っ!)( ゚д゚)ハッ!

アキト 「アルバニア!」

アルベリヒ 「違う!カット!」

アキト 「すみません……」









コラボ書きてえ……!けど、上手く書けねぇ……!と何度も書き直しているうちに、本編の方が書き上がってしまいました。
コラボがこれほど大変だったとは……!とても楽しいです(白目)
今後も頑張って行きますので、よろしくお願いします!
























アリス 「……あの」ソワソワ

ユージオ 「……僕らの出番は……」ジー

キリト 「……」メソラシ

アキト 「……」メソラシ

ロニエ 「お二人とも、何とか言ってください……!」

アキト 「……ゴメン、みんな……!」





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Ep.103 深まる謎



最近投稿遅くね?と知人に言われた私。

あるよぉー、やる気あるよぉー!と返しておいたぜ。

瞬間、傘で腿を貫かれました。
雨さえ降らなけりゃ……!




 

 

 

 

 時刻は午後7時頃。

 既に陽の光が沈み、空は暗闇が覆う時間。フィールドに出ていたプレイヤー達も、その視界の明暗の差から攻略を止めて引き上げる頃だろう。それに伴って、《圏内》の主街区にはたくさんの人が集まる。

 76層から最前線の87層まで。きっと75層《コリニア》から最下層までの空気も、そこまで変わりはしないだろう。しかし朝と夜で街の雰囲気は全く違う。それはどの層の街も同じで、魅力の一つだ。これがデスゲームでなければ、それを見る為の観光でログインするのもありだろう。

 《アークソフィア》でも、食べ歩きをするプレイヤーや、夜の街並みを楽しむ人達、毎日宴会の如くはしゃぐ者達も多く見られた。

 

 普段と何ら変わらない、見慣れた景色。

 アキトも変わらず《エギルの店》で、いつものように珈琲を啜っていた。ふと、顔を上げて辺りを見渡す。オレンジ色の光が天井から降り注ぎ、このフロア一帯を照らす中、色んなプレイヤーがテーブルを囲って食事をとったり、談笑したりしていた。

 この場所を溜まり場にしているいつものメンバーの何人かは、まだ来ていない。だが最近は、こうして誰かの帰りを待つのも悪くない気がしていた。

 常に、帰る場所を求める側だった。向かった先に、大切な人が居て欲しかった。だからこそ、こうして待っている時間だって大切に思える。

 今この瞬間だけ、アキトは自身の精神的な成長を僅かながらに感じていたのだった。

 

 

 「アキト君」

 

 

 カウンター席に座るアキトの背後から、透き通った声が聞こえた。振り返るより先に、その声の主はアキトの隣りに座る。

 まあ、振り返らずとも誰なのかは、すぐに分かった。

 

 

 「……アスナ、おかえり」

 

 「ただいま。何飲んでるの?」

 

 「珈琲だよ。ここの美味しいんだ」

 

 

 未だ珈琲の湯気が立ち上るカップに視線を落とすアキト。隣りに座るアスナは柔らかな眼差しでこちらを覗いている。

 だが彼の目の前で、その珈琲の提供者はニヤリと笑って目を細めていた。

 

 

 「よく言うぜ、最初の頃は『普通』だの『まあまあ』だの言ってたくせに」

 

 「ぐっ……い、いつもお世話になっております、エギル大明神様……」

 

 「おう、分かりゃあ良いのさ」

 

 

 エギルは途端に上機嫌になり、そのまま厨房へと消えていく。よくよく考えてみれば、初めての頃もこうして珈琲を飲む為にカウンターに座っていたなと、アキトは思い返していた。苦いものが特別好きな訳ではないアキトだが、何故か珈琲は好きだった。よく、父親が飲んでいたからだろうか。

 そんな事を考えていると、ふと思い出した。

 今日出くわしたとある一件、─── アルベリヒの件だった。アキト自身はそのコードについて詳しく知っている訳ではなく、かといって見ず知らずの人にも聞きにくい。だから、今日この場所でアスナに会った時に聞いてみようと思っていたのだ。

 

 

 「……あのさ、ちょっと相談事があるんだけど、聞いてくれたり……しますか……?」

 

 「……どうしてそんなによそよそしいのよ。一々頼まなくたってちゃんと聞きます。それで、何?」

 

 「いや、《犯罪防止コード》について少し……女の人の方が詳しいと思って……」

 

 「唐突ね……何かあったの?」

 

 

 アキトの口からなんの前触れもなく告げられた《犯罪防止コード》の名前。アスナは困惑を隠せず、眉を顰めて問い掛けた。

 それは当然の反応なので、アキトは続けて事の経緯を説明し始める。

 

 

 「今日、この層の街の端にある喫茶店に行ったんだけど」

 

 「……へえ、私達が迷宮区で攻略している間に、ねぇ……?」

 

 「き、今日は休憩しろってアスナが言ってくれたのに……」

 

 「ふふっ、冗談よ。多分その店、私も知ってると思う。シノのんが紹介してくれてね、この前みんなで行ったのよ」

 

 「多分そこ。そこで今日、アルベリヒに会ったんだ」

 

 

 アキトを揶揄って笑っていたアスナの表情が、一気に険しくなった。彼女もアルベリヒの事は覚えていたのだろう。それも当然だ、あれほどのレアリティを誇る装備に身を包みながらも、中身は初心者丸出しのプレイヤーだったのだから。

 おまけに慇懃無礼な態度と、自信に満ち溢れた性格。にも関わらず、戦闘に対する姿勢や言動、動きはあまりにも拙かった。

 身に付けた装備に反して、経験的なものを何一つ感じなかったのだ。

 

 

 「彼の仲間……いや、部下かな。女性プレイヤーに強引に迫ってたんだ。なのに《犯罪防止コード》が発動しなくてさ」

 

 「見間違いとかじゃなくて?」

 

 「フィリアも驚いてたし、被害に遭ってた女性もなんで発動しないのかって焦ってたから、見間違いの類じゃないと思うけど……」

 

 「……フィリアさんと行ったんだ」

 

 「へ?あ、うん、まあ……」

 

 「ふーん……ふーん?」

 

 「な、何?」

 

 「べっつにー?」

 

 

 アキトの今日一日の行動に対して、アスナはちょくちょく尖った態度を見せるも、すぐにその対応を改めた。その話は女性に対して重大なものだ。やがて彼女は腕を組んで真剣に考え始めたが、思い当たる節も無く、ただ眉を顰めていた。

 

 

 「うーん……なんなんだろうね……」

 

 「あれ、どうしたの。辛気臭い顔して……」

 

 

 再び背中から声が掛かる。

 二人が共に声のする方を向くと、そこにはリズベットが立っていた。どうやら店の仕事が一段落着いたようだ。しかし彼女はアキトとアスナの間の暗い空気に気付いたのか、若干の気を遣いながら近づいてくる。

 

 

 「リズ……ちょっと面倒な事になってそうなのよ……」

 

 「?」

 

 

 そんなアスナの抽象的な言葉に思わず首を傾げるリズベット。そこからはアキトが詳しく説明を開始した。

 喫茶店で女性プレイヤーが男性プレイヤーに言い寄られていた事。その際女性の身体の一部に触れ、強引に迫っていた事。

 そして、そんな状況にも関わらず《犯罪防止コード》が発動しなかった事。

 

 話している内にシリカやリーファ、シノン、フィリア、クラインとユイも集合し、結局その話はストレアを覗いたいつものメンバー全員に行き届いたのだった。

 そして話をひと通り聞き終え、一瞬静寂が生まれたのも束の間、リズベットが憤然とした態度で言い放った。

 

 

 「まずは、ソイツを攻略組に入れなかったのは大正解ね」

 

 「痴漢なんて最低ですよ!」

 

 

 シリカも今の話が許せないのか、眉を吊り上げて珍しく怒りを露わにしている。というより、この場の女性陣は揃ってこの話を良く思ってないはずだ。

 そんな彼女の隣りに座っていたリーファは、誰もが気になっている事を眉を顰めて問い質した。

 

 

 「でも、なんでセクハラコードが働かなかったんだろう?ゲームシステムの異常なのかな?」

 

 「うーん……でも、まだ確実じゃないよね。このまま放っておけばもっと被害者が出るし、原因をハッキリさせないと」

 

 

 リーファの疑問にそう言って唸るフィリア。この中の女性達で唯一現場を目撃しているからか、その意志は固かった。

 確かに76層に攻略組が到着した際に起きたシステムの異常が関係していると言われたら納得してしまうだろう。

 転移の不安定、アイテムやスキルの欠如、ただでさえ死活問題になり得るバグが未だ修正されていないのだ。新たに増えていても不思議は無い。

 

 

 「それならよ、一回試してみたら良いんじゃね?」

 

 「……は?」

 

 

 突如、クラインがそんな事を言い出した。

 一瞬彼が言っている事の意味を把握出来ず、一同固まる。が、一足先に我に返ったアキトが、おずおずとクラインに問い返した。

 

 

 「た、試してみるって?」

 

 「だからよ、実際に誰かに触って《犯罪防止コード》が動くかどうかやってみるんだよ」

 

『……』

 

 

 瞬間、女性陣のクラインを見る目が冷ややかなものに変わった。信じられないと目が訴えており、各々がクラインから僅かに距離をとった。

 つまるところクラインは、『試しに痴漢してみようぜ』と女性の前で言い放ったという事だ。これは流石に擁護出来ない。案として無いわけでもないが、それは口にするべきじゃなかったのかもしれない。

 そして、やがてアキトとエギルも引き気味にクラインを見る。それを見たクラインは暫く呆然としていたが、自分が今周りからどう見られているのかを漸く理解し、目を見開いて慌てて捲し立てた。

 

 

 「ちょ……ちょっと待てお前ら!やましい気持ちなんてコレっぽっちも無えからな!」

 

 「アンタは日頃の行いのせいでイマイチ信用出来ないのよ……」

 

 「ホントだっつの!そんな羨ま……けしからん状況になってたら、この世界の女性方のピンチだろ!そうさせねぇ為に俺様が人肌脱ごうと……」

 

 「クラインさん、怖いです……」

 

 

 呆れたように呟くリズベットと、自分の身を抱いて怯えたような視線を向けるリーファやシリカに、自分の主張を放っていたクラインはガックリと項垂れた。途中羨ましいとか言っていたのをアキトは聞き逃さなかったが。

 そんなクラインの肩を、エギルがポンと軽く叩いてやると、フォローするかのように口を開いた。

 

 

 「まあ、案としちゃあ間違っちゃいないけどな」

 

 「でも男の人に触られるのって女の人からすれば抵抗あると思うし、無理強いは出来ないよ、クライン」

 

 「そんなつもりじゃねぇっつの……」

 

 

 不貞腐れたようにむくれるクライン。日頃女性を追い掛けている印象があるクラインがこの手の話に対して何かを言えば、大体似たような結果になるだろう事は予想がついていた為に特に驚くような事は無い。

 ただ、相変わらずの彼の在り方に、アキトは苦笑いを浮かべた。

 

 

 

 

 「それなら、アキトさんにお願いしてみるのはどうですか?」

 

 

 

 

 ──── その後、更にとんでもない爆弾が落ちてきた。

 アキト含めた一同の席がガタリと音を立てる。声の主は、この場で最年少であるユイだった。

 クラインが駄目ならアキトという考え方は間違ってはいなかったが、それに対して思わず声が上がってしまう人も少なくなかった。

 

 

 「え?ええっ!?じゃあ、もしかしてアキトさんが、ち、痴漢するって事ですか!?だ、ダメですよ!?」

 

 「あたし、そ、そういうのは、いけないと思うよ!」

 

 「ま、待ってアキト……!まだ、心の準備が……」

 

 「誰もアンタらにやるなんて言ってないでしょうが……」

 

 

 シリカとリーファ、フィリアの素っ頓狂な声に、呆れ顔で呟くリズベット。そんな気は無かったアキトだが、そこまで嫌がられると少しばかり傷付く。が、彼女達が顔を赤らめている事をアキトは知らない。

 クラインは彼女達の表情にいち早く気が付き、『俺の時と反応が違ぇじゃねぇか!』と声を荒らげている。

 実際、クラインよりも同年代の異性に触れられる方が生々しいだろう。その分、意識するし嫌なのかもしれない。アキトは仕方ないだろうという解釈に落ち着くも、やはりこの案に戸惑いを隠せない。

 何せ、そもそも女の子に触れるという時点で色々問題だからだ。人の目が無いわけでもないし、この場で公開痴漢など社会的に死ぬ。

 しかし、そこからユイが更に無意識に畳み掛けてくる。

 

 

 「じゃあ、ジャンケンで誰がテストするか決めましょう」

 

 「ゆ、ユイちゃん……」

 

 

 続けて口を開くユイに、アキトはたじろぐ。

 因みにユイは、アキトなら女性を辱める行為はしないから大丈夫だという絶対的な信頼の元、ただ純粋に『テストしてみては』と女性陣に提案しているつもりなのだが、ユイと周りとの見解が微妙にズレている。

 最早女性達は《犯罪防止コード》の有無の確認という目的が薄れ、今からアキトに触られるかもしれないという事実が上書きされて戸惑っている。

 辺りが慌てふためく中、アスナは小さく溜め息を吐くとアキトに向かって告げた。

 

 

 「そんなの、みんなに頼めないでしょ……私で試してみて、アキト君」

 

 「まあまあ、ここはユイちゃんの提案通り、ジャンケンで決めましょうよ」

 

 

 しかし、何故かリズベットは急にユイの提案を促し始めた。アキトが思わず彼女の方を見ると、心做しか楽しそうな表情を浮かべている。

 途端、アスナは物凄い剣幕で捲し立てた。

 

 

 「ちょっとリズ!どういう事か分かってるの!?」

 

 「どういう事って、どういう事?」

 

 

 リズベットが眉を顰めると、アスナは『うっ』と言葉に詰まる。すると、段々頬を赤らめ始め、そのまま全力で声を上げた。

 

 

 「だから……アキト君に……その……触られちゃうんだよ!」

 

 「ああ、そんな事?勿論分かってるわよ。でも、セクハラし放題なんていう一大事かもしれないんだから、みんなで協力してちゃんと調べないとね〜?」

 

 「言い方と顔……」

 

 

 リズベットの“セクハラし放題”とかいう倫理観の欠片も無いパワーワードと、悪戯を思い付いた子どものような表情でこちはを見つめる顔にゲンナリするアキト。

 何か怪しい方向に話が動き出しており、困惑を禁じ得ない。リズベットのアキトの反応を見てみたいという思惑は、着々と決行へと進んでいく。

 そもそも、アキトはこの提案に賛同の意を示していない。にも関わらず、まるで自分が女性陣の誰かを触る事は決定事項のようになっている。

 アキトは思わず声を上げた。

 

 

 「ま、待ってよ。俺はそもそも女の子に触るなんて一言も────」

 

 

 賛同してない、と言おうとした時だった。

 リズベットの企みの渦中にいる女性達は、顔を僅かに赤らめながらも、段々と表情を柔らかくし始める。そして、戸惑うアキトの言葉を遮り、各々が口を開いた。

 

 

 「……で、でも、アキトさんなら、なんか安心ですよね」

 

 「えっ」

 

 「う、うん……絶対変なところは触らないっていうか……信じられるんだよね」

 

 「ちょっ」

 

 「な、なんかちょっと恥ずかしいけど、女性全員の安全を守る為だもんね!」

 

 「な、何その絶大な信頼……」

 

 

 シリカとリーファ、フィリアは順番にそう答え、その発言に対してアキトは戸惑うばかり。シリカとリーファはアキトならばと安堵の表情だったが、フィリアに関しては顔が赤い。怒っているのか恥ずかしいのか分からないが、もし嫌ならば止めればいいのに、とアキトは的外れな思考をしていた。

 そしてこの流れから、もう自分が誰かに触れる事は決まってしまった気がして、アキトは項垂れた。

 知らぬ間にこれほどの信頼を得ていた事に感動するものの、素直に喜べないこの複雑な気持ち。

 その隣りでは、今までずっと黙っていたシノンの表情が難色を示し始めていた。

 

 

 「やっぱ、私も参加なのよね、これ……」

 

 「とーぜん!身体を張ってこの事件を乗り越えましょう!」

 

 「乗り越えるというか……自ら乗っかっているように思えるんだけど……」

 

 

 リズベットの発言に対してのシノンの答えは、的を射ていた。そう、アキトも正にシノンと同じ事を思っていたのだ。みんな揃って、アキトがやるやらない以前に既に乗り気なのが引っ掛かる。

 触られたくないのではなかったのか。まあ、リズベットやフィリアの言う通り女性全員の安全に関わる事の為なのかもしれないが。

 

 

 「それじゃ、ジャンケンしますよ!さあ、ママもこっちに来て下さい!」

 

 「え、ええ?ユイちゃんもやるの……?」

 

 「もう……アキト君のバカ!」

 

 「は!?俺っ!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「ふぅ……なんか私がテストする事になったわ」

 

 

 女性達のジャンケンの末最後まで勝ち残った一人が、現在アキトの目の前に立っていた。

 そこには、不本意ながらもジャンケンに参加してしまった為に、仕方なくこの場に立ってますオーラを全開させたシノンの姿があった。

 シリカやリズベット、リーファは負けた事に対して特に思う事がある訳でもなさそうだったが、フィリアとユイは心做しか残念そうな表情を浮かべて溜め息を吐いていた。

 アスナは困ったようにアキトとシノンを見据え、その行く末を見守っていた。

 シノンはシノンで腕を組みながら複雑そうな表情でアキトを見上げており、アキトは萎縮しながらも挨拶(?)を始める。

 

 

 「えっと……よ、よろしく、お願いします……?」

 

 「うん……それで、どうすれば良いの?」

 

 

 シノンはそう言ってユイを見ると、ユイはその視線をアキトへと向けた。

 

 

 「アキトさんは何処でも構わないので、シノンさんの身体に触れてください」

 

 「わ、分かった、けど……何処でも良いって言われてもさ……」

 

 

 そのいきなりかつ無茶過ぎるユイからの指令に、アキトは戸惑いがちにシノンを見る。華奢なその身体に纏う装備から見え隠れする肌は、自分なんかが触れてしまえば穢れてしまうのではと思うほどに白い。

 そもそも女性にこういう状況で触れるという事自体が稀過ぎて、身体が思うように動かない。周りにこんなに観察されながら女性の身体を触るなんて、やってる事が異常過ぎる。

 

 

 「変なところは触らないでよ」

 

 「……」

 

 

 アキトは伸ばそうとしたその手を、シノンの発言で引っ込めた。

 態々念を押されると、彼女の言う『変なところ』が何処なのか逆に分からなくなってきてしまった。途端焦りが表情に出始めてしまい、一々視線が逸れる。

 取り敢えず、無難に肩に軽く触れれば良いだろうか。だがシノンの装備は、肩を露出している。直接肌に触れるのはNGなのでは。

 何もせずアキトが悶々と考えていると、シノンは不貞腐れたような瞳をアキトに向けていた。

 

 

 「……早くしなさいよ」

 

 「へ?あ、うん……じ、じゃあ……」

 

 

 シノンに催促されて、アキトはすぐに彼女に触れなければならない状況に追い込まれる。

 悩んだ末、アキトは視界に入った彼女の左手を自身の手で掴んだ。柔らかで細くて、女の子らしい綺麗な手だった。

 

 

 「っ……」

 

 

 途端、シノンの頬が僅かに赤くなり、アキトから目を逸らす。

 するとどうだろう。それと同時にシノンの目の前にシステムカラーのメッセージが表示されたではないか。それは正しく、今話題に上がっていた《犯罪防止コード》の知らせだった。

 我に返ったシノンは小さく声を漏らすと同時に顔を上げ、そのメッセージをアキトと共にまじまじと見つめる。

 

 

 「っ……あ、出たわね」

 

 「……という事は《犯罪防止コード》そのものがおかしくなってる訳じゃないのかな」

 

 

 それを知ると、アキトは安堵の息を吐いた。

 女性を守る為のシステムが正常に働いた事実は、周りの女性達にも浸透していく。各々固くなっていた表情が柔らかくなり、アスナは小さく笑みを作っていた。

 

 

 「少し安心したね」

 

 「ええー、手を繋ぐくらいでセクハラコードが発動しちゃうのー?つまんなーい」

 

 「リーズー!アキト君で遊び過ぎ!」

 

 「あはは、バレてたのね」

 

 

 やはり、アキトの反応を楽しむ事が目的だったリズベットは、アスナにそう言われて苦笑いしていた。

 他のみんなも、取り敢えずは正常に動いた《犯罪防止コード》に安心したかのように表情を和らげており、アキトも一息ついていた。ホッと息を吐くと、繋いでいたシノンの手をゆっくりと離して────

 

 

 「……」

 

(あ、あれ?シノン?)

 

 

 ────と、思ったのだが。

 

 

 アキトの手は、いつの間にかシノンに握られていた。

 先程までアキトが彼女の手を一方的に掴んでいただけだったのに、何故か今はシノンの方からアキトとの手を繋いできていたのだ。

 

 

 「……」

 

 

 彼女は繋がれた手元をまじまじと見下ろし、アキトの男性にしては白いその肌の色に魅入られていた。

 雪のように冷たい手。なのに、何故かそこに熱を感じたシノンは、アキトの手を離せないでいた。絡まる指を解けなくて、いつまでも繋いで居られるような、そんな感覚。

 けれど、それを彼が知る由もなく、アキトはポツリと告げたのだった。

 

 

 「し、シノン?もう大丈夫だよ?」

 

 「え?……っ!」

 

 

 シノンは漸く、アキトの手を自分が掴んでいる事に気が付いた。瞬間、頬が林檎のように赤く染まり、彼から勢い良くその手を離す。

 アキトは一瞬だけ驚いたように目を見開いたが、すぐに小さく笑って『ありがとう』と口を開いた。恐らく、協力してくれた事への礼なのだろうが、シノンにはまるで聞こえない。

 今、自分がアキトの手に触れ、何を感じ取っていたのか。それを思い出し、心臓がバクバクと高鳴っていた。

 

 

 「っ……っ……」

 

 

 シノンがふとアキトを見上げると、彼は何も気にせずに安堵する仲間の表情を眺めていた。先程まで女性と手を繋いでいたというのに、表情に焦りも困惑も、羞恥心すら感じない。

 まるで何事も無かったような表情に、シノンは逆に腹が立つ。

 

 

(……馬鹿みたい、私だけ、意識してるみたいで……)

 

 

 もうちょっと、何か反応があっても良かったのでは、と。口に出しては言えないが、シノンは視線でアキトにそれを訴える。が、アキトは気付かず、未だに《犯罪防止コード》が作動した事実を確かめて安堵していたのだった。

 

 しかし、そうなると浮上する疑問が一つ。

 一連の行動を眺めていたエギルとクラインはそれに行き着いたのか、腕を組み、眉を顰めて呟き始めた。

 

 

 「だけどよ、そうなるとアルベリヒ達の方に何か仕掛けがある可能性が出てくるな」

 

 「実力に合わねぇレア装備を付けてたって話だろ?胡散臭いったらねぇよ」

 

 「そうなんだよなぁ……」

 

 

 二人の言う事は最もだった。

 こうして《犯罪防止コード》は動いている。つまり、動かなかったのはあの時だけという事になるのだ。すると、アルベリヒ一向に何か仕掛けがあるのではという推測に辿り着くのは当然で、エギルの疑問は誰もが感じるであろう事だった。

 おまけに、クラインが言ったように、彼は実力に見合わない高レアリティの装備を身に付けている。以前攻略組の入団テストでアキトがアルベリヒとデュエルした時にステータスもこの場の誰よりも高いだろうという事は把握している。だが、それにも関わらず、実力が伴わない違和感は簡単に拭えはしなかった。

 彼らが胡散臭いと感じるのは、最早自明の理なのだ。

 

 

 「もうちょっと詳しい情報が欲しいわね」

 

 「システムコードを起動させない、みたいな装備やスキルがあるとは思えないけど……警戒だけはした方が良いと思う」

 

 

 アスナの呟きに、アキトはそう返した。

 ユニークスキルでさえ、システム以上の事を実現させるのは不可能なのだ。システムに干渉、介入出来るとなると、それは一般プレイヤーの域を越えている。

 だがシステムエラーによるバグではないと分かった以上、アルベリヒ達に何か仕掛けがある。

 つまり、アルベリヒ達には、一般プレイヤーにはない何か特別なものを持っているという事になるのだろうか。

 が、情報が少な過ぎる今、何を考えても仮説にすらならない。アキトは一先ず思考を中断させ、未だシステムメッセージを表示させたままのシノンに向き直った。

 

 

 「シノン、もうメッセージ閉じて大丈夫だよ。ありがとね……シノン?」

 

 「……ぇ?あっ……どういたしまして……」

 

 

 何故かボーッとしていたシノンだったが、アキトの言葉で我に返ったのか、慌てて顔を上げてウィンドウを見つめ、そこに向かって手を伸ばした。

 そして────

 

 

 「それで、この《犯罪防止コード》発動っていうウィンドウのOKボタンを押せば良いのよね」

 

 

 ────と、とんでもない事を言ってきた。

 

 

『!?』

 

 

 一同、目を見開いてシノンへと視線を向ける。

 そんな事露知らず、彼女の指は表示されたシステムコード発動のOKボタンへと近付けられていく。

 もしアレに触れれば最後、アキトはここからおさらばし、外周区へと飛ばされるかもしれない。その恐怖に、メンバー全員の顔が青ざめた。

 アキトだけでなくほぼ全員が、思わず身を乗り出して声を出す。

 

 

 「だ、ダメ!ちょっと待って!」

 

 「ま、待て待て待て!」

 

 「それに触れちゃダメ!」

 

 「それに触れたら、アキトさんが監獄行きです!」

 

 「しかも今は転送だっておかしくなってるんだから、ちゃんと監獄に送られるかどうかも怪しいわよ!」

 

 「うん!下手したら、アインクラッドの外に転移されて二度と戻って来れなくなっちゃうかも!」

 

 

 アキト、クライン、アスナ、シリカ、リズベット、フィリアの順にシノンへと告げる。シノンは驚いたように目を丸くして呆然としていたが、やがて意味を理解したのか自然と表情が戻っていく。

 《射撃》なんていうユニークスキルを持ち、正真正銘攻略組として強者に位置するシノン。遠距離武器を使いこなす彼女は、もうすっかりSAOに慣れており、アキト達にとってもかけがえのない存在になっていた。

 

 

 ────故に忘れていた。シノンは、ここへ来て日が浅いという事に。知らない事があるのは、当たり前だった。

 

 

 「そうなんだ……へぇ……よく覚えておかないとね」

 

 

 シノンは手元のウィンドウを見下ろして、一人そう呟いていた。そうして、彼女はOKボタンの隣りのNoボタンを躊躇い無く押した。

 《犯罪防止コード》の表示が消えた瞬間、一同は今度こそ安堵の息を吐いた。先程よりも深い息で、アキトは苦笑する。

 もう少しで、途轍も無くダサい理由で監獄送りにされるところだった。

 

 

 うっかりシノンに触れて、飛ばされないように気を付けよう。

 

 

 そう思うアキトであった。

 

 

 

 








小ネタ 『繋いだ手』


シノン 「……」ジー

シノン 「……」ニギニキ

シノン 「……」グッパグッパ

シノン 「……♪」///

フィリア 「シノン、さっきから自分の手ばっかり見てるね」

アキト 「さっき、強く握り過ぎたかな……」













次回 『仮想と現実』


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Ep.104 仮想と現実






更新していると思ったらIFだったりと本編だったりと読みにくいと言われたので、近いうちに整理も兼ねて、IFストーリーを削除させていただきます。

同じ事を思っていた方々にも一言謝罪致します。
残りの本編とコラボに関しましても、後々解決策を探していきますのでご了承ください。
まあ、IFに逸れるより早く本編やって欲しいですよね皆さん……脱線しまくってすみませんでした。


では、どうぞ(´・ω・`)









 

 

 

 

 「しっ────!」

 

 

 背後から迫るリザードマンの腹に、振り向きざまに一撃を加える。

 光芒纏う剣が鮮やかな輝線を描き、互いがすれ違ったその瞬間、リザードマンはポリゴン片となって砕け散った。

 続けて剣を振り上げて近付いてくる同種に対して一歩で間合いに入り込み、《ヴォーパル・ストライク》を発動する。紅蓮の煌めきが空間を裂き、一直線に敵の鳩尾を貫く。

 大量に残っていたはずのHPはあっさりとゼロになり、眼前のリザードマンは目を見開いた後四散した。

 

 辺りを見渡せばまだ何体か点在しており、全員が武器を構えてこちらを睨み付けている。個体によって別の武器を所有しており、どんな敵相手にも弱点を突けるようにしていた。

 上層に上がるにつれ顕著に浮き出るアルゴリズムの変化。モンスターが思考し、こうして集団になれば連携を取り始める。長剣、盾、槍、曲刀。見れば見るほど豊富な武器種と、互いにアイコンタクトを送る仕草まで、まるで人間───攻略組と変わらない。

 

 

 「……」

 

 

 流石に敵が多いだろうか。

 アキトは右手に携えた《リメインズハート》に視線を落とす。柄から刃先まで真紅に彩られた業物。鍔に埋め込まれた蒼い宝玉が太陽の光に晒されて小さく光る。

 

 現在、アキトはこの《リメインズハート》一本でこの場を制していた。決して楽な訳ではないし、油断しているつもりもないが、別段それでも苦労していなかった。だが、数が増えてくると万が一という可能性もある。上層に上がれば上がるほどソロでの攻略は難しい。故に現在のこの状況も、剣一本では厳しい部類に入るだろう。

 《剣技連携(スキルコネクト)》という、隙を作らずにソードスキルを連発出来る技もあるが、片手剣一本と拳一つだと左右のリーチの差が生まれる為、集団戦に於いて実は使い難かったりするのだ。

 

 

(なら……)

 

 

 アキトは、ゆっくりと左手を背中へと伸ばしていく。そして、肩から突き出たもう一本の剣の持ち手を握り締めた。

 蒼い剣《ブレイブハート》。青空のような鮮やかな刀身に、紅玉が鍔に埋め込まれた業物。まるで、《リメインズハート》と対を成す存在にさえ感じる。

 

 ユニークスキル《二刀流》

 

 今この場を圧倒的な力でねじ伏せられる、唯一無二のスキル。

 思えば、ここぞという時以外でこのスキルを使用した事は無い。75層でのキリトとヒースクリフの決闘した日である2024年11月7日に継承した段階で、このスキルの熟練度は既にコンプリートされていたからだ。恐らく、キリトが使用していた状態のものをそのまま譲り受けたのだろう。

 まるで彼の意志をそのまま受け継いだかのような感覚に陥り、アキトは身を引き締めた。彼の代わりにはなれなくとも、彼がしようとした事をやり遂げてみせると決意したあの日を思い出す。

 

 

(……よし)

 

 

 レベリング効率を考えれば、ここは《二刀流》が望ましい。

 アキトは周りのモンスターとの距離を把握しつつ、その鞘から《ブレイブハート》を────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── ズキリ

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 ─── 引き抜こうとした、その手を止めた。

 小さく、だが確かに感じた頭の痛みに、アキトの瞳は揺れた。

 《二刀流》を使おうとした瞬間に感じた突き刺すようなその痛みに、アキトは思わず《ブレイブハート》から手を離した。

 何故か、この剣を引き抜く事を躊躇った。その左手が僅かに震えている事に、アキトは困惑を隠せない。

 

 それを隙だと思ったのだろうか。

 瞬間、リザードマン達が一斉にアキトに向かって飛び出してきた。

 

 

 「っ!」

 

 

 アキトは我に返ると、すぐに視線を背中の柄から外し、目の前まで来ている鎧装備のリザードマンを睨み付ける。《リメインズハート》を斜めに構えると、そこからライトエフェクトが放たれ、そのまま一気に振り下ろす。

 片手剣単発技《スラント》だ。視認すら難しい剣速で放たれたそれは、鎧諸共全てを四散させる。もう一体のリザードマンが、それを機にアキトの側面へと詰め寄り、その長槍を突き出す。が、アキトはそれをひらりと躱し、空いた左手を奴の腹に当てがった。

 

 コネクト・《掌破》

 

 張り手によって重い衝撃を与える体術スキルが瞬時に発動し、そのリザードマンを吹き飛ばした。等速直線運動よろしく、そのまま近くの巨木に背中を叩き付け、その身体をポリゴン片と化していた。

 唖然とするモンスターの群れ。けれどすぐに特攻を決め込む輩に、今度は範囲技《ホリゾンタル》を繰り出し、一瞬で数体を殲滅する。

 

 

 「……」

 

 

 降り抜いた剣を下ろし、ゆっくりと顔を上げるアキト。冷めたような表情とは裏腹に、心は確かに揺らめいていた。

 ほんの少しの動揺を隠せず、それでも尚目の前の敵を睨み付ける。そのまま剣を構えると、視界に入るモンスター全てに向かって駆け出してた。

 斬る、斬る。ただひたすらに。

 相手の動きを知識として取り入れ、把握し、演算を開始する。例え雑魚と称される敵であったとしても、油断する事は決してない。

 

 

 しかしその間、脳裏に過ぎるのは。

 今までずっと感じていたのは、先程の頭痛だった。

 ここのところ続いている度重なる頭の痛み。今までなあなあにして誤魔化していたが、そろそろちゃんと向き合わなければならないのかもしれない。

 これが、何なのかを。

 

 

 けれど、そうは言いつつも。

 アキトはもう、とっくに理解していたのかもしれない。自分が今、どういう状況下に置かれているのかを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 あの後レベルが一つ上がったアキトは、キリもよかったので一先ず狩りを中断し、その足で《アークソフィア》へと戻って来ていた。

 まだ夕方に差し掛かる時間帯の為、多くのプレイヤーは攻略に出ている頃合いだろうと思っていたが、心做しかいつもより人の数が多いような気がする。今日は、アキト同様に早めに帰って来ているプレイヤーが多いのかもしれない。

 

 街中を吹き抜ける風が肌を撫で、揺蕩う草花が香りを運ぶ。同時に、広場を歩く人達の楽しげな会話が耳に入り、自然と視線が彼らへ向かう。談笑している彼らの綻んだ顔に温かさを感じたアキトは、近くのベンチへとゆっくりと座った。

 木造りのベンチを細い指でなぞり、雲が漂う青空を見上げる。けれど、頭の中で何かを考えている訳ではなかった。

 夕飯の時間にしても早過ぎるし、今から攻略に再び戻る気分でもない。

 

 

 しかし、そうしてボーッとしている時だった。

 

 

 

 

 「あ……アキト……」

 

 

 「……?」

 

 

 

 

 突如自分を呼ぶ声がして、アキトは我に返る。

 空を見上げていた視線を落とし、思わず前を見る。すると、そこには見知った少女が立っていた。

 全体的に紫を主体とした装備に、薄紫色の銀に近い髪に、紅い瞳。

 けれどその表情は、アキトが知っているものとまるで違っていた。

 

 

 「……ストレア?」

 

 

 アキトは思わず、そう聞き返してしまった。

 天真爛漫で、快活な少女。それが、ストレアのイメージだった。なのに今の彼女からはそれが感じられず、何処か具合が悪そうな、元気が無いような、そんな感じが見られた。

 とても珍しい姿に、アキトは困惑を隠せない。アキトは自然とベンチから立ち上がり、ストレアへと歩いていく。

 

 

 「どうしたの……?気分でも悪い……?」

 

 

 そうアキトが尋ねても、反応が薄い。だが、少しして彼女は眉を寄せて、か細い声で囁いた。

 気を抜くと聞き逃してしまうかもしれないほどに、弱々しい声だった。

 

 

 「ねえ、アキト……どっか気分転換出来る場所って無いかな?」

 

 「気分、転換?」

 

 「うん……気持ちが良くって、サッパリ出来るところ……」

 

 

 それを聞いて、アキトは眉を顰める。あの元気な姿は何処にもなく、とても儚げな表情。今にも消えてしまいそうな、そんな雰囲気。

 体調の問題かもしれない。でも、何か悩みを抱えているのかもしれない。

 そう思える程に、今のストレアはいつもと違う。故に、アキトはストレアを放っておけなかった。

 

 

 「……あるよ」

 

 「……ホント?」

 

 「期待に添えるかは分からないけど、この街の、それもすぐ近くにある。知ってる人も殆どいないし、俺のお気に入りの場所なんだ」

 

 

 それは、何かあった時、何も考えたくない時に、アキトが赴く憩いの場。アキトの他にはアスナとユイの二人しか知らないであろう場所の事だった。

 アキトが敢えて自信ありげにそう言うと、ストレアはぱちくりと目を丸くした。すると、眉を寄せたまま力無く、卑屈に笑った。

 

 

 「……良いの?そんな場所をアタシに教えちゃっても」

 

 「当たり前でしょ。一人が良いなら、道だけ教えようか?」

 

 「……ううん。一緒に行こ?」

 

 

 ストレアは、そうして片手をアキトに差し出した。

 今度はアキトが目を丸くする番で、思わずその手とストレアを交互に見た。

 けれど、そのおかげで気が付いたのだ。彼女のその提案や大胆な行動はいつもと同じはずなのに、声も、仕草も、微笑む表情も儚げで脆くて。今にも壊れてしまいそうで。

 いつもと全く違う事を。

 

 

 「……良いよ」

 

 

 アキトは一瞬躊躇ったが、ストレアから差し出されたその手を、優しく握った。

 ストレアは、嬉しそうにその手を握り返す。繋がれたその手を開き、指と指が絡み合う。ピッタリと繋がれて、決して離れないようにと、ストレアからそんな気持ちを感じる。

 アキトは一瞬だけ驚くも、ストレアのそんな表情を見た瞬間、彼女のその手を強く握り返した。何処かへ消えていってしまわないように。すると、ストレアは嬉しそうに笑う。

 

 

 「えへへ……」

 

 

 そのまま、ゆっくりと。足を踏み出す。

 ストレアはアキトに全てを委ねるように、ただ引かれるがままについて行く。けれどその表情は柔らかで、アキトに信頼を寄せている事が分かる。

 アキトは、何も言わないストレアを、目的地までただ引く事しか出来ない。

 

 人が少なかった転移門広場から、商店街へと足を運ぶ。

 変わらず繋がれたその手から、僅かな熱を感じる。ストレアのその手は酷く冷たく、無機物に思えた。こうして繋ぐ事で、漸く温かさを知る事が出来たような、そんな細い手と指だった。

 そうして歩いていると、すれ違うプレイヤーの何人かざ、アキトとストレアを見て目を丸くしたり、ヒソヒソと会話をしたりしているのを感じた。

『“黒の剣士”が、女の子と手を繋いでいる』と、そんな噂が立つかもしれない。けれど今は自分の事よりも、ただストレアの事だけが気がかりだった。

 ストレアは周りに見られている事に気付くと、クスリと小さく笑っていた。

 

 

 「……ふふ、デートみたいだね」

 

 「……っ」

 

 

 まだ、彼女の声は弱々しかった。

 普段はストレアがアキトの手を引いて前を歩くのに、今はそれも逆で。それが、何故かとても辛くて。アキトは小さく歯軋りした。

 いつもストレアに、自分達は笑顔を貰っていたのに。最初こそ警戒していたアスナ達だって、今はストレアの事を大切に思っているはずだ。

 だからこそ、そんな彼女の元気がないなら、力になってあげたいのに。アキトは、乾いた笑みで作った言葉しか放てない無力な自分を恨んだ。

 

 

 「ストレア、あれから体調の方はどう?」

 

 「うーん……まあまあかなー。心配、してくれてるんだ?」

 

 「……そんなの、決まってるじゃん」

 

 「えへへー、ありがと」

 

 

 少しばかり、口調がキツくなる。それはストレアに対しての苛立ちなんかじゃなく、何も出来ず、何も気付いてやれない自分自身への憤り。

 けれどストレアはそんなアキトの気持ちなんて気にしてないというように微笑んでいる。アキトにはそれが、何かを抱えている事をひた隠しにして誤魔化すような、そんな表情に見えたのだった。

 こちらが会話を切り出さなければ、彼女から口を開く事はない。そんな大き過ぎる違和感に、アキトの表情も曇っていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 歩くにつれて、人通りが少なくなってきた。目的地は路地裏から入る為に自然と人気は無くなってしまうが、そうでなくとも二人の間の空気は冷たく、静けさが漂っていた。

 物言わず俯くストレアと、その手を引いて歩くアキト。指が絡められたその手だけは強く握られ、決して離れないように固く結ばれていた。

 歩いていくうちに段々と太陽が傾き、やがて空がオレンジ色に差し掛かるった。建物の間から伸びる光が、アキトとストレアの目を細める。

 

 だが、段々と目が慣れ始めてくると、その視界に広がるのは広大な水平線。そこから見える街や夕焼けが水面に反射して、とても幻想的な風景と化していた。

 冷たい風が頬を撫で、靡く草花の音が心地好い。ストレアは、目の前の景色を見て目を見開いていた。

 

 「うわあ……!」

 

 瞳を輝かせ、感嘆の息を漏らす。

 一瞬だけだが、いつもの彼女に戻ったような気がした。視線の先に湖を映し、水平線の彼方まで眺めているような、そんな風にアキトには見えていた。

 

 「……少しは、気分転換になったかな」

 

 アキトは、ポツリと小さな笑みで呟いた。

 ストレアはこの場所に来て、自分と同じような感想を抱いているだろうかと、ふと疑問に思ったのだ。

 落ち込んだ時、逃げたい時、悲しい時、何も考えたくない時、スキル上げをする時、昼寝をする時。何だって良い。アキトはここに来れば、一時だけだとしても、いろんな事を忘れ、気を紛らわせる事が出来たのだ。

 だから、彼女もそうあったならと、そう願った。

 

 「……ふふっ」

 

 「?」

 

 ストレアは目を丸くすると、クスリと小さく笑った。

 

 「……ここ、前に来た事あるよ」

 

 「……えっ、そうなの?」

 

 今度はアキトが驚く番だった。

 しかし、ストレアは複雑そうな顔で笑うと、アキトを見て口元を緩めた。

 

 「うん。アタシが初めてアキトと会った場所だよ。アキトってば、忘れちゃったのー?」

 

 「……あ」

 

 ストレアにそう言われ、アキトは漸く思い出した。

 アキトが初めて、彼女と出会ったのは正にこの場所だった。77層のボスを討伐した際、攻略組が瓦解しないようにと一芝居打った後、この場所に来て眠ってしまったとある日に、アキトはストレアと出会ったのだ。

 目が覚めれば、自身の上でスヤスヤと眠っていて。初対面からかなり馴れ馴れしくて、カフェで振り回されて。

 けれど、何故か嫌な気にはなれなくて。それどころか、懐かしい感覚を覚えて。

 あの瞬間から、自分は彼女に魅せられたのかもしれない。アキトはそう思った。そしてそれはきっと、アスナ達も同じだった。

 

 「そう、だった……忘れてた……ここってストレアも知ってる場所だったね……」

 

 「でも、あの時はこの場所の景色ちゃんと見てなかったし。……そっか、こんなに凄い場所だったんだ……」

 

 ストレアは風に流された髪を耳にかけながら、夕日を見て目を細めていた。変わらず儚げな笑みで、ただ純粋にこの場所に魅入られているようだった。

 そんな彼女に何を言う事もせずただただ口を噤むアキトは、俯いて、草原を見下ろすだけ。

 

 「……」

 

 ストレアに、何を言えば良いのだろうか。そればかりをずっと考えていた。

 体調が悪いのか。疲れているのか。頭が痛いのか。彼女が言う『探し物』が、まだ見つかっていなくて落ち込んでいるのだろうか。

 あの日、アキトの部屋で告げた、『自分ではない誰か』の存在に悩まされているのか。

 

 聞きたい事─── 聞ける事はたくさんあるのに。

 それは、聞いても良い事なのだろうかと、少しばかり躊躇った。

 

 ────すると、ストレアの方から切り出してきた。

 

 

 「……ねえ、聞いても良い?」

 

 「っ……」

 

 

 思わず肩を震わせたアキト。俯いていた顔を上げれば、夕日からこちらに身体を向けたストレアが、真面目な表情でアキトを見据えていて。

 その表情から、彼女が何を聞きたいのか、その真剣さが理解出来た気がした。きっと、大事な───ストレアの元気が無い理由にも起因する何かなのかもしれないとアキトは悟り、どうにか声を絞り出した。

 

 

 「な、何……?」

 

 「アキト達は、このゲームのクリアを目指してるんだよね」

 

 「え……うん、まあ……」

 

 

 けれど、彼女から繰り出された言葉に────

 

 

 「ずっとここに居たいとは、思わないの?」

 

 

 ────そんな、答えが決まってる質問に、アキトの思考が一瞬だけ停止した。

 

 

 「……ぇ?」

 

 

 思わず、顔を上げる。

 こちらを変わらず真っ直ぐに見るストレアの顔を確認し、わけも分からずその瞳が揺れる。

 ストレアのその質問の意図は何なのか、どうしてそんな当たり前の事を聞くのか。このゲームの目的なんて、初めからそれだけだというのに。二年前から決まっているのに、何故そんな質問を────

 アキトはその質問の意味を、数秒考えた。

 

 どうしてか、心の叫びにも似た何かを感じたから。

 

 その言葉が紡がれた瞬間、いっそう強い風がコートを靡かせた。水面が波紋を生み出し、映る景色を陽炎の如く揺れ動かす。太陽はゆっくりと確実に沈み始めていて、辺りが暗がりに包まれようとすると同時に、この場所にも静けさが生まれつつあった。

 

 「……どうして」

 

 どうにか吐き出した言葉は、ストレアが繰り出した質問に対する純粋な疑問だった。質問に質問で返すのは不誠実だったかもしれない。けれど、何故かこの時ばかりは聞かなければいけないように感じたのだ。

 だがストレアは、一瞬だけ困ったような表情を浮かべるも、すぐに考えるように小さく唸ると、当たり障りのない理由でなんとなく言葉を紡ぎ出した。

 

 「うーん……少し、気になっただけ。こんな綺麗な場所だってあるし、仲間だってたくさんいるし」

 

 それが誤魔化しなのだと、アキトはすぐに理解した。

 ストレアが裏表のない純粋な性格で、きっと嘘なんて吐けない優しい少女であろう事を、アキトはもう知っていたから。

 だからこそこの質問には、彼女が悩み抱くものの答えを見出す事の出来る情報、その“何か”が確かに宿っていると、そう思えた。けれど、誰に聞いてもほぼ同じような答えが返ってくるだろうその質問にどんな意味があるのだろうと、考えてしまった。

 

『ずっとここ居たいとは思わないのか』

 

 ストレアの質問はつまり、ゲームクリアを諦めてこの世界で暮らす事を選ばないのかという事だ。このまま攻略を停滞させ、残りの人生をこの場所で過ごそうとは思わないのかという事だ。

 何故そんな質問をしてきたのかは分からない。けれど、その質問の答えなんて初めから決まっている。だからこそアキトは、正直な気持ちを彼女に告げる事にした。

 

 

 「……俺は帰りたい、って、思うよ……」

 

 「……」

 

 「そりゃあ、人によっては違うのかもしれないけど……でもこの二年間、ずっとそれだけが一つの目標で、その為にみんな必死に生きてきた。ここで諦めたら、死んでしまった人達も報われない気がするんだ」

 

 

 諦めは、この世界に屈服し隷属するという事だ。

 それはこれまでの二年間を、そして必死に生きようともがき苦しんでも尚生きられなかった人達を否定する行為だ。

 全てが始まったあの日からずっと、この世界のプレイヤーが望んだ事、それを無かった事には出来ないから。

 

 

 「勿論、そんな人達の為だけって訳じゃないけど……それを引いても、俺は現実世界に戻りたいって思ってる」

 

 

 そう、ただ純粋に。

 アキト個人としても、現実世界に帰りたいと願っている。いつまでも、この世界にはいる事は出来ないのだと、真っ直ぐにストレアに言い放った。

 すると、ストレアがこんな事を呟いたのだった。

 

 

 

 

 「それは……この世界が偽物だから?」

 

 

 「っ……え?」

 

 

 

 

 彼女から告げられたその言葉に、アキトは目を丸くした。ストレアは悲しげに眉を寄せてこちらを見据え、唇を引き結んでいた。

 俯くその表情には影が差し、瞳が髪に隠れる。ストレアはただ立ち尽くして、アキトの次の言葉を待っていた。

 

 

 「……いや、そんな風には思ってないよ」

 

 「……」

 

 「確かに、その……現実世界と違うなって思う部分はあるけど……」

 

 

 アキトのそんな言葉に、ストレアは反応を示さない。けれど、アキトはただ事実を─── 自分が思っている事を、つらつらと話し始める。

 地面を踏み締めて、ゆっくりとストレアへと歩み寄っていく。

 

 

 「現実での感触を、この世界が完全に再現しているとは言わない。現実世界にあるものの方がリアルに見える事だってあるし。けど、それでもさ……温かいとか、冷たいとか、そういう感情って、確かに感じてるんだ。それはきっと、仮想も現実も関係無い、変わらないって思うんだ」

 

 「……仮想も現実も、変わらない……」

 

 「この景色だってそうだよ。この夕焼けがたとえ偽物だったとしても、綺麗だって確かに感じてる。そこに本物偽物なんて、関係無いんだよ」

 

 「……関係、無い……」

 

 

 アキトの言葉を、ただただストレアが繰り返す。

 アキトは小さく頷くと、彼女の隣りに並んで景色を眺め始めた。隣りから弱々しい視線を感じながらも、ただ言葉を紡いでいく。

 

 

 「一緒に居て楽しいとか嬉しいとか……誰かを好きになる、とか……そんな気持ちだってさ」

 

 「っ……」

 

 

 確かに、現実世界を知ってるアキト達プレイヤーは、ふとした時に仮想世界が偽物に感じる事もあるかもしれない。

 この世界は現実世界に限りなく近い。けれど、“近い”だけで決して“同じ”ではないのだ。

 現実の感触を完璧に再現した訳ではなく、見た事の無い生物が棲み、現実味を感じない世界観。ただのデータの塊にしか見えないクオリティの低い建物やモンスターだっている。

 データ処理等の問題があるのかは不明だが、その甘さが垣間見えた時にふと、ここが仮想世界なのだと思わされる時が来るのだ。

 

 

 

 

 ────けど、それでも。

 

 

 

 

 「何かを大切に想う気持ちが偽物()だって……仮想だって……想いたくない」

 

 

 「アキト……」

 

 

 

 

 それこそが真理だった。

 楽しかった、嬉しかった事。好きだった、愛しいもの。その全てが偽物(フェイク)だったとしても。

 愛したこの気持ちや意思まで、奪わせはしない。アキトは、ハッキリとストレアにそう告げた。

 

 

 「……それでも、現実に帰りたいの?」

 

 

 隣りに立つ彼女が、か細い声でそう尋ねてきた。

 アキトのその言い分では、仮想も現実と変わらないと、そう言っているだけだ。だから、きっと帰りたい理由にはなっていない。

 けれど、理由なら確かにあったのだ。アキトはそれを、ストレアに向けて呟いた。

 

 

 「……待たせてる人がいるんだ。いや、今更待ってなんてくれてないかもしれない。けど、そうだな……俺が、俺自身が、謝りたいって思ってる人達がいるんだ。だから……」

 

 

 口を開く度に想いを馳せる。

 現実世界に置き去りにした、家族の姿を。ここへ来る前に、かなり酷い態度をとっていた事を思い出し、今になって後悔している。あの日の自分の行動全てを、今でも恨む。

 待ってくれてるだなんて思うのは虫が良過ぎるし、勝手だ。自惚れも良いとこである。けれど迷惑や面倒は掛けているし、アキト自身伝えたい言葉もある。

 だから必ず帰って、謝りたいと切に願う。必ず現実にするのだと固く誓う。

 

 

 それが、この世界で結んだいつかの“約束”でもあるから。

 

 

 「俺だけじゃない。みんな、現実世界で大切な人を待たせてる。そしてその人達に会いたいって思ってる。だから、みんな帰りたいんじゃないかな。いろんな意味で現実的な、あの夢の無い世界にさ」

 

 

 そう言って、アキトは苦笑した。自分で言っていて、何だか可笑しくなってしまったから。

 誰もが願ったはずの夢のような世界にいるのに、ただただ現実を突き付けてくる、それこそ夢の無い世界への帰還をずっと望んでいるだなんて、皮肉が効いている。

 でも、誰もが現実世界の事を思い出し、帰りたいと願っているはずだ。だからこそ、アキトは今ここにいる。

 

 

 「そっか……やっぱりそうだよね……」

 

 

 アキトの主張を聞き終えたストレアは、変わらず暗い表情で沈みゆく夕日を見つめていた。

 今アキトが告げた事全ては、きっとこの世界で生きる殆どのプレイヤーが思っている事のはずだった。なのにストレアの表情が優れない事に、アキトは戸惑いを隠せないでいた。

 

 

 ストレアはまるで、ゲームクリアを拒んでいるかのような────

 

 

 「……ストレアは、その……クリア、したくないの?」

 

 

 だから、思わず聞いてしまった。

 それがストレアにとって、聞いて欲しくない事なのかもしれないと理解していても。

 そして、彼女は再び俯いて、ポツリと小さく囁いた。

 

 

 「……クリアしちゃうと、多分アキトと会えなくなる」

 

 「そんな事……きっと現実世界でも、今みたいに一緒に……」

 

 「でも、アタシ……」

 

 

 アキトの言葉を遮るように言葉を重ねるストレア。

 けれど顔を上げた彼女は、何かを躊躇うように視線を逸らすと、再び口を噤んでしまった。

 何を伝えたかったのか、それを追求する事は、アキトには出来なかった。

 

 

 それをちゃんと聞いてさえいれば、後悔する事も無かったのかもしれないのに────

 

 

 「ストレア……?」

 

 「……ゴメン、何でもないの」

 

 

 問い掛けても、ストレアは何も言わなかった。

 まるで、言ってはいけないのだと、そう自分に課しているようだった。

 それが何故か痛々しくて、アキトには見ていられない。気が付けば、自然とその手がストレアへと伸びていた。

 

 

 「……アキト?」

 

 「……」

 

 

 彼女のその手を、そっと握る。

 掴んだ手さえも脆く感じる程に、ストレアは儚く見えた。アキトは小さく息を吐くと、ストレアの瞳を真っ直ぐに見据えた。

 急に手を掴まれた事に、彼女は意外にも戸惑っていて、アキトは可笑しくなった。いつもなら、ストレアの方から握ってくるのに。

 

 

 「……なあ、ストレア」

 

 

 口を開きながら思い出す。

 そう、いつもなら彼女からこちらに迫ってくる。自由奔放で、無邪気で、破天荒で。けれどそんな裏表のない笑顔に、アキトだけじゃなくみんなが魅入られ惹かれたのだ。

 落ち込んだ時だって、彼女の顔を見れば、声を聞けば、一時忘れる事が出来た。初めこそ警戒していたアスナ達だって、今ではストレアの事を大雪に思ってくれているはず。

 ストレアが、みんなを引っ張ってくれたように。

 

 

 ────今度は、俺達が彼女を。

 

 

 「もし現実に戻ってもさ、俺が必ずストレアを見付けるよ。だから、会えなくなるなんて事は絶対にない」

 

 「アキト……」

 

 「約束するよ。どの世界でも、みんなでまた楽しく過ごせるって。その為の努力をするって」

 

 

 それは、その場の勢いと言われても仕方の無い言葉だった。

 けれどそれは偶然にもわストレアが欲しくて欲しくて堪らなかった言葉だった。

 ストレアは驚いたように目を見開き、ただアキトの真面目な顔を見て、口を開く。

 

 

 

 

 「……ふふ、ありがとね、アキト」

 

 

 

 

 ────それは、今まで元気の無かったストレアが見せた、彼女らしい笑顔だった。

 

 

 

 








アキト 「そろそろ帰ろっか」

ストレア 「うーん、まだ夜まで時間あるし、デートしようよ!」

アキト 「へ?や、さっき歩いてる時にデートみたいだって言ってたし、もうあれで────」

ストレア 「うん!だからホントのデートしよ!ほらほら〜♪」

アキト 「え、ちょ、ま、待って待って、何でそんなに力強いの!?筋力値どうなって痛でででで!」



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Ep.105 90層到達パーティ





読者の方に、アキト君のイラストをいただきました……!こんな嬉しい事ある!?褒め殺しの言葉まで頂いて……このまま完結出来ずに死んでしまいそうなくらい嬉しいです!(*´ω`*)
コラボ編も大分投稿出来たので、今回は久しぶりの本編です!

因みに皆様、if編でプロローグだけ書き始めているアリシゼーション編はご存知でしょうか。こちらも残り2.3話ほど随時投稿致します。この話と同時に一話投稿していると思います。
上手く書けているかが、とても不安……この先設定とかガバガバになったらどうしよう……ただでさえ難しいアリシゼーションなのに……!


それではどうぞ!




 

 

 

 現実世界では二月も半ばを過ぎるであろう頃、それに合わせるかの如く76層の街《アークソフィア》も寒さが包んでいた。外に出れば吐息は白くなり、手袋をしなければ手は途端に悴む。夜になれば更に冷気が滞り、場合によっては霧が出来てより寒さを感じるようになる。

 良くも悪くも仮想世界の気象設定は現実に忠実であり、砂漠エリアや火山エリアなどの特定フィールド以外ではこうしてどの層も冬という季節を感じていた。日が短くなるこの時期は、早い段階で街灯が点き始め、外に出るプレイヤーもそれほど多くは無い。武器防具とは違う、寒さを凌ぐ事に特化した防寒着を身に付けて街を出歩く者もそれなりに見られるが、この暗い時間帯に態々フィールドに出てレベリングをしようなんて酔狂な者は少ない。冬から春へと差し掛かる時期ではあるが、《アークソフィア》の街は他の層と特に違いも無く静寂を保っていた。

 

 だが今日の《アークソフィア》───特にエギルの店の中においては、そんな寒さなど忘れるかの如く集まったプレイヤー達で賑わっていた。

 普段食事処や酒場としても使われる店でもあるが、今日はまた一段と人が多く集まっている。今までも、夕食の時間になれば必然と溜まり場のようにはなっていたのだが、今日の夜は少し違っていた。

 いつもいるであろう常連客だけでなく、攻略組で見た事のある顔触れや、そうでないプレイヤーも沢山集まり、席が足りないのではと思う程だ。カウンター辺りの席に座るのは店主の顔見知りである女性率が高いグループ、真ん中辺りは中層から来てしまった一般のプレイヤー、入口付近の席には攻略組が座っていた。いつも以上の人数に、エギルが態々裏方から新しいテーブルと席を持って来た程だ。

 そして彼らの表情は揃いも揃って満足そうな、嬉しそうな笑顔。普段の会話などから生じるものよりも何処か質が高いというか、嬉しさの度合いが桁違いに感じる表情だった。

 

 

 

 

 ────その理由は至極単純で、それでいて当然の事だった。

 

 

 

 

 「……ゴホン!えー、そんじゃ90層到達って事で、恒例の節目パーティを開催しまーす!皆さん、カンパーイ!」

 

 

『『『カンパーイ!』』』

 

 

 

 

 クラインの音頭に合わせてみんなが手に持つジョッキやグラスをぶつけ合う。誰もが嬉々とした声を上げ、一気に室内の温度も上がっていた。76層へ来て一番の盛り上がりなのではと感じる程だが、今日の《アークソフィア》の酒場はきっと、軒並みこんなテンションだろう。

 そう、先程も言ったが、彼らがこんなにも騒いでいる理由は至極単純で当然の事。

 今日、遂に《浮遊城アインクラッド》の踏破率が九割を達した。

 

 ────つまり攻略組は89層のボスを討伐し、90層へと辿り着いたのだ。

 

 よって、以前80層の際に節目として行われたパーティを今回もやろうという話になり、こうして人が集まったのだ。

 SAOが開始してから二年と三ヶ月、一体ここまで来れると何人が信じ、想像して来ただろうか。攻略組ですら一層のボスを突破するまでクリア出来るか不安を抱えていたというのに、今ではゲームクリアが現実味を帯び始めている。

 開始当初は誰も信じていなかっただろう。何せ、βテストの際にも碌に上がれなかったと聞いていたのだ。それに加えて互いに蹴落としが始まり、狩場の独占や攻略組の情報規制等、仲間であるはずのプレイヤー間での騙し合いが絶えずにここまで来てしまったのだ。もっと早く纏まれていたのなら、今頃ゲームクリアも出来たかもしれない。

 けれど、ギルドや考え方が違っても、ゲームクリアに近付く事実は誰にとっても喜ばしい事だった。今このエギルの店の中だけで言うのなら、攻略組の印象がよろしくないであろう中層プレイヤーと、そんな彼らを見下す攻略組が仲良く談笑してこの催しを楽しんでいるように見える。これこそが在るべき形であり、きっと誰もが理想とし求めた姿だったのかもしれない。

 

 

 傍から眺めているだけで自然と溢れてしまう笑み。カウンターに座るアキトはそんな彼らから手前へ視線を引き戻す。

 アスナ、シリカ、リズベット、リーファ、シノン、ユイ、ストレア、フィリア、クラインにエギル。みんな飲み物を片手に笑い合い、今日の出来事を祝福し讃え合っていた。ボス戦はやはり簡単には終わらず、苦戦を強いられた。だがアスナの洗練された突き、シノンの正確な射撃、シリカとリズベットの連携、リーファとフィリアの援護、クラインやエギルの他を守る立ち回り、そして他の攻略組のメンバーも遺憾無く力を発揮し、かなり安全に善戦したといえよう。

 そして、元々実力の高かったストレアの加入がとても大きい。主武装である両手剣から繰り出される攻撃力の高さによって、ボスのHPを恐らく今日一番に削ってくれた。立ち回りや連携など、攻略組に合わせる事が出来ていて、乱れる事も全く無くスイッチも援護も完璧に熟してくれていた。先日の事があっただけに不安だったが、ストレアは現在とても嬉しそうに料理を頬張っていた。

 彼女達をぼうっと眺めていると、視界の端で影がチラついた。

 

 

 「アキトさん、90層到達おめでとうございます!」

 

 「っ……ユイちゃん、ありがとう」

 

 

 ふと声を掛けられ我に返ると、ユイが嬉しそうな顔でこちらを見上げていた。一瞬言葉に詰まるもすぐに笑い返し、手を挙げて感謝を伝えた。

 ユイは少しばかり頬を赤くしながら、カウンター席に座るアキトの隣りにちょこんと座る。手に持っていたのは大きなお皿に乗せられた、アスナ達が作った料理の数々だった。

 それをカウンターテーブルに置いた後、ユイはアスナ達のいるテーブルへと戻って行ったかと思えば、自分のグラスと料理の乗った小皿を手に再びとてとてと戻って来る。それをカウンターに置くと、またアキトの隣りに腰掛けた。

 途端に後方のプレイヤー達が盛り上がりを見せ始め、思わずアキトとユイは振り返った。

 

 

 「凄い賑やかだよね。エギルの店がこんなに繁盛してるの、結構珍しいんじゃないかな」

 

 「アキトさん、それはエギルさんに失礼ですよっ。……でも、皆さんとても楽しそうですね」

 

 「最初こそ無謀だと思っていた100層到達が、もう目の前まで来てるんだもんね。浮かれたくもなるってもんか……」

 

 

 まるでそこに自分は介在していないかのような、他者と自分を線引きしたような瞳で周りの光景を見据えるアキトから溢れたのは、何処か寂しく、乾いた笑みだった。

 それを見たユイは、ポツリと呟いた。

 

 

 「……アキトさんは、嬉しくないんですか?」

 

 「っ……」

 

 

 瞬間、アキトの表情が固まった。

 

 

 

 「え……どうして?」

 

 「その……皆さんよりも、楽しそうじゃないというか……少し、元気が無いように見えたので……」

 

 

 ユイのその言葉に、アキトは僅かに肩を震わせる。

 アキトが見せる笑みに、ユイはいつもとは違う何かを感じ取ったらしいのだ。しかしアキトは少し間を置くとすぐに、何でも無いといった顔で取り繕った。

 

 

 「そ、そんな事無いよ。ただ、その……段々ボスも強くなってきてるしさ、ちょっとだけ疲れちゃったっていうか……はは」

 

 「そう、なんですか……でしたら、たくさん食べて元気を取り戻しましょう!」

 

 

 ユイはそう言って、テーブルに置いた大皿をアキトの方へと差し出してくる。アキトのその疲労感漂う表情に納得したのかそれ以上何も言わず、笑顔でそれを渡してくれる。アキトは小さく笑った後、眼前にある大皿に目を向けた。肉や野菜を取りどり使った料理達が幾つも取り分けられてその一皿に乗せられている。ユイ一人で食べるには些か多い量にアキトがぱちくりと目を瞬かせていると、ユイは笑顔で説明を始めた。

 

 

 「これ、ママが作った料理です。皆さんも一緒に作って……わ、私もお手伝いしたんです」

 

 「……貰って良いの?」

 

 「は、はいっ、勿論ですよ!食べてみて下さいっ!」

 

 「ありがと。……じゃあ、いただきます。んむっ……うん、美味しい!」

 

 

 アキトはユイを心配させまいと早速料理にありついた。アスナプロデュースという事もあり、どの料理もとても美味である。もぐもぐと口を動かせば、ユイは面白可笑しくクスクスと笑い、アキトも何処か満たされた気分になった。

 

 

 「そういえば、90層の街はもう見に行ったんですか?」

 

 「ああ、うん。アクティベートした後にチラッとだけ。確か《コヨルノス》って名前の街だったかな。フィールド出たらすぐ浮島でさ、その下は雲が広がってて下が見えないんだ。……あれは落ちたら死ぬかも」

 

 「浮島、ですか?」

 

 「うん。そのままダンジョンに行ける感じに見えたけど、すぐ迷宮区って訳でも無さそうなんだよなぁ……」

 

 「《アインクラッド》は100層の《紅玉宮》へと上がるにつれてフィールドが狭くなっていきます。今までのペースから考えても、ボスのフロアまでそれほど時間は掛からないと思いますよ」

 

 「分かってる。油断だけはしないようにするよ。ありがとね」

 

 

 ユイに一言お礼を言うと、その瞬間肩をポンポンと叩かれた。無意識に二人で振り返ると、そこにはさもパーティを楽しんでいる様子のストレアが、料理の乗った皿を片手に満面の笑みで立っていた。

 

 

 「アキト、ユイ!90層到達、おめでとー!」

 

 「ストレアさん、おめでとうございます!」

 

 「おめでと。それと、今日はお疲れ様。助かったよ」

 

 「えへへー、ありがと!パーティって凄いね!! みんな楽しそうだし、アタシも楽しい!! それにどのお料理も美味しいし、さいこー!」

 

 

 そんなストレアは、どう見てもアキトより楽しんでいた。お皿には今テーブルに並んでいる全料理が乗せられているように見える。それを苦笑気味に見ていると、ストレアはその皿をアキトとユイと同じカウンターテーブルに乗せ、アキトとユイの眼前に立った。

 何事かと不思議そうに眺めていると、途端に両手を広げたストレアが、こちらに迫って来たではないか。

 

 

 「「!?」」

 

 

 アキトとユイがギョッとするも束の間、ストレアは二人に抱き着き始めた。左右の腕にアキトとユイが包まれ、その腕力はとても強い。

 急な行為に何も考えられない二人は、段々と息が詰まるのを感じ、咄嗟に口を開いた。

 

 

 「す、ストレア……い、息が出来ない……!」

 

 「く、苦しいです……」

 

 「アキト、ユイ、パーティに呼んでくれてありがとね!」

 

 

 抱擁を終えたストレアは二人から離れ、最初と変わらずニコニコと笑みを浮かべていた。何て事は無い、先程のハグはストレアの感謝の気持ちだったのだろう。

 それを知ったアキトとユイは互いに顔を見合わせると、小さくクスリと笑い合った。

 

 

 「……俺達だけじゃないよ。他のみんなだってストレアには来て欲しいって思ってたんだ。ね?」

 

 「はいっ、ストレアさんが来てくれて、とっても嬉しいです。是非楽しんでいって下さい!」

 

 「ありがと〜!それじゃ、みんなにもお礼しないと!行ってくるね!」

 

 

 アキトとユイに手を振って、ストレアは踵を返す。カウンターから離れ、最初にストレアが向かった先は一番近くにいたシリカとリズベットだった。アキトとユイの時と同様にいきなり抱き着いて、二人を困惑させている。

 それを遠くから見つめていたアキトに、ユイは笑って呟いた。

 

 

 「あんなに喜んで下さると、私まで嬉しくなっちゃいます」

 

 「うん……呼んで良かったよ。ストレア……最近、何かに悩んでたみたいだったから……」

 

 「そうなんですか……?」

 

 「まあ……それが何かは良く分かってないんだけどさ……けど、彼女が俺を頼ってくれた時に、いつでも支えるつもりだよ」

 

 

 けれど彼女の発言から察するに、ストレアはゲームクリアをした先に待ち受ける何かに不安を感じているようだった。クリアしてしまうとみんなには会えなくなる、と彼女は言っていた。

 それがどういう事なのかは、まだちゃんと聞けていない。話せない事なのかもしれない。だから、無闇に聞いたりはしていない。でも、もし彼女がそれを打ち明けてくれたなら、アキトは全力を持って、その解決の為に動きたいと切に思った。

 ユイもそんなアキトの言葉に満足したのか、嬉しそうに微笑む。その中で、ズカズカと音を立ててこちらに向かってくる侍男に目が行った。

 

 

 「おーう、アキト!90層到達おめでとさん!しっかり楽しんでっか?」

 

 「クライン、おめでとう。まあ、それなりに楽しんでるよ。みんなは大分盛り上がってるみたいだけど……」

 

 「まあな……流石に90層まで来るとよ、攻略の方も厳しくなってくるだろ?息の詰まる戦闘が続くわけだから、こんな時はガッツリ騒がねぇとな!」

 

 「あはは……程々にね」

 

 「……おいアキト、全然飯が進んでねえじゃねえか!どれ、俺様が食わせてやる、ほれ!」

 

 「や、やめ、ご飯くらい自分のペースで……むぐっ!」

 

 「あ、アキトさんっ!?」

 

 

 ハイテンションとノリでアキトを弄るクラインと、嫌がるアキトの取っ組み合い。ユイがオドオドとしていると、再びこちらに来訪者が現れ、三人は動きを止める。

 

 

 「アキトさーん!おめでとうございます!」

 

 「きゅるぅ♪」

 

 「おめでと、アキト。……何してんのよアンタら」

 

 

 そこにいたのはシリカとピナ、そしてリズベットだった。挨拶と同時にリズベットは表情を変え、三人を訝しげに見やっていた。

 傍から見ればクラインがアキトの口に料理を突っ込んでいるようにしか見えない。いや、それが真実ではあるのだが。慌ててクラインの腕を押しやり、アキトは二人にも声を掛けた。

 

 

 「シリカ、リズベット、おめでとう。お、ピナもおめでとうね」

 

 「きゅるっ、きゅるぅ〜!」

 

 「あ、そうだピナ、何か食べ……って、どうしたの二人とも」

 

 

 飛んで来たピナの頭を人差し指で撫でていると、何処か疲れたような顔のシリカとリズベットに気付く。思わず眉を顰めると、その原因をつらつらと語り始めた。

 

 

 「今ストレアさんがやって来て、急に抱き着かれました……窒息するかと思いましたよ……」

 

 「あたしもよ。苦しかったわ……」

 

 「あ、ああ……それで……ストレア、今日誘ってくれたのが本当に嬉しかったみたいでさ、みんなにお礼参りしてるつもりなんだ」

 

 

 そう説明すると、シリカとリズベットは顔を見合わせ、困ったように笑った。

 

 

 「そうだったのね。……まあ悪気があった訳じゃないし、喜んでくれたみたいだし、良かったわ」

 

 「そうですね。一緒にいると飽きないというか、楽しいですし」

 

 「時々何するのか分からねぇのが、ちょっとばかし怖えけどな」

 

 

 二人と共にクラインが相槌を打つ。

 確かにストレアは何をするのか分からない無軌道過ぎる部分があるが、アキトはそこに味があると思っているし、あの天真爛漫で自由奔放な彼女だからこそ魅力があると思っている。

 そんな事を考えていると、また新たに犠牲者がこちらへと寄って来た。

 

 

 「ふぅ……ふぅ……あ、アキト君……」

 

 「な、何なのよ……あの人……」

 

 「お、お勤めご苦労様です、二人とも……」

 

 

 シリカやリズベット以上にぐったりしてやって来たのはリーファとシノンだった。顔を青くして具合が悪そうだ。

 

 

 「お礼を言われながら殺されかけたよ……」

 

 「逃げようとしたけどダメだった……」

 

 「あ、あはは……ま、まあストレアもそれだけ嬉しいんだよ」

 

 

 とどうにかストレアをフォローする。これ以上犠牲が出る前にとカウンターから立ち上がり、彼女達を掻き分けてテーブルへと向かうも、そこには更なる犠牲者が椅子に座ってテーブルに突っ伏していた。

 

 

 「……フィリア、アスナ、大丈夫?」

 

 「あ、アキト〜……」

 

 「大丈夫だけど……ストレアさん遠慮無さ過ぎだよ……」

 

 

 フィリアとアスナもストレアにお礼をされたらしく、アキトの行動は一足遅かったようだ。項垂れる彼女達に対して出来る事など、苦笑いを浮かべる事だけ。

 ここまで遠慮無いと、本当に御礼参りなのだろうかと疑いたくなるが、当の本人は満足そうにニコニコ笑っていた。

 

 

 「おいアキト、ちょっと手伝ってくれないか?」

 

 

 すると、厨房の方から野太い声が響く。振り返るまでもなくその声の主がエギルだと理解出来たが、心做しかいつも以上に声のトーンが高いような気がする。

 思わず全員で振り返る。全員顔を見合わせた後、呼ばれたアキトだけは首を傾げながらエギルに言われるがまま厨房の奥へと入り込んだ。

 

 

 「何を手伝えば良いの?」

 

 「これを運ぶのをだよ。もう一皿あるから頼むぜ」

 

 

 エギルは何故かニヤついた表情のまま、顎で運んで欲しい皿を指定する。アキトは視線の先にある二枚の大皿を何の躊躇いも無く手に取った。

 

 

 「分かった。この皿を運べば………………ぇ」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 しかし、その皿に乗ったものを一瞥して表情が固まった。思わずエギルと皿に乗った料理と視線が何度も行き交う。エギルは笑って頷くだけで何も言わず、アキトは表情を引き攣らせたままその二枚をアスナ達がいるテーブルへと運ぶ為に歩き出した。

 厨房からアキトが顔を出すと、待っていた彼らの視線が一斉に持っていた二枚の皿に注がれた。

 

 

 「アキトおかえりー、エギルは何だって……何持ってるのよ」

 

 

 リズベットはアキトの固まった表情にいち早く気が付いて、彼の手元の大皿二枚を見やる。

 アキトが無言のまま円テーブルに置いたその二皿に、一同は近付いた後目を見開いた。

 

 

 「これって……」

 

 「ピザ、だよね……」

 

 

 シリカとリーファがぱちぱちと瞬きをしながらそれを見下ろす。

 一見するとそれは、現実世界を想起させる何の変哲も無く美味しそうなただピザだった。何も知らないストレアとフィリアはそのピザを見て目を輝かせているが、他のメンバーはそうはいかない。

 アスナは満面の笑みを浮かべる気味の悪いエギルに、不思議そうに問い掛けた。

 

 

 「ね、ねえエギルさん……これってまさか……」

 

 「おう!激辛入りピザを、また作ってみたぜ」

 

 「うわぁ、やっぱり……」

 

 

 この巨漢は見た目に反して子どもみたいな余興をしたがるようだ。嬉々として説明する彼は本当に楽しそうで、誰も何も言えなかった。

 

 

 「しかも今回は数を増やして、激辛も三枚入ってる」

 

 「さ、三枚も……?」

 

 「来たね来たねー!! 楽しいイベントが!! 前回は酷い目に合ったからな……今回はリベンジさせて貰うぜ!」

 

 

 アキトが枚数を聞いて戦慄している隣りで、クラインは今回も乗り気のようだ。前回の教訓を活かし、今回こそはと燃えているように見える。当たる可能性は大いに上がったが、アキトからすればただただ辛いピザを引き当てる確率────つまりアキトにとってのハズレが当たりやすくなったという事だ。全く喜べない。

 

 

 「激辛当てた奴は前回同様、誰でも好きな奴に好きな事をさせられるってルールで行こうぜ!」

 

 「へー、なんかすっごく面白そう!アタシも混ぜてもらって良い?」

 

 「おう!入れ入れ!! 女性は多い方が……いや、参加者は多い方が楽しいってもんよ!他は誰が挑戦する?」

 

 

 ぱあっと顔を明るくさせたストレアの参加にテンションが上がるクライン。続いて参加者を募れば、何人もがその手を掲げ始めるではないか。

 

 

 「あ、あたしはやりますよ!!」

 

 「そうね、あたしもやるわ」

 

 「はい!参加します」

 

 「はいはい!私もやる!」

 

 

 シリカ、リズベット、リーファ、フィリアが声高らかにそう言い放つ。相も変わらず前回同様に聳え立つ真っ直ぐな右腕達。アキトは青い顔で信じられないとばかりに彼らを見やっていた。

 

 

 「……私もやる」

 

 「シノンまで……」

 

 「本当は満腹なんだけど……アンタを一日私のレベリングに付き合わせるのも、悪くないかなって」

 

 「え、お、俺なのっ!?」

 

 

 続けて口を開いたのはシノン。こういう事にはあまり乗り気じゃ無さそうなシノンだが、何の躊躇いも無くその手を挙げていた。

 しかもなんと彼女のターゲットが自分だった事実に、アキトは眉をひくつかせるが、シノンはさも楽しそうにクスクスと笑うだけ。

 

 

 「わ、私もやりますっ!」

 

 「ゆ、ユイちゃん……」

 

 

 するとユイもそんなシノンの言葉に反応するかのように手を挙げた。アスナ曰く、ユイは別に辛い物が得意な訳では無いという。前回のクラインのあの様子を見ても尚、参加しようだなんて肝が据わりすぎてはないだろうかと、アキトはただただ顔を青くした。

 そんなユイの隣りで、アスナも笑って手を挙げていた。

 

 

 「はーい!私も!シノのんの洋服とかコーディネートしてみたかったんだよねー」

 

 「な、何よそれ……」

 

 「ふふふ……覚悟しなさいよー」

 

 「ま、まさかアスナも要注意人物なの……?」

 

 

 アスナとシノンの間で妙な空気が流れ始める。

 兎にも角にも全員漏れなく参加が決まったところで、一同未だに賛同の意が得られていない黒の剣士に視線を向けた。

 アキトは一瞬だけ言葉に詰まるも、前回のパーティ同様に視線を壁へと向け始める。

 

 

 「っ……や、やー……俺ももう満腹だから、パスで良いかな────」

 

 「ピザを食べなくても構わないが、パーティに参加している以上、命令を受けたら従って貰うぞ」

 

 「な、なんて理不尽な……」

 

 

 エギルの卑劣なやり口(言い過ぎ)に、アキトは悔しげにエギルを見やった。エギルは子どものように悪戯げに笑うだけで、何も言ってくれない。アキト以外の全員が参加している現状で、自分だけ参加しないのはあまりにも空気の読めない行動の上、このパーティに水を差す行為になりかねない。最早外堀は完全に埋められ、逃げる道など最初から存在していなかった。

 

 

 「……はぁ」

 

 「どんだけ嫌なのよ……」

 

 

 リズベットの呆れるような声を耳に、アキトは渋々ピザを囲うみんなの輪に加わる。そうして、みんなが一斉に自分の食べたい一切れを選別していく。

 この十枚の中の内、漏れなく三枚が当たり。アキトにとってのハズレ。アキトは僅かに瞳を揺らし、一番最初に目が行った一切れに手を伸ばした。

 そうして他のメンバーもピザをその手に取ったのを確認すると、クラインが声を上げる。

 

 

 「……うーし!みんな自分の食べるヤツは決めたな?んじゃまた、みんなで一斉に食うぞ」

 

 

 互いに頷き合い、手に持つピザをまじまじと見つめる。

 そんな中で、アキトは他の人よりも、かつて無い程の緊張感を持っていた。

 

 

(大丈夫だ……確率は低い方、当たらない可能性の方が大きい……大丈夫、大丈夫……)

 

 

 心臓の高鳴りを抑えながら、それでも揺れる瞳でピザを見据える。そうして誰もがそんな姿勢を作った瞬間、クラインの掛け声が響いた。

 

 

 「いっせーのっ!」

 

 

 「あむっ……むぐ……」

 

 

 ヤケだと言わんばかりにアキトはピザを口に入れる。辛さなど感じるものかと暗示をかけながら、そんなものを感じる前に飲み込まんと噛み続けた。

 が、いつまで経っても火を吐くのではと感じる程の痛みがやって来ない。ただただ美味しい、普通のピザだ。アキトは自分にとっての当たりを引き当てたのだと確信し、小さく溜め息を吐くのだった。

 

 

 「……もぐもぐもぐ」

 

 「もぐ……もぐ……あ、凄く美味しいっ!……ってハズレかぁ」

 

 

 シリカとフィリアは普通のピザを引き当てたようだ。美味しいピザに顔を綻ばせたフィリアだったが、ハズレだと知った途端に残念そうだ。

 しかし彼女のすぐ隣りで、早速変化を見せた者がいた。

 

 

 「もぐもぐもぐ……ん?んん!?」

 

 「……す、ストレア?」

 

 

 味が舌に浸透するであろう頃合い丁度に、ストレアから妙な声が上がる。見開いた瞳で瞬きを繰り返し、段々と顔を赤くし、やがてその瞳からは涙が────

 

 

 「当たったあぁ〜!か、辛ーい!!!!」

 

 

 初めて見るストレアの反応をまじまじと見てしまう。

 涙目で顔が真っ赤で、今にも走り出しそうな彼女。すぐさまコップをひったくる様に取り、勢い良く飲み始める。何はともあれ最初の当たりだった。

 

 

 「もぐ……あむ……」

 

 「もぐもぐ……ちっ!ハズレたか……普通に美味ぇ」

 

 

 リーファやクラインもどうやらハズレだったようだ。クラインは悔しそうにピザを噛み締めている。

 すると、必然的に残りの人達の中に二つの当たりがあるという事に────

 

 

 「…………んん?」

 

 

 ふと、そんな声が聞こえた。

 声の主へと視線を走らせると、そこにいたのはストレアと同様の反応を見せる栗色髪の少女、アスナだった。

 

 

 「んーーーーーーっ!!!?」

 

 

 突如そんな声を上げ、バタバタと手を振り回す。顔はストレア以上に赤く、想像以上の辛さに言葉が出せないようだ。アスナもアスナで初めて見る反応に、アキトは思わず苦笑を浮かべる。

 

 

 「んー!! んー!!」

 

 「水?持って来ようか?」

 

 「ああああっ!! だっ、大丈夫!! 自分で持って来る!」

 

 「別に前回みたいな事言わないわよ……」

 

 

 リズベットの水を断り、自分自身で水を取りに厨房まで走っていくアスナを尻目に、アキト達は未だ反応を変えない残りの二人を見た。

 ユイとシノン。他のみんながハズレだったところから、残りの当たりは二人のうちのどちらか。アキトの個人的願望としては、クライン、ストレア、アスナをあんな風にしてしまう辛さをユイには味わって欲しくないものだ。シノンに対してもそう思うのだが、逆に辛い物を食べた彼女の反応も見てみたい気がする。

 

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「もぐもぐ……あれ……?」

 

 「んむっ……普通に美味しいわね……」

 

 「えっ……?」

 

 

 一向にユイとシノンが辛さに悶える様子は無く、それどころか二人ともピザを完食し、未だに来る事の無い辛さに対して寧ろ疑問を抱き始めていた。

 これにはギャラリーだったアキト達も驚く。見落としが無いかと各自見渡すが、ストレアとアスナ以外に辛さによって悶えている者など一人としていない。

 

 

 「……え、何、二人ともハズレなの?」

 

 「おいエギル、当たりは三枚あるんだよな?」

 

 「あ、ああ……そのはず、なんだが……おかしいな……」

 

 

 一番楽しそうにしていたはずのエギルの笑みが崩れる。仕込みをしていたのはエギルだけなので、本当に当たりが三枚あったのかどうかは彼にしか分からない。そのエギルが一番驚いており、慌ててアキト達全員の顔色を伺い始める。

 だが誰一人として辛そうにしている者などおらず、エギルは苦い顔をする。

 

 

 「変だな……俺の勘違いか?」

 

 「大方、どっちかの当たりのピザに余分に絡みパウダーをまぶしたんじゃないの?」

 

 「うわ、じゃあアスナとストレアのどっちかのピザは倍辛いの……?」

 

 「あ、当たらなくて良かったかも……」

 

 

 リズベットの推測に震えるフィリアとリーファ。

 少し不穏な空気になるも、当たりが二人出た事には変わりない。既に水を飲み干していたアスナは、荒い呼吸を抑えられずた項垂れていた。

 

 

 「はあっはあ……思ってたより、辛かったわね……とはいえ、私も当たりよ……」

 

 「あ、アスナ大丈夫……?」

 

 「え、ええ……勿論……」

 

 

 全然大丈夫じゃなさそうなアスナ。それに加えてストレアはもう随分と回復しているようで、パタパタと手で自身の顔を仰いでいた。

 三枚目の謎が未だ引っ掛かるも、クラインはパンッ!と手を叩くとメンバー全員をこちらに注目させた。

 

 

 「さて、俺的には非常に不満の残る結果な訳だが、仕方ねえ。当たりの二人は、誰に何をさせるんだ?」

 

 

 すると、今度はストレアとアスナに一同の視線が向かう。

 激辛ピザを当てた二人は、ルールに則って好きな人に好きな事を出来る。誰もがこれから繰り出されるであろう命令は何なのかを待ち受けた。

 まだ回復していないアスナを他所に、ストレアは先程のピザによって火照った頬を冷ましながら口を開いた。

 

 

 「んっとね……アタシの命令はねー……」

 

 

 そう言いながらストレアの視線がアキト達に注がれる。彼女と目を合わさぬようにと、右へ左へと視線を逸らす女性陣達。

 そんな中で、アキトとストレアの視線が、バチリと確かに交錯した。そして次の瞬間、ストレアはとんでもない事を言い出したのだった。

 

 

 

 

 「それじゃ、アキトがアタシとキスをする!」

 

 

『『『!!!!!?』』』

 

 

 

 

 アキトだけでなく、全員がガタリと席を立った。途端に全員が目を見開き、辺りはざわめきが発生していた。ふと気が付けば、この店にいたプレイヤー達の視線までもがこの場所に注がれているではないか。

 恐らくこの激辛ピザロシアンルーレットを見ていたであろう彼らは、美少女であるストレアのトンデモ発言に『おおおお!』と声を上げていた。

 

 

 「おお!直接的なのが来たねぇ!! っていうか、何でキリトやアキトばっかり!」

 

 

 クラインがさも羨ましそうにそう言い放つ中、アキトはストレアの王様ゲームみたいな命令に完全に萎縮して、顔を林檎のように真っ赤に染め上げいた。

 

 

 「な……ぇ、なっ……!?」

 

 

 ユイがユイらしからぬ真っ赤な顔でわなわなと口元を震わせてアキトとストレアを交互に見ている。

 

 

 「っ……」

 

 

 シノンもピクリと肩を震わせ、アキトをチラリと見た────チラリのはずなのだが、冷たい氷のような冷徹な瞳でアキトを突き刺している。心做しか僅かだが身体が震え、腕を組む手の力が強くなっているように見える。

 

 

 「え、え、き、キス!?アキトと、す、ストレアが……!?そ、そんなの……!」

 

 

 フィリアは困惑や焦燥を隠せず表情に出して、これからどうなるのだろうかと不安に駆られながら行く末を眺めていた。

 シリカは「ひゃあ……!」と顔を赤くして口元を抑え、リーファはそんなストレアの大胆発言に顔を赤くしている。リズベットはニヤニヤしながら面白そうにそれをただ眺めていた。

 

 

 「す、ストレア?い、いきなり何を……」

 

 「ふふーん、アキトに拒否権なんて無いよ〜?ほらほら〜♪」

 

 「っ!?や、待って待って、待って下さい……!」

 

 

 冷静な判断が出来ずにいるアキトの腕を、ストレアが両手でギュッと掴む。途端にユイ、シノン、フィリアの肩が大きく震え、段々と視線が二人に固定されて逸らせない。

 周りのギャラリーも状況を理解しているようで、アキトには勿論拒否権が無い。だが、この場のノリでそんな事をしてしまうのも違う気が……と思っている内にストレアがドンドン自分を引っ張ってくる。周りの目もあって、最早キスをしなければならない流れと化していた。

 段々と聞こえてくるのは周りの盛大なキスコール。ストレアが楽しげにしている為断りにくい事は勿論だが、アキトもアキトで断るに断れないうえに判断能力が上手く働かない。

 

 

 

 

 ────しかし、そんなアキトに救世主が現れた。

 

 

 

 

 「そ、そんなのダメに決まってるでしょ!」

 

 

 「っ……あ、アスナ……」

 

 

 

 

 アキトの腕を掴むストレアを引き離し、アスナが二人の間に立った。想定外の乱入者に誰もが驚く中、クラインの空気の読めない発言がポツリと響く。

 

 

 「いんや、ルール上問題無いな」

 

 「クラインは黙ってて!」

 

 「ひっ!」

 

 

 クラインは悲鳴と共に縮こまる。アスナのあまりの威圧感にいつものメンバーは驚きのあまり唖然とし、キスコール連発だったギャラリーから不満や文句すら聞こえず、誰も何も言い返せない。

 思わぬ介入者に驚いたのはアキトも同じだった。まさか、アスナが助けてくれるとは思わないだろう。大方、自身の中のキリトを思っての行動なのだろうが、ストレア同様に当たりを引き当てたアスナの言葉なら強制力が働いている。

 しかしそんな中でもストレアだけは、不満そうに声を上げていた。

 

 

 「なんでなんでー?好きな事出来るんでしょ?」

 

 

 彼女の言い分も最もであるのは確かなのだ。誰もがルールを設けた上で、自分の意志で参加したのだ。どうあっても責任は持つべきだし、ルール上の命令なら尊重するべきだ。

 だがこの時のアスナは、理性よりも本能染みた何かで動いていた。単純に“嫌だ”という気持ち。アキトとストレアがキスをする事を想像した瞬間、身体が勝手に動いて、気が付けば二人の間に割って入っていた。アキトの姿がキリトに重なった事もそうなのだが────と、アスナはチラリと視線を動かす。

 そこにいたのは、不安で今にも泣きそうな自分の娘であるユイだった。顔を赤くして瞳に涙を溜めている。それを見て動かない母親では無かった。

 そうして、ストレアの言葉に対してアスナが放った一言。それは────

 

 

 「じゃ、じゃあ!! 私がアキト君の代わりになる!」

 

 「え?」

 

 「……あ、アスナさん?」

 

 

 ストレアが目を丸くし、アキトの声が震える。

 その問題発言を聞き逃すほどの難聴では無いアキトは、顔を青くしてアスナの名を呼ぶ。周りもポカンと口を開け、そのアスナの発言と表情を眺めて固まっていた。

 暫しその言葉を聞いて同様に固まっていたストレアが、漸くアスナに向かって口を開く。

 

 

 「それはアタシとアスナがキスするって事?」

 

 「え……えっと……そ、そうよ!」

 

(アスナ……)

 

 

 最早形振り構ってないアスナの無計画な発言に、アキトは泣きそうになる。助けて貰っている分際でこんな事考えたくないのだが、そこまで身体を張るメリットがアスナにあるのだろうか。彼女はちゃんと考えて発言してるのだろうか……。

 と、アキトが顔を引き攣らせていると、ストレアが小さく口元を緩ませた。その反応を見たアキトは、嫌な予感を即座に感じ取る。

 

 

 ────が、もう遅い。

 

 

 「んー……それも面白いかも!」

 

 「……へ?」

 

 

 ストレアの乗り気な態度に、アスナが素っ頓狂な声を上げる。瞬間彼女はアスナに向き直り、両手を広げて迫った。

 

 

 「じゃあアスナ……ちゅー!!」

 

 「え?え?ちょっと……いきなり!?」

 

 

 アスナが思わず一歩後退する。しかし、慌てていた為バランスを崩し、後方へと身を逸らす。その間にストレアにその両手を掴まれ、そのまま二人して床へと倒れ込んだ。バタン!と音がして倒れる二人。

 そしてその瞬間、

 

 

 「んっ!」

 

 「んんっ!!」

 

 

 そこには二人の美少女が唇を重ねる濃密な光景が広がっていた。

 仰向けに倒れるアスナに覆い被さるように倒れ込むストレア。アスナの両手に自身の両手を絡めて拘束し、同時に足も自然と絡まっていく。

 顔を真っ赤にして目を見開くアスナに対して、目を瞑ってその行為を楽しんでいるように見えるストレア。まるで初心の女子と大人の女性。

 

 

 「う、ぉ……」

 

 「こ、これは……」

 

 

 エギルとクラインですら、呆然として動けずにいる。視線の先は、呼吸をするにもやっとなアスナの口内に容赦無く侵入するストレアの舌。

 

 

 「わわっ!!」

 

 「うわぁ……し、舌入ってる……」

 

 

 シリカとリーファは頬を紅潮させて、交わされているキスを眺め、ぼうっとしている。

 

 

 「思った以上に……」

 

 「の、濃厚……」

 

 「抱き着くのと同様に……遠慮が無いわね……」

 

 

 リズベット、フィリア、そしてシノンすらも頬を赤らめ、それをただボーッと見つめていた。誰もがその光景に何故か魅入られて動けない。ギャラリーでさえも顔を真っ赤にして、美少女二人の濃厚なディープキスをまじまじと見つめていた。

 

 

 「ど、どうなってるんです?ママ?」

 

 「ゆ、ユイちゃん!ユイちゃんは見るの止めとこう!ね!?」

 

 

 アキトはユイの後ろに立ち、どうにかその目を両手で抑えた。ユイが「っ、わっ、わっ!?」と顔を赤くして自身の目を覆うアキトの手を上から抑えているが、正直ユイに見せるのは教育上大変よろしくない。だが、それから暫く、ストレアの命令行為は続いたのだった。

 数分か、数時間か、そんな感覚さえ忘れる程の光景の中、漸く気が済んだのか、ストレアが小さく声を上げた。

 

 

 「ん……ふふふ、はいっ!おしまいっ!」

 

 

 アスナから唇を離したストレア。その瞬間、二人の口元は銀の糸が出来上がり、繋がっていた。ストレアはケロンとしているが、真下にいたアスナに目をやれば、呼吸困難と羞恥によって紅潮した頬のまま、荒く呼吸していた。

 

 

 「あ、う……」

 

 

 その瞳からは、小さな水滴が。

 誰もが哀れと思いつつも、何故か、美味しい思いをしたような気さえしていた。

 そんな中アキトは、アスナにただただ申し訳ない気持ちでいっぱいだった。折角辛い思いをして手に入れた命令権を、こんな事の為に使わせてしまうだなんて。

 今のアスナの顔を見ると、何か……言い方はアレだが、完全に雌の顔……。

 

 

 アキトは自身の煩悩を振り払い、未だ倒れて動けないアスナに、ユイと共に駆け寄った。

 

 

 「ま、ママ……!?」

 

 「アスナ、だ、大丈夫!?」

 

 「アキト、くん……もし、もしもね?キリトくんと、話せるなら、聞いて欲しい事があるの……」

 

 「……へ?」

 

 「私、汚されちゃった……もうお嫁に行けないかも……こんな私でも、お嫁に貰ってくれるかって……そう、聞いてくれる……?」

 

 「や、貰うも何もアスナはもうキリトの嫁なのでは……」

 

 

 すっかり意気消沈してしまったアスナ。本当に申し訳ない。(から)い思いをして(つら)い思い出を作らせてしまったアスナに、アキトはただひたすらに謝罪するのだった。

 責めて三枚目を当たりが当たったのなら、こんな事にはならなかったのに────と、アキトは項垂れたのだった。

 

 

 「んー!パーティって楽しいね!これからはさ、一層をクリアする事にパーティしようよ!!」

 

 「そんな事になったら全員キスの餌食だな……」

 

 

 伸びをしながらそんな事を呟くストレアに、エギルはただそんな一言を付け加えた。

 本来ならアスナのこの状態は嘆かわしいもののはずなのに、その後のパーティは何故か更に盛り上がったのだった。

 アスナも段々と元気を取り戻し、最後の方はストレア同様の笑顔を見せていた。

 

 

 その後店のプレイヤー達で行ったちょっとした催しや、アスナが追加で作った料理を楽しんだ。時間の経過によるものか、プレイヤー間の親密度もこの機会に高くなり、80層の時以上の盛り上がりを見せていた。

 

 

 「……あ」

 

 

 そんな中、ふと目に入ったのは食べかけのピザ。

 一口食べてハズレだと理解したアキトは、そのまま皿に戻していたのを思い出す。みんなが和気藹々としたのを眺めながら、アキトはそのピザを再び頬張る。

 

 

 

 

 

 

 ────ほんの一瞬だけ、舌が痛んだ気がした。

 

 

 








クライン 「いやあ……良いもん見たなぁ……激辛ピザ様々、エギル様々だぜ」

アキト 「アスナには悪い事したなぁ……」

クライン 「……おいアキトよお、正直、勿体無いって思ってるだろ?」

アキト 「へ?何が?」

クライン 「キスだよキス!あのまま甘んじて命令を聞いてりゃ今頃……って思ってたりしてるだろ?」

アキト 「いや、別に……」

クライン 「かー!素直じゃねぇなぁ!……にしてもよ、あの娘上手かったよなぁ……」

アキト 「クライン……」

ストレア 「えへへー♪ ありがとー!」

アキト 「聞かれてたし……」

クライン 「まさか……初めてじゃなかったり……?あ、相手は……!?」

ストレア 「えっとねー……」チラッ

アキト 「……?」

ストレア 「んー……内緒ー♪」

アキト (え……なんか今、見られた?)




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Ep.106 眠りの中で





徐々に変わる、日常の全て────







 

 

 

 

 

 76層《アークソフィア》

 

 

 既に日は暮れていて、空には星が点々と存在を主張し始める。街灯が点き始め、夕方からの出店がNPC達によって並べられる時間帯に、アキトはいつもの装備で帰路に立っていた。過ぎ行く景色と沢山の人達に目を向けて、その温かな表情を眺めては、いつも通りの変わらない風景に小さく笑みを浮かべる。ほんの少しだけ気分が軽くなったような気さえして来るが、やはり先程までの攻略の疲れが溜まり過ぎているのか身体はなんとなく重く感じた。

 上層に連れフィールドは狭まっており、その為攻略ペースも以前とは比にならないくらいに加速している。つい最近90層に辿り着いたかと思えば現在92層、街の名前は《ミシューヘム》。巨大な岩山に囲まれた谷に大きな街があり、そこがプレイヤー達の拠点となる圏内。圏外のフィールドは少しばかり進むと転移で雲上の空中庭園へと移動し、そこから迷宮区へと繋がる迷宮柱に到達する事が出来る。しかしそれに伴いモンスターが強者揃いであり、しかも今回アキトはソロでそこへと向かい、迷宮区三階にまでマッピングして帰って来たのだ。持てるだけの回復アイテムを手に、早朝から辺りが暗くなる直前まで戦うその姿は傍から見れば戦闘マシーンだった。だが本人はそんなつもりは全く無く、そう言われるとショックですらある。しかしこうして疲労困憊で宿に向かっている自分の姿を客観的に判断してみれば、成程、確かに戦闘を終えた後のマシーンみたいだと自嘲気味に笑った。

 だがその気が見られるのは何もアキトだけではない。最近はアスナ達だけでなく攻略組全体の士気が高まっており、アキトも今日何度も多人数でレベリングをしているプレイヤー達───攻略会議で見た事があるプレイヤー達だった───に出会している。100層まで秒読みになりつつあるこの現状でアキトと攻略組の意志は同じだった。ゲームクリア目前となれば攻略組のやる気も凄まじく、76層解放前と比べれば実力は雲泥の差だといえる。世間は油断大敵だと言うが、目標到達間近となった事で浮かれることが無いように努めねばなるまいとアキトが頭を抑えて考えていると、いつの間にかエギルの店の入口が視界に収まる程の距離にまで近付いていた。

 何故かここに来るまでも重労働な気がして少しばかり深い溜め息が出る。いつにも増して重苦しい身体をどうにか支えて、目眩がする中眼前の景色をぼうっと見やる。暗がりの中解放された扉の向こうからはオレンジ色の光が溢れてきており、既に酒盛りを始めているであろう客人の笑い声が毎夜のように聞こえてくる。普段はゆったりした雰囲気を放つエギルの店だが、こうして賑やかなのも悪くない。アキトはその重い足取りのまま店内に入ると、想像通り鎧のプレイヤー達が盛り上がりを見せ始めていた。アキトはそれを見て微笑みながら、カウンターまで赴いた。カウンター席にはアスナが座っており、その向こうでは店主であるエギルがウインドウを開きながらアスナと会話している。シーリングファンの真下まで来るとエギルが此方に気が付き、アスナもそれにつられて此方を振り返って、途端に笑顔を見せてくれた。

 

 

 「おうアキト、帰ってきたか」

 

 「おかえりなさい、アキト君」

 

 「……ただいま、二人とも」

 

 

 帰ってきたのだと実感しながら放たれた声の弱々しさに、アキト自身驚く。瞬間、目眩がして僅かに立ちくらむ。どうにか誤魔化そうと頭に添えた手を振り払うも、アスナはアキトの異変にすぐさま気付いて表情を曇らせる。途端に席を立ってアキトの前まで歩み寄って来た。

 

 

 「……ん?どうしたの、アキト君。心做しか顔色が悪いみたいだけど……」

 

 「っ……ううん、何でもないよ。ちょっと、疲れただけ……」

 

 「でも……」

 

 「大丈夫だよ。平気だって」

 

 

 アスナは流石によく見てくれているが、アキトからすれば心配をかけられない為、気にして欲しくなかった。だがいつも以上に何故か身体が重く、頭は殴られた後のようなガンガンとした痛みに襲われていたのは事実で、それが顔に出ていたとなれば誤魔化しが効かない程の重症だという事でもあった。モンスターにバッドステータスを貰ったわけでもないし、そもそも《圏内》ではそれを受けるはずもない。しかし、どんどん体調が悪くなるような、そんな感覚に陥っていた。

 エギルの店に着いた途端に頭痛は強くなり、吐き気に近い何かが込み上げてくるのを感じた。

 

 

(っ……頭、痛い……なんで、急にこんな……)

 

 

 アスナに誤魔化すつもりだったのに、頭痛のせいで再び手で頭を抑えてしまう。しまったと思うも既に遅く、それを見たアスナは心配そうな表情でこちらを見ていた。

 

 

 「ねえ、ひょっとして……疲れが溜まってるんじゃない?」

 

 「へ……いや、そんな……仮想世界でそんな事……」

 

 「身体は動かしてないといっても脳は働き詰めな訳だし、休息が必要なのは同じだよ。知らず知らずの内に体調が悪くなっていってもおかしくないと思うな。……それに……現実世界の身体が何かの病気になったのかもしれないし……うん、決めた」

 

 

 アスナは考え込むように腕を組み、片手を顎へと持っていったかと思えばすぐさま何かを決意したのか、キッとした表情で再びアキトを見据えて強気な声で告げた。

 

 

 「アキト君は暫く攻略禁止。部屋でゆっくりお休みしなさい」

 

 「し、暫くって……そんな心配しなくても今日一日寝れば大丈夫だって」

 

 「休みなさい」

 

 「いや、でも……」

 

 「良いわね?」

 

 「……い、嫌だ」

 

 「どうしてそんなに頑ななのよ!」

 

 

 アスナの有無を言わせぬ態度にさえ強情に否を主張するアキト。良くこんな風に迫られた人が『……はい』と項垂れるような場面を見る事があるが、どうやらアキトはそうではないらしい。周りにいたプレイヤー達も何だ何だと気になり始め、チラチラと此方を見始めている。店内で騒がれそうな予感にエギルが顔を顰めたが、アキトの顔色が悪いのは彼の目からも見て取れた。

 

 

 「おいおい、アスナの言う通り暫く休んだ方が良いんじゃねぇのか?自覚無いのかもしれないが、お前さん普段より酷い顔してるぜ?」

 

 「まるでいつも酷い顔と言われている様……じゃなくて、そんな俺だけ休むだなんて……みんな、頑張ってるのに……」

 

 「寧ろアキト君は他の人より頑張り過ぎなのよ。朝起きたらいつの間にかいないし、メッセージも返してくれないし……心配するじゃない……」

 

 

 段々と弱々しい声になるアスナに、アキトは今度こそ口を噤む。顔を伏せる仕草を見せるアスナを前に、まるで女の子を泣かしたかのように見える今の現状に眉をひくつかせた。しかし彼女の言ってる事は最もで反論の余地はない。誰にも挨拶せず声もかけずに一人早朝から攻略に出かけ、メッセージを打つのも忘れてレベリングに勤しみ、今更になって体調を崩して帰って来たのだ、全面的に此方が悪いのかもしれないとアキト自身思い始めていた。

 逆の立場なら心配するのは当たり前で、彼女の言っている事は全て正しかった。アキトは一先ず謝罪して、アスナの提案を呑もうと口を開く。

 

 

 

 

 「……分かったよ。アスナの言う通り、少し休────」

 

 

 

 

 ────だが、その言葉が最後まで告げられる事は無かった。

 声を出した瞬間に、視界がぐにゃりと歪む。無理矢理歪まされたかのように無慈悲に、それでいて簡単に脳がぐらつく。尋常ではないくらいの強い痛みが一瞬だけアキトの頭を襲った。まるで後ろから殴られたかのような衝撃を伴ったそれは声を出す暇も力も与えてくれず、アキトは急に糸が切れた人形のように力が抜けて、ユラリと身体が傾くのを感じた。

 

 

 「……アキト君?」

 

 

 アスナの声すら、遠くに聞こえる。店にいた人達の賑やかな声すら篭って聞こえる。次第に意識は遠のき、そのまま棒のように真っ直ぐアスナへと倒れ込み、そのまま彼女を巻き込んで地面へと崩れ落ちた。

 

 

 「えっ、ちょ、きゃっ!」

 

 

 巻き込まれたアスナは急に倒れて来たアキトを受け止め切れずに後方へと倒れる。その瞬間、ダン!と強く頭を床に打ちつけたような気がして、視界も意識も段々と小さくなり始めていた。

 

 

 ────アキト君!?どうし……!?……キト……っ!?

 

 

 篭ってだが聞こえていたはずの彼女の声は、もう聞こえなくなっていった。ただ頭痛と目眩と吐き気のような気持ち悪さを抱えて、アキトの意識はプツリと消えたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「きゅる……」

 

 「ん……?」

 

 「きゅるるる……」

 

 

 頬をつつく何かを感じて、ふと目蓋を開く。一番最初に目にしたのは部屋の天井だった。それもよく知っている天井で、アキト自身の部屋のものだった。今自分が横になっているのを自覚し、ベッドで眠っていた事を再確認する。

 ふと僅かに温かみを感じた左頬へと視線を向けると、フサフサした毛並みが頬を撫でており、それが視界の端でクネクネと動いていた。アキトはこの毛並みと色、そして先程の鳴き声に覚えがあった。今も尚頬をつついているその存在を視界に捉え、その名前を呼んだ。

 

 

 「……ピ、ナ」

 

 「きゅるぅ!」

 

 

 呼ばれた瞬間に顔を上げて元気に鳴いたその小竜は、シリカのテイムモンスターであるピナだった。目が覚めたアキトに喜ぶように動き回り、再び頬に擦り寄ってくる。

 その健気さに微笑むも束の間、アキトは不思議に思い眉を小さく顰める。ここはアキト自身の部屋である為ピナがここにいる事に疑問を抱いたからだ。

 

 

 「……ピナ、どうしてここに……」

 

 「アキトさんっ!」

 

 

 すると、ピナの影から飼い主であるシリカが顔を出した。ピナが視界を覆っていたせいでシリカに気付かなかった為、アキトはビクリと身体を震わせた。そんな事などつゆ知らず、シリカは目が覚めたアキトに慌てて近寄って、アキトの顔色を確かめながら瞳を揺らしていた。

 

 

 「……シリカ、どうして、ここに……何かあったの……?」

 

 「何かあったの、はこっちセリフです!ビックリしましたよ!エギルさんの店に戻ったら、アキトさんが倒れてたんですから!もしもの事があったらどうしようかと思いました……」

 

 「……そっか、俺……っ」

 

 「あ、起きちゃダメです!喉乾きましたか?待ってて下さい、今お水持ってきますから」

 

 

 いきなり起き上がろうとして、頭がズキリと痛む。シリカが慌てて水道のある場所へと走り出し、ピナがそれについて行く。シリカの背中を見て、悪いと思いながらも上体だけ起こしたアキトは窓の外を見た。先程の夕焼けが消え出したオレンジ色の空はもうそこにはなく、完全に夜へと時間帯が移っていた。街灯の光が更に強く放たれ、その街並みを明るく照らす。そうして景色を眺めていると、その窓に映った自分自身と目が合った。我ながら酷い顔色だと自覚した直後、混濁していた記憶が甦る。

 いつにも増して蓄積した疲労にくわえて目眩と頭痛、それに吐き気のような気持ち悪さ、今にも倒れそうな程に意識は薄れ、最後には────

 

 

(そうか……俺、倒れたのか……)

 

 

 倒れた自身をここまで運んで来てくれたのだと思うと頭が上がらない。大方エギルやクラインだろうが、こうしてシリカまでこの部屋で看病染みた事をしてくれているのを見ると、かなり面倒をかけたみたいだ。

 そうしてシリカが汲んで来てくれたコップいっぱいの水を一気に飲み干し軽く息を吐くと、シリカとピナを交互に見た。

 

 

 「……ありがとう、二人とも。その……迷惑掛けたみたいでゴメン」

 

 「いえ、そんな迷惑だなんて……アスナさんに聞きました。アキトさんホントは凄く疲れてて、それなのに無理して攻略してるんじゃないかって……」

 

 「……」

 

 「みんなアキトさんの事、心配してました。ピナもここでずっと看病していたんですよ」

 

 「きゅるきゅる……」

 

 

 悲しげな表情のまま話すシリカとピナの顔。かなり心配を掛けてしまったようで、堪らず申し訳無くなる。攻略を積み重ねた結果こうして倒れてしまったのだとしたら、もう少し適度な休息を取れば良かったと、今さら胸が痛かった。

 こんな見るからに年下の女の子にまで心配を掛けるなんて、本当にどうかしてる。

 

 

 「……そっか。じゃあ、早く元気にならないとね」

 

 「はい!アキトさんはみんなの希望ですし、ヒーローですから!だから、こんな病気なんかで挫けちゃダメです!」

 

 「と、途端にプレッシャーが……」

 

 

 “ヒーロー”と言われるのは嬉しいのだが、思った以上の重圧だった。シリカは悪気は無いし聞いてる此方も悪い気はしないのだが、心做しか気が重くなってきた。

 苦笑しているとシリカも可笑しくなったのか小さく笑う。その後、目が覚めた事をアスナ達に報告する為に立ち上がった。

 

 

 「それじゃあ、あたし行きますね」

 

 「あ、うん……」

 

 

 扉へ向かうシリカの背中を見送るアキト。ぼうっとその小さな背を眺めていると、扉に手を掛けたシリカが、躊躇いがちに振り返って此方を見ていた。口を開けたり閉じたりしていたが、やがて意を決したのか口を開いた。

 

 

 「あ、あの……その……」

 

 「?」

 

 「あたしじゃ頼りないかもしれませんけど、皆さんもいますし、もっと頼ってくれて良いんですからね」

 

 「っ……シリカ……」

 

 「じゃあ、お大事にして下さいっ」

 

 

 途端逃げるように扉から消えていったシリカ。足音がパタパタと聞こえるが、段々と小さくなっていって。だがその間アキトの脳内では、シリカに言われた事が反芻していた。

 

 “もっと頼って”

 

 それは、もう一人じゃないはずだったアキトの胸に強く響いた。ずっと、自分が守らなければならないと思っていた。過去の経験から、誰かに頼るだけの自分をやめると決めた。

 けど今は頼れる仲間がいるのだと、だから頼っても良いのだと、そうアスナ達に言われて、そう教わって、そう決めたはずなのに。気が付けば、いつの間にかまた一人で倒れるまで戦っていた。今回の件はその罰なのだろうか。

 

 

 「……またやっちゃったのか……」

 

 

 一人の期間が長かったせいか、中々改善されない悪い癖。

 年下であるシリカに心配される程に余裕が無くなっていたように、傍からは見えたのだろうか。だとすれば、アスナ達だけでなく更に多くの人にまで心配を掛けるなんて事態になっているかもしれない。

 アルゴになんて知られた翌日には『黒の剣士倒れる』なんてお題の記事が出されるかもしれない。そう思うと別の意味で顔が青くなる。彼女に限ってそんな事は無いとは思うが、絶対に無いとは言い切れないのが良くも悪くもアルゴという人物だった。

 彼女に悟られる前に回復しなければ。そう思っていると、再びドアの向こうから足音が聞こえてきた。どうやら走っているようで、段々と此方に近付いて来ている。

 シリカが忘れ物でもしたのだろうかと考えた瞬間、目の前のドアが勢い良く開かれた。

 

 

 「アキトっ!?」

 

 「うわっ!」

 

 

 バタン!と開かれたドアの先に居たのはストレアだった。急いでいたようで呼吸を荒くしており、手を膝に付いてどうにか呼吸を整えるも、そんな自分の疲労など振り払って部屋へと入り、アキトの元へと駆け寄った。

 ベッドにまで乗り込んで来た彼女は、アキトに近付くとその顔をジッと見つめ始める───というか睨まれているようにさえ見えた。

 

 

 「……」

 

 「す、ストレア……俺の顔に何か付いてる?」

 

 「アキト、病気になったって……ホント?」

 

 「あ……心配、してくれたんだ」

 

 「……うん」

 

 

 アキトの隣りでベッドに座り込んだストレアは、両手でシーツを握り締め、下を向いていた。そんな彼女の頭を、アキトは躊躇いがちに軽く撫でる。いつもストレアが喜んで、笑ってくれる行為だったから。

 ストレアもそんなアキトの行動に少し驚いたのか、僅かに瞳が開いた。

 

 

 「っ……」

 

 「ちょっと体調崩しただけだから平気だよ。さっきよりは元気だし」

 

 「……えへへ、ならアタシがアキトをもっと元気にしてあげるね!」

 

 「……へ?」

 

 「えいっ!」

 

 

 何か話の流れが……と思った時には既に遅く、気が付けばアキトは背中に回り込まれたストレアに背中からギュッと抱き締められた。首の後ろから腕を回され、身体をアキトに押し付けるようにしてくっ付けて来る。アキトの肩近くにはストレアの顔があり、距離が近くなった途端アキトは顔を赤くして、何故か身体が震えた。

 

 

 「す、ストレアさん……!?少し、離れてくれませんか……?」

 

 「え〜、なんで〜?」

 

 「い、いや……そんな後ろから抱き着かれても……っ!?」

 

 

 首にあったストレアの腕は、今度はお腹の辺りに回され、そして再びギュッと優しく締め付けられる。先程からそうなのだが、近付く毎に強く感じる背中の柔らかな感触は、段々と主張を強くしてきており、病み上がり───なんなら現在進行形で体調を悪いアキトには逆に毒であった。

 

 

 「でもでも、男の子はこうすると元気が出るんでしょ?」

 

 「……その情報源クラインじゃないよね?」

 

 「えー……だって、アタシの胸でアキトが元気になるなら、良いかなって……」

 

 「……ありがとうと喜ぶべきか、自分を大事にしなさいと怒るべきか……」

 

 

 ストレアに悪気は無いようで、こうする事で本当にアキトが元気になってくれるならと、そんなただの純粋なまでの善意に、アキトは何処か嬉しさすら感じた。けれど、ストレアに身体を張ってもらうのはなんだか違う気がするし、これ以上近付けられるとどうにかなってしまいそうだった。

 

 

 「……でも、まあ……少し元気になったかな」

 

 「本当に……?アタシの胸のおかげ?」

 

 「へ?あ、ああ、うん。それもある……かな?……けど俺は、ストレアがこうして心配してくれて、見舞いに来てくれて……顔を見せてくれたから、それだけで元気が出たっていうか、なんていうか……」

 

 

 こんな事を言うのは何だか照れ臭くて、まともに話す事も出来ない。けれどこうして倒れて、それを聞いて心配してくれたのが何故か嬉しかった。怪我の功名なんて言うつもりは全く無いのだが、こんなに心配してくれるとも思っていなかったので、何故か妙に感動してしまったのだ。

 ただ純粋な善意でこうして心配してくれて、そして顔を見せてくれて。そんなシリカとストレアには感謝しか無かった。

 

 

 「アキト……ふふ、そんな風に言われるとこっちも嬉しいよ。ありがとー」

 

 

 ストレアは嬉しそうに笑って、漸くその身体をアキトから離した。名残惜しそうな表情をしていたがそれも一瞬で、アキトには気付かない。アキトはただストレアに元気になったと告げると、彼女は満足そうに笑って立ち上がった。

 

 

 「じゃあ今度は遊びに来るからね!」

 

 「うん、みんなで待ってるよ」

 

 

 「ばいば〜い!」と手を振って部屋を出て行ったストレア。彼女がいるだけで一気に騒がしかった部屋が急にしんと静まり返り、ストレアの存在が如何に大きなものだったのかを痛感する。ほんの少しだけ寂しかったりして、どうにも落ち着かない。

 ただストレアの破天荒振りは相変わらずで、アキトはまた疲労感に襲われた。途端頭痛が振り返したようで、ズキリと鋭く痛みが走った。ストレアには元気になったから大丈夫だと告げたが、その言葉が真実になるにはもう少し時間がかかりそうな気がした。

 

 

(……眠くないけど、寝た方が良いよね……心配掛けてるし……)

 

 

 アキトは再び上体を寝かし、毛布にくるまった。猫のように丸くなり、目を瞑る。先程まで寝ていたのだから眠くなるはずもないのだが、蓄積した疲労はそう簡単に消えてくれず、アキトの予想とは裏腹に段々と睡魔が襲っていった。

 気が付けば一定のリズムで呼吸が続き、アキトの意識は再び途切れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 夢を見た。

 夢を見た、気がした。

 現実世界の、懐かしい夢を見た気がした。懐かしいような、思い出したくないような。思い出したら泣いてしまいそうな、そんな夢だったような気がした。

 横になって苦しむ自分の隣りで、ずっと回復を待つだけの人の姿がそこにはあった。意識が朦朧とする中懸命に手を握り、歪んだ視界に収まる細くて小さな人の影。

 あれは一体、誰のものだったろうか。

 ああ、そうだ。

 今も尚、迷惑を掛け続けている誰かの記憶だ。

 前も現実世界でこうして倒れて、動けない時があったっけ。その時は確か風邪を引いて、家に大人がいない時だった。熱に浮かされ、何も考えられなくなって、それでいて僅かな心細さを感じて。

 そんな時、ずっと傍で看病してくれた人がいたような。いや、本当はもう知っている。

 こうして二年間、ずっと迷惑を掛け続けているであろう、その人の姿を────

 

 

 「ん……」

 

 

 どれだけ眠っていたのだろうか。自然とその目蓋が持ち上がる。部屋の明るさは寝起きの目に悪く、視界が霞んで周りが見えない。だがふとその視界に何かが映り込む。よく分からないが、目の前にあったのは小さくて細い人影だった。既視感があって、とても懐かしさを感じる姿。

 黒い髪を靡かせて、此方を覗き込んでいて。ああ、この光景を、この人の名前を、自分はよく知っている。

 

 

 「……逢沢、さん?」

 

 

 現実世界の妹の名を、小さく呼んで。恐る恐るその手を人影に向かって伸ばす。けれど、力が入らないその腕はフルフルと震え、最後には力無く落ちていく───と思ったが、その腕を目の前の人影が優しく両手で掴み取り、その指先をギュッと握り締めてくれた。

 アキトは段々と晴れていく視界の中、目の前に座っていた人の影を凝視する。そこにいたのは、アキトの想像していた人とは違っていた。

 

 

 「あ、ママ!アキトさんが起きました……!」

 

 「……ユイ、ちゃん……?」

 

 

 伸ばしたアキトの手を両手で握ってくれたのは、ユイだった。目が覚めたアキトを見て目を見開いたかと思えば、すぐさまアスナの名前を呼ぶ。

 ぼうっとして考えが纏まらないアキトを他所に、ユイに呼ばれたアスナは奥の部屋から顔を出した。ユイのすぐ隣りまで来ると、アキトの顔を見て小さく笑った。

 

 

 「おはよ、アキト君。ちょっと待っててね。今、お粥作ってるから」

 

 「……おかゆ?」

 

 「SAOの中だから栄養は関係無いかもしれないけど……やっぱりお腹は空くでしょ?」

 

 

 アスナは立ち上がって再び奥の部屋へと向かって行く。それをぼけっと眺めていると、アキトの左手を握るユイの手の力が僅かに強くなるのを感じて、思わず視線が彼女に向いた。

 

 

 「アキトさん、大丈夫ですか?あまり顔色が良くありません」

 

 「……ん」

 

 「このところ、ずっと休まず攻略を進めてましたから……」

 

 

 瞳を揺らし、アキトの身を按じるユイ。再び奥の部屋から現れたアスナはお粥の乗った小さな釜を手に戻って来て、そして彼女の言葉に同調しながらアキトを説教し始めた。

 

 

 「そういう事。アキトくんは頑張り過ぎなのよ」

 

 「……そう、かな」

 

 「そうよ。本当にそういう所はキリト君そっくりなんだから。あ、起きちゃダメ。お粥、私が食べさせてあげるから。あーんして」

 

 

 お粥を掬ったレンゲからは湯気が立ち込め、それをズイっとアキトの口近くに差し出して来る。アキトは二度三度瞬きをした後、小さく息を吐いた。

 

 

 「……いいよ別に、自分で食べられるから。作ってくれただけ嬉しいし」

 

 「いいからほら、あーん」

 

 「い、いいって別に」

 

 「あーん!」

 

 「……い、嫌だ……」

 

 「どうしてそんなに頑ななのよ……」

 

 「じ、じゃあ、私があーんします!」

 

 「ゆ、ユイちゃん……そういう問題じゃなくて……」

 

 

 アスナとユイは純粋に善意なのだろうが、アキトはそんな恥ずかしい事をこんな状態でされたくなかった。半ばアスナから奪う形でお粥を手に、レンゲで掬いとって口に運ぶ。しかし熱気から想像出来たはずのお粥の熱さに思わず口を離した。

 

 

 「熱っ……!」

 

 「ほらもう、だから私がやるって言ったのに……アキトくん猫舌なんだから」

 

 「……なんで知って」

 

 「あんなに毎日カウンターで珈琲フーフーやってたら嫌でも分かるわよ。ほら、ちゃんと冷まして食べてね」

 

 

 アスナにそう促され、口を窄めて掬ったお粥に息を吹きかける。何度かそれを繰り返した後、それを口に運べば、食べられる程に冷めてはいても身体が温かくなる程の熱と美味しさがそこにはあった。お粥を食べるなんて何年振りだろうか。素朴ながらも純粋な旨みに、アキトの食べる手はゆっくりながらも止まらなかった。

 

 

 「……美味しい?」

 

 「……うん、おいひい」

 

 

 パクパクと口に放り込み、その度に身体が温かくなるのを感じて、何故か泣きそうな気分だった。アスナとユイが顔を見合わせて笑い、それを見たアキトも、照れながら微笑んだ。

 寝起きで纏まらなかった思考も食事のおかげで段々と冴え始め、漸くアスナとユイが自分についてくれていた事を自覚し始めた頃、ユイが心配そうにアキトに問い掛けた。

 

 

 「そういえばアキトさん、目が覚めた時、私を誰かと間違えていたみたいですが……」

 

 「へ?あ、ああ……」

 

 

 お粥の乗ったレンゲを釜へと落とし、ユイを見る。夢現の中で見たシルエットがユイと重なって思わず呼んでしまった名前。それがどうやら彼女にも聞こえていたようだ。

 どうしようかと迷った末、アスナとユイの視線に応えるように口を開いた。

 

 

 「……夢を見た、ような気がしたんだ」

 

 「夢?」

 

 「現実世界で風邪を引いて寝込んだ時、こうして傍にいてくれた人の夢。風邪の時一人だと心細いからって……予定があったはずなのに看病してくれて……凄くあれこれやってくれて……」

 

 「……その言い方だと、両親じゃないのね」

 

 「へ?あ……」

 

 

 ────完全に墓穴。その態度すらその事実を助長するものでしかない。この場で起点良く親だと言えていたら追求を逃れる事が出来たものを、寝起きで頭が働かないアキトはうっかりそんな態度を取ってしまった。カマかけだと気が付いた時には既に遅く、アスナはジトっと目を細めていた。ユイもソワソワし始めており、チラリと上目遣いでアキトを見上げていた。アスナも気になったらしく、小さく笑みを顔に貼り付けてユイに問い掛けた。

 

 

 「ねえユイちゃん。アキト君は何て言ってたの?」

 

 「えっと……アイザワさんって言ってたような……」

 

 「アイザワさん(・・)……女の人ね」

 

 「……言っとくけど、二人が思ってるような関係じゃないからね」

 

 「ふーん……ふーん?」

 

 「いや、本当だから」

 

 

 ────妹です、とも言えず。

 アスナは疑うような態度を見せるし、ユイも何故か悲しげな表情をしているが本当にそんな関係では無い為断言する。なんならもっと複雑な家庭事情なのだが、流石にこれを話すとアスナ達に謝られてしまう未来が見える為素直に話す事も出来ない。血の繋がらない同い年の妹なんです、なんて口が裂けても言えなかった。

 そんな会話を誤魔化すように、再びお粥に手を付ける。そうして黙々と食べ続けて気が付けば、その釜は空になり、アキトのお腹も膨れていた。

 

 

 「……ご馳走様」

 

 「はい、お粗末様でした」

 

 「いや、本当に美味しかった」

 

 「ふふ、ありがとう」

 

 

 アキトの感想にアスナも満更でも無さそうで、少し顔を赤くして照れたように笑った。だがその瞬間、アキトは小さな頭の痛みに思わず頭を抑えてしまい、それを二人に見られてしまった。

 

 

 「アキトさん……」

 

 

 途端にユイが心配そうに表情を曇らせ、今にも泣きそうな顔をする。けれど、すぐ隣りでアスナがユイの肩を抱き、笑顔を見せながら心配要らないと囁いた。

 

 

 「大丈夫だよ、ユイちゃん。アキト君はSAOの中で一番強いんだから」

 

 「……繰り上げみたいなものだけどね」

 

 「……ううん、そんな事ない。アキト君は強いよ。この世界の誰よりも。私、ちゃんと見てるからね」

 

 「……アスナ」

 

 

 アスナのその瞳から目が逸らせない。

 彼女には、アキトがこれまでどれほどの努力をしてきたのか、どんなに頑張ってきたのかが分かっていた。勿論全てでは無いけれど。

 彼に助けられ続けていたからこそ、彼の行動原理を知りたくて、誰よりも支えになる努力をしてきた。だからこそ彼が如何に強く、優しい存在なのかを知っていた。きっと、キリトがアキトに憧れていたであろうその理由さえも。

 

 

 「だからこんなの、すぐに治っちゃうわよ」

 

 「……はい、そうですね!」

 

 

 ユイもアスナの言葉に納得し、その表情に笑みを浮かべた。先程とは打って変わった明るい表情に、アキトは安堵する。

 

 

 「そう……すぐ治る。そうよね、アキト君」

 

 

 ────そんな問いに、アキトはアスナを見た。

 まるで自分に言い聞かせているような、願っているかのような言葉。放たれたその声は小さく、何処か自信の無い強がりみたいな一言だった。

 ふと左手に柔らかな感触が伝う。そこにあったのは、ほんの小さく震えるアスナの手だった。重ねられたその手から僅かに熱が伝い、同時に彼女が如何に自分を心配してくれているのかが伝わってきた。アキトは自身の手をひっくり返し、そのアスナの手を優しく握った。

 

 

 「心配掛けてゴメン。絶対に治すから」

 

 「……うん。信じてる」

 

 

 アキトの真っ直ぐな言葉を聞いて、アスナの手の震えは止まった様だった。アスナはもう片方の手をアキトに重ね、目を閉じて小さく微笑んだ。それに合わせてユイもアキトの手に触れて、顔を赤くして笑う。心配を誤魔化すようにして笑う彼女のぎこちない笑顔に申し訳無さを感じ、そうさせている自分に腹が立った。

 ユイの頭を右手で優しく撫で、アキトも小さく笑いかけたのだった。

 

 

 「それじゃあユイちゃん。アキト君を休ませてあげましょう」

 

 「はい、ママ。アキトさん、夜更かししたらダメですよ」

 

 「分かってる。二人ともありがとね」

 

 

 手を振って彼女達を見送り、再び一人になる部屋。

 けれど先程のような寂しさはなく、寧ろ温かさを感じ始めていた。身体や心の温かさは、決してお粥だけの力なんかではなく、ひとえにアスナとユイのおかげだった。

 以前一人で行動していた時も長時間迷宮区に潜って攻略していたが、こんな風に体調を崩すような事は無かった。その時は今回よりも長い時間レベリングをしていた為、今回こうして倒れた理由は割と本気で分からなかった。

 まあ以前よりも高難易度なのは当然なので、比べるのは少し違うのかもしれないが、ゲームクリアが現実味を帯びて来た反面、思えばここ最近攻略を続けていたのはみんなの為だったのかもしれない。大切な仲間が出来て、そんな彼らを死なせたくなくて、早くゲームをクリアしてみんなを解放してやりたいと、そんな烏滸がましい自己中心的な願いが、今回アキトを突き動かしていたのかもしれない。けれどそのせいでこうして倒れ、多くの人に迷惑を掛けた。アキトは目の前の攻略にばかり集中して周りを見ておらず、大切なものを見失っていたような気がした。

 ゲームクリアを目指しているのは、アキトだけじゃない。それは誰もが思っている事だ。だからきっと、アキトだけが抱えるべきものじゃないと、どうして忘れてしまっていたのだろう。

 

 

 「……ホント、キリトは仲間に恵まれてるよ」

 

 

 そして、俺も恵まれてる────

 

 

 アキトは膨れたお腹を擦り、再び眠気に身を委ねていった。

 

 

 








ストレア 「アキト、アタシの胸で元気になったって!」

全員 『!?』








続きます。次回は後半です。
最近投稿出来ずに申し訳ありません。また徐々に投稿していきますのでよろしくお願いします。
原作やアニメが尊すぎてこんな駄作が掛けない病を発症しております。ご了承ください(´・ω・`)



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Ep.107 眠りの傍で





──── “助けて”と、その一言が言えてたら。








 

 

 

 

 

 何度も何度も剣を振る。

 悲しみも怒りも弱さも、そこから生まれる劣等感さえも。戦いの邪魔になる負の感情を拭い去るように。剣の錆として振り払うように。

 

 

 金属がぶつかる音がする。

 その度に何かを壊し、何かを傷付け、何かを失う。その全てが例外無く、散った火花のように一瞬にして。まるで夢幻だったかのように。

 

 

 身体は無機物のように動く。

 義務的に、機械的に、能動的に、何も考えない冷たい身体はまさしく機械のように無慈悲に正確に。そこに理論(ロジック)なんてものは無く、だが有していても無に帰するものだった。

 

 

 その黒い瞳はただ闘志を宿し、憧れを映す。

 助けられるだけの存在が曲がりなりにも目指した、独り善がりな、偽善と欺瞞な理想の姿。

 

 

 ─── その全てが、総てが、消え去る。壊れる。

 支えにしてきたものが、頼りにしてきたものが、なくてはならない存在が、全て悉く、一つ残らず拒絶された。積み上げてきたもの全てが、台無しにされる気分は最悪だった。自分の全てを下らないと蔑ろにされる感覚。

 お前の頑張りなんて、努力なんて、気持ちなんて知るか、と。不条理などお構い無しに潰された気分は最悪の極み。

 

 

 「残念だよ。本当に」

 

 

 本当に残念そうに呟き、それでいて此方を憐れむような視線が突き刺さる。未だ退かずに構えた剣の切っ先は震えていて、眼前に立つ者に怖気付いてしまっている事を隠し切れていなかった。それすら誤魔化すように、強がるように睨み付けても尚、結果は変わらない。

 白い髪、白いコート、白い剣。何から何まで正反対なのに顔だけはそっくりな目の前の男は、血色の双眸を細めて、次第に口元に弧を描き始めていた。

 

 

 「もう立たなくていい、全部終わった。周りを見ろ。これがお前が抗った結果、失った全てだ」

 

 

 そう問われて、漸く悟る。もう自身の周りには、武器をその手に立っている者などいなかった事に。いつからか。いや、初めからかもしれない。気が付けば、ふと我に返れば、そこにあったのは屍の山だった。知っている顔、知らない顔、それら全てが乱雑にごみのように散りばめられる転がって。まるで無機物のように潰れて、砕けて、切り取られて。

 どうしてこうなったのだろうかと問い返しても、返ってこない。死屍なる彼らはただそこに伏すのみの存在と化している。故の自問自答による解はたった一つだけ。

 瞳は揺れ、唇は戦慄く。視界が歪む中目の前の白髪の自分は此方を指差して嘲笑った。

 

 

 ─── ああ、そうか。俺が負けたせいか。実力の差ではない。身体的な話ではない。力量差ではない。技の数ではない。弱かったのは、心。奴を許した自身の精神、侵食された自身の脳。ひとえに脆弱な強がりを張り続けた心が敗因だった。

 それでも、敗北したのは紛れもなく偽りもなく虚偽もなく、どうしようもなく自分自身だった。それによって払った代償が、この自身を取り巻く死屍累々。そう思うと、手に持った二本のひび割れた剣がガシャリと大きな音を立てて地に落ちていった。

 

 

 ─── そうか、お前が彼らを殺したのか。

 

 

 初めから知っていた。納得していた。なのにそれを認めたくなくて剣を向けていた。お前のせいだ。お前のせいで、お前が俺をこうさせたのだと剣を向けた。奴を殺せばこれ以上誰も死なないと思う反面、此奴を殺しても死んだ彼らが戻らない事による絶望のせめぎあいの中、奴は告げた。

 

 

 「もうやめろよ。もうお前の守るべきものは何も無い」

 

 

 その一言で身体が硬直する。時間が、空気が止まる。落ちた剣から血だらけの黒いコート、そして何も救えず全てを取り零した自身の両手を見下ろす。周りを見渡せば、最早立っているのは自分だけだった。わなわなと震えるその指先、手のひら、腕、段々と身体全体が刻まれるようにカタカタと。

 何故、と。どうして、と。そう一言でも言えていたのなら。

 

 

 「お前はこれまで自分の身を賭してまで誰かを助け、そしてそうする事を願っていた。考えるより先に身体が動き、見返りなんて求めない。確かにそれは自身から湧き出た感情によってのものだった。だからこそ不思議だった。……でも、理解したよ」

 

 

 剣を突き付けているこの状況を気にする事も無く話し続ける。狂ってると、異常だと言われてもなお、この剣を下げる事はしない。誰かにそう思われても、この願いが間違いなんかではない事を、知っていたから。

 なのに。

 それなのに。

 目を見開いた。口元が震えた。

 これ以上奴に口を開かせてはいけないと、そう本能が語り掛けていた。これより先は、何か核心に触れてしまいそうな予感があった。

 何を言っているんだと、そう瞳で訴えれば最後、目の前の少年は赤い瞳を細め、嗤いながら告げた。

 

 

 

 

 「本当は、願いがあったんだろ?」

 

 

 

 

 ─── ドクン

 

 

 

 

 言葉が、出てこない。ただの一言も。

 まるで身体を乗っ取られたかのように。金縛りにでもあったかのように。

 

 

 「お前には、誰かを助ける事で貰える“見返り”がある。それが欲しかったんだ。物心ついた時から渇望している“それ”の為に誰かを助けてる。考えるより先に身体が動くのも、そうする事で“それ”が手に入れられると無意識に思っているからだ。お前はその“見返り”の為だけに父親の夢を使っていただけ。そうだろ?」

 

 

 その視線に貫かれ、身動きが取れない。理想はあまりにも遠くて。その憧れに手が届く自分を想像出来なくて。現実はあまりにも違い過ぎて。だから諦めたはずなのに、それでもこの世界ならやり直せると思って、自身の欲望の為に他人を利用したと、そう告げられて。

 そんなつもりじゃない。確かにいきなり何もかもが上手くいくだなんて思ってない。だけど少しずつ自分に何か出来て、周りを変えていけるのなら。そう思って。

 

 

 

 

 「お前は誰かを助ける事で、哀れだった自分を慰めたかっただけだ」

 

 

 

 

 違う。お前は間違っている、と心の中では告げられた。俺はただ、誰かの悲しむ顔が見たくなかったから、だからせめて俺の手が届く範囲では、誰にも泣いていて欲しくなかっただけだった。そしてそれは真実だった。それはエゴだと、偽善だと分かっている。

 けれど、それなのに奴の言葉が頭から離れないのは、そんな感情があったからなのだろうか。これが、自分の夢が叶わないなら、せめてその断片だけでもと縋り着いた結果なのだとしたら。その弱い心に付け込まれた未来として、この場に死体が転がっているのだとしたら。

 誰かを助けるなんて烏滸がましい理想を抱いた末に得たものが、何一つ無いのだとしたら。そして、そのせいで逆に何もかもを失ってしまったのなら。

 

 

 

 

 「お前じゃヒーローは無理だよ、逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)

 

 

 

 

 ─── 聞こえる、響く。

 今も鳴り止まず次第に大きくなる悲痛な叫び声が。助けて、嫌だ、死にたくないと嘆く多くの命達の声が。

 ─── 見える、感じる。

 次々にその灯火を消されていく人々の姿が。泣き叫び、逃げ惑い、それでも最後には潰えていく数多の人の姿が。

 

 誰が、一体こんな事を。どうして、こんな事に。

 そう問答しながらふと気付くのは、彼らが血を流す瞳の先に、その瞳の中に、自分がいる事。誰もが此方を見ながら後退り、千切れて無くなった足の痛みに構わず這いずる様に怯え、血みどろの傷を抑えて逃げていく。此方を見ながら必死に命乞いをする、身体から切り離された首の数々。

 なんで、俺に。どうして俺に。命だけはと願うのだ。

 

 

 「ぁ……ぁ……」

 

 

 そんなのは、問答するに値しない、聞くまでもない事実だった。気が付けば、いつの間にか手にしていた二本の剣。誰かを守る為にと、そう願って作られたその二振りが、数多の人の血でべっとりと濡れている。それを見て膝から崩れ落ち、周りの屍の中でその剣を見つめ続けた。

 自分がやったのか。いや、俺じゃない。やったのは目の前にいるコイツだ。でも、この結果が俺の独り善がりを続けた末のものなら。

 それなら────

 

 

 

 

 ─── これは、誰の血?

 

 

 

 

 ─── 右で倒れているシリカの。

 

 

 ─── 左で横たわるリズベットの。

 

 

 ─── 虚ろな瞳を見せるリーファの。

 

 

 ─── 腕を切り取られたシノンの。

 

 

 ─── 足を砕かれたフィリアの。

 

 

 ─── 身体を裂かれたストレアの。

 

 

 ─── 後ろで呻き声をあげるクラインの。

 

 

 ─── 四肢をもがれたエギルの。

 

 

 ─── 白い服を真っ赤に染めたユイの。

 

 

 ─── 武器をへし折られた親友(キリト)の。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「─── アキト、君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ─── 腕の中で息絶えたアスナの、血。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あああああああああぁぁぁぁあぁぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああああぁぁぁあああああああああああああああああああああぁぁぁああああああ!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「それがお前の、成れの果てさ」

 

 

 

 

 ─── 壊シテ、喰ラエ。

 

 

 

 

 頭の中で何処か楽しそうなそんな一言が、どうしてか聞こえた気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 「アキト君!?アキト君っ!」

 

 「っ……!?」

 

 

 身体を揺さぶられる感覚と共に意識が覚醒する。急に暗闇から明るい空間へと身を投げ出されたような錯覚に陥り、気が付けば自室のベッドの上だった。先程までの気だるさが幾分か軽くなり、恐怖に震えていた身体は荒くなった呼吸を整えようと上下する。殺風景な自室で聞こえるのはそんな汗まみれの少年の呼吸と、焦りで心臓を高鳴らせてしまっていた少女の不規則な呼吸音。

 汗でぐっしょりと濡れた自身の黒シャツの両肩を掴んで揺さぶっていたのは、目の前にいる涙目の少女だった。

 

 

 「……リー、ファ」

 

 「っ……だ、大丈夫……?アキト君……!?」

 

 

 ベッドに膝を付き、アキトの顔を覗き込む彼女の瞳からは涙が伝い、アキトの頬に落ちる。とめどなく流れるその涙が、今も彼女の頬を濡らしていた。

 呼吸が一定になりつつあるアキトは、そんなリーファを見上げた後に周りを見やる。窓の外はまだ暗く、先程とそんなに変わらない時刻である事が伺えた。変わっているのは汗まみれの服と、くしゃくしゃになって泣く親友の妹の姿。

 身を起こすと、リーファもその場から退く。ベッドの上でへたり込んだ彼女は、袖で止まらぬ涙を拭っていた。状況が分からずにいたアキトは、躊躇ったが、泣いているリーファに事情の説明を聞こうとその名を呼んだ。

 

 

 「……リーファ、俺……」

 

 「アキトくん、凄く魘されてたんだよ……っ、凄く苦しんでて、叫んでて……っ、な、なのに、全然、目を覚まして、くれないし……アスナさん呼ぼうとしたけどっ……もし、戻ってきた時に……っ、何かあったらって、思ったら……!」

 

 

 嗚咽混じりで話す度にポロポロと涙が零れる。自分では制御出来ないようで、拭っても拭ってもまた涙が溜まり始めていた。どうやら物凄く心配させてしまったらしく、それなのにアスナ達に助けを求めに行けない状態が続いた結果、彼女は今までに無い程に取り乱していた。以前みんなの前で初めて《二刀流》を解禁したあの時以上の彼女の困惑状態に、眠気も朧気な夢の記憶も吹き飛びそうな程だった。一瞬だけ迷ったが、アキトは自身のシャツの袖をもリーファの頬に近付けて、涙を拭う手伝いを始めた。

 

 

 「り、リーファ、落ち着いて……俺はもう平気だから、そんな泣かないで」

 

 「……ホント?」

 

 「うん。ちょっと汗掻いちゃったけど……リーファが起こしてくれたから」

 

 

 汗まみれの顔では格好付かないなと思いながらも、これ以上心配かけまいと今出来る最高の元気な笑顔を心掛けた。リーファをそれを見て鼻を啜りながらも、取り敢えず涙は収まった様だった。頭に置かれたアキトの手を甘んじて受けながら、リーファはポツポツと気持ちを吐露し始めた。

 

 

 「……思い出しちゃったの。現実での事……お兄ちゃんが寝てる病院のベッドの事……」

 

 「……」

 

 「アキトくん、あんなに苦しそうなのに起きなくて……もしアキトくんがこのまま目覚めなくなっちゃったらって……そう思ったら、いてもたってもいられなくなって……それで……」

 

 

 ────それで泣いてしまったのか。

 彼女にとって先程までのアキトは、現実世界のキリトと──ベッドに横たわって動かない兄と重なって見えたのかもしれない。アキトの中にはキリトも存在している。故にそう思ってしまうのは尚更だった。

 またリーファに辛い思いをさせてしまうところだったのかと、アキトは今、漸く悟った。

 

 

 「本当にゴメン。俺、みんなに迷惑かけてるな……」

 

 「グスッ……」

 

 

 もう何度目か分からない謝罪。最早その在り来りな言葉に価値を見い出せない自分がいた。恐らくこれからも吐き続ける事になり、いずれ信用に足らぬ言葉へと成り下がるかもしれない簡単な一言だった。自分で聞くとまるで誠意の欠片も感じないうえに、どうせまた近い未来に使う事になるだろう予感が既にあったのだ。

 だが今は、ただ目の前の少女を泣かせたくなくて、その為だけに使う言葉だった。

 

 

 「リーファ、俺はゲームクリアするまで絶対に居なくなったりしないよ。それにキリトだっている。知ってる?君の兄貴はSAOの中で一番強いんだ」

 

 「……」

 

 「だから、もう泣かないで。リーファが来てくれたから少し楽になったし。それにいつまでも泣かれたらキリトに怒られる」

 

 「……ふふっ」

 

 

 最後の弱気な発言に、リーファも漸く笑みを浮かべてくれた。目は赤くなっていたがそこに涙はもう無く、彼女は少しばかりいつもの活力を取り戻したように見えた。

 

 

 「うん……ゴメンね。あたし、なんかちょっと泣き虫になっちゃってたみたい。ダメだよね、病気なのはアキト君の方なのに、あたしが慰められちゃった」

 

 「妹を慰めたりワガママを聞いたりするのは兄貴の務めだってキリト言ってたし、俺も一応現実世界では兄貴だし、全然問題無いんじゃないかな」

 

 「ふふ、何それ。……兄妹だから、ワガママを言っても良いの?」

 

 「勿論。ここに来るまでキリトには散々泣かされてるんだし、どんどんワガママ言っちゃいなよ」

 

 

 全部キリトに丸投げの発言。まあ元々リーファがこの世界に来てしまった理由に少なからずキリトも関わっているのは事実だし、泣かせたのも本当なのでバチは当たらない……はず。

 と思ったのだが、リーファの反応が想像と少し違っていた。何だか良い事を聞いた、と言わんばかりの、悪戯を思い付いた子どものような可愛らしい態度でアキトを見つめていた。

 

 

 「ふうん……“妹”は“兄”にワガママ言って良いんだ……そうなんだぁ……」

 

 「……あ、あの……一応付け加えておくと、確かに俺は“兄”でリーファは“妹”だけど、俺達は別に兄妹って訳じゃ……」

 

 「じゃあ、アキトくんはあたしのワガママ聞いてくれないの?」

 

 「へ?あ、いや……まあ、そんなに無茶なお願いじゃなければ……」

 

 「そっか……えへへ、そっかぁ……」

 

 

 心配を掛けた手前Noとも言えずなあなあに答えると、リーファは頬を少しばかり赤くして目を細めて笑みを零した。何だか不味い約束をしてしまったような気がしたが、リーファのその表情を見て何も言えなくなってしまう。

 するとリーファは突如ウインドウを開き、慣れた手つきで操作を開始した。目当ての物を指でタップすると、それは小さな光と共に姿を現した。

 

 

 「じゃあ……アキトくん。これ」

 

 「……これ、《太陽》と《月》のペンダント……」

 

 

 それは、いつの日かリーファと共に赴いたクエストの報酬として手に入れた二つのペンダントだった。かつて名を馳せた彫金師が愛する人の為に太陽と月を象ったペンダントを作り、それぞれが身に付けて愛を誓い合い、そして最後にはとある禁忌によって神に嫌われ、袂を分かたれたという物語を背景に、二人を───兄妹をもう一度合わせてあげたいと願うリーファに応えたくて手伝ったクエスト内のアイテム。彫金師の《太陽のペンダント》は83層に、彼女の身に付けていた《月のペンダント》が85層に落ちていて、それを二つ探して占い師に届けるというのがクエスト内容だったはず。

 当初から何故かこのクエストを受けたがっていたリーファは、半ばアキトを強引に連れて行きクエストを受注した。彼女はすぐさま83層の森へと赴き《太陽のペンダント》を入手、当時は85層の解放を心待ちにし、そして解放した矢先にアキトを連れて《月のペンダント》を手に入れる為に不充分な準備の中ボスと戦闘した。異常な程必死だったリーファにとって、このクエストはただのクエストではなかったのだ。彼女はただ神の手によって引き裂かれた二人を、自分と兄であるキリトと重ねて見ていたのだ。だからこそ、もう一度二人を引き合わせたいと、そう願っていた。

 《月のペンダント》を入手後、リーファの心の叫びを聞いて、半ば喧嘩別れのようになってしまった。故にリーファ一人でクエストを終わらせているものだとばかり思っていたが、どうもそうではないらしい。

 

 

 「……どうして。占い師のところに持って行かなかったの?」

 

 「持って行ったよ。そしたら、フェアリーサークルを作れって言われて」

 

 「……ふぇありぃさあくる?」

 

 

 このクエスト内で初めて耳にする単語に眉を顰める。リーファは小さく頷くと、手元のペンダントを見下ろして立て続けに説明を始めた。

 

 

 「うん。占い師さんが『《太陽のペンダント》があった地へと戻り、草花で円形の舞台を形作り……その周りでそれぞれペンダントを身に付けた男女が踊る。さすれば引き裂かれた二人の想いは再び巡り会い、悠久の時を経て結ばれるであろう……』って言ってて……」

 

 「えっと……つまり、花でサークル?を作れば良いの?」

 

 「そこであたしとアキト君が踊れば良いの」

 

 「へ、あ、俺!?」

 

 

 つまるところ、それぞれ二つのペンダントを付けて花輪の中で踊れば、元々の持ち主である彫金師と彼女の想いは結ばれる、という事だ。そして、このクエストを受けるに当たって丁度二人だったアキトとリーファはその役に適任なのだが、突然名前を出されてアキトは身体を震わせる程に驚いた。リーファは大袈裟に驚くアキトをジト目で見ながら呟いた。

 

 

 「他に誰がいるの?」

 

 「や、でも俺、踊りなんて分からないし……ぼ、盆踊りとかソーラン節とかじゃダメかな……?それだったらなんとなくでいける気がするんだけど……」

 

 「すっごい和風……踊りってそういうんじゃないでしょ。心配しなくても大丈夫、ちゃんとあたしがエスコートしてあげるから!」

 

 「……」

 

 「なんか素敵なクエスト……あたしはこういうクエストの方が、敵を倒すより好きだな」

 

 

 すっかりやる気なリーファは、そのロマンチックなクエスト内容に頬を赤らめてうっとりしている。こういう運命や恋愛的なストーリーが背景としてあるのは珍しいものでもないのだが、年頃の女の子にとっては憧れる部分があるのかもしれない。だがクエスト内容にあった踊りに関して言うなれば、本当に自信が無いアキト。《カーディナル》もソーラン節くらいで許してくれないだろうか。

 などと考えていると、リーファが照れたように下を向き、恥ずかしそうに呟いた。

 

 

 「それに……ワガママ、聞いてくれるんでしょ?」

 

 「っ……分かったよ。早く治すから、そしたらすぐ向かおう」

 

 「うんっ!」

 

 

 リーファは今度こそ満面の笑みを見せてくれた。目元はまだ赤いままだが、もう涙の一雫も残ってはいない。ほんの数分前まで号泣していただけに、アキトも本気で嬉しく思った。彼女に限った話ではないが、やはり誰かの幸せそうに笑った顔はとても綺麗で美しくて、価値のあるものだと実感した。

 話す事も話し終えて区切りが着いた頃、リーファは扉に手を掛けて廊下へと出て行こうとしていた。ドアノブに手を掛けて、そして今も尚手を振っているアキトをチラリと見てから、頬を僅かに染めて告げた。

 

 

 

 

 「じゃあ、もう行くね。ゆっくり休んで、早く元気になってね───“お兄ちゃん”」

 

 

 

 

 ────パタン。

 アキトが反応する前に扉から姿を消したリーファは、部屋の向こう側で足音を立てながら廊下を駆けて行った。アキトは、最後に彼女から放たれた単語を頭の中でグルグルとループさせながら、振っていた手をダラリと落とした。漸くリーファの言葉の意味を認識すると、小さく苦笑した。

 

 

 何故かそう呼ばれるのに懐かしさを感じて(・・・・・・・・・・・・・・・・・・・)()()()()()()本当の(・・・)家族では(・・・・)ないと知って距離を(・・・・・・・・・)()()()()いつも後ろから(・・・・・・・)ついて来て(・・・・・)ニコニコ(・・・・)()()()()()彼女(・・)()懐かれ(・・・)ている(・・・)事実が(・・・)満更(・・)でもなくて(・・・・・)()()()()()()()言った(・・・)()()祖父(・・)()殴ら(・・)れそう(・・・)()()()()()()あたし(・・・)()()()()()()()()()()逃げた(・・・)自分(・・)()庇っ(・・)()()()()()()

 

 

 

(お兄ちゃん、か……スグ(・・)に面と向かってそう呼ばれたのは久しぶりな気がする────っ)

 

 

 

 

 そこまで思い出して(・・・・・)、固まった。

 

 

 

 

 ────それは、俺の記憶じゃない(・・・・・・・・)

 

 

 「っ……!?」

 

 

 ズキリと、また脳内で何かが軋むような音を立てた。咄嗟にこめかみ部分を手のひらで抑えるも、痛みに耐えかね反射的に目を瞑る。至る脈がドクドクと強く血を巡らせ、走る動悸は鳴り止まない。青かった瞳は完全に英雄()色へと染まり、焦点が合わずに揺れ動く。気が付けば、先程まで考えていた事を忘れかけていた。

 

 

(っ……今、俺何考えて……)

 

 

 まるで自分の記憶に無い何かを、記憶の棚から引き出したような気がした。それは自分のものではないはずなのに、その棚の引き出しにしっかりと収まっていて。それでいてそれは自然に零れ落ちた。元々自分が持っていた記憶かのように。

 

 

 「……」

 

 

 ─── もしかしたら、と。そんな気がした。

 何故か、自分にはもう時間が残されていないのではと悟りながらも、最早寒気すら感じなかった。

 段々と朧気になる先程まで見ていた夢の記憶。極薄らと視界の向こうで白い姿をした自分がニヒルに笑う。お前は誰かを傷付ける事になるのだと、そんな予知にも近い予感を残していく。サチと共に逃げ切ったはずの影が、また自身に振りかかろうというのだろうか。

 

 

 

 「……くっ」

 

 

 アキトは、暫く動けずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「私は見たわよ、アンタが罪を犯したのをね」

 

 「待ってリズベット、許してホントに」

 

 

 ベッド近くの椅子に座り細い目でアキトを見据えるリズベットは、口元を手で抑えて嘆かわしいと態とらしく仕草をする。どうやらリズベットはアキトを見舞いに来た際にドアの向こうで先程までのアキトとリーファのやり取りを見ていたらしく、リーファの爆弾発言をこれでもかと引っ張ってくるのだ。

 そう、帰り際にリーファが放ったあの一言を、彼女は耳にしてた。

 

 

 「アキトの周りには女の子がたくさんいるわねえ。しかも親友(キリト)の妹に“お兄ちゃん”呼びさせてるだなんて、どー見ても犯罪よねえ……」

 

 「……というか、見てたんなら全部知ってるでしょ。そんなんじゃないから……それに、今言い返す元気無い……」

 

 「そうなの?まあでも、思ったよりは元気そうで良かったわ。本当は仮病だったりして」

 

 「だったら良かったけどね……まあ、みんなが心配する程大袈裟なものじゃないよ。少し疲れが出ただけで」

 

 

 

 

 ─── また嘘を吐くのか?

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 そう口にした瞬間、脳裏に過ぎるのは夢に出た白い少年。アキトの何度目か分からぬ小さな嘘に、悲しませないように吐いた優しい嘘に、反吐が出ると囁いた。だがそれでも楽しそうに嗤う彼の表情が浮かぶのは、アキトにとって苦痛だった。

 リズベットに悟られぬよう歯軋りしていると、リズベットが一歩、ベッドに近付いて来た。

 

 

 「……なら、だったら早く治しなさいよね。まったく……アンタがそんなんじゃ調子狂うったら……」

 

 「……リズベット」

 

 「仮病とか言ってゴメン……アンタ辛そうなの、こうしてちゃんと見れば分かる事なのに、冗談なんか言って……」

 

 

 いつもからかってくる彼女にしては珍しくしおらしい態度に、アキトは面食らった。俯く彼女の表情は実にらしくなく、これも全て自分が倒れたせいで見る事になってしまった顔だった。

 毎度リズベットのそのふざけたような、それでいて誰かの為に動ける優しくて真面目な彼女が、アキトにとっては大した事の無い日常的な会話の中で出たタイミングの悪い発言一つでここまで縮こまっているのを見て、アキトは目を伏せた。

 彼女がこんな風に接するのも、ひとえに自分のせいであり、彼女が謝る事なんて何一つ無いのに。

 

 

 「……謝る必要なんて全然無いよ。元気づけようとしてくれたんでしょ?それに、リズベットはこうして心配して来てくれたじゃん。感謝こそすれ、怒るような事なんて何も無いよ」

 

 「……ホントに?」

 

 「うん。寧ろ心配掛けてゴメン」

 

 

 そう謝ると、リズベットは漸く自分を取り戻したようだ。いつもアキトに見せる笑顔を、漸く見せてくれたのだった。

 

 

 「……ホントよ、まったく。アンタがいないからみんな元気無いし、攻略だって大変なんだから。治ったら何か奢ってもらうからねっ」

 

 「ははは……分かったよ」

 

 

 じゃあ戻るわね、とリズベットが手をヒラヒラさせながら扉へと向かっていく。これまでシリカ、ストレア、アスナ、ユイ、リーファと、みんな同じようにこちらに背を向けて向こうへと行ってしまう。まるで自分から離れて行ってしまうかのような錯覚に心細さを感じ、次はリズベットの番なのかと思うと自然と腕が伸びてしまう。けれど、結局何も掴めずに空を切る。しかしそれに気付いたのか、リズベットは不意に振り返ってアキトを見下ろしていた。目が合った瞬間、自分が彼女を呼び止めようとしていた事に気付いた。まったく、体調が悪いと心細くなっていけない。けれど、それだけ彼らが大切なのだと自覚する。そんな風に思えたのはみんなのおかげで、目の前にいる彼女も同じだった。

 だからほんの少し、感謝の意味も込めてリズベットに告げる事にした。

 

 

 「来てくれてありがと、“リズ”」

 

 「っ!?」

 

 

 今まで呼ぶ事をしなかった彼女の愛称。親しみを込めたその呼び名を、76層に来たばかりのアキトは意識的に呼ばないようにしていた。もう大切な物など作らないと、そんな気持ちが無意識に何処かにあったから。だから一度呼んでしまえば、認めてしまう事になると思ったから。

 だからこそ、今は大切だと思っているからこそ、こうして呼ぶ事にした。今まで呼び方を変えるタイミングを図りかねていたが、期待通り効果はあったようで、リズベット───リズは一瞬だけ呆けたように固まるも、意味を理解してすぐさま顔を真っ赤に染め上げた。

 目を見開き、わなわなと唇を震わせ、そうしてアキトに向かって慌てて指差し、勢い良く捲し立てた。

 

 

 「い、良い!?今日ばっかりは可愛い女の子に頼られたからって無理しちゃダメよ。外出も禁止、装備いじるのも禁止、ベッドの上で大人しくしてなさい!」

 

 「はいはい」

 

 「そ、それじゃあねっ!」

 

 

 逃げるように扉へと走り、バタン!と大きな音を立てて扉が閉まる。そのまま走り去る音が耳に残る中、リズベットの慌てようを思い返して、アキトは微笑んだ。いつもからかわれている為知らなかったが、こうしてからかうのもまた楽しいかもしれないと、アキトは思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキト……」

 

 「フィリア?な、なんでそんなところに……」

 

 

 リズがいなくなってからものの数分後に、扉の隙間から弱々しい声が入り込んできた。ふと身を起こしてそちらを向けば、ほんの僅かな隙間からでも落ち込んだフィリアの様子が見て取れた。扉を小さく開けたかと思えば、躊躇いがちに目を伏せてまた閉じる。けれどアキトが心配なのだろう、再びドアを開け、けど迷惑ではないかと不安になってまた閉める。その繰り返しだった。

 

 

 「……えと、取り敢えず入って来て良いよ?」

 

 「う、うん……」

 

 

 苦笑するアキトに促されて、フィリアは漸く扉から身を出した。ゆっくり扉を閉めると、重い足取りでアキトのベッドに近付いてくる。そのまま付近の椅子に座ると、縮こまって目を伏せた。アキトが、いつもと全然違う彼女の様子に若干の戸惑いを見せていると、フィリアは小さな声で言葉を発したのだった。

 

 

 「……ゴメンね、アキト」

 

 「へ?どうしたの急に」

 

 「だって私、みんなに言われるまでアキトが体調崩してるって気付かなくて……」

 

 「……ああ、そんな事か。俺も今日まで気付かなかったし、フィリアが謝る事なんて無いでしょ……ってこれ、今日何回も言ってるなぁ……」

 

 

 どうやらフィリアは、アキトの様子に気付く事の出来なかった自分を責めているようだった。完全に自己責任だと思っていたアキトにとっては予想外の言葉で、まさか自分の体調が崩れた事に関してフィリアが自分を責めていようとは思わなかった。

 心配は要らないと、謝る事なんて無いと告げるのは今日で何度目だろうか。それでもフィリアは納得せず捲し立てた。

 

 

 「ううん、ダメだよ……だって、あの時だってアキトは……私の事、ちゃんと見ててくれたもん……私は、アキトにあんな事したのに、アキトはアスナと助けに来てくれた……!」

 

 「フィリア……」

 

 「だから、今度は私がアキトを救うよ!全力でアキトのお世話するから!」

 

 「す、救うって……そんな大袈裟な」

 

 「大袈裟なんて事無いよ!アキト倒れたんでしょ?何でも言ってね。アキトが望むなら、私、何だってするから!」

 

 「……」

 

 

 ─── 相手が違えば簡単に誤解するであろう“何でも”という発言に、アキトはフィリアの本気を伺う事が出来た気がした。どうやらあの《ホロウ・エリア》の一件でアキトに想像以上に恩を感じているらしく、更に予想以上に心配されているようだ。

 

 

 「じゃあ、私そろそろ行くけど……また何かあったら呼んでね!私、何処からでも駆け付けるから!」

 

 「あ、ああ、うん……でも、用事がある時まで無理して駆け付ける必要は……」

 

 「絶対!駆け付けるから!」

 

 「あ、はい……」

 

 

 彼女のその勢いにたじろぎながらも首を縦に振る。ここまで親身になって行動してくれるのを見ると逆に悪いと思ってしまう。フィリアを助けたのは完全に自己満足であって、フィリアがそこまで恩を感じる必要なんて無い。難色示すアキトの表情を察したフィリアは、アキトが謝る前に手の平を突き出して、アキトの言葉を遮った。

 

 

 「アキトは気にしなくて良いんだよ。私が好きでやってるんだし。それに、アキトが私にしてくれた事に比べれば、こんなのなんて事ないよ」

 

 「……あのさ、まるで縛られているみたいに聞こえるから言っておくけど、そんなに恩を感じなくても良いんだよ?フィリアと一緒にいたいっていう我儘の為に、俺が勝手にやった事なんだし」

 

 「わ、私と一緒にいたい……!?」

 

 

 それを聞いた瞬間、フィリアの顔が紅潮し、身体をフルフルと震わせ始めた。その一言が彼女の頭を駆け巡り、その後のアキトの話など耳に入って来ない。

 

 

 「だから……フィリア?」

 

 「っ!?な、ナンデモナイヨ!?」

 

 「?」

 

 「じ、じゃあ、私もう行くけど!何かあったら、また、呼んでね!」

 

 

 慌ててくるりと振り返ると、カチコチと壊れかけのロボットの様な歩き方で扉まで向かって行った。もう行ってしまうのかと、リズベットの時のように手を伸ばすが、やがて下ろした。しかし、フィリアはくるりと振り返ると、何かを言おうとしてモジモジと身体を小さく揺らす。

 

 

 「フィリア?」

 

 「あ、アキトの周りには、アスナとかもいるけど……みんなに頼めないような事は私に言ってね!」

 

 

 フィリアはほんの少しだけ、また顔を赤くしてポツリと呟いた。恥ずかしかったのか視線を逸らし、途端に俯く。しかし当のアキトはそんなフィリアの言葉を聞いてポカンと口を開ける。

 ─── それってどんな事ですか。

 考えようによっては、彼女の言葉はそれなりにいかがわしい表現に聞こえたかもしれないが、フィリアに対して下心の欠片も無い純粋無垢な少年アキトは、彼女の発言をそのまま受け取り真剣に考え込んでしまっていた。

 

 

 「そんな用事があるかはちょっと分かんないけど……分かったよ。何か頼み事があったらフィリアにメールする」

 

 「絶対ね!絶対だよ!それじゃあ、お休み!」

 

 

 アキトの応えに満足したのか、フィリアは笑顔で小さく手を振りながら扉の向こうへ消えていった。軽い足取りが壁の向こうから聞こえており、やがてそれは静寂のなっていく。再び賑やかだった部屋が冷たく無機質な空間へと変化しつつあった場所を、アキトはぼうっと眺めた。

 シリカ、ストレア、アスナ、ユイ、リーファ、リズベット、フィリアの順でお見舞いに来ては、帰って行って。その度に部屋が賑やかになっては静かになる。今日一日で何度も体験したこの感覚は、出会いと別れの繰り返しを、人生という大きな概念染みたものを感じた。この孤独感が、一人の惨めさが、現実世界と同化し連想させる。

 

 

 「……」

 

 

 現実世界では何度も出会いを繰り返したのに、結果出会いの数より別れの数の方が多かった気がする。何度も友達を欲し、手に入れたはずなのに全て零れ落ちた。両親ももうおらず、結局天涯孤独の身。

 そうして独りで塞ぎ込んで、閉じこもって。他人なんて要らないと、独りで良いと本気で思っていた。周りとの繋がりを断絶していたあの頃は、ゲームをしている時だけが楽しかった。

 それでも父の夢を思い出した時には、もう遅かった。

 それに気付き、急いで顔を上げて、そして悟った。自分が属する場所は、欲しかったはずの居場所が、もう現実世界の何処にも無いのだと。周りは肩を寄せあって笑ったり、泣いたり、そうして巫山戯合ったりして。

 愕然とした。全て理解したのだ。

 自分が努力を諦めた事で、理想を捨てた事で何を失ったのか。いや、もしかしたら手に入れられたかもしれない何かを自ら捨ててしまったのか、それを初めて思い知ったのだ。

 自分が間違っていたのだ、と。

 

 恐怖にも等しい孤独感を味わいながら過ごす日々の中で、別の世界なら変われるかもしれないと手にしたナーヴギア。それは正しく現実逃避だと自嘲気味に笑いながら、結局現実世界を諦めた哀れな道化。それが、あの頃の自分だった。

 

 

 

 

 ─── お前じゃヒーローは無理だよ、逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)

 

 

 

 

 夢の中で囁かれた一言が再び胸に去来する。あの時、否定の言葉を一つも吐けなかったのは、そんな後ろめたさがあったからなのかもしれない。あながち、奴の言っていた事もある意味正しかったのかもしれない。

 

 

 

 

 ─── “欲しいもの”があったんだろ?

 

 

 

 

(くそ……)

 

 

 

 理想は遠く、現実はいつだって非情。

 自分はきっとヒーローの器なんかじゃないのだと、孤独感に苛まれながら心の中で告げたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 視界が暗闇に包まれる中、意識だけが僅かに覚醒する。初めに感じたのは体調の著しい変化だった。閉じている重い目蓋、ズキズキと痛む頭、重苦しかった身体の具合、その全てが良好な状態に戻り、体調不良は完全に消え去っているのが瞬間的に分かる。あれだけ苦しかったのが嘘のようで、開けるのすら億劫だった目蓋がゆっくりと開いた。

 瞬間、窓から差し込む陽光が視界を覆い、慌てて目を細める。小さく呻きながら目元を擦り、猫のように蹲っていた身体が段々と伸びていく。

 

 

(……俺、いつの間に寝てたんだな……)

 

 

 スッキリとした気分とは裏腹に、まだ眠気が抜け切ってないのか、ほんの少しだけうつらうつらと瞬きをした。お見舞いに人が来る度に寝て起きての繰り返しで、しかも悪夢に魘されたとあってまともに睡眠を取れていなかった分、逆に長く寝過ぎた事でまだ眠気が抜けておらず、なんならこのまま身を睡魔に委ねて再び眠る事も出来る気がした。

 

 

 「……あ、気が付いた?」

 

 

 ─── しかしそれは、透き通るような声によって遮られた。それは静寂を裂くと同時に、それでいて心地好く耳に入る声色だった。アキトはピクリと身体を震わせ、再び目蓋を起こした。

 視界に映ったのは自分が寝ているベッドの端。そのすぐ傍にある木組みの椅子に、本を携えて座る短めの髪の少女。細い指先で本の紙を捲るその音は、久しく聞く事の無かった、現実世界での懐かしい記憶を呼び覚ましてくれる音だった。そして、その音を奏でていたのは。

 

 

 「……シノン」

 

 「おはよう、アキト。まあ、随分な寝坊だけど」

 

 

 本から視線を外し、アキトを見て苦笑しながらシノンは挨拶をした。アキトは椅子に座る彼女をぼうっと見て、それから身を起こす事も無く横になった体勢のまま呟いた。

 

 

 「……今、何時?」

 

 「午後三時。アンタ、ほぼ半日以上寝てたのよ」

 

 

 それを聞いて、アキトは漸くしっかりと目を開けた。だが、連日の攻略や昨日の苦痛で疲労が溜まっていた為か、すぐに身体が起き上がらない。しかし、無理矢理身体を起こそうと手に力を入れようとすると、シノンがそれを静止した。

 

 

 「無理しないで良いわよ。そのままで」

 

 「……でも」

 

 「でもじゃない。ずっと寝てたんだし、すぐに起きるって方が無理な話だわ」

 

 「……ゴメン」

 

 「……うん」

 

 

 アキトのその謝罪は、何に対して告げたものだったのだろう。言葉にしたアキトも、聞き入れたシノンも、互いにそれを考えていた。

 シノンにとって、アキトが倒れたという事実は、言葉以上の意味を持っていた。周りは日頃の疲労蓄積が原因だと判断する中、シノンだけは他の可能性をも考えしまっていたからだ。忘れもしない、アキトがホロウリーパーを倒して帰ってきたあの日の夜。アキトは壊れてしまうのではと思わせる程の頭痛に苦しめられていた。段々と限界染みたものがアキトの身体から見え隠れしていた事を、今回の件でシノンは思い出し、改めて痛感してしまったのだ。彼が今、どういった状態なのかを。

 だけど、アスナ達に話す事は止められているうえ、この世界の知識に乏しい自分ではどうする事も出来ない。いっそ喋ってしまいたいと思った。だけど、アキトの意志を想うと何も出来なくて。こうして、ほぼ一日苦しんでベッドに横になっていたというのに、シノンはアキトに対して何も聞けずにいた。

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 アキトもアキトで、何も聞いて来ないシノンに有り難さを感じると同時に、申し訳なさを感じた。自分でも今どういう状態なのか分かっていないのに、それを口にして心配を掛けてしまったらと思うと憚られた。言った手前、解決しない可能性だってあるのに。

 そんな中、彼女の手元の本を見てアキトは思考はシフトした。彼女がそれを持っているその本は、暇を潰す為の物だと仮定して。

 

 

 「……ずっと、居てくれたの?」

 

 「そ、そんな訳無いじゃない。アスナ達と交代で傍に居ようって話になったの」

 

 

 アキトの様子を見ている間、暇を潰す為の物として本を用意したのだろうという考えはどうやら当たっていたようだ。だが、どうやら自分はフィリアが来て以降ずっと寝ていたようで、その間みんなが交代で看てくれていたらしい。

 

 

 「ほら、病気の時って起きた時に一人だと寂しいでしょ。それで、今は私の番ってだけよ」

 

 「……そう、なんだ。……ありがと」

 

 

 心做しか少し慌てているように見えるシノンだが、彼女の言葉にはとても共感出来る為、納得して頷いた。

 ────ちなみに、交代の時間はアキトが起きるとっくの昔に過ぎているのだが、彼には内緒である。自分の番で目が覚めてくれないかなと少しばかり期待したシノンの小さな我儘だった。

 疲労と寝起きで弱々しいアキトの感謝の言葉。シノンはぎこちなく目を逸らすと、本をパタリと閉じて少しばかり勢い良く立ち上がった。

 

 

 「……ど、ういたしまして。でも、起きたなら、もう良いわね」

 

 「ぁ……」

 

 

 焦っているのか慌てているのか、シノンはそのままアキトに見向きもせずに身体の向きを反転させた。そのまま例に漏れず見舞いに来てくれたみんなの様に扉へと向かうだろう。

 その後ろ姿を見たアキトは、リズやフィリアの時と同じように、その腕を伸ばした。自然に、流れるように。殆ど無意識に挙げたその腕は、真っ直ぐシノンの右手を掴んだ。

 

 

 「ひゃっ……あ、アキト……?どうかした……?」

 

 

 急に手を握られたシノンは、驚きのあまりに声が裏返る。アキトは、自らが伸ばし、繋いだその手をジッと見つめた。

 リズの時は、我に返ってその手を下ろしてしまった。フィリアの時は伸ばしても届かなかった。何度も繰り返し見てきた大切な人達の後ろ姿は、知らず知らずの内にアキトに恐怖にも似た孤独を感じさせた。

 けれど、最後に。

 漸く誰かの手を掴む事が出来て。

 零れていくだけの手に、何も無かった自分の手に収められた。

 

 

 

 

 ────漸く握られた、繋がれた、誰かの手。

 

 

 

 

 「……まだ、行かないで」

 

 「……え」

 

 「傍に居て」

 

 「……っ!?……な、なっ……!?」

 

 

 寝起きで思考が回らないアキトの、子どもの様な我儘。駄々にも似たその幼い雰囲気を漂わせた可愛らしさに、普段と違うギャップを見せられて、シノンは顔を赤くして口元を震わせた。何が起こっているのか、何を言っていいのかが定まらず、アキトのとろんとした艶かしい笑みに、シノンは思わず叫ぶ。

 

 

 「あ、あ、アンタ……何言って……!」

 

 「……だめ?」

 

 「っ〜〜〜!!!」

 

 

 ─── 何これ誰これ何なのこの小動物みたいな生き物!?

 シノンは今までに無いアキトの態度に、そのクールな表情を崩された。幼児退行したのではと思う程の態度の豹変に悶え死にしそうになる自分をどうにか抑え、漸く自分を取り戻した。

 小さく溜め息を吐き、ベッド近くの床に膝を立てて座り込むと、アキトと同じ目線に立って朗らかに笑った。

 

 

 「……分かったわ。アキトの気が済むまで傍に居るから」

 

 「……ん」

 

 

 アキトに掴まれた手を、自分から優しく握り返したシノン。アキトはその返答に満足したのか、再びウトウトと目蓋を下ろし始めていた。今の今まで寝ていたはずなのに、まったく仕方の無い奴だと、シノンはクスリと笑った。繋がれたその手を見て、確かに鼓動を早くしながらその寝顔を見つめる。

 誰かの為に必死になって、命を懸けて戦う彼の素顔はこうして見るとただの少年で。もしかしたらほぼ同じ年齢なのではないかと思う事もある。そんな彼は、少年であるが故に、やはりどこまで行っても年相応なのではないのだろうかと、そう不安になるのだ。

 我慢してたり、抱え切れない何かを、誰にも相談せずに押さえ込んでいるのではないのだろうか。アキトはまだ子ども、だからこそみんなの為に戦う強さと優しさを持つ反面、年相応の弱さが何処かにあるのではないかと、シノンは考えてしまうのだ。

 だって、彼はずっと一人で戦ってきたのだから。

 

 

 

 

 「……アキト」

 

 

 

 

 ─── 貴方は、アキトのままよね?

 

 

 

 

 そんな問いに応えてくれる人はおらず。

 シノンはそっと、アキトの額に自身の額を当てるのだった。

 

 

 

 






シノン 「……熱は無いわね」

アキト 「……シノン、近い」

シノン 「!?な、あ、アンタ起きて……!」

アキト 「……あー、えと、ゲームなんだし熱は無いと思うよ?」

シノン 「っ〜〜〜!!!」//////


※この後めちゃくちゃ叩かれた





《その後》


クライン 「おうおうおう!随分と重役出勤だなぁおい!」

エギル 「おうアキト。もう大丈夫なのか?」

アキト 「うん、平気だよ。心配掛けてゴメンね。明日からまた頑張るから」

エギル 「結局何が原因だったんだろうな」

クライン 「ま、少しは休息を取れっていう神様のお告げだったんじゃないのか?」

アキト 「……そう、かもね。気を付けるよ。またみんなに心配掛けたくないしね」

クライン 「へっ、そうかいそうかい。まったく、お前は幸せ者だよ!」




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Ep.108 予兆






重なり織り成す、運命の歯車────







 

 

 

 

 

 「いやー、まさかの仕様だったな」

 

 「クライン、アレ見た時かなり慌ててたもんね」

 

 「んぐっ……だってよぉ、毎度毎度フィールドに出る度に空を見上げりゃ、次の層に続く柱が立ってたじゃねぇか。それが途切れてたんだぜ?ビックリするに決まってんだろ!」

 

 「いや、うん……俺に言われてもなんだけど……」

 

 

 必死に言い訳───という程でもないが、そう捲し立てるクラインにたじろぎ、苦笑を浮かべるアキトは、先程までクラインと共に攻略していたフィールドの事を思い返していた。

 

 93層の街《チグアニ》からフィールドに出たアキトとクラインを初めに待ち受けていたのは、空中で途切れた迷宮柱だった。どの層のフィールドにも、必ず一本聳え立つ柱。プレイヤー間では塔とも呼ばれるその柱には、プレイヤー達が目指すべき迷宮区とボス部屋が存在している。ゲームクリアを目指すに当たって我々がすべき事として、まずプレイヤー達は迷宮区が備わるその柱を目指して攻略するのが定石だ。如何に広いマップであったとしても、その柱が見える方向に進めば、そこには必ず迷宮区とボス部屋が存在しているからだ。

 

 しかし、今回新しく開放された93層のフィールドにおいて、攻略への道標となっていた、94層とを繋げる迷宮柱は空中で途切れていたのだ。それを見たクラインは初見のはずのフィールドと高レベルモンスターを意に介さずに柱へと向かい、アキトはそれを急いで追い掛けた。そうして、やがて塔の麓まで来た途端、迷宮区が崩壊していたのを発見したのだ。

 根元から亀裂が入り、綺麗に倒壊した迷宮区を前に、クラインは焦りを通り越して絶望的な表情を見せていたのを思い出す。

 

 

『ま、まさか……俺達の戦いはここまでなのか……!?』

 

『何その打ち切りエンド感……』

 

『どうなってんだよ!!』

 

『ちょ、クライン、落ち着いて……』

 

 

 進むべき道が閉ざされたかと思ったクラインはこの上ない悲哀の感情を剥き出しにしていたのだが、アキトが瓦礫の先にある迷宮区の壁の亀裂から中に入れる事を確認すると、クラインは漸く落ち着きを取り戻したのだった。

 中を覗いた感じから察するに、どうやら迷宮区内には幾つもの転移石が散らばっており、これを作動させる事で柱が途切れている場所よりも上に位置するであろうボス部屋へと向かう事が可能になる、という事だろう。

 それを説明して、クラインは漸く普段の状態に戻り、こうして笑い話になっている。だがそれにしたってあの時のクラインの形相はアキトも思い出し笑いするくらいには面白いものだった。

 アキトが倒れてから数日、92層を突破して93層へと辿り着いてのハイペース攻略にこの世界のプレイヤーもいよいよゲームクリアを実感し始めていた。上層に連れ狭くなるフィールドは、それだけ次のボス部屋を発見する速度を上げる。ゲームクリアの際には何かあるのではないかと噂され、最近では、システムエラーが原因で一度来たら戻れなくなる、と知っていて上層に来るような人達も増えてきたらしい。ゲームクリアが目前となれば、知り得ぬ街に行ってみたいと思うのは当然だろう。この世界に来る事はもう無いのだから、思い出に浸るのも悪くないのかもしれない。

 

 

 「ん?どうしたアキト、周りなんか見て」

 

 「……いや、こんな日常染みた生活、二年前じゃ考えられないよなって思ってさ」

 

 

 クラインに問われ、再び行き交う人々に視線が向く。

 日も暮れてきた今日、人の賑わいは以前のそれとは比べられぬ程に騒がしく、恐怖と悲しみに暮れていた二年前とは全く違っていた。《チグアニ》の街は最前線という事もあって、まだ見ぬ街への好奇心に負けたプレイヤー達が押し寄せ、建物を繋げる連続三角旗の下で行き来の流動を繰り返している。この風景は正しく現実世界のものと変わらない日常だった。慣れてきている事が必ずしも良い事だとは言い切れないのかもしれないが、人々が下を向くよりは幾分もマシに思えた。

 

 ────これはきっと、アキトが前から見たいと切に願っていた世界の一部。そして、これから終わらせなければいけない世界。

 

 ゲームクリアが成されれば、この世界は終わる。そうすれば、ここで築き上げたもの全てが崩壊し、現実世界へと強制送還されるだろう。その時、仮想世界にあった地位やステータスといった努力や、友人や恋人との関係も断ち切る事になる。仕方が無いとは分かっていても、抵抗がある訳じゃないとしても、それだけは少し寂しいような気がした。

 

 

 「……ま、ゲームクリアが近ぇんだ、はしゃぎもするだろうさ。これも俺達の頑張りの成果ってもんよ」

 

 「そうだね。攻略組のみんなは、ホントに頑張ってくれて……」

 

 「何言ってんだ、アキトが一番の功労者だろうが」

 

 「へ?あ、いや、そんな事は全然……」

 

 「ったく、ホントにお前さんは謙遜が過ぎるっつーか……よっしゃ!折角最前線の街なんだ、俺様が何か奢って……ん?」

 

 「クライン?」

 

 

 ふと、急にクラインの視線が進行方向へと向いた。思わずつられると、その先には小さな人集りが出来ていた。そこは商店街や転移門へと繋がる道のある小さな広場だったが、その辺りで人々の流れの悪い一部分がやたらと目に付き、自然と視線が固まってしまう。耳を澄ますまでもなく騒がしく、周りも不安げな表情を見せて始めていた。

 

 

 「おいアキト、なんか向こうが騒がしくないか?」

 

 「……うん。何かあったのかな」

 

 「喧嘩か何かかもしれねぇな……アキト、行ってみようぜ!」

 

 「うん」

 

 

 クラインの言葉に頷き、すぐさま行動に出る。アキトは道行く人達に頭を下げながらその人混みを掻き分けていく。アキトはその男性にそぐわない細身の身体でスルスルと人々の隙間を縫うように進んで行き、クラインも苦戦しつつ前に進んでいた。

 近付くに連れて、段々と広場の中央で行われているであろう事件の被害者たるプレイヤーの声が聞こえる。どうやらその中には女性が居るようで、淑女らしからぬ怒声が響いていた。後ろから追い付いたクラインと顔を見合わせ、集まる人々の先頭へと躍り出る。すると、視界の真ん中でそれは繰り広げられていた。

 

 

 「ちょっとやめてってば!離して!」

 

 「一々煩いなぁ、抵抗しても意味が無いってそろそろ覚えてくれよ……」

 

 

 そこにいたのは一人の女性と、それを取り囲む数人の男性プレイヤーだった。嫌がる女性の細い手首を引っ掴んで自分に引き寄せ、下卑た笑みを浮かべる男性プレイヤーとその仲間達。

 その更に向こうには、囲まれている女性のギルドかパーティーの仲間であろうプレイヤー達も固まっており、しかし何故か女性を助けずに戸惑いと恐怖にも似た表情を浮かべていた。

 この構図を、アキトはつい最近にも見た事があった。そう、フィリアと76層の喫茶店へと赴いた時の事だ。あの時も確か女性プレイヤーが男性プレイヤーにちょっかいを出されており、にも関わらずハラスメントコードが発動しなかった。奴は実力に見合わない装備をしていたアルベリヒという不審なプレイヤーの部下であり、それ故に問題視していたのだが────と、そこまで思い出した瞬間、アキトは視線の先にいたとある人物を見て目を見開いた。

 

 

(っ……あの男の人、確かあの時も喫茶店で女の人にちょっかい出してた……!)

 

 

 そう、良く目を凝らすまでもなく、アキトはあの女性の手首を掴んで口元を歪める男性を知っていた。まさしく76層の喫茶店でも女性に嫌がらせを働いていたアルベリヒの部下その人だったのだ。

 今度はこんな最前線で女性に手を────そう思っていると、アキトより先にクラインが前に出た。アルベリヒの部下達が急な乱入者に舌打ちするのと、思わずクラインを見上げるアキトのタイミングは同じだった。

 

 

 「おいおいおい、その手は早く離した方が良いんじゃねぇか?相手は嫌がってんだろ」

 

 「クライン……」

 

 

 普段のクラインは女性に節操の無いイメージが付きやすいが、こういう場面で何の見えもなく正義感のみで行動出来るところは美徳であり、アキトは自然と彼の名を呼ぶ。

 しかし、そんなクラインの言葉を耳にした彼らは互いに顔を見合わせると何故か吹き出し、くつくつと笑いを堪えていた。クラインを馬鹿にするような態度をあからさまに見せ付け、女性の腕を掴んでいた男性がその下卑た笑みのままクラインに語り掛けた。

 

 

 「ちょっとちょっと、嫌がってるからって事情も聞かずに俺達を一方的に悪者扱いは無いでしょ?」

 

 

 この状況であくまでもシラを切る彼ら。クラインの表情は段々と怒りを表し始め、周りもそんな奴らの態度に困惑や怒りを湧き出し始める。だが奴の言葉も一理あった。この人集りの大半は確かに事情を知らないギャラリーであるか故に、客観的に見て被害者に見えるあの女性プレイヤーが何故男性プレイヤー達に囲まれているのか、そして女性の仲間であろう向こう側のプレイヤー達は何故彼女を助けようとしないのか、それが分からない。その為、奴の言葉に対して反論の余地が無く、何も言えなかった。

 ────しかし被害者である女性は違った。掴まれた手首をどうにか振りほどこうと身を捩りながら叫んだ。

 

 

 「ふざけないで!貴方がリーダーに何かしたのは分かってるんだからっ!」

 

 「何かって何だよ」

 

 

 未だ女性を離さない男性が薄ら笑いを浮かべて見下す。すると女性は、もう片方の腕でとある方向を指差した。その指の先が示すものを誰もが追い掛けると、行き着いたのはとある細い路地だった

 あの場所に何があるのだろうか───そう考えた瞬間、その女性は再び叫んだ。

 

 

 「あの路地で貴方達がリーダーに触れたかと思ったら、そのまま消えちゃったんだから!貴方達が何かしたに決まってるでしょっ!」

 

 「変な言いがかりはよしてくれよ。人を消すなんて出来るわけ無いだろ?」

 

 

 女性の言葉に飄々と返す男達。自分は知らないと、そんな事出来るわけが無いと当たり前のように呟く。だがアキトにとっては、女性の語った出来事の方に違和感を覚えた。今の話だけ聞けば、ただ触っただけでプレイヤーが消えたという不思議現象という事になる。

 

 

 「……消えた?触れただけで……?」

 

 「おいおい何だそりゃ……転移したとかじゃねぇのかよ……!?」

 

 

 クラインが有り得ないと言わんばかりにそう尋ねるも、女性は悲痛に顔を歪ませながら首を横に振った。

 

 

 「あれは転移のエフェクトじゃなかったもの。光の粒子が拡散するみたいな感じで……本当に消えちゃったのよ!!」

 

 

 路地で起こったという事は転移門による転移では無い。話だけ聞くと転移結晶による転移でもなく、どちらかというとプレイヤーが死亡した際に生じるエフェクトに近いように思える。だがそうなると《圏内》で殺人が起こったという事になるが、それはシステム上有り得ない。現在システムエラーによって様々なバグが生じてはいるが未だ《圏内》での生活に支障を来すようなものは見つかっておらず、以前耳にした《圏内殺人事件》も結局誰も《圏内》では死んでいなかった。

 考えられるのは犯罪防止コードに抵触して監獄エリアか何処かに転送されたケースだが、普通に考えれば転送されるのは先に手を出した方だ。女性の発言を信じるなら先に手を出したのはアルベリヒの部下達であり、このケースは考えにくい。

 それに76層の喫茶店での出来事を踏まえると、彼らは《犯罪防止コード》の発動を何らかの形で防いでいると考えられる。装備と実力が合ってない事といい、彼らは一体────

 

 

 「何を揉めているんだね、騒がしい」

 

 

 突如、そんな喧騒を裂くような声が響いて誰もが一瞬動きを止めた。するとアキトの視界端の方の人混みが二つに分かれ、その一本道から歩いてこちらに向かってくる一人のプレイヤーの姿が目に映った。白金色を基調とした装備に紅い細剣、そして金色の髪をオールバックにしたその男はギャラリーには目もくれず、やがては広場の中心にまで辿り着いた。

 そう、件の男────アルベリヒだ。彼は溜め息を吐きながら女性の腕を未だに掴んだままの部下に問い掛けていたが、あの表情を見るにどうやら一部始終聞いていて、敢えて聞き直しているようだった。

 

 

 「冤罪ですよ、冤罪。この世界に弁護士はいないんですかね?」

 

 「何かおかしな事をしたに決まってる!絶対にチートしたのよ!漸く……漸くっ、ここまで来れたのに!!もうすぐ、みんなで一緒に帰れると思ったのにぃ……!!」

 

 

 とうとう、女性プレイヤーは泣き出してしまった。未だ離してくれないその腕に対して、最早抵抗する気もなく崩れ落ちた。ゲームクリア目前で、漸くここまで生き残って来た矢先に起きた出来事でリーダーを失って、その悲しみが胸中に募り、そうして決壊してしまったのだ。

 あの女性の話は、何も知らない人からすればあまりにも突拍子の無い話し過ぎる。確かに人を消すなんて事、出来るはずが無い。だから誰もが信じられないだろう。彼女もそれが分かっているから、あれはチートだと、そう宣うことしか出来ない。しかし、それこそ言い掛かり染みて、難癖みたいで。まるで、被害者のはずの女性が悪役みたいで。

 

 

 「やれやれ……兎に角、証拠も何も無く単なる言い掛かりだと言う事は間違いない。泣いて喚いて見苦しい事この上ないな」

 

 「っ……ちょっと待てよ」

 

 

 アルベリヒが崩れ落ちた女性プレイヤーを見下して告げた発言に、クラインはもう止まらなかった。涙を流す女性を前にしてその存在を無碍に扱う奴を、決して許せはしなかった。クラインはアルベリヒの前に立つと、怒りを隠さず睨み付ける。

 

 

 「オレにはどっちが正しい事言ってるとか、そんな事は分かんねぇがな。ここまで一緒に頑張ってきた仲間が居なくなったんだ。そりゃ泣きも喚きもするだろうよ。見苦しいってのは訂正してくれねーか」

 

 「見苦しく思ったから見苦しいと言ったんだよ。君に僕の心の自由を束縛する権利はあるのか?」

 

 「んだと?」

 

 「まあ、頭に自信が無い人間程腕力に訴える傾向があるのは承知しているけどね」

 

 「随分と見下してくれんじゃねぇか」

 

 「……ふん、どきたまえ」

 

 

 アルベリヒはニヤリと笑みを浮かべると、クラインの肩を軽く掴み、強引に突き飛ばした。クラインは突然の事で対処出来ず、その場で尻餅を付いた。

 

 

 「っ、クライン!」

 

 

 思わず叫ぶアキトの前で、挑発的な態度を見せるアルベリヒは、視線が下がったクラインを見下ろし、馬鹿にするように再び口角を釣り上げていた。

 助けに入ったクラインを理屈や理論を重ねて論破し、最後に転ばせてギャラリーの前で恥をかかせる。そんなシナリオだったのかもしれない。クラインは悔しげにアルベリヒを見上げ、周りのプレイヤー達はクラインに対して気の毒そうな視線を浴びせている。アルベリヒの部下も悦に浸っているかの如く。状況はアルベリヒに攻勢だった。彼はクラインに駆け寄ったアキトを初めて視界に入れたと言わんばかりに口を開いた。

 

 

 「おやおや、誰かと思えば《黒の剣士》様じゃないですか」

 

 「アルベリヒ……幾ら何でもやり過ぎだと思うけど」

 

 「いやはや、随分とお優しい。だがこちらもそこの女性に濡れ衣を着せられた被害者なんです、感情的になっても仕方ないと思いますが」

 

 「……でもソイツ、76層の喫茶店で女性プレイヤーに痴漢行為してたお前の下っ端だろ?悪いけど前科持ちの性犯罪者は信用出来ないな」

 

 「なっ、テメッ……!」

 

 

 途端、奴の部下の狼狽が分かりやすく表情に現れた。瞬間的に周りにどよめきが広がり、揃って視線が騒ぎの中心たるアルベリヒ達に向かう。今のアキトの一言でギャラリーに回っていたプレイヤー達の敵意が全て奴に向かい、立場が逆転したのだった。もし仮に奴が反論しようとも、この状況での反論は罪から逃れる為の言い訳にしか聞こえず、すればするほど信用を失うものだ。それに最早真偽は問題では無い。噂は第三者の都合の良い様に解釈されて広がるものであり、何よりこれは真実だ。『痴漢行為』『下っ端』『前科持ちの性犯罪者』と立て続けに罵られた奴の憤慨ものの表情は相当なもので、この状況を作ったアキトに向けられていた。

 クラインが思わず隣りを見ると、その顔には悪戯気な笑みを張り付けたアキトが立っており、さも楽しそうに振る舞っていた。それはクラインも久しく見ていなかった、76層に来たばかりの時にアキトが見せていた敵役状態(ヒールモード)だった。

 アキトはその不敵な笑みのままアルベリヒを見据える。

 

 

 「お前の監督不行届って事だ。部下の面倒もまともに見れない癖に理屈ばっか一丁前だな、おぼっちゃん?」

 

 「貴様……あまり舐めた態度を取るなよ?お前みたいなガキは僕が本気になれば……」

 

 「本気になれば何だよ。腕力にでも訴えてみるか?頭に自信が無いなら、それも良いかもな」

 

 

 アキトの言葉一つ聞く度にアルベリヒは青筋を立てていく。彼自身が放った言葉全てが彼自身を縛り、更には多くのギャラリーの前で明らかに年下であるアキトに言い負かされているのだ、屈辱の極みだろう。確かに頭が良さそうに見えるが性格には難があるようで、アルベリヒは今にも手が出そうだった。そうなれば、あの女性プレイヤーの言うように触れただけでアキトを消す事も出来るのかもしれない。だがそれをしてしまえば女性の発言が正しかった事の証明になる。故に、奴は動けない。

 

 

 「……まあ、兎に角。言い掛かりはやめてもらいたいね」

 

 

 アルベリヒはどうにか自分を抑えたようで、アキトから目を逸らし、表情も最初の頃の涼しいものへと戻っていた。どうやらアキトの思惑通り、この場所から引いてくれるらしい。転移門に続く道へと進んで行く奴の背を見た部下達も、立て続けにその場を後にし始める。だが未だ女性の腕を掴んだままの男は、このギャラリーの前で『変態』のレッテルを貼り付けたアキトに対して憎悪に満ちた視線を向けていた。そのまま動かずただ睨み付ける男に、アキトは目を細めて近づいて行く。

 

 

 「……アンタも、早く彼女の手を離して上司のとこ行けよ」

 

 「テメェ……タダで済むと思うなよ……?もうすぐお前ら全員が俺達の思い通りになる……その時お前は絶対に殺───」

 

 

 その言葉が最後まで続けられる事は無かった。女性の手首を掴んでいたその腕を、アキトに掴まれたからだ。男は急にアキトに腕を掴まれた事で一気に不愉快になり、その眉を吊り上げる。そして、その腕を引き剥がそうと腕を動かすが──全く動かない。どれほどの力が込められているのか、アキトの腕を振り払えない。

 その事実に焦燥や苛立ちが立ち込め、そうして自分より背の低いアキトを睨み下ろして───

 

 

 「何触って───」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「───良いから、離セヨ」

 

 「っ……!?」

 

 

 瞬間、その男が感じたのは寒気だった。その冷たい声色に身体が震えた。知り合いがこれを聞いていたら驚きに満ちた表情をするだろう。何せ普段のアキトじゃ考えられないような口調と、何より初めて会った時の演技とはまた違う、本気の篭った声。

 そして、アキト自身は知らない。その時、男を見据えるアキトの隻眼が、血のように赤く染っていた事を。まるで、殺意そのものを奴に突き立てているような視線を男に向けていた事を。

 

 

 「っ、チィ……!」

 

 

 男は漸く女性を離すと、アキトの腕を振り払った。憎悪や殺意だけじゃない。まるで、恐怖から逃れるように。その表情がそれを物語っており、そのままアキトやクラインに背を向けてアルベリヒの向かった方角へと走り去って行った。

 瞬間、肩の荷が下りたアキトは小さく溜め息を吐いた。どうにかこの場を収めようと策を弄した結果、上手く事が進んだ事に対する安堵だった。すぐさまへたり込む女性の目線に合わせるように膝を立て、柔らかな声で語り掛ける。

 

 

 「大丈夫ですか?」

 

 「っ……う、は、はい……」

 

 

 女性は涙で赤くなった瞳でアキトを見上げた後、自分が泣き顔を見せていた事に気付き、咄嗟に涙を拭い始める。アキトは彼女にハンカチを差し出すと、少し離れた場所で未だ尻餅をついたままのクラインへと赴いた。

 

 

 「クライン、大丈夫?」

 

 「お、おう……お前ぇ、口喧嘩強過ぎだろ」

 

 「クラインこそ、あの食ってかかる感じ、凄くカッコよかったよ」

 

 

 アキトはクラインに向かって手を伸ばし、クラインは何も言わずにそれを掴む。一気に力を入れて引くと、それを利用してクラインも勢い良く立ち上がった。だがその顔は晴れない。何かを思考しているようで、それでいて表情からは困惑が見て取れた。そしてその理由も、もうアキトには分かっていた。

 そう、先程アルベリヒにクラインが突き飛ばされた時の事だ。あの行動で起こるべき事象が、あの時に限っては起こらなかったのだ。

 

 

 「……クライン。やっぱり、アルベリヒの行動で犯罪防止コードは機能してないみたいだ」

 

 「っ……ああ、どう考えてもおかしいだろ!普通、人を無理矢理押したり引いたりは出来ねぇはずだろ……!?」

 

 「前にアルベリヒの部下が女性にちょっかい出してた時も反応しなかったのをみると、あの集団全員がそうなのかもしれない」

 

 

 見間違いなどでは決してない。被害にあった女性やクラインも、コードが発動しない事に困惑しているし、奴らもそれを理解して行動しているような節がある。《カーディナル》のシステムエラーやバグの修正力が見込めない今の現状から考えても、最早奴らが何かおかしな事をしているとしか考えられない。寧ろ、76層に来た際の異常と何か関係があるのかもしれない。

 

 

 「……コイツはヤバいな」

 

 「うん……ゲームクリアまでもう少し、何事も無いと良いけど……」

 

 

 その期待はきっと叶わないだろうと、何処か無意識に思っていた。今日が初犯で無い以上、今後もこういう事は続くのかもしれない。もしかしたら、攻略に支障を来すような状況に陥る可能性もゼロでは無い。最悪、大切な仲間を傷付けられる事だって考えられるのだ。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────ズキリ

 

 

 そう思った瞬間、アキトの胸に小さな何かが宿った。アキト自身は感じ取れない程の、小さな何か。だがそれは、時間を掛けて段々と膨れ上がり、やがて黒く濁った塊へと変貌を遂げるかもしれないものだった。

 それは誰の心にも絶対にあるはずのもので、だが今までアキト自身からはあまり感じないものでもあった。だがこの世界が狂い始めてから、ずっとそれは胸の中にあったのかもしれない何か。

 

 

 

 

 ────決して、良くは無い感情の欠片だった。

 

 

 

 









女性 「あ、あの……!」

アキト 「?」

クライン「?」

女性 「た、助けてくれて、ありがとう……」

クライン 「へへっ、良いって事よ。俺らもアイツらにはムカついてたしな」

アキト 「怪我……はある訳ないよな、えと……何か酷い事とかされてない?」

女性 「え?あ、は、はい……」

アキト 「……?何?」

女性 「あ、えと……」

クライン 「オメーがさっきと口調も態度も違うから戸惑ってんだろ」

アキト 「あ、ああ、なるほど……」

女性 「あ、あの……これ、ハンカチありがとう……」

アキト 「どういたしまして。……ああ、良かったらあげるよ」

女性 「えっ!?」

アキト 「俺は使わないし、売ろうか迷ってたんだ。売られるよりは使ってくれた方がハンカチも嬉しいでしょ」

女性 「っ……は、はい……じゃあ、その……ありがとうございます……」//////

アキト 「……なんで急に敬語?」

クライン 「 」←全てを察した















●○●○





















「《剣技連携(スキルコネクト)》、《二刀流》、《未来予知(プリディクション)》、そして黒の剣士(キリト)の反応速度……」


「《カーディナル》に蓄積された戦闘経験(ログ)も、いずれ全て手に入れる機会があるだろう」


「身体の所有権がこちらに無い事を除けば、まあ順調な進捗だ。フフッ……」


「……ああそうだ、喜べよ。君の願いはもうすぐ叶うよ、逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)























「────それまでは、精々仲良くやろうじゃないか」





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Ep.109 95層討伐戦線






さあ、ゲームを始めよう。遊戯の神はそう告げた。







 

 

 

 

 95層《セイレス》

 

 

 午前十一時頃。

 今日の気象設定は快晴、上層に連れて狭くなったこの最前線の街は陽光が全体に行き渡り、冬の寒さが残る空間を暖かなものへと変えてくれる。普段なら昼寝も良いかな、と考えられる程の気象なのだが、今日に限ってはそうも行かない。

 《セイレス》のゲート付近には、既に多くのプレイヤーが集まっていた。その強者を思わせる顔付き達に、セイレス市を根城にしているプレイヤー達がギャラリーとなって人混みと化していく。

 それもそのはず、一見してハイレベルだと分かる装備に身を包む彼らは、これから95層のフロアボス討伐作戦へと赴く攻略組集団だった。ハイペースで攻略しているが、勿論安全マージンはしっかりと取っており、それ故の貫禄も備わっている。周りのプレイヤー達も、これからボス戦だと分かると途端にざわつき始め、それは段々と期待や懇願を織り交ぜた歓声となり始めている。

 

 ──── そんな中、近くの転移門から姿を現す集団が一つ。

 その目立つエフェクトと音で周囲の視線全てが転移門へと向けられる中、その光の中から一人、また一人と顔を出す。少年、少女、子どもに巨漢と人種に差異ある集団だったが、彼らは攻略組の最大戦力だった。

 ビーストテイマーであるシリカ。

 マスターメイサーであるリズベット。

 剣に自信のあるリーファ。

 《射撃(ユニーク)》スキルを持つシノン。

 《ホロウ・エリア》を一人で生き抜く程の実力を持つフィリア。

 女性でありながら攻撃力のある両手剣を扱うストレア。

 ベテランの攻略組であるクラインとエギル。

 そしてこの攻略組を統率する指揮官《血盟騎士団》団長のアスナ。

 最後に、魔王を葬る英雄の《二刀流(役割)》を手にした二代目《黒の剣士》、アキト。

 これまで多くの経験を積み重ねた事によって手に入れた強さがそこにはあって、そこから醸し出されるのは強者の雰囲気だった。

 しかし、そんな風に感じているのは周りばかりで、当の本人達からすれば注目される事に関してそれほど好印象という訳でもなく。特に期待大のユニークスキル持ちのアキトに関していえば────

 

 

 「……アスナ、なんか恥ずかしいんだけど」

 

 「どうしてよ」

 

 「い、いや……物凄く見られてるから」

 

 「もう、アキト君はこういう所で気が小さいんだから」

 

 

 隣りでクスクス笑うアスナに苦い顔を見せていたアキトは、辺りを見渡した。しかし、三百六十度何処を見てもプレイヤー達の視線がある。アキトにとってはこんな事、二年前じゃ考えられないのだ。故に注目される事になれておらず、そこに強者の貫禄など無い。あまりにも頼りないアキトの背を、リズベットはバシッと叩いた。

 

 

 「しっかりしなさいよアキト!アンタがそんなんじゃあたし達まで恥ずかしいっての!」

 

 「そんな事言われても……」

 

 「大体アンタ、最初の頃はかなり敵意向けられてたじゃないの。こんな視線なんて大した事無いんじゃないの?」

 

 「そんな訳ないでしょ……本当はあんまりジロジロ見られるの慣れてないんだから。というより、どうしてこんなに人が集まってるのさ」

 

 

 そんな素朴な疑問に、アキトの後ろを歩くエギルが笑って答える。

 

 

 「そりゃあこれからボス戦なんだ、見送りに来てくれてんだろ」

 

 「……そういうものなの?」

 

 

 アキトは改めて周りを見る。人々の注目しているプレイヤーはそれぞれ違うものがあるが、表情は皆同じで、誰もが笑顔を向けていた。こちらに手を振るような人達も少なくない。

 

 

 「……でも、前はこんなに多くなかったのに……」

 

 「そりゃあ100層が現実的になって来たんだし、今まで以上に期待されてんだろーよ」

 

 

 今度はクラインが嬉しそうに呟いた。思わず耳を澄ましてみると、その中で『頑張れ』と、『期待してるぞ』と、そんなエールが耳に入り込んできた。攻略組を鼓舞してくれる沢山の声が聞こえるのだ。以前はこんな風にゲート付近に集まるプレイヤーなど少なかった。しかしゲームクリアが近いからだろうか、こうして期待の声を向ける彼らに新鮮味を感じてしまう。それに加え、誰かから期待される事自体少ないアキトは、この気持ちをどう表現したら良いのか分からなかった。

 

 

 「……そっか、期待されてるんだ……」

 

 「アキト君、なんかちょっと嬉しそう」

 

 「へ?な、いや、そんな、えと……」

 

 

 ぽうっと口にした、それでいて気の抜けた言葉だったが、その一言だけでアキトが何を感じているのかが周りにはなんとなく分かっていた。何処か大人びたような雰囲気の癖に、中身は意外と年相応なアキトに対して、指摘したリーファだけでなくすぐ傍にいたシリカやフィリアも顔を見合わせて小さく笑みを零した。

 

 

 「……でも、ボスだってどんどん強くなってきてるのに、無上の期待はプレッシャーだなぁ……」

 

 「そうですね……うう、今になって周りの視線が痛いです……」

 

 「フィリアもシリカも、どうしてネガティブになってるのよ……まあでも、確かに周りの連中は私達が失敗するだなんて微塵も思ってないんでしょうね」

 

 

 シノンの周りを見る目はほんの少しだけ冷たいような気がした。だが、確かに彼らは攻略組によるボス戦が如何に命懸けなのかを知らない。曖昧なイメージばかりが頭の中にあって、それを元に攻略組の強さを勝手に推し量っている。最近は上層へと進む速度が著しく早い為、もしかしたらボス討伐は簡単なものなのだと勘違いしているような輩もいるかもしれない。故に今回も失敗など無いと、有り得ないと、そんな無責任な思い込みが攻略組に向けられている事だろう。無関係だからこそ、そんな願望を押し付けられる。けれど、それでもこちらのやる事は結局のところ、何一つ変わらないのだ。

 すると、そんな空気は我関せずといったストレアが、フィリアとシリカの背中を軽く叩き、笑って告げた。

 

 

 「もーみんな表情固いな〜、もっと気楽に行こうよ!」

 

 「ぼ、ボス戦を気楽にって……」

 

 「どんな猛者よ!アンタは寧ろ緊張しなさ過ぎ!ねえ、アスナ?」

 

 「あ、あはは……まあ、ストレアさんらしいというか……」

 

 

 ストレアのいつも通り過ぎる態度にリーファとリズベットが項垂れ、それを見て苦笑するアスナ。しかし一見楽観的に見えるストレアの態度も、経験によって培われた実力に裏打ちされた自信のようなものの表れなのかもしれない。普段ソロだったというストレアが以前初めてボス戦に参加した時も、初めてレイドパーティ組んだはずなのに、スイッチもPOTローテも全く問題が無かった。攻撃力のある両手剣装備かつ集団での連携にも長けた彼女が今後もボス戦に参加する事はメリットしかないといえよう。

 出会った時から妙に自慢げだっただけあって、その強さは当初から攻略組に匹敵していた。こうしてボス戦に参加してくれるのはとてもありがたい。寧ろ、攻略組にはこういう空気が必要なのかもしれない。危険と隣り合わせな為に攻略会議は常に殺伐とした雰囲気を漂わせている。ほんの冗談や笑い話をするような空気になるような事は無い。だがそんな緊張を解すような、周りを和ませるような存在がいるだけで心の持ちようは変わってくる。ストレアは、やはりもっと評価されるべき人材だと、アキトは改めて感じた。

 

 

 「あ、もうみんな集まってるよ」

 

 「ん」

 

 

 アキト達がやがて集合場所へ歩み寄って行くと、既に集合していたプレイヤー達がピタリとその動きを止める。先程まで会話していた者も揃って口を閉ざし、分かりやすく緊張した表情で目礼を送ってきた。

 すると、中には右手で見た事の無い敬礼をするような連中までいる。恐らくギルド式の敬礼なのだろうが、初めて見たアキトは目を丸くしてマジマジと見つめるばかり。思わず立ち止まってしまったが、すぐ隣りにいたアスナは慣れた手つきで返礼している。

 

 

 「ほら、アキト君も」

 

 「は、え、なあにあれ」

 

 「何って、挨拶よ挨拶。アキト君はリーダー格なんだからちゃんとしないとね」

 

 「俺そんな器じゃない……ちょ、みんな見ないで」

 

 

 何故かアスナだけでなく、シリカやリズベット達もアキトを真顔で見つめてくる。やらないのかと、そう催促されているみたいに感じる。一気に注目される中、アキトは恥ずかしくもぎこちのない仕草でどうにか敬礼を返した。アスナ達だけでなく攻略組のプレイヤー達、それにギャラリーまでもがこちらに視線を注いでいて、視線に耐性の無いアキトはコートに顔を埋めるのだった。

 

 

(……なんか、変な感じだ……)

 

 

 初めて攻略に参加した時と、今とではまるで待遇が違う。最初の頃は別に誰かから仲間意識を持たれたいと思っていた訳じゃ無かった。いつか失くしてしまうなら、初めから何も無い方が良いとあの頃は本気でそう思ったから。バラバラになりつつあった攻略組の敵役として横暴な態度を取り、邪魔だの足でまといだのと罵倒して他のプレイヤーを危険から遠ざける個人プレイ、そんなやり方で周りと距離を置いていた。本当はずっと、無意識に願っているものがあったのに。

 だがキリトの仲間達は、どうしようもなくお人好しで。決して独りにはさせてくれなかった。今では攻略組のプレイヤー達に認められ、周囲のプレイヤー達からは激励の声援が送られている。別に誰かから認められたかった訳でも、ちやほやされたかった訳でも無い。

 

 

 けれど、こんな風に誰かに声を掛けて貰える事が、こんなに嬉しいものだとは思わなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 視界が朦朧とする、目眩に似た転移感覚の後、視界を広げれば既に迷宮区のボス部屋近辺のエリアだった。そのまま真っ直ぐ進めばボスのいる部屋へと数分で辿り着く。左右対称の細道で、右も左も冷たさを感じさせる黒曜石のような素材で組み上げられた壁が何処までも続いている。段々と上層になるに連れてこの手のダンジョンは造りのクオリティが高くなっているような気がする。荒削りだった下層のものとは明らかに素材が違い、その壁は近付けば自身の姿がくっきり映るような透明感があった。鏡のように磨き上げられた黒光りする石は、《始まりの街》の《黒鉄宮》を彷彿とさせる。同様に、その空間は肌寒く、空気は冷たく湿り、足元は霧のような薄い靄が漂い棚引いている。

 

 

 「……今回も苦労しそうだな」

 

 「……うん」

 

 

 その雰囲気から何かを感じ取ったらしいエギルの言葉に、アキトは首肯する。攻略組全体としては、もう九十五回目のボス討伐戦だ。ここに至るまでの凡そ二年間、彼らは何度もボスに挑んで来た。その数はそのまま九十五。それだけ経験を積むと、その住処たる迷宮区を見ただけでその層のボスの強さを何となく測れるようになってくる。それを感じたのはエギルだけでは無かったらしく、フルレイド近い凡そ四十数人のプレイヤー達が今一度装備やアイテムの確認をするべくウインドウを開き出していた。

 歩きながら操作するのは危ないのでは、とアキトが思っていると、何故か隣りでアスナがこちらを見て苦笑いしていた。どうしたのかと首を傾げてみるが、どうやら彼女だけでなく他の親しいメンバー達の殆どがそんな表情をアキトに見せているではないか。アキトは戸惑いがちに、代表で隣りのアスナに問い掛けた。

 

 

 「えっと……みんなどうかした?」

 

 「いや……まさかアキト君が《回廊結晶》をあんなにあっさり使うとは思ってなくて……」

 

 「へ?なんで?」

 

 「なんでって……だって、あれNPCのショップじゃ売ってないじゃない!」

 

 

 任意の地点を記録し、そこへと瞬間転移ゲートを作る事が出来る《回廊結晶(コリドークリスタル)》。指定した街の転移門に使用者一人を転送する転移結晶とは違い、集団を一度に運ぶ事が出来る。だがその利便性に比例し希少性も馬鹿にならないくらい高く、NPCショップでは愚か、雑魚モンスターとの通常戦闘ではまず手に入らない。迷宮区のトレジャーボックスや、ボスクラスの強力なモンスターからしかドロップしないレア中のレアアイテムなのだ。故に入手してもそれを滅多な事でない限り使おうとするプレイヤーはそうそう居ないし、使おうとも思わないだろう。

 だが95層ゲート広場からボス部屋に赴く際に、そこに至るまでの戦闘で疲労が溜まればボス相手に支障を来すとして、アキトがあっさりとそれを手に転移ゲートを開いたのだった。こんな事は75層ボス討伐で同じ事をしたヒースクリフ以来だ。それを知っているクラインとエギルは勿論、リーファやシノン以外の、その希少性を知るメンバーの殆どは揃ってそんな意を示す表情を作っていた。

 

 

 「レアアイテム……そうなんだ……でも、俺まだあと三個くらい持ってるし、ここまで来て出し惜しむ理由も無いから、もう使っちゃっても良いかなって」

 

 「な、なんでそんなに……」

 

 「《ホロウ・エリア》で結構手に入ったのがアイテム欄の下の方にあって……」

 

 「……あ、私も二個持ってた」

 

 「フィリアさんも……!?」

 

 

 合計五個。これで96層以降全てのボス戦で迷宮区をショートカット出来る事が判明した。《ホロウ・エリア》は高難易度エリアである為にこの手のアイテムが手に入りやすい。そのせいかアキトもフィリアも《回廊結晶》というアイテムにそれほど価値を感じていないのだった。そんなアキトの態度を見て、リズがユラリと彼の背後に回り込んだ。

 

 

 「……もしかしてアンタ、他にもレアな鉱石とか隠してんじゃないでしょうね。ちょっとストレージ開きなさい」

 

 「な、なんだよリズ。ちょっと待って、鉱石の価値なんて尚の事分かんない」

 

 「はあ!?信じらんないっ!アンタのその剣作るのにどんだけレアな鉱石使ったと思ってんのよ!ちょ、ほら見せなさいよ!」

 

 「り、リズさん落ち着いて!これからボス戦なんですから!」

 

 

 リズベットのやんちゃをリーファが窘める。アイテムに対する価値観が違う分リズベットの推測はあながち間違ってないだろうが、そんなやり取りをしている内にボスへと続く部屋の扉前まで辿り着いていた。途端騒いでいた空気もしんと静まり返る。再び一同息を呑み、緊張からかまたウインドウを開いて装備を見直したりする者も見受けられた。ほぼフルレイドの人数を嘲笑うかのような巨大な鉄扉は、こちらを俯瞰するように聳え立っていた。それを見上げたシリカは、ポツリと小さく呟く。

 

 

 「……当然ですけど、層を重ねる度に迫力が増してるような気がします。残り五層……まだまだモンスターは強くなるんですよね……」

 

 「……攻略ペースも、以前と比べ物にならないくらい早くなってるからな……安全マージンは超えてるとはいえ、これだけの勢いで進んでいると、ふと足元を掬われるような気がしちまう。レベル的にも不安は残るな」

 

 

 エギルの言葉に、各々表情を曇らせる。74層以降ボス部屋は一度入ると扉が閉じられ、結晶を用いても外に出る事は出来ない。本格的にデスゲームと化したこのボス部屋に突入すれば最後、生きるか死ぬかの二択しかない。故に多人数かつ統率のとれたメンバーで挑むのが最善の一手。彼らの殆どはベテランで、もうプレイヤー間での連携も問題は無いだろうが、状況によって混乱するような場面がここから先無いとは言い切れない。シリカの不安もエギルの意見も最もだ。

 しかし、そんなシリカの背中から遠慮無しに抱き着いたストレアは、ニコニコしながら告げた。

 

 

 「大丈夫だよシリカ、いざという時はアタシが守ってあげるから!」

 

 「ストレアさん……!」

 

 「うわぁ、なんて頼もしい……」

 

 「うん。ストレアなら安心して背中を預けられそうだよー」

 

 「この殺伐とした空気でいつも通りなのは、見習わなきゃいけないところね……」

 

 

 リーファとフィリアとシノンの苦笑混じりの言葉に同感な一同。これまで無遠慮で天真爛漫で自由奔放なストレアに幾度と無く振り回されてきたが、やはりこの状況下で彼女の変わらない態度は救いだった。今この場においてストレアの存在はとても大きなものであり、今になって彼女の凄さ、精神的な強さを実感する。今も謎多き少女である事は変わりないが、それでもストレアは最早無くてはならないパズルピースのような、大切な存在になっていた。

 ふとアスナ達を見る。彼女らのストレアを見る表情を眺めて、皆考えは同じなのだという事を実感したアキトは、小さく笑った。

 

 

 「……ストレア。体調は万全?」

 

 「もっちろん!ガンガン頼っちゃって良いよ〜?」

 

 

 ブイブイッ、とピースサインを突き付けるストレアの元気な姿に安堵し、アキトは漸く扉を見上げる。これから足を踏み入れる冷たき世界、ボス部屋に入る為の扉を。何度来てもこの緊張が無くなる事は無いだろう。今も尚心臓が鼓動を強く早く伝えてくる。ある意味現実よりも死を身近に感じるこの世界では、驚く程にあっさりと人が死ぬ。もう嫌になるくらいその光景を目の当たりにして、これ以上は見たくないと誰もが切に願う。ここに至るまで凡そ四千人が死んだ。誰もが人生で初めて命の大切さを実感し、それを乞うたはずなのに、無慈悲にそれを握り潰す理不尽の塊がこの世界。もう一つの現実。

 それが今、漸く終わりへと近付き、その頂きに手が届く。

 

 

 「……感慨深えなぁ、アキト」

 

 「急にどうしたの、クライン」

 

 「正直、二年前はゲームクリアなんて絶対に無理だと思ってたからよ。ここまで来れたって事実を改めて実感してたら、なんだかなぁ……」

 

 「おいおい、フラグは立てんじゃねぇぞ。俺達は全員生きて帰るんだからよ」

 

 「エギル、それもうフラグっぽいわよ……」

 

 

 クラインに注意喚起したはずのエギルの言動にリズベットが冷静にツッコミを入れ、再び殺伐としつつあった空気を和ませる。アキトもアスナ達と顔を見合わせてクスクスと笑う。今まで、ボス部屋の扉の前でこんなに楽しい感情になった事があっただろうか。

 次第に盛り上がってきた中、ストレアが何か思い付いたのか、楽しそうな顔で拳を天井に掲げた。

 

 

 「よーし!じゃあこれが終わったら、またみんなでパーティーしようよ♪」

 

 「あ、賛成ー!」

 

 「あたしもです!」

 

 「きゅるぅ!」

 

 「良いねぇ良いねぇ!どーせならもう毎回やろうぜ!あと五層なんだしよ!」

 

 

 リーファ、シリカが手を挙げ、ピナが嘶く。クラインもそれに準じてテンションを上げる。遅かれ早かれこのまま順調に進めばこの世界は終わる。それまで油断は禁物だが、それに反して思い出を作る時間も大切だ。ストレアのその言葉に反応したのは、何もアキト達だけじゃなかった。周りの攻略組プレイヤー達もストレアやアキト達の空気に感化され、期せずして士気が高まりつつあった。今回も勝って美味い飯を食べるぞと、そんな高ぶった声が聞こえ始める。そうして全体の緊張が次第に解れていくのを感じられ、恐らく今までに無いコンディションだった。

 油断大敵、だが今回もボスを倒せるという確信に近い空気。生きる為に、帰る為に、絶対に勝つ。その意志が体現されていた。この雰囲気を維持する為、皆すぐさまに武器を構え始める。アキト達もそれに倣い、剣を引き抜いた。

 

 

 「仕方無えな。んじゃま、無事片付いたらまた激辛ピザロシアンルーレットだな」

 

 「うへぇ聞くんじゃなかった……」

 

 

 エギルの楽しそうな声にゲンナリするアキトの隣りを、アスナが通り過ぎる。そのまま回廊中央、扉の前まで歩むと、クルリと振り返って一同を見た。

 

 

 「───皆さん、準備は良いですか。作戦はいつも通り、アキト君のファーストアタックで敵の弱点と攻撃パターンの一部を割り出します。基本的にはKoBが前衛で攻撃を食い止め、その間に可能な限りパターンを見切ります。アキト君による情報の伝達が一通り行き届いたら、隙を見て柔軟に反撃。POTローテの間隔は短く、HP管理を怠らないようにお願いします。それから────」

 

 

 アスナによるいつも通りの作戦説明。一度入ったら出られない為に敵のパターンを調べられなくなっている現状こちらが先手で行える手札の数は至って少ない。故に毎度似たような作戦を毎回こうして説明しているのだが、こういうルーティンでも疎かにすると後が怖い。例え同じでも聞き飽きても、この行為には意味があるのだとアキトは思っている。意気込むのを兼ねて手元の《リメインズハート》と《ブレイブハート》を強く握り締めた。

 

 

 「……ねえ、アキト」

 

 

 ふと、小さくクイッと袖が引かれるのを感じる。振り返ると、そこには弓を背負ったシノンが立っていた。前髪に隠れた瞳がほんの僅かに揺れて、不安な様子が見て取れる。

 だがその視線は真っ直ぐに、アキトを見据えていた。

 

 

 「……さっき、ストレアの事、心配してたみたいだけど……アンタは大丈夫なの?」

 

 「え……」

 

 

 思わず、そんな情けない声が飛び出た。アキトが頭を抑えて倒れたあの日の夜、シノンだけがアキトの急変を知った。誰にも言わないようにアキトが口止めしたせいで誰にも教えられず、一人でずっと抱え込ませてしまっていたのだと、アキトは今漸く理解した。《ホロウ・エリア》に強引に押し入ったり、倒れた時は看病してくれたり。他の人以上に、シノンには心配させてしまっている。

 

 

 「……ありがと。大丈夫だよ」

 

 「……嘘じゃないわよね」

 

 「う、嘘じゃないよ。……少なくとも今は」

 

 「……まあ良いわ」

 

 

 アキトの要領を得ない話し方に、小さく溜め息を吐いたシノンは背中の弓を引き抜いて構え、アスナの立つ向こうの扉を見据えて、口を開いた。

 

 

 「……前にも、言ったかもしれないけど」

 

 「え……?」

 

 「私は、アンタより強くない。だからストレアみたいに、守るだとか、支えるだとか……そんなセリフは言えないけど」

 

 

 一度言葉を途切らせて、目を伏せる。そして再び上げた顔からは、もう不安な表情は消え去っていて。ただアキトを見据えるその表情からは、小さな笑みが宿っていた。

 

 

 「その代わり、アンタの事は誰よりも分かっててあげるから。全部は無理かもしれないけど、アンタの強いところも、周りに見せない弱いところも、ちゃんと見てるから」

 

 「……」

 

 「アンタは一人じゃない。もっと周りに迷惑掛けてくれて良い。私達は、そんなにヤワじゃない」

 

 「っ……あり、がとう……」

 

 

 シノンのその言葉を筆頭に、アキトを見る様々なメンバー達。強い意志を持って固く頷く彼らの瞳には、熱い闘志が確かに宿っていた。この中で誰よりも戦闘の中心になりうるであろうアキトの、全力のサポートをする。それが攻略組全体の意志だ。

 アキトはもう一人じゃない。何もかも一人で熟そうとしていたせいで周りを頼る選択肢が無意識に外れていたアキト。今も尚その癖は抜け切っていなかったけれど、彼らは確かに頼れる仲間達だった。その事実に、言葉が詰まる。

 

 

 「アキト君」

 

 

 作戦を伝え終えたアスナが、扉の前でアキトを見つめる。彼女の視線と交わり、瞬間的に武器を握り締めた。

 

 

 「勝って、生きて帰ろう」

 

 「────勿論」

 

 

 淡白だが強く、そして勇ましく応える。満足したアスナがクルリと再び振り返り、その閉ざされた扉に手を掛けた。巨大な鉄の塊が重々しい響きを立ててゆっくりと動き出し、プレイヤー達に再び緊張が走る。アキトは扉がやがて自動的に開かれ始めた直後、集団の先頭───アスナの隣りへと躍り出た。二本の剣を携えて、開かれた先を見据える。

 

 その状況下に、アキトとアスナは小さく笑った。今の二人の状態が、まるで初めて共同戦線を敷いた76層のボス討伐に似ていたからだ。ならば、アスナが隣りに立った勇者に向けて告げる言葉は一つだけだった。

 

 

 

 

 「────死なないで」

 

 

 「当たり前だ」

 

 

 

 

 部屋の先は暗闇で覆われ何も見えない。ボスの姿も見えない。75層の時と同じだ。

 ならば、する事は一つ。互いに視線をぶつけ合い、途端に頷く。

 

 

 アキトは口を大きく開き、そして、今までにないくらいの気合いを込めて放った。

 

 

 

 

 「『───戦闘、開始!』」

 

 

 

 

 







ユイ 「……」←お留守番






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Ep.110 鬼眼の殺戮者




ただ必死に抗った。考えるのは、いつも二の次。


 

 

 

 「『──── 戦闘、開始!』」

 

 開かれた巨大な鉄扉の先の空間へと、一気に集団が押し寄せる。雄叫びを上げながら、武器を掲げながら、緊張と恐怖を誤魔化すように。どれだけ自身を熱く昂らせようとも、冷たい空間から醸し出される独特の死の予感は、いつまで経っても慣れやしない。

 完全に開き切った扉の中へとアキトとアスナが先行すると、それに続く様に全員が走り出し、やがて円形の広い空間が視界を覆う。四十数人がその部屋へ走り込み、陣形を整え立ち止まった瞬間、背後の扉が轟音を立てて閉じ始める。それを歯軋りしながら眺める者も少なくない。最早、逃げの選択など有り得ない。ボスかこちらが死ぬまでは決して開かない壁へとその姿を変えたのだ。

 いつまでも未練たらしく見る訳にもいかず、誰もが気を取り直す。各々が自分に合った武器を手に構え、いつ何が起きようと対処出来るよう構えを作る。それぞれ形は違えど、張り詰めた緊張感と研ぎ澄ませた集中力を全員から感じる。

 

 「────」

 

 未だ部屋は薄暗い。まるで黒い霧に覆われたかのように靄がかかり、すぐ近くにいるプレイヤーの顔を確認するのがやっとだった。そのまま何も起こらず数秒の沈黙が続く。

 しかし、何も起こらない。ただただ広い空間で付かず離れずの距離を保ったままの陣形で辺りを見渡す。それでも武器は下げない。構えは崩さない。一瞬の気の緩みが命取りだ。だがこうして何も見えない闇色の景色に同化し、やがて消えてしまうのでは無いかと思わせる程の恐怖と、ボスが現れない不信感が限界まで張り詰めた神経を焦らすかのよう。

 いつ迫るがも分からぬ死の恐怖。未だ警戒態勢が解けない現状に耐え切れなくなる者も現れてしまうだろうと感じる程に長く感じる静寂。一秒、また一秒と経つに連れてそれは募っていく。

 

 

 「ねえ────」

 

 

 すぐ近くで、痺れを切らしたリズベットがそう口を開いた、その時。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 アキトは全身が総毛立つ程の気配を肌で感じた。身体の細胞、神経、血が危険を知らせるかの如く騒ぎ立て、アキトはその目を見開く。ビリビリと痺れる感覚が本能的に危険を察知した。

 感じたのは異彩を放つその気配。そして、その正体と居場所────

 

 「リズ────!」

 

 アキトはすぐさま床を蹴り飛ばし、リズの元まで一瞬で飛ぶ。そして彼女の目の前で立ち止まると、その二本の剣を交差に構えて頭上に抱えた。

 瞬間────

 

 「ぐっ……!」

 

 「きゃあっ!」

 

 耳を劈く程の巨大な金属音、剣と剣がぶつかり合う甲高い音が空間に響き渡った。誰もが身体を震わせ、動揺にも似た声を漏らす。薄暗い部屋の中で、誰かが襲われているのだと理解するのにそれほどの時間は掛からない。

 アキトは、両手にかかるかつてない程の質量に押し潰されそうになりながら、苦しげな表情で手元を見上げた。

 ────そこにあったのは、巨大な剣。血のように赤く、茨のように刃が細かく枝分かれしている。その部分がアキトの二本の剣を交点を引っ掛け、軋むような音と共にアキトに迫る。

 

 

 「……!?」

 

 

 瞬間、それまで周りを漂っていた黒い靄が嘘のように霧散し始めた。薄暗くて何も見えなかった世界が、次第に光を取り戻し、やがてその空間の全てを曝け出す。

 明かりを取り戻したボス部屋の中を、一同は見渡す。暗闇の中で何か得体の知れないものが動いていた恐怖から解放されて安堵する暇も無く、彼らは戦慄した。部屋の中央で、見上げる程の巨体が何の前触れも無く突然に現れていたからだ。音も影も気配すら、アキト以外はその姿を見るまで感じ取れなかった為に、いつの間に存在を見せたその敵に、驚愕のあまり声すら出せない。

 

 ────誰もが、その姿に息を呑む。

 

 その四、五メートルはある巨躯は、岩石の様に盛り上がった筋肉を纏っていた。肌は大剣動揺赤黒く、まるで血飛沫を身体全体に浴びたかのようだ。

 そして二の腕と脛の部分の皮膚は硬質化し、武士の鎧の如き防御力を彷彿とさせる。肩も同様で、左右からは亀裂の入った火山岩のような突起が伸びている。

 分厚い真紅の肉鎧の上には、獣のような鋭い牙を並べる鹿に似た頭が乗っかっており、兜のような長い角が両端から開けて伸び切って反り立ち、眼の奥は炎のような揺らめきと輝きを見せ、狩りの対象であるこの場の凡そ四十数人を逃さない。

 どす黒く赤いオーラを身体に纏わせたそれは、小さく喉を鳴らして周りを睨み付けていた。

 

 

 No.95 “The Genocide Eyes(ザ・ジェノサイドアイズ)

 

 

 直訳して『虐殺の眼』。それが95層のボスモンスターの掲げる定冠詞だった。その名に相応しい眼を宿しており、睨み付けられてしまえば恐怖で動けなくなってしまいそうな程の迫力。

 そして、中でもアスナとクラインはその風貌をマジマジと見上げる。ボスのその姿形、手にする武器の種類、迫力、そしてボスの名前。どれを取っても思い出すのは、かつての戦場の風景。

 そう、キリトが《二刀流》スキルを解禁して単独で撃破した74層のボス《The Gleam Eyes(ザ・グリームアイズ)》だ。あれから二十層も上のボス部屋で、その上位互換であろう奴が今目の前に立ち、アスナ達は僅かに身体を震わせた。

 74層のボスが『青眼の悪魔』なら、目の前の奴はさしずめ『鬼眼の殺戮者』だ。

 

 「っ……アキト君!」

 

 そうして、奴が振り下ろした剣の真下で、いつの間にか競り合いになっているアキトを見て誰もが目を見開いた。誰も動けなかったあの中でただ一人、ボスの介入をいち早く察してリズベットを庇ったアキトだが、それでもどうにかこの体勢を維持するので精一杯。

 アスナが自身を呼ぶ声がしたのと同時に、アキトは一瞬だけ背後のリズベットに視線を送り、その名を叫んだ。

 

 「リズ!」

 

 「了解!────せりゃあああっ!!」

 

 途端、背中から熱を感じる。

 弾けるような閃光と共に放たれたのは片手棍単発技《サイレント・ブロウ》。アキトが受け止めていた巨剣をリズベットの一撃で弾き飛ばしたのだ。

 軽くなった身体を靱やかに動かし、ボスの足元目掛けて一気に加速する。アスナと一瞬の視線の交錯、頷き合った時には既にその剣を構えていた。衝撃でボスが怯む僅かな空白の時間に手に入る情報の全てを分析と予測にかける。

 アキトは一瞬だけ瞳を閉じる。大分予定と違ってはいたが、やる事は変わらない。まずアキト自身のファーストアタックから絞り出せるだけのパターンを読み取り、円滑に攻略を開始する。そして、今の彼にはそれを為せる力があった。

 

 

 システム外スキル :《未来予知(プリディクション)

 

 

 「────起動(セット)

 

 

 口にした途端、脳裏でスイッチがカチリと切り替わる音がした。

 ソードスキル《バーチカル・スクエア》を、奴のヘイト値を上げる為の布石として放つ。初撃は脛、奴の脛は硬質化しており甲冑の脛当のような形状をしている為にダメージの期待値は低い。ぶつかり響く鈍い音と火花からは有効打では無い事を悟る。返す形の二撃目で硬質化の範囲外である膝裏を斬り裂く。結果、肉質の柔らかさと先程以上の手応えを感じた。この時点で、硬質化した皮膚と肉質の柔らかい部位で通るダメージの違い、そして『斬る』攻撃が有効である事が知れた。

 既に回復したボスの剣が轟音と共に振り下ろされる。咄嗟に目を見開き、最小限の動きと僅かなステップのみで躱して、そのまま流れるように残りの二連撃を奴の膝裏にぶつけた。再びボスが剣を構える。捉えるは当然の如く黒の剣士。誰もが見上げるその巨大質量は動く度に地響きと旋風を巻き起こし、目の前の少年の髪とコートを靡かせる。その前髪から覗く黒い瞳はただボスの姿を捉えて、あらゆる動きの予備動作、機微すら見逃さない程の集中力を感じさせる。

 その洗練された動きからは、天才的な強者のそれではなく、努力によって培われた技術的なセンスを感じる。凡そ《二刀流》というスキル無しで単独でボスの情報を割り出している事実に、アスナ達含め攻略組全体が呆気に取られていた。

 

 「────!」

 

 連携(コネクト)・《ヴォーパルストライク》

 

 振り下ろされた剣を見上げる暇もなく、スキルの突進力で一気に攻撃範囲外を離脱する事で回避する。分析時間が短い為にまだ情報把握に粗があるが、それで思考を途切らせたりはしない。足でブレーキを掛けてすぐさま反転し、ボスを再び視界に捉えた。

 

 連携(コネクト)・《レイジスパイク》

 

 攻撃と攻撃の合間の僅か隙間、そこでタイミング良く攻撃を仕掛ける事の出来る予測と敏捷性。誰もが舌を巻くその御業だが、アキトは構わずその剣を突き刺した。先程同様に膝裏に突き立て、HPバーを目視する。《バーチカル・スクエア》との一撃のダメージ差を見て、先程よりもダメージの入りが悪いのに気付く。アキトはすぐさまその場を離脱する。これで『突く』攻撃よりも『斬る』攻撃が最適と理解し、その情報を元に再び予測を立てる。

 柄を持ち替え、刺突した部分をそのまま抉るように斬り払う。すぐさま次の行動に移行。ボスの呻き声さえも耳に入らない。

 

(いける────)

 

 間断無く動く目の前のオブジェクト、目まぐるしく働く脳細胞。なのに何故か段々と研ぎ澄まされていく集中力と感覚。かってない程の高性能な処理を脳が実行し続け、その都度最適解を導き出していく実感。培われた経験による直感と本能、データに基く理論的思考が頭の中を駆け回る。

 ────アキトは今、珍しく調子が上がっていた。瞳が、鼻が、耳が、肌が。それぞれが伝え訴えてくる、生きる為の、勝つ為のあらゆる情報。僅かなものでさえもがアキトの身体の中に入り、その御業たるスキルが深化していく事への高揚。

 決して驕りでは無かったが、結局勝つしか選択肢など与えられていないのだから。

 

 「突撃ィ!」

 

 「……っ」

 

 その声で、深化した意識が霧散し、我に変えるような感覚に陥った。背後から《血盟騎士団》の壁役(タンク)部隊が甲冑を軋ませながら走行してくるのを感じる。チラリとアスナを見れば、どうやら彼女が指示したらしい。作戦として課せられていたアキトの初撃はここまでのようだ。次第に近くなる息遣いと声音の塊を他所に、再び自身に向けられた大剣をソードスキルでかち上げた。

 

 「スイッチ!」

 

 「了解した!壁役(タンク)部隊、前へ!」

 

 入れ替わりになるように、身体の左右から強固な紅白の鎧と盾で身を守るKoBのプレイヤー達がボス前と突撃していく。アキトはボスの視線が前衛軍へと下ろされるのを確認し、アスナ達の元へと駆けて行く。すると、すぐ横から影が近付いてきた。

 

 「アキト凄〜い!」

 

 「あ、ありがとう」

 

 「ホント、普段と戦ってる時とのこのギャップはなんなのかしらね……」

 

 称賛するストレアと冷やかすリズベットに挟まれながら苦笑していると、アスナとシノン、クラインが眼前に待ち構えているのが見える。他のメンバーは前衛の壁役のサポート、ダメージディーラーを努めているようだ。アスナが心配そうにこちらを見つめるが、大丈夫だと笑ってみせた。

 

 「アキト……お前ぇいつもより動き冴えてね?」

 

 「そう、かな……いや、そうかも」

 

 訝しげに目を細めるクラインに曖昧ながら返答する。気の所為かとも思ったが、やはり調子が良いような気がした。油断大敵なのは百も承知だが、この感覚は事実だった。アキトは一先ず気持ちを切り替え、ボスを一瞥してからアスナに告げる。

 

 「アスナ、みんなも。今から俺の言う事をみんなに伝えて」

 

 「分かった」

 

 部屋の中央でけたたましく咆哮が鳴り響く。壁役のプレイヤー達に向かう巨大な剣にはありったけの力が込められ、一般のプレイヤーならば意図も容易く吹き飛ばされてしまう確信があった。

 彼らが稼いでくれる時間を無駄にしない為にも、今予想出来る奴の攻撃パターンを簡潔に説明する。奴の篭手と脛は見た目通り硬い為それ以外の場所を狙う事。『斬る』事に特化した武器を中心に攻める事。両手剣のソードスキルを使用する可能性がある為範囲技に気を付ける事など。伝えた情報の中で、奴はまだソードスキルを放ってはいないが、武器を持つ人型ボスが95層にもなって使用しない可能性の方が低かった。ましてや上位互換ともなれば、多少攻撃のバリエーションは増えてもパターンが全く違う事などほぼ無い。《カーディナル》が作成したモンスターの中でも、細かな調整は人間が行っているはず。その際、プログラミングの段階で同種のモンスターの攻撃仕様を全く違うものにするのは手間だ。故にある程度の予測は立てられる。

 アスナ達とある程度情報の交換が出来たタイミングで、獣が再び雄叫びを上げる。暗闇の中でも鋭く光るであろうその双眸が足元の部隊を見下ろし、その茨染みた剣を掲げた。

 

 「やっぱソードスキルありか!」

 

 「衝撃に備えろ!」

 

 盾持ちの壁役はそのまま防御姿勢を保ち、一定の距離があった者達はすぐさま後退する。放たれたのは二連撃範囲技《ブラスト》だ。武器の遠心力で二回転し、周りを一蹴する剣技。振り抜かれた大剣からは旋風が巻き起こる程で、盾にぶつかり火花を散らす者達は軒並み体勢を仰け反らせていた。流石の高威力、だがここまで来たトッププレイヤー達の防御力だけある。壁役として割り振ったステータスと防御姿勢によってHPが危険域に突入するものはいなかった。

 アスナはすぐさまPOTローテ及びスイッチの指示を出す。それより先にボスが動き、それより先にアキトが動く。

 

 「せあっ!」

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 回転しながら突進し、一瞬でボスの視界から外れる。奴の意識を置き去りにするように、両足を斬り付ける。前衛部隊から気を逸らす為の一撃だったが想像よりも浅く、ボスのヘイトがこちらに向かない。アキトは僅かに舌打ちをするが、間髪入れずにストレアが脇から飛び出した。

 

 「おりゃあっ!」

 

 両手剣上段技《アバランシュ》。自身の突進力によって威力を上げるその単発技は、奴の硬質化した脛の装甲を深く抉る。HPバーが分かりやすく減少し、殺戮者たる獣は振り上げた剣を中途半端な高さで止め、ストレアへと視線を向ける。すると威嚇からか牽制からか、再び轟く咆哮を放ち、空気をビリビリと震わせる。ヘイトの中心たるストレアは臆する事無く得物を構え、奴を迎え撃つ体勢になっていた。

 一瞬の逡巡、しかし隙を逃さぬように前衛は回復の為に離脱する。思考して行動する速さは流石攻略組だ。75層でスカルリーパーを目の前にして恐怖で動けなくなったあの日より格段に成長していた。

 彼らと入れ替わるように、次々の他のメンバー達が前に出る。シリカやリズ、リーファ、フィリア、クライン、エギル。見知った面々が集い、アキトは更に気を引き締め、目を凝らす。眼前に聳え立つ奴の一挙手一投足から生み出す僅かな筋肉の機微までもが零し見落とす事を許さない。

 

 「────!」

 

 後方からシノンの矢が放たれる音がする。エメラルドグリーンの輝線を描くその矢はブレる事無くボスの顔に直撃し、ストレアを狙おうとしていた奴の視界を阻害した。同時に飛び出し、一瞬で足元へ。互いを邪魔しないよう目配せし、統率された動きで武器を構える。系統は違えど攻撃力は言わずがもがな、ジェットエンジンにも似たサウンドと共に各々剣技を展開し始めた。様々なエフェクトが色鮮やかに飛び散り目を奪われる。その様子は壮観で、後退していた前衛も回復を終えそれを眺めていた。

 

 「!みんな、下がって!」

 

 打ち込んでいたソードスキルを切り上げ、ストレアがワンテンポ早く告げる。畳かけようとしていた一同の動きがピタリと止まり、一瞬ばかり考えた後すぐさま後退した。瞬間、辺りの空気を旋風が巻き上げる。ボスが先程まで射程内にいたアキト達に向かってソードスキルを放ったのだ。ストレアの掛け声が無ければ何人かは被害を受けていただろう。さっきまで立っていたその場所は火花が散り、錆が焼けたような匂いが媚り付く。

 振り切った巨剣を担いだ奴の視界が最初に捉えたのは、シリカ。間一髪で回避していた彼女は、その場で足を縺れさせていた。

 

 「っ、ひゃあ!」

 

 「シリカ────っ!」

 

 迫って来たのは、赤黒い拳。空いた左手を握り締めて飛ばした一撃は、またも俊敏な反応を見せたストレアが平の刀身を押し上げる形で防御姿勢を取った。流石の一言だが、比較的軽量である彼女の身体は徐々に地面へと押し潰され始めていた。

 瞬時にアキトが放ったのは上段の片手剣突進技───《ソニックリープ》。黄緑色の光の帯を引きながら繰り出されたそれは、空中で放った事で奴の闘牛染みた顔にクリーンヒットした。弾き出されたように仰け反った奴の隙を突くかの如く、回復に転じていた壁役前衛達が再びアキト達と入れ替わるようにボスへと行進していくのを確認し、アキトはストレアとシリカへと駆け寄った。

 

 「シリカ、ストレア」

 

 「あ、あたしは大丈夫です。ストレアさんが守ってくれて……ありがとうございます」

 

 「へへーん。言ったでしょ、アタシが守るって!」

 

 「ストレア……ホントに頼もしいね」

 

 ボスと対面していた際は苦しげにしていた表情も嘘のように晴れやかなものへと変わっている。基本笑顔を絶やす事の無いストレアは本当に有難かった。シリカだけでなくボスの予備動作、僅かな機微にも反応して周りをフォローする速度も、ソロプレイヤーとは思えない気遣いともいえる。戦いやすいの一言だった。

 

 「次、来るわよ!」

 

 リズの声と同時に獣の咆哮が響き渡る。アキトのファーストアタック。前衛の牽制攻撃からストレアの両手剣による攻撃、転じた隙でのソードスキル総攻撃で予想以上のダメージを与えられている。それによって奴のアルゴリズムも変化し始める頃合いだ。張り付くような緊張感は未だ鎮まらず、唸るような獣の眼光に誰もが一瞬怯んだ。

 流れるように剣を構える様は、プレイヤーと変わらない。獣でありながら人の技を手に入れた奴は、獰猛さだけでなく知性すら見せている気がした。

 

 両手剣突進技《テンペスト》

 

 ダン!と力強い踏み込みが地面を揺らし、誰もがたたらを踏む。予想外の動きに近くにいたプレイヤー達の身体はぐらつき、防御姿勢をとっていた何人かの体勢も簡単に崩れた。

 それを待っていたかのように、溜めに溜めたその巨大な剣を一気に押し出した。剣を突き出しながら走るその様はまさに闘牛。直線上にいた前衛プレイヤー及び、周りにいたプレイヤー達も風圧で吹き飛ばしていく。

 

 「チィ……!」

 

 「なろっ……!」

 

 真っ先に行動に移ったのは、奴の直線上にいたエギルとクライン。これ以上被害を出さぬようにとすぐさま得物を構え、突き出された大剣に自身の武器を宛てがうように押し付けた。

 ギャリギャリ!と火花と共に確実に刃と耐久値が削れていくような音が響く。瞬間的に繰り出された故の拙い防御体勢にエギルとクラインは歯噛みする。隙を突いたはずだったのだが、奴が立て直してくる早さが想像以上に早かった為に対応が遅れ、この一瞬で何人かのHPが危険域に入る。その失態による悔しさが滲み出ていた。アキトとストレアが出足好調に見えた為に認識に甘さがあったようだ。やはり、95層は伊達じゃない。

 

 「シノン!」

 

 アキトは叫ぶ。しかし彼女には分かっている。自分のすべき事が。

 既に弓は引き絞られ、矢が向けられた先には一直線に迫って来るボスの姿。エギルとクラインが床を滑りながら防御しているが、ジリジリとHPが減少しているのが目に見えていた。シノンは目を細め、矢の先に迫る赤い獣の黄色い眼光を睨み付ける。そうして狙いを定め、鏃が光ると同時に、溜めていたその力を一気に解き放った。

 

 射撃連射技《ストライク・ノヴァ》

 

 「───はぁっ!」

 

 シノンの裂帛の気合と共に放たれたその矢は風を纏って一直線に飛んでいく。立て続けに引き絞って放たれたそれは、驚く事に全てボスの顔面へと直撃していった。何度も顔にぶつけられた高威力の攻撃は、奴の顔を煙で覆う。《テンペスト》は中断され、エギルとクラインは瞬時に防御姿勢から攻撃態勢へと移る。視界を覆われた獣は唸りながら身を捩り、雄叫びを繰り返す。

 

 「大人しく、しやがれぇ!」

 

 放たれたのは両手斧単発範囲技《グランド・ディストラクト》。背中に回り込んだエギルが飛び上がり、両手斧を背に振り下ろした。続けてクラインが右の膝元へと滑り込み、刀身を光らせる。あの構えは刀スキル三連撃《羅刹》だ。

 

 「おりゃああぁ!」

 

 鋭く刻まれる斬撃。同時に、アキトもボスの隙を突く為に一気に駆け出した。更新された情報を頭の中で整理しつつ、被害の状況を手早く再確認する。前衛数人がHPを危険域まで減らし、風圧で吹き飛ばされたプレイヤー達はノックバックが酷いようだ。状態異常(デバフ)は無いようだが、先程の攻撃はレイドの動きを鈍くさせるには充分の威力を誇っていたようだ。

 リーファ、フィリア、シリカは被害を受けたプレイヤーの援助に向かい、アスナとリズはアキト同様ボスの隙を突くべく駆け出していた。アイコンタクトは一瞬、お互いに頷き合ってボスの足元へと滑り込んだ。殺戮者たる獣は未だ閉ざされた視界に苛立ちながら唸り声を響かせている。いつ視界が回復するか分からぬ現状、だが彼らが体力を回復するまでの時間はどうにか作らねばならない。ここで追撃出来るかどうかが、生きて帰る事と繋がっているから。

 

 「アスナ、リズ!」

 

 「了解!」

 

 「分かってるわ……よっ!」

 

 ほぼ同時に武器がソードスキル特有のエフェクトに包まれる。斬撃、刺突、殴打。種類の違う武器のハイレベルな剣技が一挙に放たれ、部屋の中央から鈍い轟音が響く。

 

 二刀流高命中技九連撃

 《インフェルノ・レイド》

 

 細剣重突進技五連撃

 《スピカ・キャリバー》

 

 片手棍行動阻害技四連撃

 《ミョルニルハンマー》

 

 三色の鮮やかなエフェクトが、ボスの立つ中心点で飛び散った。身体を回転させながら対の剣を膝裏に水平にぶつける。星のような煌めきと共に閃光の如く放たれたアスナの細剣はボスの腹部を深く抉り、神の名を受け継ぐリズの技は分厚い装甲の上から叩かれた。各々選んだのは攻撃力の見込める上位スキル。シンプルでありながらもこの手のボスには試す事は無い。何故なら連撃を放てる程の隙を個人では作れないからだ。だが今は、リズのソードスキルによって怯みを見せた殺戮者の隙だらけな体躯に連撃をぶつける事が出来る。再びボスのHPは減少を見せ始めていた。辺りの体勢も徐々に回復していき、後は隙を見て離脱を試みるだけだった。

 しかし、上位スキル故に危惧しなければならないのはボスの回復速度とスキル硬直のタイミングだ。彼らがたとえ攻略組上位といえども、システムに抗うような術を持っているはずがない。アスナとリズの動きは止まり、アキトは強引に体術スキルを連結させて蹴りを入れる。隣りでは石化したように固まるアスナとリズの姿。そして顔を上げて伺えるのは、再起動を果たした《ジェノサイドアイズ》のギラついた眼光だった。

 

 「アキト────!?」

 

 「アスナさん、リズさん!」

 

 回復の手伝いをしていたリーファ達の荒らげた声を背に、アキトは次の行動の選択肢を頭の中で張り巡らせる。シノンの射撃によって覆っていた奴の視界は既に晴れ、捉えているのは眼前に立つアキト、アスナ、リズ。以前のボスと格段に強くなっているのは当然だが、敵の回復速度に至っては戦闘の中で慣れていくしかない。故にこの現状は誰かが踏まねばならぬもので、文句の付け所などありはしない。だがあからさまにスキル硬直など見せようものなら、怯みから復帰した殺戮者が報復とばかりに攻撃してくるに違いないのだ。アキトがとる行動は考えるまでもなく決まっているはずだった。

 流れていた身体を立て直し、アスナとリズの前に割って入る。二人から自身へとターゲットを変更させ、瞬時に空中へと飛び上がった。軽々と宙を舞ったかと思えば、片方の剣を引いて一気に押し出した。瞬間、アキトは一気に加速してボスの頭上へと上昇する。突進技《ヴォーパルストライク》だ。ボスを目の前にして、そんな命知らずな事は誰も真似しないだろう。周りが声を漏らす中、躊躇い無く二本の剣を上段から振り下ろす。

 しかし、

 

 「────!」

 

 野生の勘、嗅覚と言ってもいい。これまでに無い反応を見せた殺戮者たる獣はアキトの高速の動きを捉えていた。血飛沫を浴びたかのような赤い刀身を寝かせ、迫る二本の剣を完璧に受け切る。乱暴にぶつけられた事によって火花が散り、同時に悲鳴のような金属音が耳を劈く。思わず目を細めるが、心に乱れはない。

 虚を突いた攻撃。だが突進技によって移動するこの行動は初めて見せた動きではない。故の防御。学習能力の高さを把握。やはり獣なのは見た目だけであって思考能力は流石の一言。目の前の敵相手にこの手はもう通用しそうにない。次の攻撃を再考するしかない。

 攻撃が失敗し、そのまま下へと落ちるアキト。立場が逆転し、隙を生み出したのはアキト自身だった。宙で為す術無い細い身体に向かって獣が放つのは、容赦の無い武骨な拳。

 けれども焦燥は無い。視界の端で、飛び出してくる影を捉える。

 

 「───スイッチ!」

 

 「任せて!」

 

 アキトの横を通り過ぎたのは、ストレア。下に向けて構えていた両手剣を一気に振り上げ、眼前の拳にぶつけた。足場の無い空中では見込めないはずの高威力のソードスキルに、ボスの拳はボールのように弾かれる。仰け反った瞬間に着地した二人は、一気に敵の胸元へと飛び込んだ。すぐさま復帰した巨体の死角に潜り込み、互いの距離を把握しながら連撃を放つ。

 一撃、二撃三撃。敵が次のアクションを起こす前に放てるだけの剣戟を放つ。剣閃は軌跡を描き、弱点を正確に狙ってクリティカルを起こす。アキトもストレアも互いの邪魔をしないよう立ち回り、轟音と共に振り回された両手剣を軽くステップを踏むだけで躱す。翻弄するとは、まさにこの事。張り付いて、執拗に攻める。

 

(ストレア……これほど他人に合わせられる人だったなんて……)

 

 女性が扱うには重量がある両手剣をまるで自身の身体の一部であるかのように使いこなすのも然る事乍ら、舌を巻くのはアキトに完璧に合わせる連携だった。まるでこちらの意図、考えている事を読み取っているかのような、そんな感覚。まるで、もう一人の自分。

 

 「おお……スゲーなおい……」

 

 クラインのポツリと呟かれた声。次の行動に備えながらも中心で繰り広げられている剣技に目を奪われる者達。95層のボスだなんて嘘かの如く、体力が削り取られていく。

 敵の予備動作、体力が減るにつれて増えるモーションとパターン。それらを読み切る事を前提に目を凝らす。必要な情報以外を削ぎ落とし、なお予測と思考を止めない。反応速度だけに頼らず、データに基づく行動をとる。

 

 「ピナ!」

 

 「きゅるぅ!」

 

 「っ────!」

 

 シリカのテイムモンスターであるピナの中距離ブレス、シノンの遠距離射撃。視界を奪いつつクリティカル補正の高いシリカとフィリアの短剣による斬撃が敵の腹部をすれ違いざまに抉る。前衛の盾に守られながら、リーファとリズが攻撃を加え、ストレアが敵の攻撃を弾く。アスナは全体の指揮を取りながらも前線を走り、クラインとエギルはダメージディーラーとしての働きを充分に熟す。二年という歳月を経て培われた経験は伊達じゃなく、着実に勝利へと導いていく。

 三度怯んだその隙に、アキトは地を蹴り上げた。

 

 「せあっ!」

 

 二刀流奥義技《ジ・イクリプス》

 

 黄金色に輝く二本の剣。ボスのHP減少が三本目に突入し、再びパターンを変える頃合い。それを攻めるように敵の得物を弾く。火花と共に両手剣が上に弾かれ、尚も懐に一歩迫る。

 歓声が耳に入り込む中、研ぎ澄まされた感性が敵の情報を最適化していく。武器の位置、間合い、奴の視界からヘイト値の把握。演算を繰り返し、脳が悲鳴をあげるはずの処理速度。心臓が高鳴って脳内でアラートが鳴っているかのようだ。

 なのに、どうしてだろう。

 

 

(不思議だ……)

 

 

 広げた二本の剣で、敵の腹部を挟むように斬る。そうして、そこからまた同じ部位を斬り払う。呻き声など聞く耳を持たない。両の剣を逆袈裟に振り、切り上げる。その度に鮮やかなエフェクトが、コロナのように周りへ飛ぶ。それは《ソードアート》と呼ぶに相応しい、美しい輝きだった。袈裟斬り、左切り上げ。斬撃を決める度、剣が加速する度に、どんどんと心臓の音が強く、高く谺響する。

 何故だろう。心が。

 

 

(高揚、してる……?)

 

 

 身体を回転させて側面を打つ。風を巻き上げる程の大剣を、剣で無理矢理突き立てて受け流し、その威力を保持しながら自身の剣技に繋げる。腕に伝わる手応え、軋む腕。一歩間違えれば簡単に命を吹き飛ばす理不尽を前にして、けれど心は昂っていく。

 消えろ、壊れろ、倒れてしまえ。

 

 

 「────ハハッ」

 

 

 口元が歪む。本人に自覚は無い。見据えた先にいるのは未だ倒れぬ獲物だった。けどそれが良い。まだ、倒れてくれるなよ。

 何かが脳裏からジワジワと迫るような感覚。だがそんなものに意味は無い。ああ、クラインの言う通り、今日は動きが冴えてる。だってほら、こんなにも自分は強い。不条理に抗う術を、今この手にしているのだから。

 だから。

 

 

 「────ね」

 

 

 震えろ。怯えろ。だがもっと抗え。闘志を燃やして掛かってこい。下等種だからと侮らず、死んでたまるかと声を荒らげてみせろ。

 ああ、もう止まらない。

 

 

 「────死ね」

 

 

 楽しい。思うがままに力を行使するこの感覚が。指の先まで研ぎ澄まされていくその全てが。何故、今まで知らなかったのだろうか。

 心臓の高鳴り、これはきっと、まだ見ぬ景色を見た事の高揚に他ならない。

 

 

 「死ねっ……死ねェ……!」

 

 

 何故か、そう勘違いしていた。だから気付かない。

 ────自分が今、一体どんな顔で、どんなに冷酷な言葉を口にしているかだなんて。この感情に身を委ねてただ一心不乱に身体を操りながら、これまで感じた事の無い程の安らぎに満たされていた。

 考えられないような力で剣を振り抜く。敵たる殺戮者が地面を削りながら吹き飛ばされ、すかさず地を蹴り距離を詰める。

 

 

 ────ああ、この感覚。

 持てる力と技の全てを使って強敵とぶつかり合う、純粋な弱肉強食の世界。

 何故だろう。

 どうしてだろう。

 こんなに心躍るのは。

 こんなに血が滾るのは。

 恐怖を、苦痛を、力の差を、圧力を、迫力を、敵意を、殺意を感じる程に。

 重なる度に。

 胸が高鳴るのは。

 

 

 

 

 ───コンナニ楽シイ事ハ無イ。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……アキト、君……?」

 

 歪んだ笑み。狂気を綯い交ぜにした瞳。

 独壇場と化した彼の鮮やかな戦闘振りに攻略組は半ばギャラリーとなり始め、歓声が所々で上がる。

 けれどアスナには、徐々に。けれど確かに異変を感じ始めていた。

 

 「ムチャクチャね……アイツあんな規格外だったっけ……?」

 

 「なんだか踊ってるみたい……!」

 

 リズの呆れ笑いにリーファの感動したかのような声。今入っても足でまといになる為に後退していた二人は、遠目から見ている為に気付かない。いつものアキトとはまるで違う暴力にも似た力の変遷。嘲るように、皮肉にニヒルに歪んだ口元。逸る剣戟。もはや別人であるその在り方に。

 

 「アキト、凄い……!」

 

 「あ、あんな動きも出来んのかよ……!」

 

 常に一歩先を行く動きにフィリアもクラインも感嘆の声を漏らす。でもアキトは知らない。彼らの声を。自分の今の姿を。どんな姿で嗤っているかだなんて。ただ純粋に目の前の敵だけに、意識を固めていて。そんな褒め言葉は耳に入る事は無い。

 誰もが視線を空間の中心点に注ぎ込む。希望たる姿を見せられ、魅せられ。

 けれど、距離が離れている為に分からない。

 彼が、何を口走っているかなど。

 気が付いたのは────

 

 

 「……ねえ、アスナ」

 

 「っ……シノ、のん」

 

 「アイツ……何か、様子がおかしくない……?」

 

 

 アスナとシノンは、そんなギャラリー達やリズ達以上にアキトの現在の様子を深刻に捉えていた。この光景を。今までと違うアキトの姿を。次第に何かに侵食されているこの現状を。

 確かに凄い。ボスを、たった一人で圧倒している。希望足り得る働きをしていて、カッコイイとさえ思える姿。

 なのに、底知れぬ不快感と不安が胸を襲い、渦巻いた。

 だって、いつもと違う。

 私達の知ってる彼と違う。

 佇まいが。

 雰囲気が。

 戦い方が。

 動き方が。

 笑い方が。

 その、在り方が。

 そして、今の彼は見覚えがあった。

 

 

(っ……あれって、あの時と同じ……!?)

 

 

 それは《ホロウ・エリア》での最後の戦い。キリトのホロウとの戦闘時に感じた異変を想起した。アスナが傷付けられた事によって暴走した彼の姿はまるで獣染みていて、今の彼はあの時を思い出してしまう程に酷似していた。

 狂気に満ちた笑み。明確に感じる殺意。何より、戦闘を楽しむ瞳。それは本当に楽しそうで、零れた笑みを見ていると、とても痛い。

 

 

(っ……違う、違うよ……だって……)

 

 

 ────私は彼に、あんな風に笑って欲しかった訳じゃない。

 

 

 「……止めなきゃ」

 

 

 何故かそう思う。これ以上はいけないと、そう心が騒いでいるから。ただ見ているだけの現状を捨てる。足でまといになるかもしれない。彼の邪魔になるかもしれない。けれど、見ているだけなのはきっと違うから。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「すげぇよアイツ、一人で互角に渡り合ってる……」

 

 「マジかよおい、このまま終わっちまうぞ……!」

 

 みるみる減少していくHP。アキトのHPも僅かずつではあるが減りを見せている。だが、このままいけばと誰もが思う。勝てるのだと、終わるのだと確信染みた期待が胸に宿る。

 だが、そんな声を聞いたアキトは、目を見開いた。顔を上げ、敵を見据えて、頭上に並ぶ四本の体力値。もう残り一本に突入し始めており、そろそろ危険域になる。

 

 

(勝てる、勝てる────あれ?)

 

 

 瞬間、思考が止まった。今まで何の躊躇いも違和感も無かった胸中に、ふいに現れた凝り。振り下ろされた大剣は難無く躱し、ひらりと軽く後退のステップをとった。

 ふと顔を上げ見据えれば、再び視界には奴の体力バーが表示される。もうそろそろ赤く色を変えるであろうそれを眺め、何故か靄が胸を覆う。

 何故だろう。もう少しで勝てるはずなのに。

 ────勝つ。

 もう少しで。

 終わる。

 終わってしまう?

 

 

 

 

(もう……終わる?そんな……どうして……?俺はまだ……)

 

 

 

 

 ────戦えるのに。

 

 

 

 

 ドクン、と。一際大きく一度鳴る。一気に血の巡りが早くなるような感覚。身体全体が熱く滾り始め、焦燥や恐怖にも似た何かが駆け巡る。

 もう、終わってしまうのか。

 まだ、まだ、戦えるのに。

 戦っていたいのに。

 こんなにも俺は強いのに。

 敵がいなくなるだなんて。

 この衝動をぶつける相手がいなくなるなんて。そんなのは駄目だ。こんなんじゃ、満たされやしないのに。まだ、まだ。まだ朽ちてくれるな。俺はまだ、戦えるのに。

 

 

 ───“そうさ、()はこんなにも強い”

 

 

 自分の声が脳裏に響く。囁く言葉は、呪いのように。

 ただ剣を振るう。それだけで頭の中を巡るその声が大きくなる気がした。けどその声に、違和感など感じるはずもない。この声は自分のもの。なら、きっとこれは自分の意思。

 

 

 ───“ただ、望むがままに振るえばいい”

 

 

 そうだ。誰かを守る為の力だ。なら、目の前の理不尽を容赦無く潰したって、なんの問題も無い。思うがままにこの力を。そんな声がとても心地好く聞こえる。

 この声のままに、力に身を委ねれば、数多ある理不尽を払い除ける事が出来るだろうか。

 それなら、と。剣を握る力が強くなる。振り抜けば、そこに立つ障害の体力を吹き飛ばした。瞬間、ボスのHPが赤く染まった。

 

 

 ───“それで良い。躊躇う事なんて何も無い”

 

 

 この声のままに。思うがままに。求めるがままに。この力を振るえば良い。あらゆる障害や理不尽を跳ね除ける力を手に、ただ立ち上がれば良い。

 阻む全てを壊して喰らえば良い。

 

 

 「──ト君!アキ──!」

 

 

 視界の端に立つアスナの声は、くぐもって良く聞こえない。シノンも何かを言い放っているようだ。けれど、何故か興味が無い。今はただ、目の前の敵を全力で斬り付け、抉り取り、捩じ伏せる事しか頭に無い。

 アスナやシノンのただならぬ様子に周りも不安気になり始めていた。リズやクラインの表情が曇る。だが、アキトは何も気にならない。目の前の、敵だけ。

 バチリと、黒い稲妻が走った。

 倒せ。

 壊せ。

 喰らえ。

 

 

 

 

 ───“だって、()はヒーローだからね”

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その時、空間に悲鳴が響いた。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「っ!?っ、きゃあああああぁぁぁああ!!」

 

 

『!?』

 

 突如、空間を引き裂くような甲高い悲鳴が辺りに響いた。アキトに意識を向けていた全てのプレイヤーが我に返り、ただならぬ声に身体を震わせた。張り詰めていた緊張感を刺激し、恐怖を助長するかの悲鳴にこの場の全員が目を見開き、その先へと視線を向けてしまう。油断してはならないこの空間内でそうさせる程の何かが、その悲鳴には込められていた。

 集まった視線の先。そこにいた一人のプレイヤーに見覚えがありすぎて、思わず声を漏らしてしまったのは、アスナだった。

 

 

 「う、うあ、ああ……!」

 

 

 薄紫色の髪に、赤い瞳。

 その瞳を細めて、苦しげに唸る一人の少女。

 そこにあったのは、誰もが認める実力者である少女の、頭を抑えて蹲る姿だったから。

 

 

 「す、ストレアさん……!!」

 

 

 慌てて駆け寄って膝を付く。彼女の肩を抱いて声を掛ける。リズやシリカ達もただならぬ表情でストレアの元へと向かっていく。

 

 「ちょ、ストレア、どうしたのよ!?」

 

 「おいおい、大丈夫かよ!?」

 

 「み、んな……う、うう……アタシ……」

 

 リズとクラインの声に対して、返事をするのもやっとのストレアは、既に武器を床へと落とし、両手で頭を抑えて瞳を揺らしている。痛みをどうにか和らげようと必死に押さえ付けて、でもそれは叶わない。アスナは咄嗟に彼女の頭上を見るが、何か状態異常にかかっている様子もない。

 しかし、彼女を見てシリカが何かを思い出したかのように呟いた。

 

 「アスナさん、これって前に迷宮区でもあった頭痛じゃ……」

 

 「っ……じゃあ、また……!」

 

 アキトがシノンと《ホロウ・エリア》へと向かった日に、アスナ達が赴いた87層の迷宮区にて目にした光景。数体の敵と乱戦状態だったストレアが、突如戦闘を中断する程に苦しみ出したあの時と同じ。

 彼女自身、時々凄い頭痛に悩まされていると語っていたのを思い出す。それを知っていたアスナ、シリカ、リズ、リーファは動けず固まってしまった。

 

 「お、おい、何の話だよ……」

 

 「ストレアさん、時々凄い頭痛になる時があるらしくて……前に迷宮区で危険になった事があったんです……」

 

 「えっ……!?」

 

 「っ!な、なんでそんなんでボス戦なんかに……!」

 

 「そんな事言ってる場合!?とにかく、ストレアを後ろに下げなきゃ!急いで!」

 

 「は、はいっ!」

 

 事情を知らなかったフィリアとクラインはリーファの説明を聞いて驚愕する。耳が痛い話だが、ストレアが心配するなと笑う為にそれを鵜呑みにしてしまっていた。ここまで深刻なものだとも知らず、どこか楽観的に捉えていたのかもしれない。ましてや、このタイミングで起きようとは思わない。

 今更過ぎる後悔が募る中、それよりも先にやらねばならない事がある。リズはシリカと頷き合い、蹲るストレアの左右に付いた。

 

 「ストレアさん、しっかりしてください!」

 

 「今回は、いつもより……なんか……ぐっ、うあああぁ!!」

 

 ストレア一人ではもう動けそうにない。以前見た時よりも辛そうに表情を歪めているのを見て、アスナは歯噛みしか出来ない。だがするべき事は一つしかない。アキトが戦線に立っている今のうちにストレアを庇いながら攻撃範囲外に離れなければならない。

 なのに、そんな願いを蹴り飛ばすように簡単に、理不尽は襲いかかってくる。

 

 

  「お前ら、早くしろ!あっちもマズい事になってやがる……!」

 

 「え……!?」

 

 

 その声にアスナが顔を上げれば、エギルが斧を構え始めて部屋の中央を睨み付けていた。その先を辿れば、HPが赤く染った血色の獣が呻き声を上げ、怒りに身体を震わせている。

 モーションが著しく変化する体力危険域でのボスは、ハッキリ言って前半よりも苦戦を強いる。残り少ないHPが僅かな希望と言わんばかりの攻撃力と機動力を有する。眼下にいるアキトを見下ろして、空間を砕くかの如く強烈な咆哮が、怒りを織り交ぜて放たれた。

 

 

 ────瞬間、

 

 

 「っ……あ、ああああぁぁぁああああぁぁぁああ!!」

 

 「ストレアさん!」

 

 再びストレアが悲鳴を上げ始めた。頭を必死に、握り潰すかのように押さえ付け、それでも変わらない痛みに目尻から涙が零れていて。ボスの咆哮とストレアの呻き声が重なる。

 ────まるで、ボスと共鳴しているかのように。

 

 「チィ……こんな時に!」

 

 「私行ってくる!」

 

 なんてタイミングで赤いゲージになってしまったのだろう。誰も悪くない、だからこそ行き場の無い舌打ちをしながらクラインも刀を構え、エギルと共にフィリアに続いて走り出した。

 

 「俺達が時間を稼ぐ!シノン、援護を頼む!」

 

 「了解!」

 

 エギルの指示に首肯するだけで応え、弓を構えるシノン。

 獣のように喚くボスと、ストレアを庇うアスナの直線上に躍り出て、守るように立つ。矢を引き絞り、向けるは再びボスの顔。

 クラインとエギルが走る先、そして、アキトの立つ真上に位置する奴の頭。

 

 「っ……」

 

 見れば、その血で浸したような巨大な剣を天高々に掲げている。視線は真下、アキトだ。あと数秒もしない内に振り下ろされるだろう。ソードスキル特有のエフェクトが剣に纏い、段々と光を集めている。

 なのに。

 

 

 「っ!?おい、アキト!」

 

 「何してんだ!早く逃げろ!」

 

 

 アキトは、その場から離れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「っ────……ぇ」

 

 

 アキトは、ふと顔を上げた。まるで眠りから覚めたような解放感がそこにはあった。何が起こったのかさえ分からず、ただ眼前に立つボスを捉える瞳が揺れるばかり。

 

 

(……あれ……あれ……?)

 

 

 ボスと対峙しているにも関わらず、アキトは辺りを見渡した。今いる場所と理由を思い起こし、自身とボスから距離をおいている攻略組のプレイヤー達や不安気な表情のアスナ達を見て、瞳が揺れた。

 

 ───何故、そんなに距離が離れているのか。

 

 先程まで一緒に戦っていたはずなのに。何故か自分以外の全プレイヤーがボスから距離を置いている。まるで、時間が跳躍したかのような感覚に襲われた。現状を把握出来ない。何故、どうして、自分はこんな所に立っているのかを。

 

 そして無意識に感じた。今の悲鳴によって、何かに洗脳されていたかのような浮遊感に陥っていた身体はストンと感覚を取り戻し、その瞬間アキトの意識はバチリと覚醒したのを。

 

 

(……俺……今、まで……何、かんがえて……)

 

 

 思い出す。自分が今まで何を考えていたのかを。視線の先に立つ巨大な獣を前に、どうして今一人で立っているのかを。剣を構えているのかを。

 

 

 「……ぁ」

 

 

 そして、段々と思い出していく。思い出してしまう。

 さっきまで自分がしていた剣の振り方を。狂気に満ちた敵の倒し方を。殺人鬼のような傷の抉り方を。

 自分が何度も口にしていた、冷徹で残酷な言葉の数々を。

 そして、それらをする度に感じていた、底知れぬ高揚感を。誰かを守る為の力で、敵をねじ伏せて楽しんでいたさっきまでの自分を明確に思い出した。

 

 

(楽しんでた……?ずっと、戦うのが、怖かったはずなのに……!)

 

 

 ───“怖いなら、この力に頼ればいい”

 

 

(っ……な、んだよ……この、声……!)

 

 

 先程からずっと聞こえてくる自分の声。けどそれは、自分の意思とはまるで違う。頭の中で囁くように告げられたそれは、まるで自分の意思かのようで、気が付けば身体を奪われたかのように操られていた。壊せ、殺せと、そう命じてくるのだ。無意識にそれが自分の意思なのだと、そう刷り合わされて。

 そんな事、自分は考えてない。こんなの、自分の言葉じゃない。

 

 

 ───“誰にも縛られる事無く、思うがままに出来る。ほら、振り返ってみろよ”

 

 

 「っ……」

 

 

 思わず、振り返る。

 そこにいたのは、こちらに向かって必死な形相で走ってくるクラインとエギル、フィリア、その先で弓を構えるシノン。

 頭を抑えて苦しむストレア。

 彼女を守るように立って武器を持つリーファ。

 ストレアの痛ましい姿に涙を流すシリカと、そんな彼女に喝を入れながらストレアを支えるリズ。

 苦しむ彼女の肩を抱くアスナ。

 

 

(……ア、スナ)

 

 

 ───“この力があれば、欲しいものは何だって手に入る”

 

 

(っ……誰なんだよ……お前……)

 

 

 ───“このままじゃ、死んじゃうよ?”

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────アキト!」

 

 「……!」

 

 名前を呼ばれたその瞬間、自身の襟首が掴まれる。そのまま後ろへと引っ張られ、そこから入れ替わるように左から飛び出して行ったのはエギルだった。我に返れば、頭上には振り下ろされた大剣が迫っていた。

 エギルが放ったのは両手斧スキル《スマッシュ》。筋力値に任せて下から振り上げたそれは、更に筋力のあるだろうボスの両手剣を天へとかち上げた。

 

 「フィリア、スイッチ!」

 

 「はああぁぁあ!」

 

 エギルの前へと飛び出したフィリアが、ボスの腹部に目掛けて放った

 のは短剣高命中技二連撃《クロス・エッジ》。クロスさせるように深く斬り付けられ、ボスが僅かに後退する。同時にフィリアも離脱して、アキトの元へと駆け寄った。アキトはまだ呆然といったような表情で、助けてくれたメンバーを見つめる。

 

 「アキト、平気?」

 

 「ボサっとしてんじゃねぇ!死にてぇのかよ!」

 

 「フィリア……クライン……」

 

 「無事かよ、アキト」

 

 「エギル……俺……」

 

 そんな訳は無いはずなのに、何故か久しぶりに顔を見たような気がする。危険を省みずに助けてくれたのに、言葉が出て来ない。それは、この現状を上手く把握出来ていなかったからだろうか。

 その瞬間、自分ではない何かが自分を突き動かしていた事実が、段々とその脳内に下りてくる。

 戦う。それだけが楽しく感じていた。自分のものではない感情のはずなのに、あの高揚感を覚えてる。今までゲームをやってきて、ここで生活して、その中で感じた事の無い別ベクトルの何か。違う喜び。

 もしあのままだったら、自分はどうなっていたのだろうか。

 あの悲鳴が無ければ────

 

 「……っ、さっきの悲鳴……!」

 

 ハッとしたアキトはすぐに振り返った。

 視線の先、そこには痛みで涙を目に溜めたストレアの、見た事が無いほどに弱々しくなった姿が映されていた。普段絶え間ない笑顔を見せていたはずのストレアの、初めての涙。

 アキトは、瞳を見開いた。

 

 「ぇ……ど、して……」

 

 常に笑顔。それは、アキトが望んでいた姿。見たいと願った人の表情。その願いを体現していたストレアの存在は、アキトにとっては大きかった。

 そんな彼女が、泣いている。

 どうして。

 思わず、一歩足が出る。

 自然と、彼女へ手を伸ばす。

 

 

 「な、んで……ストレア……!」

 

 「アキト、落ち着いて!」

 

 「っ……」

 

 「彼女の事はアスナ達が守ってる!俺達は目の前のコイツをぶっ倒すんだ!」

 

 フィリアとエギルの一喝でアキトは動きを止めた。何故かこの状況に既視感があった。

 目が覚めたら、知らない景色。それはまるで、初めてアキトが人前で《二刀流》を使った時の、あの時の光景に見えた。気が付けば、状況が変化し過ぎていて。何故かとても怖い。けれど、彼らの言う通りだとも思うから。

 敵の頭上を見上げる。HPはあと僅か。これなら総攻撃を掛けるだけですぐに処理出来る。新しい動きを見せる前に叩く。

 

 「行くぞ!」

 

 「うん!」

 

 クラインの声に頷き、ボスへと向かって地を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 一瞬と言える程、すぐに終わった訳では無かった。

 けれど、この場の空気に違和感を感じていたのは皆同じだったようで、ギャラリーだったはずの攻略組プレイヤー達は最後、アキト達のカバーをするべく全力を尽くしてくれた。強力な範囲攻撃が追加されたが、彼らのおかげで初見でも対応出来た。

 特にストレアの異変がとても大きい。この場の誰もが早々にこの戦いを終わらせてストレアを街に帰したい気持ちが少なからずあったのかもしれない。そう思うと、感謝しか無かった。

 ラストアタックが誰だったのかは分からなかったが、一際存在感を放っていた殺戮者たる獣は、その身を輝かせ、硝子片となって四散していった。

 

 勝利のファンファーレが鳴り響き、歓声を起こす者、疲れて床に座り込む者と別れたが、アキトはすぐさま身を翻してストレアの元へと駆け出した。

 激闘を終えても尚、安堵出来ない理由がそこにはあったから。

 

 「ストレア!」

 

 「ア、キト……」

 

 辛うじて返事をするストレア。すぐしゃがみ込み、表情を伺う。額には汗、瞳には涙。口元は震え、苦痛に歪めた表情は辛さを物語っていた。

 彼女の肩を抱くアスナは、アキトを見上げていた。彼女にとって心配なのは、ストレアだけじゃない。

 

 「アキト君……大丈夫なの?」

 

 「俺は平気だよ。それよりストレアだよ。すぐ街に戻ろう。転移結晶を」

 

 今は自分の事は後回しだ。今は自分よりも、彼女の方がどう考えても深刻だからだ。

 転移結晶を取り出そうとするが、傍に寄って来たシノンが呟く。

 

 「ここからなら、次の層に向かった方が早いわ」

 

 「じゃあ、すぐ向かわないと。ストレア、立てる?」

 

 「う、うう……」

 

 アキトに促され、顔を上げる。その紅い瞳は、目の前のアキトを真っ直ぐに見つめ、それでいて苦しげで。見方を変えれば、睨まれているようにさえ見える視線の強さ。

 こんなに酷かったとは、アキトも思わなかった。以前部屋に来た時に、もっとしっかり話を聞いていれば。

 

 「……貴方には……ない……」

 

 「ストレア……?」

 

 ふと、ストレアが何かを呟いた。こちらを見据え、か細い声で。小さくて良く聞こえないその言葉を耳にする為に、アキトは彼女に顔を近付けた。何かを伝えたがっているような、そんな様子で。

 けれど、痛ましい程に歪んだ表情で告げられたのは、想像もしてないような言葉だった。

 

 「アタ、シは……負け、ない……」

 

 「え……?」

 

 ────目が合った瞬間、アキトは何も言えずに固まった。

 苦しむように、憎らしいようにこちらを見つめる彼女の表情は、とても敵意に満ちていたから。それは仲間に対するものではなく、明確な決別の意味を込めた瞳。

 

 

 「アキト……キ、リト……貴方達に……クリアされる訳には、いかない……!」

 

 

 ────その意味を、この時に気付けていたのなら、何か変わっていたのだろうか。『ゲームクリア』という単語を耳にする度にストレアが見せていた、何処か悲しげな憂うような表情を、この時のアキトは思い出していた。

 

 「ストレア、もしかして魘されてるの……?」

 

 「しっかりして!心配無い、私達はここに居るよ!」

 

 リズの心配を背に、アスナが安心させるように声を掛ける。それが効果的かどうかなんて関係無い。ストレアにいつものように元気になって欲しくて。歓声を上げていた攻略組の連中も、段々と心配になってきたのか視線を向けている。いつも笑顔だった彼女に救われていたのは、きっとアキト達だけじゃなかった。今日の攻略においても、彼女がいてくれたからと、お世辞無しにそう思う。

 

 

 だから、良くなってくれと、そう願うのに。

 

 

 「……ストレア、さん……?」

 

 

 ────突如、ストレアは立ち上がった。

 なんの異変も無く、苦しむ事も無く、嗚咽も悲鳴も呻き声も無く。頭痛が無くなったのか、気分が良くなってきたのか、それは分からない。あまりにも不自然なくらいに、自然に立ち上がって。

 

 「ちょ、アンタ……いきなり立って大丈夫なの……?」

 

 シノンの問い掛けに、少しだけ振り返ったストレア。

 彼女のその表情を見て、アキト達は心臓が止まるかと思う程に驚き、そして背筋が凍った。

 そこに、かつての笑顔は無い。冷徹な程に無表情で、何もそこに宿してないような雰囲気。

 

 

 彼女の紅かった瞳はまるで。

 空洞のように暗く、虚ろになっていた。

 

 

 「ううん……心配されるような事なんて無いから。もう大丈夫……」

 

 

 次の層へと向かう扉が開かれ、ストレアはそれを、何も映していないような瞳で見据えて、ただ淡々と告げた。

 

 

 「アタシは、この世界を守らなきゃいけないの。さあ、行かなきゃ……」

 

 

 フラリと音も無くアキト達の作る輪から離れ、何に囚われる事も無く歩き出した。体調など、異変など、苦しみに歪めていた表情、全て嘘だったかのように。

 思わず伸ばしたその手も届かず、すり抜けていくように。

 

 “この世界を守る”

 

 その言葉を聞いて、何故かアキトは感じた。

 彼女を、このまま行かせてはいけないのだと。行かせてしまったならきっと。

 もう、彼女の笑顔は見られないような気がしたから。

 

 

 「っ……ストレ────」

 

 

 ───ズキリと頭が痛んだ。

 意識が遠のき、足からは力が抜け、糸が切れたように一瞬で地面へと倒れ込んだ。アスナ達の驚いたような、自分を呼ぶ声が聞こえる。

 

 

 けれどアキトは、消えゆく意識の中でただひたすらに。

 

 

 背を向けて遠くなるストレアの背中に向かって、その手を伸ばし続けていた。

 

 

 

 








ユイ 「ストレートフラッシュです!」

アルゴ 「ニャッ!?」←ツーペア




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Ep.111 望まぬ告白






こんな風に、伝えたかった訳じゃない。





 

 

 

 

 

 

 今も時折夢を見る。とある背中に憧れて、理想を追い求めようとしたあの日の記憶、その夢を。守る為、縋る為に戦って。そうして積み上げていくしかなくて。心細さや臆病さをひた隠して、必死に強がって立っている。求めたのは何の面白みもない、他人からすればなんて事の無いものだったかもしれないけれど、喉から手が出る程に欲していた。そういう風に生まれてきた。

 

 目を背けてはいられない。ふと見渡せば、そこには助けられなかった命が屍という形となって夢の中で現界する。血みどろで生々しくも温かい、なのに身体は冷たくて。中途半端に開いた口と、何も移さぬ虚ろな瞳。歩んだ道を振り返れば、救えなかったものの方が多かった。

 後ろの方から陽炎のようにゆらりと現れる人の影。やや細身な身体、揺れる薄紫色の髪。何処か人を惹き付ける笑顔が美しかった。そんな彼女の声が、頭の中で囁くように。

 

 

 ────君の願いを、叶えるよ?

 

 

 失ってしまった命達の真ん中で手を差し伸べていた彼女は。

 ただ、笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────紅い剣が軌跡を描く。

 

 風を撫でるように流麗に、すれ違いざまに斬撃を浴びせる。浮遊する悪魔の翼を容赦無く斬り捨て、僅か数秒の内に四体を四散させた。群れを成して囲うように飛び交うデーモン種は迷宮区の暗闇に溶け込み、まるで吸血鬼の下僕。威嚇し眼光を浴びせる敵の内の一体に、躊躇いも隙も見せずに一閃。会心が入れば、一撃で沈む。返す形で向かってきた標的を葬る。もう何度目か知れない硝子片が飛び散る音。如何に高レベルのダンジョンとて、必要なのは情報。ソードスキルを放つタイミングさえ間違えなければ最早単純な作業でしかない。

 

 以前にもこうして黙々とレベリングをしていた時期があった。それは一年前のクリスマスイベントの報酬と噂された、蘇生アイテムを手にする為だった。その時はほぼ毎日十八時間戦闘なんて死に急いでいるとしか思えないレベリングをしていた。あの時もひたすらに無心で取り組んでいて、結果掴んだものは仮初だった。あの時間の中で手に入れたものがあるとすれば、ただ純粋な戦闘経験のみだった。

 

 「はっ───!」

 

 放つのは《ヴォーパルストライク》、瞬時に懐に侵入し心臓部分を穿つ。寸分の狂いも無い。だが敵はまだ五、六体ほど健在であり、故にまだ止まらない。刺した敵をそのまま盾にしてスキルの突進力で冷たい床を駆け抜け、続け様に数体を刺し貫く。HPがゼロになり、串刺しとなった敵共の身体から光が放ち始めるのを合図に斬り捨て、四散した硝子片を背に再び走り出す。

 

 残りの敵の位置とHPを横目で確認し、近付く敵はたった一歩で間合いを詰める。舞踏のように華麗に流した刃は二体のデーモンの腕と胴体を切り離した。背後から迫る不届き者には容赦無く蹴りを入れる。反動で飛び上がり、上空に逃げていた敵の視界いっぱいに接近、驚愕に彩られた敵を範囲技で屠るのは容易だった。無駄な動きなどしない。長年の戦闘経験から導かれた最適解を身体に刻み込み、脳が下す命令のままに身体を動かす。段々と機械染みた動作をするようになった自分に驚きながらも、敵を逃すようなミスはしなかった。

 落ちる先で待ち構えていた奴らを上段からのスキルで捩じ伏せ、足りない部分は《剣技連携(スキルコネクト)》で補って倒す。そうして急所を運良く抉り取った敵が、どうやら最後の一体だったようだ。

 

 「……」

 

 辺りに他の敵の気配は無い。一旦仕切り直しだ。リポップするのを待つか別のエリアへ行くか、どっちにしても時間は掛かる。

 アキトは剣を鞘に収めると、ふと両の手を見下ろした。目を閉じて精神を研ぎ澄ませても、湧き上がるような何かを感じる事は無い。開いては閉じてを繰り返しても、思い起こされたのは呪うようなあの日の声。

 だが今は。

 

 

 「……何とも無い、か」

 

 

 頭痛も記憶の混濁も、湧き上がるような憎悪や高揚感も何も感じない。だが逆にそれが不気味で、不安が胸に張り付いて。思わず胸の辺りをぐっと握る。心臓の鼓動を感じて、その一定のリズムが何処か気持ちを落ち着かせてくれるような、そんな気がした。

 

 ───95層フロアボス討伐作戦。

 

 クリア目前の上層でありながらも犠牲者を出さずにボスを打ち破ったとして大々的に報じられた。ほぼ完封に近い形での勝利であった事実は勿論、中盤までボスとほぼ一対一での白兵戦をやってのけたアキトは《黒の剣士》として英雄視され、ヒースクリフが消えた穴を埋める新しい希望なのだと祭り上げられた。

 

 しかし、彼らには知らない事もある。あの場で起こった具体的な出来事など攻略組にしか分からない。そこで起こった問題、その本質も見えてない者達が大半だ。あの戦闘は、確かに今まで苦戦を強いていたボス戦とは違って効率良く戦えていたかもしれない。だがそれはあくまでも表向きの話であり、その詳細にこそ問題があるとするのは極一部の──アキト達だけだ。

 あの場にて起こった問題は二つ。

 その一つが────

 

 

(戦ってれば……また、“暴走”するのかと思ってたけど……)

 

 

 二日前のボスとの戦闘時に感じた、あの高揚感。時間が経つ程に研ぎ澄まされていく感覚の中に紛れ込んだ破壊衝動にも似た“何か”の胎動。剣を振る度に、傷付ける程に爽快感が駆け抜け、口元が歪む。ずっと戦っていられるような気分になった。培ってきた全てが報われるような全能感に浸り、立ち塞がる理不尽を跳ね除けたいと強く願う程の欲が剥き出しになった。

 

 顕著に現れたのはこれで二回目だ。一回目はアスナとフィリアと三人で訪れた《ホロウ・エリア》最深部でのホロウキリトとの戦いの時。あの時の事を、アキトは微かにだが覚えている。目の前の敵を殺す事だけが頭の中を支配し、破壊衝動に身を委ねていた。顕著に起こったのは二回だが、発生条件が絞れておらず未知の域を出ない。

 アスナ達からそれとなく様子を聞いてみて、前回のも今回のも客観的に見れば凄まじい戦闘能力だったろう事は理解する。だがあれは、アキトが感じたものじゃなかった。まるで恰も自分の感情であったかのように刷り込まれ、気が付けば身体を乗っ取られていたような、そんな感覚を覚えている。戦っている内に、それはどんどん深化していく。敵を倒すのに効率が良いのなら、案外悪い話じゃ無いようにも聞こえるが、少なくともアキトはそう思わない。

 何より、人を守る為に使うと決めたこの力を、破壊衝動に委ねて使用するなど、アキトが許せなかったのだ。

 

 

 「なあ、キリト…………ダメだ、返事が無い……」

 

 

 ────そして、懸念すべきはそれだけじゃない。

 ここ最近、ずっと聞こえていたはずのキリトの声が聞こえないのだ。《二刀流》を手にして暫く、やがて急に聞こえるようになった彼の声。初めこそ驚いたものの、温かさを感じる優しい声が、アキトにはとても頼もしく思えた。事ある毎に頭を駆け巡る。時には危険を知らせ、時には励ましてくれた親友の声が、もう一週間以上聞こえなくなっていた。

 

 それに代わるように聞こえ出したのは、自分の声。誘うように囁かれたその言葉には、何処か甘い匂いが漂っていて。気が付けばそれが自分の意思だったかのように、身体を操られている。

 この声の主は、まるでキリトの存在を押し潰して、脳内に割って入って来たように思えた。だからこれはきっと、誰かを傷付ける力だ。

 以前、《ホロウ・エリア》の最深部でデータであるキリトと対峙し、アスナが刺された際に起きた一回目の変貌。意識の中で出会ったサチは、この破壊衝動が『SAO内のプレイヤーの負の感情』が集合体によるものなのだと教えてくれた。彼女に手を引かれ、収まったと思ったのだが。

 

 

(これじゃあ、サチが何の為に……)

 

 

 ───ただ、片鱗は、もっとずっと前からあった。

 目を逸らしていたのか、はたまた自覚が無かっただけか。ただ眼前に佇む敵に際し、気が付けば『死ね』と、そう呟いて剣を振っていた事は事実だ。頭の中がクリアになって、もっとずっと戦っていられるような……殺戮を楽しむ獣のような姿に変貌を遂げたのは、何もいきなりの事じゃ無かったのだ。頭の中で声がするよりも以前から、きっと侵食はあった。歪んだ感情がまだ脳にこびり付いている気がする。剣で抉った手応えが、まだこの手に。

 

 気の所為なのだと思いたかったから、そんな思いを振り払うべく、検証を兼ねて赴いた攻略だったのだが、ここまで変化を感じないのも何かの前兆のような気がしてならない。不安を払拭しようとして不安が重なるなら、これ以上は逆効果でしかない。

 

 「……帰ろ」

 

 湧いていたMobは全滅した為、リポップには何時間かかかるだろう。別エリアに行けばその限りではないが、既に迷宮区に篭ってから三、四時間近く経っている。最前線というのもあり、精神的な疲労は否めない。

 それに────少しばかり眠い。視界の端の時計を見据え、目を細めて欠伸する。

 

 

 「……五時、か」

 

 

 それは、午後ではなく午前の五時だった。

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 発光に目が眩み、思わず目を細める。光が消え目が慣れ始めた頃に視界いっぱいに広がるのは、これまた見慣れた景色だ。76層の街《アークソフィア》は、時間が時間なだけにいつもの賑やかさはなりを潜めていて、プレイヤーは一人として認識出来ない。

 

 十二時半という妙なタイミングで目を覚ましたアキトは、それですっかり目が冴えてしまった。日を跨ぎ午前一時頃に店を出ると、迷宮区へと赴いた。そこから三、四時間───つまり五時。この時間帯にアキトのような行動を起こす輩は殆どいない。故にこの静けさは当たり前なのだが。

 早朝という事もあり、朝日すらまだ登ってはいない。冬が過ぎ行く季節の境目でも肌寒さは健在で、足元に棚引く霧は一寸先を闇にしていた。まるで知らない街のようで、ほのかに不気味さが漂っていた。転移門を出てすぐの階段付近で足を止め、夜に近い空を見上げると、もうすぐ朝日が昇る時間帯だと思えない程の星達が、自分の居場所を主張していた。

 予想以上に気温が低いせいか思わず身震いし、腕を擦る。

 

 

 「……珈琲飲みたい。エギル起きてるかな……ん?」

 

 

 ピタリと、その動きを止めた。

 不意に、前方から何かの気配を感じたのだ。

 顔を上げるも、霧のせいで何かが見える訳も無い。しかし、段々と近付いて来ているそれは、どうやらこちらに向かっているようだ。

 

 

(こっちに来てる……って事は、転移門に向かってる……?こんな時間に攻略……?)

 

 

 人の事を言えた義理じゃないはずのアキトが思考を巡らせている間にも、気配は強まっていた。

 ブーツの音が静寂な空間で響く。目を凝らせば、広がっていた霧の奥から人らしき影が近付いて来ているのが見て取れた。一定のリズムを刻みながら谺響する、石畳を蹴る音と呼吸音。どうやらこちらに向かって走って来ているようだ。

 この時間帯で走って転移門まで来るとは、急ぐような用事があるのだろうか。それもこんな時間に。

 

 

 「……え、あれ……!?」

 

 

 しかし、霧から出てその人影が顕になった時、アキトは目を見開いた。そこにいたのは、アキトがよく知る人物だったから。

 肩に掛からない程の黒い髪、細身の身体に翠を基調にした装備。何より、腰の短剣と背中の大きな弓。本当は、霧から見えたシルエットでなんとなく分かっていたのかもしれない。だがこんな時間に外に出る筈ないと、勝手にそう思ってしまっていた。

 

 

 「し、シノン……!?」

 

 「あ、アキト……」

 

 

 ────現れたのは、シノンだった。

 何故かほぼ全力で転移門(こちら)まで走って来ていた彼女は、階段の上に立つアキトを視界に収め、漸くその足を止めた。アキトを見て目を丸くしていた彼女は肩を上下に揺らし、その呼吸は荒かった。

 しかし、とても慌てていたように見えた彼女の表情は、アキトを捉えた瞬間に霧散していた。緊張が解れたような、安堵したような、そんな表情だった。

 

 

 「ど、どうしたの、こんな時間に……」

 

 「ソレ……こっちのセリフだから……アンタ、こんな時間に何、して……」

 

 「だ、大丈夫……?」

 

 

 力が抜けたのか、シノンは両手を膝に着いて息を吐き、呼吸を整えようと必死だった。アキトは思わず階段を駆け下りて、彼女の元まで向かう。ここまで全力疾走だったのだ、スタミナの概念が無いこの世界でも精神的にも疲れただろう。それに、どうやら焦っていたようにも見えた。

 けれど、アキトを見た瞬間────

 

 

 「……もしかして、俺を追って……?」

 

 「っ……そ、そんなんじゃないから。偶々目が覚めたらアンタが攻略に出てたから、丁度良いと思って……」

 

 

 走ってきたせいか、それとも図星だったからか。彼女の顔は少し赤かった。彼女は誤魔化すようにして目を逸らしたが、アキトは悟っていた。こんな日も出ぬ暗闇の中、彼女が装備一式揃えて転移門まで駆けて来た理由を。

 彼女は、アキトが宿にいないと知るや否や飛び起きて、こうして転移門まで走って来てくれたのだ。前回のボス戦だけじゃない、彼女はアキトの異変をもっとずっと前から知っている。

 だからきっと、心配してくれたのだ。

 

 「……ありがと、シノン」

 

 嘘を吐き続けているこの口から紡がれる感謝に、意味なんて無いのかもしれない。けれどそれでシノンに伝わるならと、そう誤魔化して。

 シノンは何も言わなかったが、それでも少しだけ頬を赤らめて答えた。

 

 

 「……別に。結局、間に合ってなかったみたいだし」

 

 「あー……シノンさえ良ければ、攻略に行く?」

 

 「何言ってるのよ。アキト今帰って来たんでしょ?何時からやってたのよ」

 

 「……1時くらいから」

 

 「いちっ……なんでそんな時間から……」

 

 「何かその、眠れなくて」

 

 「……ったく。なら、帰るわよ。これ以上アンタに無茶させたくないし」

 

 

 溜め息を吐くシノン。夜中に攻略なんてするアキトに少なからずの怒り、けどそれ以上に、仕方無いと呆れ苦笑を浮かべている。心配が重なって、彼女に早起きまでさせてるとなると愈々頭が上がらない。

 

 ────本当に、甘え過ぎている。

 

 くるりと背を向けて先行する彼女。その華奢な後ろ姿が頼もしく見えるのは、彼女が強くなったからだろうか。《射撃》スキルなど関係無い。シノンは、本当に強くなった。

 故に、いつもクールですまし顔な彼女に心配を掛けてしまうのは本当に申し訳無い。心配いらないと、大丈夫だからと言っても、彼女は納得しない。そうさせたのは、他でもないアキトだ。

 何かお詫びが出来ないだろうか。

 

 

 「……ねえ、このまま帰る?」

 

 「え?」

 

 「シノンも二度寝って感じじゃないでしょ?」

 

 「……まあ、眠気は覚めちゃってるしね。でも、エギルは今日珍しく寝てたから、帰っても珈琲は無いわよ」

 

 「っ……察しがよろしくて……」

 

 

 アキトは、驚きで言葉に詰まった。店に戻った後の予定を彼女に完璧に悟られてしまっている事に苦笑いしか起きない。しかし、確かにエギルがこの時間に起きてないのは珍しい。折角の予定が潰れてしまった。

 何か食べるにしても早過ぎるし、このまま帰るしかないのではないか。そう思った時、ふととある場所の事を思い出した。

 

 

 「……あ、じゃあ少し歩くけど、良い場所があるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「76層にこんなところがあったのね……」

 

 

 そんなシノンの感動混じりの声を聞いて、アキトは満足気に笑った。76層を拠点とするプレイヤーでも知ってる人がいないであろうアキトのお気に入りの場所。

 路地裏を抜けた先にある小さな畔。《アークソフィア》の一番端に位置しているであろうその場所は、見渡す限りの水面が広がっている。歩いている内に段々と霧が晴れ、到着した頃には綺麗に霧散していた。そのおかげで、どこまでも続いている湖は天井の景色を映し取り、水平線と空の境界線はいずれ昇るだろう太陽の光でオレンジ色に変わっていた。

 軽く頬を撫でるような風と共に共鳴する草原の音。耳に残る心地好い感触に、シノンは目を細めた。

 

 

 「ここ、昇る朝日と沈む夕日が見える時間帯に来ると絶景なんだ。俺の秘密の場所」

 

 「秘密の場所……そんな場所、私に教えちゃって良かったの?」

 

 「当たり前じゃん。だから連れて来たんだし」

 

 「そ、そう……ま、光栄って言っとくわ。黒の剣士様?」

 

 「はは……」

 

 

 冗談めかして、澄ました顔をしているシノンだが、何処か嬉しそうに見えたのは、気の所為だと思いたくない。

 湖に続く小さな斜面を下り、アキトは息を吐く。肌寒さは未だ健在で、アキトは腕を擦った。

 

 

 「他に、誰が知ってるの?」

 

 「ユイちゃんとストレアと……あとアスナかな」

 

 「……アンタ、女の子をここに連れ込んでるの?」

 

 「酷い言われよう……い、言っとくけど、ちゃんと紹介したのはユイちゃんだけだから。ストレアは知ってたみたいだし、アスナは勝手に付いて来ただけだし……」

 

 「……ふぅん」

 

 

 急に声のトーンが低くなったシノンの声に、身体を震わせる。どこからそんな声出してるんだと言いたくなったが、酷い誤解を取り敢えず撤回した。

 じっと目を細めてアキトを見下ろすシノンだったが、やがて小さく息を吐くと、景色を見渡しながら告げた。

 

 

 「でも、本当に良いところね、ここ。薄暗がりの空の下でも、綺麗だって本気で思える。もっと早く知りたかったな」

 

 「……そう、だね。独り占めするくらいなら、みんなに教えようかな」

 

 「ここには、良く来るの?」

 

 「最近はそんなにかな。ちょっと落ち込んだ時とか、スキル上げしたい時とか、気分転換したい時とかに来るんだ。あと昼寝」

 

 

 後付けしたように呟いたが、ここに来る時の大半は昼寝が目的だったりする。最後の一言にピクリと反応を示したシノンは、そよぐ風を感じながら納得したように頷いた。

 

 

 「昼寝……へえ、私もしてみようかな」

 

 「ここで寝ると凄く気持ち良いよ。その日の予定全部すっ飛ばして寝ていたくなる」

 

 「ふふ」

 

 

 何気無い会話。特に面白い事を言った訳ではないのに、何処か楽しくて、笑えてくる。顔を見合わせて笑うのだが、アキトは不安が胸を貫いた。

 自分は今まで、ちゃんと笑えていただろうか。気付かれたりしてないだろうか。記憶が曖昧で、はっきりしない。けれど明確に思い出してしまえば最後、きっと受け入れられない何かが待ち受けているような気がした。

 

 ───シノンは、何も聞いてこない。

 

 これまでも、そうだった。アキトが頑なに話そうとしないから、仕方無く黙っているのかもしれないが。

 この世界で恐らくたった一人だけ、アキトの状況を曖昧ながらにも掴んでいる少女。アキトの身に何が起こっているのかは、ある程度の予備知識から断片的な事しか分からないだろうが、秘密を知られている点でいえば一番近い存在だった。

 そんな彼女が、前回のボス戦のアキトの様子を見て何も感じないはずが無い。今までもこの時間帯に攻略する事はあったが、今日の様にシノンが飛び出してくる事は無かった。故に彼女のこの行動は、95層での出来事に起因していると考えるのが筋だった。

 彼女がこれまで聞かなかったのは、アキトを気遣っての事だ。アキトはそれに甘えていた。心配させるだけさせて、返せるものは何も無い。それでもシノンは何も言ってこない。

 

 ───有難い。

 素直にそう思う。こんな自分でさえ訳も分からぬ現状を他人に話すのは気が引けた。だが彼女はアキトの異変に気付いている。言ってしまえば、誤魔化す振りは無意味なのだ。

 

 

 「……ねえ」

 

 

 ────そう、思っていたのに。

 

 

 「……な、何?」

 

 

 この空気、この静寂。さながら嵐の前の静けさ。

 その声音から出る真剣さに、身体は敏感に反応を示した。ゆっくりと後ろを向くと、シノンは躊躇いがちに俯いていて、切り出そうとする度口を噤んでいた。何処か女の子らしさを感じてしまうその仕草に、アキトは唾を飲み込む。

 

 

 「この前のボス戦……アンタ、明らかに様子が変だった。動き方とか表情とか……前とは違って、キリトじゃない別の“何か”を、私は感じたの」

 

 「っ……」

 

 

 素直に驚いた。そんな、もはや核心を突いたシノンの発言。

 キリトではない、別の“何か”の侵食。それを彼女は理解している。アキトは分かりやすく目を見開いた。

 そして何を聞かれるのか、もう検討がついてしまった。いや、あれから数日経つが、誰もアキトにそれを聞こうとはしなかった事が、寧ろ不思議なのだ。

 95層での豹変。あの一瞬だけなら誰もが気の所為と切り捨てるかもしれないが、シノンは違う。もうずっと前から、アキトの身に起こる何かしらの現象を少なからず知っている。驚くべきは、その現象が以前のものと違っている事にさえ気が付いている事だ。そんな彼女に知らぬ存ぜぬを貫くのは、もう不可能だった。

 アキトは、彼女が何を言い放つのか、強張った表情で待ち受けた。

 

 

 「身体は、なんともないの?」

 

 「へ……」

 

 

 しかし彼女の口から出たのは、そんな拍子抜けな一言だった。待ち受けていた答えとまるで違っていて、理解が遅れる。固まって反応を示さないアキトを怪訝な表情で見つめたシノンは、再度口を開いた。

 

 

 「目眩がするとか、頭が痛いとか、そういうのはないのかって聞いてるのよ」

 

 「え……あ、うん。今のところは、なんともないけど……」

 

 「……何、その反応」

 

 「い、いや、もっと具体的な事を、根掘り葉掘り聞かれるのかと思ってたから……」

 

 

 あの状態は、動き方は、経験によるものなのか。スキルや技術的なものなのか。それとも何かしらの介入があるのか。エラーなのか。危険は無いのか。何故そんな目に合っているのか。少なくとも最初の質問は、そういう類のものだと思っていた。しかし、彼女の懸念はその現象によって引き起こされるであろうアキトの体調不良だった。確かにこのところ、アキトは攻略による疲れで何度か倒れる事があった為、周りからすれば心配されるのは当然で。

 しかし自覚の無いアキトの素朴な疑問は、ただただシノンに溜め息を吐かせていた。

 

 

 「それが分かってたら、アンタ苦労してないじゃない」

 

 「……はは」

 

 

 その通りだ。自分で原因が分かっているならすぐに対策出来る。けど、目を逸らしていただけで、この状態はずっと前から続いていた。今になって分かりやすく表れ始めただけだ。分からない事を楽観視しながらここまで来た事によるツケが回り始めていたのだと自覚した。それに、分かっていたとしても解決出来ない可能性だってある。引き伸ばして来た結果がこれでは、あまりにも笑えない。

 

 

 「確かに……分かってたら、こんな事にはなってないよな……」

 

 

 遠くを見据える瞳で、まるで他人事のような言葉が口をついた。

 そっか、と心中で納得した。シノンがこんな時間にアキトを追い掛けて来た理由に改めて合点がいったからだ。やはり彼女は、アキトが戦闘をする際に、再びあの状態になる可能性を危惧したのだ。だからアキトが宿にいないのを知るや否やこんな早朝から飛び出して来てくれたのだ。

 本当、至れり尽くせりで頭が上がらない。故に情けなかった。もうずっと隣り合わせに感じている、胸の中の“何か”に少なからず怯え続けているこの現状が。

 

 

 「……まだみんなには言わないの?……言っても解決しないかもしれないって思ってるんでしょうけど……」

 

 「いや……単純に心配させたくないんだ。勝手な言い分だけど、知らない方が良いのかなって思って……幸いこの前のボス戦も、みんな気にしてなかったみたいだし」

 

 

 95層でのボス討伐作戦において、アキトは今までに無い無類の強さを誇っていた。何せ、最初から最後に至るまでボスと相対し、その中でもかなりの長時間ボスとの一対一を熟してみせたのだ。それがアキトにとっては良くない事だとしても、何も知らない周りからしてみれば、ただアキトの強さに魅せられただけのボス戦だっただろう。故に誰もアキトの異変には気付かない。

 そう、高を括っていた。なのに、シノンの次の一言で、心臓が高鳴った。

 

 

 「アスナは、多分気付いてるわよ。アンタの異変」

 

 「……ぇ」

 

 

 ────アスナ。

 その少女の名前が出た瞬間、胸の鼓動が強く響いた。これまで何度も隣りで支えてくれた少女の名前。何度も助けられた。身を呈して守ってくれた事もある。夢の中でも記憶の中でも、涙する彼女の表情が頭から離れない。親友であるキリトの、忘れ形見。

 そんな彼女が自分の異変に気付いてる。それを聞いたアキトは、思わず顔を上げて聞き返した。

 

 

 「あ……アスナが?」

 

 「ええ、多分ね」

 

 

 物憂げな表情を浮かべながら、シノンはアキトの隣へと腰を下ろした。その間アキトは脳内で、彼女から告げられた事実をグルグルと巡らせる。瞬間、感じたのは僅かな焦燥。よりにもよって一番知られたくない人に感づかれてしまったとは。

 だが、それも当然だった。彼女には以前にも《ホロウ・エリア》最深部でのホロウキリトとの対戦で一度、同じ現象を見せてしまっている。寧ろそれで気付かない方がどうかしている。

 しかし、それならそれで疑問が残る。

 

 

 「……だったら……だったらなんで、何も聞いてこないんだ……?」

 

 

 あれから数日経つが、彼女がアキトに何かを聞いてくる様子は無い。ボス戦後倒れ、目が覚めた時は安堵したように笑い、攻略に行く際は付いて来てくれた。何気無い会話の中でも無理して笑っている様子は、少なくともアキトからは感じられなかった。ただ、ふと見せる横顔、その憂いた表情だけは目に焼き付いていて。

 行動派のアスナなら、真っ先に聞いてくるのではないだろうか。けれどなのに何も聞いてこない。

 けれどそれが何故なのかは、分かる気がした。

 

 

 「……多分、待ってるのよ。アキトが話してくれるのを」

 

 

 ポツリと、隣でそう告げたシノン。

 

 

 「けど、聞いたところで力になれないかもしれないとも思ってる……だから聞くだけ無駄かもしれないって、そう思って……怖くて、聞けないだけ」

 

 「……」

 

 「っ……誤魔化せるかもだなんて、絶対に思わないで」

 

 「────!」

 

 

 彼女の鋭い瞳、彼女の最後の一言が、胸を貫く。何も言わないアキトを見て、唇を噛み締めるシノンの姿に瞳が揺れた。

 これまで何度も嘘を吐いてきた。ずっと強がってきた。この世界に来る前から、そうしてきた。いつだって自分が我慢すれば、耐えていれば、何事も無く済むのだと思っていた。けれど、もう後には引けないのだと自覚する時が来てしまったのだ。アスナに正直に話しても、話さなくても、傷付けないなんて事は有り得ないのだと理解した。

 傷付けさせないと決めたはずなのに、結局こうなってしまうのか。自分はただ、アスナに笑っていて欲しいだけなのに。

 

 

(……っ、だけど……)

 

 

 言える訳が無い。キリトの声が聞こえないだなんて。心の中にキリトを感じないだなんて。希望を散々持たせた後で、そんな事を告げるだなんて無慈悲な事を、キリトを想うアスナに。

 

 これまで《二刀流》を使用する度に、キリトの記憶が上書きされていくような感覚を覚えていた。そして、それに反してアキトの記憶が朧気になっていく。恐怖はあった。けどそれでもアキトは戦う事を止めたりはしなかった。この世界から脱する為に必要な事だと思っていたから。寧ろ憧れと共に道を切り開いて行く事に、少なからず喜びさえ感じていた気がする。

 

 けれど、今は違う。キリトの心を、声を感じない。

 それにとって代わるように侵食するのは、感じるのは、“何か”の胎動。 憎悪を綯い交ぜにした暴力と、それを振るう事で得る快感から生じる薄気味悪い狂気の笑み。他でもないアキト自身が、それを感じていた。だからこそ不安になるのだ。

 まさかキリトは、その“何か”に押し潰されてしまったのではないか、なんて予感ばかりが頭を過ぎって。

 それを、キリトの仲間である彼らに伝える──?そんな選択が有り得るだろうか。

 そんなのは、無理だ。

 

 

 「……アンタは、いつもそうよね」

 

 

 ユラリと、シノンは立ち上がった。何処か震える声と身体。見上げる形になった彼女の表情は、悲しげで、それでいて苛立ちを帯びていた。その矛先は、他でもないアキト自身で。

 

 

 「いつも言葉が足らなくて、肝心な事は何も言ってくれなくて……初めて会った時のアンタだって“別に”とか“関係無い”の一点張りで……頼ってくれない側の気持ちを全然考えてない」

 

 「そ、そんな、こと……」

 

 「私、前に言ったわよね。いつまでも守られてるつもりは無いって。大切に思っているのは、アキトだけじゃないって。アンタあの時、『ありがとう』って、そう言ったじゃない。なのに、今アキトが言った事って、全部自分の都合でしかないじゃない……!」

 

 

 捲し立てる彼女の言葉の一つにさえ、反論の余地は無い。全てその通りだった。あの時確かに、考え方を改めたはずだったのに、いつの間にか元に戻っていた。また自分一人で守る気になっていた。

 シノンの言葉が伝えんとする事を、アキトは何度も聞かされてきた。何度も諭されてきた。なのに、一度としてそれが活かされた事は無い。

 “頼って”、“信じて”、“守らせて”と、そんな言葉は何度も聞いた。その度に頷いて、なのにその度に裏切って。結局、最後は一人で抱え込んできた。何一つ、自分は変わっていなかったのだ。

 

 

 「どうして色んな事が分かるのに、それが分からないの……?」

 

 

 ────そうやって、精一杯怒りを押し殺そうとしても。滲み出る悲しみと苛立ちがアキトを突いてくる。シノンの言葉の一つ一つが、ただただ心を乱していく。

 浴びた風がより一層冷たく感じる。揺れた前髪から覗くシノンの瞳は、真っ直ぐアキトに向かっていた。睨み付けるように細く、鋭く。

 アキトは、何も言えなかった。変わらず芝の上に座り込んで、動揺を隠せずシノンを見上げるだけ。そんな情けない姿に、シノンは歯軋りしていた。

 しかし、瞬間その顔から強張りが消え去り、何処か諦めたような力の無い溜め息と、薄ら笑いがシノンに張り付いた。

 

 

 「……私、最初は少しだけ嬉しかったのかもしれない。不謹慎だけど」

 

 「……え?」

 

 「アンタとの秘密を共有したみたいでさ。何処か優越感に浸っていたのかもしれない。特別な何かを感じてたのかも」

 

 「……何、言って」

 

 

 つらつらと語るシノンに戸惑いを隠せない。

 話が見えなくて、アキトは口を開ける。彼女は少しばかり坂を下ると、くるりと振り返って自嘲気味に笑った。

 

 

 「……けど、気付いた。馬鹿なのはアンタじゃなくて、私の方だったんだって……骨の髄まで理解した。私だけが特別だなんて、そんなの、目の前の現実から目を逸らす為の言い訳だった」

 

 

 何もかもを悟ったように、シノンは唱える。

 

 

 「だって本当は……分かってたから。何を言ったって、アキトは変わらないんだなって。ずっとそうだったもの」

 

 

 そして、シノンはアキトへと詰め寄った。正面に立ったシノンがアキトの視界を覆い、焦ったのはアキトの方だった。

 空と水平線の境界線から、光が少し顔を出す。眩しい光に目を細めると、眼前に立つシノンの真剣な表情がよく見えた。

 

 

 「だから、もう耐えるのはやめにする。我慢するのは性に合わないし。貴方に期待したって、多分貴方には伝わらないもの」

 

 

 一瞬だけ目を閉じる。そして、ゆっくりと開いた。そこにあったのは何かを決意した者の表情だった。その後ろから太陽が顔を出し、その光がシノンを照らす。

 呆然とするアキトを見つめたシノンは、深呼吸を一つして。

 小さく笑って、その言葉を告げた。

 

 

 

 

 「私、アキトが好き」

 

 

 

 

 突然の事で、頭が真っ白になった。

 予想だにしなかった言葉を耳にして、アキトは目を見開いたまま固まる。思考が追い付かず、何も言えず、ただシノンを見上げるだけしか出来ない。

 そんなアキトにしてやったりの表情だったシノンは、一瞬だけ顔を朱色に染めたが、やがて澄ました笑みに変わり、そのまま変わらず口を開いた。

 

 

 「無茶な私に付き合ってくれる貴方が好き。私を守ってくれる貴方が好き。誰よりも優しい貴方が好き。みんなの為に強がって見せる貴方が好き。一人で強くなる事に固執した私を追い掛けて、目を覚ましてくれた貴方が好き。全部背負って、抱えて生きていくと決めた貴方が好き。……いつだってヒーローみたいなアンタが、大好き」

 

 「シ、ノ……」

 

 

 シノンは一言一言ハッキリと、アキトに言い聞かせるように告げた。自分の気持ちを再確認するように、宝物を大事にするような優しい声で言葉を紡いだ。

 

 

 「傍にいて欲しいと思った。いなくなる事に恐怖した。……けど、何より怖かったのは、消えないで欲しいって思ったのは、きっとこの気持ちだった。それが、漸く分かったの」

 

 「なんで、俺なんか……」

 

 

 そんな、真っ直ぐな気持ちを向けられたアキトはただただ動揺していた。けれどシノンの声や表情はとても落ち着いていて。曲がりなりにも告白をしているはずなのに、女の子らしい照れる仕草なんてものは欠片も無くて。

 なのにその言葉は冗談なんかではなくて、決して嘘偽りは無いのだと、それを理解出来てしまって。

 

 

 「だから決めた。私は、いつまで経っても変わらないアンタの考えよりも、自分の気持ちに正直になろうって」

 

 「……何を」

 

 「私はアキトの望みなんて聞いてやらない。だって、アキトが仲間を大切に思うように、私も仲間が大切だもの。アンタには分からないだろうけど、それは……それだけは、誰かに頼らずに自分で守らなきゃいけないもの」

 

 

 シノンはただ、自分もアキトと同じ事をするだけだと、そう言っていた。誰にも頼らず、守らせるのではなく、守る側になるのだと。

 勝手なのはアキトの方だと、遠巻きにそう言い放ったのだ。何も言い返せる事などなくて。けれど驚きは持続したまま変わらなくて。平然と、淡々と、それでいて何処か晴れやかなシノンの表情には、もう迷いも躊躇も無かった。

 

 

 「もう傍観だってしない。アキトの身体にこれ以上異変が起こるようなら、私はみんなに相談する。これが今の私がする最大の、最後の譲歩」

 

 「なっ……!」

 

 

 それを聞いて漸く我に返ったアキトは、思わず立ち上がる。アキトを見上げる形になったシノンの表情は未だ変わらず、やがて目を伏せるとアキトの横を通り過ぎ、そのまま帰路に立った。日の出の景色を見る事も無く背を向けて、芝の丘を上り出す。

 

 

 「ま、待てよ、シノン!」

 

 

 焦ったように口から出た、咄嗟の呼び掛け。思わず荒れた口調と強気な声音。届かないと知っていながら手を伸ばし、されど足は固まって動かない。そして、その後にかけるべき言葉も思い付かない。

 この期に及んでまだ、シノンに『言わないでくれ』と頼むのは間違いのような気がした。彼女は自分の気持ちをこうして全て語ってまで決意を固めたのだから。

 何よりシノンは、こんなアキトだからこそ苛立ち、嘆き、決意したのだ。翻せるば彼女がこうなったのは、全てアキトの所為だった。だからこそ、申し訳無くて何も言葉が出て来ない。

 ────シノンが、どんな思いで告白してきたのか、それすらも聞いてしまったから。

 

 

(……どうして……)

 

 

 やがて路地へと姿を消したシノン。伸ばしたその手はダラリと下がり、項垂れるように俯いた。どうしてこうなってしまったのか、それを必死に考えて、それでもやはり答えは見つからなくて。

 シノンに、あんな事を言わせてしまった自分がとても憎かった。辛かったし、最低だとも思った。けれど何よりも辛いのはシノンだ。だからこそ、心底自分に嫌気がさした。

 何故シノンは、自分なんかを好きになったのだろう。

 分からない。そして、そんな思考の中で理解した。そんな彼女の気持ちに気付かずにいたのが、自分の都合ばかりを考えていたという証拠に他ならなかったのだと。シノンの言葉は、全て正しかった。

 

 何処で間違えたのだろうか。

 

 ただ、心配させたくなかっただけだった。

 不安にさせたくなかっただけだった。笑っていて欲しかっただけだった。何も怖がる事無く、この世界から脱出して欲しかった。

 ただ、みんなの為に。

 

 

 

 

 ────“みんなの為?自分の為だろう?”

 

 

 

 

 「っ!ぐぁっ……!」

 

 

 突如、そんな声が脳裏に響いた。同時に頭の痛みに襲われて、思わず目を瞑り、両の手で頭を押さえ付ける。あの日から全く聞こえなかったはずの声が、ねっとりと囁いてきた。

 膝を付き、蹲る。ズキズキと間断無く刺激し、脳が沸騰するかのように熱い。目まぐるしく細胞が流れ、瞳の色が血のような色へと変わる。

 嘘を吐くなと、誤魔化すなと、強がるなと。そう告げてくる。全てを見透かしたように言い放ってくる。

 

 

 ────“ホント、可哀想だよ。()()()()()()()()()ってのは”

 

 

 その一言が言えるなら、もっと違っていたのにと、そう呟く。

 黙れと、そう訴えた。必死になって握り潰すかのように強く押さえていた頭から、自然と痛みが引いていく。瞬間、溜め込んでいた息を一気に吐き出して、過呼吸気味になる。

 

 

 「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ……うっ、く……」

 

 

 心臓の音が五月蝿い。頭にまで響く程に。胸を掴んで、抑え込もうとして目を瞑る。目蓋の裏に映るのは、これまでの記憶だった。

 この世界に来てから今日までの日々。怯えて、戦って、笑って。そんな変わり映えのしない毎日の中で、大切な何かを求めていた。その為に立ち上がって、ここまで来た。数多の衝突があり、今の自分がいる。そして、仲間達がいる。

 キリトがいなくなってから、彼らは変わった。最初は悪い方へ。けれど、各々が立ち上がり、今はただゲームクリアを目標に過ごしているのだ。これ以上、懸念する問題を増やしたくないと願うのは、我儘なのか。

 問い掛けても、キリトは返事をしてくれない。

 

 

 

 

(……頼む……もってくれ……)

 

 

 

 

 一番変わってないのは、他ならぬ自分だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── Link 80% ──

 









想像していたような言葉も、雰囲気も出なくて。
どう伝えようかと考えていた台詞も、全て無駄になってしまった。



シノン 「……」

シノン 「……こんな形で、伝えるつもりなんて無かったのにな……」

シノン 「……っ、ホント、馬鹿……」




────シノンは、瞳から零れる涙を拭った。




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Ep.112 ストレアの行方







何でもないって言うのは、本当は凄く難しい。





 

 

 

 

 

 

 最前線、96層の街のとある片隅で、狭い路地裏で互いに背を壁に寄り掛かって向かい合う。建物の陰に埋もれる二人は、道行く人達に気付かれる事は無い。

 右手の人差し指と中指を突き立てて、何も無い空間を切る。上下に並んだアイコンをタップし、とあるウインドウを開いた。アイテムストレージを出すと、そこから金銭のやり取りをし、代わりに欲しいものを受け取る。箇条書きされたそれらの情報を上から眺めるが、それが下に行き着くのは割と早かった。

 

 

 「……ありがとう、アルゴ」

 

 「……元々の目撃情報が少なかったから、あんまり有益なのは無いかもしれないけどナ」

 

 「充分だよ」

 

 

 アキトの感謝の言葉を、アルゴは複雑そうな表情で受け取った。不貞腐れたようにムスッとしながら目を逸らし、腕を組んで俯く。アキトは困ったように笑った後、再びそのウインドウに書かれたものを読み始める。が、やはり求めていた情報量はかなり少なかった。アルゴにしては交渉金額が少なかったが、それも納得してしまう。

 

 

 「……やっぱり、見掛けてる人は少ないのかな」

 

 「ま、ただでさえ少ない女性プレイヤーで、攻略組だからナ。それにあれだけの美少女なんダ、見てたら覚えてるだロ」

 

 「だよなぁ……」

 

 

 正論過ぎて項垂れる。アルゴの仕事を疑ってるなんて事は無く、しかし余りにも目撃情報が少ない。自分で探そうと迷宮区に趣いても見付ける事は出来なかった。

 

 

 「それにしても、黒の剣士様が特定の女性の情報を求めるなんてナー」

 

 「茶化さないでよ、ストレアはそんなんじゃないから」

 

 

 そう、アキトが求めた情報、それはストレアの行方だった。

 アキト達が懸念していた95層のボス討伐戦で起きた二つの事象。一つがアキトの異変。

 そしてもう一つがストレアだった。あのボス戦で突如頭を抑えて苦しんでいた彼女。そしてボス討伐後、意味深な事を告げて消えてしまって以降、アキトはストレアを見ていなかった。このところ眠れず深夜に攻略に趣いたのも、自分に起きた異変の検証はついでで実際のところは彼女の捜索の意味が大きかった。

 あれからもう一週間経っているが、一向に彼女に辿り着かない。こうして頼ったアルゴでさえも、情報収集には難航していた。

 

 

 「というか、オレっちよりもシューちゃんの方が知ってるんじゃないのカ?あの中で最初に出会ったのはシューちゃんなんだロ?」

 

 「っ……そ、れは」

 

 「なんダ、心当たりも無いのカ?」

 

 

 アルゴの一言が、妙に突き刺さる。言葉が喉に詰まって中々出て来ない。そんな中で脳裏を過ぎるのは、初めて出会った時から最後に見たあの日までのストレアとの記憶だった。

 常に笑顔で、天真爛漫で自由奔放。嵐のような破天荒さに加え、人懐っこい性格が周りの人々を笑顔にさせていた。プレイヤーとしての腕も相当で、これまで攻略で何度も助けられてきた。

 そんな彼女の事を、アキトは何か知っていただろうか。そう疑問を抱いてすぐ、否と心で決めつけた。

 

 

 「……無いよ。何にも」

 

 「全く?」

 

 「皆無だよ。そういうの、聞いた事無かったから」

 

 「……」

 

 

 情けなくなって投げやりになる回答に対し、アルゴは黙ってこちらを見つめるだけ。その視線に当てられて、堪らず溜め息を吐いた。

 

 

 「……何にも知らなかった。気になる事もあったし、聞きたい事もあったのに、知ろうしてなかったんだ。何が好きで、何が楽しかったのか……何を思ってこの世界に来て、何を願っていたのかも……何一つ聞いてなかったんだなって、改めて思ったよ」

 

 

 ストレアは、初めて会った時から無名であるアキトの事を知っていた。最初こそ不思議に思ったが、そこから親しくなるのにさほど時間は掛からなかった為に気にならなかった。というのも、彼女は何処か人を惹きつける力があって、みんなそれを感じ取ったからだと今では思う。

 だがそれとは別に彼女の親しみやすさの中にあったのは、そもそもストレアがこちらを知っていたという前提の中で生まれた気安い距離感があったからともいえる。そう考えると、ならば逆に何故ストレアはこちらを知っていたのかという疑問が浮上する。それが不可解な点だったはずなのに、それを聞こうとしなかった。

 元々、積極的な彼女に対してこちらは基本的に受け身だった為、思えば彼女にこちらから突っ込んだ質問をする機会など無かった。いつかまたの機会に、と先延ばし続けた所為で今躓いてしまっている。彼女が何処に行きそうかだなんて心当たりすら、無知過ぎた故に知る由もない。まったくもって目も当てられない結果だった。

 

 

 「ついこの前も言われたっけ。きっと俺は、根本的な部分では何も変わってないんだろうなぁ」

 

 

 彼女を知る機会など、今まで何度もあったのに。過去の経験から、“いつか”なんて、来ないかもしれない事を誰よりも知っていたのに。後悔は先に立たないとは、本当に良く言ったものだ。あんな悲惨な過去があったのに、ちっとも活かされてないじゃないかと自責の念に駆られるが、それでストレアが現れる訳もなく。

 始終聞いていたアルゴは、遠くを眺めるように少しばかり目を細めた。

 

 

 「……ま、人間ってのはそう易々と変わったりしないサ。表面上そう見えていても、腹の中じゃ黒い事を考えていたりして、そんでもってそういったところこそ変えるのが難しイ」

 

 

 ────だってそれは、人間には誰しもある“欲”の感情だからだ。

 アルゴのその先の言葉も、言わんとする事も手に取るように分かってしまうのは、この胸に潜む“何か”から感じるものが数多の人間の悪意と“欲”だからだろうか。

 そうでなくとも、それは誰もが願い、求める為の感情だ。それを否定するのは人間性の否定だ。何かを求めるその気持ちを、捻じ曲げる事など誰にも出来はしないのだ。ならば、変わる事なんて最初から無理ではないだろうか。

 

 

 「……でもサー、何だかんだ言って結局諦めないんだロ?」

 

 「え……」

 

 

 小さく拳を握り締めていると、何処か楽しそうに告げるアルゴの声に目を見開いた。思わず顔を上げると、そこには予想通りの表情でこちらを見つめる彼女の姿。

 それは、ストレアの捜索を止めたりしないだろう?という意思確認だとすぐに理解した。そんな問いに対する答えなど決まっているアキトは、ほぼ無意識に首を縦に振った。アルゴはニヤリと弧を描く。

 

 

 「だったらウジウジしても仕方ないだロ。どーせやる事は変わらないんだからサ、あんまり肩肘張るなよナ」

 

 「……うん」

 

 

 ストレアとよくわからない状況のまま連絡が取れなくなってしまった現状のまま一週間程経っている現状の中、アキトは何処か焦っていたのかもしれない。仲間を失ってしまう恐怖を今一度思い出して、いてもたってもいられなくなってしまって。アルゴの告げた言葉は全て、正しいもののように聞こえた。まだ何もやれていないのに、こんな風に自分を責めるのは間違いだった。

 アキトは小さく笑って、アルゴに礼を告げた。

 

 

 「……そうだよね。こんな風に落ちぶれるのは、色々やり切った後にするべきだよね」

 

 「オレっちもやれるだけやってみるヨ。このままじゃ情報屋の名が廃るからナ」

 

 「……ホントにありがとね、アルゴ」

 

 「ま、辛くなったらいつでもオネーサンの胸で泣いて良いヨ」

 

 「良いよ別に、それは好きな人の為に取っておきなって」

 

 

 相変わらず飄々としている彼女は、この世界の情報だけでなく、色々な事を教えてくれる。それも無償で。βテスト時のデータを集めてプレイヤーに配布した彼女の優しさを改めて目の当たりにして、ほんの少しばかり感動を覚えてしまう。寧ろ金銭という現実的なやり取りをしている分、信頼に長けたプレイヤーだと確信して言える。

 両手を広げて冗談を言うアルゴに、ただの忠告染みた巫山戯た投げ掛け。するとアルゴはフードに瞳を隠し、小さな声で何かを呟いていた。

 

 

 「……確かに、根本的な部分は変わってなくて安心したヨ」

 

 「……?何か言った?」

 

 「いーや、何にモー?」

 

 「なんだよ、気になるじゃんか」

 

 「その情報は3万コルだナー」

 

 「うっわ酷いデジャヴ」

 

 

 互いに顔を見合わせてクスクスと笑う。特に理由があるわけではなかったが、何処か懐かしく、それが何故か可笑しくて。最近張り詰めていた日常の中で、こうして純粋に笑みを浮かべられたのは久しいような気がした。

 けれどそれは自分だけではないと、アキトは脳裏に映った仲間達に想いを馳せる。あれから一週間、ストレアの不在は段々と彼らの心に不安を募らせている。あの場のストレアの様子を察知出来ていなくとも、一週間も顔を見せてくれなければ心配もするだろう。気の所為だろうと切り捨てる程の違和感ではあるが、心做しか彼らの笑顔が少なくなってきているように思える。

 きっと、誰もが本当は笑いたいと願っているはずだ。積み重なる問題や、言わずと知れた世界への不信感、そしてストレアの不在やアキトの変異。そんな蟠りを全て取り除いて笑っていたいともがいているはずだ。

 もしかしたら、アスナやシノンも────

 

 

 「……ン?」

 

 

 しかし、思考はそこで中断する。目の前のアルゴが笑いを抑え、視線をアキトから路地から出た広場へと向けたからだ。先程とは違う雰囲気に思わず息を呑み、アルゴの名を呼ぼうと口を開く。だが、すぐ近くで聞こえるプレイヤー達の声が耳に入り込み、意識はそちらへと逸れた。

 

 

 「おい、聞いたかよ。さっき広場ですれ違ったあのパーティーのリーダー、いなくなっちまったんだってさ」

 

 「ええ、マジかよ?それって例の“神隠し”?」

 

 「ああ。最近多いよな。この前もあったらしいし」

 

 「今度はお前かもな」

 

 「やめろって」

 

 

 視線の先にいたのは、互いに冗談を言い合いながら並んで歩く二人の男性プレイヤーだった。縁起でもない事を交えて会話する彼らだが、気になったのは会話の内容だった。

 

 

 「……“神隠し”?」

 

 「なんダ、知らないのカ?結構噂になってるのに」

 

 「……や、知ってるよ。千と千尋でしょ?」

 

 「……随分昔のアニメを知ってるんだナ。言っておくけど全然違うゾ」

 

 

 知りませんと正直に伝え、その話を聞こうとアルゴから情報を買う。が、彼女ほあくまで噂だからと珍しくコルの要求を拒否し、腕を組んで語り出した。

 

 

 「簡単に説明するとだナ……このところ、プレイヤーの行方が分からなくなる事件が頻発してるんダ」

 

 「っ……それ、一大事なんじゃ……!?」

 

 

 “神隠し”という単語からある程度不吉な話ではあるだろうと予想していたが、アキトの知らぬところで、更にそれが頻発しているとなると驚かずにはいられない。

 プレイヤーの消失だなんて大事件過ぎる。75層のシステムエラー発生から幾つものバグが検出されているが、今回のは流石に規模が大き過ぎる。故に何かの間違いだと考えてしまうのは逃避なのかもしれないが、それを既に考えていたであろうアルゴが、アキトの疑問を読み取り、それに対しての解を提示した。

 

 

 「誰も見てないところでHPがゼロになった……その可能性を考えた奴が、《はじまりの街》にいる仲間に連絡を取って《生命の碑》を確認してもらったらしいけド……」

 

 「……けど?」

 

 「消えたプレイヤーの名前は横線で引かれてはいなかったらしいんだヨ」

 

 

 つまり、死んだ訳ではないという事だ。

 だから“行方不明”と称され噂されているのだという。しかし、プレイヤーが消えるだなんてゲームの進行が不可能になってしまう程の一大事だ。今までシステムのエラーによってそんな現象が起きたという話は聞いた事が無いし、今になって新しいバグが見つかったとも考えにくい。

 一瞬、《ホロウ・エリア》へ転送された可能性も考えたが、アキトが突然転移したのは《高位テストプレイヤー権限》を与えられたからだし、フィリアは確かにエラーによって転送されたがそんな事例はあの一度きり。他のプレイヤーがそう頻繁に転送されるようなエリアではない。だが、一応フェアを重んじるあの茅場晶彦がルール違反を犯すとも思えない。

 それに横線が引かれていないという事は、この《アインクラッド》の何処かでまだ生きているという事だ。しかし何処かに行方を眩ませてしまった。

 

 

 「ソロで活動しているから見かけない……っていうのは違うか。さっきの男の人、『パーティーのリーダー』がいなくなったって言ってたし」

 

 「それに、こんな上層階でフィールドに出たきり帰って来ないなんて有り得ないだロ。それこそ本当に死んで……っ」

 

 

 アルゴは、そこで言葉を詰まらせた。そしてアキトも、彼女の話を聞いているうちに一つの可能性を導き出して目を見開く。途端、顔を上げたアキトは、彼女に食い気味で言い放った。

 

 

 「アルゴ、ストレアの目撃情報の収集と並行して、その“神隠し”の話を調べてもらっても良いかな」

 

 「……ストレアが“神隠し”にあった可能性を考えてるのカ?」

 

 「……分からない。ストレアはあのボス戦の後にいなくなったから……」

 

 

 アキトの考えている事を、的確に言葉にするアルゴ。何も言わずに頷いて、それから暫く思考を巡らせた。

 正直、ストレアがその“神隠し”の事件に直接関係している可能性は低いのかもしれない。彼女の様子がおかしくなったのはあのボス戦の時であり、そこから彼女の行方が分からなくなったからだ。

 けれどあれから一週間、彼女がいなくなってしまってからというもの、アスナ達の空気も心做しか沈んでしまっている。少しでも可能性があるのなら、徹底的に洗い出したい。

 それに、ただでさえシステムエラーや《ホロウ・エリア》、ストレアや自分自身の異変などの問題を抱えてきていたのだ。これ以上何か火種になるようなものが残っているのはアキトとしてはたまったものじゃない。

 

 

 「……分かったヨ。オレっちも調べようと思ってたところだし、引き受けるサ」

 

 「俺も、出来る限りの事をやってみるよ」

 

 「いなくなった連中の居場所に心当たりがあるのカ?」

 

 「無いけど、一応《ホロウ・エリア》の全エリアを回ってみるよ」

 

 

 《ホロウ・エリア》の全エリアを回るというだけでかなりの距離と時間がかかるのだが、気にもとめず路地裏を出る。アルゴに一声掛けると、転移門へと走り出した。

 いてもたってもいられない。ゴールはもうすぐ目の前なのだと、何処か焦りを含んだ心と共にアキトは足を動かした。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────かれこれ、十分近くはそうしていただろうか。

 

 

 「……」

 

 

 時刻はあれから既に八時間近く経っており、現在夕飯時。拠点とする《アークソフィア》は“神隠し”の現状など知る由もなく賑わいを見せており、夜ながらの街灯や出店の明るさでかなり見栄えのいい街並みと化していた。

 そんな中を目立つ事無くサクサク進んでいくアキトだが、ふと視界にある扉を目にしてその足を止めた。そこは、普段宿として使用しているエギルの店の入口だった。

 

 

 「……参ったなぁ」

 

 

 色々な理由からなんとなくエギルの店に帰りにくい気分だったのだが、彼らをストレアのように心配させる訳にも行かず、《ホロウ・エリア》探索を一時中断して取り敢えず《アークソフィア》に戻って来たアキト。だが帰ったは良いものの、結局入口より先に足を進められないでいた。

 というのも、つい先日仲間であるシノンから想いの丈を伝えられたというのと、自分の異変にアスナが気付いているかもしれないという二つの事実が胸の中から消えてくれず、どうにも顔を合わせにくい気分なのだ。この先に進めば、否が応でも話さなければいけない。今まで散々心の準備をする機会があったはずなのに、ここへ来て怖気付き始めていた。

 店の中ではいつものような笑い声が聞こえる。その中には知った声が含まれているような気さえする。間違い無く、この扉の先に彼らがいると確信した。いつもなら嬉々として床を踏み締めるというのに、今日ばかりは身体が動かない。

 

 

 「……ふう」

 

 

 深く深呼吸して、再び前を向く。

 そうだ、何を焦る必要がある。心を鬼にしても隠し通すと決めたじゃないか。シノンだってこれ以上酷くならない限りは公言しないんだ。ならこちらがボロを出す訳にはいかない。アスナともシノンとも気不味い空気を出してはダメだ。周りに悟られる。こんなんじゃ先が思いやられるぞ。

 さあ動け、動け、うご────

 

 

 「アキト君?」

 

 「何してるのよ、アンタ」

 

 「っ……」

 

 「……何、その反応」

 

 

 突如、すぐ後ろから声を掛けられ、アキトはビクリと身体を震わせ、ピンと直立した。僅かだが未だ身体を上下させながら恐る恐る振り返ると、そこには現在顔を合わせにくいトップ2の二人──アスナとシノンが立っていた。

 彼女達は変な声を上げたアキトをまじまじと見つめており、アキトはアキトで震える口調で問い掛けた。

 

 

 「……アスナ、シノン……ど、どうして……」

 

 「どうしてって……シノのんと二人でレベリングしてたのよ」

 

 「迷宮区の広さから考えても、ボス部屋近くまではマッピング出来たんじゃないかしら」

 

 「へ、へぇ……そうなんだ……」

 

 

 見るとアスナの腰には細剣が、シノンの背には大きな弓が背負われており、そしてレベリングが終わったならここに帰って来るのも当然だった。自分が大分慌てている事に他ならぬ自分が驚き、二人とは目も合わせられずにしどろもどろ。

 しかし二人はそんなアキトに不振がる素振りも無く、早く入ろうと促すだけで、そのまま光芒とした店の中へと入っていった。アキトはぼうっと二人の姿を目で追うばかりで、何も言えず立ち尽くした。

 

 

(……あれ、なんか……思ったより普通……?)

 

 

 昨日の今日だ、シノンとは気不味い空気になるかと思っていたのだが、彼女は昨日の事など忘れたと言わんばかりの毅然とした態度で、アスナはアスナで普段通りの立ち振る舞いに思えた。意識してるのは自分ばかりのような、完全なる独り相撲。

 互いに気不味くなるよりは全然良いのだが、何故か釈然としない。てっきり、話し合いをしなければならない空気になるのかと……。

 

 

 「アキトさん?」

 

 「っ……ゆ、ユイちゃん……」

 

 

 ふと下の方から声がして、視線を落とすと、扉の前にはユイが立っていた。こちらを見上げてキョトンとしており、アキトは思わず後退した。

 

 

 「た、ただいま」

 

 「はい、おかえりなさい!……えっと、入らないんですか?」

 

 「へ?あ、あ、うん。入る。入るよ……」

 

 

 今の自分は、酷く挙動不審に見えるのではなかろうか。何処か鋭いユイにはアキトの異変に少なからず気付いてしまいそうで、その視線から逃げるように店の中に入るも、そこにもアスナとシノンがいる為にどうしようもなく逃げ場のない感情だけが残る。

 しかし視線の先にあるのは、ストレアがいない事を除けばいつもとあまり大差無いように光景で、割と肩透かしを食らった気分になった。

 シリカやリズベット、リーファにフィリア、エギルにクライン。出迎える面々は皆笑みを浮かべており、そこにはアキトの懸念する雰囲気など見受けられない。

 たった今帰って来たアスナは、既に装備を崩して料理を作る体勢になっていて、アキトを見ても、早く来なよ、と笑いかけるだけ。けどそこに僅かだが別の感情が見え隠れしているのを見逃さなかった。

 

 

 

 

 ──── “多分、待ってるのよ。アキトが話してくれるのを”

 

 

 

 

(っ……本当に、俺が話すのを待つつもりなのか……)

 

 

 先日シノンに言われた事を思い出して、先程までの焦燥感が一気に消え失せる。アスナの様子やシノンの告白に焦っていたのは自分だけだったのだと理解した。そして、彼女達の気持ちが恐らく真実なのであろう事も。

 以前と何ら変わりのない態度を見せるアスナとシノン。そして、そうさせてしまっているのが他でもない自分自身だと理解しているのに、だからといって決めた選択を変えられない不器用な生き方に辟易する。自分勝手だと分かっていても、彼らの態度に甘える事しか出来ないだなんて、本当に不甲斐なかった。

 けれど、彼らが心配する自分の異変よりも、今はストレアが大事だと、痛む心にそう言い聞かせて逃げるように思考を逸らした。

 気が付けばアスナが作った料理が円テーブルに並べられていて、ふと隣りを見ればアスナが座っており、何故か途端に視線を逃がす。そうして、眼前の肉料理に手を伸ばした。

 

 

 ────ああ、なんと居心地が悪い。

 

 

 まるで、黒猫団を避けていた時の気分だ。隠し事を詳らかに話す事無く黙ったまま空気に溶け込もうとしているのは、あの日と同じ過ちじゃないかと俯く。

 彼らの親切を、優しさを、向けてくれるその笑顔を蔑ろにして、なあなあにして。そんな自分がとても嫌い。 気付いているのに気付かないフリをして。気付いていなくとも、心配してくれている人がいて。

 恵まれているはずなのに、こんなにも虚しくなって。

 偶に、逃げ出したくなる時があるのだ。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「アキト君、ちょっと聞きたい事があるんだけど……」

 

 

 食後、みんなで円テーブルを囲う中、アスナがそう告げた。切り出されたアキトは、特に躊躇う事無くアスナへ視線を向ける。もしかして、と思ったが、恐らく問おうとしている内容は想像と違うだろうという確信があった。

 

 

 「最近、ストレアさんと会ってる?ここのところ見掛けなくなっちゃって……」

 

 

 けれど、確かに想像と違う質問ではあったが、それは寧ろアキトがアスナ達に聞きたい事だった。途端にアルゴと情報交換をした午前中のあの気分を思い出して、その表情に影が差す。

 

 

 「……俺もここ最近見てないんだ……行きそうなところに心当たりすらなくて……」

 

 「そうなんだ……」

 

 

 ストレアと一番近いのは、恐らくこの中ではアキトだ。アスナもそれを理解してそれを聞いてきたのだろうが、残念な事に彼女に答えられるような事は何一つ無かった。

 無意識に辺りを見渡す。どうやら、ここ最近ストレアに会った者は一人としていないようだった。

 

 

 「居たら居たで騒がしい人だけど、急に居なくなると、ちょっとね……無事でいるなら良いんだけど……」

 

 

 リズベットも普段の快活な表情はなりを潜め、ストレアがいた日常に想いを馳せる。突如現れた嵐のような少女に、気が付けばみんな惹かれていた。どんなに暗い空気の中でも元気に笑うストレアに、何度救われたか知れない。

 95層で様子が急変したストレアに、誰もが困惑しただろう。あの時引き止めておけばと後悔しても、彼女は一向に姿を現してくれなくて。

 

 

 「ストレアは強いから、最悪の事態は考えにくいけど、この前のボス戦でも頭痛が酷かったみたいだし……それに……」

 

 

 そこまで言って、アキトは口を噤む。

 懸念すべき事はまだあった。彼女が偶に見せる儚げな表情に意味深な言葉の数々。以前、そんな顔をしていたストレアをお気に入りの丘に連れて行った時に彼女が告げた言葉の数々を、明確に思い出していく。

 

 

 「『それに……』って、何か含みがあるみたいだけど、やっぱり何か心当たりがあるの?」

 

 「いや、居場所に心当たりが無いのは本当だよ。ただ、ストレアが前に気になる事を言っていた事を思い出して……」

 

 「あの、気になる事って?」

 

 

 シリカに尋ねられ、ふと天井を見上げた。

 気になる事というか、今思えば、という感じだ。その時は何故そんな事を聞くのだろうという疑問があった為、よく覚えてる。

 あの日、何処か寂しそうで、辛そうで、見るだけで痛々しく思えたストレアが告げた、アキトへの問い。

 

 

 「……この世界に、ずっと居たいとは思わないのかって……」

 

 

 それを聞いた一同は、途端に目を見開いた。その一言は、それだけの重みがあったからだ。曲解かもしれないが、その言葉だけを見ると自然とその解を想像してしまう。

 誰もが考えてしまったであろうその疑問を、フィリアが震える声で呟いた。

 

 

 「え……そ、それって、ストレアはこの世界にずっと居たいって思ってるって事……?」

 

 「分からない。考え過ぎかもしれないとも思うけど……でも、ゲームをクリアすると、会えなくなるとも言ってた……」

 

 「それって、現実に戻ると会えないって事かしら……」

 

 

 言葉通り受け取れば、シノンが言うような解釈になるだろう。何かの病気なのか、それともはたまた別の理由があるのか。ストレアは結局教えてくれなかった。

 そして、95層のボス戦後に様子が変わったストレアが呟いた一言。気を失う直前ではあったけれど、声までしっかり覚えていた。

 

 

『この世界を守らなければならない』

 

 

 それが一体どういう意味なのか分からず、聞きたくとも本人は姿をくらました。“神隠し”の件もあり、押し寄せるのは不安ばかり。それを聞いていたのはアキトだけではないので、みんなそれを思い出して疑問符を浮かべていたが、誰も真相に辿り着けない。

 

 

 「一人になりたいとか、単純に忙しいとかかな……う〜ん、モヤモヤするよー!」

 

 

 頭を抱えて項垂れたリーファからは思考による疲労で溜め息が出る。隣りで、ユイがほんの少しだけ考える仕草をした後、アキトをチラリと見てから渋い顔をするリーファに言った。

 

 

 「私は、その内何事も無かったみたいに帰って来ると思います。ソロのプレイヤーの人は迷宮の中でも何日も過ごすとか、あるみたいですし」

 

 「な、成程、経験値稼ぎの可能性もあるのかぁ」

 

 「それは、まあ……」

 

 「確かに、有り得ない話じゃないわね」

 

 「な、何だよ……何でこっち見るのさ……」

 

 

 ユイの説に対しての彼らの視線が痛い。何故と問わずともソロプレイヤー筆頭であるアキトが目の前にいれば説得力が違うだろう。確かに別れが別れだけに不安は募る一方だが、ただレベリングをする為に迷宮区に篭っている可能性も無くは無い。

 寧ろ何かあるよりは、いっそそんな簡単な事実であって欲しい。そんな願望ばかりが口から零れた。いや、もしかしたらそれが本当なのかもしれない。だから、みんな笑い合える未来を思い描くのだ。

 

 

 「まあ、ひょこっと戻って来るって方があの人らしい感じはするわね」

 

 「ストレアさんが帰って来た時の事を考えておいた方が良いかもですね」

 

 「またみんなでお料理作ったり、お話をしましょう!」

 

 

 アスナとシリカの会話に、ユイがそう提案する。するとリズベットが前回ストレアがかなり楽しそうにしていたパーティーを思い出し、その時の思い出話が広がっていく。

 アスナがストレアとキスした話になった途端、今までのように高らかな笑い声が響き、それを見たアキトは、今みたいに盛り上がっていたかつてのこの空間を思い出した。終始それを楽しげに眺めるだけだったエギルやクラインも声を上げて笑い、それを見たアキトも、小さく口元を緩めた。

 

 

 ここにいる人達は、ストレアの為に悩んで、苦しくて。それをストレアに教えたい。

 彼女は何かに悩んでいたけれど、頼れる仲間がこんなにいるんだと伝えたい。

 

 

 

 

 もし、またストレアと出会えたら。

 

 

 

 その時は、いつもみたいに笑ってくれるだろうか。

 

 

 

 










①交渉


アキト 「色々頼んじゃって大変かもしれないけど、お願い出来るかな……?俺も出来る事はやるし、コルも弾むから」

アルゴ 「どうしよっかナー?オレっちもやる事あるしナ〜?」

アキト 「ぐっ……そ、そこをなんとか……!目撃情報が少ないから、アルゴだけが頼りなんだ……!」

アルゴ 「ンー……まあ、シューちゃんがオネーサンとデートしてくれるって言うなら────」

アキト 「しますします!何でも言う事聞きます!」

アルゴ 「っ……ま、マジ!?」(☆∀☆)キラーン

アキト 「……はっ!?や、待って、今のナシ!」

アルゴ 「今の録音したからナ♪」

アキト 「ぬ、抜け目ねぇ……」









②食事中の気不味さ


アキト (アスナもシノンも、何も無かった風に装うんだな……甘えてばっかで、ホント情けない)

シノン (……少しは、その……動揺とか、してくれてたりするのかな……)

アキト(なら、いつも通り振る舞うのが、きっと正しいんだろうなぁ……よし)

シノン 「あ、あのさ、アキト……その、昨日の事なんだけど……」ゴニョゴニョ

アキト 「あ、シノン。何か食べたい物ある?俺の近くにあるやつなら俺が取るよ?」

シノン 「……」ピクッ

アキト 「こっちのサラダも肉料理も美味しいよ。ソースはそっちのわさびマヨ風がオススメで……っ!?な、何その顔……?」

シノン 「……べっつにぃ……?」

シノン (全然普通じゃない……何なのよ……)

アキト (は、え、何……何かダメだった……!?)







③ ①で録った記録結晶


アルゴ 「……」

アルゴ 「……」カチッ

『アルゴだけが頼りなんだ……!』

アルゴ 「……」カチッ

『アルゴだけが頼りなんだ……!』

アルゴ 「……」


アルゴ 「……♪」///



























次回 『96層討伐戦線』






















ずっと、一緒にいられると思ってた。








「アタシから言う事は一つだけ」








傍にいられると思ってた。だから。








「アタシと戦って、アキト」








────苦しくて、涙が止まらなかった。






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Ep.113 96層討伐戦線








傷付けるほど想ってる。狂おしいほど望んでる。




 

 

 

 気象設定は曇り。

 これから雨になりそうな灰色の空だった。何か思う訳でもなくてぼうっと見上げれば、まだ吐く息は白く、ほんの少しの肌寒さを感じて。待っていれば、雪が降るんじゃないかと思えてくるような気温だった。

 

 何処か張り詰めた空気が居心地の悪さを助長して、アキトは思わず身を縮こませる。昨日の96層フロアボスの討伐に向けた攻略会議からずっとこの空気を引っ張っているような気がする。既に広場に来ているプレイヤーはそれぞれ徒党を組んで固まっており、早く来過ぎたアキトはたった一人で近くの建物に寄りかかっていた。それだけで周りがこちらに視線を寄越す。チラチラと視線が向けられるのはいつもの事ではあるが、やはり慣れない。目を逸らしてもその先のプレイヤーと目が合ってしまう。つまり、揃いも揃ってこちらを見ているという事になる。というのも、こんな曇り空でも見送りに来てくれるギャラリーはやはり多いのだが、彼らの目的は攻略組──その中でもNo.1の実力を誇る《黒の剣士》アキトなのだ。

 

 本人は知らないが、全身黒というおかしな格好を除けば、見ず知らずの人をも助ける行動力や人となり、何より端正な顔立ちで色々と優良物件なのだ。この世界で数少ない女性プレイヤーからそれはそれは人気を誇り、男性からは嫉妬の雨あられ。しかし、アキトの人を助ける姿を目の当たりにしている者は結構多く、その人間性が憎むに憎めないというのが現状で、噂が噂を呼び、顔を見に来るプレイヤーが増えているのだが……。

 

 

(何が楽しいんだ、俺なんか見て……)

 

 

 そうとは知らないアキトはこの集まる視線に居心地の悪さしか感じない為に表情がどんどん曇り始めていた。

 何故こんなに自分を見つめてくるんだと言いたくなる。ここは最前線の96層の街《ウィルトス》だぞ。こっちよりも街の風景を見た方が余程建設的じゃないか、と言葉にしなければ意味をなさない事をつらつらと脳内で語る。当たり前だが現状は変わらず、かといって集合場所であるこの広場から離れるのもおかしいので、誰か知り合いが来てくれるのをひたすら待つしかない。

 

 しかし来て欲しいとは思いつつも、一番最初にアスナかシノンのどちらかが、しかも単体(一人)で来るケースだけは割と本気でやめて欲しい。確実に二人きりになるし、そうなると互いに何も無いように振舞っていたはずの空気が崩壊して突き詰めた話し合いに発展する可能性があるからだ。彼女達に甘えてる分際で何を、と溜め息を吐きながら、寄りかかった壁に頭をぶつけた。

 

 ……まあ、自分じゃなくて街を見ろと先程まで唸ってはいたのだが、この街に見所があるかと聞かれれば首を傾げてしまう。階層が上がるにつれてフィールドは狭まっているが、それは街も同じだ。96層の街《ウィルトス》も他の層と何ら変わらない西洋風の石造りの街並みで、それが他の層よりも狭いとくれば愈々フォローのしようがない。

 スポットがあるとすれば、中央広場の少し先に位置する倒壊した転移門だろうか。周りを囲っている円台を支える柱が何故か砕けていてピサの斜塔のように傾いてしまっており、地盤は石畳を盛り上げる形で半壊している。ここに来てアクティベートをした際、これまでと違う転移門の出迎えに困惑したのは記憶に新しい。

 転移事態は問題無く行えるのだが、こちらに転移した際に床が傾いていると僅かな気の緩みでも滑って転んでしまう。そもそも何故壊れているのか……と考えたのだが、全くもって分からなかった。ただ、前回のフィールドで迷宮柱が崩壊していたのを思い出すと、この《アインクラッド》が崩壊し始めているのではと考えてしまう。ボス部屋まではアキトの《回廊結晶》で行く為今回は関係無いが、いつまでもあれでは何かと不便ではあるのだ。最初こそみんな不思議に思って見に来ていたが、今はすっかり熱は冷めているらしい。

 ……だってみんなこっち見てるんだもん。

 

 

 「ようアキト、早ぇな」

 

 「……クライン」

 

 

 ふとすぐ隣りから声を掛けられ、伏せてた顔を上げると、ずっと来て欲しかった待ち人の一人がそこには立っていた。特徴的なバンダナに無精髭の侍男は、小さく笑みを浮かべて片手を上げていた。

 アキトは一瞬だけ安心したように顔を綻ばせたが、すぐにハッとなって目を逸らす。

 

 

 「……おっそいよ」

 

 「何でぇ、まだ時間前じゃねーか」

 

 「三十分前行動は基本だと思います」

 

 「いや早くね?」

 

 

 完全なとばっちりに戸惑うクラインは、顔を上げて辺りを見渡す。視界には数多のギャラリーの視線が。それを見て暫くすると、クラインは納得したように頷いて、ニヤけた表情でアキトに肩を回した。

 

 

 「なるほどなぁ。いや〜、辛いなぁ人気者はよ」

 

 「そんなんじゃないから」

 

 「そんなんだろ。ほれ、みんなお前さん見てるぞ。かーっ、羨ましいなぁオイ!」

 

 「……クラインちょっと盾にさせて」

 

 「やなこった」

 

 

 揶揄うクラインに手を伸ばすもヒラリと躱され、隣りに移動すると同じように壁にもたれかかった。クラインは空を見上げ、変わらず雨の降りそうなねずみ色の空に息を吐き、何処か憂いた表情を見せた。

 ……クラインも黙っていれば中々男らしいのではないだろうか。という錯覚を振り払い、何か話題を探し出す。

 

 

 「今回のボス部屋、《風林火山》が見つけたんでしょ?」

 

 「ん?ああ、まあな。しかも今回は扉の先にいるボスの姿を拝めたんだ、昨日の攻略会議である程度の事前対策は出来たんじゃねーか?」

 

 「まあ、一応96層のボスだからなぁ。どれだけアテになるかは分からないけど……」

 

 

 74層のボス部屋以降、一度部屋の中に入ると扉が閉まり、戦闘が終わるまで出られない《結晶無効化空間》となる仕様によって、攻撃パターンが読み取れないケースが続いた。扉を開けるだけでも、ボスのシルエットすら確認出来ない事もままあったのだが、今回はボスの姿をハッキリと視認する事が出来たらしい。昨日の攻略会議では四足歩行の三頭犬(ケルベロス)型だと聞いた。爪や牙による攻撃や身軽な立ち回り、ブレスなどの特殊攻撃が予想される。

 昨日の会議の内容を反芻していると、隣りでクラインが思い出したように告げた。

 

 

 「そういや、昨日あの娘見かけたぜ」

 

 「……あの娘?」

 

 

 誰の事だろう……と首を傾げる。また新しい女の子だろうか。

 しかしその名を聞いた瞬間、アキトは目を見開いた。

 

 

 「ストレアだよ」

 

 「え……ほ、ホントに!?」

 

 

 寄りかかっていた背中を勢い良く壁から切り離し、クラインの前に回る。この一週間、考えない日など無いくらい心配した彼女の名をクラインから聞き、歓喜より衝撃の方が大きかった。アキトの突然の捲し立てにクラインは驚きながらも頷く。

 

 

 「ああ、フィールドにいたのを見て慌てて追い掛けたんだけどよ、結局見逃しちまって……」

 

 「ど、何処に行ったとか分かる?」

 

 「ボス部屋近くまで追い掛けたからな。けど途端にいなくなっちまって……是が非でもとっ捕まえておいた方が良かったか?」

 

 「……いや、何か事件に巻き込まれてる訳じゃないなら、一先ずはそれだけで……そっか、無事だったのか……良かった……」

 

 

 どうやら、先日アルゴから聞いた“神隠し”の事件とは無関係なようだ。それだけでも大きな収穫だし、元気でいるならそれに越した事は無い。ユイの言う通り、迷宮区に篭って経験値稼ぎをしていたのかもしれないと思うと、一気に安堵の息が零れた。ボス戦前に胸のつっかえが取れた気分だ。

 

 

 「……それ、アスナ達には?」

 

 「ここに来る前に話したよ。みんな揃ってアキトと同じ反応だったぜ」

 

 「そっか……教えてくれてありがとう」

 

 「何だそりゃ。たまたま見つけただけなんだから、礼なんてすんじゃねーよ。結局見逃しちまったし……」

 

 

 謝るか礼しか言わねーなお前は、と頬を掻きながら笑う。言われてみればと思い返し、アキトも困ったように笑った。

 

 

 ────しかし、その笑みもすぐに崩れた。

 

 

 「っ!?」

 

 「な、何だ!?」

 

 

 突如、96層全域にけたたましく轟音が鳴り始め、同時に地響きが起こり、グラリとバランスを崩した。

 それはアキトだけでなくクラインも、そして周りのプレイヤー達も同様で、悲鳴やざわめきが間断無く耳に入り込む。

 

 

 「じ、地震か!?」

 

 

 クラインの疑問に答える余裕も無く、先程までもたれていた壁に身体を預ける。かなり大きな揺れが続き、このまま《アインクラッド》が崩壊するのではないかと思わせる程だ。視界の端で転んだり倒れる人が続出している。

 しかし、その揺れはやがて小さくなって、最後は地震の前の静けさに戻っていった。

 暫く誰も口を開こうとしなかったが、やがて我を取り戻したのか、この揺れの動揺からか周囲がざわめき始めた。クラインも辺りを見渡して地震が収まった事を再確認し、ふうっと息を吐いた。

 

 

 「……何だよ、脅かしやがって」

 

 

 まったくだ。何度か揺れたりはしていたが、ここまで大きな地震なんて……それこそシステムエラーが発生して以降、80層の時以来だろう。

 クラインも同じ事を思ったようで、アキトを見て口を開く。

 

 

 「確か80層に着いた時にも地震があったよな」

 

 「うん……シリカの攻略組としてのデビュー戦だったから、覚えてる」

 

 「地震の他にも、フィールドで不自然にラグる所が増えてるって噂もあるし、やっぱ何かがおかしいのか?」

 

 「……おかしいのはもっとずっと前からだったけど……少し不安だな」

 

 

 75層の大規模システムエラーから、色々なバグが発生していた。初めて地震が起こった80層到達時には、地震が新しいイベントのフラグみたいな話もあって少し浮かれもしたのだが、どうもそういった楽しいイベントの前触れには思えない。

 だが、システムに干渉出来ない一プレイヤーとしてはただ気を引き締める事以外に出来る事などない為、問題ばかり増えるこの現状に不安が募るばかりで、周りの空気も淀み気味だった。

 

 

 「アキト君、クライン」

 

 

 暫くして喧騒が収まってきた頃、ギャラリーが作る道の奥からアスナ達が歩いてきた。シリカ、リズベット、リーファ、シノン、フィリア、エギルと続いてこちらに向かってくる。けれど先程の揺れのインパクトが強くて、アスナやシノンを前にしても不思議と昨日の気不味さは感じない。

 

 

 「さっきの地震凄かったね」

 

 「《アークソフィア》も揺れたの?」

 

 「多分、《アインクラッド》全体が揺れてたんじゃないかな。立てないくらいの揺れは久しぶりだよね」

 

 

 不安気な表情を見せるアスナの隣りで、シノンが訝しげに口を開いた。

 

 

 「ねえアキト。これ、今日が初めてじゃないわよね。何度か起きてるみたいだけど、この世界ではよくある事なの?」

 

 「いや……さっきクラインとも話したんだけど、ここまで大きいのは80層の時以来だよ」

 

 「という事は、何かのイベントの一種なのかしら?」

 

 

 やはり何かのイベントなのでは、と考えるのは皆同じなようで、シノンはその問いをアスナに投げ掛けた。アスナは複雑そうな表情で腕を組む。

 

 

 「クォーター・ポイントである75層を越えたから発生し始めたのかもしれないけど、でもシステムが不安になっている為に起こっている現象じゃないかっていう見方もあるわね」

 

 「終盤に向けた演出なら良いけどよ、どうもそんな感じでもねぇんだよな」

 

 

 続けてエギルがそう答えると、リズベットとフィリアが揃って俯いた。

 

 

 「下の階層に行けなくなったり、アイテムが壊れたり……システム的なところがちょっと不安よね」

 

 「うん……私が《ホロウ・エリア》に囚われたのも、エラーが原因だったし」

 

 

 本来、この世界で起こったバグが継続的に続くのは有り得ない。

 通常なら、《カーディナル》が自動的にバグを修正する機能が働くはずだからだ。なのに、75層でのエラー以降それが機能している様子はまるでない。

 それどころか、新たなバグが少しずつ増えてきている現状だ。初めはスキルやアイテムの欠損だけだったが、転移の不具合やフィールドのラグなど修正しなければおよそゲームクリアに関わる問題が未だに解決されていないのは痛手でしかない。

 するとリーファが不安になったのか震えた声で呟いた。

 

 

 「この世界が、壊れ始めてるのかな……?」

 

 

 それは地震の規模からも考えられる最悪のケース。肯定も否定も出来ないその説は、どちらにせよ判断材料が足りな過ぎた。リズベットは考えを振り払うように首を横に振り、覇気のない声で言った。

 

 

 「そんな事考えたくもないけど……だとしたら、急いで100層をクリアしないと」

 

 「階層が上がる度に攻略が難しくなるのに、急がなきゃいけないなんて……」

 

 「きゅるぅ……」

 

 

 シリカの悲痛な叫びにピナも静かに鳴く。

 これからボス討伐だというのに、空気は沈みっぱなしだ。流石にギャラリーとして来ていた周りのプレイヤーも、その雰囲気に違和感と戸惑いを感じているようだった。この世界に抗う象徴である攻略組が、今の地震一つで心さえも揺れ動く、と。

 アキトは慌てて言った。

 

 

 「でも、原因も分からないし下手に焦っても危険だよ。今すぐどうこうなるとも思えないし」

 

 「そうね。今までだってこんな事何度かあったし。今はボス戦に集中しましょう」

 

 

 アスナも後からそう言うと、みんな少しだけだが気を引き締められたようだ。今からこんな事を考えていてはボス戦に支障が出るかもしれない。それが分かっている分、彼らの切り替えは早かった。

 彼らの不安は分かる。立て続けに色んな問題ばかり積み重なって、しかも原因がほぼ何も分かっていないこの状況は流石に恐怖するだろう。けれどアキトも、こういった場合に何を言ってあげるのが正解なのか分からかった。この空気はいけない、そう思ってはいるのに。

 

 こんな時、ストレアがいてくれたら────と誰もがたらればを心の中で零す。その天真爛漫で緊張感を感じさせない笑顔がどれだけ救われるものだったのか、それは失って初めて気付くものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《回廊結晶》の光が消えてから目が慣れるまでの数秒感、視界が塞がれた中で感じるのは、迷宮区特有の肌寒さ。次に慣れた瞳を瞬かせれば、視線の先は薄暗がりの回廊だった。

 静寂の中でコツコツというブーツの音と、鎧装備が軋む音が響く。これからボス戦なのだと思うだけで、胃から込み上げてくるような緊張感。迷宮区はただただ冷たさと闇の深さを主張していて、やはりどうにも慣れない。

 

 

(……ここに、ストレアが……)

 

 

 先程の地震の件で話が逸れてしまったが、この場所はクラインがストレアを見たという場所だった。今、何処で何をしているのだろうかとふと考えてしまう程には心配で、元気なら顔くらい見せて欲しいというのが正直な気持ちだった。けどそれはきっと、アキトだけじゃなくアスナ達も思っていて、けれど口に出さないだけ。

 感覚を空けず、列を乱さず一定の速度で部屋へと向かう。それぞれが初動の連携や作戦の概要を確認し合っている中、リズベットが後ろを歩くクラインを見上げて、ポツリと言った。

 

 

 「……ねえクライン、ストレアはこの辺りで見失ったの?」

 

 「ああ、さっきヒビの入った壁があっただろ?あの辺りで見失ってよ」

 

 「こんな上層の迷宮区をたった一人でって……やっぱストレアって凄いんだなぁ」

 

 

 フィリアがほえーっと感嘆の声を漏らす。この部屋前のダンジョンでは、剣や槍を持った騎士感溢れるモンスターが多く蔓延っており、ある程度の思考能力と、連携技まで持っているというやたら面倒な奴らだったと記憶している。クラインが《風林火山》と共にストレアを見掛けた時は一人だったらしいし、そう考えると確かに凄いの一言に尽きる。

 元々ストレアは初めてパーティーを組んだ時から高い実力を誇っていた。アドバイスも的確だったし、ソロにしてはスイッチやPOTローテといった連携もしっかり取れていて、尚且つ周りをよく見ていた。だから悲しい顔をしている人を見逃さず、常に笑顔で元気を分けてくれていたのかもしれないと、今になって思う。

 

 

 「……なんか、いつの間にか大きくなってたなぁ」

 

 「え?」

 

 

 アスナの主語のない言葉に、思わず首を傾げる。彼女は遠くを見つめるような眼で、胸に手を当てて思いを馳せるように大切に呟いた。

 

 

 「ストレアさんの存在。居るのと居ないのとじゃあ大違いだなって。なんか上手く言えないけど、ハチャメチャで、面白くって、予想が付かない人で……私、ストレアさんのこと大好きみたい」

 

 「っ……なんか、恋してる言い方みたい」

 

 「えっ!?あ、ホントだ……ふふっ」

 

 

 言ってから気付いたのか、顔を赤くして照れるその姿は満更でも無いように見えたが、ストレアを受け入れてくれた証みたいで嬉しかった。きっと、アスナもストレアが生み出す雰囲気や、彼女自身の魅力みたいなものに惹かれた一人だった。

 

 

 「確かにストレアさんって、最初のイメージと違って面白い人でした」

 

 「みんなで料理作った時もすっごく面白かったしね」

 

 

 シリカとリーファが顔を見合わせて頷き合う。そんな会話と共に、当時の事が思い起こされていく。

 出会いが出会いなだけに、最初こそ不審がっていたけれど、数少ない女性プレイヤーというのもあってか、それともストレアの魅力か、彼らはすぐに打ち解けた。S級食材を作った料理勝負も、ストレアが作った未知の料理がとても好評で。その破天荒さが一周回って、いつの間にか癖になって。

 

 

 「まあ、急に現れた時はホントに嵐みたいだと思ったけれど、印象が変わったのは割と早かったわねぇ」

 

 「……そうね。悪い人じゃないってすぐに思えた。突然、変な事を言い出す時もあるけど、不思議な魅力があるっていうか」

 

 「そうそう!落ち込んでる時も容赦無く抱き着いて来て、けどそれがなんかホッとするっていうか」

 

 

 次いでリズベットとシノン、フィリアがそう答える。すると、それを横目で見ていたアキトの視界に割り込むように、アスナが顔を覗き込んで来た。

 

 

 「アキト君は?」

 

 「へ……?」

 

 

 距離の近いアスナの顔にギョッとするも束の間、突然そう尋ねられて首を傾げる。一瞬質問の意味が分からず目が泳いだが、先の会話の流れから察するに、ストレアに対する印象の事だろう。

 

 

 「俺、は……えと、何だろう……ストレアは、何というか、放っておけなくて……」

 

 

 ストレアは常に笑っていたけれど。何も心配する事なんて無いように見せていたけれど。何処か脆い一面が見え隠れしているような印象をアキトは持っていた。あの笑顔は自然なものだろうけど、今思えば、楽しむ事で何かを忘れようとしているようにも見えた……気がした。

 要領を得ない話し方に痺れを切らしたのか、ふと疑問を思い出してリズベットが問う。

 

 

 「そもそもアンタ、ストレアとはどういう出会い方をしたのよ。77層のボス戦の後に知り合ったとは聞いたけど」

 

 「えっと……《アークソフィア》で昼寝してて、目が覚めたら近くで寝てた」

 

 「は?」

 

 

 意味が分からないといった顔をされたが、それが真実だ。索敵にかかる事無くアキトの傍まで来て、こちらが起きたら近く……というか上に覆い被さって寝ていたというのが事実だ。

 その後何度か顔を合わせ、二人でエギルの店に赴いた矢先にアスナ達とも顔を合わせた、という感じだったような記憶がある。

 

 

 「けどストレアさん、あの時からもうアキト君と凄い仲良さげに見えたけど……ホントに前々からの知り合いって訳じゃないの?」

 

 「うん……あ、でもストレアは俺のこと、なんか最初から知ってたみたいだったけど……」

 

 

 アスナからそう聞かれ、思い出したように呟く。考えてみれば、あれが初対面のはずなのに……どうしてか彼女をすんなり受け入れられていた。

 ────そもそも、“初対面”という事実に、どうにも違和感を感じずにはいられなくて。

 

 

 「じゃあストレアが一方的にアキトを知ってたって訳か」

 

 「……多分」

 

 「何だよ、ハッキリしねーな」

 

 

 エギルの言葉に煮え切らない態度のアキト。クラインがもどかしそうに眉を顰める。アキトは少しばかり焦ったように、自身の内の違和感をどうにか言語化していく。

 

 

 「えと……ストレアとは会った時から、なんか“懐かしさ”みたいなのを感じててさ。どうも初めて会った気がしなかったっていうか……」

 

 「じゃあ、やっぱり何処かで会ってたってことですか?」

 

 「いや、ストレアみたいな人と会ってれば絶対覚えてるはずなんだけど……」

 

 「まあ、あれだけインパクトのある人なんていないもんねー」

 

 

 ────そう、だからこそ分からない。

 ストレアが自分を知っていた事。何処か懐かしさを感じた事。一緒にいて、楽しくて、何処か他人じゃないようなこの気持ちの理由。

 

 

 「着いたな」

 

 

 しかし、その思考は既に目の前まで来ていたボスの扉を目の当たりにした事で中断される。エギルの声で顔を上げれば、一際存在感と異彩を放つ巨大な鉄扉が聳え立っていた。張り詰めた空気が一気に押し寄せ、張り付いてくる。

 アキト達だけでなく、話をしていた全てのプレイヤーから声や音が一瞬消える。何度来たって慣れる事の無い死と隣り合わせの戦い。このボス戦の前に必ずやってくるこの空気が、アキトは苦手だった。恐らくそれは、誰もがそうで。けれど何か言えるような自信も無ければ何を言えば良いのかさえ分からない。

 

 

 「え、円陣でも組みます……?」

 

 「何でよ」

 

 

 ────どうにか絞り出した提案は、呆れた表情のシノンにバッサリと切られてしまった。どうやら的外れだったようで顔を顰める。

 一斉に視線が向けられたアキトは、戸惑いながらもしどろもどろに拙く答えた。

 

 

 「え、い、いや、大変だけど頑張ろーって、流れだと思って……」

 

『『『……』』』

 

 

 ……そんな絶句する程に空気の読めない発言をしたのだろうか。

 ただこの空気をどうにかしたくてアキトなりに考えた結果だったのだが、この沈黙は痛過ぎる。

 

 

 「……ふふっ、あはは……」

 

 「っ……」

 

 

 しかし、そんな重苦しかった空気を裂くように、温かさを感じる笑い声が零れた。思わず俯いた顔を上げ、その声の先にいる人物に目を向けてしまう。

 

 

 「アキトくんっ……、ズレ過ぎ……あははっ」

 

 

 ────言葉に詰まる程に、その笑顔は魅力的だった。

 笑ってそう言ったのはアスナだった。的外れなアキトの行動の可笑しさに口元を抑えて必死に堪えようとしていても、余程可笑しいのか目尻から涙が滲んでいた。我慢出来なくなったのか、最後はもう口元を抑えるのをやめてとめどなく笑い声を漏らしていた。

 

 

 「……くくっ」

 

 「……ぷっ」

 

 

 そうしてアスナを皮切りに、堪えていたものが一気に放たれ、ざわめき、静寂と続いた空気がガラリと変わったのだった。驚き慌てて辺りをみれば、今のやり取りが聞かれてクスクスと小さな嘲笑にも似た楽しげな声が聞こえ始めていた。

 アスナだけではない。シリカもリズベットも、リーファもシノンも、フィリアやクライン、エギルですら笑いを抑えられない模様。最近では一番の大笑いなのではと思うと同時に、そこまで可笑しい事を自分は言ったのかと落ち込みさえする。

 

 

 「そ、そんなに笑う事ないじゃんか……」

 

 「い、いや、意図した事は分かるんだけど、何故円陣……っ」

 

 「……」

 

 

 リズベットが腹を抑えて蹲るのを見て愈々恥ずかしくなってきたアキトは、誰にも見られないように羞恥で赤くなった顔を逸らした。良かれと思っただけの行為でここまで笑われるとは思わなくて、少し凹む。

 

 

 「……もう、絶対言わない……」

 

 「あーっ!拗ねないでよアキト!ゴメンって……ふふっ」

 

 

 背を向けるアキトの両肩を掴んだフィリアが、顔を寄せて慰めてくる……が、まだ笑っていた。すると、その後ろで一頻り笑ったアスナが、涙を拭って言った。

 

 

 「やー、でもなんか安心した。いつも通りのアキト君で」

 

 「ちょっと抜けてるところ見ると、こっちも気が抜けるわよね。張り詰めてんの馬鹿みたい」

 

 「ホントに円陣しちゃいましょうか」

 

 

 などと言って冷やかす彼ら。けれど、さっきまでの落ち込みようが嘘みたいで。これなら多少笑われた甲斐があったかもしれないとさえ思えてくる。

 隣りでクラインにポンと背中を叩かれ、改めて周りを見渡す。そこにはアキトが生み出した笑みが溢れていて、不安そうな表情を見せるものは殆どいなかった。その他攻略組も。不本意な笑われ方をしたけれど、笑顔の絶えない世界が、一瞬だが確かにそこにあったのだ。

 嫌われるよう振舞って。けれど誰かとの繋がりを確かに求めてた。今、多くの人の視線がここにある。みんなが見てる。それが、何処か擽ったくて、泣きそうで。けれど、とても嬉しくて。

 

 空気が変わり、武者震いにも近い震えが身体を襲った。

 思い出したように強張る身体と表情からは、再び緊張が。何度ボス戦を強いられようとも、命の危険は常に隣り合わせで、慣れる事など決して無いけれど。

 けれど、先程までのこの不安とは、ほんの少しだけ違っていて。この温かな空気に掻き消えるかの如く。

 

 

 「……大丈夫」

 

 

 クルリと振り返り、彼らを見渡す。全員キョトンとした表情を見せるが、アキトは続けた。

 無上の信頼は重いと、以前フィリアが言っていたのを思い出す。けれど、みんななら大丈夫だと、この時は何故かそう思えたのだ。

 だって。

 

 

 「俺の仲間は、ちゃんとみんな強いもん」

 

 

 これまでだってみんなの実力を疑った事は無い。何度も何度も、彼らは予想を超え、想像を越えてきた。

 二年前、SAOが開始したあの日。最初は誰だって無理だと思った。駄目だと諦めた。ただただ外部からの助けを待ち、神のいない世界で神に祈った。誰もが絶望的だと思ったはずだった。けれど、第一層を突破して、クリア出来るんだと思えるようになって。今じゃ100層間近だ。それなのに今回の件を無理だなんだと決めるのは、勿体無いし、まだ早い。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────誰もが、息を呑んだ。

 命を預けるに足る希望を見た気がした。だって、この世界でNo.1の実力者からの激励。嘘偽りのない直球の想い。

 これで昂らない奴がいるだろうか。これ以上の鼓舞を、我々は知っているだろうか。

 信じてもらえている────そんな実感を確かに抱いて、誰もが笑った。

 

 

 「よっしゃ!行こうぜ!」

 

『『『おお!!』』』

 

 

 クラインの気合いの入った声と掲げた腕に合わせ、攻略組の誰もが武器を持ってそれを掲げた。今までに無い勢いと熱で、空間が震える。

 いつものようにアスナが躍り出て、その巨大な扉に手を掛けた。

 

 

 「皆さん!勝って、生きて帰りましょう!」

 

 

 扉を開ける前の、最早決め台詞となったその言葉。再びそれに応えるように雄叫びを上げる面々に苦笑しながら、アキトはアスナの隣りに上がり、もう片方の扉に手を掛ける。

 ふと隣りを見ると、アスナが未だにクスクス笑っていた。

 

 

 「なんか、こんな状態でボス戦始まるの久しぶりかも」

 

 「俺的には、毎回こんな感じが良いな」

 

 「次はホントに円陣組もうか」

 

 「やめてくれ……」

 

 

 そう言って、同時にゆっくりと扉を押す。雪のように冷たいその扉は少し押すだけで左右の扉が連動し、後は自動で開き始める。凄まじい轟音と扉の開閉ちよる地響きが身体を震わせる。

 徐々に、徐々に、扉の向こう側が見えてくる。これから見えるだろうボスの姿。待ち受け牙を剥いているだろうその姿を、誰もが息を呑んで見据えた。

 

 

 ────ボスの姿は、なかった。

 

 

 「……え」

 

 「っ……あれ?」

 

 

 扉が開き切ったその瞬間、先頭に立ったアキトとアスナは固まった。クラインが見たという四足歩行のボスの姿が、その部屋の何処にも存在しなかったからだ。姿どころか、気配すらない。殺気も感じないし、唸り声も聞こえない。逆に不自然だ。

 更には、前回と同じように部屋には暗い霧のような靄が棚引いていて、視界を霞めていた。

 

 

 「……いない」

 

 「そ、そんなはずは……俺は確かに見たぞ!?」

 

 

 それを聞いたクラインは慌ててアキトとアスナより前に出て、部屋の中に入った。キョロキョロと辺りを見渡すが、それが事実だと分かると目を丸くした。

 しかしクラインが嘘を吐く理由も特に無い為、アキト達も彼に続いて部屋の中へと入りボスを探し始める。これまでも情報の無いボスと戦うケースは何度もあった為、ボス戦を中断するような事は無く、警戒を解く事無く各々武器を構え始める。

 けれどその空間には、緊張による荒い呼吸音のみが響いて、肝心のボスが現れる様子が無い。もしや、既に誰かが倒してしまったのだろうか。

 

 

 ────瞬間、扉が大きな音と振動と共に閉じた。

 

 

 全員の背筋が凍った。一瞬でも緩みそうになっていた気が再び引き締まった。そう、扉が閉まったという事は、この層のボスはまだ健在だという事実にほかならない。表情を強張らせ、再び周囲に気を回す。

 

 

 その時だった。尋常ではない何かの気配を感じ、鳥肌が立ったのは。

 

 

 「っ……!?」

 

 

 バッ、と音を立てて振り返ったアキト。二本の剣を構えて前方を見据える。突然の事で少なからず驚いたプレイヤー達は誰もが身体を震わせる。慌てて武器を構え直し、彼を、そして彼の視線の先を見た。

 

 その先は、未だ変わらず黒い霧が立ち込めている。けれど、段々と何かの音がその空間内に響き始めた。

 それは、重苦しいような唸り声でも、地を揺るがす様な足音でもない。しかし、聞こえてくるこの音は、誰もが聞いた事のある音だった。そう、これはまるで────

 

 

 「ブーツの、音……?」

 

 

 そう、カツカツと響くこの音は、プレイヤーが──それも女性プレイヤーが装備するであろうブーツの音だった。この音を響かせているのは決して四足歩行のボスなんかではなく、人。

 その音が、ドンドンと近付いてくる。

 

 

 「っ……何か来る……!」

 

 

 シノンがいち早く何かを察知し、気配を感じた方向へと弓を構える。誰もがそれを合図に焦ったように臨戦態勢を取った。しかし、シノンが矢を向けたその先は、アキトが何かを感じて視線を向けていた場所だった。

 

 

 「え……」

 

 

 ──── その黒い霧は、段々と晴れた。

 そして、その霧からゆらゆらと現れるのは、人の姿。ボスなんかじゃない。明らかにプレイヤーと同じ体格。そして何より、その細身の人の影を、アキトは、アキト達は知っている。

 

 

 「……な」

 

 

 そこにいたのは、一人の少女。

 薄い紫色の髪に赤い瞳。けれどその瞳は虚ろで、全てを飲み込むような闇が広がっていた。

 

 

 紫色の装備を纏い、その腕に引き摺られた両手剣が火花を散らす。力を抜いたように歩くその姿に、かつての活気は見られない。

 

 

 「なん、で……」

 

 

 震える声で、誰かが呟く。

 だってそこにいたのは、自分達の大切な仲間。

 

 

 

 

 「……スト、レア」

 

 

 

 

 ────そこに立っていたのは、ストレアだった。

 

 

 この一週間、ずっと探していた少女。

 笑顔が眩しくて、楽しそうな姿に魅了され、嬉しそうな姿に誰もが目を奪われるような、そんな存在。

 彼女が、そこには立っていた。

 

 

 「ストレアさん……!?」

 

 「な、え……どうしてここに……!?」

 

 

 アスナとフィリアの震えるような声。彼女達だけじゃない。シリカも、リズベットも、リーファも、シノンも、クラインも、エギルも目を見開き、眼前に立つストレアを見つめる。

 彼女を知る攻略組も構えた武器を下ろし、困惑した表情を浮かべた。ストレアがここにいるなら、ボス部屋はその仕様上外からじゃ決して開けられないはずなのだ。けれど彼女は現にこの部屋の中にいた。

 どうしてここに────。

 

 

 「……」

 

 

 ストレアは、何かを告げる事も無く立っていた。

 武器も構えず、ただこちらを見据えている。けれど、そこに生気など宿ってなくて。

 まるで喜びや幸せ、そんな温かな感情全てを削ぎ落としたような虚ろ。

 死んだような瞳がアキト達を貫いた。

 

 

 すると、途端にストレアが口を開く。

 放たれた声は、驚くくらい冷たかった。

 

 

 「ここから先へは行かせない……」

 

 

 「え……」

 

 

 ────その時だった。異常な殺気を、張り付くような恐怖をその身に感じたのは。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

 

 

 ビリビリと痺れるような感覚。誰よりも早く身の危険を感じたアキトは、身体の反応に任せるままに上を見上げる。

 

 

 そして、その気配の正体は轟音と共にその地に落ちてきた。

 

 

 「うわっ!」

 

 「ひゃあっ!」

 

 「な、何……!?」

 

 

 その巨大な影が着地すると共に鳴り響く地響きに誰もがたたらを踏み、一瞬反応が遅れる。しかし突如として現れたその巨体に、この場の全員が息を呑んだ。

 先程まで全く感じなかった気配が、そこにあったからだ。

 

 

 その気配は、ストレアのすぐ真後ろに降り立った。

 顕になったのは、全身血のような赤い剛毛をその身に纏い、剣のように尖った金色の爪を立てた四足歩行の獣。鋭い眼光を持った三つの頭はまるで冥府の番犬ケルベロスを想起させ、その頭全てに一角獣のような鋭利な角を宿していた。その口からは尖った牙が覗き、そこから白い呼気を噴出している。威嚇を思わせる唸り声の先にいるのは、攻略組としてこの場に立つプレイヤー達。

 その姿はまさしく、クラインが見たというボスの特徴を有していた。

 

 

 No.96 “The Slaughter Fang(ザ・スローターファング)

 

 

 それが、このボスの名前。鼓膜が破れる程の咆哮と共に頭上にその定冠詞が表示され、HPバーが四本現れた。その振動で風が舞い、耳を塞いでいた全員が目を細める中、ストレアはただ何の変化も無く立っていた。

 すぐ後ろにボスがいるというのに、何か行動を起こす事も無い。驚くべきは、すぐ目の前に立っているストレアをボスが襲う事無く動きを止めている光景だった。まるで彼女に、従っているようにさえ見える。

 風に髪が揺れても尚、咆哮が耳を刺激してもなお、変わらずストレアの視線の先にいたのは──アキト。

 

 

 「────っ」

 

 

 一瞬だけ睨んだかと思えば、その瞬間、ストレアの目の前にシステムウインドウが展開した。彼女はそれを見下ろし、片手でタップしていく。

 一体何をしてる──?そう思った瞬間だった。

 

 

 ────ドクン

 

 

 ストレアの背後のボスから心臓の鼓動のような大きな音がが一度だけ響き、その巨躯が陽炎のように揺れた。

 何事かと目を凝らし、その驚くべき光景に自身の眼を疑った。

 

 

 「え……っ!?」

 

 

 ボスが僅かに震えたかと思うと、鋭利だったボスの頭の角、牙、爪が更に伸び始め、赤黒い蒸気が身体を纏い始めたのだ。そして、その身体が徐々に肥大化し、三、四メートル程だったその姿が五、六メートル程になり、プレイヤーの視線は天高く聳える建物を見上げる程に上がった。

 そして一本目のHPバーの上に、新たにバーが現れた。合計五本のHPバーの表記に、これまでにない絶望を見た気がした。

 

 

 「な、何だよ、これ……」

 

 「冗談じゃねぇぞ……!」

 

 

 震える声、恐怖の表情。当然だ、戦う前にボスの姿が変わるだなんて前代未聞。こんな事、今まででは有り得ない。

 ならば、導き出される結論はたった一つ。信じたくないのに、否定したいのに、目の前にいてボスに襲われない彼女がウインドウを操作した瞬間に、ボスの姿が変化した事実は変わらなかった。

 

 

 「ストレアが、やってるのか……?」

 

 

 全く状況が飲み込めない中、彼女の視線に貫かれたアキトは、いつの間にか構えていた二本の剣を下ろしていた。

 

 

 ────その瞬間、ストレアの後ろにいたボスが何の予備動作も無く上空へと飛び上がった。

 

 

 「っ……!?みんな、離れて!」

 

 

 その巨体からは考えられない程のスピードに反応が少しだけ遅れるも、慌てて振り返って叫ぶ。ストレアやアキトを飛び越えたボスが向かうのは、アキトの後ろで固まっているプレイヤーの集団だった。それを聞いたアスナ達が慌てて散開し始めたその場所に、その爪を立て、牙を剥いて、そのボスが着地した。

 何度目かの地響きと同時に煙が舞い上がり、視界を塞ぐ。

 

 

 「ぐおっ……!」

 

 「うわぁ!」

 

 「きゃあああっ!」

 

 

 振動と着地の風圧だけで、逃げ遅れた壁役とその煙を吹き飛ばした。晴れた先にいたのは部屋の壁にぶつかり項垂れる者や、地面を削るように転がる者を見下ろし、再び咆哮を上げたボスの姿。その周りにも、倒れている者が何人か転がっていて。

 一瞬で、全ての景色が赤く染まった。

 

 

 「何だよ、これ……何なんだよ、これ!」

 

 

 誰かのそんな悲痛な声に応えられる者などいない。誰もが現状を把握出来ていない状態での不意打ちに、この場の全員が混乱していた。恐怖や焦燥で身体が動かない者もおり、陣形は最早崩壊している。誰も予想の付かない景色に、震えが止まらなかった。

 獲物を探すべく奴が次にその視線を示した先にいたのは、すぐ近くで倒れたプレイヤー達の中。

 

 

 そこにいたのは、アスナだった。

 

 

 「っ!アス───」

 

 「アキト」

 

 

 咄嗟にアスナの元へと向かおうとした、その足が止まる。知っている人のものとは思えない冷たい声でその名を呼ばれ、瞳が揺れた。

 

 

 「……スト、レア……」

 

 

 震える身体でゆっくりと振り返と、そこには両手剣《インヴァリア》を片手で突き出すストレアの姿があった。

 その瞳は、変わらず冷たく、闇を持ってアキトを見据えて。

 

 

 「なんで……どうしちゃったんだよ……!」

 

 「構えて、アキト」

 

 

 アキトの悲痛な叫びを無視して、ストレアは告げる。

 後ろでは、ボスが仲間を襲おうとしているのに、アキトは彼女から目が離せなかった。

 これを、ストレアがやらせている事実。その姿はあまりにも前の彼女とかけ離れ過ぎていて。何処か痛々しくて。まるで知らない彼女の姿。だから決して信じたくなくて。

 

 

 「アタシが言う事はたった一つだけ」

 

 

 無表情で武器を向ける彼女を見てると感じてしまう。

 ずっと一緒にいたあの時間が、まるで全部嘘だったかのように。

 

 

 

 

 一体、誰が信じられる。

 

 

 

 

 「アタシと戦って、アキト」

 

 

 

 

 目の前の彼女が、ストレアだなんて。

 

 

 

 






ユイ 「王手です!」

アルゴ 「ぴゃっ!?」




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Ep.114 虚ろなエンプレス








冷淡で構わない。だって残酷が丁度良い。




 

 

 

 

 

 

 散々悩んだ。かつてないほど苦しんだ。

 けれど、求めたものの為にこの場に立つ事を決めた。それほどまでに望んで、欲していた。叫びたいくらい想っていた。

 この気持ちを、この願いを、理解してもらわなくていい。気付いて欲しいとは思わない。きっと、誰一人他人の事なんて、本当の意味では理解出来ないのだと、そう割り切ってしまえば楽だと思ったから。

 彼らにとってこの世界は、結局のところ“夢”でしかない。

 都合の良い夢のような時間が漂う世界。そして、いつか覚めるであろう長い夢。きっと現実に帰る日はそう遠くない。誰もがその夢から覚めた時、みんな現実の世界で再び笑い合うのだろう。

 

 

 ────だけど、そこに自分は居られない。

 その場所に手が届かない。夢のような景色を前に、ただ立って眺める事しか出来ない。今までも、そしてこれからも。

 ならいっそ、と思うこの気持ちはきっと我儘で理不尽で。彼らのことなんて何一つ考えられていなくて。けど、この気持ちに嘘は無いからと正当化して、大切な人に剣を向ける。

 

 

 ただ、譲れない。その為なら何だって。

 もっと一緒にいたい。だから何を思われたって。

 

 

 “永遠”が欲しい。本物になりたい。

 だから、それがまほろばの夢でも構わない。

 

 

 

 

「アタシと戦って、アキト」

 

 

 

 

 だってアタシにとっては、この夢こそが───

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 その獣が、こちらに向かって走ってくる。

 飛び掛かって爪を立てるその迫力は、獲物を追う獅子と何ら変わらない。首が三つある分、奴の方が余程恐怖を感じさせる。薄暗いこの空間内でも奴の眼は良く光り、この場の誰もを萎縮させた。

 その眼が、何かを決め込んだような意志を纏うのを、アスナは見逃さなかった。

 

 

「っ……逃げて!」

 

 

 瞬間、その爪が振り下ろされた。登場時と比べてボスの身体は巨大化し、毛深くなり、爪も鋭く伸びた。今までに無い仕様に警戒は当然で、アスナの呼び掛けもあり、その下ろされた爪による攻撃を、全員が何とか回避する。

 だが同時に巻き起こったのは、巨大質量の移動による強風。気を抜くと吹き飛ばされてしまいそうな程の威力に、逃げようと足をボスと反対方向に向けていた者も動きを止めてしまう。突風を避けるようにして、その腕を顔の前で翳して目を細める。

 その直後、耳を劈くような、何かを削るような音が鳴り響いた。思わず目を瞑り、咄嗟に耳を塞ぐも、音と同時に起きた空間の振動で身体中が震えて身動きが取れない事に焦燥を覚える。

 この状況で襲われたら────と思い、どうにか目を見開いたアスナ。

 

 

「な……!」

 

 

 しかし開いた視界が最初に捉えたのは、ボスの眼前にある部屋の壁に真新しく出来た爪痕だった。恐らく攻略組が躱した攻撃が、そのまま壁に直撃したのだろう。三又の爪で深く抉り取られる形で刻まれた跡。その壁からは、蒸気が放たれていた。

 

 

「……嘘だろ」

 

「おいおい……なんつー威力だよ……!」

 

 

 文字通り全員が息を呑んだ。中には青ざめた顔も多い。今のをまともに受けていたらと思うと鳥肌が立つ。

 当然だ。たった一撃、それもスキルや特殊攻撃でもなんでもない、ボス戦開始直後の様子見を兼ねた攻撃でこの威力なのだ。まるで、75層のスカルリーパーを彷彿とさせるそれは、その時の恐怖を明確に思い起こさせた。

 攻撃を外したボスは自身が傷付けた壁を暫く眺めていたが、やがてこちらを振り返り、その鋭い眼光を細める。途端再び恐怖の色を宿す攻略組の背後で、アスナが叱咤した。

 

 

「落ち着いて!まずは情報収集が先です!壁役(タンク)部隊は前へ!他の人もいつでもスイッチ出来るように準備!ボスから注意を逸らさないで!」

 

 

 その声で、足が竦んでいたプレイヤー達が各々身体をビクつかせるが、漸く金縛りが解けたように、たどたどしくはあるが指示に従って動き始める。防御に厚いステータスを誇る壁役(タンク)プレイヤーがやや狼狽えながらも盾を構えてボスに近付いていく。エギルやリズも意を決して、後衛プレイヤーを掻き分けてボスに迫っていった。

 取り敢えずは戦闘態勢に入れたが、こちらの動きをゆっくりと頭を動かして反応するボスを見ると、何処か余裕そうに俯瞰しているようにさえ見えて、内心穏やかではない。

 それに、ボスの形相が変わった事やHPが増えた事に関しても冷静ではいられない。残り五層と何処か浮かれ始めていたプレイヤー達に対する《アインクラッド》からの不意打ちは、後ろから殴りつけられる形で見事に成功してしまったようだ。

 

 

「っ……」

 

 

 何故、一体どうして────と考えずにはいられない。

 攻略組を震撼させる《ボスの強化》。残り五層とキリの良いこの層から新たに加わった仕様だと言われればそれまでなのだが、それで片付けてしまうには納得のいかない点が一つ存在する。

 そう、それは我々が来る前からこのボス部屋で待ち構えていた人物。

 

 

(ストレアさん……)

 

 

 攻略組がボスと対峙しているその後方で、アスナは全くの別方向を見つめる。

 そこには、アスナ達がずっと探していたストレアが立っていて、アキトに剣を突き付けている光景があった。彼女の瞳はこの位置からでも分かるほどに暗く澱んでいるように見える。ここではない深淵を覗くが如く、虚ろな闇を宿していた。

 普段の彼女からは考えられない冷たい表情と声音。何より、ストレアが自分達に告げた言葉が頭から離れない。

 

 

 ────“ここから先へは行かせない”

 

 

 それはつまるところ、ストレアは攻略組を邪魔する為にここで待ち伏せていたという事実へと結び付き、今相手をしているボスが急に変貌したのは、状況から見てもストレアだという事になってしまう。全くもって訳の分からない状況だった。

 95層での異変。ストレアは頭を抑えて酷く苦しそうだった。なのにボスを討伐した直後、人が変わったように冷たい表情をつくり、そのまま一週間近く姿をくらましていた。みんなが心配して捜索しても一向に見つかる気配が無かった彼女が、今こうして立ちはだかっている。受け入れられるはずもない。

 あんなに楽しそうで、いつでも笑顔で。そんなストレアが攻略組を襲い、他でもないアキトに剣を向けている。その事実が、目の前のボス戦に集中させてくれなくて。

 

 

「アスナ!あのボス、今までのと全然……」

 

 

 フィリアの疑問に連れられて自然と視線が上に向く。赤黒い毛並みをしたその三頭犬は、牙を剥き出しにしながら周りに張り付く壁役(タンク)プレイヤーを見下ろしている。その迫力は一層手前のボスとは明らかに違う。一目見るだけで、肌で感じるだけで、これまでの敵とは一線を画す存在だと理解出来てしまう。

 それに加えて目が行くのは肥大化した身体、刃のような爪、全てを貫きそうな角に、迸る赤い瘴気。それはこのボスが現れた時と比べて度が強いものになっていた。ストレアがウインドウを開き、何かを操作した途端に、このボスは変貌を遂げて。

 

 

「やっぱり、ストレアが……?で、でも、こんな事出来るスキルだなんて聞いた事が……!」

 

「ストレアさん……どうして……」

 

「なんでよ……なんで、ストレアがあたし達の邪魔をするのよ!」

 

「考えるのは後だ!今は奴の動きに注意しろ!」

 

 

 ストレアをよく知る仲間達の中でも混乱が耐えない。

 訳が分からず戸惑いながらボスと対峙するのは危険だ。しかしストレアの行動とそれに伴う現象があまりに衝撃過ぎて、気持ちを切り替える事は容易ではない。そしてそれはアスナに限った話ではなかった。

 他のプレイヤー達も彼女と少なからず関係がある為、困惑はしているはずだ。そもそも彼女がこのボス部屋にいた理由さえ全く分かっていないのだ。だが今は凶暴化したボスに対しての危機もあり、ストレアについて考えている場合じゃない。板挟みする感情をどうにか抑えるしかなかった。

 アスナはこの攻略組の現最高指揮権を持っている。彼女が指示を出して統率を取るのがこれまでの戦い方なのだ。故に混乱している場合じゃない。

 けれど────

 

 

「アスナ、アキト達は!?」

 

「っ……今、ストレアさんのところに……!」

 

 

 このボス戦にてファーストアタックを任されていたアキトは、ストレアと対面していた。

 ストレアが突き付ける無慈悲な剣先を、戸惑い混じりの表情で見つめているアキト。きっと自分達以上に衝撃を受けている事だろう。

 彼がボス戦に参加しないところを見ると、恐らくは彼女がアキトの行く手を阻み、ボスを倒す事を邪魔しているのだ。ストレアは手練で手加減は出来ない。アキトがこちらに来るにはストレアを無力化するしか方法が無い。

 けれど、アキトがそれを実行出来るとは思えない。

《ホロウ》のキリトでさえ、《ホロウ》のPoHでさえ、剣を向け、傷付ける事を躊躇っていたのだ。データではない正真正銘プレイヤーであるストレアを攻撃する事、ましてやストレアからの攻撃を受ける事で彼女をオレンジカーソルにする事だって良しとするはずがないのだ。つまりアキトには、反撃の手立てもこちらに来る算段もついていない。このボス戦においてアキトを頼りに出来る可能性は、限りなくゼロだった。

 なら、今のアキトに何が出来る────?

 

 

(誰かがアキトくんのところに行かないと……でも、行ってどうするの……ストレアさんと話を……?それよりも今はアキトくんのところにボスが行かないように引き付けるべき……?)

 

 

「……」

 

 

 ────いや、とアスナは首を振った。

 

 

 ボスが強化された今、ストレアの元へとプレイヤーを行かせると返ってヘイトと戦力が分散される形になってしまう。ストレアとボスの距離が離れている為、戦いにくい状況になるだろう。

 それに戦闘において、すぐアキトに頼るようではこの先勝てない。何度も何度も迷惑をかけ、助けられ、支えられた身だからこそ痛感する。

 アキトは今、きっとストレアのしている事に困惑しているだろう。焦っているだろう。けれど、決して投げ出したりしない。《ホロウ》のキリトとの戦いでもそうだった。

 ストレアとアキトの話し合いが終わるまで持ち堪える。アスナは、目的を確立させ、指示を仰いでいたリズと隣りにいたクラインに告げた。

 

 

「アキトくんが来るまで、このまま攻略を進めます。リズ、クライン、みんなに伝えて」

 

「え……い、良いの、二人のところに行かなくて!?」

 

「うん。アキトくんが来るのを待つ。これが最善よ」

 

 

 僅かな逡巡。だがアスナの意志に反対するような声は上がらない。クラインは一瞬だけアキトとストレアを見たが、すぐ左右に首を振り、ボスを睨み付けた。

 

 

「っ〜〜〜!クソッ、仕方ねえ!アキト無しでもやってやらあ!」

 

「……そうね。悩むのは後、今はボス戦に集中しなきゃ……っ、けど、終わったら、ストレアに根掘り葉掘り聞いてやるから……!」

 

 

 リズベットもそう言って、前衛方面へと走っていった。アスナもそれに続こうと、武器を構えた時だった。

 

 

「アスナ、良いの?」

 

 

 そんな問い掛けに足を止める。

 振り返ると、弓に矢を番えたシノンが立っていた。アキトの事が気になるようで、何度か視線を向けていた。恐らく、突然人が変わったストレアに剣を突き付けられているアキトが心配なのだろうと、アスナは思った。

 けれど、アスナはただ笑った。

 

 

「……信じてるから。アキトくんを」

 

 

 そう、信じてる。確信無ければ理由も曖昧。けれど、キリトと同じような信頼感。彼なら大丈夫だと、そう心が言っていた。

 絶対に来てくれる。それまで、持ち堪えるだけでも構わない。

 

 

「シノのん、援護お願い!」

 

「っ……了解」

 

 

 走り出したアスナに連られて弓を引き絞るシノン。そんなアスナのアキトに対する信頼感に、ほんの少しの嫉妬を覚えながら、その矢を放った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 その闇色の空間で轟く雷鳴のような雄叫びを背に、目の前の彼女を見つめる。信じられない、そう思いながらも。

 

 

「ストレア……」

 

 

 突き付けられる剣を前に、アキトは呆然と立ち尽くした。指先は冷たくなってしまったのか、上手く動かない。咆哮や悲鳴を耳にしても振り返る事が出来なくて、それを背に見つめた先に居たのは、ずっと探していた少女だった。

 心臓が強く波打つ。瞳孔は開き切って揺れる。彼女はなお変わる事無く、《インヴァリア》を突き付けて睨み付けていた。その表情も、瞳の色も、そこに宿る感情も、ストレアのものとは到底思えないほどに冷たくて、暗い感じがして。だから確認するように、彼女の名前を呼んでしまう。

 

 

「……」

 

 

 けれど、ストレアは何も言わなかった。表情一つ変えずに見据えるだけ。こちらの動きを警戒しているのか、そこに隙なんて全く無い。既に戦闘は始まっていると言わんばかりで、その足をゆっくりと一歩、前に出した。

 

 

「っ……なんで……」

 

 

 ストレアに合わせるように、一歩後退する。決して怯んだ訳じゃ無かったが、最早、仲間に剣を突き付けられた事実に尻込みしたようなものだった。

 

 

「構えて、アキト」

 

「そんなの、出来るわけが」

 

「躊躇してる時間は無い。あのボスは強敵だよ。アキト無しじゃ、きっと勝てない」

 

「……っ」

 

 

 感情など込められていない。淡々と話すだけのストレア。全てがつまらないというように、俯瞰したような表情で。

 まるでこのボスの事を最初から知っていたように話すその様から、あのボスの強化はストレアによるものかもしれない可能性を助長する。

 

 

「みんなのところに行きたいなら、アタシを倒すしかない」

 

「ストレア!」

 

「早くしないと、間に合わなくなるよ」

 

 

 まるで他人事。その言い様に、思わず剣を握る力が強くなる。アキトにとって重過ぎる選択肢を、軽口を叩くくらい簡単に告げた彼女は、こちらの呼び掛けには何一つ応じてくれなかった。

 確かに未知の事が多過ぎて、知りたい事が多過ぎた。分からない事だらけの中でただ一つ分かるのは、ストレアが攻略組の前に立ち塞がり、どういう訳か邪魔をしているというこの現状のみ。

 何故、どうしてと言葉を零しても、ストレアが剣を構えている理由が分からないほど間抜けじゃない。だが何にしたってストレアと戦う事なんて出来るわけがなかった。

 それでも、背中越しに伝わる仲間の必死の声に、その感情を押し込める。ここでストレアと話し合いが出来るような状況じゃないなら、どうにか振り切るしかない。

 

 

「……フー……」

 

 

 落ち着け。今はボス戦の事を考えろ。そう言い聞かせて意識を切り替える。どうにかしてストレアを引き離し、みんなの元へ行く。幸い、ストレアよりアキトの方がボスに近い。敏捷値にものを言わせて一気に走り出せばストレアを振り切って、短いながらも情報収集の時間を作れるかもしれない。優先すべきは攻略組の危機。ボスに対して短時間で情報を収集出来るアキトなら、そこから反撃の糸口を導き出して戦略を組み立てられるかもしれない。

 行動目的を《96層のフロアボス討伐》に固定。全神経を研ぎ澄ませ、五感の全てで現状を把握する。

 

 

「……───“起動(セット)”」

 

 

 カチリと、何かが嵌るような音が脳内で響く。仮称だが《未来予知(プリディクション)》と呼んでいるこの力の始動準備を始める。一瞬だけ目を瞑り、脳内で散らかる情報を整理し、感情を押し殺す(リセット)

 そして、背後で暴虐の限りを尽くすボスを発動対象として固定し、その瞳を開く────

 

 

 

 

 ────そこに、ストレアはいなかった。

 

 

 

 

「アキトの相手は、アタシ」

 

「……っ!?」

 

 

 すぐ後ろから聞こえた声に、身体が反応する。明らかにストレアの声、だが振り返っている余裕が無い事を本能的に察すると、反射的に右に飛んだ。

 瞬間、アキトが立っていた場所にストレアが上段に構えた《インヴァリア》が振り下ろされた。床に刃がぶつかり、火花と途轍もない金属音が放たれる。 そこを中心点に風が巻き上がり、アキトの髪を揺らした。

 

 

(疾い────!)

 

 

 攻撃を躱されたストレアはゆらりと直立した後、再び顔を上げてアキトを見据える。当のアキトは、今のストレアの攻撃を思い出して、更に困惑と驚愕を重ねた。

 今、彼女ストレアが自分アキトに向けて放った一撃。それを体感してしまったからこそだった。

 

 

(今の……ソードスキル)

 

 

 そう、彼女が放ったのは両手剣ソードスキル《アバランシュ》。単発でありながらも筋力値に物を言わせたダメージを叩き出せる上位スキルの一つ。しかし大振りで隙が大きい。だからアキトがシステム外スキルを発動している隙に、予備動作を全て完了させて後ろから奇襲を掛けたのだと理解するのに、さほど時間は掛からなかった。もし今の攻撃をSTR(筋力値)AGI(敏捷値)型であるアキトがまともに受けていたならば、そのダメージは計り知れない。

 そこから、アキトにぶつけるはずだったその攻撃の威力と、本気が伺える。彼女は本当に、攻略組と戦うつもりなのか────

 

 

「シッ────!」

 

 

 ストレアは床に喰い込んだ刃を強引に切り返し、そのままアキトへと振り上げる。流れるような自然な動きに一瞬ばかり反応が遅れるも、アキトは仰け反る事で紙一重でそれを躱す。

 

 

「っぶねぇ……!」

 

 

 しかし、振り上げた剣を引き戻す事無くストレアは一歩足を踏み入れた。一気に間合いを詰め、アキトの胸元近くまで入り込む。再び上から両手剣が振り下ろされた瞬間、アキトは両の剣を交差させた。

 

 

「この……っ!」

 

 

 ガキィン───!と鋭い金属音が鳴り響き、途端に散り出す火花に目を細める。すぐ目の前にはストレアの両手剣と、その先で覗く彼女の虚ろな瞳があった。ギリギリと音を立てながら、次第に迫るその大剣に押し潰されそうになるのを、片膝を立てる事でどうにか堪える。けれど、彼女に対して武器を使ってしまった衝撃は大きく、その感情によって力の差異が明確になっていく。筋力的に優位なはずのアキトは、その躊躇の所為でどんどんとストレアに押され始めていて。

 そんな中で嫌になるくらい真っ直ぐなのは、ストレアの闇色の瞳だった。

 

 

「っ……ストレア、そこを退いてくれ!」

 

「言ったでしょ?ここから先へは行かせないって……!」

 

「ぐっ……!みんなが、危ないんだよ……!」

 

 

 ここへ来て躊躇っていた全力を解放する。みんなが危ない。それだけの理由だったが、《ホロウ・データ》のキリトとの戦いの時のように、躊躇っている間に誰かが傷付けられるのは耐えられなかった。

 ストレアと戦う覚悟なんて出来るわけがない。だがこの両手剣を押し返し、離脱するだけなら──!

 

 

「ぅ……っ……あああっ!」

 

「……!」

 

 

 交差していた二本の剣と、膝を立てていた足に力を込めて強引に立ち上がり、その勢いでストレアの剣を押し出す。体勢が崩れたその一瞬を逃さず、思い切り床を蹴り上げた。そのまま転ぶ程の勢いで横に飛ぶと、一気にストレアと距離が離れる。すぐさま起き上がって構えるも、彼女は再び脱力したようにゆったり体勢を整えると、アキトを視界に捉えた。

 

 

「────行くよ」

 

 

 一瞬の視線の交錯、再び飛び出したのはストレアだった。横に寝かせた剣にライトエフェクトを纏わせ、アキトとの距離を縮める。構えとエフェクトカラーを読み取り、両手剣単発範囲技である《テンペスト》と看破。

 ただ防御するだけではダメージを受ける。アキトは躊躇いを感じないストレアに舌打ちすると、右手の《リメインズハート》を輝かせた。放つは同様単発技である上段スキル《バーチカル》。

 

 

「せあっ!」

 

「シッ────!」

 

 

 互いの技が、再び激突する。

 両手で放った分ストレアは平然としているが、片手剣であるアキトは腕に伝わるその衝撃に目を細めた。それを隙と判断したストレアは、その鍔迫り合いの中更に距離を詰めると軸足を固め、発動していた《テンペスト》をキャンセルし、《ブラスト》を展開。アキトを巻き込んで両手剣を降り抜いた。

 両手と片手では力の差は歴然。ストレアの一撃に為す術無く、アキトは壁に直撃した。

 

 

()ぅ……!」

 

「……」

 

 

 僅かにHPが減り、一瞬呼吸が止まる。ストレアに直接ダメージを与えられた訳ではない為、彼女のカーソルの色は変わってない。だがこのままではいつまで経ってもボスの元へは行けそうにない。

 すぐさま顔を上げると、アキトは思わず吐き捨てた。

 

 

「っ……くそっ!」

 

 

 彼女はアキトを休ませる気は無いらしく、壁にぶつかり崩れ落ちていたアキトに畳み掛けるべく迫ってきていたのだ。立ち上がりも覚束無いままストレアの斬撃を横飛びで躱すも、追随するようにソードスキルが放たれる。

 

 

(これじゃあ、隙を見てボスなんか視れない……!)

 

 

未来予知(プリディクション)》と、仮称だがそれっぽく呼んでいるこのスキル。神業のように思えるが、長年の経験と直感に裏打ちされた技術的な面が大きい。故にどこまで突き詰めても人間業であり、一度にあらゆる情報を処理するのには向いてない。

 というのも、この力は対処的に予測するのであって、事前に何手も先を読めるような都合の良い代物ではない。集中力に左右される故にボスかストレアのどちらかにしか脳の処理領域を割けないのだ。

 つまりアキトが予測出来る対象は一人に限定される。そしてある程度敵を“視る”事が必要なのだ。だがストレアの立ち回りは、アキトからボスを遠ざける──言わばボスに視線を向けさせない動きなのだ。その為、僅かな情報収集さえ許してくれない。

 

 

(考えろ、考えろ……!)

 

 

 何をするにしてもストレアをどうにかしなければならない事実は変わらない。故に必死に頭を働かせる。ストレアを傷付ける事無く、傷付けさせる事無く無力化し、ボスの元へ辿り着く為の道を。

 度重なる斬撃の嵐を、全て紙一重で回避する。“眼”で捉えられるギリギリで、持ちうる情報を整理して、導き出される最適解に従って身体を動かす。その間、何か決め手になるものを考えねばならないだなんて、とんだ拷問だと歯軋りした。

 闇から這い出でるような光がアキトの喉元に迫る。挙動と軌道に従って両手剣六連撃技《ファイトブレイド》と断定。体勢的に対処の可能性が高い左手でのソードスキルを選択し、同連撃技を使用する。

 

 片手剣六連撃技

《カーネージ・アライアンス》

 

 掠り傷だって許されない。彼女をオレンジにさせはしない。尋常じゃない程に研ぎ澄まされる集中力と、ボス戦を任せ切りにしてしまっている焦りが綯い交ぜになり始め、脳の中が掻き回されるような感覚に陥り始める。

 

 

 ────“力が必要かい?”

 

 

(黙ってろ!)

 

 

 突然頭で喚き出した声を無視し、連撃全てを剣技で弾く。彼女が《剣技連携(スキルコネクト)》で蹴り技《突蹴》を繰り出して来ても驚く暇が無く、身体をくの字に曲げてどうにか躱す。

 

 

 ────“僕がいれば、君の《未来予知(プリディクション)》なんて比にならないけど?それこそ、この場の全員の動きを数手先まで視る事が出来る”

 

 

(お前には頼らない!)

 

 

 キリトに代わるように割り込んだこの声に、信頼なんてない。キリトの意識を押し潰した疑惑がある中で、この戦闘に参加させる道理は有り得ない。

 互いに読み合う中での戦闘で神経をすり減らし、疲労からか単調になりつつある動きに脳内で叱咤する。ストレアの動き全てを把握し、何処かで切り崩さなければならないとして、集中力を深化させる。

 次手を潰すように動く互いの剣技、耐久値と共に神経がすり減っている気がする。だがストレアは、平然と変わらぬ顔で斬撃を繰り返していた。

 

 

「チィッ……!」

 

 

 両手剣は片手剣よりも大きく、重く、そして長い。長いというのはそれだけでメリットなり得る。単純にリーチが伸びる為、ただでさえ加速しているストレアの攻撃をこのままギリギリで予測していたら、いつか両手剣の長さにHPを削られるのは必至。疲労に顔を歪めているのはこちらだけだ、時間の問題だろう。

 しかしアキトはストレアの《インヴァリア》を捉えると、一つの案を導き出した。

 

 

(っ……そうだ、キリトの技なら……!)

 

 

 システム外スキル :《武器破壊(アームブラスト)

 

 相手のソードスキルの発動時、もしくは発動後の攻撃判定が存在しない状態に、武器の脆い部分に一定の角度で攻撃を入れる事で、意図的に武器を破壊するキリトの技だ。以前一度だけ目にした事がある。上手くいけばストレアの《インヴァリア》を破壊し、ボスの元へ行けるかもしれない。仮にストレアが次の武器を展開するにしても時間は掛かる。その隙に乱戦に紛れれば、ストレアはこちらを追うに追えないだろう。

 重要なのは、相手のソードスキルが描く軌道などを熟知する事。そして、武器の種類によって脆弱部位と必要な角度が違う事だ。前者はともかく、武器の脆い部分や技をぶつける角度については初心者であるアキトに分かるはずもない。

 そのうえ見様見真似、だがこれしか手は無い。

 

 

「はあっ!」

 

「らあっ!」

 

 

 ストレアの刺突をクロスさせた剣の交点で受け止め、そのまま後方へと飛ぶ。漸く一定の距離が空いた事で、アキトは警戒しながら視線を動かした。

 そこには、ストレアによって強化された巨躯なる獣に、必死で抗う仲間達の姿があった。五本あるHPはどうにか一本半削られており、アスナの指示による統率がなんとか取れている形だった。だがまだボスの行動全てを割り出せている訳ではないようで、対処出来ずにダメージを受けるプレイヤーも少なくない。

 

 

「……!」

 

「……っ」

 

 

 ────瞬間、アキトはアスナと目が合った気がした。

 焦燥に駆られ、戸惑い混じるその顔は、不安を纏ってアキトを見ていた。“助けて”と、勝手だが言葉にならない声を聞いた気がした。

 

 

「……ぁ」

 

 

 けれど、それは勘違いだった。

 アスナは僅かに瞳を揺らしていたが、すぐにそんな表情を消し、しっかりとした眼差しでアキトを見て頷いたのだ。私達は大丈夫だと、心配するなと、そんな顔だった。今度こそ、それは勘違いじゃない。けれど、きっとあれは痩せ我慢。本当は怖くて仕方無いはずだ。誰もがこの恐怖に耐え切れないだろう。

 そしてそれはアキトも同じだった。また失う恐怖を、思い出してしまっていた。

 ふと視線を戻すと、ストレアは隙を突くような事も無く立っていて、こちらを見据えていた。

 

 

「……ストレア」

 

「覚悟は決まった?」

 

 

 ストレアの問いに答える事無く、紅い剣(リメインズハート)蒼い剣(ブレイブハート)を構える。ストレアは問い詰める事はなく、合わせるように剣を寝かせた。

 仲間であるストレアに剣を向ける覚悟なんてあるわけない。そんなもの持ちたくもないけれど。大切なものを守る覚悟、誰かを助ける覚悟なら、もうずっと前から決めている。

 

 

「……っ」

 

 

 恐れるな。前を向け。

 ただ、アスナ達の元へ行く為に────

 

 

「いっ……けぇ!」

 

 

 床を踏み抜く勢いで飛び出す。ストレアとほぼ同時だった。空気に呑まれるな。狙うはストレアの両手剣《インヴァリア》、必要なのはソードスキルの軌道と武器の脆弱部位、更にぶつける角度の把握だ。ストレアがソードスキルを発動するその瞬間を見逃すな。

 一気に加速したアキトは、ストレアの間合い、懐へ飛び込む。急に入り込まれた事で、ストレアの足が蹴り技という形でアキトの視界を潰しにかかる。しかし読んでいたアキトは既に右へ飛んでおり、ストレアの技は空を切る。瞬間、隙を生んだ彼女の頭上へと剣を掲げ、一気に振り下ろした。ダメージを与える事が目的ではなく、隙をを作らせる為のものだ。

 

 

「チッ!」

 

 

 連携(コネクト)・《エンブレイザー》

 

 ストレアが舌打ちと共に、左手でアキトの《リメインズハート》を弾いた。アキトが仰け反った瞬間に体勢を戻し、下方から斬り上げる形で剣を振るう。

 アキトは咄嗟に《ブレイブハート》を横にして下に向け、迫り上がる《インヴァリア》に直撃させた。そのままストレアの両手剣を抑え込み、引き寄せた紅剣に光を纏わせた。

 

 

「!」

 

 

 ソードスキル。理解するのは容易だろう。だが《インヴァリア》を蒼剣で抑えられた現状でストレアが取れる選択肢は限られてくる。

 一つは剣を離して離脱、もしくは《体術》で応戦するか。しかし剣を離してしまえば、それだけでアキトはこの場を離脱してボスへと向かう隙を手に入れる事になる。ならば、ストレアがとるのは二つ目の選択肢────

 

 

「っ……ぁぁあああっ!」

 

 

 ストレアは、《インヴァリア》が蒼剣で押さえ付けられている状態で発動出来るソードスキルを選択した。声を漏らす程に剣に力を込め始め、上から押さえていた蒼剣が輝きを帯びた大剣にジリジリと退かれ始める。このままいけば弾かれ、《ブレイブハート》は後方へと飛ばされてしまうだろう。

 だが、蒼剣で位置が固まっている今なら、狙える───!

 

 

「ここ、だああぁぁああっ!」

 

 

 放ったのは、片手剣単発突進技《ソニック・リープ》。

 黄緑色のエフェクトを帯びながら空間を走る《リメインズハート》は、ストレアの両手剣──その横腹に命中する。

 

 瞬間、

 

 バキン!と空間内に響き渡ったのは甲高い金属音だった。アキトは音の中心点へと即座に視線を移す。そこには、あれほど平然としていた表情を一変させたストレアと、その手には根元からポキリと砕けるように折れた《インヴァリア》があった。

 

 

(破壊、出来た……)

 

 

 それを見た直後、アキトは全身が総毛立つ程の何かを感じた。達成感にも似た感情。そして何より、ストレアを傷付ける事無く無力化した事実はアキトにとって上出来だった。

 そもそも武器破壊と言う現象の確率は低く、実際に狙ってできる様なものではない。それが、一定のアルゴリズムで動くモンスターならまだしも、様々な思考を持つプレイヤーとなれば尚更だ。

 だからだろうか。ストレアは手元の変わり果てた《インヴァリア》を見下ろして、ただ呆然としていた。武器を取り出す様子も無い。ならば、あれが最初で最後の一本だったのだ。

 

 

「……ストレア、ゴメン……」

 

 

 仕方が無かったとはいえ、彼女の大事な武器を折ってしまった事に対して謝罪した。けれどストレアは何も言わず俯いて、折れた《インヴァリア》を床へと落とした。瞬間硝子片のように簡単に砕け散ってり、光が空へと霧散する。

 

 

(みんなは……!)

 

 

 アキトはすぐさま体勢を整え、ボスを視界に捉えた。

 俯くストレアの立っている向こう側。HPは二本減っており、攻略組がなんとか善戦している事に僅かに歓喜する。次第に攻撃パターンを把握し始めているようで、ボスの挙動に対する動きも先程と打って変わって良くなっていた。

 摩耗した神経に逆らうように走り出し、ボスを見上げる。一瞬、奴がこちらを見たような気がして、途端にその足を加速させる。

 

 

 

 

 ────瞬間、ストレアとすれ違った。

 

 

 

 

「────“起動(セット)”」

 

 

 

 

 その声は、ストレアのものだった。

 

 

 

 

「なっ……ぐああっ!!」

 

 

 突如、背中から“何か”に斬り付けられていた。駆けていた足は縺れ、体勢を崩す。

 一体何が────!?困惑などさせてくれる暇もなく、瞬間二撃目が横腹を襲った。途轍もない威力で放たれたそれは、容赦無くアキトをボスから引き離し、壁の方へと吹き飛ばした。

 

 

「がはっ……!」

 

 

 地面を削るように転がり、壁に激突する。衝撃で剣を手放し、視界が歪み、息が詰まった。咳き込みながら震える身体を起こし、飛んできた矢先を見上げる。

 

 

 ────そこには禍々しい剣を手にこちらを俯瞰する、ストレアの姿があった。

 

 

顕現せよ(ジェネレート)、《ティルファング・トレイター》」

 

 

 それは、恐らくストレアの手にしている剣の名前。黒い瘴気と稲妻を放つ、何処かで見た事があるような闇色の片手用直剣。

 確かに今のは剣による斬撃だった。けれど、ストレアは何も持っていなかったし、新たに武器を出すにしてもウインドウを開く時間が必要なはずなのに。

 

 

「……アキト。絶対に、貴方を行かせたりしない……!」

 

 

 ストレアは《ティルファング・トレイター》を構え、アキトに突き付けた。吹き飛ばされた事で物理的な距離は開いていたが、それでも既にストレアの間合いにいるかのような緊張感と、殺気を感じた。

 どんなに意表を突こうとも、武器を破壊しようとも、彼女はこの場を譲らないと、その瞳が訴えていた。怒りのような、憎悪のような、そんな表情を貼り付けた彼女は、本気でアキトを倒すつもりで。

 

 

「どうして、そこまで……!」

 

 

 未だ拭えない戸惑いの中、アキトは疑問を口にした。

 何が彼女をそこまで突き動かすのかが理解不可能だった。ストレアという少女は他人を嬲るような人格破綻者というわけでもなく、かと言ってPoHという狂人のようなレッドプレイヤーでもない。しかし一撃一撃に込められる執念染みた何かは、僅かな攻防であってもアキトにすら届くという異端なもの。

 ここまで攻略を進めてきた彼女が、何故行く手を阻むのか。理由も知らず見据えた彼女は、ボスが暴れるこの部屋の中でも一際存在感を放っていた。

 

 

「……前に一度、聞いた事があったよね」

 

「え……」

 

 

 唐突にそう口を開いたストレアは、構えていた両手剣を降ろし、床に突き刺した。そして諦観混じった表情で、仕方なさそうに、悲しそうに、あまりにも痛々しく笑った。

 

 

 

「……ずっとここに居られたら良いって思わない?」

 

 

 

 切実な、零れるような問い。

 以前も聞かれたその質問に、すぐに答える事が出来なかった。あの時と同じだ。わけも分からず瞳が揺れ、何かを言おうと口は開くが何も音を出せず。その質問の意味を、意図を、ずっと考えるだけ。

 そして、その時と同じだ。ストレアのその問いはまるで、彼女の心の叫びそのもの。

 何も言えないままの時間が過ぎる中で焦燥に表情を曇らせるアキトの前で、ストレアは崩れ落ちそうな表情で呟いた。

 

 

「……この世界には、喜びも悲しみもある。怒りも、不安も、恐怖も。けれどそれは現実世界と何も変わらない。アキト、前に言ってたよね。でも分かってるんだ。どれだけ言葉を飾っても、どれだけ本物だと思い込んでいても……みんなにとってこの世界は、“夢”のままなんだって」

 

 

 それは言い得て妙だ。この世界がどれだけ大事でも、最終的に現実に戻らなければならないプレイヤーにとっては、この世界は二の次だった。いつか覚めるべき長い長い“夢”。最後には切り捨てられる側であり、変わらないと言いつつも結局現実世界を選んでしまう。現実に置き去りになっている身体を考えても、現実に色んなものを忘れてきている人達の事を考えても、攻略の停滞は有り得ない。

 だから、そんな事は無いとアキトには言えなかった。それは否定する事の出来ない真実だったから。このSAOという夢から覚める為に奮闘してきた二年間の意味を、無には出来なかったから。

 きっと誰しもが、ストレアにも分かっていたのだ。不変では──“永遠”ではいられないという事が。

 

 

「でも……でもね、アキト」

 

「……っ!」

 

 

 瞬間、背筋が凍った。僅かに空間が歪むのを感じる。

 ストレアの周りから風が巻き起こり、バチバチと稲妻のようなものが身体を包む。脱力したように俯いて立っていたストレアは、やがてその姿を変えて現れた。

 

 Equipment : 《エンプレスコート》

 

 薄紫だった軽装備は完全に掻き消え、殆ど黒に近い暗い紫色の襟付きコートを身に纏っていた。彼女の心の色を体現したようなそのコートはまるで、今までの思い出と訣別したようなイメージを湧かせる。裾を翻していた風が止むと、ストレアは《トレイター》の柄を強く握った。

 

 

 

 

「夢がいつか覚めるものだとしても」

 

 

 

 

 ────彼女は、消え入りそうな声で告げた。

 

 

 

 

「アタシはずっとこの夢を見ていたいんだ……」

 

 

 

 

 ストレアのものとは思えない声音。目を瞑ってしまいそうなほど瞼が閉じられたその奥で、悲哀に満ちた瞳が覗いた。息を止めてしまうほどに狂おしく、手が届かないと思わせる彼女は、触れただけで壊れてしまいそうな脆さがあった。

 ボロボロで、辛くて、儚くて、切なくて。

 彼女の事情すら何一つ分かっていないのに、どうしようもなく理解してしまうのは────

 

 

 

 

 彼女が、限界なのだという事。

 

 

 











小ネタ『グリッ○マン風』


ストレア 「……ずっと夢なら良いって思わない?」(ア○ネ風)

アキト 「夢だから目覚めるんだよ。みんな同じ。……それは、ストレアも」(響○太風)

ストレア 「……アタシはずっと夢を見ていたいんだ……」(ガチトーン)

アキト 「……俺はそっちには行けない」(無慈悲)

クライン 「容赦無しかよ」ベシッ

アキト 「痛っ!」



※本編とは無関係です。










最近上手く描写出来ない病を発症中……ストーリーに対する質問、もしくは描写的に分かりにくい部分があれば感想でお伝えいただけると嬉しいです。その都度修正致しまする。

ちなみに最後にストレアの装備が変わる描写がありましたが、実際に《エンプレスコート》という攻撃型装備をゲームで装備させる事ができます。
今回の題名『虚ろのエンプレス』で画像検索してみて下さい。



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Ep.115 黒より昏く






理想は理想。故に仮想。




 

 

 

 

 

 息苦しさをその身に感じながら、アキトはストレアを見つめる。彼女は、嫌なくらい敵対的だった。

 

 “反逆者(トレイター)”の名を冠した凶器をその手に、全てに決別を告げる表情を照らして。かつて使っていた得物とは打って変わって小さく、細く、華奢だったが、赤黒い刀身にねっとりとまとわりつくような暗い瘴気、赤黒い稲妻、そこから迸る威圧感を放ちながら告げる。

 

 ────この剣はただ、お前を殺す為の剣なのだと。

 

 そう、“反逆者(トレイター)”とは暗喩だ。

 お前達攻略組に反逆するという、彼女の──ストレアの意思表明。変わらないでいる事を求め、大きな変化を拒み、停滞を望む彼女の意志を尊重し具現された剣だ。そして、これから眼前に立つ“黒の剣士”を殺すと決めたその意志に応えるべく、その刀身を光らせている。

 

「……っ」

 

 アキトは、壁に手を付いて弱々しく立ち上がる。闇色のコートを翻す彼女を前にして感じるのは、大きな衝撃と僅かな焦燥。変わり果て、かつての姿はそこには無い。雰囲気はまるで異なり、同じなのは面影だけ。同じ顔の別人だったらどれだけ良かった事だろう。

 立ち上がるアキトに目線を合わせるように、ストレアの顔が上がる。剣の穂先は変わらずアキトに突き付けており、その虚ろな瞳はただ闘志を宿し、同様のものを彼に求めていた。

 だが今のアキトには打開策など考えられず、揺らめく瞳に彼女の求めるものはなかった。そこに英雄に憧れた勇者の姿なんて存在せず、今目の前で繰り広げられている状況全てを脳内に羅列するだけに留まっていた。考えなんて、まとまるはずがない。

 

「……」

 

 アキトの視線は、彼女の頭上。それが視界に入った瞬間、唇を噛み締めた。

 当然だが、アキトを斬り付けた際に彼女のカーソルの色はオレンジへと変化していた。気付いた途端、自嘲気味に笑うしかなかった。

 いっそ、最初からストレアを攻撃する覚悟さえあればとさえ思った。本当は頭の片隅でずっと考えていたのだ。彼女に攻撃させるくらいなら、先に自分のカーソルがオレンジになってしまえば良いと。

 それでもそうしなかったのは、奢りと甘さ。そして覚悟の無さだ。ストレアは仲間、だから攻撃してくるはずが無いだなんて、そう言い聞かせて仲間に剣を立てる事から逃げていただけ。

 

 

「……やっぱり甘いね、アキトは」

 

 

 正義感よりも優先すべき事だった。だが優しさよりも甘さだった。その上澄みを掬い取られ、こうして剣を向けられている。

 ストレアは、その瞳を細める。身体の震えを抑えようとするアキトの耳に、冷たいその声は聞こえてきた。

 

 

「アキトの“眼”、全く闘志を感じない。貴方はアタシを倒す覚悟なんて無い。だから貴方はアタシを無力化する手として、キリトの(・・・・)武器破壊(アームブラスト)》を選択した。違う?」

 

「っ……キリトの技だって知って……」

 

「知ってるよ。何度も見てきたからね(・・・・・・・・・・)

 

 

 ────何度も見てきた。

 その言葉の意味がよく分からない。だが、前述に対しては百点の答えだった。情けなさに笑いすら込み上げてくる。

 間抜けだが完全に読まれていた。こちらの作戦や考えの甘さ、それら全てを骨の髄まで。

 

 

「相手が悪人であっても非情になり切れないところは、アキトの弱点だよ。だから、アタシに負けるんだ────!」

 

 

 瘴気を纏った、風が舞う。生暖かく不自然なその風に、視線は上を向く。

 頭上からは豪速を以てその長剣が振り下ろされ、アキトは咄嗟にその足が動いた。何かを考えた訳ではない。長年の経験か、或いは直感か。そんなものが介在していたのか分からぬ程の反射で、その足が意思持つように、その場から飛び退く。

 

 

「────っ」

 

 

 瞬間、アキトがそれまで寄りかかって立っていたその空間の壁が理不尽に爆ぜた。暴力にも似た圧倒的な一撃で簡単に斬り崩され、灰色の煙が舞う。躱したにも関わらず衝撃が耳に響き、光の熱を背中に浴びた。勢いで前転し、咄嗟に起き上がるとすぐさま反転し、左手の《ブレイブハート》を右手に持ち替えて構える。煙から現れた彼女は、黒い稲妻をその剣に走らせながら、ジロリとこちらを見やっていた。

 間違い無く、今あの場に留まっていれば致命的だった。“死”という世界と隔絶した概念がすぐ喉元まで来ている事を感触として捉え、額の汗が頬を伝う。

 

 しかし、この場でアキトが取れる行動なんて、もう何も残されていなかった。ストレアの推察は全て正しい。つまるところアキトは、彼女を攻撃する事なんて出来ないのだ。

 そんなアキトが、唯一突破の手立てとして確立させたのが《武器破壊(アームブラスト)》。結果として武器の破壊自体は成功したが、離脱の手としては失敗した。もう彼女との戦闘を避ける手立ては無くなり、カーソルの色が変わってしまったストレアも割り切って行動する事が出来る。

 

 

 ────完全に、打つ手無しだった。

 

 

 彼女は最初から本気で。アキトは今もなお迷いの中にいる。その差だ。その差こそが、この状況を生み出している。結果が全てを物語っているのだ。ストレアに対して非情になり切れなかった分、躊躇いの無かった彼女の方が上手だったのだと。

 

 彼女の足元に転がっている《リメインズハート》は、いつもよりその輝きが濁っているように見えた。現在手に持つ《ブレイブハート》は、穂先から柄にかけてまで、小刻みに震えていた。それは、紛れもなくアキトの震え。

 

 今この時この瞬間に、何を優先して思考すべきなのかさえ定まらず、ただ思考停止のまま剣を構えているのと何ら変わらない。あまりにも情けなく、惨め。ストレアに剣を突き立てられ、斬り付けられ、そんな事象がアキトを打ちのめしていた。

 だがそんなもの、今の彼女が考慮するはずも慈悲も無い。大して予備動作とも呼べない滑らか過ぎる初動に反応が遅れる。《トレイター》は赤黒い残光を引きながら急所目掛けて突き出され、アキトが回避と決めた時には、その肩は掠らされていた。

 

 

「しっ────!」

 

「ぐっ……くそ!」

 

 

 右に逸れたアキトを追うように身を捩り、その肉体を反転させ、勢いを乗せて《トレイター》を突き出す。その際、刀身にまとわりつくのは紅蓮の輝き。動作一つ一つが加速する中でも、雑になる事の無い流麗な動き。アキトは即座に《ヴォーパル・ストライク》だと看破。

 光芒としたエフェクトが、薄暗い空間の影の合間を這う。たどたどしさなど微塵も無い、最適化された突きの一撃がそこにあった。

 

 アキトは咄嗟に、彼女に向けていたその背を反転させる。拍子に放ったのは三連撃技《シャープネイル》。勿論ストレアにぶつける為のものではなく、彼女の得物の軌道を逸らす為のスキルだ。しかしそれも甘さだと言われればそれまでの脆弱な代物。その一撃目を振り返り様にストレアの《トレイター》に重ねた。

 

 

 ────ギイィィ、ンッ!

 

 

「ぁ……ずっ……!」

 

 飛び散る火花と共に、軌道を妨げる事が叶わなかった刃の穂先が、アキトの左目下の頬を抉り取る。血に酷似したエフェクトが飛び散り、視界左上のHPバーが勢い良く減少した。

 ストレアの手にする《トレイター》が魔剣クラスであるのもそうだが、元々両手剣を自在に操る事が出来る彼女のSTR(筋力)値から繰り出される攻撃は、片手剣になっても衰える訳が無い。寧ろ得物の質量が軽くなる分厄介だ。

 堪らず後退するべくステップを取る。だがストレアも同時に地を蹴り、空いた左手を振りかぶっていた。

 

 連携(コネクト)・《エンブレイザー》

 

 黄色い炎を思わせる光が彼女の左手から迸り、対処しようとした時には既に互いの間合いだった。理解の及ばない程の速度で、たった一歩で、一瞬で。視界を覆った彼女のその瞳には、明確な殺意があった。

 

 

「ぐぁっ……!」

 

 

 命を狩り取る事を目的としたその一撃は酷く重い。アキトの鳩尾を突き上げるように抉り、手首を回転させながら弾き出す。瞬間、呼吸が止まり、身体はくの字に折れ曲がる。意識以外の全てが飛ばされる感覚、といえば良いだろうか。女性から放たれたとは思えない、ボスに匹敵する渾身の一撃だった。

 

 地面と並行に飛ばされ、やがて床を滑るように転がり、摩擦で止まる。コートの一部が熱を持ち、抉れた頬は痙攣していた。俯せになった身体を、頭を、どうにか上げる。少し離れた場所に立っていたストレアを中心に視界の縁は赤く染まり、見るもの全てが朧気になっていく感覚。

 一瞬だが、死神の白い指が頬に触れた気がした。

 

 

「ゲホッ、ゲホッ……く……っ」

 

 

 立たなきゃ、と即座に脳が身体に指示を出す。

 だがストレアを相手にしてまともに戦えるかどうかすら怪しい。脳内で駆け巡る数多の感情を置き去りにして、事実だけを捻り出す。そうして導き出したのは、ストレアと戦う意志があるのかどうかという、あまりにも今更過ぎる問題だった。

 何とも情けない事だ。この胸を貫くような悲しみも、狂おしい程の痛みも、全て目の前の彼女の所為で引き起こされたものだというのに。何処かで、未だ繋ぎ止められた彼女への想いが根付いていた。

 誰が悪いわけでもない。至らぬのは、他でもない自分。だって、ストレアの今までが全部、演技だったなんて。偽りだったなんて思えない。でもそれは、みんなも思っていることだ。

 

 呂律さえまともに回らない中、近付くその影は冷たい。視線という剣が体中を突き刺し、恐怖で起きることすらままならない。

 ストレアは、そんなアキトを細めた瞳でただただ見下ろしていた。仲間に向けるものとは思えない、冷酷な眼。それは、とても仲間に向けるものではなかった。

 それを改めて目の当たりにしたアキトの心に、何とも言えぬ感情が渦巻いて、

 

 

「────なあ」

 

 

 震える声で、そう切り出した。

 ストレアはその足を止め、一度瞬きした後その瞳を細めた。握る刃の先端を光らせ、アキトの次の言葉を待つ。

 情など介在しないその眼の冷たさを目の当たりにして、アキトは唇を噛み締める。けれど、それでもこの反逆を今も続けんとする彼女に、どうしても聞かなければならないことがあった。

 

 

「っ……ストレアの望むもの……欲しいものは、こんなことをしなきゃ、手に入らないものなの……?」

 

 

 どれだけ優しい心を持とうとも、仲間を傷付けられて怒らないほどアキトは冷静じゃいられない。

 今もなお黙りを決めるストレアの態度に苛立ち、顔をくしゃくしゃにして叫んだ。

 

 

「こんなっ……攻略組のみんなを傷付けなきゃ望めないものなのかよっ!?」

 

 

 ────そんなもの捨てちまえ。

 そう言えたなら良かったのに。

 

 アキトの悲痛な叫びの理由は、乱れる呼吸と共に吐き出された。

 出会い、過ごした時間こそ他にはかなわないかもしれない。それでもアキトやアスナ達、攻略組のみんなにとって、ストレアの笑顔は殺伐とした最前線に彩りを加えてくれた。快活な声も、奔放な性格も、太陽のような笑顔にも、自分達は何度も救われてきた。でもそれは、ストレア自身が楽しいと思ってくれるからこそ見られるものだ。

 

 ストレアも、自分達と過ごす時間が大好きだと、そう言ってくれたではないか。それなのに、理由も言ってくれずにこんな決別は……あんまりではないか。

 

 

「どう、なんだ……答えてくれ……教えてくれ……俺は……」

 

 

 掠れる声、弱々しく震える身体。

 何とか己を律して絞り出したその言葉は、アキトの甘さと弱さが入り交じって、歪んだ。現状を受け入れるのが難しくて、拒絶したくて、嘘だと思い込みたくて。

 信じるように、委ねるように、自分の言葉をストレアに押し付けた。

 

 

 

 

「……そうだよ。これが、アタシの望み」

 

 

 

 

 ────けれど、返ってきた言葉はあまりにも非常だった。

 少し間を置いて放たれた言葉は、どれだけ願っても変わらない拒絶だった。もう聞きたくないと思っても、その声は嫌に通って耳に入り込んだ。

 起き上がることも出来ぬまま、ただその言葉を聞くことしか。

 

 

「アタシとアキトの目的は、絶対に相容れない。だから、ここから先に進ませるわけにはいかない」

 

「……すと、れあ」

 

「貴方が守りたかった世界、大切にしたかった時間は……もう過去のもの。そこにアタシは戻らない。楽しかったあの頃は……もう終わりなの」

 

 

 言い切った彼女の氷のような言葉に、アキトは文字通り固まった。淡々と告げるストレアに、昔のようなあたたかさなんて微塵も感じられなかった。

 あれは夢幻の一時だったのだと、嘘偽りだったのだと、そう言われたような気がした。もう二度と、帰って来ることはないのだと真っ直ぐに告げられた。

 呆然とするアキトに、ストレアはその穂先を合わせる───が、やがてチラリとその視線を横に逸らす。

 

 

 その瞬間、今までの比にならないほどの強大な雄叫びが、再びこの空間を震撼させた。

 

 

 

 

『『『Gu───Aaaaaaaaaa!!』』』

 

 

 

 

 部屋の中心点で巨大な赤黒い野獣が、天井を見上げて殺意を叫ぶ。見れば、ボスのHPバーは既に最後の一本に突入しており、ゲージの色彩は血の色に染まっていた。

 最後の正念場という段階に来て、敵が再び強さを増す合図にも思えたその咆哮と同時に、それを囲う攻略組たるプレイヤー達の身体が震え、萎縮しつつあるのが見て取れた。

 

 

(っ……そ、んな)

 

 

 アキトはどうにかして自らが伏すその床に腕を立てる。戦意を失いつつあったその体をブルブルと震わせ、どうにか全体に力を込め始め、その瞳でボスの姿を睨み付けた。

 煌めくような真紅の毛並みは、次第にその輝きを禍々しい悪意を織り交ぜた異質の色へと変化する。戦いの中で亀裂の走る牙は、それでもなお増し続ける殺意を現すが如く鋭利になっていく。瞳からは最早自我を感じえず、本能のままに他を蹂躙する意志と、食物連鎖の頂点に君臨する者の気迫を迸っていた。

 それが、どうしようもなく恐怖を募らせる。離れた場所にいるアキトでさえ、悪意が膨れ上がった異質な存在に対して、何を考えれば良いのかさえ分からなくなり始めていた。取り囲むアスナ達の顔は、段々と青ざめ始めていた。

 純粋たる力を前に、彼らは察したのだ。

 

 

 ────勝てない。

 

 

 アキトだけじゃない。アスナ達でさえそう感じたかもしれない。

 ストレアが強化したボスのHPを危険域にまで削ることでさえ命懸けだったのだ。かなりの精神力を費やして築き上げてきた勝利への道筋はそれでもなお細いままだったというのに。

 

 

 まだ、まだ。

 まだこの怪物には、上があるのか────

 

 

 ────カシャリ。

 武器を落とす音が聞こえる。それも一本二本の話ではない。恐怖に支配された彼らの体は震えを助長し、柄を手にする力さえ失わせ始めていたのだ。

 どれだけ抗っても終わることのない世界の理不尽を前に、まともに動くことすらかなわなくなりつつあった。

 

 シリカやリズ、見知った顔の面々も、その力を前にただ見上げることしか出来なくなってしまっていた。口元が震え、死の恐怖が喉元にまで来ているはずなのに、声らしい声すら出せないまま、ゆっくりと足元を見下ろすボスの視界に収まっていく。

 

 

 これは、自分のせいなのか。

 ストレアを退けない、未熟な自分の。

 なのに、未だなお体が動かせないのは、恐怖からか。

 諦観からか。

 

 

 

 

「……」

 

 

 

 

 震えているのは────“怒り”からか。

 

 

 

 

「……可哀想だけど、アスナ達は死ぬよ。貴方を信じて耐えているようだけど、アキトは戦えないものね。けど、容赦なんてしない。アタシはこの世界を守ると決めたの。たとえ、貴方のような臆病者が相手でも」

 

「っ……臆病者……だって……?」

 

 

 この状況下に置かれても、変わらぬ熱の無さで言葉を紡ぐストレア。アキトは、段々と“何か”の胎動を感じ始めていた。彼女が放つ言霊の数々を脳に入れる度に心臓の鼓動が強く、熱く、早く、ドロリとした赤い何かを全身に張り巡らせていく。

 

 

(なんで……どうして……みんなが殺されそうなのに……そんな顔ができるんだ……)

 

 

 かつて共に笑いあった存在が、自身の作り上げた獣に絶滅される景色を目の当たりにしても、のっぺりとした冷めた彼女の表情を見て、まるで殴られたような衝撃を受けた。

 今までのストレアが、何もかも偽りだったと、そう突き付けられた気がして。

 

 

「そう……相手がアタシであることを言い訳にして、戦うことから逃げてるだけ。自分の甘さを勝手に押し付けて、勝手に期待してる。アキトは誰かの為に、自分の理想を変えられない。だからアタシを殺せない。だから……ああなる(・・・・)

 

「っ……な、にを……」

 

 

 ストレアの視線の先を追う。同時に、まるで彼女のその言葉が合図であったかのように、その赤き獣は動き出した。頭を伏せて背中を丸め、唸り声を上げ始める。

 だが口元が開き、段々と光が収束し始めるのを見た瞬間、奴が何をせんとするか、それを理解した。範囲攻撃、それもかなり広範囲のものだ。

 

 

 周囲には、奴を包囲する攻略組の仲間達。

 それを見たアキトは、文字通り血の気が引いた。

 周りから全ての音が消えてなくなり、視界全体を覆う光が迸るその刹那に、アキトは叫んだ。

 

 

 

 

「っ……みんな、逃げろぉ!!」

 

 

 

 

 ────アキトのその声で、どれだけのプレイヤーが反応出来たか分からない。誰もが肥大化するボスモンスター相手に完全に萎縮していたからだ。

 そんな彼らに構いもせず口を開けたままの獣からは、目を覆いたくなるほどの光が放たれた。

 

 

 動けた者はいただろうか?

 死を覚悟した者は?

 諦めを、絶望を感じた者はいただろうか?

 この惨状に至る前に彼らがどんな心境を持ってあの場にいたのかは分からない。

 

 

 

 

 だが事実としてあるのは、アキトの瞳に映ったその景色。

 

 

 

 

 ブレスの炎に包まれる、自分以外の全てのプレイヤーだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────焦げ臭い匂いに刺激され、細めていた瞳をゆっくりと開く。

 

 

 同時に身体全体を襲っていた茹だるような熱が段々と引いていくのを感じた。伏せっていた固い地べたがその冷たさを主張し始め、指先がピクリと動く。けれど、未だその四肢をまともに動かすことも出来ず、ただ黒煙を撒き散らす部屋の中心にうつ伏せで倒れていた。

 

 

「……ぁ」

 

 

 奴の広範囲に渡る巨大なブレスによって、光芒とした炎に包まれていた世界がゆっくりと時間を掛けて血のように赤い炎を鎮めていく。闇色の煙が視界を覆い、もどかしくも見据える先を遮っていた。

 もう何度見たか知れない見慣れたはずの部屋なのに、そんなものは一瞬にして炎蔓延る灼熱の地獄へと様変わりしていた。

 

 

 見渡す限りに人の影が無い。

 その生気も、殆ど感じられない。

 何が起きて、どうなったのか。そんなものは判別するまでもなかった。

 アキトはその結果を事実として脳が認識する前に、最悪の事態の想定を消し去るように言葉を紡いだ。

 

 

「が、ぁ……み、んな゛……!」

 

 

 音にすらならない掠れた声は、全てを物語っていた。

 思考が先行するのは、自身よりも攻略組みんなの安否。腑甲斐無い自分を信じてボスモンスターとの戦闘に耐えていた彼らの生死は、アキトにとって何よりも大切なものだった。

 けれど呼ぼうにも叫ぼうにも声が出せないのは、足の爪先から喉元にまでかかる震えのせいか。

 この震えは、恐怖だと分かる。この先に待ち受ける景色を目の当たりにする前に確信めいたものを胸に宿し、それが恐れから来る震えを助長する。

 

 

 

 

 静か過ぎるこの世界にたった一人、取り残されているみたいで────

 

 

 

 

「……っ、ぁ」

 

 

 

 

 散りばめられた黒煙が段々と消え、視界が晴れてゆく。それだけで、アキトの活力足り得た。

 震えて動かない自身の肉体をどうにか動かそうと、無理矢理に捩りながら徐々に彼らの元へと前進していく。やや黒に近い灰色の煙の中を掻き分けるように抗い、腕の力だけで懸命に這いずる。

 

 

「シリカ……リズベット……」

 

 

 走馬灯のように、彼女達の顔が脳裏を駆け巡る。甦るのはいつだって、彼らの笑った顔。

 まるで、かつてサチ達を無残にも死なせてしまったあの時の様に。

 

 

「リーファ……シノン……フィリア……」

 

 

 ストレアとの戦いを躊躇い、信じて耐えていた彼女達を────その信頼を裏切ったアキトは、情けなくも彼らの名前を叫ばずにはいられなかった。

 自分の責任だと、自分のせいだと、分かっていても止まれなかった。

 

 

「クラ、いん……えぎる……ぅ、あ……」

 

 

 気が付けば震えは唇にまで浸透し、言葉を音にするのさえ困難なものに変わっていた。聞き取ることもままならないその声が、意味を成さぬ言語として虚空に霧散していくのは時間の問題だった。

 それでも、アキトは執着とも呼べる心で何度も仲間を呼んだ。

 

 

 

 

「ぁ、すな……あすな……あす、……な……っ」

 

 

 

 

 最初は対立していた彼女。

 何度も喧嘩し、衝突した彼女。

 折れそうな時、苦しい時、いつも傍にいてくれたのはアスナだった。

 誓いのために、ただ守るべき対象だったはずなのに、いつしかこんなにも────

 

 

 

 

「アスナ……あす、な……みんな、は……」

 

 

 

 

 ずりずりと亀の速度で這いずり進むアキトの瞳には、盲目なまでに無慈悲な希望が宿っていた。考えたくない事象全てを排斥した虚ろな思考だった。

 晴れた黒煙の先に何が待ち受けているのか、その覚悟すら脆く曖昧で、きっとみんな大丈夫なのだと、確証無き悲しい確信が魂に根強く揺らめいていた。

 

 

 引き摺るように、這いずるように、縋り付くように、自身の戦うべき理由であり拠り所である彼らの名前を繰り返しながら、現れる景色を待ち受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ── そこは、人の温もりが消えた世界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒い灰と共に光の粒子が、たった一体立ち尽くす獣の周りで散りばめられ、そのまま上空へと舞い上がっていく。それは決して幻想的なものではない。プレイヤーがHPをゼロにし、消滅する際に生じるエフェクトだった。

 それを目の当たりにして────数時間前には笑い合っていた仲間が見るも無惨な世界に、背景として転がっている現実を漸く受け止めた。

 

 

 ────光の破片は、仲間である誰かの死の証明だった。

 

 

 生じた破片の近くに転がっていたソードと大盾から、血盟騎士団の壁役であったプレイヤーが死んだのだと理解する。それも、一つや二つの話ではなかった。

 かつて二十五層で起きた悲劇を目の当たりにしたかのような錯覚────否、同等の光景が目の前にあった。まるで夏の蛍のように大量に、その光は虚空に霧散していった。

 

 

「────」

 

 

 言葉なんて、あるはずなかった。

 視認出来るだけでも、あれだけいたプレイヤーの半分近くが姿形すら残らずに消えている。その死を、世界に残すことなく光となって消滅してゆく。

 焼殺された者がいた。倒れたところを踏み潰された者がいた。今まさに、食い殺された者がいた。叫び声すら上げられないままに。

 そして死体すら残らず、看取ることすら出来ず、まるで夢幻であったかのように。

 

 

 空間の端々に、死神の細指が触れた身体が転がっていた。あれほどの悲鳴や剣戟が嘘であったかのような静寂が隣り合っており、アキトが躊躇いを拭い、決意を抱く前に全て終わってしまっていた。

 今はただ独り、唯一攻撃の範囲外であったアキトだけが今この場で起きた惨劇の結末を眺め、あまりに遅すぎる後悔を巡らせて、誰に慰められることもなく喘いでいるだけだった。

 

 

 なんで、こんなことに。

 どうして、こんな酷いことが。

 

 

 それを問い質すべき獣は、ただ容赦無き暴虐の限りを尽くして攻略組達を嬲り犯し、四十数人の生命の尊厳を否定し陵辱し踏みにじり、その大半近くを死に至らしめた。

 悪びれないその表情で散りゆく者達を俯瞰しながら、小さく喉を鳴らしている。

 

 

 そしてその足元に────

 

 

 

 

「──── ア、スナ」

 

 

 

 

 全身に覆うほどに夥しい赤いエフェクトを纏わせ、右脚と左腕を失ったアスナが、うつ伏せで倒れていた。

 

 

 生きているのか、本当は死んでいるのではないかと思わせた。

 転がっている大盾の位置や飛び散った光の破片から死んだプレイヤー達の立ち位置を読み取れば自ずと立てられる仮説────彼女は、ブレスが届く直前までみんなを守る為の策を考え、戦ったのだ。

 暴力を具現化したあの赤い怪物、その牙を自分以外に向けようとした悪意、何よりストレアと。逃げる者、固まる者の前に立ちはだかって奮闘し、四肢を焼かれ、それでもなお抗い続け、今にも踏み殺されそうな場所で横たわっていた。

 

 白と紅を基調としたギルドの制服は数多の傷によって紅一色に染まり、鮮やかに靡いていた亜麻色の髪は首から下にかけてが焼失している。相棒たる細剣《ランベントライト》は高熱によって変形し、焼け爛れていた。

 いつもの凛とした姿など欠片もなく、みっともなく抗った結果無残な姿に成り下がった彼女は、紛れもなく英雄だった。

 

 そんな彼女の後方には、アスナの功労とも呼べる生存者がまるで廃棄物のように散らばっていた。シリカ達も皆無事ではあったが、だが決して、生きていると言えるような状態ではなかった。

 腕、足、武器。無事でないものなどない。何かしらが欠損し、同時に意識までもを手放していた。

 

 アキトを信じて耐えている間に、どれほどの手傷を負って、こうして地に伏せているのだろうか。

 二年間、現実での明日を求めて奮闘した彼らの尊厳や人生、生き様に至るまでもを侮辱し、その生命を弄び、消えない傷を負わせた奴らは、一体何を考えてこの挙に及んだのだろうか。

 

 そうまでされる理由が、アスナ達の何処にあったというのか。

 

 

 

 

「────丁度、こんな感じだった」

 

 

 

 

 恐ろしく透き通ったその声は、不意にアキトの鼓膜を貫いた。

 煙から姿を現し歩いてくるのは、この残酷な世界を創り出した当人だった。

 涙で明滅になっていたはずの視界は、嫌にはっきりとこの景色を映していた。ストレアが近付こうとも関係無く、無機物のように廃棄された仲間の姿が視界の中央から動かせなかった。

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

「“月夜の黒猫団(・・・・・・)”、だっけ……彼らが死ぬ瞬間もこうして地に伏せて倒れ、その背に大量のモンスターから追い討ちを受けて─── 殺された」

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 アスナ達に固定されていた視線が、ゆっくり。

 ただ、ゆっくりと。

 ストレアに向いた。

 

 

 

 

「最初はテツオ。罠だと理解するのが一番遅かったのは彼。モンスターの排出口近くにいた彼は、ほぼ一撃で殺された」

 

 

「────れ、あ」

 

 

「次はササマル。レベル差も分からず焦って突撃し、目に見えたダメージも与えられず返り討ちにあって死んだ。確か、筋力値の低さに悩んでいたっけ」

 

 

「────すとれあ」

 

 

「次はダッカー。罠は彼が無闇に開けた宝箱が原因だった。転移結晶が使えないと分かるや否や恐怖で身体は動かなくなって、転んだところを背中から串刺しにされて殺された。何体ものモンスターが、何本ものピッケルをその手に、何度も何度も」

 

 

「────ん、で」

 

 

 ずっと目を逸らしていたことを、逃げていたことを突き付けられた。生き残った彼らが背を向け倒れているその様はまるで、冷たくなった死体のようで───ストレアの言葉も相まって、かつて失った人達とその影が重なった。

 彼らが死んだ時の映像が、見たこともないのに脳で構成されていく。罠にかかり閉じ込められてから、死に至るまでの生々しい瞬間が簡単に想起されていく。

 

 

「最後はサチだった。彼女は黒猫団の中で一番レベルが低かったにも関わらず最後まで生き残っていたよ。槍をただがむしゃらに振り回して、泣きそうな声を上げて」

 

 

「……やめろ

 

 

「彼女は死にゆく最後まで、アキトの名前を呼んでいた。貴方が助けに来てくれるのを信じていたんだ。そこに倒れているアスナみたいに────」

 

 

「────……っ、ぁ」

 

 

 

 その言葉が、全てだった。

 再び倒れるアスナに視線を戻せば、どうしようもなくサチと重なった。ピクリとも動いてくれない彼女からは、死の匂いがした。それを感じて、アキトは悟る。

 彼女はあの日の────サチの成れの果ての一歩手前だった。そして何よりもあの景色を作り出したのは、紛れもない自身だった。

 間に合わなかったから。自分が躊躇ったから。自分が甘かったから。

 

 

 誰かと一緒にいたいって……いられるかもしれないって思ってしまったから────

 

 

 

 

「……貴方じゃ誰も救えない。あの時と同じ。何の意味もなく、彼らを死なせるだけ」

 

 

「────」

 

 

 

 

 その言葉を聞いた瞬間、アキトの瞳から希望の光が完全に消え失せた。身体に込められた力は僅かに緩み、瞬間、再び小刻みに震え始める。

 その理由は、悲しみでも恐怖でもない。原因はもはや紛れもない、誤魔化せないものだった。もう、心に宿る熱い“何か”の暴走を止めることはできない。

 彼女が何故黒猫団のことを知っているかなんて、どうでも良いことだった。ただ、触れてはならないものに触れた彼女を目にした彼は。

 

 

 ────アキトは、確かに“それ”を宿した。

 

 

 

 

(……なんだよ、それ)

 

 

 

 

 なんで俺、ストレアにそんなこと言われなきゃならないんだ……?

 

 

 君は……ずっとずっと俺のこと、そんな風に思ってたのか……?

 

 

 

 

「────……俺は」

 

 

 

 

 ストレアは初めて会った時から、どこか懐かしさを感じていた。殺伐としたデスゲームで二年も過ごしているはずなのに、ストレアはいつだって楽しそうに笑っていて。自然と目が奪われたんだ。

 でもそれは、誰かの些細な幸せや笑い合える時間を守りたいと切に願った自分の夢を体現したようだなと、無意識に感じていたからなのかもしれない。だから目が離せなくて、放っておけなくて、君が笑えば嬉しかったんだ。

 

 

 

 

「……僕は……ただ、君に……」

 

 

 

 

 君がいてくれると、それだけで周りが笑顔になって。暗い空気なんて吹き飛ばしてくれて。

 とても眩しく見えて。

 何より楽しくて。

 

 

 だからキミにも楽しんで欲しくて、この場所を自分の居場所だって思って欲しくて、アスナ達だって色々やってくれたんだよ。

 そうやってみんなを……笑ってる君を見ていると、たまらなく幸せなんだって思い始めていたんだ。

 何だ……何て言ったらいいのか、よく分からないけれど……。

 

 

 言葉にできない“繋がり”、みたいなものを感じてたつもりだったのに。

 

 

 最近はストレアも、そう思ってくれてるんじゃないかって────

 

 

 

 

「“もう誰も、絶対死なせない”んじゃなかったの?──── ねぇ、アキト」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 心にあった甘さが、“何か”と混ざって、溶けていく。作り上げられた体に宿る仮想の血液が、狂おしい程の熱を帯び、ゆっくり、ゆっくりと全体に染み渡っていく。

 視界の端々に横たわる、瀕死の仲間達。涙伝う虚ろな瞳、震えて体を動かせない彼ら。そして何より、この惨劇は自分が躊躇いさえしなければ生まれることはなかったのだと理解する。その事実が更に“何か”を強く動かし、ギチギチと歯車を作り上げていく。

 

 

 声が、音が、次第に遠くなる。景色が、視界が、段々と暗くなる。

 反転して脳裏に聞こえてくるのは、強くなり続ける自分の心音だけだった。

 痛いくらい脈打つ。怖いくらい高鳴る。それがやがて快楽へと変わり、心地好いと思えるほどに歪み、浅い意識が闇へと沈んでいく。

 

 

 

 

────おいで

 

 

 

 

 “何か”がその手を差し伸べる。

 虚ろな思考のまま、アキトはその手を掴んだ。

 その瞬間、感じていた痛みが消え去り、優しい温もりを一身に感じ始めていた。何もかも投げ捨てて全てを委ねてしまいたくなるほどの温かさは、アキトが望んでやまないものだった。

 

 捨てて、棄てて、忘れてしまおう。黒く暗く、昏い闇の彼方へその身を委ねよう。世界の深淵、その最奥へ。

 

 

 ────ぷつりと、音を立てて意識が途切れた。

 

 

 きっと、意識だけじゃない。彼とストレアを繋ぎ止めていたもの。彼とキリトを繋ぎ止めていたもの。何よりも、アキトとアスナ達を繋ぎ止めていた大切なものを。

 

 

 “何か”が、ぷつりと音を立てて、切ったのだ。

 

 

 そして、口元が歪んだ。

 

 

 

 

────ああ、

 

 

 

 

 もう、駄目だ。限界だ。

 初めから、こうしておけば。

 自分(コイツ)が、選択を誤ったりしなければ。

 甘さばかり重ねて、躊躇ったりしなければ。

 

 

 

 

────コイツを

 

 

 

 

 今になって、漸く確信しただろう。

 かつて仲間だった彼女、大切だった(オマエ)は。

 今、目の前で剣を向けて悦に浸っているこの女は、もう────

 

 

 

 

 

────殺さ、ナキャ

 

 

 

 

 今、すぐに。

 

 










『────それでいい。僕に任せとけよ


“何か”は、自身が望み、企てた何もかもが上手くいく兆しを感じていた。




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Ep.116 災禍








人は憎しみから何も「生」まないけれど、逆に憎しみで何かを「死」なせることは簡単に出来るんだ。どれだけ取り繕ったって、そんなものだよ。




 

 

 

 

 

 

「……っ、ん」

 

 

 不気味なほどに冷たい風が頬を撫で、アスナは目を覚ました。覚醒の気分など、言わずがもがな最悪だった。

 アスナは起き上がろうとするも、力を入れることが出来ない己の身体を不審に感じる。今まで感じたこともない、何とも言えない不快感が全身に至るまでに及んでいた。

 

 どうしたというのか。

 一瞬だけ、恐怖に近しい焦燥がその身に走る。

 

 だが、腕や足の感覚が全く無いことに気が付くと、夢見心地だった意識が急激に冷めていくのを感じ、アスナは漸く我を取り戻した。自分が今どういう状況で、他の仲間達がどうなったのか、その思考の回転は驚くほどに早かった。

 

 何があったか思い起こそうとすれば、真新しい記憶は驚くほど生々しく脳内で再生される。ストレアが強化した紅き猛獣が、自身を囲う攻略組のプレイヤー達に広範囲に渡るブレスを吐き出した、その映像が。

 アスナはすぐさま防御体制を組もうとしたが、恐怖から身体が動かせない者が大半で、結果アスナは至近距離から“それ”を喰らってしまったのだ。

 自分は一体、どれだけ気を失っていたのだろう。そして何より────

 

 

「……っ、みんな、は……」

 

 

 思考は当然のように仲間の安否だった。アスナは最悪の事態を考えてしまう思考を一緒に振り払うかのように、頭を左右に振りながら辺りを見渡し始めた。

 けれど、心の何処かで大丈夫だと思ってしまった。自分は至近距離でも腕と足を失うだけで済んだのだ。自分よりも遠くにいたみんなは、もしかしたら軽傷かもしれない────と、そんな淡い期待を抱いてしまった。

 

 

「……ぇ」

 

 

 だが、アスナは見た。見付けてしまったのだ。

 自身の眼前に転がる、それ(・・)の数々に。

 

 

「……あ、れは」

 

 

 それは────大きな十字型の盾。それも数枚に渡ってその場に投げ出されていた。

 この盾の持ち主達をアスナは知っている。何せ同じ《血盟騎士団》のメンバーなのだから。常に攻略組を支える頼もしい壁役。自分を信じ、ここまで付いて来てくれた大切な仲間達の盾だ。

 

 

 なのに。なのに、どうして。

 どうしてあの盾の持ち主達が、ただの一人も見当たらないの───?

 

 

 アスナはきっと、認めたくなくて周りを見渡し、彼らを探していた。

 理由は、きっと分かっていた。けれど、分からない振りをした。

 分からないと思ったまま、分かりたくないと感じたまま、分からなくてはならないのだと知っていながら、それを理解することを恐れたまま。

 

 

 

 

 ──── そうして逃げていた問いの答えは、無慈悲にも黒煙が晴れた先で彼女を待ち受けていた。

 

 

 

 

「ひ、ぁ」

 

 

 

 

 視界を覆うそれらを目の当たりにした瞬間、裏返った声がアスナの喉元から漏れ出していた。

 それは、彼女が攻略組として戦ってきた二年間の中で、一番地獄に近い光景が目の前に広がっていた故だった。

 

 見慣れた部屋の冷たい床は、所々に散る炎によって黒く焼かれ、転がる武器の山々は焼け爛れて泥のように溶け出している。均一で芸術性さえ感じられた黒曜石の壁は至る所に亀裂が走り、見る影もないほどに輝きを失っていた。

 煙晴れゆく空間は、あの攻撃を食らう前に比べて明らかに広々としていて、その理由が否応無しに頭の中に入り込む。

 

 

「……い、や……いや、嫌ぁ!」

 

 

 そこにあったのは、生きているのか死んでいるのかさえ分からない、数えるほどしかいないプレイヤー達の、見るも無残な姿だった。

 

 

 先程まで共に戦っていたはずの戦友は、その半数が炎に包まれ亡き者になっていた。

 未だ真新しくポリゴン片が散らばって虚空の彼方へ消えていく。たった今でさえ、誰かがその身を死という事実の前に散らしていた。残ったのは、主も闘志も失った武器だけだった。

 

 

 ──── 片手で持つには少し大きめな、簡易なデザインの槍が転がっていた。持ち主はこの殺伐とした世界でも気さくで、強張った雰囲気を和らげてくれる存在だった。

 ──── 刀身が真ん中で砕け散った長剣が捨てられていた。持ち主はプライドが高く融通も利かなかったが、それでも仲間のことを第一に考えて行動しようと努力する堅実な存在だった。

 ──── 盾と認識するにはあまりにも粉々にされた盾が、新品の如く輝く片手直剣の下に敷かれていた。持ち主はお調子者ではあったがどこか憎めなかった。あの片手剣は今日初お披露目なのだと、ボス戦前に周りに自慢していたではないか。

 

 

 床の至る所、そこかしこに砕けた鋼は転がっていた。それは、持ち主の死を意味すると言っても過言ではない。

 転がる武器一つ一つに持ち主の面影が薄らと宿る。それでも彼らのことを、アスナは鮮明に思い出せた。思い出せたのだ。だって、今までずっと一緒に戦ってきたのだから。

 もう二度と彼らのその顔を見ることが出来ないだなんて、とても信じることが出来ない。一瞬で全てが失われただなんて、納得出来るはずなんてない。

 

 

 ────そうして、自ずと理解する。

 アスナの前に転がっていた複数の盾。

 あの盾の持ち主達は、もういない。あの盾は、アスナが守ろうとして間に合わなかった───彼女よりもボスの前にいた壁役(タンク)プレイヤー達の残骸なのだと理解した。

 アスナは偶然、そして皮肉にも彼らを盾にして生き残ったに過ぎなかったのだ。

 

 

「ぁ……ああ、あああ……!」

 

 

 信じたくなくて、受け入れたくなくて。口から零れたのは、言葉にならない絶叫。

 嫌になるくらい響いた悲痛な声。それでもこの悪夢を覚ましてはくれなかった。それが、この光景は現実なのだと突き付けてくる。

 

 ─── なんで、何で。何故、どうして。なんで。なんで。なんで。なんで。

 

 何故こんな目に会わなくちゃいけなかったのだろう。ここまでされる罪が、どうして彼らにあったといえるのだろうか。ただ生きる為に、戦っていただけだというのに。

 頭が上手く回らない。堪える気力を失いつつあったアスナの見開かれたその瞳からは、容赦無く涙が溢れていた。

 

 

「っ……?」

 

 

 不意に、アスナは撒き散らされた黒煙の中で、自身の近くにある気配を感じ取った。喉元が一瞬だけ詰まり、アスナは顔を上げた。

 

 この絶望の中、ましてや腕も足も欠損し、動くことすら難しい今の身体では、自分が見たいと思った方向へと視線を動かすのさえ億劫だった。だがアスナは、震えるその上体を起こして首をもたげ、感じた気配を辿った。

 きっとプレイヤーだろう。当然の如く瀕死かもしれない。見たくないのに、否定したいはずなのに、それでも本当は見届けるべき責任があるのだと分かっていた。視線は、ゆっくりとその黒煙の先へ。

 

 

 ────転がっていたのは、折れた短剣と焼け焦げた水色の羽。

 そして、アスナよりも小柄な少女だった。

 

 

「……シ、リカ……ちゃ……」

 

 

 変わり果てたその姿を目にしたアスナは、大切な仲間の一人であるその少女の名前を呼ぼうとして────凍りついた。

 

 生きていることを喜ぶにはその悲惨な姿はあまりにも残酷で、冷たくて。それが生者のものであるとは到底思えなかったから。

 

 

「ぁ……あ、っ、あああ……シリカ、ちゃんっ……シリカちゃんっ!!」

 

ぁ……あすな、さ……無、事……だった……です……ね……よか、た……

 

 

 細く、今にも消えてなくなってしまいそうなシリカの声。その姿は死が傍らにあるように見えて、アスナは堪らずその身を酷使して彼女に向かって這いずった。

 

 赤が映えるシリカのブレザーは炎の影響でボロボロに崩れ、頭はツインテールの右手側から右眼にかけてまで火傷跡のように吹き飛ばされていた。残された虚ろな左眼からは止めどなく、絶望と悲痛な涙が伝っている。

 両足も焼き消されていて、その近くには相棒のピナが翼を失った姿で、それでもなお主人を守ろうと彼女の傍でその身を盾にしていた。

 

 シリカにはもう、僅かな体力しか残されていなかった。その身への最後の一撃は、指先でほんの少し小突くだけで事足りるのではないか。そんな恐怖を感じさせた。

 

 

「……っ……っ」

 

 

 彼女は自分の命の危うさよりも此方を見て、“無事で良かった”と言葉をかけて、無理しているとひと目でわかる笑みを浮かべてくれたのに。アスナはシリカに、何一つ言えなかった。ただ震えて、この悲劇を嘆くのに精一杯だった。

 

 何と言えば良い?

 何を返せば良い?

 彼女のこの姿を前にして、誰が“生きていて良かった”だなんて言えるだろう。

 この有様では、死までの時間が僅かに先延ばしにされただけではないか。シリカだけじゃない。他のみんなも────

 

 

「っ……み、んな」

 

 

 アスナはここへ来て、漸く周りを見渡せるだけの意識を取り戻した。それは決して余裕だなんて聞こえの良いものではなかったかもしれない。

 耐えず恐怖と焦燥を綯い交ぜにした震えは収まらず、視界と視線が安定しない。ろくに声も出せぬまま、倒れるシリカの先へ──みんなの元へとその瞳を向ける。

 

 

 ──── 親友であるリズは、自分で鍛えた愛用のメイスとバックラーを腕ごと溶かされ、その虚ろな瞳を見開いたまま、ピクリともせずにその意識を手放していた。そこにムードメーカーたる快活さなど、欠片も無かった。

 

 ──── リーファは、そんな彼女のすぐ近くで膝を付いていた。左足を失うだけで目立った外傷が少ないところを見ると、リズに庇われたのかもしれない。自分を守る為に犠牲になった彼女をへたり込んだまま呆然と見つめ、口を開くも何も言葉に出来ず、その頬からは涙だけが流れていた。

 

 ──── シノンは、あの攻撃の衝撃で壁際まで吹き飛ばされていた。寄り掛かる黒曜石の壁に巨大な亀裂が走っているのは、それほどまでの威力で衝突したということ。弓の弦は焼き切れ、矢は灰となり、項垂れたその姿からは表情すら伺えなかった。

 

 ──── フィリアは、その身が赤いエフェクトで覆われていた。首から下全てが火炎の餌食になったが如く、体温を容赦無く奪う冷たい地面の上で仰向けになって放置されていた。意識はあるようで、苦しげに表情を歪めながら、麻痺する身体を懸命に動かそうとしていた。

 

 ──── クラインは、自慢気に見せびらかせていた和の雰囲気を纏う甲冑を溶かされ、リズ同様うつ伏せになっていた。目の前の刀は高熱で折れ曲がっており、それを見た彼自身も周りを見渡して、そして理解した。この唯ならぬ被害に、その表情が固まっていた。

 

 ──── エギルのその瞳からは、いつもの余裕も、壁役の闘志も、意志すら感じなかった。みんなをどうにか鼓舞しようとも、エギル自身がこの現状を受け入れられないようだった。

 誰もここまでの惨状を見たことも無いし、まして見たことだって無い。地獄に近しい被害を鑑みて、エギルにはこのボス戦の勝敗さえ見えてしまっていたのかもしれない。ともすれば、その瞳に映るのはきっと恐怖だけだった。

 

 

「ぁ……ぁ、あ、ああ……そ、んな……」

 

 

 この世界において、“死”という事実は肉体としては残らない。けれどアスナには、この場で死にゆく全てのプレイヤーの死体が、絶望を映した表情がはっきりと見えていた。

 生者の中に紛れるそれらは、物言わぬ亡霊のままアスナの生存を責め立てる。

 

 

 ────どうして、お前は生きている。

 ────何故、俺達は死ななければならなかったんだ。

 

 

 言われている気がした。何も映すことの無い暗い闇色の瞳に。

 責められている気がした。何を告げることも叶わない僅かに開いた唇に。

 憎まれている気がした。彼らと過ごし、共に戦い、笑い合っていた日々の思い出に。

 

 

「違うっ……違うよ……私は……ただ、もう一度、みんなと……」

 

 

 何処かで少しだけ期待していた。想像が現実になるのだと思ってしまった。

 アキトがストレアと対峙しているのを見た時、アスナはきっと大丈夫だと、何もかも彼が救ってくれるのだと思った。どんな理由でストレアがこのような挙に及んでいたとしても、自分の英雄が手を差し伸べて助けてくれる。さすれば今回の討伐もこの惨劇を生むことなく成功し、みんなでまた祝杯を挙げられるものだと信じて疑わなかった。

 これまでもそうだったように、アキトはストレアを救い、そして彼女にこんな事をした理由を聞いて、その解決策をみんなで考え、悩みや辛さを共有し、ささやかな行き違いの溝を埋め、また一緒に手を取り合って過ごしていけるのだと信じていた。

 

 どんな窮地も惨劇も、起こりうる全ての悲劇も、全てアキトが解決してくれるのだと軽視していた。何が起きたとしても、大丈夫だと期待を抱き、みんなで挽回出来ると見くびっていた。

 アスナはまた、淡い期待を押し付けたのだ。キリトを失ったあの時と同じように────

 

 

「ごめ、なさい……ごめん、なさい……ごめんなさい……!」

 

 

 それを知った時、何て愚かなのだろうかと、アスナは涙を地面に落とした。この懺悔を誰かに聞いて欲しくて、慰めて欲しくて何度も吐き出した。

 頭を抑え、蹲り、今もなお此方を見つめる死の眼と、耳元で囁く怨嗟の声から逃れようと謝り続ける。

 

 自惚れていた。守れなかった。

 間に合わなかった。何も出来なかった。

 何より知らなかった。自分がこんなにも無力で身の程知らずで浅ましかったなんて、今の今まで知らなかった。知らなかったんだ。

 

 だから、押し付けたんだ。

 

 

 

 

「っ」

 

 

 

 

 ────途端、自分と近くのシリカを暗く、大きな影が覆った。

 

 小さな唸り声が、獣のような不規則な呼吸と混じり合い、天から降り注ぐように鼓膜に響いた。それだけで、圧倒的な力と、恐怖で身体が動かなくなる理由に辿り着く。瀕死であるが故の研ぎ澄まされた怒りを背中から一身に受け、アスナは戦慄く。

 アスナはその圧迫感に耐えながら、ぼやけた視界にそれを見た。

 

 

 ────視界いっぱいに、鋭い牙を光らせた赤い毛並みの獣が映り込んだ。

 

 

 口元に僅かながら火の粉を巻き散らせ、空間を包むような熱気が周囲を席巻する。

 漸く意識を取り戻し始めていた生存者達が、アスナが、言葉を失った。

 

 

 ────最後の仕事だと言わんばかりに、96層のボスが攻略組を終わらせにやってきたのだった。

 

 

「……ぁ」

 

 

 終わる。すぐそこに、死神がいる。

 アスナは目前に迫ったその『死』の感覚を、はっきりと感じ取る。奴から迸る怒り──それは何故か、ストレアが攻略組に向けて放っていた視線に混じる感情に、よく似ているような気がした。

 彼女に強化された獣は、彼女の意思や願いを反映させているのかもしれない。この激情を表す熱だけで、空気が死んでゆく。

 

 

 ────ねぇ、教えてよ……。

 

 

 四肢に力を込め、再び口元に光を集める獣を濡れた頬のまま見上げて、アスナは心中でストレアに問い掛けた。

 

 

 ──── 私達が、貴女に……一体何をしてしまったっていうの……?

 

 

 一体どんな理由があって、自分達を殺すことに決めたのだろう。その考えに行き着く前に、相談するという手は無かったのだろうか。

 この殺戮を、躊躇ったりしなかったのだろうか。それが、死にゆくこの瞬間にどうしようもなく気になってしまった。

 誰も彼もが死を覚悟して走馬灯を見てる中、アスナは。アスナだけは、これまで過ごしたストレアの笑顔の真偽を知りたくて、そんな問いを抱いてしまった。

 

 

 ────助けて。

 そう切実に願った。

 みんなの為に、みんなを救ってくれと、性懲りも無く願ってしまった。

 

 

 驚いたのは、思い浮かべたのが、求めてしまった人が、かつての想い人ではなかったことだった。

 キリトとはまた違う優しさを持った、誰かの為に戦うもう一人の英雄。

 今まで迷惑をかけ、期待を押し付け、何度も救われ、支えたいと願った人。

 そしていつの間にか、傍にいたいと思ってしまった人。

 

 

 ああ、そうか。

 私はなんて、最低で、酷い女だろう。こんな死の間際にそんなことを考えてしまうだなんて。

 きっと、きっと私は。

 

 

 アキト君に────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────宣告・貫通による死(デス・バイ・ピアーシング)

 

 

 

 

 

 

 

 

 全ての音が遮断され、そう告げた冷たい声だけが鼓膜を刺激し震わせる。

 瞬間、紫色の閃光が地面を抉るように伸び上がり、赤い獣のその口元を牙ごと貫いた。

 

 

『『『Gu────ruAaaaaaaaaa!!?』』』

 

 

 収束していたブレスの塊は暴発し、ボスは堪らず、頭を吹き飛ばされたまま近くの壁に激突した。空間を振動させるほどの重量が、『死』に導かれるままだったアスナ達の意識を覚醒させる。

 

 

「っ……!?」

 

 

 “助かった”、そう思うよりも“何が起こったのか”に思考が優先された。衝撃で荒れ狂う黒煙に目を細めながら、誰も彼もが奴を貫いた紫色の閃光── その螺旋の槍を、消えることなく天へと向かい伸びていく光の柱を見た。

 部屋の中心点から少し離れた場所から聳えるその光は、およそこの世界の法則や枠組みを無視して顕現した力のように感じた。倒れたあの獣に引けを取らない“暴力”が、ただそこに在った。

 

 

 アスナは目を疑った。

 その光が生じた先。あの位置に居た人を、自分は知っている。

 

 

 

 

「……アキトくん」

 

 

 

 

 ────そこに、彼はいた。

 

 

 黒煙が全て空間の端へと押し退けられるほどの暴風と、ボスを貫く紫色の光は、部屋の中心に立つ人物────アキトから生じたものだった。

 

 黒煙にも負けず劣らずの闇色の風。アキトを包んで螺旋状に空へ伸びるそれは、紫電の槍の周りに渦巻くように走る。

 それはけたたましい轟音を共に纏わせて、やがてアキトの手によって振り下ろされた。

 

 

 向かう先は、呻き声を上げながら起き上がろうとするボスの喉元だった。距離はかなりあるが、天高く伸びる光の柱は、そんな距離など無視して迫り来る。

 

 

「────っ!」

 

 

 途端、ストレアはアキトとボスの間に割って入った。《トレイター》を頭の左側まで巻くようにして構え、その刀身を輝かせた。あの巨大な槍の柱を迎撃するつもりのようだ。

 彼女の剣は、アキトが生んだ紫電と同色のエフェクトを纏わせ始める。それはアスナの知る片手剣技《ホリゾンタル》でも《バーチカル・アーク》でもない。全く未知のソードスキルだった。

 しかし、アスナが知らないのも無理はない。

 

 片手剣OSS重単発技《ワールド・エンド》

 

 それは、アキトが《ホロウ・エリア》のシステムで生み出した、新たな片手剣のソードスキルであったからだ。ストレアが《カーディナル》に補完された戦闘記録から抽出したアキトの技。単発技であるが故に、その一撃に自身の筋力値で出せる最高威力を叩き出すソードスキルだ。

 

 互いがぶつかると同時に再び暴風が吹き荒れ、アスナ達はその眼を細める。これがあの二人の剣戟から生じているなんてにわかには信じられないが、目の前で起こっている事が全てを物語っていた。

 

 

「はあぁっ────ぐぅっ!?」

 

 

 倒れるように落ちてきたその紫電の槍は、恐らく彼女が想定していたものより何倍も重かったのだろう。ストレアのその一撃はアキトのそれを弾くにはあまりにお粗末なものだった。

 じわじわと着実に、闇色の光がストレアを押し潰していく。遠目から見てもストレアの表情は苦痛に歪み始めている。片手で なっていた剣技はやがてその威力を弱めていき、ストレアはやがて空いた左手で刀身を支え始めた。

 

 対して、アキトは。

 

 

「────」

 

 

 物言わぬまま、見たこともないほどに冷たい表情をその顔に貼り付けてストレアを見据えていた。ぞっとするほどの、見た者全てを凍てつかせてしまうような氷の瞳。目を見開いたまま空虚に宿すストレアの苦痛など、意にも介さなかった。

 紫色の閃光を放つ《ブレイブハート》。アキトはその柄を強く握り締めると、それを軽く右へと振り払った。

 

 

「ぐぅっ────!?」

 

 

 瞬間、それを受け止めていたストレアも右へと弾かれ、床を滑るように吹き飛んだ。

 

 爆風の余波がアスナ達の方にまで襲いかかり、焼き切れたアスナの髪が煽られた。

 此方からして見れば、アキトはその巨大な質量を持つ紫色のエフェクトを、剣ごと軽く右へと薙いだだけに見えた。それだけで規格外であるにも関わらず、ストレアの身体を小さな石ころのように飛ばしたのだ。

 

 確かに驚いた。だが、アスナにはもう一つ驚愕することがあった。

 あのアキトが、目の前のストレアを何の感傷も無く吹き飛ばしただなんて────

 

 

「────」

 

 

 アキトの眼は、ストレアが視界から外れてもそれを追うことはせず、更にその先で起き上がろうと四肢を立ち上げた赤く巨大な獣に向かう。

《ブレイブハート》から放たれていた閃光は硝子のように砕け散り、やがてただの光となって霧散する。瞬間、その不気味な風はアキトの周りを駆け巡り、纏うように張り付いて、彼のその姿を変えていく。

 

 

 ────反転。

 

 

 その黒い瞳は、血のような双眸へと。

 

 その黒髪の一部は、色素を失ったように白く。

 

 身に纏うコートさえも、所々の色を反転させ始める。

 

 

 

 

「……アキト、くん……?」

 

 

 

 

 アスナの小さな声は、この風によって掻き消える。届くはずもなく、アキトは自身の色を反転させていく。まるでこれまでの自分と、決別するかのように。

 そうして自身の体が、髪や装備に至るまでの全ての色が、黒と白の半々になった辺りでその風は弾けた。

 

 

「────」

 

 

 瞑っていたその瞳を、ゆっくりと開く。

 アキトの血色の双眸は、ただ目の前のボスへと再び固定された。黒と白が混じり合うその髪が、風の余韻を受けて靡き、覗いた瞳が殺意を宿す。

 かつての英雄を宿す色は、一部、かつて雪のように白かったコートを彷彿とさせる色彩を放つ。それがふわりと浮かんだ瞬間、アキトはその身を屈め、剣を寝かせ、ボスと自分を直線で結び、

 

 

「────」

 

 

 踏み込みで黒曜石の床を砕き、その勢いのまま全力で駆け出した。それは、共に戦ってきた中でも初めて見るほどの速度。風の比喩すら生温いそれは、ただボスを殺す為だけのものであると、明確な殺意を混ぜたその眼が語っていた。

 

 

「っ、させ、ない!」

 

 

 その声は、アキトの右手側から生じる。態勢を立て直したストレアがアキトの背後を取っていた。《トレイター》は既に彼の背中を捉えており、それは彼を射貫くことに躊躇いを感じさせない。

 

 斬撃に跳躍を乗せた一撃────だが、アキトは躱して見せた。

 

 

「!?」

 

 

 明らかに死角だった。ストレアの速度はアキトに劣るも、音や声にアスナが気付いたのは、アキトの背後をストレアが取ったその瞬間だったのだ。

 アキトは見えていないはず。なのに、早過ぎる反応────いや、これは予測か。

 

 彼女の攻撃など取るに足らない。構わずボスへ駆けるアキトに、ストレアは歯軋りした。

 

 

「な、めるなっ!」

 

 

 ライトエフェクト─── ソードスキルだ。白銀に煌めくその剣は、再び空間に線を引く。アキトを追従するように放たれたそれは、しかし再び空を切った。

 アキトは軸足を傾けて左へ躱し、返す足で右へと進路を変える。急な切り返しにストレアは反応出来ず、剣技《ホリゾンタル・スクエア》は不発に終わるどころか、追い掛けるアキトとの差さえ徐々に離れていく。

 

 

「くっ、この……!」

 

「────」

 

 

 アキトは背後で苛立ちを見せるストレアをチラリと見た後、ふと足元に転がる物体に視線を下ろす。それは、この場でボスによって命を散らした《血盟騎士団》の壁役の一人が所持していた大盾だった。

 

 何をする気だ────アスナがそう疑問を抱いた瞬間、アキトは大きく左足を上げたかと思うと、すぐさまそれを振り下ろした。すると床に敷かれた盾にその踵がぶつかり、そのままストレアへと蹴り飛ばしたのだ。

 まるでサッカーのバックパスのように、盾は軽々とストレアへと向かう。あまりに異質な攻撃方法にストレアは僅かに反応が遅れ、その大盾をまともに食らってしまった。

 

 

「うぐっ……ぁ!」

 

「────」

 

 

 怯んだその隙を縫うように、アキトは踵を返してストレアへと向かう。攻撃対象がボスからストレアへと変わった瞬間、アスナは背筋を凍らせた。

 だが、アスナが何かを言おうとした時には、もう遅かった。

 

 

「────宣告・連撃による死(デス・バイ・バラージング)

 

 

 冷たいその声と共に繰り出されたのは、鋭く尖った細剣のように繰り出された足による連続蹴りだった。一撃目でストレアを覆う盾を弾き飛ばした後、それまで盾で視界を覆われていたことで反応が遅れた彼女の腹に、アキトは容赦無く連撃で蹴り込んだ。

 足には紫色のライトエフェクト────《体術》に部類されるOSSだった。

 かつての仲間に対する手加減など微塵も無い。これは確かに、命を刈り取る為の技だった。

 

 

「がっ、……あぅっ!」

 

 

 最後の一撃が、ストレアの渠にめり込む。先程彼女自身がアキトに向けた一撃、その仕返しが実行されたのだ。

 衝撃波が発生するほどの蹴りに、ストレアは再び吹き飛ばされた。くの字に折れ曲がった身体はそのまま部屋の壁に吸い込まれるように激突し、その壁に亀裂を走らせる。彼女のHPは一気に半分近くまで消し飛び、その闇色のコートの端々に赤いエフェクトが刻まれた。

 

 

「う、くっ……なに、急に……」

 

 

 起き上がろうとも上手く身体を動かせないストレアの言葉は、途切れ途切れではあったがその通りだった。あれほどストレアに剣を向けることを躊躇っていたアキトが今、一瞬ではあるが彼女に明確な殺意を向けた事実。そして、妨害していたストレアを排除しようと、それを実行してみせた。

 そのあまりに急な出来事に理解が追い付かないのは、誰も彼もが同じだった。

 

 ────そう、誰も彼もが、だ。

 既に周りは段々とその意識を覚醒させ、各々が自身の回復に努めている。当然、シリカ達も漸く元気を取り戻しつつあった。その最中、突如アキトの変貌を目の当たりにして、呆然としていた。

 

 まず視線が向いてしまうのは、アキトのその姿。

 黒と白を半々に、歪に、不規則に塗り替えられたような髪と装備。そして、ストレアに対してあんなにあっさりと攻撃し、そして殺意をもって沈めた暴力的な一撃。

 何より、血色に染まった双眸が、憎悪や殺意を教えてくれる────アキトは今、普通ではないと。

 

 

「……何よ、あの姿」

 

 

 震える声で、目覚めたリズベットが呟いた。

 誰かに聞いて、確かめようとしたのかもしれない。アキトをよく知る者は欠けることなくその答えを求めてた。だが、その問いの答えなど誰も持ち合わせていない。

 どこか既視感を感じているアスナでさえ、アキトのあの姿の理由を何も知らないのだ。

 

 

 そう、既視感────

 

 

(……あの時と、似てる)

 

 

 心の中で呟く、その声さえ震える。

 アスナは、かつて《ホロウ・エリア》の最深部にて、データであるキリトと戦った彼の姿を脳裏に呼び起こしていた。戦意を失っていた彼が突如激情に駆られ、“何か”に侵食されたあの現象。

 あの時と同様に、瞳の色が薄暗い空間で不気味に輝いている。我を忘れ、攻撃対象を徹底的に痛め付ける衝動的行為がこれから始まろうとしているのは明白だった。

 

 だが、以前と違う部分もある。

 黒白とした外見の変異だけではない。言わば、身に纏うその雰囲気だ。

 あの時の冷たく嗤う表情も、獣のような雄叫びも今の彼にはない。ただ静かに対象見据えるその眼は、遠目から眺めているアスナが震えるほどに恐ろしく、冷たい。光届かぬ虚ろ。幸福も喜びも削ぎ落とされ、大切なものなんて、忘れてしまったような空洞だった。

 そしてその表情は“無”そのもの。笑いもせず、怒りも見せず、悲哀など感じられない。殺意を込めた呪詛も無く、物言わぬ人形のように、恐ろしく綺麗なその顔は不気味なほどに静けさを纏う。

 

 

 まるで、ただ暴れるだけだったあの時から成長し────内に秘める“激情”の使い方を学んだかのように思える。

 感情を制御下に起き、思考することを覚えたように思えてならなかった。

 

 

「────」

 

 

 苦痛に顔を顰めながらも立ち上がろうとするストレアの姿を、見据えるアキトの瞳はどこまでも冷たい。それは哀れむでも怒れるでも、まして憎むでもない、彼女という存在に価値を見出していないような透徹した眼差しだった。

 興味は既に、態勢を整えたボスへと変わる。対して、アキトにしてやられた獣は殺意の対象を彼に向けた。その体力は最早風前の灯火、それ故の生存本能が闘争心を駆り立て、その存在感を威圧的に放ってくる。

 

 対するアキトは、そんな獣を前に全く物怖じせず、吹き飛ばしたストレアと反対方向───即ち左彼方に転がるとある物を捉える。

 それは、彼女との攻防の末に右手から零れ落ちた愛剣《リメインズハート》。しかし、取りに行くにも距離が離れており、向かおうとすれば忽ちボスに隙を与える羽目になる。

 だが、

 

 

「────」

 

 

 アキトはただ、空いた左手をその剣を指し示すように広げただけだった。変わらぬ絵画のように冷たく固まるその表情は、あらゆるものに関心を示さず、ただ目的に準ずる機械の如く。

 

 

 ────瞬間、離れた位置にある《リメインズハート》がカタカタと震え始め、意思持つようにその固い床から跳ね上がった(・・・・・・)

 

 

「なっ……」

 

 

 誰が漏らした声か。しかし、その光景に絶句せざるを得ない。そこに物理法則など介在しないかのように、魔法のように飛び上がったその紅剣は、物凄い勢いで回転しながらアキトの元へ向かう。

 そして、翳していた左手にすっぽりと収まり、《二刀流》として、アキトはたった今完全武装を遂げたのだった。

 

 

「……んだ、今の」

 

 

 クラインが、面食らいながら呟く。

 まるで物言わぬアキトが『来い』と命令し、それに《リメインズハート》が応えたように。意思の力で剣を呼び寄せたみたいに。

 この世界では空を飛ぶモンスターやブレスといった攻撃概念を持つモンスターはいるが、毎プレイヤーにおいては、ステータスの大小によって多少の際はあれど、どこまで行っても物理法則に忠実である。

 それなのに、あれは一体────

 

 

「────」

 

 

 アスナ達に考える時間など与えない。きっと今のアキトの意識下にも眼中にも、アスナ達のことは露ほども存在していないだろう。

 キリトでもなく、アキトでもない“何か”の視界には、もうあの紅蓮の獣しかいないのだから。

 

 彼が駆け出す度に床が僅かに亀裂を作る。その速度、その強度はアキトのステータスを半ば度外視していると言わざるを得ない。

 その姿、雰囲気、敵に向ける殺意、ストレアを手に掛けようとする意識、その何もかもが別人であることを示している。異様な姿を見せる黒白の剣士は、もう英雄と呼ぶにはあまりに禍々しく、あまりにも闇が濃かった。

 

 互いの距離が縮まる毎に、その殺気が濃く、強くなる。凄まじい寒気とアキトの剣気が空間を押し込み、大気を震わせ始める。その両の剣を胸の前で交差させ、そのまま獣の足元まで突っ切った。

 

 

『『『Gu────ruAaaaaaaaaa!!!』』』

 

 

 猛獣は既に、足元で動き回る異物を排除せんとその左前脚を振り上げていた。口を開き牙を部屋の僅かな明かりで煌めかせ、部屋の亀裂を深くするほどの咆哮を上げながら、その脚を振り下ろす。

 生存本能によって高められた敏捷値が、その一撃を加速させ、すぐ真下に移動していたアキトとほぼ完璧にタイミングが一致している。

 

 

「っ、アキ────」

 

 

 その声は届いていただろうか。

 しかし、アスナが心配するようなことは起きなかった。彼女の声が言葉になる前に、アキトはその身を捻らせて紙一重で獣の脚を回避していた。その巨大な脚が黒曜石を砕き、跳ね上がる礫の中で、アキトの交差した二本の剣はその色を禍々しい闇に染め上げた────

 

 

「────」

 

 

 その鎚のような獣の脚を置き去りに、彼は飛び上がった。蝶のように軽快に、鳥のように当然に、風のように流麗に。それでもその剣はただ獣の命を刈り取る為のもの。

 先程の技と同様に、暗く、冷たい───“死”という概念を事実として《カーディナル》に刻み込む為だけの絶技だと、アスナの本能が叫ぶ。

 

 

 再び世界が静寂に包まれる。

 僅かな呼吸さえ鼓膜が拒絶し、視覚に全ての神経が集中するかのように。

 空を駆けたアキトは、ゆっくりとその交差した剣を、獣の首に宛てがい、

 

 

 

 

 そして、告げた。

 

 

 

 

「────宣告・抱擁による死(デス・バイ・エンブレイシング)

 

 

 

 

 ────ボスの首が胴体と決別したのだと気付くのに、数秒掛かった。それくらい鮮やかに、それほどまでに当然に、一瞬で全てが終わったのだ。

 

 

 その獣が認知するより早く、奴の首は滑らかな切断面を晒し、鈍い音を立てて落ちた。

 頭と、頭から下。それらが分かりやすく二つに切り落とされ、その生涯と役目を完全に終えてしまっていた。

 

 

 ────ゴトリ。

 

 

 かなりの重量が見込めるその首が地面に落下したと同時に、獣は死を思い出したようにその身を硝子のように散らせた。それを追うように、未だ四肢を立てて聳えていた身体が光となって消滅していく。

 

 

『……』

 

 

 誰も、言葉を紡げない。目の前の光景にただ息を呑むことしか出来なかった。

 危険域にあったとはいえ、あの獣は一撃で倒せるほどの体力ではなかった。それを今、アキトは一撃をもって沈め、この地獄に終止符を打った。これは、その瞬間であった。

 

 ボス討伐完了を告げる勝利のファンファーレは、喜ぶにはあまりに被害が大き過ぎた。なんとも情けなく聞こえたそれは、ただ心を痛ませる耳障りな音へと変貌しつつある。

 

 

 

 

 ────その中で、アキトはただ立ち尽くしていた。

 

 

 

 

「────」

 

 

 両の剣を下ろし、舞い上がる光を視線で追う。口を半開きにし、虚ろな瞳は暫く虚空を眺めていた。

 何を考えているのだろう。失った命の数に、心を痛めているかもしれない。泣きたくても泣けないのかもしれない。既に満身創痍かもしれない。そんな不安がアスナの胸を渦巻く。

 

 

「アキトさん……」

 

「……アキト」

 

 

 既に皆、身体は復元しつつあった。各々が胸中に複雑な想いを抱きながらも、この現状を作り出したアキトに目を向ける。今もなお黒白の姿のままの彼に、掛ける言葉を失う者は多かった。

 アスナはゆっくりと立ち上がり、未だ物言わぬアキトにそれでも声を掛けようと、その口を開きかけた────その時だった。

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 ────アキトの眼が、虚空からストレアへ向いた。

 

 

 

 

「っ……!?」

 

「こ、れは……!?」

 

 

 突如、空間全てを恐怖に染め上げるほどの殺意が、プレイヤー達の身体を襲った。一瞬この場の全ての人間がその動きを止め、背筋を凍らせるほどに。

 ひび割れるような音が鼓膜を刺激し、部屋の壁の亀裂を徐々に徐々に増やしていく。ぼろぼろと壁は礫を零し、崩壊の予兆を示し始めていた。

 地面にも同様の影響が表れ始め、そこに身を置くプレイヤー達は忽ちその場にへたり込んだ。

 

 

「なに……何なのよ、これ!?」

 

 

 リズベットが声を上げられたのは、奇跡が根性か。皆、あまりの恐怖に口元を震わせ、戦慄き、まともに呼吸すら出来ない。

 肌がひりつき、火傷のような痛みが身体の全てを刺激する。身体に込めていた力みは脱力感に変わり、呼吸どころか立つことさえ億劫になり、その意識が茫洋とし出す。

 

 

 底冷えするような殺意の圧力。

 その中心にいたのは、間違いなくアキトだった。そしてその瞳は絶えず、この惨劇を作り出したストレアに向いていた。

 

 

「っ……」

 

 

 ストレアはわなわなと身体を震わせながらも立ち上がり、《トレイター》を構えていた。先程までとはまるで立場が逆だ。

 しかし違うのは、アキトが今までの彼とは全く異質な存在へと成り果てている事実だった。

 彼の状態を僅かばかりには理解しているのは、アスナとシノンだけだ。しかし彼らには説明などせずとも分かる現状だった。今の彼は、キリトでもなくばアキトですらない。

 

 

 そして、ストレアに今、明確な殺意を向けている。

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 ────瞬間、予備動作も無しにアキトはその場から消えた。

 

 

 否、あまりの速さにその姿を見失ったというのが正しかった。気が付けばその身は、ストレアの眼前にまで迫っていた。

 音速の比喩すら生易しい刹那、アスナが瞬きした時には、ストレアはアキトの蹴りによって別方向へと再び吹き飛ばされていた。

 

 

「────あぐっ!」

 

 

 またしても壁に亀裂を生むほどの勢いで激突したストレアの体力は、注意域を突き抜けて危険域へと近付く。あれほどアキトが手を焼いていたはずの少女が、音速を司る目の前のボス以上の化物と成り果てたアキトに、手も足も出ないでいる。

 

 

「っ────らぁっ!」

 

「────」

 

「ぐ、きゃああっ!」

 

 

 隙と見て振り上げたなけなしの一撃は、躱された後のカウンターで沈む。右肩から腕ごと斜めに切り落とされたそのコートは、赤く仮想の血液を滲み出す。

 

 

「っ、ストレアさんっ……!」

 

 

 アスナは半ば衝動的に、床に転がった《ランベントライト》を手に取った。

 穂先は溶けて爛れているが、まだどうにか使える耐久値であることを確認すると、それを手に震える足を律して立ち上がる。

 

 

「っ……おい、待てよっ!」

 

 

 一歩、踏み出そうとしたアスナを背後から呼び止めるのは、同じ攻略組である男性のプレイヤーだった。

 恐怖で足が震え、立ち上がることを諦めた彼はへたり込んだまま、アキトが剣を突き付けるストレアを指差した。

 

 

「まさか、あの女を助けに行こうだなんて思っちゃいねぇだろうなぁ!? 攻略組の半数近くを、アイツに殺されたんだぞ!?」

 

「っ……」

 

 

 思わず、顔を上げる。

 理解したのは、その男に限らず、周囲のプレイヤーのその顔は揃って同じ憎悪を示しているという事実だった。

 現在96層、ゲームクリアが現実味を帯び始めていたこのタイミングで、攻略組の戦力の半分近くがストレアの手によって削ぎ落とされたのだ。憎んで、怒って、殺意を抱くのはあまりに当たり前過ぎていた。

 

 

「……でも……!」

 

 

 それはアスナにも分かっている。

 分かっているのだ、理屈では。だがそれ以上に納得していないことの方が多過ぎて、この現状を受け入れられない自分を誤魔化せはしなかった。

 ストレアと過ごしたあの日々に、嘘偽りはないと信じていたから。いや、信じているからこそ。

 

 

「────アキトくんなら、絶対に見捨てたりしない!」

 

 

 そして何より、今のアキトを放っておくわけにはいかなかった。

 今の彼はまともではない。我を失っているのかもしれないと踏んでいた。

 彼は絶対、ストレアを傷付けることを良しとするはずがない。だから、彼が正気に戻った時に彼女が死んでいるなんて展開など、絶対に受け入れてやるわけにはいかないのだ。

 

 

「────私も行く」

 

「っ……シノのん」

 

 

 叫んだ男の背後から弱々しくも現れたのは、頼れる仲間の一人だった。弦が切れた弓を背中に背負い込み、腰に差した近接用の短剣を取り出し、アスナの横に並び立つ。

 

 

「分かってるわよね。アキトを……正気に戻す」

 

「今度は、私達が助ける番だね」

 

「ええ……漸く、私達の番」

 

 

 どちらともなく不敵な笑みを見せ合い、その武器を構える。

 

 

 ────すると、背後から再び武器を持ち上げる音、装備する音が聞こえる。

 慌てて振り返ると、そこには大切な仲間達が立っていた。リズ、シリカ、リーファ、フィリア、クライン、エギル。それぞれ武器をその手に、アスナの意志に同調を示した。

 

 

「……みんな」

 

「行くわよ、アスナ。ストレアに聞かなきゃなんないこと、沢山あるんだから」

 

 

 リズのその瞳は、怒りだけじゃない───仲間に見せる慈愛を宿していた。

 シリカは怪物と化したアキトを見て僅かに震えるも、左右に首を振って短剣を構える。リーファとフィリアは互いに頷き合い、自身の武器を動揺に構えた。

 クラインとエギルは言わずがもがなだ。大人として、やるべきことを理解していた。こんな頼れる仲間達に、アスナは何も言うべき言葉が見付からない。

 

 

 言いたいこと、感謝の言葉。

 取り敢えずそれらは、後回しだ。

 

 

 だから、せめて鼓舞の言葉を。

 

 

 

 

「行こうみんな!二人を助けるの!」

 

 

『『『おう!』』』

 

 

 

 走り出したプレイヤーの数は、総数にして八人。

 現状も分からぬままなのに、それでも仲間の為に何かをせずにはいられない。

 各々考えていることは、確かにあった。それを聞くために、必ず彼らを助けると決めた。今度は、此方の番なのだと。

 

 

 

 

 そんな意志を感じ取ったのかどうかは分からない。

 

 

 

 

 それまでストレアへの殺意を緩めなかったアキトが────ゆっくりと、その紅い瞳をアスナへと向けたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.116『災禍(災いはただ禍いのままに)

 

 

 










ユイ 「……アキトさん、遅いなぁ」




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Ep.117 零落






無我夢中でいれば、それ以外は忘れたふりができると思っていた。




 

 

 

 

 ──── 戦いは、酷く圧倒的で一方的になる予感がした。

 

 一人を数人で囲んでいるにも関わらず、その全てを御してしまうのだ。

 僅かだが確実であったはずの隙を突いたはずの刃が弾かれ、返す形で此方の隙を穿とうとする。それを遮るように別の誰かが剣を振るい、しかしそれをも叩き落とす。この繰り返しだけでも、その力の差が垣間見え始めていた。

 

 

「……アキト君」

 

 

 エギルとクラインに対して左右の剣を振り下ろし、押し潰さんと競り合う現状を見て、アスナは少年の名を呼ぶ。

 戸惑いの瞳は、揺れながらもその少年の冷たき顔から離れない。これまでずっと当てにして、頼りにして、支えになってもらった存在に縋り付くような声が震えている。

 その存在こそ、今自分達が救おうとしている者。何度も救われ、手をさし伸ばされてきた存在。そして、数多の人にそれを成してきた存在。そしてそれは、彼自身がそうありたいと望んでいる姿でもある。

 故に今見せられている光景、彼のこの行いの全てが嘘偽りで本心ではないと、そう思えてならない。

 

 アスナは知っている。彼がとても優しい人間である事を。考えるより先に身体が動いてしまう、本能のままの、生粋のヒーローである事を。

 命を何より尊び、誰かが傷付く事を恐れ、理不尽な涙を良しとはしない。けれどその実、その傷や痛みを全てを引き受けてしまおうとする自己犠牲の精神が顕著で、本当は辛いはずなのに強がりで、心の底から笑顔を見せた事さえない不安定な存在でもある。

 彼が自ら進んでオレンジカーソルになる道を選ぼうだなんて、決してあるはずがない。

 

 

「────っ!」

 

 

 瞬間、誰かの苦鳴が響き、火花が一際高く舞った。

 エギルとクラインで抑えていたはずのアキトが、遂にその縛りを砕き飛ばしたのだ。エギルの斧は彼方へと飛び上がり、クラインは後方へと上体が傾く。

 アキトの瞳は既にそこにない。アスナの更に後ろ───シリカやリズが立つ背の先に膝を付くストレアに向かっていき、その瞳が僅かに開かれた。

 

 

「野郎っ……行かせねぇよっ!」

 

「────」

 

 

 仰け反っていたはずのクラインがすぐさま割り込み、上段から一気に刀を振り下ろした。あくまで牽制のつもり──そう思考しているはずなのに、目の前の少年は、クラインの表情に見せる躊躇を逃さない。

 空間に僅かに淀む風を斬るように進む刃に対して、大袈裟に回避する事はせず、首を傾けるだけの最小限の動きだけで、迷いにより鈍になってしまった刀など掠らせる事もなく躱してみせた。

 振り下ろし、前屈みになったクラインの首に、今度はアキトの剣が落とされる。

 

 

「このっ……、うおおあああぁっ!」

 

「────」

 

 

 背後から、エギルが雄叫びを上げながらアキトを捉え、羽交い締めにする。振り下ろしいた剣がしなりを受けて流れから反発し、クラインを当たること無く空を斬った。

 アキトの視線は、途端に背後のエギルへと向かう。だがその途中、視界にストレアが入り込んだ瞬間、その興味はエギルから彼女へとシフトする。羽交い締めする巨漢に一瞥もせず、エギルに捕まったままでストレアの元へとその足を動かした。

 ジリジリと、しかし確実に縮まる距離。エギルの筋力値を嘲笑うように、ストレア一点から視線を固めたまま前進し続ける。

 

 アスナだけではない、当人たるエギルでさえ驚嘆を禁じえぬ一心不乱さ。最早アキトにとってアスナ達は獲物を前に邪魔をする障害でこそあれ、脅威だなんて微塵たりとも思われていなかった。

 そして、何が何でもストレアに辿り着こうとする明確な殺意。過去目の当たりにしたどの殺人プレイヤーにも当てはまらない、深淵を孕む闇色の感情。それが瘴気となって剣に纏い始めていた。

 最早システムという枠組みを度外視しているその姿に、エギルは止むを得ず声を荒らげた。

 

 

「くっ……アスナ、ストレアをコイツから引き離せ!」

 

「分かってる!フィリアさん───」

 

「アキトは食い止めとくから、早く行って!」

 

 

 アスナの言わんとする事を察し、入れ替わるように前に出るフィリア。アスナは頷くだけで礼を示すと、後方に控えるリズ達の元へ駆けた。

 ストレアをアキトから庇うようにして立っていたリズ達が、アスナが近付くと察したのか、その身を横へと移すと、目的の人物が膝を付き、アキトに蹴り貫かれた腹部を抑えながら苦痛に目を細めていた。

 

 

「……」

 

 

 物言わぬストレアに、アスナ自身思うところがない訳じゃない。アキトを苦しめ、ボスを使って攻略組を壊滅させたのがストレアであるならば、到底許されるものではないと理性の端で分かっている。

 これまで紡いだ記憶を辿る中で、彼女がそんな人じゃないと思った途端の出来事だからこそ、受け入れ難いのだ。

 けれどそれは、今まさに猛り狂う黒白の剣士に対しても言える事だ。彼を知っているからこそ、この暴挙にも似た行い全てを彼が自ら進んで行うなんて思えない。

 きっと彼は今、《ホロウ・エリア》でキリトと戦闘した時と似たような状態に陥っている。理性失くして敵を斬らんとする明確な殺意の結晶が、アスナの瞳に揺れながらも映る。

 

 

「……逃げて、ストレアさん。アキト君は貴女を狙ってる。このままじゃ危険だわ」

 

「っ……何、を」

 

「……聞きたい事、話したい事、いっぱいあるよ。だからこそ、貴女を此処で死なせる訳にはいかないから……!」

 

 

 絞り出すも掠れ、震える声。想像の埒外にあった光景を生み出した目の前の少女に対してあるのは、決して小さくない困惑と、明確な恐怖。

 声に出して伝えたい、言ってやりたい言葉なんて、考えずとも湧き出してくる。だが、今は時間と余裕が余りにも無い。アキトの中の“何か”の殺意はストレアに向かって集中しているのは明白。これ以上彼女をこの場所に留めておくこはあまりに危険だった。

 無論、このまま彼女を逃がす事がどういう意味を齎し、どのような結果を導き出すかも理解している。全ての可能性や危険性を考慮してもなお、アスナが導き出した答えも、結局はストレアと過ごした時間によって生まれた私情を綯い交ぜにしたものでしかなかった。

 既に冷静な判断は出来ていない、ここで迷っていても仕方がないと切り捨てる。ストレアに逃げる指示を残し、その視線を彼女からアキトへ。

 少しずつ着実に地を踏み続ける彼の紅い双眸には、殺意の対象が真っ直ぐに映る。

 

 

「……っ!」

 

 

 アスナの背後で膝をつくストレアは、おぞましくも透き通る彼のその瞳に貫かれ、華奢な肩を震わせた。声にならぬ音が喉元から漏れ、そしてそれは偶然にもアスナの耳にも入り込んだ。

 背中に感じたのは恐怖と焦燥、そしてなけなしの覚悟。此処で殺されても文句は言えない、と分かり切った瞳。しかしそれも目の前で迫る脅威に揺れていて。

 

 ストレア自身にも多くの悩みがあって、葛藤があって、それでも自分が求めることのために大切なものさえをも切り捨てる選択をしたのだと、この時漸く理解出来た気がした。

 そしてそれを聞くまでは────否、聞いた後でもなお、決して彼女を死なせるものかと、確かにそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 静寂が支配する暗い黒い空間。

 上下左右の概念すらないような、無限に等しい有限の世界。辺りを見渡して、仲間の一人も見当たらないことに一瞬だけ頭が真っ白になったが、この空間を見て僅かばかりの冷静さを取り戻すのに時間は掛からない。

 この場所で彼女(サチ)と再会を果たしてから、ここに来るのはこれで二度 目。既に恐怖や困惑から思考は外れ、この場に自分が立っていることに疑問が浮上する。

 

 

「……また、この場所……っ、みんなは……!?」

 

 

 辺りを見ても誰も居ないと分かっているのに、行動を起こさずにはいられない。

 だが、この場所はきっと、アキトという人間の深層心理。自分ではない存在と共存を可能にする思考領域。それは彼自身も理解していた。

 そしてその存在とは、既にキリトだけではなくなっていることに、もうかなり前から気がついていた。彼の声が聞こえなくなってからというもの、ここには別の“何か”が住み着き、アキトの思考に浸り続けている。

 

 

 ──── “気分はどうだい?”

 

 

 ────その声は背筋が凍る程に冷たく響いた。

 背後から此方の思考を鈍らせる、へばりつくような声が侵食し始める。それらが意思や形を持って、此方の身体を動きを阻害してくる感覚に、忘れていた焦燥が恐怖と共にぶり返す。

 耳ではなく、脳裏で響く。聞こえるのは、自分と全く同じ声。なのにまるで他人かと間違えてしまうほどに、残酷なまでに冷徹な声音。

 

 

 ゆっくり。

 ゆっくりと、振り返る。

 

 

「っ……お前、は」

 

 

『────』

 

 

 ──── “久しぶり。僕だよ”

 

 

 淡い影を纏ってそこにいたのは、一人の少年だった。

 雪原のような白いコートに始まり、シャツもブーツもグローブも、長めに保たれた髪さえもが、色素を失ったかのような────白。

 だがその白銀の髪から覗いた双眸は、死を連想させるほどに深い、血のような赤。

 何より特徴的なのは、その顔が自分自身と瓜二つであるということだった。その顔が不敵な笑みを浮かべるだけで、アキトの中の恐怖と不快感を助長させていく。

 見覚えのある顔だった。自分と同じ顔だからという訳じゃない。ここ最近脳裏に囁く悪魔のように甘い声の正体は、目の前の少年だった。

 

 その姿は最早、くぐもった曖昧な存在ではない。不明瞭で不鮮明だったはずのそれは、煙のような影を纏いながらも明確な形と自我を確立している。その声音も、男性か女性か区別の付かなかった闇が晴れ、他の誰でもないアキトと同様のものが耳に木霊していた。

 だが、奴の口が動く様を見る事は叶わない。僅かに不敵な笑みを作るだけで、そこから声が漏れることなく頭に直接響いてくるのだ。

 

 

「……お前、一体何なんだよ……!」

 

『────』

 

 

“会いたかった───僕の半身”

 

 

 奴は不気味な笑みを浮かべながら右手を広げて見せた。

 何も無い空虚な掌。何も掴めてない、虚飾な自分の象徴。そう、正しくお前は俺と同じなのだと、奴はそう突き付けてきたのだ。顔だけじゃない。姿だけじゃない。声音だけじゃない。その根底、その心根が同一の存在であると。

 その態度に、アキトは形容し難い気色の悪さを感じて歯軋りする。赤い瞳を細める奴を、鋭く睨み付けながら。

 アキトは、背中の剣を取った。

 

 

「……俺は、お前のものにはならないよ」

 

『────』

 

「前と同じだ。今回もすぐにここから出て、アスナ達の元へ帰るだけだ」

 

 

 以前は右も左も分からないまま、サチに引かれるだけだった。逃げる事ができたのは、ひとえに彼女のお陰だ。

 そんな彼女は言っていた。あの闇───つまり目の前の奴は、怒りや悲しみ、憎悪といった負の感情に引き寄せられ、増幅するのだと。アキトがこのボス戦において、僅かにでも感じてしまったストレアへの不信感が、この現状を引き起こすトリガーとなったのかもしれない。

 だが、後悔も反省も今は後回しにするしかない。目の前の敵を退けて、すぐさま外の世界へ戻らなければならない。

 

 

 それなのに。

 

 

『────』

 

 

 ────嫌な予感がした。

 

 以前にも頭の中で声が響く現象はあった。つい直近だと、アキト自身の声で殺意や破壊衝動を煽るような言動ばかりを脳内で囁き続けていたのに、今目の前の奴は此方を見ているだけで何もしてこない。だからこそ、不気味なのだ。こうして対面しているだけの状態で奴が得するとは思えないと、目の前の少年の隠し切れない笑みからは、それを感じずにはいられない。

 そう、“隠し切れない”、だ。まるで、今起こっていることが楽しくて愉しくて仕方がないと言わんばかり。

 それに、何もしてこないというより、意識が他に逸れているようにも感じる。姿形ははっきりしていて、声も脳内に響くのに、目の前の奴はぬげがらのような。

 

 つまり、事はもう既に始まっている────?

 

 

「────……ぁ」

 

 

 そして自分がこの場所にいることが、どういう意味へと繋がるのか。思考が速くなるに連れて、瞳孔は開き、呼吸は荒れ、肩が上下し、口元が始める。アキトは今、この現状になった時の記憶を頭の中で思い起こしていた。そして、背筋が凍る。

 以前にもこのような状況に陥った際は、“暴力”を体現したように荒れ狂っていたとアスナから聞いた。

 なら、つまり。

 自分という思考がここに留まっている今。

 

 

 ────今、自分の体は一体、何をしている……?

 

 

 その疑問は、視線となって目の前の白い男へと自然に向けられる。奴はアキトのその表情を見て、漸くかと言わんばかりに楽しげに。

 

 

 

『────サア、壊シテ喰ラエ』

 

 

 

 今度ははっきりと、その口を動かした。

 その声は自分のものではなく、もっとずっと前から知っていて、それでいてとても聞き慣れた女の子の声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 我に返った時には、手遅れの一歩手前だった。

 現実に引き戻される感覚と共に黒曜石の冷たさに体が震えたのも束の間、振りかざしたその腕の先の紅い剣が、今にも眼前のエギルに落とされそうになっていたのだから。

 此方に武器を弾かれたのか、彼は斧を上にかち上げられ仰け反っており、隙だらけになっていた。その体に、刃が振られてしまえば。

 アキトは一瞬、頭が真っ白になった。

 

 

(っ!?な、んで……まずい!)

 

 

 慌てて振り上げた右腕に力を込める。脳へと制御の信号を送り付ける。いや、送り付けたはずだった。

 だが途中でそれを断絶させられているかの如く、その右腕はアキトの指示に反し言うことを効かない。何の躊躇いも感じさせず、一直線にエギルへとその剣を振り抜く為の予備動作が始まる。

 

 

(身体がいうことを効かない……勝手に……くそ!!)

 

 

 しかしそれが振り下ろされた途端、それは阻まれる。右手側から別の介入によって、アキトのその剣は受け止められたのだ。

 長く反りもった剣───いや、刀だ。ゆっくりとその視線を右に向ければ、今もなお力で競り合おうと歯を食いしばるクラインの姿が。額や頬に汗を流し、懸命に柄に力を入れている。

 

 

(クライン……エギル……)

 

 

 アキトは、どうにか懸命に辺りを見渡そうとする。

 固定された視界の中でも、アキトの目に映る光景は状況を凡そ教えてくれるものだった。

 エギルとクラインの更にその向こう、フィリアが前に立ちはだかり、少し後ろでシノンが弓に矢を宛てがい此方を見つめている。そして更にその先、アスナとリズベット、シリカにリーファが動揺した瞳で此方を見ている。

 そんな彼女達に庇われる形で後ろに膝を付いてへたり込んでいる少女────ストレア。

 

 

 ────ドクン

 

 

 ストレアを見た瞬間だった。身体中を、沸騰するかのような熱が駆け巡りそれがトリガーであったかのように、アキトの身体が狂気に震え出した。

 ドロドロとしたものが、頭に入り込んでいくのを感じる。黒く熱い負の感情が、洪水のような勢いで脳の容量を圧迫していく。

 

 

 ────コワセ

 

 ────クラエ

 

 

 その不気味な声は、ストレアに視線が固まってから、徐々に強く、速く。

 

 

(なんだよ……何なんだよ……!!)

 

 

 そんな叫びも言葉にはならない。どれだけ大きな声を頭の中ではなっても、彼らには響かない。ただ右手の力が強まり、そして左手もまた人知れず活動をし始める。

 空いた左手、蒼い剣を携えたその手が、アキトの右手を受け切るのに精一杯であるクラインに向かって振り抜かれる。

 

 

「や、らせるかよ!」

 

 

 勢いがつく前に左手は、一足先に体勢を整えたエギルの斧によって受け止められる。そして片手で斧を制し、もう片方の手はアキトの左手首をガッチリと鷲掴んだ。

 クラインもアキトの右手を受け流すと、その腕を抱き込む形で捉えた。此方の右手首を両の手で掴み取り、何もさせまいと力を込めたのが伝わってくる。二人分の体重と力で、両手両足が完全に封じ込まれて、アキトは漸く周りを見ることができた。

 

 

(……っ)

 

 

 みんなが、自分を見てる。

 焦燥と困惑と、恐怖が彩るその瞳で。仲間である彼らから、変貌した自分へと向ける感情が手に取るように伝わってくる。負を彩る空気感にデジャヴさえ感じた。キリトが初めて自分に代わり、《二刀流》でボスを屠った際のみんなの顔がフラッシュバックする。

 思い出す。我に返った途端、自分の知らない世界が構築され、過去に取り残されるようなあの孤独感。求められたのはキリトであって自分じゃない。あの時の疎外感。

 

 

(違う……みんなは、そんなんじゃない……!)

 

 

 鈍色の思考を振り払う。

 最前線に立って数ヶ月の間、彼らをつぶさに見てきたからこそ、みんなの優しさや心の強さをアキトはもう知っている。自分の境遇、キリトと共生している状況、ここへ来た目的を僅かにだが話した時に思ったのだ。

 自分勝手に振舞ってきたことに対する理由はまるで後付けのよう。にも関わらず彼らは、笑顔でその手を差し伸べてくれたこと。キリトの生存を願いながらも、アキトをも選んでくれたのだ。

 最早彼らを守る理由は、キリトの忘れ形見というだけに留まらない。彼らは、アキトの大事なものになったのだ。

 

 

────“そうさ。そんな大事な仲間を、僕らは殺されかけたんだ。あの女に。”

 

 

 その声が脳裏に走ると同時に、その両腕に力が込められた。視線は変わらずストレアへと向かい、心に根付いた黒い熱は次第に闇を溜めていく。

 瞬間、両腕を固定するエギルとクラインを無視するように軽やかに、アキトはその体を回転させた。二人の重量を度外視する速度で彼らを地面から引き剥がし、そのまま振り払ったのだ。

 

 

「うおっ……!」

 

「ぐぁ……!」

 

「っ……エギル、クライン!」

 

 

 壁まで吹き飛ばされたエギルは、背を思い切りぶつけ呼吸が一瞬止まる。部屋の中心まで弾かれたクラインは、そのまま床を滑りながら転がっていった。苦しみが滲む彼らのその顔を見て、慌てて叫ぶフィリア。すぐ近くで見ていたシノンも矢を下ろし、信じられないといった表情で此方を見つめる。

 それをただ眺め、アキトの口元には僅かな笑みを浮かべた。その状況を自分が意図も容易く作り上げたのだと理解した途端、それだけで心地好い風が胸を吹き抜けた。束縛からの解放感と、歴戦の攻略組二人を鮮やかに跳ね飛ばしたその力を振るっただけで、感じたことも無い爽快感が胸を貫いた。

 

 

(なんだよ……どうしちゃったんだよ……俺は……!)

 

 

────“ほら、()はこんなにも強い”

 

 

────“ただこの力を振るえばいい。この力に委ねればいい”

 

 

────“思うがまま、我儘に。誰にも縛られず”

 

 

 一歩、その足を踏み抜く。

 それだけでフィリアの隣りを一瞬で抜き去った。シノンに矢を構える暇さえ与えず通過し、その背後で固まるシリカとリーファを躱した。

 まるで自分の身体とは思えないほどの速度で全てを置き去りにした。驚くのも束の間、アキトのその視界の中心には変わらず薄紫色の髪の少女が座り込んでいた。

 

 

「っ……!」

 

「────」

 

 

 怯えるような、それでいて覚悟したような瞳。挑戦的で、悲哀的で、どこか悔しげな表情。それでもこの身が止まることなどなかった。

 制御のできないその腕は、ただストレアの胸元目掛けて剣先を突き立てていて、その瞳に彼女が映るだけで、自分のものかもはっきりしない憎悪が沸々と沸き立つ。

 自分の身体が今、彼女に何をしようとしているのかは明白だった。

 

 

(やめろ……やめろ、やめろやめろ!!)

 

 

 誰に聞こえなくとも、叫ぶことしかできない。体は願いも許しも聞くことなくその刀身に闇色の光を宿し始めた。超至近距離からのソードスキルの威力は言うまでもない。

 止まれ、止まれと叫びながら、必死に体を力ませた。

 彼女を傷付けてしまえば、怒りをぶつけてしまえば、殺してしまえば、もう戻れない。自分を誇ることなど、もう一生できはしない。

 

 

“────この力があれば、欲しいものは何だって手に入る。奪われることもない。君だけのものにできる。ほら、振るってみなよ?”

 

 

 嫌だと言っているのに。

 拒んでいるというのに。

 その声の囁きが甘美なものに聞こえてならない。振り払っても振り払っても、飽きることなくそれは近付いてくる。

 

 この力は君のものだよ、と。君が望み、憧れた強さだよ、と。

 この怒りや憎しみは君のものだよ、と。それをぶつけるのが仲間達の為だよ、と。

 

 

(違う……!)

 

 

 この怒りは自分の感情じゃない。

 この憎悪は自分の意思じゃない。

 この殺意は自分の願望じゃない。

 

 

 止まれ。

 静まれ。

 やめてくれ。

 

 

「アキト君!」

 

「アキト、お願いだから止まって!」

 

 

 再びストレアの前に二つの影が立ち塞がる。

 焦燥や嘆きをひた隠そうとしてもなお表情を歪ませていたのは、アスナとリズベットだった。アスナは向けたくもないだろうその剣先を向けて、その瞳を揺らしながら、リズベットは盾を構えてストレアを守るように、アキトを止めるようにして立った。

 本当はこんなことしたくないだろう。それでも、アキトとストレア双方を守る為にその武器を手に取っている。

 

 

「────」

 

 

 しかし、アキトの身体は止まらなかった。

 二人の乱入に対して一瞬の躊躇も見せず、構えたその刃の光は未だ消えることなく輝きを帯びていた。

 

 片手剣・絶技《ヴォーパル・インパクト》

 

 彼女達の意志を、決死の選択をおざなりにするようだった。右手に持った紅い剣(リメインズハート)は、一瞬にしてアスナとリズベットが立ち塞がる僅かな隙間を通過し、ストレアの胸元を突き刺したのだった。

 

 

「ぐっ……あぁっ!!」

 

「ストレアさん!」

 

「なっ……!」

 

 

 ストレアの呻きとアスナの悲鳴はほぼ同時だった。あまりの速度に、リズベットは一瞬ばかり反応が遅れる。それらの声がアキト自身の耳に、目に、心に入り込む。

 その剣に自分の顔が反射して、背筋が凍った。

 

 

「────はは」

 

 

 剣に映る自分の顔は、恐ろしいほどに狂気的だった。

 冷たく歪んだ双眸に、鈍く光る血色の眼。そして口元に浮かぶは、愉悦か恍惚にも近い表情。黒と白を髪に混じらせながら、快感に浸るかの如く。

 

 そんな、そんな顔で。

 それほどまでに楽しそうな顔で、こんな事を。

 あんな非道を。

 

 それを知ると同時にその剣がストレアの胸元へと更に深く沈んでいく。

 ただでさえ一撃の攻撃力が高いソードスキルが至近距離で放たれたのだ。そのうえ深々と刃を押し込んでいく狂気を前に、ストレアの体力の空白は段々と危険域にまで侵食していく。

 

 

(くそ、止まれ!止まれよ!止まれええっ!!)

 

 

 最早擦り切れつつある精神で、なけなしの腕力で、その身体を制御する。必死にストレアからその剣を引き抜こうとする。けれど逆にその刃先は彼女の背にまで届こうとしている。力めば力むほどに、それを嘲笑うように。

 

 

「アキト君!しっかりして、アキト君!」

 

「────はは」

 

 

 自分の口から溢れたものとは思えない狂った笑み。

 同時に繰り出された鋭い蹴りが、ストレアからアキトを引き剥がそうと近寄ってきたアスナの腹部に刺さった。彼女のその身は一瞬だけ呼吸を忘れ、呆気なくその場に倒れ込む。

 

 

「うっ……げほっ、げほ……!」

 

「────ははは」

 

 

 咳き込むアスナを無視し、変わらずストレアを見下ろし、アキトは三度口元を歪める。

 全てを捩じ伏せてそこに立つアキトの冷たい笑い声は、その場の誰一人として動くことを許さない。全員の顔が恐怖に彩られ、呼吸さえも困難にさせる。

 蹴りによってカーソルの色が緑からオレンジへと移り変わる。それが様になるような嗤いが、静寂に響いた。

 今のアキトは、気を抜けば仲間さえ見境なく斬って捨てるような獣だった。あれほど渇望した強さの代償に失ったのは、人としての感情なのではないかと思わせるほどに、憎悪や怒りに本能的だった。

 人間的なのは、姿形だけになりつつある。

 

 

 ────そして、その境界は唐突に訪れた。

 

 

「────」

 

 

 その人の形をした黒白の獣は、アキトの意思に反した動きを再び開始した、はずだった。これまで通り、その身体の主導権は未だに奪われたままだ。

 しかし、ふと身体の動きが不自然に停止したのだ。恐怖を助長するような笑み、ストレアへと突き刺していた剣へと入れていた力、ストレアへと向けていたその恍惚にも等しい視線。

 

 その全てが、停止したのだ。正確には、アキトがストレアからその剣(リメインズハート)を引き抜いていた。突然気が変わったかのような態度。これまで欲望のままに動いていた身体はまるで躊躇を覚えたように覚束無く彷徨い、視界の中心にいたストレアは右へ左へと移りゆく。

 ストレアへの攻撃を止めた。それだけなら安堵するべきなのに、アキトの全身を悪寒が駆け巡り、堪え難い不快感が身体中を掻き乱すように暴れ回る。

 嫌な予感が。寒気が、拭えない。

 

 

(なん、だ? 何が……)

 

 

 ストレアが視界から外れ、それは天井へと向けられる。僅かに口元が歪められ、両の剣は力なくだらりと下げられている。なのにそれを隙だと思う者は愚か、何か違和感が駆け巡っていることすら悟っていた。

 空間から音が消え、全ての存在が恐怖を押し殺し、その場で停止する。

 やがて、その視界は再び下へと向けられる。だがそれが再びストレアへと落とされたかといえば、そうではなかった。

 

 

 緩やかに下ろされた視線の先にいたのは、彼女の隣り。

 腹部を抑えて震え、亜麻色の長髪を乱し、倒れ込みながらも此方を見上げる少女────アスナ。

 

 

 彼女と、目が合った。

 

 

 

(────おい、待て)

 

 

 

 その口元がまた、歪んだ。

 同時に、右手の剣を握る力が強まった。

 

 

 

(────待ってくれ)

 

 

 

 声にならない声。縋り付くような願い。それでもなお逆らうことのできない身体。自分自身では身じろぎ一つ叶わず、この獣の思惑も分からず、アキトの全身を恐怖が駆け巡る。

 この身体の主導権を握る“何か”。思惑は知らずとも、今コイツがアスナを見て何を考えているのかは、何をせずとも理解してしまった。

 右手に込められた力と、彼女に踏み出した一歩で。

 

 視界の中心点にいたストレアは、アスナへと代わった。

 未だ此方を苦しみに歪んだ瞳で見上げる彼女を前に、その右手はゆっくりと頭上へと持ち上げられていく。

 アスナの顔が強張るのと同時に、その刀身はソードスキルの光を放ち始めた。

 

 

(やめろ!アスナは敵じゃない!!やめろ!!)

 

 

「アキトく……」

 

 

(やめろおおおおおおおおおおおおお!!!)

 

 

 言葉にならない絶叫が、脳裏で反響する。

 血を流さんばかりに唇を噛み締め、全神経を掲げた右手に集めた。決して、決してこの右手を振り下ろすものか。これ以上、わけの分からないことで仲間を失ってたまるものか。

 失った過去の景色が甦る。また間に合わないなんて、そんなこと許されない。あってはならない。大事なものなんて、もうここにしか残ってない。

 

 

「────死、」

 

 

 死ね、とそう言おうとしたのだろう。

 だがそれは、突如遮られた。急に目の前に現れた物体がアキトの頭を捉え、そのまま身体毎後方へと吹き飛ばされたからだ。

 

 

(────!?)

 

 

 ぐらりと視界が歪むのを感じたのも束の間、視界にいたはずのアスナは消え去り、吹き飛ぶ最中にシノンやリーファ、エギル達が入り込む。

 視界が逆さまになり、振り落とされる体が天地を見失って激しく回る。

 

 ────何かに、攻撃された。

 

 その理解に達した瞬間、アキトの身体もまた地面の上へと到達していた。

 背中側から容赦なく黒曜石の床にに叩きつけられ、誇張なしに肺の中の空気が全て吐き出される。コートが削れる音が重なり、転がり続ける身体は幾度もその負傷に追討ちをかけた。

 

 やがて摩擦で身体は部屋の中央近くで静止する。体力もそれに伴って減少を止め、気が付けば視界は天井を向いていた。

 状況に唖然とするしかない。この身体の主もそう思ったのか、その血色の眼を見開いたまま、ゆらゆらと身体を起こし、その首をもたげた。

 

 

 

「好き勝手、してんじゃないわよ……」

 

 

 

 ────その声の方向へと視線を向ける。

 アスナを守るようにしてそこに立っていたのは、メイスを振り切ったリズベットだった。

 息を荒らげ、肩を上下させ、腕を震わせ、その瞳は涙混じりで。

 

 

 

「その、剣はねぇ……アンタにそんなことさせる為に、作ったわけじゃないんだっての……!」

 

 

 

 此方を睨み付けようと顔を上げたリズベットの瞳は、怒りとは名ばかりの、悲哀に満ちた瞳だった。

 彼女の顔は、自分が作った武器が誰かを傷付ける為に振るわれたことによる怒りではなく、アキトを攻撃してしまった自分に対する怒りや悲しみ、痛みだった。

 アキトを正気にさせる為に、誰かを守る為の武器を振るってくれた。仲間に傷を負わせることになるのだ。躊躇いもあったろうに、メイスを持った腕は未だ震えを告げている。

 後悔に表情を歪める彼女。そして、そうさせているのは不甲斐ない自分自身。

 

 

(リズ、ベット)

 

 

 喉が詰まった。

 その光景に、アキトは何も言えなかった。彼女の身を案じる言葉すら満足に伝えられない惨めな自分の前で、リズベットはそれまでの自身の表情を誤魔化すように笑みを作って、上体を起こした。

 

 

「早く、正気に戻んなさいよ……戻って、ストレアに、直接言葉で言ってやんなよ。そんなワケ分かんない力に頼んないで、さ。アンタ、私達相手にずっと、そうやってきたじゃん……」

 

 

 泣き言一つ漏らさず、平気だよ、と笑って見せて。

 今のアキトがまともじゃない、仲間すら傷付ける獣に成り果てていると知っているのに。武器を向けたことで、その矛先がいつ自身に向けられてもおかしくないというのに。

 

 これ以上、無理して欲しくない。アキト自身ですら制御の効かない災禍の獣。全てを捩じ伏せるだけの暴力を前に、目を付けられるような行動をこれ以上して欲しくなかった。

 だが自分自身では正気に戻れない。望みは外部からの干渉でもあった。仲間に頼るしかない現状ではあったが、この獣が、今にこの場の全ての命をアキトから奪おうとしているかのような焦燥感があった。

 

 傷付けたくない。

 傷付いて欲しくない。

 だから、どうか逃げて欲しい。

 それすらも、口に出して伝えられない。

 

 

「────」

 

 

 そして、恐れていた事態に差し掛かるのもまた早い。

 アキトの身体は、僅かに上体を起こした途端にその床を蹴飛ばした。ステータス度外視の速度で一直線に駆け出すその先に立つのは、リズベットだった。

 

 

「っ……!」

 

 

 僅かに喉を鳴らす。再びアキトに武器を向けることへの躊躇が、その表情から読み取れた。それを隙だと獣は判断し、その血色の瞳が妖しく光る。殺意を剥き出しにするアキトの姿に、リズベットの身体は僅かに竦んだように見えた。

 

 

「しっ────!」

 

 

 瞬間、リズベットとアキトの前を何かが光を引きながら通過した。およそ部位を抉らんとするほどの威力が垣間見えたそれは、アキトの動きを止めるには充分な働きを持っていた。

 リズベットから視線はいとも簡単に外れ、立ち尽くした獣の視界は、何かが飛んできた方角へと傾く。まるで狩りの邪魔をした存在に憎悪混じる瞳を向ける為に。

 

 

「……次は、当てるから」

 

 

 視線の先には、頬に汗を伝わせ、瞳を僅かに揺らしながら胸郭を開いたシノンが立っていた。ここまで矢を構えつつも射ることを躊躇していたはずの彼女が、覚悟を決めた顔でそう告げた。

 その右手は再び背中の靭から矢を取り出し、左手の弓に当てがう。その一連の流れに滞りはなく、迷いを感じさせない手付きは覚悟の証だった。

 リズベットの放った一撃が、彼女に影響を与えたのだと理解した。

 

 

「────」

 

 

 すると今度は、アキトの身体はシノンへと標的をシフトさせる。ボス戦時には恐ろしいほどに冷静で無慈悲な剣戟を見せたと思えば、今はただ暴力に身を任せ、自分を邪魔する者に対しての苛立ちをぶつけるかのように標的を変え続ける。

 獣は理性的な一面は既に剥がれ、直情的に動き出し始めていた。その分、みんなに振り撒く殺意は濃いものとなっていく。

 

 

(っ……シノン!)

 

 

 そう脳内で呼びかけるより先に、アキトの剣がシノンへと伸びる。

 薄暗い部屋の中で仄かに照らされていた光がその剣の腹に反射した。それはやがて一時的なものからソードスキルの輝きへと昇華され、暴力を練り込んだ剣技へと変貌していく。

 

 たった一歩で彼女の間合いを捩じ伏せるだけの進度を踏み締め、殺意の籠るその刃先は音速の比喩に相応しいスピードを帯びる。

 シノンが目を見開いて咄嗟に腰の短剣を抜く時には既に遅く、紫に輝く剣は体勢を崩した彼女の肩を抉った。

 

 

「くっ……!」

 

 

 苦鳴に歪む瞳、不快感に耐えるよう噛み締めた唇、質量があると錯覚させるほどの憎悪と狂気に震える身体。それらを獣の視界から見てしまったアキト。

 

 ────その瞬間、アキトの身に宿った感情は恐怖や痛みではなかった。

 

 まるでこの身を操る獣がたった今感じているもの。それを、共有しているかのような感覚。

 仲間を剣で貫いたはずだというのに、最初に心に吹き抜けたのは圧倒的なまでの快感だった。

 純粋なまでの暴力。思うがままに振り回す悪意。しがらみを無視した行動の全て。自分の意思でやっているものではないと知っているのに。

 

 

(あ、あああ)

 

 

 剣を振るう度に、獣が口元を歪ませる度に。

 段々と理性が、常識が、想いが、亀裂を走らせズタズタにされていく感覚────

 

 

「シノンさん!っ……せええええいっ!」

 

 

 裂帛の気合いと共に剣を振りかざしたのはリーファだった。二人の間に突如割って入ったかと思うと、シノンの肩に深々と刺さるアキトの剣を上に弾き出す。

 身体が仰け反る獣の隙を、逡巡の後に上段の構えで狙い打つ。両の手で柄を握り締め、下へと落とすは単発技の《バーチカル》だった。

 

 

「────退け」

 

 

 アキトの口で獣がそう告げた瞬間、目の前で剣を振り抜こうとしていたリーファの表情から、闘志と覚悟が消し飛んだ。

 

 

 ────剣と、それを手にしていた両腕と共に。

 

 

「───ぇ」

 

 

 呆然と、唖然と、リーファはその金色の髪を揺らしながら、肘から下が無くなっている事実を目の当たりにしていた。

 断面は血のような“赤”を散らばせ、漂わせている。彼方へと飛んだ剣が床にぶつかり反響する金属音を聞き流しながら、その獣は彼女の腹部に向かってその脚を捩じ込んだ。

 

 

「がっ……!」

 

 

 シノンを巻き込み、後方の壁にぶつかるほどの威力で蹴飛ばした。小石のように軽々と飛んでいく二人を視界に収めながら、また心の中が自分の意思に反して晴れやかになっていく。

 痛み苦しみ、涙するその顔に目が離せない。頭から離れない。劈くような悲鳴を、耐えるような嗚咽を、耳が記憶していく。脳裏に焼き付けていく。

 

 

(ああ、ああああ)

 

 

 理解したくもない快感を、感じるはずのない解放感を、知ってはいけない幸福を、無理矢理に押し付けられている感覚。

 こんなにも恐ろしく、悍ましいことなんて他にないとさえ感じるほどに。何度も、何度も頭の中で快感を喚く。ここまで大切なものを壊しておきながら、まだ足りないと宣う。

 もう一度、もう一回、と偽物の欲望が思考を塗り潰し、その視界は再び別の標的へと移りゆく。

 

 

「え───きゃうっ!」

 

 

 その獣は、左手の《ブレイブハート》を床に思い切り突き刺したかと思えば、足を震わせ身体を竦ませていたシリカの首へとその左手を突き出し、鷲掴んで持ち上げた。

 

 

「っ……うっ、ぁ……キト、さん……」

 

「────ああ」

 

 

 首を締め上げられ、床から足が離れる。獣は律儀にもその小さな身体を見上げ、僅かな体力が減っていく様をアキトに見せ付けてくる。

 呼吸もままならず、目を細め、そこから涙を流すシリカ。この首を締めているだけで恐怖や痛みを彼女から絞り出しているかのような状況に、その獣は恍惚を滲ませて嗤った。

 

 

 ────コンナニ楽シイ事ハナイ

 

 

 その声に。本当に楽しそうに告げるその声に。

 これ以外に、幸福を得る方法を知らないと言わんばかりの声に。

 アキトは。

 

 

(────て)

 

 

 小さく、心の中で。

 ポツリと、縋るように。

 

 

「シリカ!」

 

 

 その身体を操る“何か”は、弱々しいアキトの心に反して冷静な様を崩さない。

 背後からシリカを助けようと駆けてきたフィリアの胸元に、無慈悲に回し蹴りを繰り出した。

 隙を突いてきた彼女を嘲笑うように、躊躇の後に漸く形となった覚悟を、簡単に破壊するように。

 それが楽しいんだと、そう言うように。

 

 

「っ────」

 

 

 呼吸が一瞬ばかり停止する。声にならない声を漏らすフィリア目掛け、左手で掴み上げていたシリカを物を捨てるかのようにぞんざいに投げ飛ばした。

 

 

(────て)

 

 

 その光景を見ても、彼女達の名前すら呼べなかった。

 それ以上に自分が今押し付けられている感情や感じてはいけない快感に支配されている事実が、アキトの脳裏で渦巻いていた。

 人間性が失われていく感覚と共に、絶望という二文字を強引に捩じ込まれていく。

 

 怒りが込み上げるはずなのに。殺意を持っていいはずなのに。

 それらを邪魔するかのようにして心に流れ込むのは、力を振るうことへの全能感。あれほど望んでいた世界を、大切にしたいと願った世界を、自分の手でズタズタに壊されているというのに、最早それを悲しませてもくれない。

 これだけを感じろ。これだけを生き甲斐にしろ。これだけを覚えていろ。そう語り掛ける声がする。

 

 

(────け、て)

 

 

 右手の剣をリズベットに向かって投擲し、膝に命中したのを確認した獣は、エギルとクラインに迫った。

 此方に向かおうとしていた彼らの不意を突くように、その両手をそれぞれの首に穿つ。

 

 

「がぁ……!」

 

「ア、キト……!」

 

「────あははは」

 

 

 跳ね上がった筋力値にものを言わせるかの如く、両手に力を込める。次第に二人のその首は締め上げられていき、段々と細くなっていく。絞り出る悲哀の感情をその身に浴びて、獣はまた楽しそうに嗤う。

 生きていることを実感する。その獣が、段々と口元を歪めていく。破壊と蹂躙の限りを尽くし、数多を絶命させようとしている。

 

 

 ────もっと、壊して。

 

 

(────れか)

 

 

 壊して壊して壊して壊して。

 

 

(────)

 

 

 壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊して壊シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ壞シテ。

 

 

 

 

「────アキト君!」

 

 

 

 

 ──── その背に、誰かが抱き着いた。

 

 

 苛立ちを隠さぬ顔。僅かに傾く首。

 興味無さげに瞳を流し、視界の端に亜麻色の髪が見えたのを最後に、その獣は再び目の前のクラインとエギル二人の首を掴む手に力を込め出す。

 

 

(────)

 

 

 だがアキトは、その一瞬だけ視界に入り込んだ髪の持ち主を理解した。

 華奢な両腕を回され、なけなしの力を込めて締め付け、全力で二人からアキトを引き剥がそうとする存在。

 その腕に、恐怖による震えは感じない。

 

 

「大丈夫、大丈夫だから……私達、みんな無事だから……!アキト君を、絶対に独りにしないから……!」

 

 

 アスナが背後から、必死に叫んでいた。

 ここに至るまで、何度も自分を支えてくれた存在。時には仲違いし、すれ違い、喧嘩をし、それでも頼っていいと言ってくれた人。キリトにとっても、みんなにとっても、自分にとっても大切な人。

 そんな彼女さえこれ以上傷付けてしまったのなら。

 

 

(────て)

 

 

 最早憔悴し切った精神。摩耗した理性。何が正しくて、何が大事なのかさえ分からなくなり始めていたその心は、やがて一つの言葉を紡いでいた。

 心の中でさえ音にできないそれを、何度も何度も口にする。

 

 

(────けて)

 

 

 それはアキトがこの世界に来て、ただの一度も言ったことがない言葉だった。何もかも自分で守ろうとしていた彼が、ヒーローに憧れた彼が、決してそちら側に回ってはいけないのだと、無意識に決め付けていたことによる一つの障害だった。

 頼れと言われても頼れず、頼り方を知らず、自分がなんとかするのだと自己完結し、それを口にはしなかった。

 

 

 何も考えられなくなっていたアキトは、無意識に、縋り付くように。

 

 

 皮肉にも、それを告げていた。

 

 

 

 

(────助けて)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──── Episode.117『零落(この手から零れ落ちたもの)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『───漸く、言ってくれたな』

 

 

 

 

 それはとても懐かしい、憧れの人の声だった。

 

 

 







ユイ 「……」ポケー

ユイ 「……」キョロキョロ

ユイ 「……」

ユイ 「……アキトさん」



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Ep.118 前進







揺るぎないものなんてないから、人の心は揺れるんだ。




 

 

 

 

 

 ────今回の攻略で、九人が死んだ。

 

 

 その情報は、攻略組の帰還後すぐに広まった。アキトらが拠点とする76層《アークソフィア》に始まり、そこから情報屋伝手に詳細が上層下層に流れていき、生存するおよそ六千人のプレイヤー全てを震撼させた。

 驚いたのは情報が広まるその速度。最前線から残り三層となったこの時点での戦力低下は攻略速度や成功率に多大な影響を与えることは、最早素人目にも分かるだろう。死と隣接する戦線を乗り越えてきた強者が七人も命を落としたとなれば、現実世界への帰還を願う者達からすれば落胆以上のものを抱くのは必至。以前までと比べても、情報が全域に知れ渡るのにそう時間はかからなかった。

 

 時間がかかったとすれば、攻略組の意識の回復の方だった。

 攻略組の拠点である《アークソフィア》では、彼らの帰還を待ち望むプレイヤーで溢れ返っていたが、転移門を潜って現れた彼らに歓声の声を上げられる者は殆どいなかった。最初こそ騒ぎ立てていたが、それも段々と小さくなっていくばかりで。

 人数が心做しか減っていたのもそうだが、問題は彼らの表情だった。75層のボス戦後と遜色ないほどの絶望を彼らから感じたからだった。

 

 当の攻略組も《アークソフィア》に戻るまでに色々なことを頭の中で錯綜させていただろう。

 本当に色んな状況が重なり過ぎて、その全てが終息しても脳の情報処理が追い付かず、その後暫くは誰もがボス部屋で何も言わずに────何も言えずにいた。そこから我に返った者達が一人、また一人とその場から立ち上がり、そうしてアキト以外の全員が冷静さを取り戻し、今回の被害状況を判断するまでにかなりの時間を有した。

 誰も口を開きたくはなかった。事務的な言葉だけを並べて、淡々と帰り支度を整えた。プレイヤーが何人死んだかなど、本当は数えるのすら億劫だったのだ。

 

 そして、ギャラリーの中には目敏い者も当然存在する。

 一人、また一人とその異変に気付いた。最近こうして集まるプレイヤーの中には、その存在が目的で来る者も多かったからだ。攻略組の顔色を窺って誰も口に出しては言わないが、小声で隣り合った者と『黒の剣士がいない』と口にする。それは、攻略組が壊滅的な痛手を負ったに等しいことで。彼らの絶望は助長するばかりだった。

 

 一言で言えば───アキトは、無事だった。

 突如糸が切れたようにその意識を閉ざし、死んだように目を瞑って倒れたのだった。それまで黒と白を綯い交ぜた姿は元の黒一色に戻り、冷酷な笑みも、暴力を体現した憎悪も、恐怖を生むその何もかもが消え失せていた。

 まるで全てが嘘であったかのように。

 

 だが、彼の頭上のカーソルの色ばかりは、夢幻にはさせてくれなかった。

 緑からオレンジへ。それは攻略組である彼らと、犯罪者となったアキトをはっきりと区別するものになっていた。

 夢ではない。幻ではいられない。あの姿、あの力、あの笑み、あの瞳。何もかもが既に過去の事だというのに生々しく、現実味を帯びていて。

 だから、いつもの優しい彼に戻ったのだと、安堵せずにはいられなかった。

 

 

 同時に、これが一時的なものなのかもしれないと思うと、不安はぬぐい去れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.118 『前進(前だけを見て進むには)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 83層《ドルバ》は、上層であるが故に面積は広くないが、その大部分は常緑樹の森林と湿地で占められており、それが迷宮区前まで広がる自然豊かなエリアである。主街区もそれに伴った設計が成されており、緑と建物が共存するデザインはプレイヤーからの評価も高い。

 モンスターのレベルは高いが種類は少なく行動の予測もしやすく倒すのはそれほど難しくない為、比較的森林浴と称して出掛ける者が多い。

 しかし当然、辺りが暗くなる頃に出向くような者はそれほど多くない。観光名所になりつつあるというだけで、人口的には少ないフロアだ。《圏外》ならばなおのこと、日が沈んだ時間帯に行くような場所でもない。だからこそ、一人になるにはうってつけの場所でもあった。

 

 森に囲まれた巨大な湖の畔で、アキトは一本の巨木に凭れ掛かっていた。揺らめく水面に映る残酷なまでに美しい月を見上げながら、ただぼうっと時間を過ごしていた。

 この景色に、アキトは何故か既視感があった。だがすぐに納得もした。それは、身に覚えもないはずなのに、アキトのものではない“誰か”の記憶から、それが引っ張り出される感覚に襲われたからだった。

 

 

 懐かしい記憶。

 森奥のログハウス。そこから一望できる湖面と濃緑の景色。

 水面に反射する柔らかい光。森を通る心地好い風。手元で糸を引く釣り糸。

 

 

『キリト君!』

 

 

 ────隣りで微笑む、亜麻色の髪の少女。

 

 

(これは……きっと、キリトの)

 

 

 これはきっと、キリトの記憶だ。

 

 最近その声が聞こえなくなって、何度呼び掛けても返事がなくて、もしかしたらあの“何か”に押し潰され、消されてしまったのではないかと思っていた存在。

 

 

『───漸く、言ってくれたな』

 

 

 意識が途切れる直前に聞こえた、安心する声。あれは、もしかしたらキリトだったのかもしれない。

 今脳裏に映る過去も、それを見て感じている覚えのない懐かしさも、彼が現れてくれたことによるものだと思えば何の疑念も不満もなかった。

 今まで何をしてたんだとか、何があったんだとか、聞きたいことはあった。だがあの瞬間の出来事が幻だったのかもしれないと感じてしまうほどに、彼の存在は消えてしまったかのように、また感じられなくなってしまったのだ。

 再び不安がアキトを襲う。身体を震わせる。彼がいてくれなかったらと、アキトはその背筋を凍らせた。

 

 

(こんなことなら、いっそ……いっそ、キリトに……)

 

 

 最低な考えをしているのは分かっていた。けれど人を、仲間を傷付けてしまった事実がいつまで経っても拭い去れないのだ。この手に感触が今も残っているような気さえする。どれだけ逃げようとも、思考を振り払おうとも、オレンジカーソルがそれを許さない。

 この場所はモンスターが出現する心配もない安全地帯。カーソルの色がオレンジになってしまった今、アキトは《圏内》には入れない。故に、身体を休めるにはこんな場所しか選べなかった。それが罪を明確に突き付けてくる。

 

 誰もいない孤独。けれど、昔を思い出すような寂しさはなかった。今は誰もいない方がいい。誰も傷付けないで済むから。

 それでも一人であれば空白の時間が自然と生まれ、それは無慈悲にも常にあの時の記憶を突き付けてくる。

 

 

「……違う。俺じゃない……あれは……俺じゃ……っ」

 

 

 何度も自分に言い聞かせながら、震える両手で頭を抑えた。

 鮮明に甦る、彼らの絶命寸前の姿。そうさせた自分の剣。反射して映る冷酷な微笑。他者を傷付けることを厭わず、その躊躇いも感じない無慈悲な戦い方。その全てを、アキトは覚えている。

 いつもみたいに、忘れさせてなんてくれない。あれは自分ではないのだと、そう逃げずにはいられなかった。

 

 

(本物の化け物になってしまった……この手で、人を……)

 

 

 アスナの叫びを無視し、シリカの首を締め上げ、リズベットの願いを踏み躙り、リーファの両腕を斬り飛ばし、シノンの意志を抉り、フィリアの覚悟を砕き、クラインの命を消そうとし、エギルを吹き飛ばした。

 喧嘩し、反発し、協力し、笑い合った。かつての仲間と同じくらい、大切な宝物だった。それを、自らの手で。

 

 

(誰かと一緒にいたいって……いられるかもしれないって、思ってしまった……)

 

 

 かつての再現。同じ過去の繰り返し。

 お前は不幸な奴だと、誰かが言っていた。お前の周りは、不幸になるのだとそう告げられた。

 知っていた、はずだった。知っていたはずなのに。欲が出た。決して、願ってはいけないものだった。取り零すなと言われた未来を、自分は────

 

 

「本当に、バカだ……」

 

 

 ────怖い。そう思った。

 このまま彼らと共に歩くことで、また同じような事が起きるかもしれないと思うと、どうしようもなく怖かった。

 彼らが目の前で、自分の手によって斬り伏せられていく。恐怖を見せるその表情を俯瞰して、快感を覚え嗤う自分の姿を想像しては、何もかも吐き出してしまいそうになる。

 

 自分の感情が、知らない“何か”によって塗り替えられていくあの感覚が、怖くて怖くて堪らない。この眼で今見ている景色を、素直に綺麗だと思えるのがこんなにも幸福な事だなんて、知らなかった。考えたこともなかったのだ。

 自分が自分じゃなくなっていく感覚には慣れたと思っていた。キリトなら、と何処かで思っていた。けれど、そんなの嘘だった。自分を誤魔化していただけだった。あの獣の笑みを見るだけで、声を聞くだけで惨劇が甦る。あんな思いはもう沢山だった。

 

 

 ────だが、それでもアキトは戦線を放棄することはできない。

 

 

 アキトの行動原理の根底には、過去の記憶が大きく関わっている。

 独り善がりとはいえ、曲がりなりにも《黒鉄宮》の石碑の前で今は亡き少女に掲げた“誓い”があった。アキトにとって、攻略組として多くのプレイヤーを現実に帰すことこそが、《黒猫団》のみんなに対する贖罪でもあるからだった。

 

 そして初めて《アークソフィア》に訪れ、キリトが死んだと聞かされた日に、心の中で彼に告げた“約束”があった。彼の残してしまったもの、置き去りにされた者達を、誰一人失うことなく守り抜くこと。

 彼に期待や羨望を散々押し付けて離れた自分自身への戒めと、彼の背に追い付かんが為だった。

 

 自らが勝手に定めた、楔とも呼べる“誓約”。

 これまで多くの傷や痛みを受け、希望と絶望を知って、数々の出来事に触れ、迷いの中で過ごして生きてきた。何度挫折しかけてもここに立てているのは、それでも生きなくてはならない理由の一つとして“誓約”が存在していたからでもあった。

 投げ出しそうになっても、忘れようとしても、《アークソフィア》で出会った仲間達がそれを許さないでいてくれる。だから迷いや躊躇を重ねても、この楔だけは決して手放さないでいられたのだ。

 

 故にこの身に宿る“何か”に怯えても、攻略を放棄することはできなかった。

 逃げ出したい気持ちはある。あんな光景を見るのは一度だけでいいと切に願う。

 いっそこの身をキリトに委ねて、全てを任せてしまいたい衝動にさえ駆られた。だがそれはまるで過去の投影だった。再びキリトに全て押し付けて、背負わせてしまったのなら、アキトはもう自分を許せなくなると思った。

 

 

 ────なら、このまま独りの方が良いのではないだろうか。

 

 

 既に一本道だ。この選択肢以外のものは取れない状況にまで陥っていた。仲間をこれ以上傷付けることなく、かつ“誓約”に従った行動を取る方法なんて、たった一つで。

 この身に巣食う謎の存在は、たった一人で攻略組レイド級の戦力を誇ることはもう知っている。制御することは叶わない。ならば、一人でボスと対面すれば、他のプレイヤー達が標的になることはない。目の前で聳えるボスを屠れば、それで全てが収束するのだ。

 それが、オレンジになってしまった化け物が誰も傷付けずに戦える手段なのだと、そう気付いた。

 

 

「……俺、一人で……」

 

 

 この“暴力”がある限り、みんなと一緒にはいられない。

 それでもこの道しかないというのなら、それでみんなが傷付かずに済むなら、この寂しさなんてどうでもいい。孤独でも構わないとさえ思えた。

 もう同じ失敗は繰り返さない。かつての仲間と同じ末路を、自分が作ってはならない。

 

 一人には、独りには慣れてるはずだ。

 彼らと出会う前だって、現実の世界でだって、ずっとそうしてきた。だが、現実世界でこれほどの経験をしたことはなかった。

 

 レイドで挑んでも倒すのが難しいフロアボス相手に、制御の効かない獣を連れてたった一人。

 勝てるのか────?そんな問いが頭の中を反芻する。

 

 不安で、怖くて、震える。

 細い腕が、弱々しい身体が、音にならぬ声が。

 ────何より、心が。

 

 

「……アキト君」

 

「っ……!」

 

 

 アキトは冷静ではなかった。今回のボス戦による自分の行いと、内に眠る”何か“に対する疑念、自分のこれからのこと。そして、またみんなを傷付けてしまうのではないかという恐怖。

 それらが片時も頭の中心から退いてくれなくて、静寂を割く背後の気配に、声がするまで全く気が付かなかった。

 

 喉を詰まらせながらも、物凄い勢いで振り向いた。

 常緑樹の森林の陰から、その華奢なシルエットは次第に迫ってくる。その感覚に、今は恐怖すら感じる。顔が見えるまでのその僅かな時間、けれど心臓の鼓動は耳元で煩いくらいにざわつく。

 やがて月明かりを浴びる場所へと足を踏み出したその少女の姿が顕になる。その少女を見て、アキトはその瞳を見開いた。

 

 亜麻色の長髪が特徴的な少女は、心配そうな表情で此方を見た後、安堵したように息を吐いてから微笑んだ。

 

 

「……もう、やっと見つけた」

 

「ア、スナ……」

 

 

 ────ドクン

 

 

 何しに此処へ────。

 そんな問い、考えるまでもない。先の言葉から、自分を探していたのは明白。何故かなんて決まってる。だが、これから彼女の口から告げられるであろう言葉の全てが、今はただ恐ろしかった。非難、罵倒、追求、決別。何もかもが今の彼女から放たれる可能性がある。

 

 

 ───“待ってるのよ。アキトが話してくれるのを”

 

 

 ───“けど、聞いたところで力になれないかもしれないとも思ってる……だから聞くだけ無駄かもしれないって、そう思って……怖くて、聞けないだけ”

 

 

 ───“誤魔化せるかもだなんて、絶対に思わないで”

 

 

 いつの日か、シノンが言っていた言葉を思い出す。

 彼女は───アスナは、アキトが話してくれるのをずっと待っているのだ、と。この身に起きていること、その異変について彼女は気付いていて、それでいて今まで何も言わなかった。彼女なりに気を遣い、そして我慢してきたのだろう。

 だが今回の件があって、アスナも静観できなくなったのだ。周りを傷付けた自分に、アスナは今一度問い質そうとしているのだろう。今、自分がとういう状況に陥っているのかを。

 だがもう、聞きたいことを聞くだけで済むような話じゃなくなっていた。

 

 

(駄目だ……アスナには……アスナに、だけは)

 

 

 アキトの中に眠る、キリトの記憶が騒ぎ出す。

 身に覚えもないその記憶によって形作られた感情が、本能的にアスナに語ることを恐れてる。自分の記憶じゃなくても、自分の記憶のように刷り込まれている彼の記憶の中で、アスナはいつだって笑っていた。

 その顔を曇らせてはならないのだと、キリトの記憶が言っている。その顔が涙で滲むその姿を思い出すだけで──

 

 

「────ぁ」

 

 

 途端、嫌でも思い起こされる風景があった。見たくもない惨劇が、痛いくらいに生々しい感触を連れて頭を揺さぶった。心臓の音が、また大きくなる。アスナの声など聞こえないくらいに強く、強く脈打つ。

 瞳孔が開き、過呼吸が始まる。倒れる仲間を、傷付く彼らを、恐怖する誰かを思い出し、喉の奥から焼き付くような不快感が込み上げてくる。歯の根が震える。

 

 

「────っ!」

 

「な、えっ、ちょっと、アキト君!?」

 

 

 気が付けば、その場から立ち上がって駆け出していた。

 行き先なんてない。ただ、アスナからできるだけ離れたかった。これ以上彼女を見ていると、嫌でもあの時の光景が甦る。恐怖と苦痛で、身体も心もどうにかなってしまいそうだった。

 項垂れるような人達、目を虚ろにしながら遠くを見る彼らの姿。それはもう、死んでいるのと変わらないほどに痛々しくて。

 

 

「アキト君!待って、アキト君!!」

 

 

 すぐ後ろから、アスナの声がする。にも関わらず、この足を動かすことに躊躇なんてない。仲間が大事だから、傷付けたくないから、獣になった自分に対する彼女の気持ちや言葉を、聞きたくないから。

 逃げ出したと言われてもいい。けど、非難の声を聞きたくなくて、森の中の入り組む道を覚束無い足取りで懸命に走り続ける。アスナからだけではない、背後には後悔や懺悔までもが押し寄せてくるような気がしたから。

 

 

「くっ……う、っ……!」

 

 

 口元に手を当てて、アキトは込み上げる嘔吐感を無理矢理押し込んで大地を駆け続ける。

 いつまでも消えない浮遊感。そして、足を踏みしめる度に内臓を掻き乱していく感覚。色んなものが逆流し、身体中を虫が駆け巡るかのような圧倒的な不快感。

 

 そして何より、この世界がアキトという存在の全てを拒むような拒絶感。

 世界は、アキトをアキトのままでいさせてはくれない。

 

 

(なんで……っ、なんで、俺ばっかり……!!)

 

 

 物心着いた時に両親を失った。

 この世界で漸くできた《黒猫団(なかま)》を失った。

 命に代えても守りたいと思った、大切な人を失った。

 羨望と嫉妬を繰り返し、それでも憧れずにはいられなかった親友を失った。

 

 この世界に来てからだけじゃない。生まれた時から、アキトは様々なものを失ってきた。失くしてきた。

 零す程の物すら残ってなかった空っぽの掌に、漸く収まった最後の宝物。それすらも手にし続けることを拒むのか。

 

 

 ──── なあ、これ以上……何が欲しいんだよ?

 

 ──── 俺の何が気に食わないんだよ、神様。

 

 

 そう、届きもしない皮肉を心の中で呟いた。

 どうすれば良かったのだろう。何が正解だったのだろう。無限の網目のように入り組む選択肢の中で生きてきた。絶対的な正解ではなくても、人の道を外すような間違いを犯す生き方をしてきたつもりはない。こんなにも残酷な仕打ちを受ける言われなんて、あるわけがない。

 この世界に来たこと自体が、罪だったというのか。

 

 

「このっ……待ってって言ってるでしょ!!」

 

「なっ……!?え、な、なんで……!?」

 

 

 想像以上に近い場所から声が突き刺さった。

 我に返り振り向けば、苛立ちを隠さず表情に出しながら此方を追い掛けるアスナの姿が見え、アキトは言葉にならないほど驚愕した。

 疲労はあれど全力で走ったはず。かなりの距離を移動したし、ここに至るまでに道もそれなりに入り組んでいた。大分引き離したと思っていたのに、気が付けばすぐ真後ろにその存在はあった。

 

 

「っ……来るな、近付かないでくれよっ!!」

 

「な、なんですってぇ……!?」

 

 

 何故追い付ける?いや、何故こんなに全力で追い掛けてくるのだ。質問や非難をぶつけたいのだろうことは分かるのだが、ボス部屋で起こったことを考えれば、アキトに恐怖心を覚えて近付けないという方が自然ではないか。恐怖があるなら、こんな無理に追い掛けなくてもすぐ諦められるだろう。

 なのに────

 

 

「《閃光》の実力、舐めないでよ……ねっ!!」

 

「ぐえっ!?」

 

 

 突如背中から衝撃が走る。瞬間、その足が縺れた。

 どうやらアスナが背後から、一か八かアキトに飛びついたのだろう。アキトは一気にバランスを崩し、すぐ傍にあった木の根元に躓いて、華奢な身体は前のめりに倒れ始める。受身を取ろうと咄嗟に反転し、飛びつく際に同じく前のめりになったであろうアスナを偶然にも受け止めた。

 彼女を庇う形で背中を地面に打ち付け、僅かに地を削って静止した。

 

 

「たた……」

 

 

 思い切り背中をぶつけ、アスナも上に凭れかかっている為に身動きが取れずにいると、アキトの身体の上で倒れ込んでいたアスナが咄嗟に上体を起こし、腕を立てて頭を上げる。

 その端正な顔や、綺麗な亜麻色の髪が視界を覆う。すぐ真上に彼女の顔があった。アスナは此方に覆い被さった体勢のまま、此方を見下ろして怒気孕む笑みを浮かべた。

 

 

「つ、かまえたぁ……よくも逃げてくれたわね……!」

 

「な、なんだよアスナ……近づくなって言って……」

 

「勝手にいなくなるからでしょ!!意識が戻るまでみんな待ってたのに、ちょっと目を離した隙に……君って人は!!」

 

 

 確かに、ボス部屋で意識が途切れたアキトをアスナ達はずっと待ってくれていたようだった。次の層の有効化(アクティベート)を自分の部下に任せてまで気にかけてくれていたらしく、目が覚めた時の居心地の悪さときたらそれはそれは酷いものだったのを覚えてる。

 だが帰路に立とうとも、オレンジプレイヤーは《圏内》に入れない。システムによって規制されているのだ。そうでなくとも、今のアキトが攻略組と共に行動するのは士気が下がることにも繋がる。事実を知る攻略組のメンバーなら兎も角、他者の目を気にせずにはいられなかったのだ。

 

 

「……オレンジは、街に入れない。それに、犯罪者が攻略組の中にいたら他のプレイヤーからのやっかみとか、色々あるかもだし」

 

「一言くらいあっても良いじゃないって言ってるのよ!貴方が帰りの集団にいないと知った時のユイちゃんの顔なんて……っ、泣き止ませるのにどれだけ時間掛かったと思ってるの!!」

 

「す、すみませんでした……じゃなくて!」

 

 

 アスナにはそんな正論も形無しだ。ユイの状況も話されてしまったら、アキトには文句の一つも言えはしない。───初めから、言う資格もないけれど。

 しかしアキトにとっては、そんなことを言っている場合ではなかった。アスナが此処にいるという事実は、彼にとっては恐怖の対象でしかない。

 自分の傍にいるだけで誰かが傷付く可能性が僅かにでもあるならば、自分が彼女の傍にいる訳にはいかなかった。どうにか逃げようとも、アスナが覆い被さっている所為で逃げ道も無い。まるで押し倒されて迫られているように傍から見えるのもかなり問題だった。

 

 

「アスナ、退いてくれ!ってか、この体勢色々とマズ───」

 

「嫌よ。絶対に退かない。話したいこと、いっぱいあるもの」

 

「っ、この……!」

 

 

 聞く耳持たないアスナに若干の苛立ちを覚えながら、無理矢理抜け出そうと身体を捩る。それも予想されたことなのだろう、アスナはすぐさまその両の手をアキトの頭の左右に突き立て、自分を見上げるしかない状態に陥れる。

 退かない、逃がさないと言った自分の言葉を現実のものにしている。それが、アキトには分からない。

 何故、何故そこまで自分に────

 

 

「ば、馬鹿なのか君は!あんな事があったばかりなのに、どうして俺に近付こうなんて────」

 

 

「バカなのはアキトくんの方でしょ!!」

 

 

 ────ピシャリ。人気のない森の中でそれは響いた。

 自分の言うことを聞いてくれないアスナに声を荒らげ、その声に更に被せるようにアスナが叫んだのだ。

 思いもよらぬ怒声にアキトは言葉に詰まらせ、唖然と口を開けながらアスナを見上げた。これほど激情的な彼女を見るのは初めてで、アキトは驚き息を呑む。

 

 その頬に、水滴が伝う。

 降り出した雨のように寂しく、冷たい。口元を震わせた彼女の瞳に、大粒の涙が溜まっているのことに、見上げてから漸く気付いた。

 

 

「……どうして、分からないの」

 

 

 涙は堪え切れずに溢れ、一粒、また一粒とアキトの頬に落ちる。瞳や頬を赤くして、怒りと悲しみを綯い交ぜにした彼女の表情は、今までアキトが見てきた中でも一番に痛々しくて。

 ────これを、この顔を、自分がさせているのかと思うと、形容し難い苛立ちすら感じる程に。

 

 

「急にいなくなったら……心配、するじゃない……不安に、なるの……当たり前じゃない……」

 

 

 アキトの拒絶の言葉に、アキトの逃避行動に、あの部屋で見せた嗤う表情に、アスナが傷付かないはずなかった。

 彼の被虐とも呼べる自己犠牲に、心優しき彼女が心を痛めなかったわけがなくて。

 怯えていたのは、不安だったのは、自分だけじゃない。

 アスナも同じだったのだ。形は違えど、感じていたものはきっと自分と何も変わらない。

 

 

「……アスナ」

 

「ずっと、ずっと不安だった」

 

 

 再び、震えた声が重なる。

 両の手がアキトの胸へ向かい、黒いシャツをくしゃりと握り締め、蹲るように頭を下げた。

 

 

「困ってる誰かに何かしてあげたい、力になってあげたいって思うアキト君のことを見てると……私もそうありたいと思えるようになれた。そんな君が好きなの」

 

「────」

 

「けどその所為で……自分の気持ちとか、降り掛かる傷や痛みを蔑ろにしちゃうアキトくんがずっと……ずっと嫌だった」

 

「────」

 

 

 

 

「そんなアキト君が、大嫌いだったの」

 

 

 

 

 ────ああ、そうだった、と、泣きじゃくるアスナをただ見上げながら、アキトは思い出した。

 

 

 彼女は、本当はずっと我慢していたのだ。前から自分の行いを危ういと感じていて、だから度々思い出させるように、笑って教えてくれたのだ。自分には仲間がいるのだと、孤独じゃないのだと。

 

 

 “私を、みんなを頼って欲しい”、と。

 

 

『────漸く、言ってくれたな』

 

 

 あのキリトの言葉は、きっとそういう意味だったのだ。漸く、『助けて』と願った自分に安堵したのかもしれない。

 

 だが今日に至るまでアキトは、自分からは決してアスナやみんなに対して助けを求めたりしなかった。それは無意識のことだったが、全てを隠し抱え込んでいた結果、アキトの暴走に誰一人気付かず、対処に遅れた。

 全て、自分が彼女達に話していたのなら、本当は何もかもが好転していたのかもしれない。だが、それができなかったのはアキトの性格、その根底。

 彼にとって仲間を守ることは、仲間から離れることに等しい。それは危険から仲間を引き離すという考えに基づいている。

 それは、過去の経験から導いた考え。

 

 いや────アキトの、生き方のようなものだった。

 

 

「……ねぇ、どうして突然いなくなったりしたの?どうして、何も話してくれないの……?」

 

 

 アキトの胸に顔を埋めた彼女は、嗚咽混じりの声で震えていた。アキトは、何も言えなかった。ここまで彼女が悩んで、抱えて、心をすり減らしていたことに気付けていなかったショックと、彼女の悲痛な叫びを耳にして。

 動けず、仰向けのまま、月明かり照らす空を見上げながら。

 

 

「私が……頼り、ないから……?」

 

「……違う。違うんだ、アスナ……」

 

「悔しい……辛いの……」

 

 

 否定の言葉を続けても、傷付けるだけだった。今日まで誰にも頼ろうとしなかった事実は変わらなかったから。

 胸の中でいつまでも泣きじゃくる彼女を抱き締めることも、髪を撫でることもせず、彼女を見てその表情を歪ませる。

 見ていて辛いのに、苦しいのに、それを慰める資格すら、触れる覚悟すらなくて。

 

 

「強く、なりたい……アキト君を助けられるような……頼って貰えるような強さが……好きな人を、今度こそ守れるように……」

 

 

 ────俺も、そうだよ。

 

 ずっと、ずっとそれが欲しかった。だから、それを持つキリトに憧れた。大切な人を守る力が、強さが欲しいと思ったのだ。

 けれど、少し考えれば分かることだ。そんなもの、誰だって欲しいに決まっている。自分だけが渇望しているなんて、思い上がりもいいところだった。

 

 自分が逆の立場ならどうだろうかと、ふと考える。

 アスナが何かに悩んでいるのを知っていて、頼って欲しいと願っても何も話してくれなくて。その結果、後悔することになっても後の祭り。

 彼女は今、それを体験しているのだと思うと。

 

 

「……そっか、そうだよな……いや、本当は分かってるはずなんだ。苦しいのは、俺だけじゃなかったんだって。けど……」

 

 

 何度もアスナに教えられてきた。仲間に、何度も救われてきた。それなのに、アキトはこの生き方を変えられなかった。

 仲間なら助け合うべきで、喜びも悲しみも分かち合うべきなのだと、かつてキリトにそう示唆したことを偉そうに言っておいて、なんて間抜けなのだろうか。

 

 でも、震える。怖いのは変わらないのだ。

 全てを伝えたところでどうにかなるかも分からない。何も好転せず、彼らの負担になってしまうのではないかと、まだどこかで思ってる。

 

 

 ────これ以上傷付けられるか、この娘を。

 

 

 自分の上で泣き続ける彼女。ここまで追い掛けてきてくれた彼女に、何一つ返さずにまた逃げるのか。

 また暴走するかもしれない。傷付けるかもしれない。なんでもない振りをするのが正しくて、それが仲間を守ることに繋がると思っていた。今でも、そう思っている。

 

 だが、それを隠して、誤魔化して、強がって。何も言ってくれないのが辛いのだと、アスナは言った。

 きっと、互いに相手を気遣って、すれ違って、拗れて。全てがお互い様だったのだ。

 

 

「……話すよ、アスナ。できる限り」

 

「……アキト君」

 

「みんなを、呼んでくれるかな」

 

 

 上体を僅かに起こしたアスナの頬は、まだ涙で濡れていた。申し訳なさでいっぱいだったアキトは思わずその頬に手を当て、指で涙を拭った。

 

 仲間に話せなかったのは、心配させたくなかったからだが、それは理由の半分だ。

 きっと、拒絶されるのが怖かったのだ。話すことで異端と決め付けられ、離れていくのが怖かった。孤独と拒絶、喪失の痛みをアキトはもう知っている。

 

 けれど、アスナのような仲間がいてくれる。

 恐怖させ、傷付け、もう何もかもが曝け出されてもなお、彼女は歩み寄ってくれる。それならば。

 

 

 ────仲間として、対等でいなくちゃならない。

 

 

 

 

 

 







83層《ドルバ》安全地帯のログハウスにて


① 謝罪その1


一同『『『…………』』』

アキト 「……」

リズ 「……で?」

アキト 「っ……!」ビクッ

シノン 「勝手にいなくなったことに対して、何か私達にないのかしら」

リーファ 「そーだよ、みんな心配したんだから」

アキト 「ご、ゴメンなさい……」ドゲザ

アスナ 「う、うわぁ……こんな綺麗な土下座見た事ない……」





②謝罪その2


ユイ 「……っ」

アキト 「ユイちゃん!?な、なんで此処に……!?」

クライン 「馬鹿野郎!お前さんを心配してに決まってるだろーが!」

エギル 「お前がいない知るや否や大変だったんだぞ……甘んじて受けろ、俺は知らん」

アキト 「嘘でしょエギル!?」

ユイ 「っ……わ、私、アキトさんが……っ、死んでしまったんじゃないかって……うっ……怖くて……不安、で……!うっ、えぐっ……」グスッ

アキト 「わ、わあああぁあ!!!ゴメン、ユイちゃん!ホントにゴメン!マジでゴメンなさい!!」ドゲザ

アスナ 「う、うわぁ……さっきより綺麗な土下座……」
































シリカ 「……」





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Ep.119 虚飾






怖くても、辛くても、震えてでも笑え。


 

 

 

 

 

 ────叫び声がする。

 

 

 それも一つではない。それは数多の悲鳴が混ざり合い、耳朶を揺さぶる不快な音となる。決して聞き慣れることはないが、聞き慣れた声がそこには在った。距離はそう遠くない。自分に降り掛かる可能性も捨て切れない位置に、それは 存在している。

 

 

 ────荒野たる戦場で、それは天を仰ぐ。

 

 

 何度も足を踏み入れ、それでもなお慣れることなど決してない、冷酷で殺伐とした空間。多くの者を踏み荒らしてきた獣の根城。人々が戦い、目指す場所への行く手を阻む者が住む場所。

 頬にへばりつく湿った空気が、不気味なほどに生暖かな風を運ぶ。黒煙を散らし曇る視界と、石のように硬直し意思を否定する重苦しい身体。その頭をゆっくりと上げる。僅かに晴れた視界の先、その中心点に朧気な視界のまま影を捉えた。

 

 

 ────全てを俯瞰し嘲笑うかのように、その男は立っている。

 

 

 己の力を誇示できる快感と、数多を捩じ伏せる感触に愉悦を感じながら。黒と白入り交じる髪を靡かせ、両の剣を脱力させたその手に握り締めている。

 その頬には多くの血が流れている。それは自らのものではなく、見知らぬ誰かの血。その手でただ力を奮った証。そこに逡巡や躊躇の概念は介在しない。誰も彼もの成れの果て。

 そこに、戦意を持つ者はもういない。その世界は、地獄に相応しい絵図を象り始める。

 

 

『────はは』

 

 

 男はただ嗤う。悦びを噛み締めるように。

 恍惚とした血のように紅い瞳。屠ってきた者共を見下ろし、自身の力を確かめるように。

 求めるものは純粋なる“暴力”。理不尽を払い除ける身勝手な《我儘》。子どもの駄々のようでいて、心の奥底で闇のように暗く仄めくのは、溶岩のように渦巻いている熱い“何か”。その不規則な螺旋は思考を連続させているかのように思えて、それがとても怖かった。

 今彼が何を考えているのかなんて、それこそ考えたくもない。その悪魔のような彼の憎悪混じる瞳に自分が映る時、呼吸すら忘れてしまうほどに身体が硬直する。心の臓まで、凍りつくような恐怖に襲われる。

 

 

『────あははは』

 

 

 カラカラ、と乾いた声音。何がそれほどまでに面白かったのか、頬や身体にべっとりと誰かの血を付着させたまま、気にすることなく嗤い続けている。

 それを止める者────止められる者は、その場に残っていなかった。中心で立ち尽くす黒白の剣士を除けば、凡そ人間としての形を保っている者さえ少なく、その全てが地面に這い蹲っている。

 意識を刈り取られた者は瞳に虚ろを宿し、意識ある者は恐怖に打ちひしがれて声にならぬ音を喉奥から吐き出していた。

 

 部屋のそこかしこに死が落ちている。無機物めいたそれらは、乱雑に捨てられている。

 人の体としての原型はあっても、薄暗い部屋にはうっそうとした静寂が横たわっている。全てはもう、とっくに終わってしまっていたのだ。

 今はただ、この場所で起きた惨劇の結末を見届け、手を差し伸べることなく震えたまま、誰に助けを求めるでもなく喘いでいるだけだった。

 

 

『────』

 

 

 ヒュッ、と喉元が鳴った。

 その剣士───黒白の獣は此方の存在に気付いた。

 この空間に、まだ熱がある。生きとし生けるもの特有の熱を、肌で感じたのかもしれない。正しく獣のように敏感にそれを捉え、人の形をした獣はゆっくりと此方に視線を向けて、血色の双眸を細めた。

 視線が交錯する。片や恐怖に喉を詰まらせ、呼吸すら困難になるほどに身体を震わせ、片やその表情を見て恍惚とした笑みをその顔に滲ませる。

 その足が一歩、此方に向かって踏みしめられた。

 

 

 ──── い、や

 

 

 膝が床から離れない。全身に渡る震えが身体の制御を拒絶する。理性や感情に反して縋る願いを無視するかのように、死と隣接した恐怖が肩にへばりついて離れない。

 嫌悪し、否定し、拒絶する。一歩一歩近付く度に、どうにか頭を左右に揺らす。内に僅かに残る生存本能が、諦めるなと警鐘を鳴らす。

 

 

 ──── やめて

 

 

 その笑みが消えることはない。長めの前髪に隠れた瞳が、たまに此方を覗く。闇色の霧の中でその輝きを放つ紅い瞳は、此方を捉えたまま離さない。その拒絶を許さない。決して自分を逃がさない。何一つ待ってはくれない。

 その欲望を満たす為の捌け口、殺意の対象、標的、獲物、どう呼ばれ方を変えても意味はない。その根本は変わらない。ただ全てを平等に破壊する者。

 それは命を弄び、尊厳を踏み躙る、“暴力”の権化。

 

 

 近付くその手は、震える私の首へと伝う。

 

 

 ──── こっちに来ないで!!

 

 

 苦痛だけがそこにあった。言葉にすることさえ禁じられていた。その場から逃げるように、その意識は現実へと帰還する。

 額にビッシリと汗を掻きながら目蓋を開けば、薄暗がりの天井が視界に広がっていた。枕の感触を頭に感じながら、仰向けになっていることを体感的に理解すると、その上体をゆっくりと起こす。

 身体中が汗ばんで、肌に服が張り付いている。運動をした後のような自らの姿を、未だ絶えない荒い呼吸のまま見下ろしていた。その右手を胸元に寄せれば、心臓がまだ強く脈打っているのを感じる。そしてその手は、次第に上へと移動して、そのまま首筋へと触れた。

 

 

「っ……!」

 

 

 瞬間、過去の記憶が頭を過る。夢の続きと重なるそれは、幻となって空間を支配していた。

 その首に冷たい指先で触れられた感触が、未だに残っている。記憶の中の“獣”が嫌になるほど鮮明で生々しく思い起こされる。まるですぐ目の前にいるかのように荒ぶる。

 

 

 ────その首に、死へと続く指先が触れている。

 

 

「いやあっ!!」

 

 

 咄嗟に出たのは拒絶の悲鳴。それと同時に目を瞑った。幻ではあるが、実際に現実で起きたその恐怖から逃れる為に。

 されど、それは夢幻だと理解していたから、同時にとても苦しかった。もう何度見たか分からない夢。あと何度夜を迎えれば消えていくのか分からない幻。

 

 

「はぁっ……はぁっ……!」

 

 

 何より辛く苦しかったのは、痛くて悲しかったのは、自分が恐怖を向けている対象が恩人であることだった。

 これまで自分や仲間を何度となく救ってきた英雄。手を伸ばすことを決して諦めないその背中が、いつだって憧憬の先にある。

 

 

「……どう、して」

 

 

 大切な仲間。命の恩人。支えるべき背中。

 ずっとそう思ってきたはずなのに、あの日からその思いは霞みがかって見えてこない。ノイズが絡むようなグチャグチャな視界の中で現れるのは、二人の黒の剣士ではなくなっていた。

 

 暗く冷たい表情のまま、惨たらしい屍山血河の只中に立ち尽くす、黒と白の獣。

 いつだってそれは記憶の中で、此方の死を覗いている。

 

 

「どうして……っ、こんな……っ」

 

 

 理性を無視し、思考を否定する。感情が、身体の全てを支配する。これまで見続けてきた背中が、あの日からずっと恐ろしくて堪らない。あの瞳に見据えられたあの時から、震えが止まらない。

 死と隣接したあの瞬間が頭から離れない。振り払おうとすればするほど、恐怖の形は鮮明に形を創り出していく。

 

 

「……きゅるぅ」

 

「っ……あ、ピナ……ごめんね、起こしちゃったね……」

 

 

 寝起きのような鳴き声を放ったのは、枕元で蹲っていた小さな竜。彼女のテイムモンスターでもあるフェザーリドラ──ピナだった。主人である彼女の異変に気が付いたのか、そのまま彼女の膝元に乗ると不安げな瞳で此方を見上げていた。

 それだけで喉が詰まるように熱いものが込み上げてくるのを感じて、その瞳には涙が溜まる。情けなさと苦しさと、自分の弱さと卑しさに腹が立った。

 消えないあの日の恐怖を紛らわせるように、ピナを優しく抱き締める。臆病な私を許してくれと肩を震わせながら。

 

 

 ────大丈夫

 

 

 少女──シリカは、暗がりの部屋で息を殺すように蹲って囁いた。

 

 

 ────大丈夫だよ

 

 

 それは、自分に言い聞かせるように。呪いをかけるように告げる。そうすればこの恐怖を消せる、誤魔化せると願いながら。

 朝には何でも無かったように、笑顔で恩人に報いることができる。

 

 

 ────きっと上手くできる

 

 

 どんなに怖くても苦しくても、悲しくても笑っていれば。大丈夫だよと演じていれば。いつか、それが本当になるような気がした。

 だから命令するように。弱い意志を捩じ伏せるような楔を胸に穿つ。

 

 

 

 

「……笑え」

 

 

 

 

 ────笑え

 

 

 

 

 恐怖に呑み込まれてしまわないように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.119 『虚飾(虚勢で心を飾る者)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────キィ、と軋むような音が聞こえた。

 

 

「……っ!」

 

 

 此方を気遣ったような小さな音だったが、アキトの意識は完全に覚醒した。未だ見慣れぬ木組みの天井を眺めるのも束の間、仰向けになっていた寝台から転がるように飛び下りると、即座に寝室の入口に駆け出す。

 焦燥隠さぬ表情で取っ手に手を掛けると、勢い良くその扉を開けた。

 

 

「こんばんはー、アキト君。……もしかして寝てた?」

 

「アキトさん、こんばんは!」

 

「っ……アスナ……ユイちゃん……シノンまで」

 

「お邪魔するわね」

 

 

 勢い良く開いた扉の先にいたのは、腕に籐かごを引っ提げたアスナとユイとシノンだった。その事実だけで、残っていた睡魔は全て消し飛ぶ。

 特に慌てる様子もなく笑みを浮かべる彼女達は、真新しい木組みのリビングを物珍しそうに見渡しながら、籐かごをテーブルへと置いてソファへと腰掛け始める。

 アキトは思わずその足を一歩前に出すが、その次の一歩が思うように踏み出せずにその場で立ち尽くした。

 

 いっそう心臓が高鳴り、強く脈を打つ。彼女らの顔が、真新しい過去の記憶を連れてくる。

 はっきりした意識の中で、仲間に剣を向ける自分の身体。明確に思い出せるのは自らの不気味な嗤い声と、刀身に映る冷たい瞳。恐怖が去来した胸の奥で、恐怖と焦燥が胸に渦巻いていた。

 それら全てを無理矢理押し殺して、アキトはどうにか声を絞り出した。

 

 

「……来るなって、何度も言ったろ」

 

 

 視線を向けることもできずに、歯を食いしばってそう言った。

 何度か口にしてるはずのその言葉一つ告げるのに、どれだけの気力を要しただろうか。口元を震わせ、歯の音を鳴らしながらもどうにか会話を続けようと努めたが、それでもまともに目を合わせることすらできなかった。

 

 現在、アキトは一人で生活をしていた。

 プレイヤー人口が少ない83層の街の外には、常緑樹の森が階層の端まで広がっている。その森に囲まれた大きい湖の畔の先に、先日アキトはログハウスを購入した。一人で暮らすには広過ぎるが、特に使う当てもなかった大金を叩いてまで入手したのは、オレンジカーソルでは《圏内》に入れないからだ。

 前回のボス攻略で、攻略組は物理的にも精神的にも相当な痛手を負っている。仮想世界を成り立たせる《カーディナル》の不具合から残り時間を鑑みても、最優先事項であるゲームクリアまでの間隔はなるべく短くしたい。その為カルマ回復クエストを行っている時間的余裕はなく、拠点を《アークソフィア》からこの場所へと変更したのだった。

 

 

 ────だが、それ以上に。

 

 

「……この前、全部話したろ。一緒にいるのは危険だって」

 

 

 彼らを、今の自分に近付けたくなかった。この身に宿る“暴力”の存在を、彼らは既に身をもって知っているのだから。

 96層のボス討伐作戦後、正にこの場所でその事について自分の知る限りの事を彼らに話す事を決めた。

 自分とよく似た声が脳裏で響き、破壊衝動を煽ってくること。その間身体の主導権を奪われていること。たったそれだけのこと。それでも今まで起きた時の事を覚えてる範囲で語った。それでも、アキト自身でさえ知っていることの方が少なかった。

 

 あの場では、そんなアキトに同情するような顔や誤魔化すような笑みを浮かべては、慰めや励ましの言葉を掛けてくれた仲間。

 だがこの身体が力を奮ったあの時の、彼らの顔が忘れられない。恐怖や驚愕、焦燥に彩られたあの顔が頭から離れない。彼らが今まで通り変わらずに接しようとする程に、その光景は脳裏を過ぎり続ける。

 

 彼らと距離を置くことに決めたのは、彼らの為でもあり自分の為でもある。勿論離れるのは物理的な距離だけで、メッセージのやり取りを怠ったことなんてない。疎かにすれば、もしかしたら此処に訪れるようなメンバーがいるかもしれないと考えたからだ。

 結局、彼らは此方の考え虚しくこのログハウスに侵入してきた。彼女らは、自らの命が獣の目の前に晒されていることを分かっていながら、我関せずで此処に現れたのだ。流石にこれ以上は看過できるレベルを越えている。当たりの強い言い方になってしまうのも仕方がなかった。

 

 

「夕食、一緒にどうかなって。駄目かな」

 

「……駄目だよ。帰ってくれ」

 

「折角ユイちゃんが考えたのになぁ。アキト君と食べたいって」

 

「なっ……それを反対するのが母親の責務だろ……!」

 

 

 この現状なら、ユイの我儘を拒否してでも此処にくるべきではない。娘を守るというのは、一緒になって危険を被ることでは決してない。

 それは子を持つ母親としての役割を放棄してるとさえ思えて、アキトはアスナに───何より、こんな現状を作り出した自分に腹立たしさを覚えてならなかった。こんな事にさえなってなければ、自分だってみんなと。

 ただ原因が不明である現時点で、あの現象がいつ起こるか分からない今、一緒にいるのが危険だという事実は変わらないのだ。

 

 

「自分達の身くらい、自分達で守れるわよ」

 

「シノン……」

 

「それに室内なら、派手な動きもできないでしょうし。幾らでも対策は練れる」

 

「……なら、俺が出てく」

 

「あら、自分の頼みは聞かせようとする癖に人の頼みは聞かないなんて、ちょっと勝手なんじゃないの」

 

 

 そんな思考や意志を裂くような凛とした声。ソファで腕を組んで背に凭れていたシノンは、明後日の方向に視線を向けながら眉を吊り上げている。瞳は、明らかに怒気を孕んでいた。

 アキトは自分の都合で、シノンに自分の身体の状態を秘密にしてもらっていた。彼女の気遣いを無下にして、誤魔化し続けたその結果が今回の騒動だ。故に今後、彼女の言葉や態度に棘があっても仕方がなかった。

 

 

「っ……それ、は……」

 

 

 彼女が言い放ったのは何処までいっても正論で、アキトの言っていることは都合の良いものでしかない。「みんなの為なんだ」と言えば聞こえは言いが、伝えてしまえばそれは此方の意志や意図を無理矢理押し付けたものでしかなくなってしまう。

 それはあまりにも身勝手過ぎた。というか、もう何言っても帰ってくれない気がする。

 

 

「……でも」

 

「やっほーアキト!おっ邪魔っしまーす!」

 

「っ、フィリア……」

 

 

 未だに躊躇するアキトの言葉を遮るようにして勢い良く扉が開いた。俯いた顔を思わず上げれば、ログハウスに入ってきたのは満面の笑みを浮かべたフィリアだった。

 更にその後ろからリズベット、リーファ、クライン、シリカと続けて入室してきたではないか。アスナ達が来た時点で予想はしていたが、流石に唖然としてしまう。

 自分に対しての危機管理能力の薄さは、信頼されていると喜ぶべきか考え無しだと怒るべきなのか。愈々溜め息を吐き出すと、たまたまリズと目が合った。

 

 

「ぁ……リズベットも来たんだ」

 

「何よアキト。文句あんの」

 

「文句っていうか……まあ、みんながそれで良いなら、何も言わないよ……もう」

 

「珍しく素直ね。いつもなら我を通す癖に」

 

「たった今一悶着あって、正論でぶん殴られたんだよ」

 

「……ああ、納得。ま、悪いと思ってるなら、今日は大人しく一緒にいることね」

 

 

 リズベットはソファに座る不機嫌なシノンを見て色々把握したらしい。苦笑した後、アキトの肩をポンと叩いた。

 そんなリズベットも、色々と事情を話した今でも態度を変えたりしなかった。心優しい彼女もきっとシノンと同じで、あの手この手で傍にいようとしてくれる一人なのだと知った。あんまり意固地だと、「武器のメンテしないから」なんて言われそうだと、心の中で苦笑する。

 けどそれは恐らく、此処にいるみんながそうなのだ。

 

 このログハウスは、アスナ達から自分を引き離す為のものでもあった。故にこうして彼らに会いに来られるのは嬉しくもあるが、とても困ることだった。

 何せ、彼らに近付くのが怖くて距離を置いたのだ。また傷付けてしまうのではないかと思うと、震えが止まらなかった。自分で制御できるものではない分、いつまたあの暴走が起きたって不思議じゃない。

《圏内》に戻る為のカルマ回復クエストをやらずに街から離れたこんな森の奥まで来たのは、みんなと距離を置く理由を一つでも増やす為でもあった。

 

 だがそんなもの、きっと彼らには関係無いのだろう。

 だからあの時、96層で残虐の限りを尽くしたストレアを、暴走し獣と化したこの身から守ろうと立ち塞がってくれたのだ。

 あの日、自分の身体に起きていることを彼らに伝えるのはとても怖かった。この世界の不具合やストレアのことなど、そのうえ自分の事でさえ分からないことの方が多い現状で、伝えるのはかなり勇気が必要だった。信憑性の問題もあったが、余計な混乱と心配、そして恐怖させたくなかったのが一番の理由だった。

 それを語ってもなお、こうして身近に彼らがいる。その事実がアキトにとっての全てなのだ。

 

 ────俺は、みんなに寄りかかっても良いのだろうか。

 

 駄目だと分かっていたはずなのに、心が縋って仕方がない。彼らの優しさに甘え、依存してしまいそうになる。この熱の在り処を、心の拠り所を、決して手放したくなくなってしまう。

 本当は身勝手と言われても、この場を解散させるのが正解なのだ。それなのに、彼らの好意を無碍にしたくもなくて。どうしようもなく優柔不断だった。

 

 

「それじゃあ、夕飯作ろっか。今準備するから待っててね」

 

「あっ、アスナさん、あたし手伝いますよ」

 

「あ、あたしもお手伝いします」

 

「ありがとう二人とも。それじゃあ───」

 

 

 キッチンの方で、食材をオブジェクト化しながらリーファやシリカと話し込んでいるアスナに、チラリと視線を向ける。ふと、このログハウス周りの森で彼女から逃げ回ったあの日の事を思い出した。

「頼って欲しい」と再三に渡って言われてきた事。自ら助けを乞うなんてこと、今まで考えたことすらなかったのだ。だから、どういう時にそれをすべきなのかさえ不明瞭で、正解は見つからない。

 彼女のことを思うなら、信じてるのなら、このまま何もせず彼女達の傍にいても良いのだろうか。

 

 

「なーにシケたツラしてやがんだよ」

 

「そーよ、アンタは今日座ってなさい。ほら、黙って待ってる!」

 

「わ、わっ……」

 

 

 突っ立ったままでいると後ろから両肩に手を置かれた。左右を見ればクラインとリズが立っており、そのままソファの方までグイグイとその背を押されながら運ばれて、ソファへと放り出された。

 アキトは慌てて二人に向かって口を開く。

 

 

「ね、ねえ、どういうつもりなの、みんな」

 

「あん?どういうつもりって?」

 

「こんな状況の時にみんなで夕飯なんて……危ないって誰も思わないわけ?」

 

「……まーだ言ってんのかオメー。さっきシノンと一悶着あったんだろ?もう終わりで良いじゃねーか」

 

 

 近くに座るシノンに聞かれぬよう、小声で囁くクラインは呆れ顔だった。流石に執拗いと思われているのだろうか。だが彼女の正論に対しても理解はしてるし反論の余地もないのだが、決して納得している訳ではないのだ。

 アキトという危険が隣り合わせで存在するこの状況に、異議が無いはずもないのだから。

 恐る恐る、聞きたかった事を聞くことにした。

 

 

「……実際、どう思ってるのさ。クラインもリズベットも。この前話した事……怖いとかって思わないわけ?」

 

 

 あの時は自分を慰める為に、励ます為に言葉を重ねただけなのではないか。同情で笑顔を見せて、仲間だと言ってくれたのではないか。こうして此処に来てくれたことも、本当は怖いのを我慢して自分を気遣ってくれているのではないか。そう考えるのは、アキトでなくても当然だった。

 しかしクラインは、下らないとばかりに鼻で笑った。

 

 

「はん、オメーみてーな優男、怖くも何ともないっての」

 

 

 背もたれに寄りかかり、天井を仰いでの即答。しかし、アキトの表情は晴れない。それは何よりも安心する言葉ではあったけれど。信じられないわけでもなかったけれど。それでも、不安は当然残っている。

 すると、目の前に立っていたリズベットが神妙な顔付きでアキトの隣りへと腰掛けると、俯いてポツリと、

 

 

「あたしは……正直、ホッとしたかな」

 

 

 そんな、予想もしなかったことを言った。意味が分からず、アキトもクラインも思わず目を見開いて、儚げに笑う彼女をマジマジと見る。

 

 

「アンタがボス戦の度に倒れたり、調子悪そうにしてたの、結構前から知ってるからさ。あたしはてっきり、現実世界の方で何か重い病気にかかってるのかもって、ちょっと心配してたのよ……聞けなかったけど。もしそうなら、あたし達じゃどうしようもない事だから」

 

「……」

 

「でもこの世界で起きた事なら、この世界の中で解決できるかもしれない。それならあたしにもできる事があるんじゃないかって、そう思えたから」

 

「────」

 

 

 ────意外、とは思わなかった。

 76層到達時、キリトの消息不明によって乱心状態にあった攻略の鬼に対して、自分が親友としてできる事を精一杯模索していた彼女を思い出したからだ。

 けど、こうも優しく心に触れられているような言葉に、身動きが取れない。唖然とするアキトを横目で見て、クスリと小さくまた笑う。

 

 

「それに、逆だったらって考えたのよ」

 

「……逆?」

 

「あたしとアキトが逆の状況でも、アキトはきっとこうして傍にいてくれるでしょ?アンタが何を気に病んでるのかは分かんないけど、あたしらがやってる事って、きっと当然の事なのよ」

 

「……リズベット」

 

 

 そんな風に、思ってくれてたなんて。

 それは少しだけ、意外だった。当の彼女もらしくないことを言ったと、照れ臭そうに朱に染めた頬を掻いていた。

 瞬間、その背後にあるキッチンからアスナの声が響いた。

 

 

「出来たわよー!みんな、お皿そっちに運ぶの手伝ってー!」

 

 

 ピクリと肩を震わせたリズベットは、恥ずかしさを紛らわせるように勢い良く立つと、そのまま勢い任せに口を開いた。

 

 

「ほら!出来たって!さっさと運ぶわよ!」

 

「う、うん」

 

 

 彼女に続けて立ち上がり、キッチンへと向かう。その途中、ニヤけた顔のクラインが「色男め」と肘で脇腹を小突いてきて、アキトはこそばゆい感情を隠せずに口元を尖らせた。

 アスナの元へ向かうと、ワークトップは並べられた料理の皿で埋め尽くされていた。リーファやリズはその皿を取って、シノンとユイがテーブルメイクしているリビングの方へと運んでいく。

 

 

「……あれ」

 

 

 すれ違うその中の一つに、自然と目が引き寄せられる。妙に既視感のあるそれは、以前ストレアがS級食材を持ってきた際にアスナが作ったカツレツだった。

 瞬間、その時の記憶が、彼女の笑顔が、鮮明にフラッシュバックして。

 アキトは思わず、顔を上げた。

 

 

「あー……なんとなく、作っちゃった」

 

「……そっか」

 

 

 アスナの困ったような、それでいて悲しげな笑みに対して、アキトは気の利いた言葉一つ告げられずに頷いた。

 

 あれから、ストレアの姿を見た者はいない。

 96層のボス戦後の一悶着の後、アキトが気絶したと同時に姿を消したらしい。誰も彼女の事を禁句と言わんばかりに語れずにいた。彼女のことを心配していたり、気になっていることがあったりと各々ではあるが、きっと彼女に会いたいのはみんな同じだった。

 今回の行動の理由、それが彼女の抱えるものの全てだと、体感的に皆が理解しているからだ。でも、会いたくても会えない。だからこそ、気持ちは強くなる。気が付けば、彼女との思い出を料理に思い起こしてしまうほどに。

 

 

「……運ぶよ」

 

「あ、うん。ありがと」

 

 

 アキトはアスナの感謝に会釈で返すと、サラダの乗った皿二つを両の掌にそれぞれ乗せると、リビングへ向かうべくそのまま振り返った。

 

 

「っ……!!」

 

「あっ……!」

 

 

 瞬間、視界の中心に現れたシリカにその腕がぶつかった。

 アキトの右の手から、一枚の皿がバランスを崩して零れ落ちる。それは、一種のスローモーションのように、重力に逆らうことなくゆっくり地面へと降下していく。

 

 ────ガシャン!

 

 その音は、ログハウス内に響き渡った。

 テーブルで談笑していたリズやクライン達も何事か視線を此方に向ける。そこにいたのはアキトと、青ざめた表情のシリカ。

 その足元にはアスナ手製のサラダが、皿から離れて床へとぶちまけられていた。割れた皿は、そのまま光の粒子となって消えていく。そうして漸く、シリカが動いた。

 

 

「す、すみません、あ、あたし……っ!」

 

 

 変わらず青い顔のまま、シリカは膝を付いて散らした野菜を手で掻き集め始めた。アスナは怒ることもなく慌てて彼女に駆け寄った。

 

 

「だ、大丈夫、シリカちゃん!?」

 

「は、はい……すみません……折角の料理を……」

 

「ううん、気にしないで。アキト君は?平気?」

 

「う、うん……」

 

 

 アキトは狼狽えながらそう伝えた。アスナの作ってくれたサラダを零したのもあるが、シリカが謝っているのを見て心が傷んだ。

 今のは完全に此方の不注意だ。碌に前を確認しなかった自分が悪いのに、シリカは申し訳なさでその表情を曇らせている。アキトは左手に乗せたサラダを一先ずキッチンのワークトップに戻してから、アスナ同様シリカの元へと向かう。

 

 

「ごめんシリカ。俺前見てなかった」

 

「っ!!……ぁ、いえ……あたしこそ、すみません……」

 

 

 シリカはアキトと目が合った瞬間、口元が戦慄き、俯いた。顔を背けたようにも見えたそれは、心配をかけまいとした行動のように彼には見えた。

 肩を震わせ、青くなった顔。アキトは思わずしゃがみこみ、彼女と同じ目線になる。

 

 

「大丈夫?どっか打ったりとか」

 

「へ、平気です、平気ですから……」

 

「……なら、良いけど。ほら」

 

 

 アキトはその掌を、シリカへと伸ばす。

 それは、彼女を立ち上がらせようとして差し出した右手だった。特に躊躇いもなく、その華奢な指を広げた。

 

 

「っ……ぁ」

 

 

 その手の先に────シリカはいた。

 この時、今までに見た事のないような顔をした彼女に、アキトは気付かなかった。ただその手を彼女に差し伸べることしか考えていなかった。

 自分が悪いのだから。アスナも怒ってないのだから。シリカが気に病むような事はないのだと、そう伝えるつもりだった。

 

 

「……ゃ……ぃ、ゃ……」

 

「……シリカ?」

 

 

 小さく、何かを呟いている。

 しかし、この距離でも上手く聞き取れず、アキトは眉を顰める。その身を乗り出し、シリカへとその距離を詰める。

 途端、膝を付いて立っていた彼女は後ろへとバランスを崩し、尻餅をついた。

 もしかして、心配させまいとして気丈に振舞おうとしているのではないか。本当はどこか打ったのではないかと、慌てて近付こうとしてしまった。

 その瞬間に初めて、アキトはシリカの顔を見た。

 

 

 ────瞬間だった。

 

 

 

 

「────来ないでっ!!」

 

 

 

 

 パァン────!!と乾いた音が響く。

 

 

 気が付けば、彼女に差し出していたその手は、あさっての方向へと弾かれていた。

 何が起きたのか分からず、誰もが口を開けずにいた。静寂を壊したその音は、残酷なまでに現実味を帯びた音だった。

 誰もが唖然とした。何が起きたのか、その頭が段々と思考を始める。その光景を見て、アキトの顔を見て。

 

 

 彼の右手が、シリカの拒絶によって弾き飛ばされたのだと、漸く理解した。

 

 

「ぁ……」

 

 

 当人は自分のした事を理解して、その顔を三度青くした。けれど、もう遅い。全てが、終わってしまっていた。

 アキトは気付いてしまったのだ。思えば此処に来てから、一度も彼女と会話を交わさなかったことに。

 

 そして見てしまった。自分を見上げる彼女の顔に。

 瞳の揺れ、口元の戦慄き、掠れた声、肩の震え、青ざめた表情。それが伝えてくるのは────拒絶と、恐怖。

 

 

 彼女が自分に向けたものは、虚勢で飾られた心。

 

 

 本当は、知っていた。分かっていたのだ。アスナ達が優し過ぎるから、勘違いしていただけだ。

 誰もが同じなわけじゃない。変わらないものなんてない。永遠だと信じていたものも、いつか終わる時が来る。

 きっと一瞬で。

 

 

 シリカのその表情には、あの日の恐怖が確かに刻まれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 あれからログハウスを逃げるように飛び出したシリカを、アキトは追いかける事ができなかった。自分に恐怖を抱いている少女を追いかけようだなんて、恐怖心を煽る事でしかないと思ったからだった。

 

 そわそわしながら待つのも束の間、リズベットから、シリカを見付けたという報告と共に『今日はシリカを連れて《アークソフィア》に帰る』という主旨のメッセージを受信する。

 リズベットとシリカとリーファ、そして女性ばかりだと危険という事でクラインをお供にエギルの店へとみんなより先に帰宅するそうだ。

 

 

「……よかった」

 

 

 小さく息を吐くと、ベランダの柵に両腕を組んで脱力した。

 一応上層であるが故の危険性というのは、比較的モンスターが倒しやすいこのフロアでも適応される。夜の森となれば視界も暗いうえに戦いにくい。一人なんて尚更だ。

 リズ達が見付けてくれたと報告を受けるまで、ログハウスの中を右往左往しながら心臓は酷く脈打っていたが、漸く安定した呼吸ができるようになっていた。

 

 

「……アキト君」

 

 

 不意に後ろから小さく声が掛けられる。振り返れば、屋根の陰に埋もれた人影がゆっくりと此方に歩み寄って来ていた。

 やがて月明かりに照らされて現れたのは、神妙な顔持ちのアスナだった。その後ろをふと見れば、中ではフィリアとシノンとユイが、トランプを片手に笑い合っている。

 アキトは柔らかな笑みを浮かべながら、視線をアスナへと戻した。

 

 

「ああ、アスナ。シリカ見付けたって、リズから。このまま《アークソフィア》に帰るって。リーファとクラインと一緒に」

 

「……そっか。よかったね」

 

 

 そう呟くとアキトの隣りに並び、同じようにベランダの柵に両の手を置く。そうして、湖を一望できるこの景色をと揺れる瞳で眺め始めた。といっても、夜の森の暗さは景色を闇に溶かし、昼のように鮮やかには見えなかった。

 思ったよりも薄い彼女の反応に、アキトは元気の無さを感じた。料理を作っていた時はシリカやリーファとあれほど楽しそうに談笑していたというのに。

 ふと気になって、思わずその顔を覗く。

 

 

「……どうしたのさ」

 

「……今日、ゴメンね。突然押しかけといて、こんなになっちゃって……」

 

「何でアスナが謝るんだよ。別に怒ってないよ」

 

 

 アキトは仕方なさそうに笑う。

 実際、アスナが申し訳なさそうにしているのは間違っていると思った。確かに勝手にログハウスに入ってきた時は危機管理がどうのと言って怒りはしたが、最終的にそれを受け入れたのは、彼女達が自分の為に企画してくれた事が何より嬉しかったからだ。

 感謝こそすれ、怒る理由なんて何も無かった。寧ろ色々考えてくれたのに、申し訳ないと感じるのはアキト自身だった。

 

 

「あの……シリカちゃんのこと、許してあげてくれないかな」

 

「シリカだって別に何も悪くないよ。寧ろあれが普通の態度なわけで……」

 

 

 思えばアキトは、シリカとそれほど交流を築いてきたわけではなかった。

 攻略組に入ったばかりの頃は色々な人達と多くの確執があり、彼女と会話をすること自体、実際には少なかったように思える。

 

 自分は、シリカの何を知っていただろうか。

 80層にして現れた、最年少の攻略組。優しい少女。きっとそれだけだ。だがその恐怖はきっと誰よりも大きかっただろうと、今にして思う。

 彼女と二人だけで会話したことがあったろうか。クエストに出掛けたことはあっただろうか。どんなものが好きで、何が楽しくて、ピナとはいつ出会って、キリトとはどんな思い出を共有していたか。

 シリカとはこれまでも、それほど積極的に関わってきた訳ではなかった。勿論気不味いと感じたことなど一度もない。だが彼女がそうであったかは分からない。仲間の中で誰よりも年下である彼女は、元々赤の他人であったアキトに物凄く気を遣っていたと思う。

 

 あの日以来彼女はずっと、自分が怖かったに違いない。

 それをどうにか誤魔化して、笑顔でいようとしてくれたのだ。アスナ達は皆、アキトの暴走行為に何を言うこともなく変わらずにいる。だから自分もそうでなくてはと、追い詰められていたのかもしれない。

 彼女は虚勢を飾ることで、自分との距離を保とうとしてくれたのだ。そして自分は、そんな彼女を知る努力を怠った。

 

 

「……フィリアやストレアの時に、散々反省したはずなのに……そりゃそうだよな。シリカは俺に嗤われながら首締められてんだもんな」

 

「っ……そんなっ、あれはっ……あんなの、アキト君の所為じゃ……シリカちゃんも、分かってるよ……」

 

「そう、かな……でも、凄い怖がらせてるみたいで、嫌だな」

 

 

 理性で理解していても、感情が納得しない。

 あの日、恐怖に怯える彼女の瞳に映ったのは、どっちにしろアキトなのだから。アキトと獣、その区別がつくわけもない。彼女からすれば恐怖の対象はいつだって自分でしかない。

 そして思い出すのは、心優しい彼女のあの時の表情。恐怖に支配され、アキトの手を弾いたと気付いた時の後悔と悲哀に歪められた顔。

 そこにあったのは、仲間を傷付けてしまった罪の意識。優しい彼女がそれに耐えられるかどうかなんて、アキトには分からない。だから言ってあげなきゃならない。君は悪くないんだよ、と。怖がらせてごめんね、と。

 

 怒ったりしない。怒れるはずがない。怒る資格もない。悲しくないといえば嘘だった。心にズキリと走る痛みは拒絶によって生まれたキズ。今までと違う感触のそれは生々しくも心に刻まれている。

 慣れない痛み、真新しい苦しみ、だがこれはシリカの悲しみでもあった。自分なんかより彼女の方が、きっとずっと痛がっていた。

 

 

「……本当に、怒ってないの?私のこと」

 

「……アスナ?」

 

 

 視線を景色からアスナへと向ける。彼女は変わらず遠くを見つめながら、悲しそうにポツリと呟いた。

 

 

「私が君に、事情を話して欲しいなんて言わなければ……」

 

「いやそんなこと……みんなだって、知らない方が怖かったと思うし」

 

「でも……解決策があるわけでもないのに……私は、ただ貴方の事情を周りにひけらかして混乱させただけ。今日みたいなことも、なかったかもしれない……」

 

 

 柵の上に置かれた手が、キュッと握り締められる。僅かに震えるその腕と口元が、悔しさと切なさを伝えてくる。

 そんなことないと、慌てて言葉を続けようと口を開けたその時、アスナは立て続けに告げた。

 

 

「私は……っ、貴方に、結局何もしてあげられない……」

 

 

 震えるその声を聞き、アキトの動きが止まった。景色を眺め続けていた彼女の瞳には、大粒の涙が溜まる。悲痛にその顔を歪めて、小刻みに肩が上下する。月の光に照らされて、宝石のように美しく輝いていたその涙は、次々に頬へと滴り落ちていく。

 

 

「アキト君がいなきゃ、この先戦っていけない……『頼れ』と言ったその口で、戦うことを強要してる……また君に仲間を傷付けさせてしまうかもしれないと分かっていながら、私は……っ」

 

「……アスナ」

 

 

 彼女はただ、自分の負担を少しでも減らせればと考えてくれただけだった。誰かの想いを共有し、分かち合う。それが仲間の在り方であるとアキト自身も分かってた。アスナもきっと、そうなる未来を見ていたのだ。

 けれど、誰も彼もが強いわけじゃない。誰もが恐怖に打ち勝てる心の強さを持っているわけじゃない。シリカが正にそれだった。

 自分の甘さがシリカやアキトを傷付けてしまったのだと、アスナは思ってしまったのだ。

 

 

「ごめん……っ、ごめんね……」

 

 

 攻略組の人数は前回の作戦で減少し、戦力も落ちた。現実世界の自身の身体を考えても、ゲームクリアは迅速でなければならない。下層のプレイヤーの育成を待っている余裕がない今、アキトというプレイヤーは攻略組に欠かせない。アスナはアキトに、「自分達が支えるから、暴走覚悟で戦って欲しい」と言っているに等しかった。

 

 “暴力”が、また仲間を傷付ける可能性がある。そしてそれは、アキト自身が一番に理解している。だから、こうして彼らから離れて森の奥に逃げ込んだ。そんなアキトを今、引き上げようとしているのがアスナだ。

 傷付けるのが怖くて、仲間を遠ざけようとした。でも仲間が拠り所だった。だから本当は戦いたくないはずなのに、そんなことはできなくて。

 

 未だ啜り泣くアスナに、自分がかけられる言葉は少ないかもしれない。彼女が人一倍責任を背負い込んでしまう性格なのは、キリトの記憶と、何より共に過した時間が教えてくれたから。

 けれど、そんなアスナに何度も救われたのは、きっと自分の方で。

 

 

 だから────

 

 

「……“僕”がずっと抱えてたものを取り払ってくれたのは、アスナだよ」

 

 

 優しく、感謝の気持ちを忘れないように。溢れる想いを順番に紡ぐ。

 忘れない。初めて、自分に近付いてくれたその存在を。何度もその手を伸ばして、時に守って、支えようとしてくれたこと。

 自分のことのように涙を流し、想いを共有してくれたこと。

 

 

「参ったなぁ……元々ゲームクリアの為にここまで来たっていうのに、そんなに泣かれると」

 

「……」

 

 

 星空の下、月明かりに照らされて思い出す。

 それはまるで、いつの日かに見上げた夜空のようで。誓いを立てるには、約束を交わすには、これ以上ない景色で。

 アキトは照れ臭そうに、面白可笑しく笑ってみせた。

 

 

「仲間は、頼り頼られるもんなんだろ?なら頼ってよ」

 

「っ……アキト、くん」

 

 

 ポタポタと伝う涙を拭うこともせずに此方を見つめるアスナ。小さく微笑んで、月が照らす湖の光を眺めながら、これまでの過去に想いを馳せながら。

 歌うように楽しげに言葉を紡ぎ出す。

 

 

「戦うのは、いつだって怖いよ。けどそれはみんな同じ。だから、誰もが支え合って生きている。一人じゃないから頑張れるんだ」

 

 

 そんな、当然のことを音にした。

 けど人として当たり前で、それこそがアキトの在りたい生き方だった。

 誰かを助けたい。誰かを守りたい。邪魔だと思われても、お節介だと言われても、自己満足なのだとしても。その人が笑顔になってくれたなら、自分も笑顔でいられるような気がしたから。

 そうして紡いできたものが、この世界で築いた二年間が、自分の背中にはついてくれている。

 

 

「僕はもう、独りじゃない。君が教えてくれたんだ。だから、ありがとう」

 

 

 彼女を安心させるように笑う。そして、今まで言えなかった感謝を告げる。

 それは決して強がりでも嘘でもない、純粋な本心。

 過去のような悲劇は、もうたくさんだ。あの暖かさや微笑みがこの世から消えてなくなる日など、来させはしない。

 

 アキトの世界は、とっくの昔に変わっていた。

 気付かない振りをしていただけで、本当はずっと前から知っていた。この心に宿る熱の正体。そして、それを生み出したもの。

 ずっと前から望んでいて、失いたくないと願ったもの。そして一度はその手から零れ、落としてしまったもの。二度とあんな思いはしたくないと、自ら切り捨ててしまったもの。

 

 その大切さを教えてくれたのは、アスナ達だ。

 

 アキトは、満月を見上げて目を細める。今宵は、誓いを立てるに相応しい夜だ。過去の記憶と薄れていく、あの日の誓いと約束を、今一度再確認するには、とても似合う月夜。

 

 

────“できるかな、君に”

 

 

 脳裏の声に目を瞑る。頬を撫でる風が不穏な冷たさを運んでくる。それでもアキトはもう、怯えることなく再び目を見開いた。

 

 

 

 できるとも。

 

 

 あまり、舐めてくれるなよ。

 







小ネタ① 一軒家の値段


シノン 「……それにしても、このログハウス買うだけのお金、よく持ってたわね。SAOで一軒家買うのって相当大変なんでしょ?」

アキト 「まあ、普段も必要最低限のものしか買わないし、攻略組になる前からクエストとかやってたしで、実はまだ結構残ってるんだ」

シノン「……まあ、アンタは装飾品に拘りとかもなさそうだしね。……にしても一人で住むにはちょっと広過ぎない?」

アキト 「……まあ、うん。そう、かも?」

シノン 「あ……ねぇ」

アキト 「うん?」

シノン 「……泊まっていってあげよっか」

アキト 「!?」

アスナ 「!?」

ユイ 「!?!?」









小ネタ② あれ、エギル……?


76層《アークソフィア》


エギル 「……」

アルゴ 「アレ、みんなは?」

エギル 「アキトんとこだよ」

アルゴ 「フーン……ダンナは?」

エギル 「店番だよ。腹減ったなぁ……」







③ やっぱり


フィリア 「んー……やっぱアキトにオレンジカーソルは似合わないよ」

アスナ 「やっぱりカルマ回復クエスト、行った方が良いんじゃない?」

アキト 「え、や、でもそんな時間無さそうだし……それに、これは戒めっていうか……」

シノン 「《圏内》ならアンタが暴走したって誰も傷付かないんだから、どう考えたってそっちの方が良いじゃない。カッコつけないで行ってきなさいよ」

アキト 「……はい」










小ネタ④ その唇の感触


アスナ 「……そ、そういえばアキト君」

アキト 「ん?何?」

アスナ 「キリト君の記憶を、自分の事のように思い出す時があるって……言ったじゃない……?」

アキト 「うん」

アスナ 「そ、それって、えと……つまり……私と、キリト君がその……き、キ……したこと、とか」

アキト 「き?」

アスナ 「っ……」///

アキト 「……何か歯切れ悪いね。言い難いこと?」

アスナ 「……キスの、感触……とか、思い出したり、するの……?」///

アキト 「っ!? え、あ、いや、その……」(青ざめ)

アスナ 「……」

アキト 「……ゴメン」

アスナ 「っ……! そ、そう、なんだぁ……へぇ?」///

アキト 「あ、アスナ落ち着いて!感触とかそこまで生々しくは覚えてないから!」(震え声)

アスナ 「……わ、私、アキト君とキス、したことになるの……?」///

アキト 「ならねぇよ!しっかりしろ!」




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Ep.120 暗躍






欲望には見境無く、目的には際限無く。



 

 

 

 

 97層《フィルキア》は王宮然とした街並みが続く広々としたフロアで、プレイヤーやNPCの人口も他の層と比べて多く、露天の立ち並ぶ大通りはかなりの盛況ぶりらしい。行き交う人波の勢いはその分だけ増し、ゲームクリアまでの残り少ない時間を謳歌する人達で溢れ返っているそうだ。

 

 アスナからメッセージを受けたアキトは、それを読んで苦笑しながらその層のフィールドへと足を運んでいた。

 生憎とまだカーソルの色はオレンジで《圏内》には入れない日々が続いている。犯罪者の目印でもある以上、世間の注目集まる攻略組の仲間達とは一緒に行動できない。時間的猶予も考えてオレンジカーソルのまま攻略するつもりだったが、《圏内》に入れるというメリットは、やはりアイテムの補充や精神的な問題に大きく関わってくることもあり、特にシノンからの正論によって漸くクエストを受ける気になった。

 その他にも、アスナからは最前線の街並みの詳細を伝えられ、羨ましがらせる事で早く帰ってきてもらおうなんて考えていたみたいだが、攻略も進めておきたいアキトは現在、贖罪クエストと最前線攻略を並行して行っていたのだった。

 

 フィールドは少しの草原を歩けばその先は断崖絶壁で、続く道は上空へと続いていた。大蛇のように入り組んだ白の空中回廊は、そのまま迷宮柱への扉へと繋がっているのが遠目でも確認できる。

 しかしながら、眺める迷宮柱の周りは霧のような雲が漂っており、崖下を見下ろそうものなら底が見えないほど深いだろう。天空の城を彷彿とさせるこの場所は、高所恐怖症の人間ならどの層よりも手こずるのは確実だった。

 

 

「……寒っ」

 

 

 中々に冷たい突風を肌に受け、思わず身震いする。コートのポケットに両の手を突っ込み、猫背のままよろよろと空中回廊への入口へと向かう。

 最前線でこれほどのだらしなさは、アスナにも怒られるし普通だったら有り得ないのだが、今はプレイヤーの気配ばかりでモンスターは索敵スキルに引っ掛かっておらず、自然体のまま草原を踏み締める。

 

 傍から見れば飄々としているが、別段 “暴走”という現象を楽観視しているわけではない。寧ろ張り詰めていても逆効果なだけだと若干開き直っているまである。リラックスして、自分という意識を確立していれば大丈夫だと、自身に言い聞かせているだけでもあった。

 勿論最悪の事態を想定し、攻略はソロで行っている。アスナやシノンが特に渋ったが、怪我させたくないと我を通すことでどうにか折れてくれた。頼るとは言ったが、迷惑は掛けたくない。

 先も挙げたが、攻略組として行動するとどうしてもオレンジカーソルが目に付いてしまうという理由の他に、もう一つ彼らと行動することを躊躇する要因があった。

 

 先日、ログハウスでの一件。思い出すのは、恐怖で表情を歪める14歳の少女───シリカだった。

 彼女のことを考えると、共に行動するのは憚られた。優しい彼女なら、今度こそ自分の気持ちを推し殺そうとするに決まっているし、怯えさせたくなかった。

 シリカはあの日のことを、とても後悔し、泣いているとメッセージで聞いた。謝罪もしたいとのことだったが、今はまだ会わない方が良いのではないかと、特に理由もなくそれを拒んでいた。きっと心の何処かでは、シリカにまた拒絶されることを恐れているのだ。

 我ながら何とも女々しい奴である。

 

 そんな自分に辟易しながら、草原と回廊の境界を跨ごうとした時だった。

 

 

「て、てめぇっ!一体何しやがった!」

 

 

 遠くで、聞き覚えのある怒声が耳に入り込んだ。

 その足を止め、思わず顔を上げる。意識が覚醒したような感覚と共に視線は声のした方角へと向かう。

 いつになく鋭い五感の全てがその先にある光景を辿り、一つの予想に行き着いた。

 

 

(……クライン、か?)

 

 

 その予感が的中してもしていなくとも、声の感じから何やら揉め事であることは間違いない。ポケットに収まっていた両の手を出し、声の方角へと進路変更した。

 距離が近付くにつれ状況の詳細がはっきりとしてくる。場には複数のプレイヤー、言い合いは徐々にヒートアップしていく。これはもしかしたらデュエル紛いのやり取りまで起こるかもしれないと、冷や汗を掻きながら思い切り駆けると、その光景はすぐに目の前に現れた。

 

 

「静かにしてくれ。そんなに大騒ぎすると、コイツも同じ目に合わせるよ?」

 

 

 やたら耳に付くような声と喋り方。そして高慢な態度を隠すことなくひけらかし、全てを見下すようなその態度。容姿など見なくても大体予想はついていたが、仕方なくクライン達《風林火山》が睨み付ける対象を見据える。

 

 

(────アルベリヒ)

 

 

 淡い金色のオールバックヘアに、色白で吊り目の青年。プラチナカラーの全身鎧を身に纏い、腰には血のように赤い極太の細剣。

 装備のランクと実力が見合わない異質な存在として警戒されていたアルベリヒだった。その胡散臭さは相変わらずの健在で、以前と変わらぬ下卑た笑みを浮かべながら、クラインと自分の下にある“何か”を交互に見やっていた。

 更に迫って見ると、奴の足元には尻餅をついたプレイヤーが襟首を掴まれて動けないでいた。必死にアルベリヒの腕に両の手を伸ばして藻掻いている。

 

 

「は、離せ!離してくれっ!」

 

「やめろっ!!ソイツを放して、その変な武器も捨てろ!」

 

 

 見兼ねたクラインは普段では珍しい怒りの込められた声をアルベリヒにぶつけた。しかし奴には全く響く様子もなく、それどころかクラインに指摘された「変な武器」を見せびらかしながら口元を歪めている。

 

 その武器はアキトの眼から見ても確かに不思議な形をしていた。

 短剣と呼ぶには刀身が稲妻のように歪に捻れ、短く細過ぎる。なんなら柄の方が少し長いくらいで、武器と呼ぶには粗末で戦闘に不向きな形状をしていた。

 だがアルベリヒは、特にそんな素振りも見せずに余裕な態度を保ち続けながら言った。

 

 

「これのことか?中々良いデザインだと思っているんだけどね。この尖ってる部分なんて芸術的だと思うけどなぁ、クックックッ」

 

「ひ、ひいぃぃっ!」

 

 

 その嗤う声に、堪らず奴の足元のプレイヤーは我を忘れて暴れ始める。だがステータスだけは高いアルベリヒの筋力値に敵うはずもなく、どれだけ身体を動かしてもその場で地面を削るばかり。

 

 

「て、てめえ!いいから捨てろって言ってんだろが!」

 

「そうはいかないよ。僕にはやらなければならない、とても重要なことがあるんだ」

 

 

 クラインの怒り滲む表情と荒れた声に怯む事無く、アルベリヒは足元のプレイヤーへと視線を落とす。

 すると、空いた右の手に保持していた不気味な形の短剣を逆手に持ち直し、

 

 

「さあ、健康そうな君も喜んで協力してくれるよな?」

 

「や、やめろ、やめてくれえぇ!うわあああああああああ!!!」

 

 

 やめてくれと叫ぶ彼の願いを無視しながら、その短剣をうなじ近くに突き刺した。

 ────瞬間、男の動きが停止したと思えば、身体の内側から輝きを放ち始め、そのまま光と共にその場から消失した。

 

 

(────)

 

 

 アキトは、思わずその場から飛び出した。

 傍観者であった距離から、一気にクライン達の元まで駆け出していき、そのままアルベリヒとクライン達の間に滑るように割って入る。視界にはいけ好かない笑みを浮かべる金髪の男、その背には守るべき刀使いの男とその仲間達。

 

 

「っ、あ、アキト!!」

 

 

 途端、僅かなざわめきを耳にする。《風林火山》のメンバーの訝しげな視線に小さな声、アルベリヒ側の取り巻き達も此方を忌々しげに睨み付けている。

 中には、フィリアといった76層の喫茶店や、93層の街《チグアニ》にてアキトに面子を潰された男性プレイヤーも混じっており、殺意込められた顔を向けているが、気にすることなくクラインに声を掛けた。

 

 

「大丈夫、クライン?」

 

「コイツ、変な武器を持ってやがる……気を付けろよ」

 

「……ああ、見てたよ」

 

 

 その右手の指で背に担ぐ《リメインズハート》の柄に触れながら、静かな声でそう答える。

 同時に、アキトがストレアの行方に関する情報をアルゴに頼んでいた際に、彼女に聞いた“神隠し”の噂を思い出していた。

 最近、プレイヤーの行方不明が多発しているという、明らかに異常な事態。その理由を今、目の前でまじまじと見せ付けられたのだから。

 加えて、アルベリヒのカーソルの色を見る。やはり、カーソルの色は緑のまま変化していなかった。《圏内》で女性にちょっかいを出していた奴の部下が《ハラスメントコード》に掛からなかったことと無関係とは思えない。

 

 

「最近の“神隠し”騒動は、この人達の仕業か」

 

「ああ、あの武器の攻撃が当たると、理屈は分からねぇが否応無しにどっかに転送されちまうみてぇなんだ」

 

「転送……なら、生きてるのか。よかった……」

 

 

 クラインの言葉を背に、アキトは安堵の息を漏らした。アルベリヒはさも今気付いたと言わんばかりの態度で、不敵な笑みを浮かべながらアキトを見やって口を開いた。

 

 

「おや、《黒の剣士》様ではないですか。そんなに血相を変えて如何致しました?」

 

「……────は」

 

 

 取り繕うともしないアルベリヒの舐めた口調に答えることなく、アキトはその足を一歩踏み出す。その口元を三日月のように歪めながら。その思考が黒く変色し始める。

 ────瞬間その肩を、クラインに思い切り掴まれ引き寄せられた。

 

 

「おい、冷静になれよ。あんな奴に相手に、あんな姿晒す必要ねぇんだ」

 

「っ……分かってる。ありがと」

 

 

 心臓が、止まるかと思った。一瞬、自分が何をしていたかを忘れかけてしまうほどにあっさりも、主導権を奪われかけた。

 今、一瞬で“何か”と切り替わるような感覚が確かにあった。自然と漏れ出す殺意が、すぐ傍らにある気がした。刻まれたその恐怖は、アルベリヒに対する怒りより強かった。

 

 

(落ち着け。冷静になれ。自分を見失うな、目の前のことに集中しろ)

 

 

 未だ高鳴る心臓は、戦闘での快楽を求めている。

 だから自分に言い聞かせるのは呪詛のように。確かに身体に刻まれるように心の中で唱える。そうして、やがてその瞳の奥には確かな理性と闘志を宿し始めた。

 右手の剣を引き抜き、それをアルベリヒに突き出すようにして構えを取ると、それを見た奴は高らかに笑い声を上げた。

 

 

「アハハハハハ!僕をどうにかしようとしてるのかい?まさか僕に勝利できるとでも、本気で思っているのか?」

 

「前回の醜態があってよくそんなこと言えるなお前」

 

 

 いつもの強気な口調を意識しつつ、それを聞いて呆れる。

 記憶に新しい、かつての攻略組テスト。見掛け倒しで粗末な実力を周りに晒しておきながらまだそんな傲慢な態度が取れるとは、寧ろかなりの大物なんじゃないのかとすら思える。

 そう伝えてやれば、アルベリヒは苛立ったような表情を一瞬だけ見せると、馬鹿にするように鼻で笑った。

 

 

「ふん。あれは何か卑怯な手でも使ったんだろう」

 

「……え、アンタがじゃなくて?」

 

「僕のステータスをもってしても勝てなかったなんて、何かを仕込んだとしか思えない」

 

「……アンタじゃなくて?」

 

「だが今度はそんな手は使わせないよ。圧倒的なステータスの前に君は打ちひしがれるんだ」

 

「……」

 

 

 思わず聞き返してしまうような内容の連続で、最早取り付く島もないと理解した。

 実力に見合わないステータスと装備を手にしながら今まで無名で、かつオレンジカーソルにもならなければ《ハラスメントコード》にも抵触しない輩の方がよっぽど仕込みが多そうなのだが、まともに取り合っても埒があかない。

 高鳴っていたその心臓も、段々と冷めきったように大人しくなった。アキトに宿る“何か”も、目の前の男相手には戦う気も起きなくなったのだろうか。

 

 アルベリヒはその短剣を持って初心者丸出しの構えを取る。見るだけで頭が痛くなりそうなのを抑えつつ、構えた剣の柄を強く握り締めた。

 クラインが慌てて声を掛けてくる。

 

 

「やるのかよアキト!?」

 

「うん、あの武器に気をつけながら立ち回ってみる。クラインにはアルベリヒの仲間達をお願い……し、しても良い?」

 

「……ったく、遠慮すんなって言ったろ?一々聞いてくんじゃねぇよ」

 

「わ、わ……」

 

 

 クラインはそう言うと、後ろからアキトの髪をクシャクシャにしながら小さく笑ってくれた。それはきっと、アキトとっても安心できる答えだった。

 自分から助けを求めたり頼ったりが苦手なアキトが、どうにかして考えた最初の一歩。少し照れ臭くて、でも悪くない感触。

 それをかみ締める間もなく、アルベリヒは不意を突くかのように地面を蹴り破って叫んだ。

 

 

「さあ、今度こそ本当の勝負だ。ステータスによる絶対的な強さを思い知らせてあげよう!」

 

「────クライン!」

 

「おう、任せとけ!」

 

 

 アキトの背から離れ、回り込むようにしてアルベリヒの取り巻きを囲いに行くクライン達。カーソルがオレンジにならぬよう注意する以上、クライン達は直接的な行動はほぼできない。動きが制限される分、アキトがアルベリヒにかける時間はなるべく最小限に抑えなければならない。

 アルベリヒの動きは相変わらず単調ではあるが故に読みやすい。だがステータスが高く攻撃に転じるスピードが異常である分、此方も判断速度を要求される。研ぎ澄まされる神経が冷静な心臓と同機する感覚を胸に、その瞳に奴の動きを映す。そこに油断は一切ない。

 

 

「そらぁ!」

 

「ふっ……、シッ!」

 

 

 突き出された右手を左に跳んで紙一重で躱す。そこを畳み掛けるように払われた短剣は、即座に《リメンズハート》でかち上げた。

 火花が散ると同時に、アルベリヒの身体が仰け反る。バランスを崩し、情けなくもヨタヨタと足を縺れさせながら、やがて地面へと尻を打ち付けた。

 完全なる隙。だがその間、アキトは特に奴に追い打ちをかけることもせず、口を開けたままのアルベリヒを見下ろしていた。

 

 

「っ……くそ、舐めやがって!!」

 

「……」

 

 

 攻撃してこないアキトが自分を舐めていると思ったのか、アルベリヒはその端正な顔を赤くするとすぐさま立ち上がり、その歪な短剣を左手に持ち替え、空いた右手で腰の細剣《ブラッドスラスト》を引き抜いた。

 

 

(っ────二刀流)

 

 

 流石に少し驚くが、アルベリヒにとっては意外と相性の良い戦法かもしれない。

《二刀流》のユニークスキルがなければ、武器を両手に構えてもイレギュラー判定でソードスキルの発動に支障をきたすが、前回の攻略組テストでも奴は何故かソードスキルを使わなかった。元々スキルに頼る戦い方をしないのならばデメリットは皆無と言える。右手で攻撃し、隙を見て左手の短剣を突き出す戦法の方が脅威にすら思えた。

 

 

「ハアァァアッ!!」

 

 

 再び接近し、細剣を袈裟斬りに振り下ろす。

 相変わらず尋常ではないスピードだが、見え透いた軌道に邪な思考は読み取れない。寧ろステータスに裏打ちされた勝利への確信があるからこそ、フェイントなどの魂胆は必要ないと踏んでいるのだろう。

 だがその分動きが読みやすく───正直、油断大敵と宣いはしたが、油断してもしてなくても割と早い段階で決着がつきそうだった。

 乱雑に振り回す二対の剣を、全て最小限の動きだけで紙一重で躱していく。攻撃してこない此方に対し、アルベリヒの苛立っていた表情は自然と笑みを取り戻していく。

 

 

「ハハッ、どうだい!避けるので精一杯だろう!」

 

「……」

 

 

 ────とんだ幸せ者である。

 一度記録結晶で奴の動きを録画して、ギャラリーを交えながら本人に見せつけてやりたい。

 アキトがその赤い細剣を身体を傾けるだけで躱し、お粗末な右足首に軽く蹴りを入れるだけでその身体は再び体勢を崩し、今度は前のめりに膝を付く。

 

 

「っ!?……このっ!」

 

 

 立ち上がりざまに斬りあげた奴の細剣は、そもそも当たる距離に立っていなかったアキトの前を空振りする。そして今ので戦闘における空間把握能力、更には自身の得物のリーチの記憶すらないのではないかという疑問さえ浮上した。

 この実力で奴のステータスと装備は本当にどういった理屈なのだろうかと、目の前の男相手だと考える余裕さえできてしまう。

 だが今はクラインと、奴が転送したプレイヤー達の安否が最優先事項。アキトは奴に見切りを付けると、《リメインズハート》で突き出された細剣を再び弾いた。

 

 

「なっ!?」

 

 

 その力の強弱に耐えかねたのかアルベリヒの手元から細剣は離れ、上空へと高速回転しながら飛び上がった。奴のその手に残ったのは、歪に煌めく心許なく短い剣。

 それに臆することなく、アキトはその足を一歩前へと踏み出すと、焦りながらも好機とニヤけるアルベリヒの下卑た笑み。

 

 

「馬鹿が、くらえ!」

 

「────」

 

 

 そうして、左手に携えた短剣がアキトの胸に届く──その前に、アキトの左手に光が収束した。アルベリヒがそれに気付いた時には、拳は迫る短剣目掛けて振り抜かれていた。

 

 体術スキル《閃打》

 

 瞬く間の一撃が、奴の短剣の刃の付け根に衝突する。同時にアルベリヒの左手は武器諸共弾かれ、上体は空に向いた。その視界には、回転しながら落下してきた自身の細剣。

 アキトは振り抜いた左手でそれを掴み取ると胸元に引き寄せて、驚愕を露わにする奴のその眉間に焦点を当て、

 

 

「────《リニアー》」

 

 

 放つは《閃光(アスナ)》の代名詞とも呼べる原点のソードスキル。その武器は所有者であるアルベリヒが持つよりも剣としての役目を全うし、洗練された動きで繰り出された刺突は奴の頭蓋には僅かに届かず、眼前で止まった。

 あくまで怯ませる為の一撃であるが故にダメージを加えることを意図しない。発動と同時に突風が周囲に発生し、アルベリヒの髪が舞い上がる。顔面スレスレで制止した刃に、男は再び尻餅を付いた。

 その喉元に、すかさず剣の先を向ける。それだけで、始まる前から分かっていた勝負に決着がついた。

 

 

「────終わったか、アキト!」

 

「ああ、終わったよ。……そうだよね?」

 

 

 取り巻きを囲んでいたクラインからの声に返事をしてから、再びアルベリヒに視線を下ろしてそう問いかける。

 

 

「……まだ、やるの?」

 

 

 アキトは、奴の《ブラッドスラスト》を足元へと転がした。口を開けて呆然としていたアルベリヒはハッと我に返ると、手に持った歪な短剣を忌々しげに見下ろしながら歯軋りし始めた。

 

 

「く、くそっ!どういう事だ!肝心な時に上手く動作しないなんて、使えないなっ……このっ!!」

 

 

 苛立ちを隠さずに立ち上がったかと思うと、それを力任せに投げ捨てた。適当に投げたのだろうが直線上に運悪くクラインが立っており、当人は目をひん剥きながら慌てて仰け反った。

 

 

「うおっ!危ねぇな!変なモン投げつけんじゃねぇ!」

 

「認めない!僕は認めない!馬鹿にしやがって!覚えておけよ、いずれ僕が世界を掌握するんだ!」

 

 

 此方の話を聞く素振りもなく一方的に言いたい事を口にし終えると、アルベリヒは腰のポーチから転移結晶を取り出した。取り巻き達も示し合わせたように同時に結晶体をその手に持ち、各々転移先を口にしていく。

 その流れがあまりにも突然で、アキトでさえ反応に遅れた。

 

 

「しまっ────!」

 

「野郎……!」

 

 

 クラインと共に慌てて駆け出すも既に後手。一歩足を踏み出した時には奴らの身体が転移特有のエフェクトに包まれて目の前から消えてゆく。伸ばしたその手の指先が光の粒子に僅かに触れるも感触はなく、冷たさだけが残った。

 

 

「ぼ、ボスっ!!待って下さいっ!」

 

 

 すると、視界端の方でそんな情けない声が草原に響き、誰もがそちらに目をやると、逃げ遅れたのか転移結晶の用意すら遅れ忙しなく動く男性プレイヤーが目に映った。

 アルベリヒの取り巻きの一人であろうソイツは、主人や仲間がいた時の高慢さが抜け落ちて、親を見失った弱々しい小鹿のようになっていた。クラインは慌てることなく男の肩を鷲掴むと、目を吊り上げながら口を開く。

 

 

「おっと待て待て!お前は逃がさねぇぞ」

 

「ひっ!す、すみませんすみません!オレはボスの指示に従ってただけでっ……!」

 

 

 味方がいないこの状況でその男はあまりにも弱腰で、クライン達も触れることになんとなく躊躇を覚えた。しかし、彼らが“神隠し”騒動の一端を担っているのならばおいそれと逃がすわけにはいかないし、演技という線もまだ残っている。

 アキトは蹲る彼と同じ目線まで腰を落とすと、柔らかな声で言った。

 

 

「攫った人達の場所、教えて欲しい」

 

 

 脅すでもなく、命令するでもない。優しく語りかけるような純粋な願い。命の危機に肩を震わせていたその男は段々と落ち着きを取り戻し、ゆっくりとその顔を上げ始めた。

 

 

 ────その時、突然地面が揺れ始めた。

 

 

「っ!?」

 

「うおっとと……!」

 

 

 凄まじい地響きがまるで世界の悲鳴であるかのように辺りに轟く。誰もが突然の揺れに対処し切れずにたたらを踏み、声を上げて驚く者、バランスを崩して倒れる者が続出する。

 

 

(また、地震っ……!!)

 

 

 アキトもその一人だった。揺れる地に手をついて耐える中で、76層以降から頻発する地震に愈々脅威を感じ始めていた。

 以前にも増して揺れが大きくなっているのが感覚的に分かる。世界が壊れているのではないか────そんな恐怖を掻き立てるほどの音が鼓膜を震わせ続けた。

 やがて段々とその音は揺れと共に遠のいていき、余震がある程度続くと、漸く冷たい風と靡く草原の音のみが残る世界に戻った。

 

 

「……今回は長い地震だったな……」

 

 

 ポツリと、驚きと安堵の篭った息と共に吐き出された感想。それを口にしたクラインは、辺りでよろめいた《風林火山》の仲間達の安否を確かめていく。

 それを視界端に捉えながら、アキトは瞳を揺らしていた。そろそろ曖昧にしていた事象全てに、何か仮説を立てなくてはならない状況になりつつあったからだ。

 

 一つ目は75層を突破した直後、スキルやアイテムといったデータ、ひいてはシステム全体が異常事態を連続で吐き出している事。

 二つ目は、それまで無名だったアルベリヒ一行の突然の登場と実力に見合わない装備とステータス、今回はカーソルが変わらない事とチート染みた武器の存在。

 そして、急に変貌したストレアの不可解な言動と行動原理。ボスを強化する事さえできるゲームバランス度外視の能力。

 

 今までに有り得なかった事が、一度に起き過ぎているのだ。一体、何が始まろうとしているのだろうか。

 この《アインクラッド》で────

 

 

「おいアキト、コイツどうするんだ?」

 

「っ……ぇ、あ……」

 

 

 クラインの呼び掛けで思考が一度霧散する。慌てて顔を上げれば、へたり込む。アルベリヒの部下の処遇を判断しかねて眉を顰めたクラインが立っており、そこで漸く話の途中だった事を思い出した。

 今は不安を募らせるよりも、神隠しにあったプレイヤー達の安否が最優先だった。アキトは気持ちを切り替えてクラインの元へと駆ける。先ずは、彼らのやろうとしていたことを洗いざらい話してもらい、攫われたプレイヤーを助けることからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 攫ったプレイヤー達が隔離されている場所は、《ホロウ・エリア》によく似た無機質なデジタル空間を彷彿させる世界観度外視の部屋だった。目的の為に最適化された殺風景な景色の中心点に、プレイヤー達はいた。

 倒れている者、朦朧と座り込んでいる者、意識ははっきりしている者と疎らだが、彼らを監視するかのようにアルベリヒの部下達がその部屋には立っていた。

 大方予想はついていたので、事前に何人か助っ人をクラインに頼んで募ってもらい、ほぼ攻略組と化した団体で突入したところ、意外にあっさりと事態は収束した。アルベリヒ同様、取り巻きのプレイヤー達もそれほど実力がある訳じゃなく、押せばあっさりだったのだ。

 

 

「ひいいいいい!す、すみません!降参です、投降します!」

 

「なんだよ、これでお終いか?歯応えのない連中ばっかりだったな」

 

 

 最後に残った一人が投降し、クラインが溜め息を吐きながら刀を肩に担いだ。

 残りの部下をクラインが拘束し、《風林火山》が部屋の隅へと取り巻き達を追いやっているところを見ていると、手を貸してくれたアスナに背後から声を掛けられた。

 

 

「アキト君、捕まってた人達はみんな街に戻ったよ」

 

「そっか……アスナ、ありがとね。急だったのに……けど、まさか《血盟騎士団(ギルド総出)》で来てくれるとは……」

 

「アキト君からの数少ない(・・・・)お願いだもの。つい団長権限で呼びつけちゃったっ」

 

「普通に職権乱用じゃ……?」

 

 

 思わず周りを見渡すが、団員を見れば何故か満足気だし別に良いのか──?いや、それよりも『数少ない』を強調するのは自分が悪いと分かっているのでやめて欲しい。

 

 乾いた声で苦笑していると、《回廊結晶》で攫われたプレイヤー達を街へと返し終えたリズベットが歩いて来て、眉を顰めながら訝しげに辺りを見渡していた。

 

 

「リズベット、お疲れ様」

 

「ええ。……それにしても、此処って何なの?何かおかしな機械とかあるし」

 

 

 そう言う彼女の視線の先には、この世界にはまず存在するはずのない機械が連なっていた。『機械』というだけでこの世界の雰囲気には合わないのに、これをアルベリヒ一行が何かの企てに利用していた可能性があるというだけで、もう胡散臭いったらない。

 見ただけで高性能と分かる。だが、何をする為のものなのかは皆目検討もつかない。攫われたプレイヤーに事情を聞こうとも思ったのだが、聴取を担当していたアスナが言うには、

 

 

「それに、捕まってた人達が何をされていたのかっていうのも気になるわね。本人達は、何をされたかとかは記憶に無いみたいだし……」

 

 

 という事らしい。手掛かりは最早この部屋しかなかった。

 こうなったらこの施設を調べられるだけしらべるしかない。専門的な知識が必要かもしれないが、徹底的に調べれば何かしらは分かるかもしれない。

 

 その主旨を仲間内で共有し、アキトは暫く別行動を開始する。彼らも各々で機械や部屋の特徴、捕まえた部下からの情報収集などを行ってくれるらしい。それに甘え、広々とした部屋をキョロキョロと見渡していると、奥にもう一つ部屋が存在していることに気付いた。

 小さな入口から見える空間も、現在の部屋と同化するほどに同色であるが故にすぐには気付かず、思わず二度見した。

 

 

(っ……あれ、は)

 

 

 アキトは思わず小走りでその部屋に入り、奥にあるものを見て目を見開いた。

 そこには、つるつるに磨かれた黒い立方体の石机が設置されていたのだ。その頭上には透明で大きめのシステムウインドウが開かれており、その画面には0と1の文字列が波となって流れ続けている。

 途轍もなく既視感のあるそれは《ホロウ・エリア》にも、そしてキリトの記憶の中─── 一度はユイと別れを告げた、《はじまりの街》の黒鉄宮地下迷宮最深部の安全エリアの中央に存在していたもの。

 

 

「……システムコンソール」

 

 

 これを使えば、何か分かるかもしれないと本能が叫ぶ。思わず飛びつき、現実世界で培ったタイピングの速さでコンソール内のデータを調べてゆく。

 しかし、当然ながら重要そうなファイルにはロックが掛けられていたり、その他のそれらしい資料にアクセスしても、暗号や符丁のようなものが多用されていて全く内容が読めない。

 

 この部屋は、捕まえたアルベリヒの部下から情報を引き出すことで漸く見付ける事のできた場所だ。一般のプレイヤーが誤って侵入することはまず有り得ない。そうなると、パスワードやロックをかけるような心配事も少ないが、にも関わらずセキュリティはかなり厳重だ。

 つまるところ、アルベリヒ達は公にできない実験をこの仮想世界で行っていた可能性が出てくる。

 

 

(他に……他に何かないか)

 

 

 この世界で増えている不可解な現象。その答えに少しでも近付くならと、縋る気持ちが無かった訳じゃない。だがその願いが通じたのか、アキトの視界に映るシステムウインドウの右端に、とあるデータに関する記録が飛び込んできた。

 内容は────

 

 

「……『プレイヤーの感情に関するデータ』」

 

 

 何故、そんなデータがこのコンソールの中に?アキトは眉を顰め、食い入るようにそのデータに焦点を合わせた。

 一見何の関連性も見受けられないデータだが、これが目的の一部だとすると考えられるのは、攫ってきたプレイヤーに対して何か感情に関する実験をしていた線だ。

 このSAOの中で世界観とは無縁の実験を行っている辺り、暗躍する何かの影を感じずにはいられない。そんな事ができるのは茅場晶彦本人か、その関係者としか思えないからだ。現在茅場晶彦───ヒースクリフの所在は不明ではあるが、攫われたプレイヤー達が何をされたのか覚えていないのが、感情や記憶に関する実験によるものだとすると納得もいく。

 

 

「……?」

 

 

 ────ふと、視線が固まる。

 

 目に映ったのは、研究が成されたとされるその“日付”。

 それらは特に一定の間隔がある訳でもなく不規則に、上から順に羅列されていた。だが、アキトはそこから視線を外すことはしなかった。その日付に何か違和感を覚えたからだ。

 そしてその違和感は、すぐに氷解する。

 

 

(……この日って、俺がシノンとフィリアと《ホロウ・エリア》に行った日……)

 

 

 ────そして、アスナ達がダンジョン内で苦しむストレアを見た日だった。

 

 

(こっちは、確か……ストレアが《ヒドゥンバイソンの肉》を持って来てくれた日……)

 

 

 ────そして、その夜ストレアが身体の不調を訴えてきた日だった。

 

 

(これは……95層のボスを討伐しに行った日だ……)

 

 

 ────そして、ストレアがアキト達の前から消えた日だった。

 

 

 そう、一見不規則に見えたこれらの日付には共通点があったのだ。そして、それに気付ける人間は、恐らくこの世界でたった一人だけ。

 ストレアの苦しむ表情が、無理矢理脳裏に思い起こされたのを感じる。アキトはコンソールを見つめながら、驚きを隠せずに口元を震わせた。

 

 

(どの日も、ストレアが苦しんでた日だ……)

 

 

 偶然か。いや、それにしては都合が良過ぎる。だが、未だ関連性は不明だ。

 プレイヤーの感情に関する何らかの実験と、ストレアの体調不良と日時的な関係。それらをぐるぐると頭の中で掻き混ぜるかの如く、その思考は加速していく。

 

 

「────」

 

 

 ───そして、ふと顔を上げた。

 凝り固まった頭の中で、小さくポツンと生まれた僅かな凝り。目を見開き、思考の奥にある何かを、必死に進みながら手繰り寄せる。

 そう、アキトは妙な違和感を振り切れていなかった。目の前のコンソールに映るデータを見れば見るほど、他人事にはとても思えない感覚が押し寄せてくるのだ。

 

 

 アキトは、知っている。

 自分は、覚えている。

 何処かで、きっと目の当たりにしている。

 

 

 

(感情と、体調不良)

 

 

 

 自分は、これに似た話を知っている。

 いや、本当はもう気付いている。覚えのないその記憶の中で、アキトはそれを体験し、目にしていた。

 それはいつも自分の傍にいて、笑って、帰りを待ってくれる存在。

 

 

 

 

「────ユイ、ちゃん」

 

 

 

 

 ────《MHCP試作一号》ユイ。

 

 彼女は元々ゲーム内で精神的な問題を抱えたプレイヤーのカウセリングをするプログラムだった。

 たがプレイヤーの負の感情をモニタリングし続けるだけで、システムからプレイヤーへの干渉・接触は禁止されていた。その為、解決に必要な行動を起こせない矛盾から崩壊寸前に陥り、負の感情を処理し切れずにデータ破損した結果、名前以外の記憶を失った時期があったという。

 ストレアもユイのように、プレイヤー達の感情の左右によって影響を受けたりするのだとしたら───?

 

 

(いや、でもストレアはプレイヤーだ。現実世界に肉体を持った、正真正銘の人間……)

 

 

 だが96層以降のあの変貌は尋常ではない。

 裏表のない性格だったことを知っているからこそ、今の彼女の在り方が二面性によるものではない事───つまり今までのが全て演技で、自分達を騙していた、というわけではないという事は確信を持って言えるのだ。

 何か、彼女の身に起こったのだと考えるのが自然だ。自分達に話せないような事情を抱えているのだと、そう考えたかった。

 なら、ならば。ストレアは一体────

 

 

「おーい、アキト。何処まで行ってんだよ」

 

「……クライン」

 

 

 背後からの声に振り向けば、自分と同じようにこの部屋を見付けだのだろうクラインが、辺りを見渡しながら歩いて来ていた。

 そうして此方まで来ると、設置されたコンソールを視界に収めて訝しげに表情を変える。彼にとっては見慣れぬものであろう。

 

 

「な、何だこれ」

 

「あ、いや……アルベリヒの目的が分かるかと思ったんだけど、ロックされてて殆ど何も……」

 

「用意周到な野郎だぜ、ったく。捕まえた奴等にも色々聞いてみたんだけどよ、白状しねぇんだ。どうする?」

 

 

 そう言って振り返った出口の先にいる部下達は、どいつもこいつも癖のありそうな面構えをしていた。そこには徹底した秘密主義を感じる。

 恐らく此方に殺す気がないと悟ったのだろう。命の保証さえあれば、痛みのないこの世界で死より恐ろしいものはない。彼らはきっと口を噤んだまま何も語りはしてくれない。

 それに、行方知れずだったプレイヤー達は皆解放されたのだ。それはとても喜ばしいことでもある。少しでも情報が欲しい状況ではあるが、取り敢えず今は無理に話を聞く必要も無いかもしれない。

 

 

「……攫われた人達は助けられたんだし、良いんじゃないかな」

 

「……相変わらずだな、お前さんはよ。んじゃあ、此奴らは簡易牢獄でも作って閉じ込めておくか。ああ、この施設にも見張りとか立たせる必要があるか?」

 

「それは……」

 

 

 確かに此処を張り込めば、逃げたアルベリヒと再会できるかもしれない。だが、そもそもこの世界にこんな研究所染みた施設がある事自体、既に問題だ。

 多くの事象が重なっている今、分からない事だらけだとしてもこれ以上の不安要素は取り除いておきたい。

 此処にあるデータは、一般の学生風情が関わって良いものではないのかもしれない。けれど、人を攫って来て強制的に実験を行うような研究なんて、そもそもが間違っている。きっと碌なものじゃないと、それだけは分かった。

 

 

 ────それに。

 

 

「……いや、このコンソールのデータだけ消して退散しよう。この部屋の利用価値さえ失くせば、また誰かが攫われるような事はないかもしれないし」

 

 

 アキトはコンソールに向き直り、黒曜石のキーボードに細い指で叩き始めた。パソコンと同じ要領でデータを消去できるのは有り難く、特に操作に間断も無く消去の準備は進んでいく。

 

 

「そうか……でも、そんな事しちまって良いのか?」

 

「……分かんない。けど、少なくともこの世界では必要ないと思う。……それに」

 

 

 アキトはクラインへと振り返ると、『あー……』と気の抜けた声を発した後、少し間を置いてから照れ臭そうに頬を掻き、そうして目を逸らしながら告げた。

 

 

「キリトなら、こうするかなって思って……」

 

「……そうかい。なら、何も言う事ねぇな」

 

「……良いの?」

 

「良いも何も、お前さんがそう思ってんだろ?それに人攫ってする実験なんて、大抵ロクなもんじゃねえんだよ」

 

 

 それは、アキトの考えと全く同じ。お前は間違ってないのだと、未だ消去に対してほんの僅かに残っていた躊躇を払拭してくれた気がした。その一言に後押しされ、アキトはコンソールに向き直る。

 表示された《DELETE》の文字に対し、《YES》を選択。ロードが入ってすぐ、画面に表示されていたデータが次々と消去されていくのを眺めながら、隣りでクラインが言った。

 

 

「後は、あのアルベリヒの野郎に直接聞くしかねえな」

 

「……うん」

 

 

 ────そう言ってすぐ、消えていくデータの中にあった研究の日付に、再び視線が向けた時だった。

 

 

(────あ、れ)

 

 

 それは、ずっと頭の片隅にあった違和感に対する一筋の解が、急に浮上してきた感覚だった。既に塵となったその日付は、今も脳裏で写真のような焼き付いて離れない。離れていかない。

 研究の日付は確かに不定期で、何か法則があるとはとても思えない。その日全てがストレアの体調不良が起こった日という共通点は確かに偶然とは考えにくいが、共通点は他にもあったのだ。

 

 

 ストレアが苦しんでいた日は、()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 この二つはきっと───いや、確実に繋がっていた。

 どうしてすぐに気が付かなかったのだろう。考えてみれば、ストレアがS級食材を持ってきた日の夜、彼女が自分の部屋に来た時に言っていた言葉。

『頭の中に自分ではない誰かがいる気がする』と、確かにそう言っていた。それは、今まさにアキトが体験している事象そのものだったのだ。

 もしその声が自分に宿る“何か”と同種のものだったとしたら、前回の彼女の暴挙はその“何か”の所為なのかもしれない。

 

 だが、どうして。

 何故、ストレアはそのような状態に陥っているのだろうか。そもそも、本当に操られているだけなのだろうか。本当は彼女自身にも何か悩みのようなものがあって、本当は何処かで気付いてもらいたかったのではないだろうか。

 

 彼女が最前線に、攻略組に来た理由は?

 その強さで無名だったのたはどういう事だ?

 キリトや自分を初めから知っていたのは何故?

 これまでなあなあにしてきた疑問が次から次へと浮上していく。自分がどれだけ彼女に向き合っていなかったのかを突き付けられて、アキトは歯噛みした。

 

 

(……でも)

 

 

 本当に不思議なものだ。

 彼女は初めて出会った時から、今にまで振り回されっぱなしだ。初対面でも馴れ馴れしく、かといってそれが不快でもない。周りの空気を考えない奔放さが、殺伐とした最前線をいつしか暖かい空間へと変えてくれた。

 アスナは、彼女のことを大好きだと言ってくれた。リズベット達も最初の印象と打って変わって、一緒にいるととても楽しいと言ってくれた。もう、攻略組にはストレアがいなくては始まらない。誰もが彼女の笑顔を求めている。

 

 アキトだってそうだ。彼女の楽しそうな声やその雰囲気には、初めて出会った時から懐かしさ(・・・・)を、

 

 

「あ……れ」

 

 

 ()かしさを(・・・・)────?

 

 

「……」

 

 

 楽しそうな()や、雰囲気(・・・)に。

 

 

 懐かしさ?

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 “それ”を思い出した時、アキトは動くことができなかった。

 

 

「……おし、そろそろ帰るか。……ん?おい、アキト?」

 

 

 足が石のように固まって、床に張り付いてしまったかのように。直立したまま瞳を見開いて、消えゆくコンソールのデータを固まった視界に映していた。

 クラインが近付いて、方を揺すっている。動かない自分を心配して、アスナやリズベットも駆け寄ってくる。

 それでも、アキトは動けなかった。

 

 

 ────脳内で再生されているのは、“声”だった。

 

 

 それはキリトの声でも、ましてや身体に巣食う“何か”の声でもない。ただの、女性の声だった。

 明るく優しく、聞いているだけで心が救われるような、笑顔になれる声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 ────この場所に立つ日までずっと傍に居てくれた、懐かしい声だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.120 『暗躍(暗闇に躍り狂わされて)

 

 

 

 

 

 

 

 







彼女の、その声を。
彼女の、その優しさを。


俺は。












────“急いで、早くっ!”


────“27層の迷宮区だよ!早く!”


───“もっと先!早くしないと、間に合わな……”


──── “っ……アキ、ト……”


 ──── “無理、だよ……もう……だって……”


 ────“クエスト、やらないの?”


───“っ、でも、アキト強くなりたいって……『強がり』を強さに変えたいって……!”


──── “強くなりたかったのは、ヒーローになりたかったから?”


──── “誰かを守れる力が欲しかったから?”
 
 
────“アキトの、一番欲しいものは、何……?”


────“アキトなら、助けられるよ”







 

 ──── “うん!アキトのこれから、アタシが見ててあげるからね!”
 









 
本当は、ずっと前から知っていた。


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Ex.その約束が果たされなくても







75層分岐ルートのIFストーリー。原作通りキリトがヒースクリフに勝利した事で、攻略組になって色んな人を助け、キリトの支えになるというサチとの約束を果たせなかったアキトの物語。




 

 

 

「────……」

 

 肌に触れる空気の感触が、朧気ながらも意識の覚醒を促す。慣れ親しんだ仮想のものとは違う心地良さと、それを受け入れることができずにいる心。戸惑いの波が押し寄せ、奥深くに沈み込んだ意識が次第に浮上し始めていく。

 

 震えるようにゆっくりと、然れど力を込めるようにしっかりと、その瞳を見開いた。

 差し込んだ光の乱反射に思わず目蓋をぎゅっと閉じ、それらが襲って来ないと分かると再び恐る恐ると開く。ボヤけた視界一面に広がったのは、身に覚えが一切無い白一面の天井だった。何故だか、目を瞬いて呆然とそれを見上げているだけで胸中に不安が募る。

 

 仰向けになって横たわっているのだと理解する。よく分からない場所にいる困惑から脱する為に取り敢えず起き上がろうとするが、身体が全く言うことを聞かなかった。麻痺の状態異常かと錯覚する程で、全身に力が入らない。上体を少しばかり浮き上がらせるだけで息が荒れ出し、情けなく沈み込んでしまった。

 一体全体、何がどうなって───

 

「……っ、ぁ」

 

 鼻腔を僅かに擽る消毒にも似た匂いに当てられると共に、鈍くなった感覚の中でチクリと感じた針のような痛み。同時に右腕辺りに明確になった違和感が疑問を浮上させる。思わず右腕を上げようとするが、力が入らず再び在るべき場所へと落ちた。

 若干の苛立ちを力に変換し、肘から下だけでもと関節を折り曲げる。すると、視界端に辛うじて挙げたなけなしの右手首を確認できて────絶句した。

 

 言葉の通り、骨と皮のみの痩せ細った枯れ枝のような腕がそこには在った。剣を持つには不足過ぎるそれが自分のものであるだなんて、誰が信じられるだろうか。

 青みがかった血管が浮き上がり、手の甲から肩にかけてまで伸び走っている。そうして困惑ながらに視線を止めた先、肘の内側には注入装置と思われる金属の管がテープで固定されて細いコードが繋がれ、寝かされているベッドと思しきものの隣りに聳えた銀色の支柱に吊るされた透明のパックへと伸びている。

 

 ────こ、れは……点滴?

 

 自身の瞳が、段々と開かれていくのを感じる。目の前の光景が事実を有り得ないと否定する。だが、どんなに鍛冶スキルが卓越していようとも、こんなものを作れるはずも、用途も無い。

 思わず、視線を周囲へと向ける。小さな部屋だ。壁も天井も同じオフホワイトで塗り固められ、右手側の点滴の背景には大きな窓と白いカーテン。自分が横たわっているこれは、密度の高い白のジェルベッド。そこから導き出されたのは────病院の一室だということ。

 

 そうして、段々と事の重大さに確信を持ち始める。目覚めてからの、自身のあまりにも鈍くなった五感を研ぎ澄ませて得られた、その圧倒的な情報量に打ちのめされて────彼は。

 

 

 ────逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)は。

 

 

「……ぅ、ぁ」

 

 

 その一つの可能性を、認めてしまった。

 ここは、元の世界──《ソードアート・オンライン》に囚われる以前の、桐杜が生きていた現実の世界。二年前に旅立ち、もう戻る事は無いのかもしれないと諦め、いつしか自らの中で忘れ去られた世界だ。

 それを理解するのに、かなりの時間が掛かった。混乱するばかりで、何故、どうしてと疑問が湧き上がるばかりで、納得できずに天井を揺らぐ瞳で眺めている。

 実感が湧かない。桐杜にとって、いや誰にとっても同じかもしれない。長い間、あの剣一本で生きるしかなかったあの世界だけが唯一の現実だった。あの場所で懸命に生き、最後には死ぬのだと、そう納得して生きてきたのだから、そう簡単に受け入れられなかった。

 感慨も歓喜も、何も湧かない。あるのは戸惑いと疑念、そして大きな喪失感だった。

 

 ────……喪、失……感……?

 

 意識の中でさえ掠れゆく声が呟いたのは、その一言だった。誰も彼もが現実世界への帰還を望んでいたはずだ。それは自分自身にだって言える事でもある。確かにあの世界で死ぬかもしれないと諦めては居たけれど、自分なりに絶望せずに懸命に生きようとしていたつもりだった。それなのに、何故。

 

 ────しかしその疑問には、すぐに解が出た。きっと、このゲームクリアに対して、自分には得られる達成感が無いからだと。

 この二年間、最前線にも立つことなく過ごしていた。誰かの為に在ろうと、その為の努力を続けてきたはずだった。けれどそれも虚しく、自分は最前線で繰り広げられたであろう死闘に間に合わなかったのだ。平然と生きていた身で、クリアの達成感を誰かと共有できるはずもない。

 

 そうだ──俺は攻略組に参加して、キリトの力になりたかった。悲しむ人達を少しでも減らしたかった。あの、彼女との“約束”を────

 

 

「……あ」

 

 

 ────“約束”

 

 思わず、声を上げてしまった。そうして漸く、思い出した。いや、思い出してしまったのだ。

 最前線まで賭け上がろうとしていた理由の根幹に住んでいた、その存在に。

 わなわなと震える口元を懸命に動かして、喉の走る痛みなど気にしないと言わんばかりに、その名前を口にした。

 

「……さ、ち……」

 

 サチ。同じギルドで共に生きた、最愛だった少女の名前だった。その名を口にした途端、心臓の音が強く、血の巡りが早くなるのを感覚的に捉えた。その名を愛おしく呼び、彼女の顔が脳裏に呼び起こされ、数多の想い出が走馬灯のように駆け巡り、忘れかけていた掛け替えの無い記憶が再構築されていく。

 

 そうだ、自分は───彼女との約束を、果たす為に……誰かの笑顔を、大切にしたいと願うものを、今度こそ守れる存在になるって……キリトに追いついて、謝ろうって……そう、思ってたのに。

 

 ポツリポツリと紡がれていく想い。けれどそれが形となるにつれ、瞳から零れ落ちたのは涙だった。激しく深い喪失の余韻が胸の奥を貫いて、切ない痛みを生み出していく。浮かべ並べた記憶、それら全てがもう過去のものだと悟った時、思わず心の中で口にした。

 ────ああ、自分はなんて。なんて、滑稽なんだろうか。

 

 己の限界に逆らうように、その全身に再び力を込めた。ありったけを振り絞り、起き上がろうと上体をベッドから切り離すその手前で、自身の頭を固定するそれ(・・)に気が付いた。

 生々しく現実味を運んでくるその存在は、指先が触れるだけでもあまりに機械的で、何故だか堪らないその悔しさが唇を噛み締める。顎の下で繋がった硬質のハーネスを外し、重量感のあるそれ(・・)を頭から徐ろにむしり取った。

 

「────……っ」

 

 上体を起こし、手元に落ちたその物体を見下ろす。濃紺に塗装された流線型のヘルメットだ。輝くような光沢を纏っていたその外装は既にくすみ、所々が剥げ落ちて軽合金の地が露出している。

 二年という月日が流れても、この存在を忘れる事はない。全ての元凶たるそれは、後頭部に長く伸びたパッドからケーブルを放出し、床へと伸び続いていた。

 ────ナーヴギア。あの世界へと桐杜を誘った案内人たる機械。現実の弱い自分を変えさせてくれる、そんな幻想を抱かせた悪魔。そして、あの世界全ての記憶が収められた、今では戦友とも呼べるような存在だった。

 最後まで運命に翻弄された挙句、こんな末路だと突き付けられて、何だかとても堪らない。もう二度と被る事は無いのに、労いの言葉すら出て来なかった。けれど、なんとなしにギアの側面をそっと撫でる。

 

 その時だった。

 左手側から何かが落下して、床へとぶつかる音が鼓膜を刺激した。二年振りの現実の激しい音に、思わず肩がビクリと震える。仮想世界での名残か、敵襲かと思わず視線を向けた。

 床に落ちていたのは、ラッピングされた花束だった。種類には詳しくないが、オレンジや黄色などの明るめの色が敷き詰められたもので、見舞い用だろうというのは想像に難くない。ただ、この部屋には自分しか居ない。ならばこの花は、桐杜への贈り物ということになる。桐杜は天涯孤独だ、故に見舞いに来る人間もそれ程多くない。だからこそ、驚いた。

 

 視線を、顔を上げて────その先にいた少女を見て、衝撃が走った。

 花束を落としたであろう彼女も、此方を見てその表情に驚愕を表していた。

 学校の制服らしきブレザーを着て、肩には鞄を引っ提げて。窓から吹き抜ける風と差し込んだ陽光が、彼女の長く流麗な髪を靡かせ、輝かせている。

 そしてその可憐な容姿であるはずの彼女の瞳からは既に驚愕は消え失せ、代わりに大粒の涙が溜まり始め、すぐに決壊して頬へと伝う。その視線は変わらず、此方を向いていた。

 

「……き、りと……?」

 

 自分を呼ぶ彼女のその面影に、その声に。桐杜は覚えがあった。

 本当は、忘れられるはずがなかったのだ。彼女は、天涯孤独となった自分に、何度だって歩み寄ろうとしてくれた家族の一人だったのだから。

 夢幻を見たかのように動けない彼女に、桐杜は潰れかけていた喉を酷使する事を躊躇わない。ただ彼女の名を呼ぶ為だけに、その口を開く。

 

「……あいざわ、さん……」

 

「っ……!」

 

 彼女の肩が震え、次には駆け寄ってきた。花束を拾う素振りも無くベッドに膝を着いたかと思えば、此方が何かを言う前にその距離はゼロになり───。

 気が付けば桐杜は、彼女に抱き締められていた。自分と同じくらいか細い腕が首に回され、離さないと言わんばかりに、けれど優しく繋がれるように。

 咄嗟の事で訳が分からず、思わず彼女の肩を掴んで引き剥がそうとして────その肩がわなわなと震えているのを知った。

 

「……あ、の」

 

「……ぅ、っ……ひぅ……ぐすっ……」

 

 此方の呼び掛けに応える余裕も無い程に嗚咽を混じらせ、堪え切れない涙を流し続けながら桐杜の存在を確かめるように、その腕に収めて小刻みに震える彼女の温もりを感じて。

 義妹(かぞく)を───逢沢(あいざわ)(たくみ)を二年間も待たせてしまった罪を、桐杜は漸く実感し始めた。二年前は避け続け、拒絶し続けた家族だったのに、彼女が自分に向けている感情がどういうものかを理解した途端、それが途轍も無く贅沢に思えた。

 

「……ただいま」

 

「……」

 

「……あれ、え、ちょっ……」

 

 帰って来たと、そう挨拶したはずだった。けれどそれに返答は無く、それは此方を抱き締めていた腕に力を込められるという形で返って来た。

 余程心配させてしまったようで、嗚咽は止んだが退いてくれそうな気配が全く無い。ほぼ馬乗り上体で流石に此方も恥ずかしく、触れるのを躊躇ったその手を、今度こそ彼女の両肩へと当てた。

 

「……あの、ちょっと……ゴメン……目覚めてこれは、流石に苦しい……」

 

「……ゴメン……ゴメンね……私、ずっと……きりとに……謝りたく、て……!」

 

「……」

 

 ────それはきっと、二年前よりずっと続いていた彼女とのいざこざの話だった。もう過ぎた事だ、終わった事だと言い聞かせていてその実、心の中で凝りのようなものが確かに存在していた問題だった。

 彼女もずっと、それを気にしていたのか───。こんな風に申し訳ないと謝り続けるその姿を見て、胸が痛んだ。耳元近くで囁くように懺悔する彼女の事を、桐杜はもう責める事は無い。

 

「……分かってる。もう、大丈夫だから……泣くなよ」

 

「……うん」

 

 そう頷いて、彼女は漸く桐杜から離れた。泣き腫らした彼女の瞳は赤くなっていて、まだ濡れて真新しい涙の後が陽光に照らされて煌めいている。素直に美しいと感じたが、何処か子どものようにも見えて。

 仕方が無いなと、その頬の涙を親指で拭ってやった。巧は、自分のした事を漸く理解したのか、顔を赤くし、慌ててベッドから飛び降りた。そうして、仄かに笑みを浮かべながら誤魔化すように目を逸らして、

 

「あ……今、お母さんとお父さん、一緒に来てるの。先生と話してて。すぐ、呼んでくるね」

 

「……うん」

 

 そう一つ返事をすると、巧はすぐに病室の扉を飛び出し、廊下を駆けて行った。その音が遠くなると同時に引き戸である扉がガチャリと音を立て、再び静寂が白の部屋を包み始める。

 そうして漸く、現実へと引き戻されるのを感じた。目が覚めて暫く程の時間を掛けて、今やっと理解し、認めてしまったのだ。自分がこの世界に帰って来た事。

 

 ────帰って来てしまった事を。

 

「……そう、か……っ」

 

 忘れていた喪失感が、さざ波のように押し寄せてくる。前向きに進んでいたはずの道の先は閉ざされ、無理矢理に引き戻された新たな道の先は暗闇が広がっていた。目指すべき場所があったのに、叶えたい夢があったのに、果たすと決めた約束があったのに、その何もかもが失われた。

 それを胸に生きてさえいれば、サチの顔を思い出せたのに。あの世界で確かに存在した彼女。笑い、涙し、共に過ごした日々が込められたあの場所へは、もう戻れない。唯一残った約束でさえ、その夢の続きを見せてはくれない。

 

「はは……ははは……」

 

 笑うしかなかった。あまりにも醜く、情けなく、滑稽な自分を。そうでもしなければ、今度は自らが嗚咽する番だった。全て自分の責任で、自分の罪で、罰なのだと受け入れて、進まなくてはいけないところまで来て漸く、取り返しのつかない後悔のツケを払わされてしまった。分かっていたはずなのに、見ない振りをしていたのだ。

 

 ただ、サチと約束をしたのだ。攻略組になって、悲しむ人達を助けて、そしてキリトの支えになるのだと。大切な人を失ってもなお、生き続ける事ができた唯一の生き甲斐だったのだ。

 だが結局、その目標が達成される事は無くなってしまったのだ。命を捨てずに歩き続けた理由が、目の前で消滅したのだ。まだ浮遊城は75層という道半ばだったはずなのに、高を括ったが最後、全ては後の祭りだった。

 

「はは……はは、ぐっ……ぅ……」

 

 キリトがゲームをクリアしたのだろう。何の根拠も無いのに確信だけがあった。それ故に納得して、仕方が無いと、そう思うしかなかった。自分が憧れた英雄なのだから、当然なのだと胸を張る気でいた。

 彼の力になる為に攻略組になるだなんて息巻いておいて、とんだ道化だと笑わずにはいられなかった。そんな一方通行のお節介など、桐杜が憧れた《黒の剣士》には、始めから必要が無かったのだ。

 彼女を死なせてしまったあの日と同じだ。走っても走っても、届かない。それでも───キリトには自分の存在など関係無しに、既に完成された存在だと知っていながらも走り続けて。

 それでも結局、届かなかった。現実世界で浮かべた始めての笑みは涙混じりだったが、決してクリアによる歓喜ではなかった。

 

 

「……俺……また、間に合わなかったよ……」

 

 

 ────サチとの約束は、果たせなかったのだ。

 

 

 

 

 ‪

 

 

 

 ルート : ──フェアリィ・ダンス──

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 その長く美しい金色の髪が、夕焼けの光を前にして煌めく。頭の後ろで束ねたそれを飛翔と共に揺らしながら、愛用のツーハンドブレードを頭上へと持っていく。

 

「せええぇぇぇええいっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に放たれた上段からの攻撃が、眼前を飛翔していたモンスターを襲う。慌てて距離を取ろうとするそれに、逃がすまいと背中に伸びる薄緑色の翅が震えた。すぐさまそれは効果を発揮し、飛翔していた自身を加速させる。最後には、驚いたような顔をしたモンスターを置き去りにするかのようにあっさりとその体を分断してみせた。返す刃で背後に迫る同種の敵を斬り捨て、死角から迫った三体目にさえ余裕の対応で返り討ちにする。しかし、炎のように消えゆくそれを長く見る事はしない。即次の標的を視界に捉える。

 

「さあ、次……って、あれ?」

 

 ────つもりで次の敵を警戒し辺りを見渡すが、黄昏色の空には既に未確認の敵は確認できない。つい先程までは十数匹程飛び回っていたというのに。

 どうしたものかと周囲を観測して、漸くその理由に気が付いた。一緒に同行していた者が既に自身の武器を鞘へと収めてぼおっと真下に広がる森を眺めていたからだ。

 その余裕が、彼が自身よりも迅速かつ俊敏にその他を全て屠ったのだという事実を頭の中で結び付ける。

 

「……嘘、でしょ」

 

 風妖精(シルフ)の少女───リーファはまさかとの思いで、顔を青くしながら視線の先に映る少年を見据える。

 同行者も同じ種族かと思いきや、此方は雪のような白で統一された、コート基調の装備を持った水妖精(ウンディーネ)が空中で制止していた。水色がかった白い髪が風に流れ、少し瞳を細めるその仕草にドキリと心臓が一瞬だけ高鳴る。

 しかしそれも束の間、彼女の焦燥混じりの顔を目の当たりにすると、少年はバツが悪そうに目を逸らした後、申し訳なさそうに笑った。それが更にリーファの神経を逆撫でし、感情を抑えられずに思わず両手で頭を掻き毟りながら、

 

「あーん、また負けた!これで五連敗目よ!」

 

「り、リーファちゃん、六連敗目だよ……」

 

「レコンうるさいっ!」

 

「ご、ゴメン!!」

 

 完全に八つ当たりの怒号に縮こまる黄緑色のおかっぱ頭のの少年───レコンを無視し、リーファは再び視線を水妖精(ウンディーネ)へと向ける。つい最近になって《ALO》を始めたというのに、何故か古参である自分の尊厳が危ういかもしれないと警戒する程に、目の前の少年は突出していた。

 今日の狩りは、リーファが彼になんとなく連絡を入れてみたところ、一人で狩りに行くというので無理矢理に付いて来た形だ。といっても、最近はいつもその流れがお決まりになりつつある。そうして、一定の時間を決めてモンスターの討伐数を競うのだ。最初の方こそ良い勝負、ギリギリの勝負と接戦だったはずなのに、今では桁が違う事もある。因みに六連敗とは、今日一日での勝負回数でもある。つまり、本日は全敗である。

 リーファは分かりやすく溜め息を吐くと、彼の元までゆっくりと飛行してその目線を合わせた。彼はといえば未だに気不味そうに視線を横にずらす。

 

「今回の罰ゲームもあたしかぁ……はぁ……今日も《すずらん亭》で良い?」

 

「い、いや、毎回ケーキ奢ってくれなくても良いんだよ?こうしてみんなで遊べただけでも、俺は充分楽しかったし……」

 

「あたしの気が済まないの!負けは負けでしょ!?けど、また近い内にもう一勝負するからね。今度はあたしが勝つんだから」

 

「……」

 

 悔しさを押し殺してそう宣言する。自分で言い出したうえで罰ゲームを無しにしてもらうのは流石にプライドが許さなかった。

 目の前の彼は此方に向かってただ苦笑するばかり。すると緩やかに彼の元まで飛んできたレコンが、申し訳なさそうに首を垂れて、

 

「すみませんホント……リーファちゃんが何度も何度も……彼女、凄く負けず嫌いで……」

 

「ああ、うん、それはもう身に染みて……けど手を抜くと怒るし、勝っても拗ねるんだもんなぁ……」

 

「何よ二人して!……あ」

 

 そこでリーファは、段々と翅の感覚が鈍くなりつつあるに気が付いた。それは彼女だけでなく、目の前の少年も同じだった。

《ALO》の目玉である翅での飛行、その滞空制限の知らせである。あと数十秒もしないうちに翅はその力を失い、暫くは飛べなくなるのだ。

 

「っ……そろそろ限界時間か」

 

「回復するまでに一度ローテアウトして、その後《スイルベーン》に戻りましょうか」

 

 リーファとレコンは互いに頷き合うと、真下の森へと降下を始める。シルフ領からはまだ少し距離がある。此処から歩いていくのも億劫な為、翅の回復を待つのが効率的だ。シルフ領まで続くこの樹海は中立地帯である為、その場ですぐログアウトという訳にはいかず、アバターがその間危険に晒されてしまうのだ。彼女の口にした《ローテアウト》とは、交代でログアウト休憩を取って、残った人が空のアバターを守るという意味である。

 

「……?」

 

 リーファは、ふと気になってくるりと振り返る。白ずくめの彼は降りて来る事無く、未だ空中で何処か遠くを眺めていた。

 一緒に狩りをするようになって気付いたのだが、彼にはたまにこういった時がある。始めてそれを目の当たりにした時のリーファには、それがとても儚げに見えたのを覚えている。何故か、現実にいる兄を思い出して────気が付けば迷惑も考えずに構っていた。レコンに「リーファの時は大胆さ五割増」と言われたのを思い出し頬が紅潮するも、リーファはアキトのいる上空へと向かう。

 早く降りないと途中で翅が消えて彼だけ真っ先に落ちて、運悪ければHP全損まである。少し躊躇ったが、リーファは未だ呆けていた彼の空いた左手を握った。

 

「っ……リーファ?」

 

 

「な、何してるのよ……早く降りよう?────アキト君」

 

 

 アキト────そう呼ばれた少年は何度か目を瞬かせてから、ほのかに口元を緩めて頷くのだった。

 

 

 

 

「すぐ!すぐ、戻って来ますから!アキトさん、くれぐれも僕のリーファちゃんにンギィ!」

 

 レコンがアキトに何かを言い切る前に、その足を思い切り踏み抜いたリーファ。今のレコンの言葉で、彼が変に意識しないだろうかと一気に恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。

 幸い彼は少し驚きながら小首を傾げるだけで、リーファは安堵の息を吐いた。

 

「余計な事は言わなくて良いから、さっさと行って帰ってきなさい」

 

「わ、分かったよぅ……」

 

 レコンは涙声のような弱々しい声で項垂れた。その後樹海に降り立ち、周りにモンスターやプレイヤーがいないのを確認してから、ウインドウを開いてログアウトを決行する。ボタンをタップした直後、彼のアバターから魂が抜け落ち、巨木を背にして眠るように寄り掛かった。

 漸く煩いのがいなくなった……と何故か脱力し、思わずチラリと彼を見る。相変らずほんの小さな笑みを浮かべるばかりで、レコンに倣うように近くの幹に腰掛けた。

 

「そういや、今日こっち来て良かったの?」

 

「え?どうして?」

 

「いや、ここ来る前にレコンからチラッと聞いたんだけど……本当は、シグルドって人達のパーティでの狩りが先約だったんでしょ?」

 

 レコンめ、余計な事を……と思わなかった訳では無い。実際、最近は同じ領内の仲間であるシグルド達とパーティーを組んでの狩りが多かったし、いつもなら今日もその予定であった。それを断った事で問題が発生するのを心配して、それとなくアキトに伝えたのかもしれないが、それとアキトは全く関係無い話だ。

 

 そもそもリーファ───桐ヶ谷直葉は、VRMMOにかまけて食事や入浴を適当に済ませると母である翠に叱られてしまうので、なるべく団体行動は宵の口に掛からぬよう気を付けているだけなのである。

 彼女としてはアキトに心配を掛けたくなかったし、気にして欲しくもなかったのだから、現実世界でも知り合いであるあの眼鏡に対して「あのお馬鹿……!」と声を漏らさずにはいられない。

 そんな様子を眺めていたアキトは、クスクスと笑みを零す。訝しげに見やれば彼は少しだけたじろいで、

 

「ああいや……レコンは君が大好きだから、心配してるんだなぁと思っただけだよ」

 

「は、はぁ!?」

 

「彼とは現実でも知り合いなんだよね?あんまり聞くのも野暮かなって思ってたんだけど……二人は、その……恋人────」

 

「じゃないからっ!」

 

 とんでもない誤解をされていた事に驚き、思わずはしたなく大声を上げる。「あ、違うの?」と顔をキョトンとさせる彼を見て、ほんの僅かに胸の奥がチクリと痛んだ。

 今の今までそんな風に思われていたなんて。なんともいえぬ複雑な感情が胸中に渦巻く。

 

「レコンはその……ただの友達よ。VRMMOの事が知りたくてさ、それで話すようになったの」

 

「……ってことは、リーファは普段ゲームとかはやらないんだ。どうして《ALO》に?」

 

「……兄が、ね。凄くゲーム好きなの。だから、それがどういうものか知りたくて、この眼で確かめたいと思ったの。少しでも、近付けると思ったのかな」

 

 仮想世界をこの眼で見てみたいとリーファ──直葉が初めて思ったのは、一年前になる。

 それまで自分にとって、VRMMOは兄を奪った憎悪の対象でしかなかった。だがそれ故に、兄である和人がそこまで愛した世界というものを知りたくなって、自分の眼でみたくなって。そうして兄との距離を縮める努力をしなくてはと、そう思ったのだ。

 今ではすっかりハマりこんでしまい、もし兄がまだこの世界を好きでいてくれているなら、いつかは一緒に遊べるのでは───なんて想像も期待もしてしまっていた。

 そんな風に語った自分のの事を、変わらない微笑で見つめるアキト。それに気が付いて、何だか恥ずかしくなってしまう。頬が熱くなったのを感じて我に返ったリーファは、誤魔化すように笑ってから、話題を変えるべく彼の質問を跳ね返した。

 

「あはは……あ、アキトくんはどうして《ALO》に?やっぱり飛べるから────っ」

 

 ────そう何気無く、質問した事を後悔した。

 アキトの視線は、既に黄昏色から移り変わった星空へと向いていた。しかし、その瞳に星の光が反射しているように見えてその実、彼は何も見てはいなかった。

 いつものように何処か遠くを、此処ではない何処かを見つめているその瞳。何かに思いを馳せ、苦しみをひた隠しにしようとするその瞳は儚く物憂げで、まるで兄ととてもよく似ている。

 リーファは、堪らず唇を噛んだ。言葉が脳内で形となる前に思わず漏れ出す。

 

「あ……あの、アキトくん……」

 

「……どうして、だろうな。自分でも……よく、分からなくて。もう二度と、やらないと思ってたはずなんだけどな……」

 

 何を言っているのか、リーファにはよく分からない。それでも、段々と自身の胸が締め付けられているのを感じていた。

 言葉を紡ぐ度に痛ましく変化する表情。弱々しくなる声に、泣きそうに見えた横顔。これ以上見てられなくて、思わず抱き締めてしまいそうになるくらいに切なくて。

 

「未練がましくも、此処に来れば取り戻せるかもしれないと、思ったのかもしれない。……あの時間を」

 

「アキト、くん……あの」

 

「────なんて、ゴメン。こんな事言っても、ワケ分かんないよな……そう、だな……どうして《ALO》に来たか、かぁ……うーん……」

 

 何事も無かったかのように、その表情を消し去る。そしてまた乾いたような、張り付ける事を強要されたような熱無き笑みが、彼の顔に宿る。

 改めてこの世界に来た「らしい」理由を考え直し、説明しようとする彼の行為があまりにも見ていられない。

 

 リーファは。

 直葉は、寂しげな彼の頬に思わず、その指先を伸ばして────

 

「っ────リーファ」

 

「……っ」

 

 バッとその手を引っ込めた。まさかバレた───?

 恐る恐るアキトの顔色を伺うと、彼は特に何か言うでもなく───視線は別の方角を向いていた。何かを感じ取ったのか腰を上げ、周囲を見渡しながら鞘へと手を伸ばして警戒態勢をとっている。

 どうやら自分の行動に対する咎めではないらしい。思わず彼に近付き、その距離に少しドキドキしながらも耳元で囁いてみる。

 

「っ……な、何?どう、したの?」

 

「何か気配がする……もしかしたらプレイヤーかも」

 

「は、はぁ?気配って……。この世界にそんな第六感みたいなの、あるの?」

 

「いや、分かんないけど……この世界でのこの感じは気の所為なのか……」

 

 ブツブツと小さく何かを呟いているアキト。そんな彼の様子に此方も僅かに不安が募り、つられて周囲を見渡す。やはり誰もいないし、そんな気配も自分には感じられない。

 彼の勘違いだろう───そう高を括って巨木に再び凭れ掛かり、空を見上げた時だった。

 

「っ!?」

 

 木々を掻き分けるようにして緩やかに宙を漂い、赤く揺らめくコウモリのような存在を視界が捉えてしまった。

 思わず息を飲み、咄嗟にアキトの口元を自分の手で抑える。アキトは急な此方の動きが飲み込めず、目を見開いて慌て始めた。リーファは人差し指を自身の口元に持っていき、「静かに」と指示をする。アキトもなんとなく状況を理解したのか頷くと、リーファも漸く彼の口元から手を離して説明を始めた。

 

「しっ!……あれ、見える?トレーサーよ」

 

「……ぷはっ……トレーサー?それって追跡魔法……だっけ」

 

「そう。この距離じゃ、隠蔽魔法使おうにも詠唱が聞こえちゃう……」

 

 爬虫類のようなそれのほぼ真下で、リーファはマップを広げてる為にウインドウの操作をしながら疑念を抱いていた。

 トレーサーに付けられていたということは、最初からリーファ達を狙っていた事になる。しかし、先程のアキトの気配察知を当てにするならば、彼が見られている気がするなどと言い始めたのはあれが初めてなのだ。もし追跡魔法を掛けようと距離を詰めればアキトが狩りの途中で気付いていたはず。考えられるのは、まだリーファがスイルベーンの街中にいた時に既に魔法を掛けられていたという線だ。

 更にいえばあの高位魔法をリーファは何度か見た事がある。現在シルフと敵対関係であり、最近何かとPK事件を引き起こしてくる火魔法が得意の種族────サラマンダーだ。

 

(あたしを狙ってた?それともまさか────アキトくん?)

 

 リーファはチラリと、何処か殺気立ったウンディーネの少年を見た。何処か鬼気迫る彼の姿が少しばかり怖い。だが、最近共に行動し、なんならサクヤとも顔見知りである彼の事を知っている者は少なくないが。

 だとしても何故────そう疑問が浮上したタイミングでマップが開く。此処はシルフ領内付近とはいえ中立であり、距離的にもまだ領まで時間が掛かる。このままでは戦闘は避け切れない。

 幸い、トレーサーの視界は狭いらしく真下で息を潜めている此方はまだ見付けられていないようだ。

 

「このまま隠れてやり過ごそう。離れたら、レコン抱えて一気に飛ぶよ」

 

「分かった……っ、リーファ……!」

 

「きゃっ!?」

 

 焦ったようなアキトの声。同時にリーファの肩に彼の手が周り、一気に引き寄せられた。気を取られ、思わず呆然とし、今彼にされている事を脳が理解し処理するのに、体感的には物凄い時間を有した。

 気になってる異性に────抱き寄せられている。顔を上げてすぐに彼の顔があるこの状況で、リーファは一気に混乱した。

 

「へぁ!?えっ、ちょ、なな、何を……!?」

 

「しっ!もう一匹いる」

 

 アキトの視線の先、二人で寄り掛かっている巨木の後ろからもう一匹、パタパタと音を立てて此方に近付いて来ていた。リーファの肩や足が僅かに木からはみ出ていたから、奴から見られぬよう木の陰に隠れる為の行為だったのだ。

 リーファもそれには納得し、この状況を甘んじて受け入れた。受け入れたのだが……。

 

(ち、近い……!)

 

 恥ずかしいはずなのだが、離れるという選択肢を何故か取る気にならない。心臓の音が脳内で警笛のように煩く鳴り響いているのに、突き飛ばそうとしたその両手は、アキトの胸元に添えられている。

 異性とこんなに距離が近いのは、兄である和人と父を除けばこれが初めてだ。しかも彼に下心が微塵も無いというのがまたタチが悪い。あくまで彼は自分を守る為にと庇ってくれているに過ぎない。何度も深呼吸するが、意識すればする程鼓動のBPMは上昇し、ちっとも落ち着いてなんかこない。

 

 ────何考えてるのよもう、今はそれどころじゃないでしょ、それにあたしにはお兄ちゃんて人がいるんだから、いやそれこそ何考えてるのあたしのばかばか!

 

 こんな状況で何を考えているのか。だがその自問自答が、段々と心を沈めてくれた。そう、自分には好きになってしまった人がいるのだ。だから、この心臓の高鳴りは恥ずかしいから、ただそれだけの理由なのだと、そう心の中で言い聞かせる。

 なら、何故彼を突き離せない?緊急時だから?友達だから?守ってくれているから?

 

 ────お兄ちゃんに似てるから(・・・・・・・・・・・)

 

 その問い掛けが、リーファの心にすっと入ってくるのを感じた。思わず視線を上げ、アキトの横顔に向かう。そうだ、本当は出会った時から感じていた懐かしい雰囲気の理由を、リーファは今漸く理解したのだった。

 そう、何処となくアキトは和人に似ている。何処と言われればよく分からないのだが、何故か。だから気になったのか、だから放っておけなかったのかと問われればそれも分からない。

 ただ、兄と似ているから仕方が無いのだと、この鼓動が止まない理由をそうやって誤魔化そうとしていた。

 

(あたしの顔、赤いよね……バレてない、よね……?)

 

 ギュッと目を瞑る。何も考えないよう、そしてアキトに自分の顔が見られないよう下を向く。やがて飛翔音が近付いて来て、それが頭上を通り過ぎていき、段々とその音が離れていく。

 二匹目も、やり過ごしただろうか。そう思って、思わず顔を上げてトレーサーの方角に視線を向けようとして────

 

「あ」

 

「へ」

 

「な……な、なな……ななな……」

 

 ────現実世界から戻って来たレコンと、抱き合ったような態勢の二人の目が合った。

 緊急事態だと、そう説明する暇も与えてくれなかった。

 

 

「何やってるんですかあああああぁぁぁああ!!!?」

 

 

 そんなレコンの怒りが込められた大声が樹海中に響き渡り、通り過ぎたトレーサーは纏めて此方に振り返ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「っ〜〜〜、このバカッ!!」

 

「ご、ゴメンなさい〜!」

 

 サラマンダーに追跡されている状況だというのに、空の下では説教が始まっている。リーファは恥ずかしさと怒りで顔を真っ赤にし、レコンは悲しげにその眉を潜めて項垂れている。

 自分のいない間に、アキトがリーファに不埒な振る舞いをしようと勘違いしたレコンのなけなしの怒号は、トレーサーが此方を特定するという仕事を見事成功させてしまったのだ。振り返れば、背後からは武装したサラマンダーが組織的な統率をもって此方三人を追跡して来ていた。その数は六、約一パーティ分だ。

 まだ少し距離がある事を確認してから、アキトはレコンとリーファに視線を配り、小さく頭を下げた。

 

「……や、俺が悪かったよ、レコン。リーファもゴメンね。トレーサーに夢中で全然気付かなくて……」

 

「えっ、や、あたしは全然気にしてないからっ!そ、そんな事より急ぎましょう!シルフ領まであと少……レコン!」

 

 リーファの言葉が途切れ、同時にレコンの名を呼ぶ。それにレコンが反応するよりも前にアキトが彼女の視線の先を追う。

 すると、レコンのその背から質量を持った火炎が襲ってくる。アキトは驚愕に目を見開くも、すぐにレコンの肩を引っ掴んで軌道を逸らし、ギリギリで回避した。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

「いや。にしても火炎魔法……チッ」

 

 僅かに舌打ち、後方を見やる。迂闊だったと言わざるを得ない。長年の感覚が染み付いている所為で、この世界で見る真新しい光景に中々慣れないでいる事実を突き付けられた気がした。

《SAO》でなら、この距離でまずプレイヤーが持ち得る遠距離攻撃は使えない。ピックやチャクラムも、サラマンダーより上空にいる此方には届かないからだ。だがこの世界は《ALO》で、弓も魔法も存在するのだ。この距離、この高さにいる自分達に対しても、その攻撃は簡単に伸びてくる。忘れていたそれを今になって思い出し、その体たらく振りに歯軋りした。

 迎え撃つにも状況が悪過ぎる。リーファは現実世界でも剣の心得があるらしいが、レコンは違う。人数的に考えても此方が圧倒的に不利なのだ。それにアキトは───対人戦闘の経験が殆ど無い。

 今も尚上昇してくるサラマンダー達相手に、リーファは逃亡を止めて旋回し、抜刀した。

 

「仕方無い、戦闘準備よ!」

 

「ええぇぇえっ!?もうヤダよぉ……」

 

 逃げの一手だと考えていたアキトの思考を吹き飛ばしたのは、そんなリーファの闘志だった。レコン同様アキトもその判断に言葉を詰まらせる。思わず意見しようと顔を上げるが、目が合った彼女の考えは変わらないようだった。

 

「このままじゃ逃げ切れない。向こうは六人、負けてもしょうがないけど簡単に諦めたら承知しないからね!あたしがなるべく引き付けるから、レコンはどうにか一人は落として」

 

「善処します……」

 

「偶には良いとこ見せてね。アキトくんも、それで良い?行くよ!」

 

「っ……分かった」

 

 何方にせよ、もう逃げるには距離が近過ぎる。戦うしか選択肢は無いのだ。

 だが不利な状況には変わりないし人を斬る経験も無い。不安ばかりが募る中、アキトは震えながらその剣を引き抜いた。

 特にレアリティが高い訳でも無いコモンソード。初期装備に角が生えた程度でしかない、リーファと同タイプの刀だった。翅を制止させ、それを構えて敵を目視する。数は六。気が付けば、その集団に既にリーファが向かっていた。我に返り、レコンを見る。彼も左右に動いて翻弄しながら敵に刃を向け始めていた。それを見て漸く、また忘れていた事を思い出す。

 此処は《ALO》。安全が保障されている《アミュスフィア》によるVRMMOであり、PK推奨のゲームだ。今この刀でサラマンダーを斬り伏せても殺人にはならない。そのはずだ。

 

「……はぁ、はぁ……」

 

 目が眩む。息が荒くなる。落ち着けと何度も呪詛のように唱え、その刀を握り締める。長年の感覚を、武器を手にして戦ってきた記憶を呼び起こす。大した戦闘経験は無いが、レベルは誰よりも高かったのだ。

 だから、だから大丈夫────

 

「レコン!」

 

「────っ」

 

 リーファの叫びに顔を上げた。その瞬間、自分のすぐ隣りを火炎魔法が通過する。思わずそれを追っていくと、その先でサラマンダーの一人と交戦していたレコンの姿があった。

 戦慄する。その背にゾワリと冷たい何かが走った。自分が動けなかった事で、サラマンダーの放った魔法は一直線に彼の元へ向かっていったのだ。

 ────しまった、と。そう思った時には既に遅かった。戦闘中であるレコンは、その魔法の接近に反応が僅かに遅れ、空中で慌ててそれを躱すだけで精一杯だった。その隙を突くように、サラマンダーの槍が彼の胸元に深く突き刺さった。

 

「────ぁ」

 

 伸ばした手は遅過ぎて、絶望を振り絞ったような乾いた声が出た。月を背にしたレコンのその身体は、瀕死に追い込んでいたはずのサラマンダーとの同士討ちでその身を炎へと変えていく。

 

「ごめえええええん」

 

 断末魔と謝罪を共に、緑色の旋風に包まれる。《エンドフレイム》と呼ばれるこの世界の死亡エフェクトだ。それと溶け合うように身体が消滅し、残り火となって消えてゆく。

 すぐに蘇生する───そんな事、アキトは忘れていた。この世界でただ一人のままモンスターを狩る事だけをしていたアキトは今、初めてプレイヤーが死亡する瞬間を目の当たりにした。

 

「あ……っ、ぅぁ……」

 

 ────同時に甦る。記憶の片隅、忘れようにも忘れられないあの世界で起きた悲劇の光景が。また間に合わなかった、また助けられなかった、また何もできなかったと、頭の中で恨みがましく何かが告げている。

 何度繰り返しても、世界や次元を越えようとも、自分は決して誰かを助けられないのだと、そう心に刻み込まれていく。

 その腕を、誰かが掴んだ。虚ろになりつつある瞳を向ければ、焦ったような表情のリーファが自分を引いて樹海へと降下を始めていた。

 

「何ボーッとしてるの!逃げるわよ!」

 

「ぁ……レコン、レコンが」

 

「アイツは今ので《スイルベーン》に戻ったわ!後はあたし達がどうにかしなきゃ!」

 

 ────死んでない。レコンは、生きていると。

 それを聞いただけで、冷え切った魂に熱が灯る。安堵に勝る感情は無く、その瞳は色を取り戻し、感覚が冴えてくる気さえする。ああ、良かったと確かに思った。失ったと思ったものがまだこの手にあるのだと囁かれ、思考が冷静になり始める。

 そして、何処か遠く離れた何かに思いを馳せながら、実感した。ああ、やっぱり此処は、《SAO》では、求めていたあの世界とは違うんだ────

 

「チィ、もう十分か……!」

 

 飛行制限に歯噛みするリーファにつられながら、急角度のダイブによって樹海に逃げ込む。折り重なる枝をすり抜けながら地表近付き、草の繁った空き地に靴底を滑らせながら制動を掛けて降り立つ。アキトの手を彼女が離す事は無く、繋がれたその手の熱を感じたままリーファの背中を見つめる。

 

 ────ああ、前もこんな事が。

 

 彼女に手を引かれ、一緒に喫茶店に行った日のことを思い出す。彼女を守る為に命を懸けた日々が、つい昨日の事のように思い出せる。きっと、この世界に来ればまた───そう思っていた。

 そうして漸く、アキトは気付いた。悟ってしまったのだ。自分がこの世界に来た理由の愚かしさに。

 

 

(────俺、は)

 

 

 ────アキトは《ALO》に、《SAO》の面影をずっと探していた。

 彼女との約束を果たせないまま世界が終わりを迎えた事で、頑張って、努力して、血反吐を吐いて、涙を流しながらも生きてきたその意味を突然に失った事で、ずっと空虚に過ごしていた。情けなくもその未練の先を、きっとこの世界に求めていたのだ。

 

 けれど、違うのだ。どれだけ浸ろうとも、どれだけ過ごそうとも、きっとアキトにとっては違ったのだ。

 死んでも生き返る。守らなくても大丈夫。これは遊びで、ゲームなのだからと。どれだけあの頃を求めようと、此処はあの世界とは違う。気付かない振りをしていたけれど、もう限界だった。

 ────君が、何処にもいない。

 

 

「────アキトくん」

 

 

 静寂を、空虚を貫いた透き通る声。思わず、顔を上げる。

 引かれた手の先にいた少女が、此方を見ていた。彼女の不安げなその表情で、自分がどんな顔をしているのかが容易に想像できる。力の抜けた、情けない顔をしているだろうな、と。

 だが、リーファのその表情はすぐに消え去った。その瞳は真っ直ぐに、アキトへと向けられている。そうして口元が僅かに緩み、少し照れたようにはにかんで、彼女は告げた。

 

 

「心配しないでね。君は、あたしが守ってみせるから」

 

 

 ────その笑顔に、その言葉に、アキトは何も言えなかった。何故そんな事を言うのかと、再び手を引いて走り始めたその背を眺めながら思った。

 自分は、不安そうな顔をしていたのだろうか。怖がっているように見えたのだろうか。初心者だから、守ってあげなければと思わせてしまったのだろうか。

 アキトにとっての、サチに見えたのだろうか──そこまで考えて理解する。今のリーファは、《SAO》での自分と同じなのだと。

 

「いたぞ、あそこだ!!」

 

 背後から、金属鎧を鳴らしながら近付いてくる気配。リーファもアキトもすぐそれに気付き、走る速度を早める。が、此方は飛行制限が尽きており、速度的には分が悪い。

 それを悟ったリーファはアキトの手を放す。やむなく抜剣して構えると、アキトを背に守るようにして立った。

 何を───アキトがそう思った矢先、上空から四人のサラマンダーが滑空して降りてくる。無難な場所で制止すると、彼らは揃ってランスを此方に向けてきた。

 

梃子摺(てこず)らせてくれるじゃねーの」

 

 右端の男が、興奮冷めやらぬ声音を隠す事無くアキトとリーファにぶつける。

 すると反対に、中央辺りで浮遊するリーダー格の男は落ち着きのある声で言い放つ。

 

「悪いがこっちも任務だからな。金とアイテムを置いていけば見逃す」

 

「何だよ殺そうぜ!女相手超久々じゃん」

 

 そんなリーダーの意見に食い気味で反論したのは一番左の男だった。兜のバイザーを跳ね上げた奴が向けた視線は、暴力と性に酔った粘り着くようなもので、リーファにとっては嫌悪すべきものだろう事は想像するまでも無かった。

 すると、三人よりも少し下を飛んでいた四人目と視線が交わった。奴はリーファとアキト、それぞれの位置を訝しげに観察すると、口元を歪めて嗤い出したのだ。

 

「てか、オイ。そこのウンディーネの野郎、女に守られてやがるぜ。普通逆だろ、ハハッ!!」

 

 そのサラマンダーの言葉は屈辱的でもあったが、アキト自身が疑問に思った事だった。リーファにとって自分は他種族だ。そのうえ初心者なのだから、たとえ死んだとしても、奴らにくれてやるようなアイテムは特に持ち合わせていない。普通なら初心者である自分が時間を稼いで、彼女を逃がすのが最善のはずなのだ。彼女がそんな事を容認する性格でない事はもう分かっている。それにしたって、自分を守るメリットなんて何処にも────

 

 

(何、言ってんだ。違うだろ)

 

 

 自分で言ってて、情けなくなった。彼女がかつての自分だと言ったのは他ならぬ自分自身のはずだったのに、また忘れてしまうところだった。

 自分は、メリットデメリットを考えて行動していた訳じゃない。金やアイテムのような報酬が欲しくて誰かを助けたいと思っていた訳じゃない。

 ただ、笑っていて欲しかったから。傍にいて欲しかったから。幸せになって欲しかったから。

 

 

 ────ヒーローだと、言ってくれたから。

 

 

「あと一人は絶対に道連れにするわ。デスペナルティの惜しくない人からかかってきなさい」

 

 

 敵を睨み、低い声で告げるリーファの覚悟に、上空では左右のサラマンダーが猛り経つような奇声を上げながらランスを振り回している。

 リーダーだろうサラマンダーを仕方がないと肩を竦め、ランスを構え始めたその時だった。

 

「ヒヒッ、死ねえええぇぇえ!!」

 

「あっ、テメ……!」

 

 その内の一人が統率という輪を乱し、一人独断で飛び出した。《女性プレイヤー狩り》を最高の狩りだと嘯く輩の一人が、奇声を上げながらランスをリーファに突き出して迫る。

 

「っ……!」

 

 彼女はその刀を上段で構えて迎え撃つ姿勢を取った。

 その背に隠れて、アキトは────刀を握った。震えていたその手を律し、その心はさざ波のように静かに。

 胸の中には、いつだって彼女がいる。

 

 

 ────思い出せ。

 

 

 対人など殆ど経験が無い。ほんの一度や二度だけだ。モンスターと違って思考する敵。そのうえこの世界にはソードスキルが無い。《SAO》だろうと《ALO》だろうと人を斬る事に躊躇いはまだ残っている。それでも最後に天秤に掛けた時、自分の傍にいてくれるのは目の前の彼女が良い。

 ここまで気にかけ、笑いかけ、話しかけ、傍に居てくれたリーファ。孤独を埋める為に利用したサチの代わりではない、リーファという一人の少女を守る為に。

 

 

 ────思い出せ、あの頃の自分を。

 

 

 守る為に臆病になるんじゃない。何を前にしても恐れずに、強がりを張り続けていけたあの気持ち。

 サチが好きになってくれた、あの頃の自分をもう一度。

 今こそ、あの世界で紡いだ、約束の続きを。

 

 

「────」

 

 

 ────刹那。

 

 リーファの後ろにいたはずのアキトの姿が掻き消える。そして、リーファの前方に陣取ったサラマンダーへとその刀を、振り下ろす。滑らかで、高速で、この場の誰もが彼を見失う。

 その振り抜いた剣の先を、エンドフレイムとなったサラマンダーが通過していく。皆が、言葉を失う。誰もが激しく戦慄した。未だかつて目にした事の無い次元へと誘う速度に、衝撃でゾクゾクと震える。

 アキトのその瞳は、既に穏やかだ。遠くを眺めるばかりだったその瞳は、今度こそこの世界の、リーファという少女に向けられていた。守るはずだった少年に助けられ、唖然とする彼女の顔は凄く可愛らしくて、笑ってしまう。

 

「アキト、くん……?」

 

「────こっちの、セリフだから」

 

「え……?」

 

 アキトは、リーファを守るようにして立ち、サラマンダーを見上げる。不敵な笑みを挑戦的に浮かべてみせ、刀を突き出して告げる。

 君と、リーファに誓う。ヒーローに憧れた自分への誓約。強がりばかりの自分が、強く気高く在る為に。

 

 

「心配すんなよ。────お前は、俺が守ってみせる」

 

 

 それは、意地になって最後まで、サチに伝えられなかった言葉。

 それでもどの瞬間、どの世界にいたとしてもやる事は同じだった。そこに終わりがなくとも、彼女が好きになってくれた自分で在り続ける。それに気が付いたから、もうそこに迷いは無い。

 

「っ……な、何、言って……」

 

「そこで見てな、秒で吹っ飛ばしてやるよ」

 

 口調を変えた所為か戸惑ったような声が背後からする。チラリと見れば、何故か顔を赤くして口を開けたり閉めたりしていた。そんなリーファを可笑しく思い、小さく笑ってから、次は誰だと言わんばかりに刀を寝かせる。

 

「……うわぁ」

 

「……へぇ、カッコイイじゃない」

 

 サラマンダー達が顔を見合せ、口笛を吹く。ならばもう、遠慮は要らないとその槍を持つ姿に本気が垣間見えた。

 リーダーが翅を鳴らしながら浮き上がる。左右のサラマンダー達もスティックを握り締めてそれに追随する。同時に三本の槍で貫こうとする魂胆だろう。不安そうにリーファの表情が曇る。大丈夫だと、小さく笑みを浮かべてやる。

 

「来いよトカゲ共────死んでも良いゲームなんて、ヌルすぎるぜ」

 

「行くぞ!」

 

 リーダー格のサラマンダーが、そう意気込んみ───今まさに両者の刃が交じり合おうという、その時だった。

 

 

「────うおおおおぉぉぉおああああ!!?」

 

 

 突如空からそんな絶叫が落下し、後ろに立ち並ぶ灌木がガサガサと揺れ出した。何事かとアキトやリーファ、サラマンダー達も視線が向かう。

 すると、そこから黒い人影が飛び出し、サラマンダー達のすぐ横をすり抜けて、空中でグルグルと錐揉みしたかと思えば、激しい音を立てながら草原のど真ん中に墜落したのだった。

 

「……へ?」

 

 気合い充分だったはずのアキトから、そんな気の抜けた声が漏れる。彼だけでなく、この場の全員の動きが止まった。空気の読めない予想外の闖入者を凝視していると、驚く事が分かった。

 クリアグレーの翅───影妖精(スプリガン)だ、それはいい。浅黒い肌で、ツンツンに尖った威勢の良い髪型やの男性プレイヤーだ、それもいい。目を疑うのは、黒く簡素な胴着(ダブレット)にズボン、貧弱な片手剣一本という初心者丸出しの巫山戯た格好だった。

 

 ……いや、俺もそれに毛が生えたレベルですけど。というか、今の着陸痛そう……。

 

 緊張感を忘れてそんな事を考えていると、目の前のスプリガンが頭を抱えて起き上がった。

 

 

「うう、いてて……着陸がミソだな、これは……」

 

「────」

 

 

 そう言って顔を上げた彼に、アキトは。

 

 

「……キ、リト」

 

 

 ────何故か、かつていた世界の匂いを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.Ex:IF 『その約束が果たされなくとも』Fin

 









《登場人物》


・アキト
本作の主人公。原作ルートでは、75層という半端なタイミングでのゲームクリアによって、サチとの約束を果たせないまま不完全燃焼。生きる理由が迷走中にて、未練がましく似たような仮想世界《ALO》に手を出す。
原作通りに昏睡状態であるアスナを助ける為にログインしたキリトとまさかの再会。互いに色んな感情が錯綜する中、かつてのサチとの約束を今度こそ果たすべく、キリトの支えになりながら一緒にアスナを助ける為、共に行動する事を決意する。
しかし、アキトの成長や功績は75層以降のアインクラッドでの出来事が多い為、それがカットされたこのルートでは高確率でキリトに実力では及ばない。
相変わらずキリトの守れる強さの在り方には羨望と嫉妬を感じ、自分との差に葛藤しながら、このルートなりの成長を遂げる事になる。


────思い出せ、あの頃の自分を。
────君が好きになってくれたあの頃の俺を、もう一度この手に。




・リーファ
このIFでのALO編メインヒロイン。アキトの瞳が和人を重ね、次第に想いを募らせる系のヒロイン。何故か自分よりもキリトの方が、アキトが心を開いている気がしてモヤモヤしながら世界樹までの道案内をする。
共に行動していく中で、キリトを通してアキトの知らなかった部分を多々知っていき、理解して、悩みや過去を共有し、そうして最終的に彼女が行き着く先は────?


────あたしが、ずっと傍にいるよ。
────運命が、何度 君を攫いに来ても。




・キリト
原作でも本ルートでもSAOをクリアし、人々を救った英雄。原作通りに昏睡状態のアスナを探す為にALOにログインする。偶然出会ったアキトとは罪悪感により気不味い空気だったが、アキトの優しさに流され、甘えながら共にアスナを助ける為に奔走する。しかし当初は罪の意識から、顔を合わせる資格すら無いとしていたが、それは彼に対する逃げだと態度を改め、彼に協力を求める。
相変わらずアキトの心の在り方には羨望と嫉妬を感じ、自分との差に葛藤しながら、このルートなりの成長を遂げる事になる。


────お前にどれだけ恨まれようと、隣りにいる。
────お前の前では、お前が憧れてくれた俺で在り続けるって決めたんだ。




・ユイ
キリトのナビゲーション・ピクシー。因みにアキトへの好感度はこのルートではゼロ。残念だったな野郎共!
「好きってどういうことなんでしょう?」







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Ep.121 後悔




言ったら最後、それが言霊。




 

 

 

 

 

『一度会って、話がしたいです。今日、お時間ありますか?』

 

 ただ一言二言、そう送られてきたメッセージ。

 ログハウス近くの湖の畔。日陰で風を浴び、巨木に体重をかけながら、アキトは空を透かすそのウインドウに記された一文を見上げる。大事な話なのだと簡素な文面からもはっきりと分かる。差出人たるフレンドの名前は、シリカのものだった。

 

「……」

 

 これが送られてから既に数時間が経っている。にも関わらず、アキトは今の今までこれに対する明確な返答ができず、メッセージを眺めるだけの時間を過ごしていた。このままではいけないのだと知っていながら、これ以上何かが変わってしまうのならと後一歩踏み出せずにいる。その癖にレベリングやクエストを熟している間もふと思い出しては返事をせねばとウインドウを開く。その繰り返しに辟易しているのは、他でもない自分自身。

 このまま気付かなかった振りなんてできるはずがない。どれほどの勇気をもって自分にメールを送ってくれたのか、それが分からないアキトではないのだ。

 

『────来ないで!!』

 

 けれど、それでも。脳が何度もあの光景を再生する。あの日、怯え震えていた彼女に拒絶され、叩かれた右手の甲を見つめる事を止められない。全てを話すと決めたあの日からある程度の覚悟があったはずなのに、拒まれた事実を前に情けなくも立ち止まってしまっている。

 

『ごめん。今日は、クラインとレベリングする予定だから』

 

 レベリングなんていつでもできるはずなのに。シリカよりも優先する事では無いのに。それでもそう打ち込んだ言い訳のようなメッセージを、一瞬躊躇するだけですぐさま送信してしまっていた。そして、安堵するように息を吐いてしまう。

 逃げているのは、拒んでいるのは自分だと、頬を突き刺す冷たい風が教えてくれる。傷付けておいて逃げている今の自分を客観的に見た結果、最低である事この上ないと自覚する。

 

 彼女の事だけではない。取り巻く自身の環境がこれ以上無く恨めしい。《アインクラッド》の異変、大規模なシステムエラー、アルベリヒやストレアの行方と目的、キリトの安否────そして、自分の事。

 先の不安ばかりが募る現状に、ふと考える事を放棄して何もかもから逃げ出したくなる衝動が生まれる。ほんの少しだけ、刹那の間だけ。それでも、ザワついた胸中にある凝りは、次第に肥大を続けている気がした。その事に、少なくない焦燥を覚えている自分に気付く。どうすれば良い、どうすれば───と、答えのない問いを繰り返し、返ってくるはずもない解答を待ち続けている。

 

「みーっけ」

 

 ふと、覚えのある声がすぐ近くで聞こえた。慌ててメッセージウインドウを閉じ、上体を起こす。木陰から段々と歩いて来るシルエットが、やがて陽の当たる場所で顕になる。

 

「……リズ」

 

 此方を見付けて、達成感が滲む表情を浮かべて息を付いたのはリズベットだった。いつもの赤いエプロンドレスを身に纏い、躊躇も遠慮も無く踏み寄って来た。

 

「こんなとこで何してんのよ?」

 

「……えと、少しウトウトしてた」

 

 そんな事は無い。眠れなかったのは本当だが、目は自然と冴えていた。シリカのメッセージについて、なんとなく告げるのを躊躇った。だから、それらしい言葉で誤魔化しただけだと、アキトは口にしてからすぐに自覚していた。

 リズベットは「ふーん……」と何の気なしにアキトの頭上を見上げ、そのカーソルの色に目を見張った。

 

「あれ、ていうかアンタ、カーソルの色戻ってるじゃない!」

 

「ああ、うん。昨日……」

 

 アスナ達を傷付けた事でオレンジとなっていたカーソルは、先日贖罪クエストを満了した事によってその色をグリーンへと変えていた。アキトはこれが罪に対する罰だとして、戒めのつもりでそのままにしておくつもりだったのだが、《圏内》でなら例え“暴走”が起こったとて誰も命の危機に晒す事は無いうえに、アイテムの補充も容易いからという説得もあって、結局元に戻す事に決めた。

 

「何でそーゆー事すぐに言わないのよ」

 

「へ、あ、ゴメン。けど特に理由とかは……待ってくれてるとは思ってなくて……」

 

「待ってたわよ、みんな。特にユイちゃんが。アンタめちゃめちゃ懐かれてんのね、知ってたけど」

 

「まあ、構ってもらってはいるかな。俺の何がそんなに良いのか分かんないけど……」

 

「アンタが構ってもらってる側なのね……」

 

 そう言うと、ふとリズベットは何かを思い付いたように口を開く。その後少し考えるように顎に手を添えた後、アキトを見下ろしながらニンマリと笑みを浮かべて頷いた。

 彼女が何か言うよりも先に、アキトが首を傾げる。

 

「……そういや、何か用事だった?」

 

「ううん、97層(最前線)の店が幾つか気になっててね。店売りしてる装備を見に行こうと思ってたのよ。そのついでに、アンタの様子を見に来たんだけど……《圏内》に入れるようになったんなら丁度良いわね。アキト、暇なら付き合いなさいよ」

 

「へ……あ、俺は……」

 

 普段なら二つ返事で了承していたが、アキトはバツが悪そうに目を逸らした。脳裏に、先程まで目の前にあったメッセージウインドウが浮かび上がったのだ。

 会えないか、というシリカの懇願を此方の都合で断った。だからせめて、断った理由の方には嘘が無いようにしたかった。故に、これからクラインを誘ってレベリングをしようとしていたのだが……。

 

「えと、今日はクラインとレベリングしようかなー……なんて」

 

「レベリングなんて買い物付き合った後でも、なんなら明日でもできるじゃない。……何よ、一緒に行くの嫌なの?」

 

「違う、けど…………やっぱり、そう感じる?」

 

「?」

 

 リズベットの解釈を聞いて、シリカに対する断りのメッセージを今すぐ削除したい衝動に駆られた。客観的に見てもアキトがシリカに送った返事は、会いたくないから適当な理由を付けて断ったように見えるのかもしれない。ならば自分はまた、彼女を傷付けたのではないか。謝罪も済ませず、罪ばかり重ねているのではないか。

 なんて、情けないのだと。頭で自虐が繰り返される。首を傾げたリズベットは、そんな彼の様子に気付く事無く詰め寄る。

 

「アンタが《圏内》に入れない間、誰が毎回メンテの度に出向いてあげたと思ってんのよ。いいから来なさい」

 

「……そう、だね。それは、俺が悪かった」

 

「な、何よ、別に謝って欲しいとかじゃないから……あー、やっぱ嫌なら────」

 

「一緒に行くよ。どのみちアイテムの補充は、しなきゃいけなかったし」

 

《圏内》に入れない間、武器のメンテナンスはリズベットに頼んでいた。ログハウスと76層を何度も往復させた恩は返すべきだ。アイテム補充も久しくしていなかったから、それに合わせて彼女の買い物に付き合えば何の問題もない。そして、その足でクラインと共にレベリングを行えば良い。そこに嘘はない。けれど、シリカへの罪悪感も消えることはない。それに嘘を吐く事を躊躇うのでさえ、おかしな話だ。

 

 自分はきっと、嘘を重ねる事にもう慣れ切っている。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 97層《フィルキア》

 

 ────視線が痛い。居心地が悪い。

 

 リズベットに連れられていくつかの店を回っている内に気が付いたのだが、自分に刺さる周囲の視線の多さだった。

 最近まで《圏内》に入れないでいたアキトは、プレイヤー達の間で数日間、その所在についての噂が絶えなかったらしい。状況の説明にはストレアの反旗が絡むので、中々情報として浸透させにくかったからだ。伝達が難しかった事で、彼が死んだと密かに噂される事もしばしばだったのだという。

 その反動からか街の中のプレイヤーは久しく見ていなかったその《黒の剣士》としての彼を目の当たりにすると、驚きながらその足を止め、すれ違う此方を見ていた。

 まるで客寄せパンダのような気分になる。周囲の視線を振り払って、リズベットの隣りに並ぶように歩く。

 

「……慣れないなぁ」

 

「ま、オレンジのまま過ごしてきたツケね」

 

 リズベットの手厳しい一言に口を噤む。歩きながら振り返った彼女は、ジトーっと目を細めて此方を見据える。その瞳には何もかもが見透かされてしまいそうで、下手な誤魔化しなんて通用しそうになかった。

 オレンジのままでいることで、彼らとの距離を物理的に引き離す。それによって一先ずはリスクを回避できる、そう思っての行動だった事は認める。リズベットはきっとそれを悟っていて、それでいて気に入らないとこうして自分を《圏内》に引き摺ってきたのかもしれない。この周囲の視線は、またしても一人で抱え込もうとしてしまったアキトへの、小さな罰のつもりなのかもしれない。

 

「……ま、意図っていうか……アンタの気持ちは理解してるつもり。シリカの事、気遣ったんでしょ」

 

「……っ」

 

 彼女が口にしたのは、96層のボス討伐戦時にアキトが傷付けてしまった、齢十四程度の少女の名前だった。恐怖に支配された表情、死を感じて揺れ動く瞳、許容できずに放った拒絶の声、そうしてしまった自分に対する後悔の跡。その光景の全てが、アキトの脳内で今でも鮮明に焼き残っている。

《アークソフィア》に戻るという事は、否応にもシリカと顔を合わせるという事だ。個人的には危険性が測れない今、彼女と会うのは逆効果でしかないと思っている。シリカを傷付けてしまったアキトにとっても、自分に恐怖している彼女にとってもだ。

 

 リズベットの言葉に、肯定も否定もできずに目を逸らす。けれど、その行為が既に解答を示しているようで、すぐに後悔した。並べた理屈の全てが彼女から逃げるだけの体の良い言い訳にも聞こえるのは、実際にそう感じてしまっているからだろうか。これまで何度も寄り道しながら、それでも真っ直ぐに進んでいると思っていた自身の在り方が、また寄り道を探している。

 どれだけ言葉を重ねても、彼女に会うのが怖いのは自分も同じだった。だから回りくどい事をしてまで、シリカの要望を断ってしまった。

 

「……怖がらせたく、ないんだ。行くにしても、彼女が怯える必要の無い安全マージンが欲しい。俺も、誰かを傷付けない保障が欲しいんだ。だから、それが取れない今彼女に会うのは、その……無理があると思う」

 

 言い訳だと、すぐに思った。

《圏内》かどうかなど、既に問題では無くなっている。勿論死に直結するかどうかでいえば深刻ではあるが、シリカが負わせてしまったのは精神的なもの───心の傷の比重が大きいのだ。だからこそ、自身に起きている問題を解消しなくては会うに会えない。最早、HPが減る減らないの問題ではない。

 

 シリカは優しい女の子だ。故にあのメールは彼女の優しさによって此方に与えられた慈悲であり、本意ではないのではないか。一度そう思ってしまうとどうにも堪らない。

 本当は怖くて、会いたくなくて、逃げ出したいんじゃないのか。シリカの気持ちを、そう決め付けてしまう。だから安全が欲しい。理由が欲しかった。

 

「でも、様子も気になってるんでしょ?それにあの日の事、きっとシリカも後悔してる。なら、話す機会があっても良いんじゃない?」

 

「……シリカの反応は、客観的に見れば寧ろ普通だよ。アスナ達が俺を許してくれたから……それが難しかったシリカがあの場では浮き彫りになっただけで……」

 

 傷付いてないと言えば嘘になる。けれど、仕方が無かったのも本当だ。だがそれを此処で言ったところで、シリカ本人には伝わらない。

 誰になんと思われようが───とはよく言うが、自分もそうで在れたならどれだけ良かっただろうか。そのつもりで生きてきたが、周りの目というのは自分の価値を嫌でも突き付けてくるもので、無視をするには多過ぎた。

 誰かと比べ、その違いに羨み妬み、そしてお前なんか要らないと言われれば立ち直れるか自信が無い。《黒猫団》の時だって、キリトと入れ替わった時だって、仲間の視線ばかり気にして思い込みに近い程の勘違いを繰り返した。

 拒絶されるのが怖いのは、純粋な本心だ。そしてそれを言葉にできない情けなさを、目の前の少女には見抜かれている気がした。

 

「……シリカは、その……元気かな」

 

「まあ、表面上はそう見える感じ。同時に、距離も感じてる。避けられてるっていうか、近付かないようにしてるみたい。気になるなら、会いに行けば?」

 

「……会っても、どうすれば良いのか……」

 

「……怒ってる?シリカのこと」

 

「……分からない。シリカが今、何を考えているのかも、何も」

 

 メールをくれたのは、本心からか。罪悪感に耐え切れず仕方なくなのか。本当はまだ怖くて、会いたくもないのではないか。顔を見たくない、声も聞きたくない、そう感じてしまっているのではないか。ずっと、この場にいない彼女に問い掛けている。

 

「君にどれだけ拒絶されても、平気だよって……そう言えば良かったのかな」

 

 そんな人、きっと世界の何処にもいない。大切だからこそ、大切にしたいからこそ大切にして欲しいのだから。彼女を傷付けて、怖がらせたのは他でもない自分にその資格はない。

 責任を感じるのは彼女ではなく自分だ。それなのにシリカがそれを悔やみ、孤独を強いられていると言われても何ができるか分からない。ただ彼女は悪くないのだと、繰り返し呟くことしかできない。

 あの日、あの瞬間を幾度となく思い返す。その度に何度も考える。拒絶されて当然の自分が、彼女に何を言えば良かったのだろう。

 

 

 

 

 そうしてどれほどの店を回っただろうかというタイミングで、リズベットが最後の店として選んだのは、序盤に素通りしたが気になっていたというアクセサリー店だった。

 店頭に並ぶ品々に張り付くように顔を近付けた彼女の瞳は、そのアクセサリーの光を反射したかのようにキラキラと輝いていた。

 

「うわー……うわー……!! 凄い綺麗……この細工、凄過ぎる……」

 

「いや語彙力……アクセサリって言うから装備品かと思ってたけど、普通に装飾品のお店か……」

 

 この店に並ぶアクセサリーの全ては、凡そ攻略組が身に付けるには不相応な店であった。決して店を卑下している訳ではなく、ここにあるものの殆どがパラメータに影響を与えないただの装飾品なのだ。

 装備してもステータスの実数値は上がらない。オシャレを求める人なら兎も角、強さを求める人にとってはパラメータも上がらないのに装備箇所を無駄使いするようなものだ。故に、そういった人がそもそも立ち寄らないような店だった。

 

 しかしリズベット当人はかなりご満悦の様子であり、今もなお目の前のショーケースに鎮座する指輪に顔を近付けて荒い呼吸を繰り返していた。

 何がそんなに興奮するのだろうか。段々と気になって彼女の隣りで足を止めると、同じように品を覗き込む。するとリズベットは、眼前の指輪をケースから取り出す許可を貰い、その手に取って何が凄いのかを独り言で教えてくれた。

 

「この指輪の細工なんて絶対真似できないし……ハァ……凄い……目の保養だわ……」

 

「……わ、ホントだ。ええ、鍛冶スキルってこんな細部まで拘れんのヤバ……」

 

 彼女が目を付けていた指輪は、素人目から見ても確かに高度な技術を施したものだった。芸術に疎いアキトでも、その細部に至るまでの拘り、指輪の形状や宝石の、美しさ、何よりこれを作成するのに掛けた時間と情熱が作品から伝わってくるのを感じる。

 そんなアキトの反応には、リズベットも満足らしく自分の作品ではないというのに誇らしげにふんぞり返っていた。

 

「ふふん、漸くアンタも鍛冶スキルの凄さが分かってきたわねぇ……ハァ、凄いなぁ」

 

「……あ」

 

「あ゛?何よ、このエクセレントな指輪に何かケチ付けようっての?」

 

「へ?……あ、や、違くて……」

 

 いつもより目敏く反応するリズベットの視線は鋭く、思わず萎縮するアキト。

 別段、この指輪に特に文句がある訳では無い。というか、そんな事を言う資格すら自分には無いだろう。ただこれだけ綺麗なアクセサリーなら、贈り物に良いだろうと思っただけ。

 

 ────サチに、とても似合いそうだと感じてしまっただけ。

 

 死と隣り合わせの世界で、彼女にとって装備とは自分を守る為のものだった。けれどそれがドンドン強化され、更新される度に感じていたのはきっと、安心感よりも『また戦わなくてはならない』という事への絶望と恐怖だった。装備やアイテムを手に入れては黒猫団のみんなに配っていたあの頃のアキトは、彼女にとってさぞかし非道の輩に見えていた事だろう。

 けれどもし目の前の、パラメータが付与されてない単なる装飾品の贈り物であったなら、純粋に喜んでくれたのかもしれない。そう思うと、何だか堪らない。悔やまずにはいられなくなってしまうのだ。

 

「その……凄く、綺麗だからさ。パラメータが無い分、純粋に贈り物としても、良いなって」

 

「……」

 

「リズベット?」

 

「ああいや、今のはちょっと……ううん、かなり嬉しかったから」

 

 喜ばれるような事をした覚えがなく、自然と困惑が顔に出る。そんなアキトを見て僅かに微笑んだ彼女は、視線をアキトの手元の指輪へと向けて、ポツリと呟き始めた。

 

「これの製作者はきっと、普通に装飾品として通用するアクセサリーも作れる人よ。スキルを相当上げないとこの細工は作れないから。それでもパラメータを度外視してるのは、それだけでこの作品の価値を決めて欲しくなかったからだと思う」

 

「……」

 

「ただ素直にこの美しさを見て欲しい、心惹かれて欲しいって願って、このアクセサリーを作った気がするの。だから、アキトの今の一言は製作者にとっては、凄く価値のある言葉だろうなって思ったのよ」

 

「……そういうもの、なのか」

 

 彼女の視線につられて、アキトもその指輪へと再び視線を戻した。何度までもきめ細やかな細工、美しさの中にある独自性は素人目にも分かる。ここに至るまでに培ってきたスキルで作り上げたのは、戦闘では全く使い物にならないアクセサリー。それでも、これを作った当人の気持ちがそこには現れているように、確かに感じた。

 鍛冶屋が作成するものの殆どに求められるのはパラメータだ。だからこそ目の前のただの装飾品は一見、人によっては無駄に見えるかもしれない。だからこそ、彼女の放つ言葉の重み、この指輪に込められたものをアキトは理解した。

 

「アンタだって、パラメータに関わってなくてもご飯は美味しい方が良いでしょ?ステータス上げに役立たなくても、ぼんやりと空を見上げたり、本を読んだり、こうして誰かと一緒に出掛けたりさ」

 

 指輪からアキトへと、その瞳が向けられる。透き通ったその眼には、日光のような温かさがあった。

 

「たとえ仮想世界であっても、あたし達には心の余裕が必要じゃない?それが無駄に見えたとしてもね。焦った時こそ寄り道があっても良いと思うのよ、あたしはね。このアクセサリーはそんな風に誰かに必要な心の余裕を生んでくれる大事なアイテムだと思うの」

 

 諭しているような言葉を耳に、再び指輪に視線を向ける。改めて見たその指輪からは、初めの印象とはまた違った何かを感じたような気がした。それは、リズベットがたった今伝えてくれた言葉が響いたからだろうか。

 

「……焦ってるように見えたかな」

 

「どうかしらね。まあでも、今は色々あるから」

 

 曖昧に誤魔化しながら、態とらしく逸らされた顔。小さく苦笑すると、陳列されたアクセサリの前へと一歩踏み出して、

 

「……なら、その心の余裕を生む為にも、何か買っておこうかな」

 

「あ、ならこの指輪なんて良いんじゃないかしら」

 

「それリズベットが欲しいだけじゃ……」

 

 ────目に留まったのは、水晶で作成されたペンダントだった。空を透かすような水色で彩られ、その中心に宝石のように美しい鈴が付けられている。手に取って揺らすと、風鈴にも近い透き通ったような甲高い音色が響く。

 

「……これ」

 

「なになに……鈴?そういや、アンタも付けてるわよね。なんか猫みたいに」

 

「猫……猫、ね」

 

 自分のいたギルドに相応しいアイテムをくれたんだなと、プレゼントしてくれたかつての仲間を思い出して、儚げに笑う。その余韻を確かに噛み締めながら、手に取った鈴のペンダントを女性NPCに手渡した。

 

「これ、ください」

 

「ありがとうございます。今、付けていかれますか?」

 

「いえ、プレゼントに」

 

「プレゼント?アンタが使うんじゃないの?」

 

 NPCとの会話を遮って首を傾げるリズベットは、訝しげに眉を顰めていた。アキト自身、鈴自体は今付けているもの以上のものは考えられない。ただ、仲間に贈られて嬉しかったものだから、自分も誰かに贈りたいと思っただけだった。

 心の余裕。リズベットはそう言った。こういう機会でなければ決して立ち寄る事のなかった店だ。色々な巡り合わせがあって、今日この店に来て思い出す事ができた。

 

「お詫びっていうか……仲直りの証みたいな」

 

「……シリカに渡すの?」

 

「……思い出したんだ。昔のことを」

 

 かつて自分も体験した仲間とのすれ違い。キリトへの劣等感に苦しめられた結果、惨めな自分を見られたくなくてサチを避け続けた。挙句、最後まで解れた糸が結ばれる事はなく、その後悔が消えた日など一日だってありはしなかった。

 後悔はしない、と。すれ違いのまま終わらせてはならないのだと、サチ達から教わったはずだったのに。また、忘れてしまうところだった。

 自分と仲間を繋ぎ止めてくれているのが、今まさに自分の首に掛かっている鈴のペンダントだ。店の鈴が綺麗だと思ったのも本当だが、もしかしたらゲンカツギのつもりだったかもしれない。

 

「話すこと、まとまってないけどさ。会ってみるよ」

 

「……そうね。それが良いわ」

 

「うん。ありがとリズ、今日誘ってくれて。君と話してると、元気出る」

 

「あら、人生相談ならいつだって請け負うわよ?」

 

 それは頼もしい、と互いに笑い合う。

 そうしてNPCから受け取った鈴を見て、瞳を細めた。これをシリカに────そう思った瞬間、視界端で見覚えのある装備を身に付けたプレイヤーが立っていることに気がついて、思わず顔を上げる。

 

 

 ────彼女を見て、もうしないと決めていたはずの後悔を、意図も容易く重ねてしまったのだと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「……え」

 

 

 ────シリカは目の前の光景を見て、動けなくなった。

 

 

 無理矢理でも視線が逸らせない。言葉が喉に詰まって出てこない。見たくないのに、身体が動かない。瞳が映すものの全てが、自分の存在を否定している。

 行き交う人々が映らない。そのざわめきが聞こえない。心臓が小さく脈打つ音が鼓膜を支配して、偽りの静寂の中で冷静に、ただ眼前の景色を突き付けてくる。

 

 

 目の前で、アキトとリズベットが笑い合っている。

 

 

 何故。なんで、なんで。どうして。

 理由を求めようとしているはずなのに、頭の中ではずっと問い掛けの言葉ばかりを放ち続けている。胸中に、段々と何かが渦巻き、蠢き、形になり始めていく。

 

『一度会って、話がしたいです。今日、お時間ありますか?』

 

 ただ一言二言、そう送ったメッセージ。内容なんてない空っぽの文章だけれど、恩人を拒絶した事に対して謝罪をしたいと、それが伝わるよう自分なりに意味を込めたつもりだった。

 用事があるからと断られてしまったけれど、それなら仕方が無いと諦めもついたし、安堵もした。会いたいけれど会いたくない。罪悪感が入り交じる、そんな矛盾した想いを抱え込みながら。人の事を言えないのは分かっているけれど、目の前の光景が、何とも言えぬ感情を運んでくる。

 

 

「……アキト、さん……?」

 

 

 え……なん、で。

 今日は、クラインさんとレベリングだって……。

 

 

「────……」

 

 

 嘘を、吐いた……?

 

 

 ────その結論に辿り着いた時、底冷えするような、激情にも似た何かに締め付けられて、思わず悲痛に顔を歪めた。自分が感じるべき感情ではないのだと知りながら、意志とは無関係に負の感覚は増幅していき、固まっていたその足が震えながら一歩を踏み締める。

 

 

「────っ」

 

 

 途端、アキトとリズの視界端に自分が映ったのだろう。揃って此方を見て、アキトは、酷く驚いた表情を浮かべた。当然だ、今の彼はクラインとレベリングをしているはずなのだから。

 責められるべきは自分。分かっているのに、アキトの後ろめたいような表情、バツが悪そうな顔を見てしまったから。導いた結論が頭から離れなくて、思わず口を開いてしまった。

 

 

「……嘘を吐いてまで……あたしに会うのが、嫌でしたか……?」

 

「シ、リカ……いや、違うのよ。アキトは……」

 

「リズさんは黙っててください!」

 

 

 ピシャリと、親友であるリズベットにそう吐き捨てた。今は彼女ともまともに会話したくなかった。言いたいことだけ言ってしまいたい衝動に駆られた。理性よりも感情が、考えるよりも先に口を動かして言葉を紡ぎ出す。

 

 

「本当は、嫌だったんでしょう?あたしに会うのが」

 

「……シリカ」

 

 

 名前を呼んでくれただけで、言い訳の一つも言ってくれなかった。それが更に胸中の苛立ちを助長する。会うのが怖かったのは自分も同じなのに、それを棚に上げて怒りをぶつけている。勝手で卑しくて、汚い女だと分かっているのに。これ以上はいけないと知っているのに。

 止まらない。止められない。

 

 

「謝る機会も、くれないんですか。なら、はっきり……はっきり言えばいいじゃないですか」

 

 

 お願い。もう止まって。

 これ以上、あの人を傷付けるようなことを言わないで。

 そんな願いも虚しく、感情は勝手に自身の口をこじ開けて告げた。

 

 

「あたしなんか嫌いだって!顔も見たくないんだって!そう言えば良いじゃないですか!!」

 

「────」

 

 

 言っちゃ駄目。それ以上は、言ってはいけない言葉だ。

だけど、積み重なった罪悪感と不安で、止められない。

 

 

「……無理が、あったんです……あの日の事があったのに、何も無かったみたいにやり直すなんて……」

 

 

 目の前の彼の表情を見れば分かる。確かに嘘は吐いたのかもしれないけれど、そこに悪意や侮蔑の視線は全くない。自分の言ってる事が全て間違っているのだとすぐに気付いた。だから、優しい彼だから、またいつも通りに戻れる、戻してくれると勝手に期待した。この数日間、優しい彼に甘えて、けれど優しい嘘に脅えていた。

 

 いつかこんな日が来る未来は決まっていた。だから、次会うのがとても怖かった。口にした拒絶は、今日に至るまで決して消えてはくれなかった。アスナやリズベット達全てがアキトを仲間だと、今までと変わらぬ態度で接する事ができていたのに、自分は。

 自分だけは、彼を────

 

 

「────っ!」

 

「シリカ!」

 

 

 堪らず、彼に背を向けて走り出した。最前線の人混みはそれなりに多くて、けれど小さい身体のおかげか簡単に隙間をすり抜けられた。その集団から飛び出し、簡単に一人になれた。

 その背に呼び掛けるアキトの声に振り返りもせず、瞳から伝い始める涙を手の甲で拭いながら、まともに前を見ることもなく走り続ける。

 行先なんて決めてない。逃げたい。いなくなってしまいたい。此処ではない何処かへ。

 

 

(痛い────)

 

 

 拒絶の言葉を紡いだ喉が。

 

 

(痛い────)

 

 

 拒絶を生み出した胸の奥が。

 

 

(痛い────)

 

 

 孤独を感じる、その身全てがズキズキと痛む。

 

 

(────遠い)

 

 

 会えずにいた数日間よりも。

 

 

 今、貴方が遠い────。

 

 

『────来ないでっ!!』

 

 

 あの日、恩人に言い放った自身の言葉。今日までずっと後悔している。口にした瞬間、じんわりと熱を帯びて胸に残っていて、とてつもなく痛くて、苦しくて。

 

 

 

 

 ────もう、言葉にする前には戻れない気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────Episode.121『後悔(後で悔やむくらいなら)

 

 








リズベット 「まさか、シリカも97層に来てたなんてね……」

シリカ 「アキトさんに断られてしまったので……気になってお店に行こうかと思って……」

アキト 「なるほど……」

キリト 「……それよりさ、なんか傍から見たら、アキトの浮気現場を目撃したみたいだよな」ドキドキ

シリカ 「クラインさんとレベリングって言ってたのに、他の女と出掛けてたなんて……アキトさん、酷い!あたしとは遊びだったのね!みたいな感じですかね」ワクワク

アキト 「待ってくれ、違うんだハニー!みたいな?」ノリノリ

リズベット 「楽しそうで何よりだわ」


※本編とは無関係です。


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Ep.122 憧憬






本音を告げるより、塗りたくった偽りの方が楽だった。




 

 

 

 何も考えていたくないと、一心不乱に走り続けた。

 とめどなく頬を伝っていく涙は、足を踏み締める度に後ろへ流れる。人や街、心と共に置き去りになっていく。

 背中から呼び掛けられていた彼の声は街の喧騒に掻き消えて、外へ出た時にはもう聞こえなくなっていた。気が付けば《圏外》で、まだ未踏の迷宮区への道を進んでいる。

 

 現在は97層。故にフィールドを出て暫く走るだけで迷宮区に辿り着いてしまう。それ程までに階層自体が狭まってはいるが、危険度が今までの比にならない分、態々攻略しようだなんてプレイヤーも攻略組以外では少ない。薄暗がりでひっそりとしていて、一人になるには都合が良い。静かで、誰もいない。しがらみから一時解放された気になってくる。何故か何処まで走ってもモンスターが現れないものだから、形振り構わずに、何も考えずに走り続けられて。

 そこまで来てシリカは漸く我に返り、足を弛めた。

 

「はぁ、はぁ……」

 

 この世界に身体的疲労はなくとも呼吸は荒くなるし、心臓は強く脈打つ。膝に手を着いて頭を垂れて、何かに落胆したような体勢で息を落ち着かせる。

 けれど、今静寂になれば──冷静になってしまえば、思い返してしまうのは直前のこと。先程の《フィルキア(97層の街)》でのアキトとの邂逅だった。

 

「……っ」

 

 ────取り返しのつかない態度を、とってしまった。

 謝罪をする絶好の機会だった。彼が何をしていようが関係無いはずだった。いつだって、何処でだって構わない。会えたのならすぐこの気持ちを伝えようと、謝ろうと思っていたのに。

 嘘を吐かれてまで会うのを拒まれたのだと思うと、胸が苦しくて。そうして自分のいない場所でリズと笑い合っていた光景を目の当たりにした途端、どうにも堪らなくて。

 

 最初に彼を拒絶したのは自分なのに、あの時自身が拒絶されたと考えただけで、何故あれほどまで取り乱して、感情に任せて言葉で殴り付ける事ができたのだろう。アキトだって、きっと同じ気持ちを味わっていたはずなのに。

 

「あたし、最低だ……」

 

 自分勝手にも程がある。こんなのただの我儘だ。そもそも、謝る気があるなら彼の拠点(ログハウス)まで足を運ぶなり自分から行動するのが当然のはずだ。自身の恐怖が先行した結果、彼に《圏外》で会うことをリスクと考え、《圏内》という安全地帯を求めてしまっていたのだと今更ながらに自覚した。会いに行こうと思えばいつだって行けた。本来なら行くべきだった。彼がオレンジであることを、《圏内》に入れないことを理由にして積極的に動こうとしてこなかった。

 

 自分の謝罪したい気持ちなんて、気が付けばまるで口先だけの言い訳に成り下がっていた。何処までも卑しい自分が、惨めな程恥ずかしかった。

 彼の手を払い除けたのは自分自身。あんな態度をとっておいて、彼が吐いた嘘を責めようだなんて。今までそんな彼の優しい嘘に甘え、これでもかと浸かっておきながら、よくもあんなことが言えたものだと、何度も何度も繰り返す。取り返しがつくはずもない後悔が、頭の中で駆け巡って。

 

「きゅるぅ……」

 

「っ……ピナ……」

 

 震わせた肩に乗っていたピナが、ふわりと舞い上がってシリカの前で浮遊する。慰めるよう胸元に擦り寄ってくるピナを、優しく抱き留め、次第に強く抱き締めた。

 孤独を埋めてくれる唯一の存在になってしまった小さな飛竜を、再び泣きそうになる気持ちを抑えながら抱えて、ゆっくりと歩く。ひっそりとしていて、周りに何も無い迷宮区が、今の自分に途轍もなく似合っている気がした。

 

「……」

 

 ────アキトは今、自分を探してくれているだろうか。

 ふと、そんな考えが脳裏に過ぎる。逃げるように立ち去ったあの時も、彼は自分の背に向かって何度も名前を呼んでくれていた。圏外に、それも最前線の迷宮区にいると知ったのなら、きっと彼は必ず探しに来てくれる。確信があった。そんな優しさを持つ少年であることを、シリカはもう知っていたから。

 

 ────……知ってた。分かってたのに……。

 

 あの日振り払った彼の右手。叩いた自身の手も、ジンジンと痛む。色褪せることなく残るその記憶は、シリカの表情を容易く歪める。

 優しい彼に、あんな態度を取ったのは自分だけだった。アスナもリズ達も、あれほど幼いユイでさえ、変わらない態度をとっていたというのに。そう思うだけで、疎外感が増した気がした。自分だけがみんなと違うのだと、自分だけが孤独なのだと。

 

 虫の良い話だ。アキトはずっと、今の自分と同じように、孤独を重ねて過ごしてきた。

 他人に畏怖の目で見られることや、万人とは違うのだと突き付けられ、孤独を強いられたこと──それらを抱えた彼の姿を、シリカもうは知っている。自分を彼と比べる事すら烏滸がましいと、大分卑屈になっている自分に呆れて笑みさえ零れてきていた。

 足を止めれば、思考を止めれば、呼吸をすれば。その一分一秒の刹那の間にも、彼の傷付いた顔が呼び起こされる。そして、そんな顔をさせたのは紛れもなく────

 

「……もう、やだ」

 

 何度も同じ思考になる。行き着く先は収束している。堂々巡りを繰り返し、精神は摩耗する。

 もう、いい。もう、疲れた。何かを考えて一喜一憂するのは、もう嫌だ。自分を苛む幻聴が、頭痛を引き起こす程に辛い。何より、ズキズキと痛むのは頭だけじゃなく、胸の奥に潜む心も同じこと。

 

 今の自分を誰にも───キリトにだって見せたくない。自分の事ばかりでいっぱいいっぱいで、アスナやリズのように他人に気を回せる程の器量が自分には無いのだ。

 アキトのあの姿を見て、すぐに平気だと割り切れるような強さなんて、持ってないんだ。そう、しゃがみ込んで踞ろうとした時だった。

 

 

「────」

 

 

 何か、音がした。

 ふと顔を上げて、目の前に広がる道を捉える。

 迷宮の先は薄暗い闇が続いていて何も分からない。けれど、耳を済ませてみれば僅かに響くのは鋼の音。慣れ親しんだその音に、シリカは泣くのも忘れて聞き入っていた。

 

 これは、剣戟の音。この先で、誰かがこの迷宮区を攻略している。それに合わせてモンスターの咆哮が、風も無いのに鼓膜に届く。

 途端にシリカは、思わずしゃがみ込もうと地に着いた膝を再び持ち上げて立ち上がった。今の今まで自虐に思考を注ぎ込んでいた頭は、目の前の闇が続く道の先にある光景を思い浮かべていた。

 

「……」

 

 その足は前へ、奥へと進んでいく。単純に気になったというのもあるが、危機的状況の可能性が万が一にもあるかもしれない。誰かが戦っているのなら、攻略組として状況を確認しなければと思った。

 ────或いはそれら全てが言い訳で、アキトにしてしまった行いの償いや、誰かを助けようとした自身を正当化する為の打算的行動だったのかもしれない。別の事に思考を移したかったのかもしれない。シリカ自身もそれに気が付いていた。それでも、動かないよりはマシだとどうにか言い聞かせて、肩に乗るピナに寄り添いながら未知なる道を踏み締めていく。

 

 近付く程にモンスターの鳴き声や剣戟の音は鮮明になっていく。次第に大きくなる響音はシリカの脳内に渦巻いていた感情を振り払っていった。自責の念に駆られる事さえ許さない不協和音の中で、僅かに放たれた人の声にシリカは口を開く。

 

「……ストレア、さん?」

 

 それが正しいのか確かめるべく、通路の角からその先を覗く。そこには、口に出した当人が数体のモンスターに取り囲まれて剣を振るう光景があった。

 前回のボス戦以降姿をくらまし、自分達の前に現れる気配すらなかった彼女が、誰もいない最前線の迷宮区で歯を食いしばりながらその刃を振るっている。

 

 その瞬間、目を瞑りたくなるほどの光が目の前に五つ顕現した。翼を持つ紅い悪魔達が視線を寄越し、彼女を獲物と認識するのにそれほど時間はかからない。別段新種の敵でもないがストレアに油断はなく、シリカにはその立ち振る舞いに恐怖さえ感じた。

 敵と知るや否やその両翼を使って迫り来る一体を、流れるような刃の軌跡が捉えた。

 

「シッ────!」

 

 紫電纏う剣を振るうと同時に、口元から漏れる空気。最適化された一連の動作に隙は無く、首元を斬り裂いた悪魔型の敵は再び光の破片へと帰る。続けざまに二体、剣を横に薙ぐ。今度は火の粉を振り払うように乱雑に斬り捨て、諸共その体力を消滅させた。

 直後、背中からの気配に顔を上げる。耳を塞ぎたくなるほどの咆哮をその背に浴びながら、振り返る事もせずに上体を僅かに右へと傾ける。それだけで悪魔の鉤爪は目前を通り過ぎ、後はおざなりになった奴の腹にすかさずその剣を宛てがうだけで良い。悪魔の身体の上下が二分される直前、AIである奴のその瞳が驚きに満ちていた気がして、それを見たストレアが少しだけ嗤ったように見えた。

 

「次」

 

 感触を確かめる事もせず行動を再開する。見開かれた瞳が残りの敵の行動分析を瞬時に終わらせ、飛行するその軌道を妨げるように眼前に躍り出る。上段に掲げた剣の柄を両の手で握り締め、上乗せされた力で振り下ろした剣は、敵の頭から下までをいとも容易く分断した。

 肉体はそのまま通過し、背後で破裂音がする。闇篭もる空間が一瞬だけ光の粒子によって明るさを取り戻す。それがどうにも切なくて、僅かな光が再びその闇へと溶け込むまで、思わずその瞳を伏せた。

 

「────……っ」

 

 例え素人目であっても圧倒的と言わざるを得ないだろう戦闘振りに、シリカは思わず身を潜め、息を呑んだ。一切の躊躇も無く無慈悲に見えたその姿が、かつてのストレアとあまりに掛け離れていて。彼女の表情が、何もかもが楽しかった過去のものと微塵も重ならない。

 今の彼女は、シリカにあの日のアキトを想起させる。敵を前にして僅かに微笑んだストレアの口元が、自分の首を締め上げながら乾いた笑みを零すあの日のアキトに良く似ていて────その場でへなへなとしゃがみ込んだ。

 

 もう、あの頃のストレアとは違うのだ。そう理解した途端、彼女が別の何かに見えた。アキトに似ていると感じた途端、彼に対して抱いてしまったものと遜色無い恐怖が押し寄せて来て、足が震えて立っていられなくなってしまった。

 気配を悟られぬよう口元を抑え、肩を震わせる。背の寄り掛かる冷たい黒曜石の壁、その角を飛び出せば直線上に彼女がいる。すぐに命のやり取りが起こる距離にいる。それだけで、涙が出そうだった。今もなお背を向けた先から斬撃の音とモンスターの断末魔が聞こえる。次は自分なのではないかと、錯覚してしまう程に近くで。

 

 

「っ……ぅ、ぁ……!」

 

 

 ────だがそんな恐怖は、突如苦しげな声が響いた途端に霞み始めた。それまで冷たい程に静寂を貫いていたストレアの呼吸が不規則に途切れ出したのだ。シリカは自ずと視線を角へと走らせる。

 

「……うぅ……うあ……ああ……っ」

 

 未だ数体の敵の中心で、ストレアは脱力していた。

 カシャリ、と手元から剣が抜け落ち、糸が切れたように膝を着く。右手は地に、左手は強く頭を抑えている。表情は苦痛を顕著に、口は言葉にならない声を漏らしながら震え、地を見下ろし蹲っていたのだ。

 

(っ……あの時と、同じ……!?)

 

 頭を抑えて苦しみ出すあの姿を、シリカは前に一度目の当たりにしている。アスナやリズ、リーファと共に87層の迷宮区を攻略していた時の事だ。偶然にもソロでレベリングしていた彼女を目撃し、その時もストレアは突如頭を抑えて苦しみ出した。

 時々起こる頭痛で、動けなくなる程だと言っていたのを思い出す。まさか、それが今起きたというのか。シリカの視線は、ストレアから彼女を取り巻く敵へとシフトする。このままでは、形勢は一瞬で逆転すると言ってもいい。

 

 瞬間、不気味な妖光が再び周りに湧き出した。近くにいたストレアは、その痛みの所為で辺りを見渡す事は愚か顔を上げる事すら不可能ではあったが、その光と音が絶望を連れて来たのだと理解するのは、シリカとほぼ同時だろう。

 気配は六つ。その影を見るに先程斬り潰した悪魔型と同種だった。まるで仇討ちに来たかのようにその牙を剥き出し怒りにも似た表情を顔面に貼り付けている。各々の双眸と鋭利な両の五指が崩れ落ちるストレアへと向けられ始め、その距離は次第にゼロへと近付いていく。

 

(助けなきゃ────っ)

 

 だが、咄嗟に腰の鞘からダガーを引き抜こうとして──その手が止まった。そして、今の今までアキトと変わらぬ恐怖を抱いた対象に、改めて瞳を向けた。

 変わらず頭を抑えて苦痛に顔を歪めるストレアは、自分達のかつての仲間であり───前回のボス討伐で多大な被害を生み出した元凶である。彼女によって攻略組な死者を増やし、精神的な痛手さえ負っている。目的も不明なうえに、問答にも応じない彼女の姿勢は嫌という程に痛感している。話し合うだけ無駄なのかもしれないと、きっと誰もが感じてる。

 

 けど。けれど。

 そんな中で、ふと。

 助けるべきなのかと、そう思った瞬間に。

 

 

「────……」

 

 

 考えてはならない事が頭を過ぎってしまった。

 人として絶対に辿り着いてはいけなかった思考、一瞬ではあったけど、それでも至ってしまった悪魔の誘惑。

 

 これ以上恐怖に支配されることなく、自分が惨めにならない為の策。みんなの為だと誤魔化せば、実行できてしまいそうな程に甘美な響き。

 

 

(もし、このまま)

 

 

 ────()()()()()()()()()()()()()これ(・・)以上(・・)死者(・・)を出す(・・・)こと(・・)なく(・・)攻略(・・)()()けら(・・)れるの(・・・)では(・・)ないか(・・・)、と。

 

 

 それを自覚した途端に、身体は突如として動かなくなってしまった。糸が切れた人形のように、ただ一歩の歩みすらままならない。動かない格好の的(ストレア)の周りを漂う敵達を、ぼうっと眺める事ばかりで。

 

 

(ダメ……そんな、の……考えちゃ……)

 

 

 決して許されない感情だ。けれど同時に、これ以上ストレアに攻略の邪魔はさせられないとも思った。それは、シリカでなくても考えてしまうかもしれない、躊躇い迷い、揺れてしまう程の分かれ道だった。思考が埋没し、他の事なんて考えられなくなる程に、一つの答えへと理性は収束する。

 今の自分は、今のストレアを────敵となった彼女の為に命を懸けられるだろうか。彼女の為に、死ねるだろうか。

 

 アインクラッドに幽閉されてから二年、この世界で人々は多くのものを失った。時としてそれは友であり恋人であり家族でもあった。予告無く理不尽で、笑える程容易に、目の前で奪われてきた。喜劇よりも悲劇の方が圧倒的に多い中で、数多の挫折や後悔を繰り返し、そうして積み上げてきたものが報われる時が、もうすぐそこまで来ている。限界に近い精神は、次第に楽な方へと歩み出す。

 ストレアが生み出した────憎しみや怒りによって穿たれた亀裂が、修復されることは決してない。そしてこの胸の中にある彼女への恐怖が、消え去る日など想像できない。

 アキトと、ストレア。この二人への恐怖を、この世界が終わるその日まで抱いたまま耐える事なんて、できるのだろうか。

 

 

(あたし、は)

 

 

 ────どうすれば良い?

 かつて目の当たりにした、苦しむ姿。過去に見たどのストレアよりも、今目の前でうつ伏せる彼女が最上だった。いくら実力があろうとも、辿る結果は見えていた。万全でないのなら、あと数分もせず彼女は死ぬ。考える暇なんて、理不尽の権化たるこの世界は与えてくれない。

 

 

「はあ……はあ……っ」

 

 

 ────けれど、身体が、動かない。

 震えて震えて、思うようにならない。だから仕方がないのだと自分を正当化し、思考は次第に闇夜の方へと進んでいく。ストレアが敵に囲まれ、爪を立てられ、傷付けられるのをただ眺めるしかないのだと。身体が動かせないのだから諦めるしかないと。

 

 

「はあ、はあ……っ!!」

 

 

 呼吸は酷く、荒くなる。上下した肩がガタガタと震える。その間、人として踏み外してはいけない境界、それを隔てる柵を飛び越えるまでの道が見えた気がした。一撃、また一撃と彼女と身体に赤い輝線が刻まれ、血飛沫にも似たエフェクトが飛び散るのを目の当たりにしながら。

 死神の迎えが近いのだと理解したストレアの表情を角で見据えながらも、動けない────動か、ない。

 

 このまま、いっそ。いっそのことこのまま。

 彼女が事故的に死ぬのならば、それは正当化されるものの気がしたから。みんなの邪魔をされなくて済むのだと思い込めば、誰も傷付かずに済むのだと割り切れば、この行いは許されるような気がしたから。

 そうすれば、少なくとも恐怖から一時、解放されるような気がしたから────

 

 

(……だ、め……助け、な────っ)

 

 

 ────刹那、シリカのすぐ横を何か(・・)が横切った。

 

 

「……え」

 

 

 振り返るよりも先に、その影はシリカの視界を外れ、すれ違いざまに透き通るような鈴の音を残す。とても良く聞き慣れた、どこか安心するその音色は、シリカのこれまでの思考、感情全てをいとも容易く消し去った。

 一瞬だけ、僅かに視界端に映ったのは、暗闇の中でも確かにその存在を主張する、黒いコートの切れ端だった。過ぎ去ったそれは突風のようにシリカの髪を揺らし、目を瞑らせる。

 

 

「ストレアあああああああ!!」

 

 

 その直後、彼女の名を叫ぶ声と同時に、角の向こうからモンスターの奇声と、硝子が割れるような破壊音が数回響いた。

 

 

「────っ」

 

 

 剣技発動時のサウンド、光によって暗闇を浄化する熱を背中越しに感じる。瞑った瞳をゆっくりと見開き、後光の先へと振り返る。

 再び覗き見た曲がり角の先には、未だ蹲るストレアを庇うように剣技織り成す一人の剣士がいた。シリカの視界の中心で、それは流麗にも剣を振るい、それでも尚必死な表情で、迫り来る脅威に対処していた。右手の剣が悪魔型の胸を貫き、左の拳は輝きを放ちながら別のモンスターの顎を砕く。

 ただひたすらに、ストレアを守るように戦うその姿を見て、シリカはただ、その人の名前を呼んだ。

 

 

「……アキト、さん」

 

 

 ストレアを助けるか、助けまいか。自分の恐怖に負けて、そんな選択を頭の中でぐるぐると巡らせていたシリカの横を。

 少年は────アキトは、いとも容易く選択し、飛び出したのだ。損得も、敵味方も、脅威の度合いも考えずに。

 

 彼のその表情には、怒りや苛立ち、殺意とは別の、それでも鬼気迫るものを感じた。

 そこに裏なんてなくて、思惑なんてなくて、見返りなんて求めてないかのような、ただストレアを救う為だけの行為。そんな、物語にしかいない、空想上の存在だと思っていたヒーローのような姿を目の当たりにして。

 それまでアキトに感じた恐怖が僅かに薄れ、

 

 

(────あたし、は)

 

 

 ────シリカは、再びその場でへたり込んだ。今度は恐怖からではなく、失意や絶望、後悔に近い負の感情からだっただろう。一言で言い表せない程の自己嫌悪と後悔に苛まれ、気が付けば視界は歪んでいた。

 彼が真横から飛び出した直前に、自分は何を考えただろうか──?脳がその答えを明確に形を成して突き付けてくる。蘇るは鮮明に、モンスターに襲われHPを減少させるストレアの姿。頭痛に苦しみ、攻撃に表情を曇らせ、そんな光景をただ眺めている自分の視界だ。アキトが来てくれる少し前の、愚かな自分が────助けに動こうともせずに見ていた光景だった。

 

 

「そんな……っ、そんな、つもりじゃ……」

 

 

 誰も聞いてない場所で、言い訳のように繰り出す言葉。だがそれを、膝元にいたピナだけはしっかりと耳にして、不安気に此方を見上げている。本当にそれで良いのかと訴えている気がして、罪悪感が胸を貫いた。

 今の逡巡の中で、人を一人死なせていたかもしれない。それも、かつては笑い合った仲間をだ。意思一つで、躊躇を見せるだけで、こんなにも呆気なく誰かを死の間際まで追い詰める事ができるのだ。

 

 何より恐ろしかったのは、身体が動かなかった理由が単純な恐怖や勇気の不足なんかではない事だ。確かにそれも含まれてはいるが、あくまで自身を正当化する為の言い訳だった。

 あの瞬間、シリカは明確に、ストレアを助けるべきかを己の中で問い掛けた。そして、それに裏打ちされた結果が全てを物語っている。人として在るべきものを、人間性のようなものを捨てた瞬間を、他でもない自分が実感し、目の当たりにしていた。

 

 

 ────自分は、ストレアを見殺しにしようとしていたのだ。

 

 

 その事実が、脳内で徐々に形となっていく。自身が犯した過ちの大きさが自覚できるものになっていく。身体が今まで以上に震え上がり、瞳孔は開き切って、目の前で此方を見るピナですら朧気に見える程に、焦点が合わなくなっていく。呼吸が苦しく、額には汗が滲み出て、罪の重圧を生々しいその背に感じた。

 

 自分は、助けに行くのが怖かったんじゃない。ストレアに近付くのが怖かっただけだったんだ。モンスターよりも、アキトや彼女の近くにいる方が死と隣接した恐怖を感じてしまうから。取って付けたような理由で誤魔化して、果ては襲われていたストレアを見殺しにしようとした。アキトが来てくれなければ、もう少しで取り返しのつかない結果へと続いていたかもしれない。

 

 なんてことはなかったのだ。ただ自分が、人より弱かっただけ。それはアスナやリズ達と違って、命の恩人に対しての仕打ちが全てを語っている。

 彼らよりも自分の方が弱くて、我が身可愛さに他者を傷付けようとした。それだけだ。周りよりも、自分がただ薄情だっただけ。

 それをアキトやストレアのせいにして。普通じゃないと恐怖して、差し伸べてくれた手を払って。何を勘違いしていたのだろう。

 自分だけが子どもの癇癪のように喚いて、独り善がりに叫んで、そうまでしてアキトとストレアを傷付けた理由なんて、たったそれだけだったんだ────

 

「ぐぁ……!」

 

「……っ、アキ……」

 

 苦鳴滲ませる彼の声に、シリカは思わず覗き見る。幾らアキトに実力があっても、ストレアを庇うように立ち回っている分不利な事に変わりはない。多勢に無勢、アキトは次第に数による敵の翻弄に傷を負っていく。今が好機だと、進化するモンスターのアルゴリズムに刻まれているのだろうか。

 自分の恐怖の対象である二人が、ジワジワと死に近付いている。それは恐くて怖くて堪らなかった彼らから、解放されるという意味でもあった。

 ずっと、この恐怖から逃れたかった。消えて無くなれば良いと何度も思い、願っていた。

 

 ────けれど。

 ────だけど。

 

「……なんで」

 

 今もなお震え続け、立ち上がる事すらさせてくれないその膝に苛つくのは何故だろう。今になって、自分の行いが間違っていると気付き、行動を起こそうとしているのは何故だろう。

 愚かにも、今ならまだやり直せるだなんて思い上がっているのだろうか。この期に及んで、アキトに許しを乞おうとしているつもりなのか。

 そうでなくとも、此処で動かなければ何も変わりはしない。この光景を目の当たりにすれば嫌でも思い出す。《迷いの森》で自分の命を救ってくれたキリトの表情を。

 そして、どんなにやめてくれと振り払っても、ピンチになった時に必ず助けてくれるアキトの背を思い出す。ああそうだ、こんな時、彼らは絶対に救いの手を差し伸べてくれる。

 

「っ……!」

 

 両腿を、思い切り叩く。深く呼吸を繰り返し、壁に両手を着いてふるふると震えながらも膝を立てる。膝元で心配そうに鳴くピナに大丈夫だよと優しく笑い、その口元を引き絞って立ち上がる。そうして、睨み付けるように標的を見据えた。

 また、光景が重なる。キリトと────そしてアキトの、眩しいくらいに憧れるその在り方を思い出す。

 

 

「……アキト、さん」

 

 

 ────そんな資格が無いと知っていても、彼の名を呼ばずにはいられない。

 

 右へ、左へ、統率が取れたように見えて不規則な敵の動きに、頬や肩、脇腹や足と次々に傷を刻まれていく痛ましい彼の姿を見て、問わずにはいられなかった。

 

 

「どうして、なんですか……」

 

 

 拒絶しても、変わらない態度でいようとしてくれる彼。

 裏切られて、傷付けられて。誰よりも痛みを知っているからこそ、ストレアに真に憎むべきはアキトではないのか。自分を棚に上げてそう問い質したくもなる。

 なのに彼は、仲違いしてた頃のアスナにも、PoHに操られていたとはいえ自身を罠に嵌めたフィリアにも、自分や仲間を殺しかけたストレアに対しても、同じように手を差し伸べるというのか。そして、シリカ(自分)にも。

 

 

「く、うっ……!」

 

 

 彼を見る度、思い出す度、恐怖する度、憧れを抱く度、本当に自分が嫌になる。だけど、どれだけ恥を上塗りしたとしても、貴方がそんな在り方だから。

 今からでも、自分もそうしなければって────

 

 

「っ……う、ああああああああぁぁぁ!!!」

 

 

 そう思わずにはいられないじゃないか。

 

 

「っ、シリカ……!?」

 

 

 角から飛び出したシリカに、アキトはすぐさま反応する。此方に視線を向ける余裕すら無いほど切迫した状況だというのに、此方に思考を傾けてくれるその優しさに、胸が締め付けられる程に痛かった。

 こんな人の手を、自分は叩いたのだと、振り払ったのだと、その光景を思い出し、吐き気が止まらない。

 

「はああああっ────!」

 

 腰を屈め、低く姿勢を保ちながら二人の元へひた走る。その小さな身体と、軽い体重と、割り振られたステータスが、一瞬だけモンスター達の視界から自分を消してくれる。

 アキト達を囲う悪魔型の敵の一体が上体ごと振り返り、その爪を立てた瞬間、地を蹴って勢い良く真横に飛んだ。そうして近付いた壁を再び蹴飛ばし、アキトの死角で飛ぶモンスターの喉元にその短剣を突き立てた。

 

「Gu──Gyaaaaa!!」

 

 悲鳴に近い咆哮を他所に、シリカはその首を吹き飛ばした。見事に分断された頭と身体を流し見、次の標的へと視線を向ける。一連の動きに目を丸くするアキトの表情が、ほんの少しだけ嬉しかった。

 あれ程恐怖していた筈なのに、助ける為にと行動した途端に、そんな感情は戦闘による焦燥や闘争心で押し潰されて無くなってしまった。そんな事よりも、この場の全ての敵を屠り、アキトを生かす事だけに集中する。次の行動を考え、予測し、余韻に浸ることなく即座に切り替える戦い方──それを、シリカはアキトを見て学んだのだから。

 

「っぶねっ……!」

 

 今度はシリカの死角から滑るように近付く悪魔。逸早く気付いたアキトがそれを袈裟斬りにする瞬間を、横目で見たシリカは苦しげに眉を顰めた。守ってくれたのだと、そう理解した途端、胸が高鳴った。そのまま、ズキズキと断続的に痛む。

 

 

(……やめて)

 

 

 彼を見上げたその視線を、堪らず逸らす。目じりから涙が溢れそうになるのを感じて、慌てて顔を伏せた。僅かに聞こえる吐息の音や、視界端に捉えた彼の影や、背中に感じる熱がその存在を主張してくる。

 アキトが傍にいるだけで、残りの敵を一掃できる気がして、そして誰一人欠ける事無くこの場を切り抜けられる確信めいたものが、安心感すら与えてくれる。

 

 

(……あたしを、助けようとしないで)

 

 

 だからこそ、それが堪らなく辛かった。

 何故、どうして。こんな人を自分は────

 

 

(……そんな優しい目で見ないで)

 

 

 そんな瞳を向けられる資格なんて、自分には無くて。それが心地好いのだと、感じてはいけなくて。まだ謝罪も出来てない愚かな自分を、守ってなんて欲しくなくて。優しくして欲しくなくて。

 もう、一人でいい。独りでいいから。

 

 

(だから────)

 

 

 ────それを脳内で呟く前に、アキトとシリカのソードスキルが交差し、全てが終わった。それぞれが残り二体の体力を刈り取り、それが光の破片となって飛び散る時には、その闇色の空間には二人の荒れた呼吸音だけが聞こえていた。

 

 

(終わった、の……?)

 

 

 そう理解するのに数秒かかったけれど、堪らず息を吐き出すと、途端に張り詰めた緊張感が一気に解け、糸の切れた人形のように再びへなへなとその場に座り込んでしまった。

 

「あ、あれ……」

 

 不思議そうに声を漏らすシリカ。思わず視線を落とすと、ダガーを持つ右手だけでなく、左手も、そして両足も小刻みに震えていた。今頃になって、と僅かに苦笑する。そうして、視線の先にあった影へ自然と瞳が移ろい、そうしてその先に立つ主へと上がっていく。

 息を切らしながらも、肩を少し上下させるだけで、アキトは此方を見下ろしていた。驚きや困惑、その表情からは色々なものが読み取れた。けれどシリカにしてみれば、そこに含まれたどの感情も、今はただ都合の悪いものだった。

 

「……」

 

「……」

 

 アキトの瞳に耐えかねて、顔を伏せる。けれど、そんなのは問答の引き伸ばしに過ぎない。こんな時間が長く続く訳じゃない。いずれ話し合わなければならない時は絶対に来る。その時、自分は彼に何を言われるだろうか。

 罵倒か、失望か、何にせよ良い感情は抱かれていないだろう。そう思うと、途端に彼の声を聞くのが怖くなった。再び恐怖が身体を支配する。だがそれは、アキトに対する恐怖というよりも、彼に拒絶されるかもしれないという恐怖だった。

 

 

「……どうして、助けたの?」

 

「え……」

 

 

 突如、アキトの後ろから声がした。思わずアキトは振り返り、シリカも視線を傾ける。そこには、表情を曇らせてアキトを見上げるストレアの姿があった。未だ立つことも出来ずに両手両膝を冷たい床につき、頬に伝う汗で不快に顔を歪めながら、困惑が混じる声を響かせた。

 

 シリカは、ただアキトとストレアを交互に見やった。

 アキトを見つめるだけで苦痛が伝わる彼女の表情は変わる事無く、床に着く両腕はまだ震えていた。そんな状態にも関わらずストレアはアキトを見上げて、乱れた呼吸のままで聞き続ける。アキトは此方に背を向けた状態なので表情は伺えないが、ただ黙ってストレアを見ているようだった。

 

「自分の命が危ないかもしれないのに、どうしてそんな事ができるの……?」

 

「……当たり前の事をした。それだけだよ」

 

 再び繰り返された問いに、当然のようにそう答えた。きっとアキトにとって、答えなんて一つしかない。人として当然の事をしてるだけだと、その背が語っているように、シリカには見えた。

 ああ、そうか。そんなに簡単な事だったんだと、シリカはただ純粋にそう思った。

 

「理由なんて……目の前で誰かが襲われてたら、無視なんてできないだろ」

 

「それがアタシでも……?」

 

「誰でも一緒だよ」

 

「……はは」

 

 その答えに対し返って来たのは、掠れた声で絞り出される乾いた笑み。ストレアは戦慄く口元で無理矢理弧を描きながら、アキトを羨望するような瞳で見上げていた。

 

「凄いね、アキトは……本当に、ヒーローみたいで……」

 

「ストレア……」

 

「アタシには、分からない……分からないよ……!う、ぐうぅ……」

 

「っ、ストレアさ────」

 

 シリカがそう呼び掛けるより先に────再び頭を抑えるストレアへ、アキトは思わずといった様子で駆け寄っていった。96層で起こったいざこざなど考えてもいない様だった。彼女を休憩させる事を第一に考えたのか、彼女の身体を横抱きに持ち上げると、部屋の中心から離れて壁へと運んでいく。そうして壁の近くで彼女を下ろし、そこへ寄り掛からせた。

 思わず、言葉に詰まった。理屈なんてまるでなくて、自然と身体が動いているみたいで。何も、言えなくなってしまった。

 

「シリカ!」

 

「シリカちゃんっ!」

 

 すると、角の向こうから聞き慣れた女性の声がした。半ば慌てて振り返れば、此方を見て血相を変えたリズとアスナが全力で駆け寄って来ていたのだ。その間、二人はアキトと───さらにはストレアにも気付き、一瞬だけ目を見開くが、すぐさま此方へと歩み寄ると、二人して強く抱き締めて来る。

 

「こんのバカ!心配したでしょーが……!」

 

「……すみま、せんでした」

 

「本当に良かった……シリカちゃんが無事で……」

 

 このまま泣いてしまうんじゃないか。そう思ってしまうほどにか細い二人の声を聞いて、漸く安心したのか、気が付けば溜まっていた涙が溢れてしまっていた。こんなにも心配させてしまったのだと、ただただ申し訳なくて。言葉にならない謝罪を、何度も心の中で繰り返していた。

 

「アスナ、リズ。シリカをお願い」

 

「……アキト君は?」

 

 アスナのその問いに、アキトが答える事は無かったけれど、その真意はシリカにも伝わった。アスナを見上げれば、彼女の視線はアキトからストレアに向いていた。未だ苦しげに眉を寄せ、目を瞑る彼女を揺れる瞳で見つめながら、やがて小さく息を吐くとただ一言、「分かったわ」と呟いた。

 未だに足が震えて思うように立ち上がれないシリカを、リズが仕方なさそうに笑って背負ってくれる。

 

 そんな最中にも、シリカの瞳はアキトを映していた。ストレアへと向けられたその優しげに表情が、此方に向く気配は無い。とてもじゃないが、今は謝罪なんてするタイミングではなかった。

 話したい事が今になって沢山あるけれど、私情は捨てなければと、リズの肩に顔を埋めた時だった。

 

 

「────シリカ」

 

 

 優しげな声が、もう向けられる事は無いと覚悟していたその心に浸透する。帰路に立とうとしたリズの足が止まり、シリカも思わず頭を上げた。見開いた目と口を彼に向ければ、アキトは変わらず此方に背を向けていた。

 けれど、何処か気不味そうに頬を掻いた後、

 

 

「……無事で、良かった。助けてくれて、ありがとう」

 

 

「────ぁ」

 

 

 その一言を聞いて、シリカは。

 何も口にすることは無く、噤んだまま再びリズの肩に顔を埋めた。リズもまた、仕方なさげに息を漏らすと、「じゃあ後でね」とアキトに告げて進み始めた。

 アスナもリズも、きっとストレアに言いたい事が沢山あっただろう。それでも、この場はアキトに任せると決めたのかその足取りはスムーズで。けれど、ストレアに対してではないけれど、自分もアキトに言いたい事が沢山あったのだ。

 

 なのに、アキトのあの言葉を聞いた途端に、何も言葉に出来なくなってしまった。何も言えずに、ただ見つめるだけで、アキトとストレアが視界から外れていく。やがて角を曲がり、二人が完全に見えなくなった瞬間に、わなわなと肩が震え出した。

 アキトの言葉が何度も脳内で繰り返されて、堪らなくなってしまって。

 

 

「……がうんです」

 

「……シリカちゃん?」

 

 

 ────思わず口から零れ落ちた音は、否定の言葉一辺倒だった。

 

 

「違うんです……違う……違うの……っ」

 

 

 自分(あたし)は、貴方に感謝されるような人間じゃない。貴方みたいな立派な志があった訳じゃない。目の前で危ない人がいたら助けられるような善人じゃない。

 けれど言葉にはならなくて。ただ、何度も頭の中で否定と拒絶を繰り返していた。身体が動いたのは貴方に突き動かされたからであって、自分の意思なんかじゃ決してない。そんな、優しい理由があったからじゃないんだと。

けれど、言葉になんてなりようがなくて。

 

 

 

 

 ───ただ、子どものように泣きじゃくることしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.122 『憧憬(あこがれ、こがれ)

 

 

 

 

 

 







アキト 「そういえば黒猫団のみんなに拾われる前は、このまま第一層のボス戦に参加してダイナミック自殺してやろうとか思ってたなぁ……はは」

ケイタ 「救えて良かった……」(震え声)




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Ep.123 理由




君が微笑んでくれた時、もう一度立ち上がると誓った。



 

 

 

 

 

 モンスターの反応は、もうこの区画には一体として残っていない。静寂としていて不気味な、以前通りの迷宮区が戻ってきた。今もなお耳に入り込むのは、不規則な呼吸の繰り返しと、そこに入り混じる少女の掠れた声音だけ。

 未だ冷たい黒曜石の壁を背もたれに項垂れるストレアを見て、アキトは小さく息を吐いた。

 

「……」

 

 シリカを探しに来たはずの最前線で、まさかストレアに出会うとは思わなかったアキトは、二人きりになった今でさえ何を口にしたら良いのか分からなくなってしまっている。

 本当は聞きたい事が沢山あったはずなのに、彼女の顔を見た途端にその全てが消え去ってしまったかのように、何もかもが思い出せなくなっていて。無論、今の状況を鑑みるに問答の気も失せてくるというものだが。

 それでも、ストレアの行いをこれ以上見過ごす訳にはいかない。せめて理由だけでも聞かなければならなかった。プレイヤーの生死に関わる問題だからこそ、かつての仲間だという色眼鏡無しに問わねばならない。

 

(軽かったな……)

 

 アキトは、部屋の中央から壁際までストレアを抱えて歩いた時の事を思い出していた。重量のある両手剣をあれ程自在に操る事のできる目の前の少女の身体は、想像以上に、そして恐ろしく軽かった。この世界での体重増減は装備による上下のみで、生身は現実世界に依存する為変化はない。それでも彼女の異常な軽さは、これまでの苦悩や痛みですっかり憔悴し切ってしまったのかと錯覚する程で、正直ゾッとした。

 

 アキトは、そんなストレアのすぐ隣りに腰掛けた。途端、乱れていた彼女の呼吸は次第に調子を取り戻し、そうして漸くストレアはその瞳をゆっくりと開いた。

 

「ん……」

 

「ストレア、平気?」

 

 ゆっくりと目蓋を開いたストレアは、すぐ隣りに座るアキトの顔を見て僅かに驚きを見せる。だがすぐに安堵の目が浮かび、無理が分かるような微笑みを向けてきた。

 

「ありが、とう。大分良くなってきた……」

 

「……そっか。良かった……」

 

 彼女の顔色は確かに先程よりも良くなっていた。まだ何処か辛そうに眉を寄せているが、頭の痛みは収まったようだった。それを聞いて取り敢えずは肩の荷が降り、強張っていた身体の節々が一気に脱力する。

 チラリとその横顔を覗けば、ストレアは薄暗い空間の先をただぼうっと眺めていて。アキトは何も言えずに口を噤んだ。

 

「……」

 

 ────シリカを。本来なら、一番に優先しなければならなかった少女を棚上げにしてまでこの状況を維持したのだ、何か話さなければ、聞かなければ割に合わない。

 

 それは勿論、96層のボス攻略時の事もそうだ。部屋の中心に立っていた彼女が、その地を統べる獣の能力を増幅させ使役していたように見えたあの光景。彼女がそうまでして攻略組の行く手を阻んだその理由。

 そしてストレア自身の正体と、自分との関係。76層で出会う前から、彼女は自分を知っているようだった。見覚えすら無かったが、アキトも彼女には出会った時から懐かしさを感じていたのだ。そしてそれは決して気の所為なんかではなく、アキトも先日になって漸く彼女の存在の一端に辿り着いたのだ。

 彼女の声を、アキトは《アークソフィア》に来る以前から知っていた。《月夜の黒猫団》と苦楽を共にしていたあの時から此処に至るまで、彼女はもしかしたら自分の事をずっと見ていてくれていたのかもしれない。

 

 だが、疲労困憊の今の彼女にそれを聞くのは憚られた。弱味に漬け込むようでそれはただただ虚しかった。何も話してくれないのは、話したところで分かり合えない、解決しないと思っているからだろうか。

 それでも、彼女が何か悩んでいるのなら力になってあげたいと思うのは、傲慢だろうか。

 

「……あんな事をしたのに、アキトはアタシに優しいんだね」

 

 そんな静寂を先に割ったのは、他ならぬストレアだった。彼女を見やれば、儚げに目を細めながら過去に想いを馳せているかのように、未だ遠くを見つめていた。もしかしたら、何も言えずにいた自分に気を遣ったのかもしれない。

 

「アタシの事、憎いもんね。あの時も、あんなに怒ってたし」

 

「……それは」

 

 彼女が言っているのは、96層でのアキトの“暴走”の事だろう。彼女を傷付けた感触を、今でも鮮明に思い出せる。

 弁解か、謝罪か。何か言おうと口を開くが、ストレアは切なく微笑んだ後、ふるふると首を左右に振った。

 

「でも、今日は助けてくれた。アキトには、きっと関係無いんだね」

 

 天井を仰ぎ、感嘆するように息を吐いた。その横顔や瞳に、そんな生き方への羨望を映している事に、自分は気付けていただろうか。

 片腕を抱き、まだ肩で息をし続けるストレアは、隣りで自身と同じように壁に寄り掛かるアキトを見据えて微笑んだ。

 

「凄いなぁ……自分の命より、誰かの命を優先できるなんて……もしそう在れたなら、アタシも……もっと楽に生きられたのかな……」

 

 震える声で、無理矢理に笑った顔を作る彼女。声には悲痛な叫びが混じったように聞こえて、アキトはどう答えたらいいものか少しばかり迷う。

 その言葉に宿る羨望は、今の彼女自身を否定しているように感じた。自身の望みと仲間の命とを天秤にかけた結果、自身の願いに振り切った行動をしてしまった自分への皮肉。

 そして、アキトのような行き方への憧れ。

 

「……そんな、格好の良いものじゃないんだ」

 

 彼女の隣りで、震える声で。そんな心の中はいつだってギリギリで。それを誤魔化し、強がり、自分に言い聞かせる日々を続けているだけ。

 あの頃の自分を思い出したくなくて、あのような過去をもう見たくなくて。ただ、それだけで。

 

「……俺、さ。自分の事なら、まだ諦めが着くんだ。けど、誰かが傷付くのを見るのは……すぐ手が届く場所にいるのに何も出来ないのは……間に合わないのは……もう、本当に……」

 

 ────もう、あの一度限りにしたかっただけ。

 だから、自分と他人を天秤に掛けるよりも先に身体が動いてしまうのだ。決して死にたい訳じゃない。自己犠牲のつもりじゃない。そんな風に、ヒーローみたいに考えていた訳じゃない。

 ただ、誰かの悲劇を見たくなくて、自分と同じようになって欲しくなくて。独り善がりの我を貫いているだけ。

 誰かを助けようだなんて、傲慢だ。そんな自分に酔ってるだけなのだと、そう思う。けれど、だから止めようなんて事もなくて。こうしてここまで生きてきたのだから、きっともう変わらない───変われない。

 

「……それに、“約束”したから。情けないとこ、見せられない」

 

 あの日の、あのクリスマスの約束。

 それは独りぼっちの中、誰に立てたものでもなく。もう既にいなくなってしまった者へ向けての宣誓のようなもの。

 自分で分かっていたのだ。大切な人は、もういない。それでも、本当は見守ってくれているのだと、そう思わずにはいられないのだ。

 

「約束、かぁ……そっか。そう、だったね」

 

 ストレアは、途切れ途切れに言葉を紡ぐ。冷たい黒曜石の壁に寄りかかり、暗く先が見えない天井を見上げながら、彼のその志しを思い出したかのように口にする。

 

「アキトは今までずっと、その“約束”のおかげで進んで来れたんだもんね……忘れてた。アタシ、本当はずっと前から知ってた……っ」

 

「っ……ストレア、君は……」

 

 その言葉の意味を、聞くほど野暮ではなかった。けれどそれ故に言葉が出てこなかった。その言葉の続きをこれから彼女に尋ね、伝えれば良かったのか。そして、今彼女が抱えているものが一体何なのかを、今聞くべきか否かを、この時本気で迷った。

 

 

「……羨ましい」

 

 

 ────ポツリ、そう静寂の中で零れ落ちたのは、紛れもない彼女の本音。

 思わず顔を上げ、驚いた表情を隠せぬままにストレアを見やる。今も尚弱々しく震える身体をどうにか律し、壁に頼りながらゆっくりと立ち上がった。此方の瞳を真っ直ぐに見据えた彼女は今にも崩壊しそうな悲哀の笑みを浮かべ、心の奥底に宿るものを浮き彫りにしたような声音で告げた。

 

「アタシには、何も無いから……誓いも、約束も、何も無い……空っぽなの。このままアキトの邪魔をし続けて、みんなを倒しても……きっとその先に、誇れるようなものは無い……」

 

「……」

 

「とっくに分かってた……この道の先に、アタシの欲しかったものなんてない……」

 

 不意にその指が動く。彼女を繋ぎ止めようとして自然に伸びたその腕に、彼女は酷く怯えた。過剰な程に震え、逃れるように後退り、胸元で両手を結びながら自身を守るように離れていく。

 アキトに、アキト達に、これ以上近付くのが怖いのだとその身が言っていた。

 

「でも……ううん、だからアタシは……貴方みたいにはなれない。そんなに、アキトみたいに……強くなんてないものっ……」

 

 ────そうやって震えるストレアは、今まで共に過ごしたどの瞬間の彼女にも当てはまらない、泣きじゃくる子どものような顔をしていた。その瞳に涙が溜まっているのを、アキトは初めて目の当たりにしたのだ。

 伝えようとしていた言葉は、全て脳内から霧散した。あまりに衝撃的で、あまりに儚くて、あまりに切なかったから。天真爛漫で自由奔放な彼女が嘘であったかのように、強がりであったかのように、夢幻であったかのように消えていく。

 

「ストレア、話してよ。俺達はまだ、何も話し合ってないじゃんか。君の悩みや気持ち、それを分かってあげられるかは分からないけど……」

 

「分かる……?ううん、他でもないアキトには、絶対に分からないよ……他人を助けようとはする癖に、自分の命は無視してる貴方なんかに……死ぬのが怖いアタシの気持ちなんて……!」

 

「っ、違うっ……俺は別に死ぬ気だった訳じゃ……!」

 

 その皮肉めいた言い方に、流石のアキトも僅かに狼狽える。沈黙を維持するしかなかったにも関わらず、彼女のその物言いに僅かな苛立ちと、焦燥を覚えて、すぐに言い返した。

 

「────っ!」

 

 ────途端に、ズキリと痛みが脳内を通過し、思わず片手で頭を抑えた。直後、ジワジワと身体の中で何かが熱を生み出し、それが込み上げてくる感覚が目元まで昇ってくる。96層でも感じた、自身の内に秘める“何か”の躍動を感じた。

 何故今このタイミングでと呪ったが、まるでストレアへの反論を妨害するかのようにその痛みは継続していく。彼女は、アキトの言いかけた言葉など無視して、自身の言葉を重ね続けた。

 

「確かな命を持っているのに……それをぞんざいに扱う貴方が、堪らなく嫌い。貴方に、アタシの気持ちが分かる訳無い……聞いたって、何も変わらない……」

 

 勝手に自己完結して、一歩一歩と後退りし始める。言いたい事ばかり言って、此方の言葉を待とうともしてくれなかった。何かを伝えなければと口を開いても、声にならない音が呼吸音と共に霞みゆく。

 ストレアはもう、此方を見ていなかった。手元には、青く光る直方体の宝石──転移結晶が握られていた。

 

「……待、て」

 

 まだ何も、君に伝えてない。聞きたい事を聞けていない。痛みなんて知るかと頭を振り払い、思わず一歩踏み締めた。

 彼女を逃がすまいと、その手を伸ばす。僅かに届かないと理解した瞬間、もう此方を見る事は無いだろうと思っていた彼女が振り返って、

 

 

「貴方じゃ、アタシを救えないよ────アキト」

 

 

 ────突き付けるように、そう告げて。

 気が付けば、彼女は転移結晶の淡い光と共に、アキトの手をすり抜けて消え去っていた。

 所在無さげに伸ばした手が虚空を掴み、やがて力が抜けて落ちる。あれ程までに苦しかった痛みは、何事も無かったかのように綺麗さっぱり消えていた。

 けれど、そんな事などどうでも良かった。ただ、アキトはもう何も存在していない闇色の空間をぼうっと見つめながら、彼女の告げた言葉を脳内で繰り返していた。

 

 

 お前じゃ自分は救えないと、確かにそう言われた。

 

 

「……じゃあ、何でそんな顔すんだよ……」

 

 

 涙を零して、縋るような、訴えているかのようなその表情を浮かべて消えていったストレアの顔を、忘れる事なんて出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 色々な事が重なって、それは絡み合う糸のように段々と複雑になってきて。何から手を付ければ良いのかとか、何を優先すべきなのかとか、そんな事を考える以前に、今自分は何をしたいのだろうかと考える。

 最前線で攻略組に参加した当初は、たった一つの目的があった。自身の掲げた誓いと約束があった。けれどその内容すら抽象的で曖昧で、具体的な行動方針は何一つ決まっていなかったなと、今になって思った。

 

 ストレアに話を聞くどころか、痛いところを突かれて癇癪を起こすくらいには、自分もまだまだ子供だったという事だ。シリカの事を後回しにしてまで彼女の傍にいる事を決めたというのに、唯一分かったのはストレアとアキト自身の、思想のズレのようなものだった。

 

 既に帰路に立っていたアキトの視線の先には、現在拠点として使用しているログハウスが常緑樹に囲まれて建っていた。自分以外には誰もいないのだから当然なのだが、日が沈んだ薄暗闇の中では静寂な雰囲気はより一層のものになっている。孤独に建てられたそれに、購入当初何故かとても共感したのを覚えている。

 

「アキト君」

 

「────」

 

 木々の隙間から冷たい風が、甲高い声のような音と共に吹き抜けた。その風上からその音と共に、よく知る声が聞こえてくる。ピタリと、思わずその足を止めた。だが動揺するでもなく顔を上げ、前髪の隙間から僅かに眼を覗かせてその影を辿る。

 態々確認するまでもない。こんな時、いつだってアキトの前に立ちはだかるのは、決まって目の前の少女なのだから。

 

「……アスナ」

 

「……遅かったじゃない。寒い中待ってたんだよ?」

 

「……別にそんなの、頼んでない」

 

 少しばかり冷たく、突き放したように言った。だがアスナは何も言わず、仕方なさげに微笑んだ。此方の皮肉めいた発言もただの八つ当たりだと知っているから。続けるだけ無駄だと、アキト自身もそう思った。

 互いに何も言わない、何も聞かない時間が数秒続く。その何も無い間隔の中で風だけが木々を揺らしざわめかせる。それが不穏だと感じた時、ふと思った。こんな薄暗闇の中、幽霊の類が苦手なはずのアスナがたった一人で自分の帰り待ってくれていたのだと。それに気付いた途端に罪悪感が襲ってきた。

 故に、彼女がそうしてまでここに立つ理由、目的、その先の結果を、自分は伝えなくてはならない。ストレアの事を、彼女に伝えなければならない。だがストレアの事を思い出す度に、自分が惨めに思えて仕方が無くて、気が付けば自然と自嘲気味な笑みが浮かんでいた。

 

「……少しだけ、思ってた。もしかしたらフィリアの時みたいに誰かに脅されてたり、そうでなくても何かに操られてたり、とかさ……」

 

「それは……ストレアさんのこれまでの行動が、自分の意思だったってこと?」

 

「そう、かもね……でも、それを確かめる方法はもう無い。ストレアがどうしてあんな事をしたのか、分かってあげる事すらできないんだ……」

 

 ずっと一緒に居たはずなのに。全然分かってあげられてなかった事に、ストレアが居なくなって漸く気付いた。あんなに思い詰めているだなんて、知らなかった。

 思えば彼女が普段の笑顔とは別に、物憂げな表情を浮かべているところを、アキトは何度も目にしていた筈だった。あのどれか一度でも、親身になって話を聞いてさえいたのなら、今とは違う結果になっていたかもしれない。

 

「何かに追い詰められていて、話してもきっと聞いてくれなかった……もしかしたらシリカも……って、そう思った」

 

「……そんなの、勝手な決めつけだわ」

 

「分かってる。けど、一度壊れたものが元に戻らない事も、きっとあるんだよなって……ちょっと思っただけ」

 

 その一言だけで、アスナは口を噤んだ。事情も何も聞けなかったけれど、これまでの行動は全て、ストレアの意思によるものなのだと本人に告げられたのだから。だから此方が彼女の為に何かしてあげられる事や、助けてあげられる事なんて無い。何より彼女は、アキト達に自分が助けられるとは露ほどにも思っていないようだった。故に、もう話し合いを前提に行動する事はできなくなった。

 永遠に変わらないもの。そんなものは無いのだと突き付けられた気がした。97層のボス戦でも、きっと彼女は────

 

「……っ」

 

「アキト君……」

 

 悔しくて苦しくて、下唇を噛み締める。現実なら血が滲むであろう程に。両の拳は、無意識に強く握り締められていた。これは、何も話してくれないストレアに対する苛立ちなのだろうか。それとも、不甲斐ない自分への怒りだろうか。それさえも、もう分からなくなってしまっていた。

 不意にアスナが自分の名を呼ぶ。けれどそれに応じる事は無く、アキトは顔を逸らした。そうして、もう話す事は終わったと言わんばかりに無視を決め込み、変わらず顔を伏せてその横を通り過ぎようとした。

 

 ────その瞬間、右手をアスナに掴まれた。アキトは立ち止まり、けれど彼女の方を振り返る事はしない。変わらず身体は帰路の先のログハウスへ向かい、顔は相変わらず下を向いている。此処に来てから、アスナの目すら見ようとせずに必死になって長めの前髪の隙間から覗いていた。

 だからアスナが今、どんな表情をしているかは分からなかったが、その声音は何処か真剣味を帯びていた。

 

「ねぇ、こっち向いて」

 

「……」

 

「っ……顔を上げて、こっちを見なさい!」

 

 怒気を孕んだ声と共に、握られた右手を引っ張られた。抵抗する事も無く、アキトの瞳は身体ごと反動で彼女の方へと向けられた。目元を隠していた前髪はそれによって揺れ、顕になった瞳はアスナのものと交わった。

 彼女の表情は、此方を向かないアキトに対しての苛立ちを含んでいた。だがそれも最初の一瞬だけで、目が合った瞬間にその表情は強張って、やがて驚愕に満ちていた。

 けれど、アスナのその表情の理由を、アキトは知っている。

 

 

「アキト、くん……その、眼……!」

 

「……」

 

 

 ────アキトの瞳は、血のような真紅に染まっていた。

 

 それは96層のボス戦時に、ストレアと戦闘した際にアキトが見せたものと同じだった。つまり、“暴走”時の姿という事。その事をアキトは既に、ストレアを迷宮区で見失った後、黒曜石の壁に映る自分を見て気付いていた。暗いダンジョンの中でも赤く鈍く光るその瞳に、自分のものであるにも関わらず戦慄した。

 口元を空いた片手で抑えるアスナに、アキトはバツが悪そうに呟く。

 

「……ストレアの物言いに、少し苛立っただけでこれだよ……案外、自分じゃなくなる日は近いのかもね」

 

 なんて、自嘲気味に笑った。

 僅かな怒りも苛立ちも、この胸に住まう“何か”は許してくれないのだと知ったから。その感情を抱く時、得体の知れないそれ(・・)は隙と捉えて這い寄って、割り込んでくる予感がある。今でさえ頭の中で、粘ついた声でクスクスと何かが笑っている気がした。

 

 シリカやストレアだけじゃなく、アルベリヒの事や、その他にも山積みになっている問題があるのだ。ストレアの言うように、確かに自分を蔑ろにしていた部分は今までにあったかもしれない。しかし正直、このままだと誰かを傷付けてしまう危険性がある以上、今の自分の事まで蔑ろにする訳にはいかなくなっていた。それどころか、最優先事項まである。だから、早くアスナから離れたかった。

 アスナに手を引かれた時に抵抗せず振り返ったのは、彼女にこの眼を見せる為だった。これで彼女をシリカのように怯えさせ、繋がれたその手を払い除けるつもりだった。それがどれだけ最低なやり方であろうとも、彼女の為だと自分に言い聞かせて。

 

 

「っ……アスナ?」

 

「────」

 

 

 けれど。

 

 

「っ……離して」

 

「……やだ」

 

 

 予想に反して、アスナがアキトの手を離す事は無かった。いや、予想していなかった訳ではなかった。今までだって、彼女は決してアキトから離れたりしなかったのだから。それどころか今は、掴んだその手からその細い指を絡めてきていて。

 流石のアキトも、看過できない領域に達していた。

 

「っ……や、マジで……今回はホントに……っ」

 

「独りの方が楽だって思ってるんでしょ。私はまた前みたいに鬼ごっこしても良いけど?」

 

「……」

 

「……え、な、何よ……どうしてそんな目で見るのよ」

 

 信じられないものを見るような目で見つめるアキトに、ふふんと笑みを見せていたアスナが途端に自信なさげに表情を曇らせる。何故そんな余裕そうな表情と声でそんな事言えるんだと、素直にそう思ったし、なんなら少し引いてるまである。

 本当に怖くないのか、それとも気を遣って精一杯演技をしているのか。もしそうなら脱帽ものだと賞賛を送るレベルだ。最も、SAOじゃ感情がダイレクトに表情として現れるので、思った事はすぐにバレる。だから、今アスナがアキトに感じているもの、今見せている表情は、決して嘘偽りではないということ。

 

「……本当に君は、俺が怖くないんだな……」

 

「……怖い事、辛い事……これまでだって沢山あったもの。それに比べたら、アキト君がちょっと短気になったくらい、どうって事ない」

 

「や、短気とかってレベルじゃないと思うんですけど……」

 

「平気だってば。どこかの誰かさんのおかげで、前よりずっと豪胆になった気がするもの」

 

「……その割にまだ幽霊は苦手みたいですね」

 

「な、なんの事かな……」

 

 目を逸らして誤魔化すように笑うアスナを見ていると、少し仕返しが出来たみたいで、何だか可笑しかった。仏頂面を自覚してはいたけれど、気が付けば口元は自然と綻んでいた。

 何を言っても無駄だった事なんて、今に始まった事じゃない。こういう肝心な時ばかりは、キリトの仲間達は揃いも揃って頑固なのだ。

 それを忘れる度に───忘れようとする(・・・・・・・)度に、思い出させてくれるのだ。

 

「んんっ……そんな事よりも、君の話をしましょう」

 

 わざとらしく咳き込み、一度瞑った瞳を再び開く。空気をリセットさせたかの如く、彼女の表情は真剣そのもので、けれど何処か優しさに満ちたものに変わっていた。

 

「……落ち込んでる。すぐに分かる」

 

 触れて欲しくない部分に、土足で踏み入られた気分だった。けれど、どうしてか口は自然と言葉を紡ぎ、気持ちを吐露していく。

 

「……俺じゃ救えないって、言われたんだ」

 

「言われたからって諦めるの?らしくない。私達はまだ、ストレアさんが何に苦しんでいるのかも分からないのに」

 

 そうだろうか。そうかもしれない。自覚はあった。

 色々屁理屈を捏ねて、拗ねて、不貞腐れているだけで。結局のところ心の奥底に沈めてある答えなんて、変わらずそこに在る。けれどストレアの言葉を思い出す度に、それは間違いなのかもしれないと自己完結してしまう。

 奥底に沈めた解を再び引き上げようとするのは、とても難しい事だった。

 

「そうだよ……何から助けるのかも分かってない。そもそも助けて欲しいとも言われてない。こっちが勝手に深読みしてるだけで、実際は本当に助けを必要としてないのかもしれない。知ったところで納得できるとは限らないし、救えるかも分からない。理解の先が────っ」

 

 早口で捲し立てる自分に、他でもないアキトが一番驚いた。ふと我に返り、バツが悪そうにアスナを見る。だがアスナは、何も言う事はせず、笑ったりもせずに、アキトの言葉の続きを待ってくれていて。

 

「……理解の先にあるものが、決定的な決別って事もある」

 

 誰もが相手の事を分かりたくて距離を縮めようとするのだろう。けれど、話を聞いたところで理解出来るかはまた違う問題だ。見解の相違、価値観の違い、性格の相性、ほんの些細なズレで亀裂は簡単に生まれる。その亀裂は修復するよりも壊れる方が早く、容易だ。

 彼女の話を聞いたところで、助けてあげられるかは分からない。無駄な期待をさせるだけなのかもしれない。本当は困っていないのかもしれない。そうやって色々理屈は重ねてごねてはいるが、結局のところ迷いの理由は明白だった。

 

「……多分、怖いんだ。この道を選んだその先で、また後悔するんじゃないかって……そんな予感があるから」

 

 この道を、進みたいとは思う。けれど、それは正しい事なのかは分からない。彼女は既に多くの者を手にかけている。もう一度仲間として引き入れるのは最早難しい領域にまで来ているのだ。

 攻略組から派生して、ストレアの噂は徐々に広がっている。彼女を捕縛、それが無理なら殺すのもやむ無しという考えまで現実味を帯び始めている。本来ならば、無駄に被害を増やさぬ為にもそれに賛同するべきなのだと頭では分かっている。それでも諦め切れないのは、仲間としての情なのだろうか。

 みんなを巻き込んだら最後、取り返しのつかない結末を迎えないという保証も無い。

 

「それでもストレアさんを……助けたいって、思ってるんでしょ?それはどうして?」

 

 ────その問いを聞かれた途端、考えていた思考が弾け飛んだ気がした。

 

「え……どうしてって……理由?な、なんでそんな……んなの、今まで聞いた事なんて……」

 

「彼女を倒した方が良いかもしれないって分かってるんでしょ?でも、そうしたくない、助けたいと思ってる理由……聞きたいの。君の口から、君の言葉で」

 

 理由。理由。ストレアを助ける理由。アキトは、アスナからまた目を逸らした。傍から見れば、確かにストレアは大罪を犯している。行く手を阻まれ、仲間を傷付けられ、攻略組を壊滅させられ、死者も出ている。助けるどころか、打倒しなければならない相手だ。

 ふと、フィリアを助けに行くべきかを迷った時の事を思い出した。アキトの苛立ちを知ってなお、大事なことを言葉に出来ないアキトの癖を知っていてなお、彼女はこうして近付いて来る。

 

「理由、なんて……元々仲間だった訳だし、現状に納得した訳じゃないから」

 

「それだけ?」

 

「それだけって……」

 

 そう伝えても、アスナは何も変わらない。変わらず、此方を見るだけ。それが物凄く腹立たしくて、苛立って。

 理由なんて、アスナ達とそんなに変わらない。言葉を重ねても、単語を言い換えても、付随する何もかもは彼らと変わりはしない。

 

 けれど、分かってる。それとは別に、心の中では確かにストレアとだけ結びついているものがある。誰にも伝えていない、誰にも教えたくないような、あの時間の事を思い出す。きっとアスナには分かっていて、それを言葉にして欲しいのだと気付いた。

 

「ぁ……っ」

 

 口を開き言いかけても、口が何度か形を変えるだけで結局は口を噤む。確かにアスナ達と思っている事は同じだ。けれど、それが全部じゃない。考えて、出し尽くして、絞り出してもなお残っているもの。みんなには無くて、アキトにだけあるもの。

 小さく、息を吐く。なんとなく恥ずかしくて、告げるのが格好悪くて、心の中でだけ掲げていたもの。あの黄昏時の、二人きりのあの場所で。

 

 

 ────“約束する”

 

 ────“何処にいたって”

 

 

「────“君を見つける”って、約束したから」

 

 

 クリア後に不安を抱えているように見えたストレアへ向けた、なんとなしな誓い。けれど、口にしたそれを決して忘れる事はなく、ずっと心の何処かにはあった。

 拒絶されてもなお彼女を助ける為の理由として、言い訳として、誰にも告げずに後生大事に持っていたものだった。それを聞いたアスナは、それで良いのだと微笑んで、

 

「……なら、もう悩む必要なんか無いんじゃないかな」

 

 そうして、アキトの指に絡めていた自身の指を解いた。一歩だけ後ろへ下がり、繋がれていたその手から視線を上げる。

 

「アキト君はもっと、自分のしたいようにするべきだと思うな。君って凄く優しいから、自分の事は二の次……三の次くらいにして色々考えちゃって、ひねくれて、拗らせて……そうやってずっと、遠回りしてきたんだろうから」

 

 まるでそうなった自分の過去を、見てきたかのように呟く。それを何処か嬉しそうに話すアスナから、アキトは目が離せない。

 

「でも今度はね、私が貴方を助けるの」

 

 アスナは誇らしげにそう宣言する。自信に満ち溢れた声と、慈愛に満ちた表情で。そんな、とても格好の良い言葉を。

 

「今までずっと、アキト君に頼って来たんだって……気付いたから」

 

「アスナ……」

 

 アキトには目の前アスナが、これまでのどの瞬間の彼女とも違って見えた。清々しく透き通った声で、見たことも無い表情で、震えるような決意で。アキトは何も言えずに、ただそれを黙って聞いていた。

 ふと、アスナは空を見上げる。つられて上を見れば、満天に星々が煌めいていて、暗い夜道を照らしてくれていて。

 

「この世界に来たばかりの頃は、ただ必死に戦って……独り善がりで奔走する日々だった。キリト君がいなくなってからは、ユイちゃんの事も忘れて自分の事ばかり……それが今は、誰かの為に必死になる事ができる。自分がそう在れる日が来るなんて思わなかったな。……君のおかげだよ」

 

「……そんな、こと」

 

「……この前、アキト君を助けられて本当に良かった。あんなに嬉しかったの初めて。君に助けられてばかりだったから、漸く対等になれたような気がしたのかも。達成感っていうのかな……上手い表現が見付からないや」

 

 それは、96層での出来事。暴走するアキトを、アスナ達全員が身体を張って止めてくれた時の事だった。死ぬかもしれない瀬戸際で、全員がストレアを守る為に、アキトを助ける為に戦ってくれたこと。

 思いを馳せるように呟いて、最後にはまた瞳が交わる。

 

「────君に生き方まで教えられた気がする」

 

「……そんな、大袈裟な事じゃない」

 

「それを決めるのは、私だよ。……決めたから、アキト君の傍にいたいって思った。君から教わった全てに、恥じない自分で在りたいから」

 

 誰かの為が、ひいては自分の為になっていた。傍から見ればそうでなかったとしても、自分の中ではそうだと思う事ができていた。突き詰めれば自分の為なのだからと。故に感謝される事なんかではないと考えていたのだ。

 アスナがそんな風に思ってくれているなんて予想だにしていなくて。驚くと同時に全身が熱くなり、胸の奥から込み上げてくるものを感じた。

 

「ねぇ、アキト君。先の事なんて誰にも分からないよ。どの道を選んでも、その先に間違いや失敗はきっとあると思う。けど、月並みの言葉だけれど、やらないで後悔するよりも、やって後悔した方が良いって私は思うな」

 

「……それでも、辿る結果はあまりにも違うかもしれない。選んだ結果みんなが……死ぬ事も、あるかもしれない」

 

 彼女を倒すよりも、彼女を無力化する事の方が遥かに難しい。その上で話を聞こうだなんて、自殺願望も良いとこだ。それを選んだ結果の方が被害が大きいのは目に見えていた。仲間が、大勢死ぬ事になるかもしれない。いや、恐らく死ぬだろう。いつか見た夢の景色が現実なるかもしれないのだ。

 それでもアスナは、ただ小さく頭を左右に振った。そんな事ないよと瞳が告げている。真っ直ぐにアキトの瞳を見据えて、ゆっくりと口を開いた。

 

「そうならない為に、私がいる。アキト君の生き方を見てきたからこそ、そう思える私は此処にいるの。確かに不安だし、怖くないって言ったら嘘になる。自分でも変わっちゃったなって思う。でも仕方が無いじゃない、それが良いと、そう思ってしまったんだもの」

 

 その頬が、僅かに朱を添えて、揺れた。

 周りの空気が重く感じられていたその中で、アスナの声だけが風や森の音に妨げられること無く耳に入り込む。彼女の瞳は何かを企んでいる様子もなく、何度でも折れること無く此方に言葉を伝える気力だけを確かに感じた。

 一歩、ログハウスへと続く床板を鳴らして近づいた。思わず上げていた視線が、彼女の瞳に吸い付けられる。

 

「アキト君に教えるよ、それこそ何度でも。貴方には頼るべき仲間がいるって事を。誰かを頼る事に慣れてない君が、何度それを忘れても」

 

 ぐい、と瞳を近づけるアスナ。彼女との距離が、驚くほどに縮まる。彼女の瞳の中に映り込む自分の姿がよく見える。互いの吐息が交わりそうなほどの、そんな距離。

 段々と、先ゆく未来の不安が消えていくのを感じる。それが気の所為だとしても、一時の麻薬のようなものだとしても、その身を委ねるだけで何もかもが上手くいく気さえ起こる。今ならストレアを助けられるかもしれないと、理由無き確信が芽生え始めてくる。

 

 また、アスナに助けられたな────と、そんな事を考えていると、彼女はまた一歩、アキトに近付いた。もう、ただの友達では有り得ない程の距離感まで来ている。思わずアキトも、アスナの名を呼んだ。

 

「ア、スナ……?」

 

「けど……もし、アキト君が選んだ未来が、取り返しのつかない酷いものになったとして……その事実に貴方が耐えられなくなって、逃げ出したいと思ったのなら────」

 

 彼女は更にアキトに近付き、周りの木々にさえ聞こえないような声で小さく囁いた。

 

 

 ────その時は、私も一緒に逃げてあげる。共犯だもの、独りになんてさせないわ。

 

 

 それは、脈動する心臓を指で直接絡め取る様な、甘い声だった。思考や精神の支柱を弄び、抗う心を丸ごと奪い去ってしまうような、そんな音色。

 たった今感じていた彼女への感謝の念や、申し訳なさ、今後の問題に対する懸念全てが吹き飛ぶような破壊力。

 当の本人は、悪びれることも無く、クスリと微笑んでいた。自分で放った言葉の意味を分かっているのだろうか。だがまあ、何にせよだ。

 

 

 ああ、そんな事になったらキリトに殺されるから、その選択肢は絶対に取っちゃ駄目だなと、鳥肌になりながら────呆れたように笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Episode.123 『理由(君を助けたいわけは)

 

 









アキト 「……ねえ、最後の意味分かって言ってる?なんか駆け落ちの申し出みたいに聞こえたんだけど」

キリト 「魔性の女やで……!」(震え声)

アスナ 「え、あ……!あ、敢えてよ、敢えて!アキト君は絶対に逃げ出したりなんかしないもの!」

アキト 「お、おう……信頼されてるみたいで何よりです……」



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Ep.124 追想





強さとは、必ずしも結果で示されるものじゃない。そこを目指す過程にこそ、在り方と覚悟が試される。




 

 

 

 

 97層迷宮区。

 

 そのボス部屋前の通路は一直線にある程度続いている。その麓が回廊結晶を繋いで攻略組が現れる集合場所である。もうこの辺りに来るような輩は攻略組か《血盟騎士団》の上層しか有り得ない。ゲームとして楽しめるレベルはとうの昔に終わっている。そんな楽観視でさえ、本当は初めからあってはいけないものだったが、度胸試しで来るような死に急ぎがいないだけ有り難いと、壁に凭れながらそう思った。

 

 集合時間にはまだ早過ぎる。だというのに、今日に限って目が冴えた。普段朝には弱く、目蓋が重くなり二度寝を決め込む事は現実でも仮想世界でも珍しくはなかった。最も、前線に来てからは目的意識があった為にその限りではなかったけれど、最近は連日眠れぬ夜を過ごしたからか不眠に拍車がかかってきていた。

 

 あと何度そうした夜を過ごし、日々を重ねる事ができるだろうか。アキトは天井へと向けていた視線を下ろし、遥か先に仄めく大きな扉を凝視する。固く閉じられ、来る時以外にその口を開く事の無い地獄の扉。あの先に、既に彼女はいるのかもしれないと思うと、その物理的な距離の近さに緊張が走る。

 

 早く時間になって欲しいような、このまま時間なんて止まってしまえばいいような、そんな矛盾ばかりを抱えた複雑な心中が、何もせず此処に突っ立ってるだけの自分自身をイライラさせる。このまま何もせずにいたら、嫌な思考ばかりに脳が軌道を変えていく気がした。ボス戦当日だというのに、思えばこれまで戦略や戦術に関する作戦ばかり練っていて、ストレアに対する心構えなど何もできてはいなかった。

 

「っ……はぁ」

 

 覚悟を決めたはずだけど、いざ彼女と相対した時に自分は何を思い、どんな言葉をかけるだろうかと、悩みに悩んだ。それでも答えなんて出てこなくて、気が付けば数時間経っている事もあった。

 だから複雑だ。会えばきっと言葉なんて自然と出てくるだろうから、早く時間が経ってしまえばと思うのに、もしそんな事は無くて、彼女の顔を見た瞬間にしどろもどろになりながら何一つ進展しなかったらと思うと、ボス戦の時なんて来なければ良いのにと思う。

 

(誰かの事で、こんなに悩んだのは久しぶりだな……)

 

 それこそサチやキリトを除けば、最前線ではストレアだけだ。出会いは突拍子も無い事で、特に知り合いだったわけでもなくて、けれど妙に懐かしさを感じさせる彼女は、その天真爛漫な性格と笑顔で多くの人達に幸福を与えて暮れていた。それは決して過言ではなくて、彼女が笑ってくれるだけで嬉しかった。

 そんな不思議な存在だった彼女が、いつの日か傍にいるのが当たり前になっていて。ストレアにあれ程拒絶され、仲間だって傷付けられたというのに。それでも諦め切れないのは、そんな当たり前の日常に彼女がいて欲しいと願ったからだろうか。

 それが、自分だけでない事を祈るばかりだ。

 

「────っ」

 

 ふとすぐ右手側の階段から、何者かが此方へと上ってくる音がし始めた。考え事をしていたせいか対応が遅れ、慌てて背を壁から離す。コツコツと、静寂の中でブーツが階段を叩く音が木霊する。次第にそれは大きくなり、その存在が近付いてる事を知らせてくれる。

 先程も言ったが、97層ともなれば此処に足を運ぶ酔狂な輩は限られてくる。攻略組やその候補となるプレイヤー、つまるところ同業者だ。そうでなくとも此方に敵意を向けるような連中である事は考えにくい。まして、オレンジプレイヤーなどが此処に来る理由なんて無いのだから。

 

 その予想は的中したようで、階段を上り切り、その影から姿を現した少女を見て、アキトは目を点にした。

 

「し、シノン……」

 

「はぁ……此処にいたのね」

 

 大きめの弓を肩に下げ、怪訝な顔で溜め息を吐きながら───シノンはそこにいた。

 

 チラリと後ろを振り返り、登り切った階段を煩わしそうに見た後、小さく溜め息を吐いて向き直った。後続に誰も居ない事に気付くと、アキトは思い出したように目を見開く。

 

「……え、一人?シノンさん、一人で此処までいらしたんですか……?」

 

「別に平気よ。誰かさんが顔すら見せない間も、それなりに成長してたから」

 

 何その口調、と可笑しそうに言いながら歩み寄る。彼女の言い分にバツが悪そうに目を逸らしていると、すぐ隣りでアキトと同じように黒曜石の壁に寄りかかった。

 

「だからって、一人で来るのは」

 

「自分の身は自分で守るわ。アンタこそ、一人でこんなとこで……随分早い到着じゃない。集合時間、まだ先でしょ?」

 

「……まあ、ね。ちょっと考え事……」

 

 家にいて時間まで仰向けになってても、色々と考えてしまうだけだった。そんな静寂が嫌で予定時刻よりも前に此処へ来たは良いが、場所が変わっただけで結局のところ同じだった。

 長いようで短い未来で、彼女と対峙する。距離にしてみれば、ほんの数十メートル先に君がいる。その時、自分はどうするのだろうかと抽象的で曖昧な思考をぼんやりと脳内で掲げるばかりだった。何の為に移動したのやら……。

 

「そんな事より、シノンは?なんで此処に……」

 

「さあ、どうしてかしらね」

 

 そんな惚けた態度で、シノンは上体を少しだけ前に傾けた。隣りで寄り掛かるアキトの更に先、通路の奥深くに聳える巨大な扉に視線を向けながら、やがてその瞳を細めた。恐らくあの先にいるであろう彼女の事を、頭に思い浮かべながら。

 

「……ストレアに会ったって、聞いたわ」

 

 ────白々しい態度を取っておきながら、本題を切り出す速度が異常過ぎる。思わずギョッとしながら彼女を見る。依然として変わらない彼女のすまし顔に、アキトは口元を曲げ、眉を寄せた。

 

「……アスナに聞いたの?」

 

「コテンパンにされたみたいだってね。……落ち込んでるの?」

 

「そんな事な……や、あるかもだけど、そーゆーのじゃなくて……彼女に会ったらどうしようかって、少し考えてただけ。俺の選択で、みんなを危険な目に合わせるかもしれないから……」

 

 その行動一つ一つに命を懸ける。最前線に来てからは毎日そうだったはずなのに、今回に限ってはその重みに違いを感じた。

 攻略組やそれに関連するプレイヤー、広がった噂を耳にした者達の殆どはストレアに対しての断罪を求めている。それは勿論多くの人を死なせた事による怒りもあるだろうが、ゲームクリアに支障が出る可能性が大きいからという現実的な意見が多かった。誰もが望んだ現実世界がもうすぐ手の届くところにあるのだ。邪魔をする存在を良く思えるはずがない。まして理由を告げる事無く問答無用で襲いかかってくる相手と分かり合おうと考える者の方が少ない。アキトでさえ、ストレアが全く知らない赤の他人であったのなら、こんなに考えたりはしなかったかもしれない。

 だから今回に限っていえば、大多数の意見がきっと正しい事であるというのは分かっているのだ。それを押し切ってまでストレアの為に行動しようというのだ。その選択で他者を傷付けるかもしれない事実に、アキトはまだ躊躇を感じていた。

 

「へぇ……怖いんだ。そういうの珍しいわね」

 

「へ……そうかな」

 

「言葉にしてくれる事、無いじゃない。アンタいつも『大丈夫』しか言わないから」

 

 何処か刺々しい物言いに苦笑する。バツが悪そうに視線を軽く泳がした後、小さく息を吐いて、ポツリと小さく呟いた。

 

「ストレアの事、まだ助けるつもりでいるのね」

 

「……それ、どういう意味」

 

 言葉の意図が分からず、思わず聞き返す。

 まるで私は違うと、そう聞こえてしまったから。驚きを隠せずに彼女を見下ろせば、彼女はアキトの心情を理解したのか左右に頭を振ると、此方を見上げまま告げる。

 

「彼女がした事はもう随分と知られてる。断罪だの処刑だの宣ってる輩が多くなってるの知ってるでしょ。けどそれは仕方が無い事だとも思ってる。理由はどうあれ、彼女はそれだけの事をしたんだから」

 

「……それは、分かってる」

 

 あのボス戦で、人が死んでいる。それもベテランの攻略組たるプレイヤーが、だ。過程として、襲ってきたのがボスだったとしても、嗾けたのはストレアだ。

 殺人というだけで罪深いが、ただでさえ不足気味だった攻略組の戦力を消耗させたのはかなり問題だった。そのうえ、この世界では強いプレイヤーというだけで名が通る。それも攻略組となれば、尚更知らない者は少ない。故に今回死亡したプレイヤーの命も、きっと個人だけのものに留まらない。彼らを知り、憧れ、繋がった絆がきっとある。家族や恋人、友人だっていただろう。

 そんな彼らにとってストレアは、大切な人を殺した仇でもある。憎しみからは何も生まないだなんて、綺麗事に過ぎない。彼女を助けられなかった自分が、彼らに何かを言う資格なんて、止める権利なんて、きっと無い。

 

「シノンも、そう思ってるの……?」

 

「私は別に……ただ、目的は知りたいって思ってる。ストレアとは、ずっと一緒だったんだから」

 

 正直、シノンだけでなくアスナ達でさえ、ストレアの裏切りとも呼べる行為を未だに信じ切れてはいないだろう。だからこそ彼女がそうしたのには必ず理由があるはずなのだと考えるしかなかった。だがそれは都合の良い考えでしかなく、目的があったとて彼女の行動に正当性がある訳じゃない。人が彼女の手によって死んでいる以上、誤魔化す事などできないし、してはいけないのだ。

 それでも、彼女にそうまでさせた理由を。ここまでしなきゃいけなかった理由を知りたいと思うのは当然だった。

 

「……俺もそう思ってた。そう思ってる……だけど……此処まで来ると、それはもうただの綺麗事でしかないんじゃないかって」

 

「……」

 

「誰一人死なせたくない。けれど、ストレアの目的も知りたいし、助けたい……その為の行動をするって決めた。……だけど、そんな我儘が通るはずがないのを分かっていて、俺は結局、またその場で足踏みしてるんだ」

 

 天秤になどかけられるはずがない。何方も捨てられない大切なものなのだ。けれど、既に引き返す道はない。現実世界に帰還する事だけを目指して二年間人々は戦ってきたのだ。現実の肉体にだってリミットがある。ゲームクリアが目と鼻の先にあるのだ。それなのに、ストレア一人の願いの為に攻略組が止まるはずがない。そんな希望など最初からなかった。

 だからストレアは、それを分かっていて相談しなかったのだ。理由も何も話してくれない。話したところで理解も解決もできないのだと決め付けて。

 故にこのまま進めば何方も平行線、互いに命のやり取りを選択しなければならない。この場所は既に、その領域なのだ。

 アキトは、シノンから視線を外して反対方向に続く道の先、ボスが待ち受ける巨大な扉を見据えて口を開ける。

 

「……もうすぐあの扉が開く。そうなればきっと、嫌でも彼女と戦う事になる。その刹那で彼女の目的を聞いて、解決する手段も手に入れて、仲間を死なせずボスを討伐するだなんて……流石に思わない。思えないよ……」

 

 きっと何かが───大切な何かが犠牲になるのだ。それが分かっていて、けど止める術を知らない。ストレアをフィールドで見掛ける事が無い以上解決策はなく、彼女と確実に対面するにはボス部屋へと赴くしかない。それはまるで予定調和のように進行していて、アキト達とストレアの決別は既に運命だった。

 誰も彼もを守りたいと願うが、今の自分にその力があると自惚れはしない。何かを失う事は、既に決定事項とも呼べた。だがボス戦を先延ばしにもできず、だからこうも不安が募っているのだ。

 アスナは言ってくれた。やらないで後悔するよりもやって後悔した方が良いと。だが事前に後悔すると分かっているのなら話は別ではないだろうかと、決意は簡単に鈍る。

 

「……俺がもっと強かったら……その気になれば何処にでも飛んで行けるような、そんな強さがあったなら……つくづく思うんだ」

 

「……」

 

「キリトだったら、ストレアが抱えていたものも分かってあげられたかもしれないのに……」

 

 誰かが命を落とす事もなく、彼女が笑顔でいられる世界線があっただろうか。網目のような選択肢全てを間違いなく選べていたら、ストレアを人殺しにさせなくて済んだだろうか。以前のようにみんなが笑い合えていただろうか。

 もうずっと、何度も何度も同じ事を考えている。何もかも覆せるような力があったのなら、ストレアも迷わず相談してくれたのかもしれない。彼女が仲間を傷付け、死に追いやる事はなかったかもしれない。袂を分かつ事はなかったかもしれない。今この瞬間に至るまでの彼女の言葉や仕草、そのたった一つでも気にしていたのなら、こんな事にはならなかったのかもしれない。そう思うと、なんだか堪らないのだ。

 キリトが居てくれたなら、救ってくれたのではないかと、また押し付けて期待してしまっている。結局、あの頃と何も変わらない────

 

 

「……っ」

 

 

 ふと、我に返って隣りを見た。

 

 

「……」

 

 

 シノンは、変わらず口を閉じたまま此方を見ていた。不安ばかりを吐露して情けなかった自分の姿を目にさせてしまった。彼女も不安なはずなのに、自分の言動一つでそれを助長させたかもしれないと思った途端、アキトは慌てて口を開いた。

 

「ご、ゴメン、ボス戦前にこんな……弱音なんて……シノンまで不安にさせちゃいけないのにな」

 

「アンタがいつも強がってるだけなのは、もう知ってるから平気」

 

 ────思わぬ返しに二度見する。シノンは慈愛に満ちた瞳を細め、何も言わずに此方を見上げている。その表情を見て、アキトはいつの日か彼女に言われた言葉を思い出した。

 

「そ、か……シノンは、知ってるのか」

 

「前に言ったじゃない。アンタの事、誰よりも理解してあげるって」

 

 言い返すようにして、僅かに微笑む。それを見て、アキトも自然と頬が緩んだ。

 彼女には何度気を遣わせたか分からない。色んな秘密を周りにひた隠しにしていた頃から、シノンは此方の事情をある程度目の当たりにしていた。だからこそ自分だけは彼を知っておかなければと、そう思わせたのかもしれない。仲間の安否を周りに黙り、時には嘘を吐かせたかもしれない。今となっては、申し訳なさしか感じなかった。

 

「けれど……私がアキトを理解してる気になってるのは自分と似てるからだって、最近思うようになったの」

 

「……それ、初めて会った頃から言ってたよね」

 

「私が勝手にそう思ってるだけなんだけどね」

 

 少しだけ、気恥しそうに声を漏らす。そんな彼女に、思えばアキトは、似てると思ってくれている理由を聞いた事はなかった。もしかしたら自分でも、無意識にそう感じていたからなのかもしれないと、今になって思った。

 そうして彼女を横目で見ると、シノンは思いを馳せるように語り始める。

 

「初めてアンタの戦いぶりを見た時は震えたわ。私が求める強さがそこにあったから。それですぐに考えた、どうしたらあの強さに到れるだろうって。結果、アンタの強さはきっと、死と隣り合わせだからこそ生まれたものなんだって、そう思ったの」

 

「……だから、攻略組に?」

 

 アキトは僅かに動揺しながらそう尋ねる。シノンはコクリと頷いた後、するすると壁を背に付けながら座り込み、その膝を抱えた。

 

「“強さ”が欲しかった。何よりも。攻略組になればそれが手に入るって、浅はかにもそう思った。勝手に、アンタを目指してたのよ」

 

 ────それはまるで、アキトがキリトに憧れた理由そのままに聞こえた。まるで自分の心を見透かされたみたいで、言葉が出なかった。彼女自身の事のように語っている手前、本当は自分に向けられたものなのではないかと、そう勘違いする程に似ていて。

 

「だから教育係にアンタを選んだ。アンタの行動一つ一つに、何かヒントが無いかって……あの時は必死だった」

 

 懐かしむように呟くシノンを、ただ見下ろす。あの時の事を、アキトは今も思い出せる。確かにあの頃の彼女は強くある事に本気で、異常な執着を見せていた。時折此方に見せる敵意に近い視線には、そんな理由があったのかと今になって納得した。

 しかしそんなシノンの表情は、次第に痛ましい笑みへと変わり、

 

「だけどアンタを見て知る事が出来たのは、期待してたものとは全然違くて……寧ろその逆の方が多かった。私は、鏡像を見せられてる気分だった」

 

「……鏡像」

 

 まるで鏡写しだと、そう告げた。それはこの場ではアキトとシノンの事に相違無く、故にアキトの瞳は揺れる。そう思う理由が彼女の口から語られるのを、何故か酷く恐れた。

 静寂で冷たい空気の中で、彼女の声は嫌によく響いた。

 

「時折見せるアンタの表情が……どうしようもなく私に似てた。過去に怯えるだけだったあの頃の私に重なった。目指すまでもなく初めから、私とアンタは同じだった」

 

「…………」

 

 ────動揺が無かったと言えば、嘘になった。傍からそう見られていたなんて気付かなかったから。あまりにも的を射たその発言から、アキトはシノンが抱えているものを少しだけ垣間見た気がした。彼女も自分と同じで、過去に何かを────苦悩を、抱えているのだと。

 だがシノンは困ったように笑みを返すと、頭を左右に振って、

 

「それでもアキトは、それを決して表に出そうとしなかった。辛くて苦しくてもそれを誤魔化して、自分を偽って、強がって、そうしてまで他人の為に行動してた。アスナも、フィリアも、アンタは救ってみせた。その心の強さだけは……私とは全然違ってた」

 

 ギュッ、と服の裾を掴み、悔しげにそう言った。そしてチラリと此方を見上げた後、再び目を逸らした。

 抱えた膝に顔を埋めるも、その頬が僅かに朱に染まっているのに気付く。

 

「……気が付けば、何の理由も無くアンタを見ている回数の方が、いつの間にか多くなってた」

 

 ────ポツリと、彼女はそう言った。

 その言葉の意味が分からないアキトではない。けれど、彼女のその愚直なまでの姿勢と言葉に、思考の逃げ道を失ってしまう。ジッと此方を見上げて、何かを期待するような眼差しで、その瞳は揺れている。

 耐え切れず、思わず無意識に視線を逸らした。答えを出す事すらしてないのだ、それが不誠実だと自覚していたが、バツが悪そうな顔をしていると自分でも分かる。だからだろうか、アキトが戸惑うその反応だけで彼女は満足そうに微笑んだ。

 

「……この世界に来て、私、少し分かった気がするの。キリトやアスナ達に、それに……ストレアも教えてくれた」

 

 逸らしていた顔を戻し、座り込んだ彼女をふと見下ろす。彼女の視線は、薄暗闇の最奥の扉からアキトへと向けられた。視線が交わる瞬間、慈愛の瞳がアキトを見据えて。

 

「強さって、なんなのかを。誰よりも……貴方が示してくれた」

 

 これまでそれを求めて躍起になっていた彼女は、漸く自分なりの答えを見つけたようだった。聞いても良いのだろうか、そんなアキトの表情を読み取ってか、シノンは小さく頷いた。

 

「……きっとね、人は大事なものが無ければ強くなんてなれない。ずっと、何かを打ち倒して乗り越える事のできる力が欲しかったはずなのに……大事なものを守ったり助けたりする心に──貴方に、私は魅せられた」

 

「……」

 

 

 ────それは、つまり。

 

 

「“強さ”は力じゃなく、その在り方なんじゃないかって思った。……だから、私は強くなれなかったんだ」

 

「────……」

 

 シノンは悲しげに、けれど清々しく言い切った。大切な“強さ”は決して力ではなく心の有り様なのだと、そう告げた。

 アキトがずっとキリトに憧れていた理由である力ではなく、心の強さを説いた。何の迷いも無くそう結論を導いたのだ。それが、シノンがこの世界で手に入れた一つの答え。

 それにすぐさま賛同するのは、アキトには難しかった。

 

(それだけじゃ……“そう在りたい”と思うだけじゃ足りないんだよ、シノン……)

 

 心の強さが大事じゃないとは言わない。寧ろ生きる為に必要な原動力だ。けれど、そう在る為に必要なのが何より“力”なのだと感じてしまう。

 ずっとキリトに憧れていた。一見して周りのプレイヤーと違うと分かったあの瞬間から、アキトは彼に幻想を抱き続けていた。押し付けといっても良い。それでもキリトはその度に、そんなアキトの期待に応えてくれたから。だからアキトは味を占めるかの如く、その力に対する欲望を膨らませ続けてしまった。

 彼のように強くなれたなら、きっと大事なものを守れると思ったから。守りたいという心だけじゃ、それは叶わないと思ったから。

 

「アキトも、強く在り続けたいと思うなら変わらなきゃね」

 

「え?」

 

「言ったじゃない。アンタは頼って貰えない側の事、全く考えてないって。私に言わせれば全っ然変わってないからね」

 

「……」

 

 何も言えず口を噤む。“誰かを頼る”というその一点において言えば、アキトは全くといっていい程に成長が見られない。これはアキトも自覚している部分だった。勿論、彼らが頼りないと感じている訳ではない。けれど過去にキリトに対して行った期待の押し付けが脳裏を過ぎり、無意識に人に頼る選択肢を除外してしまっている。

 それをアスナやシノンに言われる直後は我に返り、頼る姿勢を取ろうとはしていたものの、時間が経てばまたそれを忘れて独りを繰り返すのだ。過去によって形成され、もしくは捻じ曲げられてしまった部分はそこにあったのかもしれない。

 今回も、心の何処かでストレアの事を自分一人で考え込んでしまっていたのかもしれない。いや、実際独りで悶々としていたように見えたのだろう。だからアスナもシノンもこうして目を光らせていたのだ。まるで変わってないのだと突き付けられて、ぐうの音も出なかった。

 

「……アンタ一人が強くなったって意味無いんじゃないの」

 

「……え」

 

 顔を上げる。シノンは遠くを眺めるように目を細めて言葉を続けた。

 

「これがアンタ一人の問題だったら、私も口出ししたりしない。私も自分の抱えている事に関しては同じように思ってるから。けどストレアのことは、アンタだけが仲間だって思ってた訳じゃない。ならこれは、私達“みんな”で立ち向かうべき問題よ」

 

「……っ」

 

「それに攻略に大切なのは、ソロでの実力じゃなくてチームワークでしょ」

 

「────……」

 

 ────こういう、彼らに何かを教えられた時に、ふと思うのだ。

 目の前のシノンやアスナ達を見ていると、自分は過去から現在にかけて大切な事を履き違えていたのではないかと。

 

 それは、アキトと彼らとでは“仲間”という言葉の意味合いが違うという事だった。

 

 アキトにとって仲間というものは、この世界でできた唯一の大切なもので、決して失いたくないもので、だから自分自身で守らなければならない存在だった。

 けどアスナ達にとっての仲間は違う。大切ではあるけれど、決して大事に閉まっておくような“物”ではない。時に頼り頼られ、互いを補い合い高め合い、そして助け合う存在で。そこからは支え合って共に生きようとする姿が見てとれた。

 

 そんな彼らを見ていると、アキトは《黒猫団》を、ただ大切だからと大事に箱に閉じ込めていたのではないかと思うのだ。自分だけが宝物だと感じていたのだと思い込み、それを《黒猫団》のみんなと共有してもらえるとは思ってなかったのではないだろうかと。

 彼らを『大切な仲間』だと、その一言だけで盲目的に見ていたのではないかと、そう思うようになった。それがアスナ達を頼れなかった理由なのではないかと、心の何処かでは自覚していたような気さえした。本当は《黒猫団(みんな)》も、頼って欲しいと感じてくれていたのかもしれない。

 それを、自分は見てこなかった────

 

 それなら。

 せめてアスナ達のことはと思うのは、都合が良いだろうか。

 

「……今からでも、遅くないかな」

 

「そう思う。けどすぐには変われないんじゃない?アキト、何度言ったって聞かなかったんだし」

 

「耳が超痛い……」

 

「けど私達がみんな、アンタに対してそう思ってるって事──それだけは何度でも伝えるわ。いつか、私達が何か言わなくても頼ってくれるようになると嬉しいな」

 

 シノンは、そう言って微笑んでみせた。純粋な気持ちを真っ直ぐにぶつけられ、目も逸らせずに口を噤む。どうして此処まで想ってくれているのだろうかと、自分には不相応過ぎる人達なのではないかと、不安で堪らなくなる。

 

「俺は……君達の信頼に、報いる事ができるかな」

 

「どうしたのよ急に」

 

「みんなに貰ったものが多くて大きくて……返せるか不安になる」

 

「逆よ逆。私達は、貴方に貰ったものを返そうと必死になってるだけなのよ。借りっぱなしは癪だから」

 

 何を馬鹿な、と彼女は笑って言う。笑い事じゃないと、本当にそう思った。彼女は知らないのだ。自分が、どれほど君達の存在に救われてきたかなんて。

 お互い様だと、君はそう言うのだろうか。

 シノンは真面目な顔で、言葉を、想いを紡いでいく。

 

「……本音を言えばね、戦って欲しくない。いつまたあんな状態になるかも分からないのに、無理して欲しくないもの」

 

 それは前回のボス戦の際の“暴走”の件だろうか。それとも《二刀流》やキリトとの事だろうか。隠してる事、黙っている事、強がっている事。彼女に吐いた嘘や隠し事が多過ぎて、心底嫌になる。

 優しい彼女が、そんな危うい自分を気に掛ける事は当たり前の事だった。逆の立場であったとしてもきっと同じ事を考え、思ったはずだ。

 

「けど今は……アキトがいなきゃ、勝てない。それが凄く悔しい。多分、アスナもそう。無力な自分が……とても歯痒い」

 

「……充分、助けられた気がするけど」

 

「アンタがどう思っていようと、私がそう思ってるのよ……もっと、強くなりたいな。そしたら、アンタがどんな道を選んでも背中を押してあげられたのに」

 

 ────何も言えなかった。

 今まで自身の強さを追い求める事に必死だった彼女が手を差し伸べたいのだと、そう言ってくれている。しかもそれがアキト自身の為だと。

 聞いてるだけで────何故か、とても苦しかった。

 

 大丈夫だよ、と。そう言いたかった。それは嘘になるんじゃないかと、不意に感じた。

 

 ────けれど嘘なんて、もう数え切れない程に吐いている。偽り、隠し、騙し、その行いが全て物語っている。真の意味で、誰かを頼ったりできない愚かな自分の姿を。

 そう思った時、言葉は音にならなかった。何を告げても、嘘になってしまう気がした。ボス戦への意気込みも、彼女への感謝も、掲げた目標も、誓いも約束も。その全てが、口にした途端に色褪せていく気がした。

 嘘吐きだとそう思われるだけで。それは何故かとても恐ろしく感じた。でも口にすれば、そう振る舞えば本当にそうなると思っていた時もある。だからそう思えていない今に限っていえば、自分は怯えている。その事実だけが明確に心にあった。

 

「……仲間が危険な目に合うのは、誰だって嫌だもんな」

 

「……そうだけど、少し違うわ」

 

「違う?」

 

 言葉の意味を図りかね、ふとシノンを見る。彼女は右手で髪を触りながら、目を逸らして呟いた。

 

「好きになった男の子が危険な目に合うのは、誰だって嫌でしょ?」

 

 ────エグいくらいの不意打ちだった。思わず目と口が全開になり、顔が赤くなる。冗談だとか、自分を叱責する為の方便だろうと考えていた訳ではないが、面と向かって改めて言われると対応が分からず、思わず顔をあさっての方向へと、シノンに見られないよう背ける。自分でも熱いと感じる程に顔は赤くなっているかもしれない。

 すると、シノンはポツリと言葉を紡ぎ出して。

 

「……ねえ」

 

「……な、何でしょう」

 

「反応してくれないのは切ないわ」

 

「いや……だって、さ。急にそんなん言われても」

 

「急じゃないわ、前にも言ったじゃない。分かってるくせに」

 

「や、聞いたけど……こういう時どうすれば良いのかよく分かんなくて……」

 

「へえ、意外……じゃあ、彼女がいたことはないのね」

 

「何、急に凄い抉り方するね」

 

「けど人を誑かす事にかけては才能ね。男も女も簡単に手篭めにして」

 

「……あの、どういう方向に話を運ぶつもりかだけ聞いて良い?」

 

「別に?ただの雑談よ」

 

「この会話に落とし所が無いのは凄く困るんだけど」

 

「そう?私は楽しいけど」

 

「楽しみ方が違うんだよなぁ……」

 

 静寂の中、声を響かせながら飛び交う会話のキャッチボール。時折楽しそうに笑うシノンを見て、困ったように眉を顰め、最終的には仕方無さそうに笑うアキト。最初にあったはずの、これからの攻略に向けての不安などいつの間にか薄れていた。

 彼女の気持ちを軽視していた反動からか、彼女の素直過ぎる言動を拒絶する気が起きなくなってしまっている。現状の問題を抱えたまま、誰かと恋仲になれるほどの余裕がある訳でもない。シノンもきっとそのつもりがないから、返事を聞こうとはして来ないのだろう。

 そこまで分析できているのに何も言わずにいる事は逆に不誠実なんだろうかと、彼女の告白一つで物凄く考え込んでしまっている気がする。

 

「……別に、返事は要らないわ」

 

「……なら、何で今また言ったのさ」

 

「言いたくなったの。ただそれだけ」

 

「心のブレーキが壊れてやがる……」

 

「そんなんじゃないわ。自分を蔑ろにしてる貴方に、大切だと思ってる人が要る事を知って欲しかったの。貴方が忘れても、何度でも」

 

 壁から背を離し、アキトの横を通過するシノン。その先にボス部屋へと続く扉を見据え、小さく息を吸う。

 

 

「そんなアンタがストレアを信じたいと思うなら、助けたいと願うなら、私達も最後まで付き合うわ」

 

「……シノン」

 

 

 ────そう言って振り返り、ニッと口元を緩めて笑うシノン。そんな満面な笑みの彼女を、アキトは初めて目にした気がした。

 

 

「アンタは、私の理想(ヒーロー)だからね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.124 『追想(追いかけ続けた想いは君へ)

 

 

 








シノン 「もうすぐ集合時間ね」

アキト 「そういや、結局何で早めに来たの?」

シノン 「へ?あー……いや……」

アキト 「?」

シノン 「少しだけ……ほんの少しだけ、ね?早く会えたりしないかなって……」

アキト 「……」

シノン 「……」

アキト 「……」

シノン 「……何か言いなさいよ」///

アキト 「なんて無茶振り」

























次回 『 輝 亡(きぼう)


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登場人物設定資料 : プロフィール







IFストーリーも合わせての登場人物プロフィールです。(wiki参考)




 

 

 

 

 

「───友達を助けるのに、理由がいるのかよ」

 

 

【星を照らす月】

 

アキト : 逢沢(あいざわ) 桐杜(きりと)

 

 年齢 : 16歳(現在)

 誕生日 : 2008年 6月 12日(黒猫団全滅の日)

 使用武器 : 片手剣、二刀流、刀(一応全種熟練度MAX)

 

月夜の黒猫(ナイト・ブラック)」編のオリジナル主人公。キリトへの誓いとサチとの約束を果たす為に、76層から攻略に参加する事になった少年。全身をキリト同様に黒づくめで統一しており、首には透明色の鈴を身に付けている。作中では《黒の剣士》の二つ名で知られる。SAOで誰よりもキリトに影響されており、彼の持つ「何もかもを救える強さ」に憧れを抱いている。

 ゲームクリアを目指す為、物語当初はキリトとヒースクリフを失って意気消沈の攻略組を敢えて煽ったり悪態をついたりしていたが、彼自身は温厚で芯のある性格をしている。しかし最前線で何度も憧れ(キリト)の面影を感じたり、彼の仲間に対する印象から彼への劣等感や嫉妬が生まれたりと精神的に脆い部分もあり、キリトと違って度重なる問題に対して一度は必ず躓いている。

 ゲーム開始時、独りで自殺を考えていたところをサチの願いでギルド《月夜の黒猫団》に拾われ、メンバーとして活動していた。現実世界にいた頃から、困っている誰かを助けられる人間になる事を目標とし、自分を助けてくれた《黒猫団》のメンバー達の為に装備の譲渡や情報収集を行っていた(加入して暫くは彼らを信じ切れず、それ故のソロ活動が多かった)。だがキリトが加入してから攻略速度は上がり、それによって慢心した彼らを上層での攻略で喪ってしまう(いつもより上層にいたのはアキトの誕生日にアクセサリを購入する為の資金稼ぎだった)。この事件以来、キリトとは禄に連絡も取らず距離を置くようになる。彼らを死なせ、自分だけが生き残ってしまった罪悪感から心が乾いてしまっており、自らの命に対する執着心が薄くなっている。またキリトへの劣等感や敗北感から《黒猫団》を守る役を彼一人に押し付けてしまった事を後悔しており、故に事ある問題においても「仲間を頼る」という選択肢を無意識に除外し、独りで解決しようとする傾向がある。故に「押し付け」とも言える周囲の願いや期待を自らで全て背負い込み、己の命さえ顧みない度を越えた自己犠牲はアスナやシノンからも危険視されているが、目の前の誰かを決して見捨てたくないという姿勢はキリトが憧れているものであり、「誰も彼も助けたいと願い、背中を押そうとする心の強さ」と評している。

《カーディナル》が選定した、キリトに次いでの反応速度の持ち主であり《二刀流》保持者。キリトに及ばない部分は分析による予測で補っている。彼個人の戦闘能力は高く、ソードスキルや体術スキルを左右の手から交互に発動する事で、スキル同士の間隔の硬直をほぼ無しにして連続でスキルが発動出来るシステム外スキル《剣技連携(スキルコネクト)》と、無数の行動パターンを完全記録し、データと敵の心情から分析、予測する《未来予知(プリディクション)》を有する。また《ホロウ・エリア》内で作成できる《OSS》により多彩な攻撃が可能。

 このキャラで描くのは七元徳の一つ【正義】

 困難に挫けず、迷いながらも己が正しいと信じた道へ進む事を、決して諦めたりしない意志を。

 

 

 ────忘れたくない。忘れてはならない。

 ────永遠のようで刹那であった、この二年間を。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……まだ吼えるか。なら、電子の塵まで消し飛ばしてやる」

 

 

【月と共に在る星】

 

キリト : 桐ヶ谷(きりがや) 和人(かずと)

 

 年齢 : 16歳(現在)

 誕生日 : 2008年 10月 7日

 使用武器 : 片手剣、二刀流

 

 原作及び本編におけるもう一人の主人公。物語で《黒の剣士》の二つ名を有し、ユニークスキルである《二刀流》を保持する攻略組のトッププレイヤーの一人。SAOで誰よりもアキトに影響されており、彼の持つ「誰かを救おうとする心の強さ」に憧れを抱いている。原作では多くの人物から信頼され、特に女性から好意を寄せられていることも多いが、本人はアスナを一途に愛している。

 かつてアキト同様《月夜の黒猫団》に所属していた仲間だったが、ギルド内で何度も憧れ(アキト)と自身の違いを目の当たりにした事で生まれた劣等感が原因で《黒猫団》をアキトから奪う形で死なせてしまう。彼らを死なせたのは全て自分の責任だと主張し、そのトラウマから全てを一人で背追い込もうとする傾向が見られたが、クリスマスイベントの際にはアキトに「自惚れるな」と叱責された。それからはずっとアキトに負い目を感じているが、そこで別れてから75層に至るまで連絡らしいものはお互いに何一つ取っていなかった。

 VRMMOプレイヤーとしての高い仮想世界適性を有しており、戦闘ではずば抜けた実力を発揮する。基本的には盾無しの片手剣装備で、一撃重視の物理攻撃主体の戦闘スタイルを好む。また、反応速度が凄まじく、仮想世界随一の反応速度を持つプレイヤーに与えられるユニークスキル《二刀流》を与えられる程。アキトが憧れているのはキリトの持つ総合的な強さであり、「大切なもの全てを救い、守り通せる力の強さ」と評している。

 75層にてヒースクリフと帰還を懸けた決闘(デュエル)を行い攻略組の前で消滅、最前線にて暫くは実質死亡扱いにされており、アスナや攻略組に多大な影響を及ぼした。だが後にその精神が《二刀流》と共にアキトの身体に介在している事が判明しており、彼の危機に際し度々入れ替わって現れており、ボス戦、《嗤う棺桶(ラフィン・コフィン)》やPoHの《ホロウ・データ》相手に圧倒的な力を見せる。アキトと同じ視点から物事を捉えているようで、アキトの脳内でのみ会話が成立できるようである。しかし原因は未だ不明な点が多く、ユイですら理由を突き止められないでいる。また現実の肉体の生死も不明だが、生存と死亡の可能性は半々である。

 

 

 ────アスナとお前だけは、守ってみせる。

 ────俺の、命に代えても。

 

 

 

 

 

 

 

 

「私がアキト君に教えるよ。貴方には頼るべき仲間がいるって事を。誰かを頼る事に慣れてない君が、何度それを忘れても」

 

 

【閃光】

 

アスナ : 結城(ゆうき) 明日奈(あすな)

 

 年齢 : 17歳(現在)

 誕生日 : 2007年 9月 30日

 使用武器 : 細剣

 

 原作でのメインヒロイン。《閃光》の二つ名を持つ細剣使いであり、ギルド《血盟騎士団》の副団長を務める。ヒースクリフが姿を消した後は《血盟騎士団》及び最前線で活動する攻略組の事実上のトップとして、攻略会議の招集やボス攻略の統率役を担っている。

 キリトとは婚姻関係だったが、75層でキリトを失ってからは暫く茫然自失で、エギルの宿に閉じこもっていた。その後は自殺はしなかったものの乱心状態のままの攻略を進め、周りからは《攻略の鬼》の再来と言われていた。アキトと出会った当初はキリトによく似た見た目から彼を嫌悪しており、アキトは自分にとって愛する人がもういない事実を助長させるだけのものでしかなく、死に急ぐ理由の一因ともなっていたが、後に何度も命を救われたり、この世界の在り方や生きる理由について説かれ、自分なりに再び戦う事を決意した。それからはあからさまではあるが今までの振る舞いを見直し、時間が経つに連れてキリトが生きていた時のような明るい性格を取り戻していった。当初は迷惑をかけたアキトに対しての負い目から一歩引いて接していたが、彼自身の危うさを垣間見てからはキリトへのアプローチにも似た積極的な行動を開始し、パーティーを組んだり料理を振舞ったりと強引気味だが、彼と違って中々に頑固なアキトには頭を抱えているが、彼と過ごす内に次第にキリト同様の想いを抱き始めている描写がある。

 生きる事を決めてからの彼女はアキトに多大な影響を与え、《ホロウ・エリア》《アインクラッド》双方で彼の支えになっており、彼女自身もそう在りたいと望んでいる。アキト自身も彼女に助けられている自覚があり、またキリトの精神を宿している影響か、アスナの命は最優先に守るべきものと無意識に感じている。だが人妻。

 

 

 ────私が傍にいるよ、アキト(・・・)

 ────ずっと、ずっと信じてる。

 

 

 

 

 

 

 

「あたしが時間を稼ぐから!みんなが立ち直るまで!」

 

 

【空と大地を渡る者】

 

リーファ : 桐ヶ谷(きりがや) 直葉(すぐは)

 

 年齢 : 15歳(現在)

 誕生日 : 2009年 4月 19日

 使用武器 : 片手剣

 

 原作では「フェアリィ・ダンス」編から登場するヒロイン。キリトの一つ歳下の義妹(血縁上は従妹)で、彼からは「スグ」と呼ばれている。元々は仲の良い兄妹だったが、キリトが剣道を辞め、そして自身が養子であった事もあって距離を置かれていた為疎遠になる。SAO事件を切っ掛けに、それまでの兄との関係を後悔し、その距離を埋めようと考える一方で、本当の兄弟ではないことを母である翠から告げられた事でその関係性に悩む。二年に渡ってなお眠り続けるキリトや、次々と亡くなっているというSAOプレイヤーのニュースの板挟みで精神が摩耗し、そんな中病院に行ったはずの母からの慌てた電話を耳に、兄の顛末を想像してしまい逃げるようにSAOへログインを敢行する。ナーヴギアに関しては友人が隠し持っていたものを使用。アバターは背中の羽根が縮んだ以外はALOのシルフアバターそのものである。装備もALOでの雰囲気を残した緑と白基調のものではあるが、ミニスカートや背中、胸のやや開いた上着といった露出度高めのものを身に付けている。ALOからの名残かソードスキルの扱いこそ不慣れであったが、別の仮想世界での経験や剣道の腕前もあり即戦力級の実力を序盤から有していた。また彼女の存在はSAOでのゲームオーバーが現実世界の死に直結しているというルールが決して脅しではない事の証人でもあり、アキトやアスナ達の内に深い悔恨を呼び起こすことになっている。

 ボス戦時にアキトがキリトと入れ替わるまでは、心の何処かで兄は死んだものだと思っており、この世界に来た事もあって茅場晶彦への復讐心が僅かにあった。現在は落ち着きを取り戻し、共にゲームクリアを目指す仲間として攻略組に参加している。ちなみに『Ep. IF』は案外気に入ってます。リーファのヒロインものも良いかもですね。

 

 

 ────変わるなら、此処しかない。

 ────飛び立つのなら、今しかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから、もう耐えるのはやめにする。我慢するのは性に合わないし。貴方に期待したって、多分貴方には伝わらないもの」

 

 

【天穿つ軌跡】

 

シノン : 朝田(あさだ) 詩乃(しの)

 

 年齢 : 15歳(現在)

 誕生日 : 2009年 8月 21日

 使用武器 : 弓、短剣

 

 原作では「ファントム・バレット」編から登場するヒロイン。アバターは現実の容姿とさほど変わらず、装備はALOでのケットシーの姿を想起する緑基調の意匠である。

 今作では75層で生じたシステムエラーから間も無い時期に、現実世界でPTSDの治療で《メディキュボイド》を利用しており、それが原因不明の不具合を起こした《カーディナル》にナーヴギア端末と誤認されてしまい、強制的にSAOへログインさせられてしまう事態に陥った。異常ダイブによって《アークソフィア》の天井から出現・落下した際には偶然居合わせたアスナに助けられる。物語開始当初はイレギュラーなダイブの影響で軽い記憶喪失を起こしていたが、やがて記憶が戻った後は、原作同様強さを求めて攻略組への参加を目指すようになり、その指導役にアキトを選んだ。だがそれは、出会った時からアキトには何処か自分と似たようなものがあると確信した為、そんな彼の強さの理由を知れば自分もそう在れると考えての事だった。死を厭わぬ程の胆力を持つが、過去の傷からか脆さも持ち合わせており、強くなる事を急ぐあまり身の丈に合わない上層の迷宮区にて命の危機に瀕した事もある。それをアキトに助けられ、彼と共に過ごす内に自分を重ね、次第にその想いが恋慕へと変化した。アキトが過去に自分とよく似た傷を負っているであろう事は察している描写がある。

 物語当初は短剣を使用して近接戦の訓練を行っていたが中々それが馴染まず、後にその原因が彼女の適性が短剣ではなくユニークスキルである《射撃》にあったからという事が判明した。有用な遠距離攻撃の手段が存在しないSAOにおいて弓を使う戦い方はかなり強力であり、それからはSAOで唯一《射撃》という遠距離主体の戦術を用いる攻略組の一角として活躍の幅を広げた。

 今作において、現在一番アキトに近しい位置にいるのが彼女であり、アキトの身体の変化を誰よりも理解している。その為、彼がキリトと突如入れ替わったり、“暴走”状態になったりといった変化にかなりの不安を抱いており、それを何処か「仕方がない」と受け入れているように見えるアキトの振る舞いには危険を感じていた。彼が一人で攻略に向かったと知れば慌てて準備をして追い掛けたり、彼の居場所に自分一人だけで赴いたりと、なんとなく抜け駆け気質(本人は無自覚)。

 過去を乗り越える為の強さを求めていたが、アキトやアスナ達から影響を受けて自分なりに答えが変わった様子であり、それを教えてくれたアキトを決して死なせない事を誓っている。

 

 

 ────ただ、できる事をするだけ。

 ────あの日の誓いは、変わらず此処に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あたしじゃ頼りないかもしれませんけど、皆さんもいますし、もっと頼ってくれて良いんですからね」

 

 

【一日千秋の想い】

 

シリカ : 綾野(あやの) 珪子(けいこ)

 

 年齢 : 14歳(現在)

 誕生日 : 2010年 10月 4日

 使用武器 : 短剣

 

 小竜・ピナを使い魔として使役するビーストテイマーの少女。その可愛らしい容姿から中層でアイドル的存在になっていた。

 以前《迷いの森》でモンスターに襲われ、ピナを失って死の危機に瀕していたところをキリトに助けられる。彼の協力によりピナの蘇生に成功して以降はキリトに好意を寄せていた為、75層での噂を耳に、キリトを心配して様子を見に76層の街《アークソフィア》に来てしまい、システムエラーによって中層に戻れなくなってしまった。その上キリトが死亡したという知らせを耳にした際は涙を流している。元々攻略組志望であったが、中層程度のレベルで最前線にいても戦う事ができずにいた。それを見兼ねたアキトに街中でも受注できるクエストを見繕って貰い、そうして80層から《攻略組》として晴れてアキト達と共に戦えるようになったが、既に低効率と化してしまっているはずの街中の接客クエストであるメイド喫茶は何故か未だに続けている。

 彼女自身、キリトとよく似た存在であるアキトにはクエストを紹介してもらった事もあり好感を持っていたが物語の中では他のキャラ達よりも彼との接点は少なく、ストレアが攻略組に反旗を翻した直後の話『Ep.119 虚飾』にて漸くキャラエピソードが開始された。現在、暴走の兆候にあるアキトに死の恐怖を抱いており、しかし同時に恩人に対する自分の行動を客観的に捉えて自己嫌悪に陥っている。彼女は此処から完結間近までメチャメチャ描写が増えます。もうヒロインの一人だね!

 

 

 ────嗚呼、まさか。

 ────貴方に、これを告げる日がくるなんて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「たとえ仮想世界であっても、あたし達には心の余裕が必要じゃない?それが無駄に見えたとしてもね」

 

 

【一意専心の道】

 

リズベット : 篠崎(しのざき) 里香(りか)

 

 年齢 : 17歳(現在)

 誕生日 : 2007年 5月 18日

 使用武器 : 片手棍

 

 SAOで第48層主街区《リンダース》に店を構えていた(過去形)鍛冶屋でありマスターメイサー。最前線で攻略組として戦うプレイヤーの多くを常連に持っていたが、中層に戻れなくなった事で自店舗を事実上喪失。また、彼女の代名詞かつ生命線である鍛治スキルの大半が物語当初はロストしており、元に戻すのにかなりの時間を有した。メインキャラの中で最もシステムエラーの影響を色濃く受けてしまっている。

 仮想世界全てを偽物と考えているが、その一方で本物と呼べる何かを求めており、人の温かさに飢えていた。それを教えてくれたキリトには好意を持っていたが、親友であるアスナとキリトのやり取りから関係を察し、今作以前には既に身を引いている。

 物語開始当初は、キリトを失って《攻略の鬼》の再来とまで呼ばれる程に荒れていたアスナの為に何かできないかと模索を繰り返しており、やがてそれが攻略組参加という形になった。システムエラーによってメイスの熟練度も下がっており、鍛治スキルの経験値をメイスに割り振っていた事もあって戦闘経験不足が目立っていたが、親友を守ろうとする心の強さはアキトも認める程だった。彼のお陰でアスナと和解できた事で彼への信頼度は高まり、やがて復活した鍛冶スキルを行使してアキトへの感謝とキリトへの想いを込めた会心作《リメインズハート》を送っている。時々アキトの危うさを目の当たりにしており、彼を突き動かす理由を問うた事もある。姉御肌であり、何かとアキトにお節介を焼いたり構ったりする描写が見られる。何度か武器を折って帰ってくるアキトには度々憤慨している。

 

 

 ────私も見つけたよ、キリト。

 ────“本物”と呼べる何かを、さ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「夢がいつか覚めるものだとしても、アタシはずっとこの夢を見ていたいんだ───」

 

 

【遙かなる呼び声】

 

ストレア : ???(本名は現在未解明)

 

 年齢 : ???(年齢は現在未解明)

 誕生日 : ???(誕生日は現在未解明)

 使用武器 : 両手剣

 

 コンシューマ版「インフィニティ・モーメント」編のヒロインであり、アインクラッド第76層でアキトと出会う両手剣使いの女性プレイヤー。装備のメインカラーは紫に統一している。数少ない女性でありながら第76層以前の経歴は誰も知らず、本人も記憶が曖昧な状態であり素性が謎に包まれているが、《攻略組》相当の実力を持つ。明朗快活で裏表がなく、人懐っこい性格。当初は彼女を訝しんでいた女の子達からも徐々に好感を得ていくが、それと同時に超が付く程にマイペースで場を引っ掻き回すトラブルメイカーでもあり、その無邪気な自由奔放振りにアキト達が振り回される場面も多い。キリト以上の辛党で、アキトが彼女と二人で食事をしようものならアキトは死ぬ。

 アキトを攻略組参加以前から知っていたような口振りで、アキト本人も出会った当初から(Ep.22)彼女に不思議と懐かしさを感じていたが、『Ep.120 暗躍』にてその正体がアキトが75層以前まで一緒だった《謎の声》の少女だった可能性が浮上したが、意図や方法、正体や目的は未だ不明である。

 現実世界に帰還すればアキトにはもう会えないと思っており、95層のボス戦時には一部記憶を取り戻し、遂には攻略組を離脱。次の階層のボス戦ではアキトの前に立ちはだかり、フロアボスを強化する形で攻略組を妨害した。

 

 

 ────貴方さえ、いなければ。

 ────貴方が最初からいなければ、アタシは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うん……あの………た、ただいまっ!」

 

 

【果ての扉を越えし者】

 

フィリア : ???(本名は現在未解明)

 

 年齢 : 16歳(現在)

 誕生日 : 2008年 3月 31日

 使用武器 : 短剣

 

 コンシューマ版「ホロウ・フラグメント」編のヒロインであり、システムエラーによって突如《ホロウ・エリア》に転送された短剣使いの女性でオレンジプレイヤー。アキトよりも一ヶ月も前に《ホロウ・エリア》に転送されており、脱出の糸口も見付けられなかった事で睡眠も満足に取れておらず、物語当初はかなり荒れていた。

 75層ボスの同型モンスター《Hollow Deadening Reaper》との戦闘中に、同様に転送されてきたアキトに助けられ警戒しつつも、ボスを倒すという目的の為成り行きで共闘。これをきっかけに《ホロウ・エリア》の探索に付き合うようになる。しかし最初は自身がオレンジカーソル保持者であるという引け目があったからか態度が素っ気無かったが、時間が経つに連れて次第に心を許していき、彼女本来の明るく気さくな性格が見られるようになる。その後、アキトが連れて来たアスナとクラインとも同様の態度を示す。

《攻略組》に相当するプレイヤースキルを持つほか、宝箱に目がなく《トレジャーハンター》を自称する程に宝探しを好む。保有スキルも《隠蔽》《索敵》《鍵開け》といった宝探し関係のものはマスタークラスで揃えているという徹底ぶり。

《ホロウ・エリア》に飛ばされた際、本来出会うはずのない自身の《ホロウ・データ》と出会ってしまい、錯乱して攻撃してしまうという想定外によって行き場のなくなったエラーがオレンジカーソルとして現れた為、フィリア自身は誰も殺してはいないのだが、彼女はその出来事によって本当の自分を殺し、自分は本当の自分ではないのではないかと悩んでいた。そんな彼女の事情の全容を知る《ホロウ・データ》のPoHに、内心の不安とアキトへの想いを利用され、唆される形でアキトを罠に嵌めてしまう。自身も殺されかけたがアキトに救われる。最終的にアキトとアスナともに中央管理コンソールに辿り着きエラーの解除に成功。《アインクラッド》へ帰還を果たし、その後は《攻略組》としてアキト達を支えている。

 アキトに対しては、自身のカーソルの色を気にせずに接してくれた事や、彼を殺そうとした自分を助けてくれた事もあって恋愛感情を持っている。

 

 

 ────貴方にもらったものを返す為だけに。

 ────私は今、この場所に立っているのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「だから……今日からこの場所が、アキトさんの帰る場所です」

 

 

【焔色の輝き】

 

ユイ : MHCP試作一号機《Yui》

 

 年齢 : 不明

 誕生日 : 不明

 使用武器 : なし

 

 キリトとアスナを両親として慕うAIにして、《カーディナル》の生み出したMHCPの初号機。

 一度は《カーディナル》によってゲームから排除されてしまっていたが、75層で起こったシステムエラーにより、エラー訂正機能が低下したことでアイテムとなっていた状態からの復活を果たした。アスナと共にエギルの宿屋で生活しており、その存在は一般プレイヤーにも知られているが、周囲には保護者とはぐれた年少のプレイヤーとして認知されている。GM権限こそ無いが、システムの知識提供やモニタリング、解析能力で《ホロウ・エリア》や《アインクラッド》の攻略をサポートし、物語を通じて重要な役割を果たす存在となっている。

 キリトの死によって自暴自棄になったアスナを繋ぎ止める存在になれない事を嘆き、彼女の目に自分が映っていない事にショックを受けるも、彼女の身を按じ続けていた時にアキトに出会い、彼女を救ってもらった事でアキトに好意を寄せるようになる。アキトに対するアプローチは積極的で、顔を赤くしながらもデートに誘ったり、照れながらも隣りに進んで座ったり、恥ずかしがりながらもゲームの賞品にアキトを強請ったりと、他の女性プレイヤー顔負けの行動力を見せる。その分アキトの様子の変化にも敏感で、度々表情を伺っては気にしている。

 攻略面において彼の役に立てない自分を嘆いており、その分料理や、解析能力を活かしてSAOのデータの仕組みなどの説明に尽力している。《圏内》にいる為に普段守られる立場に無い彼女だったが、《ホロウ・エリア》へ赴く際にアキトに『守る』と言われた時には嬉しさを隠せずに頬を緩ませていた。そういえば最近出番が無い(真顔)ユイちゃん推しの方、もう少し待ってくれ。

 

 

 ────いや。だめ。行かないで。

 ────お願いだから、いなくならないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……好きだった。キー坊──キリトとアキトが、二人でいるところを見るのが……笑って、幸せそうな顔でギルドの事を話すのを見るのが……ただ、好きだったんダ……っ」

 

 

【黒白のインフォーマー】

 

アルゴ : 帆坂(ほさか) (とも)

 

 年齢 : ???

 誕生日 : ???

 使用武器 : 短剣

 

 通称《鼠のアルゴ》。元βテスターであり、《アインクラッド》では数少ない『情報屋』のパイオニア。ゲーム開始当初に自身がβテスターである事を明かし、自分の持つ情報をガイドブックに纏めて無料配布していた勇気ある少女。基本的に確証の無い情報は売らない主義ではあるが、情報屋としての実力は確かであり、良識もある。頬にネズミのヒゲのような3本線のフェイスメイクをしているのが《鼠》と呼ばれる所以である。

 物語開始以前からキリトだけでなくアキトも知っており、彼らが同じギルドに所属していた事も認知していた。その為《月夜の黒猫団》全滅を知ってからは誰よりもキリトとアキトを気にかけていた。クリスマス以前はキリトとは何度か情報交換をしていたようだったが、アキトに関しては全く音沙汰無しだった為、色々な場所から情報を集めて彼を見付けては話し掛けたり、尾行したりする形で見守っていた。物語開始から暫くして、漸く最前線でアキトと合流。たまに情報交換をしながら、ボス戦で《アークソフィア》を離れた際にはユイの面倒を見てくれている。彼女も姉御肌。

 

 

 ────そう決めたなら、最後まで付き合うヨ。

 ────オネーサンに任せなって、ナ?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「コイツを全力でぶっ飛ばしてぇ……!頼む、手ぇ貸してくれ!」

 

 

【膠漆之交】

 

クライン : 壷井(つぼい) 凌太郎(りょうたろう)

 

 年齢 : 24歳(独身)

 誕生日 : ???

 使用武器 : 刀

 

 攻略組にしてギルド《風林火山》のリーダーである青年。お調子者で女好きが目立つが内に熱いものを秘めており、義理堅い一面を持つ。キリトとは腐れ縁であり、アキトの理解者の一人。仲間達からの信頼も確かなもので、頼れる存在であるが普段の行いが原因で、特にフィリア(キリト、アスナ、クラインに救われている為)とユイを除く女性陣の自分への扱いがぞんざいな事を嘆いている。しかしプレイヤーとしての実力は申し分無く、刀の扱いにおいては元々刀を使用していたアキトを凌ぐ。トレードマークのバンダナと赤基調のサムライ風装備は未だに健在である。

 75層のヒースクリフとの決闘(デュエル)でキリトを助けられなかった事をずっと後悔していた。故にキリトとよく似た雰囲気を持ったアキトには運命的なものを感じており、今度こそゲームクリアの為にアキト(キリト)の力になる事を誓っている。その際、《ホロウ・エリア》にてボス級のモンスター相手に《剣技連携(スキルコネクト)》を発動しており、それが討伐の決め手になった。

 

 

 ────あの日の自分にだけは、決して戻らない。

 ────だから、この信頼に応えてみせろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【いぶし銀】

 

エギル : アンドリュー・ギルバード・ミルズ

 

 年齢 : ???(既婚)

 誕生日 : ???

 使用武器 : 両手斧

 

 筋骨隆々アフリカ系アメリカ人の江戸っ子。SAOでは戦利品等の鑑定や買取を生業とした商人プレイヤーであり、《攻略組》としての実力も兼ね備える斧使い。システムエラーの影響で75層以下に戻れなくなった事で、リズ同様に50層主街区《アルケード》にある自店舗が事実上の喪失となったが、76層《アークソフィア》にて新しくカフェテラスと食堂もある宿屋を購入し、第二店舗として商売の幅を広げた。この宿はアキト達の拠点にもなっている。

 実は利益の殆どを中層のプレイヤー育成に注ぎ込んでいた器量の持ち主だが、下層に降りられなくなった事もあって資金を使いあぐねており、何かとパーティーをしたがるメンバー達の費用はエギルが賄っているという裏設定。外見にそぐわぬ遊び心を持っており、最近の楽しみは激辛ピザのロシアンルーレットである。

 アキトが攻略組に参加して初めてのボス戦で彼に命を救われた事で、アスナ達の中で一番最初にアキトの為人(ひととなり)に気付いた人物。彼が態とアスナや攻略組のメンバーを煽っている事をいち早く見抜き、それでもなお何も言わずにアキトとアスナを見守っていた。命の恩人であるアキトには毎日無料で店のドリンクを提供している(アキト本人は気が引けて何度も払おうとしているが、エギルが頑なに受け取らない)。

 

 

 ────お前が進みたい道で良い。

 ────それだけで、ついて行く理由には充分だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “世界さえも、時空さえも、超えてしまうほどの想いだ”

 

 

【月夜の黒猫】

 

サチ : ???

 

 年齢 : 15〜18歳(推定年齢)

 誕生日 : ???

 使用武器 : 両手槍

 

 ある意味では今作のメインヒロイン。《月夜の黒猫団》所属の紅一点槍使い。第27層の迷宮区で他のメンバーと共に死亡している。アキトがSAO内で初めて失ってしまった仲間の一人。常に死と隣り合わせであるこの世界に恐怖しており、フィールドに出て戦う事にも怯えていた。しかし彼女自身、そう長くは生き残れないであろうと予感しており、事前に記録結晶でアキトとキリトに遺言を残していたが、過去編『Memory Heart Message』にて、死ぬ寸前でアキトを思い出して「死にたくない」と思っていた事が明かされている。彼女の死と記録結晶に残された遺言はアキトに多大な影響を与えており、76層にて彼が攻略組に参加したのはサチによるものが大きい。

 ゲーム開始当初《はじまりの街》にて自分と同じように怯えて蹲っているアキトに自分を重ね、ケイタ達に頼んで仲間に引き入れた張本人。それが後に自身の理解者を求めていたが故の行動だった事が明かされたが、その思惑に反して自分達の為に強く在ろうとしていたアキトには恋愛に近しい感情を抱いていた。基本的にアキトを前にすると砕けた口調になり、素の女の子らしい一面を垣間見せる。それ故に前衛への転向を強要しなかったアキトには安心したと同時にショックも受けており、彼の隣りに立てるくらいに強くなりたいとも思っていた。

 物語が進む中でもアキトの記憶に度々登場し、《ホロウ・データ》のキリトとの戦闘時にアキトが暴走した際には精神世界にて再会し、“世界の悪意”から彼を守り抜いた後に、悔いを残さぬようにと想いを告白した。

 

 

 ────どの世界にいても、貴方はひとりじゃない。

 ────私がいる。君を見てる。それを忘れないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「態々出て来てくれて、探す手間が省けたよ───殺す」

 

 

【貴女といる限り】

 

レッド : (かのう) 緋依(ひより)

 

 年齢 : 16歳(現在)

 誕生日 : 2008年 4月4日

 使用武器 : 短剣

 

 次回作「歌姫と白猫(ディーヴァ・オア・ホワイト)」編の二人の主人公のうちの一人。

《SAO生還者サバイバー》であり、よくある《PKK》(プレイヤー・キル・キラー)設定のプレイヤー。アバターはブロンドのストレートヘアに青い瞳。赤い猫耳のようなフードを被り、小さな胸当てをしただけの全体的に赤みがかった軽装であり、敏捷値と地形を活かした多次元的な戦闘を得意としている。SAO時代の使用武器はPoHに与えられたもので、戦い方も彼に教わっていた。とある理由で犯罪者オレンジ狩りを繰り返し、その残虐性からPoHに“血濡れ頭巾(ブラッド・レッド)”と名付けられ、後に二つ名として浸透する。90層到達後、ユニークスキルである《暗黒剣》を譲渡されており、実はラスボスであるヒースクリフに対抗する為に作られた『十のユニークスキル』の中で一番本命で強力なスキルだが、与えられた本人はそれをオレンジプレイヤーの殺害に利用していた。

 現実世界の容姿としては、少しウェーブのかかった亜麻色セミロングヘアと、両耳に小さなピアスを身に付けている事以外は普通の女子校生で、校内では制服の上にパーカーを着用した服装を好む。《SAO生還者》が通う学校には交通関係の事情で通えておらず、暫くリハビリと勉学に励んだ事で通常の高校に転校という形で在籍している。人を惹き付ける見た目であるにも関わらずその雰囲気から「クール」、「不良」のような印象が定着しているが、根は真面目でテスト評価も学年では上位。しかしイメージと全く違うというわけでもなく、少しばかり冷めた態度を取ったり、敢えて他人を突き放したりと何かと一人である事を選ぶ。

 モチーフは《赤ずきん》、イメージカラーは赤。

 このキャラで描くのは七元徳のうちの一つ【勇気】。変化に怯えながらも、必死に迷いを断ち切って立ち上がる為の意志を。

 

 

 ────私も変わる。“強がり”はもうやめた。

 ────言ってなよ、アンタなんか秒で終わるから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──私が命を懸けるのに、それ以上の理由は必要無い」

 

 

【貴女がいるから】

 

ユキ : 逢沢(あいざわ) (たくみ)

 

 年齢 : 16歳(現在)

 誕生日 : 2008年 2月29日

 使用武器 : 刀、片手剣

 

 次回作「歌姫と白猫(ディーヴァ・オア・ホワイト)」編の二人の主人公のうちの一人。

 現在進行形で執筆中の『月夜の黒猫(ナイト・ブラック)』編の番外編及びIFストーリーにはフライングで既に登場しており、主人公であるアキトの血の繋がらない妹。血縁関係は一切無く、元々は同級生。小学校からの付き合いだが、色々あって距離感は微妙。

《ALO》では猫妖精(ケットシー)を選択、白銀の長髪ストレートに白い猫耳と尻尾、装備するローブ系の装備も白を基調としており、手に入れたレア装備も白であると、なにかと装備したがる。アバターネームの由来は、以前飼っていた白猫の名前。使用する武器は主に刀だが固定はせず、相手に合わせて戦い方を変える器用さを待ち合わせており、時間をかけて相手の行動を分析する戦い方を得意としている。

 現実世界では黒髪の長髪ストレートで、端正な容姿。緋依同様一見するとクールに見えるが実際は快活な性格で、内には情熱を秘めており、ALOに関してはゲームであっても常に本気で取り組んでいる。真面目でひたむき、努力家で、周りから持て囃されても決して驕らない姿勢から、周りでは羨望とそれ以上に嫉妬の対象となる程の容姿にも関わらず好感の的である。

 だが、こと恋愛事に関しては鈍感な部分があり、その容姿から好意を寄せられる事が多いが本人は全くといって良いほど気が付いておらず、他人からの好意に対しての鈍さはキリトと同等。

 モチーフは《白雪姫》、イメージカラーは白。

 このキャラで描くのは七元徳のうちの一つ【希望】。胸に抱いた願いに従って他者を導き、手を差し伸べる為の意志を。

 

 

 ────立て、動け、走れ、戦え。

 ────それがたとえ、刹那であろうとも。

 

 

 

 

 

 







ちなみにアキト、キリト、レッド、ユキ以外のキャラクターに関しましては、【⠀】内の二つ名と共に検索するとちゃんと画像が出てきます。みんなカッコイイので是非調べて見てください。


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Ep.125 輝亡





約束したからと、そう告げる。縛られたそれは、まるで呪いのよう────。






 

 

 

 

 初めてその少年を目にしたのは、この世界に彼ら一万人が召喚された時だ。

 

 幽閉された事実に誰もが困惑し、絶望と恐怖に染まった夕暮れ時の《はじまりの街》で孤独に震え蹲っているその姿は、その場において取り立てて珍しいものでは無かった。その時点で自殺を考える者、どう行動するのが正解なのかが分からず立ち止まる者、事実から目を背けようと仲間を探す事で気を紛らわせる者、恐怖で動けなくなる者───、広間に残ったプレイヤーには、そういった者達しか残らなかったからだ。

 そして全てを諦め、孤独に怯える者。彼がそうだった。

 

 明確な行動指針も無く、ただその光景を見つめるだけの時間。孤独のままそれを眺めるのは退屈ではあったが、誰もが同じ事実を突き付けられたにも関わらず人それぞれで行動も目的も違っているのは純粋に面白いと感じた。誰もが助からないと頭の中で予感しているはずなのに、諦めず攻略に躍り出る者さえいた。

 勿論、その強さに興味を持たなかったといえば嘘になる。────だが、彼女(・・)が関心を示したのは、チュートリアルを終えて人が少なくなってもなお、変わらず端の支柱に凭れて蹲っているような少年だった。何もかもを諦めたような表情の癖に死ぬのは怖いのか、よく見れば肩も腕も震えていて、恐らく自分で立ち上がる事さえ困難な状態であったろう。その時何故か、彼女は思った。彼が怖いのは死であって死ではない。怖いのは、独りぼっちであるという事。

 

 ───ああ、彼は今、孤独に怯えているのだ。

 

 何処を見渡してもそんな人達ばかりだったのだから、この時彼に目を付けたのは本当に偶然だった。彼もまた周りの人のように世界に絶望し、いずれ自ら三途の川を渡るのだろうと、何処か悟ったように眺めていた。だから、そんな彼に手を差し伸べる存在が現れた時は素直に驚いた。

 

 それが、彼と《月夜の黒猫団》との出会いだったと、彼女は記憶している。そこからはずっと、彼らから目が離せない生活が始まった。

 

 絶望が渦巻く大きな世界の中で、そこだけは笑顔が絶えぬ小さな世界に思えた。育まれる絆とささやかな幸福が生まれる瞬間を目の当たりにするのが、箱庭に閉じ込められた彼女の唯一の楽しみだった。彼らと共に、冒険ができるのならと思った数は知れない。決して無理はせず着実に堅実に実力を伸ばしていく彼らを見て、きっといつか攻略組として活躍するであろう未来を夢想した。目に見えて成長するのを見ると、自分の事のように嬉しかった。彼らの暖かな雰囲気が、殺伐としたこの世界を陽光の如く照らしてくれるのではないかと、心が分からないはずの彼女でさえ胸を踊らせていた。

 だからこそ、最初に出会ったその彼だけが未だ壁を作っている事が、どうしても気になって仕方が無かったのかもしれない。孤独は寂しいと知っているはずなのに、警戒心を剥き出しにする事でしか他人との接し方を知らないように、彼女には見えた。

 

 けれど徐々に彼らと心を通わせて、不器用ながらも微笑みを見せる彼を見て、段々と胸が温かくなるような感動に襲われた事を今でも覚えてる。彼の黒猫団に対する感情、行動、表情。色んな事を学び、成長していく彼を見て、いつかあの場所に立ちたいと、そう思えたのだ。

 

 ただ沢山の人々を観測するだけだった自分に、初めて芽生えた願望。生まれてしまったのならば、それを叶えようとしないのは嘘だと、そう思ってしまったのだ。もうあの場所が無いと知っていても、この場所でしか生まれないものが、生きられない者が此処にいる。この世界に自分の足で立ち、消えるその瞬間まで生き、足掻く。その為に戦うと決めたはずなのに、彼の目を見るとそれが鈍る。揺らぐ。そっちに行きたくなってしまう。

 

「……来たのね、アキト」

 

 その扉をこじ開けて、彼は来てしまった。死の可能性が蔓延したこの冷たい空間に、黒猫団とは違う新たな仲間と共に。その表情も、生き方も、優しい声色も、何もかもが愛しいと感じる。自分に夢を与えてくれた存在を、これから手にかけようとしている自分が心底嫌になる。

 どちらか一つでなければ有り得ない。両方を選ぶ事など傲慢で、不可能なのだととうに知っているから。

 

 

 ただ、一つだけ。

 一つだけ、ずっと気になっている事がある。彼を見る度に湧き上がる、この感情は何という名前だったんだろうか。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 天井も見えない闇、鳥肌が立つような冷たさ。円形に広がる空間内には、攻略組の他には誰もいない。静寂が続くだけでも精神的にかなり苦痛だと再認識する。

 

 現在の攻略組の総勢は三十三名。レイドバトルというにはあまりにも人数が少ない。前層攻略の際に生じた甚大な被害と、それによる死への現実感に耐え切れずに脱退したメンバーによる損失だった。しかしその事に対しての説得も、人員の補充も行わなかったのは、尻込みしてしまったプレイヤーが多かった事もあるが、連携に支障をきたす可能性を考えての事だった。経験の浅いプレイヤーを増やしても、それは戦力にはならない。無駄に死人を増やすだけだという、血盟騎士団の考えだった。

 だがそうなれば、その人数の減少によって首を絞められたのは此方である。仕方がないと割り切っても、この戦力差が絶望を呼び込みやすい事は周知の事実だ。にも関わらず時間は待ってくれない。タイムリミットは確実に迫っているのだと、誰もが知っているからこそ。

 

「────……」

 

 未だ影すら見せない存在を探すべく左右交互にに視線を向ける。上に、下に。殺意の塊が何処から来るかも分からない。そんな経験を幾度と無く繰り返しているからこそ誰も油断せず、声も出す事はない。

 そんな中で、探していた存在の内の一人、透き通るような声が天より舞い降りた。

 

 ────カツン、と。

 

 着地と共にブーツの音が、仄暗く冷たい壁に反響している。

 以前まで身に付けていた紫を主体としたドレスは既に脱ぎ捨て、今はアキトと対峙した際に纏っていた紫色のコートを翻している。背中には反逆の剣トレイターを収めたまま、かつてのように両手剣を使用する素振りも無い。冷気が肌を刺す部屋の中心点に降り立ち、暫く閉じていたその瞳がゆっくりと開かれる。変わらず深淵を覗くような虚ろな瞳で、そこにアキトを含む攻略組のプレイヤー達が映っているのか、途端に分からなくなる。

 各々が武器を構えながら警戒を緩めずにいるが、その剣先の束を見据えても尚彼女の表情は氷のように冷たく固まったままだった。

 

「……ストレア」

 

「……来たのね、アキト」

 

 前のように、何もかも分からなくて癇癪を起こすようなアキトはそこにはいない。ストレアも以前のように此方の話を聞かずにすぐ行動をするような、我を通す事はせずに此方を見つめている。

 

 この場所に到達する前から、再びストレアと邂逅する事は分かっていた事だ。それでも、この時が来なければ良いと何度思ったか知れない。彼女のその空洞のような眼を見つめるだけで前層での記憶が鮮明に呼び起こされる。あの日の悲鳴が生々しく脳内で木霊する。彼女の魔女のような姿を目の当たりにすれば、それが現実なのだと突き付けてくる。

 彼女は既に、覚悟を持ってこの場所に立っている。いや、前層からずっとそうだったに違いない。自分達に刃を向ける意味、それはこの世界では時に現実世界よりも重い意味を持つ。彼女は自分自身で考え選択し、そして切り捨てたのだ。アキト達“仲間”を。

 

 するりと、彼女の右腕が上がった。アキトの後ろに控えるアスナ達の肩がビクリと震え、剣の柄を握り直す彼らの荒れた吐息を背中に感じる。未だ静寂の世界に、ボスらしき巨躯は見当たらない。故に彼女の一挙手一投足で現れるであろう事は、前回の一度きりで理解できてしまう。その細い右腕、右手、その指先は彼女の背中の片手剣に触れる。《反逆》の意を持つ剣を、確かにその手に収め、掴む。その感触を確かめるように一度握り直したかと思えば、一瞬でそれを抜き放ち、天へと伸ばす。

 

 ────それが、戦闘開始の合図であるかのように。

 

 闇夜のような暗い天井から憎悪に満ちた怒号が響き、空間内を振動させる。突風にも似た不協和音と共に地を揺るがして降り立ったのは、巨大な黒い影。

 地ならしと共に現れ、突風が攻略組を襲う。見上げたそれは、これまでのボスの遜色無い程の巨体を持ち、不気味な闇色の陽炎纏う暗黒の鎧を装着している。死角などないとその身が伝え、両の手には鋭い剣と盾を持ち、漏れ出す殺意さえも彼らに向けている。

 兜から僅かに覗く青白い瞳は真っ直ぐに攻略組を射抜く。騎士にも似た風貌ではあるが、何かを守るよりも破壊する事に長けた力を手にした、無法者らしい冠が頭上に主張される。

 

 

No.97《The Knight Of Desperado(ザ・ナイト・オブ・デスペラード)

 

 

 それが、97層のボスの名前。

 その一振りのみで、75層のボスと同じ絶望を与えてくる事は想像に難くない。禍々しく歪で、まるで呪いが感染するのではないかと思わせるその風貌を前にして、彼女は冷たく。

 

「……始めるよ、アキト」

 

「……っ」

 

 嫌なくらいに響く彼女の声は、何処か懐かしさを帯びている。それが過去のものとまるで違うのだと割り切る事は、アキトにはとても難しかった。

 だがストレアは違う。彼女はまるで仲間とのこれまでを忘れたかのように此方を見据え、剣を握っている。決別はとうに済んでいるだろうと、その姿勢が告げている。

 

「────……ふっ」

 

 肩を上下させ、深く息を吸い込み、吐く。気持ちの昂りも、余計な躊躇いも、それで全て吐き出す。虚構の瞳のまま《トレイター》を構える彼女を見て、アキトも同様に両の剣を構え直した。姿勢を落とし、剣を傾けるその体勢を見て、彼女は眼を細めた。

 

「……よかった。アタシを殺す覚悟は、出来てるみたいだね」

 

「違う。そんなの、覚悟とは言わない。ただ望むものの為に戦うだけだ」

 

「それで良い。その意志の延長線上で、アタシと戦う気があるのなら。────行って」

 

 その指示を受け、黒騎士が床を踏み締めた。その巨体からは考えられない速度で距離を詰め、右手の大剣を首元へと回し───、振り抜く。刃先から柄までライトエフェクトを飛ばし、威力を乗せて加速する。

 

「────適応開始(セット)

 

 ガチリ、と歯車が噛み合う。その瞳に光を宿し、相対する黒騎士を視認する。つま先から頭まで、身長と体重を予測、標的の体格と体勢と得物のリーチ、威力、軌道の即時算出、予測演算開始。アルゴリズムの推測、武器から想定される戦術を把握、類似記録の閲覧、参照──、完了。

 発動剣技、片手剣単発技《ホリゾンタル》と断定。回避すれば後方に被害の可能性大。防御、受け流しを推奨。

 

絶対切断(ワールド・エンド)

 

 OSS、起動。発動するは一撃必殺を可能とするソードスキル。敵と同様、右手の剣(リメインズハート)を自身の首に回す。鈍い闇色に剣が輝くのを確認し、ただ振り抜くのみ。

 火花が飛び散り、刃を弾く。耳を劈くような剣戟の音に耳を塞ぎたくなる衝動に駆られる。片目を瞑り耐えながら、後ろを向いて叫ぶ。

 

「────行こう!」

 

「っ……作戦開始!」

 

 焦燥と困惑の中、慌てて告げる開始の合図。誰もが己を律する為に雄叫びを上げる。

 今までの攻略とは明確に違う意識。そして戦力。以前に増して、勝利の光景よりも死への現実味と不安ばかりが押し寄せてくる。合図があったのはたった今だというのに、既に敗北の道へと繋がりつつあるような予感。それをどうにか振り払おうと各々が声を荒らげる。

 アキトのその足はストレア────ではなく、黒騎士の方へ向かう。だがいち早く察知した彼女がその進路を即座に阻んだ。

 

「行かせると思う?」

 

「っ……前回とは違う。今回は、君がいる事を想定してる」

 

 言い切ると同時に右へ跳ぶ。刹那、ストレアへと伸びる閃光。彼女が目を見開いたその隙に彼女の横を通り過ぎ、同時に射出された光が彼女の胸元に迫る。それは剣の世界では異質な存在、射撃による矢での攻撃だった。

 

「────っ!?」

 

 ストレアは半ば反射的にトレイターを引き寄せ、その光を受け止め、流す。そうして彼女が驚く僅かな間にもアキトはストレアの射程範囲から離脱し、攻略組が囲う黒騎士へと駆け出していた。

 

「待っ……!?」

 

「────行かせない」

 

 アキトを追い駆けんとするその行く手を二つの影が阻む。一人は初撃を放っただろう弓を構え、もう一人は亜麻色の髪を翻し、細剣を突き付けて立つ。アキトの元へは行かせないと、その態度で彼女を牽制する。

 

 今回の作戦に必要なのは、アキトとストレアを対峙させない事。

 攻略組の人数が心許ない今、アキト無しでのボス討伐が困難である事は必定。ストレアの妨害を加えると討伐は絶望的だった。主に精神的な問題により、アキトと彼女の相性は最悪。彼らを一対一にしてしまえばアキトはボス討伐には参加出来ない。

 火力不足の現状、最大のダメージディーラーであるアキトがストレアに時間を稼がれている間に全滅するというケースは最も考えられうる可能性であり、そしてそれは現実味を帯び始めていた。

 

 故に考えられたのは、アキト以外の誰かがストレアを足止めし、その間にアキトを加えた攻略組が迅速にボスを討伐するという作戦だったのだ。

 危険だと、納得できないと思わなかった訳ではない。だがそれしか方法が無かったのも理解していた。故に、アキトは今回彼らを頼るしかない。

 

 だがアスナやシノン、みんなに気付かされたばかりなのだ。

 仲間は後生大事に守るものではなく、支え合い、助け合い、守り合う。頼っても良い存在なのだと────

 

「アスナ、シノン!」

 

 そうして彼女の前に立つ二人───、アキトがボスの討伐を完了させるまで彼女の足止めを買って出た二人を見据え、アキトは遂にその言葉を伝えた。

 

「───頼んだ!」

 

「……ええ!」

 

「任せて」

 

 アスナとシノン。ストレアを挟むように立つ二人のその笑みを背に、複雑な胸中のまま両の剣を構え、黒騎士を睨み付ける。

 奴と目が合う。憎悪と殺意を陽炎と混じらせ放つ圧倒的存在感に、アキトは笑う。絶対に勝つのだと心で叫ぶ。そうまでしなければ、アスナとシノンの安否への不安が集中力を掠め取ってしまいそうだった。だがこれ以上の心配は、逆に彼女達に失礼だ。故に────

 

「お前を、倒す」

 

 地獄を創造する彼女と今、二度目の決戦が始まった。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 標的と捉え、反射的に穿たれた黒剣を、僅かに身を引くだけで紙一重で躱す。床を抉る威力を目視した後、即座に床を蹴って黒騎士の足元へと向かう。両剣を交差させて剣技発動の構えを取れば、それを見下ろす奴の白眼が鈍く煌めいた。

 反応速度はこれまでと桁違い。突き立てたその剣を引き摺るように振り抜き、刃がそのままアキトの背を追い掛ける。片目で攻略組の展開具合を確認し、誰もいないあさっての方向に右手の剣を傾ける。

 

 速度だけで言えば、異常の一言に尽きる。分析と予測を織り成すその瞳が映す先へと《ヴォーパル・ストライク》を繰り出し敵の射程から外れ、返す形で左の剣に僅かに意識を傾け、接続。《未来予知(プリディクション)》によって最適解を選択。動作の一つ一つが最適化され、攻撃と回避を同時並行し、繋げる。剣技連携(スキルコネクト)の真髄。無駄を省き、ただ敵を最短で滅ぼす為の動きを。

 

「シッ!」

 

 片手剣単発技《スラント》──黒騎士の左足目掛け、左斜め上から神速をもって放たれたそれを、奴は左の盾で弾いた。その巨体故に態々腰を屈めて防御し、力任せにアキトを吹き飛ばしたのだ。

 此方を宙へと運ぶ程の筋力値による恩恵だろうか。僅かにHPの現象を確認。盾にも攻撃判定───()()()()()()()()()()()

 

()()()()()()()()()()……!)

 

 脳内に宿る親友の記憶を抜き取り解析。理解、思考を改訂し再演算。あくまで此方は陽動と管制塔の同時並行。やる事はそれだけで構わない。ダメージディーラーは残りの攻略組三十人だ。故に、

 

 二刀流突進技《ゲイル・スライサー》

 

 宙でこそ威力を発揮する二刀流剣技。方向を定め、空中での移動を可能とするそれは、両の手を交差させて黒騎士の首へと迫る。

 見上げた黒騎士は、そこに盾を当てがうのみ。金属が弾かれる音。響き渡る空気の振動。衝撃波がアキトとボスを中心に生まれ、突風が巻き起こる。

 それを引き起こすのは主に独り。黒騎士を屠るに圧倒的に足りてない人数を補完する動きを見せるのは、いつだって何人分の戦力と化すアキト以外に有り得ない。

 

「スイッチ───、クライン!」

 

「分ぁってらぁ!」

 

 防御に徹する黒騎士の背を、跳躍して切り伏せる侍。炎のように揺らめくエフェクトを伴って、その斬撃が黒騎士の背後に垂直に落ちる。HPの減少、同時に黒騎士の視線が背後のクラインへ。瞬間、アキトは剣技を切り替える。

 十五連撃《シャイン・サーキュラー》───その盾を躱し、腕から胸元にかけてを駆け巡る。

 

「余所見、してんなっ!」

 

 胸元に連撃の最後を打ち込み、床へと落下。着地してすぐさま反転。息つく暇も無く次の初動を開始する。

 フルレイド四十八人に対し、現状攻略組の人数は三十三。その内二人はストレアの足止め。たった一人でも死なせれば連携は崩れ、精神的にも負担は重なる。一挙手一投足、その予測を失敗する事は許されない。足りない人数の代わりを自分が補うのだと。

 分析、予測、記録参照、繰り返す事に悲鳴を上げる。瞳が、脳が、痛いと叫ぶ。知った事かと振り払い、冷たいその床を蹴り飛ばす。

 

 ────巫山戯るな、まだ始まったばかりだ。

 

「リズ!」

 

「了っ……解ィ!!」

 

 固い装甲には打撃が定石。黒騎士の盾を防ぎ、クラインが背後を襲う。そうしてアキトとクラインにヘイトが分散し、御誂え向きの隙を見てリズが飛び上がる。その頭上をメイスが叩き、砕く。

 それを横目に再び構えをとる。《剣技連携(スキルコネクト)》、起動。

 

「───フィリア!」

 

「任せて!」

 

 反転し、黒騎士の左の膝裏目掛けて放つのは《バーチカル・スクエア》。合わせてフィリアは右の膝裏に目掛けて《エターナル・サイクロン》を発動。

 鎧を身に纏う者の弱点として、関節の裏の防御が手薄なのは周知の事実。打撃でなくとも有効打なり得る。

 動作の隙、急所、余さず読み取り、活用する。その為だけにこの眼と脳を稼働させる。

 

「遅せぇよ」

 

 敵の反撃の予備動作、機微を即座に補足。視線とヘイト値から標的を予測。その大剣が持ち上がるより先に飛び上がり、再び放つのは《ヴォーパル・ストライク》。赤い輝線が火花と共に黒騎士の右肩に直撃し、薄暗い部屋を赤く輝かせる。よろけた瞬間を逃さず叫ぶ。

 

「エギル!」

 

「おうよ!行くぞ!」

 

 声は既に上空、此方の意図を理解しているのか指示よりも先に飛び上がり、斧での一撃を放つ。エフェクトが飛び散り、HPの減少を目視する。

 呻くような咆哮。よろめき膝を着くそれは、一時的な怯みだった。エギルの声に合わせて、散らばっていた攻略組の各隊が攻撃に参加し、その隙を僅かでも余す事無くソードスキルを展開していく。

 

「凄い……!」

 

 すぐ近くでリーファが驚愕を露わにしている。97層のボスとは思えぬ程に、みるみるうちにHPを減少させているこの事実が信じられないのだろう。アキトの指示とサポートがあるだけで余りにも戦いやすい。死の危険も少ないこの戦術に彼女は目を丸くしていた。

 適材適所。アキトが提示したのは、互いに出来る事のみを忠実に熟す役割分担による戦い方。それだけ聞けばリスクは少ないように思える。自分の仕事だけを熟し、危険を伴う無茶をしなくて済むのだから。

 ただ、それはアキトに負担を強いるものだった。

 

「はぁ、はぁ……はぁ……くっ」

 

「おいアキト……お前ぇ、最後まで持つのかよ……?」

 

「大丈夫……まだ半分以上残ってんだ、休んでられっかよ……」

 

 クラインの問いに対してのアキトの態度は、明らかな強がり。言葉が乱暴になる程に切羽詰まっているとも言っていい。仮想世界でさえ、激しい動きの連続では息が詰まる。肩で息をする程に疲労し、精神が摩耗する。

 

 アキトが提案したのは、火力となり得るプレイヤー全てを攻撃に注ぎ、アキトがそのサポートをする攻撃特化陣形。味方はアキトの予測によって導き出された最適解を実行し、その障害となる可能性の全てはアキトのみで排除するという、余りに巫山戯た戦術だった。

未来予知(プリディクション)》による予測演算によって敵の行動を分析・予測し、敵の攻撃への妨害や回避の指示をアキトが全て受け持ち、溢れた部分を《剣技連携(スキルコネクト)》によって補う。その隙を残り全員で攻撃し、一気にダメージリソースを増やすというこの策は、アキトの仕事量が他のプレイヤーの比ではない。敵の行動の予測に加え、他のプレイヤーの動きを見て指示を出さなければならないのだから。

 

 だがこの作戦が一番安全で、かつストレアを足止めするアスナとシノンの負担を短縮できる一手でもあった。

 元々単純な実力差でいえばアキトとストレアは互いに拮抗している。逆にいえば彼女の足止めはアキトでないと困難であるという事だ。

 故に彼女の足止めを受け持つ他のプレイヤーの負担を短くする為に、ボスをいち早く討伐する事が望まれていた。

 

『Gu────aaaaa……!』

 

「っ……回避だ、エギル!」

 

「ッ、全員退避!」

 

 呻き声が苛立ちへと変化したタイミングを逃さず叫ぶ。同時に一時的な休息は終わり、クラインを置き去りにすぐさま床を蹴る。膝を立て、その長剣を肩に乗せた瞬間、迸る鈍い極光。凄まじい剣気に大気が震える。

 現段階ではまだ見せてない剣技と予測。構えから解析───連撃数、四。《ホリゾンタル・スクエア》と断定。

 

「チィ……!」

 

 呼吸を整えていたせいで指示が僅かに遅れたか、未だ黒騎士の射程圏内から逃げ切れてないプレイヤーを捉える。ガチリ、と再び脳内でまた何かが噛み合う音がする。システム外スキルの起動ルーティンだった。剣技の軌道上にいる人間を即座に判定し、両の剣を交差させる。

 射程圏内にいるのは僅か数人。しかし初撃の軌道に立っていたのは───

 

「シリカ!」

 

「っ……!」

 

 間に合え───!

 過去の遺恨も気不味さも今は関係無い。彼女が自分をどう思おうが、恐怖や嫌悪を抱いてようがこの足は止めない。

 アキトの声に振り返るシリカ。そのせいで動きが止まると同時に、システムアシストされた黒騎士の刃が彼女の背を捉える。舌打ちも苛立ちも、全て振り落とせ。声をかけた事に後悔する暇があるなら、この足をただひたすらに動かせ。

 

 二刀流突進技《ダブル・サーキュラー》

 

 シリカの前に跳躍し、迫る刃を前に両剣を交差させて迎え撃つ。迫る大剣がぶつかった途端、暴風染みた衝撃が部屋中を震撼させる。腕が潰れるかと錯覚する程の圧力に顔は歪み、文字通り身体中が軋む。

 敵は連続技、一撃の重さは単発技に及ばない。この初撃さえ反らせればと突進力を上乗せできる剣技を選択したが、予想よりも遥かに一撃が重い。

 

「が、ぁ……!」

 

「あ、アキトさん……っ!」

 

 足に込めた力を少しでも緩めればシリカを巻き込んで後方へ吹き飛ばされる。離脱の為に受けるのも一手だが、攻略組の態勢を立て直すのに時間が掛かる。現在攻略組はアキトの指示を待ち履行するだけの存在で、自立した予測や判断を半ば放棄した状態だ。ここまで戦ってきた猛者といえども、アスナやヒースクリフといった戦術眼に長けた者の統制による連携が強みなのだ。彼女がストレアを足止めしている今、管制塔代理である自分が戦場から片時でも離れれば、その瞬間に攻略組が瓦解する恐れがある。現時点までで把握出来てるだろう攻撃パターンだけではまだ足りない。

 それにこの一撃を凌げたところで、残りの連撃数は三。黒騎士の攻撃範囲から離脱して各々が回避の体勢になるまではこの場を離れる訳にもいかない。

 

「ぐぁ……っ、シリカッ……早く、下がって……ぁ!」

 

「は、はい……!」

 

 か細くではあるが確かに聞こえた彼女の声を背に、腕と足に更なる力を込める。これ以上注げるものが無いと言える程に。ここまで来れば根性だとか気合いだとか、そういった精神論だ。

 ────それで良い。意志だ。強く、硬い意志。それだけは手放すな。

 

「っ────らあぁっ!!」

 

 裂帛の気合いと共に、二本の剣で漸く受け流す。勢いでよろめく身体はどうにか倒れずに留まるが、見上げた先で奴が振り切ったその大剣は風を巻き起こし、その先にいたプレイヤー何人かを後退りさせた。奴の視線は変わらずアキトに向けられており、二撃目が即座に来る事を予測する。

《ホリゾンタル・スクエア》ならば、次は返す形で左から横薙ぎだ。しかし間に合うかは五分、慌てて体勢を整えて二連撃目を迎え撃つ───はずが、

 

「なっ……」

 

 黒騎士は剣を振り切ったまま回転し、その威力を重ねて天からそれを振り下ろした。予測した剣技と違う動きに、アキトは咄嗟に床を蹴る。

 僅か数ミリも満たないその距離で地面が爆ぜ、衝撃を背に浴びて吹き飛ぶ。その有り様を見届けずに床に剣先を突き立てて強引に制動し、身体を起こす。

 

 ───三撃目。

 

「っ……マジかよ……!」

 

 また予測とは違う角度からの連撃。床を破壊しながら斬り上げられるそれを躱す余裕など無く、再び剣を交差させて受け止める。が、流れるように繋がった動作が連撃毎の威力を乗算し、黒騎士はその刃を振り抜く事でアキトの身体を容易く持ち上げた。

 空中へと投げ出され、世界が緩やかに見える中で、アキトは敵を睨み付けて舌打ちした。初動の構えが同じであるが故に誤った予測をした事に、焦燥と困惑を禁じ得ない。嫌な仮説が一つ浮上する。

 コイツ、まさか戦い方だけじゃなく、ソードスキルも。

 

(《神聖剣》……!)

 

 キリトがヒースクリフと対峙した際の記憶が僅かに蘇る。盾に攻撃判定が付与されている時点でこの仮説は想定すべきだったのかもしれない。いや、ラスボス特有のそれがボスに適用されるとは思わなかった。

 ともかく、ボスたるあの黒騎士は、ラスボスだったヒースクリフと同じ剣技を継承しているのだ。故に発動したこのソードスキルは、四連撃であっても《ホリゾンタル・スクエア》ではない。

 

 神聖剣四連撃技《ゴスペル・スクエア》

 

 天井へと突き上げるような斬撃が視界を覆う。アキトとして見るのは初めての剣技。記憶から引き出す予測と実物にある僅かな誤差。そして驚愕と動揺で遅れる反応。それらが悪い意味で噛み合い、躱すつもりで空中で身体を捻ったつもりが伸び切った刃先に右腕をぶつけ、そのまま抉り取られるような不快感に襲われる。

 

「ぐっ……!」

 

 掠り傷と呼ぶには些か深いそれは、視界左上に表示された自身の体力を容赦無く奪い取っていた。防御を捨てた攻撃と速度特化のステータスによる欠点、それを痛感して思わず舌打ちする。

 ────想像以上、想定以上。この世界はいつだって常識を覆し、それが更新されなければ情報無き行為は蛮行かつ無謀と成り果てる。一度閉じればどちらかが死ぬまで開かないこの空間の所為で、75層からボスの下見すらままならない状況下であった上に、ストレアによる未知の技によって強化を授かっている目の前の黒騎士は、常軌を逸した力を有していると再確認した。

 

「アキト!」

 

「っ、大丈夫……!?」

 

 四撃目を受けた事で姿勢が崩れ、着地に失敗し地に伏せる。駆け寄るフィリアの腕を借り、すぐさま足に力を入れた。黒騎士は硬直からは既に解放され、真下にいたアキト達へとその刃を突き下ろす。

 

「危ねぇ!」

 

 アキトの視界端からエギルの両手斧が振り抜かれ、黒騎士の剣を天井へ弾く。仰け反った隙に距離を取っていたプレイヤー達が再び四方へ展開し、各々が武器を構える。

 休む暇など無いと、アキトは下がりながらも視線だけは外さない。敵の姿勢、武器の位置、対処までの時間、それらを即座に計算し、どの方向からの攻撃が的確で適切かを割り出していく。

 

「リーファ!」

 

「おっけー!せええい!!」

 

 黒騎士の左斜め後ろ、奴の対処が一番遅いであろう位置に立つ彼女へ指示を出し、それを理解したプレイヤー達が彼女に続いて突撃していく───が、仰け反った勢いを利用して、黒騎士が再び体勢を変える。跳ね除けられた勢いを剣に乗せて再びソードスキルが発動するその過程に思わず見入り、目を見開く。

 臨機応変───そんな事までできるのか。

 

「っ……ダメだ下がれ!」

 

 予測ではなく、見てからの反射的な指示。一歩、一寸、一秒が命取りの戦場において、その指示の遅れは致命的だと、叫ぶ前から理解していた。誰もがその叫び声を耳に動きが止まり、黒騎士の姿を確認しようと見上げ──その斬撃は四方を囲むプレイヤー達を一掃する。

 

 片手剣二連撃技《スネークバイト》

 

(っ……今度は片手剣技!)

 

 羽虫を撫でるように、火の粉を払うように。いとも容易く精鋭達を吹き飛ばし、悲鳴と共に突風が巻き起こる。フィリアに介助されながら背を向けていたアキトでさえ、その強風に前のめりになった。その視界端で此処まで吹き飛び、地面を削るように転がるプレイヤー達を目視し、ソードスキルの威力に思わず振り返って惨状を確認する。

 

「みんな……!」

 

 たった一振り。されど、風圧だけで吹き飛ばされたプレイヤーも多かった。HPを半分以上失った者も視界に捉える。

 その結果を引き起こした黒騎士は、余韻に浸るかの如く振り抜いた姿勢で固まっていた。その硬直状態が様に見えて、強者としての圧倒的存在感を恐怖と共に押し付けてくる。《神聖剣》を有していても、その風貌から聖騎士を想像するのはとても難しく、不気味なその姿はさながら暗黒騎士を彷彿とさせる。あっさりと地獄を創造できる力を持ったその巨躯に、アキトは歯軋りしながら見上げるしかない。

 

(っ……くそ、俺のせいで……!)

 

 焦燥は思考を見出し、驚愕は集中力を途切らせる。疲労は次の一手を遅らせ、対処的な思考では言葉を詰まらせた。故にアキトの指示によって取れていた統率は徐々に乱れ始めていた。これはその結果だ。

 そう、最初からこの作戦に無理がある事は分かっていた。これしか方法が無いから、それに縋るしかなかっただけ。つまり、こうなる事は必然だった。

 

「……!」

 

 休む間も無い。奴が追撃を躊躇う理由なんて無い。此方を待つ事など決してないのだ。数秒思考が止まるだけで、殺戮はすぐ傍までやってくる。

 

「っ、アキト……!」

 

 まだ立て直せていないプレイヤーは多く居る。暴力的なまでの強さと威圧感に圧倒され、見上げ震えるだけの者も少なくなかった。それを瞬時に察知し、アキトはフィリアから離れて駆け出す。

 彼女の声を背に、黒騎士の視界中央に位置するように躍り出る。目論見通り、奴のヘイトは全てアキトに注がれた。二本の剣を再び構え直し、その瞳を鈍く光らせる。態勢が整い、再び連携を取る準備が出来るまで。予測、分析。途切らせる事無く────。

 ストレアの足止めを引き受ける役を買って出た二人の為にもと、その床を踏み抜いた。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 黒騎士の雄叫びを背に浴びながら、互いに洗練された技を織り成す。張り詰めた緊張感と研ぎ澄まされた集中力の中で生み出される剣戟は流麗かつ繊細で、それが殺し合いの最中に繰り広げられているとは思わない。

 片方は殺す為、もう片方は時間を稼ぐ為。意志の重みが違う分、徐々にその差は明確になっていく。敵を無力化する為に急所でさえ躊躇無く突く少女と、迫り来る刃の嵐を躱し、受け流しを繰り返す殺意無き少女。勝利の兆しは前者の少女に見えつつあった。

 

「ふっ!」

 

「っ、くぅ……!」

 

 かつて両手剣を操っていたストレアだ、片手剣による剣速は計り知れない。《閃光》と謳われるアスナでさえ彼女の攻撃全てを捌き切るのは難しかった。右へ左へ目まぐるしく変わる剣技。メインウェポンではないにも関わらず、得物を操るセンスは飛び抜けている。

 刃先は頬を掠め、肩を抉り、連携(コネクト)により繰り出された拳は腹を的確に突いてくる。体力は徐々に、確実に減少している。頭の中で死神が手招きしている気がした。

 

「ぐっ、う……!」

 

「これで────っ!」

 

 最後の一撃、のつもりで踏み出したストレアの右足。瞬間、アスナとストレアの間を光を纏った何かが通過し、ストレアは後方に飛んで距離を取る。

 アスナが体勢を立て直し、チラリと左を見れば、そこには弓を引き絞って二本目の矢を構える少女の姿があった。

 

「あ、ありがとう、シノのん……」

 

「無茶しないでよアスナ。どっちが死んでもこの作戦は破綻する」

 

「うん、分かってる……」

 

 ポーションを取り出し、口に含む。その間、ストレアの邪魔が入らないようにシノンが矢を彼女に向けてくれていた。アキトの邪魔をするべくこの場を離脱しようとしても、それは同じ事。彼女の速度よりも、シノンの放つ矢の方が速い上に、この距離ならばシステム的に必中だ。

 

 ストレアの足止めを引き受けた二人───アスナとシノンの連携は上手く作用し、どうにか彼女をこの場所に留めている。片方が危うくなればもう片方がフォローし、そうして彼女の動きを封じていく。《閃光》と呼ばれし実力を持つアスナと、《射撃(ユニークスキル)》を持つシノンで漸くストレアを止める事が出来ている。

 ストレアは何もせずアスナの体力が回復する様子を見つめていたが、やがて口を開き、

 

「……まだやるの?続けてもジリ貧だと思うけど」

 

「気を遣ってくれるのね。回復させてくれたのは温情ってわけ」

 

「どう捉えて貰っても構わない。どうせ貴女達と会うのは、今日で最後になるんだもの」

 

 シノンの挑発的な物言いに対しても、表情を変える事無く淡々と告げるストレア。お前達の事など何とも思っていないのだと、そう伝えてくるその瞳と声音が、アスナの胸中に悲哀を生み出していく。

 

「っ……ストレアさん、お願いだからもう止めて!」

 

「無駄よ、アスナ。今のストレアに何を言っても。それにその話はこの戦闘が終わって、彼女を《アークソフィア》に連れて帰ってからでも出来るわ」

 

「連れて……帰る?」

 

 シノンのその言葉に、ストレアは僅かに眉を動かした。

 彼女の事だ、アスナ達の攻撃に殺意が無かった事は気が付いているはず。そしてその理由も、たった今シノンが口にした事で理解しただろう。此方にストレアを殺すつもりがない事を。

 

「まさかアタシが帰ると思ってる?シノンはアタシを許せるの?」

 

「……正直、私はこれ以上被害が大きくなるなら、貴女を生かしておく訳にはいかないと思ってる」

 

「っ……シノ、のん……!」

 

 交わるシノンとストレアの視線。シノンの言葉は真実なのだと、傍にいたアスナには分かってしまった。引き絞るその弓も、ストレアに向ける矢も、狙いを定めるその瞳にも、嘘偽りは感じられない。

 かつての仲間を殺す覚悟を、シノンは既に持っている。それを知って思わず口を開きそうになるアスナ。だが、

 

「でも」

 

 そう一言、そして息を吸う。

 シノンは凛とした意志をその言葉に乗せて、弓を構え直して、ただ真摯に告げた。

 

「貴女を助けたいと願ってる奴がいるの。だから無理矢理にでも連れて帰ると、そう決めた」

 

「────……」

 

 それを聞いて、アスナは少しだけ後ろを見やる。

 攻略組が囲う中心で、ボスたる黒騎士と黒の剣士の剣が交わるその瞬間を目にした。シノンの言う、ストレアを助けたいと願う少年の─── アキトの姿を。

 仲間を守り、味方を助け、そうして己を犠牲にしてもなお、敵となった彼女の事まで気にかけて。摩耗した精神の中で、その揺るぎない決意だけは手放すまいと、彼は今、命を賭して戦っている。

 そんな彼に報いる為に、そんな彼の支えになる為に、シノンは此処に立っているのだと。そう告げるシノンの表情は、何故かこれまでのものとは違うと、アスナにはそう感じた。

 

 彼女の言葉に、ストレアは僅かに目を細めて呟く。

 

「シノンに出来るかな」

 

「これでも前よりは強くなったと思うけど。試してみる?」

 

 そう言って、間髪入れずに放たれた閃光。不意を突くような一閃に、ストレアは目を見開く。しかし既に構えは完了しており、その矢じりが届くよりも先に彼女のソードスキル《バーチカル》が発動した。

 

「シッ!」

 

 上段から振り下ろされた刃は容易くその矢をへし折り、その流れのまま地を蹴り出す。引き摺るように構えた剣からは、またもライトエフェクトが迸る。

 短剣も扱えるシノンだが、メインは弓による遠距離攻撃戦術。近接戦闘になれば分が悪いのは明白。その弱点を補う為の二人、シノンを守る為にアスナはいる。

 

「っ────せあああっ!」

 

 咄嗟の判断の中、繰り出されたのは《閃光》の代名詞《リニアー》。二人の間に割って入り、文字通り光速をもってそのレイピアを前方に押し出す。

 

 ────ドクン、と心臓が脈打つ。

 

「……っ」

 

 世界の時間が緩やかになる錯覚に陥る。その間、視界に広がる光景を冷静に捉える。そして理解してしまった。

 鋭く尖る細剣、その先端がストレアの眼前に迫る瞬間を見て。自身の放ったその剣が、彼女の胸元を目掛けて突き進んでいくのを見て。もしこれが命中すれば、彼女にダメージを与える事になる、彼女を傷付ける事になると知ってしまった。

 

(わた、しは……)

 

 これが、アスナの選択の結果。アキトを支えると誓った自分が望み、選んだ道。自分でも分かっているはずだった。いや、分かっていたつもりになっていただけだったのかもしれない。

 此処に来て、今になって、この期に及んで、ストレアと仲間と過ごして来た思い出が脳裏で呼び起こされて、その光景が躊躇を生み出していく。

 

 ────それを、ストレアは決して逃さない。

 

 ストレアもそれを見てすぐさま片手剣を持ち上げる。既に初動は済んでおり、アスナの放つ《リニアー》と放たれた速度はほぼ同時だった。

 

「はあっ!」

 

「く……!」

 

 双方が激しく衝突し、甲高い金属音を響かせ、火花が四散する。アスナは上体を反らされるが、ストレアはその剣を振り抜いている──どころか、彼女の剣は未だ光を放ち続けている。

 単純な力負け、そう悔しがる間もなく目を見張る。アスナが放った単発技に対し、ストレアが発動したのは、

 

(二連撃────!)

 

 片手剣二連撃技《バーチカル・アーク》

 

 敵を斬り殺す事のみを目的とした剣が、アスナの足元から迫り上がってくる。ストレアのその虚構の瞳にさえ、此方は映らない。殺すだけの標的、自分の目的を果たす為の障害、そんな認識なのだと改めて理解した。

 

(ストレア、さん……)

 

 躊躇など、迷いなど無い。とうの昔に分かっていた事だ。繰り出される剣戟の数々こそが、もう引き返すつもりがないという決別の証明。それに対してアスナは、たった今彼女にソードスキルをぶつける事を躊躇った。

 

 ────やっぱり、私には。

 

 これではアキトの事は責められない。共に戦ってきた仲間にどうして剣が向けられよう。ストレアを知るみんななら、同じ結果を辿るだろうと思った。例えこの剣に身体を裂かれて死ぬ事になろうと、この身体が動かない。彼女を傷付けらる訳がない────

 

「アスナ、左に飛んで!」

 

「────っ!」

 

 背後からの声。半ば反射的に左へ飛ぶ。

 持ち上がるその剣の刃先が、僅かに胸元を掠め取った。痛みはなくとも不快感に自然と顔を歪む。悔しげに歯軋りするも束の間、アスナのその後ろから、既に射出準備を完了させたシノンの射撃スキルが迫る。

 

「───射殺せ(ファイア)

 

 冷たく、その声はアスナの耳に届く。

 放つ矢からは深紅の煌めきが溢れ、爆ぜる。どう移動しても確実に捉える為の三本同時射出。アスナの目の前を通過したそれは、一瞬で標的の眼前に収束する。

《バーチカル・アーク》の残り一撃はその内の一本、致命傷になり得る可能性がある一本のみを捉える。それがライトエフェクトと共に飛び散った瞬間、彼女の右肩と左足にその矢が突き刺さった。

 

「っ……く!」

 

「逃がすかっ……!」

 

 距離を取るべく後方へ跳ぶストレアを見て、シノンはアスナより前に躍り出る。既に腰から矢を引き抜いており、無駄な思考も動作もなく再装填。最適化された動きのみによる撃滅準備。

 引き絞った瞬間、再びその矢が輝きを帯びる。敵を射殺す為だけの一撃、その瞳には標的を捉える為だけの意志を宿していて。

 

「し、シノの───」

 

「アスナ、下がって」

 

 そして、実行。青白い極光と共に、神速をもって敵を追尾する。空気を裂きながらストレアへとその矢は走り出し、先程よりも狙いは無慈悲。脳天へと迫る刺突は彼女の右脳を掠め取り、その視界を歪ませた。余波を受けHPを減らす彼女を見て、シノンは変わらず腰から矢を抜き取り、流れ作業のように弓へと重ねた。

 

「っ、やり過ぎじゃ────」

 

「殺すつもりで丁度良い」

 

 攻撃を躊躇うアスナの前で、殺戮を生み出す射撃技(ユニークスキル)。驚異的だといえばそれまでだが、威力だけでなく攻撃への躊躇の無さに言葉を失った。

 普段の彼女と余りに違う。その表情も、戦い方も、話す言葉の重みの何もかも。

 

 シノンは変わらずストレアを見据え、その先に立つ彼女は右肩と左足に生々しく残る矢を勢い良く引き抜く。同時にHPがまた減少するも、表情一つ変えずにストレアはシノンを見つめる。

 

「……強くなったね」

 

「おかげさまでね。けど、貴女は弱くなったわ」

 

 アスナには、シノンのその一言でストレアが初めて感情的になったように見えた。未だ闇が広がるその瞳が僅かに苛立ちを孕み、その口元が震える。

 彼女は自分の叶えたい目的の為に仲間を切り捨て、ボスを強化し、攻略組に絶望を与えた。結果だけ見れば彼女は此処にいる誰よりも強者としての結果を出している。だがそれでも、シノンは怯える事無く告げた。

 

「自由で笑顔で、皆を振り回して。けど楽しそうで。いつも自信に満ち溢れていた前の貴女の方が、私には強く見えていたもの」

 

「……そんな、の」

 

「だから私は今の貴女を否定する。アキトが取り戻したいと願う貴女を連れて帰る」

 

 その為の力よ、と弓を構えて告げる彼女を見て、アスナはただ立ち尽くしていた。その覚悟が、発言に込められた熱が、自分と比べ物にならない事を実感した。SAOに迷い込んだばかりで、攻略組の誰よりもレベルが低かった彼女が、いつの間にか自分を越えているのだと自覚してしまった。

 

「……どうして、そこまで」

 

 それはストレアではなくアスナの、思わず溢してしまった問い掛けだった。ストレアもシノンも驚いたのか此方に視線を傾ける。だがそれも一瞬、シノンは再び前を向き、小さく微笑んだ。

 

「不器用なアイツが、漸く私達を頼ろうとしてくれたからよ」

 

 彼女が片目で見据えた先には、未だ死闘を繰り広げる攻略組の姿。その剣戟の渦に見え隠れする、黒いコートと二対の剣。必死な形相の中で、その瞳が一瞬だけ此方を向く。

 

「初めてアイツに任されたんだもの。次も頼って貰えるように、私は役割を全うする」

 

「……健気だね、随分と」

 

「自分でもびっくり。私、意外と尽くす女みたい。そうやってアイツに翻弄されてる今の自分も、嫌いじゃない」

 

 ストレアの皮肉ですら、笑みを持って答える。余裕そうに振る舞う事で、少しでもアキトの心にゆとりが生まれるようにと。シノンはずっと、そうやってアキトの為の行動を続けていたのだ。

 傷付けてしまうと言い訳染みた言葉だけで行動を止めた自分とは違うのだと、アスナは拳を握り締める。

 

「ごめんね、シノのん。───もう、大丈夫」

 

「……アスナ」

 

「私も、シノのんと同じだもの」

 

 頼って貰えた事。信じてくれた事。支えさせてくれた事。いつだって独りで抱え込んで来た彼が、漸く自分達に歩み寄ってくれた事。こんなに嬉しい事は無いとさえ思えたのだ。

 散々彼にその事を説いてきたのだ。いざ頼ってくれた時、その期待に応えられなければ、それは嘘だ。キリトを守れなかった時と同じ、口だけの戯言と化してしまう。

 

「アキト君の願いを、今度は私達が叶えるの。だから」

 

 構え直した細剣は、未だ僅かに震える。ストレアに剣を向ける覚悟がまだ完了したとは言い難い。けれど、アキトの為なら。いつだって、何処にいようとも自分達を助ける為に戦ってくれた彼の為なら、この剣を振るう事ができるから。

 

「ストレアさん、貴女を止める。そして連れて帰る」

 

「────」

 

「一緒に帰ろう。ユイちゃんも待ってるよ」

 

 僅かに零れる笑み。隣りで同様に笑うシノンにつられたからかもしれない。それでも方針は固まった。シノンと協力し、アキト達がボスを討伐するまでストレアを足止めする。そして、彼女を無力化して一緒に帰るのだ。

 そうして、彼女の抱えてる悩みをみんなで共有し、解決する為の行動を────

 

 

「……どうしても」

 

「え……」

 

 

 そんな目標を遮るように、前方からか細い声が放たれる。聞き逃してしまいそうな程に小さく、そして震える声音。

 それは紛れも無く、二人の目の前に立つストレアのものだった。俯くその顔から表情は読み取れず、代わりに両の肩がわなわなと震え始めていた。

 

 

「どうしても、一人にしてくれないのね」

 

 

 剣を握るその力が強くなり、その刃先さえもが振動している。口元は引き絞っていて、何かを堪えているように見える。アスナにはそれがまるで、涙を流さずに泣いているような、そんな表情に見えて。

 

「……ストレアさ────」

 

「何もできない癖に、どうせ無理なのに……そうやって、期待させるのね」

 

 その言葉の意味がよく分からず、けれど言葉を紡ぐその勢いに気圧され、何も言えずに後退る。瞬間、僅かに顔を上げた彼女の瞳が───血のような深紅に染まり、鈍く煌めくのが見えた。

 

「アタシは……後悔なんて、してない……生きる為に仕方が無いんだって、そう思ってる……そう思ってたのに……っ」

 

 ────バチリ、と。

 彼女の身体を纏う黒い稲妻。まとわりつくような風。苛立ちや憎悪を混濁させた血色の双眸。まるで以前暴走状態に陥ったアキトを想起させるような、底冷えするような冷たさを帯びて。

 背筋が凍りつく程の恐怖。震えてその場から動けなくなってもおかしくない程の圧力。以前のボス戦同様に感じ始める、死へのカウントダウン。それを引き起こそうとするのは、やはり目の前の彼女。

 

「っ……ストレアさん。貴女に、もう誰も殺させない……!貴女の目的は分からないけど、こんな間違ったやり方……!」

 

「────アキトみたいな事を言うんだね」

 

 感情がそのまま力になったような、そんな突風だった。アスナもシノンもそれに当てられ、後方へと吹き飛ばされる。地面へと身を削り、思わず目を瞑るその刹那、ストレアの瞳が右に逸れたのを見た。

 

 

「……ああ、そっか」

 

 

 その視線の先には、アスナが絶対に守ると誓った大切な人の奮闘する姿───アキトが、いた。

 嫌な予感が、胸中に渦巻く。凄まじい勢いで増幅し、恐怖や焦燥を掻き立てる。彼に向ける感情は、決して以前のような好意的なものではないと、その瞳が告げている。

 

 

「────全部、全部アキトの所為か」

 

 

 瞬間、迸る紫電と暴風がストレアを取り巻き、辺りを震撼させる。その闇色のコートが翻り、虚ろな瞳の奥に不気味な深紅の光が宿る。その細腕が震える程に、柄を握るその力が増していく。

 アスナとシノンが慌てて立ち上がった時には、ストレアの持つその剣が天高々と掲げられていた。

 

 

「アキトさえ……アキトさえいなければ……」

 

 

 刀身が鈍く、黒く輝く。全ての希望を飲み込まんと、殺意を纏わせ宣告する。視線の先に立つ勇者の元へとその絶望が届くように、嵐を起こしながら。

 ────その瞳に、僅かに涙を溜めて。

 

 

「っ……貴方が最初からいなければ、アタシはぁ!!」

 

 

 天へと伸びる光、その剣を振り下ろす。それを目の当たりにして、アスナは咄嗟にその足を動かしていた。まだ見てない構え、アスナの知らないエフェクトカラー。まだ見せたことの無いソードスキルの可能性を示唆していた。

 一歩、二歩。それだけでストレアの間合いへと入り込む。彼女の視線は未だにアスナとシノンに向けられてはいる。けれどそれとは別にアキトへ向けられた意識、感情の全てが隙となり、アスナのレイピアを彼女へと届かせる。僅か数秒、数センチ。

 先程のような躊躇を感じる暇もない。この一撃が致命傷になる事はないと自分に言い聞かせ、自身の行いとアキトの命を秤にかけて、一瞬で選び取った後悔無き選択肢だと誇れる程に意志はハッキリとしていた。その意志を込めた刃が、ストレアの胸元へと伸びていく。

 

 届け、届け。

 間に合────。

 

 

「────インフィニティ・モーメント」

 

 

 冷たく響くそれは、ストレアの声だった。

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「っ────ぐっ……!」

 

 二本を交差させて大剣を受け止めた瞬間、腕ごと消し飛ばされるような衝撃と共に後方へと吹き飛ばされる。もう何度目かも分からないほどに受けていても一向に慣れる事は無い、即死へと続く刃の数々。

 神経を張り巡らせ、片時も剣を掴む握力を緩めず、集中力を途切らせる事無く、予測を繰り返し、そうして漸く奴と対等になれる。そして、ここまでしてもなお、あの黒騎士を圧倒できないという事実。

 

「アキト!」

 

「大丈夫、平気……」

 

 吹き飛ばされたその先で、フィリアがアキトを支える。彼女に肩を借りながら、よろよろと立ち上がった。

 防御したにも関わらず衝撃だけで体力を削り取られていく。あらゆるパターンが組み込まれた今回のボスは、予備動作からの予測さえ常人にはかなり難しい。巨大なだけであって、動きは人間とそう変わらないのだ。

 アキトの《未来予知(プリディクション)》で漸く───いや、それでもまだ足りない。時間を重ねる毎にその強さを痛感する。

 単純に攻略組の人数、即ち戦力の減少が今になって痛手になっていた。

 

「……っ」

 

 今噛み締めたのは、一体何本目の小瓶だろうか。乱雑に頭を振って捨てれば、硝子のように砕けて消える。視界左上の体力が回復していくのを確認し、再び正面に聳える黒騎士を睨み付ける。

 攻撃も防御も、剣技も立ち回りも、どれをとっても今までのボスと違うアルゴリズム。学習し、応用し、パターンを簡単に予測させない。アキト一人に全て任せての連携は、そろそろ限界に来ていた。

 

 黒騎士が雄叫びを上げながら再びその剣を振るう。その一振りによる風圧が、距離のあるアキトの前髪を揺さぶる。壁役の血盟騎士団の何人かがその重い一撃に吹き飛ばされ、エギルとリズも巻き込まれて倒れ込むのを視界に捉える。

 

「っ……行か、なきゃ」

 

 眼も、脳とグチャグチャだ。最早声も聞こえない。けれど、それでも行使してでも戦わなければならない。再びその剣を握り締めて前方へ駆ける。

 

 

 

 

 ────二つの影(・・・・)が、目の前を通過した。そしてすぐ、壁に亀裂でも入ったかと思うほどの破壊音が響いた。

 

 

 

 

「────え」

 

 風で髪が揺れ、コートが靡く。戦闘が一時終わりを告げたかのように、空気が静まり返った。まるで音なんて存在しないかのように、呼吸音すら感じ取れない程に静寂が一瞬で場を支配する。

 アキトは、呆然と立ち尽くした。他のプレイヤーでさえ、その異常な空気に動きを止めた。黒騎士さえ、武器を降ろして直立している。

 

「……何だ?」

 

 誰の声だったのかは分からない。ただ、誰もがそれを知りたかった。生きるか死ぬかの瀬戸際にも関わらず、戦闘を中断してしまう程の何かが、そこにはあった。

 

「────」

 

 アキトには、目の前を横切った二つの影に、嫌なくらいに見覚えがあった。そして僅かに聞こえたのは、よく知る大切な仲間の声。

 恐る恐る、震えながら視線を影の飛んだ先へと向ける。そこには壁が崩れる程の威力で叩き付けられた、仲間の無惨な姿があった。

 その二人はアキトの為にストレアの相手を買って出てくれた大切な────

 

「……ア、スナ……シノ、ン……?」

 

 呼んでも、返事が無い。深く抉り取られたかのように、アスナは右肩から左腹部を。弾け飛び消え去ったかのように、シノンは右腿から下を切断されていた。どちらも項垂れ、意識を手放している。その身は黒い稲妻のようなものの余韻が残っていた。アキトは、戦闘なんて忘れて思わずそこへと足を向ける。

 

「アスナ……シノン!!」

 

 ────しかしその瞬間、バチリと黒い稲妻が目の前を横切った。

 思わず動きを止めたアキト。だがその瞬間、思いもよらぬ方向から叫び声が聞こえた。

 

 

「ぎゃああああああああぁぁぁああああ!!!」

 

「っ!?」

 

 

 反射的に叫び声の先を見た────()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「……は」

 

 

 そんな声しか出なかった。放物線を描きながら自身の目の前に落ちたその腕を見下ろす。目線の先にあるそれに、理解が追いつかない。床に転がった腕の先には、その腕の持ち主であろう血盟騎士団のプレイヤーがいた。恐怖からか、衝撃からか。涙を流しながら、ガシャリと鎧の音を立てて崩れ落ちていく。

 それを、誰もが目の当たりにした。けれど、何かを口にはしなかった。何も言えない。何が起こっているのか、誰にも分からない。

 

 

 ────ドクン

 

 

「……っ」

 

 再び、稲妻のような音を捉える。アキトはその気配をいち早く辿り、その視線を傾け、

 

 

 ────目の前で、リズの左腕が吹き飛ばされるのを見た。

 

 

「……え?」

 

「リズ!」

 

 

 目を丸くしながら、そんな音を零す彼女に慌てて駆け寄る。体勢を維持出来ず、膝を着いたリズベットを抱き留める。切断された腕を見て、呆然とする彼女の為にポーションを取り出そうとした瞬間、また背後で気配を感じ取る。

 

 

「あうっ!」

 

 

 今度は全く別の方角から声がして、視線を傾ければ────女性の両脚が転がっている。

 あれは。あれは、フィリアのだ。

 

 

「……ふぃ、りあ」

 

 

 その両脚の先で、うつ伏せになって倒れているフィリア。苦しげに顔を歪め、床を這っている。

 

 

「っ……待っててフィリア、今────」

 

 

「きゃあああっ!」

「ぐああっ!!」

「うわああああああああああぁぁぁ!!」

 

 

 突如連鎖し、間断無く響き出す、悲鳴の不協和音。嫌な予感を拭えぬまま思わず振り返れば、次々とプレイヤー達が崩れ落ちていた。その度に黒い閃光が縦横無尽に地を駆け巡り、そうしてアキトの周りにいるプレイヤー達の四肢を削り取っていく。

 

「……なん、だよ」

 

 ポツリと、そう呟く。誰に聞いてもらう訳でもなく、それでも誰かにこの状況が何なのかを教えて欲しくて。

 

「があああっ!」

 

「っ……!」

 

 再びの叫び声に今度こそと視線を向けて────右手と、それが掴む刀がカシャリと音を立てて地面に落ちる。その刀は、最早原型が何だったのか分からぬ程に粉々に砕けている。

 

「っ……クライン!」

 

「っ……なんだ、これ……!」

 

 目で追い切れない速度で走り続ける黒い稲妻が通過する度に、悲鳴が、恐怖が、確かに刻まれる。それを頼りに目で追っても、腕をもがれ、足を切り飛ばされ、武器を打ち砕かれ、次々と仲間は床に崩れ落ちていく。

 

「リーファ!シリカ!」

 

 同様に脚を切断された二人を目の当たりにする。ピナを守るよう抱えて蹲るシリカの肩はガタガタと震えている。状況に困惑し、正常な思考ができていない。

 

「っ……エギ────」

 

 エギルは、腕と脚を一本ずつ消されていた。バランスを失い仰向けに倒れ込み、それを最後に攻略組のプレイヤー全てが誰も立つことができなくなっていた。決まって武器を持つ腕か、立つ為の脚を削がれ、まともに戦う事を許さない状態にされていた。

 気が付けばアキト以外、誰も戦える状態ではなくなっていたのだ。

 

「……っ」

 

 ゆらゆらと立ち上がる。その視線の先で、黒い閃光の正体が立っている。闇を纏い、殺意を持って、此方の瞳を覗いている。

 

「……ストレア」

 

「最初から、こうすれば良かった」

 

 ストレアが黒閃纏った剣を突き上げる。それを合図に、黒騎士が再起動を始める。その大剣が輝きを帯び、それを一気に振り抜いた瞬間に奴を中心に衝撃波が放たれる。

 五体満足のアキト以外のプレイヤーは例外無く全て、抗う術無く吹き飛ばされ、壁へと追いやられていく。

 

「みんな……!」

 

「これで戦いやすいでしょ?」

 

「っ、ストレア……!」

 

 冷淡に、残酷に。何の躊躇も後悔も感じない声。虚構だったそこ瞳には最早殺意と呼ぶに相応しい熱が灯っていた。

 ストレアと、その背に立つ黒騎士がそれぞれ武器を構える。どちらの視線もアキト一人に向けられていた。倒れている者には目もくれていない。標的は───ストレアが殺すと決めているのは、この場でたったの一人だけ。

 

「……っ」

 

 アキトは剣を構え、敵を見据える。対するのはストレアとボスである黒騎士。他のプレイヤー達の助力は部位欠損と体力を回復するまでは見込めない。つまりここからはアキトの一人勝負。絶望の比喩すら生ぬるい、地獄への最短ルート。

 しかしそこに逃げる選択肢など全く無い。既に戦う決意を、アキトはもうその胸に宿している。自分の役割を肩代わりしてくれたアスナとシノンの為にも、もう彼女と戦えないなどと言ってる場合じゃない。

 

「……だ、め。アキト、くん……」

 

 消えかかった火のような小さな声。それでも、それがアスナの声だとすぐに分かった。チラリと後方を見れば、苦しげに顔を上げる彼女がいた。

 アキト以外で唯一の五体満足。しかしストレアの剣技の追加効果なのか思うように身体が動いておらず、此方に来ようと両腕だけで身体を運ぶも、よろめいて倒れ込む。それでも足掻くのを止めず、絶えず地を這い進み続ける。

 

「アスナ……」

 

「決め、たの……誓ったの……言ったでしょう……?もう嫌なの……大事な人の、大事な時に……動けないのは、もう、絶対に嫌なの……!」

 

 ────それは、アキトが一番知っていた。

 キリトとヒースクリフの決闘を、動けずただ見てる事しかできなかったアスナの気持ちを。助ける事もできず、何も彼に伝えられず、目の前で突如として消え去った時の彼女の気持ちを。

 彼女がキリトと自分を重ねて見ていたとしても、あの時の悲劇を繰り返さんと行動できる彼女を、ただ誇らしく思う。アキトは小さく、本当に小さく彼女に微笑んだ。

 

「……君は、守ってみせる」

 

「え……」

 

 それだけ伝え、今度こそ前を向く。もう振り返る事は無い。何もせずただ此方を待ち構えるストレアと黒騎士の前へと一歩出ると、アキトは両の剣を構える。

 どう考えたって勝てはしない。勝つには必要なものが足りてない。解を導く反射に近い程の思考速度はまだ何とかなる。だが問題なのは意識を伝達し行動へと変換する速度。俊敏さだ。予測が完璧であったとしても、躱すだけの脚力や、受け止める為の腕力、そういった力の部分において、アキトはまだ足りてない。

 

 ────ならば、必要なのは予測についていける身体。それを手にする為に、アキトは一種の暗示をかける。

 

 夢想(イメージ)するのは、常に最強の自分だと誰かが言った。自己暗示は時に行動に、思考に多大な影響を及ぼす。そして何より、集中力を最大にまで高められるアキトの自己暗示は、他の者の比ではない。集中し、深く自身に暗示をかけ、ゆっくりと脳が肉体にかけているリミッターを外す────アキトの持つ、もう一つのシステム外スキル。

 剣を構え、目を瞑る。

 

 

「────護る為、支える為にこの腕を」

 

 

 呪文のように言葉を紡ぎ、その一つ一つの音を噛み締め浸透させる。

 

 

「────救う為、導く為にこの脚を」

 

 

 それが本当であるかのように。強がりを強さへと変えていく。

 

 

「────戦う為、理想の為にこの剣を」

 

 

 アスナやみんな、そしてストレア、この世界に囚われる全ての為に。

 

 

「────“起動(セット)”」

 

 

 殺す必要なんて何処にもない。これがアキトのやり方なのだ。誰にも、文句など言わせはしない。

 何もかもが欲しい。我儘で構わないと、誰かが教えてくれたから。

 

──── SKILL ACTIVATE : OUTSIDE

 

 ゆっくりと、その瞳を開く。もう迷いは無い。

 金色へとその瞳の色を変え、アキトは地を駆ける。

 

 

「────駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.125 『輝亡(そのかがやきうしなわれるときはすぐ)

 

 

 

 









アキト 「……二人して何してんの?エギルの店の前で」

リズ 「お、丁度良い所に。ちょっとこっち来なさい」

アスナ 「今カウンターでアルゴさんとユイちゃんが話してるのよ」

リズ 「なんかめちゃくちゃ仲良さそうなのよね……」

アキト 「ああ……アルゴにはユイちゃんが一人になっちゃう時に一緒にいてもらってるから……」

アスナ 「楽しそう……むー、何話してるんだろう……アキト君分かる?」

アキト 「や、分かんない。聞き耳スキルも無いのに聞こえないよ」

リズ「へー、アンタ結構多芸だからてっきり……けど得意そうじゃない、読唇術とか。やってみなさいよ」
 
アキト 「分かったよ……ええっと──『誘ってくれてありがとうございます。三点倒立でスカイツリーの一気飲みしたの初めてです』」

リズ 「もう良いわ、壊滅的よ」

アキト 「無理ゲーなんだよなぁ……」

アスナ 「っ……っ……!」←ツボった



※実際


ユイ 「アルゴさん!次はオセロをやりましょう!ここに泊まってる人達に教えてもらったんです!」

アルゴ (勝てるカナ……)































次回 Episode.126『永眠』



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Ex.未来








────もしも、叶うなら。縋っていいと言ってくれるなら。





 

 

 

 

 

 

 

 ────『ALO内の浮遊城でも、かつてのSAO事件同様のクエストやイベントが生成されている』

 

 特に時期によって生成される期間限定クエストは、ALOの世界よりも世界樹上を浮遊するSAO舞台の方が景品が豪華だと掲示板に貼り付ける者が居たくらいだ。ハロウィン、バレンタイン、正月に七夕────そしてクリスマス。

 それを知った時、彼女(・・)の中には一つの可能性が浮上していた。 誰と過ごしていても頭の片隅にいつもその予感があった。時期が近付けばそれだけ心がザワついて、どんな時もそれだけが気掛かりで。故に準備だけは念入りにした。一ヶ月も、二ヶ月も前から装備に気を遣い、アイテムを少しずつ補充し、高価なアイテムの売買も行い、持てる全ての知識を使って準備を続けていた。

 ただその日を────クリスマスだけを、彼女は待っていた。

 

 

 けれど────

 

 

「はぁ……はぁ……っ」

 

 底冷えするような、墓標にも似た雰囲気を放つ雪原の中心で、その少女は膝を立てふらつきながらも立ち上がる。此方を見下ろす巨体の眼光があまりにも鋭く、萎縮してしまうのをどうにか抑えながら。

 

(馬鹿だなぁ……私って)

 

 何を思い上がって居たのだろう。醜くて滑稽で、涙が出そうだった。SAOをクリアした事で、怯えて震えるだけだった二年前と比べれば、心も身体も強くなった気がしていた。

 その強さを今も尚発揮してる彼ら(・・)と自分は全く違うのだと、目の前の災害を前にして────その拙い動きで、覚束無い足取りで、武器を構えた震える腕で漸く自覚する。目の前の巨人を見上げる自分が、奴にとって、世界にとって、如何に矮小な存在なのだろうか。どうして気が付かなかったのだろうか。

 

「っ……それ、でも……」

 

 この我儘を貫かないと。やるべき事をやらないと。自分は二度と、ここから先へは進めないと思うからと、最後にはそんな淡く脆い覚悟に帰結する。

 これが仮想のものだと理解していても、相変わらず恐怖が心を支配している。それでもなお構える槍の先端は相対する敵ただ一点に突き立てていた。

 

 自身より三倍程の背丈を持つ異形の怪物。腕が地面に擦れてしまう程に長く、気持ち悪い程の前傾姿勢の人型のモンスター。焦点の合わない小さな赤い瞳が輝き、長く伸びた捻じれた灰色の髭は腹部まで来ている。

 そして既視感のある赤と白の上着に三角帽子。サンタクロースを模した姿ではあるが、右手には片手斧を持ち、左手にはプレゼントが入っているであろう汚れた袋を下げていて、如何にも醜悪な悪魔を思わせる存在感。

 

《背教者ニコラス》

 

 それが、目の前に聳え立つ巨大な敵の名前だった。改めてその定冠詞を見上げて、下唇を噛み締める。奴を見つめるだけで、かつての記憶が呼び起こされる。

 ────雪原の中心で、膝から崩れて雪降る空を見上げ、水晶を抱えたまま泣き叫び続ける彼の姿を。

 彼がそうなるまで戦い続けた理由である、大切な仲間達の顔を。何よりも愛していたあの時間を。

 

「わた、しが……!」

 

 何をしても、もう決して取り戻せないのだと、そう分かっていても。その手に掴む槍を手放す事はできない。独り善がり、我儘、けじめ。理由なんて何だっていい。ただ一緒に居てくれる彼らに追い付き、共に歩んで行く為に。

 

 少女───サチは、ニコラスに向かって駆け出した。

 

「うあああああああっ!!」

 

 その長槍を構えて、何度叫んだかしれない。その度に赤子の手をひねるかのような横薙ぎに吹き飛ばされるばかりの身体。その度雪原が緩衝材になってはダメージを減らしてくれる。SAOであればこれだけで身体が竦んだ。けれどゲームだからと頭が認識しているからか、ポーションを咥えてすぐ立ち上がる事ができた。SAOで出来なかった事が、皮肉にもALOならあっさりだった。

 

 サチは攻略組だった訳じゃない。そんな勇気が、一欠片だってあった試しが無い。いつまでも恐怖が身体から抜けてくれない。罪悪感に押し潰されそうな毎日で、解放され楽になった事なんて無い。それはゲームがクリアされてからも変わらなかった。

 罪の意識で、死にたいという感情で、心が押し潰さそうな毎日だった。

 

「くっ……うぅ……!」

 

 腕を払うように振り抜く巨人。その突風で動きが止まる。雪が礫となって身体に打ち込まれていく。吹雪のような光景に視界を奪われ、目を細める。瞬間、巨人の拳がサチの腹部にめり込んだ。

 

「かはっ……」

 

 衝撃、暗転、気が付けば身体は宙に投げ出され、小石のように吹き飛ばされた。摩擦も利かず雪原を転がり、近くの杉の木にその背を打ち付ける。気絶するかの瀬戸際、意識を持っていかれそうなノックバック。呼吸が難しく、胸を抑えて咳き込んだ。何度空気を吸っても、足りなくなる程に。そうして左上の体力が減少し続け、やがて危険域に達し、警告音がけたたましく鳴り響く。

 

「……はは……やっぱり、ダメかぁ……」

 

 整える暇もなく震える上体をどうにか起こし、視線を上げる。サンタの格好をした醜い巨体は、一歩ずつ徐々に此方の息の根を止めるべく歩を進めている。それを見てサチは、立ち上がる事も無く、その身を背中の巨木に預けた。

 

 ────苦しい、辛い、怖い。ゲームの中なのに痛みさえ感じる気がした。そうして一瞬で弱腰になる自分の思考を自覚し、なんて情けないんだと泣きたくなった。呆れて笑みさえ零れてくる。

 どうして彼らのように、自分は立ち上がる事が出来ないのだろう。前を向いて、戦えないのだろう。

 

(……みんなの、方が……もっとずっと、怖かったはずなのになぁ……)

 

 SAOでの二年間、そしてクリアした後も彼らと共に過ごす時間は多かった。アキトやキリト、アスナ達と現実で直に会い、話し、感じた事はSAOの時と変わらない。現実でも仮想世界でも、彼らの在り方は何一つ変わらなくて───変わらず強くて。自分とつい比べてしまった。

 なら、自分は?自分は何か一つでも、手に入れられたものがあっただろうか。死に毎日怯えながら、今か今かとゲームクリアを待っていただけに過ぎない。攻略組を───アキトを、待っていただけに過ぎない。何もせず、全てを委ね、預け、傾けたに過ぎないのだ。

 

 それを自覚した時、彼らと自分の間に隔絶された壁が聳え立ったような気がした。自分と彼らはまるで違くて、この二年間を不意にした自分は、二度と彼らと同じ歩幅で進む事が叶わないのではないかと、そう感じてしまった。

 本当の意味での仲間になり得ないのではないかと、そう感じた途端、共に過ごす日々の中でも拭えぬ疎外感は次第に肥大化していって。

 

(優しいみんなが……そんなふうに、思うわけないのに……)

 

 それでも、これだけはサチ自身のケジメでもあった。二年前と同様に広がる目の前の光景。これを自身の手で乗り越えなければいけないような気がしてた。でなければ、彼らに報いる事も、過去を振り切って前を向いて進む事もできないと思ったから。

 今ではもう、やめておけば良かったと後悔しかない。始める前から結果など分かり切っていたのに、態々自分自身が無力だと再確認させられたのだから。

 

「っ……」

 

 すぐ目の前まで巨人が迫る。自身の身体と同じくらい巨大に伸び切った隻腕が、サチを押し潰さんと振り上げられる。意識が混濁し、朦朧とした視界の中でこの世界での死を覚悟した。

 振り下ろされる槌のようなその腕が、死の直前だからかとても遅くに見えた。迫り来るそれを見て、何故かSAOに居た時と同じような恐怖を感じた。此処で死んだとしても、現実に何ら影響は無いと知っているけれど。それでも、サチはこの世界でまだ一度として死んだ事は無い。

 それはいつも守ってくれて、隣りに居てて、一緒の歩調で進んでくれる人が居たから。

 

 

(……ねぇ)

 

 

 ──もしも──

 

 

 ──もしも私が、あの時彼を誘おうなんて言い出さなかったとしても──

 

 

 ──あの時、貴方はその手を伸ばしてくれただろうか──

 

 

 ──“⬛︎⬛︎が⬛︎⬛︎に⬛︎⬛︎⬛︎ように”、そんな夢を持ったまま、私の隣りで微笑んでくれただろうか?──

 

 

「……ぁ……」

 

 

 ────これは、罰なのかもしれない。《約束》を踏み躙った私への。大切だった仲間達を裏切り、挙句命を奪い、それなのにその悲劇を忘却し、今までのうのうと生き続けてきた私への。

 何度も夢に起こされる過去の悲劇。それから逃げてきた分、果てのない後悔や痛み、苦しみを抱えて、いずれ果てるべきだった私が。

 

 ────こんなにも大切で、愛おしいもので、両手をいっぱいにしてしまった事への。

 

 

「────“壱・天枢(ジ・インパルス)”」

 

 

 その声と共に、青白い閃光がサチの頭上を通過した。

 刃のように尖った光はそのまま巨人の右肩部を貫き、やがてその光剣が天へと伸びる。柱のような右腕を意図も容易く切断し、その巨体を後方へと弾き倒した。

 途端に地響きのように雪原が震え、衝撃と共に迫る雪の礫に、サチは思わず目を瞑る。

 

「……ぁ」

 

 ────そのすぐ近くで、人の気配がした。

 ふわりと、静かにそこに降り立った。優しい気配、どんな事があっても、隣りに居てくれるだけで大丈夫だと思わせてくれる、安心する気配。見なくとも誰なのかが分かってしまう。

 目を見開き、自身の右に立つその存在を見上げる。二振りの剣を持つ、全身を黒く染め上げたロングコートの闇色の剣士。その所々に切り傷のような赤いエフェクトを付けながら、それでも凛と目の前に立っていた。それは、いつだって駆け付けてくれる、サチの心の拠り所。

 涙が出そうだった。

 

 

「……なん、で」

 

 

 ────どうして?

 

 

「……見つけた」

 

 

 ────なんで彼は、私を見付けてしまうの?

 

 

「……ア、キト……」

 

 

 その少年───アキトは静かに振り返り、ふわりと柔らかな笑みを浮かべて膝を付き、サチと目線の高さを同じにする。ヨロヨロと、既に限界を迎えているであろうその身体を酷使してしゃがんで、そうして告げる。

 

「手伝いに来たんだ。サチを」

「っ……その、傷……」

「……ああ、此処に来る前に《シャムロック》に邪魔されちゃって」

 

《シャムロック》───最近頭角を顕にした巨大かつ高ランクのギルドの名前だった。最前線での攻略でトップを独占し、今ではそのネームバリューを笠に来て横暴な態度のプレイヤーも多く、今やSAOで言うところの《血盟騎士団》並に厄介な規模となりつつある。

 恐らく、人数が多い分情報収集に長けた人材も居るのだろう。でなければ生還者でも無いのに告知の無いSAOでのクリスマスイベントに辿り着く筈がない。まさか尾けられていたのだろうか。

 ────そして彼は、私を守る為にこんなにも傷だらけになってくれたのだろうか。私のせいで、こんなにも傷付いてしまったのか。

 

「けど、大丈夫。キリト達が対処してくれてる。すぐ片付けて、こっちに来てくれる」

「……いや……そんなの、ダメ……これは、私がやらなくちゃいけない事なの……だから……っ」

 

 無理してでも立ってやる───そう意志に反して身体は思うように動かない。立ち上がる事を、前を向いて歩き出す事を拒んでいるかのよう。どうして、なぜ、そんな焦燥で呼吸がままならない。

 それを咎める事もせず、アキトはサチの頭に一瞬だけ手を乗せたかと思えば、ユラユラと膝に力を込めて立ち上がり、振り返って後方で立ち上がりつつある巨人を見据えた。

 

「分かってる。だからあくまで手伝い。サチが……もう一度立ち上がる覚悟を決めるまでは、俺がアイツの相手をする」

「……どう、して」

「……どうしてかな」

 

 それ以上、アキトは何も言わなかった。振り返ってその剣を寝かせて構え、一気に駆け出した。既に起き上がった巨人はヘイトをサチからアキトに切り替えている。彼は好都合とばかりに奴の脇に沿うように走り込み、ボスの視界からサチを外させた。

 

 

「────“弐・天璇(ザ・テンペスト)”」

 

 

 アキトの刀身から、紫電が走る。雷属性の魔法が付与されたOSS。迸る雷光がボスの身体全身を支配し、その動きを麻痺させる。瞬間にその身を翻し、足元まで一気に移動して、既存のソードスキルを叩き込み、確実にニコラスの体力を削り取っていく。

 忌々しそうに見下ろすニコラスを前に、してやったりと不敵に笑うアキト。けれどその身は傷だらけで、体力だって殆ど残ってない。自分を助ける為に、回復する時間も惜しんで此処に来てくれたのだと、胸の奥が熱くなる。熱くなってしまう。痩せ我慢だと、既に死に体だと、一目見て判断できてしまう程に弱々しくて。

 

(……ダメ)

 

 これ以上、優しくなんてして欲しくなかった。

 そうされる資格なんて、自分には無いとさえ思った。彼が優しさを傾けるに値しない存在なのだと、卑下せずには居られなかった。

 

「ぐっ……!?」

「っ、アキト……!」

 

 呻くような鈍い声。既に右腕を再生させた巨人が、返す形でアキトその身を振り払う。剣での防御虚しく、簡単にその身を吹き飛ばす。

 再び体力が削れる。血のような紅いエフェクトが全身を夥しく染め上げ、仮想だとは思えぬ程に彼の死を想像してしまう。

 

「お願い……逃げて……」

「嫌だ……っ」

 

 アキトはすぐさま立ち上がり、再び大地を蹴り飛ばす。迫る雪の礫を躱し、剣で弾き、前へ前へと進んでいくその背が、みるみる内に小さくなって、そのまま居なくなってしまうのではないかと思ってしまう程に。

 

「……どうして、手伝おうとするの……なんで、助けようとするのよ……!?」

 

 そんな、お門違いな苛立ち。向けるべきではない怒りのような感情。今も尚目の前でサチを庇うように戦う彼を見て、告げずには、叫ばずにはいられなかった。

 何度も何度も、挑んではその身を傷付けるアキト。立つのさえ苦しそうで、それでもなお背を向けたまま、此方の問いに答えはしない。

 

「理由を言ってよ!じゃないと私……私、そんな、助けて貰えるような人じゃない……」

 

 声が震えた。サチは痛々しくも口元を歪めていた。頬を伝う涙が地面に落ちて雪と共に吸い込まれていく。

 こんな自分の為に身体を張る彼が許せなくなって、思わず。

 

 

「私がっ……!! 私が黒猫団のみんなを殺したんだよっ……!?」

 

 

 ────心の中で抱えていたものが、思わず零れた。

 自分のせいで、ケイタは死んだ。ササマルも、ダッカーも、テツオ死んだ。自分が死にたくないからと、パーティーを抜けたから。自分が上層に行く彼らを引き止めなかったから。

 

 

 ────()()()、《S()A()O()()()()()()()

 

 

 彼らの訃報を耳にした時、自責の念が抑えられなかった。後悔と罪の意識に苛まれ、次第に心は限界を迎えていた。それなのに死ぬ度胸も無くて、ただゲームがクリアされるのを待つ事しか出来なくて。

 攻略組になる勇気も無く、矛盾して絡まって、ぐちゃぐちゃに混ぜられた感情の中で、結局二年間最後の最後まで戦う事が出来なかった。

 現実でアキト達と再会して、彼らを直に見て、自分と比べてしまったら最後、サチの中ではもう、彼らと一緒に居る事それ自体が苦痛になりつつあった。けどアキトに伝えられなくて、嫌われるのが怖くて、ずっとずっと押し黙っていた。

 

 けど、もう限界なのだ。一緒に居るのが辛いのだ。離れていって欲しいのに。放っておいて欲しいのに。

 

「ぐぁ……!!」

「アキト……あきとぉ……!」

 

 再び巨人の拳がアキトの鳩尾を貫く。また小石のように吹き飛び、地面を削り取って、サチの眼前までその身を滑らせる。彼の名を、縋るように何度も呼ぶ。アキトは雪まみれになりながら、血のようなエフェクトに塗れながら、またその剣を突き立てて起き上がった。

 

「……知ってたよ」

「……ぇ」

 

 サチは、思わずその顔を上げる。ボロボロのその身をどうにか起こしながら、アキトはサチを見て微笑んだ。

 

「ケイタに……SAOに来た経緯は、聞いてたから……サチが最初に告知を見付けて、誘ってくれたんだって。自分から言ってくる事が少なかったから、嬉しかったんだって……そう、言ってたよ」

「……っ」

 

 初耳だった。ケイタからそんな事、言われた事がなかった。口元が震える。笑みを崩す事無く、アキトはサチを守るように前に立ち、迫り来る巨人を迎えるよう、剣を構える。

 

「全部……分かってるんだよ……」

 

 その笑みは、絶やさずに。

 その足は、震えながらも崩らずに。

 決して、サチの前では倒れぬように。

 

「君が、ただみんなと一緒に遊びたかっただけな事も……君が、ただゲームが好きなだけな事も……君が、ただ優しいだけな事も……誰よりも傷つきやすくて……色んな事に、必要以上に感じてしまう事も……!」

 

「そんな、の……違うよ……そんなの、私じゃない……わたし、そんなに、そんな、言って貰えるような人じゃない……」

 

「違うんだ……違うんだよ、サチ……君がどんな人間かなんて、そんな大した問題じゃ無いんだ……君がみんなを誘ってくれたから……俺は君と出会える事が出来た……君と出会う事が出来たから……俺は、今こうやって誰かを───君を守りたいと、そう思えるような人間になれたんだ……」

 

 消え入りそうな体力で、摩耗した精神で、ありったけの想いを。それを遮るように巨人が仁王立ち、トドメを刺さんと怒号と共に右の拳を再び振り上げる。それをゆっくりと見上げたアキトは、空いた左の腕を伸ばし、標的の前で掌を開き、告げる。

 

 

「────“参・天璣(ザ・ストライフ)”」

 

 

 瞬間、目の前にエフェクトが飛び散る。淡く弾ける緑色の光はやがて十字を形取り、アキトの左手の前に花弁のように大きく広がっていく。

 展開されたそれは────盾。理不尽からサチを守る為の。

 

「ぐっ、う、ああああああ────!」

 

 巨人の拳と、盾が衝突する。迸る深緑の閃光が火花のように散り、雪原が激震を走らせる。突風が雪を巻き上げ、冷気が身体の動きを鈍くさせる。あまりの重さに、その膝が屈する。

 それ、でも────。

 

 

「ああああああああ────!!」

 

 

 決して、折れない。決して、負けない。

 絶対に、そこから彼は逃げたりしなかった。

 その背は、かつてSAOで見せてくれた背中と変わらない。

 いやそれよりももっと大きく、暖かく、優しく────強く。

 

 

「……どうして」

 

 

 どうして、君は。

 その問いに、アキトは小さく口を開いて答えた。

 

 

「────欲しいものが、あるから」

 

 

 ────欲しいもの。

 それはかつて一度だけアキトが教えてくれた、分部不相応な“夢”の話だ。

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────痛い。身体中が沸騰しそうな程に。

 ────重い。内臓ごと潰れてしまいそうな程に。

 ────けれど決して折れない。決して負けない。

 

「────ッ!」

 

 無限に等しい重力を、身体を粉砕しながら逆らって押し上げていく感覚。脳機能全てが砕かれ綯い交ぜになるような嘔吐感と、意識が飛びそうになる程の頭痛が身体の全ての感覚を支配していく。

 システム上感じないはずの痛みが、伸ばした左の指先から肩の付け根にまで広がっていき、思わず歯を食いしばり、目を細める。

 

「ああああああああ────!!」

 

 裂帛の気合い、怒号にも近い叫び声と共にその膝を立て、その身を上へと押し上げる。潰さんとする巨人の腕を、力の限りを振り絞って勢い良く跳ね上げる。

 瞬間、その鮮やかな緑のエフェクトを放ち続ける十字の盾が肥大化し、その極光を強めたと同時に、ニコラスはそれに押し上げられて後方の巨木へと吹き飛ばされた。

 

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 

 ────強い。

 やはり、SAOの時よりも遥かに強化されている。

 ふと顔を上げれば、もう既にニコラスは立ち上がり、此方を視認していた。思わず目を細め、舌打ちする。ユラリと立ち上がり、その巨人はまた地響きを上げながら迫ってくる。

 幾ばくも無いその体力を削りながら、アキトは再び剣を振り抜く。その猛攻が、命を容赦無く削ぎ取っていく。それどころか、自らの繰り出した剣戟の反動すら、自身の体力を脅かしていく。

 

起動(セット)────……っ!」

 

 脳が振動を繰り返し、正常な認識を、正確な演算を阻害する。目眩がして景色が何層にも重なって見える。

 巨人のその拳がすぐ目の前まで迫って来ているのに眼前で気付き、再びその身を弾かれた。

 

「がぁっ……ぐっ……!」

 

 下が雪のせいで摩擦がかかりにくい。立て直すのにかなりの時間がかかる。咳き込み、深く呼吸をし、それでもなお正常な感覚が中々戻って来ない。

 何度も、何度も何度も。その雪原に剣を突き立てては、彼女の前に立つ。

 

 ────ああ、こんなに辛いのは。苦しいのは。いつ以来だろう。

 

 こんなみっともない自分の背中を他でもなく彼女に見せる事が、こんなにも情けない事だとは、と笑えてきた。

 そんな背に震えながら声を投げかけてくる彼女もまた、弱々しくて。守ってあげなければと、支えてあげなければと、そう思わずにはいられない。

 

「もう……やめてよ……」

「……やだね」

 

 立っているのさえやっとだというのに。今にも崩れ落ちそうな程に辛いのに。

 彼女の前では、この“強がり”だけは無くならない。彼女がもう一度立って、歩き出すまでの時間を、その役目を、他の誰にも譲りたくない。

 他ならぬ、自分の場所だ。

 

 

「────“肆・天権(ザ・ルミナリー)”」

 

 

 地に突き立てたその刀身から光が雪原に広がり、積もる雪が尖った氷柱のように形成されていく。背中から驚くような吐息が漏れたと同時に、雪原から剣を抜き去り、そうしてアキトが剣先をボスに向けた瞬間、それが無数の弾丸のように射出されていく。

 

『Gu────ruAAAAAAAAaaaaaaaaAAAA!!!!』

 

 その無数の氷柱の弾丸を待ち受けるよう仁王立ちし、左に持つ巨大な袋を持ち上げ、大きく振り抜き弾く巨人。振るう度に生じるその暴風に目を細めながら、アキトは再びその地を蹴って走り出す。

 

「うおおおおおああああああああっ!!!!」

 

 何度も斬っても、何度も防いでも、何をしても。その行動全てがその身を犠牲にする行為。精神が、心が、意識が、段々と薄れていく。

 そうして刻々と潰える自身の体力を、摩耗して擦り切れそうな心を、惜しげも無く炉にくべながら。

 どれだけ押し潰されそうでも。どれだけ苦しくても。

 

 ────前へと踏み出す脚は。

 

 ────繰り出す剣の力強さは。

 

 

「ウオオォああああアアア─────ッッッ!!」

 

 

 ────変わらない。

 

 

「……お願い……」

 

 

 ────そうやって。

 誰から見ても死に体の勇者を見て。

 目尻を真っ赤に染めて泣きじゃくる彼女の姿を、背中越しでも感じる。その震えた声が、その背に届く。

 

 

「……もう、いいから……もう、戦わないで……」

 

 

 ────うるさい。

 そんなの、聞いてやらない。

 もっとわがままで良いのだと、SAOに居た頃色んな人に言われたのだから。だから、やりたい事を。したいと思った事を。

 

 

「……る、んだ……」

 

「……え……」

 

「……守、るんだ……サチを……」

 

 

 ────自分は、ただ。彼女を支える為に。

 

 

「……その為に、来たんだっ……!」

 

「……!」

 

 

 サチが周りと距離を置き始めていた事なんて、とっくに気付いていた。

 あの世界を戦い抜いたキリト達と、その帰りを待ち続けた彼女の間に、彼女自身が引いてしまった境界線。

 大切な仲間を死なせてしまったのだと、一人で抱え込んだままの罪の意識。居場所を感じられず、孤独を耐えながら、誰にも相談できずにこの日まで抱え込んできた。かつての浮遊城でもあったこのイベントを前に、彼女が何を感じていたのかも。

 それがケジメなのか、懺悔なのかは分からない。けれど、彼女自身が何かを変えたいと願っている。

 それを、知っているから。

 

(ああ、そうか)

 

 ────今更のように、少年は自覚する。

 生命が容易く失わる鋼鉄の浮遊城で出会った、分け隔てなのない優しさ、温もり、笑顔、居場所。

 何も無い自分に、彼女がくれたもの────。

 

 ────その全てを。

 

「……みんなが、笑顔でいられる世界……幸せに、なれるようにって……君と、“約束”した理想……その、理想を叶えた居場所に……」

 

 要領を得ない言葉の数々。それでも、苦しくても、今伝えなくてはならないと思った。嗚咽と共に絞り出す、濁ったような声を、それでも止めたりはしない。ただひたすら吐き出し続ける。

 

「その先に、君自身も居なければ、俺には、何の意味も、ない……っ」

「────」

 

 巨人の爪がアキトの身体を引き裂く。何度もその地に身体を打ち付ける。何度回復結晶を砕いても、精神が限界を迎えつつある。

 寒さからか、限界からか。そうして震える脚を律しながら、サチの前を奴に明け渡したりはしない。

 

「っ、だから……諦めない……何度、這い蹲ろうと……」

 

 届いているだろうか。伝わっているだろうか。受け取ってくれているだろうか。

 分からない。彼女の声も、もう聞こえない。それでも。それ、でも────少しでも、君に。一人じゃない事を。

 決して、独りにしない事を誓う。

 

「何度だって立ち上がる……立って、戦う……」

「……どう、して……」

 

 ────“どうして?”

 ────何でそんな事、言わなくちゃいけないんだよ。

 ────そんなの、決まってるだろ。言わせるんじゃねぇよ。

 

 

「果てのない後悔(過去)だけを、抱え続けてきた君が───」

 

 

 自分だけが悪いのだと、塞ぎ込んでいた君が。

 

 

「いつか、明日(未来)に向かって歩けるように────!」

 

 

 共にみんなと、笑って歩いて行けるように。

 

「……っ……!」

 

 溢れる涙を、拭う事もせず。言葉にならない嗚咽を混じらせて、ただアキトを見つめ続けるサチ。

 戦いの最中、そんな彼女を視界に収めることすら難しい。彼女が今、どんなにくしゃくしゃな顔をしているのかなんて想像もつかない。

 けれど、それでいい。伝わればいい。この想いが、熱が、君に伝熱すればいい。

 

 ────俺は、君を知っている。

 

 臆病で、でも優しくて、笑顔が魅力的な彼女がを。初めて出会った時から、この感情は小さく芽生えていたのかもしれない。

 仲間になって、共に行動して、彼女の優しさを見て、その想いは募るばかりで。

 彼女の為なら、命さえ張れると思った。いつしか、生きる希望になっていた。

 

 

「たのむよ、サチ」

 

 何度挫けても、また立ち上がるから。

 みんなを、仲間を、自分を呼んでくれ。そう願う。そう叫ぶ。

 地面へと頭を擦り付け、蹲る。その剣の柄を、強く握り締める。

 

 

「独りにして……待たせて、ごめんな」

 

 

「コイツと一体一は、怖かったよな」

 

 

「罪の意識に、苦しむ毎日は辛かったよな」

 

 

「ずっと独りで、その恐怖と戦ってたんだよな」

 

 

「けどもう、大丈夫、だからさ」

 

 

「これからはずっと、みんながいるから」

 

 

「もう二度と、君を独りさせないから」

 

 

「もう一度、願いを言ってくれ」

 

 

「今度は必ず、君を支えるから」

 

 

「今度は絶対、応えてみせるから」

 

 

「死んでも、君を見付けてみせるから」

 

 

「キミがいなきゃ、何処にいたって同じなんだ」

 

 

「君がいなきゃ、何の意味も無いんだよ」

 

 

「だから、お願いだ」

 

 

「辛い時は、辛いって」

 

 

「寂しい時は、寂しいって────」

 

 

 自分(アキト)が、キリトが、みんなが。

 一緒に歩いてくれる仲間たちが、君にもいるから。

 

 

「助けが、支えが……必要だって言えよ……!」

 

 

 結局は、それを言いにここまで来た。

 ただの説教だった。彼女が独り、誰にも相談せずに抱え込んで離れていこうとした事が、単純にムカついて、気に食わなかっただけ。目の前の巨人なんて、二の次でしかない。

 

「わたし、は……こんな自分に……!」

「忘れんなよ……君は……アンタ(・・・)はもう、独りじゃない……っ。あの時とは、もう違うんだ……俺が、みんながいる……」

 

 かつての、彼女の呼び方で。

 同じ距離感で。同じ歩幅で。再び誓う。

 

「俺が、みんながいる限り……アンタにもう、何も諦めさせたりしない……っ……まだ見ぬ未来に何が起きようと……俺が、アンタを絶対に支えてみせる……!だから、サチ────」

「────れ、る?」

 

 掠れたその声を。絞り出したなけなしの叫びを。アキトは決して聞き逃さない。

 振り返って、しっかりと彼女を────泣きじゃくるサチの顔を見つめる。想像以上にくしゃくしゃな泣き顔を見て、ただ優しく微笑んで見せた。

 

「────私と……っ、一緒に戦ってくれる……?」

 

「っ────たく、遅いんだよ」

 

 その言葉を告げるのに、どれだけの勇気が必要だったろうか。

 自身が誘った世界で仲間を失い、その罪の意識を抱え続けて、それでも死の恐怖に耐え切れず、闘うことも出来ずに塞ぎ込んだ二年間は、きっと彼女にとっては地獄だったろう。

 それをどこかで感じ取っていたはずなのに、ここまで何も出来ずに巨人に吹き飛びされるばかりだった自分が酷く情けない。けれど彼女からの叫びが、その心臓の鼓動を強くする。

 きっと、彼女に頼られるこの時を、待っていたのかもしれない。

 

「……っ」

 

 涙を拭いながら、その槍を仕えにして、漸く彼女は立ち上がる。

 ゆっくりと、震える脚を叱咤しながら、歯を食いしばりながら歩んでくる。そうして、覚束無い足取りでアキトの横に並び、互いに視線を交錯させる。

 言いたい事、聞きたい事、伝えたい事、沢山ある。けれど、それは目の前の巨人を倒してから。

 

「……終わったら、アキトに聞いて欲しい事があるの」

「この状況でフラグ立てやがったな。絶対聞けないぞそれ」

「ううん。絶対言う。もう決めたの。もう、抑えてられないの」

 

 その直情的な物言いにドキッとするも、いつも以上に覇気のあるサチを見て、アキトは笑った。彼女の為に、今自分が出来ること。

 

「────」

 

 深く、息を吸う。体力の危険域到達によってその視界が赤く染まる。脳内でアラートがけたたましく鳴り響く。それが聞こえなくなるほどに、その集中力が研ぎ澄まされていく。心臓の音が木霊する。

 

 

「────守る為、誓いの為にこの腕を」

 

 

 彼女を守り、支え、苦難を乗り越える為の腕となれ。

 

 

「────繋ぐ為、願いの為にこの脚を」

 

 

 絆を繋ぎ、救いを求める者へ駆けつける為の脚となれ。

 

 

「────夢の為、理想の為にこの剣を」

 

 

 誰もが笑顔で、幸せになれるような居場所を創れる剣であれ。

 

 

 雪原を震わせるような咆哮をその身に浴びながら、アキトとサチは武器を構える。震災を発生させながら迫り来る中で、再びアキトが前に躍り出る。

 さあ、見せようか。SAOで深化した、彼女と未来を見据えていく為の力。

 

 

 

 

起動(セット)────未来視(リヴィジョン)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Ex.『未来(君との未来はこの手の中に)

 

 

 

 









────リハビリです。
話は適当に考えて2時間くらいて書き上げたものなので、面白さは期待しないでください(笑)
少しずつ合間の時間を使って投稿して行けたらと思います。



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Ep.126 永眠










────好きな人や大切な人は漠然と、明日も明後日も生きている気がする。

それはただの願望でしかなくて。
絶対だよと約束されたものではないのに。

人はどうしてか、そう思い込んでしまうんだ────





 

 

 

 

 

 

 

 ────貴方はきっと、知らないだろう。

 

 どれだけのものをみんなに与えてきたのか、どれだけの人を救っているのかを、貴方自身知らないでしょう。

 私がどれだけの想いを貴方に抱いていて、その存在がどれだけ私の中で大きなものになっているのかも。

 

 大切な仲間達も、攻略組のみんなも、すれ違うプレイヤーでさえ、貴方に救われ、影響された人間は多い。最前線に突如として現れた彼に、一番最初に救われたのは、きっと私だった。

 

 ……私は、君の事を。何にも、知らないんだよ。

 

 教えて欲しい。けど無理に聞きたくない。それでも彼の事を理解したい、知りたいという感情は日増しに膨れ上がっていった。出会う前の彼を、どんな二年を過ごしてきたのかを、どんな想いを抱いてくれているのかを。

 知って、伝えて、共有したい。

 

 ────けれど、今の君を、私は知ってるよ。

 

 出会う前の露悪的な言動に隠れる、不器用な他者への優しさ。恐ろしい程に自身を勘定に入れない誰かの為の行動力。全てを圧倒する程に隔絶した剣技と身体能力。死の恐怖さえも跳ね除ける愚かしい程の勇気。

 ────悲哀を誤魔化す、儚げな笑み。その中で垣間見える、いつ死んだって良いと思っているような、どこか満足したような表情。

 

 それを教えてくれるに足る程の信頼を、友情を、絆を。彼は私に感じてくれてないのではないかと、そう考えてしまう自分が酷く醜く思えた。こんなにももどかしさや焦燥を感じさせる人に、これまで出会った事がなかった。

 手を伸ばさないと、近付きに行かないと、その差は自然と引き離されていって、最後には私の目の前からいなくなってしまうような。

 キリト君とは違う脆さを感じて酷く恐ろしかった。

 

 今なお目の前で、たった一人で、たった独りで。絶望に等しく、地獄の比喩すら生温い敵との攻防にその身を投下し、果ては死に一歩ずつ近付いているその後ろ姿、背中。そればかりで、彼の表情が見えないのが酷く恐ろしかった。

 剣を束ね、技を重ねる度にその身に深い傷を付けていく彼の体力が凄まじい速度で減少していくのを見て、口元が酷く震える。

 死が、すぐそこまで来てる。

 

「────っ、ぁ」

 

 ストレアに吹き飛ばされ、壁に亀裂を作り出す程の威力で激突してまだ時間が経ってない。肺に酸素を取り込む事すら厳しく、目尻に涙を溜めながら咳き込み、必死に呼吸を繰り返す。

 彼の折れそうな姿を見て、酷く心臓が高なった。恐怖や焦燥が綯い交ぜになって、動かない自身の身体に酷く苛立ち、痛みを感じる程にその下唇を噛み締めながら、両の腕のみで這うように彼の立つ中心へとその身を引き摺っていく。

 

 

「アキト、くん────」

 

 

 ……私は、過去の君を知らない。けど、今の優しい君を、もう知っている。理解している。だから、恐怖に震える体に爪を立てて、頬を何かが伝うのも構わず、必死にその身を前へと押し出す。

 彼の背中が、次第にあの日を思い出させる。75層での、キリトとヒースクリフの決闘。かつて愛した人の、たった一人で戦う後ろ姿。見てるだけだった自分と決別する瞬間は、恐らく、きっと、今しかない。

 道半ばで目の前から消えてしまった彼の顔を思い出して、アスナはポツリ呟く。

 

「ゴメン……ゴメン、ね……ごめん……っ」

 

 あの時、駆け付ける事ができなくて。守ってあげられなくて。一緒に戦ってあげられなくて。

 許してだなんて言わない。けれど、どうか彼に──アキトくんに伝えさせて欲しい。取り返しのつかない事だと分かっているけれど。

 それでも、浅ましく彼の名を呼んでしまう私のこの想いの丈を、感情を、溢れていく全ての気持ちを声にして届けたい。

 

 待ってて。

 もう決して、独りにさせない。

 君に二度と、悲しげな表情を作らせないから。

 

 私は、もう逃げない。

 私は、もう負けない。

 私はもう、後悔しない。

 

 

「私、を」

 

 

 ────どうか、アキトくんの傍に行かせて。

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

(────あ、れ)

 

 

 どれくらいの、時間が経ったんだろう。

 ていうか、今、何してるんだっけ。

 

 

「いい加減────壊れてッ!!」

 

 

 97層迷宮区。最終到達点。聳える巨大な鎧の黒の騎士。散らばり倒れる数多の生命。少年と少女。守る為の剣と殺す為の剣。────その中心で。

 魂の込められた意志と共に、各々の剣戟が交わる。火花散らす競り合いの中で視線が合わさり、重なる。

 互いに譲れぬものの為、互いに求める願いの為、互いに守りたい居場所の為に。

 

「せあああああっ!」

「っ……!」

 

 裂帛の気合いを乗せて、その闇色の剣が振り抜かれる。こんな細身の少女からは到底放たれると思えない一撃が、少年───アキトのその身を吹き飛ばす。

 まだ地に到達さえしてない内に追い打ちを仕掛けようと彼女───ストレアが剣を伸ばして迫って来るのをその視界端に映しながら、アキトは空中でその身を翻して冷たい床にその手を付ける。

 

「────ッ!」

 

 瞬間、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。振り抜いたストレアの剣は空を切り、彼女が見上げた時には既に、アキトは遥か後方へと距離を取っていた。

 

「なっ……」

 

 ストレアの表情が僅かだが驚愕に変化する。此方の一瞬の高速移動。刹那の間ではあったが、両の腕を纏っていたのはライトエフェクト。それも《体術スキル》だが、あの体勢から発動できるスキルも、あんな短時間のみの発動も、一瞬の効果光だけで終わるスキルも見た事が無いだろう。

 それを見て少しだけ考えるような表情を作るストレア。そうして振り返って、黒騎士───97層のボスに顎を傾けるだけで指示を出した。

 

 ────いけ。

 

『GuuuuuuuaaaaAAAAAAAAAA!!!』

 

 暗黒騎士、その名こそ相応しい。歪に象られた鋭利な黒い鎧に、光の反射が鈍く煌めく。兜の奥の瞳が青白く輝き、巨大な長剣と盾を胸の前で何度かぶつける。火花を散らし、その口を開き、自身の力を誇示するように喚く。

 空気を何度も振動させる。災害とも思しき咆哮が突風を生み出し、倒れるプレイヤー達を端の壁まで吹き飛ばす。

 

「きゃあああ!」

「うおおあああ!」

「グハッ……っ!」

 

「!?────っ!」

 

 薙ぎ払われ、項垂れゆくアスナ達に視線を向けたその刹那、巨大な影がアキトを覆う。

 瞬間、ドクリと心臓が一際大きく脈打ち、全身が熱く昂る。ロングコートの裾を翻し、バチリと何かが弾け散る音が駆け回る。すぐさま振り返り、そのまま剣を構え直し、目前に広がる悪夢で視界を埋める。

 眼前に現れるだけで、実際の何倍にも大きく見える圧倒的存在感。全てを断絶するその大剣が、天井高く聳え立つ。たった一歩で、既に奴の射程圏内だった。

 

「っ!」

 

 空気が鈍く振動し、耳を劈くような低音と共に振り下ろされ、眼前まで落ちて来てる刀身を見上げて、今度は脚に力を込める────()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ……」

 

 縦横無尽。ストレアも黒騎士もまたしてもアキトを見失う。超速移動を重ねるアキトは既に、黒騎士の背後を位置取っていた。その身を反転させ、ボスを見上げて剣を構える。右手の剣《リメインズハート》は既にその刀身をライトエフェクトで覆っていた。

 

「────遅せぇよ」

 

 膝に力を込めると同時に、身体が軋むような音がする。限界に近いその錆びた身体を無理矢理行使してるかのような感覚のまま、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。やはりその速度は、先程までと比べても数段速く、一瞬にして奴の頭上まで飛翔する。

 

 二刀流十八連撃技《ブラックハウリング・アサルト》

 

 鈍く煌めく闇色の剣光、構える二刀は翼の如く、黒騎士がその双眸で睨みを効かせる前にその両剣は振り下ろされた。速く、強く、その歪な暗黒の鎧の光沢を削り取る。

 その連撃の最中、無理矢理に上体を捻じ曲げ振り返り、此方に応戦しようとする黒騎士の、振り下ろされる剣。それさえも、アキトには見えている。

 

未来予知(プリディクション)────起動(セット)

 

 ガチリ、と歯車が噛み合う音がする。身体を構築する電子の回路が、血液を循環する心臓の鼓動が、ドクリと一際脳内で響く。その瞳が、奴のあらゆる機微、動作、視線を見逃さない。

 必要最低限の動きのみで突き出される大剣を受け流し、その勢いのままその身を振って連撃に乗せる。刻む度に呻く奴の声が、耳に心地好く思わず嗤う───寸前に意識を覚醒させる。まだ、まだ自分自身のままでいろ。

 

 一撃、二撃三撃四撃────繰り出される都合十八連撃の剣閃。僅かな時間ロスも、ミスも許されないこの緻密さを突き詰めたような剣技に、黒騎士は再び咆哮を放つ。

 亜音速にも似た連撃は僅か数秒の後にその体力の一振りを減少させ、追撃は再び瞬間的移動によって回避する。一人に対して一人とボスが一体。ヒット&アウェイこそがアキト唯一の勝ち筋。

 ストレアと黒騎士(フロアボス)。周りには四肢を欠損した攻略組が数十名以上。現状立ち回れるのがアキトのみという絶望に等しいこの状況下で、彼はたった一人で全てを守り切るつもりでいた。

 

「……まだ、そんなの隠してたんだ」

「……」

 

 ストレアはただ少しだけ目を見開き、アキトの両の手両の脚を見据える。恐らく通算四回に及んだ先程の超速移動の事を告げているのだろう事は理解している。あれこそ、アキトの持つもう一つのスキル。

 

 システム外スキル:《駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

《体術スキル》の瞬間発動。起動と中断を繰り返し、高速移動を可能にする擬似的身体強化。基本的にソードスキルや体術スキルは決められた構えでないと発動せず、思考がブレれば失敗したり、中断し硬直が起きる事もあるうえに、発動後も決められた動作があるが、アキトの《剣技連携(スキルコネクト)》から分かる通り、アキトはどんな体勢からでもスキルを発動する事ができ、その間隔での硬直を連携によってカットできるプレイヤースキルがある。それ故に為せる彼だけのスキル。

 スキルが威力を生み出す瞬間のみを切り取り発動し移動に使用する、ボスを翻弄する為の御業。同様の事をキリトにもできそうではあるが、これには自身の速度について行けるだけの思考速度、情報処理能力が必要になってくる。

 故に常人には使い勝手が悪過ぎるのだが、アキトには《未来予知(プリディクション)》がある。

 

「……けど、もう限界みたいね」

 

 ストレアは、そう言ってアキトを一瞥する。その黒衣のコートの装飾は所々剥がれ落ち、重ねた剣戟を物語っているかのように二本の剣は刃こぼれが酷く、これ以上行使すれば折れてしまうのではと感じさせる程に頼りない。

 剣を突き立て頭を垂れて、肩を大きく上下させながら、震えるその身をどうにか起こそうと躍起になってるアキトの姿は既に死に体だった。

 それでも。

 

「これ、は……君を止める為の力だ」

「まだそんな……耳障りの良い言葉ばかり並べてっ!」

 

 苛立ちを脚に溜めて一気に蹴破る。その黒剣がアキトの喉元へと伸びる瞬間に、その身を右に逸らすだけで紙一重で躱す。通り過ぎるストレアの背中はガラ空きで、剣を落とそうと思えば致命打を与えられたかもしれない。

 しかし、そのストレアを無視して睨み付けるは巨躯なる黒騎士だった。あの存在が蔓延る限り、他プレイヤーの命がいつ散らされるかは時間の問題なのだ。ストレアを躱した瞬間にその軸足を捻り、黒騎士に向かって駆け出す。

 奴の残りの体力は半分を切っている。一人で相手するにはまだ厳しい範囲だが、仲間達の欠損部位が回復する時間さえ此方で稼げれば御の字だ。

 

「シッ────!」

 

 すかさず地を蹴り、黒騎士に急接近する。その速度は体感的にも数段速い。初動だけでストレアの反応の遅れを確信し、一瞬で彼女の真横を通り過ぎて黒騎士へと飛び出した。

 先に討伐しなければならないのは、アキト個人の理由を抜きにしてもフロアボスの方だ。存在している事自体が負傷中である攻略組のプレイヤー達に危険を齎す。ストレアとボス、両方をたった一人で相手する為には兎に角動きを悟らせないようにする、その為の速度と奇策。

 

 二刀流範囲技二連撃《エンド・リボルバー》

 

 瞬時に黒騎士の足元に立ち、二本の剣を広げて回転する。風圧で接近しかけたストレアを吹き飛ばしつつボスを見上げ、奴が此方にヘイトを向けるのを確認してからその場を離脱、そこから更に移動を開始する。

 休む暇も、止まる暇もない。一つ一つの動きの中で常に次の手を考え続ける。機微、挙動、視線、読み取れるものなら些細な事さえ落とす訳にはいかない。全て拾い切り、緻密に二手三手と行動を予測し此方の動きのプランを構築し、実行する。

 そして、如何にストレアと黒騎士の攻撃力が脅威でも、その全てを予測し対処し、反撃する。それを可能にする為の技術が今のアキトにはある。

 

 必要なのは“心”と“意思”。思い込みと呼んでもいい。けれどアキトのイメージ──つまり憧れの存在は、いつだってブレる事は無い。目指すのは常に一人、背中を追うのはいつだって彼一人。

 

 

 “想うこと”こそが力になる。

 

 

(────忘れるな)

 

 

 常に心に、“誓約(原点)”を────。

 

 

 連撃を重ね、予測に身体の動きを合わせ、致命傷以外は構わず、一歩でも多く前に。全てを躱し切れる訳では無い。それでも一つでも多く弾き、躱し、ただ守り抜く為の戦いを。

 

 その場から壁まで這うように移動し、瞬時に床を踏み抜く。壁を思い切り蹴り上げ、黒騎士の頭上へと飛び上がった。奴の視線が上を向くより前に右の剣を紅く染め上げ、単発技《ヴォーパル・ストライク》を繰り出す。その突進力で黒騎士の視界から一瞬で外れ、その兜を貫いた。

 視界端で砕け散る硝子片のような粒子、鈍く響く右腕の手応え、減少する体力を視認し、期待は確信に変わる。

 

「調子に───乗るなッ!」

「っ!」

 

 剣を振り抜くも束の間、着地した瞬間に迫る声。ストレアから発せられたとは思えない突き刺すような声と共に、彼女の剣が振り抜かれる。反応が遅れた割に状況判断と対応が速い。“眼”を彼女へ向ける。連撃数は四、《ホリゾンタル・スクエア》と解析。

駆動拡張(フィジカル・バースト)》によって底上げされた身体機能によってその連撃を紙一重で躱し、頭上から振り落とされた最後の一撃を両の剣で受け流す。

 

「ぐっ────!?」

 

 瞬間、渠に重い拳が乗せられる。ストレアの空いた左腕──体術スキル《エンブレイザー》が、炎のように揺らめくエフェクトを放ちながらアキトの腹深くに捩じ込まれ、そうして三度その身が吹き飛ばされた。

剣技連携(スキルコネクト)》────アキト同様の神業を、ストレアは意図も容易く引き出していた。それを理解した時には既に地面に叩き付けられ、摩擦で装備が削れていく。

 

「がっ……!?」

 

 突如、左から呼吸を奪われる程の衝撃。既に回復した黒騎士が右手の大剣を横薙ぎに勢い良く振り抜く。二刀での防御が間に合わず、そのまま切り捨てられるように、小石のように払い除けられ、吹き飛ばされる。

 

「っ……ぐ、うぅああ……!」

 

 いくつもの擦り傷を生み出しながら、どうにか剣を地面に突き立て、静止する。すぐさま立ち上がろうとして────力無くへたり込んだ。

 身体が、中々いう事を効かない────無理矢理に己を律して立ち上がり、そうして、変わらない意志を宿したその瞳をストレアに向けた。

 

「なっ……」

 

 彼女の、まだ立ち上がるアキトを見るその瞳から、困惑と焦りを感じ取れた。

 アキトも、自分の諦めの悪さに心の底で苦笑した。これ程までに拒絶され、阻まれ、殺されかけているというのに、何をしているのだろうか。けれど、どれだけ突き放されようと、ストレアへと向かわなければ気が済まない。

 勝てない、届かない────そんなの、関係無いと吐き捨てる。そんな障害、俺には、関係無いんだよと。そう、ストレアに伝えるかの如く、真っ直ぐに彼女を見据える。

 

「っ……まだ、貴方は……!」

「────俺、は」

 

 声が出ない。漸く彼女が此方に言葉を、想いを傾けてくれたというのに。呼吸が安定せず、脳が大きく振動するかのような嘔吐感。システム外スキル────自身の技術を全集中力を使って何度も行使した事による精神的摩耗。

 

 傷付いたみんなを守り、ストレアを抑え、黒騎士を倒す。

 その全てを、たった一人で。

 もう既に擦り切れて、磨り減って、削りに削った。一人で彼らを相手取るのに身体的にも限界が近付いている事も、頭の中では分かっていた。

 

 

「……まだ、君に……」

 

 

 ────伝えられてない事が、沢山あるんだ。

 

 

「っ……その、“眼”が……」

 

 

 歯軋りし、苛立つような視線を浴びる。ストレアの焦燥も、苛立ちも手に取るように分かる。それでも。

 

 

「貴方の、その“眼”が────!」

 

 

「────アキト君!!」

 

 

 背後から、アスナの泣き叫ぶような叫ぶ声。行かないでと叫ぶ声。独りで抱え込まないでと、そう願う声。

 けれどそこで立ち止まるには、自分にはもう捨てられないものが多過ぎた。

 彼女に向かって、振り返りはしない。けれど、小さく微笑んで目を瞑る。

 

 

(────ああ)

 

 

 苦しい、辛い。最早ストレアを説得する余裕なんて残っておらず、ただ彼らとを守る為にその身を使い潰している現状が、絶望的過ぎて笑えてくる。

 それでも。自分がこれまで何の為に戦ってきたのかは、彼女の声が教えてくれる。

 だから。

 

 

「……行かなきゃな、キリト」

 

 

 ダンッ、と再び床を踏み抜き走り出す。迎え撃つ黒騎士とストレアを前に、剣戟による切り傷を大量に受け続け、その身を赤く染め上げながら、それでもその身を都度、地獄へと投下する。

 プレイヤーとしての技術、仮想世界で手に入れたスキル、その全てを注ぎ込み、その身体を無理矢理稼働させる。

 無限に等しい重圧、自動回復でも追い付かない殺傷の数々。着実に死へと近付いてきている実感と、それでも尚守らなくてはならないものとの天秤。アキトにとっては、比べるまでもなかった。

 

「────左」

 

 告げて、動く。身体の向きを傾けた瞬間、振り下ろされた大剣がそこに在った。紙一重での回避、研ぎ澄まされた予測演算。膨大に増え続ける情報の処理と、それに伴う身体の酷使。回避、攻撃、予測。終わりの見えない思考のループに、その瞳と脳、そして身体が悲鳴を上げ続ける。

 

「────前」

 

 後方に跳んで、ストレアの斬撃を回避する。交錯する瞳と感情───いや、アキトは最早それさえ薄れ始めていた。

 段々と摩耗していく精神は、ストレアへの感情や、黒騎士を倒す為の意志さえもをこそぎ落としていく。

 守る────ただそれだけの為。

 意識が遠のき、虚ろになっていく瞳。そんな自身の視線と交わったストレアの表情が驚愕に変わるのを、朧気な視界で感じだ。

 

「────右、っ」

 

 予測に反して、速度が速い。回避が間に合わず防御。迫る大振りの巨剣は軽々とアキトのその身を斬り飛ばしに掛かる。二本の剣を交差して受け止め、身体を傾けて勢いを受け流す。

 がら空きの脇腹を視認してその両足首に力を込める。

 

「……────“駆動拡張(フィジカル・バースト)

 

 限定的な体術スキルの行使、両の脚で発動するそれで飛び上がり、黒騎士の腹部に焦点を合わせる。剣を寝かせて刀身を光で纏い、その瞳を見開いた。

 

 

 二刀流OSS二十八連撃《スーパーノヴァ・レムナント》

 

 

 赤、青、黄、緑、紫。エフェクトカラーが斬撃の度に変化し、それぞれの属性を鎧に叩き込む。弾け、飛び散り、消えゆく黒騎士の鎧の破片。その残骸を眼にしてなお、更にその剣戟は加速していく。

 奥義級の連撃数、波状的に広がる風圧。飛び散る火花に目を細め、その身に受ける一撃に歯を食いしばる。目に見えて減少していく体力を視界端で流し見ながら、凍えそうな程に冷たくなっていく自身の身体を実感する。

 

 ────死が、すぐそこまで来ている。

 

 死神が手招きをしている。奴の指先が、首筋に触れるような幻覚。

 それでも振り抜く剣速も、身体に込める筋力も、演算速度の何もかもが変わらない。衰えない。休んで、たまるか。

 

 まだ、動ける。

 まだ、たたかえる。

 まだ、しねない。

 

 

「速く」

 

 

 ────挫けるな。

 

 

「速く」

 

 

 ────止まるな。

 

 

「もっと、速く────」

 

 

 ────諦めるな。

 

 

 振り抜く自身の剣戟の反動さえ、自身の体力を削っていき、思考を鈍らせていく。柄を握り締める感覚さえも失われていき、感覚の全てが意識と共に遠のいていく。

 それでも。

 

 

「まだ、っ」

 

 

 コートの裾が千切れ飛ぶ。ストレアの斬撃を躱し切れず、その左眼が弾け飛ぶ。その形容し難い不快感が痛覚にも感じて、思わず左眼を抑えそうになる。

 呼吸が難しくなる程に苦しい、泣き叫びたくなる程に辛い、死にそうになる程に痛い、吐きそうなくらい気持ち悪い。

 それでも。

 

 

「みんな、を」

 

 

 守る為、支える為にこの腕を。

 救う為、導きの為にこの脚を。

 戦う為、理想の為にこの剣を。

 

 

「君を────」

 

 

 この二年間で得たもの全てを使い、その身全てを刃と化して。目の前の黒騎士と、その先の彼女へと。

 どうなってもいい、錆びれても、擦り切れても構わない。妥協は要らない。全て、染み込んで溶けろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────顕現せよ(ジェネレート)

 

 ────告げる、その冷たき声。

 黒騎士との攻防を縫うように、その存在は彼の元へと容易く近付いた。息付く暇も無い剣技の嵐の中で、空いた左手を虚空へ掲げる。

 ストレアはただ一歩アキトに近付き──瞬間、左腕に纏った紫電を、彼の右肩から左腹に掛けて振り抜いた。

 

「────ッ、ァ」

 

 抉るような深い傷。彼女の振り下ろした腕の先には、新たに生み出された別の黒剣が握られていた。黒騎士の剣が僅かに跳ね上がり、アキトの剣技が終わる僅かな硬直を突いた交代(スイッチ)

 返す刃が、アキトの腹部を貫く。呼吸を僅かに忘れ、剣を握る力が僅かに緩む。瞬間、その剣がストレアの蹴りによって容易く後方へと弾かれた。

 

「せあああああ!!」

 

 その剣から手を離し、今度は《トレイター》をアキトの右肩辺りに突き刺す。バランスを崩したアキトを一瞥し、再び空いた左手が紫電を齎す。新たに顕現したその剣を、今度は彼の左腿に突き立てる。そうして都度繰り返し数度、同様に剣がアキトの身体に刺し込まれていく。

 それでも。

 

 

「く、ぁ────」

 

 

 激痛。視界が真っ赤に染まり、血走る瞳の端から血の涙が溢れる。

 全身の筋肉が、骨が軋み、いくつもの筋が断裂する音を上げるのが聞こえた。

 脳内がけたたましく警鐘を鳴らしている。死がそこまで来てる。心臓が大きく脈打ち、ここから逃げろと警告してくる。

 それらを全部無視して、奥歯が割れるほどに歯を噛みしめて地面を踏む。靴裏で大地が砕け、アキトのその身その瞬間、生命の限界を超えて稼働した。

 

 

「あ、あああああ────!!!」

 

 

 彼女の追撃を諸共せず、その横を一瞬で通り過ぎる。地を駆け抜け、瞬間的に再びその右脚に光を宿す。一瞬で飛び上がった先には、此方を見下ろす黒騎士の双眸。それと視線が交わり、アキトは裂帛の気合いを込めてその剣を振り下ろす。

 蒼の剣(ブレイヴハート)は刀身を輝かせ、やがてそれを白銀へと変える。天へと伸び行くその剣を、ただ上から下に落とすように。

 

 

 ────ねぇ、キリト。

 

 

 迎え撃つ巨人の剣、視認できるかも怪しい体力。朧気になり、霞んで何も見えなくなっていく視界。剣を握れてるかも分からない、失われていく感覚。そうして思考さえも覚束無い中で、キリトの背中を思い起こす。

 

 

 ────まだ俺、君に追い付けるかな。

 

 

 

 

「────解明剣(エルシデイター)

 

 

 

 芸術に違わぬ、一瞬の剣戟。言葉など要らない、ただその刃に込められたたったの一振り。落とされたそれは、鮮やかに黒騎士の右眼と、その大剣を半ばから斬り落とし、歪な鎧を叩き壊した。

 天地を揺るがす様な叫び声を浴びながら、黒騎士が後方へと倒れる。爆風にも似た音と風圧と共に砂塵が黒煙の如く広がる。

 その中で、奴の体力が激減するのを視認する。赤色に染まったそれを見て、攻略組があと数手刺し込むだけで倒せる瀕死の状態にまで追い込めた事実に、ここまで一人で戦う言葉ができた事実に、アキトは漸く微笑した。

 

 

「────ああ、これで」

 

 

 満足げに、頬を緩ませて肩の力を抜くアキト。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────彼女の殺意の込められた剣が、その少年の細い身体を貫いたのは、直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────何が、どうなってるの。

 

 

 刹那の剣戟、殺意の押収、爆発のような音と共に広がっていく黒煙。突風が巻き起こり、生温い風がアスナの頬を撫でる。一瞬の出来事過ぎて、ただ見ているだけでしかなかったアスナの身体が、漸くまた動いた。

 

「っ、アス、ナ……」

 

 リズの苦しげな声に気付きもせず、前へ前へとその身を這うように動かす。一刻も早く、この惨劇を生み出した中心に行きたかった。

 

 

「どこ……アキト……アキト、くん……アキトくん……」

 

 

 ずるずると、両の腕だけの頼りない力で、下半身を引き摺りながら進み始めた。

 亡骸にも近い仲間達を状態置き去りに、呼吸も絶え絶えになりながらも必死に、ゆっくりと部屋の中央へ、求める人の方角へ向かって、亀の速度で進み続ける。

 

 その先になにが待っているのか、分からないまま。分かりたくもない、知りたくもないと、そう思ったまま、駆け出す勇気を持てないまま、ただ願いを脳裏に焼き付けながら。

 縋りつくように、拠り所となる彼の名を呼びながら、アスナはただゆっくりと、その白の装備を汚しながら、進んでいって。

 

 

「……ぁ」

 

 

 ────そうして、涙を流しながら微笑んだ。

 

 

 

 

「……こんなところにいたの……あきとくん………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────アキトは、剣で胸を貫かれて死んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.126『永眠(きみがとこしえにねむるひ)

 

 

 

 











サチ「……まだこっちに来るの早いんじゃないの……?」

アキト 「……ごめん」

サチ「……ばか」








次回『 憎 悪 』


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Ep.127 憎悪








助けようと思ったのは、仲間だったから。
話を聞こうとしたのは、同じ時間を共有した友達だったから。



────殺そうとするのは、それらが全て綺麗事に過ぎなかったから。







 

 

 

 

 

 ────墓にも似た色彩を纏う、迷宮区の最奥。

 

 幾度と無く立ち会ったこの場所が、今は中心で眠る人物を埋める墓石に思えた。かつて一度も見た事の無い絶望へと様変わりしている。

 攻防の果てに起きた爆風。その黒煙を払い除ける事もできずに、その身を引き摺りながら中心へと移動する、亜麻色の髪の少女。

 装備が削れる事にも、自身の両脚が消し飛んでいる事にも構わず、必死に歯を食いしばってずりずりと這うように向かう。黒騎士は先程の攻防の後、壁に凭れるように倒れたまま動く様子も無い。それさえも、今の彼女には関係無い事だった。

 ただ、その黒煙の先────中心にいるであろう人物をこの目で確認する、ただそれだけの為にその身を這い蹲ってでも動かしていた。

 

「……ァ、キトくん……っ」

 

 自分でも、心臓の音がうるさく聞こえる程に恐怖している。彼の姿が未だ見えない事に恐怖すら感じた。呼吸が次第に荒くなり、胸が苦しくなっていく。

 瞳が、視界が右往左往する。見渡す先の何処にも、彼の姿が無い。

 

 ───もっと中心へ。彼に、早く会いたい。

 

 次第に薄れていく黒煙の中で、僅かに視認できる惨状。踏み抜かれた床の多くは亀裂で砕け散り、所々破片となって乱雑に転がっているのは黒騎士の纏っていた鎧の一部。砕かれた刃や、散っていた数多の命が残した盾や槍の数々。その先で、黒騎士が手にしていたであろう大剣が中心で砕かれ、折れていた。

 たった一体で攻略組を蹂躙したその巨人をここまで瀕死の状態にさせた事実。それはこれを引き起こした人間が、どれほどの力と、勇気と覚悟をもって戦ったのかという証左であった。

 

 その光景を生んだ功労者であるところの、二振りの剣。紅と蒼の双剣。かつて勇者の相棒として光を放っていたそれは、幾度と無い斬撃を作り出し、敵を滅ぼし──しかし、道半ばで持ち主に手放され、今は乱雑に放り出されたそれは刃こぼれが酷く、もう何者も斬る事の無い鈍と化していた。

 そして、それを両手に奮戦していたと思われる『勇者』は、

 

 

 そこに、いた。

 

 

「────アキ、……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──その身を夥しい数の刃に貫かれ、突き立てられ。

 左眼を抉られ、至るところを損傷し、血溜まりにも似た紅いエフェクトで全身を満たし、死んだように目を瞑っていた。

 

 

「────……ああ」

 

 

 彼の、数えられない程の傷の多さを見ればわかる。

 守る為に戦い、救う為に抗い、その刃を自分以外の者にまで向けようとした悪意と。そして奮戦し、幾度も剣戟を打ち返し、傷だらけになって、いくつもの刃を打たれ、武器も、戦う為の“眼”も失い、それでもなお抗い───死んで、いるように見えた。

 

 

「……こんなところにいたの……アキトくん……」

 

 

 黒を基調としたロングコートはあちこち裂かれ、穴が空き、至るところから赤黒いエフェクトがその身を抉り、変色していた。

 目を背けたくなる程にアキトの身に突き立つ凶器。ストレアの手にしていたものとほぼ同じ剣を模したようなそれは、彼の体躯に両手の指で足りないほどの本数が打ち込まれていた。

 さらに唾棄すべき事実として、それだけの剣が突き刺さっているにも関わらず、倒れるアキトの体に残る傷跡はそれよりもずっと多かった。

 

 

「……っ」

 

 

 ────涙が、出そうになった。

 

 何度も、何度も、何度も。

 戦い続ける彼の身体に刃を突き刺し、引き抜き、また貫き。優しいだけの彼を痛めつけ、命を弄び、尊厳を凌辱し、生き様を侮辱し、そして突き立てて、消えない傷を残して。

 

 そうまでされる罪が、彼のどこにあったというのか。

 

 何を考えて、ストレアは彼をこんなにまでしたのだろうか。彼の何が気に食わなかったのだろうか。最後まで手を差し伸べようとした彼の、何が気に入らなかったのだろうか。

 

 彼はいつだって優しくて、一生懸命で、努力家で、聞き上手で、辛いのが苦手で、面倒見が良くて、儚げで見とれてしまいそうな微笑みが素敵で。

 でも時に後ろ向きで、苦しい時は人知れず辛そうな顔をして。だけど決して周りに頼ろうとしなくて、一人で全てを守ろうとして。

 仲間想いで、ずっと罪の意識に苛まれて、でも少しは仲間を頼る事を知り始めて────。

 

 

 漸く、アスナが見たくて堪らなかった本当の笑顔を、少しずつ見せ始めてくれていたのに。

 

 

 アキトは、どれだけ揺すっても動かない。仮想世界にも関わらず、死体のように冷たくなってしまった身体に触れる。ずっと触れてみたかった、女性のようにきめ細やかで白い肌は、斬撃を浴びて深く傷が刻まれている。

 仰向けに倒れる彼の顔は、永遠に覚めない眠りに入っているように見えて、アスナにはその顔を直視する勇気がなかった。

 それでも。

 

 

「……ねえ……アキト、くん」

 

「────」

 

 

 一筋の涙が、両眼からすうっと零れ落ちる。這い蹲って辿り着いた彼の隣りに横たわって、その頬に触れた。熱も何も感じない、無機質な肉塊のようで。

 

 

「あきとくん」

 

「────」

 

 

 その名を、呼んでも。何も、反応がない。

 その身はそこに在るのに。光となって消えていく訳でもなかったのに。そこに魂が宿ってないのだという事を、確信してしまう程に生々しくて。

 

 

「なに、してるの……はやく、おきなよ」

 

「────」

 

 

 想いを馳せるように。抱えていたものを吐き出すように。秘めていたものが、押さえつけてなきゃいけなかった感情が、我慢していた想いの丈が、言葉と共に零れて、溢れていく。

 

 

「アークソフィアに、かえろう……?ユイちゃんも、アルゴ、さんも……まってるでしょう……?」

 

 

「────」

 

 

 どうにか起き上がって、彼のコートの袖を揺する。僅かに身体がぐらつくだけで、そこに意志は感じない。戦意も、意識も、呼吸も何も。

 

 

 

 

「ほら……目ぇあけてよっ……!」

 

 

 

 

 ────アキトは、動かない。

 

 

 

 

「っ……なん、でっ……!」

 

 

 

 

 それ以上は言葉に詰まって、何も言えなかった。彼の胸に頭を乗せて、涙をただぽろぽろと流して、嗚咽を堪えるように肩を震わせた。

 何故────その理由を解答してくれる人間も、此処にはいない。

 

 

「う、そ」

 

「アキ、ト……」

 

 

 余裕無くゆっくりと振り返れば、背後でリズとフィリアが切断された部位を抑えながら、アスナ同様に身体を引き摺って来たのだろう。彼女達二人は、アキトの見るも無惨な姿を見て、その終末を理解した。

 その瞳を見開きながら、起きてる事象を信じられない、信じたくないと表情を歪める。その目尻に涙が溢れてくる。

 その視界端で、多くの仲間達が地に伏しながらアスナの抱える少年に視線を集めているのが分かる。誰もが同様の、困惑と焦燥と悲哀に顔を変えていく。

 

「あ……ああっ……」

 

 リズとフィリアのその先で、シリカはわなわなと口元と肩を震わせながら、それでも恐怖のせいかへたり込んだまま動けずにアキトの亡骸を見つめていた。喧嘩別れのようになってしまってから、まともに会話を交わす事無く、そのまま────。

 

「そん、な」

 

 リーファは、震える事もせずに固まっていた。何が起きているのか、現実を直視できずに全ての反応が遅れている。兄とその身を共有する、彼の機能停止した姿を目の当たりにして、声すら絶え絶えで、か細くて聞き取れない程に。

 

「……嘘だろ、おい」

 

 後ろから更に、震えた声。

 

「嘘だろ、なぁ……それは、ダメだろ……なぁ……なあ!!約束したろうが……一緒にクリアするってよぉ……それはダメだろうがあああ!!」

 

 地を這いながら、愛刀を強く握り締めながら、認めてたまるかとジリジリ此方に向かってくるクラインの叫び声がアスナの耳にまで届く。劈くような、怒りにも近いその言葉を聞いていると、自然とポロポロと涙が零れてきた。

 

 ……そうだ、約束した。一緒にゲームをクリアすると。現実世界で再び出会い、みんなと共に時間を重ねようと。

 約束、した。

 やくそく、させた。

 

 

「……ぁ」

 

 

 ────でも彼は、一度だってちゃんと返事をした事が無かったかもしれない。

 

 

「……まってよ、私……」

 

 

 アキトを見つめて、歯を食いしばって。けど、堪えられない何もかもが溢れて、零れて。そんな要領さえ得ないボロボロの言葉で。

 

 

「まだ、きみに……いえてないことがあるの……いいたかった、ことがあったの……」

 

 

 最早、声も届かぬ遠い人。決して目覚める事が無いのだと、眠るような彼の身体が告げている。言葉にしても届かないと、そうアキトの身体が告げている。

 

 

「ずっと、ずっと隠してた。言っちゃいけないんだって抑え込んでた。困らせちゃうかもしれないって……何度も自分に言い聞かせてた……」

 

 

 けれど、もう抑えられなかった。もう、言わずにはいられなかった。

 ずっと、ずっとアキトに言えなかった事がある。自覚したのも確信したのもかなり前で、出会った時からその想いは小さく存在し、時間を重ねて、意識を傾け、徐々に膨れ上がった想いがあった。

 決して伝えてはいけないのだと、秘めるべきものなのだと理解していた。困らせてしまうと、裏切ってしまうとそう自分を戒め抑えに抑え続けて、そうして彼の傍にいた。支えなくちゃいけない、守らなくちゃいけないのだと自分に言い訳を繰り返して、結局は自分自身が彼の隣りにいたいだけだった。

 

 

「────き、なの」

 

 

 ポロリと、呟くように。

 それでも、大事にしまっていた想いを、涙を流しながら吐露した。けれど言ってしまった事を、後悔する事も無く。

 自然と零れ、溢れていく想いの数々。

 

 

「……好きなの」

 

 

 いつだって誰かを想い、誰かの為に嘆き苦しみ、戦う事のできる君が。他人を自分の事のように考え、守ってくれようとする君が。

 

 

「すきなのっ……」

 

 

 仏頂面に見えて、本当は表情豊かなところが。色んな事に興味をもって、楽しそうにしてくれる君が。みんなに寄り添い、微笑んでくれる君が。

 

 

「すき、なの……あきとくん……っ」

 

 

 目元を、頬を、真っ赤にして。とめどなく涙を流しながら。決して届かない告白をした。時を重ねる毎に、笑い合う度に、抱いてはいけないのだと知りながら、膨れ上がっていったこの想いは────恋だった。

 

 キリトを深く愛していたように、アキトに淡い恋をしていた。何度挫けてもまた立ち上がる強い心と優しさに、恋焦がれていた。

 

 似ているようで、違うもの。それは、ずっと胸の奥に閉まっておくと決めた宝物だった。

 ────アキトは決して、応えてはくれない。ただ静かに、安らかに、戦いを終えて眠るのみ。そこに魂はない。

 そして。

 

 

「────……っ、あ」

 

 

 ────アキトのその身体が、次第に光を帯び始めていく。死にゆくまでのカウントダウンが、始まっていた。

 

 

「……やだ……いかないで……ここにいて……」

 

 

 絶対に離さない。離したくない。

 アキトの上体を起こし、自身の胸に抱えて、締め付ける程に強く抱き締める。消えないように、逃げないように。他の人達のように光の粒子にさせまいと、無駄な、最後の悪足掻きだった。

 まだ、彼に何も返せていない。何も伝えられてない。伝えた想いの返事を貰ってない。

 そんな囁かな願望でさえ届かず、その身は次第に光を纏っていく。アスナや仲間達との決別を知らせる、死の光だった。もう止まる事は無い。この先の末路を、アスナは嫌という程に見てきたのだから。

 

 

「────……ぅ、ぁ」

 

 

 ダラリと、彼の首が力無く下に傾く。魂無き抜け殻で、彼女のどんな行為にも反応を示さず、その身の光を強くさせていく。残酷なまでに綺麗な、命の光。もう止められないと知って、アスナはただそれを涙を流しながら見下ろし、また強く抱き締める。

 

 

「────いか、ないで……いかないで……っ」

 

 

 やがてアキトの顔も、装備に刻まれる傷も見えなくなる程に光が眩き、次第にその身は粒子となって散らばっていき、アスナの腕の中から崩れていって。

 やがて抱き締めていた彼の身体はアスナの中から霧散し、雪の結晶にも似た煌めきを残しながら、無慈悲にも虚空へと登っていく。

 アキトだったものが、光となって散って消えていく────。

 

 

「いやああああああああああああ!!!」

 

 

 背後でフィリアが叫び、ドサリと崩れ落ちる音がした。攻略組の、どよめく声を背中に感じる。リズの震える呼吸も、リーファの嗚咽も、シリカの言葉にならない音も、クラインとエギルの歯軋りさえ。

 アキトが死んだのだと、そう理解し周りが喧騒を生み出していく。困惑と焦燥の中で、アスナはただ登っていったアキトの残骸が消えゆくのを見上げながら────

 

 

「……ああ」

 

 

 ────アキトくんが、死んだ。

 

 もっと泣き叫ぶかと思ってた。涙は止めどなく溢れていて、もう二度と止まる事はないのではないかと、枯れるまで頬を伝い続けるのだろうと、そんな予感さえあるのに。

 アスナの胸の中にあったのは、ただ絶望で。それが大き過ぎて、声すらまともに出せやしなかった。

 

 

「……なにも」

 

 

 その両腕を見下ろす。さっきまでそこに居て、大事に抱えてきた人の感触を思い出して、その指先までもがわなわなと震える。

 守れなかったその手に、重くのしかかる罪の意識。彼の自己犠牲を見る度に思った。彼を支え、守る。彼にされた事を、少しずつ返していくのだと。

 そうやって自分自身で決めた“誓い”と、彼に無理矢理させた“約束”は、一体何だったのだろうか。

 だって、私は何一つ。

 何一つだって、君に。

 

 

「なにも、できなかった……なにも……っ……うっ、うう、ああっ……ああああああああぁぁぁ………」

 

 

 その両手で顔を覆い、涙を落としていく。肩を震わせ、あまりにも無力なままで終わってしまった全ての事に、後悔と罪の意識を重ねながら、悲痛に顔を歪めた。言葉にできない嗚咽混じりの音を、ただ零すようにして。

 

 

 

 

「……終わっ、た」

 

「────」

 

 ポツリと、どよめく声の嵐の中で零す声。

 肩を上下させながら、その闇色のコートを翻して黒煙から歩み寄ってきたのは、ストレアだった。

 ゆっくりと、アスナは両手を顔から離し、彼女を見上げた。精神的な疲労か、アキトとの攻防の末の疲労か、呼吸を僅かに乱しながらその黒剣を片手に立っていた。

 アスナの上空を見上げ、散らばって次第に無くなっていく光の破片を見て、表情を変えずに目を瞑る。まるで弔うようなその姿勢に、アスナの手のひらが拳に変わっていく。

 

「……ストレア、さん」

 

「恨んでくれて構わない。けれど、これでアタシの目的は達したと言っていい。だから────」

 

 だから、アキトに別れを告げるというのか。

 一方的に関係を切って、彼の歩み寄りを拒絶し、生き方を否定しながら、最後は宿敵だったのだと、そんな余韻に浸ろうというのか。

 そんなストレアの態度に、アスナの口が開きかけた、その瞬間だった。

 

 

 

 

「……おやすみ。アキ────ッ!?」

 

 

 

 

 ストレアのその眼前に、一筋の閃光が迫った。瞼を開いた瞬間に、彼女の視界が白銀の世界に染まる。咄嗟に瞳を見開き、慌てて右に身体を向けて躱し───切れず、その頬を掠めて傷を刻んだ。

 通過したその先を、後方へと振り返る。そこには、役目を終えて力無く転がった一本の矢。その閃光は、射撃による殺意の乗った一撃だった。

 

「まだよ」

 

 ……ゆっくりと視線を戻せば、その先に一人。他の者達と違い、その矢先をストレアへ、殺意に満ちた双眸と共に向ける少女の姿が在った。膝を立て座り込み、此方に再び弓を構えて。涙も枯れ果てたのか、その瞳に既に悲しみは無い。

 あるのは、明確な憎悪と────

 

「……殺すくらいが丁度良いって、言ってたよね、シノン」

 

「────ええ、そうね」

 

「……それが正解だったよ。シノンは、間違ってなかった」

 

「いいえ、私が間違ってた」

 

 遮る程に食い気味にストレアの言葉を返す彼女の言葉は、氷のように冷たかった。アスナは思わず、シノンの方へと視線を向けた。

 虚ろと呼べる程に彼女の瞳は暗く、恐らくアスナ達の事など見えていない。その姿は、その在り方は、まさに殺人に至る姿。

 

 

「私が、甘かった」

 

 

 ゆらりと、その身を起こして立ち上がり、その震える腕を静止して、あてがった矢の先端に光を纏わせて彼女に向ける。

 

 ────殺してやると、その瞳が告げている。

 

 

「貴女を信じたいと思った、私が馬鹿だった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.127『憎悪(このにくしみで、あくをころせるなら)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 射撃奥義技《ミリオン・ハウリング》

 

 ストレアの防御姿勢を確認した瞬間、シノンはその矢の先を天へと向けて、一瞬で抜き放った。ストレアが驚きに表情を変えるのも束の間、それが天井で弾けて雨のようにストレアへと降り注ぐ。

 

「っ────……ふっ!」

 

 驚いたのは刹那、すぐに迎撃体勢に入る。上空から落ちてくる矢の雨全てを防ぐ事は不可能と割り切り、的確に致命的になりうる攻撃のみを黒剣で弾き落としていく。

 そんな連続する矢の中で視界が狭まっていくストレアの背後を、シノンは容易く回り込み、容赦無く死角を狙い、躊躇無く矢を引き絞り、慈悲も無く焦点をストレアに固定して、ただ殺す為だけにその弓を引き絞る。その瞳をこれでもかと見開いて、直前にシノンとストレアの視線が交わった。

 

「────“そのまま、死ね(チェック・シックス)”」

 

 射撃三連射技《ヘイル・バレット》が、ストレアのその背に襲いかかる。一撃毎に風圧がアスナの髪を浮き上がらせる。そうしてシノンが矢を離すとほぼ同じタイミングで、ストレアの持つ黒剣の刀身が鈍く光った。

 

「────インフィニティ・モーメント」

 

 紫電纏う閃光を握り締めて、振り向きざまに初撃を切り落とす。先程アスナとシノンを退けたソードスキル。返す刃でシノンの二撃目を弾き、三撃目を砕いた瞬間、一気に地を駆けてシノンの懐へと走る。

 瞬間、シノンが舌打ちと共に腰に巻き付けた鞘から短剣を引き抜き、その刀身を眩い光で覆う。迎撃せんと、その瞳が告げている。

 

 短剣奥義技九連撃《エターナル・サイクロン》

 

 シノンの刃が深緑に輝く。迫るストレアの剣速に合わせるように一歩懐に入り込み、下から上へと斬り上げる。それに合わせるよう、ストレアもその黒剣を叩き落とした。

 双方が激突した瞬間、けたたましい金属音が広がり、アスナの鼓膜を震わせ、思わず片眼を瞑る。風圧が止み、恐る恐ると再び眼を開けると、そこには鍔で競り合っているシノンとストレアの姿が在った。

 ストレアはシノンの持つ短剣と、今見せた短剣スキルの中で最上位の技を繰り出した事による感嘆の息を、僅かながら漏らした。

 

「……へぇ、もうそんな技使えるようになったんだ」

 

「……やっぱり、そうなのね」

 

 ストレアの感心を無視して、シノンは続ける。

 彼女の視線は、僅かにストレアの頭上を捉えていた。何かを見付けたのか、彼女の言葉と同時に競り合う短剣の力が強くなる。

 

「私とアスナと戦ってた時と体力が変わってない……つまりアキトは一度だって、死ぬその瞬間まで、アンタを傷付ける事はしなかった……」

 

「────……っ」

 

「それを、アンタはっ……!」

 

「……うるっ、さいっ!!」

 

 ストレアがスキルモーションに合わせて力を込めて振り抜く。火花が弾け飛び、シノンの腕が上へと投げ出され、その胸元がガラ空きになる。

 その隙を逃すはずも無い。剣を構え直し、姿勢を低くした瞬間、その刀身が再び鈍く輝きを放つ。

 

「ヴォーパル・ストラ────っ」

 

「せああああああああああああ!!!」

 

 ────突如、ストレアの声を遮るように絶叫にも似た声を上げながら、彼女の背後から武器が振り下ろされた。僅かに肩を震わせたストレアは、反射的に構えた武器の矛先をシノンから何も無い空間へとシフト───瞬間《ヴォーパル・ストライク》の突進力によってその場から高速離脱し、背後から迫っていたソードスキルは空を斬る。

 剣技が終了し、ストレアが振り返った先には。

 

 

「……フィリア」

 

「フィリア、さん……」

 

 

 ストレアと、アスナの声が重なる。

 二人の視線の交点には、肩を上下に動かし、頭を垂らして息を切らして、短剣を構えるフィリアの姿があった。カタカタと膝から下と、短剣を握り締める細腕が震えている。恐怖か、怒りか、悲しみからか。

 

「……ゆる、さない」

 

 その短剣を構え直し、顔を上げる。アスナの眼から見ても、フィリアの表情はいつもとあまりにも違う。涙を拭いもせずにストレアを睨み付けて、震える声で感情を吐露し続ける。

 

 

「ゆる、さない……私……まだ、何も……アキトにもらったもの、返せてなかったのに……っ」

 

「……勝手だね、フィリア。貴方だってアキトを殺そうとしたのに、自分の事は棚に上げて……本当に、都合が良いんだね」

 

「っ……!!!う、ああああああああああああああああああああ───!!!」

 

 

 たったのその一言で、フィリアの表情が歪んだ。あらゆる感情が綯い交ぜになったまま、再び声を荒らげてストレアに迫る。そんな彼女を見るストレアの瞳は、氷のように冷たくて。

 短剣を上に大きく振り上げた彼女の横腹を薙ぐように、ただ剣を一閃させた。フィリアの左脇腹に深く赤い切り傷が刻まれ、その表情が再び歪む。

 そのまま覚束無い脚がふらふらと彷徨い、自身の脚に引っ掛かって倒れてしまった。

 

「……」

 

 そんな彼女の背を、ストレアは刃を構えて警戒態勢を取る───が、中々起き上がらない。やがて、そんなフィリアから聞こえるのは嗚咽と啜り泣く声だった。

 

「分かってる……そんなの、わかってるよ……」

 

 立ち上がる気力さえ、フィリアには残っていなかった。ただ短剣を強く握り締めるだけ。きっと彼女にとってアキトの消失は、ストレアに対する憎しみよりも、彼を失った悲しみの方が大きかったのだ。

 自分自身の存在さえ不明瞭の中で、PoHに唆されるままにアキトを罠に貶め、その命を蔑ろにした罪の意識を、フィリアはきっとずっと抱えていた。簡単に自分を肯定できるわけがない。ストレアのようには割り切れない。

 

「……だから、ずっと、どうしても、あやまりたかった……あやまりたかったのにぃ……っ!」

 

 悲痛な叫びと共に吐き出された願い。それは、もう叶わない。もうフィリアは立ち上がろうとする意志さえ消失し、ただ子どものように泣きじゃくって。

 それを誰が咎める事ができたろうか。誰もが同じ事を感じ、抱いていた。

 

「シッ────!」

「っ……!」

 

 感傷に浸る暇さえ与えまいと、立て直した再びシノンが弓を構える。既にその矢尻がスキルエフェクトを纏い始め、後は抜き放つだけの状態。シノンの殺意は変わらず継続してストレアに焦点を向けていた。

 フィリアの悲哀も、周りのどよめきも我関せずに、ただストレアに向かって矢を放つ。その流れも動作も行動指針も、何もかもが一貫して変わらない。

 

「……して、やる」

 

 ────彼女が現実で決別したかったものを、彼女は仮想世界にて起こそうとしていた。

 感情が爆発し、脳が沸騰する。溢れだす憎悪と憤怒。脳内を侵食する感情は殺意でしかない。食い縛った歯が嫌な音を立てる。アスナの眼から見ても、彼女は既にストレアに残す情など捨て去っていた。

 

「......ろす。絶対に殺す、殺してやるッ!!!」

 

 確かに、そう告げて。強く引き絞ったその弓で、再び矢を放った。

 繰り返される連撃。速射するシノンの技術力はここ数ヶ月で凄まじい成長を遂げていた。初撃の矢を躱した瞬間の相手の着地点をすぐさま狙い撃つ狙撃の技は、アキトでさえ舌を巻く程のもの。

 褒めてくれた彼は、もうこの世に居ないけれど、だがそんなものはシノンにとってはきっとどうでもよかった。

 ただ、目の前の彼女を殺せれば。

 

「シノ、のん……」

 

 アスナはただ涙をポロポロと流すだけで、まったく動けずにいた。ストレアに対する憎しみなんかよりも、目の前で好きな人を失った喪失感が大き過ぎて、ただシノンの復讐劇を眺める事しかできなかった。

 

 シノンが今胸に抱えている経験を味わっているからこそ分かる。

 全てを引き換えにしてでも助けたかった者を失った喪失感。それを理解した瞬間に全てがどうでもよくなり、地獄に等しい灰色に染まった世界。思い出されるのはかつてのキリトとヒースクリフとの死闘であり、その最中にキリトが目の前で消失した、あの瞬間の絶望と憎悪だ。

 其を今、シノンは感じている。そう気付いた瞬間、アスナはシノンを止める事は出来なくなってしまっていた。深淵よりも深く、闇よりも昏いあの心象を理解できるからこそ、邪魔などしてしまえばその矢で心臓を射抜かれてしまうであろう事は容易に想像できた。

 

 弾ける金属の音を他所に、アスナは視界に映る者達の事を見据える。

 フィリアのように悲しみが勝り動けずに泣きじゃくる者。

 リズのように勇者の消失により絶望に打ちひしがれる者。

 リーファのように状況がまだ理解できず呆然としてる者。

 そして────シノンのように怒りでストレアを襲う者。

 

「ぐっ────!?」

 

 ストレアに体術技《突蹴》によって腹を貫かれ吹き飛ぶシノン。弓が手元から離れ、その身を数度床に叩き付けられる。摩擦で装備が削られる音を耳にしながら、血に伏せった彼女に追い打ちを掛けようとその身を前に進め───

 

 

「っ……!」

 

 

 ガキィン!と一際甲高い音が耳を劈く。

 視線が、自ずと元凶へと動かされる。再び鍔迫り合いになり、無理矢理抑え込むような力でカタカタと刃がぶつかり火花を散らす音。ストレアの真正面にたって、怒りに満ち溢れた表情で、歯を思い切り食いしばって。

 

「……クライン」

 

 ストレアが、優しく労わるようにその名を呼ぶ。

 それでも、クラインがその表情を変えることは無い。女性に決して刃を向ける事はしなかった彼が、今その愛刀をストレアへと下ろしかけている。

 

 ────だが、その刃は逆向きで彼女へと落とされていた。刀の刃は自身に対して沿っており、峰の方を彼女に向けている。それを見て、アスナは彼の人としての自制心を感じ取った。

 どれだけ怒り狂おうと、ストレアを殺してはならないと自分自身の感情を抑え込んで、それでも彼女を止めようとして必死に考えて行動した結果。殺しはしない、けれど彼女を止めねばと。

 その優しさが苦しくて、ストレアは儚げに微笑む。

 

「……優しいんだね、クライン」

 

「っ……ふ、ざ、けんな……!」

 

 涙を堪えて、怒りを堪えて、震える声で柄を握り締める。歯が砕けそうな程に食いしばり、ストレアを睨み付ける。次第に競り合って削られる刃の音が大きくなっていく。

 ジリジリと力に任せてストレアが押されていき、徐々に焦燥と困惑で表情を変えていく。

 

「っ……!」

 

「俺ァ……ストレアが話してくれんのをずっと待ってたよ……アキトが一番そう思ってたよ……!仲間だからって……悩んでるなら力になりてぇってよ……っ」

 

 知っている。アスナもそうして独り悩み、抱え続けた彼の姿を何度も見てきた。それは決して自分だけでなく、クライン達だって同じ事だ。彼に救われたからこそ、彼の願いに応えたい一心だった。

 彼が仲良くなるような人なら、きっと優しい人なのだと、ストレアを温かく迎え入れて、実際それは確かなものなのだと思っていた。

 

「それを、アンタがどう思おうが勝手だけどなァ……けど……だけどなぁ……!」

 

 クラインが、此方を片目で見据える。アスナの──正確にはアスナの両の手を。

 たった今その手から零れ落ちてしまった光の元、その存在がこの世から消失した事実と、その元凶に対して、ただただ悲痛に表情を歪め、怒り狂った叫びを。

 

 

「それだけはよぉ……それだけは、やっちゃいけねぇ事だったろうがああああああああああああああ!!」

 

 

 刀七連撃奥義技《散華》

 

 黄金にその刀身が煌めき、スキルモーションに乗ってクラインの力がストレアを凌駕する。裂帛の気合いと共に繰り出した初撃が、彼女の刃を上へと弾く。返す峰がストレアの右の脇腹に直撃し、彼女の表情が苦痛に変わる。回転しつつその刀を振り抜き、三撃目は左脇腹に沈む。

 全て峰打ち。それでも、ストレアの体力は初めて明確な減少を見せた。

 

「……づ、ああああああっ!!!!」

 

 片手剣四連撃技《ホリゾンタル・スクエア》

 

 絶叫にも似た彼女の声。クラインの残りの四連撃を、自身の四連撃を持って抗う。彼の振るう刀に自身の剣を的確に当て、一つずつ撃ち落としていく。火花と金属音が広がり、その瞬間的な光に各々が眼を細める。

 クラインの変貌に見知った仲間達は呆然とするしかない。かく言うアスナも戸惑いの中でその攻防を追いかけている。

 傍にいたリズが聞こえるようにとクラインに向けて呼びかけるが、

 

「ちょ、クライン!アンタ……!」

 

「分かってる、殺さねぇよ!けどなぁ、俺ァこのまま大人しく逃がす気は無ぇぞ!」

 

「────だったら邪魔しないで。私は殺すつもりでやってるの」

 

 クラインの言葉を遮るその言葉は氷のように冷たかった。もう、分かり合うつもりは無いのだと、声の主であるシノンはよろよろと立ち上がった。手元を離れた弓を回収し、再び矢を宛てがう。

 その流れが流麗過ぎて、誰もそれを静止できない。三度その矢の先端がスキルエフェクトに覆われ、チャージが完了した瞬間抜き放つ。

 音速で飛び交う矢を、ストレアは再び剣技で全て弾き落とす。そうして双方が再び睨み合う。

 

「っ、シノン!ストレアは生け捕りにするぞ!殺すなんて、アキトが望まねぇ!」

 

「関係無いわ。そのアキトはもう死んだ。アイツの顔色を伺う必要はもう無い。それに、今後の攻略に彼女の存在は障害でしかない。ここで殺す、ここで死んでもらう、ここでっ……っ!」

 

 クラインは口を噤む。シノンの、誰も邪魔はさせないと言わんばかりの冷たい瞳。涙を堪え、歯軋りする彼女の表情。もう宿っているのは殺意でしかなかった。

 そうして、シノンの怒りの感情が込めれられた正論を皮切りに、次第にアスナの周りで装備のぶつかる音がする。

 

 

(っ……まずい……)

 

 

 振り返ってみれば、回復した攻略組が次第にその手に武器を持ち始める。ストレアに対する牽制なのだと一目で理解する。この場の全ての悪意が、怒りが、ストレアへと向き始めていた。

 彼女もそれに気付いたのか、辺りを見渡してより一層その表情を険しく変えた。すぐさま周囲に向けての臨戦態勢を取る。それが敵対行為と判断した攻略組のメンバーも、震える腕と脚を律して物量で押し切ろうとその意志を各々が固め始めていた。

 

 

(このままじゃ……)

 

 

 だが、シノンを止められるような説得も、攻略組を止められるような威厳も、ストレアに手を差し伸べるだけのものも、何も無い。

 

 ────アキトは、もう居ない。

 

 この現状を変えてしまえるような力が、今のアスナには何も無かった。それでも、必死にその脳を回転させて考える。思考を巡らす。

 そうして、

 

 

(私に、何が……何ができる────あ、れ?)

 

 

 ストレアが殺されてしまう───と考えて、その思考が停止する。この期に及んで彼女を庇おうとした自分自身に驚いた。咄嗟に、その濡れた瞳が彼女を見据える。

 シノンを中心に攻略組に詰め寄られつつあるストレア。周りを睨み付け、苦痛に表情を変えていくのを見て、特にいい気味だと感じる事も無い。ただただ、ストレアが傷付きそうになっていくを見て、胸が締め付けられそうで。

 

 

(どう、して。アキトくんが死んだのに……殺したのは、ストレアさんなのに……)

 

 

 自棄になるかと思った。彼女に向けてシノンのような殺意が芽生えるかと思ってた。今まさに彼女に向かって特攻を仕掛けようとしてる攻略組を従えて、彼女を襲う事だって考えられたのに。

 頭に浮かんだのは、真っ先に考えたのは、ストレアの事だった。

 

 

(────ぁ)

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

(────そうだよ)

 

 

 アキトなら、どんなに傷付いても、苦しんでも、ストレアに手を差し伸べたはず。実際、彼は最後まで彼女の事を諦めたりしなかった。

 その考え方に、その優しさに、その在り方に。アキトに、近付けたような気がして。

 アスナは、笑った。

 

 

「……ああ」

 

 

 また、涙が伝う。その両手を重ね、組んで握り締めた。願うように額に擦り付け、口元が震える。この手から零し、消え去ったと思った彼の姿が、アスナには見えていた。

 

 

「……こんなところに、いた」

 

 

 私の考え方に。

 私の決めた誓いに。

 果たしたいと願った約束に。

 その中に、アキトは生きていた。

 

 ストレアを助けたいと願うその気持ちは、きっと確かに今、アキトと重なった。そう思うと、彼と同じ想いや感情を、ストレアに抱いてる今の自分がとても誇らしかった。

 彼は、もう居ないけれど────思い出は、ここに在る。永遠に、生き続ける。アスナが忘れない限り。教わった生き方を、その在り方を変えない限り。

 

 

(……わたし、は)

 

 

 何、してたんだろう。

 私にできる事、たくさんあるじゃない。

 

 ────そうだよね、アキトくん?

 

 床に転がった彼らの愛剣を手繰り寄せ、抱き締める。

 そうして抱えた紅い剣(リメインズハート)に涙を落とす。酷い刃こぼれの中、確かに煌めく一筋の光。まだ彼の想いが、意志がここに残ってる。

 蒼い剣(ブレイヴハート)を労わるように撫でる。その刀身はボロボロになりながらも真っ直ぐに芯を保っている。決して折れない、彼の勇気がここに在る。そんな気がした。

 その涙を抱えたまま、微笑む。泣き続けていた自身を奮い立たせて、ふらつきながらも────立つ。

 

 

「っ、……はぁっ……!」

 

 

 ────キリトくんを、愛していた。

 この世界を本気で生きる在り方を。

 他者を助けられるその強さを。

 誰よりも早く先陣を切って進むその立ち振る舞いを。

 共に同じ時を過ごしていきたいと、そう思える程に。

 彼の全てを、愛していた。

 

 

「……アキトくん」

 

 

 そして、アキトくんに、恋していた。

 自分とは違う生き方と、在り方に。

 他者に傾ける大きな優しさに。

 誰も傷つか付かないようにと、独りで戦う力強さに。

 笑った顔が見たい、ずっと傍にいたいと思える程に。

 彼の全てに、恋していた。

彼のようになりたいと、そう思った。羨望にも似た憧れを、確かに感じていた。

 

 

「……私を、見ててね」

 

 

 愛した人には、この世界での生き方を。

 恋した人には、人としての在り方を教えてもらった。

 この世界で過ごした時間の中で、二人が自分に与えてくれたもの。

 それはあまりにも大き過ぎて、あまりにも多過ぎて。その全てを返す事は、きっともう、叶わないけれど。

 

 

(君が、教えてくれたんだよ?アキトくん────)

 

 

 もう、折れない。

 もう、何も諦めない。

 もう、命を捨てたりしない。

 もう、大切な誰かを失わぬようにと。

 私なりに生き残った意味と、命の使い方を。

 

 

 アキトくんに、恥じない自分で在りたい────。

 

 

 だから。

 それでも。

 

 

 

 

 

 

 

 

「わたし、は────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.127『憎悪(にくむだけじゃなく、あくをゆるせるなら)

 

 

 

 













アキト 「……頑張れ、アスナ」




























次回 『 幽 者(ゆうしゃ)



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Episode.0 雪舞う月下に誓う猫
白い黒猫







それは、大切なものを守りたいと願った少年が。

大切なものを守れなかった物語────






 

 

 

 

 

 アインクラッド、現在第49層。

 2023年12月────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗闇とも呼べる時間帯の中、それを貫くソードスキルの閃光が大型の狼にも似たモンスターを四散させる。

 それを目の端で捉えつつ迫り来る牙、その顎に向かって空いた左手を突き上げた。

 

 コネクト・《閃打》

 

 一瞬で狼のモンスターは上空へと舞い、そしてポリゴン片となっていく。

 その手に持つ黒い刀からは、斬り殺したモンスターの手応えを感じる。

 けれど、まだ足りない。そんな気がする。

 

 

 「……」

 

 

 もう、かれこれ何時間が経過しただろうか。

 ウィンドウを開いてみれば、朝の6時。空は曇っている為に、いつもよりも暗く感じる。

 少年がここに来たのは夜中の11時。休まずにここに居続け、湧いて出るモンスターを斬り潰しているとするなら、もう7時間は経過していた。

 

 だが、集中力は戦闘を重ね、時間を重ねる度に増していく気がした。

 足りない。こんなものじゃ、満たされない。

 もうこの狼共の攻撃パターンは割り出せている。飛びかかっての噛み付き、爪に寄る引っ掻き、それだけだ。

 数は多い。狼は群れで動く動物だっただろうかと考えていたのは、既に5時間も前の事だった。

 今はもう、目の前にいるモンスターはただのレベルを上げる為の経験値にしか見えていなかった。

 

 

 「────死ね」

 

 

 迫り来た狼の一匹を紙一重で躱し、すれ違いざまでスキルを放つ。

 真紅の光を纏った刀は、敵の体力を一撃で葬った。

 それが最後の一匹だったようで、気が付けばもう周りには何も無かった。

 だが関係無い。リポップするまで待てばいい。それだけだった。

 

 ここは49層、現在の最前線。今解放されているフィールドの中なら、一番上のフィールドのモンスターが一番強いに決まっている。

 ただそれだけの理由で赴いたこの場所は、決して効率の良い経験値稼ぎの場所とは言えなかった。

 特に、ソロプレイヤーがここに来るのは自殺行為とも呼べる。モンスターの湧きは早いが、このモンスターは集団で行動するからだ。在り来りな攻撃パターンではあるが、数の利でのみ述べるなら決して雑魚ではない。

 一匹ならまだしも、集団となると奴らは連携する。この狩り場は完全にパーティ向けのものだった。

 

 だが、知った事ではなかった。一番早くレベルが上がるならそれで良かった。

 効率など考えているだけ無駄だ。そんな場所は、必ず人気になるからだと知っているから。

 

 現在知られている中で最も効率の良い経験値稼ぎが可能なスポットは、ここより3層下の46層。虫型のモンスターが多く出現するエリアだった。

 周囲の崖に幾つも開いてる巣穴から湧き出す巨大なアリのモンスターは、攻撃力は高いがHP、防御力共に低いタイプのモンスターで、攻撃さえ躱し続ければ短時間で大量に倒す事が出来る。

 所謂、『当たらなければどうということはない』というやつだ。

 

 だがそこも、四方を囲まれて攻撃を被弾すれば、体勢を立て直す間も無くゲージを持っていかれてしまう為にソロ向けとは言えない。

 そして、人気スポットというだけあって、1パーティ1時間までという、今の少年からすれば『ふざけるな』と言いたくなるような協定まで張られている。

 そんなところで仲良しこよしするくらいなら、一人で最前線で戦う方が、よっぽど早くレベルが上がる。

 そう思った。

 

 けれど、時間が経てば経つ程、レベルが上がれば上がる程に、最前線だというのにモンスターに対する手応えを感じなくなっていく。

 ここではもうダメだ、早く次の層へ行かねば、早く解放せねばと、そう心が叫んでる。

 

 

 「……」

 

 

 あとどのくらいの敵を殺せば、強くなれるのだろうか。

 

 

 迫り来る敵を斬る。

 

 

 威嚇している敵を斬る。

 

 

 逃げ始めていた敵さえも斬る。

 

 

 そうしてモンスターを倒して倒して、その先に求めたものがあるのだろうか。

 強く、なれるのだろうか。

 

 

 

 

 仮想の世界でも、欲しかったものが────

 

 

 

 

 「いつまでそうしてるつもりダ?」

 

 

 

 

 そんな声が、後ろから聞こえる。

 かなりの上層の荒野のフィールド、一雨来そうな曇り空の下で、一人立つ白いコートを着込んだ少年はその声のする方へと振り返る。

 そこにはフードを深く被り、特徴的な三本ヒゲのペイントをした少女が立っていた。

 小さな丘ではあるが、彼女はその少年よりも上におり、少年はそんな彼女を僅かばかり見上げて、その名を口にした。

 

 

 「……アルゴ」

 

 「オレっちが知る限り、もう二、三時間はレベリングしてるだロ。こんな上層でソロだなんて、よっぽど自信があるんだナ」

 

 「……」

 

 

 少年はアルゴを一瞥した後、小さく溜め息を吐き、その黒い刀を鞘に収めた。

 そして、アルゴから背を向けると、緩やかな坂を下っていく。

 アルゴは何も言わず、ただ少年の背中を追い始める。同じ速度、一定の距離。

 アルゴが少年に近付く事はないが、後ろに立たれている事実に、少年は痺れを切らす。

 

 

 「……キリトにでも頼まれたの?随分と暇だね、情報屋さんは」

 

 「ま、お前さんに価値が無い訳じゃないからナー」

 

 「キリトの頼みっていうのは否定しないんだ」

 

 「判断するのはお前さんだロ」

 

 

 少年は歩きながらに会話を続ける。アルゴの方へと視線は向けなかったが、アルゴの態度にその足を止めた。

 

 

 「……悪いけど、俺は別にキリトの情報は買わないよ。買うなら────」

 

 「フラグMOB、ダロ?」

 

 「……」

 

 

 アルゴの知ったような口振りになんとなく腹を立てる。当たっているからこそ、少年も何も言えない。

 

 クエスト等の攻略キーとなっているモンスターは、総称して《フラグMOB》と呼んでいる。

 大概は数日や数時間に1回のペースで出現するが、中にはたった1度しかチャンスがないものがある。それはボスと同等の強さを誇っており、ソロで倒す事を想定されたものではない。

 そして、今は12月。イベントなんて、分かりきっていた。

 

 

 クリスマスボスの討伐。目的はその後のドロップアイテム。

 

 

 それが噂されるようになったのは、ほんの2週間前。

 だけど少年はとあるNPCの情報を聞いて、以前にも増して酷い速度のレベリングを行っていた。

 

 

 「《蘇生アイテム》────ガセかもしれないゾ」

 

 「情報屋がそれを言うの?可能性があるならやってみなくちゃ分かんないでしょ」

 

 「言っとくけど売れるネタは無いぞ。オレっちは基本的にウラが取れない情報は売らない主義なんダ。今回は1回限りのイベント、確認のしようがなイ」

 

 「なら君に用は無いよ、鼠のアルゴ」

 

 

 冷たい言葉が、アルゴを突き刺す。

 そのまま転移結晶を取り出して、別のフィールドに転移しようとする彼の背中に、アルゴはほんの少しだけ、慌てたような声で放つ。

 

 

 「キー坊も、お前と同じ目的で動いてるゾ」

 

 「……キー坊?誰それ、のび太君のお友達かな?」

 

 「分かってる癖に茶化すなヨ」

 

 

 アルゴは真剣な声音で少年を見据える。

 少年はふうっと溜め息を吐き、皮肉めいた笑みを浮かべる。

 

 

 「……驚いた。タダで情報を売るだなんて、主義はどうしたの。でもゴメンね、知ってるよ」

 

 「……」

 

 「46層の人気スポットでレベリングしてるんでしょ?ソロ向けじゃない狩り場の順番待ちの列にソロでいるのが《黒の剣士》じゃあ、噂もすぐに立つってものでしょ」

 

 

 そう言って、キリトの事を思い出す。

 最近はそんな目に余る行動から、《最強バカ》《はぐれビーター》と笑い者にされてるらしいが、少年はすぐにその思考を消す。

 色々な事を考えてる時間が惜しかった。誰よりも強くなりたかった。

 

 

 「けど、そんな順番待ちしてる余裕なんて……待ってる時間なんて無い。今最前線は49層、レベルの安全マージンは60程度。僕のレベルは75。多分、今この世界で一番レベルが高いのは僕だ。マージンより15も高い。これだけあればソロでも勝てる」

 

 「っ……75……!?」

 

 

 アルゴは自身の耳を疑った。まだアインクラッドの半分にも満たないフィールド下で、普通にレベル上げしてるだけならこんなレベルは有り得ない。

 単純なレベルだけでいうなら、恐らく今のキリトを凌ぐ。

 短絡的に動くAI相手にレベルを上げている為に、単純な技能だけならキリトの方が上だろうが、ボスの攻撃に耐えうる可能性が高いのは明らかに少年の方だった。

 

 

 一体、どれほどの時間レベリングをして────

 

 

 考えるだけで背筋が凍る。

 死に急いでいると誰もが思う速度。アルゴは僅かばかりに恐怖を覚えた。

 その白のコートを身に付ける彼の心は、代わって黒く染まっているように見えた。邪悪という意味ではない。何処か、傷付き、塞いでしまった心に見えた。

 

 

 「迷宮区攻略しか興味のない筈の攻略組だって、今回のイベントに必死になってる。ライバルは多いんだよ。だから、技術が劣っていたとしても、レベルだけは誰よりも高くなきゃいけない」

 

 「……キー坊は、酷く心配してるゾ、お前の事」

 

 「なんだ、やっぱキリトに頼まれて来たんだ。けど、無茶なレベリングをしてるのはお互い様だよ」

 

 

 途切れ途切れに呟くアルゴに、少年は優しく答えた。

 キリトは自分の事を棚に上げて心配するところがある。そこは変わらないんだな、と少年は思い出したように笑った。

 無論、少年も彼の事を心配していた。無茶なレベリングをしている、そんな噂があるならそれは当たり前だった。

 けれど────

 

 

 「……これが今、僕の一番やりたい事なんだよ」

 

 「……」

 

 

 少年はハッキリとそう告げた。

 その言葉に嘘も偽りも何も無かった。

 今この瞬間が、目的の為にレベルを上げている今が一番だった。生きてる事を実感出来た。

 大切なものは、まだこの手に残されているかもしれない、その事実だけでこの身体を動かせた。

 蘇生アイテム。眉唾ものだとしても、それだけの為に今の自分は存在していた。

 

 

 「……死ぬかもしれないゾ」

 

 「死なないよ。生きる理由がある限り」

 

 

 いつもより過干渉なアルゴだが、別に違和感を感じたりはしない。

 そんな事を考えるよりもすべき事があった。何を捨てても優先したい事があった。

 そう。まだ生きなきゃいけない理由がある。

 

 

 大切な人に、もう一度出会う為に。

 

 

 アルゴの表情を見て、少年は素直に驚く。

 彼女の感情的な顔はとても珍しい。彼女は決して贔屓したり誰かに肩入れしたりしない人だと思っていた。

 少年から見た限り、アルゴはキリトに頼まれてここへ来たと思っている。けれど、キリトとアルゴの仲だ、理由も聞かされずに引き受けたとは考えにくい。

 それに加え、情報を求めるならば、キリトはアルゴと接触する頻度は多いはず。彼女はキリトと少年が同じギルドにいた事を知っていたはずなのだ。

 ならば、今はそのギルドがほぼ存在しない事に等しいという事実を理解している。

 

 

 なら、キリトと少年が無茶なレベル上げをしている理由。

 《蘇生アイテム》を求める理由だってきっと────

 

 

 「……君はきっと、全部知ってるんだよね」

 

 「……気持ちは、その……少しは分かってル……けど────」

 

 「分かるものか」

 

 

 少年はそう吐き捨て、今度こそ彼女に背を向けた。

 どのくらいアルゴが知ってるのかとか、まるで気にならなかった。

 ただアルゴが放ったそのセリフが、とても気に入らなかった。

 この気持ちが分かるはずがない。誰にだって、キリトにさえ分からない。

 自分が感じているものと他人が感じてるもの、それが本当の意味で一致する事はない。共感といっても、それは決して100%一致ではないのだ。

 誰だって、この気持ちを理解する事なんて出来ない。

 

 

 少年は、その手に持った転移結晶に、自身の行き先を告げる。

 結晶はそれに応えるように光を帯びた。

 

 

 もう数秒、彼が自分の前から姿を消してしまう。そう思ったら。

 アルゴは、思わずその口が開いた。

 

 

 「っ……アキト!」

 

 「……初めて名前、呼ばれたかも」

 

 

 少年──アキトは、アルゴに呼ばれた事で目を丸くして、そして嬉しそうに笑った。

 その笑顔さえ、脆く見えた。

 白いコートを転移の光が纏い、アキトはその場から消えていく。

 

 アルゴは知っている。キリトが彼の事を気にかけている事を。

 ほぼ毎日、キリトはアキトの情報を貰いに来る事を。

 自身も辛いはずなのに、それ以上に彼を思っている事を。

 

 そして、キリトがアキトに、負い目を感じている事を。

 

 だからこそ、キリトの為にも聞きたいと思った。

 そんなアルゴの声は、しっかりとアキトに届いていた。

 

 

 「キー坊の事、恨んでるカ……!?」

 

 「恨んでないよ」

 

 

 彼は即答し、優しく笑う。

 そう言って、アキトは目を瞑る。

 その光が視界を白く覆い────

 

 

 

 

 気が付けば、草原が広がるフィールドだった。

 暗く、冷たく、そして孤独。

 

 

 見上げた空は49層と違って曇り空では無く、嫌になるくらいに満天の星空で輝いていた。

 白銀に光る満月が、アキトの瞳を照らす。

 

 

 そして、その地にアキトの影が出来る。

 

 

 

 

 「……うん」

 

 

 

 

 アキトはその黒い刀を収め、白いコートを翻すと。

 その草原の先を真っ直ぐに歩いた。

 

 

 アルゴの質問に返した、自身の言葉が蘇る。

 

 

 

 

 「……恨んでない」

 

 

 

 

 

 

 

 嘘じゃない。

 

 

 

 

 キリトは変わらず、大切な仲間だと思ってる。

 

 

 

 

 ただ、付け加えて言うならば。

 

 

 

 

 キリトよりも大切な人がいるってだけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 自分が今生きている理由は、彼女の笑顔を見る為だけでしかない。

 

 

 

 

 










サチ 「え……笑顔が見たいの……?じゃ、じゃあ……」ニコッ

アキト 「……えっと……その……うん。可愛いよ」

サチ 「そ、そっか……えへへ」


キリト 「……」ジー

アスナ 「……」チラッ

ユイ 「っ……」ソワソワ

シノン 「……」ジトー





※本編とは無関係です。





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後悔の序章





伸ばされた手を掴まなければ、絶望は始まらなかったのに────







 

 

 

 

 《ソードアート・オンライン》という名のゲームに興味を惹かれたのはいつだっただろうかと、たまに考える時がある。

 

 

 そもそもゲームを初めて手にした理由は、母親がゲーマーだったらしいからだ。

 

 らしい、と言えば察するかもしれないが、桐杜は物心ついた時には既に母親が他界していた。

 彼女が生粋のゲーマーだった事は、当時父親から聞いていた。父親もゲームは齧っているが、母のようにやり込んだりする人では無かったらしい。

 父が母と出会ったのは高校の時。当時みんなに人気の上、清純そうに見えていた母がゲームセンターで嬉々として遊んでいるのを、偶然父が暇潰しに同じくゲームセンターに立ち寄った時に出会ったらしい。

 周りからの評価も高く、期待されていた母は、その重圧とストレスを発散する為にゲームをしていたらしい。それ以前から、元々ゲームは好きで、周りの目を盗んで遊ぶ背徳感がたまらないと、母は言っていたらしい。

 そんな彼女の学校では見せない笑顔に、父は魅せられたという。母の我儘や無茶振りに付き合いながらも、楽しい時間を過ごせたのは、ひとえに共通の趣味、ゲームがあったからだと、桐杜の父はよく言っていた。

 

 母親を知らない桐杜にとって、ゲームとは母親を知る為のもので、逆に言えばこれだけが彼と母親を、家族を繋ぐ絆なのだと、そう思った。

 だからゲームを始めたのだ。遊んでいれば、父が仕事でいない時だって一人じゃない気がしてた。楽しくなれば、それだけ母と父を身近に感じた。

 人との関わり方が分からず、友人と呼べる存在がいなかった桐杜はその分ゲームにのめり込むようになった。遊ぶような友達がいない為に、趣味と呼べるものはこれしか無かった。

 気が乗らなければ読書や勉強。おかげで要らない事まで覚えてしまい、子どもにしてはかなり優秀に育ってしまった桐杜は、それでもゲームを手放したりしなかった。

 

 

 そしてそうしていく内に、掲げた理想は廃れていった。

 

 

 いつしか一人の女の子に、将来の夢を聞かれた事があった。友人がいなかった桐杜に対してでさえ、話し掛けてくれた一人の女の子。

 父の親友の娘だとかで、たまに顔を合わせるだけの関係だったが、学校が同じだった為に会話する事も何度かあった。

 当時、将来の夢を課題にした作文が宿題に出された時に、何故か父親の話を思い出したのだ。

 

 “正義の味方” “ヒーロー”

 

 何処かのアニメの主人公みたいだと鼻で笑っていた事もあった。けれど、真剣に話す父親の顔が何度も脳裏を過ぎる。

 誰かの為になりたいと告げた父の気持ちなど、誰かと関わった事も無い当時の桐杜には意味不明のものに聞こえた。

 けれどいつしか、誰かが幸せそうに笑っているのを見るだけで胸が綻ぶようになった。嬉しい、幸福、そんな気持ちが現れた表情が、とても綺麗に思えたのだ。

 父親がなりたかったヒーローという存在が何を守るのかと問われれば、それはひとえに自身の眼前に広がる笑顔に違いなかった。

 

 

 きっと、笑顔が見たいと思ったのは。

 人と関わりたいと、心の何処かでそう願った桐杜の気持ちの裏返しだったのかもしれない。

 誰かの笑顔が見たいというのは、きっと桐杜が誰かを笑顔にさせたいと思ったから。

 自分が誰かと関わる事で、その誰かを笑顔にさせる存在になりたいと、子どもである桐杜は思ったのかもしれない。

 

 

 願い、夢、欲望とは裏腹に、ずっと孤独だった故に人との関わり方を知らない桐杜にとって、その理想は高過ぎるものだった。

 きっと、掲げた瞬間に諦めたのかもしれない。ヒーローなんて柄じゃない。ただ、笑った人達の輪の中に、自分がいたのなら───と、考えてしまっただけ。

 一人の時間にのめり込んだ桐杜はいつしか、女の子の前で誓った理想すら諦めの境地に立っていたのだ。

 

 

 父親が死んでから。

 

 

 

 

 だからこそ、仮想世界は魅力的に見えたのかもしれない。

 ゲームである上に、誰もが夢見たもう一つの世界。人と関わる事が出来るこの世界なら、現実とは違う自分になれるのかもしれないと、そう思った。

 誰もが現実とは違う自分を演じられる。顔も、名前も、経歴も。

 そこは嘘偽りだらけかもしれない。けどそれでも、この格好悪い自分を消せるならと、そう思ったのかもしれない。

 届かなかった理想に手が伸ばせるかも、と。

 

 

 《ソードアート・オンライン》。

 

 

 通称《SAO》。完全なる仮想世界を構築するナーヴギアの性能を生かした世界初のVRMMORPG。

 自らの体を動かし戦うという、フルダイブ機器《ナーヴギア》のシステムを最大限体感させる為に魔法の要素を完全に排し、ソードスキルという必殺技とそれを扱うための無数の武器類が設定されている。

 魔法は無いが、デバフや索敵などの戦闘補助スキルと言った魔法と同様の効果を持つスキルは存在する。

 また戦闘用以外のスキルも多数用意されている為、この世界で生活する事も可能。

 誰もが求めた、理想の世界。なりたい自分になれる世界。何より凄く魅力的で。

 それは、多くの人達に感動を与える筈だった。

 

 

 けれど、その先にあるのは絶望だけだった。

 人を楽しませる為に存在したはずのものは、デスゲームと化したのだ。

 ゲームにログインして数時間後、ログアウトボタンが無い事に気付いた後の強制転移。移動した先は、《はじまりの街》の広場。

 

 そして、その上空から現れたのは、巨大な赤いローブを来た何かだった。

 その赤い血のようなローブを来た何者かは、1万人のプレイヤーにこう告げた。

 

 曰く、自分はこの世界の創造主、茅場晶彦だと。

 

 曰く、ログアウト出来ないのは仕様だと。

 

 曰く、この世界におけるプレイヤーのあらゆる蘇生方法は機能せず、HPを全損すれば、それは文字通り『死』を意味すると。

 ナーヴギアはそれを可能とする、その理由や過程さえもを奴はご丁寧に教えてくれた。

 

 曰く、この世界から出る為にはこの世界、《浮遊城アインクラッド》を100層まで突破しなければならない事。

 彼らは震え、怯えた。中には我慢出来ずに文句を放つ者もいた。βテストでは、録に上がれなかったと聞いた、と。

 外部からナーヴギアを無理矢理外そうとしてもプレイヤーは死に至る。既に忠告を無視して試みた人間が何人かいたようだ。200人以上の死者が出ていると、赤いローブの何かは告げた。凡そ現実的では無い数字の、ほぼ同時の死。このテロとも呼べる現状に、冷静な判断が出来ない。

 

 桐杜は頭の中が真っ白だった。

 何を考えるべきなのか、何が正解なのか。βテスターでもない上に、VRMMOは初めて。右も左も分からないド素人なのだ。

 そして初めて魅入られたこの世界は、この瞬間に悪夢に変わる。いや、悪夢で済めばどれほど良かっただろう、

 これは紛れもなく、現実そのものだった。

 

 最後にその赤ローブが自身に送ってきたのは、ただの手鏡。

 この世界は本物で、現実と何も変わりはしないと、そう桐杜に突き付ける為の鏡。

 

 アキトではなく、お前は桐杜だと。

 

 それだけで、桐杜の心は大きく揺れた。

 

 そんな一声で奴は姿を消す。

 僅かばかり空気が静まり、そして暴動。

 ふざけるな、ここから出せ、騒いでも願ってもそれは叶わない。

 現実と何も変わらない。そう世界が言っていた。

 その場で崩れ落ちる者、泣き叫ぶ者、諦めた者。そこには1万人ものプレイヤーが存在していたが、みんな反応は同じだった。

 

 桐杜はもう笑うしか無かった。

 

 ああ、何処の世界もきっと変わらない。

 この世界なら、自分は変われると思っていた。

 けれど、現実と変わらない世界だと気付いた途端に、この世界の自分も、現実と何ら変わりは無いのだと痛感した。

 瞳が揺れる中、視界を人影が覆う。誰もがこの先自身がすべき事を分からずにいる。けれど、助けてくれる者など誰もいない。救ってくれる人など、この場にいるはずがない。

 自分の事しか、きっと考えられない。他人の事など考えていられるほどの余裕なんて無い。自分が生き残るだけできっと精一杯だ。人助けなんて無理に決まってる。

 

 この世界の方が、余程死を身近に感じるであろう事を、一瞬で理解した。死ぬという事実は現実と変わらなくても、この世界の方がきっと、死のリスクは高いだろう。

 街の外に出た瞬間に気が付けば死んでいた、なんて有り得ない話じゃなかった。

 

 死にたくない。

 

 こんなところで、意味もなく理由もなく、茅場晶彦の自己満足の為に自分が犠牲になるだなんて考えられない。

 ふざけるな。何故自分がこんな目に合わなくちゃならないんだ。

 こっちはゲームをしに来たのだ。間違っても異世界転移しに来た訳じゃ無い。

 

 そんな中で響く数多の悲鳴。

 桐杜が見たかったものとは正反対の表情が眼前に広がっていた。

 耳を劈くように、周りの悲鳴が聞こえる。その甲高い声に耳を塞ぐ。目を瞑り、全てを拒絶する。

 うるさい、黙れ。お前らだけが辛い訳じゃない。こっちだって死にたくない。みんなと変わらない。助けて欲しい。

 願っても来てくれないだろうその助けに。いないであろう神様に、願う事しか出来ない無力な自分。

 助けて、そう懇願するしかなかった。

 

 

 だからだろうか。

 

 

 その時伸ばされたその手を、何の躊躇いも無く取ってしまったのは。

 

 

 

 

 それが、後悔の序章だとも知らずに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 ────良かったら、俺達と一緒に……

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────君、名前は?

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────え……ちょ、おい!それ絶対本名だろ!初心者かよ!

 

 

 ────お、俺聞いてないから!聞いてないからな!?

 

 

 ────ち、因みに誕生日とか血液型は?

 

 

 ────おい!悪ノリするなダッカー!見ろ、答えちゃったじゃないか!

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……アキト?」

 

 「……」

 

 「……おーい、アキト?」

 

 「っ、ご、ゴメン……何だっけ?」

 

 

 突然の呼び掛けにアキトは思わず身体を震わせる。

 辺りを見渡せば見渡す限りの草原に続く、細い砂利道。夕暮れとまではいかなくとも、大分傾いて来た日差し。

 隣りを向けば、自分よりもほんの少し背丈のある槍使いのケイタが立ち、アキトに合わせて歩いてくれていた。

 変わった反応を示すアキトを見て、ケイタは首を傾げている。

 

 

 「……さっきから上の空だけど、何か考え事でもしてんの?」

 

 「え……ええっと……」

 

 「モンスターはいないけど、一応気は抜くなよ……と言っても、アイツらがあれじゃあ説得力無いけどさ」

 

 

 そう言って笑うケイタにつられ、前方へと視線を動かす。そこには、自分を引き入れてくれた仲間達が楽しく談笑していた。

 

 ダッカー、ササマル、テツオ、そしてサチ。

 

 話に花を咲かせ、笑顔を浮かべながら歩いていた。

 今日は既に狩りが終わり、今は彼らが普段拠点にしている宿屋へと帰宅している途中だったのだ。今回の戦闘で思わぬ報酬があり、それでこれからちょっとした宴会を開こうという事らしい。

 

 ギルド《月夜の黒猫団》

 

 ゲーム開始当初、《はじまりの街》からアキトと行動を共にしてくれるパーティメンバーが結成したギルドの名前。もう彼らと出会って半年以上も経っている。その間ずっと彼らはアキトを見捨てずに戦ってくれていた。

 彼らはこの殺伐としたデスゲームの中で他のプレイヤーとは違う雰囲気を醸し出していた。たった一つの戦闘に勝利した事を全員で大喜びし、検討を称え合う。

 死が飛び交うこの世界を、絶望一色で攻略していくプレイヤー達の中、このギルドのメンバーだけは希望を見て進んでいたように、少なくともアキトには見えていた。

 

 

 だからこそ────

 

 

 「……」

 

 

 全てが始まったあの日、何の躊躇いも無く伸ばした手を取ってしまったが、思えばあの状況で助けてくれるなんて、絶対に有り得ないと今更ながらに思ってしまった。

 完全未知の、死が隣り合わせの世界。情報は無く、途端にモンスターは恐怖の対象となり、自分の命は、何よりも大切。

 他人の心配などしている暇など無い。ゲーム開始当日ならば尚更だった。

 それなのに。

 

 

 それなのに、彼らは────

 

 

 「……初めて会った時の事、思い出してたんだ」

 

 「え……?」

 

 

 前の4人を見て笑っていたケイタが、アキトの小さな呟きに反応し、視線を向けて来た。

 肩に担いでいた片手棍は、力無く下ろされる。歩く速度は変わらなくとも、秘める心は揺れていた。

 

 

 「黒猫団のみんなと、結構一緒にいるけど……まだちゃんと聞いてなかったから。……僕をこのパーティに入れた理由」

 

 「それは……」

 

 「知人ならまだしも、僕となんてあの時が初対面だったじゃん。それに……パーティに加えるなら、もっとマシな人がいたんじゃないかって、ずっと思ってた。僕なんか《はじまりの街》で震えてずっと動けてなかったし」

 

 

 皮肉を込めて、自虐を重ねて、自嘲気味に笑う。

 アキトが彼らと過ごして、共に攻略していく中で感じたのはパーティ構成のバランスの悪さだった。

 アキトを除いた5人編成のうち、前衛と言えるのはメイスと盾を装備したテツオ一人。あとは短剣のみのダッカーにクォータースタッフを持ったケイタ、長槍使いのササマルとサチ。

 テツオのHPか減ってもスイッチしてくれる仲間がおらず、後退するのは必至の編成。アキトはそれを考えて、前衛として戦えるようにスキルとステータスを構成した。

 当時の武器は曲刀。現在はそれが派生して、エクストラスキルである《刀スキル》を手にしている。

 

 怯えていた頃のアキトとは確かに違うかもしれないが、ゲーム開始時ではそうなるとは考えられなかったはずだ。あの時は《はじまりの街》で恐怖を覚えるプレイヤーの一人で、その場から動けない弱虫だったアキト。

 そんなアキトをあの場で誘うメリットも、騙すにしたって得る物も、捨て駒としたって使い道も存在しなかった。

 

 彼らが何を考えているのか分からない。

 そして、そんな彼らを何故か信頼し切ってしまった自分も。そして、自分という足でまといのせいで誰かが死ぬのが怖かった。

 

 ケイタはそんなアキトの心情を察したのか、目を細めてこちらを見据えていた。

 

 

 「……だからいっつも一人で攻略してるのかー?危ないからやめろって言ってるのに……」

 

 「っ……だ、だから、僕は纏まった行動は苦手なんだって……あんまり、その……団体行動とかした事無いし……」

 

 「けど、今日は一緒に来てくれたよね。ありがとう」

 

 「人数がいた方が良いでしょ。僕がいなきゃ、パーティバランス最悪なんだし」

 

 「ぐっ……痛いところを……」

 

 

 あはは、と笑うケイタを尻目に、アキトはバツが悪そうに目を逸らす。

 

 ケイタの言う通り、アキトはみんなとこうしてパーティとしてフィールドに出るのとは別に、一人で攻略に向かう事があった。

 そしてそれは特に、黒猫団のみんなに知らせたりはせず、殆ど無断である。

 そこには、アキトの複雑な心情が含まれていた。

 彼らの気持ちが分からない。何を求めているのか分からない。死なせるのが怖い。そんな気持ちが、アキトを逆に一人にしていた。みんなが攻略する中で、アキト一人だけが別行動を取るといった光景は珍しくなかった。

 アキトはアキトなりにレベリングをしていたが、この手のゲームの進め方や効率の良い狩り場や戦い方の事はてんで素人で、レベルアップも中々にままならない。

 それでも彼らに迷惑はかけまいと、アキトなりに必死だった。手に入れたアイテムやお金は勿論黒猫団の仲間達と分け合ったし、彼らが寝静まっては外に出て、一人追い付かないレベルを上げに走っていた。

 

 今回はこうしてみんなと狩りに赴き、共に帰路に立っているが、それでも、それまでの意図が知りたかった。

 どうしてあの時、自分の事でさえどうにも出来なかった人が沢山いた中で、黒猫団のみんなは他人に目を向ける事が出来たのだろう。

 

 あの大勢のプレイヤーの中でどうして、自分を選んだのだろうか────

 

 

 「……どうしてアキトを誘ったのか、か……」

 

 

 ケイタは懐かしむように快晴の空を見上げる。

 

 

 「あの時……まあ、僕らもこの先戦っていくなら、パーティのバランスが悪いっていうのは分かってたけど、だからって名前も知らない奴を誘うってのは抵抗があったなぁ。まだスキル上げも始めたばかりだし、ポジションも変えられたんじゃないかな」

 

 「……じゃあ、なんで……」

 

 「んー……多分、放っておけなかったんだろうな……」

 

 

 ケイタは困ったように笑うと、まるで他人事のように呟いた。そしてケイタは視線を前へと向ける。アキトは不思議に思い、その視線を追い掛けると、そこには黒猫団のメンバー達がいた。

 そしてアキトは、ケイタはが見ているのはサチだという事に気が付いた。サチはこちらに気付く事無く、他の3人との会話でクスクスと笑みを浮かべている。

 ケイタとサチを交互に見やり、アキトは少し違和感を感じた。

 

 

 「……サチ、が、どうかしたの?」

 

 「ああ、いや……」

 

 

 ケイタがアキトの視線に気付き慌てて取り繕う。誤魔化すように笑う彼に、続けて口を開こうとするが、その矢先前方から声が響いた。

 

 

 「おーいリーダー、アキト!なーにしてんだよ!」

 

 「っ……」

 

 「ああ、ゴメン、すぐ行くよ」

 

 

 ダッカーにそう返事したケイタはそのまま彼らに駆け寄る。アキトもすぐに集団に追い付くも、一歩後ろに引いて彼らを視界に収めた。

 結局また聞けなかったなと思いつつも、こうして温かい雰囲気を醸し出す彼らの空気に当たったのか、とても和やかな気分になったのも事実だった。

 

 

(……また今度聞けば良いかな)

 

 

 そう思ってしまうのは、この空気を壊したくなかったからか。それとも、聞いたら何か変わってしまうのではないかと思ってしまったからだろうか。

 けれど、アキトの不安は消えなかった。こんなにも誰かと親密に関わる事が、今まで無かったから。

 

 

 「アキト」

 

 「え……っ、さ、サチ……?」

 

 

 すぐ隣りから声が聞こえる。

 ふと隣りを見れば、そこには槍を抱えたサチが並んでいた。アキトは思わず目を見開く。

 どうやら前の集団から離れてアキトの隣りに並ぶまでペースを遅くしていたのだろう。自分を待ってくれたのかもしれないというその事実と、すぐ近くに女の子がいる状況にアキトは顔を少しばかり赤くした。

 ふわりと、女の子特有の香りがゲームの癖に漂う中、サチが小さく口を開いた。

 

 

 「……何、話してたの?」

 

 「え……?」

 

 「さっきまで、ケイタと話してたじゃん」

 

 「あ……ええと……」

 

 

 サチの純粋な疑問にアキトは口を閉じる。

 何故自分をこのパーティに入れたのだと、今更ケイタに聞いていたなどと女々しい事を正直に言うべきだろうかと考えたアキトは、サチのその真っ直ぐな瞳に耐えかね、つい本音を告げてしまう。

 

 

 「……このパーティに僕を入れた理由を聞こうと思って。結局聞けなかったけど」

 

 「っ……どうして、急に?」

 

 

 少しばかり驚いたのか、サチは上擦った声を出した。アキトは気付く事無く言葉を続ける。

 確かに、今更だと思うだろう。でも────

 

 

 「……あの時、僕達はまだお互いを知らなかった。それなのに、僕を誘ってくれた理由っていうのが気になって……」

 

 「……そっか」

 

 「今はみんな僕を仲間だって言ってくれるけど、じゃあ誘ってくれた当時は何が目的だったんだろう、って……そんな事ばっかり考えて……」

 

 「……不安、なの?」

 

 

 サチのその声こそ不安そうだったが、その質問は的を射ていた。アキトは誤魔化すように笑う事しか出来なかった。

 

 

 「……そうかも。いつか離れていくんじゃないかって……はは、女々しいよね。ゴメン……」

 

 

 けれど、それが素直な気持ち。ソロでの行動はその裏返しとも言える。

 いつ別れを切り出されても良いようにと、強くあろうとしているのかもしれない。一人でも、寂しくないように。孤独の恐怖に打ち勝つ為に。一人でも生きられるように。逆に言えばそれだけ彼らを大切に思ってしまっている事に他ならない。

 

 サチはアキトのそんな後ろ向きな言動にムスッと顔を膨らませる。アキトはそんな彼女の表情に戸惑いながらも、続く言葉を待ち受けた。

 

 

 「アキトは、私達の事どう思ってる?」

 

 「……死んで欲しくないとは思ってるよ」

 

 

 そうして目を逸らす。サチの不安そうな顔と視線が痛かった。

 

 

 「もう、すぐそうやって……じゃあ質問を変えます。仲間だと思ってくれてますか?」

 

 

 その質問は狡いんじゃないかな。思ってるから、こうして悩んでるんじゃないか。この思いは、一方通行なんじゃないかって。

 だって、初めての“仲間”なのだ。

 

 

 「……仲間、だと……思ってる」

 

 「……私も、アキトの事仲間だと思ってる」

 

 

 サチは小さな声で、控えめに笑った。

 きっとそれを言う事はとても照れるものだったのだろう。けれど、アキトが仲間だと言ってくれた、その事実に頬が緩む。

 サチは、満足したのかそれ以上は何も言わなかった。

 アキトも、結局また聞けなかった、と一人項垂れるが、また今度で良いかなと、そう思った。

 

 

 そうして、サチから視線を外し。

 彼ら全体を、《月夜の黒猫団》を見た。

 

 “攻略組の仲間入りをする”

 

 それがケイタの、ひいては黒猫団の目標だった。

 いっそ、その為に自分を招き入れて少しでも戦力を上げようとしたと言ってもらえれば少し納得したのだろうか。少なくともゲーム開始時はそんなところだろうと決め付けていた。

 彼らが攻略組に参加するという目標の為に自分を利用するように、自分も生きる為に、黒猫団にあやかるだけ────と、最初の頃は本気でそう思っていた。

 けれど、今は少し違う。損得だけの関係でありたくないと思っているのかもしれない。

 だからこそ、黒猫団の真意を聞きたかった。きっと、そんな我儘の為にアキトは理由を探しているのだろう。

 

 

 黒猫団のメンバー達同士と違って、現実世界では彼らとは何の関わりも持たない自分が、彼らの仲間として、ギルドメンバーとして、ここに居ても良い理由を。

 

 

 

 

 ここまで特定の誰かと長く関わったのは初めてだったから。

 

 

 こんなに誰かに必要とされたのは初めてだったから。

 

 

 だから、この関係が偽りであって欲しくないと、子ども染みた事を想う自分は間違っているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切にしたいと思ってしまったのは、いけない事だろうか。

 

 

 








ケイタ 「ここの店、美味しいって評判らしいから。じゃあ、何食べよっか。僕は────」

ダッカー 「肉だろ!」

テツオ 「魚だな」

ササマル 「パスタで!」

アキト 「……今日は野菜かな」

サチ 「わ、私も野菜……が、良いな」

ケイタ 「み、見事にバラバラじゃないか……」





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憧れとの邂逅






運命と絶望は、同じ道で続いてる────






 

 

 

 

 

 

 

 βテスターとしての知識を活かしたスタートダッシュと、強引なソロプレイによる高経験値効率のおかげで、キリトは既に最前線のモンスターとさえ渡り合える程のレベルに達していた。

 

 SAOが開始して5か月程経過した春の夕暮れ時に、キリトは当時の前線から10層以上も下の迷宮区に足を踏み入れていた。潜っていた理由は、武器の素材となるアイテムの収集だった。

 レベルの差があり過ぎたせいで退屈にすら思える単純作業。二時間程で必要なだけの素材アイテムを集める事が出来た。その間、他のプレイヤーを避けながら。

 

 だがキリトは、帰ろうと出口に向かった時にとある1パーティが撤退して来るのが見えた。通路を武装したゴブリンの一団に襲われ、その攻撃をどうにかいなしながらずるずると後退していく。

 キリトはひと目見てそのパーティのバランスの悪さを理解した。

 

 ────なんだあれは、前衛が1人しかいないじゃないか。

 

 全員、出口まで逃げ切れそうな程のHPは持ち合わせていたが、途中で他のモンスターに襲われる可能性だってある。

 助けに入るか──その考えが頭に浮上した後、心が揺れた。ハイレベルな自分が、ここで彼らを助けたらどうなるか。

 一般的に、ハイレベルのプレイヤーが下層の狩り場を荒し回るのはマナーが悪いと言う他無い。暫く続ければ上層のギルドに排除依頼が飛ぶし、新聞の非マナープレイヤーとして名を馳せてしまう恐れも。

 緊急なのだから問題無いとも考えたが、彼らの瞳にビーターと自分を嘲る色が浮かぶのが怖かった。

 

 

 けれど────

 

 

 「っ……」

 

 

 キリトは散々迷った挙句、隠れていた脇道から飛び出して、リーダーと思われる棍使いに声を掛ける。

 

 

 「ちょっと前、支えてましょうか?」

 

 「え……っ!?」

 

 

 振り返った棍使いは、キリトの顔を見て何故か固まった。

 だがすぐに我を取り戻し、

 

 

 「すいません、お願いします。ヤバそうだったらすぐ逃げて良いですから」

 

 

 棍使いはキリトの提案を即座に受け入れた。

 キリトは剣を引き抜くと、メイス使いとスイッチの合図を取る。ビーターと言われるのを恐れたキリトはこの時、使用するソードスキルを初期に覚えるものに限定し、態と時間をかけてゴブリン共と戦った。

 

 それはきっと、してはいけない過ちで。

 

 ずっと後悔する事になる過ちの始まり────

 

 

 

 

 HPを回復させたメイス使いと交互にスイッチを繰り返してゴブリンの群れを一掃した途端、そのパーティの5人はキリト自身がギョッとする程に盛大な歓声を上げた。ハイタッチを交わし、勝利を喜び合い、互いの活躍を称え合う。

 そのハイタッチは当然キリトの方にもやって来る。戸惑いながらも、キリトは差し出された手に自身の手を重ねた。慣れない笑顔を浮かべながら、手を握り返す。

 

 

 「ありがとう……ほんとに、ありがとう。凄い、怖かったから……助けに来てくれた時、ほんとに嬉しかった。ほんとにありがとう」

 

 「いや、そんな……」

 

 

 紅一点の槍使いは涙を瞳に溜めながら、何度もそう繰り返した。

 キリトは目を見開いて驚いたが、ただ、後悔しなくて良かったと、そう思った。

 助けに入ってよかった、彼らを助けられるくらいに自分が強くてよかった、と。

 前線フロアで他パーティの助太刀をしても、こんなに感謝される事は無い。助けるのはお互い様だという暗黙の了解があるからだ。助けてもお礼など求めないし、された方も軽く挨拶する程度。戦闘をいち早く処理し、無言で次の戦闘へ。効率良く自分を強化し続ける、その合理性が生んだやり取り。

 けれど、このパーティは違う。今のこの戦闘一つにここまで大いに喜び、健闘を称え合う。

 

 

 そんな仲間然とした雰囲気に、キリトは惹かれた。

 

 

 「俺もちょっと残りのポーションが心許なくて……良かったら、出口まで一緒に行きませんか」

 

 

 自分から出口までの同行を提案した事実に、少しだけ驚いた。

 ポーションが少ないなどと嘘を吐いてまで、彼らと帰る事を望んだ自分に。

 そんな嘘に、棍使い──ケイタは笑って頷いた。

 

 

 だが、出口に向かうまでの間に、キリトは彼らの視線が気になっていた。殿を務めるキリトを、前からチラチラと見ては互いに何かを確認している。

 初めは、助けに入った自分の強さが気になったのか、もしくはハイレベルなのがバレたのかと肝を冷やしたのだが────

 

 

 「……なあ、やっぱさぁ……」

 

 「ああ、似てるよな……」

 

 「……僕も最初アキトかと思った」

 

 

 小声でヒソヒソと話していて詳しくは聞き取れなかったが、どうやら彼らの知人と自分が似ているといった会話をしていたようで、内心ほっとした。

 自分に似てるという事は、自分と間違われたりしてるのかな、なんて少し気の毒に思った。自分のせいでそんな余計な火の粉が降り掛かるのは少し違うだろう。

 

 だが、後にその彼と出会う時に、キリトは理解する。

 その全身を白く覆う目立つコートを着た少年が、黒づくめのビーターに間違われる事はないだろうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 第11層《タフト》

 

 

 「命の恩人キリトさんに、乾杯!」

 

 「「「「乾杯!」」」」

 

 「か、乾杯……」

 

 

 迷宮区から脱出した後、酒場で一杯やろうとケイタに誘われたキリトは、それにすぐに頷いた。きっと高価だったろうワインで祝杯を上げ、各々が自己紹介を始める。

 キリトが名前を告げた際に誰もが驚きの視線を向けた時は、ビーターがバレたのかと思ったが、そうでは無いらしい。理由は聞かなかったが、それも後に分かる言葉だった。

 

 みんなに感謝の言葉を再び向けられて戸惑うキリトに、ケイタはさも言いづらそうに、耳打ちするように質問をし始めた。

 

 

 「あのーキリトさん。大変失礼ですけど、レベルって幾つくらいなんですか?」

 

 「ぇ……」

 

 

 その質問は、キリトにとっては予想出来るものだった。祝杯の席を取ったからには聞かれるであろうという事は。ハイレベルだと知られれば、あの場を荒らされたと思われて当然だ。

 だからその時までに適切だと思われる偽の数字の見当を付けていたのだ。

 

 

 「……20、くらい」

 

 

 その数字は彼らの平均レベルより少し上、そして今のキリトのレベルより20も下の数字だった。

 

 

 「へえ、そのレベルで、あの場所でソロ狩りが出来るんですか!俺達とあまり変わらないのに凄いですね」

 

 「ケイタ、敬語はやめにしよう。ソロって言っても、基本的には隠れ回って、1匹だけの敵を狙うとかそんな狩りなんだ。効率はあまり良くないよ」

 

 「そう……そうか。じゃあさ……キリト、急にこんな事言ってなんだけど……君ならすぐに他のギルドに誘われちゃうと思うからさ……良かったら、うちに入ってくれないか」

 

 「え……?」

 

 

 自分でも白々しいと思う程の顔と問い返しをしたと思う。周りを見れば、みんなが笑顔を向けており、その提案に反対の色は映っていなかった。

 ケイタはふっと軽く笑いながら言い募った。

 

 

 「ほら、僕らレベル的にはさっきのダンジョンくらいなら充分狩れるはずなんだよ。ただ、スキル構成がさ……君ももう分かってると思うけど、この5人の中で前衛出来るのはテツオだけでさ。どうしても回復が追っつかなくてジリ貧になっちゃうんだよね。……ホントは、もう1人前衛がいるんだけど……」

 

 

 ケイタはそこまで言うと困ったように笑う。他のメンバーも仕方ないと言ったように小さく笑った。

 キリトは話させてはいけない事を聞き入ってしまったのかと思い、悲しげに表情を変えるが、黒猫団のメンバーがこの5人だけで無い事にキリトは少なからず驚いた。

 

 

 「メンバー……他にもいるのか?」

 

 「ああ、うん。うちの数少ない前衛で、頼りになるんだよ。メッセージ飛ばしてるのに、全然帰って来ないけど……」

 

 「人見知りだもんね」

 

 「けど、《はじまりの街》で会った時とは大違いだよな」

 

 「今日だって、アイツがいてくれたらもう少し奥まで行けたって絶対!」

 

 

 ケイタとテーブルを挟んで向かい側に立つササマルとテツオとダッカーが嬉しそうにキリトにそう告げる。

 だがキリトには分からない。このメンバーが今日、危険な目に遭っていたというのにそのもう1人は何処で何をしているのかと。この殺伐としたデスゲーム内で、これほど温かな雰囲気で居られる場所はそう多くない。

 そんな場所を蔑ろにして、そいつは今何処で何を。

 

 けれど黒猫団のみんなの反応はキリトのものとは真反対だった。彼がソロで行動している事に腹を立てているどころか、誇らしげに自慢まで。

 ギルドメンバーなのだから、勝手な行動ばかりする奴は責めて然るべきなんじゃないのかと、キリトの視線がそう言っていた。

 ケイタはそれに気付いたのか、バツが悪そうに苦笑し、説明をし始めた。

 

 このゲームが開始してからの付き合いらしいが、突然パーティに誘った事に関しての不信感と、今までずっと一緒に戦って来た事による仲間意識が綯い交ぜになって、どうしたら良いか分からない状態なのだという。

 しかし、彼は誘った時も迷う事無くパーティ参加を受け入れたし、前衛を頼めばあっさり引き受けてくれた。それはノータイムも良いとこで、まるで『断る』という行為そのものを知らない人のようだったらしい。

 初めて会った時から彼は人見知りというか、人との関わり方に慣れていない様子で、モンスターとの戦闘でさえ怯えていた。一人だときっとすぐに死んでいただろう、そういう理由で黒猫団のみんなには少なからず感謝の念を抱いてはいるようだ。

 だが、誰かと行動を共に事自体に居心地の悪さを感じているわけでは無いようなのだが、それでもみんなの足を引っ張っているのではと感じていたり、そのせいでパーティを全滅させたくないと思ってくれている節があり、その思いの裏返しが、こうしたソロでのレベル上げなのだろうという。

 キリトは後になって知るのだが、彼は特定の誰かと行動する事自体が初めてで、どうすれば良いのか戸惑っているのだ。

 本人もそれに関しては申し訳無く思っているらしく、その狩りで得た報酬の中で、メンバーが使えるであろう武器やアイテムは配分してくれたりしてるらしい。

 

 何だソイツは──とキリトは少し感じていたが、そんな話に覚えがある気がして首を傾げる。何だろう、と思ったが、それよりもそのもう1人のメンバーの行動が気になった。

 何故そんな事を、とキリトは目を丸くして聞いていたが、ケイタは仕方ないよ、と笑ってワインを口に含んだ。

 

 

 「その……人付き合いが苦手な奴なんだ。だからこういうやり方しか知らないんだと思う。あまり危険な事はして欲しくないから強く言っちゃう時もあるけど、僕らにとっては大切な仲間だよ」

 

 「……」

 

 

 キリトは黙ってそれを聞いていた。周りも同じ気持ちらしく、揃って同じように笑っていた。

 このメンバー達にここまで思われているその彼に、キリトは少しだけ羨望と嫉妬の入り交じった感情を抱いた。自分には関係無いけれど、それでも彼らはソイツを大切に思ってるんだな、と。

 

 

 「だからさ、アイツに頼られるような僕らで在りたいんだ。今まで前衛として頼ってばかりだったから、アイツが居なくてもさっきのエリアでも狩れるくらいにはなりたいんだ」

 

 

 ケイタは隣りにいるサチの頭に手を置く。サチはキョトンとしているが、ケイタは構わず言葉を続けた。

 

 

 「コイツ、見ての通りメインスキルは両手用長槍なんだけど、ササマルに比べてまだスキル値が低いんで、今の内に盾持ち片手剣士に転向させようと思ってるんだ。でも、中々修行の時間も取れないし、片手剣の勝手が良く分からないみたいでさ。良かったら、ちょっとコーチしてくれないかなあ」

 

 「何よ、人をみそっかすみたいに」

 

 

 サチはケイタに向かって頬を膨らませると、そのまま本音を口にする。

 

 

 「だってさー、私ずっと遠くから敵をちくちく突っつく役だったじゃん。それが急に前に出て接近戦やれって言われても、おっかないよ」

 

 「盾の陰に隠れてりゃいいんだって」

 

 「お前は怖がりすぎるんだよー」

 

 

 サチの不満顔を見てみんなで笑い合うのを、キリトはただ眺めていた。

 ずっと殺伐としたゲームだとばかり思っていたキリト。最前線のみでの生活の中、VRMMOというのはリソースの奪い合いとしか認識していなかったキリトにとって、彼らのそのやり取りはとても眩しいものに見えた。

 その視線に気付いたケイタは、照れたように笑う。

 

 

 「いやー、うちのギルド、現実ではみんな同じパソコン研究会のメンバーなんだよね。特に僕とコイツは家が近所なもんだから……。あ、でも、心配しなくていいよ。みんな良い奴だから、キリトも仲良くなれるよ、絶対」

 

 「アキトもこのゲームで知り合ったしな」

 

 

 その発言に、サチが微笑む。キリトはそんな彼らを見て、その表情に影を落とした。

 

 

 ────全員が良い奴のは、とっくに分かっていた。

 

 

 そんな彼らを騙して、今から自分は彼らの提案を受けようとしている。なのに、それを打ち明ける事をしない。

 罪悪感が募り、それが胸の奥で疼く中、キリトは作り笑いを浮かべ、小さく頷いた。

 

 

 「じゃあ……仲間に入れてもらおうかな。改めて、よろしく」

 

 

 キリトは身分を偽ってまで、この眩しい空間にいたいと、その欲に身を委ねてしまったのだった。

 その答えに、黒猫団は本当に嬉しそうに笑ってくれた。これからよろしく、と最初にしたはずの自己紹介を再び行う始末。彼らは各々が面白おかしく笑い、キリトもつられて笑った。

 

 

 「……ん?」

 

 

 そしてそんな中でふと、ケイタが何かに気付き、その笑みが消える。キリトから顔を上げたケイタのその視線は、宿の入口の方を向いていた。

 キリト達もつられてそちらを見ると、その入口は不自然に扉が少しだけ開き、人影が出たり引っ込んだりしていた。

 何だあれは、とキリトが思っていると、途端にケイタがその扉まで駆け出した。

 

 

 「っ……ケイタ?」

 

 「ああ、キリト、最後のメンバーを紹介するよ」

 

 

 その一言にキリトは目を丸くする。なんと、最後のメンバーが帰って来たというのだ。

 周りの4人もそこから更に笑顔を重ね、ケイタが向かう先の扉に視線が向かう。

 ケイタは嬉しそうに開いたり閉まったりする扉をおもむろに開き、その人影の腕を鷲掴みにし、そのままずるずるとキリトの方へと引っ張って来る。

 その間、チラホラと会話が聞こえた。

 

 

 「えっ、ま、待って……あの黒い人誰……」

 

 「メッセージ入れたろ、僕らの命の恩人だ。でもって、今日からギルドの一員だ」

 

 「め、メンバー?今日初めて会った人が……?(震え声)」

 

 「大丈夫だって。ホントにアキトは人見知りだなぁ」

 

 

 そうしてケイタはキリトの前まで来てその足を止めた。丁度ケイタの後ろにいるその人影の姿はキリトからは見えない。

 ケイタは嬉しそうに笑うと、自身のその位置を左へとずらし、後ろいた人影がキリトの前に現れた。

 

 

 「っ……」

 

 

 端正な容姿に、流れるような綺麗な黒髪。

 

 雪のような純白のコート。

 

 対称的に純黒の刀。

 

 彼のその姿を見て、凄まじい既視感に襲われる。

 容姿、武器、装備の色はまるで違うけれど、その身に纏う雰囲気のようなものが、何処と無く自分と似ている、とキリトは目を丸くして見上げていた。

 そして、対する目の前の白いコートの少年も、キリトを見て目を丸くしていた。何故か、妙な気分に襲われ、身体が固まっていた。

 

 

((……な、なんかどっかで見たような顔……))

 

 

 ケイタはいつまでも見つめ合っているキリトとアキトを見て苦笑いした後、一度咳払いをしてキリトにアキトを紹介し始めた。

 

 

 「キリト、紹介するよ。うちの前衛のアキト」

 

 「っ……!? き、きりと……?」

 

 

 だがキリトの名前を聞いた瞬間、アキトの顔が驚愕に変わる。ケイタとキリトを交互に見やって慌てていた。

 その態度にキリトはまさか、と背筋が凍る。まさか、彼は自分の事を知って────?

 

 けれど、アキト以外のみんなは何も言わずにニヤニヤと笑うのみ。まるで、悪戯を思い付いた子どものような。

 ダッカーは、座るキリトの肩を後ろから両手で力強く置くと、アキトを見上げて言いやった。

 

 

 「そ、お前と同じ名前!」

 

 「お、おい、ダッカー!リアルの話はマナー違反だって!」

 

 

 テツオが厳しく注意する。ダッカーは軽く謝るだけで、ケイタ達も呆れていたが、アキトと呼ばれた少年は困ったように笑みを浮かべる。

 だがキリトは、ダッカーがアキトに向けて放った言葉が気になり、思わずアキトの方へと顔を上げた。

 

 

 「同じ名前って……」

 

 「あ……えと、僕の本名が『きりと』で……みんなと初めて会った時に、間違えて名乗っちゃって……それで……」

 

 

 アキトはしどろもどろにそう答える。その間、キリトとはまるで目が合わない。そんな態度にキリトは困惑した。

 これが彼らのいう、頼れる前衛なのだろうかと、キリトは眉を顰めた。

 

 

 「け、ケイタ……あの、ギルドの一員って……」

 

 「うん、キリトは今日から僕らの仲間だ。……あっ、何も言わなかったのはその……悪かったけど……」

 

 「……いや、みんなが決めたなら、それで良いよ」

 

 

 アキトは何か反論する事無く笑ってそう答えた。

 だがケイタ達はやってしまった、とそう思っていた。アキトに黙って他のメンバーでキリトの加入を決めてしまったら、アキトを──仲間の意志を無視して決めた事と同義だからだ。

 仲間という存在に対して多くの事を感じているアキトだからこそ、包み隠さず言わなきゃならなかったと、そう思った。

 けれどアキトは何も言わなかった。いや、仲間として何か言うべきなのか、何を言うべきなのか、それが分からなかったのだ。けどそれを、黒猫団が知る術は無い。

 きっとアキトは、自分の意見を当てにしてなかったという事に少なからず傷付いたかもしれない。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは深く呼吸をすると、一歩、キリトへと詰め寄った。

 少しばかり震える腕を伸ばし、恐る恐る手のひらを広げる。キリトは黙ったままアキトを見上げ、これから紡がれる言葉を待ち受ける。

 

 

 

 

 「えと……アキトです。よろしく、キリト、さん」

 

 

 「……キリトで良いよ。よろしく、アキト」

 

 

 

 

 その手を、キリトは柔らかく握った。

 

 お互いにこの時の印象は、きっと良くなかった。

 

 

 キリトは自分も似たようなものだから強くは言えないが、黒猫団を放って一人行動しているというアキトを。

 

 アキトは無自覚だが、自分がいない間にその枠を埋めたかのように現れたキリトを。

 

 

 

 

 けれど、この2人はこれから、その在り方を認め合い支え合う────“親友”と呼べる関係になる。

 

 

 

 

 

 これが、後にお互いがお互いに憧れを抱くようになった、キリトとアキトの邂逅だった。

 

 

 

 







キリト (……白っ)←黒のロングコート

アキト (……黒っ)←白のロングコート


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羨望と嫉妬





憧れ、妬みは紙一重。







 

 

 

 

 キリトが《月夜の黒猫団》に加入してから、黒猫団は明らかに攻略速度を上げていた。

 

 アキトとテツオ、そしてキリト。前衛が増えればそれだけでパーティバランスは大幅に改善された。

 キリトは戦闘中はひたすら防御に徹し、スイッチで背後のメンバーと交代、モンスターへのトドメは彼らに任せる事によって経験値ボーナスを譲り続けた。

 そんな事を続けていくうちに、ケイタ達のレベルは凄まじい速度で上昇し、キリトがギルドに入って僅か一週間で、彼らがメインの狩場としていた場所とおさらばしたのだった。今はその場所よりも1フロア上の層でレベリングをしていた。

 それから暫くはそこで狩りをする事で、今まで戦ってこなかった敵との経験を積む事が、黒猫団の新しい課題だった。

 

 小さな一歩でも、それでも堅実に進む。仲間の命が第一だと言う、ケイタの言葉は、アキトにとってとても輝いて見えた。

 だからこそ、アキト自身も周りに置いてかれないように、レベル上げを怠らない。この手のジャンルのゲームに疎いアキトは、他のみんなよりもレベルを上げ、多く知識を身に付ける事で漸く対等になれると思っていた。

 そうすれば役に立てる。みんなの目標に近付けるかもと、そう思っていた。

 

 けれど、自分よりも強くて冷静で、その役に適任なプレイヤーが、新しくギルドに入って来た。

 キリトが入ってからというもの、アキトの一人行動は変わらなかったが、黒猫団での狩りを怠る事がめっきり少なくなった。いきなり入って来たキリトに対して、何か思うところがあったのかもしれない。

 だがアキトの目から見て、キリトはとても戦い慣れをしていた。敵対するモンスターの動きを完全に把握しており、攻撃は全て受け流せていた。

 仲間のフォローも素晴らしく、その姿はまさしく、アキトが目指していたものだった。

 自身と正反対の色を身に纏う片手剣使いの少年。何処か自分に似た雰囲気を感じさせる。けど、似ているというだけで、きっと自分とキリトは全く違う。名前に関しては同じだけれど、何もかもが違った。

 

 キリトは黒猫団のみんなを考えて、周りを気にかけて、そうして前でみんなを守るべく立っている。

 そんな姿が、アキトにとっての理想と重なって見えたのだ。

 それを口にはしなかったが、みんなを守る為に必要なもの、アキトに足りないものを、キリトは全て持っている気がした。だからこそ羨望だけじゃない。僅かに嫉妬さえしていた。

 自分のいない間にキリトは自分の居場所に入り込んだように見えた。みんなは、自分よりもキリトに声を掛けている気さえした。

 

 

 自分が思う憧れの姿に、キリトが重なって見えたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「────っ!」

 

 

 刀を横に振り抜き、その場の敵を一掃。四散するポリゴン片を風圧で吹き飛ばし、そこから前に足を踏み込む。

 目の前のゴーレム型のモンスターの懐に入り込んだアキトは、寝かせた刃で一気に斬り上げる。眩い光が刀を覆い、ゴーレムのHPと共にその身体を消滅させる。ガラスが割れるような音だけが迷宮区にこだました。

 辺りをひと通り見渡し、モンスターの気配が近くに感じない事を確認すると、休憩がてら安全エリアへとその足を進める。

 すぐに辿り着いたその場所に腰を下ろし、ポーションを飲み干す。表情は特別暗くはないが、その顔は疲労が見えるものだった。

 

 黒猫団での集団レベリングは終わり、みんなが宿屋で寝静まる頃合い、その深夜帯にアキトは一人で迷宮区に潜っていた。

 しかしその階層は、今日メンバー達とレベリングした場所よりも何層も上だった。

 それは明らかに、アキトが他の黒猫団よりも先行しているという事実に繋がっていた。そして、彼らはアキトが深夜にソロでレベリングしている事には気付いていない。まさか就寝時間後に起きて動いているなどとは想像していないだろう。

 こんな深夜にレベリングをしているという事実だけ見れば、みんなを出し抜いているように見えなくも無いが、アキトは違った。

 

 この一人での行動は、黒猫団を守る為に強くなると決めたアキトの意思表明だった。

 

 アキトは黒猫団の誰よりも自分が劣っていると思っている。この手のゲームは初めてな上デスゲーム、右も左も分からなかったアキトに手を差し伸べられる程に余裕のあった黒猫団のみんなとは天と地程の差があると認識していた。

 だからこそ知識を身に付け、黒猫団の誰よりも強くなる。みんなの危機を極力減らす、それだけの為のレベリングだったのだ。いつかみんなで来る場所に予め来て情報と知識を得る。危険な事が起きても、対処出来るだけの強さを身に付ける。

 

 これが、黒猫団のみんなに出来る、唯一の恩返しだと思った。

 

 手に入れたアイテムや装備はそれとなくメンバーに配分した。勿論、武器のレベルと実力に差が出来てしまったらそれこそ本末転倒なので、狩りの際は浮き足立たないよう告げ、新しく装備しての初レベリングは必ず同行した。

 そうしてまで、アキトは黒猫団を大切に思っていたし、だからこそ彼らの攻略組参加の目標を誰よりも叶えたかった。

 けれど一番はきっと、黒猫団の心の強さに対する劣等感が大きかった。彼らに認められる自分になりたかったのだ。レベルを上げて、強くなれば、大切なものを守る事が出来る。そうすれば、仲間だと認められるし、仲間だと思う事が出来るから。

 

 だがこの一人行動は、アキトが仲間という自分にとって未知な存在を持て余した結果でもあった。勝手が分からないとでも言えば良いだろうか。

 初めて長く続いた他人との関係に、戸惑いや困惑を抱かずに居られなかった。手に入れてしまったら、もう引き返せない。

 彼らがいない生活は有り得ないと思いつつ、生まれて初めての仲間達への接し方が分からない。

 故に一人の時間を作っているというのもソロプレイの理由の一つ。つまりは、怯えていたのだ。

 付き合い方、話し掛け方、接し方。言い方は色々あるけれど、大事なものが壊れないように、壊さないようにと必死になってしまう想いがあった。そう、ソロプレイはその方法が分かるまでの先延ばしとも言える。逃げ道とも言える。

 

 だけど、逃げ出したくもなった。

 自分の目標が、目指すべき理想に近しいものが、人の形をして黒猫団の前に現れたのだから。

 キリトが来てからというもの、黒猫団全員でのレベリングは欠かさず出るようにしていた。キリトという要素が入った事により、彼の実力を知らないアキトにとって言えば、キリトは不安存在だった。

 けれど、彼の戦う姿を見て思った。そんな考えは失礼極まりなくて、寧ろ不安要素は変わらず自分だったという事を。

 黒猫団のみんなよりもレベルが高くなりつつあるアキトだからこそ分かる。黒猫団が対峙するモンスターの殆どをきっと、キリトは既に知り尽くしている。剣を握る強さ、対処の正確さ、瞳の動き、声音。そういった情報を備に観察してしまうアキトは、彼が黒猫団のメンバー達との戦闘時においては一切慌てていない事実を示していた。彼は率先してモンスターを倒す事はせず、敢えて他のメンバーに倒させ経験値ボーナスを得る手段を取っていた。

 

 リソースの奪い合いであるこのゲームでそんな行動を何度も行える理由。それは、自分が倒してもそれほど経験値が上がらない──つまり、黒猫団のメンバー達よりもレベルが高いという事だ。

 きっと、現黒猫団の中で一番の高レベルであるアキトなど比較にならない。それをアキトが知る由もないが、だがそれ抜きでもかなわないと思ったのは確かだった。

 キリトのおかげでレベリングの効率が上がったのは事実。みんなそれが分かっていたから、キリトに感謝の気持ちを送っていた。その光景を遠目で見ていたアキトは、何とも言えぬ複雑な感情に襲われたのだ。

 自分がなろうとした未来の姿が、既に黒猫団にいて。自分という存在が、キリトに奪われたような気がした。彼らがどう思っているかなど、自分に関係ない。キリトはもう黒猫団の仲間なのだから、こんな風に感じてしまうのは間違いで、劣等感を勝手に抱いている自分が悪いのかもしれない。

 けれど、常々思ってしまうのだ。

 

 

 「……サチも、キリトくらい強い方が安心するのかな……」

 

 

 

 

 「──俺が何だって?」

 

 「っ!」

 

 

 アキトは咄嗟に背中の刀へ手を持っていく。すぐ後ろから気配を感じ、その場から距離を取る。

 だがその声の主の姿を捉えると、アキトは目を丸くした。

 

 

 「き、キリト……」

 

 「……なんか驚かしたみたいで、悪い」

 

 

 しかし、そこに居たのはアキトが先程まで脳裏で考えていたばかりの少年キリトだった。安堵の息を吐くと同時に、思わず目を逸らす。

 アキトのその反応に罪悪感を感じたのか、キリトは申し訳なさそうに謝罪した。

 だがキリトはそれよりも気になる事があるらしく、周りを見渡すと、アキトを真っ直ぐに見据える。

 

 

 「……どうして、ここに」

 

 「どうしてって……アキトを探しに来たんだよ。……ここ、いつもの狩場より上の層じゃないか。一人で行動する事が多いってケイタ達から聞いてたけど、いつもこんな上でレベリングしてるのか?」

 

 「……まあ、うん」

 

 

 黒猫団のみんなにすら隠していた深夜帯のレベリング。よりにもよってキリトにバレてしまうとは。

 アキトはこちらを見つめるキリトの視線に耐えかね、思わずあさっての方向へと目が動く。そのまま視線の先に続く道を見据えていたが、それに気付いたキリトが前もって忠告する。

 

 

 「そこからはソロだと危ないぞ」

 

 「え……?」

 

 「ここの迷宮区は1体で行動してるゴーレムが多いけど、このまま進むと集団でのゴーレムがいるんだ。ソロでは厳しいと思う」

 

 「……僕らとレベルはあまり変わらないって聞いたけど、随分と上層の事まで知ってるんだね。それもソロの君が」

 

 「っ……情報は、大事だろ」

 

 「……まあ、そうだけど」

 

 

 キリトにそう詰め寄る自分に嫌気がさした。これは八つ当たりだと、アキトは自分を責める。言葉に詰まっていたキリトの戸惑った顔を見て、自然とアキトはその視線を下に向けた。

 

 ────何してるんだ、キリトは悪くないじゃないか。彼は態々僕に情報をくれたんだぞ。感謝こそすれ責めるのはお門違いだ。

 

 キリトの装備がレアなものだというのはひと目見て分かっていた。上層に行き、知識を得れば、それだけ装備の善し悪しが分かるようになっていた。だからこそ、キリトが自分よりも高いレベルなのかもしれないとは初めて会った時から少なからず感じていたのだ。

 けれどキリトは何も言わない。だからこそ不信感があったのだが、ここ数週間のキリトの黒猫団に対する行為を備に見てきた結果、キリトはただ優しくて強い、アキト自身の目標そのものだった。

 いつまでも凝りを抱えているのはアキトの方だった。近くにいれば、それだけ彼に憧れてしまいそうで。

 

 アキトは刀を鞘に仕舞い、そのままキリトに背を向ける。取り敢えず劣っていると感じさせるその対象人物が目の前にいる事実をどうにかしたかった。

 背を向けた彼を見たキリトは、慌ててその背に声を掛けた。

 

 

 「お、おい……?」

 

 「教えてくれてありがとう。もうちょっとしたら帰るから」

 

 「待ってくれ。どうして君は、一人でこんな事をしてるんだ?」

 

 

 躊躇いがちに問うたキリトの声は震えて聞こえた。その質問の奥に、何か別の意味を含んだように、アキトには聞こえた。それが何かは、 知る事が出来なかったが、彼の質問に対する純粋な答えは、これに限った。

 

 

 「……強く、なりたいんだよ」

 

 「……俺達はギルドなんだから、一人で攻略するよりみんなでやった方がずっと効率は良いはずだ」

 

 

 そんな事、本当はキリトが言える立場ではなかった。だが、そんな事はアキト自身知る由もなく、キリトの言い分は最もに聞こえた。

 自分一人だけレベルが上がっても、それが黒猫団のメリットに繋がるとは限らない。寧ろ、アキトが強くなる事で、パーティメンバー自身の強さを過信させてしまう可能性だってある。

 それは分かっていた。けれど────

 

 

 「みんなで一緒に強くなるんじゃ……意味無いんだよ。それじゃあ、僕はいつまで経っても……」

 

 「……アキト……?」

 

 

 アキトの声音に僅かな焦り。それを感じ取ったキリトは、不安げに彼の名を呼ぶ。

 その二人の距離は遠からず、けど近くもない。これが今の、キリトとアキトの心の距離だったのかもしれない。

 

 

 

 

 「うわああああぁぁぁああ!!」

 

 

 「っ……!」

 

 「な、何だ……!?」

 

 

 突如、男性の悲鳴が耳を劈く。アキトとキリトは身体が強張るのを感じた。その只事では無いような様子と、剣の削られる音が前方で聞こえる。

 その中聞き取れるのは、男性だけでなく女性の声。襲われているのは複数だと理解した。

 アキトは考えるよりも先に、足が動いていた。

 

 

 「お、おい、アキト!」

 

 

 アキトの突然の行動に、キリトは慌てて呼び掛ける。答える事無く声の聞こえた方へと走る白いコートに向かって、キリトは後から追い掛けた。

 ここから先はゴーレムが大量に発生するエリアだと、先程言ったばかりにも関わらず、アキトは無我夢中でキリトの前を走っていた。アキトよりもレベルの高いキリトは、その敏捷性により段々とアキトに追い付き、走りながらもふとその横顔を見る。

 彼の目には焦りと恐怖、それらが綯い交ぜになった感情が渦巻いているように見えた。

 

 

 やがてひらけた場所に出ると、その声の主がいるフィールドだった。

 呼吸を整える間も無くそこを見やると、そこにはキリトの言う通り、ゴーレムの集団に囲まれたプレイヤー達がいた。

 男性と女性それぞれ三人ので編成された六人パーティで、それぞれ固まる訳でも無く散り散りでゴーレム達とやり合っていた。

 あれじゃあ誰もが一人でゴーレムと相対しているようなものだと、キリトは歯噛みする。

 

 

 「……?」

 

 

 しかし、剣を構えたキリトは、そんな彼らに焦点を合わせて一瞬だけ固まった。

 彼らをよく見ると、どうやら彼らはNPCのようだった。誰もが恐怖の色をその顔に滲ませながら、モンスターと戦っている。

 そしてそのNPCの中で一人だけ、本物のプレイヤーがいた。片手剣を手にした、赤髪の少女。

 何かのクエストだろうか、邪魔してはいけないのではと、思考がそちらへ働き、剣を引き抜く行動が止まった。

 

 

 だが、アキトは違った。

 

 

 「せあっ!」

 

 

 その黒刀を鞘から取り出し、その赤髪の少女の背後から迫るゴーレムを斬り飛ばした。斬属性の攻撃はゴーレムに強力なダメージを与える事は無かったが、目の前の彼女を助ける事は出来たはずだ。

 

 

 「大丈夫!?」

 

 「ぁ……」

 

 

 アキトが見下ろしたそこには、戦闘の疲労とそこから連想する死への絶望で挫けそうになっていた少女が、瞳に涙を溜めながらこちらを見上げていた。

 その表情と涙に、アキトは既視感を覚えた。まるで、怖いのを必死に我慢している、あの時のサチのようで────

 

 

 「っ……危ない!」

 

 「きゃあっ!」

 

 

 今度は別方向からゴーレムの腕が襲って来た。アキトはすぐさま身を翻し、少女を抱き込み背中を向ける。

 ゴーレムの強力な一撃は、少女を守ろうと盾になったアキトの背中に刻まれた。

 

 

 「ぐあっ……!」

 

 「ぇ……!? な……」

 

 

 HPが確実に減少している事実と、背中に与えられた不快感がアキトの顔を歪ませる。

 自身を庇ったアキトの事を見て、その赤髪の少女は僅かに声が震えていた。

 

 

 そんなアキトの行動を見て、キリトの身体を僅かに震えた。その瞳が揺れ、彼の行動に困惑する。

 だけど、目の前でギルドのメンバーが殺されるのを、キリトは黙って見ていられなかった。

 

 

 「っ……はあああぁぁっ!」

 

 

 片手剣斜め切り《スラント》が、アキト達に再び迫るゴーレムの顔を吹き飛ばす。その筋力値にものを言わせた一撃が、ゴーレムを四散させる。

 

 

 「アキト、大丈夫か!?」

 

 「キリト……」

 

 

 自分を助けてくれたキリトの姿を思わず見てしまう。

 自分が情けなくなるくらいに格好の良いその立ち姿に思わず固まった。

 キリトはアキトに近付き、剣を周りに向けながら口を開いた。

 

 

 「ゴーレムに襲われている彼らはNPCだ。多分、彼女のクエストなんだと思う」

 

 

 キリトは未だアキトの腕の中にいる赤髪の少女を見下ろす。

 そう言われてアキトは周りで別々に戦っているプレイヤーを見渡した。よく見ると、確かに彼らはNPCだった。そして、自身が助けた目の前の少女だけが本物のプレイヤーだと確認出来た。

 

 

 「転移結晶は持ってる?」

 

 「ぇ……は、はい」

 

 

 少女は困惑気味ではあるが、小さく頷いた。

 アキトは自身も動揺しながらも、目の前の彼女に悟らせてはならないと、全力で己を律する。

 何より、すぐ近くで立っているこの黒の剣士に、なんとなく負けたくなかった。

 

 

 「キリト、彼女を逃がす時間を稼ぐの手伝って欲しい」

 

 「……言っとくけど、ここのゴーレム集団かなり面倒だぞ」

 

 「さっき聞いたよ」

 

 

 アキトは小さく笑って立ち上がる。

 少女は戸惑いながらもアキトを見上げていた。そんな彼女に対しても小さく笑ってみせる。大丈夫だと、そう思わせる。

 黒刀を構え、キリトと自身で少女を囲う。背中合わせに感じる互いの気配。周りにいるゴーレムを退けるのに、不足の無い仲間だと理解した。

 

 

 「まずはNPCの周りのゴーレムを退けてくれ!」

 

 「分かった!」

 

 

 キリトの指示で互いに飛び出す。

 アキトはすぐ近くにいた両手剣使いの男性NPCの目の前のゴーレムの顔を刃先で突き飛ばした。返す刀でそのNPCの横にいたゴーレムをソードスキルで薙ぎ払う。

 紅く煌めく刀身が、周りゴーレムを僅かではあるが確実に退けて、NPCと彼女の間に空間を作る。

 

 

 「しっ!」

 

 

 二人が合流するのを確認したキリトは、《ヴォーパル・ストライク》の突進力で一気に地面を駆け抜け、短剣を持った女性NPCと、曲刀を装備した男性NPCの間にいたゴーレム達を片付けた。

 その二人が合流した後、周りのゴーレムを《ホリゾンタル》で斬り付ける。筋力値が高いキリトの攻撃は、たとえ初期スキルだとしても絶大な威力を誇る。ゴーレムの何体かは一撃で四散した。

 

 

 「アキト、そっち行ったぞ!」

 

 「了解!」

 

 

 キリトが取り逃したゴーレムがアキトの背中に迫る。残りのNPC二人を合流させたアキトはその身を翻し、刀を両の手に持ちながら敵共を見据える。普段からは考えられないような冷たい視線が、ゴーレムを突き刺す。

 刀の単発範囲技《旋車》が、アキトを中心として円を描く。キリトが減らしたHPにより、アキトのソードスキルでゴーレムが吹き飛ぶ。

 既に何体ものゴーレムを倒しているにも関わらず、数が減った様子は無い。まるで、何かのトラップのようで、このままでは全滅も有り得る。

 キリトが危険だと言っていたのはこういう事だったのかと、アキトは焦りを隠せない。

 

 

 「キリト!」

 

 「分かってる!みんな転移結晶を使え!」

 

 

 キリトは集まった6人のパーティにそう呼び掛ける。その指示を理解した彼らは、各々転移結晶を取り出した。NPCのその賢さに関心するも束の間、その中で一人だけプレイヤーである赤髪の少女はその提案を飲めずにいた。

 

 

 「で、でも……!」

 

 「早く!」

 

 「っ……」

 

 

 アキトのその声に、少女は言葉を詰まらせるが、申し訳なさそうな表情を浮かべ、最終的にその転移結晶に行き先を告げていた。

 罪悪感を感じさせぬよう、アキトは最後、少女に笑ってみせた。少女はその瞳に涙を溜めながらも、目を見開いてこちらを見ていた。

 動揺でその瞳が揺れていた彼女に送る、精一杯の強がり。大丈夫、心配無いと、そう言葉を告げた。

 

 消えゆく彼女達のその姿を見届け、刀を斜に構える。

 ゴーレムの集団なんていう珍しい団体に、アキトは額に汗すらかいていた。

 思えば今まで、こんなモンスター達を相手にしていたのかと、今更身体が震えていた。こんな得体の知れない集団相手に人を助けに入った、その自分の無謀さに笑えてさえきていた。

 けれど、それを突破出来たのはきっと、後ろで片手剣を構えている、キリトのおかげ────

 

 

 「……キリト」

 

 「え?」

 

 「……ありがとね、僕の我儘に付き合ってくれて」

 

 

 キリトの忠告を聞かず、レベリングを続けようとして、そしてその先で出会った彼女達の救出の手伝いまでさせた。

 迷惑ばかりかけた自分に、キリトへの劣等感も相成って、不甲斐なさがアキトを襲う。

 けれど、そんなアキトの謝罪を驚きながら聞いていたキリトは、次第に口元を緩め、小さく笑っていた。

 

 

 「……いや」

 

 「……?」

 

 「君は正しい事をしたと思う。謝る事なんか何も無いよ」

 

 「……そっか」

 

 

 アキトはそう言って笑う。キリトは、そんな彼の背中を振り向きざまにチラリと見た。

 彼の行動に、キリトはなんとなく魅せられていたからだ。

 悲鳴に真っ先に駆け出し、顔も知らない相手に向かって、理由も無く助けに入るその姿勢。

 自分ではなく、他人の為に動いたアキトのその姿に、キリトは僅かに劣等感を感じていた。

 

 

(……けれど、今は……)

 

 

 キリトはアキトから目を離し、剣を構える。

 

 

(このゴーレム達をどうにかしなきゃ……)

 

 

 アキトは黒い刀身をした刀を周りを囲うゴーレムに突き付けた。

 助けるべき人達は助けた。後はこのゴーレムの集団を片付けるか、何処かのタイミングで離脱するだけ。

 互いがそれを理解し、頷いた。

 

 

 白いコートと、黒いコートが翻る。

 

 

 とある迷宮区の暗がりで、そんな二人の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 けれど、何故か二人は負ける気はしなかった。

 何故だか、背中を守ってくれる存在が彼なら、と互いがそう思っていた。

 二人が一緒なら、きっと今まで以上の力が出ると、そう思った。

 

 

 誰かが共に戦ってくれる事以上に、心強い事は無い。

 

 

 それをこのゴーレム達は、後に知る事になるだろう。

 

 

 

 








小ネタ 『キリト、初めて見る《剣技連携(スキルコネクト)》』


アキト 「────っ!」

刀三連撃技《緋扇》

コネクト・体術《閃打》

コネクト・刀二連撃《幻月》

コネクト・体術《衝破》


キリト 「なっ……え……!?」


キリト (何だ今の……あんなスキル見た事無いぞ……いや、刀スキルと体術スキルを交互に発動したのか……!? スキル硬直はどうなって……!?)

アキト 「っ!? キリト危ない!」

キリト 「え……ぐはぁ!」←ゴーレムの一撃!急所に当たった!

アキト 「キリト!?」



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『強がり』を『強さ』に






幼き日の理想は、今は無き夢幻。







 

 

 

 

 あれだけいたはずのゴーレム達を退けるのに、思ったよりの時間はかからなかった。

 互いに互いの隙を補うように行動した結果、効率良く的確に敵を倒す事が出来た。それは、今までに感じた事の無い程にスムーズに進んだ狩りであり、キリトもアキトも、互いの技量に驚くばかりだった。

 

 迷宮区での狩りは予定通りそこで切り上げ、アキトとキリトは深夜帯の誰もいない暗い街並みと右手に広い草原が渡る中、黒猫団が眠っているであろう宿屋に向かって歩いていた。

 並んで歩く二人の間には一定の距離があり、会話も無い。キリトが気不味さを感じつつも、なんとなくこのままでも良い気がして来た頃だった。

 アキトがウィンドウから何かを取り出し、キリトに向かって放ったのだ。

 

 

 「はい」

 

 「え……うおっ、と……」

 

 

 アキトによって無造作に投げられたそれを、慌てて受け取るキリト。

 両手で抱えたそれを見下ろすと、そこにあったのは現実世界で何度も見た事のあるものだった。

 パン生地の間に挟まれた野菜と肉の香りがキリトの鼻を刺激して、途端に空腹に見舞われた。

 目を見開いたキリトは、自然とその名を口にした。

 

 

 「これって……ハンバーガー……?」

 

 「うん」

 

 

 あっさりとそう答えたアキトは、自身のハンバーガーを口に入れた。

 キリトはそれをまじまじと見た後、再び手元のハンバーガーを見つめると、恐る恐る口に含む。

 

 

 「っ……美味い」

 

 「良かった」

 

 

 アキトは小さく笑うと、キリトより前へと出る。歩きながら食べていたら落としそうなので、逐一周りを気を付けながらお互いにハンバーガーを口に入れた。

 キリトは想像以上の美味しさに食べる速度が上がっていた。

 

 

 「料理スキル、持ってたんだな。知らなかったよ」

 

 「……特に、言ってなかったから」

 

 

 アキトはそう言ってあさっての方向へと顔を逸らす。まだ太陽すら昇らない東の空を見つめて、ポツリと呟いた。

 

 

 「……知らない事よりは、知ってる事が多い方が良い気がするし」

 

 

 それは、嫉妬するばかりだったキリトに対して、アキトが感じた事だった。自分を助けてくれたあの姿、求めていた理想の形が、届くかどうかも分からない目標として明確に自身の前に現れた。

 そんな彼に自分がすべき事、出来る事、それは少ないかもしれないから。

 だが、予想以上にキリトは食い付いた。

 

 

 「じ、じゃあさ、あの技について教えてくれよ」

 

 「え……技?」

 

 「ほら、あれだよ……刀スキルと体術スキルをスキルの硬直無しで連続して使ってたじゃないか。どうなってるんだ?」

 

 

 興奮冷めやらぬ感じで迫るキリトに、アキトは唖然とする。

 彼が言っているのは、先程赤髪の少女を助けた後のゴーレム達との戦いでアキトがみせた技の事だった。

 後に《剣技連携(スキルコネクト)》と称されるシステムを度外視したスキル、完全なプレイヤースキルだった。

 一見すれば、連撃数の多い未知のソードスキルに見えるだろう。だがキリトは、あれが刀と体術スキルの複合である事を既に見抜いていたのだ。

 アキトは戸惑いながらも、キリトのその興味津々な態度に、苦笑しながら説明した。

 

 

 「どうって……キリトが今言った通りだよ。刀スキルと体術スキルを無理矢理繋げる事で、その間の硬直をキャンセル出来るんだ。SAOのシステムやスキルとは関係無いよ」

 

 「……って事は、正真正銘アキトが編み出した技って事か……」

 

 「そ、そんな大層なものじゃないよ。出来たのは偶然だったし……」

 

 

 そう、出来たのはほんの偶然。

 このソロでのレベリングを始めた頃まで遡る。初心者の癖にそんな危険な事をしたツケが割と早い段階で回ってきたのだ。分かり易くいうと、迷宮区でゴブリンの軍勢に襲われたのだ。

 当時曲刀を使っていたアキトは、360度見渡す限りにゴブリンがいる状況に、恐怖どころか絶望感すら覚えていた。

 迫り来るゴブリン達を薙ぎ払いながら逃げようとする中で、鍔迫り合いになったアキトの背中を狙ったゴブリンがいたのだ。相対していたゴブリンをソードスキルで吹き飛ばしてしまったのが運の尽きで、硬直のせいで恐らく背中のゴブリンの攻撃は避けられない、という状況だった。

 その時、無我夢中で身体を動かそうとしたアキトに答えるように、体術スキル《閃打》が発動、左手はしなやかにゴブリンの顎を砕き、後方まで吹き飛ばしたのだった。

 なんて事は無い、これが出来たのは自身の身の程を弁えなかったアキトが偶然生み出したものだったのだ。

 

 それを聞いたキリトの顔には同情の色が見えたが、やがて腕を組むと考えるように唸った。

 

 

 「……そうだったのか。けど、硬直が無いっていうのはかなりの強みだよ。いや待て、それを使えるようになれば無限にスキルが打てるって事か……!」

 

 「えっ、いや、どうだろ……やった事無いよそんなの……」

 

 

 キリトの空回りそうなやる気の程にアキトは頬を掻く。けれど、自分が身に付けた技術にここまでの反応を貰えるとなんとなく嬉しかった。

 

 

 「でも、凄いな」

 

 「え?」

 

 「さっきの戦闘でそれを使ったって事はさ、偶然で生まれたものを使えるようにしたって事だろ?」

 

 

 確かにそうかもしれない。

 たった一度だけなら、何かの偶然やバグの可能性だって視野に入れたはずだ。けどアキトが初めてそれを発動させた時、もしかしたらと思ったのだ。

 もし偶然なんかじゃなかったら、と。そんな浅はかで小さな欲が、努力の末に使えるようになった。

 どうして、そんな事が出来たのかと問われれば。きっとそれは、現実世界にいた頃の自分とは決定的に違う存在が出来たからだと、そう答えられる気がする。

 

 

 「……出来る事はさ、何でもやりたかったんだ」

 

 

 自分が、拾ってくれた黒猫団に出来る精一杯の事を。

 前衛を頼まれれば引き受けたし、狩りに誘われれば必ず手伝った。手に入れた装備は分配したし、ギルドホームを買いたいという意思を知った日から資金集めも始めた。

 重いと言われても構わなかった。彼らの力になりたかったから。

 だからこそアキトは、この硬直無しでスキルを放てる技術がものに出来たのなら、きっとみんなの助けになると思ったのだ。硬直で動けない間に誰かが殺されたりしたら、そんな些細な不安ですら彼らに感じさせたくなかったから。

 小さな事だっていい。初めて手にしたものだからこそ、今後手に入るか分からないその大切なものを、手放したくなかったから。

 

 

 「……アキト」

 

 

 キリトはそんな彼の言葉を聞いて、その足を止めた。

 不思議に思って振り返ったアキトの瞳に映るのは、意を決したような表情のキリトだった。

 

 

 「……今日、一緒に戦ってさ……アキトがそうまでして強くなりたい理由が分かった気がするよ」

 

 

 アキトは何も言わずにキリトを見る。同じくらいの年齢で、同じくらいの身長のその少年は、ただ悟ったように、アキトを見ていた。

 

 

 「君は、誰かの為に強くなりたいんだな」

 

 「……誰かっていうか……黒猫団のみんなかな」

 

 

 アキトはそう言っているが、キリトには分かってしまっていた。

 彼がしている行為、ソロでのレベリングの目的が、自分と全く違っていたという事を。それは先程、赤髪の少女を即座に助けに走ったアキトの姿が物語っていた。

 自分よりも他人の為に、それも顔も知らない彼女に向かって真っ先に駆け出したあの行動力。キリトはそれを見て唖然とした。

 まるで、自分の命の危機よりも彼女が大切だと言わんばかり。キリトは驚きで心が揺れた。誰かの為に動ける、彼の存在に確かに困惑したのだ。

 

 その心根が、その意志が、自分とは何もかもが違っていたから。

 

 攻略組を攻略組足らしめているモチベーションは、数千人のプレイヤーの頂点に立つ最強の剣士で有りたい、有り続けたいと願う執着心自体だ。

 トッププレイヤー達が、手に入れた情報とアイテムを中層プレイヤーに提供しないのがその証拠だ。それが成されるだけでプレイヤー全体のレベルが底上げされ、攻略組の戦力も増加するというのに。要は、誰しも常に自分が最強でいたいのだ。

 キリトも例外ではなかった。黒猫団に入った後も、深夜になると宿屋を抜け出し、最前線に移動してソロでレベル上げを続けていたのだ。今回は、アキトが《圏外》にいる事を知った為、アキトがいるその層に足を踏み入れた訳だが。

 もしかしたらアキトも、自分と同じなのかもしれないと、そう思ったから。

 アキトも深夜にこうしてレベリングしているのを見て、キリトは思ってしまったのだ。

 

 彼は黒猫団を出し抜いて、こうしてレベリングしているのではないか、と。

 そう考えてしまったキリトは、アキトに対して苛立ちを感じてしまっていた。黒猫団のような雰囲気のギルドなんて、きっと何処にも無い。アキトのしている行為は、ギルドに入っている以上は裏切り行為に等しかった。

 それはキリトに言えた事じゃない。だから、これは同族嫌悪だったのだ。

 

 だがアキトは、そんな理由でレベルを上げている訳ではなかった。

 彼が強くなる理由は、決して最強になりたい、そんな独り善がりなものではなかったのだ。それは、あの時の行動で感じ取れた。

 

 

 「……どうしてそこまでするんだ?」

 

 「……初めての仲間だから、勝手が分からないのかな。でも、大切にしたいって思ったから……」

 

 

 アキトは遠くを見つめるように、その暗く広がった空を見上げて目を細めた。懐かしむように、笑って口を開いた。

 

 

 「黒猫団のみんなと出会ったのは、ゲーム開始時の《はじまりの街》だったんだ。あの時、顔も名前も知らなかった僕達の間には、信頼関係なんてあるはずが無かった。なのにみんなは僕にとても良くしてくれて……その反面、どうして僕を誘ってくれたのかが、怖くて聞けなかった」

 

 「……そう、なのか」

 

 「みんなの目標は“攻略組への参加”。だけど、決して焦ったりしない。情報収集は欠かさないし、着実にレベルを上げて、何より仲間の安全が第一。足でまといもいい所だった僕なんかに……右も左も分からない僕なんかに、みんなは一生懸命教えてくれてさ」

 

 

 入った当初は、全く信用出来なかった。

 こんな臆病な自分をパーティに入れる目的が分からなかったから。いざ逃げる為の囮なのかと考えた方が納得出来た。それなのに彼らはそんな素振りなど一切見せない。

 いつしか、本当に仲間なんだと、そう思わせてくれたのだ。現実世界で孤独だった自分に、その大切さを教えてくれた。

 

 

 「だから思ったんだ。何も知らない僕をみんなが引っ張ってくれたように、僕も、みんなを引っ張れたら……は烏滸がましいかな……みんなを助けられたらって」

 

 「……」

 

 

 キリトは、頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。アキトという少年の強さの渇望には、自分と違う、それでいて眩しい理由があったから。

 

 彼が黒猫団のみんなより強くなろうとしたのは、彼らと対等になろうとしたから。彼らがアキトに尽くしてくれたように、アキト自身もみんなの力になりたかったのだ。

 初対面であるにも関わらず、知らない人間をパーティに引き入れてくれた彼らは、明らかに優しく、そして強い。だからこそ、アキトも誰かに手を差し伸べる事が出来る彼らのような強さを身に付けて、いつか黒猫団の力になりたかったのだ。

 いつかみんながレベリングするであろうフィールドに先行して知識を身に付ける事で危険を減らし、たとえ高レベルのモンスターに囲まれたとしても、みんなを守ってあげられるように。

 そんな些細な危険でさえ、自分が守れるように。そんな、自己犠牲にも似た欲望が、アキトの行動原理になっていたのだ。

 

 このデスゲームで。死が現実となるこの世界で。

 自分の命が、死にたくないと願うその行動原理が、この世界で生きていく中で何よりも大切だったはずなのに。

 

 

 どうして。

 どうして、そんな事が出来る────?

 

 

 「っ……」

 

 

 キリトには、かつての光景が脳裏に張り付いていた。ゲーム開始時、クラインを置いていった自分の惨めな姿が。自分一人が強くなろうとした行動全てが。誰よりも強く、何よりも自身の命。

 そんな自身の浅ましい姿は、目の前の少年とは明らかに違っていて。

 

 

 ────そうか。

 

 

 キリトは、アキトの事を褒めちぎっていた黒猫団のみんなを思い出していた。何故、彼らはアキトの自由行動を認めているのか。

 それはひとえに、アキトが黒猫団のみんなの事を誰よりも考えて、自分なりにみんなを助けようと奮闘し、彼らに近付こうとアキトが努力している姿を知っているからだ。

 アキトの人付き合いが苦手で、自分達と距離を置いているように見えるその裏側で、彼がみんなを守れるように、力になれるようにと考えてくれているから。

 だから彼らはこうも温かく、キリトは羨ましく思えたのだ。

 

 

 もし、あんな彼らの視線が、アキトに対する感情が。

 自分にも当てられたなら。

 

 

 自分も、アキトのようになれたのなら。

 

 

 「……君は……凄い、奴なんだな……」

 

 「えっ……な、何、急に……」

 

 

 キリトの俯きがちに告げる言葉に、しどろもどろなアキト。照れ臭そうに目を逸らす彼の目の前で、キリトは拳を握った。

 他人の為に自身をすり減らせる彼が、黒猫団のみんなに取ってかけがえのない存在であるアキトが、とても羨ましかった。

 

 羨望だけじゃない。これは嫉妬だ。

 自分に出来なかった事が、アキトに出来るという事実。自分には無い力を持っているアキトに、キリトは悔しさを感じていた。

 そしてその奥底、根底にあったのは、確かな憧れ。

 

 

 自分も、アキトのようになれたなら────

 

 

 

 

 「……俺も」

 

 「……え?」

 

 「……俺も、君達を守れるくらいに、強くなるよ」

 

 

 キリトは面と向かって、アキトにそう告げた。アキト自身は目を丸くしてそれを見ていたが、キリトは真剣だった。

 

 《月夜の黒猫団》

 

 キリト自身の居場所にもなった優しい空間。守りたいと思ったのはアキトだけじゃない、自分もなのだ。

 そしてこれは、キリトのアキトに対するライバル宣言のようなものだったのかもしれない。

 お前には負けないぞと、そんな子どものような感情だったのかもしれない。

 けれど、アキトは驚いた表情を見せた後、すぐに柔らかく笑った。半ば挑戦的に口元を緩め、キリトを真っ直ぐに見据えた。

 

 

 「僕も、キリトに頼って貰えるように頑張るよ」

 

 「っ……アキト……」

 

 

 キリトのその態度にも、アキトは優しく笑うだけだった。けれど、その言葉には確かな意志が込められ、目標として掲げられていた。

 キリトは知らないが、アキトこそ、キリトに憧れていたのだ。先程少女を助ける為にゴーレムと共に戦った時から感じていた。自分をゴーレムの攻撃から守ってくれた。ゴーレムを倒す強さ、反応速度。それらはアキトがなりたいと感じる存在に必要なものだったから。

 目の前で自分を助けてくれた彼は、まさにヒーローのようで。

 アキトは、キリトに僅かに嫉妬していた。

 

 だからこそ、そんなキリトに頼って貰えるような自分になれたら、ときっと心ではそう思ったのだ。

 それは今はまだ不可能かもしれない。ただの強がりかもしれない。

 けれど────

 

 

 「今はまだ『強がり』だけど、いつかは『強さ』に変えてみせるから」

 

 

 アキトはキリトに、そう言葉を紡いだ。キリトは何も言わずに、アキトを見つめていた。自分とは対称的な白いコート。蒼い透き通る瞳が、キリトを見据えていた。

 そんな彼の言葉に、キリトはまた、想いが募る。

 あれだけ戦えるようになっても尚、彼は強くなりたいと願う。

 強さを求めるのは、いつだって誰かの為。

 自分の事しか考えて来なかったキリトにとって、その時のアキトはとても眩しく、遠い存在に見えた。

 

 キリトは、誰かの為に強くなろうとするヒーローのようなアキトに憧れを抱いた。自分に出来なかった事をする彼に、嫉妬を覚えた。

 

 アキトは、誰かを簡単に助けられる程に強い、ヒーローのようなキリトに憧れた。自分のなりたかった存在として、自分よりも先に黒猫団の前に現れた彼に、嫉妬を覚えた。

 けれど同時に、安心したのだ。自分が強くなるまでに、黒猫団の事をキリトが守ってくれる。そして、自分も強くなれば、二人で黒猫団を支えていけると思ったから。

 そしていつしか、キリトにも頼って貰えるような存在になりたいと思った。

 

 

 これは、互いに惹かれ、互いに憧れた二人の剣士の。

 互いに互いを目指した、そんな物語。

 

 

 けれど、終わりは確実に近付き始めていて。

 

 

 雪が降るのは、もうあと少し。

 

 

 








アキト 「……さっきの彼女、ちゃんと帰れたかな」

キリト 「街の名前で転移結晶使ってたから、大丈夫だと思うよ」

アキト 「……それなら、良かった」

キリト 「ああ、そうだな……」

アキト 「うん……」

キリト 「……」

アキト「……」

キリト 「…………」

アキト 「…………」


キリト・アキト (か、会話が続かない……!)




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好きな色、嫌いな色





白は好き。何色にも変われるから。
それは、何者にもなれる可能性を秘めた、なりたい色になれると、そんな気持ちを起こさせてくれるから。

黒は嫌い。暗い、拒絶の色だから。
何色にも染まれない、変わらない。そんな事は不可能だと、突き付けてくる気がするから。






 

 

 

 

 

 時間が過ぎるのは、とても早く感じる。

 楽しければ、幸せな時間なら、それは尚更。

 

 

 

 

 「スイッチ!」

 

 「テツオ!」

 

 「おう!」

 

 

 キリトがリザードマンの剣を弾き、アキトがテツオに声を掛けた。テツオもするべき行動を理解しており、すぐさま敵の懐に飛び込む。

 残り僅かとなったHPを、一撃で削り取る。肉が抉られる音と同時に、硝子が割れるような音がモンスターの四散と共に鳴り響いた。

 同時に、レベルアップのファンファーレが鳴り響き、テツオは嬉しそうにガッツポーズを作る。そこにケイタ達が集まって、自分の事のように喜び、祝福し合った。

 レベルが上がったテツオの肩に腕を回したダッカーが、グリグリと彼の頭に拳を捩じ込む。そんな茶化し合いを、サチ達は笑って見ている。キリトもその輪に近付いて、彼らとハイタッチを交わしていたのを、アキトは目を細めて見つめていた。

 

 こうして全員で健闘を称え合う彼らの姿を、もう何度と見て来た。だが、何度見ても飽きる事は無く、何度見ても色褪せる事は無く、何度見ても眩しく見えた。

 それをほんの少しだけ距離を空けて眺めていたアキトは、自分が手に持つ黒い刀を見下ろした。その感触を確かめるように、強く握る。

 

 

 「アキト、お疲れ様」

 

 「っ……うん、お疲れ」

 

 

 気が付けば、一通り喜び終えたケイタ達が、揃ってアキトの方を向いていた。アキトは慌てて刀から視線を離す。

 そのアキトの妙な間に、キリトとサチだけは少しばかり違和感を感じていたが、それを指摘する前にケイタ達がアキトの前へと踏み寄った。

 

 

 「ここでも随分安定した狩りが出来るようになったなあ」

 

 「もうそろそろ狩場変えても良いかもな」

 

 「……油断はしないようにね。防具は新調したばかりなんだから、慣れるまではまだここでやるよ」

 

 

 楽観的な発言にピシャリと正論をぶつけるアキト。正論なだけに何も言えない彼らは、『お、おう……』と空虚な発言を音にするだけ。

 ケイタはそんなやり取りを見て小さく笑った。

 

 

 「……けど、確かにそうだよな。装備ばかり整って実力が伴わないようじゃ上に行っても危険だし、アキトは正しいと思う」

 

 「アキトってば心配性だな〜。ま、俺達の事大好きだもんな〜?」

 

 「っ、や、ちょ、違っ……」

 

 「照れんなって〜」

 

 

 ダッカーに小突かれながら、アキトは顔を赤くする。彼の発言が図星なのだと、その表情が言っていた。それが面白くて、嬉しくて、黒猫団のみんなは互いに声を上げて笑い合う。

 キリトが入ってからというもの、《月夜の黒猫団》はかなりの速度でレベルを上げていた。キリトがサポートに徹して、アキトが数少ない前衛の役割を十二分に発揮しているおかげで、他のメンバーがモンスターを倒す事が出来ていた。チームとしての平均レベルは恐らく彼らの実力以上に上がっており、それは攻略の中では過信に繋がる恐れもある。

 アキトがその度に慢心は駄目だと注意を促しては初心に戻し、情報収集は大事だと理解させる。レベルが上がったのと、それで実力がついたかどうかはイコールでは無いからだ。

 

 

 「……」

 

 

 強くなる──その度に彼らの心に自信が根付く。その度に、慎重に着実に、そうして強くなろうとしていた彼らが変わって来ている事を実感する。

 そして、それが本当に良い事なのかどうか、アキトには分からなかった。

 レベルが上がって、士気が高まって、いつか攻略組に参加するようになって。もしそうなった時、自分は。黒猫団のみんなは、何か変わってしまっているだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 みんなでのレベリングが終わった夕暮れ前、アキトは一人街中を歩いていた。黒猫団が根城にしている《タフト》の街はまだ太陽が沈み始めるより少しだけ明るく、同じようにここを拠点としているプレイヤー達の幾つかはまだ攻略から帰って来ていないのか、いつもよりも街は騒がしくは無かった。

 それでもNPCやプレイヤー達は少ない訳では無く、出店で出されている簡単な食べ物を購入しては口に頬張ったり、喫茶店のテラスで笑い合ったりしていた。

 

 黒猫団のレベリングはいつも一定の時間帯に終わらせるようにしている。サイクルを崩す事無く続けて行うのが、実は一番効率の良いやり方なのではないかと思う。黒猫団のみんなはそれに賛成で、何度か休憩を挟むも、開始時刻と終了時刻は決まって同じ時間だった。

 そこからは自由時間ではあるが、夜になれば彼らは示し合わせたかのように、いつも一緒に夕飯を食べる。それが決まりという訳では無く、だが誰もが、みんなでご飯を食べたいと思っているのかもしれない。

 何より辺りが暗くなる前に終わらせるのが常なので、こうして早めに切り上げては、いつもよりは若干寂しい街を歩く事しかする事が無かった。

 みんなで攻略に行った矢先に一人でレベリングしに街に出れば、それこそ黒猫団のみんなに悟られる可能性だってある。

 みんなに追い付く為、夢を叶える手助けをする為、そうしたレベルを上げている理由を話さなければならないのはとても恥ずかしい。

 

 

 「……はぁ」

 

 

 アキトは変わらず白いコートを翻し、小さく息を吐いた。思い返すは、先程の戦闘の記憶。いや、それ以前から感じていた違和感というか戦い難さだ。

 具体的に言うと、後に《剣技連携(スキルコネクト)》と呼ばれるアキトの技術、それについての悩みだった。

 偶然の産物だった《剣技連携(スキルコネクト)》は本来、片手で発動出来るスキルを交互に放ち、ディレイ無しで連続攻撃出来る事が強みなのだ。勿論、足を使って発動出来るスキルもあるが。

 だがアキトの現在の主武装は刀。刀のソードスキルの殆どは、両手で刀を構える事で発動する為、繋げる事が出来るソードスキルが少ない。要は、戦術の幅が狭くなってしまうのだ。

 強くなりたい──その一心でこれまでレベリングして来たアキトが高いのはレベルだけで、能力的にはまだ色々と問題があった。だからこそ他人とは違う能力が強みになると思っていたのだが、それすらも使いこなせないとなると少しばかり危機感を覚える。

 

 

(武器、転向した方が良いんだろうか……)

 

 

 片手剣や、以前使っていた曲刀、短剣や片手棍など、選択の幅は広い。しかし今から武器を変更するというのも中々にリスキーだと言わざるを得ない。

 全く知らない武器を手に攻略するには、熟練度も経験も足りな過ぎる。サチも盾持ち片手剣士への転向に四苦八苦しているのだ。サチを前衛にする話は一先ず保留にはなっているが、時間の問題だろう。

 ならば、今別の武器にするなどと報告したら、気を遣われてしまうかもしれない。最悪、サチの転向を急ぐなどと言われるかもしれない。

 

 ────それだけは絶対に嫌だ。

 

 誰にも言わずに熟練度を上げ、ある程度使えるまで秘密にしていた方が良い。

 

 

(……でも)

 

 

 アキトは背の鞘に収まった黒い刀身を持つ刀の柄を見る為に振り返る。未だ高い場所にある太陽に照らされ、反射してアキトの目が細くなる。

 

 《厄ノ刀 【宵闇】》

 

 不吉な名前を持ったこの刀は、黒猫団のみんなで偶然見付けた、まだ誰も介入を許していないダンジョンの宝箱で入手した、あのタイミングでは正しくレア武器だった刀だった。

 みんなで喜び、讃え合った中で、みんなが自分にくれた武器。あの時の感動を、アキトは今でも覚えてる。

 そんな大事な刀を蔑ろにして、他の武器を使うのは気が引けたし、アキト自身何処か反対だった。けれど、強くなる為には、みんなを守る為には、選ばなければならない道なのではないかとさえ思う。

 

 

 それなら。だったら、自分は。

 この刀に変わって、どんな武器を使うべきなのだろうか。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────ふと脳裏をチラつくのは、友人の姿。

 

 

 黒いコートを翻し、彼自身を表すかのように真っ直ぐな片手剣を持った、キリトの姿だった。

 初めて会ってから今まで、黒猫団が彼に何度助けられたか知れない。彼のおかげで攻略ペースは上がったし、アキトとの情報も合わさって、効率の良い狩り場でレベルを上げ続ける事も出来ている。攻略組参加への目標は現実味を帯び始め、そう遠くない未来にそれは実現するのではないかというところまで来ている。

 アキト自身、それは自分の事のように嬉しい。キリトには感謝しているし、今では親友だと勝手ながら思っている。

 初めこそ好印象では無かったものの、時間をかけていくうちに、互いに認め合い、とても良好な関係を築けていた。偶に二人で狩りに出かけたり、何処かの店舗で変わったものを食べたりと、本当に友達みたいなやり取りが多くなっていた。

 現実に友と呼べるものがいなかったアキトは──アキトは知らないが、キリトも──友がいたのなら、きっとこんな存在だろうと思っていた。

 そして何を思ったのか、ある日突然、キリトがアキトに現実世界での名前を告げた。二人で出店を回っていたなんて事無い昼下がりだった。

 目を丸くしてキリトを見ていたアキトに、彼はこう言った。

 

『自分だけがアキトの名前を知っているのは不公平だろ』と。

 

 それは、いつかこのゲームをクリアした時に現実世界で会おうという、キリトなりのメッセージだったのかもしれない。

 アキトは、そんな彼の誠実さというか真面目な部分がとても好きだったし、頼れる存在だと思っていた。

 

 

 ────けれど、それと同時に感じるのは羨望と嫉妬だった。

 

 彼のその強さは、アキトが求めたもの、そのものだった。

 誰もを助けてしまえる程の強さ、判断力。そして、そんな彼の周りには、笑顔でキリトに集まる黒猫団のみんなの姿。

 その場所は、アキトが求めて止まなかった場所。みんなに、誰かに認められたいと願ったアキトが、ようやく見付けた自分だけの世界。

 そこに簡単に入られてしまったようで、アキトはその心に暗い影を落とした。

 キリトがそんなつもりじゃないのは分かっている。けれど、彼だって感じているはずなのだ。この《月夜の黒猫団》というギルドが、他の殺伐としたギルドとは違う事を。

 その場所は一見ぬるま湯に見えるかもしれない。けれどその実、どのギルドよりも仲間想いで、何処のギルドよりも慎重で堅実、どんなギルドよりも温かい場所だった。

 そんな彼らから、アキトは手を伸ばされた。それは自慢出来るもので、誇れるものだった。自分が特別な気さえしていた。

 だからこそ、キリトのヒーローのような姿が、とても羨ましかった。

 

 

 ────黒。

 

 

 何色にも、何者にも変われない色。まるで自分みたいな色。なのに、キリトが身に付ければ、その意味は変わって見えた。

 どうして彼と自分はこうも違うのだろう。自分が高いのはレベルだけ。それもキリトには及ばない。反応速度も、戦闘経験も、技術も、その何もかもが彼に劣る。

 正に、自分は彼とは正反対。白いコートが皮肉に思えた。

 何色にも、何者にも変われる色。なりたい自分になれる、そんな願掛けのつもりで身に付けた色は、ただ目立つだけのもので、その色の意味を全うする事は叶わなかった。

 

 

 だから黒も────白さえも嫌いになりそうだった。

 

 

 再び溜め息が零れ、空を見上げた時だった。

 後ろから肩を叩かれ、アキトは思わず振り返る。そして、視界に収まった人影を捉え、その目を見開いた。

 驚きで言葉が詰まる。

 

 

 「っ……」

 

 「アキト、今暇だったりする……?」

 

 「さ、サチ……」

 

 

 そこには、同じギルドの紅一点──サチが笑みを浮かべて立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 サチがアキトの前を歩き、早く早くとアキトを急かす。

 夕飯までまだ時間があるからと誘われたのは、サチが最近見付けたという喫茶店だった。

 なんでも、そこで出されたケーキ、紅茶、珈琲と、何から何まで美味しかったのだと言う。

 是非アキトにも食べて欲しいと、サチは少し興奮気味だった。こんな彼女を見るのはとても珍しい。

 先程いた《タフト》から離れて最前線の街へ。レベルだけ見ればとても最前線になど赴けはしないが、《圏内》である街中の風景や、それこそ食事などは充分楽しめる事が出来る。

 石畳の道を駆け、階段を上る。その足取りや彼女の表情、何から何までがとても魅力的だった。

 

 

 「こっちだよ。最近見付けたんだけど、本当に美味しいんだから」

 

 「へぇ……そんなにはしゃぐなんて珍しい」

 

 「だ、だって……この世界じゃ食べ物だって娯楽でしょ。料理スキルは上げてるけど、まだ凝ったものは作れないし」

 

 「そ、そんな事無いよ。サチが毎回作ってくれるお弁当、凄く美味しいし」

 

 「そ、そう……?えへへ、気を遣わなくても良いのに」

 

 「ほ、本当だってば」

 

 

 サチは毎回、攻略の合間の休憩の際にとる昼食の準備をしてくれている。確かに料理はおにぎりやサンドイッチと簡単なものばかりだが、アキトはとても満足していたのだ。

 何よりも、サチが作ってくれた。その事実が重要だったし、アキトにとっては、どんな料理よりもお気に入りのものだった。

 そんな彼女のお気に入りの喫茶店。そんなものを教えてくれるなんて、とアキトは高揚した。彼女と彼女の大好きなものを共有出来る。それが何とも言えぬ感動をアキトに与えていた。

 

 今上っている階段の上に、その店はあるという。テラスから眺める景色が絶景らしい。ケーキも飲み物も美味で、景色も最高とは、お値段が高いのではと思わせる。

 変わらずサチは楽しみなのか笑顔が絶えず、アキトはそれを見ているだけで満たされていた。

 

 

 「そのお店って、いつも一人で来てるの?」

 

 「うん。他のお店と比べると、ほんの少しだけ高いんだけどね。今はお金も貯めなきゃいけないから、そんなに頻繁には行けないんだけど……誰かと行くのは、今日が初めて」

 

 「っ……」

 

 

 サチが少しばかり顔を赤くして、ニコリと笑いかける。アキトは心臓を一際大きく高鳴らせ、その顔を朱に染めた。彼女のその言葉を真に受け、それが何度も頭の中で反芻する。

 つまり、彼女は自分のお気に入りの場所に、一番最初に自分を誘ってくれたという事。

 それは、なんというか、凄く嬉しい。

 

 

(……ヤバい……頬が熱い……)

 

 

 この火照り、彼女にバレていないだろうか。

 けれどアキトはそんな事、お構い無しに聞きたい事があった。そんな場所に、他でもない自分を誘ってくれた理由。

 

 

 「……どうして、俺を誘ってくれたの……?」

 

 

 興奮を抑え切れず、アキトは小さく呟いた。そんなお気に入りの場所に、他の黒猫団のメンバーではなく自分を誘ってくれた理由が知りたかった。期待したかったのかもしれない。

 上りかけの階段でサチは振り返り、下にいるアキトを見下ろす。

 

 

 「へ?え、えと……っ、それはその……」

 

 

 サチは目を丸くして、あたふたと目を逸らしたり、短めの髪に触れたりしている。その頬は赤く、照れているのが伺えた。

 その行為全てが、サチが告げるであろう次の言葉を期待させる。心臓の音がとてもうるさい。

 アキトは再び、息を呑む。

 

 

 「っ……」

 

 

 ────彼女のその仕草全てが、愛おしかった。

 

 

 アキトはサチを見上げ、彼女の次の言葉を待つ。風が吹き荒れ、二人の髪を揺らす。

 そんな中、サチは口を開き────

 

 

 

 

 「ひ、暇そうだったから……」

 

 

 

 

 ────と、目を逸らしながら告げた。

 それを聞いたアキトは、すぐに反応は出来なかった。表情は固まり、何も言えず口を開けたままにしていた。やがて意識を取り戻すも、同時に羞恥も返って来た。

 

 

 「え……あ……そ、そっか……はは……」

 

 

 とんだ勘違い野郎である。アキトは赤面し俯いた。サチが自分を想ってくれているかもしれないと、そんな幻想を抱いた自分に嫌気がさす。自惚れも良いところだ。

 アキトは笑って平静を装うが、小さく息を吐く。サチは変わらず頬をほんのりと染めて、チラリとアキトを見下ろすが、俯いているアキトには気付かない。

 だがやがて、サチは小さく笑うとアキトの元まで駆け下りて、彼のその手をとった。

 

 

 「っ……な、さ、サチ?」

 

 「あそこだよ、アキト!行こう、絶対に損はさせないから!」

 

 

 サチはそのままアキトを引っ張り、階段を上る。もう片方の指で示された先には、サチのお気に入りであろう喫茶店が建っていた。サチに手を引かれるなんて、珍し過ぎる行為に目を丸くしつつも、アキトは頬を赤くした自分の顔を、悟られない様にするのが精一杯だった。

 

 

 その中は、現実世界の喫茶店よりも少しばかり豪華に飾った様な空間だった。懐かしささえ感じるその場所を、アキトは何度も見渡した。

 店の雰囲気、店員NPCの服装、その何もかもが、帰りたいと誰もが思う世界にピッタリ当てはまる様だった。

 室内にはプレイヤーが少なからず存在し、ひと時のティータイムを楽しんでる様だった。

 サチに促されるままに室内から飛び出し、移動した先はテラスだった。高い位置にあったこの喫茶店から見える景色は、とても綺麗なものだった。陽の光でキラキラと近くの池は反射し、石造りの建物は等間隔に建てられていて。

 風が丁度良い強さで頬を撫で、植物達が活力を取り戻したかの様に揺れ動く。

 

 

 「……っ」

 

 「……どう?」

 

 「想像以上に、その……凄いや」

 

 

 他に言葉が出て来ない程に魅入ってしまったアキト。そんな気の抜けた返事に、サチはクスクスと笑う。

 そのまま近くのテーブルへと腰掛け、サチは食べたいものを選ぶ為に、表示されたレシピを指でなぞっていく。

 

 

 「今日は……うん、これかな。アキトは?」

 

 「えと……この店は何がオススメなの?」

 

 「チョコレートケーキが評判だよ。私も食べたけど、凄く美味しかった」

 

 

 サチがそう言って楽しそうに笑う。彼女のお墨付きなら、とアキトは考える間も無くチョコレートケーキを選択する。

 後はこれに合わせる飲み物だが、流石に甘いケーキに甘い飲み物はくどくなるだろう。

 そうしてメニューをスクロールしていき────

 

 

 「アキトは珈琲だよね」

 

 「っ……!」

 

 

 ────彼女のその発言でアキトの指が止まった。メニューから視線を外して顔を上げる。サチが正しく自分が頼もうと思っていた飲み物を言い当てたのだ。

 思わずその目を丸くする。サチはそんなアキトの様子を不思議に思ったのか、キョトンと小首を傾げていた。

 

 

 「……良く、分かったね」

 

 「え?……あっ、珈琲の事?だってアキト、いつも飲んでるじゃん」

 

 

 アキトが驚いていた理由を理解したサチは、そんな事かと言わんばかりに軽くそう返す。

 確かに何でもない事かもしれないけれど、彼女が自分を見てくれているというその事実こそが、アキトにとって重要だった。

 そんな何気無い一つ一つの積み重ねが、アキトの想いを募らせる。目の前の彼女と二人きりのこの状況なら、尚更だった。

 

 可笑しな話だ。先程まで、武器の転向だとか、キリトへの嫉妬だとか、そんな事ばかりを脳が占めていたのに。

 今では脳細胞、全神経、五感全てがこのひと時の為にフル稼働している気がする。

 こうして対面して会話しているだけでここまでとは、なんて現金な奴なのだろうと、アキトは苦笑いするしかない。けれど、そんな単純な奴だったとしても、この時間は大切にすべきものだと思った。

 楽しい時間ほど、時間が進むのが早く感じる。この時間が、もっと、もっと、長く続けば良いのに。

 

 

 「お待たせしました」

 

 「あ、来たよ」

 

 

 NPCがこちらまで歩いて来て、手に乗せていたトレイから、ケーキ

 飲み物をテーブルへ一つずつ並べていく。

 サチが頼んだのはフルーツの乗ったタルトと紅茶だった。サチは目を輝かせ、写真を撮りたいくらいに綺麗だとか、食べるのが勿体無いだとか言って中々手を付けないくらいにはしゃいでいて。

 アキトもそんな彼女が可愛らしくて、思わず笑みが溢れる。

 

 

 「じゃあ食べよっか」

 

 「……うん」

 

 

 彼女にそう促されるままに、自分の真下にあるものに視線を落とす。チョコレートケーキと珈琲。言わずがもがな珈琲は黒く、深い色をしていた。

 そして、チョコレートケーキも黒。想像していたよりもずっと黒くて、反射的に先程考えていた事が再び胸に去来する。

 

 

 ────“黒”は拒絶。お前はお前なのだと、変われないのだと、そう突き付けて来る、深い、深い闇の色。

 

 

 「……」

 

 「……アキト?食べないの?」

 

 「え?」

 

 

 思わず顔を上げる。タルトに手を付けていたはずのフォークを下ろし、こちらの様子を伺っている。

 ケーキとアキトを交互に見ては、不安気に眉を顰める。

 

 

 「ずっとケーキ見てるから……何か嫌いなものとか入ってた?」

 

 「えと……思ったよりも黒いな、って……」

 

 「……ああ、甘さ控えめのビターな感じが売りなんだって。もしかして苦手なの?」

 

 「ああ、いや、違くて……」

 

 

 黒い色を見て先程まで考えていた劣等感を思い出した、などと想い人に言える訳も無く、大した事じゃ無いと首を振る。

 しかし、サチはアキトの様子が気になるのか、最早タルトなど見てはいなかった。じっと真っ直ぐにアキトを見据えており、そんな彼女の行動にアキトは顔を赤くする。

 

 

 「そ……そんなに見ないで……」

 

 

 ────乙女か。

 そんな発言だけして顔を逸らす自分が情けない。

 

 

 「え……あ……ご、ゴメン……」

 

 

 しかしサチも思い出したかのように顔を赤くする。恥ずかしいのは自分だけじゃなかったと安心した。

 自分がキリトに嫉妬してました、なんて情けない事はとてもサチには言えない内容だった。絶対に言いたく無い。

 けれど、彼女を心配させるような事はしたくなかった。

 

 

 「……その、ケーキと珈琲の色を見てたら、ちょっと引っかかってさ。本当に大した事じゃ無いんだけど」

 

 「色?……黒いと何かあるの?」

 

 「い、いや全然?ちょっと好きじゃない色だなって思っただけだよ。そんな事より早く食べよう」

 

 

 アキトは自分でも何を言っているのか馬鹿らしくなってきた。

 チョコレートケーキと珈琲を見ただけでそんな事を考えてました、とかちょっと想像力豊か過ぎて気持ち悪いし、頭おかしい。アキトは自分が恥ずかしくなってきて、それを取り繕うべくケーキを頬張る。

 甘過ぎないビターなチョコレートクリームがスポンジと共に口いっぱいに広がる。ほろ苦いが、決して珈琲と合わない訳じゃ無く、甘過ぎず苦過ぎないおかげで寧ろ絶妙にマッチしていた。

 この組み合わせで良かった、とアキトは誤魔化す様にもう一度ケーキへと手を伸ばし────

 

 

 

 

 「私達、月夜の“黒”猫団なんだけど」

 

 

 

 

 ────カシャ、と皿の上にフォークを落とした。

 

 瞬間アキトは顔を青くする。慌てて顔を上げれば、そこには不満気に頬を膨らませるサチの姿があった。

 黒が好きじゃない────アキトのその発言は不本意ながら皮肉にも、自分の所属するギルドの名前にケチを付ける形になってしまっていた。

 それも、自分を誘ってくれたメンバーの目の前で。

 

 

 「っ、ち……違っ、ちがくて、別にギルドの名前を遠回しに馬鹿にしたとかそんなんじゃなくて!その、黒って色が暗いイメージだから個人的に……ってああ、そうじゃない……っ、ああそうだ、このケーキ黒スギィ!って思っただけだって!」

 

 「……」

 

 「……その、そんなつもりじゃなかったんだけど……ゴメン」

 

 

 どんどん墓穴を掘っていくスタイル。アキトは己が心底嫌になった。

 たかがケーキの色が黒かったからなんだと言うのだ。気持ちが悪い。そんな事、大体彼女に話す必要なんてなかったじゃないか。キリトに対する嫉妬も、彼が身に付ける黒い色が好かないことも、全部自分が非力だからじゃないか。

 寧ろ真っ白のコートなんて目立つものをを着て実績ゼロの自分こそが恥だ。キリトへの嫉妬は単なる八つ当たりだ。

 親友にそんな感情を抱くなど、最低だ。しかもサチにその切り口を話したせいで彼女にこんな顔をさせてるだなんて。

 

 そうして一気に変な空気になってしまった事に対する謝罪を込め、アキトら頭を下げる。

 折角誘ってくれたのに、こんな自分のコンプレックスを吐露して、そんなつもりは無いが黒猫団を馬鹿にする様な事を口にした。

 もしかしたら、話せば彼女が自分を慰めてくれるかもしれないと、そんな下心が無意識の内に芽生えていたのかもしれない。

 それすらも恥ずべき事だ。目の前の彼女は単なる同じギルドの仲間で、そんな想いはするべきじゃないのに。

 そうして、アキトは顔を上げる。真っ直ぐ目の前にいたサチの顔は、もう不貞腐れたそれではなかった。

 

 

 「……フフッ」

 

 

 それどころかアキトの弁解が面白かったのか、クスクスと小さく笑っていた。それを見たアキトも、揶揄われただけだったのだと知り、安堵の溜め息を吐きつつ、小さく笑った。

 そして、柔らかな雰囲気の中、サチが囁く。

 

 

 「私は、アキトは黒、似合うと思うな」

 

 「っ……」

 

 

 その一言に、思わずサチへ向けるその瞳が開かれる。サチはニコニコしながら、紅茶へと手を伸ばしていた。

 きっと彼女は、何気無くそう呟いたのかもしれない。他に理由など無い、単なるお世辞なのかもしれない。

 アキトは小さく笑ってから口を開く。

 

 

 「……別に服とか装備の話じゃないよ。その、色からイメージするものっていうか……暗い闇、みたいで……他のどんな色にもなれない。負のイメージが強くってさ……」

 

 

 そして、まるで自分みたいで。

 

 

 彼らと初めて出会った頃こそ、どうせみんな死ぬのだと思っていたのに。頑張っても、意味なんて無いと思っていたのに。

 けれど、みんながあまりにも頑張るから。些細な事で喜んでくれるから。こんな自分を気にかけてくれるから。

 だから自分も、彼らに応えたいって、そう思って。強くなろうって思って。

 けれど、そんな努力を知られたくなくて。夜な夜なみんなに隠れてこそこそとレベル上げに勤しんで。それでもキリトには追い付けなくて。ただ、この胸には虚無感が生まれていた。

 そんな自分が、黒という色ととても良く似ていた。自分と対称的な色の装備をしたキリトが現れたからこそ、その装備の色が気になるようになった。

 何もかもかなわない。だからこそ、キリトの劣った部分を無意識に探そうとして、まるで難癖を付けるかの様に、その色ばかりを思い出して。

 それ以上何処にも行けない、深く暗い闇の色。拒絶の色。けれど、キリトがそれを身に纏えば、それは個性にさえ思えた。

 それを思い出して表情が寂しさを漂わせる笑みへと変化する。

 けれど、対称的にサチは得意気な表情でアキトを見据えた。

 

 

 「けど、何色にも変わらないって、結構凄い事なんじゃないかな。だって、何をされても絶対に変わらないんだよ?……誰に何を言われても、絶対にこの気持ちは変わらない……そんな意志を持ってるみたいで……って、色の話だよね、えへへ」

 

 「……」

 

 

 ────何をされても揺らがない、不変の意志。

 

 アキトは、サチの告げた黒のイメージを聞き、何かが崩れるのを感じた。

 

 

 「ねぇ、知ってる?黒って、光を吸収するんだって。熱とか、他のエネルギーを吸収しやすいから、他の色よりも温かくなるらしいよ」

 

 「……急に、何」

 

 「だから、黒はあったかい色だって事。きっと暗いだけじゃなくて、もっと色んなイメージがあると思うんだ」

 

 

 サチはテーブルの上に置いた掌を拳に変え、絞り出す様な声で、小さく囁いた。

 

 

 「……あったかくて優しい……アキトみたいだね」

 

 「っ……なっ……!?」

 

 

 突如、アキトはこれでもかと言う程にその顔を赤く染めた。サチは顔を赤くして、こちらをチラチラと伺っている。そんな不意打ちは、狙ってかは知らないがアキトをショートさせるには充分だった。

 アキトはフラフラとする脳を律し、ブンブンと首を振る。顔は未だに赤いが、それでもサチが言ってくれた一言が、とても心に残った。

 

 

 消えてくれない。焼き付いて離れない。

 

 

 「サチ……その、俺、さ……」

 

 「う、うん……?」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……な、何でも無い。た、食べよっか」

 

 「っ……う、うん、そうだね」

 

 

 何も言えない生粋のチキンであるアキトは、誤魔化す様に下手くそに笑うと、チョコレートケーキに手を伸ばす。サチも照れたのか急ぐようにフォークをタルトへと持っていく。

 羞恥を誤魔化す様に慌てて食べているアキトの鼻の頭には、生クリームが付いていて。

 サチはそれを見てれ面白可笑しく笑う。

 アキトもそれに気付き、彼女と共に笑った。

 

 

 気不味い雰囲気は、既に消えていた。

 

 

 

 

 黒が似合う────そう言ってくれた。

 

 

 嫌いなはずの色だった。

 

 

 なのに、サチがそう言ってくれた、それだけで。

 

 

 少しだけ、いや────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────今後、かなり好きになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 







アキト 「……凄く美味しい……」(感動)

サチ 「えへへ、良かった……ちょっと頂戴っ!」

アキト 「え、あっ!ちょ、何するの!」

サチ 「良いじゃん別にー。あ、私のひと口あげるよ。はいっ」

アキト 「へ……?あ、いや……」

サチ 「?何?」

アキト 「……えと、直接は、その……」

サチ 「……ぁ」

アキト 「……」(///_///)

サチ 「っ〜〜~」(///_///)



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守る、その一言が言えなくて





出会いは偶然、気付くは必然。







 

 

 

 「……じゃあ、コレとか」

 

 「んー……俺なら……こっちかな」

 

 「何コレ超重い……なんでNPCの店舗にこんなに筋力要求値が高い片手剣があるの……っていうか、要求値と値段に反してそんなに強くないし」

 

 「そこはNPC店のクオリティだなぁ……」

 

 

 現在、最前線の街でキリトとアキトはNPCが経営する武器屋で武器を物色していた。見渡せば流石の最前線、新しい街は新鮮なのか、人集りは凄かった。

 二人がいる店は外にある出店の様なものなので、通り過ぎるプレイヤー間の賑わう声が良く耳に入る。そんな中、黒と白の正反対のコートを着込むキリトとアキトは良く目立つ。

 何度もチラチラと周りの人達が視線を突き刺していく。

 居心地の悪さを少しだけ感じるも、アキトは目的のものを探し続けていた。

 だがアキトのお眼鏡に叶うものは存在せず、どれもイマイチ決め手に欠けていた。

 キリトは陳列された武器をある程度見渡すと、小さく溜め息を吐いた。

 

 

 「やっぱり、最前線でもNPCが売ってる剣の強さはこんなもんだよな……ダンジョンとかで根気良くドロップを狙った方が良いんじゃないか?プレイヤーメイドっていうのもアリだけど、俺には当てが無くてさ……」

 

 「そっか……まあ、そうだよね。じゃあ、これで我慢しようかな」

 

 

 アキトは仕方無しといった表情で、目にした中で一番使いやすそうな片手剣を選択して購入した。デザイン的にはシンプルで、何処にでもありそうな見た目だった。

 けれど、今はあまり文句は言ってられない。アキトはなんの躊躇いも無くそれをストレージへと仕舞った。

 その間断無いアキトの作業を訝しげに見ていたキリトは、やがて不安気な音を混じえて問い掛けた。

 

 

 「……なあ、本当にやるのか?」

 

 

 それは、本当に武器の変更をするのか、という事だった。

 

 

 「うん」

 

 

 アキトはその問いに即答した。

 以前、サチと喫茶店で話してからすぐ、別の武器に転向する事に決めた。彼女の考えに触発されたのもあるが、やはりあの時に改めて理解したのだ。

 

 自分は、サチの事が好きなのだと。

 

 武器を変更したプレイヤーが危険なのは、変更したばかりで新しい武器種に慣れていない時期だ。今のサチがそれだった。凡そ戦闘向けの性格をしていない彼女───ましてや女の子に、前衛を任せる訳にはいかなかった。

 それなら、硬直をキャンセルしつつ連続でスキルを放てる自分が、彼女の何倍もの働きをすれば良い。

 だがそれを行うには、両手が塞がる刀スキルよりも片手でソードスキルが放てる武器にするのが一番だった。尚且つ、すぐに上達出来る事が望ましい。

 総合的に考えてアキトが下した決断は、自分が知りうる中で一番のプレイヤーにそのいろはを教えてもらう事。その筆頭がキリトだった。

 片手剣なら全条件をクリアしているし、キリトに教えて貰えば効率良く上達する事が出来るだろうという絶対的な信頼が彼にはあった。

 勿論相談を持ち掛けた時、キリトは良い顔をしなかった。上層に行くに連れて過激になる戦闘で、真新しい武器での熟練度上げなど命が幾つあっても足りはしないからだ。

 けれど、アキトにそうやって頼られる事が無かったキリトは、渋々承諾しつつも、その後かなり乗り気で色々な事を教えてくれた。

 勿論、黒猫団のみんなには内緒だった。いきなり転向すると言えば何を言われるか分からない。ある程度実戦で使える様になってから言うのが望ましい。加えて、サチが前衛として機能するより先に片手剣の熟練度を上げるのが望ましいが、黒猫団のみんなとの狩りでは片手剣を使えない為、最近は一人で行動せずに黒猫団との攻略を優先しているアキトが片手剣の熟練度を上げるなら深夜帯しかない。

 

 まだ自分は、みんなに守られている。

 レベルだって、黒猫団よりもほんの少しだけ高い程度。そして、目の前のキリトはきっと、自分よりも強い。

 なら、やる事は一つだった。そんな彼らの力になるべく、アキトは刀を捨てるのだ。

 サチの一件から暫く経ち、キリトの指導の元、片手剣を使う様になったアキトだったが、今使っている片手剣では不足な部分が増えた為に、こうして新しい片手剣を買いに来ていたのだ。

 

 

 「それは……黒猫団のみんなの為、か?」

 

 「そう、だね。一番は、サチに前衛をやらせたくないからなんだけど」

 

 

 あはは、と気恥ずかしいのかアキトは笑った。

 サチ──その名前が出て、キリトは僅かに瞳が揺れた。だが、それにアキトは気付かない。

 

 

 「……サチの為に、武器まで変えられるのか……」

 

 「べ、別に良いでしょそんなの。あ、あれだよ、俺効率厨なんだ。人には得手不得手があるんだし、向いてる人がやるべきだと思っただけだって、うん」

 

 

 サチへの想いを悟られぬ様にと、慌てて誤魔化すアキト。だがその分かりやすいアキトの気持ちは、どちらかと言えば鈍感であるキリトにさえバレバレだった。

 それが分かったキリトは、少しだけ表情を暗くした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……そうか。凄いな、お前は……本当に……」

 

 

 キリトは小さく、本当に小さく、そう囁いた。

 誰かの為に────何よりサチの為なら、自分の極めた武器を捨てられるというアキト。

 彼とサチが二人で笑い合っていた場面を脳裏に呼び起こし、その拳を強く握ったキリト。その眼は笑っておらず、緩んでいたのは口元のみだった。

 黒猫団に囲まれたアキト。彼は元々一人で、そこを黒猫団のみんなに拾われたと言っていた。数あるプレイヤーの中から、彼らはアキトを選んだのだ。そうするだけの何かが、アキトにはあったのかもしれないと、最近は強く思う。一緒に戦うだけで、嫌という程それが伝わる。

 強くなりたい──その目的が同じでも、理由も、意志も、彼と自分の在り方も、何もかもが違っていて。

 彼を見てると、嫌でも自分と比べてしまう。自分の事しか考えていなかった自分と、他人の為に一生懸命になれるアキトを。

 

 ────どうして、そこまで出来るんだ。

 

 ぐっ、と堪えて口を噤む。その悔しさも劣等感も、感じるのは自分の事しか考えていないからなのかもしれない。これは自分が悪いだけで、アキトに何かを思うのは、きっと八つ当たりだと、そう思った。

 

 自分とアキトが違うからだろうか。

 

 ふと思い起こされるのは出会ってから今までの、サチの表情。

 いつだって彼女の視線の先には、決まってこの白いコートを来た剣士がいるのだ。

 

 ────自分は彼女に、そんな顔はさせられない。

 

 

 「……?何か言った?」

 

 「……いや、何でも無いよ」

 

 

 声は小さかった為、アキトに聞かれる事は無かった。キリトも我に返り、何でもないと首を振る。キリトはアキトに笑いかけると、太陽が沈み始めている空を見て口を開いた。

 

 

 「みんなそろそろ宿に戻る時間だ。そろそろ帰ろうぜ」

 

 「あっ、先に帰ってて良いよ。実はもう一つ用事があって」

 

 「何かあるのか?すぐに済むなら付き合うぜ」

 

 

 キリトは小さく微笑しアキトに向き直る。何の用事だと彼が問えば、アキトは躊躇い無く口を開いた。

 

 

 「実は、アルゴに事前に良い片手剣が手に入るダンジョンとかクエストを調べて貰ってたんだ。丁度この街にいるらしいから、聞きに行くんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「生憎こっちも品薄でナ。君の要求に応えられそうな片手剣が手に入るクエストやダンジョンは少なかったヨ。けど幾つかは検討をつけたから、そこの情報は渡しておくヨ」

 

 「ありがとう。しっくりくるものが無くて困ってたんだ。行くだけ行ってみるよ」

 

 

 アキトはアルゴ自身納得していない結果を見ても文句一つ言わずに感謝の言葉を述べた。腕を組んだアルゴは、そんなアキトのお人好しな部分を見て、ヤレヤレといった表情をしていた。

 左右に三本の髭を生やした情報のパイオニア、《鼠のアルゴ》。アキトからすれば、彼女が出来る情報収集にも限界があると分かっているし、少なくたって幾つかは見つけてくれたのだ。感謝こそすれ、不満なんかあるはずが無かった。

 人混みの片隅で行われている情報交換のやり取りの最中、クエストとダンジョンの数を聞いていたアキトを見て、キリトは少しだけ焦った様にアルゴに向き直る。

 

 

 「アルゴ、本当にこれだけしか無いのか?最前線も上がったんだし、もう少し……」

 

 「品薄だって言っただロ。まだ開放されたばかりの層は情報が少ないんだヨ。彼のレベルとステータスの大まかな部分は見せて貰ったけど、随分と歪な振り方してるゾ。今の状態なら正直、どの片手剣を使ってもある程度しっくりこない部分はあると思うナ。寧ろ、片手用直剣ならキー坊の方が詳しいだロ」

 

 「俺の知ってるクエストは期間限定のものばかりでさ。俺が今使ってるヤツはレアモンスターのドロップ品だし、今のところ俺も困ってなかったから片手剣の情報が無くてさ」

 

 「なんダ、キー坊の事だから幾つか目星はつけてるのかと思ってたけド」

 

 

 とアルゴとアキトが言い合いしてる中、アキトは苦笑いをしていた。この時のアキトは、何が大事なのかを吟味し過ぎて、逆に変なステータス割り振りをしていた。

 おかげで装備するにも足りてないステータスがある、なんて事は頻繁に起きていた。

 正直、レベル上げでのボーナスで、ある程度自分の役割を見付けて、それに見合うステータス割り振りをするしか今のところ手立てが無い為に、どの片手剣を使ってもしっくりこない状態は暫く続くと思った方が良いのかもしれない。

 

 

 「最前線とは言ってもNPCが売ってる剣じゃ、確かに満足はしないだろうナ。今持ってる片手剣を強化するにしても、鍛冶屋に新しく作らせるにしても出費はかさむゾ。生憎今は金属や鉱石の相場が上がってるしナ」

 

 「モンスタードロップに懸けるしか無いって事か……まあ、まだ熟練度もレベルも上げてる途中だし、あまり急ぎ過ぎる事も無いのかな」

 

 

 でも、と感じてしまう。

 早く強くならないと、そんな思いが日増しに強くなる。

 ジワジワと焦りを感じる。黒猫団を、サチを守る為に強くなりたい。力になりたい。そう感じる度に。

 ステータスばかり高くなってもそれに見合う武器が無ければ、いざという時に対応出来ない。折角硬直無しでスキルを連発出来るのだから、それを活かせる片手剣の存在は必須なのだ。

 そうして俯いていると、アキトの肩に手が乗った。ハッとして振り向けば、そこにはキリトが立っていて、小さく笑っていた。

 

 

 「アキト、お前は強くなってるよ。前衛には俺もいるんだし、あまり焦らずやっていこう」

 

 「キリト……そう、だね。ありがとう……地道に頑張ってみるよ」

 

 

 そこには自分が憧れ、嫉妬した存在がいた。誰よりも強く、頼りになる存在。彼のその一言は、とても安心させる。彼が大丈夫だと言えば、本当に大丈夫な気がした。

 そうして話が固まり出している中、アルゴも顔に小さく笑みを作る。そのまま二人を見据えて、懐かしむ様に瞳を細めた。

 

 

 「しっかし、二人は知り合いだったんだナー。キー坊も元気そうで何よりダ」

 

 「そういうアルゴこそ、アキトと知り合いだったんだな。知らなかったよ」

 

 「前に一度だけお世話になった事があってさ。フレンド登録はしてたんだ。この依頼出すまでは一度だって顔合わせも連絡もしてなかったけど……覚えててくれてたんだね」

 

 「ン……まあ、何処かで見たよーな顔してたからナ。印象は強かったヨ」

 

 

 アルゴはアキトからキリトへと視点を変えてにゃハハと笑う。キリトはアキトと顔を見合わせ、やはり雰囲気が何処か自分と似ていると思ったのは勘違いじゃなかったんだなと溜め息を吐いた。

 アキトは何の事やらと首を傾げていると、アルゴがアキトに近付き、頭の天辺からつま先までを舐め回す様に見始めた。

 

 

 「……な、何……?」

 

 「ンー、最初見た時と随分変わったと思ってサ。最初は黒っぽい装備に曲刀だったじゃないカ。それが暫く見ない内に白いコートに……黒い、刀……?」

 

 

 アルゴはそこまで言って急に動きが止まる。そのまま固まってアキトを見ていたが、段々と何かを思い出したかの様に目を見開き、口を開け始めていた。

 何事かとアキトとキリトが困惑していると、やがてアルゴが難しい顔をし始める。

 

 

 「……アルゴ?どうかした?」

 

 「ンー、ちょっとナ」

 

 

 気になったアキトは思わず声をかけるが、アルゴは目を逸らして頬を掻く。その勿体ぶる感じが嫌に気になった。

 口を開けては閉じの繰り返しだった。そんなに言い難い事なのだろうか。

 

 

 「……いや、やっぱ何でも無イ」

 

 「いやそれ絶対嘘でしょ。明らかに俺の格好見てから態度変わったじゃん。この格好に何かあるの?」

 

 「執拗いナー、何でも無いって言ってるだロ。……そんなに知りたいなラ……」

 

 

 アルゴはピッ、と三本の指を立ててこちらに突き出した。それが何を意味するのかはアキトもキリトも分かっていた。

 要は、知りたいなら出すもの出せという事だろう。アキトは苦い顔をしながら、アルゴが突き立てた三本の指を見つめる。

 

 

 「……3コルかな」

 

 「……さて、帰るカ」

 

 「待った、待った!……3000コルですね」

 

 「3万」

 

 「さんまっ……!?」

 

 「秋刀魚?」

 

 「違う、3万コルダ」

 

 「3万!?」

 

 

 そんなに価値のある情報なのかよ!と心の中で叫ぶアキト。キリトも目を丸くしてアルゴを見ていたが、彼女は変わらず得意気に笑うだけだった。

 くそ、気になる……!アキトは自分の欲望を抑えられなくなって来ていた。好奇心が邪魔をして、まともな金銭感覚を失いそうだ。

 しかし、どうしようかと唸っていたら、アルゴが呆れた様に笑った。

 

 

 「冗談だヨ。以前聞いた噂を思い出しただけサ。単に噂ってだけだから情報とは言えないし、クエストとは無関係だからお金は取らないヨ」

 

 「な、なんだ……」

 

 「噂?」

 

 

 アキトが胸を撫で下ろす隣りで、アルゴの放った単語に首を傾げるキリト。アルゴは神妙な顔付きで口を開き始める。

 その間、彼女はずっとアキトの事を──突き詰めて言うとアキトの身なりを眺めていた。

 

 

 「まぁ、結構前の話なんだけド……定期的に最前線に赴いては、“白いコートで黒い刀の男”を探してるってプレイヤーがいたらしいんだヨ」

 

 「……まるっきりアキトの事じゃないか」

 

 

 キリトはアキトを上から下まで眺めてそう呟く。アキトも自身の身なりがそれにぴったりである事に驚きを隠せないでいた。

 アルゴは腕を組みながらすぐ後ろの煉瓦で出来た壁に寄り掛かった。

 

 

 「マ、あくまで噂、本当がどうかは分からなイ」

 

 「……そのプレイヤーの目的と容姿は?」

 

 「目的は知らないガ、容姿なら聞いた事があるナ。真偽は不明だけド……」

 

 

 アルゴはアキトを見据え、目を細めた。

 

 

 「赤い長髪の女性プレイヤーらしいゾ。年齢は多分、お前さんと変わらなイ。一応用心するんだナ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 夜、黒猫団のみんなで夕飯を済ませた後、根城にしている宿屋の一部屋に、メンバー全員が集まっていた。

 何やらケイタから話があるとの事で集まり、各々、この部屋に二つ設置されているベッドに三人ずつ腰掛けた。

 ケイタから見て左にキリト、ダッガー、テツオの順に座り、右にササマル、サチ、アキトの順で座っていた。それぞれがケイタを見て何の話なのだろうかと想像を巡らせていた。

 

 

 「コホン……えー、みんなに一つ報告が」

 

 

 ケイタは態とらしく咳き込むと、そんな切り出しで顔を上げた。その表情は何処か嬉しそうで、全然感情が隠せていなかった。

 

 

 「今日の狩りでなんと……20万コル貯まりました!」

 

 

 みんなが一斉に喜びの声を上げる。ダッガーやテツオは立ち上がっていた。キリトやアキト、サチも控えめに喜んでおり、その口元からは笑みが零れていた。

 ここ最近の黒猫団の戦力強化は目覚しいスピードだったと言えよう。キリトが入る当時戦場にしていた場所からは疾うに離れ、キリト加入前は最前線から10層も離れていたのに、今では最前線から5つにまで縮まっていた。

 黒猫団のみんなは知らないが、彼らが元々狩り場にしていた場所から今に至るまでの狩り場全て、キリトがずっと以前に攻略を終え、危険な場所も、稼ぎの良いスポットも知り尽くした場所だったのだ。キリトはそれとなく彼らをその場所へと誘導し、常に最大の効率を作り出していた。

 黒猫団の平均レベルは完全にその層を狩り場にしていたプレイヤーよりも頭一つ抜きん出ていた。

 

 実力以上のレベルになっていたのだ(・・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 それは、アキトが絶対にさせないと決めていた事でもあった。けれど、この時のアキトは、それに気付く事が出来なかった。

 

 

 「ギルドホームも夢じゃないな!」

 

 「けどその前に、サチの装備を新しくした方が良いんじゃない?いつまでもキリトとアキトにだけやらせる訳にはいかないもんな」

 

 「っ……」

 

 

 その一言に、サチの身体が僅かに震える。すぐ隣りにいたアキトと、サチを見ていたキリトだけは、彼女のその様子に気が付いた。

 黒猫団が攻略していく中、唯一順調に進んでいなかったのがサチの前衛への転向だった。

 黒猫団のみんなはそんなサチに頑張れ、もう少しだと何度も応援して来ていたのは分かっている。けれどアキトとキリトには、それがプレッシャーになっているのではないかと密かに感じていたのだ。

 前衛──モンスターと至近距離で戦う為に必要なのは、防御的ステータスより前に、目の前の凶悪なモンスターを前にいかに踏みとどまれるかが肝なのだ。恐怖に耐えて剣を交える心の強さが必要なのだ。SAO開始直後、そこから1ヶ月にかけて、プレイヤー二千人が命を落としたのは、勿論情報収集を怠ったのもあるが、その接近戦でのパニックが原因であるところが大きい。これが死に直結するとなれば、ゲームだと思って戦っていた頃とは明らかに違って見えるだろう。

 サチは理想の前衛像とは正反対な、大人しい、怖がりな性格の普通の女の子なのだ。そんな彼女に前衛をやれだなんて、アキトの口からも、キリトの口からも言えなかった。

 その中で、キリトに言えた事はただ一つだけだった。キリト自身、自分が盾として充分過ぎるステータスを持っているのを知っていたからだ。

 

 

 「サチ、俺の事は大丈夫だから、焦らなくて良い」

 

 「キリト……うん、ゴメンね」

 

 

 だが、他のメンバーはそう思ってはいないようだった。途中参加のキリト、そしてこの世界で出会ったばかりのアキトに前衛を押し付けるのは心苦しいと感じていた様だった。

 仲良しである彼ら、だがそれ故に言葉には出さなかったが、サチが感じている重圧は強くなり続けていた。

 それがなんとなく分かっていたからこそ、キリトはサチにそう告げたのだ。前衛転向は焦らなくていい。じっくり、ゆっくりやっていけば、それで。

 そう思っていた。

 

 

 

 

 ────たが、その中で一人だけ。アキトだけが、黒猫団のみんなとも、キリトとも違う発見を投げたのだった。

 

 

 

 

 「ケイタ、みんなも。俺は、このままでも大丈夫だから、サチを前衛に転向させるのは、止めても大丈夫だよ」

 

 

 

 

 「っ……!」

 

 

 そんな言葉に誰よりも反応したのは、彼のすぐ隣りにいたサチだった。目を見開き、ただ困惑した表情でアキトを見ていた。他のみんなも続けて驚いていた。かく言うキリトも思わず彼を見る。

 ケイタはそんな今までの考えと全く違ったアキトの意見に戸惑いを隠せない様だった。

 

 

 「え……でも……アキトやキリトに負担が……」

 

 「前衛には俺とキリト、それにテツオもいるでしょ。三人いれば大丈夫だよ。キリトもテツオも、凄く頼りになるし」

 

 

 そうアキトが言った途端、テツオが呆然と彼を見る。次第に、自分が褒められたと理解すると、照れた様に頬を赤くし再び立ち上がった。

 

 

 「お……おお!任せとけ!」

 

 「でも、前衛は多い方が良いだろうし……」

 

 「大丈夫だって、ケイタ。俺がその分頑張るから」

 

 

 ケイタは未だに難色を示していたが、アキトがそう言うと少しだけ考え込むような姿勢をとる。

 他のメンバーもアキトのこれまでの前衛としての動きを思い返していた。勿論キリトもだ。その中で呼び起こされるのは、アキトがソードスキルを硬直無しで連発している記憶。連発、と言っても三、四回が限界だが、それでもその間に乱れた態勢を整えるには充分過ぎる強みを持っていたし、今までの狩りでもヘイトをキリトとしっかりと管理出来ていた。

 そんな中で、まだ前衛の動きがままならないサチを無闇に投入するとどうなるか、ケイタは想像を巡らす。

 すると、一つの答えに行き着いたのか、ケイタは小さく溜め息を吐いた。

 

 

 「……分かった。アキトがそう言うなら、一応この話は保留にしておくよ。けど、辛くなったらすぐに言ってくれよ。アキトがいつも俺達に良く言ってる事だ、アキトも守ってくれよ」

 

 「っ……う、うん……分かった……!」

 

 「けど、キリトは大丈夫?」

 

 「……ああ、俺も、大丈夫だ……」

 

 

 その結論に至った瞬間、アキトは心の中で歓喜した。思わず握り拳を作ってしまう程だった。

 これで、サチが今まで以上にモンスターに近付く事も、それによって黒猫団の連携が乱れる事も無くなった。キリトと二人なら連携も取りやすくなっているし、テツオも本当に頼りになる男だ。伊達に説得に使っただけでは決して無い。アキト自身、自分なんかよりもテツオの方がずっと強いと思っていたからだ。だから、彼に頼る形にはなってしまうが、サチを後ろにさせてあげたかった。

 本当なら、戦わせたくないのだが、そこまで言えば反対される事は目に見えていたし、その発言で関係が崩れるのを恐れてしまったのだ。

 けれど、このまま自分がサチの分まで頑張ればと思えば、辛くない。みんなの為なら、彼女の為なら、自分は戦える。そう思ったから。

 

 

 「っ……」

 

 

 しかし、そんな中で一人。

 アキトの隣りにいたサチだけは、膝の上に置かれた拳を強く握り締め、悔しそうに下唇を噛んでいた。

 アキトはそれに気付く事は無かった。だが────

 

 

 「サチ……」

 

 

 キリトだけは、見逃さなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そしてある日、サチは宿屋から姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 

 アキトは誰もいない深夜の街で一人、膝をに手をついて荒い呼吸をを整えていた。月の光に照らされた街はとても綺麗に輝いていたが、生憎それを眺める時間すら、アキトには惜しかった。

 

 サチがいなくなってすぐ、アキトもキリトも宿屋を飛び出していた。ケイタ以下のメンバーは大騒ぎし、すぐさまみんなで探しに行く事になった。

 ギルドメンバーリストから居場所を確認出来なかった事実に一同はかなり慌てていた。それは、サチが単独で迷宮区にいる可能性を示唆していたからだ。アキトは勿論、キリトも血の気が引いた。すぐさまみんなで探しに行こうと、ケイタがそう切り出した時、キリトが一人、迷宮区以外の場所を探すと言い張った。

 アキトが何故かと問えば、フィールドにも幾つか追跡不能の場所があるから、とそう言ったのだ。

 そしてアキトは、キリト一人じゃ大変だろうと、自分も探すとそう告げた。アキトとキリトは手分けしてフィールドを探し、ケイタ達は迷宮区へと探しに行ったのだった。

 

 だが、キリトが一人、迷宮区以外の場所を探すと言ったその理由を聞いた時、アキトは気付いたのだ。

 サチという少女の事を。彼女のその性格を。

 彼女はモンスターに対して恐怖心を募らせている。恐怖は死にたくないという思いから来ているのだ。そんな彼女が一人で迷宮区に行くような真似は決してしない。だから、キリトの意見が正しいかもしれないと考えを改めていたのだ。

 だが街中にいればギルドメンバーリストから居場所を確認出来るはず、だからその街よりも外にいるのは間違いない。だが馴染みの薄い別の層やモンスターのいるフィールドにいるとは考えにくい為、サチの居る場所はリストから補足されない主街区の外で、且つすぐに帰って来れる場所。

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトはそこまて考えると、すぐさま身を翻し、主街区の外へと向かって走った。まだ整ってない呼吸など無視し、必死になって走った。月明かりに照らされた街の影がとても冷たく感じるが、それすらも無視した。

 ただサチがいるかもしれない。その可能性だけで走る事が出来た。

 アキトは索敵スキルから派生する上位スキル《追跡》を持っていない。そこまで強くないし、そんなスキルがある事さえ知らない。だが、サチの事なら、サチならきっとこうするかもしれない、そんな想いがアキトを突き動かしていた。

 手に取る様に分かる、とまでは言えなくとも、ずっと見てきたからこそ、アキトは今こうして必死になって探す事が出来る。

 

 

 ────そう、ずっと見てきたからこそ。

 

 

 アキトは自己嫌悪に陥っていた。あの時、何故サチを戦わせたくないとケイタ達に言えなかったのだろうと。

 もしあの時、そう言えていれば、何かが変わっていたかもしれないのに。アキトは黒猫団との関係が崩れる事を恐れ、それとサチの身の安全を天秤にかけてしまっていたのかもしれないと、そう思っていた。

 サチがいなくなってしまった原因が、もしかしたらモンスターに対する、SAOに対する恐怖だとしたら、戦わないといけないという強迫観念に押し潰されそうだったからだとしたら。

 そうだとしたら、アキトはあの時の自分の発言を──自分の想いをしっかりとケイタ達に言えなかった自分を一生恨む事になるだろう。

 

 

(あの時、サチを戦わせたくないって言えてたら────)

 

 

 サチの言葉を、ちゃんと聞いていれば。

 

 

(“守る”って、そう言えていれば────)

 

 

 そう言える強さがこの手にあれば。

 

 

 

 

 「っ……?」

 

 

 

 

 アキトはその場で足が止まった。何かに気付き、ふと視線が下の方へと向いた。

 主街区の外れにある水路、その奥から、男性と女性の声がするのだ。こんな時間に、どうしたのだと、アキトは思わず近寄る。

 そしてその声が聞き取れる程の距離まで来て目を見開いた。

 

 

(キリトと……サチの声……!)

 

 

 アキトは小さな橋の麓の階段をすぐさま下りる為に足をかける。流れる水の音は耳を癒し、水路の奥でこだまする。その暗闇の中、近付いく度に、二人の声はキリトのサチの声だと段々と明確に分かる様になっていた。

 くぐもって未だに何の話をしているかは分からなかったが、アキトはその階段を下り、そしてその曲がり角に手を添えた。

 

 

 

 

 そして────

 

 

 

 

 「────君は死なないよ」

 

 

 

 

 キリトとサチに声をかけようとして────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「俺が、必ず守るから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────キリトのサチに対するその一言で、アキトは、その動きを止めた。

 

 

 

 







Q.サチをどうやって見つけたの?


キリト 「索敵スキルから派生する上位スキルの《追跡》スキルだよ。これでサチの足跡を辿れるんだ。結構便利なんだぜ」

アキト 「……サチは、一人じゃ迷宮区に行かないだろうって思って……でも、一人で行ける場所だとしても、馴染みの無い場所とか、遠くの場所とかは行かないんじゃないかって思ったんだ。だから、みんなが探せそうで、でも簡単には見つからない様な場所にいるんじゃないかって……」


A. アキト、全部推測とか凄い。


キリト 「……クソ……!」

アキト 「なんでさ……」


※小ネタは本編とは無関係です。



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すれ違う想い





君の望みを、叶えるよ────?






 

 

 

 

 

 

 

 ────サチがいなくなった。

 

 

 それを聞いてすぐに、キリトは《追跡》のスキルを発動していた。アキトと同じくらい動揺し、いてもたってもいられなかった。すぐさま自分の高ステータス、上位スキルを余すこと無くフルに活用し、彼女を探した。

 《追跡》のスキルで視界に表示されたサチの足跡を辿ったキリトは、主街区の外れにある水路に行き着いていた。首を捻りつつも中に踏み込んだキリトは、水の流れる小さな音と水の滴る音が響く影の中で一人、最近手に入れた隠蔽能力が付与されたマントを羽織ってうずくまるサチの姿を見付けた。

 その憂う表情がとても儚くて、キリトは一瞬だけ声をかけるのを躊躇した。だが、やがて意を決して一歩、前に足を踏み出した。

 

 

 「……さ、サチ」

 

 

 唐突に暗闇に響いたキリトの声は、サチを驚かせるには充分だった。肩までの黒い髪がピクリと動き、彼女はゆっくりと顔を上げた。やはりキリトが目の前にいた事に驚いた様に呟いた。

 

 

 「キリト……どうして、ここが分かったの?」

 

 

 月の光が差し込み、二人の影が伸びる。サチのその儚げな表情は、キリトの心臓の鼓動を強くした。

 サチの質問に、キリトはなんて答えるべきか迷ったが、やがて口を開いた。

 

 

 「勘、かな。サチなら、こういうところに行くんじゃないかって……」

 

 「……そっか。ふふ、凄いね、勘で私の居る場所が分かっちゃうなんて」

 

 「っ……」

 

 

 微かに笑うサチの表情に、キリトは言葉を失った。彼女が、自分を褒めてくれているみたいで、何処か嬉しそうな表情を見て、少しだけ自惚れた。

 けれど、キリトはまた仲間に嘘を吐いた。

 自分はサチがいなくなった事で冷静さを保つ事が出来ず、挙句スキルに頼り、確実な方法で彼女を見付けたに過ぎない。そこに“勘”なんてものは介在しておらず、全ては、黒猫団のみんなに自分が隠して偽っている高レベルの恩恵だった。

 そんな事、サチは知らない。彼女はやがて、両腕で抱えていた膝の上に顔を伏せた。まるで声を出さずに泣いている様に、キリトには見えた。

 

 

 「……みんな心配してるよ。迷宮区に探しに行った。早く帰ろう」

 

 「……迷宮、区……アキト、も……?」

 

 「……ああ」

 

 

 ────また、嘘を吐いた。

 サチが見付かった報告はまだしていない為、恐らくアキトもまだ街中かフィールドを駆けて探しているかもしれない。

 彼女からアキトの名前が出た瞬間、胸が熱くなる様な感覚に陥る。サチから出てくる言葉はいつだってアキトの名前だ。その事実が、キリトの心を締め付けた。

 

 

 「そっか……心配させちゃうのは、やだな……」

 

 「っ……」

 

 

 サチの表情は、アキトを想ってのものだと、キリトには分かっていた。彼を思い出しているのか、小さく笑って遠くを見つめている。

 キリトはその場に立ち尽くし、その拳を強く握り締めた。彼女のアキトへの想いが、キリトを妬ませる。

 まるで、これがみんなを守る為に戦うアキトと、自分の事しか考えていないキリトの差なのだと、そう突き付けられたみたいだった。

 そして、そんな自分が嫌になった。いっそ、他人は他人だと割り切る事が出来たら、どれほど楽だろう。

 

 

 「……立ってないで、座ったら」

 

 

 サチにそう促され、キリトは言われるがままに腰掛ける。サチから少しだけ間を空けて座った石畳は、夜という事もあって冷えていた。

 

 

 「……帰らないと、って思ってはいるの。けど、どうしてか足が竦むの」

 

 

 隣りで、小さな囁きが聞こえる。キリトはその声の主をチラリと見た。とても弱々しくうずくまる彼女の背中は、とても寂しそうで。

 

 

 「みんな、私のせいで迷宮区にいるんだよね……アキトも」

 

 「……アキトは強い。だから、最悪の事態にはならないよ」

 

 

 そもそも、アキトが迷宮区にいる事、それ事態嘘なのだが、もし彼が迷宮区に黒猫団のみんなと行っていたとしても結果は変わらないんじゃないだろうか。

 キリトは、そう告げた。それは、サチを心配させまいとしたキリトなりの配慮だった。

 

 

 「そう、だよね……アキト、強いもんね……」

 

 

 だが、サチが洩らした声はとても弱々しく、その瞳は揺れていた。サチは自身の肩に乗せた手をキュッと握り、ほんの少しだけ顔を上げた。

 それから暫くは、二人の間で沈黙が生まれていた。キリトは、サチが何を思っているのか、それが分からないでいた。

 早く帰らなきゃ?それとも帰りたくない?もしかしたら、全く違う事を考えているのかもしれない。

 そこに会話は無く、互いの小さな呼吸音と、水路に流れる水の音だけが聞こえる。月明かりで伸びた影は、先程までと位置が変わっている。月が傾いている、つまり、時間が経っている事実を二人に教えてくれていた。

 これ以上の時間経過は危険かもしれない。アキトは兎も角、黒猫団のみんなは迷宮区で探し続けている。このままサチが動かなければ黒猫団のみんなも帰れないし、出会ったモンスターに襲われるかもしれない。サチが行方不明、アキトとキリト不在という精神状態で戦い続けられる訳でも無いだろう。

 キリトは仕方無しといった表情で、ケイタにメッセージを送る為にウィンドウを開こうと、その指を動かし────

 

 

 「……私、死ぬの怖い」

 

 

 その指が、空中で静止した。キリトはその腕を下ろし、サチへと視線を向けた。

 突然そう切り出したサチにほんの少しだけ驚いたが、彼女はまた、ポツリと呟いた。

 

 

 「怖くて、この頃あんまり眠れないの」

 

 「……」

 

 「ねえ、何でこんな事になっちゃったの?なんでゲームから出られないの?なんでゲームなのに、ホントに死ななきゃならないの?あの茅場って人は、こんな事して、何の得があるの?」

 

 

 それは、サチがずっと黒猫団のみんなに浸隠しにしてきた気持ちの吐露だった。

 

 

 「こんな事に、何の意味があるの……?」

 

 

 立て続けに連ねた五つの質問。彼女が今まで何を思って、どう感じていたのか、その断片だが、キリトは知る事が出来た。その質問全てに、個別に返答出来たかもしれない。けれど、この思いをずっと吐き出さずに我慢してきたサチは、そんな口先だけのまともな意見を求めている訳では無いのだろう事は、キリトにも分かっていた。

 

 

 「……多分、意味なんて無い……誰も得なんてしないんだ。この世界が出来た時にもう、大事な事はみんな終わっちゃったんだ」

 

 

 また、そうして嘘を重ねる。それは、とても残酷な嘘だった。自分を守る為の保身で、サチの魂の叫びに応える誠意など、微塵も感じられない嘘だった。

 それはキリト自身、強さを隠して黒猫団に入り、共に行動する中で自分だけは、密かに優越感、快感を手にしていたからだ。その意味で言うなら、キリトは明らかに得をしていた。

 

 

 ────本当は、この時に全て話してしまうべきだった。

 自分はこんなに強い。黒猫団の誰よりもレベルが高い。だから、サチが前衛をやる必要なんて無い。なんなら、戦わなくたって良いと、そう言えていたら。

 そう、キリトは後悔していた。キリトはサチに、前衛への転向を焦る必要は無いと言った。それは、自分が強い事を──少なくとも、盾になるには充分過ぎるステータスを持っていたからだ。

 なのに、アキトはサチに、前衛転向、それ自体しなくて良いと言ったのだ。キリトよりもレベルは低い、ステータスも中途半端で、ただレベル上げと情報収集をしてるだけ、明らかに自分よりも劣っているはずのアキトが、キリト以上の事を口にしたのだ。その分、自分が働くからと。

 それだけで、キリトは悔しさが滲んでいた。今サチがあの時の事をどう思っているかは分からない。けれど、あの時あの場にいた中で誰よりも強かった自分が、サチにそう言えなかった事を、アキトがそれを言葉にした時からずっと後悔していた。

 もし、この時全部打ち明けていれば、サチのプレッシャーも和らいだかもしれない。ささやかな安心感を得られたかもしれないのに。

 

 ────言えたのは、保証も無い戯れ言だった。

 

 

 「……君は死なないよ」

 

 「なんでそんな事が言えるの?」

 

 「……黒猫団は今のままでも充分に強いギルドだ。マージンも必要以上に取ってる。あのギルドにいる限り、君は安全だ。……だから、無理に、剣士に転向する事なんて無いんだ」

 

 

 最後に、取って付けた様に一言添える。それは、あの時アキトに言えて、自分は言えなかった一言だった。

 けれど、それでも、アキトの言葉よりも、彼より強い自分の方が、その言葉を信用出来るものに変えられると、キリトはこの時自分を誤魔化した。

 サチは、そんなキリトの言葉に瞳が揺れた。縋る様な視線を向けていた。キリトは、アキトの言葉を奪った事、サチの気を引いた罪悪感で彼女を直視する事を躊躇ったが、やがて同じ様にサチへと視線を向け、数秒見つめ合った。

 

 

 「……ほんとに?ほんとに私は死なずに済むの?いつか、現実に戻れるの?」

 

 「ああ……君は死なない。いつかきっと、このゲームがクリアされる時まで。それまで、俺が……っ」

 

 

 

 

 ────君の事は、アキトじゃなく、俺が。

 

 

 

 

 「……俺が、黒猫団を……君を必ず守るから」

 

 

 キリトは、そうしてサチを真っ直ぐに見据えた。その言葉を現実にすると、そんな意志を瞳に宿らせて。それは説得力も保証も確信も無い薄っぺらな言葉だった。

 それだけで、アキトと明らかに違う様に聞こえた。

 けれど、それでも。

 サチは感極まったのか、キリトの傍まで近寄り、彼の肩に顔を当てると、少しばかりの涙を流し、縋る様に泣いた。

 

 

 ────これは、卑怯だ。

 

 

 分かっている。自覚している。けれど、他にやり方を知らなくて。

 いつだって、他人は他人だと、そう割り切る事が出来なくて。アキトの近くにいればいる程、自分が見捨てて来た人達が走馬灯の様に自分に襲い掛かるのだ。

 それが、耐え切れなかった。

 だから、ほんの少しだけで良い。夢を見させて欲しかった。

 自分が、彼の様になれるかもしれない、その可能性を。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 翌日の夜、キリトは自分の部屋で装備の見直しとスキルやステータスの割り振りを確認していた。今まで以上に念入りなチェックをし、メンテナンスを怠る事もしなかった。

 昨日の夜にサチに放った言葉を嘘にしない為ではあったが、その目的の向こうには、自分が憧れてしまったアキトの背中が見えたのだ。

 

 

 「……っ」

 

 

 そうしてステータス画面を閉じ、装備品やアイテムの確認を始めようとした時だった。

 扉からノックの音が響く。キリトは慌ててウィンドウを閉じ、部屋の向こうにいるであろう人物に入る様に促した。

 すると、そこに現れたのは黒猫団で唯一の女の子である、サチだった。小さく、気不味そうに笑っていた。

 

 

 「……キリト」

 

 「サチ……どうか、したのか」

 

 「ゴメンね、その……眠れなくて……」

 

 

 彼女は枕を抱えてそう呟いた。キリトは、それを聞いて目を見開いた。それは、彼女が自分を頼りにしてくれた事による高揚感だったのかもしれない。

 そうして、一人では大きいベッドに、お互い背中合わせで横になる。サチも女の子だ、すぐ傍で寝ていると思うと、キリトも落ち着かなかったが、先日の彼女の言葉を思い出して我に返っていた。

 死の恐怖で、この頃眠れない。そう彼女は言っていた。彼女がキリトの部屋に来たのは、自分がサチに、“守る”と言ったからだろうと、キリト自身そう思っていた。アキトでさえサチに向かって言わなかったであろうその言葉が、サチにとっては安心出来るものだったのかもしれない。

 二人の間には静寂しか存在せず、互いに何かを呟く事も無い。

 

 

 だが、ポツリと、サチが言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 「……私、キリトが羨ましい」

 

 「え……」

 

 

 唐突な、しかも思いも寄らない言葉に、彼女に背を向けていたキリトの瞳は見開いた。

 頭を少しだけ動かし、チラリ、と背中合わせにしているサチを見る。

 

 

 「いつも冷静で、みんなに的確に指示を出して……危なくなったらすぐフォローしてくれる。後から入って来たのに、みんなとすぐに打ち解けられて……強くて、羨ましい」

 

 「……サチ」

 

 「私もキリトみたいに強かったら……怯える事無くモンスターに立ち向かえたら……アキトに、あんな風に言われる事は無かったのかな」

 

 「っ……」

 

 

 言葉に詰まる。アキトの名前が出て、すぐに思い出す。

 彼が黒猫団の前で、サチの隣りで告げた言葉を。『サチの前衛転向は止めても良い』と、そんな言葉を。

 それは、サチの身と彼女の感じるプレッシャーを按じての、アキトなりの優しさが見えた提案だった。それはサチにとっては良い話だし、アキトもサチを危険な目に合わせる数が減る事に安堵さえしていただろうが、あの言葉に誰よりも深く傷付いたのは、他ならぬサチだったのだ。

 自分は力不足、それは分かっている。モンスターが怖い、アキトはそれを知ってくれている。死にたくない、彼はその思いを汲んでくれた。

 けど、我儘だと分かっていても、他ならぬアキトにそう言われたのがショックだったのだ。

 

 

 「キリトみたいに強かったら……私も、アキトを助けられる様に、横に立てる様に、なれたのかな……」

 

 「サチ……」

 

 

 彼女の言葉一つ一つが、とても弱々しくて。

 その後、サチは誤魔化す様に笑うと、キリトに背を向けたまま壁に向かって音を出した。

 

 

 「……ゴメン、何でも無い。私じゃ、そんな事してもすぐ死んじゃうよね……」

 

 

 不安気な声が背中から聞こえる。キリトは少しだけ振り返り、サチを見る。サチも、キリトが振り返った音に気が付いたのか、振り返りキリトの瞳を見据えた。

 

 

 「大丈夫。君は死なないよ」

 

 

 安心させる様に、そう囁く。それを聞いて、サチは落ち着きを取り戻したのか、小さく笑みを浮かべながら瞳を閉じた。

 そんな彼女に背を向けたキリトの胸に宿っていたのは、アキトに対する嫉妬に近いものだった。凡そ戦いに向いているとは言えない臆病な性格であるサチに、そんな事を言わせるアキトが、とても羨ましかった。

 彼女が今、アキトでは無く自分の部屋に来てこうして眠っているのも、きっとこんな自分を見られたくないからなのだろう。

 

 キリトもサチも、別に恋愛をしている訳では無かった。互いに愛の言葉を囁いたり、触れ合ったり、見つめ合ったりする事は無かった。

 二人は互いに利用し合っていたのかもしれない。傷を舐め合う野良猫の様に、寄り添う事でお互いに必要なものを補完しあっていたのかもしれない。

 サチはキリトの言葉を聞く事で、僅かだが恐怖や焦燥を忘れ、キリトはサチに頼られる事で、ビーターである事の後ろめたさ、黒猫団のみんなの中で快感を得ている負い目を和らげる事が出来ていた。

 それは、キリトにも少なからず分かっていた。けれど、それでも、キリトはアキトに対して、何だか勝ったような気がしていた。

 サチがアキトよりも自分の名前を呼ぶ。アキトの部屋ではなく、自分の部屋にサチが来た。それは翻して言えば、アキトよりもキリトの言葉の方が、キリトの強さの方が、アキトよりも勝っている事実を示していたからだ。

 サチがそんなつもりでないのかどうかは分からない。

 だがキリトは無意識の内にサチを、アキトと自分の差を確認する為のものさしの様に見ていたのだ。

 

 あの日、サチの心の声を聞いて、キリトは初めてSAOという世界に幽閉されたプレイヤー達の恐怖、その一面を垣間見る事が出来ていた。それまでキリトは、このデスゲームの恐怖を、真の意味で感じた事は無かった。キリトはβテスターで、その時には既に低層フロアのモンスターを知り尽くし、その知識や戦い方を活かして機械的にレベルを上げ、充分過ぎる程の安全マージンを維持して攻略組に名を連ね続け、その事に快感を──自分が誰よりも強い事に優越感を覚えていた。

 だが、そうして他人をおざなりにし、自分が死なない為に、自分が最強である為に情報を独占し、何の苦労も無しに手に入れた膨大なリソースの陰には、サチの様に死の恐怖に怯える数多のプレイヤーがいた。それを、キリトは知る事が出来たのだ。

 そして、そう解釈する事によってキリトが手に入れたのは、自分が手にした罪悪感を正当化する方法だった。それは言わずがもがな、サチと黒猫団を守り続けるという事だった。

 そう、アキトがキリトに告げた、彼の夢。キリトはそれを、自分の夢の様に感じ、奪う形でサチに告げていた。

 黒猫団にレベルを偽って入る事で快感を手に入れた事実を、自分の行為は彼らを守る為、彼らの攻略組参加という夢を叶える為の行為なのだ、と都合良く解釈し、自らを正当化する事にした。

 

 

 それが、アキトの掲げた理想と全く違うという事を、無理矢理忘れて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 かなり早い時間に起きてしまったキリトは、ゆっくりと起き上がって窓の外を見た。まだ外は暗く、早朝と呼ぶにも早過ぎた。時間を見れば、まだ3時半だった。

 隣りを見れば、変わらずこちらに背を向けて静かに寝息を立てているサチがいた。最近の怯えた様子の彼女と比べると、大分和らいだのではないか、そう思って、キリトは小さく安堵の息を吐いた。

 かなり早い時間に起きてしまったが、昨晩はサチが来た事で、普段行っている深夜のレベリングが出来ていなかった事を思い出し、目が冴えてしまった事もあって、丁度良いと思う事にした。

 物音を立てずにベッドから降り、サチを起こさない様に扉をゆっくりと開ける。部屋から出た瞬間に、装備をウィンドウから取り出し始める。階段を下りながらウィンドウを操作し、コートと片手剣を身に纏う。

 宿の扉を開けば、まだ朝方とも呼べないが、暗過ぎる訳でも無い中途半端な明るさの空がキリトを迎えていた。

 外は肌寒さが残り、浅いが霧が立ち込めている。装備を一通り確認したキリトは、歩を進め始めた。

 

 

 「っ……」

 

 

 だが、霧の向こうに人影が見え、キリトはその動きを止める。その影は、真っ直ぐこちらに、この宿に向かっている様に見えた。

 キリトは一応警戒しつつ、目を細め、その霧から出てくるであろう人物を凝視し、そして。

 

 

 「あ……キリト」

 

 「……アキト、か」

 

 

 その人物がアキトである事を理解し、強張っていた表情を崩して安堵の息を吐いた。

 白いコートは霧と同化し、ギリギリまで分からなかったが、見知った顔だと分かった瞬間、張り詰めていた空気が弾け飛んだ気がした。

 互いに互いを見据え、何も言わない。何を言おうとしてるのか、お互いに模索しているようだ。

 アキトの透き通った青い瞳は、キリトを真っ直ぐに見据えており、それがキリトにとっては居心地の悪いものだった。

 

 

 「……レベリング、してたのか。こんな遅くまで」

 

 「……キリトこそ、今からレベリング?」

 

 「……ああ」

 

 

 そんな事務的な会話さえも、キリトには辛いものだった。サチと夜を過ごしていた事への罪悪感からか、それともアキトよりも自分が彼女に頼られた事による優越感からか、どちらにせよいたたまれず、キリトは視線を横へと逸らした。

 アキトはそんなキリトを暫く見ていたが、やがて悲しそうに笑うと、キリトに感謝の言葉を告げた。

 

 

 「……ありがとね。サチのこと、見付けてくれて」

 

 「……ああ」

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 その沈黙が、何を意味しているのか。どちらも考えていなかった。

 だが、アキトが何かを言いたそうにして、隠している事は、キリトには分かっていた。

 羨望も嫉妬もしても、それでも大切な親友だ。キリトは、アキトのその態度を見て、昨日の事を思い出していた。

 

 

 「……聞いてた、んだろ……?」

 

 「っ……うん」

 

 

 それは、サチが居なくなった時の事。キリトが逸早くサチを見付け、そうして彼女の思いの丈を聞いたあの日の事。

 話の終盤に二人を見付けたアキトは、キリトの最後の一言を聞いていた。しかし彼の存在は、キリトの索敵スキルによって補足されていた為に、アキトが隠してもキリトにとっては既知のものだった。

 だが、キリトが今アキトに感じていたのは、劣等感よりも優越感に似た何かだった。

 誰かの為に頑張るアキトの様な存在に憧れていたキリトは、もう彼の背を追うだけでは無くなっていたのかもしれない。

 キリトは意を決して、アキトに向かって口を開いた。

 

 

 「……みんなは、黒猫団は、俺が守ってみせる。サチも……アキトも」

 

 「……そっか」

 

 

 アキトは目を伏せて、そう呟いた。長めの黒髪が目元を覆い、表情は良く分からないが、その口元は無理に笑っている様に見えた。

 

 

 「キリトなら……安心だよ」

 

 「っ……」

 

 「ありがとね、サチを励ましてくれて」

 

 

 アキトは小さく、寂しそうに笑って、キリトの後ろにある宿の扉に手を掛けた。彼がどんな思いをしたのか、その全てをキリトが知る事は出来なかった。

 だけど、彼のあの表情を見て、感じていたのは達成感とは程遠かった。

 ずっと憧れていて、今、彼の様になれるかもしれないと思っていたキリト。

 

 

 けれど感じたものは、達成感でも、まして優越感でも無くて────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────親友を傷付けたかもしれない、そんな後悔だけだった。

 

 

 

 

 

 






因みに、原作だとサチは、キリトの事を「お父さんみたい」と称していました。
まあ、好きな人よりも父の方が頼りになるかもですね(白目)



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崩壊の兆し




後悔の始まりは、いつも気付かぬままに────







 

 

 

 ────それは、いつもと何ら変わらない、ただの日常のはずだった。

 

 

 

 

 在り来りでも、大切なひと時のはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 普段と大差無い時間に起床し、皆で朝食をとり、いつもの様に転移門広場へと集合していた。装備も変わらず万全の状態で、傍から見れば、今からレベリングでも行くのではと思わせるものだった。

 太陽も照っており、快晴の一言に尽きる。寧ろ、いつもよりも清々しい一日になる気さえしていた。

 装備品は、これまでみんなで狩りを続ける中で手に入れたものや、キリトがそれとなく誘導したダンジョンのドロップ品だった。攻略していく中で出会したモンスターも、アキトの事前の情報収集によって難無く円滑に倒せており、レベルもメキメキと上がっていた。

 ギルド《月夜の黒猫団》は、ここ最近でかなりの成長を遂げていたのだ。11層を拠点にしてもう半年以上経っており、彼らと同じ様にここを拠点にしているプレイヤーからは一目置かれる様になっていた。みんなにとって、それは喜ばしい事だったが、勿論アキトはその度に油断や慢心を注意していた。

 

 

 だが、アキトがそうして彼らを初心に戻すのとは反対に、キリトは彼らを攻略組へと参加させる為に、守る為に実力以上のレベルを付けさせていた。

 その差が、何を招く事になるのかも知らずに。

 

 

 黒猫団は転移門近くでその歩みを止めると、一斉にリーダーであるケイタへと視線を動かした。みんなの視線を集め、ケイタは照れた様に笑う。

 

 

 「……いよいよだな」

 

 

 彼のその言葉に、一同が頷いた。

 いつもと変わらない日常のはずだった。いつもの様な風景だった。だがその中で唯一、これから新しくなる事がある。

 そう、黒猫団は遂に、夢の一つであったマイホームを買うだけの資金を集め終えたのだ。みんなが笑って帰れる家、それは常に優しく温かな空気を纏う彼ら全員の願いで。それが、今日遂に叶うのだ。

 これからは11層の宿屋では無く、自分達の家が新しい拠点となる。その事実が、彼らを高揚させていた。これまで、その道は長く辛いものだっただろう。買いたいものも幾つか我慢した時もあったはずだ。だが、小さな積み重ねが実を結び、こうして家を買えるだけの資金を集める事が出来たのだ。それは、黒猫団が初めから持っていた堅実さがあってこそのもので、アキトもみんな以上に嬉しく思っていた。

 といっても、彼らが集めた資金は、最前線の攻略組が保持している資金と比べれば微々たるもので、下見に行った時に見付けたギルドハウスも小さな一軒家だ。

 だが、彼らはそれでも家があるという事実だけで、この先も頑張れそうだと、そう言っていた。それは遠い未来かもしれないが、いつか現実に帰る為の願掛けにも似た本能だったのかもしれない。

 帰る場所、それを現実世界に重ねて。

 全員で共通のウィンドウを開く。ゼロにほど近いギルドメンバー共通アイテム欄のコル残額を眺めながら、小さく笑い合っていた。

 

 

 「いやー、思えばここまで、長い道のりだったよなぁ」

 

 「まだ夢みたいだ……でも、今日、遂に俺達に家が出来るんだな。なんか、泣きそうだよ」

 

 「あれだけ長い間コル貯めてたのに、無くなるのは一瞬だったな」

 

 「はは、確かにな」

 

 

 思えば本当に長かった。それは、このギルドに後から入ったキリトでさえ思う事だった。ここまで彼らと共に戦ってきた事に、小さな達成感すら覚えた。

 

 

 「……それじゃあ、そろそろ行こうか」

 

 

 ケイタはそう言い放ち、転移門をチラリと見る。目標金額に達した黒猫団の共有財産を手に今から彼が向かうのは、ギルドハウスにしようと決めた一軒家を売っていた不動産仲介のプレイヤーの元だ。満足のいく物件は望めなかったが、決して妥協したとも言い難い。自分達の家なのだから、納得出来る物件にしたかったのだろう。

 最初に満場一致で欲しいと言い出したのは、大きめの煉瓦の建物だった。一部屋が大きく、各自の部屋にするには快適過ぎる場所で、家具も粗方設置された優良物件だった。勿論、当時の彼らにとって、その一軒家の値段はかなりのものだっただろう。みんな、仕方が無いと諦めながらも、心では引き摺っていたかもしれない。

 結局何とか資金を集めれば手に入りそうな小さな一軒家に決まったのだった。買えそうなものの中で一番良さそうなものをみんなで決めたのだ。家具は備わっていないが、それは買えば問題無い。その時の彼らの楽しそうな笑顔を、彼らは互いに忘れていない。

 

 

 「な、なんか緊張してきたな」

 

 「け、ケイタ、焦らずゆっくりな」

 

 「なんだよゆっくりって。もう買う家決まってるだろ」

 

 

 慌ててケイタを宥めようとしているメンバーに、苦笑いで答えるケイタ。みんな、夢見たギルドホームがすくそこにある事実に対して、その高揚を抑え切れないのだろう。

 そうしてケイタは仕方ないなと溜め息を吐くと、そろそろ行くよと踵を返す。

 

 

 「よし、行くか。……あのさ、アキ────」

 

 「ま、待って」

 

 

 そんな中、アキトが慌ててケイタを呼び止めた。ケイタが何か言おうとしていた事を遮ってしまい、アキトはしまったと表情を歪める。ケイタもいきなりの事で言葉を詰まらせていたが、小さく笑ってアキトを見た。

 

 

 「……アキト、どうかした?」

 

 「あ……ゴメン、何か言おうとしてたよね。先、良いよ」

 

 「あ、いや、僕のは別に急ぐ程の事じゃないし。何?」

 

 「いや、俺も別に急かされるような事じゃ……ぁ」

 

 

 ケイタがキョトンと首を傾げる。他のメンバーも、アキトのその様子を不思議に思ったのか、彼に視線を集め始めていた。

 だが、そんな視線にたじろぎながらも、アキトは視線を逸らしながらもケイタに向かって口を開いた。

 

 

 「……俺も、一緒に行って良いかな」

 

 

 そう言った彼を、彼らは口を開けて見ていた。目を丸くして、一斉にこちらを見ていた。アキトだけは、何故彼らがそんな反応を示しているのか分からず、少しばかり動揺を覚えた。

 

 

 「け、ケイタ……?」

 

 「あ……ああ、ゴメン。実は、僕もアキトを誘おうと思ってたんだ。だから驚いて」

 

 「え……そう、なの?な、なんで……?」

 

 「えっと……それは……」

 

 

 アキトが問えば、視線が逸れる。見渡せば、黒猫団のメンバーもよそよそしい雰囲気を出していた。

 キリトもそんな彼らに違和感を覚え、訝しげに彼らを見ていた。

 単純に、ケイタが自分を誘おうとしていた理由を知りたかったアキト。ここで答えを渋られる理由がイマイチ分からなかったが、やがて捲し立てるように、ケイタが口を開いた。

 

 

 「ま、まあそれは後で話すよ。じゃあ、ギルドホーム買いに行くの、付いてきて貰える?」

 

 「う、うんっ……」

 

 

 アキトは軽い足取りでケイタの後を追う。そのまま同じタイミングで転移門に足を置き、転移先を告げた。

 みんなが笑って手を振っていて、アキトは笑ってそれに応える。だが、サチと目が合った時、思わず目を逸らしてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「っ……」

 

 

 手を振っていたその手をその場で固め、サチは瞳を揺らした。

 転移する瞬間、アキトに向けて振ったその手に、アキトが返事をしてくれる事は無かった。目を逸らし、何処と無く辛そうな表情のまま、それでもこちらを見てはくれていなかった。

 今から一ヶ月近く前、サチがみんなの前で姿を消したあの事件の辺りから、アキトの様子が何処かおかしい事には気付いていた。なのに、話し掛けても返ってくる言葉は大丈夫の一言。以前二人で行った喫茶店に誘うも、良い返事は貰えていなかった。

 どんどんアキトとの距離が離れていってるような、そんな気がしているサチ。

 

 

 「……サチ、どうかしたのか?」

 

 「え……」

 

 

 そんな彼女にいち早く気付いたキリトは、表情を曇らせてサチの顔色を伺う。キリトから彼女のその物憂げな表情は、儚さがあり、暗い影を落としていた。

 

 

 「あ……いや、ううん。何でも無いの」

 

 

 我に返った彼女は、誤魔化す様に笑う。そんな仕草は、現実世界でも友人である彼らには通じなかった。

 

 

 「……なんだよ、元気無いじゃんか」

 

 「折角新しい家が手に入るんだぞー、サチも喜べって」

 

 「う、うん……そうだね」

 

 

 そうしてサチを元気づけようとした発破にも、彼女は小さく応えるだけだった。何処か上の空な彼女に、先程まで元気だった黒猫団の空気が変わる。キリトはそんなサチの表情の既視感に、何処か焦燥を感じていた。

 どうしたものかと彼らが顔を見合わせる中で、テツオは小さく溜め息を吐くと、サチに向かって鋭く口を開いた。

 

 

 「どーせ、アキトと何かあったんだろ」

 

 「っ……え、な、何で、そんなっ……」

 

 

 サチは一瞬で顔が強張り、途切れ途切れに音を零す。その様子は、図星と言っている様なものだった。

 ダッガーとササマルは目を見開いてサチを凝視し、キリトはテツオの言葉に身体を震わせた。

 

 

 「なにお前ら、まだ喧嘩してんのかよ?」

 

 「べ、別に喧嘩って訳じゃ……」

 

 「そっか……やっぱ、アキトとサチが何か気不味い感じに見えたのは気の所為じゃ無かったのか……」

 

 「……というか、サチだけじゃなくて俺達にもよそよそしいよな。なんか避けられてるっていうかさ……」

 

 

 どうやらメンバー全員が、このところアキトとサチの間の空気が微妙な事に気が付いていたようだ。原因は不明だが、以前サチが宿から居なくなったあの一件から、アキトがサチに対して何処かよそよそしいのだ。最初はサチの、ひいてはメンバー達の気の所為だと思っていたが、あれから一ヶ月近く経った今でも、その態度は変わっていなかった。それを、テツオは覚えていたのだろう。

 それどころか、黒猫団のメンバー全員がアキトに避けられているような気さえしていた。

 

 

 サチ自身もアキトのその態度は気にはなっていたのだが、その度にあの日キリトに縋ってしまったあの時の事を思い出して、アキトに罪悪感に似た何かを感じて近付く事を躊躇っていた。

 アキトではなく、キリト。その行動の中に恋愛的な感情があった訳じゃ無い。それはあくまで、自分の保身の為、恐怖から逃れようとする本能だった。けど、それでも。

 ────まるでアキトを、裏切ってしまったみたいで。

 

 

 「……」

 

 

 彼女のそんな様子を見て、隣りでキリトが顔を伏せる。

 サチがここ最近まともにアキトと会話出来ていない事を、誰よりもキリトが知っていたからだ。そして、アキトがサチ、黒猫団をなんとなく避けているその理由を作ったのが他でもない自分自身である事実に、何も感じていないはずが無かった。

 

 

(……俺、は……)

 

 

 寧ろ、あの時後悔したのだ。アキトのあの表情を見て、キリトは漸く、自分がアキトにした仕打ちを理解した。

 自分が彼に抱いていた憧れ、嫉妬。彼のようになりたいと願った自分が掴み取ったのは、アキトがいるべき場所、いたはずの場所だった。そしてその場所は、キリトがアキトから奪い取った場所であり、彼の理想、夢すらも我がものとした。それがアキトにとって、どんなに辛い事だっただろうと、あの日、やっと理解したのだ。

 けれど、それはもう後の祭り。気が付けば、アキトはサチやキリト達を避けるようになっていた。声を掛ければ返事をしてくれる。けれど、彼との会話はいつしか事務的なものになっていた。当たり障りの無い、常に攻略についての会話で、日常的な話は少なくなっていた。けどそれでも、彼は深夜のレベリングを止めていなかった。それは、キリトだけが知っている。

 このままじゃ、ダメだ。家を買うこの機会に、何とかしたい。そう、キリトだけじゃなく誰もが思った。

 

 

 「まあでも、アキトなら面と向かって話せばちゃんと聞いてくれるだろ」

 

 「そりゃあ良い。アイツ、真っ直ぐ言われると逃げらんないからなー」

 

 「嘘とか隠し事とか、ホントは苦手だしね。正直過ぎるっていうか、優しいというか……」

 

 

 ダッガー、テツオ、ササマルは空気を和ませようと、そう言って笑った。彼らが言っている事は全て正しくて、キリトもサチも少しだけ励まされた気がした。

 アキトという少年は、初めて出会った時から何処か放っておけない雰囲気を纏っていた。打てば返ってくる様な正直者で、聞いた事全てを答えてしまう、支持した事全てを承諾してしまう、そんな危うい少年を、優しい黒猫団は放っておけなかったのだ。結果、彼は黒猫団に色んな贈り物をしてくれた。彼がいると、彼が笑うも、こちらも嬉しくなって。彼が落ち込めば、こちらも悲しくて。いつの間にか、黒猫団にアキトがいない事など、考えられなくなっていた。

 そんな彼が今、このギルドに居心地の悪さを感じているとしたら、それは戦力的にも友人的にも死活問題だった。

 

 

 「俺ら仲間なんだしさ……いつまでもこういうのは、な……」

 

 

 その言葉が、キリトの胸を貫く。罪悪感が凄まじかった。その一言で空気が沈む。だが、ダッカーが頭を掻きながら告げた。

 

 

 「おいおい、暗い雰囲気にするなよなっ、今日でこの雰囲気は終わりにするんだからさ」

 

 「……そうだね。その為にケイタにアキトを連れて行って貰ったんだし」

 

 「早くしないと帰って来るぞ。ケイタの奴、ちゃんと時間稼ぎ出来るかね」

 

 

 各々が口を開き、表情を明るくする。

 アキトが自分からケイタと同行する事を頼んで来たのは予想外だったが、これから行われる彼らの“計画”には差し支えない。寧ろ、ケイタがアキトを誘う手間が省けたというものだ。

 後は、ケイタが如何に時間を稼いでくれるかが肝だが、夕方までならなんとかと、リーダーらしく胸を張って言ってくれた。時間はたっぷりあるが、うかうかしても居られない。

 

 

 ────黒猫団がこの“計画”を思い付いたのは、つい最近の事だった。

 アキトのメンバーに対する態度について、このままでは良くないと話し合った事があったのだ。黒猫団がアキトを大切に思っているからこそ、彼に避けられている事実が胸を痛め、各々限界だったのだ。

 そんな中で提案されたのが、今回の“計画”だった。一同一致で首を縦に振り、今日この日を待ち望んでいた。

 アキトが何故よそよそしい態度を取るようになったのかは分からないが、彼がそんな時は常に自身の力を嘆く時だと決まっているのだ。アキトは普段の戦闘では黒猫団の力になっているのだが、何せ思考がネガティヴ過ぎるのだ。『俺なんか』『俺よりも』と言っては自分を卑下する様子は何度も見てきたのだ。

 つまり、彼に自身を認めさせる事が何よりも重要なのだ。勿論、黒猫団全員がアキトの存在が必須だと思っていた。

 今日、新しいギルドホームを購入し、みんなで夕飯を取る。料理は豪華なものを揃え、そこでアキトを元気にするのだ。

 今回、ギルドホームの購入の際にケイタにはアキトを連れ出して貰い、その間に買い出しを済ませる。夕方まで時間稼ぎを伸ばしたのは、黒猫団のみんなに考える時間を作る為だった。アキトがいる時間帯に考えたりしたら、彼に勘づかれる可能性があった為に、今日の今日までノープランもいい所だった。

 

 

 だがその“計画”の詳細を聞いたキリトは、誇張無しに驚いた。黒猫団の、みんなの彼を思う気持ちが嫌になるほど伝わったのだ。顔を伏せ、瞳を揺らして口を開いてこう切り出したのは記憶に新しい。

 

 

『……それ、俺も参加して良いのかな』

 

 

 ────きっとこの空間で、自分はアキトには決して勝てはしないのだろうと。

 

 もう、それは認めるしかないのかもしれない。

 キリトこそ劣等感よりも、アキトを親友として見ていたし、この状況を作り上げてしまった自分を責めていた。勝ちたい、越えたい、そう在りたいとは思っても、彼の居場所を奪うつもりは一欠片だって無かったのだから。

 だから、彼らの提案を聞いて、またとないチャンスだと思った。彼に自分の醜い部分、憧れていた事、嫉妬していた事を、ちゃんと伝えるのだと、その時思った。

 

 

 

 

 ────だが、そうして街へと足を運ぼうとした時だった。

 テツオが、如何にも何かを思い付いたような顔をして、みんなに向かって言い放ったのだ。

 

 

 

 

 「あ、そうだ!二人が帰って来るまで時間はたっぷりあるんだし、迷宮区でちょっと金を稼いで、新しい家用の家具なんかも全部揃えちまえって、アキトだけじゃなくケイタもびっくりさせてやろうぜ!」

 

 「おっ、良いじゃん!」

 

 「ナイスアイデア!」

 

 

 その提案に笑みを浮かべる彼ら。どうやらサプライズが好きなようで、全員が悪戯を思い付いた子どものような顔をしていて、キリトも思わず苦笑した。

 しかし、その次の言葉でその表情は一瞬で消える。

 

 

 

 

 「────なら、いつもより上に行ってみようぜ」

 

 

 

 

 とんでもない言葉が飛んでいた。キリトは目を見開き、その発言に厳しく手を打つ。

 

 

 「却下だ。いつもの狩り場で充分だろ」

 

 

 今はケイタもアキトもいない状態なのだ、幾らレベルが上がっていたって、そんな時に行った事の無いエリアへ行くだなんて危険過ぎる。

 しかし、みんなは何食わぬ顔で、何でもないといった風な様子だった。

 

 

 「上なら、いつもよりも早く、沢山稼げるよ」

 

 「俺達のレベルなら余裕だって!」

 

 「……」

 

 

 キリトは、そんな彼らに何も言わなかった。

 向かった先は、最前線から三層しか離れていない場所だった。そこは稼ぎの良いエリアではあったが、トラップ多発地帯でもあった。

 けれど、キリトはそれを伝えようとはしなかった。

 きっと大丈夫、何処かでそう思っていたから。

 アキトに謝りたい、そう思っていたから。

 だから、これからみんなで催すパーティーの準備を優先してしまったのだ。

 

 

 

 

 ────だがそれを、キリトはずっと後悔する事になる。

 

 

 

 

 ────あの時、こうしていれば。そんなタラレバを何度も何度も。

 

 

 

 

 ────しかし、届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大切なもの、大切な人。

 

 

 

 

 その想いが強いものこそ、失ってみないと分からない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 その石造りの街並みを、会話も無く並行して歩く二人。行き交う人々や景色を眺めるケイタの隣りで、アキトはチラチラと彼の様子を伺いながらも、話し掛ける事はしない。

 黒猫団の念願だったギルドホーム──自分達が笑って帰れる家の購入。二人は、その為にこの層に来ていた。目標金額に達し、その大金を手にケイタと共にここまで来たアキトだが、先程からケイタを見ては目を逸らす、その繰り返しだった。

 

 

『────ちょっと、歩かないか』

 

 

 この層へ転移してすぐにケイタからそう切り出され、思わず承諾してしまったが、この沈黙がとても気不味くて居心地が悪い。以前なら寧ろ、こんな沈黙が心地好く感じていたはずなのに。

 避けている、そんな自覚があるからこそ、アキトはこの状況が堪らなく嫌だった。ケイタと共に来たのは自分の意志だし、何より理由がある。だからこの状況は仕方無いのかもしれないと思っていた。

 だがここへ来る前、ケイタは確かに告げた。『元々アキトを誘うつもりだった』と。

 つまり、ケイタはアキトと二人でギルドホームを買いたい、もしくはアキトと腹を割って話す事があるかの二択なのだ。そしてアキトが確信するは、間違いなく後者。

 ここ最近のアキトの黒猫団に対するよそよそしい態度に、遂にケイタが御立腹かと、アキトは小さく震える。

 

 ────実際は、こうして遠回りする事で時間を稼いでいるのだが、それをアキトが知る由もなく、ただ二人の間には誤解が生じていた。

 

 といっても、ケイタが何も考えずに時間を稼ぐつもりだった訳では無い。言おうとしている事は、アキトが予想していた通りのものだった。

 

 

 「……なんか、最近避けてない?」

 

 「っ……」

 

 

 アキトが分かりやすく目を見開く。ケイタが自分を誘おうとしていた理由があまりにも予想通りで、逆に狼狽していた。

 そしてそんな様子を見たケイタは、悲しげに笑う。ここ一ヶ月近く感じていたアキトの態度が気の所為では無いという事実が、彼の表情を見る事で確信してしまったからだ。

 

 

 「その様子だと、自覚はあったんだな」

 

 「……」

 

 「僕ら、なんかアキトを怒らせるような事したかな」

 

 「それは……っ」

 

 

 思わず見上げたケイタの顔に、アキトは固まった。

 それは、本当に悲哀に満ちた表情だった。黒猫団の誰もが、アキトに避けられているその事実に多少なりとも落ち込んだ。それをアキトが知っている訳ではないが、それでも彼がしている事によって黒猫団のみんながそれなりに傷付いている事は、分かっているはずだ。

 

 

 「……ゴメン」

 

 「別に、謝って欲しかった訳じゃないよ。でも……理由、聞いても?」

 

 

 歩みを止めたその場所は、既に人が少ない通りだった。決して路地裏だとか、細い道だとかではなかったが、何故かその時は示し合わせたようにプレイヤーが少なかった。

 ケイタのその表情を作らせているのは他ならぬアキトで。それを見たアキトの瞳が大きく揺れ動く。

 彼はリーダーだからこそ、今のこの状況を良しとしない。みんなを纏める存在としての責任感もちゃんとある。こんな態度を続けていれば、いつかはこうなると分かっていた。

 けれど、みんなを避けている理由が完全な私怨で、それも同じ仲間に対する劣等感から来てるだなんて、情けなくて言えなかった。

 

 

 「……みんなは、悪くないよ」

 

 「……それだけ、か?」

 

 

 理由を聞けると思っていたケイタは、表情を曇らせる。けれど、アキトは頑なにそれを告げるのを拒んだ。

 

 

 「……言いたく、ない。凄く、情けない理由だから」

 

 「……アキト」

 

 「で、でもっ……八つ当たりみたいになってたのは、謝る。これは俺自身の問題だったし、みんなには全く関係無い事なのに……」

 

 

 自分が弱かったから。そう思えば簡単だった。

 キリトが強かったから。黒猫団という大切な存在を守る為にアキトが求めていたものを、キリトが持っていたから。だから、この夢を、居場所を奪われても仕方が無いと、そう思った。

 そしてそれは、自分の願いをキリトに託す、押し付けるようになっていて、結果それがみんなを避ける態度として現れた。みんなが慕ってくれたのは、自分が強くあろうとして、そしてみんなの気持ちに応えられて来たからだと。

 だから、キリトが自分の代わりを努めてくれるなら、もう自分は必要無いのだと、何処かでそう思っていた。

 しかしアキトのそんな思惑など、黒猫団のみんなが知るはずも無い。彼らからすれば、突然アキトに避けられたように映るだろう。

 

 ────みんなは何も悪くない。悪いのは自分なんだ。だから、自分達が何かしたのでは、なんて悩む必要なんて無い。

 

 そう、アキトは頭の中で呟いた。

 結果的にキリトに対する劣等感が拭い切れなかった末の癇癪で、単なる八つ当たりだったのだ。黒猫団のみんなの所為ではない、彼らは全く関係無い、ただ自分の心と身体が弱かっただけ。

 

 だから気にしないで、と。そう告げようとした時だった。

 

 再び顔を上げたアキトが見たのは、こちらを真っ直ぐに見据えてたケイタだった。その瞳に捕まり、アキトは目を見開く。

 何処か辛そうで、悔しそうな、そんな顔。その理由を、ケイタが言葉にしてくれた。

 

 

 「……“関係無い”なんて、そんな事ないだろ」

 

 

 「ケイタ……」

 

 

 アキトはそんな彼から目を逸らせない。彼の表情は、アキトに頼って貰えない自分の不甲斐なさを嘆いたものだったし、話してくれないアキトに対する悲しみと悔しさだった。

 

 

 「……僕らは仲間、同じギルドのメンバーなんだ。そのメンバーであるアキトが何かに悩んでる時点で、僕らに関係無いはずないだろ?」

 

 「……っ」

 

 

 その言葉が、嫌に耳に響く。純粋な気持ちがそこから染み渡り、アキトは何故か泣きそうになっていた。こんな態度を続けていた自分の事を、リーダーがそんな風に思ってくれていただなんて。

 

 

 「頼りないかもしれないけどさ、話を聞く事ぐらいは出来るんだし」

 

 「た、頼りないだなんてっ……そんな事、全然思った事無いからっ……!」

 

 「そっか、はは。……言えないならそれでも良いよ。けど、偶には頼ってくれよな」

 

 

 慌てふためく必死なアキトを、面白可笑しく笑うケイタ。そんな、自分の今までの態度を簡単に許したように見えるケイタに、アキトは途轍も無い罪悪感を覚え始める。

 彼が気にしていなくとも、口から出るのは言い訳だった。

 

 

 「……本当は、俺もこのままじゃいけないって思ってた。勝手に『自分なんか』って卑下して、苛立って、落ち込んで……そうしてみんなに八つ当たりして、ホント、最低だったよね……」

 

 「アキト……」

 

 「でも、自分から変な態度を取った手前、中々元に戻す事が出来なくて……それで、ズルズルここまで来ちゃって、さ」

 

 

 紡ぐ言葉の全てが、自信の無さを表していて。消極的な自分の気持ちが、徐々に露呈していって。

 

 

 「だ、だから……今日、ギルドホームを買うこの日に、またいつも通りの関係に戻れたらって、そう、思ってて……」

 

 「っ……アキトも……?」

 

 「え……?」

 

 「あ、ああいや、何でも……」

 

 

 ケイタの小さな囁きは、アキトの耳には届かなかった。その事実に安堵の息を吐き、ケイタは何でもない表情を作ってアキトを見る。

 

 

 「もしかして、それが今日付いてきた理由?」

 

 「う、うん……その、みんなに何か出来たらなって思って……あの、ケイタ。これ……」

 

 

 そうしてアキトはウィンドウを開き、とある麻袋を取り出した。ケイタは不思議に思いながらも、恐る恐るとアキトに近付き、その麻袋の中身を覗いた。

 

 

 「っ……これ……」

 

 

 ケイタは思わず目を見開いた。

 そこには、大量のコルがオブジェクト化され、詰め込まれていた。全員で稼いだ金額には及ばないものの、それでも一人で稼ぐには時間と忍耐がいるであろう金銭量だった。

 ケイタは慌てて顔を上げると、そこには照れた表情のアキトがいた。

 

 

 「その……ヘソクリみたいなもので、さ。一番最初に気に入った物件覚えてる?広くて居心地が良さそうだけど、買うにはちょっと高いからって、みんな諦めてたヤツ。昨日下見に行ったら、その物件まだ残ってて」

 

 

 覚えてる。みんながみんな、快適に思えるその家に釘付けだったし、先日もその話をしていたばかりで。

 

 

 「……アキト、まさか……」

 

 「うん」

 

 

 そうしてアキトは、柔らかな表情を作り、その瞳を細めた。

 

 

 「みんなが帰る家だもの。みんなが住みたいと思う家に住みたいじゃん。これとみんなで集めたコル足せば、丁度買えるんじゃないかな」

 

 

 「────」

 

 

 ケイタの口元がわなわなと震える。アキトはそんな彼の様子に眉を顰める。もっと喜んでくれるかと思っていたのだが、固まった表情を見ると不安になった。

 勝手な事をしてしまったかな、とアキトが表情を歪めそうになった瞬間だった。

 ケイタがポロリと、声を震わせて呟いた。

 

 

 「……ヤバい、泣きそう」

 

 「え、うえぇっ!?」

 

 「アキトが僕らの事、そこまで大切に思ってくれてただなんて……ホント、なんで避けてたのさ……」

 

 

 しおしおと項垂れるケイタを見て、アキトは慌てふためく。ケイタの落ち込み具合が凄く、アキトはわたわたとケイタの周りをウロウロするのみ。

 だけど、決して怒っている訳では無いと知れて、とても安心した。そして、ケイタが感極まる程のを見て、何より嬉しかったのは、自分が彼らに大切に思われてる事実を確認出来た事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……僕らのサプライズが、霞んで……」

 

 「え、何?……ど、どうしたの?」

 

 「ああ、いや、何でもない……そう、何でも、ないんだ……」

 

 

 再び歩行を開始するアキトとケイタ。気付けば周りはプレイヤー達が増えており、先程の広い道が嘘のように狭まる。活気を取り戻した街道を進みながら、ゆっくりと景色を眺める。

 隣りでケイタが下を向いてはブツブツと囁いており、アキトはチラチラと見ては首を傾げる。やはり、勝手な事をして怒っているのだろうか。

 アキトが貯めたお金は、彼らに内緒で赴く深夜のレベリングの積み重ねで得たものだった。黒猫団のみんなに配布した装備やアイテム以外にも、自分達では半ば使わないであろうアイテムなどもドロップしており、そうしたアイテムを売り続けた結果の金額でもあったのだ。

 アキト自身買い物に対する欲がそれほどあるわけでもなかった為に、使い道も無く貯まる一方だったのだが、今にしてみればどうだろう、まるで今日この日の為に貯め続けていたようではないかと、アキトはとても満たされた気分になっていた。

 

 

(戻れるかな。前みたいに────)

 

 

 思い出すは一ヶ月前の光景。そこから比べてしまうのが今の現状。思えば、黒猫団のみんなには本当に迷惑をかけた。

 特にサチには、かなり酷い態度をとっていたのではないかとすら思える。彼女の表情を見る度に、何処か心を痛めていた。なのに、それを変えようとしなかった。

 嫌われたかもしれない────そう思った。

 だけど今日、みんなと関係を修復出来るかもしれない。そしたら、彼女に精一杯謝罪すると、アキトは心に決めていた。

 許されなくても、この気持ちだけは伝えなきゃいけないと、そう思っていたから。

 

 

(……早く、帰りたい)

 

 

 自然と、歩く速度が速まる。

 少しずつ、だが明らかに分かる程に。

 

 

 「っ、あ、アキト……!?」

 

 

 ケイタが慌てて呼び止める。しかし、アキトはその足を止めない。

 

 

 「早くホーム買って帰ろう、ケイタ。みんな待ってるよ」

 

 「い、いや待ってくれ、もうちょっとゆっくり行こう、な?」

 

 「え、どうして?」

 

 「え?あ、いや……えーと……」

 

 

 アキトが足を止めて振り返ると、そこには先程とは打って変わってしどろもどろとしているケイタの姿があった。全く違う様子にアキトは首を傾げる。

 なんだか帰る時間を長引かせようとしているように、アキトには見えた。

 

 

 「……」

 

 「あっ……」

 

 

 アキトはなんとなくフレンド欄を開いた。その行為にケイタが『しまった……』みたいな表情を作る。

 慣れた手つきでスクロールし、数少ないフレンドをタップした。

 

 

 

 

 「────」

 

 

 

 

 そして、思わず目を見開いた。

 

 

 

 

 黒猫団のメンバー全員の位置情報が、《圏内》ではなかったのだ。

 そして、そこから派生して見れる詳細位置を見て、心臓が止まりかけた。

 

 

 

 

 「……みんな、迷宮区にいる」

 

 

 

 

 ふと、声が震える。

 リストを開けば、誰もが《圏外》の表示だった。示された先は迷宮区。

 

 

 「え、迷宮区?変だな、今は買い出しの時間のはず……」

 

 

 と、ケイタは首を傾げていた。ケイタはウィンドウを開いてはいない。アキトの今の言葉だけなら、いつもの場所で狩りをしているのだと感じるだろう。ケイタは首を捻るだけで、あまり深く考えてはいなそうだった。

 いつもの狩り場なら、モンスターに遅れを取らないから、そう思っていたのだろう。

 

 

 ────だが、実際は違った。

 

 

 まだ行った事すら無い未知のエリア。そこに、ケイタとアキトを除いた五人のみで挑んでいたのだ。

 

 

 

 

(な、なんで……)

 

 

 

 

 アキトが瞳を揺らし、動揺を見せる。

 どうして、何で、そんな事ばかり。少し驚いただけで、まだ慌てるような段階では無い。

 

 

 

 

 なのに、どうしても。

 

 

 

 

 嫌な予感が拭えない────

 

 

 

 

 

 

 

 ────……いで、……くっ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 「っ……な、に……?」

 

 

 アキトは突如、頭を抑える。ズキリと小さな痛みが走り、思わずその目を細めた。

 とても遠くから、小さな、それでいて意思を感じる声が聞こえる。ノイズのようなものが頭を掻き乱し、その声が段々と強く聞こえてくる。

 

 

 

 

 ────急……で、早……!

 

 

 

 

 「……何だよ、こ、れ……」

 

 

 

 

 ────急いで、早くっ!

 

 

 

 

 「っ……声、が……」

 

 

 

 

 ────早く!早く迷宮区に行って!仲間なんでしょ!?

 

 

 

 

 「────っ!」

 

 

 

 

 瞬間、脳裏にノイズが走る。あまりの不快感に、僅かに目を細める。

 そこから焼き付き始めるのは、知らない場所。見た事も無い、無機質な空間。

 

 これは、何処の迷宮区────?

 

 

 そう判断した次の瞬間、血の気が引く。

 そこにいたのは、《月夜の黒猫団》。未知のエリアに、五人が続いていた。

 なんだ、なんだ、これは。どうして、みんなが。

 ここは何処だ、迷宮区なのか?何層だ。一体、何処なんだ。

 

 

 

 

 ────27層の迷宮区だよ!早く!

 

 

 

 

 その声を合図に目を見開く。気が付けば、アキトはその身を翻していた。

 何なのか分からない。どうなっているのか分からない。ただ、突き動かされるのだ。

 その脳裏に響く声がどうしようもなく、嫌な予感を助長してくるのだ。動揺を隠し切れないままに、人混みを掻き分けて走り出す。

 

 

 「あ、アキト!?」

 

 

 ケイタの声が遥か遠くに聞こえる。けれど、今はその声に何か返事をする余裕すら無かった。

 最悪の事態が脳裏を駆け巡り、そのイメージが映像化されていく。心臓が強く鳴り響き、脈打つ鼓動を身体全体で感じた。

 

 

(まさか……まさか……まさか、まさか……っ!)

 

 

 もうそれしか考えられない。形振り構って居られなかった。

 

 

 何故このタイミングで、上層なんかに────!

 

 

 それは苛立ちではなく、動揺と焦燥から出た素朴な疑問。だけど、それに解を見い出せる程に思考に余裕があるわけじゃなかった。ただ、今も尚前線近くの迷宮区へと足を踏み入れた五人の無事を祈りつつ、この足を動かすだけだった。

 

 

 「っ!」

 

 

 すれ違う人と何度もぶつかる。それに謝る事すらせずに、アキトはただ転移門へ向けて走った。

 呼吸は既に荒く、視界も足取りも覚束無い。それでも、迷宮区へと向かうその意志だけは揺らがずにいた。

 

 

 

 

 「転移────!」

 

 

 

 ただ、失いたくない、その気持ちばかりが溜まっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 嫌な予感は、正しく崩壊の前兆────

 

 

 








『感謝の気持ちを表す為に』


テツオ 「アキト、何あげたら喜ぶと思う?珈琲?」←消費物

ササマル 「甘いもの好きだよね。チョコとか?」←消費物

ダッカー 「何あげてもアイツ泣いちゃうんじゃねぇの?」←アイデア無し

キリト 「装備……はダメか。NPCが売ってる奴だと今のヤツより性能も劣るし、良いものを探すにも時間が足らない気もするし」←ゲーム脳

テツオ 「長持ちするヤツが良いよなー。じゃあ食べ物とかはダメか」

サチ 「……あ、アクセサリはどうかな。指輪、とか」


「「「「……」」」」


サチ 「……え?」

テツオ 「……や、なんて言うかその……」

ダッカー 「俺らが指輪をプレゼントするのはなんか違うっていうか……」

ササマル 「指輪は、なんか意味深っていうか……サチ、アキトに指輪あげたいの?」

サチ 「意味深……?」

キリト 「なんか、プロポーズみたいな……」

サチ 「……っ!?あ、やっ、ち、違っ……そうゆ、そういう意味じゃなくて……!」///



※ペンダントになりました()



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亀裂の果て





信仰など無意味だと、無慈悲な神はそう告げた。






 

 

 

 

 最前線から僅か三層下の迷宮区。

 黒猫団にとって、それは未知の場所だった。情報収集を怠らず、着実に上を目指そうとしていた以前の黒猫団からは、全くもって考えられない行いだったのに、どうして気付かなかったのだろう。

 

 

 「な?俺達なら余裕だったろ?」

 

 「予想以上に稼げたね。もうそろそろしたら引き上げて、そしたら買い出しに行こうよ」

 

 

 傍から見れば頼もしく聞こえる会話。レベル的には安全圏内だった為に、狩りは比較的順調だった。目標額は凡そ一時間程で稼ぎ上げ、あまりにもあっさりした攻略に、彼らは鼻を伸ばしていた。

 

 

 「こんなあっさり倒せるなら、もっと早くここに来るべきだった気がしないでもないな」

 

 「こらこら、油断してたらまたアキトに怒られるぞ……って、これアキトに知られたらヤバいんじゃ……」

 

 「……そ、早々に帰ろうか、うん」

 

 

 各々がアキトの厳しい言葉を思い出し、身体を震え上がらせる。だが、やがて顔を見合わせ、嬉しそうに笑った。

 そんな彼らの気持ちは、キリトにも伝わった。アキトの、油断する彼らに対して見せる厳しい態度は、黒猫団を大切に思う気持ちと隣り合わせの感情だからだ。

 アキトがこの空間を、大切に思ってくれている。避けられてる事のダメージが大きくて、そんな事を考えていなかった。

 攻略組になれている訳でもない、傍から見れば人数も少ない小規模な弱小ギルドだった。けれど、そんな自分達の誘いに、アキトは何の躊躇いも無く応えてくれた。

 加入してから暫くは、そんな自分の行動を考え直してか否か、中々心を開いてくれなかった。それが今は、あんなにも────

 

 

 「……なんか泣きそう」

 

 「なんでだよっ」

 

 

 みんな、同じ事を考えていた。再び温かな空間が生まれる。キリトはそれを見てアキトへの羨望を思い出すが、やがて首を横に振った。

 かつてこの空間が羨ましくて、レベルを偽って加入した時に出会ったアキト。羨望や嫉妬、そんなものを抱くよりもずっと前から、アキトはこの空間と同化していたのだ。

 勝手な行動をする奴だと思っていたのに、蓋を取れば、全て彼らの為の行動で。

 妬む事すら烏滸がましかったのかもしれない。キリトは、寂しそうに笑った。

 

 

 そうして、気付けば迷宮区の大分奥へと来てしまっていた。狩りもそろそろ終えて、とっとと買い物をしようと、キリトかまそう切り出そうとした時だった。

 

 

 「……なぁ、あれ隠し部屋じゃね?」

 

 

 ダッカーが、視線の先にある道に沿った壁を見てポツリと呟く。みんなが一斉にその方向を見て、訝しげに近付いていく。

 

 

 「マジか!」

 

 「え、本当に?」

 

 

 そうして見てみれば、確かに隠し部屋、それ特有の見え難い扉があった。

 手を触れれば、あっさりとその扉は開放された。テンションを上げるメンバーを他所に、キリトが眉を顰める。

 

 

(こんな所に隠しエリア……?)

 

 

 ────嫌な予感が、胸に去来する。

 

 

 この層からは、トラップの難易度が一段階上がる。隠し部屋というのは確かに魅力的だが、トラップの可能性、もしそうだった時の対処、それらを総合的に見れば、近付かぬが吉だった。何より、この層は彼らにとって初めての場所。決して情報ゼロで近付くべき場所ではなかった。

 

 

 ────だが、もう遅い。

 

 

 部屋が開かれれば、その中心に置かれていたのは宝箱だった。あまりにもあからさまに鎮座したそれは、途轍も無く嫌な予感をキリトに抱かせた。

 だが隠し部屋に宝箱、それだけでレアなアイテムだと認識した彼らは、一斉に部屋へ押し入り、声高々に喜びながら宝箱へと近付いた。

 

 

 

 

 ────心臓が嫌なくらい高鳴る。

 

 

 

 

 それは、これから怒るであろう事象に対する恐怖、その前兆のような気がした。

 

 

 

 

 「ま、待て────」

 

 

 

 

 キリトのその声が、その手が届く前に。

 

 

 

 

 その宝箱が、開かれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────初めて出会った時の事を、今も鮮明に思い出せる。

 

 

 みんなが差し伸べてくれたその手、表情、言葉、瞳の色、その日の空の色の何もかもを。

 こんな弱虫を、どうして誘ってくれたのか、結局未だに聞けていなかった。けれど、その時の彼らの優しそうな笑みが、そこから感じる温かさが、とても羨ましくて。

 名前を聞かれた時の彼らの驚いた顔、今も忘れない。

 

 

『お、おい!それ本名だろ!初心者かよ!』

 

 

 ────仕方無いだろ。これがゲームだなんて、忘れてたよ。現実となんら変わらないんだから。

 

 

『ち、因みに誕生日とか血液型は?』

 

『おい、悪ノリするなよ!見ろ、答えちゃったじゃないか!』

 

 

 ────別に気にしてないよ。その後、みんなだって誕生日、教えてくれたじゃないか。

 

 

 デスゲームだというのに、前向きに頑張ろうとしていた彼らがとても眩しくて。何処か羨ましかった。みんなが互いを信頼し、築き上げた関係が、アキトが求めていたものがそこにはあった。

 

 

『わ、私……サチっていうの。君は?』

 

 

 そんな彼らの中でたった一人、自分と良く似た雰囲気の少女に目が行った。その子の自己紹介は、この世界がデスゲームと化した恐怖が未だ抜け切っていない状態で行われ、その声は震えていたのを覚えてる。

 彼女の第一印象は、オドオドとした臆病な女の子。

 とてもじゃないが戦闘には向いていない。攻略組を目指すなら、どう見たって足でまといだ。

 一緒に行動するようになって、みんなとレベリングをするようになってから尚分かる。彼女がモンスターに対して怯えている、その事実が。

 

 

『もうこの辺りのモンスターは楽勝だな!』

 

『う、うん……そうだね』

 

 

 仲間の言葉にそう返す彼女。それを見て、アキトはとても気に入らなかった。その取り繕った笑みが、心配させまいと振る舞うその態度が。

 

 

 ────嘘吐き。本当は怖くて怖くて堪らない癖に。僕と、何も変わらない癖に。

 

 

 そして、それはアキトも同じだった。まるで自分を見ているようでイライラした。けれど、それと同時に思ったのは、彼女に対する仲間意識。

 この恐怖を分かち合えるかもしれない、そんな予感だった。

 

 

『……アキトは、死ぬの怖くないの?』

 

『……別に。どうせみんな死ぬんだし。遅かれ早かれでしょ』

 

 

 彼女と初めてまともに会話したのは、仲間に加わってから一ヶ月くらいだっただろうか。けれど、その内容はしっかりと覚えていた。

 彼らが初対面てある自分を快く誘ってくれたその理由が分からず、何か裏があるのではと、アキトは気が気じゃなかった。決して、心を開こうとはしなかった。

 なのに、いつからだろうか。彼らが大切なものへと変わっていくようになったのは。

 そして、彼女の事を気になるようになっていたのは。

 

 

『雨、凄いね』

 

『結晶切れちゃったし、ここで雨止むの待つしかないね』

 

『……へくちっ』

 

『……寒い?』

 

『へ、あ、ちょ、ちょっとね……えへへ』

 

『……これ、使いなよ』

 

『あ、ありがとう……』

 

 

 とある洞窟、二人きりの空間。メンバーとはぐれたうえに、雨が降り始め、動くに動けなかったあの日の事を、決して忘れない。

 彼女を意識するようになってから、彼女の仕草の一つ一つが堪らなく愛おしくて。

 寒くないようにと羽織ったコート、震える身体を温め合おうと寄り添う身体。繋いで手からは、微かな温もりを感じて。

 

 

『……ふぁ』

 

『っ……』

 

『あ……っ!?ご、ゴメン……寝ちゃってた……肩、重かったよね……?』

 

『べ、別に気にしてないけど……でもこの体勢で良くあんなにぐっすり寝られたよね』

 

『な、なんか安心しちゃって……アキトの隣り、なんだか温かくて。まるで、陽だまりみたい』

 

『っ……ま、まあ、もう雨止んで日が出てるし、その所為だよ、うん』

 

『ぁ……ほ、ホントだ、わ、やだ私、恥ずかしい事言って……はは……』

 

 

 ────全てが愛おしかった。

 

 本当に、切っ掛けは些細な事だったのかもしれない。だけど、この想いは日に日に強くなっていく気がした。

 彼女同様、初めはモンスターが怖くて。前衛を承諾した自分が情けなくて、恥ずかしくて。一人にして欲しくて。だけど、そんな自分を

 黒猫団のみんなは決して見捨ててはくれなくて。

 そんな中、サチはいつも攻略を終えては話をしに部屋に来るようになった。彼女が紡ぐのは何気ない日常の話、リアルでの趣味、好きな食べ物、そんなものばかりで。

 

 

『……文句を言いに来たんじゃないの?』

 

『え?』

 

『前衛やるって言っておきながらあれだけの醜態だったんだ。笑いたくもなるでしょ』

 

 

 サチが来るのが、堪らなく嫌だった。彼女と自分は同じだ。怯える自分と彼女を否応無しに重ねてしまう。弱い自分が、いつまで経っても変わる事を許さない世界が、現実を突き付けて来るのだ。

 

 

『……笑わないよ。だって、私もアキトと同じだもの』

 

『……そんなの、見れば分かるよ。モンスター相手にあんなに怖がってるんだから』

 

『モンスターが怖い訳じゃないの。……死ぬのが、怖いの』

 

『っ……』

 

 

 ────守ってあげたいと、そう思うようになったのはいつ頃だっただろうか。

 

 

 何度も失敗した。欲しかったものが、全てこの手から零れ落ちて。

 モンスターに怯え、死ぬのが怖くて。そんな気持ちを共有出来たのが、サチだった。

 互いに茅場晶彦の悪口を言い合ったりして、笑った。現実の趣味が噛み合って、嬉しくなった。困った事があれば、相談し合ったりもした。

 何かある度にそれを一番に話す相手はサチだった。他愛ない、つまらない話でも黙って聞き、それに応えてくれたのはサチだった。

 

 

『アキトは、その……どんな女の子が好きなの……?』

 

 

『……えっ!? あ、えと……その……優しい、女の子、なら……』

 

 

 ────いつだって。

 

 

 彼女の紡ぐ話に幸せを感じて。

 

 

 彼女の声を何度も思い返して。

 

 

 彼女の仕草を、目で追っていた。

 

 

『温かくて優しい……アキトみたいだね』

 

 

 単なる仲間じゃない。ずっと、ずっとそう思っていたのに。なのに、それを一度も伝えようとしていなかった。そんな勇気が無かった。

 けど、今なら言える。はっきりと。

 

 

 俺にとって、サチは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 まるで、永遠に続く道に思える。

 一寸先は、ただ虚ろなる闇。走っても走っても、辿り着きたい場所が見えて来ない、そんな錯覚が襲う。

 呼吸が荒い。最早、身体で呼吸していた。視界は酸素不足の所為か何重にも折り重なって見える。足は震え、いずれボロボロになりそうだけど、それでも。

 

 

 「っ────!」

 

 

 ただ、ひたすらに斬り続けた。

 そこに、辿り着く為に。その目には失う事への恐怖しかなく、周りが全く見えていなかった。

 もう、失う事には慣れたはずだった。築いた関係も、僅かな綻びで崩れ去った過去。それは、肉親でも同じだった。

 目の前で薄れ、消えていき、いつかは過去だと、思い出だと割り切ってしまうようになる。

 そんな映像を今の仲間達で見るのは、死んでも御免だった。

 

 

 「あああぁぁあっ!」

 

 

 その声に混じるのは気合いなんかではなく、恐怖と焦燥を誤魔化す為の、『強がり』。

 ずっとずっと、それを『強さ』に変えたかった。信じてさえいれば、この想いは届くのだと思っていた。

 本当は知っていたはずなのに。分かっていたはずなのに。この世界に、神様なんていないと────

 

 

 

 

 ───もっと先!早くしないと、間に合わな……

 

 

 

 

 「分かってるよ!」

 

 

 頭に響く声をかき消すように、苛立ちを含ませた声をぶつける。その声はここに来るまで何度も、何度もアキトに干渉した。

 その声につられ、その声を信じ、ここまで走って来た。もう、身体はモンスターによって受けた傷によりボロボロだった。

 過呼吸気味なその喉は、ポーションを受け付けない。だが、そんな事は気にしていられない。無理矢理口にそれを突っ込み、そのまま床を踏み締める。

 無理してでも、無茶してでも、無謀だとしても進めと、その身体と心、脳裏で囁く声が告げる。

 止まってはならないと、何よりも自分自身が語り掛けて来るのだ。

 

 

 「キリト……サチ……みんな……!」

 

 

 震えるか細き声が、視線の先の道へと飛んでいく。返ってくる事は無いこだまを、待つ必要を感じない。そんなの、どうでも良かった。

 ケイタを除く黒猫団のメンバーがいるこの迷宮区を、アキトはたった一人で進む。

 ただでさえ高レベル。そんな中を進み、尚且つ彼らを見つけるのは、今のアキトには至難のものだった。

 だからって、この足を止められなかった。泣きそうになるのを必死に堪え、もう二度と失いたくないからと、理由を改めて突き付ける。

 

 

 「チッ────!」

 

 

 ふと振り向けば、すぐ傍にピッケルを持ったモンスターがいた。振り下ろすその得物を弾き、空いたその手に光を纏う。

 体術スキルが一閃し、その顎を砕く。もう片方の腕が持つ剣は、二体目のモンスターの腹を突き破っていた。

 一気に二体。けれど、その向こうに、まだ何体も存在している。怒りで、その口元が歪む。

 歯軋りしたその口元は、現実なら血が出てしまっていたかもしれない。その瞳は怒りを顕にし、苛立ちが殺意へと変わっていた。

 

 

 

 

 ────このっ……邪魔をっ……

 

 

 

 

 「するなああああぁぁぁああ!!」

 

 

 

 

 黒い刀が光を放つ。途端に身体は流れ、瞬時に敵を四散させる。次から次へと向かって来るその敵が、絶望を教えてくれる。

 そんなの、必要無い。

 

 

 「退けよ」

 

 

 ゴーレムが二体。その首を断つ。

 

 

 「……退け」

 

 

 木こりのような異型が三体。その四肢を斬り飛ばす。

 

 

 「────そこを、退けよっ!」

 

 

 周りを囲うモンスターが五体。気が付けば、光の破片と化していた。

 

 

 「くっ……はぁ、はぁ……っ」

 

 

 足は、決して止めない。まだ、まだ、まだ、みんな生きてるんだ。全てが杞憂で終わる可能性があるんだ。今この足を動かせば、後悔しない道を歩める気がするんだ。

 憧れていた存在に、手が届く気がするんだ。

 

 

 「ぐっ……はっ……!……ああっ!」

 

 

 競り合う敵の体重移動を利用し、その身体を捌く。ガラ空きの背中にソードスキルを叩き込む。

 

 

 「……ぁぐっ……らぁっ!」

 

 

 背中から何かが突き刺さる。それは、ピッケルの刃先。その持ち主の首を跳ね飛ばし、背中に刺さるピッケルを、迫って来たもう一体の頭蓋に叩き落とす。

 

 

 「ガハッ……はぁ、はぁ、……チッ!」

 

 

 ゴーレムの腕が腹部を突き刺す。息が詰まり、一瞬呼吸の自由が奪われる。そいつを思い切り睨み付け、お返しと言わんばかりに体術スキルを腹部に突き刺し、そのまま身体を抉り取る。

 

 屠る敵の残骸をその身に浴びながら、無意識に記憶を遡る。

 初めてこの世界に来て、デスゲームだと知った当初は考えられなかった。こんなにも、大切な存在が、守りたい世界が出来るだなんて。

 またいつものように、すぐに関係は崩れ去り、目の前で消えていくと思っていた。

 なのに、彼らは今まで出会って来た人達の中でも一際お人好しで、温かくて。失った、自分の父親を思い出すようになった。

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 

 

 「っ……はっ、はぁっ……!」

 

 

 

 

 頭が、再びノイズに襲われる。モヤが視界を、脳裏を覆い、考える事を停止させる。

 声が、みんなの声が、聞こえる。

 

 

 

 

 「……ぁ」

 

 

 

 

 アキトの表情が、絶望に染まる。

 そして、その隙間から映し出されるものは、見知った人の、恐怖の顔。

 

 

 

 

 「……やめろ」

 

 

 

 

 モンスターに囲まれ、転移結晶を封じられ、いずれ命をすり減らし、やがて────

 

 

 

 

 「嘘、だ……」

 

 

 

 

 一人、一人と消えて行き、そして最後に見えたのは、悲しみに精神を侵食され、涙を流す想い人の姿────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「やめろおおぉぉおおぉぉぉぉぉぉぉおおおぉおおぉおぉぉぁああああぁぁぁぁぁあ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 周りに揺蕩う全てを、殺意を持って消し飛ばす。

 脳裏に焼き付いて離れないそれを、現実と受け入れたりは決してしない。

 誤魔化すように、強がるように、ただひたすらに刀を振り回す────

 

 

 

 

 「邪魔だああああぁぁぁ!」

 

 

 

 

 その頬は、濡れていた。汗か、涙か。

 

 

 

 

 「ぐぁ……死ねえぇえ!邪魔、するなぁ!」

 

 

 

 

 モンスターが行く手を阻む。こちらの願いなど、聞く耳すら持たない。

 

 

 

 

 「信じない……まだ、まだ、みんな生きてるんだ……!」

 

 

 

 

 ──── っ……アキ、ト……

 

 

 

 

 「なぁ……?そう、なんだろ?だから、俺を、ここまで……連れて来て、くれたんだろ……?だから……」

 

 

 

 

 ──── 無理、だよ……もう……だって……

 

 

 

 

 「っ……があああああぁぁぁ!」

 

 

 

 

 

 脳に届くその声は、震えていた。

 けれど、アキトは、もうそんな声に確認を取ることすらしなかった。ただそこに行き着く為に、近寄る敵を屠るだけだった。

 もう何も見えていない。募る後悔は肥大し、嫌な予感は現実のものへと変わっていく。けれど、それを認めたくなくて。

 

 

 

 「────っ」

 

 

 ────気が付けば、片腕が飛んでいた。

 

 

 その左腕はただ地面へと落とされ、破片となって崩れ去る。ゆっくりと振り返れば、大剣を手にした中ボスがいた。騎士のような鎧に身を包み、嘲笑うようにこちらを見下ろす。

 そんな奴に、アキトはただ残った右腕を、その手に持った黒刀を叩き落とした。重力に逆らうこと無く、アキトの最大筋力値で振り下ろされたそれは、この瞬間だけこの世界最強の一撃だった。

 HPはもう少ない。目の前の騎士の大振りの大剣が唯一の救い。躱して殺す。何の造作も無い。

 

 

(……まだ、戦える)

 

 

 ────そうだ、俺はまだ。

 

 

(……まだ、間に合う)

 

 

 みんなに、言わなきゃいけない事がある。

 

 

(謝って、それから……予定よりも大きいホームでみんなをびっくりさせて……)

 

 

 大切な人に、伝えてない言葉が、気持ちがある。

 

 

(サチに、好きだって……ずっと想ってたって……言わなきゃ……)

 

 

 大丈夫、きっと間に合う。

 

 

(間に合う……なんなら、俺の代わりに、キリトが守ってくれる。俺の……ぼくの、憧れた“ヒーロー”がいる)

 

 

 万が一この嫌な予感が現実のものでも。ヒーローがきっと、助けてくれるから。

 

 

(キリトが、いる……キリトが、守ってくれる、だって、やくそく、したんだ……言って、くれたんだ……サチを、みんなを、守ってくれるって……)

 

 

 ────そして、そんな彼に頼って貰えるような自分になると、いつの日か誓った。

『二人がいれば最強』。そう、言ってくれた仲間がいる。なら、自分はみんなの元へ、キリトの元へ向かわなきゃいけない。たとえ取り越し苦労でも、後悔だけはしないように。

 

 

 「……だから、頼むよ」

 

 

 目の前の騎士の右足を斬り飛ばし、バランスを崩した奴のその両腕を消し飛ばす。倒れたその頭蓋にただ、その黒刀を突き刺す。

 懇願するような悲哀の音が込められた言葉を放つその人物は、ただ願う事しかしなかった出来損ないの勇者だった。

 

 

 「……邪魔、しないでくれ……頼むから……」

 

 

 縋るように、祈るように。存在しない神に、無慈悲な奴にそう告げる。それが叶わぬものだとしても、涙は決して流さない。

 だって、信じているから。守ると言ってくれたキリトを。自分が憧れ、妬み、そして認めたヒーローが、全てを救ってしまう光景を。

 

 

 

 

 ────あそこ!あの隠し部屋!早く!

 

 

 

 

 その声で、顔を上げる。

 無機質なデジタル空間にも似た、景色が続く迷宮区。その狭き道の先は、ずっと続く光の道。トラップ多発区域であるこの迷宮区にしては、あからさまな壁。

 ゆっくりと、震える足に力を込めながら、視線を固定する。

 

 やっと、着いた。

 

 片腕を失い、装備を破損させ、身体の至る所に傷を付け、HPはレッド。瀕死寸前の白い剣士がそこにはいた。

 目の前には、ただ真っ直ぐ進む道。そしてそこへ至るまでの壁の模様が、隠し部屋だと教えてくれる。

 

 

 

 

 ────みんながいる、あの部屋に。

 

 

 

 

 それは、確信だった。

 

 

 何故あの部屋に。どうしてこの層に。

 

 

 あの部屋は、とらっぷなのだろうか。

 

 

 けれど、かんけいない。だって、ヒーローがいるんだ。

 

 

 ふたりそろえば、さいきょうな────

 

 

 

 

 「……待ってて」

 

 

 

 

 震える足を、ただ律する。

 

 

 

 

 「……いま、いくから」

 

 

 

 

 ボロボロで、歩く事すらままならないアバターを、ただ無理矢理行使する。

 

 

 

 

 「……きめ、たんだ」

 

 

 

 

 動くだけでも大変なその身体でただ、ひたすらに扉の元へ。

 

 

 

 

 「誓った、んだ……」

 

 

 

 

 持てる全ての力で、走る。

 

 

 

 

 「みんなが、危険な目にあったって……」

 

 

 

 

 涙が、溢れる。

 

 

 

 

 「きみが、どこにいたって……」

 

 

 

 

 大切だと、そう思った時からずっと、そう思っていた。

 

 

 

 

 「ぼくが、必ず……」

 

 

 

 

 崩れそうになる体勢を、刀で支える。けれど、気が付けばその手から刀はこぼれ落ちていた。

 

 

 まだ、謝ってない。

 誘ってくれたのに、距離を取り続けていた事。一人で勝手に行動していた事、素直になれなかった事、避け続けてしまっていた事。

 

 

 まだ、伝えていない。

 君達が大切だと。この身を犠牲にしてでも、守りたいものだったと。自分がいるべき世界で、君らの為なら、世界を敵に回せる程に、大事な宝物なのだと。

 

 

 まだ、教えていない。

 君が俺にとって、どんな存在だったか。どれだけ力になったか。強く在りたい、そんな理由の根底が、君だという事すら。

 

 

 

 

 俺は君達に、まだ。

 

 

 

 

 まだ、何も伝えていないのに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────その扉は、おもむろに開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その空間は、幻想的だった。

 

 

 

 

 宙には未だ消えずに舞い上がる、光の粒が。

 

 

 

 

 残骸が生み出す光、一瞬でそれだと理解した。

 

 

 

 

 撒き散らした光が舞う、空間の中心。

 

 

 

 

 そこで顔を伏せ、涙を流すのは、たった一人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その光景を作り上げた、親友の姿だった。

 

 

 









ダッカー 「……終わったな」

テツオ 「ああ……何もかも、終わっちまったな」

ササマル 「俺達のっ……出番がっ……!」

ケイタ 「次回からクリスマスまで時間飛ぶらしいし、僕の身投げはカットかな(遠い目)」



サチ 「……えっと」←まだ出番あり

アキト 「……」←主人公

キリト 「……二人とも、見るな……」←主人公


※本編とは無関係です。















次回『朽ちた理想』



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朽ちた理想








別れを告げる、聖夜の鐘────







 

 

 

 

 ────どうして、あの時。

 

 

 

 

『ビーターのお前が、僕たちに関わる資格なんて無かったんだ!』

 

 

 

 

 ────この手を伸ばせなかったんだろう。

 

 

 

 

『待ってよ、ケイタ……!俺を、僕を独りに……しないでよ……っ!』

 

 

 

 

 ────彼だけでも助けられていたのなら、何か変わったのかもしれない。

 

 

 

 

『アキト……ゴメンな……僕は、もう……みんなが、いないと……』

 

 

 

 

 ────あの日の事を、今も夢に見る。

 

 

 

 

『……アキ、ト……』

 

 

『……嘘、みたいだ。夢みたい、だよ……こんな、一瞬で何もかもが、さ……』

 

 

 

 

 ────親友と、彼の大切な仲間達を一瞬にして奪った、あの日の自分の選択を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────今でも恨む。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 最前線・四十九層主街区。

 

 キリトは、転移門広場で時計を見上げた。クリスマスまで、あと三時間だった。その重い腰を上げ、広場に集まるプレイヤーを一瞥する。

 イブを共に過ごそうという多くの二人連れの人々が、腕を組んだり、肩を抱いたりして歩いている。

 特に何かを感じる事も無く、キリトはその間を縫うように歩き、宿屋へと赴いた。

 長期滞在にしてあるその部屋は暗く、外の雪景色の影響かいくらか冷えていた。そんな事すら気にする事無く、キリトはベッドへと腰掛けた。

 備え付けの収納チェストから、これでもかという程に大量のポーションや結晶アイテムを取り出し、自分のアイテムウィンドウへと移動させる。かなりの量だ、これだけでも一財産。だが、その全てを使い尽くしても惜しくはなかった。

 

 ヒイラギの月────十二月二十四日の二十四時、つまりクリスマス開始と同時に、何処かの森にあるモミの巨木の下に出現するという伝説の怪物《背教者ニコラス》。倒せば、奴が背中に担いだ大袋の中に、沢山に詰められた財宝が手に入る。

 

 一ヶ月程前から、各層のNPCがこぞって同じクエストの情報をプレイヤーに語るようになったそれは、一度きりのイベントクエストの情報だった。

 いつもは迷宮区の攻略しかしない有力なギルドでさえ、多大な興味を示していた。《背教者ニコラス》とやらが持つという財宝が巨額のコルでもレアな武器でも、攻略の助けになるであろう事は明らかだからだ。それは、気前の良いクリスマスプレゼントのようにも見える。

 しかし、初めキリトは、その噂にまるで興味を示さなかった。ソロプレイヤーである自身では、そもそもそのボスにな勝てないだろうと思っていたし、金に困ってる訳でも無かったからだ。その気になれば、部屋が買える程に有り余っていた。それに、誰もが狙っているそのボスモンスター攻略に参加して、注目を浴びるのは御免だった。

 

 

 ────なのに、とあるNPCがキリトに告げたのだ。

 《ニコラスの大袋の中には、命尽きた者の魂を呼び戻す神器さえもが隠されている》、と。

 

 

 それ以後、キリトは他人から笑われようとも、狂ったようにレベル上げを続けてきた。強くなる事に、妥協をしなかったのだ。

 それが、自分が死なせた黒猫団と、独りにしたアキトに出来る、唯一の事だと思ったから。

 それは、償いなんて綺麗なものじゃない。アキトはもう自分に、何の期待もしていないだろう。

 その事実が、キリトの顔を歪ませる。悲痛な叫びを抑えようと噛んだ下唇からは、ゲームにも関わらず血の味がする気がした。

 

 

 「……」

 

 

 ────もう、半年も前になる。

 黒猫団を死なせた、あの忘れる事など許されない程に濃い、後悔の記憶。

 アキトとの関係を修復する為にみんなで考えた“計画”。そのついでに新しい家具を買おうと赴いたいつもより上の層。ダッカーが徐に開けた宝箱。あの時、しっかりと自分の考えを口にしていたら。

 

 

 開けた宝箱から鳴り響くアラーム、三つあった小さな入口からモンスターが怒涛の押し寄せ、黒猫団はパニックに陥った。

 全滅の危険を瞬時に感じ取り、全員に転移結晶を使うよう叫んだ。だが、そこはクリスタル無効化エリアだった。その時点で、もう全ては決まっていたのかもしれない。

 ダッカーが死に、テツオが死に、ササマルが死んだ。築き上げて来た大切な場所を、失うのは一瞬だった。

 

 

 この瞬間、キリトは完全に恐慌し、焦燥と恐怖を織り交ぜて剣を振りまくった。自身のレベルを偽る為に制限していた上位ソードスキルを、効率など一切考えずに滅茶苦茶に繰り出して、モンスターの群れを四散させ続けた。なのに、その数は減らず殺到し続け尚、宝箱は鳴り続けていた。

 

 

『────サチ!』

 

 

 その手を、伸ばした。

 けど、その距離はあまりにも遠くて。物理的な距離とは別に、何か違う遠さを感じた。

 彼女はモンスターに背中から襲われ、その場から崩れ落ちる。その波に呑み込まれてHPを全て失うその瞬間に両手を握り、縋るように、懇願するように座り込んで。

 

 

 ────キリトが伸ばしたその手に、彼女は応えてくれなかった。

 

 

 ────その時、代わりに彼女から聞こえた言葉の一部が、今もこの胸に響いて消えてくれなかった。

 

 

 

 

『……アキ、ト……アキト……!』

 

 

 

 

 死にたくない、そんな想いから溢れた救いの願いは、決してキリトに向けられたものじゃなかった。

 

 

 

 

 ────俺が、自分のレベルとスキルを仲間に隠してさえいなければ。

 

 

 

 

 前線に上るのを止めさせ、宝箱を無視させ、罠に嵌った後でさえ全員を脱出させる。その全てが、俺には出来たはずなのに。

 

 

 そして、気が付けばあれ程いたモンスターの姿はなく。

 

 

 黒猫団の姿も、誰一人いない。

 

 

 虚ろな世界に取り残されたかと思える程の孤独感の中、キリトが初めて目にしたのは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────片腕を失い、数多の傷を負った親友の、絶望に染められた顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どう帰ったのかは覚えていない。気が付けばアキトの姿はなく、自分が立っていたのは、みんなと共に過ごした宿屋だった。一人ポツリと、仲間の帰りを待っていたケイタが座っていたそのテーブルの上には、新しいギルドハウスの鍵が置かれていた。

 そのデザインが、以前みんなでホームを探している時に見たものと違っていた。その理由をケイタから聞いた時、キリトは自身がした事、その罪の大きさに気付かされたのだった。

 焦燥、恐怖、身体に走る鳥肌が抑えられない。思い浮かぶのは、自分が居場所を奪った時の、アキトの表情。

 

 

 彼が黒猫団に抱く想いを、自分は知っていたはずなのに────

 

 

 彼の居場所を、俺が、奪った。

 

 

 俺の矮小で独善的な、嫉妬から生まれた欲望のせいで。

 

 

 それに気付いた時、人としての何かを、自分は既に捨てているような気がした。ケイタが自身の目の前で消えた、その時に告げられた言葉は全くの真実だった。キリト自身が、何よりもそれを痛感した。

 自分が黒猫団のみんなに関わりさえしなければ、彼らは今も安全なミドルゾーンで堅実にレベル上げをしていたはずだ。高効率過ぎるパワーレベリングを施していたキリトは、それが彼らの為になっていると誤魔化し続けた。

 彼らに実力以上のレベルを与えておきながら、情報を分ける事を怠った。このデスゲームで生き残る為にまず必要なのは、レアなアイテムや装備でも、高いステータスでも、まして高いレベルでもない。いつだって、必要充分な情報だった。それを、分かっていたはずなのに。

 

 アキトは、彼らを油断させないようにと、何度も釘を刺して戒めていたというのに。自分は、彼らに頼られている事実に浮かれ、快感を得る為だけの道具として黒猫団を見ていたに過ぎなかったという事実を、今回の事で浮き彫りにされた。

 自分は初めから、アキトに負けていたのだ。彼はいつだって、誰に対してもヒーローで、そんな彼から自分は、奪うだけだった。

 起こるべくして起こった事件。守ると、そう彼女に告げたはずなのに。アキトにそう、言い切ったのに。

 

 

 ────俺は、この手でサチを殺したんだ。

 

 

 《蘇生アイテム》。眉唾物でしかないそれに縋るしかない自分は、道化に見えるだろうか。だが、それでいい。自分に相応しい末路だ。

 彼女を生き返らせる事が出来たなら、自分は彼女に、自分の掲げた誓いを言葉にする事が出来る。

 そしてアキトに、自分の抱えた思いを、伝える事が出来る。

 あるかも分からないそんなアイテムをただひたすらに求めるのは、ただアキトとサチの為でしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《背教者ニコラス》が出現するというモミの巨樹。

 それが何処にあるのか────それが、このイベントの報酬を狙う多くのプレイヤー達の間での最大の懸案だった。キリトはレベリングの合間で、その場所を既に特定し、そこである事に確信を持っていた。

 何人もの情報屋から樹の位置座標に赴いては確かめ、それがモミではなくスギだったり、というのを繰り返し、漸く見付けたのだ。現実世界の自宅の裏手にモミの木があった為、探すのに手間は掛かったが判別するのは容易かった。

 

 三十五層のフィールド《迷いの森》の一角。数ヶ月前、そこに赴いた際に、一本の捻じくれた巨木を見付けていたのだ。如何にもな形状で、何かクエストか始まるかもと調べ、何も起きなかったのを覚えている。思い返してみれば、あれこそがモミの木だった。

 つまり、今夜あの木の下に、《背教者ニコラス》が出現する。

 それだけ分かれば、後はもう何もいらなかった。

 

 

 「……」

 

 

 キリトは三十五層に転移し、その光に目を瞑る。前線と比べると、その広場はあまりに静まり返っていた。主街区に見どころも無ければ、中層を根城に戦うプレイヤーの主戦場ともずれている。当然かもしれない。

 農村風の造りの街並みの中、それでも尚何人か見えるプレイヤーの目を避けるよう、街区を早々に出た。

 雪積もる道に轍を作りながら、何度も何度も背後を振り返った。尾行者がいないか、内心ヒヤリとしていた。雑魚モンスターの相手をしている時間も惜しく、精神的な余裕もなかった。誰もいない、それさえ分かれば、あとは全力で走り始めた。

 ここ最近、ずっと無茶なレベリングを自身に施し、その為に培った敏捷ステータスの恩恵はかなりのものだった。その足は羽同様に軽く、ほんの十分ほどで《迷いの森》の入口へと到達した。長時間寝てない為に鈍痛が頭を襲う。だが、そのお陰で眠くはない。戦闘時に倒れる事はないだろうと、自嘲気味に嗤った。

 

 マップを広げ、モミの木がある辺りを見据えると、そこへ至る道を逆に辿る。ルートを脳裏に刻み付け、顔を上げた。夜の闇に包まれた静寂漂う森の中に、ゆっくりとその足を踏み入れた。

 道中、避け切れない戦闘は何度かあったが、特に問題にはならなかった。

 

 しかし、十二時まであと十分もなかった。準備していた際のあの宿で、アキトや黒猫団のみんなと過ごした日々に想いを馳せ、気付けば時間に遅れていた。

 だが現時点で、目的地の一つ手前のエリアにまで来ている。加えて、この層は誰もマークしていないのは知っているので、イベント開始時間に遅れても、ボスが倒されている事は恐らくない。

 

 

 一番乗りで、たった一人で、ボスと戦う事が出来る。

 

 

 ────自身が今立つこの森は、身を置けばそれだけ孤独を強く感じた。

 

 

(……アキト、待っててくれ)

 

 

 親友だったプレイヤーの、その名を呼ぶ。

 アルゴから逐一情報を買っては、アキトの行動を把握していたキリト。彼もまた、この《蘇生アイテム》というあやふやな噂でしかないアイテムの為にフラグMobの出現場所を探しているらしいのだ。

 けれど彼は黒猫団が全滅してから以降、何処かのギルドに所属する事もなければ、野良でパーティすら組んでいない。

 ならば、もし仮に出現場所をキリト同様見付けられたとしても、一人でボスを倒そうとするのではないかという疑念が頭を過ぎる。

 もしそうなら、そんな事はさせられなかった。どの口が、とすぐに卑屈に嗤う。

 

 ────死ぬかもしれない戦いなのだ。なら、そんな戦いこそ、この愚かな自分の末路に相応しい。

 

 死の可能性が非常に高いボスモンスターに、たった一人で戦う。けれど、キリトのその心に宿るのは恐怖ではなかった。それが胸に到来する気配すらなく、それに疑問すら抱かない。寧ろ、心の何処かではそうなる事を望んでいたのかもしれない。

 彼女の命を呼び戻し、アキトに謝って。もしそれが叶うなら、と。それだけで救われる気がした。その戦いで死ぬのなら、それは唯一自身に許された死に方なのではないかと、そう思えた。

 大切な人から、大切な居場所を奪い、破壊した自分の最後に────。

 

 死んだって構わない。この命の意味を、自分は模索する必要などないのだ。あの時のサチの問いに、意味など無いと答えた、自分の言葉を、今こそ真実にする事が出来る。

 この無意味なデスゲームで、彼らは無意味に死んだ。意味を奪った自分は、彼らと同じように、誰の目にも留まらない場所で、誰にも知られぬように、記憶に残らぬように、いかなる意味も残さぬように────死ぬのだ。

 

 生き残れたら、その時はきっと、《蘇生アイテム》が真実となるだろう。根拠は無い。でも、サチは死の世界から舞い戻り、彼女にこの想いを伝える事が出来るのだ。

 漸く。漸く────

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────瞬間、背後から気配がした。

 すぐさま飛び退り、背中の剣の柄に触れる。振り返ったワープポイントから現れた集団は凡そ十人程。その先頭に立つのは、見知った顔だった。

 侍のような軽鎧に、刀を腰に収めたバンダナ男。

 アキトに出会って、自分の利己的な性格に罪悪感を感じる度に頭に過ぎったその顔が────クラインが、目の前にいた。

 周りのメンバーは、恐らくギルド《風林火山》。メンバー全員の表情からは緊張の色が見える。最後のワープゾーン前に立つキリトの周りを囲うように、ジリジリと近付いて来た。

 キリトはただ、クラインの顔だけを睨み付けるようにしながら見て、震えるような声を放った。

 

 

 「……()けてたのか」

 

 「まあな。こっちにゃ、追跡スキルの達人いるんでな」

 

 

 頭を掻きながら、クラインは頷く。

 

 

 「……何故俺なんだ」

 

 「お前ェが全部のツリー座標の情報を買ったっつう情報を買ったんだよ。そしたら、念の為に四十九層の転移門に貼り付けといた奴が、お前ェが何処の情報にも出てないフロアに向かったっつうじゃねェか」

 

 

 そんな場所から、既に尾行されていたのか。自身の間抜けさが嫌になる。

 そんなキリトを見てクラインは少しだけ黙った後、言葉を続けた。

 

 

 「オレは、こう言っちゃなんだけどよ、お前ェの戦闘能力とゲーム勘だけはマジで凄ぇと思ってるんだよ。攻略組の中でも最強……あのヒースクリフ以上だとな。だから……だからこそなぁ……こんなとこで、お前ェを死なす訳にはいかねぇんだよ、キリト!」

 

 

 静寂なる森で、クラインの言葉は嫌に耳に響いた。伸ばした右手はキリトを差しており、叫ぶように告げた。

 

 

 「ソロ攻略とか無謀な事は諦めろ!オレらと合同パーティを組むんだ。蘇生アイテムは、ドロップさせた奴の物で恨みっこ無し、それで文句無えだろう!」

 

 

 ────うるさい。

 

 

 そう思った。コイツは何も分かってないのだと、怒りすら覚えた。クラインのその言葉が、自分の身を案じてのものだと、信じる事がもう出来なかった。

 ただ、自分の《蘇生アイテム》を狙った、一人の敵としてしか────

 

 

 「……それじゃあ……それじゃあ、意味無いんだよ……俺独りでやらなきゃ……」

 

 

 変わらず握る剣の柄。その力が強くなる。まともな判断が出来なくなっていたその頭で、キリトは彼らを睨み付ける。

 

 

 ────全員斬るか。

 

 

 ずっと、後悔していた。アキトに出会ってからは、それが顕著だった。初心者であるクラインを、置いていったあの時を。彼が今、こうして逞しく生きていてくれて、心の底から良かったと、そう安堵していた。

 けれど、数少ない友人を斬り殺してでも、手に入れたいと思った。レッドに堕ちてまでも独りで目的を果たす事を、本気で考えていた。

 それは無意味かもしれない。だが無意味でいい。これ以上、意味を見出す必要などない。そう、脳内で遮る。

 もうそろそろ零時を過ぎる。いち早くボスのいるフィールドへと行きたかった。誰もマークしていない為一人で戦えると思っていたが、彼らが尾行して来たのなら話は別だ。

 剣を抜けば、もう止まれない気がした。震えながらに掴む柄を見て、クライン達は武器を構えつつも僅かにどよめく。

 

 

 「っ……お前ぇ……!」

 

 

 キリトがやろうとしている事を本能的に察したのか、クラインは苦しそうに顔を歪めてキリトを見やる。

 しかし、キリトの右手はぶるぶると震えるばかりで、心の中でせめぎ合っているのか、中々剣を抜かない。クラインはそんなキリトを悲しげに見て、構えた刀を再び下げた。

 

 

(……もし、アキトだったら……コイツらを斬って進んだだろうか……)

 

 

 それが、キリトが震えながらに考えていた事だった。最後の最後まで憧れ妬み、結局勝つ事も超える事も出来なかった親友。自身のヒーロー像を持つ少年、アキト。彼なら、この場をどう切り抜けただろうか。

 説得しただろうか。一緒に戦った末、ラストアタックボーナスを掠めとっただろうか。それとも、アイテムをドロップしたプレイヤーを強襲しただろうか。

 

 

 

 

 ────この場の全員を、斬り潰しただろうか。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 アキトという人間を、誰よりも近くでつぶさに見てきたキリトだから分かる。それは確信で、断言出来た。

 たとえ大切な仲間の為だとしても、自分の行動を邪魔するプレイヤー達に阻まれたとしても、アキトはその剣を決して殺人には使わないであろう事を。

 名前も知らない誰かの危機にいち早く飛び出し、助ける為に力を貸す彼が、誰かの危険を自ら作り出すはずはないのだと、そんな分かりきった事をを考えて、キリトは小さく笑う。

 けれど、自分はアキトじゃない。誰かの為に頑張る彼の姿に憧れた結果、辿り着いた末路は似ても似つかない。今はアキトと似た雰囲気を纏う自身の容姿でさえ、嫌いになりそうだった。

 

 

 ────なら。自分はアキトじゃないのなら。この剣を抜いて、斬って、進んでも良いのではないだろうか。

 全ては、親友と、サチの為。なら、ほんの少しの犠牲はきっと、仕方無いのでは────

 

 

 

 

 「……っ!?」

 

 

 「なっ……」

 

 

 

 

 ────瞬間、そのエリアに新たな侵入者が姿を表した。

 

 

 キリトとクライン達は慌ててその場を飛び退き、テレポートして来た集団を凝視する。

 

 

 そして、その数に愕然とした。今度のパーティーは十人どころの話ではなかったのだ。一瞥しただけでもクライン達の三倍はいるだろう。

 キリト同様、クラインも呆気に取られており、キリトはそれを見て苛立ち含む声を投げた。

 

 

 「お前らも()けられたな、クライン」

 

 「……ああ、そうみてぇだな……」

 

 

 距離にして凡そ五十メートル。離れた位置に現れたその集団は、キリトと《風林火山》を無言で見つめていた。その中には、キリトがここ最近レベル上げで篭っていたアリ谷で頻繁に見かけた顔触れが何人も存在していた。

 クラインの隣りにいた剣士が、クラインに顔を近付けて告げる。

 

 

 「アイツら、《整竜連合》っす。フラグボスの為なら一時的にオレンジ化も辞さない連中っすよ……!」

 

 

 クラインが驚くと同時に、キリトも静かに舌打ちする。そのギルドの名は、キリトもよく知っていた。現時点でトップの《血盟騎士団》と並ぶ名声を誇る、攻略組の中でも最大のギルド。

 個人のプレイヤースキルやレベルはキリトよりもかなり下だろう。だが、この人数相手に勝てるかどうかは分からなかった。

 

 

 時計は既に零時を過ぎている。本当なら、今頃ボスが現れているはずなのに。

 

 

 ────だが結局、もう一人でボスを倒す事は出来ないだろう。そんなに多くのプレイヤーが集まってしまったのだ。出し抜こうとした結果、回り回って上手くいかなくなってしまった。

 なら、もう同じなのではないだろうか。ボスにしたって大ギルドにしたって、殺されるならばそれが無駄死にである事に、きっと変わりはない。なら、少なくとも友であるクラインと戦うよりは、ずっと賢く、マシな選択肢ではないだろうか。

 

 

 ────なら、もう考えるのはやめよう。

 

 

 キリトは、遂にその背に担ぐ剣を抜こうと手を掛けた。もう、何もかも面倒になってきていた。

 そうだ、ただの殺戮を行うだけの機械になればいい。ただ滅茶苦茶に剣を振り、プレイヤー共を八つ裂きにする機械に。

 やがて、壊れて止まるだろう。

 

 

 

 

 「クソッ!クソったれが!!」

 

 

 

 

 ────しかし、そんなキリトの手を押しとどめたのは、隣りのクラインの叫び声だった。

 苛立つように武器を構えると、キリトの前に立つ。それに合わせて、《風林火山》の面々が、キリトの前にクライン同様、壁のように立った。

 キリトが目を丸くして見ていると、クラインが背中を向けたまま怒鳴った。

 

 

 「行けっ、キリト!ここはオレらが食い止める!もう時間は過ぎてるが、お前ぇのゲーム勘は間違いねぇ!ボスはぜってぇ、この先にいる!」

 

 「クライン……」

 

 「お前ぇが一番乗りだ!行ってボスを倒せ!だがなぁ、死ぬなよ手前ェ!オレの前で死んだら許さねぇぞ!ぜってぇ許さねぇぞ!!」

 

 

 時間は過ぎてる。けれど、誰も目を付けていないこのフィールドにいる勢力は三つ。その中で二つが戦闘を開始せんとしている中で、唯一動けるのは、キリトだけ。

 いるのは間違いない。なら、間違いなくキリトが誰よりも早くボスに向かう事が出来る。

 

 

 「……」

 

 

 キリトは、クラインに感謝の言葉を告げる事無く背を向けて、最後のワープゾーンに足を踏み入れた。

 

 

 

 

 ────零時は、とっくに過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 ────雪と同じ色のコートを、小さな風が翻す。

 

 

 少年は雪の中を、ただひたすらに歩いていた。

 サクサクと雪原を踏み締めるその足は、幾分か冷たい。今も尚変わらず振り続ける白い結晶の冷たさを前身で感じながらも、視線の先は変わらず森の奥。

 35層フィールド《迷いの森》。目指すは一点、ただ一本の巨木。求めたものが、そこにはある。ここまでかなり長かった。ずっとこの時を待ち望んでいた。漸く、それがこの手に入るのだ。

 それさえ分かれば、後はもう何も要らない。今度こそ、誰かではなく、自分がこの手で。

 

 そこは、一面が雪に覆われた、まさに銀世界。雪が木々に積もり、空気が凍る。寒空は雲で覆われているが、所々隙間から覗き見える空は、嫌なくらい星々で煌めいていた。

 景色と同化する程に白いコート纏うその少年の背中には、対照的に黒い刀が収まっていた。刀特有の反りが無く、片手剣のように真っ直ぐで、刃から柄までが純黒に染まっていた。

 初めての仲間が、初めてくれた宝物。限界まで強化し続けてここまで使って来たが、そろそろお別れなのかもしれない。

 しかし、もう構わない。今から倒す醜悪なるボス、そいつを一緒に倒してさえくれれば、もう役目は終わるだろう。

 

 周りには誰もいない。どうやら、一番乗りの様だ。

 この手の競走イベントは、誰が想像している場所で起こるとは限らない。出し抜く事が常なこのゲームで必要なのは、開発者の意図を読み取り、そしてイベントの出現場所のヒントを読み解く事。結果として、誤った場所で討伐隊を組んでいる他のプレイヤー達を出し抜き、彼は漸くここまで来た。

 誰もが、モミの木の特徴を知らないと見える。この時ばかりは有難かった。《迷いの森》など、誰もマークしていない。ならば、尾行でもされていない限り誰かと出くわし競走する事になる心配は無い。尤も、有名なプレイヤーなら兎も角、アキトは名も無きソロプレイヤー、追跡するものなどいないだろう。

 ならば、この状況は少年にとって最高の形だ。誰にも邪魔されずにボスを倒し、欲しいもの全てを我が手に出来る。

 

 その少年────アキトは、虚ろな瞳を抱えたまま、ただ目の前の巨木を見上げた。周りに他の木は殆ど無いその四角いエリアは、一面が真っ白で輝く。

 目に見える全てが、ただ一面の雪。何処までも広がる雪原。誰もいないその場所は静寂を纏い、この世界にいるのは自分だけなのかもしれない、そんな孤独感を抱かせる。

 

 

 ────そこはまるで、生きとし生ける全ての生命が死に絶え朽ちた、名も無き墓標の雪の丘。

 

 

 「……」

 

 

 視界端の時計はイベント開始時刻から五分前。アキトは特に何をするでもなく、ぼうっと視線の先にある巨木を見つめる。ここへ転移して来たばかりなので、その巨樹はまだかなり先だ。その為小さく見えるが、それに近付こうと、アキトはゆっくりとその歩を進めた。

 木に近付く度に、その雪に足跡を残す度に振り返り、自身が歩んで来た道を見る。すると、半年前の記憶が蘇るのだ。

 

 

 傷だらけのまま、片腕を失いながらも目指した先にあったもの。

 いや、そこには何一つ残っていなかった。あの時、自分は彼らに対して何を思っていたのだろうか。

 キリトに、自身のヒーローに、どんな感情を抱いていたのだろうか。

 

 

 今ではもう、それすら思い出せない。

 ただ、その現実を受け入れるのにかなりの時間を使ったという事だけ。

 ダッカーが死に、テツオが死に、ササマルが死に、サチが死んだ。そして、それを知ったケイタが、自分の前で死んだ。

 自分を置いて。孤独にされて。手を伸ばしたけれど、それは届かなくて。

 一人、独りになった。その孤独感が、今も尚この身体を襲っている。嘆くべきは、恨むべきは、呪うべきものは何なのだろう。

 

 

 漸く意識を取り戻して初めて見たキリトの顔。後悔、焦燥、懺悔、そんな感情が綯い交ぜになっていて、必死にこちらに何かを訴えかけていた事は覚えている。しかし、そんな彼の声が、一切聞こえない。

 ただ、二人だけのギルドになったそのギルドホームは、もう誰の帰りも待ってはくれていなかった。

 

 

 あの時どうしてああしなかったのだろうと後悔しても、その何もかもが遅過ぎた。たらればの決意など過去の出来事に何の干渉も出来はしない。もう消え去った大切なものは戻らない。

 もう、二度と────

 

 

 俺が、いけなかったのだ。全て、俺が悪かったと、後になって嫌になるほど後悔が続いた。

 

 みんなの為にと思っていた行動は、きっと全て裏目に出ていたのだ。もっとキツく注意すれば良かったのだろうか。いや、初めからみんなにアイテムや装備などを配分していなければ良かったのだ。

 みんなを守る為だといって、一人で夜中にレベリングした事で、チームバランスはきっと少しずつ崩れていたのかもしれない。彼らが慢心した一因に、きっと自身も存在していた。

 キリトが他のプレイヤーより一回りや二回りも優れている事を知っていた。なのに、仲間だからと、そう言って彼らに何も伝えなかった。初めて出来た親友だから、失いたくない。そんな自分勝手な感情が邪魔をして、キリトの身分隠蔽に協力していたのだ。

 みんなが全滅するまで、彼があの攻略組の《ビーター》だなんて、知りもしなかった。知ろうとも、してなかったのだ。

 俺が、彼の事を考えて行動出来てさえいれば────

 そんなキリトが、強いヒーローが、自分の代わりにみんなを守ってくれる。そう、期待してしまったから。

 彼に、キリトにきっと、その重荷を背負わさてしまったのかもしれない。自分勝手な妄想や理想を、キリトに押し付けた所為で、彼にプレッシャーを与えていたのかもしれない。

 

 

 その全てを懺悔し後悔しても、もう遅いのに。そればかりが頭を過ぎる。

 どうすれば良かった、なんて今更過ぎた。

 けれど、ああしていれば良かったと、そんな後悔は、分かっていても止められなかった。

 

 

 意地を張って、黒猫団のみんなを避けなければ良かった。そうすれば、最後の日だって笑い合えたし、もしかしたらみんなを助けられたかもしれない。

 自分の本当の気持ちを、強がる事無くみんなに話せていれば良かった。呆れられ笑われても、彼らなら最後まで見捨てず付き合ってくれたかもしれない。

 キリト一人に背負わせなければ良かった。二人揃えば最強、そんな言葉の通り、二人でみんなを守っていれば良かった。そうすれば、キリトとだってもっと仲良くなれた。あの日も二人で守れたかもしれない。

 サチに気持ちを伝えれば良かった。たとえ駄目でも、前に進む切っ掛けに、ヒーローみたいになれる切っ掛けになったにもしれない。

 

 あの日から今までずっと、黒鉄宮へ赴くのを忘れた日は無い。彼らの名前が、存在が記された場所は、最早あの場所にしか存在せず、アキトはまるでお墓参りのように、何度も何度も向かった。

 あそこに好んで行くようなプレイヤーは少なく、アキトは毎日そこへ入っては、その日にあった事を話す毎日が続いた。

 声も届かぬ遠い場所にいる彼らに、自分の声が聞こえているかは分からない。なのに、ただ狂ったように、何も映していない瞳で、実のない話を繰り出していた。

 そして、そうする度にそんな瞳から溢れるのは、一筋の涙。ただ声が聞きたい、それだけなのに。誰もいない事をただ突き付けられて。

 

 

 ────けれど、今日でそれを終わりに出来るかもしれない。

 

 

 大切だった彼女を黄泉比良坂から呼び起こし、もう一度会えるかもしれない。その時こそ、この想いを伝えられるかもしれない。

 

 

 もう、キリトに────仲間にばかり頼ったりしない。他人任せになんてしない。

 

 

 自分の大切なものは、今度こそ自分の手で守る。ただヒーローに憧れ、妬むだけの日々に別れを告げる。

 

 

 もし、それが出来ずに死ぬのなら、きっと自分は黒猫団のみんなの元へ行けるだろう。

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────独り。

 

 

 

 

 ただ一人、巨木の前の道無き道を歩く。その身体は、冷え切っていたが、構いやしなかった。

 身体を循環する血液の流れまで、寒さで凍ってしまうかもしれない。心臓も凍り、やがてその動きを止めるかもしれない。

 雪景色と同化する白いコート。背中から漆黒の刀を抜き取り、力無く引き摺る。

 

 空は粉雪が舞っており、辺りは一面が雪野原。引き摺った刀から雪へと、一本の細い線が出来ていた。そして同じく足跡も続き、歩いた後ろに道は出来ていた。

 

 

 「────」

 

 

 その瞳は、酷く虚ろ。

 どこかを見ているようで、どこも見ていない。これから向かう先の事、欲しいものはあるけれど、明確な目的すらも曖昧で。

 何か、大事なものが欠落していて。

 

 

 「……あーあ」

 

 

 また、こうしてたった一人。自分だけが残る。

 何度願っても、神様は自分の願いだけは叶えてくれない。

 無慈悲で残酷で、どこまでも非情で。

 

 

 

 

 ────瞬間、視界の端で、時計が零時を告げた。

 

 

 

 

 同時に、何処からともなく鈴の音が鳴り響く。アキトは特に驚く事もせず、歩む足すら止めはしない。ただ、その視線の先にある捻くれたモミの巨木へと、ゆっくり近付いていて。

 そして、その視線を梢の天辺へと上げる。

 

 暗闇の夜空、上層の底を背に延びるのは、二筋の光。

 

 焦点を当てれば、奇怪な形をしたモンスターに引かれた、巨大で歪んだソリだった。

 

 そのソリが巫山戯た音色の鈴を鳴らしながらモミの巨木の真上に来ると同時に、ソリから何かが飛び降りた。黒く巨大な影が、こちらへと迫る。

 

 

 「────」

 

 

 アキトはただ、その足を止めた。微動だにせず待ち受ける。自身とモミの巨木の間に綺麗に着地したソイツは、周りの雪を盛大に蹴散らし、風は頬を撫で髪を巻き上げる。

 アキトは臆する事無く、ただ視界に居座る異物へと目を向けた。

 

 自身より三倍程の背丈を持つ異形の怪物。腕が地面に擦れてしまう程に長く、気持ち悪い程の前傾姿勢の人型のモンスター。焦点の合わない小さな赤い瞳が輝き、長く伸びた捻じれた灰色の髭は腹部まで来ている。

 そして何より不快なのは、赤と白の上着に三角帽子。ソイツが、サンタクロースの姿を模しているところだった。右手には片手斧を持ち、左手にはプレゼントが入っているであろう汚れた袋を下げていて、如何にも醜悪なサンタクロースだった。

 

 

 《背教者ニコラス》

 

 

 「っ……」

 

 

 そのモンスターの定冠詞は、アキトが求めて止まないものを持つとされる、ボスだった。アキトの口元が、僅かに震える。

 

 

 ────その刀を、強く握り締めた。

 

 

 その背教者は焦点の合わない瞳で、白いコートの少年を見下ろしていた。少年はそんな巨大な背教者を見上げるだけで、表情一つ変えない。

 冷たく虚ろな瞳で、その背教者を見つめていた。

 そんな少年が面白くないのか、その背教者は少年に向けて大きく咆哮を繰り出す。辺りは振動で雪が飛び、木々が揺れた。

 けれど、少年だけは、全く動かない。ただ真っ直ぐ目の前の、《背教者ニコラス》を見ていた。

 

 

 瞳が揺れる。漸く、見付けたのだ。

 

 

 大切な人を助けられるかもしれない可能性を手にした、凶悪なモンスターを。

 

 

 その事実が、アキトを揺さぶる。息を荒くさせ、瞳孔を開かせ、身体が震え────

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────嗤った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……よお。半年間、お前だけを目的に生きてきた……!」

 

 

 

 

 まるで、何処か歪んでる。けれど、意識は至って正常だと、彼自身は思っている。でも、もうとっくに彼の心はボロボロで。

 ボスとの戦闘経験などほぼ皆無のアキト。それでも、逃げるどころかアキトは刀を抜き取った。その笑みは歪み、瞳はギラつく。

 

 

 

 

 「ボスって、一人で倒せるものなのかな……もしかしたら、死んじゃうかもな……ああ、そうだ……強くなる……“おまじない”があったっけ……なんて名前の話だったっけなぁ……はは」

 

 

 

 

 ────まあ、どうでもいいか。

 

 

 

 

 その巫山戯た態度すら、少年の心が壊れている事を示す証拠に他ならない。

 もはや、自暴自棄の先に位置するその行いは、少年アキトの心を満たすには充分だったのかもしれない。

 

 

 少年は、狂ったように嗤った。

 

 

 閉じた瞳を再び開く。

 

 

 カチリと、何かが嵌る音がして、

 

 

 父が別の意味をくれた、その言葉をゆっくりと唱える。もう、守るものは無いこの身に、存在理由なんて無いけれど。

 

 

 目の前のボスを倒す為なら、暗示もまじないも、チートだとしても、どんな手でも使ってやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが、本当の意味では決しておまじないなんかじゃなく────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「──、───────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────自身を呪う、言葉だったとしても。

 

 

 

 











雪の中、一人きりで歩く。


そんな彼は、ある日全てを失って、もう何もかもが嫌になっていた。


けれど、私は知っている。


彼は誰かの為に、どうあっても頑張ってしまう人。


人一倍傷付いて、他人に一生懸命になれる人。


守るべきものの為に、何よりも強く在ろうとした人。


そんな彼に、もし、何かを残せるのなら。


きっと、この願いを伝えよう。













次回 『私のヒーロー』



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私のヒーロー






その声を、たった一度でも良いと望んだ。






 

 

 

 

 

 

 ────斬る。

 

 

 邪魔をする、その全てを。

 

 

 それが、世界に見捨てられた自分の、恐らく最後の悪足掻き。

 

 

 ただ、目の前の敵を屠る事だけを考える。効率も弱点も隙も思考から全て排他し、ただ滅茶苦茶になる程に、生命などどうでも良くなる程に斬る。

 その剣は、思想も、意志も、歓喜も、悲哀も、怒りも、焦燥も、苛立ちも、渦巻く激情さえもが込められていたかもしれない。

 或いは、色付いた感情など、一つとして込められていなかったのかもしれない。何も考える事無く、ただ目的を完遂し、欲しいものを手に入れる。それだけが、今の彼にとって、生きる理由となっていた。

 

 独りで挑むその姿は、無謀極まりない。それは勇気と呼べず、勇者とは言えず、相応しい名は道化と愚者。

 常に孤独だった彼にとって、周りの評価など取るに足らない。そんな人達さえ、今この空間にはいない。

 隔絶され、見放されたこの雪舞う世界で、たった独り。誰もが求めた敵と対峙している。そこに出し抜いた事による優越感も、もう少しで倒せるかもしれないという達成感も無い。それは、ただの作業だ。

 

 肉を斬り、骨を断つ。腹を抉り、身体を貫く。

 そこには予測も作戦も戦術も無い。周りに、存在する生命など無い。在るのはただ、思考を放棄し怪物の如く暴れ回る、一人で独りの、白の剣士の姿。

 時間が経つにつれ身体は悴み、冷静な判断力は消滅し、動きは段々と鈍くなる。それでも彼を突き動かしているのは、立派な意志でも明確な決意でも無く、愚かなまでに純粋な執念だった。

 

 ずっと続けていたはずの戦闘の記憶が無い。どれほど時間が経ったのかも分からない。ものの数分しか経ってない気もすれば、一時間以上経ったのではとすら思える。

 

 気が付けば呼吸が荒く、気が付けば奴の体力ゲージは色を失い、気が付けば、その刀を強く握り締めていた。

 煌めく黒き刃は降り積もる雪に濡れ、荒く吐かれた白い息は空へと消える。高鳴る心臓を宥めるように、身体を上下させた。

 

 寒空の中、それでも汗が流れる。変わらず虚ろな瞳が、目の前の敵へとゆっくりと動く。

 その背教者は、身体中に刻まれた傷から血のように赤いエフェクトを吹き出し、不快な呻き声を喚き散らしながら、力無く倒れ逝く。最後まで焦点の合わない目はやがて輝きを失い、斧と頭陀袋を持っていた両手の力は、徐々に小さくなっていった。

 

 

 「はぁ……はぁ……」

 

 

 過呼吸に陥るその身体に思わずよろめく。心臓部分を鷲掴みにし、無理矢理静止させる。少しだけ落ち着くと、思わず左上の体力に目が向かう。

 自身のHPバーは赤く、死と血の色を彷彿とさせた。瞳孔が開き、自身が生きている事実を再確認する。

 見上げた視線の先にいた背教者は、死の瞬間を迎えていた。

 それを見た瞬間、この寒さで凍っていたかのような冷たい脳に、血が通い出すのを感じた。そして漸く、目先の事実を受け止めた。

 

 

 「……終わ、……た……」

 

 

 一頻り振り続ける雪をその身に受ける。中心点のモミの木が、アキトを見下ろし、何処か祝福しているような感覚。

 やがて、目の前の背教者は頭陀袋のみを残し、その身体を爆散させた。

 同時に、少年は刀から手を離し、その場から崩れ落ちる。膝が積もった雪に埋もれ、とても冷たい。構わず地面に両手を付き、酸素の足りない脳を回転させた。

 

 

 ────勝った。

 

 

 それを何度も何度も再確認する。信じられないと思いつつも、感じるのはほんの僅かな驚き。出来るわけがないとされたソロでのボス討伐を、他でもない自分自身が果たしてしまった。

 だが、そこに達成感も歓喜も無い。今更強くなった事が証明されたところで、最早何の意味も成さない。

 

 あの日からずっと、何もかもが遅過ぎた。誰かに任せた結果、彼らの死に目に合う事すら。

 

 

 けど、奴を倒した今ならまだ、やり直せるだろうか────?

 

 

 少年────アキトは、弱々しく震える身体を一喝しのろのろと立ち上がる。瞬間、それを待っていたとばかりに、ボスの持っていた頭陀袋が硝子の割れるような音と共に消滅した。恐らく、あの中にサンタクロース同様、たくさんのプレゼントもといアイテムが入っていたのだろう。

 ふらふらと覚束無い足を律し、力無く刀を背中の鞘へと収めた。そして、システムウィンドウをゆっくりと開く。

 背教者を倒した事で手に入れた報酬が、真新しくアイテムストレージの新規入手欄に格納されていた。大きく息を吐き、虚ろな瞳で変わらずスクロールする。

 捨てるのが面倒な程に多いアイテム名が並び、特に喜びの感情無く上から下へと目線を落としていく。武器や防具、結晶アイテム、アクセサリや食材まで。一人で捌くには明らかに多かった。これが、普段迷宮区の攻略しか興味の無い連中が血眼になってまで探していたボスのドロップアイテムだった。

 そして、そんなアイテム欄を、アキトは慎重にスクロールする。段々と心臓の音が強く、強く耳にこだまする。

 

 

 

 

 ────そして、それは嫌にすんなりと、アキトの目に飛び込んで来た。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 《還魂(かんこん)聖晶石(せいしょうせき)

 

 

 

 

 その名、その明記された字面から、アキトは全てを悟った。

 誰もがありはしないと思っていた《蘇生アイテム》。アキトでさえあくまでも噂、眉唾物だと、そう何処かで誤魔化してきた。

 それなのに、身体は常に動いていて、あるかも分からないそのアイテムに縋る日々を送って来た。

 今それが、現実のものとなってアキトの目の前に顕現していた。

 

 

 ────ドクン

 

 

 半年間、大切だった仲間の生命を望まない日など無かった。凡そ死んでるのと変わらない機械的な毎日を過ごして来たアキトの、唯一の希望。

 ずっと虚ろだった瞳が漸く光を宿し始め、揺れていた。

 

 

 「……ケイタ……ダッカー……テツオ……ササマル……サチ……」

 

 

 彼らは、まだ死んでいないのだろうか。今までSAOで死んでいったプレイヤー達の命は、まだ完全に消滅したわけじゃないのだろうか。

 口元が震え、今にも泣きそうだった。

 

 

 「……サ、チ……」

 

 

 大切な女の子の名前を、縋るように呼ぶ。伝えたい事、その何一つを伝える事無く別れてしまった、生きる希望だった少女。

 彼女を避けた凡そ一ヶ月の間、何を思っていたのかも、死する彼女の最後の言葉も、何も聞けていない。

 伝えたかった想いが、そこにはあった。

 

 サチに、また会える────?

 

 そう思うだけで、全身が震える。涙が、溢れそうになる。もしまた出会えたのなら、やる事は決まっていた。避けていた事、間に合わなかった事を謝って、彼女の言葉や気持ちを受け止め、そしてこの腕に彼女を抱き締める。

 もう誰かに縋って頼ったりしない。大切な人は、今度こそ自分の力で守るのだ。

 

 そして、心の底から言うのだ。彼女にずっと抱き続けて来たこの想いを。

 

 慣れているはずの操作が覚束無い。震える指の手首を、もう片方の手で掴んで抑える。何度も操作を間違えながら、そのアイテムを顕現させる。

 一瞬の光と共にウィンドウから浮かび上がった《還魂の聖晶石》は、ボールより少し大きめで、そして七色に輝くあまりに美しいその宝石は、雪舞う空に良く映えた。

 

 

 「っ……ぁ……サチ……サチ……!」

 

 

 彼女の名を呼ぶ、その声が震える。

 心臓が高鳴る。その所為で頭が強く痛んだ。

 その全てを無視して掴み上げたアイテムを、瞳を揺らしながら眺める。

 アキトは掴んだ宝石と反対の手でタップする。表示されたメニューからヘルプを選択し、蘇生方法、その概要を確かめる。もう何度も見ているはずのフォントで記された文字は、まるで初めて見た時の感動すら抱かせる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこから紡がれる文字を、ゆっくり、ゆっくりと読み解いていき────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────そして、絶望した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【このアイテムのポップアップメニューから『使用』を選ぶか、或いは手に保持して《蘇生 : プレイヤー名》と発する事で、対象プレイヤーが死亡してからその効果光が完全に消滅するまでの間(およそ十秒間)ならば、対象プレイヤーを蘇生させる事が出来ます】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ぁ」

 

 

 

 

 ────およそ十秒間(・・・・・・)

 

 

 

 

 何度見ても、その表記が幻となる事は無かった。

 強張っていた表情は固まり、ただ一点から動かない。

 

 

 ────“十秒”

 

 

 そのとって付けたようなたったの二文字が、長い夢を見続けていたアキトを引き戻した。

 それは、これ以上無い程に明確に、残酷に、冷徹に現実を突き付けていた。

 

 

 ────サチが、二度と戻っては来ない事を。

 

 

 あの日、間に合わなかった自分に、これを使う資格は無かったという事を。

 サチはもう、この世界には戻らない事を。

 

 

 「────は」

 

 

 十秒。それが、ナーヴギアが現実のプレイヤーの脳をマイクロウェーブで焼き切るまでのタイムリミットなのだと、否応無く悟る。

 そして、生き返らせたいと願った少女の身体は既に消えた。

 十秒どころか、半年も前に────

 

 

 「……はは……あはははっ」

 

 

 脳裏に映る、その瞬間。

 サチの身体がこの世界から消滅し、そして十秒後、サチのナーヴギアが彼女自身を焼き殺すその瞬間を、はっきりと想像する。

 

 

 「……くはっ……あはっ、あはははっ」

 

 

 彼女にまた会うことも、声を聞く事も、謝ることも、気持ちを告げる事も、触れる事も出来ない。

 その事実に、引き攣る頬も自然と動いた。

 これまで生きてきた、その理由。半年間、自分なりに生きた。その希望となっていたもの、その全てが、無意味なのだと悟った。

 

 アキトの口から出たのは、悲しみの叫びでも、悔しげな声でも、怒りの言葉でも無い。

 涙は出なかった。頭を抑え、腹を抱える。ただ壊れたように、狂ったように放ち続けるのは────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あはははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!!!!!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────あまりにも愚かな希望に縋っていた自分の情けなさを痛感して溢れた、感情の無い嗤い声だった。

 壊れた人形のようにとめどなく、止まる事無く嗤う。彼女達を失った半年間が、あまりにも惨めで滑稽で、どうにも止められない。

 涙はとっくに枯れ果てたのか、それとも泣く方法を忘れてしまったのか。その瞳から水が溢れる気配は全く感じなかった。

 地面から伝わる雪の冷たさも、誰もいない世界に置き去りにされ、隔絶された孤独感も、もう何も感じない。

 

 

 宝物だった居場所も、楽しかった時間も、大切だった人も、もう何も持っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……ア、キト……」

 

 

 ────ふと、背中から声がして、その笑い声を止めた。

 

 

 震える声で、その名を呼ばれる。背後から、見知った気配がする。

 その声音が誰のものなのか、アキトはすぐに理解した。そのボロボロの身体をゆっくりと動かし、後方を見据える。

 はらはらと雪舞う中で、ポツリと立ち尽くす黒い影。僅かに小さな風が頬を撫で、アキトとその影の間を吹き抜ける。

 

 

 ────そこあったのは、半年間顔すら合わせなかった親友──キリトの、怯え戸惑う顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……ア、キト……」

 

 

 キリトのその声が震える。振り返ったアキトの、見た事も無いような笑みに、なんとも言えない感情が渦巻く。

 黒猫団が壊滅してから半年間、顔すら合わせていなかった。何度も会いに行こうと決意したはずの心は、すぐに弱音を吐く。その所為でキリトは、アキトに会う事を心の何処かで拒否してしまっていたのだ。

 

 だが、久しぶりに見た彼の表情は、共に過ごした中でも見る事の無かったものだった。

 何も映していない虚ろな瞳が、キリトの方を見る。けれど、そこに本当にキリトが映っていただろうか。

 身体の幾つもの箇所に傷が刻まれ、赤い血のようなエフェクトがそこから舞っていた。

 

 

 「……やあ、きりと。ひさしぶり」

 

 「っ……」

 

 

 子どものような柔らかな声が、静寂を割く。キリトは身体を震わせ、ただアキトを見る。

 座り込んだアキトの周りには、モミの巨木以外の何も存在していなかった。キリトは揺れる瞳をどうにか動かし、辺りを見渡す。偶然にもホワイト・クリスマスとなっているが、そんなもの、どうでも良かった。

 

 そこに生命は存在せず、キリトとアキトの二人だけ。何も無いその空間は、今の二人の状態を顕著に表していた。

 だが、ここで戦闘があった形跡を、キリトは雪跡で悟った。

 

 

 「っ……アキト……まさか……」

 

 

 時刻は零時をとっくに過ぎていた。だが、ここをマークしていたのは、知る範囲ではキリトだけだった。そして、それを尾行したクライン達と、《聖竜連合》のみ。

 だが、アキトがここに居るという事は、即ちアキトが《背教者ニコラス》の出現場所を特定していたという事に他ならない。

 

 そして戦闘の跡と、アキトがたった一人でこの場所にいる事実が、キリトを一つの答えと導いていた。

 有り得ない、信じられないと、心の中で何度も告げる。けれど、目の前のアキトの狂ったような笑みを見て、その予想は確信に変わっていた。

 

 

 「ボスを……一人で、倒した、のか……!?」

 

 

 それは、アキトがフラグボスをたった一人で討伐したという事実だった。

 誰もが血眼で探していたクリスマスのイベントボス。出現場所も不明なまま、討伐隊が組まれたパーティーは幾つもある。その全てを出し抜き、アキトはこの場所にいた。

 そして、ボロボロになりながら、アキトはそれを殲滅してみせたのだ。

 キリトはわなわなと唇を震わせ、アキトを見る。目の前の少年の強さが、いつの間にか自分と同等か、それ以上になっていた事に、驚愕と恐怖を隠せない。

 

 

 一体、どれ程の時間をレベリングに注ぎ込んだのか────

 

 

 キリトが固まっていると、アキトはゆっくりとその場から立ち上がる。闇色に染まる眼でキリトを見て、彼の周りを見て、彼の背後を見る。

 そうして、キリトが一人である事を理解すると、小さく笑った。

 

 

 「……キリトこそ、一人でボスを倒そうとしてたんだ。流石《黒の剣士》だね」

 

 「っ……」

 

 

 それは、ずっと黒猫団に自身の正体を隠していたキリトに告げられた、皮肉のようなものだった。

 アキトに、そんな意思があったのかは分からない。けれど彼のその言葉は、キリトの胸を深く抉り貫いた。

 それでも、キリトはアキトに、どうしても確認したい事があった。

 

 

 「……報酬は……蘇生、アイテムは……?」

 

 

 サチを救う唯一の手段。その為だけに、アキトもキリトも、今まで生きてきた。互いに、死なせてしまった大切な仲間を、取り戻す為に。

 その目的は同じでも、理由は違う。

 片や約束を蔑ろにした自分を責め、今一度約束を告げる為に。

 片や想い人に気持ちを伝え、今度こそ、自分の手で守る為に。

 誰にも邪魔はさせない、そのつもりでここまで、たった一人で、たった独りで来たのだ。

 それだけを求め、それだけを考えて来たのだ。

 

 ボスを倒したアキトの手には、それがあるはずなのに。アキトの顔は、あまりにも酷い。

 キリトのその問いに、アキトはぼうっとして答えた。

 

 そしてそれこそが、キリトの問い掛けへの答えだった。

 

 

 「そ、せい……?……ああ、これの、ことか」

 

 

 アキトは手に持つ《還魂の聖晶石》を再びタップし、使用方法の解説欄を可視状態で広げる。それを指で飛ばし、キリトへと提示する。

 キリトはアキトの手に持った《蘇生アイテム》を見て、ここ数ヶ月麻痺していた心臓の一部に血が通った気がした。瞳に生気が宿り、アキトが広げて寄越したウィンドウに映る説明を食い入るように見る。目を見開き、焦るように。

 

 

 

 

 「ぇ……」

 

 

 

 

 ────そして、その動きが止まった。

 誰の目から見ても、期待が絶望に変わるのが分かった。

 その力は、過去に死んだ者には使えない。それを、理解してしまったから。

 この一ヶ月、キリトとアキトを生かし続けてきた蘇生アイテムは、確かに実在した。だがしかし、それは二人が求めたものではなかったのだと。

 

 

 「あ……ぅぁ……あぁ……」

 

 

 キリトは、瞳孔を開き、空中で静止するその窓から一歩、また一歩と後退りした。怯えるように、逃げるように。

 自分のしてきた事の無意味さを、この瞬間、漸く突き付けられたのだ。

 何処かでまだ、やり直せる気がしてた。もう一度サチと出会って、そうしたらまた、親友であるアキトとも、もう一度やり直せると、そんな甘い考えが何処かにあった。

 

 しかし、それはただの現実逃避だった。死者は蘇らない。永遠に。

 自分は、アキトのたった一つの居場所を、あの時完全に壊してしまったのだ。

 自身が悦に浸る為に入ったあの場所を壊し、初めから彼らと一緒だった彼を、たった独りにしたのだ。

 

 

 「……」

 

 

 やがてその場にへたり込み、嗚咽を漏らすキリトを、無表情で見つめるアキト。手にした聖晶石を握り締め、ゆっくりと帰路に立つ。

 歩む度に、崩れ落ちたキリトとの距離が詰まる。しかし、近付くのは物理的な距離だけだった。

 心はもう、ずっと前から離れてた。

 

 

 「……アキ、ト……俺、は……俺は……」

 

 

 近付くアキトを感じ、キリトは重い頭を上げた。震える身体は、決して寒さが原因では無かった。

 そして、こちらに迫る距離まで来ているアキトを見て、キリトは何処か心の中で安堵した。

 

 漸く、漸く、罰が下るのか────

 

 ずっと、それを望んでいたのかもしれない。アキトに殺されるなら、それも良いかもしれないと、そう思った。

 それが楽な道へと逃避だとしても、お互いに心が満たされるであろう事は明白だった。

 

 

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「……キリト。……ゴメンね」

 

 

 

 

 アキトはそれだけ言うと、キリトの傍を通り過ぎた。

 

 

 「……は」

 

 

 キリトは、その動きを止めた。一瞬、何を言われたのか分からなかった。

 泣きそうだった涙は消え去り、頭がぐらつく。アキトの、その弱々しくか細い声での謝罪に、キリトはただ、呆然とした。

 

 

 ────今、なんて?なんて、言ったんだ?

 

 

 キリトは、重い身体を必死になって動かす。漸く振り返れば、こちらに背を向けて歩いていくアキトの姿があった。

 その事実が、どうしようもなく受け入れ難かった。言葉が出て来ず、ただぶるぶると身体を震わすだけ。

 

 

 アキトは、なんて?今俺に、なんて言った?

 

 ケイタ達を殺し、サチを守れなかった俺に。

 

 守ると宣言しておきながらお前の全てを奪った俺に。

 

 ゴメン、だって────?

 

 

 「っ……なんでっ……!」

 

 

 漸く、身体がいう事を聞いた。勢い良く立ち上がり、雪を散らしながら足の向きを変え、視界に捉えたアキトの背中に、ただひたすらな激情を飛ばす。

 

 

 「待てよ……!……なんで、どうして、お前が謝るんだよっ……!?」

 

 

 お前に非は無い。全て、全て俺が悪いんじゃないか。

 それなのに、どうしてお前が謝るんだよ。

 優しさのつもりか、同情のつもりか。どちらにせよ、今の自分にかけてはならない感情だと思った。

 

 アキトは振り返り、キリトを見て、儚げな笑みを浮かべた。

 その、驚くべき言葉と共に。

 

 

 「……俺も、さ。キリトなら守ってくれるって……勝手に期待して、理想を押し付けた。みんなだってキリトを慕っていたし、たとえ君が何処の誰だったとしても、黒猫団には必要だったと思う」

 

 

 「……ぇ……?」

 

 

 ────瞬間、苛立ちを感じていたキリトの感情が、ストンと消え去った。

 アキトが告げた言葉に、そんな感情を抱く暇も無いくらいに驚き、困惑したから。

 

 

 「な……何を……」

 

 「君の強さは、俺が一番分かってた。俺が持ってないものを、君が全部持ってたんだ。君が、俺の理想だった」

 

 「……何を、言って……」

 

 

 キリトは、ただ、震える声でそう返す事しか出来なかった。アキトの言葉が、頭に反芻するのだ。

 自分のこの惨めな姿が、アキトにとって────理想だったって?

 

 

 「俺に守るって、そう言ってくれた。だから俺は、心の片隅にあった対抗心を捨てる事にしたんだ。君に全部任せて、頼ってしまおうって。君がヒーローみたいに格好良かったからさ。きっと、全部救ってくれるって」

 

 「待って……待ってくれよ……っ」

 

 「俺が、君に押し付けたから……負担、だったよね……。君の気持ちを考えず、結局、ただ憧れを抱き続けて────」

 

 「────待ってくれ!」

 

 

 アキトの紡ぎ続けられた言葉を、無理矢理に遮る。いきなり出した大声で、キリトは呼吸を荒らげた。

 変わらずに降る雪の中、アキトはただ、そんなキリトを目を細めて見つめるだけ。

 けれど、キリトはそんなアキトの言葉を聞いて、ただふつふつと何かが煮え滾るようだった。

 

 限界だった。自分の今までの惨めな姿を、よりにもよって自分が憧れた存在に褒められるだなんて。

 アキトが言うほど、綺麗なものなんかじゃない。このステータスは全て、他人を出し抜き得たものだ。それなのに、そんな汚いものに、アキトが憧れていただなんて────

 

 

 ────どうしようもなく、憎い相手のはずだ。

 

 

 「……俺を、責めないのか……?」

 

 「……ゴメンね、キリト。みんなで攻略組になるって約束、果たせそうに無いや。……俺、本当はそんなに……強く、ないんだ……」

 

 

 それは、キリトの問いの答えではなく、重ねられた謝罪だった。未だ変わらないその消え入りそうな細い声と言葉に、キリトはまたお門違いな怒りと苛立ちをその身に宿し、滾らせた。

 

 

 「恨んで、ないのかよっ……!俺は、お前の居場所を壊したんだ……みんなを……サチを殺したのは、俺なんだぞ……!」

 

 「……もう、終わったんだ、キリト。だから、気にしなくて良い」

 

 「そんな訳無いだろ!全部!……全部、俺が悪いんだ……俺の思い上がりが、みんなを殺したんだ……なのに……」

 

 

 どうして、そんな何でもないような態度が取れるんだ。仲間を殺されて、俺が憎くないのかよ。

 キリトが、そんな感情を顕にし出す。責めてくれと、その態度が言っていた。

 口から出る全ての言葉が、自責の念から出た言葉だと、この時はまだ、そう思っていた。

 

 

 

 

 「俺が、本当のレベルを隠してさえいなければ……」

 

 

 

 

 拳を握り締める。現実なら、血が出てしまう程に強く。

 

 

 

 

 「俺が、みんなを騙していたから……」

 

 

 「……やめて

 

 

 

 

 アキトが小さく、何かを告げる。けれど、キリトには聞こえない。泣きそうになるのを堪えながら、ただ自分の伝えたい事ばかりを告げた。

 

 

 

 

 「……俺がっ……あの時、上層に行くのを止めていれば……」

 

 

 「……やめてくれ

 

 

 

 

 震え出す親友の事を、見もせずに、両手から溢れたものを見下ろし、声を上げた。

 アキトが、自分に優しくするのが耐えられなくて、その所為で、更に自分が惨めに見えて。それが限界だった。

 

 

 既に、アキトの気持ちなど、きっと二の次だったのだ。

 

 

 

 ────もう、アキトも限界だった。自分の目の前で、全ての責任を今更背負おうとする、かつて憧れたキリトの、その哀れな姿を見るのが。

 

 

 

 互いにもう、限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「黒猫団のみんなを、殺したのは……全部……全部、俺の────」

 

 

 

 

 

 

 

 

 「黙れ!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────ピシャリと、その声が響いた。

 

 キリトが言葉を詰まらせ、空気を静寂にする。

 ビクリと肩を震わせ、その目を大きく見開いた。

 一瞬、今のが誰の声なのか、分からなくなった。キリトは動きを止め、呆然とアキトを見ていた。

 

 ────その身体は、震えていた。

 

 アキトは、呼吸を荒くし、白い吐息をなお吐きながら、割れた声で呟いた。

 

 

 「……頼むから……本当にやめて」

 

 「っ……アキ、ト……」

 

 

 懇願するかのような、ただ切実な頼みだった。キリトは、自分がずっと放ち続けてきた言葉を止め、出会ってから一度も見た事の無いアキトのその表情と怒声に驚いていた。

 

 

 「……アキ……っ!」

 

 

 ────振り返ったアキトの瞳は、涙で潤んでいた。それを見て、キリトは自分が今まで口に出した言葉の意味を、漸く理解した気がした。

 アキトの、その冷たい目は、確かに怒りを帯びていた。片腕を上げてキリトを指差し、わなわなと唇を震わせて、キリトを睨み付けていた。

 

 

 「……“全部、俺の所為”だって……?……自惚れるなよ……」

 

 「……っ」

 

 「っ……たかが(・・・)君一人の責任で、黒猫団のみんなが死んだだなんてっ……!」

 

 

 ────キリトのその言い方は、まるで。

 自分が強過ぎたせいで、黒猫団が死んだ、と。そう言っているみたいで。

 あの場でキリトだけが生き残った理由こそが、まさに黒猫団との強さの差を見せ付けていた。

 それが、アキトには耐えられなかった。上げた手はだらりと落ち、ただ、静かにキリトに、想いを告げた。

 

 

 

 

 「────“俺の”仲間を、馬鹿にするなよ」

 

 

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 その言葉、そこに乗る感情で。

 キリトは漸く、全てを理解した。

 

 

 「……じゃあね」

 

 

 アキトは、それだけ告げると再び背を向けて、ワープゾーンから消えていった。

 それは、この場の別れの挨拶か。それとも、決別の言葉か。

 

 取り残されたキリトの目には、もう何も映っていなかった。顔を上げ、見上げた空から落ちてくる雪の冷たさなど、最早感じない。

 

 

 ────全て、俺の所為。

 

 

 それは、自分よりもレベルの低かった黒猫団を、下に見た言い方だった。仲間だったはずの彼らを、無意識の内に馬鹿にしていたのだと悟った。

 キリトは、自分のした事の意味を、今漸く思い知ったのだった。

 

 仲間なら、失敗も責任も、分かち合うものなのに。

 

 アキトに責めて欲しかった、それだけの理由で放った言葉全てが。

 黒猫団のみんなを、あの場を大切にしていたアキトを、下に見ていたような言葉の数々。

 結局、責められた方が楽だったから、自分に都合の良い様になって欲しかったから、呟いた言葉。それだけで、アキト達の事なんて、全く考えていなかった。

 

 

 ────アキトはキリトに最後まで、“憎んでない”とは言わなかった。

 

 

 「うああ……あああああ……」

 

 

 キリトの口から、獣にも似た呻き声が漏れた。

 再びその場から崩れ落ち、真下の雪を、何も考えずに見下ろした。

 

 

 「あああ……ああああああ!!」

 

 

 “俺の”仲間、とアキトは言った。その仲間に、きっと俺は含まれていなかった。完璧なまでの、拒絶の意思だった。

 あれが、アキトがずっとひた隠しにしていた本音だったのかもしれない。自分は最後まで、全てを勘違いしていた。

 

 

 

 

 ────最後の最後まで、キリトは間違えたのだ。

 

 

 

 

 「ああああああああぁぁぁあああぁああああああああああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁああああああああぁぁぁあああああぁぁぁ!!!!!!」

 

 

 

 

 絶叫しながら、何度も何度も地面を叩く。雪が全ての衝撃を吸収し、痛みは全く感じない。身体全ての力で泣き喚き、咆哮した。

 地面に両手を突き、雪を全力で犬のように掻き毟り、やがて転がり回って叫び続けた。

 

 

 ────この世界に、何の意味があるの?

 

 

 かつてサチが、キリトに向かって問い掛けた、この世界の真理。

 その問いの答えを、キリトは漸く導き出せた気がした。

 

 

 その答えは、“無意味”だ。

 

 

 サチが怯え、苦しみ、恐怖に涙を流し、縋るように願った末に死んだ事、キリトが《蘇生アイテム》の為に奔走し、友情さえもを捨て去った事も。

 この世界が生まれ、万の人間が囚われた意味も、全て、意味なんて無い。

 

 それだけが、絶対不変の真実なのだと、キリトは今完全に悟った。

 

 

 分部不相応にも憧れ、目指そうとしたから。

 近付く事で認められ、悦に浸ってしまったから。

 ぬるま湯だと馬鹿にして、憧れたヒーローよりも頼られた事に、優越感を感じてしまったから。

 

 

 

 

 ────キリトは今日、親友を失ったのだと知った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 第一層《はじまりの街》

 

 

 その層も、やはり雪が降っていた。

 普段からどの層と比べても人が多いこの層は、クリスマスというのもあって、やはり最前線同様に人で賑わっていた。

 ここには、年齢が低い子ども達の面倒をみる場所があるとかで、雪合戦をしている子どもでもいるのではと、なんとなく視線を辺りへと向け、見渡して漸く、思えばまだ深夜だった事を思い出す。

 それでも聖夜だからか、人はいるようで二人組の男女がチラホラと視界に入った。

 

 しかし、何も感じる事なく、ふらふらと歩く。

 足取りは、やはり重い。ここに来るまでの道のりすら、あまり覚えていない。

 一歩ずつ踏み締める毎に、どうでも良い記憶が飛んでる気がする。もう何も考えたくなくて、そんな風に感じるのかもしれない。

 もはやここに来るのは習慣になっていて、生きる為に必要なルーティンだと海馬に刻み込まれているのかもしれない。

 

 石造りの街並み、凍った噴水、それら全てを掻き分けて、目的地へと足を動かす。虚ろな瞳は耐えず何かを見ているようで、何も見ていない、そんな繰り返しだった。

 

 

 「……」

 

 

 アキトはやがて、視線の先に映るものを見て足を止めた。

 そこは、黒光りする巨大な建築物、《黒鉄宮》が存在していた。はじまりの街最大の施設。ただのゲームとしてのSAOでは、この場所が死亡したプレイヤーが蘇生する場所だったらしい。

 

 

 ────そしてこの場所は、半年間、アキトが毎日のように赴いている場所でもある。

 

 

 アキトは無言のまま、そこに足を踏み入れる。

 薄暗い闇色の内部、冷たい空気。クリスマスである今日この日に、ここへ来るような酔狂な人間は居ないだろうと、アキトは自嘲気味に笑う。

 コツコツと、アキトのブーツの音だけが響く。正面入口を歩いて、ひたすら真っ直ぐに歩く。

 やがて、開けた場所に出る。その広間の中心に、アキトの求めるものがあった。

 

 

 

 

 ────そこには、プレイヤー全員の名前が刻まれた、《生命の碑》が設置されていた。

 

 

 

 

 死んだプレイヤーには、横線が引かれる。アキトは《生命の碑》の目の前で止まると、いつものようにそれを見上げた。

 探すのは、いつだって仲間の名前。ケイタ、ダッカー、テツオ、ササマル。

 

 

 ────そして、サチ。

 

 

 毎日のように見に来る為、誰の名前がどの辺りに記されているか、正確な位置さえすぐに分かる。決して褒められた事じゃない。アキトは、ただ俯いて息を吐いた。

 ここに来るのは、ここにしか、彼らの名前が無いから。死体も何も残らないこの世界で、黒猫団が確かにここに居たと、そう証明できるものが、目の前の碑にしか無かったからだ。

 彼らの死を認めてしまったアキトは、ここを彼らの墓に見立て、毎日毎日ここへ来ては、何時間も立って、何かを呟いた。

 

 外の雪に当てられて、中も肌寒くなっていた。吐く息も白くなり、空で消えていく。

 誰もいないこの場所で、アキトはただ、クリスマスの夜を過ごしたかった。

 

 

 「……みんな。メリークリスマス」

 

 

 アキトは、小さく笑う。

 その言葉はきっと、黒猫団だけでなく、死んでいった全てのプレイヤーに向けての言葉だった。

 

 

 「ここじゃあ分からないかもしれないけど、外は雪が降ってるんだよ。ホワイトクリスマスってやつだね」

 

 

 カラカラと乾いた笑みを貼り付け、名簿を見上げる。黒猫団だけでなく、横線を引かれた知らないプレイヤーの名前すらも、逐一見ては頭に記憶していく。

 そして、アキトは光を通さぬ瞳を上げ、何かを思い出したように口を開き、ウィンドウを開いた。

 

 

 「……そうそう、黒猫団のみんなにだけなんだけど、プレゼントがあるんだ」

 

 

 瞬間、色々なアイテムがオブジェクト化した。武器や装備、宝石類、そこには《背教者ニコラス》からドロップしたものが沢山あった。

 

 

 「ダッカーは、この片手剣。敏捷値が高めだから、君によく合うと思う。テツオはこれ、ちょっと重たいけど、鎧防具だよ。前衛のテツオには、どっしり構えてもらう必要があるからね。ササマルは……これかな。ふふ、綺麗な指輪でしょ?女の子扱いしてる訳じゃないよ。実はこれ、筋力値を底上げできるんだ。与えられるダメージが少ないって言ってたの、思い出したんだ。だから……」

 

 

 徐ろにアイテムを取り上げては、碑の真下にお供え物のように置く。笑ってそれぞれのアイテムの効果や選んだ訳を説明し、その度に一人、儚げに笑う。

 どれだけ声をかけても、返って来る事は永遠に無い。分かっているのに、辛くのしかかる事実に、唇を噛み締める。

 そうして三人のプレゼントを纏めて置くと、今度はリーダーの名前呼んだ。

 

 

 「……ケイタには、新しい武器が手に入ったんだ。リーダーはやっぱり、みんなよりちょっとだけ優秀な武器が無いとね。……ねぇ、ケイタ。あの日買ったギルドホーム、色々考えたんだけど、売る事にしたんだ。残して置くのもアリかもとは思ったんだけど……もう、あの家に帰る人は誰も居ないから。最近、漸く買い取り手が見付かったんだ。昔の俺達を思い出させるような、少人数のギルドだった。あまりにも似てたから、安値にしちゃったよ、はは」

 

 

 途切れ途切れになりながらも、これまでにあった事を楽しげに話す。勿論返事は無いけれど、もし彼が生きていたら、笑ってくれただろうか。

 責任感が強くて、仲間想いで、心配性で。ケイタが、一番リーダーに相応しかったと思った。

 誇りだと、そう言い切れた。

 

 ケイタのプレゼントをみんなのプレゼントの上に重ね、アキトは笑った。こうして集うと、絆の象徴みたいで、少し憧れた。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────そうして、最後の一人。

 

 

 彼女の名前を、石碑から見付ける。

 この半年間、忘れた日などありはしなかった。ずっと君を、生き返らせられたらって、そう思ってた。

 

 

 「さち」

 

 

 アキトの声は、震えていた。

 ボス戦後の疲れも、絶望も疲労も、喪失感さえも、今は無い。

 ゆっくりと、その手にしたものを持ち上げた。

 

 それは、ピンクと赤を基調にした、可愛らしい手袋だった。

 

 

 「君にはこれ。防具とかも考えたんだけど、どうせなら女の子らしいものをあげたくて。……凄く、あったかいんだから」

 

 

 ポツリポツリと呟く。

 彼女には戦うよりも、街で過ごして欲しかった。

 そう言えば、他のみんなに反対されるかもしれないと、あの時は恐れた。関係が崩れるかもしれない事を、恐怖した。

 それを、今では何度も悔やんでる。

 

 

 「あ……あと、さちにはもう一つあるんだ」

 

 

 そう言って、アキトはアイテム欄からとある綺麗な輝きを放つ宝石を手にした。それを優しく手に取って、石碑の前に掲げる。

 ────《還魂の聖晶石》。それは、アキトがずっと望んでいたものに近い、奇跡の光。

 

 

 「……これ、蘇生アイテムなんだ。ボスは、俺一人で倒せたんだ。ずっと『強がり』だったけど……少しは、『強さ』に変えられたかな」

 

 

 アキトは、確かに強くなった。

 現時点で、レベルだけで言うならば、アキトはこの世界の頂点だった。

 クリスマスボスも、たった一人で倒した。もはや、かつてのアキトとの違いは明白だろう。

 だけど。

 

 この半年間、何をしても、何処にいても。

 心が満たされた日は一日も無かった。

 

 隣りに、サチがいない。

 強くなりたい理由となった彼女が、何処にもいない。

 なら俺は、何の為に。

 いつだって、サチの事を考えた。彼女を守る事ばかりを考えた。

 サチの拠り所になってやりたかった。サチの拠り所になりたかった。

 それだけなのに。

 

 

 「っ……」

 

 

 涙が出そうだった。けれど、ぐっと堪えた。

 石碑に刻まれた彼女の名前が、自分を見ているような気がしたから。

 サチの前で、格好の悪い姿は見せたくなかった。

 

 アキトはずっと、サチや黒猫団のみんなに、強がりという名の仮面を付けていた。せめてみんな前では、強いプレイヤーとしてありたかったから。

 臆病な自分を殺して。嘘を吐いて。何もかもを偽って。強者のように振舞って。みんながいれば、何でも出来そうな気がして。それこそ、世界を変えられる様な、そんな気がしたのだ。

 それが演技だとバレていたとしても、強がる事がアキトの意地であり、アキトの信条だった。いつか本当に強くなれる気がして、そう信じ続けた。

 

 

 ────泣くな俺、サチの前だぞ。

 

 

 だからアキトは、精一杯堪える。嬉しそうに笑う。

 けれど、笑おうとした顔が何故か引き攣る。震える声が抑えられず、上手く笑えない。半年前から思い出せない、その笑い方。

 どんな風に笑っていたっけ。もう、それすらも忘れてしまった。

 ここ半年間、アキトはただの一度だって、ちゃんと笑った事は無かった。

 でも、この強がりを止めちゃダメだ。

 

 

 「サチ……これを使って、もし君が生き返ったら、伝えたい言葉があったんだ。だから、頑張ったんだ。俺は、強く、なったんだ」

 

 

 そんなアキトの言葉を聞いたら、サチはなんて言うだろう。どんな表情をするだろう。

『凄い』って褒めてくれるかな。

『馬鹿みたい』って、一人で行った事を怒るかな。

 それとも、『ありがとう』って、帰ってきてくれた事を、喜んでくれるかな。

 自分の為に笑ってくれたら、怒ってくれたら、泣いてくれたら、どんなに嬉しいだろう。

 どれだけ、サチのそんな顔が見たかった事だろう。

 その笑顔を見せてくれたら、その声で名前を呼んでくれたら。

 それだけで救われるというのに。

 

 だが、それは叶う事のない願い。

 その願いの為に生き続ける事すら、もう出来ない。

 願うべき相手は、もうこの世にいない。

 だから、もうこの世に留まる意味も、もう無いのかもしれない。

 

 

 ────これ以上は、頑張れない。

 

 

 彼女の前で弱音は見せたりしないけれど、その心はもう、諦めの境地に立っていた。

 生きる理由が、失せてしまった。

 何をするにも、気力が湧かない。

 これから、どうしたら良いのかさえ分からない。

 どうしようかな。

 生きてても、仕方無いし。

 

 

 「……はは。しんみりしちゃったな。さて、そろそろ帰るよ、サチ。明日から、また頑張らないといけないし」

 

 

 そんな、嘘で塗り固められた言葉を、石碑に投げ付ける。八つ当たりに近い感情の高ぶりが、アキトの胸中を襲う。

 けれど、愛しい人の前で弱気な姿は見せられない、そんな小さな小さな決意だけで、アキトはこの場に立っていた。

 

 

 

 

 ────瞬間、聞き慣れないアラーム音が鳴り響いた。

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 静寂の中、いきなり鳴り出したそれに身体を震わせながら、アキトはその空間を見渡す。しかし、音源らしいものは何も見つからない。

 ほんの少しだけ困惑した後、漸くその音の原因を見付けた。

 視界の端にウインドウの開示を促すマーカーが点滅している事に気付いた。

 咄嗟に指を振ると、そのウインドウのタブが開示される。

 

 

 「……これ」

 

 

 そのタブは、サチといつかに作った共通アイテムウインドウだった。何か異常があったらすぐに飛んでいけるようにと、ギルドのものとは別に、アキトがメンバー全てと個人的に作っていたタブだ。

 その中で、《サチ》の名前が記されたタブだけが光っていた。

 恐る恐る、その指を伸ばし、触れる。

 

 少ないアイテムの中、たった一つだけ目に止まったのは、タイマー起動の記録結晶。

 メッセージが、既に録音されたクリスタルだった。

 サチとの共通タブなのだ、誰の声が記録されているかだなんて、一瞬で分かった。

 

 

 「……サチ」

 

 

 アキトはすぐさまそれをオブジェクト化させ、手のひらに乗せる。ゆっくりと触れれば、その結晶は光り出す。

 

 

 懐かしい、愛しい人の声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 メリークリスマス、アキト。

 

 

 結晶越しだし、アキトの声は聞こえないけど、こうして話すのは久しぶりだね。

 

 これを君が聞いてる時には、私はもう死んでると思います。もし生きてたら、このクリスタルは取り出して、自分の口から言うつもりだから。

 

 

 なんでこんなメッセージを残すのか、その理由だけ先に説明するとね、えと……こんな事言ったら、アキトは怒るかもしれないけど、私はきっと、長くは生きられないと思います。

 けど、それは勿論、アキトや他のみんなの所為だとかって事は全然無いから、安心してね。キリトもアキトも凄く強いし、他のみんなもドンドン強くなってるもん。

 これ……は、キリトにも伝える事にしたんだけど……この間、ずっと仲良くしてた他のギルドの友達が死んじゃったんだ。私と同じくらいの怖がりで、安全な場所でしか狩りをして来なかったのに、運悪く一人の時に死んじゃったんだ。

 それで、私思ったの。この世界でずっと生きて、生き続けていくには、どんなに仲間が強くても、自分自身の、絶対に生き残るって強い気持ちが無ければ、ダメなんだって。

 

 だって、私は臆病だから、いつ死ぬか分からないもの。アキトは初めて会った時からずっと、私が無理してフィールドに出てるのに気付いてたもんね。

 黒猫団のみんなとはずっと一緒だったし、楽しかったけれど、狩りに出るのは毎日怖かった。だから、こんな気持ちで居続けたら、きっと死んじゃうよね。

 アキトは人一倍責任を感じやすいから始めに言っておくけど、それは君の所為じゃなくて、私の問題だからね。

 

 私が死ぬ時、アキトもその場所にいてくれてるかもしれない。けど、今私、アキトに避けられちゃってるし、もしかしたらアキトのいないところで死んじゃうかもしれないから、これを残す事にしたの。

 

 ……えへへっ……でもいざ話すとなると、何を話したらいいか分かんないや……言おうとしてた事は決めてたのに、何だか言葉に出来ないっていうか……。

 

 ねぇアキト、初めて会った時の事、覚えてる?

 名前を聞いた時、うっかり本名とか、誕生日と、スラスラと喋っちゃう程のネトゲ初心者だった君を見て笑ってしまったのを、私は今も覚えてます。偶に思い出しては、笑っちゃったりして。

 

 ……実はね、君をパーティに入れたいってみんなにお願いしたのは私なんだ。

 初対面の人相手にって、自分でも驚いた。どうしてだろうな……ううん、ホントはもう分かってる。

 あの時、周りが混乱して動けなかったあの時、一人で怯えている君を見て、私は貴方を他人だと思えなかったんだと思う。

 なんだか、私にも理解者が出来るかもしれないって、無意識にそう思ったの。

 それも、顔も名前も知らなかった君にだよ?笑っちゃうかな。

 自分でもよくそんな事が出来たなって思ってるけど……怖いのは私だけじゃなかったんだ、って安心したかったんだと思う。

 

 ……けどキミはどんどん私達のレベルに追い付いて、追い抜いて……気が付けば私みたいな弱虫を置いて、黒猫団に無くてはならない存在になってたよね。

 いつの間にかみんなを守る、カッコイイ立場になって。

 

 けど、全然悲しくはならなかったんだよ?

 寧ろ安心したの…キミがみんなに黙ってこっそりレベルを上げて、守る為に私達の傍に居てくれる。守ってくれる。

 その事実が、私の心の支えだった。

 ふふ、私、知ってるんだから。

 アキトが深夜に宿から出て、狩りに出掛けてるの。

 えっと……前に一度、私が宿から飛び出した日の事覚えてる?あの日の夜、私、怖くて眠れなくて、アキトの部屋に行ったんだ。恥ずかしい話だけど、もしかしたら、一緒にいてくれるかと思って。

 でもいざ部屋に行ったら、アキトいないんだもん。本当にビックリしたし、焦ったし、泣きそうだったんだから。

 

 けど、アキトのそんな行動もきっと、私達の為なんだって思うと何処か嬉しくて。

 本当ははじまりの街から出たくなかったけど、いつかは攻略組の仲間入りをして、最前線で戦うキリトとアキトの活躍をこの目で見てみたいなって……ちょっぴり思えるようになったんだ。

 

 ……そうやって、あるかも分からない未来を想像しながら、なんとなく寂しい気持ちにもなるんだ。

 もし、アキトがもっともっと強くなったら、いつか私なんかが手の届かない遠くまで行っちゃうんじゃないかって。

 だから、私と二人で過ごしている時に笑ってくれてるアキトを見て、もしかしたらアキトも、私を必要としてくれているのかもって思えて、嬉しかった。

 私は、なんで私なんかがこの世界に来てしまったんだろうって、ずっと考えてた。なんでこんな目に会わなくちゃいけないんだろうって。

 だからね、アキト。君が私といる時に笑ってくれた事、凄く意味がある事なんだって思ってます。

 

 ……それから、最近、私ね。偶に想像するんだ。

 もし、私が怯えること無くモンスターと戦えられたら、いつかアキトの背中を守れるようになるのかなって。

 これって、前の私じゃ考えられないんじゃないかって、自分でもビックリしてるんだ。

 ……臆病な私が……アキトと、一緒に……隣りに立てるようなって、そう思えたのも。

 もう少しだけ、頑張ってみようって、そう思えたのも。

 

 

 ……全部、全部、アキトのおかげだよ……?

 

 

 ねぇ、アキト。君は強いよ。

 私なんかよりも、ずっとずっと。だから、君ならきっとこの世界を生き抜く事が出来ると思う。

 いつか、黒猫団が攻略組の仲間入りをする。もし私が死んじゃったら、きっとその夢は叶わない事になるのかもしれない。

 でもアキトとキリトなら、きっと攻略組としてみんなの役に立てるような、凄い人になれると思うんだ。

 前に、ダッカーが『キリトとアキト、二人揃えば最強だ』って言ってたの、大袈裟なんかじゃないと思うよ?

 二人がいれば、きっとゲームをクリア出来る。ゲームをクリアして、この世界の終わりを二人で見届けて。

 そして、この世界が生まれた意味を見つけて下さい。

 

 

 ……それから……それから、ね。私、他にも……っ。

 

 

 ……ううんっ、何でもないっ。えへへ。

 

 

 私の伝えたい事、まだ沢山あるよ。

 でも、あんまり言っちゃうとアキトも大変だし、もしかしたら生き延びる事も出来るかもしれない。そしたら、ちゃんと自分の口で言える。

 だから、私頑張るね。

 

 

 ……私、アキトに会えて幸せだったよ。君が、私のヒーローなんだって、そう思えたんだ。

 

 

 ……やっと、やっと、伝えられた。この言葉を、ずっと、ずっとアキトに伝えたかったんだ。

 

 

 だから……これからアキトは、何も気にしないで進んで行って貰えると、嬉しいなぁ。

 

 

 私は、この想いを伝えたかっただけだから。

 

 

 ……それじゃあ、またね。

 

 

 もし生き延びる事が出来たなら、この続きは、クリスマスに言うから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そしたら、好きだって、ちゃんと言うからねっ。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 聞いてしまった。

 逃げたいと思った、死にたいと思った、その直後に。

 強がり続けると、そう決意したばかりだけど。

 

 

 「……あーあ」

 

 

 諦めた、はずなのに。

 もう、何もかも嫌になったはずなのに。

 

 

 「……ずるいなぁ」

 

 

 無理に笑っていた顔が、歪む。

 泣かないと決めたのに、もう駄目だ。無理だ。

 

 

 「僕も、同じだよ」

 

 

 君の見せる笑顔が。一つ一つの仕草が。

 透き通った声が。時折見せる、赤い頬が愛しいと思えた。

 

 

 そんな彼女はもう、この世の何処にも存在していない。

 愛しい人に、もう二度と、巡り会う事は叶わない。

 

 

 「ほんとうに、すきだったんだ、さち」

 

 

 サチも、アキトと同じだ。ずっと、強がっていた。彼女はずっと嘘を吐き続け、無理をし続けた。

 何が、大丈夫だよ。何が、一緒に頑張ろうだよ。

 そんな事で、誤魔化せるとでも思っていたのかよ。

 

 

 「君の為なら、何だって出来ると思ってたんだ」

 

 

 サチは、最後まで嘘吐きだ。

 本当は圏外にだって出たくないくらいに臆病な癖に。怯えて、それなのに引かなくて。まだ頑張れるから、大丈夫だからって、そう言って。

 誰にも心配かけないようにって。

 

 

 「なのに……何だよ、忘れて、って……気にしないで進んで、って」

 

 

 怖い気持ちを一人で黙って抱え込んで、飛び出して、涙して。

 その癖自分の事よりも他人の事ばかり。本当に、人が良過ぎる。

 

 

 「忘れて欲しくなんか……ない癖に……強がっちゃって……無理だよ……忘れるなんて、出来やしないんだ……出来るわけ、ないだろ」

 

 

 でも、そんな彼女が好きだった。

 臆病で、でも優しくて、笑顔が魅力的な彼女が。ずっと、ずっと好きだった。初めて出会った時から、この感情は小さく芽生えていたのかもしれない。

 仲間になって、共に行動して、彼女の優しさを見て、その想いは募るばかりで。

 彼女の為なら、命さえ張れると思った。

 

 

 サチがアキトの、生きる希望になっていた。

 

 

 「たのむよ、さち」

 

 

 縋り付く。嗚咽を漏らし、願いを乞う。

 地面へと頭を擦り付け、蹲る。その結晶を、強く握り締める。

 

 

 

 

 「置いてって……待たせて、ごめんな」

 

 

 

 

 「モンスターに囲まれて、怖かったでしょ?」

 

 

 

 

 「死の恐怖に、怯える毎日は辛かったよね」

 

 

 

 

 「ずっと一人で、その恐怖と戦ってたんだよな」

 

 

 

 

 「けどもう、大丈夫、だからさ」

 

 

 

 

 「これからはずっと、傍にいるから」

 

 

 

 

 「もう二度と、そんな思いは、させないから」

 

 

 

 

 「もう一度、チャンスをくれよ」

 

 

 

 

 「今度は必ず、助けに行くから」

 

 

 

 

 「今度は絶対、助けてみせる、から」

 

 

 

 

 「死んでも、君を見付けてみせるから」

 

 

 

 

 「キミがいなきゃ、何処にいたって同じなんだ」

 

 

 

 

 「他に俺に出来る事があるなら、なんだってやるからさ」

 

 

 

 

 「命を神に差し出してもいい」

 

 

 

 

 「悪魔に魂を売ったっていい」

 

 

 

 

 「君の存在が、俺の生き甲斐なんだ」

 

 

 

 

 「君がいなきゃ、生きてる意味なんて無いんだよ」

 

 

 

 

 「だから、お願いだ」

 

 

 

 

 「声を聞かせてよ」

 

 

 

 

 「また俺に、笑顔を見せてよ」

 

 

 

 

 「なあ、サチ」

 

 

 

 

 「頼むから」

 

 

 

 

 「サチ」

 

 

 

 

 「さち」

 

 

 

 

 手に持つ結晶体を強く握り締め、蹲って縋る。

 好きな人の前で強がり続けた勇者の姿はそこには無く、あるのはボロボロに崩れ落ち、とめどなく溢れる涙を流すただの少年だった。

 

 

 聖夜に独り、この墓に似た場所で、暗闇に包まれた冷たい世界で、みっともなく喚き散らして。

 地面を叩き、後悔に呪われ、湧き上がる想い全てを吐き出した。

 

 

 改めて理解した。

 神は都合の良い願いなど叶えてはくれない。

 いつだって、末路は悲惨で残酷だ。この世界に、自分の願いを易々と聞き入れてくれるような善人はおらず、縋り付けば、それだけ惨めに見えるだけ。

 

 

 アキトは今日、きっと全てを失った。

 

 

 けれど、それよりも前から、アキトは色々なものを失ってきた。

 

 

 麻痺した身体、凍った脳は熱で溶け、動き出した彼が初めて見せた感情は、半年越しの失恋による涙で。それは回復結晶ですら癒せない、心の傷だった。

 

 

 浮遊城は変わらず、雪で満たされていた。

 生命と、年の終わりを告げるそれは、嫌になるくらい綺麗で、冷たかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────半年前の、六月十二日。

 

 

 その日、ギルド《月夜の黒猫団》は壊滅した。

 アキトの大切なものは、全て消え去ったのだ。

 その日が、アキトの望んだ世界が終わった日。

 絶望に染められ、世界に失望し、神を恨んだ日。

 

 

 そして、その日は不幸にも────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────逢沢桐杜(アキト)の、十五歳の誕生日だった。

 

 

 

 







サチ 「アキト泣き過ぎ」

アキト 「い、いや……好きな人が居なくなったら、泣くでしょ、そりゃあ」

サチ 「そ、そっか……好きな人、か……えへへ」

アキト 「っ……はは」




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喪失





君との未来はこの手から零れ落ちて。




 

 

 

 

 人間だけではない。あらゆる生命体には、寿命はある。

 だがそれが尽きる日がいつなのかと、考える者は少ない。この浮遊城に来て初めて、それを明確に感じ考えた者の方が多数だろう。どのような場面で、どのような状況で、どんな人達が傍に居て、どんな最後を迎えるのか。この世界なら想像に難くないからだ。

 けれど浮遊城は、人々の生き死にによって変わることなどまるでなく、変わらず稼働を続け、今も尚世界に抗う人々を俯瞰し嘲笑うように空を漂っている。寧ろ死んだ人間のデータをそれ以上管理する必要が無くなる分、情報処理の効率が上がるという何とも皮肉な仕様だろう。

 まるでこの世界の住人は、この城に捧げる供物のようだった。

 

 

「……あ、き」

 

 

 眼前に聳え立つ《黒鉄宮》から、探していたはずの少年が現れても、アルゴは動くことが出来なかった。

 墓地とも呼べるその建物が這い出たその少年は、彼女にとって見知った顔のはずだった。けれど彼のその姿を見た瞬間、彼の名を呼ぼうとしたその声は途切れ、誰にも届くことなく漂い消えた。

 

 目を逸らすことさえ出来ずに彼を見やり、そして言葉を失った。

《圏内》にも関わらず満身創痍な姿がそこにはあったからだ。彼の装備も容姿も何一つ変わっていないはずなのに、一目見ただけで察するのは、彼のその表情は、絶望に打ちのめされて底まで落ちた人間のそれだったということだけ。

 

 彼自身の優しさを体現したような純白のコートも、対象的な黒い刀も、アルゴがかつて抱いていたイメージと反転していた。彼の死んだような表情と相まって、まるで死神のようで。

 足取りは今にも折れて崩れてしまいそうな程に頼りなく、触れれば事実そうなってしまうだろうことは容易に理解出来た。そしてそれを見て、アルゴは再び声を掛けようとしていたその口を噤んでしまった。

 声を掛ければ、手を伸ばせば拒絶されてしまうのではないか。そんな恐れが彼女の全身を締め上げ、動けなくしていた。

 

《蘇生アイテム》の入手の為に躍起になっていた時のアキトとは、まるで別人だった。あの時の彼も酷いものだったが、まだ生きる為の明確な目的が確立されていた分、まだ生気が宿っていた。

 だが今は、あの時とまるで違う。俯き、瞳が前髪に隠れたその姿を見てもなお、嫌なくらいに分かってしまうのだ。彼の絶望が諦観に変わりゆくその様が。

 その手に記録結晶を握り締めた彼は、その頼りない足取りで雪の地をこそぎ、歩いていく。目的地があるようには到底思えない。こちらに目もくれず通り過ぎたその瞬間に、アルゴは彼の髪の隙間から覗く瞳を捉えてしまった。

 もう何も宿さず、灯さない瞳。消えた蝋燭のようなか細さと、消えることのない闇が支配していた。

 

 

「……っ」

 

 

 それを見た途端、気が付けばアルゴは精一杯の声を絞り出していた。

 

 

「────ど、何処に行くんダ!?」

 

 

 咄嗟に零れたその言葉には、多くの意図が含まれていただろう。

 これから、どうするのか。何処を目指しているのか。まさか、自ら命を絶とうだなどと馬鹿げたことは考えてはいないだろうかと、そんな想いが綯い交ぜになった問いだった。

 

 既に、クリスマスボスが何者かに討伐された噂は流れ始めていた。誰もが血眼になって探していたボス出現エリアを見付け、誰をも出し抜いて報酬を手に入れた者。アルゴには、それが誰かなど既に分かり切っている。だからこその問いだ。

 彼は素晴らしい実力を発揮し、とんでもない功績を残した。彼はボス級のモンスターを相手に帰って来たのだ。それもたった一人で挑みながら、だ。彼の偉業は数多のプレイヤーに賞賛されるべきもので、語り継がれるべきものだ。

 

 

 なのに、何故。

 どうして、誰もいないその道を進むのか。

 

 

 彼は英雄となる道ではなく、誰もいない暗い雪道を進む。その先は暗くて、何が待ち受けているのかも分からない。その先こそ、彼の望む終末なのかもしれない。

 

 

 羨望も憧憬も全てを棄て、孤独に歩いて行く。

 光から、闇へと───。

 

 

 アルゴの問いに応えるべく、少年は少しばかり振り返る。

 淡々と事実だけを残すように、ただ告げた。

 

 

 

 

「────俺の戦いは、もう終わったんだ」

 

 

 

 

 その瞳は虚ろの比喩すら生温い、深淵を見せていた。もう、引き返せないくらいに────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.0 雪舞う月下に誓う猫

 No.13 『 喪失(喪って、失ったから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 クリスマスだというのに、帰る場所さえありはしない。

 目指す場所すら定まらず、ただ歩いて。辿り着いたのは、何故か最前線より少しばかり下層の《圏外村》だった。マップの端も端。態々来ようだなんて酔狂な輩は少ないだろう。入り組んだ森の奥に、それはあった。

 

 人目を避けるように居を構えていたその村は、とあるクエストを受注することによって一時的に現れるインスタンスマップだった。言わばクエスト専用に作られるエリアで、クリアもしくは中断すると強制的に追い出される。

 

 個別に用意されている一時的なマップなだけあって、クオリティが高いものも少なくない。実際遠目から眺めると、意志無きNPC達がプレイヤーの有無に関わらず生活しており、一見普通の人にしか見えない。そんな彼らの住まう住居の中でも、旅人を泊まらせる宿のような小さな一軒家が端にあった。誰も使っていないだけに埃っぽいが、生活する分には困らない。

 

 

 そんな一軒家のベランダに、彼は──逢沢(あいざわ)桐杜(きりと)はいた。

 

 

 誇れる自分に変わりたいと《アインクラッド》に足を踏み入れ、そして出会った仲間達と共に研鑽を重ね、やがて全てを失ってしまった非業の少年。

 狂ったようにレベリングを続ける中、彼は『死なせてしまった大切な人と再会したい』というたった一つの願いの為に、それだけを胸に抱き、戦い続けてきた。

 

 無数の人々を助けられるような存在、かつて憧れた存在を目指し、見ず知らずの人を助けられるまでに成長していたはずの彼は、いつしか脇目も振らずに自分のことだけを考えて進むようになった。

 幾度と無く努力し、戦い、世界に抗い続けた。全ては、ただ一つのささやかな願いの為に。それだけを手に握り締めた、クリスマスまでの数ヶ月間の果て。

 その終着点、結末は、考えうる中でも最悪のものだった。

 

 切なる望みはその手から零れ、落ちて砕けた。

 一人で独りなその少年は、たった一人で森を、谷を、洞窟を彷徨い歩く。

 

 そうして彼が行き着いたのは、あらゆるしがらみから隔絶されたこの地であった。マップ端の、深い森の奥の奥。その圏外村の中でも更に端に位置する埃だらけの家屋。そこがアキトの終着点だった。

 

 どの層の街にいても、絡み付くしがらみが嫌になる。どの層で過ごそうとも、消せない想いがそこにある。フレンド登録しているプレイヤーなど数える程度だが、すぐに見つかるような場所にも居たくなかった。

 この村に入る為だけにクエストを受注したが、特に行動も起こさず壁に寄りかかって座っていた。

 

 

「────」

 

 

 物言わぬ屍のような顔で手元を見下ろすと、その手中には結晶が握られていることに気付いた。

 プレイヤーに大きな恩恵を与えてくれる結晶アイテムのうちの一つで、音声や映像、写真を記録することが出来るもの。記録結晶がそこにあった。

 

 だが、アキトは知っている。

 ここに収められている声の主は、決して手の届かない場所にいることを。散々迷って苦しんだ末に見付けた一つの願いだけは、それ故に絶対に叶わないのだということを。

 

 もう、何も願うことはない。

 これ以上は頑張れない。理由もない。

 それらは全て零れ落ち、失ってしまったから。

 アキトが過ごす日々に、最早色彩は無かった。

 

 

「────」

 

 

 ベランダから外の景色をぼんやりと見やる。

 昨日に引き続き空は薄い灰色で覆われ、未だ止まぬ雪が辺りを彩ってくれる。おかげで今の彼にとって鬱陶しく感じてしまうNPCも家に入り込んでおり、外に出ている者も、こちらを気にせずシステムに従って村の中での生活に勤しんでいた。誰も寄り付かない場所なのにここまで丁寧に作られていることに感心していると、ふと視界端にいる数人の子ども達に視線が向いた。

 

 

「……っ」

 

 

 途端に歪めた表情。その先には男女混じる子ども達。

 性別の隔たりなど関係無しに、ただ純粋に笑い合い、雪に興奮して走り回っている。

 その姿に、かつての景色が重なった。

 

 

(───ああ)

 

 

 それを見るのが、途轍もなく嫌だった。

 NPCだと分かっていても、この黒い感情が収まってくれなくて。嫉妬以上の憎悪と苛立ちがNPCに向いていた。

 不思議なほど冷静な水面のような心で、『全て消えてなくなれば良いのに』と考えてしまう自分の心がとても恐ろしかった。

 

 

「……」

 

 

 そんなことを考える自分すら嫌になって、逃げるように家屋内に戻る。すぐ近くのベッドに座り込み、右手の記録結晶を起動する。フワリと手元から離れて僅かに浮かび上がるクリスタルの輝きに、脆くなった心が奪われるのは早かった。

 

 

「……なぁ、サチ」

 

 

 物言わぬ無機物に話し掛ける。当然何も返ってくるはずがない。けれど、それでもいいと。それすら気にならないと、そんな表情で微笑んだ。

 ここには、プレイヤーは自分しかいない。自分を邪魔する者はいない。クリスマスに訪れるような輩もきっといないだろう。なら、今は自分と結晶の中の彼女と二人だけだ。

 

 

「さち」

 

 

 応える声はない。けれど、構わずに話し掛ける。

 膝に顎を乗せ、柔らかな笑みさえ浮かべて瞳を細める。彼女の声が眠る結晶を見つめながら。

 そこにあるのは彼女の声だけだという事実に、気付かないフリをしながら。

 

 

「……君に、話したいこと、沢山あるんだ。ここに来るまで色々あってさ……けど、話す時間は充分にある。どこから、話そっか」

 

 

 ぼんやりと淡い瞳の奥には、記録結晶の光が揺らめく。外の子ども達の笑い声さえ、今は殆ど気にならない。

 誰もいない独り言、それが傍から見た事実。だがこの行いに意味があるかどうかは彼にとって問題ではなかった。ただ二人の空白を埋めるかの如く、大切なものを紡いでいくように口を開くアキトは、あらゆる絶望を一時忘れたような優しい笑みをしていた。

 

 

 何の脈絡もなければ、唐突に切り出される話題の数々。言葉は空虚なまま宙に放たれ、雪のように溶けて消えゆく。淡々と零れる彼の言葉には、まるで熱など感じなかった。その場しのぎのような、場を繋ぐような焦りが見える独り言(会話)からは、彼の無意識の内の感情が見え隠れしていた。

 何か喋らなければ。沈黙が生まれてしまえば。彼女の死を事実として受け入れてしまうような気がしたから。

 

 

「────あ、あと、それから……えっと……それ、から……っ」

 

 

 だが《黒猫団》が死んでからはひたすら目的の為に戦い続けていた彼が、些事とも呼べる出来事の数々を一々覚えているはずもなく、記録結晶に語りかけるような話題はすぐに尽きた。

 焦れば焦るほどに周りは見えなくなり、思考は単調になる。やがてアキトは瞳を左右に動かした後、俯いて口を噤んでしまった。

 

 

「……ぁ、っ……」

 

 

 記録結晶に映る自分の顔を見やる。瞬間、現実に引き戻されたような感覚に陥った。

 途端に自分のしていることがあまりにも滑稽に映り、情けなくなってしまった。記録結晶に向かってどれだけ言葉を重ねても、虚空の彼方に届くはずもないと、分かっているのに。

 それでも、この現実を受け入れることが出来なかった。

 

 独りぼっちだなんて。

 誰もいないだなんて。

 彼女──サチがいないだなんて。

 

 彼女のことを、今でも鮮明に思い出せる。

 僅かに頬を赤らめて笑う顔も。こちらの名を呼ぶ透き通るような声も。華奢な身体に、偶に見せる女の子らしい仕草も。狂おしいほどの優しさも、過去のものだなんて割り切れるはずがないのだ。

 

 

 この世界でのサチは明るいとは言わずとも、笑顔を見せてくれる少女だった。優しげで柔らかで暖かな笑顔が、いつもアキトの冷たい心を包んでくれた。

 その一方、恐怖を抱えて生きる彼女が時折見せる悲しげで寂しげな表情は、雲の隙間から覗く月明かりのようで、アキトの胸を締めつけるのだった。

 

 そんな顔をさせたくないと思い、戦い続けてきた。

 出会ってからの一年間、強がりを張り続けたのはひとえに彼女を守れる強さを手にする為だった。

 それ以上でも、それ以下でもなかった。

 

 

「……っ」

 

 

 心を締め上げるほどに容赦の無い孤独感。大切な存在が、それだけの為に作られたこの身体が既に虚ろであるかのような感覚に、込み上げてくる何かがあった。

 記録結晶を見つめる彼の表情は実に複雑で、気を緩めただけで眼に涙が溜まり始めていた。口元を引き絞りどうにか泣くまいと堪えても、やがて溜まりに溜まった水滴がポロリと頬を伝った。

 

 

「くっ……ぅ、ぁ……」

 

 

 嗚咽を漏らしながら、縋るように。

 誰もいないこの場所で独り、見放されたような切なさに埋もれて涙した。誰もここには居ない。来てはくれない。励ましてはくれない。慰めてはくれない。

 

 もう、誰もいないのだ。

 分かってる。分かってるつもりだった。

 いつかは受け入れなければいけないということだって、理解している。

 

 

 ────それなのに。

 

 

 ベランダに続く開いた扉から、未だに子ども達の声が耳に入り込んだ。何も知らないシステム如きが、幸せそうな声を放つ。アルゴリズムに従って動き、そこに意思などありはしない。それだけにとても耳障りに思えた。

 

 

「……る、さい」

 

 

 彼らは、何も知らずに笑っている。自分達には関係無いと言わんばかりに楽しげに走っている。彼らにとってはこの村だけが自分の世界。故に外でどんな不条理で理不尽なことが起きようと、システムに従って笑みを浮かべているのだ。

 それがとても気に入らなかった。腹の中で、ふつふつと煮え滾る熱い何かが駆け巡っていた。

 

 

「……まれ」

 

 

 俯いた口元から、歯軋り音が聞こえる。何かに堪えるように噛み締め、されど身体は震えてる。形容し難い激情が、数歩外に出れば視界に入るであろう、忌々しいオブジェクト共に向いていた。

 この家と外が、まさに不幸と幸せの境界線で、惨めな自分が際立って思えた。そして何より、笑っていられる彼らがとても妬ましかった。

 

 

 そして気が付けば、その足はベランダに向かっていた。

 

 

 

 

「黙れええぇぇええ!」

 

 

 

 

 ────それは、悲痛な心の叫びだった。

 

 

 静かにしてくれないと、幸せそうなその声を聞くだけでどうにかなってしまいそうだった。その笑顔を視界に入れてしまえば、何もかもを壊してしまいたくなった。

 けれど、大人気なく泣き叫ぶアキトのその声にNPCである彼らが反応を示すことはなく、変わらず雪の絨毯を駆けずり回っている。

 

 

「……っ、ぁ」

 

 

 それに気が付いて我に返ったアキトの瞳は見開かれており、せき止められるものがなくなった涙滴はとめどなく零れ落ちていた。

 

 

「……みんな、消えちゃえばいいのに……」

 

 

 叫んだことで乱れた呼吸は荒く、唇は震えていた。

 決して寒さからではない。NPCとはいえ、人の姿をした存在にあんな怒号を八つ当たりも同然にぶつけた事実が情けなくて、思わず泣きそうになるくらい悲しくなったからだった。

 

 

 ────NPCに嫉妬するだなんて、とことん追い詰められてやがる。

 

 

 自嘲気味に笑う───いや、最早笑うことすら出来ない。今のアキトには、へらへらと笑みを浮かべることすら難しかった。この数ヶ月、笑おうとして笑ったことがなかったからか、まるで笑い方を忘れてしまったように、心はひたすら虚無だった。

 

 

「……サチ。ケイタ。テツオ。ダッカー。ササマル」

 

 

 ポツリと、彼らの名前が零れた。思いを馳せるように、大切な宝物を撫でるような優しさが滲み出たその声は、身体同様に震えていた。

 アキトは雪積もる木々だけの景色を前に、白い息を吐き出しながら問う。

 

 

「……僕は……ひとつでもみんなに……恩返し、出来たのかな……」

 

 

 あの日、自分を見付けてくれた彼らの為になりたいと、そう願って生きてきた。強くなって頼られるような、みんなを守れるような存在になりたかった。

 いつしか、助けてくれた彼らを、助けられるような存在にだ。

 彼らが迎えてくれるあの場所がアキトにとっての世界で、全てだった。それだけを望み、求めていた。みんなの笑顔を守れるような存在にと、強くなる自分を夢想して。

 けれど、それはもう叶わぬ望み。

 

 

「っ……まだ、だよ……何も返せてない……こんなにも早くいなくなるなんて……思いもしなかったんだっ……!」

 

 

 ただ強くなりたかったわけじゃない。それはあくまで手段に過ぎなかった。

 アキトはただ、《月夜の黒猫団》のみんなとずっと一緒にいたかっただけだった。だからこそ、強さが必要なのだと思った。その所為でみんなとの時間を疎かにしてしまったことに、今になって後悔した。

 

 

 だがもう、決してやり直しは出来ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

《クエストを中断しますか? Yes/No》

 

 

「……」

 

 

 開かれたウインドウが問う内容を理解すると、躊躇うことなく《Yes》の選択肢に指を這わせた。途端にウインドウが閉じ、瞬間その身が村から追い出されるように一瞬で転移した。

 瞬きすると同時に景色は様変わりし、少しばかり視線を動かせば、先程の村に訪れる前にいた森の真ん中に直立していた。未だ降りやまぬ雪が辺りを白く覆い、アキトの身体を一瞬で冷たくしてしまう。

 

 アキトはクエストを中断したことで、圏外村であるインスタンスマップから追い出され、再び森に戻ってきていた。これからまた、誰も来ないだろう場所を探し歩くことにしていた。

 

 今のアキトにとって、NPCとはいえ彼らの笑う顔はとても眩し過ぎて、とてもじゃないがあの村には居られなかった。

 不幸の真っ只中にいる自分の目の前で、我関せずと動く人の姿。声を聞くだけで、視界にいるだけで、アキトはどうにかなってしまいそうだった。

 もう少し決断が遅ければ、刀を抜いてしまっていたかもしれない。斬ったとしてもたかがNPCだと、そう思ってしまうほどに心は病んでいた。

 

 ふと振り返り、かつてそこにあったはずの村を見据えてから、虚ろな瞳を細めて踵を返す。

 人気のない場所を探してここまで来たのに、NPCでさえ目障りで耳障り。プレイヤーが来ないことは折り紙付きだったかもしれないが、クエストを中断して出て行くことには躊躇も不満も後悔もなかった。

 

 

 ────何もかも消えてしまえばいい。そう思った。

 

 

 村のクエスト内容は、村を脅かす凶悪なモンスターの討伐。そんなところだった。よくある古典的な設定に面白味なんて感じるはずもなく、訪れた当初も話を適当に聞き流して目的の宿に向かったのはほんの数時間前の話だ。

 だがクエストを進めるつもりなんて更々なくて、誰も来ない場所が手に入りさえすればよかった。故に、このまま余生を過ごすだけの人生だった。

 

 

「……」

 

 

 受注することを決めた時の村人達の嬉し泣きのような感謝の表情を、アキトら何故か思い出していた。何奴も此奴もNPCの癖にどこか人間味があって、こちらの良心に訴えかけてくるような表情を見せ付けて。

 もしかしたら、あの時既に憎悪を向けていたのかもしれない。たかがNPC相手に。

 

 

 ────“クエスト、やらないの? ”

 

 

 ふと、頭の中で声が響いた。

 透き通るように甲高い、女性の声だった。

 

 

(……また、この声)

 

 

 思えば、サチ達の危険をいち早く知らせてくれたのはこの声だった。どういう理屈か、まだ見ぬスキルなのか、何が目的なのか知らないが、あの時のことは感謝しなければならないのかもしれない。

 結局、誰一人助けることは出来なかったけど────

 

 

「……ただのクエスト、それもゲームだろ。NPCだけの村がどうなろうと知ったことじゃない」

 

 

 そう、もう人助けだなんてどうでもいい。誰が傷つこうが死にそうだろうが知ったことじゃないのだ。それが出来る存在になろうとみんなから離れた結果が今の自分だ。

 他人の為に時間なんて使ってられない。ましてやNPCだなんて斬っても壊しても湧いてくるし、それにクエストはこのゲームの世界観が生み出した設定に過ぎない。決められた言葉しか喋らない機械的な存在に意味なんてない。それに時間を費やすのも馬鹿らしい。

 そして、意思無きオブジェクトだからこそ、こんな嫌な感情すら吐露出来た。

 

 

「……みんな、死んじゃえばいい」

 

 

 そう、何もかもを守れるくらいに強くなろうとしたから、零れてしまったものがあった。拾えるものを全て拾おうだなんて欲張りだった。

 キリトに惨めに嫉妬なんてせず、身の丈にあった強さで満足して、みんなと共に歩み続けていれば良かった。サチの隣りにずっといてあげれば良かった。

 そうすれば、全滅なんて最悪な未来だって防げたかもしれない。

 そうでなくとも、死ぬ時は一緒だったかもしれない。

 誰かを守れるくらい強くなろうだなんて、烏滸がましかったのだ。

 

 

 ───“っ、でも、アキト強くなりたいって……『強がり』を強さに変えたいって……! ”

 

 

「黙れよ。何も知らない癖に知ったような口を」

 

 

 こんなにも冷たい声が出るなんて、自分でも驚いた。だがこの声に聞き覚えも心当たりもない以上、アキトにとってこの声は他人だ。だが、別に何者でも関係無い。ただ、自分をイラつかせるだけだ。

 誰一人としてこの絶望を共有出来たりしないのだから。誰にも、この気持ちを理解することは出来ないのだから。

 

 確かに、声の主の言い分は最もだ。

 だが最早、理由や理屈じゃなく本能と感情が告げるのだ。

 “もう、嫌だ”と。

 あの日に全て思い知ったのだ。どれだけ頑張ろうとも、届かないものがある。手の届いたはずの場所ですら、救えないものがあると。

 

 

 ───“でも、でもね、アキト……”

 

 

「……もう、話し掛けるな。耳障りだ」

 

 

 何かを告げようとしたその声を切る。どんな正論が飛んでこようとも、奴の言葉に耳を傾けることはしないという意思表示。

 まだNPCの村人達の笑顔を思い出してしまう辺り、未だ躊躇いが残ってるかもしれない。良心がザワついてしまってるかもしれない。今ここで、励ましや再起の言葉なんて聞きたくもなかった。

 

 

 

 

「……最前線、行くか」

 

 

 

 

 誰もいない森の最奥から最前線へ向かおうとするアキトに気力はなく、その足取りは重かった。

 イベントボスとの戦闘で既に精神は摩耗し、肉体を酷使したアキトに対しても、この層に棲息する狼型モンスターの群れは容赦無く襲ってくる。

 

 荒い呼吸や鳴き声は、静寂たるこの森ではよく響く。索敵を使うでもなく即座に位置を特定すると、アキトはただの一撃で一匹、二匹、三匹と、その全てを仕留めて見せた。

 誰もが進む先にある道を阻む。だが、アキトにはそれが不思議でならない。

 

 

 ────この道を進んだ先にだって、未来なんてないのに。

 

 

 それでもアキトは、襲い来る全てのモンスターを斬り捨て屠る。邪魔されて困るような急用も目的もないのにと、自虐しながら。

 アキトが使用出来る刀スキルは限定されていた。刀は両手で放つスキルが多いというのに、彼は左手に記録結晶を握っていたからだ。

 

 愛する者の声が収められた、アキトに唯一残された宝物の一欠片。それを抱え、片手が塞がっている為に上手く立ち回れず、その為アキトは何度も手傷を負うが、逃すこと無く即座に仕留めた。

 そして自動回復のスキルが何度もアキトを癒す。肉体だけが回復し、変わらず精神は削れていくも、彼は構わず前に進んだ。

 わけも分からず、進む道も見い出せず。

 

 そう、彼にはもう生きる目的が無かった。全てを失った今、こうしてモンスターに抗う理由なんて何も無い。あるとするならば、ほんの僅かな死の恐怖だけ。だがそれも、みんなと同じ場所へ行けるならと、徐々に薄れ始めている。

 最前線に向かおうとしているのだって、上層はそもそも人が少ないうえに未踏の地が多い故に人が少ないだろうという、たったそれだけの理由だった。だが最前線だけあって死の確率だって大きい。今のアキトでは無駄死にだ。向かう理由も、目的らしい目的ですらない。

 

 この場で戦うのを止めれば。諦めてしまえば楽になるはずの道だ。目の前にいるのはかなり上層の敵だ、最前線など行かなくとも刀を下ろせばすぐさまHPをゼロにしてくれる。呪いばかりのこの現実への憎悪、悲哀、後悔や苦痛から解放されるのだ。

 

 サチは、みんなはもういない。これ以上無いほどに打ちのめされたはずだ。

 ほんの少しの糸の解れが、ボタンのかけ違いが、変えようのない運命として絶望を運ぶのだと、骨の髄まで理解したはずだ。

 

 いつだってそうだ。

 運命が我々を嘲笑う。

 翻弄する。

 

 ならば、今ここで死んだとしても同じことだ。自動回復が間に合わぬくらいに傷を受け、ここで命を潰してしまえば、最前線に行かずとも事実として残る同様の無駄死に。

 それなら何故獣に刀を向ける? どうして最前線へ向かう? 

 もう何も残されていないアキトがこの道を進む道理が、一体どこにあるというのだろう。そんな崇高な理念も理由も、ありはしない。

 

 そんなもの、彼女達を失ったあの日からあるわけがない。

 初めから、存在しなかったのだ。あるのはただ、諦念のみ。どこで死のうが構わないという、そんな意志のみが心にあった。

 

 

「っ……!」

 

 

 どれだけレベルを上げようとも、やはり上層で群れを成すモンスターの相手にソロは危険だった。隙を見せぬようにと立ち回っていても、摩耗した精神を前に身体は擦り切れる。徐々に減りつつあるHPを表情一つ変えずに見上げたアキトは、この時既に意識も半ば朧気だった。

 視界がぼやけるのは哀しみの涙からか。或いは身体と精神を酷使した報いか。

 それでも道の先を見据えていたのは、何の為だっただろうか。

 

 

 事実を受け入れる為? 

 命の終わり方を探す為? 

 人生の末路を黒鉄宮に刻む為だろうか。

 否、そんなものはどうだってよかった。

 

 

 アキトはただ、静かな場所に行きたかった。

 誰かの助けを無視出来る場所、誰にも手を伸ばす必要のない場所に行きたかった。

 憎しみも哀しみも、怒りも妬みもない。争いも闘いも、そこから生み出される悲劇すら隔絶した場所へ。

 守るべき人も、何も知らない赤の他人も、煩わしくなる要素を全て排斥した孤独な世界。昔──いや、現実の自分がいた世界に近しい場所へ、サチの分身たる記録結晶を持って。

 その為に。ただその為だけに。

 

 

 アキトは、それが無意味なことだとは思わなかった。

 この世界で一年の時を過ごし、必死に生きて、努力を続け、誰かを助け、仲間に救われ、時に喧嘩し、傷付いて、誰にも見せぬよう一人で泣いて、強がって、戦い続けて。そして全てを失ったこの人生に見合うだけの価値を、アキトは感じていた。

 

 

「……」

 

 

 ずっと同じ場所をグルグルと回っているのではないかと思わせる程に広大な森の中で、アキトはふと立ち止まる。見据えた先には未だ雪積もる木々が連なっていたが、歩いた時間と距離を実感した途端に白い息を深く吐き出した。

 

 

 ……かなり歩いたな。

 もうすぐ、街かもしれない。

 そうすれば転移門を使って、そのまま最前線に向かおう。

 

 

 そうしてアキトは一歩足を踏み出し────そこで止まった。

 

 

「……人」

 

 

 人の気配を感じた。そして更に、モンスターの存在も索敵で探知する。

 ────誰かが戦っている。もしくは襲われている。プレイヤーではなくNPCが襲われている可能性だってある。その場合、もしかしたらクエストの類かもしれない。

 どちらにせよ、今日はホワイトクリスマスの昼間だというのに、よりにもよってこんな辺境の森に来る輩がいるとは、正直驚きだ。

 

 アキトは再び、その歩を進めようとした。

 誰かは知らないが、精々頑張ってくれ、と。

 

 

「……」

 

 

 ────そう、思い込もうとするも。

 もし、本当に襲われているのだとしたらと、考えてしまう。

 

 索敵を信じるならばプレイヤーは一人のようだ。敵は複数、恐らくアキトが戦った狼型の群れだろう。こんな上層でソロで群れ狩りとは思えないが、レベリングならば相当の手練が身の程知らずだ。

 そうでないならば────何故この森に? 

 

 

(……俺を探しに?)

 

 

 その可能性は考えられた。

 既にクリスマスのイベントボスがソロプレイヤーによって倒された事実は広まっている。個人を特定出来ているかどうかは不明だが、情報を買った何者かが盗賊よろしくこちらに奇襲をかけようとしている可能性は充分にあった。

 実際、イベント報酬は凄まじいものだった。不要と即座に判断したアキトは、売却すら面倒で殆ど廃棄してしまったが、それでもレアリティの高いアイテムは幾つか手元に残っている。

 

 仮にそいつらがやって来て、武器を手に斬りかかろうとするならば。

 ────今のアキトは、その犯罪者共を斬り殺すことに躊躇いを感じることはあるのだろうか。

 

 何もしていないサチが、みんなが死んだのに。犯罪者共を生かしておく道理なんてあるか。

 そんな奴らの一人や二人、この世界から消したところで何か変わるだろうか? 

 と、そのようなことを考えてしまったアキトは、思わず目を見開き、首を横に振った。

 

 

「……はは、何考えてんだろ、俺。頭までイカれてやがる」

 

 

 どちらにせよ、奴は今モンスター達に襲われている。

 ならば、隠蔽スキルを使ってその横を通り過ぎるだけでいい。気付かれたら、襲われたら、その時に剣を抜けばいい。

 

 そうしてアキトは、ゆっくりとその足を動かして、木々の陰に隠れるように移動を始める。

 戦闘の音が徐々に近付いてくる。モンスターの威嚇が聞こえる。エフェクトやプレイヤーの姿が明確になるのは、それからすぐのことだった。

 

 

「ぐぁ……っ!」

 

 

 瞬間、アキトの目が見開く。その耳を疑った。

 ────女性の声。それも、とても聞き覚えのある声だ。

 アキトは思わず遠くの木陰から、その戦闘を覗き見た。そして、モンスターの群れと相対しているプレイヤーを見て、身体が凍り付いた。

 

 

 犯罪者でも、NPCでも、そのどちらでもなかったのだ。

 全身が赤みがかった切り傷に覆われたその少女は、アキトがよく知る人物だったのだ。

 大切な人達を失ってから数ヶ月の間、ずっと陰ながらアキトの傍にいたプレイヤー。

 

 

 どうして。

 何故、こんな森に。

 

 

 

 

「……アルゴ……?」

 

 

 

 

 そこには、いつものようにフードを深く被り、左右に三本髭のペイントを付けた情報のパイオニアが。

 アルゴが、いた。

 

 多くのモンスターに囲まれ、傷だらけになりながらも武器を構える彼女がいた。震える身体をどうにか起こし、乱れた呼吸をどうにか正し、恐怖と焦燥を振り払うようにして立っていた。

 

 

「っ……な、んで……この場所に……」

 

 

 なんでこの場所に。

 どうしてこの時に。

 一体、何の用事で。

 

 

 ────どれだけ疑問を重ねても、本当はもう、とっくに分かっていた。

 

 

 彼女は、アキトを探しにこの森に来たのだ。

 登録したフレンドリストから位置情報を検索し、自身のレベルでは危険だと分かっていても、実力に見合わないこの上層にたった一人で。

 

 

 それは友人としての義務だろうか。

 情報屋としての責任からだろうか。

 キリトに頼まれでもしたのだろうか。けれど彼女がここにいるのは、紛れもなくアキトがこの場所にいたからだった。

 

 

 そんな彼女が、モンスターに襲われている。身動きが取れず、身体は震えるばかり。

 自分を探しに一人でここまで来て、その命を落とそうとしている彼女を見ても何も出来ず、HPが赤く染まり、あと数秒と足らずにその身を消そうとしているアルゴをただ見ていることしか出来ない。

 

 

 

 

「────」

 

 

 

 

 ────瞬間、アルゴがサチと重なった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 “……ねえ、アキト”

 

 

 途端に、あの時の声が聞こえた。

 助けろと、そんなことでも言いたいのだろうか。

 そんなの無駄だ、無理だと、アキトはそう決め付けた。

 アルゴが噛み殺されるその瞬間がスローモーションになって見えるというのに、助けに行こうだなんて考えが湧かない。

 

 

 “アキトなら、必ず助けられるよ”

 

 

 よくそんなことが言える。見ていただろう、半年前のあの悲劇を。

 自分は間に合わなかった。彼女を助けられなかったんだ。きっと今回も同じだ。アルゴは死ぬ、それは避けられない。

 どれだけ頑張ろうとも、届くはずなんてなかったんだ。

 

 

 “……なら”

 

 

 その女性の声が震える。

 今にも泣きそうな声音に、アキトの心は揺れた。

 

 

 

 

 “なら、アキトはどうして強くなろうと思ったの……? ”

 

 

 

 

「────ぁ」

 

 

 

 

 ────ドクン

 

 

 心臓が脈打つ。今までよりも強く。

 思い出すのはかつての憧憬。誰よりも憧れたヒーローの背中。

 そして、《月夜の黒猫団》のみんなの幸せそうな笑顔。

 

 

 キリト。

 ケイタ。

 テツオ。

 ダッカー。

 ササマル。

 そして、サチ。

 

 

 彼らを守る為の強さを持つキリトが、羨ましかったのは。妬ましかった、その理由は。

 

 

 誰にも負けない力を求めたのは────

 

 

 

 

「────くっ!」

 

 

 

 

 ────気が付けば、その木陰から飛び出していた。

 何故かは分からない。でも、考えるより先に身体が動いてしまって、どうしようもなかった。

 木々を掻き分けて進むのは、たった一つの道。アルゴの元だけだ。

 

 脳に囁くその声は、今もなお変わらず問い掛ける。

 

 

 

 

 “強くなりたかったのは、ヒーローになりたかったから? ”

 

 

 

 

(逆だ。強いから、ヒーローになりたかったんだ)

 

 

 

 

 “誰かを守れる力が欲しかったから? ”

 

 

 

 

(それは、あくまで手段だった。本当に、俺が欲しかったのは────)

 

 

 

 

 そう。

 ずっと望んでた。ずっと求めてた。

 本当はずっと、ずっと前から────

 

 

 

 

 “アキトの、一番欲しいものは、何……? ”

 

 

 

 

 ────その問いを聞いた瞬間、アキトは忌々しげに唇を噛み締めた。

 ああ、本当に。本当に人の神経を逆撫でする声だ。会ったら一度、ぶった斬ってやりたい。

 

 

「……くそ……くそっ、クソッ!」

 

 

 なんで、なんでこんな人間になってしまったんだろう。

 どうして赤の他人すら放っておけないんだろう。助けてあげたいと思ってしまうんだろう。

 絶望を知ったのに。誰よりも不幸だと思い込んでいるのに。みんな、同じ目に合えばいいと願っているのに。妬んでいるのに。

 

 どれだけ助けようとも、善行を積もうとも。

 あの日の罪は無くなりはしないのに。大切な人達は、二度と戻らないのに。

 

 

 

 

(何奴も此奴も気に入らないんだよ)

 

 

 

 

 幸せを振り撒くように笑う奴らも、同情したような声を脳内で響かせるこの声も。

 誰も本当の意味でこの哀しみや痛みを知ることなんて出来やしないのに、誰も彼もが分かったような口をきくから────

 

 

「シッ!」

 

 

 一瞬で距離を詰める。雪を飛ばし、前を見据える。

 目指す先はたった一つだけ。それだけでいいんだ。

 ただ、ただ彼女の元へと走れ。

 

 

 

 

(みんな死んじまえばいいって思うよ)

 

 

 

 

 サチが、みんなが死んだのに。

 関係無いという風に他のプレイヤーも、村にいたNPC達も今を生きている。それがとても理不尽なことのように思えたから。

 

 

……くそ

 

 

 弱々しい、今にも泣いてしまいそうなか細い声。

 腰の鞘から抜き放ったのは、雪の光に照らされて輝く、鮮やかな漆黒の刀。大切な仲間から貰った、最後の宝物。

 この武器に誓った。この刀で、みんなの力になると。

 

 

 

 

(なのに、どうして俺は)

 

 

 

 

 こんなにも憎んでいるのに。狂おしいほどに妬んでいるのに。

 全部、何もかも消えてしまえばいいと思うのに。

 

 

 なのに、それなのに────

 

 

 

 

 

 

 

 

「アルゴぉぉぉぉおおおぉぉおああああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 どうして、俺は。

 

 

 












更新が大分遅くなってしまったことへの謝罪を致します。お待ち頂いた方々、大変申し訳ありません。
決してエタったわけではなく、最近とても忙しいのと、アイデアが思い付かないのと、オリジナルの制作とスパイラルが続きまして……三ヶ月も経ってしまいました。
これからは少しずつまた投稿していけたらと思います。


既に知っている方もいると思いますが、現在SAOとALOの繋ぎの物語として、「ソードアート・オンライン ──歌姫と白猫──」の方を先行で2話ほど投稿しております。
現在オリジナルのキャラしか登場しておりませんが、感想やアドバイス、質問などを頂けると書くモチベーションが上がります。どうか、応援よろしくお願いします。




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その涙を見ない為に





泣かないで。ただ、そばにいて。


 

 

 

 

 

 ──── “命に代えても守ってみせる”と。

 

 

 それほどまでに強い想いを抱いたのは、きっと生まれて初めてだった。初めての感情、初めての感覚、初めての決意。長らく忘れていて、それでいて今まで使わなかった心の隙間に、それは丁度良く収まったのだ。

 その意志が固まったのが一体いつだったのかを、朧気ながら覚えている。無意識ではあったが、その感情が形になり始めた時を思い出せる瞬間がある。

 

《月夜の黒猫団》に所属して少し、メンバーに対して未だに警戒はしつつもある程度信用出来るかもしれないと、考えが変わりつつあったとある日の夜。盛り上がりを越して騒がしくなり始めた飲みの場の熱量に耐え切れず、堪らず宿の外に逃げ出した時だった。

 このまま風に当たっていようと少し歩いた先で、ふと目線の先にあった、月の光が僅かに届く細道。

 

 

 そこで淡い涙を流す、彼女の涙を見た時だ。

 

 

 だけど、初めからそんな格好の良いことを考えていたわけじゃなかったんだよ。

 ただ、俺は────

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「ふぅ……今日はこの辺にしとこうか」

 

 

 夕暮れ時に差し掛かる少し前、予定より少し早めに切り上げようと言い出したのはリーダーのケイタだった。地道に着実に、何より慎重に力を身に付けることを方針としている《月夜の黒猫団》は決して無鉄砲に攻略をしたりせず、各々が互いの様子を見て状況を判断出来る慧眼を持っていた。

 VR初心者であるアキトから見ても、今日は全体の連携精度は高かったし、レベリングの効率は良かった。今日だけでレベルを二つも上げた者もいる。だからこそ故の疲労もそれ相応に、ということ。彼らを見渡してから、ケイタは此方に向かって手を挙げる。

 

 

「アキトもお疲れ様」

 

「……お疲れ」

 

 

 素っ気無く返すアキトの視線は、黒猫団から逸らされていた。

 彼らの再三のレベリングのお誘いに遂に折れたアキトではあるが、デスゲームが始まってまだそれほど時間が経っているわけじゃない。アキトにとって、彼らが見ず知らずの団体であることには変わりなく、薄れたかどうかすら怪しい警戒心は未だその表情に現れていた。

 隠す気ゼロのそれに、ケイタ達も仕方無しに笑うしかない。

 

 

「今日は結構稼げたし、何か美味いもんでも食わねぇ?買い出しついでに《ウルバス》行こうぜ」

 

「そりゃ良いけど、まだあの街そんな詳しくないしなぁ……」

 

 

 ダッガーとテツオの会話を皮切りに、今からの予定を組み立て始める彼ら。アキトはそれを一瞥した後すぐ傍の木に寄りかかり、鞘から抜いた剣の耐久値を確認し始める。

 同じギルドの仲間だというのに、アキトは我関せずを貫いていた。しかし、剣の耐久値が殆ど減少していない事実を処理すると、小さく息を吐いた。

 それは、剣をモンスター相手に振るっていない証拠に他ならない。理解出来たのは、アキトは前衛を選んだにも関わらず、敵を前に足を竦ませる腰抜けだったという事実だけだった。

 

 

「っ……」

 

 

 ふと、手に持った刃の向こう側───背景だったはずの黒猫団の中にいた一人の少女に視線が移る。ギルドの紅一点、サチだ。

 

 瞬間的に脳裏を駆けたのは、つい先日の記憶。月に照らされ青く染まった街の影に一人、大粒の涙をとめどなく流す少女の姿だった。あれほどまで心を揺さぶられたことはなかったと、そんな感情まで思い出してしまい、アキトは慌てて目を伏せる。それまで考えていたことは全て吹き飛び、一度呼び起こされた記憶は、嫌なくらい張り付いて消えない。

 そうなると、それ以上考えるのが嫌になる。彼女だけじゃない。最近、彼らのことを考える時間が多くなりつつある。何故か、とても恐ろしかった。

 彼らから逃げるように、この場から離れる。すると、すぐさまその背中に声を掛けられた。

 

 

「あ、おいアキト!」

 

「……何」

 

 

 自分でも驚くくらい、煩わしそうな声が出た。だが謝ることもせずに、アキトは振り返って声の主であるダッガーを見る。彼はそんなアキトの態度に言葉を詰まらせ、口を開けど言葉が出ずにいた。すると、隣りのケイタが小さく笑って前に出る。

 

 

「今ちょっとみんなで案出してるんだけどさ、良かったらこの後、アキトも一緒に───」

 

「パス。僕抜きで行きなよ」

 

「……そうか。けど、一人でフィールドには出ないでくれよ。俺達は同じギルドなんだし、レベリングはみんなでやるべきだ。それに一人だと危ないし」

 

「……分かった」

 

 

 そう言って、彼らより先に帰路に立つ。もう振り返ることはしなかった。こんな態度を取り続けてもうすぐ二ヶ月になるが、彼らはよく嫌にならず絡んでくるものだ。

 自分が原因だと理解していても、“一人”と“五人”、その間の境界線を踏み越えられない。何処かで歯止めを利かせてしまい、それ以上近付けない。彼らの態度に甘えてしまうこの現状が精一杯で、それ以上浸ってしまえば、もう戻れないような気がした。

 

 

 ────けれど。

 

 

「……」

 

 

 此方から近付く勇気はないと色々言い訳している癖に。

 あの日見た彼女の涙の理由を、足りない頭で何度も考えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「……何でいんの。ケイタ達と出掛けるんだろ」

 

「抜けてきちゃった」

 

 

 何故か今、アキトはサチを隣りに《はじまりの街》を徘徊していた。いや、暫くは一人で宛もなくぶらぶらしていただけだったのだが、ものの数分で後ろからサチがやってきて、現在二人で街を回っているという図が出来上がっていた。

 別にアキトとサチはそれほど仲が良い訳じゃない。当然、こうして二人で出歩く程の親密度じゃない。というのに、彼女は此方に何か言うこともせずに着いてくる。

 

 

「抜けてきたって……何か用があるとか?」

 

「ううん、別に。なんとなく、こっち来ちゃった」

 

「……何だよ、それ」

 

 

 調子が狂う。

 つまり態々抜けてまでアキトの元へ来たということ。それを他でもないサチ自身なら告げられたなら、少しは狼狽えるというもの。

 なんて迷惑な話だ。此方は寧ろサチから離れる為に誘いを断ったというのに、無駄になってしまったじゃないか。

 

 

「そういうアキトこそ、断るくらいだから用事があると思ってたのに」

 

「煩いな。ただ、行きたくなかっただけ」

 

「ノリが悪いなー。そんなんじゃアキト、嫌われちゃうよ?」

 

「いっそ嫌ってくれたら楽なのにな。構ってこないでよ」

 

 

 アキトが黒猫団に近付けない理由の根底、大半はそれだ。彼らがこの世界で初めて出会った自分を引き込んだ、その理由の不明瞭さだった。

 基本ソロプレイは効率が良くない。だが、団体でのレベリングなら気心知れたメンバーで組んだ方が連携もとれるというもの。そこに見ず知らずの異物を組み込むのは上策とはいえない。ましてやデスゲームだ、やり直しがきかないこの世界において、チームの輪を乱すアキトは邪魔でしかない。メリットよりもデメリットの方が大きいのだ。

 “善意”と呼ぶにはとても命知らずな選択だと、そう思わずにはいられない。それ故にある程度冷たくあしらっているというのに、彼らは何度も誘い、声を掛けてくる。

 

 

「ってかアンタもだよ。こっち来んな、どっか行け」

 

「ひ、酷いっ、口悪っ!そんな言うことないじゃん!」

 

「ケイタ達のとこ行った方が楽しいって言ってんの。……というか、二人で歩いてんの見られたら色々誤解されそう」

 

「みんななら二層に行ったから大丈夫だよ。《ウルバス》と……それから《マロメ》の村にも行くって言ってたから時間も掛かるし、かち合ったりはしないと思うよ」

 

「関係無いね。どっか行って」

 

「誤解がどうとかって言ってたのに!?」

 

 

 隣りで一人騒ぐサチの連れだと思われたくなくて、僅かに歩く速度を早める。しかし結果は虚しく、サチはてとてと後ろを付いて来た。

 アキトは溜め息。だがサチは我関せず。

 

 

「ねぇ、アキトはもう何度か二層に行ってるんだよね?」

 

「……行ってるけど、それが何」

 

 

 デスゲームが開始して一ヶ月、漸く第一層のボスが討伐されてから、もう三週間近く経っている。

 黒猫団は未だに一層のフィールドでレベリングをしているが、街は《圏内》なので一足先にと街並みを見て回る機会があった。彼らはテンションを上げながら主街区《ウルバス》を見て回っていたが、恐らく他の村はまだなのだろう。それはサチも同じだった。

 

 

「《マロメ》はどんな村なの?」

 

「……別に、大して面白味も無い村だったよ。ショップの品揃えも《ウルバス》と比べればイマイチだったし……NPC鍛冶屋も無いし」

 

「そうなの?みんなに教えてあげれば良かったなぁ……あ!《ウルバス》といえば、私アレ食べたい!《トレンブリング・ショートケーキ》!」

 

「めっちゃ美味しかった」

 

「はぁ!?食べたの!?ズルいよ!アレ凄く高いんだよ!?」

 

 

 ギャーギャー騒ぎ立てるサチに、アキトは愈々頭が痛くなった。何だコイツはと、そう思わずにはいられない。大して仲が良い訳でもない異性が自分の隣りで、それこそどうでも良い話題で色々と喚いている。さっきのレベリングとは偉い違いだ。

 

 普段、フィールドにいる時の彼女は死と隣接する敵相手に怯えに怯えまくっていて、正直に言えばこんなに煩くない。死が介在しない《圏内》だからこそ、彼女はこうして自分をさらけ出しいると思うと悪い気はしないが、時と場所、そして相手を選んで欲しい。

 

 

「……」

 

「ん?何?」

 

 

 此方の視線に気付き、小さく小首を傾げてみせるサチ。今さっきまでの声量を抑え、キョトンとしつつも此方の様子を伺うような視線。悪ノリが過ぎたかと、そう尋ねるような瞳。

 揺れるそれが、先日の夜に見た彼女の涙を想起させる。アキトは堪らず、口元を引き絞った。その記憶から逃げるように、彼女から視線を逸らした。

 

 

「……何でもない」

 

「えー、言ってよ。気になるじゃん」

 

「迷惑、帰れ」

 

「酷い!」

 

 

 ────これが、素の彼女だ。だから、あの涙なんて忘れてしまえばいい。泣いていたなんてとても思えない、この煩くて笑顔が眩しい彼女だけを見ていればいい。

 口で言うほど迷惑だと思っていないこの思いで、昨夜の涙する彼女の記憶を上書きできるように。

 

 

「あ、アレ見てよアキト、大っきいツリー!」

 

「っ、は?ツリー?」

 

 

 袖を掴まれて立ち止まり、サチの言葉につられて彼女の視線の先を追う。すると、少し離れた場所に巨大な樹木が一本聳え立っているのが見えた。

 あんな巨大な木、はじまりの街にあっただろうか。訝しげに見上げていると、隣りでサチが説明してくれた。

 

 

「NPCが言ってたんだけど、この時期になると現れるって設定みたい」

 

「時期……ああ、今日クリスマス・イヴか」

 

「忘れてたの?ケイタ達その買い出しも兼ねて出掛けたんだよ?夜はパーティーだからね」

 

「俺はパス」

 

 

 改めて見ると、確かにクリスマスツリーにするに相応しい見事な巨木だった。既に飾り付けも済んでいるようだ。

 よく見ればただでさえ多くのプレイヤーが滞在している《はじまりの街》の人口が、心做しか普段より増加している気がする。もしかするとこのイベントの為に帰省、或いは攻略を中断しているのかもしれない。

 現実と同じ時間が過ぎるとはいえ、数日も経たない内にクリスマスだなんて、今の今まで忘れていた。

 

 

「クリスマスの限定イベとかってあるのかなぁ」

 

「知らない」

 

「ね、サンタクロースっていつまで信じてた?」

 

「覚えてない」

 

「……私と会話楽しむつもりある?」

 

「あんまし無い」

 

 

 別にクリスマスだからといって特別感じることなんてない。それは現実でも、仮想でも同じだ。イベントなど興味は無いし、サンタなんて信じてない。ましてや目の前の彼女と楽しめるような話題だって持ち合わせていない。

 アキトの生返事に「もー……」と分かり易くむくれるサチ。しかしすぐさまクスリと、その小さな口元を綻ばせた。

 

 

「でも打てば返ってくるっていうか……何だかんだ返事はしてくれるよね」

 

「……」

 

「あ、だからって無視するのは良くないと思いまーす」

 

 

 前を歩く此方の肩を、後ろからつんつんと小突いてくる。嫌そうな表情を向けてやるが、不思議と不快感は無くて、特に何か言うでもなくされるがままに歩く。傍から見れば、本当にカップルに見えているかもしれない。

 

 これじゃあまるで、本当にデートみたいじゃないか───そこまで考えて、アキトはそれを振り払う。そうだとも、別に自分と彼女はそれほど仲が良いわけでもなければ頻繁に会話したりする機会だってない。彼女が自分に好意を抱いているとかそういう都合の良い思考だってするわけがない。

 無理矢理突き放すことをしないのは……そう、彼女が女性だからというだけだ。それに、一応同じギルドのメンバーなわけだし。執拗い彼女に対して何もしないのは、もう言い返すのさえ面倒だからだ。そう無理に捲し立てて、誤魔化して。彼女の行動に深い意味は無いのだと、そう結論付けて。日が沈む先を見据えながら石畳を踏み締めた───が、身に付けていた装備の裾を小さくつまむ弱気な力にアキトはその足を止める。

 振り返れば、変わらぬ表情のサチが楽しげに笑みを浮かべていた。

 

 

「ねえ、夜になるとライトアップするらしいから、ここで一緒に見ようよ」

 

 

 ……本っ当に、この女は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 SAOと現実世界の日付けや時間帯はリンクしている。その為季節に合わせた気象設定がされており、クリスマス間近となれば当然冬のような寒さがプレイヤー達を襲う。それは夜になれば尚更だった。

 既に日も暮れて空は闇を訴え始める頃には、震える程の冷たさが辺りに広がる。周りの街灯が仄かに周囲を照らす中、クリスマスツリーの前の木組みのベンチに腰掛けるアキトとサチ。

 

 

「……てっきり断るかと思った」

 

「……別に。ただの暇潰し、ただの気まぐれだよ」

 

 

 此方を覗き見るように前のめりになり、小さく微笑む彼女に対して、そんな簡素な返事を投げる。誤魔化すように出店で買ったお茶を飲み、クリスマスツリーを見上げる。

 

 見れば周囲には、これから点灯するツリーを見に来たのか、プレイヤーがチラホラとその数を増やし始めていた。そこには勿論、男女の二人組もいるわけで。手を繋いでいたり、肩を抱いていたり。この世界の男女の比率は圧倒的だというのに、この場所に集まるプレイヤーは異性の組み合わせが多い気がする。思春期真っ只中のアキトには少しばかり刺激が強い。

 

 

「あ、ねぇアキト。あれってみんなカップルかな」

 

「……っ」

 

 

 ……本っ当にこの女は。

 分かって言っているのか、そうでないのか。自分達も傍から見れば男女の中に見えるかもしれないというのに。

 いや、偶に天然染みた言動をする彼女だ。意識なんてしているはずがない。ここまで二人で行動していたが、そう言った発言も行動も殆ど見受けられなかった。そこまで考えて話題を振っている訳じゃない。今の発言は、ただ純粋な疑問なのだろう。なら普通に会話すれば良いだけ。

 

 

「多分、ね。……お気楽な奴らだよ。デスゲームが始まってまだ二ヶ月も経ってないのに、よく知りもしない相手と色恋だなんてさ」

 

「元々、現実世界でカップルだったのかもしれないじゃん」

 

「まあ、そうだけど……」

 

「それに、あっちからも私達が恋人同士に見えてるかもよ」

 

 

 アキトはお茶を吹き出した。そして噎せる。

 ……コイツ、完全に分かってて発言してやがる。余計にタチが悪かった。咳き込みながらサチを睨んでやれば、サチは少しだけ頬を赤らめてクスクスと笑みを零していた。

 ……馬鹿にしやがって。

 

 

「ねえ、アキトは現実世界に彼女とかいるの?」

 

「関係無いでしょ。その質問、今じゃセクハラだからな」

 

「その反応、居ないんだ〜?」

 

「……アンタこそ、彼氏いるの?」

 

「っ……え、えー?な、何、気になるの……?」

 

「別に。聞いてみただけ」

 

「……その質問、今じゃセクハラだから」

 

「何なんだよ」

 

 

 同じ質問をぶつけただけなのに、心做しか不機嫌になったサチ。むくれた顔は再び周囲の彼らに向けられて───そして、僅かに羨望の眼差しを向けていた。

 

 

「けど……なんか、良いよね。ああいうの」

 

「どうかな……俺には、今あるこの現実から目を背けたがっているように見えるよ」

 

 

 それは皮肉でも妬みでもなく、本音だった。何よりアキト自身、共感さえ覚える感情だった。

 死の恐怖や現実に帰れない孤独から逃げる為の傷の舐め合い。心に空いた深い溝を埋めてくれる家族のような存在を求めて、互いに逃避の助力をしているようで。

 そう見えてしまうのは、自分だけだろうか。捻くれているだろうか。腐っているだろうか。きっと、仕方のないことなんじゃないか。

 だがサチは、左右に首を振った。

 

 

「そんなの、目で見ただけじゃ分からないよ。もしこの世界で見つけた、本当に大切な存在だったら、同じ想いを分かち合える存在だったら、一緒に過ごす内に好きになったんだとしたら……アキトは、どう思う?」

 

「……」

 

「私は少し、羨ましいかも。この世界って、どうしても自分本意になっちゃう時ってあるじゃん。そんな場所で自分よりも大切な何かに出会えるのって、凄く素敵なことだと思うから」

 

 

 寒空の下で透き通るその声は、アキトの心を揺さぶるだけの言霊を乗せる。自分が間違っているのかもしれないと、そう思ってしまうほどに。

 そんな想いの吐露から、もしや彼女もそんな大切な存在を求めているのではないかと、変に勘繰ってしまう。サチも自身と同じ価値観や思いを共有できる存在を探しているのかと、それとも見つけたのだろうかと、口を開けばそれを聞いてしまいそうになる。

 

 

「……いつか死ぬって分かっていて、そんな関係を築くのって……怖くないの?」

 

 

 だが、口から出たのはアキトでさえ思いもよらなかった言葉だった。サチでさえ、弱々しく本音を零したアキトに視線を戻していた。

 

 

「別れが必然なら……知ろうとしなきゃ良かったって、関わらなきゃ良かったって……出会わなければ良かったって……後悔、したりしないの?」

 

 

 その思慕が本物だったとしても、もし自分だったらと思うと考えてしまう。

 現実よりも死が近いこの世界では、フィールドに出掛けたきり戻らないなんて話は珍しくない。《圏外》へと赴けば、もうシステムは守ってくれない。現実と比べればとても死にやすい世界だ。

 そんな世界で誰かと関わりを持ってしまったら。誰かを好きになってしまったら。この世界で出来た絆は、現実以上の危機がある分恐らく現実より強固なものになるだろう。

 故に、もし大切な人を失ってしまえば、悲哀どころか絶望すら味わうかもしれない。そんなリスクを背負ってまで、大切な存在を求める必要性はあるのか。誰かと関わりを持たなければならないのだろうか。

 

 

 だけど、サチは────

 

 

「私は……どうせ死ぬなら後悔しないように生きようって思うかな。いつかその瞬間が来た時、後悔や未練なんて無い方がずっと良いでしょ?」

 

「それは、そうだけど……」

 

「ねえアキト、どうして私と一緒にツリーを見てくれる気になったの?」

 

「っ……そ、れは」

 

 

 正論に、言葉が詰まってしまった。

 本当は断るつもりだった。断って、距離を置くつもりだった。

 これ以上彼女を知るのが怖かった。これ以上近付くのは、遅かれ早かれ死んでしまう自分達には無意味なことに思えたから。近過ぎて、目の前からいなくなってしまった時の絶望を、考えたくもなかったから。

 

 ────なのに彼女を振り払えなかったのは。独りにしたくないって思ったのは、あの夜の光景が目に焼き付いていたから。

 

 

「……一人にしたら、また何処かで泣いてるんじゃないかって思って……」

 

 

 自分の考えと行動が矛盾していることなんて、とっくに分かっていた。つまるところ、この行動の結果が自身の本音なのだと、本当は気付いていた。

 

 アキトはただサチに、“泣いて欲しくなかった”のだ。

 

 結局、御託ばかり並べても《黒猫団》を脱退できないでいたのは、サチと同じ思想をアキトも持っていたから。自分の空虚な穴を、孤独を埋めてくれた彼らを、アキトはとっくに切り離せなくなってしまっていたのだ。それを認めてしまうのが怖くて。彼らが自分にとって、失ないたくないと思ってしまうほどに大切な存在となりつつある事実を考えたくなくて。

 

 アキトの正直な答えと、表情に映る葛藤。それを見たサチは、仄かに頬を赤らめ微笑んだ。

 

 

「アキトは、優しいね」

 

「……そんなんじゃ、ない」

 

「ううん、優しいよ。……そっか、やっぱり見られちゃってたか……」

 

 

 彼女のその言い草からすると、どうやらあの夜にアキトが見ていたことに気付いていたようだ。けれど、サチは少しバツが悪そうに苦笑するだけで誤魔化すことはしなかった。

 星が煌めき出す夜空から逃げるように俯き、白い息を吐きながら、か細い声で紡ぎ出す。

 

 

「……時々、どうしようもなく怖くなる時があるの。ふとした時に、もうすぐ私はこの世界から消えてなくなるんじゃないかって、考えちゃう。怖くて堪らなくなって……気が付けばいつも泣いてる」

 

 

 呟く彼女の横顔は、震える声音は、隠そうとも僅かに恐怖が見え隠れしていた。

 

 

「“どうせ死ぬなら”なんて言ったけど……私、ホントは死ぬの凄く怖いんだよ」

 

 

 そう言って顔を上げた彼女と視線が交わる。憂うその表情に言葉を失った。何を言えば良いのか、その解を必死に探していた。

 ────けれど、何一つ見つからなかった。彼女の心に寄り添えるような言葉も、仮初でも安心させるような一言も、幻想でも夢を見せてやれるような“強がり”も。

 

 

「……ふふ、やっぱりアキトは優しいよ」

 

「っ、何、急に」

 

「だって、私に掛ける言葉を必死に探しているの、丸分かりだよ?」

 

 

 先程とは打って変わって可笑しそうに、心の底から笑みを浮かべている彼女。するりと、隣り合うその距離が縮まる。アキトは僅かに動揺し、瞳が左右に動く。

 

 

「私が泣いてるのを見て心配してくれた。元気づけようとしてくれた。こんな世界でも人に優しくできるアキトには、誰とも関わらない生き方なんて、きっと無理だよ」

 

「……そんな、綺麗なものじゃないよ」

 

 

 そんな綺麗なものじゃない。僕だって、誰だって、我が身が大事だ。死ぬのは怖い。それは、サチと同じなんだ。この胸が感じているのは、認めてしまったのは、彼らが自分にとって大切な存在なのだという事実なんかじゃ決してない。あってはいけない。ただ彼らに恩を感じているだけだ───と、そう言ってしまえたらよかったのに。

 

 目の前の、自分より怖がりな癖に笑う彼女が。

 弱虫で泣き虫な自分を押し殺している彼女が。

 自分のことよりも誰かを心配する彼女が、どうしようもなく────。

 

 

「もう、頑ななんだから。いつかアキトにも、私達が大切な仲間だって思ってもらうからね」

 

 

 屈託なく笑う彼女が、どうしようもなく格好良く見えた。死の恐怖に怯え、フィールドではまるで腰抜けなはずの彼女に、この時アキトは確かに目を奪われたのだ。

 

 

「あ、見て!ツリーが光ってるよ!」

 

 

 サチの言葉に我に返り、アキトはサチの視線の先───あらゆる色の光が放たれた巨木を見上げた。

 天ノ川のように星々の煌めきを体現したようなライトに、辺りを眩く虹色に染める装飾品の数々。頂点の星は、今宵の夜空に負けない程にその存在を主張している。荘厳とした巨木が一瞬でクリスマスツリーと化した瞬間だった。こんなツリーは、一度も見たことがなかった。

 

 

「わぁ……綺麗……」

 

「……うん」

 

 

 隣りでキラキラと瞳を輝かせてツリーに見惚れる彼女の横顔。先程の暗い表情も感情も、まるでツリーの光が消し去ってくれたのではないかと思わせる程に。

 心まで奪われてしまうのではないか──そう思えてくる程に、綺麗だと感じた。

 

 彼女は臆病で、弱虫で、嫌でも嫌とは言えなくて。そんな自分を抑え込んで、でも耐え切れず一人涙して。誰にも相談出来なくて、想いを心に溜め込んで。自分のことで精一杯な癖に、他人にこうして手を差し伸べてくれる。

 この残酷な世界でもなお優しさを失わない、臆病でも誰かを想える心の強さを持っている。

 

 

「ね、来年は黒猫団みんなで見ようよ。きっと、忘れられない思い出になるよ」

 

 

「……ああ。そうだね」

 

 

 ────きっと、この時だ。

 “泣かせたくない”から始まった、淡い想いの始まりは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ────彼らのいない、初めてのクリスマスだった。

 

 

 笑える程狂おしい、死にたくなるような一日だった。

 こんな最悪な日が、よりにもよってクリスマスだなんて。おかげで思い出してしまったじゃないか。あの、ただの口約束を。

 そう、“約束”した。またみんなでツリーを見ようだなんて、約束を。

 

 

「はぁ、はぁ……っ、はぁ……」

 

 

 静寂が包む森の中で、不規則な呼吸の連続で肩が上下する。散りばめられた光の破片の中心で雪を踏み締めていたアキトは、漆黒の刀を構えて狼型のモンスターの群れを睨み付けていた。

 

 

「……アキ、ト」

 

 

 目の前に飛びかかってきた獣を屠った突然の乱入者に、思わずアルゴはその名を呼んだ。フード越しにこちらを見上げた途端、その表情は変わる。それもそうだ。彼女が気にかけていた存在が、こうして目の前に現れたのだから。

 彼女の無事に安堵するも束の間、アキトはただ泣きそうな顔でアルゴを見下ろして告げた。

 

 

「何、やってんだよ……君も、俺も……」

 

 

 アルゴだけじゃない、自分への問い。

 どうして走ってしまったのだろう。どうして必死になって助けたんだろう。生きる理由なんて、もう何処を探したって無い。死にたい理由の方が圧倒的に多いのに。

 もう良いと諦めて、俯瞰して、世界の真理を解明した気になって。それでも、この行動に意味を見い出せない。

 ただこの身体が、この足が。この胸の苦しみと痛みと、切なさが。何より、必死になってる自分自身が、立ち止まるのを許してくれないんだ。

 

 

「はな、れろっ!」

 

 

 刀単発技《旋車》

 

 引き抜いたと同時に横薙ぎに一閃。

 丁度アルゴに飛び掛かろうとしていた狼の腹に刀身を食い込ませ、そのまま斬り払った。

 半ば無理して使っていた下層の刀の為、一撃とまではいかないと思っていたが、幸運にも今のスキルは会心だったらしく、食らったモンスターはすぐさま破片へとその姿を変えた。

 

 

「Gu──Aaaaaaaaaa!!」

 

「……るせぇ!」

 

 

 振り向きざま飛びかかった影、その腹を両断する。荒くなってしまう口調がその心情を垣間見せる。砕けたモンスターの破片をその一身に浴びながら一歩踏み出し、周囲で喚く同種共を再び睨み、叫んだ。

 

 

「───全員、ぶっ殺してやる!」

 

 

 その怒号を合図に次々と飛びかかる獣の群れ。背後のアルゴからヘイトを移すように、彼らの視線を集めながら器用に敵を翻弄する。それでも、連携を織り成す狼相手にみるみるHPは減少していく。

 獣のような雄叫びと共に刀を振り払う。喉が焼けるように熱く痺れる。増え続ける傷は嫌に熱を帯び、寒さを誤魔化すには丁度良く感じ始める。

 

 

 何してるんだ。何やってんだ。

 何で────

 

 

「らぁっ!」

 

 

 気持ちとは裏腹に、身体は自然と動く。アルゴを守る為に必死に行使されている。

 やめろ。もう戦わないって決めたんだ。死ぬって決めたんだ。なのに、どうして身体は言うことを聞いてくれないんだ。

 

 

「きゃっ……!」

 

「っ!」

 

 

 小さな悲鳴。意志とは裏腹に反射的に振り返る。

 そこでは、アキトが斬り損ねた狼共が、動けないアルゴに牙を向け爪で切り裂かんとしていた。アルゴのHPが危険域に差し掛かるのを見て、アキトのその瞳が見開かれる。

 

 

「チィ……っ!」

 

 

 アルゴの元へと勝手に動く身体。しかし、仲間の邪魔はさせないと言わんばかりに、大量の獣が押し寄せてくる。次から次へと飛びかかってくる灰色の毛並みは、キリがない程に増殖を初めていく。

 

 

「があっ……!っ、らぁっ!」

 

 

 背中、腹、もも。連携で死角や隙を的確に突いてくる。アルゴ同様、アキトのHPも危険域に突入し、視界が赤く染まる。けたたましくアラートが鳴り響き、死神が手招きをしてくる感覚が襲う。

 

 何をこの身体は必死になって戦っているんだ。どうしてそんなに抗っているんだ。もういいだろ。充分だ。レベルは高くても数で劣る。もう勝てない。俺もアルゴも助からない。

 

 

 ────アルゴは関係無い。彼女だけでも助けないと。

 

 

 そんな、正義感ぶった自分の声が聞こえる。無理だよ、と即答する。もう頑張れない。そもそも俺じゃ勝てないよ、と。虚ろな心は何度も同じ答えを機械的に放つ。

 

 

 なのに。

 無理だって。無駄だって、思っているはずなのに。

 どうして。

 

 

「……ル、ゴ」

 

 

 アキトはただ、雪敷き詰める大地に倒れ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

『───アキト』

 

 

 その声が耳に張り付いて、離れない。

 懐かしくも忘れられない、大切な人の声。

 

 もうこの世にいない彼女に縋っても、虚しいだけだと分かっているのに。これ以上は頑張れないと、頭で何度も叫んでいるのに。

 

 

『やっぱり、アキトは優しいね』

 

 

 アキトは彼女の想いを知っている。

 他でもない彼女が告げてくれたのだ。知っているはずだ。

 

 

『あそこだよ、アキト!行こう、絶対に損はさせないから!』

 

 

 彼女が何を伝えたいのか、彼女なら何を言うのか、もうとっくに分かっている。

 聞きたくない。だが耳を閉じても、脳内で木霊する。自分がやらなきゃならないことを、残酷にも突き付けてくるのだ。けれど、そんな彼女に笑える程救われたのは、いつもアキトの方だった。

 

 彼女が好きだった。何よりも大切だった。

 彼らが大切だった。他にない宝物だった。

 もう何一つ残っていない。これ以上は戦えない。

 一人は寂しい。独りは怖い。もう嫌だ。戦いたくない。

 

 相反する二つの声がせめぎ合う。静か過ぎる森の中で、頭の中で響き合う。

 このまま死んでしまったら、きっと永遠に悔やむことになるぞ、と。

 

 

『私は、アキトは黒、似合うと思うな』

 

 

 胸が痛い。苦しくて、辛くて。今にも泣きそうな程に。

 嗚咽混じりの声が、森の中で弱々しく響き始める。身体は震えていて。けどそれは恐怖ではなくて。悲痛に歪んでねじ切れそうな程に痛い。

 辛い。苦しい。死にたい。

 

 

『アキトって、ヒーローみたいだね』

 

 

 的外れも良いところだ。自分がヒーローであるはずがない。

 けれど、せめて彼女の前ではそうありたいと願った。強くて気高くて、絶対に泣かせない強さを求めていた。

 彼女を笑顔にする為なら、なんだって。

 

 “強さ”が欲しい。

 何もかもを守り切る強さが。

 目の前の人を助け出す強さが。

 “強がり”を現実にする“強さ”が。

 

 

「俺、は」

 

 

 声がする。いつの間にか手に握られていた記録結晶を見下ろせば、雪のように透き通った声を思い出す。

 変わるなら今だぞ、と。そう告げるように、段々と大きくなっていく。

 

 

『私、アキトに会えて幸せだったよ。君が、私のヒーローなんだって、そう思えたんだ』

 

 

 やめろ。

 

 

『キミはどんどん私達のレベルに追い付いて、追い抜いて……気が付けば私みたいな弱虫を置いて、黒猫団に無くてはならない存在になってたよね。いつの間にかみんなを守る、カッコイイ立場になって。けど、全然悲しくはならなかったんだよ?寧ろ安心したの……キミがみんなに黙ってこっそりレベルを上げて、守る為に私達の傍に居てくれる。守ってくれる。その事実が、私の心の支えだった。』

 

 

 やめてくれ。

 

 

『君は強いよ。私なんかよりも、ずっとずっと。だから、君ならきっとこの世界を生き抜く事が出来ると思う。いつか、黒猫団が攻略組の仲間入りをする。もし私が死んじゃったら、きっとその夢は叶わない事になるのかもしれない。でもアキトとキリトなら、きっと攻略組としてみんなの役に立てるような、凄い人になれると思うんだ』

 

 

 頼むから、やめてくれ。

 

 

 俺のせいで、君は死んだんだ。

 俺のせいで、アルゴは死にそうになっている。

 

 

『どう?黒猫団、抜けなくて良かったでしょ?』

 

 

 いつ、どんな時でも輝いて見えたキリト。

 どんな困難でもひっくり返せるような強さを持った、アキトの理想の姿。

 ずっと憧れていた。彼のようになりたかった。

 

 

「……ぅ、ぁ」

 

 

 多くの獣が、狩りに終止符を打とうと迫る。

 倒れ伏す自身の目の前で、命の蕾が消え行こうとしていた。四方から牙と爪を光らせて、彼女の元へと収束しようとしている。

 彼女の姿が、想い人と重なった。

 

 

 諦めるのか、助けるのか。

 ああ、そんなの。

 

 

 

 

「……ああ、そんなの、決まってる───」

 

 

 

 

 ────そうだ。誰かを見捨てるなんて、初めから出来るはずなかったんだ。

 

 アキトは勢い良くその腕を地面に突き立て、一気に上体を起こした。その瞬間、黒刀が呼応するかのようにその光を強めていく────。

 

 

「──、──────」

 

 

 何かを、告げた。

 それはきっと、強さを求めた彼が唯一父に授かった魔法の言葉。

 同時に、辺りに迸り始めた光が線を描き───瞬間、アキトの周りの狼共を霧散させた。

 

 アルゴに迫っていた彼らの動きが僅かに止まる。

 見つめたその先で、アキトがその顔を上げた。浮かび上がる形相に、獣達は震え上がる。だが、もう遅い。

 彼は歯を食いしばり、刀を構え、ライトエフェクトを纏わせた。

 

 初めから、決まってたよ。分かってたよ。

 今はただ、彼女を助けること以外に考えるべきことなんて。

 何一つ、ありはしないだろう────。

 

 

「ああああああああぁぁぁあぁぁぁああ!!」

 

 

 絶叫と共に雪を蹴り飛ばした。刀を手に現世界最速の一撃が奴らを追従する。

 刀奥義技《散華》。乱れ狂うように、それでいて舞うような流麗な剣技が、アルゴの周りで展開されていく。獣の悲鳴を無視し、あらゆる命を散らして行く。

 数多押し寄せてきた獣は、それだけで全てが絶命した。斬り飛ばした破片の向こうで、アルゴがほんの僅かに涙を溜めた瞳で此方を見上げる。

 

 

「……大、丈夫?アルゴ……」

 

「ぁ……」

 

 

 言葉を失っている彼女に、アキトは今出来る精一杯の笑みを浮かべた後、その場に崩れ落ちた。

 

 

「アキト!」

 

「は、はは……ゴメンね、身体動かなくって」

 

 

 今、泣きそうになっていないだろうか。

 あらゆる諦めを切り捨て、死別した存在と完全に決別したような感覚がアキトを襲っていた。もう、彼らと道を共にすることはないだろう。その事実が、堪えることさえ難しい悲痛に変わりつつあった。

 

 

「っ……」

 

 

 ────ふと、アキトの頭が何かに抱えられる。

 言わずがもがな、アルゴだった。その胸に彼を抱き寄せ、優しく包み込む。

 思わず、その瞳が見開いた。

 

 

「あ、アルゴ、何して……」

 

「……泣いて良イ。泣かなきゃ駄目ダ……」

 

 

 ────その一言が、決定打だった。

 

 

「っ……ぁ」

 

 

 堰き止めていたもの全てが決壊し、とめどなく零れ落ちる涙。何に対しての悲しさかも虚しさかも曖昧で、色んな感情が混ざって何考えられなくなって、気が付けば身体を震わせ、声を漏らしていた。

 

 

 

 

 ────ああ、なんて最悪なクリスマスだと、アキトはアルゴの胸の中で、ただ子どものように泣きじゃくっていた。

 

 







────枯れ果てたと思っていた涙。

今だけは、とめどなく流れろ。



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──誓約──




過去へと変わり、記憶と薄れ、それでも消えずに残っていた。





 

 

 ───寒い。

 ───冷たい。

 

 

 ─── でも、あたたかい。

 

 

 僅かに揺れる身体と、ほんの少しの温もり。それに気が付くと、その瞳をゆっくりと開く。

 すぐ目の前に、それまで自身がいた世界と同じ色があって、アルゴは、さらにその向こう側に腕を回している事に気がついた。

 

 

「……っ」

 

 

 目の前にあったのは、白銀のコートを纏った少年の後頭部。長めのその髪と華奢な身体のせいで、一瞬女性かと勘違いしてしまいそうだった。

 自分の足が地を離れている感覚で我に返る。アルゴは自分が今、目の前の少年───アキトにおぶさっていることに漸く気が付いた。

 

 

「あ……目、覚めたんだ。よかった」

 

「……ア、キト……あっ、え、これ」

 

「アルゴあの後倒れちゃってさ。あのままいるのも寒いだけだったし」

 

 

 アキトはチラリと背負ったアルゴに目線をやると、再び前を向いて事の状況を説明した。それだけでなく、口を開いた際の白い吐息、装備越しでも伝わる冷気の冷たさ、一面の森を彩る白銀が、アルゴが倒れて間も無い事を教えてくれた。

 アキトは、自分をモンスターから守ってくれただけでなく、倒れた此方を心配して傍にいてくれたのだ。アキトを勝手に心配して、余計なお節介を振りかざし、こうして迷惑を掛けているにも関わらずに、だ。

 とはいえ、死に急ぐとも思えるアキトの生活リズムに合わせながら彼の傍にいるのは、情報屋であるアルゴにも中々に厳しかった。極めつけに、先程のモンスターの襲撃。張り詰めていた精神が一気に解かれ、気が抜けてしまったのだろうか。

 我ながら情けない。逆に助けられてしまうとは、とアルゴは自嘲気味に笑った。

 

 

「……」

 

 

 未だ何も言わないアキト。背負われていては顔もまともに見ることができない。だが、精神的な疲労からか身体にも上手く力が入らず、背負われるがままでいるしかない。

 だから、アキトが今どんな感情を抱いているのか、怒っているのか、呆れているのか、それとも何とも感じていないのか、それが分からず不安が押し寄せた。

 堪らず、その口を開く。

 

 

「……あの、サ。えと、さっきは」

 

「───折角のクリスマスだってのに、情報屋は暇なの?」

 

 

 アルゴの言葉を遮って、彼はそう言った。未だ此方を見ることはなく、ただ目の前の木々を避けながら《圏内》へとその歩を進めている。けれど紡がれた声音は呆れ気味に───しかし、ほんの少しだけ笑っているような気がした。

 冗談交じりに、いつもみたいに会話ができるかもと、期待してしまった。

 

 

「……うるさいナ」

 

「何であんなとこにいたのさ」

 

「お得意様が凍えてないか見に来てやったんだロ」

 

「────凍えて、そのまま死んでしまうんじゃないかって?」

 

「───っ」

 

 

 すぐ、言葉に詰まった。

 今までと同じなんかじゃなかった。アキトは最初から、アルゴのこれまでの所業に言及していた。呆れて笑っているのではなく、怒りを孕んだ笑みだった。

 言葉を選んだつもりが、逆に今アキトが一番触れて欲しくないであろう部分に、土足で踏み入ってしまった気分だった。

 

 怒らせただろうか。嫌われただろうか。そう考えるだけで、言葉が出なかった。

 僅かに震えた身体。それが寒さによるものか、恐怖によるものかはアキトには分からないだろうが、背負う彼女から、その震えは確かに感じたのだろう。彼は小さく、けれど長めの溜め息を吐きながら、

 

 

「……俺なんかより、キリトの心配した方がよっぽど生産的だと思うよ。アイツは絶対、攻略組に必要な存在に……って、もう攻略組か。何言ってんだろ」

 

 

 皮肉げにそう呟き、儚く笑った。

 

 

「キー坊と、その、連絡はとってるのカ……?」

 

「……とってるように見える?ま、お互い様だよ」

 

「……」

 

 

 それはつまり、お互いに連絡を取り合うことはしていないということだった。その事実が、アルゴの心を酷く痛め付ける。彼らが同じギルドのマークをカーソルの隣に並べて笑い合う姿が、酷く昔のように感じた。

 アキトの首に回した腕が、きゅっと僅かにその力を強める。ただただ悲しくて、辛くて。そしてその理由も、もう何もかも全部分かってる。だからこそ、彼らが同じ道を辿ってしまうんじゃないかって。

 それはきっと、アキトにも分かってて。

 

 

「……心配、かけたね」

 

「……え?」

 

「アルゴから見たら、俺は死に急いでいるように見えたんだよね……だから、ここまで追い掛けて来てくれた。それなのに、ちょっと意地悪言った」

 

「……」

 

「けど、もう心配しなくていいよ。悪足掻きも、今日で終わりになっちゃったからさ」

 

 

 乾いた笑みと共に零した、残酷な諦観の言葉。だがきっと、それは真実なのだろう。

 アキトにはもう、死に急ぐ程に頑張る理由は無いのだろう。唯一の希望も潰えた今、戦う闘志や執念も消え失せてしまっている。まるで燃え尽きた灰、溶け残った雪のように、アキトの心は冷たく小さくなっていく。

 

 その横顔──瞳を見ると、何も無い空虚がそこにはあった。全てを出し切ってなお何も無い。心にある虚無感が横顔から感じ取れた。アキトも僅かに震えているが、それも寒さからか悲しみからか分からなかった。

 

 だから、その言葉の真意を確かめる為に。

 また余計に言葉を重ねてしまう。

 

 

「今日で、終わり……?」

 

「もう、必死になる理由も、無くなってしまったからさ。終わりにするよ」

 

「キー坊とも、カ?」

 

「……そう、かもなぁ」

 

 

 

 ────終わり。

 

 

 

 その一言は、酷く冷たく聞こえた。

 ゲームであって遊びではないこの世界では、“死”は正しく“終わり“を意味するからだ。アキトの口にしたその言葉は、文字通り彼の旅の終着点を意味しているような気がした。

 アキトが命を削ってまで戦ってきたのは、大切なものを取り戻そうとしていたから。過去にそれが失われていたとしても、きっと今日という日まではアキトの傍に、隣りにいたのかもしれない。そして、もし求めたものが手に入ったのならば、その大切なものはこれからも、アキトの傍にい続けられたのかもしれない。

 だが、彼の願ったものは、彼が求めていたものとして形になったわけではなくて。僅かに縋っていたものすら、世界は残酷にもアキトから引き離したのだ。

 

 

「……っ」

 

 

 ───なんて、言葉を掛けたらいいのか。

 それ以前に、言葉なんて無力なのではとさえ思わせる。それでも、必死に慰めの言葉を考えていた。

 同情なんて、惨めにさせるだけだと分かっていながら。

 

 

「……そうまでして、取り戻したかったんだロ。大切な、場所だったんだナ」

 

「大切だった。……それを、俺が壊した……ようなもんさ。その事実を誤魔化そうとしてた。嘘だって、夢だって割り切って、ずっと忘れようと今日まで足掻いてた」

 

「……」

 

「みんなは独りぼっちの俺に、誰かといることの温かさを教えてくれた。俺の……生きる(よすが)だったんだ」

 

 

 ───知ってるよ。

 そんなの、君を見てれば分かるよ。分かってたよ。だからこそ、辛いんじゃないか。

 

《月夜の黒猫団》は、アキトの中でそれ程までの存在なのは分かっていた。素直になれない彼はきっと、それを本人達に伝えたことはなかっただろう。目の前にすればきっと恥ずかしくて、言葉にすることなんて出来ない。

 それ故に、皮肉にも彼らがいない世界でつらつらと話せてしまう彼を見るのが、どうしようもなく苦しくて。この感情が消える日が来るなんて思えない。今でも狂おしい程に苦しくて痛いのだから。

 けれど、それはアキトも同じで。アキトは自分以上で。だからこそアキトは、その絶望を嘘にする為に今日まで足掻いていた。

 

 

「今日まで戦ってきたのも……みんなを生き返らせることができるかもっていう……可能性としてはとても小さかったけど、それでもそういう希望があったからで……」

 

 

 ──知ってたよ。

 だからこそ、《蘇生アイテム》なんて眉唾物に縋るしかなかった。可能性としてはゼロに等しいと分かっていながらも、僅かにでも希望を見つけなければ、生きることなんてできなかった。

 けれどアキトもそんなことは、本当は誰に言われずとも分かっていたのだ。不可能だと知りながらも、最後まで希望を捨てたくなくて。それが、残酷な末路へと繋がると分かっていても、歩まずにはいられなかった。

 きっと、何処かで覚悟していたのだ。彼らに二度と会えはしない事を。分かっていたはずなのに、誤魔化して、嘘で塗り固めていただけ。それしか未来を生きる方法を知らなかったから、そうしていただけ。

 縋るしか、なかっただけ。

 

 

「これからどうするのか、どうしたいのか……もう何も……分からなくなっちゃったなぁ……」

 

「っ……そ、んなの、探せば幾らでもあるダロ。アキトならきっと何だってできるだろうし……ほ、ほら、料理スキルとか取ってたダロ?そ、それに……」

 

 

 アルゴは必死に言葉を紡いだ。彼を死へと行かせない、その為だけの言葉だった。

 死に痛みを伴わないこの世界で死ぬのは、ある意味至極簡単なことなのかもしれない。現実で死ぬのは怖いけど、仮想空間でなら痛みもない。現実世界を知らないから本当に死ぬのかもわからない。死をリアルに感じられない分、逆に死にやすいからだ。

 絶望を味わい、生きる理由がない人間はきっと、この世界でなら躊躇い無く死を選べる。そういう世界なのだ。

 今のアキトが、正しくそうだった。

 

 

「……でもね、アルゴ」

 

 

 口を開いては、閉じる。戸惑いながらも励まそうとするアルゴの気遣いに、アキトは優しく微笑んでみせた。まるで、大丈夫だよと、そう言い聞かせるように。

 なのに何処か清々しいような、それでいて痛ましいような笑みで。

 

 

「一つだけ確かなのは……俺が解放されたってことなんだ」

 

「解、放……?」

 

 

 言ってることの意味が分からず、アルゴはその言葉をなぞる。アキトのその言葉に、瞳が三度揺れ動く。

 アキトは顔を上げ、その先に広がる木々連なる雪景色を悲しい瞳で眺めながら、微笑を崩さずに───

 

 

 

「これでもう……みんなのことで一喜一憂する必要もないじゃんか」

 

 

 

 ────ポツリと。

 狂おしいほど切なくなる一言を告げたのだった。

 それを聞いた瞬間、アルゴは。彼女は、ただ。

 

 

「……っ」

 

 

 唇を噛み締めた。

 泣くまいとしていたはずの瞳が、再び涙を生み出していく。

 アキトが今、どんな気持ちでその一言を発したのか。この一言を音にするのに、どれだけの勇気が必要だったか。自分じゃ分からないくらいで。

 

 

 

「これからは……目の前のことだけを見て……ただ懸命に生きればいい」

 

 

 

 彼らはもういない。生き返りもしない。それを割り切ってしまえば、何のことはないと。

 生死に振り回されることも無くなったのだと、清々するのだと、そう言い聞かせるように。

 アキトは立ち止まって、目を瞑る。

 

 

 

「もっとずっと……」

 

 

 

 そうだ。ただ目の前ことだけを考えて。

 彼らを思い出す必要も無いくらいに懸命に。必死に。辛い想いなんて、楽しい過去なんて、考えてしまう暇も無いくらいに。

 ケイタのことも、ダッガーのことも、テツオのことも、ササマルのことも。

 サチのことも、忘れてしまえばいい。記憶の片隅に追いやってしまえば。

 きっと楽だ、と。

 

 

 

「────ずっと、生きやすくなる」

 

 

 

 それは呪文のように。語り聞かせるように。大丈夫だと誤魔化すように。

 空虚な心を満たす為に、充実した過去を足りない今で塗り潰す。時間はかかっても、いずれ風化する過去を大切に持つよりも辛くないと。

 そうしてまたアキトは、誤魔化しを重ねて頷いた。

 酷いやり方だけど、きっとやれるだろうと。

 

 だってもうアキトには、乾いた頬を濡らす涙も、泣き叫ぶ程の痛みも残ってない。あるのはただ、穴の空いた心だけだから。

 それでも、“忘れてしまえばいい”だなんて。こんなことを考えてしまうなんて、巫山戯ていると、分かっているのだろう。その笑みからは、痛みを感じた。

 

 

「みんなに二度と会えないんだって突き付けられて……狼狽えて、泣き喚いてもいいはずなのに……なんかもう、涙も出ないんだよね。ただそのことに、ホッとしてる自分が居るんだ。俺は……本当に酷い……酷い奴だよ」

 

 

 もっと泣き喚くと思ってたのに、と誤魔化すようにまた笑った。

 けれどもう、散々泣いたからなのか、頬に一滴たりとも伝うことはなかった。大切なものを失って、喪って。だからもう、傷に慣れてしまったのかもしれないと知って。

 

 

 アルゴは。

 ただ、言葉にすることもできずに、泣いてしまった。

 

 

 ────ああ、本当に。

 アキトはこれで終わりにするつもりなんだ、と。

 一体何が悲しくて、何が哀しくて、何が切なくて、何が悔しいのか。自分の頭で言語化するよりも先に、感情が一気に溢れて。

 どうして、こんなにも。

 こんなにも、君を。

 

 

 

「────好きだった」

 

 

 

 驚くくらい透き通った声だった。

 感情を隠せないその顔が、ゆっくりと此方に振り返る。聞き間違いかと耳を疑っているような表情も、瞳に溜まる涙のせいで歪んで見える。

 驚かせてる。困らせている。それでもアルゴは、言わずにはいられなかった。

 

 

「っ、……はぁ? な、何言って───」

 

「アキトの意思を否定するつもりも、権利もないけれど」

 

 

 アキトの声を遮りながら、声を震わすまいと律しながら、過去に想いを馳せながら。思い起こされるのは、キリトの満面の笑みと、アキトの儚げな笑み。それでも楽しそうだと感じられる程の笑顔が、何度も何度も頭を過ぎる。

 

 ────そうだ。きっと私は、あの顔が好きだった。

 

 泣くまいとしていたはずの瞳は、いつの間にか大量の涙を溜めていて。顔を真っ赤にしながら唇を動かしては、ポロポロと零れ落ちていく。

 

 

「……好きだった。キー坊──キリトとアキトが、二人でいるところを見るのが……笑って、幸せそうな顔でギルドの事を話すのを見るのが……」

 

 

 次第にそれはとめどなく、止まることを知らず、拭っても拭っても流れ続けて。肩を震わせながら紡がれるその声は、いつしか嗚咽混じりに静寂を貫いていた。

 勝手だと分かってる。今更だと知っている。それでも言わずにはいられない。アキトにだって何も言わせない。これはただの、自分の我儘であり、思いの丈。

 

 自分はただ、幸せを感じていただけだったのだから。ただ純粋に好きなだけだったのだから。

 キリトと、そしてアキトの幸福を眺めているのが───

 

 

「……ただ、好きだったんダ……っ」

 

「────……」

 

 

 巫山戯たような喋りも、揶揄うような態度も、何もできなかった。

 ただアキトの前で、自分の本音を零してしまった。

 知らなかった。自分がこんなにも、誰かに肩入れできる人間であるということを。そんなことを思ってしまっていただなんて。

 

 足を止めて、此方を見るアキトの瞳は揺れていた。アルゴが涙を流しているなんて、信じられないというような瞳で。

 恥ずかしくて、情けなくて、何より苦しくて。涙伝うその顔を、フードで隠す。けれど肩の震えや、嗚咽交じりの呼吸、鼻をすする音、何もかもこの世界じゃ隠すのは難しくて。

 

 

「……」

 

 

 アキトはやがて、アルゴから目を逸らし、上を向いた。此方の泣き顔を見ないように気遣いながら歩いて。

 そうして、未だ降り頻る雪の一つ一つを眺めながら、ポツリと。

 

 

「……泣いてんじゃねぇよ」

 

 

 突き放すよう口にしたはずのその言葉は、とても優しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「……少し、行きたいとこあって」

 

 

 アルゴを街へ送り届けた後、アキトは彼女に向かって告げた。街もフィールド同様の寒さを漂わせていて、おかげで外にいるプレイヤーは少ない。彼女を背負っていても、目立つ事はなかった。

 その足で街の転移門まで赴き、目指したのは《はじまりの街》。これから行く場所が、この街にあった。変わらず雪降りしきる中、チラリと後ろを振り返る。

 

 尚もその背についてきたアルゴは、フードに顔を隠し俯いている。

 別れを切り出そうと背を向けると、彼女がその背から、

 

 

「オレっちも行く」

 

「え……い、いや、いいよ別に」

 

「オマエ一人だと何しでかすか分かったもんじゃないからナ」

 

 

 そう言って、此方の意を聞くこともなくアキトの空いた手に自分の手を絡めた。

 いきなりの事で、アキトは思わずぎょっとその瞳をアルゴへと向ける。当のアルゴは、別に顔を赤くするでも、揶揄うでもなくて。

 ただ、不安そうな眼差しで此方を見上げていた。繋がれたその手から、彼女の不安が伝ってきたような気がして、思わず溜め息を吐いた。

 

 

「……分かったよ。けど別に、アルゴが考えてるような事はしないから」

 

「何処に行くつもりなんダ?」

 

 

 そんな問いにアキトは目を逸らし、少し間を置いてから告げた。

 

 

「……黒鉄宮」

 

「……分かったヨ」

 

 

 それ以上、アルゴは何も聞かなかった。

 そこから《黒鉄宮》に着くまでに、アキトとアルゴの間に会話もなかった。けれど、彼女が気を遣ってくれていることは明白だった。

 戸惑い焦る感情が握られたその手から伝わって来て、アキトはただ申し訳無さでいっぱいだった。彼女に迷惑を掛けているにも関わらず、その優しさに甘えてしまいたくなるから、同時にそれも辛かった。

 何かを口にしなければと、考えもした。けれど、繋がる手から余計な事まで察してしまいそうで、結局は何も口にできなかった。

 

 辿り着くまでに、何を考えていただろうか。

 無心だったようで、その実色々な事を一度に考え続けて、どれだけ時間か経ったか分からない。

 

 荒い息は精神的な疲労からなのか、この巫山戯た寒さのせいなのかは定かでない。身体が震え、膝が笑う。けれどその足はひたすらに動き続け、立ち止まる事を許さなかった。

 こうして歩を進めていなければ、無我夢中でいなければ、ほんの少し冷静になっただけでこの足を止めてしまう気がした。背後から押し寄せる後悔と懺悔の感情に追い付かれてしまうのだと、そんな感覚がアキトを追い立てていた。

 

 ケイタの温かさが、ダッガーの笑い声が、テツオの勇ましさが、ササマルの優しさが、キリトの頼もしさが、サチの笑顔が、今も頭の中に鮮明に残っている。

《月夜の黒猫団》として過ごせた時間や誇りが、胸の中で灯火となり、動く為の燃料になっている。彼らとの会話が、戦いが、毎日が思い出になっていき、過去になっていく感覚だけがある。

 

 突如伸ばされたその手を拒み、受け入れるまでかなりの時間を有したというのに、突き放す事もせず忍耐強く接してくれた優しい彼ら。

 そんな大切な存在が、あれほど渇望していた世界が、気が付けば一瞬で硝子と化してしまったのだ。

 思い出しただけで鼓動に頭を揺さぶられ、言葉に出来ない悲哀が胸に去来する。

 

 後悔しかない。懺悔しかない。

 あれほど助けてもらったくせに、誰一人助けてあげられなかったのだ。

 この現実は、愚かな自分が抱いてしまった、たった一つの取るに足らない小さな感情に支配された結果だ。しがらみと勘違いした繋がりを全て放り投げ、憧れに押し付けた結果だ。罪で、罰なのだ。

 恩ばかり受けていた自分が黒猫団のみんなに返した、唯一にして最大の“仇”だった。

 

 歩いて、歩いて、歩いて。視線や声や人混み全てを掻き分けて、何もかもをかなぐり捨てて《黒鉄宮》に向かう。

 それに何か理由があったのかと問われれば、確かにあった。今は亡き者達に、伝えたいことがあったはずだったのだ。けれど距離が近付けば近付く程に、言葉にしようとしていたものが記憶から霧散する。

 雪降る寒さで頭までやられたかと自嘲気味に笑ってみるも、誰も周りにいない独りきりの世界は虚しいだけだった。

 それでも、アルゴはその手を離してはくれなかった。

 

 アキトとアルゴ。

 特別親しいという訳でもない関係。故に続くはずもない会話。けれど、繋がる指先はなお主張を続けている。

 互いの熱を確かめる様にその手を繋ぎ合い、国鉄宮までの一本道を辿る。何処か暖かい場所に移動することもなく、蓄積された疲労からか真面に歩く事も出来ずにゆらゆら歩くアキトの傍を、アルゴは離れようとはしなかった。

 

 

「……っ」

 

 

《黒鉄宮》──── 一万の命が刻まれた場所。

 そして、これから自分に現実を突き付けてくるであろう場所。分かっていながらも、足が竦む。ここまで来たというのに、恐怖が冷気と共に肌にへばりつく。

 それでも、握られたその左手だけは確かに温かくて。ふと隣りを見れば、アルゴもまた黒鉄宮の入口、闇へと続く道をただ見据えていた。

 

 

「……行こう」

 

 

 覚悟なんてものじゃない。気合いと呼ぶにもやわ過ぎて。

 きっと、ほんのひと握りの小さな勇気。震えていたその足は、次第に一歩を踏み締め始める。

 コツコツと響く足音が、碑までの距離を教えてくれる。もうすぐ、もうすぐ、終わってしまうんだと、そう突き付けてくる。

 ずっと、辿り着かなきゃいい。このまま、続いていけばいい。

 終わらないで欲しい。

 

 だが、願いも虚しくその回廊は突然に終わる。やがて開けた場所に、それはあった。先程も来たはずなのに、何故かまるで違って見えて。

 黒曜石が敷き詰められた静寂の世界に、一際存在感を放つ石碑。足元には、アキトが置いていったアイテムがまだ幾つか、僅かばかりの耐久値を残して置かれている。

 アキトはそれに目もくれず、目の前に聳えるその石碑を見上げて、小さく息を吐いた。

 

 

 

「……分かってた。君が何処にいるかなんて、最初から分かってたんだよ、サチ……」

 

 

 

《生命の碑》─── 一万の名を刻む場所。

 そして、たった今アキトに現実を突き付けたもの。

 彼の目線のその先に、横線が引かれた名前。それが、アキトの大切な人の名前。

 

《サチ》の名前が、そこにはあった。

 

 本当はもう、ずっと前から知っていた。

 この場所に刻まれているのだと、分かっていた。受け入れてしまえば、終わりだと悟っていたから。

 

 

「……終わりにするのは、辛いなぁ」

 

 

 言葉尻が震える。わなわなと、心の奥底から込み上げてくる。

 散々泣き喚いて、泣き腫らして、枯れ果てたと思っていたのに。この世界でも、涙は無限だった。

 

 本音だった。もう、本当の事を言わずにはいられなかった。

 終わりになんて、したくなかった。独りはとても寂しかった。誰かの為に張り続けた“強がり”は、孤独になった今では意味を持たずに思考の海に散っていく。

 当然だ。これまでの言葉だって、全て己に向けた欺瞞でしかなかったのだから。虚飾の剣を振りかざしたところで、襲いかかってくるのが悲しみや痛みといった感情ならば、勝てるはずもないのだから。

 

 

「寂しい……」

 

 

 モンスターとの戦い方も知らない、初心者のように震えた声だった。

 孤独の寂しさや恐怖を、アキトは誰よりも知っている。だから、運命に抗う姿を自分に見せても、偽りでしかなくて。

 ここまで情けない声を出せたのかと、自分でも驚く。

 

 

「みんながいないと、寂しいよ……っ」

 

 

 ────ずっと生きやすくなる?

 そんなわけがない。思い出になってしまう方が辛いに決まってる。ただの、今まで通りの強がりだった。

 他人(アルゴ)がいるなら弱い自分を見せることなく、まだ大丈夫だと強がれる気がした。

 けれど、結局は無意味に終わり、今もただ涙を流し続けている。そんなアキトに、アルゴは何も言わずに寄り添って、ただその手を握り続けていた。

 

 

「……オレっちも、キー坊も、同じだヨ」

 

「え……?」

 

「オマエがいないと、寂しいヨ……」

 

 

 俯いた顔を上げれば、アルゴは此方を見つめていた。

 透き通った双眸が、情けなくも縋るような感情を帯びていて、精神が摩耗し途切れかけたアキトもまた、彼女の言葉に何かを求めた。

 

 

「オレっちはまだ、オマエの……アキトにとっての『大切なもの』じゃないのかもしれなイ」

 

「……」

 

「けど」

 

 

《月夜の黒猫団》が、全てだった。

 ケイタ、ダッガー、ササマル、テツオ、サチ。誰が欠けてももう戻らない。そんなの、アルゴに言われずとも分かっていた。

 それでもと、彼女は言葉を紡いでくれたのだ。その想いを、吐き出してくれたのだ。

 

 

「……一緒に、生きてて欲しいヨ」

 

「────っ!」

 

「優しいオマエが寂しくないように、隣りにいてやりたいヨ」

 

 

 アキトの表情が歪む。

 これ以上涙を流すのを堪えているようでも、恥ずかしさを隠そうとしているようでも、何か例えようのない感情を表に出さないようにしているようでもあった。

 彼女のそれは、あまりにも身勝手で、あまりにも優しい脅迫だった。自分が黒猫団のみんなに感じていたものと、全く同じ。

 故に拒めない。断る選択肢など、あるわけがなかった。

 

 

 ────ああ、だから嫌だったんだ。

 

 

 世界が始まったあの日に、彼らの手をとってしまったのがいけなかったんだ。

 その温もりに縋ってしまったら、もう孤独な日々には戻れないことなんて、ずっと前から知っていたのに。

 いずれ失われる温もりを頼りに生きることなんて、狂おしいほどに愚かなことだと自分を戒めていたはずだったのに。

 

 拒むことなんて、できるはずがないと分かっていたはずだったのに。

 

 

「─── 俺も、そう思ってたよ」

 

 

 だから、独りが良かったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

「もう用は済んだのカ?」

 

「うん。外寒いのに、待たせてゴメン」

 

 

 黒鉄宮の外を出れば、もう雪は止んでいた。

 灰色の雲一面の中でも、僅かに差し込む日差しを見て、アキトは全てにおいての別れを現実として受け入れつつあった。振り積もった雪が地面を覆い、足跡はここまで来たアキトとアルゴのものだけ。

 アキトは既にアルゴから手を離しており、その両の手は白銀のコートのポケットへと収まっている。そして、そのまま彼女へとその視線を向けた。

 

 

「……ン?」

 

「……っ」

 

 

 彼女は柔らかで大人びた笑みで、此方を見て首を傾げていて、不覚にもドキリとした。

 あまりにも魅力的で、『オネーサン』なんて言っているのもあながち嘘じゃないような気さえしたから。

 全く、今回は彼女の面倒みの良さを目の当たりにするだけの時間だったなと、情けない自分を思い返して呆れたように笑った。

 

 

「……じゃあな。最っ低なクリスマスだったよ」

 

「コッチの台詞だヨ」

 

 

 アルゴは入口付近の壁に寄りかかって、両腕を組んで呆れ笑った。

 伏せていた瞳を此方に向けると、不安げに眉を顰めてアキトに問いを投げ掛けた。

 

 

「これから、どうするんダ?」

 

「えと……まだ、決めてないけど……キリトとアルゴは俺がいないと寂しいらしいから、取り敢えず、頑張って生きてみるよ」

 

「……やめろ、もう言わないでクレ……キャラじゃないこと言ったって、自分で分かってるかラ……」

 

 

 真剣な眼差しから一点、顔を赤く染めて目を逸らす。さっきまで手を繋いでいたというのに、何をそんなに恥ずかしがっているのかと、少し可笑しくて笑ってしまう。

 だがそれも束の間、アルゴはまだ心配そうに此方を見つめて、

 

 

「本当に、大丈夫なのカ?」

 

 

 そう尋ねた。

 それは、生きていけるのか、戦えるのか、寂しくないのか。そんな想いが込められた質問だった。守るべきものを失って、今はまだ何の為にこの身を世界に残すのかを決めかねている状況で。

 そんな中で、不安定な精神の均衡を保っていけるのかと、そんな言葉だった。

 

 アキトは、ポケットから右手を取り出した。そこに握られていたものを、ゆっくりと開く。

 そこにあったのは、タイマー起動の記録結晶。サチからの最後の贈り物であり、自分を留まらせてくれるもの。彼女の言葉の一つ一つを思い返しながら、アキトは目を瞑る。

 

 

 ───好きだと言ってくれたこと、忘れない。

 

 

「……サチは、さ。こんな俺を好きになってくれたんだ。だから、頑張ってみるよ。じゃないと、サチにもみんなにも悪いだろ?」

 

 

 彼女が言うような、ヒーローなんて柄じゃない。

 けれどサチからすればアキトは、大切なものを守りたいと弱虫ながらに強がって足掻く様が格好良く見えて、好きだと言ってくれたのだ。自分では情けないと思っていた部分を、美徳だと言ってくれたんだ。

 なら、どれだけ辛くても、苦しくても、彼女が好きになってくれた自分で在り続けなきゃいけないと、そう思っただけだった。

 

 

「乗り越え、られるのカ?」

 

「……無理、だよ。乗り越えるなんて、できるわけない」

 

 

 彼らを過去にするのは、アキトにとって難しかった。

 昨日の今日まで、あるかもしれない希望に縋り付いて生きてきたのだから。今だって寂しさは拭えない。どれだけ時間が経とうとも、消せない想いが胸にある。

 

 

「───だから、乗り越えたりなんかしない」

 

 

 そういって記録結晶を握り締める。驚いたような表情のアルゴに、切なくなるほどに儚い笑みを向けて、アキトは決意を口にする。

 それはきっと、乗り越えるよりも辛い道。

 

 

「ずっと背負ってく。みんなの死も、彼女の想いも……ずっとずっと背負ってく。抱えたまま生きていく」

 

「……アキト」

 

「忘れて乗り越えたりなんてしない。みんなの死と想いを一緒に背負ったまま、ここから出るんだ」

 

 

 迷いはある。躊躇もある。これはまだ、そしてまた、なけなしの“強がり”だ。けれど、ほんの些細な覚悟と、取るに足らない小さな勇気を、他でもないアルゴとサチがくれたのだから。

 だから、今はそれで良い。

 そしてそう思わせてくれたのは、アルゴでもある。

 

 

「だから、アルゴ。今まで───っ」

 

 

 “手を繋いでくれて”。そう続けようとして、止めた。

 ……いや、違う。あれにはきっと、それ以上の意味があった。もっと根本的なことだ。行かせない、行かないで欲しいと、そう願う心の形だった。

 なら、伝える言葉はきっと────

 

 

「─── “繋ぎ止めて”くれて、ありがとう。アルゴ」

 

「……ン」

 

 

 アルゴは照れるでもなく、驚くでもなく、ただ真っ直ぐに感謝を受け止めてくれた。出来の悪い弟を心配するような眼差しで此方を見ながら、仕方無しに笑って見せた。

 そんな彼女に、アキトは告げる。自分の辿った生き方から学んだ事を、アルゴへと伝える為に。

 

 

「どれだけの決意や覚悟、強さがあっても、零れてしまうものはある。時の全てを懸け、多くのものを捨ててさえ、守れないものがあった」

 

 

 人が創り出したこの世界は、死にたくなるくらい現実的で残酷だ。想いや願いだけじゃ奇跡は起こらないことを、嫌という程突き付けられたからこそ分かる。

 だからこそ。同じ轍を踏んで欲しくなくて。後悔して欲しくなくて。

 

 

「アルゴは、取り零さないでね」

 

 

 そう言って、再び彼女に背を向ける。

 すると、アルゴが寄りかかっていた壁から背中を離し、アキトを真剣な眼差しで見据えていた。

 思わず体ごと彼女へと戻すと、アルゴもアキト同様に口を開いて言い放った。

 

 

「……オマエも取り零すなヨ、アキト」

 

「……今更何を」

 

 

 もう零せる程のものすら残っていないというのに。

 そんな卑屈な表情を見せたくなくて目を逸らす。けれどアルゴは変わらず、その瞳のままに言葉を続けた。

 

 

 

「────“未来”を」

 

 

「────」

 

 

 

 “未来”

 

 アキトの進む未来。その先には、もう誰もいない。

 共に歩むはずだった仲間も、目指すべき夢も、もう何も無い。

 なのにそれを諦めるなと、取り零すなと、見捨てるなと君も言うのか。

 

 進まなくちゃいけないことは分かっている。

 その先に、サチは進んで欲しいと言ってくれた気がしたから。

 そして、キリトが待っている気がするから。

 だから、答えは決まっていたけれど、すぐには答えられなくて。

 

 

「……ははっ」

 

 

 答えるより先に泣いてしまいそうで。

 それを誤魔化すように、下を向いて笑った。もう、何も言うことはない。今度こそ、アキトはアルゴに背を向けて、当てもなくその道を辿って行く。

 かつて好きだった白が広がる風景の真ん中を、静かに歩く。

 

 

 “未来”

 

 

 なんて曖昧な言葉だろう。形にもなっていないものを、取り零すなと君は言う。

 それは、過去だけに囚われず、未来を大切にしろというメッセージなのかもしない。

 

 

 いつか。

 いつか、遠い未来の話かもしれない。

 けど、いつかまた《月夜の黒猫団》のような場所が、守りたいと思える人が、現れる日なんてくるのだろうか。

 

 

 それを、君は許してくれるかい。

 

 

 ──── サチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 みんな。改めて、メリークリスマス。

 

 

 今、みんなは何してるかな。天国に、ちゃんと行けているのかな。

 それとも、まだここに居てくれてるのかな。分からないから、こうしてメッセージを残す事にしたんだ。

 サチにも貰ったし、俺もお返し。なんか、恥ずかしいね、へへ。

 

 けど、俺もサチのこと言えないなぁ。話したいこと、沢山あったはずなのに、こうしてメッセージを残すぞって時になると、何話していいか分かんなくなる。

 君も、こういう気持ちだったのかな。

 

 ……そう。話したいこと、いっぱいあったよ。

 この記録結晶に収まりきらないほどに、たくさん。感謝も、後悔も、みんなの好きなとこも、直して欲しいことも、楽しい思い出も、本当は何もかも語りたいよ。

 けど、あんまり話すと泣いてしまいそうだから。

 せめて俺から……ううん。

 

 

 “僕”からみんなに、僕の気持ちを伝えます。

 

 

 まず、ケイタ。

《月夜の黒猫団》のリーダーとして、常にみんなに気を配って指示を出してくれた。本当は自分のことでも手一杯のはずなのに、周りを心配してくれる君は、確かにリーダーだった。

 広場で初めて僕に手を差し伸べてくれた時も、距離を図りかねていた僕に近付いてくれたのも、弱い僕を何度も何度も見付けてくれたのも、君のその優しさのおかげだと思ってる。

 他の誰でもない、君がリーダーだったからこそ、ここまで来れたんだって思うよ。《月夜の黒猫団》のようなギルドが攻略組にいたのなら、緊迫したあの空間にもあたたかみが生まれるかもしれないって、キリトが言ってたのを思い出す。僕にも、本当にそう思うよ。

 今まで、ありがとう。

 

 

 次にテツオ。

 ギルドに入ったばかりの頃、凄く態度が悪かった僕に、何度も話し掛けようとしてくれたよね。ゴメン、自覚あったんだ。知らない人ばかりのところで上手くやっていく自信がなくて、突き放すことで安心してた。

 どれだけ突き放しても、忍耐強く僕に接してくれた君は、やっぱり壁役が向いてるよ。一緒に攻略した時も、何度も助けて貰ったし、何度もありがとうって言ってくれた。多分、ギルドの中で一番ハイタッチを多くしたんじゃないかなって、思ってる。

 今まで、ありがとう。

 

 

 次はササマル。

 最初は、やっぱり怖がらせちゃったかな。僕と目が合う度に気まずそうに目を逸らし合ったの、今でも覚えてる。でもね、僕もあの時はみんなが怖くて、近寄り難かったんだ。既に出来上がっている世界に身を置くのは、とても勇気がいることだった。

 でも、それにいち早く気が付いてくれたのって、ササマルだったんだよね。僕が一人でいる時に、何かと接してくれるようになったの、ちゃんと分かってる。最初に仲良くなったのはきっと、ササマル、君なんだ。君の優しさにあの時救われたのは、僕の方だったんだ。

 今まで、ありがとう。

 

 

 そして、ダッガー。

 君とは、一番ケンカしたよね。反りが合わなくて、馬が合わなくて。最初こそ気を遣ってくれていたけど、変わらずつっけんどんな態度の僕に一番に癇癪を起こしたのは、君だったっけ。

 けれど、あの時の君の言い分は、至極最もで当然の事だった。あの時はまだ、ギルドに入れたみんなの真意が分からなくて素っ気ない態度ばかりとっていた自覚もあった。僕にとってはまだ信用できる存在じゃなくて、冷たい態度ばかりとってたと思う。だから、ゴメンね。

 けれど、そんな風に思ってた自分が馬鹿みたいだと思えるほどに、君には笑わせて貰ったよ。お調子者だけど、みんなを笑顔にさせるムードメーカーは、やっぱりダッガーだと思う。

 今まで、ありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── サチ。

 

 

 僕は……君に、ずっと言えなかったことがあるんだ。後出しみたいで狡いけど、届かないと分かってるけど、聞いて欲しい。

 

 君は僕を……“ヒーロー”なんて言ったけど、そんなに格好の良い奴じゃないんだよ。

 本当はサチ以上の臆病者で、モンスターを前にすれば足も竦むし、泣きたくもなる。けどそうならなかったのは、ずっと強がっていたからなんだよ。格好悪いところを見せたくなくて、格好付けていただけだったんだ。

 

 泣いてる君を見たくなくて、強くなろうと思った。ヒーローみたいに、万人の為に強くなりたかったわけじゃなかったんだよ。

 サチを怖がらせないようにしたいなんて、我儘で、身勝手で、どうしようもない理由だったんだ。

 

 君の前ではずっと、僕は“強がり”という仮面を被ってた。

 せめて君やみんなの前では、一人前のプレイヤーで在りたかったから。

 ただ、格好を付けて。

 頼れる男の、フリをして。

 威勢ばっかり良くて。

 守ってみせると、言い張って。

 ずっと。ずっと、そうしてこの世界を生きてきた。黒猫団のみんなにどう思われても、見抜かれていたとしても、言葉にすればいつか本物になれると信じていたから。

 ずっと、意地になってたんだ。だから、君が今どう思っているかなんて、全く知らなかった。自分のことばかりで、知ろうともしてなかったんだ。

 僕も君に、何も教えてなかったし、伝えてもなかった。知って欲しいとも思ってなかったのかもしれない。

 

 君はずっと、そう言いたかったのかな。

 

 だからさ。

 今更なんだけど。

 本当にどうしようもないけれど。

 君に、僕も伝えようと思ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──── 君が好きだ、サチ。

 

 

 流れるような髪も、ドキッとするような泣きぼくろも、優しげな微笑みも、揶揄って来た時の楽しそうな笑顔も、透き通った声も好きだった。

 たまに抜けてるとことかも、怖がりな癖に頑固なところとかも、自分よりも他人の心配をしちゃう優しさも、直して欲しいところの癖に、それが好きだったりもするんだ。放っておけなくて、目が離せなかった。

 

 君の全ての表情も、君の全ての感動も、その隣りで一緒に感じることができたら良いなって……ずっと、そう思ってた。

 

 逃げてばかりの僕が、虚勢を張ってでも守りたいと思える程に大切だった。

 君は重いって言って、困るかな、なんて考えたりもしたことあるんだよ。だから、君が僕を好きだって言ってくれたこと、凄く嬉しかった。夢なんじゃなかって、その気持ちさえ仮想なんじゃないかって、サチのことなのに、その気持ちを疑いそうになる。

 君がどうして僕を好きになってくれたのか、分からなかったから。けどそれを、他でもない君が教えてくれたから。

 だから。だから、決めたんだ。

 

 

 僕は─── “俺”は、何度でも、何万回でも“強がり”を張って生きていく。

 

 

 俺はいつだって、君の前ではそうしてきた。君や、みんなの幸せを壊したくないと思ったから。君を笑顔にできるような存在で在りたいと願って、そうしてここまで来たんだ。

 そう、思ってた。

 

 けど、他にもあったんだ。

 

 助けてくれて、ありがとう────。

 

 フィールドで出会った人達の、温かな言葉と、温かな笑顔。

 それがただ、嬉しかった。この手が届く度に、誇らしい気持ちになった。だから、優しく在ろうと思えた。

 君が、そんな俺を“ヒーロー”と言ってくれたのなら、俺は俺で在り続けなきゃいけないと思った。

 

 

 だから、頑張るよ。君のメッセージ通りに。

 そして何よりも、俺自身の為に、上に行く。

 

 

《誓う》よ、サチ。俺は────

 

 

 攻略組になる。キリトと一緒に戦って、ゲームをクリアしてみせる。

 サチのような人達を、現実世界に帰す為に。

 

 

 だから、君と会うのはもう少し先になりそうだ、サチ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

「……できるかな、俺に」

 

 

 アルゴを待たせている内に《生命の碑》の前で記録結晶に込めた誓いを、歩きながら思い出していた。

《黒鉄宮》に置いてきた記録結晶は、やがて耐久値がゼロになってポリゴンとなり消えてゆくだろう。そうなった時、きっとあのメッセージはサチ達の元へと届くような気がした。

 

 既に圏外、雪が広がる荒野にたった一人で佇みながら、最前線へと赴く前にやる事はたくさんあるのではないかと、不安と焦燥が押し寄せてくる。

 レベルばかり上がって装備はそのままだし、ステータスの方向性も定まってない。何より、片手剣に移行するはずだったのに未だに刀を振り回している。

 

 

 ────“ ……一人で、平気?……大丈夫?”

 

 

「……っ」

 

 

 そんな声が頭に響く。アキトはふと顔を上げた。

 忘れもしない、サチ達を助けるべく奔走した時に脳内で木霊した道標。今日までずっと、一頻りに語り掛けてきた声。

 思えば、この声の主にも冷たく当たっていたことを思い出して、アキトは思わず俯いた。八つ当たりもいいとこで、この声に罪なんてなかったというのに。

 ずっと、この声に導かれて、助けられていた。正体は分からない。原理も、目的も不明だけれど。

 何故か、信じられる気がした。

 

 

「……平気だよ。君がいるし……誰か分かんないけど」

 

 

 ──── “……!”

 

 

 その声の主の反応が、あまりにも分かりやすくて。

 そうさせた一言を自分で言ったと思うと、少し照れ臭くて。誤魔化すように頭を振り払い、アキトは再び歩き出した。

 

 

「っ……今の無し。空耳だよな空耳。あー、独り言なんて恥ずかしい」

 

 

 ──── “空耳じゃないよ!無しになんてさせないからね!言質取ったから、言質!ずっと傍にいるからね!”

 

 

 頭の中で際限なく響く声に、アキトも顔を赤くした。こんなにも嬉しそうな反応をされるとは思ってなくて、本当に心の底から後悔した。

 独りの寂しさを思い出す日は、来るのだろうかと。そう考えてから、呆れたように笑う。

 未だに火照る頬を紛らわすように、アキトはその声に向かって言い放った。

 

 

「……じゃあ、適当にこれからの目標立ててよ。そんで、何処にいるか分かんないけど、そこで見てて。俺のこれから」

 

 

 ──── “うん!アキトのこれから、アタシが見ててあげるからね!”

 

 

 そんな自信たっぷりの声に、アキトは小さく笑う。

 雪の冷たさが混じる風が吹き抜け、アキトの頬や髪、白銀のコートを翻す。そんな風の行方を眺めながら、アキトは目を見開く。

 僅かに、ポリゴンのような光の破片が風に待って飛び上がるのを見た気がしたから。それが何故か、自分の想いを込めた記録結晶の残骸ではないか、なんて都合の良いことを考えて、アキトは微笑んだ。

 

 

 ──── 君にも、届くかな。届くといいな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソードアート・オンライン──月夜の黒猫(ナイト・ブラック)──

 Episode.0 雪舞う月下に誓う猫

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『──── 届いてるよ』

 

 

 この気持ちは、何があっても永遠に変わらない。

 君がこれからどんな人生を歩もうとも、私は君を好きでい続けるよ。

 

 

 この想いだけは、誰にも負けないよ。

 時間はかかってしまったけれど、離れていたって。

 確かに私の言葉は、君に伝わったのだから。

 

 

 

 

 この気持ちは、きっと。

 

 

 

 

 世界さえも、時空さえも、超えてしまうほどの想いだ。

 

 

 

 






誓いはただ、過去への懺悔。
約束は未だ、未来への道標。


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Memory Heart Message




誰も知らない物語。決して語られる事は無い。



 

 

 

「……メリークリスマス、アキト」

 

 ────クリスマスでもなんでもない日に、誰もいない殺風景な部屋の中でベッドに腰掛けて暫く、その手元に浮かせた《記録結晶》を眺めて言葉を紡ぐだけの時間が続いている。

 この結晶体に吹き込んでいるのは自らの声と言葉。伝えたい何もかもをこの結晶に残すべく、サチは此処にいた。普段黒猫団が拠点としている宿の一室、メンバーの中で唯一女性である彼女は一人部屋を与えられている。皆が寝静まる深夜帯にふと目を覚まし、気が付けばアイテム欄を開いており、日中に購入した結晶体をオブジェクト化させていた。

 

 透明色のそれは中心に仄かな光を灯し、薄暗がりの室内をほんのり明るくさせる。両の手で救うように持てば僅かにその手のひらから浮き上がり、ゆっくりと回転し始める。時には思い出を、時には想いを綴る為のアイテムは、惹き付けられるような輝きを持っていた。このまま眺め続けていれば、気が滅入ってしまいそうだった。

 今まさに結晶に吹き込む言葉を、伝えようとしている言葉を、脳裏でその都度考えながら口を開いていた。いざ話すとなると伝えたい事が多過ぎて、何から話せば良いのか分からなくなったりもした。それでも、その気になった時にやらなければそのまま尾を引いて結局やらないなんて事にもなり得たから、勢いに任せて色々と想いを吐き出していた気がする。

 

(こんな事してるって知られたら、みんな怒るだろうな……)

 

 

 ────先日、仲の良かった友達が死んだ。

 

 別のギルドの女性ではあったけれど、明るく優しく、とても話しやすい子だった。自分と同じで死をとても恐れていたけれど《黒猫団》と同じギルド方針のお陰で、安全第一で堅実に、着実にレベルアップしていくギルドだった。

 だが、運悪く彼女は、一人の時に死んだのだと、彼女の仲間であるプレイヤーから涙ながらにそう聞かされた。

 そうして暫く放心してから、サチは漸く我に返り、そして自覚した。自分もきっと、この道を辿る事になると。

 

 生き残れないだろう。長くは生きられないだろう。いつか死ぬだろう。そんな想いは心の内から中々消え去ってはくれない。死にたくないと口にしつつも、根底では既に諦念を抱きかけている事は自分が一番理解していた。

 今記録結晶に残そうとしているのは、言うなれば遺言。死にゆくものの置き手紙に変わりない。黒猫団の皆はきっと良しとはしないだろう。

 それでも何かを残し、伝えたい人がサチにはいた。もし生き残れたら自分の口からちゃんと伝えるつもりだ。必ず伝えたい想いだからこそ、こうして形にして残す事を決めたのだ。それに嘘はない。

 

 だが、死ぬかもしれないと感じているのも本当で。

 キリトやアキトが加入して暫く経ち、ギルドは目覚しく強くなった。危険になれば前に出て自らを守ってくれるし、傍に居てくれるだけで恐怖心が和らいだ。だがそれも一時の事で、ふと我に返るとその優しい熱は恐怖という冷たさで覆われ冷めていく。

 自らのその態度が、サチは嫌いだった。アキトが精一杯頑張ってくれているというのに、それに安心すらできない自分がとても卑しく醜く、大嫌いだった。震えているだけの自分が、仲間を守る為に努力を続けるアキトを信用し切れていないみたいで、酷く虚しかった。

 遺言を残すこの行いが、それを物語っていた。最低な事だと理解していても、思い残していた言葉の山を結晶体に吐露し続けて、そうして最後に伝えるのは密かに想いを募らせていたアキトへと。

 

「……もし、生き残る事ができたら……この続きは、クリスマスに言うから……そしたら、ちゃんと告白するから……」

 

 誰もいない部屋で一人、記録結晶の前でなら勇気も要らずに紡げる言葉。だが死期を悟った自分が面と向かってアキトにそれを伝えるというのは、とても憚られる行為だった。言うだけ言ってその後死んでしまうのなら、言葉にしない方が良い。ただそれだけの理由だった。

 そんな矛盾を抱えたまま、記録結晶をそっと閉じたのだった。

 

「……アキト」

 

 想いを綴って、何もかもを吐き出して。だからといって気分が晴れる訳でもなくて。いつものように恐怖や不安で寝付けない時間が到来する。寝間着へと着替え、枕に頭を乗せ、毛布にくるまっても尚、眠気は中々やって来ない。

 ふと、以前夜中にキリトの部屋にお邪魔した時の記憶が蘇った。同じベッドに背中合わせで横になり、キリトの一言一言でその場に限り焦燥や恐怖を忘れられたあの時間。それが偽善や欺瞞に塗り固められた空間だと知っていながら、サチはキリトと互いに傷の舐め合いをしていた。

 

 けれど、それでも心の奥に根付いていたのは、たった一人の少年。雪のように白いコートに身を包む優しげな笑みの剣士の名を、気が付けば口にしていた。

 今の今まで記録結晶で彼への想いを吐露した後だからだろうか。彼に───アキトに、とても会いたかった。

 自らに掛けたばかりの毛布を剥がし、ぺたぺたと裸足のまま扉へと近付き、音を立てぬようゆっくりと開く。深夜の廊下は幽霊でも現れるのではないかと思わせる程に静かで不気味で、肌寒さを助長する。

 焦るように、一直線にアキトの部屋の前まで小走りで向かう。その戸をノックしようと腕を挙げ、ピタリとそれが静止した。

 

「……っ」

 

 なんて言えば良いだろう。どう言って入れてもらおう。眠れないと言ったら、一緒にいてくれるだろうか。そもそも、今この時間帯に彼はいるだろうか。

 以前来た時は攻略に赴いた後で、部屋はもぬけの殻だった。それを知った瞬間かなり狼狽えたのを覚えている。

 色々な躊躇や疑念が頭の中で交錯し、その場で動けず立ち尽くしていると、

 

『……誰?』

 

 目の前の部屋から、そう声がした。

 考えるまでもなく、サチが望んでやまない彼の声だった。逸る気持ちを抑えつつ、慌てて口を開いた。

 

「っ、わ、私……」

『……サチ』

 

 何処か冷たく、まるで期待外れのような声音に、サチは酷く心が騒めいた。いつも感じた優しさがその声に宿っていないような、そんな気がした。

 次の言葉を上手く言えずに口が戦慄く。その間に扉の向こうで此方へと近付いてくる足音の主が、やがてガチャリとドアノブを回した。

 

「……どうしたの」

「っ……ア、キト……あの……あのね……」

 

 ────眠れなくて。

 キリトにはハッキリと言えたその一言が、中々出てこない。アキトの目が見れず慌てて俯くと、顔に熱が篭っているのを感じた。今顔を上げてしまえば、感情表現が大袈裟なこの世界では一瞬でバレてしまう。

 悟られぬようにするには、俯くしかなくて。でもその態度はアキトからしてみれば、もしかしたら感じの悪いように見えてしまうかもしれない。だがアキトは、

 

「……眠れないの?」

「っ……うん」

「……まあ、入れば?」

 

 気付いてくれた。それだけで込み上げてくるものがあった。うっかり、口に出してしまいそうな気持ちの昂りを呑み込んで、小さく頷いた。

 アキトは僅かに躊躇った後、何も言わず自らの部屋に通してくれて、サチは枕を両腕に抱えたまま、おずおずとアキトの部屋へと入る。自分と同じ間取りの筈なのに、男の人の部屋というだけで心臓が高鳴った。ケイタ達やキリトにも感じた事のない緊張が身体に走ったのを感じる。

 

「……へへ、何か久しぶりに話すね」

「……そう、かな……まあ、忙しかったから……」

 

 力のない話し方は夜だからだろうか。もしかして眠気が最大の時に来てしまったのだろうかと、そんな事を考えてしまう。

 記録結晶に向けてとはいえ告白をした身としては、いつもと比べると緊張が大きいのではと自己分析する。けれど、それと同時に久しぶりに話せたという喜びも大きくて、プラスマイナスゼロ───いや、気分はプラスに傾いていた。

 

「えと……座っても良い?」

 

 躊躇いがちに尋ねる彼女に、アキトは視線を泳がせて「あー……」と言葉にならない声を漏らす。その後、キョロキョロと辺りを見渡してから再び口を開いた。

 

「椅子なんてないけど」

「……ベッドで良いじゃん」

「……は」

 

 彼の素っ頓狂な声が、静かな部屋に響く。この声と目を見開く彼の顔を見て、自分の言動を改めて自覚する。我ながら大胆過ぎたと気付いた時には、顔の熱が分かりやすく上がったのを感じた。

 抱いた枕を強く抱き締めて、上目で彼を見上げる。アキトは再び小さく唸るかと思うと、僅かに溜め息を吐いてからベッドを指差した。了承の合図だと理解した途端、サチの表情は綻び、心中では安堵の息を漏らしていた。拒絶されたらどうしようかと悶々と考えていた事も忘れて、しかしそれを顔に出さぬよう、ゆっくりとアキトが座るであろう場所と反対方向へと腰掛けた。

 

「……」

「……」

 

 互いに背を向け、沈黙を貫く。今までも二人きりの状況はあったけれど、口数が決して多いわけではなかった。それでも、何方とも口を開かない静寂は別に苦ではなく、寧ろ心地好いまであった。それが今は何故か、妙に気不味さを感じてしまっている。

 だがその理由も、サチにはなんとなく分かっていた。

 

(素っ気無い……やっぱり、避けられてる……?)

 

 サチは最近、アキトに避けられている気がした。勿論それは彼女に限った話ではなく《黒猫団》全員が感じている事だが、中でもサチに対するそれは分かりやすいものだった。目は中々合わないし、会話も交わさない。一日何も会話が無い日だってあった。ギルドの中でも、そろそろダッカー辺りが痺れを切らす頃合いなのではと密かに心配していた。

 それに……避けられてるのではと一度思ってしまうと、本当にそうなのではと、悪い方向へと思考が傾いて。気の所為だと思いたくて、気が付けば必死に話題を探していた。

 

「あ……そろそろこの宿ともお別れだよね。新しい家も楽しみだけど、なんかちょっぴり寂しいな」

「……そう、だな。此処には、沢山の思い出があるから」

「夜はよく、みんなでトランプして遊んだよね」

「毎日修学旅行の夜みたいだったな」

 

 攻略組を目指してはいるけれど、決して焦ったりはせず堅実に少しずつ強くなっていくその過程の中にあった安らぎの時間が、サチにとっては何よりも尊かった。こんな時間がずっと続けば良いと切に願った。そう思わせてくれるだけの想いが、この宿には詰まっているから。

 そう告げたその口元が、僅かに震えた。

 

「……少し、怖いな」

「え……」

「家だけじゃなくて……色んな事が変わってしまうんじゃないかって、少し不安なの」

 

 家だけじゃない。装備も、アイテムも、レベルも。何もかもが死と隣り合わせの最前線のレベルへと近付いていく感覚がある。もうすぐ死ぬのだと、確証もない確信が心中にあった。故の遺言を、故の想いを、たった数十分前に言葉にしてきたからだろうか。

 恐怖と不安で、どうにかなりそうだった。避けられない未来を先延ばしにする術が、どうしても欲しかった。痛いくらいの鼓動を、誰かに鎮めて欲しかった。

 

「……」

 

 気が付けば、サチはゆっくりと振り返って、アキトのその背を見つめていた。彼は窓の外から射し込む月明かりを浴びながら、その光源を見上げているようだった。そこから表情は見えない。何を考えているのかも分からなくて、沈黙がただただ不安で、思わずその手が背へと向かった。

 

「……大丈夫」

「っ……え?」

「変わらないよ、何も」

 

 いつもと変わらない、ただ優しいだけの声色で。聞くだけで安心する声音で、囁くように告げたアキトに、サチは伸ばしたその手をピタリと止める。

 振り返った彼の表情も、声と同じような優しさに満ちて見えた。

 

「新しい狩場に来た時はその場所に慣れるまでは、危ない事とかやった事の無い動きや戦い方は控えてるじゃんか。みんなが新しい環境に慣れるまで、ケイタは絶対に危ない事はさせない」

「……」

「家が変わる事だって、それと同じだよ。みんなが浮かれ過ぎないようにケイタが手網を握ってくれる。何も心配は無いよ」

「……アキ、ト?」

 

 いつだって、彼の言葉に救われた。何度もその笑みに安心感を覚えたのに。

 今、目の前の彼を見て、底知れぬ不安を抱くのは、どうしてだろう。

 彼のその優しい声が、いつもと違って聞こえるのは。

 優しげに微笑むその表情に、暗い影を感じるのは。

 

「……」

 

 ────自分が死ぬ事よりも、その死後、彼をこのまま置き去りにする事の方が遥かに恐ろしく感じるのはどうしてだろう。

 アキトを、一人にさせてはいけないと強く感じた。彼の孤独を許してはいけないと思った。仲間であるはずなのに、その枠組みの外にいるかのような彼の態度に、サチは止めたはずのその手を伸ばし切る。

 

「……サ、チ?」

「……っ、ぁ」

 

 指で、彼の寝巻きの裾を掴む。目を見開き、此方を見る彼の視線に頬が熱くなるのを感じた。心臓がはち切れそうな程に痛む。鼓動が鼓膜にまで届く。それでも、彼女はアキトの傍にいたいと思った。

 意を決して見上げた彼の瞳は、蒼く澄んでいて。見てるだけで吸い込まれそうで、もう自身の表情を隠す余裕も無くて。

 

「あ、のさ……アキト」

「な……何?」

 

 

「今日、此処で寝ても……良い……?」

 

 言った。言って、しまった。後に引けないところまで足を踏み入れてしまった感覚と共に、羞恥の波がどっと押し寄せて来る。口にしてすぐに言わなければよかったと頭の中で後悔した。最早まともな思考を保ってられる自信が無い。

 キリトの部屋に行った時とはまるで違うその感覚に、身体中が震えて仕方がない。

 

(は、恥ずかしくて死ぬ……)

 

 再び俯き、目をキュッと瞑る。そうして、アキトの返事を待ち────ふと、何の反応も示さないアキトに違和感を覚えた。

 慌てる様子もない。返事をする気配も。呼吸の音すら、サチの耳には入ってこない。

 

 どうして、何も言わないの。

 

「……アキト?」

 

 自然と、俯いた顔が上がる。

 不安を抱えながら、その瞳を開いて────

 

 

「────……」

 

 

 彼の、悲痛に歪んだ表情を見た。

 空洞のように虚ろで暗い瞳は、先程までの透き通ったものとはまるで違って見えた。

 

「……ぇ」

 

 何だ、その、表情は。

 そんな顔、今まで一度も────

 

「……そういうのは、さ」

 

 アキトの服の裾を掴むサチのその手を、彼は優しく引き剥がして。

 

「キリトに、言ってあげなよ」

「……っ、え?」

 

 最愛の人からから紡がれる声、それが確かな音と意味を結び、サチの脳に浸透する。それは。

 ────それは、拒絶の言葉。

 

 引き剥がされたその手を、アキトは何の未練も無さそうに手放した。そんな事すら気にする事ができない程に、彼の言葉は嫌に耳に響いた。その言葉が導く解を、サチは受け入れられずに、ただ繰り返した。

 

 ────どうして?

 

「キリトは、凄く頼りになる。強いし優しい。サチの気持ちも、きっと分かってくれる」

 

 ────どうして、そんな事を言うの?

 

 やめてと、そう思った。もうこれ以上喋らないでと。聞きたくないと、そう心で叫んだ。今まで笑い合った彼との時間全てを否定されたような気になって、これ以上その想い出にヒビが入るのを感じたくなくて。

 彼のその物言いに、思わず手が出そうになった時───

 

 

「彼が居れば……君は絶対に死なない。ゲームクリアのその時まで……彼がきっと、君を守るよ」

 

「────っ、ぁ」

 

 

 ────彼が告げたその言葉が、サチの呼吸を止めた。

 

 その言葉に、その言い方に、その優しさに、鳥肌が立つほどの覚えがあった。高鳴っていた心臓はすっかり冷え切り、彼から切り離された自身の腕は、力無く自身の胸元に引き寄せられる。言葉を形成しようとする口元は震えで何も告げられず、サチは徐に立ち上がった。

 

「サチ?」

「っ……」

 

 彼のその表情は、此方を気にかけるものでしかない。サチが彼に求めていた感情の一切が、そこには無かった。同じであれば良いと願ったものが、何一つ宿ってなかったのだ。

 

「そ、そっかぁ……はは、じ、じゃあ、キリトと、話してこようかな……」

「……うん」

「っ……こ、こんな夜遅くにごめんね……おやすみなさいっ……」

 

 虚勢を張るのも限界だった。枕を抱き締めて、すぐさま早足で部屋から出る。思いの外勢いがつき扉を閉める音が辺りに響くが、気にする事もできない。最後まで何かを諦めたような表情をしていたアキトが頭から離れず、サチは扉に凭れてズルズルと座り込んだ。

 

『ああ……君は死なない。いつかきっと、このゲームがクリアされる時まで。それまで、俺が黒猫団を……君を必ず守るから』

 

 ────アキトのあの言葉は、以前本音を吐露した際にキリトが自分に言ってくれた言葉だったと、サチは思い出した。誰にも言えなかった本音を、キリトに打ち明けたあの日。誰よりも強かったキリトが自分を守ると言ってくれた時の安心感に溺れて、彼に縋ってしまったあの日の事を。

 

(……アキトは、知ってたんだ……────)

 

 何故彼がキリトの名を口にしたのか、漸く分かった。

 自分は知らない内にアキトを傷付けていたのだと、骨の髄まで理解した。

 

 何が避けられてる気がする、だ。

 アキトが避けていたのは、私のせいじゃんか──……。

 

「……ほんっと、最低だ……」

 

 自分とアキトは、同じ気持ちなんじゃないかって。何処かでそう思ってた。そんなのただの願望でしかなくて、絶対だよと約束されたものじゃないのに。

 どうしてか、そう思ってしまっていた────

 

 なんて事は無い。ただの、勘違いだったんだ。

 彼が優しくしてくれたのも、助けてくれたのも。辛い時傍に居てくれたのも、きっと全部当たり前で。

 彼を好きだったのも、彼を傷付けたのも、全部。

 

 

「私だったんだ……っ……」

 

 

 伝えられない。こんな気持ち、伝えられない。

 好きだなんて、言えるわけがない。口にしようとした時、彼がどんな表情をするのか、想像しただけで恐ろしかった。

 

 彼は私やみんなの為に、強くなろうとしてくれたのに。

 私、は────。

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 部屋中に鳴り響くのは、命の危機を知らせるアラート。

 狭い空間内は血のような赤に変遷し、数種類もの敵が何十体と現れて、この場に立つ少なからずのプレイヤー達を推し潰そうとしている。その一振りが仲間の腹に、背に、重くのしかかる。鈍い音と共に鼓膜を通り過ぎるのは、仲間が光の破片となって壊され、宙へと舞っていく消失音。

 呆気無く訪れる死の予兆に槍を持つその腕は震え、敵を拒むべく振るうその槍の勢いは次第に弱まっていく。

 

 一人、一人と仲間が散っていくその様は、現実味を感じない程に冷たく。ささやかでも幸せだった世界がものの数秒で破壊されるその光景が、心に宿る死と隣接した恐怖を次第に諦念へと変えていく。

 死ぬのは怖い。けれど、きっと死ぬ。震えていた身体からは緊張感が抜けていく。死を受け入れようとする身体と矛盾するその意志は、今も変わらず死を拒み続けているはずなのに、この抵抗の先の末路は同じ気がして、駄目だと理解しているはずなのにその動きは次第に鈍くなっていく。

 その眼前に立ち、長い腕を振り下ろそうとしていたゴーレムの背中を一刀両断したのは、黒いコートを翻すキリトの片手剣だった。

 

「サチ、諦めるな!必ず此処から脱出できる!」

「う、うん!分かってる!」

 

 既に自分とキリトだけ。それでも、“君だけは”と必死に剣を振るう彼の姿に目に、再びその腕に力を込めた。そうだ、こんなところで死にたくない。

 生きるのを諦め切れない理由がある。まだ生きていたい気持ちがある。我武者羅に、無我夢中に武器を振り回す中で、そんな心に答えるように希望を運ぶ声がする。

 

 ──── “今、アキトが向かってるから!諦めないで!”

 

 頭の中で、懸命に、必死になって叫ぶ少女の声。

 鬼気迫るその声の正体を考えるよりも先に、その言葉に意識が傾いた。泣きそうになるのをどうにか堪えて、口元を引き絞る。

 

 アキトが、来てる。助けてに来てくれている。たった一人で、未知のこの場所に。

 サチが生きるのを諦めたくない理由が、此処に向かって来てくれている。それだけで、諦めかけていたその心に再び生きる事への渇望が芽生え始めた。

 生きようとする気概が薄い故に、死は間近に迫っていると予感し続けていた自分が、漸く強く生きたいと思えたのだ。恐怖に震えるばかりだった自分が、抗おうと懸命に武器を振るっているのだ。

 

 

 全部。ぜんぶ。

 君のおかげだよ。

 

 

「っ!?サチッ────!!」

 

 

 ────僅かに気が抜けた、その刹那。

 此方を振り返ったキリトの慌てたような表情。その左腕が、必死に此方へと伸びると同時に自身を覆う黒い影を見た。

 その瞬間に、背後に感じる重圧。背筋が凍るような存在感がすぐ傍に在り、振り返った時にはもう、

 

 

 ────その腕は背へと振り下ろされていた。

 

 

(……ああ)

 

 死ぬのか、私は。

 そう思うと同時に、その腕の動きがゆっくりに見えた。キリトの動きも、視界端の敵達の動きさえも。

 思考が何全倍と加速したような感覚の中で思い起こされる記憶の中心には、いつだって彼がいる。これが走馬灯なのだろうかと、驚く程に冷静な頭の中で、彼の儚げな顔を思い浮かべた。

 

 

(────ねぇ、アキト。覚えてる?あの日のこと)

 

 

 初めて会った、あの日のこと。

 私は昨日の事みたいに思い出せるよ。

 

 広場を囲む巨大な柱で、体育座りをしてたよね。

 柱を背もたれにしめ、フルフルと小さく肩を震わせていて。遠目から見ても華奢なその身体は、今にも崩れてしまいそうなほどに弱々しくて、そのまま壊れちゃうんじゃないかって思った。

 長めの黒い髪で顔は隠れていてよく見えなかったけれど、一目で怯えているのは分かった。周りに仲間や知り合いもいなくて、一人なんだって思った時。

 

 君は私だと、そう思ったの。

 

 まるで鏡像。もう一人の私だと思った。俯く姿も、震える肩も、わななく口元も。────このまま進めばきっと、辿るべき結末も。

 見ず知らずの赤の他人。名前も知らないうえに素性も性格も、善悪もつかないような他人。それでもこの場で彼を置き去りにすれば、きっと後悔すると思った。

 

 誰かを助けようとしたその行いを、神様が見てくれると思った。善行を働けば返ってくると思ったのかもしれない。見捨てなかったという記憶が欲しかっただけなのかもしれない。

 

 ────けどきっと、それだけじゃなかった。

 分かってくれる人が、気持ちを共有してくれる人が欲しかっただけだったんだよ。

 

 好きになるだなんて、思いもしなかったんだ。

 

 死ぬのは、怖い。それは君も同じだと思ってた。

 けれど、君はどんどん強くなっていったよね。最初は、理解者が遠くに行ってしまったんだって不安だったけど、すぐにそれは消えた。だって、君が強くなろうとしたのは、きっと私達の為だと思ったから。

 不安ばかりを抱えた私を、少しでも安心させたかったんだよね。凄く気を遣わせたみたいで、最初は申し訳無かったな。

 

 

「サチっ……サチイイィィイイ!!」

 

 

 怯えるように、縋るように、そう叫ぶキリトの手を、サチは取れなかった。その指先から段々と、光が溢れてくる。粒子となって、身体が消えていく感覚。

 これが、死ぬって事なのかな。あんまり痛くなくて、少し安心したかも。

 

(最後に、会いたかったなぁ……)

 

 ────アキト。

 何も伝えられなかった、私の最愛の人。

 意地っ張りで寂しがり屋で、強がりばっかりの弱虫で。優しくて、カッコよくて、そして強い。仲間でなくても、赤の他人であっても、その手を迷わず伸ばせる人。

 私のヒーロー。大切な、かけがえのない。

 

 ────“……ア、キト……”

 

 その名を呼ぶ。もうそれは、音にすらなっていなかった。段々と意識も薄れていく。睡魔にも近い、眠りにつくかのような感覚。きっともう目覚める事は無く、彼と再会することも無い。

 

 永遠の別れ。

 なら……それなら、最後に一つだけ、伝えないといけないことがある。この場に彼はいないけど、直接伝えられないけれど。

 それでも、口にしたいと心から願う言葉がある。

 

 

「……好、き」

 

 

 ───貴方の事が、大好き。

 

 

 貴方を心の底から愛している。この命が消えても、この想いは変わらない。例え死んだとしても、また形を変えて必ず貴方を守り続ける。

 傍で、ずっと見守っていきたいと、そう願う。

 

 もう、目の前のキリトさえ良く見えない。視界が、濁って、暗くなる。音も段々と遠のき、意識は霧散していく。

 

 ごめんね、アキト。今になって必死になってみたけど、もう何も動かせない。もう君に、面と向かって好きだと言う事もできないや。好きだって、たった二文字なのに、勇気が無くて。言えなくて、ごめんね。

 もっと一杯、話したかった。もっとたくさんの言葉を伝えたかった。でも、貴方が生きてくれるのなら、それだけでいい。

 この先、道が少し横に逸れても、きっと大丈夫。優しい君の事だから、また真っ直ぐに進んでくれる。だって私のヒーローだから。大好きだから、信じられる。

 

『ゴメンね、私のレベル上げ付き合わせちゃって』

『別に平気。そんなに謝んないでよ』

 

 優しくて。

 

『私、臆病だから。これからもずっと足でまといだよ。嫌な気持ちにさせると思う』

『嫌になんてならないよ』

『……どうして?』

 

 強くて。

 

『隣りに“(サチ)”がいるんだから。……どう?今の我ながらセンス良いと思うんだけど』

『……ふふっ、何それ。顔真っ赤だし』

 

 大好きな、私のヒーロー。

 

 

(────ねえ、アキト)

 

 

 傍に居てくれて、ありがとう。

 励ましてくれて、ありがとう。

 恋をさせてくれて、本当にありがとう。

 

 

 君のおかげで、私はもう、何も。

 

 

「……い、や」

 

 

 ああ、やっぱりダメだ。 

 

 やっぱり君と一緒に生きたい。

 君の笑った顔を、誰よりも近くで見ていたい。

 貴方の優しいその声を、もっと聞いていたい。

 陽だまりみたいに暖かい君の隣りで、支え続けたい。

 

 

 嫌だ。

 

 

 死にたくない。

 

 

 

 一緒に、いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女の名前はサチ。

 

 誰かを救おうとした彼が、初めてこの手から零してしまった人。

 

 








今日クリスマスじゃん。ってなって20時辺りからササッと書いたものなので、文章に拙さはあるかもですが、投稿が何も無いより良いかな……と思って書いてみました。
下書きの段階で友人に見せると、『クリスマスになんてもん読ませんだ』とキレられたので面白くないかもですが……つまらなかったらすみません。
いつか時間が空いた時にでも改訂版書きたいですね。

因みに題名はサチのキャラクターソングから取ってます。SAOのキャラソンの中で一番好きです。聞いた事ない方は是非聴いてみて、そして私に感想を教えてください(笑)



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Ep.Collaboration ランペイジ・クイーン
Ep.1 理を欺く者






今回はコラボ企画です。
お相手はアポガール様の『真 ソードアート・オンライン 〜もう一つの英雄譚〜』です。
現在は暁とpixivで活動しています!

初めてで不安でもありますが、どうか広い心で読んでいただけたらと思います!

それでは、どうぞ!




 

 

 

 

  「……あれ」

 

 

 ────ふと、目を開く。

 

 先程まで明るい場所にいたはずなのに、今は暗がりに包まれている。その事実に首を傾げながら、少年は思わず口を開く。

 

 

 「……何処だ、ここ」

 

 

 段々と目が慣れて来て、漸く視界が晴れた。これでもかと言う程に目を凝らし、辺りを見渡す。

 ただひたすらに暗い、闇のような世界。ひんやりと冷たい空気を纏い、肌寒さを痛感する。風が吹くわけでも無い、この静寂な世界の冷たさで、少年は我に返った。まるで、夢から覚めたかのような感覚に陥り、ハッと目を見開いた。

 

 

 「……俺……何、して……」

 

 

 自分が今さっきまで何をしていたのか、瞬時に思い出せない。

 少年はぼうっと、空虚な瞳で景色を眺めていた。背中に背負う二本の剣の重さが気だるさも相まっていつもより二割増で重い。

 少年は黒いコートを翻す程に大袈裟に、再び辺りを見渡し始めていた。

 

 

 ────そして、その場所の正体を知り、少年は固まった。

 

 

 「……っ、ここって……」

 

 

 異様に既視感のある空間。しかしそんなはずはないと、少年はすぐさま首を横に振る。

 有り得ない。だって、この場所はもう二度と来られないはずなのに。

 だが実際にこの場所は────

 

 

 

 

 「……74層の……迷宮区……!?」

 

 

 

 

 そこは、見知った世界。

 以前、自分の足でここを攻略したのは記憶に新しい。周りを見ても実感するのは、74層の迷宮区だった。

 75層で起こった大規模システムエラーにより大量のバグが発生した《アインクラッド》。アイテム破損やスキル消失、プレイヤーの生命線を容易く消し飛ばしたそのバグの一つ。それは、75層よりも下層に下りられないという現象。

 これは周知のもののはずだ。実際何度か試したが、誰一人下れた者はいない。

 

 

 だが、現に────

 

 

 「……どう、なってるんだ……?」

 

 

 夢、だろうか。

 それともここも、《ホロウ・エリア》の一つ────?

 

 

 そこまで考えて、少年は次第に表情を強張らせた。

 段々と瞳が見開かれ、何かを思い出したのか大きく口を開いた。

 

 

 「……《ホロウ・エリア》……?」

 

 

 その単語を、頭の中で反芻する。何度も何度も。

 そしてその度に、頭の中で声が響く。記憶の奥底に眠っていたであろう、ここにいる経緯が、一瞬だが呼び起こされた気がした。

 

 

(そうだ……《ホロウ・エリア》の攻略をしようってなって……それで転移して……その後は……)

 

 

 ────思い、出せない。

 

 

 上手く思考回路を動かそうとする少年。

 しかし記憶の混濁の影響で、気が付けば突然この場所に居たような状態になっている事実に戸惑いを隠せない少年は、考えが纏まらず苦い顔をする。

 頭を左右に振り、ぐちゃぐちゃな思考と感情を一緒に振り払う。

 少年は口を固く結び、その場所で第一歩を踏み締めた。静まった空間でその足音はよく響き、近くの壁や岩で反響しては耳に入り込んでくる。

 辺りを見渡して、やはり自分の知っている場所と似ている事実に戸惑うアキト。ここは本当に《ホロウ・エリア》なのだろうか。

 

 

(……というか、調べてみれば良いじゃんか)

 

 

 混乱してて忘れていた事に対して少年は再び苦笑した。

 今自分が立っている場所の情報が、マップを開けばすぐ分かる事すら頭から消えていた。

 慣れた手つきで右手の人差し指と中指の二本を突き立てて振り下ろし、ウィンドウを開く。

 滞りなく操作を繰り返し、あっさりとマップを大きく開いた。目で追ってそれを頭へと刷り込んでいき、今居る場所の正体を把握していく。

 そして理解する。

 

 

(……やっぱり74層だ。それも、迷宮区)

 

 

 確認しても、結果は同じ。予想通りの展開だった。

 しかし、だからこそ驚きを隠せない。少年の表情には疑問が浮かんでおり、眉を顰めて首を傾げていた。

 

 自分は確かに、《ホロウ・エリア》に来たはず。それは覚えている。だが、それなのに今自分が立っているのは74層迷宮区。全くもって意味が分からない。

 辺りにモンスターはいないが、別の意味で不安が胸に去来する。急いでアイテム欄を開き、とあるアイテムをスクロールで探す。目的のものを視認すると、その名前をタップする。

 

 《転移結晶》

 

 何か危険な状況に陥った際、必ず持っていなければいけないアイテム。マップでは74層だと示されていても、元々《ホロウ・エリア》にいたはずのアキトにとっては、この場所に対する信用は薄かった。

 

 だが、どうやらここでは《転移結晶》及びその他の結晶アイテムは普通に使えるエリアのようだった。

 それを知り一先ず安心した少年は、分かりやすく息を吐いた。何かあっても大丈夫だと、その安全が保証された瞬間だった。

 

 

 「……」

 

 

 再び、少年は辺りを見渡す。

 ここまで調べがついても尚、彼のこの場所に対する信頼は小さかった。そもそもどういった経緯があってこの場所に立っているのかすら全く覚えが無い。

 74層はバグで戻れなかったはず。修正されたのだろうか。もしそうなれば他のバグやエラーも修正されているはずだが、現時点では確認のしようがない。

 何かエラーが重なって、また戻れるようになった、といった一時的なものなのかもしれない。ならば、もう二度と戻れないと思っていたはずのこの場所を見捨て、あっさり転移結晶で《アークソフィア》に戻るのもなんだか勿体無い気もする。

 それに執拗いが、まだここが何処なのかはっきりした訳でもない。何かあれば転移結晶を使用出来る。なら、少年のやる事は一つだった。

 

 

 「……よし」

 

 

 長めの黒髪が小さく吹き抜けた風で靡き、黒い瞳が露呈する。コートを翻し、止めていた足を再び動かした。

 

 

 少年────アキトは、迷宮区の道なりを、ただ真っ直ぐに歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……ふう」

 

 

 モンスターとの戦闘を挟みながら散策を始めて小一時間が経ち、アキトはこの場所についての認識を確固たるものへとしつつあった。

 大方予想通り──まあ通常ならば疑う余地無くすぐ認識出来るのだが──ここはやはり74層の迷宮区のようだった。

 アキトも最前線へ赴く際にレベリングの一貫で、通過点としてここを通っていた。最近の事だという事もあって、景色を見てすぐこの場所の予想がついていた。

 

 しかし、やはり気になるのは《ホロウ・エリア》に赴いた先の記憶の曖昧さ。

 靄がかかって、それが払えずにいる。

 そのせいで、急にこの場所へ転移した──のかさえ不明だが──理由すらも分からない。明らかに情報が少なかった。

 

 それに、不可解な点はまだ多い。

 まず、アキトの登録しているフレンドの位置情報が掴めない事と、彼らにメッセージを送れない事だった。

 アスナを始めとして、全員漏れずに送れない。何処にいるのか調べて見ても、文字化けしてよく分からない。こんな事は初めてだった。

 何かあったのは、自分だけじゃないのでは、と不安に駆られる。帰らなければいけないかもしれないと、段々と使命感染みたものが心臓を動かす。

 

 

 ────独りの感覚。久しく忘れていた。

 

 

 孤独だった頃を思い出し、アキトは心細さを隠せず表情を歪ませる。ずっと一人だった癖にと、自嘲気味に笑った。嫌に寂しくて、その反面、今の仲間達の存在の大きさを痛感する。

 失いたくないからこそ、心配する。段々とアキトの脳内は、アスナ達の事で覆い尽くされそうになっていた。

 

 

(……帰ろう。ここに来るなら、一人じゃなくてみんなとが────っ!?)

 

 

 刹那、その耳に微かに何かが運び込まれた。俯いていた顔をバッと上げ、自身の先に続く道を真っ直ぐに見据える。じっと目を凝らし、ゆっくりと足を前に踏み出す。

 視線の先、奥へ奥へと続く道の先は闇に紛れて何があるのかは分からない。だが、微かではあるが。

 

 

 ────小さく吹く風に乗って、剣戟の音が聞こえた。

 

 

(誰か……戦ってる?)

 

 

 金属音、武器と武器がぶつかる音がこちらまで響き渡ってくる。互いに武器を持っているという事は、プレイヤー同士の戦闘か、もしくは武器を持つモンスターとの戦闘か。

 この層の迷宮区はソードと盾を常備したリザードマンが蔓延っていると記憶している。

 息を呑んで、ゆっくりと近付いて耳をすましてみると、そこから細かな情報全てが頭の中に入ったて来る。

 

 

 違う金属音が多数。

 

 恐らく武器の手入れはされていない。

 

 その多数は連携が取れてない。

 

 例外もあるが、つまりは、多数はモンスターの可能性が大。

 

 そこから導き出せる結論は。

 

 

(一対多数……プレイヤーが襲われてる……!?)

 

 

 確証は無い。だが、その可能性が出た時点でアキトはそこから駆け出していた。

 敏捷値も高いアキトの全速力は他の追随を許さず、アキトが通り過ぎた後からモンスター達がポップする。

 軽快に地面を蹴り上げ、入り組んだ道を軽やかに躱し、スピードを落とす事無く目的地まで浸走る。

 

 

(見つけた!)

 

 

 視界の中央、凡そ六、七メートル先にその光景はあった。

 一人の少女が、四匹のリザードマンに囲まれており、各々のタイミングで斬撃を飛ばされ、それをどうにか躱している現状だった。

 

 

(女の子……それに、一人……?)

 

 

 困惑するアキト。だがそれも一瞬だった。

 少女が目の前のモンスターの湾曲した長剣を、逆手に持った短剣で弾き返すタイミングで、その少女の後ろからもう一体のリザードマンが剣を振り上げる。

 彼女もそれに気付いて振り返ったが、あのタイミングじゃ間に合わない。

 

 アキトは瞬時に背中の片手剣《リメインズハート》を抜き取り、そのリザードマンの腹部に刃を当てがった。

 持ち手に力を込め、紅い刀身にエフェクトを纏わせる。

 

 

 「せあっ!」

 

 

 片手剣単発技《ソニック・リープ》

 

 エメラルドグリーンに輝く剣を腰に力を入れて振り抜く。筋力値極振り、現時点でのアキトのレベルからすへば、74層のリザードマンは一撃だった。

 呻き声を上げる間も無くその身を四散させ、残り三匹のリザードマン、加えて目の前の少女すらも驚きで動きを止めた。

 

 

 「……キリト、さん?」

 

 

 少女はアキトの姿をまじまじと見て、目を見開いていた。

 何かを呟いたようだったが、今の攻撃とリザードマンが飛び散る硝子の割れたようなサウンドに掻き消され、それを聞き取る事はかなわなかった。

 我に返った一体が、アキトの背後に回り込む。瞬時に把握したアキトの左手が黄色いエフェクトを纏った。

 

 コネクト・《エンブレイザー》

 

 その身を反転させ、振り向きざまにリザードマンの腹を抉る。会心の一撃だったのか、その竜人は苦しそうに白目にし、口を開いてポリゴン片と化した。

 《剣技連携(スキルコネクト)》、スキルとスキルを硬直無しで繋げて発動出来るアキトの十八番。初めて見る動きなのか、その場の誰もが驚いていた。

 

 少女も唖然してこちらを凝視している。

 だが、そんな彼女にも残り二体のリザードマンが迫っていた。

 

 

 「っ、前!」

 

 

 アキトは思わずそう言い放つ。

 刹那、少女はアキトの言葉と同時にその身を翻し、リザードマンの武器をしゃがんで掻い潜る。

 素早い動きで奴らを翻弄したかと思えば、瞬間、逆手に持った短剣を正常に持ち直し、一切の溜め無しでソードスキルを発動した。

 

 

 「しっ────!」

 

 

 短剣高命中重攻撃技五連撃《インフィニット》

 

 黄金に煌めく刃を手に、一瞬で二体のリザードマンの間合いに詰め寄りしなやかに腕を振るう。

 鮮やかな動きは、リザードマン達ですら、斬られたのかどうか分からなくなる程のものだった。

 遅れてやって来た大ダメージを痛感したリザードマンは、思い出したかのように、その身を爆散させた。

 

 

 「……ふぅ」

 

 

 少女は軽く息をつくと、短剣を回転させて腰の鞘に収めた。

 

 

 「……」

 

 

 今度はアキトが唖然とする番だった。

 明らかにハイレベルな戦術と身のこなしに加え、研鑽を重ねてきたであろう事が予想される巧みな短剣使い。

 女性プレイヤーでここまで出来る人が他にもいたとは。アキトは開いた口が塞がらなかった。

 

 ────助けなくても良かったのでは?

 

 改めて、アキトはその女性プレイヤーを見る。

 黒髪でセミロングのストレートヘアを持つ可愛らしい印象を持つ女の子だった。

 白を基調とした女の子らしい装備を着込み、彼女の髪に合った濃いめの色も所々に配色されている。彼女はチラリとこちらを一瞥した後、やがてちゃんと身体を向けてきた。

 

 

 「あ、あの……助けてくれて、ありがとうございます」

 

 

 ────突然、話しかけられた。

 

 

 アキトは思わず言葉が詰まる。

 思えば、アスナ達といった見知った顔触れとは何度も話して来たが、こうして初対面の、しかも女性の方とこうして素の状態で面も向かって話すのは久しぶりかもしれない。

 そもそもSAOでは女性プレイヤーが少ないにも関わらず、目の前の少女は容姿もスタイルも良く、コミュニケーションに問題があるアキトからすれば、緊張する理由にもなる。

 翠色の瞳が、真っ直ぐにアキトを直視する。アキトは、小さな声で彼女の礼に応えた。

 

 

 「ぇ……ぁ、いや、そんな……寧ろすみませんでした……」

 

 「? どうして、謝るんですか?」

 

 「や、君、凄く強かったですし……レベル上げの邪魔したかなって……」

 

 「そ、そんな事無いですよ!危ない所でした!ほら!」

 

 

 彼女は自身の頭上のHPバーをクイクイと指差した。

 アキトが思わず顔を上げると、なんと少女のHPは半分以下になっていた。

 彼女はバツが悪そうに笑い、恥ずかしいのか頬を掻く。

 

 

 「えーと、回復しようと思ってたんですけど……中々タイミングが合わなくて……なので、助かりましたっ!」

 

 「あ……そ、そうですか……良かった……」

 

 「は、はい……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 「……」

 

 

 

 

 ────神よ、私にコミュニケーション能力をくれ。

 

 

 

 

 初対面の人との会話が続かないところはいつまで経っても直らない。初めてユイと会話した日の事を思い出し苦笑するアキト。

 何か声をかけた方が良いのだろうかと思う反面、女性プレイヤーはこういうのはナンパだと思うのだろうかと考えてしまう。

 しかし目の前の女の子一人、どうやらソロのようだ。一人にするのは危険なのではないだろうか。

 だが、目の前の少女は一人でも充分強かった。なら、尚の事自分は御役御免なのでは────

 

 

 「……あの」

 

 「へ?」

 

 

 悶々と考えを張り巡らせていると、目の前の黒髪の少女から声が掛かる。背丈の関係で少しばかり彼女がこちらを見上げる状態になっており、慣れない光景に目を逸らしそうになる。

 彼女が紡ぐ言葉を待つと、それは意外な一言だった。

 

 

 「あのっ……私、コハルって言います……貴方は?」

 

 

 彼女────コハルは、自分の名前を提示してきたのだ。

 アキトは一瞬固まったが、すぐに彼女の意図を汲み取った。要は自己紹介だ。

 一瞬何を言われたのか分からなくなる程に戸惑っていたアキトだが、やがて次第に強張っていた表情が緩んでいった。

 

 

 「……アキト」

 

 「アキト、さん……よろしくお願いします!」

 

 「えっと……うん、よろしく」

 

 

 たどたどしくではあるが、互いに笑い合う。

 今、漸く仲間意識的な何かが芽生えた気がして、アキトは感動すら覚えていた。

 

 

 ────だがすぐに、彼女の頭上のアイコンに視線が動いた。

 

 

 目を見開き、思わず口が開く。

 

 

 「コハル、さん」

 

 「コハルで良いですよ。話し方もそんな畏まらなくて良いですから」

 

 「えっと、じゃあコハル。君って……《血盟騎士団》なの?」

 

 「え?……ああ、はい。そうですけど……?」

 

 

 首を傾げるコハル。アキトは更に疑問が胸中に生じた。

 彼女のHPバーの上、ギルドの紋章が刻まれており、更にそれはアキトにとって既視感のあるものだった。

 毎日そのマークを持つプレイヤーと会話しているのだ、自然と記憶していたし、そうでなくとも《血盟騎士団》は元々有名なギルドだ。

 

 だからこそ、こんなハイレベルなプレイヤーで、しかも女性だなんて、噂にならないはずが無いと思っていた。

 《血盟騎士団》で女性プレイヤーだなんて、アキトには一人しか思い至る節が無い。

 あれほどの強さを持って無名だなんて、まるでストレアやフィリアのようだとアキトは素直に思った。

 

 

 「そういうアキトさんこそ、ギルドに入ってるんですね。……あれ?このマーク何処かで……?」

 

 「っ……」

 

 

 アキトはコハルから思わず目を逸らす。

 まるで追求を拒むかの如く。まさか、このギルドマークに見覚えがあるプレイヤーがいるだなんて思っておらず、アキトは唇を噛み締めた。

 コハルも、アキトのその態度を見て何かを察したようで、それ以上追求はしなかった。正直有難かったが、彼女のその気遣いが妙に心苦しかった。

 

 

 「えと……アキトさん。もし良ければなんですけど、この後お暇ですか?」

 

 「……え?」

 

 

 唐突に話が切り替わるコハル。

 その対応は嬉しいのだが、強引過ぎて半ば引き気味のアキト。コハルは満面の笑みをこちらに向けており、アキトは、これから彼女が何を告げようとしているのか、分からずにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

(……まさか、今日初めて会った女の子と、一緒にレベリングする事になるとは……)

 

 

 とある層のとある街で、アキトとコハルは並んで歩いていた。

 夕暮れ近い時間帯で、フィールドに赴いていたプレイヤー達は段々とここに集まって来ていた。

 

 あれから一時間程、アキトはコハルと二人で74層の迷宮区でレベリングに勤しんでいた。

 行ける所まで行きたいとの事で、彼女からの提案という事もあって、女の子一人を迷宮区に置いて行くのも忍びなかったアキトは、その提案を快く引き受けた。

 初めてのパーティにしては互いに声をかけて連携も取れており、順調に進む中でコハルのレベルも上がっていった。

 嬉しそうに笑う彼女の顔を見て、アキトはパーティ申請を引き受けて良かったと心底思った。

 

 しかし、気になるのがこのコハルという黒髪の少女。

 

 

(コハル、か……アスナに聞けば分かるかな……)

 

 

 やはり、これだけ出来る女性プレイヤーが無名なのは不可思議過ぎた。ストレアもそうだが、コハルは素性が分かっているだけにアスナに確認が取りやすい。

 アキトは隣りを歩くコハルを一瞥した後、フレンド欄を開いてアスナの名前をタップする。

 

 

 そして思い出す。

 

 

 「……あっ、そうだ……メッセージ送れないんだった……」

 

 

 アキトは頭を抱えた。

 《ホロウ・エリア》での記憶が曖昧だった事をここへ来て思い出した。74層に転移してからフレンドの位置情報やメッセージが確認出来ないバグが発生していたのだ。

 知りたい事をすぐに確認出来ないのは、なんだかすっきりしない。アキトは小さく溜め息を吐いた。

 

 帰ったら聞こう、とアキトが考えていると、ふと隣りから視線を感じた。

 思わず首を曲げると、コハルがじっとこちらを見上げていた。

 バチッと目が合うと、彼女はあっと口を開いて慌てふためいた。

 

 

 「あっ、す、すいません……!」

 

 「へ、あ……全然、大丈夫だけど……何か用事?」

 

 

 ずっと見られていたのは、何か理由があるのだろうかと、アキトはコハルの表情を伺う。

 彼女は歯切れを悪くしながらも、ポツポツと口を開き始めた。

 

 

 「その……知り合いの人にそっくりなのでついつい見ちゃって……」

 

 「……そう、なんだ」

 

 

 途端、キリトの事だろうかと詮索してしまう。

 76層より下のプレイヤー達には、キリトが最前線を離脱した事実は浸透していない。75層以下に戻れない事によって、情報収集能力が著しく低下した事が理由の一つだ。

 もしキリトの死が露呈すれば混乱は免れない。アキトは、キリトについての質問をされても黙秘する事に決めた。

 

 因みに、背中に指していた二本の剣の内の一本《ブレイブハート》は、コハルとの攻略の最中にストレージにしまっていた。

 下層でキリトの顔と、キリトのユニークスキルについて知っているプレイヤーがいれば混乱の理由になるからだ。

 

 なんだが騙しているみたいだった。

 最も、キリトは自身の中に確かに存在しているのだが、それを説明する訳にもいかなかった。

 心の中で謝罪するが、コハルは何の気なしに話しかけ続けてくれた。

 

 

 「それに強いんですねっ!一緒に戦っていてビックリしました」

 

 「俺はコハルの強さにビックリしたけど」

 

 「そんなっ、私なんて全然……」

 

 「いやいや、本当だって」

 

 

 謙遜するコハルを見て、アキトはカラカラと笑う。

 実際、彼女は相当に強かった。反応速度、短剣の扱い方、ソードスキルの威力。申し分無い。

 74層のモンスター相手にあれだけの立ち回り、しかも複数相手に持久戦も可能とあれば。

 

 

 「今すぐ攻略組でも通用すると思うよ」

 

 

 「……え?」

 

 

 その一言に、コハルの表情と足は固まった。

 

 

 急に止まる彼女に気付き、アキトは思わず振り返る。

 コハルは何かを言いたそうに表情を変えては、口を色んな形にしており、アキトは首を傾げた。

 

 

 「えと……俺何かおかしな事言った?」

 

 「いえ、その……私、一応攻略組────」

 

 

 なんですけど、とコハル言葉を続けようとした時だった。

 

 

 トン、という音と共に彼女が一瞬だけ、小さく前のめりになった。

 誰かに背中を軽く押されたようで、アキトはコハルと二人して後方に振り返る。

 

 

 するとそこには、アキトと同じくらいの年齢の少年が立っていた。

 少しばかりツンとした黒髪に明るい瞳の色。

 紺色のジャケットに黒いインナー、黒いパンツ、黒と灰色のブーツ。

 快活な印象を思わせる笑みでコハルに笑いかけていた。

 

 

 「おっす、コハル」

 

 「あ!やっほー、アヤト」

 

 

 どうやらコハルの知り合いのようで、彼女は距離が近いにも関わらず嬉しそうに手を振っていた。

 名前はアヤトというらしく、彼はコハルと挨拶を終えると、チラリとこちらを見つめて来た。

 途端、上から下まで目を丸くして見られ、アキトは萎縮した。コハルといいこのアヤトという少年といい、何故こうもジロジロと見られるのだろうか。

 

 

 「……コハル、この人は?」

 

 「あ、紹介するね。こちらアキトさん。今日、迷宮区の攻略で助けてくれたんだ。アキトさん、こちらアヤト。ゲーム開始からの仲間なんだ」

 

 

 コハルはアヤトの事を嬉しそうに紹介し、見ているこちらも笑えてしまう。紹介されたアヤト当人は、ジーっとアキトを眺めた後すぐに、笑って手を差し出してくれた。

 

 

 「アヤトだ、よろしく」

 

 「……」

 

 「……ん?どうした?」

 

 「え、あ、いや……」

 

 

 一応、女性(コハル)からの紹介だった為、警戒されるかと身構えていたアキト。コハルに悪い虫が付いたんじゃ、と睨まれる事を覚悟していた身としては、なんて事無い挨拶を交わしてくれたアヤトに半ば拍子抜けだった。

 今の一瞬で仲が良いのは分かっていたので、もしかしてお付き合いをしているのかと妙な勘繰りをしたのだが、アヤトに嫉妬のようなものがなくて安心した。

 

 アキトは小さく笑って、彼から伸ばされたその手を握った。

 

 

 「……アキトです。よろしく」

 

 「おう!」

 

 

 しっかりと返事してニコリと口元に笑みを作るアヤト。

 凄い良い人だった。アキトは感激した。

 そんなアキトの隣りで、コハルはアヤトに問い掛ける。

 

 

 「アヤト、これから帰り?」

 

 「いや、これからコハルのホームに向かう途中だったんだよ」

 

 「私の?」

 

 「おう。早速で悪いんだけど、ちょっと台所貸して貰えないか?」

 

 「台所?別に良いけど……どうしたの?」

 

 

 急に台所を貸して欲しいと言われて意味が分からないと首を傾げるコハル。だがそれに反してアヤトは、子どものように嬉しそうな笑み、最早ニヤケ顔でウィンドウを操作し始めていた。

 

 

 「いやさ、道中“コイツ”を手に入れてさ……」

 

 「……“コイツ”?」

 

 

 アヤトはアイテムストレージを開き、可視状態にする。

 コハルがアヤトの隣りに歩み寄り、そのウィンドウを覗き込んだ。途端、彼女の瞳が盛大に見開かれるのを眺めていたアキトは、流石にどうしたんだと問いたくなった。

 しかし彼女が驚いた理由を、他でも無い彼女自身が口にし始めた。

 

 

 「《フォレスト・ダックの肉》!? これってあのS級食材だよね!?」

 

 「!?」

 

 

 その情報を耳に、アキトの瞳も見開いた。

 早々お目にかかれないS級食材の一つが、今彼のウィンドウのアイテムストレージに収められているのだと知り、驚愕を隠し切れない。

 アヤトは自慢気に胸を張ると、コハルと、驚いているアキトを見て説明を始めた。

 

 

 「そうそう、そこで偶々出会った……あ、彼女はミスト。そいつをゲットした森で出会ったんだ。ミスト、こっちはコハル。ゲーム当初からの付き合いなんだ」

 

 

 ────と、アヤトが急にどなたかの自己紹介を始めた。

 

 えっ、とアキトとコハルが目を丸くしていると、アヤトの背後から細身の影が躍り出た。今まで気が付かなかったが、どうやらアヤトの後ろから三人の様子を眺めていた様だ。

 フード付きのローブを見に纏い、紺色に近い黒髪のボブカットの少女だった。

 その少女──ミストは、かつてのアキト同様に澄んだ蒼い瞳を持っており、それを細めてこちらを見据えていた。

 

 数少ない女性プレイヤー。コハルはぱぁっと笑顔を咲かせた。一気にミストと呼ばれた少女に近付いた。

 

 

 「よろしくね、ミストさん!」

 

 「……よろしく」

 

 

 しかし、ミストの態度は嫌に素っ気無い。急に温度が下がったような気がしたアキト。まるでシノンみたいだ、と呆れ笑った。

 だが、コハルは一切気にしてないようで、女性プレイヤーが嬉しいのか物凄くニコニコしていた。

 

 

 「大体分かった。つまり、このS級食材を料理する場所が必要って事ね」

 

 「そういう事。頼めるか?」

 

 「勿論だよ!早速行こう!」

 

 

 アヤトとコハルはS級食材が食べられると知ってテンションが高まっていた。微笑ましく見ていたアキトだが、そういう事なら退散しようと身体を反転させる。

 思えば、何故自分はコハルとこの街を歩いていたんだろうかと今になって思い出す。

 すると、その背から自身の名を呼ぶ声が。

 

 

 「アキトさんも行きましょう!」

 

 「え、俺?い、いいよそんな、みんなで食べる分が減るじゃんか」

 

 「みんなで食べた方が美味しいですよ!アヤトもミストさんも、それで良いかな?」

 

 「俺は構わない。コハルの言う事も一理あると思うぞーアキト」

 

 「……私も別に良い。食材自体は大きいし、食べる量の心配は要らないと思う」

 

 

 アヤトとミストからも、承諾の言葉が。

 アキトがどうしようかと迷っていると、コハルからか細い声が。

 

 

 「その……助けて貰ったお礼という事で」

 

 「え……いや、だからあれは……」

 

 

 本当に感謝されるような事はしていない。

 コハルのHPが少なかった時に割って入った為に結果的には救ったように見えるが、攻略組として助け合うのはそもそも当たり前であり、暗黙の了承のはずだと記憶している。

 しかし、ここまで感謝されるのは久しぶりな気がする。助けた事に感謝して、戦闘は一生懸命、レベルが上がると喜ぶ様はまるで────

 

 

 まるで、黒猫団のみんなを────

 

 

 「……分かった。じゃあ、お邪魔するね」

 

 「っ!はい!」

 

 

 コハル、アヤトはその返事を聞いて、嬉しそうに笑ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 四人が集まってからすぐの場所に、コハルの住まう一軒家はあった。流石《血盟騎士団》といったところか、そこそこ値のある高級家屋に住んでいた。

 コハルが想像以上のブルジョワだった事に対して、アキトはしっかり笑えていただろうか。

 なんとなく自分と比べて、切ない気持ちになったのは言うまでもない。

 

 コハルに適当に寛いでと言われるも、初対面のアキトが出会った初日で女の子のホームに上がるのは如何なものだろうか。

 リビングの小さな四角いテーブルを挟んだ二つのソファーに向かい合う形で座るアキトとアヤト。

 アヤトはここに何度も足を運んでいるのか、緊張はあまり感じられず、コハルの言うように寛いでいた。

 

 

 「ミストさん、もし良かったら私にも手伝わせて貰っても良いかな」

 

 「え……?まぁ、どうぞ……」

 

 

 コハルとミストは気不味い空気を保ちながら厨房へと移動していった。と言っても、邪見にしているのはミストだけだし、コハルはかなり積極的にミストに話し掛けている為、彼女が折れるのも時間の問題だろう。

 問題は、取り残された自分とアヤトのこの場の空気である。こちらが喋らないせいで静かなリビングである。流石コミュ障と言ったところだろうかと、アキトは自嘲気味に笑った。

 

 

 「……なあ、アキト」

 

 「な、何?」

 

 

 しかし、意外にも話しかけてくれたのはアヤトだった。こちらをチラチラと見てはいたが、中々声をかけてはくれなかったので、もう料理が出来上がるまでずっとこのままかと思っていた。

 

 

 

 

 ────しかし、次の一言でアキトの表情は強張った。

 

 

 

 

 「お前のそのギルドのエンブレム……《月夜の黒猫団》のだよな?」

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 

 アキトは、思わず立ち上がる。

 目を見開いてアヤトを見下ろし、アヤトもまた驚きの表情でこちらを見上げていた。

 ガタリと立てた大きな音は、部屋を突き抜け厨房にまで届いたらしい。厨房からコハルの声がした。

 

 

『アヤト、どうかしたー?』

 

 「な、なんでもないぞ、うん!」

 

 

 途端にアヤトは声を上げ、コハルにそう言って誤魔化す。

 しかしその間、アキトは戸惑いの眼差しでアヤトを見据え、その瞳を揺らしていた。

 心臓の音が脳に響き、身体が震える。

 

 

(なんで彼が……俺のギルドを知って……!?)

 

 

 《月夜の黒猫団》はアキトにとって、確かに大切な場所だ。だが、特別有名だった訳じゃない。ましてや、下層で全滅したギルドが、この層にまで知れ渡っているはずがないのだ。

 

 アキトは改めて、アヤトという少年を見つめた。

 だが、黒猫団のみんなと過ごして凡そ一年、アキトは彼の事を見た事が無い。さっきが初対面なのだ。けれど、彼はずっと前から知っていたかのように話す。

 それが、アキトには分からなかった。

 上手く脳が働かない。

 ただ、アキトの異常な変化に困惑を隠せない様子のアヤトは、アキトを伺っては不安気に眉を顰めていた。

 

 

 「わ、悪い……もしかして、あんまり知られたくないとか、言われたくないとかなのか……?」

 

 「い、いや……別に……」

 

 「だったら良いんだけどさ。ただ、知ってるギルドだったから気になってさ」

 

 「……」

 

 

 戸惑いながらも、アキトはアヤトから視線を逸らさない。ただ、彼がそう素直に謝ってくるのを見て、何故だか申し訳ない気持ちになった。

 寧ろ、《月夜の黒猫団》の名前が出て来るだけで取り乱す自身の方がどうかしていたのだと、アキトは自嘲気味に笑った。

 どういう繋がりかは分からない。けれど、彼らの事を知っている人が、覚えてくれている人がいる。

 驚きはしたものの、何故だかとても嬉しかった。

 

 

 「……大切な、仲間だったんだ」

 

 「何で過去形?今は大切じゃないのか?」

 

 「っ……」

 

 「……もしかして、ケンカでもしたのか?」

 

 

 アヤトの質問に、アキトはドキリとした。

 黒猫団のみんなが全滅した事実を、彼は知らないのだろう。そう思うと、無闇にひけらかすのは気が引けた。

 何故か騙しているようで、それでいて本当の事を言うのが怖くて。

 途端に、アキトは口を開いた。

 

 

 「……そんなんじゃ、ないよ。今も、大切な仲間だって思ってる」

 

 「そうか。良い奴らだからさ、仲良くしてやってくれ」

 

 「……うん」

 

 

 アヤトは、柔らかな表情でそう呟いた。それを見たアキトは、複雑な表情をしながらも、最後には頷いた。

 もう、守ってあげる事さえ出来ない大切な拠り所。彼に言われずとも、黒猫団の皆が良い奴らだなんて事、自分が一番知っていた。

 けれどもう、仲良くするなど出来ない事を、目の前のアヤトは知らないのだろうと、アキトは顔を伏せたのだった。

 

 

 「あ……あと、もう一つ良い?」

 

 「え?」

 

 

 すると、暗い空気をどうにかしようとしたのかそうでないのか、アヤトが突如そう訊ねてきた。

 アキトは思わず顔を上げると、何やら彼の視線が左右に逸れている。しかし、チラチラと一点に向く瞳が、全てを物語っていた。

 

 

 「あ……いや……あったばかりの奴にいきなりこんな事、言われたくないかもしれないが……その剣って、見た事無いデザインだったから、ちょっと気になってるんだ。結構なレアリティだと思うんだが、見せてもらっても良いか?」

 

 

 アヤトが指で指し示したのは、ソファーに立てかけた紅い剣《リメインズハート》だった。

 リズベットに造って貰った、最良の一振り。

 アヤトを見れば、どうにもソワソワしている。どうやら、アキトの武器が気になるようだ。よく見れば瞳もキラキラとしている気がする。

 

 

 「へ?……ああ、これか。……良かったら、持ってみる?」

 

 「良いのか?じゃあ……って!?」

 

 

 アヤトはアキトからそれを受け取った途端、両手がテーブルへとドカリと落ちた。アヤトが想像していたよりずっとずっと重いその剣を、アヤトは思わずマジマジと見てしまう。

 

 

(なんだ、これ……キリトの《エリュシデータ》や、俺の《クラレット》よりも……重い……?)

 

 

 かなりの筋力要求値。鑑定スキルが無くとも、それだけでこの剣がどれほどの強さを持つかを感じ取れる。

 アヤトは瞳を揺らして、今も尚戸惑いがちに眺めていた。

 彼が驚くのも無理は無いし、見た事が無いのも当然である。これはここよりも上層で手に入る業物だ。

 

 

 「……因みになんだけど、入手方法とかって教えてもらえたりするか?」

 

 

 同様の剣が欲しいのだろうか、或いは純粋な興味からか。アヤトは剣を大事そうに抱えながらそう口を開く。

 上層で手に入る剣だと教えたら、彼は凹んでしまうだろうか。それは、アキト自身が上層のプレイヤーだと教えるようなものだ。

 狩り場や情報を独占する攻略組は、彼らにとっては悪印象ではないだろうか。

 

 そう思いつつも、アキトは自然と口を動かしていた。

 

 

 「クエストだよ。各層のダンジョンでそれぞれ鉱石、炉心の火、ハンマーの三つ全部を集めてこの剣を作るっていうやつの最終的な報酬の形。マスタースミスが作ってくれたんだ」

 

 「プレイヤーメイド……!? へー……剣一本にそこまで凝ったクエストってのも珍しいな……あんまり聞いた事無いぜ」

 

 「この辺りじゃ、まだ受けられないよ。もっと上層の────」

 

 

 と、アキトが83層から受けられるクエストの話を切り出そうとした瞬間だった。

 

 

 

 

 「二人とも、お待たせー!」

 

 

 

 

 ──厨房からコハルの声が聞こえた。

 

 

 アキトとアヤトが振り返ると、そこには料理をトレイに乗せて運んで来るコハルとミストの姿があった。

 そこから立ち上る香りがこちらに漂ってきた瞬間、アヤトは流れるようにアキトの後ろ側に位置するテーブルへと移動を開始する。

 

 そのテーブルに置かれた料理達は、普通のお店ではまずお目にかかれないであろう鮮やかな色をしており、見た目と香りだけでグルメを殺しにかかっていた。

 

 

 「……凄い」

 

 

 アキトは思わず感嘆の息を漏らし、ソファーを立ち上がる。そのまま後方のテーブルに並ぶ料理達を見つめながら椅子へと近付いた。

 既に腰掛けているアヤトは、食卓に並ぶS級料理を眺めながら、目を爛々と輝かせていた。

 

 

 「待ってたぜ!……コイツはグラタンか?」

 

 

 アヤトの視線の先には、現実世界でもよく食べられるであろうグラタンが置かれていた。チーズの香りが鼻を擽り、食欲をそそる。

 だが、今回アヤトとミストが手に入れたのは《フォレスト・ダック》という鴨やアヒルをモチーフとしたモンスターの肉だ。

 

 

 「……鴨肉を、グラタンに?」

 

 

 そのあまり見ない組み合わせに、アキトは素朴な疑問を呟く。思わずコハルを見るが、彼女は苦笑いをしながら隣りを見るばかり。その隣りにいたのは、しかめっ面のミストだった。

 つまり、このグラタンは彼女が作ったもの、という事か。

 

 

 「ん……まぁ、ね」

 

 

 だが、そんなアキトの質問に答える気がないのか面倒なのかは知らないが、チラリとこちらを見てポツリと一言告げると、再び視線を逸らしてしまった。

 

 

 しかし────

 

 

 「へぇ……鴨をグラタンに使うだなんて、結構変わってんな」

 

 「そんな事ないよ、現実世界で食べたことがあるんだけどすっごく美味しかったんだよね!向こうでは普通の鴨だったけど、こっちのはS級食材の『フォレスト・ダック』だからもっと美味しくなってると思う!」

 

 

 アヤトが興味を示した途端に、ミストはぱぁっと明るい顔で捲し立てるように説明を始めたではないか。

 これには、アキトとコハルも苦笑いだった。そのあまりの分かりやすさに、アキトは思わずアヤトを見る。

 自己紹介の際の話からすると、アヤトが彼女と出会ったのはつい昨日の今日ではないだろうか。そう考えると、彼女のこのアヤトへのアプローチ振りに驚く事しか出来ない。

 

 会って間もないのに、この好かれ具合。

 アヤトという少年が如何に無自覚女タラシなのかを知る事が出来た瞬間だった。

 まあ、短い時間ではあるが、彼がどういった人間なのかはなんとなくだが理解出来た。だからこそアキトには、彼が好かれる事に納得は出来ていたのだが、それにしても驚いた。

 

 

 「……で、こっちのはソテーか?」

 

 「う、うん。ミストさんがグラタン作ってたから洋風の方が良いかなーって」

 

 

 続けてのアヤトの質問に、コハルはそうたどたどしく答える。何故だかチラチラとミストを見ていたが、アヤトは気付かない。

 そのまま流れるように席へと座り、各々がフォークやらスプーンやらを手に持ち、料理を目の前に笑顔を向ける。

 テーブルを挟んで、男二人と女二人。アヤトとアキト、向かいにミストとコハル。まるで合コンみたいだった。

 そんな事を考えているのはアキトだけなのだろう、三人は『いただきます』とそれぞれに挨拶をした後、テーブルに並ぶ料理に舌鼓を打っていた。

 途端に綻ぶ笑顔。

 表情筋が緩み、どうしても笑顔になってしまう、そんな様子だった。アキトはそんな三人をただただ眺める。

 

 

 「ほら、アキトさんも食べて下さい。すっごく美味しいですよ!」

 

 「へ?あ、うん……じゃあ……」

 

 

 向かいに座るコハルに促され、アキトはコハルが作ったというソテーに箸を伸ばす。

 見れば見るほどに美味しそうで、アスナの料理を思い出す。そのままそれを口に持って行き、一口で頬張った。

 途端、口いっぱいに広がる旨味に、アキトは目を見開き、それを見たコハルは嬉しそうに笑っていた。

 

 

 「なぁミスト。これは照り焼きか?」

 

 「そうだよ。正確には照り焼き風だけどね……どうかな?」

 

 「ん?めちゃくちゃ美味いよ。ミストって本当に料理できたんだな」

 

 「料理ぐらい私だってするよ!」

 

 

 隣りではアヤトとミストがそんな会話をしながら料理を楽しんでいる。どうやらグラタンの中に入っていたS級食材が、照り焼き風に仕上がっていたらしい。アヤトは本当に美味しそうにそれを食べていて、そこにコハルも合わさって、どんどんと話の内容を広げていった。

 それを見たアキトは、困惑したように瞳を揺らす。

 

 

 「……っ」

 

 

 アキトはここへ来て改めて、何故ここでS級料理をご馳走になっているのだろうかと独りごちた。

 思えば、見ず知らずの人に対してこうも一気に距離を縮める事など今まであっただろうか。黒猫団の時ですら、こんなにすぐに会話して、笑ってと、表情を豊かにしたことはなかった。

 けれど彼らの笑顔や、温かい雰囲気は何処か懐かしい。まるで、黒猫団と、アスナ達のようだった。

 大切な世界を、アキトは思い出してしまったのだ。

 ホームシックだろうか。エギルの店に集まるみんなが、途端に恋しくなってしまった。

 

 

(……早く、帰ろう)

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうして暫くすると、料理はどんどんとなくなっていった。あれほど沢山あったのに、食べてしまえば一瞬だったような気もする。

 アキト以外の三人は食べ終わると背もたれに寄りかかり、満足そうな表情を浮かべていた。

 

 

 「あ〜、美味かった!」

 

 「また食べたいね」

 

 「S級食材なんて、もうお目にかかれないかもしれないもんね」

 

 

 そんな三人を見て小さく笑って、グラスのドリンクに口を付けるアキト。すると、向かいに座るコハルが不安気な表情でこちらを見つめていて、思わず目を見開く。

 

 

 「あの……アキトさん、もしかして口に合わなかったですか……?」

 

 「へ……?いや、そんな事無いけど……」

 

 「でも、あまり食べてないように見えたので……」

 

 「元々そんなにたくさん食べられる方じゃないんだ。それに、隣りで凄い勢いで食べてるアヤト見ただけで、もうお腹いっぱいっていうか」

 

 「えっ」

 

 

 クスリと笑うアキトの隣りで、アヤトは固まっていた。実際、アヤトの食べっぷりは見事だった。

 もっとも、S級食材を目にしてしまえば誰だって同じようになるだろう事は、アキト自身が体験していた。クラインやストレアが持ってきた食材も、みんないつも以上に箸を伸ばしていた事を思い出す。

 

 それに、彼らと食べていると思い出してしまうのだ。あの温かな、安らぎの空間を。早く帰って、アスナ達に会いたいと、そう思ってしまう。

 初対面の彼らにこんな事を思うのは変だろうか。警戒心が無さ過ぎだろうか。けれど、彼らの瞳に闇は見えなかった。

 

 

 「……そろそろ帰るよ。今日はありがとう、三人とも」

 

 

 アキトは軽く息を吐くと、突然に立ち上がる。当然、三人の視線はアキトへと向いた。

 

 

 「もう帰るのか?もうちょっとゆっくりしてけば良いのに」

 

 「アヤト?ここは私の家なんですけど。……でも、アヤトの言う通り、もう少し休んでいっても……」

 

 「ううん、大丈夫。待ってる人達もいるしね」

 

 

 コハルは『あっ……』と言葉を漏らした。自分達と同じように、アキト自身にもまた、大切な人達がいる事を理解したから。

 半ば強引に誘った部分もあったコハルは、突然に申し訳なさそうな気持ちになっていた。

 

 

 「す、すみませんでしたっ、私、無理に誘って……」

 

 「そんな事ないよ。料理凄く美味しかった。ご馳走様、コハル、ミストさんも」

 

 「ん……お粗末様でした」

 

 

 コハルとミストに感謝の意を伝えるアキト。

 ミストも悪い気はしなかったのか、小さく笑って頷いてくれた。

 すると、それまで会話を聞いていたアヤトが、ゆっくりとアキトの前に歩み寄る。

 

 

 「……そっか、そうだよな。じゃあ……アイツらにも、よろしくな」

 

 

 アヤトはそう、アキトに告げた。

 それはきっと、『黒猫団の皆によろしく』と、そういう意味だった事だろう。彼は何故か、黒猫団のみんなを知っていた。けれど、やはり全滅した事までは知らないようだった。

 だが、彼のその柔らかな笑みには、それでいて何処か悲しげな雰囲気を漂わせていた。

 

 

 「……うん、分かった」

 

 

 その笑顔に既視感を覚えながらも、アキトは嘘を重ねた。ここで本当の事を言うべきだったのかどうかは分からない。そもそも、彼が黒猫団とどういう繋がりなのかも分からないままだ。

 もしかすると、アキトが一人で行動していた頃に出来た知り合いとかなのだろうか。

 けれどそれを聞く勇気は、アキトには無かった。

 

 アキトは立ち上がったその足で部屋の入口まで歩き、扉をゆっくりと開ける。外は既に暗く、街灯が照り出す頃合いだった。

 背中に《リメインズハート》を背負うと、もう一度振り返って彼らに『お邪魔しました』と頭を下げる。

 すると、アヤトが近付いて声をかけてきた。

 

 

 「なあアキト」

 

 「?」

 

 「今度、みんなで74層の迷宮区に攻略に行くんだけどさ、アキトも行かないか?」

 

 「え……?」

 

 

 突然の誘いに、思わず目を見開く。

 顔を上げると変わらずの笑みでこちらを伺う彼の姿があった。後ろではコハルが、名案とばかりに表情を綻ばせる。

 咄嗟の事で返答出来ずに戸惑っていると、アヤトが説明を続けてくれた。

 

 

 「攻略組はいつだって戦力不足だろ?人手は多い方が良いし、そろそろボス部屋も見つけないとだしな」

 

 

(“ボス部屋を見つける”……?)

 

 

 その言葉に、僅かな違和感を覚える。

 

 だが、それ以上に誘われた事実に今枠していてそれどころじゃなかった。

 一応74層は既に攻略されたエリアであり、アキトも既に踏破している。そこでの攻略に関して言えば特に危なげなく進む事が出来るといえよう。

 

 

 「……」

 

 

 もしや、アヤト達は攻略組希望なのだろうか。

 戦力不足である今の状況に危機を感じて、名乗りを上げようとしてくれているのかもしれない。

 ボス部屋を見つけないと、という先程違和感を覚えた言動は、攻略組になった際の予行演習という意味合いが強いのかもしれない。

 そこで、装備のレアリティが高い自分に声をかけた、という事だろうと、アキトは一人納得した。

 

 ここへ来る前のコハルの動きを思い出す。攻略組に引けを取らない短剣捌きと身のこなしに加え、状況判断能力もあった。

 そんな彼女と同等かそれ以上の装備を身に付けるアヤトは、もしかしたら彼女以上、現攻略組の戦力にすら成り得るかもしれない。

 

 

 「……考えとくよ」

 

 

 アキトは、目を逸らしてそう告げた。

 確かに、アヤト達のチームワーク、コンビネーション、戦い方を見るには良い機会なのかもしれない。けれど、アキトが戻ろうとしているのは76層《アークソフィア》。

 元々システムエラーの影響でそこから下層にはどうあっても行けなかったのが現状だったのだ。《アークソフィア》に行けば、再び74層には戻れないかもしれない。

 だからこそ、守れない約束は出来なかった。何処か濁したように呟いたアキトだったが、アヤトは嫌な顔一つせず微笑んでくれた。

 

 

 「おう、待ってるぜ」

 

 

 そんな彼から逃げるように、アキトは帰路へと立ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 《はじまりの街》

 

 

 気が付けば、そこに立っていた。

 自然と足がそこへ向かって動いていた。

 転移の光が消えて目が慣れる頃、その瞼を開いた先にあったのは、とても久しく、懐かしい景色だった。

 

 

 見渡す限りの広場、巨大な建物、街灯に照らされる石造りの道。

 人通りは少ないが、チラホラと見えるプレイヤー達の顔は、心做しか笑顔が無い。

 ゲーム開始からずっと、この場から動けていない者も多いだろう。道行く彼らの顔は、絶望にも似た悲哀の表情が多かった。

 

 

 《アインクラッド》最大の街でありこの世界の序章である、まさしく始まりの街。

 ここからアキトは出会い、全てが始まったのだ。

 

 

(……早く、帰ろうと思ってたのに……)

 

 

 アヤト達と別れ、すぐにアスナ達の元へ帰ろうと思っていたアキト。だが、またここに戻れる保証が無いと思った瞬間に過ぎるのは、この《はじまりの街》だった。

 もう戻れないかもしれないと思うと、自然と足が動いた。

 二年前、この世界がデスゲームと化したあの日。憧れたものには決してなれはしないのだと、変われないのだと諦めたあの日。かけがえのないものに出会ったあの日を、思い出す為に。

 二度と、ここには戻れないと思っていただけに感動染みた何かが心を刺激した。

 

 

 「……」

 

 

 ここに来たいとそう思えたのはきっと、今日の出会いがあったからだ。

 

 

 アヤトやコハル、ミストといた僅かばかりの時間。けれど、そこで感じたのは黒猫団や、アスナ達といる時に似た空気だった。

 決して同じではないけれど、そう感じさせてくれた場所。彷彿としてしまったからこそ、黒猫団のみんなに会いたいと思ってしまったのかもしれない。

 初めて会った人達なのに、どうしてこうも穏やかな気持ちになれたのだろう────

 

 

 「……行こう」

 

 

 アキトは転移門から足を踏み出し、目的地に向かって一直線に歩いた。広大な場所にポツリと一人、取り残されたかのような錯覚を覚えるその場所は、夜ということもあって人気が少なく、コツコツと足音が響いた。

 

 向かう先は言わずがもがな、《黒鉄宮》である。

 

 この世界に幽閉された一万人のプレイヤーの名前が記載されている場所。黒猫団が死んでから、アキトにとって《黒鉄宮》は、彼らがここに居たと証明する唯一のものだった。

 きっと、アキトにとって《黒鉄宮》は墓標みたいなものだったのだ。この世界で死んでも、死体は残らない。看取ってあげられる事も出来なければ、死に顔を見て、その時その人が何を感じていたのか、それを知る事も出来ないのだ。

 だからこそ名前が刻まれたこの場所に、アキトは過去に何度も赴いた。

 もうこの世界で彼らの事を覚えてあげられるのは、自分だけだと思っていたから。

 

 けれど今日、アキトの目の前に現れた少年が、《黒猫団》の事を知ってくれていた。

 

 一年前に全滅したはずのギルドを、ずっと覚えていてくれてたのだ。

 きっと、彼らにとっても嬉しい事だろう。アキトも最初こそ困惑したが、彼らの事を知っている人がいてくれて、とても嬉しかった。

 彼らに会ったからこそ、アキトはこの場所に来たいと思えたのだ。みんなに話してあげたいと、そう思ったのだ。

 みんなの事を覚えてくれている人がいると、そう伝えたくて。

 

 

 「……あ」

 

 

 その足は、既に《黒鉄宮》へと赴いていた。

 視線の先には、見上げる程に高い黒光りする建物が聳え立っていた。何度来ても慣れる事はない、寂しげな冷たさ。

 吹き抜ける風が髪を凪いで、アキトは目を細めた。やはりこの場所に来ると、懐かしさと寂しさで心が折れてしまいそうになる。

 それでもアキトは、入口に足を踏み入れた。

 久しく入っていなかったが、変わりはしない景色が続いた。冷たい空気に、闇色の空間。しんみりとした静けさに、ブーツの音がこだまする。

 そして、広場に出てすぐに、アキトが目指したものがあった。

 

 

 

 

 ────《生命の碑》

 

 

 

 

 アキトは、意を決して歩いた。

 76層に来たあの日から、何ヶ月振りだろうか。何日振りだろうか。

 何故か緊張して、その足が震えた。心臓の音が大きく脳に響くのは気の所為だろうか。

 みんなは、今の自分を見てどう思うだろうか。なんて声をかけてくれるだろうか。

 アキトは、ずっとこの時を待っていたように思えた。彼らに、話したい事がたくさんあったのだ。

 決して返ってくる事の無い返事を受け取る為に、アキトはゆっくりと石碑に近付く。

 

 

 

 

 ────そうして、その設置された足元まで辿り着き、アキトが顔を上げた時だった。

 

 

 

 

 「みんな、久し────」

 

 

 

 

 石碑に刻まれたとあるプレイヤーの名前を見て、その言葉が止まった。

 

 

 

 

 「………………ぇ?」

 

 

 

 

 笑顔が固まり、途端に、その表情が驚愕のものに変わる。

 ずっと見てきたこの石碑のとある一部分を見て、その瞳が揺れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 《Sachi》の名前に引かれていたはずの横線が、無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ドクン、と心臓が高鳴る。

 目の前で何が起こっているのか、まるで分からない。恐怖に似た焦燥が、アキトの胸を襲う。

 戸惑いが勝り、言葉にならない。

 

 

 

 

 「な、なん……で……!?」

 

 

 

 

 死者の名前には、必ず横線が引かれる。それが、この世界で死んだ事の証明となる。

 アキトは何度もこの場所に来ては、仲間の名前をチェックしていた。サチの名前には、いつだって横線が引かれていたはず。

 けれど、現に目の前では────

 

 

 「……!」

 

 

 アキトは咄嗟に顔を上げ、石碑刻まれた名前を探していく。

 ダッカー、テツオ、ササマル、大切な仲間の名前。そして────

 

 

 

 

 「っ……ケ、イタ……!?」

 

 

 

 

 そしてもう一人。その名を見て、アキトは再び驚きで固まった。

 ケイタの名前からも、横線が消えていたのだ。

 背筋が凍り、肌寒さを感じる。身体が否応無く震え、アキトは石碑から後退る。

 

 

 目の前の、この異端な状況が整理出来ない。

 サチとケイタは、もう死んでいる。死んでしまっている。なのに、死を証明する横線が消え、生存しているプレイヤーと変わらない状態を保っている。

 システムエラーの影響か。だがアキトは何度もここを訪れ、76層へと行く前に一度ここに来ている。その時は今までと変わらず、名前に線が引かれていたはずなのに。

 

 

 「……まさか、生きて……」

 

 

 ────そこまで口に出し、途端に首を左右に振る。

 有り得ない、決してない。ケイタは、自分の目の前で死んだ。サチも、守ってあげられなかった。

 《蘇生アイテム》は、時間制限があって使えなかった。ナーヴギアの機能からしていえば、理屈上この世界で死んだ彼らが生き返る事は有り得ないのだ。

 僅かな希望に縋って、痛い目を見たはずだ。

 縋ってはいけない、そう思うのに。

 

 

 「……じゃあ、一体どうなって……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────……アイツらにも、よろしくな

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキトはこの時、アヤトの言葉を思い出していた。

 彼のあの台詞は『黒猫団によろしく』と、そういう意味だったはずだ。そうでなくても、彼はギルドの事を知っていた。

 それは、アキトの知らない間に交流があったのではなく、今のサチとケイタと面識があったという事────?

 

 

 いや、それは違う。前提がおかしい。

だって────

 

 

 「だって、サチは、もう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────……何で過去形?今は大切じゃないのか?

 

 

 

 

 ────……もしかして、喧嘩でもしたのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 思い返す度に感じるのは、アヤトの良い方。

 まるで、最近の出来事のように話す、あの感じ。過去を懐かしむような、そんなものではない。

 サチとケイタは、生きている────?

 

 

「っ……」

 

 

 アキトは戸惑いがちに、再び顔を上げる。

 そして、また記憶が呼び起こされた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────知り合いの人にそっくりなのでついつい見ちゃって……

 

 

 

 

 

 

 

 

 「────っ」

 

 

 アキトは、ゆっくりと。

 ゆっくりと、顔を上げる。

 

 

 何故かこの瞬間に思い出した、コハルの台詞。

 自分を見て、知り合いにそっくりだと、そう言った彼女。

 

 

 知り合いが、誰なのかは分からない。

 けれどその発言に、かつて自分が間違われた対象を思い出す。

 

 

 

 

 「……っ、嘘、だろ……」

 

 

 

 

 震える唇、揺れる瞳。

 そして、見上げた先に見つけた。見つけてしまったのだ。

 横線が引かれていたはずの、その名前を。

 

 

 

 

 もう、決して会う事は叶わないと思っていた、親友の名前を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「……キリト」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、語られる事の無い物語。

 

 

 出会うはずのない、邂逅するはずのない世界が交錯した、黒猫と少年の物語。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ソードアート・オンライン

 ──月夜の黒猫(ナイト・ブラック)──

 

 真 ソードアート・オンライン

 〜もう一つの英雄譚〜

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 Episode.Collaboration

 

 

 ── Rampage Queen(ランペイジ・クイーン) ──

 

 








初めてのコラボで、上手く書けていない部分や分かりにくい場面が多いと思います。
一応の説明をさせていただきますが、分からない場合は感想欄にて質問をお待ちしています。


今回の設定としては、アキト君が
『真 ソードアート・オンライン もう一つの英雄譚』の世界に飛ばされるという物語です。
時系列的には、74層のボス戦前。よって、《アークソフィア》は存在していません。石碑にもアキトくんの名前はありません。

そして、コラボさせていただくこの作品の世界では、サチとケイタ、そしてキリトが生きている為、《生命の碑》の名前に横線が引かれていなかった、と考えていただければと思います。

アヤト君とコハルは攻略組ですが、世界が違うのでアキト君は知らないです。逆もまた然り。
次回はその辺りの説明も出来たらと思います。


本編も同時進行しています。大変ですが頑張ります!


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Ep.2 帰る場所無き世界






君にはある?唯一無二の、大切な場所が───






 

 

 

 

 

 手の届かない現実。

 夢幻にさせてくれない非情な世界。

 努力が報われない事もある不条理な力。

 

 

 求めたはずの世界は決して、誰かの妄想や空想が現実になっただけの都合の良い場所では無い。万人の願いが叶う世界では無い。

 そうあったはずなのに。そうあるべきはずだったのに。

 齢十四歳にしてそのねじ曲がった理を知った、二年前の十一月六日。この仮想世界の地獄が始まった日だった。

 その場所は、万人が否定したいものこそを現実へしていく。誰かの痛み、悲しみ、憎しみ、そして────死。

 どれだけ足掻こうと、何度抗おうと、その事実をねじ曲げる事など出来はしないと、誰よりも自身が分かっているはずだ。

 

 

 なのに、今。

 目の前で、その不条理が起きている。そうあって欲しいと願い続けたはずなのに。

 

 

 ────何故か、受け入れる事が出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「……キリ、ト……なんで……」

 

 

 何度目を擦っても、凝らしても、その表記は変わらない。

 ケイタとサチ、そしてキリトの名前に引かれたはずの横線の消失。その《生命の碑》から、アキトは立ち尽くしたまま動く事が出来ないでいた。

 現実か、夢幻か。瞳が一点に固まり、思考も纏まらない。震える口から吐息が漏れる。

 

 現在アキトが居るこの《黒鉄宮》は、β版では死んだプレイヤーが蘇生される場所だった。デスゲームでなければ、今も機能しているだろう。

 そして彼の眼前に聳える《生命の碑》には、この世界で生きる全てのプレイヤーの名前が記されている。β版と唯一違うのは、死んだプレイヤーの名前には横線が引かれ、その名前を潰される事。

 それが、そのプレイヤーがこの世界を退場した事の証明となる。

 

 アキトは《月夜の黒猫団》の仲間が死んでから76層へと赴くまで、ほぼ毎日のようにここに顔を出していた。夏でも冬でも冷たさが残るこの建物の中は、人が好んで来る事も少ない。

 短いようで長い時間、アキトはここで一人佇んでは他愛の無い話をしたり、或いは何も話さないでただ立ち尽くしていたりしていた。来てする事は違っても、ここに来る事実だけは変えたり欠かしたりしなかった。

 

 だからこそ、誰よりもここに足を運んでいるアキトには、大切な仲間の名前が石碑のどの辺りに記載されているかが完全に記憶出来ていた。

 そして毎日のように、横線が引かれ潰された《月夜の黒猫団》の仲間達の名前を眺めていたのだ。

 

 

 故に、気の所為なんかではない。

 目の前の彼らは、確実に死んでいるはずだった。

 

 

(……いや……でも、キリトは……)

 

 

 アキトは自身の心臓部分を鷲掴み、呼吸をどうにか整える。胸の高鳴りが脳内に響く。

 今もなお、自身の中で存在する親友。アバターは二度と復活はしない。死んだとシステムが判断したならば、キリトは死亡扱いされ、名前に横線が引かれる。逆にそうでなければ、線は引かれない。今、自身の内にいるキリトがどういう状況かがよく分からない為に、アキトは何も言えなかった。

 けど、けれど────

 

 

(サチと、ケイタは……)

 

 

 彼女達が死んだのは、何よりもアキト自身が知っていた。何度もここに通い、横線が引かれた彼らの名前を見て歯噛みした記憶が蘇る。

 自分の目の前で城から飛び降りたリーダーの、涙に濡れた顔を思い出す。

 彼らは確実死んで、この碑の名にも線が引かれていた。それが、消えている。

 

 75層ボス戦時のシステムエラーの影響か?

 はじまりの街にまでそれが広がっているという事?

 それなら、この石碑の問題も単なるバグで解決出来るかもしれない。だがたとえそうだとしても、四千人の死者の中で何故サチとケイタの名前だけ?

 

 

(落ち着け……)

 

 

 アキトは大きく息を吐いた。

 荒かった呼吸を整え、高鳴った心臓の鼓動は段々と小さくなっていく。そうすると、意外とすぐに落ち着いた。何も慌てる事は無いと理解したのだ。

 これはただのシステムエラーによる単なるバグ。彼らは既に死んでいる。目の前の石碑の名前は、ただ線が消えただけ。

 

 

 二人が生き返った訳でもなんでもない。

 

 

 「……っ」

 

 

 それに気付いた瞬間、気持ちが落ち着いたと同時に気分が落ち込んだ。事実を自身に突き付けた結果、アキトの表情に影が差した。

 

 

(そうだよ……サチもケイタも、一年以上も前に……)

 

 

 たかがバグ程度にここまで踊らされるなんて。自分はまだ、彼らの事を過去に出来ていないのかもしれない。

 縋らないと決めたのに。神に祈るのを止めたはずなのに。心はこんなにも揺れ動いて。

 

 久しぶりに鮮明な光景と共に思い出してしまったのだ。黒猫団のみんなと過ごした温かな時間を。

 アヤト、コハル、ミスト。人の良さそうな三人の顔が思い起こされる。今日初めて出会ったばかりなのに、あんなに優しく接してくれて。それがまるで、この《はじまりの街》で手を差し伸べてくれた黒猫団と重なってしまって。

 

 現実よりも死を身近に感じるであろう仮想世界。誰もが生き抜こうと気を張り巡らせ、強さを求める。

 殺伐とした冷たい世界で、アヤト達が見せてくれた笑顔はまさに、アキトが見たいと、守りたいの願ったもの。

 

 

 そう、黒猫団のみんなと同じ────

 

 

(……帰ろう)

 

 

 震える拳を抑え、アキトは石碑に背を向けた。

 それは、もうここに居たくないという気持ちの表れだっただろう。ここには、この場所には、ただ居るだけでたくさんの思い出を蘇らせる力があった。

 たくさんの思いが連鎖的に呼び覚まされる。身体が震える。目尻が熱くなる前に、涙を流すその前に。アキトはその手に転移結晶を持った。

 そしてその名を呟く。

 

 

 ────アヤトとの74層攻略の約束は、果たせそうに無かった。

 

 

  今も尚きっと、あの店で帰りを待ってくれているかもしれない彼らの笑った顔を思い出してしまったから。

 

 

 

 

 「転移、《アークソフィア》」

 

 

 

 

 ────しかし。

 

 

 

 

 「……ぇ?」

 

 

 

 

 何も、起こらない。

 

 

 

 

 それは確かに、76層の街の名前だったはず。

 けれどその青い結晶は、反応を示さなかった。光る事も無く、ただアキトの手の中で静かな時を過ごすだけ。

 

 アキトは思わず、転移結晶を見下ろした。

 再び腕を上げ、それを掲げて街の名を告げる。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 けれどアキトの声は、虚しくこの空間に響くだけ。アキトは堪らず、再び転移をクリスタルに告げる。何度も何度も。次第にその声には焦りが混じり、瞳は驚愕を隠せず揺れていた。

 

 

 「な、なんで……」

 

 

 何度試そうとも、クリスタルは応えてくれなかった。アキトはここへ来て、新たな驚愕と出会ってしまったのだ。

 《黒鉄宮》は結晶アイテムが使えないエリアだったのかどうかを必死に思い出し、もしかしたらと思い付き、慌てて外へ向かって走り出す。

 やがて黒光りの建物から飛び出したアキトは、再び転移結晶を見下ろして声を発した。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 だが、《黒鉄宮》の外に来ても、その転移結晶は動いてくれなかった。アキトは背筋が凍る思いだった。コハルとのレベリングの際は、使用出来ていたのにと、口元が震える。

 転移結晶が使えない。それがシステムエラーの蓄積によって生まれてしまった新たなバグだとしたなら、それは攻略速度の遅延共に迷宮区踏破に多大な影響を及ぼすからだ。

 即座に回復する、一瞬で転移する、それが出来るか出来ないかが、今の攻略組にとっての生命線足り得るのだ。ここから先敵が強くなるにつれ、必ず無くてはならない必須アイテム。それが使えないだなんて。

 

 

 「……っ!」

 

 

 瞬間、アキトは走り出していた。街灯がほのかに照らすだけの暗闇の道の中を、同色のコートで駆け抜ける。

 

 向かう先は、この層の転移門だった。

 結晶アイテムが使えないという事実。もしかしたらまだ浸透していないかもしれない。早く《アークソフィア》に戻り、攻略組全体に知らせなければいけないと、アキトは理解したのだ。

 石畳を全力で駆け、ただひたすらに前だけを見る。幸い辺りは暗く、攻略するには時間も遅い。《圏外》へと赴くプレイヤーが圧倒的に少ないこのタイミングで気付けたのは幸運だった。

 

 やがてそこ視界の端に転移門を捉えると、その足が少しばかり軽くなった気がした。瞳が揺れ、僅かに口元が緩む。

 結晶アイテムが使えない一大事。いや、だからこそなのかもしれない。その不安を、誰かと共有したかったのかもしれない。

 

 

 きっと、安心してしまったのだ。

 これで、みんなの元へ帰れると。

 

 

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 

 

 ────けれど、現実は非情だった。

 

 

 

 

 「……な、んで」

 

 

 

 

 結果だけ言えば、転移門は起動しなかった。

 瞬間、アキトは身体全体が凍り付いたかのような錯覚に陥った。身体が、足が震える。まともに立つのがやっとだった。

 心臓がバクバクと音を煩く高鳴らせ、瞳の奥、瞳孔が開く。

 

 

 

 

 ────転移門が、使えない。

 

 

 

 

 つまり《アークソフィア》に帰れない。その事実が、アキトに重くのしかかった。

 何故、どうして、一体何が。どう言葉を変えようとも、抱いた疑問は変わらない。

 事実として残ったのは、先程まで使えていたであろう転移結晶と、目の前の転移門が反応しなかった事だった。

 

 

(……こんなの、あまりにも……)

 

 

 システムエラーとして、バグとして、簡単に解決して良い問題ではない。確かにその影響で転移が不安定なり、指定された場所に飛ぶ事が出来ない場合があるというのは有名な話だが、既に転移が出来ないというのは即ち、迷宮区攻略においての緊急離脱が不可能になるという事。

 そして目的地まで行くには、誰しもが迷宮区を通ってボス部屋を通過しなければならない事に等しい。

 

 

 誰もが望む帰る場所へ、家へ。

 温かい陽だまりへと、簡単に帰る事が出来なくなったという事。

 

 

(だって……だって、さっきまで使えて……)

 

 

 困惑しながらも、冷静になろうと心を宥める。

 アキトは74層からここまで、目の前の転移門で来たのだ。あれからまだ一時間も経ってない。その間に転移門が使えなくなった?とてもじゃないが考えにくい。けど実際に目の前の転移門は効力を失っている。

 

 

 色々な事が起き過ぎている。それも、今日一日で。

 

 

 「……」

 

 

 何かが、おかしい。

 何が、どうなって────

 

 

 言葉が震える。動悸が収まらない。

 冷たい感覚が、アキトの背中を走った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ────瞬間、目の前の転移門から転移の光が放たれた。

 

 

 

 

 「っ……!?」

 

 

 

 

 アキトは思わず転移門から後退りし、瞳を揺らして驚愕した。

 あんなに何度もコールを試したのに動かなかったはずの転移門が、目の前でこうもあっさり起動しているではないか。

 

 

(な……今までうんともすんとも言わなかったのに……)

 

 

 今まで全く機能しなかった転移門から転移光が発生しているのだ、驚きもするだろう。今までの焦りはなんだったのだと思う反面、気持ちはただただ動揺するばかりで、それでも尚アキトはそこから現れるであろうプレイヤーを待ち侘びた。

 

 

 やがて球状の光が散り始め、そこから現れたのは三人の男性プレイヤーだった。年齢はアキトとさほど変わらないであろう彼らは、それぞれ槍、両手斧、曲刀を装備し、結構なレアリティの装備を身に付けていた。彼らは転移の光が止んだ後、転移する前にもしていたのか、会話をし始めた。

 

 

 「……?」

 

 

 そんな彼らに、アキトは僅かばかりの違和感を抱いた。

 先程まで転移門は使えなかったはずなのに、彼らからはその動揺の色が伺えないのだ。まるで何事も無かったかのように談笑している。

 チラホラ聞こえる会話からも、転移門の不具合に対する愚痴も聞こえない。

 

 

 まるで、転移門の不具合なんて無かったかのような────

 

 

 すると、三人のプレイヤーはふと顔を上げる。

 その後すぐに視界に入り込んだアキトに驚いたのか、三人同時に身体を震わせて驚きの声を上げ始めた。

 

 

 「うわっ!ビックリした……」

 

 「な、なんだなんだ……って」

 

 「こ、コイツ、もしかしてアレじゃね?“黒の剣士”……」

 

 「嘘だろ、なんで《はじまりの街》なんかに……」

 

 

 それを聞いたアキトは、小さく息を吐く。やはり、キリトが前線を離脱したという噂は浸透していないようだ。それを知って出たその溜息は、安堵からか、それとも悲しみからだったろうか。

 彼らはアキトを上から下まで眺めると、すぐにそれが失礼だと思ったのか、小さく頭を下げた後、そそくさとアキトの横を通り過ぎていく。

 しかし、漸く情報を得る機会に恵まれたアキトは、慌ててその三人の背中に声をかけた。

 

 

 「ち、ちょっと待って!」

 

 「うおっ……!」

 

 

 思ったよりも大きめの声が広場に響き、三人は再び肩をビクつかせた。恐る恐ると振り返り、こちらを見やるその表情からは、尚早や困惑といった、警戒心が見え隠れしていた。

 

 

 「な、何だよ……」

 

 「言っとくけど俺達、アンタが望むようなアイテムなんて持ってないぞ……!」

 

 

 身体を震わせながらもそう息巻く彼らに、アキトは苦い顔をする。

 《黒の剣士》───キリトは彼らにとって、こんなにも畏怖を抱かせる存在だったのかと心の中で苦笑した。

 そうでなくとも、日が沈んで暗くなったこの空間で、闇と同色のコートを着た奴に話しかけられれば誰でも似たような反応が返ってくるだろう。アキトはそう独りごちた後、気を取り直して彼らに向き直った。

 

 

 「転移門に、何の異常も無かったの……!?」

 

 「は?え、いや、何も無かったけど……」

 

 

 予想外の質問をされた槍使いは、警戒して強張っていた表情を崩し、素っ頓狂な声でそう答えた。

 それを聞いた瞬間、アキトは転移門に身を乗り出した。彼らが唖然として見ている中、それに構わず転移門設置部分の床を踏み締める。

 転移門が再び起動したならば、とアキトはすぐさま口を開く。また帰れないのでは、と不安を抱きたくなかったアキトは、76層の街の名前を再び叫んだ。

 

 

 「転移、《アークソフィア》!」

 

 

 

 

 ────だが。

 

 

 

 

 「……なんでだよ」

 

 

 

 

 何も、起こらなかった。転移門は、光すら放ちはしない。

 アキトは苛立ちを隠せず唇を噛み締めた。焦りや悔しさが声に現れ、口元は震える。

 

 

(どうして……何でだよ……だって彼らは使えて……)

 

 

 アキトが何度76層の街の名前を叫んでも反応しなかったのに対し、目の前にいる三人のプレイヤーは難無くこの場所に転移してきた。そして彼らには、転移門が機能しなかった事による焦燥が感じられず、まるで何事も無かったかのように会話し、振舞っていた。

 先程の質問で、彼らは転移門の不具合に合っていないという事も確認している。

 

 

 つまり、彼らが普通に使えていた転移門が、自分には使えなかったという事────?

 

 

 曲解過ぎるだろうか。では、彼らと自分の違いは何だ?何故彼らは使えて自分は使えなかった?

 アキトは彼らと自分を見比べて、その違いを懸命に探す。武器、装備、容姿。彼らの特徴をつぶさに観察する。だが心臓が鳴り止まず、脳が揺さぶられるような混乱の中、アキトは冷静な判断力を失いつつあった。

 どれだけ彼らを見ても、違いが、何も分からない。分からないから焦り、そして更にまともな思考能力を失う。悪循環に気付かず、アキトは怯え戸惑う彼らに構わず睨み付けるように見つめる。

 

 

 

 

 何が。一体何が違う────?

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 ────瞬間、アキトはふと我に返った。

 

 

『……』

 

 

 視線の先には、こちらを見て困惑した表情のまま瞳を揺らす三人のプレイヤーが、動く事も出来ずに立っていた。

 怯えたような、警戒心剥き出しの三人の出で立ちに、アキトは漸く理性を取り戻した。

 彼らを困らせた事を漸く理解し、アキトは思わず頭を下げた。

 

 

 「ぁ……ご、ゴメン、いきなり……」

 

 「あ、ああいや、別に……なあ?」

 

 「お、おお……」

 

 

 あの“黒の剣士”に頭を下げられた事に驚き、三人は戸惑いながらも顔を見合わせ、気の抜けた返事を返した。

 寧ろ噂と違う目の前の有名人の振る舞いに、何故だか親近感を感じ始めていた。噂はあくまで噂なうえに、キリトとの人違いではあるのだが。

 アキトは悲しげに笑うと、彼らに背を向ける。

 すると、そんなアキトを見ていられなかったのか、斧を装備した男性が声を掛けてきた。

 

 

 「……なあアンタ、何かあったのか?」

 

 「え……?」

 

 

 アキトが振り返ると、今度は槍使いの男性と曲刀の男性が歩み寄って来た。彼の暗い表情を見て流石に心配になったのか、三人は思わず声を掛けてしまっていた。

 

 

 「顔色スゲー悪いぞ。どーしたんだよ」

 

 「さっき言ってた転移門がどうってのと、なんか関係あんの?」

 

 

 アキトは、そんな彼らの優しさに口元が震えるのを感じた。

 そんなに表情に出てしまっていただろうか、と頬に手を当てる。だとしたら、かなり情けなかっただろうと断言出来た。アキトは、そんな彼らの優しさに甘え、思わず気持ちを吐露してしまった。

 

 

 「あ……その……《アークソフィア》って街に転移したいんだけど、転移門が起動してくれなくて」

 

 「あーくそふぃあ?聞いた事無いな、何処の街だよ」

 

 「……え?ああ……そっか」

 

 

 街の名前に心当たりが無い彼らに、アキトはすぐに納得した。

 現在《アインクラッド》では、システムエラーによって76層より上に行くと下層に戻れない。故に彼らがここに居るという事は、76層よりも上を知らないという事だ。

 アキトは説明の為の言葉を探しつつ、ゆっくりと口を開いた。

 

 

 

 

 「えっと……《アークソフィア》は76層の────」

 

 

 

 

 ────しかし、次の言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。

 

 

 

 

 「アレじゃね?最近開放された層の」

 

 

 「違ぇよ。それは《カームテッド》だろ」

 

 

 

 

 ──── ドクン

 

 

 

 

 「……え?」

 

 

 

 

 彼らが口にしたその街の名前を聞いて、自身の表情が固まるのを感じた。彼らの言った事が、すぐに理解出来ない。

 何故だか、口元がわなわなと震える。思わず顔を上げると、急におとなしくなったアキトを訝しげに見ていた。

 

 

 《カームテッド》

 

 

 その街の名前が、頭から離れない。

 彼らが言うには、それが最近開放された街の名前。だが、それは絶対に有り得ない、おかしな話なのだ。なのに、そう言おうとしているはずの口が上手く動かない。

 

 

 

 

(カームテッド……?え……何、言ってるの、この人達……だって、その街は……)

 

 

 

 

 ──── 74層の、街の名前だ。

 

 

 

 

 「え……な、何言ってんだよ……今、だって、最前線は87層で────」

 

 

 

 

 ──── “今度、みんなで74層の迷宮区に攻略に行くんだけどさ、アキトも行かないか?”

 

 

 ──── “攻略組はいつだって戦力不足だろ?人手は多い方が良いし、そろそろボス部屋も見つけないとだしな”

 

 

 

 

 「……ぁ」

 

 

 

 

 アキトはこの時、アヤトからの誘いの言葉を思い出していた。何故このタイミングで思い出したのかと疑問を自身で投げかけても、それはすぐに氷解していく。

 そう。アキトはあの時、確かに違和感を感じていたのだ。

 

 

 アヤトが“レベリング”ではなく“攻略”と言った事。

 

 “攻略組”と発言した事。

 

 “ボス部屋を見つけないと”と呟いた事。

 

 

 既に攻略済みの場所を、攻略とは普通呼ばない。ボスを倒したはずの部屋に用なんて無いはずなのに、彼らはその部屋を探していた。

 あの時アキトは、確かにその言い回しに違和感を抱いたはずだったのだ。なのに。

 なのに、それを気に留めはしなかった。だけどあれは。あの言葉はまるで。

 

 

 ────まるで、74層が()()()()()()()()()()()()()()()言い方だと。

 

 

 アキトは、段々と背筋が凍るのを肌で感じた。

 体温が低下し、氷のように冷たくなるのを感覚的に理解し、この状況に戦慄した。

 嘘だ、有り得ない。

 これは夢なのだと何度も言い聞かせる。なのに。

 情報が足りな過ぎるはずなのに、アキトは今、この状況の正体について、頭の中でたった一つ、仮説を立てられてしまった。

 

 

 絶対に、有り得ない仮説を。

 絶対にあってはならない仮説を。

 

 

 「……今の、西暦と日付は……?」

 

 

 震える声で、そう呟く。

 その言葉を発した黒い剣士の瞳は、困惑と焦燥、そしてそれを打ち消す程の恐怖に彩られていた。

 三人はその尋常ではない様子に、自然とその答えが漏れた。

 

 

 

 

 「二〇二四年、十月十七日だけど……」

 

 

 「────」

 

 

 

 

 それを聞いたアキトは。

 ずっと手にしていた転移結晶を、地面へと落としてしまった。石畳にぶつかった結晶は、ガラスのように簡単に砕け、散っていった。

 彼らから聞いた、今の西暦と日付。それは、アキトが認識していた時間軸と明らかにズレていた。

 本当なら、本来なら、今は二〇二五年、二月過ぎのはず。

 

 

 

 

 二〇二四年 十月 十七日

 

 

 

 

 それは、まだアキトが71層辺りに居た頃の時間。

 そして、最前線が74層だった頃の日付だった。その事実に、アキトは落ちた結晶を確認する事もせず、振り返って転移門を見つめた。

 

 

 「……ここ、は」

 

 

 ──── 思えば、初めから違和感ばかりだった。

 

 

 突然、74層の迷宮区に転移させられた事も。

 有名ギルドでかつ女性プレイヤーであるコハルの事を知らなかったのも。

 アヤトという少年が親しげに《月夜の黒猫団》の事を話していたにも関わらず、自分は彼の事を初めて見た事も。

 《生命の碑》で横線が引かれていたはずのサチとケイタの名前が復活していたのも。

 《アークソフィア(75層より上)》に帰れないのも。

 今日の日付が、自分が認識していたものと比べて四ヶ月近く遡っている事も。

 全て、全てが、アキトの知っているものと違う。

 有り得ないと、馬鹿馬鹿しいと嘲笑うべきはずの仮説なのに。なのにただ身体が震え、否定する気力が湧いてこない。

 嘘だ、夢だ、幻だと訴えても訴えても、この衝撃が脳内を覆う。

 ここは。

 この場所は。

 この、世界(・・)は。

 

 

 

 

 「……何処、なんだよ」

 

 

 

 

 冷たく暗い、闇色の世界。

 そこに立っていたアキトは、何も無い虚空を見上げた。

 それは、二年以上いたはずの世界で、初めて見るもののように思えた。何もかもが違う、未知なる世界に思えた。

 

 

 

 

 そう。ここは黒猫が知る世界とよく似た、まやかしの世界。

 

 

 

 

 ──── そして。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒猫の帰る場所の無い、孤独の世界。

 

 

 

 








アヤト 「……コラボだよね?」←出番無し

アキト 「結構長編の予定だからさ……じ、次回はちゃんと出るから……」













整理も兼ねまして、IFストーリーを別枠に設けさせて頂きました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。
今後も何卒よろしくお願いします。







次回 『初対面との再会』


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Ep.3 初対面との再会







──── 物語ほど、世界は綺麗じゃない。








 

 

 

 

 ──── 我々は、当たり前だと思っている。

 

 

 思い立てば誰だって、自分の行きたい所へ行ける事を。

 

 

 いつでも、自分の想いを大切な人に伝えられる事を。

 

 

 平凡で在り来りで、変わり映えしなくとも、満ち足りた日々が続くであろう事を。

 

 

 手を伸ばせば、誰かの手を掴める事を。

 

 

 けど、そんなものはきっと。

 少し勝手が変わるだけで、簡単に崩れていくもので。長い年月を経て、培われてきた幻想で。

 もし、それらを全て失ってしまえばきっと。当然だったものが消えてしまったならきっと。

 何もかもが違って見えるのかもしれない。

 知っていたはずの世界が、未知のものに見えるのかもしれない。

 

 

 その時、自分は。

 そんな世界で、大切な場所を見つけられるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 ──── ぶるりと、身体を震わせた。

 

 

 その拍子に僅かだが意識が覚醒し、感覚が甦る。最初に感じたのは辺りの静寂。そして次に、冷え切った身体。朧気な視界の中、その焦点が段々と合ってくると、自分が今何処に居るのかを教えてくれる。

 異常なくらいの静けさと、ほんの少しの肌寒さ。それはもう慣れたもので、そこお陰でここ場所の正体すら悟れてしまう。

 

 

 「……」

 

 

 細めていた瞳をどうにか見開く。だが未だに睡魔が起床の邪魔を繰り返し、開きかけていた瞳がまたすぐに閉じ始めていた。

 別段朝が苦手という訳でも無かったが、この時ばかりは眠くて仕方が無かった。ふと気が緩めば、再び夢の世界へと誘われてしまうだろう。

 しかし、今自分が横になっている事に気が付くと、どうにか意識を覚醒させた。今度こそ瞳は完全に見開き、その場で身体を起こす。

 ふと見れば、アキトは水色の寝袋に身体を収めていた。何故なのかをすぐに理解し、そこから這い出る。

 

 

(……そうだ、ここで寝たんだった……)

 

 

 上半身を起こして最初に目にしたのは、眼前に聳え立つ黒い石碑。言わずがもがな《生命の碑》であった。

 そう、ここは第一層《はじまりの街》にある《黒鉄宮》、その中だった。ここで寝泊まりをするような奇特な人間は勿論いる訳もなく、アキトは昨日ただ一人、ここで夜を明かしたのだ。

 理由は一つ。何処も彼処も、知らない場所のように見えたからだ。行く宛が無く、仕方無くここで眠ったに過ぎない。

 

 

(ここもきっと……知らない場所なんだろうけど……)

 

 

 アキトはすぐさま寝袋を仕舞い、立ち上がって装備を整え始める。黒いロングコートに、紅色の剣。そうしていつもの状態を完成させると、再び《生命の碑》を見上げた。

 《月夜の黒猫団》全滅後、毎日のように来ていたこの場所。幾度と無く見上げたその石碑が今はまるで知らない美術品のよう。

 傍から見れば大した違いじゃないかもしれない。実際、普通のプレイヤーならまず違いなんて分からない。だが、そんな些細な違いだからこそ、何度と無くこの場所に向かい合ったアキトには分かるのだ。この目の前の《生命の碑》が、自分の知っているものと違う事を。

 大切な人達に引かれていたはずの横線の削除。死んだはずの人の名前が復活し、色を宿している。

 石碑だけじゃない。ここに来てから、不可解な事は多くあった。

 

 

 未知のプレイヤーの存在。

 最前線の後退と時間の逆行。

 そこに住まう彼らの言動。

 

 

 それらが示すのは、この場所がアキトの知るものと明らかに違うという事だった。

 一見、アキトの知るSAOとそっくりの空間。すぐには分からないだろう。けれど、この場所が自分の大切な場所と何もかも違っている事を、アキトだけは理解していた。

 

 

 ──── そう。ここは、()()()()()()()()()()

 

 

 まるでどこかの異世界漂流ものの小説のようだと鼻で笑おうにも、目の前の事象全てがそれに行き着いてしまう程に生々しい。だから、それが嘘だと、偽物だと、夢幻なのだと思えなかった。

 原因も過程も何もかもが不明のまま、アキトはこの場所に───この世界に立ち尽くしていた。気が付けば、この世界にいたのだ。故に何故そうなったか、その理由すら分からない。

 それを解明しようにも情報が少な過ぎる。あまりにも絶望的な状況だった。

 必死にここに来るまでの過程を思い出そうと頭を回転させる。だが分かったのは、元々自分は《ホロウ・エリア》へと向かっていたはずだという事だった。

 

 

 「……っ」

 

 

 アキトは再び《生命の碑》を見上げ、目を細める。

 苦々しく表情を歪めると、固く拳を握り締めて踵を返す。そのまま石碑に背を向けて、この建物の出口へと足を向けた。

 ここに居ても、何も解決しない。ならば手掛かりを探さねばと、無意識にそう行動していた。

 元居た世界から隔絶され、一人置き去りにされた孤独感。その焦りを誤魔化すように、アキトは歩いた。

 

 

 

 

 ──── その《生命の碑》に、《Akito(アキト)》の名前は無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 74層 《カームテッド》

 

 

 そこが、アキトの目的の場所だった。

 《黒鉄宮》から出たアキトは、そのまま迷う事無く転移門のある方向へと一歩踏み出した。

 この場所に態々足を運ぶプレイヤーは少ない為、辺りはアキト以外誰もいない。あまりの静けさに、石畳の地面をブーツで叩けばカツカツと音が鳴る。それが心地好く感じる反面、やはりふと思うのは今の状況を打破する方法だった。

 何故こうなったのか。色んな仮説が頭を過るが、確証も証拠も無く、立証すら難しい。まだ夢の中である可能性だって捨て切れないし、実はSAOによく似た《ホロウ・エリア》の一部分の可能性もある。元々アキトは、《ホロウ・エリア》に居たはずなのだ。

 それに、これが高度なクエストの可能性だってある。プレイヤーの深層心理に《カーディナル》が直接干渉(アクセス)し、そのプレイヤーが望むような、都合の良い夢幻を見せている可能性だ。サチやケイタといった、アキトにとって生きていて欲しいプレイヤーの名前が《生命の碑》に記載されているのがその仮説を考えた理由でもある。そうなると、何故そこまでする必要があるのかという新たな疑問が出てくるわけだが。だが、そもそも《ナーヴギア》でこのSAOにログインしているこの状況すら夢のようなものだ。原理が分からなくとも、それくらいなら出来てしまえるのではと思えてしまう。

 

 

 そう、ここがパラレルワールドだなんて、そんな出来過ぎた話がある訳無い。

 これはアキトが元々居たSAOの世界で、今この現状は、何らかの大型クエストなのだ。そうに決まっている。

 そうでないと、焦りを隠せなくなる。震えが止まらなくなる。クリア出来るクエストなのだと、解決策が必ずあるゲームなのだと解釈しなければならない。

 もし、このままこの場所で、帰れなくなったら────

 

 

(落ち着け、まだ慌てるような時間じゃない……今あるだけの手掛かりで可能性を探さなきゃ……)

 

 

 必死に胸の鼓動を抑えようとするアキト。片手を心臓部分に押し付け、そこを鷲掴みにする。自然と呼吸が荒くなり、息が整わない。

 揺れる瞳をどうにか抑え、アキトはいつの間にか止まってしまっていた足を再び動かし始めた。

 今やるべき事を頭の中で確立する。目的の達成要件、それは現状の解明と打破。その為に最初に行うべきはこの世界の謎だ。

 

 

 故に目指すのは《アインクラッド》最前線───74層だ。

 

 

 アキトの知る世界での最前線は現在87層。

 75層で起きた大規模のシステムエラーによって、76層から上と75層から下は隔絶された。今や上層に上がれば、二度と下には戻れない。

 けれどこの場所は、そもそもの最前線が74層であり、アキトの知る世界とは13層も下だ。

 本当に最前線が74層なのか、それを確かめる必要がある。

 もしかしたらその足で《アークソフィア》まで帰れるかもしれないと、僅かな希望にすら縋る自分が情けなくなるが、それでもそんな希望で自分を動かさなければならない。

 まずは《アークソフィア》を目指す。それだけだった。

 

 

 「あ……」

 

 

 顔を上げると、既に広場に出ていた。

 広大な《はじまりの街》の中央に備わる転移門。気が付けばその場所に辿り着いており、アキトはふと我に返る。

 思えば昨日、あの三人のプレイヤーにあってから、転移門の不具合があるのかどうかの検証もせず、逃げ帰るように《黒鉄宮》に向かってしまった為に録な検証もしていない。

 アキトは口を噤んだまま、転移門に足を踏み入れる。何故か今までに無い緊張感が去来し、身体が強張った。

 

 

 ────本当に、転移出来るのか。

 

 

 昨日、76層への転移が出来なかった事を思い出す。この世界の最前線が74層なのだから、転移出来ないのは当たり前なのだが、大切な場所へと帰れなかった恐怖は、あの出来事で脳裏に焼き付けられてしまっていた。

 《アークソフィア》に転移出来ない。それだけで、孤独感が胸を襲った。

 

 

 「っ……転移、《カームテッド》」

 

 

 そう告げた瞬間、アキトの身体から光が放たれる。それは彼の身をあっという間に包み込み、やがて視界すらも白く覆った。

 転移門は、正常に稼働している───その事実に安堵の息を吐くと同時に、アキトに真実を突き付けていた。

『転移門は不具合を起こしている訳では無い』という事実。つまり、76層に転移出来なかったのは、単純にこの世界の76層が有効化(アクティベート)されていないからだ。

 それは、この場所がアキトの知る世界とは違う事を裏付ける事にもなり、アキトは堪らなかった。

 

 

(っ……くそっ……)

 

 

 どうにか気持ちを振り払い、強くなる光に思わず目を瞑る。

 だが転移門の光に目を細めるのも一瞬で、その光芒が散るとゆっくり瞳を開いた。

 

 

 そこには、懐かしの74層の街《カームテッド》が広がる────はずだった。

 

 

 

 

 だが────

 

 

 

 

 「っ……?」

 

 

 

 

 目の前には、自分よりも大きな人影が聳え立っていた。いきなりの事で、途端に驚きの声が漏れる。

 

 

 「うおっ……」

 

 

 アキトは思わず一歩後退すると、視界に映らなかった人影の首から上が拝めるようになった。

 目の前にいたのは、白のマントと分厚い金属鎧に身を包み、黒い長髪を後ろで束ねる痩せた男だった。目付きは悪く、視界にアキトを収めると、分かりやすく苛立ちを見せ、目の前に立つアキトに対して邪魔だと言わんばかりに舌打ちをして迫って来た。

 

 

 「っ……退けっ、クソガキ!」

 

 「痛って……!」

 

 

 そのプレイヤーはアキトに態とぶつかるように歩くと、そのまま転移門へと足を踏み入れる。アキトはぶつかった事で体勢を崩し、後ろへと倒れてしまった。

 故意にプレイヤーにぶつかった為、途端に《犯罪防止コード》がアキトの目の前に表示される。だがその白マントのプレイヤーは転んだこちらを蔑むように見下ろすと、知った事かと鼻で笑い、そのまま転移していった。

 

 

(……今の、《血盟騎士団》か……?)

 

 

 身に纏う装備のカラーから、その色をイメージとするギルドを頭の中で連想する。分かりやすく白を基調としたあの金属鎧は、間違いなく《血盟騎士団》のプレイヤーだろう。

 となると、アスナや先日出会ったコハルと同じギルドのメンバーという事になる。だが、あんなに素行の悪そうなプレイヤーもいるのだろうか。

 アキトは小さく息を吐くと、目の前の《犯罪防止コード》に表示される《No》ボタンを躊躇い無くタップした。

 そしてふと我に返ると、何故か周りには多くのプレイヤーが立っており、一斉に尻餅を着いているアキトを見つめていた。今の状況を理解したアキトは途端に恥ずかしくなり、すぐさま起き上がろうと地面に片手をついた。

 

 

 

 

 すると────

 

 

 

 

 「アキト!」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 ────つい昨日聞いた、少年の声がした。

 

 

 心臓が大きく飛び上がる程の驚きと、それと同じくらいの安心感が一気に胸に押し寄せる。

 アキトが振り返れば、そこにはやはり昨日出会った少年と少女の姿があった。二人はこちらに向かって、慌てて駆け寄って来る。

 

 

 ────ああ。この声を、自分は知っている。

 

 

 自分とほぼ同年代であろう二人であり、この世界に来て初めて出会った二人────アヤトとコハルだった。

 

 

 「アキトさん、大丈夫ですか!?」

 

 「アヤト……コハル……うん、大丈夫」

 

 「立てるか?ほら……」

 

 

 アヤトはそう言ってアキトに手を差し伸べる。

 そこにはこちらを心配する優しさしか無くて、アキトは堪らず、自然とその手を取った。

 引き上げる力が想像以上に強くて、アキトは一気に立ち上がる事が出来て、アヤトと同じ目線になる。すると、アヤトは柔らかな笑みをこちらに向けてきた。

 

 

 「……来てくれたんだな」

 

 「あ、いや……」

 

 

 アキトは、昨日アヤトに攻略の誘いを受けていた事を思い出す。アヤトの誘いに連れられて来た訳ではないので、上手く返事を返せない。

 だが彼の笑顔はとても温かく、アキトが良く知る人達と似た笑顔。それが今ではとても眩しくて、思わず目を逸らしてしまう。

 

 

 「あの……」

 

 

 そんなアキトとアヤトの傍まで駆け寄ったコハルは、申し訳無さそうに眉を寄せて、アキトに向き直った。

 

 

 「アキトさん、すみませんでした。うちのギルドメンバーが……」

 

 

 突如頭を下げるコハルに、アキトは思わず目を見開く。

 何を謝られているのか一瞬だけ考えたが、彼女の発言からすると、先程ぶつかって来た白マントの痩せ男の事だろうとアキトは理解した。

 

 

 「へ?……ああ、今の……やっぱり《血盟騎士団》のプレイヤーだったんだ……」

 

 「はい……クラディールって言って……アスナ(・・・)の護衛の任に就いていたんですけど……」

 

 「今ちょっと一悶着あってさ。デュエルでキリト(・・・)がコテンパンにしたんだよ」

 

 

 

 

 ────瞬間、その二人から放たれた二つの単語に、アキトは耳を疑った。

 

 

 

 

 「……ぇ」

 

 

 

 

 ────アスナ。

 

 

 ────キリト。

 

 

 

 

 二人とも、アキトの良く知る人物の名前だった。

 それを聞いた瞬間身体が震え始め、瞳が大きく揺れ動いた。冷静を保っていた理性は再び制御下を離れて暴走を開始する。

 今にも震えそうな声を抑え、アキトはどうにか二人に問い掛けた。

 

 

 「アスナと……キリトが、ここにいるの……?」

 

 「え?あ、はい……」

 

 「すぐそこにいるけど……っておい、アキト?」

 

 

 コハルとアヤトの言葉を聞くと、アヤトの呼び掛けを無視して歩き出した。キリトとクラディールのデュエルを見終わって散り散りになるギャラリーを掻き分けて、アヤトが指差した場所へと一心不乱に進み行く。

 この世界に、自分の知っている人がいる。それを知ってしまったら、もう止まれなかった。それだけで、目の前のプレイヤー達を掻き分ける事も、苦では無くなっていた。

 

 

(キリト……アスナ……!)

 

 

 心の中で二人の名を呼ぶ。

 76層に来てから、ずっと傍に寄り添って、支えてくれた二人の名を。

 

 

 

 

 そうしてプレイヤー達の間を通り、開けた場所に出た瞬間。

 

 

 

 

 「ぁ……」

 

 

 

 

 ────その先に、二人はいた。

 

 

 黒いロングコートに黒いシャツ、黒いブーツに黒い剣。何から何まで黒で統一された装備を着込んだ、中性的な顔立ちの少年。

 

 

 《血盟騎士団》のカラーである赤と白を基調とした騎士風の戦闘服に、白革の剣帯に吊るされた白銀の細剣を装備した栗色の長髪の少女。

 

 

 ────二人を、アキトは知っている。

 

 

 

 

 「……キリト……アスナ……」

 

 

 

 

 アキトは思わず、二人の名を呼んだ。呼ばずにはいられなかった。

 呼ばれたキリトとアスナは、アキトの方へと視線を向けた。その顔を見て、アキトは心臓に熱が灯るのを感じた。

 たった独りでこの訳の分からない場所に飛ばされてから、やっと出会えた大切な人。

 今にも泣きそうな顔をなんとか引き締めて、一歩一歩着実に足を前に出す。そのままキリトとアスナにゆっくりと近づいて、何を言おうかと迷いながりもどうにか口を開く。

 

 

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「あの……君は……?」

 

 

 

 

 ────キリトから発せられたその一言で、アキトの身体は固まった。

 状況を受け入れられずに、思わず見開いた瞳の先には、キリトとアスナの驚いたような表情があった。こちらを見て、上から下まで不思議そうに眺める顔。

 まるで、初めて出会った人のような反応と態度だった。

 

 

 “お前なんか知らない”と、そう言っているようだった。

 

 

 「────ぁ」

 

 

 アキトは、我に返ったかのように。思い出したかのように声を漏らした。

 途端、溢れそうになっていた気持ちが嘘のように消え去り、冷めた心がそこにあった。暴走は既に収まり、冷静になった感情と理性を宿したアキトが、そこに立っていたのだった。

 今の二人の反応で、仮説が全て真実になってしまったのだと知った。もう、覆す為の材料が尽きてしまった事を悟った。

 そして、この世界で自分は孤独なのだと理解してしまった。

 

 

 

 

 ────この世界の二人は、自分の事を知らない。

 

 

 

 

 初めからアキトはこの世界で、たった独りだったのだ。

 

 

 

 

 「……っ!? それ……」

 

 

 

 

 瞬間、キリトがアキトの頭上を見て目を見開いていた。幽霊でも見たかのように驚いており、ただ一点を凝視していた。アキトはそんな彼の反応を訝しげに眺めていたが、すぐにその理由に気付いた。気付いてしまったのだ。

 それは、アキトの頭上にあるエンブレム───《月夜の黒猫団》のギルドマークに対しての反応だった。

 アキトが隠そうにももう遅く、キリトの表情は段々と悲痛なものに変わっていく。

 それだけで理解した。彼は、アキトの事を何も知らないのだと。

 彼は、アキトの知る人物とは全くもって違う事を。

 

 

 

 

 「どうしたんだよアキト、いきなり駆け出したりなんかして」

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 すると、後ろから二人程の駆け寄って来る音が聞こえる。

 振り返るまでも無く、アヤトとコハルのものだった。アキトは二人の心配したような顔を見ると、説明する事が出来なくなってしまった。

 

 

 「……いや、何でもない……」

 

 

(……そう。知り合いでも親友でもない。何でもなかったんだ……)

 

 

 アキトはそう言って俯いた。

 キリトとアスナ、二人はどちらもアキトの知っている人では無かった。どちらも自分の事を知らない。初めて見たかのような反応だった。

 冷静になれば、キリトは自分の中で存在しているのに、こうして目の前にいる訳がない。少し考えれば分かったはずなのに、その姿を見て気が動転していたのか、浮かれてしまったのか。どちらにしても、情けなかった。

 そんなアキトの周りでは、他四人が会話を紡いでいた。

 

 

 「この人、アヤト君とコハルの知り合い?何ていうか……」

 

 「キリトにそっくり、だろ?俺も最初にそう思ったんだよ」

 

 「私も……キリトさん、お知り合いですか?」

 

 「い、いや……俺も初めてだ。えっと、その……アキト、で良いのか?」

 

 

 その会話を聞いて、アキトは悲しげに笑った。

 戸惑いがちにキリトから繰り出された、『知らない人』宣言。当然だったが、いざされるとこんなにも心抉られるものなのか。

 アキトはどうにか表情に出さぬよう努め、顔を上げて返事をする。

 

 

 「……はい。今は訳あって(・・・・・・)ソロプレイヤーなんですけど……えと、よろしくお願いします」

 

 

 その言い方は、キリトに『これ以上聞くな』という意味を含めての発言だった。アキトのいた世界では、アスナはキリトの事情を少なからず知っていた。この世界でアスナはまだキリトの過去を知らないのかもしれない。

 だがサチとケイタが生きているにも関わらず、キリトのこの反応を見るに、恐らくこの世界でもキリトは黒猫団と何か縁があるのだろう。

 なら、余計な干渉はしない方が良い。この世界のキリトにとって、アキトは初対面だ。そんな奴に根掘り葉掘り聞かれたくないだろうし、その方がアキトも素性を話さなくて済む。

 そして、アキトのその言い方の意図をキリトも、そしてアヤトも理解したようだった。

 

 

 「そ、そうなのか。俺はキリト。俺もソロ……あー、いや、今はパーティーを組んでる」

 

 

 アスナに睨まれ、言い直すキリト。

 可笑しそうに笑うアヤトと苦笑するコハルを前に、アキトも寂しそうに笑う。けれど、そこに気持ちは込められていない。

 きっと今この場の状況は五人では無く、四人と一人だった。それがとても切なくて、思わず零したなけなしの笑みだったのかもしれない。

 この世界は、一体自分に何を見せているんだろう。何を見せ付けていて、何を伝えたいのか。アキトは全く分からなかった。

 そんなアキトの隣りで、アヤトが何かを閃いたように告げた。

 

 

 「……ああそうだ。今日の攻略、アキトも一緒に行こうぜ」

 

 「え?」

 

 

 突然の切り出しに思わず顔を上げるアキト。

 話が見えないキリトとアスナは目を丸くしてアヤトを見ているが、どうやら彼とコハルは乗り気で本気らしく、続けて言葉を紡ぎ始めた。

 

 

 「昨日言ったろ?そろそろボス部屋見つけないとって。それに────」

 

 「アキトさんの強さなら、最前線も問題無いと思いますっ」

 

 

 アヤトとコハルが、二人でそう説得してくる。

 コハルに関しては、昨日共に攻略した事で実力を見せている為、アキトの実力を疑う余地は無い。アヤトも、そんなコハルの言動を信じているのだろう、そこには迷いも躊躇いも見えない。

 アヤトは振り返って、キリトとアスナに問い掛けた。

 

 

 「なあ二人共、別に良いだろ?」

 

 「俺は別に構わないけど……」

 

 「でも、彼レベルとか大丈夫なの?最前線だし……」

 

 

 キリトとアスナはアキトの実力を知らない為か、不安げな眼差しを向けてくる。恐らく、アキトが『攻略組志望』と身分を偽った所為だろう。

 最前線に来た事も無い素人プレイヤーだと思われているかもしれない。いきなりの最前線で大丈夫なのか、その辺りが不安なのだろう。何処にいても変わらない優しさに、アキトは嘘をつくのが申し訳無く感じた。

 そもそもレベルだって、この時間軸で言えばここにいる誰よりも異常なくらい高い。最前線が違う事もあるが、アキトはただでさえ《ホロウ・エリア》という高難易度エリアの攻略をもしている為、アキトの知る世界の攻略組と比べてもかなりレベル差がある。

 彼らが心配してくれる事に多少の罪悪感を抱きながらも、口を開きかけたアキト。だが、そんな彼に代わって話し出したのはコハルだった。

 

 

 「大丈夫だよアスナ!アキトさん凄く強いんだからっ!」

 

 「え、えぇ?なんでコハルが知ってるのよ?」

 

 

 当然出るであろう疑問がアスナから溢れる。

 それに答えたのは、昨日コハルに話を聞いていたアヤトだった。

 

 

 「昨日助けて貰ったらしい。74層で」

 

 「へぇ……じゃあアキトはもう最前線でレベリングしてるのか?」

 

 

 今度はキリトが疑問を投げてくる。

 アキトはキリト同様に黒ずくめで、こんな見た目をしていれば目立つに決まっている。それでも今までにそんな話を聞かなかったのだろう、彼らは驚きの目でアキトを見つめていた。

 こんな見た目のプレイヤーが最前線でレベリングをしていれば噂にならない筈がない。故に、アキトが誰にも知られずに最前線に立っていた事実は、キリトからしてみれば不自然なのだろう。

 

 

 ────まあ不自然も何も、アキトがこの場所に来たのはつい昨日の事で。

 

 

(気が付いたら74層でした、なんて言えないもんなぁ……)

 

 

 アキトはキリトの問いを苦笑いしながらなんとなく誤魔化した。

 その間に、コハルから一通りの話を聞いたのだろう、アスナがアキトに向き直り、挑戦的な笑みを向けてきていた。

 

 

 「それじゃあアキト君。試験も兼ねて、私達と74層の攻略に行きましょう。キリト君もご意見番としてよろしくね」

 

 「ああ、分かった」

 

 

 と、何の了承も無く話がどんどんと進んでおり、僅かに戸惑うアキト。しかし隣りにいるアヤトとコハルも、もうアキトの同行が決まったかの如く嬉しそうに笑っており、アキト自身何も言えなくなってしまった。

 元々74層に行く予定だったし、人数は多い方が良いので、文句なんてある訳ないのだが。

 

 

 「……はい、分かりました。よろしくお願いします」

 

 「タメ口で良いよ。名前も普通にキリトで」

 

 「私もアスナって呼んで」

 

 「っ……分かった。よろしく、キリト、アスナ」

 

 

 ここでは初対面、だが漸く再会した顔触れに、アキトは漸く挨拶を交わすのだった。

 少しばかり辛く、言葉に詰まって泣きそうだったが、それでも自然な笑みを向ける事が出来た。

 一人でこの問題を解決しようと思っていたアキトだが、こうして攻略の手伝いをしてくれるメンバーがいるのはとてもありがたい。アキトは、少し抵抗がありながらも、彼らと行動を共にする事を決めたのだった。

 

 

 それに────

 

 

(気になる事もあるし……)

 

 

 アキトは、そう言ってチラリと視線を動かした。

 

 

 

 

 向けた先は、アヤトとコハル。

 

 

 

 

 アキトの世界では見た事も聞いた事も無い、二人のプレイヤーの存在だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 76層到達前のキリトとアスナがどう過ごしたのかを、アキトは知らない。偶にアスナから思い出話を聞いたりはするが、それでも断片的な事しか理解していなかった。

 故に、アキトがこうして攻略に赴いて二人の連携を見るのは、実は初めてだった。

 

 現在地は74層の迷宮区の最上部近くの、左右に円柱が立ち並ぶ長い回廊の中間地点。

 そこではおりしも戦闘の最中で、各自連携して敵モンスターの制圧に掛かっていた。相手は二種類、一つは身長二メートルをも超える身体を持ち、長い直剣と金属盾を装備する骸骨の剣士型のモンスター《デモニッシュ・サーバント》だ。筋肉など存在しないはずの骨腕から繰り出される攻撃は重く、アルゴリズムが変わりつつある最前線においては面倒で厄介な敵だといえる。その敵を囲うのは、キリトとアスナだった。

 もう一種類はアキトとコハルが昨日相手にした《リザードマンロード》だ。現在はアヤトとコハルがその一体を相手にしている。奴らの元々の主武装は曲刀と盾だったが、最近は個体によって持っている武器が違う為、相性の善し悪しが生まれる敵だ。そのうえ集団で動く事が多く、ソロプレイヤーもしくは少人数パーティーとの相性は最悪だった。

 

 だが、アキトの目の前で繰り広げられているのは、信頼と経験によって組み上げられた、完成形に近い高度な連携だった。加えて一人一人の戦闘技術とレベルが高く、アキトはただ魅入る事しか出来ない。

 

 

 「────っ!」

 

 

 骸骨から繰り出された四連撃《バーチカル・スクエア》を、左右へのステップで華麗に躱し切ったアスナ。大振りを買わされた骸骨が僅かに体勢を崩した瞬間、アスナは一歩で相手の懐に飛び込んだ。

 瞬時に突きを繰り返し、相手に思い通りの行動をさせないよう先回りして封じる。そして、僅かに相手の動きが乱れたのを機に、アスナは八連撃技である《スター・スプラッシュ》を叩き込んだ。

 

 

 「キリト君、スイッチ行くよ!!」

 

 「おう!」

 

 

 その掛け声を合図に、アスナの単発技は骸骨の盾にぶつかる。火花が散り、僅かに硬直した敵の正面に、キリトは飛び込んだ。先程奴がアスナに繰り出したのと同じ《バーチカル・スクエア》を、お返しとばかりに叩き込む。

 

 

 「……凄い」

 

 

 それをまじまじと見ていたアキト。文句無しの動きに、溜め息しか出ない。

 するとその横で、別の一組がリザードマン相手にこれまた凄まじいチームワークを見せていた。

 

 

 「───よいしょっと!」

 

 

 リザードマンから放たれた刀スキル《浮舟》を、絶妙なタイミングで片手剣スキル《レイジスパイク》で相殺するのは、片手剣使いのアヤト。

 剣と剣がぶつかった金属音から、アヤトのソードスキルの威力が伺える。あまりの振動に耳がやられてしまいそうだった。

 すると、掛け声も無しにコハルがその個体に接近し、アヤトは後ろから迫るコハルを見ずに後退する。

 

 

 「はぁ!」

 

 

 瞬間、コハルが短剣に光芒を纏わせ、リザードマンを一瞬で四散させた。短剣スキル《ラピットバイト》だ。その一連の連携を見たアキトは、驚きで僅かだが震えた。

 アキトの知る世界では名前すら聞かなかった《アヤト》と《コハル》の両名。しかしその実力は本物で、洗練された戦闘技術には、この二年間での研鑽の結果が染み付いていた。

 そして、今目の前で起こっていたのは掛け声無しの《スイッチ》。互いの位置や攻撃のタイミングを把握してなければ不可能に近い高等技術に、アキトは瞳を揺らした。

 一体、どれだけの信頼があれば────

 

 

 「……!? アヤト!」

 

 「っ……!」

 

 

 瞬間、アヤトの名を叫ぶコハルの声でアキトは我に返る。

 気が付けば、アヤトの周りには数体のリザードマンがポップしていた。先程言ったように、リザードマンは集団で動く修正がある。彼らが手にしていた得物は曲刀、メイス、斧、片手剣と種類も豊富だった。

 彼らが一瞬でアヤトを囲い、同時に飛び出す。それぞれが武器を天に掲げ、彼に目がけて一気に振り下ろしてきた。

 

 

 「っ────!」

 

 

 それを見た瞬間、アキトは地面を蹴り飛ばす。その身体は一気にアヤトの元へと飛んで行く。

 同時に、リザードマンの襲撃に気付いたアヤトが、自身の片手剣《クラレット》に輝きを纏わせる。少し遅れてアキトの《リメインズハート》が同様に光を放つ。そして、近付くリザードマンに向かって、二人は一気に剣を無いだ。

 

 アヤトは四連撃《ホリゾンタル・スクエア》、アキトは三連撃技の《シャープネイル》だ。まるで一つの芸術のような煌びやかな光景に、行く末を見ていたコハルは一瞬だけ魅入ってしまう。

 アキトとアヤト、二人同時に放ったソードスキルは、これまた同時に辺りのリザードマン全てを刈り取り、ポリゴン片と姿を変えてみせたのだった。

 それを見たコハルはパァっと顔を明るくし、アヤトとアキトに向かって駆け寄ってきた。アヤトはそれを笑顔で迎え、やがて二人でハイタッチを交わし始めていた。

 

 

 「やったね、アヤト、アキトさん!」

 

 「おう!アキトもお疲れさん」

 

 「え……」

 

 

 声を掛けられ、顔を上げるアキト。そこには、片腕を上げてこちらを見るアヤトとコハルの姿。

 一瞬、何をしているのか分からなかったアキトだったが、彼の言動と先程の行動から、すぐにハイタッチを求めてるのだと理解した。

 

 

 「お……お疲れ、様……」

 

 

 半ば照れながら、たどたどしく、アキトはそっとアヤトとコハルの手に自身の手を合わせた。ハイタッチと呼ぶにはあまりにも固く、それが可笑しかったのかアヤトとコハルは顔を見合わせて笑っていた。

 それを見たアキトは、つられてか否か自然と顔が綻んでいた。二人の笑みには、何か心に染み込むものがあったのだ。温かく、それでいて懐かしいような、そんな感じがした。

 昨日会ったばかりなのに、こんな事を思うのは変だろうか。

 

 気が付くと、隣りのキリトとアスナのペアも戦闘を終わらせたようで、こちらと同様に二人仲良くハイタッチを交わしていた。そうしてアキト達のいる方向まで歩み寄り、労いの言葉をかける。

 

 

 「みんなお疲れ」

 

 「お疲れー」

 

 「……お疲れ様」

 

 

 アキトはポツリと、力無く呟く。

 普通に会話をしているだけなのだが、やはり見知った顔であるキリトとアスナとは距離を感じたからだ。アキトにとっては仲間でも、二人にとってアキトは今日初めて会った攻略組志望の中層プレイヤーなのだ。

 それがとても辛く、酷くもどかしかった。

 

 既に最上部の中間地点。

 マップの踏破率は八、九割といった所だろう。アキトにとって既に攻略済みであったはずの74層迷宮区のマップは当初まっさらの状態に戻っていた。それがここに来てしまった事による調整なのかどうかは分からない。

 アキトは四人の後ろについて行きながら、思考を巡らせた。

 そもそも、ここがまだ異世界かどうかだって信じた訳じゃない。それは、明らかに突拍子も無い巫山戯た話だし、考える事を放棄しているような気がするからだ。

 

 

 ────しかし、とアキトはキリトを見やった。

 

 

 「……な、なあ、アヤト」

 

 「ん?どうしたんだよ、キリト」

 

 「あのさ……アキトってその……《月夜の黒猫団》、なのか……?」

 

 「……分からない。ケイタやサチからもそんな話は聞いてないし……後で確認してみるか」

 

 

 彼はアヤトと辺りを警戒しながら何やら話を重ねていた。会話の内容こそ聞き取れないが、その表情や声は間違いなくアキトの知るキリトだった。

 けれど、アキトの知るキリトは今も自身の中で存在している。だからこそ目の前にキリトがいる事は、イコールアキトの知る世界ではないという事実を結びつけてしまう要因として顕著に現れていた。

 もしその仮説が正しいならば、最前線が74層なのも、時間が逆行していると感じるのもこの場所の仕様でシステムエラーによる不具合ではない事になる。

 突き詰めれば《黒鉄宮》の《生命の碑》も全くの正常という事。

 

 

 

 

 つまり、この世界において言えば、ケイタとサチは生きているという事────

 

 

 

 

 「……アキト?」

 

 「アキトさん?」

 

 「っ……」

 

 

 ハッとして顔を上げる。いつの間にか四人と距離が空いてしまっていたようで、四人揃って後方に立ち尽くすアキトを見つめていた。

 アヤトとコハルは心配そうな表情でこちらを伺っており、アキトは思わず言葉に詰まった。

 

 

 「ぁ……えっと……」

 

 「全然喋んないから振り返ってみれば、大分距離空いててビックリしたぞ」

 

 「……何か、あったんですか?」

 

 

 そう問いかける二人の後ろから、キリトとアスナが近付いて来た。アキトは思わずジッと見てしまい、慌ててすぐに視線を逸らす。

 するとキリトがそんなアキトを見て、躊躇いがちに口を開いた。

 

 

 「……一度、何処かで休憩でもしようか」

 

 「だ、大丈夫だよ。別に疲れてた訳じゃないんだ。ちょっと考え事してて……」

 

 

 咄嗟にそう言い訳をすると、今度はアスナが渋い顔を見せる。

 

 

 「もー、ボーッとしてたらダメだよ?最前線は危険なんだから」

 

 「す、すみません……」

 

 

 アキトはそう言ってアスナに謝る。

 今日が初対面であるはずの二人、そして昨日会ったばかりのアヤトとコハル。揃いも揃ってお人好しというのがアキトの抱いた印象だった。

 昨日今日会ったばかりの他人に、ここまでの心配をしてくれる人などそういない。アヤトとコハルは勿論、キリトとアスナ───アキトの知る人物は、やはり誇れる仲間だったのだと改めて感じた。

 アキトの素直な謝罪をアスナは快く受け入れ、再びマップ探索へと転じた。心の中ではサチとケイタの事を考えていたが、すぐに振り払う。今度は思考で行動が拙くならぬよう、辺りを警戒しつつアヤト達の会話に混ざるようになった。

 

 

 「それにしても……攻略組志望って言ってたから、相応の自信はあるんだと思ってたけど、アキト君ホントに強いのね。驚いちゃった」

 

 「え、そ、そうかな……」

 

 「ああ、即戦力だろ。なあ、キリト」

 

 「そうだな。連携も問題無くとれてるし、最前線でも充分に戦えると思う。俺も驚いたよ」

 

 「ふふっ、みんなべた褒めですね、アキトさん」

 

 

 彼らはアキトの事が気になっていたらしく、会話にアキトが参加するようになってからは、色んな質問をするようになっていた。元々は何処にいたのかとか、レベルはどの辺りなのかとか聞かれた際はヒヤヒヤしたアキトだが、キリトに《リメインズハート》の入手法を聞かれた時は何故か笑ってしまった。

 以前も似たような会話をしたなと、何処か懐かしさを感じながら。

 

 

 そうして進み、数回の戦闘を重ねると、一同は漸く至るべき場所に辿り着いていた。

 円柱の並ぶ薄暗がりの回廊を慎重に歩む。荘厳な印象を思わせるその場所は、硬い床の所為で足音が反響して緊張感を助長する。その中で、なんとも不思議な淡い光が辺りを満たし、光源が無いはずの迷宮区を僅かに照らした。

 薄青い光に照らされた回廊は、迷宮区下部とはまた印象が違っていた。初めは赤茶げた砂岩で構築されていた迷宮だったのに対し、今は素材が濡れたような青みを帯びた、冷たい印象の石に変化してきている。通り過ぎ行く円柱には華麗かつ不気味な彫刻が施されており、その根元は水路に没していた。

 

 

『っ……』

 

 

 行き着いた先を見上げ、息を呑んだ。

 その回廊の突き当たりで五人を待ち受けていたのは、灰青色の巨大な二枚扉だった。その扉には不気味な怪物のレリーフがびっしりと施されており、それらは総じてこちらを睨み付けているように見える。

 形容し難い妖気が湧き上がっているように感じるその扉は、いかにもな雰囲気を醸し出していた。

 それを見たアスナが、思わず声を震わせて尋ねた。

 

 

 「……これって、やっぱり……」

 

 「多分そうだろうな……ボスの部屋だ」

 

 「だな。威圧感凄まじいし」

 

 

 キリトとアヤトがそう答える。

 アキトも同意見────というか、アキトはこの扉がフロアボスの部屋だと既に知っていた。《アークソフィア》へと上る以前のレベリングで何度かここには赴いているからだ。なんならここにいるボスの名前と特徴も、断片的にだが聞いている。

 青眼の悪魔───《The Gleameyes(ザ・グリームアイズ)》。羊の頭をした巨大な二足歩行のモンスターで、大剣による攻撃と瘴気攻撃がパターンにカスタマイズされているらしく、アルゴリズムの変化で動きを先読みするのも困難だと人伝に聞いた。

 

 

 「……」

 

 

 だがしかし、まだ誰もボス部屋を見ていないこの状況でこの話をしていいものだろうか。言ったら最後、素性を怪しまれるのがオチではないだろうか。

 

 

 “まるで、76層に間に合わなかった自分に対する、過去のやり直しをさせる為の世界みたいだ”。

 

 

 そうアキトが一瞬躊躇っている間に、アスナがキリトに囁いた。

 

 

 「どうする……?覗くだけ、覗いてみる……?」

 

 「……覗いていくか」

 

 「え……ちょっとキリトさん!?」

 

 

 キリトの出した答えに、コハルは驚いた。

 

 

 「……ボスモンスターはその守護する部屋からは絶対に出ない。ドアを開けるだけなら多分……だ、大丈夫……じゃないかな……」

 

 

 しかし強気な物言いの後に繰り出されたキリトの発言は、語尾に行き着く頃には自信なさげに消えて行った。キリトもキリトで、何処かこの扉の奥にあるであろう恐怖を感じているのだろう。

 しかし、コハルはそれ以上に不安を抱えているようだった。アヤトは、そんな彼女に向かって大丈夫だと呟いた。

 

 

 「ま、覗くだけだし大丈夫だろ?何かあれば転移結晶で戻ればいい」

 

 「そうだな。一応転移アイテム用意しておいてくれ」

 

 「うん」

 

 「分かった」

 

 

 それぞれ頷くと、各自ポケットや懐から転移結晶を取り出した。アキトもそれに倣って転移結晶を左手に持つが、その時ふと、74層のボス部屋から結晶アイテムって使えない事を思い出した。

 つまりこの備えは無駄になる。だが部屋に入る訳ではなく、彼らも覗くだけのつもりらしい。言うだけ野暮だろう。そうして、彼らの隣りに並んで立った。

 

 

 「アキト、準備は良いか?開けるぞ」

 

 「……了解」

 

 

 横目で見てきたアヤトに頷くアキト。それを確認したアヤトは、結晶を持った左手を鉄扉にかけた。その腕は、コハルにしっかりと抱き締められていた。

 隣りを見ると、そっちではアスナがキリトのコートの袖をギュッと握り締めていた。

 

 ────この二組はもうお付き合いをしているのだろうか。

 

 今この場で考えるには至極どうでもいい事をアキトが頭の中で思い浮かべていると、アヤトが鉄扉にかけた左手に、ゆっくりと力を込め始めた。

 するとこちらの身長の倍以上ある扉が、左右で連動して開いていく。アヤトが軽く押しただけの扉は、こちらが慌てる程のスピードで動き、やがて完全に開き切るとズシンという衝撃と共に内部の暗闇をさらけ出した。

 

 そう、中は暗闇だった。

 アキト達の立つ回廊を満たす薄青い光は奥の部屋まで届いておらず、一寸先に何があるのかさえ分からない。ただ冷気を纏う雰囲気が、濃密な闇に溶けてその部屋中に染み渡っているのを感覚的に感じた。

 

 

 「っ……!」

 

 

 ────瞬間。

 突然入口付近の床の両側から、青白い炎が音を立てて燃え上がった。五人は急な現象に身体をビクリと震わせる。だがそれも束の間、すぐに少し離れた場所から同様の青い炎が左右から灯り出す。その炎はボボボボ……という連続音と共に段々と奥まで続いていき、気が付けば入口から置くにかけて真っ直ぐに炎の道が出来上がっていた。

 やがて、一際大きい火柱が吹き上がり、部屋一体が青い炎の光に照らし出される。そこはかなり広い長方形の部屋だった。

 

 

 ────そして、漸くその場にいるべき者が姿を現した。

 

 

 激しく揺れ動く火柱の奥から、ゆっくりと巨大な影が起き上がる。見上げる程に大きな影は、青い炎に照らされてその姿を露わにする。

 それを見た一同は、目を見開いた。

 

 

 巨大な体躯は、ここまでの迷宮区にあった岩のように盛り上がった筋肉に包まれており、その肌は深い青。

 下半身は濃紺の毛を纏い、その尾には蛇のような頭がついている。それは別の意思を持つかの如く動き、こちらを睨み付けている。

 分厚い鉄板の上には山羊に似た頭が乗っかっていた。その両側には太く捻れた角が反り立ち、目はこの場の炎のように輝いている。

 その視線の先にはアキト達五人をしっかりと捉えており、鋭い瞳は彼らから逸らさない。

 

 

 ────その姿は、正しく悪魔のそれだった。

 

 

 《The Gleameyes(ザ・グリームアイズ)

 

 

 定冠詞の付いた名前───間違い無くこの層のボスモンスターだ。

 直訳して『輝く目』、以前アキトが聞いた情報と名前も特徴も一致する。74層のフロアボスだと瞬時に理解した。しかし姿を見れば、直訳よりも相応しい名前がありそうだとアキトは思う。

 なるほど、『青眼の悪魔』とは、よく言ったものだ。

 

 ────アキトがそう納得した瞬間だった。

 

 突然の悪魔が、こちらを見て轟く程の咆哮を放ったのだ。炎の列が激しく揺れ動き、振動が床と空気を伝って身体にビリビリも伝わってくる。現実世界にいたのなら、間違いなく鼓膜が破れているだろう。

 それに五人が怯んだ瞬間、青眼の悪魔は右手に持ったその巨大な剣をかざす。

 するとどうだろう。口と鼻から青白く燃え上がる呼気を噴出したかと思うと、その巨体に似合わない速度で、地響きを立てながら真っ直ぐにこちらに走り寄ってきたではないか。

 

 

(来る……!)

 

 

 アキトは瞬時に左手の転移結晶を仕舞い、ポーションを数本指で挟み込んだ。《リメインズハート》を構え直し、こちらに迫るボスを睨み上げる。

 だが、不思議と表情に恐怖の色も、焦りも戸惑いも無い。それどころか、何処となく笑っているように見えた。

 今も尚近付いて来る敵に対して、アキトが感じているのは死の恐怖だけでない。

 

 

 ────目の前の敵を、今のレベルなら簡単に倒せてしまうのではという驕りだった。

 

 

(確かキリトが公で《二刀流》を見せるのはこの層のボスだったはず。ならここでキリトと一緒にボスを倒せば、75層へ行ける……!)

 

 

 そうすれば《アークソフィア》にだって───

 

 

 そうしてアキトがボス部屋に一歩、足を踏み入れる。

 フロアボス一体を相手にたった一人、完全に受けて立つ構えだった。

 

 

 しかし────

 

 

 

 

 「 「うわああああああああ!!!」 」

 

 

 「 「きゃああああああああ!!!」 」

 

 

 「え?な……ぐぇっ!?」

 

 

 

 

 突如左右から悲鳴が聞こえたかと思うと、アキトの両脇にいたキリトとアスナ、アヤトとコハルの二組がくるりとボス部屋と反対方向を向き、全力で駆け出したのだ────と同時に、アキトは自身のコートの襟を思いっ切り引っ張られ、そこまま連れ去られて行く。

 慌てて頭の向きだけを変えてみれば、キリトとアヤトがアキトのコートの襟を掴み、そのまま引き連れてボス部屋から離れるではないか。

 

 

(は……え、撤退するの!?っ……ていうか、ちょっと待って……)

 

 

 アキトは両手に剣とポーションを持っている為抵抗出来ず、為す術無く二人に引かれるしか無い。

 だが彼らがアキトのコートの襟を掴み、全力で駆け出す程に、アキトの首は徐々に締め上げられて行く。アキトの身体は宙に浮き、床と平行になっていた。

 段々と息が苦しくなってきたアキトは、今自分が出せる最大の声で、キリトとアヤトに呼びかける。

 

 

 「ゲホゲホッ!ち、ちょっと、二人ともっ!く、苦しっ……しま、しまって、締まって、るからっ……!良い感じにキマってるから────キュウ」

 

 

 だが無我夢中で遁走している彼らにそんな掠れ声が聞こえる訳も無く、ボスが部屋から出て来ないという事も忘れて全力でアキトを引っ張っており、アキトは遂に白目を向いた。

 しかしそれでも、四人は気付かない。鍛え上げた敏捷パラメータを存分に使い、長く薄暗い廻廊を疾風の如く駆け抜けていった。

 

 

 

 

 「 「うわあああああああああ!!」 」

 

 

 「 「きゃあああああああああ!!」 」

 

 

 「 」

 

 

 

 

 ────そうして暫くは、74層迷宮区には五人の影が遁走し、四人の絶叫が響き渡っていたらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 キリトとアヤト、アスナとコハル、その他一名は迷宮区の中程に設けられている安全エリアに向かって一心不乱に駆け抜けていた。その間に数回程モンスターにターゲットされていたのだが、構わず全力疾走だった。正直今の状態で相手に出来る程余裕では無かった。

 やがて安全エリアと思しき空間に転がるように飛び込むと、漸くその足を止めたのだった。

 

 

 「はあ、はあ……」

 

 

 四人の荒い呼吸が静かなエリアに響く。どうにか息を整えて、四人がそれぞれ顔を見合わせると、

 

 

 「……ぷっ」

 

 「……くくっ」

 

 

 何故か笑いが込み上げてきた。

 少し冷静になれば、あの青眼の悪魔がやはり部屋から出て来ないのはすぐに分かったはずなのだが、どうにも立ち止まる事が出来ず、こうして逃げるところまで逃げてきてしまったのだ。

 アスナはペタリと床に座り込むと、愉快そうに笑った。

 

 

 「あはは、やー、逃げた逃げた!こんなに一生懸命走ったのすっごい久しぶりだよ。まぁ、私よりキリト君の方が凄かったけどね〜?ねぇ、コハル?」

 

 「あははっ、アヤトも凄かったんだよ〜?私達よりも大きな声出して」

 

 

 「 「…… 」 」

 

 

 コハルはそう言ってアヤトに視線を移すのニヤニヤと笑う。

 キリトとアヤトは否定出来ず、二人同時に視線を逸らした。しかし二人は、今自分達が手に掴んでいるプレイヤー(・・・・・)を思い出す。あの場で唯一の攻略組初心者だった彼を一人にさせまいと、思い切り引っ張ってきた。そのもう一人の黒ずくめの剣士を。

 キリトとアヤトは、それを言い訳にするべく口を開いた。

 

 

 「や、俺達はアキトを引っ張っていた事もあって、気合い込みの声だったんだよ!なあ、アヤト?」

 

 「お、おう!あー、しんどかった!大丈夫か、アキト……アキト?」

 

 

 ────しかし、返事が無い。

 不思議に思い、二人が自分の手元の先を見ると。

 

 

 「キュウ」

 

 

 そこには、青白い顔でぐるぐると目を回したアキトの姿があった。この瞬間、二人は漸くアキトの首を自分達が締めている事に気が付いた。

 

 

 「あ、アキト!?」

 

 「やべっ……!」

 

 

 慌てて二人はアキトのコートの襟を同時に離した。

 すると地面から浮いていた上半身は支えを失い、アキトの頭は重力に従って床にゴンッ!と良い音を立てて落下した。

 

 

 「ぐえっ!」

 

 「あっ」

 

 

 やっちまった……と言わんばかりの乾いた声がアヤトから漏れる。そのあまりの痛々しさに、アスナとコハルは両手で口元を覆っていた。

 アキトは今の衝撃で再び気を失ったのか、急に動かなくなってしまった。

 流石のアヤトも血の気が引いて、慌ててアキトの元まで駆け寄る。すぐさまアキトを呼びかけるが────

 

 

 「わ、悪いアキト!大丈夫……か……?」

 

 「……アヤト?」

 

 

 そこまで言いかけたアヤトの声が、急に途切れた。

 不審に思ったコハルが思わず彼の名を呼ぶも、アヤトは振り返りもしなければ返事もしない。ただ倒れるアキトの近く、その一点を見つめているように思えた。

 キリトは、そんなアヤトの元まで歩み寄ると、彼と同じ目線になるようにしゃがみ込むと、アヤトが何かに驚いて、目を見開いているのに気が付いた。

 

 

 「どうしたんだ、アヤト?」

 

 「これ……」

 

 

 アヤトが指差した先は、アキトの手元だった。

 そしてそれを見た瞬間、キリトも同様の反応を示す。後ろから続いていたアスナとコハルも、それを見て顔が強張った。

 アキトが手にしていたのは真紅の剣《リメインズハート》。

 

 

 ────そして、数本のポーション(・・・・・・・・)だった。

 

 

 「な……え、どうして……?」

 

 

 アスナが思わず呟いた疑問。それはこの場の誰もが抱いたものだった。

 ボス部屋を開けて逃げるまでは、確かに全員が転移結晶を持っていたはず。アヤトはボス部屋の扉を開ける際に、それを確認している。

 なのに、今彼が持っているのは転移結晶ではなく回復用のポーション。ボスを見てから逃げるまでのあの僅かな時間で、転移結晶からポーションに持ち替えた事になる。

 中を覗くだけだと事前に会話していたはずなのに、何故アイテムを持ち替えたのか。今の彼の状態は、明らかに臨戦態勢時のものだ。

 

 

 つまり────

 

 

 「もしかしてアキトさん……ボスと戦うつもりだった……?」

 

 

 コハルの、恐らく的を射た答え。他の三人全員の表情が分かりやすく変化した。

 現状、今ある状況証拠だけではそれが正解だと考えるのは早過ぎる。だがアヤトは何故か、

 

 

 「……かもな」

 

 

 それが正しいような気がして、気が付けばそう答えていた。それを聞いたアスナは、有り得ないと首を振った。

 

 

 「そんな、だって、ボスを一人で倒せるはずないのに……」

 

 

 それを聞いたアヤトは、ふと顔を上げて隣りを見た。

 そこには、そんなアキトの自殺行為に対し、瞳を揺らして戸惑っていた。

 思えば出会ってからずっと、アキトは何かを抱えていたように思えた。だからこそ、有り得ないと思っても、彼が一人でボスと戦おうとしていたのではと考えてしまう。

 

 

 ────アヤトは何故か、このアキトという少年に対する違和感が気になって仕方が無かった。

 

 

 「……」

 

 

 アヤトはアキトの頭上にあるギルドマークに目が留まった。

 彼もキリトもよく知るギルド、《月夜の黒猫団》とよく似たマークを。

 

 

 「……なあ、キリト。お前、本当にアキトの事、何も知らない?」

 

 「……ああ」

 

 「……そうか」

 

 

 キリトの戸惑った表情を見て、アヤトはポツリとそう呟くのみ。

 四人の視線は変わらず一点だ。目の前で気を失っている、何処か危なげな少年の姿だった。

 

 

 

 

 







アキト 「キュウ」←虫の息

アヤト 「し、死んでる……!」←犯人

キリト 「ど、どうして……!?」←犯人





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Ep.4 後悔の兆し





知っていたはずだった。だが、それは思い込みだと神は嘲笑った。







 

 

 

 

 

 アキトの意識が覚醒した頃、既に五人は迷宮区の安全エリアへと転がり込んでいた。何故目を回していたのかを問えば、キリトとアヤトが必死に謝ってくる。

 首を引っ張られた事を思い出したアキトは、謝罪してくる二人にそれ以上何かを言う事はせず、一先ず揃って壁際へと寄りかかって、そのままずるずるとへたり込んでいた。

 左からコハル、アヤト、アキト、キリト、アスナの順に並んで休憩していると、一番右からアキトを呼び掛ける声がした。

 

 

 「ねえ、アキト君。もしかして、一人でボスと戦おうとしてた?」

 

 「え……」

 

 

 アキトが思わず顔を上げると、そこにはアスナだけじゃなく、キリトも同様の疑惑の瞳でこちらを見据えていた。左を見ると、やはりアヤトとコハルも不安げな表情でこちらを見てくる。

 恐らく意識が朦朧としている間に、剣とポーションを装備していたのを見て判断したのだろう。

 それにアキトが気が付いたタイミングで、アスナが再び口を開いた。

 

 

 「アキト君、ボスがどれだけ危険かって事、全然分かってない。幾ら実力に自信があっても、私達だけで倒せるようなモンスターじゃないんだよ?」

 

 「あ、いや……そんなつもりじゃ、なかったんだけど……なんかこっち向かって走って来てたから、つい反射的に……」

 

 

 ────嘘だ。

 あの時、アキトは確かに戦うつもりだった。臨戦態勢を取り、迫り来るあの青眼の悪魔に立ち向かうつもりだったのだ。

 それにアキトは一人で戦おうと思っていた訳じゃない。74層でキリトが《二刀流》を解禁する事を知っていたからこそ、このままボスと戦闘になるかと思っていたのだ。

 だからこそ、実際は四人が撤退を選んだ事に対して、少なからず驚いていた。

 

 

(まあ、ここが過去の世界だって決まった訳じゃないし……)

 

 

 そう言って、アキトは左をチラリと向いた。

 この世界に来てから、初めて出会い、初めて知った名前を持った二人のプレイヤー───アヤトとコハル。少なくともアキトは、アスナ達に二人の存在を一度も聞いた事は無い。

 これだけの実力者が、アキトの世界にいないのも、話題に出ないのもおかしな話だ。仮に彼らがもうアキトの世界に存在していなくとも、少しは彼らから聞く事もあるはずなのに。

 

 では、やはり過去の世界を再現したクエスト、という訳でもないのだろうか。

 

 彼らが何者なのか、それが気になって仕方が無かった。

 その二人は顔を見合わせると、先程のボスを思い出したのか渋い顔をし出していた。

 

 

 「でも……あれは苦労しそうだね……」

 

 「ああ……まあ武器はあのデカい剣だけだと思うけど……やっぱ少しぐらい戦っておけば良かったか?」

 

 

 とアヤトがキリトに向けて言うと、キリトは少し笑ってからアキトをチラリと見た。

 

 

 「そうだな。アキトはやる気だったみたいだし」

 

 「う……」

 

 

 アキトはバツが悪そうにすると、憮然とした表情を作る。するとアスナがキリトをジト目で見据えながら低めの声で告げた。

 

 

 「もう、キリト君?アキト君はボス戦初めてなんだから」

 

 「冗談だって。けど多分、特殊攻撃ありだろうな」

 

 「前衛に堅い人を集めてどんどんスイッチして行くしかないね」

 

 「盾装備の奴が十人は欲しいな……。まあ、当面は少しずつちょっかい出して傾向と対策ってやつを練るしか無いな」

 

 「ふーん……盾装備、ねえ」

 

 

 すると、そのキリトの発言の一部に引っ掛かったアスナが眉を吊り上げた。キリトを上から下までじっくりと見つめると、意味ありげな視線を向ける。

 アスナはキリトのその案に反対な訳では無い。寧ろ大賛成だし、攻略においては彼の今の発言こそセオリーだ。しかしアスナは今の彼の言葉を聞いて、前から思っていた不審な点を思い出していた。

 

 

 「な、なんだよ」

 

 

 キリトもその態度が鼻についたのか、耐え切れずそう切り出す。それに伴い、アキトやアヤト、コハルの三人も揃ってそちらを向いた。

 すると、アスナはストレートに聞いてきたのだ。

 

 

 「君、何か隠してるでしょ」

 

 「い、いきなり何を……」

 

 「だっておかしいもの。普通、片手剣の最大のメリットって、盾を持てる事じゃない。でも、キリト君が盾持ってる所見た事無いし。私の場合はレイピアのスピードが落ちるからだし……」

 

 

 ドが付く程の正論だった。

 アキトは自分が初めてキリトと出会った時の頃を思い出していた。思えば、《月夜の黒猫団》にいた頃から、彼はずっと盾無し片手剣士という戦闘スタイルを確立させていた。あの頃はまだ問題視する程でも無かったが、この先敵が強くなる中、盾を持てる事は最大のメリットになるはずだ。

 アキトに関しては、彼が《二刀流》保持者である為に盾が使えない事を知っているが、知らない者からすればそうはいかない。アスナはジーッと彼を見つめていた。

 指摘されたキリトはどうだろう。一気に額に汗が出来始め、彼をよく知るアキトからすれば、隠しているのがバレバレだった。

 

 

(まだ、アスナには話してないんだ……って、ん?)

 

 

 しかし、ふと隣りのアヤトを見ると、何故かアヤトも同様の反応を僅かにだが示しているではないか。アスナに問い詰められたタイミングで、キリト同様の仕草。

 

 

(え、なんでアヤトまで……)

 

 

 もしや、彼はキリトが隠している《二刀流》の事を知っているのだろうか。

 すると、コハルもアスナが話した事については気になっていたのだろう、アヤトの後ろからひょっこり顔を出してキリトを見ると、言われてみればと口を開いた。

 

 

 「……あ、もしかしてスタイル重視とか、ですか?今になって盾を持っても、逆に戦いにくい、みたいな」

 

 「その割にはキリト君、いっつも同じ格好だけど。スタイル重視にしてはその、ちょっとね……」

 

 

 コハルの質問にアスナが代わってそう返すと、全員揃ってキリトを見る。髪、剣、コート、シャツにパンツにブーツ。どれをとっても全身真っ黒で、ある意味イカした装備である。

 みんなが言わんとしている事を察したキリトは、言葉に詰まりながらも反論した。

 

 

 「い、良いんだよ。服にかける金があったら、少しでも美味いものをだなぁ……っていうか、アキトだって似たようなもんじゃないか」

 

 「言われてみれば、確かにな」

 

 

 すると今度は、四人揃ってアキトを見つめた。いきなり矛先が向けられたアキトは何も言えず、全員からの視線を一心に浴びる。

 キリト同様の黒い髪に黒装備。唯一違うのは剣の色くらいだろうか。両端に座っていたコハルとアスナはまじまじとアキトを見ると、それぞれ口を開いた。

 

 

 「……アキトさんってホント、見れば見る程キリトさんそっくりですね」

 

 「実力もあるし……どうして今まで無名だったのかしら」

 

 「あ、あはは……さあ」

 

 

 ────この世界にいなかったからです。なんて言えず、思わずキリトと顔を見合わせた。

 《アークソフィア》に来てからも、ずっと言われていた『キリトとよく似ている』という一言。初めの頃は、比べるまでもなく自分が彼に負けていた為、劣等感を覚えるだけの一言だったが、今にしてみると、そこまで似ているだろうかと考えてしまう。

 身長も年齢も殆ど同じなのは知っている為、シルエットくらいは確かに似ていると思うのだが。

 アスナがキリトとアキトを見比べていると、そのまま質問を続けた。

 

 

 「二人のその黒ずくめは、何か合理的な理由があるの?それともキャラ作り?」

 

 「そ、そんな事言ったらアンタだって毎度そのおめでたい紅白装備じゃないか」

 

 「仕方無いじゃない、これはギルドの制服なんだから。アキト君は?」

 

 

 アキトはそう聞かれ、思わず考えてしまう。

 いざそう問われると、一言じゃ答えられない。元々は白い装備だった。けど、いつしか白い色が嫌いになった。そして何色にも変われない黒も、自分みたいで嫌いだった。そうして色から連想して劣等感を感じていた時に、大切な人に似合うと言ってもらった色だから……と言っても、きっと伝わらない。

 アキトは適当に誤魔化した。

 

 

 「んー……最初はキャラ作りだったのかもしれないけど、今は装備整えているうちに黒くなった……って感じかな」

 

 「じゃあ、なんで君は盾を持たないの?」

 

 

 ────とばっちりだった。

 さっきまでキリトの話だっただけにその質問は予想外で、思わず言葉に詰まった。

 しかもその理由もキリトと同じで《二刀流》保持者だからであり、尚の事言えない。どうにかして誤魔化そうと、アキトは言葉を考えながら口を開く。

 

 

 「ほ、ほら……アスナと同じだよ。俺も剣の速度が落ちるから……はは」

 

 「嘘、その剣凄く重いんでしょ?アヤト君から聞いたわよ。剣速気にする人がそんな重い剣なんて持つはず無いじゃない」

 

(アヤト……)

 

 

 アキトは思わずアヤトを見てしまう。先程から黙って傍観していた彼は、気不味そうにアキトから目を逸らしていた。

 すると今度は、コハルがアヤトを見て爆弾を投げ込んで来た。

 

 

 「……そういえば、アヤトも盾無しだよね」

 

 「っ……!」

 

 

 全員の視線が、今度はアヤトへと向く。

 アヤトは一瞬だけビクリと震わせると、何事も無かったかのように視線を逸らす。しかしそれが逆に、彼が隠し事をしているであろう事を決定付けていた。

 

 

(え……アヤトも何か隠してるの……?)

 

 

 恐らく今まで黙っていたのも、自分に話の矛先が向かないようにという事だったのだろう。

 こうして、アスナとコハルの目の前には、偶然にも盾を装備しない片手剣士三人衆が揃っていた。

 

 

 「え、何……三人揃って盾持ってないんですか?しかも、三人して何か隠してる……?」

 

 「怪しいなぁ……」

 

 「 「 「……」 」 」

 

 

 なんて事だろう。まさかこの場の男性プレイヤー全てが何か隠し事をしているとは。かつて、こんなにも胡散臭い三人が居ただろうか。全員がよそよそしい所為で隠し事が最早隠し切れてない。

 女性陣二人の視線に挟まれながら、男子三人は黙って目を逸らしたり、俯いたり、兎に角顔を合わせないようにしている。

 

 

 ……なんだこれ。

 

 

 「まあ、良いわ。スキルの詮索はマナー違反だしね」

 

 「それもそうだね」

 

 

 すると、アスナとコハルは突然そう言った。

 瞬間、三人が同時に息を吐く。キリトとアヤトに関しては、信頼出来る二人だからこそ、喋っても良いのではと思っていたが、機先を制された為に口を噤んだ。

 途端にキリトとアヤトの腹の虫が鳴った。コハルがチラリと視線を振って時計を確認すると、目を丸くする。

 

 

 「わ、アスナ、もう三時だよ」

 

 「ふふ、じゃ、遅くなっちゃったけど、お昼にしよっか」

 

 「そ、そうだな、俺も腹減ったよ」

 

 

 アヤトが安心したようにそう呟く。

 するとその瞬間、アスナとコハルが同時に手早くメニューを操作すると、小ぶりのバスケットを出現させた。それを見たキリトは途端に色めき立った。

 

 

 「なにっ……て、手作りですか」

 

 「そっ。はい、どーぞ」

 

 「はい、アヤトも」

 

 「おー、サンキュー」

 

 

 アスナはバスケットから大きな紙包みを二つ程取り出すと、その一つをキリトに差し出した。アヤトはコハルから同様に、アスナが作ったであろうものとほぼ同じ包みを受け取っていた。どうやら、二人で前もって作っていたのだろう。

 その中身を覗いて見ると、丸いパンをスライスして、焼いた肉や野菜を挟み込んだサンドイッチだった。香ばしい胡椒にも似た匂いが鼻元に漂う。

 瞬間、キリトは物も言わず大口でかぶりついた。アヤトもまた、キラキラと目を輝かせながらそのサンドイッチを口に含む。

 

 

 「う、美味い……」

 

 

 立て続けに齧っていたキリトは、まじまじとそのサンドイッチを見つめていた。そして再び無我夢中で頬張り始めた。しかしアヤトは一口食べると放心しており、歯型のついたサンドイッチをぼうっと見つめていた。

 

 

 「どうしたのアヤト?」

 

 「いや、なんだか懐かしいなーって思ってさ。現実世界で行ってたファストフードの店の味に良く似てるというか」

 

 「やったねアスナ!」

 

 「うん!色々研究した甲斐があったわね!」

 

 

 どうやらアヤトの感想こそ、二人の求めていたもののようで、二人は嬉しそうにハイタッチを交わしていた。

 完食したキリトがこの味をどう再現したのかを問うと、アスナは自慢げにペラペラと説明し始める。

 

 

 「一年の修行と研鑽の成果よ。《アインクラッド》で手に入る約百種類の調味料が味覚再生エンジンに与えるパラメータを全部解析して、これを作ったの」

 

 

 そうしてアスナとコハルは小さな小瓶を取り出した。

 それをキリトとアヤトに与えると、二人は驚いていた。どうやらマヨネーズや醤油、ソースなどを再現したものだったらしい。

 一々驚く二人を見て、くすくすと嬉しそうに笑う彼女達。もうそれだけで、二人が彼らに抱いている感情の正体を理解してしまう───まあ、アスナについては前から知っているが。

 

 すると、そんなアキトに気が付いた四人が一斉にアキトを見る。同時に、彼らは困ったような表情を作った。見れば、そのサンドイッチは四人分。アキトが来る事を想定していなかったのだろう。

 彼女達はそれぞれキリトとアヤトの反応を見るのに夢中だった為、アキトの事を半ば忘れていたように思える。

 

 

 「あ……えっと、アキトさんの分……」

 

 「あー、俺は良いよ。自分のがあるから」

 

 

 アキトはそう言うと、メニューを開いてアイテム欄にあるものをタップする。オブジェクト化したのは、アスナやコハルのものと同じような大きな紙包み。

 中を開いて見ると、それは見るのも鮮やかな丸いパンだった。こんがりと狐色に焼き上げられており、その香りは現実世界でも嗅いだ事のある懐かしいものだった。

 一同、その既視感のあるパンを食い気味に見つめていた。

 これはまさか────

 

 

 「な、なあアキト。それ、カレーパンか?」

 

 「うん」

 

 「ど、何処でそんなの買って……」

 

 「……何処で買えるかは分かんないけど……一応、これは自前だよ」

 

 「自前!?」

 

 

 アスナとコハルが目を見開く。だがそれも無理はない。この世界で料理スキルを上げているものは少ない。そのうえこのカレーパンの香りから察するに再現率もかなり高い。

 これはスキル値が高くないと出来ない芸当で、それだけでアキトがどれだけ料理スキルをあげているのかを理解してしまった。

 四人の視線に居心地の悪さを感じつつ、アキトはカレーパンを頬張る。途端、中のカレーの香りが辺りに広がり始める。それを嗅いだキリトの視線は、もうアキトのカレーパンに釘付けだった。

 

 

 「な、なあアキト。その、俺にも一口──」

 

 「やだ」

 

 「え……」

 

 「キリトはアスナから美味しいサンドイッチ貰ったでしょ。俺もこれしか無いんだから」

 

 「そ、そっか、悪い……」

 

 

 即答すると、まるで捨てられた子犬の如く悲しげな表情を浮かべ、しゅんとするキリト。何故かこちらが悪いみたいになってしまい、アキトは溜め息を吐く。

 知った顔という事もあり、アキトは堪らず無言でカレーパンを差し出した。するとキリトは瞳を輝かせた後、そのままアキトの持つカレーパンにかぶりついた。

 瞬間、キリトの瞳が更にキラキラとし始め、そのまま震えた声でこう呟いた。

 

 

 「あ……なんか、泣きそうだ」

 

 「なんでさ」

 

 「……なあアキト、俺にもちょっとくれ」

 

 「あ、アヤトまで……」

 

 

 そうして結局、アキトのカレーパンに二人は釘付けになってしまった。途端コハルはあははと苦笑いし、アスナはむーっ、とむくれてアキトをジト目で見つめる。

 分かりやすいくらいに嫉妬されており、アキトは苦い顔で視線を逸らした。

 

 

 「……?」

 

 

 すると、逸らした視線の先に人影が映った。

 よく目を凝らすと、下層側の入り口から数人のプレイヤーがガチャガチャと鎧の音を立てながら入ってきていた。

 それに全員が気付くと、一瞬だけ警戒心が顕になる。が、オレンジプレイヤーがこんな危険な上層に来るはずは無い。ここに来るという事は十中八九攻略組だろう。

 現れた六人パーティーをよく見ると、和のテイストが入った装備で身を固めた集団だった。そしてその先頭に立つ───恐らくリーダーだが───男を見て、全員の力が抜けた。

 

 

 「っ……」

 

 

 それはアヤト達が、いや。

 アキトさえもが知っているプレイヤーだったのだ。

 

 

(クライン……)

 

 

 見間違えるはずがない。あんな無精髭に特徴的なバンダナの刀使いなど、知り合いでたった一人だけだ。

 

 

 「おお、キリトにアヤト!それにコハルちゃんじゃねぇか!暫くだな」

 

 

 その刀使い───クラインは、こちらに気が付くと笑顔で近付いて来た。

 

 

 「おう。久しぶりだな、クライン」

 

 「お久しぶりです、クラインさん!」

 

 

 アヤトとコハルがそうして挨拶を交わす中、キリトは少しだけバツが悪そうに顔を顰めると、皮肉っぽく口を開く。

 

 

 「……まだ生きてたか、クライン」

 

 「相変わらず愛想のねえ野郎だ。お、今日は大所帯だな、アヤトにコハルちゃんの他にもいるの……か……」

 

 

 キリトのすぐ隣りにいるアスナを見て、クラインは目を丸くして固まった。するとキリトはアスナに向き直り、目の前の侍男の紹介をし始める。

 その後、アスナはちょこんと頭を下げるが、クラインは口を開けて完全に停止してしまっていた。

 それを見たアヤトは、クラインの目の前で手を振ってやりながら、

 

 

 「……キリト、こいつフリーズしてね?」

 

 「マジか。おい、何とか言え。ラグってんのか?」

 

 

 キリトは肘で脇腹をつつく。

 すると、クラインはピシッと真っ直ぐに直立すると凄い勢いで頭を下げた。

 

 

 「こ、こんにちは!!くくクラインという者です二十四歳独身────」

 

 

 バキッ!ドゴッ!

 どさくさに紛れて変な事を口走り始めていたクラインの身体をキリトとアヤトが殴る蹴る。台詞が終わらない内にどやしつけたが、明らかに後半に要らぬ情報が入っていたのをみると、口説こうとしていたようだ。

 しかしその後に後ろの五人が駆け寄って来て、全員が我先にと自己紹介を始めていた。

 

 

(クラインが六人いるみたい……)

 

 

 アキトはそれを遠目から眺めていた。

 女性に節操が無い六人組《風林火山》と、不名誉な肩書きで覚えてしまいそうだ。だがその反面、あの場の空気がとても楽しそうで、温かく感じた。

 クラインはずっと、独力で仲間を守り抜いてここまで生きてきたのだと思うと、誇らしくあると同時に、羨ましかった。

 

 

(……やっぱ、凄いな。クラインは……)

 

 

 ────自分とは、とても大違いだ。

 

 

 そして、その羨望の眼差しはクラインから全員へと変わる。あの既に完成されたような空間。あそこに自分の入る余地は無い。

 けれどアキトには、あの場に負けないくらいに温かく、優しい空間を知っているのだ。けれど、この世界の彼らはそれを知らない。

 誰も、アキトという存在を知らないのだ。

 それが辛くて、どうにも耐え難い。

 

 

 「?……お、おいキリト。ソイツは一体……」

 

 「っ……」

 

 

 みんなで笑い合い、巫山戯あっていたはずのクラインが、離れて見ていたアキトに漸く気付いた。見つかった事でアキトは身体を震わせながらも、ゆっくりとクラインを見る。

 彼はやはり、他の人達と似たような反応を見せていた。キリトに似たような装備容姿を見て、目の前のキリトと見比べていた。

 

 

 「えーと、今日一緒に攻略する事になったアキトだ。アキト、こっちは《風林火山》のクライン」

 

 「え、あ、うん……えと、よろしく」

 

 「お、おう……いや、驚いたな……そっくりじゃねぇかよ……」

 

(……そこまで?)

 

 

 装備変えようかな……とアキトが苦笑いを浮かべた時だった。

 先程クライン達がやって来た方向から、また新たな一団が現れたではないか。訪れを告げる足音と、鎧装備の金属音が静かな迷宮区に響き渡る。

 そしてそれは嫌に規則正しいもので、視線を向けると、その正体に気付いたアスナが驚きつつも囁いた。

 

 

 「……《軍》よ」

 

 

 確認した全員の表情が固くなる。クラインは手を挙げてメンバー五人を壁際まで下がらせる。成程、指揮官として優秀な判断だと、アキトは自分で偉そうだと感じながらも思った。

 アスナが《軍》と呼んだ集団は行儀良く二列縦隊で部屋へと行進してきていたが、その足取りは何故か重い。表情を見ると、誰もが疲弊しきった表情をしていた。やがて部屋の端まで移動すると、列は完全に停止した。

 先頭にいた、他のプレイヤーとは若干異なる装備を身に付けた男が『休め』と命令すると、軍のメンバーは全員揃って力無く地面へとへたり込んだ。

 

 

(軍……《アインクラッド解放軍》か。あんまり良い噂は聞かないけど……)

 

 

 アキトは遠目から、彼らの出で立ちを眺める。

 全員が黒鉄色の金属鎧に濃緑の戦闘服。人数は十二人、前の六人は大型のシールドを保持し、武器は片手剣。残りの六人は後衛なのだろう、持っていたのは斧槍(ハルバード)だ。

 全員漏れなくヘルメットのバイザーを目元深くまで被っていて目は見えないが、それでも疲労は目に見えていた。

 

 すると、『休め』と命令していた男が、他の十一人には目もくれずにこちらに近づいてくる来るではないか。距離が縮まるにつれてかなりの高身長なのが分かる。

 じろりとこちらを睥睨すると、一番前にいたキリトとアヤトを交互に見てから口を開いた。

 

 

 「私は《アインクラッド解放軍》所属、コーバッツ中佐だ」

 

 

(……“中佐”?)

 

 

 アキトだけでなく、全員が眉を寄せた。

 そもそも《軍》と言うのは、その集団外部の者が揶揄的につけた呼称だったとはずだと、全員が記憶している。だが、いつの間に正式名称となったのだろうか。その上《中佐》と来た。どうやら階級制らしく、随分のこの世界に浸かっているな、というのがアキトの感想だった。

 

 

 「キリト。ソロだ」

 

 「アヤト」

 

 

 この場の人数を見てそう自己紹介するキリトも色々おかしいし、アヤトは完全に名前だけなのだが、突っ込んでる場合じゃない。

 コーバッツは小さく頷くと、二人に向かって横柄な口調で訊いてきた。

 

 

 「君らはもうこの先も攻略しているのか?」

 

 「……ああ」

 

 「ついさっきボス部屋を発見した所だな」

 

 「うむ。では、そのマップデータを提供して貰いたい」

 

 

 彼はさも当然だと言わん態度でそう言い放ち、キリトだけでなく全員が驚いた。後ろにいたクラインはそれどころでなく、怒気を孕んだ声で喚き出した。

 

 

 「な……て、提供しろだとぉ!?手前ェ、マッピングする苦労が分かって言ってんのか!?」

 

 

 マッピングが如何に貴重なデータかは、彼らより攻略組の方が骨身に染みて知っている。高値で提供される事もあるくらいだし、なんならアルゴと取引だってする。

 しかしコーバッツは眉を吊り上げ顎を突き出すと、大声を張り上げた。

 

 

 「我々は君ら一般プレイヤー解放の為に戦っている!故に、諸君らが協力するのは当然の義務である!」

 

 

 ────キリト達は呆れて声も出ない様子だった。傲慢不遜とは正にこの事だ。そもそも軍は25層の攻略時に半壊した所為で、これまでまともなボス討伐をしていなかったはずだ。それなのに今更解放の為だの義務であるだの、調子が良過ぎるのではないだろうか。

 

 

(っ……まさか……)

 

 

 アキトはここへ来て、一つの可能性を導いた。

 それは先程、五人で74層ボスの目の前まで来た時の事だ。アキトはこの層でキリトが《二刀流》を解禁する事を知っていた。だからあの場で彼らが逃げ出した事を不思議に感じていたのだ。のだ。

 だが、五人で挑むなんてよくよく考えれば自殺行為だし、きっと情報を集めてから万全の状態で挑むのだろうと、アキトはその時納得していた。

 

 

 だが、もし。

 もし、目の前の《軍》にこのままマップデータを提供して、彼らがその足であのフロアボスに挑むのだとしたら。

 そして、キリトがそれを追い掛ける形になったのだとしたら。

 

 

 「っ……!」

 

 

 アキトは自身の背筋が凍るのを感じた。慌てて軍を凝視する。人数は十二人とただでさえ少ないうえに、コーバッツ以外の十一人は疲弊しきっている。しかも《軍》はここ一年近くボス討伐に参加していないのだ。

 もし、このままキリトがマップを渡してしまったら───

 

 

 

 

 ────確実に死者が出る。

 

 

 

 

(っ、ダメだ……!)

 

 

 アキトは最悪の事態を想定して、慌てて口を開こうとする。

 が、それよりも先にアスナとクラインが爆発寸前だった。しかしそれをキリトが制すると、その手でメニューを表示し始めたのだ。

 それを見たアキトは戦慄した。キリトが今何をしようとしているのかを理解したのだ。

 

 

 「キリト、やめとけ。コイツら、自分達だけで攻略するつもりだぞ」

 

 

 しかし、キリトのその肩を掴んで制止させたのはアヤトだった。コーバッツを睨み付けると、キリトに向かってそう囁く。

 それがどうにか聞こえたアキトは安堵の息を吐く。どうやらアヤトには、この先の事が目に見えているのだろう。

 だが、キリトは────

 

 

 「分かってる。だから釘を刺しとくよ。どうせ街に着けば公開する予定だったデータだしな」

 

 「……っ」

 

 

 その発言に、アキトは思わず声が漏れた。

 しかしそんなアキトの掠れ声が届く訳も無く、キリトはトレードウィンドウで迷宮区の踏破データを送信してしまう。

 コーバッツは表情一つ変えずにそれを受け取ると、『協力感謝する』と気持ちが全く篭ってない形式的な礼を繰り出して踵を返そうとしていた。

 

 

 「渡した条件だ。ボスにちょっかい出す気ならやめた方が良いぜ」

 

 

 コーバッツは少しだけ振り返ると、その取引にもなってないキリトの言葉に鼻で笑うだけだった。

 

 

 「……それは、私が判断する」

 

 「さっきちょっとボス部屋を覗いて来たけど、生半可な人数でどうにかなる相手じゃない。仲間も消耗しているみたいじゃないか」

 

 「……私の部下はこの程度で値をあげるような軟弱者では無いっ!」

 

 

 “部下”、と言う所を強調してコーバッツは苛立ったように怒鳴ったが、当の部下達は床に座り込んだままで、正直全く同意している様には見えない。

 

 

 「貴様等!さっさと立てっ!」

 

 

 そうコーバッツが一喝すると、十一人が呻き声を上げながらのろのろと立ち上がり始めた。再び二列隊列に整列し、覚束無い行進のまま進んでいく。コーバッツはもう、こちらには目もくれなかった。

 もうこのまま見送るしかないと、キリト達はそれを眺めるだけだった。

 

 

 しかし────

 

 

 「ま、待って!」

 

 

 アキトは、違った。

 一番後方にいたアキトは、キリト達の間を縫って前に出ると、そのまま軍の先頭へと躍り出た。その予期せぬ行動に誰もが驚いた。特に一緒に攻略していたアヤト達からすれば、大人しい印象があったアキトがあの軍の前に立ち塞がるとは微塵も思っていなかった。

 コーバッツは足を止めると、焦った表情を向けるアキトを見下ろした。

 

 

 「何だ貴様は」

 

 「っ……キリトもみんなが消耗してるみたいだって言ってたでしょ、俺にもそう見える。人数だって少な過ぎるし、ボスの攻撃パターンだって、まだ割り出せた訳じゃないんだっ……もし、このままボス部屋に行ったって、良い結果にはならない」

 

 「貴様には関係の無い事だ」

 

 「なっ……!?」

 

 

 その物言いに、アキトは我慢ならなかった。

 どうしてこんなにも辛そうなのに、分かってやれないんだ。リーダーならもっと、周りをよく見るべきなのに。

 アキトは思わず、コーバッツを睨み付けた。そこに宿すのは、他人を道具のように扱う目の前の男に対する、怒りだった。

 アヤト達も先程までのアキトとは明らかに違う雰囲気に驚き、目を見張る。そこに、静かな怒りを感じて。

 

 

 「……リーダーなら仲間をよく見なよ。アンタには、みんなが本当に疲れてないように見えるのか?だったらリーダー失格だ。一般プレイヤーより部下の解放を優先した方が良い」

 

 「何だとっ!」

 

 

 アキトの言動に、無表情だったはずのコーバッツが憤慨を顕にした。アヤト達も、そんなアキトを見て唖然としてる。だが、アキトの怒りはおさまらない。

 

 

 「そこに情が無くたって、仲間なんだろ?だったら大切にしろ。……彼らはお前の駒でも、アイテムでも無いんだっ……!」

 

 

 その瞳は一点、コーバッツの瞳を捉えていた。

 睨み付け、そして物言わせぬようにと、静かに留まる怒りの感情。

 コーバッツに対するあの高圧的な態度に、アヤト達は口を開いて眺める事しか出来ない。今までの優しい雰囲気を纏っていたアキトとは大違いだ。

 

 

 「……死んだら……意味、無いだろ……」

 

 

 けれどその中でチラリと見せる、アキトの悲しげなその表情が、彼らには切なく見えた。

 

 

 「……失ってからじゃ、遅いんだからさ」

 

 「アキト……」

 

 

 アヤトは思わず、彼の名を呼んだ。

 その儚い姿が、何故か、どうしても放っておけなくて。

 そしてキリトも彼のその発言を聞いて、過去の記憶が呼び起こされるようだった。まるでアキトのその言葉が、自分に向けられてのものに思えて。

 アキトのその言葉にはとても重みが感じられ、キリト達は皆アキトを見て悲しげな表情を浮かべた。

 しかし、当のコーバッツには響いていなかった。

 

 

 「……私を諭したつもりかっ!一般プレイヤーが、私を愚弄するなっ!」

 

 「っ……!」

 

 

 コーバッツはアキトに対して苛立ちしか感じていないようだった。ダメージを与えないギリギリの力で、アキトを横に弾き飛ばしたのだ。

 アキトは体勢を崩してその場に倒れ込んだ。

 

 

 「っ……アキト!」

 

 「アキトさんっ!」

 

 

 アヤトとコハルがそれを見て慌てて駆け寄ってくる。キリトとアスナも目を見開いており、クラインはコーバッツを睨み付けて今にも突っかかりそうなのを、五人のメンバーに止められている。

 まるで、出掛ける前のクラディールの時みたいだと心の中で苦笑しながら、アキトは二人を見上げた。

 HPは減っておらず、コーバッツのカーソルの色も変わっていない。そのいやらしさに、アヤトはふつふつと怒りが沸いてきていた。

 

 

 「……おい、アンタ。いい歳して子どもに手をあげるなんて恥ずかしくないのかよ?育ちが知れるぜ」

 

 「……ふん。行くぞ貴様等!」

 

 

 コーバッツは、自身を睨み付けていたアヤトを鼻で笑うと、部下に一声を掛けて行進を再開した。

 今度こそ彼らは、上部へと進んで行き、やがてその足音は聞こえなくなって行った。

 すると、アヤトが盛大に溜め息を溢し、目の前のアキトを見て呆れたように笑った。

 

 

 「はあ……おいアキト、大丈夫か?良くやるよ全く……」

 

 「……ゴメン。ありがとう、二人とも」

 

 

 アヤトが伸ばした手を、アキトは躊躇い無く掴む。隣りではコハルが、はらはらとした顔持ちでこちらを見ていた。

 

 

 「アキトさん、急に人が変わったようになったから、ビックリしました」

 

 「はは……ちょっと、言ってやらないとって思って、さ」

 

 

 まるで、何も見えていない頃の自分を思い出してしまったのだ。あの頃は自分が彼らを守らねばという強迫観念が胸を襲い、自分が強くなる事で大切なものが守れると思っていた。それが独りよがりだと気が付いたのは、何もかも失った後だった。

 コーバッツはそんなアキトとは少し違うが、仲間であるはずの部下の事を全く見ていないという点においては、アキトと同じだ。だからこそ、こんなにも怒りが顕になったのかもしれないと、アキトは小さく笑った。

 

 

 「アキト」

 

 

 すると、そんなアキトの目の前からキリトが近付いて来る。アヤトがそれに気付いて、彼に道を譲るようにその場から退いた。

 アキトがキョトンとしながら視界の真ん中に立ったキリトを見ると、彼は表情を暗くして申し訳なさそうに口を開いた。

 

 

 「……ゴメン。俺がアイツに、安易にマップデータを提供したから……」

 

 「……ううん、気にしないで。それにあの様子じゃあ、マップデータを渡さなくてもきっと同じ結果だったと思う。なら渡した方が絶対安全だったよ」

 

 

 そう、キリトは間違ってない。

 初めこそアキトはキリトを止めようとしたが、あの様子じゃきっとこちらがマップデータを提供しなくとも自力でボス部屋まで辿り着こうとしただろう。そうなれば部下は更に疲労し、そのままボス部屋まで行こうものなら確実に全滅するだろう。

 ならば、良い意味でも悪い意味でも、マップデータを渡せば難無くボス部屋まで行けるだろう。結果オーライとまでは言えないが、部下の事を考えないコーバッツだ、これくらいはしなければ。

 アキトがそう笑いかけると、キリトのその不安気な表情は徐々に晴れ、やがて安堵したように息を吐いて笑ったのだった。その後クラインがアキトの事を男だの何だのと盛大に褒めまくった後、漸く一段落着くと、クラインは軍が消えていった方向を眺めて気遣わしげな声で言った。

 

 

 「でもよぉ、大丈夫なのかよあの連中……」

 

 「あのまま行かせて、良かったのかな……まさか本当にボス部屋まで行くんじゃ……」

 

 「幾ら何でも、ぶっつけ本番でボスに挑んだりしないと思うけど……」

 

 

 コハルとアスナが続けて、やや心配そうにボヤく。

 だがアヤトは、軍が消えた先を見据えながら、そんな彼女達の発言に異を唱えた。

 

 

 「どうかな。コーバッツの態度には、何処か無謀さがあったからな……もしかしたらって事もあるかもしれない」

 

 

 アヤトの言葉に、一同が強張る。だがそれは誰しもが、アキトだって感じていた。

 そもそも、ここへ来た時から既に全員が倒れる寸前に消耗していたのだ。なのにコーバッツはマップデータを要求して来た。それは部下の疲労を省みず、そのままボス部屋まで進もうとする意志を、確かに感じさせていたのだ。

 マップデータを渡しても渡さなくても結果は変わらなかっただろうとアキトは言った。だがまさか、ボス討伐までするとは誰も思わないだろう。

 

 

 けれど、アキトだけは知っている。

 これから起こるかもしれないであろう未来の予測が、誰よりもハッキリと見えていた。

 彼らはきっと、間違いなくボスと戦闘になる。だから────

 

 

 「……ゴメン、みんな。俺、ちょっと行ってくる」

 

 

 そう言ってアキトは、彼らに背を向ける。

 これから人が大勢傷付くと分かっていて、ここに留まる事は出来なかった。

 ボス部屋があった場所まではこの場の誰よりもレベルが高いであろうアキトが誰よりも速く着く。

 アキトは足に力を込めて、そこから駆け出そうとした時だった。

 

 

 「待ってくれ、アキト」

 

 

 後ろから声を掛けられ、身体の動きがピタリと止まる。

 視線を向ければ、アヤトが真っ直ぐな瞳でアキトを捉えていた。

 

 

 「俺も行く」

 

 「え……」

 

 

 その言葉を聞き、アキトの目が丸くなる。

 アキトの勝手な行動に、まさかそんな言葉を返してくるとは思っていなくて。

 すると、アヤトが急に吃り始める。

 

 

 「その……なんて言ったら良いか、分からないんだけどさ」

 

 

 アヤトはアキトにまじまじと見られ、複雑そうな表情を浮かべつつ視線を外す。が、やがて頭を掻くと、照れ臭そうに呟いた。

 

 

 「アイツみたいに、言ったところで分かって貰えない事もある。でもさっきの行動と言葉はその……凄く、正しかったと思うぜ」

 

 「アヤト……」

 

 「お前の言う通りだよ。失ってから後悔しても遅いもんな。《軍》であっても放って置けないし、明日になって全滅の話を聞く事になるのは勘弁だしな。……だから、俺も行くよ」

 

 

 小さく、カッコ良さげに笑うアヤトがとても頼もしい。アキトのあの行動で、この場の全員の心を確かに動かしたのだ。

 アキトが何もせずとも、このお人好しが代名詞の彼らはきっとコーバッツを追い掛けただろう。けれど、アキトがあの男に向かって放った言葉の一つ一つを受け止めた彼らはきっと、確かに彼に影響されていた。

 

 

 「そうだな。俺も行くぜ、アキト」

 

 「ふふ、私も」

 

 「みんなで行きましょう!」

 

 「キリト……アスナ、コハル……ありがとう」

 

 

 三人がアキトの傍まで来て、柔らかな笑みを向けてくる。

 アキトは知っている。きっとこれから死闘になるのだろうと。彼らはボス部屋へと直進し、あの無謀な人数で悪魔に挑んでいるのだと。

 そして、キリトがひた隠しにしていた《二刀流》がこの場で顕現する事も。

 それでも、きっとこのメンバーなら怖くない。

 

 

 「……ったく、何奴も此奴もお人好しなんだからよぉ。俺達も行くぜ」

 

 

 一番後ろにいたクラインが、アキト達の輪に近付く。他の五人もクラインの発言に相次いで首肯した。

 その様子を固まって眺めるアキトに向かって、アヤトはニヤリと笑う。

 

 

 「よし、あの馬鹿共を止めに行こうぜ」

 

 

 アキトは、ここへ来て思い出していた。

 自分が最前線に向かってレベリングを繰り返し、キリトに追い付こうとしていた時の事を。あの時はただ、キリトに追い付きたい、彼の支えになる為に攻略組になりたいと思った。

 けれど彼は────いや違う。

 ────攻略組には、こんなにも強い心を持つプレイヤーがいたのだと、アキトは再確認した。アキトが助けに行くまでもなく、彼らは強かった。

 もし、アキトがいた世界にも、目の前のアヤトのような少年がいて、キリトを支えてくれていたのなら。

 

 

 「────うん。行こう」

 

 

 そんな、あれば良いという幻想と共に、ボス部屋までの道に立った。

 

 

 

 

 

 








さあ、しかとその目に焼き付けろ。




憧れた英雄のあるべき姿と、




君の知らない彼の力を────












次回『二刀流と無限槍』




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Ep.5 二刀流と無限槍





流星の如く煌めく光と、未知の力が今ここに。









 

 

 

 

 この場にいるメンバーはアキト、アヤト達、《風林火山》の合計十一人。

 先程の《軍》との人数差は殆ど無く、何よりボス戦をする程のパーティー構成と比べると圧倒的に人数は少ない。しかしこの場には、一度はボス部屋までのフロアを踏破した五人がおり、そして現役攻略組であるクラインのギルドのメンバーもいる。

 途中運悪くもリザードマンの集団との戦闘があったが、それを差し引いても初見の頃と比べて、最上部付近までに辿り着いた時間は大幅にカットされたといえよう。

 それでも、そのモンスターとの戦闘が尾を引いて、結局それまでに三十分近くが経過していた。

 

 

 「……」

 

 

 無言のままのアキトだったが、その脳内では一つの光景が焼き付いていた。

 それは、三十分前の安全エリアでの出来事。疲労し切った仲間を引き連れて最前線の最上部まで上り詰めようとしていた《軍》の一人、コーバッツとの一件だった。

 自身を《中佐》と呼称し、仲間を“部下”と呼び、自身の目的の為にその仲間を蔑ろにしているように感じたあの男の一部分に、アキトは自身と似た何かを感じていた。

 それは、守るべきである仲間の事が見えていない、その部分だった。

 

 憧れに出会い、その強さを求め、いつしかそれだけに固執したあの頃の自分がフラッシュバックする。

 仲間を守る為───自分が、自分一人が守る為と、そう考えて。その所為で、守るべきはずだった仲間の想いを考えていなかった、何一つ見えていなかった、あの時の自分を思い出して。

 強くなったと自覚した頃には、もう何もかもが遅過ぎた。

 それを求めた理由が、気が付けば消えて無くなっていたのだ。コーバッツには分かって貰えなかったのかもしれない。けれど、アキトはそんな彼に知って欲しかったのだ。

 

 

 戦う理由を───自分が何の為に強さを求め、また戦うのか。それを忘れないで欲しいと。

 

 

 “自分のようには、ならないで”と。

 

 

 

 

 「アキト」

 

 「……アヤト」

 

 

 いつの間にか、集団の最後尾まで下がって来ていたらしい。気が付けば、アキトを除いた全員が前へ前へと進んでいる。

 アヤトは、歩く速度が遅くなってきていたアキトを見兼ねてここまで下がってくれたようだ。彼は眉を寄せながら、アキトの顔を覗いた。

 

 

 「大丈夫か?」

 

 「ん……平気」

 

 「そっか」

 

 

 アヤトはそれ以上何も言う事は無かったが、ただアキトの隣りに並んだかと思うと、同じ速度で歩き始めたのだ。その何処か女の子がキュンとしそうな行動に彼の優しさを感じ、アキトは小さく笑った。

 

 初めて出会ってから、ずっとアヤトに気を遣われているアキト。

 けれど彼を見ていると、嫌でもこの場所が何なのかを考えてしまうのだ。自分に対してこんなにも優しくしてくれる彼を、偽物だと感じたくは無いのに。

 それでも、自分の知る世界に彼は存在していなかった。いや、アキトが知らないだけで実際はいるのかもしれない。それはコハルに対しても同様だった。

 けれど、あの場所でアキトは、アヤトやコハルの名前を一度として聞いた事が無い。こうして75層前ではキリトと肩を並べ、最前線で攻略組として戦っているというのに。

 アキトが《アークソフィア》に着いた時には、もうキリトはいなかった。みんな悲しみにくれ、そればかりだった。その間に一度も、アヤトとコハルの名前を聞かなかった。

 

 アキトは最初、ここは《カーディナル》が作り出したインスタントマップで、舞台は過去を再現したクエストなのかもしれないと思っていた。何をすればクエストクリアなのか、その目的は今のところ分からないが。

 けれど、聞いた事も見た事も無いアヤト、コハルを見てしまうと、どうしてもその考えが間違っているように思えてならないのだ。

 

 

 ここは、クエストの為に《カーディナル》が作り出した世界とは全く違うのでは────と、思わせる存在。

 彼こそが、ここがSAOの世界と良く似た“異世界”なのではないかと、そんな有り得ないおとぎ話を信じてしまいそうになる理由になっていた。

 もし本当にそうならば、明確なクリア目的があるクエストとは違い、勝利要件が存在しない事になる。そうなれば、アキトは帰る為の方法を失った事になるからだ。

 彼がいるから、そう思ってしまう。有り得ない話だと、そう笑うべきなのに。

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトは、アヤトを見つめる自分のその瞳が酷く濁っていた事を自覚し、自己嫌悪に陥った。

 自分の知る世界に彼はいなかったからと、見た事が無い存在を、異物と感じてしまう自分が堪らなく嫌だった。

 彼はこうして自分に寄り添い、心配してくれているというのに。

 

 

 ────もしこの場所が、アキトの介在していない世界だとしたら。

 

 

 考えたくは無いけれど、もしここが自分の知る世界では無かったら、これまで歩んで来た歴史は、アキトの知るものとは違うのかもしれない。

 《はじまりの街》の《生命の碑》を思い出す。そこに自分の名前が無かった事が、益々この世界に対する疑念を強くしてしまうが、大事なのはそこではなかった。

 

 

 そこに記されていた名前、ケイタとサチ。

 アキトが救う事の出来なかった存在が、この世界では生きている。それは、自分の知る歴史とは違う過去がこの世界で起きていた事になる。

 アヤトは《月夜の黒猫団》を知っていた。それもとても親しそうに話す。もしかしたら彼は、ケイタとサチ、それに他のメンバーとも何かしらの関係があったのかもしれない。

 もしかしたら、あの日────《月夜の黒猫団》が全滅した時にも、アヤトが関わっているのかもしれない。だからケイタとサチだけは生きていて、キリトもこうしてしっかり前を向けているのかもしれない。

 

 

(アヤトは……助けられたのかな……)

 

 

 自分は救えなかった。唯一の大切な場所だったのに。

 再びアヤトを見る。彼は真っ直ぐに目の前の道を見据えており、辺りの警戒すら怠らないという完璧な立ち回りをしていた。

 歳も変わらないであろう彼に、ふと何故か、劣等感染みた何かを感じた。

 

 

 そうして最上部の回廊まで辿り着くと、一同は口を噤んで視界に映る景色を見た。暗く冷たい印象を思わせる薄青に照らされた回廊は、真っ直ぐにボス部屋まで続いているように思える。

 彼らは揃って首を左右へ回し、《軍》が何処にいるのか確認する。だがしかし、彼らの影が見つかるどころか、途中で追い付く事すら無かった。

 奥までは暗くて良く見えない。だがここから先はボス部屋まで一本道だった。

 

 

 「あれ?いない……?」

 

 「《軍》の奴らここに居ないなら、ひょっとしてもうアイテムで帰っちまったんじゃねぇか?」

 

 「……かもな。なら良いんだけど」

 

 

 おどけたように言うクラインに対して、アヤトはそうあって欲しいと思いつつボヤく。しかし確かにそれが一番理想的だし、あのボス相手にあの人数では話にならない。変なちょっかいを出すよりは撤退を選択した方が、判断としては遥かに聡明だろう。だが、クラインが告げたそれはあくまで希望的観測だ。

 

 

 「……」

 

 

 アキトは堪らず一歩、彼らより前に足を踏み出した。周りがそんな彼に思わず目が奪われる中でも、彼は構わずまた一歩と床を踏み締める。

 少しでも、可能性があるなら。危険が迫っているのなら。そう思うと足が動いた。みんなが足を止めている中でも、アキトは足を動かすのをやめなかった。ただひたすらに、ボス部屋へと足が向かう。

 

 

 「アキト……」

 

 「アキト君……」

 

 

 キリトとアスナの声が後ろから聞こえる。

 彼自身は知らないが、傍から見た彼の表情は怯えと焦燥だった。何かを失ってしまう事に対する恐怖、それを感じさせるものだったのだ。

 すると、そんなアキトの背を追うように、アヤトがそこから前に出る。続けてキリト、アスナ、コハル、そしてクラインと、ボス部屋に向かって歩いていく。

 

 

 「────っ」

 

 

 そして半ば程まで進んだ時、アキトが急に足を止めた。

 続いていたアヤト達は、突如立ち止まったアキトに困惑しつつ同様に足を止めた。一体どうしたのかと、アヤトが口を開こうとした時だった。

 ふと、何かの音がした。咄嗟に彼らは耳を澄ませる。

 

 

 

 

『うああぁぁぁぁぁ……』

 

 

 

 

 ────遠くから、微かに聞こえたのは悲鳴だった。

 アキト達の不安が的中した事を知らせる悲鳴、それは回廊内を反響しながら彼らの耳に届いていた。

 聞いただけで分かる。死を目の当たりにして絶望する、プレイヤーの嘆きの叫び。

 この先はボス部屋のみ。そこから聞こえる悲鳴という事はつまり────

 

 

 「……くそっ!」

 

 「っ、アキト!?」

 

 

 今、どういう状況なのか。その場にいた全員が理解した時には既に、アキトは誰よりも先に先行して、その床を蹴り飛ばしていた。

 キリトが呼ぶのも既に遅く、アキトは一瞬でその場の全員を置き去りにした。

 

 

 「馬鹿がっ……!」

 

 

 アヤトはこの先にいるであろう《軍》に対して舌打ちをして、アキトを追う形で走り出す。続けてキリト、アスナとコハルもそれに続くように一斉に駆け出した。

 敏捷パラメータが高いアヤト、アキト、アスナ、コハルはクライン達を引き離すような形になるが、この際構ってはいられない。

 

 

 だが────

 

 

 「っ……アキト……!?」

 

 

 アヤトが目を見開く。

 目の前のアキトと、次第に距離が離れていく(・・・・・・・・)。現在攻略組であるアヤト達が、攻略組志望というアキトに追い付けないのだ。寧ろ距離は離されていき、アキトは小さくなっていく。

 アヤト達は彼に追随するべく、全員更にそのスピードを上げた。システムアシストの限界ギリギリの速度で、殆ど地に足をつけていない。飛んでいるに等しい速度なのだ。

 

 

 ────なのに、アキトに追い付けない。

 

 

 「な、何だあの速度……!」

 

 「私達よりも、速い……!?」

 

 「アキトさんっ……!」

 

 

 キリト達も、アキトが視界から消える程の速さで走っていった事に驚いているようだ。それもそのはず、今日から攻略組志望であるアキトが、自分達よりレベルが高いはずがないのだ。

 だが、それでもアキトは彼らを置き去りにして行った。ちょっとやそっとのレベル差じゃこれは有り得ないのだ。

 

 

(アキト……お前は一体……)

 

 

 アヤトは小さく歯軋りしつつ、アキトに追い付こうと全力で青く光る濡れた石畳を疾駆した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

(くそっ……くそっ、くそっ!)

 

 

 アキトはただひたすらに、ボス部屋に向かって走っていた。後ろにいたアヤト達を置き去りにしてしまった事でレベル差が露見するかもしれないという問題など些事に思えた。

 

 

『うわあああぁぁぁああ!!』

 

 

 「っ……くっ!」

 

 

 ボス部屋へと向かっている時も、悲鳴は迷宮区に反響して止まる事は無く、その絶叫は辺りに響き渡り続けていた。

 何故、どうしてと、アキトは焦燥入り混じる顔で唱えた。それはコーバッツに対するものだけではない。自分に対してのものでもあった。

 どうして、もっと強く止めていなかったのだろう。

 あの時、もっと必死に言っていれば、と。

 

 

 あの時のキリトや、自分の言葉。

 何も感じてくれてなかったというのか────

 

 

 「っ……ぁ……!」

 

 

 視界の先に、あの大扉が見える。

 だがその二枚扉は既に左右へと開かれていた。ボス部屋の扉はプレイヤーがアクションを起こさねば開く事は無く、自然に開かれる事は無い。つまり、彼らは間違いなくあの扉の先へと足を踏み入れたのだ。

 扉内部の闇の中から、青く揺らめく炎が見て取れる。その奥に蠢くのは巨大な悪魔の影、

 耳に入り込むは断続的に響く剣戟の音、そしてそれ以上の、悲鳴。

 

 

 

 

(……なんで)

 

 

 

 

 ────足を止めた先の光景を見て、アキトは絶句した。

 辿り着いた扉の先にあったのは、正しく地獄絵図だったのだ。

 床一面に広がるのは、今も噴き出し続ける青い炎。数人のプレイヤーを蹂躙したその巨大な影は、部屋の中央で屹立していた。

 

 

 《The Gleameyes(ザ・グリームアイズ)

 

 

 その角聳える山羊の頭部からは禍々しくも燃えるような呼気を放ち、悪魔の部分である右手には巨大な剣が収められていた。それを今も尚アキトの目の前で、多数のプレイヤー達に振り回している。その度に聞こえるのは必死な叫び。命乞いに等しい、魂の叫びだった。

 悪魔と比べると余りに小さく、無力に見える人の影。間違い無く、先程アキトが見送ってしまった《軍》の連中だった。

 アキトは震える足を無理矢理動かして前に足を踏み出す。そして、すぐさま顔を上げてボスのHPバーを確認するも、絶望的な事に三割も減っていないようだった。

 そしてその時点での軍のこの動きは、明らかに統制がとれているものではなかった。

 

 

 「っ……!」

 

 

 そうして見渡して、アキトは恐るべき事実を知る。

 

 

(……二人、足りない……)

 

 

 ────それは、人数。

 安全エリアで出会った時点では、軍の人数は十二人だった。それだけでボスに挑むなど無謀極まりない事を、アキトはあの時コーバッツに向けてあれ程諭したにも関わらず、彼らは進んだ。そんな彼らの現在の人数は、十人。そう、二人足りないのだ。

 

 

 「ぁ……ぁ……」

 

 

 もし逃げたのならばアキトが今立っているこの扉しかない。が、ここに来るまでの道で軍のプレイヤーなど、アキトは見ていない。

 通常なら、命の危機を感じて先に転移結晶を使って離脱したのだと判断するだろう。

 けれど、アキトは知っている。この層のボス部屋から新しく加わった、絶望的な仕様の事を。

 

 

 

 

 「ぁ……ぅ、ぁ……!」

 

 

 

 

 その予想は、間違いでは無かった。震える声と瞳が、目の前の光景を現実のものとして受け入れている。

 そう、この部屋は《結晶無効化空間》、転移結晶は使えない。一度入ってしまえばもう、後戻りは出来ない部屋へと変貌を遂げたのだ。

 つまり、この場にいない二人のプレイヤーはもう既に消滅して────

 

 

 

 

 

 

 

 

 「うあああああああああああああああああああああああっ!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前の惨劇を目の当たりにしたアキトは、自分でも驚く程の雄叫びと共に、気が付けば背中の《リメインズハート》を引き抜いていた。そして、今にも足元のプレイヤーに斬馬刀を振り下ろさんとしている悪魔目掛けて一気に走り出した。

 アキトの持つスキルの最大火力は《二刀流》だが、ウインドウを展開して《ブレイブハート》を取り出している時間など無い。だからこそ、次点で火力のある《剣技連携(スキルコネクト)》の使用に躊躇いは無い。

 

 

 「らあっ!」

 

 

 繰り出したのは単発技《レイジスパイク》。突進力のある基本技であり、発動の溜めが少ない。故にその一撃で、アキトは瞬時にボスの足元まで辿り着いた。

 迷う余地無くそのまま白銀に輝く剣を悪魔の膝下を突き刺す。戦場に現れた新たな参加者に、悪魔はギロリと眼を向けた。

 

 

 「貴様っ……!」

 

 「はあっ!」

 

 

 コーバッツの声に反応を示している余裕など微塵も無い。そのまま体術スキルを連携で繋げる。左手で発動したのは《エンブレイザー》。黄色い炎のようなエフェクトを纏い、動きを止めていた右手の斬馬刀を思い切りかち上げた。

 悪魔の上体が剣の重さで仰け反る。その瞬間、アキトは目を見開いて軍に告げた。

 

 

 「全員逃げろ!俺が時間を稼ぐ!生き延びる事だけ考えろ!」

 

 

 半ば感情に身を任せて飛び出したアキト。考えるより先に身体が動いていたはずだったが、頭は冷静だった。

 この中で誰よりもレベルが高いアキトは、一番最初にこの部屋に来た時もキリト達がいるなら少人数でも勝てるつもりでいた。だが今のこの惨状を見てしまうと、如何にして自分の考えが愚かだったのかを痛感する。だが、この中で誰よりも囮に適任であろう事は明白だった。

 

 

 「────おい、アキト!何やってんだ!」

 

 「っ……アヤト、キリト……!」

 

 

 部屋の入り口を一瞬だけ見やると、そこには今辿り着いただろうアヤトやキリト達が立ち尽くしており、この地獄絵図を唖然として眺めていた。

 倒れ伏し動かない者、HPが危険域に突入し、端で震えている者すらいる。考えずとも視界に広がる光景だけで、誰もがこの現状を理解しただろう。

 入り口とは反対側に追い詰められている軍のメンバーは、最早戦意を喪失していた。

 

 

 「な……何してるっ、早く転移結晶を使え!」

 

 

 アヤトが空気を吸い込んでそう叫ぶと同時に、ボスが空いた左手をアキト目掛けて振り下ろす。すぐさまバックステップで回避すると、アヤトに対して首を振って返答した。

 

 

 「駄目なんだアヤト!結晶アイテムは使えない!」

 

 「何っ!?」

 

 「《結晶無効化空間》か……くそっ!」

 

 

 アヤトは驚愕を顕にし、キリトは舌打ちをする。

 迷宮区で稀に見れるトラップだが、彼らからすればボス部屋でそうであった事は無いだろう。

 アキトは知っている。ここから先のボス部屋は、全てその仕様なのだと。

 

 

 「そ、そんな、なんてこと……」

 

 「今まで、そんな仕様無かったのに……!」

 

 

 アスナとコハルは、口元を抑えても尚震える声を抑えられない。

 そう、今まで───73層まではそんな仕様は無かったのだ。だからこそ攻略組は何度もボスに挑んでは離脱し、そのボスのスキルの有無や攻撃傾向、そしてその対策を練れていたのだ。だからこそ、ここまで死者を抑えて進む事が出来たのに。

 未来を知っているアキトは、歯軋りするしかない。もう、ここより先の敵相手にはそれすら許されない。彼らは今、これからは真の意味で命懸けの戦闘しか、出来ないのだと突き付けられたのだ。

 彼らは息を呑む。これでは迂闊に助けにすら入れない。

 だが、既に部屋で軍を守りながら戦っているアキトだけは違う。今も尚必死にボスの攻撃を躱し、脱出の道を作ろうとしている。

 

 

 「ぐっ……このっ……!」

 

 

 再び降ろされた斬馬刀を、剣を横にして受け止める。だが、その重い一撃は、アキトを潰さんと襲い掛かっていた。その力は段々と増していき、他のプレイヤーのステータスを軽く凌駕しているアキトの膝を、意図も容易く折ったのだった。

 

 

(くそっ……この層の安全マージンなんて、とっくに超えてるってのに……!)

 

 

 レベルだけでは倒せない────それを痛感する。本当に、キリト達が入れば勝てると思っていた最初の自分をぶん殴ってやりたい。額に汗を掻きつつ、アキトはその斬馬刀をどうにか地面へと受け流す。だが、その瞬間次々とその巨体から考えられない連続攻撃が繰り出され始めた。

 拳、斬馬刀、そして足。その巧みな連携はまるでアキトの《剣技連携(スキルコネクト)》だ。本気を出さねば、ここにいる全員を逃がせない。

 アヤト達はまだ入り口に立ち尽くしているが、それで良い。彼らには逃げてくる軍のプレイヤー達を迎えるのに必要だ。ならば、ここは全て自分が担う────!

 

 

 システム外スキル : 《未来予知(プリディクション)

 

 

 今まで培ってきた全ての戦闘経験記録から相手の次の動きをデータに基き予測する。この青眼の悪魔に近い攻撃パターンを持っていた敵を記憶から算出して照らし合わせる。億数を越える戦闘経験が、目の前の敵の思考、動きのパターン、感情までをも教えてくれる。

 よく見ろ、読み切れ、すり減らせ。全ての動きを見落とさず忘れるな。そして次に奴がどうするのか、その感受性をも把握せよ。

 

 

 「っ!

 

 

 迫る拳を《閃打》をぶつけて相殺し、次に出された悪魔の足を《ホリゾンタル》で跳ね飛ばす。足を動かされてバランスを崩した奴が次に取るであろう動きを予測する。

 ボスがその体勢を整えようと上体が傾く瞬間、アキトは《ホリゾンタル》の余韻から体術スキル《飛脚》を繋げる。一瞬で悪魔の胸元まで飛び上がると、そこから《スラント》を繋げる。頭部の角めがけてそれを一気に振り下ろし、火花を散らす。

 

 コネクト・《弦月》

 

 再び《剣技連携(スキルコネクト)》による体術スキルの蹴り上げで、山羊の顎をかち上げる。それにより視界をガラリと変えられた青眼の悪魔が目にしたのは、足元に転がる非力な軍のプレイヤー。目が合ったその男は「ひっ……!」と声にならない悲鳴を漏らす。

 瞬間、ボスはアキトから視線を奴へと向ける。ヘイトがシフトしたのだ。

 

 コネクト・《ヴォーパルストライク》

 

 その僅かな筋肉の機微すら見逃しはしない。

 アキトは空中でそれを発動し、その突進力で一気に急降下する。剣の先にいたのは、ボスが狙いを変えた軍の男。空気を切り裂いてボスの斬馬刀より早く男の元に辿り着き、その腕を取って地面を蹴り飛ばす。

 そのコンマ一秒後、奴の剣がその場所に突き刺さった。まさに紙一重、後少しでもアキトが辿り着くのが遅かったならば、HPが危険域だったこの男は死んでいた。

 

 

(いける……このまま、全員逃がすまでっ……!)

 

 

 攻撃をぶつける度に反動や力の差によって生じるダメージがHPに刻まれる。気が付けば既に注意域(イエロー)にまで減少しているが、それでもここに至るまでの善戦で手応えを感じた。

 上層へと上がるにつれて複雑化する、ボスの攻撃パターン。異質で異常なアルゴリズムの変化。まるで人と変わらない思考能力。直前になってヘイトの対象が変わる、まるで気が変わったかのように変わる攻撃の軌道や行為の予測まで、今のアキトの集中力は可能にしていた。

 

 

 「す、スゲェ……」

 

 「アキト、さん……」

 

 

 入り口付近でそれを見ていたクライン達《風林火山》や、コハルはそこで繰り広げられるボスとプレイヤーの一対一を呆然と見ていた。周りの軍のプレイヤーを庇いながら戦闘しているアキトの姿は、他の者を圧倒している。

 

 

 「……なに、あれ……」

 

 「っ……」

 

 「……」

 

 

 アスナは勿論の事、キリト、アヤトも何も言えずにただ目を見開いてそれを眺めていた。攻略組志望というアキトの実力が、もしかしたら自分達よりも高いかもしれない事実に、身動きが取れない。

 そして、あの連撃は何だ、と問わずにはいられない。キリト達には、あの剣と拳を交えた連携速度は、間違い無く一つのソードスキルに見えた。だが、あんなに縦横無尽に空中を駆け巡る剣技を彼らは知らない。それにその一撃一撃は既視感が強く、良く知る単発技に見える。まさか、複数のスキルを硬直無しに重ねているのか────!?

 何故、これほどのプレイヤーが今まで無名だったのか。アキトは本当に、ここより下層のプレイヤーなのか。

 そう考え眺める中、アキトのHPがイエローから赤になりかけるギリギリのところまで減少している事を彼らは見つけた。必死に時間稼ぎをしているアキトの為にも、軍に退避を促そうとアヤト達が口を開いたその時だった。

 

 

 

 

 「──── 邪魔をするなっ!」

 

 

『っ!?』

 

 

 

 

 アヤトやキリト達の考えを吹き飛ばすような雄叫び。

 ふと、その部屋の中央付近でそんな野太い声が放たれた。全員、その視線を声の主へと向ける。剣を高く掲げて怒号を上げながらそこに居たのは、間違い無くコーバッツだった。

 見れば、誰一人として撤退出来ていない。そう、アキトの必死の防戦は、何一つ功を奏しておらず、徒労に終わった───否、終わらせられたのだった。

 

 

 「我々解放軍に撤退の二文字は有り得ない!!戦え!!戦うんだ!!」

 

 

 アキトの、彼らが逃げるまでの必死の時間稼ぎを無視したリーダーあるまじき発言に、誰もが耳を疑う。彼の声に従っているのか、はたまた目の前の恐怖によって冷静な判断が出来ていないのか、その場のプレイヤー達は逃げに徹し切れていないように見えた。そうさせているのはコーバッツだけではないが、アヤトは歯軋りし、キリトは思わず叫んだ。

 

 

 「あ、あいつ……!」

 

 「馬鹿野郎……!!」

 

 

 もう二人死んでいる。絶対にあってはならない事態を引き起こしたのは間違い無くコーバッツだ。人数も少なく、攻撃パターンすら読み切れていない。ずっと下層に入り浸り、攻略すらして来なかった連中がいきなりしゃしゃり出てボス部屋に挑戦する。最早笑い話にもならない。

 人が死んでいるのに、あの男は今更何をほざいているんだ────!

 そんな彼の無責任さに、憤りを覚えるアヤト達。

 だが、怒りを顕にしたのは彼らだけではなかった。

 

 

 

 

 「ふざっ、けるなぁ!」

 

 

 

 

 コーバッツのすぐ近くに立つアキトの、そんな怒号が響いた。コーバッツよりも大きな声で、部屋の外にいるアヤト達さえも身体を震わせた。

 アキトのその瞳はボスから離れてコーバッツのみを見据えていた。そこに宿っていたのは確かな怒り。

 

 

 

 

 「仲間をっ……人の命を、何だと思ってるんだ!」

 

 

 

 

 それは、正し過ぎる怒りだった。

 この場にいたはずの二名の命を、コーバッツは既に失っている。なのに、この無謀な挑戦を未だやめずにいるのは、そんな二人の仇討ちなどでは決してない。

 彼は《アインクラッド解放軍》と称し、プレイヤーの解放が目的と告げた。だが、彼はそんな自分の事を“中佐”などと宣った。コーバッツは、自身の身分の確立の為に仲間を利用したに過ぎないのだ。《軍》をこの世界一のギルドに───そんな理想があったのかは分からない。

 けれど彼の目的、思想は決して、ゲームクリアだけではなかった。私情が混ざっていて、それに他者を巻き込んだのだ。

 自分の目的に疲労した仲間を付き合わせ、あまつさえ死なせた彼はまだ、この現状を理解していない。

 それが、アキトには許せない。まるで人を道具のように扱う彼の所業に────

 

 

 「っ!?アキト君!」

 

 「───っ!ぐあっ!」

 

 

 アスナの叫びと、アキトが跳ね飛ばされたのはほぼ同時だった。HPが大きく現象してアキトの身体は簡単に宙へと舞い、重力に逆らわず落下する。地面を滑る身体は摩擦による熱さを感じ、アキトは痛みに目を細めた。

 

 

 「アキト!な……何とか出来ないのかよ……!」

 

 

 アキトが地面を転がる様を見て、駆け出しそうになる足をどうにか抑えてクラインは告げる。だが、それはクラインだけが考えていた事ではなく、アヤトとキリトも理解していた。

 ここから斬り込んで行けば、あの悪魔の意識は当然此方にも向く。つまるところ、連中から意識を逸らす事は確かに可能なのだ。その間、連中の退路を拓く事も出来るかもしれない。

 だが転移結晶による緊急脱出が不可能なこの空間で、こちらに死者が出てしまう可能性はゼロではない。ボスに挑むには、明らかに戦力が少な過ぎるのだ。

 

 

 そうアヤトとキリトが逡巡していた瞬間、その視界に入ったのは今も変わらずボスを見上げるコーバッツ一同だった。見れば、どうにか部隊を立て直したらしい。彼らは一斉に陣形らしいものを作っていた。

 

 

 「……っ、な、にを……!?」

 

 

 倒れ伏し、起き上がったアキトの視界の中央で、その光景はとても良く目に焼き付いた。

 現在生き残った十人の内、二人は危険域のHPのまま床に倒れている。残る八人が半分ずつに分かれて横列に並び、その中央に立ったコーバッツが剣を翳して口を開きかけている。

 ────これから何をするつもりなのか、容易に想像出来た。

 

 

 「や、やめ────」

 

 「全員……突撃……!!」

 

 

 アキトのその声は、コーバッツによって遮られた。アヤト達の必死の叫びすら、最早届かない。ただ事実としてあったのは、無謀な指示で突進していく軍の姿と、それを見て絶句していたアヤト、キリト達だった。

 

 

 ────ほんの、一瞬だった。

 

 

 八人同時攻撃という、満足に剣技も繰り出せない突進によって得たものは皆無だった。悪魔は途端に口から眩く噴気を撒き散らし、青白い炎の輝きに包まれ怯んだ八人の突撃を緩ませた。その遠隔攻撃によって連中が態勢を崩した瞬間に、右手の巨剣がすかさず突き立てられた。

 その中で一人だけすくい上げられるようにきり飛ばされ、比喩でなく人が宙を舞う。

 

 

 「ぁ……」

 

 

 最早、声も出せない。

 悪魔の頭上を弧を描きながら飛び越えアキトの、そしてアヤトやキリト達の眼前に、鈍い音を立てて激しく落下した。

 

 

 それは、コーバッツだった。

 

 

 HPバー透明色へと変貌し、消滅。装着していた兜は悪魔の一撃で呆気無く耐久値を潰し、一瞬で砕け散った。

 彼のその表情は、酷く曖昧なものだった。呆然としていて、まるで自分の身に何が起きたのか理解出来ないという、そんな表情だった。

 そんな中、ゆっくりと口が開かれ、告げられた言葉。

 

 

『────……有り得ない』

 

 

 その声は、アキトの耳には聞こえなかった。この瞬間のみ、静寂が世界を包む。コーバッツの身体は硝子のように簡単に、聞き慣れる事の無い神経を逆撫でするような破壊音と共に無数のポリゴン片となって四散した。

 

 

『……』

 

 

 呆気無い消滅に、誰もが何も言えなかった。短い悲鳴を上げる者、悔しげに目を逸らす者。

 その中で────

 

 

 「ぁ……ぁ、ぁぁ……」

 

 

 アキトはただ、瞳を揺らした。言葉にならない声が、口から漏れる。

 目の前で四散したコーバッツの破片が、アキトの視界から消えてくれない。

 その光の粒子達が告げるのは、たった一つの事実。

 

 

 ────コーバッツが、死んだ。

 

 

 その事実を受け入れるのに、どれだけ時間を有しただろうか。だが、アキトの胸に去来するのは負の感情のみだった。後悔、怒り、悲しみ。それらが綯い交ぜになったアキトの瞳は、僅かに潤んでいた。

 

 

 どうして、あの時もっと必死になって説得しなかったのだろう。

 

 

 どうして、嫌がる彼らを無理矢理にでも止めなかったのだろう。

 

 

 どうして、最後の最後に諦め、彼らを見送ってしまったのだろう。

 

 

 未来を知っていた自分が、誰よりもこうなる事を理解していたのに────

 

 

 

 

 「……」

 

 

 

 

 ────ゆらりと、物言わず立ち上がる。

 剣を手にし、前髪から覗く瞳は真っ直ぐに青眼の悪魔を見据える。リーダーを失った軍は、忽ち瓦解し混乱していた。既に全員のHPが半分を切り、喚き声を上げながら必死に逃げようと、震える身体を動かしていた。

 そんな彼らを見たアキトは、もう我慢ならなかった。

 

 

 

 

 ────限界だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 「あああああぁぁぁぁぁああぁぁぁぁあぁああああああああああああああああああぁぁぁああああああぁぁあぁあぁぁぁっっっ!!!!!

 

 

 

 

 

 

 

 

『っ……!?』

 

 

 ビリビリと空気を震わせる獣のような雄叫びの主はアキトだった。

 アヤトも、キリトも、アスナも、コハルも、クライン達も、軍のメンバーさえもが驚愕と困惑を綯い交ぜにした瞳を見開き、ボスに向かって突撃していくアキトを見た。

 出会ってからずっと温厚だったアキトの、確かな怒り。それを彼らが感じる最中でも、アキトは止まらない。

 

 

 この場の誰よりも早く、速く、その鮮やかな真紅の剣を悪魔に向ける。あの人殺しの悪魔に────

 

 

 「ああああああああぁぁぁ!!」

 

 

 片手剣十連撃《ノヴァ・アセンション》

 

 紫色に輝く刀身が、通常のモーションに比べてまるで出鱈目に動く。一心不乱、まるでアキトの今の心を体現しているようだった。

 宙に飛び上がって放たれたそれは、悪魔の背中に全て吸い込まれていった。肉を斬り裂き、赤いエフェクトを撒き散らし、HPバーを明確に削り取る。

 それはボスのヘイト値を稼ぐには充分過ぎた。青眼の悪魔は怒りの叫びと共に向き直り、アキトを標的として視界に捉えた。

 

 

 「ぐるああぁ!」

 

 

 コネクト・《アーク・デトネイター》

 

 空中で回し蹴りを放ち、ボスの横顔を抉るように弾き飛ばす。奴の瞳が怒りと同調するように光を放つも、アキトは全く怖気付く事無く睨み付ける。

 着地した瞬間にボスが再び咆哮を上げ、アキトは剣を構えた。HPの回復はしておらず、自動回復でも未だイエローの域を出ない。だが、関係無い。アキトの瞳が再びボスを捉えた。これは《未来予知(プリディクション)》の予備動作だ。

 その咆哮と同時に、アキトは地面を蹴った。ボスの視線を他へと逸らさせない為に。ヘイトを他に向けさせない為に。

 

 

 「っ、アキト!」

 

 

 そうして漸く、入り口にいた一人が足を踏み出した。手にした剣《クラレット》を掲げて飛び出すは、この世界で出会ったプレイヤー、アヤトだった。

 

 

 「アヤトッ!」

 

 

 続いてキリトが、友が飛び出したのを皮切りに走り出す。身も凍る恐怖を味わいながらも、必死に足を動かして。

 

 

 「っ!キリト君っ!」

 

 「アヤト!」

 

 「お、おい……もう、どうとでもなりやがれ!!」

 

 

 キリトに続いて、アスナとコハルが武器を取り出し疾風の如く駆け出し、クライン達も半ば自棄染みたときの声を上げつつ、刀を引き抜いて追随してくる。

 しかし彼らがボスへと辿り着く前に、アキトとボスの剣は交錯していた。けたたましい金属音を響き渡らせながら、何度も何度も火花を散らす。

 アヤト達よりもレベルがかなり高いアキトではあるが、どうやら目の前の敵のステータスには及ばないようで、交える度にHPの減少があるのはアキトのみのようだ。加えて、ダメージディーラーであるアキトのステータスでは囮として戦える時間はかなり少ない。突撃してきてくれているアヤト達の中にも壁役となれるプレイヤーはゼロ。軍は頼りには出来ない。

 ならば、自分の持てる全てを駆使してやるしかない。この、無謀な役回りを。

 

 

 「うああああああああああああぁぁぁ!」

 

 「っ……!」

 

 

 その痛々しい雄叫びを続けるアキトを、もう見ていられない。一見互角に見える実力も、圧倒している動きも、HPの減少が目に見えて多いのはアキトなのだ。既に危険域に到達しそうなHPバーは、自動回復スキルじゃ間に合わない。

 

 

 「下がれっ!」

 

 

 アキトに降り注ぐ悪魔の次弾。迎え撃とうとするアキトとの間に強引に割り込んだアヤトは、ギリギリのタイミングでボスの攻撃軌道を僅かに逸らす。気が遠くなるような、途方もない重量と衝撃に、アヤトは目を細める。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 擦れ合う度に刀身から生じる火花と共に、その大剣は後ろのアキトから少し離れた床へと突き刺さり、深い孔を穿つ。

 

 

 「アヤト……!」

 

 「早く回復しろっ、馬鹿が!」

 

 

 アヤトが次の攻撃に備え、剣を寝かせて構える。すぐさま迫ってきた追撃は、一撃一撃が致死とさえ思わせる圧倒的な威力。受ける度にアヤトのHPが減少し、受ける手の衝撃に歯軋りする。

 

 

 「はああっ!」

 

 

 アヤトを助ける為にその悪魔の背を、キリトが斬り付ける。その額には、恐怖と焦燥によって発生した汗が滲んでいた。ボスはそんな彼らを嘲笑うかのように、目を細めて見下ろした。

 青眼の悪魔(グリームアイズ)の使用する技は両手剣技ではあるが、異質なアルゴリズムと微妙にカスタマイズされた型のせいで予測がままならない。全神経を集中させ、アヤトとキリトは目配せしながらパリィとバックステップ、スイッチを繰り返して防御に徹する。だが、その一撃の威力が凄まじく、動きも速い。攻撃パターンの把握すら出来ておらず、反撃の余地が無い。

 身体を掠める刃と、その一撃の衝撃によって、ジリジリと減るのはこちらのHPのみ。

 

 

 ────アキトは、こんな出鱈目なモンスターの攻撃を予測していたのか。

 

 

 アキトを見れば、先程の怒涛の攻撃の反動かその場に崩れ落ちており、アスナとコハルが駆け寄っている。視界の端では、クライン達が倒れた軍のプレイヤー達を抱え、部屋の外へと移動しようとしているが、中央でボスが暴れている為に動けずにいた。

 いつ気が変わるかも分からないボス相手に、ヘイト稼ぎを失敗出来ない極限状態。もし失敗すれば、武器を持てないクライン達に防御の術は無く、軍のプレイヤー達の残り少ないHPを削りかねない。

 これ以上の死は有り得ない。誰一人として死なせるつもりのないアヤトは、悪魔の背後を取っているキリトとアイコンタクトを取る。

 現在、敵を挟んでいる有利な状況なのに、この巨体から感じる威圧感が二人を襲う。隙なんて無い、そう思わざるを得なかった。

 

 

 「「っ!」」

 

 

 瞬間、ボスは動き出した。

 巨大な斬馬刀を光らせたかと思えばその刹那、横に寝かせたその巨剣が水平に旋回したのだ。大剣技《サイクロン》、その巨躯からは想像出来ない程の速度で、ボス後方のキリトに襲い掛かる。

 

 

 「ぐ、おあああああぁぁぁっ!」

 

 

 今まで飽きる程見てきたはずのスキルなのに、その初動のモーションを見切る事が出来なかった事に歯軋りするも、どうにか剣でそれを受け止める。

 だが、この戦闘で初めて敵が使用したソードスキルは、これまでの攻撃とはまるで重さが違っていた。

 

 

 「キリト……っ!」

 

 

 キリトが気圧され、ジリジリと後退するのを見たアヤトは即座に床を蹴る。片手剣《クラレット》を掲げてボスの足元に辿り着くと、その切っ先を足首目掛けて斬り払う。片手剣四連撃────《ホリゾンタル・スクエア》だ。

 透き通るような水色のエフェクトが四角を描き、ボスがよろけたのを確認したキリトは、瞬時に剣を受け流して離脱した。

 

 

 「チィ……!」

 

 

 瞬間、ボスは予備動作も無く一瞬で、くるりとアヤトに向き直った。アヤトは僅かに目を見開くが、すぐに防御姿勢を取る。だが、ボスのその巨剣の一撃一撃は、とても重いものだった。

 ギィィン───!と甲高い音を立てながら、アヤトはどうにか奴の攻撃をパリィする。にも関わらず、その悪魔は跳ね上がった右手の剣を両手で掴み、そのままソードスキル《アバランシュ》を放って来たのだ。

 

 

 「なっ……」

 

 

 あまりに虚をついた動きと剣速に、アヤトは身動きが取れない。ただ瞳に映るのは、目の前の悪魔の剣が、こちらを斬り裂かんと迫ってくる光景だった。

 キリトも、コハルも、アスナも、クライン達も一斉にそれを見て、思わず目を見開く。誰もが彼の名を叫び、間に合わないと知っていても手を伸ばさずにはいられない。

 そのまま振り下ろされた大剣は、アヤトの右肩から斜めに吸い込まれるように────

 

 

 

 

 「────せああぁっ!」

 

 「!」

 

 

 

 

 ────黒い影が、アヤトの目の前に鈴の音と共に現れる。

 その声と共に身を踊らせたのは、アヤトの後方で回復中だったはずのアキトだった。誰もが届かない距離にあるその斬馬刀を、誰もが達し得ないその速さを持って、紅い剣で待ち受ける。

 アヤトが驚きに目を丸くするのも束の間、アキトの剣の刀身は、鮮やかな光を纏っていた。振り上げたそのソードスキルは単発技《バーチカル・アーク》。その剣は光と共に弧を描き、悪魔の巨剣を弾き返した。

 

 

 「くっ……!」

 

 

 しかし、後方へと仰け反った悪魔が繰り出したのは反撃の蹴り。そのまま左足を地面から引き剥がし、真っ直ぐにアキトの腹を狙う。アキトはわずかに早く反応し、《剣技連携(スキルコネクト)》で体術スキル《掌破》を発動し防御するも、力の差に耐え切れずに後方まで飛ばされた。

 

 

 「うおっ……!」

 

 「きゃあっ!」

 

 

 アキトがボスに蹴り飛ばされ、その真後ろにいたアヤトとコハルはそれに巻き込まれて吹っ飛ばされた。そのまま三人揃って地面を滑り、入り口手前辺りまで転がった。

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 

 

 「みんなっ!」

 

 

 悪魔の一撃による三人の後退を目撃したキリトは、瞬時に走り出す。彼らへのヘイトをこちらに逸らさねばと駆け出して、剣を構えた。しかし、また気が変わったかのように今度はキリトへと振り返った青眼の悪魔に、アヤト同様居をつかれたキリトは目を見開いた。

 瞬間、敵の一撃がキリトの身体を捉えた。痺れるような衝撃を、交差した剣の火花と共に感じる。HPが根こそぎ奪われる。

 

 

(くそっ……もう迷ってる場合なんかじゃない!アキトは、アイツは最初からずっと……!)

 

 

 弾き飛ばされたアキトを見て、この世界のキリトはふと、アキトの今までの行動全てを思い出していた。出会って間も無いはずなのに、何処か親近感を覚える彼の姿。そして軍相手にも物怖じしない態度に、純粋なる優しさと正義感。

 彼が言ったあの一言に、キリトは心に突き刺さる何かを感じていたのだ。

 

 

 ────『失ってからじゃ遅い』

 

 

 そう。後悔先に立たずと、そんな当たり前かつ真理である言葉。彼の見た目やギルドマークも相まって、自分自身に告げられた一言に思えたのだ。そんな彼は、決して最後まで諦めずにコーバッツを諭していた。

 攻略組志望のアキトが、攻略組である自分達が来た時には既に、ボス部屋に入って軍を逃がそうとしていたのだ。アキトは、自分の言葉と信念に則って行動を起こしている。後悔しないようにと、その言葉を行動で示している。

 そう、自分だって同じだ。後悔しないようにと、そう決めたはずなのに。

 キリトは、チラリとボスの向こうを見る。そこにいたのは、今も尚地面に伏している黒髪の少年。自分によく似た姿の、優しいヒーローのような少年。

 

 

 

 

 ────彼は最初から、迷ってなんていなかった。

 

 

 

 

 「っ……、アスナ、クライン!頼む、十秒だけ時間を稼いでくれっ!」

 

 

 

 

 気が付けば、キリトは叫んでいた。

 《エリュシデータ》を強張してグリームアイズの攻撃をどうにか弾く。アキト、アヤト、コハルが態勢を立て直す時間と、そしてこちらの準備の為の時間稼ぎを、アスナとクラインに託した。

 

 

 「分かった!」

 

 「任せろ!」

 

 

 キリトは無理矢理にブレイクポイントを作って、床に飛び込むように転がる。交代するようにキリトの横を駆けて行ったクラインが刀を構えて応戦を開始した。

 ここから先の操作に一つのミスも許されない。本来ならば、二人だけで時間を稼ぐのすら危ういのだ。キリトは頭にまで届く早鐘のような鼓動を抑え、ウインドウを開いた。アイテムリストをスクロールし、そこにある一本の剣《ダークリパルサー》を選択する。スキルウインドウを開いて、武器スキルを変更する。

 

 

 「よしっ!!良いぞっ!!」

 

 

 全ての操作が完了し、キリトは急いで顔を上げる。クラインは悪魔の腹部に斬撃を穿ったが、跳ね飛ばされてHPを減らしている。後退したのを見たアスナが入れ替わるように悪魔と対峙するが、ほんの数秒でHPの五割を削り取られていた。

 キリトの声に背を向けたまま頷いたアスナは、裂帛の気合と共に突きを放つ。

 

 

 「せあぁぁぁ!」

 

 

 純白のライトエフェクトを放ったその一撃は、青眼の悪魔の斬馬刀と空中で交差し、火花を散らすと共に敵をノックバックさせ、間合いを作った。

 

 

 「アスナ、スイッチ!!」

 

 「っ!」

 

 

 そのタイミングを逃しはしない。キリトは悪魔の正面に飛び込み、硬直から回復したボスの大剣を右手の愛剣で弾き返す。

 そして────

 

 

 

 

 「せやああぁぁぁっっっ!!!」

 

 

 

 

 ────背中に宿る新たな重み、その白銀の剣の柄を握り、抜きざまにその一撃を悪魔の胴体に見舞った。

 ズドン!と、およそ剣戟によって発生したとは思えない轟音が響く。凄まじく重い一撃が悪魔の上体を跳ね飛ばし、その足元には黒い剣士が構える。

 アスナも、クラインもその姿を凝視していた。目の前で、本来ならば有り得ない立ち振る舞いをするキリトの姿があったからだ。

 

 

 

 

 《エリュシデータ》と《ダークリパルサー》をその手に構えた彼は、青眼の悪魔のHPを、目に見えて削り取ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ●○●○

 

 

 「うっ……ぐっ……」

 

 「アキトさん……大丈夫、ですか……?」

 

 

 ボスに蹴り飛ばされたアキトに巻き込まれて吹き飛んだアヤトとコハルは、起き上がってアキトに駆け寄ってくれていた。目を見開けばアキトの目の前には、心配そうにこちらを見つめる二人の姿。

 そして更にその向こうには、注意を逸らさんと奮闘するキリト、アスナ、クラインの姿があった。

 必死になって剣を交える彼らを見て、アキトは悟った。今、彼らがあんなになっているのはきっと、自分のせいなのだと。

 

 

 「大、丈夫……まだ、戦える……」

 

 「アキトお前、まだちゃんと回復してないだろ!早くポーションを……」

 

 「アヤト、私が出すよ」

 

 「悪い、頼む」

 

 「大丈夫だって……そんな、事より……早く、行かないと……」

 

 

 アヤトとコハルを振り切るように腕を払い、立ち上がろうと足を動かす。だが、身体全体が正体不明の震えに襲われ、思うように身体が動かせない。

 片足を突き立てた途端、バランスを崩して再び崩れ落ちる。両手でどうにか支えるも、恐怖の際に生じるような大きな震えが、もどかしくも身体の制御を妨げていた。

 それでも無理矢理に身体を起こそうとするアキトを、二人は慌てて制止する。

 

 

 「ま、待って下さい、アキトさん!」

 

 「そんなHPで何言ってんだ!どう考えたって回復が先だろ!」

 

 

 アキトのHPは、先程のボスの一撃で危険域に突入していた。あの悪魔の攻撃力を考えるに、自動回復スキルではまず間に合わない。このまま回復せずに戦えば最後、攻撃を掠めるだけでも致命打になる。

 そんな思いを乗せたコハルとアヤトの叱責も、アキトは聞き入れない。アキトの眼前にはもう、自分のせいで命を賭すキリト達の姿しか映らなかった。

 けれど、そんな抵抗も長くは続かない。アキトの肩を、アヤトが強く掴んだのだ。振り払おうにもその力は強く、レベル差があるはずのアキトを驚かせる。目線を上げれば、アヤトがこちらを強い視線で見つめている。気が付けば、コハルもアキトの剣を持つ右手首を両手で掴んでいた。

 

 

 「……放して」

 

 「っ……」

 

 

 コハルはそんなアキトの冷たい言葉に一瞬だけ震える。だがその隣りにいたアヤトは変わらずこちらを見据え、更に肩を掴む力を強めた。

 

 

 「お願いだから……行かせてよ……っ」

 

 「回復してからだって言ってるだろ!何意地張ってんだよ!」

 

 

 ────“意地”。

 

 

 アヤトから放たれたその一言に、アキトは動きを止めた。全身に張っていた力が急に緩まり、アヤトとコハルは不思議に思いながらもアキトから手を放す。

 そんな中でアキトは一人、熱くなっていた頭が一気に冷めるのを感じた。その間ずっと、アヤトの言葉がぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 

 

 「……アキト、さん?」

 

 

 コハルの声に、小さく反応する。そうして、目の前の現実全てを冷静に把握し、受け止めて、漸く自分の心を理解した。

 

 

 ────ああ、そうだ。これは意地だ。

 死んでも貫き通さなきゃならない、身勝手な我儘なんだ。

 

 

 

 

 「……助け、たかったんだ……」

 

 

 

 

 ポツリと、震える唇からそう溢れ出た本音。同じく震える身体の原因は寒さからでも、ましてや恐怖からでも無い。

 アヤトは黙って、そんなアキトの背中を見つめた。

 

 

 

 

 「ヒーローみたいに、なんて言わない……けど、手の届く範囲は、必ず助けたいんだ……“僕”は、手の届く場所に居た……絶対に助けなきゃいけなかった……っ、二度と同じ過ちを……後悔をしない為に……僕の力は、その為の力なんだっ……!」

 

 

 「アキト……」

 

 

 

 

 気が付けば頬から流れ出た涙。そのまま頬の下まで滴り、冷たい床へと落ちていく。それは、悔しさと悲しさが混ざり合った涙だった。

 アキトは、この先に起こりうるであろう事象を知っていた。この場にいる誰よりもこの状況を打破出来た可能性があり、その術を持っていた。なのに、結局三人も自分の目の前で死なせてしまった。

 もっと強く止めていれば。力づくで言う事を聞かせていれば。そんなタラレバを考えた所でもう遅く、そんなタラレバを生まない為の行動を選択するべきで、それがアキトの定めた誓いだったのに。彼らには、後悔しないようにと諭していたのに。

 助けられた命だった。既に死んでいた二人を除いても、コーバッツだけは助けられたはずなのだ。あの場に立って、彼を無理矢理にでもボスから引き離して、全員で逃げ切る為の判断材料が自分にはあったはずなのだ。

 

 

 “ヒーロー”という酷く曖昧な単語。アキトにとってはキリトや父親であり、それは数多の人間を救える力を持つ者だった。強く気高く優しい者。アキトが憧れ、目指した存在。どうしてそうなりたいと思ったのか、その理由さえ曖昧なものだ。

 それはアキトが『誰かに認めて欲しい、ちやほやされたい、目立ちたい』といった自己承認欲求があった訳では無いからだ。

 

 

 アキトはただせめて、自分が知りうる限りの世界では、誰にも涙して欲しく無かったのだ。誰かの笑ったその顔が、とても綺麗だったから。

 アキトは、ヒーローになりたかったから人を助けようとしていた訳じゃ無い。困っている人、泣いている人を簡単に助けてしまう存在がヒーローだったから、そんな存在に憧れた。

 

 

 「……なのに……っ」

 

 

 理想は、理想だからこそ遠い。

 この結末は、元々自分がいた世界と同じ結末なのだろうか。自分が介入してもしていなくても、コーバッツは死んだのだろうか。寧ろ、自分がこの場に来た事で彼が死んだ可能性は無いのだろうか。

 なら、自分がこの場所に放り込まれた理由は何なのだろう。仲間だった人達から初対面の態度をされ、帰るべき前線は未だ到達していないという。この場所はアキトにとって、真の意味で孤独をかんじる場所だった。

 何も変えられず、何も救えず、レベルに物を言わせたチームワークを逸脱した暴走行為を働いてまで尚、彼らに迷惑をかけて。

 そうして帰るべき手段すら不明のまま。

 

 

 「僕はっ……何の為に、ここまで……!」

 

 

 帰りたい。ただそれだけだったはずなのに。

 どうしてこんな思いをしなければならなかったのか。どうして、目の前にいた人を助けられなかったのか。まるで、何一つ成長していないみたいだと、そんな負の感情が頭の中を支配する。

 どうして、なんでと、そんな感情ばかりが───

 

 

 

 

 「────しっかりしろよ、アキト」

 

 

 「っ……アヤ、ト……」

 

 

 

 

 空気を裂くような真っ直ぐな声。

 凍った心に熱を宿すかのような温かな言葉が、アキトの耳に入り込む。顔を上げれば、そこには優しげにこちらを見据えたアヤトがいた。震える瞳はそんな彼を捉えて動かない。

 しっかりしろと、そう律されただけなのに、こうも安心するのか。

 

 

 「アキトは、俺を助けてくれただろ?」

 

 「ぇ……」

 

 「さっきだよ、お前が吹っ飛ばされた時。俺を庇ってくれた。だから、サンキューな」

 

 「……」

 

 

 アヤトは再び、呆然とするアキトの肩にポンと手を置いた。ビクリと身体を反応させた子どものようなアキトを見て、励ますような声で告げた。

 

 

 「お前だけのせいじゃない。コーバッツが死ぬまで眺めてるだけだった俺達にも責任はあるんだ。……アキトは迷わず、アイツらの為に戦ってくれてたのにな……」

 

 「っ……」

 

 「あんなに必死になってたのに、気付いてやれなくてゴメン。一人でやらせて……助けてやれなくて、悪かった」

 

 

 それは、彼が心の底から思っていた事のように思えた。切実な謝罪と、大きな後悔がその声に乗ってアキトに届いた。本当に、あの時飛び出さなかった事を、後悔しているように見えた。

 アヤトはきっとあの一瞬、天秤にかけてしまったのだ。正義感に基づいて飛び出す事と、みんなで助けに行く事でこちらに犠牲が出るかもしれない事を。それを恐れた結果、コーバッツが死に、アキトが乱心するまで身動き一つ取れなかった。助けられた命だったはずと嘆いていたのは、アキトだけじゃなかったのだ。

 

 

 「“後悔しないように”。お前が、教えてくれたばっかりだったのにな」

 

 「……アヤ、ト……?」

 

 

 アヤトは小さく笑うと、ゆっくりと立ち上がる。アキトとコハルが見上げる中、アヤトは振り返ってボスを睨み付けた。

 そして、キリトがウインドウを操作し終えて飛び出すのと、アスナがその時間稼ぎをしているのを確認すると、アヤトもアイテムウインドウを開いたのだ。

 

 

 「な、にを……」

 

 

 彼の突然の動作に困惑を隠せないアキト。コハルを思わず見るが、彼女もこんな時にアヤトが何をしているのかが理解出来ていないようだった。

 しかし、次の瞬間だった。突如、アヤトの向こう側から轟音が響いたのだ。部屋を揺るがす程の振動がビリビリと肌に伝わる。アキトが思わず顔を上げた先には、上体を仰け反らせる青眼の悪魔。

 

 

 そしてその先にいたのは、黒の剣士の真の姿────

 

 

 

 

 「キリト!準備は良いな!」

 

 

 「ああ!」

 

 

 

 

 手順の最後であるOKボタンを押したアヤトは、顔を上げてめいいっぱい叫んだのだった。キリトがそれに応えた瞬間、アヤトの手元の武器が消える。

 その手にあったのは、片手剣《クラレット》とは違う。新たな光が手中の武器を包み込み別の形となって顕現する。現れたのは深みのある藍色の武器。

 だがそれは剣と呼ぶにはあまりにも細く、長く、鋭い────。

 

 

 「……槍?」

 

 

 コハルの発言は正しかった。

 現れたのは両刃の槍。先端は四方向に棘が付き、持ち手にはレリーフが施されている。シンプルに見えて、それでいて幻想的な槍。

 その名は、《ライト・コンダクター》。

 

 

 

 

 「っ────!」

 

 

 

 

 ────悪魔の咆哮で、一同顔を上げた。

 その青眼の悪魔は、仰向けに倒れ伏すのを辛うじて踏ん張って、再びキリトを視界に捉えようとする。

 その瞬間、アキトの目の前にいたアヤトの姿が消えた(・・・)

 

 

 「────はあっ!」

 

 

 その声がしたのは、ボスの近く。

 思わず視線を動かせば、アヤトの姿を捉える事が出来た。だがその場所はボスの背中辺りの空中だった。

 先程まで入り口付近に倒れたアキトの目の前にいたにも関わらず、瞬きする間も無くあんな一瞬で────

 

 

 「!」

 

 

 アヤトの槍から放たれたのは、ソードスキルによる光。次の瞬間、突き立てたその槍の先端がボスの背中を深く抉るように突き刺さった。

 そして、それが神速の如く連続で繰り出されたのだ。一、二、三、四撃目───アキトですら目で追えない程の連撃速度。

 槍が突き刺さるその瞬間、そのタイミングが把握出来ない。陽炎のように先端がブレて、槍が何本にも見える程の速度。

 

 

 「やああぁぁぁっっっ!!!」

 

 

 最後の一撃が、ボスの背の中央を穿つ。

 爆発にも似たエフェクトがごうっ!と飛び出し、アヤトはその風圧に身を任せて空中で回転しながら後退する。悪魔はその衝撃で、キリトの方へと俯せに倒れ込んだ。

 

 

 「せやああぁぁぁっっっ!!!」

 

 

 今度はボスの向こう側から裂帛の気合いを感じ取る。

 そこにいたのは、黒の剣士キリトだった。左右の剣を携え構えたその瞬間、それが白銀に輝き出す。

 

 

 「っ……」

 

 

 アキトは目を見開く。自分はそれを良く知っているから。

 誰よりも理解しているからこそ悟る。その力こそ、彼に相応しいのだと。

 あのソードスキルを、アキトは知っている。

 

 

 二刀流十六連撃奥義技

 《スターバースト・ストリーム》

 

 

 倒れ込むボスの胸元を抉り取るかの如く切り付ける。星屑の煌めきを宿し、光の速さで踊るように。

 あれが、あれこそが英雄の姿────

 

 

 「アヤト……君は……」

 

 「あ、アヤト……?」

 

 

 アキトは衝撃の連続で、未だ動けず唖然とするばかり。

 視線はキリトと────そしてアヤト。コハルも彼が気になったようで、彼から目が離せない。

 彼は先まで、ずっと片手剣を使っていたはず。それなのに何故か、槍に持ち替えた際の瞬間火力の総量が尋常ではなかったのだ。ボスのHPは一瞬で削れ、そしてそのソードスキルの速度もアキトにさえ視認出来ない。

 何より、槍のソードスキルにしてはあまりにも連撃数が多かったのだ。あれは、本当に一つのソードスキルだったのか────いや、違う。目で追えぬ速さで何度も何度も敵を刺し続けるあの異常な力。そして、途中からライトエフェクトのカラーが変わったのを、アキトは見逃さなかった。

 そう、あれは既存のソードスキルを繋げる、アキトの《剣技連携(スキルコネクト)》のような力。だが、彼のソードスキルは既存のスキルとも違って見える。

 まるで、元々あったソードスキルの連撃数が倍になったかのような────

 

 

 

 

 「っ……」

 

 

 

 

 アキトには、何一つ分からなかった。

 けれど、一つだけ分かった事がある。この衝撃を、この異質な力の本質たるものを、アキトは知っているのだ。

 自分も有しているであろう、その力の正体を。

 

 

 

 

 「……“ユニークスキル”」

 

 

 

 

 アキトが、小さくそう呟く。

 それを聞いたコハルの瞳が見開かれ、二人揃ってアヤトを見る。

 彼らだけじゃない。アスナも、クライン達も、そして軍のプレイヤー全てが、青眼の悪魔を挟んだキリトとアヤトに驚愕の視線を向けていた。

 悪魔が咆哮し、周囲の空気を震わせる。だが、決して物怖じしない二つの英雄の影を、アキトはただ眺めていた。

 

 

 そんなアキトとコハルをチラリと見たアヤトは、槍を構えた後、小さく笑って口を開いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 エクストラスキル : 《無限槍》

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「見ててくれ、二人とも。──── 必ず勝つ」

 

 

 







IFストーリーの方で、アニメ記念でアリシゼーション編のプロローグを書く事にしました。4、5話程度の構成で、現在2話ほど投稿しています。
心の広い方々のみにオススメ出来る拙いストーリーなので、感想を求めるのは烏滸がましいですが、読んで頂けると嬉しいです。






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