武内pが訳あってアイドルデビュー (Fabulous)
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さよならP

武内Pこそシンデレラガールズ真のシンデレラなのだよ!←な、何だってー!


 訳あって、アイドルになる。

 

 そんなことは当たり前だ。自己実現のため、興味本意のため、果ては生活のため、アイドルによってその理由は様々であり私も仕事上多くの訳を見てきた。むしろ訳もなくアイドルになる方が珍しい。

 

 勿論全てのアイドルが最初から明確な理由を持っている訳ではない。スカウトやプロデュースにおいてはアイドルとしての原動力を見出だし、育て、アイドルの魅力を引き出す必要がある。

 

 

 だが……まさか私が……アイドルになるなんて……。

 

 

 

 

 大学卒業後、私は346プロに就職した。芸能関係には以前から興味があり私もその担い手の一人になりたかった。入社からしばらく経った時に新興のアイドル事業部のプロデューサーとしての職務を与えられた。担当アイドルを複数割り当てられ私は大役を任されたことに会社からの信頼の現れだと思い意気込んだ。さらにプロデュースという直接アイドルを生み育てることに不安もあったが一層やる気がでた。私の担当アイドル達はまだまだ粗削りだが皆才能を感じさせる原石だった。私は彼女達をトップアイドルにするため全力で仕事に取り組んだ。

 私は情熱に燃えていた。燃えていた筈だった……。

 

 

 

 切っ掛けは今でもよく分からない。だがきっと些細なものだったのだろう。気づくことが出来なかった。彼女達の心が徐々にすり減っていたことに……。

 気づけなかった……他でもないプロデューサーの私が……。

 

 結果、数名の離脱者が出た。その旨を直接彼女達から告げられたとき、私はただ立ち尽くすことしかできなかった。

 信じられなかった。私は全力で彼女たちをプロデュースしたつもりだった。寝る間も惜しみプロデュース計画を立て様々な業界関係者に働きかけ、彼女達の未来を思い描いていた。346のアイドルに相応しいトップレベルの仕事を彼女達に与え、トップアイドルの階段を上がってほしい。私の思いは伝わっていると思っていた、そうでなくとも仕事にやりがいや将来性を感じてくれていると思っていた。

 

 

 

 だが全ては砂上の楼閣だったことを彼女達からの告白で分かった。

 

 今西部長や同僚からは仕方ない、気にすることはないと励まされた。

 だが、そんなことはない。仕方ないではすまない。短い間だったが私は彼女たちの人生を預かっていた。それに見会うだけの価値を彼女たちに与えてあげたかった。与えなければならなかったのに……。

 

 私は辞表を提出した。今西部長はそれまで見たことがないほど険しい顔だったのを今でも鮮明に覚えている。引き留められたが私の決意が固いことを伝えると、なら他の担当アイドル達の引き継ぎがすむまでは、と言われ了承した。勿論私としてもいきなり仕事を投げ出して会社を去るつもりは無かったため今西部長と話し合い、私のプロデューサー業は今月までとなった。

 

 

 

 それからというもの多くの同僚や上司、果ては担当外のアイドル達から考え直してほしいと引き留められた。こんなにも私のことを考えてくれている人がいるということに密かに涙したが、私の心は変わらなかった。

 

 今日も私は引き継ぎ業務に追われていたがもうこれでお仕舞いと考えると日に日に重荷から解放されるような心地になり後ろめたさを覚えながらも仕事は順調だった。退職を決意するまではまるで刑の執行を待つ罪人のような気分だったのに比べれば幾分かマシだ。

 

「プロデューサーいる? 私だけど……」

 

 聞き慣れた声で呼び掛けられ在室を伝えると、デスクのドアが開かれる

 

 

 

「城ヶ崎……さん」

 

 城ヶ崎美嘉、私が担当している……もとい、既に別のプロデューサーに引き継いだから厳密には違うが私が担当した彼女たちの中の一人だ。

 

「会社……辞めるんだって? みんな言ってるけど嘘だよね……?」

 

「城ヶ崎さん。嘘ではありません。私は今月一杯で退職します」

 

「そんな……どうして、どうして辞めちゃうの? みんなで決めたよねっ……トップアイドルに成ろう、みんなで成ろうって! なのに……どうして?」

 

 彼女の言葉はナイフのように私の心を突き刺した。

 

「今回の一件で私にはその資格も能力も無いことが分かりました。城ケ崎さんや他の皆さんには本当に申し訳ないと思っています」

 

「そんな言い訳聞きたくない! 私だって……私だって……一緒に頑張ってきた娘達がいなくなって辛いよ。でも仕方ないじゃん……結局はあの娘達が選……」

「仕方なくありませんッ!」

「ひっ……」

 

 叫んだあと我に返った。

 見れば彼女は怯え目には涙が浮かんでいた。

 

「あ……あんし……」

 

 そう言いかけ口を塞ぐ

 

 私は彼女になんて声をかければいい? 安心しろ? 大丈夫だ? もうすぐ彼女を置いて去る自分が? 

 今更プロデューサー面をして何になるんだ。

 

(私は最低のプロデューサーだ。未来ある少女達の夢を壊し目の前の彼女も救えない)

 

「どうか彼女達を責めないで下さい。全ては私の至らなさです。だからこそ私が責任を取ります」

「そんなのおかしいよ! それって、逃げるだけじゃない。それに……悪いのはプロデューサーだけじゃない。私も……私も悪いよ」

「そんなことは……」

「私も、皆で頑張ろうって言ったくせに自分の事で手一杯で……あの娘達のこと気遣ってあげられなくて……。結局全部プロデューサーに押し付けて……」

 

 

「……それは……それは城ケ崎さんの責任ではありません。その義務は私にありました。そして私はそれを怠り誤ったプロデュースを彼女達に行いました」

 

「でも……でも……何も辞めることないじゃない! 今回のことは絶対に忘れないで次に生かせば……」

「私はそうかもしれませんが彼女達に次は無いかもしれません」

「……」

「会社員として、プロとして、それが正しいかもしれません。ですがどうしても自分が許せないのです。彼女達には才能があります。今でもトップアイドルになれる。そう信じています。ですが私は彼女達のアイドルになる夢を壊し人生に傷をつけてしまった」

「勿論これで彼女達のアイドルになる可能性が断たれたとは思っていません。機会はいくらでもあります。いつの日か彼女達がステージの上で輝くアイドルになれることを願っています」

 

「本当に辞めるの?」

「はい」

「もうどうにもならないの?」

「……なりません」

 

 彼女は踵を返しドアを開け、振り替える。

 

「今までありがとう。さよなら、プロデューサー」

 

 頬には涙が伝っていた。

 

 

 

 

 私は椅子に沈むようにもたれる。結局私は彼女も不幸にしてしまったのか? 私がプロデューサーをやめなければ或いは……

 

 そこまで考え頭を振り払う。

 

 何を未練がましい……今の私に何が出来る? 上辺だけで何も言えないプロデューサーに一体何が出来るのだ。

 

 

 

 いよいよ退職日が来た。

 既に引き継ぎ業務はあらかた完了しこの日は簡単な手続き書類に署名捺印する程度。最後の仕事としては代わり映えしないが無心で行えるから都合がいい。

 

 するとデスクのドアが開かれる。

 

 

「やあ」

 

「今西部長……御挨拶に伺おうと思っていました」

 

 

 

 

「今日で……退職します」

「野暮な引き留めに来た訳じゃないよ……君が自分で決めたことだ。尊重するさ」

「今までお世話になりました。そのご恩に報いれず申し訳ありません」

「君ばかりの責任じゃないさ。私も気配りが足りなかったよ」

「元はといえば私が……」

「もうよそう……せっかくの君の門出だ。明るく行こうじゃないか」

「はぁ、恐縮です」

 

「それで……これから何処に行くのかね?」

 

 行き先ではなく魂のことを聞いているのだろう。

 

 

「実家に帰ります。幸い両親が健在ですので」

「そうかね……達者でね。もう一度やり直したくなったらいつでも連絡してくれて構わないよ。アドレスは消さないでおくからね」

 

 つくづく部長は人格者だと感じる。わたしでは遠く及ばない人だ。

 

「今まで本当にありがとうございます。それでは」

「あぁ。気を付けてね」

 

 

 

 

 

 去っていく彼の背はとても小さく見えた。初めて彼と出会った時とは比べようもなくやつれていた。

 

 才能ある若者だ。熱く、情熱に燃え、理想に満ちていた。将来必ず大きなことを成し遂げると思わせるほどの男だった。

 この仕事をしていると、きらびやかなほうにばかり目が向いてしまうが現実は残酷だ。嫌でも夢に破れ去っていく人間を見ることになる。それが共に歩んだ者ならより辛い。どれだけ年や経験を積んでも慣れないものだ。仕方の無いこととはいえ情熱を注いだ分、若い彼にはあまりに酷だったかもしれない。

 

 どうか彼がこのまま潰れないことを今は祈るしかない。

 

 

 

 

 

 私は都内の実家に久しぶりに帰って来た。両親からはいつも、たまには帰ってこいと言われていたがまさか退職して帰ることになるとは流石に気まずかったが両親は温かく迎えてくれた。詳細は伝えていたが拍子抜けするほど仕事については何一つ訊かれなかった。それが両親の気遣いなのは直ぐに分かった。

 私の生活費は自分の貯金から両親に支払っているがいつまでも親の脛をかじる訳には行かない。再就職先を早く見つけなければならなかった。

 

 それからしばらくして私は派遣社員として様々な職場を転々とした。オペレーターやデスクワークといったインドアや交通整理や土建業といったアウトドアな仕事などなるべく幅広く仕事をした。

 とにかく働いた。無我夢中で働いた。まるで何かを忘れるように。

 

 

 結局……私はどの仕事も馴染めなかった。嫌いではなかった。大学卒業からずっと346プロで働いていたため改めて全く経験したことの無い仕事を一から覚えるのは辛くもあったが貴重な経験だった。

 しかしどうしても脳裏を過るのはアイドルのこと、プロデュースのことばかりなのだ。何をしても過ってしまうのだ。

 

 だが悪いことばかりでもなかった。

 派遣社員として働いて分かったのは、私は全く世間を知らなかったことだ。アイドルになる訳は様々だが派遣会社や派遣先の人達も皆様々な訳で働いていた。

 

 事務員の佐藤さん。今は替えの利く会社の歯車だがいつか、憧れている社内の社長付き秘書のようなバリバリのキャリアウーマンになるため必死に勉強していた。

 

 ホテル従業員の鈴木さん。以前はなんと子役で映画やドラマにも出演していたそうですが天才子役が現れ自分ではその天才子役には絶対に勝てないと悟り、見切りをつけて引退して今の生活をしているそうです。同僚と結婚が決まり、とても幸せそうだった。

 

 土建業の高橋さん。前科があると告白された時は驚いたが話を聞くとアルコール依存症になり生活苦で万引きや引ったくりを繰り返していたところを婦人警官の鉄拳制裁を受けたが、拘留中の間にその婦警が親身に話を聞いてくれて出所後のアルコール依存治療の慈善団体も紹介してくれ、唯一自分を気遣ってくれた婦警さんのためにも心を入れ替え働いていた。

 

 

 他にも……本当に、本当に沢山の人や訳に出会った。

 彼等に出会い私は自分と向き合った。彼等は皆、自分の人生をより良いものにしようと必死で足掻いていた。その様を私は美しいと感じた。

 

 私はどうなのだろうか? 私は自分の人生をどんなものにしたいのだろうか……? 分からない……今の私にはまるで分からない……。

 

 

 

 そんな答えのでない日々を送るある日、会社から急病で派遣先に行けなくなった社員の代わりに数日間働いてくれないかと言われた。特に予定もなかったので了承の旨を伝える。

 

「ほんとかい? いやぁ助かるよ。人気芸能プロダクションだから仕事をドタキャンするわけにいかなくてね」

 

「! ……芸能プロダクションですか?」

 

 嫌な予感がした。この仕事をするに当たって私は芸能関係の派遣は意図的に避けてきた。万が一にも346プロの方々と顔を会わせたくはなかったし何より何の答えも出ないうちに派遣とは言え芸能関係の仕事をするのは筋が違うような気がしていた。

 

「そうそう。まあ派遣先はプロダクションじゃなくて外部のイベント制作会社だけどね。武内君は前の仕事で慣れてると思うからひとつよろしく頼むよ。765プロアリーナライブの設営準備」

 

 そう告げられ電話は切られた。

 

 765プロ……アイドル業界で現在最も勢いのあるプロダクションだ。所属アイドル達は国内外問わず高く評価されており346プロのアイドル部門を立ち上げる際に私が最も参考し研究したプロダクションでもある。

 

 退職以降、346プロの話題を聞くのが辛くテレビやネットニュースなどはほとんど見ていなかったがそれでも765プロがアリーナライブを行うという話題は世間で持ちきりだったことを思い出す。

 

 346プロでなくて良かったと思うべきなのか……それとも……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アリーナは現在ライブの準備のため大量のスタッフが出入りをしておりその規模の大きさが伺い知れる。ライブまで間もないためか皆忙しないがその顔には確かなやりがいが感じられる。

 私の仕事は各作業場の手伝い。裏方の裏方だ。だが手を抜くつもりはない。元プロデューサーとして765プロのアイドル達がどれだけライブを成功させたいかは痛いほど分かる。私のような仕事がライブを支えていることもよく分かっている。だからこそ全力で仕事に取り組む、個人的な感情は後回しだ。

 

 前職でノウハウは大体分かるのでひとつ頑張ろう。

 

 

「そこの君! 頼んだ物品は何時到着するんだ?」

「その物品でしたら一時間後に第三搬入口に到着します」

 

「おーい、この機材運ぶの誰か手伝ってくれ!」

「私が手伝います」

 

「弁当は何処に持っていけばいいんだ?」

「各設営ごとに此処と此処とこの場所に纏めてください」

 

「おい! この機材壊れてるぞ!?」

「直ぐに代わりの機材を発注します」

 

 

 前言撤回だ。ライブ設営は私の想像を遥かに越えて恐ろしく大変だ。次から次へと仕事や問題が発生する。いつもライブ設営が済んだ後にアイドルを伴って会場入りしていたがこれほど多忙だったとは……スタッフの方々、ありがとうございます。

 

 

 

 

 

 

 

「それでは今日はお疲れさまでした! また明日からも設営はありますがライブ成功のため我々皆で頑張りましょう!!」

 

 

 終了の音頭をとったのは765プロのプロデューサーだった。聞くところによると彼は度々時間を見つけ設営スタッフ達を見舞い、士気を高めていると言う。

 その効果はてきめんだろう。

 プロデューサーはスタッフ一人一人に労いの言葉を掛けて廻っておりプロデューサーの人間性が一目で分かる。彼はとても好い人だ。彼のためにも頑張ろうと思わせられる。

 女性スタッフの間では密かなアイドルになっているほどだ。

 

 彼は私の元へもやって来た。

 

「今日はお疲れ様です」

「いえ……仕事ですので。恐縮です」

「アイドル達の為に頑張りましょう!」

「……何故貴方はそこまで直向きに頑張れるのですか?」

 

 つい口に出してしまった。

 

「え? うーん、そうですねぇ……やっぱり俺も見たいんですよね、あいつらがステージでおもいっきり輝く姿が」

「輝く姿?」

「ええ。あいつらがこのライブの為に努力をしているの俺が一番知ってますから。だから俺は俺が出来ることを精一杯やる……それがプロデューサーですから」

「ですが……それが結果的に仇となってしまうことも……っすみません不躾でした」

「あはは……いいんですよ。実際俺も最初の頃は空回りしてアイドル達に迷惑掛けちゃったこともありましたしね。でもそれで気づいたんです。アイドル活動を全部プロデューサーが面倒みるだけじゃダメだって」

「な、何故ですか? プロデューサーたる者アイドルを導いてこそっ……」

「俺も最初はそう思ったんですよね。でもそれって実際アイドルを蔑ろにして俺の思いだけで振り回してるだけなんですよね」

 

「私はそんなことっ!」

「ど、どうしたんですか?」

「いえ……すみません。続きをお願い出来ますか」

「え、えぇ。……それでアイドル達に言われたんですよ。私達を信用してくれって。それで気づいたんですよ。自分のアイドルが信用できないなんてプロデューサー失格だなあ、てね」

 

「765プロのプロデューサーさん! ちょっといいですかー!」

 

「はーい! すみません俺はこれで。ライブ、皆で成功させましょう!」

 

 彼は颯爽と去っていった。私は暫く固まっていた。

 

 アイドルを信用していない? そんな馬鹿な……私は彼女達の為を思ったからこそ……。

 

 

 

 

「プロデューサー。私……アイドル辞めます」

「理想と違うっていうか楽しくないんだよね……ごめんねプロデューサー」

「向いてなかったんだよプロデューサー。私がアイドルなんて……」

 

 

 

 

 彼女達の最後の言葉を思い出す。

 私は彼女達のことをトップアイドルにしたかった。それが彼女達の望みでもあった。いや、

 本当にそうなのか……? 

 

 思えば彼女達はトップアイドルを本当に望んでいたのだろうか? そもそも彼女達にとってのトップアイドルとは何か、私は真剣に考えたことがあったのか? 

 いやしかし……そんな……私はただ……ただ……彼女達のことを……

 

 

 

 

 

 

 

 あの日、765プロのプロデューサーに言われた言葉に愕然とした私だがいつまでも落ち込んでいるわけにはいかなかった。

 何故ならば今日はアリーナライブ当日だからだ。私の役目は観客席での観客誘導。まだ開始前だと言うのにも関わらずアリーナは男女問わず多くの765アイドル達のファンが駆けつけておりほぼ満員だ。会場内は異様な熱気で包まれていた。

 

「そろそろ開始5分前だ。皆、気合入れていくぞ!」

 

 無線によるチーフからの激励によって緊張が高まる。私がこの有り様なのだから主役であるアイドル達は私の比ではないだろう。私に出来るのは目の前の仕事をし、少しでも彼女達のサポートをすることだ。

 

 

 その時……ライブの幕が上がった。

 

 

 

 

 

 

 圧倒された。一瞬仕事を忘れ観いるほどに。すぐさま我に帰るが他のスタッフや観客も皆我を忘れステージで踊る彼女達に瞳を奪われていた。

 

 其処には確かに私が目指していたトップアイドルとしての姿があった。

 

 

「これは……?」

 

 頬に何かが伝った。泣いているのか? 私は? 

 

 

 思えば最近泣いてばかりだ。だがこの涙は悲しみではない。感動の涙だ。ステージの上で輝いている彼女達を見て……心から私は感動していた。

 765プロのアイドル達は研究対象ではあったがファンではなかった。だがそれでも私は今この時彼女達の歌声を聴き涙を流した。魂を揺さぶられるとはこういうことなのか……? 

 

 

 アイドルとはこんなにも力を持っているのか? 彼女等の歌やダンスにはどれほどの可能性が秘められているのだ? 

 

 知りたい……もっと彼女達を……アイドルを……アイドルとは何なのかを……。

 

 

 

 

 

 

 ライブは大喝采で幕を降ろした。

 私はその片付け作業に駆り出されている、私の中ではまだライブの興奮冷めやらぬ勢いだ。

 

 

「ご苦労様」

 

「貴方は……高木社長!?」

 

 声かけられ振り替えると其処には765プロ社長、高木順二郎氏が立っていた。何故……私のような一介のスタッフに? 

 

「ライブ中、君をふと見掛けてね。正直に言おう……ティンと来た!」

 

「……は?」

 

 その出会いが私の人生を変える事をこの時の私はまだ知らなかった。

 

 

 

 

 高木社長と別れその後の後片付けも終わり、私はその足ですぐさま会社へと戻り辞表を提出した。何の後悔も無かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在。765プロ。

 

「いやー早いもんだよねぇ真美、兄ちゃんがハリウッドに行っちゃってもう一ヶ月かぁ」

「そうそう。最初の頃は皆元気なかったもんねー亜美ー」

 

「そう言うあんた達だって暫くはいつもより静かだったじゃない」

「「ゲッ!? リッチャン!」」

 

 

「全く……プロデューサーはハリウッドで研修中なんだから貴女達もしっかりしないと駄目でしょ?」

 

 

「そう言う律っちゃんだって落ち込んでたじゃん」

「な!? ……あーなーたーたーちー?」

 

「うわー逃げろー!」

 

 

「まったくも~‼」

「でも実際ようやく皆いつも通りになりましたよね。律子さん」

「小鳥さん……確かにそうですよね」

 

 プロデューサーが抜けた影響は少なくはない。事前に伝えていたとはいえ皆プロデューサーとのアイドル活動が当たり前だった。当初は皆生活のリズムが狂ってしまい大変だった。

 

「ウオッフォン! そんなわけで新アイドルを発表することになったよ!」

 

「社長!? 何時の間に現れたんですか!」

 

「ついさっきだよ」

 

「と言うか新アイドルってどう言うことですか? アイドル候補生のあの子達はまだ本格的なデビューは先ですよ?」

 

「いやいや。シアターアイドル達とは別だよ。私がスカウトした新たなるアイドルだよ!」

 

「そんな急に……」

「無茶苦茶だわ……」

「律子君は大変だと思うからプロデュース業は久しぶりに私が行うよ。しかも今回は我が765プロ始まって以来の男性アイドルをプロデュースすることになったよ」

 

「男性ピヨ!? それに社長がプロデュースですか!?」

「私も久しぶりだが大丈夫だよ。なにせ新アイドルはプロデュース業の経験があるようだからね」

 

「それって律子さんみたいな元プロデューサーですか?」

 

「うむ。実は今日は事務所まで彼に来てもらっているのだよ。おーい! 入ってきてくれたまえ」

 

「……ハイ」

 

 事務所の扉が開かれる。そこからは律子達の想像以上……いや、想像外の男が入室してきた。

 

「……はじめまして。私、御社のアイドルとして活動させていただきます、武内と申します。どうぞよろしくお願いします」

 

 目の前のスーツ姿の彼は社会人として完璧な所作で名刺を取りだし私たちに差し出した。

 

 [765プロ所属アイドル 武内 ]

 

「「……え~~~~‼??」」

 

 その日一番の悲鳴が事務所に轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は本当の意味でアイドルを理解していなかった。いや、理解したつもりだった。

 

 理解しなくてはならない。アイドルを。プロデュースではだめだった。ならば方法は1つ。そう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私自身がアイドルになる事だ─────

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 神は言っている。その理屈はおかしい。




武内Pにナイトメアブラッドを着させたい


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こんにちわi

武内pから武内iにジョブチェンジ


 アイドルとは何だろう? 

 

 

 

 

 

 解らない……今はまだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さ、とりあえずは基礎能力の確認をしよう」

 

 

 あの後、高木社長は驚くお二方を尻目にレッスン室へ私を連れてきた。

 

 しかし……だ。

 

 秋月さん達の反応は最もだ。765プロは基本的に女性アイドルしか居ない。女性専門プロダクションではないと記憶しているがそれでもプロダクションの社風と言うものがある。765プロと言えば天海春香や星井美希と言った女性アイドルを多くの人達が思い浮かべるはずだ。そこに来て私と言う異物にも似た存在が社長の一存でいきなりデビューなど大丈夫なのだろうか。

 CEOともなれば多少の豪腕はまかり通るかもしれないが私のせいで事務所に軋轢が生まれるのはなんとしても避けなければ……。

 

「ささ! ここが765プロ専用レッスンルームだよ」

 

 階段を上がった先には立派なレッスン場があった。高木社長は元気よく扉を開けて私に入室を促す。

 

 

 

「あれ? 社長じゃん。どったのー?」

「そっちの大っきな人は?」

 

 

 

 なんとレッスン室にはあの双海亜美、双海真美が居た。ドームライブで歌っていた本人達とこれほどの近距離で接していることに私は気分の高揚を感じた。

 

 

「双海くん達、今何のレッスンをしているんだい?」

「今ならダンスの練習だけどー?」

 

 

「ふむ、ちょっと私達に見せてくれないかね?」

 

「別にいいよー」

「あっ分かった♪ そっちのおっきい人は新しいトレーナーさんでしょ!」

 

「いえ私は……」

「なるほど~ではでは真美達のキレキレダンスを見せてあげましょう!」

「亜美達のコンビネーションに驚くなかれ~」

 

 訂正しようとしたが勢いに負けてしまい新しいトレーナーとして双海姉妹のダンスを見学することになってしまった。

 

 

 

 

 

 正直驚いた。双子であることのコンビネーションを差し引いてもダンスのキレや技は346に所属していたどのアイドル達をも凌駕している。

 音楽が始まり直ぐに二人のリズムが同調したのが分かる。あれだけエネルギッシュな二人がダンス時はピタリと息を合わせるのは至難の技のはずだ。

 それに驚くべきはコンビネーションだけではない。ダンス自体も今この場でと高木社長からのお願いに応じた物とは信じられないほどのハイレベルだ。とても346で新人アイドルには教えられない難易度だ。それを彼女達はまるで遊びのように踊っている。

 

 何より……二人は笑っていた。快活に陽気になんの邪念もなくただひたすらダンスを楽しんでいるのが見てとれる。

 間違いない。彼女達は正真正銘のトップアイドルだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ドヤァ……」

「ジャーン」

 

 

 

 

 私は自然と双海姉妹に拍手をした。

 

「素晴らしいダンスでした。今のはアリーナライブの振り付けですね、感動しました」

 

 私の称賛を受け彼女達は得意気になる。

 

「おやおや~真美達高評価ですな~」

「そうですな~こりゃ惚れられちゃいましたかな~」

 

 

 

 

「いや、双海くん達ありがとう。では武内君、今のをやってみようか」

 

「……え?」

 

 いきなり何を言っているのだ? 

 ダンスなどしたこともない……ましてや今の彼女達のダンスを見せられたあとではどんなに頑張っても恥をかくだけだろう。

 

 

「おお~早速新しいトレーナーさんの実力披露?」

「さぞかし凄いんですな~ウシシシシッ!」

 

 

 

「高木社長……最初に言っておきますが私はダンスの経験は……」

 

「はっはっはっ。もちろん私もいきなり双海くん達を越えろとは言わないよ。君の今ある実力を見せてくれたら良いさ」

 

 

 ……やるしかないか。どのみちアイドルとして活動していくならばダンスはほぼ必須技能だ。ここで自分の実力を知っておくのも良いだろう。

 

「分かりました。やらせて頂きます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ッッ……ッ!」

 

 だ、駄目だ……全く再現できない。

 

 実はアリーナライブでの彼女達の動きは脳裏に焼き付いていて忘れておらず、ひょっとしたら踊れるかもと思っていたが実際に踊ってみてその淡い希望は打ち砕かれた。振り付けは覚えているがどうやっても体が追い付かない。それだけでなく細かなステップやリズムの取り方もまるで出来ない。体力に自信はあるがそれだけでは決して再現できない部分がある。

 ダンスの知識はプロデューサーとして幾分かの心得があるが机上の空論もいいとこだ。これほどのダンスを彼女達はたった今苦もなく行ったのか……あの大観衆のアリーナライブで行ったのか……。

 

 遠い……余りにも遠い。いったいどれだけの時間を掛けたのだろうか。どれだけの汗を流したのだろうか。何故これほどまでの成功を得たのだろうか。双海姉妹と彼女達は何が違うだろうか……。私と彼は何が……、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「アチャー、ノロノロだねー真美」

「そうだねーグダグタだね亜美」

 

 

 

 

「フム……やはり私の目に狂いは無かったか」

 

 確かに双海くん達の言う通りとてもステージに立てるレベルではない。ない……が振り付け自体は殆ど間違っていない。仮にたった今見た躍りをその場で再現しているのなら大した記憶力だがそうでなく以前から知っていたとしても誰にでも出来ることではない。

 それにダンスは素人なら確実にバテるが彼は息は乱してはいるがしっかりと芯を保って踊っておりその強靭なフィジカルが伺い知れる。

 

 そして何よりも彼のダンスからは熱意を感じる。ダンスを通して彼が胸に秘めている熱情がこちらに伝わっている。

 

 間違いない。彼には才能がある。多くのアイドルを見てきた私の勘がそう告げている。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう。もういいよ」

 

「ッ……すみません。とても真似できませんでした」

 

 

「社長ーこの人新しいトレーナーじゃないの?」

「全然ダメだったよー?」

 

 

「ぐっ……」

 

 流石に心に来るものが有った。

 

 

 

「では次は発声練習といこうか」

 

「発声……ですか」

 

 

「なるほど♪ ボーカルトレーナーだったのか」

「人が悪いですなー社長」

 

 

 ……もう何も言うまい。こうなればとことんやってみよう。

 

 

「よーし武内君、ドレミの発音だ。やってみよう!」

 

 それならば簡単そうだ。346でもまずアイドル達にボーカルトレーニングをする際に行っているトレーニングの一つだ。

 

 

「あ! あ、あっ、ぁ、ぁあぁ~!」

 

 今日は本当に情けない限りだ。自分でも分かる。酷い出来だ。

 

 

 

 

 

「「あひゃひゃひゃひゃ!」」

 

 

 双海姉妹は大口を開けて爆笑している。自分の顔に血が登ってくるのが分かる。しかし笑われてしまうのは仕方ないだろう。私だって笑えるなら笑いたい。

 

 

「初めはこんなものさ。さ! ドンドンいくぞ」

 

 

「ぁ、ああ、あ! あ~ぁう、……オエ」

 

 

「「 アヒャヒャヒャアヒャヒャヒャヒャ‼」」

 

 

 

 

 気付けば既に30分が経過していた。

 その間私はずっと双海姉妹に笑われ続け途中何度か泣きかけた。

 

 

 

 

「アハハ! もう無理、おっきい人面白すぎる~」

「真美達笑い死んじゃうよ~あひゃひゃ!」

 

 

 

「……申し訳ありません」

 

 無邪気な双海姉妹の言葉が私のちっぽけなプライドを抉り続けている。いくら当然の結果とはいえ倍以上も年の離れた少女達に露骨に嘲笑されるのはさすがに傷つく。沸き上がるのは怒りではなく羞恥と涙だ。

 まさかこんな基礎的なレッスンがこれほど迄に難しかったとは……。346ではいつもアイドル達のレッスンを見ていたがこんなにも大変だったとは……城ヶ崎さんや高垣さんはそつなくこなしていたが、改めてあの二人の才能に驚嘆する。

 

 

 

 

「大体の能力は分かったよ、ありがとう武内君」

「お恥ずかしい限りです」

「確かにお世辞にも良いとは言えないが君はずっと堂々としていたよ。そこは素直に素晴らしいと言えるさ」

 

「ねえねえ社長、結局この人誰なの?」

「そうそう、新しいトレーナーじゃないよね」

 

 

 

「おっと、伝えるのが遅くなってしまったね。紹介しよう。彼は武内君。我が765プロ期待の新人アイドルだよ!」

「いえ、期待などと……」

 

 ご覧の通りの実力しかない私だ。あまり過度に期待をされても困ってしまう。

 

 

「またまた~エイプリルフールはもう過ぎたよ~」

「流石に亜美達も騙されませんぞ~」

 

 

 

 ……確かにそもそも私がアイドル、と言うこと事態信じられないか。無理もない。こんな低レベルなパフォーマンスしか出来ないアイドルが765プロに、自分達の後輩になるなど彼女達にとっては業腹だろう。

 

 

「本当だとも。契約もしたし来週にでも事務所のホームページで発表する予定さ!」

 

「……マジ?」

「ホンマでっか?」

 

 

「うむ」

 

 

 

 彼女達は固まっている。きっと私に幻滅しているのだろう。

 

 

 

「大ニュースじゃん!」

「男のアイドルデビュー!」

 

「喜んでくれると思っていたよ!」

 

 

「?」

 

 

 双海姉妹は私に駆け寄り両手を掴み興奮ぎみに質問する。

 

「すごいすごい♪ ねーなんでうちでデビューしようと思ったの?」

「やっぱり、世界中のお姫様を幸せにするためとか?」

「チャオ♪ とかキメゼリフ言うの?」

 

「おお、そのキャッチコピーはナイスアイディアだね。双海くん」

 

 

「え? いや、あの……それはちょっと……」

 

 予想外の反応に戸惑う。どうやら双海さん達にとっては私のレッスンより新人アイドルという事実の方が興味を引いたようだ。しかしそのキャッチコピーはなんとしてでも止めて貰いたい。広報は重要なアイドル人気のファクターだが私にそれは似合わない。ギャップもあるがとにかくそのキャッチコピーは嫌だ。それと憧れのアイドルと触れ合っていることに密かな幸せを感じているが私は断じてそういった趣味は無い。あくまでも双海姉妹だからだ。

 

 

「早速みんなに教えてあげないと!」

「賛成賛成~歓迎会だー!」

 

 

 そう言って双海さん達は出口へと消えていった。そういえば私の存在は社長や事務員の方を除いてまだ三人しか765プロのアイドルに知られていない。

 いくつか気になるワードが有ったが大丈夫だろうか……。

 

 

 

「きっと明日にでもみんなにしれわたるだろうね。紹介が楽しみだよ」

 

「挨拶の口上を考えておきます」

 

 

「はっはっはっ。君らしいね。だがそれほど気張る必要もないよ。彼女達はきっと君を受け入れてくれるはずさ」

 

「はあ……秋月さん達は動揺していたようですが……」

 

 私は先程の反応を思い出す。歓迎……と言うより明らかに戸惑っていた。他の方々も恐らく同様だろう。

 

「なにぶん彼女達にとっても765プロでデビューする男性アイドルは初めての事なのだよ。それに少し前に彼女達のプロデューサーも長期の休業に入ってしまったからね」

 

「え? あの人がですか?」

「おや、知り合いだったのかね?」

「えぇ、まあ……。ご病気ですか?」

「いやいや、研修のために海外に行っているのだよ」

 

 私はライブ準備で出会ったあのプロデューサーを思い出す。私にとってのプロデューサーという存在の最高峰。その頂が彼だった。彼にもう一度会い忌憚の無い意見交換をしたいと思っていた。765プロに行けば彼にまた会えると思っていたが海外研修とは……つくづく自分と彼のプロデューサーとしての差を感じる。

 

「彼が研修に行ってしまって皆元気がなかったからね、君が新しく765プロの一員になってくれて本当に感謝しているよ」

 

「……高木社長にお訊きしたい事があるのですが」

「何かね?」

 

「何故……何故、私をスカウトしたのですか?」

 

 

 ずっと聞きたかった。どこをどう探しても私にアイドルとして相応しい要素などない。歌やダンスはからっきし、社交的でなく見てくれもよくスカウト中に不審者として職質を掛けられたことが何度もある。なのに何故、社長は私にアイドルとしての道に誘ったのだろうか?? 

 

 

 

「……長いことスカウト業をやっているとよくその質問をされるよ。ま、君の場合は面構えだよ」

 

「え? 面……ですか?」

 

 意外だった。まず無いであろう要素で私はスカウトされたと言うことか? 

 

「芸能界は不思議なものだ。必ずしも強者=勝者とはならない。大女優が年端もいかない少女に負けることもある。才能溢れる金の卵がいつしか黒く淀み死んでしまうこともある。そんなとき私が重要視するのが面構えだよ」

 

「第一印象……と言うことですか?」

「おお、そうとも言うね。とにかく私は君に可能性を感じたのだよ」

 

「失礼ですが、買い被りなのでは……」

「はは、よく言われるよ。だが今は信じて欲しいとしか言えないね。そこがプロデューサーとして辛いところだが」

 

「私は……」

 

「だからこその私達プロデューサーでもあるがね」

「?」

「プロデューサーは自分を信じてくれたアイドルに証明をしないといけない。自分の言葉が嘘でないことをね」

「証明……」

「もちろん生半可なことではない。プロデューサーやアイドルが共に傷付き苦慮するだろう。だがそれでも、アイドルを支え導くことこそプロデューサーだ」

 

 

 

「なら、私はやはりプロデューサー失格です。私はアイドルを傷付けプロデュースを途中で投げ出した半端者です」

 

「さあどうだろうね。こればかりは私の持論だから君に当てはめるのは酷と言う物だよ。それに偉そうな事を言ったがその理論に当てはめれば正確には私もプロデューサー失格だよ」

 

「どういう事ですか?」

「私もかつて理想に燃えアイドルをスカウトした。1から育て彼女ならアイドルのトップに立てる、それほどの才能と確かな実力を持った娘だった。二人で業界を駆け抜けた。多くの困難や成功を体験し共に成長し……そして挫折した」

「!」

「若かった。そう言ってしまえばそれまでだが私は余りに未熟だった。そのせいで一人の少女の夢を叶えることができなかった。その責任は今でも私の背中にのし掛かっている」

 

 高木社長は悲しげに語っていた。そこにはいつもの陽気な素振りは無く心から悔いている様子だった。

 典型的な成功者でカリスマ社長と思っていた高木社長がまさか私と同じ経験をしていたとは思ってもみなかった。

 

「夢を諦めるのはまさに自分の人生の一部を失うような気持ちだ。それが他人の分もあればその重さは計り知れない。それまでの努力、払ってきた犠牲、得た喜び、全てが無になるあの感覚は出来れば二度と御免だよ」

 

 私もそうだった。彼女達と過ごした期間は心血を注いだと言っていいほどの時間だった。あの自分の全てが否定された感覚は今でも夢に悪夢として呼び覚まされる。

 

「君は若い。若さは未熟でもあるが夢を叶えるチャンスがまだいくらでもある証拠だ。私もいい年をしてアイドルに関わり続けている変人だ。よく分かる。君はプロデュースを諦めていない。むしろ強く深く渇望している。プロデューサーに戻りたいのだろう? しかし君はその自信が無い」

 

 

 高木社長の言葉は図星だった。確かに、346を退職してからも私の中ではその思いが燻っていた。何をしていてもアイドルやプロデュースの事が気になっていた。

 

 

「私はプロデューサーがそのアイドルの一番のファンだと思っているのだよ。応援するアイドルの力になりたい。ファン心理として当然だろう」

 

 

 それは私もそうだ。彼女達の成功を願っていた。誰よりも。彼女達を知りその魅力をもっと広く広めたかった。それこそ私の仕事であり使命だったからだ。

 

 

「やはり……やはり私はアイドルとしてもプロデューサーとしても半端な男です」

 

 私の言葉に高木社長はフッと笑う。

 

「はじめからアイドルたる存在などいないよ。プロデューサーもしかりだ。それにアイドルやプロデューサーが終着点である必要は全く無い。私はそうも考えているよ」

 

 私にとってプロデューサーと言うものはただの職業ではなかった。社会に出て初めて自分が、自分のしたことで誰かの役にたてる。アイドルやファンの人達の笑顔の為に働けることを誇りに思っていた。あの日までは……、

 

 私がしたことで彼女達を不幸にしてしまった。あの時こうしていたら、ああしていたら、そもそも私がプロデューサーで無かったなら……、そんな後悔が絶え間なく今も沸き上がってくる。

 

 プロデューサーとしてすらなんの答えも出せない私ではその後などまるで考えられない。

 

 

 

「我が765プロには悲願がある。先代社長である高木順一朗がこの765プロを創業して以来の夢がね」

「夢……ですか?」

 

「これまで多くのアイドルを世に送り出してきた765プロだが永年の目標である伝説のアイドルは未だ誕生していない。だが私はね武内君、春香君達や君なら行けると思うのだよ。伝説のアイドルと言われた、彼女の所まで──」

 

「……買い被り過ぎですよ。天海さん達はともかくとして、私とあの方ではこの世界に足を踏み入れた瞬間から天と地ほどの差があります」

 

 誰もが知り、誰もが認める最高のアイドル。あの方と闘い勝ったアイドルは一人としていない。己の敵すらも魅了し誰からも愛されたその伝説の生きざまは今も色褪せず輝きを増し続けている。そんな方を私が越えるなんて……控えめにいっても有り得ない。

 

「そうだろうか? 我が765プロは業界最弱と言われた時期もあったが今やアイドル業界の台風の目となっている。その原動力となったのはこの前までアイドルの卵だった13人の少女達と一人の青年の飽くなき意思の力によるものだった。今の君と何が違うのかね?」

 

 

「……私にはまだそこまで考えられません」

 

「だろうね。そればかりかこれから考えていけばいいとも。最後に、君に老婆心ながらアドバイスをさせてほしい。君はこれからアイドルとして様々な現場に赴くだろう。そしてそこで君は多種多様なアイドル達に出会うはずだ。彼等彼女等は皆、人に愛され人を愛する天才達だ。どうかそんなアイドル達を目に焼き付けてほしい。アイドルは何故アイドルなのかを。そして考えてほしい。君自身のアイドルとしてのあり方を」

 

 

「私に……出来るでしょうか」

 

「その時は一緒に考えよう。その為のプロデューサーだよ」

 その時の社長の笑顔に私の不安はかきけされた。

 

 

 

 

 

 

 

 その後2、3事務的な会話をし、私は事務所を後にし帰路に着くため駅前へと向かった。

 

 

 正直高木社長の言ったことはよくわからない部分が多くあった。それが経験の差と言われてしまえばそれまでだが今の私にとってはそれが歯痒かった。だが最後に見せたあの笑顔で、私はこれから先もやっていけると無根拠ながら思えたのも事実だった。

 

 その時、眼前を黄金が通り抜けた。

 

 つい目で追うと少女の金色の後ろ髪であった。普通ならばそれで終わる事だがこの時の私はどうかしていた。僅かな時間ではあったがチラリと見えた横顔を私はしっかりと捉えていた。そして気付けば私は彼女に声を掛けていた。

 

「すみません」

 

 

「む? なんなのお兄さん。ナンパなの?」

 

 振り返るその素顔は、眼鏡と帽子で些か不明瞭だが間違いなく美少女であることが伝わってくる。多くの少女を見てきた私の経験則から、彼女は間違いなく逸材だと確信する。

 

 だがそこまで考えたのち、自分が今アイドルでありプロデューサーで無いことに気付く。

 

 

「いや、あの……その……」

 

「? ……変なナンパさんなの。それじゃあね」

 

 そう言い放ち、彼女はその場から立ち去ろうとする。このまま彼女を行かすのが正しいだろう。だが、彼女ほどの逸材をここで逃すのは余りにも痛いと私は思った。だからこそ、

 

「ま、待ってください! ……アイドルに興味はありませんか?」

「ほえ? アイドル?」

 

 咄嗟に出たのはつい最近までいい続けていた言葉だった。彼女は困惑している。当然だろう。いきなり見知らぬ男に声を掛けられしかもアイドルにスカウトされたのだ。誰でも当惑してしまう。

 

「お兄さん、私のこと知らない?」

 

「もしかして既にプロダクションに在籍していますか?」

 

 言われて初めて気付く。彼女のような美少女を他のスカウトマンがほおっておくわけがない。どこかの芸能事務所に所属しているのがむしろ普通かもしれない。それに彼女の服装もよく見れば変装のようにも見える。だとしたら惜しい、余りに惜しい。

 

「んーそうだなぁ……お兄さんスカウトの人?」

 

「いえ……その……違います」

「? ……やっぱりナンパさん?」

「それも違います! 私は……」

「私は?」

 

 アイドルです……と名乗って良いのだろうか。私はまだ世間に認知されていない存在だ。それにアイドルとは何かを知るまではとプロデュースを辞めているのに、今の行いは筋違いだ。

 

 

 

 

 

 

 君はプロデュースを諦めていない。むしろ強く深く渇望している。

 

 

 

 

 

 社長の言葉を思い出す。

 私は……プロデューサーではない。今はもう。だが、本質は自分でも情けないほど……もう一度プロデュースをしたい、そう思っている。

 

 

「私は……私は……スカウトマンではありません。プロデューサーでもありません。ナンパでもありません。ですが、私は貴女をスカウトしたいと考えています。こちら私の名刺です。興味がありましたら是非ご連絡をお願いします」

 

「名刺……! ……ふーんそっか♪ 分かったの。明日にでも会社に行ってみるの」

 

 

「本当ですか、ありがとうございます!」

 

 殆どダメ元だったがまさか了承を貰えるとは……しかも会社にまで来てくれるなんて、一度のスカウトでここまでこれたのは346に居たときでもなかったことだ。

 

「ところでお兄さんは何者なの?」

 

 不思議と少女の瞳が悪戯っぽく歪む。

 

 

 私は自信無く少女に問いかける。

 

 

 

 

 

「あの、すみません。貴女は私がアイドルに見えますでしょうか?」

 

「全~然♪ 可愛いクマさんだと思うの!」

 

「そうですか……」




シンデレラキャラも後々登場させる予定です。


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これからが武内iのはじまり

ドン勝食べるのに忙しくて執筆が順調に滞っている今日この頃。


 昨日双海姉妹は765プロ所属アイドルに向けて新人男性アイドルの存在を一斉送信した。それを受け取った各アイドル達は驚きや喜びなどそれぞれの反応を示したが少なくともそれはほぼ好意的な反応だった。

 

 

 

 

 ただ一人、萩原雪歩は最悪だったが。

 

 

 元来男性に苦手意識を持つ彼女は最近になりようやく仕事による慣れ、仕事やプロデューサーとのコミュニケーションによって徐々にその傾向は押さえられていたがだからと言って嫌いが好きに変わるわけでもなく、依然として萩原雪歩にとって男性は恐怖の対象だった。そこに来て新たなる新人男性アイドルの所属の事実を知り昨夜は何度も双海姉妹や律子に確認の電話をしていた。

 

 どうか嘘であってほしい────

 

 

 質の悪い冗談であったならどれだけ良かったか……。雪歩の必死の確認作業は結果的に男性アイドルの事実を裏付ける事となりその夜雪歩は考えるのを止めた。そして今日の朝まで一睡も出来ず目に隈を作り朝食にも手を付けられなかった。更に悪いことに今日は新人男性アイドルの歓迎会をするため事務所に行かなければならなかったが、なかなか決心が固まらず気付けば太陽は真上まで昇っており既に遅刻は確定していた。

 雪歩は思った。

 

 

 

 

 

 

(いっそのこと……このまま休んじゃおうかな……)

 

 

 

 

 

 そうなれば自分が765プロに行く必要は無くなり必然的に新人男性アイドルに会う必要も無くなるまさに一石二鳥の素晴らしいアイディアだ。そも貧相でちんちくりんな私が歓迎会に出席したとしても何か気の効いた言葉を言えるわけでもない。場を盛り上げるなんて事はとてもではないが自分には無理だ。むしろ場を盛り下げてしまうかもしれない……。

 

「今日は……休もう。皆には申し訳ないけど体調が優れないって連絡しよう」

 

 雪歩は携帯電話を取りだしアドレスから765プロを選択するがその指が止まる。

 

(私……どうしてこんなに駄目なんだろう。やっと男の人にも慣れてきたと思ってたのに……。これじゃあ前と変わんないよぅ……)

 

 雪歩は罪悪感と羞恥心の中で一人の男性を思い出す。彼は雪歩にとって初めてと言っていい心許せる他人の男性だった。彼と一緒に居るときは不思議と嫌悪感は和らぎ、多くの素晴らしい経験を共に過ごしてきた。

 

「プロデューサーさん……」

 

 だが、その彼も今は雪歩の側には居なかった。雪歩はゆるゆると765プロに電話をかけようとしたその時、不意に自宅のチャイムが鳴る。

 普段ならば家族や若衆が応対するが不運にも今日は皆仕事で出払っており家の中には雪歩一人であった。

 

 そんなことを考えているともう一度チャイムが鳴る。どうやら相手は帰る気がないと察し、雪歩は765プロへの連絡は一先ず後回しにして玄関に駆け寄る。

 

「は、はーい! 今出ますよぅ」

 

 

「あっ、やっぱり雪歩居たんだ。早くしないと歓迎会終わっちゃうよ?」

 

 玄関の扉を開けて現れたのは765プロの王子様、菊地真だった。

 

「……へ!? なななんで真ちゃんがいるのっっ!」

「いやー実はさっきまで近くで仕事が有ってさ、それで歓迎会に少し遅れるかもって事務所に連絡したら雪歩もまだ来てないって小鳥さんから連絡がされてね。それならボクが家に寄ってみるって言ったんだよ」

 

「そ、そうなんだ……」

 

 雪歩はこの時ばかりは真を恨んだ。なぜよりにもよってこんな時に……こうなってしまった以上、もう体調不良で休みますとはとても言えない。

 

 

「さ、雪歩。一緒に事務所に行こう! 新しい男のアイドル、皆楽しみにしてるよ♪」

 

「……うん、そうだね。楽しみだね♪」

(ひえぇぇぇぇ~っ、誰か助けてください~)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は姿見の前で自分の格好を念入りに観察している。

 何故私はこんなことをしているのか? 

 

 

 

 

 

 

 私がアイドルだからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 今日は765プロ事務所で双海姉妹が立案した私の歓迎会があると、昨夜電話越しに社長からそう伝えられた。事務所内でのささやかなもの、私と765アイドル達との懇親の会であると。

 

 当日はお昼に事務所へ集合と言われ私は了承した。が、最後に高木社長から言われた一言が今の私の状況の原因であった。

 

「では明日はお昼頃事務所に来てくれたまえ」

「はい。分かりました。明日の持ち物などありますでしょうか?」

「いや、特には無いよ、手ぶらで大丈夫だよ。……ああそうだ、明日は私服で構わないからね」

「私服ですか?」

「君のスーツ姿も実に男らしくて似合うがアイドルたるものファッションセンスも大事だ。美希くんなど若者達のファッションリーダーだからね」

「ファッション……センス……ですか」

「私も君のファッションセンスを知りたいしね。楽しみにしてるよ! では」

 

 そこで電話は切れた。私は暫く携帯電話を握り締めたまま立ち尽くす。

 

 

 私は会社に入社してからスーツ以外を着た覚えがない。常に346プロの一員として襟をただし、たまの休みも自主的に仕事をし方々を駆けずり回っていた。仕事においてはアイドル達の為に最新のガールズトレンドや流行ファッションの勉強をしたが私自身はと言えば、元々必要以上に見てくれを気にする質ではないためメンズ系の知識も見識も皆無と言っていい。スーツなら多少分かるが……。

 

 昨夜は大慌てでクローゼットの中をひっくり返して私服を確認した。久方ぶりに目にした数少ない私服は幸いサイズは合っていたが殆どが部屋着であり数少ない外出用の服も果たしてこれがアイドルの私服かと言われれば目を逸らさざるを得ない。いったいいつ購入したかも覚えていない衣類の数々は町に出るのは申し分ないが765プロの一流アイドル達の前に着ていくにはあまりに心許なかった。

 

 歓迎会は昼に行われる。明日の朝急いで服を購入すると言う手も考えたがどんな服を購入すれば良いのかまるで分からない。闇雲に当てもなくでは砂漠で針を探すのと変わらない。

 

 万策尽きた……最早これ迄、そう思った時、私はある事を思い出す。

 

 

 

 

 

 私は収納部屋の奥底に眠っていた段ボール箱を取り出した。

 それは、大学時代に彼女も作らず勉強ばかりしていた私を心配した母が少しでもお洒落をと送ってきた衣服だ。しかし当時の私がこの衣服を段ボール箱から出さず今の今まで封印していたのにはそれなりの理由がある。

 

 ……私の趣味ではないのだ。母は昔から私に対してもっと羽目を外して女性に目を向けてみろと常々言っていたからか、そんな母の選んだ衣服はどれもこれも洒落ていた。私なら決して購入しない衣服の数々がこの段ボール箱の中に入っている。今までは捨てるに捨てれずかと言ってとても着る気にはなれなかったが今回は別だ。これならば双海姉妹にも嘲笑されることはもうないだろう。まさに来るべき時が来た、と言ったところか……。私は心中で母に感謝した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして今。私はようやく今日着ていく服を決め、その姿を鏡で確認している。

 

 下はダークブラウンのパンツを履き、上はブラックのボタンダウンシャツ。その上からホワイトのストライプベストを掛け首元にスプラウトのストールをワンループで巻く。

 

 改めて全身を確認する、バランスは取れているが激しい違和感を感じる。なるべく落ち着いた物をと意識してコーデしてみたがまず間違いなくこんな機会がなければ着ることはない服装だ。出来れば着て行きたくはないが既に歓迎会の時間ギリギリでありそんなことを言っている暇はない。

 

 

(行くしかない……っっ)

 

 

 私は覚悟を決めて家を出る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 いつも慌ただしいこの765プロだが、今日はいつも以上に慌ただしかった。

 

「男のアイドルって楽しみだよね。千早ちゃん」

「そうね春香。どんな人なのかしら」

 

 

「あふぅ、眠いの……」

「ミキミキー、起きて歓迎会の準備手伝ってよ~」

「頑張ってね~」

 

「新たなる出会い……待ち遠しいものです」

「そうねぇ、どんな人なのかしら~」

 

「何々、男には気を付けろ? ハム蔵~嫉妬してるのか?」

「フッフッフッ、ハム蔵も男ですな~」

 

「新しいお仲間さんですぅ♪」

「全く、いきなり男のアイドルがデビューなんて社長も勝手よね!」

 

「ほらみんな、もうすぐ新人アイドルが来るわよ。小鳥さん、真と雪歩はどうですか?」

「真ちゃんが雪歩ちゃんを連れて一緒に事務所に来るそうですよ」

 

 

「でも良かったですよね、律子さん。みんな忙しいのに今日はみんな集まれて」

「そうね、春香。みんなも今日はありがとう。急な歓迎会でまだ仕事がある娘もいるのにわざわざ時間を作ってくれて感謝してるわ」

 

 双海姉妹が興奮した様子で捲し立てる。

 

「そりゃあ律っちゃん、男のアイドルデビューなんて盛り上がらないわけないっしょ!」

「そうそう! 亜美達も昨日知ったときはぶったまげたよぅ~」

「亜美や真美は昨日新しい男のアイドルに会ったんですよね。どんな人だったのか気になりますー♪」

「自分も気になるぞ! ハム蔵もさっきから知りたがってるしな!」

 

「フフフ……それは本日会ってみてのお楽しみだよ~」

「トップシ→クレットってやつですぞ♪」

 

 

 その時事務所の扉が勢いよく開かれる。

 

「遅れてすみません! もう歓迎会始まっちゃいましたか?」

「み、みなさーん……遅れてごめんなさぃ」

 

「大丈夫よ、真、雪歩。まだ武内さんが来る時間じゃないわ」

 

 

「ふあ~ぁ……たけうち? どこかで聞いたようなないような?」

「まぁ武内さん、と言うのですか……結構大人の方なんですか?」

「ふんっ、アイドルは個性が大事なんだから適当な男が来たら追い出してやるわ!」

「いんぱくと、と言うものでしょうか?」

 

「私も昨日会ったけど詳しくは……けど、あの346プロで前はプロデ……」

 

「失礼します」

 

 

 ちょうど律子の話を止めたのは事務所内に響いた低音の男声だった。

 

 全員が会話を止め、視線が事務所の扉に向けられる。

 

 扉がゆっくりと開かれそこから見上げるほどの大男がぬっと現れる。

 

「………………」

 

 

 

 

(((インパクト……ッ!!)))

 

 

 

 沈黙……痛いほどの沈黙が場を支配した。

 

(ちょっと、春香。貴女何か言いなさいよ! リーダーでしょ!)

(うえぇ!? そんなこと言われたって……ち、千早ちゃん助けて!)

(私に言われても……其れにしても凄く大きい人なのね)

(うわー父さんより大きいなぁ。ひょっとして空手やってるのかな? ねえ雪歩)

(あわ……あわわわ、家の若衆より怖そうだよぅ~)

(なんと……面妖な)

(あらあら、固まっちゃって緊張してるのかしら~。うふふ可愛いわね)

(な、な、な、なによアイツっ! 家の警備員より強そうじゃないっ)

(ハム蔵、威嚇はダメだぞ!)(フー!)

(うわわ、怖そうな人ですぅ……大丈夫かなぁ)

(昨日一度会ったとは言えやっぱりすごい威圧感。てゆーかみんなも引いちゃってるし不味いわね)

(ウシシッそろそろ助け船を出しますか亜美どの?)

(いや待たれい。もうしばし泳がせるのも面白いぞ真美どの)

 

 

 目の前の男性はこの空気を察してか目線をオロオロと流し困り顔になり首筋に手を当てている。190㎝を越える身長の大男が意外に似合うファッションセンスコーデで狼狽する姿は非常に奇異な光景だった。

 

 

 各々が動揺するなか唯一皆の意見が合う印象が有った。それは、

 

 

(((個性……的ッ!)))

 

 

 誰がこの空気を打ち破るか……皆が皆牽制しあうその時、

 

「あっ、思い出したの。昨日のナンパさんなの」

「は? ……貴女は星井み……! ……ひょっとして昨日の方ですか!?」

「うん、そうだよ。ごめんね、美希はハニーの物だから気持ちだけ貰っておくの♪」

 

「………………」

 

 またしても沈黙。しかし今度は別の意味を持ち場を駆け巡る。

 

 

「……武内さん」

「こ、これはなんと言うか誤解なのです。秋月さん……」

「昨日の今日でうちのアイドルを口説いたんですか~!!」

 

 

 

 その後誤解が解ける迄武内は皆の前でずっと正座をしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません! 早とちりしちゃって……。ほら美希も謝りなさい」

「むー、分かったの律子……さん。ごめんなさいなの」

 

 秋月さんと星井さんが私に頭を下げる。

 

「どうか、気にしないでください。私も星井さんと気付かずスカウトしたのも軽率でした」

 

「アハッ♪ 美希の変装もかなり上達したの!」

「いや、普通気づくと思うぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆さん初めまして。既にご存知の方もいらっしゃいますが私、この度765プロとアイドル契約をしデビューいたします武内、と申します。どうか緒先輩方には御指導御鞭撻のほどを宜しくお願いします」

 

 

 

 1拍おいて彼女達は私に次々と質問を投げ掛けた。

 

「何歳なんですか?」

「今年で2⚫歳になります」

「あの346プロに居たって本当なの?」

「はい。退職後はしばらく派遣社員をしていました」

「脱サラアイドルってことかしら~」

「はい、そう言うことに……」

「何故、アイドルの道を志したのでしょうか?」

「つまりそれは……」

 

 

「わっわっ、みんな武内さんが困ってるよ」

 

「そうよ、みんな。静かにしなさい!」

 

 

 

 律子の一声でようやく場が落ち着き武内とアイドル達は歓談を楽しんでいた。

 

 

 

「いくら変装してたからって美希をスカウトしようとするなんてマヌケね!」

 

 

「……お恥ずかしい限りです」

 

 

 

 

 

「最初は厳つい感じだったけど結構優しそうな人で良かったね、雪歩」

「……そ、そうだね。真ちゃん」

 

 一名を除いて。

 

(うぅ……、プロデューサーさんより男らしい感じだよ~。それになんかドーベルマンみたいにも見えるし……私、武内さんとこれからやっていけるかなぁ)

 

 

 

 

 

 

 雪歩は一人皆の枠に入れずにただ皆を眺めていた。

 

(みんなもう武内さんと打ち解けてる……いいなぁ)

 

 私以外はもう既に武内さんと楽しく会話していた。私はと言うと未だ一人皆から距離をおいていた。私もその輪の中に入りたかったが体がそれを許さず一歩を踏み出せないでいた。プロデューサーさんと過ごしてだいぶ男性に免疫が出来たと思っているがそれでも辛いものは辛い。

 

「萩原雪歩さんですよね」

「へ!?」

 

 突如呼ばれた声に気付くと目の前に武内さんが立っていた。

 

「あ、わたわたわわたし……」

 

 声を出そうにも突然の事に上手く呂律が回らない。

 

「! ……すみません。男性が苦手なのですよね」

 そう言い武内さんは私から一歩後ずさった。

 

「……あの、知ってるんですか? 私が……男の人が苦手だって」

「はい、存じてます。不用意に申し訳ありません」

 

 武内さんは私に謝罪した。

 

「あ、謝らないで……」

 

 その時真ちゃんが割り込んできた。

 

「武内さん、武内さん! 武内さんは空手や筋トレとかしてるんですか?」

「いえ、武道などはしておりませんしトレーニングも特には」

「へぇー、絶対鍛えてるって思ったんですけどね♪」

「よく言われます」

「あははっ……そうだ! こんど空手を教えますよ。武内さんなら絶対黒帯いけますから♪」

「はぁ……ありがとうございます」

 

 

 

(真ちゃん。楽しそうに話してるなぁ……)

 

 私と一緒にいるときじゃまず話題に上がらない会話で盛り上がっている。他のみんなも武内さんに興味深々だ。

 

 

 武内の態度は一貫して紳士的であり以前まで彼女等のプロデュースをしていた彼や高木社長のように社交的な性格とは対照的で実直かつ寡黙であった。しかしそれが逆に彼女等の興味を引いていた。更にプロデューサーや事務員としてではなく自分達と同じアイドルとしての武内の存在は、新たなる仲間、男性の後輩、見た目とのギャップによってより注目を集めている。

 

(そうだよね……私もしっかり武内さんと関わらないと……。これから一緒に頑張っていくんだから先輩としても情けない事は出来ないよね)

 

 

「あ、あの~武内さ……きゃっ!?」

 

 雪歩は武内と分かり合おうと自ら歩み寄ったその時、運悪く足がもつれてしまいバランスを崩してしまう。

 

「危ない!」

 

 それに気付いた武内は、すかさず雪歩を受け止めようと飛び出した。

 

 

 

 

 

「…………?」

 

 私はもうすぐ自分に来るだろう痛みに備えて目を瞑って覚悟していたが、一向に衝撃が来なかった。不思議に思って目を開けると私は抱き締められ床に倒れるのを防がれていた。

 

 一体だれが? そう思い顔を上げると……

 

 

 

 

「大丈夫ですか萩原さん?」

「今のは危なかったよ、雪歩。武内さんが助けてくれなかったら怪我してたかもね……あっ」

 

 私は武内さんの分厚い胸板に顔を埋めて逞しい両手で体を抱き締められていた。肌が一斉に泡立った。

 

「…………お」

「お?」

 

 

 私の何かが弾けた。

 

 

「男の人~~~~!!」

 

 雪歩は堪らず叫びだし夢中で手に持っていたジュースの入ったグラスを武内に投げつけた。

 

「……っ」

「うわっ、ちょっと雪歩落ち着いて!」

 

「え? …………あっ」

 

 

 真ちゃんの声で私はハッと我に帰った。慌てて武内さんを見ると武内さんは頭からジュースを被って頭部から肩にかけてしたたかに濡れていた。

 

 

「武内さん、大丈夫ですかっ? これボクのハンカチですけど使ってください」

 

「ちょっと雪歩何してるのよ!」

「いえ、私が軽率でした。萩原さん申し訳ありません」

 

 伊織が雪歩を非難するが武内はあくまでも自らの落ち度だと主張する。

 

「………………す」

「す?」

「すみませ~~~~~~ん!!」

 

 またも叫び声をあげ、雪歩は事務所の扉から外へ飛び出した。

 

「ああっ、ちょっと雪歩待ってよ!」

 真も雪歩の後を追い事務所を飛び出す。

 

「ちょっと雪歩、真、待ちなさい!」

「ほっときなさいよ、雪歩も相変わらずね!」

「まこと、ままならないものですね」

「あらあら、雪歩ちゃんには刺激が強すぎたようね」

 

 

 

「…………」

 

 私は菊地さんから渡されたハンカチで顔を拭きながら罪悪感を感じていた。咄嗟に萩原さんを抱き止めてしまったがもっと良い方法があったのではないのかと反省する。そして私の軽率な行動で萩原さんを傷付けてしまったことをどう償うべきなのか? 

 

 

 

「……さん……武内さん!」

 

「天海さん……」

 

 これからどうすべきかと考え込んでいた所、不意の呼び掛けに意識を外に向けると目の前に天海さんが立っていた。天海さんは私にそっと耳打ちした。

 

「武内さん……雪歩の所に行ってあげてくれませんか? たぶんその方が良いって、わたし思うんです」

「……しかし、私は萩原さんに……」

「そうですけど、上手く言えないんですけどここは私達よりも武内さんじゃないとダメだって思うんです」

 

「……分かりました。すぐ戻ります」

 

「雪歩は多分近くの公園とかで穴を掘ってると思いますからすぐ見つかると思いますよ。見つけたら連絡下さい。これ、私の携帯番号です」

 

 

 私は番号を記録して事務所を出た。辺りを見回しても萩原さんも菊地さんもいなかったが一先ず天海さんに教えてもらった公園に行ってみることにした。

 

 

(それにしても穴を掘ってるとはどういう事なのだろうか?)

 

 

 

 

 

 

 

 主役が居なくなってしまった歓迎会で皆どうして良いのか佇んでいた。

 

 

「う~、雪歩さん。大丈夫かな?」

「大丈夫よ、やよいちゃん。信じて待ちましょう」

「真や武内殿が向かわれたのです。わたくし達はただ待つのみです」

 

 

「そうだよ、みんな。心配なのは分かるけどそれより3人がいつ戻ってきても良いように準備しようよ。ね?」

 

「春香の言う通りだわ。武内さんに任せましょう」

 

 春香の言葉と千早の同意により彼女達は雪歩がこぼしたジュースや割れたグラスの後片付けを始めた。その時、事務所の扉が勢いよく開かれた。

 

 

「うわっ、ゆきぴょん早っ。もう戻って来たの?」

「兄ちゃんもまこちんもネゴシエイト力強っ!」

 

 

 

 

 

 

「やぁ、諸君! 楽しんでいるかね!」

 

 

 

 皆の視線の先には、何処で買ってきたのかド派手なパーティー衣装に身を包んだ高木社長が居た。

 

 

 

「あ、あれ? 武内君は? そしてこの空気は一体……? 

 

 

「チュイチュイ(空気読めよ社長)」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 765プロから程近い公園の敷地に、人一人収まる穴が掘られていた。そしてその中で一人の少女が体育座りで啜り泣いていた。

 

 

「うぅ……ぐすっ……プロデューサーさぁん……」

 

(やっちゃった……武内さんに絶対嫌われちゃったよぅ……ぐす)

 

 訳も分からず事務所を飛び出した直後、雪歩は直ぐ冷静になったが事務所での事に加えて逃走と言う失態に次ぐ失態に雪歩はまたもパニックになり気が付いたら穴を掘っていた。

 

 情けなかった。余りに自分が情けなく穴を掘って埋まったのだ。

 

「これから……どうしよう。どんな顔をして戻れば……」

 

「萩原さん!」

 

「は、はい!?」

 

 いきなりの声に私はビックリして立ち上がった。すると穴の上から武内さんが私を見下ろしていた。

 

「よかった、本当に穴の中に居たんですね」

 

「あ……あの、私……私……」

 

「高い所から失礼します。先ずは謝らせてください。先程は本当に申し訳ありませんでした」

 

 

 武内は膝を折り穴の縁に両手を着き所謂土下座をした。

 

「! ……そ、そんなっ。顔を上げて下さい! 悪いのは私です。私がダメダメだから……武内さんに嫌な思いを……」

 

「いいえ、萩原さんの体質の事は知っていました。その私があのような軽率な行動をしてしまっては弁解のしようもありません」

 

「うぅ……謝らないで下さい。武内さんに謝られると私……私……もうどうしていいか分かりません……」

 

 

「……私はプロデューサーではありません」

「え?」

「すみません。先程の言葉、聞いていました」

「あ、ううぅ……ご、ごめんなさいぃ、ぐすっ」

「気になさらないで下さい。そしてどうか、どうか涙を拭いてください。萩原さんには似合いません」

 

「ふぇっ?」

 

「アリーナライブ……会場で見ていました。萩原さん達はあのステージでとても輝いていました。そんな貴女が悲しい顔をするのは私としても辛いです」

 

「た、武内さん……」

 

 唐突に目の前の男性は歯の浮くような台詞をつらつらと自然に私に語り始めた。演技ではない……武内さんの目が本気で私に語っているのだと分かる。

 

「貴女はダメダメなどではありません。萩原雪歩さん。346プロに居たとき、貴女は346のアイドルやプロデューサーの多くが意識したアイドルの一人です」

 

「そんな……私なんか……実際はこんな臆病で……ドジで……間抜けで……」

 

「萩原さん、私は貴女が好きです」

 

 

「…………へっ!?」

 

 

 

「貴女の慎ましい態度、可憐な雰囲気、儚げな歌声、天性の容姿。その全てに多くの人達同様に私は心を惹かれています。私も貴女のファンです。萩原さん」

 

 

 私は何か温かい物が胸の中から溢れる感覚を覚えた。武内さんの話に私は聞き入っている。

 

「ファンの一人として貴女には笑っていて欲しい。アイドルの後輩として様々な事を教えて欲しい。勿論、いますぐにとは言いません。ですが少しずつ萩原さんや皆さんに信頼していただけるよう努力します。ですからどうか、戻ってきてください」

 

 私は武内さんから目を背けられなかった。

 

 

「私はプロデューサーではありません。だからこそ、アイドルとして、僭越ながらも貴女の隣に立ちたいのです。だからどうか……私の手を、取っていただけませんか?」

 

 武内は穴の上から雪歩に手をさしのべた。それはまるで映画のワンシーンのように印象的であり雪歩の瞳に強烈に映り込んだ。

 

「武内……さん。私で良いんですか?」

「はい。貴女だからこそ、です」

 

 雪歩はゆっくりと手を伸ばし武内の手を握った。その時の感触は不快ではなく、ひたすらに温もりに満ちていた。

 

 

「あのっ……ありがとうございます。武内さん」

 

「どんな惑星も一人では輝けません。光りを与える星、仲間が居てこそ輝ける、私はそう思います。萩原さん」

 

 手を取り合い互いに見つめ会う二人。その空間はまさに二人だけの世界、誰の邪魔も介在しない一時。

 

 

 

(こんな気持ちになったの……初めてかも。プロデューサーの時とも違う感覚、これは何だろう?)

 

 

 

 暫し二人の世界に浸っていた雪歩だったが聞き慣れた呼び声に覚醒した。

 

「この声……真ちゃん?」

 

 周りを見ると後方から真ちゃんがこちらに駆け寄って来た。

 

「武内さーん! 雪歩ー!」

 

「菊地さん、萩原さんは見つかりました。事務所にも戻ってくれるそうです」

「本当ですか! よかった~」

「ごめんなさい真ちゃん……私」

「謝るのは無しだよ、雪歩。それより早く事務所に戻って歓迎会の続きをしようよ。武内さんが主役なんですからね♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんなっ……ごめんなさい!」

 

 

 事務所に戻った後、雪歩はけじめとして歓迎会の仕切り直し準備を終えた皆の前で謝罪した。

 

 

「雪歩、謝らなくて大丈夫だよ」

「ばかねぇ、私達が怒ってるわけないじゃない。心配しすぎよ」

「戻ってきてくれて良かったですぅ♪」

 

 

 

「春香ちゃん……みんな……ありがとう」

 

 

「いやー武内君が戻ってきてくれなかったら折角練習した私の手品がお披露目出来なくなってしまうところだったよ。良かった良かった」

 

 

「私こそ皆さんにご迷惑お掛けしました」

 

「あふぅ、二人して謝ってばっかりなの」

 

「す、すみません……」

 

「アハハ、また謝ったぞ♪」

 

 

 

 

 

 

 

「あのぅ……武内さん」

 

 歓迎会が仕切り直されて暫くたった後、萩原さんが静静と私に話しかけてきた。

 

「何でしょうか萩原さん」

 

「こ、これ! よかったらお願いします」

 

 萩原さんは顔を真っ赤にしながら一般的なキャンパスノートを差し出してきた。

 

「これは?」

 

 私が中を見ようとノートを開こうとしたとき萩原さんが慌てて止めに入った。

 

「わわわわっ! ここでは開かないで下さい~!」

 

「す、すみません?」

 

 

 

「あの、私……その……趣味で詩を書いていまして、そのノートは私の……詩を……書いた物なんです」

「詩集ですか。それは素晴らしい趣味ですね」

「あっあの、そんな大それた物じゃないんですけどよかったら感想を……その……聞かせて貰えないかなーって……」

「分かりました。必ず読ませていただきます」

 

「ほ、本当ですか! あっ、この事はみんなには秘密でお願いします」

 

「勿論です。この事は二人だけの秘密とします」

「ふっ二人だけ……はぅ……」

 

 萩原さんは更に顔を赤くして今にも茹で上がりそうだったが熱でもあるのだろうか? 

 

 

 

 

「武内さん♪」

「天海さん……先程はありがとうございます」

 

 思えば天海さんの後押しが無ければ萩原さんとも分かり合えなかっただろう。しっかりとお礼を述べなくては。

 

「お礼を言うのは私の方ですよ。ありがとうございます。雪歩、プロデューサーがハリウッドに行ってから元気がなかったんですよね。でももう安心ですね。武内さんが居ますから」

 

「……恐縮です」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ律子さんもうこんな時間ですよ」

「うわっ確かにそろそろヤバイですね小鳥さん」

 

 唐突に音無さんと秋月さんが時間を気にしだした。

 

 

「みんなーそろそろ時間よ。片付けを始めましょう」

「えー、ミキもっと歓迎会続けたいの」

 

「わがまま言わないの!」

 

 

 秋月さんの一言で星井さん以外が素早く歓迎会の後片付けを開始した。

 

 

「あの……天海さん。皆さんひょっとして何か予定が?」

 

「えっ? あ、はい。みんなこれから仕事なんですよ。私もこれから千早ちゃんとインタビューがあるんです」

 

 

「そうだったんですか……すみません私のせいでご迷惑を……」

 

「大丈夫ですよ。それに今日の歓迎会はみんな出たくて予定を合わせたんですから。謝る必要なんてありませんよ」

 

 

「亜美、イベント行くよー」

「オッケー、盛り上げるぞ~!」

 

「真君、雪歩、一緒に撮影行くの」

「分かったよ美希。それじゃ武内さんまた今度」

 

 

 

「響、今日はらぁめん二十郎の新メニュー食レポートですよ」

「うぅ、明日は絶対胃もたれだぞぅ」

 

 

「やよい、ロケに行くわよ」

「はい! お仕事頑張りまーす♪」

 

「あずささん。グラビア撮影が押してるので急ぎましょう」

「はーい。それじゃ武内さん、今度はお仕事で会いましょうね♪ うふふ」

 

 

 

 

 あっという間に彼女達は支度を済ませて事務所を出ていく。ついさっきまで歓迎会をやっていたとはとても思えない。

 

 

 

「春香。善澤さんのインタビューは17時からよ。急ぎましょ」

「あれっ18時じゃなかった!? 電車確認しないと……」

 

 

 

「雪歩ー! 早くしないとボク達も遅れちゃうよ」

 

「いま行くね真ちゃん。武内さん、感想待ってますね」

 

 

「雪歩さんはこれからどちらに?」

「真ちゃんと美希ちゃんとドラマの撮影があるんです」

 

 

 

「大丈夫なのですか?」

 

 

「もう大丈夫ですよ。お仕事ですから頑張らないとですし」

 

 

 

「ですが芸能界で男性が苦手と言うのはお辛いですよね?」

 

 

 

「……確かに最初の頃は私には無理だって思った時も沢山ありました。でもプロデューサーやみんなのおかげで自信が持てるようになったんです。今も辛く無いって言ったら嘘になりますけど……それ以上に私、今がとっても楽しいんです」

 

「楽しい……」

 

「武内さんもいつか分かると思いますよ。辛くても……ファンの皆さんのために頑張ります。だって私達、アイドルですから♪」

 

 

 

 そこには男性に怯えるか弱い少女など何処にも居なかった。一人のアイドルが朗らかに笑っていた。

 

 

(あぁ……そうか。なんの事はない。彼女だってアイドルの一人なのだ。プロとしての覚悟はとっくに出来ている。私の心配は無用だったか……)

 

 

 

 こうして私の歓迎会は紆余曲折もあったが無事に成功で終わった。

 

 そしてまもなく私と萩原さんとの詩集交流が始まることをこのときの私はまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そう遠くない過去 346プロ撮影スタジオ

 

 

 

 

 

 

「それでは本日の撮影を終わります。お疲れさまでしたー!」

 

「「「お疲れさまでしたー!」」」

 

 

 監督の音頭と共にスタッフが呼応する。

 

 皆が皆互いに仕事の苦労を労う中、今回の撮影の主役にも監督が労いの言葉を掛ける。

 

 

「いやー良かったよ、美嘉ちゃん。最近元気無かったけど今日はいつも通り完璧だったよ」

 

「ありがとうございます監督さん☆ご迷惑お掛けしちゃいましたけどこれからもっともっと頑張りますね♪」

 

 

 主役の名は城ヶ崎美嘉。

 

 老舗芸能プロダクション 346プロが今期最も力を入れているアイドルの一人だ。

 

 

「346プロさんは安泰だね。美嘉ちゃんみたいなアイドルが居て。そういえば前に居た美嘉ちゃんのプロデューサー移動したの? 結構優秀だったから昇進とか?」

 

 

「……もう~御世辞言っても何にも出ませんよ♪ 私、ちょっと片付けがあるんで先に上がって大丈夫ですよ」

 

「そう? じゃあお疲れ様。また一緒に仕事しようね美嘉ちゃん」

 

 

 

 

 

「…………」

 

 

 

 

 

 

 

 スタッフが居なくなり急激に静寂に満ちたスタジオ内。ただ一人残った少女は先程までの笑顔が嘘のようにその表情はまるで能面を張り付けたようだった。

 

 そして少女はおもむろに携帯電話を取り出し何度も何度も再生した留守電メッセージを再生する。

 

「もしもし? 武内です。明日のスケジュールの変更が有りましたのでお伝えします。明日は10時からスタジオ入りでしたが1時からに変更となりました。急な連絡で申し訳ありません。1度ご連絡下さい。では」

 

「……うん♪ 大丈夫だよ。1時だよね? 分かった。私、頑張るからね? だから……だから……」

 

 少女は最初快活に笑顔を表したが留守電が終わると声に震えが出て苦悶の表情が顔に満ちる。

 

 

 

「もしもし? 武内です。…………」

 

 

 

「………………えへ☆」

 

 

 

 誰も居ないスタジオの中で少女はひたすら留守電メッセージを再生し続ける。




武内iにチャイルドスモック着させてとときら学園に出演させよう。


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自分らしく、いつもどおりに

リアルが吐きそうなくらい忙しいのに投稿している作者です。(⬅アホ)



「写真撮影ですか?」

 

 携帯電話越しに音無さんが説明する。

「はい。事務所としても武内さんをホームページや仕事先に紹介するための資料が欲しいのですが……」

 

「つまり宣材と言うものですか……」

 

 宣材。

 

 仕事先に事務所がアイドルをオファーをする際に使う宣伝用の写真の一つ。たかが写真と馬鹿には出来ない。プロデューサーやアイドルがまだ決定もしていない仕事先に直接出向いて交渉することもあるがマンパワー的に効率が悪く相手方にも失礼と受け取られかねない。そこで多くの場合、履歴書のようにアイドルのプロフィールを掲載した書類を方々に送付して、「当社にはこのようなアイドルがおります。御社の番組や企画に是非ご協力させてください」と宣伝することで業界に顔と名前を喧伝している。

 勿論それだけで採用されるわけでもないが、極端な話顔で選ばれることも往々にしてこの業界では起こりうることであり一般論でも第一印象で良い悪いの判断は見た目がほとんどだ。ましてや直接ではなく写真での第一印象はそれだけでそのアイドルの印象がある程度決まってしまう。故に宣材はアイドルにとって非常に重要な要素だ。

 

「そうなりますね。と言うことでさっそく撮影のために武内さんには明日都内のスタジオで早坂さんに撮影してもらおうと思います」

 

「早坂さん……ですか?」

 私はそんな人が居たかと記憶の海に潜ったがいっこうに答えが見つけられなかった。

 

「ああ、すみません。武内さんにはまだ言っていませんでしたよね。早坂さんと言う人は765プロ専属のカメラマンさんのことです」

 

 合点がいった。346プロでも専属のカメラマンやメイクを多く雇っておりそのお陰でスムーズに撮影が行えたものだった。

 

「明日は11時にスタジオに来てください。場所は○○区の××……」

「そのスタジオでしたら知っていますので大丈夫です。11時ですね」

「流石ですね♪ スタジオに早坂さんが待っています。それと明日は社長や律子さんも所用で同行できないのでお一人で向かってください。ですが伊織ちゃんも明日は同じスタジオでCDのジャケット撮影がありますので分からないことは早坂さんと伊織ちゃんから聞いてくださいね」

 

「分かりました」

「初めての撮影ですが頑張ってくださいね♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 都心の閑静な地区、所謂成功者達が多く関わる場所にそれは静かに佇んでいた。

 西洋風のバロック建築に日本文化の素養も取り入れた和洋折衷の巨大な豪邸。それは知る人ぞ知る、高貴なる御方達が集う都内某所の会員制社交クラブである。

 

 たとえどれ程の財力を持っていようとも、それだけでは決してこの聖域に入ることは許されない。財力はあくまでも条件の一つでありここで最も尊重されるのは『家』

 つまり家柄という必要条件を認められた者だけが敷居を跨ぐことを許された現世とは隔絶されたクラブである。現在、この館には使用人を除き二人の男女が居た。二人は閉塞的ながらも隠然とした雰囲気を放つその館の一室にテーブルを挟み対面する形で向き合っている。その部屋にさりげなく設置されている調度品は、一見すると地味だがよく吟味すればそれがどれだけの途方もない価値があるのかが空気として伝わっており、一級の部屋が用意されているこの館の中でも、この部屋が特別であり、そしてここに居る二人の男女もまた特別であることが分かる。

 

 男は部屋の下座に座し、紅茶を傾けながら上座に座る女を見つめていた。女はと言うとどこか気の抜けた瞳で窓辺から見える空を見つめていた。

 

「いかがですか? ここは由緒ある選ばれた人間だけが通える倶楽部です。貴女にも是非楽しんで貰えたら幸いです」

「とても素晴らしいわね。北海道にこんな格式高い倶楽部はなかったわ」

「そうでしょう。私からの紹介ですので今後は好きに使えますよ。まあ紹介せずともいずれは……」

 

 男と女の会話は対称的だった。男は自信と誇りに満ちた口調で堂々と語っていたが、女の方はどこまでも社交辞令的な返答だった。端から見てもこの二人の間の微妙な距離感が伝わる。

 

 

 

 

 私は彼の言葉を話し半分に聞いていた。彼には悪いが全く興味を持てなかった。

 

 

 空には雲が漂っていた。自由なものだ、私と違って。

 

 

 

(私も結局こうなるのね……。母と同じように"最高の相手"と結婚する……)

 

 私は自嘲した。

 

 目の前の男は私の婚約者……そして近い将来生涯の伴侶となるであろう存在だ。

 不満はそれほど無い。彼の実家は日本有数の資産家であり旧華族の血を引き家柄も経済力も申し分ない。彼も生まれた身分に胡座をかかず独自の事業を立ち上げて成功を収めている。少々傲慢だがこれだけの幸せと成功を享受していればむしろ当然とも言え、それを除けば批判する事が出来ないのも事実だ。

 

 彼を見れば手に持ったセーヴル焼のティーカップを優雅な仕草で口へと運び紅茶の香りを上品に堪能している。

 

「アルコールは飲まれますか? ワインやウィスキーなど幅広く取り揃えていますよ」

「いえ、結構ですわ」

「そうですね、まだ昼間ですからね。そう思いまして、此方に」

 

 すると私の目の前に何処からともなく現れたメイドによってティーポットとカップが完璧な作法で置かれた。

 

 

「最高級のジャスミンティーの一番茶です。お口に合うと思いますよ」

「ありがとうございます。いただきますね」

 

 私はメイドによって注がれたお茶を口元へ運んだ。

 

 一番茶特有の柔らかな口当たりとまろみのある優しい甘さを最初に感じ、香り豊かなジャスミンか鼻腔を包み込む。確かに美味しい。こんな場所でなければ。

 

「とても美味しいですわね」

「そうでしょう。私はアールグレイが最も好きなのですが此方のジャスミンティーは偶然原産地から直輸入ができまして丁度良いと思ったのですよ」

 私は頷き再びカップを口に運ぶ。

 

(趣味も悪くないわ、少し癪に障るけど)

 

 

 男はティーカップを置き会話を続けた。

 

 

「それでこの前のお話はどうでしょうか」

「縁談の件……ですか?」

 

 彼の悪いところがまた出た。今の問い掛けも発せられる雰囲気から"問い"では無く"確認"なのは容易に感じ取れる。

 

「まだ気が早いですが父も母も、一族も、皆祝福してくれていましたよ。私達の結婚は両家の更なる絆と繁栄の象徴と成ることでしょう」

「……それはとても良いことでしょうね。父もとても乗り気ですわ」

「聞いております。大切な娘さんを貰う訳ですからね。私もお父上に恥じない夫に成るつもりですよ」

 

 彼は優しく笑い掛ける。父自ら選んだ男だ、悪い人でない事はもちろん分かっている。けど……、

 

 

 内心今日何度目かの溜め息を心の中で吐く。自分の窮屈な未来に嫌気が差す。だが、だからといってどうしようもない。

 この結婚は以前から決まっていた確定事項だ。私一人では覆せない。いや……正確には覆せなくもないが既に私達の両親が話を進めているのだ。今更私が心変わりなんて許されない、それは彼も同じことだろう。母は最後まで私の意思を尊重すると言ってくれていたがどうせ父の前では無力だろう。それに私は別段意中の相手が居るわけでも無い。端から見ればあまりにもな理想の結婚だろう。悲劇のヒロインと言うには無理がある。きっと私は家庭に入り立派な跡継ぎを産み育て社交界で夫を立てる貞淑な妻になるのだろう。……ならなければならない。

 

 

 ずっと昔からそう教わってきたのだから。

 

 

 

「すみません。ちょっと……」

「どちらに?」

「外で食事をしてきます」

「でしたらこちらのクラブのランチの方が……」

「生憎ですけどそれはいつでも食べれるのでしょう? ○○さんはどうぞ此方で」

 

 私は彼をその場に残して館を出た。外の新鮮な空気を肺に取り込み気分を入れ換える。

 

(流石に失礼だっただろうか……いえ、どうせもうすぐ離婚も出来ない夫婦に成るのよ。少しくらい我を通しても損はないわ)

 

 

 私は沈んだ気分を晴らすため町へ出た。

 

 思えばこれが、私の運命を決定付ける彼との出会いの始まりだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当日、私は慣れた足取りで撮影スタジオに向かった。音無さんに言われた撮影スタジオは、私が346プロ時代にも使用していた場所だった。城ヶ崎さんや高垣さん、そして彼女達ともここで多くの写真が撮られるのを見守ってきた。

 もう二度とここには来ないだろうと思っていたが、まさかアイドルになって再びこのスタジオに来ることになろうとは夢にも思っていなかった。

 

 だが私はそれよりもスタジオの脇に山のように置かれている大量の衣装や小道具が気になっていた。最初は水瀬さんの撮影衣装かとも思ったがよく見ると全て男物だった。私は嫌な予感がして水瀬さんに視線を向けると、彼女は私の戸惑いに気付いたようで得意気に語りだした。

 

「にひひっ、どう? 、驚いたでしょ? 全部今日の撮影のために私が用意したあんた専用の衣装よ!」

 

 少し目眩がした。

 

「お気持ちは嬉しいのですがこのような派手な衣装や小道具は……その……」

 

 

「なによ、不満なの? 言っておくけどその辺の店で売ってる安物のパーティ衣装じゃ無いわよ」

 水瀬さんの目尻がつり上がる。

 

「いえ、そのようなことは……」

 

 私は困ってしまう。宣材写真の重要性は理解してはいるがどう考えてもキラキラのスパンコールが散りばめられたヒラヒラ衣装は私には似合わないしもっと言えば着たくない。

 

「そ、そうですね……例えばこれなど……」

 

 

 私は取り合えず衣装の山から手探りで掴んだ服を水瀬さんの前に差し出した。

 

 

「あら、それはチャイルドスモックね。可愛らしくていいわね」

 

「すみません、間違いました」

 

 これを着たらきっと何か大切なものを失ってしまいそうだ。急いで他の衣装を引っ張り出す。

 

 

「先程のよりこれなど……」

 

「ナイトメアブラッドじゃない♪ あんた用の男物に特注したのよ。新人にはちょっと露出が多いけどあんたはガタイも良さそうだからきっと見映えが良いわよ?」

 

「……やっぱり別のを」

 

「なによ? 注文が多い新人ねっ」

「……すみません」

「いちいち謝らないでよっ!」

「すみま……あっ……」

「だ~か~ら~!」

 

 

 

「あはは……これは前途多難ですね」

 

(全くだ……せめて水瀬さんの撮影だけは邪魔しないようにしよう。……ん?)

 

 私は二人しか居ないはずのスタジオで謎の三人目の声を聞いた。

 

 

 

「あら、そらじゃない。何時から来たのよ」

 

「ついさっき来ました。わぁ~この人が新しいアイドルですか?」

 

 

 そこにはカメラを携えた若い女性が居た。

 

「貴方はひょっとして……音無さんが仰っていたカメラマンの方ですか?」

 

 

「はい♪ 765プロ専属カメラマンの早坂そら、と言います。よろしくお願いしますね、えーと……」

「武内です」

「ああ! そうでした。武内さん、今日からよろしくお願いします」

 

「さあ、挨拶も済んだんだしさっさと撮影するわよ」

 

「はい! 任せてください。じゃんじゃん撮りますよ~!」

 

 

 

 

 

 そして時間は今に至る。

 

 

「武内さーん。笑ってくださーい」

 

「……こう、ですか?」

 

 私は精一杯の笑顔をレンズに向けてする。

 

「馬鹿ね、それじゃお客さんが泣いちゃうじゃない」

 

 

 ……どうやら酷かったようだ。

 

「はーい、にこー」

「……ニゴォ……」

 

「どこのホラーよ!」

 

 

 それから私にとって永遠とも言える30分が経過してとうとう水瀬さんが痺れを切らしてしまった。

 

「まったく、笑顔の一つも出来ないなんてアイドルをやる気有るのかしらっ?」

「う~ん、今のところ一枚も使えそうな画は撮れてませんね」

 

 どんどん自分が小さくなっているような感じだ。

 

 元々……昔から余り笑わない奴だと言われてきた。自分では笑っているつもりでも周りからはそう見えなかったようだ。学生時代はそれでも交友を広めようと努力したが、笑顔だけは上達しなかった。

 

 

「はぁ、もういいわ。そら、木偶の坊は一旦ほっといて私の撮影をすませましょ」

 

「え……でも……」

 

 早坂さんが困ったように此方を見つめてきた。

 

「お二人がそれでいいなら私は大丈夫ですけど……」

 

「早坂さん、お願いします。私のせいで水瀬さんをいつまでも待たせるわけにはいきませんので」

 

「あら、感心だわ。先輩はきちんと立てないとね。ま、私の華麗なポーズを見て参考にしなさい♪」

 

「う~ん……分かりました。ではまず伊織ちゃんの写真を撮っちゃいますね」

 

 

 水瀬さんの撮影はまさに順調だった。早坂さんの要求に答えてポーズをとり直ぐ様次のポーズに移行する様は流石だ。更に要求されたポーズ以外でもアドリブでポーズをとりそれも水瀬さんのイメージにピッタリなポーズなので見とれるしかない。

 

「はい、終了です。水瀬さん今日も完璧ですね」

 

「当然よ♪ 私はトップアイドルの水瀬伊織ちゃんよ」

 

 水瀬さんは胸を張って答えた。時計を見れば30分があっという間に過ぎていた。私の時の30分とは大きな違いだ。

 

「もう12時ね。お昼にしましょう」

「しかし私の撮影がまだ……」

「どうせ今撮ったってさっきと同じになるわよ。外でご飯でも食べて気分転換でもしましょ?」

「私は朝御飯を遅めに食べたのでお二人でどうぞ。機材のセットも直しますから」

 

「決まりね。近くに良い店が在るのよ。もちろん私の奢りよ♪」

 

 

 私は水瀬さんに連れられて近くのホテルのレストランに来ていた。

 レストランと言ってもファミレスではない。ドレスコード必須の超が付く都内有数のレストランだ。基本いつもスーツを着用していて良かったと安心していたが水瀬さんは慣れた足取りでレストランの扉を開くと近くに居たウェイターが慌てて近寄ってきた。

 

「い、いらっしゃいませっ! 水瀬様っ」

 

「お久し振りね。支配人は居るかしら?」

「は、はい! 直ぐにお呼びします。水瀬様はいつものお席に……」

 

 ウェイターは額に汗を滲ませながら私達を席に案内した後、店の奥に消えていった。そして私達がメニューを見ていた頃、支配人とおぼしき人物が満面の笑みでやって来た。

 

「これはこれは水瀬様。いつも当レストランをご贔屓にして下さりまことにありがとうございます」

 

「あんまりのんびりもしていられないから彼には私と同じものを頂戴」

 

「かしこまりました。お連れ様はアルコールはお召し上がりに成りますか?」

「い、いえ……まだ仕事がありますので、水で結構です」

「あら、少しくらい酔ってたほうが良い写真が撮れるんじゃない? 最高級のシャトー・ペトリュスもあるわよ」

「……お気持ちは分かりますがご心配なく」

 正直、アルコールに頼っても難しいと自分では思う。

 

 

 しばらくして料理が運ばれてきた。

 

(……牛や貝のスープならまだ分かりますが……海亀のスープって……美味しいがさっぱり分からない)

 

 私は目の前の見たことのない料理に目を丸くしていた。取り合えず口に運ぶも美味しいことしか分からない。

 

 

「別に食レポじゃないんだから普通に食べなさいよ」

「あ、すみません。……あっ」

「もういいわよ、それ」

 私は恥ずかしくなり俯いてスープを啜る。

 

「……あんた、前から思ってたけど全然笑わないわね。何か不満なの?」

 

「……いえ、不満などありません。笑わないのは……昔からです」

 

「そ、なら良いわ」

「良いのですか?」

 

「アイドルがみんなへらへら笑ってたら気持ち悪いわよ。その理屈なら千早なんて即クビよ」

 

「では、私は……」

 

「個性は大事よ。でも、アイドルにとって大事なのは自分らしくいることよ」

 

「自分らしく……ですか?」

 

「あんた346プロでプロデューサーやってたんでしょ? その時はアイドルになんて言ってたのよ」

 

「……私は、アイドルの個性を大事にしていました。歌やダンスに限らずそのアイドル一人一人の人間性に着目しました」

 

「ならニコニコするのがあんたらしいの?」

 

「……違い……ます」

 

「なら変に笑わなくたって良いじゃない。あんたらしくカメラに写れば良いのよ」

 

「そう……ですね。そうですね。その通りです」

 

「はい、お仕事の話は一旦終わり。ランチの続きをしましょ。ここのメインのハンバーグは有名なのよ♪」

 

「……ハンバーグは好きです」

「あら? 今、ちょっと笑ったわね。今のは良かったわよ」

 

「……」

 

 私は首に手を当てた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どう? 美味しかったでしょ?」

「はい、とても美味しかったです」

 

 水瀬さんの言う通りハンバーグは絶品だった。

 

「さて、スタジオに戻りましょうか」

「そうですね、おいくらですか?」

 

「何言ってるのよ。私が奢るって言ったじゃない」

「いえ、さすがに水瀬さんに奢ってもらうわけには……」

「何でよっ」

「私の方が年上ですし……」

「私の方がアイドルの先輩よ!」

「あの……その……」

「せ、ん、ぱ、い、の私が奢る。いいわね」

 

「……はい。ごちそうになります」

「にひひっ、分かればいいのよ」

「あの、水瀬さん」

「何よ、しつこいわね」

「いえその事ではなく、今回のアドバイス……ありが……」

 

 その時私の携帯が着信を知らせた。画面には765事務所からだった。

 

「もしもし、武内ですが」

「あ、武内さんですか。音無です」

 

 電話の、相手は音無さんだった。

 

「どうかされましたか?」

「はい、実は今そらさんから連絡がありまして、カメラの調子が悪いそうで一旦自宅に戻って予備のカメラを持ってくるため、もう一時間ほど待って貰いたいとの事でした」

「分かりました。スタジオの使用時間は大丈夫ですか?」

「安心してください。今日の17時まで使用できるので大丈夫です」

「そうですか。分かりました。後一時間ほど時間を潰します」

「よろしくお願いします。では」

 

 

 

「水瀬さん。後一時間ほど時間が出来ました。スタジオで待ちますか? それともここら辺で時間を潰しますか?」

 

「そうねぇ。なら私はもう一度支配人と話してくるわ。昔からの知り合いなの」

 

「分かりました。では私は近くの公園に居ますのでお戻りになる際に連絡下さい」

「分かったわ。それじゃあね、いい気分転換になると良いわね」

 

 水瀬さんをレストランに残して私は近くの公園まで歩いて行った。

 

 公園は平日の昼間と言うこともあり幼稚園児達が先生に見守られながら無邪気にはしゃいでいた。

 不意に園児達のスモックが目に入り嫌な事を思い出して憂鬱になってしまった。

 

(しかし平日の昼間だからか子ども達やそれ関係の人以外見当たらないな……ん?)

 

 その時私は公園のベンチに女性が座っているのに気付いた。

 

 

 

 その女性は公園という場所と不釣り合いなドレスを着て近くのファーストフード店で買ったと思われるハンバーガーを片手に園児達が戯れる噴水を眺めていた。

 

 

 それより私が気になったのは女性がとても美人だということだ。私の元プロデューサーとしての感覚が告げている。彼女は逸材だ。

 

 

(どうする……声を掛けてみるか? しかし私は仕事中ですし……)

 

「そこのあなた」

 

(以前にも高木社長にプロデューサーとしての未練を見抜かれたがそう何度もスカウトしていては346を辞めてアイドルになった意味が……)

 

「そこのスーツのあなた!」

 

「はっ、はい!」

 

 自分を呼ぶ声に気付くとベンチに座っていた女性が私の前に立っていた。

 

 

「やっと気付いたわね。人をジロジロと見ていったい私に何のようかしら? まさか彼からの監視じゃないわよね」

 

 

「監視? なんのことでしょう。私はただ貴女に……その……」

「私に?」

 

 ここは正直に言うべきだろう。

 

「失礼しました。ご不快な思いをされたのでしたなら謝罪します。ただ、私は……貴女に見とれてしまいまして」

 

「……面白くない冗談。随分紳士的なナンパね」

 

「ああ……いえ、その……見とれると言うのはそう言う意味では……いや、そう言う意味もあったのは事実ですが決して邪な思いで貴女を見ていたわけではありません。私は仕事でアイドルを……」

 

「仕事……ああ、スカウトなのねあなた。悪いけどそんなアイドルなんてくだらないものに興味はないわ」

 

「くだらない……ですか」

「くだらないわ。所詮アイドルなんてコネさえあればそれなりに売れるつまらない存在よ」

 

 私はその言葉に少しばかり怒りを覚えた。

 

「そのように見られることはあります。ですがアイドルは決してそんな単純な存在ではありません。アイドルは日々レッスンに励み努力を重ねて最高のパフォーマンスをし続けています。全てはファンの為に、です」

 

 

「綺麗事ね。どれだけ努力したって結局報われるのはほんの一握りの成功者だけ。夢の世界なんてウソっぱち、残酷な世界よ」

 

 

「はい、それは貴女の言う通りです」

 

「え?」

 

「アイドルは数多くいます。皆が皆、トップアイドルには成れません。底辺があるからこそ頂点があります。上に登れば登るほどそこから落ちてしまう人も増えていきます。私も……そんなアイドルを見てきました」

 

 

「……ほら見なさい。だからアイドルなんて……」

 

「だからこそ、アイドルはコネなどでは決して頂点には立てません」

 

「…………」

「コネが有効なのは否定しません。無いより有る方が当然有利でしょう。ですが、アイドルを評価するのはファンです。そしてファンは決してコネなどでアイドルを評価しません。最後の最後、アイドルを助けるのはそのアイドルが今まで何を積み上げてきたのか。真の実力主義の世界。私はそう考えています」

 

 

「真の……実力主義」

 

「貴女は……そういったものに興味が有るのですか?」

「! ……何故そう思ったのかしら?」

 

「貴女の言葉がそう言っている、と感じたので」

 

 

「ご名答ね。私は今まで評価されたことなんかないわ。少なくとも正当な、ね。私にとって真っ当に生きるなんて本当にくだらないわ。何をしても誰も私自身を評価しないわ」

 

「……私も人のことをとやかく言えるほど生きてきた訳ではありません。ただ、自分に嘘を吐いて生きるのは嫌でした。だから今この道にいます。ですから貴女も……」

 

「ありきたりな言葉ね。そんな軽い言葉聞き飽きたわ」

 

「それでも、私の言葉に偽りはありません」

 

「口ではなんとでも言えるわ。それに結局は私と貴方は赤の他人よ。良いわね、気楽に言えて」

「はい……確かに私と貴女は他人です。ですがありきたりな言葉でも、軽く言ったつもりはありません」

 

 

 私は彼女に思いの丈をぶつける。

 

「私は今まで夢を諦めざるを得ない人達を多く見てきました。彼等彼女等は皆必死で夢を目指していました。汗を涙を人生の一時を削って夢に突き進みました。それでもっ……それでもっ……駄目でした。今まで進んできた道を変えざるを得なかった。だからこそ私は考えます。ボロボロになって、精魂尽き果てたその時こそ、夢を諦める、それが許されると」

 

「……」

「だから……失礼を承知で正直に言います。貴女の事は全く知りませんが挑戦を、夢を、諦めるには貴女はまだ早すぎます」

 

 

「! ……なんですって?」

 

 彼女の目付きが鋭くなる。当然だろう。だが譲れない。私が見てきた人達の為にも、なにより彼女達の為にも。

 

 

 

「戯れ言よ。いったい私にどうしろと言うの?」

 

「頑張ってください」

 

「な!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は目の前の無礼な男の言葉に未だかつて無い苛つきを感じていた。

 

 

 この男は私の事を散々好きに言ってくれたが、そう言う自分はどうなのだ。ただのスカウトのくせに。

 目の前のこのいかにもなサラリーマンに言われる筋合いなんてない。結局この男も自分が出来ないことを他人に押し付けているだけ……その程度の男なのだ。

 

 

「私は以前サラリーマンでした。ですが今は……アイドルをしています」

 

 

 

 

「……え?」

 

 なんだ、今この男はなんて言ったの? アイドル……? 

 

 

「つ、つまらない冗談ね……笑えないわ」

 

「いえ、冗談ではありません。サラリーマンを辞めて今はアイドル活動をしています。此方、私の名刺になります」

 

 

 私は渡された名刺を受け取る。確かに名刺には『765プロ所属アイドル 武内』と印刷されていた。と言うか765プロ? 

 天海春香や如月千早など私でも知っている有名人気アイドルが数多く所属している新進気鋭のアイドル事務所だ。

 

 

 アイドル? この男が? それも765プロの? 

 

(どうかしている。確かに見てくれはそれほど悪くはないがだからと言ってアイドル? 狂っているわ)

 

 

「なぜそんな馬鹿なことをしてるのかしら?」

 

「やりたいからです」

「コンビニのバイトじゃないのよ。あなた今言ったじゃない。誰でも出来るものじゃないって。分かってるの?」

「厳しい世界なのは嫌と言うほど知っています」

「だったらそんな馬鹿なことしてないで……」

「ですがやりたいのです」

 

 彼の目が訴えていた。本気だわ、この男。

 

「確かに私も不安です。ですがそれ以上に、今の私は……以前に比べて幸せなんです。これからどんな世界が待っているのか……堪らなく怖いですが期待している私が居るのも事実なのです」

 

 

「失敗したらどうするのよ。子どもじゃないのよ? 貴方の失敗は貴方だけの責任で負えるものじゃないはずよ。沢山の人が困るのよ」

 

 そうだ、私だって家に、父に迷惑は掛けられない。

 

 

「……貴女の言う通りです。私にも両親は居ますし生活があります。会社の皆さんにも迷惑を掛けてばかりです」

 

「ほら、夢なんて追いかけたって良いことなんか無いわよ」

 

「ですがそれでも、私はアイドルに成ります。そして必ず……答えを得ます」

 

「答え?」

 

「私はアイドルを知りたいのです。真のアイドルとは何かという答えを」

 

 私は目眩を覚えた。

 馬鹿もここに極まったようだ。この男はそんな不確かで訳の分からないことを探すために安定した仕事を辞めてアイドルをやっている。

 

 知りたいから。探したいから。やりたいから。

 そんな理由で……。

 

 

 不意に怒りが込み上げてきた。先程とは違う怒りが。

 

 

 

 不愉快だ。とても不愉快だ。なんなのだこの男は、突然現れたかと思いきや好き放題言ってのけて、この男の言い分はまるで私がなんの努力もしていないかのようじゃない。

 

(冗談じゃない。私だって努力した。運命に逆らうために必死で努力した。なにも知らない人間が分かった風な事を言わないで!)

 

 

 ……そう言い返せたらどれだけ良かったか。

 

 

 私は何もしていない。常に父の機嫌をとってきた。父の理想の淑女たるよう様々な習い事をした。髪も伸ばした。丁寧な言葉使いに礼儀作法も学んだ。努力した。だがその努力は全て家の為父の為、逆らわず期待に応え、良家令嬢を演じ続けた結果だった。それに私が何をやっても周りは誉めてくれた。でも……いつも、いつも、いつも、私を評価する人たちは私じゃない……家を、黒川を見ていた。みんな寄って集って褒め称えた。流石は黒川のお嬢様だ、と。誰も私の事を見ていなかった。私の努力は"黒川"の一言で片付けられてきた。

 それが嫌だった。本当に苦痛だった。でも、いつしか私はそれをどこか冷めた目で見るようになっていた。

 友人と称する人達とそつなく付き合って、大人達のご機嫌を伺って、競争の障害は難なく倒す。そんな日常を私は嫌っていた、だが今はそれを受け入れようとしている。

 

 

 私には夢が無かった。教師、建築家、画家、何でもいい、何か一つでも私に夢と言える夢が有ったならば、父に反抗出来たかもしれない。けど、私と言う人間には何の夢も希望も無かった。

 

 自分が恵まれていることは勿論分かっている。恐らく一生涯お金には困らない生活が約束されている人生に不満があると思うこと自体傲慢な事だとも分かっている。

 

 だけど、それでも、ただ唯々諾々と周りの期待に応える人形、それが私だ。

 

 

 この無礼な男の言う通りだった。

 

 私は私の為に努力なんてしていない。全て他人の為だ。

 境遇を嘆いてばかりで自分の血を流す覚悟も無い臆病者、それが私だ。本当はずっと前から分かっていたことだ。だが、それを認めてしまえば、もう本当に、私はどうしようもない女になってしまいそうで……否定した。私と言う女はいつからそんなに女々しくなったのだろうか。

 

 

 

 

 

「……はぐらかさないで。失敗したら……どうするのよ。貴方の人生が無駄に消費されても誰も責任なんて取ってくれないわよ。精々慰められてお仕舞いよ」

 

「……その時は」

 

 

 彼は首に手を掛けて思案している。当然だ。誰だってリスクは回避したい。出来るだけ安全な道を行こうとする。威勢の良いことを言っているが所詮この男も臆病者に決まっている。

 

 

「その時は……また、やり直します」

「……え?」

 

 

「私にとってアイドルとは、既に人生を賭けるに値する価値があると思っています。それで失敗しても私はまたやり直します」

 

「ばっ……馬鹿じゃないの……後悔したって遅いのよ。十中八九後悔するに決まってるわ!」

 

「もちろん、後悔するでしょう。ですが今の私も既に後悔だらけです。悔やんでも悔やみきれません。ですがそれでもやりたいのです。月並みな言葉ですが、それで傷付いても何かを失っても、やらない後悔よりはマシだと思います」

 

 

 私の精神は混乱の渦にいる。ぐるぐると自分の人生とこの男の言葉が混ざりあっていく。

 

(やめて……これ以上……私の、私の中に入ってこないでっ!)

 

 

 今まで考えては泡沫に消えていった希望が、今再び姿を現そうとしていた。

 

 

 

(無理よ……無理に決まっているわ。だってそうじゃない……夢なんて……持つことも諦めてたのに、私は……私は……)

 

 

「それに、こんな私の馬鹿な夢に力を貸してくれる人もいます。私は一人ではありません。頼もしい方々がいます」

 

(仲間……仲間なんて……居ない……私には、黒川を棄てた私に仲間なんて……)

 

「私がお力になります」

「!」

 

「もし、貴女が本当に目指すべき夢を持ったなら。夢を叶える為に力が必要なら、私が微力ながらご協力します」

 

 

 

「あ、あなたは……」

 

 

 その時甲高い女性の声が響いた。

 

「ちょっとあんた! いつまで油売ってるのよ!」

 

「み、水瀬さん……何故?」

 

「何故もへちまも無いわよ。散々連絡したのになんの返信もないから私がここまでわざわざ来たのよ!」

 

「す、すみません。失念していました」

「全く、ちょっと優しくしたらすぐ気を抜くんだからっ。ほら、早くスタジオに行くわよ」

 

「あの、その」

 

 

 彼は突如現れた少女に首根っこを掴まれそのまま消えていった。

 

 

 

「な、なんだったの……?」

 

 

 

 

 奇妙な出会いだった。

 

 僅かな時間であったが私は控えめに言って混乱している。

 

 

 先程の男のこと

 

 家のこと

 

 彼のこと

 

 私のこと

 

 

 

 

 私の中にはある種の葛藤が巡っていた。

 

 

(彼は夢を追う為に将来を捨てた。なら私は? 私は捨てれるの?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私のミスで撮影が遅れてしまってごめんなさい!」

 

 水瀬さんに連れられスタジオに戻ると早坂さんが開口一番に謝罪した。

 

「機材の不調は仕方がありません。スタジオの使用時間もまだありますので気になさらないで下さい」

 

「そうよ、謝る暇があるなら早く撮影を始めましょ」

 

 

「う~お二人ともありがとうございます。それでは武内さん! 撮影開始しましょう。撮影衣装に着替えますか?」

 

「……いえ、ありのまま(スーツ)で大丈夫です」

 

 

「……大丈夫? 最悪、無理に今日撮らなくても大丈夫だと思うけど」

 水瀬さんが少し心配そうに問い掛ける。屈辱とは感じない。むしろ、私を気遣うその気持ちはとてもありがたいと思う。思えば水瀬さんは言葉こそ厳しいが常に私を意識して発言していてくれた。食事に誘ったのも、笑顔が出来なかった私を思ってのことだろう。

 

 

「ご心配には及びません」

 

 

 

 

 私はとくに着飾るでもなく、カメラの前に立ち真っ直ぐに正面を見詰めた。

 

(水瀬さんは怒るでしょうが一回り年下の少女にここまで気遣われて結果を出さなかったら……男ではない)

 

 

 

「あっ、その表情いいですね! 1枚撮らせてください!」

 

 

 

 

 

「はい。ありがとうございます! 最初より良いショットが沢山撮れましたよ!」

 

 

「そうですか、よかったです」

 

「私も最近女の子ばかり撮っていたので男性の写真を上手く撮れるのか不安でしたけどこの写真ならきっと沢山の人に武内さんの魅力が伝わると思います♪」

 

「水瀬さん、いかがでしたでしょうか?」

 

 

「……ふんっ。少し誉められたからって調子に乗らないでよね!」

 

 

「はい、勿論です。私はまだまだです。これからも水瀬さん達に少しでも追い付けるよう頑張ります」

 

「なっ……ま、まぁそれなりに頑張ったんじゃないの。わ……悪くはなかったわよっ」

 

 

「ありがとうございます。水瀬さん」

 

「……伊織でいいわよ」

 

「え?」

 

「前から気になってたけどわざわざ水瀬さん水瀬さんなんて呼ばないで伊織でいいって言ってるのよ!」

 

 

「は、はぁ……その……ありがとうございます、い……伊……織……さん」

 

「……まぁ良いわ。他の皆も名前で呼びなさいよね」

 

「……努力します」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 撮影が終わりスタジオから出ると辺りを夕陽が照らしていた。

 

 

「伊織……さん。帰りまし……」

「奇遇ね。アイドルさん」

 

 振り返ると先程公園で出会った女性がいた。

 

 

「あら? 黒川さんじゃない」

「お久しぶりですね、水瀬さん」

 

「伊織さん、お知り合いなのですか?」

 

「えぇ。家のパーティで何度かね」

 

 

 伊織さんのご実家のパーティに出席していると言うことは彼女もそう言った人なのだろうか? 

 

 

「……私、別れてきたわ」

「え?」

「たった今、彼と別れたわ。もう家に帰れないわね」

 

「ど、どういう……」

「そのまま聞いて頂戴。私も貴方に倣ったのよ」

「はぁ……」

「今のままの私の将来なんてたかが知れるし私が望んだ将来じゃないわ。婚約解消よ。すっきりしたわ」

「だ、大丈夫なのですか?」

「大丈夫なわけ無いでしょう? 電話越しの父はもうかんかんよ。彼や彼のご両親にも最悪に失礼だし、なにより方々に婚約の事はもう伝えてたから後始末の事を考えると頭が痛いわ」

 

「そ、それは……気まずいですね……」

 

 彼女は私を見つめる。

 

 

「貴方のお陰よ」

 

「……まだよく状況が掴めませんが貴女が望んだ結果ならそれで……」

 

「勘違いしてもらっては困るから言っておくわ。私、怒ってるのよ」

「え?」

 

 予想外の返答に思わず疑問の声をあげる。

 

「私にあれだけの辱しめをしておいてそのままなんて私のプライドが許さないわ」

 

 

 辱しめ? 辱しめとはいったい……ひょっとして先程の公園でのやり取りだろうか? 

 

 

「そ、それにつきましては」

「絶対許さないわよ。覚悟しなさい」

 

 

 はっきりと言われた断罪の言葉に喉がひきつる。これでは何やら勘違いされてしまう。

 

「あの……」

 

「必ず貴方を見返してあげるわ。そして今日の非礼を心から後悔して貰うわ」

 

 

 

「ちょっとあんた! 黒川さんに何したのよっ!」

「いえ……決してやましいものではなくて……その……」

 

「ふふ♪ 安心して水瀬さん。私の中に無理矢理入って来て散々好き放題したのは怒ってるけど感謝もしてるわ。新しい悦びを感じられたからね」

 

 

 

 なんのフォローにもなっていない気がする。

 

 

 

「呼び止めてごめんなさい。貴方には仕事があるのでしょう。アイドルのね」

「は、はい。あの……貴女はこれから?」

「さあ?」

「さあ? ……って、本当に大丈夫なのですか?」

「だって本当に分からないんですもの。それが自由と言うものでしょう? 大丈夫よ、自分の面倒くらい自分で見れるわ。それに私、今とっても幸せよ」

 

「幸せ、ですか?」

 

「だってそうでしょう? 私をここまで夢中にさせたのは貴方が初めてよ、逃がすわけないわ。絶対に……ね」

 

 

 ゾワリと背中に寒気が走った。

 

 

 

「…………改めまして、私は武内と申します」

 

 

「あら、そう言えば私、名乗ってなかったわね。私は黒川千秋よ。よろしくね、武内さん♪」

 

 

 

 かくして私の宣材撮影は終わった。

 他にもいろいろ終わってしまったような気もするが兎に角、終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は全てを捨てた

 

 はっきり言って現状は言葉以上に深刻だけど私の心は穏やかだった。長年の重石が取れたように軽やかな気分だ。

 

 彼に私の気持ちを伝えるとみるみる困った表情になった。意外と可愛らしいと感じてしまう。だがここで優しくするつもりはない。

 

 

 

 

 

「復讐は蜜より甘い……。覚悟しなさい。貴方を見返すまで、私は一生付きまとってあげるわ。ふふ♪」

 

 

 

 一人の女性が笑みを浮かべて、夕焼けの町に消えていった。

 

 




他にも登場させたい346アイドルが居ますが私の趣味なのか皆クールで二十歳超えになってしまい只今修正中です。


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夢の中

ようやくリアルが一段落と思いきや新たな用事がポコポコ沸いてき人生の儘ならなさを感じる作者です。


「それでは今回の○○芸能プロダクション主催、アイドル発掘オーディションの合格者を発表します!」

 

 ハイテンションな司会がマイクを握り締め会場全体にこだまするように叫ぶ。そこにいならぶ少女達は全員が緊張し祈るように司会を注視していた。

 

「合格者は~~~~~~○番! ○番の方です!」

 

 司会者の口から合格者の発表が発せられると多くの少女達が落胆の声を上げた。中にはその場に踞り涙を見せる者も居た。

 そしてその中でただ一人栄光に輝いた少女は歓喜と戸惑いが混在した表情で壇上に上がった。

 

「おめでとうございます! 合格の貴女には○○芸能プロダクションとの専属契約の権利が与えられます。どうしますか?」

 

 司会の質問に少女は動揺を隠しきれない様子で語り出した。

 

「あのっ……その、私……受かるって思ってなくて……発表を聞いたときは何かの間違いなんじゃないのかって思いました。でも……本当だって気付いて……すっごく不安で怖いですけど、こんな私でよかったら……ぜひ! デビューさせてください!」

 

 少女は感涙を流しながら声を震わせ思いを告げた。皆、拍手で彼女の決意とこれからの健闘を祝っていた。彼女の明るい未来を信じて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……夢……か」

 

 

 私はオーディション会場の控え室で目を覚ました。部屋の中は誰も居らず私一人だった。今日はオーディション当日、私もエントリーしていた。この日のために毎日レッスンを遅くまでやり続けて本番に挑んだ。

 

 

 

 

 

 結果は不合格。

 

「それではこれにてオーディションを終了します。合格者以外の方はもう帰ってもらって構いません」

 

 あまりにもあっさりとした言葉。この日のために頑張ってきただけにショックで控え室の椅子で落ち込んでいた私は連日のレッスンの疲れが一気に襲ってきてつい寝てしまったようだった。私は目を擦りながら体を伸ばす。そして今見ていた夢に思いを馳せていた。

 

 

 

(随分懐かしい夢だったわ……ほんと……懐かしい)

 

 

 あれは今の私の原点、人生の原動力、輝かしい幸福の時だったわ。今でもあの時の感覚は覚えている。あの時はいきなり周囲から注目されまるで自分がお姫様になったようで、嬉しかった。これから人生が変わると思った。結果的に、私の人生は変わった。

 それが私にとって良い変化かは別に。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーあ、最悪ぅ。なんであんな娘が合格して私達が落ちるのよ」

 

 

 誰かの声が控え室の外から聞こえてきた。

 

「見る目が無いんですよ。××プロダクションはそこまで大手でもないですし、底が知れますよ」

「やっぱり今時は961や346や765とかじゃないと売れないよね~」

「346や961はともかく765はほとんど大規模なオーディションは行わないので門は狭いですからね」

「つーか346も、346で厳しすぎるよ~。何回選考するんだよって感じー」

「母数が多いので絞るのも大変なのでしょうね。大体は二次や三次選考で落とされるらしいですが」

「あーあ、早く私たちも星井美希や城ヶ崎美嘉みたいな可愛いアイドルに成りたいな~」

「そうですね。私は如月千早や高垣楓のような歌唱力のあるアイドルに成りたいですね」

 

「それよりさぁ、ねぇねぇ見た? あの人、また来てたよ」

「"まだ"の間違いですよ。いい加減そろそろ現実見るべきですね、あの人」

 

 

 ドキッと私の心臓が跳ねた。

 

 

「アハハッだよね~。なんかもう痛々しいよね~」

「昔デビューしてたらしいですよ、彼女」

「嘘っ、私全然知らないんだけど?」

「ま、その程度の人気だったんでしょう。実際直ぐにポシャって消えたらしいですし」

「うわ~一発アイドルかぁ悲惨~、ああは成りたくないよね~。あの人も見た目は美人なんだから結婚とかすれば良いのにね♪」

「全くですね。今更アイドルなんて私達の邪魔なだけです。彼女にとっても人生の無意味な浪費です。早く気付けば良いのに」

「どうせ、アイドルやってた頃の感覚が忘れられないんでしょ。みんなチヤホヤしてくれるしね」

「大方そうでしょうね。哀れな人です」

 

 彼女達は口々に陰口を叩いていた。そこに遠慮なんて無かった。

 

「この前の346のオーディションにも落ちたらしいですよ。一次選考で」

「アハハッ、そりゃそうだよ。私達だって三次選考で落とされたんだからね。てゆーか、一次選考って……」

「書類審査ですね」

「やっぱり? まあ審査員だってお馬鹿さんじゃないんだから年増のアイドルなんて要らないよね~」

「見苦しいですね。十代の私達に混ざってなんて、恥ずかしくないんでしょうか?」

「そんな羞恥心あったらとっくに辞めてるって。っていけなーいもうこんな時間。電車遅れちゃうよ。早く着替えて帰ろう?」

「そうですね。そうしましょう」

 

 少女の片割れが急いで扉を開けると小さな悲鳴を上げた。部屋の中には少女達がたった今話題に挙げていた女性が居た。

 

「…………」

 

 それはもちろん私のことだが……。

 

 

「は、服部さん……あ、はは……ひょっとして……聞いてました?」

「…………なんの事? 私、疲れて寝ちゃって、たった今起きたところよ。何かあったの?」

「な、なーんだ。あはは……何でもないですよ? それじゃ私達レッスンがあるんで~」

「オーディション、次は受かると良いですね」

 

 見え透いた取り繕いとお世辞をは言い残して二人の少女はそそくさと着替えて控え室から出て行った。

 

「…………」

 私はその姿をじっと見続けていた。

 

 

 

 彼女達の姿が見えなくなった後、私は壁にもたれ部屋の天井を眺める。

 

 

(もう怒りも感じない……だって、本当の事だから……)

 

 

 彼女達の言っていた事は酷い中傷だけどそれほど間違っていない。

 

『アイドルに成りたい』

 

 ほんの僅かな時間だったけど……もう一度あの場所へ戻りたい。その思いで今日まで必死になって努力し続けた。

 努力なら誰にも負けない自信がある。さっきの娘達とは比べようもない量と質の汗をかいてきた。実力だってさっきの娘達になんて全く負けていない自負がある。

 

 だけど現実は残酷だ。レッスンをすればするほど、オーディションを受ければ受けるほど、痛感する……私に才能が無いことを……。

 私がアイドルだった時に出会ったアイドル達、そして現在活躍しているアイドル達を見ても分かる。みんな私には無い才能を持っている。私があの年代の頃にあれほどの歌を歌えただろうか? あれほどのダンスを踊れただろうか? 

 なによりあれほどの歓声を集められたのだろうか? 

 

 

 無理だ……あの時の私にそんな実力も才能も無かった。

 

 

 それに今は才能だけが問題じゃない。

 もう何年も前から若い娘達に体力で勝てなくなってきたと感じている。技術では負けるつもりは無いが若さ故の爆発力や勢いには負けてしまうことも事実だった。

 

 昔はそれを認めたくなくてより努力を重ねた。年齢で衰えるものがあるならと技術を磨いた。ボーカル、ダンス、ビジュアルのレッスンを行ってきた。誰よりも。絶対に努力は裏切らないと信じていた。がむしゃらだった、周りの忠告なんて気にせず突っ走ってきた。

 

 

 

 そして気付いたら25歳になってた。

 

 

 

 私は未だ、アイドルに成れない。とっくに私のプライドはボロボロで、もう夢を見てはいられない歳だ。夢を叶える為と耳障りの良い言葉で今までごまかし続けていた自分の将来、家族、生活、これまで思考の隅に押し込んでいた色々な考えたくないものが、いよいよはち切れそうに膨らみ限界になっていた。

 

 今年が私のラストチャンスだった。

 

 今年で芽が出なかったら今度こそ……諦める。その覚悟を私は持っていた。

 だから、中傷に一々傷付く暇はない。レッスンを頑張りオーディションに受かりアイドルに成らなければならない。

 

 

(……けれど、……けれど私と言う人間をどれだけ肯定的に評価しても、端から見れば……いい歳にもなっても未だにアイドルを目指している痛い女だ)

 

 

 先程のような中傷はもう慣れた。けれどいつまでも結果を出せずに時だけがただただ流れるのは、じわじわと私の心を削いでいくようで日増しにイライラが溜まっていた。

 

 

 

「……私も帰ろ」

 

 

 

 

 私は私服に着替え駅へと向かった。まだ辺りは明るく、多くの若者が思い思いの目的で町を歩いていた。その道中、様々な広告が目に入ってきた。そこには今をときめくアイドル達がそれぞれの個性を出し商品を、そして自分達を宣伝していた。八つ当たりなのは自分でも分かるがはっきり言って見たくも無かった。

 そんな中、大通りのショーウインドーに大きく貼られた広告を目にした年頃の少女達が道の真ん中で騒いでいた。

 

「ねぇねぇ♪ あのポスター見てよ。城ヶ崎美嘉だよ!」

「ほんとだ~やっぱり可愛いよね。私も髪の毛染めよっかなぁー」

「アハハ♪ じゃあ私は美嘉ちゃんが持ってるコスメ買おっと」

「あ~私も私も~」

 

 流行りのアイドルに影響されそのアイドルの持っている商品を買おうとする。彼女達は見事に城ヶ崎美嘉を起用した企業の戦略に嵌まったようだ。

 

『城ヶ崎美嘉』

 

 ド派手なピンクの髪にこれまたド派手な衣装を身に纏った346プロのアイドルだ。私には理解できないファッションだけど若者からはカリスマギャルとして少し前から注目を集めている。確かにビジュアルは可愛いけどあのファッションセンスでどうして人気が有るのかはやはり理解できない。……私も年をとってしまったのか……そんなことを考える自分に嫌気がする。

 

 

 

 ちょうどスクランブル交差点に差し掛かり信号が変わるのを待っていると、辺りで最も大きなビルの液晶画面に今最も注目されているアイドルが写っていた。  

 

 

「高垣……楓」

 

 

 人気モデルからアイドルに転身してそこでも人気を博している異例のアイドル。近頃は雑誌やテレビでも引っ張りだこのようでアイドル業界に新規参入した346プロの経営方針を不安視する声を一蹴させた346プロアイドル部門のエースだ。

 

(たしか私と近い年齢だったはずよね。だけどあっちは皆の人気者、私は崖っぷちの元アイドル、彼女と私、何が違うの? もう成功している仕事を1度捨ててまでアイドルに成るなんて……どうしてそんなことが出来るの? 私なんて……私なんて……)

 

 

 暗い気持ちに沈んでいると、信号が青になっているのに気付きあわてて周りの動きに加わる。私は高垣楓の液晶画面を見ないように視線を落とすが、よく周りを見るとそこらかしこに高垣楓の宣伝広告があり笑うしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 最悪な気分で私は通っているレッスン教室にその足で向かった。休んでいる暇など私には無い。最低で最悪だが今は一刻も早く気持ちを切り替えてレッスンに励むことだ。

 

 

 

「遅れてすみません」

 

 私はトレーナーさんに謝罪しレッスン室に入ると、ふと、見慣れない人物が視界に入った。その人物、彼は私同様動きやすい格好でトレーナーさんの横に立っていた。私やトレーナーさんより遥かに大きい。

 

(……新しいトレーナーかしら? それにしても大きいわね)

 

 私に気づいたトレーナーさんが横の彼について説明した。

 

「服部さん、良いところに来ましたね! 紹介します。今日からここで服部さんと一緒にレッスンをする武内さんです。服部さんも先輩なので色々教えてあげて下さい!」

 

 

「……え?」

 

「宜しくお願い致します、服部さん。色々と勉強させてください」

 

 

「え? え?」

 

「それじゃ、先ずは基礎からいきましょうか。服部さんには悪いですけど、武内さんは新人だから最初は付き合ってあげて下さい!」

「ご迷惑をお掛けします」

 

「え? え? え?」

 

「頑張って鍛えましょうね!」

「はい、もちろんです」

 

「……えぇ?」

 

 

 私の未来は依然、不透明だ。そして今日は更に、霧が出てきた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃじゃーん! どうですか武内さん。よく写っていますよ♪」

 

「まぁ本当。渋いイケメンさんですね」

「まことに武内殿の良さが表れていると感じます」

 

 

「……ありがとうございます。皆さん」

 

 私は事務所のパソコンで765プロのホームページに掲載されている"私の"画像を見つめていた。それは新たなる765プロ所属アイドルとして、社長の指示で小鳥さんが作成した私のプロフィールだ。そこでは私の姿がホームページに大々的に掲載され詳細なプロフィールが掲載されている。使われている写真は先日765プロ専属カメラマンの早坂さんに撮影して貰った写真だ。

 

 

 プロフィールには私が元346プロプロデューサーであることが載っていた。

 

 

 当初、私が元プロデューサーであることを公表することを躊躇っていた。彼女達と過ごした時間をいたずらに詮索されたくはなかったからだ。

 そんな私を諭してくれたのは高木社長だった。

 

『武内くん。誰にでも隠したい過去はある。だが君も分かっていると思うがこの仕事をする上では隠し事は必ず暴かれると考えた方がいい。ならばいっそのこと最初から此方で公表することが一番だ。大丈夫だ、何かあっても765プロと言う名の盾が君を守ろう』

 

 

 高木社長の説得によって私は退職の経緯をプロフィールに公表することにした。

 己の力不足を感じ会社を退職しその後高木社長に出会いデビューと言うのが私のプロフィールの内容だ。

 

 さすがに彼女達との詳細なやり取りは私だけの一存では掲載できなかったが大まかな流れは語れた。それだけでも私としては勇気がいる行為だったがとにかく語れたことは私としてもどこかスッキリした気持ちになれた。

 

 

 影響はすぐに表れた。

 公式に765プロとして私のデビューが告知されたことによって少なからず業界もざわついたのだ。

 あの765プロがアリーナライブでバックダンサーを担当したアイドル候補生とは別に、新たに男性アイドルをデビューさせたと聞けば誰でも気になる。業界人なら尚更で同業種ならば新たなライバルの誕生と当然警戒する。私だって研究する。あの765プロが才能の無いアイドルをデビューさせる筈が無い、と。 

 

 

 実際の私はただの新人アイドルなのに……。

 

 

 

 かくして私は不本意ながらも実力以上の過大評価をされ今に至っている。もし肝いりの男性アイドルが大したことの無いアイドルだと知られればそれだけで765プロの経営方針が疑われてしまうことに繋がり延いては765プロ全体に迷惑をかけてしまうことになってしまう。

 しかし残念ながらそれは事実であり、私のアイドル経験など皆無に等しく実力もEランク以下の素人に毛が生えた程度の実力だ。そんな私が業界をざわつかせていると知り最近少し憂鬱気味でいつ私が素人のアイドルだと世間に露見しないか胃が痛かった。

 

 

 

 私の事をホームページで公式発表する前、高木社長に私の不安を正直に打ち明けると、

 

 

 

 

『ならば実力を付ければ良いのだよ!』

 

 

 

 と、高木社長に言われその日から765プロのレッスン室でみっちりレッスンを行うことになった。

 なんとその際は、765プロの皆さんがレッスンの講師を担当してくれた。

 ボーカルはあずささんや千早さんが、ダンスは響さんや真さんが、ビジュアルは美希さんや雪歩さんがわざわざ私のために僅かな筈の空いた時間を使ってレッスンを指導してくださった。そんな765プロの皆さんのおかげもあり、私の現在のアイドルとしての実力は当初とは比べようもなく上達した。腹式呼吸やステップの基本も覚え、歌やダンスも簡単なものなら一曲通せるようにもなり私自身確かな手応えを感じられるようになっていた。

 

 

 

 

「武内さんを取材したいと各雑誌社や新聞社、それにテレビ局からもオファーが来てますよ。すごいですね♪」

 

「取材ですか……しかしまだ仕事と呼べる仕事もしていないのでほとんど話すことが無いのですが……」

 

 これが私の現在の一番の悩みだ。確かにそれなりの基礎は身に付けた。しかし私は未だ一般のお客様の前に出るような仕事をしていない。これまでにした仕事と呼べるものは伊織さんとの撮影だけであり、それ以外はほぼレッスン漬けだった。しかもその撮影自体宣材撮影の為であり765プロから支出しか生み出さないものであるから今のところ私は765プロに負債しか与えていない。現在も芸能界で大人気の765プロのトップアイドル達の時間はまさに価千金の価値がある。その彼女達からの直接レッスンなど費用換算すればとてつもない投資が私にされていることが元プロデューサー故に嫌でも子細な計算ができてしまう。

 

「いいじゃないですか。皆さん武内さんのことが知りたいんですよ」

 

「みう……あずささん……やはりまだ実感が湧きません。そもそもこの仕事のオファーは私の力ではなく皆さんのおかげがほとんどです。正直……複雑です」

 

 

 2番目の悩みは何度も言うが私に対する世間の評価だ。

 

 ある雑誌では『あの765プロから新たなるアイドル誕生! しかも初の男性!! 男性アイドル業界一強の315プロに対する刺客となるか!?』

『765プロからの新たなるトップアイドルの誕生の予感、ポストジュピターと成りうるか!?』

 

 と、雑誌らしく誇張的な表現ながらも私や765プロに期待する記事が多い一方で、

 

『新765男性アイドルの今後を辛口大胆予想! 自社先輩トップアイドルにおんぶにだっこで成功は安泰!?』

『765迷走! か? 安易に男性アイドルに手を出した代償はいかほど!?』 

 

 など懐疑的や中傷的な記事も少なからず見受けられた。私に対する批判ならば幾らでも堪えられるが私のせいで高木社長や765プロの皆さんまでも面白可笑しく記事にされるのは申し訳ない気持ちで一杯だった。

 それに記事の内容もあながち間違っていない。私に対する取材と言ってもそれは私の実力ではなくあの765プロからデビューした初の男性アイドルだからだ。私自身の力など何処にもないと正直なところ感じている。

 

「よろしいでしょうか? 武内殿」

「……貴音さん」

 貴音さんが真剣な面差しで私に近づいてきた。

 

 

 

「武内殿の戸惑いも分かります。私自身、確かに己で勝ち取ったものにこそ価値があると考えています。ですが今は堪える時。どんな形であれ、仕事には誠実に努めあげなければなりません。それに……」

 

「それに……何でしょう、貴音さん?」

 

「武内殿は決して己の力を過信せず、この状況にも舞い上がらず冷静に己を見つめています。それは素晴らしい美徳と言うものです」

 

「美徳など……実際に実力が無いだけですよ」

 

「いいえ、私はそうは思いません」

 貴音さんはパソコンに写るホームページ画面を指差した。

 

 

「このほぉむぺぇじに写っている写真からは、武内殿の覇気が伝わってきます。アイドルに真摯に打ち込んでいるその意気込みが。見るものが見れば分かる確かなものです。此度のおふぁは、決して私達だけの力ではありません」

 

「貴音ちゃんの言う通りよ。武内さんだってアイドルとしてしっかり力を付けているんですよ。それはちゃんと周りに伝わっていると思いますよ」

 

765(うち)としても取材全部は受けられないので此方で幾つかピックアップしておきます。大丈夫ですよ。変な所の取材は事前にお断りしましたから」

 

 

「皆さん……分かりました。取材、頑張ります」

 

 

「そうと決まればレッスンをもっと頑張ってどこに出しても恥ずかしくないアイドルに成らなければな!」

 

 

「社長、いつのまに?」

「先程戻ってきたのだよ。そんなことより武内くん。取材までは少し期間がある。その間武内くんのアイドルパワーを更に向上させるために765プロ以外のレッスン教室に通いたまえ!」

 

「と言うと外部のアイドルスクールでしょうか」

 

 

「うむ。やはり身内だけではどうしても甘えが出てしまう。ここは思いきって大海に出ようじゃないか! 既に準備は万端だ。さっそく明日から行ってくれたまえ」

 

 

 いつも思うが高木社長の行動力はまさに疾風迅雷の如くだ。即断即決はリーダーシップに必要な要素だと分かっているがこの力が765プロを一躍有名にした経営手腕なのだろうか? 

 

「分かりました。765プロの名に恥じないよう頑張ります」

 

「そしてだ。何事も本番のために練習がある。武内君、君のデビューライブが決まったよ!」

 

「ライブ……ですか?」

 

 私はいつか来るであろうと思っていたライブの名に体が強張る。

 アイドルとして活動するならばライブは必須のイベントだ。新人アイドルの課題は当然ながらファンを増やすことだ。大手であろうが零細の芸能プロダクションのアイドルも、初めは小さな仕事からコツコツとファンを増やしていかなければならない。その中でライブと言うのはアイドルの魅力をダイレクトに観客に伝えられるためファンの増加に繋がりやすい。しかしその逆もまたしかりであり失敗すればファンの減少にも繋がる諸刃の剣だ。

 

「場所はどちらでしょうか? 新しく建設した765シアターですか?」

「いや、それも当初は考えたがシアターアイドル達にとっても大事な時期でね。劇場はシアターアイドル達に優先させることにしたのだよ。だが安心したまえ。劇場に負けない武内君の初舞台を用意した!!」

 

「ちょっと社長! 私も聞いてませんよ~?」

「つい先程決めたからね小鳥君。後で手続き頼むよ」

「も~勝手なんですから~」

 

「あの……それで……場所は?」

 

「おお、そうだった。武内君の初ライブ会場は……」

 

 私は固唾を飲んで高木社長の言葉を待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「その名も……降郷村夏祭りライブだ!!」

 

 




またもやクール。もっとハピハピしたほうがいいのだろうか?
よし、次はクールにしよう(錯乱)


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夢の続き

COOL!


「武内さん。こっちの人は服部瞳子さん。あなたの先輩になる人です」

 

「よろしくお願いします。服部さん」

 

「…………よろしく」

 

 

 

 高木社長が紹介してくれたアイドルスクールは意外に小さな所だった。トレーナーは目の前の彼女一人であり私以外の生徒も服部と言う人だけらしい。トレーナーさんは高木社長とも知り合いのようで今回私をよろしく頼むと高木社長に頼まれたらしい。この場所も恐らく私がレッスンに集中出来るように敢えて大きな養成所にはしなかったのだろう。

 

「高木社長にはお世話になりましたけどレッスンでは手を抜きませんから覚悟してくださいね!」

 

「はい、もちろんです。よろしくお願いします」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すごいですね、武内さん! 初心者なのにもうこんなに基礎が出来てるなんて!」

「いえ、先生や服部さんに比べればまだまだです」

 

 レッスン教室に通い始め数日が経過した。

 

 

 ダンスや歌の基礎をウォーミングアップとして行ってみるとやはり先生のレベルの高さが分かる。さらに服部さんと言うもう一人の生徒もレッスン歴の長さを差し引いても明らかに私以上、それもかなりのレベルの実力を持っている。

 確かに社長の言う通り765プロだけでは味わえない経験だ。

 それに、

 

 

「そうね、まだまだよ。さっきのステップもワンテンポどころかツーテンポ遅れていたしその後の流れも本来のテンポからズレてたわ。歌も課題曲のキーを何度も外してたし大きな声出せば良いってものじゃ無いのよ。こんな実力じゃいくら765プロのアイドルだって直ぐに人気なんて無くなるわよ」

 

 

 それに何より共に学び会う間柄と言うのは親近感が湧き私のモチベーションを高めていた。さらに服部さんの厳しいながらも的確なアドバイスは私にとって大変参考になっていた。

 

 

「はい。ありがとうございます。次は必ず修正します」

 

「…………そう。なら次は気を付けてね。武内さん」

 

 

「服部さんの基礎はほぼ完璧なので武内さんも是非参考にしてあげて下さい!」

「はい先生。服部さん、勉強させてもらいます」

 

「……言っておくけど私遊びでやってないの。あなたのレベルに合わせる気は無いわよ。どうしても教えて欲しかったらあなたが私のレベルに合わせてちょうだい」

 

「分かっています。ご迷惑は掛けません」

 

 

「……ずいぶん張り切ってるのね」

 

「はい、近々ライブがありますので」

「っ……そ……そう。ならこんなレベルじゃお客さんに失礼よ。止めるなら早めに止めたら?」

「服部さんの言う通りもちろん今のレベルではとてもステージには立てません。だからこそ、私はレッスンを通して自らの実力を高め、ステージに立つだけの資格を獲ます」

 

 

「……そう」

 

 武内君は真っ直ぐな瞳で決意を語った。私はその瞳から目を逸らした。

 

 

 

 

 

 

 

(嫌な女よね……私)

 

 我ながらなんて小さな人間なのだろうか。

 武内君に対する私の態度は明らかに敵意に満ち、高圧的で、端からは後輩イビりをしているように見えるだろう。実際その通りだけど。

 原因は分かっている。嫉妬だ。

 聞けば彼はアイドルのレッスンを始めて半年も経っていないという。そんな短い期間で彼はあの765プロにスカウトされ今や雑誌やネットで話題の新人アイドルとして騒がれている。更には近々ライブも有るという。

 

 対する私は先輩とはいえ正確には今現在アイドルではないしオーディションも連戦連敗、十代の頃なら未だしも今は街中を歩いたところで精々水商売かいかがわしい仕事のキャッチしか声が掛からない。ライブなど夢のまた夢の話だ。だからこそなのだろう。目の前で実際に起こっている彼のシンデレラのようなサクセスストーリーに私は激しい憎悪と嫉妬を抱いていた。

 

(妬み嫉みで辛く当たるなんて私は女子高生か……どうかしてる。これじゃ本当に救いようが無いじゃない……)

 

 彼にとっては全くもって理不尽な話であり私もやってはいけないと思っているが、どうしても彼の未熟な姿を視ているとイライラが募ってしまうのだ。

 

 今をときめく765プロからスカウトされたこと。

 それなのに私より劣る実力でありながらアイドルとしては私の一歩も二歩も先にいる現実。

 

 

 武内君を擁護すれば全く見込みが無い訳ではない。私から見ればおざなりなレッスン内容でもそこには彼が秘めている確かな才能を感じた。765プロの名は伊達ではないということだろう。

 そんなところも腹が立ち、彼がレッスンで初歩的なミスをする度に一瞬殺意にも似た感情が芽生えては消え自宅に帰り独り反省を繰り返す、そんな酷い日々がここ最近続いていた。

 

 

 

 

「服部さん。今の歌の所、少し聞きたいことが有るのですが……」

「え……ど、どこかしら? 私、忙しいのよ」

 

 彼の態度も私を悩ませた。

 

 これで彼が才能や立場を鼻に掛ける嫌な男なら私もここまで気に病まなかった。けれど彼、武内君は善良だった。

 私の半ば嫌がらせの混じった指導も彼は今日まで何の不満も上げずにむしろ私に感謝をしながら私の指導に素直に従ってくれている。

 そんな彼の純粋な姿勢が私を更に罪悪感で苛めた。

 

「お時間は取らせません。先程の課題曲なのですが私はどうやっても途中で息が途切れてしまって……、服部さんはどうやって息を続けられているのですか?」

「……腹式呼吸は出来るわよね?」

「はい。一応ですが」

「結構最近覚えたでしょ?」

「その通りです。確かに腹式呼吸は最近覚えました」

「やっぱりね。あなた、色々とテクニックは身に付けているけど基本がまだまだ。基礎練習の時間が足りてないだけよ」

「そ、そうだったのですか……すみません。くだらない質問をしてしまいました……」

 

 武内くんはしゅんと落ち込んでしまった。私は申し訳なさそうに肩をすくませ伏し目がちになっている彼の姿に更なる罪悪感を抱くと共にほんの少しばかり母性をくすぐられた。

 

「ま、まぁ短時間でここまで来たのは流石よ。よっぽどあなたの先生が上手いようね」

「は、はいっ。そうなんです。千早さんはとても素晴らしいアイドルでしてその歌唱力も本当に勉強になりました!」

 

 なるほど、あの如月千早が先生なら初心者と言っていた武内くんがそれなりの歌唱力を持っている訳も分かる。私も教えて欲しいくらいだ。

 

 それよりも私が少し武内くんをフォローすると彼はパァと笑顔になり物静かな普段とは打って変わり饒舌に語り出した。

 

 武内君は同年代の男性と比べ非常に落ち着いている。プライベートとビジネスを器用にONOFFを切り替えている人はいくらでもいるけど彼はあの態度が通常であり私やトレーナーさんにも常に敬語を使っている。そんな彼だけどもこと765プロのアイドルに関しては途端に饒舌になる傾向があった。今もいかに如月千早が素晴らしいかを聞いてもいないのに、見たこともない笑顔で私に語っていた。

 その笑顔に思わず母性本能をくすぐられたが私は顔には出さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日私はいつものレッスン教室に向かわず765プロの応接室の椅子に緊張した面持ちで座っていた。

 本日の私の予定は吉澤さんと言う記者の方の取材を受けることになっている。

 吉澤と言う名は私も少なからず知っている。業界でも優秀なことで有名な記者だ。彼の記事はスキャンダルで一時期メディアを自粛していた如月さんの独占記事を書き復帰の足掛かりに成ったほどであると私は考えている。だからこそ、優秀な記者とこれからインタビューを受けることに私は緊張していた。

 

 

 

 

「お待たせしました。武内さん」

 

 メガネをかけハンチング帽子を被った男性が入室してきた。

 

「初めまして。吉澤さん、今日のインタビューよろしくお願いします」

「此方こそ、今密かに人気の武内君をインタビューできて光栄だよ」

「人気、ですか?」

「765プロに加わった新たなアイドル。それも初の男性とくれば僕のような職種の人間ならどんなぺーぺーでも飛びつくさ」

「はあ……恐縮です」

「高木社長から聞いた通りだね。実に謙虚だ」

「今の私の現状は全て765プロの皆さんのお陰ですから」

「はっはっはっいいね。長いことこの仕事をしていると相手が嘘をついているか何となく分かる。君は本心で言っているようだ」

「はぁ……」

「それじゃ早速インタビューを始めようか。ボイスレコーダーの電源を入れるよ。構わないね?」

「はい、お願いします」

 

 

 

 吉澤記者のインタビューは多岐に渡った。何故アイドルの道を選んだのか、アイドルとしての目標は何か、好物は、好きなテレビ番組など多くの事を訊かれ答えた。

 

 

 

「はい、ではインタビューはこれで終わりにしようか。お疲れ様」

「お疲れ様でした。大丈夫でしたでしょうか?」

「実に面白いインタビューだったよ。いい記事が書けそうだ、期待していいよ」

「ありがとうございます」

 

 その言葉に私は安堵しほっと息を吐いた。インタビュー中は緊張で何を話したのかよく覚えていなかった。

 

「ところで高木から聞いたが降郷村の夏祭りでライブをするそうだね」

「はい、させて頂きます」

「そうかそうか。765プロの彼女達もあのライブで大きく成長できたからね。期待してるよ」

「はい、頑張ります」

 

 

 

 この日のインタビューはこれで終わった。吉澤さんの言葉で改めて降郷村夏祭りを成功させようと私は決意し、明日からもレッスンを頑張ろうと心に決めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はどんより黒い雲が出て雨が今にも降ってきそうな嫌な天気だった。だけどそんなことは私には関係ない。一分一秒も私は無駄にできない。

 

 

(アイドルになる為ならどんな努力も惜しまないわ)

 

 

「お疲れ様です。服部さん」

 

「……お疲れ様。昨日はレッスンに来なかったわね」

「はい、インタビューがありまして」

「っそう。大変ね」

「いえ、これもアイドルとして必要なことですから」

 

(何やってるのよ私。自分で墓穴掘って落ち込んで馬鹿みたい)

 

 

 

「服部さんはすごいですね」

「何、急に?」

 

 突然彼が私を褒めた。

 

「私は、自分の道を途中で投げ出した半端者です。それに比べて貴女は、夢を追い続けています。素直に貴方を尊敬します」

「物は言い様よ。私はただ諦めが悪いだけ。賢い人達はとっくに見切りを付けていったわ」

「そんなことはありません。私は貴女が愚かだとは思いません。アイドルに成ること、そしてアイドルであり続けることがどれ程難しいか私はよく知っています」

 

 

 その言葉は私の逆鱗に触れた。

 

「あのね! この際だからハッキリ言っておくけどあなたイラつくのよ! 何なの? 嫌味なの? いつもいつも私の前でアイドルアピールなんかして!」

 

(ああ、又だ。また武内君に嫌なことを言ってしまう。お願いだから私に話しかけないで)

 

「そんなことは……」

 

 

「だったらもう私に構わないで。私は忙しいの。人気だからって浮かれないで。いくらあの765プロのアイドルだからって成功が約束されていると思ってるの!?」

 

「……約束された成功は、私はないと思います」

 

(ああ、もう駄目だ)

 

「っっじゃあ! あの時! 私のプロデューサーが言ってくれた言葉は嘘だったの!? 絶対……絶対トップアイドルにしてくれるって言ったのに! 私っ……私……ずっとそれを信じて頑張ったのに……頑張ったのよ! 私は!!」

 

 今まで胸の中に溜まっていた黒い泥が一気に溢れてきた。こんなことを目の前の彼にぶちまけるのは理不尽と思いつつも止められない。

 

「みんな私に優しかった……プロデューサーも事務所の人達も……友達も……でも! 人気が落ちてきてっ、CDが売れなくて……歌わせてもらえなくて……周りがどんどん冷たくなっていって……」

 

 

 あの時、私の幸せは壊れていった。まるでやすりで削ぎ落とされるように徐々に。

 

「気付いたら、私っ……アイドルじゃなくなってて、ワケわかんなくて……信じてたのに……信じてたのに……」

 

 最早何を言っているのか私にも分からず止めることも出来なかった。

 

「どうせあなたも25にもなって夢見てる馬鹿な女だって思ってるんでしょ!? そうよ! その通りよ! 家族も生活も顧みないで好きなことばっかやってるクズよ!! でもっでもねっ! 私にはっ、もうこれしか無いのよ!? アイドルじゃない私なんて……それじゃあ私の人生何だったのよ!!」

 

 外で降り出した雨の音が聞こえてくるほどの沈黙がレッスンルームを支配した。

 

 私は怒りによる血圧の上昇で思考がぼんやりとする。ずっと心に抱えていた全てを吐き出してある種の爽快感を感じていた私だが、すぐに冷静になり青ざめた。

 

「あ、あの武内さん。ごめんなさいっ、私……好き放題言っちゃって……」

 

 私は恥ずかしさで彼の顔を見ることが出来なかった。きっと呆れているに違いない。恐る恐る顔を上げると私をじっと見つめている。怒っているのだろうか。

 彼にしてみれば私はとんだヒステリー女だろう。こちらからちょっかいを掛けて突然怒って突然謝る。自分から見ても余りに情けなく酷い醜態だ。

 

「ごめんなさいっ」

 

 私はその場から逃げ出そうと彼に背を向けた。情けない限りだがこれ以上彼と一緒の場に居たくなかった。

 

 

「?」

 

 私の体が静止した。右腕を掴んだ武内君の手によって。

 

「離してっ」

「離しません」

「どうしてよ」

「貴女が私に似ているから……でしょうか」

「え?」

 

「聞いてくれませんか? 私がアイドルを目指した理由を」

 

 

 武内さんは私に全てを話してくれた。武内さんが元346プロのプロデューサーで新人アイドルの育成に失敗したこと。765プロのライブをみてアイドルになると決意したことを。

 

「だから私はアイドルになろうと思いました」

 

 

 

(いや、その理屈はおかしいでしょ!?)

 

 

 

 彼なりに精一杯私を気遣っていることは分かった。だけど私の心にあったのは感動とか感謝とかそういうのじゃなかった。

 

(なんでよ!? そこは普通プロデューサーに復帰する流れでしょ! 346辞めても765でプロデューサーデビューする流れでしょそこは!)

 

「私は気づいたんです。挫折することは人生の終わりではなくやり直すチャンスなのだと。それを教えてくれたのが765プロの皆さんで高木社長が……」

 

 私の心中など露知らず武内君は私を元気づけようと話を続けていた。

 

(武内君。もういいいよ。途中から個人名が飛び交ってわけ分からない……しかも褒めてるだけだし……)

 

「つまり私が言いたいのは、服部さんはまだまだこれからです。と言うことです」

(そうなの!?)

 

「……ふっ……ふふふっ……アハハハハ!」

「は、服部さん?」

 

「アハハ! あー可笑しい。こんなに笑ったの久しぶりね」

「な、何か可笑しいことを言ってしまったでしょうか?」

 

 武内君は先程までの真剣な表情からオロオロと困った顔になり心配そうに私に聴いてきた。その姿が余計に面白く、可愛く思ってしまった。

 

「くふっ、くふふふ♪ 負けよ負け。私の完敗。武内君には敵わないわ」

「あの、その」

 

「あなたの言う通り。恨み言言っても弱音を吐いても誰も助けてくれないのは私が一番知ってるわ。ありがと。嬉しいわ。本当よ」

 

 

「お疲れ様です! 武内さん! 服部さん!」

 

 元気なトレーナーさんが勢い良くレッスン室に入ってきた。

 

「ありゃりゃ? ひょっとしてお取込み中でした?」

 何を勘違いしたのかトレーナーさんは私と武内君を交互に見て頬を赤くしモジモジしだした。考えてみれば私の右手は未だに武内君の手の中だった。

 

「いえ、そんな、誤解です!」

「そうですよトレーナーさん。ちょっとお話していた所ですから」

「えへへ♪ そうですかそうですか。私は空気が読める大人なのでこれ以上は突っ込みませんよ」

 

(このトレーナー絶対勘違いしてるわね)

 

 

「おっとレッスンの前に服部さん、これを」

 

 トレーナーさんは手に持っていた封筒を私に差し出した。封筒の宛名を見るとそこには346プロと記されていた。

 

「これは?」

 

「見てる人は見てるってことですかね♪」

 

 私は封筒を開けるとそこには『346プロアイドル部門追加オーディションのお知らせ』と書かれた書類が入っていた。

 

「ウソ、これホントに?」

 

 思わず口に出てしまった。それだけの衝撃。もう一度チャンスが巡ってきたの? 

 

「少し卑怯な手かもしれませんが346の同期と話をしました」

「え?」

「書類だけでは分からない。輝くアイドルに成りうる存在がまだいると。誤解しないで頂きたいのですが服部さんの名前は一切出してはいません。トレーナーさんのいう通り誰かが服部さんの存在に引かれたからこそこのチャンスがやって来たと思います」

 

「誰かが私を……」

 

 私は信じられなかった。書類審査で落ちた私に目を止めていた人がいたなんて、お世辞にも優良物件とは言えない私に。

 

「私は、私に出来ることならば何時でも服部さんのお力になります」

「何言ってるのよ。もう十分力になってくれたわ。後は私が自分で頑張るわよ。アイドルになるんだからね」

 

「そうと決まれば特訓ですよ! 特訓! お二人ともバリバリ鍛えますから覚悟してくださいよー!」

 

「「はい!」」

 

 

(あーあ。殆ど燃え尽きかけてたのに、最後の最後にチャンスがやってきたわね。これで駄目なら……また頑張ろう)

 

 

 私はレッスンをしている彼に視線を向けた。

 

 

 

(一緒に頑張りましょう。私のアイドルさん)

 

 

 雨は上がり暗雲は晴れ、私の心に太陽が輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 暗い部屋の中でPCの画面だけが光っていた。カチカチとクリック音が響きあるサイトが表示された。

 

『765プロ降郷村夏祭りライブのお知らせ。今回は新人アイドル武内君も登場!!』

 

「えへ★えへへ★ごめんね。当日はお仕事でどうしても行けないけど応援してるよ~プロデューサー……うんうん違うね、武内きゅん♥️」

 

 部屋中に飾られたポスターや写真立てには一人の男性が写っていた。無理やりネットから取り込み引き伸ばしたやや不鮮明なその写真を部屋の主は日々の孤独を癒す存在として役立てていた。

 充血した目を見開き口角を引きつらせながら笑うその少女は自室のドアの隙間から二つの瞳が覗かれていることに気づいていなかった。

 

 

(……お姉ちゃん……武内きゅんって誰?)

 




COOL!PASSION!


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ステージの重さ

武内iが皆好きなようで嬉しいです


 レッスン教室での特訓も一旦終わり服部さんやトレーナーさんと別れると、今度は765プロ総出でステージ曲とダンスのレッスンが行われた。皆さん決して余裕は無いはずにも関わらず多忙な合間を縫って指導してもらい、そのかいあってなんとかギリギリ前日までに納得のいく出来映えに漕ぎ着けた。

 

 

 

「はい武内さん、そこでターン!」

「……ッッ!」

 

 そして今、765プロのレッスン室で律子さんと複数のアイドルの指導の下最終レッスンが行われている。

 

「足下ばかりに意識向けないで全身に気をつかって下さい!」

「はいッ!」

 

 律子さんの指導は苛烈を極めた。双海姉妹が律子さんは鬼軍曹だと称していたがそれは冗談でも誇張でも無かった。来る日も来る日もヘトヘトになるまで動き続け連日連夜自宅に帰ると疲労でベッドに死んだように眠った。

 

 

 

「はい、終了です」 

「あ……ありがとう、ござい……ましたっ」

 

「武内さん、765プロに来た頃と比べて随分成長しましたね」

「そーそー真美達が最初に見た時からだいぶレベルアップちたね」

「亜美達としては~笑いどころが減って残念ですな~」

「本当に上手くなりましたね。明日のライブも大丈夫ですよ、武内さん!」

 

 

「あ、ありがとうございます。は……春香さん」

 

 私が疲労でその場から動けないでいると、高木社長が現れた。

 

 

「さぁ! いよいよ明日は降郷村夏祭りライブだよ武内君!」

「はい……そうですね」

 

「元気が無いぞ武内君、いよいよ君の初ステージデビューなのだからね!」

 

 高木社長の言う通りここ数日の私は緊張の連続で胃が重たかった。昨日も連日のプレッシャーから逃れるために深夜まで自主トレをしていたため疲労が溜まっていた。

 正直なところかなり不安は残るがライブは待ってはくれない。

 

「ちょっとあんた! またつまんない顔してるわね! 言っとくけど私達が行けないからってくだらないライブやったら只じゃおかないわよ!」

 

「伊織! 余計なプレッシャーをかけちゃダメでしょ!」

「いえ、伊織さんの気持ちはもっともです」

 

 そうなのだ。今回の降郷村夏祭ライブは765プロと銘打ってはいるが全員参加は出来ない。

 

 考えてみればそれも当然のことだ。音無さん曰く、初めて765プロが降郷村で行ったライブはまだ竜宮小町すら世間に認知されていない時期だったため765プロ全員が出演すると言う降郷村の規模では考えられない超豪華ライブだったとのことだ。

 

 今年のライブも春香さん達としては参加したかったが、皮肉なことに765プロが躍進したことでスケジュールの都合上どうしても参加できないアイドルが出てしまった。

 

 今回参加できるアイドルは、

 

 天海春香さん

 秋月律子さん

 萩原雪歩さん

 

 そして私と言う少人数だ。

 

 元プロデューサーとしてこういう事態は大変悩ましいことだと分かる。

 

 昔からの馴染みの営業はアイドルのモチベーションを上げる大きな要因だ。それにこういったイベントはファンとアイドルが非常に近しい場合が多く人気の増減に大きく影響することもある。

 だがその他の営業も当然あるわけで、その場合はアイドル個人とも相談して受ける仕事を選んだりすることもあるが今回は非常に運が悪い。

 

 本来は喜ばしい事ではあるか他の参加できないアイドルの方々は皆ドラマの主演や特番生放送の収録、或いは他の馴染みの営業のオファーで降郷村を諦めざるをえなかった。

 

「皆さんの分も含めて、明日は頑張ります。765プロの名に泥は塗りません」

 

「ほらー伊織がそんなこと言うから武内が緊張しちゃったぞー」

「伊織は思いやりが足りないんだからなー。武内さん、明日は気楽に気楽にリラックスしていきましょう♪」

 

「なっ! む~~。わ、私だってあんたに頑張ってほしいだけなんだから……」

 

「すみません伊織さん。最後の部分よく聞き取れなかったのですがなんと?」

 

 

「うううっうるさいっうるさいっうるさい! とにかく頑張りなさい!」

 

 何故か怒られてしまった。

 

「はーい、そこまで。皆も明日は仕事があるんだから今日は早めに帰りましょう。武内さんは特にですよ」

 

 

 律子さんの言葉の後、明日に向けた簡単な打ち合わせを行い私たちは765プロを後にした。口々にかけられる激励の言葉に、私は内心の不安を押し殺しつつ笑顔で答えた。

 

 

 

 

 

 765プロから出た後、私は近くにある公園へと向かった。

 最近はこの公園で納得いくまで自主練をするのが日課になっていた。

 

 

 携帯の音楽ファイルから今回ステージで私が歌って踊る曲『エージェント夜を往く』を再生した。

 

『エージェント夜を往く』

 

 菊地真さんが主に得意とし765プロを代表する楽曲の一つでもある。

 当初高木社長は私専用の曲を用意するつもりだったそうだが765シアター建設に多額の資金を投資したため律子さんと音無さんからストップがかかり既存曲の中から男が歌ってもそれほど違和感が無い物と言うことでこの曲を歌うこととなった。

 更に今回は男である私の担当曲と言うことでダンスが男性仕様となりオリジナルのダンスよりも激しくダイナミックになっている。

 

 

「……っあ!」

 

 

(これで5回目の失敗……くっ!)

 

 

 だがステージ前日のこの日に限ってこれまではなんとか形になっていたダンスがまるで精細を欠いていた。

 

(何故だ? どうして? ……とにかくこんなことでは駄目だ。いっそ今夜は徹夜で練習を……)

 

 

 

 

 

 

「はぁ……やっぱり今日もやってるか」

 

 

 呆れ顔の律子さんがそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 私と律子さんは公園のベンチに隣どうしに座っていた。

 

「……いつから其処に?」

「うーんそうですね……ここ数日ずっとでしょうか」

 

「数日……ですか」

 

 驚いた。てっきり今日初めて私を公園で発見したと思っていたらまさか最近の自主練習の殆どを知られていたとは……。

 

「私、何度も言いましたよね。自主練習はほどほどにって。特に今日は体を休めてくださいって」

 

 律子さんの言葉は穏やかだったが口調は明らかに怒りが含まれていた。

 

「申し訳ありません。オーバーワークには気を付けていますが……その……どうしても不安で……練習すればそれも紛れると思ったのです」

 

 

 体力や筋力は日々の鍛練によって鍛えられるのは常識ではあるがやりすぎは反って非効率になってしまうことは現代でもようやく認知されている事柄だ。

 負傷し疲労すれば更なる回復と増強を繰り返す人の肉体にも限界がある。スポーツ科学では当たり前のオーバーワークの弊害。

 

 事実ここ最近は疲労が溜まり体の節々が軋んでいた。

 

(分かってはいた。……これが決して正しい行為では無いことを。自分を苦しめていることを。分かっていたことだが……)

 

 私は律子さんからの叱責を覚悟した。

 

「何て言うか……本当に真面目ですね武内さん。私にそっくり」

 

 律子さんはフッと砕けて笑いかけた。そこには怒りや失望と言うよりも別の感情が見えた。

 

「武内さん、私が最近になってからアイドル活動を再開したの知ってますか?」

 

「存じています。確か……以前まではプロデューサー業を優先して行っていたと」

 

「そうです。アイドルを目指すのはもうやめて別の道に行こうとしました。でも結局プロデューサーっていうアイドルに関わる仕事を選んじゃったのは未練だったんでしょうね」

 

 ドキりとした。自分もまた、プロデューサーを辞めてアイドルをしている。

 

「でもある日急にライブに立つ機会が来ました。最初は怖じけちゃって出ないつもりでしたけど前任のプロデューサーに上手いこと説得させられちゃいました。それで今の武内さんみたいに毎日練習漬けでこの公園でも一人で練習してたんですよ、私」

 

「この公園で、ですか?」

 

「そうなんです。偶然ってすごいですね。だからですかね、武内さんの今の気持ちは私、分かると思います。不安ですよね。いくら毎日練習しても、皆から励まされても、結局やるのは自分ですから」

 

「……はい。その通りです。もっと良い方法が何かあるんじゃないかとずっと考えていました。ですが、見つかる訳もなく、それで……」

 

「身体を動かして忘れようとした。分かります分かります」

 

「律子さんは……その……初めてのステージはどうだったのでしょうか?」

 

 言葉にしてから少し後悔した。トップアイドルに対して流石に不躾な質問だろうか? 

 

「アハハッ、もう酷いものでしたよ。ガチガチに緊張して歌詞は間違えるわ飛ばすわ汗が止まらないわで大慌て。気付いたらライブが終わってました」

 

 意外だった。私の中で秋月律子と言うアイドルは完璧主義で妥協を許さず765プロのリーダーのような存在だと思っていた故に、自分の弱さを語る姿など想像していなかった。

 

「他の皆も大体そんな感じでしたよ。春香なんてステージでおもいっきりスッ転んでたんこぶ作ったり雪歩も途中から殆どを泣いてましたからね。これ、皆には内緒にしてくださいね。伊織とか怒りそうですから」

 

 律子さんは悪戯っぽく笑い首を傾けた。

 

 

「ですが……だからと言って失敗は出来ません」

 

「当然です。今年の765プロは規模も質も落ちたなんて言わせません。武内さん、私達を信じて下さい」

 

 律子さんはキッと目付きを鋭くして人差し指を立てながら言い放つも最後の部分は優しく語りかけた。

 

「え?」

 

「デビューしていきなりライブをするなんて無茶苦茶なことだって私達が一番よく分かっていますよ。だからこそ今日まで皆があなたに協力したはずです」

 

 今までのレッスンが頭の中で呼び起こされる。

 

「私達の指導は不十分でしたか?」

 

 口を開くよりも早く私は思い切り首を横に振った。

 

「ありがとうございます。でも嘘ですね。私も、あの娘達も、皆忙しい中協力して武内さんを指導しましたけどとても完璧とは言えませんでした」

 

「そんなことは……」

 

「どうしても教え残してしまったり妥協せざるを得ない部分が残ったのは私達の責任です。ステージが終わった後できっちり貴方に謝ろうと思っていたんですけど逆に不安にさせちゃいましたね。すみませんでした」

 

「り、律子さん……頭を上げてください!」

 

 ここが夜の公園で良かった。トップアイドルである律子さんが深々と頭を下げる光景などとても人には見せられない。

 

「皆さんの方がスケジュール的にも私の何倍も忙しいはずです。ここまでしていただいただけでも感謝こそすれ責めるつもりなど私にはまったくありません」

 

「……そう言ってくれると皆も安心してくれると思います。それに私達もプロですから、しっかりお客さんに見せれるレベルには仕上げました。謝っておいてなんですけどそれだけは信じてほしいんです」

 

 

 状況的には何も変わってはいない。

 結局のところ私の実力は上達しなければ明日のステージも予定通り行われる。

 だが、律子さんの言葉を聞いて私の胸中を支配していた氷が溶けたような気がした。 

 それこそ気がしただけだが、今はそれが何よりも嬉しかった。

 

 

「色々偉そうなこと言っちゃってすみません。なんなら一曲だけ通して踊ってみますか?」

 

 彼女の優しさが胸に沁みた。

 

「いえ、今日はもう帰ります。明日に備えて身体を休ませないといけませんから」

 

「……そうですか……そうですね。お休みなさい。武内さん」

「お休みなさい。律子さん」

 

 

 挨拶をして、私と律子さんは公園を後にした。足取りは少し軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私達は今、社長が運転する車に乗り込み降郷村に向けて移動していた。

 

 

 

「高木社長、わざわざすみません。運転なら私も出来るのですが……」

「はっはっはっ! 大事なアイドルに運転などさせられぬよ。君達は今日のステージに集中したまえ。それにアイドルを乗せて仕事場に向かうなど久々で実に新鮮だよ! あっはっはっは!」

 

 

「相変わらず社長は元気ね」

「うぅ……安全運転でお願いしますぅ……」

「皆で行けなくて残念だなぁ」

 

 助手席に座る私の後ろで律子さん達が思い思いに過ごしている。皆さん流石トップアイドルなだけに実に平常としている。私など昨晩律子さんと話して大分楽になったがやはり今夜ステージに上がると思うと内心とても冷静ではいられない。

 

 

「さぁそろそろ到着する頃だぞ」

 

 そして車はとうとう降郷村に到着してしまった。

 

 

 

 

 

 

 降郷村の率直な感想を言えば実にステレオタイプな田舎だった。

 一面に広がる森と畑。澄みきった青空と空気。どこかで鳴き声を上げる家畜達と人当たりの良い住人達。

 

 そんなのどかな雰囲気に満ちた村、ここが私がステージに立つ場所だった。

 

 

 

 

「今年もようこそ降郷村へ! 7()5()6()プロさん」

 

 

 

 私達を出迎えたのは昨今の田舎では珍しい筋骨粒々のたくましい青年達だった。どうやらこの村はまだまだ活気に溢れているようだ。

 

「社長の高木です。今年は全員参加出来ずに申し訳ありません」

「いえいえ! 7()5()6()プロさんも今や飛ぶ鳥を落とす勢いですから来てくださるだけでありがたいですよ」

 

「今年も村民一同心から楽しみにしてますよ!」

 

「雪歩さん! 今年もアレ、よろしくお願いしますよ! 村の名物ですからね」

「は、はい! 任せてください!」

 

 

 どうやら村の雰囲気も良いようだ。人数が減ってしまい心配だったがこれなら大丈夫そうだ。

 

「そちらの方は新しいマネージャーさんですか?」

 

 青年の一人が私の存在に気付いた。

 

「初めまして。私は……」

 

「よくぞ聞いてくれました! 彼は我が765プロがこれよりこの場から世界に売り出す期待の新星アイドル武内君です!」

 

「……武内です」

 

 

 どうやら高木社長の中には遠慮と言う文字は無いようだ。

 

「へー! それは凄い! 早速村の皆に宣伝してきますよ。ステージ楽しみにしてます!」

「他のイベントもありますからそちらも是非参加してくださいね!」

「分からないことがあれば俺達に聞いてください! それでは!」

 

 

 

 そう言って彼らは去っていった。非常にエネルギッシュでまさに男らしい男達だ。

 

「さぁ武内さん。私達もうかうかしてられませんよ! ステージの準備もしないといけませんしリハーサルもしませんと!」

「分かりました。ステージ準備でしたら任せてください」

 

 

 ここは元プロデューサーやイベント設営の経験を生かす絶好の機会だ。

 

 私は腕を捲りタオルを頭に巻き機材の山に突っ込んだ。

 

 

 

 

「うひゃー流石武内さん。男手があると捗るわね」

「電子機器の知識も詳しいですから本当頼りになりますね」

「社長は早々に腰やっちゃいましたからね~」

 

「ウググググ……諸君……申し訳無い」

 

 高木社長はアイドルばかりに肉体労働はさせられないと手伝ってくれたのだがスピーカーを一人で持ち上げようと無理をしてしまい現在救護室で静養中だ。

 

 

「うぅ……逞しいなぁ……でもやっぱりカッコいいかも……はっ! いけないいけない私には真君が……」

 

 

「あれ? このスピーカー、配線が足りないですね」

「なら私が担当の方に聞いてきます」

 

 私は担当の人を探すため会場である降郷村の学校校舎を歩いていると、近くで女性の会話が聞こえてきた。

 

「だからぁ……今年は756プロさんは全員来れないのは仕方ないんだよ婆ちゃん」

 

 会話をしているのは二人の女性だった。一人は私と同年代くらいでもう一人はかなり高齢の方のようだ。

 

「……全員来ないならわたしゃいいよ。帰って寝るよ」

「そんなこと言わないでさぁ。村の皆も全員くるんだし、それに今年は新しい男のアイドルさんも来るんだよ? 見に行こうよ」

「男なんて知らないよ。わたしゃあの娘達全員の歌をききたかったんだよ」

「あっ、ちょっと婆ちゃん待ってってば~!」

 

 

 二人の女性はその場から去っていった。だが、私はしばらくその場から動けなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……当然だ。どんなに取り繕っても私は所詮なんの実績もない新参者だ。すんなり受け入れられると思ったら大間違いだぞ武内)

 

 

 

 

 私は重い足取りで機材を持ち帰った。

 

 

「遅かったですね。探すのに手間取りました?」

「ええ……まぁ」

 

「設営は武内さんの持ってきてくれた配線を繋げば完成ですので終わり次第リハーサルをしますよ」

「分かりました律子さん」

 

 

 

 設営も終わり私達はリハーサルをするためステージの上に上がった。春香さんと雪歩さんが律子さんのテキパキとした指示に従っている間に、私はそのやり取りを話し半分で聴きながらステージの上で動揺していた。

 

「これが……ステージ」

 

 

 なんの変哲もない、悪く言えば粗末な急造のステージだった。

 だが私はそこに立っただけで世界が違うように感じた。後数時間に、自分がここでライブをする。その事実は重く肩にのし掛かった。

 

 

「それじゃあ最初に春香が出て司会進行をお願いね」

「任せてください!」

「雪歩はあの衣装に着替えてあれよろしく」

「うぅ……恒例行事になっちゃいましたぁ……」

 

「それと武内さんの出番は私達の前座と言う形で最初になります。大丈夫ですよ! 最悪、いつでも春香と雪歩がヘルプに入れますから!」

 

「……はい」

 

(任せてください……と言えないのが今の私か……)

 

 

 

「それでは皆さん! 今日のステージ絶対に成功させましょう!」

 

「「おー!」」「おー!」

 

 律子さんの掛け声に春香さんと雪歩さんも呼応した。私も及ばすながら声を上げたがなんとも情けないひきつった声が出てしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 日が落ち、すでに辺りは薄暗くなり祭りの太鼓や住民達の笑い声が辺りを満たし始めた頃。

 

「はーい皆さんこんばんわー天海春香で~す!」

 

 ステージに上がった春香さんの司会によって私達のステージが始まった。

 

 

 春香さんのオープニングトークの後、私の名前を読んだときが出番だ。予定ではもう10分も無い。

 

 私はステージ裏で出番を今か今かと直立して待っていた。夏とはいえの額には既に大粒の汗が滲んでいる。

 

 

「武内さん……大丈夫ですか?」

 

 雪歩さんが心配そうに私を見上げた。

 

「……大丈夫ですよ」

 

 大丈夫ではなかった。

 

 本当は今すぐこの場から逃げ出したかったがその思いをグッと呑み込もうと私は紙コップに入ったお茶に手を伸ばした時だった。

 

「あっ」

 

 紙コップを地面に落としてしまった。

 

 コップからお茶がこぼれ地面を濡らす。

 痛い沈黙が私と雪歩さんの間に生まれてしまった。

 

「すみません雪歩さん。少し……一人にさせてください」

「……分かりました。何かあったら直ぐに呼んでくださいね」

 

 

 雪歩さんが視界から消え周りに誰も居なくなったことを確認して、私はその場にうずくまった。

 

 

 

(震えが……止まらない!?)

 

 

 私の初ライブはまだ終わらない。

 




所謂ふみふみピンチ


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伝説の序章

書けば書くほど武内pに惚れる。


 自分が情けなかった。

 

 この日の為に私は多くの人の協力を得てきた。全ては今日この日の為だ。それなのに……それなのにこの醜態だ。

 こうしている間にもステージは進行している。もう、時間がない。

 だがどれだけ立ち上がろうと足に力を込めても、頭を上げようとも余計に塞ぎ込む始末だ。

 

 私のこの有り様を全身が嘲笑っているようだった。嗤われて当然だ。自分自身に怒りすら込み上げてくる。

 

 

 

(無理なのか? アイドルとは────その答えを見つける為に私はアイドルになった。だがこんなところで怖じけるようでは……)

 

 

「大丈夫かね」

「高木……社長」

 

 いつの間にか救護室で休んでいた高木社長が私を見下ろしていた。

 

「緊張しているようだね」

 

 高木社長の声色は優しかった。

 

「はい、情けなく……震えています」

「皆そうだよ。初めてのステージと言うものは」

 

「天罰でしょうか……私は今までライブ前に緊張していたアイドルたちに頑張れと言ってきましたが、それがいかに無責任な言葉なのか分かりました」

「ハッハッハッそこまで卑屈にならなくてもいいさ」

「いえ、私はやはりアイドルの気持ちを理解してはいませんでした。今日、改めて思い知りました」

 

(本当に最低だ……自分を殴ってやりたい)

 

「……来なさい武内君」

 

 高木社長は、私をステージの袖まで連れた。

 

「ここから観客席を覗いてみたまえ」

 

 私は慎重にステージ袖から観客席を覗いた。

 

「観客が見えるかね?」

「はい」

「大勢いるね」

「はい」

 

 本当だった。小さな村だと言うのにとても大勢の人々が集まっていた。正直なところ前座の私のステージなどそれほどお客は入らないと思っていたが、パイプ椅子で組まれた席は全て埋まり立ち見のお客もいる満員だった。

 

「皆、君の観客だよ」

 

「それは……それは違います。春香さんたちのファンでしょう」

「確かにそれもあるだろう。だがこの時間だけは、このステージの間は君だけのかけがえの無いファンだ」

「そんな……私は彼らにはほとんど知られていないのに……」

「ライブを制すアイドルは全てを制す。トップアイドルと呼ばれる者たちはその姿で只の人を熱狂的なファンに変える。他のアイドルのファンすらも己のファンにしてしまうアイドルもいたよ」

 

「……」

 

「武内君。春香君たちも765プロも関係無い。君のライブなのだよ」

 

「しかし……私の実力は私が一番知っています。春香さんたちには遠く及びません。きっと観客の期待には答えられません」

 

「君は春香君では無いだろう?」

 

「え?」

 

「観客たちは春香君たちに求めることは春香君たちに求めるだろうさ」

 

「ですが……それでは私はどうしたら……どんなライブをすれば……」

 

「君のステージを思う存分楽しめば良いさ」

 

「楽しむ?」

「当然さ。観客よりもまずはアイドル自身が心から楽しめなければそのライブが成功したとは思わないな」

 

 

(楽しむ……果たして彼女たちはライブを、アイドルを楽しんでいたのだろうか?)

 

「私は……」

 

 その時ステージ上に立つ春香さんから合図が出た。

 

「それでは! 今年も行います降郷村夏祭りライブの記念すべき一番手は765プロ期待の新人男性アイドル武内さんです!!」

 

 リハーサルの流れならこの後春香さんからのコールで私が登場する手筈だ。

 

「どうやらもう時間が無いようだね」

「……はい。そのようですね」

「少しは君の緊張も和らいだかね」

 

 気づけば震えは止まっていた。

 

 

「ありがとうございます。流石は高木社長です」

「私は大したことはしていないよ」

 

「そんなことはありません。律子さんも高木社長も、プロデューサーとしても私では遠く及びません。私では上辺でしか言えないでしょう」

 

 

「うーん……私は少なくとも君が上辺だけで物を言うような男ではないと思っているよ。君は良い男だからね」

 

「……恐縮です」

 

「過ちがあるとするならば、やはり自分で何度でも反省し再挑戦することだよ。先輩からの忠告だ」

 

「では皆さんご一緒に~! 武内さーん!」

 

「さぁ出番だ。アイドルに成ってきたまえ!」

 

「……はい!」

 

 

 

 

 

 

 私はステージに登壇し、まずは中央に進む。客席は一切見ていない。正確には見れない。

 緊張が和らいだとはいえ本番のステージはリハーサルとは比べ物になら無い圧がある。一歩一歩踏みしめる度に脳内ではリハーサル内容を反芻し混乱している。体の側面からは大勢の視線が注がれていることが理屈ではない気配として肌で感じられた。

 春香さんのいるステージの中央まで進むまで時間にすれば数秒、歩数にすれば十数歩の距離だが私にとってはとても長い道のりに思えた。

 

「あちゃーカチカチですね武内さん、あれじゃまるで軍隊ですよ」

「うぅ……武内さん、頑張ってください~」

 

 律子と雪歩と高木社長は舞台袖で武内を見守っていた。

 

「なになに律子君たちのデビューも同じようなものさ」

 

 私は観客席を正面に見据えた。鏡がなくても分かる。きっと今の私の顔はガチガチだろう。あれだけ特訓した笑顔もまるで出来ない。

 

 喉が渇くも唾液すら出てこないほど私の口腔はカラカラだった。

 

「笑顔ですよ。武内さん」

 

 私の耳元で春香さんがマイクを使わずそっと囁いた。

 

「大丈夫ですよ。ね?」

 

 彼女は私に笑いかけた。

 

 覚悟を決めた。春香さんから渡されたマイクを握り締め一歩、前へ進んだ。

 

「降郷村の皆さん、初めまして。本日は私共のライブにお越し頂き誠にありがとうございます」

 

「今度はまるっきりサラリーマンのプレゼンテーションですよ社長」

「美しい日本語じゃないか。変だとは思わないよ?」

「そ、そうですよそうですよ!」

 

 

「先輩方には及びませんが私の歌を皆さんに聞いて頂きたいと! その思いでこのステージに立ちました。どぅか……聞いてください」

 

 

 

 

 私の言葉を合図にスピーカーから何百回と聞いたイントロが流れてくる。観客の方々の様子はまだノッてはいない。

 

『君のステージを思う存分楽しめば良いさ』

 

(……私のステージ。……歌おう。私の全てを込めて)

 

 

 私の何かが弾けた。

 

 

 

 

 

「やれやれ、ようやくアイドルの顔に成ったな」

「え?」

「なに、こちらの話さ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

         よし、出だしは完璧

       熱い……

あっ……ズレた

         苦しいッ

        子供が手を振ってる

   修正……

     次のキーは……

          

楽しい……
             

          快感!       

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 不思議な感覚だった。私の体は歌を歌っていたが心はその状況をどこか俯瞰して眺めている感覚だった。感覚が研ぎ澄まされ今なら何でも出来そうな気すらしてくる。

 

 

(あれ? もう終盤の歌詞だ。嫌だな……もっと歌いたい……もっと踊りたい……もっと……もっと……私は……)

 

 

 気づけば既に終わりは近づいていた。そして同時に涌き出る欲望。

 

 

『もっとステージに立ちたい』

 

 

 

 

 

 そして私のステージは終わった。本当にあっという間に終わってしまった。

 

 

 マイクを下ろし周りを見ると観客席は静まりかえっていた。

 

 横の春香さんもどうしたわけか私をじっと見つめているだけで予定とは違う動きだった。

 

(妙だな……リハーサルならここで春香さんの司会が入るはずなのに……ひょっとして私は何かとんでもないミスを!?)

 

 私の困った目に気がついたのか、春香さんはようやく本来の司会に慌てて移った。

 

「……あっ! は、はーい武内さんありがとうございましたー! 皆さんも拍手お願いします!」

 

 

 

 期待はしていなかった。私のライブなどあのアリーナライブで見たライブに比べればお粗末この上ない出来に違いないからだ。だが……

 

 

「兄ちゃん良かったぞ~!」

「良い歌だったよー!」

「キャー格好いいー!」

「武内さーん!」

「家の婿に来てくれー!」

 

「これは……いったい……?」

 

 観客はとても熱気が沸き上がっていた。とても前座の盛り上がりとは思えなかった。

 

「武内さん、観客の皆さんに声をかけてください♪」

「は、はい! 皆さん! 私の歌を聴いてくださり本当にありがとうございます」

 

「「「イエーイ!!!」」」

 

 観客の掛け声は最高潮に達したのではないか思うほどだった。一身に降り掛かる称賛の雨に私は戸惑いの色を隠せはしなかったが、それ以上に全身から涌き出る歓喜が口角をほころばせた。

 

「武内さん! ありがとうございます! それではお次は今年もやって参りました! 萩原雪歩のロックステージ!」

 

「武内さん、ありがとうございます。次は私に任せてくださいね」

 

 私がステージ袖に捌けると同時にパンクロック風の衣装を身に纏った雪歩さんがステージに躍り出た。

 

 

 観客は更に盛り上がり歓声は私の何倍も大きくなる。

 

(やはり雪歩さん、765プロは凄い。私もまだまだだな)

 

「やぁ良かったよ武内君」

 

「社長……」

 

「どうだったね。初めてのライブは?」

「……自分が如何に未熟か思い知りました。私は三流もいいとこです。ですが……」

 

「なにかね?」

「……とても楽しかったです。もう一度、いえ、何度でもライブをしたいです」

「そうかね……それが、アイドルだよ」

 

(そうか……私はさっき……アイドルだったんだ。そしてこれからも……)

 

 

 

 

「それでは今年の765プロ夏祭りライブもこれにて終了です。また来年も会いましょう! さようなら~!」

 

 

 

 

 春香さんたちも最後の歌が終わりライブは大団円を迎えた。私はステージには立っていない。それが今の私と春香さんたちとの明確な差だ。

 

 

「お疲れ様です。春香さん」

「お疲れ様です! 武内さんすごかったですよ! あのステージ!」

「本当ですよ! 私たちが教えたかいもありますけど武内さんの頑張りが起こした奇跡ですね」

「とっても……とっても……素敵でした。私……ファンになっちゃいそうですぅ……」

 

「ありがとうございます。ひとえに皆さんのお陰です」

 

 トップアイドルたちから口々に向けられる称賛に私は顔が紅くなってしまう。生まれて初めての経験だ。

 

 

 

 

 

「あ! いたいた、婆ちゃんいたよー」

「あなた達は……」

 

 そこにはステージ設営の際に出会ったあのお婆さんと女性が私の前に現れた。彼女は765プロ全員のライブを心待にしていた人だ。果たして私のライブに納得してくれただろうか? 

 

「ほら、婆ちゃん分かる? さっき歌ってた男のアイドルの人。今、目の前に居るよ」

 

 私は女性の言葉にまさかと思いよく見ると、お婆さんの目は白く変色しており恐らく視力が殆ど無いことが分かった。最初に出会った時は分からない事だった。

 

「あんたがさっき歌ってた人かい?」

「は、はい。そうです、武内と申します」

 

 お婆さんは私の言葉を聞き暫し考え込んだのち、口を開いた。

 

「ああ、そうだね。今の声、確かにさっき歌ってた人だよ。あんたのらいぶ……良かったよ。あたしはもうあんたの顔やだんすは見えないけど歌はちゃんと聞こえたよ。楽しそうに笑ってたね」

「ばあちゃんなにいってるの? もう見えないでしょ?」

「いんや、笑ってた。見えないけどあたしはわかるよ」

 

 お婆さんはにっこりと笑った。

 

「家のばあちゃんこの前の7()5()6()プロさんのライブを聞いてすっかりファンになったんですよ。それから一年間このライブ凄い楽しみにしていて……でも今回は全員の参加が出来ないって聞いて元気がなかったんです。それが武内さんの歌を聞いてとっても気に入っちゃったんだよね、婆ちゃん?」

「ああそうだよ。あんた男前だね、分かるよ。あたしも昔は村一番の美人でじいさんを虜にしたんだよ。あたしがあと20年若かったらね~。来年も来ておくれ、また来年まで生きる楽しみが増えるからね。死んだじいさんにはもう少しあの世で待ってて貰うとするよ。ヒッヒッヒッ」

 

 私はお婆さんの背に合わせしゃがみ手を両手で包み込む。

 

「はい、必ず。必ずまた此処で歌います」

「ありがとう。ほーれやっぱり良い男だ」

 

 

 私は泣いていた。だけどこの涙は決して悲しみの涙ではない。それだけは理解している。そして、お婆さんの笑顔を、私は生涯忘れないと誓った。

 

 

 

 

 

 

「春香くん、世の中には居るのだよ。レッスンや経験では決して持つことの出来ない、アイドルとしての才能を持つ人間が。物語の主人公、シンデレラのように、人を惹き付けて止まない魔力を持った者達が。私は今までそう言った娘達をアイドルとして見出だしてきたつもりだ」

 

「武内さんも……ですか?」

 

「そうだよ。彼を一目みて感じた。此処で逃がしてはいけない。逃がせば私は一生その事を後悔する。そう思ったのだよ。今にして思えば私も彼の魅力に当てられてしまっていたのだろうね」

 

「なら武内さんは白馬の王子様ですね」

「彼はシンデレラにも成れると思うがね」

「あはは♪ ならとっても逞しいシンデレラですね」

「今回のライブでハッキリと確信した。まだまだ荒削りだが彼は正真正銘のアイドルだ」

「そうですね。私もビックリしました。だって武内さん、レッスンもほんの数ヵ月しかしてないのに……あんなライブをしちゃうなんて」

「逸材だよ。彼は間違いなく同世代のアイドルの中では頭ひとつ飛び出た存在になった」

「そうなったらきっと……いろいろ悩んじゃうでしょうね……」

「そうだろうね。当然そうだ。悩まないわけがない。だから私達プロデューサーが存在していると思うよ。春香くん達と彼のように」

 

 春香は遠い異国へ旅立った男の背中を浮かべる。彼が居なければ自分は途中でアイドルを諦めていたはずだ。彼のお陰で今の自分達が居る。

 

「そうですね。辛いこともありましたけど、プロデューサーさんやみんなと一緒でしたから……乗り越えられました。あの時は自分の事だけで精一杯でしたけど、その分これからは私達が武内さんに精一杯協力します。武内さんはもう765プロの仲間ですから」

 

「春香くん……ありがとう」

 

 

 

 

「さて、ライブも終わったようだし武内君、次の出番だよ!」

「? ……まだ何かあったでしょうか」

 

「いやー実は君にピッタリのイベントがあるとあずさ君から聞いてね。今年も開催されるようだから申し込んでおいたのだよ」

「イベント?」

「うむ! 降郷村渋いイケメンコンテストだ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでは今年度の渋いイケメンコンテスト優勝者は765プロアイドル武内さんだ~~~!」

 

「コッチムイテー!」

「キャーカッコイイー!」

「ダイテー!」

「ムコニキテクレー!」

 

「……ありがとうございます」

 

 私は何故か先程まで立っていたステージに再び檀上し優勝トロフィーを貰っていた。隣では降郷村に来た際に出迎えてくれた村の青年団たちが悔し涙を流しながら私を讃えていた。

 

「悔しいが武内さんなら負けても悔いは無い!」

「村の女性票も子供からお婆さんまで根こそぎ持ってかれては笑うしかない!」

「連絡先教えてもらってもいいですか! これからは兄貴と呼ばせてください!」

 

 

 

 

 

「やはり私の目に狂いは無かったよ! 律子君!」

「確かに渋いですけど……アイドルが出場して優勝するって不味くないですか?」

「まぁまぁ律子君。固いことは無しだよ。それに皆喜んでいるじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 夏祭りも終わり皆が帰路に着くなか二人の男がステージ跡に居た。

 

 

 

「良いライブだったな高木」

「おや吉澤くん君も来ていたのかね」

「来ると言ってしまうと武内くんに余計なプレッシャーを与えてしまうと思ってね。しかし来て良かった。まさか彼がこんなライブをするとはね」

「本番に強いとでも言うのかね。明らかにB……いや、Aランククラスのパフォーマンスだったよ」

「驚きだね。初ライブなのだろう、彼?」

「ああ、私も嬉しさ半分驚き半分だよ」

「あれは化けるな。間違いない」

「良い記事は書けそうかね?」

「はっはっは! もちろん記事にはおべっかも遠慮もしないが期待はしていてくれ。久し振りに書きたいと思えるアイドルだからね。こんな気持ちになったのは春香くんたちや音無くん、それにあの人くらいだよ」

 

 吉澤が語ったあの人と言う人物が誰を指すのか、高木は当然一人の女性が頭に浮かんだ。

 

「吉澤記者に彼女と比べて貰えるとは彼も光栄だ。だがそれでこそだ。私の目標は彼女を越えるアイドルをプロデュースすることでもあるからね」

「おいおい……少しは遠慮を持て高木。いくらなんでも目標が彼女じゃいつか潰れてしまうぞ? それこそ最悪彼女に潰される」

「私は全ての人を笑顔にしたいのだよ。アイドルの力でね。まぁ見ていてくれたまえ。伊達に社長じゃない。会長の意思は決して無駄にはしないよ」

 

 高木の言葉を聞き吉澤はやれやれと頭を振った。

 

(武内君。君も大変な男の元でアイドルになったな。だがこの男はきっと最後まで君の味方だ。頑張れよ。私は私なりに応援するよ)

 

 

 

 

 

 

 この日、降郷村で行われたアイドル武内の初ライブが、後に始まる彼の伝説の幕開けとなることをまだ誰も知らない。だがこの夜の一幕の子細は吉澤記者による記事で、不特定多数による動画で、日本中・世界中に瞬く間に拡散していった。

 

 

 

 

 

 

「ふひひ★さっすが~武内きゅん♥️貴方の一番のファンの私もこれからもずっとずっと応援してるよ★」

「お姉ちゃん……だから武内ってだれ?」

 

 

 

 

「冬馬くん冬馬くんこれ見た? 噂の765プロの男性アイドルだよ!」

「ああ? あんなへたっぴなパフォーマンス見るまでもねーな。デビューしたときの俺以下じゃねーか」

「まった~強がっちゃって♪ 悔しいんでしょ?」 

「さっきしっかりパソコンで動画を見てたよな、冬馬」

「なっ……う、うるせー! 商売敵になるかもしれねーんだぞ! 見ちゃ悪いかよ!」

「えへへ。ジュピターの皆も見たんだ。羨ましいよねーカッコいいなー武内さん。僕もあんなアイドルになりたいなー♪」

「いや涼には無理「だろ」「でしょ」「だね」」

「ぎゃおおおおん! みんな酷いよー!」

 

「高木社長。我が315プロに対抗するためとうとう男性アイドルを擁立しましたか。しかもなんと驚くべき才能だ! モニター越しからでも君の熱い熱情が伝わってくるぞ! ……だが望むところです。こっちには弁護士からサタンのシモベまでいる無敵の軍団だ! 我が社は君に負けんぞ武内くん!」

 

 

 

 

 

「WRYYYYYYYYY!! おのれ高木め! 性懲りもなく男性アイドルなど小癪な! どう追い落としてやろうか……そうだっジュピターを……はう!? そうだった……あいつらはもういないのだ……もういないのだー! おのれ高木ぃぃ嫌みか貴様!!!」

「フフッ、まぁまぁ落ち着きなよ社長。アタシも見たけど良いライブだね。今後が楽しみだな」

「ぬぅ……そんなことはあってはならないと思うがいずれ君を脅かす存在になるかもしれんのだぞ?」

「意見が合ったね。貴方も彼の才能は認めているって訳だ。社長のそう言う確かな目をアタシは結構凄いと思ってるよ」

「笑い事ではないぞ! 頂点は常に一人! それこそが真のトップアイドルなのだ!」

「もちろん半端な輩に譲る気はないよ。それにアタシも彼もアイドル。全てはステージで決めるよ」

 

 

 

 

 

「ワハハハハ! みんなこの動画を見ろ! 俺の元同僚なんだぜ? 武内って言うやつでな。凄いんだぜこいつはなぁ……」

 

「まゆpさんいつにも増して元気ですね。何かあったんですか?」

「……さぁ? 智絵里さん、どうしてでしょうね。ウフフ、まゆのプロデューサーにあんな顔をさせるなんてとっても悪いアイドルさんですね。た・け・う・ちさん? ウフフフフフフフ」

 

 

 

 

 

「うわぁ……すごいなこの人。キラキラ光ってる。私もこの人みたいなアイドルになりたいなぁ」

 

「島村さん、今日もレッスン始めるわよ」

「はい、頑張ります!」

 

 

 

 

「ねぇねぇこの動画見た?」

「……なんのこと? お母さん」

「知らないの? 今TwitterとかYouTubeで結構人気の動画よ、武内って言う765の新しいアイドル。良い男なのよ~」

「ふーん……そう」

「それだけー? もう、あんたいっつも興味無い顔するわよねー。結構イケメンでワイルド系なのに」

「お父さんがいるでしょ」

「アイドルは別よ~グッズ買っちゃおうかな~」

(アイドルかぁ……私には縁は無いよね)

 

 

 

「ふお! これだよ! これぞ私の目指すモテモテの超人気のアイドルってやつですよ! 私もうかうかしてられないなー何処の事務所に応募しよっかなー♪」

「姉ちゃんそんなこと言って結局いつも応募しないじゃん」

「う、うるさいなー! 私にピッタリの事務所をじっくり吟味してるんだよ!」

 

 

 

 

 

 

「武内くん……良かった。ライブ、成功したのね。私もこれからは346のアイドルとして頑張らないとね」

「ふふふ。貴女も彼を知っているのね同期さん。でも彼は渡さないわ。私の獲物よ」

「あっ貴女は!? 何を言ってるんですか! 武内くんは私の後輩で一緒にレッスンを頑張ってきた大切な仲間よ! ……それで……それで……私の……」

「貴女も浅からぬ仲のようね。でも残念。私の方が根が深いわ」

 

(た、武内くん……貴方、彼女と何が!?)

 

(ふっふっふっ……漸く貴方と同じ世界に来たわ。でも今の私では貴方に無様に敗北してしまうわね。でもね、私は優秀なの。すぐに追い付き追い越すわ。あぁ……楽しみよ……貴方に勝つ私。私に負ける貴方。どんな慰めが良いかしら?)

 

 

 

 

 

「……流石は765プロ。常に新たな挑戦を図っている。我が346プロも名門に胡座をかいてはいずれ時代に取り残された廃墟になってしまうな。日本に帰るのを少し早めるか?」

「失礼します。日本本社からの情報が此処に。何でも武内と言うアイドルは我が社の……」

「なに? ……ほう……成る程な。どうやら私が日本に戻っての最初の仕事は人事担当の給与査定を見直さなければならないようだな。我が社にとって貴重な人材流出だ」

「早速そのように取り計らいます。それと彼の上司は今西部長のようです」

「……どうせあの人の事だ。情を切り捨てられなかったのだろう。だからいつまでも部長止まりなのだ。彼も給与査定に……いや、それよりもこの武内と言うアイドルの分析だ」

「差し出がましいですがたかが新人アイドル一人に何故そこまで危機感を? ライブ一つ成功させたくらいではまだ海のものとも山のものとも判断できません」

「私も父程ではないが目は鍛えているつもりだ。危機感? とんでもない、それ以上だ。この男は我が社のアイドル部門だけではない。城の姫を脅かす毒リンゴになる可能性を持っている」

 

(君のアイドルとしての背景、成り立ち、歩んできた人生。すまないが丸裸にさせてもらうぞ)

 

 

 

 

「お母さーん! ただいまー!」

「お帰りなさい早かったわね」

「お仕事頑張って早く終わったんだよー! あれ? なに見てるの?」

「うん? ああこれ? YouTubeよ。アイドルのライブ見てるの」

「へー珍しいね。お母さんがアイドルのライブ見るなんて!」

「そうねー確かに珍しいわよね。本当に……ね」

 

(高木社長も随分初心(うぶ)な子を見つけてきたものね。彼らしいけど。でもね……覚悟した方が良いわよ? これから貴方を待っているのは輝かしい未来だけじゃない。才能はちょびっとあるようだけどこんなライブで満足してるようなら潰されちゃうわよ……プチってね)

 

「それでも這い上がってきたなら……私が食べちゃうのもアリよね♪」

 

「何の話?」

「晩御飯の話よ。今日はハンバーグにしましょっか!」

「わーい! ハンバーグ大好きー!」

 

 




次はパッションキャラ出そう。


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変わる日常

年越えちゃいましたね。

いろいろあったんですよ! 
俺は悪くねぇっ!
俺は悪くねぇっ!

はい、と言うことで次話にパッションが出ます。


「律子さん、これどうしますか?」

「うーん……微妙ですよねー」

 

 765プロ社内で秋月律子と音無小鳥は頭を悩ませていた。原因は、今から5分後毎日同じ時間にきっかり出社してくるアイドルのことであった。

 

「律子。小鳥と一緒に何悩んでるのよ」

「あぁ伊織、実はね……」

 

 既に事務所に来ていた伊織に律子は簡単に問題を話した。

 

「何よそれ。そんなの本人に直接聞けば良いじゃない!」

「まぁそうだけど……」

「そろそろ武内さんが来る頃ですが……あっ!」

 

 突如765プロの窓から道路を見ていた音無が声をあげた。

 

「どうしたのよ小鳥、そんな大きな声だして」

「出待ちがいるんですよ!」

「いつものことじゃない。今更驚くことぉ?」

 

「伊織ちゃんたちの出待ちじゃなくて! 武内さんのよ!」

 

「「あ……」」

 

 律子と伊織が顔を見合わせると、出待ちのファンたちが大きくどよめいた。

 

「きゃーっ! 武内さんが来たわよ~!」

「本当に!? どこどこ!」

「サインお願いしまーす!」

「キャー武ちゃーん!」

「武内さーん!」

「武内くーん」

 

 

 いつも通りの時間に出社してきた武内は、ばか正直に正面入り口に現れ当然のようにファンたちに捕捉された。

 

 武内はファンたちが自分を目当てにしているとは最初は気づかなかったが目の前に彼女らが押し寄せ黄色い声援を浴びてようやく事の重大さに気づいたようだった。

 

「それにしてもアイツ、女の子に結構人気あるじゃない」

「765プロにはいなかったタイプのアイドルですからね♪ 真ちゃんとの絡みも期待してますぴよ

「タイプと言うか……あ、男性のファンもいるよ……う……ね……?」

 

 律子が指差した方向にはアメリカンバイカーの集団のような厳つい人相と服装の男たちが隊列を成して一斉に武内に向けて野太い声援をかけていた。

 

「おうおう! オメーら武内さんや会社に迷惑かけるなよ!」

「押忍! 了解です(ヘッド)!」

「スゲェ! モノホンの武内さんだぜ!?」

「本当だ! リアル武内だ! 彼女に自慢できるぜ!」

 

 彼らの中の一人が漏らした言葉をリーダーは聞き逃さなかった。

 

「バカ野郎! 武内さんを呼び捨てにしてんじゃねぇ!」

「グハァ!? スンマセンッ(ヘッド)! 武内さん!」

 

 リーダーの鉄拳制裁で己の違法スレスレの単車ごと吹き飛ばされた手下は、大きく腫れた頬も気にせずリーダーと武内に謝罪の土下座をした。

 

 そのやり取りを見て律子たちが若干引いてる中で、武内は彼らに近寄り土下座をしている男の傷を心配して声をかけた。

 

「うおおお! 武内さんがこんな近くに!?」

「ヒェェ……やべぇよやべぇよ~」

「不義理働いちまった俺を気づかってくれるなんて……ッ。 惚れました! 今日さっそく彼女と別れます!  

 

「せーの……」

 

「「「渋いぜ~~! 武内さーん!」」」

 

 

 

 

「……たしかに男性ファンは個性的ね」

「これまでの765プロにはいなかった新たなファン層の獲得だって社長が喜んでいました」

「新たって言うか……」

 

「そ・れ・で! 肝心の武内はどうしてるのよ! ファンにデレデレしてるんじゃないの!?」

 

「さっきまで765プロの前の道路で見慣れたスーツ姿の武内さんがファン対応をしてるのが見えたけど……あ、ダメだ。完全に出待ちのファンに飲み込まれて消えたわ」

「それもう出待ちじゃないですよね……私、助けに行ってきます」

「私も手伝いますよ。彼にファン対応のこと教えてなかったのは私の責任ですし」

 

 律子と小鳥はファンの海に沈んだ武内を救出するために外へと出ていった。

 伊織は窓辺からその様を見ながら小さく悪態をついた。

 

「なによっ……こんなので調子に乗っちゃって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……お二人とも助かりました。ありがとうございます」

 

 

 救出された武内の姿は凄惨だった。

 

 彼のトレードマークのスーツは全身ヨレヨレで所々破けていたりボタンが引きちぎられていたりと、さながら追い剥ぎの被害者のようだったが、バイカー集団から親愛の印で受け取ったであろうサングラスや革ジャンも手にしていた。

 

「あんた、何か盗まれたりしなかったの?」

「鞄は無事でしたので大丈夫です。貴重品は全てそこにしまっていますので。ただスーツのボタンとネクタイはいつの間にか無くなっていましたが……」

 

「随分なファンだこと!」

 

 伊織の怒りを含んだ皮肉に武内は首に手を回して困り顔をするしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「動画……ですか」

 

 ボロボロになったスーツを着替えた後に、私は律子さんに言われて事務所のパソコン画面に表示されている自分のライブ映像を眺めていた。そこには先日の降郷村での私のライブ映像が有名な動画配信サイトに載っていた。

 

「765プロの公式チャンネル動画では無いですよね?」

「そうなんですよ。多分降郷村の人がアップしたと思うんですけど……」

 

 音無さんと律子さんが困っていた理由は私もよく分かることだった。

 

 ライブと言うのは基本的には撮影禁止が殆どだ。理由としてはライブの希少性を保つためやネットの流出による安易なネガティブキャンペーン防止や海賊版販売を防ぐ等がある。

 写真や動画が簡単に撮影出来てしまうと今の時代、一瞬で世界中に情報が拡散していくことはアイドルにとって利点でもあればリスクも多分に含まれている。デジタル化された動画がインターネット上で誰でも手軽にでライブを見れてしまうとチケットの売り上げに深刻な影響を与えかねない。

 更にライブの後、公式は資金回収のためにライブの映像を収めたDVDや写真集を販売するのが通例だ。その販売前に個人が無断で海賊版を無許可で売り捌く行為もプロダクションの利益を損なってしまう。

 おまけに情報社会が発達したせいでアイドルに対する賛否も猛烈な勢いで流動している中で、易々とそう言った映像が出回ってしまうと、そのアイドルをよく思わない人達にすれば格好の批判材料に悪用される恐れすらあり多くのプロダクションではライブでの撮影には慎重な姿勢を示している。

 最近はアーティストが個別で写真撮影を解禁することもあるが今挙げたマイナス要因が必ず発生してしまい現在の日本においてはそれが正解と言い難い現状がある。今回の件も小さなイベントとは言え動画と言うのもかなりグレーな範囲だ。

 

「降郷村でのライブは撮影OKだったのでしょうか?」

 

 私の質問に律子さんと音無さんが困り顔で口を開いた。

 

「実はその辺曖昧なんですよね。最初に降郷村でライブをした時はまだ765プロも弱小だったので少しでも知名度が上がれば良いと思って撮影は黙認してたので今さら禁止とも言いづらくて……」

「ドームライブとかはしっかり対応してたんですけどお祭りですからね。少しくらいは多目に見てたんですよ」

 

「……ならプロダクションとしてここはしっかりと対応すべきではないでしょうか。あまりグレーな対応を続けると収集がつかなくなってしまう恐れもあります」

 

「……それが……その~」

「あんた……再生数の所よく見てみなさいよ」

「再生数ですか?」

 

 伊織さんの指摘通りに動画欄右下の再生数を数える。

 

(一、十、百、千、万……じゅ……十万……百万……)

 

「ひゃ、100万……!?」

 

「気づきました? 降郷村のライブからまだ一週間も経ってないのに既に100万再生突破。とんでもない再生数なんですよ。武内さんのライブ」

「まさか……こんな……」

 

 346時代、

 私はマーケティング等にも気を使いアイドルの知名度上昇を目指し徹底的にどうすれば売れるのかを研究した経験上、この再生数がどれだけの事なのかは理解している。100万再生となればその影響力は強大だ。単純に考えて100万人が私を知ったと言うことだが恐らく既に複数の転載がされ拡散してしまったはずだ。実際の数字はもっと上だろう。そうなるとこの動画サイトだけではなくTwitterやInstagram等の通信アプリでも引用されるはず。この事を取り上げるメディアも現れるかもしれない。     

 

 私は目眩がした。

 

(分相応ではない。……だがプロデュース視点で見ればこれはまたとない千載一遇のチャンスであることも事実だ)

 

「……そうですね、見る限り好意的な評価が大半ですので……今回に関してはこのままでよいのではないでしょうか」

「そうですか? そう言っていただけるとこちらも武内さんの宣伝になりますからね。これだけ再生数が跳ね上がると削除依頼も出しづらいんですよね」

「と言うよりも765プロで早急に公式動画をアップロードした方が良いと思います」

「なるほど! 武内さんの言う通りですね、早速作業に取り掛かります!」

 

 音無さんはすぐさまパソコンを立ち上げ動画編集ソフトを開きキーボードを叩いた。

 

「あんた、これから大変よ」

「? どういうことでしょうか伊織さん」

 

 伊織さんはため息を吐き愚か者を見るような目で私を見た。

 

「あんたほんとに346のプロデューサーだったの? 自分のことに関してはてんでダメね。ま、そのうちすぐ気づくわよ」

 

「はぁ……そうですか」

 

 

 

 それから数日後に、私は伊織さんの言っていた意味を理解することになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある夜、765プロから自宅のマンションに帰宅するとメールボックスに見慣れない封書がちらほらとあった。初めは近所の商業店の宣伝紙かと思ってすぐゴミ箱に入れようと手に取るが、妙な違和感を感じた。それらは紋切り型の無機質な封筒ではなくそれぞれが送り主の人間性を物語る物だった。これに私は見覚えがあった。

 

 ──ファンレター。

 

 346時代、全国各地のファンから所属アイドルやタレントに対して贈られるプレゼントやファンレターの整理を入社当時はよく雑用として担当していた。

 雑用といっても責任は重大だ。贈られた物の中には悪質なファンからの中傷文や酷い物では剃刀入りの封筒や脅迫めいた手紙も届く。

 このご時世、全ての人からアイドルが好かれることは残念ながら不可能でありどんな人気アイドルにも一定数の批判は存在していた。トップアイドルたちはそういった批判と上手く付き合っていくことも求められるが、まだデビュー間もないアイドルたちはたった一言の中傷や暴言でメンタル面に大きなダメージを受けてしまう場合がある。

 事務所としてはそう言ったリスクを回避するためにアイドルの目に触れる前にあらかじめ危険な物とそうでないものとを分別をしておく必要があるのだ。

 

 もちろん大半の贈り物は純粋にアイドルを応援するための物だがある時は手作りケーキやチョコレート等の食品が贈られてきた時もあり、安全の観点から泣く泣く処分することもあった。

 

「これは……間違いでしょうか? しかし宛先は間違いなく此処だ」

 

 そして今、私の手にあるそれらは所謂ファンレターと言う物だった。

 手紙は全部で3通あった。

 

 自室に入り机に向かうと先ずは一通目の可愛らしいデコレーションシールが貼られた封筒をペーパーナイフで開ける。

 

(……うっ!? な、長い……尋常ではない枚数と文字数だ。軽く見ても10枚以上ある……)

 

 その封筒は開ける前から他二通とは圧倒的に厚みが違っていたので覚悟はしていたが、手紙には私に対する送り主の非常に()()()な評価と激励が酷くエキセントリックかつ長大な文章で果てしなく綴られており、読んでいく内にだんだんと頭が痛くなったが要約すると恐らくこうだ。

 

 

「さっすが私の武内きゅん★ 世間のみんなもようやく武内きゅんの良さに気づいたってカンジかな~! ファン1号としてとっても嬉しいよ~~♪ 

 でもでも! 私が武内きゅんの1番のファンなのは変わらないからねー。二人は相思相愛だもんね~! これからも、応援してるよ! 

武内きゅんの1番のファンより♥️」

 

 

 少女的なポップ字体でびっしりと埋め尽くされた計17枚の手書きのB4便箋を、若干の恐ろしさも感じながらその熱意を十分に私の心に深く刻み、机の引き出しの奥の奥にしまいこんだ。

 

 

 二通目は差出人の記載があった。送り主はなんと千川さんからだ。

 

 

「プロデューサーさん……いけない、今はアイドルでしたね。まずは始めに謝っておきます。武内さんの住所、会社に残ってた貴方の書類を見て勝手に手紙を送りました。電話にしなかったのは落ち着いて自分の言葉を言える自信が無かったからです。

 恥ずかしいかもしれませんが武内さんのライブは社内でも評判です。勿論良い意味です。武内さんと同僚だった彼や今西部長もとても喜んでいましたよ。

 私も、あのライブはとてもいいものだったと感じています。変な言い方ですが、武内さんの笑顔を見て、少し悔しいなと感じました。武内さんのあんな笑顔、しばらく見ていませんでしたから。

 あのライブで、武内さんの今の居場所は346ではなく、765プロなんだなと、はっきり思いしらされた気分になりました。

 誤解しないでくださいね? 私は、武内さんの幸せを願っています。

 だから、また武内さんの歌を聴かせてください。

千川 ちひろ」

 

 

(私のライブが346の皆さんに……いや、既にあれだけの再生数だ。それも当然か)

 

 千川さんの言う通りあの降郷村ライブの映像や吉澤記者の記事によって私の存在は少なからずアイドル業界や世間で認知された。若干の気恥ずかしさもたしかにあるが。

 

 それにしても千川さんからこのような手紙を頂くとは思ってもいなかった。千川さんは346時代から大変お世話になった事務員だ。新人だった私に会社や男の私に異性のアイドルの気持ちをアドバイスもしてくれた頼れるお人で、退職を決意した時も今西部長と同じく随分と慰留してくださってくれた。

 

 346プロの皆さんからの激励と思って、私はアイドルとは何なのかを探求する更なる決意を固めた。

 

 

「最後のファンレターだ」

 

 三通目の差出人は一通目と同じで記載がない。

 

 

「ネットで、ですがライブを見ました。貴方がとてもキラキラ輝いている姿が、画面越しからでも十分に伝わってきました。不思議ですね。私がいつも見ていた貴方とはまるで違っていました。でも、そこにいる貴方は、ステージに立つ貴方は、アイドルなのだと悔しいですが納得しました。

 貴方と初めて出逢った時からずいぶん日が経ちましたが、今でも私は感じるのです。

 貴方を見た瞬間、私ははっとするようにハートが高鳴るのです。そのひた向きさに心惹かれるのです。

 

 ですが駄目ですね。

 私は卑しい人間です。

 本来なら喜ばしいことですが、貴方にファンが出来ることは私にとって不安でもあるのです。

 ですが今は、そんな貴方を陰ながら応援しています。

 

 いつかまた、貴方に逢うその日までは

貴方のファンより」

 

 

 

 三通の内一通は千川さんからの手紙だったが残りの二通の手紙の送り主については皆目見当がつかない。最初の手紙は今時の女子高生が好みそうなポップな字体やデコレーションに彩られており文字通り衝撃的な存在感と文体に若干呑まれてしまった。一瞬だが、城ヶ崎さんならとも考えた。しかしまさか彼女がこんなファンレターを私に送る訳がない。その可能性を私は直ぐ様捨てた。

 

 最後の手紙については本当に誰が送ったのか分からない。上質な紙の上に記されている落ち着いて上品な文体は高い知性と品性を感じる。が、だからと言ってそれが誰なのかを私が知るすべはない。

 

(とにかく……ファンレターが届いたことはつまり私もある程度有名に成ったと言うことだろう。私も少し前まではプロデューサーとして活動していた。きっと一部の熱心なファンが何らかの手段でこの住所に送ったに違いない)

 

 三通の手紙の内最初の手紙以外を大切に自室の戸棚のファイルに綴じると明日の仕事の準備を整える。今日もその打ち合わせで帰宅が夜遅くになってしまった。

 

 

 明日は貴音さんと一緒に交通事故防止イベントのキャンペーンアイドルとして、主催元である地区の警察署を訪問する予定になっている。

 

 

 アイドルの仕事は歌って踊るだけではない。

 

 

 様々な企業や自治体の企画するイベントに広告塔として出演するのも重要な仕事だ。特に今回のような警察関係の仕事は芸能プロとしては喉から手が出るほど獲得したいオファーの一つでもあった。

 

 通常、民間と官界からのオファーでは圧倒的に民間の方がギャランティが高い傾向がある。官界の場合はある程度の予算が決まっておりその枠を逸脱したような報酬は制度的にできない体制になっているのに対して、民間は自由に裁量ができるため報酬と言う点に限って言えば民間からのオファーの方が利益になる。

 しかし企業利益やアイドルの利益を考えれば何も金銭だけが全てではない。それは青臭い理想論ではなく、国の行政機関、それも警察のような治安維持組織から仕事を受注できる、オファーされる、と言うのは実はそのプロダクションやアイドルにとって非常に大きな利益をもたらす。

 

 客観的に見れば、警察組織からの依頼を受けている芸能プロダクションは真っ当な経営体制に違いない。そこに属しているアイドルも然りだ。

 

 その事実は今西部長曰く、お上御用達のブランドを得ることであり何千万の広告費よりも価値ある称号とのことだ。

 

 元プロデューサーとしては四条貴音と言う不世出のアイドルだからこそのオファーなのは分かっているが、これまで睡眠時間を削り試行錯誤していた自分の営業の苦労が鶴の一声で上回られるのは悔しいやら情けないやらと複雑な胸中でもあった。

 

 

 

 貴音さんが以前その警察署の1日警察所長を務める中で一人の悪質パパラッチを自ら逮捕するお手柄を挙げたことは有名だった。

 その当時貴音さんは週刊紙で、765プロからの移籍騒動が報じられワイドショーで騒がれていた。

 

 私も貴音さんの事務所移籍報道が取りざたされた時は、事実無根であったならば火消しには相当の労力がかかるだろうと思っていたが、貴音さんはスキャンダル報道後もそれまでと全く変わらず仕事をし続けた。この毅然とした対応には流石に驚いた。

 

 通常、アイドルのスキャンダルが報道されたならば事実はどうあれ事務所としては一旦そのアイドルの露出を抑える傾向がある。スキャンダル直後は世間の関心が寄せられるためマスコミや一般人などのあらゆる目が向けられる。例えアイドルが無実であったとしても日常全てに渡って監視されれば発言や行動に不適切なものが一個や二個は気をつけていてもめざとく発見されてしまうからだ。そうなれば本来のスキャンダルとは関係のない第2第3の炎上に繋がり結果的にアイドルのマイナスイメージが広まってしまう。

 

 だが貴音さんは様々な憶測が飛び交う中も芸能活動を続けた。

 私の同僚は日々売り出しに悪戦苦闘していた担当アイドルがいたため嫉妬も込みで「頼むから少しは休んでくれ」と冗談混じりに言っていたのに対して、私はこの当時の貴音さんを見て四条貴音と言うアイドルはとても意思が強いのだと感じた。

 あれだけ報道が加熱すれば嘘か真は別に事務所がアイドルを守護るために仕事をセーブするが、それでも活動を続けていると言うことはそれはアイドル自身の強い希望なのだろうとプロデューサーとしての経験から察した。

 

 その後貴音さんは件の警察署での大捕物の瞬間がメディアによって拡散し、一時期は世界レベルで話題となった。それにより事務所移籍騒動を吹き飛ばす結果となるばかりか更なる人気上昇に繋がった。

 その姿は同僚やあの今西部長も口を揃えて「こんなアイドルは見たことがない」と言わしめたほどだった。

 

 明日はその貴音さんと、彼女がパパラッチを撃退したあの警察署でのイベントだ。

 もっとも、メインは当然貴音さんであり私は言うなれば彼女の付き添い、露骨な言い方をすればバーターだ。

 売れているタレントと一緒に売り出し中のタレントを事務所が抱き合わせでテレビやイベントに参加させる行為はある種仕方のない手法だ。単体では絶対に取ることができない大きな仕事もこの方法なら手っ取り早く取ることは会社としてもアイドルとしても願ってもいない機会だ。

 問題は、抱き合わせの新人アイドルが果たしてその仕事に見合うだけの仕事ができるかと言うことに尽きる。

 

 イベントには近隣の幼稚園児や小学生たちが参加して私たちは進行役を任されている。だがここで問題が生じるのだ。

 

(……やはり……怖い、か?)

 

 鏡に写る自分の顔を眺めた。

 

 私は子供に対して少し苦手意識を持っている。

 昔からのことだが私は、周囲から自分の容姿についてあまりよろしくない評価を受け続けてきた。

 

185センチを越える身長、

 白眼の多い据えた三白眼の目付き、

 起伏の乏しい表情、

 低音の声色、

 

 それらは今まで対峙してきた人に威圧を感じさせてしまってきたようで、学生時代は女子生徒に怖がられ、ボランティアで訪れた幼稚園では園児に怖がられ大泣きされるなどありこの容姿はある種のコンプレックスとして私は認識していた。

 

 子供は特に私を見て怯える。346プロにいた時も子役の子供に怯えられ、監督から仕事にならないと訴えられスタジオを追い出されたこともあった。

 

 だがだからと言って仕事をキャンセルするつもりはない。あの降郷村でのライブで私は765プロのアイドルとしての自覚を持つことができた。仕事の選り好みなどしない。常に全力で挑むことがプロとしての責務だ。

 

「よし、明日も早い。今日はもう寝よう」

 

 鏡に写る自分に向かって活を入れ、床に着いた。直前までの不安が嘘のように驚くほど早く深い睡魔に私は意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 夢の中、私を追いかけてくる城ヶ崎さんから必死で逃げる夢を見たことは謎だったが。




城ヶ崎さんごめんなさい。

ラストまでが遠いですね。
最近は武内pと赤羽根pが歌ったりして制作意欲が向上しました。


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心のままに歌う

 時刻は午前9時を回ったところ、私と貴音さんはイベント会場である警察署内に設置された簡易控え室で呼び出しが来るのを待っていた。

 

「武内殿、準備は宜しいでしょうか?」

「はい。大丈夫です」

 

 本当は昨日の夜、何故かペンライトと団扇を持ったハッピ姿の城ヶ崎さんに追いかけ回される夢を見てぐっすり眠れなかったがそこは私の体調管理の不備が招いた責任だ。貴音さんに迷惑はかけられない。

 

 既に貴音さんは別室で警察官の制服に着替えており私も同様だった。

 

「それにしてもよくお似合いですね」

「はぁ⋯⋯恐縮です」

 

 貴音さんは制服姿の私を上から下までまじまじと見つめてきた。控えめに言っても絶世の美少女である彼女に至近距離から観察された私は気恥ずかしくなり制帽を深く被り直す。

 

 私の制服姿は、控え室を訪れてくださった担当の警察官ばかりか警察署長からも絶賛された。彼ら曰く私は明日にでも機動隊でやっていけるとのことだったがどう返答していいのか戸惑ってしまう。

 

「それにしても警官の方々は前にお会いした時よりとても丁寧に対応して頂き少々戸惑いました。何かあったのでしょうか?」

「それは、恐らく⋯⋯」

 

 かつてこの警察署で起こったパパラッチ撃退事件。その件で貴音さんの人気は更に高まることとなったのだが、その割りを食う形で現場となった警察署は酷く批判に晒された。

 パパラッチは警察の警備をくぐり抜け貴音さんを前に立ちはだかるばかりか襲いかかったのだ。ひょっとしたら最悪のケースも考えられた事件を警察の警備はお世辞にも適切に機能していたとは言えなかった。本来最も安全を確保すべき一日警察署長の手によってパパラッチを逮捕すると言う最初から最後まで後手後手に回る失態を全国に知らしめ、当時の報道は貴音さんの勇気が称賛される一方で警察署の落ち度が批判の的となり、任を問う声が官民で大きくなった。

 

 一時は担当者の処分も取り沙汰されたがその窮地を救ったのもまた貴音さんだった。

 

「非があったのはパパラッチの方です。私は警察署の方々に何ら責任を問いません。むしろ、1日警察署長と言う貴重な経験をさせていただいて感謝しております」

 

 このコメントによって世間の怒りはある程度沈静化された。最終的には警察署の署長が御詫びの記者会見で頭を下げ、765プロの高木社長がその謝罪を快く受け入れると発表したことで事態は一応の終息をみたのだ。

 

 つまりこの警察署の上層部は四条貴音によって救われた大きな借りがある。だからと言って良いのか、音無さん曰く今回のイベントも警察署の方から是非とも765プロの四条貴音をとのご指名だと聞く。

 つまり警察署としてはこれで禊を済ませたいようだった。

 

「それより貴音さん、イベントの時間はだいたい二時間ほどですがその後は幾つか写真撮影とインタビューを受けてもらい警察署で用意して頂いたお弁当が昼食になります。事務所には私から報告をして直帰とな──?」

 

 私がスケジュール帳を開き今日の予定を説明していると、貴音さんが私の口元に人差し指を近づけ続く言葉を止めた。

 

「ふふっ、武内殿はもうアイドルですよ? 私の世話をする必要はありません」

「も、申し訳ありません。どうにも昔の癖が抜けなくて⋯⋯」

 

 貴音さん含め765プロの皆さんは私よりも遥かに現場慣れをしている。346と違い私以外は全員がほぼセルフプロデュースをしておりマネージャーすら帯同していない安定感だ。765プロの人員不足も背景にあるのだろうが現在のこの状況では元プロデューサーの私の方が面倒を掛けてしまいかねない立場だ。

 

「肩の力を抜いてください。それでは今日ここに訪れてくれる子供たちも怖がってしまいますよ?」

「⋯⋯はい」

 

 どうやらまた私の顔は強張ってしまっているようだ。昨夜と朝方念入りに鏡の前で笑顔の練習をしたがその成果は乏しい。

 

「貴音さんの言う通りですね。少し外の空気を吸ってきます。直ぐに戻ります」

「その方が宜しいと思います」

 

 控え室を出ると正面ロビーがすぐ目の前に見えた。廊下にはイベントに向けて忙しなく動いている警官の皆さんで溢れていた。正面玄関に向かおうとした私だったが一人の婦警に呼び止められる。

 

「ちょっとキミ!」

 

 その婦警は小柄な体格からでもありありと伝わる不機嫌なオーラを放っていた。

 

「私でしょうか?」

「キミ以外に誰がいるのよ。今日は交通安全のイベントで町内の園児や小学生やアイドルやらがやって来るから大変なの分かるでしょ! ほら、ここにある三角コーン外に運んどいて」

 

 婦警は私が制服を着ている為に警官と思っているようだ。あのネット動画の件もあってそれなりに知名度があると思っていた私だったが、どうやら少し調子に乗りすぎていたようだ。

 

「いえ、私はその⋯⋯」

「なによその態度、貴方見ない顔だけど新人? とにかくせっかく良い身体してるんだからちゃっちゃとする!」

 

 その証拠に目の前の婦警には全く気づいてもらっていない。むしろ完全にここの警察官と思われている。

 

「だから、つまり私は」

「⋯⋯早くやんないとシメるわよ?」

「どの辺に運べば宜しいでしょうか」

 

 有無を言わさず、と言う言葉がある。

 この時の彼女は正にそれだった。首を縦に振ることこそ唯一残された選択肢、私の変わり身の早さに彼女は気を悪くするどころか上機嫌に笑った。

 

「さっすが男の子~♪ 他にも沢山コーンが置いてあるからそこに纏めて置いといてね~。お礼に今度の交通課の合コン誘ってあげるからー♪」

 

 婦警はその場にある三角コーンを全て私に任せこちらに向けて手を振りながら去っていった。そもそも私にはこの目の前に山積みされている三角コーンを運ぶ義務などないが一度引き受けた以上はやり遂げなければならない。それに会場ではもうイベント参加者であろう幼稚園児たちが保育士さんに引率され子供っぽい大きな声ではしゃいでいる。早く仕事を済ませて仕事に行かなければ。

 

 

 

 

 

 

 

「お、終わった⋯⋯」

 

 あれから大量のコーンを外の駐車場に運び、控え室に帰ろうとするとまた別の警察官に仕事を頼まれ更に別の警察官に、繰り返すループに入り込んでしまい気づけばイベント開始時間だった。慌てて控え室に帰る私と呼び出しにやって来た担当の警察官が控え室に入るのはほとんど同時になってしまい貴音さんに笑われてしまった。

 

「無事に戻られましたか。武内殿、いよいよ仕事の時間です」

「お待たせしました。行きましょう」

 

 誘導の指示に従い外に出ると会場には既に多くの人だかりができている。そして遠くからでも聴こえる子供たちの甲高い声に私の胃はかつてないほど締め付けられた。

 

「それでは皆さん拍手でお迎えしましょう。765プロの四条 貴音さんに武内さんです」

 

 アナウンスが行われると同時に私は四条さんの後について警察署エントランスに立った。有名アイドルだけあって報道陣の数やカメラのフラッシュの量が凄い。昼間なのにチカチカ光って前が見えない。

 小学生や園児たちの声援も全て四条さんコールだ。降郷村で衆人の眼には慣れたがマスコミや小さな子供の眼にはそれぞれ別種の異なる威圧感がある。

 

「武内殿、無理に笑う必要はありませぬが顔がひきつっていますよ?」

 

 そっと耳打ちしてくれた四条さんの指摘は私も分かってはいた。不格好な笑顔をするくらいならいつも通りの顔で、しかし果たしてそれがプロのアイドルとして相応しい対応なのか、そんな感情のせめぎ合いが私の顔を更に強張らせる。

 

「ねぇあっちの男の人ちょっと怖いよね、ありすちゃん」

「だから橘です。あの人は武内さんです。最近ネットで話題のアイドルらしいですがたしかに強面の方ですね」

「ありさ先生ぼく知ってるよ、ああいう人をフシンシャって言うんだよね」

「違うよ誘拐犯だよ。ね、ありさ先生」

「ばーか、あれは野獣だってぜったい!」

「こ、こーらっ! みんなそんな失礼なこと言っちゃダメだぞー⋯⋯でもちょっぴりクマさんに似てるかも⋯⋯」

 

「ぐぅっ!」

 

 幼い子供の言葉とは時として刃のように心を切り裂く。私の気にしていることを数秒でものの見事に言い当てられステージの上だと言うのに足元がぐらつく。何度も打合せした段取りが頭から吹き飛んでしまった。

 そんな時に一人の婦警がアナウンスの警官に詰め寄ってきた。

 

「ちょっとあのアイドル可哀想じゃない。マイク貸して、私が進めるわ!」

「あっ、ちょっと困りますよ先輩! 不味いですっ──」

「はーいみんな良い子は静かにお話聴きましょうね! 悪い子は逮捕しちゃうぞ♪ それじゃあお二人から良い子のみんなに交通安全で大切なことを説明してもらいます! うるさくしちゃう困った子はシメちゃうぞ♪」

 

 壇上の男性アナウンスからマイクをひったくったのは先ほどわたしに仕事を頼んできた婦警だった。彼女は私の窮状を知ってか警察官としてどうかと思う言動で参加者の園児たちを落ち着かせすぐさまイベントを進行させてくれた。

 

「はーいアイドルさんたち説明ありがとうございまーす♪ それじゃあこれから実際にこの場所でよい子のみんなに安全な交通ルールをやってもらいまーす。私たちお巡りさんの言うことをよく聞いてね~!」

 

 説明を終えてみればとても長い時間に感じられたがそれでも四条さんは終始そのミステリアスな佇まいを崩さずにいた。彼女はアイドルとしてのキャラではなく本質が貴いのだろう。

 対する私は何度かアナウンスの婦警さんに手助けをされる場面があり羞恥心と疲労感とで制服の下は汗でダラダラだ。

 ひとしきりの説明を終えれば後は本職の警官たちが交通指導を行うことになっている。終了後は貴音さんのライブが特設ステージで行われるが既にマスコミが集まり撮影会の様態だった。

 

「はいアイドル君。取り敢えずお疲れ様」

 

 ただポツンと放っておかれ額に浮かんだ汗を手で拭っていた私にタオルを渡してきたのはあの婦警さんだった。

 

「しっかしマスコミも酷いわよねぇもう一人の方ばっかり夢中になって。あなた、それなりに流行ってるんでしょ?」

 

 片桐 早苗と名乗ったその女性、署内で出会った際は制帽と身長差で見辛かったがよくよく彼女を見ればかなりの美貌だ。貴音さんがミステリアスでエレガントならばこの婦警はチャーミングでグラマラス、年は恐らく20代前半⋯⋯いや、まさかな。

 

「私なんか仕事始めた理由なんてもうどうでもよくなっちゃった。安定した就職先に入って家族に安心してもらいたかったから警察になったけど今じゃ結構やりがい感じてるのよね!」

 

 私がアイドルを続ける理由、アイドルとは何かを知るための道。だが確かに私はアイドルの活動に上手く表現できない喜びや達成感のような感情を抱いている。しかし、まだそれは道半ばだ。アイドルと言う存在の可能性に魅せられた私は答えを得るためにこの歩みを止められない。止めるわけにはいかない。

 

「そ・れ・にぃ~私だって休日に街中を歩いてれば346とか961プロのスカウトにアイドルに興味ありませんか? って声もかかるんだからね♪」

「それは当然でしょう。皆正しい仕事をしてますね」

 

 片桐早苗は稀有な存在だ。その魅力的なvisualもさることながら出会って半日も経っていないながらも彼女の明るく元気に溢れた明瞭な人柄に強く惹き付けられている。彼女に声をかけないスカウトなどいない。かけなければこのアイドル戦国時代で生きてはいない。

 

 初入社の際にベテランの先輩たちからスカウトとして女性に声を掛けられない奴は死ねと言われたことは今でも覚えている。キツい言い方だったがそれもある種の答えだと後で気づいた。

 

「な、なんか真顔でそう言われちゃうと恥ずかしいわねっ! でもアイドルに褒められるなんてやっぱりあたし警官クビになったらアイドルに転職しちゃおっかなぁ~」

「765プロと346プロなら今からでもご紹介できます。名刺だけでもどうぞ」

 

 346プロの名刺は流石にもう使えないが名刺を渡す癖は中々抜けない。新人の頃はとにかく素養のある人に声をかけて名刺を渡す日々だった。

 

「ありゃ? マジに受け取っちゃった? 公務員は副業禁止なんだけどな~」

「無理にとは言いません。ご検討だけでも」

 

 差し出した名刺と私の顔を交互に見続ける片桐さんの笑顔はひきつっていた。

 

「え~と、気分悪くしたらごめんね。ぶっちゃけ君、正気?」

「戸惑うお気持ちも分かります。ですがどうか、ご検討だけでも」

「⋯⋯あたし、これでもかなり頑張って公務員になったんだけど、キミはそれを捨てろって言うんだ。公務員は副業禁止なのよ。き・ん・し! もし、仮に、万が一あたしがアイドルになるとしたら警察辞めないといけないのよ?」

「はい。ですが、片桐さんなら素晴らしいアイドルになると思います。どうか名刺だけでも」

「ぐっ⋯⋯ま、まぶしい。アルコールと犯罪に荒んだあたしの目にはまぶしすぎる純粋な瞳っ!」

「あなたにはアイドルのキラメキを感じます。どうか名刺だけでも」

「そ、そんなこと言ったってぇ⋯⋯」

「どうか名刺だけでも」

「お母さんとかにも相談しないと~」

「どうか名刺だけでも」

「名刺名刺ってあなた本当にアイドル──?」

「名刺だけでも」

 

 

 

 

「いい? ちょっとだけ考えるだけだからね。転職なんてしないからねあたし。ましてアイドルなんて絶対ノーサンキューだからね! アンタがどうしてもって言うから名刺を受け取っただけだからね!!」

 

「ありがとうございます」

 

 

 片桐さんに名刺を渡すと丁度同じタイミングで貴音さんのステージが始まった。ミステリアスで印象深い歌詞の特徴的な歌はよく彼女を表している。

 

 思えば、四条貴音というアイドルがデビューした際はそのあまりに突飛なキャラクターに業界も世間も困惑した。キャラにしては余りに堂々と、素にしては余りに芝居がかっておりまるで何処かの国のお姫様がそのままアイドルをしているような錯覚を抱いた。

 

 こんな癖の強いアイドルが大衆にウケるはずがないと346プロの会議でも一笑に伏されたがその後の経緯を考えれば間違いだったと言わざるを得ない。

 

 かつては所謂、王道を行くスタイルだった346プロのアイドル部門が昨今は多様性を重視しているのも四条貴音の成功があったからこそなのかもしれない。

 

「⋯⋯あれは?」

 

 私の出番は既に終わり手持ち無沙汰になっていた。そんな中、一人の少女が目に入った。

 興奮の渦にあるイベント会場から少し離れた駐車場の隅で小学生と思われる少女が一人タブレットを操作しており、他の観覧者が貴音さんのライブに酔いしれる中で異質な空気を放っていた。

 

 

「すみません。あの⋯⋯ライブ、ご覧にならないんでしょうか?」

「あなたは⋯⋯た、武内さんですか!?」

 

 突然話しかけた私に少女は驚き、タブレットを落としそうになる。胸元には小学生にはよくある名札がクリップされておりそれによると彼女の名は『橘ありす』だと分かる。

 

「⋯⋯ライブに興味がない訳じゃありません。けど、嫌なんですよ。あの子たちと一緒じゃ私まで子供に見られてしまいます」

 

 橘さんが指差した方向には彼女と同じ子供たちが一様にライブを楽しんでいた。手を上げ跳び跳ね全身で興奮を表しておりとても微笑ましい。

 だが、今ここにいる彼女はとても寂しそうだ。

 

「橘さん。今、貴方は楽しいですか?」

 

「へ?」

 

「私は、見ての通り人を笑顔に出来るような見てくれではありません。今日も、先輩である四条貴音さんにサポートしていただいて何とか成立したようなものです。

 正直に言えば、足が震えてしまうほど緊張もしましたが⋯⋯見に来て頂いた沢山の方々の笑顔を見ると、楽しさも感じました」

 

「楽しくなんか⋯⋯ありません。子供みたいなことなんかしません。私は大人しく、クールに過ごすんです」

 

「その映像、ライブですね?」

「ひゃい!?」

 

 橘さんのタブレットにはYouTubeで765プロアリーナライブの映像が写っていた。何度観ても美しい光景だ。

 

「わ、私は何もアイドルとか音楽が嫌いとは言ってませんよっ。ただ馬鹿みたいに騒がしく取り乱すのが嫌なんです!」

「つまり、アイドルに興味があると言うことですね?」

「興味と言うか⋯⋯その、将来は音楽関係の仕事に就きたいと考えていますので」 

 

 不思議な光景だ。夢を語っている筈の彼女の顔は、靄がかかったように暗かった。恐らく本心からの願いの筈なのに、暗黒の宇宙で、今にも闇に飲み込まれる幼い星のようだ。

 

「だからどうかほっといて下さい。私は──」

 

「橘さん!」

「ひゃい!?」

 

「どうか、10分で構いません。ステージを観に来ては頂けませんか?」

 

 

 

 

 私が戻ると交通安全教室は予定通り終了し、特設ステージでのライブがもうすぐ行われるようだった。急いで貴音さんを探すと、既にビヨンドザノーブルスの衣装を身に纏いその出で立ちはまさにcute&sexy 。美の女神もかくやと言わんばかりだ。

 

「おや、武内殿。どうか致しましたか?」

「すみません貴音さん。どうか一曲だけ、私に頂けないでしょうか?」

 

 私のライブは元々の予定にはない。当日、それもこんな直前での変更など普通ならばあり得ないし貴音さんにも非常に失礼な話だ。だが貴音さんは静かに私を見つめる。

 

「失礼ながらそれは誰が為ですか。ご自分の為ですか?」

「違います。どうしても、私の歌を届けたい方がいるんです」

 

 

 

 

 

 

 

 私は子供だ。

 

 そんな風に悲観し始めたのはいつだったでしょうか。

 もちろん、大人らしく振る舞うことも努力した。

 

 子供っぽい服は着ません。

 子供っぽい話し方もしません。

 子供っぽい笑い方もしません。

 子供っぽい考え方もしません。

 

 私は子供じゃない。少なくとも、中身は。

 

 

「ありさ先生の言葉をよく聴いてくださいね~。これからお巡りさんとアイドルさんがみんなに交通安全の大切なお話をしますからお行儀よくして聴きましょうね、ありさ先生との約束ですよ~」

「「「はーい! ありさ先生!」」」

 

 幼稚園児たちは私たちの直ぐ横に陣取っている。保護者の指示を聞く分、彼女たちよりまだマシかもしれない。

 

「ねぇねぇありすちゃん! 今日はアイドルが来るんだって! 誰かなぁ♪」

 

 この目の前ではしゃいでいる私のクラスメイトは子供だ。他のクラスメイトもそうだ。

 

「お前ら静かにしろよー。あんまりうるさいと幼稚園児に笑われるぞー」

 

 けだるげな先生の注意は子供のクラスメイトの耳には届いていない。そもそも届いたところでくだらない理由で小突き合ったり卑猥な言葉をどれだけ連呼できるか競う男子たちやそんな男子たちの中で誰がカッコいいかカッコ悪いかを話し合っている女子たちには馬の耳に念仏だろう。

 

「興味ありません。今日は交通安全指導の日です。それに、私は橘です。何度も言っていますよね」

 

「ありすちゃんは相変わらずだねー。あ、婦警さんだ、可愛い!」

 

 このように私の注意を長年無視しているクラスメイトたちだ。これでは中学に進学したところで彼ら彼女らに品性を求めるなんて絶望的です。はぁ⋯⋯。

 

 そしてなにより周囲の大人たちから私までも子供扱いされている現実に酷く辟易しています。ですがいくら嘆いても時間は速く進みません。私にできることは体が大人に成長するまで1日1日を理性と知性を持って過ごす⋯⋯それだけです。

 

 

 そう、思っていたけど⋯⋯なんなんですかこの人は? 

 

 

 765プロの新人アイドルと言う武内さん。行きなり現れて無理矢理ステージまで連れられました。

 でも四条貴音のライブならテレビやYouTubeで今まで沢山見てきました。この人はいったい何を見せたいんでしょうか? 

 

「さぁ良い子のみんな♪ これからいよいよ四条貴音さんのライブが始まるわよー! それじゃあ早速みんなで呼んで⋯⋯え? 変更? 最初の一曲だけあの厳ついでっかい男が? あれじゃ無理でしょ~⋯⋯うわっマイク入ってるし!?」

 

 なんだか司会進行の小さくて明るい婦警さんが他のスタッフさんと焦りながらこそこそ話しています。トラブルでしょうか? 私を連れてきた武内さんはいつの間にやらいなくなっていますしもう帰って良いでしょうか⋯⋯。

 

「えぇいっ もう自棄よ! さぁ皆さん予定を一部変更しトップバッターは765プロ所属の期待の新人、武内さんよ♪」

 

 武内? ま、まさかあの人ですか⋯⋯!? 

 

「初めまして。ご紹介に預かりました武内です」

 

 周囲がざわついていました。多分、良い意味ではないでしょう。ここにいる人たちは皆さん四条貴音のライブを観に来たのです。多少ネットで有名になっただけの新人アイドルなんて、お呼びじゃない筈です。

 

「⋯⋯多くの方々から、貴重なお時間を頂きました。一曲だけ、どうかお聴きください『エージェント夜を往く』」

 

 

 一瞬で、周囲のざわめきが消えた。

 

 曲自体は765プロの看板曲の一つ。それこそ多くの人が口ずさめるほどメジャーだ。

 

 だが違う。

 

 女性アイドルが歌うこの曲は妖しくミステリアス。菊地真や876の秋月涼ではまた違った凛々しさも加わるが武内さんの歌はどれも違う。

 エージェント夜を往く、まるでこの歌の新たなる可能性を見せられているかのように⋯⋯武内さんと言うアイドルの個性が、歌声を通して伝わってくる。

 

 なんて⋯⋯なんて⋯⋯温かいんでしょうか。理性を吹き飛ばす熱狂じゃない。

 

 これは⋯⋯安らぎです。誰もが安らげる夢の国のような⋯⋯お姫様と王子様の甘く蕩けるようなお伽噺。私が、いつの間にか下らないものと切り捨てた物が沢山涌いて出てきます。

 

 ──橘さん。

 

 思えば、生まれて初めて⋯⋯私をさんづけで呼んでくれた大人でした。

 あの声が、耳から離れない。ステージの上で沢山の人を虜にしているあの人の声が、私を呼ぶ。

 

 

 

       橘さん

             橘さん

  橘さん

               橘さん

      橘さん

橘さん

            橘さん

 

 

 

 ああ⋯⋯どうして、私だけを見てくれないんでしょうか。どうして、私だけにその歌声を聴かせてくれないんでしょうか。

 

 

「私も、あの人の隣に⋯⋯立ちたいな」

 

 

 

 

 そうすればあの声で、また私を呼んでもらえます。



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武内inテレビ

たこ焼き食べたい


「おめでとう武内くん!」

 

 出社早々ドアを開けた私の頭上から紙吹雪が舞い降りた。見上げればくす玉が開かれており扉を開けると同時に開く仕組みのようだった。垂れ幕も伸びておりそこには『祝! アイドルランク昇格!』と書かれていた。

 

「これは⋯⋯いったい?」

「見ての通りだよ武内くん。昨日アイドルランクの発表があってね! 君のランクはDクラスだと報告があったんだよ!! 素晴らしい!」

 

 アイドルランクとは芸能活動をしているアイドルたちの活躍の度合いによってランク付けされる仕組みだ。ランクはS~Fまであり獲得ファン人数やオーディションに合格することによってランクがアップする。

 

 Aランクともなればその知名度は国民的で名実共にトップスターだ。ランクによって受けられるオーディションや仕事も決まっておりアイドルとしてデビューした者が全て目指すべき指標の一つとも言える。

 

 

「Dクラス、ですか? しかし新人は普通ならばFクラスからでは⋯⋯」

「滅多にないことだが稀にあるんだよ。それだけ君がファンに愛されているって言う証拠さ! これから忙しくなるぞ~早速テレビ出演のオファーが来てるぞ!」

「テレビですか?」

「そうだ。それもあの人気お笑い番組、だ!」

 

「こ、これはまさかあの!?」

 

 渡された依頼書には国民的お笑いトーク番組の名が記されていた。日本で知らぬ人はいないとされる伝説的お笑い芸人が司会を務めるノンストップのトーク番組が売りで司会の軽妙なトークや絶妙なゲストとの絡みが人気となっている。

 

「最近話題の新人アイドルとしてオファーが来てね。私としてもこれを機に武内くんをテレビのステージに立たせたいと思ってね」

「しかし⋯⋯私にトークなど出来るでしょうか?」

「なぁに大丈夫さ。トークは事前のアンケートである程度準備できるし司会はあの方がいるんだ。きちんとフォローしてくれるよ。ま、爆笑の一つでも取って爪痕を残してくれたまえ。はっはっはっ!」

 

 

 

 

 

「はいどうも~! いやぁ~今日もフレッシュなゲストが来てますよ~。それじゃぁ早速、始まります!」

 

 あれよあれよいう間に収録当日となり私は雛壇の最前列に座っている。私の周りにはテレビでお馴染みの人気芸人・モデル・ミュージシャン・俳優・スポーツ選手などが座っている。そしてこの豪華な顔ぶれが一同に拍手を送るのが悠然とスタジオの中心に立ち観覧者に手を振っている伝説の芸人さんだ。

 本筋に入る前にMCがオープニングトークで笑いを取る中、私は頭に叩き込んだトーク内容を必死に予習しているのでよく聞いていなかった。これが災いとなる。

 

「せやろせやろ~。今日はアイドル来てるからな、武内。お前にも聞いてみよか、な?」

 

「⋯⋯⋯⋯え?」

 

 MCに話を振られようやくカメラが自分に向いていることに気が付く。しかしいったい何の話で振られたのかサッパリ分からない。下手に誤魔化すよりここは正直に謝るしかない。

 

「⋯⋯申し訳ありません。もう一度言っては頂けないでしょうか」

 

「ああスマンスマン。俺、滑舌悪いから聞こえな⋯⋯って致命傷か!!」

 

 MCが床に崩れ落ちスタジオが笑いに包まれる。

 

「おいおい話聞いてへんてどんなアイドルやねん!」

「俺らが必死に爪痕残そうとしてんのが恥ずかしいわ!」

「温度差ありすぎて風邪引くわ!」

 

 すかさず雛壇のお笑い芸人さんたちがツッコミを入れて下さり更にスタジオは笑い包まれた。私としてはミスをしてしまったのだが、どうやら周りの方々に救われたようだ。次からは真面目に話を聞かなければ。

 

「イタッ!?」

 

 急に後頭部を誰かに叩かれた。振り返るとそこには茶髪の快活な印象を覚える少女が座っていた。彼女は共演者の一人で、名前はたしか難波笑美。所属先はかつての古巣、346プロだ。共演者名簿で初めて知ったので恐らく私が346を辞めた後のアイドルだろう。

 

 しかし彼女が私を叩いたのだろうか? 位置的には彼女しかいないが理由が分からない。

 

「マエ見とき。カメラの回っとるスタジオは戦場や。気ぃ抜いとると後ろから射たれるで?」

 

 私にしか聞こえない声で放たれる言葉はドスが効いていてただただ恐ろしかった。彼女の目には殺気すら漂いさながらハンターのようだ。

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ~お前そんな趣味があったんかいな! おもろいな~」

 

 

 番組開始から30分程でトークテーマは出演者の趣味に移っていた。私も勿論用意はしていた。次に私の番が回ってくる。

 

「さ、次誰かいかへんか?」

「は、はい。私がやります」

「おっ! 武内、さっきの汚名返上頼むで!」

「私の趣味は⋯⋯趣味は⋯⋯」

 

 災い、再び。

 

 背中に一気に汗が吹き出した。信じられないことだがあれだけ練習したトークテーマを忘れてしまった。

 ついさっきまで頭にあった内容が、真っ白だ。口腔内の水分が蒸発したかのような渇きに襲われ言葉が出てこない。

 

 

「無いんかい!! 何で手上げたんや~」

 

 だがMCは私の異常事態を瞬時に察知して大げさにリアクションを取った。するとそれに追随してまた芸人さんたちも参加する。

 

「このアイドル初めましてですけど、えげつないメンタルやで!」

「恐ろしいわ! 恐いのは見た目だけにしてくれや!」

「なんなんさっきまで喜ばしておいて、抱くだけ抱いて捨てるやん」

 

 つい数秒前までは何も起きていなかった空間が弾けたように笑いが包み込んだ。私は冷や汗が止まらないが放送事故にはならなくてよかった。しかしこのままでは高木社長と約束した爪痕を残すことができない。何とかならないものだろうか

 

 

「痛い!」

 

 トークチャンスを必死に覗っていると今度は後頭部に肘らしき物が叩き込まれた。振り返ると明らかに敵意を向けている難波さんが声に出さずとも聞こえそうなくらいの怒りと侮蔑の感情を込めた視線を向けている。

 

 

「テープチェンジ入りまーす。一旦休憩でーす」

 

 スタッフさんの声掛けでそれぞれが思い思いの休息を取る中、私は雛壇から動けなかった。トーク番組はしゃべるだけでないことは分かっていたがここまでの疲労感があるものなのか。ほんの一時間二時間で重石が乗ったように体が重い。

 

 しかも私は、ほとんど喋れていない。

 

 トークに参加することも出来ずMCから振られた話題にも満足に返答することも出来ず、お客さんを笑顔にするどころか笑われてしまう始末。駄目だ、ダメダメだ。

 

 猛省中の私だが動けない理由はもう一つ、彼女だ。

 

 先程からずっと殺気を背中越しに向けられとても振り向けない。

 

「あんた、お笑い舐めとるやろ」

 

 沈黙をいきなり破ったその言葉と共にハリセンが私の頭頂部に振り下ろされる。

 乾いた音と情けない悲鳴がスタジオに響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お笑い

 

 

 ウチにとってそれはまさに人生やった。

 

 小さな頃からお笑い漬けやったウチは自他ともに認めるお笑い好きや。

 アイドルになったのもお笑い芸人さんと共演したいからオーディションを受けたらまさかの合格。そこからはウチの人生薔薇色やった。レッスンは厳しかったけど憧れの芸人さんと同じスタジオにいて一緒に笑いを産み出すことが出来るなんて最高やった。

 

 

 だから、そんな最高の場に素人が邪魔するんが一番許せなかった。

 

 自分の出演作の番宣だけしてあとはしれっと黙る俳優。自分の方がおもろいと大したことないエピソードで場をしらけさせるアホなアイドル。そもそも何言うとるのか分からん素人。

 

 どいつもこいつもふざけんなや! お笑い番組は戦場や! 端からふざけた領分で芸能人気取りよってからにいてこましたろか! 

 

 ウチはちゃう。お笑いの戦士や! 芸人魂を持つホンマもんのアイドルなんや! 

 

「765プロ所属の武内と申します。本日の収録は宜しくお願い致します」

 

 目の前におるこの武内っちゅう唐変木も腹立つわ。765プロ言うたらそらエグイくらい人気やけどどう見たってこいつバーターやん。威光を笠に着て神聖なお笑い番組を土足で踏み荒らすような奴は好かん! 

 

 なんや最近話題のアイドルらしいが所詮東京モンや。笑いのなんたるかも理解できてへんただのでっかいトーシロや。

 

 ちょっとでもふざけた真似したらぼてくりかしてしばきまわしたるわ! 

 

 

 そして収録が始まった。居並ぶ大人気芸人さんたちとあの伝説的お笑い司会者さんの番組にウチが出てるだけでヨダレもんや。

 

 だがこのトーシロはなんやさっきからブツブツトーク内容かなんかを独りで呟いて薄気味悪いわ。今から練習してどうすんねんボケ。

 

 

 素人がお笑い色の強い番組に出て陥るパターンは2つや。

 1つは共演者や司会者のフリに気づかず、反応できず大根をかます。

 もう1つはあらかじめギャグなりトークなりを用意するが自分で流れを掴む技術がないからいきなりその場の話の流れを完全に逸脱した決め打ち。

 

 どっちも場をシラケさせ話の腰を折る大戦犯や。司会者やプロデューサーの心証は悪いでぇ~~。お笑いを舐めた罰や! せいぜい赤っ恥かいてケツ巻くって東京へ帰れ武内! 

 

 

「⋯⋯申し訳ありません。もう一度言っては頂けないでしょうか」

 

 

 嘘やろ!? こいつ早速大根かましよった!? 早すぎるやろ! 

 

 

 周りにおいしくしてもらったから良いようなもの今のはあんたが取った笑いちゃうで、勘違いしたままじゃそのうち大事故起こすっちゅうもんじゃ。あー腹立つ。

 

 

「無いんかい!! 何で手上げたんや~」

 

 

 か、考えられへん⋯⋯今度は決め打ちを外しよった。

 

 場はウケとるようやけどがこんなのは今だけや。全部あんた以外の回りが丁寧に拾ってやったから笑いになっとるんや。

 

 

「最近は芸能人の不倫がホンマに多いな~。もっと明るいニュースが欲しいなぁ、結婚とかなぁ彼女出来たとかな」

 

 テープチェンジが終わり収録が再開されると恒例のMCトークが行われる。自然な流れで視線を向けられたのは一人の中堅芸人。近頃人気モデルとの噂があることでも有名や。さすが関西の至宝とも言うべきMCやな、最新のゴシップも把握してフリに繋げとる。勉強になるわ。

 

「いやいや、勘弁してくださいよ! 何もありませんから!」

「え、何かあったんすか?」

「何もないよ!」

「そやで。俺らみたいな者が結婚なんて望み⋯⋯のぞみ!?」

「止めろォ!」

 

 恒例とばかりに周りの芸人さんたちもいじりに加わって笑いを取る。テレビ画面越しに見てた光景が目の前で行われて眼福や~~♪ 

 

 

「かまへんかまへん! それよりお前の方がはよ結婚しろや。不細工ゆうても他に魅力一杯あるやろ」

 

 MCに話を振られたのは人気お笑いコンビの片割れ、容姿をネタにして弄られキャラを売りにしとる芸人やな。

 

 

「そうなんですよ顔は不細工ですけど心は乙女です! 髪だって毎日お手入れしてます!」

「禿げとるやないか! どこがやねん! 」

 

 お決まりのネタに軽快なツッコミが炸裂。流石コンビや、ツッコミもボケもキレッキレやで。

 

「ほなら武内は真面目やからアイツに聞いてみぃ」

 

 ハァ!? ここで武内に振るんか!? いくらなんでもキラーパス過ぎるやろ! 

 

 振られた武内も一瞬ビクンと肩を震わせた。背中越しで表情は分からんがどうせまたテンパっとるに決まっとる。

 

 しゃーない、ここはウチが助け舟出して笑いを繋げて──

 

「はい、そもそも今日初めてお会いしましたが控え室で共演者の方々に挨拶をされ、新人である私にも番組の流れやお笑いについてアドバイスしていただきとても感謝しています。番組前も『大丈夫大丈夫、俺らがついとるから困ったら何とかするよ』と相方の方と一緒に言って下さりとても好感が持て──」

 

「真面目か!!? コイツらの個性死んじゃうやろ!」

 

「今は不細工です言う流れやん! 勘弁してくださいよ~!」

「俺、もらい事故やん。転校生の初日くらい照れくさいわ!」

 

 ドッと会場が沸き上がった。出演者やお客さんもみんなが笑いウチにとって神様とも言える司会者も腹を抱えて笑った。

 

「え?」

 

 あ、アホな~~~~~!!? な、なんでこいつウケとるんや!!! 

 

 

「えぇでえぇで、おもろいアイドルやな~武内。しっかしアイドルもここ最近はホンマいろんなのがおるなぁ。俺らの頃は日高舞にみんなメロメロやったけどな。そういえばお前も昔はアイドルやっとたな」

 

「やってませんよ! どういうプロフィールですか⁉ 大学出てからお笑い一本ですよ!」

 

 これもまた恒例のいじりや。さっきの爆笑はまぐれや、気にしたらあかん。ウチもここらでそろそろトークに参加して難波笑美、ここにありってのを見せつけとかなあかん。

 

「でもたまにオーディション出てるよな」

「出てませんよ!」

「オーディションに出る時はどんな選曲で歌うんですか?」

「知りませんって! だから出てませんよ!」

「高垣楓の電話番号教えて」

「知るわけないでしょう‼ だからアイドルじゃないって!」

 

「楓先輩ならウチ、電話番号知っ──」

 

「確かに貴方はアイドルも目指せると思います。お笑いもアイドルも、人を感動させることに違いはありませんので。いくつかプロダクションをご紹介しましょうか?」

 

「真面目だなぁ! いじれよ! 俺をいじれよ!」

「武内はホンマ真面目やなぁ。しっかもエエこと言うわ~。お前らみたいなドブ芸人とは違うねん」

 

「「「だーれがドブ芸人や!」」」

 

「あ、あはは⋯⋯はは⋯⋯」

 

 爆笑再び。

 

 ウチのトークは笑いの渦に巻き込まれ二度と浮上せんかった。

 

 なんや、なんなんやコイツは? トーシロだと思っとったのになんでウチよりウケとるん? なんでウチより目立っとるん? 

 

 いや、ウチは知っとる。

 

 このおかしな流れ。不可思議な笑い。不気味なゾーン。

 

 コイツは⋯⋯コイツは間違いなく⋯⋯

 

 

 

 

 

 

 天然や!!! 

 

 

 

 間違いないッ

 

 日夜研究と研鑽を重ねてきた笑いの技術をたった一回の天然ボケで横から全ての笑いをかっさらってくあの恐怖の天然タレントや! その片鱗を持ってる! うちの笑いのセンサーが警鐘を鳴らしとる、この武内言う奴を野放しにしたらアカン! 

 

 

「765凄いの入ってきたなぁ。天海春香や双海姉妹なんかもエライおもろいけど今度はそう来るか~」

 

 あかん! 流れが! 流れが武内に来とる!! 笑いの特異点が武内になっとる! 

 

 残りの収録時間的にここでウチが行かなもうチャンスが無い! こんなトーシロにウチが負ける訳がないんや! 

 

「あ、あの! ウチ、実はこんなギャグを考えて──」

 

「待っとけ! お前はお前でがっつきすぎや! 今は武内で回す流れやろ」

 

 目だけが光っとった。あれは殺し屋の目やった。MCの笑いの中に、ウチは戦力外ちゅうことやった。

 

「……あぅ」

 

 

 笑いが起きた。

 

 ウチは雛壇に力なく座る。それからもう二度と、立ち上がることも、喋ることもなかった。

 

 

 

「今日のトーク賞は武内や! おもろかったでぇ~」

「ありがとうございます」

 

 憧れの芸人さんたちから称賛される武内をウチはただただ見つめることしか出来なかった。

 

 トーシロに負けた。

 

 なに言うてるんや。トーシロはウチや。勝手に舞い上がって勝手に敵意剥き出して勝手に自滅した。

 ウチの出番は何処にもない。唯一の爪痕は司会者に怒られたあそこだけや。これじゃあ出たがりのアホなアイドルはウチや。ウチこそお笑いを舐めとった。

 

「ひっぐ……うぇ……お笑いなんか……グス……お笑いなんか……もうお笑いもアイドルと辞めたる~~!」

 

 収録が終わると同時に誰もいない非常階段で号泣した。悔しさと恥ずかしさが合わさって止まらへん。

 

 もう止めや。ウチは所詮、ただのミーハーやったんや。アイドルに成れたのも偶然や。事故みたいなもんやったんや。今日中に荷物まとめて大阪に帰ろう。

 

「大丈夫ですか? 難波さん」

 

「うひゃぁ!? た、た、た、武内? なんでお前がおるんや!?」

 

 トーシロ、もとい。武内が何故かいた。本当になんでや? 

 

「泣いているんですか?」

「み、見んといて⋯⋯堪忍してくれや。こんな、こんな汚い顔見せられへん!」

 

 涙と鼻水がぐじゃぐじゃに混じってもうたウチの顔は多分、最高に不細工や。最高にカッコ悪くて⋯⋯最高に無様な女や。あかん、また泣けてきた。

 

「どうぞ、これを使ってください」

 

 そう言って武内はハンカチを取り出した。

 

「い、いらん! 構わんとってな! 慰めなんかいらんねん!」

 

「どのような理由で泣いているのか私は分かりませんが、笑顔が、一番です」

「しつこいわ! 笑いで負けたらウチはもう終わりや! 笑われたんや、このウチが! 屈辱や! もうアイドルなんて──」

 

「諦めないで下さい!!」

 

 ウチの前で武内が頭を下げた。

 

 ホンマになんなんやこの男。初対面でさんざんイキったウチになんで頭が下げられるんや。

 

「なんであんたの言うことを聞かなあかんの?」

「⋯⋯もう二度と、アイドルの夢を諦めさせたくないんです。もう二度と!」

「な、なんでウチやねん。あんたにとっちゃどうでもええやろ」

「どうでも良くありません。何故なら、難波さんはとても素敵な笑顔をしていますから」

 

「へ?」

 

「笑美……その名の通り貴女の笑顔はとても愛らしく美しいものです。芸人さんたちと一緒にいた貴方は心から笑っていました。ですからどうか涙を拭いてください。あんなに素晴らしい笑顔を持つ貴女に、涙は似合いません」

 

「あ、あ、あ、アンタ冗談キッツいわ! 」

 

 急に何言っとるんやっ!? この男! 

 クサ過ぎるやろ!! 真顔でなんちゅう歯の浮く台詞が吐けるんや!! 

 

 

「私は笑顔が好きです。だから、貴方の笑顔が好きです。そんな貴方の笑顔を、沢山の方に見て貰いたい、おかしなことでしょうか?」

 

 全部おかしいわ! 

 

 おかしい⋯⋯! おかしな筈や⋯⋯

 

 筈やけど⋯⋯けど⋯⋯けど⋯⋯ 

 

 

■■■■■■■────!(惚れてまうやろーーー!)

 

「ど、どうかされましたか! 難波さん!」

 

 なんやねんコイツは! こんなん惚れん方がおかしいやろ! 恋の超特急出発進行やわ! 

 

 ちゅうかずっと後ろ姿しか見とらんかったけどめっちゃ男前やん! 背ぇ高! 胸板厚ぅ! 笑いのセンスもあるって、自分無敵なん!? 

 

 

 

「ふ⋯⋯ふふふ⋯⋯武内はん~!」

「は、はい⋯⋯?」

 

「絶対、絶ぇ~対っアンタを笑わせたるで~。ウチに粉かけた罪はハリセン1000回でも軽いくらいや! 覚悟しときや!」

 

「は、はぁ? ともかく、元気になられたようで良かったです」

 

 なーんか急に人生薔薇色になってきたで~! そや! 新しいギャグを考えて早速、武内はんに見てもらおう! その為にはもっともっとお仕事頑張らなアカン! 

 

「難波笑美! 愛と笑いの為に、いっちょやったろやないかい~~!」




実在の人物、団体とは一切関係はありません。


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女王VS武内

読者はついてゆけるだろうか 超展開のスピードに


 過去 346プロ本社 改装中デスク

 

 

 かつて其処には武内と呼ばれた男が存在していた。

 

 しかし、忙しなく動き回る清掃業者によって一人の男の残光すらも文字通り塵一つ無く消え去っていく。機械的に作業をする清掃員たちには何の感慨も無いつもの作業もそれを見つめる複数の影にとっては悲痛な光景だった。

 

 城ヶ崎美嘉は事務員の千川ちひろと共にその光景に立ち尽くしていた。

 

「こうして見ると、やっぱりプロデューサーさんは辞めてしまったんですね。当たり前ですけど⋯⋯寂しいです」

 

 笑顔を絶やさない事務員もこの時ばかりは暗い影が差していた。しかし直ぐにちひろは自分の発言が迂闊だったと後悔する。

 

 城ヶ崎美嘉はただ涙を流していた。

 

 一言も、嗚咽すら漏らさず。

 作業を見ている目は焦点も虚ろで果たして何を写しているか本人にしか分からない。

 

 涙が頬を伝う音が聴こえるのではと思えるほど、深い悲壮だけが推し量れた。

 

「他の皆さんもショックを受けていましたが、私や今西部長が今以上にサポートしますので安心してください⋯⋯あ、財前さん?」

 

 ちひろが振り返ると廊下の向こうから346プロ所属アイドルの一人である女がいつの間にやらやって来ていた。

 

 コートに身を包み美嘉とは違う全てを侮蔑したかのような冷たい視線を放つ女──財前時子が其処にいた。

 

「どうやらあのプロデューサーが辞めたと言うのは本当だったようね」

 

 時子は軽蔑を露に隠しげもなく吐き捨てた──クズね、と。

 

 まるで周囲一帯の温度が急激に下がっていくかのような感覚にちひろは襲われた。時子の醸す怒りとも嫌悪とも取れるオーラに関係の無いはずの作業員すら肩を竦め示し会わせるように無言で俯いた。

 

 だが美嘉は、弾けた。

 

「取り消しなさいよ⋯⋯! 今の言葉⋯⋯!」

「み、美嘉ちゃん!? 落ち着いて!」

 

 目を見開き虚ろな目のまま迫る美嘉は正気とは思えなかった。しかしそんなことは意に介さないとばかりに時子の罵倒は止まらない。

 

「あら美嘉、いたの。でも思えば貴女も哀れね。あんなぺてん師に弄ばれたせいでその有り様なんて⋯⋯同情するわよ」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯ぺてん師?」

 

「言葉通りの意味よ。口ではアイドルがどうの、笑顔がどうのと散々宣った癖にあの男は何も成さず、何も残さず、とっとと尻尾を巻いて逃げたのよ。ぺてん師じゃなかったら何なのかしら? 教えて頂ける?」

 

「美嘉ちゃん! 何をするつもりですか! 時子さんももうやめて下さい!」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯馬鹿にした! プロデューサーを、プロデューサーを馬鹿にしないでよ!」

「美嘉ちゃん! やめて!」

 

 執拗に武内を貶す言葉に悪意はない。時子は純粋に思った事を言葉に乗せている。しかしそれがひたすらに聞く者の心を抉るのを除けばだが⋯⋯

 

「結局あの男は口だけだったのよ。馬鹿の一つ覚えみたいに笑顔笑顔笑顔って⋯⋯! 終いにはたかが三匹の負け犬が可哀想だから自分も辞めるですって? もうあいつは下僕でも豚でも無いわ。ただの無価値なゴミクズよ」

 

「違う! あの人はシンデレラガールズを作ったプロデューサーだ! 私の今があるのは、全部プロデューサーがいたからだ!!」

 

 あわや衝突する距離まで詰め寄る美嘉。だがその怒りはちひろでも時子でもない第三者によって阻まれた。

 

「少し⋯⋯頭を冷やしましょうか」

 

 女はただ、美嘉の顔に手をかざした。それだけの行為。しかし、その行為によってもたらされた結果は

 

 重大だった。

 

 

 美嘉の意識は一瞬で刈り取られ糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ墜ちた。

 同時に凄まじいまでの圧が通路内に張り詰められる。

 

 戦慄

 

 全員が戦慄した。

 

 目の前のアイドルに。

 

 美嘉ではない。左右で緑と青のオッドアイを持つ女性、高垣楓にだ。

 

 

 ──右手一本で美嘉を制した? 流石は346プロ最強のアイドル、と言うことかしら。

 

 

「美嘉ちゃん⁉ しっかりしてください!」

「心配いりませんよちひろさん。軽めにしたので直ぐに目覚めます。美嘉さんや時子さんは、まだこのレベルには達していませんけど」

 

「なんですって?」

 

 あからさまな侮りの言葉に時子のプライドが刺激される。普段では想像もつかないオーラを放ち、明確な敵意すら醸す楓。

 

 

 グニャリと両者の間の空間が捻じ曲がる。

 

 

 ちひろの小さな悲鳴を合図に、最初に動いたのは時子。

 

 のはずだった。

 

「──ッガッ……‼⁉」

 

 時子が攻撃の意思を行動に移すその寸前に、既に楓の行動は終わっていた。

 

 笑顔。

 

 楓は静かに笑った。微笑とも言えるそれはいともたやすくメディアの女王 財前時子の戦意を削ぎ落し人生初となる片膝をつかせた。

 

「なん……だと⁉」

 

 ──笑顔だけでこの私を制した? 

 

 其処には純然たる力があった。物言いなど付きようもない、完璧なアイドル力。

 

「喧嘩はいけませんよ。Sランクの私とAランクの時子さんでは、Liveバトルなんてしてしまったら命を失うことになるかもしれません。もう美味しいお酒も飲めませんよ?」

 

 ちひろは楓の言葉に眉をひそめるが時子はそれも可能であろうと考えた。高垣楓は巫山戯た駄洒落はよく吐くが虚言を弄するような女ではないと知っているからだ。

 

「クッ いいわ、認めましょう。まだ貴女には勝てないわ」

「随分とイライラしているようですが、プロデューサーさんがいなくて寂しいんですね?」

「ハァ? 私がアイツを? もう興味なんて無いわよ」

「プロデューサーさんがアイドルになったそうですよ? 765プロに所属してアイドル活動をするようです。楽しみですね、共演が」

 

「は?」

 

 自らの耳を疑った。高垣楓はなんと言った? 

 

 ──アイドル? あのむさいデカブツがidol? 

 

「アイツがアイドル? フン! どうせ頭の中の蛆虫が悪さをしたに違いないわね♪ 貴女の寒いギャグはいつも笑えないけど流石にそれは笑えないわ」

 

「そうですか? いいアイドルになると私は思いますよ?」

 

「笑えないと言ってるわよ。でもまぁ、それなりに売れでもしたらその時は相手になってもいいわ」

「まぁ♪ きっと楽しい時間になるでしょうね。楽しみです」

 

「私が楽しむとでも? だとしたらそれこそとんだお笑い草よ。私はね、ただ踏み潰すだけよ。そう⋯⋯いつもそうしてきたわ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 現在 765プロ事務室

 

 

 私は波に乗っていた。

 

 無論、本当の波ではない。仕事の波だった。

 

 人気お笑い番組での私の活躍(私自身の手応えはあまり無かったが)が評価され主にバラエティー番組での露出が増え、私の名はそれまで以上に有名となった。

 

 嬉しいことでデビュー当時はスカスカだったスケジュールも今は休みを探すのも難しい程だ。

 

「大変よー!」

 

 プロダクションに響き渡る小鳥の絶叫によって私の意識は現実に引き戻される。青ざめ受話器を片手に口をパクパクさせる小鳥は私をじっと見つめた後、天を仰ぎそのまま机に突っ伏した。

 

 

「私が、Liveバトルですか?」

 

「そうなんです! 346プロから武内さんをご指名で直々のオファーが来ちゃったんですよ! どうしましょう! もうテレビ局も動いてるらしくて断るに断れませんよ! きっと346プロが武内さんとウチを潰しにきたのよぉー!」

 

 ムンクの叫びも可愛く見えるのスクリームに小鳥が沈む中、武内は思案した。

 

 Liveバトル。

 それはアイドルとバトルを組み合わせたまったく新しいライブ。

 

 多様化、多極化する昨今のアイドル業界において単純な人気を測るのは極めて難しい。しかしそれでもランク付けをするために生まれたのがライブバトルだ。

 

 互いに観客の前でライブを行いリアルタイムで人気が変動する。ある種、残酷な戦いでもありあまりに差が開きすぎるとアイドルにも相当のダメージが発生してしまう危険な代物だ。

 

「しかも、よりによって相手があの財前時子だなんて」

「なんですって⁉」

 

 財前時子の名に武内は驚愕した。あの全てに興味が無いと言うような目は忘れようとも忘れられない。

 

 ──アイドルに、興味はありませんか? 

 ──不躾な視線でジロジロと、貴方、脳みそは何グラム? 

 

「武内さんは当然ご存じだと思いますが財前時子は346プロのトップアイドルの一人ピヨ。ステージ上の女王様とも言われてライブバトルでは無類の強さを誇っています」

 

 初めて彼女に出会った日のことは今でも覚えている。彼女も、城ケ崎さんと同じく最後まで一緒に歩む約束を破ってしまった一人だ。財前さんとは別れも言えずそのままだ。

 

 私は奇妙な因果を感じた。逃げてはいけない戦いだ。

 

「お受けしましょう小鳥さん。Liveバトルで、財前さんと戦います」

 

 

 

 

 

 

 

 Liveバトル会場 東京 後楽園ホール

 

 夜の帳が降りた今宵、アイドルに熱狂する多くのファンたちが犇めくほど集った後楽園ホール。プロレスやボクシングとは違った、しかしそれらと遜色無い膨大な熱を帯びていた。

 

「レディース&ジェントルメン! 今夜もやってきたさー! Liveバトル! どっちが強いアイドルか見たいか──っ!」

 

 司会役の我那覇響のアナウンスに会場は一層沸き上がる。

 それもそのはずだ。

 

 346と765。

 

 古くからの伝統を持つ346プロと、飛ぶ鳥を落とす勢いの新興プロダクション765プロのバトルを期待するなとと言う方が無理だろう。

 

 

「自分も見たいぞー! それでは早速アイドル入場だ──!」

 

 アナウンスと共にきらびやかな照明が落ち、代わりに灯ったレーザーライトと立ち込めるスモークが不穏な雰囲気を作り出す。

 

「まずは白虎の方角さー!」

 

「その女、まさに女王! 

 立ちはだかる敵は全て下僕! 

 強烈無比の鞭はあらゆるアイドルを打ち据えるさー!」

 

「身長 168cm! 体重 46kg! 

 B-83 W-55 H-85!」

 

「346プロ所属! 

 アルティメット・サディスティック・アイドル! 

 財前ンンンンン時子ォォォオオオ‼」

 

 

 

 女王顕現。

 

 

 彼女の歩みに観客は色めき、

 視線一つに魂を震わせ、

 身に纏いし衣装と鞭すらも従わせる強者。

 

 財前時子⋯⋯今この時、世界は彼女中心に廻っていた。

 

 

 誰もが彼女の勝利を疑わないだろう。

 誰もが対戦相手の不様な敗北を挑むだろう。

 

 これは、戦いではない、女王の処刑なのだ。

 

 

「む~~ちょっと武内に酷しくないか~? でもみんな見とけよー! 武内は凄い奴さー! 財前時子の対戦相手はこいつだ──!」

 

「青龍の方角!」

 

「元プロデューサーがアイドルを知るためアイドルに成る! 

 異色の経歴を持つ男は彗星のごとくアイドル業界に旋風を巻き起こした! 

 鉄仮面の下に秘める笑顔はまさに殺・人・兵・器!」

 

 

「プロデュース&アイドル! 

 武内ィィィイイイイ‼」

 

 静謐。

 

 リビドーを刺激し調教する財前時子のランウェイが動ならば、武内の歩みは静そのものだった。

 黒のダークスーツ調にアレンジされた専用のアイドル制服に身を包み、能面のごとき顔面は表情筋一つ微動だにせず、その姿はまさに漆黒の騎士。

 

 既に時子の勝利に振りきれていた観客たちの心を剣が貫くように、ある者は失神、ある者は失禁、またある者は男女問わず想像妊娠した。

 

 

 弩S女王対黒騎士

 

 

 

 期せずして会場のボルテージは、最高潮に達していた。

 

 

 盛り上がる大観衆の中心で、両雄は向かい合う。

180㎝を優に越える武内と時子とでは、必然的に時子の方が見上げる形となる。

 しかし武内は相対してからずっと時子から見下され、見くびられ、あし様な上から目線を突きつけられていた。

 

「お久しぶりです。財前さん」

 

「正直逃げないか心配していたわ⋯⋯この豚。なるべく手っ取り早く苦しんでから消えてくれる?」

 

 挨拶代わりとばかりに振るわれた鞭は音速を易々と突破し、衝撃波が会場全体を振動させる。それだけでも財前時子のアイドル戦闘力が並外れていると分かる。

 

「私は豚ではありませんよ。財前さん」

 

 だが鞭の先端は額を穿つ直前に武内の手によって握られていた。

 この男もまた、既にアイドル活動を通して人の域から脱却していた。

 武内を前にして、女王は獲物を狩る肉食獣の笑みを浮かべ鞭に舌を這わせる。

 

 

「さぁ、豚のような悲鳴を上げなさい♪」

 

 

 そして幕は上がる。

 

 

 

 

 

 

 I Want 

 

 言わずと知れた天海春香さんの代表曲。それまでの明るい曲調はそのままに挑発的で蠱惑的な歌詞は天海春香の新境地を切り開いたとファンの中では語られている。

 

 それ故に多くのカバーが存在する曲だ。大前提として、カバーは所詮カバー。独自色は出せてもオリジナルは越えられない。

 

 だが此処に、例外が存在した。

 

「財前時子の歌は完璧のようだぞ! ここまでミス無し! 更に盛り上がって盛り上がってきたぞー!」

 

 ──ただのカバーではないですね。完全に自分の歌にしている。ここまで成長したのですか。財前さんは⋯⋯しかし! 

 

「私にも武器はあります⋯⋯!」

 

 全身のバネとなけなしの笑顔を使いステージ上でポーズを取る。ただのポージングではない。所謂アピールと呼ばれる技法だ。

 

 

「そう来ると思っていたわ! さぁ下僕共! 私にひれ伏しなさい!」

 

 

 財前さんの呼び掛けに応じて観客のほとんどが総立ちではなく総土下座をした。強制ではなく自らが進んで額を床に擦りつけながら感涙している。

 

 そして満を持するかのように振るわれた鞭は空を切り裂き、世界を越え、全ての観客たちの背を穿ち抜く。

 

 激震。

 

 地鳴りのような歓声と共に私のアピールは力なく霧散した。

 

 同時に私の体にも反動としてダメージが反映される。

 

 

「グハッ⋯⋯! ば、バーストアピール⋯⋯!?」

 

 

 財前さんは所謂天才肌のアイドルだった。

 幼い頃の習い事でダンスや歌をしていたと話されたがそれでもデビュー僅かにして並みいる先輩たちを押し抜けスターダムをかけ上がっていった。

 

 だが私の知る限りアイドルの中でも一握りの選ばれた者しか体得できないとされるアピールの更に上、バーストアピールはまだ身に付けていないはずだった。

 

 

「ククク! バーストアピール⋯⋯私が使えないとでも? 貴方が私の担当を離れていったいどれだけの時間が経ったと思っているのかしらねぇ!」

 

 

 

 膝をつき歌詞が途切れファンが急速に離れていく。だが動けない。全身の筋肉と骨が軋み、息すらできない。

 

 吐血が顎を伝い衣装を真っ赤に染め上げる中、財前さんは狂気すら従えた威風堂々たる姿で鞭をしならせながら悠然と迫ってくる。

 

 数メートルはある鞭が生み出す暴風は大気を震動させ小型の真空波を放ち私の肉を切り裂く。

 

 

 

 

 ──このままでは⋯⋯負ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──私の世界に色はない。

 ──絵筆は指、絵具は血、キャンバスは世界。

 

 ──血の色は、モノクロ──

 

 ──モノクロの世界は進み続ける。移ろうことすらできない私を置いて──

 

 

 

 

 

 既にLiveも佳境に入り更なる盛り上がりを見せている。されどその歓声は財前時子一人に向けられていた。

 

 誰もが勝敗は決したと思った。

 やはり女王に敵う者などありはしない。

 

 時子は終了を待たず止めを刺しに鞭を構える。

 

 

「アハハハ! 不様ね! 通常アピールじゃ私は倒せないわよ? と言っても、そのアピールすらもう撃てないでしょうけど♪」

 

 ステージに倒れ伏した武内は全身から出血しピクリとも動かない。既に事切れたのでは⋯⋯そう思えるほどにボロボロだった。

 

「終わりよ武内! 私の前で! 己の無力を知り絶望なさい!」

 

「⋯⋯た、たしかに、成長しましたね。財前さん⋯⋯! とても嬉しいです⋯⋯!」

 

 瞬間、時子は跳び跳ね距離を取った。

 周囲の観客には不思議な光景だろう。既に刀折れ矢尽きた瀕死の武内になぜ警戒する必要があるのだろうか──と。しかしそれは時子も同じだった。

 

 ──何故⋯⋯私は距離を取ったの? 一瞬、アイツのアイドル力が急激に上がった⋯⋯? 

 

 

「ですが⋯⋯私も多くを学びました。もう⋯⋯昔の私ではありません⋯⋯!」

 

 武内は立ち上がった。傷を負いながら、血反吐を吐きながら⋯⋯されどその姿を不様と見るものはいない。

 

 武内から爛々と迸る闘気を観客たちも肌で感じ取っていた。

 時子も額から汗を滴し戦慄した。

 

 ──あり得ないわ。武内がアイドルになってまだほんの数ヶ月⋯⋯そもそもアイツはアイドルの才能もない、アピールすら満足に出来ない出来損ない。何もかも中途半端なろくでなし。

 私に勝てる要素なんて一つ足りとて無いわ。

 

「私は⋯⋯負けられません。負けられないんです⋯⋯!」

 

 ──なのにこのオーラは何? こんな、私を置いて逃げ出した卑怯者がどうしてこんな覇気を放っているの? これじゃあ⋯⋯まるで一流アイドルのそれと同じ⋯⋯! 

 

 気づけば武内は手を伸ばせば届きそうな距離まで近寄っていた。それはつまり互いの間合いに互いが入っていることをさす。

 

 時子の背筋が震えた。だが死んでもそんな素振りは見せず余裕と侮蔑の笑みで鞭を握り直す。

 

 この時初めて、圧倒的優位に立っておきながら時子は無意識で受けに回った。

 

「貴女は、いつもそうでした。口よりも、結果で示さねば絶対に納得しては頂けません。ですので、お見せします。私の全力を!」

 

 何処からともなく現れたスタンドマイクを握り締め、スポットライトが武内を照らす。その出で立ちは観客たちに敗色濃厚のアイドルとは思えない凄みを与えた。

 

「それが貴方の全力? ただ立ち上がっただけじゃない。もういいわ、どうやら貴方は余程この私を馬鹿にしたいようね。私に勝つだなんて妄言の罪、払って貰うわ──」

 

 

 

 

ニコ

 

 

「はうっ──!?」

 

 

 刹那。

 

 

 時子はそれまでの闘いの経緯全てを忘却した。

 

 未だ血の滴る武内の口角が僅に上向き作り出されたのはアルカイックスマイル。古代ギリシャより受け継がれる奥義。

 その微笑は幸福感と生命力を暗示し、時子のみならずその尊顔を目にした観客たち全員が煩悩から解き放たれ瞑想の達人の如き無我の極致へと至った。

 

 ──あり得ない。 一瞬、アイツの笑顔から目が離せなかった。この私が⋯⋯よりによってアイツに、見蕩れた? 

 

「私は、本当にちっぽけな男です。多くの方に助けて頂いて今があります。だからこそ、恩返しをするにはアイドルしかありません! それが奇跡だと言うなら、起こします。何度でも!」

 

「無駄だと言っているでしょう! 奇跡なんて起こりはしない!!」

 

 時子のアイドル力が急速に増し、まさか、と武内が身構えるが既に遅かった。

 気づいたときには武内の腹部を鞭が抉り取っていた。

 

「カハッ⋯⋯!?」

 

「ゴホッ⋯⋯ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯! 私は女王よ! 敗北なんて! アイドルも歌もただの暇潰しよ! だけどどんな小さなことでも手を抜いて負けるだなんて私の誇りが許さないわ!!!」

 

 都合3度のバーストアピール。

 

 通常ライブでたった一度きりしか発動できないバーストアピールを連続で3度。それは武内に揺れ動いていた観客の視線を一気に取り戻して余りある効果となった。

 

「⋯⋯⋯⋯ッッ!」

「ハァ⋯⋯ハァ⋯⋯! ここまで食い下がった事だけは褒めてあげるわ。けど⋯⋯終わりよ!」

 

 ただ一度のバーストアピールで瀕死の重傷を負った武内。それを計四度もその身に受けたアイドルの体が無事である筈が無い。

 

 

 

だ が 武 内 は 倒 れ な い。

 

 

 肩を震わせ、沈み行く足を地に打ち付け、ひたすら笑っていた。とうに限界は越えている。しかし、武内は、ステージに立ち笑顔であり続けた。

 

「これが、私にできることです。財前さん、貴方には⋯⋯()()()()()()()()()()()()物の一つです」

 

「その間抜け面が何? 笑顔が何だって言う訳よ。そんな物に拘って貴方は失敗したんじゃない!」

 

「そうです⋯⋯! だから、私が諦める訳にはいかないんです! 私が⋯⋯彼女たちの思いを、彼女の歩みを、無駄にはさせません!」

 

 あくまでもいつもの丁寧な口調だがその節々には燃え盛るような決意が滲み出ていた。

 時子はその姿を嘲笑うようにグイ、と顎を上げ見下す。

 

「今更プロデューサー気取り? 反吐が出るわ。終わらせましょう、武内」

 

「ええ、終わらせましょう。財前さん」

 

 

 両者は理解していた。曲はクライマックスに差し掛かり残された時間、体力から考えてもアピールは後一回で限界。

 しかしリアルタイムで計測されているファンの推移は武内3:財前7と、仮に武内がバーストアピールに成功してもその差を埋めきることは理論上不可能に近かった。

 

 

 だが時子はそれを踏まえた上でバーストアピールをもう一度放とうとしている。

 

 彼女とて無傷ではない。自身のアイドルランクを遥かに上回るパフォーマンスを短い時間で立て続けに行った代償は深刻だった。

 神経は焼かれ筋繊維は断裂し心臓は張り裂けそうなほど拍動していた。

 

 

 それでも、尚。女王のプライドは武内を叩き潰す敵と捉えていた。

 

 これまで彼女の前に立ちはだかった障害は本気を出す価値の無いものだった。

 敵は全て踏みにじる。それは最早、矜持を越えた信仰とも云うべきもの。

 

 事ここに至り尚、財前時子は武内を見下し天に立とうとしている。

 

 

 

「流石ですね⋯⋯本当に⋯⋯財前さん、貴方は⋯⋯素晴らしいアイドルです。私の⋯⋯持っている物は⋯⋯コレしかありません」

 

 

 武内は笑った。なんの変哲も無い、ただの笑顔。

 

 既に相当量の出血をし意識も朦朧とする中でも、ふてぶてしさすら感じる程の笑みを見せた。

 

 

 互いに語る言葉は既に尽きた。

 蹟はただ、己の全てを歌に乗せるのみ。

 

 

 

 二人はアピールを繰り出した。

 

 時子は本来ならばあり得ない五度めのバーストアピールにして本日最高の威力。重力すら歪む財前時子の個性を顕現させた奔流は武内を飲み込みスポットライトの光も、影すら消し去る

 

 

 

 

 

 

 

その時、不思議な事が起こった。

 

 

 

 

 

 

ス・テ・キなハピネスどうぞ♪

 

 ステキハピネス

 

 天海春香の楽曲の一つにして彼女本人の作曲がベースとなっている。

 幸福や喜び、笑顔がトレードマークの天海春香を体現した歌。

 時子のIWantに対しての武内の楽曲だった。

 

 そして武内の体から溢れんばかりの光が放たれその衣装に変化が現れる。

 

 武内の中世騎士風な漆黒の衣装が姿を変え、そこに現れたのは純白の軍服を纏い剣に見立てたスタンドマイクを握る武内だった。

 

 無論ただの衣装交換ではないことは後楽園ホールの誰もが確信した。

 

 

 特別席でライブを見守ってきた高垣楓も思わず立ち上がり弧を描く口元から衝撃と歓喜の喘ぎが溢れる。

 

 

「アルティメットアピール⋯⋯あぁ⋯⋯武内さん♪ やっぱり貴方は⋯⋯私が思い描いた通りの人ですねぇ♪」

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ────」

 

 視界がグラリ、と揺れた。

 

 己の限界を超え尚も立ち続けた財前時子を支えるのは誇りだった。しかし、今しがたの変貌した武内のアルティメットアピールの前では、その誇りすら砂上の楼閣のように脆く崩れ去った。

 

 

 鋼鉄のプライドが、敗北を認めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぜ、そんな顔をしているのよ」

 

 

 

 

 時子が意識を取り戻すと、まだ視界がぼやけていた。次に腕や背中に温もりを感じた。徐々に視界がクリアになっていくにつれ、それが人の手であること。自分が抱き抱えられ、所謂お姫様抱っこ状態であること。そしてその相手が心配そうに自身を覗き込む武内であることか分かった。

 

 

「よかった! 大丈夫でしょうか財前さん。床に倒れる前に受け止めましたのでどこもぶつけてはいないと思いますが⋯⋯」

 

「⋯⋯貴方って、本当に」

 

 

 ──分かっていた。私の世界は最初からモノクロだった。アイドルになって、そんな世界に僅かばかりの色が落ちた。

 

 

 

 

 

「直ぐに医務室に行きましょう。このままお連れします」

 

 

 ──でも違う。私の世界に色を齎したのは他でもない。

 

 

「ゴホッ⋯⋯ゴホッ! だ、大丈夫です。私の事は気にしないでください⋯⋯」

 

 ──貴方だった。

 

 

 

「⋯⋯ねぇ」

 

「は、はい。なんでしょうか財前さん?」

 

 

「私、ひどい顔をしてるでしょう」

 

 その問い掛けに武内は少し戸惑い暫しの思案の後に、優しく語りかけた。

 

 

 

 

「いいえ。いい笑顔ですよ」

 

 

 

「⋯⋯⋯⋯そう」

 

 まるで幼子のように、一切の邪気が取り払われた満面の笑みが、そこにはあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

これが、そうなのね

 

 

 

 

 

 

 

 

 私を照らす、この光が

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

笑顔か

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




時子様は塵になって消えてはいませんのでご安心ください。


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