無貌の王と禁忌教典 (矢野優斗)
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第一部
無貌の王が王女の護衛になったワケ


色々と考えた末、差し替えることにしました。お騒がせして申し訳ありません。


 彼の一族は表舞台には決して出てこない。常に歴史の裏で暗躍し、圧制者や世間一般的に言われる悪人を人知れず狩る。良く言えば義賊。悪く言えば殺人を躊躇わない悪党。

 

 鍛え上げられた肉体と積み重ねた研鑽、そして培った知識をもって淡々と依頼をこなす。その影響力は代を経るごとに増すも、決して己の情報を明かさないことと、誰一人としてその正体を知らないことからしばしば都市伝説扱いされることもある。

 

 しかし権力者たち、それも王族や国の運営に関わるような人間は知っている。彼らの存在は眉唾ではない、まして都市伝説なわけがない。実際に彼の一族によって滅ぼされた悪人が、悪徳領主が、圧政を敷いていた国があるのだ。

 

 奴らは今も、欲に溺れた悪人を狙っている。もしかしたら今この時も、己の首を狙って刃を研ぎ澄ませているかもしれない。悪を為す者は覚悟せよ。一度目をつけられたらそれが最後かもしれない。

 

 その神出鬼没さと実態を掴ませない在り方から彼の一族、取り分けその長に当たる者は畏怖を籠めてこう呼ばれる──

 

 ──無貌の王(ロビンフッド)と。

 

 

 ▼

 

 

「無貌の王ねぇ。また随分と仰々しいこと。ややこしい言い回しなんざせず、シンプルに顔無しでいいでしょうに。何だって人は無駄に凝り性なんですかね」

 

 深緑の外套に身を包んだ男が、アルザーノ帝国が帝都オルドランの街並みを背に、皮肉げに口元を歪めた。どういう原理かフードに隠された素顔は見えない。物理的ではない、もっと別次元の要因が貌の認識を阻んでいる。

 

「さて、どうしてでしょうか。単純にその方が畏れられるから、なんて面白味もない答では満足できませんか?」

 

 行儀悪くバルコニーに腰掛ける男の隣に、部屋の中から歩み出てきた女性が並ぶ。豪奢なドレスを着こなした美貌の女性。纏う雰囲気は気品溢れるもので、立ち姿だけで高貴な出自であることが窺える。

 

 彼女こそが類稀なる政治手腕とカリスマで帝国を舵取りする女王陛下──アリシア七世。

 

 女王陛下の居室にあるバルコニーに得体の知れない男が一人。王室親衛隊にでも知れれば大騒ぎになりかねない事態であるが、当のアリシアは気にした素振りもない。勿論、男も同じだ。

 

 ニヤリと笑みを作り男は首を振る。

 

「いや、オタクの読みで間違いないだろうさ。こういうのはビビらせてなんぼ。勝手に怖がって縮こまってくれるなら、こっちとしちゃあ儲けもんですわ。ただ、なんつぅか、名前負け感が強くてねぇ……」

 

「そうでしょうか。実際、貌は見えませんよ?」

 

「そういう意味合いじゃなくてだな……あぁ、いやいい。無駄話で時間食うのも馬鹿馬鹿しい。さっさとお仕事の話に移りましょうや」

 

 自分で話し出したくせにあっさりと話題を切り捨て、男は仕事の話を促す。

 

 男と女王陛下との付き合いは長い。といっても男女の仲などではない、あくまでビジネスライクな関係だ。金を受け取り、帝国宮廷魔導師団でも手が足りない、あるいは届かない悪人や外道魔術師達を狩る。端的に言えば雇用主と被雇用者の関係であった。時々、私的な依頼も含まれるが。

 

 今日ここにこの男が来たのは他でもない、雇用者(クライアント)である女王陛下から要請を受けたからだ。連絡手段たる青いコマドリを経由して送られた要請に応え、男は城の厳重な警備を掻い潜ってここまで来たのである。

 

「さて、今回の依頼はなんですかい? 生憎とオレの得意分野は暗殺、工作、陽動なんでそれ以外の依頼は控えてもらえると有り難い」

 

「控えてほしいのであって、依頼すれば断らないのが貴方の良いところですね」

 

「いや、ほんとは止めてほしいのよ? でもこのご時世、仕事を選り好みしてられる余裕もないワケよ。お得意さん、それも大口の顧客をそう易々と手放すわけにはいかねぇのさ。ってか、今の話の流れからしてまた七面倒な依頼なワケ?」

 

「貴方からすればそうかもしれませんね。それに今までのように短期間で済む内容ではありません。長期間縛られることになります。その分、報酬も弾みますよ」

 

 男にとって面倒な内容であり、なおかつ長期に渡る仕事。数年とビジネスライクな付き合いを続けてきた男はアリシアが何を依頼しようとしているか、大まかではあるが察した。

 

「おいおい本気か? オレみたいな素性の知れない怪しい輩に、よりにもよって自分の娘を任せるつもりかよ。オタク、分かってる? これでもオレ、暗殺とか平然とやれちゃう人種なんですけど」

 

「知っていますよ。だからこそ、専門家(エキスパート)である貴方なら娘を守り通してくれると信じてます」

 

 曇りなき瞳でアリシアは無貌の男を見つめる。そしてふっと微笑んだ。

 

「それに、貴方は以前にもあの子を救ってくましたから」

 

「あー、あれはただオタクとの信用関係を守るためにやったサービスみたいなもんだ。最終的には特務のヤツに押し付けちまいましたし、手落ちも甚だしい」

 

「それでも、私の無理な願いを聞き入れてくれた貴方には感謝の念が尽きません」

 

 混じり気のない感謝を向けられ、さしもの男もたじろぐ。仕事と割り切れば大して気にもならないが、純粋な好意には滅法弱い性質(タチ)なのだ。

 

「分かった分かった、礼は言葉じゃなくて報酬に色を付けて見せてくれ。とりあえずお仕事の話だ。詳細を教えてくれ」

 

「はい」

 

 それから二人は仕事の仔細について話し合いを始めた。

 

 依頼内容は世間一般には病死したエルミアナ王女ことルミア=ティンジェルとその周囲の人間を守ること。期間は彼女が魔術学院卒業まで。物騒な分野を得意とする男にとっては確かに面倒な内容ではあるかもしれない

 

「お仕事ですから文句は言いませんがね、わざわざオレに依頼するってことは何かしら不穏な動きがあるってことですかい?」

 

 先にも語った通り、男は護衛に向くタイプの人間ではない。能力的な話もそうだが、人殺しも躊躇わない悪党に任せられる仕事ではないだろう。それでも敢えて男に依頼したのは理由があるからだ。

 

「ここ最近、天の智慧研究会の活動が活発化しているとの報告が上がっています」

 

「あぁ、なるほど。そりゃあオレに依頼するワケだ」

 

 天の智慧研究会。彼らはアルザーノ帝国に蔓延る最古の魔術結社の一つであり、魔術を究めるためならば何をやっても良い、多大な犠牲も厭わない危険思考を抱く集団だ。魔術師以外を見下し人としても扱わない彼らは、その危険思想故に帝国政府と長年抗争を続けている。

 

 連中は己が思想を貫くため、邪魔してくる帝国政府の失脚を目論んでいる。そんな危険集団にとって廃棄されたはずのエルミアナ王女の生存はこれ以上になく利用価値があるだろう。

 

「連中が相手ならこっちも文句ありませんわ」

 

 魔術研究のためならば無辜の民だろうと関係なく巻き込み、悍ましい儀式の供物にするのが天の智慧研究会。無貌の王(ロビンフッド)にとっては間違いなく狩るべき悪だ。

 

「そうなると、護衛はなるべく近くがベストだな。面倒なのは学院内への侵入か。確か魔術学院には高度な結界が張ってあったはず……抜けられるか?」

 

 早速とばかりに脳内で仕事の算段を始める男。これでも仕事の出来る男を自負しているのだ。

 

 しかしプロ意識の高い彼は一つ勘違いしていた。その勘違いをアリシアが指摘する。

 

「結界の心配はせずとも大丈夫ですよ。堂々と正面から入れますから」

 

「はぁ? 何言ってるんすか? そんなことできな──」

 

 不意に男は硬直する。一つ、重要な部分を聞き忘れていたことに気づいた。それによっては仕事の難度が大幅に上下する、大切な内容である。

 

「なあ、オタクはオレをどういった肩書きで魔術学院に送り込むつもりですかい?」

 

 男としては公的な身分などなしに、鍛え上げた身体能力と身につけた技術を発揮して忍び込み、陰から王女達を護衛するつもりであった。警備が厳重な帝城の女王の元まで辿り着けるほどの能力を持つ彼にとっては、裏から守る手法の方が性に合っている。

 

 だがそんな脳内予定は雇用主たるアリシアによって打ち砕かれた。

 

「勿論、ルミアと同じく一人の学徒として魔術学院に編入してもらいます。生徒となってしまえば結界を抜ける苦労もありませんし、より護衛対象の側に行けるでしょう」

 

「いや、いやいや! おかしいでしょ。オレが学生? しかも魔術学院とか、冗談はよしてくれよ」

 

 ありえんとばかりに頭を振る男。幼い頃から一族の大人達に一般教養から仕事に必要な技能までを叩き込まれた男は、魔術学院はおろか日曜学校にも通った経験はない。必要性を感じたこともなかった。

 

「冗談ではありませんよ。既に戸籍の偽造、編入の手続きは済んでいます。一週間以内には挨拶と本人確認のための手続きをするために学院へ出向いてくださいね」

 

「あっれぇ、おかしいな。まだ受けると返事もしてないのに話が進んでるぞ」

 

「あら、お断りになられるのですか?」

 

 こてんと小首を傾げてアリシアが問う。断られるなどと微塵も思っていない態度である。事実、男に依頼を拒否するつもりは一切ないのだが。

 

「いや、ですがねぇ。オレみたいな破落戸をあんな賑やかしい集団に放り込まれても正直困るんですよ」

 

 血みどろな世界で生きてきた男にとって、魔術学院などという日向の世界は縁遠いもの、自身が踏み込むような場所ではないというのが男の認識だ。知識として知ることはあっても、仕事とはいえ血に塗れた自分が足を踏み入れることになるとは思っていなかった。

 

 戸惑いを隠せない男にアリシアは穏やかな眼差しを送る。

 

「貴方なら大丈夫ですよ。案外、学生生活が性に合うかも知れませんね」

 

「どうだか。ま、お仕事である以上、報酬分はきっちりこなしますがね。しっかしオレが魔術学院ねぇ……」

 

 憂鬱に呟きながら男は空の彼方を臨む。

 

 遥か空の向こうには半透明の巨大な城が浮かんでいた。

 

 近づくことも触れることも叶わぬ幻影の城。数多くの魔術師があの城の謎を解き明かさんと日夜研究している。しかして魔術に触れない一般市民からすれば、見慣れてしまえばただの風景に過ぎない。子供ならばいつかはあの城へと夢見るかもしれないが、それも一過性だ。

 

 仕事の内容によっては人殺しも躊躇わない男にとって、魔術は真理の探究だとかそんな理屈染みたものではない。幾つかの例外を除いて、等しくただの道具だ。

 

 そもそもこれは一族共通の考えであるが、彼らはあまり仕事に魔術を持ち出さない。使えないわけではないが、使うまでもない。彼らには魔術よりももっと便利な品や技術があるからだ。

 

 だから男にとっての不安はただ一つ。

 

「オレ、ちゃんと進級できるのかねぇ」

 

「心配はそこですか」

 

 ふふっと上品にアリシアが笑みを零す。普段は軽薄な態度で飄々と仕事をこなす男の意外な一面を見れて楽しそうだ。

 

「貴方ならきっと大丈夫ですよ。仕事としては長いですが、短い学生生活を堪能してください。仕事に支障が出ない範囲であれば好きにしてくださって構いません。お爺様も、たまには息抜きをしろと仰っていましたから」

 

「やっぱ爺さんのお節介か」

 

 何とはなしに予想していたが、男は苦笑を禁じ得ない。

 

 男の育ての親であり、師匠であり、そして先代無貌の王(ロビンフッド)である翁。幼少から世話になっているため男が頭の上がらない相手の一人だ。

 

 男が先代から長の役目を引き継いだのは十を過ぎた頃。一族始まって以来の才覚と先代の衰えが重なり、本来なら十五で受け継がれる長の座が繰り上げで譲り渡されたのだ。

 

 幼少期から只管修行に明け暮れていたため、男に同年代の友人は皆無である。加えて長となったことでより一層素性を明かせなくなり、これから先も余程のことがない限り男に親しい間柄の人間は生まれないだろう。

 

 厳格であるが同時に男を息子同然に見ている先代は、その状況を憂慮した。別段甘やかすつもりはないが、長の座を継いでから今日まで無趣味かつ仕事以外に生き方を知らない男の在り方を心配したのだ。

 

 そこへアリシアからの依頼。これを切っ掛けにもう少し視野を広げ、息抜きの一つや二つを見つけてほしいというのが先代の考えである。勿論、掟に抵触しない範囲であるが。

 

「まあ、ぼちぼち頑張りますわ」

 

「はい、娘を頼みますよ──無貌の王(ロビンフッド)

 

 不敵な笑みを浮かべて男──ロビンフッドはバルコニーから身を翻し、数秒と経たずしてその姿は煙の如く消え去った。



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謎多き少年ロクスレイ

ロビンフッドいいですよね。宝具強いし、カッコいいし、星3とは思えない性能ブリ。え? ATKが低い? 其処にフォウくんと聖杯があるじゃろ?


 アルザーノ帝国は北セルフォード大陸北西端に位置する帝政国家である。冬は湿潤し夏は乾燥する海洋性気候の比較的温暖な地域だ。

 

 その帝国にはフェジテと呼ばれる大陸有数の学究都市がある。多額の国費を注ぎ込んで設立されたアルザーノ帝国魔術学院があり、魔術を究めんとする数多の学徒たちが勉学に励んでいた。

 

 彼らは魔術を研鑽することを、魔術師であることに誇りを持っている。必然的に意識が高い彼らの授業や勉学に向ける姿勢は真剣そのもの。遅刻は勿論、無断欠席などありえないというのが彼らの常識だ。

 

 だからこそその日、システィーナ=フィーベルはいつまで経っても教室に現れない講師に怒りを募らせていた。

 

「遅い! もうとっくに授業開始時刻過ぎてるのに、いつまで経っても来ないじゃない!」

 

 最前列の席を陣取るシスティーナ。聖銀を溶かし込んだかのように美しい銀髪を背に流し、猫のように気難しげな翠玉の瞳が特徴的である。年の頃は十五、六あたりで肌は降り積もった新雪の如く白く、貴族特有の気高さと気品を併せ持っている少女だ。

 

 システィーナは典型的な魔術学院の生徒だ。魔術を崇高で偉大なものと信じて疑わず、魔術にかける熱意は人一倍大きい。その情熱のあまり講師陣から『講師泣かせのシスティーナ』などと呼ばれているが。

 

 そんな彼女にとって、教え導く側の人間が初日から遅刻するなどという所業は到底看過できなかった。

 

 苛立ちも露わに肩を震わすシスティーナを、隣に座る少女がやんわりと宥める。

 

「落ち着こうよ、システィ。もしかしたら何か問題が起きたのかもしれないし……」

 

 システィーナの一つ隣の席に座る少女──ルミア=ティンジェル。

 

 ふんわりと柔らかな金髪のミディアムヘアと円らな碧玉の瞳。年はシスティーナと同じくらいであり、清楚で穏和な気風を漂わせている。それでいて一本芯が通った力強さを感じさせる少女だ。

 

 ルミアはとある事情で三年前からシスティーナの家に身を寄せている。そのため二人の仲は気の置けない親友であり、家族も同然の間柄だった。

 

 現在進行形で遅刻をしている非常勤講師を擁護するルミアに、くわっとシスティーナは向き直る。

 

「甘い、甘いわよ! たとえどんな問題が起きても対応し、きちんと授業を行うのが当然でしょ。真に優秀な人物なら不測の事態にも対応できるようにしてるはずだもの」

 

「そうなのかな……」

 

 システィーナの求める恐ろしく高いハードルにルミアは首を傾げる。確かにそんな完璧超人がいたのなら凄いとは思うが、現実にそんな人間はいない。それくらいはシスティーナだって分かっているはずだ。

 

 それなのに彼女がここまで無茶苦茶なレベルを求めるのは、前講師であるヒューイという男の講義がお気に入りであったことと、これから来るであろう非常勤講師が彼の有名な魔術師セリカ=アルフォネアが太鼓判を押すほどの男だからだ。

 

 加えて早朝に起きたちょっとしたトラブルで気が立っているのもある。

 

 ぷりぷりと怒るシスティーナと微苦笑を浮かべるルミア。そんな少女二人の背後からぬっと黒い影が出現する。

 

「朝っぱらから随分とご機嫌斜めですね、フィーベル嬢」

 

「うわっ! 出た!?」

 

「あ、おはようロクスレイ君」

 

「おはようティンジェル嬢。今日も今日とて可憐なことで結構結構。フィーベル嬢はオレを幽霊か何かと勘違いしてません? 誇り高きフィーベル家のご令嬢ならもう少し淑女らしく振舞った方がいいんじゃないですかね?」

 

 さらっと気障な台詞を並べ、システィーナに軽く毒を吐いたのはロクスレイ=シャーウッド。三ヶ月ほど前に編入してきた男子生徒だ。

 

 色素の薄い茶髪と常に浮かべている皮肉げな笑みが特徴的で、編入して数日で気付いたら人の輪の傍らに立っているといった位置づけを獲得した少年。本人がハンサムを自称するだけあって顔立ちは整っており、フェジテの町で何人かの娘を口説いては遊んでいるとの噂もある。時折纏う大人びた雰囲気もあってかあまり学生らしくないと評判の少年だ。

 

 唐突に現れたロクスレイに対してシスティーナはムッと凛々しい顔を顰めた。

 

「幽霊よりも神出鬼没なヤツに言われたくないわ。貴方こそ、年頃の乙女の背後に忍び寄って驚かせるなんて悪趣味止めなさいよ。そのうちセクハラで詰め所に突き出されても知らないから」

 

「その心配はないさ。驚かせるのはフィーベル嬢だけだからな」

 

「何がどう心配ないのかさっぱり分からないんだけど!?」

 

 仔猫のようにきゃんきゃん喚き散らすシスティーナ。ロクスレイがシスティーナを揶揄うのはいつものことであるため、ルミアも強く止めない。ロクスレイがきちんと引き際を弁えてるのもあるだろう。

 

 既に日常と化しつつある漫才染みたやり取りを交わしていると、教室のドアがからりと開く。全身で気怠さを体現した若い男がやる気なさげに教室に入ってきた。

 

 全身ずぶ濡れで皺だらけのシャツ。黒髪黒瞳で長身痩躯であり、目鼻立ちは整っているがそれを台無しにして余りある怠惰な目付き。一目見ただけで真面目とは縁遠いと思わせる空気を纏っている。正直、左手の手袋と抱える教本がなければこの男が講師であるとは誰も分からないだろう。

 

「あ! 来たわね非常勤講師。初日の授業から遅れるなんて、いったいどういう……神経して……」

 

 勢い勇んで腰を浮かしたシスティーナは、しかし見覚えのある男の顔に言葉を失う。当事者の一人であるルミアも目を真ん丸に開き、口元を手で押さえていた。

 

「あ、あ、貴方は──!?」

 

「違います、知りません人違いです」

 

「そんなわけあるかぁ!?」

 

 他人を装う男にシスティーナが喚き立てる。白々しい男の態度とシスティーナの反応からして彼らは顔見知りなのだろう。ただしあまり良い意味合いではなさそうであるが。

 

「なんだ、あの男と知り合いだったのか?」

 

 いつの間にか後ろの席に座っていたロクスレイが、激しく突っかかるシスティーナを横目に見ながらルミアに尋ねる。

 

「うーん、知り合いというか知り合ったというか。実はね──」

 

 今朝方起きたトラブルについてルミアは端的に説明した。

 

 件の男とは早朝に文字通り衝突しかけ、勢い余ってシスティーナが魔法でぶっ飛ばしたことから始まり、最終的にセクハラ一歩手前の所業に再びシスティーナの魔法が炸裂して終わる展開であった。

 

 掻い摘んで事の次第を聞き終えたロクスレイは何故か顔を背けると、カタカタと肩を震わせる。

 

「あいつ、久方ぶりに見たと思ったら何してるのやら……!」

 

「どうしたの、ロクスレイ君?」

 

「いや、何でもない。それよりティンジェル嬢、付かぬ事をお訊きしますが、あの男とは本当に初対面なので?」

 

「え?」

 

 目尻を拭いながら問われ、ルミアは困惑に首を傾ける。

 

「いやだって、クラスメイトにも分け隔てなく接する割に身持ちの固いティンジェル嬢が、出し抜けとはいえ触られるがままってのは妙だと思ってさ。もしかして昔からの知り合いだったりして?」

 

「……そんなことないと思うけど」

 

 僅かな間を置いてルミアは否定した。一瞬だが、可憐な顔に警戒の色が滲んだのは気のせいではないだろう。

 

 そんなルミアの反応を見て、ロクスレイは微かに目を細めるもすぐに笑みを取り繕う。妙な空気を吹き飛ばすように軽薄に笑ってみせた。

 

「そうか、そいつは不躾なこと訊いたな。忘れてくれ」

 

 あっさりとロクスレイが身を引くと、丁度、非常勤講師らしき男がシスティーナをのらりくらりと往なしながら教壇に立つ。チョークを手に持ち黒板に名前を書き始める。

 

 男の名はグレン=レーダス。やはりというか本日から二組の非常勤講師を務める男であった。

 

 生真面目なシスティーナによって授業の開始を促され、取り繕うこともなく気怠げにチョークで堂々と自習の二文字を書き刻むグレンを尻目に、ルミアは露骨にならない程度に視線を後ろに流す。

 

『眠いから』などという最低な理由で居眠りを始めたグレンへと教科書片手に突貫するシスティーナを、さぞ愉快そうに眺めているロクスレイ。三ヶ月ほど前から教室を同じとする学友に加わった彼のことが、ルミアには今ひとつ分かりかねていた。

 

 アルザーノ帝国魔術学院に通う生徒は程度に差はあれ、魔術に情熱を注いでいる学徒だ。嫌々この学院にいる生徒というのは見かけない。講師に関してはたった今居眠りする講師という例があるので何とも言えないが。

 

 そんな中、ロクスレイが魔術を見る目はどこか冷めているように感じた。

 

 授業にはきちんと出席する。一応黒板の内容を書き取ったり、予習や復習も取り組んではいるようで、成績も上の下といったところ。けれどそこには他の生徒たちにはある熱がない。

 

 魔術学院の生徒にしては不可思議な掴み所のない少年、それが偽りないルミアの評だ。

 

「……ん? どうかしたか?」

 

 向けられる視線に気づいたロクスレイが首を傾ける。

 

「うぅん、なんでもないよ」

 

「そうですかい。てっきりオレに見惚れちゃったのかと……」

 

「ごめん、それはないかな」

 

「手厳しいねぇ……」

 

 グサッと矢でも刺さったかのように胸を押さえる。そんな仕草もどこか演技染みて見えるのは考えすぎだろうか。

 

 謎多き少年との距離感を、ルミアは測りあぐねていた。

 

 

 ▼

 

 

「あいつは何かしらやらかさないと生きていけない性質(タチ)なんですかねぇ」

 

 学生たちで賑わう食堂の一角、本日より勤務開始の非常勤講師と護衛対象+αのやり取りを眺めながら、ロクスレイは昼食を取っていた。

 

「まさか初日から女子更衣室を覗くとか、一周回って尊敬するわ」

 

 食堂の端の席を陣取り、地鶏の香草焼きと軽めのサラダを口に運びながら苦笑する。

 

 非常勤講師としてやってきたグレン=レーダスは最初の授業に大遅刻した挙句、授業内容は初っ端から自習という怠慢。次いで錬金術実験のため着替え中の女子生徒達を覗き、集団リンチを受けてボロ雑巾と化す。側から見る分には愉快極まりないやらかし具合である。

 

 何がどうしてこんなダメ人間が非常勤講師をやっているのか、この数時間で生徒達の大半がそんな疑問を抱いたであろう。

 

「ま、あいつにとっちゃ血腥い裏よりこっちの方が性に合ってそうだが、今のままじゃなぁ……」

 

 ロクスレイ──ロビンフッドはグレン=レーダスを知っている。彼が一年前まで帝国宮廷魔導騎士団、特務分室所属の執行者として活動していた魔術師殺しであることを。

 

 というのも任務の都合上、暗殺現場でバッタリ出会したり即席タッグを組んだことが数回ほどあるのだ。勿論、素顔は晒していないし、肩書きはただの傭兵崩れとしか明かしていない。まさか共に任務を遂行していた相手が世間的には都市伝説扱いされている無貌の王(ロビンフッド)だとは考えもしないだろう。

 

 短い期間ではあったものの共に仕事をこなした相手であるグレンという男の本質を、ロクスレイはおおよそ把握している。何てことはない、血に濡れた世界では生きられない正義の魔術師だ。

 

 だからこそ魔術の闇に触れ、魔術に絶望し、結果としてあそこまで性格がひん曲がってしまった。捻くれたままのグレンにとって魔術を教えるのは苦痛以外の何ものでもないだろう。

 

「魔女殿の采配らしいが、荒療治が過ぎるんじゃないですかねぇ。オレとしては戦力が増えるんでむしろ好都合ですけど」

 

 有事の際はちゃっかり頭数に入れる気満々なロクスレイである。

 

 突っかかるシスティーナと雑に流すグレンのやり取りを視界の端に捉えつつ、護衛対象であるルミアを確認しながら今日もロクスレイの昼が過ぎていく。

 

 

 



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それぞれの魔術観

電脳楽土でもちゃっかり最後まで生き残ってるロビンさん流石です。この調子で出番を増やして頂けると嬉しいなぁ。


 グレン=レーダスが非常勤講師として二組の担当を受け持って早数日。現状は初日のダメさ加減を裏切らない、むしろ悪化している。

 

 最初こそ教本を開き、判読不可能とはいえ黒板に術式や法陣を書いていた。しかし日が経つにつれ板書はなくなり、教科書の当該ページが黒板に貼り付けられ、そして今は釘と金槌で教科書そのものを黒板に打ち付けようとする始末。

 

 質問する生徒への対応も雑なことこの上なく、そのあんまりにも酷い態度にとうとうシスティーナが切れた。親の権威を持ち出して半ば脅迫に近い形で迫る。が、今のグレンにとってはむしろ好都合で、是非クビにしてくれと懇願。魔術に対する畏敬もへったくれもなかった。

 

 魔術を心から信奉するシスティーナはこれに激昂。勢いのままに左手の手袋を投げつけ決闘を挑んでしまった。

 

 そして今、学生と生徒による決闘が幕開けようとしていた──

 

 

 ▼

 

 

 魔術師というのは強大な力を持つ者達の総称であり、彼らがルール無用で争い始めれば国の一つや二つ滅びかねない。

 

 そこで彼らは互いの軋轢を解決するため、一つの規律を定めた。それが決闘である。心臓により近い左手の手袋を相手に投げつけ、それを相手が拾う。決闘申し込みから受諾の流れだ。

 

 ただしそれも帝国が法整備を進めたことにより形骸化、黴の生えた魔術儀礼の一つに過ぎない。今どき真っ向から決闘を挑む魔術師など、古き伝統を守る生粋の魔術師くらいである。

 

 ちなみにフィーベル家は魔術の名門として有名であり、古き伝統を重んじる家系であったりする。

 

 生徒と非常勤講師による決闘の場所は学院中庭。針葉樹がぐるりと取り囲み、敷き詰められた芝生が広がる空間にて、グレンとシスティーナは十歩ほどの間合いを空けて対峙していた。

 

 決闘方法は受諾側に決める権利があり、グレンが提示した決闘の形式は先に【ショック・ボルト】を当てた方が勝ちというシンプルなものだ。

 

 クラスの生徒達と騒ぎを聞きつけて集まった野次馬が見守る中、緊張と不安、そして使命感を抱いたシスティーナは分が悪いと分かっていながら真っ直ぐ立ち向かう。その様子をルミアは外野から見守ることしかできない。

 

「システィ、大丈夫かな……」

 

「そんなに心配しなくとも大丈夫でしょうよ」

 

 不安げに呟いたルミアの隣にロクスレイがいつの間にか並んでいた。相も変わらず人の無意識に踏み込んでくるような現れ方に驚くが、それよりもルミアはロクスレイの発言が気になった。

 

「でも相手は先生なんだよ? いくらシスティが優秀でも勝つのは無理なんじゃ……」

 

「確かに、魔術学院の講師となればその殆どが第四階梯(クアットルデ)以上の魔術師。如何に成績優秀と言え、所詮は学生の域を出ないフィーベル嬢に勝ち目はないだろうな」

 

 ただ、とロクスレイは口元に薄らと笑みを作る。

 

「グレン先生に勝つ気があったらの話ですけど」

 

 意味深にロクスレイが呟いた直後、黒魔【ショック・ボルト】の紫電が炸裂する。詠唱の短さと早撃が物を言う今回の決闘において、先手を取ったのはグレン──ではなくシスティーナであった。

 

「ぎゃああああ──っ!?」

 

 情けない絶叫を上げてグレンが地に伏せる。ビクビクと痙攣しながらぷすぷすと煙を上げているその様は、何というか滑稽だった。

 

 決闘を申し込んだシスティーナと観戦していた生徒達が困惑と呆気の表情で固まる。少しして膝を震わせながらグレンが立ち上がった。

 

「ふぐっ、不意打ちとは卑怯な……!」

 

「えっ!? いつでも掛かって来いとか言ってませんでしたっけ!?」

 

「だがしかぁし! 今のは先生からのハンデだ。三本勝負のうち一本をくれてやったに過ぎない。次からは本気だかんな!」

 

「三本勝負とか初耳なんですけど!?」

 

 それからというもの、グレンが詠唱をしようとして先に魔法を完成させたシスティーナの電撃に撃たれ、あれこれと屁理屈捏ねてまた撃ち倒されるという光景が続く。撃ち合い、というかシスティーナによる一方的な撃ち込みが十を超えた頃には外野の生徒達もグレンの低すぎる実力に興醒めしていた。

 

「まさか三節詠唱しかできないなんて」

 

「なんで講師なんかやってるんだ、アイツ」

 

 生徒達が口々に洩らす。さすがのルミアもこの展開は予想していなかったのか、当惑した顔で親友の横顔を見つめている。

 

 ふとルミアはこの光景を予測していたかのような発言をしたロクスレイの姿を探す。件の少年はルミアの隣から離れ、人の輪から出て校舎の陰で何やら腹を抱えて壁を叩いている。大爆笑しているように見えるのは気のせいか。

 

「と、ともかく! 決闘は私の勝ちです。約束通り、先生には真面目に授業をしてもらいます!」

 

「は? なんのことでしたっけ? バカスカ電撃叩き込まれちゃったから記憶があやふやだなぁ〜」

 

「なっ、魔術師同士で交わした約束を反故にするつもりですか!? それでも魔術師の端くれなの!?」

 

「だって俺、魔術師じゃねーし」

 

「はぁ!?」

 

 魔術師にとっては神聖な儀礼の一つでもある決闘に、凄まじい屁理屈を持ち出して掌返しをかますグレン。魔術を崇拝し偉大なものと信じて疑わないシスティーナにとってはとても看過できるものではない。

 

「……最っ低!」

 

 引き分けだとか何だとか情けないことを高らかに宣いながら逃亡するグレンの背中へ、心の底から罵倒を叩きつけた。

 

 

 ▼

 

 

 システィーナとの決闘以降、本格的に評判が地に落ちながらもグレンの態度は変わらない。授業態度を改めるなんて殊勝な心がけはなく、今日も今日とて怠惰に惰眠を貪っている。生徒達に至っては諦めて各々で教科書を開いて勉強に打ち込んでいた。

 

 そんな中、それでもめげずに一人の女子生徒がグレンへ質問を持ち掛けるも、辞書と引き方を教えるだけという怠慢。もう愛想も尽きていたシスティーナも熱意ある学友がおざなりにあしらわれるのを許せず、前に出たのだがそこで再び問題が発生した。

 

 魔術を崇高であり偉大なものと謳うシスティーナにグレンが異を唱えたのだ。それも普段の怠惰な態度からは想像もつかない、きちんと筋の通った論理で。

 

 曰く、魔術は人の役になど立たない。所詮は生産性のない自己満足の趣味だと。

 

 魔術を無価値と貶めるグレンの論理を、システィーナはどうにか撤回させようとするも言葉が見つからない。生徒達の大半もグレンの言葉に対する反論が浮かばなかった。

 

 そんな中、言い出しっぺであるグレンが己の言葉を取り下げ、魔術は役に立っていると言いだす。

 

 ──あぁ、魔術は凄ぇ役に立つさ……人殺しにな。

 

 脈絡もなく背筋に氷柱を突っ込まれ、教室が静まり返る。有無を言わさぬグレンの纏う圧力に誰も言葉が出なかった。ただ一人を除いて。

 

 システィーナは、システィーナだけは最後まで喰い下った。今日まで己が信じてきた魔術をあろうことか外道の術と言って憚らないこの男を認めたくない、その一心で必死に食いかかる。

 

 だが、負けた。憎悪すら抱くグレンの魔術への価値観を改めさせることが、システィーナにはできなかった。大切な思い出の一つを穢され、涙を流しながらグレンを引っ叩くことしかできなかった。

 

 張られた頬を押さえながら気不味い空気をそのままに自習とだけ告げ、グレンも教室を退出する。残された生徒達は彼らのやり取りに思うところあったのか、暗い表情で俯く。一人の男子生徒を除いて。

 

 お通夜にも匹敵する沈黙の中、小刻みに肩を震わせ洩れ出そうになる笑いを必死に堪えるロクスレイ。彼の前に座っていたルミアには笑いを堪えるロクスレイの気配が手に取るように分かった。

 

 一体今のやり取りのどこに笑う要素があるのかルミアには分からない。普段不真面目な態度のグレンが感情を前面に出し、親友たるシスティーナが涙した状況を笑っている。それだけは許せなかった。

 

「何が可笑しいの? 別に笑うところなんてないよね」

 

 怒気を滲ませてルミアは問う。静まり返っていた教室内で、その声はやけに響いた。

 

 注目の的となったロクスレイは変わらず薄笑いを浮かべながら答える。

 

「いや失敬。別にフィーベル嬢を笑ったワケじゃないんだ。グレン先生が生徒相手にあそこまで言うとは思わなかっただけさ」

 

 くつくつと。小さく喉を鳴らして皮肉げに笑うロクスレイは、先のグレンに次いで異質な雰囲気を纏っていた。率直に言って気味が悪い。普段は目立つような立ち位置を避ける少年の尋常ならざる様子に、生徒達は得体の知れない何かを見るような目を向ける。

 

 そんな中、ルミアは前々から気になっていたことを訊く。

 

「じゃあ、ロクスレイ君にとって魔術ってなんなの?」

 

 常々気になって仕方なかった疑問。グレンとシスティーナが魔術における価値観についてぶつかり合った今を逃して訊く機会はないだろう。

 

 薄ら笑いを浮かべていたロクスレイが微かに眉を上げる。しばしの間を置いてロクスレイは己の見解を語り始めた。

 

「そうだな、オレにとって魔術は道具だ。目的を成し遂げるために使う道具に過ぎない」

 

 魔術は道具であると断言したロクスレイの発言に、教室が再びどよめく。先の魔術は人殺しに役立つ宣言にも劣らない、魔術学院に通う生徒としては異端な持論だ。

 

 驚く生徒達に構わずロクスレイは続ける。

 

「分かりやすい例えとしてフィーベル嬢とグレン先生を引き合いに出そうか。フィーベル嬢は世界の真理だか深奥に至るために魔術を使用している。グレン先生は人殺しのために魔術が使われていると言っている。どちらも方向性は違えど魔術を道具として使ってるだろ?」

 

 確かにロクスレイの見方はある意味間違っていない。魔術を何らかの目的を達成するための手段と見なせば、あらゆる場面において魔術は道具として使われていると言ってもいいだろう。

 

 だからルミアや生徒達は言い返すことができない。システィーナのように盲目的に魔術を崇拝しているわけでも、ましてグレンのように暗黒面だけに焦点を当てているわけでもない。両側面を見た上で割り切っているのがロクスレイだ。

 

「あれこれと語ったが、要はコインの裏表みたいなもんさ。魔術は世界の真理を探究する学問ではあるが、同時に強大な力を併せ持っている。それを悪用して大勢の人々が日々犠牲になっているのもまた事実だ。フィーベル嬢は表しか見ようとせず、グレン先生は裏しか見ていなかった。その結果があの衝突でしょうよ。ま、結論を言えば、両者ともに子供だっただけの話さ」

 

 最後を戯けた口調で締め括る。学院生としては異端でもグレンほど極端な考え方ではなかったためか、先ほどよりも教室内の空気は柔らかい。ある意味では弛緩していた。

 

 そこへ僅かに目を細めたロクスレイが釘を刺す。

 

「まあここにいる生徒の大半は、今日まで魔術に付き纏う裏を見て見ぬ振りしてきただろうけどな」

 

 底冷えする冷たさを含んだ声音が響き、生徒達の背筋を凍らす。緩みかけた気が一瞬で締め上げられた。

 

 持論を語り終えたロクスレイは凍りついた空気を物ともせず立ち上がり、手早く教本を纏めると教室を退出しようとする。誰もがその後ろ姿を見送ることしかできないでいると、不意にロクスレイが足を止めてルミアを振り返った。

 

「ところで、フィーベル嬢を追いかけなくていいんですかい?」

 

「…………っ!」

 

 ガタッ! と椅子を蹴飛ばさん勢いで立ち上がってルミアは駆け出す。姉妹同然の親友として、傷心しているだろうシスティーナを放っておけはしなかった。

 

 教室を飛び出す護衛対象の背中を見届け、ロクスレイは人知れず微苦笑を作る。

 

「さて、今までは一線引かれていたワケだが、これで態度が軟化するか硬化するか。ま、十中八九後者でしょうけど。それはそれで好都合って話だ」

 

 編入してから今日に至るまで、あれこれとアプローチを掛けて距離を縮めようと試みてはきたが、どうしても一線を引かれて上手くいかなかった。穏当で柔和な性格をしていても一本芯が通っているだけあって、そのあたりの警戒は怠っていないのだ。

 

 別に完全に信頼してほしいわけではない。むしろ近づきすぎれば正体が露見するリスクが高まる。ロクスレイとしては護衛しやすく、近すぎない距離感を維持したいのだ。そのために今回は一歩大きく踏み込んだ。

 

 これを機にルミアの態度がどう変化するか。その方向性によっては護衛が楽にもなるし、逆に面倒になるかもしれない。全てはルミアと、その親友たるシスティーナ、そして非常勤講師であるグレン次第だ。

 

 

 ▼

 

 

 グレンとシスティーナによる魔術に対する衝突が巻き起こった翌日、驚くべきことが起きた。昨日まで怠惰の限りを尽くしていたグレン=レーダスが真面目に授業を始めたのだ。それも教本には載っていない、生徒達があっと驚き眠気など覚えていられないほどに有意義な授業内容である。

 

 事の始まりはグレンが授業開始時間前に教室へ現れ、開口一番にシスティーナへ昨日の謝罪をしたことである。しどろもどろながらも謝罪を済ませ、開始のチャイムと共に教科書を開いた彼は、しかしパラパラと流し読みを終えるとそれを窓の外へ放り投げて授業を始めた。

 

 内容はグレン曰く、魔術の基礎も基礎、ド基礎。誰もが究めたと思い込んでいた【ショック・ボルト】を教材にした術式構造と呪文の基礎であった。しかして侮ることなかれ。授業の質の高さはあのシスティーナが掛け値なしに賞賛するほどのものだ。無論、言葉にはしないが。

 

 何故、ダメ講師を貫いていたグレンが唐突に覚醒したのか。それはとある生徒(システィーナ)の魔術に掛ける想いに触れ、とある生徒(ルミア)の理想に感化させられたから。真実を知るのは当事者たるグレンとルミア、そして常に陰ながら護衛の任を果たすロクスレイだけが知っている。

 

 それからというもの、覚醒したグレンの質の高い授業に他クラスからも人が集まり、十日経つ頃には立ち見の生徒まで出始めた。学院の講師の中にはグレンの指導から学ぼうとする者も現れ、グレンはダメ講師から一躍時の人となりつつある。

 

「思ったよりも良い方向に転がってくれたな」

 

 生徒達が帰宅した放課後、黄昏に染め上げられる屋上で繰り広げられるグレン達による漫才を眺めながら、ロクスレイは密かに安堵の息を吐く。

 

 放課後も熱心に学院の図書館で板書の写し合いや授業内容の復習をしていたルミアとシスティーナが、思い立ったように屋上へ向かったのを追いかければ、もはや鉄板と化しつつあるやり取りをする非常勤講師と生徒の姿があった。どうやら今日の授業で分からなかった部分の教えを請いに訪ねたらしい。

 

 その場に大陸屈指の大魔術師セリカ=アルフォネアが居合わせたのは想定外であったが、驚きつつもロクスレイは淡々と仕事道具の一つを用いて気配と姿を完全隠蔽し、今は屋上の端で賑やかな青年少女+魔女のやり取りを見守っている。

 

 特務分室所属の執行者として心身共に磨り減らしながら戦っていたグレン=レーダスの姿はない。そこにいるのは生徒達を教え導き、時に揶揄い、時にやはり生来のダメさ加減を発揮する魔術講師グレン=レーダスであった。

 

「オタクは(こっち)よりも(そっち)の方がよっぽど性に合ってる。狙撃魔殿も同じ結論に至るだろうな。約一名、凄まじく不安なのがいますけど……」

 

 ロクスレイにとってやり合いたくない相手筆頭の脳筋戦車を脳裏に思い浮かべかけ、慌てて頭を振って追い出す。策も罠も力業で粉砕するあの少女は小細工、奇策、卑怯上等のロクスレイが最も苦手とする手合いであった。

 

「グレンは立ち直り、ティンジェル嬢との仲も良好。今のところは問題なし。いいねぇ、このまま何事もなく平穏に終わってほしいもんだ。にしても、グレンのヤツ、やけにフィーベル嬢に構うな」

 

 システィーナが生真面目でよく突っかかるのもあるが、彼女に対してだけグレンの対応が他とは少し違うのは気のせいだろうか。同じく贔屓目なルミアと比べても、微妙に距離感が違ってみえる。

 

「そういやフィーベル嬢ってアイツと……いや、やめとくか。これ以上は野暮ってもんだ」

 

 ふと脳裏を過ぎった人物の姿を打ち消し、授業内容について説明が足りなかった分を補足する講師と熱心な生徒達の声をBGMに、護衛任務に勤めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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崩壊する日常、動き出す無貌の王

やっとこさ動き出すロビンフッド。ちょいとオリジナル魔術入ります。まあロビンフッドを知ってる方なら当然分かりますよね?


 本日から五日間、アルザーノ帝国魔術学院は休校である。学院の講師や教授たちは帝都で開催される帝国総合魔術学会へ参加するため学院からいなくなり、守衛を残して学院は蛻の殻になるはずであった。

 

 しかし一ヶ月前に退職したヒューイ=ルイセン──しかし真実は突然の失踪だ──によって授業が遅延していた二組はこの五日間も授業が入っている。

 

 今日も今日とて教室は一杯。席に空きがないため立ち見の生徒が教室後方に集まっており、人口密度が凄まじいことになっている。全員が全員、グレンの授業目当てでここに集っていた。

 

 しかし生徒達が待ち望んでいる講師の姿はない。授業開始時刻から既に二十分経過しているのにも関わらず、非常勤講師が現れる気配はなかった。

 

「……遅い! ここ最近真面目にやってると思ったら、これなんだから、もう!」

 

 懐中時計を握り締めてぷりぷりと怒るシスティーナ。ここ数日は極めて真面目に授業を執り行っており、密かに見直していたというのに遅刻。僅かとはいえ落胆を覚えずにはいられなかった。

 

「でも、珍しいよね。ここずっと遅刻しないように頑張ってたのに……」

 

「まさか今日が休校日だと勘違いしてるんじゃないでしょうね?」

 

「あはは、それはいくらなんでもない……よね?」

 

 ルミアをして断言できないあたり、グレンの人望の厚さが窺えた。

 

「あいつ、来たら今日こそ一言物申してやるんだから……!」

 

 拳を握り締めてシスティーナが決意を固める。今日こそ、ではなく、今日もの間違いではないかとルミアは突っ込もうかと思ったが敢えて控えておく。ここ最近の評判でグレンが生徒達に囲まれるようになり、必然的に話す機会が減ったシスティーナは自覚なしに不満を溜めていた。

 

 特にグレンが女生徒に囲まれている時は反応が顕著で、いつも隣にいるルミアにはその心境がバレバレである。その癖、素直になれないから昨日も半ば強引に連れ出してグレンに教えを請うたのだ。結局はいつもの揶揄い突っ掛かり合戦になってしまったのだが、それもまた一つのコミュニケーション方法だろう。

 

 システィーナは憎からずグレンを思っている。それが恋愛感情に直結しているとは言えないが、一生徒としてグレンを慕っているのは明らかだ。だがそれを指摘したところで彼女が認めるはずはなく、ならばしばらくは様子見に徹した方がいいというのがルミアの考えである。

 

 むすっと顔を顰めて非常勤講師が現れるのを待つ親友の姿を微笑ましく思いながら、ルミアは教室の後方を見やる。立ち見の生徒で溢れ返る空間に自然と溶け込む男子生徒、ロクスレイがルミアの視線に気づいて微かに笑った。

 

 グレンとシスティーナが大喧嘩した後、己の魔術に対する価値観を語ったロクスレイはそれ以降、ルミアとシスティーナから距離を置いている。普段は真後ろの席を陣取っていたのに、翌日からは離れた別席に座り、立ち見の生徒が増え始めたらさり気なくその人混みに紛れていた。

 

 気不味くて距離を離したのかと思ったが、その割に目を向ければ笑って応じる。けれど話しかけてはこない。ただ離れた位置から見守っているだけ。

 

 今までは何かにつけて声を掛けてきたり、システィーナをおちょくってきたのにそれがパタリと止んだ。別段話したい事柄があるわけでもないが、日常の一部と化していた一環が唐突になくなって僅かに調子が狂っている自覚があった。謎が多く得体が知れなくて警戒していたはずなのに。

 

 はぁ、とルミアにしては珍しく憂鬱に吐息を洩らす。教室の扉が無造作に開かれたのはその直後だった。

 

 一言言ってやろうと意気込んでいたシスティーナは扉が開くと、例によっていつもの如く説教を飛ばそうとしたが、ずかずかと無遠慮に入ってきたチンピラ風の男とダークコートの男を認めて硬直する。

 

「あー、ここかー。いやいや皆さん、勉強熱心なことでゴクローサマー! 応援してるぞ若者よ!」

 

 巫山戯た口調でそんなことを宣うチンピラに教室内がどよめく。誰が見ても怪しい不審人物二人組。何故このような輩が学院内に侵入しているのか、疑念を抱きながら正義感の強いシスティーナが立ち上がる。

 

「ちょっと貴方達、ここがアルザーノ帝国魔術学院だと理解してますか? 部外者は立ち入り禁止ですよ? そもそもどうやって入ってきたんですか。門は守衛の方が立っているはずですよね?」

 

「あ〜、あの弱っちいのね。悪いけど、サクッとブッ殺しちゃったわ」

 

「は、あ……?」

 

 男の軽い殺人宣言にシスティーナは言葉を失いかけるが、すぐに肩を怒らせて言い返す。

 

「ふざけないで下さい! 真面目に答えて!」

 

「大マジなんだけどなぁ〜。まぁ、いいや。面倒だから取り敢えず──」

 

 すっと指先を構える男。ニタリと嫌悪感を掻き立てる笑みを浮かべて男が呪文を紡ぐ。

 

「《ズドン》」

 

 ヒュン! と空気が切り裂かれる音が響く。刹那の時間に一条の閃光がシスティーナの頬を掠め、背後の壁に小さな穴が穿たれた。

 

 呆けるシスティーナに男は三度魔術を放つ。それぞれ首、腰、肩を掠めて三つの閃光が駆け抜けた。目にも留まらぬ雷光の線。背後の壁に穿たれた四つの小さな穴。それら全てが男の使用した魔術の正体を物語っている。

 

「そんな……い、今のは……【ライトニング・ピアス】!?」

 

 黒魔【ライトニング・ピアス】。学生が手習う汎用魔術ではない、軍用の攻性呪文(アサルト・スペル)であり、殺傷性の高い危険な術だ。しかも巫山戯た言動の癖して男の詠唱は恐ろしく短く、術行使の技量の高さが窺えた。生徒達では天地が引っ繰り返っても敵わないだろう。

 

 今まで目にする機会もなかった危険な魔術を間近で放たれたシスティーナは先の勢いは完全に萎み、恐怖のあまりその場に座り込んでしまった。

 

「さーて、煩いのが静かになったところで自己紹介しよっか。オレ達は俗に言うテロリストでーす。この学院はオレ達が占拠したのでー、今から君達は人質ね。大人しくしててねー? 逆らったら容赦なくブッ殺してくから」

 

 物騒な脅迫に教室内は静まり返る。突然の展開に理解が追いついていないのだ。だが時間が経てば嫌でも理解する。理解すれば必然、生徒達は一斉にパニックに陥り騒ぎ出す。

 

「うるせぇ、黙れガキ共。殺すぞ」

 

 指先を頭上に向けて詠唱、放たれた一発の雷光が天井に穴を開ける。殺気を合わせた威嚇に生徒達は強制的に沈黙して恐怖に震え始めた。

 

「よーしよし、良い子だ。良い子ついでに訊きたいことがあるんだけどさ、こんなかでルミアちゃんって女の子いるかな? いたら返事してー? もしくは知ってる人は教えてー?」

 

 男の問いに生徒達は恐怖と困惑の表情で互いに顔を見合わせる。どうしてこの場面でルミアが名指しされるのか分からない。だが不幸なことに名前が出たことで数人の生徒が条件反射的に動きかけてしまった。

 

 チンピラ男はそんな生徒達の挙動を目敏く拾い、動いた生徒達に対して脅しをかけ始める。みんな、男の纏う恐ろしい圧力に震え、酷い者は涙を流していた。誰もがこの地獄の時間が早く過ぎ去ってほしいと願っていた。

 

 そんな中、ルミアは拳を握り締め、覚悟を決めたような表情をしていた。先ほどからシスティーナが目配せをしてくれているが、自分のせいで誰かを傷つけるわけにはいかない。ルミアにこのまま黙り込む選択肢はなかった。

 

 そして怯えながらも立ち上がったシスティーナへ指先が向けられた瞬間、ルミアは自ら名乗り出た。

 

 それからの展開は、ルミアはダークコートの男により教室から連れ出され、生徒達は全員拘束と【スペル・シール】を掛けられて教室に閉じ込められてしまった。これで彼らは魔術を封じられ、一切の反抗ができない。

 

 そして唯一システィーナだけがチンピラ男により連れ出され、魔術実験室へと連れ込まれた。

 

 

 ▼

 

 

「さてと、まさか学院にテロリストが侵入するとはな……」

 

 教室を出てすぐ側の物陰に身を潜めていたロクスレイがやれやれと息を吐く。あの男達が教室に侵入し、生徒達がざわめいた一瞬の隙にロクスレイは気配を絶って教室から脱していたのだ。あのまま残って他の生徒達と同じように拘束されるのを避けるためである。

 

「厄介だな。ティンジェル嬢だけならまだしも、フィーベル嬢まで連れ出すとか予想外だわ。テロリストとして失格なんじゃないですかねぇ、まったく」

 

 ロクスレイの予定ではルミアの後を追いつつ敵の人数を把握、一人で十分制圧可能であれば実行するつもりだった。しかしここで厄介なのが人質だ。それもシスティーナが連れ出されたことで三つに分かれてしまったのである。

 

「くそっ、教室はロンドに見張らせればいいが、フィーベル嬢までは手が回らねえぞ。最優先護衛対象はティンジェル嬢だけど、だからってあっちを見捨てるわけにもいかねぇ……」

 

 ロンドとはロクスレイが飼っている青いコマドリのことだ。依頼人との連絡手段から視覚同調による偵察までと、幅広く活躍してくれるが、悲しいことに分裂まではしてくれない。あともう一人、誰かがいれば迷うことなく行動できるのだが。

 

「……ん? あれは……」

 

 廊下の窓から見える校門のあたりで人影が動いた。テロリストの言葉が正しければ守衛は既に殺されている。となると今の人影の正体は──

 

「あぁ、そうか。いるじゃないの、丁度いい人材が」

 

 どこで手に入れたのか一枚の符を利用して結界を潜り抜け、焦燥の表情で校舎へ向かってくるグレン=レーダスの姿を見つけたロクスレイは、不敵に笑う。地獄に仏とはまさにこのことだ。

 

「フィーベル嬢はグレンに任せよう。あの足なら事に及ぶ前には到着できるはずだ。任せましたぜ、講師殿」

 

 システィーナは正義の魔法使いを夢見た青年に任せ、ロクスレイは行動を開始する。

 

 制服の懐に手を突っ込みサイコロ大の正方形を取り出す。それは圧縮の魔術によって縮小された外套であり、魔術を解除すればあっという間に元の大きさに戻る。深緑のかなり年季の入った外套だ。

 

 外套を羽織り手早く武装の確認。常日頃から持ち歩いている暗器と鋼糸(ワイヤー)などの工作器具、刃物の具合を確かめる。どれも問題はなく、すぐにでも交戦可能な状態である。ここに本来なら小型の弓を携えているのだが、生憎と持ち歩くには不便なため中庭の一角に隠してある。余裕があれば取りに行けばいいだろう。

 

 準備万端整えたところでロクスレイは詠唱を始める。代々、ロビンフッドに受け継がれてきた固有魔術(オリジナル)の一つ。

 

「《森の精よ・我に祝福を・与え給え》」

 

 固有魔術【ノーフェイス・メイキング】。

 

 呪文を唱え魔導器でもある外套を起動。一瞬のうちにロクスレイの姿が背景と同化、透明化し気配が完全に消失する。熱感知すらも欺く気配遮断能力だ。ただし敵意や殺気までは隠蔽できないが。

 

 他にも認識阻害と魔術防御にも優れており、唯一の弱点は物理的な接触であるが、直接触られなければ声でも上げない限り気づかれない代物だ。

 

「そんじゃまあ──無貌の王、参る。なんてな」

 

 意識を完全に切り替えてロクスレイはダークコートの男とルミアの後を追い始めた。

 

 

 



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生徒の想いと教師の心

あれ、おかしいな。ロビンさん大活躍回のはずが、何故かヒロイン大活躍回に……。


 ダークコートの男によって連れ出されたルミアは校舎から中庭へ出ると、並木道を抜けて真っ直ぐ白亜の塔へと向かわされた。学院と帝都を繋ぐ転送法陣のある場所である転送塔だ。

 

「これは……?」

 

 普段は遠目から見るだけの転送塔の周囲に、本来あるべきではないものがあった。有事の際に自動で起動し、侵入者を迎撃するガーディアン・ゴーレムだ。それらが何故か塔を守護するように徘徊している。

 

 侵入者を撃退するようプログラムされているはずのゴーレムが、しかしダークコートの男を認識しても動かない。学院内のセキュリティが完全に敵方の手に落ちていることを示していた。

 

 守衛は殺され、学生達では太刀打ちできない。現状を唯一打破できる存在としてルミアが考えつくのは一人だけ。

 

「グレン先生……!」

 

「随分とあの男の肩を持つな。今頃は我々の仲間によって始末されているはずだ。所詮は第三階梯(トレデ)に過ぎない三流魔術師を何故そこまで信じられる?」

 

 ルミアの呟きを拾った男が、残酷な現実を告げる。グレンの元へは彼らの仲間の一人が差し向けられており、三流魔術師でしかないグレンが勝利する可能性は万に一つない。希望など抱くだけ無駄なのだ。

 

 ここまでの道中にも同じことを突きつけられてきたルミアは、しかし絶望とは程遠い気丈な表情で見返す。

 

「グレン先生は貴方達なんかに負けません。誰よりも強くて、誰よりも心優しいあの人がテロリストに負けるはずがない……!」

 

「よくもそこまで愚直に信じられるものだ。まあいい、ありもしない希望に縋りついていたければしていろ」

 

 ゴーレムの防衛網を素通りし、塔内に入ると螺旋階段を上っていく。長い長い石階段を上り終えるとルミアと男を最上階の大広間、転送法陣のある部屋が迎えた。

 

 ダークコートの男が開き戸を開け視線で入れと促す。大人しく従って部屋に入るが、中は薄暗くよく見えない。背後でパタンと音を立てて開き戸が閉められた。どうやら男の役目はルミアをここまで案内することだったらしい。

 

 監視の目がなくなりルミアが僅かに気を緩めた直後、薄暗闇の中からこつこつと硬い靴音が響いてきた。

 

「だ、誰ですか……?」

 

「僕ですよ、ルミアさん」

 

 暗闇に慣れ始めたルミアの視界にぼんやりと男の姿が浮かび上がる。二十代半ばぐらいの優男。髪色は金で顔立ちは涼やかに整っている。暗碧の深い瞳を持つ青年であった。

 

「うそ……ヒューイ先生がどうして……!?」

 

 暗がりから現れた青年をルミアはよく見知っていた。何を隠そうこの男、一ヶ月前まで二組の担当講師として教鞭を執っていたヒューイ=ルイセンその人である。

 

 表向きには一身上の都合で退職、真実は突然の失踪からの行方不明となっていたが、その理由は態々語るまでもない。今この場にいてルミアを出迎えたことが、ヒューイが敵側の人間である証左だ。

 

 信じられない、信じたくないといった表情のルミアに申し訳なさげにヒューイは眉を下げる。

 

「すみませんがルミアさん、大人しく僕に従ってもらえますか。あまり手荒な真似はしたくありませんので」

 

「ヒューイ先生……」

 

 悔恨を滲ませつつもヒューイはルミアを部屋の中央に設えられた転送法陣の上に立たせる。手早くルミアに魔術の封印を施し、そして目を瞠るほどの手並みで法陣の改変と構築を始めた。学院の一講師レベルを遥かに超えた卓越した手腕にルミアはただただ驚きに固まることしかできない。

 

 前もって用意しておいた高価な触媒や道具を用いて作業に没頭するヒューイ。ルミアは法陣の中心で蹲ってしばらくその様子を見守っていたが、やがて沈黙に耐えかねて話を切り出す。

 

「どうしてなんですか、ヒューイ先生。生徒達からも慕われていた先生がどうしてこんなことをするんですか?」

 

「……そうですね、ここまで来た時点でルミアさんにはもう何もできない。せめてもの誠意として話してもいいでしょう」

 

 ルミアを一瞥し、作業を続行しながらヒューイは語る。

 

「我々の目的はただ一つ、ルミアさんを誘拐することです。そのために僕は今日まで講師として潜伏し、学院の結界とセキュリティを完璧に把握。転送法陣の書き換えに必要な素材や道具を密かに蓄え、講師と教授がいなくなる今日この時を狙って計画を実行したのです」

 

「私を誘拐……でも、それだとおかしいです。私が学院に来たのは一年前。ヒューイ先生は十年以上も前から学院に勤めているじゃないですか」

 

「ええ、そうですね。厳密には、僕の役目は将来的に入学するかもしれない王族、もしくは政府要人の身内を自爆テロで殺害するために用意されていた人間爆弾です」

 

「そんなことが……」

 

 明かされる衝撃の事実にルミアは言葉を失う。つい最近まで生徒達から慕われていた人気講師が、その実十年以上前から仕組まれていた人間爆弾だったなんて。到底受け入れられないし、こんなことを考えつく人間の正気が疑われる。

 

 作業の手は止めないままヒューイが顔を上げる。整った顔には壊れ物めいた微苦笑が貼り付いていた。

 

「僕自身すっかり忘れかけていましたけどね。ですがルミアさん──エルミアナ王女殿下が入学したことで僕の講師生活は終わりを迎えました」

 

 ピクリとルミアの肩が跳ねる。親友であるシスティーナですら知らないルミアの素性を言い当てられ、動揺が洩れ出た。加えて自分の存在がヒューイを狂わせたのだと悟り、胸中を暗澹たる雲が覆う。

 

「あぁ、気に病む必要はありませんよ。いずれはこうなる運命だったんですから」

 

 視線を法陣へ戻してヒューイは努めて淡々と続ける。

 

「本来は殺害することが目的だったのですが少々事情が変わりましてね。これから僕は転送法陣の転送先を改変し、ルミアさんをとある組織へと送り届けます。同時に僕の魂を起爆剤にこの学院を生徒諸共爆破することになる」

 

「爆破!? 止めてくださいヒューイ先生、他の生徒達は何も関係ないでしょう!」

 

 自身の事情とは全くの無関係である生徒達が巻き込まれるとあっては黙っておられず、矢も盾もたまらず立ち上がろうとするルミア。だが既に張られていた障壁が動きを阻害し、衝撃と共に法陣の中心へと押し戻される。

 

「無駄ですよ。もう貴方には何もできない」

 

「そんなこと、ありません。まだ間に合います……!」

 

 弾かれても諦めず、無意味と分かっていても障壁に飛びつく。力づくで抜け出そうとしてその度に無様に弾き飛ばされる。だが決して折れない。システィの、生徒達の命が懸かっている以上、このまま法陣の完成を黙って見ているわけにはいかないのだ。

 

「お願いします……もう、止めてください。私を誘拐するのは構いません。でも、生徒達は見逃してください」

 

「残念ながらそれはできない相談です。僕は所詮、組織の道具に過ぎない。道具が主の意向に逆らうことなんてできるはずがない」

 

「道具……」

 

 血を吐くようなヒューイの言葉に、不意にルミアの脳裏を皮肉げに笑う少年の姿が過ぎった。どうしてこの場面で彼を思い出したのかは分からないが、ヒューイの自身を道具と貶める発言にルミアはどうしても黙っていられなかった。

 

「違う、そんなことありません。ヒューイ先生は道具なんかじゃない、立派な人間ですよ。だって──」

 

 ふっと表情を綻ばせてルミアは言う。

 

「──そんな辛そうな顔をしている人が道具なわけないですから」

 

「辛、そう……?」

 

 一心に法陣を改変し続けていたヒューイの手が止まり、自身の顔へと持ち上げられる。触れた顔は確かに苦痛を堪えるように歪んでいた。

 

「辛い……あぁ、そうか。辛いのか、僕は。生徒達をこの手にかけることが辛くて、痛くて、堪らなくて……」

 

 優しげに垂れる眦から一雫の涙が零れ落ちる。十年以上も講師を続けてきた、生徒を教え導いてきた。その日々はとても充実していて掛け替えのないものであったから──

 

「──壊したくないなぁ」

 

 弱々しくも洩れ出たヒューイの本音。組織に逆らうことのできない道具であると理解していながら、自分を慕ってくれた生徒達の命を奪いたくないと心が絶叫していた。ルミアの言葉を切っ掛けにやっと自分の想いに気づけたのだ。

 

 ヒューイはしばらく苦悩するように瞑目すると、数秒の間を置いて苦渋の表情でやりかけの法陣へと手を伸ばす。

 

「生徒に諭されて気づくなんて教師失格ですね」

 

「ヒューイ先生?」

 

「学院の爆破は、止めます」

 

 ヒューイの変節にルミアは驚く。ルミアの必死の説得が届いたのだ。ただし全てが思い通りにいくわけではない。

 

「ですがルミアさんの誘拐は計画通りに行います。ここで僕が止めたとしても新たな刺客が送られるだけ。それによって生徒達が更なる危険に見舞われては本末転倒ですから」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

「申し訳ありません。僕がもっと強ければ、貴方も守れたのに……!」

 

 己の無力さに歯噛みするヒューイをルミアは責めない。彼はルミアの言葉を聞き入れ、勇気を振り絞ってくれた。それだけで十分だった。

 

 胸の前で手を組み合わせ祈りを捧げる聖女のように己の運命を受け入れる。

 

 王族に生まれ、先天性の異能力を持っていたことから放逐されて、一度は世界に絶望すらした。けれどそんな自分にも味方がいると教えてくれた人がいて、事実悪い魔法使いから助けてくれたグレン=レーダス(正義の魔法使い)がいた。

 

 彼らのおかげで今日までルミアは希望を持って生きられた。これ以上の贅沢は天から罰が下ってしまうかもしれない。でも、もし一つだけ許されるならば──

 

「あの人たちにちゃんとお礼したかったなぁ……」

 

 悪い魔術師に誘拐されかけた時に助けてくれた()()()()

 

 一人は何の因果か、非常勤講師として再びルミアの前に現れた。当の本人はすっかり忘れてしまっているようだが。

 

 もう一人は分からない。誘拐現場からルミアを掻っ攫い危機から救ってくれた男。深緑の外套に身を包み顔を隠していたその人は、名も名乗らずに何処かへいなくなってしまった。

 

 まだ二人にちゃんとお礼を言えていない。そんな心残りを抱えながら顔を上げたルミアは、ヒューイの背後に広がる暗闇に妙な揺らぎを見つけた。その直後、ルミアとヒューイしかいないはずの部屋に第三者の声が響く。

 

「よく踏み切ったなヒューイ先生。オタクの覚悟は素直に称賛するぜ。ま、だからってこのままお嬢さんを誘拐させるワケにはいかないけどな」

 

「なっ、誰だ──!?」

 

 声に反応して振り返ったヒューイの体が横に吹っ飛ぶ。側頭部に強烈な打撃を叩き込まれ、僅かに呻き声を上げて気絶する。

 

「ヒューイ先生!?」

 

 突然倒れたヒューイにルミアが悲鳴を上げる。すると昏倒するヒューイの傍らの闇が不自然に揺らめき、滲み出るように人が姿を現す。深緑の外套を纏った見覚えのある出で立ちの男──

 

「貴方は、あの時の……!」

 

「なんだ、覚えてたのか。てっきり白馬の王子様の方が印象強烈でオレのことは忘れてると思ったんですがね」

 

 完全に姿を現した男は倒れるヒューイを一瞥したのち、法陣内に囚われるルミアの元へ近寄る。そのまま手を伸ばしてルミアを引き出そうとするが、案の定障壁に弾かれるだけに終わった。

 

「あー、こいつは解呪しないとダメなやつか。面倒だな……仕方ない、少し横着しますか」

 

 男は一旦手を引くと小声で呪文を唱える。

 

「《森の精よ 我らに祝福を 与え給え》」

 

 聞いたことのない、教科書に載っていないだろう詠唱を終えると男の姿がみるみるうちに消失していく。現実とは思えない事象を前にさすがのルミアも開いた口が塞がらない。

 

 驚愕に固まるルミアの耳に声が掛かる。

 

「ちょっとばかし目を瞑ってくれますかね」

 

「え、どうやって中に……」

 

「そいつは企業秘密でさぁ。とりあえず言うこと聞いてくれ」

 

 耳元で囁かれてくすぐったさを感じつつ、ルミアは言われるがまま瞼を閉じる。真っ暗闇の中、頭から薄布のような物を掛けられた。

 

「そのままゆっくり歩いてください」

 

 背中に軽く手を添えられてルミアは歩き出す。一歩、二歩と慎重に歩いていく。さっきまでは三歩も踏み出せば障壁に弾かれたが、どういうわけか五歩目になっても障壁の存在は感じられない。目を閉じているルミアには何がどうなっているかさっぱり分からなかった。

 

 やがて背中から手が離れ、掛けられていた布が取っ払われる。

 

「もういいですぜ」

 

 男から許可が下りたのでルミアは目を開く。そんな気はしていたが、やはりルミアは書きかけの法陣の外に出ていた。障壁は未だ健在であるのにも関わらずだ。

 

「いったい、どうやって……?」

 

「そのあたりの話はなしだ。それよりちょいと付き合ってくれますか。オタクの王子様が割とピンチなんですわ」

 

「あの、さっきから王子様って誰のことですか」

 

「グレン=レーダスだよ。テロリスト二人を始末したまでは良かったが、結構な深手を貰っちまったようでな。お嬢さんの魔術がないと結構ヤバイ」

 

「それを早く言ってください! 急ぎましょう!」

 

「ハイハイっと。そんじゃまあ、失礼して──」

 

「ひゃあっ! ちょ、ちょっと待ってくださいこの体勢は……!?」

 

 不意打ち気味に男に横抱かれてルミアは堪らず頬を染める。ただしロンドとの視覚同調でグレンの容態が洒落にならないことを把握していた男は、己の腕の中でルミアが乙女らしい反応をしていることに気づかない。

 

「飛ばすぜ、お嬢さん。頼むから声だけは上げないでくれよ」

 

 ルミアの返答も待たず、男はグレンとシスティーナの元へ全速力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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三年越しのお礼と非日常の終息

第一話と同じく修正版に差し替えました。


 テロリスト二人との交戦により致命とまではいかずとも深手を負ったグレンは、システィーナの手厚い応急手当と駆けつけたルミアの力によって事なきを得た。今は穏やかな寝息を立てて医務室のベッドで眠っている。

 

「うん、もう大丈夫だよ。しばらく安静にしていれば動けるようになると思う」

 

 大分血色が良くなってきたグレンを見下ろし、ルミアが魔術の手を止める。あとは自己治癒に任せた方がいいと判断したのだ。

 

「ほんと? ほんとにもう大丈夫なの?」

 

「心配しなくても先生は大丈夫。だから安心して、システィ?」

 

 微笑みながらそう言ってやれば、システィーナはほっと安堵の息を吐く。不安に揺れていた瞳が落ち着きを取り戻し、極度の緊張から解放されたためか涙が溢れ出した。

 

「ルミアぁ……私、わたし……!」

 

「よく頑張ったねシスティ。私のせいで、ごめんね」

 

 泣き崩れる親友に寄り添い、ルミアは震える背中を優しく抱き締めた。自分が法陣に囚われている間、システィーナはグレンと共にテロリストと戦っていたのだ。未熟で本気の殺し合いなんて経験したこともない少女にとって、それがどれほど恐ろしい体験であったかは推して測るべし。

 

 しばらく医務室に少女の嗚咽と慰める声が響く。数分ほどして落ち着いたのか声が止むと、微かに目元を赤くしたルミアが医務室から出てきた。

 

 きょろきょろと廊下を見渡し、少し離れた柱に寄り掛かる外套姿の男を見つけると、僅かに躊躇いながらも歩み寄る。

 

「治療は終わったんですかい?」

 

「はい、もう命に別条はありません。今はシスティがついてくれてますから、目が覚めれば教えてくれます」

 

「さいですかい。じゃあ講師殿のことはあちらのお嬢さんとオタクに任せますわ」

 

「構いませんが、貴方は何処へ?」

 

「オレは他にも伏兵がいないかの確認と、生徒達の解放。それと優男殿の監視ですわ。いくら改心したとはいえあのまま放置しておくわけにもいきませんから」

 

「あ、待って──」

 

 深緑の外套を翻して立ち去ろうとする男の背中へ、ルミアは反射的に手を伸ばしていた。

 

「何か?」

 

「えっと、その……助けてくれてありがとうございます。貴方のおかげで助かりました」

 

「礼には及びませんぜ。こっちはお仕事だからな。お嬢さんを守るのがオレの役目だ」

 

「お仕事ですか……」

 

 淡白な物言いにルミアは微かな寂寥を覚える。

 

「三年前のあの時も、お仕事だから助けてくれたんですか?」

 

「あー、まあ広義に捉えればお仕事っちゃあお仕事か。サービス的な意味合いはあったし、途中で王子様に全部丸投げしちまったから片手落ちもいいところですがね」

 

 今から三年前、母親に捨てられフィーベル家に身を寄せ始めた頃に起きた事件。システィーナと間違われてルミアが魔術師達の手で誘拐されかけた時、何処からともなく現れ救い出してくれたのは他ならぬこの男とグレン=レーダスだ。命の恩人である二人を忘れたことなど片時もありはしない。

 

 たとえ男にとって仕事の一環であったとしても、ルミアが救われたことに変わりはない。ずっとこうしてまた会える日を待ち望んでいたのだから。

 

「ずっとあの時のお礼が言いたかったんです。貴方の言葉があったから、私は今もこうして前を向いて歩けています」

 

 訥々と紡がれるルミアの想い。今日この日まで胸の内に秘めていた感謝の言葉が自然と溢れ出す。

 

 混じり気のない純粋な感謝の念を向けられ、男は動揺を誤魔化すように頭を掻く。

 

「そういうのはオレじゃなくてもっと伝えるべき相手がいると思うんですがねぇ。まあ折角の言葉を突っ撥ねるのも男が廃るんで、有り難く受け取っときますよ…………血筋って怖ろしいな」

 

「え、何か言いましたか?」

 

「いや、こっちの話だ。それよかオレはそろそろ行きますんで、講師殿をよろしく頼みますぜ」

 

「あ、あと一つだけ!」

 

「まだあるんですかい……」

 

 面倒臭げに足を止めて男が首だけ振り返る。あまりモタモタしているとヒューイが目覚めかねないので早くしてほしかった。

 

 ルミアは一呼吸置くと意を決して尋ねる。

 

「名前を教えてくれませんか?」

 

 運命の悪戯か三年前に助けてくれた男の一人は素性が知れた。しかし目の前の男だけはまだ何一つとして知らない。顔どころか年齢も名前も不明なのだ。誰からの依頼かは知れないが、これからも仕事として自分を守ってくれるのならせめて名前くらいは知っておきたかった。

 

 名を尋ねられた男は困ったように腕を組む。

 

「生憎と仕事の都合上、名乗るわけにはいかないんだ。もし不便があるってなら、そうだな、顔無しとでも呼んでくれ」

 

 仕事の際に使っていたコードネームを持ち出す。これならば特に問題ないだろう。グレンあたりは過剰反応するかもしれないが。

 

「顔無しさん、ですか」

 

「なんだか、さんを付けられると途端に間抜けに聞こえてくるな。まあ、いいですけど」

 

 無貌の王(ロビンフッド)と明かすことができない以上、顔無しさんで我慢する他ないだろう。幼子に読み聞かせる童話の登場キャラみたいで少しばかり気恥ずかしいのは致し方ない。甘んじて受け入れよう。

 

 未だ目を覚まさないグレンはルミアに一任して、念の為にロンドも付けて送り出し、男は後処理に動き出した。

 

 こうして此度の事件は緩やかに終息へと向かっていた。

 

 

 ▼

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件。

 

 一人の非常勤講師の活躍により未遂に終わったこの事件は、関わった組織や諸々の事情を考慮して内々に処理された。学院の破壊痕なども魔術実験の暴発として片をつけられ、公式にも事件の存在は隠蔽された。

 

 とはいえ全てが完璧に闇へ葬られはしない。現実に被害に遭った生徒達がおり、町でも一騒ぎおこしているのだ。人の口に戸は立てられず、あれこれと噂が流れた。

 

 かつて女王陛下の懐刀として暗躍していた伝説の魔術師殺しや、悪魔の生まれ変わりとされ抹消された廃棄王女、そして誰一人として顔を知らない外套の幽霊などと。そんな噂がまことしやかに囁かれたが、所詮は噂。人の噂も七十五日と言うように、一ヶ月も経てば人々の関心は離れていった。

 

 学院には以前と変わらぬ穏やかな時間が流れ、全てが元通りに収束していく──

 

 

 ▼

 

 

「かくして、自爆テロに見せかけた王女誘拐未遂事件は無事に終息したわけだ。学院は元の日常を取り戻し、めでたしめでたしってな」

 

 学院の屋上に一人、鉄柵に凭れながらロクスレイは言う。半割りの宝石を耳に当てて誰かと会話しているようだ。

 

「女王さんの予測通り、天の智慧研究会が出てきやがったぜ。さすがは爺さんの元主人(マスター)なだけある。読みの鋭さは脱帽もんだ」

 

 類稀なカリスマ性と政治手腕をもってして帝国の舵取りをこなすアリシア女王陛下は、紛うことなく稀代の女傑だ。娘に対する態度だけは玉に瑕であるが。

 

「ただ、少しばかり腑に落ちない点があった」

 

 すっと目を細めてロクスレイは険しい顔つきになる。

 

 仕事柄、ロクスレイが無貌の王(ロビンフッド)として天の智慧研究会の魔術師と相対したのは今回が初めてではない。連中の狂い具合は身に染みて理解している。だからこそ違和感を覚えた。

 

「連中は狂ってるが意味のないことはしない。当初の予定が要人を殺害する自爆テロだけであったはずなのに、わざわざティンジェル嬢の誘拐を付け加えたのには何かしらワケがあったはずだ。そのあたりの裏事情を洗っといてくれ」

 

 歴史の裏で暗躍する無貌の王(ロビンフッド)。しかしてロクスレイはあくまで一族の長を受け継いだ者であり、決して一人ではない。彼らは一族含めて無貌の王であり、長をバックアップするために個々で活動している。

 

「今のところ頼めるのはこんなところか……はい? 学生生活はどうかって? まあ、ぼちぼちですかね。可もなく不可もなくって感じですわ」

 

 仕事の話が終わったと見るや任務外の話を切り出され、相変わらずのお節介加減に苦笑いながら答える。きちんと公私を切り替えているとはいえ、唐突にお節介焼きに変わられるのには中々慣れない。まあロクスレイも満更でもなさそうなのだが。

 

 あれこれと調子はどうかと尋ねてくる先代に適当に相槌を打つ。そうしてしばらく親子の会話を続けていると、とある話題が上った。

 

「いや、主人(マスター)探しは何というか、あんまり捗ってはないですわ。こっちも仕事が忙しいですし、護衛対象をほっぽりだすワケにもいきませんからねぇ……」

 

 先送りにし続けている問題を提示され、ロクスレイは苦い顔だ。これに関しては全面的に自分が悪いと認めているだけに強く言い返せなった。

 

 無貌の王(ロビンフッド)にとって主人(マスター)という存在は言葉以上の重みを持つ。互いが互いに揺るぎない信頼を抱き、契約の儀を経て主従関係を結ばなければならない。それは仕事におけるビジネスライクな関係とは違う、何を置いても主人を優先するという絶対の契約だ。

 

 ロビンフッドとなった者は必ず主人(マスター)を見つけなければならない。歴代のロビンフッドも活動を始めてから早くて三年、遅くても五年以内には仕えるべき主を見繕っている。それが一族の掟であり、契約の儀を経て初めてロビンフッドは完成するのだ。

 

 しかし、ロクスレイはロビンフッドを受け継いでから早数年、未だに主人どころか候補の影もないまま。先代に限らず一族の全員が心配をしている始末だ。

 

「言われなくとも分かってますって、心配しなさんな。そんじゃ、そろそろ切りますぜ」

 

 何やら先代がまだ言っていたが構わず通話をぶつ切り、半割れの宝石を懐に仕舞った。深々と溜め息を吐いてロクスレイはどこまでも澄み切った青空を仰ぎ見る。

 

 先代には心配するなと言ったものの、ロクスレイ自身この問題に関してはどうしたものか答えが出ていなかった。先代はアリシア七世を主人と定めたが、その前のロビンフッドは小国の辺境伯、更にその前はまた別の国の貴族だ。初代ロビンフッドに至っては何処にでもいる村娘なんて話もある。

 

 ロビンフッドの主人に身分の貴賎は関係ない。重要なのは互いに強い信頼関係が築けているかである。

 

 そんな相手を、現状ロクスレイは候補すら見つけられないでいた。

 

 ガリガリと頭を掻いてロクスレイは向かいの校舎を見やる。丁度正面に位置する二階の廊下で、グレンとシスティーナ達が賑やかに騒いでいる。恐らく今日の授業内容についてシスティーナが文句を言っているのだろう。内容自体は悪くなかったが、付け足された犯罪紛いの豆知識が生真面目な令嬢殿には看過できないものだったらしい。

 

 つい先日まで非常勤講師として勤めていたグレン=レーダスは、晴れて魔術学院の講師となった。当人が望んだのと指導の質の高さから常勤として認められたのだ。

 

 魔術の闇に触れて、魔術に絶望して、魔術を嫌って。それでもグレンは心のどこかで魔術を憎みきれず、夢見る少年少女達を応援したい、彼らの行く末を見届けたい一心でもう一度向き合うことを決めた。

 

「あんだけ心を擦り減らしてもなお正義の心を捨てず、優しくあれるのは凄ぇよ。オレには望むべくもない、思わず羨ましくなっちまいますわ」

 

 何やらシスティーナに言われ、脂汗をかきながら鮮やかな土下座を決めるグレンの姿に苦笑を洩らす。生徒に土下座するという情けない姿であるが、外道魔術師達の血に濡れて苦悶しているよりは余程マシだろう。むしろ性に合っている。

 

「しっかし、主人(マスター)ねぇ……」

 

 自嘲げにぼやくロクスレイの瞳が、グレンとシスティーナのやり取りに笑みを零すルミアに向けられる。日の当たる世界だからこそ咲き誇る向日葵のような少女を無意識の内に見つめ、それに気づいてロクスレイは忌々しげに口元を歪めた。

 

「何を考えてんだか。オレみたいな悪党を信頼してくれる輩なんざ、いるワケがないってのに」

 

 一頻り彼らの漫才を眺めて、ロクスレイは鉄柵から離れる。

 

「ま、ないもの強請りしたって時間の無駄無駄。お仕事と並行してぼちぼち主人(マスター)探しも頑張りますかぁ」

 

 誰にともなく一人ごちて屋上を後にした。

 

 

 ▼

 

 

「ルミア? どうかしたの、窓の外なんて見て」

 

「うぅん、なんでもないよ」

 

 人影一つない向かいの校舎の屋上から視線を切り、ルミアは小さく首を振って微笑む。いつもと変わりないルミアだ。

 

 変わりないと言えば、今回の一件において功労者と認められたシスティーナは帝国上層部からルミアの素性を明かされた。ルミアが異能者であったがために政治的な事情で帝国王室から放逐された王女であることを、システィーナは既に知っている。

 

 しかし、それでシスティーナの態度が変わったかといえばそんなことはなく。依然姉妹同然の親友として暮らしている。それがルミアにとっては何よりも嬉しかった。

 

「それより、システィは大丈夫?」

 

 心配するルミアの視線はシスティーナの絆創膏だらけの指に固定されている。まるで慣れない包丁作業に四苦八苦したあとのような惨状だ。

 

「うっ、まあ今まで料理なんてしたことなかったから仕方ないというか。それを言うならルミアだって、あの調子でまともに料理作れるの?」

 

「うーん、やっぱり不器用な私には無理難題かな……」

 

 ここ最近、システィーナとルミアの二人は家で母親から料理を教わっていた。システィーナは先日の事件で助けてもらったグレンへのお礼だそうで、指を包丁で切りながらも美味しい物を作れるよう励んでいる。

 

 そしてルミアも、不器用なことを自覚しながらもシスティーナの母に頼んで料理を教授してもらっていた。

 

 システィーナのように指を切りはしないが、不器用なだけあって手際が悪く、あまり料理の出来栄えはよくない。まだまだ成長途上とはいえ、誰かに差し入れできるレベルまでには程遠い。

 

「そもそもルミアは誰に料理して上げるつもりなの? もしかしてグレン先生?」

 

「グレン先生もだけど、もう一人いるんだ」

 

「へぇ、その一人ってクラスのヤツ? それとも他の先生?」

 

「さあ、分かんないや」

 

「分からないって……」

 

 的を射ない発言にシスティーナは首を捻る。疑問符を浮かべる親友に悪戯っぽく微笑み、ルミアは次の授業に遅れないよう足を早めた。

 

 

 



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第二部
夢と迫る魔術競技祭


自分の至らなさが原因で分かりづらい部分や可笑しな点が幾つかあり、感想で指摘されてしまいました。申し訳ありません。一応感想欄でご指摘に対する解答をして、読み直して致命的な違和感がある場合は修正していきたいと思います。
それでもご納得頂けない、或いは受け入れられない場合は悲しいことですが切り捨ててくださって構いません。元々ロビンフッド好きが暴走した、ある程度の脳内予定はあっても見切り発車同然の拙作なので。
それでも構わないよ、という方は今後とも温かい目で見守って頂けると有難いです。




 それは夢。強烈な記憶として焼き付いたエピソードが、時折夢となって再現される。

 

 幼い頃、自分にとって世界そのものであった母親に捨てられた私は、とにかく卑屈で荒んでいた。今でこそ姉妹同然のシスティともよく喧嘩していて、自分は要らない子なんだと卑下し、家の人達に当たり散らす毎日。

 

 そんなある日のこと、私は悪い魔法使いに攫われた。きっと追い出されても我儘で良い子にしてなかった私を殺すために、お母さんが差し向けた人達なんだ。何も知らない子供の私はそう思った。後で知ったことだけど、この誘拐は私とシスティを間違えたものだったらしい。

 

 そんなことと露知らない私はただただ絶望していた。もう私は誰からも必要とされていない、生きていちゃいけない存在なんだと。

 

 悲嘆と絶望に沈んでいたその時、何やら誘拐犯達が慌てだした。涙を流して目を閉じていた私には何が起きてるか分からなかったけど、悪い魔法使いの悲鳴が聞こえたのと同時、私は別の誰かに抱え上げられる。誘拐犯達のように雑ではなく、優しく丁重な手つきだった。

 

 恐る恐る瞼を開くと目前にフードで隠された顔があった。どうしてか、目と鼻の先にあるはずなのに辛うじて分かるのは男であることだけ。髪色や瞳の色、顔立ちも判然としない。はっきり言って怪しい人だった。

 

 当時の私はとにかく卑屈で後ろ向きだった。だから普通に考えればこの人が助けてくれたと分かったはずなのに、私はこの人も敵だと思い込んで泣き喚いた。もう嫌だと、当たり散らしたのだ。

 

 けれど男の人は私の言葉なんか無視し、何処かへ向かって走り出す。人一人抱えているとは思えない身軽さで建物の屋根に登り、疾風の如く空を駆ける。

 

 きっと他の仲間と合流するのだと勘違いして、私は更に喚き散らした。そうしてしばらく、我慢の限界に達したのか男の人がやっと口を開いた。

 

「さっきから黙って聞いてりゃあ、やれみんな敵だ、やれ自分は要らない子だとか喧しい。お嬢さんの境遇には同情するが、オレはいつまでもいじいじしてる女は大ッ嫌いなんですよ」

 

 まだ幼くついさっき誘拐されたばかりの女の子に対してこの物言い。如何に切迫した状況であったとしてもこれは酷い。普通の子供なら更に泣き喚いていたところだろう。でも私は良くも悪くも普通じゃなくて、男の人の八つ当たり染みた言葉に泣きが引っ込んだ。

 

 代わりに出てきたのは今日まで溜め込んだ弱音と愚痴。母親に捨てられた嘆き、誰からも必要とされない悲しみ、誰一人として味方のいない絶望。全部、全部、吐き出した。

 

 お門違いだと分かっていても、敵か味方かすら分からない相手に私は本音をぶつけていたのだ。

 

 さっきまでのただ喚き散らすだけの癇癪ではない、比較的落ち着いた心境で吐露された心情に、男の人は投げやりではなく真摯に答える。

 

「あぁ、そうだな。お嬢さんが母親に捨てられたのは偽りない事実だ。そこは変えようがないし、そのあたりの事情を理解しろってのも無茶な話だ。だがな、誰からも必要とされてないなんてのは早とちりが過ぎるんじゃねぇの? 誰も味方がいないなんて、どうして分かる?」

 

 屋根から屋根へと飛び移りながら男の人はまるで全て知っているかのように言葉を紡ぐ。

 

「もっと周りをよく見てみな。オタクのことを心配して手を差し伸べてくる人がいなかったか? 子供なりに卑屈なオタクを元気づけようと頑張ってる子がいなかったか? あれこれと当たり散らすオタクに根気強く向き合おうとしてくれる人達がいなかったか?」

 

 男の人の言葉に私は思い当たる節があった。私のことを引き取ってくれたフィーベル家の人達。どんなに私が当たり散らしても、酷い喧嘩をしても、あの家の人達は私を追い出したりはしなかった。いつも私のことを心配して、守ろうとしてくれていたのだ。それにどうして気付けなかったのだろう。

 

「味方がいないってのも早合点だ──おっと!」

 

 私を抱えながら男の人が一際高く跳躍する。直後、真下を火炎と雷光が通過した。魔術による、それも殺傷性の高い攻撃だ。

 

「やってくれるな。お返しにこれでもくらっときな!」

 

 懐から小さな球体を取り出すと、男の人はろくに後ろも見ずに後方へ放り投げる。数瞬後、眩い閃光が後ろで弾け、知らない人達の声が聞こえてきた。

 

 男の人は軽やかに屋根の上に着地すると再び駆け出す。一陣の風の如く街を駆ける感覚が、段々と心地よく感じてきた。まるで柵全てから解放されて自由な風になったみたい。

 

「さっきの続きだが、お嬢さんの味方はちゃんといる。オレを含めて少なくとも三人、命張ってる輩がいるんだ。それなのに勝手に絶望してんじゃねぇですよ……!」

 

「三人……」

 

 数字的に言えば三人なんて少ないものだ。けれど世界に絶望していた私にとって、三人でも味方がいることが夢のようだった。私は一人じゃないんだって思えた。

 

「まあ、オレみたいな見た目一発不審者に言われても信用ならないと思いますがね。事実、オレは正義の味方とは縁遠い悪党だ」

 

 自嘲げに、自分を卑下する男の人。口調や声音が変わったわけでもないのに、どうしてか私には男の人が恥じているような、落ち込んでいるような気がした。多分、私もずっと絶望して悲嘆に暮れていたから、負の感情に敏感だったのだと思う。

 

 だから、私は思わず男の人にぎゅっとしがみついた。

 

「そんなことない、です。貴方は私を助けてくれた味方だから。ちゃんと信じます」

 

 私の言葉に男の人が驚いたような気配がした。顔が見えないからよく分からないけど、きっと目を見開いてたんじゃないかな。

 

「……オレみたいな悪党を信じるなんて、お嬢さんも懐が深いこった」

 

 呆れたように腕の中の私を見下ろして、

 

「でも、そうだな。どうせ守るなら、オレを信じてくれる人の方がいいよなぁ……」

 

 男の人はそんなことを呟く。腕の中で縮こまる私を一瞥して、ふっと口元に笑みを浮かべた。

 

「お嬢さんに一つ、お呪いを教えてやるよ。忘れてくれてもいいですがね──」

 

 皮肉げに付け足して男の人は魔術の詠唱らしき呪文を囁く。まだ魔術学院に通っていなかった私には、意味も何も分からないけれど、それが何かしら重要な意味を秘めていることは察せた。

 

 そのすぐ後、私は駆け付けたもう一人の仲間であるグレン先生に文字通り投げ渡され、男の人は何処かへ消えてしまった。

 

 あの時教えてもらったお呪いを、私は今も鮮明に覚えている。

 

 

 ▼

 

 

 アルザーノ帝国魔術学院に魔術競技祭の季節がやってきた。

 

 魔術競技祭とはアルザーノ帝国魔術学院で年に三度に分けて開催される、生徒同士による魔術の技量の競い合いである。各クラスから選出された選手達が様々な魔術競技で腕を比べ合うお祭り、であるのだが。何時からか出場するのは成績優秀者ばかり、挙句同じ選手の使い回しが当然のように行われるようになり、お祭りという楽しい印象からは掛け離れた代物へと成り下がっていた。

 

「だから今年こそは皆で競技祭を楽しみたいってシスティは言ってたんだけどね……」

 

 憂い顔でルミアは眉尻を下げる。去年と同じ轍を踏むまいと意気込み、生徒達に競技への参加を呼び掛けるシスティーナは物の見事に空回りしていた。生徒達の反応は芳しくなく、殆どの生徒が気不味げに目を逸らして積極的に参加しようなどと意欲に溢れた者は見当たらない。

 

 それも仕方ないだろう。システィーナはクラス全員でお祭りを楽しみたいようだが、実際に出れば他クラスの成績優秀者に大敗を喫するのが関の山。誰も好き好んで大勢の前で恥はかきたくない。加えて女王陛下が来賓としていらっしゃるとあればなおのことだ。

 

「萎縮しちゃう気持ちは分かるけど、勇気を出して出場してくれる人はいないかなぁ……」

 

「……はぁ、話は分かりました。ところでティンジェル嬢、何故にオレの隣の席に座ってるんですかね。ついでにその熱烈な視線をどっか別の方に向けて頂けるとなお有難い」

 

「うん? だってロクスレイ君、去年の魔術競技祭の時にはまだいなかったから知らないと思って。競技祭がどんなものなのか簡単に説明してあげただけだよ」

 

「そいつはご親切にどーも。おかげで競技祭についてはよくよく分かったんで、書記のお仕事に戻ってくれて構いませんよ」

 

 言外に前へ戻れと訴えるロクスレイ。護衛対象であるルミアと不必要なまでに距離を詰めたくないのに、こうも接近されては具合が悪い。仕事云々抜きにしても容姿端麗な彼女に近づかれるとクラスの男子達の嫉妬が鬱陶しくて敵わないのもある。

 

「ところで、ロクスレイ君は興味ある競技とかないかな。色々あるんだよ? 毎年内容が変わるし、初めて見るような競技もあるから一つくらい出場してみない?」

 

「いやいや、オレは遠慮しときますよ。初めての競技祭なんだ、じっくり外野から見学させてもらうわ」

 

「そんな遠慮しないで、初めてだからこそ思い切って飛び込んでみるのもありだと思うんだ」

 

 ぐいぐいといつになく積極的に押してくるルミア。妙にイイ笑顔で迫る護衛対象をこちらも努めて笑顔で流しつつ、どうしてこうなったとロクスレイは自問した。

 

 おかしい、ロクスレイの記憶ではルミアとまともに会話したのは魔術談義以降一度もない。短い挨拶のやり取りなどはあったが、長く話し込むような機会はなかったはずだ。つまり現時点においてルミアのロクスレイに対する好感度はマイナスに振れているはず。

 

 だが目の前の少女を見るととても自分を嫌悪しているようには思えない。ルミアがあまり根に持たない性質(タチ)の人間なのか、それともロクスレイ自身が気付かぬ間に見直されるようなことをしたのか。

 

 ともかく今は如何にして競技祭の出場を断るかが肝要だ。祭だか何だか知らないが、競技などに出場していては護衛の仕事に差し障る。

 

 しかし現実は上手くいかないことばかりで、ロクスレイの思惑は無駄にテンションの高いグレンの登場によって木っ端微塵と砕け散った。

 

 昨日までは投げやりに好きにしていいと興味なさげに言っていた癖に、いっそ清々しいほどの熱い掌返しを披露してグレンは優勝を狙うと宣言。生徒名簿と競技種目一覧を手にするとシスティーナにチョークを持たせ、各競技に生徒達を満遍なく割り振りだしたのだ。

 

 最低一人一競技。各々の得意分野ないし得意分野から応用が利く競技を当てていくグレン。常日頃から生徒達をよく見ているからこそできる采配である。勿論、不参加を決め込んでいたロクスレイも例外ではない。

 

「えーっと、なになに? 『フォレスタ』? 初めて聞いたが、要はかくれんぼみたいなもんだろ。じゃあこいつはロクスレイに決定だ」

 

 口を挟むこともできぬまま魔術競技祭参加決定。文句を言おうにも生徒達に囲まれて質疑に応じているグレンには近づけないし、段々とクラス全体が乗り気になっている空気で一人不参加を表明するのは悪目立ちしかねない。必然的にロクスレイは受け入れる他なかった。

 

 いっそ全財産をギャンブルに注ぎ込んで金がなく、魔術競技祭の優勝クラス担当講師に贈られる特別賞与目当てであることをバラしてやろうかとも思ったが、辛うじて踏み止まる。救いようのない悪党である自覚はあっても下衆に堕ちるつもりはないし、言ったところであの暴走列車が止まるとは思えなかった。

 

 ちなみにロクスレイはグレンが金欠で軽く死にかけていることを把握している。妙にやつれているグレンの様子を訝しんでわざわざ探ったのだ。案の定のロクでなしぶりにその時は笑えたが、今となっては食料を恵んでおけばよかったと後悔の真っ只中である。

 

 何やらギイブルが皮肉げに異論を唱えているがそれもグレンに気のある──ただし当人に自覚なし──システィーナの全面援護によって引き下がってしまう。もう少し喰い下がれよと心の内でロクスレイは文句を零していた。

 

 ちなみに非常に奇妙なことにグレンの心境も同じであった。この男、ギイブルに指摘されるまで生徒の使い回しが反則だと思い込んでいたのだ。だが乗り気な生徒と笑顔のシスティーナの手前、今更前言撤回などは言えなかった。

 

「う〜ん、なんだか噛み合ってないような気がするなぁ……」

 

 今にも血を吐きそうな顔のグレンと期待に胸を踊らせるシスティーナを交互に見やり、ルミアは小首を傾げる。事実、二人の認識は愉快なくらいにすれ違っていた。

 

 ロクスレイも二人のすれ違いを察していたが笑えない。普段なら必死に笑いを堪える羽目になっていただろうが、今回ばかりはとんだとばっちりに心中曇り模様である。

 

 そんなロクスレイの肩が横から突かれる。屈託ない笑顔を咲かせたルミアが言う。

 

「競技祭、頑張ろうね。ロクスレイ君」

 

「あー、まあぼちぼちな」

 

 護衛に支障が出ない範囲で、と心の内で付け足してロクスレイは曖昧に頷いた。

 

 

 

 

 

 

 



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二組の練習風景

色々とお騒がせしましたが、今度こそ続きです。そしてちょっとだけ活躍の回。


 魔術競技祭開催前の一週間は、授業が三コマのみとなり残りの時間は練習時間に当てられる。それぞれのクラスが担当講師の監督の下、魔術の練習に励んでいた。

 

 グレンが担当する二組も御多分に洩れず、学院中庭を利用して熱心に練習に打ち込んでいる。

 

 空を飛んでいる生徒がいれば植樹に魔術を打ち込む生徒がいる。女生徒の何人かはベンチに集まり呪文書を片手に魔術式の調整中だ。

 

 クラスメイト達が銘々に練習をしている一方、ロクスレイは木陰で寝そべりながらのんべんだらりと過ごしていた。時折吹き抜けるそよ風が心地良い。気を抜けば寝てしまいそうな昼下がりである。

 

 ふわぁ、と洩れ出る欠伸を噛み殺していると頭上に影。目を上に向ければ僅かに頬を膨らませたルミアが覗き込んでいた。

 

「サボりは感心しないなぁ、ロクスレイ君。クラスの皆だって頑張ってるんだから、ちゃんと練習しようよ?」

 

 どうやら堂々と眠りこけるロクスレイを見かねて声を掛けたらしい。実は寝そべりながらも護衛対象であるルミアの気配だけはきちんと把握していたのだが、それは言うまい。

 

「練習って言われてもなぁ……」

 

 ロクスレイが出場することになった『フォレスタ』は競技場を樹木が乱立する林に変え、そこで各クラスから選出された選手達が魔術で争う競技だ。

 

 実戦における林の地形での戦闘を彷彿とさせる『フォレスタ』はバトルロイヤル形式であり、他の選手を打ち倒せば得点が入り、最後の一人まで残ればボーナス得点が得られる。要は林をフィールドとした模擬戦闘だ。

 

 真正面から堂々と戦うのもあり、漁夫の利を狙って相手の背後を取るのも良し、ボーナス狙いで隠れ続けるのも一つの作戦といった具合の競技である。まあ無駄に自尊心が高く実戦のいろはも知らない学院生徒達なので、結局は遮蔽物ありの魔術合戦にしかならないだろうが。

 

 無論、ロクスレイに他の生徒達に付き合って魔術合戦をする気はさらさらない。非難されようと構わず背後からの不意打ち、奇襲をするつもりだ。

 

 幼い頃から森の奥深くに居を構える里に住み、訓練と銘打った過酷な修行を経験し、無貌の王(ロビンフッド)の名を拝するロクスレイにとってこの競技は勝ち確定の勝負。修行の一環として一族対自分一人という無茶苦茶なサバイバルゲームをもこなしてきたロクスレイに負ける道理はない。

 

 勿論、目立ち過ぎては敵わないのである程度は加減するつもりだ。

 

 しかしそんな事情をルミアは知らないし、他の生徒達から見れば今のロクスレイはただサボっているだけにしか映らない。何気に士気が高まっている状況下でロクスレイのサボり行為は否応なく目立っていた。

 

 だがロクスレイにも言い分はある。他の競技が比較的使用する魔術が明確となっているのに対して、『フォレスタ』は学院で教えている殺傷性の低い魔術なら基本的に何でも使用可能なのだ。どれか一つに絞って練習するのはあまり効率が良くない、むしろ日頃からの研鑽が物を言うのである。

 

 加えてフィールドが林ということもあり、そもそも練習する場所に難儀する。学院内には森もあるが、そこで一人かくれんぼしながら魔術を撃つ練習をして、果たして意味があるのかという話だ。

 

 以上の理由を理路整然と語れば、ルミアは名案を閃いたとばかりに手を打った。

 

「じゃあ私が練習相手になろうか? 魔術式の見直しは家でもできるし、ロクスレイ君の練習に付き合うよ」

 

「いや、ティンジェル嬢に手間かけさせるわけには……」

 

 やんわりとロクスレイが断ろうとした時、中庭の一角で激しい怒声が上がった。どうやら二組の生徒と他クラスの生徒が揉めているらしい。一応は監督役たるグレンが溜め息交じりに仲裁に入ろうとしている。

 

「どうしたんだろ? ちょっと様子を見てくるね」

 

 たたたっと騒ぎの中心へと向かっていくルミア。ロクスレイはその背中を見送り、しばし迷ってから立ち上がると後を追う。剣呑な生徒達に巻き込まれて護衛対象が怪我でもしたら敵わない、という理由である。

 

 諍いの原因は練習場所の取り合いらしい。遠目から見る限りグレンが間に入って丸く収めようとしていたが、一組の担当講師ハーレイ=アストレイが中庭を全面寄越せなどと宣い始めたことで事態がややこしいことになりつつある。

 

 やれ一組が優勝し女王陛下から栄誉を賜る、やれ二組は勝負を捨てているなどと好き放題言うハーレイ。さすがのグレンも生徒達を馬鹿にされては黙っておられず、勢いで言い返して給料三ヶ月分を賭け合うという、ただでさえ金欠で死にかけている癖に自分で首を絞めてしまった。

 

 グレンが顔でハーレイを煽りまくりながら心中では焦りに焦り、ハーレイがグレンを三流だなんだとこき下ろしているタイミングでロクスレイは騒ぎの中心に辿り着いた。すると何故かハーレイの視線がロクスレイに留まる。

 

「そもそもだ、全員で勝ちを取ると言いながらそこの生徒は堂々とサボっていただろう! 成績も大して良くない、やる気の欠ける生徒に我が一組の生徒が負けるはずがない!」

 

 煽りの中でグレンが語った「皆は一人のために、一人は皆のために」の穴をこれでもかと突くハーレイ。ロクスレイがサボっていたのは事実であるので何とも言えないが、鬼の首でも取ったように声高に指摘する様はちょっとばかり大人気なく感じられる。

 

 引き合いに出されたロクスレイは困惑顔だ。別に馬鹿にされようと侮蔑されようと気にしない性質(タチ)ではあるが、クラスメイト達からの物言いたげな目にどう反応したものかと悩む。

 

 そんな中、人垣から事の推移を見守っていたルミアと目が合う。別に自分のことでもないのに悔しげな表情で唇を噛み、胸の前で拳を握り締めていた。

 

 どうしてルミアがそんな反応をするのか今一つ分からなかったが、このまま放置して微妙な空気がクラスに蔓延するのも困ると判断し、ロクスレイはがりがりと頭を掻きながら歩み出る。

 

「えーと、ユー……ハーレイ先生だったか。付かぬ事をお訊きしますが、一組で『フォレスタ』に出場する生徒は誰ですかね?」

 

「なんだ、情報収集のつもりか? そんなことをしたところで結果は変わらんぞ。まあいい、クライス!」

 

「はい」

 

 呼ばれて一歩前に出る男子生徒。彼が『フォレスタ』に出場する選手らしい。自信に満ち溢れた表情で敗北など考えもしてなさそうだ。

 

「ほーん……」

 

 ロクスレイはクライスを爪先から頭の天辺まで観察すると真正面に立ち、懐から一枚の銀貨を取り出す。コマドリの意匠が凝らされた何の変哲もない銀貨だ。

 

 銀貨をわざと見せつけるように手に持ち、キィン! と親指で弾き飛ばす。誰もが反射的に銀貨の行方を視線で追おうと斜め上を見るが、不思議なことに空中に銀貨はない。ただ甲高い金属音だけがその場に残響している。

 

「これはいったい何のつもり……!?」

 

 銀貨の意味を問おうと正面を見たクライスは目を剥く。ほんの一瞬だけ目を離した隙に、正面に立っていたロクスレイの姿が忽然と消えていたのだ。

 

 驚愕に動揺するクライスの後頭部がこつんと小突かれる。いつの間にか背後に回っていたロクスレイが左手を銃のようにして突きつけていた。

 

「競技の時は真っ先にアンタを落としますかね、優等生様?」

 

「なっ……!?」

 

 一瞬だけ銀貨に意識が逸れたとはいえ、ロクスレイの動きにまるで気付けなかった。気配もしなかったし足音も聞こえなかった。背後を取られて初めて気付けたのだ。

 

 呆然と立ち尽くすクライスと教え子がロクスレイに手玉に取られて悔しげに歯嚙みするハーレイ。そんなハーレイに改めてグレンが啖呵を切って、場が白熱する。

 

 一方で軽く汚名返上を果たしたロクスレイはルミアを見やると、少し気障っぽくウインクを送る。それを受け取ったルミアは嬉しそうに屈託なく笑った。

 

 

 ▼

 

 

 それからというもの二組はますます練習に励み、本気で餓死の未来が見えてきたグレンも鬼気迫る気迫で指導を始めた。ロクでなしではあるものの何だかんだ生徒達をきちんと見ているグレンの教えは的確で、練習は中々に捗っている。

 

 ロクスレイもグレンからの指示に従って認識阻害の魔術を併用しつつ、他選手を打ち倒すのに使用する魔術を【ショック・ボルト】に限定し、詠唱速度の向上に努めた。

 

 そして練習期間である一週間はあっという間に過ぎ、待ちに待った魔術競技祭の日を迎える──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔術競技祭の幕開け

レベル90、スキルマックスの我がカルデアのロビンフッドですが、更に聖杯を捧げて100までレベルアップして頂こうかと迷っている今日この頃。
皆さんのカルデアではレベル幾つですかね?


 いよいよ迎えた魔術競技祭当日。生徒達が浮き足立つ中、まず最初に女王陛下の歓待が執り行われる。

 

 帝国国民にとって雲の上の存在とも言える女王陛下の行幸を出迎えるため、学院正門は生徒や講師によってごった返している。先発で到着した王室親衛隊が溢れ返る人々を整理し、来客用玄関に向かって整然と人垣の道ができていた。

 

 その場に集う人々が一様に緊張した面持ちで待つ中、ロクスレイは護衛対象を見失わないよう気を払っていた。護衛対象たるルミアは何やら今にも倒れそうなグレンをシスティーナと一緒に支えている。呑気なものだ。

 

 相変わらず仲が良いな、などと考えていると人垣の道を馬に騎乗した兵士が駆け抜ける。それを契機に、待機していた楽奏隊が派手に演奏を始め、生徒達が大歓声と共に拍手の嵐を巻き起こした。

 

 盛大な歓待を受けつつ護衛に囲まれた豪奢な馬車が正門を潜る。悠然と進む馬車内から女王アリシア七世が身を乗り出して微笑み交じり手を振れば、拍手と歓声が更に爆発。興奮と熱狂が渦巻く。

 

「さすがの人気ぶりだな。帝国を運営してきたカリスマは伊達じゃねえってことか」

 

 ふとロクスレイはルミアの様子を見る。人垣の一角から女王陛下の姿を眺めていたルミアは、首元のロケットに手を伸ばす。中身は見えないが、恐らく空っぽなのだろう。憂いを帯びた横顔を見れば大体の心境は読めた。

 

「吹っ切ったつもりでいてその実、未練を捨てきれてない。難儀なもんだ。昔と比べれば随分強くなっちゃいるが、心の何処かでは母親の愛を求めてるんですかね……」

 

 システィーナに声を掛けられ、何でもないと気丈に笑う少女の姿は見ていて痛々しかった。

 

 物心つく前に親に捨てられたロクスレイには、ルミアの内心を察することはできても理解や共感は今ひとつ抱けない。ただ一般的な常識と照らし合わせて、不幸な境遇だと同情するくらいだ。

 

「ま、娘が娘なら母親も筋金入りの拗らせぶりですし、ある意味似たもの親子ってやつか。世の中儘ならないもんだ」

 

 窓から微笑みを振り撒きつつさりげなく娘の姿を探す女王陛下を見て、ロクスレイはそう結論付けるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 女王陛下の歓待は恙無く終わり、ようやく魔術競技祭が始まる。長々とした開会式が滞りなく進行し、女王陛下からのお言葉で締め括られてやっと競技に移行した。

 

 競技祭が行われる会場は学院内の魔術競技場だ。構造は石で造られた円形の闘技場であり、中央には芝生が敷き詰められ競技フィールドがあり、観客席は三層構造の外へいけばいくほど高くなっている。

 

 更にこの競技場、魔術的ギミックが仕込まれており、制御コマンド一つでフィールドを林や火の海、果ては水の張られたプールに変えることが可能だ。

 

 そんな競技場にて、驚くべき番狂わせが巻き起こっていた。誰もが期待などしていなかったグレンの担当クラスである二組が、次から次へと好成績をもぎ取っているのだ。

 

『またしても二組が三位だぁあああ! いったいどうなっているのかァアアア──!?』

 

 実況担当の生徒が興奮に絶叫を上げる。魔術の拡声音響術式により競技場全体へと響く彼の声は、他の観客達の心情を代弁していた。

 

 誰もが予想だにしなかった状況。成績優秀者も成績下位者も分け隔てなく出場する二組が、何をどうしたのか比較的上位の成績を収めている。前評判など知ったことかと言わんばかりの快進撃に、他クラスで出場できなかった生徒達が大いに沸いていた。

 

 競技場がかつてない盛り上がりを見せ、幸先の良い結果に喜ぶ様子を、ロクスレイは中心から少し離れた位置で眺めている。クラスの団欒に交じるわけではなし、しかして集団から外れるような立ち位置でもない。ギリギリ、クラスメイトに含まれるようなポジションだ。

 

「ま、当然の結果ですかね。使い回される生徒達と違って二組の連中は自分の競技に全力を注げる。魔力の温存なんざ考えなくていい分、思い切りの良いパフォーマンスができるからな」

 

「へえ、そうなんだ。さすがグレン先生だね。それに気付けるロクスレイ君もだけど」

 

「……あのね、ティンジェル嬢。何のつもりか知らないが、オレに気を遣う必要とかないから。別にぼっちなワケでもありませんし? ちゃーんとクラスの一員として競技祭に参加してるんだからさ」

 

 わざわざクラスの輪を抜け出てまで自分の隣に並ぶルミアに、さしものロクスレイも頭が痛い。本当に、どうしてこの少女はここまで構ってくるのか。

 

「でもロクスレイ君、あんまり楽しそうに見えなかったよ。皆が盛り上がるのを眺めてるだけだったよね」

 

「そんなことないぜ? 楽しみ方なんて人それぞれ。オレは輪に交じってはしゃぐタイプじゃないだけであって、別段退屈してるワケじゃない。楽しそうに騒ぐ連中を見てるだけでこっちはお腹一杯なのさ」

 

 尊敬と畏怖の目を生徒達から向けられ、引き攣った笑みで応じるグレンを見て微笑を零す。血に塗れた世界で生きてきたロクスレイにとって、優しい陽だまりはどうにも座りが悪いが、かと言って嫌いというわけでもない。端から見るだけで十分だった。

 

「それよか、次はティンジェル嬢の出番じゃないですかい?」

 

「そうなんだよね……」

 

「なんだ、自信がないのか?」

 

「ちょっとだけね? 私以外の選手は男の子ばっかりだし、去年も凄いことになってたから」

 

 競技『精神防御』は競技の中でも過酷なものだと言われている。精神汚染攻撃に対して自己精神強化の術を用いて只管に耐える我慢比べ、最後まで耐え抜いた者が勝者という競技だ。その性質上、出場選手は毎年男子だけ、女子が出ることなど一度もなかった。

 

 精神的にタフな男子達と並び立ち、果たしてどこまで耐えられるのか。改めてその光景を想像してルミアはほんの少しだけ不安に駆られた。ここまで他の生徒達が好成績を残してきたのも少なからずプレッシャーになっているのだろう。

 

 やや硬い面持ちのルミア。母親に捨てられ、悪意ある人間にその身を狙われ続けてなお気丈に振る舞える彼女ならば、所詮は修羅場も知らない学生達に負ける道理はないだろう。だが僅かにでも不安の類があればそれだけで精神の防御力は下がる。それは万が一の敗北を招きかねない。

 

 どうしたものかとロクスレイは腕を組む。

 

 ロクスレイは競技祭の優勝になんて興味の欠片もない。女王陛下から勲章を賜る栄誉も要らない。だからルミアが競技で失敗しようと構わない、と言いたいのだが、生憎と競技の結果如何によっては護衛の仕事に支障が出る。何せ精神汚染攻撃に耐え切れなければ最悪昏睡するなどという事態になりかねないのだ。護衛をする側としては避けたい展開である。

 

 まあ仕事上の必要な接触か、と自分を納得させてロクスレイは少し低い位置にあるルミアの頭に掌を載せた。

 

「そう緊張する必要なんてねぇですよ。肩の力を抜いて、気楽に挑めばいいのさ。それに、もしティンジェル嬢がしくじってもオレがサクッと取り返してやりますよ。だから気負わず、やれることやってきな」

 

「……うん、ありがと。なんだか気が軽くなったみたい。私、頑張ってくるよ」

 

 爛漫に笑顔を咲かせ、ルミアは競技場へと向かっていく。その足取りは軽く、もう不安の色は見られなかった。

 

 遠ざかっていく小さな背中を見つめ、ロクスレイは自分の掌に視線を落とす。不用意に近づけば仕事に差し障ると分かっているはずなのに、一体全体何をしているのか。

 

「どーにも、調子が狂うな……」

 

 髪を掻き上げて小さく吐息を洩らす。だがロクスレイは気づいていない。自分でも知らぬうちに微かに笑みを作っていたことを。

 

 その後、ルミアは下馬評を覆し、去年の優勝者を抑えて堂々の一位を手にした。それがとある少年の言葉に背を押された結果なのかは、当人たるルミアにしか分からない。

 

 ただ、クラスメイトに囲まれて嬉しそうに笑うルミアの姿は、陽だまりの中で咲き誇る可憐な花のようであったと、遠目に眺めながらロクスレイは思ったのだった。

 

 

 ▼

 

 

 午前の部が終わり、午後の部が始まるまでの昼休憩。生徒達が各々で昼食を取ろうとする中、ご存知金欠グレン=レーダスはと言えば、空腹を堪えて生徒の相談に乗り、何だかんだの自業自得でシスティーナに吹っ飛ばされ、そしてとある生徒の厚意によって久方ぶりの食事にありつけていた。

 

「ふー生き返った、生き返った。ほんと、マジ助かったわ、ルミア」

 

「あはは、それは良かったです。でも、お礼は私じゃなくてその女の子にお願いしますね」

 

 たった今、グレンが余すことなく食したサンドイッチの数々はとある素直になれない女子生徒が相手に渡せないで廃棄しようとしていたのを、見かねたルミアが代わりに届けた物だ。まあとある女子生徒が誰であるかは鈍感でない限り察しがつくだろうが、生憎とこのロクでなしはその鈍感に含まれていた。

 

「おう、分かってるって。序でに美味かったって伝えといてくれ……ところで、ルミアのそれは自分の弁当か?」

 

 グレンの目がルミアの抱える小さなバスケットを捕捉する。決して狙っているわけではない。ただ気になっているだけだ。目つきが獣染みた何かになっているのは気のせいだろう。

 

 そんなグレンに苦笑いながらルミアはバスケットの表面を撫でる。

 

「これは、とある人に食べて欲しくて作ったんです。不器用だから見た目は不恰好になっちゃいましたけど、味は問題なく仕上がったので渡したいと思ったんですが……」

 

「なら渡しにいけばいいんじゃねーの?」

 

 無遠慮な物言いにルミアは肩を落とす。

 

「残念ながら、多分その人は受け取ってくれないと思うんですよね」

 

「はぁ? なんだそいつ、女の子が手作りしてくれた食いモンを突っ撥ねるとか男の風上にも置けねーな」

 

 不意に、少し離れた茂みがガサリと揺れた。妙な揺れ方ではあったが小動物か何かだろうと決めつけ、グレンはそのままルミアと他愛ない雑談を続ける。

 

 そうしてしばらく、そろそろ競技場に戻ろうかと腰を上げた二人の背後から、とある女性が声を掛けた。

 

 最初、面倒だからなどという理由でおざなりに答えたグレンは、相手が女王陛下その人だと知ると態度を一変。権力の前には全力で媚びる、小心者のお手本がそこにいた。

 

 アリシア七世はそんなグレンと一言二言会話を交わし、呆然と立ち尽くすルミアに水を向けた。彼女がここに現れた目的はルミア──実の娘であるエルミアナに直接会って話すことである。先の競技で元気な娘の姿を見て、居ても立っても居られなかったらしい。

 

 間近にいる娘に優しく語りかけるアリシア。今も変わらず母親として娘の身を案じているかのように、優しく、温かく。それがどれほど娘の心を掻き乱しているかも知らずに。

 

 やがて硬直から立ち直ったルミアが慇懃に人違いだと告げ、赤の他人として対応する。淡々と一帝国民として接する娘に、アリシアはしばし言葉を失っていたが、最終的には諦めたように口を噤んだ。

 

 頑なに他人を貫くルミアから未練を振り切るように目線を外し、アリシアはグレンに宜しくお願いしますと頼むと、そのまま静かに去って行った。その間、ルミアは一度たりとも顔を上げようとはしなかった。

 

 

 ▼

 

 

「急に現れたと思えば、オタクなら簡単に予想できたんじゃないですかい?」

 

 貴賓室へと戻る道中、誰一人として往来を往くアリシアの存在に気づいてすらいないというのに、その少年は当然のように声を掛けてきた。

 

「確かに、そうですね。少し考えればこうなることくらい分かったでしょうに、ダメですね。娘のこととなるといつもこんな調子です」

 

「まあ、オタクの数少ない人間味のある一面だとは思いますがね。振り回されるお嬢さんの気持ちも少しは考えるべきだったんじゃないですかねぇ」

 

 ルミアにとってアリシアはどう取り繕っても自分を捨てた親に他ならない。今でこそ事情を知っているから喚き立てるような見苦しい真似はしないが、当時子供であったルミアが負った心の傷は小さくないはずだ。それなのにアリシアが昔と変わらぬ優しい母親として接してきたら、あの対応になるのも致し方ないだろう。

 

「ええ、貴方の言う通り。あの子の気持ちをもっとよく考えるべきでした……でも、我慢できなかったのです。あんな風に友人に囲まれ、尊敬できる先生に出会い、楽しそうに笑っている姿を見てしまったら……」

 

「…………」

 

 今にも涙を零しそうな勢いのアリシアの告白。娘に赤の他人として接されると分かっていたはずなのに、会いたいという願いが勝ってしまった。そして案の定、惨めな思いをして帰る羽目になっている。一国を治める女王として、そして一人の娘の母親としても今のアリシアは見るに堪えない。

 

 あからさまに肩を落とす雇用主(クライアント)に、少年はどうしようもない既視感を覚えて苛立ちを覚える。

 

「ったく、揃いも揃って似た者親子だよ、オタクら。どっちも未練タラタラじゃねぇですか。あーめんどくせぇ……」

 

 中身のないロケットを後生大事に身に付ける娘。

 

 放逐した娘と会うためだけに無茶をやらかす親。

 

 少年からすればどっちもどっち、下らない意地も邪魔くさい体裁もさっさと捨てて腹を割れと言いたいところである。もし二人が望むならば、それができるくらいの状況はサービスで用意してやってもよかった。でないと見ている少年の方が拗れた現状に限界を迎えかねない。

 

 とは言え少年から提案することはない。この問題は帝国の、そして親子の問題であると弁えているからだ。何処まで行っても他人でしかない少年が土足で踏み込むには些かデリケートな事情が過ぎる。

 

「どこに落ち着けるかは知りませんがね。できることなら早いとこケリをつけてくれよ。でないと仕事に障る」

 

「ええ、分かっています。私の我儘に付き合わせて、申し訳ありません」

 

 少年は女王を一瞥し、往来を行き来する人混みの中へと消える。残されたアリシアは未だ気落ちしたまま、とぼとぼと貴賓席へと歩みを再開した。

 

 しかし、そんなアリシアを何処からともなく現れた王室親衛隊が取り囲んだことで、事態は厄介な方面へと転がり始めた。

 

 

 

 

 

 



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信じる心と無貌の王の決意

皆さんも推しメンに聖杯を捧げているようですね。惜しむらくはロビンフッドを育ててない方が案外多かったことでしょうか。
ならば不肖私、ロビンフッドの良さをバンバンアピールしてみせましょうとも!
あ、聖杯の件については種火とQPが貯まったらやります。やるったらやる(迫真)


 魔術競技祭、午後の部が幕を開けた。

 

 相も変わらず快進撃を続ける二組と大番狂わせに沸く競技場から離れ、学院敷地の南西端。部外者の侵入を阻む鉄柵に沿って並ぶ木々の一つの陰から、ロクスレイは護衛対象を様子を見守っていた。

 

 一度はグレンと共に競技場へ戻ったルミアは、しかし何を思ってか誰に告げることもなく競技場を抜け出し、ここでずっと物思いに耽っている。十中八九、先のアリシアのことを考えているのだろう。

 

 沈鬱な表情で空のロケットを見つめるルミア。もう午後の部の最初の競技が始まってから結構な時間が経っている。そろそろシスティーナあたりがルミアの不在を心配し始めている頃合いだ。

 

「いつまで悩みこけてるつもりなんだか」

 

 午後の部にルミアの出番はない。競技場にいなくとも問題はないのだが、だからと言って何時まで経ってもここで一人悩まれ続けると、今度はロクスレイが競技に出場できなくなってしまう。幸い『フォレスタ』は決闘戦の前なので時間に余裕はあるが、このまま延々と悩み込む少女の姿を眺めているのも据わりが悪い。

 

「オレがしゃしゃり出るワケにもいきませんしねぇ」

 

 そもそもロクスレイが出たところでできることなんて何もない。親子の感情の機微が今ひとつ分かりかねるロクスレイに、現状のルミアが求めているであろう言葉は思い浮かばなかった。

 

 どうしたものかと頭を悩ませていると、視界の端に見覚えのある講師の姿が映った。誰もが認めるロクでなし講師、我らがグレン=レーダスだ。

 

 どうやらグレンはルミアを探していたらしく、木陰の下に探し人を見つけると駆け寄っていく。ダメ講師であるが生徒のことをきちんと見ているグレンなら、悪いことにはならないだろう。少なくとも、ロクスレイよりはマシな言葉を掛けられるはずである。

 

 ルミアのことはグレンに任せて引き続き護衛に専念しようとして、懐に仕舞っていた宝石型の魔導器が振動した。ロクスレイは怪訝に眉を顰めながらも宝石を取り出し、耳に当てて応じる。

 

「珍しいな、爺さんから連絡を寄越すなんて。天の智慧研究会にでも動きがあったんですかい?」

 

 基本的にロクスレイからの定期連絡だけに使われる宝石型の通信機。それでわざわざ連絡を取ってきたということは仕事の遂行に関わる何かが発生したということだろう。

 

 宝石越しに先代の話に耳を傾けるロクスレイの表情が驚愕に染まる。苦々しげに顔を顰め、グレンと話し込むルミアに目を向ける。

 

「王室親衛隊が暴走だって? 女王の勅命でルミア=ティンジェルの抹殺命令が下っただと? 冗談はよしてくれよ、爺さん」

 

 先代から伝えられた情報は、俄かには信じ難いものであった。

 

 娘のこととなると途端に空回りしてしまうほどに娘を愛しているアリシアが、よりにもよってその娘を討てと親衛隊に命令した。しかも現実に王室親衛隊は女王の護衛を最低限残し、ルミアを抹殺するために動いているという。

 

 先の空回りぶりを知っているロクスレイとしては到底信じられない話だ。だが王室親衛隊が独自に動いているのは事実である。この短い時間に使い魔であるロンドと視覚同調をして確認したのだ。

 

「どうなってやがる。この短い時間でいったい何があったってんだ……!?」

 

 通信を終えた宝石を乱暴に仕舞い、ロクスレイは歯嚙みする。

 

 先代が嘘を吐いてるとは言わないし、一族が張り巡らす情報網の精密さも疑っていない。だからこそロクスレイは苦悩する。

 

 アリシアが娘を殺すような命令を下すのはあり得ない。しかし現実に王室親衛隊は動いている。

 

 彼らは帝国軍の精鋭であり、いつ如何なる時も女王の意向を優先する忠義高い衛士達の集まりだ。その行動の根底には女王に対する絶対の忠誠がある。

 

 そんな彼らが動いているということは、即ち、アリシアが命令を下したか、ルミア=ティンジェルを抹殺しなければ女王陛下に不利が生ずる何かがあるということだ。

 

「どうにかして事の裏を洗いたいが、お嬢さんから離れるワケにもいかねぇ……」

 

 ロンドを上空に飛ばして学院全体の状況を把握していたロクスレイは、間も無くルミアとグレンに王室親衛隊が接触するのを把握していた。元執行者であるグレンならば王室親衛隊が相手であろうと負けはしないだろうが、数の差で何れは手詰まりになりかねない。そうなれば今度こそ、ルミア=ティンジェルは殺されてしまう。

 

 だがもしも、アリシアの命が懸かっているような状況であった場合、ロクスレイは雇用主(クライアント)を見殺しにしてしまうことになる。それは無貌の王(ロビンフッド)として認められない。雇われ人として優先すべきは雇用主の身柄だ。

 

 ロクスレイは動けない。護衛対象と雇用主を天秤に掛け、どうしようもなく迷っていた。

 

 そうこうしている内に王室親衛隊が現れた。木陰の下にルミアとグレンを認めると接触、抜剣すると剣先を突きつける。いよいよもって事態が切迫してきた。

 

「くそっ、迷ってる暇もねえってか……!」

 

 募る苛立ちを隠れていた樹木に叩きつけ、険しい表情で目を閉じる。数瞬の瞑目を経て次に瞼を開いた時、ロクスレイの顔から一切の逡巡が消え去っていた。

 

 

 ▼

 

 

 突如として女王陛下暗殺を画策したとされ王室親衛隊に命を狙われたルミアと、ルミアを庇ったことで罪人認定されてしまったグレンは一瞬の隙を突いて五人の衛士を打ち倒し、取り敢えずの急場を凌いだ。

 

 しかし状況は欠片も好転していない。この場を乗り切ったとしても山ほどいる王室親衛隊が、今この時も血眼になってルミアの居場所を探している。如何にグレンが強くとも王室親衛隊を全員倒すなんてことは不可能だ。

 

 入念に衛士達の意識を刈り取ったグレンは、改めて状況の詰み具合に脂汗を流している。教え子を守るためとはいえ後先考えずにやらかしたことを今更悔いているらしい。まあ、もう一度同じ状況に陥っても全く同じことをするだろうが。

 

「どうするんですか、先生! このままじゃ、先生まで国家反逆罪に問われてしまうんですよ!?」

 

「いや、そんなこと言われてもな。もう殴り倒しちゃったし、手遅れというかなんというかだな……取り敢えず、逃げるか」

 

 このままこの場に留まるのは危険と判断し、地理に明るく追われても撒ける市街へと逃げ込むことを決める。だがルミアの手を握って駆け出そうとしたグレンの前に、音もなく新手が立ち塞がった。

 

「──ッ!? お前、どうしてここに……!?」

 

 グレンの表情が焦燥に歪む。行く手を阻むように現れた深緑の外套を纏う男を、グレンは知っていた。

 

 かつて特務分室所属の執行者として活動していた頃、仕事の都合上で何度か手を組んだ相手であり、グレンにとってとある少女に次いで相性が悪い男。

 

「顔無しさん……」

 

「あいつのコードネーム、知ってたのか?」

 

 背後で呟かれた男のコードネームに、グレンが驚きに軽く目を瞠る。ルミアは小さく頷いて自爆テロの際に助けてもらった経緯を話す。

 

「テロリストに囚われた時に助けてくださったんです。お仕事として私を護衛していると仰ってました」

 

「仕事だって? おい、そりゃヤバイぞ……」

 

 グレンは数度しか顔無しと組んだことがないが、男が誰に雇われているかは把握している。だからこそ、このタイミングで現れた彼が決して味方ではないと直感した。

 

 ルミアの護衛を依頼したのは間違いなくアリシアだ。とある事情から女王陛下が娘を心から愛していることを知っているからこそ断言できる。そして顔無しは護衛を仕事として請け負った。つまり両者の関係は雇用主と被雇用者だ。

 

 どういう経緯でルミアが国家転覆を目論んだ大罪人にされたかは定かでないが、女王陛下に忠誠を誓う王室親衛隊がこのザマだ。直接雇われている顔無しがルミアの味方に回るとは思えなかった。

 

 顔無しが徐ろに間合いを詰めてくる。武器も何も構えていないが、纏う張り詰めた空気に緊張が滲む。咄嗟にグレンはルミアを背に庇い、身に染み付いた拳闘の構えを取った。

 

「離れてろ、ルミア。あいつ相手だとさすがに気を遣ってらんねえ。巻き込まれないように下がってろ……」

 

 グレンにとって顔無しが相性の悪い手合いである理由。それは彼が魔術に依らずとも戦えるタイプの人間だからだ。

 

 グレンの常套手段である固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】で魔術を封殺する手が意味を成さないため、必然的に素の戦闘能力が物を言う戦いになる。魔術よりも拳闘が得意と自負するグレンであっても、弓やら短剣やらを巧みに使い熟す顔無しを相手に勝てるとは言えない。むしろ武器も何もない自分が圧倒的に不利であると自覚していた。

 

 それでも、教師として教え子を見捨てるわけにはいかない。

 

 ──あの日の誓いを、今度こそ貫くため。

 

 戦意を昂らせ今にも破裂しそうな一触即発の状況下。グレンの間合いよりも数歩下がった位置で歩みを止めた顔無しが、僅かに目線を上げる。やはりというか、フードの下の顔は判然としない。

 

「随分と警戒されたもんだな。ま、状況を考えれば当然でしょうけど、生憎と講師殿に用はないんでね。ちょっとばかし、お嬢さんに尋ねたいことがあるのさ」

 

「私に、ですか?」

 

 フード越しに顔無しの真っ直ぐな視線を感じ取り、ルミアはきゅっと胸の前で手を握る。

 

 顔無しは微かに躊躇うような間を空けてから問い掛ける。

 

「いつか、お嬢さんは言ったな。オレみたいな人間を信じる、って。なら──」

 

 外套の下から短剣が握られた右手が飛び出し、剣先がルミアに向けられる。

 

「こうして剣を向けられて、お嬢さんは何処までオレを信じられる?」

 

 温度のない声が静かに響いた。

 

 鈍く光る短剣には微かではあるものの殺気が載せられている。誰が見ても敵対するつもりなのは明らかである状況で、何処まで信じられるかという問い。常識的に考えれば信用も信頼も抱けるはずがないだろう。

 

 だがルミアはじっとフードに隠された双眸を見つめ、ゆっくりと歩み出した。

 

「お、おいルミア? なにするつもりだ? 止めろ、今のそいつは王室親衛隊と同じだ! 間違いなく敵なんだぞ!?」

 

 躊躇うことなく顔無しへと歩み寄ろうとするルミアに制止の声をかけるが止まらない。突きつけられる短剣の剣先へと自ら近づいていく。

 

 目と鼻の先に短剣を突きつけられる位置で立ち止まり、ルミアは男の顔を見上げる。やはり顔は見えないが、ルミアには男が微かに驚いているのが分かった。たとえ顔が見えなくとも、何となく分かるのだ。

 

「私は貴方を信じます。たとえ剣を向けられたとしても、何処までだって信じ抜きますよ。だってあの日、貴方は私を助けてくれた。絶望する私に、希望の在り処を教えてくれたから」

 

 一切の迷いない宣言。剣を突きつけられながらも怯まず、微塵の疑いも不信も抱かず、信じ抜くという返答。心から相手を信じ切っているからこそできたことだ。

 

 ルミアの迷いなき答えに顔無しはしばし立ち尽くす。だがはっと我に返ると突きつけていた短剣を振り上げる。ハラハラと見守っていたグレンが反射的に飛び掛かろうとするが、その行動は無駄に終わった。

 

「あいたっ!?」

 

 こつん、と短剣の柄で小突かれる。思わず叩かれた頭を押さえて見上げれば、フードから僅かに覗く口元が呆れ交じりに笑みを浮かべていた。

 

「ったく、オレみたいな怪しい輩をほいほい信じるなんて言っちゃダメですぜ、お嬢さん。そんなんだと、いつか悪い連中に騙されちまいますよ」

 

「そんな、別に私は誰彼構わず信じたりなんて……きゃっ!?」

 

 咄嗟に言い返そうとして、しかし頭を掌で押さえられて反論の機会を失う。自分の小さく柔らかい手とは違う、少し硬くも大きく安心感に満ち溢れた掌だ。

 

「──ありがとな」

 

 ともすれば聞き逃してしまいそうなほどに小さな呟き。それが感謝の言葉であると理解した時には、顔無しは掌を退けて背を向けていた。

 

「おーい、そこで突っ立ってる全財産をギャンブルですって絶賛金欠真っ只中のロクでなし講師殿。聞こえてたら返事くれる?」

 

「なっ、なんでお前がそれを知って……!?」

 

「いいから聞きな。すぐにお嬢さんを連れて市街地に逃げろ。追手はオレが食い止める。頃合いを見計らって合流するんで、それまではお嬢さんを宜しく頼みますぜ?」

 

 右手に短剣を握り、左手に弓を構える顔無しが彼方を見据える。男の視線の先にはルミアを抹殺せんと意気込み、こちらへ向かって駆けてくる王室親衛隊の姿があった。その数、優に十を超える。

 

「いや、でもお前……結局どっちなんだよ」

 

「それ、今答えなきゃいけません? 見れば分かるでしょ。オタクの目は節穴なんですかい?」

 

「このっ……いや、分かった。ここは任せるぞ」

 

「え、待ってください、先生! 顔無しさんを一人置いていくんですか!?」

 

 口元まで出掛かった文句を飲み込み、ルミアを横抱きに抱え上げてその場を離れる。黒魔【グラビティ・コントロール】で重力を操作し、グレン達は高い鉄柵を飛び越えて市街地へと消えていった。

 

 一人その場に残った顔無し──ロクスレイはこんな状況であるのに頬のニヤけが止まらないでいた。

 

「まさかこんなオレでも信じてくれるとはね。こいつは癖になりそうで怖いわぁ……」

 

 雇用主(女王)を取るか護衛対象(王女)を取るかで揺れ動いていた心は今度こそ決まった。

 

 無貌の王(ロビンフッド)としての矜持を貫くため、女王陛下(クライアント)は必ず守る。そして仕事も確実に遂行してみせる。何方か片方? 否、両方取ってこその無貌の王(ロビンフッド)だ。

 

「さてと。そんじゃあ、いっちょ暴れますかぁ。ガッカリさせんなよ?」

 

 不敵な笑みを浮かべつつ、ロクスレイは王室親衛隊に弓引いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




因みに、もしもルミアが返答を躊躇ったり迷っていたらロクスレイはルミアをグレンに任せ、自身は女王の元へと事実確認をしに向かっていました。


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無貌の王、本領発揮。解き明かされる事の真相

ロビンさん大活躍回。多分、これくらいは序の口だと思うのよ。むしろこれでもまだ甘いかなぁ……。


「くそ、さっきからいったい何が起こってるんだ……!?」

 

 王室親衛隊のベテラン衛士、クロス=ファールスはとにかく焦っていた。

 

 女王陛下の護衛役の一員に抜擢され、誇りを胸に職務を全うしていたら、唐突に総隊長であるゼーロスからとある少女の抹殺命令が下った。ご丁寧にモノクロ写像画付きでだ。

 

 前触れのない任務、それも捕縛ではなく即時抹殺という内容。如何に少女が不敬罪を犯した国家反逆者であっても違和感を覚えずにはいられない。

 

 それでも任務である以上、クロスは後味の悪さを感じながらも粛々と任務を遂行せんと少女の行方を追った。そして学院の南西端でその姿を発見し、命令に従って少女の抹殺を履行しようとしたのだ。

 

 だができなかった。標的である少女は学院の講師らしき魔術師によって連れ去られてしまい、即座に追跡しようとすれば得体の知れない男によって阻まれたのである。

 

 その男は、何の宣告もなくクロス含める王室親衛隊に弓を引くと、容赦なく襲い掛かってきた。女王陛下の忠実なる臣たる王室親衛隊への狼藉は、即ち陛下に対する狼藉と同義。それを知らないはずもないだろうに、男は一切躊躇うことなく矢を射かけてくる。

 

 挙句、距離が詰まってきたとみるやわざとらしく挑発の言葉を残し、先に逃げた二人を追うように逃走。市街地へと消えていった。

 

 許し難い所業、王室親衛隊を愚弄する行いにクロスは少女よりも先に男を討つべきではないかと思うも、通信機より発せられるゼーロスの言葉に冷静さを取り戻し、隊員を率いて逃げた二人の追跡を開始。他の隊と共に市街地をしらみ潰しに捜索を始めた。

 

 だがその出鼻を物の見事に挫かれた。先の男が妨害をしてきたのだ。それも最初の弓による狙撃が可愛いく思えるほどに苛烈かつ狡猾で、容赦のない手口である。

 

 通りを歩いていれば何処からともなく矢が降り注ぐ。しかもご丁寧に鏃に神経毒が塗り込まれており、掠っただけで行動不能になってしまう。そんな代物を絶え間なく射かけてくる。

 

 更に、毒で行動不能になった仲間を助けようとすれば、追い討ちでその衛士を容赦なく狙い撃つ。そのため迂闊に仲間の救護も出来ずじまいだ。

 

 しかし所詮は弓矢。【エア・スクリーン】や【ゲイル・ブロウ】の一つでも放てば防げるだろうと衛士達は高を括っていた。だがそんな彼らの思惑を嘲笑うように、矢は魔術によって引き起こされた風の隙間を縫って撃ち込まれる。

 

 魔術の台頭によって存在意義を失っていた前時代的な武器に、王室親衛隊は一方的に翻弄されるしかなかった。

 

 それだけではない。弓による狙撃を避けて路地を行けばワイヤートラップは序の口。積み上げられた木箱や樽が押し潰さんと倒れてくる、吹っ飛んでくるのも当たり前。酷いものでは空き家らしき建物が爆発するなんて無茶苦茶もある。

 

 物理的な妨害だけではない。脱落した者から調達したのか衛士に成りすまし、流言飛語を流して命令系統も崩しに掛かってくる。おかげで隊同士の連携はぐだぐだ、狭い路地裏でばったり出会して立ち往生している間に襲撃されたなんて報告も上がっていた。

 

 文字通り容赦がない。一般市民への被害と死傷者が出ていないのが奇跡的なレベルである。

 

「馬鹿な、本当に相手は一人なのか……!?」

 

 クロスがそう言いたくなるのも致し方ない。

 

 明らかに一人で仕込むには度が過ぎた罠の数々。市街地に入ってからというもの一度も所在を掴ませない得体の知れなさ。矢の軌道を辿っても男の姿は何処にもなく、代わりにあるのは大量の罠である。

 

 個人を相手にしているというよりも統制された組織と戦っているような薄ら寒さすら感じる。それも恐ろしくゲリラ戦に特化した敵だ。でなければ精鋭中の精鋭揃いの王室親衛隊がこうも一方的に翻弄されるはずがない。

 

「なんだ? 俺達はいったい何を相手にしているのだ!?」

 

 一人、また一人と倒れていく。気付けば全体の四割近くが脱落している状況にクロスは悲鳴を上げる他なかった。

 

 

 ▼

 

 

 顔無しの指示で市街地へ逃げ込んだグレンとルミアは、学院のあるフェジテ北地区から一般住宅街が広がる西地区でやっと足を止めた。

 

 追い立ててくる王室親衛隊の影はない。宣言通り顔無しが足止めをしているようで、先ほどからあちこちで衛士の怒号や悲鳴、何故か爆発音まで上がっている。顔無しのえげつない手口を知っているグレンとしては御愁傷様としか言えなかった。

 

 とはいえやはり状況が好転したとは言えない、何かしらの手を打たなければどの道ジリ貧である。未だ混乱から抜け出せない中、ない頭を捻ってグレンは己の師匠であるセリカに連絡を取った。

 

 セリカは貴賓席にいた。つまり彼女に連絡を取れば同じく貴賓席にいるであろう女王陛下に話をつけられるはず。

 

 だが通信の魔導器に応じたセリカの返答は『何もできないし、何も言えないんだ』というもの。そしてこの事態を解決できるのはグレンだけだと言い残し、通信は切られてしまった。

 

 今ひとつ要領を得ないセリカの言葉。分かったことは、大陸中に名を轟かせるセリカ=アルフォネアが動けないほどの何かがあり、その何かはグレン=レーダスにしか解決できないことぐらいだ。

 

「わけわかんねぇ……俺だけが解決できるっつったって、どうやって女王陛下の元まで行けばいいんだよ……!」

 

 セリカは女王陛下の元まで辿り着けば露払い程度は請け負うと言っていた。だがそこまで辿り着くのがどれほど無理難題か分かっているのか。

 

 王室親衛隊は実戦経験は然程でもないものの、その武力や技量は優れている。とはいえグレンならあの手この手であしらうぐらいはわけない。だが、いざ彼らが守りを固める貴賓席(牙城)に攻め込むとなれば話は別だ。

 

 人数差や戦力差が絶望的過ぎる。何より、貴賓席には王室親衛隊総隊長のゼーロスがいる。あれは生粋の武人で、如何なグレンとて到底太刀打ちできる相手ではない。むざむざ相対すれば秒殺とまでは行かずとも数分と保たないだろう。

 

 八方塞がりの状況にグレンが頭を掻き毟っていると、思い詰めた表情のルミアが一歩前進する。

 

「先生、やっぱり私は投降します。このままだと先生まで罪人として殺されてしまいます。それに顔無しさんも……」

 

「いや、だからもう手遅れだって」

 

「そんなことありません。私が懇願して、どうにかお許しを貰えるようにします。だから……」

 

「あー、はいはい。自己犠牲はいいから。お前を見捨てるとかあり得ないからな。大人しく助けられてくれ」

 

「どうしてそこまで……」

 

 今にも泣き出しそうな顔で見つめてくるルミアを、グレンはちらと一瞥。どこか遠い目で虚空を見上げると独り言のように呟く。

 

「……誓ったんだよ。もう二度と、大切なものを奪わやせしない。あんな絶望を味わうのは願い下げだ」

 

「先生……?」

 

 ここではない何処かを見つめるグレンの背中は、触れれば壊れてしまいそうなほどに儚い。もう取り返しのつかない過去を想っているようで、誰への誓いだとかそんな野暮なことを訊くのが憚れる雰囲気であった。

 

「それより、だ。マジでどうしよう……」

 

 何事もなかったグレンの顔は、ルミアのよく知るいつもと変わらぬ魔術講師である。割と本気で切羽詰まった顔色だ。

 

 先の誓い云々を語っていた時との変わり様に、ルミアが反応に困っていると、不意に頭上を影が過る。直後、建物の屋根から深緑の外套が降ってきた。

 

「やっと見つけましたわ、お二人さん。探すのに手間取りましたぜ」

 

「顔無しさん! よかった、無事だったんですね……」

 

 ぱあっと表情を喜色に染めるルミア。顔無しを一人残してしまったことがずっと気掛かりだったのだ。

 

「待たせたな。ちょっとばかし敵さんと遊んでたら時間が掛かっちまいましてね」

 

「敵さんで、遊んでたの間違いだろ。ってか、どんだけ削ってきたんだ?」

 

「ざっと四割ってところですかね。死人が出ないよう手加減したもんで、あんまり奮いませんでしたわ」

 

「うっへぇ〜、ほんと、こういったゲリラ戦では無類の強さを発揮するよな、お前」

 

「はっはぁ、褒めても何も出ませんぜ? 金欠講師殿」

 

「その不名誉な呼び方をやめろよな!?」

 

 逼迫した状況であるのにも関わらず二人のやり取りは気安く、軽口を叩き合っている。さっきはあわや敵対するのかと思われるほどに剣呑な雰囲気を出していたはずなのに、今はまるで気の置けない間柄のようにしか見えない。

 

 だが状況が状況だ。いつまでも冗談を言い合っている余裕などない。

 

「お二人とも、これからどうするんですか?」

 

 止めなければいつまでも続きそうな二人の会話にルミアが割り込む。

 

「ああ、そうだ。実はさっきセリカと通信したんだが──」

 

 グレンは先ほどのセリカとのやり取りを掻い摘んで顔無しに説明する。

 

 小さく相槌を打ちながら話を聞くにつれて、顔無しは意味深に笑みを深めていく。

 

「なるほど、魔女殿が動けないか。となると女王陛下の元に辿り着いたとしても、それで万事解決とはならないかもしれねえですぜ?」

 

「何でだよ? お前も分かってるだろ、陛下がルミアの抹殺を命じるなんてあり得ないって。だったら陛下の前に立てさえすればぜんぶ解決するだろ?」

 

「だからこそだ。もう少し考えてみな。王室親衛隊の行動理念は全て女王陛下の利益に準ずる。そんな連中が、ここまで躍起になってお嬢さんを狙うのには相応の理由があるはずだ」

 

「それは……」

 

 女王陛下のためとあらば命すら抛ちかねない王室親衛隊がルミアの身を狙う理由はある。

 

 帝国王室にとってルミアの存在は爆弾と同義である。三年前、先天性異能者であることが発覚したことが全ての発端だ。

 

 統治正当性やら王室権威の危機だのと様々な事情が複雑に絡むため一概には言えないが、悪魔の生まれ変わりとまで揶揄される異能者が帝国王室の血筋から生まれた、その事実は国内外問わずに大きな混乱を齎す。もしも帝国の併合吸収を狙うレザリア王国や聖エリサレス教会教皇庁にでも知れ渡れば、第二次奉神戦争の火種にすらなりかねないのだ。

 

 そんな一歩間違えれば女王陛下の足元を掬いかねない少女の生存を知れば、女王陛下のご威光を守らんがためにと王室親衛隊が暴走する可能性も十二分にあり得る。

 

 だが、今回に限ってはその可能性は限りなく低いだろう。

 

「何を考えてるかは想像がつきますがね、その可能性は限りなく低いと見ていいでしょ。仮にそうだとしても、このタイミングで動くのはあまりにも不自然だ。わざわざ女王陛下の目と鼻の先で不敬罪を犯してまでやる意義はない」

 

「だったら、一体全体どんな理由があるってんだよ?」

 

「そうですねぇ。オレが確認した情報を纏めると、だ。女王陛下は現在、貴賓席で王室親衛隊によって軟禁状態にある。セリカ=アルフォネアも側にいるな。そんでもって、王室親衛隊の行動を女王陛下は把握しているらしい。その上で、黙認してるみたいですぜ」

 

「嘘だろ……? 陛下が黙認してるなんて、それこそあり得ない……!」

 

「あぁ、そこはオレも全面的に同意する。だから捉え方を変えるのさ。黙認してるんじゃなく、止めることができないとかな」

 

「止めることができない? ……いや、待てよ」

 

 不意に、グレンの脳裏でバラバラだったピースが一つに繋がり始めた。

 

 女王陛下に絶対の忠誠を誓う王室親衛隊の暴走。

 

 娘が命を狙われていると知りながら止めない、止められない女王陛下。

 

 セリカの一切助力できない宣言と、グレンだけが状況を打破できるというメッセージ。

 

 その他、全ての情報を統合した末に出る解は一つ──

 

「陛下の命そのものを楯に取られて強要されてるのか!」

 

「恐らくその推測で間違いないと思いますぜ。そんでもって、魔女殿のメッセージからして女王陛下の命を握ってるのは呪殺具の類だ」

 

「ああ、多分そうだな。それもあれこれと制約のある条件起動型のヤツだ。だからセリカは俺にしか状況を打破できないなんて言ったんだろうぜ。くそっ、だったらもっと分かりやすいヒントを寄越せっての、セリカのヤツ……」

 

 条件起動型の呪殺具は、魔術史上、散々使い古されてきた古典的な暗殺の手口だ。前もって設定された条件を満たす、あるいは制約を破ることで発動する呪い(カース)を仕込まれた代物である。

 

 だがそれもグレンの固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】の効果範囲内では意味を成さない。だからセリカ=アルフォネアはグレンだけが事態を解決できるなどと言ったのだ。

 

「待ってください。じゃあ、私が狙われたのは全て……」

 

「全部どっかの誰かの悪意ある罠だ。大方、解呪条件はルミアの殺害なんだろうな。ったく、どこの誰だか知らねーけど、こっちは生きてる心地がしなかったっての。見つけたらぶん殴ってやる……」

 

 グレンがパキパキと指を鳴らす一方、ルミアの表情は安堵と不安の色に満ちていた。

 

「でも、それじゃあ私が生きている限り陛下は……お母さんは……」

 

 再び暗い顔で顔を俯かせるルミア。その震える小さな肩に左右から伸びた手が載せられる。

 

「ばーか、種が割れたんだからどうとでもなるっての。お前のお袋さんはきちっと助ける。心配すんな」

 

「こちとら両方とも取るって腹括ってんだ。自分が犠牲になればとか、詰まんないこと考えるの止めてくれよ、お嬢さん」

 

「……っ。はい、お願いします……!」

 

 三年前、自分を窮地から救い出してくれた二人が、今一度手を組んで戦う。その背は他の誰よりも頼もしく、大きく感じられて、ルミアは目尻に嬉し涙を滲ませた。

 

「格好つけたはいいがどうやって陛下の元まで行くかって話だよな……」

 

「オレ一人ならどうとでもなるんですがね。ま、ここは正攻法でいくしかないでしょ」

 

 早速とばかりに今後の具体的な行動について議論を始めたグレンと顔無し。しかしそこへ水を差すように強烈な殺気が叩きつけられる。

 

「誰だ、この殺気は──!?」

 

「下がれ、お嬢さん──!?」

 

 即座に臨戦態勢を取って殺気の出処を目線で辿り、二人は示し合わせたように硬直する。視線の先、少し離れた建物屋根の上にはこちらを睥睨する大小二つの人影があった。

 

 人影が身に纏う特徴的な衣装と背格好。グレンと顔無しの記憶に共通する該当する人物が二名。うち片方は二人揃って相性最悪と認める少女──

 

「リィエル!? それにアルベルトまで!?」

 

「おいおい、聞いてねえぞ。何だって宮廷魔導師団まで動いてんですかい!?」

 

 想定外の敵手の登場に狼狽える二人の視線の先で、小柄な方の少女が屋根から石畳の上へと降り立つ。着地の刹那、何やら呪文を唱えながら両手を地面につくと、激しい紫電と共に一振りの十字架型の大剣(クロス・クレイモア)が錬成されていた。

 

 即席で鋼の大剣を生み出した少女が、脇目も振らず狭い路地を突貫してくる。重たい大剣を担いでいるとは思えない速度だ。

 

「ちょっ、待った! 止まれ、リィエル!? 話を聞いてくれ!?」

 

「どーすんのよ、金欠講師! あれのお守りはオタクの役目だったでしょうが!?」

 

「いや無理だって。一度突っ走ったら止まらないのはお前も知ってるだろ!?」

 

「えぇえぇ、身に染みて知ってますよ! 外様だからってしょっちゅう押し付けられましたからね!?」

 

「だったらお前も力貸せって──あ、もう直ぐそこに」

 

「くそっ、もうなるようになりやがれッ」

 

 折角格好よく決めた二人の出鼻を盛大に挫かんとばかりに少女──リィエル=レイフォードが獣の如く襲いかかってきた。

 

 

 




もう一人くらい女王陛下の本音を見抜いている相手がいて、きちんと情報が揃えばグレンなら事の真相にくらい辿りつけると思う。だって原作では土壇場できちんと絡繰に気付けたし。


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目指すは優勝、微笑む勝利の女神

アニメのグレンの煽りは笑った。あそこまでされたら誰だってかるく殺意湧くわ(笑)
それよりロビンさん、如何にして勝利させたものか……


「……で? 俺達を襲った理由は?」

 

「グレンとの決闘の続きをするため。そしてわたしが勝ってグレンに言うことを聞いてもらうためよ」

 

「それはっ、今っ、やるべきことじゃっ、ないだろお馬鹿ッ!?」

 

「あうっ、痛い痛い、グレン。痛い」

 

 肩を怒らせるグレンにこめかみをグリグリされ、無表情に微かな涙を滲ませるリィエル。世間一般的に見れば大の男が婦女子を虐めている光景にしか見えないが、この場にいる全員がグレンを擁護するだろう。大体、リィエルが悪いと。

 

 リィエル=レイフォード。帝国宮廷魔導師団特務分室、執行者ナンバー7『戦車』の肩書きを持つ少女であり、グレンの元同僚。

 

 年の頃は十代半ばと若く、青い髪や瑠璃色の瞳に精巧に整った細面など、素材自体は世辞抜きに良い。だが本人がまるでお洒落に頓着しないため髪は伸び放題、愛想の欠片もない無表情がデフォルトなためどこかアンティーク・ドール染みた無機質さを感じさせる少女だ。

 

 同じくアルベルト=フレイザーも執行者ナンバー17『星』の名を冠するグレンの元同僚であり、魔術狙撃において並び立つ者なしの名手。グレンとはよくコンビを組んで任務に当たっていた間柄である。

 

 今後の具体的な方針について議論を始めた矢先に現れたリィエルとアルベルトは、幸いなことに王室親衛隊のように敵側に回っているわけではなかった。彼らもまた、ここ最近不穏な動きを見せる王室親衛隊の動向を監視していたらしい。

 

 案の定、王室親衛隊が暴走を始めたため、事態の渦中にいるグレン達に接触してきたのだ。約一名、私情に走ってグレンと顔無しの肝を著しく冷やしてくれたが。

 

 因みに、既に顔無しは折檻としてど突いた後だ。それですべて水に流すつもりはないが、今は納得する他ない。

 

 尻叩き? するわけないだろう。仮にも紳士たる二人──ロクでなしと悪党──が淑女のお尻を叩くなんてあり得ない。ないったら、ない。それはどこか別の世界のお話だろう。

 

 一頻りリィエルへのお仕置きを済ませてグレンはもう一人の元同僚と言葉を交わす。アルベルトは生来の気質もあるのだろうが、何一つ告げずに姿を眩ませたグレンに対して態度が冷ややかである。グレンも気まずさを覚えているのか少し挙動不審だ。

 

 だが事態が事態であるため、きちんと説明することを条件に取り敢えずは和解、お互いの情報交換を始める。

 

「なるほど、此方が掴んでいる情報はお前達も承知済みか。そこの不審者が情報源だな。ここ最近、めっきり影も見せなくなったと専らの噂だったが、王女の護衛をしていたとはな」

 

「不審者だなんて人聞きの悪い。ま、怪しいのは自覚があるんで構いませんがね」

 

 鋭い眼差しを向けられて顔無しは戯けたように肩を竦める。

 

 アルベルトと顔無しの間柄はあまり良いとは言えない。むしろ互いに警戒し合い、牽制することも間々ある。アルベルトは得体の知れない顔無しを信用しておらず、そんなアルベルトに顔無しもある程度距離を取っているのだ。

 

「まあいい。お前達の推測が正しいのであれば、事態は想像以上に深刻だ。一つ間違えれば国が崩れかねない」

 

「わぁってるよ。だから今、どうやって陛下の元まで行くかを話し合おうとしてたんだっての。それなのにこのお馬鹿が突撃かましてくれたおかげでめっちゃくちゃだ」

 

「グレン、褒めても何も出ない」

 

「怒ってんだよ! この脳筋お馬鹿!?」

 

「痛い、グレン」

 

 リィエルの変わらない態度に頭を抱えて喚くグレン。アルベルトのように素気無い態度を取れとは言わないが、天然かますのは状況を考えて控えてくれと声高に叫びたかった。

 

 そんな顔無しとはまた少しベクトルの違う気安いやり取りを交わすグレンを、ルミアはぽかんと見守っていたが、不意に小さく噴出すると微笑みを零した。

 

「仲が良いんですね、先生。何だか楽しそう」

 

「いや、楽しいってな……まあ、馬鹿騒ぎはここまでにして、そろそろ真面目にどうするか考えねーとマズイ」

 

 脳筋お馬鹿を解放してグレンは真剣な表情で思案する。

 

 王室親衛隊が守りを固める貴賓席に突撃するのは却下だ。如何に強力な助っ人であるアルベルトとリィエル、そして顔無しがいても無謀である。何より、最後の壁が厚すぎる。ゼーロスの存在はそれほどまでに大きいのだ。

 

「別にそこまで悩むことでもなくないですかね。貴賓席に突撃が現実的でないなら、陛下自ら出てきてもらえばいいだけの話でしょ?」

 

「陛下自ら? ……あ、そうだ。あるじゃん。陛下が自ら貴賓席から出て、なおかつ護衛が手薄になる絶好の機会が!」

 

 王室親衛隊に固められた貴賓席から出て、護衛が限りなく手薄になる瞬間。その可能性に思い至ったグレンはアシストを投げた顔無しと笑みを交わし、アルベルト達に一つの提案をした。

 

 

 ▼

 

 

 グレンが提案した作戦内容は端的に言えば囮作戦だ。

 

 アルベルトとリィエルが魔術でグレンとルミアに成りすまして王室親衛隊の目を引きつけ、逆にグレンとルミアはアルベルトとリィエルに成り代わって競技場に戻り、二組を競技祭優勝に導くために監督する。因みに顔無しは姿を消してルミアの護衛につく予定だ。

 

 今回の魔術競技祭に限り、来賓たる女王陛下自らが表彰台に上がり、優勝クラスの担当講師に直接勲章を下賜する。その時だけは、厳重な王室親衛隊の監視が剥がれる。そこを狙う。

 

 あまり分の良い賭けとは言えない。運命が事情も何も知らぬ生徒達に左右されるというのは確実性に欠ける。だが、有力な手立てが他にないのもまた事実であった。

 

 幸いアルベルトとリィエルはこの作戦を了承してくれた。顔無しの容赦ない妨害工作で隊員の数を著しく減らしながらも、女王陛下のために死に物狂いでルミアを狙う王室親衛隊は彼らが引きつけてくれるだろう。

 

 問題があるとすればグレン達の方だ。予想していたとはいえ、グレンの旧友を名乗るアルベルトという見知らぬ人物が監督を代行し優勝するなどと言い出して、二組の生徒達が「はい、分かりました」と受け入れてくれるはずもなく、最初の一歩から軽く躓きかけていた。

 

 だがそこでリィエルに扮したルミアが親友に頼み込み、それとなしに事情を察したシスティーナがクラスの面々を纏めに掛かった。

 

「大丈夫よ、この人達は多分信用できる。それに、誰が指揮を執ってもやることに変わりはないでしょ? 今日まで先生に教えられたことをきちんと実行すればいいの」

 

「そ、そうだけどよ……」

 

「でも、やっぱり先生がいないと……」

 

 何だかんだ心の支えとなっていたグレンの不在は大きく、徐々に得点が落ちているのもあって生徒達は弱気だ。しかしシスティーナは弱気な生徒達に火をつける魔法の言葉を知っていた。

 

「いいの? このまま負けたらアイツ、ここぞとばかりに爆笑しながら俺がいないとダメダメなんだなぁ、とか煽ってくるわよ……」

 

 むかっ、と擬音が聞こえそうなほどに生徒達の顔が苛立ちに染まる。自分で言ったことでありながらシスティーナも、アイツならやりかねない、と無性に腹が立ってきた。

 

 そこへ駄目押しの煽り文句が何処からともなく付け加えられる。

 

「グレン先生のことだ。教卓の上で見ているだけでさぞ腹が立つ小躍りを披露しながら、悔しがるオレ達を上から目線で憐れむくらいはやりそうだよなぁ」

 

 ぶちっ、と。何かが切れた。同時に萎えかけていた生徒達の闘志が再燃する。

 

『絶対、勝つ……!』

 

 この瞬間、生徒達の想いが一つになった。あのロクでなし講師を見返してやる。馬鹿になどされてたまるか。理由は各々違いはあれど、彼らの意志は優勝をもぎ取るただ一点に集約された。

 

 凄まじい闘志と微かに殺気立つ生徒達のやる気に、冷淡なアルベルトの仮面の下でグレンは冷や汗を流す。やる気になってくれたのは嬉しいが、全て事が終わった後にどうなるのか気が気でない。この子達、被害妄想激しくないだろうか。まあ、実際やりかねないから何も言い返せないのだが。

 

 そんなグレンの傍らに佇む小柄な少女は、さり気なく生徒達を煽ってほくそ笑んでいるロクスレイの横顔をじっと見つめていた。

 

 

 ▼

 

 

 アルベルトもといグレン率いる二組は午前の部を彷彿とさせる快進撃を展開する。総合順位四位から着実に順位を上げ、やがて一位を独走する一組の背中が見え始めてきた。

 

 だがやはり地力の差は大きく、競技数も残り僅かとなったところで点差が詰められなくなってきた。いや、むしろ徐々にではあるが引き離され始めている。このままでは最後の競技を行うまでもなく一組の優勝が決まりかねない勢いだ。

 

 拙い、とグレンは内心で焦燥を募らす。残す競技は二つ、現時点で既に一組が優勝に大手を掛けている。二組も健闘して二位まで上り詰めたものの、各競技において常に一位か二位を取り続けてきた一組には及ばない。

 

「残る競技は『フォレスタ』と『決闘戦』。この両方で一位を取ったとしても優勝できるかどうか……」

 

 たとえ二組が両競技で一位を手にしたとしても一組が両方とも二位であったら、得点の差で一組が優勝となる。そうなれば作戦は失敗、ここまでの努力は水の泡だ。

 

 二組が優勝するには、言い方は悪いが『フォレスタ』か『決闘戦』のどちらかで一組を蹴落とさなければならない。後者はトーナメント方式であり、一組とはブロックが違うため無理。必然、全ては『フォレスタ』の結果次第となる。

 

「なるほど、こいつはちょいと厄介な状況だな」

 

 グレンと同じ見解に至ったロクスレイは、競技に向けて軽く準備運動をしている。クラスの優勝がその肩に掛かっているとは思えないくらいに気負いない様子だ。

 

 微塵の緊張もない極めて自然体。だが他者から見るとそれはやる気の欠如にも見えかねない。本人的には宣言通り一組のクライスを狙い落とし、サクッと一位をクラスに献上するつもり満々なのであるが。

 不安と疑念の込められた目が向けられる中、システィーナに話しかけた時を除いて沈黙を貫いていた少女、リィエルに化けたルミアが動き出す。

 

 軽く体を解し終えて欠伸を洩らしながら入場の時間を待つロクスレイの隣に立ち、くいっと袖を引く。

 

「ん? どうかしたか、お嬢さん?」

 

 ロクスレイとしてはルミアが化けているリィエルとは初対面なため、丁寧に応じる。ルミアは少しだけ目線を上げて小声で呟く。

 

「……お願い、勝って」

 

 リィエルを演じているからか抑揚のない声援。けれどそこには偽りようのない強い想いが秘められている。女王陛下を、母親を心から助けたい。だから勝って、と──

 

 短くも万感の想い込めて告げられた懇願にロクスレイは目を丸くし、やがて意地悪い笑みを浮かべる。

 

「なんだ? お嬢さんとは初対面のはずなんだけど、もしかしてオレに気があるとか? いやー、オレも罪作りな男ってやつですかね」

 

「むっ……」

 

 真剣に精一杯伝えた声援を茶化すような態度に思わず頬を膨らませそうになる。基本的に無表情がデフォルトなリィエルなのでちょっと眉根が寄っただけであるが。

 

「冗談ですって。可愛い女の子に頼まれたとあっちゃあ、男として応えんワケにはいかんでしょ? ま、いい結果を待っといてくださいよっと」

 

 心配するなと少女の肩を叩き、ロクスレイは軽い足取りで競技場へと向かう。背中に期待の眼差しを感じながら密かに笑みを零した。

 

「勝利の女神は我にあり、ってな。信用してもらった分はきちんと働きますですよ」

 

 誰の耳にも届かぬ呟きがひっそりと虚空に消えた。

 

 

 

 

 



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ハイディングからハンティング

ロクスレイ君、大活躍回第二弾。生徒相手に大人気ない? これでも加減してますよ?
ところで、昨日ガチャ回したらロビンフッドさんが二連続で出てきた件について。……いや、貴方もピックアップされてるのは知ってるよ? でもうちのロビンフッドさんは既に宝具MAXなわけでして……。嬉しいけど、複雑な今日この頃です。


『フォレスタ』が始まる。

 

 制御コマンドによって木々が林立する林へと姿を変えたフィールドに各クラスから一人ずつ選手が入場する。公平を期すためにフィールド内に観客と実況の声は届かない。

 

 完全に隔離された人口の林に鳥の囀りらしきものが響き渡る。ロクスレイは天然とは違う林の空気に顔を顰めた。

 

「所詮は人工物か。手触りこそ本物同然だが、こいつらには生命が通ってねえ。正直、薄気味悪いな」

 

 森の奥地に位置する一族の里で育てられたロクスレイは本物の自然を知り尽くしている。だからこそ、限りなく真に迫るものの根本的に天然とは違うフィールドに戸惑いが先立つ。なまじ鳥の囀りから揺れる梢の音、吹き抜けるそよ風まで再現されているのも性質(タチ)が悪い。

 

「でもまぁ、やることに変わりはないか。あれこれと期待を背負うのはオレの柄じゃねえですが、偶には悪くない」

 

 競技開始のホイッスルがけたたましく鳴り響く。離れた複数箇所で生徒の動く気配を把握しつつ、ロクスレイも茂みの中へと身を投げ込んだ。

 

 

 ▼

 

 

『こ、これはいったいどういうことでしょうか? 例年では生徒達が魔術を撃ち合い始めている頃合いですが、何故か誰一人として姿を現しません!』

 

 実況者がまるで動きの見られないフィールドに困惑の声を上げる。観戦する観客達も競技開始から誰一人として脱落しない、それどころか魔術すら飛び交わない状況に不満を募らせ始めていた。

 

 競技が始まってから既に十分が経過しようとしている。しかし選手達は拙いながらも己に認識阻害の魔術を施し、茂みから茂みへと移動してばかり。何度か魔術の射程範囲内にお互いが入る状況があったものの、彼らは構わず全てをスルーした。他の選手を倒さなければ終わらないというのにだ。

 

 まるで何かしらの約定のもと、互いへの攻撃を禁止しているかのようで……。

 

「まさか、手を組んでいるのか?」

 

 外野からフィールドを俯瞰していたからこそグレンは気付き、思わず歯軋りしたくなった。

 

 選手達の妙な動きは全て、事前に打ち合わせたがためのもの。前もって取り決めた条件が達成されるまでは互いに争うことはしない。恐らくそのような約束事でも交わしたのだろう。

 

 そしてその条件とはまず間違いなく、二組の選手であるロクスレイを最初に落とすこと。二組の優勝を阻みたい他クラスの連中が揃って結託したのだろう。それがこの膠着状態を生んでいる。

 

「そんな、いくらなんでもそこまでする?」

 

「大方、成績下位者に負けた腹いせだろう。他のクラスの選手達は全員、成績優秀者だ。それなのに二組に負けて、我慢ならなかったんだろうな」

 

「ひどい……」

 

 悲しげに唇を噛むシスティーナ。今は亡きお祖父様が話してくれた魔術競技祭はもっと楽しいものだったはずなのに、それがどうして今はこんなことになっているのか。

 

 本格的に二組の優勝が遠ざかったとシスティーナが悔しげに俯き、何も手出しできない歯痒さにグレンが拳を握り締める。そんな二人の傍ら、片時たりともフィールドから目を離さずに状況を見守っていた青髪の少女が、静かな呟きを零す。

 

「大丈夫、彼はきっと勝つ……」

 

「でも、このままじゃロクスレイが見つかるのも時間の問題よ。いくらアイツが凄くても、九対一で勝てるわけないわ……」

 

 練習の時はクライスを手玉に取って見せたロクスレイも、自分以外の全員から集中砲火を浴びれば一溜まりもない。仮に奮戦しても二組の優勝は絶望的と見ていいだろう。

 

 だがそれでも、リィエルに扮したルミアはロクスレイの勝利を微塵も疑っていない。だって、信じると決めたから──

 

 その時、フィールドの一角で茂みが揺れ動いた。二組以外の選手の注意が一斉にそちらへ集中する。

 

 ガサリと物音を立てて茂みから姿を晒したのはやはりロクスレイだった。己を取り巻く状況を理解しているのかしていないのか、身構えもせず出てきたロクスレイは誰から見ても隙だらけ。格好の的である。

 

 選手達の動きがシンクロする。示し合わせたかのように左手を憐れな的に向け、それぞれが得意とする魔術を行使した。

 

 流転する九つの魔法陣。放たれるは眩い雷光、吹き荒ぶ暴風、凍てつく冷気の衝撃。それらがロクスレイという一点目掛けて殺到し、衝突と相乗を引き起こして大爆発。競技場が微かに震動するほどの爆裂が巻き起こった。

 

『ああっとぉ!? 二組のロクスレイ選手に集中砲火だあぁあ!!』

 

 人口の林を蹂躙する魔術の一斉斉射。学生が手習う殺傷性が限りなく低い魔術と言えど、四方八方から同時に受ければ無事には済むまい。治療室送りは必至だろうと、競技場中の誰もがそう思った、その時。

 

「《痺れな》」

 

 どさっ、と重たい何かが茂みに落ちる音が響いた。見れば一組の選手であるクライスが痙攣しながら倒れている。すぐ側には左手をピストルのように構えたロクスレイの姿があった。

 

『な、な、何が起きたんだあぁあああ!? あれほどの魔術の集中攻撃を受けたはずなのに、何故、ロクスレイ選手は無事なのでしょうかあ!?』

 

 実況の興奮混じりの叫びが木霊する。競技場中の誰もが無傷のロクスレイに驚いていたが、グレンだけはいち早く絡繰に気付いた。

 

「【セルフ・イリュージョン】の幻影か。それも自分に重ねるのではなく空間への投影。発想も悪くないが、実行するに足る技量があったのに驚いたな」

 

 黒魔【セルフ・イリュージョン】。光を屈折させてあたかも自身を変身したかのように見せかける魔術だ。『変身』の競技でリン=ティティスが用いたものでもある。

 

 つまり、先ほど選手達の集中砲火を浴びたロクスレイは魔術で生み出された幻。本物は何処かに潜んでおり、魔術起動時の魔法陣の位置から他の選手達の居場所を割り出し、気を緩めた隙を狙い倒したのだろう。

 

 子供騙しの手口に過ぎないが、使い所によっては戦の玄人ですらも惑わす技だ。学生の域を出ない生徒達にはこれ以上になく効果覿面だろう。

 

 嵌めたと思った相手に逆に嵌められて選手達は狼狽する。動揺の気配を洩らして硬直する選手達は、ロクスレイにとって格好の獲物でしかなく、いつの間にか立場は完全に逆転していた。

 

 

 ▼

 

 

 違和感に気付いたのは競技が始まってすぐ、確信を抱いたのは他の選手達が互いに目配せをしている光景を見た時。ロクスレイは自分以外の連中が手を組んでいると早々に悟った。

 

 別に卑怯だとか言うつもりはない。元よりロクスレイ自身、奇策上等、卑怯千万を地でいく破落戸だ。むしろ無駄に高いプライドをかなぐり捨ててまで結託したその意気は素直に賞賛する。

 

 だからと言って、勝ちをくれてやるつもりは毛頭ない。

 

 自前の気配遮断技能と身体能力を駆使してフィールドを駆け抜ける。基本的に地理を知らない場所では最初に地形把握から始めるのがロクスレイの流儀だ。余裕がなければ省くこともあるが、今回に関しては見つからない限り状況も動かないだろうと読んでいた。

 

 案の定、フィールドの地形把握をし終えてなお選手達はロクスレイの姿を探して右往左往していた。正直、痺れを切らして仲間割れでもしないかと冷や冷やしていたのだが、その心配はなかったらしい。よほどロクスレイを倒すことで頭が一杯のようだ。

 

 適当な茂みの中に身を潜め、機会を窺う。そして気取られることなく魔術を行使した。

 

 空間への幻影の投射。仕事の際にも時折使う手口で、学生相手ならこれで十分喰いついてくれるだろう。

 

 幻影の動きに合わせて茂みを揺らせば、予想に違わず選手達は魔術を放ってくれる。爆心地から少し離れた茂みに隠れていたロクスレイは、魔法陣の場所から選手達の居場所を割り出す。誰が何処にいるかを即座に把握し、一番に落とすと決めていたクライスの元へ駆けた。

 

 未だ塵煙に包まれた森の一角を見つめるクライスの背後に音もなく降り立つ。ロクスレイを倒したことで二組の優勝を確実に潰せたと思い込んでいるらしく、横顔には微かな優越感が滲んでいる。

 

 そんなクライスの背中に忍び寄り、ピストルに見立てた左手の指先を向け──

 

「《痺れな》」

 

 短く切り詰め改変された詠唱により発動したのは黒魔【ショック・ボルト】。しかし通常のものと比べてロクスレイの使用したそれはかなり異質だ。

 

 射程は極短で音も小さく、発動の際のフラッシュが限界まで抑えられている。されど威力は確実に相手の自由を奪い、命までは奪わないように設定されていた。

 

 潜入任務の類の際に見張りや敵を迅速かつ静かに無力化するためだけにロクスレイが【ショック・ボルト】を改変して編み出した魔術。本人は黒魔改【スタン・ボルト】と名付けている。

 

 悲鳴を上げる余裕すらなく、茂みに倒れ伏すクライス。痙攣する彼の瞳はただただ驚愕に見開かれていた。

 

「ほい、まず一人」

 

 口の中だけで呟き、ロクスレイは次の獲物を定める。別に一組さえ最初に倒せばよかったのだが、折角相手が結託までして挑んできてくれたのだ。相応のお返しはせねばなるまい。

 

 倒したクライスを一顧だにせずその場を離れ、理解が追いつかず硬直していた選手の背後を取る。現時点で三位のクラスの選手だ。

 

 隙だらけの背中に魔術を打ち込んで倒し、次の獲物の元へ駆ける。三位とくれば次は四位、その次は五位と……。順位が上のクラスの選手から順に無力化していく。その行為に意味はない。

 

『フォレスタ』の得点配分は打ち倒した選手の数と最後まで残ったクラスにだけ与えられるボーナスのみ。だから何番目に脱落しようと関係なく、一組に得点さえさせなければ万事よかったのだ。だからこれは単なる意趣返しでしかない。

 

 次から次へと選手が打ち倒されていき、数分が経過した頃にはフィールドに立つのはロクスレイだけとなった。途中、冷静さを取り戻して逃げようとしたり打って出た者達もいたのだが、前もって地形を完全把握していたロクスレイに逃走も反撃も叶わず、全員揃って地に沈んでいる。

 

「オレを倒すために手を組んだのは悪くなかったんですがね、挑む土俵を間違えたな。どうせ結託するのならローラー作戦ぐらいやってくれないとお話になりませんわ」

 

 まあ、その時はその時であれこれと罠でも張って嵌め殺していただろうし、そこまであからさまなことをすれば審判側から待ったが入りかねないだろうが。

 

 勝負が決着したことでフィールドを覆っていた結界が解除され、割れんばかりの大歓声が降り注ぐ。

 

『決まったあぁあああ! ロクスレイ選手、一人残らず他選手を打ち倒して一人勝ちだああああ!! それも、これは狙ったものなのか? 一位の一組から順番に倒されているではないかあぁあああ!?』

 

 興奮留まるところを知らぬとばかりに実況者が叫ぶ。観客も鮮やかな決着に熱狂している。二組の席を見れば揃いも揃って歓喜に沸いていた。

 

「こんだけやれりゃあ、十分功労賞もんでしょ。さてと、クラスの連中に囲まれる前にとんずらしますか」

 

 鼓膜が破れそうなほどの大歓声を一身に浴びながら、ロクスレイはフィールドから退場した。

 

 

 ▼

 

 

『フォレスタ』は完全なロクスレイの一人勝ちと相成り、一組と二組の間にあった差は一気に縮められた。

 

 この結果に勢いを増した二組は『決闘戦』でも快勝を続け、一組との決勝では大将戦まで縺れ込むもののシスティーナの奮闘によって勝利を掴んだ。

 

『決闘戦』の勝利をもって、優勝クラスは当初の予想を大幅に裏切って二組が手にした。勝つためだけに成績優秀者を使い回したクラスではない、競技祭をお祭りらしく楽しんだクラスが勝者となったことは今後の魔術競技祭に小さくない風を吹き込むだろう。二組の生徒達にそんな自覚は全くないだろうが。

 

 何も知らない生徒達はただただ優勝という結果を純粋に喜んでいる。彼らにとっての魔術競技祭はここで一先ずの終わりを迎えたのだ。後は閉会式と女王陛下より勲章の下賜だけ──

 

 ──全ての命運を決する時が、間もなく訪れる。

 

 

 

 



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表舞台の幕引きと舞台裏の戦い

やっとこさ魔術競技祭終了。これに後一話で二巻は終了です。そして最後の方でちょろっと登場、あの方。まあ本当に少し、それも演技してるのでちょっとアレですけどね。
とりあえず、そろそろロクでなしの六巻を読みます、というか読み進めてます。六巻のヒロイン枠は魔女殿かな……?


 魔術競技祭閉会式は例年通り粛々と進んだ。過去に類を見ない大番狂わせの余韻で生徒達が騒がしい点と、来賓席に女王陛下がいることを除けば今までと変わりない閉会式である。

 

 ただし極一部の人間にとってはこの後の展開に命運が掛かる緊張の時間である。

 

 国歌斉唱やら来賓の祝辞、結果発表が恙無く終わり、いよいよ迎える勲章の下賜。王室親衛隊隊長と学院が誇る第七階梯(セプテンデ)魔術師を伴い、アリシア女王陛下が表彰台に立つ。今この時、これ以上になく強力な護衛に守られた女王陛下を害せる存在はそうそういないだろう。

 

 司会進行が指示をし、二組の代表者と担当講師が前へ出る。合わせて拍手喝采が上がり、一部の生徒や講師陣から羨望の溜め息が洩れた。一生に一度とない名誉を賜るチャンス、羨ましくない者などいなかった。

 

 だが奇妙なことに二組より出てきたのは担当講師たるグレンではなくアルベルト、代表者も生徒ではなくリィエルである。学院では見慣れない顔の二人に生徒と講師は困惑の声を上げ、二人を見知っているアリシアは戸惑いに首を傾げた。

 

 妙な空気が蔓延する中、アルベルトとリィエルの姿がぐにゃりと歪む。蜃気楼に包まれたかのように輪郭があやふやになった後、そこに立っていたのは不敵に笑うグレンと緊張の面持ちでアリシアを見つめるルミアだった。

 

「なっ!? どういうことだ、ルミア殿は今、魔術講師と町中にいるはずでは──!?」

 

 王室親衛隊からの報告でルミア達は未だ町中を逃走中と聞いていたゼーロスは、突如として目の前に現れた二人に驚きを隠せない。それは学院の生徒と講師、そしてアリシアも同様だ。唯一事の次第を把握していたセリカだけが面白そうに笑っている。

 

「どういうことも何もねーよ、おっさん。いい加減、この胸糞悪い茶番に終止符を打とうぜ。っと、その前にだ。セリカ、頼む──」

 

 冷静にグレンが目配せをすると、セリカが魔術を行使する。

 

 無数の光が地面を駆け抜け、表彰台を中心に結界が張られる。音すらも遮断する断絶結界だ。これで邪魔者は一切介入できないし、外の人間に内部の会話が洩れ聞こえることもない。

 

 応援として駆けつけようとした衛士達を阻む結界を忌々しげに睨み、ゼーロスが怒りに吠える。

 

「此の期に及んで裏切るのか、貴様!?」

 

「…………」

 

 凄まじい剣幕で喰いかかられてもセリカは応じない。只管に沈黙を続ける。まるでそうしなければならないかのように。

 

 幼い頃から魔術の師匠であり、共に暮らしてきたグレンはそんならしくないセリカの態度に推測が正しかったのだと確信する。だが念のため、確認の意も込めてアリシアに問いかける。

 

「僭越ながら陛下、その首飾り、よくお似合いですね。綺麗ですよ」

 

 表彰台に上がった時から呪殺具に相当する物がないか目を皿にしていたグレンが気付いた、いつもとは違う部分。女王陛下が何よりも大切にしているはずのロケット・ペンダントの代わりに首元で輝く翠緑の宝石があしらわれたネックレス。恐らくそれが呪殺具だとグレンは当たりをつけていた。

 

 グレンの唐突な賛辞にアリシアとゼーロスが目を瞠る。だがそれもすぐに嬉しそうな微笑みと苦虫を噛み潰したような顔に変化した。

 

「ええ、そうでしょう? 私の『一番のお気に入り』です」

 

 朗らかに、弾むような声音で答えるアリシア。アリシアが本当は娘を溺愛し、娘達と共に写った写真を入れたロケットを何よりも大切にしていることを知っていたグレンは、ここで確信を得た。

 

「ああ、もういいですよ、陛下。……良かったな、ルミア。やっぱお前のお袋さん、お前のこと愛してるよ。それを今すぐ証明してやる……!」

 

「はい、お願いします。陛下を……お母さんを助けてください!」

 

 本当は怖かった。三年前、家族の仲から追い出された時に向けられたあの冷たい目を向けられるのではないか。呪殺具も脅迫も実はなくて、アリシアが自分の生存を煩わしく思って抹殺命令を出したのではないかと疑っていた。

 

 けれど、それでも、信じることにした。自分のために命懸けで戦ってくれる人達がいるから、もう下らない意地は張らない──!

 

「エルミアナ……!」

 

 アリシアが感極まったように口元を手で押さえる。昼間は赤の他人を貫いた娘が、致し方なったとはいえ放逐した愛する娘が、今一度母と呼び助けようとしてくれていることが堪らなく嬉しかった。

 

「そんな趣味の悪いネックレスはさっさと外しましょう。お手伝いします」

 

「貴様……! 何を巫山戯たことを!? 余計な真似はするな、魔術講師!」

 

「うっせえよ。黙って見とけ、おっさん。今、全部まるっと解決してやるからよ……」

 

 グレンが懐に忍ばせた魔導器であるタロットカードに手を伸ばす。固有魔術(オリジナル)【愚者の世界】さえ発動させてしまえばこちらの勝ちだ。

 

 だが頭が固く女王陛下を守らんと躍起になっているゼーロスの目には、グレンが女王陛下を害そうとする敵にしか見えていなかった。

 妙な動きをするグレンを制さんと両手に一振りずつの細剣(レイピア)を握り、神速の踏み込みで斬り掛かる。常人には残像すら捉えられない速度だ。

 

 格闘術の達人であるグレンをしても見切ることは限りなく不可能に近い鋭い刺突が、グレンの胸を一突きする──刹那、疾風の如く何かが割り込み、火花と金属音と共に細剣の狙いが外れた。

 

「ぐっ!? そこかッ!!」

 

「うおっとぉ!?」

 

 新手の介入に驚きつつも即座に細剣を振り上げるゼーロス。積み重ねた経験と戦場で培われた勘に従って繰り出された斬撃が、姿なき闖入者を捉えた。

 

 攻撃を受けて透明化が解除され、結界内に新たな人物が現れる。深緑の外套に身を包んだ男。彼がグレンを凶刃から守ったのだ。

 

「次から次へと、何者だ貴様は!?」

 

「オレが何者かなんてどうでもいいでしょ? それに、もう事は万事解決したワケですし」

 

「何を言って──」

 

 言葉の途中でゼーロスの視界の端に、緑色の光がチラついた。新たな敵が目の前にいることも忘れてその光を目で追い、地面に落下した翠緑の宝石のネックレスを呆然と見つめる。

 

 女王陛下の命を握っていた呪殺具。解呪条件を満たさず外せば装着者を殺す呪いの首飾りが、装着者の首元を離れている。それはつまり陛下の死を表すわけであるが……。

 

「もう大丈夫ですよ、ゼーロス。全て解決しましたから」

 

「へ、陛下。ご無事で……」

 

 ネックレスを外してなお無事であるアリシアを認め、力が抜けたようにゼーロスが膝をつく。

 

 何が起きているのかさっぱり理解できていないゼーロスをよそに、右手に『愚者』のアルカナを握るグレンが投げ捨てられたネックレスを睨みながらセリカに声を掛ける。

 

「やっぱ条件起動型の呪殺具だったんだな」

 

「正解だよ、よく分かったな。さすがは私の自慢の弟子だよ」

 

「馬鹿言え。俺一人じゃぜってー辿り着けなかったぞ? あいつらがいたから何とかなったようなもんだ……」

 

「あの二人か。それとそこの顔無しもだな」

 

 今頃は王室親衛隊を相手に大立ち回りをしているだろう元同僚達、そしてついさっきゼーロスからグレンを守った顔無し。彼らの協力なくして事の解決はならなかっただろう。

 

「つーか、おい顔無し。何であんなギリギリで助けに入るんだよ、もっと早く来いよ! 危うく心臓飛び出ちゃうかと思っただろ!?」

 

 いつの間にかルミアの傍らに立って素知らぬ態度を取っていた顔無しにグレンが喰いかかる。

 

「いや、オレだってもうちょい早く介入するつもりだったんですぜ? でもそこの魔女殿がご丁寧に結界張るもんだから、侵入するのに手間取ったんだよ。ま、結果的に無事だったんですし、文句言うなよ金欠講師殿」

 

「だから! その不名誉な呼び方止めろって!」

 

 また何時ぞやの如く軽口の応酬が始まりそうな勢いであったが、空気を読んだ顔無しによって止められる。無言で見つめ合う親と娘を見やり、面倒くさげに頭を掻いた。

 

「あー、ところで魔女殿。この結界は音以外にも外から内部を見えなくするとかできますかね?」

 

「む、できなくもないが……なるほど、そいつは良い考えだ」

 

 顔無しがわざわざ説明するまでもなく察したセリカが、パチン! と指を鳴らせば結界に新たな術式が加わる。これで音だけでなく外部からは中の様子も見えなくなったわけだ。

 

 さっと背後に回った顔無しがルミアの背を押す。

 

「顔無しさん……?」

 

「いい加減、腹割って話したらどうですかい? 何時までも空っぽのロケット眺めてるより、そっちの方がよっぽど有意義だと思いますけど?」

 

「でも……」

 

 軽く押し出されたルミアは不安げな眼差しを女王陛下に向ける。アリシアはアリシアでニヤニヤと愉しげなセリカに何やら耳打ちをされ、おずおずと一歩踏み出していた。

 

 無言で見つめ合う母と娘。両者共にどんな言葉を投げかければいいのか、どんな態度で応じればいいのか分からず戸惑っているらしい。側から見ている者にとっては焦ったい事この上ない沈黙だ。

 

 それもアリシアが迷いを振り切るように一歩踏み出し、ルミアを力一杯抱きしめたことで終わる。

 

「へ、陛下……」

 

「ありがとう、エルミアナ。貴女を捨てた私などを助けてくれて、ありがとう。こんな親を、もう一度お母さんと呼んでくれてありがとう……!」

 

「──っ! ぅぁ、お母さん……、私、本当はずっとこうしたくて……!」

 

 ずっと胸の内に溜め込んでいた想いが爆発し、ポロポロと涙と共に零れ出す。親娘揃って、よく似た泣き顔だ。

 

 抱き合ったまま二人は互いに秘めてきた想いを吐露し合い、涙を流しながら久方振りの親娘の触れ合いを続ける。グレン達お邪魔虫一向は親娘水入らずのやり取りを離れた位置で見守っていた。

 

「これにて一件落着ってか。あー、一生分働いた気がするわ。暫く有給休暇を所望するぞ。具体的にはこの先ずっとダラダラして暮らしたい」

 

「私がそんなことを許すと思うか、ん?」

 

「だってぇ、こっちはもうくったくたなんだよ、死ぬかと思ったんだぞ? 少しくらいはご褒美があってもいいと思うんですよ、ボクは」

 

「そうかそうか、なら私が目一杯ご褒美をくれてやる。今日から一週間、食費なしで飯を食っていいぞ?」

 

「ガキへの小遣いレベルだろ、それ!? だいたいな、今回の魔術競技祭で優勝した俺には特別賞与とハー何たら先生から給料三ヶ月分が手に入るんだよ。今さら飯を恵まれても嬉しくないわ!」

 

 声を潜めて叫ぶという器用な真似をしながらじゃれ合うグレンとセリカ。そんな師弟二人組を呆れの眼差しを向け、結界の外へと思いを馳せる。

 

「こっちは片が付いた。そっちはそっちで頼みますぜ──爺さん」

 

 

 ▼

 

 

 競技場で万事解決を迎えていた頃、使い魔越しに計画の失敗を見届けた黒幕であるエレノア=シャーレットは夕闇に包まれる南地区の裏通りにいた。

 

 女王陛下付き侍女であり秘書官でもある女性。明確な出自と華々しい経歴、優れた能力を併せ持つエリートであったからこそ、誰一人として疑いなど抱かなかった。まさか彼女が帝国政府と争う天の智慧研究会所属の外道魔術師などとは、思いもしなかっただろう。

 

「失敗してしまうとは、残念ですね。折角陛下を人質に魔女の動きを封じれたというのに、あんな切り札(ジョーカー)がいたとは知りませんでしたわ。グレン=レーダス……」

 

 女王陛下の命を楯に王女を亡き者にする計画は失敗に終わった。けれどもエレノアの顔色に落胆の類はない。むしろ愉しげに笑みすら洩らしている。

 

「それにしても、あの男。王室親衛隊を半壊近くまで追い込むほどの実力を有しているとは思いもしませんでしたわ」

 

 王女抹殺の計画が狂った一番の原因とも言える存在。実戦経験に乏しいとはいえ精鋭揃いの王室親衛隊をたった一人で足止め、剰え四割もの損害を与えた顔無し。彼の活躍がなければ結果はまた違ったかもしれない。

 

 女王陛下の側付きとして帝国政府の内情を探っていたエレノアは、顔無しがアリシアとの間に直接的な繋がりを持っていることを察していた。故に今回の計画にも邪魔を入れてくるとは予想していたのだが、まさか対多数戦においてここまで恐ろしい能力を発揮するとは想定していなかった。

 

「あちらのことも探っておいた方がよさそうですわね。今後も我々の道を阻みそうですし──おや?」

 

 裏路地を往くエレノアの歩みが止まる。進行方向に大小二つの人影が立ち塞がっていた。

 

「大人しく投降してもらおうか、エレノア=シャーレット」

 

「あらあら、困りました。まさか先回りされていたとは……」

 

 頬に手を当てて眉根を下げるエレノア。しかし言葉とは裏腹に口元に浮かぶ笑みはより一層深さを増した。

 

「帝国もぼんくらばかりではないようですね。ですが、私にも成さねばならないことがあるので捕まるわけにはいかないのです。ここは逃げの一手を打たせてもらいますわ……」

 

 ゆらりと微笑んで呪文を唱え始めようとしたエレノアの表情が、不意に硬直する。笑みを消し、首だけ巡らして背後を確認すると怪訝に眉を顰めた。

 

「おかしいですね。貴方は競技場にいたはずなのですが、何故ここにいるのでしょうか?」

 

 夕闇が濃さを増し足元から闇が忍び寄る路地裏の入り口。音もなく、気配すらなく、まるで幽鬼の如く深緑の外套を纏った男が佇んでいた。

 

 エレノアを挟んで反対側にいるアルベルトとリィエルも、予想外の人間の登場に僅かな動揺を見せる。作戦において顔無しは常にルミア=ティンジェルの側で護衛の任を継続すると宣していたはずなのに、何故この場にいるのか。

 

 疑念と怪訝の視線を浴びせられながら、顔無しらしき男は戯けたように肩を竦める。

 

「いやなに、雇用主(クライアント)に手を出してくれた黒幕さんにちょいと挨拶でもしようかと思いましてね。きっちり落とし前はつけておかねえと、こっちの信用問題になりますし」

 

 常と変わらぬ剽軽な口調と態度。だが声音には冷徹な殺気が滲んでおり、見えないはずなのにフードの下から背筋が凍りつきかねないほどの冷たい視線を感じる。

 

「つーワケでだ……ここで大人しくお縄についてくれや、外道魔術師」

 

 言い放ち、男が弾かれたように襲い掛かる。それを契機にリィエルも同じく飛び掛かり、アルベルトが呪文を詠唱し始め、微かな焦燥を滲ませながらエレノアは応戦を開始した。

 

 競技場という表舞台の裏、フェジテの裏路地でもう一つの戦いが始まった。

 

 

 

 

 



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宴の一幕、バスケットの行方

これにて第二部終了。いやぁ、長かったです。因みにこれでストックが尽きました。これからは毎日更新、したいけど辛い時もあると思います。ちょっと更新頻度が落ちるかもしれませんが、今後ともよしなにお願いします。


 魔術競技祭閉会式にて巻き起こった騒動は、ゼーロスの投降とアリシアの卓越した演説と手腕によって大事なく収まった。

 

 セリカの断絶結界によって内部でのやり取りを知られなかったことを利用し、アリシアは事実を幾らか脚色して事の次第を伝えた。

 

 帝国政府に対するテロ組織の卑劣な罠、勇敢な魔術講師と学院生徒の活躍と。華々しい部分を自然に強調し、裏事情を隠蔽。民を見事に欺く話術はさすが稀代の女傑である。ただし娘のこととなると形無しであるが。

 

 最後の最後で一悶着あったものの、今回の魔術競技祭は無事に終わりを迎えたのであった。

 

 

 ▼

 

 

 すっかり夜の帳に覆われたフェジテの町並みを往く講師と生徒を視界の中央に据えながら、ロクスレイは白髭を蓄えた老人と並び歩いていた。

 

「おいおい、マジかよ。爺さん相手に逃げ果せるとか、エレノアとかいうのはどんな化け物なんですかい……?」

 

 隣を歩く高齢の翁、先代無貌の王(ロビンフッド)からの報告を受けてロクスレイは驚愕を隠せない。幾ら寄る年波に負けて引退したとはいえその能力は非常に高く、今でもロクスレイの仕事をサポートしてくれている一員である先代をして、捕らえきれなかった。それもアルベルトとリィエルもいたというのにだ。

 

「すまない、わしの失態だ」

 

「いや、別に構いませんがね。爺さんで無理だった以上、他の誰が行っても結果は変わらなかったでしょうし……しっかし、エレノア=シャーレットねぇ。奴が爺さんを超える手練れとは思いませんでしたわ」

 

「手練れ……確かに、手練れではあった。彼奴の魔術の腕は卓越したものがあった。だが……」

 

 眉間の皺を微かに深め、先代は続ける。

 

「アレは最早、人の道を外れている。尋常の気配ではない」

 

 多くの修羅場を潜り抜けてきた先代の観察眼。肉体的に衰えたとしても身につけた技術や精神までは剝がれ落ちはしない。

 

「人の道を外れてる。つまりは化生の類ってか。獣狩りはオレの領分だが、生憎と怪物狩りとなるとなぁ……。やってやれないこたぁねえが、ちょいと七面倒な話になってきたな」

 

「油断するでないぞ、ロクスレイ。彼奴らは必ず、また王女の身を付け狙う。下手を打てば手痛い逆撃を貰うことになりかねん」

 

「へいへい、分かってますって。爺さんこそ、無茶するんじゃねえですよ。年寄りの冷水って言うの? 年甲斐もなくはっちゃけてると、そのうちぽっくり逝っちまいますぜ?」

 

 多分に皮肉を交えながらの気遣いに老練の翁が目を瞬かせる。珍しいものを見た、とでも言いたげな顔だ。

 

「とうとうお前に心配される日が来るとはな。わしもまだまだ未熟なものだ……」

 

「爺さんの境地で未熟とか言われると自信なくすんで止めてくれない? つうか、まだ働く気かよ。いっそ本格的に隠居でもしたらどうです? 無貌の王(ロビンフッド)なんて血腥い稼業からは綺麗さっぱり足洗って、残りの余生を奥さんと一緒に謳歌すればいいんじゃないですかい?」

 

「生憎と、わしにはまだまだ大きな息子がいるからな。早々と隠居などしておれぬよ」

 

 深く刻まれた皺を緩め、厳格な先代の顔からお節介焼きの爺さんへと変わる。

 

「話は変わるが、そろそろ主人(マスター)候補ぐらいは目星がついたか?」

 

「また唐突だな……まぁ、候補だけなら、いないワケじゃねえですけど。あくまで候補で、条件を満たしてるっつーだけですぜ?」

 

 候補と念押すロクスレイの視線は前を往く少女に向けられている。自分のような悪党でも信じ抜くと言ってくれた、気丈で心優しい陽だまりの少女。彼女ならばあるいは、と微かな期待を抱いていた。

 

 ロクスレイの態度から候補が誰であるのか察した先代は、少し嬉しそうに目元を緩めた。

 

「そうか、候補を見つけたか。ならば小言は控えようかな。この手の話に年寄りが出しゃばってもロクなことにはならんものだ」

 

「散々急かされた気がすんですけどねぇ……」

 

「それとこれとは別だ」

 

「さいですかい」

 

 ガリガリと頭を掻いて、そろそろ二組が打ち上げを催している店が近いことに気づく。グレンとルミアに怪しまれないためにロクスレイは二人より先に店内にいたいと考えていた。

 

「悪いが、オレはそろそろ行きますぜ」

 

「うむ、体を壊さぬよう気をつけるのだぞ」

 

「そんな心配されるほどガキじゃねえですよ」

 

 先代の隣を離れて人混みに紛れて走り出すロクスレイ。その横顔には満更でもない笑みが浮かんでいた。お節介であっても息子のように接してくれることが嬉しかったのだ。

 

 実の両親の顔も知らないが、ロクスレイにとっての親は爺さんである。ルミアとアリシア親娘の絆を見て遅まきながら気づいたのだ。こんな自分にも、親として愛情を注いでくれている人がいたことを。

 

 行き交う人の波に呑まれて消える息子の背中を見送り、先代は穏やかな微笑みを一つ残してその場を去った。

 

 

 ▼

 

 

 学院運営陣との緊急会議や王室親衛隊による事情徴集などによって長い時間拘束されていたグレンとルミアが打ち上げ会場である店に入ると、出迎えたのは物の見事に出来上がったシスティーナと、特別賞与と給料三ヶ月分が吹っ飛ぶほどの請求書であった。

 

 確かに好きなだけ飲み食いしろと気前よく生徒達には言ってやった。しかし、誰が高級酒をバカスカ飲んでいいと言ったのか。これではまた極貧生活に逆戻りである。

 

 絶望の呻きを上げて頽れるグレンと、そんな金欠講師に酒の勢いで抱きつくシスティーナという混沌空間。他の生徒達もブランデーの入ったデザートを食べているせいか全体的に賑やかで喧しい。

 

 陽気に騒ぐクラスの様子を端の席で一人眺めつつ、自分もこっそりと頼んでおいた高級酒をちびちびと飲み進めるロクスレイ。厳選された特級葡萄棚からとれる高級ワインとだけあって、味わい深くかつ清純。酒の良さが分かるほど嗜んでいるわけではないが、美味しいと素直な感想を抱いた。

 

 半分ほどボトルを空けたところで、ふと隣の席に気配。酔い潰れたシスティーナを席に寝かしつけたルミアが、小さなバスケットを手にロクスレイの隣までやってきた。

 

「お疲れ様、ロクスレイ君。隣、いいかな?」

 

「別に構いませんよ。他の連中も好き勝手座ってますし」

 

 わざわざ断るのも不自然だと了承する。酒が入って少しばかり気が抜けているのもあるだろう。

 

 許可を得たルミアが隣の席にちょこんと腰を下ろす。

 

「それ、ロクスレイ君も飲んでるんだ」

 

「ああ、まあ頑張った自分へのご褒美ってことで。競技できちんと結果も残したんだ、大目に見てくれよ。フィーベル嬢だってバカスカ飲んでるしな」

 

 ルミアの呆れの眼差しを飄々と受け流してロクスレイはグラスを呷る。引き合いに出されたシスティーナはいつの間にか目を覚ましたのか、一人寂しく自棄酒をするグレンに絡んでいた。後日、己の醜態を知ったら顔から火を噴くのではなかろうか。

 

「あはは……でも、ご褒美かぁ……ご褒美なら、いいかな」

 

 ふと小さく呟いてルミアはテーブルの上に小さなバスケットを置く。

 

「実はね、とある人に食べてもらおうと思って作ってきたんだけど、結局渡せなかったんだ。ロクスレイ君、今日は凄く頑張ってくれたから、ご褒美代わりに貰ってくれないかな?」

 

「いいんですかい?」

 

「むしろ私が押し付けてる側だからね。迷惑だったりする?」

 

 上目遣いでルミアが訊いてくる。ロクスレイは気障っぽく肩を竦めて笑う。

 

「女の子が丹精込めて作ってくれた食べ物を迷惑だなんて思いませんよ。惜しむらくはその想いがオレでない他人のもので、ティンジェル嬢が気に入るほどの相手の代わりがオレに務まるかだがな」

 

「それは大丈夫だよ。ロクスレイ君もその人に負けず劣らず頑張ってくれたからね」

 

 ニコニコと嬉しそうに微笑みながらルミアはバスケットを開けて差し出す。中身はシンプルにサンドイッチであるが、少しばかり形が崩れている。

 

「ちょっと見た目は不恰好だけど、味はちゃんと保証するよ。システィも美味しいって言ってくれたし」

 

 少し気恥ずかしげに頬を掻くルミア。不器用を自覚しているだけあってサンドイッチの見栄えはあまりよろしくない。だがロクスレイはバスケットからサンドイッチを一つ手に取ると躊躇うことなく一口頬張った。

 

 パンから飛び出しそうになる具材を押さえつつ、よく味わうように何度も噛み締めて飲み込む。数秒ほどの間を置いてロクスレイは満足げに頷く。

 

「見てくれはよくないが、味は悪くない。作り手の努力がよく分かる出来だな」

 

「本当? お世辞でも嬉しいよ」

 

「世辞じゃないんですけどねぇ……」

 

 確かに見た目はあまりよろしくないが、味自体は本当に悪くない。現にロクスレイは勧められるまでもなく二つ目に手を伸ばしている。

 

 サンドイッチを肴にワインを呷るロクスレイを、何が嬉しいのかルミアは笑みを絶やさず眺める。平時なら気に留めていただろう視線も、酒が入っている今はそこまで気にならなかった。

 

「……ありがと」

 

 不意にルミアが小さな声で囁く。隣同士でやっと聞き取れるほどの声量であったが、ロクスレイはその声をきちんと拾っていた。

 

「別に、お礼を言われるほどのことをした覚えはありませんけど」

 

「ううん、そんなことないよ。貴方のおかげで私達は女王陛下の元に辿り着けた。ロクスレイ君が勝ってくれたからだよ」

 

「それを言うならクラスの連中全員のおかげだ。ほら、グレン先生も言ってたろ。『皆は一人のために、一人は皆のために』ってな」

 

「そうだね。でも貴方は、()()()()()()()()()()()()

 

 真摯なルミアの瞳がロクスレイを見据える。その見透かすような目から逃れるようにロクスレイは顔を逸らす。

 

「そいつはどうだかな。あの時のティンジェル嬢は誰とも知れない女の子に変身してたんだ。オレはただ可愛い女の子のお願いに絆されただけかもしれませんぜ?」

 

 軽薄に笑ってロクスレイは誤魔化す。心なしか酒を飲むペースが早まっていた。

 

 そんなロクスレイの横顔を見つめていたルミアはふっと相好を崩した。

 

「そうかもね。変なこと訊いてごめんね。サンドイッチ、受け取ってくれてありがと」

 

 一方的に言い残してルミアは席を立つ。いよいよグレンへの絡みが一線を越えそうなレベルになり始めていたシスティーナを見かね、止めるためだ。

 

 まともに回らない呂律で凄まじく大胆な発言を繰り返すシスティーナを、グレンが鬱陶しげに突っ撥ね、苦笑いのルミアが引き離す。

 

 いつもの日常の延長、優しく温かい陽だまり──決して悪党が踏み入れることの許されない世界。

 

 そんな光景をロクスレイは遠い目で眺めながら、サンドイッチを摘まみつつ酒を呷るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第三部&第四部
珍しく無貌の王が頭を抱えたワケ


感想での【ノーフェイス・メイキング】についてのご指摘ですが、七巻にざっと目を通した結果、このまま固有魔術(オリジナル)として扱うことにしました。
というのも、眷属秘呪(シークレット)は血族が先祖代々伝えるものだからです。そうなると拾われた子であるロクスレイは無貌の王(ロビンフッド)の継承ができません。むしろ読んで気づいたのですが、何方かと言うと無貌の王はザイードと似たようなタイプを予定しておりました。
これ以上はネタバレになってしまいますので控えますが、そのような方針でいきます。

最後に一言──ザイードって、え? 他愛なしのあの人?(笑) そう思ったのは自分だけじゃないはず。



 その日、ロクスレイは柄にもなく目の前の現実を否定したい気持ちになった。

 

 事の始まりは早朝、学院正門前で起きた。

 

 ルミア=ティンジェルの護衛任務を請け負ったロクスレイは、常日頃からルミア+αの身辺警護に勤めている。学院内は勿論の事、学院外でも悟られないよう注意を払いながら家までの帰り道を護衛。フィーベル邸の近くに取った家で休みつつ、ルミアが出かければついていく。これがロクスレイの一日である。

 

 言葉にすると凄まじく犯罪臭が漂ってくるが、ロクスレイなりに護衛任務に取り組んでいるのだ。

 

 結果としてここ最近、システィーナがグレンと早朝個人レッスンを始めたという特に必要性のない情報を得たり、ルミアが朝にかなり弱いという一面を知ったりしている。役に立つ情報かと言えば、否であるが。

 

 ともあれ、今日も今日とてグレンとのレッスンを終えたシスティーナが家に戻り、しばらくして身支度を整えたルミアとシスティーナが屋敷を出た。無論、ロクスレイも気づかれないよう気配を薄め人混みに紛れながら登校する。途中、毎度偶然を装ってルミアの護衛をするグレンを加え、一行は学院への道を往く。

 

 ルミアが本格的に天の智慧研究会に狙われていると判明して以降、グレンはルミアの登下校に自主的に同行するようになった。偏に、ルミアを護衛するためである。

 

 おかげで一部のグレンを嫌う生徒や講師からの誹謗中傷の凄い事。特に男子からのやっかみ、妬み嫉みは留まるところを知らない。本人は全くもって気にも留めていないが。

 

 グレンにとってルミアは守るべき己の生徒。何を言われようと構わず護衛を続けている。その一度決めたら貫き通す在り方、心ない罵詈雑言を浴びせられても平然としている様は、ロクスレイをして敬意を払わざるを得ない。

 

 有事の際には戦力としてカウントできるのでこのまま頑張って頂きたいのがロクスレイの本音であるが。

 

 他愛ない会話を交わしながら登校する、いつもの風景。ここまでは何ら異常もなかったのだ。

 

 だが学院正門前に差し掛かった所で、奴は現れた。

 

 世間一般的に珍しい青い髪と瑠璃色の瞳。小柄な体躯に童顔で年齢以上に幼く見られがちな風体。全く感情を見せない無表情がデフォルトである癖に、やる事なす事考えなしの脳筋戦車。

 

 リィエル=レイフォードが待ち構えていたのだ。それも、グレンを視界に捉えれば大剣片手に猪の如く突撃、躊躇いなく襲撃する始末。ロクスレイもすわ敵襲かと危うく飛び出すところだった。

 

 これだけならまだいい。グレンがまだ帝国軍の魔導師時代にも似たような光景は度々あったし、またいつものじゃれ合いかと流せた。

 

 だが、よりにもよって問題児筆頭リィエル=レイフォードが、編入生として二組に送り込まれてきたのは、ロクスレイをして理解に苦しむ案件である。正直言って、ワケが分からないよ、であった。

 

 いや、おおよその裏事情は読めている。恐らく、リィエルは帝国宮廷魔導師団から派遣された王女の護衛だ。自爆テロから始まり先日の魔術競技祭の一件を踏まえ、ルミアの側に護衛が必要だと判断したのだろう。帝国宮廷魔導師団の魔導師は精鋭揃いなので護衛としての実力は申し分ないが。

 

「特務分室は適材適所って言葉を知らないのか……?」

 

 ロクスレイも自身が護衛というデリケートな仕事に向いていないタイプだと自覚しているが、リィエルは輪をかけて護衛に適していない人種である。

 

 作戦立案など知ったことかと暴れ回って敵味方関係なく度肝を抜くバーサーカーぶり。外様だからという理由でしょっちゅうリィエルを押し付け、もとい成り行きで組まされた経験の多いロクスレイは、如何にリィエルが護衛任務に向いていないか、原稿用紙にして百枚は書き上げられる自信があった。

 

「いよいよもって帝国軍は頭が沸いちまったのか? つか、あれに学生生活とかまともにできんのかね……」

 

 幾度となく組まされたからこそ分かる。理由は知れないがリィエルはとかくグレンに依存している。それもかなり深度が深い。それこそ有事の際はルミアを放ってグレンを守りかねないほどにだ。そんな娘を護衛役に抜擢する帝国軍部、延いては帝国宮廷魔導師団の正気を本気で疑った。

 

 だが文句を並べ立てても現実は変わらない。早速とばかりに自己紹介でリィエルが「グレンはわたしのすべて。わたしはグレンのために生きると決めた」と爆弾発言、グレンが盛大な被害を被って生徒達が騒ぎ、授業妨害だと一組の担当講師ハーレイが乗り込んでくる。

 

 相も変わらず混沌とした空気となりつつある中、ロクスレイは密かに頭を抱えて机に突っ伏した。

 

「頼むから、面倒事は起こしてくれるなよ……」

 

 因みにその祈りは一日どころか一時間と経たずして粉々に砕け散った。

 

 

 ▼

 

 

 所変わって魔術競技場。二組はグレンの指示で魔術の実践授業真っ只中である。

 

 リィエルの自己紹介爆撃事件によって大幅に授業予定に狂いが生じ、仕方なくグレンは予定を変更した。外に出て皆で身体を動かすことで、リィエルが早くクラスに馴染めるようにと配慮した結果でもある。

 

 実践授業の内容は端的に言えば的当て。二百メトラ離れた位置に置かれた的付きゴレームを魔術で狙い撃ち、その結果を記録しつつグレンが的確に助言をする。内容的に言えば至ってまともだ。

 

「六発中四発的中か……お前ならもう少しいけそうだと思ったんだけどな、ロクスレイ」

 

「期待してくれるのは嬉しいですけどね、生憎とオレは魔術での狙撃は得意じゃないんですよ。頑張ってこんなもんですわ」

 

 システィーナやギイブルといった成績優秀者が全弾的中、ウェンディあたりが一発ミス、その他は三発的中の平均を彷徨っている。そんな中で平均よりは上だが上位の面々に食い込むほどではない結果をロクスレイは残した。

 

 しかし競技を終えたロクスレイを見るグレンの目は怪訝に細められている。本当はもっといけるんじゃないのか、と視線が物語っていた。

 

 だがロクスレイは疑いの眼差しも何のその、飄々と肩を竦めて受け流す。

 

「この前の競技祭での活躍で勘違いしてるのかもしれませんがね、基本的にオレはそこまで優秀な生徒じゃないんですよ。この前のはたまたま得意分野が嵌っただけの偶然だ。それは先生が一番理解してるでしょ?」

 

「まあ、確かにそうかもな。なら、次はもう少し的を見て魔術を撃て。でないと、当たるものも当たらないぞ」

 

「はいよ」

 

 グレンからのアドバイスを軽く聞き流してロクスレイは狙撃の定位置から離れる。入れ替わりに別の生徒が入り、魔術の実践を行っていく。

 

 実を言えば、ロクスレイの魔術狙撃の技量はもっと高い。帝国宮廷魔導師団特務分室所属のエース魔導師たるアルベルトほどの超絶技巧はないが、純粋な狙撃術においては負けていない。ただし学院内では上の下という成績を維持するロクスレイが六発六中なんて結果を残せば、要らぬ疑いや期待が掛かる。そんなものは仕事の邪魔でしかないと断ずるロクスレイは、あからさまにならない程度に敢えて加減したのだ。

 

 付け加えるならば、ロクスレイは魔術よりも弓による狙撃の方が得意だ。無論、飛距離や貫通力などで弓矢は魔術に劣るが、それを補って余りあるだけの技量を持ち合わせていると自負している。

 

 生徒達の集団から離れ過ぎず、かつ近過ぎない立ち位置で授業風景を眺める。順調に生徒達は実践を終えていき、やがて今世紀最大の問題児の出番がきた。

 

 眠たげな顔で定位置に立ってリィエルは左手を構える。新たな仲間の実力を見る機会とあって、生徒達は固唾を飲んでその腕前を見守る。グレンとロクスレイも、何かやらかさないか冷や冷やしながらリィエルの一挙一動に注目した。

 

 注目の一瞬、リィエルはぼそぼそと呪文を唱えて【ショック・ボルト】の魔術を放つ。一条の紫電が指先から迸り、的付きゴーレム目掛けて真っ直ぐ──ではなく見当外れな方向へと飛んでいった。

 

「え……?」

 

 間の抜けた声があちこちから洩れ聞こえた。予想外の結果にクラスの面々が唖然と硬直している。微妙な空気を気にも留めず、リィエルは続けて二発三発と魔術を打ち込む。そのどれもが大幅に的から外れた虚空を駆け抜けた。

 

 酷い、これは酷い。下手くそだとかいう次元の話ではない。これはもう、手の施しようがないタイプだ。

 

 そう言えばと、ロクスレイはふと思い出す。兎に角バーサーカーぶりばかりが前面に押し出されていて気にも留めたことがなかったが、リィエルが任務の際にまともな黒魔術系の攻性呪文(アサルト・スペル)を使用したところを一度も見たことがない。その理由が今、漸く理解できた。

 

 余りにも酷い魔術狙撃の技量にグレンが冷や汗を流し、生徒達が一転して頑張る子供を見守るような眼差しで声援を送る。しかしゴーレムに付けられた的は未だ無傷なまま、一向に当たる気配はない。

 

「むう……」

 

 とうとう最後の一射を残すところで、リィエルが不満げに唸る。何やら物言いたげだ。

 

「どうした? リィエル」

 

「ん、ねぇ、グレン。使う魔術は【ショック・ボルト】じゃないと駄目なの?」

 

「いや、別に駄目とは言わねーが……この距離で届く他の攻性呪文(アサルト・スペル)なんて使えるか? あ、軍用魔術は禁止だからな?」

 

「分かってる。問題ない」

 

 無表情に頷いてリィエルが地面に手を伸ばす。その挙動で何をするか悟ったロクスレイは「あ、終わったわ……」と内心で溜め息を吐いた。

 

 果たしてリィエルが使用した魔術は錬金術──により生み出した大剣を強化した身体能力でぶん投げて的であるゴーレムを木っ端微塵にするという、ある意味では凄まじくマジカルなものだった。

 

 学生レベルを超えた高速錬成、二百メトラもの距離を物ともせずゴーレムを破壊する膂力。そんなものをまざまざと見せつけられて生徒達が落ち着いていられるわけもなく、予定調和的にリィエルはクラスで浮いた存在となってしまった。盛大な学生デビュー失敗である。

 

 頭を抱えるグレンと今ひとつ状況を理解していないリィエル、新しいクラスメイトの恐ろしい一面に固まる生徒達を眺めて、ロクスレイは今後の波乱に満ちた学生生活に嘆息を禁じ得なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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小さな花の行く末

何とかギリギリで書き上げました。忙しい、先週も今週も書く時間が全然取れない。もしかしたら明日は更新できないかもしれません。一応頑張りますけど、焦ってクオリティが下がるのも嫌ですし……


 自己紹介に加えて実践授業でも盛大にやらかしたリィエルは、ロクスレイの予想通りクラスに馴染めずにいた。

 

 ルミアの護衛としてクラスに自然と溶け込まなくてはならないのに、悪目立ちを通り越して台風の目と化してしまった。護衛の本来あるべき理想形の真逆を突っ走るその様に、別口とは言え護衛対象を同じとするロクスレイはもはや言葉も出ない。

 

 昼休みとなり、遠巻きに生徒達がどうすればいいのかと手をこまねいている中、当事者たるリィエルはただぼぉーっとしているだけ。自ら護衛対象に接触を図るわけでもない。ほんと、どうして彼女が護衛役に選ばれたのか謎である。

 

 現魔術講師であり元同僚のグレンはその悲惨な有様に頭を抱え、何だかんだ顔無しとして組んだ経験のあるロクスレイはもう呆れ返っている。まあ、こうなるだろうな、と二人とも予想していた。

 

 元より極端に感情表現が薄く、心情の機微が読みにくいリィエルは人付き合いの第一段階で躓いている。加えてあの歳で帝国宮廷魔導師団所属の魔導師として血腥い裏の世界で戦い続けてきたのだ。人格的な面で何処かしら欠如していてもおかしくはないし、触れたことのない表の世界に大なり小なり戸惑いもあるのだろう。

 

 だからこの状況も当然と言えば当然なのだが、元戦友でありリィエルの抱える複雑な事情を知っているグレンは放っておけず、フォローに入ろうとした。だがそれよりも先に護衛対象であるはずのルミアが接触、システィーナと共にリィエルを食堂へと連れ出してくれた。

 

 護衛対象にフォローされるという護衛役にあるまじき失態。それでいいのか護衛役、と声高に突っ込みたい衝動をぐっと堪え、ロクスレイも食堂へ向かう。因みにグレンも心配なのか三人の後をつけている。

 

 食堂では勝手を知らないリィエルをルミアとシスティーナが手助けしつつ注文を済ませ、出来上がった料理を受け取ると適当なテーブルの一角を陣取り、楽しげに会話に花を咲かせながら昼食を始めた。

 

 ルミアは見た目に寄らずよく食べ、対して午後の授業が眠くなると言いつつ体型を気にしているシスティーナはスコーン二つ、そしてリィエルは他の女生徒が食べていたのを見て苺タルトだ。因みにタルトが余程気に入ったのか、リィエルは既に六回もお代わりをしている。

 

「なんつうか、心配するだけ杞憂だったか……」

 

 最初こそとんでもないやらかしぶりであったが、こうしてルミア達と接している様子を見る限り、差し当たって問題はなさそうだ。リィエルに護衛役としての自覚が欠如しているのは大いに問題ではあるが、それも徐々に改善していくだろう。戸惑いながらもルミアとシスティーナの二人と昼食を共にする姿を見て、ロクスレイはそう結論付けた。

 

「でもまぁ、さすがはティンジェル嬢といったところですかね。グレン命の脳筋戦車をこの短時間で絆すとは、脱帽もんだ」

 

 未だぎこちなさの抜けないシスティーナと比べれば、ルミアの態度は自然体同然。前もってリィエル=レイフォードという人物を多少知っていたのもあるだろうが、それでも怖れず声を掛けられる胆力は見上げたものだ。

 

 ただし、それはあくまでルミアだからできることであって、一介の魔術学院生にそれを求めるのは酷だ。人は未知を怖れるもの。常識を軽々と超えてみせたリィエルの所業に他の生徒達は尻込みしたままである。

 

 それでも、声を掛けようかどうかと迷っている者達もいる。例えば、同じクラスの大柄なカッシュと小柄な女顔のセシル。料理を載せたプレートを持ってお互いに顔を見合わせ、仲睦まじく昼食を食べる三人娘をちらちらと窺っていた。だが最後の一歩が踏み出せないのか、躊躇っているように見える。

 

「…………」

 

 ロクスレイはルミア達をさりげなく見やる。

 

 今し方食堂に訪れたのか、ウェンディとリンがルミアと話している。恐らく昼食を一緒にどうかとルミアが誘ったのだろうが、リィエルの存在に腰が引けているのだろう。

 

「……ま、偶にはクラスの男子と親睦を深めとくのも悪かないか」

 

 ふっと微苦笑を零し、ロクスレイは未だ迷いに立ち往生しているカッシュとセシルへと歩み寄ったのだった。

 

 

 ▼

 

 

 ルミアの誘いを受けてウェンディとリンが気まずそうに尻込み、場の空気が微妙なものになりかけた昼食の席は、場違いなほどに明るいカッシュ達の介入によって和やかなものへと相成った。

 

 実践授業で見せつけられた破壊の凄まじさに恐怖を抱いていたウェンディとリンも、カッシュとセシルに話しかけられて応じるリィエルの姿に、毒気を抜かれて席を共にする。

 

 些細なことからシスティーナとウェンディが議論に熱を出し始め、リンがおどおどとしながらも仲裁をしようとしたり、さらっとカッシュがルミアをデートに誘って玉砕して、それを友人たるセシルが肩を叩いて慰める。いつもと変わらぬ二組の風景を、リィエルは苺のタルトを両手に黙々とパクつきながら眺めていた。

 

 その小動物染みた愛らしさを滲ませるリィエルの仕草に、少しでも怖れを抱いていた面々は心和み、遠慮やぎこちなさが抜けていった。

 

「……ありがとう、カッシュ君」

 

「いや、気にすんな。ちょっと変わったやつだけど、新しい仲間が爪弾きにされるのも後味悪いしな。それに、俺もなんだかんだ背中を押された口だし」

 

「背中を押された?」

 

 目を瞬かせるルミア。ここにいる面子を除いて二組の生徒は殆どがリィエルとの距離を測りかねている。そんな中で、躊躇っていたカッシュ達の背中を押すだろう人物で浮かぶのはグレンぐらいだ。

 

 しかしカッシュの口から出たのはルミアの予想を裏切る少年の名だった。

 

「ロクスレイだよ。どうしようか迷ってたらいきなり話しかけてきてさ。『ここぞって時に一歩踏み出せるか否かで、男の価値は決まるんだぜ?』って言われたんだよ」

 

「そうなんだ、ロクスレイ君が……」

 

 実を言うと、ロクスレイは他にもカッシュとセシルに色々とアドバイスを残していた。リィエルへの話題の選び方や女性との会話術、上手くいけば可愛い女性陣とお近づきになれる機会だとかなんとか。無論、カッシュもそこまで馬鹿正直に話すつもりはない。

 

 ただカッシュ達がこの場に介入したのにはロクスレイの助力があった、それだけは偽りようのない事実である。

 

「あれ、でもロクスレイ君はいないよね?」

 

「なんか野暮用があるとか言ってどっか行ったぞ」

 

「そっか……ロクスレイ君らしいや」

 

 ふふっと、可憐な花の如く控えめに綻ぶルミアの笑顔を前に、思わず赤面しかけるカッシュ。しかし即座にその笑顔を向けられているのが自分でないと悟り、再びがっくりと肩を落とし、心の内でロクスレイを一発殴ると誓った。

 

 同時刻、身に覚えのない悪寒にロクスレイは背筋を震わせるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 それからというもの、リィエルは当初の予想を裏切ってクラスに馴染み始めた。それは偏にルミアやシスティーナといった面々がリィエルに根気よく話しかけ、リィエルも自分達と変わらない女の子だと伝えていったからだ。

 

 とはいえ、それで全員が全員受け入れられるわけではない。ギイブルは自信を持っていた錬金術の分野で上を行かれて態度が刺々しく、未だ初日の破壊の衝撃が忘れられない生徒だっている。世の中、何でも上手くいくものではない。

 

 それにリィエル自身、やはり問題を起こす。特にグレン絡みとなるとやらかし具合が一線を飛び越える。この前など、例によっていつもの如く憤慨したハーレイがグレンに決闘を挑んだ際、「グレンの敵。なら……倒す」などと言って学院内で大剣をぶん回し、校舎が著しく損壊するという事件が巻き起こった。

 

 責任の所在や弁償などはグレンが引き受けたものの、そろそろ減給がマイナスに突入しかねない。普段からの自業自得な部分もあるとはいえ、さすがに気の毒である。

 

 時折ロクスレイもさり気なくフォローを入れている。先の食堂での一件然り、拙い展開を避けるべく何度か誘導した。だがそれだけで全てをカバーできるはずもなく、未だ問題は山積みのままだ。

 

 それでも、そんな慌ただしい日々がリィエルに与える影響は決して悪いものではない。血に塗れた裏の世界と慕うグレンのことぐらいしか知らなかった少女は、優しく温かい陽だまりの世界に触れて徐々に変わりつつある。それは時折見せるグレンですら知らない表情が証明していた。

 

 そして一部を除き、リィエルという異分子が日常の存在と受け入れられ始めた頃、クラスは『遠征学修』の時期を迎える。

 

『遠征学修』はアルザーノ帝国が運営する各地の魔導研究所に出向き、見学と最新の魔術研究に関する講義を受けることを目的とした必修講座──とされているが、その実情は講義と研究所見学以外に自由時間が多く取られており、旅行という性質が見え隠れしている。

 

『遠征学修』の行き先はクラスごとに違う。グレンの受け持つ二組が行く研究所は白金魔導研究所。白魔術と錬金術を利用して生命神秘に関する研究を取り組んでいる研究所で、その性質上、大量の綺麗で上質な水が欠かせない。端的に言えば、白金魔導研究所はサイネリア島というリゾートビーチとして有名な島に設立されているのだ。

 

 女子の水着姿が拝める千載一遇のチャンス。あれこれと不平を洩らしていた男子は一転して歓喜の渦に呑まれ、無駄に格好つけるグレンに一生ついていくだのと馬鹿騒ぎ。女子達は阿呆を見るような目つきであった。

 

 ともあれ魔術競技祭に並ぶ泊まりがけのイベント。男子に限らず女子も案外楽しみにしていたりする。普段、真面目一辺倒で堅苦しいシスティーナですら心中では期待している部分もあるのだ。グレンや男子のように浮かれて舞い上がるような醜態は晒さないが。

 

 俄かに浮き足立つ教室内をリィエルは無表情に眺める。今一つ状況を飲み込めていないようだ。ルミアとシスティーナが懇切丁寧に説明するも、的を射ない反応に苦笑いが零れる。

 

 そんな三人娘の日常となりつつある光景をロクスレイは遠い世界の出来事のように眺めていた。眼差しには慈しみや憧憬の色が滲んでいる。

 

 自分と同じく血腥い世界を生きてきた少女が陽だまりの世界に受け入れられることに、妙な感慨めいたものを抱く。元より表の世界の方が性に合っていたグレンの時とはまた違う。

 

 リィエルの本心は知れないが、今この瞬間に何かしら感じるものはあるはずだ。このまま学生生活を送っていれば、いずれはまともな少女らしい道を歩めるかもしれない。

 

 それはきっといいことなのだろう。リィエルの抱える事情を知るグレンもそうなることを望んでいる。

 

 そしてロクスレイもまた、陽だまりの中に小さな花が咲くことを密かに望んでいた。

 

 

 

 

 



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ほんの少しの歩み寄り

時間が……ない。今週も来週も休みがない……! ロビンさん、私に書く時間を下さい……。


 ついに『遠征学修』当日を迎えた。

 

 制服に身を包み、旅行鞄を抱えた生徒達は学院から駅馬車に乗って移動。一日を馬車の移動で潰し、翌日の正午に港町シーホークへ到着した。ここから出る定期船でサイネリア島に向かうのだ。

 

 到着から小一時間ほどは昼休憩を兼ねた自由行動である。生徒達は班ごとに昼食を取り、船着き場に集合する予定であったのだが、肝心のグレンが集合時間を過ぎても現れない。

 

 例によっていつもの如くシスティーナがぷんすかと怒り、リィエルがグレンを探しに一人で行こうとするのをルミアが宥めていると、妙な軟派男が声を掛けてきた。男はルミアの肩に馴れ馴れしく触れ、しつこく誘いを掛けてきたが、何処からともなく現れたグレンが首根っこを引っ掴んで裏路地へと消えていった。

 

 その後、何事もなく戻ってきたグレンの先導に従って生徒達は船に乗り込み、サイネリア島へと出航した。

 

「わあ……!」

 

 甲板から煌めく海を一望してシスティーナが感嘆の声を洩らす。普通に生活している限り目にすることはない光景だ。ついつい胸が弾んでしまうのも無理はない。

 

 だがそんな感動の一場面に水を差す存在が約一名。船から身を乗り出してみっともなく嘔吐を繰り返し、真っ青な顔をしているグレン=レーダス。図太い性格をしている癖して船にはえらく弱いらしい。乗って一時間と経たずこの様だ。

 

「もう、仕方ないわね。ちょっと船員の人に何かないか聞いてくるから待ってなさい。リィエルは先生の面倒見といてね」

 

「分かった」

 

 グレンの危機とあっていつもよりキリッとしているリィエルに面倒を任せ、システィーナは船員に船酔いを抑える何かがないか尋ねにいく。いつもならこの手の世話やらはルミアが焼きたがるのだが、生憎と今は別の人間に掛かりきりだ。そのため、仕方なく、本当に仕方なくシスティーナがリィエルと共にグレンの面倒を見ている。

 

「でも、まさかあいつも船に弱いとは思わなかったわ」

 

 ぼそりと呟いてシスティーナは通りかかった船員に声を掛けるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 幾つもの木箱が積み上げられている船尾、木箱の壁にぐったりと背中を預けて座り込む少年が一人。驚くことにロクスレイである。

 

 森奥深くで育てられ今日に至るまで船に縁の無い生活を送ってきたロクスレイは、慣れない磯の香りや揺れる足場に早々にダウン。グレンほどの醜態は晒していないが、青い顔になって人目に付かない木箱の陰で蹲っていた。

 

「ロクスレイ君、大丈夫?」

 

 木箱の陰からひょっこりと頭を出したのはルミアだ。船酔いに弱るロクスレイを見つけたのは他ならぬ彼女である。

 

 ルミアは座り込むロクスレイの傍に膝をつくと、水で濡らしたタオルを差し出す。グロッキー状態のロクスレイを気遣って船員に頼んで用意したものだ。

 

 気怠げにタオルを受け取ってロクスレイは顔を拭く。冷たい水の感触に不快な感覚が幾分か薄れ、若干ではあるが顔色が和らいだ。

 

「悪い、面倒掛けたな。ったく、だらしねぇ……」

 

 情けない顔を見せないようにタオルを頭から被る。弱っている姿を見られた気恥ずかしさもあるが、何より護衛対象に気遣われてしまったのが不甲斐なかった。これではリィエルのこともとやかく言えない。

 

 普段の飄々とした様子からは想像がつかない、子供っぽい反応にルミアは微笑ましげに目を細めた。

 

「でも、意外だなぁ。ロクスレイ君にも苦手なものがあったんだね」

 

 ちょこんとロクスレイの隣に座りながらルミアがそんなことを言う。ロクスレイは精一杯皮肉げに笑って答える。

 

「そりゃあ、あるでしょ。オレも人の子なんだ、苦手なものの一つや二つあって当然だろ」

 

「それもそっか」

 

 積み上げられた木箱の陰に並んで座る二人。ロクスレイが人目を避けるために隠れた場所なだけあって、周囲から生徒達の声は聞こえるものの気づかれる気配はない。ある意味では二人きりの空間だ。

 

 賑やかな声と波のさざめきだけがしばらく響いていたが、不意にルミアが面白いことを思い出したとばかりに手を打ち鳴らした。

 

「ロクスレイ君って怪談話とか興味ある?」

 

「怪談? これといって興味はないが、何か面白い話でもあるんですかい?」

 

「うん。私の中では一番のブームなんだけど、変わった怪奇現象が学院内で時々起こるんだ」

 

 怪談話と言って切り出した割に随分と明るく楽しそうな雰囲気のルミアは続ける。

 

「その怪奇現象っていうのはね、とある女の子限定で何処からともなくお菓子が飛んでくるってものなの」

 

 ピシッと、タオルの下でロクスレイの表情が硬直した。ルミアはロクスレイの反応を知ってか知らずか核心に近づくように更に言葉を重ねる。

 

「その女の子はリィエルのことなんだけど、本当にビックリするようなタイミングでお菓子が飛んでくるんだよ。たとえば、グレン先生の悪口を言ってる生徒にリィエルが襲い掛かろうとした時とか。不思議だよね?」

 

 にっこりと微笑んでルミアが見てくる。タオル越しにも分かる視線の矢に、ロクスレイは内心で微かな焦燥を募らせた。

 

「ほーん、そいつは妙な話だ。ま、どうせどっかの男子が性懲りもなくレイフォード嬢に懸想してるとか、そんなオチじゃないんですかね」

 

「そうなの……?」

 

 一瞬、ルミアの声音が妙な揺らぎを帯びた。

 

「……や、オレに訊かれても知りませんて。その相手に直接問い質してくれよ」

 

 出所不明の罪悪感に押されてロクスレイは無難に答える。

 

「だいたい、レイフォード嬢に限ればそういうお節介をしそうな人がいるでしょ。ほら、グレン先生とか。個人的にレイフォード嬢と繋がりがありそうなあの人なら、やりかねないだろ」

 

「グレン先生は違うかな。確かに先生は先生でよくリィエルを心配して追いかけてるけど、さすがにお菓子を投げ込んではこないよ。リィエルも違うって言ってるしね」

 

 グレンはわたしのすべて、などと公言するリィエル本人が否定する以上、グレンがお菓子投げ犯である可能性は低いだろう。そもそも、リィエルにお菓子が飛んでくるのは決まってグレンが忙しい時だ。ストッパー役が居らず、リィエルが暴れそうになった時だけを狙ってお菓子は飛んでくる。即座に下手人を探しても姿はおろか影も形もない。まさに怪奇現象。

 

 なるほど、確かにこれはある種の怪談話だ。ただし全く恐怖を煽らない、むしろメルヘンさすら漂う小噺である。当事者であるロクスレイからすれば欠片も笑えないが。

 

 事の始まりはリィエルが苺のタルトを気に入り、よく食べるようになったことだ。脳筋突撃娘、作戦ブレイカーの異名を欲しいままにするリィエルを手懐けるないし抑えることができるかもしれない。あわよくば言うこと聞かせられるかもしれないと考えた。

 

 今でこそ大分暴走する頻度は少なくなってきているが、編入して数日は本当に酷かった。下手をすれば生徒にまで手を出しかねない勢いだったのだ。

 

 抑え役のグレンがいる時はいい。だが何時でも何処でもグレンが側にいるわけではない。あれで一応魔術講師であるグレンはそこそこ忙しいのである。グレンがいない時は必然的にルミアとシスティーナにストッパー役が回ってきてしまう。

 

 二人が悪いとは言わない。現時点で最もリィエルと仲が良いのは間違いなくルミアとシスティーナであるし、二人の言葉ならリィエルもそこそこ聞き入れる。だが、いざリィエルが本気で動き出したら非力な二人に暴走列車を止める手立てはなく、下手をすれば巻き込まれかねない。

 

 そこでロクスレイ、リィエルの暴走を止めるべく陰からお菓子を投げ込むという妙手に打って出た。結果としては上々。暴れそうになれば出鼻を挫くが如く口の中へ飛び込んでくる甘味に、リィエルは手を止めるようになったのだ。

 

 勿論、正体が割れないよう細心の注意を払ってはいる。お菓子を投げる時だけは【ノーフェイス・メイキング】の能力を駆使して気配を隠蔽、鍛え上げたナイフ投擲術を応用した無駄に高度なお菓子投擲術でリィエルの口にホールインワン。毎度品を変えてお菓子のレパートリーも増やしている無駄な勤勉さ。技能の無駄遣い? 護衛対象を危険から守るための苦肉の策だ、致し方ない。

 

 タオルの下で冷や汗を流しつつ妖怪お菓子投げことロクスレイが如何にはぐらかすかに思考を費やしていると、隣から悪戯っぽい笑い声が洩れ聞こえてきた。

 

「ふふっ、どうかな? 少しは肝が冷えたりした?」

 

「……あぁ、ほんと、キンキンに冷えましたわー」

 

 恐怖とはまた方向性は違えど、肝が冷えたのは事実。その点からすればルミアの怪談話はロクスレイにとって効果覿面であった。

 

 一頻り笑い終えるとルミアがすっと身を寄せてくる。完全に寄り掛かってはいないが肩が触れ合うほどの距離感。船酔いでダウンしていなければ跳ね除けていただろうが、今はそんな気力もなかった。

 

「でもね、その人には感謝してるんだ。お菓子だけじゃない、困った時にはいつも助けてくれる。私は助けられてばかりで……」

 

 だから、とルミアは顔を覆うタオルに手を伸ばし、徐に持ち上げる。船酔いで微かに青い顔色のロクスレイに穏やかに微笑む。

 

「今は寄り掛かってばかりだけど、少しずつでいい、どんな形でもいいから、返していきたいんだ」

 

「……その相手が望んでいなくてもですかい?」

 

「一方的に助けられてばかりなのは嫌なの」

 

 にっこりと有無を言わせぬ笑顔の圧力。嫌がろうと逃げようと何処までも追ってきそうな気迫にロクスレイは頬を引き攣らせた。

 

 改めてタオルを頭から被り、しばし沈黙したロクスレイは観念したように吐息を洩らす。

 

「……一時間」

 

「え?」

 

「一時間もあれば揺れに慣れる。それまで、少し休ませてもらえますかい?」

 

 唐突なロクスレイの申し出にルミアは驚いたように目を瞠る。しかしすぐ嬉しそうに笑って頷く。

 

「うん、任せて。ちゃんと見てるから」

 

 優しくロクスレイの肩を支えるルミア。些細なことではあるが彼に頼られた、それが堪らなく嬉しかった。

 

 喜色満面のルミアと少しでも早く慣れない環境に適応しようと努めるロクスレイ。きっかり一時間の慣らしを終えるまで、木箱の陰に並んで座る二人は誰にも邪魔されることはなかった。

 

 

 ▼

 

 

 出航から数時間を要して船はサイネリア島に到着した。

 

 到着した時点で時刻は夕暮れ近く。移動の疲れもある生徒達はグレンの引率のもと、今回の遠征学修で寝泊まりする旅籠へと案内された。

 

 二組の遠征学修の日程は七日間に及ぶ。本格的に研究所見学や講義が始まるのは四日目からであり、今日の晩と明日の昼間一杯は自由時間である。逆に言えば、何かをするなら今日の夜と明日しか暇はないということだ。

 

 二組の男子、カッシュ含めるごく一部の男子には非常に下らない野望がある。それは夜にクラスの女子と部屋で遊ぶこと。カッシュ曰く、何でも魔術学院遠征学修の伝統行事らしい。端的に言えば、お忍びで女子部屋に突撃してボードゲームの類で遊びたいそうだ。

 

 同じ部屋割りとなったセシルやギイブルは断った。前者は嫌な予感から、後者はそもそも乗るような性格ではない。

 

 大広間で全員揃って食事を終え、交代で入浴を済ませた後、就寝時間を過ぎる。最終的にカッシュの呼び掛けに応じて集ったのは七名の勇者(阿呆)共であった。

 

 彼らは前もってカッシュが調査しておいたルートから女子が泊まる本館へと向かう。溢れる情熱が成せる技なのか、無駄のない無駄に統率の取れた動きで目的地へと歩みを進める一向。

 

 全ては万事上手くいくはずであった。後一歩という所で、最大の壁が立ちはだかるまでは。

 

 ご存知二組の担任講師グレン=レーダスである。カッシュ達の思考を完璧なまでにトレースした上で待ち構えていた、とはグレンの言。それでいいのか担任講師。

 

 本来ならグレンこそカッシュ達と同じく率先して女子部屋に突貫するタイプのロクでなしであるのだが、度重なる減給によってこれ以上の失態を繰り返せば割りと洒落にならない状況にまで追い込まれており、涙を呑んで男子の強行を止めにきたのだ。全ては明日の糧を守るため。

 

 互いに想いを理解し合いながらも、課された宿命と立場の違い故に相対する勇者(阿呆)達と勇者(馬鹿)。何やら無駄に熱いやり取りを交わし、最終的には決裂した両者は、必然的に拳で語ることになる。と言っても、飛び交うのは非殺傷の魔術であるが。

 

「よくもまぁ、あそこまではしゃげるもんだ。こっちはまだ酔いが抜けてないってのに」

 

 樹上の上から眼下で始まった馬鹿達の馬鹿騒ぎを見下ろしながら、ロクスレイは呆れと感心を織り交ぜた苦笑いを零した。

 

 カッシュ達が女子部屋へ向かわんと別館を出発したのと時を同じくして、ロクスレイも気取られぬよう気を払いながら外へ出た。目的はサイネリア島の地形の把握と本館周辺への罠の設置である。いざという時への備えだ。

 

 手早く仕込みを済ませ、あとはカッシュ達が通ったルートに罠を設置すれば終了なのだが、一向に争いが終わる気配がしない。非殺傷魔術だけという縛りもあってか、倒れても復活しては立ち向かうという延々ループが続いており、いつまで経っても終わりが見えない。

 

「こいつら、まさか朝までやるわけないよな? 勘弁してくれよ、おい……」

 

 さすがに一晩中争いを続ければ女子からの苦情も上がるだろうから、徹夜の心配はないだろう。それでもロクスレイとしては早く終わってくれというのが本音であった。

 

 比較的太い枝木に腰を下ろして馬鹿騒ぎを俯瞰する。やけに鬼気迫る様子であるが、見ている分には愉快な光景だ。当人達も何だかんだこのじゃれ合いを楽しんでいる節が垣間見える。

 

 視線を上に向ければ、バルコニーからロクスレイと同じく騒ぎを見下ろしている女生徒達の姿がある。システィーナは呆れと無駄に高い対多数魔術戦の技術への感心、ルミアはどう反応すればいいか判断つかない困ったような苦笑、リィエルは常と変わらぬ何を考えているか分からない無表情だ。

 

 ここ最近で急激に仲良くなった三人娘。クラスの面々からも既にいつもの三人組で通るようになっている彼女達は、果たしてこの遠征学修でどれほど距離を縮めるのか。そのあたりはロクスレイにどうこうできる問題ではないが。

 

「ま、仕事に支障が出ない限りどうでもいいですけど」

 

 興味ない風に呟いて、ロクスレイは眼下の馬鹿騒ぎが終わるのを待つのだった。

 ちなみに騒ぎはロクスレイの予想を裏切って夜を徹して行われた。グレンが【ショック・ボルト】によって滅多打ちにされ、カッシュ達の体力が底を尽きて、ロクスレイは不本意な寝不足に陥るのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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人の輪の中

なぜ自分は部活に入ってしまったのかと思い悩む今日この頃、ハンティングクエストうまうまでござる。何がいいって、種火もしっかり貰えるところだよね。これを機にロビンフッドを100まで育て上げてやる……。


 突き抜けるような蒼穹、焼ける白い砂浜、照りつける太陽。白い飛沫を上げて煌めく雄大な海──

 

 サイネリア島の観光名所であり、帝国内でも有数のリゾートビーチ。そこで水着姿の少年少女達が海水浴に興じていた。

 

 二組の女生徒はかなりレベルが高い。制服姿でも魅力的に映る彼女達が今、惜しげも無く魅惑の肢体を晒して戯れている。砂浜で踊り、波打ち際ではしゃぐ少女達の姿はまさしく妖精そのものであり、グレンと醜い争いを繰り広げた男子共は遅まきながら『楽園(エデン)』の在り処を悟り、グレンへの惜しみない感謝と安寧を祈った。

 

 ちなみに当のグレンは日傘の陰で不貞腐れて寝転がっている。しこたま電撃を浴びせられて身体中が痛いそうだ。

 

 狂喜乱舞する男子達を尻目に女子達はそれぞれで海水浴を楽しんでいる。阿呆は気にするだけ時間の無駄と割り切り、ビーチバレーの用意を始めた。

 

 そんな生徒達の様子を日傘の下でぐったり寝そべりながら眺めるグレン。見目麗しい少女達の水着姿は眼福ものではあるが、だからといって色目を使うようなことはしない。自分は講師で彼らは生徒。そのあたりは弁えている。

 

 だから発育の良い少女達の躍動感溢れる動きにつられて目が動いているのは気のせいだ。ただの錯覚に過ぎない。

 

「いや、見過ぎだからな、グレン先生。むしろ男子より見てるまであるぞ」

 

「誤解を招くような言い方をするな。俺は彼女達の担任講師であり、もしもの事故があってはならないからしっかりと監督してるだけであってだな……つーか、お前ら二人は行かないのか? 折角の自由時間なんだから楽しんでくればいいだろ」

 

 見苦しい言い訳を途中で切り、グレンは木陰に引き篭もる二人の男子を見やる。グレンに突っ込みを入れたロクスレイと我関せずに教科書を黙々と読むギイブルだ。

 

 まるで海水浴に興じるつもりのないギイブルは制服姿のままである。自由時間だか何だか知らないが、意識高い系を地で行く彼にとってこの手のイベント事は総じて時間を割くに値しないのだろう。ある意味では平常運転である。

 

 対してロクスレイは水着にこそ着替えてはいるが、上半身は若葉色のパーカーを羽織っており、泳ぐつもりはなさそうだ。ギイブルの引き篭もる木陰を作る木に凭れ掛かり、眠たげに欠伸を洩らす。

 

「楽しめって言われてもなぁ。オレは基本、外野から眺めている方が性に合ってるんで。可愛い女の子達が気儘にはしゃいでる絵をのんびり見てますわ」

 

「分かる、分かるぞ少年。美少女の水着姿は何よりも優先されるからな」

 

「そこで同意するあたり、ブレないわー。さすがグレン先生。ってか、同じにするなっての。オレまで風評被害を受けたらどうしてくれんの?」

 

「風評被害ってそこまで言うか……」

 

 地味に酷い物言いにグレンは軽く肩を落としつつ、もう一人の引き篭もりに水を向ける。

 

「お前はいいのか? ギイブル。そう何度もある機会じゃねーんだぞ? 楽しんどかないと損だぜ?」

 

「結構です。僕はここに遊びに来たのではないので」

 

「かったいなー、そんなんだとすぐに禿げるぞ? ハーレム先生二号になっちゃうかもだぞ?」

 

「失礼なこと言わないでくれますか。僕の毛根はそんなひ弱ではありませんから、ご心配なく」

 

「お前、ハーゲル先生に謝れよ。あの人、ただでさえ少ない髪をリィエルに消し飛ばされて割と本気で落ち込んでたんだぞ? これ以上ストレス掛けたら本当につるっ禿げになっちまうだろーが!?」

 

「意味の分からない逆ギレは止めてくれませんか!? あと、一向に名前を覚えない先生のほうがよっぽど失礼でしょうがっ!?」

 

 何やらコント染みたやり取りを繰り広げるグレンとギイブル、そして呆れた眼差しで眺めるロクスレイ。そんな三人の下へ海辺の方から朗らかな声が掛かる。システィーナやリィエル含める女生徒がグレンをビーチバレーに誘いにきたのだ。

 

 夜を徹した闘争の疲労が抜けないグレンであったが可愛い教え子達のお誘いを無下にもできず、やれやれとばかりに日傘の下を出る。ついでに口八丁でギイブルを煽り、闘争心を刺激されてギイブルも参戦を表明した。

 

 審判だけだからな、と言いつつ意気揚々と砂浜へと赴くグレンと不服の体ながらも戦意を燃やすギイブル。なんだかんだやる気に満ち溢れている教師と生徒の姿にロクスレイは苦笑を禁じ得ない。

 

「まったく、楽しそうなこった。ウィズダン少年も沸点が低いなぁ。見てる分には面白いですがね」

 

 他人事と言わんばかりの態度を貫いていたロクスレイだが、不意に海辺から飛んできたビーチボールに思わず反応、顔の横で見事に受け止める。サーブを打ったであろう相手を確認して空いている手で頭を抱えた。

 

「ごめ〜ん、ロクスレイ君。そのボール、こっちに持ってきてくれないかな〜?」

 

 大手を振ってロクスレイを呼ぶルミア。木陰で休む気満々だったロクスレイ目掛けてビーチボールを飛ばした犯人である。

 

 小さく溜め息を吐きながらもロクスレイはビーチボール片手に木陰を出る。照りつける日差しに目を眇めつつ、ニコニコと笑顔で待つルミアのもとへボールを届けにいく。

 

「ありがとう。ボールが風に飛ばされちゃってね」

 

「嘘つけ、思っきしオレに向かって振り被ってたでしょうが。分かりやすい嘘つくんじゃありません」

 

「あはは、ばれてた?」

 

 ルミアはちろっと可愛らしく舌を出す。陽気な空気に当てられてかいつもに増してテンションが高い。

 

「ロクスレイ君はビーチバレーに参加しないの?」

 

「ビーチバレーねぇ……」

 

 砂浜の一角に即席のコートを作り始めた生徒達をぼんやりと眺める。ロクスレイに大人数で遊んだ経験はあまりない。生い立ちゆえに幼少期に同年代が殆どいなかったこと、そもそも遊んでいる暇なぞなかったことが原因だ。

 

「偶には人の輪に入ってみるのも悪くないと思うよ。きっと楽しめるはずだから」

 

 どこか戸惑っている様子のロクスレイの手を取り、ルミアはクラスの輪へ駆け出す。手を引かれるがままのロクスレイは、仕方ないとばかりに微苦笑を零し、できるだけ悪目立ちしないようにしようとだけ決心した。

 

 

 ▼

 

 

 クジによってチームを振り分けて始まったビーチバレーは、思った以上に白熱した試合模様と相成った。と言うのも、一部の大人気ない大人が獅子奮迅の活躍を披露し、クジの悪戯によって生まれた最強チームが凄まじい勢いで勝利を重ねたからだ。試合は学生のお遊びレベルを超える大盛り上がり。手に汗握る戦いは、やがて佳境に入る。

 

「──死ねえぇぇぇあぃぃぃい、ロクスレイっ!! 我が恨みの一撃、受けてみろッ!?」

 

「──なんとぉ!?」

 

 ネットよりも遥かに高い位置から叩き込まれる乾坤一擲のスパイク。ここまでのリィエルの超絶殺人スパイクのお株を奪うが如き威力のソレが、的確にロクスレイを狙い撃つ。

 

「ちょっ……!?」

 

 首を傾けて紙一重の回避。ロクスレイの耳を掠めて過ぎ去ったボールが砂浜を穿ち、得点が相手のチームに入った。

 

「避けたか……ちっ」

 

「おいこら、ウィンガー少年。ちょっとキャラ変わってんじゃない? つか、オレに対してだけスパイクの威力おかしいでしょ。オレに恨みでもあるワケ?」

 

「恨みだと……?」

 

 得点を決め自陣の仲間であるリィエルとテレサとハイタッチを交わし合っていたカッシュが、ぐりんとロクスレイを振り返る。審判役たるルミアを一瞥し、血涙を流さん勢いで恋敵(ロクスレイ)を睨みつける。

 

「ああ、あるさ。ちくしょう、ロクスレイよぉ……恋に破れた男の意地を教えてやらぁあああ──ッ!?(号泣)」

 

「えぇ〜? なんのことだかさっぱり分からねえんですけど……」

 

 全く身に覚えのない怨嗟を叩きつけられて戸惑うロクスレイ。外野では一部の男子がうんうんと親身に頷き、それとなく事情を察した者達が憐れむような同情するような眼差しを向ける。ちなみにルミアは複雑な苦笑いを浮かべていた。

 

 カッシュの恨み辛みの篭った視線を浴びて背筋を冷やすロクスレイに、チームの仲間たるグレンが声を掛ける。

 

「おーい、ロクスレイ。お前、さっきからスパイク見送りすぎだろ。拾わないと試合にならねーぞ?」

 

「グレン先生、それはレイフォード嬢のスパイクを真っ向から受け止めろって言ってるのと変わらないんですぜ……」

 

「なんかすまん」

 

 先ほどからバカスカ打ち込まれるリィエルの殺人スパイクの威力は恐ろしい。嫉妬に狂うカッシュのスパイクはリィエルのそれに劣らないだろう。ただし、あくまでロクスレイにのみ発揮される特攻だ。

 

 だがそれで納得できない者もいる。

 

「冗談じゃない! このまま負けっぱなしでたまるか! 二人とも、もっと集中してくださいッ!」

 

 相手が現在進行形で対抗心を燃やすリィエルであることも相俟って、闘争心剥き出しのギイブル。普段のスカした態度はどこの空、本気で勝ちを狙いに行こうとする少年の姿がそこにあった。

 

 軽くお通夜状態だったグレンとロクスレイは互いに顔を見合わせ、ふっと笑みを零す。

 

「しゃーねーなぁ。じゃあ、レシーブは任せるぞ、ギイブル。次は決めてやるからよ」

 

「ほいほい、了解しましたよ。ま、やられっぱなしは趣味じゃありませんし? ここいらで一丁、良いとこ見せときますか」

 

 ギイブルのやる気に当てられたのか気合いを一新。改めて相手チームと対峙する。

 

 グレンがサーブを打ち込み、テレサがお得意の白魔【サイ・テレキネシス】で拾い上げ、カッシュが絶妙なトスを上げる。ふわりと舞い上がったボールにリィエルが飛びつき、ハエ叩きが如く腕を振り下ろす。

 

 次瞬、ビーチボールから発せられてはならない音と共に流星一条がグレンチームのコートを突き穿たんとして──

 

「《見えざる手よ》──ッ!?」

 

 スパイクコースを見切ったギイブルの呪文がボールを絡め取り、上空へと跳ね上がる。リィエルのスパイクが初めて防がれてカッシュ達が動揺し、観客が驚きの声を上げる中、

 

「ほいきたっ! 決めてくれや、先生!」

 

 ボールの落下点に入ったロクスレイが鮮やかなトスを上げる。そこへ待ってましたとばかりにグレンが跳躍。

 

「どおりゃああああ──ッ!!」

 

 渾身の力を込めたスパイクが砂煙を巻き上げ、強烈にコートを叩いた。周囲で観戦していた生徒達が沸き上がる。

 

「いよっしゃあ! 見たか、これが俺の本気だ!」

 

「そこで威張ったら負けだと思うのはオレだけですかねぇ……」

 

 ともあれやっとまともな得点である。ギイブルもリィエルを一泡吹かせられて何やら吹っ切った様子であるし、ここから逆転の目もまだまだあるだろう。

 

 周囲から湧き上がる歓声を浴びながらロクスレイは少し困ったように頭を掻く。予定では適当なところで負けるつもりだったのだが、組んだ仲間が仲間なだけに途中敗退できずここまで勝ち残ってしまった。

 

 ロクスレイ自身、グレンのように大人気ない活躍や先のギイブルのファインプレーといった目立つ動きはない。だがそれでも、キャラの濃い二人に引き摺られる形でスポットライトの当たる位置に出てしまっている感は否めない。

 

 儘ならないな、と内心で溜め息を洩らしていると審判役のルミアと目が合う。誘った癖に運動は苦手だからと審判役に回った彼女は、人の輪に交じるロクスレイに優しげに目を細める。誰にも気付かれぬよう口パクで『が ん ば れ』とまで言う始末だ。

 

「ったく、何を期待してるのやら……」

 

 今ひとつルミアの考えは読めなかったが、ロクスレイは口元を微かに吊り上げる。

 

「……偶にはこういうのも、悪くないか」

 

 ぼそりと呟いて、早くしろと急かすグレンとギイブルに応えるロクスレイだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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崩れ落ちる陽だまりの世界

タグにクロスオーバーを入れ忘れていたために一時的に運営様からストップを掛けられ焦った。初めての経験で割とビビった。悪いのはオレなんで文句なんてありませんが、こう、心臓に悪かった。以降、気をつけます。
そんなこんなで第三部終了。続きは第四部でね?
あと、章わけをちょっと弄りました。3巻と4巻は繋がってるようなものだから、合わせました。


 海での遊びを一通り堪能し、その後は観光街を巡る。自由時間を存分に謳歌した生徒達はやがて旅籠に戻り、明日から本格的に始まる研究所の見学に向けて眠りにつく。

 

 生徒達は寝入り就寝時間を過ぎて時刻は深夜、ロクスレイは一人で観光街を歩く。当然のように規則破りであるが護衛対象+αが旅籠を抜け出した以上、護衛としてついていかないわけにはいかなかった。勿論、ルミア達に気取られるようなヘマはしない。

 

 ルミアとシスティーナ、そしてリィエルの三人はやけにキョロキョロしながら観光街を往き、真っ直ぐ町の外へと足を向ける。彼女達の歩みがどこへ向けられているのか、果たしてその答えはすぐに判明した。

 

 踏み締める地面が人が手を入れた石畳から細かな砂粒に変わり、耳に潮騒の音が届く。昼間とは一転して漆黒に染まった海と輝かしい星空がロクスレイの視界一杯に広がった。

 

「────」

 

 その初めて見た幻想的な光景にロクスレイは言葉を失う。満点の星だけなら幾度となく見上げてきたが、そこに夜の海が合わさるとこうまで違うものなのかと、柄にもなく心を奪われた。

 

 だが、それだけでは終わらない。ロクスレイと同じく夜の海と星空に見惚れていたルミア達が何やら言葉を交わすと、靴と靴下を脱ぎ去って波打ち際へと踏み込んでいく。

 

 銀色の月明かりの下、賑やかしくはしゃぎながら水を掛け合う少女達の姿はいっそ神秘的なものにすら思えた。決して穢してはならない、未来永劫変わらず続くべき優しい世界。かくも尊く美しいものがあったのかとロクスレイは初めて知った心地だ。

 

「いくよぉ、システィ? えいっ!」

 

「もう、やったわねルミアっ! このっ!」

 

「……ん、わたしもやればいい?」

 

「うん、そうそう……って、きゃあああっ!?」

 

「へっ? ちょ、わきゃあぁあぁあ!?」

 

 盛大に巻き上げられる水飛沫に頭からずぶ濡れと化すルミアとシスティーナ。ルミアの方は笑って流しているがシスティーナは加減をしろと説教モードだ。当のリィエルは相も変わらず眠たげな顔だが、心なしかいつもより瞳が輝いている気がする。

 

 気安い三人のじゃれ合いをロクスレイはただただ遠くから見守る。少女達が戯れるこの光景はきっと何物にも代え難い、掛け替えのないもの。悪党が軽々しく触れていいものではない。

 

 一幅の絵画よりも価値があるだろう情景を眺めていると、視界の端に立つ木の根元で人影が動く。目を凝らして見ればグレン=レーダスがボトルを片手に寛いでいた。この風景を肴に飲んでいたところ、ルミア達がやってきたのだろう。

 

 酒を呷るグレンの表情は随分と穏やかだ。ロクスレイと似たような思いを抱いているのは想像に難くない。血に塗れた裏の世界に居てはお目に掛かれない光景だから、感動も一入のはずだ。

 

 そして同じく裏の世界で生きてきたリィエルも、未だ戸惑いながらもルミアとシスティーナと共にいる時間に何かしらの意味を見出しているはず。グレンが望む、普通の幸せの一端を掴みかけている。

 

 何もかもが順風満帆に上手く運んでいると、誰もが疑っていなかった。この時点では。

 

「あーあ、すっかり教師が板についてきちゃって。ちょいと負い目やら何やら抱えてそうだが、そのうち解消しますかねぇ……」

 

 陽だまりに生きる少女達とそれを見守り導く教師の絵。誰一人として欠けてはならないピース。今日に至るまで薄汚れた世界で生きてきた悪党だからこそ分かる。この世界は守られなければならない。

 

 そしてその役目は他ならない、正義の魔法使いが請け負うものだ。悪党に入る余地などない。

 

「なに考えてんだか、オレは……」

 

 下らない妄想を振り払ってロクスレイは護衛任務に徹する。自分の役目はあくまで護衛対象+αの守護。それ以上でも以下でもなければ、余計な感慨など不要。ただ淡々と悪意を悪意で殺すだけだ。

 

 だから、不必要な私情など抱いてはならない。

 

 数瞬の間、瞼を閉じて瞑目。次に目を開いた時には常と変わらぬ皮肉げな笑みが貼り付いていた。

 

 

 ▼

 

 

 翌日、二組は研究所見学のため白金魔導研究所へ赴く。『遠征学修』の目的地である白金魔導研究所は、サイネリア島のほぼ中心に位置する。旅籠から歩いて結構な距離があり、加えて道が悪いのも相俟って研究所に辿り着いた時点で生徒達の大半がくたくただ。

 

 途中、いつも仲良し三人組が言い争うという一悶着が起き、グレンが取り成して収めるということもあったが、一行は無事に目的地に到着して研究所の所長に迎えられた。

 

 バークス=ブラウモン。白金魔導研究所の所長を務める、好好爺然とした初老の男。グレンの微妙に礼儀知らずな態度も鷹揚に流す、魔術を究めんとする魔術師にしてはやけに人格者な性格であった。

 

 バークスは面倒くさがることもなく、将来の帝国を担う魔術師の卵のためと自ら引率役を買って出て、研究所内部を案内すると言う。研究所の所長自らの引率という厚遇にグレンは恐縮、生徒達は興奮を隠せない様子であった。

 

 浮かれる生徒の中、しかしルミアは妙に不安げな表情であった。道中のリィエルとの喧嘩を引き摺っているのもあるが、親切に振る舞うバークスに対して、言い知れぬ胸騒ぎを覚えたのだ。

 

 不安に押し黙るルミア。その小さな肩に背後から手が載せられた。目敏くルミアの変調に気づいたロクスレイだ。

 

「どうしたんですかい、ティンジェル嬢? 元気ないな」

 

「そ、そうかな? 別に普段通りだと思うよ?」

 

 誤魔化そうとするルミアだが、あからさますぎる。不意打ち気味に声を掛けられたのもあって挙動が不審だ。

 

「もしかして、さっきのレイフォード嬢のことですかい?」

 

 その話題を持ち出せば途端に表情が曇る。昨夜までは三人で旅籠を抜け出して遊ぶほどに仲が良かったのに、ここにきて突然の仲違いだ。ロクスレイとしても実情の把握はしておきたかった。

 

「……私もよく分からないの。先生との間に何かあったらしいんだけど、今は聞かないでほしいって言われちゃったし」

 

「グレン先生が、ね……」

 

 何やってんだ金欠講師、とばかりにグレンの背を見る。魔導師時代から依存度が天元突破しているリィエルがグレンの言葉すら聞こうとしない態度。余程のことがない限りああはならないだろう。

 

 そのあたりは追々調べていくとして、ルミアの不安は恐らくそれだけではない。その証拠に彼女の視線が向いているのはグレンと話し込むバークスだ。

 

 一見して親切で人格者、研究所の制服を着ていなかったらそこいらの穏やかな老人にも見えなくないバークスであるが、齢十という幼い時分から血腥い世界を渡り歩いていたロクスレイには分かる。あれは演技だと。

 

 ある種の嗅覚とでも言うべきか。グレン以上に長い期間、濃密な地獄を潜り抜けてきたロクスレイに培われた勘。相手が堅気の人間かそうでない外道か、その判別がある程度の精度でできるようになっていた。

 

 その勘が訴えている。バークス=ブラウモンは真っ黒であると。今まで狩ってきた外道と変わらぬ、無辜の民を傷つける外道魔術師であると警鐘が鳴っていた。

 

 根拠も何もない勘であるが、自身の能力に自負を抱いているロクスレイは警戒を怠らない。無論、バークス本人に気取られないよう細心の注意を払った上である。

 

 ついでにルミアへのフォローも忘れない。

 

「オレでよければエスコートしましょうか?」

 

「え?」

 

「まあ、オレも研究所内部の構造は知らないんで、お供よろしくついてまわるだけですけど。どうですかい?」

 

 バークスが何か仕掛けてくるとも限らない。研究所内部にいる間はなるべく護衛対象の側に控えておくのが得策だろう。それでルミアの不安も紛れるなら一石二鳥だ。

 

 突然の申し出にルミアはしばし目を瞬かせ、くすりと笑みを零す。

 

「じゃあ、お願いしよかっな。私、とってもやんちゃみたいだからさ。ふらふらと何処かへ行っちゃわないか心配してたんだ」

 

「そいつは困ったもんだ……」

 

 ロクスレイは苦笑いを一つ零すと、さりげなくバークスの視線を遮るようにルミアの側に立つ。一瞬、氷のように冷たい眼差しとなったバークスを睨み付けて。

 

 

 ▼

 

 

 バークスの案内による研究所見学は恙無く進行した。

 

 白金術、白魔術と錬金術の複合術が扱う扱う分野は生命そのもの。必然、幾つもある研究室の研究内容は生命に関連したものばかり。薬草の品種改良、鉱物生命体の開発、生物の肉体構造の研究、複数の動植物を掛け合わす合成獣(キメラ)の生成、遺伝情報や魂情報の解析など。多岐に渡る高度な研究内容に生徒達は釘付けであった。

 

 案内の途中にシスティーナが思わず洩らした話を切っ掛けに、『Project:Revive Life』という死者の蘇生・復活に関する研究の話題が引き合いに出て、グレンが不自然なタイミングで割って入るなどといったことはあったものの、襲撃の類もなく研究所見学は平穏に終わりを迎えた。

 

 研究所見学が終われば始まるのは自由時間。と言っても時刻は夕方、今から思う存分遊び尽くしてやるなどと息巻く生徒は居らず、大半は町へ食事を取りに向かい、疲れた者は部屋へ休憩に戻る。

 

 銘々がそれぞれに行動を開始する中、相も変わらずぽつねんと一人立ち尽くしていたリィエル。そんな彼女に意を決してルミアが誘いを掛けるも素気無く拒絶、見かねたグレンが間に入れば癇癪を起こして何処かへ走り去る始末。本格的に護衛の任務を放棄している。

 

 取り残されるルミアとシスティーナ、そしてグレン。彼らは一言二言言葉を交わすと別れて行動する。グレンはリィエルを追いかけ、システィーナは夕食用の軽食を買いに観光街へ、リィエルが帰ってきた時のためにルミアは旅籠で待機だ。

 

 バラバラに動き始めるルミア達。優しく温かい世界に小さな亀裂が入る音が聞こえる。そんなものは気のせいだと言い聞かせつつ、ロクスレイは最優先護衛対象であるルミアについていった。

 

 

 ▼

 

 

 旅籠の部屋に戻ったルミアは一人、ソファーに腰掛けながら憂鬱に溜め息を吐いていた。

 

 どこかへ逃げてしまったリィエルはグレンが追い、システィーナは自分達が食べる用の軽食を買いに観光街へ行った。クラスメイト達から食事のお誘いを受けたが、リィエルを抜きに参加しようとも思えず、システィーナには悪いと思ったが遠慮した。

 

「リィエル……」

 

 唐突に態度が豹変してしまった少女、リィエル。グレンが何か地雷を踏んで精神的に不安定になってしまったがための状態だと言うが、果たしてそれだけなのだろうか。今日までの振る舞いは全て嘘で、他人を拒絶する在り方が本当の姿だったのかもしれない。

 

 元より自分達とリィエルでは住む世界が違う。日向の明るい世界と日陰の暗い世界。両世界が交わることは難しいだろう。

 

 だから決して分かり合えない。気持ちを共有など、最初から不可能だったのかもしれない。

 

「ううん、そんなことない。昨日のリィエルの言葉はきっと本音だった」

 

 三人一緒に夜の海と星空を眺め、語らい、遊んだ記憶に嘘偽りはない。それはきっとリィエルも同じ。友達であることを嫌じゃないと言った、あれは間違いなくリィエルの本音だ。

 

 だから、今日の変わりようには何かしらの理由があるはず。きちんと向かい合って、話し合って、何が悪かったかを伝え合い、最後に謝り合えばきっと元に戻れる。ルミアはそう信じることにした。

 

「リィエルが戻ってきたら、何から話そうかな」

 

 幾分か表情を明るくしてルミアは友人の帰りを待つ。

 

 どんな顔で迎えて、どんな言葉を掛けるか思考に耽っていると、不意に物々しい物音が響く。何かが壊れるようなけたたましい音だ。

 

 音の発生源は部屋の奥にあるバルコニー。何事かとそちらに目を向け、ルミアは驚愕に硬直する。

 

「えっ……リィエル?」

 

 バルコニーへと続く扉の残骸を踏み砕き、室内に入ってきた見慣れた小柄な人影。無茶苦茶な入室の仕方をしてくれたのは待ち人であるリィエルだった。

 

 だが様子がおかしい。普段から人形めいたところはあったが、今の彼女は人間味の欠片も感じられない。ありとあらゆる要素を削ぎ落とした壊れかけの人形のようであった。

 

「どうしたの、リィエル……っ!?」

 

 心配になって歩み寄ろうとしたルミアは、しかしリィエルの状態を認識して絶句する。

 

 血塗れだった。頬や手、服や何故か手に持っている大剣も。何もかもが、べっとりと血に濡れている。

 

 それが誰の血であるかは想像に難くない。リィエルを追いかけたのはグレンだ。つまり、そういうことなのだろう。

 

 だが認められない。あのリィエルが、いくら精神的に不安定だからといってグレンを襲うなんて信じられない。信じたくない。

 

「リィエル……あなた、一体、何を……?」

 

 どうしようもなく恐怖に震える唇を無理やり動かして問う。お願いだから、違うと言ってほしかった。悪い冗談だと、否定してほしかった。

 

 しかしルミアの願いも虚しく、リィエルはただ一言「ごめん……」と呟くと血の滴る大剣を構える。一足で踏み込み、その切っ先を振り下ろす。

 

「あ……」

 

 ダメだと、悟った。鍛えてもいない一介の魔術学院生に過ぎない自分には躱せない。グレンのように紙一重で避けるなんて芸当は真似できない。

 

(助けて……っ)

 

 呆然と立ち尽くすルミアに凶刃が襲いかかる。もはやどうしようもなかった。

 

 そう、ルミアには──

 

 人一人など容易く殺し得る剛剣がルミアを切り裂かんとした、その刹那、恐怖に立ち竦むルミアの身体が横合いから突き飛ばされる。振り下ろされた刃は何もない空を斬るに終わった。

 

 予想だにしなかった衝撃でソファーに倒れ込むルミアの目に映ったのは、リィエルから庇うように立つ深緑の外套だった。

 

 三年前も、自爆テロの時も、そして魔術競技祭の時も。何時だって何処からともなく現れては自分を助けてくれた人──

 

「顔無しさん……!」

 

 護衛対象を守らんがため、無貌の王(ロビンフッド)がリィエル=レイフォードの前に立ち塞がった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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辛うじて繋がる希望

このままずっと強化大成功二倍が続けばいいと思うの。まあ二倍でもあんまり出ない、要らない時に限って二倍になるとかよくあるけども。この機にロビンさんを100まで上げたいのだ。
あ、ちなみに94までは上限解放しました。100までの道が長い……。


 大剣の一振りによって無残な有様を晒す部屋で二つの人影が対峙していた。

 

 深緑の外套に身を包む無貌の王(ロビンフッド)。ルミアには顔無しと名乗っている男は護衛対象の危機に駆け付け、襲撃者から守らんがため姿を現した。両の手には短剣が二振り握られており、相手の一挙手一投足に神経を尖らせている。

 

 方や壊れかけた人形のように無機物的な無表情を貫くリィエル。とある人物に教唆され、追いかけてきたグレンを手にかけ、ルミアを()()ためにこの場に襲撃をかけた。その手に握られる大剣は血に染まっている。

 

 互いに睨み合い、一触即発の空気を醸し出す二人。今にも戦闘が始まりそうな緊張の中、顔無しは怯えるルミアを背に庇いながら問いを投げかける。

 

「おい、脳筋戦車。オタク、自分が何やってるか分かってんの? 護衛の任務はどうした? その血は誰のもんだ?」

 

「……邪魔。そこを退いて、顔無し。ルミアを連れて行く」

 

 顔無しの問いなど一切取り合わず、リィエルの硝子のような瞳は真っ直ぐにルミアを見据える。彼女を連れ去ること以外にかまけている暇はないと言わんばかりの態度だ。

 

 ならば、とルミアが精一杯気丈な態度を繕って問いかける。

 

「ねえ、リィエル……グレン先生は、どうしたの……?」

 

「……わたしが、殺した」

 

「う、そ……嘘、だよね……リィエル?」

 

「…………」

 

 リィエルは何も答えない。ただ、大量の血に塗れたその格好が全てを物語っている。グレンは間違いなく、リィエルの手で殺されるないし相当な深手を負わされたのだ。

 

 今にも泣き出しそうな顔でルミアはリィエルを見つめる。ちっ、と顔無しがフードの下で小さく舌打ちした。

 

「グレン命だったオタクが一体どういう風の吹き回しだ。なにか? あいつよりイイ男でも現れたワケ?」

 

「……今まではグレンのために生きてきた。でも、今は違う。兄さんが生きていたから、わたしは兄さんのために生きる。兄さんのために戦う」

 

「お兄さん?」

 

 リィエルの語る兄という人物にルミアが反応する。確か自己紹介の時、リィエルの兄は既に亡くなっているという話だった。その兄が生きていて、リィエルに自分の誘拐を頼んだというのか。

 

 もしもリィエルの言葉が全て正しいのであれば、ルミアの身柄を狙う兄とやらはまず間違いなく天の智慧研究会の魔術師となる。それはつまり、顔無しにとって狩るべき敵であるということだ。

 

「はっ、兄貴が生きていたねぇ? で、その兄貴を名乗る輩に唆されてグレンを手に掛け、挙句にお嬢さんを攫うってか。昨日まで仲良くやってた連中をこうもあっさり裏切るとか、見上げた根性してんなぁ、オタク」

 

 容赦ない顔無しの言葉にリィエルの手が微かに震えた。

 

「顔無しさん! なにもそこまで……」

 

「そこまでのことしてんだよ、こいつは」

 

 フードに隠された双眸が目の前の少女を睨み据える。

 

「何もかも台無しにして、裏切ったんだ。お嬢さん達の好意も全部捨ててな」

 

「それは……」

 

 否定しようにも反論の言葉が出ない。顔無しの発言は全て正鵠を射ているからだ。

 

「もういい。これ以上、話すだけ無駄。邪魔するなら斬る」

 

 いつも以上の無表情で大剣を構えるリィエル。応じて顔無しも臨戦態勢を取る。

 

 もはや素人であるルミアには止められない。今のリィエルにはどれだけ言葉を重ねても届かないし、顔無しも狙いがルミアである以上、一切引く気はないだろう。

 

 痛いほどの沈黙が続いた。二人の戦意が最高潮まで高まった瞬間、戦いの火蓋は切られようとして──

 

 ガチャッ、と音を立てて部屋の扉の鍵が解錠され、呑気な声と共に何も知らないシスティーナが入ってくる。ただでさえ背後に護衛対象を庇っている状況での足手纏いの追加。戦闘が始まったというのに顔無しは一瞬、そちらに気を奪われてしまった。

 

 その僅かな隙は致命的だった。

 

 猛烈な唸りを上げて大剣が横薙ぎに振るわれる。一瞬でも気を逸らしてしまった顔無しにその一撃を躱す余裕はなく、両の短剣で防御する他ない。だが、ただでさえ馬鹿力な上に魔術によって強化された膂力の斬撃。まともに受け止めて立っていられるはずもない。

 

 その場に踏み止まること能わず、床と平行に吹き飛ぶ顔無し。破壊された窓から出て、バルコニーの手摺に激突したところでやっと勢いは止まる。

 

「ぐぁ……!?」

 

「えっ? な、なに? なにが起きてるのよ!?」

 

 軽食の詰まった袋を抱えて部屋に戻ってきたシスティーナが見たのは、室内にも構わず大剣を振り回したリィエルと物凄い勢いで吹っ飛んだ外套の男だった。

 

「顔無しさん!?」

 

 血相を変えて顔無しへ駆け寄ろうとするルミア。その行く手を阻むように大剣が振り下ろされる。

 

「大人しく従って。でないと、顔無しも殺す」

 

「リィエル……こんなこと、止めようよ……?」

 

 届かないと分かっていても説得の言葉をかける。しかしリィエルが耳を傾けることはなく、大剣の切っ先が徐に倒れる顔無しに向く。既にグレンを手に掛けている以上、やると言ったらリィエルは本当にやりかねない。

 

「待って、お願いだから待って……分かった、ついて行くよ。だからもうこれ以上、誰も傷つけないで」

 

 顔無しとシスティーナを守るため、もうこれ以上、リィエルに誰かを傷つけさせないため。ルミアはどうしようもなく震えそうになる身体を叱咤し、自ら進んで身柄を差し出した。

 

 抵抗の意思を捨てたルミアにリィエルが無言で歩み寄る。彼女さえ兄の元へ連れ去れたなら他はどうでもよかった。

 

 だが、ルミアが連れ去られるのを良しとしない人物が此処にはいた。

 

「ま、待ちな……さい。る……ルミアから、離れ……なさい……」

 

 顔面蒼白になりながらもシスティーナが左の掌をリィエルに向け、震えを通り越して掠れた声音で制止する。

 

 突然の異常事態、日常が崩壊して非日常の世界に巻き込まれて何一つとして状況を理解していない。それでも、このまま親友であるルミアを目の前で攫われることだけは看過できないと、なけなしの勇気を振り絞って立ち向かう。

 

「ダメ、システィ! 私はいいから逃げて!」

 

「いやよ! か、家族を見捨てるなんて、絶対にしないわ!」

 

 悲痛なルミアの叫びにも取り合わず、システィーナは無謀な勝負に挑む。ここ最近、グレンと早朝の訓練をしていようと敵うはずがない。一、二回修羅場を経験したぐらいで本当の殺し合いでまともに立ち回れるはずがないなんてことはとうの昔に理解している。

 

 リィエルの手で鈍く光る大剣の切っ先が向けられるだけで自分は足が竦んで何もできなくなってしまう。そんなことは分かってる。今でも怖くて怖くて、あれこれと理由をつけて幼子のように頭を抱えて震えていたかった。

 

 でも、できない。自分の前にはルミアがいるから。恐怖を感じても気丈に振る舞い、大切な人のためには命すら張れる強い娘がいるから、もう二度と何もできないまま家族を奪われたくなかったから。

 

 だから、システィーナは踏み切る。大切なものを失いたくないという強い想いに衝き動かされ、自分でも気づかぬうちに陽だまりの世界に致命的な一撃を叩き込んでしまう。

 

 システィーナが震える唇で呪文を唱える。恐怖に竦みながら行使されようとする魔術は非殺傷の魔術。そんなもので異様にタフなリィエルを倒すことなどできるはずはないし、リィエルならば呪文が完成する前に術者を潰すことなど容易いだろう。

 

 しかしリィエルは動かない。律儀にシスティーナの呪文が完成するのを待っている。刑を受け入れる受刑者のように静かに目を閉じ、魔術の脅威に身を晒す。まるで最初から止めるつもりなどなかったかのように──

 

 それに気付けたのは剣を突き付けられて側にいたルミアだけ。彼女だけがリィエルの心境を察せた。

 

「待って! システィ、止めて──!!」

 

 制止の声も遅い。既に魔術は完成され、今日まで築き上げたもの全てを破壊する一撃が魔法陣から解き放たれようとして──

 

 ヒュン! とバルコニーから複数の物体が飛来した。

 

 幾つかは床に散らばっていた扉の残骸であり、魔術を完成させたシスティーナの額を直撃する。意識外からの衝撃にシスティーナは呻き声を上げ、額を押さえて蹲った。放たれようとした魔術は霧散して消えていく。

 

 そして残りの幾つか。それは鈍く光る投擲ナイフであり、容赦なくリィエルを襲う。

 

 システィーナの魔術を受け入れようとしていたリィエルは、即座に意識を切り替えて大剣を一閃。所詮は投擲用の小さなナイフ、直接弾かれなくとも剣圧だけで木の葉の如く吹き飛ぶだろう。だがこのナイフには一つの仕掛けが施されていた。

 

 空中でナイフの軌道が不自然に曲がる。大剣の刃を避け、剣圧に煽られて勢いを削がれながらも対象の元に辿り着く。そして大剣を振るうリィエルの細腕に蛇の如く巻き付いた。

 

「──ッ!? これは、鋼糸(ワイヤー)……ッ!?」

 

 投擲されたナイフには細い鋼糸が付けられていた。それを操って軌道を曲げ、見事リィエルの片腕を絡みとったのだ。

 

 バルコニーの手摺に凭れ掛かりながら立ち上がっていた顔無しが、フードの下で不敵に笑む。手にはリィエルの腕に絡み付く鋼糸の片端が握られている。

 

「ここにきてクソ度胸発揮するのは賞賛しますがね、フィーベル嬢。その勇気はもっと大切な場面にとっておきな」

 

 穏やかな口調で顔無しが諭す。当の本人は額の痛みに涙目で蹲っているためまるで聞こえてなさそうであるが。

 

「それとお嬢さん。オタクがオレを庇ってどうすんのよ。本末転倒してるでしょ。そこは構わずスパッと見捨てて逃げるとこだぜ?」

 

 守られる側が護衛役を庇ってしまっては意味がない。むしろルミアは顔無しのことなど放置して誰よりも先に逃げるべきであった。まあそれこそ彼女の性格からしてあり得ない行為であるが。

 

 物凄く何か言いたげなルミアから視線を切り、顔無しはこの場にいる最後の一人に目を向ける。

 

「そんでもって、待たせたな脳筋戦車」

 

「くっ……離してッ!」

 

 剣を握る腕に絡み付く鋼糸を剥がそうと足掻くリィエル。そうはさせまいと顔無しは鋼糸を引っ張って妨害する。

 

「悪いが、オタクには物申したいことが山ほどあるんでな。取り敢えず、奈落の底まで付き合ってもらうぜ──ッ!!」

 

 顔無しが一切の躊躇なくバルコニーの手摺を飛び越え、夜闇の中へと身を踊らせる。鋼糸で繋がっていたリィエルは僅かに踏ん張るものの、落下する人一人分の体重は支え切れず、後を追うようにバルコニーから身を投げ出された。

 

 後に残されたのは止める間もなかったルミアと、物の見事に出鼻を挫かれ蹲るシスティーナの二人だけだった。

 

 あっという間の展開にルミアはしばし呆然としていたが、ハッと我に返ると焦燥の表情で立ち上がる。向かう先は顔無しとリィエルが消えた下の森だ。

 

 どんな事情があれ、顔無しもリィエルもルミアにとっては大切な人だ。そんな二人が殺し合い、果てには命を落とすなんてことは認められない。必ず止めなければならない。

 

 だが部屋を飛び出そうとしたルミアは親友たるシスティーナの手で止められた。

 

「何処に行くのよ、ルミア?」

 

 脇目も振らずに駆け出したルミアの袖を掴み、不安げに見上げる。何処にも行かないで、とその瞳が如実に語っていた。

 

「二人を止めないと。このまま殺し合うなんて、間違ってるから」

 

「む、無理よ。私達にあの二人を止めるなんて……無理に決まってる」

 

 先の立ち向かって見せた勇気はどこへいったのか。一度冷静になったことで改めて殺し合いの恐ろしさを実感してしまったのだろう。今のシスティーナに、今一度立ち上がって戦う気力はなかった。

 

「そ、それに心配しなくたって大丈夫よ。きっとグレン先生が駆け付けて全部丸く収めてくれるんだから。私達が無茶しなくたって、いいの。だから、ここで一緒に待ちましょ?」

 

「システィ……」

 

 それはグレンの安否を知らないからこそ言えた希望的観測。けれどグレンが助けに来れないだろうことを知っていたルミアは、暗い面持ちで俯向く。その反応に言い知れぬ不安を駆り立てられてシスティーナは訊いた。

 

「ねえ、どうしてそんな顔するのよ? グレン先生がどうかしたの? ねえ……?」

 

 今までの怯えとは違う、また別種の恐怖に取り憑かれてシスティーナがルミアの肩を揺する。システィーナとて馬鹿ではない。脳裏には尋常ではない量の血を浴びたリィエルの姿がリフレインしていて、最悪の想像が浮かんでいた。

 

「……グレン先生は、多分来れない」

 

 曖昧な表現。ルミア自身、グレンの生存を心の底では願っているからこそ明言を避けた。しかしシスティーナにはそれだけで十分伝わったようで、

 

「う、嘘よ……そんな、先生がなんて……悪い冗談だわ……」

 

 ふらふらと後ずさりして、そのまま力なく膝から崩れ落ちる。眦からは止め処なく涙が零れ落ち、頬を伝って床を濡らす。

 

 唯一の望みを絶たれたシスティーナにもはや立ち上がる気力はない。心が完全に屈してしまった。もう先のような振る舞いはできないだろう。

 

 そんな姉妹同然の親友をルミアは決して責めない。むしろ自分を守るために立ち向かってくれたシスティーナに惜しみない感謝を抱いている。怖くて震えていても彼女はルミアのために戦おうとしてくれたのだ。それが堪らなく嬉しかった。

 

「ありがとう、システィ。すっごく嬉しかった。すぐ戻ってくるから、待っててね」

 

「あ……」

 

 力なく座り込むシスティーナを優しく抱き締めてから、ルミアは部屋を駆け足に出て行く。システィーナに背中を止めることはできず、ただただ弱々しく虚空に手を伸ばすだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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無貌の王VS執行者『戦車』

アニメのルミアが予想以上に虐められていて驚き、バークスの屑さ加減に拍車が掛かっていたので路線を少し変更。憎き外道を無貌の王の手で葬ることが決定しました。
……や、服は破られてなかったけど結構悲鳴上げてて、ちょっと許せんかったのよ。まあ大筋には影響ないので、お気になさらず。


 甲高い金属音と凄まじい轟音が響き渡る。無数の火花が散華し、闇に支配された森を照らす。今、森の中では激しい鎬の削り合いが繰り広げられていた。

 

「いいいいやぁああああ──ッ!」

 

 裂帛の気合いと共に身の丈ほどもある大剣を振り回すのはリィエル。四方八方から飛来する矢やらナイフやらを剣圧で吹き飛ばし、直感的に矢の軌道を辿って斬りかかる。

 

 視界の利かない暗闇など歯牙にも掛けない。足場が不安定だろうと地面を踏み砕けばいい。前もって仕掛けられていたらしい罠が行く手を阻むが、それがどうしたと大剣の一振りで全て粉砕する。『戦車』のコードネームに恥じぬ戦いぶりだ。

 

 対して一定の間合いを取るように立ち回る顔無しの胸中は焦燥一色に染められている。

 

 固有魔術(オリジナル)【ノーフェイス・メイキング】で姿を消し、暗闇から矢を射かけナイフを投擲しても当たらない。仕掛けておいたワイヤートラップは悉くが仕掛けごと破壊され、爆弾は大剣を盾にされて効果無し。あれこれと小細工を弄しても真正面から理不尽な力で捩じ伏せられてしまうのだ。顔無しにとっては悪夢に等しい。

 

「くそっ、冗談じゃねえぞ……!?」

 

 元より顔無しにとってリィエルは天敵同然の存在だ。奇策や奇襲、正道とは程遠い卑怯な手口を得手とする顔無しは、反面真っ向からの勝負に滅法弱い。世に謳われる超一流の戦士達には遠く及ばず、甘く見積もって二流がいいところだ。その分の不足を奇策や卑怯な手口で補うのである。

 

 だが生粋の脳筋戦車には顔無しの十八番が通用しない。フェイントやブラフには多少釣られるものの、天性の勘か積み重ねた経験が成せる技か、致命的な過ちは犯さない。小細工も全て力技で撥ね退けてしまう。はっきり言って無茶苦茶だ。

 

 現状、辛うじて戦況が膠着しているのは様々な条件が顔無しに味方しているからだ。時間帯が夜中で月明かりだけが頼りの視界、不慣れな者にとっては足場が不安定な森という地形、そして前日に仕込んでおいた仕掛けの数々。これらの要因が均衡を保っていた。

 

 だがそれも時間の問題。仕掛けた罠は何れ品切れを迎えるし、森という最大のアドバンテージもリィエルの理不尽な暴力によって失われつつある。

 

「──ぅぁあああああ──ッ!」

 

 絶え間なく襲い来る飛び道具を弾き飛ばしながら、余波で地形を均していく。邪魔な樹木はついでとばかりに切り飛ばされ、凸凹とした地形が圧倒的な膂力によって冗談のように捲り上げられる。もはや戦車を通り越して狂戦士の域だ。

 

 遂には地形すらも破壊し始めたリィエルの暴挙に然しもの顔無しも焦りが表層に出始める。広域を覆うタイプの毒霧などが使用可能であったならここまで厳しい戦いを強いられはしなかったのだが、生憎とすぐ側には生徒達が泊まる旅籠がある。周辺被害の問題で使用不可能だ。

 

「だからって、負けてやるつもりは毛頭ねえんだよ……!」

 

 相性最悪の敵だから──それがどうした。今までだって似たような修羅場を幾つも潜り抜けている。この程度の不利、覆せなくて何が無貌の王(ロビンフッド)か。

 

 急激に頭が冴えていく。無貌の王の名にかけて護衛対象に仇なす敵を確実に葬り去る。この手は既に血に染まり切っている故、一切の躊躇いはない。

 

 ここまで間合いを保ち続けた顔無しが一転、闇に紛れてリィエルに突貫する。桁外れの膂力を以って大剣を振り翳す今のリィエルは文字通り嵐そのもの。下手に接近すれば忽ち手痛い一撃を貰う羽目になるだろう。

 

 しかし顔無しに躊躇も怖れもありはしない。冷徹に敵の命を刈り取る森の狩人。その真髄が披露される。

 

 影の如く迫る敵手にリィエルは即応、大気を抉り抜く剛剣が顔無しを襲う。完璧なタイミングで放たれたカウンター。防御すら捨てて突っ込んだ顔無しに防ぐ手立てはない。

 

 あわや無惨な斬殺死体が生まれるかと思われたその瞬間、リィエルの身体ががくりと傾く。踏み込んだ片足が何かによって掬い上げられ、上体が著しく後ろに倒れ込んだ。

 

 驚愕に目を見開くリィエルの足にはまたもや鋼糸。この戦闘が始まってから隙を見て顔無しが地面に偽装して仕掛けた罠だ。

 

 体勢を崩され大剣の軌道がずれる。だがリィエルは傾く上体をそのままに、強引に足を蹴り上げて蹴撃を見舞う。力づくのムーンサルトキックが顔無しの鼻先を掠めた。

 

 空中で身を翻し足に巻き付いた鋼糸を振り解いたリィエルが着地した、そこへ顔無しが果敢に攻め込む。短剣二本による接近戦。あまりにも分が悪い土俵に自ら上る。勿論、勝算なしの無鉄砲ではない。

 

 どこまでいっても顔無しの流儀(スタイル)は邪道一本。先の鋼糸のように搦め手から成り立つ戦法なのだ。その技能がリィエルに牙剥く。

 

 顔無しの背後で音なき強烈な閃光が炸裂する。突撃ざまに後方に残していった閃光玉が発動したのだ。

 

「ぅあっ……!?」

 

 眩い閃光に視界を潰されてリィエルは呻く。だが視覚を奪われた程度で動きは止まらない。持ち前の戦闘勘で肉薄してくる顔無しの気配に合わせて得物を振り被る。

 

「《そこ 爆発するぜ?》」

 

 耳に届いたその言葉が、まさか呪文の詠唱だとはリィエルも思わなかった。

 

 次瞬、何の前触れもなくリィエルの背後で魔力の爆発が巻き起こる。【ノーフェイス・メイキング】と同じ、ロビンフッドだけが使える固有魔術(オリジナル)【繁みの棘】。一定領域内の任意地点に魔力爆発を発生させる奇襲攻撃だ。

 

 詠唱が短く左手を地面に触れさせるだけで発動できる優れもので、敵の意表を突くのにこれ以上になく打ってつけの魔術。天才的な戦闘能力を有するリィエルであっても、視界を潰された状態では対応できない。

 

 爆風に背中を叩かれてリィエルに大きな隙が生まれた。

 

「こいつで終いだァ──ッ!」

 

 一際強く大地を蹴って加速、勢いを上乗せした短剣の切っ先が無防備なリィエルの細首を切り裂かんとして──

 

 ──不意に夜の海で戯れる少女達の情景が脳裏を過ぎった。

 

「──っ」

 

 どうしてこの土壇場でそんな記憶が浮かび上がったのかは分からない。だがその一瞬の空白が、戦いの趨勢を決した。

 

 ずぶり、と生々しい音を立てて肉厚な大剣が顔無しの脇腹を貫いた。

 

「がふっ……ッ!」

 

 脇腹を剣で打ち抜かれながらも顔無しは懐から取り出したナイフを抛つ。リィエルは咄嗟に剣を手放して飛び退るも完全には躱せず、頬に一筋の赤い線が刻まれた。

 

「ぅぐ……ごふっ……」

 

 身体を貫通する大剣が自重で抜け落ち、傷口から止め処なく血が流れ出す。急激に血が抜け落ちていく感覚にふらつき、顔無しは手近な木に背中を預けてずるずると力なく座り込んだ。

 

 間一髪のところで身を捩り即死は避けたものの相応の深手だ。早急な手当てが必要な負傷であり、これ以上の戦闘続行は不可能。顔無しの敗北が決した瞬間であった。

 

 

 ▼

 

 

「よくやったよ、リィエル。さすがは僕の自慢の妹だ」

 

 決着がついたのを見計らって暗闇からローブ姿の青年が歩み出てくる。帝国では珍しいリィエルと同じ青髪で、どことなく目鼻立ちも似ていた。

 

 青年の両腕には金髪の少女ルミアが抱かれている。顔無しとリィエルを止めようと旅籠から出てきたところをこの青年が待ち伏せて気絶させたのだ。

 

「兄さん……」

 

「さあ、行こうか。早くこの娘を連れて一緒に戻ろう、リィエル」

 

 兄の言葉にリィエルが頷き、二人がその場を離れようとする。

 

「……なるほどな、オタクが自称レイフォード嬢の兄貴か」

 

 重傷を負った顔無しが皮肉げに声を上げた。脇腹を手で押さえ激痛に顔を歪めながらも口調に乱れはない。

 

 相手の神経を逆撫でにする響きを含んだ声音に、二人は歩みを止めて振り返る。リィエルの兄らしき青年が微かに不快感を露わにしながら訊く。

 

「何か言いたいことがあるのかな。せめてもの慈悲として、遺言代わりに聞いてあげようか」

 

「遺言ねぇ……なら、冥土の土産代わりに聞かせてもらおうか。オタクら、ほんとに兄妹なワケ?」

 

 前置きも何もなく核心に切り込む。一瞬、リィエルの兄に動揺の色が滲んだ。

 

「当然だろう。僕とリィエルは紛うことなく兄妹だよ。幼い頃から組織に囲われ、救いのない世界で生きてきたんだ」

 

 そこからリィエルの兄は自分達が送ってきた壮絶な過去を語る。

 

 幼い時分に天の智慧研究会に囲われ、兄は魔術の腕を見込まれて魔術師として使われたが、妹には魔術方面の才能がなく、代わりに見出されたのは戦闘能力。組織は兄の命を盾に取る形で妹に『掃除屋』としての仕事を強要した。

 

 兄が魔術研究、妹は殺し屋。互いに互いの命を人質に取られた状況。組織の言いなりになる他、兄妹に生き残る術は残されていなかったのだ。

 

 さも悲劇の主人公にでもなったかのように己が過去を話す青年。同情でも誘いたいのか知れないが、聞いている顔無しの眼差しはただただ冷たい。

 

「そうかい、そうかい。そいつは不幸だったな……とでも同情してやればいいのか?」

 

「別に同情してほしいわけじゃないよ。ただ、そういう事情があるから僕達は止まれない。組織で生き残るためにもね」

 

 それ以外に道はなかった、だから仕方ない。悪事に加担するのも本意ではないからと、冤罪符の如く青年は言う。重い過去を吐露した青年を見る顔無しの目は、やはり冷め切っていた。

 

「三文芝居もここまでいくと笑えてくるな」

 

「どういう意味かな?」

 

「白々しすぎて欠伸が出るっつってんだよ、自称兄。仕方ない? 生き残るため? ……本気でそう思ってるつもり?」

 

「あ、当たり前だろう! 誰が好き好んで組織に貢献すると思う!? あんな外道集団に進んで協力なんて一度も──」

 

「ハッ、どうだかな。オタクからは連中と同じ外道の臭いがプンプンすんだよ。イヤイヤとか言いつつ、実はノリノリで協力しちゃってんじゃねえんですかい?」

 

「──なっ……!?」

 

 冷ややかにせせら嗤う顔無しに青年は言葉を失う。ついでに顔色も失っている。

 

「どうしたぁ? 言葉も出ないってか? ならこっちは遠慮なく言いたいこと言わせてもらうぜ。何せ人生最期の遺言になるかもしれませんし」

 

 人生最期だとか嘯く割に顔無しの口調に翳りはない。むしろ嬉々として畳み掛けていく。

 

「そもそもオタク、レイフォード嬢のことを本気で妹として見てんの? ああ、血の繋がり云々を言ってるんじゃない、意識の問題だ。自覚ないみたいなんで言わせてもらうがな、オタクが脳筋娘を見る目は道具を見るソレだ。大切な妹? 互いに命を握られている? その割にオタク、大切な妹を使い潰す気満々なんじゃねぇの? どのあたりが兄妹なんですかねぇ?」

 

 顔無しは知っている。本当に互いを信頼し、大切に想い合っている姉妹同然の少女達を。血の繋がりこそないが、彼女達は互いを無二の家族と認め合っている。その絆は紛うことなき本物だ。

 

 対して目の前の兄妹はどうだ?

 

 兄の妹を見る目は替えの利く駒を見るようなものであり、妹の方は極度の依存で真実が何一つとして見えていない。いや、心の何処かでは引っ掛かりを覚えているのかもしれないが、現実から目を背けている現状ではどうしようもないだろう。

 

 あまりにも歪な兄妹関係。少し突いてやれば容易く崩れかねない砂上の楼閣。現に顔無しの言葉だけで兄妹の関係はどうしようもなく揺れている。

 

 あと一押し二押しもすれば瓦解するだろう偽りの絆。顔無しは微塵の躊躇いもなく駄目押しを加えようとして、眼前に突きつけられた大剣の切っ先に口を噤む。

 

「それ以上喋るなら……殺す」

 

「……都合が悪くなったら何もかんも捨てる、か。いいぜ、やれるもんならやってみな」

 

 鼻先に凶器を突きつけられながらも顔無しは挑発する。欠片も恐怖など抱いていない、むしろこれでもかとばかりに頬を吊り上げ笑っていた。

 

 静かな睨み合い。顔無しは既に動くことも儘ならない死に体、リィエルはほぼ無傷。誰が見ても圧倒的に追い詰められているのは顔無しだ。

 

 それなのに、どうしてかリィエルは動けない。どうしようもなく手が震えて、尋常ではない量の脂汗が噴き出してくる。ともすれば大剣を手から取り落としてしまいそうだった。

 

「な、に……これ……?」

 

 精神的なものではない、別ベクトルの身体的な異常にリィエルは堪らず膝をつく。眩暈と猛烈な吐き気に襲われそのまま地面に倒れ伏してしまった。

 

「リィエル!? どうしたんだい、リィエ──」

 

 突然倒れたリィエルに駆け寄ろうとする自称兄に、一本のナイフが飛来する。青年は間一髪でそれを避けたものの、怖気付いたのか倒れる妹には近寄らず立ち止まった。

 

「チ、悪運だけは強いみたいだな……」

 

 ナイフを投げ放った手を力なく下ろす顔無し。しかしその手には何時でも投擲できるよう別のナイフが握られている。

 

「さて、どうするよ? 自称兄貴。オタクの大切な妹が毒に侵されて苦しんでるぞ。助けてやらねぇのか?」

 

 毒を盛ったのは脇腹を打ち抜かれたあの時。最後にリィエルの頬を掠めたナイフに毒が塗り込んであり、それがここにきて全身に回ったのだ。

 

「ぅ、あ……苦し、ぃ……」

 

「う……」

 

 苦悶の声を上げる妹を一瞥し、それでも踏み出そうとはしない自称兄。下手に手を出せばあのナイフが飛んでくると分かっているから、兄は妹を助けることができない。

 

 そんな兄の胸中を察してかリィエルが息も絶え絶えに言う。

 

「に、兄さん……わたしは、いいから……逃げ、て……」

 

「……! 分かった。ありがとう、リィエル。助かったよ」

 

 これ幸いとばかりに自称兄は踵を返すと、両腕に気を失ったままのルミアを抱えて森の闇に消えていく。兄妹だ何だと宣っていた癖にいっそ清々しいほどの見限りだ。もはや笑うこともできない。

 

「なにが僕の妹だ……嬉々として逃げやがって、クソったれ……」

 

 呻くリィエルの傍ら、顔無しは忌々しげに悪態をつくのだった。

 

 

 

 




 ロビンのターン! フィールドカード“森”を発動!
 リィエルがカウンターカード発動! “フィールド破壊”!

顔無し「ホームに引きずり込んだらホームを壊された件について」


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真実、彼女が望んでいたこと

フレに玉藻の前、孔明を連れてロビンフッド全力強化。イバラギンに三百万超えが余裕で入る、愉悦!
いやー、さすがロビンさん、マジつええ。この調子なら四百万も夢じゃないですわ。皆さんもロビンさんと一緒に限界トライアル、しよ?


 リィエルの兄を名乗る青年が森を去り、残された顔無しとリィエル。両者共に戦闘行為は不可能、このまま手を打たなければ死を迎えるだろう重傷と重症だ。

 

 毒が回って動くことも儘ならないリィエルは荒く熱っぽい呼吸を繰り返すだけ。解毒剤なんて代物は持ち合わせていない。

 

 対して脇腹を刺し貫かれた顔無しは、青年が去ったと見るや鋼糸(ワイヤー)や持ち合わせの道具を利用して傷口を締め、簡易的ではあるが止血を施す。懐から極彩色の液体が容れられた小瓶を取り出すと、栓を抜いて中身を一息に呷った。

 

「うぇ……いつも思うが、もう少し味を改善できないもんかね……」

 

 筆舌に尽くしがたい味の液体を飲み干したところで顔無しは一息ついた。

 

 顔無しが服用した液体は端的に言えば薬だ。一時的に痛覚を麻痺させる麻酔作用と僅かばかりだが造血作用も備わっている、森に生きる一族が生み出した薬品である。

 

 ただしこれはあくまでその場凌ぎの応急処置。根本的な解決にはなっていない。

 

 顔無しは懐に手を突っ込むと茶色の紙巻(シガレット)らしき物を取り出し、魔術で火を点けると口に咥える。森に生えるハーブや薬草を乾燥させて巻いた代物であり、鎮痛と鎮静を含む一種のアロマテラピー的な効果を齎す。ちなみに市販の煙草(タバコ)と違って身体に有害な物質は含まれていない。

 

 薬の味を紙巻で誤魔化しつつ脇腹の激痛が引くのを待ちながら、顔無しは緩やかに死へと向かうリィエルを見やる。

 

 リィエルの身を蝕む毒は即効性ではないが強力な代物であり、一度回り切れば激しい不調に襲われ、身体の末端から感覚がなくなっていき最終的には身動き一つできないまま息絶える。恐ろしいほどに自身の死を感覚的に味わうことができる猛毒だ。

 

 倒れてからもう数分以上は経過している。既に指先の感覚は抜け落ち猛烈な寒気に身を苛まれている頃だろう。いつもの無表情は苦悶に満ち、瞳の焦点も定まっていない。

 

 そんなリィエルを見下ろし顔無しは皮肉げに笑う。

 

「惨めだな。いや、大好きな兄貴のために死ねるんだから、むしろ本望か……」

 

 リィエルに答える余裕はない。熱に潤んだ瞳を動かすだけで精一杯だ。構わず顔無しは続ける。

 

「道具みたいに使い捨てられて、それでも兄のためになるなら構わないってか。過去に何があったかは知らないが、随分と歪で一方通行な想いもあったもんだ」

 

 あからさまな嘲笑を含んだ言葉に、苦しみ喘ぐリィエルの瞳に敵意が宿る。

 

「な……にを……」

 

「別にぃ? 兄貴一筋のオタクに何を言ったところで届きゃしないんでしょ? だったらもう死んじまいな。後悔も無念もなく、兄貴のために生きて死ねたって想いを抱いたまま野垂れ死んどけ」

 

 一方的にそう吐き捨てて顔無しは黙り込む。紙巻の煙を目一杯に吸い込みながらフードの下で顔を顰める。余裕そうに煽っていたがその実、喋るだけでも傷口に障る状態なのだ。

 

 早急な治療が必要不可欠である。遠からず毒で死に至るリィエルになど構わず、傷の治癒に集中するべきだ。そんなことぐらい分かっているはずなのに、顔無しは未だその場を動こうとしない。

 

 ただ何を言うこともなく倒れ伏すリィエルの姿を見つめていた。

 

 

 ▼

 

 

 意識が朦朧とする。手足の感覚が抜け落ちて、もう指先一つ動かすことすら叶わない。自分の身体が徐々に死へ向かっていくのが手に取るように分かった。

 

 死ぬことは怖くない。だって兄さんのために戦えたから。一度は失ってしまったと思っていた大好きな兄さんのために生きて死ねるのなら、後悔なんて微塵もない。

 

 兄のために生きることだけが、わたしの存在理由。それしかわたしには残されてないのだから。顔無しに何を言われようと関係ない。この命は兄のためだけにある。

 

 だから、この感情も全てまやかしに過ぎない。

 

 身体が寒さに震える。凍土に放り出されたような芯から染み渡る寒気に震えが止まらない。本格的に死が目前に迫っていた。

 

 わたしはその死に身を委ねようとして──

 

「──苺のタルト」

 

 不意に耳朶を叩いた声に意識を繋ぎ止められた。

 

 声の主は木に凭れかかる顔無し。いつもフードのせいで表情は読めないし何を考えているのかも分からない男。時々、仕事の都合で組んだことがある相手で、わたしの邪魔をしたからグレンと同じように殺そうとした。

 

 もう瞳を動かすことさえ億劫であるけど、わたしは発言の意図を問うべく顔無しを見やる。

 

 顔無しは依然と変わらず、フードのせいで何を考えているのかも表情も分からない。そんな彼はわたしの向ける視線になど構わず言葉を紡ぐ。

 

「クラスの連中と過ごした学生生活……授業を受けて、賑やかしく飯食って、魔術の勉強して、偶に暴れてグレンに怒られて……」

 

「なに、を……言って……」

 

 脈絡もなく顔無しの口から語られる魔術学院での日々に戸惑いを覚える。どうしてこのタイミングでそんなものを話すのだろうか。

 

「ここに来てからはクラスの連中に交じってビーチで遊んでたな……ティンジェル嬢とフィーベル嬢に手を引かれて……そーいやオタク、グレンに水着を褒めてもらおうとしてたっけか。気づいてもらえてなかったがな」

 

 …………。

 

「ビーチバレーでは柄にもなく活躍してたな……オタク、案外楽しんでたろ。ウィズダン少年にスパイク取られた時の間抜け顔は傑作だったぜ」

 

 ……………………やめて。

 

「その夜にはティンジェル嬢とフィーベル嬢と一緒に規則破りの夜間外出……」

 

 いや……やめて…………やめて……っ!

 

「三人で見た夜の海はどうだったよ? 綺麗だったか? あの二人と遊んだ時間は楽しかったか?」

 

「うる、さい……やめ、て……!」

 

 耳を塞ぎたい。これ以上は聞きたくなかった。顔無しが今日までの日々を語る度に、その時の光景が浮かび上がってしまう。もやもやとした温かい不思議なものが込み上げてくるから。

 

 違う、こんな感情(もの)は何かの間違い。だってわたしが生きる理由は兄さんだけ、それ以上でも以下でもない。そこに他の要素が介入する余地なんてあるはずがないのに……。

 

 なのに、それになのにどうして──こんなにも辛いの? 苦しいの? 胸が痛いの?

 

 次から次へと脳裏を過る記憶(思い出)。呆れ顔でグレンが頭を撫でてくれて、怒り顏のシスティーナにあれこれと説教されて、優しい笑顔でルミアが知らない初めてを沢山教えてくれた。クラスの皆と過ごした賑やかでいて温かな日々が瞼の裏で甦って、それに伴ってあのもやもやとした感情が膨れ上がる。

 

「いや……だ……」

 

 わたしには兄さん以外、生きる理由も、生きる目的も、生きる資格さえなかったはずなのに。ここで死ぬことになっても、兄さんのためなら後悔なんて微塵もなかったはずなのに。どうして──

 

 ──こんなにも涙が溢れてくるの?

 

「楽しかったんだろ?」

 

 呆れたような声音で顔無しが告げる。

 

「お嬢さん達と過ごす日々が……陽だまりの世界が温かくて優しくて、楽しかったんでしょ。そんなこと、言われなくとも分かってたはずでしょうが……」

 

「たの、し……かった……?」

 

 わたしは楽しかったの? 皆と一緒に過ごす日々が楽しかった……そうなの?

 

 ああ、でもそうなら、この涙にも得心がいく。

 

 わたしはあの二人と一緒にいることが楽しくて、嬉しかったんだ。クラスの賑やかで温かな空気がくすぐったくて、心地よかったんだ。

 

 ずっと血腥い裏の世界で生きてきたわたしにとって、陽だまりのように優しく温かいあの場所は、掛け替えのないものになっていたんだ。

 

 死の淵に立たされてようやく自覚するなんて遅すぎるにもほどがある。でも、一度自覚してしまったらもう抑えられなかった。

 

「死に、たく……ない……」

 

 兄さんのためなら後悔なんてなかったはずなのに、今は恐怖が湧き上がってくる。このままここで潰えて、陽だまりの世界が失われてしまうのが堪らなく怖い。

 

 自分で壊してしまったくせに、虫のいい話だって分かってる。もうルミアとシスティーナとは一緒に居られないし、あの世界に戻ることも叶わない。全部わたしが悪いから、当たり前だ。

 

 でも、それでも。叶うのなら、あの二人には一緒に居て欲しい。グレンを奪ったことで笑顔が曇ってしまうのはもう避けようがないけれど、姉妹のような二人がこのまま引き裂かれたまま終わるのだけは嫌だった。

 

「死にたく……ない……!」

 

 もう既に全身の感覚が失われている。身を捩るどころか呂律すら危うくなり、呼吸も怪しくなってきた。それでも、想いだけは萎えない。この想いだけは決して失われはしない。

 

「死の淵に立ってようやく自覚したかよ。ったく、気付くの遅すぎだっつーの……ま、そこで涙を流せるのなら上等だ。賭けるだけの価値はある」

 

 顔無しが何かを言っている。意識が遠退き視界すら霞んできていて何を言っているのかよく分からない。

 

 不意に口に何かを突っ込まれた。抵抗する力もないわたしはなすがまま、何かの液体を嚥下する。舌先の感覚も味覚も欠落しているため味も温度も分からない。

 

「十分もすれば毒が抜ける。感覚も戻るだろうよ。そこからどうするかはオタクの好きにしな」

 

 頭上から降り注ぐ声が離れていく。きっとルミアを取り戻しに行くつもりなのだろう。顔無しはルミアを陰から守る護衛役だ。きっとわたしなんかよりもよっぽど頼りになる人なんだと思う。

 

 でも、待って──

 

「まっ……て……」

 

「…………」

 

「わ……たし、も……いく……」

 

 動かないはずの腕を上げて、殆ど直感で顔無しの足に指先を伸ばす。感覚がないから分からないけど、多分掴めた。現に顔無しの気配が立ち止まっている。

 

「……驚いたな。まだ動けないはずなんですがねぇ……」

 

 離れかけた気配が戻ってくる。

 

「そうだなぁ……オレみたいな悪党よりも、オタク自身が取り戻した方が良いに決まってるわな」

 

 失われた感覚が徐々に戻ってきた。その感覚が頭に載せられた温かい掌の存在を教えてくれる。

 

「十分経ったら起こしてやるよ。それまではゆっくり休みな──」

 

 心地よい感覚に眠気が襲ってくる。逼迫した状況であると分かっているのに、耐え難い睡魔に意識が深い闇に落ちていった。

 

 

 ▼

 

 

「寝たか……」

 

 リィエルの鼻先から薬の染み込んだ布を取り除け、顔無しは一先ず安堵の息を吐いた。

 

 眠りに落ちたリィエルの身体をそっと仰向けに寝かせて自身は手近の樹木に背を預ける。無意識に脇腹を押さえていた手を見て、紙巻を加える口元を歪めた。

 

「ちっ、さすがに傷が深いな……やれて一戦が限度ってところかぁ」

 

 リィエルには解毒薬を飲ませたので命の危険はもうない。体の感覚もじきに戻るだろう。今は精神を休ませるために顔無しが薬を嗅がせて眠っている。

 

 問題は顔無しの方だ。リィエルに止められなければこのままルミアの救出に向かうつもりであったが、正直なところ厳しい状態である。

 

 薬と紙巻のお陰で大分楽になっているとはいえ、放置すれば出血多量で命に関わる重傷に変わりはない。激しい戦闘行為を行えば傷口が開き、止血の意味もなくなるだろう。そうなればあとはジリ貧だ。ルミアを救出するのが先か、顔無しが力尽きるのが先かのチキンレース。賭けにしては分が悪すぎる。

 

 敵は最低でも二人以上。リィエルの兄を名乗る青年と恐らくバークスも敵だ。昼間のルミアを見る目を思えば十中八九間違いない。

 

 対してこちらは顔無し一人だった。リィエルをこちら側に引き込めていなければ、今頃は無謀な戦いに身を投じることになっていただろう。

 

 その点で言えばリィエルの説得が上手くいったのは僥倖であった。執行者として裏の世界で戦ってきたリィエルの実力は折り紙付き。真っ向からの勝負で負けることはそうそうない。精神面にやや不安が残るものの、これ以上にない切り札だ。

 

「弱った女の子を口八丁で丸め込んで引き込むとか、いよいよ悪党の所業だな。我ながら褒められたもんじゃねぇ……」

 

 自嘲げに呟いてぐっすりと眠るリィエルを見下ろす。少しばかり寝苦しそうであるが、次に目が覚めた時には幾分かすっきりしているだろう。

 

「でもまぁ、オレには手折れねぇわな……まだ気づいてないっぽいが、オタクも既に陽だまりの一員なんだよ。そのあたりの自覚はお嬢さん達がさせてくれるだろうから口出ししませんがね……」

 

 血に塗れた日陰で生きてきたからこそ、陽だまりの尊さを知っている。そんな顔無しに陽だまりの世界で花開こうとしていた小さな花を手折るなんて真似ができるはずもなかった。

 

 ふぅ、と煙を燻らせていると、背後から土を踏み締める音が響いた。

 

 一瞬身構えかけた顔無しであるが、覚えのある気配に警戒を緩める。闇夜から姿を現したのは顔無しもよく知る人物であった。

 

「何の用ですかい、爺さん? 生憎と今は仕事中、直接的な手出しは掟に触れちまいますぜ?」

 

 顔無しと同じく深緑の外套を纏った翁、先代無貌の王(ロビンフッド)に態とらしく軽い口調で話しかける。何となく、先代が姿を晒した理由は察していた。

 

 先代が厳かに口を開く。

 

「たった今、グレン=レーダスがアルベルト=フレイザーとシスティーナ=フィーベルの手で蘇生された。しばらくすれば王女奪還のために行動を始めるだろう」

 

「マジかよ……つーか蘇生って、ゴキブリ並みにしぶといなアイツ」

 

 思わず半笑いが洩れる。グレンがそう簡単にリタイアするほど柔な男ではないとは思っていたが、文字通り死の淵から舞い戻ってくるとは予想していなかった。

 

 しかしそうなると勢力図が大幅に変わる。先代の言葉が正しければグレンに加えてアルベルトという帝国宮廷魔導師団のエースが味方になったわけだ。もはや顔無しどころかリィエルの助力も要らないのではないかという豪勢な面子である。

 

「もうオレの出番とかなさそうなんですけど……」

 

 むしろ余計な手出しをすれば事態がややこしくなりかねない。特にグレンとアルベルトはリィエルが未だ敵側の存在だと考えているだろう。そこへリィエルと一緒になって現れたらそれこそ顔無しも寝返ったとか勘違いされかねない。

 

 だからと言ってこの男、じっとルミアが救出されるのを待つつもりなどない。

 

「あの二人とは別行動するとして……金欠講師殿はしばらく動けないはずだ。その間にお嬢さんの救出だけでも済ませとくか」

 

 執行者の中でも屈指の腕を誇っていたグレンと現エースのアルベルトがいるならば、自分達はルミアの救出に集中し、敵勢力の排除はエースタッグに任せられる。無茶無謀な作戦を決行する必要性もない。

 

 しばし顔無しは脳内で今後の算段を立てていたが、無言でじっと見つめてくる先代の視線に気づいて首を傾げる。

 

「どうしたんですかい? 他になんかありましたっけ?」

 

「……その状態で往くつもりか」

 

「そりゃ行きますよ、仕事ですし。護衛対象攫われといて黙ってたらそれこそ無貌の王(ロビンフッド)の名折れっしょ?」

 

「たとえその命尽き果てようともか?」

 

「────」

 

 鋭い指摘に顔無し言葉を失い、先代は厳しい口調で続ける。

 

「薬に頼っている時点でお前の身体は既に限界間近。動くことすら危険な状態であり、一戦でも交えればまず間違いなく失血死する。それが分からないはずもない。その上で往くつもりか?」

 

 圧力すら伴う眼差しを向けられ、顔無しはバツが悪そうに頭を掻く。

 

「……分かってますよ。けどな、こんな事態になったのも全部、私情に流されてドジこいたオレが悪い。自分の不始末の尻拭いを他人に放り投げるワケにはいかないでしょ?」

 

「だから命を懸けるか……」

 

「何か問題あります? ……あぁ、心配せずとも最期の瞬間まで無貌の王は貫きますぜ。後始末も要らねぇですよ。誓約通り、この身はロビンフッドを全うする。それが()を捨てた者の末路だ」

 

 静かに覚悟を表明する顔無し。こんな世界で生きていれば何れ何処かで終わりを迎える。先代の場合は肉体の衰えを迎えるまで生き続けたが、過去の無貌の王全員が天寿を全うできたわけではない。人生半ばで死に絶えた者とて少なからずいる。その中に自分も加えられるだけだ。

 

 顔無しの決意が揺らがないと悟り、先代は嘆息を洩らして踵を返す。元より止まるとは思っていなかった。それでも先代無貌の王(ロビンフッド)として覚悟のほどを問わなければならなかった。

 

 ……いや、違う。そんな理由で掟に触れかねない第三者の前に姿を晒す行為を犯したのではない。本当の理由は──

 

「そうだ、爺さん。一つ言い忘れてたわ」

 

 ふと思い出したと言わんばかりの軽い態度で顔無し──ロクスレイが言う。

 

「ロクに恩返しもせず先に逝っちまう親不孝者で悪ぃな。ありがとな、今まで世話になった。奥方にも伝えといてくださいよ」

 

「……馬鹿者が」

 

 本当の理由は──親として、息子を心配しただけ。ただそれだけだった。

 

 音もなく先代の気配が遠ざかっていく。見ずとも分かる、きっと今の先代の背はこれ以上になく落ち込んでることだろう。情報の伝達だけなら通信の魔導器だけで事足りるのに、わざわざ姿を見せたのがその証左だ。

 

 仕事にはストイックで厳格な先代であるが、同時に息子に対する愛情も深い。顔無しが決死の覚悟を決めたとあれば居ても立っても居られなくなるのも致し方ない。それでも無貌の王(ロビンフッド)として覚悟を決めたとあっては止めるような真似はできなかったが。

 

「まったく、爺さんもお優しいこった……」

 

 多分に呆れを含んだ声音であったが、その表情は隠しきれない喜色に染まっていた。

 

 やがて顔無しはリィエルを起こし、ルミアを救出せんがため行動を開始した。

 

 

 

 

 



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潜入する無貌の王と戦車

ロビンフッドさん100間近でござる。ところで、フォウ君の上限が解放されたわけですが……やっぱりロビンさんからフォウMAXしますよね?


 眠りから完全に覚醒したリィエルを伴って、顔無しは島の中央を目指して駆ける。鬱蒼と茂る樹海も何のその、森に生きる狩人たる顔無しには障害足り得ない。若干リィエルが遅れかけているが、そこは気を配って距離が開けばペースを落とすようにしている。

 

 先導をしながら顔無しはちらと後ろのリィエルの顔色を窺う。まだ毒による負担が抜け切っていないのか少し顔色は悪いが、瞳には確かな活力が宿っていた。

 

 目が覚めてすぐ、リィエルにはグレンの生存を教えた。後々に知って要らぬ動揺を生むくらいなら先に知らせておくべきだろうと判断したのだ。

 

 グレンの生存を知ったリィエルは甚く驚きその生存に心から安堵していたが、決して彼の元へ向かうような真似はしなかった。自分が襲ったという負い目もあるのだろうが、今はルミアの救出が優先事項だと理解していたからだ。

 

 そんなリィエルの反応に改めて彼女が自覚したのだと顔無しは確信し、ルミア救出に同行させることを決意した。

 

 木々の壁をすり抜け、起伏の激しい地形を悠々と踏破していく。アジトの場所には既に目星をつけてある。島に上陸したその日の夜に地形を把握した際、不自然な箇所を見つけていたのだ。恐らくそこにルミアは連れ去られた。

 

 中央部へと進めば進むほどに緑が深く濃くなっていく。僅かに霧すらも出てきていよいよ未開の地染みた雰囲気が漂い始めたところで、ぱったりと樹木の天蓋が尽きた。

 

 二人を出迎えたのは広大な湖。水質は透き通っており良質な水源であることは間違いない。

 

「確かここから南西だったか」

 

 目印にしておいた湖から南西方向に少し進んだ先に不自然な地形がある。ついでに魔術的な工作の跡も残っており、十中八九そこがアジトへの正規の入り口だろう。森の狩人である顔無しだからこそ見破れたのだ。

 

 少しばかり息が上がっているリィエルの休憩も兼ねて岸辺を歩いていく。

 

「先に言っときますがね。オレ達の目的は敵アジトの強襲じゃなくてお嬢さんの奪還だ。いつもみたく考えなしに真っ向から突撃とか、頼むからしてくれるなよ?」

 

「分かってる。敵が居たら無音で倒す」

 

「……マズったな。こりゃ人選ミスったかもしれませんわ」

 

 リィエルという戦力はこれ以上になく大きい。大きいが、大きすぎてちょっと潜入とかに向いていないことを忘れていた。リィエルの得意分野は突撃、破壊、殲滅である。潜入工作とは対極の分野だ。

 

「いいか、脳筋娘。耳の穴かっぽじってよーく聞け。オレ達は今から敵のアジトに潜入するんだよ。潜入では戦闘なんざご法度だ。手当たり次第に敵を無力化する必要もない。ただ粛々とお嬢さんの元まで辿り着き、掻っ攫う。OK?」

 

「分かった、善処する」

 

「善処じゃなくて厳守しろ!」

 

 今更ながら致命的な人選ミスを犯したことに顔無しは頭を抱えて嘆く。思えば無理くり仕事で組まされた時も毎回毎回こんな感じで台無しにされ、いつもてんやわんやの大乱闘になっていた気がする。最終的にはリィエルの大暴走でケリがついていたが、今回ばかりは敵方に人質を取られているのも同然なため無理はできない。

 

「よし、決めた。オタクはオレが指示を出すまで武器を出すな」

 

「…………」

 

「その無言の訴えはやめてくれませんかね」

 

 眠たげな無表情で不服を訴えてくるリィエルを無視し、顔無しは再び樹海に足を踏み込む。湖から十分も走れば目的地たる怪しい場所に辿り着いた。

 

「あそこだな」

 

「あそこ……? わたしには何も見えない」

 

「脳筋のオタクじゃ分からないわな。狙撃魔殿なら気付けそうだが、あちらさんは別ルートで侵入するだろうし」

 

 帝国宮廷魔導師団内でも屈指の能力を誇るアルベルトならばわざわざ魔術的な手段で厳重に隠され、ガチガチに結界などで守られた正規の入り口など使わない。きっと無数にある水路を辿るだのして侵入するはずだ。

 

 しかし顔無しには隠蔽工作も魔術結界も関係ない。その手の魔術は顔無しを阻む障害足り得ない。

 

「じっとしてろよ」

 

 顔無しが深緑の外套を翻しその内側にリィエルを取り込む。完全に密着する必要はなく、被せるだけで十分だ。

 

 困惑顔で小首を傾げるリィエルを他所に呪文を唱える。

 

「《森の精よ・我に祝福を・与え給え》」

 

 固有魔術(オリジナル)【ノーフェイス・メイキング】が発動。外套を身に纏う顔無しと被せられたリィエルの姿が完全に透明化する。今の二人を捉えることは熟練の達人でも困難を極めるだろう。

 

 魔導器である顔の無い王を纏って初めて成立するこの魔術。透明化や強力な気配遮断の他にも認識阻害やら魔術防御などといった効果を発揮するが、その真価は別にある。

 

 透明化や気配遮断よりも数段を上をいく能力──認識透過。魔術や魔法の対象から装着者を外す能力だ。端的に言えば結界などの遮断対象から外れて擦り抜けることができたり、精神干渉系の魔術の対象にならないという力である。

 

【ノーフェイス・メイキング】の前には結界も魔術トラップも用を成さない。ただし攻性呪文(アサルト・スペル)の類は例外である。あれは発動して届くまでの間に物理的な攻撃となってしまっているため、魔術の対象から外れても意味がないのだ。

 

「そんじゃまあ、行きますか」

 

 無言で頷きを返すリィエルと共に顔無しは堂々と正面から敵陣に乗り込んだ。

 

 

 ▼

 

 

 内部の様相は白金魔導研究所と似通ったもので、通路の両側には水路が走り、そこかしこに樹木や植物が無節操に生え茂っている。光の届かぬ地下でありながらも薄暗い程度に抑えられているのは繁茂するヒカリ苔のおかげだ。

 

「やっぱあの狸爺もクロか」

 

 予想通りとはいえ虫酸が走る。何より、バークスが怪しいと理解していながらルミアを守り切れなかった己の失態に苛立ちが募った。

 顔無しとリィエルは道なりに通路を進んでいく。途中、対侵入者用の魔術トラップが幾つか仕掛けられていたが普通にスルーし、幾つもある扉を慎重に一つずつ検める。

 

 薬品や資材の保管庫、書物や資料を収めた資料室など。今は関係ない部屋からはさっさと引き上げ片っ端から扉を確認していった二人は、やがて一つの部屋に辿り着く。

 

 今までの通路や部屋よりも広い空間。何かの保管庫らしいが足元すら怪しい光源のためにもく見えない。辛うじて認識できるのは無数に並んだ謎の液体に満たされた円筒形のガラス容器だけだ。

 

「これは何……?」

 

 僅かに外套から顔を覗かせてリィエルが疑問の声を上げる。暗闇に目が慣れ始めて円筒ガラスの中に浮かぶものの正体を知った顔無しは、目を見開いて絶句していた。

 

「嘘だろ……冗談じゃねぇぞ、こいつは……!」

 

 円筒ガラスに歩み寄りその表面に手を触れた。距離が近くなったことで中身が見えるようになったリィエルもまた、液体内に浮かぶ常軌を逸したソレに言葉を失う。

 

 円筒ガラス容器内に浮かんでいたのは人間の脳髄だった。

 

 室内にずらりと並ぶ容器全てに、同じように人間の脳髄が一つずつ収められている。まるで動物や虫の標本みたいに、ご丁寧にラベル付けまで施されていた。

 

「『感応増幅者』……『生体発電能力者』……『発火能力者』……こいつら全員異能者だったワケか……」

 

 ラベルに記された内容からこの脳髄達の元が何者であり、如何なる理由をもってこのような姿にされたのかを顔無しは把握した。把握したからこそ、抑えようのない怒りが込み上げてくる。

 

 怒気を滲ませながらも冷静さを保とうとしていた顔無しは、しかし部屋の一番奥に置かれた円筒を見て立ち止まる。

 

 その円筒内には他と違って辛うじて人型を保った少女が吊るされていた。だがそれはあくまで人型を保っていただけであって、四肢は切断され生命維持の全てを魔術によって補われている、無理やりに生かされているだけの状態だった。

 

 見上げる顔無しの視線に気づいて円筒の少女が瞼を震わす。微かに開かれた瞳を支配するのは絶望一色。語らずとも分かる、少女が味わってきた地獄の日々が。

 

 少女の目には何も映っていないはずだ。なにせ今の二人は顔の無い王で透明になっている。視線を感じて瞼を開いたのも殆ど偶然の産物過ぎない。

 

 けれど、少女にとっては何でもよかった。狂ったように笑いながら身体を切り刻むバークス(怪物)でないのなら、願いを告げられる。姿なき者でも構わない、だから──

 

 ──コ、ロ、シ、テ。

 

 それは決して空気を震わせて明確な音として発せられたわけではない。少女の口の動きから読唇術で読み取ったのだ。

 

 延々と繰り返される非人道的な実験と解剖。人を人とも思わぬ所業に少女の心は既に死んでいた。肉体どうこうの問題ではない、とうの昔に精神が磨り潰れていたのだ。

 

「クソったれが……!」

 

 只でさえルミアを誘拐されたことで気が立っていたところへこれだ。仕事云々を抜きに無貌の王(ロビンフッド)として、無辜の民を弄ぶ所業を看過できはしない。

 

 顔無しが怒りに拳を握りしめていた、その時だ。奥に続く通路から聞き慣れた少女の悲鳴が聞こえてきた。

 

「……ッ! ルミアっ!?」

 

「あ、待て脳筋娘ッ!?」

 

 血相を変えて外套を飛び出し通路へと駆け込んでいくリィエルの背を、顔無しは舌打ちしながらも追いかける。円筒ガラスの脳髄達とルミアの苦痛入り混じる悲鳴を聞いて最悪の想像をしてしまったのだろう。

 

 猛スピードで先を往くリィエルに追い縋る。正直、無駄なところで激しく動きたくはないのだが、このままリィエルが敵方のど真ん中に突撃掛けてしまっては潜入の意味がなくなってしまう。是が非でも彼女の暴走を止めなければならない。

 

「このっ……止まれっつの!」

 

 足で追いつくのは無理だと判断し、鋼糸(ワイヤー)付きナイフを投げる。ナイフは狙い過たずリィエル足元の床で跳ね上がり、見事リィエルの足首に絡み付いた。

 

「いい加減止まれや、脳筋娘っ!」

 

「──あうっ……!?」

 

 片足を引っ張り上げられてリィエルがずっこけた。まさか背後から足止めされるとは思っていなかったのか、リィエルにしてはお粗末なことに顔面から着地。鼻頭を押さえながら身体を起こしたリィエルの表情は若干涙目である。

 

「い、痛い……顔無し、酷い」

 

「言うこと聞かずに突っ走るオタクが悪いわ」

 

「武器出してなかった。なのにこの仕打ちは理不尽」

 

「それ以前の問題でしょうが! なにオレが悪いみたいに言ってんの!?」

 

 ガリガリと頭を掻き毟る。もう、ほんとこの子やだ、と頭を抱えたくなった。

 

 だが文句を垂れても始まらない。敵陣中枢はもう目と鼻の先。先の悲鳴も加えればルミアもこの先にいるはずだ。うだうだ抜かして時間を無駄に浪費している場合ではない。

 

「ほれ、もっぺん外套を被れ。それとこの先は声を出すなよ。こいつでも敵意や声までは隠蔽できないんでな」

 

 再度の注意を促して魔術を掛け直す。再び透明化したところで顔無しとリィエルは足並み揃えて通路の先へと歩みを進めた。

 

 歩けば歩くほどに聞こえてくるルミアの悲鳴がはっきりしてくる。逸る気持ちから二人の歩みが自然と早まり、最後の扉が徐々に近づいてきた。

 

「ここだな……」

 

 金属製の扉に張り付いて顔無しは僅かに扉を押し開く。開かれた間隙から二人はそっと部屋の中を窺った。

 

 部屋は何かしらの研究室らしく、中央に描かれた大掛かりな五芒星法陣の中心にルミアが天井から鎖で吊るされ、苦悶の声を上げていた。周囲には複数のモノリス型制御装置が備え付けられ、一際大きいモノリスの前には三つの人影。リィエルの兄を名乗る青年とバークス=ブラウモン、そして使用人の服に身を包むエレノア=シャーレットだ。

 

「くぁ……ぁ……ぅあああ……あッ!?」

 

 苦痛入り混じる声を上げるルミアの格好は酷いものだ。衣服は乱暴に引き裂かれ、露わになった肌には何やらルーンの術式を書き込まれており、それが淡く明滅する度に苦痛を強いられているらしい。年頃の娘が受けるにしては惨い仕打ちである。

 

「ルミア……ッ!?」

 

「落ち着け、脳筋娘」

 

「でも、ルミアが……っ」

 

 今にも飛び出してしまいたい衝動を抱いたリィエルであったが、肩を掴む顔無しが発する凄まじい怒気に落ち着きを取り戻す。

 

 顔無しは無言のまま内部の様子を探りつつ内心で舌打ちする。敵戦力は最低でも二人以上と想定していたが、まさかエレノア=シャーレットがいるとは思ってもいなかった。これでは迂闊に踏み込めない。

 

 先代が取り逃がしたほどの実力者に加え自称兄とバークスの三人を相手に正面勝負を仕掛けるのは無謀。ルミアを盾に取られてしまえばその時点でこちらの敗北が決してしまう。ならば優先すべきはルミアの救出であるのだが、儀式場のど真ん中にいるルミアを気付かれずに掻っ攫うなんて真似はいくらなんでもできない。

 

 となれば必然、選択肢は絞られる。

 

 腹を括った顔無しは歯がゆさから拳を握るリィエルに一つの作戦伝えた。

 

「今からお嬢さんを救出する。作戦は──」

 

 顔無しの提案した作戦内容にリィエルは無表情を僅かに崩すも、それ以外に有効な手立てはないと頷きを返すのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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人形から人間へ

高難易度クエがクリアできぬ。イバラギンのヤクザキック強すぎ。孔明が一発で落ちる悪夢。なぁにこれぇ?



「ぅああ……あぅ……くぅあッ!?」

 

 研究室の中央、謎の五芒星法陣の中心に吊り上げられた体勢でルミアは、全身を駆け巡る苦痛に喘いでいた。

 

 今、ルミアは肌に描き込まれたルーンの術式によって強制的に異能を行使させられている。『Project:Revive Life』という実現不可能とされた儀式を執り行う核として、その身を利用されているのだ。

 

 死者を復活させる魔術儀式。かつて帝国が大々的に立ち上げた一大魔術プロジェクトであるが、死の絶対不可逆性という壁の前に頓挫した代物だ。

 

『感応増幅者』とされているルミアの力があろうと成せる道理はないはずの儀式。しかしどういうわけか儀式は既に大詰めに近く、あとは各種細かな調整を残すだけとなっていた。

 

「ふは、ふははははッ! 成る、成るぞぉッ! ついに私の手で『Project:Revive Life』が成し遂げられる! これで私の実力を組織も認めることだろう!」

 

 抑え切れぬ興奮と高揚にバークスが哄笑する。苦痛に苛まれるルミアにはバークスの様子を気にしている余裕はない。たとえ全身を駆け巡る痛みがなかったとしても、気丈に振る舞えたかは分からないが。

 

 一本通った強い芯を持つルミアであるが、ここに攫われてから青髪の青年に告げられたグレンの死と顔無しとリィエルが共倒れたという残酷な現実に、心が折れかけていた。

 

 実際にその目で確認したわけではなく、あくまで青年からの伝聞だ。嘘だと断じることは簡単だろう。今でも三人の生存を祈る心はある。

 

 けれど、もしも本当にグレンが死んでしまっていたら? 顔無しとリィエルが殺し合い、果てには共倒れてしまっていたら? 最悪の想像は気丈な心を内側から侵食し、ルミアを心身ともに苦しめた。

 

「くぅっ……はぁ、はぁ……先生……」

 

 何だかんだ言いつつも生徒のことを思い、心を砕いてくれるグレン。普段はだらしなかったりしてもいざという時は頼れる彼なら、きっと生き延びているはず。

 

「はぁ、はぁ……リィエル……」

 

 急に態度を豹変させて仲違いしてしまったリィエル。生き別れた兄のためにと敵対してしまった彼女の本心をまだ知らない。何を思い、どんな気持ちでいるのか、何一つとして分かり合えないままお別れなんて絶対に嫌だった。

 

 そして、何より……。

 

「──顔無しさん……」

 

 いつも自分の危機に駆け付けて助けてくれるヒーローみたいな人。きっと顔無しはヒーローだとか言われても否定するだろうけど、ルミアの中で彼の存在はとても大きなものになっていた。顔無しが倒れたと聞かされた時、ショックのあまり涙を零し嗚咽を洩らしかけるほどには、顔無しがルミアの心を占める割合は大きい。

 

 嫌だった。このまま永遠のお別れなんて、絶対に嫌。まだ伝えたいことが沢山あるのだ。だから──

 

「助けて……顔無しさん」

 

 名を呼んだからといって都合よく救世主が現れるはずもない。そんなことは子供ではないのだから分かっていた。でも口にせずにはいられなかったのだ。

 

「ふん。何を期待しているかは知れんが、無駄なことだ。貴様に希望など残っておりはせん。大人しく私の栄華の礎となるがいい」

 

 バークスがルミアの希望を一笑に付そうとした、その時だった。

 

 バンッ! と物音を立てて研究室の扉が乱暴に蹴り開けられる。同時に転がり込んだ人影から放たれる複数の矢弾が、周囲に点在するモノリスを正確無比に撃ち砕く。

 

「なっ、貴様──」

 

「ば、馬鹿な。どうしてここに……っ!?」

 

「おやおや、これは……」

 

 侵入者に対する三者三様の反応。室内にいた全員の視線が部屋に飛び込んだ人影に集中する。鎖に縛られたルミアも、その見慣れた深緑の外套に顔を輝かせた。

 

「顔無しさん……」

 

「ほいほい、顔無しさんですよっと。呼ばれたみたいなんで九園の果てから馳せ参じましたぜ?」

 

 いつもの飄々とした調子で答える顔無しにルミアは途方もない安堵を覚えた。

 

「き、貴様ぁ! 何てことをしてくれたのだ!? あと一歩というところで邪魔をしおってからに……!?」

 

 無粋にもルミアと顔無しのやり取りに水を差そうとしたバークスが、猛烈な殺意に晒されて口を噤む。弓に矢を番えた顔無しが音もなく構えていた。

 

「黙ってろよ、外道が。お嬢さんをこんな目に遭わせやがって、楽に死ねると思うなよ……!」

 

「うっ……この、痴れ者がぁ……!」

 

 狂気すらも捻じ伏せる怒気を差し向けられ、さしものバークスもたじろぐ。代わりに口を挟んだのは青髪の青年だ。

 

「どういうことだ! 君は確かにリィエルの剣で貫かれたはずだ!? あれほどの傷を負って何故動ける!?」

 

「さぁて何のことやら。オタクの見間違い、勘違いなんじゃないですかね? オレはこの通り、ピンピンしてますぜ」

 

 紙巻を咥える口元を皮肉げに歪める顔無し。如何にも余裕そうな態度に青年は狼狽える。リィエルをも下した相手がほぼ万全な状態で敵に回るなど、最悪に等しかった。

 

「お久しぶりですわね、顔無し様。いえ、ここは無貌の王(ロビンフッド)とお呼びしたほうがよろしいでしょうか」

 

 瀟洒な立ち居振る舞いでエレノア=シャーレットが歩み出た。正体を看破された顔無しは僅かに動揺の気配を洩らすものの、すぐに冷静さを取り繕って応じる。

 

「ははあ、こっちの正体はバレてるワケか。やるなぁ、ゾンビ女。ま、オタクらが本腰入れて調べりゃすぐ分かるわな」

 

「あらあら、女性に対してそのような呼び方は褒められませんわ。紳士として、言葉遣いには気をつけるべきですわよ」

 

「おっと、こいつは失礼。生憎と卑賤の身なもんで、礼儀を払う必要もない外道に向ける言葉は心得てねえのさ」

 

「ふふふっ」

 

「はっはっはっ」

 

 エレノアが薄気味悪く微笑を湛え、顔無しが空々しい笑いを零した。

 

 一方、蚊帳の外に追いやられた面々はと言えば、一様に驚きの相を浮かべていた。

 

「ロビンフッドだと? 馬鹿な、あれは市井で流れるただの都市伝説のはず。それが奴だというのか……」

 

「どうしてそんな奴がここにいるんだよ。これじゃあ僕の計画が……」

 

「ロビンフッド……顔無しさんが、あのロビンフッド……」

 

 バークスも青年も突然現れた都市伝説に呑まれて動けない。何処となく顔無しが有利に立っているように見える戦況。しかし殆ど素人同然の研究者達と違ってエレノアは冷静に状況を把握できている。

 

「ロビンフッド様の乱入には驚きましたが、いったい一人で何ができるのでしょうか? 我々は三、そちらは一。まさか戦って勝てるとお思いではないでしょう。それに……」

 

 すん、とエレノアは鼻を利かせて微かに漂う、けれど誤魔化しようのない血臭に笑みを深める。

 

「隠しているおつもりでしょうが、その身体、既に限界が近いのではありませんか? ここまで血の臭いが漂っていますわよ」

 

「えっ……?」

 

 驚きの声を上げたのは舞い降りた希望に胸を高鳴らせていたルミアだった。エレノアの不穏な発言に猛烈な不安を覚え、恐る恐る顔無しに目を向ける。

 

 当の本人は変わらず剽軽な態度で紙巻の煙をゆらりと燻らせる。

 

「……まぁ、ちょいと傷は痛みますがね。それだけだ。オタクら全員、狩り尽くすくらいは余裕でできる。あんま森の狩人舐めてっと、痛い目見るぜ?」

 

 圧倒的に不利な立場であっても不敵な笑みを崩さない。そんな顔無しの態度を訝しんだエレノアであったが、不意に背後で文字通り湧いた気配に目を見開く。

 

「《出でよ赤き獣の王》──ッ!」

 

「させるかよ──ッ」

 

 即座に後方に向けて魔術を放とうとしたエレノアのこめかみを矢が貫く。しかし呪文は既に完成されており、放たれた火球が鎖で吊り上げられるルミアに迫り──

 

「やっ──!」

 

 ──虚空から出現したリィエルの気合一閃で霧散した。

 

 パチパチと舞い散る火の粉を纏いながら登場したリィエルに、ルミアはもはや驚いて言葉も出ない。兄を自称する青年に至っては開いた口が塞がらない状態である。

 

 大剣を振り抜いたリィエルはルミアに向き直ると再び剣を振るう。硬質な金属音を響かせてルミアを吊るし上げていた鎖がバラバラに砕け散った。縛から解放されたルミアは堪らずその場に膝をつく。

 

「リィエル……」

 

 見上げてくるルミアの眼差しから少し目を逸らしつつ、リィエルは己が着ていた魔導師の礼服をルミアに着せる。

 

「ごめん、ルミア。あとで沢山謝るから、今は大人しくしてて」

 

「……うん、分かった。信じるよ」

 

 何の根拠もないけれど、今のリィエルは味方だ。直感的に判断してルミアは少し憔悴の色が交じる微笑みを浮かべた。

 

「……なるほど、まさか伏兵がいたとは思いませんでしたわ。しかもこちらの駒を寝返らせるとは、手癖が悪いですわね」

 

 こめかみに突き刺さった矢を平然と抜き取り、ゆらりと立ち上がるエレノア。先代からその常軌を逸した不死性については聞き及んでいたものの、実際に目の当たりにすると嫌悪感が尽きない。

 

「生憎と怪物狩りはオレの領分じゃないんですけどねぇ……」

 

「あら、酷いですわ。女性を捕まえて怪物呼ばわりなんて」

 

「だったらもうちょい人間らしく振舞ってくれ」

 

 睨み合いながら顔無しは弓を引き、エレノアは左手を構える。やっと空気に慣れてきたバークスも加勢し、二対一という不利な状況での戦いが始まろうとしていた。

 

 

 ▼

 

 

 ルミアを縛鎖から解放したリィエルは自身の兄と対峙していた。

 

 本来の作戦であればリィエルはルミアを連れてこの部屋を脱出、顔無しが足止めに残り、遅れてくるだろうグレンとアルベルトに接触する手筈だった。だがルミアを吊るす鎖を断ち切ろうとしたリィエルの気配にエレノアが気づき、姿を晒してしまったことで作戦は失敗である。

 

 けれどリィエルにとってはむしろ好都合だった。これで兄と今一度話すことができる。ルミアの救出は勿論のことであったが、リィエルにはリィエルでどうしてもやりたいことがあったのだ。

 

「兄さん……」

 

 一歩、リィエルが踏み出す。未だ驚愕から抜け出ていなかった青年が、はっと我に返って取り繕ったような微笑みを浮かべた。

 

「よかった、リィエル。無事だったんだね。なら早くこっちへ戻っておいで。僕と一緒に生きよう」

 

「兄さん、わたし……」

 

「どうしたんだい? 君の居場所はこっちだろう。迷うことなんてないんだよ」

 

 微笑みとともに青年がおいでとばかりに手を広げる。仕草だけなら愛しい妹を待つ兄に見えなくもないが、待ち構えている世界が世界だ。第三者、ルミアからすれば地獄へ誘う悪魔にも見えた。

 

 兄の誘いにリィエルはしばし瞑目する。激しい葛藤に苛まれているのか無表情は辛そうに歪み、口をぎゅっと引き結んでいた。

 

 やがて瞼を開いたリィエルの瞳には強い決意が宿っていた。

 

「兄さん、わたしはそっちに行けない。そこには何もないから」

 

「リィエル……」

 

 来る日も来る日も地獄の日々だった。殺し屋として組織に命じられるがまま大勢の人々を殺し、命を削って戦う。偏に兄の身を守るため、明日を生き抜くため。一心不乱に戦い続けた。そこには生きる意味も価値もない。

 

 けれど短い時間とはいえ陽だまりの世界に入ったことで、リィエルはこの世界にも希望があることを知れた。もう自分には戻る資格はないけれど、陽だまりの優しさと温かさを知ったリィエルは兄以外に何もない空っぽではなくなったのだ。

 

「だから、兄さん……一緒に行こう? 組織から抜け出して、何処か遠くへ。今度は絶対守る……わたし、強くなった。これからももっと強くなって、兄さんを守るから」

 

 それはリィエルなりに考えて辿り着いた結論。ルミアは助けたい、けれど兄と敵対したくない。だからこその終着点。

 

 このまま一緒に組織の手も届かない遠くへと逃げてしまえばいい。追手がきても斬り伏せる。その程度、今のリィエルの実力なら難しくもない。上手くいけば、人並み程度の幸福を掴むことだって夢ではないはずだ。

 

「お願い、兄さん。こっちに来て」

 

 今まで依存し続けて自己を保っていたリィエルが、兄に手を伸ばす。グレンに兄の代わりを求めて依存し、生きていた兄の言葉に従って裏切りを働く少女ではない。そこにいるのは自らの意思で道を決め、覚悟を抱く一人の人間だ。その方向性が若干悲壮的なのを除けば、間違いなく一歩踏み出したと言えよう。

 

 依存から一人で立ち上がり、兄の手を引こうとする妹。手を広げていた兄はしばしショックを受けたように硬直していたが、落胆したように手を下ろした。

 

「はぁ……どうして、こうも思い通りにいかないもんかな」

 

「兄さん……?」

 

 唐突に雰囲気がガラリと変わった兄にリィエルが戸惑いの声を上げる。今までの取り繕ったような穏やな態度は鳴りを潜め、妹を見る目に明らかな失望の色が浮かんだ。

 

「苦労して色々と仕込んだのに、使えないガラクタだな。まあいいさ。『俺』の役に立たないガラクタは用済みだ。何だかあれこれと囀ってたみたいだけど、余計な御世話だよ」

 

「え……あ……に、いさん?」

 

 朧げな記憶の中で優しく微笑みかけてくれた兄とは掛け離れた言葉の数々。目の前の兄の豹変にリィエルは理解が追いつかない。

 

 そんなリィエルの心境になど構わず、青髪の青年は饒舌に少女の心を折りにかかる。

 

「分からないのかい? それも仕方ないか。他ならない俺が記憶に封印を掛けたんだからな。じゃあ折角だから教えてあげるよ。俺はお前の兄ではない。そもそもお前に家族なんてもの、存在しないんだ」

 

「あ……え?」

 

 分からない。兄が何を言っているのかさっぱり理解できない。ただ、続く言葉が自身の根幹を揺らがすものだということは察せた。

 

 青年は怯えるリィエルに物を見るような無感動の視線を向ける。

 

「お前の正体は二年前に執り行われた『Project:Revive Life』、通称『Re=L(リィエル)計画』の産物、ようは魔造人間だ。つまり、お前には兄どころか家族すらこの世には存在しないのさ」

 

「で、でも……じゃあ、この記憶は……」

 

「そんなもの、元となったイルシアのものでしかない。お前自身は何一つとして持っていない、ただの人形なんだよ」

 

「あ、ああ……そんな……わたしは……」

 

 記憶の中で優しく微笑みかけてくれる兄は自分の兄ではなく、そもそもこの身は誰に望まれたわけでもない人形だった。死者蘇生という生命を冒涜する魔術儀式によって産み出された世界最初の成功例。それがリィエルという少女の正体だ。

 

 兄以外に生きる意味も目的も資格もないと思い込んでいた。しかし現実はその兄すらもまやかしだったという残酷な真実に、一人で立ち上がった少女は再び膝を折る。今度こそ、正真正銘の絶望。

 

 虚ろな目でリィエルはへたり込む。希望なんて何処にもなかった。

 

 がくりと項垂れ絶望に打ちひしがれるだけのリィエル。そんな彼女の小さな体を後ろから優しく抱きしめる両腕があった。

 

「違うよ。リィエルは道具なんかじゃない……」

 

「ル、ミア……?」

 

 僅かに顔を上げればすぐそばにルミアがいた。拠り所を失ったリィエルを支えるようにそっと寄り添う。

 

「だってリィエルは私の、私達の大切な友達だもん。作り物なんかじゃない、人形でもない。リィエルは立派な人間だよ……」

 

「ぅあ……でも、わたし……ルミアに酷いことした……システィーナにも……きっと嫌われてる……友達なんて……」

 

「でも助けにきてくれた。システィはちゃんと事情を話せば分かってくれるよ。あの子も、リィエルのことが好きだから。話して、謝って、仲直りすればいいんだよ」

 

「あ、あ……でも……でも……」

 

「リィエル……」

 

 震える体を慈しむように抱きしめる。路頭に迷った幼子をあやし、そして導くようにルミアは言葉を紡いだ。

 

「貴女の居場所はちゃんとあるんだよ」

 

 その言葉がバラバラになりかけたリィエルの心を繋ぎ止めた。

 

 ボロボロと人目も憚らず泣き始めるリィエルと優しく宥めるルミア。上手く纏まった少女達に青年は目論見が外れて舌打つ。あれで心が折れてくれれば敵戦力が減ってくれたというのに、とんだ邪魔が入ったとばかりの態度だ。

 

「まあいい。今からでも調整さえすれば一、二体は人形を完成させられるはずだ。それさえできれば俺の勝ち──」

 

 青年は醜悪な笑みを浮かべて制御用モノリスに向かおうとして、短剣片手に飛びかかってくるロビンフッドの姿に悲鳴を上げた。

 

「ひっ!? うわあぁああ!?」

 

 情けない悲鳴を上げて地面を転がり、間一髪で死を免れる青年。獲物を取り逃がした狩人は硬い床を転がりつつ靴で制動をかけ、丁度少女達を庇う立ち位置で止まった。

 

 ゆらりと立ち上がった顔無しはフードに隠された双眸に明確な怒りを燃やして青年を睨み据える。

 

「どうせロクでもない外道だとは思ってたがな。ハッ、ここまで頭にきたのも久しぶりだ。もうテメェはここで死んどけ。その腐った性根ごと狩り取ってやるからよ……!」

 

「ひぃ!? お、お前達! 早くこいつを何とかしろよ!?」

 

「はぁ、まったく世話が焼けますわね」

 

「言われずとも、私の栄華を邪魔してくれた痴れ者を生かしておいてなどやるものか……!」

 

 顔無しの前に立ちはだかるエレノアとバークス。所々傷を負っているようにも見えるがどれも掠り傷に過ぎない。殆ど万全の状態といっても過言ではない。

 

 対して相対する顔無しは無事とは言い難い。深緑の外套はあちこちが傷だらけのボロボロ、脇腹の傷口が開いたのか足元には赤い水滴が滴り落ちている。誰が見ても劣勢なのが見て取れた。

 

「顔無しさん……!」

 

「顔無し……」

 

 痛々しい立ち姿に少女達が心配の声を上げた。背を向ける顔無しが問題ないとばかりに片手を挙げる。

 

「心配しなさんな、お嬢さん方。まだまだよゆーですから」

 

 常と変わらぬ飄々とした口振りだが、どこか無理を押している感が拭えていない。当然だろう。傷口を締めて薬を飲んでいるとはいえ脇腹に穴が開いているのだ。このまま戦い続ければ遠からず倒れるのは目に見えている。

 

「ふふふっ。その強がり、どこまで続きますでしょうか。見ものですわ」

 

「ふん。貴様のような魔術師の風上にも置けぬ愚昧には勿体ないが、折角の機会だ。私の研究成果の実験台にしてやろう」

 

 エレノアが踊るように左手を振るう。バークスが自らの首筋に何やら注射器を刺す。

 

 術者の命に応じて死した女性の軍勢が湧き上がる。研究者の肉体が薬物の投与によって一回りも二回りも肥大化し、見るに耐えない悍ましい怪物が立ちはだかった。

 

「だから、怪物狩りはオレの領分じゃねぇっつの。やりようがないワケじゃねえですけど……」

 

 やれやれとばかりに顔無しが弓を構えると隣に並び立つ気配。横目に見やれば涙を拭いながらも剣を握るリィエルの姿があった。

 

「わたしも守る……」

 

「……いけるのか?」

 

 力強い頷きを返すリィエル。顔無しがフードの下で不敵に笑みを零す。

 

「上等。オタクがいりゃあ百人力だ。前衛は任せたぜ?」

 

「うん、任せて。必ず守る……」

 

 剣気を昂らせてリィエルが前に出て、矢を番えた顔無しが後方支援に回る。およそ現状考え得る最高の布陣がここに整った。

 

「さてと。そんじゃまあ、いっちょ派手に決めますか──無貌の王、参る」

 

 気負いない覚悟の宣告を皮切りに、戦いの幕が切って落とされた。

 

 

 

 



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祈りの弓、外道達の末路

タイトルからして、はいお待たせしました。アレです、アレですよ! やっと書けましたって感じですわ。

そして私事ですが、ついにロビンフッドが100になりました! いぇい、あとは絆レベルだけだね!


 薄暗い研究室内に死者の呼び声が木霊する。腐り落ちた肉体を引き摺り、生者を死へと誘わんと諸手を上げて襲い来る死人の軍勢が気勢を上げた。

 

 津波と化して押し寄せる腐肉の壁を、大剣の一振りでリィエルが割ってみせる。悍ましい死者の猛迫にも怯まず、一心不乱に剣を振り回す様はまさしく狂戦士。鎧袖一触の勢いで死者の群れを蹴散らす。

 

「いやあぁああああ──ッ!!」

 

 気炎を吐いて剛剣を振るうリィエル。止めるものなどありはしない少女の進撃を、人智を超える雷光と爆熱が横合いから襲う。魔薬(ドラッグ)の服用で一時的に異能力を己が物にしたバークスの攻撃だ。

 

 

「ふははははッ! 素晴らしい、異能だろうと我が手に掛かれば意のままだ!」

 

 迸る稲妻と紅焔が死者の群れを焼き払い、猛烈な勢いでリィエルに迫る。リィエルは大剣を盾に熱風から身を守り、襲い来る稲妻の鞭を類稀な戦闘勘をもって躱す。

 

 吹き荒れる破壊の嵐を斬り伏せ、もはや人間とは思えぬ異形と化したバークスへと突貫を仕掛けようとしたリィエル。その足首が焼け爛れた死者の手に掴まれた。

 

「ふふふっ、捕まえましたわ」

 

「くっ……やっ!」

 

 動きを止めたリィエルに無数の手が伸びる。四方八方から迫り来る死者の手をリィエルは大剣で斬り飛ばしてどうにか応戦するが、掴まれた足から引き摺り倒されて一気に不利へ追い込まれてしまう。

 

「ご安心ください、リィエル様。人形であろうと女性であれば、我々は貴女を歓迎しますから。さあ、おいでませ」

 

 新たな仲間を迎え入れんと女の死体がリィエルを押し潰さんと飛び掛かった。

 

 絶体絶命のピンチ、このまま取り殺されるかという刹那、僅かな間隙を縫って飛来した矢が死者の頭蓋を貫く。一拍遅れて何処からともなく伸びた鋼糸(ワイヤー)がリィエルの腰に巻き付き、死者に飲み込まれかけた体を引っ張り上げた。

 

 危機を脱したリィエルであるが休む暇はない。獲物を目前で逃した死者がしつこく追い縋り、バークスから見境ない異能攻撃が飛んでくる。一人であれば対応仕切れず早々に倒れているだろう。

 

 だが今のリィエルは一人ではない。心強い後方支援が味方にいるのだ。

 

「──顔無し!」

 

「あいよ、任せな!」

 

 声が返ってくるのと同時、連続して弦音が鳴り響く。虚空から放たれた矢の数々が死人を撃ち抜き、指揮を執るエレノアを妨害し、力に酔い痴れるバークスの肉体に突き立つ。

 

 攻撃の手は止まらない。弓による狙撃が止めば次はナイフがエレノアとバークスの急所目掛けて投擲される。恐ろしい精度と容赦ない狙いだ。

 

 エレノアは笑みを絶やすことなく攻撃の数々を往なしていく。対してバークスは矢やナイフが突き刺さろうと御構い無し。異能『再生能力』に傷の治癒を任せて無茶な攻勢を維持し続ける。

 

「どうしたどうしたロビンフッド? 都市伝説に謳われるお前の実力はこの程度のものか? 拍子抜けだぞ!」

 

 己の圧倒的有利を疑わず、驕りに驕るバークスにもはや敵味方の区別もない。研究施設への被害だけ注意して手にした異能力を思うがまま揮う。

 

 燃え盛る火炎が、目を焼く雷撃が、白く凍てつく吹雪が吹き荒ぶ。当然のように死者達を巻き込む攻撃にエレノアは嘆息し、凄まじい猛威を秘める異能力の嵐にさしものリィエルも対策が浮かばなかった。

 

 醜悪に哄笑を上げるバークスの両眼に矢が突き立ったのはその直後である。

 

「ぎぃっ!?」

 

 視界を奪われてバークスが短く呻く。猛威を揮っていた異能力の嵐が制御を失って虚しく霧散した。後に残ったのは凄まじい破壊痕のみである。

 

「くっ……小癪な真似をしよって……!」

 

 両眼から抜き取った矢を苛立ち交じりに半ばで折る。そうこうしているうちに『再生能力』によって視野が回復し、鬱陶しい顔無しの姿を探す。しかしいくら探しても研究室のどこにも奴の影すら見つからない。

 

「やはり姿が見えないというのは厄介ですわね。リィエル様もなかなか腕が立つようですし、攻めきれないですわ」

 

 次から次へと死者を湧かせては操るエレノアが、苦い口調で戦況を読む。

 

 組織で殺し屋として生きていた少女の記憶と肉体を引き継いでいるだけあってリィエルの戦闘能力はズバ抜けている。やや猪突猛進な面が玉に瑕であるが、顔無しがフォローしているので今の所は殆ど問題となっていない。

 

 表では都市伝説、裏の世界では無貌の王(ロビンフッド)として恐れられる顔無しの実力も同様に図抜けたものがある。特に弓矢による弓術。魔術の台頭によって前時代の遺物とされてしまった武器で、ここまで戦える人間をエレノアは知らない。

 

 何より恐ろしいのはこの二人、存外に連携が噛み合っているのだ。リィエルが前衛として暴れ、その陰に隠れて一瞬の隙を逃さず顔無しが狙撃。二対二の戦闘において理想的な連携と言える。

 

 対してエレノアとバークスは連携の一つも取れていない。エレノアがあれこれと策を巡らそうにも、自身の研究成果に酔い痴れているバークスの見境ない破壊によって全て無に帰す。それだけに飽き足らず手駒の死者達を遠慮なく焼き払われる始末だ。連携も何もあったものではない。

 

 これでは二対二ではなく、二対一と一である。

 

「ですが、長期戦に持ち込めば何れはロビンフッド様が潰れるでしょう。それまで時間を稼げば──」

 

 勝てる、そう続けようとしたエレノアは遠くで響いた地鳴りのような音に動きを止めた。

 

「何事だ!?」

 

「……困りましたわね、新たな侵入者ですわ」

 

 遠見の魔術で確認したエレノアが苦々しげに呟く。水路から侵入してきたのは二人。彼女もよく知る、因縁ある相手だ。

 

「帝国宮廷魔導師団特務分室《星》のアルベルト様と帝国魔術学院魔術講師のグレン様。お二人がここを目指していますわ」

 

「次から次へと……ッ!?」

 

「グレンだって? どいつもこいつもどうなってるんだよ!?」

 

 新たな侵入者の情報にバークスと青髪の青年が苛立ちを露わにする。そして外野から見守っていたルミアはグレンの生存にほっと胸を撫で下ろした。

 

 明るい表情のルミアと対照的にエレノア達は苦々しい顔色だ。恨めしげな目つきのエレノアがいつの間にやら姿を現した顔無しを睨む。

 

「最初から本命はアルベルト様とグレン様。ロビンフッド様の狙いは私達の足止め。時間を稼がれていたのは我々の方だったようですわね」

 

 より強力な駒が後詰めに控えていたからこその無謀な戦い。顔無し達の勝利はたった二人でこの場を切り抜けることではなく、頼もしい援軍の到着だったのだ。

 

「ふん、戦争犬と魔術講師が増えたところでなんだという。私の力で捩じ伏せてやる」

 

「…………」

 

 まるで彼我の戦力差を理解していないバークスの発言に、さしものエレノアも頭が痛い。いい加減、この馬鹿にも付き合っていられない。エレノアは本格的に撤退を念頭に置き始めた。

 

 驕るバークスと逃走の機を窺うエレノア。そんな二人に冷水を浴びせるが如く、顔無しが口を開く。

 

「なーんか勘違いしてるみたいなんで訂正しときますがね。オレはあの二人に丸投げするつもりはないですぜ。害獣の処理は狩人の役目だ。()()()()()()()()()()()()()()()

 

「仕込みだと?」

 

 バークスが怪訝に眉を潜めた。顔無しが矢を番えずに緑の弓を構える。

 

「悪ぃな、お嬢さん。ちょいと目を瞑っといてくれ。お嬢さんの目を外道の末路で汚したくないんでね」

 

「顔無しさん……ッ!?」

 

 口調こそいつもと変わらない飄々としたもの。だが纏う空気が違う。今の顔無しからはいつも感じられる温かさがごっそりと抜け落ちていた。

 

「《我が墓標はこの矢の先に・──》」

 

 ここに来て初めて顔無しが呪文らしい呪文を唱え始めた。

 

「《森の恵みよ・圧制者への毒となれ・──》」

 

 朗々とかつ厳かに紡がれる詠唱に呼応するように、顔無しの腕に装着された緑の弓から尋常ならざる気配が立ち上る。顔無しを中心に漂う色濃い緑の空気が研究室を支配する。

 

「何を企んでいるか知らんが、させるか……ッ!?」

 

 異様な雰囲気に本能的な危機を感じたのかバークスが阻止せんと動く。その出鼻を横合いからぶん投げられた大剣が挫いた。リィエルだ。

 

 

「《弔いの木よ・牙を研げ──》」

 

 そして遂に呪文が完成を迎えた。

 

「《祈りの弓(イー・バウ)》──!!」

 

 ここにロビンフッドの神髄が披露される。

 

 振り翳した緑の弓を起点に大量の植物が伸びる。それはイチイの木の枝葉。不浄を溜め込んだ標的目掛け、濁流の如き勢いで急激に成長。異形と化したバークスへと殺到した。

 

「ぬぐぅ!? な、なんだこれはァ──!?」

 

 絡み付く樹木を振り払わんと暴れるバークス。しかしその程度の抵抗で剥がれるほどイチイの木は柔ではない。一度獲物と定めた標的を逃しはしない、狩人の如き狡猾さで怪物を幹の内へと引きずり込む。

 

「ぃぎっ……あがぁ……!?」

 

「これは……!」

 

 あっという間に大樹の内部へと封じられたバークスを見て、珍しくエレノアが動揺の色を浮かべる。魔術の域を超えた超常現象。こんな技をエレノアは知らない。勿論、青髪の青年も、ルミアとリィエルだって初めて見た。

 

「ぐぅ……こんなものでぇ……私を止められるものかぁ……!」

 

 全方向から樹木に押し潰されながらも執念で脱出を試みようとするバークス。それを見逃すほど顔無しは甘くない。

 

「こいつで終いだ。冥界の果てで永劫の責め苦を受け続けな──」

 

 パチンッ! と音高く指を鳴らす。次瞬、バークスの体内に溜め込まれた不浄()が火を点けられた火薬の如く破裂する。

 

「ぎ、ぎゃああぁあぁああ────!?」

 

 聞くに堪えない断末魔の叫びが大樹の内部で爆発。幹の隙間から大量の血飛沫が飛び散り血煙が舞う。後に残ったのは血に染まったイチイの大樹と、バークスの凄惨な末路に絶句する面々だけであった。

 

「ふぅ……さて、次はオタクの番だ。エレノア・シャーレット」

 

 人一人殺しながらも平然としている顔無しに目を向けられ、エレノアは決して敵に回してはならない存在を敵にしてしまったと遅まきながら悟った。

 

 

 ▼

 

 

 顔無しの手によりバークスが死に絶え、形勢が逆転した。戦いが始まってからずっとモノリスに向かっている青髪の青年は戦力にならず、実質的に戦っているのはエレノア一人。如何に人外染みた不死性を有していようと勝ち目があるとは思えない。

 

 紙巻の煙を揺らしながら顔無しが弓に矢を番える。それだけでエレノアは必要以上の警戒を払わざるを得ない。バークスを死に至らしめたあの魔術を受けるのは不味いと、直感が訴えていたのだ。

 

 ジリジリと二人が睨み合いを続けていると、制御型モノリスに向かっていた青年が声を上げた。

 

「できたぞ! これで俺も戦える。さあ、動け俺の人形達!」

 

 青年の声に続いて硝子が砕け散る音が響く。音の発生源を見やれば、五芒星法陣と繋がる三つの水晶中の内二つが割れ砕け、中から人影が姿を現す。どことなく見覚えのあるシルエット。

 

「え……?」

 

 間抜けな声を上げたのはリィエルだった。青髪の青年に付き従う自身と瓜二つの少女達を前に、言葉なく立ち尽くす。

 

「やれ、俺の木偶人形ども! そいつらを始末しろ!」

 

 青年の命令を受けてリィエルの姿をした少女達が大剣を錬成して襲い来る。あまりの光景に忘我していたリィエルは迫る脅威に呆然と立ち竦み──

 

「──リィエルっ!」

 

「────ッ!?」

 

 外野から見守っていたルミアの声に我に返り、即座に大剣を閃かせた。

 

 激突する鋼と鋼。火花を散らし鏡合わせのように鍔迫り合った両者は、しかし流れるような斬撃によって青年側の人形が一瞬で倒れ伏して決着。続く二体目も返す一撃で斬り伏せた。

 

「な、な、な……!?」

 

 数秒と経たず倒れた己の手駒に青年は言葉も出ない。

 

 剣についた血を払い、リィエルは倒れ伏す人形達を見下ろす。難しい理屈は分からないけれど、きっと彼女達も自分と同じもの。いや、様子からして自意識すら与えられなかったのだろう。

 

 こんな外道に利用された哀れな妹達。人の悪意によって生み出された儚い生命の幕が引かれた。

 

「……ごめん。勝手だけど、あなたたちの分まで、わたしが生きるから……」

 

 地に伏す少女達の瞼をそっと閉じて、

 

「……さよなら」

 

 その生命の終わりを確と見届けた。

 

「ば、ば、馬鹿なぁあああ──ッ!?」

 

 青髪の青年が頭を抱えて青ざめる。性能面で言えば全く同じはずの人形が、何故ガラクタを相手に一瞬で倒されてしまうのか。表面的な数値しか見ようとしない青年には理解不能だった。

 

 兄を騙った青年にリィエルは歩み寄る。表情は無表情を通り越して能面のようで、彼女にしては珍しく怒っているようだった。

 

 血塗れの剣を構えつつ歩みを進めるリィエルの肩が背後から掴まれる。短剣を片手に握り締める顔無しだ。

 

「あの屑はオレが狩る。オタクの手を外道の血で汚すまでもねぇ……お嬢さんを頼む」

 

 ぐいっとルミアの方へと背中を押され、リィエルは逆らわず進行方向を変えた。

 

 ルミアの元へと向かうリィエルを見送り、顔無しは無言で青年を睨み据える。此の期に及んで懲りずにモノリスを操作し、残されたもう一体を起動させようとしている青年の背後に立ち、短剣を高々と振り翳した。

 

「テメェもいい加減腹括れ、外道」

 

「ひぃっ!? い、いやだ! やめろ、やめてくれ! 俺はこんなところで死にたくな──」

 

 青年の命乞いが生々しい音に遮られる。心臓に突き立つ刃。誰から見ても即死の致命傷だ。

 

「あ、あ……ぁ……」

 

「感謝しろよ。外道の末路にしちゃあ生易しいもんだ。ほんとはあの爺以上の地獄を見せてやるつもりだったんだがな……」

 

 突き立てた刃を勢いよく引き抜く顔無し。紙巻を咥える口元が痛みを堪えるように歪んでいた。

 

 胸から血を噴き出しながら青年が崩れ落ちる。譫言のように何かを呟きながら、呆気ない最期を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




詠唱をどうするか迷い、fgoの台詞とextraの台詞を合わせました。こんな感じでいかがでしょう?


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黄泉路からの帰還

リィエルの扱いに難儀している今日この頃。ヒロイン増やすとか器用な真似ができるほど文才のない自分にとっては難しい話です。やっぱりこのままイバラギン枠……?



 物言わぬ骸と化した外道を冷ややかに見下ろし、顔無しは研究室内を見渡す。部屋の隅にはルミアと彼女を守るようにリィエルがいる。それ以外の人影は見当たらない。どうやらエレノアは隙を見て逃走したらしい。

 

「いや、見逃されたのはオレの方ですかねぇ……」

 

 皮肉げに口元を歪めて顔無しが呟くのと、物凄い勢いで入り口からグレンが飛び込んできたのは同時だった。一瞬遅れてアルベルトも研究室内に踏み込む。

 

 グレンはルミアを見つけると一目散に駆け寄り、側にいたリィエルに気づいて歩みを止める。殺そうとした側と殺されかけた側の邂逅。非常に気不味い空気が漂うも、ルミアがさり気なくリィエルの背を押したことで禍根なく終わりそうだった。

 

 涙ながらにリィエルが頭を下げ、そんなリィエルの後頭部に手刀を落としつつも仕方ないと笑うグレンの姿を見届け、丸く収まりそうだと顔無しは吐息を洩らす。直後、ぐらりと視界が歪んだ。

 

「ぐっ……まいったね……もうちょい、いけると思ったんだが……」

 

 紙巻が千切れるほどに歯を食いしばり、ふらふらと覚束ない足取りで部屋の中央へと歩みを進める。血に塗れたイチイの大樹に辿り着くと力なく凭れかかった。

 

 イチイの大樹に背中を預け、ずるずると座り込む。心はエレノアを追跡して追い打ちを掛けたい思いであったが、肉体の方が限界を迎えた。分かっていたことではあるが血を流しすぎたのだ。

 

 徐々に意識が遠退いていく。視界がぼんやりと霞み、どうしようもなく瞼が重い。

 

 完全に視界が閉ざされ、真っ暗闇に覆われた世界。意識が完全に途切れる直前、聞き慣れた少女の声が耳に届く。

 

「──ロクスレイ君っ……!」

 

 ──あぁ、やっぱバレてたのか……。

 

 いったい何時、どの段階で気づかれたのかは知れない。けれど無貌の王の癖に身バレしていたなんて、ロビンフッドとして情けないにもほどがある。まったく、どこが仕事は一人前なのか……。

 

 だが最期の瞬間を誰かに看取ってもらえるのは、悪党には勿体無いくらいに上等な末路だ。

 

 顔無し──ロクスレイはその幸福を噛み締めながら短い一生に幕を閉じた。

 

 

 ▼

 

 

「──顔無しさん!?」

 

 グレンとリィエルの和解も無事に終わり、これにて万事解決と相成ろうとしたその時、ルミアの悲鳴にも似た声が研究室内に響いた。

 

 血相を変えたルミアが部屋の中央、イチイの大樹へと駆け寄る。室内にいた者達の視線が否応なくルミアへと集まり、彼女が目指す先に向けられて一様に驚愕の声が上がった。

 

 大樹の根元、力なく座り込む人影が一つ。深緑の外套を纏った男、顔無しだ。

 

「顔無しさん! 返事をしてください! 顔無しさん!?」

 

 駆け寄ったルミアが必死に呼び掛けるも反応はない。

 

「冷たい……それに、こんなに血が流れて……っ」

 

 投げ出された手に触れてその冷たさに驚き、出血している脇腹を確認して瞠目する。こんな重傷で戦っていたなんて到底信じられない、早急に適切な治癒が必要な負傷だ。

 

「──っ! 《天使の施しあれ》──ッ!」

 

 脇腹に手を翳し、ルーン語で呪文を唱える。ルミアの手のひらから淡い光が溢れ出し、傷口に優しく降り注いだ。

 

 白魔【ライフ・アップ】。被術者本人の自己治癒能力を増幅させて傷を癒す法医呪文(ヒーラー・スペル)

 

 学生ながらも白魔術──特に法医呪文(ヒーラー・スペル)を得意とするルミアの白魔の技量は高い。しかし顔無しの傷口は塞がるどころか出血が止まる気配すらなかった。

 

「そんな……どうして……!?」

 

「ルミア……」

 

 暗い面持ちをしたグレンがルミアの肩に手を置く。

 

「白魔【ライフ・アップ】が効かないのは対象者に傷を癒すだけの生命力が残されてないってことだ。顔無しは、もう……」

 

「うそ……そんなこと……」

 

 縋るような目を向けるも、返ってきたのは重々しい否定の無言だった。

 

「いや……嫌だよ。こんなお別れなんて……」

 

 手遅れだと言われてもルミアは構わず魔術を行使し続けた。だってまだ息がある。心臓だって動いているのだ。だから、まだ間に合う──

 一心不乱に魔術を掛け続けるルミアの姿勢を、グレンは痛ましげに見ていることしかできない。

 

 怪我の度合いで言えばグレンの方が酷かった。しかしアルベルトの迅速な応急処置とシスティーナの協力のもと行われた白魔儀【リヴァイヴァー】のおかげで一命を取り留めたのだ。

 

 対して顔無しは怪我の度合いこそまだマシであるが、負傷してからの無理が祟って手の施しようがない域にまで至っていた。【リヴァイヴァー】を施そうにも間に合わない。そもそもここには魔力源足り得る人間がいない。もうどうしようもなかった。

 

 顔無しの呼吸が浅くなっていく。ルミアの治療も虚しく、遂には息が止まってしまう。

 

「待って、待ってよ……」

 

 今にも泣き崩れそうになるのを堪え、性懲りもなくルミアは治癒を続ける。脇腹を貫いたリィエルは顔色を蒼白にして立ち尽くし、掛ける言葉を失っていた。

 

 誰にも手の施しようがないまま、やがて心臓の鼓動までもが無慈悲に止まる。治癒をしていたルミアにはそれが手に取るように分かってしまった。

 

「あ──」

 

 唯一残されていた希望が目の前で途切れてしまった。

 

「ああ──」

 

 か細い嗚咽が洩れ出る。もはや溢れ出す感情を堰き止めることはできなかった。

 

 ボロボロと涙を零してもう動かない顔無しに縋り付き、応えが返ってこないと分かっていながら()()()()

 

「──ロクスレイ君っ……!」

 

 不意に顔無しが纏う深緑の外套が淡く光る。蝋燭の火が散るような燐光を放ち、ややあってから力が霧散するように微風が吹く。その風に煽られ、貌を隠していたフードがぱさりと落ちた。

 

 露わになる顔無しの貌。フードの下から現れた教え子の少年にグレンは目を見開く。

 

「お、おい……嘘だろ、何でお前がここにいるんだよ……っ!」

 

 顔無しの正体を知らなかったグレンは、目の前で取り零してしまった命が自身の抱えるクラスの生徒だと知り、守るべき生徒を失ってしまった絶望に目の前が真っ暗になりそうだった。踏み止まれたのはロクスレイに縋り付くルミアと、隣で自責の念に潰れそうなリィエルの存在があったからだ。

 

「あ、ああ……わたしが、わたしが奪って……わたしのせいで……!」

 

「リィエル! 落ち着け、リィエル!?」

 

 ガタガタと震えながら崩れ落ちるリィエルの身体を支え、グレンはどうするべきか思案して、どうしようもないという残酷な現実に歯嚙みした。

 

 それでもと僅かな望みをかけて頼れる相棒を見上げるも、アルベルトは見当外れの方向を見ており目が合わない。それ以上に、今のアルベルトは何かを警戒するようにその目を鷹の如く鋭く細めていた。

 

「どうしたんだよ、アルベルト……?」

 

「……そこにいるのは誰だ。出てこい」

 

 通路の陰にあたる位置、そこに何者かの気配を感じ取ったアルベルトが警戒も露わに声を張る。左手は既に構えられており、いつでも魔術が発動できるようになっていた。

 

 張り詰めた空気の中、陰から人影が姿を現わす。その出で立ちにグレンは思わず声を上げた。

 

「か、顔無し……!?」

 

「え……?」

 

 ロクスレイに縋り付いていたルミアと床に膝をついていたリィエルが反射的に顔を上げてその人影を見やる。グレンが口にした通り、現れた人影の格好はロクスレイと同じ深緑の外套。顔無しと言ってしまうのも仕方ないだろう。

 

 しかし顔無しと違う点はある。たとえばフードから覗く顔立ち。顔無しと違って性別は勿論のこと、口元を覆う白髭や僅かに見える白髪から老人であることが判別できる。老人が羽織る外套には認識阻害の類の魔術が施されていないのだろう。

 

 その場にいる者達から幽霊を見るかのような目を向けられながら、外套の老人はアルベルトに左手を突きつけられていることも構わず歩みを進める。その進行方向には息絶えたロクスレイと呆然と硬直するルミアがいた。

 

「待て、それ以上近づくな。フードを取って顔を晒せ」

 

「…………」

 

「近づくな、と言ったはずだ」

 

 語気を強めてアルベルトが再度警告した。しかし老人は取り合わず、真っ直ぐ歩み続ける。

 

 警告を無視する老人にアルベルトが無力化用の魔術を行使しようとするが、それをグレンが抑えた。

 

「待てって、アルベルト。もう少し話をしようぜ?」

 

 アルベルトは不服げに片眉を上げてグレンを一瞥し、呆れたように嘆息を洩らして左手を下ろす。代わりにグレンが老人に話しかけた。

 

「なあ、爺さん。あんたはロクスレイの関係者なのか?」

 

「……ロクスレイはわしの息子だ」

 

「……そうか」

 

 ロクスレイの親に当たる人物。それだけでグレンは掛ける言葉を失ってしまう。息子さんをむざむざ死なせてしまったことを謝ったところで、この老人は取り合わないような気がしたからだ。

 

 沈痛な面持ちで俯くグレンの傍らを通り過ぎ、老人は涙を流す金髪の少女の前に立つ。フードから微かに覗く双眸に見下ろされても、ルミアは何も反応できなかった。

 

「君はロクスレイをどう思っている?」

 

「え……?」

 

 唐突に投げかけられた問いにルミアは困惑する。ただでさえ一杯一杯なのに、今そんなことを訊かれたら今度こそ心が千々に切れかねない。

 

 それでも、穏やかな光を湛える老人の瞳に見つめられて、ルミアは胸に詰まる想いを一つ一つ吐露していく。

 

「ロクスレイ君は……私に生きる希望を教えてくれた人です。世界に絶望していた私を助けてくれて……味方がいることを教えてくれました」

 

 出会いは三年前、外道魔術師に攫われた時。母親に捨てられ世界に絶望していたルミアの窮地を仕事とはいえ助け、自覚なく希望を与えてくれた。

 

 そんな彼が護衛としてルミアの側に現れたのはつい最近。天の智慧研究会の誘拐からルミアを救い、魔術競技祭では親娘の絆修復にも尽力してくれた。

 

「困った時、苦しい時、不安な時……ロクスレイ君はさりげなく手を差し伸べてくれた……自分は関係ないみたいな顔をして、飄々としていて……」

 

 いつもいつも人の輪の端から見守ってくれていた。陽だまりに触れるか触れないかの瀬戸際、日向から誰かが落ちてこないように日陰から支えてくれていたのだ。本人はきっと全力で否定するだろうが、それもまた彼らしいと言える。

 

 ああ、そんな彼のことが──

 

「──好きだった……お慕い申し上げていました……大切な人になっていたんです……!」

 

 心の底に秘めていた想い。いつか伝えようとして、伝えられぬまま想い人はこの世を去ってしまった。それが堪らなく辛くて、胸が張り裂けそうだった。

 

 ズキズキと痛む胸の奥を抑えて嗚咽を零すルミア。そんな少女に老人は目元の皺を緩めて微笑んだ。

 

「まったく、こんなにも健気に想ってくれるお嬢さんを残して逝くなど、度し難い馬鹿者だ……」

 

 老人はしゃがみ込むと泣き腫らすルミアと目線を合わせる。

 

「もし、君がよければ愚息を連れ戻す手伝いをしてくれまいか?」

 

「連れ、もどす……?」

 

「そうとも。黄泉路へ旅立った馬鹿息子の首根っこを引っ掴み、引き摺り戻す。君の力があれば可能だ」

 

「ほんとうに……できるのですか?」

 

「勿論だとも」

 

 力強く頷いて老人は懐から短剣を取り出し、両手首を浅く斬り裂いて血を流す。黒魔【ブラッド・キャタライズ】──己の血液を魔術的に処理し、簡易的な魔術触媒を生成する魔術──を唱え、大樹を中心に据えるようになった五芒星法陣を凄まじい勢いで改変していく。

 

「ルミア=ティンジェル。わしに異能を行使してくれ」

 

「……っ! はいっ!」

 

 老人の要請に従ってルミアが自らの意思で異能を発動する。

 

 ルミアの身体が眩く発光し、異能の効果で老人の魔力が一時的に増幅される。肉体の内から溢れ出す圧倒的な熱に衝き動かされ、老人の動きが更に早くなった。

 

 ルミアと老人が奮闘している。そんな彼らの姿に居ても立っても居られなくなり、グレンも身を乗り出す。

 

「おい、爺さん! 法陣の改変方針を端的に教えろ! 時間がないんだろ!?」

 

 がり、と右手首を噛み千切り、グレンもまた黒魔【ブラッド・キャタライズ】を唱えて法陣の書き換えに加勢する。老人がどのような術式をもってロクスレイを蘇らせるのか、恐らく禁忌に近い手口であるのは間違いないだろう。

 

 それでも、こんなところで教え子の命をみすみす失ってしまうくらいなら、賭けてやる……!

 

 何が何でも教え子の命を救ってやると意気込むグレンの横顔をしばし眺め、何を思ったのかアルベルトもナイフで手首を切ると同様に法陣へと向かった。

 

「アルベルト、お前……」

 

「犠牲者を出さずに済むならば、それに越したことはない。それに、この男には問い質すべきことが山ほどある」

 

 淡々と答え、アルベルトは指示を寄越せとばかりに老人をみやる。

 

 グレンとアルベルトの加勢に老人は微かに驚きつつも、手を止めることなく説明を始める。グレンの指摘通り時間がないのは事実なのだ。人体を構成する要素のうちアストラル体とエーテル体がそれぞれ集合無意識と摂理の輪へと還ってしまう前に完成させなければ、今度こそ望みが絶たれてしまう。そのために、二人の加勢の有無は大きかった。

 

「これから執り行うのは『Project:Revive Life』の術式を一部流用し、【リヴァイヴァー】の術式と組み合わせた魔術儀式……名を付けるならば、白魔儀改【リザレクション】とでも呼ぶべきか」

 

「マジかよ……あんた、この短い時間で呪文を改変……いや、作り上げたのか!?」

 

 術式を改変すること自体は難しいものの、できないことではない。現にシスティーナが即興で呪文を改変し、黒魔改【ストーム・ウォール】という魔術を編み出している。

 

 だがただでさえ複雑な白魔儀【リヴァイヴァー】とかつて帝国が匙を投げたほどに難解な『Project:Revive Life』の術式を改変し、剰え組み合わせるなど尋常の業ではない。

 

 唖然とするグレン、表情にこそ出さないがアルベルトも老人の技量に舌を巻いていた。そんな二人の視線を浴びながら、老人は少しばかり皮肉げに髭に覆われた口元を歪める。

 

「馬鹿息子が無茶をしている間ずっと、資料室で術式の仔細を漁っていたからこそできたことだ。褒められるようなものでもない」

 

 そこから老人は二人に法陣の書き換え方針を口頭で教えつつ、大急ぎで儀式の準備を進めた。

 

 グレンとアルベルトもルミアの異能による後押しを受け、法陣の改変自体はあっという間に終わる。その間、リィエルは老人の指示で不要な小型モノリスの撤去と移動に従事した。

 

 数分と掛からず法陣の書き換えは終わり、老人は大型制御モノリスに向かう。鬼気迫る勢いでモノリスを操作し、術式の起動シークエンスへと移る。

 

「これで最後だ。お嬢さん、あの法陣内で異能を行使してほしい。少しばかり苦痛が走るかもしれぬが、耐えてくれ」

 

「はい、分かりました」

 

 五芒星法陣と繋がるやや小さな魔法陣の中央に立ち、ルミアは静かに胸の前で手を組み合わせた。正面には大樹の根元に座り込んで眠るロクスレイの姿がある。

 

「お願い、ロクスレイ君……戻ってきてっ」

 

 溢れ出す想いを胸にルミアは今日何度目かも分からない異能力の解放をした。

 

 

 ▼

 

 

 改変された五芒星法陣がルミアの異能力を核に起動する。

 

 それは『Project:Revive Life』とはまた違う、黄泉路へと足を踏み込んだ者を連れ戻す魔術儀式。白魔儀改【リザレクション】と命名された、たった一人の少年を蘇らせるための魔術だ。

 

 眩い金色の光が法陣から立ち昇る。光はまるで風に踊る花弁のように舞い上がり、イチイの大樹を彩った。

 

 薄暗い研究室内とは思えない幻想的な光景にグレンとリィエル、アルベルトでさえ言葉が出なかった。それほどまでにこの光景は神秘的で、比喩抜きで黄泉路やら冥界への扉が開いているのかと錯覚してしまいそうなのだ。

 

 大いなる魔力の波動にイチイの大樹が揺れ動く。ゆらりゆらりと舞い落ちる木の葉と舞い上がる光の花びらの中で眠るロクスレイは、一向に目覚める気配がない。

 

 失敗してしまったのか、間に合わなかったのか。そんな絶望が頭を擡げかけ、しかしルミアは気丈に真っ直ぐロクスレイの姿を見守る。全身には異能の過剰行使による痛みが走っているけれど、その程度なんてことはない。喚くこともなく、一心不乱にロクスレイの帰還を祈り続けた。

 

 不意に一際強く魔力の波動が波打つ。光の花びらが物凄い勢いで吹き荒れ、ざわざわと梢の音が鳴り響く。ルミアは思わず目を閉じ、魔法陣から押し出されないように踏ん張った。

 

 数秒ほどが経って今度は耳が痛いほどの静寂。恐る恐る瞼を開いたルミアの視界に映ったのは、光を失った五芒星法陣と変わらず聳え立つ大樹、そしてやはり目を覚まさないロクスレイの姿だった。

 

「ロクスレイ君……」

 

 外野で見守っていた誰もが諦めかけた、その時だった。

 

 微かにロクスレイの瞼が震え、無造作に投げ出された手が動いた。

 

 ゆっくりと重い瞼が開かれる。永劫の眠りから辛うじて目を覚ましたロクスレイは、今一つ意識がはっきりしていないのか茫洋とした様子で周囲を見回す。

 

 そんなロクスレイにルミアは無言で歩み寄る。歩みはすぐに駆け足に変わり、未だ状況を理解していないロクスレイに体当たり気味に抱きついた。

 

 突然抱きつかれたロクスレイは目を白黒させるも、人目も憚らず大泣きするルミアと離れた位置に立つグレン達を見ておおよその成り行きを把握し、困ったように微苦笑を零しながら震えるルミアの背に手を添えて宥めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 




ちょっと先代がチート染みた感じになってしまいましたが、まあ伊達に歳を取ってないということで納得頂きたい。肉体の衰えがくるまで生き延びたことを思えば、まあいけるのではないかな。


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失った力

これにて第三・四部は終了です。
予告ですが、第五部に入る前にオリジナルの話が入ります。多分、砂糖マシマシな感じになると思いますとだけ予告しておきますね。
それと読者の皆々様、いつも沢山の感想・ご意見をありがとうございます。今後もよろしくお願いします。



 遠征学修の期間中に勃発した『Project:Revive Life』に纏わる騒動は一件落着した。

 

 といっても全てが何事もなく終わったとは言えない。白金魔導研究所所長、バークス=ブラウモンの突然の『失踪』。帝国政府上層部より下った研究所の一時的な稼働停止命令と、島内の在留していた者達への島からの退避命令など。とてもではないが遠征学修を続行できる状況ではなくなり、二組の遠征学修は残念ながら中止と相成った。

 

 帝国宮廷魔導士団から派遣された調査探索隊の調査が行われ、観光客や島の住人がひっきりなしに本土へと帰還する中、旅客船の都合で丸一日暇ができた二組の生徒達はといえば──

 

 

 ▼

 

 

 突き抜けるような蒼穹。燦々と輝く黄金の太陽。焼けた真っ白な砂浜。

 

 耳に心地よい潮騒と寄せては引く煌めく波面。

 

 言わずと知れている、帝国内でも有数の海水浴スポットであるビーチで、先日の焼き直しのように少年少女達が楽しげに笑い合っていた。

 

「まったく、あんなことがあったのに元気なもんだ……」

 

 ビーチバレーで容赦なく殺人スパイクを叩き込み、男子を紙屑のように吹き飛ばすリィエル。ナイスプレーと太陽のような笑顔でシスティーナが抱きつき、ルミアが苦笑いながら加減をするようにと窘めている。

 

 先の一件で溝が生まれかけたリィエルとシスティーナの仲は、ルミアの仲裁と誠心誠意込めたリィエルの謝罪をもって修復された。今では数日前と変わらぬ陽だまりの世界が広がっている。

 

 そんな優しく温かい光景を眩しいものを見るように眺め、ロクスレイは人知れず頬を緩めた。

 

「これが命を懸けてまで守りたかったものか」

 

「さぁて、何のことですかねぇ……」

 

 海辺から離れた木陰に座り込むロクスレイの背後、丁度海辺方面からは死角になる位置に立つ先代が呟いた。

 

 先代の言葉にロクスレイは皮肉げに口元を歪めて続ける。

 

「そもそも、オレみたいな悪党に何かを守るとか、そんな高尚な真似ができるワケないでしょ? オレはただ仕事としてお嬢さんを付け狙う輩を排除し、無辜の民に害を為す外道を無貌の王(ロビンフッド)の矜持に従って狩っただけさ」

 

「本当にそう思っているか?」

 

 鋭く切り込むような問いにロクスレイは返答に詰まる。

 

 今の発言が心からのものであったのならば、ロクスレイの行動には不自然な点が多すぎる。リィエルへの対応がその最たる例だ。

 

 もしもロクスレイが仕事としてルミアの身柄を狙う敵を排除していたのなら、リィエルはとうの昔に亡き者になっている。如何に相性最悪の相手といえ、無貌の王(ロビンフッド)がその殺戮技巧を発揮すれば、生物の枠組みに嵌まるリィエルは嬲り殺されていたはずなのだ。

 

 そうならなかったのは無意識の内にロクスレイが手加減していた、躊躇う気持ちがあったからだ。

 

 ロクスレイは遠い目で陽だまりの世界を見つめる。

 

「あぁ、思ってた。そんな当たり前のこと、分かっていたさ……それなのに、オレは私情に走っちまった。守りたいだとか、分不相応な想いを抱いちまったんでさぁ。その結果がこれだよ……」

 

 手にしていた()()()()()()()()()()()()に視線を落とし、ロクスレイは自嘲げに歪な笑みを浮かべた。

 

 ロクスレイの手にある外套は今まで彼が使っていた外套だ。しかし今は力を失い、ただの外套へと成り下がっている。

 

 いや、厳密に言えば力を失ったのはロクスレイのほう。一度、完全に死を迎えたことで無貌の王(ロビンフッド)の資格を失い、それに伴って外套も魔導器としての効力を失ったのだ。

 

 今のロクスレイは無貌の王(ロビンフッド)でも何でもない、ただのロクスレイなのだ。だからこそ先代は一族の掟に触れることなく、誰でもないロクスレイを救うことができたのだが。

 

「別に後悔なんざしてねぇよ。これはオレが選んだ道だからな……まさか黄泉路から連れ戻されるとは思ってもみませんでしたけど」

 

 微妙な表情を浮かべるロクスレイの視線の先には金髪の少女がいた。

 

「ルミア=ティンジェルか……」

 

 ロクスレイの視線を辿り先代が口調を厳かなものに変える。

 

「分かっているなロクスレイ。あの娘の異能力は『感応増幅』ではない。情報に間違いなければ恐らく王の資格をを持つ者、天の智慧研究会で言うところの『王者の法(アルス・マグナ)』……」

 

「分かってますよ。でなきゃあ『Project:Revive Life』なんて実現できるワケがねぇ……」

 

『Project:Revive Life』が実現不可能とされたのは死の絶対不可逆性の他にも、現代で使われる魔術言語ルーンでは魔術式自体を構築できないという問題をパスできないからであった。だが現実に儀式は成功し、術式を一部流用した白魔儀改【リザレクション】も成功してロクスレイはここにいる。

 

 それはつまり、ルミア=ティンジェルの異能が他者の魔力や魔導回路を強化する感応増幅ではなく、もっと別次元の能力であることの証左。

 

「オレを蘇生させたのはそれを確かめるためでもあったんだろ?」

 

「…………」

 

「沈黙は是なりだぜ、爺さん。ま、建前でもオレみたいな親不孝者を救ってくれたことには感謝してますがね」

 

 果たしてどちらが建前だったのか。ロクスレイは特に追及することもなく、ルミア=ティンジェルの異能について話を続ける。

 

「一族はどうするつもりだ?」

 

「……まだ、分からん。何らかの行動を起こすことは間違いないが、軽率な真似はしないだろう。だが覚悟はしておけ」

 

「ったく……あんな話、それこそ眉唾でしょうが。そんなものにお嬢さんを巻き込むとか……」

 

 続けようとした言葉をロクスレイは飲み下した。

 

「いや、所詮は外様のオレにそのあたりの感覚に文句をつける資格はねえか……」

 

 今でこそ一族の一員と認められ、無貌の王(ロビンフッド)にまで至ったロクスレイであるが、彼の出自は捨て子だ。本当の両親の顔など知らず、先代とその奥方との間に血の繋がりもない。極端な話を言えば元は部外者なのである。

 

 そのためかロクスレイは他の一族の面々との間に考え方の隔たりを感じることがままあった。特に掟に対する厳格さと一族に古くから伝わる言い伝えに対する態度はロクスレイをして限度を超えていると思わざるを得ない。

 

「どの道、資格を失ったオレぁ関係ねぇ話か……」

 

「……わしは往く。護衛の任は続けろ。ただし……」

 

「表には出るな、でしょ? あいあい、分かってますよっと」

 

 無貌の王(ロビンフッド)の資格を失ったロクスレイの扱いは一応一族の一員だ。過去に黄泉路から帰還した前例がないため何とも言えないが、そう扱われるだろう。

 

 一族の人間はそれぞれのやり方で一族に貢献する。ロビンフッドから一族の一人に格下げしたロクスレイの役目は、現状は今までと変わらないものの、あくまで次代の無貌の王が決まるまでの繋ぎだ。

 

 先代の気配が離れていく。ロクスレイは肩越しに先代の背を振り返り、苦々しげに奥歯を噛み締める。

 

「平気なフリしやがって、気づかないとでも思ってんですかね……」

 

 黄泉路からロクスレイを連れ戻した白魔儀改【リザレクション】はノーリスクで行えるような魔術ではない。何人もの無関係な人間の魂を必要とする『Project:Revive Life』の術式を一部とはいえ流用しているのだ。代償は施術者が払わねばならない。

 

 先代は目に見えてどこかを負傷している様子はない。だがロクスレイには一目見ただけで、無貌の王(ロビンフッド)を引退してなお満ち溢れていた生気と覇気が失われていたことを悟った。

 

 恐らく先代は残り少ない寿命を大幅に持って行かれている。こうしてロクスレイの前に姿を現わすのも本当は辛いはず。今の先代は本当に年相応の老人でしかない。今後は一族としての活動もできなくなるだろう。

 

「くそっ、無茶してんのはどっちだよ……」

 

 吐き捨てられる苛立ちは自分自身へと向けられていた。

 

 遠ざかっていく先代の忸怩たる思いを抱えながら、ロクスレイは己の未熟さを嘆いた。

 

 

 ▼

 

 

「──ロクスレイ君」

 

 暗い思考に囚われかけたロクスレイの意識が、天使の羽音のような声に引き戻される。面を上げればすぐ側に水着姿のルミアが屈んでこちらを覗き込んでいた。

 

「どうしたんですかい? ティンジェル嬢。仲良し三人娘でチーム組んでたんじゃなかったの?」

 

「うん、そうだったんだけど、疲れちゃって。先生と交代してきたんだ」

 

 見ればコートでは、ルミアに代わってチーム入りしたグレンがリィエルと共に大人気なくクラスの男子を蹴散らしていた。病み上がりの癖によくもまああそこまで動けるものだ。

 

 ロクでもない大人の姿に苦笑いしていると、すぐ隣にルミアが腰を下ろす。今まで以上に近い距離感にロクスレイは微かに動揺する。何よりも今のルミアは水着なのだ。自制心が比較的強いと自負するロクスレイであっても肩が触れ合いそうな距離感は刺激が過ぎた。

 

 心中で必死に煩悩を退散させようと試みるロクスレイの心境など知らず、ルミアはロクスレイの膝に掛けられた深緑の外套を見下ろして僅かに表情を曇らす。

 

「ロクスレイ君、その外套は……」

 

「……ん? あぁ、まあ見りゃ分かると思いますけど、ただの外套だわなぁ……」

 

「それって、やっぱり……」

 

 詳しいことはルミアには分からない。ただロクスレイが一度息絶えた時、何かが失われたことだけは漠然と理解していた。それはきっと、彼にとっても大切なものだったに違いない。

 

 ルミアに非などありはしない。悪いのは後先考えず無茶をやらかしたロクスレイと天の智慧研究会だ。しかし心優しい少女は責任を感じずにはいられなかった。

 

 俯き加減になったルミアの頭にそっと掌が載せられた。

 

「オタクが責任を感じる必要なんざねぇですよ。オレが勝手にやったことだ。ティンジェル嬢はいつも通りでいればいいのさ」

 

 気にするなと言い、話の流れを変える意味合いも兼ねてロクスレイは気になったことを尋ねた。

 

「そういやぁ、お嬢さん。どうやってオレが顔無しだって分かったんですかい? 薄々気づかれてるような気はしてましたけど、どこでバレたのかがピンとこなくてな」

 

 今はもうただの外套に成り下がった顔の無い王であるが、その能力は他者の意識にすら干渉する強力な魔導器であった。口調や声色から個人を特定することはほぼ不可能、それこそフードを捲って顔を確認しなければ誰かなど分かりはしない。

 

 本気で分からない顔のロクスレイに、ルミアはふふっと太陽の雫のような微笑みを零し、頭に乗せられた掌に手を重ねる。

 

「元々怪しいな〜とは思ってたんだけどね。確信したのは魔術競技祭の時かな。ロクスレイ君と顔無しさんの掌の感触が同じだったから、気づけたんだよ」

 

「マジですか……」

 

 確かに魔術競技祭の時、ルミアの頭に触れる機会があった。競技を前にして不安がる彼女を落ち着かせるために一回、そして顔無しの時にも一回。その感覚だけでルミアは顔無しの正体を看破したようだ。

 

 ロクスレイのミスといえばミスであるが、まさか掌の感触だけで正体を看破されるとは思いもよらなかった。ある意味では顔の無い王の抜け穴を突かれたとも言えるが、それ以上に賞賛すべきはルミアの高い洞察力だろう。

 

 たとえ掌の感覚を隠蔽できなくとも、常時認識阻害の魔術が干渉していたはず。それを超えた上でルミアは顔無しの正体を看破してみせたのだ。並大抵のことではない。

 

 驚愕やら感心やらで唖然としているロクスレイにルミアが悪戯っぽくウインクをかました。

 

「女の子の勘は馬鹿にできないんだよ?」

 

「……あぁ、いやほんと恐れ入ったわ。あー、おっかねー。マジ、こえーですわ」

 

 本当に、敵わない。でも、顔を知られて喜んでしまっている自分がいることにロクスレイは気づいた。無貌の王(ロビンフッド)としては落第もいいところなのに、ルミアに正体を見破られたこと自体は何となく嬉しいと感じていた。

 

 その感情が何なのか、ロクスレイはまだ知らない。

 

 

 

 

 

 

 



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“皐月の王”編
苦悩するロクスレイ


始まりました、ええ、始まりました。もう章タイトル見たら色々察せるというか、感想時点で既に察せられてましたが、始まります皐月の王編。果たしてどこまで甘ったるく書けるか、まずはちょっとあれな感じのロクスレイ君です。
というか感想で予想されすぎぃ! コメント返しが大変というか雑になりました。ごめんなさい。



 アルザーノ帝国において『メルガリウスの魔法使い』と言えば知らぬ人はいない有名な童話だ。

 

 空に浮かぶお城を舞台に正義の魔法使いが魔王を倒し、お姫様を救い出す物語である。その舞台のモデルとなった城は今もなおフェジテの空に浮かんでいるあの浮遊城だ。

 

 数多くの魔術師が彼の天空城の謎を紐解かんと挑み、夢半ばで折れていった夢幻の城。その謎を追った者は不自然な非業の死を遂げるとまで謳われ、『メルガリウスの魔法使い』は魔導考古学的見地からしても非常に価値のある参考文献成り得る名書である。

 

 しかし著者であるロラン=エルトリアはレザリア王国にて聖エリサレス教会に『異端者』として捕まり、火刑台に送られた。謎を知る人物は灰へと還り、謎は謎のままの残されることと相成った。

 

 ところで話は変わるが。『メルガリウスの魔法使い』は世界各地に伝わる古代の神話や伝説、民間伝承を、ロランが独自の分析と解釈の元に編纂された物語である。つまり元を辿れば、世界各地に『メルガリウスの魔法使い』の元となったお伽話や伝承が遺されているということ。

 

 世界各地に散らばる物語の数々。その中の一つに、こんなお話がある。

 

 それは遠い過去のお話。遥か遠い場所から訪れた一人の騎士見習いが主人と共に世界を巡り歩き、多くの人々を救っていく小さな冒険譚。今では数えられるほどしか現存しない絵本と一部地域のみで語り継がれているに過ぎない物語だ。

 

 その物語の名は──『皐月の王』。

 

 

 ▼

 

 

「……! ロクス……! ──ロクスレイ君!」

 

「……っと、どうしましたかい、ティンジェル嬢?」

 

 頬杖を突いて窓の外をぼうっと眺めていたロクスレイは、耳元で名を呼ばれてやっと意識を戻した。

 

 見れば心配そうな顔色をしたルミアがすぐそばにいる。その後ろには気まずそうなシスティーナと僅かに眉を下げたリィエルもいた。

 

「大丈夫? ここ最近、元気がないように見えるよ?」

 

「そうっすかね? 別に普段と変わりないと思いますけど」

 

 今ひとつ分からないとばかりにロクスレイは肩を竦めた。

 

 中途半端に終わってしまった遠征学修から学院に戻り数日が経った。天の智慧研究会の陰謀を辛くも挫き、平穏な日々が戻ってきた。誰もが以前と変わりなく魔術学院生として生き生きと日々を送っている。

 

 そんな中、ロクスレイだけは心ここに在らずの状態であった。何というか、目的を失った抜け殻のような有様である。

 

 一見するといつもと変わらない皮肉っぽい笑みを浮かべるロクスレイ。しかしルミアには彼がどこか無理をして普段通りを演じているように感じられた。

 

「あのね、ロクスレイ君。悩み事とかあるなら、役に立てるか分からないけど、私でよければ相談に乗るよ?」

 

「ははっ、ご心配には及びませんよ。ちょいと物思いに耽ってただけなんでね。なんつうの? 色々と悩んじゃうお年頃なんですよ。だから、大丈夫だ」

 

 戯けた風に答えてロクスレイは席を立つ。一瞬、ルミアが引き止めようとしかけたものの、ロクスレイの想像以上に弱々しい背中に声をかけるのを躊躇われた。

 

 代わりに呼び止めたのはリィエルだった。

 

「ロクスレイ……わたしのせいで──」

 

「──レイフォード嬢」

 

 リィエルの言葉を遮り、立ち止まったロクスレイが懐から取り出した何かを放る。リィエルの手元に飛んできたのは丁寧に包装された苺のタルトであった。

 

「教室でするような話でもねぇですよ」

 

 他にも生徒がいる中で無貌の王(ロビンフッド)に纏わる話をされては敵わない。暴走とはまた違うが、やんわりと諌める意味合いを込めてお菓子を投げ、ロクスレイはそのまま教室を出ていく。

 

 リィエルは手元にあるタルトを見つめ、どんよりと肩を落とす。ロクスレイが度々自身にお菓子を投げていた下手人だということはもう知っている。二日ほど前、気もそぞろなロクスレイが暴走しかけたリィエルにその場で菓子を投げたことで発覚したのだ。

 

 その時はロクスレイ自身、己の失態に驚愕していた。それもあってルミアは心配していたのである。

 

 落ち込むリィエルを慰めるようにルミアが肩に手を添える。それでもリィエルの胸中を渦巻く後悔は消えない。ルミアが抱える不安の種も大きくなる一方。

 

 そんな二人の様子をただ見ていることしかできない自分が、システィーナはどうしようもなく不甲斐なかった。

 

 遠征学修の一件でリィエルの事情については聞き、腹を割ってきちんと和解した。連れ去られたルミアもきちんと帰ってきて、全ては元通りになったのだと信じていた。

 

 しかし違った。システィーナの知らない場所で取り返しのつかないことが起きてしまっていたのだ。

 

 そのことについてシスティーナは知らない。ロクスレイがその場に居合わせた人物に口止めをしたからだ。せいぜいが今回の騒動にロクスレイが何らかの形で関わり、大切なものを失ってしまい、それをルミアとリィエルが気に病んでいることぐらいしか知らない。

 

 だからシスティーナには迂闊に口出しができない。事情を知らない人間がしゃしゃり出たところで事態を余計にややこしくするだけだ。

 

「……そうだ」

 

 一つだけ、自分にもできることがある。と言っても、結局は人任せになってしまうのだが、事情を知らない自分が出るよりはマシだろうと考え、システィーナは担任教師のもとへと向かった。

 

 

 ▼

 

 

 夕暮れ時、オレンジ一色に染め上げられる屋上に一人、ロクスレイの姿はあった。鉄柵に凭れ掛かり、火の点いた紙巻を咥えながら生徒の姿も疎らな学院の風景を眺めている。

 

 護衛対象であるルミア含めるいつもの三人娘は図書館だ。生真面目なシスティーナ主導のもと、本日の授業内容の復習に勤しんでいる。

 

 その様子をロクスレイは使い魔であるロンドを通して常に把握している。無貌の王(ロビンフッド)に依らない魔術の一つであった。

 

 ふぅと息を吐いて煙を燻らす。身体に害のある物ではない気を落ち着けるための紙巻であるが、逆に言えば、吸ってないと今のロクスレイは落ち着けない証左でもあった。

 

「ったく、情けねぇ……」

 

 あの選択に後悔などない。死を覚悟した上で臨んだことだ。

 

 しかし、まさか生き返ることになるとは微塵も考えていなかった。そのため無貌の王(ロビンフッド)の資格を失って生きることになるとは予想だにしておらず、その点では覚悟ができていなかったのだろう。でなければこんな腑抜けた様を晒すはずもない。

 

 小さく溜め息を吐くロクスレイ。そんな暗い空気を背負う背中に声が掛けられた。

 

「こんなとこにいたのかよ、ロクスレイ。何処にもいねーから探し回る羽目になっちまったろうが」

 

「なーんでオタクがオレを探してたんですかね、グレン先生?」

 

 面倒くさげな表情を貼り付けたグレンをロクスレイは少しばかり不思議そうに見やる。

 

「何でも何もあるか。俺の生徒が屋上で不良行為に手を染めてるっつう垂れ込みがあったからな。教師としてお説教しに来てやったんだよ」

 

「なるほどねぇ……?」

 

 疑わしげな眼差しを送りつつ、とりあえずロクスレイは紙巻の火を消した。如何に無害で精神安定剤的な代物であっても、魔術学院内で学生が紙巻を吹かすのは問題だろう。

 

「それで、本当の用は何なんだ?」

 

「はぁー、お前ってほんと可愛げないな」

 

 ガリガリと頭を掻きつつグレンはロクスレイの隣に並んだ。

 

「ここ最近、何か悩んでるっぽいな。ルミア達が心配してるそうじゃねーか。授業の時も上の空だし、どうしたんだよ?」

 

「…………」

 

 グレンの問いにロクスレイは沈黙。顔も向けず黙りこくったまま虚空を見つめる。

 

 いつもなら飄々とした揶揄いの一つや二つを飛ばすだろうに、それすらもないロクスレイにグレンは調子が狂う。

 

「あいつらに言えないことなら俺が聞いてやってもいいぞ。お前の正体のことも知ってるし、一時期組んだ間柄だからな。裏に関連する話ならルミア達より俺の方が話しやすいだろ」

 

 グレンの発言にロクスレイが唖然と口を半開く。ロクでなし金欠講師から何だか信じられない言葉が出てきたと言わんばかりの顔だ。流石のグレンもこめかみをひくつかせる。

 

「お前な、これでも俺は教師やってるわけ。自分の生徒が困ってたりしたら助けてやるのは当たり前だろ?」

 

「いや……そうだな。オタクがちゃんと教師やってるのにちょっとばかし驚いた。変わったな、愚者殿」

 

 かつて執行者として外道魔術師の暗殺を生業としていたグレンの面影は殆どない。一教師として、生徒のことを慮れる人間になっていた。

 

 そんなグレンになら、相談してみてもいいかもしれない。陽だまりの世界に生きる者達には打ち明けられない、裏に生きる者の苦悩を。

 

 僅かな逡巡の後、ロクスレイはここ数日抱えていた悩みを打ち明けた。

 

「知っての通り、オレはオタクよりも長いこと裏の世界に浸かって生きてきた。外道を一人二人殺すことにも何の痛痒も感じやしない、正真正銘の悪党だ。十の頃からずっとそうやって生きてきたのさ」

 

 肉体の衰えによって先代が無貌の王(ロビンフッド)の座を退き、その時点で既に頭角を現していたロクスレイに次代の座が回ってきた。当時はまだ十歳と若かったものの、一族の支援もあって何とかやれてきたのだ。

 

 何時からか無貌の王(ロビンフッド)であることが当然となり、貌を捨て姿を隠す生き方を楽だと思うようになっていた。誰からも憎まれることもなく、狙われることもない。信頼すらもありはしない、悪党として生きていくことが板についてしまっていた。

 

「それがこの前の一件でなくなっちまった。生き方そのものを失っちまったのさ」

 

 つい先日、その資格(生き方)を失ってしまったことでロクスレイは途端に不安定になってしまった。

 

「なんつうの? どうすればいいのか分からないっていうか、何をすればいいのか分かんなくなった。やるべきことはあんのになぁ……」

 

 ロビンフッドからただのロクスレイに格下げされ、どうすればいいのか今ひとつ判然としない。仕事は継続しているものの、それも何れ次代の無貌の王(ロビンフッド)に取って代わられる。いつの話になるかは知れないが、ロクスレイは遠からず今いる場所から姿を消すことになるだろう。

 

「資格を失ったオレは遠からずここからいなくなる。元よりお嬢さんが卒業するまでの期間だったのが、ちょいと早まるだけの話だ。代わりの人員もきちんと寄越されるでしょうよ」

 

 分かり切ったことである。魔術学院に生徒として編入したのは全て護衛対象をより近くで守るため。ルミア=ティンジェルの身柄を狙う外道共を、その手の裏稼業に通じた無貌の王(ロビンフッド)が効率よく狩るための一手段に過ぎない。

 

 だから資格を失ったロクスレイがここに残り続けるメリットは殆どない。何故ならいざ敵方が仕掛けてきた時、外套の力もないロクスレイでは大っぴらに戦えないからだ。やれて学院内部の情報収集が限界だろう。そんなものは次代の無貌の王(ロビンフッド)が護衛と兼ねて行えばいい。

 

 ただのロクスレイにこの学院に残る意義はないも同然なのだ。

 

「役立たずはお役御免、お払い箱になるのは当然。分かっちゃいるんですけど、ね……」

 

 しかし、どうしてかその未来を受け入れたくない自分がいた。理由はさっぱりであるが、ロクスレイは陽だまりの側(ここ)を去りたくないと思っている。

 

「理由は知れねぇですけど、どうにもオレはここを離れたくないと思ってるみたいでね。今まではそんなこと考えたこともなかったのに、ワケ分かんねえですわ」

 

 無貌の王(ロビンフッド)としてはなおのこと、一族の一員としては言うまでもなくそのような勝手は認められない。ここでの役目を解かれたロクスレイは一族の一員として次代を支えなければならないからだ。

 

 どうにもならないジレンマに頭を抱えるロクスレイ。本人的には心底苦悩しているようだが、ここまで黙って話を聞きロクスレイの表情を観察していたグレンは、心底呆れ返っていた。

 

「お前ェ……本気でそれ言ってんの? もっと重っ苦しい爆弾が来ると身構えてたのに、何これ……何で思春期の恋愛相談染みた話を聞かされないといけないんだよ……」

 

「なっ!? オタクが訊いてきたから答えたんだろうがっ」

 

「うっせぇ! 何が生き方を失った、だ! ここを離れたくない理由とか、そんなもん分かり切ってるだろ!? 何か? 苦悩してる俺カッコイイとか思っちゃってる思春期真っ只中な男の子なの?」

 

「このっ! ……っ!?」

 

 今にも噛み付かん勢いのロクスレイの鼻先にグレンは指を突き付ける。

 

「よく聞けよロクスレイ。お前さ、難しく考えすぎなんだよ。生き方だとか悪党だとか言ってるけどな、そんなもんは度外視しろ。そしたらちゃんと見えてくるはずだ。拗らせすぎなんだよ、お前は」

 

「……拗らせぶりならオタクもどっこいでしょうが」

 

 良いこと言った風のグレンにボソッとロクスレイが水を差す。しかし当の本人は言いたいことだけ言うとさっさと踵を返し、甘ったるい物でも口一杯に含んだような顔をして屋上を去っていた。

 

 再び一人となったロクスレイ。何やら無駄に気力を消耗した気がしてならない。

 

 ぐったりと鉄柵に寄り掛かって少しばかり物思いに沈む。

 

 グレンは何やら凄まじい言い掛かりをつけながらも、一応の助言を残してくれた。

 

 難しく考えすぎるな。生き方だとか悪党であることを度外視しろ。そうすれば見えてくる。

 

 だが、それは言葉ほど簡単なことではない。生き方は既に染み付き、悪党であることも紛うことなき事実だ。それらから目を背けてしまえば、今度こそ自分が何なのか分からなくなってしまう。

 

「難しいこと言ってくれるな、まったく……」

 

 それでも、参考にならなかったわけではない。グレンに悩みを打ち明けたことで少しばかり気が楽になったような気もする。今の問答に多少の意義はあったのだろう。

 

 心持ち顔色が晴れたロクスレイは、勉強会を切り上げたルミア達の帰路を護衛すべく屋上を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一族からの使者

注意 今回からfateのキャラを参考にしたオリジナルキャラが数人登場します。あくまで参考にしているのであって、当人がそのまんま登場してるわけでなく、勿論能力もありませんのでご注意を。要するにロクスレイと同じような感じです。
あと、この場合はタグにオリキャラとか入れたほうがいいのでしょうか?


 ルミア達三人が仲良く並んで帰路を歩む。どうやら今日はリィエルが屋敷に泊まるらしい。眠たげな表情ながらもリィエルなりに周囲への警戒を払っているあたり、護衛としての自覚はきちんとあるのだろう。ただルミアとシスティーナを守りたいだけなのかもしれないが。

 

 他愛ない会話に花を咲かせる三人の様子をロクスレイは遠目に眺めていた。ルミア達に気取られないよう大きく距離を置き、可能な限り道を行き交う人々に紛れる。外套があった頃は透明化してもっと近くで護衛していたのだが、今のロクスレイにはそれもできない。

 

 本格的にストーカー染みてきたなぁ、などと胸中で自嘲していたロクスレイに冷水を浴びせるが如き声が投げられた。

 

「へぇ〜、思ったより仕事熱心じゃない。護衛役(ストーカー)さん?」

 

「──ッ!?」

 

 視界の端に映った見覚えのある人影。ここにいるはずのない少女の姿にロクスレイは驚愕を禁じえなかった。

 

 見目の可憐な少女である。一見すると十代半ばぐらいにしか見えないが、その実もうすぐ二十歳を目前に控えている立派な女性だ。

 

 フリルの目立つ衣装に身を包んでおり、全体的に綺麗より可愛らしいという形容詞が似合うのだろうが、ロクスレイを見る目はどこまでも冷徹だ。

 

 目一杯に目を見開き、僅かに喉を震わせながらロクスレイは声を絞り出す。

 

「なんだって、オタクがここにいるんだ──エリザ……っ」

 

「なによ、居たら悪い訳?」

 

 エリザと呼ばれた少女はやや不服げに唇を尖らせた。

 

(アタシ)だってこんな小間使いみたいな役目は御免よ。でもどっかの誰かがヘマしたおかげで連絡役の先代が寝込んじゃったんだから仕方ないでしょ?」

 

「……っ」

 

「ま、理由はそれだけじゃないけど。とりあえず立ち話もなんだから、適当な店に入りましょうか。あぁ、あの子リスちゃん達の護衛なら心配要らないわ。今頃はシャルルが接触してるだろうから。(アタシ)、喉渇いちゃった〜」

 

 我が道を行くとばかりに近くの酒場に堂々と入っていくエリザ。その背を物言いたげにジト目で睨むも、ロクスレイはすぐに疲れ切った溜め息を吐いて後に続いた。

 

 

 ▼

 

 

 ロクスレイ達が入った酒場はそこそこに繁盛しているようで、彼方此方で客が酒を飲み交わし、陽気に語り合っていた。

 

 ロクスレイとエリザは店内の端の席を陣取り、冷たいドリンクと軽く摘める物を注文し、他の客に聞こえない程度の声で話の続きを始めた。

 

「わざわざ(アタシ)が足を運んだ理由は、もう察せてるわよね?」

 

「あぁ、まあな……」

 

 ロクスレイは諦観交じりの溜め息を零した。

 

 エリザ──エリザベート・バートリーはロクスレイと同じく一族の一員だ。ただし彼女の役割は少しばかり特殊であり、無貌の王(ロビンフッド)の一族でありながら公の場に顔を晒している。その目的は諜報だ。

 

 エリザの表の顔はなんとカリスマファッションデザイナー。アルザーノ帝国を中心に上流階級向けのドレスや衣装のデザインを手掛け、今では貴族社会で知らぬ人はいないほどの有名人である。

 

 そんな彼女が巷では都市伝説扱いされる無貌の王(ロビンフッド)の一族の一員であり、貴族社会の裏情報を流しているなどとは思いもよらないだろう。

 

 カリスマファッションデザイナーとして名を轟かせるだけあってエリザは多忙の身だ。そんな彼女がわざわざ出向いてきたのは、偏に一族絡みの用事があったからに他ならない。

 

 先代が警告していたこと──一族が動きだしたのだ。

 

「まったく、これでも(アタシ)、とっても忙しいのよ? 分かる? 引く手数多なの。そんな(アタシ)が来てあげたんだから感謝しなさいよね」

 

「だったらすっぽかしゃよかったでしょうが」

 

「それこそ馬鹿じゃないの? 一族の悲願が叶うかもしれない一大事、ファッションデザイナーの仕事より優先するに決まってるわ」

 

 それが当然。折角築き上げたカリスマファッションデザイナーとしての地位よりも何よりも、一族が抱え続けた悲願達成の方が重要であると、エリザは言い切った。

 

 一族内でも比較的俗世に染まり、ファッションデザイン関連で何かと暴走することで評判のエリザをしてこれなのだ。他の一族がどれほど本気なのかが窺い知れる。

 

「ま、(アタシ)としてはアンタが入れ込む子リスちゃん達を拝んであげる目的もあったんだけど……なによ、あの子達。あんなに可愛い娘だなんて聞いてないわ。シャルルに邪魔されなかったら(アタシ)が接触してたのに……今からでも追いかけようかしら?」

 

 悔しげに肩を震わせていたエリザが、唐突に立ち上がり店の外へと足を向けかける。ロクスレイが大慌てでエリザの強行を止めにかかった。

 

「おいこら、やめろよおぼこ娘。オタクの着せ替え人形になった連中の末路を知ってるか? ドレス、着せ替え、エリザベート・バートリーのワードを耳にするだけで震えが止まらなくなってんだぞ! トラウマになってんじゃねぇか!?」

 

 ファッションデザインに行き過ぎた情熱を傾けるエリザによって精神的重傷を負った女性達の数は知れない。最終的には苦労に見合った最高の衣装が作られるのだが、それでもやり過ぎなのは否めないだろう。

 

「なによ、仕方ないじゃない。至高の作品を作り上げるのに必要な尊い犠牲よ。だいたい、三日三晩ぶっ続けで着せ替え続けたくらいで大袈裟だわ! あと、アンタものすっごく失礼なこと言わなかった!?」

 

 顔を真っ赤にしてエリザが怒鳴る。さすがに公衆の面前でおぼこ娘呼ばわりは酷いだろう。少しばかり言いすぎたとロクスレイも決まり悪そうに目を逸らす。

 

「ともかくだ、お嬢さん達をオタクの毒牙に掛けるのはよせ。いいな?」

 

「ねえ、喧嘩売ってるの? 売ってるのよね? 全力で買ってあげるわよ?」

 

 ナチュラルに売られる喧嘩に笑顔で応えつつもエリザは席に座り直し、血のように赤いジュースを煽る。ちなみにザクロのジュースである。

 

「もういいわ。それより本題に入るわよ」

 

 途端、エリザの纏う空気が豹変する。表情は表向きのものから裏の顔へ、瞳に宿る光は冷酷無比のそれへと変わった。

 

「今度の三連休、ルミア=ティンジェルを里へ招くわ。これは決定事項よ」

 

「……帝国政府は? 女王陛下はどうやって納得させる?」

 

「それなら心配要らないわ。軍は軍で廃棄王女に手を割いている暇はないし、女王陛下の説得は先代が済ませたから」

 

「女王陛下は、まあ爺さんなら分かるが。軍が手出しできない理由ってのはなんだ?」

 

 帝国軍はルミア=ティンジェルを一種の釣り餌として利用している節がある。帝国元王女という彼女の肩書きを利用し、群がる外道魔術師()を狩っているのだ。

 

 そんな彼らが手出しする暇がなくなるとは一体なんなのか。ロクスレイは視線で問うた。

 

「別に教えてあげてもいいけど、あんまり騒がないでよ」

 

 そう前置いてエリザは答えた。

 

「──帝国各地で天使の塵(エンジェル・ダスト)らしき魔薬が出回っているらしいわ」

 

「なっ……!?」

 

 愕然とロクスレイは顎を落とした。あり得ない、あってはならないことだからだ。

 

 天使の塵(エンジェル・ダスト)。錬金術の悪夢とまで謳われる最悪の魔薬。被投与者の思考と感情を完全に奪い去り、筋力のリミッターを解除し、投与者の命令に従う傀儡へと落とす薬物だ。

 

 この魔薬が最悪とまで言われる理由は、投与されたものはもう二度と元には戻れず、定期的に薬を投与されなければ凄まじい禁断症状に襲われ、最終的には肉体が自壊することだ。たった一度投与されただけでその者の人生が終わってしまうのである。

 

 勿論、そのような非道な魔薬の存在など認められず、一年ほど前に帝国政府を震撼させた事件を境に、製造法とそれを知る事件の首謀者諸共葬り去られたはずである。

 

 しかし現実に天使の塵(エンジェル・ダスト)は帝国各地に出回っているという。それは一年前の悲劇が再来する危険性を示していた。

 

 手が白くなるほどに拳を握り締めるロクスレイの脳裏を過るのは、かつて正義の魔法使いを目指した教師と白髪の女性の姿。あの事件を機に、グレン=レーダスは魔術に絶望したのだ。

 

「帝国政府は天使の塵(エンジェル・ダスト)の調査に掛かりきり。数日くらいなら連れ出しても問題ないわ。馬車の手配もしてあるし、ルミア=ティンジェルの了解もシャルルが恙なく終えてるでしょうよ」

 

 エリザと同じく一族の一員である男装の剣士ことシャルルは、ロクスレイと最後まで無貌の王(ロビンフッド)の候補を争ったほどの相手だ。最終的にはロクスレイが選ばれたものの、交渉術などの話術においてはシャルルの方が長けている。彼女の手腕に掛かればルミアも承諾してしまうだろう。

 

「…………」

 

 難しい顔でロクスレイは黙り込む。遠征学修から数日しか経っていないのにこの手際。今からどう抗おうと一族の思惑を阻むことはできないだろう。

 

「何を考えてるかは予想つくけど、余計なことはしないほうがいいわよ。今のアンタは無貌の王(ロビンフッド)でもない、ただのロクスレイだもの。それよりも今後の身の振り方を考えておいた方がいいんじゃない?」

 

 エリザの指摘にロクスレイの表情が微かに曇る。もしも一族の悲願が達成されたならば、本格的にロクスレイはここには居られなくなる。その時、どう一族の一員として貢献するか決めておかなければならないだろう。

 

「何なら(アタシ)のとこで小間使いとして雇ってあげてもいいわよ? せいぜいこき使って上げるわ」

 

「ハ、オタクの世話になるつもりはねぇですよ。こっちから願い下げだ」

 

 エリザの誘いを一蹴する。いざ決断を迫られたとしてもエリザの小間使いだけは御免だった。幾つ体があっても足りないくらいにこき使われるのが目に見えているからだ。

 

「ふぅん? まあいいわ。とりあえず、そういうことだから。準備しておきなさいよ。アンタも先代のお見舞いしたいでしょ?」

 

「へーへー、分かりましたよ……」

 

 先日の無茶が祟り寝込んだ先代の見舞いがしたいのは本当だった。今頃は奥方に甲斐甲斐しく世話を焼かれて療養していることだろう。

 

 要件を伝え終えたのか、エリザは一息にジュースを飲み干すと銀貨を一枚残すと席を立った。

 

「……アンタ、変わったわね」

 

 去り際にそう言い残してエリザは店を出ていった。

 

 残されたロクスレイは複雑な表情で対面の空席を見つめる。

 

「変わった、ねぇ……ま、確かに腑抜けてるわな」

 

 不貞腐れたように呟いてロクスレイはグラスの中身を呷った。

 

 

 ▼

 

 

 ロクスレイがエリザと酒場で話していた一方、ルミア達はルミア達でシャルルの接触を受けていた。

 

 シャルル=ボーモン。一見すると見目麗しい貴公子であるが、しかし本人の申告によれば間違いなく女性らしい。

 

 シャルルは家路を往くルミア達に声を掛けると、卓越した話術で三人を誘導。前もって目星をつけていた小洒落た店に招き、話し合いの席に座らせた。

 

「急なお誘いですまない。どうしてもティンジェルさんと話がしたかったものだから、無理な誘い方になってしまった。ここの支払いは私が持つから、好きに注文してくれて構わないよ」

 

「いえ、お気になさらず。それよりも、さっきのお話は本当ですか?」

 

 やや身構えながらルミアは対面に座るシャルルに問うた。両隣にはシスティーナとリィエルも同席している。二人とも見知れぬ相手に強い警戒が先立っていた。

 

 向けられる警戒の眼差しを涼しげに受け流し、シャルルは鷹揚に頷いてみせた。

 

「勿論だよ。君の協力があれば()()()()()()()()()()()()()()()()()。ただし彼に覚悟があればの話だけどね」

 

 ルミアがシャルルの誘いに乗った最大の理由。それがこれだ。

 

 如何に相手が物腰柔らかで貴公子然とした相手であっても、見ず知らずの他人の誘いにほいほい乗るほどルミアは危機感を欠如していない。むしろそういった感覚においてはこの場にいる誰よりも優れているだろう。

 

 それでも彼女が誘いを受けたのは、シャルルがロクスレイの知己であり、彼の悩み事を解決できるかもしれないという文句を聞かされたからだ。勿論、それで警戒心を全て取り払っているわけではないが。

 

 食い入るように前のめりでシャルルの言葉を待つルミア。シャルルは困ったように顎先に指を添え、ふと良案を閃いたとばかりに悪戯っぽく微笑む。

 

「ふむ……緊張を解すため、信頼関係を築くためにも、ここはロクスレイの少年時代のエピソードを幾つか語ろうか。なに、後で彼が赤面して悶え苦しんでも私の懐は一つとして痛まないからね。興味あるかい?」

 

「はい! 私、凄く気になります!」

 

「ちょっ!? それでいいの、ルミア!?」

 

 哀れ、あっさり売られるロクスレイと容易く釣られるルミア。唯一のツッコミ役はシスティーナだけであった。リィエル? 運ばれてきた料理をマイペースに食べている。

 

 その後、ロクスレイの少年時代エピソードに花を咲かせ急速にシャルルと仲を縮めたルミアは、今度の三連休にロクスレイの育った里に小旅行することが決定したのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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集結する仲間達

あんまりfate側から出し過ぎるのも世界観が壊れちゃうので同年代の友人はこれくらいで打ち止めです。そしてエリちゃんに対する読者様からの熱いお声にわたくし、笑いが止まりませぬ。流石はみんなのエリちゃんだね!
え? ルミアが空気? 大丈夫大丈夫、彼女の見せ所は里についてからなので。今はアップ中です。

ちなみにわたくしごとでございますが、玉藻の前が我がカルデアにご降臨なされました。これでロビンフッドを超強化できる、やったね!



 いよいよ迎えた三連休前日の日暮れ前。フィーベル邸前には一台の箱馬車が停車しており、繋がれた二頭の馬車馬が出発の時を今か今かと待ち構えていた。

 

「ルミア……」

 

 見送りに門の前まで来ていたシスティーナが、旅行鞄を提げるルミアに声を掛ける。殆どの時間を共にしてきた相手と三日も離れ離れになるとあっては、不安がるのも無理はないだろう。旅行先の仔細が不明なのも不安を助長させている一因だ。

 

 足を止め振り返ったルミアは安心させるように微笑む。

 

「大丈夫だよ、システィ。ちゃんと帰ってくるから」

 

「……えぇ、そうね。待ってるわ」

 

 ルミアの言葉を信じ、システィーナは笑顔で送り出す。不安は消えないがルミアならきっと大丈夫だ。今回は頼れるグレンこそいないが、彼に負けず劣らずの護衛役もいる。何事もなく戻ってくるだろう。

 

 その護衛役は帝国政府から正式に送り込まれた護衛役(リィエル)と何やら話し込んでいた。

 

「いいか? オタクは可能な限りフィーベル嬢と一緒にいろ。できれば金欠講師殿も一緒に居てほしいところだが、贅沢は言えねぇ。オタクはフィーベル嬢の身の安全を守れ」

 

「任せて。ロクスレイも、ルミアを泣かせたら許さない」

 

「言われるまでもねぇですよ」

 

 不敵に笑ってロクスレイは頷く。護衛対象であるルミアには傷一つつけはしない。元とはいえ無貌の王(ロビンフッド)としてロクスレイは誓う。若干言葉の意味合いを履き違えている感はあるものの、リィエルはそれで一応の納得をした。

 

 リィエルとの会話を切り上げると入れ替わるようにシスティーナがロクスレイの前に立つ。真剣な表情でロクスレイを見上げる。

 

「ちゃんと、ルミアを連れ帰ってきなさいよ」

 

「あいあい、分かってますよっと。お嬢さんは必ず帰す。心配しなくとも、お嬢さんの帰るべき場所はここだ」

 

 陽だまりの世界から日陰へと引き摺り込むような真似はしない。ルミアの在るべき場所はここだ。優しく温かい陽だまりの世界こそが彼女の居場所である。何があってもルミアはここに送り帰す。

 

 しかしロクスレイの返答にシスティーナはそっぽを向きながら呟く。

 

「……貴方もよ」

 

「は?」

 

「貴方も、ちゃんと戻ってきなさいよ。でないと、ルミアが悲しむでしょ……」

 

 姉妹同然の親友だからこそ察せられた。ルミアは間違いなくロクスレイに想いを寄せている。そんな相手が目の前から居なくなったら、ルミアは今以上に悲しむことになるだろう。

 

 詳しい事情はやはり分からない。先日、ルミアとシャルルの話し合いの席に同席してロクスレイがルミアの護衛だったことくらいは理解したものの、ルミアが如何にしてロクスレイを想うようになったかなどは未ださっぱりだ。

 

 それでも、ロクスレイという男がルミアにとって大切な人であることだけは揺るがない事実なのだ。親友としては、ルミアを奪われたような気分になるので非常に複雑な心情であるが。

 

 ロクスレイはしばしどう答えたものか迷ったものの、ややあってから小さく頷いた。

 

「ま、善処しますわ」

 

 あくまで善処。確約できない約束はしない主義なのだ。

 

 不満そうなシスティーナに背を向け、ロクスレイは馬車に向かう。馬車の側ではルミアとシャルルが妙に仲良さげに談笑していた。

 

「おや、そちらの話は終わったのかい?」

 

「あぁ、待たせたな。すぐに出発するぞ」

 

「了解。さて、お嬢様。続きは馬車の中でゆっくり話そうか。まだまだ話の種は沢山あるからね」

 

「はい、続きが楽しみです」

 

 さぞ楽しげな笑顔を見せるルミア。何やら想像以上に親密度が深まっていることに疑問を抱きつつロクスレイは御者台に上がり馬の手綱を握る。道中の御者役はロクスレイの役目だ。

 

「ではお手荷物をお持ちいたします、お嬢様」

 

 シャルルは自然な動作でルミアから旅行鞄を受け取ると、一足先に馬車に乗り込み車内から手を差し出す。ルミアは驚きつつもその手を取り、危なげなく馬車に乗った。

 

 乗車したルミアを出迎えたのはシャルルと、そして既にシートに座る可憐な少女。いったいいつ乗り込んだのか、エリザが我が物顔で踏ん反り返っていた。

 

「やっと会えたわね、子リス。やっぱり遠目で見るより近くで見た方がいいわ」

 

「あの……すみません、どちら様でしょうか?」

 

 全く見覚えのない少女にルミアは戸惑いを禁じ得ない。それもそうだろう。ルミアとエリザがきちんと顔を合わせるのは今日が初めてだ。

 

「どちら様ですって? ふふ、聞いて驚きなさいよ。(アタシ)はアルザーノ帝国一のカリスマファッションデザイナー、エリザベ──」

 

 胸を張って高らかと名乗りを上げていたエリザが、突如として開いたルミア達が乗り込んだのとは反対の扉から引き摺り下された。どうやら下手人はロクスレイらしく、外から二人の言い争う声が聞こえてくる。

 

「さっき確認した時は誰もいなかったってのに、いったいいつの間に忍び込みやがったんだ!」

 

「うっさいわね、別にいいじゃない! (アタシ)だって子リスとガールズトークくらいしたいのよ!? あわよくばドレスの構想を練りつつ用意した型で幾つか見合う服を見繕って──」

 

「それがダメだってのが分からないんですかねぇ!?」

 

 扉の外で繰り広げられる騒がしいやり取りにルミアはぱちくりと目を瞬かせる。普段は飄々と振舞っているロクスレイが、ここまで感情を露わにすることがあるとは知らなかった。何となく、リィエルに振り回されるグレンを彷彿とさせた。

 

「ロクスレイ君、何だか楽しそう……」

 

「そう見えるかい?」

 

「はい。いつもはもっと大人っぽくて近寄り難い雰囲気ですけど、今のロクスレイ君は親しみやすい感じがします」

 

 実年齢的に言えばロクスレイの方が歳上なので大人っぽいのは間違っていないのだが、やはり身内相手ということもあって気が緩んでいるのだろう。単純に振り回されているだけとも言えるが。

 

 外の喧騒を微笑ましく思いつつ、微かに複雑な想いを抱くルミアをシャルルが手招いて席に座らせる。すると見計らったかのように馬の嘶きが響き、馬車がゆっくりと動き出した。

 

「学院でのロクスレイの様子は聞いてるよ。随分と猫を被っているみたいだね」

 

「私は教室でのロクスレイ君と顔無しさんの時しか知らないですけど、普段はもっと違うんですか?」

 

「そうだね。もう少し感情的になりやすいかな。良くも悪くも彼の同年代はキャラが濃いからね」

 

 ちなみにロクスレイが同年代において最も感情的になりやすい相手筆頭はエリザである。子供の頃は我が道を駆け抜けてはロクスレイを振り回していた。その反動で今の扱いがあれだ。

 

「今度は私からも訊いていいかな。君はロクスレイのことを憎からず想っているのだよね?」

 

「へっ? えっと、それは……」

 

 脈絡のない、不意打ち気味の質問にルミアは目を泳がせるも、シャルルの真っ直ぐな瞳に見据えられ、一つ深呼吸をすると正直に答えた。

 

「はい、好きです。心の底からお慕い申し上げております」

 

 屈託ない想いの表明。シャルルはルミアの告白を受け、ふっと柔らかに微笑んだ。

 

「それを聞けて安心した。その想い、どうかロクスレイにも伝えてほしい。彼は色々と拗らせてしまっているけれど、真摯な想いを蔑ろにするような人ではないからね」

 

 

 ▼

 

 

「──で、オタクがこっちに来た理由は何だ? ただ茶化しに来たワケじゃないだろ」

 

 御者台で馬の手綱を握りつつ、隣で不貞腐れるエリザに問う。既に馬車はフェジテの町を出てしばらく経ち、西の稜線に日が沈もうとしていた。

 

 エリザはわざとらしく唇を尖らせながらもこの場に現れた目的、情報の伝達をする。

 

「昨日、天の智慧研究会に動きがあったわ。この三連休を狙ってルミア=ティンジェルに襲撃をかける心算みたいよ」

 

「……道理で妙な視線を感じると思ったぜ。そういうことはもうちょい早く言ってくれませんかねぇ」

 

(アタシ)に文句言わないでくれる? ま、動いてるのは功を焦った末端の連中だから、(アタシ)達三人で十分対処できるわ。途中でウィルも合流する予定だしね」

 

「そいつは頼もしいっつうか、懐かしい名前が出てきたな」

 

 随分と顔を合わせていない友人の名にロクスレイは目を丸くする。

 

 ウィル──ウィリアム=マッカーティは同じく一族の一員であり、普段はアルザーノ帝国西部方面で諜報活動に勤しんでいる青年だ。実力も相応にあり、ロクスレイとの連携も悪くない相手である。

 

「奴さんとやり合うのはウィルと合流してからか?」

 

「できればそうしたいけど、相手が何時まで我慢できるか次第ね。最悪、町中での戦闘だけは避けるわよ」

 

「あいよ。となると、途中の町で止まるのは避けたほうがいいな。お嬢さんには悪いが、今夜は車中泊になるか」

 

 当初の予定では途上にある町の宿屋で一泊し、明日の昼前には里に到着するつもりであった。しかしルミアを狙う敵がいるとあらば町中で呑気に一泊するわけにもいかない。無辜の民を巻き込まないため、そして敵の罠の類を警戒してのことだ。

 

 ロクスレイは客室のルミアとシャルルに町を素通りする旨を伝える。天の智慧研究会の件でルミアが身を強張らせたものの、そこはシャルルが上手いことフォローしたので問題あるまい。流石は男装の貴公子、女の子の扱いはお手の物である。ただし彼女もまた紛れもなく女性であるのだが。

 

 一行は整備された街道を往く。時間的に遅いのもあってロクスレイ達以外の馬車はおろか人影一つない。完全に日が沈んでしまうと街道を照らすのは頼りない月光だけとなる。一応、馬の足元を照らすようにランプはあるものの、そんなものは焼け石に水程度にしかならない。

 

 左右をなだらかな丘陵に挟まれた道に差し掛かったところでロクスレイは眉を顰めた。

 

「……来るか」

 

 不意にロクスレイが低い声で呟く。無言で馬の手綱を隣に座るエリザに託すと、馬車の屋根の上に登る。そこで手早く武装の準備を整え、何が起きても対応できるよう構えた。

 

 ロクスレイの読みは見事に当たった。左右の緩やかな丘の頂上に、突如として複数の影が湧く。遠目で分かりづらいが恐らく獣の類だ。

 

「魔獣……いや、違う。あれは──」

 

 月の光を浴びて獣達の全貌が明らかになる。

 

 それは四足歩行の獣であった。しかし普通の生態系ではあり得ない、狼と山羊の頭部を胴体から生やし、蛇の如き尾を持ち合わせた合成魔獣(キメラ)。通常の魔獣ではない、人の手で生み出された獣達が一行に牙を剥いた。

 

「──エリザ!」

 

「言われなくても分かってるわよ!」

 

 手綱を握るエリザが荒っぽく馬を操り、進路を強引に変えた。

 

 このままの進路と速度で進んでいたら両サイドから合成魔獣に圧殺されるだけ。だからと言って街道を真っ直ぐ駆け抜けるのも愚策。十中八九、他の伏兵が待ち伏せているだろうからだ。

 

 故に馬車は整備された街道を外れ、斜左方向へと猛スピードで疾走する。目指す先に広がるのは無貌の王(ロビンフッド)の一族が(ホーム)。得意とする地形に引きずり込んで戦うつもりだった。

 しかし敵もみすみすロクスレイ達を逃すはずもなく、馬よりも速く合成魔獣は丘を疾駆し、馬車の後方を捉える。

 

 複数の魔獣を継ぎ接ぎした合成魔獣の群れが猛追してくる光景は悪夢に近い。肝の小さい者ならそれだけで失神ものだろう。まあ一行の中にその程度で倒れるような気の弱い人間は一人としていないのだが。唯一の心配であるルミアも、合成魔獣の醜悪な見た目に驚愕と嫌悪感こそ覚えたものの、それだけだ。

 

「そらよっと!」

 

 激しく揺れる馬車の屋根からロクスレイが矢を射放つ。狩人にとって獣狩りは得意分野である。少々、獣側が摂理を冒涜しているが、それでも狩人の前では狩られるだけの獣に過ぎない。

 

 大気を切り裂き飛来する矢の数々が狙い過たず合成魔獣の頭部を撃ち抜く。狼と山羊、念入りに両方の眉間を的確に狙撃している。激しく揺れ動き明かりも頼りない状況で、それだけの狙撃ができるのは流石の一言だろう。

 

「腕は落ちてないみたいだ。流石はロクスレイ……」

 

 客室の後ろに開けられた小窓から覗いていたシャルルが感嘆の声を洩らす。弓術においてロクスレイの右に並ぶ者は一族にはいない。先代ですらも互角に届くか怪しいぐらいだろう。

 

「ロクスレイ君……」

 

 不安に満ちた声音で名を呟き、ルミアは胸元で手を握り締めた。

 

「不安かい?」

 

「……少しだけ。ロクスレイ君が強いのは分かってます。でも、この前みたいなことになったらと思うと、不安で……」

 

 あの時、目の前でロクスレイの命が消えてしまった時のことは、今もなおルミアの心に恐怖の記憶として刻み込まれている。もう二度と、あんな想いはしたくなかった。

 

 湧き上がる強い不安にルミアが胸を押さえていると、シャルルの手が宥めるように肩に載せられた。

 

「大丈夫さ。今のロクスレイは一人じゃない。私達もいるからね。同じような結果にはならないよ」

 

 安心させるようにそう言ってから、シャルルは客室の窓から身を乗り出し、魔術で合成魔獣の迎撃に加わる。絶え間なく放たれる矢と雷閃に合成魔獣の数は見る見るうちに減っていった。

 

 このまま森に突入する前に合成魔獣が全滅するか、と思われたその時、ロクスレイ達の目に信じられない光景が飛び込んだ。

 

「おいおい、マジですか。脳天打ち抜いた奴が起き上がってるよ。冗談キツイぜ……」

 

「ロクスレイ! 敵は合成魔獣(キメラ)を操っている魔術師の他にもう一人、死霊魔術の遣い手がいるようだ!」

 

「みたいだな。クソッ、そうなると足を奪わないと止められねぇか……」

 

 シャルルが即座に絡繰を見破り、忌々しげにロクスレイが舌打ちした。

 

 脳天を撃ち抜いて生物的に殺したとしても死霊魔術でゾンビと化し、死してなおも追いかけられては堪らない。対策としては足を狙撃して機動力を削ぐことだが、正直効率が悪い。やるなら一撃で広範囲をカバーする強力な攻撃をぶちかますべきだろう。

 

 そしてそれができる人間が一人だけ、この場にいた。

 

「エリザ、交代だ! それとシャルル! すぐに遮音結界を馬と御者台、客室に張れ!」

 

「待ってたわ、(アタシ)の出番ね!」

 

「了解した、任せてくれ」

 

 即座に三人は動き出す。

 

 ロクスレイが屋根の上から御者台に戻り馬の手綱を受け取る。代わりに今度はエリザが足元に置いておいた奇怪な形状の槍を手に屋根に立つ。客室ではシャルルが厳重に遮音結界の構築に努めていた。ちなみにルミアは訳が分からず混乱している。

 

「結界の準備はできた。いつでも発動できるよ!」

 

「よしきた! いけるか、エリザ!?」

 

「まっかせなさい! ふふっ、啼いて感謝なさいよ畜生ども。(アタシ)の最ッ高の声を聞かせてあげる……!」

 

 屋根の上でエリザが槍をくるりと半回転させ、穂先を真下に向けて構える。槍は一般的な代物とは違う、具体的には石突きのあるべき部分に何故か拡声用の魔導器が取り付けられていた。その用途はただ一つ。

 

 すうっとエリザが目一杯息を吸い込んだ。この時点で既に遮音結界はシャルルの手で張られている。後は思う存分、エリザがはっちゃけるだけだ。

 

「さあ、咽び泣いて聞き惚れなさい──!」

 

 エリザの手で魔改造を施された拡声用魔導器が駆動、そこへエリザが胸一杯に溜めた空気を全て吐き出さん勢いで声を吹き込んだ。

 

 瞬間、ドラゴンの咆哮すら生易しく感じられるほどの爆音と衝撃波がゾンビと化した合成魔獣の群れを吹き飛ばした。それだけに飽き足らず、衝撃波は丘を悉く蹂躙し、地面を盛大に捲り上げ、完膚なきまでに合成魔獣達を叩きのめす。

 

 現状のメンバーでおよそ考え得る限り最強の攻撃。固有魔術(オリジナル)ではないがエリザぐらいしか遣い手のいないであろう広域音響破壊魔術。その正体は、端的に言えば音響拡声魔術を魔改造しただけのもの。誰でもやろうと思えばできる魔術だ。

 

 しかしアルザーノ帝国軍や隣国レザリア王国ですらこの魔術を使う者はいない。何故ってこの魔術、威力と範囲共に優れているものの、敵も味方も容赦なく巻き込んでしまうからだ。しかも性質(タチ)の悪いことに遮音結界すらも貫く超威力なため、防ぐには結界を最低でも三重は重ねないとならない。もう迷惑以外の何物でもない魔術である。

 

 ちなみに御者台にいたロクスレイは遮音結界三枚と自前で耳栓を装着したのにも関わらず軽く気が遠のいていた。馬と客室は入念に遮音結界を五重にしていたので軽く耳鳴りがする程度に収まっている。

 

「ぬぐぉ……!? な、なんだってオレだけ結界が薄いんだよ……」

 

「すまない、馬と客室に力を入れたら御者台に回す余力がなくなってしまったんだよ……」

 

 申し訳ないと謝るシャルル。馬が爆音に驚いて暴走するのを防ぐため、そして大切なお嬢様を護るためにロクスレイは犠牲になったのだ。

 

「アハハハハハッ! 久しぶりに使ったけど、最高な気分。やっぱり(アタシ)って最強無敵? あらゆる才に恵まれてるのかしら」

 

 何やら調子に乗って愉快なことを宣っている騒音少女がいるが、ロクスレイもシャルルも取り合わない。二人とも、追手がないかの確認をする。

 

 合成魔獣もゾンビ化した合成魔獣も追いかけては来ない。どれも原型を留めているのがやっとの状態で立ち上がることすらできないのだ。

 

「終わったか……?」

 

 追撃の有無を確認しようとしたロクスレイの耳に、何処からか複数の筒音が聞こえてきた。

 

 音の鳴った方を見やると馬車に向かって走り寄ってくる馬の姿。背にはテンガロンハットを被った青年を乗せている。青年の手には銃口から煙をたなびかせるピストルが握られていた。

 

 テンガロンハットの青年は片手を挙げながら馬車に馬を寄せると、ニッと笑みを浮かべる。

 

「やぁ! 久しぶりだね、ロクスレイ。元気そうで何よりだよ」

 

「それはこっちの台詞だっての──ウィル」

 

 懐かしい友人兼頼もしい増援との再会にロクスレイは自然と表情を緩めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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一族の悲願

大変遅くなりました。バイトとレポートとアポの小説を読んでいたらいつの間にか一週間も経過してしまっていました……。そして今日から始まるアガルタの女。うん、また更新が遅くなりそうだなぁ……ごめんなさい。
ところで、アガルタの女に何やら見覚えのある金髪メイドが居たんだが……え、まさか?(笑)


 天の智慧研究会の襲撃を退けてそのまま森に入った一行は、適当な場所を野営地として定め簡単な夕食を済ませた。予定外の野営とはいえ森に生きる一族、野営の準備も夕食の支度も手馴れたもので、野外にも関わらずルミアは比較的快適に過ごせた。

 

 そして食事を終えた一行は就寝までの余暇を何故か持ち合わせていたトランプで潰していた。

 

「えっと、はい……ストレートフラッシュです」

 

「ちょっと、ちょっとまた! おかしいでしょ子リス!? さっきから勝ってばかりじゃない!?」

 

 連続で上がり続けるルミアの強運に負け続きのエリザが嚙みつく。ポーカーが始まってからずっと、どうしてかルミアにばかり良いカードが集まっているのだ。その代わりとばかりにエリザはブタばかり引いている。

 

 きゃんきゃん喚くエリザにルミアは困ったように笑うしかない。だって彼女にもどうしてここまでカードが揃うのか理解できないからだ。何せ彼女は大して運が良いわけでも、トランプに強いわけでもないのである。

 

「はいはい、オタクはちょっと負けが込んでるからってお嬢さんに突っかからないの。単純にオタクが下手なのか運がないだけでしょ」

 

「ムキーッ! こんなのイカサマよ!」

 

 一切の文句を取り合わずしれっと新たなカードを配り始めるロクスレイ。隣のシャルルから呆れたような眼差しが向けられているが何のその。構わずポーカーフェイスを貫く。

 

「でも確かに、誰かがイカサマしてるかもしれないよね。誰とは言わないけどさ」

 

 ニヤリと悪戯っぽくウィルが笑みを作る。

 

「へぇ? そいつは頂けない。楽しいゲームが詰まんないものに成り下がっちまう。で? いったい誰がイカサマなんてやってるんすかねぇ?」

 

 不敵に笑ってロクスレイはウィルを見返す。絶対の自信が透けて見える表情だ。

 

 応じるようにウィルも笑みを深め、何やら緊迫した空気が漂い始める。二人が意味深な笑みを交わす中、もう一度ゲームが始まろうとして──

 

 ──チリィン……。

 

 何処からともなく響いた鈴鳴りにルミアを除く全員が動きを止めた。互いに無言で視線を交わし合い、ロクスレイとウィルが立ち上がる。

 

「さて、遊びはそろそろ終わりとしますか。明日も早いんで、お嬢さんはそろそろ休んだほうがいいですぜ」

 

「……みなさんはどうするんですか?」

 

 何やら物々しい雰囲気を醸し出すロクスレイ達に当然の疑問を投げ掛ける。ロクスレイとウィルは手早く己の得物を検め、エリザは念のために例の奇怪な槍を手元に置き、シャルルはこの場を覆う魔術結界を張る用意をしていた。明らかに大人しく就寝しますとは言えない様子だ。

 

 道具類の具合を点検しつつロクスレイは軽く肩を竦める。

 

「オレ達はちょいと夜の散歩に出てきますわ。なに、心配には及びませんよ。すぐに戻ってきますから」

 

 気負いなく答えてロクスレイはウィルと共に夜の森へ消えていく。その後ろ姿が闇に完全に呑まれるまで、ルミアはロクスレイの姿を見つめ続けた。

 

「さて、私達は居残り組なわけだけど、どうする? このまま寝るかい?」

 

「いいえ、お二人の帰りを待ちます。ダメですか?」

 

「私は構わないよ。エリザはどうだい?」

 

「いいんじゃない? (アタシ)としては待ちに待ったチャンスだし、ロクスレイ(お邪魔虫)もいないからむしろウェルカムよ」

 

 と言いつつさり気なく仕事用のスケッチブックや採寸用の巻尺を持ち出すあたり懲りていない。むしろ邪魔をするロクスレイがいない今が好機と考えているようだ。

 

 ジリジリとルミアに躙り寄るエリザ。身の危険を感じたのかルミアは頬を引き攣らせながらシャルルに助けを求めた。

 

「エリザ。いつ敵が襲撃してくるかも分からない。着せ替えはなしだよ。採寸までで我慢するんだ」

 

「分かってるわよ。どの道、嵩張る服は持ってこれてないし、できてアクセサリーくらいよ」

 

「あの……これから何をされるんでしょうか? 私」

 

 不安になって尋ねれば苦笑するシャルル。

 

「大丈夫、悪いことにはならないよ。それよりも、ただされるがままも退屈だと思うから、少し真面目な話をしようか」

 

 遮音結界と外界との断絶結界を張り巡らせ、更には魔術的隠蔽まで施したところでシャルルがルミアに体ごと向き直る。

 

「君には聞く権利がある。私達、無貌の王(ロビンフッド)の一族が何なのか。君が何故、里に招かれることになったのかをね──」

 

 

 ▼

 

 

 闇夜の静寂を耳を劈く銃声が切り裂く。甲高い筒音が響く度に敵手である天の智慧研究会の魔術師達が面白いくらいにバタバタと倒れる。全員が何が起きたのか分からないといった死に顔だ。

 

 次から次へと撃ち倒される仲間の数々に外道魔術師達は焦燥する。愚かにも視界の利かない夜の森に逃げ込んだ獲物を狩るだけの簡単な仕事になるはずだったのに、何故ここまで一方的な展開になっているのか。

 

 数の上では間違いなく自分達が上回っていたはずだ。対して相手はたった数人。負ける道理は何処にもないはずだった。

 

 しかし、現実に外道魔術師達はじわじわと追い詰められている。いつの間に設置したのか無数の罠に絡め取られ、罠に気を取られれば飛来する矢と銃弾に撃ち倒される。逆に狙撃だけを警戒すれば暗闇に紛れて接近、鋭利な刃物で首を切り裂かれてしまう。

 

 それだけではない。根本的に連中の攻撃はおかしい。銃声が聞こえたと思ったら真反対の方角から弾丸は飛んでくるわ、魔術的防御を張っても針の穴を突くような精密狙撃で撃ち抜かれるわ、もう滅茶苦茶だ。

 

 何より一番信じ難いのは、相手がまともな魔術を一つとして使用していないこと。昼間は広域破壊魔術(エリザの騒音)を使っていたことから魔術師だと踏んでいたというのに、いざ蓋を開けてみれば現れたのは魔術のまの字もない弓兵と銃士。それも恐ろしく森での戦闘に慣れた手練れである。

 

 勝ち目がない。追い詰められたのは自分達であると悟った時には既に仲間の数は数人を切っていた。

 

 銃声が鳴り響く。矢が空を切り裂く。残された魔術師達は罠に嵌められた哀れな獲物の如く、あっという間に狩り尽くされてしまった。

 

「うん、まあこんなものかな」

 

 地面に倒れ伏す幾つもの骸を見下ろし、ウィルは銃口から煙を上げるピストルを下ろした。

 

「おーい、ロクスレイ。そっちはどう?」

 

「問題ねえですよ。他に敵影もなし。これで打ち止めだ」

 

 森の暗がりからすっと姿を見せるロクスレイ。深緑の外套を身に纏う彼は、夜闇に紛れて罠を張り弓と短剣で魔術師達を葬っていた。

 

 対してウィルは銃での狙撃。幾つか小細工を仕込みながらも持ち前の早撃ちで敵を撃ち倒していった。

 

「思ったより歯応えなかったなぁ。大して抵抗もしてこなかったし」

 

「ま、所詮は末端の連中だ。実力も高が知れてる。そもそも、森に入った時点で連中はオレ達の領域(テリトリー)内。こっちが負ける道理なんてあるわけないっしょ」

 

「まあね」

 

 天の智慧研究会の魔術師達にとって何が不幸だったかと言えば、一族の中でも抜きん出てゲリラ戦に特化したロクスレイとウィルが相手だったことだろう。さもなくばここまで一方的に封殺され、なす術なく全滅することもなかった。

 

「ところで話は変わるけど、あの娘をどうするつもりだい?」

 

「はあ? 何を藪から棒に……」

 

「いやだって君、彼女を里に連れていくことに反対してるよね」

 

「……まあな」

 

 渋い顔でロクスレイは頷く。ウィルは不思議そうに首を傾げるとその理由を尋ねる。

 

「どうしてだい? 確かに無貌の王(ロビンフッド)に関われば後戻りは利かなくなるかもしれないけど、全てが彼女にとってデメリットになるわけでもないよね」

 

 無貌の王(ロビンフッド)に関わり一族の悲願が成就された暁には、まず間違いなくルミアには心強い護衛が増える。出自からして天の智慧研究会やら他国の目から身を守らなければならない彼女にとって、一族のバックアップを受けられるのは喜ぶべき事柄だ。

 

 ロクスレイも頭では理解している。今でこそ身分を隠して一魔術学院生として日々を送っているルミアであるが、それも何時までもは続かない。何れは己の抱える事情と向き合わねばならなくなる。その時、彼女の味方は多いほうがいいに決まっている。

 

 重々分かっている。だがどうしても納得ができない。

 

 陽だまりの世界にいる彼女を日陰の世界に連れ込むことを許容できない。ルミアの居場所は日向(あそこ)にあるのだ。姉妹同然のシスティーナ=フィーベルと大切な友人リィエル=レイフォード、そして魔術講師グレン=レーダス。加えてクラスの友人達。

 

 彼ら彼女らと共に在ることこそがルミアの在るべき姿。最も彼女が幸せである状態なのだ。それを崩してしまうなど到底容認できるものではない。たとえいつかは手放さねばならないものであったとしてもだ。

 

 それにロクスレイが反対したがる理由は他にもあって──

 

 黙り込んで答えようとしない友人をしばし眺め、ウィルは興味深げに頷く。

 

「まあ君が反対する気持ちも分からなくはないよ。言い伝えに関して君は酷く懐疑的だし、一族の悲願も半ば目的と手段が入れ替わっている節もあるしね」

 

 一族の悲願、それは王の資格を持つ者なくしては成就し得ないとされている言い伝え──

 

「──皐月の王に至ること、か……」

 

 苦い顔でロクスレイは呟く。ウィルが首肯した。

 

「何時からそうなったのかは知れないけど、一族の悲願は皐月の王に至ることになってる。本当のところはその先にあるもの、皐月の王になることで初代の過去を知ることが目的だったはずなんだけどね」

 

「皐月の王なんて、所詮はお伽話だろ。実在したかも不確か、初代ロビンフッドがそうであったかも分かってねえのに」

 

「だからこそ、僕達は知りたいんだよ」

 

 片手でテンガロンハットを押さえながらウィルは頭上を振り仰ぐ。梢の隙間から覗く満点の星を眺め、微かに切実さを滲ませて言った。

 

「初代が何者であったのか、仕えた主人は守ることができたのか。何より、その最期は満足できるものであったのかどうかをね……」

 

 視線をロクスレイに戻し、ウィルは物寂しい笑みを浮かべる。

 

「言葉にするのは難しいけど僕達は知りたいんだ。この身に流れる一族の血が訴えているというのかな」

 

 たとえ永い時を経て血が薄まってしまっていても一族には初代の血が連綿と受け継がれている。その血が彼らに悲願の成就を求めているのだ。

 

 そしてそれはロクスレイには理解できないもの。彼は結局のところ一族の血を持たぬ人間であるから、一族から認められ無貌の王(ロビンフッド)になったところで血が求める感覚など分かりはしない。

 根本的なところで隔たりを感じてしまう。同じ想いを共有できないというのは何とも辛いものだ。

 

 僅かな感傷を胸中に押し込めてロクスレイは努めて飄々とした口調を取り繕う。

 

「ま、ここまで来てうだうだ言っててもしょうがない。さっさとお嬢さん達の所に戻るぞ」

 

 無理やりに話題を断ち切り、踵を返して野営地へと歩を進めるロクスレイ。その背中を呆れ交じりに眺めて誰にともなくウィルは呟いた。

 

「相変わらず自分に素直じゃないよね、君」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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先代と奥方

ただ一言──正義のメイド服ナイトかわゆす。


 森の奥深くに居を構える無貌の王(ロビンフッド)の一族が住まう里。道筋を知る一族だけが辿り着ける秘境に一行が到着したのは三連休初日の昼頃であった。

 

 二度に渡る天の智慧研究会の襲撃も退け、平穏とは言い難い旅程ではあったものの無事に里に着いた一行を出迎えたのは、肌の黒い民族風の衣装に身を包んだ男であった。

 

「思ったより早かったなお前達。ロクスレイも、無事なようで何よりだ」

 

「ジェロームのおっさん、わざわざ出迎えですかい?」

 

 ジェローム=アパッチ。一族において魔術、特に土着の精霊に纏わる魔術の腕に秀でた男であり、ロクスレイが無貌の王(ロビンフッド)を継承する際の儀式を執り行った祭主でもある。

 

「いや、偶然だ。私はこれから儀式の準備がある。明日の昼までには準備が整うよう手配しておこう」

 

 そう言ってジェロームは里に招かれた少女を見やった。

 

「君がルミア=ティンジェルか。よい目をしている」

 

「あ、ありがとうございます……」

 

 やや気後れしながらも頭を下げるルミア。何というか、ロクスレイやウィルと違ってジェロームは穏やかでありながら自然の雄大さを身に纏う、大いなる力のようなものが感じられた。

 

 そんなルミアの反応にジェロームは特に気を悪くした素振りもなく、むしろ感心したようにひとつ頷く。

 

「ふむ、感受性も悪くない。それでいて肝も座っていると見た。王の資格を持つだけはあるか」

 

「おいこら、ジェロームのおっさん。浮かれてんのは分かるがそいつはいくら何でも失礼ってもんでしょうが」

 

 さっとルミアの前に立ってロクスレイが咎める。むっと唸ってジェロームはすまないと謝罪の言葉を口にした。

 

「私としたことが、とんだ無礼をした。申し訳ない」

 

「あの、頭を上げてください。気にしてませんから」

 

 そもそもルミアには何をされたのかさっぱり分からない。ただその場の雰囲気からして、何かしら試されるような真似をされたのだろう。その証拠に、今のジェロームからは先の圧倒されるような気配は薄れている。

 

 ジェロームは頭を上げると穏やかな物腰で言う。

 

「悪路の走行で疲れたことだろう。アンヌ殿が持て成しの用意をしているはずだ。少々早いが、顔を出すといい」

 

「……爺さんの容態は?」

 

 僅かに表情を曇らせてロクスレイが訊く。

 

「実際に見た方が早いと思うがね、そう悲観することはない。毎日アンヌ殿に甲斐甲斐しく世話を焼かれているよ」

 

 苦笑交じりにそう言ってジェロームは儀式の準備のためにその場を辞する。残った面々も銘々に自宅や暇潰しに繰り出し、ロクスレイとルミアは先代と奥方の待つ家へと向かった。

 

 里の中は比較的静かなもので、自然の景観を壊さぬように点々と木組みの小屋が建っている。森の奥深くにひっそりと暮らす妖精、などというイメージがルミアの脳裏に浮かんだ。

 

 きょろきょろと物珍らしそうに里の様子を見るルミアに、堪らずロクスレイが小さく噴出する。

 

「どうしたの、ロクスレイ君。何か変なことしたかな?」

 

「いや。お嬢さんの反応が面白くてな。こういった環境は初めてでしたかい?」

 

「そうだね。これでも一応、元王女だったから。森林地帯は魔獣が生息していることもあるから近づかないようにって教えられたんだ」

 

「なるほど。ま、その通りだわな」

 

 人間の居住圏や大きな街道には魔獣避けの結界や魔術が施されているため危険は少ないが、一歩人の手が入っていない自然に踏み込めばそこは野生の獣達の領域(テリトリー)。身の安全は保障できない。

 

 とは言え無貌の王(ロビンフッド)の一族は森の狩人である。野生の獣や魔獣如きに遅れを取ることなど子供でもない限りあり得ないし、里自体にも魔獣避けの魔術や罠が張り巡らされている。対策は万全だ。

 

 ロクスレイの案内に従って歩みを進めること数分。目的地たる家が見えてきた。

 

「わあ、凄い……!」

 

 視界を狭めていた木々が開けて目の前に広がった景色にルミアは思わず感嘆の声を洩らし、瞳をきらきらと輝かせた。隣ではロクスレイが困ったような呆れたような表情で頭を掻いている。

 

 ロクスレイとルミアの二人を出迎えたのは色とりどりの花々に囲まれた木造の家だった。貴族の庭園にも負けず劣らずの美しい光景にルミアは言葉も出ない様子だ。

 

「こりゃまた、奥方は随分と上機嫌らしいな。前に見たときより花の量が増えてるっていうか、この調子だと里中が花だらけになっちまうんじゃねえですかね」

 

 別段、里中に花が咲いたところで問題にはならないのだが、仮にも歴史の闇で暗躍する無貌の王(ロビンフッド)の一族が住まう里が一面花畑というのも締まらない。奥方には後で自重をするよう頼もうとロクスレイは決心した。

 

 そんなことをロクスレイが考えていると、ルミアが蜜に誘われる蝶のように花壇の側にしゃがみ込み、好奇心に駆られた子供のように指で軽く突き始めた。

 

 常の清楚で嫋やかな姿とはまた違う、年相応の表情を見せるルミアをロクスレイは微笑ましげに見守る。その肩書き故に子供のままではいられなかったルミアが、柵も何もかも忘れて自然体であれることが素直に良かったと思えた。その点で言えば、今回の里への招待は決して悪いものではなかったのだろう。

 

「あ、見てみてロクスレイ君。この花、他のと少し違うよ」

 

 興奮交じりにルミアに手招きされる。ロクスレイは目を細めて笑みを零しながら彼女の元へ歩み寄ると、指し示される花を見下ろして知識と照らし合わせる。

 

「ああ、そいつはカトレアだな。花言葉は確か優美な貴婦人だったか?」

 

「そうなんだ。ロクスレイ君は花に詳しいの?」

 

「花というか、植物全般はな。毒の有無とか知っておかないと危ねえですし」

 

 仕事の道具として毒を用いるロクスレイにとって植物全般の特性は必須知識。花言葉などは完全な蛇足で情報源はこの花畑を作り上げた当人からである。

 

 植物知識の用途など露知らぬルミアは感心したように声を上げてロクスレイを見上げる。何となく期待を含んだ眼差しにロクスレイは顎に手を当て花畑を見渡す。その一角にぴったりの花を見つけて口角を上げた。

 

「そうだな……お嬢さんにはこいつなんかがお似合いじゃないですかね」

 

 他の花を荒らさないよう気をつけつつ目当ての花を一本だけ手折る。ルミアの視界に入らないよう隠しながら簡単に茎の部分を折り曲げ、即席の花飾りを作った。

 

「ちょいと失礼」

 

 しゃがみ込むルミアの頭に手を伸ばし、作り上げた花飾りをそっと取り付けた。

 

 柔らかな金髪に雪片のような花弁がよく映える。花弁の先端にある緑の斑点がより一層その白さを際立て、 ルミアの清楚な心を表しているようだった。

 

 花飾りをつけられた当人はどんな花なのか分からず、上目遣いに自分の頭を見上げている。無論、頭頂部付近にある花飾りを見ることはできない。

 

「ねえ、ロクスレイ君。どんな花をつけてくれたの?」

 

「さて、何だったかね。ど忘れしちまいましたわ」

 

 ニヤリと意地悪く笑うロクスレイ。答える気はない、というか答えるのが恥ずかしいのだ。咄嗟に選んでしまったとはいえ狙い過ぎた。花言葉を知られた日には顔面から火を噴く自信がある。

 

 無駄に上手い口笛で誤魔化すロクスレイと僅かに頬を膨らませるルミア。そんな二人に小屋の方から声が掛けられた。

 

「あらあら、賑やかだと思えば。帰っていたのね、ロクスレイ。そちらは今日のお客さんかしら?」

 

 いつからそこにいたのか、大きめの如雨露を抱えた穏やかな雰囲気を醸す女性が家の扉の前に立っていた。庭先のロクスレイとルミアを微笑み交じりに見下ろしている。

 

「奥方、いつからそこに……」

 

「うふふ。さあ、いつからかしらね?」

 

 悪戯っぽく微笑む女性。どことなく無邪気な感じが実年齢以上に女性を若く思わせる。

 

 ロクスレイが盛大に頬を引き攣らせる。もしも先の気障なやり取りを見られでもしたらロクスレイはその場で形振り構わず悶える自信があった。これが同年代の連中なら軽くあしらえるのだが、殊彼女が相手となると途端に形無しとなるのだ。

 

 そんなロクスレイの心境など構わず、女性──アンヌはルミアににっこりと微笑みかける。

 

「いらっしゃい、ルミアちゃん。大したお持て成しはできないけど、歓迎するわ」

 

 

 ▼

 

 

「あら、学院でのロクスレイはそんな風なのね。相変わらず素直になれない子なのね」

 

「でも、ロクスレイ君のおかげで頑張れたこともあるんですよ? 魔術競技祭の時には──」

 

 木製のテーブルを挟んでルミアとアンヌが和やかに昼食を取りつつ会話に花を咲かせている。邂逅からそう時間が経ったわけでもないのに両者共に遠慮なく話すことができているのは共通の話題があるからだ。

 

 話題、つまるところロクスレイである。ルミアにとっては心から慕う相手であり、アンヌにとっては実の息子同然の少年。ルミアとアンヌは互いに自分の知らないロクスレイの姿を知っており、それを話題の種にして食事を楽しんでいた。

 

 一方、話題の中心にされているロクスレイは早々に昼食を取り終えると気恥ずかしさから逃亡。先代の休む部屋に避難していた。

 

「なあ、爺さん。頼むから奥方を止めてくれよ……」

 

「すまないが、今のわしにアンヌを止められん」

 

 安楽椅子に腰掛ける先代は気の毒そうな表情を作るものの、妻を止めるつもりはないらしい。アンヌが楽しそうだからというのもあるが、甲斐甲斐しく世話を焼かれているため逆らえないからである。

 

「ぐおお……何が楽しくて奥方とお嬢さんの話のネタにされなきゃならねえんですか。もうお嬢さんと面と向かって話せねえよ」

 

 幼少期の頃の思い出話などをされた暁にはルミアとまともに顔を合わせられる気がしない。実際はシャルルから既に暴露されてしまっているのだが、幸せなことにロクスレイは知らないことだ。

 

 ロクスレイは両手で顔を覆って言葉にならぬ唸り声を上げていたが、やがて落ち着きを取り戻すと先代に向き直った。

 

「体の調子はどうなんですかい? あれから何か問題は?」

 

「そうだな……一度倒れたが、それ以降は問題ない」

 

「はぁ!? 倒れたぁ?」

 

 驚きの事実にロクスレイは思わず素っ頓狂な声を上げた。

 

「初めて聞いたぞそんな話」

 

「うむ、ここに戻ってすぐのことだったからな。おかげでアンヌに迷惑をかけてしまった」

 

「迷惑……いや、むしろ奥方は喜んでそうですけど」

 

 先代が倒れたことにはきっと心配を募らせたことだろうが、そのおかげで半ば強制的に隠居状態となり、愛しい夫と過ごせる時間が増えたことはむしろ僥倖だろう。外の花の量が際限知らずに増加しているのがその証左だ。

 

「まあ、なんだ。丁度いい機会だったんじゃないですかね。このまま残りの老後を奥方とのんびり暮らすのも悪かないと思いますぜ?」

 

 ロクスレイとしてはむしろ大人しくしていてくれというのが本音だ。先の一件で著しく寿命を削った先代に無理をされては敵わない。

 

 しかし当の本人は若干不服げである。ロクスレイと同じで根っからの仕事人なのだ。いや、この場合はロクスレイが先代に似たというのが正しいだろう。

 

「お前はどうするつもりだ、ロクスレイ。もう儀式まで時間はないぞ」

 

「どうするっつってもな、資格を失ったオレにまたお鉢が回るとは思えない。皐月の王がどうなろうと次代の長はシャルルあたりが妥当でしょうよ」

 

「それで本当に後悔はないか?」

 

 老境に入っても未だ眼光衰えぬ先代の眼差しがロクスレイを射抜く。一瞬、ロクスレイの目が動揺に揺れた。

 

「お前はやりたいこと、為すべきことの線引きが時に極端になる。そのままでは本当にやりたいことを見失ってしまう。分かっているか?」

 

 先代の厳しい言葉にロクスレイは決まり悪そうに目を逸らす。聞き分けのない子供のような態度に先代は深い溜め息を吐いた。

 

「……分かってんだよ、そんなこと」

 

 不意にロクスレイが呟く。

 

「でもな、オレを受け入れてくれた一族(連中)に恩を仇で返すような不義理な真似はできないだろ……」

 

 そう言い残してロクスレイは部屋から逃げるように去っていった。

 安楽椅子に深く身を沈める先代は皺の目立つ目元を僅かに緩める。

 

「そこまで理解しているのならば、あとは踏み出すだけだろう」

 

 

 

 

 

 

 



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母親の想い

長らくお待たせしました、夏休みっていいですね……
ちなみに皆さんはイベント終わりました? 自分はフランちゃんが欲しくて回したらキャスネロが降臨なさいました。嬉しいけど、包帯姿のフランちゃんが欲しかった……。


 すっかり意気投合したルミアとアンヌはそのままの勢いで家を出ると、お昼下がりの森へと意気揚々と散歩に繰り出した。何やらアンヌがルミアに見せたいものがあるらしく、二人は森の奥深くへと進んでいく。

 

 やがて二人は目的地たる丘に辿り着いた。

 

 里から少し離れた場所にある小高い丘は、一面多種多様な花々に覆われていた。その様子はさながら色鮮やかな絨毯のようで、ルミアは家を囲む花壇を見たとき以上の衝撃を受ける。

 

「うわぁ……これ全部、アンヌさんがお手入れしているんですか?」

 

「ふふ、そうよ? 数少ない趣味の一つですもの」

 

「凄い。でも、この数を一人で手入れするのは大変じゃないですか?」

 

 大変どころではない。目の前に広がる花畑は人一人で維持できる規模を超えている。一体全体どうやってこれほどの花畑を手入れしているというのか。

 

 疑問符を浮かべるルミアにくすりと笑いかけ、アンヌは家から持ち出した花の種を適当な場所に蒔き、これまた手に持っていた小さめの如雨露で水を与える。そして最後の仕上げに自らの手を種子に翳すと──

 

「──えっ!?」

 

 驚愕の声を上げるルミアの目の前で淡い燐光が舞う。アンヌの手から溢れ出す光を浴びて種子が見る見るうちに根を張り芽を出した。

 

 種子の成長は止まらない。芽は天を目指して伸び続けて葉をつけ、やがては可憐な花を咲かせる。時間の早送りのような現象にルミアはただただ驚く他なかった。

 

「里の人達以外には内緒よ?」

 

「今のは、異能力ですか……?」

 

「そうよ。異能力『植物成長促進』。そこそこ珍しい能力みたいで、悪い魔術師さんが知ったら挙って狙いにくるみたい。おかげで生まれてからずっとこの里の外には出たことがないのよ」

 

 植物の成長を促進する能力。発火能力や発電能力などと比べると地味に感じられるが、植物や生命を研究命題にする魔術師にとっては喉から手が出るほどに希少な異能だ。

 

 異能力を有していることが判明して生まれた世界を追放されたルミア。異能力を持って生まれたがために外の世界に出ることを許されなかったアンヌ。二人の境遇は驚くほどに似通っていて、ルミアは思わずアンヌに尋ねてしまう。

 

「お辛くはないんですか?」

 

 自分は辛かった。今でこそ関係は修復したが、当時は大好きだった母親に捨てられて世界の全てが敵に回ったと思い込んで絶望すらした。幸い助けを差し伸べてくれた人──本人にその自覚はない──がいたからこうして明日に希望が見出していられるが、もしも彼と出会っていなかったら自分は悲嘆に暮れたままだっただろう。

 

「辛かったわよ? 子供の頃は特に、他のみんなが里の外に出る時でもお留守番。外は危ないだなんて大人に言われたって分からないもの。我儘だって沢山言ったわ」

 

 抑圧された幼少時代を語るアンヌは、しかし言葉とは裏腹に穏やかな表情をしている。

 

「でもね、そんな私の我儘に我慢強く付き合ってくれた人がいたのよ。外の世界のアレが欲しいって言ったらわざわざ取りに行ってくれてね。外に出たいっていう我儘だけは最後まで聞いてくれなかったけど、それ以外の我儘は殆ど聞いてくれた。不器用で、それでとっても優しい人」

 

 頬に手を当てて語るアンヌは本当に幸せそうで、釣られてルミアも気分が明るくなる。

 

「その方はもしかしてあのお爺様ですか?」

 

「あら、分かっちゃう? そうなの、あの人だけが私の我儘に根気強く付き合ってくれた。因みに告白は私からしたのよ? あの人、いつまで待っても受け止めてくれないもの。だからこっちから飛び込んでやったわ」

 

「あははっ、そうだったんですか……」

 

 ふふん、と得意げに語るアンヌにルミアは苦笑を禁じ得ない。

 

 あの厳格そうな人に熱烈なアプローチをかけるその勇気は流石と言わざるを得ない。ロクスレイ相手になかなか一歩踏み出せないルミアとしては参考にしたいところである。

 

「ふふっ、ルミアちゃんも勇気を出して踏み込まないと先には進めないわよ? なんてったってあの子、そういうところまであの人にそっくりだから」

 

「ぜ、善処します……」

 

 とは言うものの今のロクスレイ相手に踏み込む勇気はルミアにはなかった。

 

 無貌の王(ロビンフッド)としての能力を失ったロクスレイの精神状態はあまりにも不安定で、下手な近づき方をしてしまえば何もかも水泡に帰してしまう。そんな不安があったからだ。

 

 しかしそこはアンヌ、ルミアよりも長く母親として付き合ってきたからこそルミアの背中を押す。今がチャンスなのだと、純真無垢な恋する乙女に男を落とす手管を授けようとする。

 

「いい、ルミアちゃん。あの手の男の人は引いたらダメなのよ。隙を見つけたら一気に押し込むくらいじゃないと逃げちゃうから。本にもそう書いてあったもの」

 

「え、えぇ……? ですが、今のロクスレイ君は、その……色々と悩み事もあるみたいですし……」

 

「だからこそよ。あの子の悩み事を綺麗さっぱり解決するにはルミアちゃんが踏み込んで、ロクスレイの背中を押してあげる必要があるの。育ての親としては情けないばかりだけど、きっとそれが一番の薬になるはずだから」

 

 少しばかり寂しげにアンヌは言う。長いこと育ての親として共に暮らしてきたからこそロクスレイの悩み事が何なのかは分かる。分かるからこそ、親である自分では解決できない問題であるとも悟ってしまった。

 

 ロクスレイの心にかかる暗雲を払うことができるのはルミアだけ。それは母親としての直感であり、そして何よりロクスレイの言動が証明していた。

 

「大丈夫、あの子が貴女を拒絶するなんてことはあり得ないわ。だって──」

 

 アンヌがルミアの頭に飾り付けられ小さな花にそっと触れて穏やかな微笑みを零す。

 

「──あの人とやることなすことが同じなんだもの。本当に分かりやすいわ」

 

 懐かしそうに目を細めるアンヌに、ルミアは戸惑いの眼差しを向ける。アンヌはいいことを思いついたとばかり悪戯っぽく笑うと困惑顔のルミアに耳打ちをした。

 

「知ってる? ルミアちゃんの花飾りはスノーフレークっていうお花でね、花言葉は清楚・純真・皆を惹きつける魅力なの。ロクスレイは貴女のこと、よく見てるのね」

 

「え……あ、その……」

 

「あらあら、顔を真っ赤にしちゃって。ルミアちゃんったら可愛い!」

 

 不意打ち気味のネタばらしにさしものルミアも頬が熱くなるのを我慢できない。素直ではないロクスレイから贈られた花飾りにそんな意味合いがあったとは思いもよらなかった。もっと揶揄い的な意味があると思っていたのだ。

 

 かあっ、と朱に染まる頬を押さえて身悶えるルミアをアンヌは微笑ましげに見つめ、手近に咲いていた花を一輪だけ手に取る。

 

「これ、受け取ってもらえる?」

 

「これは……」

 

「アネモネ。花言葉は期待・希望。他力本願で母親としては情けないけど、ロクスレイをお願いね、ルミアちゃん」

 

 差し出された一輪の花をじっと見つめ、ルミアは真剣な面持ちでその花を受け取る。

 

「……はい、確かに受け取りました」

 

 アンヌから花と共に強い想いも受け取りルミアは決意を固めるのだった。

 

 

 ▼

 

 

 ルミアとアンヌが花咲く丘で話し込んでいる一方、丘から少し離れた木々の陰からロクスレイは二人の様子を見守っていた。

 

 これでもロクスレイはルミアの護衛。里内で基本的に安全が保証されているとはいえ目を離すわけにはいかない。二人が家を出た時からロクスレイは護衛としてついていたのだ。

 

「随分と仲がよろしいことで。流石は奥方、いやあの二人だからこそか……」

 

 アンヌの案内のもと花畑を巡るルミアは本当に楽しそうで、見ているロクスレイも我知らず表情が和らぐ。

 

 しばし美しい花畑を蝶のように自由に堪能するルミアを眺めていると不意に背後で茂みが揺れる。ロクスレイが首だけ巡らして後ろを見やるといつの間にいたのか、手頃な樹木に凭れかかるシャルルの姿がそこにあった。

 

「やあ、ロクスレイ。里の中でも護衛をしているあたり、相変わらず真面目なことだ。それとも、可憐な少女を覗き見ている真っ最中だったかな?」

 

「人を覗き魔扱いするんじゃないですよ。こっちは真面目にやってんの」

 

「でも君の仕事振りを見ると、ストーカーの誹りも仕方ないと思うけどね」

 

「仕方ないでしょうが。仕事の内容からしてああするのがベストだったんだからな」

 

 不貞腐れ気味に言い返してロクスレイは腕を組んで手近な木に背を預けた。

 

「で、何の用だ? 何かしら用があったんでしょ?」

 

「そうだね……」

 

 静かに瞑目してからシャルルは努めて淡白な口調で言う。

 

「一族の総意で私が次代の無貌の王(ロビンフッド)に選出されたよ」

 

「……そうかよ。ま、妥当な人選だわな」

 

 告げられた事実にロクスレイは特に驚くこともない。自分を除けばシャルルが一番の有力候補であることを知っていたからだ。能力的にも彼女以上に無貌の王(ロビンフッド)に適する人物はいないだろう。

 

「いいのかい? 次の無貌の王(ロビンフッド)は恐らく皐月の王へと至ることになる。それはつまり、私と彼女が主従関係を結ぶということだ」

 

「良いも悪いも、一族の決定にオレが逆らえるワケないでしょ? ま、これで面倒な仕事から解放されると思えば、肩の荷も降りるってもんですがね」

 

「……はぁ、まあこれ以上は言わないでおくよ」

 

 ロクスレイの皮肉げな態度にシャルルは呆れたとばかりに溜め息を吐いた。

 

「伝えるべきことは伝えたよ。明日の儀式の際は君も必ず参列すること、いいね?」

 

「あいあい、分かりましたよ。言われんでもちゃんと立ち会いますからご心配なく」

 

 ひらひらとおざなりに手を振るロクスレイ。何とも投げやりな態度であるが言質を取った以上、ロクスレイが儀式を欠席することはないだろう。目的を達成したシャルルは早々に元来た道を戻ろうとする。

 

「……あー、ところでシャルル。一つ聞いてもいいですかい?」

 

「何かな?」

 

「いや、突っ込まないでおこうかどうか迷ってたんだが……なんでメイド服なんて着てんの?」

 

 最初から最後まで気になって仕方がなかったシャルルの服装。普段の男装姿ではなく青を基調としたメイド服という、普段なら絶対に着ない格好にロクスレイは戸惑いを覚えていた。

 

 指摘されたことで羞恥を思い出したのか途端に顔を赤くするシャルル。

 

「し、仕方ないだろ! エリザが着ろと煩いから仕方なくだ!」

 

「いや、でも……結構ノリノリじゃないんですか? しっかり着こなしちゃってますし」

 

 メイド服に付属するアクセサリーやホワイトブリムまで着用しているあたり、実は楽しんでいるのではないか。そんなロクスレイの言葉にうっと呻く。ひらひらとした衣装は落ち着かないことこの上ないのは確かであったが、かと言って真っ向から拒絶するほど嫌がってもいない。シャルルだって立派な女の子なのだ。

 

 だがそれを認めるのは癪でシャルルは顔を真っ赤に染めながら喰い下がる。

 

「元を正せば君にも責任の一端があるんだぞ!? エリザがティンジェルさんの所へ突撃しようとするから、代わりに私が身代わりなったんだからな!というか、エリザの手綱を握るのは君の役目だろう!?」

 

「そんな無茶苦茶な……」

 

 とは言え流石に見ていて可哀想になってきた。普通に似合っているしルミアあたりなら可愛いと評するのだろうが、普段の男装姿を見慣れたロクスレイとしては今のシャルルの格好は落ち着かない。

 

 とりあえずさっさと着替えろと言おうとして、ふとシャルルの様子がおかしいことに気づく。赤い顔を俯かせ不気味に肩を震わせている。

 

「ふふふっ、そうだ……私だけがこんな目に遭うなんておかしな話じゃないか。ここはお嬢さんの護衛である君も体を張るべきだろう?」

 

「お、おい……何を考えてんですか、オタク」

 

「なに、心配するな。君も犠牲になることでお嬢さんの身が守られるなら安いものだろう? さあ、行こうか、ロクスレイ」

 

「待てコラ! 手を離せ、シャルル! オレまで道連れにするつもりか!?」

 

 ぐいぐい手を引っ張るシャルルを振り払おうとするも、どこから力が湧き出るのかがっしり腕を掴まれて逃げられない。

 

 もはや形振り構わないシャルルの道連れに何としても逆らおうとするロクスレイ。二人の攻防はしばらく続き、結果はシャルルがロクスレイを気絶させて引き摺っていったとだけ言っておこう。その後の二人がどうなったかは当人達とエリザだけが知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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運命の夜

お待たせしました、やっと……やっとロビンフッドが絆レベルMAXになりました!



「あ〜えらい目にあった……」

 

 シャルルの手によって道連れを喰らったロクスレイは精神的にクリティカルヒットを受けた状態で帰宅した。

 

 時刻は既に深夜近く。本当なら先代夫婦とルミアを交えた夕食会になるはずが、残念ながら今の今までエリザに解放してもらえず、ロクスレイを除く面々はとうの昔に寝入っているようだった。

 

「お、わざわざオレの分を残しといてくれくれたのか。ありがたいねぇ」

 

 テーブルの上に用意された夜食を見て頬を緩ませる。ぶっ続けでエリザの相手をさせられていたため腹が減っていたのだ。ロクスレイは席に着くと手早く食事を進めた。

 

「ん? こいつは奥方のと味が違う? どっかで食べたような気がするな……」

 

 懐かしいアンヌの料理とは味付けが違うスープに片眉を上げ、すぐにその理由を察する。というか、今この家にいる人間でアンヌ以外に料理ができる人間など一人しかいない。

 

「お嬢さんか……」

 

 この微妙に拙い味付け、野菜の切り具合からして間違いないだろう。長年主婦を務めてきたアンヌと比べると粗が目立つものの、しかしロクスレイは特に気にした様子もなく、僅かに目を細めて美味しそうにスープを飲み干した。

 

「ご馳走さんっと。オレもさっさと寝ますかね」

 

 手早く食器類を片付け、寝支度を整えて自室に向かう。長いこと空けていたもののアンヌが掃除をしておいてくれたらしく、ロクスレイの部屋は清潔に保たれていた。

 

 窓から差し込む月光だけが頼りの薄暗い室内。物の配置を記憶しているロクスレイは難なくベッドに辿り着く。

 

 洩れ出る欠伸を噛み殺しながらロクスレイは疑いなくベッドに潜り込む。薄手の毛布を持ち上げ、さて寝ようかとしたところで妙な違和感に気づいた。

 

 ──先客が、いた。

 

 その先客は綿毛のように柔らかそうな金の御髪を携え、毛布の中から透き通った碧い瞳でロクスレイを見上げていた。

 

 非常に見覚えのある顔立ち、というか見間違えるはずもなくルミア=ティンジェルその人である。

 

「お、お嬢さん!? なんでこんなとこにっ──!?」

 

 大慌てでベッドから飛び退こうとするロクスレイ。しかしその腕をルミアの手がしっかりと握る。

 

「待って、ロクスレイ君……少し、お話しよ?」

 

 逃げそびれたロクスレイを見上げるルミアの瞳は真剣だ。大胆な行動をしている自覚はあるのか若干頬が赤いものの、ロクスレイを掴む手が緩むことはない。頑として離さない意思が感じられた。

 

 こうなっては梃子でも動かないだろう。ベッドに入るまでルミアの存在に気づかなかったロクスレイの手落ちだ。大人しく話を聞く他ない。

 

 小さく溜め息を吐いてロクスレイは毛布をルミアに放りかける。恐らく長丁場になると思われる以上、ルミアに風邪を引かせてはならないとの配慮だ。

 

 もぞもぞと毛布に包まるルミアにロクスレイが言葉を投げかけた。

 

「それで、話ってなんですかい?」

 

 改めてベッドの上に座ってルミアと向き合う。思えば力を失って以来、こうしてルミアと真正面から話をする機会はなかった。間が悪かったのもあるが、ロクスレイが避けていたのもある。

 

 ルミアは言葉を選ぶように間を置いてから話を切り出した。

 

「シャルルさんから大凡のお話は聞きました。ロビンフッドのこと、皐月の王のこと、それとロクスレイ君が私の護衛から離れることも」

 

「っ……ま、隠してもすぐにバレることだわな」

 

 護衛をされる人間に護衛者が変更されることを伝えずにいれば要らぬ混乱が生まれかねない。認識の齟齬をなくすためにもルミアに護衛が変わることを伝えるのは正しいだろう。

 

「そーですよ。お嬢さんの言う通り、明日の儀式を終えたら護衛はオレからシャルルに変わる。それだけじゃない、お嬢さんとシャルルは主従関係を結んで皐月の王へと至ることになる。そうなれば、いよいよもってオレはお役御免だ」

 

 投げやり気味にロクスレイは言った。

 

 どこか無理をしているようなロクスレイの態度にルミアは痛ましげに表情を歪める。

 

「……ロクスレイ君はそれでいいの?」

 

「いいもなにも、一族の総意だ。オレが口出しできることでもないし、何より今のオレはお嬢さんの護衛に相応しくない。無貌の王(ロビンフッド)でなくなったオレに、お嬢さんを守る騎士(ナイト)の役目は務まらないのさ……」

 

「……でも、私は嫌だよ」

 

「嫌っつってもな、今のオレじゃあお嬢さんを守れねえんだ。役に立たない木偶よか、能力も人柄も申し分ないシャルルの方が良いに決まってるでしょ?」

 

 駄々をこねる子供を宥めるような気持ちでロクスレイは諭す。しかしそれで納得するルミアではない。

 

「確かに、今のロクスレイ君は無貌の王(ロビンフッド)の力が使えない。それが護衛として致命的な欠陥になるのかもしれない。でもね──」

 

 向かい合うロクスレイの手を自身の手でそっと包み込み、万感の想いを込めて告げる。

 

「私を救ってくれたのはロクスレイ君の手だから」

 

 他の誰でもない、この手に救われてきた。

 

 誘拐犯から救ってくれたのも、絶望から救い上げてくれたのも、学院での様々な事件から命まで懸けて守ってくれたのも、この手だから。

 

「これからも、この手に守ってもらいたいんだ」

 

 他の誰かの手ではない、この手(ロクスレイ)に守ってほしいと少女は願う。ルミアにしては珍しい我儘だ。

 

 けれど偶には我儘だって言いたくもなる。我を通すことで他人に迷惑がかかってしまうのは承知しているし、心苦しくも思う。でも、これだけは譲りたくない。

 

 何故なら──

 

「──貴方のことを愛しているから、もう離れたくないんです……」

 

 ずっと秘め続けた想い。好意はいつしか優しい愛に昇華され、ついに花開いた。そしてその花はきっと、捻くれた少年の心にも一筋の陽だまりを落とす。

 

「……ほんと、お嬢さんには敵わないな」

 

 参ったとばかりに手を挙げるロクスレイ。その表情は今までの諦観に満ちたものではなく、吹っ切れたように清々しいものだった。

 

 外道の血に塗れた手。もはや無貌の王(ロビンフッド)ですらなくなった少年の手に守られたいと少女は言った。女の子にここまで言わせて黙っていては男が廃る。

 

 故に少年もまた、己の覚悟をここに表明した。

 

「そこまで言われちゃあ、どんな駄目男だって気張るさ。オレなんかの手でよければ、どこまでもついていきますぜ」

 

 楽しげに言いつつルミアの手からそっと離れる。あっ、とルミアが不安げな声を洩らすも、ロクスレイは心配するなとばかりに笑ってみせた。

 

「ちょっくら出かけてきますわ。今日は帰れないかもしれませんが、なに、ちゃーんとお嬢さんのもとへ戻ってくるんで待っててくれよ」

 

 ベッドの上にルミアを残してロクスレイは足早に部屋を出る。そのまま出かけようとしたロクスレイを待ち構えていたかのように、リビングにぼんやりと人影が浮かんだ。

 

 ロクスレイの親代わりである先代ロビンフッドだ。ロクスレイが出かける気配を察知したのか、はたまたこの展開を予想していたのか。どちらにせよ、目の前の翁もまたロクスレイが説得しなければならない相手の一人だ。

 

「行くのか?」

 

「ああ。もう一度無貌の王(ロビンフッド)やるために、ちょいと根回ししてきますわ」

 

「覚悟はできたか?」

 

 ともすれば威圧すら伴う問いにロクスレイは間髪入れずに頷く。

 

「オレを必要としてくれる人がいる。その想いに応えるために、オレは往く。似合わねえのは百も承知してますがね、あんだけ背中押されちゃあ頑張るしかないでしょ?」

 

 ふっと不敵な笑みを浮かべる。段々といつもの調子が戻ってきた。無貌の王(ロビンフッド)でなくなってからこの方、上の空気味だった心がきちんと地に足をつけたらしい。それはきっと、少女の溢れる想いを背負ったからだろう。

 

 迷いない少年の瞳を見据え、先代は満足そうに口髭に覆われた口元を緩めた。

 

「いいだろう、わしも助力するとしよう」

 

「何言ってんだ。ご隠居様は大人しくしてな。無茶すると身体に障るぞ?」

 

「お前一人で一族の人間を全員説得するなど無理だろう。素直に聞き分けるべきだ」

 

「ぐっ……」

 

 痛いところを突かれて苦い顔になる。

 

 元無貌の王(ロビンフッド)とはいえロクスレイは外様でありなおかつ若い。一族の古株の説得に梃子摺ることは目に見えている。先代の助力はこれ以上になく魅力的であった。

 

 最終的にはロクスレイの方から力添えを頼んだ。

 

「奥方に文句言われたって知りませんからね」

 

「安心しろ。アンヌも了承済みだ」

 

「夫婦揃ってこの人達は……」

 

 呆れたように零すロクスレイだが、言葉とは裏腹に声色は弾んでいた。

 

 ロクスレイと先代は肩を並べて家を出る。もう一度、無貌の王に返り咲くため、少女の願いを叶えるために二人の元ロビンフッドが動き出した。

 

 

 ▼

 

 

 そもそも無貌の王(ロビンフッド)とはどのようにして受け継がれてきたのか。

 

 現ロビンフッドが後継を育てるという手法ではない。その場合、任務中にロビンフッドが殉死してしまえば次代へ受け継がれなくなってしまう。

 

 かといって血脈が関係あるかと言えばそうでもない。ロクスレイがロビンフッドとなったことがその証左だ。

 

 次代のロビンフッドを受け継ぐ方法。それは一族の総意を得た上で、里の近くにある石碑に刻まれた文言を読み上げ誓いを立てること。一族が継承の儀式と呼ぶ手順を経て無貌の王(ロビンフッド)は受け継がれる。

 

 石碑は初代無貌の王が遺したとされるもの。詳しい原理や製造法は不明。ただ一つ分かっているのは、石碑に秘められた謎を解き明かすためには王の資格を持つ者が必要不可欠であることだけだ。

 

 そして今、王の資格を持つ者(ルミア=ティンジェル)が見守る中で継承の儀式が執り行われようとしていた。

 

 里から少しばかり離れた場所にある儀式場。一様に深緑の外套を身に纏った一族の人間が揃い踏みしていた。その中には色合いこそ同じであるが、他の面々とは違ってドレス姿となったルミアもいる。

 

 深緑をベースとした美しいドレス。どことなく王者の風格めいたものを漂わせるドレスは、あのエリザ謹製の代物とだけあって完成度は恐ろしく高い。

 

 エリザ曰く──皐月の女王(メイ・クイーン)にピッタリの衣装よ、だそう。

 

 廃嫡されてからドレスなど着る機会に恵まれなかったルミアであるが、それでも元王族であるだけあってドレスの着こなしは完璧。不安があるとすれば昨夜から一度も姿を見せないロクスレイの所在くらいである。

 

 他にもこの場にはシャルルの姿もない。継承の儀式において中心人物であるはずの彼女までいないのは妙だろう。

 

 ロクスレイもシャルルも未だ姿を現さない中、儀式の進行を務めるジェロームが前に出た。ざっと集まった面々を見回して厳かに口を開く。

 

「皆、よく集まってくれた。これより継承の儀式を執り行う……と言いたいところであるが、その前に決めなければならない。()()()()()()()()、どちらが次代の無貌の王(ロビンフッド)に相応しいのかを」

 

「──え?」

 

 ジェロームの発言にルミアは思わずを声を洩らす。しかしルミア以外の一族の人間が驚いている様子はない。知らないのはルミアだけだ。

 

 混乱するルミアを他所にジェロームの言葉は続く。

 

「よって儀式を執り行う前に、まず候補者二人から一人を選ぶとする。二人とも、来たまえ」

 

 ジェロームの声に応じて二つの人影が儀式場の中央へと歩み出てくる。ついさっきまで姿が見られなかったシャルルと、そしてロクスレイだ。二人も他の面々と同様、深緑の外套を着ていた。

 

 いつの間にか無貌の王(ロビンフッド)候補となって儀式場に現れたロクスレイにルミアは驚きと当惑を隠せない。そんなルミアにロクスレイは一瞬だけ顔を向け、悪戯が成功した小僧のように笑ってみせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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決闘

10巻でいよいよルミアちゃんの能力とか色々明らかになってきましたね。それに伴って皐月の王の設定も多少変更……大分間が空いてしまいましたがやっとこさ更新です。
ところでextraのCMでロビンフッドさんが動いていてわたくし、大興奮してます、はい。


 ルミアから想いを告げられたロクスレイは根回しに奔走した。というのも、次代の無貌の王(ロビンフッド)にもう一度選ばれるためには一族の総意が必要だからだ。

 

 現状、次期無貌の王(ロビンフッド)はシャルルで決定してしまっている。そこへ後から割り込んで名乗りを上げることの非常識さ、そもそもそんな我儘が罷り通るはずもない。

 

 しかし、だからと言って諦めるつもりはない。一族の一人一人の元へ足を運び、頭を下げて許しを求めた。儀式の途中に乱入なんて不義理な真似はできない故に、ロクスレイは地道に根回しをする他なかったのだ。

 

 一族の賛同を得るのは中々に難航した。それでも根気よく頭を下げ、先代の言葉添えもあって何とか候補に上がることができた。一番難色を示すだろうと考えていたシャルルが思ったよりもすんなり受け入れたのもあるだろう。

 

 シャルルは夜遅くに訪ねてきたロクスレイを一目見ただけで事情を察し、二つ返事で了承してくれた。悲願の成就は心から望んでいたものの、自身がその悲願成就の当事者になる名誉にはてんで執着がなかったらしい。

 

 何より──

 

「君達の間に割って入るなんて無粋な真似、できるわけないだろう。むしろ、こうなることは想定内だよ」

 

 当の本人がこの調子である。

 

 だからと言ってシャルルもすんなりと次期無貌の王(ロビンフッド)の座を譲るつもりはないらしく、

 

「負けっぱなしは趣味じゃないからね。事情は理解していても加減はしない。前回の借りを返させてもらうよ」

 

 とロクスレイを相手に啖呵を切った。

 

 前回の無貌の王(ロビンフッド)選出の際に負けたのがシャルルにとって非常に悔しいことであり、この機に雪辱を果たそうという魂胆らしい。別れ際に「お姫様の騎士(ナイト)の座、きちんと守り抜いてみせてくれよ?」などと挑発をされては、ロクスレイも柄ではなくとも気張るものだ。

 

 何よりシャルルの実力はロクスレイに迫るもの。気を抜くことなどできようはずもない。

 

「候補者両名ともに無貌の王(ロビンフッド)に相応しい能力を有していることは一族皆認めている。故に選出法は前回同様、候補者両名による決闘とする。異論はないかね?」

 

 儀式を取り仕切るジェロームの問いかけにロクスレイとシャルルは頷きを返す。

 

 元より二人とも無貌の王(ロビンフッド)として活動するにあたって必要な技能は修得済み。得意分野に多少の違いはあれど、どちらが無貌の王を継承したとしても問題ない。だからこそ最後は実戦における能力がより秀でた者を選出するのだ。

 

 ジェロームに促されてロクスレイとシャルルは対峙する。初代無貌の王が遺した石碑の御前でどちらがより無貌の王に相応しいか争う。見届け人は一族全員と今回の儀式において重要な役割を担うルミア。

 

 大勢の人間が見守る中、いよいよ決闘が始まる。

 

「双方準備はいいかね?」

 

 ジェロームが最後の確認をするとシャルルが静かに首肯を返す。ロクスレイは不安げな面差しで見守るルミアを一瞥し、心配するなとばかりにフードの下で微笑を浮かべた。

 

 ロクスレイとシャルルが己の得物に手を掛け、戦意を昂らせる。

 

「よし。これより候補者二名による決闘を行う。では──始めッ!」

 

 ジェロームの開始の合図により決闘の幕が開かれた。

 

 

 ▼

 

 

 開始の合図と共に両者は地を蹴る。決闘とあって二人は早速激しい鎬の削り合いをするかと思いきやそうはならない。何せロクスレイとシャルルでは得意とする間合いが違う。

 

 得物であるサーベルを抜きながら間合いを詰めようとするシャルルに対し、ロクスレイは後方に飛び退きながら弓に矢を番える。サーベルを得物とするシャルルを相手に真っ向から受けて立つのは愚策。如何にして間合いを保つかがロクスレイの勝敗を左右する。

 

 弓弦の音が鳴り響く。放たれた矢弾の数は三。二つはシャルルの足を、一つは正中線のど真ん中を狙っている。

 

「甘いなッ」

 

 常人であれば為す術もなく射抜かれるだろう。しかしシャルルはロクスレイと無貌の王(ロビンフッド)の座を争う傑物。それも剣を握らせたら一族の中で並ぶ者はいないとまで謳われる剣士だ。

 

 サーベルの刃が二度閃く。鋭い斬撃は飛来する矢を空中で真っ二つにした。空恐ろしさすら感じる剣の冴えに、しかしロクスレイが動揺することはない。この程度の離れ業は予想の範疇だ。

 

 斬り捨てた矢には目もくれずシャルルは一気に間合いを詰めんと加速する。そうはさせまいとロクスレイも息つく暇もなく矢を射放つ。

 

 しかし放たれる矢はその悉くがサーベルの一振りによって斬り落とされてしまう。矢そのものに仕込みをして軌道を曲げたり、矢の影に二の矢を潜ませるなどとしているのだが、卓越した剣捌きによって一矢足りとも届くことはない。

 

 決してロクスレイの弓術がシャルルの剣術に劣っているわけではない。ただ良くも悪くも二人は互いの手の内を知っており、カードの強さで勝負するシャルルとカードの組み合わせで勝負するロクスレイとでは致命的に相性が悪かった。これが互いに初見の戦いであったのならばこうはならなかっただろう。

 

 得意の弓矢が通じないとなればロクスレイは次の手札を切る。

 

 一度に複数の矢を撃ちながら懐から投擲用ナイフを抜き打つ。ナイフは矢弾を斬り捨てた体勢のシャルルに襲い掛かる。

 

「その手も見飽きたよ」

 

 迫るナイフをシャルルは最小限の動きで躱すと、ナイフが通り過ぎた空間にサーベルを一振りする。するとナイフに繋がれていた鋼糸(ワイヤー)がブツッと断ち切られた。

 

 鋼糸を用いた搦め手も容易く読み切られる。何せ前回の決闘でも使った手だ。二度も同じ手を食らうほどシャルルは甘くない。

 

 遠・中距離の手札は全て知られている。搦め手も読まれていては意味がない。早くもロクスレイは手詰まりとなるが、しかし表情に焦りの色は見られない。

 

 シャルルは確かにロクスレイの手の内を知り尽くしている。奇策奇襲を主として展開するロクスレイにとってはリィエルとはまた別ベクトルで相性の悪い相手だ。だがそれは同時に、ロクスレイもシャルルの手の内を知っているということでもある。

 

 ロクスレイは知っている。シャルルの癖、呼吸のリズム、重心や足の運び方。それらの情報を目まぐるしく流動する戦闘の最中に統合し、切り札を切る最高の瞬間(タイミング)を導き出す。

 

 それが今、遠・中距離の間合いをシャルルが一足で詰めようとするこの瞬間を、ロクスレイはずっと待ち侘びていたのだ。

 

 サーベルを構えて突貫してくるシャルルにロクスレイは不敵な笑みを浮かべ、左掌を剥き出しの地面に触れさせた。見覚えのある挙動にシャルルの動きが微かに揺らぐ。

 

「《そこ・爆発するぜ?》」

 

 ロクスレイの口が紡ぐ短い詠唱に呼応し、シャルルが踏み締めた足元の地面が前触れなく爆発した。

 

 ロビンフッドだけが使える固有魔術(オリジナル)【繁みの棘】。詠唱が短く起動条件は地面に手を触れるだけの奇襲攻撃であるが、しかしそれは無貌の王(ロビンフッド)だけが扱える魔術だ。資格を失っているロクスレイが使える道理はないはずである。

 

 驚愕するシャルルと一族の面々。資格を失いながらも固有魔術(オリジナル)()()してみせたロクスレイはフードの下でほくそ笑む。

 

 種明かしをすればロクスレイは一度も魔術を使用していない。ただ昨夜のうちに仕込んだ爆弾をシャルルが踏み付けると同時に、それっぽく詠唱をしただけだ。簡単なトリックである。

 

 だが無貌の王の一族であるシャルルからすれば資格もなしに固有魔術(オリジナル)を使ったようにしか見えない。良くも悪くも一族の人間だからこそ引っかかってしまった、たった一度きりしか通用しない虚仮威しだ。

 

 だがそれで十分。その一瞬の隙があれば狩人は勝負を仕掛けられる。

 

 足元を爆発されて体勢を崩しているシャルルへとロクスレイは両手に短剣を握り締めて急襲。得意レンジを捨ててサーベルの間合いに自ら踏み込んだ。

 

 ロクスレイらしからぬ行動にシャルルは瞠目するも、即座にサーベルを引き戻して短剣の刃を弾いた。

 

「驚いたよ。まさか君が私を相手に接近戦を挑むなんて。どういう風の吹き回しだい?」

 

 言葉を投げかけながらも絶え間なく振るわれる短剣の切っ先をサーベルで往なす。【繁みの棘】の再現に乱された呼吸は既に元に戻っている。爆弾で崩された体勢もじきに持ち直すだろう。

 

 息つく暇もなく両手の短剣を振り翳しながらロクスレイは口元に笑みを作った。

 

「さてね。まあ、なんだ。偶には槍の差し合いも悪くない、なんて思ったりしてなっ!」

 

 サーベル一本のシャルルに対して手数で休みなく攻め続ける。一時でも手を止めればサーベルの切っ先に貫かれかねない。ロクスレイにできるのは二振りの短剣を只管乱舞させて果敢に攻めることだけだ。

 

「ふふっ、前の決闘の時とは正反対のことを言うんだね。エリザも言っていたけれど、随分と変わったみたいだ」

 

 以前に無貌の王(ロビンフッド)の座を賭けて決闘した時、ロクスレイは一度たりとも接近戦を挑もうとはしなかった。その時は決闘前夜にしこたま罠を仕掛け、徹底的に遠距離から弓矢で狙撃し続けたのだ。

 

 当時のシャルルは無数の罠に足を取られ、趣味ではない魔術まで使って応戦するも、惜しくもロクスレイに一歩及ばず負けた。まともに剣を交えることもできずに敗北を喫した屈辱をシャルルは忘れていない。

 

 今回の決闘ではその雪辱を晴らさんと意気込んでいたのだが、ロクスレイの方から接近戦を望んでくるのならば是非もない。シャルルは剣気を昂らせて剣速を上げていく。

 

「ぐっ……! やっぱ剣での勝負は分が悪いな。つか、やっぱ柄じゃねぇよな。弓兵が剣引っ提げて近接戦とか、マジないわ!」

 

「今さらそんなこと言っても遅い。最後まで付き合ってもらうよ、ロクスレイ!」

 

 殺気とも違う剣が纏う空恐ろしい圧力にロクスレイは徐々に押されていく。手数でどうにか誤魔化していた実力差が、次第に浮き彫りになる。元より近接戦でロクスレイが敵う相手ではないのだ。

 

 いよいよもってロクスレイの敗色が濃厚になってきた。

 

 シャルルの剣速にロクスレイが追いつけなくなり始めた頃合いで見守る一族の大半がシャルルの勝利を確信し始めた。中にはロクスレイが接近戦を挑んだ時点で負けたと決めつけた者もいる。それだけシャルルの接近戦における実力が認められているのだ。

 

 しかし一方で未だ勝負の行方を静かに見守る面々もいる。ロクスレイの実力を誰よりも知る先代を始め、ロクスレイとシャルル両者とも関係が深いエリザとウィル、そして誰よりもロクスレイの勝利を願っているルミア。

 

 彼らは二人の激しい攻防から片時足りとも目を離さない。一瞬でも目を逸らせばその瞬間に勝敗が決する。二人の実力を知るからこそ、そう確信していた。

 

「ロクスレイ君……」

 

 今一度、無貌の王に返り咲くため。お姫様の我儘を通すために、何より自分がそうしたいと思ったからこそ戦う少年の背中を、ルミアは見ていることしかできない。ただ信じて、祈ることしかできない。

 

 いつもそうだった。ルミア(自分)はただ守られているだけ。周りに迷惑をかけてばかりで、自分なんて居ないほうがいいと何度思ったことか。

 

 歯痒くて悔しくて、何より自分のせいで誰かが傷つくことが辛かった。ロクスレイが一度命を落としてしまった時にそれを改めて実感した。なのに、愚かにも自分は今一度ロクスレイに茨の道を歩ませようとしている。

 

 ルミアの側に居ればロクスレイはまた傷つくことになる。分かっているだろうに、それでもルミアは望まずには居られない。

 

 かつて共に歩んでくれた騎士ともう一度肩を並べて歩みたいと──

 

「──え?」

 

 何か今、妙な思考が湧き上がった気がした。自分でも何が起きたか分からず、ルミアはきょろきょろと周囲を見回す。

 

 甲高い音が響いてロクスレイの手から短剣が弾き飛ばされたのはその時だった。

 

「ロクスレイ君……!?」

 

 音に意識を引き戻されたルミアが見たのは片方の短剣を失ったロクスレイ。そんな彼に決着の一撃を繰り出さんとするシャルルの姿。最早、勝敗は決したも同然であった。

 

 だが決闘の当人たるロクスレイは未だ諦めていない。短剣を片方失ってもなおその瞳に宿る意志の光は健在。むしろこの時を待っていたと言わんばかりに爛々と輝かせている。

 

 サーベルによる鋭い刺突が放たれる。その切っ先が喉元に突きつけられた時点でロクスレイの負けだ。しかしサーベルの切っ先がロクスレイの喉元に届くことはなかった。

 

 ガイン! と鋼と鋼が打ち合う音が響き渡り、サーベルの切っ先があらぬ方向へと捻じ曲げられる。短剣を失い無手となった手で繰り出した裏拳がサーベルの横っ腹を叩いたのだ。どうやら前もって鉄板入りのグローブを嵌めていたらしい。

 

「なっ……!?」

 

 シャルルが驚愕に目を剥く。見守っていた一族の面々も程度に差はあれ愕然と顎を落としていた。

 

「しっ──!」

 

 周囲の反応を他所にロクスレイは未だ短剣を握る手も合わせて連続で拳を放つ。素人の苦し紛れとは思えないほどに堂に入った構えと身のこなし。一発一発腰の入った拳撃がシャルルを襲う。

 

「くっ……!」

 

 さしものシャルルもこれは躱しきれず、留めの一撃を放とうと踏み込んでいたのもあって何発か受けてしまう。幸いエンチャントも何も付与されていない拳であったのでダメージ自体は大きくないが、今ので完全に流れを持っていかれてしまったのは間違いない。

 

 誰もが予想だにしなかった展開。よもやあのロクスレイが近接戦を演じるどころか格闘戦まで熟そうとは、長く親として付き合ってきた先代をして青天の霹靂とも言える出来事だった。

 

 しかしルミアだけはロクスレイの動きに既視感を覚え、ロクスレイが何処で格闘戦を身につけたのかを理解していた。

 

「あの動き、グレン先生の……」

 

 実際に見る機会は然程多くなかったものの、ロクスレイの身のこなしはグレンのそれと酷似している。システィーナあたりなら一発でグレンの真似だと断言するだろう。それも当然、これはロクスレイがグレンから盗んで身につけた技能(スキル)であるからだ。

 

 直接グレンに教えを請うたわけではない。ただ任務の都合で組んだ時にその類い稀な格闘センスに目を付け、折良くグレンが講師として学院に赴任してきて剰えシスティーナ相手に拳闘の教授をし始めたものだから、これ幸いにロンドを介して朝練の風景を盗み見(ピーピング)して身につけた。

 

 無論、セリカに絶賛される程の腕前であるグレンには遠く及ばない。ロクスレイの格闘技術は高く見積もって二流がいいところ。一流の剣士であるシャルルには到底通用しない代物である。

 

 しかしそれも時と場合による。今回に限れば目論見通りシャルルの意表を突くことができた。それだけでも毎朝グレンとシスティーナの朝練を覗いていた甲斐があったというものだろう。

 

 内心でグレンに感謝の言葉を吐きつつロクスレイは間合いを詰める。シャルルが振るうサーベルの間合いより更に内側、殆ど密着状態から追い討ちの拳撃を叩き込む。

 

「うぐっ、は……」

 

 剣術では一族内で並ぶ者なしのシャルルも剣を満足に振るえないほどに接近されてしまえば対処できない。何よりロクスレイが格闘術を持ち出してくるなどと露ほども考えていなかったがために対応が致命的なまでに遅れてしまった。

 

 腹部への強烈な一撃にシャルルが怯む。その隙を突いてロクスレイは足払いをかけ、倒れ込むシャルルに伸し掛かり手にしていた短剣の切っ先をその白い細首に突きつけた。

 

「ま、こんなもんでしょ。オレの勝ちってことで文句ないよな、シャルル?」

 

「はぁ……そうだね、完敗だよ。まさかロクスレイに近接戦で負ける日が来るなんてね……」

 

 若干肩を落としつつシャルルは己の負けを認めた。

 

 こうして候補者二人による決闘はロクスレイの勝利という形で幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 



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皐月の王

皐月の王編もクライマックスです。多分、次で終わりかな。


 次期無貌の王を決める決闘は、格闘術でシャルルを下すというロクスレイを知る人間からすれば目を疑う結果で幕を下ろした。現に決着がついてなお硬直している者もちらほら見られる。

 

 柄にもない手を使った自覚はあるが、そこまで驚くものかとロクスレイはやや不満そうな顔である。

 

「どうしたんだいロクスレイ。勝者の君がそんな不服そうな顔をするものじゃないだろう?」

 

「いや、別に不服があるってわけじゃねぇですけど。ここまで驚くもんかね?」

 

「私は驚かされたよ。まあ良い意味でだけどね。前回みたいに遠距離から手出しもできずに封殺されるよりは納得のいく決闘だった」

 

 決闘の相手たるシャルルはやけに清々しい顔色でそう言う。結果は負けであるものの、決闘の内容に関して言えば満足のいくものだった。故にこの結果に不満はない。

 

「それよりロクスレイ、いいのかい? 勝利を捧げるべきお嬢さんがお待ちかねだよ」

 

 貴公子にしか見えない気障な笑みを浮かべてシャルルは目線でルミアの許へ行けと促す。言われずとも分かっているとロクスレイは頷き、胸の前で固く手を握り合わせているお姫様の許へと向かった。

 

「お待たせしました、お嬢さん。ちゃーんと戻ってきましたぜ?」

 

 ここ最近見せていた自嘲げな笑みではない、皮肉っぽいけれど優しさが滲む笑みを携えてロクスレイはルミアの許へ堂々と帰ってきた。宣言通り彼女の隣に立つための権利を手にして。

 

 自分の我儘を通すために戦ってくれた少年の帰還に、ルミアは感極まって目尻に薄らと涙を滲ませた。

 

「ありがとう、ロクスレイ君。本当に……」

 

「ったく、何も泣くこたぁないでしょうが……」

 

 呆れたように呟きながらロクスレイは、目尻を拭う少女の頭を優しく撫でる。常ならば周囲の目に気を配るのだろうが、決闘に勝利したこともあって気が抜けていた。この場にはロクスレイとルミア以外にも大勢の人がいることをすっかり忘れていたのだ。

 

「ちょっと、甘ったるい空気を醸し出すなら他所でやってくれなくて?」

 

 心底うんざりした様子で文句を言ったのはエリザだ。ロクスレイとルミアが醸し出すピンク色な空気に顔を顰めている。

 

「んなっ!? 別にオレはそんなつもりは……」

 

 否定しようと声を荒げかけて、一族の面々から向けられる生温かい視線に気づいて口の端をヒクつかせる。揃いも揃って孫か息子の成長を見守るような眼差しで、もはやロクスレイに反論の言葉は見当たらなかった。

 

 穴があったら潜りたいほどの羞恥にロクスレイが悶えていると、儀式の進行役たるジェロームが咳払いをした。悶死しそうなロクスレイと幸せ一杯と言わんばかりのルミアを見やり、微かに微笑む。

 

「さて、次代の無貌の王(ロビンフッド)も決まった。そろそろ継承の儀式に取り掛かりたいのだが、よいかね?」

 

「あぁ、頼みますわ……」

 

 いつまでもこの空気に晒されていては堪らないと、ロクスレイはジェロームの勧めに便乗した。

 

 継承の儀が始まるとなった途端に和やかな空気が一変、儀式場に決闘の時よりも厳かな空気が戻る。一族の人間は言葉を発することもなく所定の位置に立ち、ルミアもシャルルに促されて儀式場の近くに並んだ。

 

 そして継承の儀式の主役たるロクスレイは、祭壇の中央に据えられた石碑の前に跪く。

 

「それでは、これより継承の儀式を執り行う」

 

 ジェロームの厳粛な言葉を発端に、継承の儀式が始まった。

 

 無貌の王を継承するにあたって必要な事柄は大別して三つだ。一つに無貌の王に相応しい実力を有すること、二つに一族の総意を得ること、そして最後の一つは──

 

「《我は森の狩人・森の精に祝福されし民なり・──》」

 

 石碑に刻まれし文言をロクスレイが読み上げ始める。すると呼応するように祭壇を魔力光が走り始め、ロクスレイを中心に複雑な魔法陣を描き始めた。

 

 無貌の王になるに当たって必要な最後の手順。それは初代ロビンフッドが遺した石碑の前で呪文(誓い)詠唱す(立て)ることで成立する。

 

「《──・されど我が手は悪を為す・汚泥を纏いて()を捨てん・──》」

 

 粛々と呪文の詠唱が続くにつれて魔法陣の光はより鮮烈に輝く。いっそ神聖さすら伴う光景に、しかしルミアは胸を締め付けられるような痛みを抱いていた。

 

 どうして、こんなにも間違えてしまったのか。いったい何処で道を違えてしまったのか──

 

「《──・無貌の王は独り・暗き森にて牙を研ぐ・──》」

 

 物悲しげな誓いが、主人を喪い孤独となった()()()()()がルミアの心の奥底に染み込む。自分ではない誰かが悲しみに涙を流して、それ以上に歓喜の声を上げているような気がした。

 

「《──・故に我が身に酬いはなく・全ては幻と消えるだろう》」

 

 ()を捨てた者の手に残るものは何もない。自嘲を多分に含んだ最後の一節を唱えたところで魔法陣を中心に光輝と風が渦巻く。渦巻く風は光輝を纏め上げ、中央に跪くロクスレイへと収束する。

 

 自身の内側へと何かが流れ込むような感覚にロクスレイは微かに顔を顰める。二度目とはいえ慣れるような感覚ではない。自分の中に別人が入り込むようなこの感覚がロクスレイはあまり得意ではなかった。

 

 だがルミアや一族が見守っている手前、無様な姿は見せられないと歪みかけた口元を引き結ぶ。固く瞼を閉じ儀式が終わるのを待つ。

 

 やがて魔法陣が輝きを失い、渦巻いていた風がピタリと止む。儀式が終わりを迎え、耳が痛いほどの静寂が儀式場を支配した。

 

 二度目故に戸惑いはない。ロクスレイは立ち上がると能力を確認するため、無貌の王(ロビンフッド)だけが使える固有魔術(オリジナル)を行使する。

 

「《森の精よ・我に祝福を・与え給え》」

 

 果たして固有魔術【ノーフェイス・メイキング】は問題なく発動し、魔導器としての力を取り戻した外套を媒体にロクスレイの姿がその場から忽然と消え去る。ロクスレイが資格を得たと同時に外套もまた魔導器としての能力を獲得したことが証明された。

 

「上手くいったな……」

 

 透明化を解除してロクスレイはほっと安堵に息を吐く。死亡したことにより資格を失い、蘇ってから今一度無貌の王を継承するという過去に例のない試み。何事もなく成功してよかったと、ロクスレイと一族の人間達は心から安堵した。

 

 だがまだ終わりではない。本命は此処からだ。

 

「ルミア君、準備はいいかね?」

 

「はい」

 

 ジェロームに名指しされてルミアは頷き、やや強張った表情で祭壇に上がる。ここから先は一族の人間ですら初めての領域。悲願成就が懸かっているとあって継承の儀式より心なしか皆の表情が固い。

 

 ロクスレイとルミアは祭壇の中央、石碑の前で向かい合う。

 

「ロクスレイ君……」

 

「ああ、分かってる。そんでジェロームのおっさん。オレとお嬢さんは主従関係を結ぶだけでいいんですかい?」

 

「うむ。王の資格を持つ者と主従関係を結んだ時、皐月の王への道は拓かれる。文献にはそう記されていた」

 

「文献ねぇ……まあどの道、主従契約は結ぶつもりだったんで構いませんが」

 

 こと皐月の王関連については懐疑的なロクスレイは、今ひとつ納得いかない表情で契約の儀に取り掛かる。

 

「む、ところでロクスレイ。彼女は契約の呪文を知っているのかね?」

 

 契約の儀は心の底から信頼し合う者同士が、一族に古くから伝わる誓い(呪文)を交わし合うことで成立する一種の魔術儀式だ。ロクスレイだけが呪文の内容を知っていても意味がない。

 

 ジェロームの問いに答えたのは花も恥じらう笑顔を浮かべたルミアだ。

 

「はい、知ってます。ずっと前に、顔無しさんがお呪いだって教えてくれましたから」

 

「ほう、それはそれは……どうやら私たちが急かすまでもなく、主人(マスター)探しに精を出していたようだ」

 

 途端にジェローム含め一族の者たちから向けられる視線が生温かくなる。己の黒歴史をバラされるのにも等しい展開に、ロクスレイはその場でのたうちまわりたい気持ちだった。

 

「あああ!? もういいですから、さっさと始めちまいしょう!」

 

 いよいよ耐えられなくなったロクスレイが準備を整える。準備といっても主人と定めた相手の前に跪くだけ。後はルミアの唱える呪文に応じて呪文を返すだけだ。

 

 ルミアもロクスレイを揶揄いたいわけでもなかったので、ロクスレイに倣って契約の儀に向けて意識を切り替える。傅くロクスレイを見下ろし、あの時から片時足りとも忘れたことのないお呪いの詠唱を始めた。

 

 

 ▼

 

 

「“──告げる”」

 

 ルミアの口から契約の呪文の一節が紡がれる。呼応してルミアとロクスレイを中心に契約の魔法陣が浮かび上がった。

 

 魔法陣に取り込まれても構わずルミアは詠唱を続ける。

 

「“汝の身は我の下に、我が命運は汝の剣に──”」

 

 詠唱が進むにつれて魔法陣の輝きは増す。無貌の王に纏わる儀式だからか、先の継承の儀式と流れは酷似していた。しかし、浮かび上がる魔法陣の内容はまるで違う。

 

 そもそも、契約の儀とは何なのか?

 

 無貌の王(ロビンフッド)にとって主人(マスター)は必要不可欠な存在。主人を得て始めて、ロビンフッドは本当の意味で完成するとされている。事実、歴代の無貌の王は例外なく己の信念を預けるに足る主人を見つけ、契約の儀を経て主従関係を結んだ。

 

 だが疑問が浮かぶ。何故、無貌の王(ロビンフッド)主人(マスター)を必要とするのか。

 

 契約の儀を経て主従関係を結ぶと無貌の王(ロビンフッド)主人(マスター)の間には霊的経路(パス)が繋がる。それによって両者の間で魔力の融通が可能になったり、通信の魔導器の類がなくとも念話ができるなどの恩恵が生じる。それは十二分な利得(メリット)に成り得るだろう。

 

 しかし、別に主人が居なくとも無貌の王としての活動、無辜の民を害する外道を狩ることはできる。むしろ主人の存在は無貌の王として活動するにあたって足枷になることもあるはずだ。

 

 ならば何故、ロビンフッドは主人(マスター)を探し、主従関係を結ばなければならないのか?

 

「“天の器のよるべに従い、この意、この理に従うのなら──”」

 

 一族の掟だから? 文献に記されていたから? 今までがそうだったから?

 

 ──否。その真の目的は別にある。一族の人間が半ば目的と手段を取り違えてしまっているように、契約の儀には隠された真意があった。

 

 だが隠された思惑に気づく者はいない。一族の人間も、ルミアも、ロクスレイでさえも気づくことはなく、契約の儀は粛々と進む。

 

「“──我に従え。ならばこの命運、汝が剣に預けよう……!”」

 

 ルミアの誓い(呪文)が終わり、今度はロクスレイの番。一族に見守られる中、ロクスレイは何の疑いもなく契約の儀を締め括る誓い(呪文)を口にする。

 

「“ロビンフッドの名に懸け誓いを受ける。貴女を我が主として認めよう、◾️◾️◾️◾️──っ!?”」

 

 ──真に仕えるべき主人に辿り着き、ロビンフッドは遂に完成に至った。

 

 え、とルミアが驚愕の声を洩らす。口にしたロクスレイも、己の口が紡いだ聞き取ることすら不可能な言語に目を見開く。何かが、おかしい──

 

 異常を自覚した途端、畳み掛けるようにルミアの体から黄金の煌めきが溢れ出す。ルミアの意思に反して異能力が励起しているのだ。

 

「どうして……!?」

 

 異変はまだ続く。ロクスレイとルミアを中心に浮かび上がっていた魔法陣がひとりでに形を崩し、全く別物の魔法陣を構成する。新たに構築された魔法陣に用いられている魔術式やルーン語は、現代の魔術言語ルーンでは決して解析できない代物だ。

 

 魔法陣がルミアの異能力の後押しを受けて起動しようとする。儀式の核に利用されているルミアは、目の前に跪くロクスレイの変調に気づいて小さな悲鳴を上げた。

 

「ロクスレイ君、どうしたの!?」

 

 どういうわけか、ロクスレイは全身に汗を浮かべて蒼白な顔をしていた。呼吸は苦しげで、瞳は焦点が合っているかも怪しい。誰が見ても尋常ならざる状態だと分かる。

 

 ロクスレイは必死に耐えていた。謎の言語が己の口から飛び出すや否や、内側から魂を侵食するような悍ましい感覚に襲われ、消し飛びそうな意識を歯を食い縛って保っている。

 

 ルミアの声に返事をする余裕すらない。自我を保つのでロクスレイは精一杯だ。ルミアも、魔法陣の力かロクスレイに駆け寄ることもできず、その場に立ち尽くすことしかできなかった。

 

 ロクスレイもルミアも何も出来ぬまま、完成に至った魔法陣が起動する。次瞬、溢れ出した眩い光に周囲一帯が塗り潰された。

 

 

 ▼

 

 

 気付けば、ロクスレイは記憶にない光景の中に、一人立っていた。

 

 広大な森の中だ。一族が住まう森とは違う、優しい陽だまりが散見される温かな森林。血腥い俗世とは隔絶した世界──

 

 陽だまりに満ちた世界に、ロクスレイ以外の登場人物が現れる。梢の隙間から降り注ぐ木漏れ日の中に二人。少女と深緑の衣を纏った男だ。

 

 その少女の姿を見た瞬間、ロクスレイは驚愕に呻いた。

 

 ──ルミアだった。

 

 いや、違う。顔立ちこそルミアに酷似しているが、違う。

 

 少女には蝶の羽にも似た、それでいて見るものの精神を蝕む悍ましい異形の翼が生えていた。瞳に光はなく、背筋が凍るほどの虚無だけが湛えられている。

 

 ルミアではない。しかし他人の空似にしては限度がある。少女はいったい何者なのか──?

 

 混乱するロクスレイを余所に少女と男が言葉を交わす。

 

『……また、会えるよね?』

 

 ほんの僅かに首を傾げて少女が問う。騎士の如く少女に傅く男が静かに答えた。

 

『俺は貴女の騎士だ。幾星霜の時の果て、貴女が目覚める時、必ずや貴女の騎士として馳せ参じよう』

 

 忠節を誓う騎士の如く──否、正しく騎士として、男は少女に忠誠を捧げる。少女と別れ、気が遠くなるほどの歳月が過ぎたとしても、この肉体が朽ちたとしても、必ず側に。絶対の誓いを立てた。

 

 少女が陽だまりのような笑みを向ける。そういうところはルミアそっくりで、どうしようもなく目の前の少女と自分が守りたいと願ったルミアと重なってしまう。

 

『ありがとう、私だけの騎士──皐月の王(ロビンフッド)

 

 それは遠い記憶。長い旅路の果てに別離の運命へと至った主従のやり取り。何時迄も色褪せることのない、再会を誓った騎士と再会を願った少女の最後の情景だ。

 

 不意に世界が移ろう。温かく優しい陽だまりの世界から一変、目の前に広がったのは陰鬱とした暗き森。先の木漏れ日に溢れる森とは真逆の世界だった。

 

 一歩踏み込めば二度とは出られない。獲物を狩るためだけの暗き森。陽射しも届かない森の奥深くから、先の男が風景から滲み出るように姿を現わす。その深緑の衣は至る所が赤黒い血に染まり、素顔はフードで覆い隠されていた。

 

 男が徐に歩み寄ってくる。言い知れぬ悪寒を覚えてロクスレイは距離を離そうとしたが、どういうわけか身体の自由が利かない。声を上げるどころか指先一つ動かすことすらできなかった。

 

 男との距離が縮まる。緑衣から、これまた血塗れの手がロクスレイへと伸びる。

 

 不味い。具体的に何が不味いか、問題なのかはさっぱり分からない。ただこのまま抵抗せずに男の手を受け入れてしまえば最後、自分が自分でなくなる。そんな恐ろしい予感を抱いた。

 

「……ッ!?」

 

 ──何でもいい、動け。頼むから動いてくれッ!

 

 心の中で只管に祈り、念じ、伸ばされる手を弾こうとする。だがどれほどに想い願っても身体は動かない。無抵抗のまま、血塗れの手が頭を鷲掴まんとした、その時だった。

 

 不意に脳裏を過る金髪の少女。守ると誓った少女の声が聞こえたような気がした。

 

 石像のように硬直していたロクスレイの腕が閃く。間一髪で男の手を払い除け、ロクスレイは大袈裟なほどに飛び退って男と距離を取る。

 

 全力疾走を終えた後のような倦怠感に顔を顰めながら、全神経を尖らせて男を警戒する。既にこの場が現実の空間ではないことは理解していた。故に目の前の男は尋常の外に居る存在。一般的な常識は通用しないだろう。

 

 男は跳ね除けられた手を見下ろして呟く。

 

『血族ではないがために起きた弊害か。眷族が途絶えた時のためにと術式に余裕を組み込んだ俺の落ち度だな。まあいい、時間は掛かるが何れ──』

 

 手を下ろした男の不穏な呟きにロクスレイは筆舌に尽くし難い恐怖を感じた。この男は微塵も諦めていない。ロクスレイが隙を見せればこれ幸いにまた手を伸ばしてくるだろう。

 

「何もんだ、オタク……!」

 

 叩き付けるような誰何に男は血塗れの緑衣を揺らした。

 

『遠くないうちに知ることになるだろう。その時まで、お前が自我を保っていたらだがな』

 

 冷徹に言い放つと男は興味を失ったように背を向け、暗き森へと引き返していく。ロクスレイが止める間も無く、男の姿が風景と同化して消えてしまう。

 

 完全に消失する寸前、男が土産とばかりにロクスレイに言葉を残した。

 

『一つだけ、お前に言葉を送ろう。よくぞ皐月の王()に至った。その身に代えても主人を守り通せよ』

 

 上から目線でそう言い残し、男──初代ロビンフッドは暗き森へと還っていった。

 

 

 

 

 



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日常への帰還

セイレムでロビンさん大・活・躍! 流石ロビンさん! それはそれとしてアビーの宝具がかっこよすぎる件について。第2ピックアップ来ないかなあ……。


 精神世界らしき場所での邂逅を終えたロクスレイの意識は、気が付けば現実世界へと戻っていた。

 

 どうやら彼方と現実との間には時間的な繋がりがないらしく、戻ってきたロクスレイの目の前には不安げな顔つきのルミア。ロクスレイを精神世界へと誘った魔法陣が風に舞い散る花弁のように消えていくところだった。

 

「ロクスレイ君……!」

 

 魔法陣の縛りが解けたことでルミアがロクスレイに駆け寄る。

 

 顔色を蒼白にしていたロクスレイは気力を振り絞って立ち上がり、ルミアを安心させるためにいつものように笑ってみせた。

 

「慌てなさんな、お嬢さん。オレはこの通り大丈夫なんで」

 

「でも、顔色が……」

 

「ああ、うん。これはその、あれだ。魔力欠乏症。何でか知りませんが、契約の儀で大量の魔力を持ってかれたみたいでさ。ちょっと休めばよくなるんでご心配なく」

 

 嘘である。契約の儀で魔力を持っていかれたのは確かだが、顔色が悪い理由は別だ。だがその理由をルミアに教えて不安を煽るのは憚れる。無理を承知でロクスレイは誤魔化すことにした。

 

 ルミアも馬鹿ではない。ロクスレイが誤魔化そうとしていることには気付いていたものの、食い下がったところで真実を話してはくれないだろうと察し、この場は言葉を飲み込んだ。

 

「さて、無事に契約の儀も終わったことですし、後はぱあっと飲んで騒いでの宴会でもしますか? その辺りの予定はどうなってんですかい?」

 

 儀式を取り仕切るジェロームへと目配せをする。ルミアに悟られないようにロクスレイが送った手話の暗号を受け、ジェロームは確と頷いた。

 

「うむ、細やかながら宴の用意をしてある。準備が整うまでルミア君は休むといい。ロクスレイ、お前は宴の準備を手伝いたまえ」

 

「うげっ、主役のオレも働かせるとか、マジ人使い荒いわー」

 

「主役はルミア君だ。さて、皆も宴の準備に取り掛かるぞ」

 

 ジェロームの指示に従い一族の面々が里へ引き返していく。ルミアもアンヌとシャルルに背を押され、流れに従って踵を返した。

 

 一族の大半が里へ戻っていく中、儀式場に残った者達がいる。ジェロームを始め、一族内において影響力の強い顔触れだ。中には先代の姿もある。

 

 そして彼らの視線の先に居るのはロクスレイ。手話の暗号でジェローム含めるこの場の面々に残ってくれと指示したのは他ならぬロクスレイだ。

 

「それで、私達に残るよう指示した理由を教えてくれるかね」

 

 残った面々の言葉をジェロームが代表して述べた。どこか切実な願いを滲ませる幾つもの視線に晒されながら、ロクスレイは険しい顔つきで口を開く。

 

「言うまでもないと思いますがね、一族の悲願、皐月の王についての話だ。ただ、覚悟しといた方がいいですぜ。全部分かったワケじゃねぇですけど、こいつは割とロクでもない話になる」

 

 そう前置いてロクスレイは精神世界での初代ロビンフッドらしき男とのやり取りを余すことなく語るのだった。

 

 

 ▼

 

 

 新たな無貌の王の継承、そして一族の悲願成就を祝う宴は里の中央広場で盛大に催された。

 

 一族の中でも腕に自信のある女衆が作った料理を持ち寄り、旅芸人や吟遊詩人に扮して各地の情報を集めるような面々が芸を披露し、里の子供達が彼方此方をはしゃぎ回る。滅多にないお祭り事とあって凄まじい盛り上がりようだ。

 

 そんな宴の様子をロクスレイは微妙に輪から外れない立ち位置から眺めていた。一応は新たな無貌の王改めて皐月の王であるので位置付け的には宴の主役なのだが、そこはルミアに任せている。ロクスレイらしいと言えばロクスレイらしい。

 

 宴の喧騒を肴に大雑把な味付けのサンドイッチを食べながら、ぼんやりと考えることはロビンフッドについて。

 

 無貌の王の一族に隠された真実。精神世界での断片的なやり取りから推測するに、来たるべき時が訪れた時に初代が現世へと舞い戻るためだけに用意した器。極端な表現をすれば道具だったのだろう。

 

 今、一族は大きく揺らいでいる。明らかになったことは少ないけれど、明かされた真実は一族の根幹を揺るがすに余りあった。よもや自分達の存在意義が初代ロビンフッド復活のための器だったなどと、そうそう受け入れられるものではない。

 

 一族は無貌の王として無辜の民を守らんがため、世に蔓延る外道共を狩ってきた。その手を血に濡らし、社会の闇に潜み、暗躍してきた彼らにも一抹の誇りや矜持がある。誰に誇れるものでなくとも、それは代々一族に受け継がれてきたのだ。

 

 ──それすらもまやかしであったかもしれない。

 

 全ては初代の掌の上。一族が抱いていた悲願に対する焦燥も何もかも仕組まれたものだったかもしれない。

 

 一族内で比較的若い者達が受けた衝撃はまだ小さい。だが歳を重ねた者や一族の在り方に強い思い入れがあった者達が受けた衝撃は計り知れない。

 

 一族内で影響力の強い顔触れは宴に参加せず、今後の方針について話し合いをしている。どのような結論に落ち着くかは不明だ。もしかしたら初代ロビンフッドの意思を汲んで、初代に服するという可能性もないとは言い切れない。

 

 その場合、器に選ばれてしまったロクスレイはどうなるのか。恐らくロクスレイ=シャーウッドという個人は食い潰されてしまうだろうと、ロクスレイは他人事のように考える。

 

 当事者であり問題の渦中にいるといっても過言ではないにも関わらず、ロクスレイは初代ロビンフッドや一族の今後の方針に関して関心が薄い。無論、自分に関わる重要なことであるのは自覚している。

 

 だがそれ以上にロクスレイの心を煩わせている事柄があった。

 

「初代の仕えた主人、あれは……」

 

 精神世界に引き摺り込まれて垣間見た情景。初代とその主人が別れる場面が、厳密には主人の容姿がロクスレイの頭を離れない。

 

 ルミアに似ていた。相違点は多々あるし、纏う雰囲気も何もかもがルミアとは掛け離れていた。それなのにどうしてか、彼女はルミアであると思えてしまう。

 

 理解ができない。情報が足りない。だが一つだけ、ロクスレイは確信していることがある。

 

 ──お嬢さんを初代の主人(異形)に至らせてはならない。

 

 根拠も何もないが、あの姿にだけはしてはならない。今日まで何だかんだルミアの側に居たからこそ、より一層そう思えた。

 

 サンドイッチを齧りながら難しい表情で物思いに耽るロクスレイの隣に、音もなく気配が立つ。誰が隣に立ったか察したロクスレイは微かに緊張を滲ませて隣を見上げる。

 

 そこに居たのは先代無貌の王であり、ロクスレイの育ての親である翁であった。

 

「話し合いは終わったんですかい?」

 

 先代は今後の方針についての話し合いに参加していた。それが今、此処にいるということは結論が出たのだろう。

 

 先代は重々しく頷き、話し合いの結果を話す。

 

「一族としては暫く様子見だ。ただし、初代に恭順するということはないだろう。わしもそうだが、何だかんだと今の一族の在り方に愛着があるものが多いからな。差し当たって大きく動くことはなく、今まで通りという結論に落ち着いた」

 

「そいつはまた、驚いたなぁ。オレとしちゃあ、初代のお心に従うべきだとか言われるんじゃねぇかと思ってたんですがね」

 

「無論、そういった意見もあった。ただしどれも消極的なものでな。皆、ショックから立ち直ると現状維持という意見を示した」

 

「さいですかい。ま、初代に身も心も捧げろとか無茶言われなければ文句ねぇですよ」

 

 気にも留めていない風にロクスレイが言う。先代が目元の皺を僅かに深め、その瞳に悔恨の念を浮かべた。

 

「……すまぬ、ロクスレイ。お前に、背負う必要もないものを背負わせてしまった」

 

 一族の悲願を成就した暁に、ロクスレイは初代にいつ肉体を乗っ取られてもおかしくない状態になってしまった。自分の息子に、それも一族の血を引かないロクスレイに一族の宿痾とも言えるものを背負わせてしまったのだ。先代はそれを酷く気に病んでいる。

 

 先代の他にも、候補者として争ったシャルルも表にこそしないが気にしている素ぶりがあった。自分が無貌の王になっていればロクスレイに背負わせる必要もなかったなどと、益体もないことを考えているのかもしれない。ロクスレイとしては一族の血を引くシャルルでなく自分でよかったと思っているのだが。

 

「別に気にしちゃいませんがね。それに、悪いことばっかとも限りませんぜ? 皐月の王に至ったからか、どうにも身体の調子が良いんですよねぇ。こう、枷が外れたみたいな? 今なら、無貌の王の時にはできなかったこともできそうだ」

 

「…………」

 

 先代の表情が苦々しく歪む。ロクスレイはメリットのように言ってのけたが、それが必ずしもメリットだけではないと察せたからだ。

 

「ロクスレイ。くれぐれも気をつけるのだ」

 

「へいへい。ったく、どいつもこいつも気にしすぎなんだっての。要はオレが乗っ取られなきゃいいだけの簡単な話だろ。もっと気楽に行こうぜ? あんな感じにさ」

 

 そう言ってロクスレイが見るのは里の子供達に囲まれて宴を楽しむルミアの姿だ。

 

 儀式の時に着ていたドレスはそのまま、子供達手製の花冠を頭に載せて、一族の若い衆の楽器演奏に合わせて軽やかに踊っている。

 

 まるで一幅の絵画のような眺め。名付けるなら、森の精霊と乙女の戯れであろうか。子供達の無邪気さとルミアの持つ柔らかな慈愛が見事にマッチしている。画家が居れば是非とも絵に残してもらっただろう光景だ。

 

 残念ながら一族内に画家は居らず、代わりに少し離れた位置でペンとスケッチブックを手にして猛烈な勢いで次回作の構想を練っているカリスマデザイナーの姿はあったが、ロクスレイは気にしないことにした。スケッチで収まっている間は問題ないだろうという考えもある。

 

 意識的にエリザを視界の外に追いやっていると、宴の中心から騒がしい三人娘が駆け寄ってきた。

 

「まあ、こんなところでロクスレイがサボってるわ。お姫様を放ってサボってるわ!」

 

「いけないんだー、いけないんだー」

 

「主役の人はちゃんと参加しないとダメですよ、ロクスレイさん」

 

「いやいや、オレはだな……って、おいこら手を引っ張るなっての」

 

 三人娘に囲まれてぐいぐい宴の中心へと引きずられていくロクスレイ。先代はそんな息子を微笑ましげに見送った。

 

 三人娘に手を引かれて宴の中心に強制連行されたロクスレイを迎えたのはルミアだった。元気の有り余った三人娘に囲まれてげんなりしているロクスレイを見てくすりと笑みを零す。

 

「慕われてるんだねロクスレイ君」

 

「そんなんじゃねえですよ。オレよかお嬢さんの方がよっぽど好かれてるっしょ……」

 

 宴の中心に引きずり出されたロクスレイはどこか落ち着かない様子だ。基本的に人の輪の外から眺めている性質(タチ)なために、こうして輪の中へ入ってしまうと戸惑いが隠せないらしい。

 

 きょろきょろと挙動不審なロクスレイにルミアはそっと手を差し出す。

 

「ロクスレイ君。よかったら、私と一緒に踊ってくれませんか?」

 

「踊ってっつってもなぁ。オレにお貴族様の踊る上品なダンスを期待されても困りますぜ?」

 

「それは大丈夫。宴が始まる前にアンヌさんに、ロクスレイ君が踊れるダンスを教えてもらったから」

 

「奥方……」

 

 いつの間にやら先代の隣に立ち、頑張れとばかりに手を振るアンヌの姿にロクスレイは頭を抱えた。

 

 ふと気付けばロクスレイとルミア以外の踊っていた者達はそそくさと下がり、楽器を演奏していた若い衆が「早くしろ」とニヤけながら構えている。その中に澄まし顔のシャルルやウィルなどの顔触れを見つけ、完全に嵌められたとロクスレイは悟った。

 

 ちなみに「(アタシ)の歌でもっと盛り上げてあげるわ!」と息巻いていた音響兵器少女は勇敢なる一族の男衆の手によって既に退場済みである。

 

 完璧なまでにお膳立てを済まされ進退窮まったロクスレイは、期待に満ちたルミアの眼差しに折れてその手を取った。それを合図に止まっていた楽器の演奏が再開した。

 

 二人が踊るのは森に生きる民族に古くから伝わる舞踊『穏やかなる木精の舞(バイレ・デル・セルバ)』。大自然の恵みに感謝を捧げ、精霊より加護を授かるために巫女と覡が奉納する舞だ。市井で感謝祭や催事の折に踊られるダンスの原型となった舞踊でもある。

 

 演奏に合わせてロクスレイとルミアが舞い踊る。

 

 荒々しさはない、自然の雄大さを体現したようなゆったりとしたステップ。優雅さや華々しさはないものの、静穏な素朴さを秘めた振り付け。二人は互いに互いを預けて心ゆくまで踊り続ける。

 

「驚いたな。お嬢さん、本当に今日知ったばかりなんですかい? オレよかよっぽど上手いじゃないの」

 

「えへへ、アンヌさんの教えが上手かったからだよ」

 

 はにかみながら謙遜するルミアであるが、その実彼女のダンスの腕前は目を瞠るものがある。元とはいえそのあたりの教養や素養は流石王女と言わざるを得ない。

 

 曲が進むほど、踊り続けるほど、二人の息は溶け合うように重なっていく。終盤に差し掛かった頃には二人とも熱に浮かされたようにダンスにのめり込んでいた。

 

 ロクスレイは、別段ダンスが好きでも嫌いでもない。『穏やかなる木精の舞(バイレ・デル・セルバ)』は一族全員が教え込まれるために踊れるだけであって、今までは特に思い入れもなかった。

 

 けれど、こうしてルミアと踊ることは素直に楽しいと思えた。ルミアと踊るためなら、少しくらい真面目にダンスを手習ってもいいかもしれない。

 

 柄にもなくロクスレイが浮かれていたその時、ルミアが姿勢を崩さない程度に身を寄せた。出し抜けに身体が触れ合って目を見開くロクスレイを至近距離で見上げる。

 

「ねえ、ロクスレイ君。一つお願いがあるんだ」

 

「な、なんですかい?」

 

 そそっとロクスレイが詰められた間合いを離そうとステップを刻む。しかし残念、こと純粋なダンスの腕前でロクスレイがルミアに太刀打ちできるはずもなく、離した距離は数秒と保たずまた密着してしまう。

 

 ドギマギする内心を必死に隠そうとするロクスレイに、ここぞとばかりにルミアはお願いを切り出す。

 

「私のこと、名前で呼んでほしいな」

 

「は? いや、それはちょっと問題があってだな……」

 

「ダメ……?」

 

「ぐっ……」

 

 至近距離からの狙ったような上目遣いにロクスレイの心はどうしようもなく揺らぐ。

 

 あざとい、それなのにルミアがやるととんでもない破壊力となる。加えてシチュエーションも完璧。ロクスレイが逃げられないようにダンスの最中、それも気が緩んだ一瞬の隙を突いての実行だ。一体何処の奥様が入れ知恵したのやら。

 

 脳裏からお節介好きな育ての母親を振り払い、ロクスレイはこの場を如何に凌ぐか考える。が、そんな余裕は与えまいとルミアが畳み掛ける。

 

「ティンジェルとかお嬢さんなんて他人行儀な呼び方じゃなくて、ちゃんとルミアって呼んでほしい。顔無しさんの時は仕方ないけど、ロクスレイ君の時だけでいいからさ」

 

「ですがね、お嬢さん。急に呼び方変えたりなんてしたら、それこそクラスの連中が騒ぎかねないでしょ」

 

「そうかな? 今更な気がするけどなぁ」

 

 既にロクスレイとルミアの間柄が近しいものであるというのは『遠征学修』を機に周知の事実となっている。呼び方を変えれば騒ぎにはなるだろうが、どの道時間の問題だ。

 

「ね、ロクスレイ君。お願い?」

 

 上目遣いに加えて可愛らしく小首を傾げる仕草。殆ど密着状態からのクリティカルに流石のロクスレイも堪えきれず、精神防壁は敢えなく陥落した。

 

「お……ルミア……嬢」

 

「うん、今はそれでいいかな。無理言ってごめんね」

 

 満足そうに微笑むルミア。対照的にロクスレイは今後の学院生活に想いを馳せて、疲れた溜め息を洩らす。しかしその顔には無意識のうちに微笑が浮かんでいた。

 

 優しい陽だまりのような時間。いつまでもこんな時間が続けばいい。そんなことは無理だと重々承知していても、願わずにいられない。

 

 ルミアの境遇、ロクスレイの背負った運命。遠からず二人には試練が課せられるだろう。果たして二人は無事に乗り越えられるのだろうか。

 

 未来(さき)のことは分からない。けれど現在(いま)は、この時だけはあらゆる柵から解放されて二人は幸せな時間を思う存分噛み締める。

 

 決して忘れないよう、この思い出を心の奥底に刻み込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第五部
愚者の絶望と婚約者


旦那、長いことお疲れさんでした。生憎と旦那の期待には応えられなかったが、悪くない千年だった。
──我が骸は、どうか気高き騎士の隣に。


 それは過去の記憶。無貌の王として活動してきたロクスレイにとって苦い記憶に分類されるものだ。

 

 ロクスレイがルミアの護衛としてアルザーノ帝国魔術学院に編入するより前、帝都を舞台に繰り広げられた大惨劇。

 

 下手人はたった一人。帝国の官僚が多数殺害され、無辜の民が数多く巻き込まれ犠牲となった事件。当時のロクスレイは雇用主(アリシア)からの依頼で一時的に特務分室と手を組み、事態の収拾に当たっていた。

 

 今でも思い出す、余りにも凄惨な光景。悍ましい魔薬によって生きながら屍人と化した人々が闊歩する阿鼻叫喚の地獄絵図。廃人と化した市民の命を断腸の思いで刈り取り、逃げ遅れた生者を救いつつ、事件の元凶たる外道を追い詰めんと奔走した。

 

 だがあと一歩というところで必ず邪魔が入った。まるでロクスレイの行動を全て把握しているかのように足止めが配置され、どう足掻いても黒幕の許へ辿り着くことができなかったのだ。

 

 どうにか足止めを蹴散らし、ロクスレイが駆け付けた時には全てが手遅れだった。

 

 曇天の下、物言わぬ骸と化した女性の身体を掻き抱き、一人の男が悲痛に塗れた慟哭を上げていた。魔術に絶望した愚者の心の悲鳴が帝都の街並みに響く。

 

 常日頃から物語に出てくるような『正義の魔法使い』に憧れ、非情な現実にぶつかって挫折しながらも、理想を支えてくれる大切な女性(ひと)と共に歩んでいた愚者。青臭い理想を胸に秘め苦悩しながらも生きる愚者を、ロクスレイは正直言って気に入っていた。

 

 仕事と割り切り、無辜の民を守るためなら外道の血に濡れようが構わない現実主義者(リアリスト)であるロクスレイにとって、愚者の在り方は少しだけ眩しいものに映っていたのだ。

 

 愚者がどんな道を歩んでいくのか。愚者の理想を笑わず肯定する女帝との関係がどう変化していくのか。部外者の視点から時折揶揄いを入れつつ、軽い気持ちで見守っていく腹積もりだった。

 

 だがそんな想いは一人の正義に狂った裏切り者の手によって木っ端微塵に打ち砕かれた。

 

 愚者の理解者である女帝は死に絶え、唯一の拠り所を失った愚者は完膚なきまでに折れてしまった。血反吐を吐きながらも『正義の魔法使い』を目指した少年の道は完全に閉ざされてしまったのだ。

 

 ロクスレイの目があることなど構わず、愚者は狂い泣き叫ぶ。大好きだった魔術に、憧れた『正義の魔法使い』に、何より無力な自分に愚者は絶望する。

 

 狂った正義に何よりも大切な女性を奪われた愚者の有様に、ロクスレイの胸中をえもいわれぬ感情が埋め尽くす。それは同情か、憐憫か、憤怒か、落胆か、それとも迷いか。

 

 その感情の正体は知れない。けれど涙を流しながら愛した女性の亡骸を抱き締める愚者の姿は、当時のロクスレイの達観した正義観に少なからず影響を与えたのは間違いなかった。

 

 

 ▼

 

 

 連休が明けてしばらく。無事に無貌の王の力を取り戻し、厄介な皐月の王(荷物)を背負わされたロクスレイであるが、ここ数日は特に天の智慧研究会からの刺客もなく、比較的平穏な学生ライフを送っていた。

 

 以前までと変わらず、護衛対象兼主人(マスター)の登校から下校までを陰から護衛し、学院では悪目立ちしない程度に魔術の勉強に励む毎日。連休前、厳密には無貌の王の能力を失う前と同じ日常である──とは言い難かった。

 

 連休前と後で変化したのはロクスレイとルミアの関係。契約の儀を経たことで二人の関係は主人と従者となり、あの夜の告白もあって以前より距離感は近い。その時点で察しのいい生徒達は連休の間に何かあったと悟った。

 

 決定的となったのはロクスレイのルミアの呼び方だ。

 

 今まではクラスメイトであろうとラストネームで通してきたロクスレイが、ルミアだけファーストネームで呼ぶようになった。しかも呼ばれるルミアの幸せそうなこと。そういう関係なのかと問えば、ロクスレイはのらりくらりとはぐらかし、ルミアも微笑みながら流すばかりである。

 

 この時点で察しの悪い人間も全てを悟った。

 

 ──ロクスレイとルミア、付き合ってるってよ。

 

 学院内において天使とまで謳われるほどの美少女であるルミアに恋人ができた。その噂は瞬く間に学院中に知れ渡る。

 

 魔術師を志す者とはいえ生徒達も色恋に興味を持つ年頃だ。中にはルミアを狙っていた男子も大勢居ただろう。それがよもや何処の馬の骨とも知れぬ編入生に掻っ攫われたとなれば不満やら嫉妬を抱く生徒が続出するのも何らおかしくない。

 

 覚悟していたとはいえ顔も知らぬ生徒達から嫉妬やら怨嗟の視線を向けられるのはあまり居心地の良いものではない。不幸中の幸いなのはクラスメイトの男子達が、嫉妬こそ募らせていても悪感情を抱いていないことだろうか。

 

 二年二組はロクスレイにとっては嬉しいことに気の良い面子が揃っていた。おかげで男子達から恨み節こそ吐かれど、嫌悪されたりということはない。むしろルミアとの関係の変化の影響でロクスレイ自身が変わったのか、以前よりもクラスメイトとの距離感も縮まったように思える。

 

 悪い変化もあれば良い変化もある。徐々に変わりつつある環境と自分自身を自覚しながら、ロクスレイはそれもまた悪くないかと新たな日常を受け入れた。

 

 そんなある日のことである。

 

 魔術師の卵達が魔術の研鑽に励む学び舎の一角。前庭の隅っこで怪しげな密談に勤しむ二人組がいた。片や常時眠たげな無表情がデフォルトのリィエル=レイフォード。片やリィエル絡みの減俸と度重なる己の問題行動によって日々の生活すら危うい領域に至った金欠講師グレン=レーダスである。

 

 生徒達の喧騒から隠れるように内緒話を続ける二人の顔付き、特にグレンの表情は真剣そのもの。鬼気迫る迫力を滲ませて教え子であるリィエルに頭を下げる。今でこそ多少改善されたものの、基本的にグレン命だったリィエルはグレン直々の頼みとあって快諾、足元に転がっていた小石を拾い上げるとそれに魔術を行使して──此処に至って二人の許へ猛スピードで駆け寄る女生徒が現る。

 

 白銀(ミスリル)の如き髪を靡かせ、表情を怒りに染めた少女は魔術を犯罪行為に利用しようとする金欠講師(グレン=レーダス)目掛けて黒魔【ゲイル・ブロウ】をぶっ放す。吹き荒れる突風にグレンが枯葉もかくやの勢いで天高く舞い飛んだ。

 

 庭の池に着水したグレンを説教するのはシスティーナ=フィーベル。教え子に犯罪行為の片棒を担がせようとしたロクでなし講師に飽きもせず説法を説く。当のグレンは馬の耳に念仏であるが。

 

 もはや定番となりつつあるグレンとシスティーナの漫才、もといやり取り。人が空を飛ぶという現象に度肝を抜かれていた生徒達はまたか、とばかりに嘆息を洩らして歩き去っていく。グレンが吹っ飛んだことでぽつねんと蚊帳の外に置かれたリィエルは流れについていけず、こてんと首を傾げるばかりだ。

 

 そんなリィエルの掌に横合いから手が伸び、元は小石から錬成されて生まれた黄金をひょいっと摘み上げた。

 

「へぇ、こいつは良い。二流どころの鑑定士なら余裕で素通りできる出来じゃねえですか」

 

 即席で錬成されたとは思えない出来の黄金を矯めつ眇めつ、悪い笑みを浮かべるのはロクスレイ。グレンが己の生活資金確保のためリィエルに錬成してもらったそれを、しれっと懐に持っていこうとする。

 

「ダメだよ、ロクスレイ君。そんなことしたらシスティに怒られるよ?」

 

 黄金をくすねようとしたロクスレイを諌めるのは柔らかな金髪の少女。ロクスレイの護衛対象兼主人であるルミア=ティンジェルだ。

 

「へいへい、分かりましたよ。ま、グレン先生と違ってオレは金に困ってるわけでもないですから構いませんがね」

 

 執着の欠片もなくロクスレイは小石サイズの黄金を投げ捨てる。説教中のグレンが黄金の行方に目を奪われ、更にシスティーナの怒りに油を注いでいるがロクスレイの知ったことではない。

 

「リィエルも、グレン先生の頼みでもこういうことはやっちゃダメだよ。授業でも言ってたでしょ?」

 

「でも、グレン困ってた。わたしのせい……」

 

 しょんぼりと眉尻を下げるリィエル。何気にグレンの生活を困窮させている自覚があるらしい。

 

「まあ、レイフォード嬢が悪いところもあるでしょうけど、グレン先生が万年金欠なのは自業自得だろ。オタクが気に病むようなことじゃないっしょ」

 

 それにここ最近のリィエルはルミアとシスティーナとの交流から自重を学び、妖怪お菓子投げ(ロクスレイ)の尽力もあって暴走による校舎破壊などは殆ど見られなくなった。それでもなおグレンの給料がピンチなのは本人の自業自得によるものだ。

 

 ロクスレイなりのフォローに続いてルミアが名案を閃いたとばかりに手を打ち鳴らす。

 

「そうだ、じゃあ今度一緒にグレン先生に差し入れを作ってみよっか。きっと喜んでくれるはずだから」

 

 金欠でシロッテの蜜で飢えを耐え凌ぐような生活を送るグレンにとって、食料の差し入れはこの上なく嬉しいものだろう。錬金術で黄金を錬成するよりよっぽど健全なやり方である。

 

「でも、わたし料理できない……」

 

「じゃあ一緒に作ってみない? 私もまだまだお勉強の途中だけど、簡単な料理ならできるから。味見をしてくれる人もいるしね」

 

 そう言ってルミアはロクスレイに視線を流す。味見役を任されたと理解したロクスレイはふっと笑みを零した。

 

「はいはい、オレで良ければ幾らでも食べてやりますよ。ただ、頼むから食えない物を作り上げるのは止めてくれよ? マグマみたいな料理が出てきたら、オレは逃げるからな?」

 

 真っ青な顔で胃のあたりを押さえながら言うロクスレイ。彼の脳裏に浮かぶのはカリスマデザイナーことエリザの錬成した料理、もとい生物兵器。彼女が作った料理は比喩表現抜きで無貌の王の一族を半壊に追い込んだ。

 

 アンヌの『植物成長促進』によって薬草を大量生産、生き残った面々による不眠不休の胃薬調剤と看護によって事なきを得たものの、後にも先にもあんな馬鹿げた一族の危機はないだろうと当時の被害者たちは語る。ちなみにロクスレイもきっちり被害者に名を連ねていた。

 

「ふっ、隙あり──!」

 

「あ、待ちなさい!?」

 

 当時の地獄を思い出してロクスレイが顔を顰めていると、一瞬の隙を突いてグレンが逃走。目敏くロクスレイが投げ捨てた黄金を拾い上げて猛然と走り始めた。

 

 逃走するグレンの背に魔術をぶっ放しながら追いかけるシスティーナ。このままグレンが逃げ切り、システィーナが悔しさと怒りに叫ぶまでがいつもの流れである。

 

 しかし今日に限ってはいつもの流れにはならなかった。

 

 システィーナの魔術に意識を奪われていたグレンが前方から迫る馬車に気付かず、あわや轢かれて大惨事になりかけたのだ。

 

「おいおい、何やってんだか……」

 

 呆れ混じりにロクスレイが呟く。

 

 幸いグレンが咄嗟に尻餅をついたことで衝突は免れたものの、一歩間違えれば大事故になりかねなかった。もはや当然の如く呆けているグレンに代わってシスティーナが馬車の御者席に座る御者に謝りにかかる。

 

 しかし御者はシスティーナの謝罪には一瞥もくれず、ズボンに付いた埃を払いながら立ち上がるグレンをじっと注視しており、それを怒っていると取ったシスティーナが更に謝罪を重ねようとしたところで馬車の扉が開く。

 

 客室から優雅に降りてきたのは若い、グレンよりは少し年上だろう金髪の優男。所作の一つ一つに気品が滲んでおり、美男子という言葉がこれ以上になく似合う容姿の青年だ。それはその場に居合わせた女生徒達の反応を見れば一目瞭然だ。

 

 ただ一人、システィーナだけは見惚れるでもなく目を丸くし、驚愕入り混じる声を上げた。

 

「れ、レオス!? どうして貴方が……!?」

 

「久しぶりですね、システィーナ。ここに来て最初に貴女と会えるなんて、私も運がいい」

 

 優しい眼差しでシスティーナを見つめる金髪の青年。そしていつもの調子は何処に忘れたのか、やけにしおらしい態度で挙動不審に陥るシスティーナ。

 

 二人が無意識の内に醸し出すリア充特有の固有結界にその場に居合わせた少年少女が俄かにざわつく。あのイケメンは誰なのか、システィーナとはどんな関係なのか。湧き上がる疑問を良くも悪くも空気の読めないグレン(ロクでなし)が無遠慮に尋ねた。

 

「誰だ、アンタ?」

 

「おっと、これはいけない。システィーナの顔を見ることができて浮かれてしまいました。紹介が遅れて申し訳ありません」

 

 礼儀もへったくれもないグレンの誰何に金髪の青年は丁寧な物腰を崩さぬまま、貴族らしく名を名乗る。

 

「この度、ここアルザーノ帝国魔術学院に特別講師として参りました、レオス=クライトスです。システィーナとの関係は……そうですね、隠すこともないでしょう。端的に言えば将来を誓い合った婚約者(フィアンセ)です」

 

「──はい?」

 

 宣言するように明かされた驚愕の事実に問うたグレンは硬直、一瞬の間を置いて野次馬と化していた生徒達から悲鳴にも似た喚声が上がる。程なくして特別講師とシスティーナの関係は知れ渡るだろう。

 

 その場が騒然となる中、ロクスレイは顔を真っ赤にしてあたふたするシスティーナと間抜け面を晒すグレンを見やり、僅かに複雑そうな表情を浮かべる。

 

「婚約者ねぇ? 面倒事にならないといいんですが……」

 

 内心で無理だろうなぁ、と悟った上での呟きであった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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決闘勃発

エクステラリンクに我らがロビンさん参戦……これは買うしかない!


 レオス=クライトス。クライトス伯爵家の次代当主候補の一人であり、クライトス魔術学院で教鞭を執る優秀な魔術講師。最近では軍用魔術に関する画期的な論文を発表、帝国総合魔術学会でも注目を集める魔術師だ。

 

 そんな有名人がクライトス魔術学院からわざわざ特別講師としてアルザーノ帝国魔術学院に招かれた理由は、講師が一人急病に倒れ療養のために一時休職することになったからだ。

 

 学院は抜けた穴を埋めるためにダメ元でクライトス魔術学院に打診、結果として来訪したのがレオスである。

 

「──とまあ、あの優男が特別講師として此処へ来た経緯はこんなところか。フィーベル嬢との関係は祖父同士が学友で、数年前まではクライトス伯爵領にちょくちょくお邪魔していたみたいですぜ。婚約者云々はオレも初耳なんで、詳しいことまでは分からねぇですけど」

 

 アルザーノ帝国魔術学院にやってくるなり開設されたレオス=クライトスによる専門講座。学会にて時の人とまで注目されるレオスの講義を受けようと集まった生徒と講師で講義室は埋め尽くされている。

 

 そんな講義室の一画を陣取り、講義内容を聴きながらロクスレイは現状知っているレオス=クライトスについての情報を主人たるルミアに伝えていた。

 

 ロクスレイからレオス=クライトスの情報を聞いたルミアは、端正な横顔に微かな不安を貼り付けて教壇に立つレオスを見やる。

 

「そうなんだ。私、全然知らなかったよ……」

 

「ま、無理もないでしょうよ。フィーベル嬢の両親の多忙や、彼方さんのお家問題でここ数年は疎遠になっていたみたいですし? 別段、フィーベル嬢がルミア嬢に隠そうとしてたとか、そんな意図はないと思いますけど」

 

「うん……」

 

 小さく頷くルミアであるが、依然物憂げな顔色に変化はない。

 

 レオスが魔術学院に来てからずっと、ルミアはどこか不安そうにしている。ロクスレイはそれを本当の姉妹のように仲の良い親友が見も知らぬ男に取られるかもしれないことへの不安だと考え、請われるままにレオス=クライトスの情報を喋ったわけだが、どうにもそうではないらしい。

 

 いつもの明るさのない主人に調子を狂わされ、ロクスレイが困ったように頭を掻いていると講義の終わりを告げる鐘が鳴り響く。レオスが講義に一区切りをつけて終わらせると惜しみない賞賛の声と拍手が上がった。

 

 講義を受けた誰もが認めるほどにレオスの講義は有意義なものであった。ロクスレイの後ろの席で聴講していたグレンですらも、その講義内容と教え方に唸っているといえば分かりやすいだろう。

 

「完璧だ。軍属の魔導兵ですら今ひとつ理解してない物理作用力(マテリアル・フォース)理論を学生に完全に飲み込ませやがった……」

 

 思わず感想を零すグレンであるがその表情は感動や感心といったものではない。むしろ苦々しい部類の顔だ。

 

「だが、幾ら何でも早すぎだろ……」

 

 グレンが懸念するのはまだ年若い学院生徒達が実感の一つも持たずに強大な力を持つことである。

 

 レオス=クライトスはいかに効率よく魔力を破壊力に変換するか、つまりはどうすれば効率よく人を殺傷できるかを言葉巧みに美化し、魔術の表側にだけスポットを当てて教え込んだのだ。

 

 頭の良い生徒やグレンの受け持つクラスの生徒達であればレオスの講義を聞いただけで、普段自分達が使う初等呪文ですら人を殺すことができると知っただろう。それは余りにも早すぎる。

 

 ロクスレイも概ねグレンの意見と同じであったが、こと同じクラスの面々に関しては大して心配していなかった。

 

 何せ二組は普段はロクでなしでありながらも生徒思いなグレンの教えを受けているクラスだ。他のクラスの面々と比べて魔術の危険性もそれなり以上に理解させられているし、何より実際に天の智慧研究会のテロに巻き込まれたことで身をもって知っている。

 

 故に二組の生徒に関してはロクスレイは心配していない。現に講義室内にいる二組の生徒の顔を見れば、揃いも揃って何処か戸惑いを含んだ様子である。ちなみに二組一の脳筋お馬鹿であるリィエルはそもそも講義内容を理解できていないという有様であったので、心配するまでもなかった。

 

「ロクスレイ、どうかした? ……新しいお菓子を考えてるの?」

 

「レイフォード嬢はほんっとブレないなぁ。おかげで安心したわ」

 

 普段とまるで変わりのないリィエルに安心感を覚えるロクスレイ。

 

 ルミアもグレンも、そしていつもの面子であるもう一人もレオス=クライトスが来てからずっと落ち着きがないものだから、常日頃と何一つ変わらないリィエルがロクスレイにとっては軽く心のオアシスと化していた。

 

 こてんと首を傾げているリィエルにロクスレイが飴玉を放っていると、生徒達の対応を終わらせたレオスが真っ直ぐ婚約者──システィーナの元へ向かった。途端に講義室内に毛色の違う騒めきが生まれる。

 

 既にレオスとシスティーナが親同士が決めた婚約者であるという噂は知れ渡っている。と言うより、レオス側が隠す気もなくむしろ喧伝する勢いでシスティーナに接触を繰り返しているからだ。

 

 今も講義内容についての感想から自然な流れで二人きりになろうと誘い(アプローチ)を掛けている。その言葉も仕草も全てが貴族として洗練されており、一部始終を眺めている女生徒達が我知らず溜め息を零した。

 

 当のシスティーナはと言えば、涼しげな容貌とは裏腹に情熱的なレオスのアプローチにたじたじ。だが時折、縋るような視線をルミアやグレンに向けては目を泳がせるといった不審な挙動を繰り返している。

 

 しかしそれも際限なく重ねられるレオスの言葉と真摯な態度に陥落。ルミアに目配せで断りを入れ、一瞬だけグレンを一瞥したのちレオスと共に講義室を後にした。

 

「あーあ、行っちまったな。良かったんですかい、講師殿? このまま行けば、フィーベル嬢はあの優男とくっつくことになりますぜ?」

 

「良いも何も、貴族が親同士で決めた婚約関係に部外者の俺がどうこう言える資格なんてあるかっての。それにクライトス家と言えば帝国内でも古株に入る有力貴族だ。レオス個人の才覚も、気に入らねぇがこれ以上になく優れてる。あいつと結ばれりゃあ、白猫も将来安泰だろ」

 

 魔術の名門であるフィーベル家のシスティーナが同じく帝国有数の有力貴族であるクライトス伯爵家に嫁ぐ。形式上は何ら不自然ではなく、システィーナもレオスを憎からずレオスを好ましく思っている。システィーナにとって悪いことではないはずだ。

 

 努めて私情を排して客観的な意見を述べたグレンを意味ありげに見やり、ロクスレイは僅かに呆れを込めた嘆息を洩らす。

 

「確かにその通りではあるが、オレが聞いてんのはそういうことじゃない。ま、これ以上突っ込むのは野暮ってもんだ」

 

 そう言ってロクスレイは不貞腐れたように頬杖を突くグレンから視線を切り、帰り支度を始めようとする。しかしそこで隣のルミアから待ったが掛かった。

 

「ロクスレイ君……一つお願いがあるの。聞いてくれるかな」

 

 やけに切羽詰まった様子のルミアからのお願いは普段の彼女らしからぬものであった。しかしそこはロクスレイ、主人のお願いを二つ返事で了承するのだった。

 

 

 ▼

 

 

 広大な魔術学院の一画には木や花壇などで飾り付けられた庭園がある。生徒達の気分転換や息抜きのために開放されている場所だ。

 

 穏やかな陽光が降り注ぎ、涼やかな風が吹く庭園の散歩道。講義を終えたレオスとシスティーナの二人はそんな庭園を並んで歩いていた。

 

 思い出話に花を咲かせながら庭園を並んで歩く二人は、側から見ると仲睦まじいカップルにしか見えない。

 

 そんな二人の様子を固有魔術まで持ち出して覗く一団があった。ロクスレイ一行である。

 

「他人様の恋路を覗く趣味はないんですがねぇ……」

 

 魔導器である外套を被りながらロクスレイは呟く。すぐ隣で同じく外套の内側に入っていたルミアが申し訳なさそうに眉尻を下げる。

 

「ごめんね、こんなこと頼んで。やっぱり迷惑だった?」

 

「いんや? ルミア嬢たってのお願いに文句なんてありませんよ。あるとしたらそれは、このくっつき虫どもが邪魔くさいことぐらいだ」

 

 うんざり顔でロクスレイが振り返ると、そこにはルミア同様に外套を被っているリィエルとグレンの顔があった。

 

 リィエルはいつもの無表情で不機嫌そうなロクスレイを見返し、グレンはやや罰が悪そうに顔を逸らす。そんな反応にロクスレイはあからさまに溜め息を吐く。

 

「百歩譲ってレイフォード嬢はいいとして、なーんでオタクまで潜り込んでるんですかね、講師殿?」

 

「別に二人増えるくらいいいじゃねーか。便利だし」

 

「よかねぇよ、普通に定員オーバーだわ。だいたい、さっきは部外者だの何だの言って興味なさげにしてたくせに、一体どういう風の吹き回しだ?」

 

「いや、それはまあ、アレだ。いつも説教くさい白猫の弱味を握る大チャンスじゃね? って思ってな」

 

「こいつほんとロクでなしだな……」

 

 呆れて物も言えなくなるロクスレイ。そこへルミアが微笑を零しながらフォローを入れる。

 

「先生もシスティのことを心配してくださっているんですよね。ありがとうございます」

 

「べ、別に白猫のことなんて心配してねーし? そもそも、お相手のレオスはいけすかねーヤツだが、心配する要素なんて何処にも見当たらないしな……」

 

 ルミアのフォローを否定するグレンであるが、言葉の割に顔色はやや険しく、熱烈な台詞を吐くレオスを見据えている。普段の彼らしからぬ表情だ。

 

 対してロクスレイはルミアやグレンがレオスをそこまで警戒する理由が今一つ理解できていなかった。

 

 レオス=クライトスは天が二物も三物も与えたのではないかという程に優秀な人物で、ロクスレイとしてもあまり好きなタイプではない典型的な貴族だ。だが所詮はそれだけ。無貌の王として培った外道に対する嗅覚は無反応であり、過剰に警戒するに値しない。それがロクスレイの見解である。

 

 無論、ルミアとシスティーナの関係性が変わることで今後の護衛に影響がないとは言い切れないが、それも今すぐにという話ではない。よってロクスレイ個人としてはレオスという男を必要以上に警戒するつもりはなかった。

 

 もう一つ言えば、今のロクスレイには他に優先すべき事柄があるからという理由もあるのだが、そちらの事情を明かすつもりはない。

 

 だが主人であるルミアが覗きまでする程に心配している以上、このまま捨て置くわけにはいくまい。念のためにロクスレイはルミアに確認する。

 

「何がそこまで不安なんですかい?」

 

 ロクスレイの問い掛けにルミアは不安げな面持ちで己の胸に手を当てる。

 

「分からない。レオスさんは人格的に申し分ない人だと思うのに、どうしてか不安なの……遠征学修で初めてバークスさんと会った時も、こんな感じだった気がする」

 

「なるほどな。要は勘ってわけだ」

 

 これといった明確な理由も根拠もない勘。普通であれば鵜呑みにすることはないが、ルミアの人を見る目は馬鹿にできない。何せ初見でバークスの裏の顔を半ば見抜いて危機感を抱いていたのだ。それだけでもルミアの勘の信憑性を裏付けられる。

 

「よし、そういうことならレオス=クライトスについてちょいと裏を洗っておきますわ。都合の良いことに、貴族の裏事情に詳しい奴に心当たりもあるしな」

 

「ありがとう、ロクスレイ君」

 

「礼には及びませんぜ。それに、女の子の勘は馬鹿にできませんから」

 

 冗談混じりに言うロクスレイ。いつか自分が言った台詞をそっくり返されてルミアは小さく噴き出した。

 

 そんなルミアとロクスレイのやり取りをまざまざと見せつけられたグレンが胸中で砂糖を吐き、リィエルが例によっていつもの如くレオスを排除すれば解決ではと物騒なことを考えている一方、レオスとシスティーナの方にも動きが見られた。

 

 ついにレオスが結婚の申し込みを切り出したのだ。

 

 覗きに徹する面々が揃って話の行く末に耳を傾ける。よもや求婚の場面を出歯亀されているとは露知らないレオスは、本気でシスティーナに伴侶となってほしいと告白していた。

 

 誰もが羨むような貴公子然としたレオスから求婚されたシスティーナの返答は──否であった。

 

 レオスとよく淑女紳士ごっこをしていた頃ならば喜んで受け入れただろう求婚を、しかし今のシスティーナは断った。理由は一つ、彼女には祖父と交わしたメルガリウスの天空城の謎を解くという約束があるからだ。

 

 約束を果たすためには魔術の研鑽が必要不可欠であり、それまでは家庭を築く余裕はない。システィーナは祖父の果たせなかった夢を叶えるため求婚を受け入れることはできないと告げた。

 

 システィーナの彼女らしい返答にルミアはふっと顔を綻ばせる。ここで終われば全ては丸く収まっていたはずだった。しかしレオスが続けた言葉によって暗雲が立ち込める。

 

 レオスは馬鹿にするでも嘲笑するでもなく、ごく当然のことのようにシスティーナと彼女の祖父の夢を否定した。魔導考古学などに傾倒するだけ時間の無駄、そろそろ現実を直視するべきだと。心の底からシスティーナの将来を思った上で断言したのだ。

 

 代わりにレオスが推すのは軍用魔術の研究である。隣国との国際緊張から時代が求めるのは軍用魔術研究・開発であり、レオスはこの機に乗じてクライトス家の名を国の内外問わず知らしめたいと宣う。そのための伴侶(パートナー)としてシスティーナの力が必要だと言うのだ。

 

 己の夢を全否定されてシスティーナは目に見えて肩を落とす。レオスにとっては善意で言っているつもりなのだろう。だが当人からすれば今は亡き祖父と交わした大切な約束なのだ。時間の無駄だと言われて、はいそうですかと受け入れられるものではない。

 

 システィーナの決意は固い。しかしレオスもここで引くつもりはないらしく、攻め口を変えて切り込む。

 

 レオスは、システィーナの祖父ですら解明できなかった謎を本当に解き明かすことができるのか、と問うた。それはシスティーナ自身、薄々感じていたものの敢えて触れないようにしていたことだった。

 

 システィーナの祖父レドルフ=フィーベルは稀代の天才として多くの功績を残した魔術師だ。魔導考古学の分野に傾倒さえしなければ魔術史に名を刻んだことだろうと惜しまれるほどの天才であった。

 

 そんなレドルフをして全く歯が立たなかった『メルガリウスの天空城』の謎を、果たしてシスティーナに解き明かすことができるのか──

 

 システィーナは答えられない。祖父が魔術師として優れた人であることを知っていたから。何より、尊敬する祖父を易々と越えられるなど口が裂けても言えなかったからだ。

 

 熱烈な求婚の空気から一転、夢を否定された悔しさと悲しさに歯噛みするシスティーナ。外野で見守っていたルミアが親友の苦悩を察して顔色を曇らせる。

 

「システィ……え、先生?」

 

 今まで外套を被って事の成り行きを見守っていたグレンが、やけに険しい顔つきで出ていく。混乱するルミアであるが、ロクスレイはこうなることを予測していたのか驚くことなくその背を見送った。

 

 グレンは唐突にレオスとシスティーナの間に割り込むと、彼なりに真面目な態度でシスティーナの夢を擁護しつつ待ってはくれないかと口を挟んだ。普段のロクでなしぶりがなければこれ程までに生徒思いな講師はいないと思えるだろう。少しばかり決めてやったぜ、と格好つけている部分は玉に瑕であるが。

 

 レオスが本当の意味で紳士ならば引き下がったのだろうが、どうしてかレオスはここでも食い下がる。グレンに部外者は口出しするなと言い放ち、システィーナに求婚の返事を迫ろうとする。流石のグレンも貴族の肩書きを出されては分が悪かった。

 

 だがここで思いもよらぬ展開に発展する。

 

 何とあのシスティーナがグレンを自らの恋人だと宣言し、グレン以外の男と結婚する気にはなれないなどと宣ったのだ。

 

 驚愕の爆弾発言に言葉を失うレオス。飛び込んだグレンも何が何だか分からない顔。そして成り行きを見守っていたルミアとロクスレイは開いた口が塞がらない状態になっていた。

 

「おいおい、マジかよ。あの二人いつの間にできてたんですかい?」

 

「た、多分咄嗟についた嘘じゃないかな。先生もビックリしてたし」

 

「嘘ねぇ……確かにそうみたいだな。あの様子だと」

 

 システィーナから懇願するような眼差しを向けられて嬉々として恋人役を振る舞いつつ、気に入らないレオスを全力で煽りにかかるグレンを見てロクスレイは納得した。

 

 もう何というか酷い絵面だ。グレンは調子に乗って恋愛のABCまで済ませたなどとホラを吹き、「Aしかしてないわよ!」とシスティーナが墓穴を掘り、拙い演技をレオスが真に受けている。更には騒ぎを聞きつけて野次馬まで集まる始末だ。混沌(カオス)と言わざるを得ない。

 

「し、システィ。私の知らない間に先生と進展してたんだ……」

 

 姉妹のように仲の良い親友が自分の知らぬ間に大人の階段を一歩先に行っていたことにショックを隠せないルミア。思わず口元を掌で隠して、無意識の内に隣の少年を見やる。

 

 ロクスレイはグレンとシスティーナが繰り広げる三文芝居に笑いを堪えるので精一杯らしく、ルミアの視線には気付かなかった。何とも間の悪い男である。ルミアは溜め息を禁じ得なかった。

 

 いよいよ収拾がつかなくなり始めてきた頃合いで、グレンが今一度待つことはできないのかと問う。されどレオスの考えは変わらず、二人の意見は平行線。そして忘れてはならない、二人が魔術師であることを──

 

 何が何でもシスティーナの夢を認めず、剰え擁護するグレンをただの甘やかしと断言するレオスに、グレンが真剣な面持ちで左手の手袋を投げつける。かつてシスティーナがグレンにやったのと同じように、システィーナを賭けて決闘を申し込んだ。

 

 決闘の申し込みをレオスは願ってもいないことだと受理した。

 

 こうしてグレンとレオスはシスティーナを巡って決闘することが決まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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忍び寄る天使の塵

18時からですね。果たしてメンテが開けたらメンテが始まるのか……すんなり二部始めたいなぁ……。あと、二部にもロビンさんの出番を!


 夜の帳が下りたフェジテの街。夜間にも営業している酒場などが犇めく繁華街以外はすっかり静寂に包まれ、何処と無く不気味な空気が漂っている。取り分け大都市フェジテの裏の顔である貧民街は不気味を通り越して不穏な空気が流れていた。

 

 フェジテの中心から離れ貧民街の中でも奥まった位置に居を構えていた酒場。今では潰れてすっかり不良の溜まり場と化しており、いつもなら柄の悪い不良が屯している頃合いなのだが、その日は違った。

 

 荒れ放題となった酒場内に広がっているのは惨劇の跡。板張りの床には血の海が広がり、複数の人間だった()()が転がっている。そして丁度中心にはこの光景を作り出した下手人が佇んでいた。

 

 返り血で赤黒く染まった深緑の外套を身に纏った少年──ロクスレイは血に染まった短剣を片手に下げ、もう一方の手で空の注射器を握りしめていた。足元には同様の注射器やパイプらしき物が転がっている。

 

「悪ぶって薬に手を染めて、それで死んじまったら意味ないってことも分からないんですかねぇ……」

 

 皮肉げな口調で呟き、手にしていた注射器を粉々に握り砕く。足元に散らばっていた注射器の類も念入りに処理し、ロクスレイは潰れた酒場を後にしようと踵を返す。

 

 ふと、ロクスレイの視界に鈍く光る物が過った。荒れた店内の壁に掛けられた、割れた鏡だ。建物の隙間から差し込んだ月光を反射したらしい。

 

 形を保っているのがやっとの鏡が写し出しているのは惨劇の店内と緑衣を纏ったロクスレイの姿。別段おかしな点はない。だがロクスレイには一瞬、鏡の中の自分がいつか精神世界で邂逅した初代ロビンフッドと重なって見えた。

 

「────ッ」

 

 バリィン! とけたたましい破砕音が鳴り響く。ロクスレイが反射的に擲ったナイフが鏡を叩き割ったのだ。

 

 音を立てて床に散らばる鏡の残骸。ナイフを放った体勢のまま硬直していたロクスレイは、肩の力を抜くように息を吐くと投げたナイフを回収する。

 

「……ったく、何を過剰反応してんだ。オレも疲れてるのかねぇ」

 

 わざとらしく眉間を押さえながら酒場を出る。

 

 外に出ると冷たい夜気と青白い月がロクスレイを出迎えた。辺りは不気味なほど静まり返っている。酒場内での不穏な空気を察知して住人達は揃って息を潜めているらしい。貧民街だからこそ、不用意に手出しをしてこないのだ。

 

 どの道、貧民街で人が死のうと大して騒ぎにはならない。これが表の住宅街や繁華街ならば警備庁の警備官やらが介入するのだろうが、生憎と貧民街は殆ど無法地帯と変わらない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 無論、完全に放置しているわけでもないのだが、どちらにせよ対応は遅れるだろう。それまでにロクスレイは為すべきことを為さねばならない。

 

 不意にロクスレイの懐で通信の魔導器が鳴動する。周辺に人気がないことを確認し、ロクスレイは通信に応じた。

 

『あら、早かったじゃない。そっちの始末は終わったのかしら?』

 

 半割れの宝石から聞こえてきたのはロクスレイのよく知る少女の声。カリスマデザイナーとして活躍しながら貴族間の情報を探るエリザだった。

 

「まあな。つっても、オレが踏み込んだ時には殆どが末期で自滅、ギリギリ保ってたヤツをサクッとやるだけの簡単なお仕事さ。残念ながら、大した情報は抜き出せなかったがな」

 

 骨折り損の草臥れ儲けとばかりに溜め息を吐く。少しでも有益な情報を得ることができれば良かったのだが、ロクスレイが現場に踏み込んだ時には既に手遅れであった。生き残りもまともに会話できる状態ではなく、後々の障害にならないよう排除する他なかったのだから。

 

『ふぅん、随分と薬の回りが早かったのね。それとも短期間に大量摂取でもしたのかしら』

 

「十中八九後者だな。洗脳されてたか禁断症状に耐えられなかったかは知れないが、酒場に残ってた薬の量からして間違いない。こっちがビックリするくらいの量でしたぜ」

 

『そう。フェジテにもそれだけの『天使の塵(エンジェル・ダスト)』が持ち込まれてるわけね。いよいよ帝都の惨劇の再来が現実味を帯びてきたんじゃない?』

 

 ──天使の塵(エンジェル・ダスト)。かつて帝都の惨劇を巻き起こした恐ろしい魔薬であり、今度は帝国全土を混乱の坩堝へと誘おうとしている元凶だ。

 

 ロクスレイがわざわざ夜更けに貧民街の奥地に佇む潰れた酒場へ足を運んだのも、フェジテに大量の天使の塵(エンジェル・ダスト)が持ち込まれたという情報を一族が入手したからである。その真偽を確かめに赴けば案の定、薬の摂取で傀儡と化した屍に出迎えられたわけだ。

 

 エリザの不謹慎な発言も笑えない。連休前から既に天使の塵(エンジェル・ダスト)は帝国各地に出回り始めていたが、現状は悪化する一方である。

 

「そっちの調子はどうなんだよ。少しは有益な情報が手に入ったか?」

 

『残念だけど、今のところはいたちごっこが続いてるわ。売人やばら撒いてる輩を抑えても埒が開かない。だって連中、どいつもこいつも薬で洗脳されてるんだもの。尋問は意味なし、傀儡はいくらでも増やせる、これじゃあいつまで経っても元凶には辿り着けないんじゃないかしら?』

 

「それじゃあこっちが困るんですがねぇ。天使の塵(エンジェル・ダスト)はたった一度投与されるだけで詰みなんだ。流通経路から抑えてもらわないとどうしようもないぞ」

 

 薬で傀儡とされた人間を救う手立てはない。必然的に選択肢は一つ、後々の障害とならないためにその場で殺すしかないのだ。だがそれも根本的な解決策ではない。大元を叩かない限り、この騒動に幕引きはないだろう。

 

『分かってるわよ。帝都の惨劇を繰り返させるつもりはないわ。女王サマからも正式に依頼も入ったし、一族としても見過ごすつもりはない。全力で捜査に当たってるから、それまでは待ってなさい』

 

「あいよ、頼んますぜ……ところでエリザ、一つ頼まれて欲しいことがあるんだが」

 

『なに? ここ最近天使の塵(エンジェル・ダスト)絡みの案件でまともに寝れてない(アタシ)に、一体何を頼みたいのかしら?』

 

 やたらと棘のある態度である。事実、ここ数日はデザイナーの仕事に加え平時よりも裏の仕事に注力しているため疲労が溜まっていた。そこへ余計な仕事を持ち込まれたら誰だって嫌がるだろう。

 

 ロクスレイは申し訳ないと思いつつも、昼間に起きたレオス=クライトスに纏わるエピソードについて簡単に説明し、その上で調査を切り出した。

 

『レオス=クライトス? あぁ、魔術学会でちやほやされてるおぼっちゃまだったかしら。男なんて興味ないからスルーしてたわ』

 

「オタクなぁ……」

 

 いつも通りのエリザにロクスレイは呆れを隠せない。

 

『で、子リスがそのおぼっちゃまが気になるから調査してほしいってわけ?』

 

「ま、そういうことになるな。お嬢さんの勘は割と馬鹿にできないですから。それに、改めて考えてみると学会でも注目を集めている講師が、わざわざ特別講師としてうちへ来るってのも妙な話だと思ってな。ただ婚約者に会いたいがためだったらそれでいいんだが……」

 

 もしも別の理由があって、それが主人(ルミア)を取り巻く環境に著しい影響を与えるようなものであったのならば阻止しなければならない。

 

『ふぅん? ま、いいわ。片手間になるけど調べておいてあげる。感謝しなさいよ、この(アタシ)が寝る間も惜しんで働いてあげるんだから』

 

「ハイハイ、いつも感謝してますありがとさんよー」

 

『アンタ、後で覚えてなさいよ……』

 

 微かに怒気混じりの声音にロクスレイは微苦笑を零した。

 

『……そう言えば、アンタ。天使の塵(この事)子リスには話したの?』

 

「いや、お嬢さんも親友のことで頭が一杯みたいですから。これ以上、要らない悩みの種を増やすわけにもいかんでしょ?」

 

『ふぅん? まあ、いいけど。そういう悪い癖は治らないのね。後で何言われても(アタシ)は知らないから』

 

「は? おいちょっと待っ──って、切りやがったよアイツ……」

 

 一方的に通信を切断されて魔導器はうんともすんとも言わない。やややりきれない感を残しながらもロクスレイは通信器を仕舞い、エリザの最後の言葉について思いを馳せる。

 

「別に他意なんざないっての。ただ……」

 

 そう、ただ一つ。今回の一件はロクスレイが自分の手で決着をつけたかった。それだけのことだ。無論、大切な主人を無闇矢鱈と危険に近付けたくないという思いもあるが。

 

 胸につっかえる感情を吐き出すように溜め息を零し、ロクスレイは己の仕事を果たすべく貧民街の闇へと姿を消した。

 

 

 ▼

 

 

 グレンがシスティーナと恋仲で、そのシスティーナを巡ってグレンとレオスが決闘を行うという報はあっという間に学院中に知れ渡った。

 

 真銀(ミスリル)の妖精などという美少女でありながらもその性格故に男女関係は難しいとまで噂されていたシスティーナが、よもやあのロクでなしと名高いグレンと付き合っていたという事実だけでも驚愕ものだ。それに加えてグレンとレオス、二人の男がシスティーナを取り合うという歌劇(オペラ)のような展開。何度も言うが、魔術師とは言え色恋沙汰に興味津々なお年頃の生徒達はこの決闘の勝敗がどうなるか気になって仕方ない様子であった。

 

 まあ実際のところは、グレンは例によっていつもの如く調子に乗って逆玉の輿をゲットしてやると身も蓋もないことを宣いだし、レオスから提示された魔導戦術演習に向けてクラスの授業内容を急遽変更、文句たらたらの生徒達に魔導兵団戦の極意を教え込んでいる。いつも通りのロクでなしぶりだ。

 

 そんなグレンの私情百パーセントの魔導戦術論の授業が続いたある日の昼休み。昼食を取るために生徒で賑わう食堂にて、ロクスレイは一人難しい顔を浮かべながら料理を突いていた。

 

 ここ最近のロクスレイはルミアの護衛に天使の塵(エンジェル・ダスト)の後始末、ついでに出来うる限りのレオス=クライトスの身辺調査と中々にハードな日々を過ごしている。加えてグレンとレオスの決闘騒ぎを何処に落ち着けるかなども考えており、正直かなり一杯一杯であった。

 

 エリザも今回の一件で寝不足だと不満を零していたが、ロクスレイも十分寝不足だ。何より昼間もルミアに悟られないように気を張っているのだから休まる時がない。

 

 洩れ出そうになる欠伸を噛み殺し、現状把握している情報の整理をしながら鹿肉の赤ワイン煮を口に運んでいると、不意に隣の席に人が座る。他にも席に空きはあるだろうにわざわざ隣に座ってきたのは誰だと横目で見れば、にっこりと微笑むルミアがそこに居た。

 

「お……ルミア嬢でしたか。何ですかい、オレに用でもありました?」

 

「うぅん、これといってはないかな。用がないと話しかけちゃダメ?」

 

 こてんと首を傾げてルミアが問う。狙っているのか、大抵の男ならば一撃でノックアウトしかねない仕草に、まさか、とロクスレイは肩を竦めた。

 

「いえいえ、オレなんかでよければ幾らでもお付き合いしますですよ。ただ、いつも一緒にいるお嬢さん方はどうしたんだ?」

 

「えっと、システィならあっちかな……」

 

 ちょっと困ったように笑うルミアの視線の先にはグレンへと突っかかるシスティーナの姿。逆玉の輿などとふざけたことを高らかに謳っている阿呆に今日も今日とて全力で説教かましに突撃している。

 

「リィエルは……ほら? こっちだよ」

 

 そう言ってルミアが手招くと人混みの中から大好物である苺のタルトを一杯に抱えたリィエルが現れる。リィエルは手招きに従い、そのまま流れるようにルミアの隣の席に収まった。

 

「ね?」

 

「あー、なるほど。要はいつも通りってわけ」

 

 つまるところ、いつも通り世は事もなしである。裏では帝都の惨劇再来の危機が現在進行形で迫っているが。

 

 リィエルが両手でタルトをもぐもぐと食べる姿を一頻り眺めると、ルミアはくるりとロクスレイに向き直った。

 

「ところでロクスレイ君、最近ちゃんと眠れてる? さっきの授業の時、大きな欠伸してなかった? よく見るとクマもできてるし……」

 

 ずいっと顔を寄せてくるルミア。不意打ち気味の接近に、しかしロクスレイは努めて動揺を押し隠して答える。

 

「まあちょっとな。調べ物やら何やらで忙しいだけさ」

 

「それってレオスさんのこと?」

 

「そんなところだ。オレなりに調べちゃいるんだが、なにぶんガードが固くてな。何だってあんな警戒してるんですかねぇ……」

 

 怪訝にロクスレイは眉を顰める。時間に余裕がある時にレオスの身辺調査を試みているのだが、如何せん警戒が強すぎて迂闊に近づけないのが現状であった。

 

 この手の調査事は【ノーフェイス・メイキング】を使えば比較的楽に終わるのが常であった。しかし今回に限って言えばロクスレイは梃子摺っていた。と言うのも、レオスが常に自分の周囲に使い魔で警戒網を張っているからだ。

 

 ただの使い魔如きの警戒網であれば【ノーフェイス・メイキング】を以ってすれば容易く抜けられる。だがレオスが用いている使い魔はどれも音や振動に敏感な動物ばかりで、【ノーフェイス・メイキング】を用いても気付かれずに抜けるのが難しいのだ。

 

 まるでロクスレイのような手合いを想定した上での使い魔の布陣。さしものロクスレイも迂闊にレオス当人に近付くことは出来ず、現状はエリザからの情報を待つしかなかった。

 

「今分かってるのは、あの優男が家ではちょいとばかし立場が悪いってことぐらいか。貴族ではよくあるお家騒動ってヤツだが……」

 

「でも、それだと尚更レオスさんがアルザーノ帝国魔術学院(ここ)に居るのはおかしいよね」

 

 元とはいえ王族であったルミアはこの手の話には強い。貴族の勢力関係や歴史、お家騒動などの分野であればロクスレイよりもルミアの方が的確な答えを出せるだろう。

 

「クライトス伯爵家は元の主家筋と学院の設立で家を立て直した分家筋との対立が問題視されてたかな。レオスさんは主家筋の人なんだよね?」

 

「ああ。今はその主家筋と分家筋のどっちが次期当主になるかで揉めてる真っ只中だ。そんな重要な時期に、主家筋の次期当主候補殿は家を離れてこんな所で婚約者を追っかけている。訳が分かりませんわ」

 

 理解し難いとばかりにロクスレイは頭を掻いた。

 

 もしもレオスに次期当主となる意思があるのならば、病気療養の講師の代わりに特別講師など引き受けはしないはずだ。そんなことに時間を割くくらいなら魔術の研究・開発に注力して明確な実績を積み上げる方が遥かに有意義である。まして婚約者を賭けて決闘など阿保らしい。

 

「……もしかして、レオスさんはフィーベル家との繋がりがあれば当主になれると思ってるのかな」

 

 ぽつりとルミアが零した言葉にロクスレイが片眉を上げた。

 

「いやいや、それは幾らなんでもないでしょ。確かにフィーベル家は魔術の名門で歴史もある家だが、だからってその考え方は短絡的が過ぎるっしょ? 第一、大きな家同士が婚姻を結ぶには色々と障害が付いて回るだろ?」

 

「うん。強引な結婚は貴族間の勢力関係にも影響があるだろうし、政治運営にも支障が出ちゃうから、政府からの介入もあると思う。だからシスティとレオスさんが結ばれるのはかなり難しい話なんだ……」

 

 もしもフィーベル家を手に入れて次期当主の座を狙っているとしたら、その目論見は最初から破綻していると言わざるを得ない。だからロクスレイもルミアもレオスの意図が出来ないでいる。

 

 二人揃って思案顔で沈黙してしまう。現状手元にある情報だけでは確実なことが言えない以上、此処で議論を続けても詮無いことだろう。何よりもうすぐ昼休みも終わってしまう。

 

「ま、優男殿のことはこっちでもう少し調べてみるんで、ルミア嬢はフィーベル嬢のフォローを頼みますぜ?」

 

 会話を打ち切ってロクスレイはお盆を手に席を立つ。

 

「あ、待ってロクスレイ君」

 

 そんなロクスレイをルミアは呼び止め、手のかかる弟に向けるような優しい眼差しを向けた。

 

「もう無理はしちゃダメだよ?」

 

「……えぇ、分かってますって。その辺りのリスクリターンはちゃんとしてるんで、ご心配なく。そいじゃ、お先に失礼します」

 

 飄々と振舞ってロクスレイはお盆を返却しにその場から離れた。その背中をルミアは物言いたげに見送り、小さく溜め息を洩らした。

 

「私がもっと強かったら、ロクスレイ君に無茶をさせないで済むのかなぁ……」

 

「……ん、どうして? ルミアは十分強い」

 

 まさか返答が来るとは思ってもみなかったルミアは、口元にタルトの食べカスをつけたリィエルを見つめる。そして思わず小さく吹き出した。

 

「うん、そっか。ありがとう、リィエル」

 

 自然と花のような笑みを零しながらルミアは布巾でリィエルの口元を拭う。何故お礼を言われたのか理解していないリィエルは、きょとんとしながらルミアにされるがまま口元を拭われるのだった。

 

 

 

 

 

 

 



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少女の想い、愚者の後悔

なんだかなぁ……LINKがなぁ……。いや、もう何も言うまい。長らくお待たせしました、更新です。


 グレンのグレンによるグレンのための魔導兵団戦の特別授業が続き、いよいよ迎えた決闘当日。

 

 決闘が行われるのは学院が保有する演習場。現地まではフェジテから駅馬車に乗っての移動となる。そんな馬車の一つでこんなやり取りがあった。

 

「あの男は……! 事ある毎に逆玉逆玉って、それしか頭の中にないの!?」

 

「お、落ち着いてシスティ? 先生もちょっと調子に乗ってるだけだと思うからさ?」

 

 烈火の如く怒りを迸らせるシスティーナをルミアが懸命に宥めようとする。しかし説教女神もといシスティーナ、ここ数日のグレンのいっそ清々しいくらいに鬱陶しい逆玉の輿連呼にいよいよ堪忍袋の緒が切れかかっていた。

 

「だってあいつ、私とくっつけば一生遊んで暮らせるとかばっかり! そのために授業内容まで変えて、人を勝手に賞品扱いして……なに? そんなに逆玉の輿がいいわけ!? もうっ、最低!!」

 

「システィ……」

 

 制御の効かない子供のように怒り狂うシスティーナ。今の彼女はとにかく激怒していた。そして同じくらいに泣きそうになっていた。

 

 普段はロクでなしでまるで駄目な男であるが、生徒思いでいざとなれば頼りになる人。そんな青年にシスティーナは認めようとしないが好意を寄せていて、今回の一件ももしかしたらと淡い期待を寄せていたのだ。

 

 グレンは自分のために決闘に臨んだのでは? あるいは本当に自分のことが好きでレオスに挑んだのでは?

 

 システィーナもうら若き乙女だ。多少なり淡い期待を抱いてしまうのもしかたない。それも全て、グレンの残念な言動によって粉微塵と化してしまったが。

 

 膝の上で震えるほどに拳を握りしめるシスティーナ。そんな拳を包み込むように優しく握ったのは親友たるルミアだった。

 

「ねぇ、システィ。先生がそんな人じゃないことは、システィが一番よく知ってるよね?」

 

 穏やかに諭すような口調で言われ、拳の震えが僅かに収まる。それでもまだシスティーナの顔は俯いたままだ。

 

「でも、だってあいつふざけてばっかりで……逆玉の輿だとかそればっかり……」

 

「うん、そうだね。そこは先生の悪いところだと思う。でもシスティだって、先生の言葉に頭ごなしで怒鳴ってばかりだったじゃない。それじゃあ、お互いに本当の気持ちがすれ違ったままだよ」

 

「本当の、気持ち……?」

 

 緩慢な動作でシスティーナが顔を上げる。ルミアは一つ頷いてシスティーナの瞳を真正面から見据えた。

 

「実はね、グレン先生がレオス先生に決闘を挑んだ時、私達もすぐそばに居たんだ。気になることがあってロクスレイ君に頼んで様子を見てたの。ごめんね」

 

「あぁ、あの時の……だからいきなり茂みから飛び出してきたのね」

 

 不貞腐れたように半目になって親友と正面の席に座るリィエルとロクスレイを見やる。ルミアは申し訳なさそうに両手を合わせ、リィエルに関してはすっかり忘却しているらしく頭上に疑問符を浮かべていた。ロクスレイに至っては知らぬ存ぜぬとばかりに窓の外を流れる風景を眺めている。

 

「だからね、グレン先生がどうしてあの場面で飛び出したのか、何となく分かるんだ。やり方はやっぱり褒められたものじゃないのかもしれないけど、先生はちゃんとシスティのことを考えてくれてるよ」

 

「私のことを考えてくれてる……? でも、そんなの余計分からないわよ。先生が何を考えてるかなんて……」

 

「それはシスティが直接聞くべきことだと思う。大丈夫だよ、システィがちゃんと向き合えば先生も答えてくれるはずだから」

 

 ルミアの励ましの言葉にシスティーナは少しずつ気力を取り戻していく。それでもまだ瞳に浮かぶ不安の色は完全には拭えていない。

 

 そんな彼女に助け舟を出したのは意外なことにロクスレイだった。

 

「心配しなくとも、オタクが真剣に向き合えば講師殿は本心を語るはずですぜ。ま、多少なりと誤魔化そうとするかもしれませんがね」

 

「……どうしてそんなことが言えるのよ?」

 

 断言するような物言いに思わず問い返す。

 

 ロクスレイは窓の外から視線をシスティーナに向けた。細められた瞳にはどことなく懐かしむような雰囲気が滲んでいる。

 

「さてね、そこも含めて愛しのグレン先生に聞けばいいんじゃないの? いつまでもうじうじしてる暇があったら、いつもの調子でさっさと突撃すりゃいいでしょ」

 

 露骨な誤魔化しと揶揄いの言葉にシスティーナは二重の意味で顔を真っ赤にする。まあまあ、とルミアが宥めるも焼け石に水で今にも噛み付いてきそうだ。

 

 しかしロクスレイはそんな反応を気にも留めず、窓枠に肘を突いて風景鑑賞に戻ってしまった。

 

 システィーナを抑えながらルミアは横目でロクスレイの様子を伺う。

 

 まさかロクスレイが助け舟を出してくれるとは思ってもみなかった。彼はことルミアやリィエルのことになればあれこれと世話を焼いてくれるものの、ことシスティーナに関してはおちょくったり揶揄ったりするだけで殊更深くは踏み込もうとしなかった。勘違いでなければそこには遠慮のようなものがあったように感じる。

 

 誰に対する遠慮なのか、ルミアには分からない。ただ先の発言からグレンが関わっているのは察しがついた。

 

 思えばグレンがシスティーナとレオスの間に割り込んだ時も、ロクスレイは特に驚いてもいなかった。まるでグレンならば必ずそうすると確信していたかのように、あの騒ぎを見守っていた。

 

 恐らくグレンとロクスレイには、彼らにしか分からない何かがある。故にロクスレイはグレンの行動に対して疑問を差し挟むこともなく、ただ傍観に徹しているのだろう。

 

 それがルミアには少し羨ましく思えた。男女ではない、男同士だから成り立つ友情とでも言うべきか。ルミアにはきっと理解できないものだろう。

 

 だからと言ってそこで大人しく引くほどルミアも聞き分けは良くない。システィーナにあれだけ発破をかけたのだ。ならば自分も遠慮などせず、今まで以上にロクスレイと真正面から向き合う所存である。

 

 だから──覚悟してね?

 

 ぞっと背筋に寒気を感じてロクスレイは視線を車内に戻す。挙動不審に車内を見回す様子は、例えるなら肉食獣に目を付けられた草食獣のようであった。

 

 

 ▼

 

 

 演習場に到着すると今回の演習において審判・運営を務める講師の一人であるハーレイによるルール説明が始まった。

 

 今回執り行われる演習は魔導戦術演習であり、あくまで授業である。よって使用可能な魔術は【ショック・ボルト】や【スタン・ボール】などの殺傷力が低い攻性呪文(アサルト・スペル)のみに限られる。たとえ怪我をしても同行している学院の法医師が控えている心配はない。

 

 勝利条件は敵兵の本拠地と定められた遺跡を制圧すること。生徒達は指揮官であるグレンとレオスの指示に従い戦うのみ。

 

 その他細々とした注意事項の説明をハーレイが終えると、両チームはそれぞれの本拠地へと移動した。

 

 本拠地に移動したクラスの面々とグレンは早速とばかりに演習場の地図を取り囲み、作戦や戦術の最終確認を行う。そこで阿呆な一部男子生徒とグレンがイケメン死すべし! などという下らない理由で一致団結したり、そんな男子生徒+αに女子生徒達が冷え切った眼差しを送るなどといった一幕があったものの、これもまたいつものこと。むしろ馬鹿なやりとりのおかげで生徒達は要らぬ力を抜くことができたように見える。

 

 中には、逆玉の輿に乗るために力を貸してくれなどと宣って男子生徒達の逆襲を受けるグレンを、複雑な表情で見つめる銀髪の少女といった例外もいるが。

 

 ともあれ例によっていつもの如くどたばたと締まらない空気のまま、演習開始まであと十分。流石に開始が近くなれば生徒達もおふざけに区切りを付け、チームごとに固まって心の準備を始めた。

 

 演習とはいえ戦場に向かう生徒達の背中をグレンが見ていると、その隣に音もなく人影が立った。

 

「自分の生徒が戦場に向かうのを見送るのが複雑って顔だな」

 

「どわあ!? お、おまっ、いきなり話しかけるなよな!?」

 

 大袈裟に飛び跳ねて驚くグレンに、呆れたようにロクスレイは肩を竦める。

 

「無駄に肩肘張ってる指揮官殿の緊張をほぐそうっていう心憎い気遣いさ。ま、思い詰めてる理由はそれだけじゃないみたいですけどねぇ」

 

「うぐ……」

 

 じっと問いかけるような視線を向けられて狼狽えるグレン。生徒達は逆玉の輿だとか巫山戯た言動によって誤魔化されているが、そんな子供騙しが通用するほど甘くない。それ以前にロクスレイ、厳密には顔無しとグレンは宮廷魔道士団特務分室時代からの付き合いである。アルベルトほどではなくともグレンの変調を察知するくらい訳ない。

 

 ロクスレイ相手に隠し事は通用しない。グレンは決まり悪そうに顔を逸らし、努めてロクスレイと目を合わせないようにした。

 

 拗ねた子供のような態度にロクスレイはこれ見よがしに溜め息を吐く。

 

「まあ、オレがあれこれ口出しするのも筋違いでしょうから黙っときますがね。とりあえず、決闘の着地点だけ確認するぜ?」

 

 そう言ってロクスレイはテーブルの上に広げられた地図に視線を落とす。

 

「さっきは勝つだの言っちゃいたが、実際のところは引き分けがベストだろ。後々の面倒も考えたら、講師殿にとってはそっちの方が都合がいい。違うか?」

 

 ロクスレイの問いに、グレンは一度生徒達を見やってから申し訳なさそうな顔で答える。

 

「……あぁ、そうだよ。相手はあれで貴族様だからな。いくら決闘とはいえ、勝ったりしたら相手の面目丸潰れだ。決闘は引き分けでお互いに白猫から身を引くのが最善だ」

 

 意気込んでいる生徒達には悪いが、グレンは今回の決闘で勝つつもりはなかった。講師同士の決闘騒ぎに巻き込んだ時点で申し訳ない気持ちで一杯だったが、それに加えて演習で勝利してほしくない。あまりにも身勝手な希望だ。

 

 だが今回の決闘は引き分けが最善なのだ。レオスが勝ってしまえばシスティーナは夢を諦めざるを得ず、グレンが勝ってしまってもまた要らぬ足枷になる。何よりレオスとの間に大きな禍根が残ってしまう。

 

 レオスとのやり取りから、システィーナがレオスのことを決して嫌っていないことはグレンをして察せられた。聞けば幼い頃から交流のある家という話ではないか。

 

 今後のシスティーナとレオスの関係がどうなるかは知れないが、二人の間に蟠りを残させることはグレンの本意ではない。だからこその引き分け狙いである。

 

 しかし、ただでさえ自分の身勝手に巻き込んでいる生徒達に、引き分け狙いで頼むなどとは言えない。第一、下手に意識させてしまえば引き分けどころか敗北する可能性も重々ある。何せレオスの担当クラスはハーレイのクラスよりも粒揃いと評されているのだ。レオスの手腕如何によってはどうなることか見当もつかない。

 

 だが、二組の面々も負けていないとグレンは信じている。そして二組にはレオスも知らない切り札が二枚ある。一枚は我らが脳筋リィエル、もう一枚はロクスレイもとい顔無しだ。

 

 リィエルには丘の確保を頼んである。そしてロクスレイに関してだが……。

 

「ロクスレイ。森側の調整を頼めるか?」

 

「はいはい、任されましたよ。その代わり、これで借り一つチャラですぜ」

 

 気負いなく請け負ってロクスレイは生徒達の集団へ合流しようとする。その背中を、グレンの声が引き止めた。

 

「なぁ……お前は、白猫とあいつが似てると思うか?」

 

 その言葉にピタリとロクスレイは足を止めた。肩越しに振り返ると悔恨を滲ませた表情のグレンがいる。かつてその手から取り零してしまった大切な人のことを思っているのだろう。

 

「狙撃魔殿に何か言われでもしたか?」

 

「お前、何で知って……あぁ、そうだよ。あいつに言われて、自覚した。俺は多分、白猫とセラを重ねちまってるんだってな……」

 

 ポツポツとまるで罪の告白のようにグレンは語る。

 

 かつて自分の無力さ故に失ってしまった女性、セラ=シルヴァース。『正義の魔法使い』なんて子供染みた夢に共感してくれた、誰よりも大切な女性。今はもう亡き人と、システィーナ=フィーベルの姿がどうしても重なってしまう。

 

 自己嫌悪に満ちた表情で俯くグレンに、ロクスレイは同感だとばかりに頷きを返す。

 

「そうだな、正直言って女帝殿とフィーベル嬢は似てる。表面的な性格や口調こそ違えど、本質的な部分や夢に向かって直向きなとことか、ほんとそっくりだ。ついつい女帝殿相手みたいに揶揄っちまいそうになることも間々あった」

 

 気を抜けばセラとグレンを揶揄う時のような調子になってしまう。無論、システィーナ相手にそんな馴れ馴れしい態度を取ろうものなら余計な警戒心を抱かれかねないと、その度に自制はしていたが。グレンとシスティーナがじゃれ合っている光景を見て、在りし日の記憶が蘇らなかったと言えば嘘になる。

 

「だがな、フィーベル嬢はフィーベル嬢であって女帝殿じゃない。それはオタク自身が一番理解してるんじゃないですかね、愚者殿?」

 

 確かめるように問いかけるも返事はない。ただ噴き出しそうな激情を堪えるように握り締められた拳が震えていた。

 

 そんなグレンにロクスレイは締め括るように言い放った。

 

「ちゃんとフィーベル嬢を見てやれよ。でないと、手遅れになっちまいますぜ。オレが言えたことじゃねぇですけど、ほんと」

 

 一度大きな失敗をしでかして想ってくれる大切な少女を泣かせてしまったロクスレイの言葉には、これ以上になく実感が籠っていた。

 

 言うべきことを言ったロクスレイは今度こそ生徒達の元へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 



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魔導兵団戦の開幕

 魔導兵団戦開始の狼煙が上がる。

 

 それぞれの陣営から魔導兵たる生徒達が講師の指示を受けて動き出す。グレンクラスが三つの進軍ルートに戦力を逐次投入したのに対し、レオスは全戦力を惜しみなく投入。いずれのルートにおいてもグレンクラスの戦力を超える差配だ。

 

 魔術師が戦場に台頭する以前から、兵法において戦力の逐次投入は下策とされている。この時点でレオスは己の勝利が揺るぎないものになったと確信した。

 

 それがとんでもない思い違いだと気付くのはまだ先である。しかしグレンのロクでなしっぷりと二組の切り札の存在を知らないレオスは、得意げな顔で進軍する生徒達への指揮を続けた。

 

 魔導兵団戦開始から十数分。ついに平原エリアにて両陣営の兵士が会敵、交戦が始まる。

 

 レオスクラスは三人一組(スリーマンセル)一戦術単位(ワンユニット)で組まれた六戦術単位(ユニット)。対してグレンクラスは戦術単位(ユニット)数こそ互角であるが編成は二人一組(エレメント)一戦術単位(ワンユニット)。近年の戦場統計より前者の方が優れた戦績を残していることから、平原での戦いはレオスクラスに軍配が上がる。

 

 レオスも審判役として訪れた講師陣もそう考えて疑わなかった。だからこそ、平原の戦況が互角のまま膠着してしまったことにグレン陣営以外の誰もが驚愕した。

 

 何故、どうしてと戸惑う中、魔術競技祭の折にグレンの手口を目の当たりにしたハーレイはすぐに膠着を招いた要因を看破した。

 

 近代魔術戦争において三人一組・一戦術単位こそが最も優れた戦績を打ち出すのは間違いない。ただし、それは三人一組の戦術を完璧に使い熟せたらの話だ。

 

 なるほど確かに、レオスの教師の腕は素晴らしい。この短い期間で形だけでも三人一組・一戦術単位の編成を崩さずに維持させているのは流石の一言に尽きる。しかし残念ながら、実際に戦うのはレオスではなく未熟な学生なのだ。

 

 三人一組・一戦術単位は優れた戦術である反面、熟練した魔導兵でも長い期間の訓練をしなければ使い熟せない。たった一週間ばかりの期間で学院生徒が物にするのは無理がある。

 

 対してグレンが持ち出した二人一組・一戦術単位は三人一組・一戦術単位よりも比較的単純な戦術であり、完璧には程遠くとも習熟度はレオスクラスよりも上だ。故に人数差がありながらも戦況を膠着状態に留められているのだ。

 

 レオスも膠着の原因に気づき、他の進軍ルートの生徒達に丘と森の確保を急がせる。最初の時点で全戦力を投入してしまったレオスにはそれしか手がなかったのだ。

 

 しかしここでまたもや問題発生。丘を確保しようとしていた生徒達から、丘の上に恐ろしく強い女生徒が居て進軍できないとの通信が入ったのだ。

 

 たった一人の女生徒に丘を押さえられるなんてそんな馬鹿な、と思うだろう。残念ながら、丘の上を陣取っているのはグレンの切り札たる脳筋戦車ことリィエルである。今回の演習で使用可能な魔術がないため攻撃こそしないが、容赦なく降り注ぐ魔術の雨を身一つで躱し、いつもの無表情で睥睨してしまえば生徒達は一歩も進めない。

 

 卑怯くさいがこれも相手の手札である以上、レオスは甘んじて受け入れる。元より生徒達の質ではレオスクラスの方が上なのだ。インチキくさい生徒の一人くらいは認めよう。

 

 平原は膠着、丘は謎の女生徒に陣取られた。残るは森のルートのみ。ここを取らなければレオスは苦境に立たされることになる。

 

 と、ここで通信の魔導器から朗報が届く。何と森の中で鉢合わせた敵を全員討ち取り、進軍ルートを確保したというではないか。これにはレオスも手放しで報告をしてきた生徒と森に進軍した生徒達を褒めた。彼らのお陰で光明が見えたのだ。

 

 レオスは森を押さえた生徒達に、後からくる敵の増援を慎重に迎え撃ち、その後膠着状態の平原部隊に合流するように指示をした。魔導器から了解と短く返事が聞こえ、通信はそこで途絶える。

 

 平原と丘で相手の思う壺に嵌ってしまったものの、逆転の糸口は掴んだ。レオスは勝利の道筋をつけながら、ふと妙な違和感を抱く。

 

 ──先の通信の声、何か違和感があったような……。

 

 微かな疑念が浮かび上がる。しかしレオスはただの気のせいと切り捨て、丘の確保に向かわせた生徒達に平原部隊へ合流するよう指示を飛ばした。

 

 よもやこの懸念が足元を掬うとは知る由もなかっただろう。

 

 

 ▼

 

 

 時間は少し戻り、場面は森の中へ移る。

 

 レオスの指示を受けて森を進軍するレオスクラスの生徒、総勢十二名。森を戦場とした戦術論と立ち回りをレオスより教え込まれた彼らは、慎重に進軍しつつ敵陣営を目指していた。

 

 木々が鬱蒼と茂る道無き道を突き進む。魔術学会でも有名なレオスの教授を受けたという自負を抱く彼らは、一様に自信と気力に満ち溢れている。必ずや成果を上げてみせると意気込み、覚えたての隊列を維持しながら進軍を続けた。

 

 森の半分を踏破したあたりだろうか、それまで動き一つ見せなかった敵生徒が姿を晒した。木々の隙間から一瞬ではあったが、二人の生徒が若干慌てた様子で走り去っていくのが確認できた。

 

 ここに来て現れた敵生徒に部隊の隊長を務める生徒が指示を出す。前もってレオスから幾つか授けられた戦術に基づいて行動する。

 

 先の敵はこちらの動きを偵察する役回り、或いは待ち伏せ地点に誘い込む囮のどちらかだろう。走り去っていった方角から敵部隊の位置もおおよそ予測できる。

 

 このような事態に対する戦術もレオスから授けられている。冷静に対処すれば問題はない、相手がただの生徒であったならば──

 

 隊長役たる生徒は指示を出そうと隊列を振り返って、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「なっ、二人は何処に──」

 

 声も音もなく消え去った二人の生徒を探そうと注意を分散した瞬間、事態は急転直下に至る。

 

「うあっ!?」

 

「きゃあ!?」

 

 短い悲鳴を上げて二人の生徒が物凄い勢いで少し離れた茂みへと引き摺り込まれた。茂みに消える間際、彼らの足首に縄が絡み付いていたのを隊長格は確認できた。恐らく、土や落ち葉で縄の罠を隠していたのだろう。

 

 しかし罠に気付けたのは隊長格の一人のみ。他の隊員は予想だにしない展開に動揺し、対応が遅れてしまう。

 

 右往左往する生徒達に四方八方から魔術が殺到する。そのどれもが生徒達のすぐ側の木や地面に直撃し、レオスクラスの生徒を更なる混乱の坩堝に陥れた。

 

 一度恐慌に陥った兵士は使い物にならない。まして此処に居るのは熟練の兵士ではなく未熟な魔術学院の一生徒だ。パニックになればもはや収拾がつかない。

 

 隊長格が落ち着かせようとしても意味がない。生徒達は教えられた戦術論も忘れ、各々自分の身を守ろうと勝手な行動をしてしまう。それこそが狩人(相手)の思う壺だとは思いもせず。

 

 魔術の集中攻撃を恐れた生徒が隊列から離脱した瞬間、向かった先の地面が陥没し地中に落下した。逃げずに対抗呪文(カウンター・スペル)を唱えようとした生徒は、何処からともなく放り投げられた網に絡め取られ行動不能に陥る。形振り構わず敵に向かって特攻をかけた生徒は茂みに突撃したと同時、短い悲鳴を残して二度と戻ってはこなかった。

 

 見る見るうちに隊員が減っていく状況に隊長格は顔色を青ざめさせる。気付けば隊員も二人しか残っていない。その二人も、突如として頭上から飛び降りてきた敵生徒に急襲され、地面に押さえつけられてしまった。

 

 教えられた戦術にはない惨状に棒立ちしてしまう隊長格の生徒。そんな生徒の背後に歩み寄る狩人(ハンター)。短い詠唱を呟いて伸ばした手が隊長格の首筋を捉えた。

 

 バチィ! と意識を刈り取らない程度に抑えられた電流を浴びて膝から崩れ落ちる。地に倒れ伏す寸前、隊長格の生徒は背後で皮肉っぽい笑みを浮かべる生徒の顔を見て絶望した。

 

 ──ロクスレイ・シャーウッド。

 

 先日の魔術競技祭において類稀な才覚を発揮し、自分以外の生徒が結託するという逆境を軽々と跳ね除けて勝利を掴んだ男。

 

 ロクスレイが此処に居る、それだけで隊長格の生徒は最初から最後まで掌の上で踊らされていたと理解した。何故って、隊長格の生徒は実際に競技の中でロクスレイの恐ろしさを身をもって味わっていたからだ。

 

 口を開くこともままならないレオスクラスの隊長格にロクスレイは歩み寄ると、その懐から指揮官と通信できる魔導器を抜き取った。一、二回咳払いをしてレオスと通信を繋ぐと、隊長格の声色を真似てあろうことか虚偽の報告を送る。

 

 グレンクラスの生徒を全員討ち取ったという嘘の戦果を疑いなく受け入れるレオス。声を上げることも叶わない隊長格は一部始終を悔しげに歯噛みしながらただ眺めていることしかできなかった。

 

 やがてロクスレイが通信を終えると彼方此方から黒魔【マジック・ロープ】と【スペル・シール】で無力化された仲間がグレンクラスの生徒達によって連れて来られる。隊長格の生徒自身もロクスレイによって魔術的拘束を施され、文字通り万策が尽きた。

 

 森を進軍していた十二名の生徒が全員無力化。対してグレンクラスの生徒に脱落者はゼロ。完全勝利の結果にロクスレイは特に感慨もなく一言。

 

「ま、こんなもんでしょ」

 

 気負いの欠片もない発言が地味にレオスクラスのメンタルに打撃を入れたのだった。

 

 

 

 



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魔導兵団戦の終結

お久しぶりです。久しぶりすぎて書きかたが覚束ないうえ、ちょっと駆け足です。ごめんなさい……


 あっという間にレオスクラスの生徒を捕縛したロクスレイ率いる二組の面々は、無力化した敵生徒達の監視を理由にその場に待機していた。

 

「さてと、上手いこと策に嵌ってくれたワケだが……何だか言いたいことが山ほどありそうだな」

 

 適当な樹木に背中を預けるロクスレイに集中する視線の数々。敵生徒の目は勿論、仲間内である二組の生徒からも物言いたげな目が向けられている。

 

 言いたいことは大体分かる。相手を罠に陥れて嵌め殺したり、虚報を流して撹乱したりとあまりにも卑怯な戦術。こんな魔術師らしくない戦い方をして勝ったところで虚しいだけだった。

 

 結果だけを見れば大金星だ。グレンから教わった魔導兵団戦の基礎とロクスレイが授けた()()()()()()のお陰でグレンクラスの被害は皆無、敵生徒を一人残らず無力化できたのは他ならないロクスレイの差配のお陰である。

 

 だがそれを差し引いても、遣る瀬無い思いが残る。

 

 しかしロクスレイはそんな彼らにいつもの軽薄な口調で言う。

 

「オタクらが文句を言いたい気持ちは分かるがな、こいつは模擬とはいえ戦争だ。お貴族様が好きそうな正々堂々の決闘じゃあない、戦場に卑怯も何もありゃしないんですよ。グレン先生も言ってたろ、戦場に英雄なんざいないってな」

 

 吐き捨てるような物言いはいつかの魔術談義と同じ、生徒達を見据える眼差しは冷ややかである。正々堂々とした誇りある戦いを望んでいた生徒達はクラスの隔たり関係なく、その眼差しに肩を縮めた。

 

 若干空気が張り詰める中、比較的萎縮していなかったギイブルが別の疑問を呈した。

 

「なら、どうして彼らを戦死させない? わざわざ無力化して捕らえる理由は?」

 

 所定の位置に敵生徒が進軍してきたところで幻影の生徒を二人晒し、注意が逸れた瞬間に最後尾の二人を遮音結界の中へ引き摺り込み、動揺したところで罠を使って茂みに引き摺り込む。そこから魔術攻撃を直撃させないように畳み掛け、落とし穴や投網を利用して捕縛。最後は頭上からの組み伏せと電気ショックによる無力化。

 

 一貫してグレンクラスは敵生徒を戦死判定させないように気を払わされた。お陰でグレンクラスの生徒達は戦死させないために魔術の使用を一部制限せざるを得なかったのだ。まあ、ロクスレイの的確な指示と作戦によって制限によるストレスは殆ど感じることはなかったのだが。

 

「あぁ、戦死させない理由は幾つかあるんだが、第一に戦況の調整のためだな。オタクらには黙ってたんだが、グレン先生は魔導兵団戦で勝つつもりがない。知っての通りあの講師は小心者ですからねぇ。お貴族様の面子を丸潰しにする度胸なんざないのさ」

 

 小馬鹿にしたように言うロクスレイの言葉に二組の生徒が苦笑いで納得する。基本的にグレンが権力に屈する小心者であることは二組において周知の事実である。

 

「そんで第二に、通信機の確保だ。ここは森の中だから遠見の魔術は届き辛い。部隊からの通信が最も確かな情報把握手段になる。つまりこいつを押さえちまえば森のルート把握は困難になるワケだ。ついでに偽の情報も流せて一石二鳥ってね」

 

 見せつけるように通信の魔導器を掌で弄びロクスレイはそう締め括った。

 

 敵兵を戦死させず捕縛した理由は納得ができた。無論、思うところがないわけでもないが、何だかんだ言って二組の生徒はグレンの影響もあって考え方が柔軟である。一先ずはロクスレイの方針を受け入れた。

 

 しかしレオスクラスの面々はこれっぽっちも納得ができていなかった。

 

 ここまで部隊を率いてきたレオスクラスの隊長が苛立ちも露わに声を上げた。

 

「ふざけるなよ! 罠を張ったり嘘の情報を流す卑怯なやり方が魔術師の戦いなわけないだろ!? ちゃんと正々堂々戦え、この卑怯者!」

 

「はあ……あのね、さっきの話聞いてた? これは模擬とはいえ戦争なの。戦場に卑怯もへったくれもありゃしないんだよ。だいたいな、自分達がいいようにやられたからって文句をつけるのは魔術師として恥ずかしくないんですかね?」

 

「そ、それは……」

 

 痛い所を突かれて口籠る隊長格。そんな彼にロクスレイは追い打ちとばかりに言葉を畳み掛けた。

 

「あと、こいつは言おうか言わまいか迷ってたんだが。そもそもこんな戦術が通じたのはオタクらとレオスの間に信頼関係がなかったからだ」

 

「なっ!? そんなことはない! レオス先生はちゃんと俺達のことを信頼して任せてくれたんだ!」

 

「へぇ? たかが声真似すら見抜けない程度の信頼ねえ。随分と薄っぺらいもんだ」

 

「ちが……それは、何かの間違いで……」

 

 隊長格の勢いがみるみる内に萎んでいく。あまりにも容赦ないロクスレイの口撃に味方である二組の生徒ですらドン引きである。

 

 メンタルがボロボロになって項垂れるレオスクラスの面々。特に信頼関係云々の辺りが甚大なダメージを与えたらしい。レオスクラスの生徒達は完全に戦意喪失してしまっていた。

 

 すっかりお通夜のような空気になってしまったレオスクラス。そんな彼らの前に慈愛に満ちた天使が舞い降りた。

 

「もう、いくらなんでも言い過ぎだよロクスレイ君」

 

 いつの間にか合流していたルミアがロクスレイの言動を諌める。

 

 ルミアは後詰めとして本陣に待機していたはずなのだが、どうやらグレンの指示で森に入ってきていたらしい。システィーナ含める他の面子も少し離れた位置に確認できた。

 

 ルミアの登場にロクスレイはバツが悪そうに顔を逸らす。まるで悪戯がバレた子供のような反応にルミアは微笑を零し、完全に心が折れてしまった相手の生徒達のフォローへ向かう。

 

「ごめんね、こんな意地悪なことして。でも私の大切な親友の将来が懸かってるの。だから、窮屈だと思うけど我慢してくれないかな?」

 

 心から申し訳なさそうにルミアが頼み込む。

 

 大事な親友を思う純粋な心とルミアの誠意ある態度に当てられてレオスクラスの生徒が絆される。前もってロクスレイによってメンタルを瀕死寸前まで追い詰められていたのも相俟って、親友を思うルミアの健気な心は大層効いたようだ。

 

 完璧な飴と鞭である。狙ってやったのかは定かではないが、さっきまで敵意剥き出しだった相手の態度を軟化させる手腕は流石の一言に尽きるだろう。

 

 敵対意識がなくなったからか、それともルミアに諌められたからか。ロクスレイも少し決まり悪げにしながらフォローの言葉を投げた。

 

「まあ、オタクらにも同情の余地はある。何の関係もない講師同士の私闘に巻き込まれたんだからな。文句の一つや二つ言っても罰は当たらないでしょうよ」

 

 フォローしつつさらっと文句の矛先を講師二人に向けるロクスレイ。実際間違っていないとはいえ中々に狡い。

 

 後続の面々とも合流したことで大所帯になった一行は、そこからはグレンとロクスレイの差配で行動する。

 

 平原の戦況が傾き始めれば森から数名援軍を送り、レオスから指示が飛んでくればロクスレイが見事な声真似で対応し、捕虜としたレオスクラスの生徒を戦死させて戦況を調整する。

 

 途中、不自然過ぎる拮抗にレオスが策略と勘付くも手遅れである。魔導兵団戦は監督として同行した講師達の予想を裏切り、引き分けという結果に終わった。

 

 

 ▼

 

 

 魔導兵団戦は引き分けに終わった。時間にすれば三時間、授業の一環とはいえ戦争を体験した生徒達は疲労困憊である。

 

 とはいえ二組の生徒達の空気は悪くない。格上であるレオスクラス相手に善戦し、引き分けをもぎ取ったのだ。少々褒められない手口こそあったものの、この結果に二組の生徒は概ね満足していた。

 

 一方で思い描いていた勝利を物にできなかったレオスはその怒りを己の生徒にぶつけていた。

 

「貴方達ッ! この無様な結果はなんですか!? 何故私の指示通りに動かないのですかッ!?」

 

 眦を吊り上げて叱責する様は普段の紳士然とした態度からはかけ離れており、叱られている生徒達も激しく萎縮している。いくら勝てなかったからとはいえあまりにも大人気ない態度だ。二組の生徒達もレオスを見る目にやや批判的な色が浮かぶ。

 

 そんな中、レオスクラスの生徒の一人がボソッと呟いた。

 

「先生だってまんまと騙されたじゃないか……」

 

 その声は決して大きかったわけではない。しかし誰もが激しい叱責に俯いて静まり返っている中で、その発言は否が応でも響いてしまい、当のレオスの耳に届いてしまった。

 

「なんですか? 私のせいで勝てなかったと、そう言いたいのですか? 私の指示もまともに実行できない無能の分際で──!」

 

 教師が生徒に向けるには不適切にも程がある言葉と怒気に生徒達の顔色が悪くなる。生徒の反論に頭に血が上ったのか、レオスは今にも手袋をはめた左手を生徒に向けかねない剣幕である。

 

 これは流石に不味いだろうと、一部始終を見ていたグレンが見かねて割入った。

 

「おい、いくらなんでも言いすぎじゃねーか。だいたい、兵隊の失敗は指揮官の責任だ。こいつらを責め立てるのはお門違いだろ?」

 

「邪魔をするな三流魔術師が……! 彼らがしっかりしていれば、貴方如きに私が負けるはずなどない! ええ、そうですとも。今度は余人の介在する余地のない勝負で決着を付けましょう。そうすれば、どちらが上かはっきりします」

 

「いや、もう引き分けでいいだろ? お互いに白猫から手を引くってことでいいじゃねーか……」

 

 此の期に及んでまだ決闘を望むレオスに、グレンも辟易とした態度を隠さない。

 

 グレンとしては有名貴族相手に要らぬ禍根を残したくない。引き分けならば相手の面子を保ちつつ、システィーナの結婚話を先送りにできる。これ以上、決闘を望む理由など一つとしてなかった。

 

 しかしこれっぽっちも納得などできないレオスは暴挙に出た。グレン目掛けて己の手袋を投げ付けたのだ。それが意味することはただ一つ、決闘である。

 

 今度は一対一の決闘による再戦をレオスは申し立てた。システィーナに魔導考古学を諦めさせ、己の伴侶にする意思を曲げるつもりは毛頭ないらしい。

 

 そんなレオスの強硬な態度にグレンは説得を捨てた。引き分けを認めず、言葉にも耳を傾けないのならば仕方ない。グレンは足元に落ちた手袋に手を伸ばす。

 

 だが、それを止めるようにシスティーナが声を上げた。

 

「もういい加減にして! さっきから聞いていれば人を物みたいに……!」

 

 肩を怒らせてグレンとレオスの間に立つと、システィーナは二人に怒りと悲哀が綯交ぜになった視線を向ける。

 

「ねえ、もういいでしょ? これだけ騒いで、みんなも巻き込んで、それで引き分けたんだからこれで終わりにすればいいじゃない?」

 

「システィーナ、それではダメなんです。夢を応援するなどと言って無責任に魔導考古学の道を勧めるこの男は、貴方の幸福を妨げる障害にしかならない。だからこそ、ここで決着を付ける必要があるんです」

 

「レオス……」

 

 的外れとはいえシスティーナの幸福を考えているレオス。彼がなおも決闘を望む理由は理解できた。ならばグレンは? グレンが決闘を受ける理由は一体何なのか、それだけがどうしても分からない。

 

「先生は……先生はどうしてですか? 逆玉の輿が目当てだから? 私と結婚すれば遊んで暮らせると思ってるから?」

 

 切実な思いでシスティーナはグレンを見つめる。思い詰めた眼差しを真っ向から向けられたグレンは言葉に詰まり、思わず目を逸らしてしまった。

 

「……日時は明日の放課後、場所は学院の中庭。致死性の魔術は禁止、それ以外は何でもあり。これで決着をつけるぞ」

 

「……っ」

 

 自分とは目も合わせず、淡々とレオスの決闘を受け入れようとするグレンにシスティーナは少なからずショックを受けた。同時に、また自分の意思など無視して決闘騒ぎを続ける二人に沸々と怒りが湧いた。

 

「ふっ、大勢の生徒の前で恥を晒すことになりますよ?」

 

「はっ、こっちのセリフだっての。てめーなんざ余裕で倒せるっての。それに、ここで勝ちゃあ一生遊んで暮らせるんだ。多少のリスクぐらいなんともねーよ」

 

 へらへらと。いつものふざけている時と変わらないように見える嘘臭い笑みを浮かべるグレン。そんな態度がついにシスティーナの逆鱗に触れた。

 

 今にも走り出しそうな勢いでグレンに駆け寄ると力一杯平手を振り翳し、怒りのままに振り抜こうとして──寸前で止めた。

 

「し、白猫……?」

 

 頬に触れる寸前で手を止めたシスティーナにグレンは目を点にした。

 

 俯いたままシスティーナは口を開く、

 

「……私は、まだ誰とも結婚するつもりはない。これ以上、二人で決闘をしても関係ないわ」

 

 短くもはっきりと自身の意思を告げ、システィーナは足早に帰りの馬車へと足を向ける。その時、グレンには眦に涙を溜めたシスティーナの悲しみに満ちた横顔が垣間見えた。

 

 一足先に馬車へと乗り込むシスティーナをルミアとリィエルか慌てて追いかける。やや遅れてから動き出したロクスレイは、呆れた眼差しをグレンに送って後を追った。

 

「ま、待ってくださいシスティーナ! それでは何も……」

 

「もういいだろ、レオス。俺もアンタも振られた、それで終わりだ。よーし、お前らも巻き込んで悪かったな!さっさと帰るぞー」

 

 複雑な思いで見守っていた生徒達に声を掛け、撤収の用意を始めた。

 

 こうしてシスティーナを巡る波乱に満ちた決闘騒ぎは終わりを迎えた。

 

 しかし魔導兵団戦以降、グレンとシスティーナの仲は余所余所しくなり、毎日のように繰り広げられていた漫才のような掛け合いは鳴りを潜めた。何よりシスティーナ自身、魔導兵団戦の翌日から妙に顔色が悪く、元気がない様子が多々見られるようになる。

 

 クラスメイトやルミアが心配するも当の本人は何でもないと、作り笑顔で答えるだけ。頼みの綱のグレンもシスティーナ本人が接触を避けているために役立たず。様子が可笑しいとロクスレイが探りを入れても何も出ず、一週間が経過したある日のこと。

 

 そこで驚愕の事実が発表された。

 

 ──レオス=クライトスとシスティーナ=フィーベルが婚約、二日後に式を挙げる。

 

 急転直下の展開に学院は再び混乱に包まれるのだった。

 

 

 

 




駆け足で進んだ一週間については次回で補足します。温かい気持ちで待って頂けると幸いです。


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