【完結】また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか (クリス)
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第一章 Home sweet home
第一話 にちじょう


 約2年ぶりに筆をとりました。ゾンビだらけだしこんなのがいてもいいですよね?


 

 

 

 

 

 僕のいる場所はk県巡ヶ丘市、かつて男土と呼ばれた街である。

 

 唐突だが、世界は終わってしまった。

 

 死者が通りに溢れかえり今や何処も彼処も死に塗れている。

 

 誰もが一度は想像する世界の終わり。誰がこんなことを予測できたであろうか。

 

 それが現実になるのだと。

 

 死人が蘇り生き血を求めてさまよい歩く。奴らに殺されたものは例外なく奴らの仲間になる。

 

 そんなどこにでもある陳腐な終末だ。

 

 これは夢なんじゃないかと何度も考える。朝起きたらいつも通りの日常でいつも通りの平和な毎日が待っていると。

 

 が、夢は夢でしかなく現実は容赦なく残酷な事実を突きつける。

 

 

 多くの人間が死んだ。僕の家族、友達、知り合い。全てが死に絶えた。いや、違う。殺されたんだ。奴らに。そう!奴らに!!

 

 奴らはニタニタ笑いながら僕の大切なものを悉く奪って行った。そしてそんな奴らが僕の大切なものを蹂躙したその時。僕は一体何をしていた?

 

 なにもだ!

 

 そう!なにもしなかった!!

 

 奴らが殺すのをただ息を殺して最初から最後まで見ていた。

 

 

 奴らは僕の大切なものを奪って行った。そして自分たちが新たな支配者だと言わんばかりに歩いているのだ。我が物顔でのうのうと。

 

 許せるのか?

 

 否、許せるわけがない。

 

 だから僕は大切なものを奪った奴らを探し見つけ追い詰め八つ裂きにしてやった。

 

 だが、これは始まりでしかない。

 

 まず身体を徹底的に鍛えた。奴らを殺すためには強い肉体が必要だ。

 

 武器を手に入れた。作った物もあるし拾った物もある。とにかく使えそうな物はすべて使った。

 

 防具を身に着けた。僕は不死身のヒーローじゃない。少しでも長く奴らを殺すために身を護るものが必要だった。

 

 知識を深めた。より多く殺すにはより深い知識が必要だった。本を読みふけり見識を広げた。奴らを観察し記録を付けそこから法則を見つけ出した。

 

 そして思いついたアイデアは片っ端から試した。当然失敗することもあれば上手くいくこともあった。最初は失敗することが多かったが日を重ねるうちにそれは逆転していった。

 

 そして奴らを殺して殺して殺していく間にある変化に気づいた。

 

 

 僕はこの状況を楽しんでいたのだ。

 

 その事実に気づいたところで僕の日常にはなんの変化もなかった。それも当然だ。大切なものを奪った奴らに復讐してその無様な姿を見て楽しくならないわけがないのだ。

 

 端的に言って僕は狂っていた。

 

 僕は復讐の道中で何度か僕以外の生存者に出会った。僕は彼等を助けるために奴らを殺した。だが、彼ら彼女らは僕に怯えることはあっても感謝することは一度もなかった。僕は狂っていたが、他人から見てどう思われるかくらいは理解できた。

 

 だが、他人からどう思われようともはやどうでもよかった。僕の目的は奴らをこの世から一匹残らず根絶やしにすることである。例え、僕は道半ばでくたばることがあったとしても最後の最後まで一匹でも多くの奴らを殺してやるのだ。

 

 僕にしてきた仕打ちを忘れたとは言わさない。奴らの腐った眼に僕の姿を焼き付けてやる。そして最期のその時に思い出すがいい

 

 

 

 

 

 僕の名前を!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここは駅。いや、正確には駅だった場所。かつては一日に何万人もの人間を運んだ巨大なシステムも今となっては血と臓物と腐肉に塗れた惨劇の舞台と化していた。そんな何もかもが終わってしまった世界。

 

 

 

 

 

 駅の改札口前、時間は午前8時。素晴らしい快晴のなかに僕は居た。耳につけたイヤホンから爆音のスラッシュメタルが流れてくる。全てを焼き尽くすような旋律を聞けば、どこからともなく昂揚感が湧き出てくる。ヘルメットで狭まった視界の中で、手にした右手に持ったノズルのレバーを握る。ノズルから伸びたチューブは左手に持ったタンクにつながる。中には僕のとっておきが入っていた。

 

 突如、轟音と共にノズルから噴射された液体が取り付けたガスバーナーに引火。炎が撒き散らされる。視界の先には腐臭をまき散らす屍人ども。当然火だるまだ。お客様、焼き加減はいかがでしょうか?

 

 楽しくなってきた。次はどいつがあいてだ?そうだあいつらがいい。視線の先には屍人どもの群れ。ただ己の欲望ままに死肉を貪る哀れな生者の成れの果て。知ったことか死ねばいい。

 

 自作の火炎放射器を床に置きショルダーバッグの中にある火炎瓶を手に取る。ライターで火を付け狙いを定め。投げる!

 

 ガラスの割れる音とともに屍人は炎に塗れた。そうだ、燃えろ燃えてしまえ。今日は気分がいい。音楽プレーヤーの音量を最大にする。

 

「燃えろ燃えろ死人共め!死んだゾンビだけが良いゾンビだ!!まったく最高に愉快だ!!」

 

 ギターのリフに合わせて僕は背中にかけているライフルを手に取りボルトハンドルを勢いよく引っ張る。初弾が装填される。燃え残りのゾンビを視界に収めた。ライフルを構え、狙い、撃つ。

 

 炸裂音と共に7.62x39mm弾がゾンビの額に吸い込まれ、頭が破裂する。ビンゴ!ゾンビは汚らしい脳みそを床にまき散らし誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

 僕は視界に映るゾンビ共に銃を撃ち続ける。撃つ度にこの世から汚らわしい化物が一匹ずつ消える。そうだ。お前たちは死ぬべきなの存在なのだ。いちゃいけないんだよ。

 

10発発砲したところで弾倉の弾を撃ち尽くしボルトが解放される。給弾口を開けるその姿はまるでもっと獲物をよこせと僕に訴えているようだ。

 

 銃声でゾンビ共が集まってきた。僕はその訴えに応えるべくポケットから装弾クリップを取り出し銃に込めボルトを引く。発射準備完了。ついでに火炎放射器と火炎瓶の残量も確認、まだまだ余裕だ。

 

「いくぞッ!腐れゾンビども!!纏めてあの世に送ってやるっ!!!!」

 

 世界は終わってしまった。だけど僕は戦い続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、あれから事が済んだのは1時間たってからだった。僕はゾンビどもを殺して殺して殺しまくった。持ってきた武器を使い切ってからは刺し殺し殴り殺した。何もなかった駅の改札口の床は今じゃ焼け焦げた死体の山で覆われている。

 

 そこら中からガソリンと死肉の焼ける匂いがプンプンする。そう、勝利の匂いだ。戦果は上々、敵影は目視できず。最高の勝利だ。

 

「ふん、ざまあないな。クソゾンビ共め。さて帰るかな」

 

 踵を返す。さあ、凱旋のときだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 2015年■月■日

 

 巡ヶ丘駅で奴らの大量駆除を実行した。正確な数は数えていないがおそらく150匹以上はやることができたと思われる。置き土産にスピーカー付き簡易ナパーム爆弾も設置してきた。今頃起爆しているころだろう。 

 

 試しに作った火炎放射器の威力は文句なしの一言に尽きる。射程が短いことと燃料がすぐになくなってしまうことを除けばゾンビ共を殺すのにあれほど効率のよい武器はあるまい。が、使っている最中危うく火事になりかけたのはまずかった。使う場所を良く考える必要がありそうだ。それに両手がふさがるのもいただけない。背負式に改造してみるか。

 

 銃の弾はまだまだ余裕があるが火炎瓶を予定より多く消費してしまった。近い内に補充しておく必要がある。それに医薬品も減らしてしまった。これも調達するべきであろう。そういえば近くに小学校とモールがあったな。そのどちらかに行けばいい。

 

 今までに一体何匹の奴らを殺したであろうか。減らしても減らしても限がない。僕のやっていることは無駄なのだろうか。僕一人が幾ら殺したところで奴らにとっては痛くも痒くもないのかもしれない。

 

 だが、それがどうした。僕はなんのために生き残ったのだ。10年かかろうが20年かかろうが必ず成し遂げてやる。この世からあいつらを根絶やしにするまで諦めてなるものか。

 

 

 

 

 

 

 







 いかがでしたか?このssは基本的にこんなノリでずっと続きます。学園生活部との甘い恋愛やめぐねえと由紀ちゃんの感動のストーリーは主人公に火炎放射器で汚物と一緒に消毒されましたので悪しからず。

 

 


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第二話 らんどせる

 どうにも狂っているキャラの書き方がわからない。そんな私です。

2015年5月26日 るーちゃんの一人称を変更


 コイントスの末、狩場は鞣河小学校に決まった。現在の拠点から車で2、3分のところだ。アンデッドによるパンデミックというありきたりな終末が発生してからしばらく経過し、僕がゾンビ狩りを日課としてからというものの特定の拠点は持たないようにしていた。

 

 それもそうだ。安全地帯で引き籠っていたらその分奴らを野放しにすることになってしまう。そして奴らはどこかの誰かの大切なものを壊していくのだ。

 

 拠点を確保したら周囲を探索し物資を集めつつ奴らを殲滅する。そして一通り殺したことを確認したら別の場所に赴きまた同じことを繰り返す。

 

 それが僕の基本的な行動パターンだ。自分でも随分と遠くまで来てしまったと呆れる。好戦的な生存者には出会ったことがあるが僕ほどぶっ飛んだ奴にはお目にかかったことがない。

 

 今の僕をクラスメイトが見たらきっと同一人物だとは思わないんじゃないだろうか。なんせ馬鹿みたいに鍛えたせいで体格は二回りほど肥大化し筋肉の塊となっている。それに目にかかるほどの髪もバリカンで短く剃り落とした。もう親はいないがきっと彼らも僕のことを同じ人間だとは思わないと思う。

 

 歩みを止めることは許されない。時間をかければかけるほど奴らは僕たちを侵食していく。最後に待っているのは奴らの支配する世界だ。

 

 誰かがやらねばならぬのだ。できるできないじゃないやるのだ。成さねばならぬのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そうこうしているうちに目的地に到着した。僕は校門の5mほど前にバンを止めると双眼鏡を取り出し辺りを観察した。

 

 僕が乗っているのは古いアメ車のバンだ。たしか昔のアメリカのドラマで主人公一行が乗っていた車と同じ車種なはずだ。日本では大きすぎて不便だが居住性はかなりのもので僕はこれを移動拠点として使っている。

 

 奴らの行動には一定の規則性がある。僕がそれを発見したのは観察によるものだった。奴らは生前の生活リズムに則って行動している。これは確実とみていい。

 

 サラリーマンは会社に学生は学校に。そんな感じで生前の活動を模している。流石に曜日の概念までは存在していないようで土日だろうがお構いなしに行動しているのには笑った。

 

 そして現在の時刻は朝の5時半。生徒はもちろんのこと教師もまだ出勤してきていない。

 

 今日の目的は来るべき仕事のための下調べと物資の回収だ。僕はイカれたゾンビ殺しだが、闇雲に奴らを殺しているわけじゃあない。

 

 奴らを多く殺すのに必要なのは如何に冷静に狂うことができるか、そして油断しないこと。これが僕が今までこの生活を続けてこれた秘訣である。理性を失った狂人ではここまでできなかっただろう。捨てるべきは理性ではなく倫理である。

 

 僕は校門に奴らがいないことを確認したのでバンの居住スペースに保管している防具に着替えた。防具と言っても隠密性を重視して厚手と薄手の二枚のジャケットを重ね着しているだけある。

 

 かなり窮屈に見えるかもしれないが下に来ているジャケットは関節部を切り取っているので見た目よりは幾分動きやすい。防御力も実証済みなので安心だ。

 

 防具は整えた。お次は武器だ僕は武器がしまってあるケースの蓋を開けた。中には僕の慣れ親しんだ武器たちが鎮座している。

 

 僕はその中のライフルに手を伸ばしかけて手を止めた。

 

 僕が手に取ろうとしたのはシモノフSKSを中国のノリンコがコピーした56式半自動歩槍だ。7.62x39mm弾を使用するガス圧作動方式のカービン銃で、すぐ後に登場したAK47に隠れがちだがこれも名銃だ。

 

 明らかに銃刀法に違反した代物を僕が持っているのは、別に難しい話ではない。たまたまヤのつく自由業の方々の事務所で見つけたのだ。どこかの修羅の国ではロケットランチャーやアサルトライフルで武装しているヤクザもいるそうだ。自動小銃くらいかわいいものだろう。

 

 今回はただの下調べだ。長物を持っていく必要はないだろう。僕はSKSの代わりに回転式拳銃を手に取った。この銃の名前はスミス&ウェッソンM37エアウェイト。警視庁で正式採用されている軽量かつ小型の拳銃だ。これも警察官からベルトごと拝借してきたものだ。僕はホルスターのついたベルトをジャケットの上から装着しナイフも差し込む。仕上げに右腕にタオルを何重にも巻き付け紐で縛り付けギブスのようにし完了だ。

 

 準備を整えた僕はバンのバックドアから学校へと向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校の中は案の定酷いことになっていた。割れたガラスに至る所にこびりついた血痕。もう酸化して黒ずんでいるがここでどんな惨状があったかは想像に難くない。

 

 見る人が見たら卒倒するような光景であるが僕にとってはありふれた光景だ。僕は保健室に向かい医薬品を片っ端から鞄に詰めていった。このご時世医薬品は札束より貴重なのだ。絆創膏一枚すら残さず詰め込んでいく。

 

 この時点で目的の9割は達成していたのでこのまま退散するべきだったのだが、僕は気まぐれで二階への階段を上った。

 

 階段を上ったすぐ先の教室の扉を一匹の奴らが叩いていた。小学校1年生くらいだろうか、女の子だ。右腕は肘から先が食い千切られ腹からは腸がはみ出している。

 

 僕の大切なものを奪った奴らだ。僕は頭に血が上るのを感じた。すぐにでも飛びかかりたいが音を出して他の奴らを呼びよせるのは余り面白くない。

 

 幸い、奴は僕に気づいていない。扉を叩くことに夢中だ。距離は約5m、いける。僕は確信した。

 

 奴の斜め後ろからゆっくりと近づく。奴はこの期に及んでまだ気が付いていない。距離が1mを切った時、僕は一気に奴の真後ろまで接近。右手で下顎を左手で後頭部をホールド。そのまま斜めに捻じるようにその細い首をへし折った。奴はもう誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

 こうして何の問題もなく一匹始末した僕だったが、一つだけ予定外のことがあった。何ということか!力を掛け過ぎて首を本当に捻じ切ってしまったのだ。その証拠に僕の両手には奴の頭がある。

 

「ちょっとやりすぎたかな?」

 

 僕は苦笑した。このまま両手に持つのも重いので頭は奴の胴体の横においた。

 

「さて、こいつはなんで扉を叩いてたんだろうねぇ?」

 

 僕の呟きが血塗れの廊下に吸い込まれていった。

 

「さぁて、お邪魔しまーすっと」

 

 扉を開け中に入る。教室も廊下と大差ない惨状であった。血塗れの机や椅子、黒板。まあいつもの風景である。

 

 教室には案の定なにもなかった。文房具は机の中にしまってあったが武器になりそうな鋏は安全に配慮した先が丸まっているタイプしかなく使い物にならなかった。筆記用具も事足りているので必要なし。

 

「ここには何もなさそうだな……?」

 

何もないと判断し教室から出ようとしたが一瞬なにか息遣いのような音が聞こえた。気のせいか?

 

 もう一度、今度は注意深く耳を研ぎ澄ます。確かに聞こえる。僕以外の吐息の音だ。一体どこからだ?

 

 すぐに音の出所は見つかった。教室の隅の掃除用具いれからだ。試しにロッカーに耳を当ててみると先ほどよりもはっきりと息遣いが聞こえた。

 

「おい!誰かいるのか?開けるぞ」

 

 僕は何が出てきてもいいようにベルトのナイフに手を掛けながらロッカーの扉を開いた。

 

 中にいたのは女の子だった。どうやら気を失っているようで僕が扉を開けたのにもかかわらず全く気が付いていない。

 

 かわいそうに、長くここにいたのだろう。酷く衰弱している様子だ。このままでは死んでしまうだろう。仮に生きていたとしても奴らに食われて終わってしまう。

 

「参ったなぁ……。まさか生き残りがいるなんて」

 

 どうしよう。このまま放っておくか?僕は一瞬通り過ぎた考えを振り払うように首を振った。

 

「何を考えているんだ僕は。それじゃあ奴らと一緒じゃないか」

 

 そうだ。僕は確かに狂っているが人並みの良識は持ち合わせているはずだ。確かにここで見捨てる方が合理的な判断だ。しかし、それをしてしまったら僕はどんな顔をして奴らを殺せばいいのだ。僕には奴らを皆殺しにする権利があるがこの子の命を奪う権利はないのだ。目的は復讐だが決して正義を見失ってはならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、悩んだ末この子を拠点まで連れて帰ることにした。持ってきた水を口から流し込んだところ少しだけ顔色が良くなった。見た目ほど衰弱してはいないようだ。もしかしたらロッカーに閉じこもってからそんなに時間は経っていないのかもしれない。

 

 これは推測だが、この子はこの学校の生存者のグループに所属していたのかもしれない。そしてそのグループは恐らく壊滅。偶然逃げ込んだロッカーで九死に一生を得たというところだろうか。

 

 とにかく今はこの子を担いでここから出よう。予定は変更だ。そうと決め女の子を担ぎ上げようとした際。廊下から呻き声聞こえてきた。それも複数。

 

 そう、奴らだ。

 

 僕は女の子を申し訳ないがもう一度ロッカーに匿うと廊下にでた。

 

 数は三体、距離は約7m。先ほどと違いもう此方の位置はばれている。僕は冷静に右腕のギブス擬きを盾のように構えながら腰のナイフを鞘から引き抜き逆手に持った。

 

 ゆっくりとだが確実に距離が詰まっていく。

 

 3m……

 

 2m……

 

 1m……ッ!

 

 一番、先頭にいた奴が僕に噛みつこうと飛びかかってきた。僕は右腕を奴に突き出した!奴は僕の右腕に喰らいつく。相変わらずの馬鹿力だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 だが、それだけだ。

 

 僕は左手に持ったナイフを奴の脳天目掛けて突き立てた!肉と骨を突き破る感触と共に噛みついてきた奴がバタリと倒れ込む。

 

 その際倒れる勢いに巻き込まれないようにするのがポイントだ。すぐさま体勢を整えると次の奴にも右腕に噛みつかせる。そしてナイフを一突き。あと、一匹。

 

 最後の奴はちょっとかっこいい技で葬ってやろう。僕は三体目の前に飛び込むと膝を横から折ってやった。腐った身体には堪えたようで奴は思わず膝を付いた。

 

 僕は少しだけ距離を空け、ちょうどいい位置にある奴の頭めがけ後ろ回し蹴りを叩きこむ。

 

「──オラッ!!!」

 

何ということか!硬いブーツの底と約80kgの僕の体重が合わさった一撃は凶器そのものであり、もろに喰らった奴はそのまま首の骨を折られて二度と誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

 「ゾンビ殺すべし、慈悲はない。なんてね」

 

 僕は少し前にネットで流行った小説の台詞を真似て決め台詞のように言った。少し恥ずかしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなで無事に女の子を救出した僕は拠点としている空き家に戻った。既にこの家の半径50m圏内は掃除済みなので特にバリケードは作っていない。前に別の拠点にいた時は二階から入っていたが一度それで死にかけたのでそれ以来普通に玄関から入るようにしているのだ。

 

 家に入った僕は二階の寝室として使っている部屋のベッドに女の子を寝かせた。ずっと汚れた服のままはかわいそうなので服を着替えさせることにする。ついでに身体も拭いてあげよう。正直言って臭い。

 

 まあ、臭さでいったら僕も人のことは言えないけどね。水は基本的に貴重なので風呂なんて贅沢はできない。なので僕が身体を洗う時は水で濡らしたタオルで身体を擦るだけである。

 

 でも、これでも僕は清潔なほうなのだ。殆どの生存者のコミュニティには水が自由に使えない。洗濯もできない風呂にも入れない着替えもないの三重苦なのでとてつもない悪臭を放っているパターンが多い。

 

 だから僕が生存者と交易をするさいは服や下着を持っていくようにしている。食料はあまり喜ばれないのだ。パンデミックが発生してもうそれなりに日数が経過している。ここまで生き残っているということは食料と水を確保できているということなのだ。他にも酒やタバコの嗜好品も喜ばれる。

 

 話がそれた。僕は部屋にしまってあるカセットガスコンロに鍋を置きお湯を作った。しばらくしたら適温になったのでタオルを濡らして体を拭いた。

 

 身体を拭く際、当たり前だが服を脱がさないといけない。子供とは言え女の子だ。後で謝っておこう。

 

 身体を拭いて替えの服を着せる。服はこの家の箪笥にあった小学校の体操着を着せて置いた。髪は最近ドライシャンプーを見つけたのを思い出したのでそれで洗っておく。ついでに自分の頭も洗った。なるほど確かにすっきりするな。

 

 一通りのやるべきことを終え腕時計を確認する。もうすでに朝の8時になっていた。時間を確認したら腹が減ってきた。朝飯にするか。

 

 こんな世界になってからガス水道電気は完全に止まってしまっている。温かい飯は実は結構な贅沢なのだ。

 

 でもまあ、物資が有り余っている僕には関係のない話なのでお構いなしにお粥を作り始める。

 

 

「……ここ、どこ?」

 

 どうやら目が覚めたようだ。僕はなるべく怯えさせないように優しく話しかけた。

 

「よかった。目が覚めたみたいだね。どこか気持ち悪かったり痛かったりする?」

 

 女の子はまだ自分の状況が読み込めていないようで僕と部屋をきょろきょろと見まわしている。

 

「……おばけがやってきて、それから……それから……ひっぐっ」

 

 女の子は自分に何がったのか思い出したのだろう。目から大粒の涙を流し泣き始めた。困った。僕は子供の扱いなんて知らないぞ。

 

 困ったことに全然泣き止む気配がない。当然だ。ロッカーに独りで閉じこもってたんだ。怖いなんてものじゃないのだろう。

 

 確か、こういう時は抱きしめればいいと聞いた。僕は意を決して女の子をゆっくりと抱きしめた。

 

「大丈夫だよ。ここにはおばけはいないからね。だから大丈夫、大丈夫だから」

 

 僕の言葉にため込んだものが爆発したのだろうかより大きな声でワンワンと泣き始めた。結局泣き止んだのはそれから30分後のことであった。だが泣くことはいいことだ。泣くことで精神のリセットが図れる。泣くことすらできなくなったらそれはもう末期だ。

 

 僕はあれから一度も泣いたことがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 女の子はひとしきり泣いたあと一緒に飯を食べながら軽い自己紹介をした。まだ元気はなかったが空腹には勝てなかったようで猛烈な勢いでお粥を掻き込んでいた。ここまで食べられるなら問題はなさそうだ。

 

 女の子は自分の事をるーちゃんと呼んだ。名前を聞いてみたがるーちゃんとしか答えなかったのでまだ自分の名前をはっきりと言えないのか精神的ショックで記憶が曖昧なのかもしれない。

 

 流石に何があったのかを聞くほど僕は鬼畜ではないので女の子改めるーちゃんが自分から言うまで待とうと思う。

 

 そんなこんなで僕たちの奇妙な共同生活が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 2015年■月■日

 

 あれから3日が経った。食料はこの家にあったものを含めあと3週間は余裕で暮らしていける程の量があるので何も問題はなかった。

 

 が、一つ面倒なことがおきた。るーちゃんが僕を離してくれないのである。

 

 どこに行くのも何をするのもくっ付いて離れようとしないのだ。気持ちはわかるのだが寝るときはもちろん着替えやトイレにまでくっ付いてくるのはどうにかしてほしい。

 

 かと言って引き離そうとするとこの世の終わりみたいな顔をしてやだやだと言ってくる。

 

 どう見ても僕に依存してしまっている。僕だって仕方ないのはわかるのだ。彼女にとって僕はたった一人の頼れる大人であり唯一の生命線である。

 

 でもこれはあまりよくない傾向だ。どう見ても健全な関係ではない。でもあんな顔をされて

 

「ひでおじさんも、みんなみたいにわたしをおいていっちゃうの……?やだよぉ……おいてかないでよぉ……もう独りはいやだよぉ」

 

 なんて言われて断れるほど僕の心は強くなかった。イカれたゾンビ殺しが聞いてあきれる。

 

 本田秀樹。それが僕の名前だった。僕の名前を呼ぶ人間なんてもう誰もいないと思っていたが名前を呼ばれるのは存外に嬉しいものだった。おじさんと言われなければな!

 

僕はまだ18歳だ!決しておじさんと呼ばれるような年齢ではない。確かに髭も全く剃ってないし髪型もおっさんみたいなので仕方ないかもしれない。でもおじさんはやめてほしかった。だけどなんどお兄さんと呼んでくれと頼んでも駄目なのだ。

 

 結局、僕が根負けしておじさん呼ばわりを承諾した。解せぬ。身だしなみはきちんとしておこう僕は心にちかった。おじさん呼ばわりはごめんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女との存在は僕の心に容赦なく染み込んでいった。あまりよくない傾向だった。僕も彼女に依存しかけていたのだ。それもそうだ。まともに人間と話したのなんて本当に久しぶりだったのだ。名前を呼びあいなんてことない話をすることがこんなにも楽しいことだったと忘れていた。言ってしまえば僕は会話に飢えていたのだ。

 

 彼女が思いの外聞き上手だったこともそれに拍車を掛けていた。

 

 僕は僕が昔の弱い自分に戻っていくことを感じていた。本当ならこんなことをしている場合ではない。僕がここで油を売っている間に奴らはどんどん数を増やしていく。

 

 生き残りはこの事実に全く気が付いていない。誰も戦おうとしない。自分の足がドブに浸かっていることに気が付かないのだ。

 

 一体誰が戦うというのだ。ヒーローなんてものは現れない。代わりなんていない。僕が!僕だけがこの事実に気付いている!なんという悲劇だ!

 

 どいつもこいつも来るかもわからない助けを待って閉じこもっている。ふざけるなよ!なぜ?なぜだ!?なんで誰も戦わないんだ?

 

 家族が!友達が!殺されたんたぞ!お前らそれで恥ずかしくないのか?誇りはないのか!

 

 結局、僕しかいないんだ!できるできないじゃない。やるんだよ!

 

 

 

 ふと、袖を引っ張られた。振り向くとるーちゃんが泣きそうな顔で僕のことを見ていた。

 

「ひでおじさん、すごいこわい顔してるよ……」

 

 なんてことだ。こんな子の前で狂気を顕わにするなんて。僕は保護者失格だ。

 

「ごめんね、るーちゃん。怖かったよね」

 

「……うん」

 

 そう言って僕は彼女の頭を優しくなでる。彼女は嬉しそうに眼を細めた。僕は戦わなければならない。でも、この子の保護先が見つかるまでは少しだけ昔の僕に戻ろう。僕はそう思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから更に4日経過した。るーちゃんも少しは落ち着いたようで僕が外出するのも許してくれるようになった。その代わり帰ってくるなり僕の鳩尾にタックルするようになったのはご愛敬ってやつだ。

 

「ねぇ!ベランダに風船がひかかってるよ!」

 

 るーちゃんが指さすほうに目を向けると確かに風船がベランダに落ちていた。僕はベランダから出るとその風船を手に取った。

 

 確かに風船だった。中にヘリウムガスを詰めているのだろう僕が手を離しても浮かんだままだった。

 

「ん?なんか紐に括り付けてあるな」

 

 よく見ると風船の紐の先に手紙らしきものが括り付けられている。ご丁寧にビニールで包まれている。雨対策だろうか。

 

「おじさん、それなに?」

 

「んー?手紙なんだろうけども。待ってね今読むから」

 

 手紙だと思ったものは実は絵葉書で僕の母校である巡ヶ丘学院高校の制服らしきものをきた3人と1人の女性が描かれている。文章らしきものはなく『わたしたちはここにいます』とだけ書かれており裏には住所と座標が記されていた。救援メッセージのつもりだろうか?

 

 無人島に漂着して砂浜にSOSと書いたりメッセージボトルを流すのはよくあることだが風船に括り付けるのははじめて見た。

 

 だが、救援メッセージというにはあまりにも悲壮感がなさすぎる。今一つこの手紙の意図が読めない。何かのチャリティーイベントで作ったものと言われたほうがしっくりくる。

 

 とはいえこれがこの手紙が悪戯でないとするならば彼女の保護先にうってつけと言える。一見するとふざけた手紙に思えるが、裏を返せばこんな凝った手紙を送ることができるだけの設備と物理的精神的余裕があるということなのだ。

 

「ねえ、わたしにも見せて」

 

 僕が手紙を独り占めしていることが気に入らないようだ。彼女はその小さい頬を膨らませていた。可愛い。

 

「あぁ、悪い悪い。はい」

 

 僕が絵葉書を渡した。しばらくすると彼女は僕に詰め寄ってきた。

 

「ん?なにか気になるのかい?」

 

「これぜったいにりーねーだよ!」

 

 彼女はそう言って絵葉書に書いてある長髪の人物を指さしていた。その目にはうっすらと涙が滲んでいた。

 

 『りーねー』僕が彼女との会話で知った人物だ。少なくとも女性で高校生なことは確かだ。彼女の語彙力が足りないせいでそれしかわからなかったが既に死んでいると思っていた。だが、この絵に描かれている人物がその『りーねー』だとするとこの手紙を飛ばした時点では生存している可能性が極めて高い。

 

 まさに渡りに船というやつだった。

 

「この人が君のお姉さんなのかい?」

 

「そう!ぜったいりーねーだよ!!」

 

 正直こんなデフォルメされた絵でなにがわかるんだと思わなくもないがそれをこの子に言うのは流石にあれなので黙っておくことにする。しかし、あまり喋らないこの子がここまで言うのだもしかしたらもしかするかもしれない。

 

「じゃあ、会いに行こうか」

 

 僕は彼女に切り出した。姉に会えるかもしれないとわかった彼女の喜びようはそれはそれは凄まじいものであった。なんとか落ち着かせた僕は明日出発することを彼女に伝え明日の計画を考えるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕はそこでこの子を置いていくつもりだった。我ながらひどい奴だ。

 

 

 

 




 たとえ二次創作でも小説を書くのって楽しいですよね。


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第三話 であい

 
 やっと学園生活部と接触させられました。

 
 2017年5月25日校舎の構造をアニメ版に変更

 2017年5月29日学園生活部の寝室を変更

 2017年5月30日原作との相違点を修正


 

 

 

 

 

 

 高校までの道のりは決して近くはなかった。あっちこっちで事故や建物が倒壊していてその度に迂回せざるを得ないのだ。本当なら1時間もかからないような距離なのにもう日が暮れようとしている。信じられるか?出発したの朝の10時なんだぜ。

 

 

 

 そんなこんなで道を走っていると前方にコンビニが見えてきた。周囲にゾンビもいないしな。丁度いい今日はここで一泊しよう。駐車場に車を止め僕は後ろの彼女へと身体を向ける。二つの瞳に僕が映る。僕は彼女からどう見えているのだろうか?少しだけ気になった。

 

「じゃあ、るーちゃん少しコンビニいってくるね」

 

「……るーちゃんもいく」

 

「なに、すぐ戻ってくるからじっとしてるんだよ。お菓子持ってきてあげるから」

 

「……わかった。きをつけてね。おじさん」

 

 それはすぐに終わるはずだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい!今すぐあの車おいてけ!!」

 

 まったく、どうしてこうなったのやら。コンビニで物色を終え車に戻ると後ろから声をかけられた。どうやら隠れていたらしい。やれやれ、僕もまだまだだな。

 

 こんなご時世になってしまってからというものの外で人に会うことはめっきり減った。生存者はだいたい安全地帯に引きこもっているので仕方がない。たまに出会うことがあるがそういう時はたいてい物資を求めている。そして時には暴力で足りないものを補おうとするのだ。 

 

「さっさと車の鍵をよこせよ!!」

 

 そういって錆びついた包丁を向けるのは20代後半の男。くたびれたジャージに痛んだ金髪。典型的な不良のファッションだった。目の焦点があっていない。明らかにいってしまった奴だ。車内には彼女がいる。なるべく穏便にすましたい。

 

「その包丁をむけるをやめてもらいませんか?穏便にいきましょうよ」

 

 なるべく言葉を選んで話しかけたつもりだったが相手には効果がなかったようだ。

 

「うるせぇ!ガタガタいうな!!こいつはなアイツらを刺しまくった包丁だぜ。ちょっとでもかすったら仲間入りだ。わかったか!!わかったらさっさと鍵をよこせってんだよ!!!」

 

 もう支離滅裂で意味不明だ。仕方がないか……。僕は包丁に最大限注意しつつ車内にいるるーちゃんに聞こえるように話した。

 

「るーちゃん!僕がいいっていうまで耳をふさいでいるんだよ!」

 

 なかからごそごそと動く音がした。準備は整った。僕は最後にもう一度説得することにした。ついでに腰の()()に手をかける。

 

「もう一度だけ言いますよ。穏便に「うるせえ!!!ガキ降ろしてさっさと車よこせってんだよ!!!!!!」あぁ、そうかよ」

 

 交渉決裂。腰のホルスターに差し込んだM37を引き抜き男の腹に向けた。男の顔が引きつり身構える。

 

「これは最後通告だ!今から10数えるからその間に僕の前から消えろ!」

 

 男は一瞬だけ怯んだが直ぐに此方を小馬鹿にするような表情を浮かべた。どうせ玩具だとでも思っているんだろう。銃と言うのはわかりやすい暴力の象徴、銃の前では女も男も平等だ。だけどもここ日本においてはあまり効果がない、馴染みがなさすぎるのだ。

 

「おいおい!どうせモデルガンかなんかだろ。そんなんで脅せるとでも思ったかガキが!!」

 

 ほらな。相手の戦力も評価できない。奪うことしか考えてないからそんな馬鹿になるんだ。でも心なしか声が震えている。

 

「貴方がどう思おうが勝手にしてください。でもこいつは38スペシャルと言って形は小さいがあなたの頭なら簡単に吹き飛ばせる。楽にあの世に行けますよ。運が良ければね。どうです。試してみますか?」

 

 気分はハリーキャラハンだ。僕はわざとらしく撃鉄を起こした。男の額に汗が一粒。口ではやっぱりなんだ言ってもビビっているらしい。

 

「これが最後だ。立ち去れ!さもなくばこの引き金を引く!!10、9、8」

 

 いよいよ、まずいと感じたらしい表情に明確な焦りが見えた。

 

「ちょ、ちょっとまてまってくれ」

 

 散々脅しておいてそれか?お前に誇りはないのか?

 

「7、6、5、4」

 

 もうこいつの戯言に耳を貸す気はない。僕はいよいよ引き金を引く心構えをした。

 

「3、2「わかった!!わかったから撃たないでくれ!!」だったらとっとと立ち去れ!!」

 

 男はたまらず僕に背を向けると何回も転びながら走り去っていった。僕は男が視界から消えるまで銃を構え続けた。

 

「おじさん、こわい人どうしたの?」

 

「もう大丈夫だよ。怖い人ならもういない」

 

 そう、もう()()()。僕は車のエンジンをかけ学校に向かった。予定変更だ。もうこのまま学校まで走ってやる。もしかしたら近くにコミュニティがあるのかもしれない。できれば遭遇したくはないな。

 

 こんな世界になってからというものの出会うのはどいつもこいつも人でなしばかりだ。僕も人のことは言えないけどね。あのまま男が立ち去らないのなら僕はあの銃をなんの躊躇もなく撃つつもりだった。人を殺すのはもう()()()()だ。それに僕が殺すのは人ではない。人の皮を被った害獣だ。害獣を駆除するのにいったい何の呵責があるというのだろうか。

 

「狂っているのは世界かそれとも僕か……」

 

 夕闇のアスファルトに僕の呟きが溶けていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 学校に到着したのは結局夜になってからだった。るーちゃんはもう眠ってしまった。僕は校門の前に車を止め双眼鏡で校内を観察した。

 

 三階の一室から微かにではあるが、確実に灯りが見えた。

 

 いた!暗くてよくわからないが人影も確認した。とうやら本当に生存者がいるらしい。

 

「生存者を発見と。問題はどう接触するかだな」

 

 生存者には無用な警戒心は与えたくない。が、かといって軽装では襲われ時にまずいだろう。

 

 あれこれ考え結局いつもの偵察用の装備にすることにした。流石に銃は見えない位置にしまっておく。

 

 これで僕の準備は整った。お次はどうやって入り込むかだな。見たところ正面玄関はバリケードで出入りできないようになっている。校庭にも数匹奴らがいる。どうするかな……。

 

「ええい!もう面倒だ!轢き殺そう」

 

 僕は端的に言ってしまえば疲れていた。迂回に次ぐ迂回。イカれた生存者。腐った死体。もううんざりだ。

 

 僕は車のシフトレバーをドライブに入れ奴らにターゲットを定めアクセルを踏もうとした。が、異変を感じ結局踏みとどまった。向こうの窓からライトが点滅しているのだ。

 

 双眼鏡で確認すると二階の教室の窓から絵に描かれていた生存者に似た人物が二人こちらに向かって手を振っていた。どうやら僕たちに気づいたようだ。よく考えたら、というかよく考えなくてもこの静寂が支配する闇のなかでエンジン音がどれだけ目立つかなんて馬鹿にでもわかることだった。やはり疲れているのだろう。

 

「しょうがない。第三種遭遇といきますか」

 

 僕は手を振っている生存者の下まで車を走らせた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あっ!めぐねえこっちきたぞ」

 

 暗闇が支配する教室で恵飛須沢胡桃は隣の女性。佐倉慈に言った。

 

「本当にあの手紙が届いたのかしら?友好的な人ならいいんだけど」

 

「もしへんな奴だったらあたしがぶっ飛ばしてあげるから心配すんなってめぐねえ」

 

 そういって彼女は自慢げにシャベルを肩に担いだ。

 

「もう、めぐねえじゃなくて佐倉先生です!でもあまり無茶しないでね?」

 

 彼女達はこの高校の数少ない生存者であり。現在は校舎の一部にバリケードを築いて比較的平和に暮らしている面々であった。ここの国語教師である佐倉慈と若狭悠里の発案により自分達を学園生活部と称しこの地獄の釜の底で少しでもストレスを減らそうと日々努力していた。本田一行の拠点に落ちた風船も彼女らが飛ばしたものだ。これは生存者の一人である若狭悠里の発案によるものだった。

 

 彼女らがこの地獄の中で正気を保っていられたのは偏に学園生活部のおかげである。見る人が見たらただの現実逃避ではないかと思われるだろう。だが、人は異常環境下では容易く潰れてしまう。少しでも快適に暮らせるように努力することを一体誰が責めることができようというのだろうか。

 

 そんな彼女たちが校門前の車を見つけたのは完全に偶然であった。丈槍由紀が車のエンジン音を聞き取ったのだ。慌てて校門を凝視してみると確かに先ほどまではなかった車が一台校門の前に止まっていた。

 

 慌てて梯子を準備降ろそうとしたが、自動車の運転手が害意を持っている可能性を踏まえ二階の教室で梯子を準備し。かの車にサインを送ることになったのである。

 

「ほんとにこっち来たぞ!おーいここだ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おーいここだ!!」

 

 僕が車を止めると二階から呼ぶ声が聞こえた。僕は運転席の屋根についたサンルーフから身を乗り出し声の主と目を合わせた。が、ライトが眩しくて今一つ人相がわからん。

「すみませーん!ライトが眩しいので僕に当てるのをやめてもらえません?」

 

 僕がそう言ったことでライトの主ははじめて自分が何をしていたかを自覚したようだ。慌てたようにライトを消した。いや、それじゃあ同じだろうに。

 

 と、思ったがライトを消したのは持ってきたランタンに持ち替えるためだったらしい。ランタンの灯りを灯すとやっと顔をまともに判別することができるようになった。

 

「すまん!今、降ろすから合図したらすぐにこっちにこい!」

 

 どうやら警戒されているようだ。まあ、当然だろう。そう考えていると梯子が降りてきた。上れということだろう。

 

「梯子おろしたぞ!」

 

 

 オーケー。まずは僕一人でいこう。ありえないだろうが罠かもしれないしな。僕は降ろされた梯子を上った。

 

 

 

 

 

 梯子を上り窓枠から教室の中に入る。僕の前にはさっき僕に話しかけてきた女子生徒と私服の女性の二人組だった。私服の女性は僕も知っている人物だった。たしか国語担当の佐久間?先生だったか。

 

 僕は怪しまれない程度に二人を観察する。なるほど彼女達が手紙に書かれていた4人のうちの二人なのだろう。おそらくまだ二人いるはずだ。女子生徒の手にはシャベルが握られている。恐らく彼女の武器なのだろう。渋い選択だな。

 

「大丈夫みたいだな。噛まれてたりしないよな?」

 

 シャベルの生徒が不安そうに尋ねる。僕は無言で首を振って彼女の問を否定する。まあ、それぐらいのことはしてくれないと困る。本当なら問答無用で拘束されてもなんらおかしくないのだが、彼女達はかなり甘いほうだ。うん、罠ではなさそうだな。

 

「あたしは恵飛須沢胡桃ここの3年生だ。で、となりにいるのがめぐねえだ」

 

「もう、めぐねえじゃなくて佐倉先生です!えっと、私は、佐倉慈。ここの国語教師をやらせてもらっているわ。色々、聞きたいことはあるんだけどとりあえず三階の生徒会室にいきましょう?いいわよね?恵飛須沢さん」

 

「まあ、めぐねえが言うんならいいよ。えっと名前なんだ?」

 

 こういう時は第一印象が大事だ。なるべく警戒心を与えないように

 

「僕の名前は本田秀樹。ここの3-Cに所属していた。部屋に招いてくれるのは嬉しいが、少し待ってほしい。実は車にまだ子供が一人いるんだ。だから先にその子を連れてくる」

 

「えっ?同い年!?ていうかそれ本当かよ!お前置き去りにしてきたのか!!」

 

 シャベル君改め恵飛須沢君が怒りをあらわにする。どうやら人並みの良心はあるようだ。僕と彼女達の間に緊張感が生まれるのが手に取るようにわかる。

 

「そう、怒らないでくれたまえよ。君の気持は十二分にわかるさ。でもね、罠かもしれない場所にいきなり子供を連れて行くのはそれはそれでどうかと僕は思うよ」

 

「あたしたちがそんな奴に見えるかよ?」

 

「見える見えないの問題じゃないよ。とまあ、それは置いておいて、えっと佐久間先「佐久間じゃなくて佐倉です」おっと、失礼。佐倉先生。車にいる子供を連れてきたいので一旦外にでます。玄関が板で塞がれているようですが出入りできますか?」

 

 このままだと無用な言い争いになりそうだ。僕は強引に話題を変える。

 

「えっと、玄関のバリケードには隙間があるからしゃがめば十分に通れるはずよ。西階段のバリケードを崩して通れるようにするからそこから入って来てちょうだい」

 

「了解。じゃあ、僕は降りま「おい、一人でいくのか?」ん?そうだけど、それがなにか」

 

 めんどくさいなぁ……早くいかせてくれよ。まったく

 

「さすがに危ないわ。恵飛須沢さん?本田君について行ってくれないかしら。私はその間に西階段のバリケードを通れるようにするわ」

 

「確かに。じゃあ、私が先に降りるぞ」

 

 そう言って彼女は梯子を降りて行った。彼女が梯子を降り終えるのを確認してから僕も梯子に足をかけようとした。

 

「本田君ってあの本田君よね?」

 

 きっとあの日より前の僕のことだろう。

 

「どの本田か知りませんがたぶんその本田であってますよ」

 

「そうよね、ごめんなさい。でも前に覚えていた姿とあまりにも違ったから一瞬わからなくて。じゃあ、後でね」

 

 そう言って先生は教室を去っていった。笑顔がやけに印象に残った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年■月■日

 

 僕は現在、校舎3階の職員用更衣室でこの日記を記している。今日は怒涛の一日だったといえよう。子供を連れての登校に強盗擬きの撃退。そして「学園生活部」との接触。

 

 学園生活部。ここ、巡ヶ丘学院高校の生存者達のコミュニティの名前だ。国語教師の佐倉慈、3年生の若狭悠里、恵飛須沢胡桃、丈槍由紀の四名。彼女達は偶然あの時、屋上にいたことで難を逃れたようだ。そして三階と二階の一部にバリケードを築き生き残ってきたという。ある大雨の日にバリケードを越えられたそうだが佐倉先生がある生徒の話していた雑談からヒントを得て何とか退けたという。というか雑談の主は僕だったらしい、全く記憶にない。

 

 この高校には決して少なくない人間がいたはずだ。それなのに4人。たったの4人しか生き残りがいないとは。死んでいった者達は屍人となって今も校舎を彷徨っているという。

 

 悲劇はこれだけではない。生存者の一人丈槍由紀。桜色の髪と中学生と見まごうばかりの小さな体躯が特徴の3年生。僕と同じクラスの子だったはずだ。周りから浮いていた子だったというのは覚えている。

 

 単刀直入に言ってしまえば彼女の世界ではこの事件はなかったことになっていた。別に珍しいことではない。前にも似たような症状の生存者には会ったことがある。彼女達には丈槍由紀の話に合わせてくれと頼まれた。僕としても断る理由もないので彼女達の指示に従うことにした。彼女が明るくて楽しそうなのが余計に悲しくなってくる。本当に世界はこんなはずじゃなかったことばかりだ。でも見えないのならそれはそれで幸せな気がするのは僕の気のせいであろうか。

 

 僕は彼女たちに外の状況を伝えた。なるべくオブラートに包んで伝えたつもりだったのだが、僕の口から語られる惨状に彼女達は予想はしていたがショックを隠し切れない様子であった。

 

 それでも、救いがなかったわけではなかった。るーちゃんが自分の姉と再会できたのだ。るーちゃん改め若狭瑠璃の言った通り『りーねー』はこの学校にいたのだ。再開した姉妹はまるで今までかけていたものを埋めあうかのようにお互いを抱きしめ泣き続けた。他の三人もつられてないていたのが印象に残った。

 

 その後は夕飯を全員で食べた。ありきたりなレトルトのカレーだったがそれでも少しだけ日常に戻った気分だった。でもいつもの癖で薬を盛られることを警戒して僕以外の全員が口を付けるまでまっていたのはまずかった。その場では誤魔化せたがいらぬ警戒心を持たれてしまったかもしれない。

 

 持ってきた物資は大変喜ばれた。お菓子や飲み物などの嗜好品ばかりであったが自分たちの備蓄にはないものばかりだったのだろう。目を輝かせていた。持ってきた物資の中で一番喜ばれたのがトイレットペーパーだったのがやけに印象に残っている。口には出していなかったがあれは絶対に安堵している喜んでいる顔だった。実は心許ない状況だったらしい。

 

 その後は僕は臭いと言われシャワー室に半ば強制的にぶち込まれた。服も洗濯できないジャケットを除いて全て奪われ洗濯機の中だ。おかげで拳銃を隠すのに骨が折れた。そして今は、男子更衣室にあった体操着を着させられている。名札に書かれた吉田が異彩を放つ。誰だよ吉田って。

 

 でもこれで、身軽になった。明日、適当な理由を言って校内の駆除を始めよう。室内でしかも生存者がいるので火炎放射器は使えない。あまり多くは狩れないだろう。だが関係ない。僕は奴らを殺す。それだけだ。るーちゃんを保護してもらう以上、それなりに安全でないと困る。現状ではまだ安全とは言えない。

 

 三階に移動する際にバリケードを見たが机を積み重ねてワイヤーで縛っているだけだった。あれでは2、3匹は大丈夫でも数で来られたらひとたまりもない。現に以前突破されている。早急に対処する必要があるだろう。できれば二階まで完全に封鎖してしまいたい。明日にでも佐倉先生に提案してみよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一通り書いたところで筆を置く。前にいた拠点のベッドと比べると学園生活部から借り受けた布団はいささか小さく思える。寝床を貸してくれるのはありがたいがこのすぐ近くに彼女達が眠っていると考えるとやはり落ち着かない。

 

 いくらなんでも無防備ではないだろうか。普通なら自分達よりはるかに体格の大きい完全武装の男なんて怖くて一緒にいようなんて思わないだろうに。今まで受けてきた扱いと違い過ぎてなんだか変な感じだ。

 

 なにか誤解されている気がしてならない。僕がヒーローにでも見えているのだろうか。だとしたらとんでもない勘違いだ。僕があの子を助けたのはただ見捨てたら気分よくゾンビ殺しができないからであって決して正義感からくるものではなかった。

 

 まあ、どうせその認識は僕としばらくいれば容易く崩れることだろう。所詮僕は復讐に取りつかれた負け犬。称える声や喝采なんて必要ないのさ。

 

 ふと、腕時計に目をやる。時刻は現在22時30分。彼女達はもう寝てしまっているだろう。()()()()を取り出してもいいかもしれない。

 

「さぁて、るーちゃんの手前、飲むことができなかったからな。少しくらい飲んだっていいだろう」

 

 リュックの中に手を突っ込み()()()()を手に取る。分厚いガラス瓶の中には琥珀色の液体。そう、ウィスキーだ。

 

 ボトルのキャップを開き一口呷る。しばらく口の中で転がす。ピートの香りと複雑な旨味が口いっぱいに広がる。そして一気に飲み込む。アルコールが喉を焼き胃がふつふつするのがわかる。そう、これが飲みたかったんだよ。

 

 僕はたまらずもう一口呷る。グラスが手元にないのが残念でならない。僕は音を立てないように部屋を後にした。廊下を歩きながら一口、また一口と呷る。頭が熱い。気分は非行少年だ。生憎と夜の校舎の窓はもう割れているので壊して回ることはできないけどね。

 

 何となく目の前にあった音楽室に入った。月明かりが血塗れの床を照らす。もう誰も弾くことのないピアノが目に留まった。僕はゆっくりと前に立ち酒瓶は屋根の上に置く。鍵盤の蓋を開ける。そうだ何か弾こう。僕は静かに鍵盤を叩く。鍵盤につながったハンマーがピアノ線を叩き音を奏でる。曲はモーツァルトのレクイエムだ。この終わってしまった学校にはお似合いだろう。血塗れ音楽室に鎮魂の音色が響く。

 

「……本田君?」

 

 振り向けばランタンを手にした佐倉先生が扉の前に立っていた。まずい!慌てて酒瓶を背中に隠す。

 

「今、何を隠したの?先生に見せなさい」

 

 口調こそ穏やかだったが目が笑っていない。ちょっと怖いかも。子供っぽいとか散々言われているがやはり先生は大人なのだ。

 

 どう、言い訳しようか。というかそもそも言い訳する必要はあるのだろうか。そんなことを考えていたせいか、はたまた酔いのせいか僕はいともたやすく背中のブツを取られてしまった。

 

「本田君?これは一体なに?」

 

 口は笑っているのに目が全く笑っていない。血塗れの校舎と月光が相まってさながらホラー映画のワンシーンだ。ちょうど影で目元が隠れているのがそれっぽい。

 

「もう一度、聞きます。本田君、これはなに?」

 

「……ウ、ウィスキーです……」

 

 先生は僕のウィスキーのラベルに目を落とす。しばらくしてから僕に向き直った。その顔は怒っているというよりもなにかを心配する者の表情だった。

 

「本田君に伝えたいことがあって探してたのだけど……。はぁー、もう駄目じゃないの。未成年の飲酒は法律で禁止されているって知っているでしょう?しかも、こんな強いお酒を。身体になにかあってからじゃ遅いのよ?」

 

 怒られるかとおもって身構えた僕であったが、返って来たのは僕を気遣う言葉であった。

 

「なにがあったのか私にはわからないわ。でもね、だからといって自分を蔑ろにするのは駄目よ。先生でよければ相談にのるから。自分を傷つけるのはやめなさい」

 

 勘違いされている。先生は僕がストレスによってアルコールに走っていると思っているようだ。

 

「……別に何かあったわけじゃないですよ。ただ、少し酔いたい気分だっただけ。若気の至りってやつですよ。」

 

 僕はかっこつけて皮肉気に笑う。気分はハードボイルドだ。

 

「まったくもう……。とにかくこれは没収します。そして罰として本田君は明日反省文を書いて私に提出すること。わかりましたか?」

 

 まさかの発言だった。このゾンビだらけの世界で反省文なんて言葉を再び聞くことになろうとは。しかも、没収とは。

 

「せ、先生。後生ですからそれだけはご勘弁を」

 

「駄目よ。これは没収です!」

 

 結局、僕は粘りに粘ったが教師佐倉慈の心は動くことはなくウィスキーが僕の手元に帰ってくることはなかった。ついでに説教もされた。解せぬ。

 

 

 

 

 

「お酒のことですっかり話がずれちゃったわ。本当は本田君にどうしても伝えたいことがあって探していたの」

 

 そういうと先生はいきなり僕の手を握った。一体なんだ?

 

「今日は来てくれて本当にありがとう。いきなりこんなことを言われても困るかもしれない。でも、本田君と瑠璃ちゃんが来た時ね、とっても嬉しかったの。丈槍さんも恵飛須沢さんも若狭さんも、そして私もね」

 

 それは意外にも感謝の言葉であった。るーちゃんのことくらいしか心当たりがない。

 

「礼を言うのは僕のほうなのではないでしょうか?夕飯を奢ってくれて寝床の手配までしてくれるなんて普通しませんよ」

 

「いいえ、そうじゃないの。私ね時より生き残っているのは私たちだけで本当はとっくの昔に世界は終わってしまったんじゃないかと思うことがあったの。みんなも言葉には出さなくても不安に思っているに違いなかった。若狭さんの発案でメッセージを飛ばしても心の底では届かないと思っていた。でも、あなたたちは来てくれた。それがどれだけ勇気づけられたかわかる?」

 

 違う。ここに来たのはそんな善意からくるものじゃない。ただあの子を押し付ければよかっただけだ。

 

「ただの偶然ですよ。瑠璃ちゃんを保護してもらうのにちょうどいい場所を探していた時にたまたま風船が落ちてきただけのこと。それだけのことです。先生が礼を言う必要なんかまったくない」

 

「そうね、本田君の言う通り偶然だったのかもしれない。でも、私たちはその偶然に救われた。あなたがいなければ若狭さんと瑠璃ちゃんは一生再会することは出来なかったわ。若狭さんも元気そうに見えても本当は凄い無理をしていたと思うの。だからこうしてお礼を言いに来たの……。本当に、ありがとう」

 

 僕は黙って先生の言葉に耳を傾けることしかできなかった。しばらくすると先生は僕の手を開放してくれた。先生の柔らかい手の感触がまだ残る。

 

「じゃあ、私は戻ります。本田君も夜更かししちゃだめよ。それじゃあ、おやすみなさい。それと反省文はきちんと書くように」

 

 そういって先生はとびっきりの笑顔で去っていった。音楽室が静寂に包まれる。思えばこうして感謝されたのは初めてのことかもしれない。別に感謝されたく生きているわけじゃないが、向けられた厚意は決して悪いものではなかった。

 

「もう、寝るか……。そういえば反省文どうするかな……」

 

 

 

 

 

 月だけが僕を見つめていた。

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたか?めぐねえは主人公が友人に話していた「社畜のゾンビに退社命令だしたら帰るんじゃねwww」という馬鹿話を思い出して校内放送でゾンビに下校を呼びかけ死を逃れました。うん、無理がありますね。

 遂に学園生活部と接触した主人公。でもどうやら勘違いされているみたいで?彼の狂気が顕わになるのはまだ先の話の様です。ではまた次回。


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第四話 ひので

 やっとこのssの本筋に入れそうで入れなかったり。


 ふと気が付くと僕は暗闇の中に立っていた。いったいここはどこだろうか。頭を捻ってもどうやってここに来たのかまったく見当がつかなかった。

 

─おい?誰かいないか─

 

 僕の呼びかけは闇の中に反響することもなく吸い込まれた。本当に誰かいないのか。すると後ろで物音がした。僕が振り返るとそこには数体の奴らが何かに群がっていた。

 

─よくもおめおめと姿を現したな。殺してやる─

 

 いつしか手には拳銃が握られていて、僕は迷わず何かに群がる奴らの頭に拳銃を撃った。弾倉に込められた五発の38スペシャル弾は奴らの頭蓋骨を突き破りその腐った脳をまき散らしてそれっきり奴らは動かなくなった。

 

 奴らは消え去り後には奴らが群がっていたモノが露わになる。見覚えのあるエプロンに長い黒髪。間違いなく僕の母さんだ。正確には()()()()()

 

「か、母さん……」

 

 綺麗だった顔は奴らに食い散らかされその面影すらわからない。辛うじて残った左目だけがそれが母さんだと示していた。僕は思わずその場に膝を付き天を見上げる。闇だけがそこにあった。

 

「──ッ!」

 

 声にならない叫びをあげる。下の方で何か音がした。僕は母さんだったものに首を向ける。母さんだったモノと目が合った。

 

「ドウシテ、タスケテクレナカッタノ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

「────ッ!?」

 

 見慣れない天井が目に入った。どこだここは?身体を起こし周囲を見渡す。壁にはロッカーそして洗面器。そうだ思い出した。僕は学校の更衣室で眠ったんだ。

 

「夢だったのか……。最悪の気分だ」

 

 本当最悪の目覚めだ。悪夢を見るのは別に珍しいことではないが。今回のは最高に最悪な夢だった。枕元に置い腕時計に目をやる。まだ朝の4時半。窓をみればまだ日の出前だというのがわかる。とはいえあと三十分もしないうちに日は上ることだろう。

 

 日の出とともに起きることを日課にしている僕としては二度寝なぞする気はなかったしできなかった。さっきの悪夢のせいでとてもじゃないが眠る気になどなれない。

 

 布団から立ち上がり軽く体を伸ばせばすぐに思考は覚醒する。僕がパンデミックの後に身に着けた特技だ。ただ浅い眠りしかできなくなっただけともいう。

 

 洗面器の前に立ち蛇口を捻ってみた。蛇口からは当たり前のように清水が流れ出る。シャワーが使えるから当たり前なんだろうが本当に水が使えるようだ。

 

「おぉ、凄いな」

 

 朝顔を洗うなんていつ以来だろうか?なんてことを考えていると鏡に映った自分の顔が見えた。髭もじゃと言う程ではないがそれなりに髭が生えている。僕としては野武士っぽくて気に入っているが、学園生活部の面々からは不評だった。なんでも汚らしいそうだ。

 

 なんとも失礼な話である。他人にどう思われようとどうでもいいが、不潔と言われるのはなんとなく嫌だ。よし、剃ろう。でも髭剃りって持ってきたか?

 

 結論から言えば髭剃りは見つからなかった。僕は仕方ないのでアーミーナイフで髭を剃ってみたが案の定失敗して左頬に切り傷を作ってしまった。次は髭剃りを持って来よう。

 

 

 

 

 

 僕は二階のバリケードの前まで来ていた。何をするのかって?そう、ゾンビ狩りである。だがただの憂さ晴らではない。校内の本格的な駆除には車に残した武器が必ず必要になってくる。ナイフと拳銃だけでは時間もかかるしリスクも大きい。故に武器を取ってくる必要があるのだ。

 

 二階のバリケードを乗り越える。ようこそ死の世界へ、目指す場所は校庭の車だ。イヤホンを耳に装着し曲を再生。さあ、戦の時間だ。

 

 少し歩くとゾンビを一匹発見。見つけた。窓の外を眺めて呆けっとしている。日の出でも待っているつもりか?

 

 僕は一気に近づきゾンビの髪を握りしめ窓枠に残ったガラスに突き刺す!ゾンビは目玉から脳みそにガラスが突き刺さり物言わぬ死体に成り下がった。これでもう眩しくはないだろう?

 

 僕の出した音に気付いたのか4体こちらに向かってくる。そうこなくっちゃつまらんよな。ナイフを鞘から抜き構える。

 

「うぅ、ぁあぁああぁ」

 

 もはや言葉すらなっていない呻き声をあげこちらに向かってくる屍人ども。僕は一番先頭の女ゾンビに狙いを定める。

 

「──ハッ!」

 

 逆手に持ったナイフを奴の左側頭部に突き刺し倒れる前に抜き取り順手に持ち替え二匹目の顎の下から突き上げるように刺す!

 

 三匹目が僕に倒れ込むように押し倒そうとするが、これをバックステップで回避。ナイフを取り忘れたが問題なし。

 

「オラッ!」

 

 倒れ込んだ奴の頭を全身の力を込め踏み潰す。コツは全身の体重と脚の筋力を満遍なく伝えることである。するとどうだろうか。奴の頭はアスファルトに叩きつけたスイカのように破裂した。リノリウムの床に血と脳漿の花が一輪咲き誇る。

 

 4体目は距離がある。僕は下顎から突き刺さったままのナイフを抜き取りグリップの方を上に刃を手に持った。投げナイフの構えである。

 

 そして狙いをつけ投げた!綺麗な回転軌道を描いたナイフは奴のこめかみに突き刺さった。ナイスヒット!

 

 死体からナイフを引き抜き一仕事終えた僕はポケットからティッシュを取り出し血まみれのナイフを拭く。侍みたいでかっこいいかもしれない。

 

 僕の視界に携帯電話が映った。気になったので手に取る。今時珍しいピンク色のガラケーで裏には彼氏と思わしき男と撮ったプリクラが張り付けてあった。側頭部にナイフを突き刺した奴の持ち物か?

 

「ふーん。まあ、どうでもいいや」

 

 本当にどうでもよかったので僕は窓から携帯を投げ捨てた。他の人間なら感傷にでも浸るのかもしれんが生憎とそんな人間性はとうの昔に捨て去った。というかそんなことで悩む暇があったらその労力を使って一匹でも多くのゾンビを殺すべきである。

 

「さてと、ウォーミングアップは済んだことだしやるとしますかね」

 

 戦いは始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 若狭悠里の朝は早い。顧問や他の部員よりも早く起き屋上の畑の様子を見たのち皆の朝食を準備する。それが学園生活部部長、若狭悠里のライフワークであった。

 

「あらやだ。もうこんな時間」

 

 しかし、今日はいつもとは様子が違った。普段なら朝の6時には覚醒しているはずだが、今日はもう7時を過ぎようとしていた。異変の原因は彼女の隣に寝ている子供にあった。

 

 若狭瑠璃。若狭悠里の実の妹であり、彼女がこうして寝坊してしまった原因となる存在だった。それは別段不思議なことではなかった。

 

彼女は妹の存在を記憶から追いやることで精神の安定を図っていた。たしかにそれ自体は責められるべきことかもしれない。だが、一向に来る気配のない救助に歩く死体と化した教師や友人。そしていつ奴らがやってくるかもわからない焦燥感。いったい誰が彼女を責める権利を持つというのだろうか。

 

だが、そんな中で突然、妹に再会した。そのことによりため込んでいた感情が濁流となって彼女を襲ったのだ。そしてそれは寝坊と言う結果につながったのである。

 

「……本当に夢じゃないのよね?」

 

彼女は未だ眠る最愛の存在を恐る恐る撫でた。やわらかい髪の感触は現実のものだった。たしかに若狭瑠璃はここにいた。夢や幻ではなかったのだ。

 

「本当にるーちゃんだわ……。ふふ、るーちゃん」

 

もう二度と忘れるものか。彼女は自身に誓った。

 

「じゃあ、遅れちゃったぶんを取り戻すとしますか!」

 

 若狭悠里はたしかにここにいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「しっかし、りーさんが寝坊するなんて珍しいなあ。明日には槍でもふってくるんじゃないか?」

 

 そう言って勝気に笑うのはツインテールに八重歯がチャームポイントの恵飛須沢胡桃だ。

 

「もう、胡桃ったら。私だって寝坊する日くらいあるわよ」

 

 朝食を用意しながら若狭悠里は微笑む。なんてことはない彼女達の朝の風景。この後、寝坊した丈槍由紀と佐倉慈がくればいつもの日常が始まる。はずであった。

 

「でも、あたしは今のりーさんのほうが好きだぜ」

 

 何気ない発言に悠里の手が止まる。表情こそ笑っているが心なしかその笑顔は何かに怯えているようにも見えた。

 

「どういうこと?胡桃」

 

胡桃は先ほどの勝気な笑みとはちがう慈しむような微笑みを浮かべた。悠里にはその笑みの意味がわからなかった。

 

「ん?なんか憑き物が落ちたみたいだなって思ってさ。りーさんって口には出してなかったけど絶対無理してただろ?」

 

「……それは。そうね、少し無理してたかも」

 

「図星か、もう少しあたしたちを頼れよな。同じ学園生活部だろ?」

 

 胡桃の言葉は悠里にとって衝撃であった。それは心の底に隠したはずの不安、焦燥感。普段なら適当に言いくるめて終わっていたはずのやり取り。だが妹との再会という予想外の事態で心が緩んだのだろう。だからだろうか、悠里いつしか己の心の内を零してしまった。

 

「でも私はみんなに何も返せていないわ。胡桃には汚れ仕事を押し付けてしまっているしめぐねえには頼りっぱなし。由紀ちゃんはいつも笑顔で私たちを勇気づけてくれる。でも私は?私は何も返すことができない!」

 

 それは懺悔の告白であった。

 

「みんなが頑張っているのに私は何の役にもたっていない!挙句の果てには由紀ちゃんを妹の代わり見て、るーちゃんのことだって今の今まで忘れていたのよ!私は「りーさん!」く、胡桃!?」

 

 悠里は自分が胡桃に抱きしめられていることに気づいた。慌てて引き離そうとするが力は緩むどころか強まる一方だ。

 

「りーさんはさ、優しいからそうやって自分を追い詰めちゃうんだろ?でも、みんなりーさんのことが大好きなんだよ。由紀もめぐねえも瑠璃も、あ、あたしも。たしかにりーさんは妹のことを忘れていたかもしれない。でも、今は違うだろ?りーさんは今まで凄い頑張ってきたよ!りーさんがそうやって自分を責めるとあたしは悲しいんだよ。だからもっとあたしたちを頼れよ!」」

 

「胡桃……。そうね、少しだけ、少しだけ泣かせてくれない?そしたらいつもの私にもどるから」

 

「お、おう!どんとこい!」

 

 生徒会室に彼女の涙が零れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとう、胡桃。おかげで元気になったわ。で、でもあれはちょっと」

 

「お、おう!りーさんが元気になったのならいいんだよ。でもたしかにあれはやりすぎたかも」

 

 お互いの顔は少し赤らんでいた。果たしてそれは涙を流したことによるものかはたまた別のものか。それは本人のみぞ知る。

 

「さ、さっきのことはお互い忘れましょう?」

 

 ここで悠里まさかの提案。

 

「そ、そうだな。忘れよう。わっはっはっは「みんなー!おっはよー!」うひゃあ!」

 

 突然の第三者の登場により驚きの声を上げる胡桃。二人が振り向けばそこには丈槍由紀と若狭瑠璃が不思議そうな顔をして二人を見つめていた。

 

「く、くるみちゃん、どうしたの?急に大きな声出して」

 

「りーねーどうしたの?顔があかいよ」

 

 つい先ほどまでの光景を見ていない由紀達にとって急に驚いた彼女達は不思議そのものであった。

 

「べ、べつに何でもねえよ。なあ、りーさん?」

 

「そ、そうよ。別になにもなかったわよ。由紀ちゃん、るーちゃん。おはよう」

 

 なんと由紀の追求を止めさせたい二人であったが口からでた言葉は明らかに何かあったと言わんばかりの口ぶりだ。

 

「むむむ、これは事件の匂いがしますなー。るーちゃんもそう思うよね?思うよね?」

 

 由紀に話を振られた瑠璃は少し考えるとんでもない爆弾発言をした。

 

「こういうのって()()っていうんでしょ?」

 

 時が止まった。最初に異変を察知したのは由紀であった。

 

「りーさん?ひっ!りーさんから何かオーラが出ている!」

 

 由紀は悠里から何か黒いもやが放出されるのを幻視した。

 

「るーちゃん、そんなどこで言葉覚えたのかしら?怒らないから私に言ってごらん?」

 

「やばい!りーさんが怒ったぞ!」

 

 悠里は表情こそ笑っているのに笑っているように見えないという不思議な顔で瑠璃に問いただす。

 

「る、るーちゃんはだんこ「るーちゃん?」ひでおじさんです」

 

「そう、秀樹君ね。ふふふ、彼とはちょっとお話ししなきゃね。うふふふ」

 

 まさに暗黒微笑という言葉が相応しい笑顔であった。

 

「うわああ、りーさんが怖いよー」

 

「落ち着け由紀!」

 

「みんなおはよう。ひっ!?若狭さん!?」

 

 佐倉慈がやってくるも混乱の極みにあるこの状況を収められるほどの能力は持ち合わせていなかったようだ。というか教師が一番遅いとはこれいかに。

 

 

 

 

 

 学園生活部は今日も平和そのものなのであった。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、僕はゾンビを殺しつつ二階から一階へと強行突破し、念願の武器を手にすることができた。今日の成果は17体。朝だったのもありあまり狩れなくて少し残念だ。でも目的のものは持ってきた。僕は鞄にしまった武器たちを眺める。

 

まずは、バール。長さが90㎝もある長いバールでその長いリーチを生かして槍のように突き刺すこともできるし爪の部分で突き刺したり足を引っかけ倒すこともできる万能武器だ。

 

 お次はアーチェリー用のリカーブボウ。30ポンドの力でアルミ製の矢を飛ばす弓だ。照準器も付いているが僕の腕が未熟なので無風の状態で25m先のゾンビに当てるのがやっとだ。それでも殆ど気づかれずに一方的に攻撃できるのはありがたい。だが所詮は競技用なのでしっかり頭のど真ん中に当てないと殺しきれない時がある。

 

 似た武器でクロスボウも持ってきた。以前の探索で拝借した代物で175ポンドの力で矢を秒速124mの高速度で発射する最高にクールな武器。ドットサイト付きのこれは弓なんぞ比較にならない射程と命中精度を誇る。が、その威力故に重く発射準備に時間が掛かりすぎるので僕はあまり使っていない。

 

 もちろん、刃物も忘れない。鎌のように湾曲した分厚い刃が特徴的なククリナイフだ。リーチこそ短いもののその重さを活かした振り下ろしはゾンビの頭をいともたやすくたたき割る。

 

 最後にお手製のナイフ20本。先の鋭利な鋏を分解して持ち手にテープを巻き付けただけの簡易ナイフだ。ゾンビは腐っているからかこんな適当な武器でもなんとかなるのだ。乱戦の時は長物よりこういった小型かつ一撃で倒せる武器が有効だったりする。

 

 

 

 

 

 武器を吟味していたら思っていたよりも時間がかかってしまった。本当なら今すぐにでも駆除を始めたい気分だが、先に伝えるのが義務ってものだろう。

 

 そんなことを考えているとバリケードに辿り着いた。鞄に無理やり詰めてきた武器が重くて上りづらいことこの上ない。高さだけは無駄にあるから重い荷物を背負った僕では余計に上りづらい。何とか3階に辿り着く。まったくゾンビ殺すより疲れたんじゃないのか?

 

 まあ、とにかく持ってきた武器をどこかに置いて手を洗いたいな。手袋つけているからどうってことないが気分の問題ってものがある。

 

 生徒会室から話声がするな。そういえばもう起きててもおかしくない時間か。荷物を廊下に置き中に入った。

 

「やぁ、おはよう。諸君」

 

「あっ、ひーくんだ!おはよー」

 

 真っ先に反応したのは丈槍君であった。相変わらず本当に同い年なのか疑いたくなるような小ささだな。

 

「うむ、おはよう。丈槍君。ところで聞きたいのだがひーくんとはもしかして僕のことかね?」

 

「そーだよ。本田秀樹だからひーくん。いいでしょ?それと丈槍君なんてたにんぎょーじ?「それをいうなら他人行儀だぞー」そう、たにんぎょーぎな呼び方じゃなくて由紀でいいよ。」

 

 何という安直なネーミングセンスであろうか。僕としてはそんな気の抜けた名前で呼ばれたら恥ずかしい。

 

「名前なんぞ所詮個人を認識するための記号でしかないのだから別に君がそれで僕を認識できるのなら構わないが。それでもひーくんはどうかと思うよ僕は。でもまあ、わかった。これからは由紀君と呼ぶことにするよ」

 

「えー、いいと思うのになー」

 

 そう言って心底残念そうな顔をする由紀君なのであった。本当に同い年なのか?

 

「うわぁ。お前人から捻くれてるっていわれたことねーか?でもまあひーくんって顔じゃないとは思うけど」

 

 横から恵飛須沢君が割り込んできた。捻くれているとは失礼な奴だな。しかも笑っているし。

 

「そう言えば秀樹どこにいたんだ?朝飯できたから起こしに行こうとしても部屋はもぬけの空だし。まさか外に行って来たのか?」

 

 心配するように恵比寿沢君は僕に問いかけた。

 

「まさかもなにも、外の車に忘れ物をしたから取りに行って来ただけだよ。ってなんだい?」

 

 信じられないというような顔で全員が僕を見つめる。わかっていないのは由紀君だけであった。

 

「くるみちゃんとりーさんもめぐねえも何かこわいよぉ」

 

 そう、彼女だけは現実を見ていないので彼女達の雰囲気の変化に戸惑うことしかできないのだ。

 

「マジかよ……無茶すぎるだろ!おい」

 

「そうよ、胡桃の言う通りだわ。一人で行くなんて無謀すぎる」

 

「みんなの言う通りよ。本田君、せめて私たちに一言いってから行動してほしかったわ」

 

 口々に僕の行動を責める彼女達。僕が一体なにをしたっていうんだ?もしかしてあれか。単独で行動したことが無謀だと言いたいのだろうか?

 

「ああ、あれかい?僕が単独行動したことに腹を立てているのかい君たちは」

 

 僕の発言に皆が頷く。ああ、そうか。僕はいつものように行動していたが、それは彼女達にとっては異常な行動に見えるのだろう。

 

「君たちの気持ちはわかった。るーちゃんを保護するまでずっと一人で生きていたからね。つい何時もの癖でね。すまんね」

 

「本当に、何かあってからじゃ遅いのよ?もう一人じゃないんだから無茶しないで」

 

「りーさんの言う通りだぞ。折角こうして会えたいんだからもっと頼れよな」

 

 彼女達が本心から心配してくれているのは理解できた。が、かといってそれで単独行動をやめるつもりはない。用事がすんだらここからは出ていく予定だ。そこまで情を持たれるとこちらとしても動きづらい。

 

「まあ、わかったよ。重ね重ねすまんね。とりあえず善処するよ」

 

 どうしてそこで悲しそうな顔をする。わけがわからないよ。

 

「まあ、なんだね。とりあえず朝食をお相伴にあずかってもいいっゴフゥッ!?」

 

 突然、鳩尾に衝撃が走った。僕はこの痛みを覚えている。首を下に向ければるーちゃんが僕にタックルをかましていた。いつも思うがこのタックルは世界を取れると思う。

 

「おじさん……。おじさんは、どこにもいかないよね?」

 

「大丈夫だよ、るーちゃん。僕はいきなりいなくなったりはしないからさ」

 

 彼女の頭を撫でてやる。僕的にはなじみの風景である。しかしこの場の雰囲気を和ませるには十分すぎる威力を持っていたようだ。

 

「ん、わかった」

 

 僕の言葉に納得してくれたのか彼女は離れていった。さっき言った言葉に嘘はない。そう()()()()()いなくなったりしない。

 

「君達、細かい話は後にしないかい?見たところ朝食の準備の最中だったようだし。話はそれからでもいいだろう?」

 

「そ、そうね。みんな?手伝ってくれるかしら」

 

「りーさんにわたしの女子力を思い知らせてあげる!」

 

「由紀に女子力ってあるのかよ」

 

「にゃ、にゃにおー!」

 

「私、空気かも……」

 

 ちなみに朝食はまさかのスパゲティであった。あと、ちゃっかり反省文用の原稿用紙を渡された。てっきり忘れたと思ったのに。畜生。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えた後、由紀君とるーちゃんは佐倉先生の下での授業に向かった。学園生活部にとってはいつもの風景であろうが、が、今回ばかりは別の意図も含まれていた。僕は生徒会室の机を挟んで若狭君と恵飛須沢君と対面していた。

 

「じゃ、彼女達もいなくなったことだしね。何が聞きたい?」

 

「そうね、もう一度、聞かせてもらえる? どうして一人で外に向かったのかを」

 

 口調こそ穏やかであるが言葉の端に嘘は許さないという滲み出ていた。

 

「忘れ物って言ってたけどそんな無茶してまで一人で取りに行く必要のあるものだったのか?あたしたちに一声かけてくれりゃ手伝ってやったのに。それともあたしたちに見られたくないものでも入っているのか?」

 

 彼女の視線の先には武器の入ったバッグがある。

 

「別に、そういうものではないよ。なに、今机の上に置くからまってくれたまえよ」

 

 僕はゆっくりと机の上に武器を置いた。卓上にバール、弓、クロスボウ、ククリナイフが置かれる。自作ナイフは散らばるのでバッグに入れたままだ。彼女達の目が驚きで染まった。

 

「す、すげえ……」

 

「ひ、秀樹君……?これ、はいったいなに」

 

 恵飛須沢君は感嘆し若狭君は物々しい武器の数々におののいた。意外だな。思ったより反応が薄い。

 

「なにって、武器だよ。バール、弓、クロスボウ、鉈、ナイフ。校内での戦闘を考慮して近接武器と音があまりでない弓とクロスボウを用意した。もし欲しいのがあったら一つだけあげるよ」

 

「さ、触ってもいいか?」

 

「どうぞ、お構いなく」

 

 恵比寿沢君は覚束ない手つきでクロスボウを手に取った。

 

「お、意外と軽いな。にしてもこんなのどこで手に入れたんだよ」

 

 彼女はクロスボウを構えながら僕に問いかける。頬付けも引き付けもできていない滅茶苦茶な構えであったが意外と様になっていた。

 

「まあ、色々とね」

 

 本当に、色々なことがあった。恵比寿沢君が構えているクロスボウだって元は僕を殺そうとした奴が持っていたものだしククリナイフだって店のショーケースを叩き割って入手したものだ。強盗に殺人。僕は札付きの悪党かもしれない。

 

 笑顔で武器を並べる僕に若狭さんは戸惑いを隠せないようであった。彼女は恐らく学園生活部の中で一番奴らと対峙した経験が少ないのだろう。だからだろうか戦いの象徴である武器の数々を見て戸惑いを覚えるのだ。

 

「……秀樹君が武器を取ってきたのはわかったわ。でも……こんなに持ってきてどうしたいの?何をするつもりなの?」

 

 四つの瞳が僕を見つめる。僕は不敵な笑みを浮かべ彼女等に提案した。

 

「なに、簡単なことだよ。この学校から奴らを一掃するのさ」

 

 

 

 

 

 それは悪魔の囁きかそれとも天使の啓示か。答えは誰にもわからない。

 

 

 




 いかかがでしたか?何故か気づいたらりーくるになっていた。べつに後悔はしていません。そして空気の読めない主人公ェ……
 
 相変わらずめぐねえは空気の模様。原作では故人だしね仕方ないね。


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閑話 若狭瑠璃の日記

 あまりにも主人公の頭がおかしいので息抜きにるーちゃんを主役にすることに決定。


■つき■にち

 

 おじさんにノートをわたされたのでにっきをかくことにしました。なにをかけばいいのかわからないので、おもったことをかいてみます。

 

 おじさんは、わたしを学校からたすけてくれた人です。かみがみじかくておひげがはえていてとってもからだが大きいです。

 

  おばけがやってきて、みんなをたべてしまいました。ふじよせんせいも、となりのかよちゃんも、おばけにたべられてしまいました。しげるせんせいが、るーちゃんをほうきのはいっているてつのはこのなかにかくしてくれたので、るーちゃんはおばけにみつかりませんでした。

 

 たまにすごくこわくなってないてしまいます。でもそのときはおじさんがあたまをなでてココアをつくってくれます。るーちゃんはココアがだいすきです。

 

 おじさんはとってもやさしいですがたまにすごくこわいかおをしているときがあります。るーちゃんはそれがきらいです。

 

 

 

 

 

 ■つき■にち

 

 おじさんは、たまにどこかにでかけていきます。そしてかえってくると服にちがついています。るーちゃんはいいこなのでひとりでおるすばんをします。でもとちゅうでこわくなってくるので、かえってきたおじさんにだきつきます。

 

 おじさんは、いろんなことばをおしえてくます。今日はゆりということばをおぼえました。女の子どうしがなかよくすることをいうそうです。るーちゃんのともだちのかよちゃんとゆりなのかもしれません。

 

 おじさんは、わたしにおじさんのことをおにいさんをいうようにいいます。でもおじさんは、おひげがあるのでおにいさんじゃないです。

 

 おじさんとはだいすきだけど、りーねーにあいたくなります。また、あたまをなでてほしいです。りょうてでだっこしてほしいです。もしかしたらりーねーもおばけにたべられちゃったのかもしれません。

 

 りーねーにあいたいです。

 

 

 

 

 

 ■つき■にち

 

 今日のおひるごはんは、ごはんとおみそしるとおにくのかんずめです。おいしかったです。ごはんをたべおわるとべらんだにふうせんがひっかかっていました。

 

 ふうせんには、てがみがついていててがみにはりーねーとしらない人がかかれていました。りーねーのことをおじさんにいうと、おじさんは明日りーねーのところにつれていってくれるとやくそくしました。とってもうれしいです。はやく明日になってほしいです。

 

 るーちゃんは明日にそなえてはやくねむります。おやすみなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なんだこれは……」

 

 僕は彼女の日記を見ながら呟く。るーちゃんはもう眠っているので気づいてはいない。暇つぶしにでもなればと思い、ノートと鉛筆を渡してみたがまさか本当に書くとは思わなった。僕が子供の頃はもっと反骨精神に溢れていたと思うんだがな。

 

「りーねーにあいたいです……か」

 

 明日、僕たちが向かう場所にそのりーねーがいる保証はどこにもない。もしかしたら奴らになっているかもしれない。その時僕はるーちゃんになんと説明すればいいのであろうか。この子が泣くのはあまり見たくない。

 

「お姉さんに会えるといいな。るーちゃん」

 

 僕は起こさないように頭を撫でた。たまにはこんな感傷に浸るのも悪くないだろう。

 

 

 

 

 

 

 




 
 いかがでしたか?ゾンビなんていなければ幼女誘拐に監禁のダブルコンボでムショ行き不可避。 感想などお待ちしております。



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第五話 へいおん

 書いていて思うこと。この主人公ほんとうに頭おかしいの?


 

 あの時、僕の出した提案は意外とあっさり受け入れられた。てっきり反対されるものだと思っていたがそうでもなかったので拍子抜けした。彼女達も今のままでは駄目だと考えていたのだろうか。もしかしたらるーちゃんの安全を強調したのがよかったのかもしれない。

 

 戦う際は恵飛須沢君と一緒にという条件であったが、彼女達の了承を得られたのは大きい成果だ。これで堂々とゾンビを殺す大義名分が得られた。仮に了承が得られなかったとして殺すつもりでいたが、その場合いつ後ろからシャベルで殴られるかわかったものじゃない。世論の支持を得るのはいつの時代の戦争においても非常に重要な意味を持つのだ。

 

 そのような経緯があり僕と恵飛須沢君は二階にいた。あの日からすでに3日が経過していた。

 

「秀樹、来たぞ!三体だ。あたしにやらせてくれ!」

 

 そう言って彼女はリカーブボウを構え腰の矢筒から矢を抜き取り番え、弓を引き絞る。そして十分に狙いを定めた後矢を放った。

 

 風切り音と共にアルミ製の矢が放たれる。一瞬の隙に矢はゾンビの額に吸い込まれるように突き刺さった。矢に射抜かれたゾンビは糸の切れた人形のように床に倒れる。

 

「ナイスショット!」

 

「茶化さないでくれ!」

 

 恵飛須沢君は既に二射目の矢を番えていた。構え、狙い、放つ。一連の動作はとても素人とは思えない程に洗練されていた。射抜かれたゾンビがもう一匹増える。

 

「よし!最後だ。当たってくれ!」

 

 三射目を放つ。放たれた矢はゾンビに命中した。だがしかし、射抜いたのはゾンビの下顎であった。これでは奴らは殺せない。

 

「しまった!?すまん、カバーしてくれ!」

 

「あいよ。まったく人使いのあらいお嬢さんだこと」

 

 僕はバールを構えゾンビに近づく。少し歩くとバールの射程圏内に入った。僕はゾンビの膝裏にバールを引っかけ思い切り引っ張る。足腰の弱いゾンビはそれだけで仰向けに倒れてしまう。

 

「どっこいしょっと!」

 

 そして倒れたゾンビの頭めがけバールを振り下ろす。

 

「フンッ!」

 

バールを伝い骨と肉が砕ける感触が手に伝わる。奴はこれで二度と迷惑をかけることはなくなった。

 

「よし、これで今日のところはこんなもんか。さっきはごめんな外しちまってさ」

 

 どうやら自分から任せろと言ったのに外したのが気になっているようだ。

 

「なに、気にすることはないよ君。素人であれだけできるなんてはっきり言って才能があると思うよ僕は。ていうか僕より巧いんじゃないの?」

 

 矢を引き抜き手に取る。放った三本中最後の一本は顎の骨に当たって折れ曲がってしまったようだ。フムン、これはもう使えんな。

 

「そ、そうか?巡ヶ丘のウィリアム・テルと呼ばれるのも時間の問題かもな。でもこれ本当に貰っていいのか?苦労して集めたんだろ?」

 

「君、それを言うならロビン・フッドじゃないのかね?ウィリアム・テルはクロスボウの名手だよ。それについては君にあげるよ。僕が使うよりも巧いしな。ああ、本当に巧いとも」

 

 そう、彼女には弓の才能があった。僕がやっとのことで25mで当てられるようになったのに彼女は僅か3日で30mもの距離を当てるようになったのだ。僕が必死に練習した時間はいったいなんだったのだろうか。

 

「どうした?あっ、もしかして妬いてんのか~」

 

 そうやって子憎たらしい笑みを浮かべる。絵になっているのが非常に複雑な気分だ。

 

「ゾンビは焼くが君には妬いていないよ。まあ、それとしてこの調子でいけばもうあと2、3日で二階の制圧は終わるんじゃないかね」

 

「今、露骨に話そらしたなおい。でも、そうだな。そうなるとまたバリケードつくらなきゃな、あれ疲れるんだよな~」

 

 昔のことを思い出したのか表情を歪めている。たしかに、あの高さまで机を積み上げるのは女性にとっては、さぞ重労働だったのだろう。でも、必要なことだ。

 

「だが、ここでの安全を確保する以上必要なことだよ。子供もいることだしね。でも、僕にもっといい案がある。一階の階段にある防火扉を使えばいんだよ」

 

 僕は彼女に秘策を打ち明けた。

 

「ああ、あのでかい扉のことか。たしかに鉄製でみるからに頑丈そうだが、でもどうやって塞ぐんだ?」

 

「その点については心配しないでくれたまえ恵比寿沢君。鉄で作られているからね溶接してしまえばいいのだよ」

 

「溶接!?お前、溶接なんてできるのか!?」

 

 溶接と言う凡そ高校生には縁のない言葉に恵飛須沢君は驚いた。僕もあんな事件が起きる前は溶接なんて一生することもないと考えていた。人生どうなるかわからないものである。

 

「ああ、以前何度かやったよ。機材はホームセンターか鉄工所に行けば置いてあるから問題ない。ただ電源はこの学校の設備じゃ少し厳しいからどこかの車のバッテリーを抜き取ってやれば問題ないだろう」

 

「秀樹、お前すげーな、なんかすっげー逞しいっていうか。てか胡桃でいいよ。あたしだって名前で呼んでるだろ」

 

 他愛のない雑談を交えながら僕たちは制圧の完了した地点にワイヤー付きの防犯ベルを仕掛ける。こうすることでどこまでやったのか目安になるし万が一奴らがやってきてもすぐにわかるのだ。

 

「君、同い年の女性を名前で呼ぶことのハードルがどれだけ高いのか理解しているのかい?それは無理と言うものだよ」

 

「変なやつ。由紀のことは名前で呼んでるのに」

 

「まあ、あれは正直いって同い年にはとてもじゃないが思えないからね。このご時世であんなに純粋な子がいるなんて驚きだよ」

 

「クス、確かに、でも由紀が聞いたらきっと怒りそうだな。あたしのことも普通に呼べばいいのに。あ、そうだ言い忘れてた」

 

 そう言って彼女は僕に向き直った。今までのおちゃらけたのとは違い真剣な顔つきであった。彼女は静かに口を開いた。

 

「色々、ありがとな。それとごめん。あたし今まであんたのこと誤解してた」

 

 誤解?どういうことだろうか。

 

「ありがとうってのはここに来てくれたってことと、りーさんのこと。りーさんってさあんな感じで元気そうに見えても意外とため込んでたみたいでさ。でも、あんたが瑠璃を助けて再会させてくれたことで憑き物が落ちたみたいになってな。まあ、その分うっかりが増えたみたいだけど」

 

 なにか見覚えのあるシチュエーションだ。そうだ、初めて学園生活部と接触した夜のことだ。

 

「僕は、前にもいったけどね。それはただの偶然だよ。僕が善意でやったと思っているのならそれは勘違いだよ「なら、勘違いさせてくれよ」なんだって?」

 

 そう言って彼女は僕の胸を小突く。いきなりなんだ。

 

「まったく、人の礼くらい素直にうけとれよな。お前ほんと、捻くれてるな」

 

 どうやら僕の屁理屈は彼女には通用しなかったらしい。夕陽が僕たちを優しく照らす。

 

「ふむん。わかったその件に関してはどういたしましてと言おう。それは置いておいて誤解とは何だね。僕がイカれたシリアルキラーにでも見えていたのかい?」

 

 シリアルをゾンビに替えればあら不思議。自己紹介文の完成だ。これで面接もばっちりだな!

 

「あー、なんだ。一人で外行ったと思ったらあんな大量の武器を持ってきたりあいつらの倒し方がやけにうまいからさ。なんかヤバイ奴だと思ってたんだよ。でもあたしの勘違いだった。だからごめんってこと」

 

 ヤバイ奴。何一つ間違っちゃいないのが悔しい。

 

「由紀や瑠璃にすごい優しいだろ?瑠璃に聞いたけどあたしたちに会うまであの子の面倒みてくれたんだってな。瑠璃すげーうれしそうだったぜ。由紀のことだって文句ひとつ言わずに話合わせてくれるしさ。あんなの普通戸惑うだろ」

 

 僕への勘違いがとんでもない方向に向かっているようだ。冗談抜きで僕が正義の味方に見えているのかもしれない。流石にそれはないと思いたいが。僕の目の前にいる恵比寿沢君はどこか恥ずかしそうに頬を掻くと僕に手を差し出してきた。

 

「だから、ごめんってこととこれからよろしくってことで握手だ」

 

 まったく、学園生活部の連中はお人よししかいないのか。まあ、少しの間かもしれないが彼女達と交流を深めるのも悪くないのかもな。

 

「ああ、これからよろしく頼むよ。胡桃君」

 

「──?ああ!よろしくな」

 

 僕たちはそう言って握手を交わした。僕は酷い奴だ。ここまで信頼を向けてくれた彼女達を裏切ろうとしているなんて。

 

 でも、僕は立ち止まるわけにはいかない。たとえ石を投げつけられようともこの歩みを止めるわけにはいかないのだ。それが、それだけが僕に残された唯一の道なのだから。 

 

 

 

 

そんなやり取りとした後、僕と恵比寿沢君改め胡桃君は二階制圧計画の進捗状況を報告するために職員室に来ていた。

 

「めぐねえ、今帰ったぞー」

 

「もう、めぐねえじゃなくて佐倉先生でしょ?それでどのくらい進んだの?」

 

 もはや口癖となったそれをいいつつ佐倉先生は僕たちに報告を仰いだ。

 

「二階の制圧にかんしてですが、ようやっと半分終わったと言ったところでしょうね。恐らくこの調子で進めばあと2、3日で制圧は完了するでしょう。ですがそれからバリケードを設置するとなるともっと必要かと思われます」

 

「そう、わかりました。でも、二人とも決して無茶はしないでね?危ないと思ったらすぐに逃げるのよ」

 

「わかってるよ、めぐねえ。じゃあ、あたしシャワー浴びてくる。あとの報告はよろしくな!」

 

 わざとらしい敬礼をした後彼女は職員室から去っていった。職員室に僕たちが取り残される。

 

「もう!めぐねえじゃなくて……ってもう行ってしまったわ。たしかまだ報告があるのよね」

 

 僕は一階防火扉の溶接計画を伝えた。先生は初めこそ驚いたものの次第にその安全性を理解していった。

 

「そうね……。本田君の言うことが本当にできるのなら。今までより格段に安全になるわね。わかりました。許可します。でも、車はどうするの?」

 

「一応僕が乗ってきたバンがありますが、個人的には先生の車を取ってきたいですね。理由としては貴重な移動手段ですので早いうちに手元に置いておきたいんです。でもまあ、先のことですのでおいおい考えましょう」

 

 僕の言葉に先生は納得した様子でうなずいた。でも、これは嘘だ。貴重な移動手段ってのは間違っちゃいないが本当の目的は僕がいなくなったあとのためだ。僕が出て行ってしまえば彼女達は車を取りに危険を冒さねばならない。だからなるべく早く車を手に入れる必要があるのだ。

 

「そうよね、今は目の前の目標に集中しましょう。でも、なにかあったらすぐに相談するのよ」

 

「わかってますよ先生。ではまた」

 

 僕は職員室を後にし廊下を何も考えずに徘徊する。さて暇だ。屋上にでも行こうかな。僕がそんな下らないことを考えていると音楽室からピアノの音が聞こえてくる。

 

 音が外れまくってテンポも滅茶苦茶だがかろうじて曲は判別することができた。これはバッハのG線上のアリアか。でもいったい誰が?僕の疑問は直ぐに解決した。

 

「あぁ~、もう、全然ひけないよ~」

 

 この声は由紀君だ。僕は音楽室をこっそり覗き込んだ。相変わらず血塗れの音楽室。ポツンとおかれたグランドピアノに彼女が座っていた。惨劇のことなど知らないとでも言わんばかりに彼女はどこまでも普通だった。

 

「えっと……ここがこうでこうしてー。はぁ~、やっぱりだめだよ。わたし才能ないのかな?」

 

 そんな異常な空間でもピアノだけは綺麗な輝きを放っている。なんの難しい話でもない僕が掃除したのだ。

 

「何をしているんだい。由紀君」

 

「うわっ!ひーくん?もしかして今の見てた?」

 

 彼女は心底驚いたと言わんばかりに飛び上がった。

 

「人を見るなりうわとは失礼な人だね君。たしかに僕は君が慣れないピアノに悪戦苦闘している一部始終を見たとも。でも、なんでまたピアノなんか弾こうと?君は別に吹奏部に入っていたわけでもないだろうに」

 

「え、えへへ、めぐねえからひーくんがピアノ弾けるってきいたから真似してみたくなっちゃって。でも全然だめだめだったよ」

 

 心なしか残念そうだ。

 

「ふむ、でも僕がきいた限りじゃあ、そこまで筋は悪くないと思うけどね。そうだ。ここはひとつ君にレクチャーしてあげよう」

 

 彼女のすぐ後ろに立つ。

 

「ほんとー!?教えてくれるの?」

 

彼女は嬉しそうにはにかんだ。この異常の中でここまで純粋な笑みを見たのはこれが初めてかもしれない。きっとこの笑顔に彼女達は救われてきたのだろう。

 

「見たところ鍵盤のどこでどの音が出るのかは知っているようだからね。まずは失敗してもいいから通しで弾いてみなさい。僕がリズムを取ってあげるからそれに合わせて」

 

「ら、らじゃー!」

 

 由紀君はおそるおそる弾き始めた。一般的に知られているG線上のアリアはドイツのバッハが作曲した管弦組曲第三番ニ長調の第二曲、アリアをバイオリニストのウィルヘルミがピアノ伴奏つきのバイオリン独奏のために編曲したものだ。

 

 曲名であるG線上というのはバイオリンの4本あるうちの最低音の弦であるG線のみで演奏できることに由来する。初心者にも弾きやすい曲と言えるであろう。

 

 彼女はところどころ音を外しながらも最後まで弾くことができたのであった。

 

「むー、やっぱりだめだなー」

 

「誰しも初めはそんなものだよ。でも、僕は君が思うほどひどいとは思わないけどね。ふむ、僕がコードを演奏するからもう一度弾いてみようか。じゃあちょっと横失礼」

 

「わわ!ひ、ひーくん近いよ」

 

 僕が弾くためには必然的に近づかなくてはならない。少し強引だったか?まあ、どうでもいい。

 

「さあ、僕に合わせて弾きたまえ。3、2、1」

 

「ちょ、ちょっとまってー」

 

 口ではそういっても彼女は僕に合わせてちゃんと弾いてくれた。彼女の演奏ははっきり言って上手くはないがそれでも楽しかった。

 

 終わってしまった世界に優しい音色が響く。やがて曲は終わり僕は彼女から距離を取った。

 

「なんだ。口で言うわりには普通に弾けるじゃないか」

 

「そう?でもひーくんってほんとにピアノうまいんだね!」

 

「なに、昔、少し憧れてね。幸い家にはピアノがあったから一人で教本を買って練習したもんさ。結局、ある程度までしか上達しなくてやめてしまったけどね。我ながら時間の無駄だったよ思うよ」

 

 そう、あれは昔、僕がまだ小学生だったころだ。たまたま、買い物に行ったモールでピアノのコンサートがあって僕はその演奏に聞き惚れた。そして自分もあんな風に演奏したいと少ない小遣いをやりくりして教本を買って練習した。でも結局、ぜんぜん上達せずにそのうち飽きてやめてしまったのだ。本当に時間の無駄だったと我ながら思う。

 

「無駄なんかじゃないよ!」

 

 突然、大声を上げた彼女に僕は少し驚いてしまった。無駄なんかじゃない?

 

「無駄なんかじゃないよ。ひーくんと一緒にピアノ弾いたの楽しかったよ。だから、きっと無駄じゃないと思うの」

 

 彼女の目はどこまでも本気だった。本心からそう言ってるのだろう。無駄じゃない、か。そんなことを言われたのは初めてだ。親にだって時間の無駄だと言われたのにな。

 

「そうか……。無駄じゃない、か。ふむ、たしかに無駄じゃあ、なかったのかもな。そうかそうか、無駄じゃないか。由紀君」

 

「えっ?」

 

 僕は彼女の頭をゆっくりと撫でる。本当に同い年には見えないな。中学生と言われたほうがまだ信用できる。

 

「わ、ひーくんいきなり撫でないでよぉ」

 

 撫でたせいで帽子がずれてしまったのか。少し悪いことをしたようだ。きっと彼女はこうして無自覚にいろんな人を救ってきたのだろう。きっと学園生活部が異常の中で正常でいられるのも彼女のお蔭なのだ。

 

「あ、そうだ。これ渡し忘れてた。はい!」

 

 由紀君は背負ったリュックから一枚の用紙を僕に手渡す。なんだこれは。入部届?

 

「由紀君、これはいったい?」

 

 由紀君はいいことを思いついたと言わんばかりの勝ち誇った顔で僕に言う。

 

「学園生活部の入部届だよ!さっきめぐねえに貰って来たの。だから、ひーくんも一緒に部活しようよ!」

 

 彼女の申し出は100%純粋混じり気のない善意からくるものなのであろう。だからこそ、僕は彼女の申し出を受けるわけにはいかなかった。

 

「ちなみにるーちゃんはもう入部したよ。るーちゃんは小学生だからほんとは入れないけどめぐねえが特別に許可してくれたの。すごいでしょ?だからひーくんも一緒に思い出作ろうよ!」

 

 由紀君は僕に手を差し伸べる。彼女の誘いは僕にとってとても甘美なものに思えた。きっとこの手を取れば明るく楽しい毎日がまっているのだろう。この地獄の中でも笑うことができるのだろう。

 

 でも、だからこそ、だからこそ僕は彼女の差し伸べた手を取るわけにはいかない。彼女達はこの地獄の中ですっかり薄汚れてしまった僕には眩しすぎる。復讐に取りつかれた負け犬と希望の見えぬ世界で夢を見続ける彼女達とではいる世界が違う。

 

 きっと汚れた僕は彼女達を汚してしまう。どこまでも狂ってしまった僕はどこまでも狂っていくしかないのだ。

 

「その、申し出は受けるわけにはいかない。気持ちはとても嬉しいんだけどね」

 

 だから僕は断る。

 

「えぇーそんなー絶対楽しいのに」

 

「もう部活には入っているんだ。それが結構いそがしくてね、だからすまんね」

 

「じゃあ……しょーがないか。ちなみにひーくんはなんの部活に入っているの?」

 

 しまった。部活の名前を何も考えていなかった。そうだ、これにしよう。

 

「僕が入っている部活かい?そうだね、ゾンビ対策研究部に入っている」

 

 我ながら適当すぎる名前だな。どうせならゾンビ大虐殺部のほうがいいんじゃなかったか?

 

「なに、その部活!?聞いたことないんだけど!」

 

「そりゃ、そうだろ。何せ今名付けたからな。よくわかったな、君。えらいぞ」

 

「えへへーどうもどうも「君、褒めてないぞ」にゃ、にゃにおー!謝罪をよーきゅーするよ!」

 

 そうだ。それでいい。君はそうやって笑っていればいいんだ。こんな地獄の中で笑っていられるのは本当に貴重なのだから。

 

「でも、残念だなー。絶対楽しいのに。いつでも学園生活部に入りたくなったらいうんだよ。学園生活部は常に新入部員を募集してるんだから」

 

「おーい、シャワー空いたぞー」

 

 胡桃君が音楽室に入ってきた。どうやら風呂上りらしい。髪が濡れている。

 

「って、由紀と一緒にいたのか。珍しい組み合わせだな」

 

「くるみちゃん!きいて、きいて!わたしひーくんにさっきピアノ教えてもらったんだよ。ねえ、凄いでしょ!」

 

 ピアノという単語を聞いた胡桃君はしばらく面食らったあといきなり噴き出した。そしてしばらく腹を抑えて笑ったのち僕に向き直った。

 

「お、お前がピ、ピアノってないわー。に、似合わねー、似合わなすぎるだろ。お、面白すぎる!」

 

 彼女は僕がピアノを弾く姿を想像するのが心底ツボに入った様だ。まったく失礼な娘だなおい。

 

「似合わないとは失礼だな。この怪人シャベル娘め」

 

「誰が怪人シャベル娘だ―!」

 

「く、くるみちゃんが怒ったー。りーさん!」

 

 音楽室が急に騒がしくなる。何というカオスであろうか。やがて騒ぎを聞きつけたのか若狭姉妹と佐倉先生も音楽室に集まってきた。

 

「あらあら、いったいどうしたのかしら」

 

「あわわ、え、恵比寿沢さん?」

 

「おじさん……。なにしてるの」

 

 もう何が何やら、結局怒り心頭の胡桃君を落ち着かせるのにかなりの時間がかかってしまった。決め手となったのは若狭君の暗黒微笑だったとか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そう、ピアノを教えてもらったのね」

 

「そうだよ、りーさん。ひーくんって凄いんだよ!ひーくんに教えてもらうまでぜんぜん弾けなかったのにひーくんが来てからすぐに弾けたんだ」

 

 夕食を食べ終えた僕たちは各自飲み物を飲みながら一家団欒ならぬ一部団欒の時を過ごしていた。由紀君は身振り手振りで若狭君に僕の凄さを伝えようとしていた。僕そんなに教えていないんだがな。

 

「うふふ、よかったわね。由紀ちゃん。あっ、そうだ。いいこと思いついたわ」

 

 そういって若狭君はいきなり僕のほうを向いた。なんだびっくりするじゃないか。

 

「む、なんだね若狭君」

 

「秀樹君ってピアノが上手なのよね?だったら今から演奏会を開かない?」

 

 突然の提案だった。寝耳に水である。

 

「りーさん、ナイスアイデア!」

 

「あたしもさんせー!」

 

「るーちゃんもおじさんのピアノ聞きたい」

 

「私も本田君の演奏ちゃんときいてみたいかも」

 

 もはや断る空気ではない。僕は皆に連れられ仕方なく音楽室に向かった。ここに来てから尻にしかれてばかりな気がするがきっと気のせいだと思いたい。

 

「初めに断っておくが僕は決して上手ではないからね。そこはちゃんと留意しておくんだよ」

 

 音楽室には椅子とテーブルが設置されその上には飲み物とお菓子が置いてある。本当に演奏会のつもりらしい。

 

 さて、何を弾くかな。僕は弾くべき曲を考えながら何とはなしに窓を見てみた。そうか、今日満月か。ならこれにしよう。

 

 僕の様子の変化を察知した皆が静まり返る。やはり恥ずかしいな。人前で演奏するなんて初めてじゃないか?

 

 軽く深呼吸する。オーケーこれで準備万端だ。僕はゆっくりと鍵盤を叩く。曲はベートーベン作曲のピアノソナタ第十四番「月光」だ。

 

「すげえ……」

 

 誰かの呟きが聞こえた。僕はそれに構うことなく鍵盤を叩き続ける。見られているという羞恥心を紛らわすため自分の世界に没頭する。

 

 

 

 

 

 小さい頃の僕の夢。それは今、この瞬間に叶った。

 

 

 

 

 

 




 いかがでしたか?今回の話は書いていて一番面白かったです。ではまた次の話まで


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第六話 ぬくもり

 書いていて思うこと。この主人公めんどくせえ。若干中二病患っているし。

2017年6月16日 地震設定を削除


2015年■月■日

 

 校舎二階の制圧が完了した。当初想定していた3日より一日長い4日かかったものの校舎二階は完全制圧したと考えていいだろう。予定より長くかかったのは別に作業が難航したからではなく佐倉先生と若狭君に根を詰めすぎだと半ば無理やり休みを取らされたからである。

 

 僕としては梅雨に入る前になるべく早く作業を終わらせたかったのだが、どうやっても説得するのは無理そうだったので諦めて休むことにした。だが、黙って休む僕ではなかった。胡桃君の協力の下、車からガソリンと瓶を持ち出し火炎瓶を1ダースほど作成した。作っている最中に若狭君にばれてこっ酷く説教されたのは至極どうでもいいことだ。

 

 そうだ。ちょうどいいので学園生活部の人物を整理しておこうと思う。こういった考察は後で意外と役にたったりするのだ。

 

 まずは、佐倉慈。ここ巡ヶ丘学院高校の国語教師でこの学校の生存者の中で唯一成人を迎えている女性だ。クリスチャンなのか首からロザリオをかけているのが印象に残る。成人を迎えているにしてはやや、服装や言動が子供っぽいが、やはり大人と言うべきかその持ち前の包容力で他の生存者達の精神的支柱の一つとなっていると見受けられる。

 

 次に若狭悠里。学園の生存者の一人で以前は園芸部に所属していたそうだ。この避難生活の中で生鮮食品が食べられるのも彼女の知識があってこそだ。そしてある種、病的なまでの母性の持ち主である。僕の想像ではあるが、自分より弱い存在を庇護することにより、自身の精神の崩壊を防いでいるのだ。ふとした時に見せる不安げな表情や言動からもそれがうかがえる。恐らく彼女が生存者の中で一番精神的に脆いであろう。この手の人間はいざという時にとんでもないことをやらかすというのが相場というものだ。妹の手前、そうそう取り乱したりはしないであろうが彼女の動向には注意しておく必要があるだろう。

 

 恵飛須沢胡桃。生存者の一人、陸上部に所持していたらしくその運動能力からくる戦闘力は驚異的だ。パンデミック直後に感染した陸上部のOBを殺害したことを悔やんでいるらしい。口にこそだしてはいなかったが彼女がその男に好意を寄せていたのは想像に難くない。大切な人を手にかける苦しみはよくわかる。そう言えばあれから母さんに会いに行っていないな。

 

 彼女は奴らを手にかけるのに戸惑いを覚えているようだ。奴らとの戦いにおいて本来、人間性は捨てるべきものだ。情に流されてしまえばそれだけ危険は増える。だが、その戸惑いこそが彼女がただの殺すだけの機械と化すのに歯止めをかけているのだろう。とは言え弓を手にしてからは戸惑うことが少なくなっているようだ。それがいいことなのか悪いことなのか僕にはわからない。

 

 最後に丈槍由紀の人物評も記そう。クラスメイトで特にそれと言った面識もなかったが、彼女も中々に厄介なものを抱えている。前にも述べたが彼女の世界では、あの事件は起きておらず今でも平和な世界が広がっているという。僕は精神科医ではないので詳しくはわからないが、どうもそういうことらしい。それだけなら別段珍しくもないが、特筆すべきことは彼女は彼女なりの視点でこの現実を受け入れているということだ。それが無意識の防衛本能によるものなのかは定かではないが、この点は他の病んでしまった者達とは一線を画している。

 

 時より人の心を見透かすかのような発言をすることがあり、その度に僕は驚いてしまっている。人一倍感受性が豊かなのかもしれない。ただ、今回ばかりはそれが裏目に出てしまったようだ。彼女も佐倉慈と共に生存者達の心の拠り所となっているのが見て取れた。言い方は悪いが偶然にも道化役となっているようだ。極限状況の中で人を笑わせられるのは貴重な才能だ。これからも彼女達に笑顔をもたらしてほしいものである。

 

 総評として彼女達は、この地獄めいた世界の中で人間性を保っている稀有な存在であり、恐らくこのパンデミックの中で最も物理的にも精神的にも恵まれていると断言してもいい。はっきり言って僕は場違いもいいところだ。そろそろ出ていくべきかもしれない。るーちゃんは泣くだろうが姉もいることだし大丈夫であろう。それにあの年ごろの子供は忘れっぽい。僕のことなんてすぐに記憶の片隅に追いやられることであろう。

 

 明日は、いよいよ遠征だ。車はもう昇降口の前に止めてある。本当なら僕一人で行きたかったが当然の如く却下され粘りに粘って佐倉先生がついてくることを渋々認めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、秀樹君?まだ起きていたのね」

 

 前から聞きなれた声が聞こえる。日記から目を話し声の方向を見れば若狭君が立っていた。いつもの制服姿と違い寝間着をきた彼女ははっきり言って目の毒であった。何処がとは言わない。

 

「若狭君か。どうしてここに?いつもならもう寝ている時間だろうに」

 

 電気も無駄遣いできないので夜は必然的に真っ暗だ。真夜中の校舎はよく怪談の題材にされるが外が既にホラーじみたことになっているので別に怖くもなかった。

 

「少し眠れなくて。何か飲み物でも淹れようと思ったのよ。そういう秀樹君は?」

 

「僕は、日記を書いていただけだよ。それにしても眠れないとは?コーヒーでも飲み過ぎたのかい?」

 

 僕の的外れな質問に彼女は笑いながら答えた。

 

「そうだったらよかったのにね。貴方がるーちゃんを連れてきてくれて胡桃と一緒にここをもっと安全にしてくれたけど。たまに、どうしても怖くなって起きてしまうことがあるのよ。そうだ、秀樹君も何か飲む?」

 

 彼女は自身の発言をかき消すように僕に提案をしてきた。恐怖で眠れない。至極当たり前のことだ。むしろ少し眠れないだけで済んでいる彼女はとても強い心を持っているのだろう。日記では散々こき下ろしたがそれはあくまで異常事態があった場合のことである。

 

「そうだね。じゃあ君と同じのを頼むよ。特にこだわりはないからね」

 

「ふふ、わかったわ。じゃあココアにしましょうか」

 

 それだけ言うと彼女はマグカップを二つ用意しココアの粉を入れた。そして薬缶に水をいれコンロにかける。お湯ができるのはまだ少し先のことだろう。

 

「秀樹君が持ってきてくれなければこうしてココアを飲むことなんてできなかったわ。本当に助かるわ」

 

「職員室にも何か飲み物ぐらい置いてあっただろうに」

 

「職員室にはコーヒーしか置いてなくて、こうしてココアを飲むのなんて久しぶりなのよ」

 

 そういうこともあるのか。僕としては水分補給ができれば別になんでもよかったので気にもしてなかったがなくして初めてその重さに気が付くのだろう。

 

 沈黙が生徒会室を支配した。しばらくすると薬缶から蒸気が噴き出したので、彼女は薬缶を手に取りカップにお湯を注ぐ。甘く優しい香りが僕の鼻孔を刺激する。

 

「はい、どうぞ」

 

「こりゃ、どうも」

 

 僕は差し出されたマグカップを手に取った。かき混ぜられたココアが螺旋を描く。

 

「となり、いいかしら?」

 

「え?」

 

 僕が彼女の提案を了承する前に彼女は僕の横の椅子に座った。いつもの彼女らしくない。どこかしおらしい。先ほど言った眠れないということと関係があるのだろうか。僕たちは黙ってココアを飲んだ。啜る音だけが響く。なんだこれは。

 

「ねえ、貴方は怖くないの?」

 

 突然の質問。怖くない、か。正直言って考えたこともなかった。僕はあの時どうしていただろうか。ほんの少し前のことなのに記憶は霞んで思い出せない。思えば随分遠くに来てしまった。

 

「正直に言って考えたこともなかったよ。死んでたまるかって気持ちでいっぱいでね」

 

 嘘ではないが正しくもない。もしかしたら恐怖を感じていたのかもしれない。死にたくないってのも本当だ。でも僕にはそれをはるかに上回る憎悪の感情が渦巻いていた。

 

「ふふ、秀樹君らしいわね。私はね、はっきり言って怖いわ。いつ奴らがやってきて私たちを襲うんじゃないかと考えると怖くて仕方がないの。るーちゃんもいるのにね。姉失格だわ」

 

 それを僕に言ってどうしろというのだろうか。若狭君の感じる恐怖は人間として至極正常なものだ。恐怖があるからこそ人間は戦えるのだ。恐怖を感じなくなってしまったらそれはもはや人ではない。言うなれば()()だ。

 

「懺悔のつもりなら教会にでも行きたまえ。でも、そうだね。恐怖を感じるのは人間として正常な証だよ、若狭君。恐怖があるからこそ人間は抗えるんだ。それに、君には頼れる仲間がいるじゃないか。一人で意地張るのも構わんがね、それでなんの得があるのかってことだ」

 

 彼女は静かにこちらを向いた。黄色の瞳が僕を射抜く。彼女はいったいなにを考えているのだろうか。

 

「胡桃にも同じことを言われたわ。私ってそんなにわかりやすいのかしら……」

 

 彼女の考えはあながち間違いでもない。平静を取り繕っている人間ほど言葉の端々に恐怖の感情がにじみ出るものだ。きっと彼女が単独行動に腹を立てるのも、本人が自覚しているかはともかくとして、一人になることへの恐怖が関係しているのだろう。

 

「瑠璃ちゃんはね、君に会いたいと何度も言っていたよ」

 

「え?」

 

 僕は今から最低な行いをしようとしている。でも、後悔はない、必要なことだから。

 

「別にね、君が自分の事をどう思おうが僕の知ったことではないよ。でもね、あの子の姉になれるのは、この世で君しかいないんだよ。当たり前のことだと思うかもしれないけどもね。たしかに、妹君の身体は守れるだろうよ。そうなるように今努力しているからね。けど、けどもね、瑠璃ちゃんの心を守れるのは世界で君だけなんだよ!」

 

 僕は立ち上がり彼女の細い両肩を掴む。お前は最低だ。彼女を妹に縛り付けようとするなんて。

 

「ひ、秀樹君!?」

 

「いいか、よく聞きたまえ悠里君。あの子の姉は君なんだよ。他の誰にも替わりなどできないんだよ。自分を卑下するのは自由だよ。でも、これだけはわかってほしい」

 

 僕は彼女の両肩を開放し距離を取る。慣れないことをしたから緊張してしかたない。

 

「いきなり肩をつかんで悪かったね、若狭君。不快に思ったのなら殴ってもらってもかまわない」

 

 交際してもいない女性の身体に触れたのだ。殴られても文句は言えまい。そうやって僕が謎の覚悟を決めると彼女は立ち上がって僕に向き直った。その顔は笑顔であった。

 

「不快だなんてとんでもないわ。ありがとう。おかげで決心がついたわ。そうよね、あの子の姉は私だけだものね。秀樹君、今日は本当にありがとう」

 

 そう言って彼女は残りのココアを一気に飲み干した。凡そ似つかわしくない仕草だ。どうやら吹っ切れたようである。

 

「でも、一つ訂正してほしいわ。まだ出会って一週間ちょっとしか経ってないけれど私は秀樹君のことも頼れる仲間だと思っているわよ」

 

 僕は自分のために彼女を利用した。僕は彼女に妹を押し付ける為だけにこんなことを言ったのだ。そんな僕が彼女達の仲間になるだなんて許されない。

 

「そ、そうか。すまなかったね若狭「悠里、でいいわよ。もう私たち仲間なんだしね」オーケー、悠里君」

 

「それじゃあ、秀樹君。おやすみなさい」

 

「あ、ああ、お休み」

 

 彼女が去り沈黙と二人分のマグカップだけが残された。僕は一人椅子に身体を沈めた。パイプが軋む。

 

「はぁ、僕はつくづく最低な野郎だな、本当に。女の子を自分のためだけに利用するなんて……。本当に救いのない野郎だこと」

 

 それでも、僕は歩みを止めない。僕自身のために、そして、今まで切り捨ててきた人たちのためにも。

 

「それにしても、このカップ……。僕が洗うのだろうか」

 

 前に胡桃君が言っていたことはあながち間違いじゃないのかもしれない。僕は二人分のマグカップを見て思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 電柱は根元から折れ曲がり車はそこらじゅうで事故を起こし放置されている。家々の窓は割れその役目を放棄してしまっている。ここは巡ヶ丘市。全てが終わってしまった街だ。

 

「佐倉先生、そこの十字路を右に」

 

「わかったわ」

 

 彼女はそう言ってハンドルを切る。僕と佐倉先生は今、車の中にいた。以前から計画していた溶接の機材と食料品を入手するためだった。

 

「それにしても佐倉先生って意外と車好きなんですか?」

 

 そう、てっきり僕は軽自動車にでも乗っているのかと思ったがまさかの外車であった。ミニクーパーS。それが彼女の愛車だ。前輪駆動、直列4気筒のターボエンジンは192馬力もの力を生み出し、時速100kmまで僅か7.9秒で到達する。このほわほわした教師が乗るにはあまりにも厳つい選択であった。

 

「私の両親が教師になったお祝いにプレゼントしてくれたの。だからそんなに詳しいわけじゃないのよ」

 

 何という太っ腹な親であろうか。しかも過給機付きのミニクーパーSとは。その両親とは気が合いそうだ。

 

「就職祝いに過給機付きの自動車をプレゼントとは、先生のご両親とは気が合いそうですな。次の角を左折です」

 

 聞きなれない単語に先生は首を傾げた。ご丁寧に指を当ててだ。きっと素でやっているのだろう。そんなんだからめぐねえと呼ばれてしまうのではないだろうか。

 

「か、過給機?先生、よくわからないわ」

 

「ターボとも言いますよ。それならわかりますよね」

 

「ターボね、聞いたことがあるわ。本田君って車に詳しいのね。ふふ、先生本田君のいいところまた見つけちゃったわ」

 

 またってなんだ、またって。そんな感じで僕と先生は他愛のない会話をしながら崩壊した街を走る。

 

「わたし、学校の外がこんなひどいことになっているだなんて知らなかったわ。本田君は、こんな世界で独り生き残ってきたのね」

 

 先生が呟くように言う。こんな世界か、いい得て妙だな。死人が血肉を求め彷徨い、生き残りはほんの僅か。終わってしまった世界。その言葉がこれほど似合う風景も他にあるまい。

 

「ゾンビ共がうようよしているの以外は、別に大した問題はありませんよ。奴らはその数こそ厄介ですが一匹、二匹はまるで相手にならない。僕なんて以前は毎朝ゾンビを避けながらランニングしてましたよ」

 

 そう、筋力のトレーニングなら拠点でもできる。だが、有酸素運動だけは実際に走らないとどうにもならなかった。だから僕は奴らの少ない朝方を狙って毎日ランニングをしていたのだ。最初は何度か死にそうになったが一度コツを掴んでしまえば鼻歌交じりでもこなせるようになっていた。こうすることで体力と奴らの避け方を同時に得ることができるのだ。まさに一石二鳥といえよう。

 

「ラ、ランニング!?」

 

 先生がいきなり急ブレーキをして車を止めた。いきなりなんなんだ。

 

「本田君!そ、それ本当なの?」

 

 先生が信じられないと言った様子でこちらを窺う。なんだこれはデジャブを感じるぞ。

 

「ここで嘘ついてなんになるんですか?本当で「もう二度としないこと!」え?」

 

 今なんて言った?もうするな?いったいなにを。

 

「もう絶対に一人でそんな危ないことをしないって約束して」

 

 僕、おかしなこと言ったかな?駄目だ。今まで自分しか基準がいなかったから今一つわからん。

 

「は、はあ。わかりました」

 

 僕がそう誓うと彼女は大きな溜息を吐きだした後、僕の目を見た。その目はどこか愁いを帯びていた。

 

「本田君、前から思っていたのだけれど、貴方は自分を蔑ろにしすぎだわ」

 

 その目はどこまでも慈愛に満ちていて僕は不覚にもドキリとしてしまった。先生は僕の変化などお構いなしに話を続ける。

 

「短い間だけどもよくわかったわ。本田君、貴方はいつも一人で突っ走っていってしまうのね。無理に頼れとは言わないし言えないわ。私たちは貴方に頼りっぱなしだもの。でもね、貴方が傷つけば悲しむ人が大勢いることをわかってほしい。貴方はもう独りじゃないのよ」

 

「独り、じゃない……」

 

 先生の言葉はとても優しくどこまでも他者を慈しむ心に満ち溢れていた。狂ってしまった僕と学園生活部。いったいどこで差がついたというのであろうか。

 

そう、学園生活部だ。ここに来てからいつもこうだ。確信した。ここにいてはいずれ昔の弱い僕に戻ってしまう。だから僕は、

 

「……先生」

 

「なぁに?本田君」

 

 貴方達を拒絶する。

 

「鼻毛みえてますよ」

 

「やだ!うそ?「嘘ですよ」……本田君」

 

 許してくれとは言わない。精々僕を罵ってくれ。僕にはそれがお似合いだ。

 

「……本田君。ちょっと、先生とお話し、しようか」

 

 でも、本当にそれでいいの?僕は独り考える。しかし、答えはわからないままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから僕たちはホームセンターを探索し、溶接に必要な機材を一式入手することに成功。食品コーナーから食料もかなりの量を手に入れることができた。これであと一カ月以上は持つことだろう。ついでにおもちゃ売り場で暇つぶし用のボードゲームもいくつか手に入れた。

 

 遠征は大成功といっていいものであったが、その成果の代わりに既に日は落ちかけ夕闇といった空に変化していた。このまま車を走らせるのは危険なので以前、僕が使っていた拠点まで行くことにする。今日はそこで一泊する予定だ。

 

「先生。もう機嫌なおして下さいよ。この通りなんで」

 

 問題があるとすれば、僕のデリカシーの欠片もない冗談に未だ先生が腹を立ていることであろうか。僕の謝罪に彼女はぷんすかといった調子で答える。

 

「もう、本田君のことなんか知りません!まったくもう、本田君はレディーに対する配慮がなっていないわ」

 

 そうやって怒っていても恐怖よりも可愛らしいというイメージしか抱けないのだからつくづく女性という存在は卑怯である。

 

「僕は男女平等主義者なんでね。そんなものは持ち合わせていませんよ。先生この角を曲がった先です」

 

 僕たちの乗った車が住宅街の角を曲がる。事件が起きる前からここの通りは人通りが少なかった。だからであろうか油断していたのだ。

 

「先生ストップ!」

 

 車が急停止する。フロントガラスの先に奴らの集団が見えた。数は7体か。あれを使おう。

 

「先生、ちょっと片づけてきます。何かあったらすぐに逃げてください」

 

「駄目よ。逃げるときは貴方も一緒」

 

 そこは素直に頷いて欲しかった。でも、そんなことは後回しだ。幸い奴らは僕達に気が付いていない。静かに車から降りる。夜風が心地いい。僕はポケットから爆竹を取り出すとライターで火を付け投げる。

 

 十数m先で連続した炸裂音が鳴り響く。奴らは音に釣られてぞろぞろと歩いて行った。僕はその間にショルダーバッグから火炎瓶を取り出す。ガソリンの臭いが僕の鼻を刺激する。だが、この匂いは嫌いじゃない。

 

 ある程度爆竹付近に固まったのを目視し僕は火炎瓶に火を付け投げた!ガラスの割れる音と共に炎が撒き散らされる。ゾンビ共は一網打尽。しばらくすればゾンビ共の丸焼きの完成だ。ミシュランに掲載されるのも夢じゃないな。

 

「よし、終わりましたよ先生。じゃあ僕の拠点まで案内するんで付いて来て下さい。先生?」

 

「…………ッ!?わ、わかったわ。ついていけばいいのね」

 

 その視界の先には奴らが未だ燃え続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいまーっと」

 

「お、おじゃましまーす」

 

 先生と僕は拠点の居間にいた。僕はそこの馴染みのソファーに腰かける。そう、ここは僕の家だ。

 

「まあ、適当にくつろいでくださいよ。飲み物は台所に置いてあるので好きなの取って下さい。と言っても水と缶ジュースくらいしかないですけどね」

 

 先生は僕の家ということもあって少しばかし緊張しているようだ。まあ、それもそうか。男女、密室、一泊、何も起きないはずがなく……。なにも起きねぇよ。

 

「ここが本田君のお家なのね。ん? あれは」

 

 彼女の視界の先には庭にある。正確には庭に刺さっている一本の十字架にだ。

 

「あぁ、すっかり忘れてました。先生、紹介します。こちらが僕の母さんです」

 

 僕は先生を連れて庭に出た。十字架にはわかりやすくエプロンを引っかけてあるのでそれがなにかは察しの良い人はすぐに気が付くであろう。

 

「お、かあ、さん?」

 

「まあ、正確には母の墓ですけどね。母さん、今帰ってきたよ。今日は人を連れてきたんだ。佐倉先生って言ってね僕の高校の国語教師をやっているんだ」

 

 僕は母さんに先生を紹介した。もう死んで微生物に分解されかけていると思われるので話しかけても意味ないけどもね。僕の言葉に先生は俯いて黙っているままだ。

 

「じゃあ、紹介したんで部屋に戻りましょうか、先生。先生?」

 

「え、えぇ。そうね。そうしましょうか……」

 

 

 

 

 

 結局、その日の夜はそんな感じで微妙な空気のまま過ぎていった。そして朝になり僕たちは学校に戻るため車に乗った。正確には僕一人が。まだ先生が家の中にいるのだ。

 

「先生!もう行きますよー!」

 

 僕の呼びかけに答えたのか先生が玄関からやってきて運転席に乗り込んだ。

 

「先生、なにしてたんですか?お化粧でも直してたので?」

 

 ほんとに何してたんだろ。

 

「もう、違います! そうね、約束してきたの。貴方のお母さんと」

 

 母と約束? 意味が分からん。もう、死んで発酵しているだろうに。

 

「約束? いったい何の」

 

 僕の問いかけに佐倉先生は首を振る。教えないってことか?

 

「それは内緒よ……。でも、大切なこと」

 

 その顔は何かを決意したような毅然とした表情であった。本当にいったい何があったんで言うんだ。

 

「内緒? まあ、いいや。じゃあ行きましょうか」

 

「少し待って本田君。出発する前に伝えたいことがあるの」

 

 何かを決意したような表情のまま、だが笑みを浮かべ佐倉先生は言った。朝日に笑顔が照らされる。

 

「本田秀樹君は学園生活部に入部することが決定しました!ちなみに拒否権はないわ」

 

 いきなり笑ったと思ったら今度は一体なんだ。入部? 僕は前拒否したはずだぞ。

 

「いや、佐倉先生。それはないでしょうに。僕は前に拒否しましたよ。職権乱用だ!」

 

「あーあーきこえませーん」

 

 畜生、かわいいなおい! と、いうこともあり僕は晴れて学園生活部に入部することになったとさ。まったく理不尽だ。

 

 

 

 

 

 僕は自分の中で少しづつ何かが変わっていくのを実感した。それが良いことなのか悪いことなのか僕にはまだわからなかった。でも、いずれわかることだろう。だからその時まで待てばいい。それだけの話だ。

 




 
 いかがでしたか?ぬくもり(火属性)。どうでもいいですけどめぐねえの車って趣味いいですよね。私は好きです。我らが本田君はゾンビのいる中をランニングするという世が世ならエクストリームスポーツにカテゴリされるであろう無茶振り。めぐねえの寿命がストレスでマッハ。めぐねえが主人公の母と何を約束したかはご想像にお任せします。
 
 そして一向に進まないストーリーェ……もっとテンポよく進めたいのですが申し訳ありません。では次回も楽しみに




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第七話 けつべつ


 書いていて思うこと。あーもう、素直になれよ!


 

 

 

 溶接の機材と物資を持って帰還した僕たちは、計画の最終段階にある防火扉の溶接を開始した。奴らが音でやってこないとも限らないので実際に溶接を始めたのは次の日の夕方になってからだった。

 

 バチバチと溶接棒がスパークを発生させ防火扉と溶けて混ざりながら固まっていく。溶接棒のホルダーの先には自動車のバッテリーが二基直列で繋げてある。ちなみにこの機器を作るために学校の駐車場の車が2台動かなくなったことはどうでもいいことだ。目的のための致し方ない犠牲である。

 

 溶接はつつがなく行われた。念のため一階の奴らを爆竹で遠ざけておいたので溶接中に襲われることはないであろう。

 

「よし、ざっとこんなものかね。胡桃君、終わったよ」

 

 扉の端まで溶接が完了したことを確認すると僕は遮光マスクを顔から離し下で脚立を支えている胡桃君にその旨を伝えた。

 

「おー、終わったのか。見せてくれよ」

 

 目につけた遮光ゴーグルを外し胡桃君が溶接した溶接の完成具合を覗いてきた。僕も脚立から降り彼女の横に並ぶ。アークによって融解した防火扉は手で押してもビクともしない。これなら例え奴らが大群で押し寄せてきても防ぎきることができるであろう。

 

「これで、砲弾でもぶち込まれない限りこの扉が開くことはないだろうね。それに奴らは記憶力が弱い。もうここを階段だと認識することはないんじゃないかな」

 

「そういうもんなのか?」

 

 僕は以前、奴らの記憶力及び学習能力がどれほどのものなのか調査したことがある。記憶力に関しては正に鳥頭といっていいもので今回のように通路そのものを壁などで塞いでしまえば以前そこを通っていたことがあっても奴らはそこをただの壁だと認識する。

 

 ただし、学習能力については少しはあるようで同一個体のゾンビに何度も階段を上らせる実験をしたところ初めは転んだりしてまともに上ることも出来なかったが回数を重ねると、どの個体も必ず登れるようになっていた。

 

「以前、実験してみてわかったんだよ」

 

「へぇ~。まあ、よくわかんないけどこれで安全になったってことだよな。でもこの扉はどうすんだ?普通に開くぞ」

 

 彼女は防火扉の子扉を開け閉めしながら僕に言った。彼女の言う通り子扉は溶接していない。

 

「出入り口を完全に梯子に限定するのもそれはそれでまずいからね。一応使えるようにした方がいいと思うよ。前に机でも置いておけば大丈夫だろうしドアノブもないから万が一にも奴らが開けることはないだろう」

 

「それもそうだな。はぁー、終わった終わった。じゃあ、とっとと戻ろうぜ。あっ、バリケードはどうする?」

 

「バリケードは念のために残していたほうがいいと思う。それでもって二階の階段付近を緩衝地帯としておけばいいんじゃないのかな」

 

 僕の提案に彼女は頷いた。どうやら同じことを考えていたようだ。

 

「あたしも似たようなこと考えてたよ。でも、それは後でやりゃいいか。とりあえず帰ってめぐねえとりーさんに報告しようぜ」

 

「ああ、そうしよう」

 

 それだけ言うと僕たちは機材を片づけて扉を後にした。これでもうこの学校で配慮するべき懸念事項は解消された。後は奴らを殺すだけ。彼女達と別れる日は近い。この選択に迷いはない。でも、少しだけ、ほんの少しだけ残念だと思ってしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 佐倉先生に扉の溶接が終わったことを報告した僕は何故かるーちゃんと一緒に職員室に押し込められていた。職員室は相変わらず汚いが、掃除はしているので少しはましな見た目になっていた。それでも大量殺人の跡地から被災した跡地に変わっただけなので本当に快適に過ごしたければまだまだ手を加える必要があるだろう。

 

「るーちゃん、なにか知っているかい?」

 

 僕は彼女に問いかけた。とは言え一緒に追い出されているということは彼女が事情を知っているはずもなくただ首を振って否定するだけであった。

 

「おじさんとめぐねえが帰って来てからからりーねー達がこそこそしていたのはしってるけどるーちゃんがきいてもないしょって言われちゃったからわかんないや」

 

 彼女が知らないことなど僕も承知なのでこれはただの雑談である。それにしても暇だな。腕時計を見れば追い出されてからもう30分は経過していた。

 

「いったい、何なんだ? 様子を「ひーくん、るーちゃん。おまたせー!」

 

 職員室に由紀君が駆け込んできた。心なしかその顔は何かを企んでいるかのようであった。

 

「遅いではないか。いったい何をこそこそやっていたのかね」

 

「ゆきおねえちゃん。おそい」

 

「う、ごみん。でも、もう終わったよ!じゃあわたしに付いて来てね!」

 

 そう言って僕たちを先導して彼女は歩き出す。向かう先は生徒会室だろう。僕の予想通り生徒会室の手前まで来ると彼女は僕たちに振り向いた。

 

「二人ともここで待っててね。わたしがいいっていうまで入ってきちゃだめだからねー」

 

 彼女は生徒会室の中に吸い込まれていった。彼女が中に入ると何やらごそごそと音がする。まったく見当がつかない。

 

「いいよー!」

 

 どうやら許可されたようだ。僕は横のるーちゃんの方を向く。いつもどおり何を考えているのか今一つわからない表情だ。

 

「じゃあ、るーちゃん。行こうか」

 

「……うん」

 

 そう言って生徒会室に入る。すると突然、炸裂音と共に僕たちに紙テープが飛びかかる。なんだこれは。

 

「「「「せーの、学園生活部にようこそー!」」」」

 

 部屋の真ん中には僕とるーちゃんを除いた全員が待ち構えていた。ホワイトボードにはカラフルな文字とイラストで『学園生活部歓迎会』と描かれている。そして彼女達のその手にはクラッカーが握られていた。さっきの紙テープの正体はこれか。でもいったいなぜ? 僕の疑問を解決するように佐倉先生が一歩前に出た。

 

「二人とも待たしてしまってごめんなさい。少し遅いかもしれないけど貴方たちの歓迎会を開きたいと思うの!」

 

 なるほど、長い時間待たされたのはこの準備をするためか。よくよく観察してみれば生徒会室は紙リボンで飾り付けされさながらホームパーティーのような有様であった。

 

「すごいでしょ!みんなで頑張ったんだよー。りーさんがお料理を用意してめぐねえとわたしで飾り付けしたんだ!あれ?くるみちゃんは何してたっけ「あたしも手伝ってただろーが!」うー、ごみん」

 

「もう、胡桃ったらおこらないの」

 

 そしていつもの如く始まる漫才。我に返りるーちゃんを見れば驚きで目を見開いたままだった。でもその目は輝きに満ちている。

 

「うふふ、由紀ちゃんが考えたのよ」

 

 いつの間にか悠里君が僕たちの前にいた。由紀君が考えたって?

 

「秀樹君とるーちゃんが来てからすぐにね。でも忙しそうでなかなか時間がとれなくて、今日やっと開くことができたの」

 

 気が付けば皆が僕を見ていた。悠里君、胡桃君、由紀君、佐倉先生。みな笑顔に満ち溢れ誰も僕を嫌ってなどないなくて……。

 

「おじさん?」

 

「あら?」

 

「秀樹?」

 

「本田君?」

 

「ひーくん?」

 

 皆が僕の名前を呼ぶ。いったいなんだ。

 

「ひーくん!目から……」

 

 目? 僕は自分の頬を触ってみた。水の感触がする。これは、涙か? でも、なんでまた。

 

「あらあら、秀樹君ったら」

 

「なんだー?もしかして感動して泣いちまったのか?」

 

 あれから一度も泣いたことがなかったのに。もう、泣かないと決めていたのに。一度それを認識してしまえばもう、止まることはなかった。涙が瞳から溢れる。

 

「ち、違う!こ、これは溶接のアーク光で目がやられただけだよ!」

 

 僕の必死の言い訳もこの涙の前では無意味と化してしまうだろう。皆が僕を見る。その目はどこまでもどこまでも優しさで満ち溢れていた。

 

「本田君」

 

 先生が僕の肩に手をやっていた。以前車の中で見た慈愛に満ちた笑顔であった。やめてくれ、僕にはそんな顔を向けられる資格などない。

 

「学園生活部にようこそ。私たちは貴方を歓迎します」

 

 

 

 

 

 僕が泣き出すという珍事が発生したが、このささやかな歓迎会はつつがなく続けられた。みんな、いつも以上に優しかったのが印象に残っている。悠里君の料理はいつも以上に手が込んでいてとても美味であった。その後は僕たちが持ってきたボードゲームを遊び倒した。ちなみに僕が断トツのビリであったことは至極どうでもいいことである。

 

 もう少しだけ、あと少しだけここに残ろうと僕は思ってしまった。僕は許されないことをしているのかもしれない。でも、一度味わってしまったこの喜びを手放すのは、その罪から目を背けても尚、躊躇いを感じてしまうのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結局、僕は散々出ていこうと考えていたのに気が付いたら、ここに来てもう一月は経過しようとしていた。一度その心地よさを知ってしまえば人というのは、どこまでも堕落する生き物であるというのは僕も知ってはいたが、まさか僕自身がその身を以て体験することになるのだとは微塵も思ってはいなかった。

 

 本当ならこんなところで燻っているわけにはいかないのに、あと一日、あと一日だけと何度も自分に言い訳しながらここに居座ってしまった。僕がこうしてぬるま湯に浸かっているだけ奴らを野放しにしてしまう。奴らをこの世から滅ぼすことだけが僕に許された唯一の贖罪の道だというのに。

 

 皆の優しさが僕を昔のどうしようもなく弱くて愚かだった僕に引き戻そうとする。ここに居続けたら僕は人に戻ってしまう。僕は化物でいい。奴らを殺すだけの化物であればいいのに。

 

「案の定大雨だ。奴らがここまで押し寄せてくることはないだろうがね。念のために掃除してくるよ」

 

「ひ、秀樹君?」

 

「本田君?」

 

 皆が信じられないとでも言いたげな顔でこちらを見る。暖かくて優しい日々。でも、それも今日までだ。今日は珍しく今朝から大雨だった。当然、学校に備え付けられた太陽光発電設備は使えないため校内は真っ暗だ。

 

 由紀君は朝からキャンプをするのだと張り切っていた。だが、そんなことはもうどうでもいい。僕は知っている。雨の日には奴らが屋内に集まってくることを。以前、バリケードを破壊された時もこのような大雨だったそうだ。今は強固に溶接された防火扉があるため奴らがいくら押し寄せようが防ぎきることができるであろう。

 

「おい!どこ行くんだよ!雨の日にあいつらが増えることくらい知ってんだろ!」

 

 防火扉の子扉を開けようとした僕を胡桃君が僕を引き留める。だが、知ったことか。僕は奴らを殺す。何匹いようが構うまい。準備はもう整えた。これだけあればここにいる奴らを余裕で皆殺しにすることができるであろう。

 

「何してんだよ!戻るぞ!」

 

 邪魔くさいなあ……。僕の腕を掴んで強引に引き戻そうとする胡桃君を見てそう思う。お前はなぜ平気でいられる? 奴らを見て何も思わないのか? お前だって思い人を殺されたんだろ。だったらお前がするべきことは僕を送り出すことじゃないのか?

 

「うるさいなぁ……」

 

「んだと!」

 

 本当に、本当に優しいなあ。僕なんかのためにここまで怒らなくてもいいのにさ。あまりこういうことは手段は取りたくなかったけど仕方がないか。

 

「お前はいいよなぁ。先輩に止めさせたんだろ?」

 

 彼女は僕の変化に戸惑いを覚えているようだ。そうだそれでいい。

 

「ひ、秀樹。いきなり何言いだすんだよ……先輩って……」

 

「君はさぁ。自分で止めを刺せたからそんなことが言えるんだよ。いいよなぁ。自分で最後を見届けることができたんだろ?」

 

「な、何言ってんだよ。先輩が、先輩がなんの関係があるってんだよ!」

 

 自分のトラウマを抉られたからか胡桃君の表情はひどいものであった。僕は最低だな。女の子にこんな顔させるなんて。死んでも救いようがない。地獄すら生ぬるい。

 

「僕はさ、母さんが目の前で奴らに食われている時に何してたと思う? ただ、息を潜めて奴らが去っていくのを待っていただけだよ。許せると思う? 君は自分でけじめをつけることがことができたからそんな平気でいられたんだろ? そんな君に僕を止める資格があると思うのかい? 君は実に馬鹿だなあ」

 

 何を言っているかわからない。どうしてそんなことが言えるのか。彼女は口にこそ出していなかったが、その表情は彼女の心情を如実に表していた。掴んでいた腕はいつのまにか離れていた。僕は扉を開け外に出た。後ろで何か言っていた気がするが僕にはもうどうでもよかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一階に出る。僕の予想通り廊下は奴らで溢れていた。僕はイヤホンを装着し音楽を再生する。もちろん音量は最大だ。

 

「お前らはいいよなぁ。何も考えていなさそうでさ。うーうー唸って肉喰ってりゃそれで満足なんだろ?」

 

 当然、答えなど返ってこない。いくつもの濁った瞳が僕を見る。僕は腰のナイフとククリを鞘から引き抜き両手に構える。目標は前方。敵は多数。こちらは一人。だが問題なし。

 

「──オラァッ!」

 

 一番近くにいたゾンビの首をナイフとククリをクロスさせ引き裂く。まずは一つ!そのまま走りながら両手にもった得物を振り回し殺していく。これで四つ!

 

 僕は昇降口に向かいながら目につく奴らを片っ端から始末していく。両手にもった得物を使い僕は死を量産する。気分は宮本武蔵だ。途中、何度か噛まれるも身に着けたレザージャケットに阻まれ僕を噛むことは叶わない。しかし、引き離すのは骨が折れるので自作ナイフを目から突き刺し無力化する。

 

 もう何匹やったか覚えていない。以前の僕なら噛まれることもなかっただろうに。殺した数だって正確に覚えていたはずだ。ぬるま湯に浸かっていた僕は確実に弱くなっていた。

 

「ほぉー、大量じゃねえか」

 

 昇降口。僕の目の前には大量の奴らがいた。僕の言葉に一斉にこちらを向く。そうだ。そうこなくちゃな。ショルダーバッグに入れた火炎瓶を手に取り火をつけずに投げる。瓶が割れ中のガソリンが床にまき散らされる。すかさず二本目の火炎瓶を手に取り投げる。今度は火を点けてだ。

 

「ほら!入学祝だ受け取れ!」

 

 一本目で撒き散らされたガソリンとの相乗効果で奴らは激しく燃え出す。そうだ。この炎で清められればいい。死ね。ただ死ね。しばし、炎を眺めたのち僕は近くにあった消火器で火を消した。もともと火の付きの悪いガソリンなので火はすぐに消すことができた。あとに残るは黒焦げの死体だけ。最高の景色だ。

 

「これでだいたい30は殺れたか? さてお次はどいつだ?」

 

 祭りは始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 きっかけは一冊のマニュアルであった。見つけたのはただの偶然だった。見つけてしまわなければ僕は、まだ学園生活部にいたのかもしれない。

 

『職員用緊急避難マニュアル』そう銘打たれた冊子。何とはなしに開いてみればそこには数々の衝撃といっていい事実が記されていた。「感染対策は──」、「生物兵器」、「厳重な隔離──」。

 

なんだこれは。その場で激昂しなかったのは奇跡と言ってよかった。僕は、すぐさまこのマニュアルを手に佐倉先生に詰め寄った。

 

「先生、一つ聞きたいことがあります」

 

「なに……かしら本田君」

 

 僕の表情に佐倉先生は困惑している様子であった。もしかして知らないのか。僕はそうであってほしいと期待した。

 

「職員用緊急避難マニュアル。知ってますよね?」

 

 先生の顔が悲痛なものへと変わる。僕の期待は裏切られた。

 

「見て……しまったのね……」

 

「ええ、全て読みましたよ。その上で僕は貴方に聞きたい。何処まで知っていたんですか? 嘘偽りなく答えて頂きたい。事の次第によっては……」

 

 僕は腰の拳銃をゆっくりと引き抜いた。佐倉先生の顔に怯えが見える。僕は銃口を彼女に向け、ようとして寸でのところで手を戻した。お前は今、何をしようとしていた? そんなことをするためにここに来たのではないだろう。結局、銃はホルスターに戻した。

 

「すみません。先生に銃を向けようとするなんて。先ほどの言葉は撤回します。貴方が今から何を言おうとも僕は貴方を咎めません。だから、だから真実を教えてください」

 

 佐倉先生はゆっくりとこちらを向く。その顔は裁判官の前に立つ罪人のようであった。先生は深呼吸した。頼む。お願いだから知らないと言ってくれ!

 

「私が、そのマニュアルに気づいたのは貴方に出会う前よ。正確には、学園生活部ができる少し前のこと……。教頭先生に言われたのを思い出してね。今まで隠してきてごめんなさい。本当に、ごめんなさい」

 

 よかった。本当によかった。神様は、こんな僕でもまだ見捨てていなかったみたいだ。本当に、本当にありがとう。

 

「よかった。先生。正直に話してくれてありがとう。そして先ほどのことは本当にすみません。はぁー、本当によかった」

 

 僕はすぐ近くにあった椅子に座りこんだ。佐倉先生は呆けたままだ。しばらく呆けた後、先生は我に返り僕に詰め寄った。先生にしては珍しい取り乱しっぷりであった。

 

「そ、それだけなの……?私は、私は今まで貴方たちのことを騙していたのよ!?」

 

 まるで断罪を待つ罪人のように彼女は己の心情を吐露した。騙していた、か。

 

「騙す? 貴方は知らなかったんでしょう。何も知らない人にこれ以上言うことなんてありませんよ。精々、疑ってしまって謝るくらいだ」

 

 僕の言葉が信じられないようだ。大人である自分の責任だとでも思っているのだろうか? だとしたらとんだお笑いだ。

 

「本田君だって読んだのなら知っているはずよ! 知らなかったなんて許されない! だって、巻き込んだのは私たちよ! 誰かが、私がちゃんとそれを見てれば! だから、だから全部「私のせいだ。ですか?」え?」

 

 なんでこう、この学校には面倒くさい性格の人ばかり集まったかなあ? なに、お前が言うなって? それは言わない約束だ。僕は拳を握りしめ立ち続ける先生の前に立った。先生が僕を見上げた。その瞳には涙が滲んでいた。

 

「先生って人には散々、頼れって言うくせに自分のことは、二の次なんですね。責任感が強すぎるのも考え物ですね。ていうか馬鹿なんですか?」

 

「ば、ばか?」

 

 突然の生徒からの暴言に先生は驚いて硬直してしまっているようだ。一々、仕草が可愛らしいんだよ。本当に成人迎えているのか? 硬直する先生を横目に僕はお構いなしに言葉を続ける。

 

「だって、馬鹿じゃないですか。ありもしない責任感じて一人で罪人気取って。何になるんです? かっこつけてるつもりですか? 似合ってませんよ」

 

「え? え?」

 

「どうせ、これを見せたらみんながショック受けると思ったから隠したんでしょ?」

 

 僕は以前として硬直したままの先生から一歩下がるとわざとらしく咳をする。気分は裁判官だ。

 

「でも、責任感の強い先生だから僕が何を言っても聞かないんでしょうね。だから、こう言いましょう」

 

 

 

 

 

─僕は、貴方を赦します─

 

 

 

 

 

 その後は、まあ、大変だった。僕の言葉を理解した途端、年甲斐もなく泣き出した先生に僕はどうしていいかわからず必死に宥めようとするも余計に泣き出してしまう始末。そして泣き声を聞いて駆け付けた学園生活部の面々には僕が先生を泣かしたと思われてしまい、正座と説教のダブルコンボを喰らった。こういう時の悠里君は本当に怖い。

 

 泣き止んで涙でドロドロの先生によってようやく誤解は解けたが、僕は女性を泣かした罰として一週間のトイレ掃除を命じられた。解せぬ。

 

 その後、復活した先生と話し合ってこのことは折を見て全員に話すことに決定し、それまでは二人の秘密にしておくことで手打ちにした。

 

 だが、話はこれで終わらない。舞台は現在に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さぁて、ここはいったい何のためにあるんでしょうかね」

 

 一階に集まっていた奴らを血祭りにあげたあと、僕は、あのマニュアルに書いてあった地下の避難施設に来ていた。以前から存在自体は知っていたが何のためにあるのかなど考えもしなかった。

 

 マニュアルには15人が一カ月は暮らしていけると書かれていた。探索の結果その通りで大量の備蓄食料を見つけることができた。途中、自殺したと思わしき死体も見つけたが今更すぎるので気にも留めなかった。だが、目的はこれではない。

 

「これか……」

 

 僕の手には薬品の入った一本の注射器があった。そう、初期感染者用の実験薬だ。これさえあれば感染しても初期のうちなら大丈夫なのだろう。僕は手に持った注射器をポケットに入れようとして、結局元に戻した。

 

「駄目だ。駄目だ。こんなものに頼ろうだなんて軟弱すぎる。本当に効くかもわからんのに」

 

 そうだ。僕には、こんなものは必要ない。噛まれたら精々派手に火を点けて奴らを道連れにしてやる。それに僕が使ってしまったら彼女達が使う分が減ってしまう。ありえない話ではないだろう。

 

 ここにもう、用はない。僕は地下を後にした。

 

 

 

 

「ひ、秀樹……?」

 

 僕が地下のシャッターを潜ると目の前に胡桃君がいた。なんだ、わざわざ追って来てくれたのか。

 

「ひっ……!」

 

 彼女は僕の姿を見て詰め寄ろうとしたのだろう。だが、一歩進んだところで止まった。止まってしまった。僕は思い出した。そうだ、今、全身が血塗れなんだ。僕が近づくと彼女は後ずさった。いつも僕に向けてくれていた強気ながらも優しい瞳は今や怯えの感情に支配されていた。そうだ、それでいい。

 

 僕は彼女を無視してそのまま三階に戻った。三階では悠里君が僕に同じように詰め寄ろうと考えていたのだろう。既に三階の階段前で待機していた。心配して来てくれたのだろうか。

 

 でも、知ったことか。僕の姿を見れば皆後ずさった。生存者を助けて戻ってきた時と同じ状況だ。悠里君が後ずさる。これは前にも見た。

 

 音楽室に由紀君がいた。相変わらずピアノに悪戦苦闘している。僕は彼女に近づく。彼女の表情が恐怖に染まった。僕は構わず話しかける。

 

「ごめんな、由紀君。もう、ピアノ教えられそうにないや」

 

 廊下に出る。後ろで僕を制止する声が聞こえる。知ったことか。その足で職員室にいるであろう先生へと向かう。僕の姿を見るなり先生は僕に駆け寄った。なんでそこでその反応なんだよ。怯えるんじゃないのかよ。

 

 先生が何か言っている。もう、僕には聞こえなかった。僕は、地下に備蓄と感染者用の薬があることを伝えそのまま職員室を後にした。

 

 廊下を歩く。一歩足を踏み出すたびに昔の僕に戻るのを実感する。その調子だ。いいぞ僕。そのまま化物に戻ってしまえ。

 

 僕の腰に衝撃が走った。一人忘れていた。そうだ、るーちゃんだ。

 

「おじさん……? どこ行くの?」

 

 その顔は今にも泣きそうだった。泣くことないだろう。もう、姉さんとは離れ離れじゃないだろうに。

 

「ごめんね、るーちゃん。僕は、もう行かなきゃならないんだ。なに、すぐ戻ってくるよ」

 

 僕は嘘をついた。もう戻ってくる気なんてないのに。

 

「うそだもん! おじさんのうそつき! おじさん、しげる先生と同じ顔してるもん! やだよぉ……。もうるーちゃんをおいていかないでよぉ……」

 

 そしてそのまま泣き崩れてしまった。僕は、人でなしだなぁ。でも、仕方がないか。でも、最後に少しだけ、少しだけ優しくしよう。僕は血塗れの手で泣き崩れる彼女を抱きしめた。

 

「るーちゃん、ごめんね。でも、僕はいかなくちゃならないんだよ。僕はここにいちゃいけなかったんだ。でも、僕は臆病だから一度手に入れたものを手放せなかったんだよ。みっともないことにね。そうだ、これを後でみんなに見せてくれるかな?」

 

 僕は予め用意した手紙を彼女の手に握らせた。るーちゃんは俯いて泣いたままだ。本当に度し難い男だこと。

 

 そのまま、背を向け歩く。背中に何かがしがみついている。でも、知ったことか。僕は無視して歩き続ける。いつしかしがみついていたものも離れた。

 

 後ろで何か聞こえた。でも、僕にはもう関係ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は、また独りになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 





 いかがでしたか?入学祝(可燃性)。この面倒くさい男は結局学園生活部を後にしてしまいました。捻くれ過ぎて意味不明ですね。でも、これでモール組を出せます。では、また次回。


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閑話 本田秀樹の手紙

 書いていて思うこと。もげろ


拝啓 学園生活部の皆様へ

 

 学園生活部の皆様方。皆様がこの手紙を読んでいるということは、私は既にこの学校を去っていることなのでしょう。この度は皆様に大変なご迷惑をかけたことを深くお詫び申し上げます。

 

 今回の件にいたしましては、全て私の弱さが招いた事態であり、皆様が気を病む必要は全くございません。一階の惨状をご覧になったのならもうご理解いただけるかと思いますが、あれが私の正体なのであります。私は、あの事件が起きてからというものあのような惨状を多く作り上げてきました。人の皮を被った醜い化物。それが私の本性なのです。口では尤もらしいことを言ってもその心は奴らへの憎しみで一杯でした。今まで隠していたことを深くお詫びいたします。

 

 私は自分の弱さから大切なものを失ってしまいました。その後悔から化物になることを決心したのであります。私は皆様と出会う前より壊れていました。今まで必死に取り繕ってきましたがもう、限界でした。学園生活部の皆様との生活はとても楽しく、化物であった私には眩しすぎたのです。

 

 悠里さんのお料理、大変美味しかったです。妹さんのことをくれぐれもよろしくお願いいたします。胡桃さん、貴方にはとても酷いことを言ってしまうことでしょう。こんな形で言い訳するのはみっともないですが、それは私の本心ではありません。ですが、到底許されることではないでしょう。私のことを恨んでください。由紀さん、ピアノを最後まで教えることができなくて申し訳ございません。でも、僕の部屋のノートに練習法を書いておいたので、まだピアノを続ける気があるのなら参考にしていただければ幸いです。瑠璃ちゃん、嘘をついてごめんなさい。僕は君をおいていってしまいました。本当にごめんなさい。最後に佐倉先生、貴方はとても責任感のある優しい方ですからきっと自分のことを責めてしまうでしょう。ですが、その必要はありません。きっと、心優しい皆様のことなので、私のことを探そうとするのでしょう。ですが、その必要はありません。私は、私の信念に基づき行動したまでなのです。

 

 手紙には地図が同封されていると思います。その地図には私が今まで作ってきた拠点の場所が記されています。そこには食料や武器が備蓄してあり、ある程度奴らも減らしているので何かあったら遠慮なく使っていただけると嬉しいです。クロスボウも貴方達に差し上げます。使い方はこの手紙にメモを同封したのでそれをお読みください。

 

 最後に、今までこんな私を受け入れて下さり本当に感謝しています。自分から出て行って何様だと思われるかもしれませんが、本当に、楽しかったです。精々、この馬鹿な僕を笑って下さい。それでは皆様方、さようなら。そしてありがとう。

 

本田秀樹より

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室が悲痛な沈黙に包まれた。皆、俯いていた。悲しみだけが支配していた。

 

「……ざけんな」

 

 最初に口を開いたのは誰であったか。それは恵比寿沢胡桃であった。

 

「ふざけんな! なんだよ、それ! 意味わかんねえよ!」

 

 彼女はテーブルに拳を叩きつけた。それは彼に対する怒りか、それとも引き止めることができなかった自分への怒りか。

 

「なにが化物だ! なにが眩しすぎるだ! こんな手紙でかっこつけてんじゃねぇよ!」

 

「胡桃……」

 

 若狭悠里は彼女の悲痛な叫びに顔を上げた。。丈槍由紀は俯いて泣いたままだ。由紀を後ろから抱きしめるように佐倉慈も立っていたが彼女の顔色も優れない。瑠璃は泣きつかれて眠ってしまった。

 

「私のせいだ……」

 

 佐倉慈が呟いた。

 

「そんな、めぐねえのせいじゃ……」

 

「めぐねえのせいなんかじゃねぇ! あのバカが、あいつが悪いんだろ!」

 

「恵飛須沢さん。本田君を悪く言わないで上げて……」

 

 思いがけない反論に胡桃は一瞬黙るも、すぐに言葉を続けた。だが、その声は心なしか震えていた。

 

「あいつだって平気なわけないのに、こんな世界になって悲しくないはずないのに、あたしは気づかなかった! 血塗れの秀樹に怯えて声もかけられなかった! でも、こんなのってないだろ……。もう、誰かがいなくなるのはやなんだよぉ……」

 

 それは涙であった。それは、感情の暴露であった。

 

「先輩がいなくなって、すごい悲しかったのに……。あたしはわかってたはずなのに!」

 

「恵飛須沢さん……」

 

「胡桃……」

 

 胡桃はそれだけ言ってしばらく黙り込んだ。誰も口を開こうとはしなかった。ただ、沈黙のみがそこにあった。

 

「秀樹を探してくる……。めぐねえ車貸してくれ」

 

 何かを決心したのか、はたまたただの破れかぶれか。彼女は彼を探すことを決意した。

 

「どこにいるのかもわからないのに……無理よ……」

 

「りーさん! 今回ばかりは勘弁してくれ。秀樹みつけて一発殴ってやる!」

 

 そう言って彼女は佐倉慈に車を借用を願い出る。その目はどこまでも本気だった。

 

「めぐねえも手伝ってくれ! 今ならそんなに遠くに行ってないはずだ!」

 

「恵飛須沢さん……。わかりました。でも、明日からにしましょう?」

 

「そんな、めぐねえまで……」

 

 悠里には彼女達が何故そこまで本気になれるのかわからなかった。それは外に対する恐怖からくるのだろうか? 彼女は自分がどうすればいいかわからなかった。

 

「りーさんもさ、手伝ってくれよ。あの一人でかっこつけてる馬鹿をなぐってやるんだ!」

 

「恵飛須沢さん! お、穏便にね!」

 

 その言葉に悠里は以前彼に言われたことを思い出した。一人で意地を張ってなんの得になるのだ。彼はそう言っていた。今となっては盛大なブーメラン発言となってしまったが、その言葉は彼女を確かに勇気づけていた。

 

「うふふ、そうね、わかったわ。いっしょに探しましょうか」

 

 二人が笑顔になる。流れが変わろうとしてきていた。

 

「そうこなくちゃな! さすがりーさん!「でも、殴るのは一発じゃなくて五発にしなさい。胡桃」えっと……あっ、そういうことか! まかせてくれよ!」

 

 悠里、胡桃、由紀、瑠璃、慈。五人分のパンチが彼を襲うことが決定した瞬間だった。

 

「わ、私の生徒たちが、ふ、不良に……」

 

 口ではそんなことを言っていてもどことなく嬉しそうな教師なのであった。

 

「じゃあ、課外授業だね!」

 

 それは今まで泣いているだけであった由紀であった。

 

「ぐす、ひーくんは、と、とっても怖がりさんだから、いなくなっちゃったんだよね? だったらわたしたちみんなでこわくないよーってすればきっと戻ってくれるよね!」

 

 その顔にはもう悲しみはなかった。流れは変わった。学園生活部は馬鹿な部員を連れ戻すことに決めたのだ。彼が自分をなんと思おうとも、彼は彼女達にとって大切な仲間であることに違いはないのだ。

 

「じゃあ、そうと決まったら明日から捜索開始な! とりあえずアイツから貰った地図の拠点を虱潰しにさがしてみるか」

 

「そうね、たぶん、そんなに遠くにはいけないはずだから……ここがいいんじゃないかしら?」

 

「おぉ、りーさん流石!」

 

「もう、茶化さないの!」

 

 いつもの学園生活部が戻ってきた。ここまで生き残ってきたタフな女性たちである。彼がお縄に捕まるのも時間の問題であろう。

 

「あ、そうだわ!」

 

 慈が生徒会室から出て行った。少しして戻ってきた彼女の手には彼の残したクロスボウが握られている。

 

「め、めぐねえ。それ……」

 

 笑顔でクロスボウを構える佐倉慈に学園生活部の表情は引き攣った。

 

「せっかく本田君が置いて行ってくれたんだもの。使わないと損よね! えーと、ふむふむ」

 

 そのまま笑顔で操作説明を読み始めるのであった。

 

「なあ、りーさん。めぐねえ怒ってね?」

 

 彼女の突然の奇行に学園生活部は困惑した。いったい何が彼女の心境を変えたのであろうか。それは神のみぞ知る。

 

「め、めぐねえが不良さんになっちゃったよぉ~」

 

 

 

 

 

 

 学園生活部は今日も平和そのものであった。

 

 

 

 




 いかがでしたか?この話は難産でした。三人称って難しい。そしてめぐねえが遂に武器ねえに進化しました。きっと1キロ先のコインすら射抜くでしょう。

 では、また次回に。


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第八話 ふたたび

 書いていて思うこと。こいつエンジョイしてやがる。

2017年6月3日 圭の潜伏場所を修正。


 

 2015年○月○日

 

 学園生活部を去った。後悔がないと言えば嘘になる。でも、僕の選択が間違いだったとは思えない。少し長めの休暇だったと思えばいい。だけど、あの別れ方は自分でもどうかと思う。夜中にこっそり去っていくという選択肢はなかったのだろうか? しかも、あんな手紙を残してみみっちいたらありゃしない。

 

 彼女達の怯える顔が頭から離れない。覚悟して行ったはずなのに今すぐにでも謝りに行きたい衝動にかられる。思っていた以上に学園生活部は大切なものになっていたのだろう。今日は何もする気にならない。酒を手に入れたので一日中飲んでいようと思う。

 

 

 

 

 

 

 2015年○月○日

 

 二日酔いが酷い。何もする気になれない。

 

 

 

 

 

 

 2015年○月○日

 

 久し振りに物資の捜索に出かける。ゾンビは相変わらずのろまでまるで相手にならなかったがどうにも殺す気になれなかった。まだ引きずっているというのだろうか。我ながら情け無い男だ。

 

 クロスボウも弓もあそこに置いてきてしまった。元から殆ど使っていなかったので別になくても構わないが遠距離攻撃手段が銃だけなのは心許ない。ライフルと拳銃の残弾はまだまだあるがこれは大量駆除用に取っておきたい。弓を作るのもいいかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年○月○日

 

 拠点にあったポリ塩化ビニルのパイプで弓を作った。我ながらよくできたと思う。ただ、威力は、別として命中率はリカーブボウには遠く及ばない。胡桃君ならこんな弓でも当てるのだろうか。夕飯を自炊してみたが、火加減を間違えて失敗してしまった。作ってもらうことに慣れきってしまったからだと思われる。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 ずっと、拠点で燻っていても仕方がないのでゾンビ狩に出かけた。昨日作った弓も試してみたがやはり当たらない。15mが限界だ。しかも矢を作るのに酷く手間がかかる。これは完全に隠密用だな。ゾンビを殺せば気分が晴れると思ったがそんなことはなく42匹殺したところでどうしようもなく白けてしまい、そのまま拠点に帰った。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 今日もゾンビ狩りに出かけた。いつも車というのも味気ないので拠点にあった自転車に乗ってみた。広い道路を何にも邪魔されず自転車で走るというのは中々に気分がよく、正直いってゾンビ狩りよりも楽しめたかもしれない。だが、サイクリングに夢中になってしまいゾンビは21匹しか殺すことができなかった。これはよくない。

 

 本当ならマニュアルの連絡先に載っていたランダルコーポレーションか聖イシドロス大学に行くべきなのかもしれない。でも、今の僕には以前あった煮えたぎるような憎悪がない。いわゆる燃え尽き症候群というものだろうか。

 

 ふと、思う。僕は今まで何をしていたのか。何故そこまで奴らを憎む。母を見殺しにした罪悪感を奴らへの憎悪にすり替えていただけではないのか。彼等だって被害者だろうに。

 

 ただ、独り奴らを殺して殺して殺して殺して、それでなんだ。何になる。ただの自己満足ではないか。確かに奴らと戦うのは楽しい。アドレナリンが溢れ身体が昂揚感に包まれるのはたまらない。試行錯誤を重ねた武器が奴らを薙ぎ倒す光景など最高だ。でも、だから何だ。

 

 この答えが見つかるまで僕はゾンビ狩りを休業しようと思う。きっと僕は殺し過ぎてマンネリになっているだけなのだろう。だからしばらく別のことをして過ごそう。そうだ、それがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 昨日のこともあり僕は気分転換に川で水浴びと猟に興じてきた。川の水はあまりきれいではなかったがそれでも冷たくて大変気分がよくなった。猟と言ってもゾンビではなく鴨だ。慣れない弓というのもあって結局一羽しか捕まえることしかできず、拠点に持ち帰って食べようとしたが処理に失敗してしまいあまりおいしくはなかった。とはいえ久方ぶりの新鮮な肉の味に僕は夢中になってしまった。明日も行ってみようと思う。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 今日も川に鴨猟に行ってきた。慣れたおかげか今日は一気に三羽も仕留めることができた。感謝感謝。犠牲となった大量の矢のことを僕は忘れない。

 

 帰りがけにかなり状態のいいオフロードバイクを見つけた。近くにヘルメットを被ったゾンビがいたのできっと彼の持ち物だったのだろう。試しに走らせてみたところ問題なく走ったので、自転車の代わりに持って帰ってきた。途中、何度かエンストさせてしまったかコツを掴んだのでもう問題ない。

 

 仕留めた鴨は昨日の失敗を踏まえより丁寧に処理をして食べてみたところ非常においしく丸ごと一羽を食べきってしまった。とは言えまだ二羽残っているので明日も食べることができるだろう。悠里君に頼めばもっと美味しい料理をつくってくれるのだろうか?

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 昨日の鴨を食べて腹を下した。何も書けない。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 以前から気になっていた煙草を吸ってみることにした。結論から言うと僕は煙草にはまってしまった。濃い目の煙草を吹かすのが一番気に入った吸い方だ。佐倉先生に見つかったらまた反省文を書かされることだろう。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 食料が心許ないので別の拠点に移ろうと思い、商店街に作った拠点に移動しようとした。したというのはアクシデントが発生したからだ。商店街に佐倉先生の車が止まっていた。僕がたまたま下見のためにバイクで来てたまたま建物の中に入らなければばれていただろう。たしかに、僕は手紙に拠点の地図を同封したけれども、まさか本当に使おうとするなんて思いもしなかった。しかも、何故か胡桃君と一緒にいた佐倉先生の手にはクロスボウが握られていて不慣れな様子ではあったが確実にゾンビの頭に矢を叩きこんでいた。

 

 二人は何かを探しているようであったがやがて諦めたのか拠点の物資を車に詰め込んで去っていった。もしかして僕を探していたのだろうか。いや、そんなはずはない。あんなことをされたのにまだ追ってくるなんてただの馬鹿だ。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 あれから何度か学園生活部の皆と何度かすれ違った。佐倉先生はいつもいたが悠里君や由紀君が同行している時もあればまさかの全員で行動している場合もあった。全てに共通していることは僕の拠点にいるということと皆何かを探しているということだ。

 

 かくいう今日も見つかりそうになった。今日は本当にギリギリだった。あと少し隣の家の窓に飛び込むのが遅かったら僕は胡桃君に見つかっていただろう。割れた窓に無理やり飛び込んだから体中が痛い。

 

 もう、勘違いでもなんでもない。彼女達は僕を探しているのだ。いったい何故だ。考えてもわからない。でも、学園生活部が僕を探しているという事実を喜んでしまう僕がいることは紛れもない事実だ。自分から出て行って探していると知ったら喜ぶなんてどうかしていると思うが事実なので仕方がない。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 僕が以前追い払った男を見かけた。まさか生きているとは思っていなかったが、念のために尾行してみたところ、貸しビルの二階を根城にした生存者のグループを発見した。あのイカれた男の所属しているグループなので、どうせロクな集団ではないと踏んだが本当にその通りであった。

 

 酒でも飲んでいるのか薬でもキメているのかゲラゲラ笑いながら学園生活部のことを話していた。正確には学園生活部の襲撃の話を。きっと僕を探しているのを見られたんだ。あまりにも下劣な会話ゆえにこの日記にそれを記すことはないが、その場で飛び込まなかった僕はとても偉いと思う。

 

 数少ない生存者、本当なら助け合うべきなのかもしれない。でも、彼らは人ではない。人の皮を被った獣だ。僕の敵だ。必ず報いを受けさせてやる。学園生活部を傷つけようとした代償は大きいぞ。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 奴らが夜寝静まったころを見計らい襲撃した。出口を塞ぎ窓から火炎瓶をありったけ投げ込んでやった。炎と共に悲鳴が聞こえた。当然の報いだ。死んでしまえ。

 

 これで、はっきりした。僕はやっぱり戻れない。どこまでも壊れてしまった僕が学園生活部に所属する資格はない。別れたのは間違いではなかったのだ。だからこれでいい、これでいいのだ。

 

 彼女達には悪いが諦めてもらうほかあるまい。きっとしばらくすれば諦めるだろう。それまで待てばいい。

 

 

 

 

 

 2015年〇月〇日

 

 気まぐれでラジオの電源を入れてみたところ女性の声が聞こえてきた。内容は『シドー・ケイ』と名乗る女性が駅の北口の駅長室で助けを求めていることとその近くのモールの五階に仲間が一人いるので出来れば彼女を助けてほしいとのことであった。

 

 どうせ暇だ。幸いここからそう離れてはいない。この日記を書いたらすぐに出発する予定だ。助けることができたなら適当に学校の近くにでも放り出せばあとは学園生活部がなんとかしてくれるだろう。いわゆる丸投げというやつだが無駄に怯えさせるわけにもいかない。適材適所というやつだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここは久しぶりだな」

 

 僕は駅前のバス停に車を止めて呟く。そう、ここは僕が以前、るーちゃんと出会う前、大規模な駆除を実行した駅だった。あの時はちょうど通勤ラッシュの時間帯で元会社員達が大勢押し寄せてきていた。

 

 僕は作ったばかりの火炎放射器で暴れまわり置き土産にスピーカー付きのナパーム爆弾を設置していったのだ。あれからどうなっているのだろうか?少し楽しみだったりもする。いくら休業中とは言えもなんだかんだいって血は争えないのである。

 

 

 

 

「よし、これに決めた」

 

 僕の手には自動式の拳銃が握られている。名をマカロフPMという。ソ連が開発した9x18mm弾を使用する中型拳銃でSKSを手に入れたのと同じ場所で発見した。恐らく樺太あたりから流れてきたのだろう。ご丁寧に銃身に螺子が刻まれ上からサプレッサーを装着することができる豪華仕様に見える。あくまでそう見える、だ。

 

「でも、これかぁ~。どうしよっかな」

 

 一見、今回の救出作戦にはベストな選択かと思われるこの銃であるが一つ重大な欠点があった。猛烈に動作不良を起こすのだ。原因は元の持ち主の管理不足だ。マガジンに弾を込めっぱなしですっと放置していたのだろう。弾を押し上げるバネがかなり緩んでいた。そのせいで何度も装填不良を引き起こすのだ。精度も下手したら警察のM37のほうが上かもしれない。だが、なまじ弾だけは大量にあるので扱いに困っているのだ。

 

「まあ、いいか」

 

 僕は結局、マカロフと弓を持っていくことにした。マカロフはサプレッサーが付いていてホルスターも持っていないのでベルトの間に挟む。流石に暴発されたらたまったもんじゃないので薬室には弾を込めずに携行する。これで準備万端だ。

 

「オーケー行くとしますか……」

 

 辺りはすっかり日が暮れている。車のバックドアから外にでる。生暖かい風だけが僕を祝福していた。

 

 

 

 

 

 

 

「ここは相変わらずそのままか……」

 

 僕は駅の改札口前にやって来た。以前、僕が焼き殺した大量のゾンビの死体は当然、放置されたままであった。

 

 置き土産の爆弾も上手く作動していたようで僕が最後に見た時よりもさらに多くの死体で埋め尽くされていた。これはひどい。

 

「さーて奴さんのお出ましだ」

 

 とはいえ全てのゾンビを殲滅できたわけではない。確かに、ここに来る習慣があったゾンビはほぼ全て殺したのだろう。それでも、奴らというのは酷く気まぐれだ。僕の視界の先にはゾンビが三体。酷く暗いため全くこちらに気づいていない。

 

 ゆっくりとマカロフのスライドを引き弾を薬室に装填、一番左の奴の頭に狙いを付け引金を引く。くぐもった銃声ともに9mmのラウンドノーズ弾が奴らの頭を砕く。まず一体。だが、銃声によって奴らが僕に気づいた。でも、これは想定内だ。

 

 サプレッサーまたの名をサイレンサーと呼ばれるものは日本では銃声を消すものだと思われている。しかし、本来サプレッサーというものは専用の弾薬を使った専用の銃を使わない限り精々電話のベル程にしか音は抑制できないのだ。

 

 僕はそのまま隣の二体に連続で発砲する。流れるような三連射。我ながら惚れ惚れする腕前だ。

 

「イピカイエーざまぁみって、あれ?」

 

 僕はわざとらしく銃口の煙を息で消した。ところで空薬莢が排莢口に挟まっているのを視認した。また排莢不良かよ。仕方ないので弾倉を入れ直しスライドをもう一度引く。これでよし。

 

「駅長室に向かおう」

 

 

 

 

 

 それから僕はチラホラといるゾンビ共をマカロフで始末しながら駅長室のある北口を目指した。途中マカロフが二回動作不良を起こしたことはどうでもいいことである。

 

「さて、ここかな」

 

 だが、そんな甲斐もあってか僕は駅長室と思われる部屋のドアの前に来ていた。周囲は暗くて普通なら灯りがないと見えないだろう。でも僕は自慢じゃないが夜目が効く。この程度の暗さならまるで問題にならないのだ。

 

 線路に電車は止まっていなかった。偶然他の駅に止まっていたようだ。正直ここに停車していたらとんでもない数の奴らがこの駅を占拠していただろう。その時は車を突っ込ませることぐらいしなくてはならなかったかもしれない。

 

 僕は駅長室のドアをノックする。わかりやすいようにリズムを付けてだ。

 

「おい、誰かいないのかね? いるならここを開けてくれ! 無理ならこじ開ける」

 

 中でごそごそ音がした。もしかしてもう遅かったか? 僕はマカロフをいつでも撃てるよう準備した。でも、それは杞憂だったようだ。

 

「い、いま開けますから……待ってください……」

 

 扉が開いた。でも暗くてよくわからない。ポケットからペンライトを取り出し中を照らす。放送器具、椅子、机 ロッカー。そして疲れ切った顔の女の子。しかも、僕の高校じゃないか。

 

「君がシドー・ケイだね? 放送を聞いてやってきた」

 

 彼女が小さく頷いた。どうやら彼女がシドーであることは間違いないらしい。罠も考慮したがこの様子じゃそうでもなさそうだ。

 

「よ、よかった……。ほ、ほんとに来てくれた……。助けに、来てくれたんだ……」

 

 彼女は今にも泣きだしそうな顔で呟く。この暗い部屋で独り、薄い扉の先には奴らが血肉を求め彷徨っている。相当な心細さだったのだろう。だから僕は座り込む彼女に目線を合わす。不安と安堵が入り混じった瞳が僕を見る。彼女の世界から見て僕は一体どう見えているのだろうか。

 

「君、今までよく頑張ったね。もう大丈夫だよ」

 

「あ、あ、うああああああ!」

 

 それが限界だったのだろう。彼女は目から瞳から涙をあふれさせ僕にしがみつくとそのまま泣き出してしまった。これは前にも見た。違うのは年齢くらいかな。僕は彼女が泣き止むまで介抱することにした。顔から出る分泌液でジャケットがグシャグシャになったは致し方ない犠牲である。

 

 

 

 

 

「ご、ごめんなさい……突然泣き出しちゃって……」

 

 落ち着きを取り戻した彼女は僕の手渡したミネラルウォーターを飲みながら申し訳なさそうに謝るのであった。

 

「それは気にしていないから構わない。それよりも怪我はしていないかい? 噛まれたりは? 正直に話してほしい。何もしないと約束しよう」

 

「噛まれてはいません。それだけは確かです」

 

 よし、噛まれていないなら問題ないな。僕は彼女に手を差し伸べる。ここから出るためだ。

 

「じゃあ、ここでずっと話すのもアレなんだし、とっとと行こうか。立てるかい?」

 

 僕の手を取る。小さい手だ。モールからここまでそこまで距離はないとはいえたった一人でやってきたのか。なんとも逞しいお嬢さんだこと。

 

 でも、彼女は立ち上がることができなかった。何度か足に力を込めたようだが、やがて諦めたようで僕を恥ずかしそうに見上げた。

 

「すいません……。こ、腰が抜けちゃったみたいで。ご、ごめんなさい」

 

 本当に申し訳なさそうに彼女は僕に謝った。恐らく極度の緊張状態から解放されたことにより気が抜けてしまったのだろう。よくあることだ。

 

「まあ、よくあることだよ。どれ、手を貸してごらん」

 

 差し出した手を握り僕は彼女の腋の下から首を差し込む。そして勢いよく肩に担ぎ上げた。僕の突然の奇行に彼女は慌てふためく。

 

「ちょ、ちょっといきなりなにするんですか!?」

 

「何って、君が動けないといったから運ぼうとしてるんじゃないか。僕なにか変なことしているかい?」

 

「そ、それは、そうですけど……」

 

 僕の至極真っ当な反論に彼女は言い淀む。あれか、もしかして恥ずかしいのか?

 

「お姫様抱っこやおぶるとでも思ったかい? 残念、ファイヤーマンズキャリーだよ」

 

「ファ、ファイヤーマンズキャリー? あ、あのもう少しこう……」

 

 どうにもこの担ぎ方がお気に召さないようだ。まあ、年頃の娘が物みたいに担がれていい気分はしないだろう。でも、これが一番僕に負担のない運び方なのだ。

 

「他の運び方にしてほしいだって? そりゃ無理だ。申し訳ないけど」

 

 そう、今の僕は背中にリュックを背負っている。まず、この時点でおぶるのは無理。次点のお姫様だっこは両手が不自由になるうえに腰に負担がかかる。消去法としてファイヤーマンズキャリーが選ばれたのだ。それにこれなら片手が空く。

 

「じゃあ、君、行くぞ。精々暴れないでくれたまえ」

 

「う、う~恥ずかしい……」

 

 顔は見えないがきっと真っ赤になっているのだろう。だが知ったことではない。僕は空いた方の手でマカロフを構える。これで準備完了だ。

 

「なに、月しか見ていないさ」

 

 

 

 

 

「う~、もうお嫁にいけない……」

 

 何とか車に戻った僕は車内で一休みすることになった。あの運び方はどうにも恥ずかしくてたまらなかったようで、彼女は未だに両手で顔を覆っていた。広い車内とはいえ二人もいると少し狭く感じる。

 

「あの時はあの運び方しか選択肢がなくてね。すまんね、君」

 

「もう、気にしてないから大丈夫です。あっ、そうじゃなかった!」

 

 彼女は僕に向き直ると勢いよく頭を下げた。勢いが良すぎて後ろで纏められた髪が床に垂れる。

 

「あの私、巡ヶ丘学院高校2年の祠堂圭って言います。さっきは本当にありがとうございました!」

 

 こうも気持ちよく礼を言ってもらえたのは学園生活部以来か。本当に未練たらたらだな、おい。

 

「まあ、どういたしましてと言っておこう。僕は君と同じ巡ヶ丘高校3年の本田秀樹だ。細かい話は拠点に行く間にしよう」

 

「はい、わかりました。あれっ…………? 本田秀樹って本田先輩ですか!?」

 

 祠堂君は僕の名前に大層驚いたようである。もしかして知り合いか? でもまったく記憶にないな。

 

「あ、よくみたら本田先輩だ。私ですよ、覚えていませんか? よく図書室で美紀って子と話してたと思うんですけど、先輩とも何度か話しましたよね?」

 

 本当に知り合いだったとは。皆目見当がつかない。図書室に入り浸っていたのは覚えているが誰と話したなんて一々記憶しているわけがないのだ。ましてやこんなご時世だ。すっかり忘れてしまっていても何らおかしくない。それだけ強烈な日々だったのだ。

 

「悪いが、皆目見当がつかない。恐らく君の言うことに間違いはないのだろうけど生憎と僕は人を覚えるのが苦手でね。すまんね、君」

 

「その、妙に古臭い喋り方、やっぱり先輩だ。でも……」

 

 僕の身体をジロジロと見まわす祠堂君。

 

「先輩って、そんなに大きかったかなぁ? もっとこう「痩せてた、かい?」そ、そうです」

 

 昔の僕はそんなに頼りない見た目だったのだろうか。もう、ぜんぜん思い出せない。

 

「歩く死体なんてものが跋扈している世の中だ。このくらい鍛えないとやっていけなかったんだよ」

 

 祠堂君はありえないと言いたげな顔で僕をみた。まあ、中肉中背だった知り合いに久しぶりに再会したらレスラーのような体躯に変貌していたら誰でも面食らうであろう。

 

「まあ、ともかく出発するよ。そこにいるのも構わないが置いてあるものには絶対に手を触れないでくれ。爆発してもしらないからな」

 

「ば、爆発!? ま、待って下さい。今、助手席に移りますから!」

 

 僕の爆弾発言に面食らったようで祠堂君は慌てて助手席に座った。僕は車を発進させた。暗闇にテールランプの怪しい光が輝いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほれ、熱いから気を付けて」

 

「ありがとうございます……。あっ、美味しい……」

 

 僕が差し出したココアを少しづつ飲みながら祠堂君は安堵の溜息をついた。ここは一軒家の居間。僕の拠点だ。当然、電気はつかないのでランタンを灯しているが、LED式なので風情もへったくれもないのが少し残念だ。

 

「ふむ、だいたい事情はわかったよ。大変だったね」

 

 あの事件の日、彼女祠堂圭とその友人の直樹美紀は駅前のショッピングモールで遊んでいる最中、奴らに襲われたが隠れることで奇跡的に難を逃れた。その後、モールの生存者達と共にバリケードはを築き生活していたが、ある日、バリケード内で感染者が出現。コミュニティは崩壊し祠堂君と直樹君は五階の一室に立て籠もり今まで生きながらえてきたのだという。

 

 コミュニティ内に感染者、か。ありきたりなパターンだな。おおかた誰かが噛まれたのを黙っていたのだろう。馬鹿なことをしたものだ。

 

「でも、なぜそこを出てきた? 食料も水もあったんだろう?」

 

 食糧も水もある安全な部屋で生きる。だが、祠堂はそれを良しとしなかった。彼女は助けを呼ぶために直樹美紀を一人置いて来た。その後は知っての通りだ。彼女は駅で立ち往生。僕に助けられ今に至る。

 

「あの時は、それが名案だと思ったんです……。というか先輩、それって」

 

 彼女の視線は分解されたマカロフに注がれていた。もしかして、東側兵器に興味があるのかもしれない。

 

「ああ、これかい? これはマカロフPMといってソ連で開発さ「あの、そういうのじゃなくて、なんで先輩が銃なんてもっているんですか?」ふむ」

 

 なんだ。銃に興味があるわけじゃないのか。少し残念だ。でも、彼女の疑問は尤もだ。平和だった日本社会において銃なんて言うものは基本的にスクリーンの向こう側の存在だ。しかも、明らかに軍用の拳銃。怪しまれないわけがない。

 

「簡単な話だよ祠堂君。銃を見つけたのは偶然で、使えるのは元からそういうのに目がなかっただけ。なまじ弾と的だけはたくさんあったからね数を撃って覚えたのさ」

 

「そ、そうですか……」

 

 彼女の顔は心なしか引き攣っていた。まあ、そんなものか。本物の銃を見て興奮するなんて人間はごく少数なのだ。

 

「って、そうじゃなかった! 先輩、折り入ってお願いがあります! どうか、どうか美紀を助けて下さい!」

 

 彼女は自分の目的を思い出したのか、立ち上がり僕に叫んだ。それは祠堂君の魂の叫びだった。放送で聞いてはいたが面と向かって頼まれるのは始めてだ。

 

「君はわかっているのかい? その頼みは僕に命を賭けろといっていることを」

 

 そう、外には大量の奴らが生者の血肉を今か今かと待ち望んでいる。モールとなればその数は推して知るべし。彼女の頼みは言うなれば行って死んでくれませんかと言っているようなものだ。

 

「わかってます! 無理な頼みだってわかってるんです! でも、でも私は美紀にどうしても会いたいんです! 会って謝りたいんです! あんなのがお別れなんて嫌なんです!」

 

 どれほどの覚悟があれば言葉にすることができるのだろうか。祠堂君の言葉は本当にその者を思っていなければ発することのできない思いに満ちていた。

 

「どんなことでも、何でもします! だから、先輩! お願いします!」

 

 僕に祠堂君の頼みを受ける理由はない。いうなればこれは彼女のわがままだからだ。常識から考えてこんな頼みを受ける必要はない。

 

 

 

 

 

だが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふむ、いいだろう。美紀君とやらを助けてやる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

断る理由もない。

 

 

 

 




 いかがでしたか? 主人公はスランプに陥ってしまったようです。そしてやっと登場した圭ちゃんをまさかの消防士搬送というオリ主にあるまじき運び方をする始末。そこはお姫様抱っこだろーが! ちなみに塩ビパイプの弓は作者の実話です。意外と飛びますよ。次回はいよいよモール編です。


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第九話 すくい


 書いていて思うこと。こいつ拗らせすぎなんだよ。


 

 祠堂圭にとって本田秀樹はよくわからない人間であった。初めてであったのは友人の直樹美紀と学校の図書室で他愛もない雑談に耽っている時。偶然、隣の席に座り偶然、直樹美紀の好むホラー小説を読んでいたことから気まぐれで声をかけたのが交流の切欠であった。

 

 本田秀樹は端的に言って変人であった。話す言葉は妙に古臭く興味のないことにはまるで関心をしめさない。文学少年といった面立ちなのに耳にはめたイヤホンからは激しいロックの旋律が漏れ出していた。ホラー小説を読みながらヘッドバンキングをする彼の姿はさぞシュールだったという。

 

 彼は、そんなよくわからない人間であったが祠堂圭は一つだけ確信していた。彼はどうしようもなく変人であるが決して悪人ではないということを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうです、先輩。似合ってますか?」

 

 そういって祠堂君は見せつけるようにゆっくりと身体を回転させる。その装いは以前の高校指定の制服とは違いミリタリー系の丈夫そうな服を身に纏っていた。

 

「ふむ、ちゃんと僕の言う通りの服装にしてくれたようだね。ブーツのサイズは合っているかね?」

 

「はい、大丈夫だと思います。でも、ちょっと暑いです」

 

 彼女の指摘は尤もであった。既に外は半袖一枚でも問題ないほどの暑さになっているというのに彼女の服は長袖のジャケットに厚手のブーツと完全に季節を間違えた装いだからだ。

 

「ジャケットもブーツも必要なのだよ。ブーツは足首を掴まれた際に身代わりになってくれるしジャケットも腕を丸出しにするよりは何十倍もマシだ」

 

 僕たちは大通りから外れたアパレルショップにいた。店内はここに来た時に掃除したのでいきなり襲われることはない。目的は祠堂君の服を調達するためだ。昨日僕に救助された祠堂君は僕に親友である直樹美紀の救助を依頼し、僕はそれを承諾した。とはいえ祠堂君は駅まで歩き続けたことによる疲労によりあまり長くは動けない。

 

いくら僕が奴らを相手することに手慣れていても満足に走れない女性を守りながら奴らの跋扈するモールを駆け抜けるのは無理というものだ。なので、彼女が休んでいる間に僕が適当な着替えを調達してこようと提案したのだが、彼女の頼みにより僕に従うとの条件付きでついてくることを承諾したのである。

 

「そうですよね……。先輩は暑くないんですか? すごい厚着してますけど」

 

 彼女は僕をジロジロと眺めると至極尤もな質問をしてきた。たしかに今の僕はレザージャケットを二枚重ね着し首元までファスナーを閉じている。下半身も丈夫なワークパンツと頑丈なブーツだ。冬ならこれでもまあお、かしくはないが今は夜でさえ半袖でも問題ないくらいの暑さである。はっきりいって僕の恰好は場違いもいいところであった。

 

「まあ、はっきり言って暑いよ。でも、こうでもしないと奴らと真正面から戦えないんでね」

 

「た、戦うんですか? あいつらと?」

 

 どことなく怯えた顔、これが正常な反応なのだろう。安全を確保するために退けたり無力化することはあっても自分から積極的に倒そうとする者はそうはいない。ましてや火炎放射器と銃火器で武装してまでする奴などは尚更だ。

 

 ここらで僕の本性を告げた方がいいかもしれない。このままいい人のふりをしてもいいが、それは僕の好むところではない。

 

「ああ、戦うとも正々堂々と真正面からね。駅で大量の焼死体を見ただろう? あれは僕がこさえたものだよ」

 

 これを聞けば僕をただの異常者だと思うことだろう。あとは適当に直樹君とやらを救助して学校の校門付近に置いていけば完璧である。

 

「せ、先輩? ほ、本当なんですか……」

 

「嘘なんてついてなんになる? 本当だよ」

 

 そうだ、もっと怖がれ。予想通りの表情に僕は自分の計画が上手くいくことを確信した。だが、それは祠堂君の次の発言で覆される。

 

「そう、ですか…………。でも、先輩が駅であいつらを倒してくれたおかげで私は無事に助けを呼ぶことができたんですよね? やっぱりありがとうございます」

 

 は? この子は今なんて言った? ありがとうございますと言ったのか。

 

「祠堂君、僕の言ったことちゃんと聞いていたのかい?」

 

「はい、ちゃんと聞いてましたよ! ちょっと怖かったですけど」

 

 怖いと言った彼女の顔。それは苦笑であった。

 

「ですけど?」

 

「なんか、ぶっちゃけ先輩ならやりそうかなぁって、あはははは」

 

 僕は、そんなぶっ飛んだ奴に見えていたのか。隣で苦笑する祠堂君を横目に僕は自身の評価について頭を悩ませていた。でも、まいったな。これで祠堂君が僕に程よく距離をとってくれると思ったんだが。

 

「というか先輩、私が似合ってるか聞いてるのに答えてくれてませんよね?」

 

 僕の発言をというか扱いか。祠堂君も中々にぶっ飛んでいるな。まあ、こんな地獄の中に一人助けを求めて飛び出すくらいだ。意外と度胸はあるのかもしれない。

 

「うん、似合ってる似合ってる。すごいよ、君」

 

「ひっどーい! すっごい棒読みなんですけど!」

 

 久しぶりの会話らしい会話。自分から切り捨てたはずなのに僕という男は、性懲りなくそれに喜びを見出してしまった。

 

「まあ、それは置いておいておくとして、制服はどうするかい? ここに捨てるか」

 

 祠堂君は長い間この制服を着続けていたのだという。匂いこそ嗅いでいないが絶対に臭うはずだ。

 

「えっと、とりあえず持って帰ってもいいですか? もったいないし」

 

 何やら思うところがあるようだ。別に無理な相談ではないので彼女の意向を反映することにした。

 

 その後、何をトチ狂ったか僕のコーディネートを始めようとした祠堂君を無理やり車に詰め込み僕たちは拠点に戻ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、これを持ってみなさい」

 

 ここは拠点の居間。僕は祠堂君に昔ながらの雑巾を挟むタイプのモップを手渡した。

 

「モ、モップですか?」

 

「見てのとおりモップだよ。なに、君にここの掃除をやらせようってわけじゃないから安心したまえ。ただの護身用だよ」

 

 護身用という言葉に祠堂君は思うところがあったようだ。少し身構えた。

 

「モールでは基本的に僕が奴らの相手をするけどそれでも撃ち漏らしというのがあるかもしれない。そんなとき丸腰じゃあなにもできないからね。最低限自分の身は守れるようにしないと」

 

「そ、そうですけど……。私、戦ったことなんてないし……」

 

 不安そうにモップを眺めている。何か勘違いしているようだ。僕が教えるのは倒し方じゃないのに。

 

「なにか勘違いしているようだから言っておくが僕が君に求めていることは奴らを倒すことじゃない。奴らを退けることだ」

 

「退ける。ですか」

 

「そう、そのモップは奴らを無力化するには力不足だが一時的に退けるだけなら十二分に役に立つ。ようは使い方次第だよ」

 

 その言葉にやっと僕が言いたいことを理解したようだ。祠堂君はモップを構えた。素直でよろしいことだ。

 

「そういうことですね! えっと、こんな感じですか?」

 

 祠堂君の構えは、はっきりって素人そのものであった。腋はがら空きでへっぴり腰だ。これではこけおどしにしかならない。

 

「惜しいな。うむ、ちょっと借してごらん」

 

「は、はい。どうぞ」

 

 手渡されたモップを手に取り構える。腰を落とし足を前後に開き腋は閉める。構えは中段ではなく下から突き上げるように。

 

「腹を突くのは得策ではない。人間相手ならそれでも十分に効果はあるのだが、生憎、奴らには痛覚などない。それに力も尋常じゃないから生半可な突きでは掴まれる危険があるんだよ」

 

 僕の助言を聞く祠堂君の顔は真剣そのものだ。ちゃんと聞いてくれている証拠だろう。そうでなくてはな。

 

「だから、こうして足の力を合わせ斜めから首元を狙い突くッ!」

 

 床に僕の踏み込みの音が響く。祠堂君は突然の行動に驚いたのか身体を震わせた。

 

「こうすれば上手くいけば転ばすことができる。奴らは足腰が弱いから一度転んでしまえばそう簡単には起き上がれない。もし仮に転ばせられなくても数mは突き飛ばせる。じゃあ、やってごらん」

 

 僕はさすまたの要領でモップの使い方を伝授する。最低限身を守れるようになってくれなくては僕が困るからだ。

 

「えっと、こうかな? えいっ!」

 

 小さいが力強い声が僕の鼓膜を刺激した。先ほどのとは違う腰の入った見事な突き、中々にセンスがあるようだ。

 

「うむ、上出来だ。後は、得物を突きだしたら手ごたえの有無に関係なくすぐに引っ込めることを意識してくれ。他にはモップの先端を膝裏に引っかけて強引に転ばす方法もあるがそれは女性の君には少し厳しいだろう」

 

 僕の厳しいという発言に祠堂君は眉をひそめた。何か気に障ったのだろうか?

 

「え~、折角なんですからそれも教えてくれませんか? 後、祠堂君なんかじゃなくて圭でいいですよ」

 

「はいはい、わかったよ。圭君」

 

「別に、君もいらないんだけどなぁ。というか秀先輩ってなんで私のこと君付けなんですか? 私、女の子ですよ!」

 

 考えたこともなかった。そう言えば何で君付けなんだ? 別にさんでもちゃんでも何でもいいだろうに。いや、ちゃんはないな。

 

「そう言えば何でだろうね? てか秀先輩ってまさか僕のことかい?」

 

「えっ、私に質問されても……。えと、秀樹先輩じゃちょっと言いにくくて。嫌でしたか?」

 

 上目遣いで見るな。かわいいだろうが。 

 

「いや、別に君が僕を何と呼ぼうとも僕は一向に構わない」

 

「よかったぁ。嫌がられたらどうしようかと思ってた。じゃあ、ついでに私のことも圭って呼び捨てにしてくださいよ!」

 

 じゃあってなんだじゃあって。前後になんの脈略もないではないか。その後、結局僕たちは呼び捨てにするしないでもめることにになり最後は圭君の涙目上目遣いのダブルコンボで陥落したとさ。嘘泣きだったけどな!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、明日の作戦の説明をしようか」

 

 おふざけはあれで終わり。ここからは真剣な時間だ。圭君、いや、圭の親友である直樹君の救出案を練る。

 

「これが、君たちの生活していたモールに間違いないね?」

 

 僕はテーブルにモールのパンフレットを広げる。横に置いたランタンに僕の右手が影を作る。

 

「はい、間違いないです。美紀と一緒に五階の奥の倉庫みたいな部屋に立て籠もってました。でも、なんで秀先輩が地図を持ってるんですか?」

 

 至極真っ当な疑問。普通ならこんなパンフレット持ち運んだりはしない。ざっと見て捨てるだけだ。

 

「服屋でいったろう? 僕はゾンビ殺しを日課にしていたんだ。だから奴らの多そうな場所はだいたい目を付けていたんだ。まあ、このパンフレットはたまたま捨てるのを忘れただけだけどね」

 

「やっぱり本当だったんだ。すごいですね秀先輩……」

 

 僕は、そんな大層なやつじゃない。学園生活部の方がよっぽどすごい。この異常の中で、普通に生きることがどんなに難しいことか。

 

「それは置いておいてだな。圭君「呼び捨てにするって約束したじゃないですかー」失礼、け、圭。まずは作戦名から発表しよう」

 

 僕は一呼吸置く。彼女が息をのんだ。

 

「作戦名は、『作戦なし』作戦だ」

 

「はい…………。えっ?」

 

「え、じゃない。作戦なし作戦だよ。作戦なんてものは一切ない!」

 

 彼女の目線の温度が数度下がったきがしたが気のせいだと思いたい。圭は大きな溜息をついた。

 

「はぁー。えと、作戦がないならなんで説明するなんて言ったんですか?」

 

「作戦がないのは偏に情報不足にある。敵の数は未知数。恐らく百や二百は下らないだろう。作戦を考えようにもせいぜい音を立てずに行きましょうとかそんなだ」

 

 僕は基本的に作戦は立てない。上手くいったためしがないからだ。そんなことを考えるより火力に物を言わせたゴリ押しの方が上手くいく。量は質に勝るというやつだ。

 

「一応予定としては直樹君のいる部屋に辿り着くまでは隠密行動に徹して彼女を救出後は迅速に撤収する。しかし、状況によっては強硬突破することも覚悟しておいてほしい」

 

 僕は見せつけるようにSKSこと56式半自動歩槍を掲げてみせた。圭の表情は真剣そのもの、覚悟を決めた者の目だ。

 

「わかりました。美紀に会ったらその後はどうするんですか?」

 

 そう言えばまだ学園生活部のことを言ってなかったな。僕は圭に学校のこと、学園生活部のことを事細かに話した。僕以外の人間が生き残っていることに彼女は安堵の感情を抑えきれないようであった。

 

 

 

 

 

「よかった……。まだ生きている人がいたんだ」

 

 そう喜ぶ彼女の眼尻にはうっすらと涙が滲んでいた。

 

「ああ、そうだ。あそこには水も電気も食料も安全もある。おまけにみんなお人よしだからきっと受け入れてくれるはずだ」

 

「本当によかったよぉ……。あれ? でも学園生活部があるなら何で秀先輩はここにいるんですか?」

 

 気づいてしまったか。学校前で置いていくことも話さなければならないだろう。気が滅入るなあ。

 

「この話は少し長くなるんだ。ちょっと待っていてくれたまえ」

 

「は、はい……」

 

 席を立ち台所にあるウィスキーの瓶とこの家にあったカットグラスを持って椅子に戻る。

 

「先輩、それって……」

 

 僕はグラスにウィスキーを注ぎ一気に飲み干した。きついアルコールが喉を焼く。やっぱたまらんな、これは。

 

「なにって、見てのとおり酒だよ。まあ、それは置いておいてだな。僕が何故安全地帯を手放してこんなところで一人で暮らしていたか、だよね」

 

 彼女は僕の言葉に無言で頷いた。もう一杯注ぎ口に運ぶ。今度は少しづつだ。

 

「何も難しいことはないよ。僕は、あそこにいる資格がなかった。それだけのことだ」

 

「資格がないってどういうことなんですか? なにか悪いことをしちゃったんですか?」

 

 ちびちびとウィスキーを飲みつつ圭の言葉に耳を傾ける。うん、煙草が吸いたいな。でも、彼女の前で吸うのはマナー違反だ。未成年がマナー云々など片腹痛いが僕は人に迷惑をかけるのが嫌いなんだ。

 

「悪いこと、か。あながち間違ってもいないかもね。話は変わるけどね。ところで圭、この世で一番難しいことって何だと思う?」

 

「せ、世界で一番難しいこと、ですか?」

 

 僕に突然質問されたことで圭は困惑している様子だ。まあ、無理もないか。突然先輩が酒を飲みだしたと思ったら唐突に自分語りをはじめたんだから。でも、必要なことだ。酒を一口、うん。だんだん酔いが回ってきた。

 

「僕はね、世界で一番難しいことは、当たり前に生きることだと思っている」

 

「当たり前に生きる。ですか」

 

「さっき君は僕を凄い奴だと言ったな? 勇敢な男だと思ったな? 僕が武器を持って奴らを相手に戦えるからそう思っているのなら、それはとんだ間違いだ」

 

「ひ、秀先輩?」

 

 徐々に大きくなっていく声量に圭は驚きを隠せないようだ。僕は、それに構わず話を続ける。もう、ここまで言ったら全部ぶちまけてやる。どうせ、明日には別れるんだ。別に構わないだろう。

 

「いいか、よく聞けよ。本当に勇敢な奴ってのはな。当たり前の日常を当たり前のように生きる奴のことを言うんだ! 辛いことがあっても理不尽な目にあっても我慢して懸命に生きる奴のことを言うんだ! それは本当に勇気のいることなんだよ」

 

 もう止まらない。あふれだした感情が濁流となって流れ出す。

 

「僕は弱いから、臆病だから戦ったんだ。戦うことしかできないほど臆病だったんだ! 普通に生きることのどれほど難しことか。圭、壊れるのは簡単なんだよ。あの人たちはこんな地獄の中でも普通に今を生きていた。佐倉先生は凄い人だ。あの人は学園生活部の皆の責任を背負っている。背負う理由なんてないのに。そしてきっと死ぬまで走り続けるんだ。僕には、そんな勇気は持てない」

 

 僕の告白に圭は困ったようなよくわからない表情で僕を見ていた。そうだよな。意味わかんないよな。でも、僕は自分の口を止めることができなかった。

 

「僕は普通に生きる勇気なんて持てなかった。でも、あいつらは学園生活部は、こんな地獄の中でも笑って生きることができると証明し続けている」

 

 理由を説明するはずなのに僕はいつの間にか自分の胸の内を打ち明けてしまった。それは酒のせいか、はたまた誰かに聞いてほしかったのか。

 

「壊れることしかできなかった弱い僕と、懸命に今を生きている強いあの子達。そんなのが釣り合う筈もないだろう? まあ、それで、耐えきれなくなってね。自分から出て行ったんだ……。そんなところだよ。本当、それだけ……」

 

 僕は座っていたソファーに寝転がった。もう、今日は何もする気になれなかった。準備はもう整っているしこのまま寝てもいいかもしれない。圭は、まだ黙ったままだ。イカれた男だとでも思っているのだろうか?

 

「明日、直樹君を救助したら校門まで送っていく。僕が車のクラクションで校庭の奴らを引き付けるからその間に玄関から中に入って階段を目指してくれ。防火扉が閉まっていると思うが子扉は開くようになっているはずだ。そこからは自分達でなんとかしてくれ。僕はもう寝る。君も、もう寝たほうがいい。明日は忙しいぞ」

 

 彼女は何も言わない。僕は圭に背を向けて寝転がっているので今、彼女がどんな表情なのかわからない。

 

 後ろで席を立つ音がした。きっと僕を見限ったのだろう。情けない男だと思ったのだろう。それだ、それでいいんだよ。

 

「先輩……。こっち、向いてくれませんか?」

 

 こっちを向け? いったい何の話だ。僕は言われたとおりに身体を起こし圭の方を向いた。突如、頬に鋭い痛みが走った。

 

「……えっ?」

 

 視界の先には圭が手を振り抜いていた。そうか、僕は打たれたのか。でも、なんで?

 

「…………ないでよ……」

 

 圭の口から洩れた言葉は小さすぎて僕には聞き取れなかった。

 

「ふざけないでよ!!」

 

 彼女が叫んだ。それは何の脈絡もなく起こった。ふざけないでよ?

 

「何が、何が耐えきれないよ! 何が勇気がないよ! 意味わかんないよ! そんなの意地張って出てっただけじゃない!」

 

 今度は彼女の番だった。唖然とする僕をよそに圭は言葉を続ける。

 

「何で、そんな簡単に捨てちゃうの? 私はモールのみんなが、何もかも燃えちゃって凄い悲しいのに……。美紀を置いてきたことを凄い後悔してるのに……。何で、自分から捨てちゃうの? 全然、わかんないよ!」

 

 僕は圭の頬に涙が流れるのを見た。どうやら、泣かせてしまったようだ。

 

「意地張って出てって、それでかっこつけたつもりなの? 馬鹿じゃないの!? 置いていかれた人の気持ちも考えないで、一人で勝手に納得して! うっ、うぅ」

 

 それだけ言うと彼女は膝を付いて泣き出してしまった。僕は本当に駄目な男だなぁ。女の子を泣かせてばっかりだ。

 

「ごめんな、圭。本当にごめんな。泣かせるつもりはなかったんだよ。本当に僕は度し難い男だ。君の言う通りだ。僕は意地張ってかっこつけているだけなのかもしれない」

 

 泣き続ける圭の肩に手をやり慰める。僕は泣いている女の子の対処方法なんてわからないからただ、こうすることしかできなかった。

 

「秀先輩……。みんなに謝りましょ? まだ、やり直せますよ。また、一緒に暮らせますよ」

 

 気づいたら圭が僕の手を握っていた。その顔は涙で目が腫れていたが笑顔であった。この笑顔は見たことがある。そうだ、佐倉先生と同じ笑顔なんだ。

 

「駄目だよ……。僕は、僕なんかじゃ……」

 

 声が震える。そうだ、僕なんかがいたら彼女達を不幸にしてしまう。

 

「まだ、そんな意地張ってるんですか? 先輩ってやっぱり馬鹿なんですか?」

 

 突然の罵倒。しかも先ほどの感情に任せたものではなくしっかりと理性のある罵倒であった。僕は面食らった。

 

「誰も……誰も、先輩のこと嫌ってなんていませんよ。だって、だって先輩、学園生活部のこと話す時すごい楽しそうだったじゃないですか。そんな楽しかった場所が場違いなわけないじゃないですか……」

 

 楽しかった、か。そうだ、楽しかったんだ。僕は、あそこでみんなと暮らすのがたまらなく楽しかったんだ。

 

 胡桃君と下らない雑談をするのが楽しかった。悠里君と畑仕事をするのが楽しかった。由紀君にピアノを教えるのが楽しかった。佐倉先生をからかうのが楽しかった。るーちゃんを可愛がるのが楽しかった。

 

 楽しかった……。何もかもが楽しかった。あそこには未来は見えなくても希望があった。夢があった。

 

「僕、戻れるのかな? 僕なんかがいてもいいのかな?」

 

「大丈夫ですよ。ちゃんと謝って仲直りしたら元通りですから。みんな生きているんですから」

 

 頭を撫でられていた。どこまでも優しい手だった。僕は戻っていいのかもしれない。

 

「殴ってしまってごめんなさい。痛かったですよね?」

 

 そう言って僕の頬を撫でる。顔が近い。緊張する。

 

「いや、大丈夫。ゾンビに噛まれる方がもっと痛いからね」

 

 緊張しているのを誤魔化すためか僕は下らない冗談を飛ばしていた。ゾンビに噛まれるほうが痛いってなんだよ。

 

「クスクス、何ですかぁ?それ」

 

 そう言って僕たちは笑いあった。

 

 久しぶりに本当の意味で笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、行こうか。準備はいいかい?」

 

 時は昼過ぎ。ここはモールの入り口。直樹美紀がまだ見ぬ助けを求めてまっている。僕は隣の圭に振り向いた。

 

「はい! 行きましょう。秀先輩!」

 

 僕たちは地獄へと突入した。 

 





 いかがでしたか? 前回モール編が始まると書いてしまって申し訳ございません。予想以上に圭との会話が伸びてしまい分割することにしました。

 作中にあった普通に生きること云々はジョン・スタージェス監督の「荒野の七人」から引用させていただきました。男気溢れるとても面白い映画ですので是非視聴することをお勧めします。

 では、また次回に。


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第十話 さいかい

 書いていて思うこと。ここまで長かった。

 2017年6月3日 胡桃ちゃんの苗字を修正。何で今まで気が付かなかったんだあああああ!


「あ、そうだ。これを渡し忘れていた」

 

 モール入り口のもう割れて機能を果たすことのない自動ドアの前で僕は忘れていたことを思い出した。ホルスターに差し込んでいるそれをホルスターごと圭に手渡す。

 

「えっ、これって……」

 

 僕が手渡したもの。それは拳銃である。彼女は手渡された物の予想以上の重みに少し手をふらつかせていた。

 

「警察が正式採用しているS&W M37エアウェイトだ。引金を引くだけで撃てるが弾は五発しか入らないからよく考えて使うんだぞ」

 

 手にしたわかりやすい暴力の象徴に圭は首を振った。使えないということか。

 

「む、無理ですよ……。こんな危ない物、それに撃ったこともないし」

 

 彼女の言わんとしていることは尤もだった。突然、銃を手渡されて揚々として使おうとする人間などごく少数だ。とどのつまり僕の様な人種のことだ。

 

「無理じゃない、できる。なに、難しいことはないさ。撃つときは両手でしっかり構えてなるべく引き付けて撃てばだいたい当たる。それと銃口を人に向けないのと撃つとき以外は引金に指をかけないことを意識してればいい」

 

 僕の説得も圭には今一つ響いていないようだ。拳銃を見つめたまま黙り込む。

 

「君の気持は尤もだよ。でも、圭は友達を助けることを誓ったんだろ? だったら腹を括ってくれたまえ。今から行くのは地獄だ」

 

「とも、だち……。そう……ですね、わかりました」

 

友達という単語に思うところがあったようだ。圭は自分のベルトにホルスターを装着した。どうやら腹を括ったようである。

 

「じゃあ、行くぞ、圭。直樹君はきっと泣くことすらできないでいる」

 

「はい! 待っててね、美紀。絶対迎えに行くからね。でも、先輩?」

 

 まだ何かあるのか。いったいなんなんだ。

 

「なんだ、早くいくぞ」

 

「秀先輩……。行くのはいいんですけどその手にもった物はなんですか? 洗浄機?」

 

 彼女の視線は僕の手にした火炎放射器に注がれていた。なんだ、そのことか。

 

「元高圧洗浄機、現火炎放射器だ。もういいから早く行こう」

 

 唖然とする圭を横目に歩き出す。自動ドアを越えればそこは地獄だ。

 

「か、火炎放射器ってなんですか!!って、待って下さいーい!」

 

 僕たちの救出作戦が幕を開けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「思っていたよりかは少ないんだね。一階は通り抜けできるからかな」

 

 意を決してモールの中に入った僕たちであったが、僕が予想していた奴らの大軍はどこにも見当たらず、閑散としていた。

 

「そう、ですね……」

 

 そうは言ったものの圭の表情は険しかった。それもそのはず、いくら閑散としているとはいえ奴らがいないわけではない。現に僕の視界の先には数匹の奴らがたむろしていた。

 

「まあ、いないならいないでいい。早く五階に行こうか」

 

 僕たちは急ぎ足で階段を目指す。進行方向の先にいる奴らは倒さず。小銭を投げて気を取られているあいだに通り抜けた。僕としては進路上の障害物は全て粉砕していくのが好みなのだが、自分から隠密行動と言った手前それをするわけにはいかなかった。

 

 

 

 

 

「ストップ。階段の前に一匹いる」

 

 視界の先には一階から各階に続く階段がある。目当てはすぐそこなのにそれを邪魔するかのようにゾンビがうろうろしていた。僕は静かに腰のナイフを引き抜く。

 

「あの、私にやらせてもらってもいいですか?」

 

 僕を制止するように圭は肩を掴んできた。どうやら自分でやってみたいらしい。まあ、このくらいならいいだろう。

 

「構わない。でも、無茶はするんじゃないよ」

 

「はい」

 

 大きな声を出せば気づかれるため小さな声で返事をする。彼女はモップを構えると階段の前にいる奴に恐る恐る近づいていった。奴は地下の食品売り場に続く階段を呆けっと見たまま彼女に気が付かない。

 

「……えい!」

 

 モップを突き出す。僕の教えた通りの腰の入った良い突きだ。効果は抜群。奴は大きく弾き飛ばされ階段を転げ落ちて行った。頭から落ちて行ったので恐らくもう死んでいることだろう。危なくなったら手を貸そうと思ったが杞憂だったようだ。僕は腰のナイフから手を放した。

 

「ハァ、ハァ、ハァ。や、やりましたよ。先輩!」

 

 かなり緊張していたのだろう。彼女は肩で息をしながら僕に近づいてきた。その顔は自慢げであった。

 

「あぁ、見てたよ。上出来だ。じゃあ、行こうか」

 

「はい、ありがとうございます」

 

 それで十分だった。僕たちは階段を上り始める。一階から二階へと。二階から三階へと。徐々に目的の場所が近づく。僕は三階と四階の踊り場で一度止まった。

 

「どうして止まったんですか?ていうかさっきからずっと思ってたんですが、なんでずっとガム噛んでるの?」

 

 圭は首を傾げた。その疑問は尤もだ。僕はモールの入り口からここまで間、ずっと同じガムを噛み続けていた。味なんてとっくになくなっている。

 

「それは、まあ、置いておいてだな。一つ確認しておきたいことがあったんだ。大事な話だからよく聞いてくれ」

 

 圭が息を呑む。聞く姿勢は整った。

 

「今から五階に行くが、五階には君たちの知り合いだったものがたくさんいる。それはわかっているよね?」

 

「はい、わかってます……」

 

 圭の顔が歪む。昔を思い出しているのだろうか。

 

「僕たちは五階へ向かいそこからまた脱出しなくてはならない。道中では君の知り合いを撃つことや燃やすこともあるだろう。だから、事前に確認を取っておきたかったんだ」

 

「そう、ですよね……。わかってはいたんですけど……。あの、先輩?」

 

「何だい?」

 

「一度あいつらになってしまったら、もう二度と元にはもどれないんですよね?」

 

 そう、ワクチンなんてものもあったが基本的に噛まれてしまえば後は自我がなくなるのまでに自決でもしないかぎり例外なく奴らに成り果てる。

 

「そうだ。どんなに親しい人や好きだった人の姿をしていても奴らは、ただの亡者だ。君に話しかけることもないし笑いかけることもない。酷だと思うかもしれないがそれは紛れもない事実なんだよ」

 

 そう、どんなに人でもなってしまえばただの化物。例えそれが母親だったとしても。奴らはもう、僕に何も与えてはくれない。

 

「やっぱり、そうなんですよね。先輩、もしモールのみんなに会ったらその武器で全部燃やしてくれませんか?」

 

 それは遺されたものの願いか。それともただ投げやりになっているだけなのか。一つ言えるのは圭の顔は悲痛な覚悟に満ちたものであるということ。

 

「いいのかい? 変わり果てたとはいえ一度は同じ屋根の下で過ごした者達だろう」

 

「いいんです。きっとあの人たちもあんな姿になって永遠に彷徨い続けるのなんて嫌だと思うんです。だから、だから全部燃やして下さい!」

 

 圭は、どこまでも本気だった。本当に心の底からそう思ってるのだ。そこまで言われたら断る理由もない。

 

「いいだろう。盛大に弔ってやるさ。でも、それは直樹君を助けてからだよ。そうしないとその子蒸し焼きになってしまうだろうし」

 

「はい! お願いします」

 

 惨劇の舞台に力強い声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直樹美紀は諦めない。朝、目が覚めたらまず顔を洗う。有意義な一日になるかは朝にかかっているからだ。

 

 直樹美紀は諦めない。毎朝、朝食を必ず食べる。どんな粗食でも我慢せず食べる。怠れば必ず代償を払うことになる。

 

 直樹美紀は諦めない。勉学には全力で取り組む。輝かしい将来のためには地道な努力が必要不可欠だからだ。

 

 直樹美紀は諦めない。昼も必ず食事を取る。バランスのいい生活はバランスのいい食生活からもたらされるのだ。

 

 直樹美紀は諦めない。教養を深めることも欠かさない。友人の遺したCDプレーヤーを使い音楽鑑賞に励む。

 

 直樹美紀は諦めない。それはいつまで続くのだろうか。明日か、それとも明後日か、はたまた一週間後か、一か月後か、一年後か、十年後か。

 

 それとも一生か。

 

「もう、いやだ!!」

 

 直樹美紀は諦めない。

 

「嫌だよ、こんなの。ねえ、どうして?」

 

 直樹美紀は諦めない。否、諦めることを許されない。

 

 

 

 

 

 ふと、扉の外で音がした。直樹美紀がそれに気づいたのは全くの偶然であった。

 

「誰か、いるの?」

 

 訊ねる。返事はない。ただ彼女の言葉が部屋に吸い込まれていった。

 

「そう、だよね……いるわけ、ないよね……」

 

 ここに籠っていったい何日が経過したのであろうか。共にいた友人は助けを求めて出て行ってしまった。扉の外には歩く死人どもが今か今かと待ち受けている。直樹は友人と共に出ることを良しとしなかった。それは臆病からくるものか合理的な判断からくるものか。今となってはわからない。

 

「いつまで……ここにいるんだろ?」

 

 生きていれば、それでいいの? 友人は別れ際にそう言った。彼女は例え無理だと分かっていても停滞することを拒んだ。ただ生きるのではなく人間として生きることを選んだ。

 

「負けない……。私も行こう」

 

 直樹美紀は諦めない。早速、必要な荷物を纏める。水と食糧を持てるだけ持つ。そして扉の前に立つ。もう邪魔なものは全て退かした。後はこの扉を開くだけ。

 

「圭、私も行くよ……。諦めないよ……」

 

 扉を開く。ゆっくりと外に出る。恐らく死は避けられないだろう。だが、彼女は諦めない。友人の後に続くのだ。勇気を示すのだ。己はただの生きる物ではないと示すのだ。直樹美紀は最後まで諦めない。だから、だろうか。

 

 

 

 

 

「……!…………!!」

 

 遠くで声がする。何処か懐かしい声。有り得ない。でも声はどんどん大きくなっていく。そんなはずがない! これは幻聴に違いない。

 

「…………紀! 美紀!!」

 

 徐々に近ずく足音。もう目と鼻の先だ!

 

「美紀ー! 美紀ー!」

 

 懐かしい声。もう、二度と聞くことは叶わないはずの声。

 

「そんな……? どうして?」

 

 そして姿は見えた。一直線に自分に近づく人。彼女は知っている。その声を。その髪を。その顔を。知らないわけがない、忘れるはずがない。

 

「美紀! 美紀!」

 

 直樹は自分に何かが抱き着くのに気が付いた。彼女はこの感触を知っている。忘れようもない。もう二度と会えるはずのない掛け替えのない彼女の宝物。もう失ってしまったはずのもの。

 

「け、圭……? 圭、なの?」

 

 力が強まる。たしかにこの感覚は現実のものだ。一度実感してしまえば、もう疑うことは出来ない。

 

「圭! 圭!」

 

「ごめんね、美紀。独りぼっちにしてごめんね! 本当にごめんね!」

 

 二人はお互いが存在することを確かめあうかのように強く抱き合う。気が付けば瞳からは涙があふれ出ていた。頬が涙で濡れる。今の直樹にはそれすらも心地よいものであった。これは紛れもない現実なのだ。夢などではないのだ。

 

 

 直樹美紀は最後まで諦めなかった。だから、これはきっと必然なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先ほどはお恥ずかしいところを見せてしまい、すみませんでした。えと、私立巡ヶ丘学院高校二年の直樹美紀と言います。今日は本当にありがとうございました」

 

 そう言って僕に頭を下げるのは圭が言っていた直樹美紀だ。ここは二人が立て籠もっていた部屋。あの後、奇跡の再会を果たした二人は感極まって泣き出してしまい、仕方なく直樹君が出てきた部屋に舞い戻ったのだ。ちなみに二人の泣き声を聞きつけてやって来たゾンビは僕のナイフによって二度と誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

「美紀! この人、先輩だよ。本田先輩だよ! 知らない人じゃないよー」

 

 そう、圭の言うところによれば僕たちは、どうやら知り合いなのだという。記憶をたどってみればなにか引っかかるものがある。

 

「えっ!? 本田先輩って、この人が?」

 

 僕はカーペットに座り込んだ直樹君を見る。そうだ、思い出した。このガーターベルト、確かに覚えている。そうなのだ。直樹君は何故か制服の下にガーターベルトを履いているのだ。見れば見る程すごい趣味だ。

 

「この人がとは失礼だね、君。そうだとも、僕が巡ヶ丘学院高校三年C組の本田秀樹その人だとも」

 

「あっ、この妙に古臭い喋り方、本田先輩だ……」

 

 僕の認識はそれでいいのか。なにか悔しい。本人確認が顔ではなく言葉遣いだとは、それほどまでに浮いているのだろうか。まあ、どうでもいいか。僕たちは、今までの経緯とこれからの計画を事細かに説明した。

 

「よかった……。まだ生きてる人がいたんだ」

 

 圭と同じ反応。まあ、自分が人類最後の人間かもと思っていたんだ。そう思うのも仕方ないのだろう。この説明は圭に話したのと殆ど同じだ。ある部分を除いては。

 

「秀先輩! どういうことですか! 私たちを学校の近くに置いていくって!」

 

 そう、昨日圭に散々説得された僕であったがやはり学園生活部に戻るのは気が引けた。昨日は帰ってもいいかもと思ってしまったがよくよく考えてみたらやっぱり無理との結論に至ったのである。

 

「どうもこうもないよ。今更どんな顔してあの子達に会えばいい。それに僕は人殺しだ。やっぱり駄目だよ」

 

いきなりの言い合いに事情を知らない直樹君は困惑している。傍からみれば痴話喧嘩に見えないこともないがそれにしては内容が物騒だ。

 

「まだ、下らない意地張ってるんですか! そんなのは先輩が勝手に決めることじゃないでしょ!」

 

「け、圭? せ、先輩に失礼だって!」

 

「美紀も何とか言ってよ。この人ぜんぜんわかってないよ!」

 

「え? え?」

 

 これでは収拾がつかない。

 

「はいはい! この話は後で幾らでもするから! 今は脱出することが優先だろうに」

 

 僕のこの一言でやっと当初の目的を思い出したようである。おいおいそれでいいのか二年生。

 

 

 

 

「じゃあ、本当にいいんだね?」

 

 僕は圭と直樹君に確認を取る。直樹君は少し思うところがあったようだが圭の説得により最終的に僕の行動を許可してくれた。

 

「「はい……」」

 

 二人が同時に頷く。オーケー、行こうか。まず手始めにタンクの残量、空気圧を確認。次にノズルの先に取り付けられたガスバーナーを点火させる。肩紐を付けたお蔭でかなり動きやすくなった。

 

 近くのゾンビにノズルを向ける。これを使うのは本当に久しぶりだ。彼女達には悪いが少し、いやかなり楽しみだ。

 

「じゃあ、みなさん。これにてさようなら!」

 

 レバーを握る。各種燃料を混ぜ合わせて作った危険極まりない液体がガスバーナーの炎に引火。轟音と共に数千度の炎が撒き散らされる。五階には予めタンクの燃料を撒いた。瞬く間に炎に包まれるフロア。彼女達の作りあげてきた場所が燃える。全てが燃える。

 

 二人はその光景を黙って見ていた。この炎に彼女達は一体なにを思うのだろうか。僕にはとてもわからない。

 

「もう、危ないから脱出するぞ!」

 

 僕は彼女達に脱出を促した。ここで彼女達がどんな思い出を作ったのかはわからない。でも、一つだけ確かなことはもう、それは終わってしまったのだということだけだ。

 

 

 

 

 

「さっきはこんなにいなかったろうに!」

 

 僕たちは現在、二階の階段にいた。本当ならこのままとっととモールを脱出するべきなのだろう。でも、それを阻むものがいた。そう、奴らだ。

 

「さっきから床にサイリウムがたくさん落ちてましたしもしかして誰かきたんじゃないんですか?」

 

 直樹君の発言に僕は記憶を掘り起こす。確かにところどころ床にケミカルライトが落ちていた。きっとあれで奴らの気を逸らしたのだろう。彼ら彼女らにとってはゾンビを引き離せて万々歳だろうがとばっちりを受ける僕たちの身にもなってほしいものだ。

 

 とにかく今は情報が欲しい。僕は腰のナイフとカバーのない本体のみの手鏡を取り出す。そしてここに来てから噛み続けていたガムを口から取り出しナイフと鏡を接着。これで壁の向こうがわかるのだ。

 

「うわぁ……」

 

「先輩、ドン引きです……」

 

 後ろの視線が絶対零度に下がったと思うが僕は絶対に挫けない。本田秀樹は最後まで諦めないのだ。僕は過角の向こう側を鏡で観測する。案の定ゾンビだらけだった。この様子じゃあ一階も同じようなものだろう。仕方ないか。

 

「一度しか言わないからよく聞いてくれ。僕が二階のエスカレーターに向かって奴らを引き付けるからその間に君たちは階段を使って一階から僕の車へ向かってくれ。いいね?」

 

 要は僕が囮になるのだ。

 

「そ、そんな! あんな数相手に無茶ですよ!」

 

「そうだよ! 秀先輩。死んじゃうよ!」

 

 僕の無謀とも言える策に二人は必死になって制止しようとする。でも、もう決めたことだ。背中に背負った56式の安全装置を解除。ボルトハンドルを少しだけ引き薬室を確認。弾は装填済みだ。よし、いける。

 

「先輩!」

 

 二人の声を無視し僕は駆ける。走りながらイヤホンを装着し音楽をスタート。手始めに近くにいる4体のゾンビに一発ずつ7.62mm弾を叩きこむ。できるだけ引き付けるために僕はいつものように啖呵を切る。

 

「パーティーへようこそ!この糞ゾンビ共め!」

 

 歩きながら弾を叩きこむ。瞬く間に弾倉が空になる。撃ち漏らしたゾンビがゆっくりと僕を殺すために近づく。だが、遅い。僕は56式に元から付いている折り畳み式の銃剣を展開し頭に突き刺す!

 

「くたばれ!」

 

 倒れたゾンビから銃剣を引き抜きポケットから装弾クリップを使い再装填。そして狙いを付け撃つ、撃つ、撃つ! あと何発残ってる! 僕はポケットの上から残弾を確認。

 

「くそ、二十発しかない! なんで持ってこなかったんだ!」

 

 そう愚痴りつつもエスカレーターへ向かいながら近ずくゾンビ共を排除して回る。弾を撃ち尽くし薬室が解放される。だが、装填する暇はない。仕方なしに肩から下げた火炎放射器のガスバーナーを点火、すぐさまレバーを握る。

 

「こんにちは! 死ね!」

 

 エスカレーター前のゾンビ共が炎に包まれる。こいつらは火に猛烈に弱い。すぐに倒れ動かなくなる。一階を覗いてみれば大量のゾンビが僕目掛けて集まっていた。最高じゃないか。曲も山場に入った。気分は最高潮だ! 死ぬにはいい日というがまったくその通りだ! 僕は健気にも不慣れな止まったエスカレーターを上っているゾンビ共にノズルを向けレバーを握る。

 

「汚物は消毒だッ!」

 

 僕の人生で七番目に言いたい言葉を言ってしまった。炎が撒き散らされ射線上にいたゾンビ共は纏めて火達磨になりドミノ倒しのように転がり落ちる。見世物としては三流だがこいつは愉快だ。

 

「ふん、下に仰山いるようだな。本田秀樹の戦いを見せつけてやる!」

 

 56式を再装填する。火炎放射器の燃料は残り僅か。敵は多数、こちらは一人。敗色は濃厚。だが問題なし!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「先輩が! 圭、先輩が! 戻らないと!」

 

 直樹美紀は祠堂圭に引っ張らながら囮役を買って出た本田秀樹の身を案じた。その目には涙が滲んでいた。

 

「無理だよ! 美紀! 私だって行きたいけど。行きたいけど。あの数じゃあ!」

 

 視界の先には大量のゾンビがエスカレーターへと集まっていた。エスカレーターの頂点には本田秀樹がゾンビの頭に弾丸を叩きこんでいた。だが幾らゾンビを撃ち殺そうともその数は一向に減らない。

 

「先輩なら! 先輩ならきっと後で平気な顔して帰ってくるよ! だから今は出口をめざそう!」

 

 口ではそういっても祠堂圭は気が気ではなかった。また失うのか。もう誰にも死んでほしくはないのに。幾らそう思っても足が止まることはなかった。ここで戻ってしまえばなんのために彼は自らを犠牲にしたというのか。

 

 

 明かりが見える。出口だ。美紀はあれほど望んだ外だというのに一向に嬉しくはなかった。奇跡のような再会。それは喜ばしい。だが、その友人を助けた恩人はあそこで死のうとしている。助かったはずなのに気分は一向に晴れなかった。

 

「誰か、誰でもいいからあの人を助けてよぉ……」

 

 祠堂の願いは誰にも届くはずはなかった。だが、運命は彼女を見捨てなかった。

 

 

 

 

 

「いいぜ! 助けてやる。いくぞ、めぐねえ!」

 

 

 

 

 

 そこには希望があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは、もう駄目かもしれないな……」

 

 グランドピアノの上で一人呟く。普段ならこんな罰当たりな行為は絶対にしないが、今回限りは仕方がない。なんせ僕の目の前には大量のゾンビ共がいるからだ。こいつらの知能は虫以下だ。こんな段差すら登れないほどに退化してしている。これが世界の覇者たる人類の成れの果てとはとんだ皮肉だ。

 

「本当にどうすっかなー」

 

 グランドピアノの上に座り込み煙草を咥えポケットからライターを取り出し火を点ける。濃厚なニコチンの味が僕の乾いた心に染みわたる。火炎放射器はとっくの昔に燃料切れになりゾンビ共に投げつけてしまった。56式の残弾も言わずもがなである。格闘戦を挑もうにもこうも四方を囲まれてしまえば嬲り殺されるだけだ。あと、残っているのはとっておきのブツと拳銃だけ。いや、拳銃はもう圭に渡していたな。

 

「どうして、こんなことしちゃったんだろうかな」

 

 本当にそう思う。本当なら少し引き付けたら自分も階段から降りていくはずだったのに。そもそも囮などしなくても適当に音がでるものを投げつければそれだけで問題なかったはずだ。だというのにこの有様。

 

「あぁ、そうか。僕は自棄になっていたんだ」

 

 僕の目の前で圭と直樹君はいとも容易く自分たちの仲を修復した。友情に致命的な罅が入っていてもおかしくはないというのに。彼女達はそんなこと知らないとばかりにお互いの身の無事を知り涙した。

 

 僕は、もう自分が何をしたいのかわからなかった。あそこに戻りたいのか。ただ、ゾンビを殺したいのか。全てがごちゃ混ぜになり僕は疲れ果ててしまった。そして終わらせようとしたのだ。自分の人生を。

 

「なんか、疲れちゃったな。もう、全部どうでもいいや」

 

 煙草を吸う。口に含みしばらく煙を転がした後また吐き出す。紫煙が宙にまった。もう、ここらでおしまいにするか。僕はとっておきを取り出す。

 

「まさか、これを使うことになるとはな。はははは」

 

 楕円形の本体にレバーと安全ピン。RGD-5。ロシア製の破片手榴弾だ。一つしかなくて飛ばすのは破片なので奴らに殆ど効果はないから、お守りとして持っていたのだ。レバーを握り安全ピンを引き抜くために指を掛ける。

 

「それでは、みなさん。さようなら」

 

 僕はピンを抜こうとして止まってしまった。るーちゃんの泣き顔が目に浮かんだからだ。僕が死んだらみんな泣いてくれるのだろうか。まあ、どうでもいいか。

 

 

 

 

 

 ふと、気が付くと目の前のゾンビが二体床に倒れていた。頭には矢がはえている。この矢は見覚えがある。そんなはずはない。きっと見間違いだ。

 

 でも、僕の否定に関係なく僕の前にいるゾンビに次々と矢が突き刺さる。いつしか僕の前は人が十分に通れる空間ができていた。

 

 何かのベルがモールに鳴り響く。反響しやすいモールで鳴らされたそれは途轍もない音量となり僕の耳を襲う。いつしか、僕を喰らおうとしていたゾンビ共はその大音量に身体を硬直させていた。

 

 目の前に誰かがいた。僕はこの子を知っている。綺麗な長いツインテールに八重歯。手にはいつものシャベル。背中には僕のあげた弓が。そんなはずがない。何故君がここにいるんだ。唖然とする僕の手を彼女は強引に掴みピアノから引きずり降ろす。

 

「本田秀樹! 16時36分! 身柄確保ー!」

 

「かくほー!」

 

 気が付けば僕は胡桃君と由紀君に両脇をがっちり固められ引きずられていた。いったい、いったい何がおきたんだ! 誰か説明してくれ。引きずられる中、横を見れば佐倉先生がクロスボウを構え辺りを警戒している。猛烈に似合っていなかったが。

 

 

 

 

 

 僕はモールの入り口まで引きずられるとそこで放り出された。身体が仰向けになる。身体を起こし、引きずられた足をさする。

 

「本田君?」

 

 後ろで声がする。ゆっくりと振り向く。そこには皆がいた。佐倉先生が、胡桃君が、悠里君が、由紀君が、るーちゃんが、圭と直樹君も立っていた。皆が安心した顔で僕を見た。ゆっくりと立ち上がる。ピアノから引きずり落とされたせいで身体中が痛い。皆何も言わずに僕を見ていた。何か言った方がいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

「え、えっと……。久しぶり?」

 

 僕の目の前に胡桃君が立っていた。あまりの速さに僕は気が付かなかったのだ。胡桃君は俯いていて表情がわからない。

 

「…………だ……」

 

 よく聞こえない。

 

「何が、久しぶりだぁッ!」

 

「ぐふぉ!」

 

 思い切り腹を殴られた。思わず膝を付く。今度は顔を殴られた。そのまま反対の頬を殴られた。突然の暴力に何も反応出来ずただされるがままになる。胸倉をつかまれ強引に持ち上げあげられる。

 

「みんな! 心配してたんだぞ!」

 

 顎にアッパーを打ちこまれた。思わず仰け反る。駄目だ。頭がクラクラして反応出来ない。

 

 ようやく、上体を起こすと既に胡桃君はストレートパンチの体勢に入っていた。それは、まずい!

 

「この、バカ秀樹がぁ!」

 

 そして放たれるストレートパンチ。元陸上部の身体能力とゾンビとの戦闘で培われたセンスにより放たれるそれは凄まじい威力だ。僕は数m吹き飛ばされるとそのまま意識を失った。

 

 気が付いた僕は縄で縛られ胡桃君の運転する僕の車の中にいた。横には圭と直樹君が心配そうにだが安堵の目で僕を見ていたとさ。一連の出来事はあまりにも劇的すぎて僕がそれを理解するのには少し時間を要した。だけど一つだけ確実にわかったことがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕は学園生活部に戻ってきたのだ。

 

 

 




 いかがでしたか?特に理由のある暴力が主人公を襲う! なお、主人公が囮役をしなくても入り口でスタンばっていた胡桃ちゃんに殴られる模様。

 そしてやっと出すことができた火炎放射器君はたった一話でリストラという体たらく。でも、ご安心下さい奴は火炎放射器四天王の中でも最弱なのです。ナイフと鏡をガムでくっつけるのはプライベートライアンの序盤の上陸戦から引用しました。あれって実際にくっ付くんですかね?

 では、また次回に。


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第十一話 ゆるし

 
 書いていて思うこと。やっぱ悲しいことのあとには楽しいことがなくちゃね


2015年〇月〇日

 

 学園生活部に戻ってきてしまった。今は僕は音楽室でこの日記を書いている。学校に戻った僕は本気で怒った悠里君と笑顔だが目が全く笑っていない佐倉先生にみっちり説教された。まず初めに怯えてしまったことを謝られた時は、このままなあななに終わるのかと思ったがそんなことはなかった。

 

 僕の反論を片っ端から正論で論破していく悠里君に笑顔ではあるが言葉の端に隠し切れない怒気が見え隠れする佐倉先生。美人は怒ると怖いというが、本当にその通りだと思わざるを得ない。しかも、説教の最中にポケットに入っていた煙草を見られてしまい案の定、反省文を提出することになった。それも15枚。解せぬ。

 

 胡桃君にも怒られるかと思ったが、意外とあっさりしていて逆に拍子抜けしてしまった。なんでも、もう殴ったからそれでチャラにする。だそうだ。男前な台詞である。彼女にとっては不本意であろうが、こういう時の胡桃君は本当にかっこいいと思う。ただ、右手に巻かれた包帯を見るたびに僕の心は罪悪感で一杯になってしまう。

 

 るーちゃんには涙目で抱き着かれ胸をぽかぽかと殴られた。全く痛くなかったが今でも猛烈な罪悪感を感じる。由紀君は相変わらずといったところだが、何か以前とは違う雰囲気を感じられた。それが何かはわからないが決して悪いことではないだろう。

 

 直樹君と圭は要塞と化した学校に戸惑いつつも久しぶりに大勢の生存者に顔を綻ばせていた。僕と一緒にいた圭と違いずっと部屋に閉じこもって粗食に耐えてきた直樹君にとって悠里君の料理は心底うれしかったようで目にはうっすらと涙が滲んでいた。。しかし、学園生活部に入るかどうかはまだ決めかねているようで仮入部という形で今日は収まった。

 

 学校と言えば僕がここを出てから戻ってくるまでに結構な変化が起きていた。具体的に述べるのなら、三階の教室にはプランターが設置され日当たりが悪くても育つ野菜が育てられていた。まだ、収穫には時間がかかるそうだが上手くいけば食料自給率は大幅に上がる見込みらしい。

 

 二階には侵入防止用のネットと防犯ブザーを使った警報装置が設置され以前、僕がその脆弱性を指摘したバリケードもより大きく頑丈に形を変えビクともしない頑丈なものとなった。三年生の教室はある程度掃除され食料などの倉庫と化していた。もうすでに10人が半年近く暮らしてくことができるだけの物資があるらしい。ちなみにその物資の供給元は僕の拠点からである。しかも大変残念なことに半分近く回収してしまったようで僕が近場の拠点に戻ってももう何もないそうだ。その事実を笑顔の悠里君に告げられた僕は気絶した。

 

 僕は学園生活部大きな借りができてしまった。命を救われたというのはこの世の中においては最上級の借りである。もう、前のように勝手に出ていくことは許されないだろう。尤も、出ていこうにも僕の車の鍵は佐倉先生が自身の車の鍵と一括で管理しているため逃げ出そうにも徒歩で行くことになる。それは流石の僕でも少し難しい。できないわけではないが労力に見合わなさすぎる。

 

 とはいえ、僕の心はもう罪悪感で一杯だ。これ以上、彼女たちに悲痛な顔をされてみろ、僕は頭に銃を突き付けて自殺してしまうことだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ひーくん、どうしたの?」

 

 後ろを振り向けば由紀君が目を擦りながら音楽室の扉の前に立っていた。もう、夜中だ。いつもなら眠っている時間だろうに。

 

「ただ、日記を書いていただけだよ。そういう由紀君はなんでここに? もう、遅いんだから寝なさい」

 

 なるべく優しく、傷付けないように話しかける。血塗れの僕を見た見た時の怯える顔が目に浮かぶ。もう、あんな顔はさせたくない。見たくない。

 

「えっとね、ひーくんにあやまりに来たんだ。この前ひーくんのことこわがっちゃったでしょ? だから、ごめんね」

 

「あれは、僕に責任がある。だから君が謝る必要なんてない」

 

 僕の反論に由紀君はゆっくりと首を振り否定する。

 

「ううん、違うよ。わたし、あの時、ひーくんがすごい寂しそうな顔をしていたのに。気づいていたのに追いかけられなかったんだ。だから、ごめんなさいって。しようと思ったの」

 

 寂しそう? 僕はそんな顔をしていたのか。確かに、あながち間違いでもないかもしれない。

 

「君がそんなことを気に掛ける必要なんてないよ。あれは僕が全面的に悪いんだから。君はそんなこと考えないで笑っていればいい「笑えないよ!」…………」

 

 声を荒げる由紀君に思わず黙り込んでしまった。もしかして怒らせてしまったのだろうか。

 

「わたし、ひーくんのこと好き、だよ」

 

 今、この子はなんていった。好き? 僕を、いや違う。何かの勘違いだ。

 

「ひーくんも、りーさんも、るーちゃんも、くるみちゃんも、めぐねえも、あと、新しくきてくれたみーくんとけーちゃんも、みんなみんな好きだよ! だから、ひーくんが寂しそうにしてたら笑えないよ……」

 

 月に照らされた彼女はどこまでも、真剣であった。何故、彼女はここまで他者を慈しむことができるのだろうか。

 

「それに、ひーくんはとっても怖がりさんだから学園生活部のみんなで守ってあげないとね!」

 

 得意げな笑顔。まるで、出来の悪い弟を見守るかのような、そんな笑顔だ。普段ならこんなことを言われていい気分にはならない。でも、今日は少し素直になろう。

 

「怖がり、か。確かに僕は怖かったんだ。僕はとても臆病な人間だから差し伸べられた手を掴むことすらできないでいたんだ。長いこと独りでいたからかな。人との距離ってやつがどうにもわからない」

 

 由紀君は黙って僕の話を聞いてくれた。その優しさが僕には眩しい。

 

「傷つけない為に離れたつもりなのに、もっと傷つけてしまう。護るはずなのに奪ってしまう。僕はどうすればよかったんだ?」

 

 最善と思った選択は悉く裏目にでてしまう。僕がいくら自分の事を定義しても周りは否定する。君はそんな奴じゃない。君は良い人だ。そんなことばかりもう頭の中はごちゃごちゃだ。

 

 突然彼女が片手を振り上げた。まるで運動会の宣誓のようだ。

 

「学園生活部心得第四条! 部員はいつ如何なる時もお互いに助け合い支えあい楽しい学園生活を送るべし!」

 

 これは、確か僕がここに初めて来た頃に教えられた学園生活部の心得だったか。もう、殆ど記憶に残っていないがこんな内容だったのか。

 

「ひーくんはもう独りぼっちなんかじゃないよ」

 

 いつの間にか頭を撫でられていた。座って俯いた僕には反応することができず、由紀君にされるがままになる。手を払いのけようにも身体が思うように動かない。

 

「ひーくんは、ほんとにおバカさんだなー。そんなのみんなに助けてもらえばいいだけだよ」

 

 その何気ない一言は僕にとって計り知れない衝撃をもたらした。動揺して口が思うように動かない。何を言えばいいのかわからない。頭が真っ白になる。

 

「そ、そうか……」

 

「え? ひーくん何か言った?」

 

 何とか頭を巡らせ言葉を紡ぎだす。由紀君に伝えなくては。でも、身体は言うことを聞かない。

 

「そんな、簡単なこと、だったんだ……」

 

 辛うじて話せたのはその一言だけだった。駄目だ。これでは伝わらない。伝えられない。

 

「そう、だよな……。僕は今まで何をしていたんだろうか。一人で拗らせて勝手に納得して、馬鹿みたいだ。そうだよ、簡単なことじゃないか。ただ一言助けてくれって言えばいいだけだったのに。そんなことにも気が付かないほど僕は馬鹿だったのか」

 

 目の前に答えがあったのに意地を張って一人で探し続けていた。手は既に差し伸べられていたのに必死に気が付かないふりをした。僕は圭の言った言葉の意味をはじめて理解した。僕は一人で格好つけているだけの馬鹿だった。

 

「由紀君、ありがとう。やっとわかったよ。確かに君の言う通り僕は本当に大馬鹿者だ。だから、えっと……」

 

「どーしたの、ひーくん?」

 

 由紀君はまだ気が付いていないようだ。これは思いのほか恥ずかしい。

 

「その、なんだ。もう、手をどけてくれないか?」

 

 由紀君の手は未だに僕の頭の上にあった。ずっと撫でていたのだ。いつもは幼い印象しかない彼女なのに今日の彼女はやけに大人っぽかった。意識してしまうと恥ずかしくてしかたがない。

 

「わわ! ご、ごみん」

 

 やっと気づいたようだ。ようやく手を引っ込めてくれた。でも、その顔は心なしか赤い。そりゃ、男の頭撫でたりしたら恥ずかしいにきまっているだろう。

 

「あ、そーだ! わたし、ピアノ弾けるようになったんだよ! 音楽室もみんなで綺麗にしていつでも気持ちよく歌えるようになったんだ」

 

 今、なんて言った? 綺麗にした、だと。おかしい、由紀君の中では事件は起きていないはずだ。彼女は見えているのか?

 

「君は、覚えているのか?」

 

「え、どういうこと? って、もう寝るねー!」

 

 由紀君は踵を返して戻ろうとした。だが、僕たちは気が付いてしまった。開いた扉から何かがこちらを覗いているのを。いや、何かではない。僕はそれを知っている。

 

「あ、ばれた!」

 

 佐倉先生が顔を少しだけだしてこちらを見ていた。目が合ってしまった。

 

「めぐねえ!? み、みてたの!?」

 

 先生は何も言わなかった。だが、逸らした目が事実を物語っていたのは言うまでもない。ニコニコしているのが子憎たらしい。

 

「ちなみに、どこから?」

 

 僕はゆっくりと聞いた。

 

「え、えっと、由紀ちゃんが秀樹君の頭を撫でたところからかしら」

 

 殆どはじめからではないか! あんな醜態を見られてしまったのか。そう思うと顔に血が上るのがありありと感じて取れた。だが、それは隣の由紀君も同じだったようだ。

 

「わわわ! わ、わたしもう寝るね! めぐねえ、ひーくん、おやすみー!」

 

 駆け足で音楽室を出て行ってしまった。おい、僕を置いて逃げるな。恥ずかしいだろうが。そんな僕の願いはよそに彼女の足音はどんどん遠ざかていってしまった。

 

「…………」

 

 後に残るは二ニコニコした先生と僕一人。

 

「な、なんですか……」

 

「いえ? 別に……。なにか意外だなって思って」

 

 心底驚いたと言わんばかりに先生が僕に話しかける。たしかに、大男が小さい少女に頭を撫でられる光景なんぞシュール極まりない。

 

「そうですね、こんな大男が由紀君みたいな「違うわ、そうじゃないの」じゃあ、なんですか?」

 

 ポリポリと頬を掻きながら先生は僕の予想を否定する。そうでないならいったいなんなんだろうか。

 

「本田君がああして自分の思っていることを話しているのって初めてみたの。丈槍さんはやっぱりすごいわ」

 

 あの子はいつもああやって何気ない一言でみなを救ってきたのだ。気が付いたらふと懐の中に飛び込んでその心を見透かしてくる。僕が悩んでもわからなかった答えをいとも簡単に提示してみせた。あれが本当の正解なのかは、たぶん一生考え続けていかないとならないだろうけど。

 

「聞いていたんですね…………。先生、なら少しだけ僕の話に付き合ってもらえませんか?」

 

「ええ、もちろんよ! 私は先生ですもの」

 

 先生は近くの椅子を持ってくると僕の隣に座った。シャンプーの良い香りが鼻を刺激する。

 

「話を聞いていたなら知っていると思います。要は僕は孤独を拗らせすぎて思考がおかしくなってしまったんですよ。誰も指摘してくれる人もいなかったから匙加減がきかないんだ」

 

「そんなこと……。それは仕方のないことよ。私たちはあの日からずっと4人で生きてきた。でも、本田君はずっと一人だったのでしょ? 私なら、とても耐えられないわ」

 

 先生の手が震えていた。自分がもしそうだったらと思い恐怖しているのだろうか。確かに、学園生活部があの日死を免れたのは全くの偶然だったのだろう。でも、重要なのはそこじゃない。

 

「ちょっと昔話をしましょうか。あの事件の直後僕は途中何度も死にそうになりながら走り続けてなんとか家までたどり着きました。家中の鍵を閉めて蹲って何も知らないふりをしました」

 

「大変……だったのね……」

 

 ここから話すのは僕の罪。奴らを殺す者となった契機。受け入れてもらえるかはわからない。でも、僕はもうこの人たちに隠し事をしたくなかった。

 

「しばらく、部屋で蹲っていました。外からは爆発音や悲鳴がわんさか聞こえてそれはもう怖くて怖くて仕方がありませんでした。そしてしばらくしたら僕の知っている声が聞こえてきました。僕の母さんの声でした。悲鳴をあげていました。母さんは家のドアを開けようとして何度も何度もドアを叩きました。でも、開くわけがない。僕が鍵を閉めてしまったんだから」

 

「…………」

 

 先生は何も言わない。今はそれが何よりも嬉しかった。

 

「やがて奴らの呻き声が外で聞こえて、母さんの悲鳴が聞こえました。慌てて玄関から覗き穴から外を見たら母さんが奴らに食い殺されていました。その後は、まあ、知ってのとおりですよ」

 

 全て話してしまった。正直に言って僕はどうしようもない人間の屑だった。親を見殺しにした最低の男。それがこの本田秀樹の正体だ。狂気の復讐鬼などそれを覆い隠すためのものにすぎない。一皮めくればどこまでも弱くて愚かな男が見えてくる。

 

「どうです? 幻滅しましたよね? これが僕の正体ですよ。口では何と言おうとその本性は、どうしようもない臆病で愚かな人間だ!」

 

「…………」

 

 先生は相変わらず何も言わない。きっと僕の屑さ加減に呆れて物が言えないのだろう。恐る恐る横にいる先生を見る。膝に置いた手は固く握りしめられて手の甲には涙が……涙?

 

「せ、先生?」

 

「ひぐ、つらかったよわよね? かなしかったわよね?」

 

 いきなり先生が僕を抱きしめてきた。最近の僕、鈍っていないか? 昔ならこんなの余裕で反応できただろうに。抱きしめれているせいで顔はわからないがきっと前に泣き出したみたいにグシャグシャになっているのだろう。でも、何故?

 

「ぐす、ごめんね? 今まで、気づいて、ひぐ、あげられなくて、本当にごめんね」

 

「な、なんで先生が泣くんですか……。せ、先生はさっきの話ちゃんときいてたんですか?」

 

 なんで貴方が泣くんだ。貴方は僕を罵倒していればいいんだ。親殺しの屑と罵ってくれればいいのに。僕のそんな思いに反して抱きしめる力はより強まる。

 

「本当に泣きたいのはあなたなのにね。ぐす、私は教師失格だわ」

 

 先生の優しい言葉が心に染みこんでいく。でも、僕にそんな資格はない。

 

「ぼ、僕に泣く資格なんて、あるわけないじゃないですか……。僕は母さんを見殺しにしたんですよ。そ、そんな「貴方は泣いていいのよ!」え?」

 

 僕の言葉を遮り先生が叫ぶ。どこまでも力強い言葉だ。

 

「誰にも貴方を責める資格はないわ! 秀樹君が自分をどう思おうとも貴方は、泣いていいのよ! 我慢しなくていいのよ!」

 

 やめてくれ、これ以上、これ以上何か言われたら僕はもう、耐えられない。でも、そんなことは許されない。僕に、僕に泣く資格なんてない。

 

 しばらく僕を抱きしめた先生はやっと離れてくれた。でも、その顔はもう涙で赤くなりなんとも痛ましい姿だった。先生は僕から一歩下がるとわざとらしく咳ばらいをした。

 

「でも、秀樹君はとっても頑固だから私がなんと言ってもきかないのよね? だから私はこういいましょう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

─私は、貴方を赦します─

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それは、卑怯だ。そんなのずるいよ。もう、我慢などできなかった。涙が溢れる。声をあげて泣く。今まで我慢し続けたものが抵抗を失いあふれ出る。一度、崩れてしまえばもう制御などできない。

 

 母さんが死んだ。あの優しかった母さんが死んだ。もう二度と僕に笑いかけることも話しかけてくることもない。

 

 僕が殺してしまった。奴らに食われるのをただ見ていた。もう、二度と取り戻せない大切なもの。

 

 僕は、はじめて母さんが死んだことを本当の意味で理解した。

 

 

 

 

 

 まあ、その後は大変だった。例によって僕のみっともない泣き声で目が覚めた胡桃君と悠里君が駆けつけると、そこには佐倉先生にしがみついて大声で泣く大男がいたのでそれはそれはシュールな光景だったという。

 

でも、これでよくわかった。僕は、結局人間にしかなれないということを。化物は涙なんて流さない。流してしまったらそいつはもう、化物ではない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そんなことがあったのね」

 

 次の日の朝、僕は、珍しく寝坊してしまった。とは言えまだ朝の6時過ぎなので十分早起きの範疇に入るのだろう。何故、寝坊したのかは言わずもがなである。

 

 僕は今、悠里君と共に朝食の準備をしている。なんせ人数が一気に倍近くに増えたのだ。机などを運び込んだり手伝えることは数多くある。

 

「まあ、結局僕は人間だったということだよ。口ではなんとかっこつけようとも心は騙せないってことかな」

 

 悠里君にはもう、僕の情けない姿をばっちり見られてしまった。今更言い繕う気にもなれないので昨日の事情を大まかに説明したのだ。

 

「そうね。でも、私は秀樹君の気持ち、わかる気がするわ」

 

「どういうことかな」

 

 そう言って悠里君は少し遠い目をしながら語った。まるで昔を思い出しているようだ。

 

「私ね、昔るーちゃんのこと忘れていたのよ。きっと心がどうにかなってしまうから。秀樹君もきっと同じことだと思うの」

 

 それは、初めて聞いた。でも、確かに僕と似ているのかもしれない。妹の存在を忘れ去ることで精神の安寧を図った悠里君と母が死んだことをただの記録にすることで誤魔化した僕。似てないと言えば嘘になる。

 

「そう、だね。君にあんなかっこつけて説教したのにこれじゃあ言える資格ないじゃないか」

 

 そうだ。僕は散々色々な人に説教をしてきた。今となってはブーメラン発言ばかりしていた気がする。気がするじゃない、していた。

 

「でも、私は今の秀樹君のほうが好きよ」

 

 突然の告白。でも、これは違う意味だ。流石の僕でもそこまで勘違いはしない。

 

「前の秀樹君ってどことなく距離を置いていたじゃない? 喋り方とか呼び方とか」

 

「話し方? 呼び方ならわかるけど」

 

 まったく見当がつかない。でも、悠里君は、まだ気が付かないのかとでもいいたげな顔で僕を見ている。

 

「だって今の秀樹君、普通に話してるじゃない」

 

「あ、そういえばそうだ」

 

 言われてみて初めて気が付いた。僕は今、自分の心の中で話している口調と同じ話し方をしていた。気を付けないと。

 

「ああ、そうだね。忘れてたよ。ありがと「これからは普通に話してみたらどうかしら」

そ、それは」

 

 まさかの提案。でも、僕はこの口調が気に入っているのだ。

 

「前から言おうと思っていたのだけど、秀樹君の話し方って、その……あまり似合っていないわよ」

 

 その飾らない言葉は僕の精神に甚大なる被害を与える。顔を見れば本気で言っているのがわかるのだ。それが猛烈に辛い。

 

「そういうことを言うのはやめてくれたま「たまえ禁止!」やめてくれない?」

 

 本当にやめてくれ! 僕の心はボロボロだ。

 

「ふふふ、ごめんなさい。そこまで言うつもりはなかったのだけれど、胡桃もめぐねえも口にはしていなかったけど同じことを思っていたはずだわ。由紀ちゃんは違うと思うけど……」

 

 それ以上は、もう必要なかった。僕の顔はもう恥ずかしさのあまり真っ赤なになっていることだろう。同い年の女子からのオブラートに包んでもなお威力過剰な発言は僕の心を粉々に砕いた。身体がふらつく。

 

「って、そうだ! 君に聞きたいことがあったんだ。由紀君のことなんだけども、あの子どうにも現実が見えているんじゃないのか?」

 

 そう、昨日の発言は現実を認識していなければ思いつくことのない言葉であった。雰囲気が変わったのは知っていたがまさか治ったとでもいうのだろうか。

 

「由紀ちゃんね、秀樹君が出て行った日から少しづつではあるのだけれど現実を見るようになったの。でも、まだ時より誰もいないところで話していたりはするのだけれど、それでも前よりはずっと少なくなったのよ」

 

 まさか、本当に治りかけているとは、自力では無理だと踏んでいたが世の中どう転ぶかわからないものだ。

 

「切欠が血塗れの僕だというのが素直に喜べないけどね。でも、それで本当にいいのだろうか。僕としては夢を見させ続けてあげたかったんだけど」

 

「由紀ちゃんはきっと秀樹君を探すために夢を見ることを辞めたのよ。あの子、口では元気そうにしていたけど時より泣きそうになっていたのよ。だから」

 

 そう言って悠里君は僕の左手を握った。温かい手だった。

 

「だから、もう二度と自分から出て行ったりしないで。由紀ちゃんだけじゃない。みんなそう思っているわ」

 

 やっぱり僕は一人で意地を張っていただけのだろう。もうとっくに受け入れられていたのに、それに気が付かないふりをしていただけなのだ。

 

「ああ、約束しよう。もう、二度と勝手に君たちの前から出ていったりはしないさ」

 

 僕は、もう間違えたくないのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『いただきまーす!』

 

 最初は広く感じられたこの部屋も8人もいたら流石に手狭に感じてしまう。でも、僕にはそれがとても心地よかった。

 

「食料の方はどうなっている?」

 

 隣の悠里君に話しかける。こんなに一気に増えたら家計を管理している彼女の負担も増してしまうというものだろう。

 

「そうね、流石に今までのようにはいかないわね。でも、人も増えたからできることももっと増えたわ。だからきっと大丈夫よ」

 

「あっ、それなら私も手伝います!」

 

 反対側に座っていた直樹君が進言した。きっと彼女なりに何か力になりたいのだろう。確かに直樹君は見るからに頭が良さそうだ。脳筋の僕や胡桃君では考え付かないことも彼女の力があれば思いつくかもしれない。

 

「私も手伝います!」

 

「圭、君の気持は嬉しいが、今日は休んだ方がいい。昨日散々大立ち回りしただろ?」

 

「それは、先輩のことじゃないですか?」

 

 そうだけども、盛大に自爆しようとしたけどもね!

 

「じゃあ、二人とも後で手伝ってほしいことがあるから──」

 

 悠里君が二年生組に仕事の手伝いの相談などを持ちかける。僕は、話すことがなくなったので食事に集中する。これは僕が汗水たらして集めた缶詰シリーズ、だと。

 

「なあ、秀樹?」

 

 胡桃君が話しかけてきた。どこか不満そうな顔だ。

 

「なんだ、胡桃君」

 

「いや、後輩のことは呼び捨てなのにあたしたちはは君付けなんだな。ふーん」

 

 妙に不服そうな顔だ。いったい何が不満なんだ。まったくわからない。

 

「なんだ、君付けなのがそんなに不満なのかい?」

 

「まあ、簡単に言っちまえばそうだな。てかなんで君付け?」

 

 本当は恥ずかしいから当たり障りのない君付けしてましたとか言えるわけないだろ。君付けならそこまで恥ずかしくないのだ。我ながら意味が分からない。

 

「由紀から聞いたぞー。もう意地はるのやめたんだろ?」

 

 どうあっても僕に呼び捨てさせたいらしい。ええい、ままよ!

 

「じゃ、じゃあ、く、く、胡桃」

 

「どもりすぎだろ! 普通に呼び捨てにするだけだろーが。変な秀樹」

 

 懐かしいやり取りだ。本当にここに戻ってきたんだな。思わず涙が零れそうになる。

 

「って! 泣くほど辛いのかよ!」

 

 どうやら違う方向に勘違いしてしまったらしい。そして相変わらず胡桃君のツッコミのセンスは一級品だ。打てば響くとは正にこのことだろう。

 

 

 

 

 

「そーだ! 体育祭、しよう!」

 

 突然、由紀君が立ちあがり宣言した。なんでまた体育祭なんだ。とはいえ今日は特にすることもないので僕たちは由紀君の提案を受け体育際の準備を始めることとなった。相変わらず佐倉先生は空気だったがそれは致し方ない犠牲というものである。

 

 

 

 

 

 学園生活部は今日も平和であった。

 




 いかがでしたか? 主人公は口ではなんといっても所詮は人間でした。人間は化物にはなれないのです。衝撃の事実。主人公の話し方は学園生活部からみても鼻につくものだったようです。女子に真顔で指摘されたらきっと私は恥ずかしくて死んでしまうでしょう。そして、さらっと胡桃ちゃんを脳筋扱いする主人公の鑑。

 では、また次回に。


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閑話 体育祭

 今回の話は完全に蛇足ですので読まなくても本編の理解には全く支障はございません。


 今朝の由紀君の突然の提案。それは運動会を開くというものであった。たしかに、ちょうど人数は8人なので半分に別れて競うことができる。僕たちは早速くじを作りチーム分けを始める。

 

「じゃあ、せーのでコップの中のくじを引くのよ」

 

 悠里君(朝食の後、胡桃君だけずるいとのことで学園生活部全員を呼び捨てにすることとなった)の掛け声に合わせティッシュで作ったくじを引っ張る用意をする。

 

「せーの!」

 

 各自、一斉にくじを引く。僕のくじは、赤か。

 

「じゃあ、紅組の人は僕に集まってくれ」

 

 僕の声に反応し紅組が集まる。佐倉先生、直樹君、圭が集まる。これで四人。対して白組は悠里君、胡桃君、由紀君、るーちゃんだ。

 

「美紀! いっしょのチームだね!がんばろー」

 

「け、圭? なんでそんなノリノリなの? た、体育祭って……。こんなことしてていいのかな……」

 

「先生も混ざっていいのかしら?」

 

 一名を除き各自やる気は十分のようだ。直樹君は学園生活部のノリについていけない様子である。相棒の圭はノリノリであるが。

 

「じゃあ、みんな準備はじめましょ!」

 

『おー!』

 

 学園生活部心得第五条、部員は折々の学園の行事を大切にすべし。だったかな。準備はつつがなく行われ、そして僕たちの体育祭が始まった。

 

 

 

 

 

 第一の種目は徒競走だ。廊下を一直線に50m突っ切る。トップバッターは佐倉先生だ。対する相手はなんと、るーちゃんだ。

 

「え? るーちゃんも走るの?」

 

 僕の疑問は尤もだった。子供と大人では勝負にならない。悠里君が同じことを聞くがるーちゃんは譲らないようだ。

 

「るーちゃんだって、はやいもん」

 

 だそうだ。でも、まあ先生なら適当にハンデを付けて走ってくれることだろう。だが、僕の予想は次の瞬間に裏切られた。

 

「位置について! よーい! どん!」

 

 一斉に走り出す二人。るーちゃんはやいぞ! 小学生と思えない速さで見る見るうちにゴールテープに近づくるーちゃん。

 

「るーちゃんかわいい!」

 

 悠里君は少し暴走気味で手にしたポラロイドカメラを連射していた。あれ、佐倉先生は?

 

「め、めぐねえ…………」

 

 いた。スタートから10mもしないうちに佐倉先生はいた。正確には転んでうつ伏せになっていた。その姿を正確に述べることはないが大変目の保養になったとだけ伝えようと思う。

 

「わわ、めぐねえだいじょうぶ?」

 

「ス、スカートが、あ、足に…………ガクッ」

 

「め、めぐねえが! メ、メディーク! メディーック!!」

 

 小学生に負ける高校教師の姿がそこにはあった。

 

 

 

 

 

 紅組0点、白組1点。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第二種目はアーチェリーだ。距離は30m。相手はもちろん。

 

「ふん、巡ヶ丘のウィリアム・テルと呼ばれたあたしの腕を見せてやるぜ!」

 

 得意げに弓を掲げるのは胡桃君だ。また、間違えているし。

 

「ふん、前の僕とは違うことを教えてやるぞ胡桃! あと、ウィリアム・テルはクロスボウの名手だよ」

 

「…………。じゃあ! 張り切っていこうか!」

 

 こいつ話そらしやがったよ。まあ、いい。僕は自分の弓を眺める。例の自作の弓だ。矢は公平さを期すためにアーチェリー用の弓を使う。

 

「二人ともがんばれー!」

 

「秀先輩! そこのシャベル先輩になんか負けないで下さいねー」

 

「だーれが、シャベル先輩だー!」

 

「胡桃? おいたしちゃ、だ、め、よ」

 

「は、はい」

 

 六本勝負、第一射目。先攻は胡桃君だ。矢筒から矢を引き抜き番える。

 

「すぅー、はぁー」

 

 深呼吸。先ほどまでのと違いその目は真剣そのものだ。そして引き絞り、放つ。

 

「あちゃー、やっちゃった」

 

 矢は的の中央から大きく外れ6点の所に突き刺さった。ちなみに的は手書きのものにマットレスと机で作った矢止めを置いてあるので問題はない。

 

 恵飛須沢6点。

 

 第一射目、後攻、僕の番だ。胡桃君のよりも遥かにみすぼらしい外見に思わず涙する。威力はかなりのものなんだがな。

 

「なあ、あたしの弓貸してやろうか?」

 

「いや、これでいい」

 

 位置につきポケットに突っ込んだ矢を手に取る。照準器もなくただ矢を乗せるための台座を付けているだけなので番えるのは驚くほど素早い。

 

「…………当たれ」

 

 矢を放つ。リカーブボウよりも力強い風切り音が鳴り矢が飛んでいく。

 

「よし!」

 

 矢は中心から少しそれた8点の位置に突き刺さった。

 

「なっ!」

 

 胡桃君が驚愕に目を見開く。外での鴨狩で鍛えられた僕の腕を舐めない方がいい。そこから僕たちの一進一退の攻防が始まった。

 

 そして六射目。お互いの点数は36点。この一射で勝ち負けが決まるのだ。

 

「ぜってー負けねー!」

 

「僕も負ける気はないよ」

 

 先攻は僕、弦を引き絞り極限まで集中する。周囲が無音になり、的と弓だけの世界と化す。ああ、これは当たったな。

 

「な、なん、だと……」

 

 矢は真っすぐに的に突き刺さった文句なしの10点だ。勝ったな。

 

「ふ、君も惜しかったみたいだね。僕の勝ちだ」

 

 そのまま自分たちのチームに戻る。もう勝ちは揺るがないからだ。

 

「あーっ!」

 

 誰かが叫んだ。何だ? 振り向いて的を見てみれば何と、真ん中にもう一本矢が生えていた。思わず胡桃君を見る。

 

「へん、やったぜ!」

 

 まさかの同点、引き分けであった。解せぬ。

 

 

 

 

 

 紅組0点、白組1点

 

 

 

 

 

 第三種目、二人三脚。

 

「いくよー! 美紀!」

 

「うん! 圭」

 

 相手の胡桃君と悠里君のチームワークは中々にすごい物であったが、直樹君と圭の友情の前に遭えなく敗れたのであった。

 

 

 

 

 

 紅組1点、白組1点

 

 

 

 

 

第四種目、借り物競争。

 

「圭! メロンなんてどこにあるの!」

 

「わ、わかんないよー」

 

 運悪く直樹君は難題を引き当ててしまったようだ。誰が書いたのだろうか? まったくわからない。いったい、誰なんだろうな、本当に。

 

「ひーくん! 来て!」

 

 由紀君が僕の腕を掴んでゴールまで走り出す。そのまま審判である悠里君に僕を見せつける。

 

「お題は、筋肉だったよ!」

 

「はい、由紀ちゃんゴール!」

 

 間違ってないけど悔しい。筋肉呼ばわりは地味に傷つくのだ。

 

「メロンなんてないよー!」

 

 廊下を直樹君が彷徨っていた。

 

 

 

 

 

紅組1点、白組2点。

 

 

 

 

 僕たちはこの後も綱引き、玉入れ、縄跳びの3種目を競い合った。学校の外は死で塗れているのにここには笑顔があった。僕はこの瞬間を大事にしたいと思う。

 

 そして最後の種目、リレーだ。ここまでは紅白ともに3点と同点。事実上の決勝戦が始まった。トップバッターは、佐倉先生とるーちゃんだ。

 

「よーい、どん!」

 

 両者ともに駆けだす。るーちゃんは相変わらずだが佐倉先生は懸命にも転ばずに走り切ることができたのだ。そのまま少し遅れて直樹君にバトンを手渡す。

 

「美紀ー!」

 

 圭が手を振っている。ただ、相手は由紀君だったので離れていた距離は簡単に詰められる。

 

「み、みーくん意外とはやい!」

 

 ほぼ同時にバトンを手渡す、お次は悠里君と圭の勝負だ。徐々に近づく二人。あるものを除いては両者ともに違いはなかった。

 

「お、おっきい……」

 

 圭の呟きを耳にしてしまい少しだけ複雑な気分になったのであった。

 

「秀樹とは、いつか勝負してみたかったんだ。手加減すんじゃねーぞ?」

 

 胡桃君は長いツインテールを輪にして本気モードだ。対して僕もジャージと普段よりも何十倍も軽い装備だ。これなら互角にやれるだろう。

 

 そして近づいてくる二人、あと5m

 

「秀先輩!」

 

「胡桃!」

 

 同時にバトンを受け取り走り出す。やはり速い! 流石は元陸上部だ。僕たちはアンカーだ。50mのパイロンをUターンし勝負は後半戦に入る。

 

「へ! あたしの勝ちだな!」

 

 僕の少し先を走る胡桃君。でも、僕には秘策があった。

 

「胡桃! なんでシャベル背負ってんのー!?」

 

「え? しまった! 忘れてたあぁ!」

 

 僕の秘策、それは誰も指摘しなかった背中のシャベルを思い出させてあげることだ。大きくペースを乱す胡桃君。よし、勝った!

 

「ま、け、る、か、あ!!」

 

 速い! なんて速度だ。 火事場の馬鹿力とでもいうのか。僕も人生で一度あるかないかというような力を足に込める。ゴールテープは目と鼻の先だ!

 

 そして、ゴール。僕は仰向けに倒れ込む。つ、疲れた。

 

「そうだ、結果は?」

 

「同着、と言いたいところだけど胡桃の方がほんの少しだけ速かったわ」

 

「やったー!」

 

 疲れているはずの胡桃君が飛び上がりながら喜ぶ。

 

「ま、負けたのか……。はは、あー、疲れた」

 

 僕はそのまま倒れ込んだ。不思議と悔しくはなかった。思えばこんなに真面目に体育際に力を入れたのは生まれて初めてかもしれない。まあ、楽しかったかな。

 

 

 

 

 

紅組3点、白組4点。優勝は白組だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『かんぱーい!』 

 

 全員で集合写真と撮った後、体育祭の成功と二年生の歓迎を兼ねて打ち上げ擬きを開く。備蓄の缶ジュースを一気に飲む。運動したから余計に美味く感じる。

 

「かぁー、美味いな!」

 

「ひーくん、おじさんみたいだよー」

 

 おっさんとは失礼だな。おっさんとは。そんな感じで各々が自分達を称えあう。まさに本当の意味での打ち上げだ。打ち上げと言ってもお菓子と乾パンなどの質素なものしかない。だけど僕には何よりも美味しく感じられた。

 

 

 

 

 

 僕はいつの間にか輪から外れていた直樹君に気が付いた。一人窓際で缶ジュースを飲んでいる。

 

「どうしたんだい?」

 

「わ! せ、先輩? いきなり声かけないで下さいよ。びっくりするじゃないですか」

 

 自分の世界に入っていたのだろう。直樹君は心底驚いたといった感じであった。少し、悪いことをしてしまったかもしれない。

 

「ああ、悪いね。で、どうだった? 楽しかったかい?」

 

「そう、ですね。楽しかったです。でも、こんなことしてていいのかなって思ってしまって」

 

 確かに、僕たちの行動は傍から見れば現実逃避そのものだ。でも、これがあるからこそ学園生活部はこんな地獄の中でも笑っていられるのだ。

 

「たしかに、僕も初めはそう思ったよ。でもね、人間ってのは張り詰めたままだと簡単に潰れてしまうんだ。それにやらなきゃいけないことはきちんとしている。だから、ちょっとくらい羽目を外したって罰はあたりはしないさ」

 

「確かに、学校、すごいことになってましたもんね。私、まだ夢じゃないかと思っているんです。圭が戻って来て、学校があって、みんなで身体動かして。世界はこんなひどいことになっているのに笑うことができるなんて」

 

 それも無理はない、つい昨日まで地獄の中でなんとか生き永らえてきた直樹君にとってここは夢のような場所なのだろう。

 

「ところがどっこい夢じゃない。これは現実だよ、直樹君。まあ、学園生活部はいつもこんな調子だから早めになれることをお勧めするよ」

 

 黙って外の星を見つめる直樹君の表情は笑顔であった。

 

「私も、正式に入部させてもらってもいいですか?」

 

「それは、僕じゃなくて悠里に言ってくれ。でも、誰も咎めはしないさ」

 

「だから、大丈夫さ、直樹君」

 

 僕の一言に直樹君はゆっくりと息を吐く。

 

「美紀でいいですよ。私だけ苗字だと仲間外れにされているみたいですし。だから秀先輩?」

 

 初めて僕の方を向いた。ここ来てから一番の笑顔であった。

 

「これからよろしくお願いしますね?」

 

「あ、ああ! 「ひーくん、みーくん。何話してるの? わたしも混ぜてよー」

 

「もう! みーくんじゃないです!」

 

「えー、可愛いのに―」

 

 

 

 

 

「世は常にこともなしってか……」

 

 僕の呟きが闇に吸い込まれる。そういえば反省文のこと忘れていた。どうしようか、本当に。

 




 いかがでしたか? メロン、いったい誰が書いたのでしょうか? 僕にはまったくわかりません。

 では、また次回に。


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第十二話 しょか

 書いていて思うこと。こいつやっぱ頭おかしいわ。


「すまないね、手伝ってくれて」

 

「いえ、私から名乗り出たことなので、お礼を言う必要はありませんよ」

 

 美紀が謙遜する。だが、その表情は少し険しい。まるで、なんでこんなものがここにあるのだ、とでも言いたげな表情だ。

 

「どうやら、少し戸惑っているようだね。まあ、無理もないよ。こんなものを見せられて戸惑わないはずがない」

 

 それも、そのはず。ここは二階資料室。この小さな資料を置くだけにあったはずの部屋は今や僕の集めた武器の保管庫と化していたからだ。僕は今日、この散らかった武器庫の整理をしようとしたのだ。そこへ偶然、美紀君が手伝いを申し出て今に至るのだ。

 

「これ、全部、秀先輩が集めたんですか? というかこれなんですか? バット?」

 

 彼女の手には木製の野球バットだったものが握られていた。だったというのはバットの先端に丸鋸の刃が挟みこまれているからだ。これでバッティングをしようものならボールは刃に突き刺さることだろう。

 

「ああ、とにかく思いついたアイデアは片っ端から試してみたんだ。それは、失敗作かな。使えないわけじゃなかったんだけど」

 

「どういうことですか?」

 

「使ってみて思ったんだ。これ普通のバットでよくないか?ってね」

 

「…………」

 

 実はこのバットは数ある試作品のうちの一つに過ぎない。これを作ったのは割と初めの方だ。釘バットから始まり数々のバットを犠牲にした。挙句の果てには油と塗りたくった燃えるバットなどの本当に何がしたいのか全く理解できないものも沢山作ったのだ。

 

「でも、こんなものまで持ってくることはないじゃないか」

 

「え? これって秀先輩が持ってきたものじゃないんですか?」

 

「作ったのは僕だけどね、言ってなかったっけ。僕は色んな場所に拠点を作っていてね、そこに食料や武器を備蓄していたんだ。でも、こうしてみんなに回収されてしまったんだ」

 

「おかげで僕は、以前のように各地を転々とすることが出来なくなってしまったよ」

 

「それだけ、本気だったってことじゃないですか? こう、真綿で締め付けるみたいな」

 

「嫌に的確な例えだな、君」

 

 彼女の言う通りであった。僕がモールに行かなくてもいずれは見つかっていたことだろう。現に何度も見つかりそうになっている。

 

「秀先輩」

 

「なんだい?」

 

 どことなく不安げな顔で美紀君は僕の名前を呼んだ。

 

「この現象ってどこまで続いていると思いますか?」

 

 この現象、パンデミックのことだろう。確かに、気になるものではある。電気水道などのインフラが機能しなくなってもう久しい。水はともかく電気が使えないということは街の変電施設はもう壊滅しているということだ。

 

「僕も昔気になってね。車で行けるところまで行ってみたよ」

 

「どう、でしたか」

 

 何かを期待するかのような眼差し。街の外は無事であってほしいそう思ってやまない顔だ。でも、彼女には申し訳ないが現実は違う。

 

「とりあえず巡ヶ丘を出てみたんだ。そして隣の街に行った。そこもここと何も変わらなかったよ。その次の街も、また次の街もね。で、流石に嫌気がさして戻ってきたよ」

 

「そう、ですか……」

 

 美紀君は大きな溜息をつく。でも、そこには絶望といった感情は見えず、淡々と事実を受け入れている様子であった。僕たちはそこで黙り込んでしまい黙々と整理を続けた。本当にどこまで広まっているのだろうか。

 

「私たち、どうなるんでしょうね……」

 

 これはきっと僕達、いや、この世界で生きている者達全員が思っていることだろう。救助がこないのはまだわからなくもない。だが、ヘリや偵察機の一機のも見かけないのはあまりに不自然だ。何か出動できない事情があるのか、それとも、既に飛ばす人もいないのか。ラジオも全く聞こえない。自衛隊の駐屯地が生きているのなら放送くらいする筈なのだ。でも、気配すらない。恐らく、関東圏は既に壊滅しているのだろう。最悪、日本全土に広がっている可能性も考えなければならない。

 

「なるようにしか、ならないさ」

 

 曖昧な根拠に基づく希望は害悪だ。初めはそれでもいいように思える。だが、状況が悪化するにつれそれは段々と己を蝕んでいく。希望は絶望へと替わり、そして最後に待っているのは狂気だけだ。

 

「…………」

 

 暗くなった気分を紛らわすためか美紀は黙々と作業を続ける。ライオットシールド、スリングショット、槍、さすまた、改造エアガン、クロスボウなどの雑多な武器が次々と綺麗に整頓されていく。

 

「みんな死んじゃうんでしょうか……」

 

 絶望に押しつぶされそうなか細い声。ちょっときつく言い過ぎてしまったようだ。でも、美紀君は一つ勘違いをいている。

 

「死は避けられない」

 

「え?」

 

 僕の突然の断言に美紀君は呆気に取られているようだ。

 

「君も死ぬし、僕だって死ぬ、皆いつか死ぬ……」

 

 一呼吸置く、美紀君は黙って僕を見ている。

 

「だが、今日じゃない……。僕たちはこうして生きている。生きているなら前に進める。だから今必要なことを全力でやるだけだろ?」

 

 ニヤリと笑い彼女を見る。呆気に取られているようで、まだ硬直している。

 

「ぷっ、秀先輩。それ映画の台詞まんまじゃないですか」

 

「あれ、知っているの?」

 

 くすくすと笑いながら美紀君は僕を見る。その目にはもう絶望の影は見えなかった。

 

「昔、圭と一緒に見たんですよ」

 

 彼女の意外な趣味を知ってしまった。そういうのを見るタイプには見えないんだがな。

 

「もう全然、似合っていませんよ。でも、先輩」

 

「なんだい?」

 

 美紀君が微笑む。どうやら元気になったようだ。

 

「ありがとうございます」

 

「そ、そうだな」

 

 僕は何となく気恥ずかしくなり武器の整理に集中するために目の前の箱を持ち上げた。だが、おかしい。妙に重い。何となく気になったため机の上に箱を置く。

 

「何ですか。それ?」

 

「多分、僕が集めた武器なんだろうけど。今一つ思い出せないな」

 

 眺めていても仕方がないので蓋を開ける。これは……。

 

「せ、先輩、これって……」

 

 箱の中には二挺の拳銃と複数の弾倉、そして弾薬が詰まっていた。僕はそれの一つを手に取る。

 

「こ、これは、1911の短縮モデル? いや、この切り落とされたスライドはデトニクス社製のコンバットマスターか! この攻撃的なフォルム、まさか実物にお目にかかれるとは!」

 

「せ、先輩?」

 

 突然、取りつかれたかのように銃を手に取り語りだす僕に美紀君は後ずさる。だが、止められない、止まらない。

 

「そして、これは……。S&Wのモデル59、いやステンレスだからモデル5906だ! しかも、三点ドット入りのノバックサイト、これは狙いやすいな! セーフティはアンビか、左右の持ち替えがしやすくていい」

 

「せんぱーい!」

 

 何か聞こえるがそんなことはどうでもいい。何故、これを忘れていたんだ! スライドを引き薬室を確認。うん、煤一つない、新品か? そのまま空撃ちをする。問題なくハンマーが落ちる。

 

「マガジンセーフティは省略されている。プロ仕様だな。しかも、サプレッサー用に銃身が延長されて螺子まで切られているのか、素晴らしい。おっ、これだな」

 

 箱の中にあったサプレッサーを銃身にはめ込む。うむ、問題なし。

 

「せんぱーい! おーい!」

 

「弾倉は十五発、スプリングも問題なし。なんで今まで忘れていたんだ! これがあればもうマカ、痛ツ!」

 

 突如、頭に痛みが走る。横を見れば美紀君がさすまたを手にしていた。まさか、それで叩いたのか?

 

「先輩! いい加減にしてください! 何ですか、いきなりブツブツ語り始めて。怖いですよ!」

 

 美紀君は怒り心頭といったご様子だ。そういえば今まで放ったらかしにいていたな。いや、でもこれは仕方がないだろう。

 

「いや、すまない。あまりにも興奮してしまって君の存在を忘れていたんだ。でも、見てくれよ。凄いだろ」

 

 僕は箱の中の拳銃を美紀君に見せびらかそうとして美紀君に手で拒否されてしまった。

 

「私、先輩の言っていることがまったく理解できないんですけど、それって本物ですよね? 前から思っていたんですが一体、何処で手に入れたんですか?」

 

 僕は以前、ヤクザの事務所でこれらを見つけたことを大雑把に説明した。見つけたのは本当に偶然だったが、本当に僕は幸運だったと言える。

 

「はぁー、秀先輩って妙なところでアグレッシブですよね。普通、怖くて使おうなんて思いませんよ」

 

 美紀君は心底呆れたと言わんばかりの溜息をついた。怯えるでもなく、呆れる。でも、まあこれが普通の反応なのだろう。

 

「アグレッシブじゃなかったらゾンビの群れの中に火炎放射器で突っ込もうとなんてしないだろうに」

 

「それも、そうですね。やっぱ先輩って変な人です」

 

 そういって僕たちは笑いあった。そんな初夏の日の出来事。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「そっちは終わりそうか?」

 

 駐車場でシャベルを構えながら胡桃君は後ろにいる僕に話しかける。僕たちは今、学校の駐車場に止めてある車から燃料を抜き取っている最中であった。

 

「すまない! もう少しかかる!」

 

 自動車の燃料タンクの容量というのは平均的に30から50リットルのガソリンを入れられるように設計されている。それだけの量を手動で移すというのは猛烈な重労働なのだ。僕がいくら力があるからと言っても同じ動作を何十回も行うというのは疲れる。

 

「よし! 全部入った」

 

「引き上げようぜっと言いたいところだけどこれじゃ、無理そうだな」

 

 僕たちを取り囲むように4匹の奴らが近づく。これでも、爆竹で遠ざけたはずなんだがな。仕方ないか。手にした携行缶を地面に置きイヤホンを装着、すぐさま爆音と共にメロディーが流れる。スイッチが切り替わる。

 

「いくぞ! 糞ゾンビども!」

 

「──ッ!」

 

 隣で胡桃君が話しかけるが音楽のせいで聞き取れない。仕方ないのでジェスチャーで戦うように合図をする。ゆっくりと近づきながらバールを構える。距離が縮まる。

 

「─ッ!」

 

 目の前のゾンビが吹き飛ばされた。僕ではない、胡桃君だ。瞬く間に倒される4体。獲物がいなくなってしまった。

 

「──ッ!」

 

 胡桃君が何かを言ってくるが音楽のせいで聞こえない。そう思っていたらイヤホンを無理やり外された。痛いじゃないか。

 

「なに、考えてんだよ! イヤホンなんかして危ないだろが!」

 

 あ、ヤバイ。これは本気で怒っている顔だ。つい、いつものノリで音楽を聞こうとしてしまった。暑くて思考が弛んでいる証拠だろう。

 

「いや、すまん。つい、いつもの癖でね、というかもう行こうよ。話はそこでしよう」

 

「……わかった。後でりーさんに報告するからな!」

 

 それは止めてほしい、割と切実に。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 僕は鞄から爆竹を野球ボールに巻き付けたものを手に取り火をつけ投げる。遠くで炸裂音が響き奴らはそれにつられてゾロゾロと歩き出す。相変わらず間抜けなことだ。

 

「ふう、ここまでくれば安心だな」

 

「そうだな……」

 

 ガソリンを保管庫代わりにしている技術準備室に置き一息つく僕たち、このまま、なあなあになってくれれば──

 

「じゃあ、さっきの話の続きをしようか」

 

 振り向けば額に青筋を浮かべた胡桃君が僕を笑いながら睨んでいた。笑うのに睨むとはこれ如何に。

 

「ああ、胡桃たちには教えていなかったし、見せてもいなかったけどね。僕は基本的に戦闘するときは音楽を聞くようにしているんだ」

 

「へー」

 

 目が笑っていない。うん、これは本気で怒っていますね。

 

「君たちに出会うずっと前からこのスタイルで戦ってきている。だから問題ないよ」

 

「おー、わかったぜ。じゃあ、二度とすんなよ」

 

 どうやら理解してもらえたようだ。他の生存者達もこのくらい聞きわけがよかったら……ん?

 

「なあ、今なんて「二度とすんなよ」うん?」

 

「二度とって「二度とすんなよ」

 

「あ、あの「二度とすんなよ」

 

「わ「二度とすんなよ」は、はい」

 

 まるで壊れたラジカセのように同じ言葉を繰り返す胡桃君。さっきから様子が変だ。しばらくお互い黙り込む。ガソリンの匂いだ僕の鼻を刺激する。先に口を開いたのは胡桃君だった。

 

「なあ、秀樹、そんなこと繰り返していたら本当にいつか死んじまうぞ」

 

 今までの笑みとは違い今にも泣きそうな顔だ。この顔は見たくはなかった。でも、僕の責任だ。

 

「あたしさ、モールの広間でピアノ上に座り込んだ秀樹の疲れ切った顔がまだ忘れられないんだ」

 

 あれは、僕が全てに疲れ果て自分を終わらせようとした時だ。あの時、あと一瞬だけ矢が届くのが遅かったら僕は、もうこの世にいなかっただろう。

 

「お前、あの時手に何か持ってただろ」

 

 見られていたのか、どさくさに紛れてなくしてしまったが今思えば勿体ないことをしてしまったかもしれない。

 

「ああ」

 

「なにしようとしてたんだ?」

 

 言いたくない、言ってしまえば彼女がどんな顔をするかは容易に想像できるからだ。でも、心に反して口は勝手に秘密を漏らしてしまう。

 

「手榴弾で、自殺しようとしていた……」

 

 胡桃君は何も言わない。沈黙が支配する。

 

「なんで、いつもいつも、そうやって…………」

 

 何かため込んだものを吐き出すかのように胡桃君は叫ぶ。僕は、またやらかしてしまったようだ。

 

「もっと自分を大事にしろよ! なんで、そうやって納得しちゃうんだよぉ……」

 

 何も言えない。頭をハンマーで殴られたみたいに身体が動かない。それでもなんとか口を動かし弁明をする。

 

「そ、それは昔の僕だろ? 今は「わかってねえ! 全然わかってねえよ!」はい」

 

 ああ、本当に僕は駄目な男だな。ここに来ていったい何回女の子を泣かせたんだ?

 

「もう、誰にも死んでほしくないんだよぉ……。なんでわかってくれないんだよぉ……」

 

 そういって今にも泣き崩れそうになってしまう。僕は今、初めて理解した。自分の仕出かしたことの大きさを。僕は彼女にトラウマを植え付けてしまったのだ。

 

「ごめん、本当にごめん」

 

 もう、平謝りするしかない。その後はなんとか宥めることに成功したが、胡桃君との距離が以前よりも色々な意味で縮まったような気がする。これがいいことか悪いことかは僕にはまだわからない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年△月△日

 

 もう、すっかり夏になった。いつもの防具では暑くて暑くてかなわない。仕方がないのでジャケットを一枚にすることにした。皆はよく平気だなと言ってくるが実際には全く平気ではない。正直言って暑くて仕方がない。

 

 あの一件のあと、胡桃君は僕に何かと理由をつけてついてくるようになった。彼女は口では尤もらしいことを言っているが、原因はどうみても僕にあるだろう。殴られたことで水に流したと思っていたが、僕が思っていた以上に爪痕を残していたらしい。

 

 僕が引き離そうとすると泣きそうな顔で嫌なのかと聞いてくる。本当に痛ましい。このことはなるべく早いうちに誰かに相談したほうがいいだろう。さもないと取り返しのつかないことになるかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言うわけなんだ。悠里はどうすればいいと思う?」

 

 僕は昼下がりの生徒会室で家計簿をつけていた悠里君に事のあらましを伝えた。悠里君と胡桃君はあの事件が起こる以前から交流があったらしく、彼女に聞くのが一番手っ取り早いと判断した。

 

「うーん、そうね……」

 

 彼女は僕の馬鹿な相談にも真面目に対応してくれた。手にしたペンを頬に当てて考える姿は本当に様になっている。

 

「はっきり言って自業自得よね」

 

 思いのほか直球できた。こういう女子の飾らない一言は本当にダメージを受ける。

 

「そ、そうかもしれないけど。何とかした方がいいと思うんだが」

 

 そう、下手したら依存させてしまっているのかもしれない。いつまでここで暮らすのかわからない以上、不健全な関係はなるべく避けるべきだ。

 

「貴方だって知っているでしょう? 胡桃はあの事件の日、陸上部の先輩を手にかけているのよ」

 

 そう、彼女は思い人だと思われる人物を手にかけている。だからこそ、誰かが死ぬことを異常に気にしてしまうのだろう。

 

「でも、秀樹君が思っているほど事態は深刻じゃないと思うけどね」

 

 これが深刻でないなら一体なにが深刻というのだろうか。僕にはわからない。

 

「それに、秀樹君っていつもフラフラしているからいい加減、首輪を付けた方がいいと思うわ」

 

 今、この人、自分の親友のこと首輪呼ばわりしたぞ。悠里君は僕が思っている以上に腹黒なのかもしれない。

 

「あっ! ここにいたのか、探したんだぞ。見回り行こうぜ! じゃ、りーさん秀樹借りてくな!」

 

「ええ、行ってらっしゃい」

 

 そう言って胡桃君は僕の腕を掴むと廊下に引っ張り出す。悠里君はああいっていたが僕としては、早急になんとかしたいと思っている。でも、まあ。

 

「どうしたんだー? おいてくぞー!」

 

 彼女が楽しそうだから、もう少し様子を見る方向でいいのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「リロード!」

 

 僕が合図すると後ろから風切り音と主に矢が飛んでいく。目の前にゾンビの頭に矢が生える。これで奴は誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

 僕はその隙にポケットから予備弾倉を取り出し空の弾倉と交換。スライドストップを解除し再装填を完了する。5m先のゾンビに向けて引金を引けばマカロフよりも遥かに小さい音と共に9x19mmのサブソニック弾が放たれる。

 

 ここは僕たちが以前来たモールの地下食品売場だ。肉や野菜などが腐り凄まじい悪臭を放っているが缶詰や保存できる食料などはまだまだ大量に残っている。今日はそれを確保しにきたのだ。

 

「詰め終わったか!?」

 

 

 後ろにいる胡桃君に訊ねる。振り向けば返事の代わりに親指を立てた胡桃君がいて床には食料がたんまり詰め込まれたボストンバッグが三つ置いてある。

 

「オーケー、じゃあ行こうか。僕が殿を務めるから君は後方の警戒を頼む。あと、これ」

 

「お、サンキューな」

 

 ゾンビの頭に突き刺さった矢を引き抜き胡桃君に手渡す。曲がってもいないのでまだ使えるだろう。左手の腕時計を確認、あと30分しかないじゃないか!

 

「やばい! 早く行くぞ!」

 

「お、おいいきなりどうしたんだよって、置いてくなー!」

 

 そんなことを言いつつも自分の役目はきちんと果たしてくれる。彼女はそういう人間なのだ。進路の邪魔になるゾンビにだけ鉛弾を叩きこみ撤退する。待つのは佐倉先生の運転する僕のバンだ。もう、僕のっていうより共有財産と化しているのは気にしてはいけない。

 

 階段を上り以前きた広間にやってくる。以前いた大勢のゾンビは車の止めてある反対方向の出口に固まっている。ラジカセで引き付けているのだ。僕たちは、そんな奴らを尻目に悠々を車を目指す。

 

「あ、見つけた!」

 

 僕の視界の先には以前、なくしたと思った破片手榴弾が転がっていた。よかったまだ残っていたのか。しめしめ。

 

「それって前に言ってた爆弾か? ちょっと見せてくれよ」

 

 別に減るものでもないので胡桃君に手渡す。本物の爆弾だというのに彼女は全く怖気つかない。大した肝っ玉だ。

 

「なあ、これってどうやって使うんだ?」

 

「ん? レバーを握ったままピンを引き抜けば「えい!」ちょっ!?」

 

 何を血迷ったのか胡桃君は手榴弾の安全ピンを引き抜いてしまった。何を考えているんだ!

 

「ば、馬鹿! すぐ投げろ! そうだ、あのゾンビの群れがいい!」

 

 胡桃君は何も言わずに手榴弾をゾンビの群れの中へ投げ込んでしまった。あっ、思い出した。

 

「やばい! 今すぐ走れ! 走れ走れ!」

 

「ちょ、何すんだよ秀樹!」

 

 今は彼女の言葉を聞いている暇はない。全力で腕を引っ張り走り出す。直後、背中で大爆発が起こった。

 

「なっ……」

 

 群れの中で起爆した手榴弾はスピーカーの隣に置いていた時限式のナパーム爆弾に引火。粘性の高いナパームはゾンビを巻き込み凄まじい勢いで燃え出す。ナパームは一度火を点けてしまえば水では消せない。あと4、5時間は燃え続けることだろう。

 

「胡桃ちゃん! 秀樹君! どうしたの! な、何が起きたの……」

 

 先生がクロスボウを担ぎながら走ってきた。やはり似合っていない。先生は僕たちの後ろで燃え盛るゾンビの群れを見て唖然としているようだ。

 

「おい」

 

 胡桃君が俯きながら僕を呼ぶ。どう、説明しようか。

 

「な、なにかな?」

 

 彼女は静かに燃え盛るゾンビの群れを指さす。火に誘われ一匹、また一匹と燃えていく。正に飛んで火にいる夏のゾンビだな。

 

「ここに来るときラジカセ以外になにか置いてあると思ったけどさ。あれ、何を置いたんだ?」

 

「え、えっと……時限爆弾です」

 

 後から殺気を感じた。ゆっくりと振り向く。佐倉先生がその綺麗な顔に青筋を浮かべて立っていた。

 

「本田君? なに、してるのかしら?」

 

 何も答えられない。身体が緊張して動かない。これでは伝わらない、伝えられない。

 

「って、殺す気かあああああああああ!」

 

 血塗れのモールに胡桃君の叫びがこだました。ちなみ、その後僕は反省文を30枚提出することになった。解せぬ。

 




 いかがでしたか? どうやら主人公が思っていた以上にまわりは傷ついていたようです。本当に馬鹿ですね。そして浄化されたと思ったのに懲りずに爆弾を作るサイコパスの鑑。

 では、また次回に。


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第十三話 なつ

 書いていて思うこと、こいつ開き直りやがった。


「すげえ暗いな」

 

「ああ、あったあった」

 

 僕は以前来た時の記憶を掘り起こし壁のスイッチを入れる。蛍光灯内の水銀ガスに電子がぶつかり光を発す。

 

「電気、来てるんですね」

 

「あたし全然気が付かなかった……」

 

 ここは地下避難区画、入り口。僕らは今からここの捜索を開始するのだ。目の前の階段を降れば備蓄倉庫が待っている。

 

「じゃあ、僕が先に行って安全を確保して来るよ」

 

 以前は、誰もいなかったとはいえもしかしたら奴らが紛れ込んでいるかもしれない。5906をホルスターから引き抜き安全装置を解除、チャンバーインジケーターを確認し薬室に装填されていることを視認。そしてローレディポジションで構え階段を降ろうとする。

 

「まてーい!」

 

 いきなり後ろからチョップを喰らった。地味に痛い。振り向けば胡桃君がやれやれとでも言いたげな顔で僕を見ている。後ろの美紀君も言わずもがなである。

 

「もう、そういうのやめるって約束しただろ?」

 

「胡桃先輩の言う通りですよ。そうやって何でも一人でしようとするところ先輩の悪い癖だと思います」

 

 うーん、別にそこまでのことではないと思うんだがな。どうにも、僕と彼女達の間で意識の差があるようだ。とはいえまあ、ここでごねる理由もないので素直に従う。

 

「じゃあ、胡桃がポイントマンで美紀がセカンドアタッカー、僕がテールガンをやる、いいね」

 

 四の五の言っても始まらないので陣形を組むために役割を言い渡す。だが、僕が役割を決めても二人は首を傾げるだけで動かない。

 

「なあ、秀樹」

 

 胡桃君の顔は正に「こいつ何言ってんの?」だ。

 

「なんだい?」

 

 美紀君は大きくため息をついている。

 

「あの、私たちのわかる言葉で話してくれませんか?」

 

「………………じゃあ、行こうか」

 

 やはり僕の常識は人とずれているらしい。僕たちは、微妙な空気と共に地下の探索を開始した。何故こうなったのか、視点は昨夜に戻る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「めぐねえ、こんな夜にみんな集めていったいどうしたんだ? しかも、秀樹も一緒にいるし」

 

「由紀ちゃんとるーちゃんを外したってことは何か重要なことなのかしら」

 

 ここでの生活も既に安定期に入った。物資の調達はローテーションを組むことで特に問題なく回っている。人が増えたことによる配分の再調整も美紀君の協力もあり何とかなった。畑も由紀君、圭、悠里君、るーちゃんの主導によりつつがなく管理されている。

 

 避難マニュアルのことを打ち明かすのは安定期に入った今しかないだろう。僕は佐倉先生に進言した。奇しくも佐倉先生も同じことを考えており今夜、二人を除いた全員を集めることを決めたのだ。

 

「みんな、集まってくれてありがとう」

 

 佐倉先生は全員を一瞥し、口を開いた。その声はどことなく緊張を帯びたものであった。本当ならもっと前に打ち明けるつもりだったのだという。しかし、内容が内容である。人数が増えたことによる混乱などもあり今の今まで引っ張ってしまったのだ。

 

「佐倉先生、それに秀先輩もどうしたんですか? こんな時間にわざわざ呼ぶってことは何か重要な話なんですよね。もしかして秀先輩の持った封筒に関係してるんですか?」

 

 美紀君は冷静に僕たちに事情を聞こうとするが、僕たちの様子に困惑しているようであった。

 

「なあ、君達。今まで疑問に思ったことはないか? この学校は整い過ぎていると」

 

「そう、いえば……」

 

 屋上には大規模な発電設備と雨水貯水槽にかなりの人数の食糧を生産することができる畑。まるで何が起きるか知ってたとでも言いたげな設備だ。

 

「前から不思議には思っていたのだけれど……」

 

「考えてみれば不自然だな……」

 

 皆黙り込み考え込んでしまう。無理はない、これが正常な反応だ。

 

「その答えがこの封筒の中に入っている。今から「本田君、私に任せてもらえないかしら」せ、先生……」

 

 僕の言葉を遮った佐倉先生は僕から封筒を受け取り皆の前に出た。

 

「みなさん、よく聞いてね──」

 

 それから佐倉先生はマニュアルの内容を皆に読んで聞かせてみせた。やがて、先生が読み終わると部屋は沈黙で包まれた。一番初めに口を開いたのは僕だ。

 

「みな、今の話を聞いて色々なことを思っただろう。どう思おうと君たちの自由だ。だが、一つだけ言いたいのは佐倉先生がこの事実を知ったのは事件が起きた後のことだ。そして今まで隠していたのは僕の考えによるものだ。だから責めるなら僕「秀樹君!」なんですか、先生」

 

 佐倉先生は僕の言葉を強引に遮った。その顔には怒りの感情が浮かんでいる。

 

「本田君、それ以上言ったら本気で怒るわよ。あれは私と貴方の二人で決めたこと、自分一人で責任を負うつもりなら許さないわ」

 

「いや、でも先生「でももなにもありません!」そうですか……」

 

 再び沈黙が支配する。誰もが黙り込んでしまっている。やはりまずかったか……。ショックを受けるに決まっている。これが事実だとするのなら今まで死んでいった人間は殺されたようなものなのだ。言うべきではなかった。僕は自分の失敗を悟った。

 

「あーもう!」

 

 沈黙を破ったのは胡桃君だった。彼女は頭を掻きながらこの空気を振り払うかのように言葉を続けた。

 

「生物兵器とかよくわかんねー! けど、めぐねえと秀樹は何も悪くないってことだろ?」

 

「は?」

 

「えっ?」

 

 予想の斜め上の発言、てっきり激昂されて胸倉でも掴まれるのかと思っていたんだがな。佐倉先生も胡桃君の発言に唖然としてしまっている。そんな僕たちのことはお構いなしに胡桃君は言葉を続ける。

 

「たしかに、聞いた時はふざけんなって思ったよ。先輩は殺されたのかって思った。でも、あたしたちがもっと怒ってるのは」

 

「二人が隠していたことよ」

 

 胡桃君の言葉に続くように悠里君が引き継ぐ。確かに二人の目には怒りの感情が見て取れる。だが、それは憎悪に支配されたものではない。

 

「ねえ、めぐねえ」

 

「なに……かしら、悠里さん」

 

 優しく、しかし諭すように先生に話しかける悠里君。これはもしかしたら大丈夫なのかもしれない。

 

「私たちって、そんなに頼りなく見えてしまうのかしら……」

 

「そんなことないわ!」

 

「きっとめぐねえのことだから言おうしてタイミングミスっちまっただけだろ? ならいつものことじゃん。な、りーさん」

 

「ええ、そうね」

 

予想外の展開だな。もっと修羅場みたいになってしまうのかと思っていたが、これなら大丈夫かもしれない。僕は三人で話し始めたのを確認し2年生組の反応を窺う。

 

「二人はどうだい。突然こんな話をされて困るだろう。でも、今しかないと思ったんだ。恨んでもらって構わない」

 

 二人の表情は険しい、当然だ。こんなB級映画の設定みたいな事実を聞かされて困らないわけがない。

 

「正直ショックを受けてます」

 

 美紀君が呟く。当然の反応、寧ろ此方の方が自然な反応ではないだろうか。

 

「でも、話してくれてありがとうございます。隠されたままモヤモヤするよりずっと気が楽ですから……」

 

 確かに、もし隠し続けてバレでもしたら本当にコミュニティの崩壊の危機になりかねない。閉鎖状態で共に暮らしていく以上、疑心暗鬼の原因は可能な限り取り除く必要がある。

 

「圭、君はどうだい?」

 

 すっと黙っている圭にも訊ねる。表情からは何を考えているのか伺えない。

 

「正直言って、私にはよくわからないです。だっていきなりB級映画の設定みたいな話を聞かされてはいそうですかなんて言えませんよ」

 

 思いのほか現実的な意見であった。まあ、僕もあのマニュアルだけ読んだら何の映画の設定資料かと疑うことだろう。

 

「でも私は、秀先輩にあの日拳銃を渡された時からもう覚悟はできてますから! だから大丈夫です!」

 

 モールでの出来事は彼女にとって何か重要な意味を持っているのだろう。銃という暴力の象徴を受け入れるということは即ち暴力を受け入れることになるのだ。

 

 よかった。これなら大丈夫だろう。最悪、学園生活部が崩壊する可能性もあっただけに安堵の気持ちは大きい。もう、ここに長居する必要もないだろう。お邪魔虫は退場するとしますかね。

 

「あ、どさくさに紛れて帰ろうとするんじゃねーよ!」

 

 が、あっさり見つかってしまったようだ。

 

「それはよくないわ。秀樹君にも言いたいことがあることだしね」

 

 その後、僕と佐倉先生はお説教を喰らうことになったという。まあ、いつものことである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして現在に至るというわけだ。僕たちは地下二階の備蓄倉庫に足を踏み入れた。僕は二回目だが彼女達は初めてなのだろう、驚きを隠せないでいる。

 

「な、なんだよこれ……」

 

「こ、これだけの設備があったなんて……」

 

「とりあえず、ここの安全の確認をしてから備蓄のリストを作ろう」

 

 呆気にとられる彼女達に行動を促す。恐らく有り得ないとはいえ中に入り込んでいるやもしれないのだ。僕が先頭に立ち死角を虱潰しに確認していく。今まで一人で散々やってきた一連の動作は我ながら洗練されたものだと思う。そう思ったのは僕だけではないようだ。

 

「な、なんか妙にキレがいいなおい」

 

 胡桃君が口元を引きつらせて僕に言う。拠点を確保する際に否が応でも死角を潰していかなくてはならない。胡桃君にはそういう経験はあまりなさそうだ。

 

「昔取った杵柄ってやつさ。この扉で最後だな胡桃、君が扉を開けてくれ。僕が飛び込む」

 

 無言で扉の取っ手に手を掛ける。僕が位置についたのを確認すると胡桃君は扉を勢いよく開け、僕が5906を構え突っ込む。部屋には首つり死体が一つ、敵影なし。

 

「クリア! と言いたいところだが死体があるから違うかもな」

 

「し、死んでる……」

 

「マジかよ……」

 

 部屋に入ってくるなり正面の首つり死体に度肝を抜かす二人。二人は何を驚いているのだろうか。

 

「おいおい、そこまで驚くことでもないだろう。死体なんて今まで散々見てきたじゃないか」

 

「そ、そうかもしれませんけど……これは、酷すぎます……」

 

「むしろなんで秀樹は平気な顔してるんだ?」

 

 この部屋は外から隔離されているからか一般的な首つり死体と比較すれば綺麗な方であるがそれでも女子高生が見るにはショッキングな光景だったようだ。僕としてはゾンビの顔をチップソーを装備した刈払機で滅茶苦茶にした時のほうがよっぽどアレだったので別段なんとも思わない。

 

 とはいえ、そのまま放置しても僕的にはよかったのだが二人はそうではなかったようで何とか死体を降ろし上から毛布をかぶせて見えないようにすることで落ち着いた。その際遺書の類がないか身体を探ってみたが結局見当たらず僕の手に死体の嫌な感触が残っただけであった。

 

「じゃあ、安全が確認されたことだからさっさと備蓄のリストを作るとしますか」

 

 こうして各自備蓄を確認し、それをメモに残していく作業が始まった。15人もの人間が1ヶ月は食べていけるだけのことはあって大量の食料品を見つけることができた。件のワクチンも無事に確保できたのは大きい。だが、流石に三人はきつかった。どうせなら後一人呼んで来ればよかったかもしれない。

 

「せ、先輩! こっち来てください!」

 

 美紀君が僕たちを呼んでいる。なにやら焦っているようだ。胡桃君と彼女の下に駆け寄る。

 

「どうしたんだ! 美紀!」

 

「こ、これ見てください」

 

 そう言って美紀君は長いジュラルミンケースを指さした。箱には鎮圧用とだけ書かれている。この時点で僕には大体予測がついた。

 

「ケースを開けてくれないか?」

 

 無言でケースを開ける。中には非常に見覚えのある物体が鎮座していた。僕は横から手を伸ばしその物体を手に取る。

 

「これは……、モスバーグの500いや、590か。フラッシュライト付きのフォアエンドにシェルホルダーまでついている。サイトはゴーストリングか……悪くない」

 

 僕はここで視線を感じたので銃から目を離してみた。案の定二人が何だコイツはとでも言いたげな顔でこちらを見ていた。またやってしまったようだ。

 

「それって本物か?」

 

 胡桃君が不安げに訊ねる。銃は見慣れているはずなんだが……。いや、彼女は何故実銃が学校にあるのか気になっているのだ。

 

「ああ、本物だ。装弾数は8発、日本では完全に違法だ。マニュアルには武力衝突も視野にとは書いてあったがまさかショットガンが配備されているなんてな」

 

 銃口を確認する。チョークがない、平筒か。弾は、少ないな、バックショットが30発。まあ、普通はこんなものか。

 

「こんなものまで用意されていたなんて、これじゃあ……」

 

「完全に黒だな」

 

「マジでふざけやがって……あたしたちのこと何だと思ってんだよ……」

 

 これはきっと生徒に向けるための銃だったのだろう。真相を知っていそうな男は既にあの世にいるため僕たちがこれの用途を知ることは永遠に叶わない。

 

「こいつらの目的がなんだったにせよ、この銃はもう僕たちの物だ。それにゾンビといったらショットガンだ。これはいい拾い物をした」

 

「お前、ほんとブレねーな……」

 

「はぁ……男の人って本当にそういうの好きですよね」

 

 何とも微妙そうな顔で僕を見てくる二人、やはりこれの良さは女子供には理解できないということか。偶然とはいえ最近、銃を手に入れる機会が多い気がする。あるところにはあるというが本当にその通りだと僕は思う。

 

 

 

 

 

「後はこの冷蔵室だけか……」

 

 粗方確認し、リストも作成したので僕たちは最後に残った冷蔵室の前に来た。そういえばここはまだ見ていなかったな。

 

「じゃあ、開けますね」

 

 ゆっくりと開かれる扉、冷気が僕たちの身体に伝わっていく。そして露わになる中身。二人の目が輝く。それもそのはず、中には大量の生鮮食品が冷蔵されているからだ。肉に野菜に米に見てわかるだけでもこれだ。正に宝の山と言っていい。

 

「ほぉ……」

 

「す、すげー! 肉だぞ! 見たか美紀!」

 

「はい! 早速報告に行きましょう!」

 

 普段は冷静沈着な筈の美紀君ですらこの有様だ。確かに、長いこと保存食と屋上で採れる野菜だけで生活してきた。日本の贅沢な食生活に慣れ切っていた彼女達にはいささか辛い物があったのだろう。僕だけは鴨を狩って食べたりしているのでそこまで驚きはしない。ただ……。

 

『いたたぎまーす!』

 

 僕の目の前には音を立てるステーキが鎮座している。周りを見れば既に我慢できないとでも言うかのように一心不乱にステーキを頬張っている。

 

「う、うめー!」

 

 胡桃君に至っては久しぶりの肉の味に涙まで流している始末だ。そこまで喜ぶほどのものか? じゃあ、僕も一口…………。

 

「う、美味い……」

 

 うん、美味いな、ステーキ美味し! でも、この肉を食べていたらまた鴨肉が食べたくなってきたな、今度また狩りにいくか。

 

「まさか、お肉が食べられる日がまた来るなんて思わなかったわ……」

 

 佐倉先生もこれには大満足のようだ。でも先生、太ったりしないのだろうか。

 

「肉食べるなんていつぶりだ? なあ、秀樹」

 

 胡桃君が僕に笑顔で聞いてきた。これは、素直に答えた方がいいのだろうか。まあ、それくらいで何か問題があるわけがないか。

 

「いや、僕は君たちと離れている時に鴨を狩って食べたよ……」

 

「原始人かよ! てか秀樹だけずりーぞ! あたしにも食わせろよ!」

 

 いや、無理だから。でも、また狩りに行くのも悪くないかもしれない。そんなこんなで僕たちの久々の豪華な晩餐は幕を閉じたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでね、みーくんってすごいかわいいんだよー」

 

「まあ、あまり構い過ぎると僕みたいに拗ねてどこかに行ってしまうから程々にしなさい」

 

「はーい」

 

 夕食も終わり各自が自分の時間を思い思いに過ごし始める。だが、僕と由紀君は音楽室でピアノの練習をしていた。あれから彼女の腕はかなり上達し既に一番初めに教えたG線上のアリアは難なく弾けるようにまでなっていた。

 

 既に音楽室は窓が割れているのを除けば事件前を変わらぬ姿を取り戻していた。音楽室にピアノと僕たちの息使いだけが響く。

 

「ねえ、ひーくん」

 

 由紀君の声はどこか元気がない。

 

「なんだい、由紀」

 

「最近、みんな笑うようになったよね……初めは、めぐねえとりーさんとくるみちゃんだけだったけど、ひーくんとるーちゃんが来てあとからけーちゃんとみーくんも来て学園生活部はすごい賑やかになったよね」

 

 喋りながらもピアノを弾き続ける。この曲はシューベルトのアヴェ・マリアか。聖母マリアを称えるこの曲をこの終わってしまった世界で奏でるというのは皮肉といえるのだろうか。僕が弾いたらきっと厭味ったらしい皮肉にしか聞こえないだろう。でも、由紀君が弾いたのならそれは、きっと祝福の唄になると僕は思う。

 

「そうだな……。僕もまさかここまでの大所帯になるとは思わなかったよ」

 

 人数が多いコミュニティというのはだいたい上手くいかないものだ。男女の問題もあるし人がいればそれだけ価値観の衝突が起きやすくなる。その点、ここは不和らしいものは微塵も確認できていない。これは奇跡と言ってもいい。

 

「昔はさ、みんな、よく疲れた顔してたんだ。でも、わたし頭悪いからなんにも力になれなくてさ。だから、だからわたしはみんなの分だけ元気に笑っていようと思ったんだけどね……」

 

 曲が山場に入る。が、由紀君にはそこは難しかったようで曲はそこで止まってしまった。

 

「はぁー、まだこの部分難しいよぉ~」

 

 由紀君はそういうが、素人がたった数ヶ月でここまでピアノを弾けるようになるなんてはっきり言って異常だ。僕でさえ満足に弾けるようになるまで何年もかかったというのに。

 

「でも、最近はみんな笑うようになってね、学校も大変なことになってるけどひーくんたちのお蔭でどんどん良くなってる。だからわたしもうすることないかなって…………」

 

 自分の役目は道化しかないのだと暗に言っているようなものだった。今の学園生活部には以前僕が来た時にあった張りつめた空気がなくなっていた。いくら口では元気そうにしていても僕の目は誤魔化せない。だが、ここ最近の学園生活部には本当の意味での余裕というものが存在した。

 

「意外だな、由紀もそうやって悩むことがあるんだな。そりゃそうだよな、生きているんだものな」

 

「そうだよーわたしだって悩むことくらいあるんだよ!」

 

 口では元気そうに言ってもその顔は今の彼女の気持ちを如実に物語っている。まったくらしくないな、見てられん。

 

「由紀、君は実に馬鹿だなぁ」

 

 僕は由紀君の小さな頭を撫でる。傍からみれば事案ものだが、この際それは置いておこう。

 

「ひ、ひーくん、いきなり撫でないでよぉ、って、そんな直球に言わなくても!」

 

「すまんね、でも今の君は見てられなくてね。自分の価値を決めるのは自分だ。由紀が自分の価値がそれしかないと思うのならそうなのだろう。でも、僕はそうは思わないけどね」

 

 一呼吸置く。由紀君の瞳が僕の姿を映し出す。

 

「自分に何ができるんかなんてやってみないと案外わからないものさ。君は何をしたいんだ?」

 

「わ、わたしはもっとみんなと一緒にいたい!」

 

「そうか。なら、由紀は自分にできると思うことを一つずつ叶えていけばいい。もし、それがわからなくても皆が助けてくれる。だって君はもう独りじゃないのだから」

 

 独り夢の世界に閉じこもったままの彼女なら何もできなかったのかもしれない。でも、今の由紀君は違う。もう、仲間外れではない。だからきっとこれは彼女がまた大人になった証拠なのだろう。

 

「そうだよね、そうだよね! ひーくん!」

 

 そう言って彼女はあの優しい笑みを浮かべた。どうやら、もう大丈夫のようだな。

 

「ありがとね!」

 

 僕は由紀君に救われた。狂っているだけだった僕を人間に戻してくれた。僕が狂っていることは否定しない。相変わらずゾンビを殺すのは大好きだし奴らの焼ける匂いは最高だ。だからどうした。僕はゾンビ殺しも楽しむし学園生活も楽しむと決めたのだ。しかし、程々にしないとまた皆に心配されてしまうから自重はするつもりである。ゾンビ殺しは、明るく楽しく元気よくが重要なのだ。

 

「由紀ー! シャワー空いたぞ!」

 

「はーい! じゃあねー、ひーくん」

 

 彼女は駆けだしていった。残るは妙に不満げな胡桃君と僕だけだ。あれ? これは前に見た記憶があるぞ。

 

「なあ、あたしさあ。実はさっきから全部聞いてたんだ」

 

 衝撃の事実、全て聞かれていました。

 

「秀樹って意外と気障だよな」

 

 騎座? いや、気障か。僕が気障な台詞をいつ言ったというのだろうか。まったく身に覚えがない。

 

「僕のどこが気障なんだよ、僕はどちらかというと硬派なほうだぞ」

 

「硬派ってお前自覚ねーのかよ……はぁ」

 

 何故そこで溜息をつく。失礼な奴だな。

 

「りーさんや美紀とかめぐねえにもそんなこと言ってるんだろ? あたし聞いたぜ」

 

 女子の情報網って怖い。男勝りな胡桃君もやはりそこは女性なんだろう。ん? 女性? あっ、僕はそこで理解した、理解してしまった。

 

「そう言えば、よく考えたら男って僕だけじゃん!」

 

 衝撃の事実その二、男は僕だけでした。

 

「気づくのおっせーよ!」

 

 胡桃君の軽快なツッコミが炸裂する。やべえ、どうしようか。気づいてしまうと猛烈に気まずい。でも、まあいいか考えても仕方がない。

 

「しかしといってはなんだが、僕たちはもう一蓮托生の家族みたいなものだろ。今更男女がどうたらとかは気にしないでおこう。胡桃もそう思うだろ」

 

 僕の言葉の何かが琴線に触れたのか胡桃君は硬直してしまう。何やらブツブツ言っているが小さすぎて聞こえない。

 

「家族、家族……」

 

 駄目だ。こいつ聞いてねえ。仕方ないので顔の近くで指を鳴らす。僕の手に反応してようやく気が付いたようだ。いったい何があったんだ?

 

「い、いいいきなりへへ変なこと言ってんじゃねーよバカ秀樹! バーカバーカ!」

 

 そのまま彼女は走り去ってしまった。後に残るは僕一人。こうして僕たちの夏は過ぎていく。もう高校生活も残すところあとわずかだ。そう言えば彼女達、卒業しても制服を着続けるのだろうか。ふと気になってしまった。

 




 いかがでしたか? 原作での由紀ちゃんは皆を守るために夢から覚めました。でも、今作では守る必要がないほど余裕があります。なので彼女がああした悩みを持ってしまっても不思議ではないでしょう。とはいえ夢から覚めたと言ってもまだまだなのでマニュアルのことは隠しておくことに学園生活部は決めました。

 では、また次回に。


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第十四話 そして

 書いていて思うこと。銃ばかりじゃつまらないです。


 日はすっかり暮れてもう夜になった。僕は目の前の作業に集中する。リード線を安物の目覚まし時計と接続する。乾電池と組み合わせ特定の時間に発火するように設定すれば時限発火装置となる。後はこれを作った爆薬にセットして目的の場所に置けば時限爆弾の完成だ。

 

 夏は終わりに近づき次第に秋らしくなってきた。ここは新たに僕の部屋となった校長室だ。流石に女性しかいない中で暮らしていくというはなかなか肩身が狭い物で今までは気にもしていなかったが一度それに気が付いてしまうとどうにも落ち着かなかった。故に僕は佐倉先生に相談してこの校長室を僕の部屋とすることにしたのだ。その際、胡桃君と由紀君に一人だけずるいとごねられたがまあ、それはどうでもいいことである。

 

「やっぱりいい座り心地だな。大企業がバックについているだけあって金持ってたんだろう」

 

 革張りのアームチェアに腰かけながら僕は呟く。机はマホガニーの高級品だし飾られている調度品も売ればかなりの値段になることだろう。尤も、こんな世の中になってしまった以上そんな物より食料の方がよっぽど価値があるがな。

 

「それにしても外から見られない空間がこれほどにまで落ち着くとは思わなんだ」

 

 既に部屋にあった来客用のテーブルとソファーは撤去され代わりに僕の布団が敷かれている。高級感漂うこの部屋には酷く似合わないが仕方がない。今までは扉の窓から中を見られてしまうことがあったが、これならもう何をしてもわからないだろう。

 

「ふっふっふ、さぁて、じゃあアレを飲むとしますかな……」

 

 マホガニーの机の引き出しから酒瓶とグラスを取り出す。例によってウィスキーだが今日のは格別だ。なんせここで見つけた高級品なのだから。

 

「久しぶりに飲める……」

 

 僕は早速瓶の蓋を開けようとしたが扉がノックされる。慌てて酒とグラスを仕舞う。危ない危ない。

 

「誰だい?」

 

「えっと、直樹です。入ってもいいいですか?」

 

 こんな夜更けに一体なんだ。とはいえ部屋の外で待たせるのもあれなので僕は部屋に入るように促す。やがて扉が開き外から制服姿の美紀君が入ってきた。何故、制服なんだ。

 

「お邪魔します。って、もうこんなに散らかしてるんですか! まったく学校を何だとおもっているんですか?」

 

「なにって、遊び場?」

 

 彼女の指摘は尤もである。何せ、高級感漂うこの部屋は今や武器やノート、本、その他大量の私物で溢れかえっているからだ。美紀君は校長室の惨状に眉をひそめたがすぐに自分の目的を思い出したようで咳払いをすると僕の目をまっすぐ見てきた。

 

「ゴホン、そうじゃなかった。えっと、今夜は先輩に折り入って頼みたいことがあって来ました。その、私に戦い方を教えてくれませんか?」

 

 何となく、そんなものだろうとは思っていたが本当に予想通りとは思いもしなかった。僕としては別に彼女に戦ってもらう必要性は感じないのだが美紀君なりに思うところがあるのだろう。

 

「それは構わないが、理由を聞かせてくれないか?」

 

 美紀君はゆっくりと息を吸い、僕を見た。その目には真剣な、それでいて何かを後悔するかのような感情が見て取れた。

 

「後悔、したくないんです。今は、余裕があります。でも、いつまでこれが続くかはわからない。だから、余裕がある今のうちにやりたいんです。もう、圭を引き止められなかったときみたいに後悔したくありません……」

 

 何というか因果なものだな。圭は美紀を置いていったことを後悔し美紀君は引き止められなかったことを後悔している。この二人を見ていると友情の尊さというものを嫌でも見せつけられるというものだ。僕としてもそんな理由なら断る理由もない。それに、戦える人数は多いほうが良いに決まっている。

 

「わかった。じゃあ、明日からでいいかな?」

 

 僕の許可に安堵する美紀君であったがすぐに首を振って僕の提案を拒否した。

 

「今からでも、いいですか?」

 

 彼女としては一刻も早く戦えるようになりたいのだろう。そこまで焦ることもないと思うんだがなあ。

 

「いいだろう。じゃあ、武器庫に行くから付いて来てくれ」

 

 美紀君にジェスチャーで外に出るように促す。彼女もそれに従い扉に向き直ろうとし、停止した。視線は机の上の時限発火装置に注がれている。

 

「秀先輩。それ、なんですか?」

 

「これかい? これは爆薬に使う時限発火装置だ。これを繋いで時間を指定してその時間になればドカンさ」

 

「…………」

 

 彼女は無言で後ずさった。それが彼女の心境を何よりも表していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう! 何考えているんですか! 馬鹿なんですか?」

 

 二階の廊下を歩きながら美紀君は僕の行動を非難する。別に爆薬を作っているわけではないし何も問題ないと思うのだが美紀君はそうは思わないらしい。

 

「僕としては君が何故そこまで怒っているのか理解しかねるよ。別に爆薬そのものを作っているわけではないだろう」

 

「先輩は常識がなさすぎるんです!」

 

 そんなことえを言いつつ僕たちは武器庫と化した資料室の前で止まる。僕は扉を開けるため取っ手に手を掛けた。

 

「美紀? それに先輩?」

 

 突如後ろから声をかけられた。僕たちが振り向くと懐中電灯を持った寝間着姿の圭がこちらを訝しげに見ていた。

 

「け、圭? どうしてここに?」

 

 どことなく慌てた様子の美紀君。もしかして何の断りもなくやって来たのだろうか。

 

「それはこっちが聞きたいよ……。美紀が突然起きて制服に着替えてどこかにいったから心配して来たんだよ……」

 

 圭は眠そうな目を擦りながら僕たちに問いかける。本当に断りもなく僕の所にやってきたようだ。

 

「しかも、秀先輩とこんな誰もいないところで…………あっ」

 

 圭は何かに気が付いてしまったとでも言いたげな顔をした。ふむ、男女が二人、深夜で人気のない場所にいる。うん、アウトだな。

 

「ご、ごめんねー、美紀だって女の子だもんね……。だ、大事な話なんだよねー」

 

 圭の白々しい反応に流石の美紀君も戸惑いを隠せないようだ。そして彼女も気が付いてしまった。

 

「はっ! ち、違うの圭! 先輩とはそういうのじゃなくてね」

 

「じゃ、じゃあおやすみなさーい!」

 

「まずい! 捕まえろ!」

 

 その後僕たちは何とか圭を捕まえ勘違いをただすことに成功したとさ。猛烈に疲れた。

 

 

 

 

 

「ごめんね、美紀、勘違いしちゃって」

 

「そうだよ圭。私が先輩に、こ、告白するわけないじゃない」

 

 僕たち三人は武器庫の中で事情を説明した。美紀君の戦いたいという思いを聞いた圭はならば自分もとのことで僕は二人に戦い方を教えることになったのだ。

 

「で、だ。君たちは戦いたいと言っていたが、はっきり言って君たちはそこまで強くない。胡桃や僕みたいに直接武器を持って戦うつもりならやめておいた方がいい」

 

 むしろ、胡桃君の方が異常なのだ。いくらこちらを襲ってくるとは言っても普通は人間だったものを自分から手にかけようなんて思わない。そんなことができるのは余程の覚悟を持っているか、狂人だけだ。胡桃君は恐らく前者に分類されるであろう。僕が来るまでたった一人で学園生活部を守ってきた覚悟は尋常なものではない。

 

「はい、私もそれはわかってます」

 

「でも、美紀と二人なら戦えると思うんです!」

 

「け、圭……。ありがとう」

 

 圭は美紀君の手を握りながら僕に宣言する。やはり友情というものは尊いものだ。僕が容易に手に入れられなかったものを彼女達は持っている。羨ましいとは思わないが眩しく感じてしまう。

 

「ふむ、半人前が二人。足して丁度一人前と言ったところかな」

 

 別に一人で戦う必要などないのだ。仲間がいるなら積極的に連携して戦う方が一人で戦うよりも遥かに効率的で安全性も高まる。

 

「じゃあ、適当に気に入った武器を選んでくれ。今なら全品10割引きだ」

 

『はい!』 

 

 そう言って二人は自分の武器を吟味していく。しばらくしたのち二人は自分の武器を手にして僕の前にやってきた。圭がさすまたを、美紀君は僕の作った槍を手にしていた。ふむ、渋い選択だな。

 

「それでいいんだね?」

 

 二人に確認する。彼女達は同時に頷いた。圭はともかく美紀君は槍の使い方なんて知らないだろうから教えたいところだが……。

 

「じゃあ、これから練習と言いたいところだがもう遅い。それは明日からやろう。厳しめにいくからそのつもりで」

 

『はい!』

 

 同時に返事をする二人。うむ、息があっててよろしい。これなら連携攻撃もすぐにこなせるようになることだろう。流石にもう眠い、帰るとするか。

 

「二人とももう寝よう。明日も仕事が待っている。あまり夜更かしは感心できない」

 

 扉を開け廊下に出る。突如、僕たちを眩い光が照らした。いきなりなんだ。

 

「三人とも、何してるのかしら?」

 

 目を凝らしてみれば悠里君が懐中電灯を僕たちに照らしていた。その後ろには胡桃君がシャベルを持って僕たちを睨んでいる。どうやら、怒っているようだ。

 

「胡桃先輩に悠里先輩! ど、どうしてこんな時間に?」

 

「それは、あたしたちの台詞だと思うんだけどな。てか秀樹」

 

 唐突に僕に話しかける胡桃君。声のトーンからしてあまりいい気分ではなさそうだ。

 

「なんだい、胡桃」

 

 暗いのに加え懐中電灯による逆行のせいで彼女の顔はよく見えない。

 

「後輩引き連れてモテモテだな、おい」

 

「胡桃、違うでしょ。三人とも、こんな時間に何してたのかしら?」

 

 うむ、ご立腹のようだ。誤解されても困るので事情を掻い摘んで説明することにした。僕たちの説明を聞いた二人は溜息をつきながらも納得してくれたようである。

 

「事情はわかったわ。でも、あまり心配させないでちょうだい、物音がしたと思ったら美紀さんたちがいなくなってて本当にびっくりしたのよ。秀樹君もいないし」

 

「そうだぞ、秀樹。またいなくなっちまったのかと思ったじゃん」

 

 昔を思い出したのか胡桃君は少し悲しそうな表情をする。ちょっと悪いことをしてしまったな。

 

「ご、ごめんなさい……」

 

「す、すいません……」

 

「すまんね」

 

 事情があったとはいえ、いらぬ心配をかけさせてしまったので三人で謝罪する。真夜中の廊下に説教を喰らう美紀君という珍しい光景が誕生した。その後、美紀君と圭は練習を重ね、今では戦闘要員に数えられるほどの腕前となった。素晴らしきかな友情と言ったところか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれから3日経過した今日、僕たちは体育館の入り口に陣取っていた。目的は体育館の制圧だ。これは美紀君の提案によるものであった。現在、一階は殆ど制圧されているのだが、それでも稀に奴らが入り込んでくる。特に体育館にいる奴らが渡り廊下を経由して入り込んでくるのが特に多い。

 

「なあ、それ本当に使うのか?」

 

 隣にいる胡桃君が僕が背中に背負ったブツを見ながら訊ねる。とはいえそういう胡桃君も手にはラジコンのコントローラーが握られている。足元には四駆のラジコンが発進を今か今かと待っている。

 

「せっかく、持ってきたんだ使うに決まっているだろう。じゃあ、胡桃やってくれ」

 

 ラジコンに取り付けたCDプレーヤーの電源を入れる。血塗れの世界に場違いな恋愛ソングが木霊す。

 

「走らせるぞ!」

 

 胡桃君はコントローラーのスロットルを開放する。軽快なモーター音が鳴りラジコンが体育館に向かって走り出す。中にいる奴らはラジコンの音に釣られどんどんと中央に集まっていく。少し面白そうだ。

 

「な、なあ僕にもやらしてくれないか?」

 

「えー、今走らせたばっかりだろ。もう少し待てよ」

 

 非常に楽しそうだ。僕も童心に帰って遊んでみたい。視界の先のラジコンは縦横無尽に走りながらゾンビを引き付ける。とは言えそれなりの数がいるためぶつからないように走るは難しい。

 

「やべ、ぶつけた」

 

 故に、ラジコンがゾンビの足にぶつかって横転するのは必然と言えた。でも、既に目的は果たせた。ラジコンに群がるゾンビの一体の頭に矢が生えた。ここからでは見えないが佐倉先生がキャットウォークからクロスボウで狙撃しているのだ。ただ、その連射速度はいつもより速い、二つのクロスボウを交互に撃っているからだ。装填は美紀君と圭が交代で行っている。

 

「めぐねえ、容赦ねえ……」

 

 的確にそして容赦なく奴らの頭に矢を叩きこんでいく佐倉先生。あのほわほわした先生に何があったらこうなってしまうのだろうか。うん、僕のせいだな。やがて何匹もいた奴らも今では数えるほどしかいない。このまま、撃ち続ければ余裕で制圧できるが矢が放たれる気配はない。恐らく矢が尽きたのだろう。だが、それも計画の内だ。

 

「じゃあ、二人ともお願いね」

 

「先輩! 気を付けて下さいね」

 

 キャットウォークから降りてきた先生たちが僕たちに合流する。ここからは僕たちの出番だ。

 

「いくぞ、秀樹! 生まれ変わったシャベルの力を見せてやる!」

 

 胡桃君のシャベルはいつもと同じものだがその刃先は、以前よりも鋭さを増していた。それも当然だ。このシャベルは僕がグラインダーで刃付けしたのだ。剃刀レベルの切れ味と胡桃君の膂力を合わせれば、

 

「マ、マジかよ……」

 

 奴らの首を切断することは容易い。あまりの威力に胡桃君自身も驚きを隠せないようだ。僕も行くか。

 

「先生、背中のエンジンを始動させてくれませんか? その紐を引っ張って下さい」

 

「えっと、これね。えい!」

 

 先生がリコイルスターターを引くとエンジンが始動する。単気筒の軽快なエンジン音が体育館に木霊した。安全装置を解除しスロットルを開放すればメインパイプの先端に取り付けられたチップソーが勢いよく回転する。僕はゴーグルとマスクを装着した。準備は万端だ。

 

「いくぞ胡桃! ひゃっほう!」

 

 一番近くにいるゾンビ目がけ突進しながらスロットルを全開にする。僕は超高速で回転する鋸をゾンビの顔に押し付けた! 血飛沫と共にゾンビの顔が見る見るうちに削れていく。

 

「はぁ、マジでそれ使うのかよ……」

 

 誰かが溜息と共に呟いたがどうでもいい。顔面を崩壊させ倒れ伏すゾンビを尻目に僕は別のゾンビに目標を定める。

 

「ほら! 伐採の時間だ!」

 

 今度は首に鋸を当てる、瞬く間に頭と胴体が離婚してしまったようだ。再婚はもう無理だろう。僕は次々とゾンビを刈払機でミンチにしていく。横目で見れば胡桃君が唖然として僕を見ていた。

 

「何見てるんだ! 仕事しろ胡桃!」

 

「…………」

 

 無言でシャベルを振り奴らを始末していく。体育館は再び惨劇の舞台と化した。主に僕の手によって。だが、そんな楽しい時間も終わりがやってきた。倒すべきゾンビを全て倒してしまったのだ。エンジンを止め辺りを見渡す。血の海が広がっていた。

 

「あー、楽しかった」

 

 僕は大満足といった顔で胡桃君に近づく。胡桃君が呆れた顔で僕を見る。一体なんだ。

 

「とりあえずこれで全部か、後は矢を引き抜いて終わりだな」

 

「はぁ……うん、そうだな。後で身体ちゃんと洗えよ……」

 

 疲れたと言わんばかりにそのまま帰ってしまった。後に残るは口をあんぐりと開いた先生と美紀君と圭だけだ。

 

「ほ、本田君……」

 

「うわぁ……」

 

「先輩、ドン引きです」

 

 そこで僕は気が付いた。自分が血塗れだったことに。僕たちは微妙な空気のまま矢を回収していった。胡桃君はその日、僕に一定の距離を取り続けた。解せぬ。そして月日は流れ夏が終わり秋が来る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2015年◇月◇日

 

 今日は冬に備えて学校の割れた窓を塞いだ。ブルーシートとテープで塞いだだけのみすぼらしいものだが、何もしないよりはかなりマシだ。まだまだ暑いとはいえこれからはどんどん冷えていくことだろう。早めに対策を練っておくべきだ。

 

 

 

 

 

 2015年◇月◇日

 

 佐倉先生の許可を取り学校の使っていない木製の机などを分解して薪に加工した。一応、用務倉庫で石油ストーブと燃料を見つけたがこれは本当に寒い時に取っておくべきである。その点、薪は校舎裏の雑木林からでも取ってこれるので普段使いとしてはこれがベストな選択だと思われる。

 

 佐倉先生は解体されていく勉強机や教卓に思うところがあったようだが誰も使わないのなら別の用途に生まれ変わらせた方が物としても本望なはずだ。

 

 とはいえまだその薪を燃やすためのストーブを手に入れていないので近々ホームセンターからでも調達しようと思う。そう言えば薪で思い出したがドラム缶をどこかから拾ってくれば風呂に入れるだろう。次の遠征で探すのもありかもしれない。

 

 

 

 

 

2015年◇月◇日

 

 ホームセンターから小型の薪ストーブを手に入れた。取り付けは明日以降になるがこれで凍死のする危険が大幅に減少した。ついでに綺麗なドラム缶も手に入れたので屋上の空いたスペースに風呂を作ってみた。早速、湯を沸かして入ろうとしたのだが、胡桃君に見つかってしまい、僕が一番初めに入るのもどうかと思い皆に譲ることにした。この日記はその待ち時間の間に書いている。風呂と聞いて皆妙に殺気立っていたので譲って正解だったのかもしれない。

 

 

 

 

 

「まさか、本当にお風呂に入れるとは思わなかったわ。ありがとうね秀樹君」

 

 生徒会室。湯上りで上機嫌な悠里君が僕に礼を言った。湯船は一つしかないので八人全員が入ろうとすると時間と燃料が無駄にかかってしまう。なのでジャンケンで今日はいれるのは4人までとしたのだ。その際の女性陣の張りつめた空気は当分忘れられないだろう。

 

「まあ、僕が入りたかっただけだし別に礼は言わなくてもいいよ」

 

「それでもよ、秀樹君が考えなければドラム缶風呂なんて発想私たちじゃ考え付かなかったわ」

 

「それもそうか。じゃあ、どういたしまして」

 

 僕は幸いにもジャンケン勝つことができたので今日風呂に入ることができるのだ。ちなみにジャンケンに負けた佐倉先生と圭と胡桃君と由紀君の落胆っぷりはそれは見ものであった。

 

「薪はそこらの家具でも壊せば手に入るからこれからは結構な頻度で入ることができると思うよ」

 

「うふふ、それは楽しみね」

 

 本当に楽しそうである。日本人、いや、女性として風呂に満足に入れないというのは中々に辛いものであったらしい。僕も昔は風呂に入れなくて発狂しそうになったことがある。

 

「ここで暮らし始めてからもうかなりの月日が経過したわ。秀樹君はこれからどうするつもりなの?」

 

 思いのほか真面目な質問が飛んできた。どうするか、正直目の前のことで精一杯であまり考えていなかったな。どうしようか。

 

「どうするかねー。僕としてはこのまま現状維持をしつつ積極的に外の情報を手に入れてそれから判断するべきなんじゃないかな」

 

 脱出するにしても目的地も決めずに闇雲に出て行ってもロクなことにならないのは容易に想像できる。どこか大きい生存者のコミュニティでもあればいいのだがな。

 

「そうね、もしかしたら日本中がこんなことになっているのかもしれないし、闇雲に動くのはまずいわね」

 

「まあ、この調子でいけば後4,5年はここで暮らせるはずだからゆっくり考えればいいだろうよ」

 

 そう、今や学園生活部は安定期に入った。仮に、まあ考えたくはないが欠員がでたとしても生活に支障はないはずだ。尤も、誰かを死なせるつもりなど微塵もないがな。

 

「仮に、奴らが大群で襲ってきたとしても返り討ちにしてやるよ。誰も死なせやしないさ」

 

 僕は不敵に笑う。気分はヴィレル・ボカージュの戦いでのミヒャエル・ヴィットマンだ。悠里君は僕の言葉に笑う。

 

「じゃあ、頼りにしてるわ。副部長さん?」

 

 聞きなれない言葉だ。僕のことを言っているのか。

 

「今日、めぐねえと相談して決めたのよ。まだみんなには言ってないけどきっと賛成してくれるはず」

 

 僕がそんな重要な役割を担って本当にいいのだろうか。

 

「副部長なら胡桃や美紀のほうがよっぽどふさわしいと思うけどなあ」

 

「秀樹君がそう思っているだけで秀樹君は私たちに本当に色々なものをくれたの。だから私はそんな貴方に副部長になってほしいわ」

 

 この目は本気の目だ。本当に心の底からそう思ってくれているのだろう。こんな信頼を向けてくれたのは初めてのことだ。思わず目頭が熱くなる。

 

「そこまで言われてしまえば仕方がないな。謹んでお受けするとするよ」

 

「ええ、これからもよろしくね?」

 

「りーねー、髪かわかしてー」

 

「はいはい、こっちおいで」

 

 こうして僕は本当の意味で学園生活部の一員になったのであった。そして更に月日は流れ文化祭の時期に入り始めていた。このまま、同じような日常が続いていくのだろうと誰もが考えていた。僕も例外ではなかった。だが、変化しないものなどどこにもない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……い存者を捜索中……応答せよ……』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とはいえ、そこまで心配するほどのことでもないだろう。何が来ようが全て粉砕するだけだ。

 




 いかがでしたか? 回転する鋸を顔に押し付けて喜ぶサイコパスの鑑。そしてついに……

 では、また次回に。


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第十五話 とつぜん

 書いていて思うこと、火はいいものだ。


 2015年▲月▲日

 

 唐突だが学園祭を開催することになった。発案者は例によって由紀君である。僕も学園生活部の皆も特に反対意見はなかったのでこれから準備することにする。美紀君は少し渋っていたが恐らくただの照れ隠しだと思われるので問題ないだろう。現に彼女が一番張り切っている。その事実を指摘したらさぞ顔を赤くすることだろう。

 

 出し物についてはまだ何も決まっていないが、僕と由紀君がピアノを披露するであろうことは容易に想像できる。由紀君も張り切っていたので僕としても彼女の意向は反映してあげたい。

 

 

 

 

 

2015年▲月▲日

 

 今日は非番だったので、由紀君と付きっ切りでピアノの練習をした。まだまだ粗削りとはいえ既に人に聞かせても問題ないレベルにまでは上達している。初めは、戯れのつもりで教えたというのにいつしか僕は本気になって彼女に指導していた。僕自身人に教えられる程の腕前ではないのだが、彼女のあの澄み切った目で頼まれるとどうしても頷いてしまうのだ。

 

 何を披露するかはまだ決めていないが、彼女のレパートリーはあまり多いとは言えないため自ずと曲は限られていくであろう。このことを彼女に伝えたところ何故か由紀君とデュエットすることになった。前後のつながりがなさすぎて困惑してしまった僕は悪くないだろう。音楽室にあった譜面にはすでに目を通したが無難なものばかりであまり面白くない。楽器店から譜面でも持って来ようか。

 

 話は変わるが、彼女の現在の症状についても記しておこうと思う。結論から言えば由紀君の幻覚及び退行症状はもうかなりのところまで回復している。彼女の中では学校に大変なことが起き自分達だけで生活しているとの認識はしているが、ゾンビがうようよしていることまでは認識できていないようだ。とは言えそれも時間の問題だろう。この事実を佐倉先生に報告したところ泣いて喜んでいたのが印象に残っている。しかし、完全に覚醒した場合、由紀君は現実を受け入れられるのか心配だ。アフターケアのこともきちんと考慮しておかないと取り返しのつかないことになるだろう。

 

 

 

 

 

2015年▲月▲日

 

 遠征から帰ってきた。例によってホームセンターが大活躍した。畑用と偽って爆薬の材料も大量に仕入れることができたのは大きい。しかも、火炎放射器に使えそうな動力噴霧器も手に入れることができた。ついでに楽器店からポップスの楽譜を大量に手に入れた。由紀君もずっとクラシックばかりでは飽きてしまうことだろう。彼女に見せたところとても喜んでくれた。その際佐倉先生が異常にニコニコしていたのが気になる。

 

 そういえば、最近るーちゃんが僕にあまり引っ付かなくなった。きっと心が回復している証拠なのだろうが、少し寂しいと思ってしまう。今ではよく悠里君と一緒に畑仕事をしている姿を見かける。もし、小学校で気を失っていたあの子を見捨てていたらと考えると本当にゾッとする。きっとあれが僕の分岐点だったのだろう。そういう意味ではあの子は僕のことを救ってくれたと言えなくもない。相変わらず僕のことはおじさん呼ばわりだが、それすら最早心地よい。

 

 

 

 

 

2015年▲月▲日

 

 動噴を改造して火炎放射器を作成してみた。使う際には別途燃料が必要でエンジン音もうるさいが射程が以前の3倍以上も伸びたのは大きい。早速使いたくなったので屋上の貯水槽付近で試してみた。その威力たるや、文章如きでは到底書き表すことなどできないであろう。その後、悠里君に見つかりしこたま説教されたのは至極どうでもいいことである。

 

 

 

 

 

2015年▲月▲日

 

 いよいよ明日は学園祭の開催日である。8人しかいないのに文化祭なんておかしいがこれが僕たちの文化祭なのだ。職員室を漁っていたらビデオカメラを見つけたので記録は、ばっちり残せる。ポラロイドカメラもあるので卒業アルバムはちゃんと作ることができそうだ。尤も、卒業したところで僕たちが学校を去るわけではないが、一応こういうところはけじめをつけておくべきである。由紀君とは猛練習をした。明日は楽しい一日になることを願う。

 

 

 

 

 

 こうして僕たちの学園祭が始まった。

 

 

 

「じゃあ、いくわよ。3、2、1……」

 

『はい! こんにちはー!』 

 

 スピーカーから由紀君の元気な声が聞こえてくる。今日は文化祭。今は見えないが外では胡桃君が由紀君をビデオカメラで撮影していることだろう。

 

「それにしても、ラジオ放送しようなんてよく考え付いたな」

 

 僕は椅子に座って放送機器の操作をしている悠里君に話しかける。文化祭をするにあたって僕たちはラジオでその様子を伝えることにしたのだ。

 

「ただ、学園祭をやるだけじゃつまらないでしょ?」

 

 真面目な悠里君らしかぬ発言であった。長いこと一緒に暮らしているのに僕はまだまだ知らないことが多いみたいだ。

 

「確かにね。こうした余興があった方が盛り上がるに決まっている」

 

 由紀君に任せれば楽しくなるに違いない。でも、誰か聞いているのだろうか。もう誰もラジオなんて聞こうとは思わないだろうに。そんな気持ちを察してか悠里君が僕を見上げた。どことなく優しい瞳だ。

 

「誰も聞いていないのかもしれない。でも、もし、誰かが聞いていたのなら私はその人に言ってあげたいの。貴方は一人じゃないって」

 

 こうして他者を気遣えるのは、余裕がある証拠なのだろうか、それとも彼女の生来のものなのだろうか。僕としては後者であってほしい。

 

「秀樹君は、他の生き残りの人たちに会ったことがあるのよね?」

 

 そうだ、すっかり忘れていた。ここでの暮らしが長引いたせいで完全に頭から抜け落ちていた。でも、正直言ってロクな記憶がない。

 

「ああ、何度かね。でも、正直ロクな記憶がないよ」

 

「どうして?」

 

 記憶を遡る。あれは僕がまだ、ゾンビ殺しを日課にして間もない頃だ。あの時の僕は、はっきりいてまともではなかった。たまたま僕が狩場にしたマンションに4人家族の生存者がいた。僕は彼らを守るという口実でマンションにいた全ての奴らを血祭りにあげた。今思えば怯えられても仕方がないと思うが、当時の僕は酷く傷ついた。

 

「何度か生存者と出会って彼等を助けるために、いや、助けるのを口実にして奴らを殺していたんだ。そんなことをしていたら当然、怯えられる。それで追い出されたり殺されそうになったり、そんなのばかりで嫌になってしまったよ」

 

 そう、本当にロクな思い出がない。僕にも非はあったのかもしれないが、あの仕打ちはいくら何でもどうかと思う。

 

「それでも、秀樹君は助けることを止めなかったのでしょう?」

 

 悠里君は僕の話を聞いていたのだろうか。僕は、ただ奴らが憎い一心で殺戮を行っていたに過ぎない。そしてその憎しみはやがて快楽に代わり一人の狂人が誕生した。

 

「君は僕の話を聞いていたのかい? 僕はただ殺しを楽しんでいただけの狂人だよ」

 

 僕の否定の言葉に彼女は、そうではない。と言いたげに首を振った。

 

「そうなのかもしれない。でも、秀樹君は私とるーちゃんを助けてくれた。いえ、学園生活部のみんなを助けてくれた。きっと、貴方が気が付いていないだけで秀樹君は今までにいろんな人を助けているのよ」

 

 それは過大評価というものだ。僕はそんな大層な男じゃない。ただ、復讐に取りつかれていた負け犬だ。狂うことしかできなかった弱い弱い人間だ。

 

「それに、理由が何であれやった行いはきちんと評価されるべきよ。少なくとも私はそう思うわ」

 

 これは、もう何を言っても聞かないのだろう。この顔はそういう顔だ。

 

「わかった、降参だよ。僕が何を言っても聞きそうにないからね」

 

「うふふふ、そうね。何を言っても聞かないと思うわ」

 

 僕たちはそう言って笑いあった。それだけで十分であった。僕達が話している間に由紀君の学園生活部の紹介はどんどん進んでいる。今は、職員室の紹介か。

 

『ここは、職員室です。ここでは学校の先生の皆さんが日々、学生のために汗水流して働いています』

 

 スピーカーから足音が聞こえる。二人ではなく三人か。るーちゃんもいるのか。

 

『それでは、紹介しましょう! 我らが学園生活部、顧問の佐倉慈先生です!』

 

『もう、佐倉先生じゃなくてめぐねえ……って、佐倉先生!?』

 

 定番ともいえるボケをかます佐倉先生。恐らく素でやっているのだろう。本当に可愛らしい先生だ。隣を見れば悠里君がクスクスと笑っている。

 

『では、佐倉先生。リスナーの皆さんに言いたいことはありますか?』

 

 普段とは違う、少し真面目な由紀君。今、インタビューを受けている佐倉先生や隣にいるであろう胡桃君はどんな顔をして聞いているのだろうか。

 

『そうですね。これを聞いている皆さん、もしこの放送が聞こえているのなら伝えたいことがあります。貴方は一人ではありません。状況は一向に良くなりませんが、決して希望を捨てないでください、最後まで諦めないでください。私たちは、まだ生きているのですから』

 

 佐倉先生らしい言葉だ。7人の子供の命を背負っているとは思えない力強い言葉だ。その責任はきっと岩のように重いはずなのに。あの人はなんてことないように背負っていく。本当にすごい人だ。

 

『貴重なお言葉、ありがとうございました。じゃあ、最後に先生の夢はなんですか?』

 

 夢、か。こんな世界で夢なんて、いや、こんな世界だからこそ夢を持つべきなのだろう。人はパンのみに生きるにあらず。聖書の言葉だったか。

 

『私の夢は、学園生活部のみんなをずっと見守っていくことです。あの子たちが一人でも歩いていけるその日まで。それが、私の夢です』

 

「めぐねえ……」

 

 本当に、良い先生だ。本当に出会ったのがこの人でよかった。僕はあの人にもう返しきれない程の恩を受けている。

 

「本当に、いい先生だよな……。僕たちは本当に恵まれている」

 

「その通りね。本当にいい先生よ……」

 

 悠里君の目にはうっすらと涙が滲んでいた。かくいう僕も泣きそうになっているのは秘密である。ああ、僕はこの人に出会えてよかった。本当に死なせたくない人だ。

 

『めぐねえ! だいすき!』

 

 由紀君が抱き着いたのだろうか。佐倉先生の驚く声が聞こえる。やっぱり真面目モードは長続きしなかったか。

 

『おーい、由紀。放送中だぞー』

 

『ゆきおねえちゃん、ちゃんとやって』

 

『う、ごめんなさい……。じゃあ、めぐねえまたねー!』

 

 佐倉先生の怒る声がどんどん遠ざかっていき、足音が近づいてくる。どうやら出番のようだ。準備が必要かと言えば別にそうでもないが、一応、映像に残るわけである。襟元を正し、身構える。おい、悠里君笑うんじゃない。

 

「ここは、放送室です! 今日は放送部の皆さんが残してくれた機材を借りて放送しています」

 

 予想通り扉が開かれた。クルー一向のお出ましだ。胡桃君がカメラを構え、由紀君が元気のいいレポーターを務める。るーちゃんが手を振った。手を振り返す。うん、少し背が伸びたか?

 

「部長のりーさんと、副部長のひーくんです。こんにちはー!」

 

「どうも」

 

「こんにちは」

 

 胡桃君はさっきから一言も発しない。カメラマンになりきっているようだ。胡桃君はノリがよくて見ていて気分がいい。胡桃君も手を振ってくる。相も変わらず笑顔が似合う子だ。

 

「電波の調子はどうですかー?」

 

「順調かな?」

 

「よかったです。じゃあまたー」

 

 要は済んだと言わんばかりに僕たちに別れを告げて出て行ってしまった。あれ、何かインタビューとかはしないのか。少し残念だ。

 

「な、なんだい?」

 

「いえ、もしかして何も聞かれずに行っちゃったのが気になっているのかなって……」

 

 何故ばれている。これでは僕がバカみたいではないか。仕方がない、誤魔化すとしよう。ミーハーめいた男だとは思われたくない。

 

「そ、そんなことあるわけないだろうに。君、変なことを言うのはやめたま「たまえ禁止!」やめてくれない?」

 

 照れ隠しのために昔の口調に戻してみようとしても悠里君にすぐさま駄目だしされてしまう。今でも口調が戻る時があるがその度にこうして悠里君に駄目だしされてしまうのだ。結構、気に入っているのだがな。

 

「ふふふ、ごめんね? じゃあね、秀樹君。貴方の夢はなんですか?」

 

 確信していなければこんな質問は飛ばせないだろう。顔が赤くなるのを感じる。でも、今は恥ずかしいのも我慢しておこう。

 

「僕の、夢は「まって!」どうした!」

 

 機器のダイヤルを弄りながら血相を変えて悠里君は叫ぶ。もしかして、通信が入ったのか?

 

『応答せよ、応答せよ。こちら──』

 

 ノイズ交じりで今一つはっきりと聞き取れないが確実に通信が入っている! でも、誰が?

 

「悠里! 君は全員を放送室に呼んでくれ! 僕が替わる!」

 

「ええ、わかったわ。由紀ちゃん? 聞こえる──」

 

 悠里君が通信で由紀君達に呼びかければ程なくして放送室に三人が飛び込んできた。悠里君は放送室を飛び出し先生と美紀君と圭を呼びに行った。ヘッドセットを装着する。

 

「どうしたんだ!」

 

「いきなり呼び出してなにがあったの?」

 

「おじさん?」

 

 口々に僕に質問をぶつけるが今はそんなことよりも重要なことがある。ヘッドセットから聞こえる通信に集中する。

 

「こちらは私立巡ヶ丘学院高校三年の本田秀樹だ。そちらの通信を傍受した。聞こえているなら応答せよ! どうぞ!」

 

『──! ──ッ!』

 

 駄目だ。ノイズが酷くて何も聞き取れない。僕が通信機と格闘している間に残りの全員がやって来た。皆、酷く慌てている。

 

「ど、どうだ?」

 

 気になって仕方がないのだろう。胡桃君が横から訊ねる。

 

「繰り返す。こちらは巡ヶ丘高校の本田秀樹だ! もう一度聞く、貴方は誰だ!」

 

 何度呼びかけてもノイズばかりで交信することは不可能だ。ヘッドセットを投げ捨て後ろを向く。全員が僕を不安げに見ていた。

 

「どう? 通信は出来たの?」

 

「いや、無理でした。ノイズが酷くてなにも聞こえやしない」

 

 皆、黙り込んでしまった。もしかしたら助けがきたのかもしれないと思っているのだろうか。だとしたらとんだ勘違いだ。

 

「み、みんな! 窓見て!」

 

 由紀君が窓に張り付き声を荒げる。皆が窓に向かった。僕も気になる。窓から見える風景は相変わらずいい天気で雲一つ……いや、ヘリが一機こちらに向かっている。これは一体。

 

「あ、あたし屋上いってくる!」

 

「わ、私も行きます!」

 

 遂に助けがきたと思っているのか。二人は今にも飛び出していきそうだ。それはまずい。

 

「まて! まだ行くな!」

 

「どうしてだよ! 今行かなくていつ行くんだよ!」

 

「そ、そうですよ!」

 

 まだ気が付いていないのか。緊急避難マニュアルに載っていたことを覚えていないのか?

 

「二人とも思い出せ! 緊急避難マニュアル載っていたことと地下のことを」

 

「あっ……」

 

 やっと気が付いたようだ。緊急避難マニュアルには確保と隔離と書かれていた。つまりはそういうことなのだ。

 

「先生、貴方は皆を連れて地下に行ってください。胡桃!」

 

「君は僕と一緒に昇降口で待機だ。武装は忘れるなよ!」

 

 ようやく事態が飲み込めた胡桃に僕は指示を下す。最悪ヘリの乗組員との戦闘も考慮しなくてはならないだろう。

 

「じゃあ、先生。みんなを。美紀と圭は武器を持って皆を守っててくれ!」

 

 佐倉先生と二人は力強く頷いた。言葉は必要なかった。そのまま、皆を引き連れ地下へと向かって行く。

 

「二人とも、必ず無事に帰ってくるのよ」

 

「ひーくん、くるみちゃん。気を付けてね」

 

「おじさん……怪我しちゃだめだよ」

 

 僕たちは無言でサムズアップをする。悠里君と由紀君は満足したようでるーちゃんをつれて去っていった。後に残ったのは僕と胡桃君。

 

「秀樹! 早く資料室から武器取ってこねーと!」

 

 放送室を飛び出し二階へと直行する。武器庫は放送室とは真逆の位置にあるため自ずと走ることになる。全力で廊下を駆ける僕達。

 

「やっぱ、ランダルだと思うか?」

 

 ランダル・コーポレーション。この巡ヶ丘学院高校のバックについていたと思われる製薬会社だ。黒幕が大企業だというのは映画では既に使い古されたネタだが実際にそうだとなると本当に呆れてしまう。

 

「救助にしては遅すぎるし、恐らくそうだろうな。大方サンプルでも捕まえにきたんだろ?」

 

 廊下の窓から見ればヘリは着々と学校に近づいくる。ようやく機種が判明した。あれは、自衛隊か?

 

「ざけんな! どこまでもあたしたちを馬鹿にしやがって!」

 

「とはいえ、本当にそうだと決まったわけではない。とりあえずは完全武装で様子見といったところか」

 

 武器庫に入り胡桃君は矢筒と弓を僕は56式半自動歩槍を手に取る。ボルトハンドルを引き薬室を開放し弾を一発づつ込めていく。装弾クリップは戦闘時にとっておきたい。弾は50発持っていけばいいか。

 

「なあ、それの弾ってあとどれくらい残ってるんだ?」

 

 確かに気になるところだろう。僕は今までこの7.62x39mm弾を湯水のように消費してきた。でも、胡桃君の心配は無用だ。

 

「なに、ここの全校生徒の頭に一発ずつ叩き込んだとしてもまだ余るから心配は無用だ」

 

「うげ、聞くんじゃなかった」

 

 流石に例えが悪かったようだ。でも、今は雑談に花咲かせるときではない。拳銃を選ぶ。今回はコンバットマスターにしよう。45口径は撃ったことがないがまあ大丈夫なはずだ。ククリナイフも持っていこう。学園祭だったから皆に武装を禁じられていたのが仇になったな。コンバットマスターのマガジンを4つポケットに入れたら準備完了だ。忘れてた、これもだ。

 

「よし、行こう!」

 

「遅いぞって、持ちすぎだろ!」

 

 自分の装備を確認してみる。両手にはライフル、腰には拳銃、ククリナイフ。背中にはショットガン。うん、テロリストかな?

 

「何か来るかわからないんだ。万全を期したほうがいい。早く行こう」

 

「ああ! ──ッ!」

 

 突如、爆発音がした。廊下に出て窓から見てみればヘリが墜落しているではないか。なんでそうなる。

 

「お、墜ちたぞ……」

 

「ああ、そうみたいだな」

 

 僕が思っていたよりも胡桃君は冷静であった。一体、何が胡桃君を変えたのだろうか。

 

「意外と冷静なんだな」

 

 減るものでもないので聞いておこう。

 

「いや、最初は焦ったけど、あたしの隣にもっとヤバイ奴がいるから……。慣れた」

 

 ヤバイ奴、いったい誰なんだ……。そんな冗談を話している場合じゃない。早く昇降口に行かなくては。僕は呆れる胡桃君に行くように促す。

 

「あ、これを」

 

「なにこれ? 耳栓?」

 

「ああそうだ。銃声で耳がやられてもいいのならつけなくてもいいよ」

 

 今まではイヤホンをしていたりサプレッサーで抑制されていたから耐えられた。でも、今は違う。裸耳でライフルなんぞ撃とうものなら難聴待ったなしだ。僕の言葉に胡桃君は顔を青くしすぐさま耳栓を装着した。今付けなくてもいいのに。まあ、いいや。僕もつけよう。

 

「耳栓付けたから大きな声で話してくれ!」

 

「わかった!」

 

 胡桃君と昇降口に向かい、外に出る。ヘリは駐車場の車を巻き込む形で墜ちていた。よかった、僕たちの車に墜ちなくて。ヘリは炎上しているが車の燃料はもう抜いてあるので爆発することはないだろう。

 

「どうする! いくか!?」

 

「いや、今行って爆発されでもしたら危ない! 少し様子を見よう!」

 

 しばらく、観察する。ヘリの墜ちた音で奴らがわんさか集まってきた。僕たちのことは気にも留めず奴らはヘリに向かってのろのろと歩いていく。とはいえ、ヘリは炎上しているのでゾンビ共は次々と火だるまになっていく。良い景色だ。

 

「やっぱ火はいいなあ! 昔を思い出す!」

 

「なんか昔にやったのか!」

 

 また何かやらかしたのかと言わんばかり胡桃君は呆れ顔で僕に問いかける。そう、あれは僕が学園生活部に入る前のことだ。

 

「ここに来る前に、住宅街を丸々一つ焼け野原にした!」

 

 ゾンビを殺すために家を燃やしたら思いの他火の勢いが良くて次々に引火、結果として住宅街が消滅した。あれがやりすぎだったと今でも思う。

 

「なんで…………奴……に…………だろ……」

 

 何か呟いていたが耳栓のせいで聞き取れない。しかし、今はそんなことよりヘリの様子が知りたい。双眼鏡を取り出し観察する。

 

「ゾンビ、ゾンビ、ヘリ、ゾンビ、いた! おい胡桃みろ!」

 

「人見つけたのか! あれか!」

 

 僕の指さす方向にはヘリの残骸、そして近くにはうつ伏せになったパイロットらしい人間。そしてそれに近づくゾンビども。

 

「3、2、1で行くぞ!」

 

「おう!」

 

 56式の安全装置を解除、ボルトハンドルを少し弾き薬室を確認、弾は装填済みだ。

 

「3、2、1 突撃!」

 

 走りはしない、だが、迅速に距離を詰めていく。前方に二体。56式のタンジェントサイトの照星と照門を頭に合わせて引金を引く。肩に衝撃が伝わり前方の一体の頭が弾ける。続けて二体目に向け発砲、グラウンドに血と脳漿の花が咲いた。

 

「あたしの分も残しておけよ!」

 

 シャベルを振るえばゾンビの頭が胴体と生き別れになる。精々あの世でいい整形外科医を見つけることだ。僕も負けてられないな。近寄るゾンビ共に7.62mm弾の洗礼をお見舞いしていく。瞬く間に空になる弾倉。僕は56式を構えたまま右手でコンバットマスターを引き抜き安全装置を解除、照準を合わせ撃つ。トランジションと呼ばれるテクニックだ。

 

 3.5インチしかない銃身から放たれる.45ACP弾の反動は強烈そのもので、まるで暴力という概念をこの銃に凝縮したかのようだ。胡桃君がシャベルを振るい、僕が撃つ、死が量産される。まるで舞踏のように僕たちは奴らを血祭りにあげ、悠々とヘリを目指した。

 

「胡桃! 前より強くなってないか!」

 

 ここまで息のあった戦闘は今までなかった。僕が銃を再装填すればその隙を埋めるかのように胡桃君がシャベルを振るう。そして胡桃君が押されれば僕がすかさず援護する。正に完璧な布陣といえた。

 

「あたしだって! 鍛えてんだよ!」

 

 そういってまたゾンビの首なし死体を量産する。昔はもっと、おどおどしながら戦っていたのに、あの頃の健気な胡桃君はいったいどこにいってしまったのだろうか。

 

「いたぞ!」

 

 並み居るゾンビを薙ぎ倒しながら僕たちは遂にヘリの下までたどり着いた。パイロットもすぐ目の前だ。

 

「おい! 生きてるか!」

 

 うつ伏せに倒れているパイロットをひっくり返す。どうやら下に箱を抱えていたようだ。返事がない。仕方がないので襟つかんで引きずることにする。

 

「おい、この箱持っててくれ今からずらかるぞ!」

 

「おう、任せろ!」

 

 このまま待っても仕方がないのでパイロットを引きずりながら後退する。右手で拳銃を構え後方を警戒する。僕に近づくゾンビが一体。片手で狙いを付け発砲。強烈な反動が僕を襲う。だが、このままではジリ貧だな。そう考えていると後ろから聞きなれた二人の声が聞こえた。

 

「先輩!」

 

「な、なんでお前らここに来た!」

 

 振り向けば武器を持った圭と美紀君が立っていた。槍には血が付いている。倒しながらここに来たのか。でもなぜ?

 

「佐倉先生にここは私に任せて二人の助けに向かってって言われたんです! だから私たちも」

 

「戦います!」

 

 力強く宣言する圭と美紀君。まあ、仕方がないか。胡桃君も同じ考えの様で不敵な笑みを浮かべている。

 

「よし! じゃあ行くぞ!」

 

 僕がパイロットを引きずり胡桃君が殿、圭と美紀が側面を。完璧な布陣だ。仮に襲ってきても、

 

「美紀! 抑えたよ!」

 

「ありがとう! えいっ!」

 

 圭のさすまたに阻まれその隙に美紀君の槍で息の根を止められる。鍛えた甲斐があったというものだ。負けるはずがない。油断ではなく本気でそう思った。僕が一人で戦っている時はこんなこと考えたこともなかったのにな。戦友ってのはいいものだ。

 

 

 

 

 

 

「よし、ついたぞ! そいつまだ生きてるか!?」

 

 やっとのことで昇降口に辿り着いた。美紀君たちは耳栓なしで銃声を聞いたため少し耳が痛そうだ。難聴にならなければいいのだが。

 

「おい! 返事しろ!」

 

 パイロットのマスクに覆われた顔を叩く、反応がない。胸に耳を当てる。鼓動が聞こえない。

 

「ああくそ! あんたには聞きたいことが山ほどあるんだよ!」

 

 心臓マッサージを施すも効果はなし。しかし、止めるわけにもいかないので胸を圧迫し続ける。

 

「秀樹離れろ!」

 

 胡桃君に無理やり引き離された。見れば男が唸り声と共に立ち上がっているではないか。こいつ感染してたのか!

 

「こなくそ! 死ね!」

 

 コンバットマスターの引金を引き45口径の弾丸をその顔の見えないバイザーに叩きこむ。それっきり奴は誰にも迷惑をかけなくなった。でも、これで真相を知っている者は死んだ。

 

「ひ、秀先輩……あれ、見てください」

 

 美紀君が恐る恐る指を差した。

 

「う、うそ! なんで!?」

 

「マジかよ……」

 

 外から音に釣られて大量の奴らが入り込んでいた。全てヘリに向かっているのが何よりもの救いか。だが、これではたまったものではない。

 

「あたしたちが! 何したってんだあああ!」

 

 

 

 

 胡桃君の叫びが虚しく空に吸い込まれていった。

 

 

 

 




 いかがでしたか? ヘリが燃えているの様を喜ぶサイコパスの鑑。この小説もあと少しで終わりに向かいます。皆様最後までどうかお付き合いお願いします。どうでもいいですけど秀樹の誰得恋愛話とかって需要あるんですかね?


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第十六話 けつだん

 書いていて思うこと、本当に遠くに来たなあ……


 僕たちの学園祭、由紀君と猛練習したピアノ、ラジオ放送、たった一機のヘリコプターのために滅茶苦茶にされた。ゾンビの大量流入という全くありがたくない土産つきでだ。しかも、真相を知っているパイロットは感染済み、僕は殺すしかなかった。

 

 

 

 

 

「これがヘリのパイロットが持っていたケースに入っていたものだ」

 

ヘリが墜落するという予想外というかある意味お約束ともいうべき事態が発生してから一日が経過した。幸いにも駐車場の車のガソリンを抜いていたおがけで火災は最小限に止まり一階の事務室が少し焦げただけで済んだ。もし、ガソリンを抜いていなかったらタンク内で気化したガソリンが大爆発をおこし最悪学校を放棄せざるを得ない状況に陥っていたかもしれない。

 

「地図と、ワクチンらしきものが三本、それに拳銃だ」

 

 僕が机に置くものに皆視線が釘付けになる。生徒会室が沈黙に包まれた。地図にはランダルコーポレーションと聖イシドロス大学の位置に印が付けられている。注射器は中身がわからない以上使うわけにはいかない。

 

「じ、自衛隊ですかね……」

 

「いや、それは有り得ない」

 

 美紀君の考えをばっさりと否定する。それは有り得ないことだからだ。

 

「本田君、どうしてそう思ったの?」

 

 皆が佐倉先生の言葉に頷く。やっぱりこういうのは知らないとわからないものなのだろう。

 

「あのパイロットはフライトプラン、飛ぶための計画書なんだがそれを持っていなかった。自衛隊なら絶対にそんな雑なことはしない」

 

「でも、あいつ軍服着てたぜ」

 

 確かに、あのパイロットは迷彩服を着てヘルメットまでしていた。でも、あれは自衛隊のパイロットの装備はしていなかった。それに、

 

「胡桃、よく考えてみろ。あのヘリに乗っていたのはあいつただ一人だ。民間機ならともかく普通なら副操縦士が乗っているものだ。自衛隊という公務員ならなおさらね」

 

「あ、そう言えばそうだな」

 

 そう、例えどんなに余裕がなかったとしてもまともな自衛隊が単独でやってくるわけがない。必ず複数人で乗り付けてくるはずなのだ。それに、否定材料はこれだけではない。机に置いた拳銃を手に取る。

 

「この拳銃はシグザウアーP228といい9x19mm弾を使う自動拳銃だ。こいつは日本ではどこも採用していないし事件が起こる前に採用したなんて話も聞いていない」

 

「ということは、そのランダルとかいう企業の回し者ってことですか?」

 

 非常に不安げな視線を僕に向ける圭。気持ちは痛いほど理解できる。何せ自分達を捕まえにきたかもしれないのだから。

 

「それか、ランダルと癒着した自衛隊の回し者ってところか、どちらにせよホイホイついっていったらロクな目に合わないだろう」

 

 良くて、サンプル。悪くて口封じと言ったところか。

 

「もう一度やってくるということはないのかしら?」

 

 それは、誰もが、考えていることだろう。まあ、僕が散々脅してしまったからなんだがな。だが、このような事態では希望的観測は慎むべきだ。

 

「その可能性は低いんじゃないかな。こいつは、一人で感染しながらやって来た。裏を返せばそれだけ余裕がないということだ。しかも今回の件で貴重なヘリを一機駄目にしてしまった。もう一度ヘリを飛ばしてまで僕たちを回収するメリットは薄い」

 

 仮に、サンプルを回収しに来たとしてもわざわざ僕達である必要はない。僕たちのところにきたのはたまたま学校というわかりやすい場所に住んでいたからだ。反吐の出る話だがサンプルなんてそれこそ大量にいることだろう。

 

 皆、沈痛な面持ちで黙り込んでしまった。窓の外を見れば大量の奴らがたむろしている。どうやらここを新たな溜まり場にしてしまったようだ。恐らく百や二百では足りないだろう。近隣の全てのゾンビが集まっている可能性すらある。

 

「なあ、みんなどうするべきだと思う? あたしは、もし秀樹の言うことが本当でも出ていくべきなんじゃないかと思ってる。だってもうあんなに……」

 

 胡桃君はそっと窓の外を眺め顔を歪ませた。夜でこそ数は減っていたが今日また戻ってきたのだ。本当にはた迷惑なことをしてくれた。

 

「私も胡桃先輩の考えに賛成です。もう、どうしようもないですよ……あんなの……」

 

 圭まで脱出案に賛成してしまった。確かに、この状況で満足に生活を維持するのは到底不可能だ。昼間はゾンビ共がたむろし外出できるのは夜だけ、以前の数なら爆竹でも投げながらいけば昼でも悠々と作業ができた。でも、今はもう無理だ。

 

「二人の意見も尤もだと思うのだけれどどこに行くというのよ」

 

 悠里君の意見も尤もだった。そうなのだ、仮に脱出したとして、僕たちはいったいどこを目指して進めばいいのだろうか。隣の街か、それとも県か、それとも国か。ゴールの見えない逃避行ほど辛い物はない。

 

「そりゃ、りーさん。大学とかに行けばたぶん人だっているし」

 

「でも、あの数の中をどうやっていくのよ! ここならきっとあいつらも入ってこれないはずよ!」

 

 徐々にヒートアップしていく二人。ヘリが墜ちたというだけでもショックが大きいというのにそれに追い打ちをかけるかの如く急増したゾンビ共。既に夜にしか外出が出来ないほどまで増えてしまっている。

 

「でも、外にも満足にでれないんですよ! いずれ食べ物も──」

 

「それなら──」

 

「だったら──」

 

 遂に言い合いが始まってしまった。どうしてこうなってしまったのか、僕たちがいったい何をしたというのか。佐倉先生はどう入りこめばいいのか考えあぐねている。由紀君はるーちゃんを抱き締めソファーに座っているだけだ。きっと由紀ちゃんも歯がゆいのだろう。でも、何も言うことが出来ないのだ。

 

 僕たちは選択を迫られていた。皆が作り上げてきた学校を捨ててあるかもわからない安住の地を目指すかここに残り飢えるのを待つか。

 

「学園祭! 続きやりましょう!」

 

 誰かが叫んだ。さっきからずっと黙ったままの美紀君だった。その顔は今にも泣きそうだ。誰がこんな顔をさせた?

 

「今は、落ち着く時間が必要です。圭も胡桃先輩も悠里先輩も短絡的すぎます!」

 

「そ、そうね。ごめんなさい、二人とも……」

 

「あ、あたしも少し言い過ぎた。ごめん」

 

「ご、ごめんなさい」

 

 水を掛けられたかのように三人は落ち着いた。普段冷静な美紀君だからこそたった一言で皆を落ち着かせることができたのだろう。でも、学園祭とは。

 

「学園祭、続きやりましょう? みんなで頑張ったじゃないですか。あいつらだってそんな簡単に入って来ませんよ。だから、続き、やりましょ?」

 

 第三の選択、それは僕たちの学園祭を続行することだった。確かに、何もかも中途半端で終わってしまった。まだ、序盤もいいところだったのに。あれだけ頑張ったのにヘリ如きのせいでやめなければならないなんて不愉快だ。

 

「みーくん! ナイスアイデアだよ! やっぱみーくんはすごいなぁ」

 

「ゆ、由紀先輩抱き着かないで下さい!」

 

 場の空気が一気に弛緩したのを感じた。いつもの学園生活部に戻っていくのがわかる。そうだ、これでいいんだよ。気が付けば佐倉先生が僕の隣に立っていた。

 

「秀樹君は、どうするべきだと思う?」

 

 僕は、どうしたいのだろうか。出ていくべきという意見も尤もだし、ここに残るべきだという意見も尤もなのだ。どれも、間違いではないのだろう。だけど今は……。

 

「僕は、まだわかりません。でも、今は学園際を続けたいです!」

 

「ええ! わかったわ!」

 

 先生はにっこりと笑った。自分だって心配で仕方がないはずだというのに、先生はいつも通りなんてことない様子で笑う。ふと気が付けば皆が笑っていた。これなら、大丈夫かな。

 

「じゃあ、学園祭! がんばろー!」

 

『おー!』

 

 僕たちの学園祭、二日目が始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 思えばその場しのぎの現実逃避だったのかもしれない。外には今までの比じゃない数の屍人どもが跋扈し外に出ようものなら一瞬で食われることだろう。

 

 でもここは違った。僕たちの学校には夢があった。希望は見えてこないけど明日があった。楽しいことがあった。

 

 八人しかいないのに出店を出した。喫茶店を出した。歌を歌った。ダンスを踊った。学校なんてただの大学の通過点にすぎないと馬鹿にしていたのに僕は楽しかった。馬鹿みたいなことで悩んで馬鹿みたいなことで笑いあった。全てが輝いていた。でも、それも、これで最後。

 

 

 

 

 

 音楽室、皆が今か今かと始まりを待ちわびていた。学園祭もいよいよ大詰め、最後のイベントは由紀君と僕たちのピアノ演奏だ。

 

「では、3-Cの丈槍由紀さん! お願いします!」

 

「はい!」

 

 司会の悠里君が呼びかける。音楽室の扉が開き由紀君が姿を現す。いつもの制服姿ではなく赤いドレスに身を包んでいる。佐倉先生が選んできたものだ。いつもは可愛らしいという印象しか抱かないのに今夜の由紀君ははっきり言って美しかった。

 

「ゆきおねえちゃん、、きれい……」

 

「な、なああれ本当に由紀か? 違う人じゃね?」

 

 もしかして他の生き残りの人かな?

 

「にゃ、にゃにおー!」

 

 どうやら本人だったようだ。というか思っても口に出すもんじゃないぞ、胡桃君。いくら着飾ろうとも中身は変わらないようだ。

 

「って違った。えと、それでは聞いて下さい、シューベルト作曲で、アヴェ・マリアです」

 

 椅子に座り深呼吸する。人前で演奏するのは初めてなのだろう。僕も初めはきっとあんな様子だったに違いない。

 

「由紀ちゃん頑張って」

 

 静まり帰る音楽室。そして静かに鍵盤を叩き始めた。ピアノというのは弾く人の個性が強く反映される楽器だ。鍵盤の叩き方、ペダルの踏み方一つ一つに個性が生まれる。最も性格が現れる楽器だと僕は思っている。

 

 由紀君の演奏は繊細で力強さに満ちたものであった。全てを包み込むかのような、慈愛に溢れた音色、それでいて進むべき道を率先して示すかのような力強さ、由紀君の演奏はそんな人間の素晴らしさを現した音だ。

 

「由紀ちゃん……」

 

 佐倉先生の瞳から涙が零れていた。皆が真剣に彼女の演奏に集中していた。そして曲は山場に入る。以前、失敗してしまった場所だ。でも、問題ない。だって、あれだけ練習したのだから。

 

 さて僕も待機するかな。こっそりと音楽室から退室し、用意していた服に着替える。これはできれば着たくなかったな。

 

『ありがとうございました!』

 

 曲が終わり、音楽室が拍手に包まれる。そろそろ出番かな。ネクタイを締めなおす。おっとこれも忘れてはいけない。サングラスを掛け、意を決して音楽室に入場する。

 

「ぷ、なんだよその恰好!」

 

「ほ、本田君!?」

 

「あらあら」

 

「おじさん……怖い……」

 

「く、胡桃先輩笑っちゃ、だ、駄目ですよ」

 

 そういう美紀君も笑いを堪えるので精一杯ではないか。でも、仕方がない。だって音楽室に黒服のヤクザが現れたのだから、僕のことだよ。皆、僕の恰好を見て笑いそうになっている。

 

「ひーくん、あれだね。鬼ごっこのテレビみたいだね」

 

 あれよりももっとガタイがいいけどな! 自分で言うのも何だがこの格好で歌舞伎町にでも繰り出したら要注意人物として警察その他諸々にマークされそうだ。え、今更だって? でも、こうして由紀君と並ぶと僕が由紀君のボディーガードみたいだな。意外と向いているかもしれない。

 

「じゃあ、聞いて下さい。藤本貴則作曲で『ふ・れ・ん・ど・し・た・い』です!」

 

 軽快なイントロ、連弾だから一度に出せる音の数も段違いだ。これは楽しくなりそうだな。皆も手拍子で盛り上げてくれるではないか。僕は由紀君と顔を見合わせる。その顔は笑顔であった。世界は終わってしまったかもしれないが僕たちはまだ笑いあうことができていた。

 

 

 

 

 

 こうして、僕たちの学園祭が終わり、僕はある決断をした。

 

 

 

 

 

「みな、聞いてくれ!」

 

 楽しい行事が終わり、僕たちは再び目の前の問題に対処しなくてはならなくなった。皆が注目する。ここで説得できなければ僕は諦めざるを得ない。

 

「やっぱ学校に残ろう!」

 

 僕の下した決断。それはこの学校に残ることだった。皆が黙って僕の次の言葉を待っている。

 

「ここを出ていくのはきっと悪い選択ではないのだろう。車に荷物を積めるだけ詰めていけばきっと3カ月は走り続けられる」

 

「じゃあ、それの方がいいんじゃないか?」

 

「でも、それだけだ。逃げた先に安住の地がある保証はどこにもない」

 

 そう、仮にあのヘリが自衛隊のものだったとしてそこのパイロットが感染している。つまりはそういうことなのだ。きっとここ以上に安全な場所はない。

 

「逃げるのもいいだろうよ。だけど、いくら走ってもあるのはきっと死だけだ。だけど、ここは違う。ここには食料がある。水がある。電気がある」

 

 こんな恵まれた環境はもう他にはないだろう。断言してもいい。仮にあったとしても既に誰かがいるに決まっているんだ。そしてそこに入れてもらえる可能性があるのか。

 

「で、でも、あんなに集まってきてるんですよ! ここにずっと籠っていることなんて……」

 

「だったら、倒してしまえばいい! 君たちは悔しくないのか? 今までずっと我慢してきただろう! 何故僕たちが怯えて過ごさねばならないのかと。今こそ立ち上がって戦うべきなんじゃないのか! それに……」

 

 これを言ってしまってもいいのだろうか。僕には今一つわからない。でも、言うべきことだ。言わなくてはならないことだ。

 

「それに、仮に逃げたとしてもきっと一人、また一人といなくなって最後には、独りぼっちになるんだ。僕はもう嫌なんだ! もう誰も見殺しになんてしたくないんだよ!」

 

 一人でいるのは決して悪ではない。何の責任も負わなくていいし、余計なしがらみに囚われることもなければ面倒なルールに従う必要もない。でも、それだけだ。誰も助けてくれないし、全て自分で切り開いていかなくてはならない。死して屍拾うものなし。ひどく虚しい世界だ。

 

「きっと、いつかは卒業しなきゃいけないだろうよ。でも、今じゃないと思うんだ。僕はこんな形でここを去りたくないんだ。ここは僕たちの家なんだから」

 

 誰も何も言わなかった。ただ、黙って僕を見てくれた。それが今は無性に嬉しかった。だから、つい口を滑らせてしまったのだろう。

 

「君たちがどう思っているかは知らないけど、僕は君たちのことを、か、家族みたいなものだと思っている。だから、もし、逃げるというのなら僕は最後まで一緒にいることを約束する。だから、返事を聞かせてくれないか」

 

 沈黙が生徒会室を支配する。やはり、駄目か……。少し、恥ずかしいことを言ってしまったため、背を向ける。相変わらず外はゾンビ日和だな。こんな冗談を、飛ばしている場合ではないのだが、笑ってしまうような数がいる。

 

「か、家族がどうかは知らないけど、悔しいってのは同意だ。いいぜ、やってやろうじゃねえか!」

 

 思わず振り向けば胡桃君が勝気な笑顔で腕を組んでいた。見渡せば皆笑っていた。苦笑いが半分といったところだが。

 

「そうね、ずっとやられっぱなしってのもどうかと思うわ」

 

 悠里君がるーちゃんの頭を撫でながら。

 

「はあ、どうせ秀先輩のことだからとんでもない策があるんですよね? たしかに、私も少し怒ってます」

 

 いつもより血の気の多い発言をする美紀君が。

 

「そうですね! まだ卒業式まで遠いですからね。卒業アルバムだって完成してないし」

 

 圭が来るべき卒業式に思いを馳せながら。

 

「ほ、本田君。やるのはいいけど学校は壊さないでね? 本当にね?」

 

 佐倉先生が苦笑いしながら。

 

「ひーくんが全部たおしてくれるんだよね? それに、まだクリスマスが残ってるもんね!」

 

 由紀君が笑いながら涙を流した。思い出したのか?

 

「由紀ちゃん……」

 

 佐倉先生が信じられないといった様子で彼女を見た。それは皆同じ思いであった。

 

「ごめんね、今までみんなに任せっきりで。でも、もう大丈夫だよ!」

 

 力強く宣言した。それで、十分だった。君はなんて人だ。本当によかった。佐倉先生なんて泣いているじゃないか。あとは、るーちゃんだけか。僕は彼女に近づき視線を合わせた。

 

「おじさん、帰ってくるよね?」

 

 もう、二度と嘘はつかない。この子の涙をみるのはもう沢山だ。今度はこの子に笑ってもらう番だ。

 

「そうだね。もう嘘はつかないよ。僕は必ず君の下に帰ってくる」

 

 頭を撫でる。少しだが、確実に背が伸びている。将来は姉に似て美人になることだろう。実に楽しみだ。立ち上がり皆を見る。

 

「なあ」

 

「なんだい胡桃」

 

「倒すのはいいんだけどさ。あの数をどうするんだ?」

 

 その疑問は尤もだ。校庭には三百近いゾンビがうようよしている。一階にも入り込んでいることだろう。近接攻撃でちまちま殺していては限がない。でも、胡桃君は僕を勘違いしている。

 

「なに、簡単なことだよ、君。纏めて吹き飛ばせばいいだけさ」

 

 僕は不敵に笑う。皆は引き攣って笑う。これで覚悟は決まった。もう一人で戦える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「皆、今まで散々話してきたことだがもう一度おさらいしよう」

 

 あの決断から早一週間。僕たちは今日のために沢山の準備をしてきた。作戦の開始まであと二時間と言ったところか。

 

「作戦は簡単だ。ゾンビを纏めて爆薬で吹き飛ばす。それだけだ」

 

 校庭のスピーカーからは大音量のスラッシュメタルが垂れ流されている。窓を見れば依然の倍近いゾンビが跋扈している。まるで映画のシーンみたいだ。そして校庭に集まった奴らは校庭に止めてある三台の車から垂れ流されるこれまた大爆音のスラッシュメタルに群がっている。

 

「あの、本当にあれで爆発するんですか?」

 

 あれとはきっと皆で屋上で作った肥料爆弾のことだろう。兎に角大量に作ったのだ。その時の皆の青ざめた顔は当分忘れられそうもない。

 

「ああ、僕の計算が正しければだがな。でも、多分大丈夫だろう。というか大丈夫じゃないと困る」

 

「…………」

 

 本当に困る。ここまで派手に集めて今更無理でしたとかどうしようもない。

 

「ま、まあ兎に角あと、二時間で校庭がとんでもないことになるから計画通り地下に避難しよう。僕は武器庫から装備を取ってくるからみんな待っててくれ」

 

「あ、誤魔化しやがった!」

 

 僕は知らない。そのまま皆を無視して二階の武器庫へと向かう。扉を開ければ見慣れた武器が大量に鎮座している。

 

「さて、これを着るのは本当に久しぶりだな」

 

 まず、いつものようにジャケットを二枚重ねる。そしてその上から首まで覆う防刃ベストを装着、腕と脚に全体を覆うプロテクターを付け、髑髏の模様が入ったフルフェイスヘルメットを被れば準備完了だ。武器は火炎放射器以外もう外に置いてある。

 

 

 

 

 

「みんな、戻ったぞ」

 

「遅いぞひで、き?」

 

 皆が僕の姿を見た。時が止まるのを実感した。そう言えば僕は今完全武装なのか。

 

「みんなしてどうしたんだ? 鳩が対戦車ライフルを喰らったみたいな顔して」

 

「ひ、秀先輩、その恰好は……」

 

 そんなに変な恰好かな?

 

「ああ、何がおこるかわからないからねこれが僕の最強の装備なんだよ」

 

「はぁ、先輩はいったい何と戦っているんですか?」

 

「えと、世界かな?」

 

 皆が頭を抱えていた。うーん、僕の常識はやっぱり人とずれているらしい。でも、これを装備しているのには別の理由がある。

 

「じゃ、じゃあ行きましょうか」

 

 佐倉先生が場の空気を強引に場の空気を変えた。これ以上奴らを集める必要はないので校庭のスピーカーは止めておく。僕は火炎放射器を背負い皆を先導する。目指すは地下だ。地下に籠って後は爆発するのを待つ。そういう計画だった。でも、僕は一つだけ皆に嘘をついていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「この防火扉を抜ければすぐそこだな。開けてくれ」

 

 一階の防火扉前、僕たちは地下に行くために全員でやって来た。恐らく廊下にはそれなりの数のゾンビが入り込んでいるだろう。胡桃君が子扉に手を掛け、僕は火炎放射器のガスバーナーに火を点けた。エンジンは既に火を入れている。後はコックを捻るだけだ。

 

「じゃあ、開けるぞ」

 

 ゆっくりと開かれる扉。僕は外に飛び出した。左にゾンビが3体、右に4体。既にエンジン音で集まって来ている。バーベキューの時間だ。右の四体に向けコックを捻る。ノズルから可燃性の液体が高圧で放出されガスバーナーの炎に引火、轟音と共に死が撒き散らされる。火だるまになったゾンビを確認するまでもなく左のゾンビにも灼熱の炎をお見舞いする。あっという間にゾンビのヴェルダンの完成だ。

 

「美紀! 圭! 消火頼む!」

 

「は、はい!」

 

 すぐさま消火器をもった二人が追随しあたりの残った火を消していく。焦げる匂いが充満する。一応、周囲を警戒するがゾンビはそれだけだったようだ。皆校庭の爆音ライブに釘づけになっている。

 

「オーケー、じゃあ行こうか」

 

 防火扉から皆が出てくる。その顔は不安げだ。なんせ、外には千匹以上の奴らが群がっているんだから。僕だってじつは怖かったりするのだ。

 

「ねえ、本当に大丈夫なのよね?」

 

 悠里君は非常に不安げだ。きっと皆が同じことを思っているのだろう。あんな適当に作った爆薬で本当に奴らを一網打尽にできるのかと。

 

「多分、大丈夫だろうけど、正直祈ってくれと言うしかない。シャッター開けるぞ」

 

 片手で地下入り口のシャッターを開きその間に皆が中に入り込む。佐倉先生、悠里君、るーちゃん、由紀君、圭、美紀君、そして胡桃君。全員が入った、これで大丈夫だ。

 

「お、おい、秀樹も早く入れよ。あと少しで爆発するんだろ?」

 

 でも、僕は入らない。シャッターを腕で支えたまま皆を見る。みんな不安げな顔だ。きっとこれから言うことは皆をもっと不安にさせるのだろう。

 

「ごめん、みんなに一つだけ嘘をついていたんだ」

 

「ひ、秀先輩……?」

 

 ああ、言いたくないな。でも、仕方がない。これは僕のけじめなのだ。心を鬼にして口を開く。

 

「皆には爆弾はあとちょっとで起爆するっていったよな」

 

「そ、そうだよ。もしかして違うのか?」

 

「ああ、本当は誰かが手動で起爆させないといけないんだ」

 

「なっ!?」

 

 僕の嘘。それは、爆薬の起爆方法だ。校庭に置いた爆薬には時限発火装置なんて利口な機能はついていない。付けたとしても起爆しないだろう。だから雷管につけたコードを直接繋げる必要があるのだ。そしてそれをやるのは僕だ。

 

「秀樹君、それってもしかして……」

 

「そうです佐倉先生。僕が行って起爆させます」

 

 全員が悲痛な面持ちになる。突然告げられた残酷な事実。こんな顔をするのはわかっていたがわかっていても辛いものは辛い。

 

「なんだよ……それ! 全然意味わかんねえよ!」

 

 胡桃君は僕の肩をつかみ叫ぶ。嘘であってくれ、その目はそう語っている。

 

「なあ、嘘なんだろ? そうだと言ってくれよ秀樹!」

 

 今にも泣きそうな顔だ。僕はこの子を何回泣かせれば気が済むのだ。でも僕は自殺しにいくわけじゃないんだよ。

 

「悪いが、本当のことだ。そしてもう後戻りもできない。今タイミングを逃せば一生ここから出られなくなる。今しかないんだよ」

 

 これは殆ど僕の意地みたいなものだ。しかし、僕は行かねばならぬのだ。

 

「秀樹君……。何か理由があるのよね?」

 

 佐倉先生は僕の覚悟をわかっているのだろうか。悲痛な表情には変わりないが少しだけ皆とは違う表情だ。

 

「確かに、もう後戻りできないのも理由の一つですよ。でも、本当の理由は違う。これはいわば僕のケジメなんですよ」

 

「ケジメってなんだよ! また意地張ってんのかよ! もう約束しただろうが!」

 

「胡桃、今回だけは意地を張らせてくれ。ここで戦わなければ僕はきっと胸を張ってみんなと一緒に生きていくことは出来ないんだ。僕は今まで自分のためだけに戦ってきた。でも、それだけじゃないって証明したいんだ!」

 

 胡桃君の手が肩から離れる。話だけは聞いてくれるのだろう。皆が黙って僕のことを見てくれた。

 

「僕はどうしようもない狂った人間だ。それはもうどう頑張っても否定できないんだ。でも、そんな僕にも誰かを守れるって証明したいんだ。だから、お願いだから行かせてくれ」

 

「秀樹君」

 

 悠里君が僕を見た。でも、その表情は先ほどよりも穏やかだった。

 

「貴方の顔を見ればわかる。もう何を言っても聞かないのよね。だから絶対に、絶対にここに戻ってくるって約束して。みんなを泣かしたら許さないわよ」

 

「おじさん、ぜったいに戻って来てね」

 

 二人が僕を見守る。

 

「佐倉先生」

 

「なに、秀樹君」

 

「反省文なら後でいくらでも書きます。だから、だから行かせてください」

 

 頭を下げる。自分でも意地を張っているのは理解している。でも、これは僕がやらなくてならないことなのだ。ずっと思っていた。ここに居ていいのかと。皆はいてもいいと言ってくれる。でも、僕自身がそれを許さなかった。許せなかった。親殺しの狂人がこんなところにいる資格はないと思い続けていた。でも、この戦いを終えれば僕は本当にここにいてもいいのだと思える気がするのだ。

 

「……わかりました。本田君には反省文をたっぷり提出してもらいます」

 

 たっぷりか、流石に勘弁してほしいな。とはいえそれを口にするわけにはいかない。

 

「だから、絶対にここに戻ってくるのよ」

 

 力強い言葉だ。そうだな、戻らないと反省文書けないもんな。由紀君を見る。静かに頷いてくれた。美紀君を見る。呆れたといわんばかりだが、頷いてくれた。圭を見る。泣きそうになりながらも頷いてくれた。最後は……

 

「胡桃、じゃあ、行くよ」

 

 俯いたままの胡桃君に別れを告げる。何も反応がない、怒っているのだろうか。

 

「いやだ!」

 

 反応出来なかった。気が付けば僕は胡桃君に縋りつかれていた。その目には涙が溢れていた。またやってしまったなあ。

 

「いやだいやだいやだ!」

 

 がっちりとしがみついて離してくれそうにない。本当にいい子だ。こんな僕のためにここまでなってくれるなんて。僕は幸せ者だ。

 

「胡桃、行かせてくれないか「いやだ!」…………」

 

 まるで駄々を捏ねる子供みたいに拒否の一点張りだ。でも、胡桃君には悪いが僕は行かなくてはならない。もう、時間もあまりない。

 

「なに、心配することはないよ、すぐに戻ってくるさ。胡桃は呑気に馬鹿な男の悪口でもいいながら「なら、あたしもいく!」……それは、駄目だ」

 

 それだけは、駄目なのだ。意地を張っているだけなのは百も承知だ。でも、男は意地張り続けないと生きていけないのだ。意地も張れぬ人生などこちらから願い下げだ。

 

「なんでだよ! あたしだって手伝えることくらいあるだろ! いつもいつもそうやって、なんでわかってくれないんだよぉ……」

 

 胡桃君はいつもこうやって僕を連れ戻してくれる。こっちの事情なんかお構いなしにやってきて強引に絆を結ぶ。本当にいい女だよ。この子には笑っていてほしいのに泣かしてばかりだ。もしかしたら僕はこの子が好きなのかもしれない。

 

 僕は空いた手で胡桃君を抱きしめる。小さな身体だ。健気にいつも頑張ってきたのだろう。

 

「ひ、秀樹!?」

 

 そのまま頭を撫でる。いつも手入れを欠かしていないのだろう。綺麗な髪だ。

 

「胡桃、僕は絶対に戻ってくる。これは希望でも予想でもなんでもない、事実だ。だから大丈夫」

 

「…………わかった……戻ってこなかったら許さないからな……本当に許さないからな!」

 

 どうやらわかってくれたようだ。胡桃君を抱き締めていた手を離す。

 

「あっ…………」

 

 何故か少し残念そうな胡桃君だったが僕から離れ皆のもとに向かってくれた。これで、覚悟は決まった。僕は戻ってくる。生きて必ず。

 

「じゃあ、みんな。戻ってくるぜ!」

 

 ゆっくりとシャッターを降ろす。鉄のぶつかる音が響き僕一人が取り残された。

 

「口ではああ言っちゃたけどやっぱ怖いな……」

 

 手を見れば僅かだが震えていた。僕は今更になって死ぬのが怖くなってしまったのだ。今まで怖いと思ったことなど一度もなかったのに、きっと失うものなど何もなかったからだ。でも、今は多くの願いを背負っている。僕が死ねばみんなが泣く。だから僕は怖いのだ。僕はやっぱり人間だったのだ。

 

「でも、今日だけは、今日だけは化物に戻ろう」

 

 イヤホンを装着し曲を再生する。勿論、音量は最大だ。全てを焼き尽くすかのような旋律を聞けば不思議を戦意が漲ってくるヘルメットを被る。準備は整った。

 

「ゾンビ共、腰を抜かすなよ?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昇降口を出て柱に隠れる。地面には既に目当てのものがその出番を今か今かと待っている。僕が今まで使ってきた武器たちが待っていた。そして爆薬に結びついたコードだ二本。これをつなげば仕掛けられた爆薬が同時に起爆する。

 

「さ、さあて僕もここまでの爆薬を起爆するのは初めてだ。上手くいってくれよ」

 

 コードを両手に持ち校庭の様子を伺う。何度見てもとんでもない数だな。ちょっと集めすぎたか? ゾンビ共は怖い。それは事実だ。数だけは馬鹿みたいに多いし、何も食べなくても生き続け頭を潰すか火あぶりする以外はまるで効果がない。その上力は強くこちらは一撃でも喰らえばそれで終わり、はっきり言って反則ものだ。

 

 

 

 

 

 でも、それだけだ。

 

 

 

 

 

「あまり、人間を舐めるなよ? 糞ゾンビ共」

 

 僕たちがいったい何年殺し合いを続けてきたと思っている。お前らみたいな新参者がでかい顔できると思ったら大間違いだ。

 

「じゃ、じゃあやるぞ。3、2、1、発破!!」

 

 コードのクリップどうしを繋げる。バッテリーに繋がったコードは数十メートル先の三台の車の起爆装置に繋がり電流が流れる。そして、

 

 

 

 

 

 世界が揺れた。

 

 

 

 

 

 270キログラムのanfo爆薬と150リットルのガソリンの同時爆破だ。三つの火柱が同時に上がり、千匹以上のゾンビが爆炎に包まれる。頭の悪い奴らに避けられるわけがない。

 

「最っ高だぜっ!」

 

 とんでもない量に爆薬を同時に起爆させた。その威力は推して知るべし。柱の後ろに隠れた僕ですら熱風を感じる。外は寒いはずなのに暑くてたまらない。そうやって暑さを我慢していると突然、何かが降ってきた。

 

「なんだこれ?」

 

 よく見たら腕だった。いや、腕だけじゃない。足や指、頭、おびただしい量の肉と血の雨だ。そりゃそうだよな。纏めて吹き飛ばしたんだ。そうなって当然だ。

 

「こりゃ、絶景だな」

 

 柱から顔を出し、爆心地を覗く。黒煙があがり何も見えない。でも、先ほどまでいた大量のゾンビは影も形もない。偶然被害を免れたゾンビも火達磨になっている。

 

「みんなとの約束だ。僕は生きて戻るぞ」

 

 火炎放射器のガスバーナーを点火させる。いくら一度に千匹近く倒したとはいえまだまだゾンビはいる。敵は多数、こちらは一人、だが、負けるはずがない。

 

 校庭に向かって歩き出す。生き残ったゾンビがわらわらと近づいてくる。

 

「なあ、何で僕がゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったと思う?」

 

 問い掛ける。当然、答えなど返ってこない。手の震えは止まっていた。僕が化物になるのはこれで最後だろう。これからは人間、本田秀樹として皆と真面目に暮らすのだ。日々、足りない物資に頭を悩ませ、地味な畑仕事で泥まみれになろう。みんなと下らない雑談に花を咲かせピアノを演奏しよう。勉強して他のことにも手を出すのもいい。やりたいことは沢山ある。やらなくてならないことは山ほどある。

 

 

 

 

 

 

「それはな、みんなと生きるためだよ!」

 

 

 

 

 

 世界は終わってしまいました。それでも、僕は、いや、僕たちは戦っています。

 




 いかがでしたか? 遂にやらかした主人公。そして校庭大爆発。次の話で最終話ですが、まだ書きたいことはあるので、しばらく更新は終わらないでしょう。

 では、また次回に。


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第十七話 ただいま

 書いていて思うこと。やっぱハッピーエンドが一番なんです。


 あれから僕はゾンビ共を片っ端から殺していった。初めは火炎放射器でそれが無くなればライフルで、拳銃で、鉈で、弓で、火炎瓶で殺して殺して殺しまくった。そして気が付いたら立っていたのは僕だけだった。僕は勝ったのだ。もう疲れ切っていた僕はそのまま一階の入り口の前で気絶してしまった。目が覚めたのは次の日の昼のことだった。

 

 それからは大変だった。まず全員に説教をされた。圭から始まり、かわるがわる僕に説教をかましていく。やれ、やりすぎだの、もう少し計画してから戦えだの、僕が反論しようにも片っ端から論破されていく。でも、僕にはそれが何よりも心地よかった。

 

 佐倉先生には、当然の如く反省文をたっぷりと貰った。具体的な数字は述べないがそれはもう、たっぷりであった。言えることは書き終えるのに一カ月以上かかったことだけだ。あれはもう、二度と書きたくない。でも、そう思えるのは僕が生きているからだ。

 

 僕が爆破した校庭はそれはそれは酷いことになっていた。爆心地には車の残骸らしきものが三台転がり、炭化したゾンビの死体が絨毯のように敷き詰められていた。そして校舎も破片などで元から割れていた窓がさらに割れていた。自己ベストを軽く超える結果に僕自身も怖気ついたのは言うまでもない。

 

 でも、本当に大変だったのはそれからだ。ゾンビを殺してもゲームのように消えてはくれない。校庭を再び車が通れるようにするために僕たちは掃除をせざるを得なかった。流石に個人名を書くのは可愛そうなので書かないが何人かが吐いたとだけ言っておこう。

 

 しかし、その甲斐もあってか学校にゾンビが来ることはなくなった。学校どころか近所のゾンビまでも丸々姿を消していた。恐らく全て僕が殺してしまったのだろう。僕は昔全てのゾンビを殺すことを目標にしていたがもしかしたら叶うかもしれない。

 

 粗方、片付けが終わったころようやく僕たちの日常が戻ってきた。毎日畑で泥まみれになり、物資を集めながら胡桃と他愛のない話に盛り上がる。そして帰ってきたら悠里君の料理をたべドラム缶風呂に浸かる。そこには炎も銃声も爆発もない暮らしがあった。今までの僕の暮らしからしてみれば酷く地味な暮らしだ。でも、それが尊いものだというのはもう、嫌でも理解した。

 

 新しい知り合いもできた。DJを営んでいる女性の方だ。少し僕に対するスキンシップが激しい気もするがとてもいい人で今ではよく通信を交わしている。一度は僕たちの学校に来ないかと誘ったのだが自分はここで放送を続けたいといっていたので無理に連れ出すのもよくないので学校に戻ることになった。とは言え定期的に会いに行っているのでそこまで心配するほどのことでもないのだろう。あの人の選曲センスは非常に僕好みなので毎回楽しみにしている。実は彼女との出会いの際に一悶着あったのだが、それまた別の機会に話そうと思う。

 

 そして月日は巡る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『メリー・クリスマス!』 

 

 皆で乾杯する。今日はクリスマスだ。各自手に持った缶ジュースを掲げる。机は四人づつに別れていてその上には鍋が美味しそうに煮えている。

 

「う、うめー」

 

 胡桃は本当に美味しそうに食べる。見ていて気分がいい。僕も一口、出汁醤油でよく煮込まれた鴨肉が本当に美味しい。そう、これは僕が狩っていた鴨の肉を使った鴨鍋なのだ。後ろを見れば薪ストーブが薪を燃やしながらこの生徒会室を温めている。これがなかったら今頃僕たちは凍えていたことだろう。

 

「ひーくん」

 

 由紀ががつがつとよそった具を食べ終えて僕を呼んだ。口の端に豆腐が付いている。例によって乾燥豆腐だけどね。

 

「なに?」

 

「この肉ってどこで手に入れたの?」

 

 まさか知らないで食べていたのか。僕初めに言ったはずなんだがな。

 

「ああ、この肉はね川にいた鴨を弓でこう、バシッとね」

 

 僕は弓を射る真似をしながら由紀に事実を伝えた。どうやらショックだったようで箸を落としてしまった。

 

「あらあら、新しい箸持ってくるわね」

 

 世話好きな悠里は何も言わずに由紀の手に新しい箸を握らせる。まだ、フリーズしているのか。

 

「ま、まあ、でも美味しいからいいよね!」

 

 あ、動いた。狩ってきたという事実はショックだが目の前の肉には勝てなかったようだ。またガツガツと食べ始める。もう少し行儀よく食べてほしいものだ。だが、こうまで喜んでくれると喜ばしいものだ。

 

「そう言えば、もうあとちょっとで新年ね」

 

「すっかり忘れてたな。そうだよ、もう少しで2016年じゃないか」

 

 毎日が忙しくて頭から抜けちていた。まさか学校で年を越すことになるとはな。

 

「これから一月にかけてもっと寒くなるだろう。やることは沢山あるな」

 

「ええ、そうね。本当に忙しくなりそう」

 

 口ではそう言ってもどこか楽しそうだ。

 

「りーねー! おじさん! そと見て!」

 

 突然、るーちゃんが騒ぎ出した。外を見ればなんと雪が降っているではないか。この時期に降るなんて珍しいな。

 

「すげー雪だぞ雪!」

 

「これは、積もったら大変そうですね……」

 

 具体的にソーラーパネルとかソーラーパネルとかな。あれが使えないのは不味い。主に炬燵が使えなくなる。

 

「明日雪合戦しよーよ!」

 

 そして例によって由紀が面白いアイデアを考える。どうせ冬で仕事も少ないしな。積もったら楽しむとするか。

 

 そして幾日が経ちついに……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ見えるかな? 美紀」

 

「うーん、たぶんこの時間帯であってると思うけど」

 

 ここは屋上、畑には雪が積もり辺り一面真っ白になっている。腕時計を見れば時間は朝の6時45分を過ぎようとしていた。るーちゃんと由紀は眠気に負けて寝てしまったているが、僕たちはこうして初日の出を拝みに来たのだ。

 

「あ、見えたぞ!」

 

「あら!」

 

 地平線から徐々に顔を表す太陽。そう、日の出だ! 僕たちは何をするでもなくただただ日が昇るのを眺めていた。皆を見れば涙を流していた。僕も自分の頬を触る、うん、泣いているな。

 

 思えば長い長い一年だった。パンデミックの発生、そして発狂、るーちゃんとの出会い、学園生活部との出会いと別れ、そして校庭大爆発。本当に色々なことがあった。去年まではここまで日の出を有り難がる人の気持ちが理解できなかった。でも、今ならわかる。本当に頑張ってきたからこそわかるのだ。気づけば佐倉先生がみんなの前に立っていた。

 

「みなさん、この一年間、本当に大変ことが起きました。多くの人が命を失ってしまいました。でも、私たちは生きています。ここにいるみんなは生きています! だから、だから諦めないで生き続けましょう! それが、私たちにできる最大の手向けなのですから! だから今年も一年頑張っていきましょう!」

 

 生きていることがこんなに素晴らしいことだとは思わなかった。パンデミックなんて起きなければ僕の母さんが死ぬこともなかっただろうし、僕が狂うこともなかったのだろう。でも、きっとこの仲間たちには出会えなかったのだ。だから、僕はこれをなかったことにしたくはない。

 

「秀樹! 今年も一年よろしくな!」

 

 胡桃が笑顔で僕に握手を求めてきた。僕も全力で握手に応じる。あれから僕たちの関係は少しだけ変わった。何も変な意味ではない。ただ、家族の意味合いが少し変わっただけだ。小さいが温かい手の温もりが僕に伝わる。この手はもう二度と離さない。離してなるものか。狂った僕でも守れるって世界に証明してやるんだ。

 

「そうだ、先生。今日、胡桃と行きたいところがあるので車貸してくれませんか?」

 

「ひ、秀樹!?」

 

「あらあら」

 

「秀先輩……?」

 

 先生はニコニコしながら鍵を貸してくれた。皆もニヤニヤしていた。おかしいな、言ってないはずなんだけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『はい! みんなー! 新年あけましておめでとー! こちらは巡ヶ丘ワンワンワン放送局だよー! 秀樹君、学園生活部のみんな? 元気にしてるかな? じゃあ、いきなりだけど今日もゴキゲンなナンバーっといきたいけどリクエストがあったからそっちを先に流すね! では、ラジオネーム放火魔さんからのリクエストでルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」……』

 

 ミニクーパーを走らせながらラジオを掛ければ聞きなれた声が聞こえる。この終わってしまった世界でも元気にラジオ番組を放送している人だ。決して悪い人ではないのだが僕に対するスキンシップが些か激しいのが難点だ。ちなみにこのリクエストは僕のだったりする。

 

あれから実は市役所の生存者とも連絡が取れた。ここよりも人数が多いにもかかわらず中々に上手くいっているところで僕たちは定期的に手紙のやり取りをしている。状況は相変わらず最悪だが悪いことばかりではないということだ。

 

「なあ、こ、これってあ、ああれなのか!? あれなのか!?」

 

 胡桃が面白いように取り乱している。普段はあんなに男勝りでかっこいいのにこうなると本当に女の子って感じがして僕はいつもほっこりする。ラジオに耳を澄ませば歌手の力強く、優しい歌声が車内に響く。何気ない日常の美しさを謳ったこの歌をこの世界で流すというのは酷く罰当たりなのかもしれない。でも、僕には今の世界が輝いて見えた。それは僕が本当の意味で生きている証拠なのだろう。

 

 やがて車は目的地にたどり着く。まだ朝だから奴らもいない。

 

「なあ、ここって……」

 

 胡桃の視界の先には本田の表札。そう、ここは僕の家だ。ここに来るのは事件が起きてから二回目だ。

 

「そうだよ。ここが僕の家だよ。ちょっと報告したいことがあってね。胡桃はちょっと待っててくれないか? すぐに終わるよ」

 

「そ、そうか……」

 

 なんでちょっと残念そうなんだ。でも、まあいいや。僕は玄関を潜り庭を目指す。そう、母さんの墓だ。僕は母さんの前に立つ。

 

「母さん、ちょっと今日は報告したいことがあって来たんだ──」

 

 それから去年のことを話す。奴らとの戦い、学園生活部との出会い、僕は母さんを見殺しにしてしまった。それはどうやっても許されることではない。でも、僕はそれも背負って生きていくことにしたのだ。

 

「新しい家族が出来たんだ。母さんを見殺しにして何様だと思うかもしれないけどね。でもね、僕は生きてていいって思えるようになったんだ。世界は相変わらず大変だけどね。今はもう独りじゃないから。約束するよ、全部背負って生き抜いてみせる。みんなと最後まで一緒にいるって。見守ってくれとは言わない。ただ、見ててくれ。この馬鹿な男の息の根が止まる最後まで」

 

 もう、言うことはない。僕は母さんを背にし胡桃の下へ向かった。何故かはわからないが誰かが笑っている気がした。それが何よりも嬉しかった。

 

「終わったよ、胡桃」

 

「ああ、何してたんだ。結構時間かかったみたいだけど」

 

 フロントガラスから外を見ればゾンビが二体死んでいた。ちょっと悪いことをしてしまったかもしれない。

 

「ごめんね、一人にしちゃって」

 

「いいぜ、別に。大事なことだったんだろ?」

 

「確かに、凄く大事な約束をしてきた。まあ、内緒だけどね」

 

「なんだよ、教えてくれたっていいじゃんかよー」

 

 揺らすな、可愛いだろうが。

 

「まあ、いいや。取りあえず帰ろうか僕たちの学校に……」

 

 車のシフトをドライブに入れアクセルを踏めば軽快なエンジン音と共に車が動き出す。

 

「そういえば、もうあと二ヶ月ちょっとで卒業だな。秀樹は夢とかあるのか?」

 

 夢か、そう言えば学園祭の時言いそびれていたな。とは言え、そんな大層な夢じゃないけどね。

 

「夢か、ただ、みんなと一緒にいれればそれでいいかな? そんな大層なものじゃないよ」

 

 ゾンビを全て殺すとか、戦いに快楽を求めるとか、既にそういうことはどうでもよくなっていた。しかし、相変わらず戦いは楽しいし僕が狂っていることには変わらないのだろう。でも、今はそれよりも大事にしたいことがあるのだ。

 

「いいんじゃないか? 少なくともあたしはいいと思うぜ」

 

「ちなみに、君の「君じゃなくて胡桃って呼んで」く、胡桃の夢は?」

 

 僕が聞き返したら何故か胡桃はモジモジし始めた。なんか今日の胡桃は一段と可愛いな。そんなに言い辛いことなのか。

 

「え、えっと……可愛いお嫁さんに……なりたいかな……」

 

 何か言っていたが小さすぎてエンジン音に阻まれ聞こえなかった。だがきっと胡桃ならどんな夢でも叶えられるだろう。

 

「なあに、きっと叶えられるさ。希望を持つのはいいことだよ」

 

「か、かか叶うって、ひ、秀樹それって……」

 

 いきなり動揺し始めた。何か僕はおかしなことを言ってしまったのだろうか。実際、胡桃は僕たちが学校に帰るまでずっと妙に嬉し恥ずかしといった調子であった。変な奴だ。

 

 

 

 

 

「二人とも、お帰りなさい」

 

「本田君、恵飛須沢さん。お帰りなさい」

 

 生徒会室に入れば皆が出迎えてくれた。佐倉先生と悠里が笑顔で出迎えてくれる。

 

「あ、秀先輩、胡桃先輩。帰りなさい」

 

「二人ともお帰りー」

 

 圭と美紀が、出迎えてくれた。

 

「おじさん……お帰り……」

 

「ひーくん、とくるみちゃん、お帰りー」

 

 二人はまだ起きたばかりのようだ。未だに眠そうである。これで全員か。そういえば今まで一度もあれを言ったことがなかったな。そして、これからは毎日言うであろう言葉。

 

「なあ、みんな。今まで一度も言ってなかったけど、

 

 

 

 

 

──ただいま──

 

 

 

 

 

 こういえばみんなは笑顔でこう返してくれるんだ。

 

 

 

 

 

『おかえり!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあて、ここが聖イシドロス大学か……」

 

 僕の目の前には大きな鉄城門が、行く手を阻んでいる。ご丁寧に土嚢で封鎖されている。これでは開けることは叶わないだろう。だが、人がいる証拠に他ならない。

 

「鬼が出るか、仏が出るか……」

 

 まあ、何が出ようとも、その悉くを蹂躙するだけだ。

 

「じゃあ、みんな行くぞ!」

 

 僕たちの戦いはまだ終わらない。

 




 いかがでしたか? これにて本編は完結です! みなさん半月という短い時間でしたが本当にありがとうございました! 私もここまで多くの人に読んでもらえるなど夢にも思っておらず本当に恐縮です。まだ、書きたいことはあるので更新はしばらく続くでしょう。

 では、また次回に。




 以下嘘予告

 遂に聖イシドロス大学にやって来た学園生活部! 彼女達を待ち受けていたのは武闘派となのる謎の集団だった!

 次々と捕まる部員たち! そんな光景を目の前に一人の放火魔が立ち上がる!

「何が、武闘派だ! 本当の武闘が何なのか思い知らせてやる!」

 武闘派(エンジョイ勢)VS武闘派(ガチ勢)の火蓋は切られた!

「お前に何が分かる!」

「お前も選ばれたんだろ? この小さい大学でよぉ」

 果たして生き残るのはどちらだ!

「本田あああああああああああ!!」

「さんをつけろよリソース野郎!」

 続かない


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閑話 ファンレター上

 今回の話は最終話とその前の話の中間の出来事です。例によって秀樹の誰得恋愛話がメインになりますのでそういうのが読みたくない人はブラウザバックを推奨します。


 これは、僕が校庭を吹き飛ばして再び校庭を車で走れるようになったばかりのことだ。僕は、やっとのことで校庭を車が通れるようにしたため、ようやく例の作業に取り掛かることができた。

 

「えっと、この度は私の起こしてしまった不祥事によって皆様に多大なご迷惑を……」

 

 そう、反省文である。あれから、僕はほぼ毎日反省文を書き続けているのだ。もういい加減に慣れてしまったため瞬く間に原稿用紙は反省の文章で埋まっていく。僕としてはこんな特技は習得したくはなかったが本当に気が付いたら習得してしまっていたのだ。悔しいったらありはしない。でも、

 

「多すぎだろうに!」

 

 今回の反省文はレベルが違った。まず量からしておかしい。佐倉先生は何故こんなにも反省文が好きなのだろうか。僕にはまったくわからない。

 

「あぁ、もう疲れた!」

 

 アームチェアに思い切り身体を埋める。無駄にいい座り心地だ。腕時計を見る。もうすぐあれの時間か。机の上に置いてあるラジオを手に取り電源を入れ周波数を合わせる。聞こえるのはノイズばかり。

 

「さて、もう始まるかな……」

 

 時間になった。ノイズしか発しないはずのスピーカーからはノイズが消え誰かの息遣いが聞こえる。しっかりと理性を持った息遣いだ。

 

『誰か聞いてるかな? こちらは巡ヶ丘ワンワンワン放送局! この世の終わりを生きているみんな、元気かーい?』

 

 はっきりと人間とわかる声。録音放送ではないのだろう。時折息継ぎをしている。若い女性の声だ。

 

『じゃあ、今日もゴキゲンなナンバーいってみよう!』

 

 そして曲が流れ始める。少し前に流行った洋楽だな。僕がこの放送に気が付いたのは佐倉先生の反省文を書き始めてからすぐのことであった。あまりに多い反省文に嫌気がさした僕は無駄だと理解しつつもラジオを付けてみたのだ。そしてこの放送の存在に気が付いた。

 

「この人に会いたいな……」

 

 僕はこの人の放送に大層元気付けられたのだ。こんな世界でも健気にラジオ放送をするその志に。今まで出会う生存者はたいてい死んだような目で拠点に引きこもっているか血走った目で僕の物資を奪おうとしてきた。でも、この人はこんな世界でも文化を維持し続けている。それがどんなにすごいことか。僕は一瞬でこの人のファンになってしまった。

 

「これ、渡したいな……」

 

 手には一封の封筒。この中には僕のしたためたファンレターが入っている。反省文を書き続けた際のテンションで書いてしまったのだ。とは言え、このまま捨てるのも勿体ないため僕はどうにかしてこのファンレターを彼女に届けたかったのだ。でも、一つ問題があった。僕は彼女の拠点の住所を知らないのだ。

 

「ひ、秀樹、入っていいか?」

 

 扉がノックされ外から僕を呼ぶ声がする。胡桃君の声だ。見られて困るものもないため入室を許可する。扉が開かれ胡桃君がやって来た。そして入ってくるなりそわそわしだすのだ。僕が校庭で大立ち回りを演じてからというものの胡桃君はずっとそわそわしているのだ。

 

「よ、よう秀樹。って、相変わらずごちゃごちゃしてんなー。また美紀に怒られるぞ」

 

「それは困るな。少し片づけするかっといきたいところだけどまだ無理だな」

 

 反省文を胡桃君に見せる。

 

「うげー、めぐねえ、えぐい量だすな。でも、自業自得だろ?」

 

 男の意地を張り通したとはいえいくら何でもあれは無茶すぎたと思う。もっとスマートにいけなかったのだろうか。しかし、過ぎたことは仕方がない。

 

「正直僕も反省しているよ。あれはやりすぎだったし無茶しすぎだった。で、何しに来たの?」

 

 そういうと胡桃君はまたモジモジし始めた。最近の胡桃君は本当に様子がおかしい。僕以外と話しているときはまったくそんな様子はないのに。

 

「え、えと、普通に秀樹と話したかっただけだけど、駄目、かな?」

 

 胡桃君に上目遣いで頼まれて断れる男がこの世にいるのだろうか。いや、いない。

 

「もちろん、いいとも」

 

「本当か! それはそれとして、さっきから音楽が流れてるけどそれなんだ?」

 

 ようやく、ラジオの存在に気が付いたらしい。曲ももう終わろうとしている。しばらく二人でスピーカーから流れるメロディーに耳を澄ませる。

 

「な、なあ、それラジオだよな?」

 

 僕たちの会話に横入りするかのように曲が終わり女性が話し始めた。

 

『ご清聴ありがとう! 誰か聞いてるかな? こちら巡ヶ丘ワンワンワン放送局。どんなに辛い日々でも希望と音楽をお届けするよ! じゃ、また明日!』

 

 放送が終わり再びラジオからはノイズが流れる。沈黙が支配した。そう言えば僕はまだこのことを誰にも言っていなかったんだ。

 

「い、今のって人、だよな?」

 

「ああ、その通りだよ胡桃」

 

 段々と胡桃君の顔が笑顔になっていく。自分たち以外にも生きている人がいる。その事実は彼女にとってはとても喜ばしいものなのだろう。

 

「てことは……」

 

「この人は生きているってことだ」

 

 まるで大切な宝物を見つけたかのような胡桃君の顔に僕は自分の顔が熱くなるのを感じていた。これは脳内でアドレナリンが分泌されることにより身体が警戒態勢に入ったからだ。いや、誤魔化すのはよそう。僕は胡桃君のことが好きになってしまったのだ。

 

「み、みんなに知らせてくる!」

 

 行ってしまった。後に残るのは顔の赤い僕とノイズを発するラジオのだけだ。ラジオのことも大いに気になるが僕には胡桃君のほうがよっぽど気になる事柄であった。いったいいつから好きになってしまったのだろうか。

 

 僕と一番長くいたのは胡桃君だ。そして僕を土壇場でいつも引き戻してくれたのも胡桃君だ。今まではゾンビを殺すことだけに集中していたからそんなこと気にも留めなかった。でも、今思えば僕はいつもあの子を泣かせてしまったことを後悔していた。それは裏を返せば笑っていてほしいとうことに他ならない。そして何故、笑ってほしいのかと聞かれればそれは好きだからだ。

 

 胡桃君のことをはっきりと好きだと自覚したのは、校庭での戦いが終わって気を失い目が覚めた時だ。僕は生徒会室のソファーに寝かされていてその僕にもたれるように胡桃君が寝ていた。あとで聞いた話によればずっと僕のことを見守ってくれていたようだ。僕は小さな寝息を立てる胡桃君を見て自分の気持ちを自覚した。

 

 

 

 

 

 でも、このことを胡桃君に伝える気はない。このまま墓までもっていくつもりだ。

 

 

 

 

 

「と、言うわけで先生、僕に外出の許可をくれませんか?」

 

 あれから3日経過した。僕はいつものように職員室で佐倉先生に事情を説明していた。既にワンワンワン放送局のことは知れ渡り、皆の間でちょっとした楽しみになっていた。そしてようやく放送中に彼女が住所を話していたので、皆の手紙を書いて会いに行くことにしたのだ。

 

「そうね、私もその人には是非会いたいのだけれど何も本田君一人で行くことはないんじゃないのかしら?」

 

 流石に単独行動は渋られてしまった。でも、僕は早くあの人に会いたいのだ。

 

「先生、僕はなるべく早くこの人に会いに行きたいんですよ。この人放送では元気そうにしているけどきっと一人でとても心細いと思うんです。バイクなら早くて一日、遅くても二日で辿り着けます。だから、勘弁して下さい!」

 

 頭を下げる。僕は一刻も早くあの人に僕たちの手紙を渡してあげたかった。貴方は独りではないと言ってあげたかった。学園生活部が僕にそう言ってくれたように僕もあの人に言ってあげたかったのだ。

 

「うーん、わかりました。いいでしょう、許可します。でも、絶対に無茶しないのよ。じゃあ、少し待ってて、私もその人に手紙を書くから」

 

「あ、ありがとうございます! じゃあ、早速荷物を纏めて出発しますね! ん?」

 

 突如後ろで物音がした。振り向いてみても誰もいなかったが、足音だけは聞こえていた。誰か聞いていたのだろうか。まあ、いいか。早く準備しなくては。

 

 

 

 

 

「秀先輩、無茶しないでくださいねー!」

 

「ひーくん、あの人によろしくね!」

 

「おじさん、またね」

 

 ここは、昇降口前。僕はみなと別れの挨拶をしていた。別れと言っても4日か5日で帰ってくるので出張のようなものだ。圭と由紀とるーちゃんの三人以外は各々仕事があるので先ほど挨拶を済ませてきた。胡桃君だけは何故か見つからなかったので泣く泣く諦めた。もう行こう。僕はバイクのキックスターターを思い切り踏み込んだ。空冷4ストロークの単気筒エンジンが軽快に音を鳴らし僕がスロットルを開放するのを今か今かと待っている。一応手紙を確認しておこう。よし、ちゃんと全員分あるな。

 

「じゃあ、行ってくるよ。なに、すぐに戻ってくるさ。じゃ「秀樹!」ん?」

 

 昇降口から胡桃君が全力疾走でやって来た。背中にはリュックを背負っている。まさか、いや、そんなはずはない。

 

「あたしも行く! 由紀、圭、瑠璃! 後でみんなに言っといてくれ!」

 

「ほほぉー、胡桃先輩ったら大胆……」

 

「くるみちゃんも行くの? じゃあ、気を付けてね!」

 

 胡桃君はそれだけ言うと僕の後ろに無理やり乗ってきた。既に荷物を積んでさらに胡桃君自身もリュックを背負っているため身体を密着せざるを得ない。

 

「い、いきなり何、言い出すんだよ! 一緒に行くってどういうことさ?」

 

 本当に突然だ。寝耳に水とはこういうことだろう。頭を後ろに向ければ顔を真っ赤にした胡桃君が僕にしがみついていた。何かが当たっている気がするがきっと気のせいだ。

 

「だ、駄目か?」

 

「い、いいよ」

 

 だから、その上目遣いは反則だろうに。僕はすっかりヘタレになってしまった。ゾンビの大軍にたった一人で立ち向かった怒れる男はどこに行った? 

 

「そ、そうか。じゃあ行こうぜ」

 

 このままでは埒が明かない。仕方ないのでバイクを発進させる。校庭は相変わらずスプラッタめいた光景が広がっているがこれでも大分片付いた方なのだ。本格的な撤去には重機が必要になることだろう。要は無理ということだ。

 

 サイドミラーを見れば三人が手を振って見送ってくれた。胡桃君も手を振っているようだ。こうして僕たちの奇妙な二人旅が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、スカートで寒くないのかい?」

 

 秋は既に通り過ぎ季節は冬に差し掛かっていた。胡桃君は上着こそ羽織っていたが下半身は相変わらず制服のスカートのままだ。そこまで速度は出していないとはいえきっと寒いことだろう。

 

「ああ、こんなんで寒くなるほど柔な鍛え方はしてないぜ」

 

 景色がどんどん過ぎ去っていく。バイクというのはやはり乗っていて気分がいい。

 

「そういえば陸上部だったもんな。というか、何でついてきたのさ」

 

 本当に疑問だ。胡桃君には直接伝えなかったけど悠里や美紀から聞いているはずだ。

 

「だってあたしに何も言ってくれなかったし……」

 

そう言えば胡桃君には何も言わずに来てしまった。見つからなかったとはいえ少し悪いことをしたかもしれない。

 

「う、それは悪かった。でも見つからなくてさ」

 

「そりゃ、見つからねーよ。だってあたし秀樹とめぐねえの話聞いてからすぐに準備してたし」

 

「え!?」

 

 衝撃の事実、最初から知っていたのだ。だとしたら尚更謎は深まる。

 

「この前だってすぐに戻るって言ったのにずっと帰ってこなくてみんなで見に行ったら玄関で倒れてるし。死んだかと思ったんだぞ! 本当に心配したんだからな!」

 

 信じて送り出した男が昇降口で真っ白に燃え尽きていたらそりゃショックだろう。今でも行動そのものは間違っていないと思っているがもう少し準備しておくべきだったと思う。

 

「だから、めぐねえが許可してもあたしは秀樹のこと見張ってなきゃな!」

 

 この子は僕のことを野良猫か何かだと思っているのだろうか。もう、昔みたいな恥ずかしい真似はしないと誓ったがそれはあくまで僕の基準内のことであって彼女の基準には満たないのだろう。ちょっと、話が重くなってしまった。話題を変えるとしよう。

 

「まあ、ついてくるのはいいんだけどさ」

 

「うん」

 

「それって僕と一緒に寝泊まりすることになるんだけどいいの?」

 

 僕の腰を掴む手がビクリと震えた。明らかに動揺しているのがわかる。もしかして今まで気が付かなかったのか。流石に付き合ってもいない女性と寝床を共にするのは不味い。まだ、間に合うし戻るか。

 

「そりゃ、流石に不味いよな。わかった、今から戻「大丈夫だ!」ほ、本当に?」

 

「別に秀樹がそ、そういうことする奴じゃないって知ってるし。あたしたち、その、か、家族みたいなもんなんだろ? だから大丈夫だ。うんうん、大丈夫」

 

 ここまでの信頼を向けてくれることが嬉しい半面、少し不用心なんじゃないかとも思ってしまう。少し脅しておくか。

 

「胡桃が僕のことを信頼してくれるのは嬉しいけどさ。流石に不用心すぎるぞ。人を信じるのはいいことだけど根拠もなしに信じるな」

 

 突き放すように告げる。これだけ言っておけば気持ちも変わるだろう。そんな僕の希望的観測は次の一言で打ち破られた。

 

「なあ、そうやって自分を悪者にするのって楽しいか? あたし、秀樹のそういうところ嫌いだな。だって、秀樹っていつもなんだかんだ言って人のために動いてるじゃん」

 

「それは、胡桃の勘違いだ。僕はいつも「いいや、勘違いじゃねえ」……何で言いきれる」

 

 僕の腰を掴む力が少し強くなった。ただでさえ好きな子が密着しているという緊急事態なのにこれ以上密着されたら僕はどうなってしまうのだろうか。

 

「初めに会った時だって瑠璃のためにりーさんに会わせてくれたし、その後だってあたしたちのために学校のあいつらを倒してくれた。学園生活部を出ていくときも一階のあいつらを全部一人で倒してくれた。あれってあたしたちが地下に安全にいけるようにするためだろ?」

 

「それは……」

 

 違うと声高に言いたかったが胡桃君の断言するかのような話しぶりに僕は言い淀んでしまった。確かに、そんな思惑もあったが、それはあくまで僕のためであり誰かのためだなんて考えていなかった。

 

「美紀と圭だって秀樹が助けてもなんの得にもならなかったぜ? ていうか死にかけてたし。秀樹はさ、いつも自分のため、僕のためっていってるけど結局みんなのためになってんじゃん。もしかして秀樹ってツンデレってやつなのか?」

 

 きっと後ろで子憎たらしい笑みを浮かべているのだろう。しかし、ツンデレ扱いは勘弁してほしいものだ。僕はそんな天邪鬼な男ではない、たぶん。

 

「まあ、君が思うんならそうなんだろ。君の中ではね」

 

「んだとー!」

 

 口では憎まれ口を叩いても僕の心はいいようない温かいもので溢れていた。自然と口角が上がってしまう。やっぱり僕は胡桃のことが好きなんだな。

 

 夕陽の道路に僕たちの影が流れて行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいか、胡桃。ここをキャンプ地とする!」

 

「イエッサー!」

 

 あれからしばらく走り続けた僕たちは道沿いのコンビニに一泊することにした。そして胡桃君は妙にノリがいい。とは言え、まずは、

 

「掃除だな……」

 

 外からコンビニを見てみれば店内を一匹のゾンビが徘徊している。服装から察するにここの元店員なのだろう。死して尚店番をするとはなんと素晴らしい奉仕精神だ。

 

「ああ、どうする? あたしがやっちまおうか?」

 

「いや、胡桃は店の外まで誘き寄せてくれ。出てきたところを僕が仕留める」

 

 胡桃君は無言で頷き開いたままの自動ドアの前に陣取った。僕も扉の横に静かに移動する。胡桃君がシャベルを扉に打ちつければ音が響きゾンビがのろのろとこちらにやってくる。

 

「おい、来たぞ!」

 

 扉からゾンビが姿を現した。まず横から左膝関節を足で思い切り踏みつける。人間の関節というのは意外と脆い。それが腐った死体ならなおさらだ。当然、間接は折れ曲がりゾンビは自重を支えきれず膝をつく。

 

「うげえ……」

 

 胡桃君が露骨に痛そうな顔をしているが無視だ。そして丁度いい位置に下がった頭の下顎と後頭部を掴み斜めに捻じる。頸椎の砕ける感触と共にゾンビは二度と誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

「まあ、ざっとこんなもんかね。じゃあ、中のほうも見ておこう。行くぞ」

 

「あ、ああ」

 

 店内を二人で探索する。懐中電灯を灯しくまなく見て回る。トイレ、裏口、倉庫。血の跡がついていたが他には何もいなかった。

 

「なあ、秀樹。さっきのあれってどうやって覚えたんだ?」

 

 店内を一通り見て回ったので僕たちは宿泊の準備を始めていた。寝床のガラス片などを片づけマットと寝袋を敷く。念のため入り口からは距離を置き、その入り口もバイクで塞ぐ。パンや弁当などは事件が起きたのが夕方だったため殆ど売り切れていいたのであまり臭くはなかった。

 

「あの首折りかい。何度も試行錯誤を繰り返してコツを掴んだだけだよ。よかったらレクチャーしようか? 意外と簡単だよ」

 

「いや、遠慮しとくわ。触りたくないし」

 

 そりゃそうか。誰も好き好んであんな腐った身体に触りたくない。僕はもう慣れ切ってしまったが女性には些か厳しいものがあるのだろう。

 

「でも、さっきの秀樹の動き昔、あたしが遊んでたゲームみたいでかっこよかったぜ」

 

「そりゃどうも。というか胡桃ってそういうのもやるんだな。ゲームとか好きなのか?」

 

 適当に窓際のラックから雑誌を手に取りページを捲る。日付はあの事件が起きた時のままだ。まるで時間が停止してしまったかように錯覚する。

 

「ああ、レースゲームとかアクションものとかは一通りやってたぜ」

 

 男勝りな性格だからそういうのも知っていると思ったが案の定であった。胡桃君が画面に向かってあーでもないこーでもないといいながら遊ぶ姿が目に浮かぶ。

 

「あ、そうだ。今度さ電気屋からゲーム機持ってこようぜ! そんなに長く遊ばなければりーさんだって怒らないだろ」

 

「悪くないな。いいかげんボードゲームにも飽きてきたところだ。次の遠征あたりで佐倉先生に言ってみよう」

 

「秀樹、いっつもビリだもんな」

 

「言っておくがあれは僕が弱いわけじゃない。みんなが強すぎるだけだからな!」

 

 そう、決して僕が弱いのではない。みなが強すぎるだけなのだ。ただ、ちょっと僕の選択が不味いだけなのである。

 

「はいはい、そういうことにしといてやるよ」

 

 駄目だこりゃ、まるで聞いちゃいねえ。やがて日は沈み夜がやって来た。

 

 

 

 

 

「なあ、今思ったんだけどさ」

 

「うん」

 

 すっかり夜も更け、僕たちは寝る準備に取り掛かった夕食はコンビニあったレトルト食品で済まし後は寝るだけとなった。でも、一つだけ問題があったのだ。

 

「胡桃の寝袋はどこにあるの?」

 

「あっ……」

 

 もしかして忘れたというのだろうか。いや、そんな初歩的なミスを百戦錬磨の胡桃君が犯すはずがない。

 

「ごめん、忘れてた……」

 

 どうやら本当に忘れていたようである。いくらここが室内で風が来ないとはいえ今は冬に入りかけている。僕みたいな男ならいざ知らず胡桃君のような女性には厳しい寒さだ。ふむ、仕方がないか。

 

「ないものは仕方ない。僕の寝袋を使いなさい」

 

「えっ、そんないいよ。その辺で寝るから」

 

「いや、よくない。僕みたいな大男ならいざ知らず君は女の子だよ。自分の身体は大事にしなさい」

 

「お、女の子って……。お前ほんと、気障だよなー。でも、わかったよ、使わせてもらうわ」

 

 そう言って胡桃君は僕の寝袋に入ろうといて僕に向き直った。

 

「あたしが秀樹の寝袋使っちまったら秀樹は何で眠るんだ?」

 

「別に、店の段ボールでも被って寝るさ。何、野宿は慣れている」

 

 とはいえこんな寒い中での経験は初めてだったりする。要は強がっているだけである。

 

「じゃ、じゃあさ……」

 

「なんだい?」

 

 次の瞬間、胡桃君はとんでもない爆弾発言を投下した。

 

「い、いっしょに寝たらいいんじゃねーの?」

 

「お前は何を言っているんだ」

 

 本当に、何をトチ狂ったことを言い出すのだ。このシャベル娘は。僕と一緒に寝れるわけがないだろうが。

 

「そ、そうだよな……。何言ってんだあたし……」

 

 僕たちは微妙な空気に包まれてしまい、そのまま二人して黙り込んでしまった。そして時間は夜から深夜へとさしかかろうとしていたした。

 

 

 

 

 

 端的に言って僕は眠れなかった。今、僕は店の壁にもたれながら眠ろうとしていた。しかし、僕が首をちょっと動かせば胡桃君の頭が見えるのである。時折寝返りえを打つ音や息遣いを聞いてしまえば緊張して眠るどころではないのだ。

 

 気を引き締めるために段ボールを被りなおす。紙の匂いが鼻を刺激する。なるほど確かに温かいな。

 

「なあ、まだ起きてるか?」

 

 突然、胡桃君に声をかけられた。あまりに唐突であったため少し驚いた。

 

「ああ、まだ起きてるけど」

 

「ちょっと、聞きたいことがあってさ」

 

「うん」

 

「こんなこと聞くのすげー今更だと思うけどさ、怖くないのか?」

 

 昔、悠里君にも似たような質問をされたことがあるな。あの時はなんと答えたか。

 

「あたしは、結構慣れたけどさ。まだ、本当は少し怖いんだ。今でも倒した奴の顔が夢にでることがある」

 

 普段ならこんな弱みは絶対に言いだしたりはしないだろう。でも、今日の胡桃君は少し様子が違った。それだけ僕のことを信頼してくれているのだろうか。

 

「秀樹はよくあんな大軍相手に立ち向かえるよな。あたしには無理だよ」

 

 それは勘違いだ。僕はただ、恐怖が裏返って快楽になってしまっただけだ。あの戦いのあとからはかなりマシになったが、僕の本質的なものは何一つ変わってはいない。

 

「胡桃も僕と同じことをすればすぐにできるようになるさ。兎に角、戦い続けるんだよ。何度も死にそうになる。それでも戦い続けるんだ。そうするといつしか気が付くんだ。自分がそれを楽しんでいることに」

 

「秀樹……」

 

 最初はただの破れかぶれだった。何も考えずに自棄になって無謀な殺戮を繰り返した。その破れかぶれを何度も続けた結果が僕だ。

 

「胡桃は今のままでいいんだよ。僕の真似をしようとするな。僕を見つめるな。怪物になっても知らないぞ」

 

 怪物と戦う者は、自身も怪物になることのないように気を付けなければならない。昔の僕はそれに失敗してしまった。

 

「ありがと……。でも、秀樹のことはずっと見てるぜ。でないとまたどこか行きそうになった時に引き戻せないからな。べ、別に変な意味じゃねーからな!」

 

 引き戻せない、か。今までこんなことを言ってくれた人がいただろうか。心が温かくなるのを感じる。そうだな、僕も考えを変えるとしよう。当たって砕けろだ。

 

「胡桃、僕、ようやく決心がついたよ」

 

「いきなりどうしたんだよ……。てか、あたしもう眠いんだけど……」

 

 その声はもう今にも眠ってしまいそうなほど弱々しかった。まあ長い時間走っていたので無理もない。胡桃君は僕の返事も聞かずそのまま眠りこけてしまった。可愛らしい寝息が聞こえる。

 

 結局、僕が眠ったのはそれから2時間たってからであった。そして次の日になり……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ここがあの人のいる場所か……」

 

 目の前にはコンクリート製の箱のような家らしきものがあった。入口らしきものは見当たらずどこから入っていいのかまるで見当もつかない。

 

「多分、これだろな……」

 

 予想していたのと随分違ったため僕の警戒心は否が応にも高まっていく。まるでわかってて作られたような家だからだ。こんなシェルターみたいな家、趣味で建てるわけがない。取りあえずラジオの電源を入れてみる。

 

『ワンワンワン放送局はリスナーのリクエストをいつでも募集してるよ! メール、郵便、モールス信号、狼煙、何でもいいよ!』

 

 狼煙ってなんだ、狼煙って。とは言えこれで彼女がまだ健在だと判明した。後は、どうやって入るかだな。

 

「秀樹! ここから屋根に上れるみたいだぜ!」

 

 胡桃君が指さす先には梯子がある。屋根からなら入れるのだろうか。

 

「じゃあ、僕から上るよ」

 

「ああ、頼む」

 

 胡桃君がすんなり先に行かせてくれて助かった。そうでないと見えてしまうからだ。何がとは言わない。

 

「おい、足跡があるぞ!」

 

「ここを開けばご対面というわけか……」

 

 屋上のハッチを開き意を決して中に入る。学校の地下に非常に似た作りだ。念のため拳銃をいつでも撃てるようにする。

 

「なあ、学校の地下と似てないか?」

 

「ああ、そっくりだ。偶然にしては出来過ぎている」

 

 恐らく、ここの住人は何か知っている可能性が非常に高いだろう。ファンレターも渡したいが、それよりも重要なことができた。

 

『ねえ、誰かいるの?』

 

 スピーカーから声がした。さあ、ご対面の時間だ。

 

 




 
 いかがでしたか? 胡桃ちゃんのキャラ崩壊が激しいです。遂にDJお姉さんと対面することになった放火魔。どうなることでしょう。それとDJお姉さんについてですが原作では感染済みだったようですが話の流れ的にそれをするのは不味いのでこのSSでは感染していないことにします。予めご了承下さい。

 ではまた次回に。


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閑話 ファンレター下

 書いていて思うこと、私もこんな青春がしたかったです(半ギレ


 恵飛須沢胡桃にとって本田秀樹とは大切な仲間であった。第一印象が変人なのは言うまでもない。何処からともなく大量の武器を取り出し彼女が倒すのに苦労していた奴らをいとも簡単に排除していく。

 

 友人の妹を命がけで助けたというフィルターを掛けても尚本田秀樹という男はどうしようもなく変人であったが、同時に今までにない頼もしさを感じていた。たった一人で学園生活部の皆を守るというのは彼女自身が思っている以上に負担になっていたのだ。

 

 そして彼は次々と自分たちの問題を解消していく、友人の無理を止めさせる切欠となった。心を病んでしまった同級生の面倒を顔色一つ変えずに見てくれた。学校をほぼ完全な安全地帯にし、不安材料を片っ端から排除していったくれた。彼女にとって本田秀樹とは突然現れなんの報酬も求めず去っていくヒーローのような尊敬できる男であったのだ。

 

 だが、その認識が間違いだったと気が付いたのは彼が学園生活部を去っていった後のことだった。手紙で告げられた彼の心境を知った彼女は彼もまた自分達と同じ人間なのだと悟った。やがて恵飛須沢胡桃は彼の孤独を知り彼を独りにしてはいけないと誓った。そして彼女は彼と共に戦い、共に歩き、共に笑った。いつしか信用は信頼となり信頼はやがて……。

 

 

 

 

 

 

 

 

『ねえ、誰かいるの?』

 

 ハッチに入り内部に侵入した僕達を待っていたのはあの女性の声であった。音の出所を探ってみればなるほど天井にスピーカーが取り付けられている。僕は胡桃君と顔を見合わせた。会いにきたはいいもののいざ対面するとなると、どう話しかければいいのやら。とは言え、このまま黙っていても埒が明かないので意を決して口を開く。

 

「えと、貴方のラジオを聞いてやってきました。できれば直接会って話をしたいのですが」

 

 スピーカーから何やら激しく動く音がした。

 

『本当!? ちょ、ちょっと待っててね今、開けるから!』

 

 かなり慌てている様子だ。目の前の扉の奥から足音が近づいてくる。かなり急いでいるのがわかる。

 

「き、来たぞ……」

 

 胡桃君がシャベルを構えようとしているのを無言で制止する。流石に用心することに越したことはないが最初から警戒していては友好関係も減ったくれもない。扉のハンドルがくるくると回り遂に扉が開かれた。

 

 中からショートカットの女性が出てくる。年齢は佐倉先生と同じくらいか。またはそれよりも若い。耳に大量のピアスを付けている。そういう趣味の人なのだろうか。彼女は僕たちをのことを見た途端、目を見開いた。

 

「本当に来てくれたんだ! しかも、二人も! ようこそ! 私の家へ、こんなところに立ってないでさ、早く上がってよ! お茶とかお菓子あるからさ! ねえねえ早く!」

 

「ちょ、あ、あの」

 

 彼女は僕たちの腕を引っ張ると強引に中に引きずり込んだ。後に残るは開きっぱなしのハッチから差し込む太陽光だけであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、紅茶。熱いから気を付けてね。それとクッキー」

 

「ど、どうも……」

 

「ありがとうございます……」

 

 あれからほぼ無理やり中に連れ込まれた僕たちは一階のリビングルームで彼女のもてなしを受けていた。まるで焦るかのように矢継ぎ早に用意をする彼女に僕たちは話しかけることが出来ずここまで来たわけである。

 

「じゃあさ、自己紹介しよっか! 私、一之瀬はじめって言うのよろしくね! 君たちの名前は?」

 

「え、恵飛須胡桃です。私立巡ヶ丘学院高校の三年生です」

 

「同じく、3年生の本田秀樹と申します。本日は自宅にお招きいただきありがとうございます。今更ですが貴方の家に勝手に入り込んでしまいすみませんでした」

 

 いくら入口がわからなかったとはいえ無断で人の家に入り込むのはいくら何でも非常識だ。こうしたことは初めに謝っておかないと後々響くのだ。とは言え一之瀬さんはそこまで気にしていない様子である。

 

「胡桃ちゃんと秀樹君だね! よろしく! 別に気にしてないから大丈夫だよ。あと、そんな畏まらなくてもいいよ。私のこともはじめって呼んでくれていいからさ」

 

 流石にそれはフレンドリーすぎではないだろうか。比較的テンションの激しい胡桃君でさせ彼女に圧倒されしどろもどろになっている。放送通りと言えばその通りであるが僕は先ほどから彼女の態度に違和感を覚えていた。どこか無理をしているような感じがしてならないのである。

 

「ねえねえ二人はどこから来たの? 今までどうやって生き残ってきたのかな? ここまで何できたのかな? 二人は付き合ってるのかな? お姉さんに教えてほしいな!」

 

 マシンガントークとは正にこのことを言うのだろう。いま、なんと言った。二人は付き合っているのか、だと……。

 

「ひ、秀樹と、つ、付き合うとか!」

 

 一之瀬さんの爆弾発言に胡桃君は大層動揺しているようだ。そんなに僕と付き合っていると思われるのが嫌なのか。少し、へこむな。

 

「い、一之瀬さん。そ、それは違いますが胡桃は僕の大切な仲間です。それに僕みたいなむさ苦しい男じゃ彼女に釣り合わないでしょう」

 

「えー、そうなんだ。というか別に敬語使わなくていいよ。一之瀬さんだなんて他人行儀な呼び方じゃなくて気軽にはじめちゃんって呼んで」

 

 はじめちゃんは流石に無理があると思うのだが。助けを求めるべく横を見れば未だに胡桃君がフリーズしていた。仕方ないので顔の前で指を鳴らす。

 

「秀樹と付き合う……っは!」

 

 やっと気が付いたようだ。周りを見渡し我に返る胡桃君。これで話ができる。再び一之瀬さんを見れば何故か妙にニヤニヤしていた。その顔はなんだ。

 

「ほほぉ……。これはこれは、なるほどねー」

 

 何か一人で納得しているようだ。もう、訳がわからない。これでは切がない。強引に話を変えることを決定した。

 

「あの、もうそろそろ本題に入ってもいですか? 一之瀬「はじめって呼んでくれなきゃ返事しないよー」は、はじめさん。えっと、僕たちがここにきたのはですね────

 

 

 

 

 

 

 そして僕たちは今までの事情を説明した。学園生活部のこと、偶然放送を受信したこと、それに元気を貰い会いにきたこと。はじめさんは、僕たちの話をそれはそれは楽しそうに聞いてくれた。

 

「よかった。本当に聞いてくてれてる人がいたんだ……」

 

 そういうはじめさんの目尻には涙が滲んでいた。そしてお返しに今度は彼女のことを話してくれた。はじめさんは都会でバンド活動を営む女性でこの家は実家なのだという。あの日彼女は父に家に呼び出されこの要塞のような家に帰ってきた。

 

「事件が起きてから最初はお父さんと一緒に暮らしてたんだ。でも、お父さんだんだんおかしくなっちゃって最後には意味わかんない放送し始めてそれで、いなくなっちゃったんだ……」

 

 聞くところによればはじめさんの父はランダルコーポレーションに勤めていたそうだ。これでこのシェルターにも説明がつく。そして気がふれて出て行ってしまった。はじめさんは事件が起きてから一度も外の世界を見たことがないらしい。屋上に足跡が一つしかなかったのもそういう理由からなのだろう。

 

「お父さんがいなくなってから、ずっと一人で寂しくってさ、それでたまたまラジオを付けてみたのそしたら多分高校生の子達がさ学園祭の様子を放送してたんだよ。とっても楽しそうで途中で終わっちゃったんだけど私それにすっごい元気を貰ってね、自分も真似しようと思ってワンワンワン放送局を立ち上げたの。ちなみに放送局の名前の由来は私の名前から来てるんだよ」

 

 ワンワンだと犬っぽいからワンワンワンなんだよ。と彼女は笑った。学園祭の放送……。それは僕たちの放送ではないか。

 

「その学園際の放送って丈槍由紀って子とか佐倉慈って人が出てませんでしたか?」

 

 胡桃君も気が付いたようだ。はじめさんは胡桃君の口から出た言葉が信じられないとでも言いたげに口を押えた。

 

「も、もしかして貴方達だったの!? 思い出した……。巡ヶ丘学院高校ってはじめに言ってたもんね! 胡桃ちゃんの声も聞いた覚えがる……。じゃあ、ひーくんってもしかして秀樹君のことなの!?」

 

「えっと、由紀ってやつはこいつのこといつもひーくんって呼んでますよ。ぶっちゃけひーくんって感じじゃないですけどね。ぷぷ」

 

 おい、笑うな。僕だってひーくん呼ばわりは少し恥ずかしいのだ。あれから何度か由紀君にあの呼び方を訂正しようと試みたが一向に改善する気配はなかった。るーちゃんの時を思い出すな。あの時も僕がいくらおじさん呼ばわりをやめさせようとしても聞かなかった。

 

「そうか、君達だったんだね。私ね……君たちにとっても勇気を貰ったんだよ。世界がこんなになっちゃて、お父さんもクラウドとか意味わからないこといっていなくなって私、死のうかなって思ってさ……。その時にね、佐倉先生の言葉を聞いて、まだ生きようって思えたの。だから、私がまだここにいるのは君たちのお蔭なんだよ……。だから、ありがとう!」

 

「はじめさん……」

 

 何というか不思議なものだ。励ましてもらったと思っていた相手から励ましてくれてありがとうと言ってもらいそしてまた元気を貰う。こんな酷い世界だけどまだまだ捨てたものじゃないんだ。

 

「ごめんね。こんな辛気臭い話しちゃって。それで、君たちはこれからどうするのかな?」

 

 考えていなかった。はじめさんに会うことばかり考えていて実際に会った後のことを全く考えていなかったのだ。

 

「どうしようか、胡桃」

 

「え、あたしに聞かれても……。あたしは秀樹についてきただけだし」

 

 そのまま二人して黙り込んでしまう。このままじゃあ帰りましょうではあまりにも寂しすぎる。それに、何か忘れている気がしてならない。

 

「あ、あの……よかったらさ。今日は泊まっていかない?」

 

 はじめさんが少し気恥ずかし気に宿泊の提案をしてきた。確かに、このまま帰りよりはよっぽどいい。しかし、

 

「あの、迷惑じゃありませんか?」

 

 胡桃君が僕の気持ちを代弁してくれた。そうなのである。昔ならともかく今の世界は食料は貴重品である。おいそれと人に譲れるものではない。

 

「別に、全然迷惑じゃないよ!」

 

「でも、食料だって無限にあるわけじゃないですし……」

 

「それなら大丈夫だよ。多分、私一人じゃ一生かかっても食べきれないほどあるし。見せてあげるから付いて来て」

 

 そう言ってはじめさんは僕たちを地下のある部屋まで案内した。そこには非常に見覚えのある風景が広がっていた。学校の地下で見た備蓄倉庫と瓜二つだったのだ。

 

「なあ、秀樹、これって……」

 

「お父さんがランダルに勤めていたって言ってたしわかってたんだろうな」

 

 できればここである程度の情報を手に入れたかったのだが、真相をしていそうな男は既に行方不明。母親は何年も前に離婚してしまったらしい。ちなみに僕の父親も5歳の時に事故で亡くなってしまっている。ある意味幸運だったのかもしれない。皆の両親はどうしているのだろうか。あまり期待しないほうがいいのだろう。こういうのはもう割り切るしかないのだ。

 

 一通り案内を終えたはじめさんは僕たちに振り向いた。その顔はしてやったりとでも言いたげな勝気な顔であった。

 

「ね、だから言ったでしょ? 大丈夫だって」

 

 こうもまざまざと余裕を見せつけられては何も言えまい。まあ、本人もいいと言っているのだし今日はお言葉に甘えるとしますか。

 

「わかりました。今日はよろしくお願いします」

 

「あたしもよろしくお願いします」

 

 僕たちの言葉を聞きはじめさんはニッコリと笑った。

 

「了解! お姉さんにまかせなさい!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから時間が数時間が経過し僕たちははじめさんに夕飯を奢ってもらっていた。いつも悠里君の作る夕食に慣れていたので少し新鮮な気分であった。僕たちは色々なことを話した。学園生活部のこと、今までのこと、途中からはじめさんはお酒を持ってきて更に話は弾んだ。僕も一杯もらおうとしたのだが、胡桃君の熱い視線に負けて断念することになってしまった。

 

「こ、校庭に爆弾しかけるって! お、面白すぎる! アッハハハ!」

 

 そして、何故か僕の校庭大爆破の話がえらくツボに入ったらしい。今一つこの人のことがよくわらない。

 

「逃げるでもなく、追い払うでもなく、ふ、吹き飛ばすとか、斜め上すぎ! ひ、秀樹君面白すぎるよー!」

 

「は、はじめさん? キャラ変わってませんか?」

 

 流石の胡桃君もこれには苦笑い。ドン引きするならわかるのだがまさかの大笑いである。かくいう僕も困惑している。

 

「ふー、ふー、別に、私っていつもこんなだよー! てか、敬語なんていらないよー! 普通にはじめでいいって」

 

「そ、そうか、じゃあはじめさんって呼ばせてもらうわ」

 

 そうだ、さっきから胡桃君の敬語に違和感を覚えていたんだ。と言っても、いつもと違う胡桃君が見られて僕としては大満足だ。僕たちがそんな楽しいひと時を過ごしているとまたしてもはじめさんが爆弾発言を投下した。

 

「ねえ、二人ってホントに付き合ってないのー?」

 

「だ、だから秀樹とは、そ、そんなんじゃないって! はじめさん!」

 

 こうも大声で否定されると僕としては些かショックだったりするが、実際付き合ってもいないので胡桃君の主張はご尤もである。

 

「えぇー? 嘘でしょー? だってすごいお似合いだと思うよー」

 

 どうやら既にかなり酔っているようだ。そうでなくては僕と胡桃君がお似合いだと思うわけがないのだ。

 

「さっきも言いましたけど僕と胡桃はそういう関係ではないですよ」

 

 トロンとした目で僕を見つめるはじめさん。正直目の毒だ。どうして僕の出会う女性は皆美人ばかりなのだ。というかいい加減まともな男に会いたい。割と切実に。男女比ヤバイ。

 

「へえー、じゃあ今秀樹君ってフリーなんだぁ。だったらさぁ」

 

「は?」

 

「へ?」

 

 はじめさんが僕の横まで歩いて来て突然腕に抱き着いてきた。腕にやわらかい感触が伝わる。何がとは言わない。てか、酒臭!

 

「お姉さんと付き合ってみる?」

 

 は? え? い、今この人なんて言った?突きあう? いや、付き合う? 頭にスラッグ弾を撃ち込まれた鹿のように身体が動かなくなる。

 

「わぁ、秀樹君すごい筋肉だねぇ。見るのと触るのじゃ大違いだ」

 

 そういってはじめさんは僕の二の腕をさすり始める。上着は脱いでシャツ一枚なのではじめさんの柔らかい手の感触がダイレクトに伝わる。違う、何実況しているんだ。

 

「な、なな」

 

 胡桃君に至ってはあまりの衝撃によってまたもやフリーズしているではないか。顔を真っ赤にするおまけつきでだ。うん、やっぱり可愛いな。そうやって現実逃避に走っても目の前のはじめさんのある部分がいやでも目についてしまう。い、意外とあるな……。

 

「あ、秀樹君すごい顔赤いよぉ。可愛いなぁ。じゃあお姉さんといいこと「だ、だめだ!」くるみちゃん?」

 

 胡桃君が突然立ち上がり叫んだ。かなり大きな声で叫んだせいか肩で息をしている。いつもの胡桃君らしくない。

 

「そ、そういうのは、よ、よくないんじゃないか。そ、そんないきなり抱き着いて……」

 

 そのままブツブツと喋るが段々声が小さくなり何を言っているのか判断できない。でお、胡桃君のお蔭で我に返った。僕は腕に抱き着くはじめさんを優しく引き離す。

 

「はじめさん。貴方、どうにも様子がおかしいですよ。はじめさんがそういう人じゃないのは短い付き合いの僕でもわかります。酔っているだけにしても今のはじめさんは無理をしているのがわかる」

 

「秀樹の言う通りだよ。今のはじめさんなんか変だよ」

 

 そう、はじめさんはどうにも無理をしているようにしか見えないのだ。空元気とでもいうのだろうか。僕の制止でようやく彼女も我に返ったらしい。気を取り直すかのように咳ばらいを一つ。その顔には愁いを帯びていた。

 

「ごめんね。やっぱわかっちゃうか……。私さ、今まで本当に独りぼっちでさ。それで舞い上がっちゃったんだ。何かこうやって誰かとご飯食べてお酒飲むのって本当に久しぶりでね……」

 

 その目には涙が流れていた。平気なわけがないのだ。外にいた僕でさえああなってしまったのだ。ただ一人閉ざされた世界で生きていた彼女にとって孤独とはもはや猛毒に等しいものだったのだ。確かに、人は一人でも生きていくことはできる。だが、それは本当に意味での孤独の前ではなんの慰めにもならない。それは容赦なく心を蝕みやがて絶望へと向かわせる。きっとあの放送は彼女が心を壊さないための拠り所だったのだ。でも、今は違う。

 

「はじめさん。少し待っててください」

 

「え?」

 

「秀樹?」

 

「やっと思い出したんだ。僕がここに来た目的を」

 

 荷物と一緒に畳んでいる上着から渡しそびれていたものを手に取り、はじめさんの前へとやってくる。胡桃君は何を渡すのか察してニコリと笑った。

 

「はじめさん。今まで渡しそびれていました。はい、どうぞ」

 

 八通の手紙を彼女に手渡す。まだ状況が読み込めていないようだ。

 

「秀樹君? これはなに?」

 

「貴方へのファンレターです。お恥ずかしいことに今まで忘れてしまっていましてやっと思い出したんですよ。ちょっと読んでくれませんか?」

 

「うん……」

 

 そういってはじめさんはソファーに座るとゆっくりと手紙を読み始めた。酷く緩慢な動作だった。一通、一通、真剣に読んでいるのだろう。やがて手紙を持つ手が震えだした。三人だけの部屋に嗚咽が静かに木霊した。

 

 

 

 

 

 しばらくしてはじめさんは手紙を全て読み終えた。その顔はすでに涙で酷いことになっていたが僕にはその顔がなによりも尊いものに思えた。そしてまだ放心しているのだろうか、黙り込んでしまっている。でも、僕には伝えたいことがあるのだ。一歩前にでようとしたところを一筋の影が通り抜けた。胡桃君だ。

 

「はじめさんはさ、今まで誰も聞いてない放送を続けてたのかもしれない。けどさ」

 

 握りしめた右手を優しく握りながら胡桃君が。

 

「今は少なくとも八人のリスナーがいます。だからもう貴方は一人じゃない」

 

 左手を僕が握りながら言う。そうだ。僕が伝えたかったのはこれだ。やっと言うことができた。これで悔いはない。

 

「き、君達本当に高校生なの? こんなの、かっこよすぎるよ…………ずるいよ……でも、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──ありがとね!──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 はじめさんは何とか元気を取り戻した。既にかなりの量の酒を飲んでいたため酔い醒ましのために水を一杯組んできた。異変はその時に起こったのだ。

 

「ゲホォッ! ゴホォ、ゴホォ!」

 

「は、はじめさん!?」

 

 明らかに尋常じゃない咳だ。そのままはじめさんはソファーに倒れ込んでしまう。一体何がどうしたんだ!

 

「胡桃! ベッド探してきてくれ! すぐに運ぶ」

 

「わ、わかった!」

 

 さっきまであんなに元気だったのに今のはじめさんはもう今にも死にそうだった。風邪にしては症状が酷すぎる。むしろこの症状は、まさか……。

 

 僕はこの症状に見覚えがあった。あるコミュニティに一時的に身を寄せていた時のことだ。その時も元気だった人が突然咳を伴う体調不良に見舞われ倒れた。そしてその数時間後、その人は奴らになった。そう、空気感染だ。

 

「は、はじめさん。貴方もしかして……」

 

 そんな、嘘であってくれ。頼むよ。まだ出会ったばかりじゃないか。僕のそんな願いははじめさんの次の言葉で打ち砕かれた。

 

「ご、ごめんね……。だ、だますつもりじゃなかったんだけどさ。私、もう駄目みたい……」

 

「秀樹! 寝室見つかったぞ!」

 

「ああ!」

 

 そのままはじめさんを担ぎベッドに寝かせる。酷い咳と熱だ。胡桃君が僕に様子を尋ねる。黙っていても仕方がないので感染の事実を伝えた。

 

「空気感染って……そんなのありかよ!」

 

 僕たちが今まで感染してこなかったのは恐らく免疫があったからなのだろう。生き残りは意外といるので免疫自体はそこまで珍しいものではないのだろう。でも、はじめさんは持っていなかったのだ。今日ほど神を呪ったことはない。そうだ、ここがランダルの作った場所ならワクチンがあるはずだ。

 

「はじめさん! この家にワクチンがあるはずです! 今から探しますので場所を知っていたら教えてください!」

 

 僕の言葉に彼女は力なく首を振った。なんでだよ!

 

「お、お父さんがいなくなる前に注射器全部お父さんが捨てちゃってね。もうないんだ……」

 

「なんでだよ! せっかく会えたのに!」

 

 胡桃君の悲痛な叫びが木霊す。僕だって叫びたくてたまらない。何かないのか。また僕は見殺しにしてしまうのか。

 

「ほ、放送室に車の鍵があるんだけど……でっかいキャンピングカー。それもういらないからあげるよ……。最後の最後で二人に会えて本当によかった。だから、あいつらになる前に私を殺して……」

 

「嫌です! まだ僕のリクエスト流してないでしょ! 自慢じゃないけど大量に書いてやったんだぞ! 全部流すまで許さないからな!」

 

 もう自分が何を言っているのかわからない。やっと会えたのに、まだこれからなのに。まだ、みんなにも会わせていないのに。どうして!

 

「ごめん、ね……」

 

 何でだよ。何でどうして! そうだ、胡桃君は。周りを見渡す。いないだと。どこにいたんだ。僕がそう思っていると胡桃君が大慌てで部屋に飛び込んできた。手には注射器。注射器だと!

 

「どこからそれを!」

 

「めぐねえに頼んでもしものために持ってきたんだ! 遠慮なく使えだってよ!」

 

 よし! 佐倉先生本当にありがとう!

 

「よくやった! 愛してるぞ胡桃!」

 

「なっ!?」

 

 本当に君ってやつは最高だ。僕の惚れた子だけある。勢いで何かとんでもないことを口走ってしまった気がするが今はそんなことより早く薬を打たなくは。何故かフリーズする胡桃君から注射器を奪い、はじめさんの腕に注射する。

 

「そ、それは……?」

 

「薬です。大丈夫、貴方は元気になります。だからまだワンワンワン放送局は終わらせませんよ!」

 

 はじめさんの目からは涙が零れていた。きっと助かるはずだ。僕たちはその願いを注射器に込めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一之瀬はじめ! 完全復活!」

 

 次の日、そこには笑顔でブイサインをするはじめさんの姿があった。薬は効いたのだ。神様本当にありがとう。僕は胡桃君と顔を見合わせた。その顔は笑顔であった。

 

 念のため、この日ははじめさんを見守ることにした。はじめさんはもう大丈夫だといっていたが何が起こるかわからない。これは胡桃との満場一致で決まったことであった。予定より長くなってしまうため学園生活部の皆には心配をかけるかと思ったがはじめさんの発案によりワンワンワン放送局に出演することで何とか伝えることができたと思う。

 

 そんなこんなで無事に乗り切ることができたと思うのだが、一つだけ気になることがあった。胡桃君の様子が以前にも増しておかしいのだ。前はモジモジするだけであったが今日の胡桃君は僕の顔を見るだけで何故か顔を赤くする。話しかけても上の空と言った様子であった。まあ、いつものことなので別段気にすることでもない。

 

そしてまた次の日が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にここに残るんですか?」

 

「うん、私決めたよ。ここに残ってワンワンワン放送局を続ける」

 

 いよいよ出発の時がやって来た。今更一人くらい増えたところで大した負担にはならない。悠里君には悪いが家計簿の見直しをしてもらおうと思ったのだがこうして断られてしまった。

 

「はじめさん。学校にも放送室はあるんだぞ。そのキャンピングカーで行けばすぐに行けるのにか?」

 

 胡桃君の言葉にも首を振る。目を見ればわかる彼女の目は既に決めたものの目だ。

 

「わかりました。でも、理由だけでも聞かせてください」

 

「最初は、ただ孤独を紛らわすための余興だったんだ。でもね、今は違う。だって少なくとも八人のリスナーが私の放送を待ってくれているんでしょ? だったら私はその人達に希望と音楽を届けたい。確かに、学校でやっても同じかもしれないよ? でも、やっぱラジオって遠くから届けなくちゃね」

 

 その決意は石のように硬いようだ。まあ、仕方がないか。だったら少しくらいお節介を焼いてもいいだろう。

 

「はじめさん……。はぁ、わかりました。でも、何かあったらすぐにラジオで知らせて下さいね。あと、もし、他の生存者に出会ったらワンワンワン放送局のことを教えておきますよ」

 

「本当に!? ありがとう! 秀樹君、大好きだよ!」

 

 胡桃君を横目で見るが何故か僕のことを睨みつけていた。僕が何をしたんだ。本当に。誰か教えてくれ。

 

「ですが、前みたいに住所を言いふらすのは止めて下さい。強盗が押し入る可能性も無きにしも非ずです」

 

 僕の忠告にはじめさんは頬に指を当てていかにもなやんでいるといった風に考える。そして思い切り指でバッテンを作った。

 

「それは駄目! 君たちが私に希望をくれたように私も誰かに希望を届けたいの。それはきっと電波だけじゃ届かないと思うんだ。だからそれだけはごめんね」

 

 きっとはじめさんならこういうと思った。思わず笑みが零れる。胡桃君を見れば同じように微笑んでいた。でも、流石に心配だ。なので僕は鞄からシグザウアーP228を取り出し念のため弾倉を取り外しホールドオープンさせる。そしてはじめさんに差し出した。

 

「ひ、秀樹?」

 

「こ、これって」

 

「9mm口径の自動拳銃です。ただの鈍器や刃物よりかは効くでしょう。使い方は貴方にお任せします。では、ご武運を」

 

 僕から手渡された予想外の品物にはじめさんは度肝を抜かしたようだがすぐに笑ってデスクに置いてくれた。心なしか笑顔が引き攣っている気がするがきっと気のせいだと思いたい。

 

「じゃあ、行こうか。胡桃。では、また会いに来ますね」

 

 僕、この家に入ってきた梯子をよじぼった。久しぶりの外だ。風が気持ちい。

 

「いつでも待ってるよー! あ、胡桃ちゃんはちょっとまって」

 

 はじめさんは胡桃を呼び止めると何やら耳打ちをした。上から覗いているので頭しか見えないが胡桃君が酷く動揺しているのがわかる。しばらくしてから胡桃君は梯子を上ってきた。その顔は心なしか赤い。

 

「じゃあ、本当に帰るとするか」

 

「あ? あ、ああそうだな……」

 

 やはりよそよそしい。そんなこんなで僕たちは再びバイクに乗り走り出した。そして、その後、毎日のようにみんなのリクエストがラジオから流れるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、胡桃。少し話したいことがあるんだ」

 

 バイクを走らせながら後ろの胡桃君に話しかける。例によって大通りは走らない。渋滞と奴らでまともに走れないからだ。

 

「き、奇遇だな。あ、あたしも秀樹と話したいことがあったんだ……」

 

 胡桃君もか。人生何が起こるかわからないものだ。時計を見る。まだ間に合うな。僕は胡桃君を乗せ目的の場所まで走らせる。幸い、今いる場所からそこまで離れていないため15分程で到着することができた。

 

「ここだ。降りてくれ」

 

「なあ、秀樹。ここって……」

 

 胡桃君とやって来たのは巡ヶ丘が一望できる住宅街に作られた高台だ。しかも、嬉しいことに夕陽のオプション付きでだ。周りを見渡してもあいつらは見当たらない。言うなら今しかない。僕は胡桃君を見つめる。心なしか距離が近い。長い睫毛にくっきりとした瞳。綺麗な唇。僕の心拍数は上がりっぱなしだ。 

 

「胡桃! よく聞いて「な、なあ、あたしから話してもいいか?」……どうぞ」

 

 僕が了承すると胡桃君は急にモジモジし始めた、なんだかすごい可愛いぞ。このまま抱きしめたいくらいだ。僕がそんな下らない衝動と戦っていると胡桃君が意を決したように口を開いた。

 

「あ、あたしが薬持ってきたときさ……。秀樹、あ、あたしのこと、あ、ああ愛してるっていってたけどさ。あれってどういう意味なんだ?」

 

 胡桃君の一言で僕はようやく一昨日いった言葉を思い出した。そうだ。僕は確かに胡桃君に向けて愛しているといってしまったのだ。仕方ない! 予定変更だ。このまま突っ走ってやる。まどろっこしいのはなしだ!

 

「胡桃! よく聞いてくれよ!」

 

 胡桃が息を呑むのがわかる。僕は彼女を二人だけの世界に突入した。夕陽が、空が、雲が、全てが灰色になる。ただ一つ胡桃だけに色がついている。そうだ。それでいい。

 

「僕は君が好きだ!」

 

「なっ!?」

 

 僕の突然の告白に胡桃君が目に見えて動揺する。でも知ったことかここで言わなきゃ男が廃る。日本男児の意地を見せてやる。

 

「君が先輩のことを好きなのは知っている! でも、僕は君のことが大好きだ! 付き合ってくれなんて言わない! 好きになってくれなんて言わない! 僕と、ただ僕と一緒に歩いてくれ!」

 

 そのまま頭を下げる。沈黙が支配する。周囲は未だ灰色のままだ。胡桃は何も言わない。やはり駄目だったか……。僕が諦めて顔をあげようとしたところ胡桃の足元に一滴の水が落ちるのを見た。

 

 ゆっくりと顔をあげる。そこには両目から涙を流す胡桃の姿があった。もしかして泣くほど嫌だったのか。

 

「すまん! 泣くほど嫌だった「違う! そんなんじゃねぇよ!」

 

 胡桃は両目から涙を流しながら僕に向く。次の瞬間、胡桃からとんでもない一言が放たれた。

 

「ほ、本当にあたしでいいのか?」

 

 何を言っているのかわからない。頭が理解するのを放棄している。今、この子はなんていった? あたしでいいのか?

 

「あたし、りーさんみたいに女の子っぽくないし、美紀みたいに頭もよくない。由紀みたいに明るくないし、圭みたいに元気でもないぜ! それでもいい「いいに決まってるだろうが!」ひ、秀樹!?」

 

 何を言っているんだこの怪人シャベル娘は。だが、こうなってしまったら止まらない。このまま思っていることをぶちまけてやる。

 

「僕がそんな単純なことで好きになると思ったら大間違いだからな! 確かにみんな大好きさ! みんな僕のことを救ってくれた。感謝してもしきれない。でもな、胡桃だけなんだよ! 一緒に歩いてくれたのは。君はいつも僕を土壇場で引き戻してくれた。僕は胡桃に迷惑かけてばかりだ。でも、だからこそ僕は君と一緒に歩きたいんだよ! 好きなんだよ! 笑ってほしいんだよ! 何か文句あるか! てか君先輩が好きじゃないのかよ!」

 

 もはや意味不明だ。自分でも何が言いたいのかわからない。

 

「先輩のことは好きだったんだけどそうじゃねえんだよ。ああ、もう説明できねえ。先輩はなんていうか憧れとかそういうのとかで、なんか秀樹のとは違うんだよ! 秀樹はほっとけないんだよ! そうだよ! あたしだって秀樹と一緒に歩きたいんだよ! 好きなんだよ! 文句あるか!」

 

 二人して逆ギレしたため肩で息をする。世界が色づくのを感じる。気が付けば胡桃が僕に抱き着いていた。

 

「なあ、もう一回好きって言って……」

 

 さっきは勢い任せで言ってしまったため、もう一度言えるかどうか。でも、言葉にしなくちゃ伝わらない。伝えられない。意を決して胡桃を抱き返す。小さな身体だ。僕みたいな大男にはまったく似合わない。

 

「何度でも言ってやる。僕は胡桃のことが好きだ。愛してる」

 

 抱きしめる力が強くなるのを感じる。ふと周りを見れば世界は再び色鮮やかに彩られていた。夕陽が僕たちを照らす。

 

「あ、あたしも、秀樹のことが好き……」

 

 二人して見つめあう。胡桃が目を閉じて顔を近づける。一々言葉にしなくても何をしたいのかくらい僕にも察しが付く。徐々に近づく唇。でも、その前に───。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ホルスターからコンバットマスターを引き抜き真横の邪魔者に向けて引金を引く。45口径の弾丸がゾンビに突き刺さった。

 

 周りを見渡せばゾンビが7体、か。どうせ僕たちの声に反応して近づいたんだろう。野次馬根性も甚だしい。黙って見守ることすらできんのか。最近のゾンビは。

 

「なあ、秀樹」

 

 胡桃がシャベルを構え僕に聞く。何を聞きたいのかなんてもう決まっている。僕は左手でナイフを引き抜きコンバットマスターと同時に構える。僕が4匹で胡桃が3匹かな。

 

「ああ、わかってるとも。じゃあどっちが早く倒せるか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──勝負だ!──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、初めてのキスはミントの味でした。

                             

 




 いかがでしたか? これが最終話と第十六話の間に起きた出来事でございます。前回、DJお姉さんは感染していないと述べましたがすいません。嘘です。そして秀樹の性格の変わりようが激しすぎて草。 誰だコイツ状態ですね。

 では、また次回に。


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第二章 Welcome back
第十八話 ようこそ


 前に最終回だと話したな。あれは嘘だ。


 雲一つない快晴。時刻は昼過ぎ。僕は双眼鏡を取り出し観察した。対物レンズの先には煉瓦作りの塀と鋼鉄製の頑丈な門が外からの侵入を堅く阻んでいる。

 

「聖イシドロス大学ねえ……。御大層な名前だこと」

 

 読みはセント・イシドロスかな。まあ、そんなことはどうでもいい。観察を続ける。門と通用口は内側から土嚢が高く積み上げられ恐らく鍵も掛かっていることだろう。とは言え塀には侵入防止の柵もなく踏み台になりそうな突起物も多い。登るのは楽勝だろう。人影も見えない。無人か、それとも隠れているのか。まあ、どちらでも構わない。右耳に装着したイヤホンマイクのPTTスイッチを押し、トランシーバーを送信状態に変える。

 

「ブックフィールドから各員に通達。門周辺に人影は見当たらず。オーバー」

 

 トランシーバーから発進された電波はここから少し離れた二人のトランシーバーへと繋がる。スピーカーからノイズ音が響き聞きなれたそして愛しい声が僕の耳を刺激する。

 

『シュリンプからブックフィールドへ、な、なあ秀樹。これ本当に言わなきゃダメか?』

 

 おい、ここで崩しちゃ駄目だろうが。折角の無線なのに。これでは雰囲気が台無しではないか。

 

『秀先輩、わざわざ呼び方変えなくても誰も聞いてないと思うんですけど。どうぞ』

 

 ブルータス、お前もか。しかも、名前を呼んでしまっている始末だ。だが、ここで折れるわけにはいかない。こういうのは形が大事なのだよ。再びPTTスイッチを押し送信状態に移行する。

 

「ブックフィールドから各員に通達。ともかくだな、シュリンプは僕と一緒に来てくれ。ストレイトウッドは指示があるまで車で待機、念のためエンジンは掛けたままにしていてくれ。オーバー」

 

『了解、今行く』

 

 程なくして後ろから走る足音が近づいてくる。すぐ後ろだ。そして足音の主は僕の真後ろまでやって来た。だが、何も声をかけてくれない。突如視界が真っ暗になり両目を何者かに塞がれた。

 

「だ、だーれだ」

 

 この声を僕は知っている。僕の一番の宝物。掛け替えのない最愛の存在。目を塞がれたまま答える。

 

「胡桃」

 

 手が離された。僕は後ろを向く。笑顔の胡桃がそこにはいた。ただ、その顔は少し赤い。慣れないことをするからだ可愛い奴め。

 

「そ、そうやって即答されるとなんか照れるな……」

 

「僕が君の声を聞き間違える訳がないだろうに。だって胡桃は僕の「あーあー! もう、わかったから。あたしが悪かったよ!」ふむん」

 

 胡桃の顔はもう真っ赤だ。ちょっとからかいすぎたかな。とは言え先ほどの僕の発言に誇張など何一つない。胡桃の声なら本当に聞き分けられるだろう。

 

『ゴホン! あのー、いちゃつくのは後にして早く中に入ったらどうですか』

 

 後ろの車にいる美紀に怒られてしまった。二人の世界に入りかけていたところに冷水を浴びせられ、僕と胡桃は黙り込んでしまう。ちょっと恥ずかしいな。このまま黙っていても仕方がないので胡桃と共に門の前の横断歩道を渡り塀の横に待機する。

 

「なあ、これどうやって入る?」

 

「そうだね、僕が足場になるからそれで登ってくれ」

 

 そう言って壁に手をつきしゃがむ。後は胡桃が僕を踏み台にいして登るだけである。だが、待てども一向に何も起きない。胡桃に向き直る。何故か気まずそうに手を組んでいる胡桃がいた。

 

「なにやってんのさ。早く登りなさい」

 

「で、でも秀樹のこと踏みたくないし……」

 

 僕に五連続パンチをお見舞いした人の言葉とは到底思えない発言が飛び出した。でも、そんな些細なことにさえ気を使ってくれる胡桃が愛おしくてたまらない。だが、これでは埒が明かない。

 

「別に気にしてないから。早く行こうよ」

 

 僕の一言でやっと決心がついたようだ。胡桃は僕の肩に足を掛けそのまま一息に塀の上まで登った。元陸上部だけあって身のこなしは機敏そのものだ。

 

「登ったぜ。じゃあ、引っ張ってやるから手掴めよ」

 

 そう言って手を差し伸べてくれるのは嬉しいんのだが、胡桃は僕の体重のことを考えていないらしい。

 

「気持ちは嬉しいんだけどさ。僕のこと持ち上げるの無理でしょ」

 

「あっ……」

 

 やっと気が付いたようだ。

 

「胡桃はそのまま中に入っててくれ僕もすぐに登るから」

 

 その言葉に胡桃は少し残念そうではあるものの大学の敷地内に入ってくれた。ここからは見えないが梯子を降りる音がする。登るのが面倒なだけで出るのは楽なのだろう。

 

「じゃあ、僕も行きますか」

 

 塀の出っ張りに足を引っかけ一息に登る。伊達に鍛えてはいない。こんな壁は朝飯前だ。僕は楽に内部に侵入することに成功した。そして一足先に侵入した胡桃と合流する。

 

「美紀、中に入ったぞ。何かあったらすぐ言えよ」

 

 車内の美紀に連絡を入れようと思ったが胡桃も同じことを考えていたようだ。イヤホンと横から二重になって声が聞こえる。既に誰もコールサインを守っていない。少し残念だ。

 

『わかりました。では二人とも気を付けて下さいね』

 

 これで準備は整った。キャンパスツアーと洒落こもうではないか。胡桃も何も言わずに僕の背後につく。言わなくてもわかってくれる胡桃が大変頼もしい。そして、僕たちは一歩踏み出した。

 

「二人とも、持っているものを捨てて手をあげろ!」

 

 拡声器で拡張された声が僕たちを襲った。声の出所を探る。いた。声の主は茂みに隠れていた。しかし、それのせいで全体がよくわからない。胡桃君を見る。既に荷を捨てているではないか。別にそこまでしなくてもいいのに。

 

「お前も早く捨てろ!」

 

 あ、見えた。声の主は背の低いニット帽を被った童顔の少年だった。少年とは言っても僕よりも年上なのだろう。この少年は僕にあるものを向けていた。僕が非常に慣れ親しんだものを小さくしたもの。ピストルクロスボウだ。

 

「はぁ、面倒だ……」

 

 空を見上げる。憎たらしいほどの気持ちのいい天気だ。どうしてこうなったんだろうか。少年の怒声をBGMに僕は過去に思いを馳せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、胡桃」

 

 僕がコントローラーを操作すれば画面の車が左右に曲がる。あ、アイテム取り逃がした。僕たちは今、校長室でゲームに興じていた。二画面構成の携帯ゲーム機だ。

 

「ん?」

 

 僕のすぐ目の前に胡桃の後頭部が見える。あまりにも近いためシャンプーのいい匂いでダイレクトに伝わる。ふむ、どうやら別のシャンプーに替えたようだ。こっちのほうが好みだな。おい、墨は止めてくれ、見えない。

 

「思ったんだけどさ……」

 

 胡桃はゲーム機に集中しているようで返事は上の空だ。あ、崖から落ちた。ていうか、僕弱すぎだろうに。僕は今非常に気になっていることがあった。意を決して胡桃に問いかける。

 

「さっきからずっと思ってたんだけど、なんで僕の上に座ってんの?」

 

 そう、胡桃君はさっきから僕の右腿の上に僕に寄りかかるように座っているのだ。ソファーにはまだ二人分のスペースが空いているのにも関わらず、胡桃はあまりにも自然体だったため僕はこうして反応することすらできず、好き放題されていた。

 

「もしかして、嫌だったか?」

 

「いいよ」

 

 画面から目を離して少し寂しそうな顔で僕を見る胡桃を見て断れるのか、いや無理だ。そうやっているうちに画面内のレースは終わっていた。相変わらず僕はビリである。

 

「やっぱ秀樹弱すぎ。まだ由紀の方が上手く走れるぜ?」

 

「しょうがないだろ。僕はこういうのには慣れていないんだよ」

 

 僕が下らない言い訳をしていると胡桃は膝から降りて僕の隣に座ってくれた。そしてまたもや当然のように頭を肩に乗せてくるのだ。

 

 胡桃が身体を動かすたびに彼女の身体の感触がダイレクトに伝わってしまう。既に大分慣れたとはいえ僕は告白後の胡桃の変化に未だ戸惑いを感じていた。物は試しだ。聞いてみよう。

 

「胡桃、前と性格変わってないか? 前はこんなに距離近くなかっただろ」

 

 誰が見ても今の胡桃は以前とは様子が違っていた。もっと彼女はこう勝気で、こんなしおらしい子ではなかったはずだ。でも、僕の知らない彼女の一面を知れて僕は嬉しい。

 

「だって秀樹全然恋人らしいことしてくれないじゃん。あたしたち付き合ってもう三カ月たってんのにさ……」

 

 あれから僕は一度も自分から胡桃に手を出してはいなかった。彼女からねだられて頭を撫でたり手を繋いだりはしたがキスやましてやそれ以上のことは一切していない。胡桃とそういうことはしたくないと言えば嘘になるが、それよりも近くで胡桃のことを見守っていたかった。そもそも僕は責任を取れないことはしない主義なのだ。

 

「なあ、あたしってそんな魅力ないのか? そりゃ、りーさんやめぐねえみたいにスタイルよくないけどあたしだって女の子なんだぜ?」

 

 どうやら傷つけないための行動が裏目にでてしまったらしい。実際には勘違いもいいところなのだが、いくら思っていても伝わらなくては意味がない。僕は意を決して胡桃を右腕で抱き寄せた。

 

「ひ、秀樹!?」

 

 そのまま頭を撫でる。慣れたはずなのに僕はいつも心拍数が上がってしまう。恋は盲目というが自分自身がそれを身をもって体験する羽目になるとは思ってもいなかった。

 

「ごめんな。僕はさ今まで誰かを本気で好きになったことなんてなくてさ。好きな女の子にどう接すればいいかわからないんだ。だから自分が魅力ないなんて言わないでくれ。胡桃は僕にとって世界で一番魅力的な女の子だよ」

 

 少し調子に乗って気持ち悪いことを言ってしまった。仮に僕が言われてら鳥肌ものである。顔が熱くなる。恥ずかしくてたまらない。

 

「じゃ、じゃあ、証拠みせてよ……」

 

 そう言って胡桃は顔をどんどんと近づけてきた。ええい、ままよ。覚悟を決めて胡桃の頭を引き寄せる。短いが僕の気持ちを証明するためにキスをする。頭が真っ白になる。彼女のことしか考えられなくなる。

 

「これでわかってくれたか?」

 

 胡桃の顔は既に真っ赤だった。多分、僕も真っ赤だろう。

 

「あ、う、うん。よ、よく分かった……」

 

 そのまま二人して顔を真っ赤にしてしばらく黙り込むのであった。こうして僕は人生で二度目のキスを経験するのであった。ちなみにキスの味は晩御飯に食べたおでんの味でした。

 

 

 

 

 

「やっぱさ、大学に行くべきなんじゃねえの?」

 

 ようやく復活した僕たちは再び談話に興じていた。とは言え内容は先ほどよりも真面目である。大学。例のパイロットの持っていた地図に記されていた場所だ。緊急避難マニュアルにも避難場所として連絡先が記載されていた。これは黒とみていいだろう。

 

「僕も思っていたよ。一応、市役所の人たちと連絡が取れたとは言えなあ……」

 

 市役所の生存者達と連絡が取れたとはいえそれはとても薄い繋がりなのだ。精々、お互いに情報を共有しましょうくらいの関係なのだ。余裕があるとはいえまだまだ自分たちのことで手一杯なのである。

 

「あのマニュアルに載ってるなら多分ここと同じ様になってるはずだし」

 

 避難所として記載されているのなら、はじめさんの自宅や僕たちの学校のようにスタンドアロンで稼働するライフラインが存在はずなのだ。そうなれば自ずと生存者がいる可能性は高まる。

 

「てことは生き残っている確率もかなり高まる。協力できるならそれにこしたことはない」

 

「秀樹もそう思うよな。じゃあさ、明日めぐねえとみんなに相談しようぜ」

 

「僕も賛成だ。でも、細かいことは明日にしよう。ほら」

 

 棚の上に置いた安物の目覚まし時計を指さす。既に寝る時間だ。ちなみにこの時計は時限爆弾用の物だったのだが美紀に叱られてしまい泣く泣く本来の用途で使っている。

 

「もう、寝る時間だよ。じゃあ、また明日」

 

 僕が言外に退室を促しても胡桃は一向に立ち上がろうとしない。しばらくすると急にそわそわしながら僕を見た。これはデジャブを感じますね。

 

「ひ、秀樹がよかったらさ、い、いっしょに寝ないか?」

 

「お前は何を言っているんだ」

 

 そんなことしたらいよいよもって勘違いされるだろうに。いらぬ疑いを掛けられるのはごめん被りたい。

 

「だ、駄目なのか?」

 

「いいよ」

 

 何度でも言うが胡桃に上目遣いで悲しそうに言われて断れる男がこの世にいるのだろうか。絶対にいないと断言できる。結局、僕は胡桃と一緒の布団で眠ることに耐えきれずソファーで寝た。当然眠れなかった。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

「と、言うわけで僕は聖イシドロス大学に行くべきだと思う」

 

 次の日。例によって皆を集め僕は自分の考えを告げた。佐倉先生には予め僕の考えを説明しておいた。計画そのものの許可は得たので後は内容を煮詰めるだけだ。

 

「私もその考えには賛成なのだけれどメンバーはどうするのかしら?」

 

 僕として一人で行ってもよかったのだが、そんなことをみんなの前で話してしまった暁には説教フルコースが待っていることだろう。学校周辺は、ほぼ完全な安全地帯になったとはいえ世界は絶賛崩壊中なのである。

 

「一応、僕と胡桃は確定しているんだけど、正直あと一人欲しいかな」

 

「胡桃、本当なの?」

 

 心配で仕方がないといった様子だ。そりゃ下手しなくても何週間もいなくなる可能性があるのだ。いくら秘密兵器があるとはいえ心配なものは心配なのだ。

 

「心配すんなってりーさん。別に戦いに行くわけじゃないんだぜ?」

 

「心配するに決まってるじゃない。だって何日も学校に戻らないのよ?」

 

 どうやらあの二人はしばらく話が長引きそうだ。他のメンバーにも目を向ける。美紀と圭が僕を見る。佐倉先生と由紀はるーちゃんの子守をしてくれているのでここにはいない。一応遠征のことは話したのだが僕だけずるいと駄々をごねられてしまったが、お土産を持って帰るという約束をしてなんとか落ち着かせることができた。

 

 由紀の地図のナビゲーション能力は目を見張るものがあるのだが、何が待ち受けているかわからない以上なるべく戦闘ができる人員で固めたい。胡桃と二人で行っても問題ないのだがその際は本当に勘違いを正すことが出来なくなるだろう。

 

「あの、秀先輩。どれくらいの時間学校を空けることになるんですか?」

 

 これは気になることだろう。学校という安全地帯を飛び出す以上身の安全は保障できない。一応、薬はパイロットの持っていた中身不明の物も含めて3本持っていくことになっているがそれはなんの慰めにもならない。圭の質問は至極当然のものである。

 

「恐らく半月は帰れないことだろう。生存者がいた場合彼等との折衝には細心の注意を払う必要があるし、仮にもぬけの空でも調査する必要がある。とてもじゃないが一日で終わるようなものではない。どうだろうか?」

 

 三人の間に沈黙が走る。まあ、仕方がないな。誰だって好き好んで死地に行きたくはない。人が危険を冒せるのはその先に目的があるからだ。今回の目的はあまりに自分達に利がない。極稀に手段のためなら目的は何でもいいという僕のような度し難い存在のいるのだがそれは置いておく。

 

 今はこうして掛け替えのない平和な日常を謳歌している。でも、たまに無性に火薬と血の匂いが恋しくなるのだ。結局、僕という人間はどこまでいっても戦いを求めるのだろう。だけど、僕はこれを否定しない。この狂気があるから僕はみんなを守れる。それに僕は全部背負うと約束したのだ。

 

 一人また決意を固め、もう一度二人を見る。美紀が一歩前に踏み出した。僕の目を真っすぐ見ている。

 

「先輩、私が行きます」

 

「み、美紀?」

 

「一応聞くけど。理由は?」

 

 ただ、油断しているのなら即刻、その考えを正さなくてはならない。この世界は僕たちにちっとも優しくない。ここが例外中の例外なのだ。

 

「秀先輩と胡桃先輩だけだと何か起きた時に視野狭窄に陥る心配があります」

 

 それは暗に僕たちが脳筋だと言っているのだろうか。否定はしないけれども。

 

「それに、生きていなければ何もできないけど、生きているだけじゃ何もできませんから」

 

「美紀……」

 

 戦う者の目、覚悟を決めた者の目だ。これは僕が何を言っても折れることはないだろう。美紀だって前よりも強くなったことだし、いいだろう。美紀と圭はあれから随分と成長し今では一人でもあいつらと戦えるようになったのだ。正直僕は圭と美紀のペア相手に勝てる気がしない。

 

「圭は、学校をお願いね」

 

「うん、ここは任せて。でも、絶対無理しないでね」

 

 よし、決まったな。後は悠里と胡桃だけか。少し、説得するのに時間がかかりそうだ。僕が振り向こうとすると肩を叩かれた。振り向けば胡桃が笑っている。悠里も仕方ないかというような表情でこちらを見ている。

 

「誰が行くことになったんだ?」

 

「はい、私です」

 

「お、美紀か。じゃ、よろしくな!」

 

 交わされるハイタッチ。美紀も随分とノリが良くなったものだ。昔なら絶対にこんな光景は見ることが出来なかっただろう。どっちがいいかなんて考えるまでもない。こうして僕たち三人はバンに荷物を詰め込み大学へと向かったのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さっさと荷物置けって言ってるだろ! 聞こえないのか!」

 

 少年の怒号で我に返る。未だ僕にクロスボウを向け投降を呼びかけている。行動そのものは別によくあることだがいくら何でも短絡的すぎやしないだろうか。

 

「あの、その物騒なものを向けるのは止めてくれませんか? 別に僕たちは敵意もなければ感染してもいない。ただ、生存者を探していただけ。だから穏便にいきましょうよ」

 

 依然としてクロスボウの矢は僕に向けられている。でも、向けられるのが僕でよかった。胡桃に向けていたらきっと僕は怒りでどうかしてしまうだろう。

 

「あんただってみりゃわかるだろ? あいつらじゃないってことくらい」

 

 僕たちがいくら説得しようとも少年の意思は揺るがないらしい。クロスボウは未だ僕に向けられたままだ。しかし、よく見れば持つ手が震えているのがわかる。ふむ、少し近づいてみるか。一歩ずつ彼に近づく。

 

「おい! 秀樹!」

 

「く、来るな!」

 

 両手を上げて敵意がないことをアピールしつつ、その実すぐにでも行動できるよう体勢を整える。意識をクロスボウに集中させる。やっぱり震えているな。半端な覚悟で武器を向けるな素人め。

 

「う、撃つぞ!」

 

「本当に穏便にいきましょうよ。折角生き残りどうしこうして出会えたんですから。ね?」

 

 遂に両者の距離は手が届く位置まで近づいた。よく見たら引金に指を掛けたままじゃないか。危ないな。本当に危ないので僕は少年の持つクロスボウを左手で強引に掴む。

 

「さ、触るな!」

 

 力んだためだろう。引金が引かれ矢が発射される。解き放たれた矢は僕のこめかみを掠ると明後日の方向へ飛んで行った。結構痛いな。

 

「ひ、秀樹!?」

 

 胡桃が叫ぶ。自分でも血が流れるのがわかる。というか滅茶苦茶痛い。事件前の僕ならアドレナリンが大量放出されて痛みなど感じなかっただろうが、残念なことに既にこうした荒事には慣れっこである。思考は至って冷静。痛みはダイレクトに神経に伝わる。

 

「あっ!」

 

 クロスボウを無理やり奪い取る。そして眺める。ふむ、安っぽいクロスボウだな。通販で買ったのか。少年は動揺しているのか身体を硬直させているようだ。今のうちに距離を置こう。3m程離れる。

 

「いいか、人を撃つ覚悟がないのなら武器を向けるな。射的がしたいなら空き缶でも撃ってろ」

 

 もう、面倒だ。戻ろう。未だ硬直する少年を無視し踵を返す。胡桃が駆け寄ってくる。

 

「秀樹! 血が!

 

「大丈夫、見た目よりかは浅い。もう、戻ろう」

 

「本当に大丈夫なのかよ!? だって……」

 

 心配してくれる胡桃の頭を撫で僕は塀に掛けられた梯子に足を掛ける。

 

「か、返せよ!」

 

 後ろで何か言っているが聞く必要はない。背中から撃たれちゃたまったもんじゃない。でも、何も言わずに出ていくのは少しかわいそうだ。少年に顔を向ける。目が合った。

 

「やなこった」

 

「なっ……」

 

 そして僕たちは悠々と塀を乗り越え美紀の待つ車へと戻る。

 

「美紀、予定変更だ。ここの生存者は随分と好戦的だ。オーバー」

 

 二人で車へ向かう。さっきから胡桃は黙ったままだ。何か話しかけたほうがいいかもしれない。でも、なんて言おうか。

 

「秀樹」

 

「なんだい?」

 

 振り向けば頬に衝撃が走った。視界の先には手を振り抜いた涙目の胡桃が。ああ、これはまたやらかしてしまったようだ。

 

「何で、あんな危ないことしたんだよ!」

 

「う……」

 

 胡桃は顔を歪ませて僕に叫ぶ。罪悪感がひしひとやってきた。

 

「そんな怪我して、死んだらどうするんだよ!」

 

 僕に抱き着く胡桃。まただ。また僕はやってしまったのだ。あれだけ笑ってほしいと思っている人に。

 

「秀樹に何かあったらあたし、あたし……」

 

「ごめん、心配かけて……。本当にごめん」

 

 そっと抱きしめ返す。僕は自分に課せた試練の険しさを思い知った。今思えばこんなことをすれば胡桃がどう思うかなんて簡単に想像がつくはずなのに。僕はいつもいつもこうして調子に乗ってしまう。

 

「許さない……」

 

「へ?」

 

 胡桃が僕を見上げる。涙で顔は真っ赤だ。こんな顔はさせないと誓ったのにな。僕は本当に度し難いほど不器用だ。

 

「許して欲しかったらキスして……」

 

「わ、わかった……」

 

 意を決して唇を近づける。徐々に高まる鼓動。今は緊急事態なのに頭が胡桃のことで一杯になる。そして、

 

『二人とも、何してるんですか! 早く乗ってくださいよ!』

 

 そして、美紀の怒号で我に返った。僕たちは何とも言えない気恥ずかしさと共にバンの中へと戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「で、何が起きたんですか?」

 

「ああ、生存者には会ったんだけどさ───」

 

 胡桃と僕たちは敷地内で何が起こったのかを説明した。一通り説明を聞いた美紀は大きな溜息と共に僕を呆れ顔で見る。

 

「先輩ってやっぱ馬鹿なんですか? もう、無茶はしないってあれほど約束しましたよね? なのにまたこうやって……」

 

 そして始まる説教。横では胡桃が僕のこめかみの血を拭いてくれいている。なんだこれは。

 

「これは、みんなに報告しますからね」

 

「は、話せばわかる!」

 

「わ、か、り、ま、せ、ん!」

 

 反省文はもう見たくない。もう一生分も反省文は書いたのだ。だから、書きたくない。ふと、胡桃が僕の肩に手を置いた。まるで諦めろと言いたげな顔だ。

 

「まあ、その、なんだ……。諦めろ」

 

「あ、はい」

 

 わかりました。もう諦めます。

 

 

 

 

 

「おい、誰か来てるぞ!」

 

 美紀の説教が終わり、僕の手当てに取り掛かろうとしたところ胡桃がバックドアの窓を指さし叫んだ。僕も見る。フルフェイスヘルメットを被った二人の男性、手には角材とバット。その後ろにはセダンが止まっている。恐らく先ほどの少年の仲間だろう。

 

「どうします?」

 

「どうみても歓迎ムードじゃないよな……」

 

 二人が話している間に僕は運転席に座る。エンジンは掛けたままだ。シフトレバーをドライブに入れパーキングブレーキを解除。いつでも行ける。

 

「車出すぞ! 捕まってろ!」

 

「え、ちょ!」

 

 二人の声を無視し車を発進させる。突然のことに男二人も慌てて車に飛び乗った。楽しいカーチェイスの始まりだ。サイドミラーを見ればセダンが猛追して来る。クラクションも鳴らしてこれでは映画ではないか。

 

「お、おいどうする! このままだとぶつけられるぞ!」

 

「多分、そこまでの度胸はないだろう。なに、しばらく楽しいカーチェイスと洒落こもうじゃないか」

 

「なんでそんなに楽しそうなんですかあ!」

 

「はっはっは」

 

 そんなこんなでいよいよカーチェイスが始まろうとしたとき僕たちのトランシーバーにありえないはずの声が聞こえた。

 

『ねえ、バンの人聞こえてる?』

 

 まったく聞きおぼえのない声だ。誰だ。

 

「秀樹? 今の」

 

「先輩!?」

 

 無視するか。いや、折角の第三者だ。PTTスイッチを押し送信状態にする。

 

「聞こえています。貴方は誰ですか?」

 

『それは後にしない? 今は裏門に来て。ナビするから』

 

 そしてまるで僕たちの位置が分かっているように指示を出す声の主。いや、本当に位置が分かっているのだろう。恐らく構内の建物から見ているのだ。しかし、今それを確認する暇はない。

 

「せ、先輩、誰なんでしょうか?」

 

「知らん。だが、このままでは追いつかれる。今はこいつに賭けよう」

 

 荷物を満載したバンは当然ながら速度が出ない。それに対し相手の車はこちらより遥かに軽量なセダンだ。ぶつける気がないのか知らないがずっと一定の距離を保っている。

 

『次の角右! その次左!』

 

 声の主に従いハンドルを切れば裏門らしきものが見えてきた。三人の人間が入口の引き戸を開けて待機している。ご丁寧にこちらに手を振ってだ。

 

「あれか!?」

 

 胡桃が叫ぶ。あと少しか。だが、もううんざりだ。

 

「二人とも! 捕まってろよ!」

 

「えっ! きゃっ」

 

 ブレーキを思い切り踏み込み急停止する。サイドミラーを見ればセダンも慌てて急停止した。好都合だ。すぐさま降車。セダンに身体を向ける。

 

 

 

 

 

「ごきげんよう!」

 

 ホルスターから5906を引き抜き安全装置を解除。フロントガラスに向け発砲。ガラスに9mmの穴が開く。車内の男たちは突然の事態に全く対処できていない。だが、知ったことか。

 

 車に歩み寄りながら5906を撃ち続ける。フロントガラスとボンネットは蜂の巣だ。一応、人は狙っていないので死んではいないはずだ。

 

「そして、さようなら!」

 

 十二発撃ったところでようやく車が動き出した。かなり慌てているようだ。アクセルを踏み過ぎて街路樹に思い切りぶつけている。ふん、無様だな。やっとのことで車をUターンさせると車は猛スピードで僕たちから離れていく。追い打ちを掛けるべく続けて三発発砲。弾倉の弾を撃ち尽くしスライドストップが掛かる。

 

 5906を構えたままま弾倉を交換する。後ろで足音がした。後ろを向けば二人が車から降りていた。そしてその後ろの三人はまだ唖然としている。まるで今みたことが信じられないと言いたげな表情だ。くそ、耳栓なしで撃ったから耳が痛い。

 

 

 

 

 

「な、なあ秀樹?」

 

「ひ、秀先輩?」

 

 顔を引き攣らせて二人は僕に話しかける。後ろの三人を見ればまだフリーズしているようだ。一人はメガネがずり落ちている。耳鳴りが酷い。

 

「こ、殺してませんよね?」

 

「生きてると思うよ……。多分」

 

「そ、そうですか……。はぁ……」

 

 またか、と言いたげな顔で美紀と胡桃は頭を抱えた。僕が何かしてしまったのだろうか。ただ、敵意があると思われる人物に向けて威嚇射撃をしただけなのに。頭を抱える二人を尻目に僕は三人へと歩み寄る。

 

 

 

 

 

「こんにちは」

 

 メガネの女性と目が合う。まだ、呆けているようだ。横の茶髪の女性もその隣の黒髪の女性もまだ口をあんぐり開けたまま。あ、動いた。

 

「こ、こんにちは。よ、ようこそ聖イシドロス大学へ。は、はははは」

 

 こうして僕たちのファーストコンタクトは強烈なインパクトを残し終わったのである。主に、というか僕のせいで。でも、まあ、襲ってきたのは相手からだしいいよね。

 

「って、よくねえええええええ!」

 

 胡桃君の叫びが青空に吸い込まれていった。どうやら口に出していたようだ。

 

 

 




 
 いかがでしたか? 細心の注意(銃乱射)。一片の躊躇もなく人に向けて銃を乱射するサイコパスの鑑。大学編は見切り発車で書いているのでクオリティが著しく下がる可能性があります。どうかご理解ください。

 では、また次回に。


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第十九話 さーくる


 書いていて思うこと、ボクっ子っていいですよね。


「アンタも随分無茶したねえ。これあと少しずれてたらヤバかったよ」

 

 こめかみの裂傷に消毒液を染み込ませた綿が当てられる。綿が傷に当たるたびに鋭い痛みが走るのは仕方のないことなのだろうが、痛いものは痛い。思わず顔を動かしそうになる。

 

「まだ、終わってないから動かないの! あんなとんでもないことできるんだから消毒くらい我慢しなさい」

 

「は、はい……」

 

 有無を言わせぬ力強い言葉だ。消毒を終え、ガーゼを取り出し僕の患部に当てその上からテープで固定する。これで手当ては完了だろう。しかし、目の前の女性は、まだ僕に何かしようとしているようだ。救急箱から錠剤を僕に手渡す。

 

「はい、これ抗生物質。一応飲んでおいて」

 

「いや、そんな貴重なものを貰うわけには」

 

 この世界において医薬品は金やダイヤよりも価値がある。当然、僕は断ろうとしたが手で制止される。

 

「いいから、まったく、人の親切くらい素直に受け取りなさいよ。」

 

 これは受け取らないと永遠に話が進まなそうだ。仕方がないので錠剤を受け取る。

 

「あの、秀樹は大丈夫ですか?」

 

 胡桃が横から心配そうに尋ねる。後ろの美紀も口には出していないが似たような表情をしている。少し調子に乗りすぎたようだ。反省せねばならない。

 

「見た目よりは浅かったから大丈夫だと思うよ。後は、抗生物質を飲んで様子見かな? でも、傷跡は残っちゃうだろうね。でか敬語とかいらないよ。面倒だし」

 

 こうフレンドリーなのはありがたいが僕が先ほどやらかしたことを見てもこう言えるのは何か裏があるのだろうか。警戒はした方がいいだろう。あの、襲ってきた連中の仲間じゃないとは言いきれない。

 

「そう、ですか……」

 

 胡桃と美紀が顔を歪める。そんな気に病むことでもないと思うんだがな。

 

「そんな、悲しそうな顔をするなって。たかが傷跡だろ? 顔の傷は男の勲章っていうし、箔がついていいじゃないか」

 

 そういうと胡桃と美紀はまた悲しそうな顔をするのだ。僕はまた言葉選びを間違えてしまったのだろうか。本当に箔がついてかっこいいと思うんだけどな。と、馬鹿なことを考えていると頭に軽い衝撃が走る。振り向けば手当てをしてくれた女性が僕に手刀を振り下ろしていた。

 

「えっと、秀樹だっけ? 女の子の前でかっこつけたい気持ちは分かるけどさ。死んじゃったらそうやってかっこつけることもできないんだよ……。だからあまりそういうことは言わないでほしいな……」

 

 重みのある言葉だった。きっと彼女も大事な人を亡くしてきたのだろう。いや、彼女だけではない。この世界に生きている全ての者は大なり小なり脛に傷を持っている。僕も胡桃も、美紀も学園生活部の皆も、目の前の三人も、そして襲ってきた彼らも。横を見れば残りの二人も頷いている。これは、素直に謝っておこう。

 

「すいませんでした。そうですね。二人とも、心配させてごめんな。次からは気を付けるよ」

 

「次からじゃなくて今から気を付けて下さい!」

 

「秀樹の無茶は今に始まったことじゃないけど、流石に今回は無理だわ」

 

「う、面目ありません……」

 

 こうして何とか僕は二人に許しを貰うことができたのである。とは言えきっと帰ってきたらまた佐倉先生と悠里の説教が待っていることだろう。そう思うと憂鬱ではあるが、同時に僕のために怒ってくれる人が沢山いる事実がたまらなく嬉しい。

 

 

 

 

 

「じゃ、シリアス展開はここまでにして自己紹介といこうじゃないか! ボクは出口桐子、サークル代表だよ。よろしくね!」

 

 手を叩きメガネの女性が宣言する。あの反撃から僕たちは一度もお互いの名前をおしえていない。本当なら裏門に飛び込めばそのまま自己紹介だったのだろうが、僕という最大級のイレギュラーのせいでここまで話が拗れてしまったのだ。

 

「恵飛須沢胡桃です。よろしくお願いします」

 

「えと、私は直樹美紀です。あの、私たちのこと怖くないんですか? だって、さっきあんなことをしてしまいましたし」

 

 僕もあれはやりすぎだったと思う。威嚇なら宙に向けて一発撃てばよかっただけなのに。どうにも僕は学園生活部に危害が加わりそうになるとタガが外れてしまう。尤も行為そのものは全く持って正しかったと思っている。精々、三、四発にすればよかった。火炎瓶でもよかったかもしれない。

 

「うーん、まあボクも最初はヤバイ奴を中に入れちゃったと思ったけど、君たちに二人に怒られるこの人を見たらなんか気が抜けちゃってさ、それにボクたち君たちのこと初めから見てたんだけどさ、あれは正直怒ってもいいと思うよ。ちょっとやりすぎだと思うけど」

 

「あれは、ちょっとじゃないと思うけどなあ……」

 

 おい、胡桃。折角人が納得してくれているのに話を拗らせるな。美紀を見ればその通りだと言わんばかりにしきりに頷いている。おかしいこれでは僕が間違っているようではないか。

 

「んでアタシが光里晶。アキでいいよ。それでこっちが喜来比嘉子。工作とか修理が得意なの。みんなはヒカってよんでる」

 

 僕を手当てしてくれた女性は自分のことをアキと呼んだ。隣の黒髪はヒカ、か。修理が得意。これはいいことを聞いた。後で日記に書き記しておこう。そう考えていると喜来さんと目が合った。彼女は会釈だけすると僕から隠れるように少し移動した。どうやら怖がられているらしい。

 

「ヒカ、気持ちは分かるけど流石に露骨すぎるよ。ごめんね。で、アンタの名前は? まだちゃんと聞いてなかったよね」

 

 来たか。皆が僕を見る。いよいよもって男女比が不味いことになってきた。何で男の生存者はどいつもこいつも碌でもない奴ばかりなんだ。もう少し真面目に生きろよ。

 

「ゴホン。皆さん、初めまして僕は本田秀樹。私立巡ヶ丘学院高校の三年生です。あの、本当に僕たちを上がらせていいんでしょうか? 自分で言うのもなんですが僕、超危険人物ですよ」

 

 美紀と胡桃が自覚があったのかと言いたげな目で僕を見るが僕は断じてそのような理不尽な行為には屈しない。多数の銃火器と爆薬、火炎放射器で武装した男が危険人じゃなかったらこの世は聖人だらけだ。

 

「えっ! 年下だったの……。じゃなかった。んー、アタシもトーコと同じかな。胡桃と美紀に怒られてるの見てたら大丈夫かなって。それにあいつら別に殺してないんでしょ?」

 

「はい、一応威嚇のつもりで発砲しました。多少、怪我はしても死ぬことはないでしょう。車はもう御釈迦になっているかもしれませんが」

 

「あ、あれで威嚇のつもりだったのかよ……」

 

 聞こえているぞ、胡桃。あと、美紀も溜息をつくな。とは言え、一応威嚇射撃ではあるがあれで死んだらそれはそれで全く持て構わない。死は全てを解決するのだ。人がいなければそもそも問題は起こらない。

 

「まあ、あいつらにはいい勉強になったんじゃない? ヒカはどう思う?」

 

 この口ぶりから察するに襲ってきた連中とは別のグループのようだ。いい勉強と言っている辺り恐らくいつもあのような荒っぽいやり方なのだろう。まだ何人いるかわからない以上警戒するに越したことはないが僕が思う程脅威ではないのかもしれない。

 

「私はまだ怖いけど、悪い人じゃないのは分かる。だから大丈夫」

 

 やはりここまで生き残っているだけはあって度胸のある人ばかりだ。これで大方自己紹介は済んだ。あとはお互いの情報を交換したい。

 

「自己紹介も済んだところだし、場所変えない?」

 

 それもそうか。今僕たちがいるのは建物入口のロビーだ。確かにここで腰を据えて話をするのは些か厳しいものがある。出口さんの提案を断る理由もない。僕たちは彼女の案内に続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「へぇ、学園生活部かあ。面白いこと考えるね」

 

 あれから僕たちは胡桃と美紀を主導でここまでの経緯を説明した。ちなみに僕が説明しないのは話を拗らせない為である。彼女達の情報も手に入れることができた。彼女達三人は自らをサークルと呼称し、この腐った世界を面白おかしく生きることを第一に考えているのだという。

 

 この大学は僕たちの想像通りライフラインが生きていた。彼女達がここまでおおらかなのはそれだけ余裕がある証拠なのだろう。証拠としてこの部屋に入る前に案内された部屋には多数のテレビゲームが遊べる状態で置かれていた。遊びで使えるほどの電力が供給されているのだ。

 

「てか、逞しすぎるでしょ。扉溶接したり教室に畑作るなんて」

 

 薪ストーブも絶賛稼働中でございます。でもあれは薪作りが地味に面倒だ。刈払機を本来の用途で使うことになるとは思わなかった。

 

「そうだねえ。ボクたちなんて、ただ遊んでただけだもんね」

 

 流石に校庭大爆破のことは話していない。ただでさえ何の躊躇もなく銃を乱射できる人間だと思われている(その認識は全く間違っていない)のに通算ゾンビ殺害数が二千(あるいはもっと)を越えそうな人間が目の前にいますなんて言ってしまった暁にはいよいよ持って協力関係を結ぶことが出来なくなる。この事実は然るべき時まで隠しておくべきだろう。

 

「それで、このマニュアルに載っている場所なら生きている人がいると思ってたここまで来たんです」

 

 美紀がマニュアルのコピーを出口さんに手渡した。証拠もなしに黒幕を言ってもただの戯言として流される可能性がある。このマニュアルも正直傍から見れば眉唾ものだが実際に恩恵を受けている以上、否応なしに信じざるを得ない。

 

「うわ、どうりで設備が良すぎると思ったのよ」

 

「まるでゲームの設定みたいだな……」

 

「地下で鉄砲も見つけたましたしヘリコプターがうちの学校に墜落したんですけど乗ってた奴ももピストルを持ってました」

 

「ヘ、ヘリが落ちたの!? ますますゲームみたいだ。ということは秀樹君の銃はそこで手に入れたのかい?」

 

 本当に、ベタなゾンビ映画のテンプレートみたいな展開だ。ここまでベタだと変異したクリーチャーとかが出てきても僕は一向に驚かない。

 

「いや、あの銃は暴力団の事務所から無期限で拝借しただけです。他にもライフルとショットガンもありますよ」

 

「ぼ、暴力団って行動力ありすぎでしょ君。でも、やっぱ本物なんだね。よかったら後で見せてくれない?」

 

 意外な一言だ。もしかしたら銃に興味があるのかもしれない。

 

「ええ、構いませんよ。よければ撃ってみますか? 弾なら沢山ありますので」

 

「いいの!? あ、でも、やっぱいいや。怖いし」

 

 なんだ、折角語れると思ったのに。少し残念だ。だが、銃を怖いものと思えるのはいいことだ。銃弾の重量は僅か数十グラムしかない。それを薬室に装填したった数キロの力を引金に掛ければそれだけで銃口を向けた相手の今まで積み上げてきた全てを奪う。奪ってしまう。銃とは人間の闘争の歴史の終着点なのかもしれない。

 

「もう、先輩、変なこと吹き込まないでください!」

 

「そうだぞー。まためぐねえにチクちっちまうぞー」

 

 それだけはご勘弁を。だが、これで学園生活部の話は終わった。後のことはまた後にすればいい。ここからは僕の番だ。僕の変化に気が付いたのだろう。出口さんが僕を見つめた。

 

「何か聞きたいって顔だね」

 

「どうやら理解していただけたようで。出口さん、僕が聞きたいのはただ一つ。僕らを襲ってきた連中の正体です。今までの口ぶりから察するに貴方達とは少なからず因縁があるようだ」

 

 三人の雰囲気が少し暗くなるのを感じ取った。どうやら彼等のことを良くは思っていないらしい。これから彼女達の口から説明される内容がどうであっても彼等は要警戒対象に変わりはない。

 

「因縁、か。確かにそうだね。あいつらは自分達のことを武闘派と呼んでいる。」

 

 そこから説明されることは、こんなことを言うのはあれだがありきたりなものであった。大学内に次々と増える奴ら。次第に減っていく生存者。そのままいけば全滅だったのだろう。だから彼らは規律第一で仕切り始めた。戦える者を集め厳格なルールを課し逆らう者や使えない者は容赦なく切り捨てる。

 

 だが、今や武闘派の数も減り僅か五人だという。話を聞く限り初めはもっといたのだが反発して出て行ったり死んだりして一人また一人といなくなり遂には五人まで落ちぶれたのだという。正直言って組織構造に致命的な欠陥があるとしか思えない。何十人もいたグループが一年にも満たない期間で一桁になるとは武闘派とは新選組の生まれ変わりなのだろうか。士道不覚悟不可避。

 

「で、ボクたちはそういうのが嫌だったから抜け出したんだ。最初は明日のご飯もヤバいって感じだったんだけど。今はヒカのお蔭でこうして悠々自適に自堕落生活を送れているってわけなんだ」

 

「そう、なんですか……」

 

 美紀と胡桃は思うところがあるようだ。折角の生き残りが自分達でその数を減らしていくという残酷な事実にショックを隠し切れないようだ。

 

「そして今はみんなで仲良く冷戦ごっこってわけですかい? 随分とまあ気楽なことで」

 

「せ、先輩! そんな言い方……」

 

 僕の皮肉に美紀が苦言を呈す。でも、事実だ。今は人数が減って言い方は悪いが余裕がある。にもかかわらずこうしてこの二つのグループはお互いにいがみ合ったまま。これでは進歩も何もない。

 

「その通りだね。恥ずかしいことにね」

 

「でも、話を聞く限りその武闘派とは気が合いそうですね。もしかしたら同類かもしれない。僕だって好戦的だ」

 

 少しばかりの同意を示す。言葉に自嘲の意味が込められているのは言うまでもない。胡桃と美紀が悲しそうな顔で僕を見る。そんな顔するなよ。事実だろうに。いくら言い繕っても僕の本質は変わりはしない。普通に生きることが出来なかった弱者だ。でも、僕はそれでも皆と生きたいのだ。

 

「多分、君が行っても合わないと思うよ。君は確かに、ぶっ飛んでるとは思うけど冷徹じゃあない。でも、あいつらは違う。もっとギスギスしてるっていうか、自分達のことしか考えていないっていうか。別に悪い奴らじゃないんだけどね」

 

 だが、そんな僕の思いを知ってか知らずか出口さんは一刀両断に否定する。一瞬、呆けてしまう。ふと気が付くと僕の左手が誰かに握られていた。胡桃だ。

 

「トーコさんの言う通りだよ。秀樹はあんな奴らとは絶対に違う」

 

 出会ったばかりの夕暮れの廊下で向けてくれた笑顔と同じ笑顔だ、もしかしたら僕はあの時からこの子に惚れていたのかもしれない。

 

「そうですね。私も先輩はあんな連中とは絶対に違うと思います」

 

 顔を見ればわかる。二人は本気で話しているのだ。暴力に傾きかけた心が戻るのがわかる。いつもこうして僕を引き戻してくれるんだ。僕は学園生活部と出会えて本当によかった。

 

「胡桃、美紀、ありがとうな」

 

 この思いを伝えるために笑顔でもって礼を述べる。礼はすぐに言うべきだ。明日の命もわからないこの世界。思ったことは直ぐに言うべきだ。

 

「べ、別に秀樹のためなら……」

 

「別に、構いませんよ。先輩には色々借りがありますから」

 

 本当に、感謝してもしきれない。既に一生かけても返せない程の貸しを作っている。でも、この貸しを返し続けると思うと楽しみでたまらない。いや、違う。貸しとか借りとかじゃあないんだ。ただ、仲間だから家族だから助ける。それだけなのだ。

 

「ねえねえ、さっきから思ってたんだけどさ。秀樹と胡桃って付き合ってんの?」

 

「へ?」

 

「え?」

 

 唐突に燃料が追加された。声の出所を探れば光里さんがニヤニヤしながら僕たちを見ている。というかよくみれば三人ともニヤニヤしていた。

 

「ど、どうしてそう思ったんですか?」

 

 胡桃、それでは肯定しているようなものではないか。一応学園生活部の皆にも内緒にしているんだぞ。トラブルになりそうなことは隠す必要がある。

 

「いや、だってね。さっきからあんなにリア充オーラを垂れ流しにして隠しきれると思ったのかい? ボクを甘く見ない方がいいよ」

 

「私もちょっと気になるかも」

 

「早く言いなさいよー!」

 

 僕は胡桃を顔を見合わせる。本当にどうしようか。一応、秘密のつもりなのだがどうにも学園生活部の皆にはばれている気がしてならない。ていうか絶対ばれてる。でなきゃ男の部屋に寝泊まりなんて許可するはずがない。彼女達はそこまで呑気ではない。先に動いたのは胡桃だった。

 

「え、えっと秀樹とは、い、一応、つ、付き合ってます……」

 

 恥ずかしいのだろう。顔が真っ赤だ。思わず写真に撮りたくなるような可愛さだ。本当に僕には勿体ない子だ。

 

「ほら、やっぱりボクの言った通りじゃないか! あんな遠くからでも計測できるリア充オーラの持ち主が付き合ってないわけないんだよ!」

 

「ねえ、馴れ初めは? いつから付き合ってんの?」

 

「え、いや、ちょ」

 

 胡桃は二人の熱い追及に押されてタジタジになっているようだ。悪いが今のうちに逃げよう。ゆっくりと離れて美紀の近くまで行く。呆れ顔で僕を見る。

 

「なあ、美紀。いつから気が付いてた」

 

 ばれているのは前提だ。聞きたいのはいつから知っていたかだ。僕の質問に美紀はあきれ顔をさらに呆れさせ溜息のオプションまで付けた。

 

「あの、隠しているつもりだったんですか?」

 

「…………」

 

 それで十分だった。後に残されたのは未だ質問攻めに合っている胡桃と頭を押さえる美紀、そして固まった僕だけであった。なんだこれ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年◎月◎日

 

 ようやく、聖イシドロス大学の生存者達と交流することができた。途中、武闘派なる連中に追いかけられるアクシデントが発生したがそれ以外は概ね順調である。以下、僕の人物評をここに書き記す。

 

 出口桐子、聖イシドロス大学情報科学部所属。背の低いメガネをかけた女性で、自らを僕と呼称する。所謂、ゲームマニアという人種なのだろう。自室と思わしき部屋には多種多様なゲーム機が置いてあった。胡桃は異様に目を輝かせていたが残念ながら僕たちは明日、帰還する。サークルという名のグループを立ち上げこの大学で悠々自適な生活を送っている。グループの名前は自堕落同好会とくっちゃね友の会で意見が別れたらしいのだが、僕としては名は体を表すともいうし自堕落同好会を推したい。

 

 光里晶、経済学部所属。茶髪(恐らく染色)の髪の女性。特にこれと言って特徴はない普通の女性だ。ただし、後述する武闘派のことを話す際に引っかかるものを感じた。もしかしたら過去に何か因縁があるのかもしれない。

 

 喜来比嘉子、工学部所属。非常に露出の激しい服装をした黒髪の女性。今時はああいうのが流行っているのだろうか。僕としては防御力が皆無な上に体温を闇雲に低下させる可能性のある服装はあまり好きではない。というか寒くないのだろうか。彼女はこの世界において非常に貴重な機械関連の知識を豊富に持っている。今僕たちがいるこの建物の電気は彼女が使えるようにしたという。武闘派のことを差し置いても彼女とは絶対に協力関係を結びたい。学校の設備は当分持つだろうが、永遠には持たない。だが、彼女がいれば寿命が延びる可能性が大幅に高まる。

 

 忘れてはならないのが武闘派だ。今判明している人員は五名。高上レンヤ、右原シノウ、頭護タカヒト、城下タカシゲ、神持アヤカ、の以上五名だ。リーダーは頭護だという。恐らく、僕たちを追い回した二人のうちの一人だろう。そしてクロスボウを撃ったのは恐らく高上だ。まだこめかみが痛い。いつか殴ってやる。

 

 彼らは昼過ぎの出来事からも見て取れるように非常に暴力的だ。何が彼らをそこまで駆り立てるのかは知らないがもう少し視野を広げるべきだろう。だが、彼らのお蔭で大学の安全が確保されているのも事実だ。幸い、彼等と彼女達は定期的に交流を行っているらしい。出口さんに頼み弁明をしてもらうのもありだろう。僕としてはこんな危険集団は即刻排除したいが、彼女達と協力関係を結ぶ以上、なるべく武力行使は慎みたい。

 

 これらのことを新たに搭載した秘密兵器、長距離無線で学校に報告した。一応、三人にも会話を交えてもらい、今後の協力体制について簡単な議論をした。途中、無線の調子が悪くなってしまったが、喜来さんの的確な修理のお蔭で無事に回復した。やはり彼女とは協力関係を結ぶべきだろう。

 

 これで、僕たちの目標は達成した。まだ、武闘派のこともあるが、とっとと帰ってしまったほうが問題も起こらないだろう。というか、もう帰りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう、帰っちゃうのかい?」

 

 そして次の日。僕たちは車の前で別れを済ませていた。彼女達は少し寂しそうだが僕としてはトラブルが起きる可能性がある以上早めに退散したい。

 

「ええ、こうして貴方達とも出会えましたしね。武闘派のことはくれぐれもよろしくお願いします。まあ別れと言っても無線でいつでも連絡取り合えるから大丈夫ですよ」

 

 胡桃と美紀はまだ車外にいる。早く乗ってほしいんだがな。

 

「じゃ、胡桃、彼氏のことちゃんと見張ってんのよ!」

 

「は、はい!」

 

「あの、二人ともなんの話してるんですか?」

 

 ようやく、こっちにやって来た。さていよいよもってお別れだな。エンジンを掛けるとするか。キーを差し込み捻る。何故か、一向にエンジンが掛からない。おかしいな。もい一度点火させる。駄目だ。掛からない。

 

「秀樹、どうしたんだ?」

 

「いや、なんかエンジンが掛からないんだけど」

 

「えっ? ほ、本当ですか!?」

 

 何度エンジンを掛けようと試みてもエンジンが始動する様子はない。そんな僕たちの異変を感じ取ったのか出口さんたちが近づいてきた。

 

「どうしたの? 何かあったのかい?」

 

「えっと、エンジンが掛からないそうです」

 

 バッテリーが上がったか。いや、それはないはず。ちゃんと確認した。じゃあ、エンジンが逝ってしまったのか。いや、昨日までピンピンしてたじゃないか。仕方がないので車を降りボンネットを開く。駄目だわからん。

 

「ちょっとヤバいんじゃない? ヒカ見てあげたら?」

 

 光里さんの提案に頷き喜来さんが僕に近づく。いつの間にか胡桃も美紀も車を降りていた。

 

「ちょっと、見せてくれるかな?」

 

「お、お願いします」

 

 喜来さんに場所を譲る。彼女はしばらくエンジンを眺め何やら部品を弄った後に僕たちに振り向いた。その顔は何とも言えないものであった。

 

「ど、どうでしたか? ヒカさん」

 

「駄目、色々壊れちゃってるみたい」

 

 無慈悲に告げられる事実。今まで無茶させていたつけが回ってきたのだ。たまらず頭を抱える。どうしようか、無線で連絡して迎えに来てもらうか。いや、それは、無理だ。はじめさんに頼むのは。いや、彼女に危険を冒させるわけにはいかない。

 

「ねえ、ヒカ。直せる?」

 

「もっとよく調べないとわからないけど多分大丈夫だと思うよ」

 

思わず顔を上げる。出口さんの頼もしい笑顔が目に入った。

 

「だってさ。だから大丈夫だと思うよ」

 

 でも、この人たちにそこまでしてもらうわけには。他に手段はないのか。そうだ、その辺の車でも拾えばいい。いや、でも、バッテリーが生きているかどうかわからない。参ったな。と、僕が悩んでいると胡桃が一歩前に踏みだした。

 

「じゃあ、お願いします!」

 

 陸上部らしいハキハキとした言葉だ。気が付けば美紀も同じように頭を下げていた。こりゃ、仕方がないか。

 

「僕からもお願いします。しばらくここに居させてもらえますか?」

 

 僕の言葉に出口さんと光里さんはハイタッチを交わす。そんなに嬉しいのか。そして僕に手を差し出す。握手だ。

 

「もちろん! これから少しの間よろしくね!」

 

 握り返す。それだけで十分だった。こうして僕たちは聖イシドロス大学にしばらくの間、滞在することになってしまった。武闘派のこともあるのに、先が思いやられる。でも、まあいいか。

 

 





 いかがでしたか? 主人公一行は車の故障により滞在することが決まってしまいました。そうしないと話終わっちゃうものね。仕方ないね。さて、主人公は一応、穏便にいくことを決めましたが果たしてどうなることやら。

 では、まあ次回に。


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第二十話 けいこく

 書いていて思うこと。怖いよ。


 5906のスライドを少し引き、そのまま手で固定。スライドストップを指で少し押し出す。これでスライドストップが外せる。スライドストップを外した後、スライドをフレームから引き抜き内部の銃身とリコイルスプリングを取り外す。これでフィールドストリップは完了だ。

 

「───、───」

 

 思わず鼻歌を歌ってしまう。即興で考えているため滅茶苦茶だがどうでもいい。今は気分がいいのだ。テーブルの上に置いたケースからワイヤーブラシを取り出し銃身を掃除。ライフリングに溜まったカーボンを取り除く。

 

「秀樹、入るぞ。って、何やってんの?」

 

「ああ? 見てのとおり銃のメンテナンスさ」

 

「ふーん」

 

 そして当然のように僕の隣に座る。もはやごく当たり前となった流れだ。胡桃は何をするでもなく僕の作業を眺めている。ブラシを使ってスライド内部を掃除する。ふむ、まだ掃除するのは早すぎたかな。全然汚れてない。

 

 今日、車が故障してしまい僕たちは立ち往生するかと思われたが喜来さんの助けもあり何とかなりそうだ。とは言え、まだ朝になったばかりだ。今朝、話した限りでは直すのには時間が掛かるそうである。とは言え、彼女に付きっ切りで作業してもらうわけにはいはいかない。既に無線で遅れる旨は伝えてあるのでゆっくり直してもらえばいいだろう。

 

「そう言えばりーさんが遅れるなら荷物に参考書入れといたから勉強しとけよだってさ」

 

「へー」

 

 オイルを充填したスプレーを手に取りスライドとフレームが接触する部位と引金関連の部品に注油し、しばらく馴染ませる。オイルの何とも言えない香りが僕の鼻を刺激する。

 

「秀樹、本当に聞いてるのか?」

 

「へー」

 

 弾倉を六つ取り出す。内、三つは既に弾薬が装填されている。僕は装填済みの弾倉から弾薬を全て抜き取り、空の弾倉に詰めなおす。こうすることで弾倉のバネの劣化を防ぐのだ。マガジンローダーなんていう便利アイテムはないので当然、手動で弾を込める。

 

 残り、30発。慣れたとはいえこの作業は手が疲れる。56式の装弾クリップなら弾を溝にはめるだけだから楽なんだがな。ただひたすら9mmパラベラム弾を弾倉に込める。突如身体が揺らされた。

 

「ひーでーきー! 話聞けよ!」

 

 胡桃が僕の腕を掴んで左右に揺らしていた。可愛い。でも、少し悪いことをしてしまったようだ。

 

「あ、悪いね。つい夢中になってしまって」

 

「まあ、すげえ楽しそうだったもんな。それって、なんて言うピストルなんだ?」

 

「お、気になるかい? これはねスミス&ウェッソンが開発したモデル5906といってね1954年に開発されたモデル39の後継機なんだけど──」

 

 僕は胡桃に自分の知識を披露する。ただ何なく聞いたことなのかもしれないが自分の好きなものを好きな子に知ってもらえるのは嬉しい。だからだろう、つい夢中になって話し過ぎてしまった。

 

「────でも、もうM&Pが登場してからはカタログ落ちしちゃってね。採用している国も段々減っているんだ。まあ、もう時代遅れの銃だし仕方がないけどね」

 

 随分と長いこと話してしまった気がする。胡桃は話の半分も理解していないことだろう。好きなことになると我を忘れるのは悪い癖だな。

 

「ごめんね。全然わからなかったよね」

 

 胡桃は苦笑している。当然の反応であった。話しながら弾倉は全て込め終えた。後は分解された5906を先ほどとは逆の手順で組み立てていくあっという間に元通りだ。

 

「確かに、秀樹の言ってること全然わからなかったけどあたしは秀樹の好きなものが知れてよかったぜ?」

 

 そう言って胡桃は笑う。僕は彼女の頭なでようとして自分の手が油で汚れていることに気づいた。手を引っ込める。胡桃は少し残念そうだ。

 

「な、撫でてくれないのか?」

 

 今回ばかりは上目遣いで頼まれても頷くわけにはいかない。仕方がないので事情を伝える。

 

「そっか。じゃあしょうがないな。だったら代わりに……」

 

 僕の頭に何かが乗っかる。胡桃の手が僕の頭の上に置かれていた。僕は今撫でられているのだ。これは、恥ずかしい。だが、悪くないな。

 

「いつも、秀樹が撫でてばっかだから、たまには、あたしにも撫でさせろよ」

 

 そうして僕と胡桃は僕たちを呼びに来た美紀に見つかるまでひたすら撫でられ続けるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ゴホン! これが今朝、悠里先輩に言われてた参考書です」

 

 別室、長机を設置しまるで塾のような雰囲気の中で美紀は机の上に参考書とノートを置いた。地味に多いな。

 

「おお、サンキュー。美紀」

 

「いえ、ついでですから」

 

 目の前の参考書を見る。センター試験用のか。僕としては推薦狙いだったから全くと言っていいほど勉強してなかったな。もう、勉強する意味もないのかもしれないが。英語の参考書を流し読みする。この程度なら問題ないな。

 

「秀樹って英語できるのか?」

 

「まあ、自分で読むくらいなら問題なくできるよ。そうじゃないと海外の銃火器のウェブサイト見れないしね」

 

「ふーん、そういうもんか……」

 

 こうして、僕たちはしばらくの間勉強をするのであった。英語はまだ何とか覚えていたが数学、国語、その他諸々は殆ど忘れてしまっていた。酷く退屈なのは認めざるを得ないが、闘争に身を投じていたら決してできない贅沢な行為なのだ。とは言えこんな受験用の知識よりも農業や医療の知識の方がよっぽど学ぶ価値がありそうな気がするのは気のせいだろうか。

 

「あー! 全然わかんねー!」

 

 胡桃が遂にダウンした。かくいう僕も何とか堪えているがもう限界に近い。いくら頭では理解していても身についた習慣まではそうそう変えることは出来ない。

 

「なあ、この勉強って意味あんのかな? だって、もう勉強したってさ……」

 

「先輩……」

 

 もう、勉強したところでそれを披露する場所がない。テストなんてものはもう誰も出してくれないし、受験なんて言葉はこの世界には不必要だ。

 

「でも、私は必要だと思います。先輩、知識は武器です。それは使い方によっては単純な暴力なんかよりもずっと強力な矛になります。それに知らなくて困ることがあっても知ってて困ることはありませんから」

 

 その通りだ。暴力ってのは所詮、何処までいっても壊すことしかできない。スクラップ&ビルドなんて言葉もあるが、それは知識があって初めて意味を成す。そんな美紀の言葉に胡桃は思うところがあったようだ。再び参考書を手に取った。だが、先ほどまでの惰性とは違い明確な意思の基にペンを取っている。

 

「美紀の言うとおりだな。よし! 勉強するか!」

 

「知識は武器、か。全く持ってその通りだ。忘れていたよ。でも、こういう勉強も大切だけど今の僕たちには他にも必要な知識もあるだろう。確か、図書館があったはずだが」

 

 特に農業と医療の知識はもっと知っておくべきである。既にある程度の知識は持っているとはいえ十全とはいいがたい。

 

「確かに、一理ありますね。図書館、使えるのかな?」

 

 これは好機だ。僕は自らの切り札を切る。

 

「じゃあ、僕がトイレがてら聞いてくるよ。またね」

 

 席を立ち、部屋を後にする。計画通り。実は今までのやり取りは僕が逃走するための布石だったのだ。ただ、逃げ出すのはかっこ悪いので、こうして尤もらしい理由が必要だった。そして計画は達成され、僕は晴れて自由の身になった。

 

「あれ、秀樹逃げてね?」

 

 やべ、ばれた。僕はたまらず駆けだした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、車の調子はどんな感じでしょうか?」

 

 勉強の魔の手から命からがら逃げだした僕は一応、図書館の内情を聞くため出口さんたちを探していたのだが一向に見つからなかった。仕方がないので外まで出たのだが、そこで僕たちの車を修理してくれている喜来さんに遭遇したのだ。

 

「今、見てるんだけど多分電装系の部品が摩耗してるのが原因だと思う。これは交換が必要かも」

 

 思っていた以上に深刻だった。とは言え車は門外漢だ。僕が手伝えることは精々、パーツを取ってくることくらいだろう。

 

「もしよければ交換が必要なパーツを教えてくれませんか? 外で取ってくるので」

 

「あ、危ないよ! そんなことしなくても駐車場の使ってない車から取ってくればそれで大丈夫だから」

 

 武闘派と冷戦状態にある以上、なるべく不審な行動は慎みたい。少しの危険を冒すだけでそれ以上のリスクを回避できるのだったらそうするべきだ。

 

「別に大丈夫ですよ。見てのとおり僕は戦い慣れていますから」

 

 対ゾンビ、対人、どちらも経験豊富だ。

 

「そうなんだ。君は、強いんだね……。ちょっと聞いてくれるかな……」

 

 そこから語られたのは喜来さんの過去だった。彼女は以前、武闘派に所属していたそうだ。だが、武闘派が求めるのは戦うことのできる人間。残念なことに彼女にはそれが出来なかった。故に放逐された。

 

「で、今はこうしてみんなが受け入れてくれた。でも、武闘派は違った。私は、いらない人間だったから……」

 

 昔を思い出させてしまったようだ。だが、この話で武闘派の馬鹿さ加減がより明確になった。超貴重な技術職を戦えないからというだけで追放するなんてひょっとしてギャグで言っているのだろうか。本当に馬鹿だ。いや、馬鹿に失礼だな。

 

「喜来さん。貴方は一つ勘違いをしている」

 

「どういう……こと?」

 

 喜来さんが僕を見つめる。昨日よりかは大分ましになったとはいえ僕を見る目には未だに恐怖の色が伺える。まあ、僕のような武装した男なんてそんなものだろう。

 

「僕は武器を手にして奴らと戦えます。でもそれは勇敢だからじゃない、臆病だからだ。普通でいることに耐えきれなかったんだ。臆病だから眼前の敵を討ち果たさないと居ても立っても居られない。喜来さん、人間性を捨てるのは簡単です。でも、貴方は最後までそれを拒否したんでしょう。貴方は誇り高い人間だ。どうか、その心を忘れないでください。それに、直す方が壊すよりも何兆倍も尊い。だから自信を持って下さい」

 

 人が武器を取るのは突き詰めていけば怖いからだ。向こうはこっちとは違う。それが理解できないから、許せないから、だから目の前の存在を滅ぼす。確かに、どうしても戦わなければいけない時はある。だが、それはあくまで最終手段であって本来は隠すべきものなのだ。平然と振り回していいものではない。武闘派が何故暴力に走ったのかは知らない。でも、きっと彼等も僕の同類。普通でいることに耐えきれなかった弱い人間なのだ。

 

「ヒカでいいよ」

 

「はい?」

 

 先ほどの暗い表情とは違い今の彼女は笑顔だった。その目にはもう恐怖の影は見えなかった。

 

「喜来さんじゃ言いにくいでしょ? ありがとう、本田君。そうだよね、無駄じゃないよね……。でも、君は大丈夫だよ。きっと普通に生きられるよ。だから諦めないで」

 

 諦めないで、か。その通りだ。僕は普通には生きられない。でも、だからといって普通に生きることを放棄していい理由にはならない。決してなれないかもしれないがそうなるように努力するべきだ。身体に活力が湧いてくる。

 

「ヒカさん、ありがとうございます。何か僕にできることがあったらいつでも力になります」

 

「わかった。でも、今は大丈夫。そう言えば本田君、何か探してたみたいだけど?」

 

「そうだ、思い出した。あの、出口さんと光里さんを見ませんでしたか? 少し聞きたいことがあってですね」

 

「二人なら、今は武闘派と会議室にいるよ。さっき呼び出されたんだ。でも、今は行かない方がいいと思うよ」

 

 そりゃそうだ。だが、いいことを聞いた。僕はヒカさんに礼を告げこの場を後にした。そして追及してくる美紀と胡桃をあしらい例の物を手に取った。目指すは会議室だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、いきなり呼び出して何のようだい?」

 

 ここは武闘派と穏健派の縄張りが接する緩衝地帯。彼らと彼女達はここの会議室でこうして度々情報のやり取りを行っていた。

 

「いきなり呼び出して悪いな。だが、緊急事態だ。お前たちの所に男一人と女二人が入ってきただろう」

 

 金髪の男が顔を歪ませながら二人に言った。彼の名前は頭護貴人。その顔には無数のガーゼと絆創膏が張られ見るからに痛々しい。理由は簡単。昨日、撃たれた際に割れたフロントガラスが突き刺さったからだ。ここにはいないがその場に居合わせた城下隆茂も似たようなことになっている。

 

「私は見てないけどいきなり撃ってきたそうじゃない」

 

「そうだ。お蔭で貴重な車を一台駄目にされた。俺達だって死にかけた。どう落とし前を付けるつもりだ」

 

 その顔は怒りの感情で支配されていた。だが、見るものが見ればわかることだろう。僅かながらに怯えていることが。何も難しいことはない。言ってしまえば彼は暴力を振るうことには慣れていても振るわれることには全くと言っていいほど経験がなかった。そんな彼に生まれて初めて明確に向けられた殺意。怯えるなというほうが無理がある。

 

「知らないよ。自業自得じゃない」

 

 光里晶は頭護の発言をバッサリと切り捨てた。出口桐子も同意するかのように頷いている。

 

「あの子、頭から血、流してたよ」

 

「あれは威嚇のはずだった」

 

 本来なら、威嚇したのちに身柄を確保する予定だった。しかし、彼らは自分の常識で当てはめて行動してしまった。殆どの人間はあれで抵抗することはないだろう。だが、世の中には常識が通用しない人間も確かに存在するのだ。

 

「そんなの、あの子達がわかるわけないじゃん。しかも、あんなに追い回してさ。正直、やられても仕方がないね」

 

 思わぬ正論に流石の彼も黙り込む。しばらくした後、彼は再び口を開いた。その横では神持朱夏が退屈そうな顔で頬杖をついている。傍らには右原篠生が全員の緑茶を用意していた。彼女は武闘派随一の戦闘要員であり、その穏やかな風貌に似合わぬ力で奴らと戦っている。

 

「だが、こちらは死にかけた。そんな危険人物は即刻追い出すべきだ。情報や物資は惜しいがあいつは危険だ」

 

「危険、ね。自分達から藪をつついて蛇がでたから一緒に追い出そうってことかい? それは虫が良すぎるんじゃないの? だから悪いけど君たちの提案は断らせてもうらうよ。あの子たちは君たちが思っているような危険人物じゃない」

 

 本田秀樹という人間は自分や仲間に危害を加えようとしない限り暴力は振るわない人間だ。武闘派は彼を危険人物扱いし即刻追放するべきだと唱えるが、出口桐子には彼がそのような悪人だとはどうしても思えなかった。だからこそ、彼女は拒否するのだ。

 

「そんなこと信じられるか! お前達だって見ただろう! あいつが何をしたのか!」

 

 突如、扉がノックされた。本来なら有り得ないはずの第三者。頭護貴人はもしやと思った。そしてその予感は的中した。扉が開かれる。彼、本田秀樹が姿を現した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やぁやぁ、みなさん。ごきげんよう」

 

 扉を開き、中に入る。全員が信じられないと言いたげな顔で僕を凝視する。僕はあれから会議室に向かい、出るタイミングを計っていたのだ。そして議論が白熱仕掛けた瞬間、本人が登場する。

 

「お、お前は!」

 

 金髪の男が思わず立ち上がる。恐らく彼が武闘派の頭目、頭護貴人なのだろう。よく見れば顔中にガーゼや絆創膏が張られていて、何とも間抜けな顔になっている。僕は笑いそうになるのを何とか堪える。

 

「き、君、何でここに!?」

 

 信じられないと言いたげな顔だ。まあ、あんなことをしておいてよくもまあ、平然と出てこれると僕も思う。

 

「すいません、貴方達がここに居ることを聞きましてね。今日は是非とも武闘派の皆さんに自己紹介をと思いまして。初めまして、本田秀樹と申します。こうして生で顔を見合わせるのは初めてでしょう」

 

 あくまで友好的に接する。営業スマイルのサービス付きでだ。よく見たらお茶が用意されているではないか。少し喉が渇いた。

 

「失礼、一杯貰ってもよろしいですか?」

 

「え!? う、うん」

 

 僕の手に湯呑が差し出される。一口飲む。うん、美味いな。

 

「な、何しに来たんだ!」

 

 頭護さんが僕に訊ねる。よく見れば冷や汗を掻いているのがわかる。そんなに怯えなくてもいいのにな。

 

「まあまあ、そう目くじらを立てずに。穏便にいきましょうよ。今日は貴方達と争いに来たんじゃありません。ほら武器だって持ってないでしょう?」

 

 身体を一回転させ丸腰をアピールする。勿論嘘である。笑顔を張り付かせたまま僕は唖然とする皆を差し置いて話を続ける。

 

「今日は、貴方達に謝罪をしに来たんですよ。ほら、以前、貴方達の仲間の方のクロスボウを仕方がなかったとはいえ奪ってしまった」

 

 ショルダーバッグからピストルクロスボウを取り出し頭護さんの前に置く。勿論笑顔のおまけ付きでだ。

 

「はい、これは貴方達に返却します。余計なお世話かもしれませんが簡単な掃除と注油をしておきました。前よりも滑らかに動くはずですよ」

 

 誰も何も言わない。沈黙が会議室を支配する。原因はもしかしなくても僕だろう。しばらくして動き出したのは頭護さんであった。

 

「何が謝罪だ! 信じられるか!」

 

 手を振りながら怒り心頭といった様子だ。あまり騒ぐな程度が知れるぞ。何とか笑顔を維持する。大丈夫だろうか。ちゃんと笑顔になっているだろうか。

 

「貴様が俺達に何をしたのか思い出せ! こっちは殺されかけたんだぞ! 何十発も打ちやがって! 車だってもう動かなくなった!」

 

 笑顔だ。笑顔を維持するんだ本田秀樹。今日は争いに来たのではない。人間は対話できる生き物なのだ。

 

「それをなんだ! 争いに来たわけじゃない? 穏便にいきましょう? 信じられる「それがどうした!」───ッ!?」

 

 手にした湯呑が握力に負けて砕け散る。熱い緑茶が床に零れる。だが、そんなことはどうでもいい。もう、うんざりだ。

 

「ひっ!」

 

 出口さんが僕の豹変に怯えている。でも、僕はもう我慢の限界なんだよ。笑顔のサービスは終了だ。

 

「こちらが下手にでてりゃ調子に乗りやがる。いいか、お前らが死のうが怪我しようが僕の知ったことか! 何か勘違いしてやがるから言ってやる! 先に手を出したのはどっちだ!」

 

「そ、それは「どっちなんだ! 答えろ!」お、俺達だ……」

 

 苦虫を噛み潰したように心底嫌そうに金髪が言った。それだけで十分だ。こいつは認めた。自分達のミスを。

 

「認めたな! 今、認めたんだな! ああ、そうだ。その通りだ。先に手を出したのは貴様らだ!」

 

「そ、それは悪かった……。だが、あれは威嚇のつもりだったんだ……」

 

 この期に及んでまだ勘違いしてやがるのか。ああ、腹が立つ。無性に腹が立つ。僕と胡桃と美紀はこんな奴らのために危険な目に合わされたのか。

 

「威嚇だと、そんなの僕の知ったことか。いいか、お前ら勘違いしているようだから言ってやる。殴っていいのは殴られる覚悟のある奴だけだ! お前らは賭けたんだろ? あのちっぽけなクロスボウに。だったら殺されても文句は言えない。否、言ってはならない。これは戦いの掟だ! お前らの手札が僕の手札を下回った。それだけのことだ!」

 

 誰も何も言わない。唯一、武闘派の黒髪の女だけが僕を凝視していた。だが、今は関係ない。袖口に隠したバタフライナイフを展開し机に突き刺す。皆が驚きに顔を歪める。

 

「いいか、今度僕の仲間に手を出してみろ。いっそ死んだ方がまだマシな目に合わせてやる。警察も法律もない。もう誰も僕を止める奴はいないんだぜ?」

 

 威嚇するように笑みを浮かべる。きっと今の僕はかなり凶悪な顔になっていることだろう。これだけ言えば流石に手は出してこないだろう。ナイフを引き抜こうとするが深く差し過ぎて抜けない。どうやら机を貫通してしまったようだ。やっとのことでナイフを引き抜きポケットにしまう。まだ、誰も何も言わない。

 

「出口さん、光里さん。もう、行きましょう。ここに用はない」

 

「え? あ、ああ、そうだね。い、行こうか」

 

「え、ええ、そうね。行こうか」

 

 そのまま会議室を退室する。まだ、武闘派は固まったままだ。だが、僕の耳は聞き逃さなかった。退室する瞬間、後ろから「見つけた」という呟きがあったのを。だが、知ったことではない。何が来ようとも粉砕するだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室を出てしばらく何も言わずに歩き続ける。だが、もう我慢できない。

 

「あっつ! メッチャ熱ッ! あっつ!」

 

 実は湯呑を砕いてしまった時からずっと我慢してたのだ。流石の僕でも熱湯を手に被って平然としてられるほど人間を辞めていない。

 

「へ?」

 

 二人が唖然としている。だが、知ったことではない。猛烈に痛い。よく見れば湯呑の破片で切り傷までできているではないか。

 

「って、アンタ怪我してるじゃない! 早く手当てしないと」

 

「そ、そうだね。早く行こうか」

 

 そう言って僕は二人に強引に引っ張られるのであった。

 

 

 

 

 

「さっきはすみません。驚かせるつもりはなかったのですが」

 

 光里さんに手当てを受けながら先ほどのことを謝る。昨日の焼き増しのような光景だ。

 

「うん、はっきり言って滅茶苦茶怖かったわ。秀樹って本気で怒るとあんなになるのね」

 

 一応、予定では穏便にことを運ぶ予定だったのだが武闘派のあんまりな態度に我慢の限界だったのだ。

 

「確かに、凄い怖かったけどボクは少しスッキリしたかな。あいつらのあんな顔初めてみたよ」

 

「そうね、あれは面白かったわ」

 

 どうやら随分と鬱憤が溜まっていたようである。彼女達は僕に対する恐怖よりも彼らの唖然とする顔の方が重要らしい。

 

「君は本当にあの子達のことが大事なんだね」

 

 唐突に投げかけられる質問。でも、その通りだ。僕は胡桃、学園生活部のことが大好きなのだから。

 

「ええ、本当に、僕の最高の仲間たちですよ」

 

「大事にしてあげなよ」

 

「はい」

 

 そうやって僕が手当てを受けていると胡桃を美紀がやって来た。僕を探していたのだ。その後は、まあ、いつも通り無茶をしたことをばらされ後のことは言うまでもない。ちなみに図書館は安全だそうだ。これで思う存分調べ物ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よかったわ、車は直りそうなのね』

 

 夜、僕は車に搭載されいている無線機で佐倉先生を連絡を取っていた。バッテリーが心配だがヒカさんの粋な図らいによりここの建物の電源を使うことができるようになったため問題はない。

 

「武闘派って連中にも釘をさしておいたので大丈夫でしょう。オーバー」

 

 あれほど脅しておいてまだ歯向かうとすればそいつはただの馬鹿だ。いや、歴史的馬鹿者だな。

 

『そう、でも、本田君、無茶はしないでね。放っておくと本田君は直ぐに無茶してしまうから、もう、わかっているだろうからあまり言わないけど貴方が傷つけばみんな悲しいのよ。だから、自分のことは大切にして』

 

 どうにも僕には人を心配させる能力があるようだ。無茶はしないつもりなのに気が付いたら無茶をして心配を掛けさせてしまう。駄目だと分かってもどうしてもやってしまうのだ。

 

「まったく返す言葉もありません。ところでそっちの様子はどうですか? 何か問題はありますか? オーバー」

 

『特に問題はないわ。ただ、みんな三人がいなくて寂しそうにしている。私も本田君達に会えなくて寂しいわ。だからなるべく早く帰ってくるのよ。あ、今、丈槍さんが隣にいるから替わるね』

 

 そしてしばらく沈黙が続き聞きなれた声が聞こえる。

 

『もしもし? ひーくん久しぶり! えっと、どうするんだっけ?』

 

 向こうから佐倉先生が無線の操作を教える声が聞こえる。しばらくするとようやく僕の番がやってきた。

 

「ああ、こっちは元気だよ。新しい人にも会えたしね。ゲーム機も沢山あって楽しい。オーバー」

 

『え!? ゲームあるの? ひーくんずるいよ! これはお土産に期待するしかないね! オーバー?』

 

 そうやってハードルを上げるのは勘弁してほしいが、まあ、寂しい思いをさせてしまっているのだから仕方がないか。何を持って帰ろうか。

 

「ああ、存分に期待して待っててくれよ。そろそろいいかい? オーバー」

 

『じゃあ、くるみちゃんとみーくんにもよろしくね! またねー』

 

 交信を終え車外に出る。月が綺麗だな。人工の灯りが一切ないため空を見上げれば満点の星空が僕を歓迎してくれる。これで酒でもあれば完璧なんだがな。さて、帰るか。

 

「月が綺麗ね……」

 

 背後から声をかけられた。慌てて振り向く。会議室にいた女が僕を見ていた。月明かりの下、僕は彼女と対面する。

 

「お前は……」

 

「こんばんは、本田君。今日は話したいことがあってきたのよ」

 

 そう言って彼女、神持アヤカはまるで子供のように無邪気に笑った。僕には、その笑みの意味がわからなかった。でも、一つだけ確信していることがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は僕の同類だということを。

 




 
 いかがでしたか? 穏便(ナイフ突き立てながら)正直言ってしまえば武闘派の主張も尤もなのですがヤンデレならぬ学デレの主人公には通用しません。さて、アヤカが声をかけてきたようですが、どうなることでしょう。

 では、また次回に。


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第二十一話 なかま

 書いていて思うこと、群像劇は難しい。


「本田秀樹、あいつは何者だ?」

 

 ここは武闘派のアジト、既に、会議室での本田秀樹との接触から一日が経過していた。リーダー頭護貴人は先日のことを思い出しながら呟いた。

 

「ヤクザ? いや、それにしちゃ、若すぎだよな。多分俺らとタメだろ」

 

 城下隆茂は彼にやられた傷の痛みに顔を歪めながら煙草を一本口に咥えようとして失敗した。本当は彼等よりも年下だが、筋骨隆々の肉体と滲み出る凄味のせいで年齢を間違われている。

 

「あの子、高校生らしいわよ」

 

「はっ!? あれで高坊とかねえわ。スタローンみたいな身体しやがるくせに」

 

 事実、彼の肉体はプロの軍人や格闘家に劣らない代物である。この肉体を僅か一年にも満たない短い期間で手に入れるのは並大抵の努力ではない。文字通り命を削って手に入れたものなのだ。

 

「隆茂さん、大丈夫?」

 

 何度も煙草を咥えようとしてその度に傷の痛みで上手くいかない城下に思わず右原篠生は彼の状態を気遣う。

 

「いや、まだいてえ。ともかくアイツが外から来たとか、何を見たとかどうでもいい。アイツはマジでやべえよ。アイツ、俺達を撃つときさ、笑ってたんだぜ」

 

 人を殺すって時にあんな笑ってる奴はじめてみたわ。城下は初接触時を思い出し身体を震えさせた。彼の脳裏には未だに本田秀樹の凶相が焼き付いていた。

 

「あの銃はどこで手に入れたんだ? まあ、なんにせよアイツには下手に手を出さないほうがいい。恐らくアイツは殺すと言ったら本当に殺す奴だ。こちらの武器は一番強力なもので精々、ボウガン。アイツはピストルだ。真面に戦えば全滅は免れない」

 

「そう言えば、ボウガンの調子はどうなの? 高上君」

 

 彼は高上のピストルクロスボウを返却する際に機関部の掃除と注油を行っていた。彼がクロスボウを見た際にその杜撰な管理に思わず整備をしてしまったのだ。

 

「えっと、前よりもすごい滑らかに動くようなって驚いたよ」

 

「けっ、俺達のこと舐めやがって」

 

 こちらを馬鹿にしているとしか思えない行動に城下は吐き捨てた。本田秀樹自身にはそのような意図など微塵もないのだが、あの言動からそれを察するのは無理というものである。

 

「本田君、こっちに来てくれませんかね……」

 

「はっ!? 篠生お前マジで言ってんの? いや、でも、確かに……」

 

「確かに、アイツが武闘派に入れば俺達は安泰だろうな」

 

 平然と人を撃てる胆力、敵地に正面から上がりこみ更には脅す大胆さ。どれも並みの人間にはできない行為だ。武闘派は、その名が示す通り戦うことを是としている。現にここにいる面々はここまで生き残ってきた猛者ばかりだ。そこに彼を加えれば武闘派は向かうところ敵なしだろう。

 

「それは無理よ」

 

「なんで、言いきれるんだよ。てか、お前さっきからずっと写真眺めてるけど誰のだよ」

 

「え? 本田君の写真だけど」

 

「おまっ、昨日夜出て行ったと思ったらアイツのとこ行ってたのかよ! 何考えてんだ!」

 

 別に敵対しているわけではないんだからいいでしょ? 神持朱夏は楽しそうに笑った。彼女は滅多に笑わない。笑ったとしても僅かに微笑むだけ。だが、今の彼女はどうだろうか。まるで遊園地から帰った子供のように心底楽しそうに笑っているではないか。

 

「なんだ、お前、ああいうのがタイプなの?」

 

「タイプ、あながち間違ってもいないかもね」

 

「うげ、お前男の趣味悪いわ……」

 

「朱夏、なんのつもりだ」

 

 頭護貴人が怒りを滲ませながら問う。当然だ。昨日、あれだけのことを言ってのけた要注意人物に接触していたなど、到底許されるものではない。武闘派は規律を重んじる。それは例え女だったとしてもだ。

 

「別に、私が会いたかったからでは、駄目かしら?」

 

「ふざけてるのか。アイツが俺達に何を言ったのか忘れたわけではないだろう」

 

「てか、さっき言った無理ってどういう意味だよ」

 

 彼はそういう男じゃないのよ。神持朱夏はまるで、初めてできた友達を自慢するかのようにそれはそれは楽しそうに言うのであった。そんな彼女の唐突な変化に武闘派が驚愕するなか、彼女は昨夜の邂逅を思い出すのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お前は……」

 

 会議室に居た女だ。自ずと警戒心が高まる。あれだけのことを言ってのけたのにまだやってくるのか。いったい、何が目的だ。

 

「こんばんは、本田君。今日は話したいことがあってきたのよ」

 

「話したい、だと……。あんたは、いや、貴方はいったい」

 

「そう言えば、まだ自己紹介してなかったわね。私の名前は神持朱夏。よろしくね、本田秀樹君」

 

 こいつが何をしたいのか全く理解できない。でも、一つだけ確かなことがある。こいつは僕の同類だ。でなければこんな楽しそうに笑うことなどできない。僕は彼女のことなど何一つ知らないのに、僕は彼女のことが手に取るように理解できた。そんな僕をよそに彼女はポケットから煙草の箱を取り出し、一本咥えた。

 

 よかったら貴方も吸う? 箱を差し出しながら言った。断る理由もないか。僕は彼女の煙草を一本受け取る。メンソールか。あまり好みではないな。一応、薬が塗っていないとも限らない。僕は煙草を口に咥えず手で持て遊んだ。

 

「ふぅー、あら、吸わないの? それとも火がないのかしら」

 

「いや、火は持っています。神持さん「朱夏でいいわよ。それと敬語もいらない」そうか、神持さん、あんたは何を話しに来た。デートの誘いにしちゃ、遅すぎやしないか」

 

「つれないわね。でも、まあいいわ。デートね、あながち間違いじゃないかもね。本田君、単刀直入に聞くわ。貴方はこの世界をどう思っているの?」

 

 これで確信した。こいつは僕の同類だ。普通に生きることのできなかった弱者。社会不適合者、異端児、そして、狂人。僕以外にもいたのか、終わってしまった人間は。

 

「どういえばいいんだ? 建前を言えばいいのか、それとも本音か」

 

「ふふ、判っているくせに。本音に決まっているじゃない」

 

 まるで、今から僕が言うことが知りたくてたまらないと言いたげな顔だ。会議室で見た時のつまらなそうな顔とは大違いだ。これが彼女の本性なのだろうか。

 

「はぁ、この世界をどう思っているのか……。まあ、正直に言ってしまえば僕はこの世界が楽しい。腹が減ればそこらの家にでも押し入ればいい。車に乗りたければ鍵を持ってそうな奴を殺して奪えばいい。銃を撃とうが人を殺そうが、何をしようが誰も咎めない。好き奪って好きに殺せる。最高の世界だ」

 

 これは僕の偽りのない、本音だ。その通り、僕はこの世界が楽しい。狂気が剥がれて復讐心を失って、最後に残ったのはこの世界に対する愉悦だった。

 

「そうよね、そうよね! 貴方の言う通りだわ! やっぱり私の目に狂いはなかったのね」

 

 心底、楽しそうに彼女は笑う。何が彼女をこうしてしまったのだろうか。どうしたらここまで壊れてしまうのだろうか。いや、壊れてなどいないのだ。ただ、隠れていたものが露わになっただけ。終わった世界で、隠す必要がなくなっただけなのだ。

 

「前の窮屈で退屈な世界じゃない。好きに奪って好きに殺せる。何をしてもいい。真の自由の世界。なんて素晴らしいのかしら! なのに、あいつらはちっとも笑わない。どいつもこいつも不景気面でうんざりしてた。でも、今は違う。貴方が現れた!」

 

 まるで溜め込んでいたものを吐き出しているようだ。余程、窮屈な思いをしていたのだろう。少しだけ哀れにも感じる。きっと彼女はもっと自由に生きたいのだ。この終わってしまった世界で無限に殺戮と簒奪を繰り広げたいのだ。

 

「貴方は私の初めての理解者、初めての仲間、初めての友達、初めての家族。貴方は前に殴っていいのは殴られる覚悟のある奴だけと言ったわね。私はそうは思わない。覚悟なんていらない。私たちは好きに殴っていのよ! そうよ、私は、いえ、私たちは選ばれたのよ! この世界は私と貴方のためだけにあるのよ。だから、だから本田君、

 

 

 

 

 

──私と一緒に来ない?──

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は僕に手を差し出した。きっと、彼女は孤独なのだろう。僕はこの終わってしまった世界で初めて出会えた同類なのだ。彼女の差し出した手。僕にはそれが酷く甘美なものに思えた。きっと、この手を取れば僕は楽しく生きられるだろう。きっと、二人でこの終わった世界で面白おかしく生きていくことができるだろう。

 

「でも、わからないわ。貴方のような素敵な人が何であんな糞つまらない場所で燻っているのかしら。貴方にはそんな場所は似合わない。もう、普通でいる意味なんてない、普通でいる必要なんてない。貴方は武闘派、いえ、もうあんなつまらない連中のことなんてどうでもいいわ。本田君、貴方にはもっと相応しい舞台が待っているのよ。だからこの手をとって私と一緒に楽しみましょう?」

 

 しばし、黙り込む。何も言わずに手に持ったままの煙草を口に咥え、ライターで火を点ける。オイルの匂いが僕の心を落ち着かせる。そして吸う。メンソールの爽やかな香りが広がった。軽くて吸いやすい煙草だ。

 

「軽い、煙草だな……」

 

「え?」

 

 もう一口吸う。駄目だ、口に合わないな。これ以上吸う気にならない、煙草を投げ捨てる。炎が軌道を描き闇に消えて行った。

 

「本当に、軽い煙草だ……。まるでお前の人生のようだ」

 

「どういう意味、かしら……」

 

 突然の侮辱とも取れる発言に神持は眉をひそめた。月が雲に隠れ、辺りは途端に暗くなった。それはまるで彼女の心境を代弁しているかのようだ。

 

「お前は与えられた舞台に満足してその先を行こうとしない。ただ、殺す、奪う。そりゃ、楽しいだろうさ。僕だって楽しいと思っている。でも、それだけだ。それだけなんだよ。お前は知らないんだろうな。汗水働いた後の飯の美味さを、仲間と下らない話で盛り上がる時の時間が経つ速さを、一仕事終えて布団に入る時の心地よさを。お前は何も知らない。ただ、与えられた世界で満足してしまっている。だから、軽いのさ」

 

「…………」

 

 彼女は、ただ、耐えきれなかったのだ。自分が普通であることに。だから、選ばれた。選ばれて特別になった。酷く弱くて哀れで悲しい女だ。雲が風に流され月が彼女を照らす。僕には彼女が何を考えているのかわからなかった。

 

「……そう、残念だわ。でも、今日は返事を聞きたくて来たわけじゃないの。ただ、貴方とお話しがしたかった。だから、返事はまた今度聞くことにするわ。あ、そうだ。写真撮っていいかしら」

 

 そう言って、彼女は有無を言わさず隣に立つと手にしたスマートフォンで写真を撮った。シャッター音が酷く間抜けで気が抜けた。

 

「ありがとう。私は行くわ。おやすみなさい。でも、一つだけ言っておく、貴方は必ず私の所にやってくる……。だって、貴方は私の仲間なんだから。またね、秀樹君」

 

 神持朱夏は去り、僕だけが取り残された。だが、僕には彼女の言葉が脳裏に焼き付いて離れなかった。僕はまた戻るのだろうか、化物に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おい朱夏! 聞いているのか!」

 

「えっ? ごめんなさい」

 

「こりゃ、重症だな……」

 

 上の空だった神持朱夏はやっとのことで我に返った。気が付けば皆が彼女を見ていた。気を取り直すかのように彼女は咳払いをする。

 

「まさか、あの鉄仮面の朱夏に春が来るなんてゴフゥ!」

 

 何てことはない、神持が城下に肘鉄を喰らわせたのだ。城下が神持を睨むが彼女は知らん顔だ。

 

「朱夏、アイツとはあまり関わるな。兎に角だ。他の二人はどうでもいい。本田秀樹、あいつには細心の注意を払う必要がある。あいつの情報は喉から手が出るほど欲しいがこれ以上犠牲は払いたくない」

 

「普通に、謝ればいんじゃないかな……」

 

 高上が至極当然の発言をした。時が止まるのを誰もが感じた。そう、これは誰もが思っていたことである。先に手を出したのはこちらである以上、謝まって許される問題かと言えばそうでもないが、それでも無理に情報を聞き出すよりは何十倍もマシな考えなのは言うまでもない。

 

「殴っていいのは殴られる覚悟のある奴だけ、か……。俺達は少し勘違いをしてたのかもしれない……」

 

 頭護の呟きが部屋に木霊した。そんな彼を神持は酷くつまらなそうに眺めるのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ありがとうございます。付いて来てもらって」

 

「別に、僕も行きたかったから構わないよ」

 

 僕たちは図書館を目指しながら歩く。今日は前々から行きたかった図書館を目指すことにしたのだ。

 

「そう言えば胡桃先輩は今どこに?」

 

「胡桃なら、多分桐子さんとゲーム三昧だろうな」

 

「…………」

 

 とはいえ、やるべきことはちゃんとやっているだろう。あの子はそういう子だ。

 

「ヌシってなんでしょうね?」

 

「さあ、大方僕たちをからかうために言っただけのデマだろう」

 

 ヌシとは図書館の内情を聞いた僕たちに晶さんが言った言葉である。図書館に行く際はヌシに気を付けろ。彼女は確かにそう言ったのだ。

 

「そうですかね?」

 

「まあ、何でもいいさ。それに敵なら倒せばいいだけだ」

 

 僕は背中のモスバーグ590を指さす。12ゲージのバックショットを喰らって平気な生物はこの世に存在しない。そういうと美紀はいつものように頭を押さえながら溜息をついた。

 

「あの、図書館は安全だって言ってたじゃないですか。こういう時くらいは武器を置いていったらどうですか?」

 

 もう、図書館は目と鼻の先だ。そろそろ590を構えたほうがいいかもしれない。でも、その前に美紀の問いに答えなければ。

 

「悪いがそれは無理だ。僕から武器を取ったら何も残らないじゃないか」

 

 精々、筋肉くらいかな。そうやって下らないことを考えていると横にいたはずの美紀がいなくなっていた。慌てて振り返る。何故か美紀が立ち止まっていた。これは、怒っているのか。

 

「先輩、今の言葉は訂正してください。私は、いえ、みんなそんなちっぽけな理由で先輩と一緒にいるわけじゃありません。だから何も残らないなんて言わないでください」

 

 どうやらまた言葉選びを間違えてしまったらしい。よく見れば怒っていると思った顔はどことなく悲しみを帯びたものであった。

 

「悪かった。今の発言は撤回する」

 

「はい、そうしてください」

 

 そんなこんなで僕たちは聖イシドロス大学、大学図書館に到着した。例によって荒れ果てているが中身は無事なのだという。扉から中に入りいつものように武器を構えようとすると美紀に声をかけられた。

 

「先輩、今くらいは銃を置いていきませんか?」

 

「それは……」

 

 それは危険だと言おうとしたが、先ほどの美紀の言葉を思い出し思いとどまってしまった。

 

「私たちは、ただの高校生です。普通の高校生は銃なんて持ちませんよ。だから今くらいは普通の学生に戻りましょう?」

 

「…………」

 

 僕の脳裏には昨日、神持さんに言われた言葉が焼き付いていた。貴方は私の仲間。そんな僕が今更普通の学生になることなど許されるのだろうか。

 

「先輩、もしかして何かあったんですか?」

 

「え?」

 

 何故、わかったのだろうか。僕は昨夜のことを誰にも言っていない。余計な不安は与えたくなかったからだ。だから、これは隠しておくべきだろう。

 

「別に、何でもないよ。ただの気のせいさ」

 

「そう、ですか……。何かあったらいつでも相談に乗りますからね」

 

「ああ、頼りにしているよ」

 

 美紀は引っかかるものがあったようだが、これ以上追及してくることはなかった。図書館内部に入る。外と同じ様に荒れてはいるが、本は無事なようだ。

 

「これは、カウンターに置いておくか」

 

 590と5906。そしてナイフをカウンターに置く。これで僕は丸腰になった。少し、心許ないがこれが普通なのだ。振り向けば笑顔の美紀が僕を見ていた。

 

「じゃあ、行きましょうか。ここで別れますか?」

 

「いや、流石にそれは止めた方がいいだろう。学園生活部心得にもそう書いてある」

 

「ふふ、そうでしたね」

 

 ポケットに入れた懐中電灯を灯し、僕たちは誰もいない図書館を探索する。やはり学校の図書室とは質、量ともに比べ物にならない、正に人類の宝だ。何千、何万の銃弾を積み上げようともここにある一冊の本の価値にはかなわない。

 

「えっと、先輩は、何を探しているんでしたっけ?」

 

「農業と、医療、あと機械系の技術書を読みたいかな。できれば何冊か持って帰りたい」

 

 学校の図書室にある技術書はあまりに初歩的すぎてもはや僕たちには不要だ。だが、ここならもっと突っ込んだ本が手に入ることであろう。

 

 

 

 

 

「それは、止めてほしいかな」

 

 突然背後から声を掛けられた。振り返れば見知らぬ女性が立っている。いったい、誰だ?

 

「借りるのは大歓迎だよ。でも、ちゃんと戻してね」

 

「あ、貴方は……」

 

「あ、ごめんね。私は稜河原リセ。初めまして」

 

 そう言って彼女は笑った。これが僕たちの初めての出会いであった。

 

 

 

 

 

「それは大変だったね」

 

「はい、まさか車が故障するなんて思いませんでした」

 

 あれから僕たちはお互いの情報交換を行った。今、美紀と話しているのは稜河原リセさん。聖イシドロス大学文化人類学部に所属している女性だ。桐子さんたちとは友好関係を築いているが普段はここで寝泊まりして本を読みふけっているらしい。物凄い読書家だ。本好きの美紀も流石に少し引いていた。

 

「そう言えば、君」

 

「はい?」

 

 突然、声を掛けられた。その表情はよく見れば少し怒ってるようにも見える。

 

「さっき受付に銃が置いてあるのを見たのだけれどあれは君のかい?」

 

「え、ええ。まあ」

 

「駄目じゃないか! 図書館は火気厳禁だよ。今日は仕方ないけど次からはちゃんとルールを守ってね」

 

「は、はあ……」

 

 指摘するところが間違っている気がしてならない。でも、彼女の目を見れば本気で言っているのがわかる。隣の美紀も困惑している様子だ。

 

「そ、そこなんですか? 稜河原先輩」

 

「リセでいいよ。そうだね、こんな世界になっちゃったんだし銃くらい持ってても不思議ではないと思うんだ」

 

 でも、ルールは守ってね。そう言ってリセさんは笑った。激しく間違っている気がしてならない。でも、まあこんな人がいてもいいかもしれない。彼女と話していくうちに段々とリセさんの人となりを知ることができた。端的に言ってしまえば、彼女は変人だった。この世の全ての本を読みたい。だが、読めども読めどもすぐさま新しい本が出てしまう。だから今の世界は好きだ。

 

「だってもう新しく本が増えることはないだろう?」

 

 本好きにはいい時代になった。そう、彼女は豪語した。これを笑い話と受け取るべきか悲劇と受け取るべきか僕には判らない。だが、彼女の言葉はあまりにも悲観的過ぎる。だからだろうか。

 

「君たちの探している本はここだよ。じゃ、何かあったら呼んでね」

 

 僕たちの探している本のコーナーに案内したリセさんは背を向けどこかに行こうとした。だが、それを止める者がいた。

 

「あの、リセ先輩!」

「なにかな?」

 

 美紀は何かを訴えたいようだ。だが、言葉にでないのだろう。少しの間、沈黙が走る。

 

「私、新しい本も読みたいです。今、私たち卒業アルバムを作ってます。秀先輩の反省文も、あと少しで本が一冊作れるくらいになってます。だから、読むだけ読んでそれで終わりなんて、そんな悲しいこと言わないでください」

 

 え、反省文ってそんなに量あるの。思い返せば確かにとんでもない量の反省文を書いているきがする。どうせ学校に帰ったらまた書かされることだろうし。これからも増え続けていであろう。本田秀樹の反省文集か。題名は「また僕は如何にして無茶をして反省文を書くようになったか」あたりかな。

 

「なんだい、反省文って。でも、そうだね。それはちょっと読んでみたいかな。でも、新しい本を作るとなると大変だよ。やらなければならないことは山ほどある」

 

「本ってそのためにあるんじゃないですか?」

 

 僕も思うところがあるので口を挟ませてもらおう。本というのは本来、自分達の知識を未来の誰かに届けるためにある。本に書かれていることを学び、また新たに発見を重ね、そしてまた未来の誰かに本を残す。人間が発展してこれたのはこうして脈々と受け継がれてきた膨大な知識があるからだ。

 

「そのための、本か。そうだね、全く持って君たちの言う通りだよ。少し勘違いしていたようだ。今日はありがとうね」

 

 そう言ってリセさんは今度こそ僕たちの前から姿を消した。

 

「あの、先輩。今の台詞私が言おうとしたんですけど」

 

「それは悪いことをした。すまんね、君」

 

 どうやら美紀の言おうとしたことを先に言ってしまったらしい。少し悪いことをしたかな。

 

「新しい本。読めるといいですね」

 

「何、きっと読めるさ」

 

 そんな未来のことに夢を馳せる僕達なのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「胡桃、こんな屋上に呼び出して何があったんだ?」

 

 美紀と図書館に行った日の夜。僕は胡桃に連れられて僕たちの寝泊まりしている建物の屋上に連れて行かれた。空を見上げれば月が冷たく僕達を覗き込んでいた。

 

「まあ、座って話そうぜ」

 

「それもそうだな。でも、寒くないか?」

 

「大丈夫だって、ちゃんと飲み物も持ってきたから」

 

 そう言って胡桃は魔法瓶に入った液体をカップに注いだ。これは紅茶か。屋上のフェンスに寄りかかるように座り二人して紅茶を飲んだ。

 

「美味いな……」

 

「そ、そうか。あたしが淹れたんだ」

 

 意外だな。いや、胡桃だって飲み物くらい淹れるに決まっているか。お互い何も言わず紅茶を飲む。先に口を開いたのは胡桃だった。

 

「なあ、何かあったろ」

 

「どうして、そう思ったんだい?」

 

 隠していたつもりだったのだがな。やはり、ばれてしまったか。

 

「美紀に言われたんだ。それにあたしもすぐに気づいた。今の秀樹って前に学園生活部を出ていく時の秀樹にそっくりなんだよ。だから居ても立っても居られなくなってさ」

 

「はぁ、やっぱわかっちゃうか……」

 

「当たり前だろ。あたしは秀樹の彼女だぜ」

 

「…………」

 

 唐突に恥ずかしいことを言われお互い赤面し黙り込む。いつまでたっても慣れないな。いい加減慣れてきてもいい頃合いだろうに。

 

「秀樹は、どこにも行かないよな?」

 

「大丈夫さ。どこにも行くつもりはない」

 

「つもりじゃ駄目だ!」

 

 突然、胡桃が声を荒げた。これは、僕が悪いだろう。また、心配させてしまったのだ。僕は本当に駄目な男が。いくら筋肉と武器で武装しようとも僕という人間はどこまで行っても間違え続けるのだろう。

 

「行くなよ。前みたいに勝手にいなくなったら許さないからな」

 

「ごめん、約束する。僕はどこにも行かない」

 

 彼女になら言ってもいいかもしれない。僕は昨日のことを話す決意を決めた。

 

「昨日の夜さ。武闘派の女に会ったんだ」

 

「マジかよ!? 何もしなかったよな?」

 

 心配するのは向こうのほうなんだな。胡桃が僕をどう思っているのかよくわかった。でも、まあその認識は間違っていない。

 

「君が僕のことをどう思っているのよくわかったよ。って、そうじゃない。そいつに言われたんだ。お前は私の仲間だって」

 

「それって、どういう意味だ」

 

 これを言ってしまってもいいのだろうか。言ってしまったら僕は拒絶されてしまうのではないだろうか。そう思うとたまらなく怖い。そう思っていると手を握られた。温かい手の温もりだ。

 

「大丈夫だよ。肥料から爆弾作るような奴に今更何言われたって怖くねえよ。だから大丈夫」

 

「そうか……。そうだね。それでね、彼女は言ったんだ。この世界は楽しい、好きなように殺して好きなように奪える。真の自由の世界だとね」

 

 神持さんはそれはそれは楽しそうに笑っていた。それに惹かれなかったと言えば嘘になる。口ではいくら否定しても心までは騙せない。

 

「な、なんだよそれ……。おかしいだろ……」

 

「そう、それが普通の反応だよ。それでいいんだよ。でも、僕は違った。僕は彼女の言葉を否定しきれなかった」

 

「秀樹……」

 

 ああ、やっぱり言うんじゃなかった。こんなこと言ったって困るだけだろうに。

 

「僕は今まで好き勝手にやってきた。武器を手にしてあいつらを殺して殺して殺しまくった。人だって殺したことがある。今まで言ってなかったけどね。僕はね、はっきり言ってこの世界が好きなんだ。だから同類なんだよ」

 

 胡桃は何も言わない。言えないのか、それとも言う気力がなくなるほどに呆れたのか。まあ、どっちでもいい。ただ、彼女に嫌われると考えると胸が張り裂けるような気持になる。

 

「へぇ、で、続きは?」

 

「は?」

 

 この子は今なんて言った? 続きはと言ったのか。

 

「だから、続きは?」

 

「いや、これで終わりだけど……」

 

 僕の一大告白に、胡桃は欠伸を一つするだけで、それ以上の反応はない。まるで、それで終わりとでも言いたげな顔だ。

 

「なんだよ。もっと凄いこと言うんじゃないかと思って心配したんだぜ?」

 

「いや、君「胡桃って呼んで」胡桃、僕の言うこと聞いてたのか」

 

「聞いてるに決まってんじゃん」

 

 ちゃんと聞いていてその反応はおかしいと言わざるを得ない。そんなの、異常だ。

 

「じゃあ、何で怖がらないんだ。おかしいじゃないか!」

 

「いや、なんか。すげえ今更だなって……」

 

 そう言えばその通りだ。学校中の奴らを大虐殺して今更、異常者でしたなんて、そんなの知ってて当然だ。そんなこと頭の螺子がダース単位で外れている奴にしかできない。

 

「それは、その通りだ。でも、僕はあの女と同「秀樹は絶対にそんな女なんかとは違う!」く、胡桃……」

 

「ほんと、秀樹は馬鹿だな」

 

 頭を小突かれる。痛くも痒くもないはずなのに僕にはそれがまるでハンマーにでも殴られたかのような衝撃に感じた。

 

「前にも言ったけどさ。秀樹は自分の事悪く思い過ぎ。そりゃ、人を殺したってのはちょっとショックだけどさ。秀樹のことだから絶対に何か理由があったんだろ? 秀樹が何の理由もなしにそんなことする奴じゃないのは分かってる。だから大丈夫だよ」

 

 確かに、理由もなく人殺しをしたことなど一度もない。楽しんだこともない。ただ、必要だったから自分の身を守るため、みんなを守るため。でも、到底許されることではない。

 

「その女がどんな奴かは知らねえけど。これだけは言える。秀樹は絶対にそいつとは違う!」

 

 また、胡桃に助けられた。僕を引き戻すと言ったのは本当のことだったんだな。唐突にヒカさんに言われたことを思い出した。普通に生きることを諦めないで。そうだその通りだ。何で忘れていた。

 

僕は異常者だ。だからなんだ。狂っているから普通に生きてはいけないなんて誰が決めた。僕はこの子と最後まで生きると決めたのだ。あんなぽっと出の女如きに動揺させられるなんて情けないにもほどがある。それにこの世界は真の自由の世界なんだ。普通に生きる狂人がいたって誰も文句は言わないだろう。

 

「君は、君ってやつはなんて最高なんだ! 僕は胡桃を好きになって本当によかった。愛しているぞ」

 

「い、いきなりなんだよ。あ、愛してるって……」

 

 また、モジモジし始めた。可愛い。そんなこんなで僕は赤くなった胡桃を彼女が怒るまで可愛がり続けたのであった。月が温かく僕達を覗き込んでいた。

 

 




 いかがでしたか? アヤカが原作以上のサイコになってしまった感がありますが、このssのアヤカはずっとこんな調子です。大学編もようやく、物語が動き出しそうです。

 では、また次回に。


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第二十二話 はじまり

 書いていて思うこと。やっぱり頭がおかしい。


「これも、外れか……」

 

 車のエンジンルームを確認しながら呟く。今僕がいるのは聖イシドロス大学駐車場。ヒカさんから渡されたメモを片手に僕は交換用のパーツを探していた。しかし、いくら車のボンネットをこじ開けようとも目当ての代物は見つからない。当然だ。日本車と米国車では規格が違うからだ。

 

 ヒカさんはいいと言ったが、いくら誰も使っていないとはいえ勝手に車のエンジンを弄繰り回してもいいものなのだろうか。武闘派の連中にとやかく言われたら流石に言い返せない。これは本格的に外から取ってくることも視野に入れなくてはならないだろうな。

 

 腕時計を見る。まだ、桐子さんが唐突に始めたゼミまで時間がある。少し、散歩してもいいかもしれない。この大学は無駄に広い、ランニングがてら地理の把握もいいだろう。僕は駐車場を後にした。

 

 

 

 

 

「意外といるんだな」

 

 目の前には、もうすっかり見慣れたゾンビたちがのろのろと歩いている。構内は安全だと思ったんだがな。あまり、一人で戦うとまた怒られてしまうが今回ばかりは仕方がない。腰のククリナイフをゆっくりと引き抜く。

 

「ちょいとばかし僕の朝練に付き合ってもらおうか……」

 

 目標を前方のゾンビに定め突貫する。そしてすれ違いざまに腐った首目掛けてククリナイフを振り抜く。首が無くなる。そっちの方がずっと美丈夫に見えるぞ。

 

「一つ!」

 

 走りながらもう一体を視認。距離は約5メートル。そのままある程度まで近づき思い切りククリを投げつけた。銀色のククリの刃先が一瞬、太陽光を反射し輝く。次の瞬間、ゾンビの頭に突き刺さる。

 

「二つ!」

 

 倒れたゾンビからククリを引き抜き新たな得物を探す。何か、目的を間違えているような気がするが今は、後回しだ。ここから少し離れた場所にゾンビを発見。ククリを構えながら走る。

 

「オラッ!」

 

 2m程まで近づいたのち一気に奴の背後目掛けて飛び膝蹴りをお見舞いする。僕の体重と速度から放たれるそれはとんでもない威力を誇る。奴はたまらず僕に押し倒された。左手で髪を鷲掴みにし逆手に持ち替えたククリで首を掻き切る。

 

「三つ!」

 

 さて、お次はどいつだ。僕は次なる標的を探し辺りを見回す。それは直ぐに見つかった。視界の先には三体のゾンビと、人。

 

「誰だ、ありゃ」

 

 ヘルメットを被っているせいで誰だがわからない。だが、シルエットから察するに女性だろう。手に持っているのは、アイスピックか? もしかして戦う気なのか。どうやらその気らしい。彼女は近づくゾンビを紙一重で躱すと手にしたアイスピックを延髄に突き刺した。

 

「へぇ……」

 

 僕には気が付いていないようだ。そのまま彼女は二体目のゾンビの側頭部にアイスピックを叩きこむ。後一体か。だが、少し遅かったようだ。ゾンビが彼女に襲い掛かる。腕に噛みつかれた。まずいな。

 

「じっとしてろ!」

 

 すぐさま、ホルスターから5906を引き抜き、安全装置を解除、噛みつくゾンビ目がけて発砲。頭に9mmの穴が開き奴は誰にも迷惑を掛けることはなくなった。これで四つ。

 

「貴方、大丈夫ですか!」

 

 駆け寄り、彼女の安否を確認する。だが、よく見ればその腕には全く傷がついていない。当たり前だ。彼女は見るからに丈夫そうなレザージャケットに身を包んでいるからだ。

 

「き、君は、あの時の?」

 

 ヘルメットを脱ぎ、彼女がその素顔をさらけ出した。この顔には見覚えがある。そう言えばこの人は会議室に居たな。突然の第三者に彼女は警戒しているようだ。よく見れば少し身構えている。敵意がないことを示すために5906をホルスターに仕舞う。

 

「あの、もしかして余計なお世話でしたか?」

 

「…………そうかも」

 

 きっと、彼女は僕と同じ様にわざと噛みつかせてから攻撃しようとしたのだろう。それを自覚した途端、僕は猛烈な羞恥心に襲われた。何がじっとしてろだ。僕が頭を抱えていると彼女が声を掛けてきた。

 

「でも、ありがとう。君、本田君だよね?」

 

「え、ええ。そういう貴方は確か会議室で僕にお茶をくれた……」

 

 僕が会議室で武闘派に釘を刺した時にいた女性だ。てっきり非戦闘要員だと思っていたのだが、それは僕の思い違いだったようだ。

 

「篠生、右原篠生よ。それはそうとして、どうして君がいるの? ここは私たちのテリトリーよ」

 

 どうやら知らないうちに武闘派の縄張りまで来てしまったようだ。これは不味いな。信じてもらえるかわからないが弁明しておこう。

 

「そうだったのですか、知らずとは言え貴方達のテリトリーを侵してしまって申し訳ありません。こちらとしても貴方達とは不必要に争いたくはありません。ですので、どうか今のことは見なかったことにしてもらえないでしょうか」

 

「それは……」

 

 頭を下げる。僕もそんな虫のいい話があってたまるかと思うが、今は仕方がない。こんなことになるのなら予め桐子さんたちに縄張りのことを聞いておけばよかった。

 

「わかった、いいよ。でも、一つだけ教えて。君は外の世界から来たんだよね」

 

「外の世界?」

 

「私たち、あの日から一度も大学周辺から出たことがないの。行ったことがあるのは精々、近所くらい。だから外がどうなっているのか知りたいんだ」

 

 外の世界、そんな認識になるまでここは外部と隔絶されているのか。いっそ哀れにも感じるな。彼女の戦い方を見ればそれなりに洗練されているのがわかる。あれほどの腕ならば外でも十二分に通用するはずだ。後は踏み出すか踏み出さないかだけなのだ。

 

「ここと、何も変わりませんよ。何処も彼処も死に塗れている。今みたいにね」

 

「そう、なんだ……」

 

 流石に言い過ぎたか。右原さんの表情はかなり暗い。だが、事実だ。辛い現実を忘れ、夢に逃げるのも悪くはないが、結局は戦うしかない。それが嫌ならとっとと首を括ればいい。

 

「教えてくれてありがとう。それとこの前撃ってごめんね。痛かったよね……」

 

 僕のこめかみのガーゼを見ながら彼女は申し訳なさそうに言った。ふむ、武闘派にも少しはましな人間がいるようだ。勘違い野郎に、玩具と凶器の区別のついていない野郎。そして神持さん。どうせ、この人も碌な奴ではいと踏んでいたがそれは間違いだったらしい。

 

「いえ、慣れてますので。では僕はこれで」

 

「わかった。じゃあね、あと、アキさんに会ったらよろしくって伝えてくれるかな?」

 

 何故ここで晶さんが出てくるのだろうか。もしかしたら知り合いなのかもしれない。後で聞いてみよう。僕たちはお互いに別れを告げると今度こそ本当に各自の帰るべき場所へと戻るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、第一回これからどうしましょか会議をはじめよー!」

 

 桐子さんがいつものように元気よく宣言した。右原さんとのやり取りのあと皆のもとまで戻った僕であったが例によって例の如く胡桃に速攻で戦ったことを感づかれてしまった。返り血は一滴もついていないはずなんだがな。胡桃曰く「顔を見ればわかる」だそうだ。お前はエスパーか。

 

「あの、どうして第一回なんですか?」

 

 美紀が至極当然の質問を投げかけた。ここまで生き残って来て一度もこうした話し合いの場を設けていないのはいくら何でも怠慢すぎる。

 

「いやぁ、何度もこうした話し合いはしてたんだけど、こうして形式ばってするのは初めてなのさ。それに、物事は何事も形からだよみーくん」

 

「み、みーくんじゃありません!」

 

 あれから何度か学校と連絡を取り合った桐子さんはいつの間にか美紀を由紀と同じ呼び方で呼んでいた。いつも思うのだが何故美紀だけ君付けなのだろうか。まあ、僕も人のことは言えないが。

 

「えぇ、可愛いからいいじゃん。って、そうじゃない。こうして君達と出会えたわけなんだけど、ぶっちゃけ、どうしようか?」

 

「そりゃ、連携して生きて行けばいいんじゃないですか?」

 

「そりゃ、そうだけどその連携をどうするかってことじゃないの胡桃?」

 

「あ、そっか」

 

 僕も今一つ真剣に考えていなかった。正直言ってしまえば連携する旨味はあまりない。どちらも食料、生活必需品共に十二分以上に足りている。僕たち三人の食事を毎日三食、おやつ付きで出せるのがその証拠だ。仮に、ヒカさんを学校に招くとして僕たちが代わりに提供できるのは、

 

「武器、くらいですかね……」

 

「ぶ、武器?」

 

 どうやら突飛な発言だったようだ。皆が僕を見ている。でも、僕たちが彼女達に提供できるのは精々、武器くらいだ。

 

「だって、どちらも食料、医薬品ともに充実しています。貴方達になくてこちらにあるものと言えば武器くらいだ」

 

 後は、奴らの駆除サービスくらいかな。物資を対価に周辺のゾンビを駆除するサービスか。悪くないかもしれない。まあ、やらないけど。

 

「別に、そういうのはいらないかな。二人もそう思うよね」

 

「うん、てか貰ってもあたしら使えないと思うし」

 

「私も、怖いからいいや」

 

「秀樹、お前って奴は……」

 

 おい、頭を抱えるな。僕だってわかっているんだよ。頭悪い提案だってことくらい。よく考えてみらた、というか考えなくても彼女達に刈払機でゾンビのミックスジュースを作ることなんてできるわけがない。

 

「うーん、思ったんだけどさ。そういう何かしたからお返ししなきゃとかいらないんじゃないかな?」

 

「あたしも思ったわ、普通にお互い困ったら助け合うのでいいじゃん」

 

「だ、そうですよ秀先輩」

 

 うーん、本当にそれでいいのだろうか。こういうのはなるべくお互いにしこりを残さないようにするべきだと思うのだがな。僕がそうやって悩んでいると桐子さんが手を叩いた。まるでやるべきことを終えて次の段階に切り替えるかのようだ。

 

「と、いうことで第一回これからどうしましょか会議は終了! 解散!」

 

「お、終わっちゃったよ……」

 

 こうして僕たちのグダグダな会議は幕を閉じるのであった。とは言え流石にこれだけではあんまりなので後の話し合いの結果ヒカさん主導による技術指導と悠里主導による農業指導が主な連携となった。最初からそれをやれ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、前座は終わり! ここからが本題だよ!」

 

 桐子さんはホワイトボードを裏返す。そこには『第一回あいつらの正体を探ろう会議』と書かれている。あいつら? ゾンビのことか。

 

「あの、何でこれも第一回なんですか?」

 

「まあ、考えても分からないことは考えないようにしてるんだ」

 

「…………」

 

 僕は気楽でいいと思います。それに実際、わからないことを考え続けても仕方がない。桐子さんの割り切り方はこの世界で生きていくためには非常に重要なスキルだ。

 

「でも、君たちがこれを見せてくれたおかげで少しだけ考える余地ができた」

 

 そう言って桐子さんは緊急避難マニュアルのコピーを開いた。この手の込んだ悪戯のようなマニュアルだが、世界がこうなってしまった以上、信じるほかない。

 

「生物兵器か。事故るのは傘だけにしてほしいね」

 

「うんうん、ほんとそう思うわ」

 

 二人とも何の話をしているんだ。僕は胡桃と桐子さんの言っていることが理解できなかった。でも、事故か。まあ、多分事故なんだろうな。実験のためにここまでの規模でやらかすなんて考えられない。精々、孤立した村なんかで実験すればいいだけだ。それとも他の目的があったのか。

 

「トーコ、どうして事故だと思ったのよ」

 

 とはいえ、事故と決めつけるのは早計だ。そもそも証拠が何もない。あるのはあの一冊のマニュアルだけ。これだけでは何もわからない。

 

「そりゃ、この現象がランダルの想定通りだったらこの大学にももっと生き残りがいたはずだよ。聞くところによれば秀樹君達の学校にもいないそうじゃないか。多分、奴らにとっても突然の出来事だったんじゃないかな」

 

「確かに、そうよね。ここまでの設備を用意しておいたのに使っているのは結局あたしたちだけだし」

 

 確かに、そう考えると辻褄はあう。ただ、

 

「証拠がないよね……」

 

 ヒカさんが僕の思っていることを代弁してくれた。その通り、証拠がない以上、これは僕たちの妄想でしかない。

 

「うん、そうなんだ。ランダルの本社にでも行けば何かわかるのだろうけどね」

 

「てか、あいつらって何なの?」

 

 あいつら、奴ら、屍人、ゾンビ、アンデッド、ウォーカー、呼び名は様々だが、全てに共通していることは死んでいることと、にもかかわらず歩いて襲ってくること。

 

「ボクは情報科学部だからこれに関しては全くの専門外。ここには生物学部はいないし、リセも文系だから、結局」

 

「真相は闇の中ってことですか?」

 

「残念なことにね……」

 

 そうなのだ。僕たちがここでいくら頭を捻っても専門知識がない以上、何もわからないのだ。桐子さんが考えないようにしているのはこうして理解できないことを考え過ぎて精神を病むのを防ぐためなのかもしれない。この人はきっと見てくれなんかよりもずっと賢い人間なのだろう。

 

「秀樹君は何か知っているかい? 多分、この中で君が一番あいつらに詳しいでしょ」

 

 その通りだ。殺したゾンビは数知れず。より効率的に殺すために何度も実験を重ねた。どこまで傷つければ死ぬのかを試したこともある。あれは我ながら酷かった。足から順に切り落としていくのだ。結果は達磨になっても奴らは生きていた。あの時の僕は本当にどうかしていた。

 

「ええ、とは言え僕が知っているのは奴らの習性とか体質とかに限りますけどね」

 

「それだけでも十分だと思うよ。よかったら少しボクたちに教えてくれないかい?」

 

 僕は桐子さんの提案に賛成し、奴らについての僕の知っていることを教えることにした。音や光に釣られることや生前の習慣に囚われることなどは知っていたが火に弱いことや記憶力、学習能力などは知らなかった。話している間に熱が入ってしまい、いつしか桐子さんのゾンビの考察は僕の対ゾンビ戦術講座と化していた。

 

「────結論として、ゾンビはとても怖いですが、全然怖くありません。僕の説明した戦法を使って油断しなければね。とまあ、以上が僕の知っているゾンビの全てですかね。戦法と生態関しては全て実証済みなので信じてもらって大丈夫ですよ」

 

 気が付けば皆、僕のことをみて唖然としていた。どうやらやりすぎてしまったらしい。

 

「あ、あんた、本当に詳しいのね……」

 

「先輩、ドン引きです……」

 

 胡桃だけは何故か熱心に僕の話を聞いてくれていたが、それ以外は呆れているというか何を言っているのかわからないと言いたげな顔だ。

 

「いやぁ、すごいね、流石は一人称がボクなだけはあるよ。武闘派なんかよりもよっぽど詳しいんじゃないの?」

 

 恐らくこの世界での対ゾンビ戦術の第一人者を名乗ってもいくらいだ。いや、流石に言い過ぎか。でも、個人でのゾンビ殺害記録では僕が絶対に世界一位だと思う。2017年のギネスブックに掲載されるのも夢じゃないな。

 

「いや、僕は関係ねえだろ……」

 

 僕もそう思います。だが、本当に奴らは一体何なのだろうか。代謝もなく、何も食べないのにも関わらず歩き続け、腐り落ちることもない。ここまで映画と一緒だといっそ笑えて来る。唯一違うのは火に弱いことくらいだ。ゾンビもので火属性攻撃はやってはいけないことなんだがな。

 

「老いることもなく朽ちることもない。ある意味不老不死だよね」

 

「不老不死、ですか……」

 

 不老ではあるが不死ではない。とは言えこの世で最も不老不死に近い存在と言っても過言ではないだろう。それが幸せかは置いておいて。

 

「でも、こんな世界になっちゃったんだし、あいつらの仲間になったほうがある意味幸せかもね」

 

「アキ先輩……」

 

「アキ……」

 

 どうやらアキさんにはきついものであったらしい。でもある意味幸せなのかもしれない。何も考えず永遠に歩き続ける。絶望も喜びも感じない。真の平穏な世界だ。でも、

 

「ボクはそうは思わないな」

 

「トーコ?」

 

 そんな考えを出口桐子は一刀両断に切り捨てた。その目はいつものふざけたものではない。この世界に必死で生きている者の力強い目だ。

 

「確かさ、あいつらになっちゃったほうが色々楽だと思うよ。でも、それだけじゃん。みんなと馬鹿なことして楽しめないし、ポテトチップスだって食べられない。だってあいつらのご飯、生肉じゃん。ボクは嫌だよそんな生活。それに、なにより、ゲームができない!」

 

 何か凄いことを言うのかと思ったらまさかのゲームが出来ない発言とは。皆が唖然とするのがわかる。

 

「ぷ、トーコったら何かいいこと言うかと思ったらゲームが出来ないって、下らなすぎっしょ」

 

「言ったなー。アキはゲームの素晴らしさを知らないようだね。これは指導が必要なようですなー」

 

「トーコは適当すぎ……」

 

 どうやら慰めるために言ったらしい。気が付けば皆が笑っている。彼女達が今まで普通に生きていくことができたのはきっと桐子さんのお蔭なのだろう。彼女もまた僕の尊敬する終わった世界を普通に生きることのできる強い人間だったのだ。結局、この会議では何もわからないという結論に至り、ランダル本社に行けば色々分かるだろうがそれは自分達のすることではないとの結論に達した。とは言え何か起きた時のために本社に行くことも視野に入れておくべきだろう。ワクチンくらいは見つかるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「秀樹、やっぱ体力あるな。でも、フォーム滅茶苦茶すぎ」

 

「仕方ないだろ。自慢じゃないが万年帰宅部だったんだぞ」

 

 あの会議の後、僕たちはグランドの安全を確認したので胡桃に誘われ走り込みに来たのだ。丁度今は胡桃と五キロ走ったばかりである。横目で見れば美紀がベンチに座って本を読んでいる。

 

「その身体で? 信じらんねえわ」

 

「昔はもっと痩せてたんだよ」

 

「そういやめぐねえが気がつかなかったもんな。昔はどんなんだったんだ?」

 

「それがね、断片的にしか思い出せないんだよ」

 

 そう、僕は事件以前の日常を断片的にしか思い出せない。どんな生活をしていのかくらいは思い出せる。だが、それ以上のことを思い出そうとするとたちまち記憶が途切れてしまうのだ。

 

「それって、記憶喪失ってやつなのか?」

 

 心配そうに胡桃が訊ねる。心配してくれるのは嬉しいがそこまで深刻ではない。

 

「いや、多分、事件が起きてからの日常が強烈すぎて単純に忘れてしまったんだろう。僕が昔何をしていたか知っているだろう? あんなことを毎日繰り返していたんだ。そりゃ記憶だって摩耗するさ」

 

 ただ、殺すだけの機械だった昔、如何に多く殺すことだけを考え続けた日々。それは僕の思い出を蝕み穴だらけにしてしまった。だが、僅かに残った人間性のお蔭で僕はこうして踏みとどまることができた。いや、違う。皆が無理やり引きずり戻してくれたんだ。

 

「そうなんだ。でも、惜しいなー。今の秀樹なら絶対陸上部で大活躍だったぜ?」

 

「まあ、確かに砲丸投げとかハンマー投げだったらそこそこの記録を残せるかもね」

 

「取りあえず県大会はいけるだろうな。そんで上手くいけばインターハイも夢じゃなかったかも」

 

 全国大会はいくらなんでも盛りすぎだと思わざるを得ない。僕には筋力はあってもそういう技術はない。首の折り方なら日本で一番上手い自身があるけど。

 

「それは夢を見すぎだろ。よしんば県大会まで行けたとしてもそこで予選落ちだろうよ」

 

「それ鏡みても同じこと言えんの?」

 

「…………」

 

 こんな筋肉の塊の高校生なんてそうそういない。というか居てたまるか。自分でもどんな鍛え方したらこんな身体になるのか説明できない。あの時は本当に狂ったように鍛えていた記憶がある。そして気が付いたらこの有様だ。

 

「秀樹、その傷は?」

 

 胡桃が唐突に僕の前腕の傷を指さした。いつもは長袖を着ているので今までばれなかったのだ。だが今は運動用の半袖シャツだ。僕の腕にはまるで、手術跡のような横一文字にできた跡が残っている。これは確か、あの時のだ。

 

「ああ、これは学園生活部に入る前にできた傷だよ。襲ってきた暴漢にナイフでバッサリやられてね」

 

 いやぁ、あいつは強敵だったな。あの腕なら別に人を襲わなくてもよかっただろうに。僕は今は亡き彼を思い出し、感傷に浸るのであった。

 

「だ、大丈夫だったのかよ!?」

 

「いや、大丈夫だったからここにいるんだろうに」

 

「あ、そっか。でも、この跡ってどう見ても縫った跡だよな……」

 

 これを言ってしまってもいいのだろか。ドン引きされる気がしてならない。胡桃は僕のことを必要以上に心配する癖がるからな。まあ、それが嬉しいんだけど。

 

「思っていた以上に傷が深くてね、自分で縫ったんだ。裁縫セットで」

 

「はっ!? よ、よく平気だったな……」

 

 案の定、ドン引きしているではないか。そりゃそうだ。どこぞのベトナム帰還兵ならともかく実際に自分で傷口を縫う馬鹿なんていない。いや、ここに一人いるな。

 

「平気じゃないよ。当然、麻酔なんてないから痛くて痛くて仕方がなかったね。あんまりにも痛いから酒をしこたま飲んで泥酔してから縫ったんだ。お蔭で一カ所縫う場所を間違えてしまったよ」

 

 あれは本当に痛かった。まるで子供のように泣き叫んだものだ。思えばあれのお蔭で痛みに耐性がついたのかもしれない。あの痛みに比べればクロスボウの矢が掠った痛みなんて屁でもない。

 

「はあ、もう昔のことだから言わないけどさ。アホだろ」

 

 胡桃は呆れ半分心配半分といった表情で溜息をついた。前みたいに泣かれたら僕は今度こそ罪悪感でどうにかなってしまうだろう。

 

「もう、しないって」

 

「朝練とかいって一人で戦ってた奴の言うことなんか信じられるかよ。やっぱ、秀樹はあたしが見張ってなきゃ駄目だな」

 

 これは僕の告白前に言われた台詞だな。僕はこの言葉のお蔭で決心がついたんだ。でも、今回は少しからかってみよう。

 

「ちなみにいつまで?」

 

「そりゃ、い、一生だろ……」

 

 いつぞやの焼き増しのように二人して赤面し黙り込む。何故、胡桃はいつも恥ずかしいことを言って自爆するのだろうか。でも、一生か。それってもしかして……。

 

「な、なあそれって「それよりもさ、あのこと美紀に言った方がいいのかな?」あのこと?」

 

 思い当たる節がない。駄目だ、考えても埒が明かない。僕が胡桃に訊ねようとする前に胡桃が先に口を開いた。

 

「あれだよ、空気感染のことだよ。一応、みんなには秘密にしてるけどさ、そろそろ言った方がいいんじゃないかなって」

 

 空気感染、僕たちはその事実を知っている。はじめさんが感染した理由だからだ。それに僕も実際に噛まれていない人間が奴らになったのを見たことがある。

 

「まあ、ずっと隠すわけにもいかないしな。いつかは言わなきゃな」

 

 本音を言うならずっと隠しておきたいところだが、誰かが感染した際に告白するなんてことが起きたら目も当てられない。

 

「きっと、今言っても二人一緒にりーさんとめぐねえの説教が待ってるだろな」

 

「それだけ僕たちのことを思ってくれてるんだろ? いいじゃないか、たまには僕の気持ちを体感するのも」

 

 僕だけ怒られる回数が多すぎる気がしてならない。いったい何回、あの二人に怒られたのだろうか。本気で怒ると物凄い怖いんだよ。それこそ冗談抜きでゾンビの群れと戦った時よりも怖いと感じる。

 

「ふふ、秀樹いつも怒られてるもんな」

 

「胡桃だって、しょっちゅう怒られてるんじゃないか」

 

「そりゃそうだけど、秀樹ほどじゃねえよ」

 

 そうやって僕たちは再び走りながら下らない雑談に興じるのであった。気が付けば美紀は何処かに行っていた。僕は胡桃に別れを告げて美紀を探しに行った。

 

 

 

 

 

「さてと、あの子はいったいどこに行ったんだ?」

 

 あれだけ自分から一人になるなと言ったのにこれじゃあ人のこと言えないじゃないか。僕は武闘派とサークルの共有部分にある道を歩く、やがてあるものが目に入った。僕の視界に先には立ち入り禁止の張り紙が張られたフェンスとその先にはどこから持ってきたのか見当もつかないコンテナがまるで何かを閉じ込めるかのように鎮座していた。

 

「ここが、墓か……」

 

 グラウンドの安全を聞いた際、僕たちはこの大学の大雑把な説明を受けた。現在、構内はほぼ安全地帯となっているが理学棟と今僕が目にしている場所だけは危険だと口を酸っぱくして言われたのだ。その時、桐子さんはここが墓だと言っていた。

 

「よし、いっちょ見てやるか」

 

 よく見れば梯子があるではないか。僕は怖い物見たさで梯子を登りコンテナの上に立った。そこには僕の予想通りの光景が広がっていた。

 

「こりゃ、確かに墓だな……」

 

 何十匹ものゾンビがコンテナに塞がれた空間で屯していた。よく見れば頭を損傷したゾンビが異様にに多い。恐らく感染した仲間をこうして突き落としているのだろう。光景そのものは見慣れたものであるが、この光景がどうやって作られたかを考えてると流石に、憂鬱な気分になるのであった。

 

「かわいそうに、燃やしてやればいいのに」

 

 いくら何でもかつての仲間に対する仕打ちとは到底思えない。せめて息の根くらい止めてやればいいものを。それとも弔う余裕すらないのか。これでは死んでいった者達があまりに報われない。地面に献花らしき花は数本落ちていたので一応、弔っているつもりらしい。でも、僕は武闘派に巣食う闇の深さを再認識した。

 

「いつか、眠らせてやるから待ってろよ……」

 

 車には例のブツも積んである。あそこで彷徨い続ける者達をいつでも終わらせることができる。でも、これ以上ことを大きくするのは嫌だ。車の修理が終わってから帰り際にやろう。武闘派に許可をとるのも吝かではない。

 

「美紀を探すか……」

 

 僕は墓を後にした。背後では未だに死にきれない哀れな犠牲者の呻き声が木霊した。その後、美紀は直ぐに見つかった。少し様子が変だったが、恐らくあの墓を見てしまったのだろう。あれを見てショックを受けないやつがいたらそいつは相当な外れ者だ。かくいう僕も憂鬱な気分にはなってもショックは受けていない。あんなものは言ってしまえばありふれた光景だからだ。感傷に浸るには僕はあまりにも死に慣れ過ぎていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2016年◎月◎日

 

 胡桃と大学校外で交換用のパーツを探した。かなりの時間探索したが全然見つからず苦労した。倒したゾンビの数も結構なものになっている。最近は、胡桃との連携にも磨きがかかり顔を見ればだいたい何をしてほしいのかわかるようになった。それは胡桃も同じようで僕たちは無言で連携を取っている。

 

胡桃の愛用のシャベルは僕が定期的にグライダーで研ぎ直しているから胡桃がシャベルを振る度にゾンビの首なし死体が量産される。かくいう僕も弾薬を節約したいので積極的にククリナイフを振るっている。巡ヶ丘の首狩りカップルと呼ばれるのも時間の問題かもしれない。

 

あれから神持は一切接触してこない。とはいうものの顔を見ないわけではなく今日も武闘派の縄張りから僕を見ているのを発見した。僕と目が合うと笑いながら手を振るのだ。正直言って少しだけ可愛いと思ってしまった。だが、あれだけのことを言ってのけたのだ彼女はきっと僕に接触してくることだろう。何故か神持のことを考えていたのがばれて胡桃に頬を抓られた。今でも少し痛む。

 

彼女はいったい何を見てああなってしまったのだろうか。それとも元から壊れていたのだろうか。彼女は僕のことを初めての理解者と言った。正直、嬉しくないと言えば嘘になる。こればかりは誰にも理解されなかったからだ。でも、僕はみんなと生きると母に誓ったのだ。だからあの手を取ることはない、絶対にだ。

 

 

 

 

 

2016年◎月◎日

 

 ようやく車のパーツが見つかった。以外にも見つかったのは大学に止めてあった車からであった。ずっとあそこは探しつくしていたと思ったのだが、どうやら勘違いしていたらしい。灯台下暗しとはよく言ったものだ。

 

 すぐさま、パーツをヒカさんに届け、車を修理してもらった。パーツを交換し、ついでにオイルなども交換してもらった。これで本職ではないのだからヒカさんの腕はかなりのものと言えるだろう。ますます、武闘派のアレさ加減が際立つ。冗談抜きにリーダーを変えた方が上手くいくことだろう。

 

 エンジンを掛ければ以前よりも確実にキレが良くなっていた。彼女には足を向けて眠れないな。これでいつでも帰ることができるようになった。とはいえそれが終わったのは既に日が暮れた後だった。帰るには準備が足りない。よって本格的な準備は明日行い、出発は明後日にすることになった。

 

 明日はお別れ会も開いてくれるらしい。本当に何から何まで世話になりっぱなしだ。僕たちは彼女達に多くの借りを作ってしまった。だから、もしあの人たちが困っていたら助けてあげたい。これは胡桃も美紀も思っていることだろう。後は、これを学校に報告するだけだ。もうすぐ定時連絡の時間だ。日記を書くのもここまでにしておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『よかったわ、やっと帰ってくるのね』

 

「すまんね、予想以上にパーツを見つけることに手間取ってしまって、でも、お蔭で車の調子がすごい良くなったんだ。帰りの食糧だってくれたし本当にあの人たちには感謝してもしきれないよ。オーバー」

 

 いつもは佐倉先生が無線に対応するはずなのだが、今日は何故か悠里が応対していた。理由を聞けば佐倉先生は今、風呂に入っているのだという。僕も久しぶりに屋上のドラム缶風呂に入りたい。

 

『私としても早く帰って来てほしいのだけれど、どれくらいかかるのかしら』

 

「まあ、明後日出発してそれからさらに三日ほどかかるから計五日ってところかな。オーバー」

 

 思えばもう学校を離れて半月近くになるのか。いい加減帰らないとるーちゃんに顔を忘れられてしまうな。

 

『そう、じゃあ気を付けるのよ。そう言えば胡桃はどうしているのかしら。声が聞きたいわ』

 

「胡桃なら、多分桐子さんと最後のゲーム三昧だろうな。恐らく徹夜でやるんじゃないか? オーバー」

 

 ここに来る前に桐子さんの部屋から桐子さんの勝気な声と胡桃の悔しそうな声が聞こえた。負けず嫌いな胡桃のことだきっと勝つまで続けるに違いない。

 

『胡桃ったら。ちゃんと渡した参考書で勉強しているのかしら。流石に学力が心配になってくるわ』

 

「いや、勉強はちゃんとやっているよ。美紀に言われたことが効いているらしくてね。だからあまり悪く言わないでくれ。オーバー」

 

『それならいいのだけれどね。秀樹君もちゃんと勉強するのよ。帰ったらめぐねえのテストが待っているからそのつもりで』

 

 それは、不味い。僕も、勉強しているとはいえ十全とはいいがたい。これは帰りの道中で勉強したほうがいいかもしれない。

 

『あ、今圭さんに替わるわね』

 

 程なくして圭の懐かしい声がスピーカーから聞こえてきた。るーちゃんはもう寝てしまっているのだろうか。あの年ごろならもう寝ていてもおかしくない。

 

『秀先輩、久しぶりです!』

 

「ああ、声を聞くのは久しぶりだな。そっちの様子はどうだ? オーバー」

 

『そのオーバーってなんですか? まあ、いいや。はい、こっちは全然大丈夫です。美紀は元気ですか?』

 

「ああ、ピンピンしているよ。僕たちに対する小言が多い気がするがね。オーバー」

 

 まあ、僕と胡桃だけでは些か暴走気味になってしまう気がしてならない、美紀を連れてきたのはやはり正解だった。

 

『まあ、あれはただの照れ隠しですから、心配しなくていいですよ。というか、秀先輩、胡桃先輩とは何処まで行ったんですか!?』

 

 やはり、隠していると思っていたのは僕たちだけだったようだ。

 

「何処までって、別にやましいことはしていないよ。普通にお付き合いさせてもらっている。オーバー」

 

『またまた~。もうあんなことやこんなことしたんじゃないですか?』

 

 少しイラッと来たのはきっと正常な反応だろう。まあそう思われても仕方のない行為は沢山している。だが、僕は断じてそういうことはしない。

 

「思う存分、勘違いしていてくれ。もう、通信切るよ。じゃあまた」

 

 これ以上は電気の無駄なので無線機の電源を落とす。車内は再び静寂に包まれる。もうすぐ春か。卒業式どうするんだろうか。というか卒業する意味あるのだろうか。時計を見る。もうすぐあれの時間だな。今度は車載ラジオの電源を入れる。周波数はもちろんあれである。

 

『こんばんはー! こちらワンワンワン放送局、夜の放送の時間だよ! 最近、秀樹君が全然会いに来てくれなくてお姉さんは寂しいです。では、まず最初にラジオネームおでこポニーさんのリクエストで「We took each other's hand」をどうぞ』

 

 確かに、もう一カ月近く会いに行っていないな。一応、佐倉先生がこの前行ってくれたらしいが、僕は全然行っていない。こんど会いに行かなくては。またリクエストを思いついたんだ。

 

 車内に優しい歌声が響き渡る。これは失恋の歌か。圭はわざとやっているのか? おでこポニーなんてあの子しか思い当たる節がない。そう言えば、桐子さんたちにはワンワンワン放送局のことを言うのを忘れていたな。まあ、明日でいいか。

 

「ふう、やっと帰れるよ……」

 

 神持さんのことや墓のことは気掛かりだが、今、考えても詮無いことだ。僕は運転席に身体を埋めながらスピーカーから流れるメロディーに耳を傾けるのであった。だが、僕の予想は大いに外れることとなる。

 

 僕の戦いは始まったばかりだったのだ。だが、何が来ようと僕はその悉くを押しつぶし、粉砕し、蹂躙するだけだ。

 




 いかがでしたか? 遂に大学編の序章が終わり物語が動きます。皆さんどうか最後までお付き合いください。

 では、また次回に。


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第二十三話 かいせん

 書いていて思うこと、特になし。


「高上が死んだ……」

 

 本田一行が車の修理を終え荷物を積み込みお別れ会を開く日。事件は起きてしまった。高上聯弥の感染、そして死。武闘派は自らのルールに則り彼をすぐさま始末した。だが、一つ不可解なことがあったのだ。いったい彼はいつ感染したのだろうか。

 

「隔離体制は万全だったはずだ。だが、高上は感染した。これは紛れもない事実だ」

 

「どういうことだよ……。噛まれない限り感染はしないはずだろ」

 

「でも、現に高上は奴らになったじゃない」

 

 空気感染という事実を知らない彼らは何故彼が感染したのか見当もつかない。

 

「レン君が最後に外に出たのは6日前です。身体検査もしてます。なのに……」

 

 彼の恋人である右原篠生にとってこの事実は何よりもショックであった。彼女は彼がいたからこ戦うことができたのだ。だが、その彼はもういない。彼女はその目で彼が墓に落ちるのをはっきりと見た。

 

「俺達全員のアリバイも取れている。ということは誰かが感染させたわけだ。そしてこんなことができるのはあいつしかない」

 

「本田、秀樹……」

 

 隔離体制は万全、メンバーのアリバイも証明済み。故に、彼を疑うのは至極当然の流れであった。もう一度言おう彼らは知らないのだ。だが、実際に彼が武闘派を殺す気ならば彼らは初日の内に今まで切り捨ててきた仲間の元に送られていただろう。しかし、事実がどうであれ彼らがそれを知る由もない。

 

「本田君がその気ならもう私たちとっくに死んでいると思うのだけど」

 

「警告のつもりなんじゃねえの? けっ、なにが危険人物じゃないだ」

 

 唯一、彼のことをここに居る誰よりも理解している神持だけは真相に近い考えを述べた。だが、本田秀樹という特大の脅威は彼らの思考を鈍化させた。恐怖は疑いを生み、やがて憎悪へと変わる。至極当然の人間の本能である。

 

「あいつを遊ばせておいたのが俺達の間違いだったんだ」

 

「やるか? でも、あいつ銃持ってるぜ」

 

 武闘派の主な武器は近接武器だ。それに対し相手は自動式拳銃。真面に戦えば勝ち目はない。だが、方法がないわけではない。

 

「人質、あるいはそれに準ずるもの……。一緒に来た二人の女はどうだ」

 

「確かに、あいつらなら俺達でも余裕で対処できる」

 

 彼らの選択、それは人質を取るというものであった。確かに、それは有効な手段だろう。本田秀樹という人間は何よりも仲間を大切にする。それしか方法がないのなら彼は躊躇なく自分の命を絶つだろう。だが、それは本当にそれしか方法がない時だけだ。

 

「あいつは仲間のことが大層大事らしいからな。一人でも捕まえれば俺達の勝ちだ」

 

「あのイカれた筋肉野郎に一泡吹かせてやろうじゃねえか」

 

 殺された仲間の仇を討つため武闘派は立ち上がる。例えそれが全くの勘違いだったとしても彼らはそれを知らない。彼らは自らの内にある恐怖を本田秀樹というわかりやすい脅威に押し付けることで心の平穏を図っているのかもしれない。

 

「きっと犠牲は避けられないだろう。だが、アイツは殴るのなら殴られる覚悟を持てと言っていた。悔しいがアイツ言う通りだ。俺達は覚悟を持って本田秀樹という脅威を打ち破る。それが高上にできる最大級の手向けだ」

 

 彼も少し考えればわかるはずであった。彼がこんなことをする必要がないということを。しかし、悲しいことに人間というのは敵を作らないと生きていけない存在なのだ。彼等もまたこの終わってしまった世界の被害者なのかもしれない。

 

「馬鹿みたい……」

 

 復讐に燃える武闘派をよそに神持朱夏は酷くつまらなそうに呟いた。もう彼女にとって武闘派などという存在は路傍の石程度の価値しかないのだ。選民気取りの男にでかいだけが取り柄の野蛮人。悲劇のヒロイン気取りの後輩。もう何もかもどうでもよかった。

 

「秀樹君、楽しいことになりそうよ……」

 

 だが、きっと今夜は楽しい一日になるだろう。彼女はそう確信した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃ、本田君達の準備が終わったことだし、乾杯!」

 

 各自が手に持った紙コップを打ち付ける。グラスではないのでいい響きではないが、それでも十分であった。既に荷物も積み終え、後は明日に備え帰るだけになった。だが、こうして桐子さんたちの粋な計らいにより送別会を開いてくれることになったのだ。

 

「いやぁ、本当に何から何までありがとうございます」

 

「別にいいって、こういうのはお互い様でしょ」

 

 お互い様という次元を軽くと通り越している気がするがまあ、そういうことにしておこう。今更ギブ&テイクなどど騒ぐつもりはない。カップに注がれたジュースを見る。賞味期限間際だと思うが、実際のところ暗所に保存しておけば何年も持つ。僕は一気に飲み干した。

 

 周りを見れば皆思いも思いに遊んでいる。ヒカさんたちは、名前は忘れたが樽に剣を突き刺す玩具で遊んでいた。そばには鼻眼鏡、罰ゲームのつもりなのだろうか。今日は珍しくリセさんも来ていて正に全員集合と言ったものであった。

 

 僕はこういうイベントに慣れていない。というより男女比がヤバくて猛烈に肩身が狭い。七対一は流石に厳しいものがある。学園生活部の皆ならもう慣れてしまったが、ここにいるのはまだ出会って日が浅い人ばかりだ。

 

 少し、外の空気を吸ってこよう。僕はこっそりと部屋を後にした。自慢じゃないが気配を消すのは得意だ。脱出はすんなりと成功した。

 

 

 

 

 

「ただでさえ不味い男女比が更に不味いことになってしまった。これは武闘派と本格的に和解したほうがいいかもしれない」

 

 廊下に出て一人黄昏る。これで煙草でもあったらハードボイルドっぽくていいのだがな。だが、こんなところで吸う気にはならないし、今の僕は煙草を持っていない。

 

 何故こうも男の生存者と出会えないのだろうか。いや、いないわけではないが、僕と密接に関わる生存者は皆女性だ。はっきり言って息が詰まりそうになる。せめて武闘派がもう少し話のできる奴らならいいんだがな。

 

 どこぞの頭の悪い三流小説ではあるまいし、もう少し男に会わせてくれてもいいのではないだろうか。もし神様とやらに出会う機会があったら火炎放射器で燃やしてやる。

 

「こんなところでなに黄昏てるのよ」

 

「なんだアキさんか」

 

 突然、後ろから声を掛けられた。アキさんだった。もしかして心配して来てくれたのだろうか。だとしたら悪いことをした。僕はただ偏り過ぎた男女比についての考察をしていただけにすぎないのだ。

 

「なんだとは失礼ね。突然いなくなるから心配して探しにきたのよ。あんたそんなでかいのに気配隠すのうますぎでしょ」

 

「まあ、必要だったから覚えたまでです。あとでかいは余計です」

 

 僕だって地味に気にしているのだ。別に誰も気にしていないとはいえ時より傍から僕たちを見た時のことを考えると、そこはかとない犯罪臭がして憂鬱になる。

 

「ごめんごめん。で、どうしたの?」

 

「いや、あれですよ。ちょっと外の空気が吸いたかっただけです」

 

 流石に偏り過ぎた男女比に思いを馳せていたなんて言うつもりはない。勘違い野郎と思われるのは心外だ。話を変えよう。

 

「そう言えば貴方は昔、武闘派にいたそうですね」

 

 この事実を知ったのは構内で右原さんと遭遇した日のことである。彼らのやり方に不満があったのか他に理由があったのかは知らないが賢明な判断だと僕は思う。構内の安全は彼らによってもたらされたものであるのは疑いようのない事実であるが、その後がいけなかった。闇雲に人材を消費するのは愚か者のすることである。例え戦えなくともできることなどいくらでもある。悠里がその証拠だ。彼女は今まで一度も奴らと戦ったことはない。しかし、彼女なくして僕たちが上手くいくことはないであろう。

 

「うん、そうだけど。いきなりどうしたの?」

 

「ただ、少し気になっただけです。差支えなければ聞きたいのですが、どうして去ったので? あそこの方が安全だったでしょうに」

 

 聞くところによれば身体検査までしているそうだ。彼らの戦力から鑑みても自身の安全を考慮するなら武闘派に身を寄せるほうが死ぬ確率は低くなる。

 

「あんたはアヤカに会ったことあるよね。あの会議室に居た黒髪の女」

 

「ええ、知ってますよ」

 

 知っているどころか同類認定までされている。明日ここを出ることになるのだが、彼女は終ぞ僕に接触してくることはなかった。もしかして見限ったのだろうか。僕としてはその方がありがたい。

 

「アイツさ、いつもつまらなそうな顔しててね。でも悪い奴じゃなくてほっとけないと思ってたんだ」

 

 過去形ということは今は違うということだろうか。

 

「そんな時、一回だけアヤカが笑ってるの見たことがあるの。もう、見たかな? うちらがお墓って呼んでるところでさ」

 

 あの墓を見て笑ったのか。まあ、あの人なら笑いそうな光景であるのは言うまでもない。人というのは自分より下の存在を作りたがる。死体というある意味この世の最底辺の階層に落ちぶれた者を見て優越感を感じるのは別段珍しいことではない。例えば死ねばいいと思っていた者が歩く死体となっていた場合、優越感を感じない人間はいないだろう。

 

「それで、出て行ったんで? あそこには知り合いも少なからず居たでしょうに」

 

「うん、アヤカはヤバイ奴だったけどいいやつもいた。でも、あのお墓を見続けたらさ、あたしも怪物になっちゃう気がしたんだ。理由はうまく言えないけどね」

 

 その通りだ。毎日、知人、友人だったものの成れの果てを見続けて正常な精神を維持できるとは到底思えない。壊れるに決まっている。精神衛生の観点から考えても武闘派は遺体を燃やすなり埋めるなりするべきだった。彼らの現状はなるべくしてなったと言わざるを得ない。

 

 でも、僕はそれとは別のことも考えていた。神持のことだ。彼女は以前、僕のことを初めての理解者と呼んだ。誰も彼女の本当の気持ちを理解できる者はいないのだろう。たった一人の異端者、外れ者、武闘派という集団に所属していても彼女はきっと孤独だったのだ。僕は少しだけ神持に同情した。

 

「変な話してごめんね。でも、もうあんたらも明日行っちゃうしそこまで気にすることないよね」

 

「いえ、僕のほうから訊ねたので貴方が気に病む必要はありませんよ」

 

「そう言えばそうね。あ、もし帰る途中でスミコに会ったらさ。捕まえておいてくれない?」

 

 スミコ。過去にここに居た女性だそうだ。服飾に関心があり、以前布地を探すと言ったきり今も戻ってきていないそうだ。恐らく、既に亡くなっていることであろう。悲しいことだが割り切るしかない。

 

「ゴスロリだからすぐわかると思うよ。みんな怒ってるっていってくんない?」

 

「ええ、見つけたら必ず」

 

 できないことは約束しない主義だが、このくらいの嘘くらいは言っても罰は当たらないであろう。それに彼女だって本当は分かっているはずだ。分かっていても信じたいのだろう。

 

「ありがと。じゃ、もう戻りましょ。みんなあんたがいきなり消えて心配してたのよ?」

 

 これは、また怒られそうだ。そんな下らないことを考えながら僕たちは送別会にもどるのであった。この人たちとこうするものあと残すところ数時間。僕はこの時間を大切にしたいと思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「突然、呼び出して何の用だ?」

 

 送別会が終わり、夜も更けかけたころ。僕は武闘派に以前、僕たちが出会った会議室に呼び出されていた。目の間には頭護と神持。手紙には謝罪がしたいとの文が書かれており、本来ならこちらから出向くべきなのだが穏健派などとの混乱を避けるために緩衝地帯であるここに来てくれないかとのことであった。

 

「手紙で既に通達していると思うが今回は改めて謝罪に来た。あの時は本当にすまなかったと思っている。リーダーとして謝罪する」

 

 前、出会った時の威勢の良さとは裏腹に今の頭護は本当に申し訳なさそうな表情であった。一瞬罠かと思ったがこれは違うのかもしれない。僕は少しだけ警戒心を下げた。彼は僕に頭を下げるとそのままの姿勢で黙り込んだ。隣には相変わらず酷くつまらなそうな神持が彼を見下している。

 

「頭を上げて下さい。貴方の誠意は確かに受け取りました。いくら身を護る為だったとはいえ僕のしたことは到底許されることではありません。ですので今回の件はこれで水に流しましょう」

 

 また、調子に乗って意味の分からないことを言い出すのならともかく今の彼には誠意というものを感じた。やり方は不味かったとはいえ彼らの言い分も尤もなのだ。ただ、彼らは自分達の領域に入り込んだ侵入者を排除しようとしただけ。警察や自衛隊が守ってくれない以上、自分達の身は自分達で守る必要がある。

 

 僕の言葉に頭護はゆっくりと頭を上げた。心なしか笑顔な気がするがきっとそれは安堵からくるものなのであろう。自分でも分かっているのだ。僕ははっきり言って怖い。そんな僕に怖気つくことなく謝罪したのだ。その勇気は称えられるべきであろう。

 

「そう言ってもらえると助かる。こちらとしても不用意にお前たちとは争いたくはなかった。本来なら全員で来るべきだったのだが各自仕事があってだな。俺達しかこれなかった」

 

 今、少し引っかかるものを感じたが、ただの言葉の綾だろう。言い間違えなどというものは生きていれば誰にでもある。それにしても全員で来るつもりだったのか。流石にそれは勘弁してほしい。こないで正解だ。ふと、気が付けば神持が3人分のお茶を用意してくれていた。何故か異様に笑顔なのが気になるがまあ、僕に対する執着を考えれば別段、不自然でもない。

 

「いえいえ、こんな場を設けてくださったのにそれ以上のことなんて望みませんよ。今回のことはこれで綺麗さっぱり終わりです」

 

 お茶を一口飲む。少しだけ変な味がしたが、恐らく彼女はお茶を淹れるのがあまり上手ではないのだろう。

 

「ああ、その通りだな。これで綺麗に終わったよ。なあ、少し聞きたいことがあるんだ」

 

「なんですか?」

 

 少し、眠くなってきたな。今日は荷物運びで疲れたからな。早めに寝ておこう。明日は早い。頭護は僕を真っすぐ見る。まるで様子を観察するかのようだ。よく見れば二人ともお茶を飲んでいない。それよりも眠い。さっきまでこんな眠くなかったはずなのに。

 

「今朝、高上が死んだ。奴らになってだ。何か心当たりがないか?」

 

「いきな、り……なんの話ですか……?」

 

 駄目だ。眠くて仕方がない。頭護が何かとんでもないことを言っている気がするが頭に入ってこない。これは、まさか……。そう思った時、目の前の男は今までの表情を一変させた。まるでこれは罠にかかった獲物を見る目だ。

 

「く、そ……なに、しやがった……」

 

「やっと気づいたのか。そうだ。お前の飲み物に睡眠薬を混ぜた。悪いがしばらく眠ってもらうぞ」

 

 ここで僕はやっと気が付いた。罠に掛けられたことに。しかし、もう遅い。身体は全く言うことを聞かず頭も朦朧としている。椅子から転げ落ち、床に叩きつけられる。

 

「俺は、もう行く。朱夏、お前はこいつを縛ってここに閉じ込めておけ」

 

 僅かに残った力を振り絞り顔を上げて見れば酷くつまらなそうに頭護を見送る神持の顔が目に入った。これが僕が最後に見た光景であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さてと、侵入成功」

 

 ここは穏健派の拠点。彼、城下隆茂はそこにいた。手にはバールを持っている。和解にしに来たにしては明らかに必要のない道具である。そしてよく見ればわかることであろう。うっすらとバールの先端に血の跡がついていることを。

 

 彼の目的は頭護と神持が本田秀樹を捕獲している間に迅速に彼の仲間または穏健派のメンバーを誘拐することである。予定では既に図書館には頭護と右原が稜河原リセの捕獲に向かっているであろう。

 

「ガキの一匹でも捕まえれりゃこっちの勝ちなんだ。楽な戦いだぜ」

 

 事実、直樹か恵飛須沢を人質にとれば彼はあっさりと降伏するだろう。ただし、その後の身の安全の保障までは分からない。城下はポケットから煙草を取り出すと口に咥えようとした。

 

「くそ、まだいてえ」

 

 が、ガラスで切った口の傷のせいでまたしても彼は煙草を吸い損ねた。ヘビースモーカーである城下にとって今の状況はなによりも苦痛であった。足跡を殺し灯りのない廊下を歩く。バールを構えいつ何がおこってもいいように準備する。

 

「誰?」

 

 ふと、階段から声がした。彼は音の方向を向くとニヤリと笑った。声の主それは恵飛須沢胡桃であった。彼女はトイレの帰り、城下の声を偶然耳にし様子を見に来たのだ。訝しむ恵飛須沢に城下はゆっくりと距離を詰める。

 

「目標発見っと。お前、アイツの仲間だろ? ちょっとこっち来てくれよ」

 

 バールを向けながら脅すように告げる。恵飛須沢は後ずざった。

 

「い、いきなりなんだよ! そんなもの向けやがって!」

 

 事情など何一つ知らない彼女からすれば彼は突然押しかけて来た暴漢に他ならない。背中のシャベルを引き抜こうとする。しかし、手は空気を掴みとるだけであった。

 

「やば、今、部屋に置いてたんだ!」

 

 武闘派の呼び出しに出向いた本田を待ち、帰ってきたら眠るだけであった彼女は全くと言っていいほどの無防備であった。そもそもこんなところに人が侵入するなど誰が考え付くのであろうか。

 

「なあ、おとなしく俺と来てくれよ。なあに、悪いようにはしねえ。俺達が用があるのはあの筋肉野郎だけだ」

 

「秀樹が何の関係があるんだよ!」

 

 筋肉だけで彼と判断する恵飛須沢。当事者がいたらなんと思うことであろうか。このままでは埒が明かない。城下はポケットからナイフを取り出し彼女にその切っ先を向ける。

 

「しらばっくれやがって。まあ、いいから来いよ! 痛い目は見たくねえだろ」

 

 ナイフというわかりやすい凶器を向けられたからであろう。恵飛須沢は一瞬身体を硬直させた。だが、この大学で一年近く生き残ってきた彼にとっては十分すぎるほどの隙だ。すぐさま恵飛須沢の懐まで接近する。

 

「なっ!」

 

 彼女の足に自らの足を引っかけ両手で引きずり倒す。鈍い音が廊下に響き渡る。如何に彼女が戦い慣れているからと言ってもそれはあくまでゾンビ相手であって生きて考える人間との戦闘は一切経験していない。そして、体重、体格ともに遥かに勝る相手に勝てるどうりなどない。恵飛須沢が組み伏せられたのは至極当然のことであった。

 

「な、なにすんだよ!」

 

「俺だってほんとはこんなことしたかねえけどな。こっちも人が死んでんだ」

 

 バールを床に捨てうつ伏せになった恵飛須沢の首にナイフを突き立てる。後は、持ってきた縄で彼女を拘束すれば彼の勝ちであった。

 

「なんのことだよ! あたしたち何もしてねえよ!」

 

 彼女はそもそも高上が死んだことを知らない。当然だ。彼女は、全員なにもしてはいないのだから。だが、城下の目にはそれが見苦しい言い訳をしているようにしか聞こえなかった。

 

「うるせえ! それはこっちの台詞だ。お前らだろ、高上を殺したのは!」

 

 怒りに任せて恵飛須沢の頭を床に押し付ける。見知らぬ男に組み伏せられ床に押し付けられナイフを突き立てられる。いつしか恵飛須沢の目には涙が滲んでいた。

 

「けっ、今更泣いてんじゃねえよ。先に手出したのはお前らだろうが」

 

 恐怖や悔しさが入り混じり恵飛須沢は冷静さを失っていた。本来なら叫ぶなどして助けを呼ぶのが先決である。しかし、見知らぬ大男に力づくで抑え込まれ凶器を突き立てられて抵抗できるほど彼女は強くはなかった。

 

「秀樹……」

 

 彼の名前を呼ぶのは必然と言えた。いくら戦うことができても彼女はただの普通の子供なのだ。だから、恵飛須沢は縋るように、彼の名前を呟く。だが、その声はきっと届かない。城下は縄で彼女の腕を縛る。後は連れて行くだけだ。

 

「ふん、今頃あの筋肉野郎はぐっすり眠ってるころだろうよ。誰もお前を助けになんか来ないってわけだ」

 

 城下は静かに涙を流す恵飛須沢を立たせようと彼女の襟を掴んだ。彼女の涙は誰の目にも届かない、はずであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いや、それはどうかな」

 

「え? ブフォ!?」

 

 城下は突然何者かに殴り飛ばされた。数m吹き飛ばされ床を転がる。しばらくした後起き上がり襲撃者を視界に収める。

 

「なっ! なんでお前がここにいるんだよ!」

 

 そこには会議室で眠っているはずの男、本田秀樹がゴミを見るかのような形相で城下を睨みつけていた。唖然とする城下に彼は啖呵を切る。

 

「今、胡桃に何をした?」

 

 それは、彼の身の破滅を意味していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「今、胡桃に何をした?」

 

 目の前の男、確か城下とか言ったな。おかしいな思い切り殴ったはずなんだが思ったより回復が早い。でも、その方がいい。思う存分痛めつけられる。こいつは僕の大切な家族に何をした? 組み伏せ、ナイフを突きつけた。許さない、絶対にだ。

 

「ひ、秀樹!」

 

 よほど心細かったのだろう。とても嬉しそうに胡桃は僕の名前を呼んだ。すぐさま駆け寄り縄を解く。自由になった途端彼女は僕に抱き着いてきた。僕も負けじと抱きしめ返す。

 

「ごめん、もう大丈夫だよ」

 

 彼女は黙って僕を抱きしめ続ける。護ると誓ったのに、これでは約束を果たせない。だけど、後悔するのは後だ。今はやるべきことがある。

 

「う、後ろ!」

 

ふと、背中に衝撃が走った。振り向けば城下が僕にバールを振り下ろしているではないか。だが、痛みは全くやってこない。違うな、怒りで痛みを感じなくなっているのだ。胡桃を襲った糞野郎を睨みつける。

 

「ひっ……」

 

 どうやら全く痛がるそぶりを見せない僕に怖気ついたらしい。だったら初めから襲うな。この屑が。こいつはここで殺さなくてはならない。僕は胡桃を引きな離し奴に対峙する。

 

「胡桃、少し下がっていてくれ」

 

「……うん」

 

 さっきからずっと怯んでいた城下であったが、どうやらやっと正気に戻ったらしい。城下は僕にバールを構える。ふむ、そんなもので僕をどうにかできると思っているのか。でも確かに少し厄介だ。こちらの武器は手に持ったウィスキーの酒瓶のみ。銃もナイフも部屋に置いて来てしまっている。これはたまたまここに来る際に部屋から拝借したものだ。

 

「よ、よく見たら銃は持ってないみたいだな。ヘッ、その酒瓶で何するつもりだ? 乾杯でもしに来たのか?」

 

「ああ、そうだ。お前の死にな」

 

 先に踏み込んだのは城下だ。バールを僕に突き立てる。なるほど確かに、速い。伊達にここまで生き残ってきたわけではないようだ。バールを横移動で避け次の攻撃に備える。

 

「銃がなけりゃお前みたいな筋肉野郎なんか怖くねえんだよ。体育会系なめんじゃねえぞ!」

 

「そうか、こっちだって元文学少年だ」

 

「お前みたいな文学少年がいるかっ!」

 

 バールが振り下ろされる。だが、遅い。僕は必要最小限の動きでそれを回避し、お返しに隙だらけの頭に酒瓶を叩きつける。鈍い音が廊下に響く。

 

「──ッ!」

 

 本気で振り下ろしたわけではないがそれでも中身の入った分厚い酒瓶の威力は尋常なものではない。男の身体が床に叩きつけられる。普通ならこれで終わりだが今日は虫の居所が最高に悪い。

 

「まだ、終わってないだろが!」

 

 倒れ伏した男の襟首を掴み持ち上げ全力で頭から窓に叩きつける。ガラスが割れ、男の顔が血塗れになる。だが、知ったことか。まだ終わらんぞ。

 

「い、いてえええ!」

 

「ほお、まだ気を失ってないんだな。頑丈な奴だ」

 

 だが、そっちの方がいい。痛めつけがいがある。顔中にガラス片が突き刺さり痛みに悶える男の脛を思い切り踏みつける。はっきりと骨の折れる感触が靴底に伝わる。これでこいつは二度と走れないだろう。

 

「アアアアアッ!」

 

 胡桃にあれだけのことをしておいて楽に死ねると思うなよ。ガラスまみれの顔を足で思い切り踏みつける。しばらく踏みにじったのち足を退かす。鼻の骨が折れ曲がりガラス片で血塗れだ。

 

「よかったな。これでもっと男らしくなったぞ」

 

「お、俺が、わ、悪かった……」

 

 男が何か言っている。だが、あまりに声が弱々しくて何を言っているのか聞き取れない。よく見れば僅かに残った力を振り絞ってこちらから距離を取ろうとしているではないか。

 

「おいおい、そっちから仕掛けておいて劣勢になったら逃げだすのか。流石武闘派。やることが違う」

 

 逃げ出そうとする男の肩を足で踏みつける。よく見たら手にナイフを持っているではないか。ナイフごと踏みつける。指が何本か折れただろうか知ったことではない。

 

「──ッ! た、たす、助けて……」

 

「嫌だ」

 

「お、お願いします! た、たすけ「なあ、寒くないか?」は、は?」

 

 今更、命乞いか。僕の家族に手を出して生きて帰れると思ったら大間違いだ。そうだ、いいことを思いついた。僕は手にした酒瓶の蓋を開ける。うむ、いい香りだ。少し勿体ないかな。ウィスキーを傷目掛けて振りかける。絶叫が僕の耳を刺激する。40度超えの強い酒だ。さぞ沁みることだろう。最後の一滴まで振りかけ酒瓶を捨てる。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」

 

 もう、戦意など欠片も残っていないようだ。よく見れば男の股間部分が濡れている。ふん、失禁するくらいなら最初から手を出すな。でも、もうこいつの馬鹿面を見るのはこりごりだ。ポケットからライターを取り出し火を点ける。男が僕を凝視する。空気が氷点下まで下がった。

 

「温めてやるよ」

 

「ひっ……」

 

 ライターを振り上げる。後はこいつに叩きつければ焚火の始まりだ。屑には相応しい末路だろう。

 

 

 

 

 

「だ、駄目!」

 

 振り向けば胡桃が僕に抱き着いていた。その目には大粒の涙。僕は今自分がしようとしたことを思い出した。あろうことかこの子の前で人を焼き殺そうとしたのだ。お前は何てことしようとしたのだ。僕がするべきことはこの子を守ることであってこいつを処刑することではない。

 

「もう、あたしは大丈夫だから……。お願いだから、もう、止めて……」

 

 冷水を掛けられたかのように思考がクリアになる。ゆっくりとライターを仕舞い胡桃を引き離すし肩を掴む。

 

「ごめんよ。頭に血が上っていたみたいだ。ありがとう。もう大丈夫」

 

「……うん……」

 

 そのまま胡桃を抱きしめる。この子にトラウマを植え付けてどうする。アイツを殺したいのは山々だが胡桃の心に傷を負わせてまでしたいことではない。しばらく抱き合ったのち、後ろの男に向き直る。まだ、気を失っていないのか。大した男だ。

 

「おい」

 

「は、はい!」

 

 近くの階段を指さす。出ていけという意味だ。だが、男は僕の行為の意味が分からないようで痛みに顔を歪めながらきょろきょろするだけである。これは口で言わないとだめなようだ。

 

「今すぐ、この大学から出ていけ。今度お前の顔を見たらその時がお前の最期だ。もっと燃えやすいものを用意してやるよ」

 

 やっと、理解したらしい。男は何とか起き上がると何度も頷きながら死にもの狂いで走り去っていった。とは言え右足の脛を折られているので歩くより少し早い程度だ。

 

「ひ、ひぃいいいい!」

 

 階段に男が消える。何度も大きな音が聞こえるので恐らく転んでいるのだろう。死なないだけでありがたいと思え。これで、あと三人。男が視界から消え去るまで眺めていると後ろから肩を叩かれた。未だに涙目だが少しは落ち着きを取り戻したようだ。

 

「な、なあ。何があったんだ?」

 

 どうやら、事情は知らないらしい。細かく説明すると時間が足りないので大雑把に状況を教える。勿論、歩きながらだ。

 

「簡単に言うぞ。武闘派が僕たちを狙ってきた。みんなが危ない」

 

「やっぱ、秀樹がいきなり撃ったからか?」

 

 まあ、普通はそう思うだろう。だが、今回は違う。本当なら僕は今頃ぐっすり眠っていたのだろう。その間に奴らは桐子さんたちと二人を捕まえるつもりだったのだ。だが、思わぬ裏切りにあった。しかし、今はそれを説明している時間はない。

 

「それは後で話す。今はみんなを探すぞ」

 

「わかった。二手に分かれるか?」

 

 どうやら胡桃も事態の重大さを理解してくれたらしい。すぐさま自分がするべきことを聞いてくれる。僕は今すぐ武器を取りに行かなくてはならない以上、ここで闇雲に時間を浪費するわけにはいかない。二手に分かれるのは悪くない選択である。

 

「頼む、シャベルは絶対に持っていけよ」

 

「おう! 任せておけよ! てかさっきの奴大丈夫かな?」

 

 僕がやったのだけでも脛、指骨折に顔に大量の裂傷、打撲、酒瓶で殴ったので脳震盪も起こしているだろう。恐らく、無事に大学を抜け出せたとしても命は助からない。だが、それを言うのは流石に憚られる。

 

「まあ、殺してはいないんだし。生きてるんじゃないの?」

 

「そ、そうだといいな……はは」

 

 引き攣りながら胡桃は笑った。その後、僕たちは桐子さんたちと美紀を探したがどこにも見当たらない。既に捕まってしまったと考えていいだろう。逃げ出しているといいのだが。

 

 

 

 

 

「あたしは図書館探してくる」

 

「ああ、気を付けてくれ」

 

 各自部屋に戻り胡桃はシャベルを僕は武器を吟味する。胡桃はシャベルを取りに行っただけなのですぐさま出発できるが、僕はそうもいかない。廊下を去っていく彼女を見送り僕は再度自分の装備を確認する。

 

 まず、腰にホルスターとククリナイフを装着。ホルスターに5906を差し込む。次に以前、ヘリが落ちた際にヘリのパイロットが身に着けていたタクティカルベストを着込みポケットに12ゲージのバックショットと5906の弾倉を仕舞う。

 

 モスバーグ590を手に持ちローディングゲートから一発ずつ弾を込める。8発込めれば弾倉は一杯になる。フォアエンドを勢いよく操作し初弾を装填すればいつでも発砲可能だ。後は、ショルダーバッグにありったけの火炎瓶と爆弾を詰めれば準備完了。

 

 廊下に出て時計を確認する。まだ武闘派が異変に気が付くまで余裕があるだろう。折角向こうから誘ってくれたパーティなのだ。盛大に盛り上げてやるとしよう。手始めにあの墓がいい。

 

 

 

 

 

「おめでとう、武闘派の諸君。これでお前たちは僕の敵になった」

 

 さあ、戦争の時間だ。

 




 いかがでしたか? 遂に武闘派との戦いが始まります。それとお知らせがあります。もしかしたら大学編は完結後チラシの裏に移行するかもしれません。その際は事前に通知するので御容赦ください。

 では、また次回に。


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第二十四話 せんめつ

 書いていて思うこと、まあ、そうなるわな。


 走る。走る。空を見れば星々が、雲が、月が、僕を冷たく見下ろす。きっと、彼等から見れば僕たちの諍いなんて塵芥よりもなお小さく見えることであろう。いや、きっとあまりに小さくて気づくことすらないに違いない。

 

 胡桃と別れ、彼女は図書館へ、僕は武闘派がいるであろう建物へと向かっていた。武闘派の残存兵力、残り3名。しかし、その一名はどちらの敵か味方か今一つ判別できない。その一名とは神持朱夏。だけど彼女がいなければ僕は胡桃を助け出すことは叶わなかったであろう。

 

「いったい、あんたは何がしたいんだ……」

 

 走りながら僕はあの会議室で起きたことを思い出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「く、クソ……何がどうなっているんだ……」

 

 意識が回復する。僕は確か、武闘派の連中に薬を盛られて眠ってしまったはずだ。そうだ。あれから何時間たった。慌てて腕時計を見ればまだあれから30分も経っていないではないか。

 

「おかしいぞ、僕は確実に眠らされたはずなのに」

 

 縛られているかと思ったが、身体のどこにも縄はない。椅子から転げ落ちたはずなのに椅子に座っている。まるで意味が分からない。だが、重大な危機が迫っているのは理解できる。早く行かなければ、皆が危ない。

 

 皆の下に急ぐため椅子から立ち上がる。そして出て行こうとした矢先、僕は机の上に一枚の書置きが置かれているのは見つけた。

 

「なんだこれは……」

 

 それは手紙だった。何か重要なことが書かれているかもしれない。手に取り読んでみる。手紙の差出人は僕の見知った人間からのものであった。

 

 

 

 

 

『本田秀樹君へ

 

 簡単に言う。私たちの仲間の高上が感染して死んだわ。貴人は貴方が犯人だと決めつけて貴方を眠らせた後に貴方の仲間と穏健派を人質に取るつもりよ。相変わらずやることがつまらなくて嫌になってくるわ。

 

 本当なら貴方には一時間程眠ってもらう予定なのだけれどそれじゃあ面白くないでしょう? 私が薬の量を減らしといてあげたから鍛えているあなたなら三十分もしないうちに目が覚めると思うわ。ついでに床に寝かせておくのも可愛そうだし座らせておきました。貴方重過ぎよ。いったい何キロあるの?

 

 一応、扉の鍵は閉めていくけどそれ以上のことはしない。それに秀樹君ならこんな薄い扉すぐに壊せるはずよ。この手紙を読んだ貴方がどう動くのか楽しみにしているわね。

 

神持朱夏より』

 

 

 

 

 

 手紙を読み終えしばらく考える。こいつの言うことを信じれば胡桃たちが危ない。神持が何を考えて裏切りにも等しい行為を行ったのかは知らないが今はそれに感謝しよう。これも罠かもしれないが今は信じる他ない。

 

 もう、ここに用はない。会議室から出るために扉の取っ手に手を掛ける。案の定鍵が掛かっている。だが、この程度のにわか鍵。僕にはどうということはない。

 

「フンッ!」

 

 足に思い切り力を込め扉を蹴りつける。轟音と共に外から閉められていた鍵は壊れ扉が勢いよく開く。これで自由になった。廊下に出て今するべきことを確認する。

 

 最重要は、胡桃たちの身の安全の確保だ。恐らく既に武闘派どもはみんなを捕まえるべく行動しているだろう。今すぐ行かなくては。

 

「まってろよ!」

 

 誰もいない廊下を一人駆け抜ける。目指すはみんなの所だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 神持が何のために僕を逃がしたのかは知らないが今だけは感謝しておこう。しばらく走ってようやく武闘派の連中がいる校舎付近までたどり着いた。このまま中に入ってあいつを殺すものいいが、それでは面白くない。敵は僕が目的であり、みんなを捕まえるのは僕に言うことを聞かせるためだ。尋問くらいはしているだろうが、命までは取らないだろう。

 

「さあて、ここにこんな形で戻ってくるとは思わなかったな」

 

 目の前には、以前僕が美紀を探す時に見つけた墓がある。コンテナに四方を塞がれ中を見ることは叶わないがその中には何十匹ものゾンビが死にきれず彷徨い続けている。本当ならもう少しちゃんとした形で眠らせてやりたかったが致し方あるまい。彼等には武闘派への素敵なサプライズとして爆散してもらおう。

 

 バッグから手製の爆弾を取り出す。焼夷効果のあるパイプ爆弾を七本束ね誘因用の防犯ブザーを取り付けた特製爆弾だ。これを作るのには酷く苦労した。悠里や佐倉先生にでも見つかれば即、説教&没収&反省文だ。使うのは惜しいが今使わずにいつ使うというのだろうか。

 

 防犯ブザーの栓を抜く。耳をつんざく音が僕の鼓膜を刺激しする。そしてそのまま導火線に火を点けコンテナの中へ投げ込む。

 

「ほら、プレゼントだ!」

 

 この爆弾につけた導火線は長い。ざっと三十秒ほどは燃焼する。その間に誘き寄せるためだ。もうここに用はない。僕は墓を背にして校舎の入り口を目指す。背後ではまだ防犯ブザーがけたたましく鳴り響いている。あと、十秒。

 

「もうすぐだな。3、2、1、」

 

 直後、背後で爆音。僕の計算通り背後で大爆発が起きた。見てはいないがきっと後ろでは火柱が立ち上っていることだろう。それなりに大きい爆弾だ、きっとあの中にいた全てのゾンビを巻き込んで燃え盛っているに違いない。この目で見れないのが残念だが今はとっとと校舎内に突入するべきだ。590の安全装置を解除しいつでも発砲可能状態に移行する。

 

「誰を敵に回したのかじっくりとその身体に教えてやる」

 

 思わず、笑みが零れる。さて、どう料理してやろうかな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一人、捕まえました」

 

「ああ、これで隆茂が戻れば全員捕まえたことになるな」

 

「ええ、そうね。戻ればの話だけれども……」

 

 別行動の彼が恵飛須沢胡桃を連れて戻ってくればこれば穏健派、本田一行は全員捕獲することができたことになる。だが、実際には城下隆茂は本田秀樹によって再起不能なほどに痛めつけられ、恵飛須沢胡桃は図書館に稜河原リセの捜索に当たっている。しかし、彼がそれを知るのはもう少し後のことであろう。裏切りの主犯である神持は知らん顔でしかし真相に近い発言をするも、焦っている彼の耳には届かない。

 

「おい、聞きたいことがある」

 

「な、なんですか?」

 

 右原篠生に首元にアイスピックを突き付けられ動けずにいる直樹美紀に彼は問いかける。質問は当然、高上聯夜の死のことについてだ。

 

「高上が死んだ。奴らになってだ。お前らがやったんだろ?」

 

「そ、そんな! 私たちじゃありません!」

 

 しかし、彼女は何も知らない。当然だ。誰も彼を殺したのでないのだから。だが、今の彼にはそれがただの言い訳にしか聞こえない。頭に血が上り直樹の胸倉を掴む。

 

「嘘をつけ! お前らじゃなかったら誰がやったんだ!」

 

「だから、なんの話なんですか! わ、私たちは何も知らないし何もやってません!」

 

「この期に及んでまだ言い訳するのか! お前たち──ッ!?」

 

 突如、大きな爆発音が響き渡る。あまりに突然の事態に頭護と右原は対応できずにいた。しかし、すぐさま冷静さを取り戻し自らが出すべき指示を考える。

 

「篠生! 何が起きたか様子を見てこい。俺達はこいつを閉じ込めておく」

 

「は、はい!」

 

 右原は自分に出された指示を全うするべく走り去る。後に残るのは冷や汗をかく頭護と呆れ顔の直樹、そして見るからに楽しそうな笑顔の神持。

 

「はぁ、まったく、あの人はいつもいつも……」

 

「何か知っているのか!?」

 

 この場で唯一彼の異常性を直に見てきた直樹美紀だけはこの爆発を起こした張本人を確信した。こんな爆発を起こすのは彼しかいない。炎と爆発をこよなく愛する男。そう、本田秀樹である。きっと、前のように爆薬を起爆させたのだろう。彼ならやりそうなことだ。

 

「あれだけ勝手に作らないって言ったのに……。帰ったら先生に報告しないと」

 

 口ではそう言ってもその顔は穏やかな笑顔に変わっていた。彼は例え千匹の屍人の群れが襲い掛かって来ても仲間のためならば顔色一つ変えずに立ち向かい強引かつ斜め上の方法で捻じ伏せる。そう、彼は絶対に助けに来る。

 

「まさか、あいつがやったのか!? 答えろ!」

 

 もう一度、彼女の胸倉を掴み上げ問いかける。しかし、今度の直樹は怯えることも恐怖に顔を歪めることもない。ただ、毅然と答える。

 

「ええ、そうですよ。あのどうしようもなく変人で、だけどとっても強くて優しい先輩が助けにきてくれたんですよ」

 

「アイツは眠っているはずだ! 何をわけのわからないことを! もういい、こっちにこい!」

 

 本田秀樹がやってくる。有り得ないはずなのに彼にはその光景がありありと目に浮かんだ。初めて会った時のように、あの会議室の時のように彼はきっと笑顔でこちらを蹂躙するはずに違いない。そう思うと頭護は自分の足元が酷く不安定に感じた。

 

 その幻想を振り払うように彼は直樹を強引に引き連れていく。後ろからそれを見ていた神持は楽しくて仕方がないといった様子だ。何せ本田秀樹の脱走を手引きしたのは彼女である。彼は絶対に助けにくると踏んでいたがまさかここまで派手にやるとは彼女は思いもしなかったのだ。

 

「ほんと、秀樹君ったら。貴方、本当に最高よ」

 

 前の彼に聞こえないように静かに呟く。もう少しだけ目の前の男の慌てふためく姿を楽しもう。神持はそう決めたのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「美紀と桐子さんたちはどこだ?」

 

 墓を爆破した後、僕はいよいよ校舎の内部に突入した。僕たちの高校と違ってこの大学は大きいうえに出入り口が多い。慎重に死角を潰していく。とは言え向こうは三人あるいは二人、既に僕が向かっていることは知っているだろう。

 

 暗い構内に僕一人の足音が木霊す。なんなら盛大に火炎瓶でも投げつけながら部屋を潰していてもいいがまだみんなの居場所がわからない以上、それはできない。

 

 そう言えば胡桃はどうしているだろうか。多分、リセさんも捕まってしまっていることだろう。図書館は誰もいないはずだ。急いでいたためトランシーバーを持ってくるのを忘れてしまった。あれさえあればいつでも連絡が取れるのに。これでは持ってきた意味がない。

 

 一階の教室を一つずつ確認していく。構内は暗く灯りがないとまるで見えないが、590にはフォアエンドにフラッシュライトが取り付けられている。フォアエンドにつけられたスイッチを押せばたちどころに強烈な光が僕の視界を明るく染める。

 

 廊下を照らしながら皆を探す。あの金髪にあったらあのいけ好かない顔に12ゲージのバックショットを叩きこんでやる。でも、桐子さんや美紀がいたら流石に自重しよう。トラウマになってしまったら事だ。

 

「このままやっても埒が明かないな」

 

 この大学は広い。どうせ人がいるなら灯りくらい点いているいるはずだ。もう、一階は切り上げて二階に行こう。

 

 僕がそう考え、階段の場所へと向かおうとした矢先、背後に気配を感じた。すぐさまその場から飛び去る。僕がいた場所を一筋の光が走る。これは、アイスピックか。

 

「──ッ!?」

 

 590のフラッシュライトを照らせば既に下手人は僕から距離を置いていた。だが、光に照らされシルエットが見える。あれは恐らく右原さんだ。きっと僕を見つけて機を窺っていたのだ。

 

「見つけた」

 

 シルエット目掛けて590の引金を引けば56式とは比べ物にならない強烈な反動が僕の身体を襲う。18.5mmの極太の銃口から解き放たれた九つのペレットは右原に当たることなく廊下の壁を破壊するのみに終わった。

 

「くそ!」

 

 走りながらフォアエンドを操作し次弾を装填。すぐさま彼女目掛けて発砲。しかし、これも外れ。これで残弾数六発。足音はどんどん遠ざかっていく。仕方ない追いかけよう。追いかけて追い詰めてそこで殺す。

 

「楽しい鬼ごっこの時間だ!」

 

 僕も彼女の跡を追うべく駆ける。命を賭けた鬼ごっこが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 右原篠生は走る。自分の命を長引かせるために、後ろから追ってくる悪鬼から逃れるために。後ろから耳をつんざくような銃声が響き彼女の横の壁が削れる。

 

「──ッ!?」

 

 こんなはずではなかった。爆発音の出所を確かめるために一階に行った右原篠生。彼女はそこで銃を構えながら構内に侵入する本田秀樹の後姿を発見した。そして隙を見せるまで隠れ、絶好の機会に手にしたアイスピックを突き立てるはずだったのだ。

 

 しかし、それは彼にいとも容易く躱され、今や、立場は逆転した。追う者は追われるものとなったのだ。彼女の頭は死の恐怖で一杯であった。死にそうになったことは今までに何度もある。だが、ここまで明確に殺意を向けられる経験は彼女にはない。

 

「はっはっは。どこに行こうというんだ?」

 

 いったい誰が笑いながら銃を乱射する男を歓迎することができるのだろうか。右原には彼が自分達とは全く別の人間の姿をした化物のようにしか思えなかった。

 

「レン君、助けてよ……」

 

 腹に手を当てながら既にいない思い人の名前を呟く。だが、それがいけなかったのだろう。一瞬の油断が彼女の運命を決めた。背後から聞こえる銃声、そして放たれたペレットのうち一発が彼女の右肩を掠ったのだ。

 

「あぁッ!」

 

 痛みに耐えきれず倒れ込む。男の足音が近づいてくる。もうあと2、3メートルだろう。彼女は自分の死を悟った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、ようやく当たったか。やはり慣れない武器は使うものではないな」

 

 倒れ伏す右原に僕はゆっくりと近づく。四発も消費してしまった。本当なら初めの一発で頭を吹き飛ばす予定だったのに。フラッシュライトで照らしてみれば右肩に掠っただけのようだ。いくらゾンビ相手で慣らしたとはいえ走る人間だと流石に勝手が違うか。

 

「くぅ……」

 

 当てたのは右肩のみこれでは致命傷には及ばない。彼女は僕から少しでも距離を取りたいのだろう、必死に立ち上がろうとする。だが、そうはさせるか。僕はやっとのことで立ち上がった右原の膝裏に蹴りを叩きこむ。

 

「なに、逃げようとしているんだ?」

 

 銃弾をその身に受け気力を使い果たしたらしいそれだけで彼女は仰向けに転んだ。僕は彼女に向けて銃口を突きつける。威嚇と次弾を装填するためにフォアエンドを操作すれば右原の顔は恐怖で歪んだ。

 

「悪いが楽しい鬼ごっこもこれでしまいだ」

 

 目には涙を浮かべている。死の恐怖に怯えているのだ。しかし、最初に手を出したのは向こうからである。これはなるべくしてなったことであった。でも、殺す前にネタバラシをしてもいいだろう。

 

「なあ、右原さん。あんたもしかして僕が高上を殺したと思っているのか?」

 

 何も言わずに彼女は僕を睨みつける。これは肯定をみていいだろう。僕は全くの無罪だというのに、勘違いとはかくも恐ろしいものなのだろうか。

 

「もし、そうだとするのならそれはとんだ勘違いだ。僕はそいつを殺してなんかない。感染したらしいが、そんなことしなくてもお前達なんて瞬きする間に皆殺しにできる。恐らく空気感染だ」

 

 一度でも話し合えばこうはならなかったはずなのだ。少なくともあの男は僕に半殺しの目にあわず、右原さんも銃弾を喰らうことはなかったはずなのだ。だが、もう遅い。既に賽は投げられてしまった。

 

「そ、そんなっ!?」

 

 やっと、口を開いた。どうやら、本気で僕が殺したと思っていたらしい。少し考えればわかるはずなのにな。彼女はしばらく驚きで表情を歪めた後、諦めるかのような顔つきになった。

 

「そう、だよね……。君が殺すわけないか……」

 

「そうだ。だが、もう遅い。お前らは僕の敵になった。なってしまった。後はどちらかがくたばるまで延々と殺し合いが続くぞ。恨むなら自分を恨め」

 

 顔を撃とうと思ったが、女性の顔を撃つのは気が引ける。別の場所にしよう。僕は銃口を右原の胴体に向けた。するとどうだろうか彼女の顔が目に見えて怯えているではないか。先ほどの怯え方とは段違いの怯え方だ。

 

「だ、駄目!」

 

 腹を両手で押さえながら必死に僕から距離を取ろうともがく。まるで腹の何かを守るかのような押えかただな。これはまさか……。いや、そんなわけは、でも、一応聞いておこう。

 

「なあ、もしかして右原さんよ、あんた妊娠しているのか?」

 

 無言で頷く。両目からは大粒の涙が溢れている。それだけで十分であった。僕はもうこの人を撃てない。ゆっくりと銃口を逸らす。

 

「あんたたちは僕の仲間を襲った以上、僕はお前たちを殺す権利がある。だが、腹の子供の命を奪う権利までは持っていない。安心しろ、殺しはしない」

 

 あからさまに安堵している様子だ。だけど僕が殺さないと言っただけだ。子持ちなのに戦うな。胸糞悪い。彼女は僕が遊歩道で出会った時も腹に子供を宿していたのか。なんという無責任な行動。例え理由があっても妊婦を戦わせる理由などに正当性があるものか。ああ、本当にむかつく連中だ。心底軽蔑する。

 

 

 

 

 

「確かに、僕は殺さないと言った」

 

「う、うん…………がはっ!?」

 

 590の銃床で思い切り右原さんの額を殴りつける。いくら底にゴム板が張られていたとしても硬い樹脂製の銃床で殴られて無事な道理はない。

 

「だが、殴らないとは言っていない」

 

僕に思い切り殴られて彼女は気絶した。まあ、そこまで力を込めてはいない。死にはしないだろう。これで残り二人。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 右原を気絶させその辺の教室に転がしておいた。僕も随分と甘くなったと言わざるを得ない。昔ならなんの躊躇もなくあの男も右原も殺していたことだろう。随分と学園生活部に染まってしまったようだ。でも決してこれは悪いことではない。

 

 だが、あの男だけは殺す。必ず殺す。あれだけは僕たちのために殺さなくてはならない。殺したいと思った人間は多くいるが殺さなくてはならないと思ったのは生まれて初めてだ。

 

 階段を昇り二階に向かう。あと二人だ、一々クリアリングをする必要すらない。ただ、真っすぐ連中がいるであろう場所を目指す。

 

「はぁ、なんでこんな目にあわなくちゃならんのだ」

 

 本当なら、大学の生存者達と交流会でも開いて連絡先を交換しあい生存者トークにでも花を咲かせながらその次の日には悠々と帰宅しているはずだったのに。それがなんだ。クロスボウで撃たれ、車で追い回され、車は故障、朱夏とかいう変な女に目を付けられ、薬を盛られ、挙句の果てには仲間が襲われた。

 

 ふざけるな。僕たちがいったい何をしたというのだ。思えば全て向こうから仕掛けてきたことではないか。僕から手を出したのことは今まで一度もない。全て正当防衛の範疇に収まる行為だと自負している。それで、納得できるかと言われればそうでもないが、それでも歩み寄る姿勢くらいは見せるべきだった。だが、もう遅い。

 

「美紀、無事でいてくれよ」

 

 二階へと到着、廊下を小走りで駆け抜ける。右原が仕掛けてきた場所からそう離れてはいないはずだ。こんな静かな場所だ。耳を研ぎ澄ませば声の一つでも聞こえてもおかしくはないのだが、生憎と今の僕は銃声による耳鳴りが酷い。当然だ。室内で耳栓もつけずにまともに銃声を聞いたのだ。難聴にならないといけどな。

 

 しばらく、廊下を歩くとある一室の扉の窓から明かりが漏れている。見つけた。すぐさま駆け寄りこっそりと中を覗く。

 

『美紀君、大丈夫かな?』

 

『殺す気ならこうやって閉じ込めたりはしないと思うよ』

 

 桐子さんとリセさんが話している。よく見ればアキさんもヒカさんも椅子に縛り付けられ拘束されている。だが、美紀はいない。恐らく別室に移されているんだ。幸い、彼女達以外には誰もいない。

 

 扉を開けるために取っ手に手を掛ける。当たり前だが鍵が掛かっているようだ。けど、それで彼女達は扉の前に誰かがいることに気が付いたようだ。

 

『だ、誰かいるのかい?』

 

「僕です! 本田秀樹です。助けに来ました。今から鍵を銃で壊すので音に注意して下さい!」

 

『あ、あんたなにするのよ!』

 

 すぐさま、扉から少し離れ590の銃口を鍵に突き付ける。本来なら専用の弾薬を使わないと跳弾が怖いが今はそんなもの手元にない。なのでなるべく彼女達に射線を向けないように注意する。

 

「3、2、1で撃ちます! 3、2、1」

 

 引金を引く。強烈な反動と共に九つのペレットがシリンダー錠をずたずたに引き裂く。これでこの扉は扉として機能することなくなった。僕は開くようになった扉を蹴破り中に突入する。

 

「大丈夫ですか!」

 

 全員を一瞥する。特に怪我らしきものは見当たらない。だけど、突然の銃声に顔を歪めているようだ。まあ、かくいう僕も耳鳴りが酷い。皆に銃口を向けないように注意しながら部屋を見渡す。本当に誰もいないようだ。

 

 縛っている縄を切るために腰からククリを引き抜く。全員が身体をびくりと震わせた。どうやら随分と怖がれてしまったようである。でも、そんなことに気を取られている場合ではない。すぐさま桐子さんの縄をククリで切る。

 

「あ、ありがとう……」

 

 やっと、我に返ったようだ。他の三人も同じように縄を切る。各自、立ち上がり縛られていた腕をさする。

 

「細かい話は後です。美紀を見かけませんでしたか?」

 

「ごめん、ボクたちは直ぐにここに閉じ込められたから外のことはわからないんだ。美紀君は見かけたけど別の場所に連れていかれてしまった」

 

 それもそうか。仕方ない。他の場所を探そう。どうせ、ここからそう離れてはいないはずだ。背を向け、他の部屋を目指す。

 

「ちょっとまって。さっき、凄い爆発と多分、銃声がしたんだけど、もしかしなくても君だよね?」

 

早く行かせてほしいな。盛大に墓を爆破してから散弾銃で右原を追い回した。あれではどっちが悪役かわからないだろうに。

 

「もしかして、殺しちゃったの?」

 

 ヒカさんが怯えながら訊ねる。まあ、殺してはいない。一人は半殺しにしたけど右原さんは肩に一発掠らせて殴って気絶させただけだ。

 

「いえ、殺してはいませんよ。右原さんは仕方なく気絶させましたが死ぬほどではない」

 

 もう一人は半殺しで放っておけば死ぬような傷を負わせているが一応殺してはいない。一応は。

 

「よ、よかった……」

 

 皆が安堵する。もう、ここに用はない。今度こそ教室を後にする。だが、それを阻むものがいた。

 

「あの、できれば殺さないで欲しいな……」

 

 振り向けば桐子さんが悲しそうに僕に言いだした。殺さないで、確かにそうしたほうがいい時もあるのだろう。だが、彼は越えてはならない一線を飛び越えてしまった。もう後戻りなどできない。滅ぼすか滅ぼされるかだ。

 

「ボクだって都合のいい話だと思っているよ。襲ってきたのはあいつらだ。でも、できれば話し合いでなんとかならないかな?」

 

 590の弾薬を追加装填しながら話を聞く。チューブ式の弾倉はいつでも弾薬を補充できるのがいい。話し合いね。確かに話し合いで解決できるのならそれに越したことはない。だが、話し合いの段階などとうに過ぎ去った。

 

「確かに、話し合いで済むのならそれに越したことはない。だが、話し合いの段階などとうに過ぎ去ったのですよ」

 

 フォアエンドを操作を操作し薬室に弾を装填する。薬室に一発、弾倉に八発で計九発撃てるようになった。僕は再三に渡って彼らに言った。穏便にいきましょう、不用意な争いはさけましょう。だが、あいつらは僕の手を振り払いあろうことか石を投げつけてきた。

 

「桐子さん、貴方はいい人だ。だが、戦いの本質というものを分かっていない。あちらが手を出した、だからこちらが滅ぼす。それだけの至極単純な話なんですよ。僕はもう行きます。皆さんはどこか適当な場所に隠れていてください」

 

 誰も何も言わない。いや、言えないのだ。こればかりは争いとは無縁の生活を送ってきた人にはわからないだろう。それに僕の仲間の命が掛かっているのだ。これ以上外野にとやかく言われる筋合いはない。

 

 廊下にでる。取りあえず二階をくまなく捜索しよう。いくら広いとはいえ所詮は建物の中だ。行ける範囲にも限りがある。僕が一歩を踏み出そうとした瞬間、足音が一つ、こちらに近づく。

 

 

 

 

 

「おーい! 秀樹!」

 

 胡桃の声だ。足音はますます近づき、やがて彼女は僕の視界に入ってきた。

 

「あ、いた!」

 

 すぐさま僕に駆け寄り近づいてくる。どうやら走ってきたようだ。少し息が荒い。これで、後は美紀だけか。

 

「ごめん、図書館には誰もいなかった」

 

「いや、大丈夫、桐子さんたちは目の前にいるから」

 

 そういって扉を指さす。指の先には桐子さんたちが僕たちを覗き込んでいる。胡桃もようやく気が付いたようだ。僕をよそに彼女達に近づく。

 

「だ、大丈夫ですか?」

 

「うん、あたしたちは大丈夫だけど……」

 

「美紀君がいないんだ……」

 

「そんな……」

 

『おい! 本田! 聞こえているか!』

 

 突如、校内放送から頭護の声が校舎中に響き渡った。ということは今奴は放送室にしるのか。これは好機だ。行かなくては。

 

『お前が毒を盛ったのは分かっている! ゲホォ、ゴホォ。お、お前の仲間を一人捕まえている。死なせたくなかったらすぐに解毒剤を持って屋上に来い!』

 

 解毒剤、なんのことだ。それに咳き込んでいるようだ。あの尋常じゃない咳はもしや、あいつも感染しているのか。だとしたら美紀が危ない。こんなことをしている場合じゃない。今すぐ行かなくては。

 

「胡桃、この人たちを頼む。僕は屋上に向かう!」

 

「あ、ああ! 気を付けろよ!」

 

 皆を背にして僕は駆けだす。全てを終わらせるために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 屋上目掛けて階段を走る。あいつはさっき解毒剤と言った。ということはあいつ自身も既に感染しているのだろう。僕たちをあそこまで用意周到に襲ったのは解毒剤を確保するためだったのだろうか。

 

 確かに、僕はヘリのパイロットが持っていた薬をお守り替わりに持っている。だが、効く保証はないしもしかしたら危ない薬物かもしれないので本当にこれしか手段のない時以外は使わないと心に決めている。

 

 でも、僕はこれを奴に渡す気はない。美紀を助けるために渡すかもしれないが、その後はきっちり回収させてもらう。そして美紀の安全を確保したのち、じっくりと自分が何をしたのか教えてやるのだ。半殺しや、気絶などでは済まさない。

 

 

 

 

 

「あら、やっと来たのね」

 

 屋上に続く扉の前に人影が見える。僕はこの声を知っている。こいつの名前は神持朱夏。僕を助けた張本人だ。暗くて表情は読めないが、きっと笑っていることだろう。

 

「貴人は屋上にいるわ。貴方の仲間を連れてね。多分、感染しているわよ」

 

「それは知っている。だからそこをどけ」

 

 今はこいつの戯言に付き合っている時間はないのだ。だが、僕の言葉に耳を貸す気はないようだ。依然として彼女は扉の前を動こうとはしない。

 

「せっかちな男は嫌われるわよ。そうね、一つ、私の質問に答えたらここを退いてあげる」

 

 もう、強引にどいてもらおうか。僕はゆっくりと590の安全装置を解除する。銃口を向け引金を引けばすぐさま彼女はあの世にいくことになる。そして銃口を突きつける。だけど、そんなことは知らないと言わんばかりに神持は笑う。

 

「ねえ、何であんな奴らを助けようとするの? 秀樹君だって理解しているはずよ。貴方は誰にも理解されない。受け入れられることなんてない。私と同じようにね。この世界で笑っていられるのは私と貴方だけなのよ?」

 

 きっと、こいつは根本的に孤独なのだ。今まで誰にも受け入れられたことも理解されたこともない。ただ一人この終わった世界を楽しむ外れ者。誰もこいつの隣にはいない。たった一人で歩かなくてはならないのだ。

 

 僕だって自分の本質が他者から理解されないものだって分かっている。でも、そんなの当たり前のことだ。誰も他人の考えいていることなど理解できない。理解した気になることはできるがな。

 

「貴方だってわかるはずよ。私たちが誰にも理解されないことを。今までいろんな奴が私を見て私の前から去っていったわ。貴方だって似たようなことがあるはず」

 

 生存者を助けた時のことを思い出す。皆口々に僕を化物と呼んだ。悪魔といわれたこともある。学園生活部を出ていく時だって怯えられた。僕たちの本質は確かに他者には受け入れられないものだ。

 

「断言してもいい、貴方を本当の意味で理解できるのは私だけ。私たちは今まで一人だった。でも、違う。もう一人じゃない、二人でならこの世界をもっと楽しく生きることができる。そこにはきっと愛だって生まれるはず」

 

 そしてもう一度僕に手を差し伸べる。以前見た時のような得体のしれないものではない。僕の目にはこいつがただの親からはぐれ泣きじゃくる子供のように見えた。彼女はただ、仲間を探していただけなのかもしれない。

 

「返事を聞くわ。私と、一緒に行きましょう?」

 

 僕は彼女にゆっくりと近づき、そのまま通り過ぎた。顔は見えないがきっと唖然としていることだろう。

 

「僕はお前の手を取らない。この扉の先には僕の助けを待っている仲間がいる。お前の手を取るわけにはいかない」

 

 どんなに共感できようともこの扉の前には美紀が助けを求めて待っている。こんなところで時間を浪費している場合ではない。僕は誓ったのだ。みんなを守ると、守り抜くと。こんな女の戯言に耳を貸す暇はない。

 

「そう、そうなの……。それは残念だわ。とても、とても残念だわ。じゃあ、私は行くわ。さようなら……」

 

 ゆっくりと足音が遠ざかっていく。僕には何故かその足音が泣いているかのように思えてならなかった。少しだけ、罪悪感を感じる。だけど、これでやっと邪魔者はいなくなった。僕は意を決して扉を開く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「遅かったな。待ってたぞ」

 

「せ、先輩!」

 

 屋上には僕の予想通り頭護が美紀の頭にクロスボウを突きつけている。こちらも590の照準を頭に合わせる。いくら月が明るいとはいえ今は深夜。はっきり言って狙いづらい。

 

「はぁ、はぁ、早く、解毒剤を、渡せ!」

 

 どうやら重症のようだ。顔には血管が浮き出て今にも死にそうだ。感染しているとは思っていたが本当にそうだとはな。あれではもう助からないだろう。

 

「お前の負けだ。諦めて美紀を離せ」

 

「ふざけるな! まだ手札はこちらに残っている。朱夏が裏切ったりしなければもっとうまくいったんだがな。お前が毒を盛ったのは分かっているんだ。早く解毒剤を出せ!」

 

「貴人さん! もうやめて下さい!」

 

 裏切ったことは知っているようだ。まあ、本当なら僕は今頃目が覚めるはずだったと手紙には書かれている。だが、結果はどうだ。墓は爆破され何発もの銃声が鳴り響く。どうみても健在だ。

 

「こいつの命が惜しかったら解毒剤を渡せ! それとも切り捨てるのかな?」

 

 この距離でこの暗さでは狙頭護だけを狙うことはできない。そして今僕が構えているのは散弾銃。美紀に当ててしまったら最悪だ。くそ、どうする。

 

「早く銃を捨てろ! こいつがどうなってもいいのか」!」

 

「……わかった」

 

 このままでは本当に撃ちかねない。仕方なしに590と5906を地面に置く。後に残ったのはククリととっておきだけだ。そして懐からパイロットが持っていた注射器を取り出し見せつける。

 

「そ、それを早くよこせ!」

 

「いいや、美紀と交換だ。でなければ叩き割る」

 

 わざとらしく手にした注射器を振り上げる。頭護がわかりやすく動揺した。

 

「ま、まて! わかった。交換だな」

 

 僕が頷き、ゆっくりと近ずく。残り3m、2m、左手でばれないようにとっておきを手に持つ。かなり焦っているのだろう美紀に向けていたクロスボウは空に向けられている。

 

「そうだ、こっちにこい」

 

 残り1m。僕は左手にもったとっておきを投げつける。月明かりに銀色の閃光が走り何かが高速で飛んでいく、目指すは奴の腕だ。

 

「ガッ!?」

 

 一秒もしないうちに突き刺さる。僕が投げたもの、それはナイフだ。これが僕の秘策。痛みに悶えている隙に美紀がこちらに飛び込んでくる。

 

「先輩!」

 

「よし、もう大丈夫だ!」

 

 縄を解き解放する。僕の勝ちだ。視界の先には未だに悶える頭護が。どうやら刺された経験はないらしい。

 

「畜生! 俺をこんなナイフで刺しやがって!」

 

 既にクロスボウは痛みで落としてしまたらしい。あとは左手にもった釘バットだけだ。僕は美紀に胡桃たちのもとに行くように指示する。

 

「美紀、二階に胡桃たちがいるはずだ。そこに行け」

 

「わ、わかりました。でも、先輩は?」

 

「俺はこいつとけりをつけてくる」

 

 有無を言わさぬように語尾を強める。美紀は頷くと扉を開き中に消えて行った。残るは鬼の様な形相で睨む頭護と僕のただ二人。

 

 

 

 

 

「どうした? まだ腕にナイフが刺さっただけだろう? かかってこい」

 

「本田ああああああ!」

 

 ナイフを引き抜くと左手に持った釘バットを僕に向けて振り下ろす。火事場の馬鹿力というものだろうか。かなり早いな。寸でのところでそれを躱し、距離を取りながら腰のククリナイフを引き抜く。第二ラウンドの開始だ。

 

「死ね!」

 

 鋭い横一文字。これは躱せない。ククリナイフで応戦する。木と鉄がぶつかる音が響く映画とは違い音が軽くて少し間抜けだな。

 

 今度はこちらの番だ。バットを弾き斜め下からククリを振り抜く。奴も中々早いが僕のほうがもっと早い。奴はよけきれずに服に斜めの切れ込みを作る。よく見れば血も出ている。

 

「グッ!」

 

「悪いが弁償はしないぞ」

 

 僕と頭護はしばらくにらみ合う。先に動いたのは奴だ。両手でバットを握りしめ思い切り振り下ろす。かなりお怒りのようだ。ゾンビ化の兆候なのか速度もかなり早い。

 

「お前のせいで!」

 

「どうせ言っても信じないだろうがな、僕は毒なんて盛ってないぞ!」

 

「そんなこと、信じられるか!」

 

 がむしゃらに振り回されるバットを回避しながら真実を告げる。だが聞く耳を持たないようだ。再び僕にバットを振りかぶる。今だ。

 

「しまっ!」

 

 バットを振りかぶる瞬間に懐に飛び込む。そしてバットの柄頭目掛けて思い切りククリを振り上げる。耐えきれず頭護は仰け反る。更に追い打ちをかけるべく踏み込む。

 

 右腕目掛けてククリナイフを振り抜く。定期的に研いだ髭も剃れる切れ味と僕の腕力から放たれるそれはとんでもない威力と化す。

 

 

 

 

 

「へ?」

 

 奴は自分に何が来たのかまだ理解していないようだ。だけどすぐに気が付くであろう。彼の右腕の肘から先がなくなっていることを。僕にバットを向けようとして右腕を向ける。しかし、腕はない。

 

「あ、あ、あああああああ!」

 

 今気が付いたようだ。右腕からは血が噴出し彼の顔を血に染める。地面にはバットを握りしめたままの右腕が転がっている。勝負がついたのだ。

 

「お、俺の腕がああああああ! 俺のみ、右手が!」

 

「お前の負けだ。この屑が」

 

 跪き自分の腕を必死に抑える頭護にククリナイフを突きつける。もうこいつを助ける術はない。腕を切り落とされた。すぐにでも止血して病院に搬送しなければ一時間もしないうちに大量失血で命を落とすだろう。そして病院はもうこの世に存在しない。

 

「悪いがもう助からない。何か言い残すことはあるか?」

 

 このまま、死ぬのを眺めるのもいいが少しくらい慈悲の心を見せてやってもいいだろう。こいつは僕の家族を襲ったどうしようもない屑だが、一応、人間だ。人間なら遺言くらい遺すだろう。しばらく、黙り込んだ後、僕に顔を向ける。

 

 

 

 

 

「お、お前に何がわかる!」

 

「は?」

 

 いきなり態度が豹変した。先ほどまでの痛みに我を忘れるものではない。はっきりと自我をもっている。

 

「お前だって散々殺してきたんだろ! 誰が、この大学を安全にした! 誰が、導いてきた!」

 

 どうやら痛みで狂ってしまったらしい。意味のわからないことを喚き散らし始めた。殺しておけばよかったか。だけど、もう少しだけ聞いてやろう。

 

「何もかも有限だ! 誰かがやらねばならないんだ! 選択が必要なんだ! お前らだって切り捨ててきたんだろうが! 俺は選ばれたんだ! 俺が生き残るんだ! この俺が選ばれたんだ! そのために異物を排除しようとしただけ! それの、それの何が悪い!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「全部だ」

 

 手にしたククリを首めがけて振り抜く。鮮血が飛び散り頭護の首が宙に舞う。そして落ちる。何が起きたかわからない。そんな死に顔だ。どんな辞世の句を詠むかと思ったら最後の最後まで自己弁護とは、下らないにもほどがある。

 

「精々、あの世で永遠に選ばれてろ」

 

 首のない死体の服にククリを擦りつけ血を拭く。もうククリには血がべったりだ。これは帰ったらきちんと洗わなければな。粗方拭いたのでククリを鞘に仕舞い、落とした銃を手に取る。まだ夜は明けない。

 

「これで一段落ついたか。はぁ、手間を掛けさせやがて」

 

 この時の僕は全て終わったたと思っていた。だけど、それが全くの勘違いだと気が付くのはしばらくしてからのことである。

 

 

 

 

 僕の戦いはまだ終わらない。

 




 いかがでしたか? 大学編もいよいよラストスパート。我らがリソースさんは主人公君に首の分のリソースを減らされてしまいました。誰も止める人がいなければこうなるますよね。

 では、また次回に。


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第二十五話 あさひ

 書いていて思うこと、ヒャッハー!


「どうしてよ……。どうして分かってくれないの?」

 

 誰もいない廊下を女が一人歩く。どこに向かっているわけでもない。ただ、歩く。まるでその顔は捨てられた仔犬のように悲しみに満ちている。

 

「私の仲間は貴方だけなのに……。やっと、出会えたのに……」

 

 接触したのは、ただの気まぐれであった。本田秀樹が会議室で見せた笑み。彼女、神持朱夏はその笑みに、その瞳に自らと同じものを感じた。彼女は確かめずにはいられなかった。そして確信した。彼はこの世でたった一人の理解者であると。

 

「なんでよ……。どうしてあんなつまらない奴らのことなんか助けるのよ」

 

 決められたレールの上をただなぞるだけの退屈な人生。誰も彼も笑っているのに自分だけ笑えない。何が面白いのか、何がそんなに楽しいのか。彼女は周囲が理解できなかった。親の期待に応え、教師の期待に応え、周囲の期待に応え、ただただ操り人形のように生きるだけの人生。

 

 でも、もう自由だ。もう我慢する必要はない。これは私の人生だ。私が主役なんだ。私は選ばれた。彼女は終わった世界を見て確信した。そして歓喜した。だが、他の生き残りはそうではなかった。誰も笑わない、楽しもうとしない。何故だ。こんなにも自由で楽しい世界になったのに。

 

「私たちは選ばれたのよ? どうして分かってくれないのよ……」

 

 いつしか神持は武闘派と呼ばれる集団に身を寄せていた。だが、彼女はそこでも孤独であった。誰も彼もが不幸面で、笑おうとしない。いつしか彼女は自分が選ばれた存在だと思うようになっていった。周囲が笑わないのはきっと選ばれていないからだ。彼女はそう思った。初めは、孤独を紛らわすための思い込みだったのかもしれない。だが、思い込みはいつしか確信へと変わる。しかし、いくらそう思おうとも押し寄せる孤独感だけは隠せない。

 

 そんな中、彼が現れた。自分と同じ目をし、そして誰よりもこの世界を楽しんでいる男。話したのはたった数回だが、それでも神持の直観は告げていた。彼は生まれて初めて出会えた理解者であり、真の仲間であると。それは一目惚れと言っても過言ではなかった。

 

 今までにそういう経験がなかったわけではない。男と交際したことは何度かある。だが、彼は違った。彼は生まれて初めて出会った同じ世界を見ることのできる仲間だった。彼と一緒ならきっと今までよりもっとこの世界が素晴らしく見えることだろう。だからこそ自分と同じく孤独を感じているであろう彼に手を差し伸べた。

 

「やっと仲間に会えたと思ったのに、どうしてこうなるのよ……」

 

 しかし、差し伸べた手は振り払われた。彼は理解者よりも仲間を選んだのだ。彼女は今までにない強烈な孤独感に襲われた。もう、全てがどうでもよく思えてきた。

 

 失意の中廊下を歩く。頭護は既に彼によって止めを刺されているだろう。武闘派はもう壊滅だ。だが、そんなことはもうどうでもいい。あんなつまらない奴が死のうが知ったことではない。

 

 彼女はふと、窓の外が気になった。視線の先には校門が見える。本来なら誰もいないはずなのに何やら人影が見える。持っていた双眼鏡を手に取り観察する。そこには見知った人物が映っていた。

 

「あら、あいつまだ生きていたのね……」

 

 校門には城下隆茂が必死に校門の土嚢を退かしていた。暗いためよく見えないが気が狂ったような動きだ。恐らく怪我もしているのだろう片足を引きずり何度も身体をふらつかせながら、しかし、確実に障害物を退かす。

 

「まさか……」

 

 やがて、校門を開けられるだけの土嚢を退かした城下は校門を開放した。これでは奴らが侵入してしまう。重大な裏切り行為だ。そして校門を開放した彼は闇の中に消えて行った。だが、あれでは長くはもたないだろう。

 

「頑丈すぎるのも考え物ね……」

 

 城下は本田に殺されていると思ったが、それは思い違いだったのだ。事実として彼は生きていて構内に奴らを侵入させる愚行を侵した。平時ならば極刑ものであったことだろう。

 

「もう、何もかもどうでもいいわ……」

 

 目の前で極大の危機が迫っているのにも関わらず彼女は上の空であった。しばらく、それを眺めた後、何かを思いついたかのように手を叩く。

 

「ふふふ、そうだ。いいことを思いついたわ」

 

 先ほどまでのこの世の終わりの様な顔とは違い、今の彼女はまるで新しい悪戯を思いついた子供のように楽しげだ。好調した気分の中ある場所を目指す。少し歩いた後、ある扉の前に立つ。その扉の上には放送室と書かれたプレートが。

 

「秀樹君、私が貴方の目を覚まさせてあげる」

 

 扉を開け中に入り、あるものを探す。そして、見つけた。彼女はためらいもなくそのボタンを押す。その直後けたたましいサイレンの音が構内中に鳴り響いた。彼女が押したもの、それは防災用のサイレンを鳴らすためのものである。

 

 放送室を出て外を眺める。案の定、サイレンに引き寄せられ何十体もの屍人が構内に侵入しているではないか。だが、それが彼女の狙いである。本田秀樹はつまらない仲間に縛られて本来の自分を見失っているのだ。なら、その目を覚まさせてやればいい。きっと、彼は戦うだろう。そして思い出すはずだ。真の自分を。

 

「ふふ、ふふふ、あはははははは」

 

 彼女は一人狂ったように笑う。その目には涙が零れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「みんな無事だな」

 

 屋上で頭護を決着をつけ僕は胡桃たちいる二階へと戻ってきた。あいつの死体はあのままにするのはあれなので後で焼却処理した方がいいだろう。ウィルスの温床となったら不味い。もう、ここにいる理由もないが後始末は自分でするべきである。

 

「ああ、こっちは何ともなかったぜ」

 

 見れば最後に見た時と寸分違わぬ様子だ。今さっきまで頭護に捕まっていた美紀も元気そうである。しかし、桐子さんたちの顔色はあまりよろしくない。というより何かを聞きたいというような顔だ。

 

「ね、ねえ。貴人はどうしたの?」

 

 本当に恐る恐るといった様子でアキさんが聞いてくる。どうしようか。正直に話すと不味い気がしてならない。右腕切り落とした上に斬首しましたとかどこの戦国時代だよ。一応、オブラートに包んで言った方がいいだろう。

 

「終わらせてきました。言い訳はしません。僕がこの手で殺しました」

 

 皆が俯いて黙り込む。まあ、そうなるだろうとは思っていた。でも、必要なことだった。あいつを野放しにしたら僕たちに何をするかわかったものではない。それに物事には限度というものがある。あいつはそのラインを揚々と踏み越えた。踏み越えたのならその先にあるのは殺し合いのみだ。でも、それはあまりに感情を無視した考え方だ。どんな理屈があろうと人殺しは人殺しだ。

 

 

 

 

 

「あの、みなさん。どうか、秀先輩を責めないでください」

 

「え?」

 

 突然、美紀が口を開いた。しかも、僕の弁護とはな。こんな狂った奴のことなんか弁護しなくてもいいのに。今でもあれは間違っていなかったと胸を張って言える。だけど、他人から見てどう思われるかくらいは自覚しているのだ。所詮僕はイカれた殺人鬼。否定するつもりはない。

 

「私だって本当は先輩に人殺しなんてしてほしくありませんでした。でも、あれは私を助けるためにやったことなんです。だからどうか責めないでください」

 

 そう言って頭を下げる。なんで、君が頭を下げるんだ。僕のためにそんなことしなくてもいいんだよ。頭に血が上る。だからだろうか、自然と口を開いていた。

 

「どうして美紀が頭を下げるんだ! そんなことする必要はない。僕にそんな価値はない! 僕は蔑まれて当「いいかげんにしてください!」は?」

 

 突然美紀が声を張り上げた。そして僕を見つめる。うん、どうみても怒っている顔だ。肩を叩かれる。振り向けば胡桃も怒っている。これは、よくない光景だ。

 

「まだ、そんなこと言ってるんですか!? 全然分かってないじゃないですか! やっぱ先輩って馬鹿ですよね!」

 

 また、馬鹿と言われた。僕はいったい何回美紀に馬鹿といわれなくてはならないのだろうか。横にいる胡桃もしきりに頷いている。

 

「前に先輩言いましたよね? 学園生活部は大事だって、家族みたいだって。自分はそうやって言うくせに私たちの思いは否定するんですか? 先輩が私たちを大切に思うのに私たちは先輩を大切に思うのは駄目なんですか?」

 

「そ、それは……でも、僕は狂っているし……」

 

 盲点だった。今まで考えたこともなかった。だけど、言われてみればその通りだ。自分の気持ちばかり優先して人がどう思うのか全然考えていいなかった。少し考えればわかるはずだ。前に悠里が自分を卑下した時、僕はそれを否定した。それと同じなのだ。どうして気が付かなかったんだ。

 

「この際だからいいますけどね、いい加減、自分を悪く言う癖やめてくれませんか? 鬱陶しいんですよ。昔、先輩に何があったのか知りません。自分のことが嫌いで仕方ないのかもしれません。だけど、私の、私たちの気持ちまで否定しないでください!」

 

 きっぱりと言い切る。また、僕はやらかしてしまったようだ。人はそうそう変わらないというが全くその通りだ。そうそう身体に染みついた癖は変えられない。変わるのが良いことだとは限らないが変わるべき時もある。

 

 ふと、肩に手を乗せられた。胡桃だ。前に見せた慈しむような目で僕を見る。僕はやはり彼女達には勝てないな。

 

「美紀の言う通りだぜ。もうさ、そういうのやめないか。あたしからも言わせてもらうけどさ。別に秀樹が人を殺そうが、何をしようが、あたしたちは秀樹の仲間なんだよ」

 

 それに彼女だしな。決め台詞のように胡桃は言った。本当に、君達には勝てないな。いつまでたっても気づかされてばかりだ。自分が良い人だなんて思わないが、それは僕が思っているだけであって、決して押し付けていいものではないのだ。

 

 ゆっくりと深呼吸をする。この思いを伝えなくてはならない。言葉にしなくては伝えられない。だけど僕が口を開こうとすると、胡桃に制止される。

 

「あたし思ったんだけどさ。秀樹は自分が狂っているって言うけど、それって誰が決めたんだ? あたしか? 美紀か? 圭か? りーさんか? 由紀か? 瑠理か? めぐねえか? トーコさんたちか? それとも武闘派か?」

 

 思いがけない一言だった。確かに、そうかもしれないけど、でも、僕が狂っていることは紛れもない事実だろうに。いくら自己を弁護しようともそれだけは間違っていないはず。それが間違いだとするなら僕はなんだというんだ。

 

「親の仇を取るために戦う、人を助けるために戦う、姉に会いたい妹のために戦う、学園生活部を助けるためにたたかう。美紀を助けるために戦う。これって狂ってるって言えるか? あたしはそうは思わないぜ。これのどこが狂ってるってるんだ?」

 

 胡桃の目はどこまでも本気だった。本気でそう思っているのだ。言葉にならない。口が動かない。それを認めてしまえば僕はなんになるのだ。怖い。僕は久しぶりに恐怖を感じた。そんな僕を知ってか知らずか胡桃は僕に断言する。

 

「前にこの世界は楽しいっていったよな? あれ実はあたしも少し思ってるんだ。そりゃ、全部元通りになればって思う時はあるけどさ。みんなそうなんだよ。心のどこかじゃきっとそう思ってる。別に秀樹だけのことじゃねんだよ」

 

 自分の足元が崩される。それはいわば僕のアイデンティティだからだ。狂気こそが僕の原動力だった。皆を守る、この世界を楽しむ。それは狂気なくしては決してできないことだと思っている。でも、胡桃は違うと言う。胡桃は優しく諭すように僕に告げる。

 

「いいか。秀樹は狂ってなんかいない。そりゃ、ぶっ飛んでるとは思うけどさ。でも、それだけだよ。秀樹はただのお人好しの世話焼きでちょっと捻くれてるだけで誰かのためならどこまでも戦えるすげえかっこいいあたしの大好きな人間なんだよ。バーカ」

 

 人を殺した後にこんなこと言われてもなんの説得力もない。ないはずなのに胡桃の言葉は僕の心に染みこんでいく。否定したくてもできない。こうまで言われてしまえば反論など無意味だ。

 

 

 

 

 

「ああ、完敗だよ。認めよう。僕はただの人間だよ。ありがとうな」

 

「へへ、秀樹にはいつも助けられてるしな」

 

 結局、僕は化物でも狂人でもなかったのだ。どこにでもいるかはわからないが、ただの普通のちっぽけな人間だった。普通じゃないと自分に言い聞かせていただけなのだろう。そうしないといけないと思い込んでいただけなのだ。

 

「美紀もありがとう。そしてごめん」

 

「いいんですよ。言いたいことは全部胡桃先輩が言ってくれましたし。もうしないって約束してくれれば」

 

「ああ、約束しよう。僕はただの人間だよ」

 

 距離を置いて胡桃と美紀を見つめる。ああ、僕は生まれてきて本当によかった。彼女達に出会えて本当によかった。何度も思ったことだが本当にそうとしか言えない。運命なんてもの信じないが、この巡り合わせには感謝しよう。しばらく二人を見つめる。

 

 

 

 

 

「ゴホン! えーと、三人の世界に入り込んでいるところ悪いんだけどね。そろそろ戻って来てくれないかな?」

 

『あっ』

 

 やっと思い出した。今、桐子さん達が目の前にいるんだった。僕たちが突然、ホームドラマみたいなことを繰り広げ初めたのでさぞ困惑していることだろう。心なしか三人の顔が気まずそうな表情になっている。

 

「す、すいません……」

 

「別にいいよ。素晴らしきかな友情とでも言うべきかな?」

 

 リセさんだけは何故か目を輝かせている。何というかこの人はブレないな。美紀も胡桃も少し引いている。桐子さんが僕を見る。

 

「確かに、殺してしまったのは残念だと思っているよ。でも、多分、仕方がなかったんだよ」

 

 そして、悲しそうに言う。仕方ないで済ましていいことなのかはわからない。だが、もう起きてしまったことを覆すことはできない。殺したことを後悔はしていないし、今でも必要だったと思っている。でも、もう少し別の形で出会いたかった。そう思わざるを得ない。

 

「もう少しだけボクたちが早く話し合っていればこんなことにはならなかったかもしれないし、なったかもしれない。もう過ぎてしまったことなんだ。だから、この件でボクたちが君を責めることはない。みんなそれでいいよね?」

 

「あたしも同意かな。それにあんたが助けてくれなかったらあたしらどうなってたかわからないし。ヒカは?」

 

「本田君は、仲間のために戦ったんだよね。それは私たちが口を出すことじゃないと思うんだ。だから何も言うことはないよ」

 

「ヒカに同意かな。先に手を出してきたのは彼等だ。君は仲間を助けるために戦った。それだけだろう? 残念な結果だったけど仕方のないことだったんだと思うな」

 

 本当なら人殺しと罵られても文句は言えないのに、彼女達は許してくれた。僕はそれがうれしい。これで、一件落着か。やっと、一息できる。

 

「じゃ、ボクたちも戻ろうか」

 

「そうね、もうすっごい疲れたわ」

 

 戦いは終わったのだ。もう、僕が武器を振るう必要はない。でも、何か忘れている気がする。何だろうか。

 

「ねえ、そう言えば篠生はどうしたの?」

 

「確か、君は気絶させたと言っていたね」

 

「あっ、思い出した」

 

 忘れていた。右原篠生を気絶させていたんだ。確か、一階の教室に転がしておいたんだ。もう起きているかな。行かなくては。

 

「その篠生っていう人は生きているんだよな?」

 

「ああ、気絶させて一階の教室に転がしておいた。もう起きてるんじゃないか?」

 

「気絶って、相変わらず容赦ねえなおい」

 

 僕的には最大級の情けだと思う。殺さないだけでもありがたいと思ってほしいものだ。そう言えばみんな僕たちが襲われた理由を知っているのだろうか。

 

「そう言えば何であたしたち襲われたの?」

 

「あたしも気になってたんだ。説明してくれるか?」

 

 まだ、誰にも言ってなかったな。僕は皆に事の発端を大雑把に伝えた。高上の感染、そして武闘派の勘違いによる攻撃、そして壊滅。反応はまあ呆れ半分と言ったものであった。

 

 

 

 

 

「それって、結局全部勘違いだったことじゃん!」

 

「そうですよ。彼らがもう少しだけ考える余裕があればこんなことにはならなかったんだ」

 

 感染したのはどうしようもないことだ。だが、その後の血で血を洗うかのような抗争は避けることができたはずだったのだ。桐子さんの言う通りあと少しだけ早く話し合っていれば最悪の事態は回避できたはずなのだ。

 

「なんていうか、その、虚しいね……。本当にそう思うよ」

 

「そんなことがあったのかよ……。てか薬盛られてよく平気だったな」

 

「神持が薬の量を減らしてくれたみたいなんだ。そう言えばあいつどこに行ったんだ?」

 

「空気感染ですか……。隠していたことは後でみっちり聞かせてもらいますからね。兎に角今は戻りましょ? 話は後でいくらでもできます」

 

 それもそうだな。すっと立ち話も疲れる。そう思った矢先だった。突如、けたたましいサイレンが大学中に響き渡る。なんだこれは。あまりの音量に思わず耳を塞ぐ。

 

「なんだこれは!?」

 

 サイレンはしばらく鳴り響きようやく止まった。時間にして凡そ一分程だろうか。初めに異変に気が付いたのはヒカさんだった。

 

「みんな外を見て!」

 

 その言葉に従い窓から外を見る。何処からともなく奴らが押し寄せてきているではないか。さっきのサイレンに引き寄せられたのか。

 

「これは、不味いことになったね……。恐らく校門が破られたんだろう」

 

「ど、どうするのよ!」

 

 パニックになりかける。でも、何故だ。校門は土嚢で塞がれていたはずだ。あれは人が内側からどかさないと開けられないはずだ。何か忘れている。

 

「あの男か!」

 

「え、誰がやったかわかるのかい?」

 

 あそこで殺さなかったのが間違いだったのだ。僕が思っていた以上に怪我が浅かったのだ。思えば、いくら僕が立ち去れと言ったところで本当に再起不能だったらあんな歩くことなどできない。大誤算だ。

 

「こんなことしている場合じゃないよ! 早く校舎の入り口を固めないと!」

 

「その通りだ。早く行動しよう」

 

 ヒカさんとリセさんに移動するべきだと促される。その通りだ。僕たちはその言葉に従い一階に向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これで一段落ついたね」

 

「ふう、一時はどうなるかと思ったわ」

 

 正面玄関の前で僕たちは一段落ついた。七人もいるのでバリケードの設置は思っていたよりも早く終わった。これでもうあいつらは入ってこれない。

 

「校門を開けたのが先輩が倒した人なのは分かりました。じゃあ、あのサイレンは?」

 

 僕は移動中に自分の予想を皆に伝えた。これは僕が招いた事態だと言ってもいい。僕があいつを殺すなり縛るなりしておけばこんなことにはならなかったのに。

 

「そう言えばアヤカはどうしたの?」

 

 そうだ。あいつはどこに行った? 僕はあいつだけは一度も傷つけてはいない。屋上前で別れた以来、一度も顔を見ていないのだ。もしかして、アイツがやったのか? でもなぜ? その疑問は直ぐに解消された。

 

『秀樹君聞いているかしら?』

 

「この声は!?」

 

 突然、校内放送から放送が始まった。この声を僕は知っている。こいつは神持朱夏だ。

 

『貴方のために素敵なプレゼントを用意してあげたわ。貴方もきっと目が覚めるはずよ。じゃあ、存分に楽しんでね』

 

 それだけ言うと放送は終わった。僕たちは顔を見合わせた。素敵なプレゼント、きっと構内に侵入したゾンビのことだ。楽しめとはきっと僕にあれらと戦わせるつもりなのだ。

 

「今の声ってアヤカよね? もしかしてさっきのサイレンって……」

 

「ええ、そうでしょう。彼女は僕に異様に執着しています。こんなことをしても何も不思議ではありません」

 

 あんたのしたいことはこんなことだったのか。僕はあの屋上で彼女を拒絶したことを後悔した。僕があんなことを言わなければ神持はこんなことはしなかったはずだ。少しでもあの人に共感してあげればこんなことにはならなかったのに。

 

 外には決して少なくないゾンビが入り込んでいる。これでは車ででることなどできない。それに、桐子さん達も満足に生活できないではないか。仕方ないか。僕はある決心をした。

 

「アヤカさんが!?」

 

 突然後ろから声が聞こえた。慌ててホルスターから5906を引き抜き声の主に銃口を向ける。が、すぐにアキさんに強引に手で下げられる。

 

「秀樹! 銃降ろして! シノウよ!」

 

 声の主、それは右原篠生だった。右肩には既に包帯が巻かれている。自分で治療したのだろう。だが、額にはまだ大きな瘤が出来ている。少し、悪いことをしたかもしれない。どうやら彼女には敵意はないようだ。銃を向けようとすると身体を大きく震わせて両手を上げた。だけどこれはかなり怖がられているとみていいだろう。

 

「本田君。もしかして戦うの?」

 

「篠生、あんた何言ってんのよ!? そんなわけないじゃない!」

 

 どうやら僕の考えはお見通しらしい。まあ、あれだけのことをやってのけたんだ。そう思うのは当然のことだ。そして彼女の考えは全く持ってその通りである。

 

「ええ、よくわかりましたね」

 

「ちょっ!? 君は自分が何を言っているのか分かっているのかい?」

 

 桐子さんたちが信じられないと言いたげな顔で僕を見る。まあ、普通に考えたら戦うなんて選択は思いつかない。でも、僕はこの手のことに関しては普通じゃないんだ。

 

「なら私も戦う」

 

 何故そんなことを言うのだ? それは彼女の目を見ればわかった。あれは全てを諦めた者の目だ。終わらせるつもりなのだ自分の人生を。

 

「篠生も何言ってんのよ!」

 

「悪いが、右原さん。あんたは戦わせない。怪我しているし、腹に子供がいる奴に戦わせるわけないだろうが」

 

 僕以外の全員が驚愕に目を染める。そして右原さんを見る。あ、少し赤くなった。

 

「それなら大丈夫。私は今までも「ばっかじゃないの!?」あ、アキさん?」

 

 そこには烈火の如く怒るアキさんがいた。かなり怖い。見れば桐子さんとヒカさんが少し震えているではないか。唖然とする右原にアキさんは続ける。

 

「お腹に赤ちゃんいるのに何戦ってんのよ! あんた馬鹿なの!? それに今までもですって? ふっざけんじゃないわよ! 子供命なんだと思ってるの!?」

 

「そ、それは……」

 

 反論のしようがない正論に右原は言葉を濁らせる。これに関しては僕の同意だ。周りを見れば全員が頷いている。

 

「武闘派だからとかそんなのどうでもいいわよ! あんた自分がどれだけ無責任なことしてるのか分かってんの? 分かってるわけないよね。何で誰にも言わなかったのよ!」

 

「それは、だって……」

 

「口答えしない!」

 

 こうしてアキさんの説教が始まった。右原が何か言ってもすぐさまアキさんや桐子さんたちが正論で論破していく。何か昔の僕を思い出す光景だ。僕たちはすっかり蚊帳の外になってしまった。

 

「なあ」

 

「なんだい?」

 

 胡桃が声を掛けてきた。肩にはシャベルを担いでいる。何をしたいのかはもう聞くまでもないな。

 

「銃の弾あと何発ある?」

 

「ショットガンが十四発、拳銃が四五発だ」

 

 二人で窓の外のゾンビ共を観察する。この様子だと多くて精々、二百匹くらいだろうか。気が付けば美紀も呆れ半分と言った様子でこちらを見ている。

 

「どのくらいいると思う?」

 

「まあ、僕の見立てじゃあ二百もいないだろうな」

 

「じゃあ、秀樹が銃で六十匹くらいやったらあとは百四十か」

 

 思ったより少ないな。胡桃はそう言った。僕も同じことを思った。

 

「はぁ、あの、もう何も言いませんが気を付けて下さいね」

 

 既に僕のことをわかりきっている美紀は溜息をつきながらも見送ってくれるようだ。いつの間にかアキさんの説教も終わっていたようだ。僕たちに近づいてくる。その後ろには涙目の右原がいる。

 

「で、さっき戦うって言ってたけど本当かい?」

 

「ええ、ちょっとばかし構内の掃除を」

 

「そ、そんな無茶だよ!」

 

 まあ、普通はそう思うだろうな。僕だってそう思う。だが、それはあくまで僕たちが普通の高校生だったらの話だ。普段は普通でいることが大切だと思っているが今回ばかりは事情が違う。

 

「ヒカの言う通りよ! あんた何言ってんのよ!」

 

「アキ先輩。こうなったら先輩たちに何を言っても無駄なんですよ」

 

 流石、美紀。頭を押さえながらじゃなかったらもっと嬉しかったけどな。

 

「いや、あんた何平気そうな顔してんのよ! こいつが言ってることわかってんの?」

 

「ボクも同意見かな。いくらなんでも無茶すぎるよ」

 

 ふむ、まあ、知らないならこんなものか。彼女達は知らないのだ。僕が、僕たちが今までどんなことをしてきたのか。どんな脅威と戦ってきたのか。

 

「外を見ればわかるだろう? もうこんな大量に押し寄せてきている。いくら君たちが戦い慣れているからといってこれは無理だよ」

 

 無理? たった二百程度で無理なんてこの人は何を言っているんだろうか? 僕とこの人たちとでは基準が著しくずれているようだ。

 

「桐子さん。貴方は一つ勘違いをしている。この程度の逆境など僕たちに降りかかった今までの苦境に比べたらピンチのうちにも入らないんですよ」

 

「なっ!?」

 

 呆気にとられる桐子さんたちを尻目に僕と胡桃は玄関の窓に近づく。外にはそれなりの数の奴らがいるが、まあ所詮、それなりだ。ヘリが落ちてきたときの方がもっと多かった。

 

「じゃあ、とっとと車に行こうぜ。アレ、使うんだろ?」

 

「そうだね、折角作ったんだ。使わなければ損だ」

 

 窓を開けて窓枠に足を掛ける。まずは、車まで強行突破してから車で校門まで急行、それから校門の封鎖かな。

 

「先輩! 程々にしといてくださいね!」

 

「あたしが見張ってるから大丈夫だよ!」

 

 無言でサムズアップし外に出る。まだ気が付いていないようだ。胡桃後に続く。銃は校門を封鎖してから使おう。安全装置を掛けホルスターに仕舞う。代わりに腰からククリナイフを勢いよく引き抜く。

 

「よし、胡桃いくぞ!」

 

「ああ!」

 

 胡桃は何も言わなくても僕がしたいことを分かってくれるからいい。僕が学園生活部に染まっていったようにみんなも僕のやり方に染まってきている。それが良いことか悪いことなのかは歴史が決めることだろう。

 

「待ってくれ!」

 

 いよいよ一歩を踏み出そうとした時、桐子さんに引き止められる。早くいきたいんだけどなあ。仕方ない。振り向けば全員が僕を見ていた。

 

「君たちは、いや、君は一体何者なんだ?」

 

 僕は何者、か。何て答えればいいのだろうか。少しだけ考える。背後は胡桃が警戒してくれているので心配する必要はない。そうだな、これがいい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「私立巡ヶ丘学院高校学園生活部、副部長。本田秀樹。ただの人間だ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 胡桃と走りながら裏門近くに止めたバン目掛けて走る。僕の前には七体のゾンビが行く手を阻んでいる。邪魔だな。

 

「一番槍はあたしがもらった!」

 

 先に仕掛けたのは胡桃だ。一瞬でゾンビに近づきシャベルを振るう。目にも留まらぬ速さで振るわれるシャベル。瞬く間に三体が倒れる。僕も負けてられないな。

 

「オラッ!」

 

 一番近くにいるゾンビの脳天目掛けてククリを振るう。顔が真っ二つになりゾンビが倒れ伏す。勢いに巻き込まれないようにククリを引き抜き次のゾンビの首に一閃。首が胴体から切り離される。

 

 三体目は既に僕の至近距離まで近づいている。すぐさまククリを左手に持ち替え5906を引き抜き安全装置を解除、発砲。額に9mmの穴が開きゾンビは二度と誰にも迷惑をかけることはなくなった。

 

「銃は使わないんじゃないのか!?」

 

 四体目の首が飛んだ。しまった胡桃に取られてしまった。少し鈍ったな。もっと早く倒せるはずだ。走りながら近づくゾンビを片っ端から倒していく。時には同時に、時には背中合わせに、まるでワルツを踊るかのようだ。僕は踊れないが。

 

「一発くらいなら誤射だよ!」

 

 近ずくゾンビの後ろに回り込み後頭部と下顎をホールド。そのまま捻じ切るかのように圧し折る。既にかなり倒したはずだ。

 

「ふーん。ちなみにあたしはもう十二匹倒したぜ! これで十三匹!」

 

 また首なしの死体が一体増えた。いくらなんでも強くなり過ぎじゃないか? 昔はあんなに健気だったのに。あの時の胡桃が懐かしい。

 

「僕は、十五匹倒した! これ十六匹!」

 

 ククリを首目掛けて振るう。もうククリは血塗れだ。でも、まだまだ序盤。もうすぐバンだろう。当たり前だがバンに近づくにいつれゾンビの数は減っていく。もうすぐ夜も明けることだろう。

 

「そう言えば! あの放送の女はどうするんだ!?」

 

 神持のことだろう。僕は未だに思い悩んでいた。彼女を倒すべき敵と見なすのか、手を差し伸べるべき同類と見なすべきなのか。彼女は僕らに一度も危害を加えていないのだ。桐子さんたちを捕まえたのは頭護と右原だ。彼女達の証言からもそれは裏付けられている。

 

「本当ならこんなことをした報いを受けさせるべきなのかもしれない。でも、僕はあいつがどうしても敵に見えないんだ」

 

 あの屋上前で見せたあの表情。あれを見てしまってから僕は彼女のことをただの狂人だとは思えなくなってしまった。きっと、彼女は学園生活部に出会わなかった僕なのだ。表裏一体とまでは言わないが僕と彼女は非常に似通っている。

 

「なら、秀樹の好きなようにすればいいじゃん」

 

「僕の好きなようにするか。難しいこと言ってくれるね」

 

 でも、そうだな。僕の好きにさせてもらおう。もうバンは目と鼻の先だ。走っていくと視界の先にゾンビが一体。僕は胡桃と競うかのようにゾンビに殺到する。

 

『もらった!』

 

 右からは胡桃のシャベルが、左からは僕のククリナイフが同時に首目掛けて振り抜かれる。ゾンビの首が宙高く飛ぶ。夜の空にゾンビの首が一つ。これで第一目標は達成した。すぐさま車に乗り込む。

 

「あたしが運転する!」

 

「任せた!」

 

 胡桃が運転席に乗り、僕がバックドアから勢いよく乗り込む。すぐさま発進するバン。流石に構内は狭いのであまりスピードは出せない。流れ去る景色を眺めながら僕は例の物を用意する。リコイルスターターを勢いよく引けばエンジンの軽快な音が車内に木霊する。

 

「持ってきて正解だったな!」

 

「ああ! でもエンジンがうるさい!」

 

 あまりに重く嵩張るため車内に置くしかなかった。これを持っていくように佐倉先生を説得するのは本当に骨が折れた。帰ったら二人で反省文だろうな。エンジンに繋がった50リットルの容量を持つタンクの栓を捻る。

 

「車ぶつけるぞ!」

 

 ゾンビを撥ねているのだろう。鈍い音が聞こえる。だが、これは校門に近づいてる証拠だ。

 

「秀樹、校門が見えたぞ! 掴まってろよ!」

 

「え? ちょっ!?」

 

 車が急激にスピンする。強烈な遠心力に耐えきれず身体を思い切り車内にぶつける。痛いなぁ。

 

「秀樹! 前見ろ!」

 

 胡桃が叫ぶ。バックドアの先には大量のゾンビが僕たちに近づいている。すぐさま立ち上がり車外に飛び出す。勿論ノズルを持ってだ。

 

「こっちにも近づいてる! 早くしてくれ!」

 

「おう!」

 

 ノズルの先端に取り付けられたガスバーナーを点火する。そしてノズルの先端を校門に向ける。広角モードに切り替える。エンジンよし、タンクよし、バーナーよし、全部よし。

 

「だ、だ、ズゲ、で……」

 

 一番先頭にいるのは城下じゃないか。既に身体中食われている。もう殆どゾンビと言っても過言ではないだろう。やっぱりあの時殺しておけばよかった。そうだ、あの時の約束を思い出した。

 

「なあ、さっき僕は言ったよな」

 

 後はノズルのコックを捻るだけ。どんどん近づくゾンビ共。まだだ、まだ。

 

「次会ったらもっと燃えやすいものを用意してやるって。だから」

 

 まだ、まだだ。まだ、今だ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「持ってきてやったぞ」

 

「え゛?」

 

 コックを捻る。その瞬間、超高圧の可燃性の液体がノズルから放たれガスバーナーに引火。轟音共に数千度の炎が校門に向けて放たれる。固定式の動力噴霧器を改造した火炎放射器だ。背負い式の火炎放射器も凄まじいものであったがこれは更にその上をいく。

 

 瞬く間に校門が炎に包まれる。校門付近に固まっていたゾンビは一網打尽だ。流石にこれは気分が高まるな。

 

「最っ高だぜ!」

 

 しばらく燃やした後コックを閉める。炎が消え視界が元に戻る。まさに死屍累々と言ってもいい風景が広がっている。だが、まだ終わらない。すぐさまノズルを持ったまま車の運転席付近に行く。

 

「うげぇ。やっぱおっかねえわ……」

 

 サイドミラーで一部始終を見ていた胡桃が毒づく。まあ、あれは仕方がない。でも、今のでざっと六十は倒せたはずだ。もう一度、今度は校舎方面にいるゾンビ目がけてコックを捻る。

 

「うわ! 熱! 運転席なのに熱ッ!」

 

 胡桃が何か言っているが今は無視だ。校門とは違い、数が多い。何度も何度も炎を噴射する。コックを捻るたびにゾンビ焼死体が量産される。体感時間にて数十分。実時間にして恐らく数分。タンクの燃料が尽きたのだろう。コックを捻っても燃料は噴射されなくなった。

 

「胡桃! 校門閉めるの手伝ってくれ!」

 

「よし来た!」

 

 ガスバーナーとエンジンを止めククリを引き抜き校門に近づく。根こそぎ燃やしてしまったためか近くにゾンビは見当たらない。急いで鉄門に手を掛ける。猛烈に熱いが今は気にしている場合ではない。

 

「閉めたぞ! 手伝ってくれ」

 

 胡桃と協力してまだ無事な土嚢を積み上げる。何個か袋が燃えていて使い物にならなかったがこれで校門の封鎖は完了した。

 

「ふう、これで第二目標終わったな!」

 

「まだ、気を抜くのは早いぞ」

 

「わあーてるよ!」

 

 車から降りた胡桃が僕の隣に立つ。手にはシャベル。背には車内に置いたままだった弓と矢筒を背負っている。僕もあれを取ってこよう。バックドアから入り、56式と装弾クリップをポケットに詰めるだけ詰める。ショルダーバッグには既に火炎瓶が満杯だ。

 

 56式のボルトを引き弾を装填する。安全装置を掛ける必要はない。何故なら目につく全ての動く物体は悉く僕たちの敵だからだ。桐子さんたちは美紀が引き止めてくれているだろう。きっと今頃質問攻めにあっているに違いない。少し悪いことをしてしまったかもしれないな。

 

「なんか作戦はあるか?」

 

 不敵な笑みを浮かべながら胡桃が訊ねる。分かっているくせによく言う。僕も負けじと笑みを返しながら返答する。

 

「決まっているだろ? 見敵必殺(サーチ&デストロイ)だ」

 

「ま、そう言うと思ったぜ。じゃあ、どっちが多く倒せるか、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──勝負だ!──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 僕たちは同時に駆けだす。もうじき夜が明け、全てが終わる。

 




 いかがでしたか? 満を持して登場した火炎放射器。やっぱ火はいいですね。いよいよあと少しで最終話です。ここまで読んで下さりありがとうございます。

 では、また次回に。


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第二十六話 おつかれ

 書いていて思うこと、飴と鞭かな?


「はぁ、はぁ、はぁ」

 

「ふぅ、やっと終わったか」

 

 あれから何時間戦ったのだろうか。死体の山の中で僕たちは背中合わせに座り込む。気が付けば眩い朝日が僕たちを照らしている。銃弾はかなり前に撃ち尽くし胡桃に至っては早々に矢を射尽した。それから先はひたすら肉弾戦だ。全く、文明性の欠片もありはしない。

 

「なあ秀樹、まだ生きてるか?」

 

「死んでるかも」

 

 口ではそういうものの僕たちの損害と言えば精々、体力を消耗したくらいだ。構内のゾンビは僕が思っていた以上に多く、全て倒すのには酷く時間がかかった。とは言え前に校庭で大立ち回りした時の疲労に比べればこの程度微々たるものである。

 

「そっちは?」

 

「服が血塗れなの以外は特に問題なし」

 

「制服じゃなくてよかったな」

 

 今更だが、僕たちは大学に来てから一度も制服に袖を通していない。男子用の制服ならともかくうちの高校の女子用の制服は酷く目立つ。なんせネットでも有名になっていた。あそこの経営陣は何を考えてあのコスプレめいた制服を採用したのだろうか。けしからん。だが、ナイスだ。

 

 話がそれた。それゆえ制服を見れば一発でどこの高校かばれてしまう。身分を隠すためにも僕たちは私服で来たのだ。意図したこととは違うが役に立ったと言えるだろう。しかし、汚れ具合から鑑みて洗うより捨てた方がよさそうだ。

 

「何体倒したか覚えてるか?」

 

「覚えているわけないだろうに」

 

「だよな」

 

 僕は多分火炎放射器を合わせたら恐らく200近くは倒していると思う。胡桃は多分60から70くらいだ。こんなに暴れたのは久しぶりだ。胡桃とは何度も一緒に戦ったがこの規模の戦闘は初めてと言っていい。彼女にはいい経験になっただろう。

 

「こりゃ、帰ったらりーさんとめぐねえに大目玉喰らうだろうなあ」

 

「自業自得だな。悪いが僕と一緒に反省文地獄に付き合ってもらうぞ」

 

「うげぇ……」

 

 しばらく黙り込み、そして二人して笑う。周囲はスプラッタな光景が広がっているがまあそんなことはもう慣れっこである。ゆっくりと立ち上がる。そう言えば昨日から一睡もしていない。酷く眠いな。思わず欠伸をする。

 

「眠いのか?」

 

「そりゃ、そうだろ。昨日から一睡もしてないんだぞ」

 

「あの戦いの後でよく欠伸できるな。あたしはまだ興奮が収まらないってのによ」

 

「場数が違うんだよ。場数が」

 

 僕はこのレベルの戦闘など昔はそれこそ毎日のようにしていた。校舎を出る前に桐子さんに言ったピンチのうちにも入らないとは別に見栄を張ったわけではなく本当にその通りなのだ。僕にピンチと言わせたければまずこれの二倍はいないと話にならない。

 

 たまらずもう一度欠伸をする。それを見た胡桃は何故か顔を赤らめながら正座して何かをアピールするかのように膝を叩いた。地面にそれだと痛くないのだろうか。

 

「そ、そんなに眠いならあたしの膝使うか?」

 

「お前は何を言っているんだ。早く戻るぞ」

 

「そ、そうだな。戻るか……」

 

 あまりにも場違いな台詞に思わず言葉が荒くなる。胡桃も立ち上がり僕に並ぶ。そして歩き出す。目指すは皆のところだ。横にいる胡桃を見れば表情こそ疲れているものの足取りは確かだ。校舎を目指し歩けば僕たちがこさえた大量の死体が嫌でも目につく。

 

「これ、あたしたちがやったんだよな?」

 

「他に誰がいるんだ」

 

「いや、まあ、うん。随分と遠くに来ちゃったなあって」

 

 恐らく今の胡桃なら一人でも僕たちの学校にいたゾンビ共を殲滅できるだろう。短い期間で成長しすぎである。正に鬼の様な強さだ。まあ、僕にはまだまだ及ばないがな。

 

「なあ、反省文のコツってあるか?」

 

「うーん、心を無にすることかな?」

 

「ぷ、なんだよそれ」

 

二人で下らない冗談を言いながら朝焼けに染まる構内を歩き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただいま帰還しましたっと」

 

 一階の窓から校舎に入る。以前、出たところと同じ場所だ。誰もいないようだ。二人で一階の正面ホールまで赴く。遠くから複数の足音が近づいてくる。やがて足音の主が僕の視界に現れる。美紀と桐子さん達だ。

 

「おはようございます」

 

「戻ってきたぜ!」

 

 血塗れの僕たちを信じられないと言いたげな表情で見つめる。美紀だけは、納得と言った顔であるがよく見れば僅かながら顔を引きつらせている。

 

「も、もしかして、本当に全部倒したっていうのかい?」

 

「ええ、残っているのは死体だけです」

 

 今の桐子さん達を一言で言い表すのなら正に絶句の二文字が相応しいであろう。もう、この反応にも慣れてきたところだ。そうだ、あの大量の死体はどうすればいいのだろうか。折角比較的綺麗だった大学であるが、今や校門は焼死体で埋め尽くされ構内中に首なし死体が散乱している。はっきり言ってトラウマものである。

 

「何時間も銃声が響いてたけどまさか本当に全部倒してしまうなんて……。ボクは夢でも見ているのだろうか……」

 

 そう言って桐子さんは自分の頬を抓る。だけど痛かったのだろう、すぐさま指を離した。他の面々も未だに半放心状態と言った様子で話しができそうにない。

 

「桐子さん、秀先輩はこういう人なんです。理屈とかそういうのは置いておいてそういうものだと思ってください。これからも付き合っていくのなら早めに慣れておくことを強くお勧めします」

 

 美紀がもう諦めたと言わんばかりに桐子さんに言う。全く失礼な奴だ。人を何だと思っているのだ。少し癪に障るので反論させてもらおう。

 

「美紀、それはいくらなんでもないんじゃないか? それじゃあ僕が歩く非常識と言っているようなものじゃないか」

 

「え、違うのか?」

 

 おい、何故そこで胡桃が横やりを入れてくる。君だって散々暴れたじゃないか。僕は胡桃が学園生活部中で二番目にぶっ飛んでると思っているよ。一番目は誰かって? 聞くまでもないだろう。

 

「と、とにかくあんたらが味方で本当に、本当によかったわ」

 

「う、うん、そうだね。そればかりは私も本当にそう思うよ」

 

 そう言ってアキさんとリセさんは乾いた笑いを浮かべる。そもそも味方じゃなければとっとと自分達の脱出路だけ確保して帰還していたと思うので、その考えは間違ってはいないが、なにか悔しい。

 

「二人とも凄い血がついてるけど怪我は大丈夫なの?」

 

 こんな時でもヒカさんは優しくてほっこりするなあ。美紀も昔は心配してくれたのに。もうすっかり僕たちの蛮行に慣れ切ってしまった節がある。

 

「ああ、これ全部返り血なんで大丈夫ですよ」

 

 胡桃が笑いながら言うが、返り血のせいで安っぽいホラー映画のワンシーンにしか見えない。僕も人のこと言えないけど。

 

「そ、そう……。でも、二人がいなくなって凄い心配したんだよ。もう、こんな無茶はしないで」

 

「ヒカの言う通りよ! あたしたちすっごい心配したんだからね!」

 

 ヒカさんの言葉を皮切りに次々と復活していく。これは不味いな。嫌な予感がする。どうみても顔が怒っている。美紀に助けを求めるべく顔を向ける。しかし、両手を上げてやれやれと言いたげなポーズを取るだけで何もしてくれない。彼女は言外にこういっているのだ。諦めろと。

 

「助けてもらったのは感謝しているよ。でも、今回のことは流石に度が過ぎている。美紀君に君たちの過去は大体聞いたけどそれでもこれは無茶しすぎ。引き止めなかったボクたちにも非はあるけど、できればもう少し──」

 

 気が付けば僕と胡桃は正座させられ桐子さん達に説教されていた。悠里の説教に比べれば短い時間であったがそれでも僕たちを心から心配しているのが言葉の端々から伝わりとてつもない罪悪感に襲われた。でも、怖がられるよりも何倍も嬉しいものだ。

 

 

 

 

 

「じゃ、これで本当に一件落着ね。あんたたち、あれだけ無茶したんだから今日は休んでいきなさい。いいわね?」

 

「は、はい」

 

 短いが濃密な説教が終わり、僕たちはアキさんに泊まることを提案された。いくらフレンドリーでも年上特有のオーラに押され僕はアキさんの提案を受け入れざるを得なかった。でも、まだ全てが終わったわけではない。まだ一人だけ残っている。

 

「あ、あの、アヤカさんは……」

 

「あ、そうだった。あいつのせいであたしたちこんな目にあってたんだ」

 

 僕たちが戦わざるを得ない原因を作った張本人。神持朱夏がまだ残っているのだ。放送内容から察するにまだ構内に残っている可能性が非常に高い。きっと何処かで僕のことを見ていたに違いない。

 

「皆さん。僕は彼女と話してきます。一人で行きたいのでどうか邪魔しないでくれますか?」

 

 こればかりは皆で行くわけにはいかない。あいつとは一対一で話さなくてはならない。そんな気がしてならないのだ。僕の有無を言わさぬ言葉に皆が黙る。

 

「分かった。でも、あんまりにも長かったらこっちから探しにいくからね」

 

「まあ、ないだろうけど勝手にそのアヤカとかいうやつについていったら怒るからな!」

 

 桐子さんと胡桃が優しく送り出してくれる。もう行こう。きっと、あいつは屋上にいるはずだ。根拠なんてないが僕はそう確信していた。彼女に会わなくては、会ってあいつの夢を終わらせてやらなくてはならない。

 

「じゃあ、行ってきます」

 

 皆に見送られ僕は一歩踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やっぱ、ここにいたんだな」

 

 僕が頭護と決着を付けた場所。屋上に彼女はいた。視界の横にシートが被せてある。大きさからして頭護の死体だろう。煙草を吸いながら朝日を眺めている。この光景に彼女は何を思っているのだろうか。

 

「よく、わかったわね」

 

「そりゃな、あんなことを言ったんだ。きっと見晴らしのいい場所で僕たちが戦っている様を見てたんだろ? もう夜も明けた。あんたの夢も終わりだよ。なあ、神持さんよ、何であんなことしたんだ?」

 

 煙草を一口吸ったあと靴で揉み消す。そして彼女は笑った。それは楽しそうに笑った。

 

「何でって、貴方の目を覚まさせてあげるために決まっているじゃない。見てたわよ、とっても楽しそうで少し羨ましくなったわ。思う存分暴れて楽しかったかしら?」

 

「まあ、楽しくなかったと言ったら嘘になる」

 

 久しぶりに火炎放射器を使うことができた。ククリを振るえば死体が量産され身体が昂揚感に包まれる。何だかんだ言っても僕は戦いが好きなのだ。

 

「そうよね、貴方ならそう言うに決まっている。あれでわかったでしょう? 所詮、どこまで言っても私たちは死をまき散らすだけの存在。仲良しごっこなんて貴方には似合わない。貴方を理解できるのは私だけ」

 

 仲良しごっこ、か。そう思われても仕方のないことなのかもしれない。僕や胡桃たちがそう思わなくても周りから見れば寒い茶番劇にしか見えないのだろうか。

 

「この終わってしまった世界でたった二人の選ばれた存在。それが私たちよ。最後にもう一度聞くわ。私の手を取って一緒にこの世界を楽しみましょう? それとも一生あのつまらない連中の顔色を伺って生きるのかしら?」

 

 こいつは仲間が欲しいだけなのだろう。行った行動こそ常軌を逸しているがその根底にある心理は酷く純粋な気持ち。こいつはただ、寂しいのだ。根拠なんてない。でも、逆光に隠れた彼女の顔を見れば手に取るようにわかる。

 

「返事を聞かせて。秀樹君いいえ、秀樹」

 

 そんな彼女に憐れみを覚える。酷く哀れで孤独な女だ。誰にも理解されず共感されず一人血塗られた道を歩く女王。それが神持朱夏という女なのだろう。

 

「僕は、お前の手を取ってもよかった」

 

 これから言うの言葉はきっと彼女を酷く傷つけるだろう。でも、言わなくてはならない。絶対に言わなくてはならない。

 

「お前と一緒に生きてもよかった。あいつらに会う前の僕なら、ただの化物の僕なら。きっと、お前と一緒にこの世界を面白おかしく生きることができたに違いない」

 

 どこまでも近い世界を見ている僕たちならきっと二人で死をまき散らしながらこの終わってしまった世界をどこまでも笑いながら生きていくことができたのだろう。そこには愛だって生まれたかもしれない。

 

「な、なら! 今からでも遅くないわ! 私と「だがもう遅い!」え?」

 

 神持の言葉を遮り叫ぶ。頭に血が上っているのがわかる。きっと僕は怒っているのだろう。だけど思考が渦を巻き自分の気持ちを正確に把握できない。

 

「もう、遅いんだよ。あいつらと、学園生活部と出会ってしまったんだ。僕は、もはやただの人間でお前のような選ばれた人間でも特別な人間でもない。ただの、普通のちっぽけな人間なんだよ!」

 

 徐々に声が大きくなっていく。感情が制御できない。一度溢れてしまえばあとは濁流となって解き放たれる。

 

「お前は僕の家族をつまらないと言ったな。ふざけるなよ、何がつまらないだ。つまらないのはお前だ! そんなに自分が特別でないのが怖いかよ。お前はただ普通でいることに耐え切れなかったんだろ? お前は怖いんだ、自分がただの人間だと認めることが。いいか! お前の正体を教えてやる」

 

 ゆっくりと神持に近づく。僕ほうが身長が高いため自然と見上げる形になる。しかし、その顔は何の感情も映してはいなかった。そんな彼女をよそに僕は宣告する。

 

「お前の正体! それはな、たまたま今まで生き残っただけで自分が選ばれたと思い込んでいる世間知らずで愚かで弱くて矮小な何処にでもいるただのつまらん普通の勘違い女だ! 分かったか!!」

 

 深呼吸をし心を落ち着ける。まだ感情が収まりきらないが何とか制御する。僕は何故ここまで彼女に固執するのだろうか。少し考えてある結論に辿り着いた。こいつは、あの人たちと出会わなかった僕なのだ。一つでも間違えればきっと僕もこいつと同じようになっていたことだろう。だからこそここまで感情が揺さぶられるのだ。

 

「ち、違う……」

 

 声が小さくて何を言っているのか聞きとれない。だが、拳を握りしめ溢れ出る何かを必死に押し込めている。そんな様子だ。

 

「わ、私は違う。私は選ばれたのよ……。そうよ! 選ばれたのよ!」

 

 でも、押し殺したものなど長続きはしない。当然、溢れかえる。感情が濁流となって流れでる。この期に及んでまだそんな戯言を言っているのか。

 

「私は、違う! 私は無敵! 私は特別なのよ! 私は、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いいかげんにしろっ!!」

 

 気が付けば僕は右手で神持の頬を思い切り打っていた。

 

「…………え?」

 

 自分が何をされたのか信じられないと言いたげな顔だ。いや、きっと信じたくないのだ。認めてしまえば自分が自分でなくなってしまうと思っているのだろう。だが、知ったことか。

 

「痛いか? 痛いだろう。それが普通の人間だ。お前は無敵でも特別でもなんでもない。だたの人間なんだよ」

 

 痛みを自覚したのだろう。左手で頬を押えている。しかし、その目はまだ今されたことを信じたくないと拒絶しているかのようだ。全身の血液が沸騰するかの如く怒りに包まれる。そしてその感情に任せて彼女の胸倉を掴みあげる。顔が近づく。

 

「いいかよく聞け神持朱夏、お前は独りだ! 既に武闘派は壊滅した。もうお前の帰るべき場所はこの世のどこにもない。お前を出迎える仲間は一人もいない。そう、ただの一人もだ! 全部お前が自分で切り捨てたんだ! もうお前には何も残っていない。何もだ! 哀れな女め」

 

 こいつは仲間を裏切った。ただの、自分の楽しみのためにこいつは自分の欲望を満たすために分かってたはずなのに僕に差し向けた。右原もきっとこいつには愛想が尽きていることだろう。武闘派はもはや存在しない。こいつは独りなのだ。

 

「お前にはもはや何も残っていない! お前の横には誰もいない! 誰もお前を愛さない! 一生死ぬまで独りで選ばれ続けてろ!」

 

 掴んでいた胸倉を離す。放心しているのだろう。神持はそのまま膝をついた。気が抜けたかのように俯く。手の甲に一滴の水が落ちる。雨か? いや、違う。これは、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうして、どうしてそんなこと言うの…………」

 

 そう、それは涙だった。俯いて顔こそ見えないが嗚咽が僕の鼓膜を刺激する。彼女は今、確かに泣いているのだ。

 

「私は、ぐす、選ばれたのよ……違う……私は、ひぐ、そんなんじゃない……私だって頑張ってきたのに…………なんで? なんでそんな酷いこというの?」

 

 僕はただ、黙って跪く神持を見下ろす。僕の目には彼女が酷く小さく見えた。月夜や踊り場で出会った時とは違う。酷く、ちっぽけなただの人間がそこにはいた。

 

「いいや、違わない。お前はただの人間だ。その証拠にお前は今、泣いている」

 

「…………ッ!?」

 

 彼女は自分の頬を手で触る。皮手袋は涙で濡れていた。僕はしゃがみ彼女に視線を合わせる。神持は顔を上げて僕を見る。あの強気な彼女はどこに行ったのだろうか。

 

「なあ、無敵の女がたかが打たれた程度で痛がるか? そんなめそめそ泣くか? 違うだろ。お前は何処にでもいる普通の人間なんだよ」

 

 頭はゆっくりと撫でる。彼女の顔は涙でボロボロだ。でも、前の気取った顔なんかよりよっぽどいい顔をしている。

 

「頬を殴って悪かったな。僕は力が強いからな。さぞ痛かっただろ? 朱夏が今まで何に我慢してきたのか知らないけどさ。もうそうやって強がるのやめにしないか?」

 

 全ては僕の勘違いだった。こいつは僕の同類なんかではない。似てるようで違うというべきか。こいつはきっとあの日まで我慢し続けてきたのだろう。そして事件が起きてタガが外れた。我慢していた分を取り戻すかのように暴れたのだ。僕なんかとはまるで違う。酷く純粋で幼稚な動機。

 

「つよ……がる?」

 

「ああ、今のでわかったよ。あんたはただ、一緒に居てくれる人が欲しかっただけなんだろ? だから僕みたいなヤクザな男に手を差し伸べたんだ」

 

 初めて接触してきたのも脱走の手引きをしたのもサイレンを鳴らしたこともこれで全て納得がいく。今まで誰も隣に居てこいつを理解してやれる人がいなかったんだ。独りぼっち。だから初めて出会った理解者にはしゃいだのだ。構ってほしかったのだ。月夜の日に見た子供のような無邪気な笑み。それこそが彼女の素顔なのだ。

 

「僕は朱夏の理解者にも仲間にも家族にもなれない」

 

「え?」

 

 頭を撫でるのを止め立ち上がり手を握る。冬の風にさらされてすっかり冷え切っている。僕たちは結局同類などではなかった。でも、だけど。いや、だからこそだ。

 

「だけど、友達にならなれる気がするんだ。朱夏、だから僕と、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──友達にならないか?──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「わ、私なんかでいいの?」

 

 泣きすぎて幼児退行しているらしい。とても僕より少なくとも2歳は年上だとは思えない。

 

「なんかじゃない。あんたと友達になりたいんだ」

 

 僕の言葉を噛みしめるように黙り込む。朝日が僕たちを祝福している。そんな気がした。

 

「そ、そう……。なら、これからよろしくね」

 

 泣きながら彼女は笑った。子供のような酷く純粋で綺麗な、それは綺麗な笑みだった。僕たちは手を握り合ったまま顔を見つめる。その時であった。屋上の扉の向こうから足音が聞こえる。

 

 

 

 

 

「秀樹!」

 

 胡桃だった。彼女に続いて続々と皆が屋上にやってくる。なんだこれは。そうだ、思い出した。行く前に桐子さんにあんまり遅いと探しに向こうから探しに行くと言っていた。

 

「え? これどういう状況なの?」

 

「おやおや?」

 

「アヤカ、さん?」

 

 今、思い出した僕は彼女の手を握ったままなのだ。慌てて手を離す。何故か少し残念そうな顔だが知ったことではない。これは、なんて説明すればいいのだろうか。

 

「なんでアヤカが泣いてるのよ。それになんかいい感じになっているし」

 

「おい、秀樹……」

 

「先輩……」

 

 不味い、胡桃が怒っている。何か弁明をしなくては。これでは浮気野郎の烙印を押されてしまう。急いで胡桃の下に向かおうとするが何者かに袖を引っ張られ阻止される。神持だった。

 

「あの、腰が抜けちゃって……。引っ張ってくれないかしら」

 

 おい、ここでそれを言うな。余計拗れるだろうが。でも、本当にそうらしいので仕方なく引っ張る。僕に引っ張られた神持はあろうことか僕の腕に抱き着いてきた。

 

「な、なな……」

 

「ま、まて胡桃! 誤解だ! 決して神持には変なことはしてないぞ」

 

「あら、さっきは朱夏って呼んでくれたのに」

 

「だから、お前「朱夏って呼んで」話を拗らせるな! てか復活早いな!」

 

 先ほどまでの様子とは打って変わり前の様な勝気な笑みを浮かべて僕を見る。しかし、そこにはもう影は見当たらない。って、そうじゃない!

 

「なんかあんた、キャラ変わってない?」

 

「あら、私はいつも通りよ。変なこと言わないでちょうだい」

 

「ほ、本当にアヤカさんですよね?」

 

 アキさんと右原さんも彼女の変化に戸惑いを隠せないようだ。気が付けば彼女は僕の腕から離れ一人ですたすたと右原の前まで歩いていった。おい、腰が抜けてるんじゃないのかよ。

 

「私が別人にでも見えるのかしら? 別に何も変わっていないわよ。ただ、新しい友達ができただけ。ね、秀樹君?」

 

「お、おう」

 

 本当に別人のようだ。もしかしたらこれが本当の彼女なのかもしれない。いや、本物も偽物もない。ただ、隠していたものが露わになっただけなのだろう。

 

「と、友達?」

 

一人を除いて全員の目が点になっているのがわかる。僕も分かりません。まったく、どうしてこうなったのやら。まったく訳が分からない。そして時は過ぎ次の日……。

 

 

 

 

 

 

 

 

「アヤカ、本当に行っちゃうの?」

 

 全ての準備を終えて僕たちは裏門の前まで集合していた。あれからは大変だった。まずは構内の死体の掃除。勿論全てとはいかないが通行の邪魔になる死体は退かさなくてはならない。そして桐子さん達や旧武闘派は慣れているとは言っても僕たち程ではない。何名かが吐いたとだけ言っておけばいいだろう。

 

 昨日、美紀に衝撃の事実を教えられた。僕だけに秘密で教えられたことだがこの大学にはまだ一人生き残りがいるらしい。名は知らないが封鎖されているはずの理学棟で奴らの研究をしているそうだ。

 

 僕が直接会うことは叶わなかったが生物学系の知識に明るいそうだ。美紀に頼んでヘリのパイロットが持っていた注射器を渡してもらった。何の役にも立たないかもしれないがもしかしたらゾンビ化克服の糸口になるかもしれない。

 

「ええ、自分のやったことくらいわかるわよ」

 

「そ、そうだけど。あたし、今のあんたなら仲良くできそうだし……」

 

 ふと、我に返る。目の前では朱夏が別れの挨拶の真っ最中であった。あれから、彼女はサイレンを鳴らしたことを謝罪した。今までの彼女なら絶対に言わないであろう言葉に桐子さん達が面食らったのは言うまでも。

 

「そう言ってくれてうれしいわ。でもね、外の世界を見て見たくなったのよ」

 

「別に、ボクたちは君を追い出したりしないよ」

 

 だが、彼女は大学の外に出ることを決意した。車は武闘派で使っていたものがあるのでそれを使うそうだ。一応、長いことメンテナンスしてなかったそうなのでヒカさんに見てもらったところ案の定不調が見つかった。

 

「気持ちは嬉しいわ。でもいいの」

 

 しかし、ヒカさんの迅速な修理によって車は復活した。あれなら走っている途中にエンストして立ち往生なんてことにはならなそうだ。食料も積んで既に準備は万端だそうだ。

 

「篠生?」

 

「は、はい」

 

 右原さんは武闘派が完全に壊滅したのとアキさんにみっちり説教されたことにより桐子さん達に迎合することにした。腹の子供のこともあるのでもう戦うことはないという。僕もそれでいいと思う。

 

「裏切ってごめんなさい。何とでも恨むがいいわ」

 

「べ、別に恨んではいませんよ……。今までありがとうございました」

 

「そう……」

 

 心なしか嬉しそうだ。何だかんだ言って一年近く付き合ってきた人間なのだ。情の一つや二つ芽生えてもおかしくない。

 

「あの、これを」

 

「これって……」

 

 右原さんは高上の持っていたピストルクロスボウを彼女に差し出した。いいのだろうか。あれは彼女の恋人の形見のはずだ。

 

「使ってください。私が持っているよりもきっと役に立ちますから」

 

「本当にいいの? これは高上君の形見なのよ」

 

「いいんです。レン君もきっとそう思っていると思います」

 

「そう、ならありがたく受け取っておくわ」

 

 クロスボウを受け取り別れを済ませると朱夏は僕たちの前へとやってきた。なんというか今の彼女はまるで憑き物が落ちたみたいに清々しい活力に満ちていた。人は変わるというがこれは変わりすぎだ。

 

「随分といい顔するようになったな」

 

「ええ、本当に。貴方のおかげよ」

 

 こうもストレートに礼を言われると些か恥ずかしい。昨日の一件から彼女はずっとこうだ。元々、物事をはっきりと言う性格なのは知っていたがダイレクトに好意を向けられるのには慣れていない。ましてやまだ知り合って一週間しか経っていない相手だ。

 

「これからどうするんだ?」

 

「さっきも言ったけど少し旅にでるわ」

 

 決意は固いようだ。僕が何を言っても聞くことはないだろう。なら、精々信じて送り出すまでだ。

 

「そうか。なら精々、世界を楽しんでこい。この世界は殺しと破壊だけが醍醐味じゃないんだ。今までやったことのないことに手を出すことをお勧めするよ。意外なことにまるかもしれないぞ。何をしても自由なんだ。殺しと破壊だけで満足するなんて視野が狭すぎる。どうせ誰も見てないんだから思う存分はっちゃければいい」

 

 彼女にこの先何が待ち受けているかはわからない。この世界は僕たちにちっとも優しくない。明日には死んでいるのかもしれない。でも、だからこそ僕たちは全力でこの世界を生きていく必要があるのだ。決して後ろ向きではなく。あくまで前向きに。どうせなら泣きながらではなく笑って死にたい。そうだ。いいことを思いついた。ベルトに装着したククリナイフを鞘ごと外し、ポケットに入れたシャープナーと一緒に彼女に手渡す。

 

「これ、持っていけよ。クロスボウだけじゃ心許ないだろ」

 

「そんな、受け取れないわよ」

 

 渋る彼女の手を取って強引に手渡す。胡桃の視線の温度が下がった気がするが僕は知らない。

 

「いいんだよ。友人からの餞別だと思ってくれ。それに似たような武器なんていくらでも持ってるんでね」

 

「そこまで言うのなら……。こうかしら」

 

 鞘をベルトに通し彼女は僕にそれを見せた。ふむ、中々似合っている。正直かっこいい。

 

「研ぎ方はわかるか?」

 

「ええ、ナイフを何度か研いだから知っているわ。ありがとうね」

 

「死ぬなよ。折角友達になったのに死んだら許さないからな」

 

「ふふ、何言ってるのよ。私は無敵なのよ?」

 

 僕に打たれて子供みたいに泣いていた奴が何を言っても信用ないけどな。しかし、目を見ればただの冗談なのがわかる。まあ、こいつならなんとかなるんじゃないだろうか。ただの希望的観測にすぎないがそれでも僕はこいつがこの世界で自由に生きていけると信じたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「でも、一つだけ言いたいことがあるわ。秀樹は私のことを友達といったけれど。私はそうは思わない」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「は?」

 

 その瞬間。僕は朱夏の手に強引に顔を引き寄せられた。彼女の顔が一気に近づく。唇には柔らかい感触が。時間にしてほんの数秒の短いものであったが、僕は今確かに朱夏にキスされたのか。

 

「な、なな……」

 

「せ、先輩……」

 

 胡桃と美紀がわかりやすいくらいに動揺している。僕も何が何だかまったくわからない。顔に血が上るのがわかる。我に返り仰け反る。朱夏を見れば悪戯が成功した子供のようにくすくすと笑っている。

 

「ねえ、そこのツインテールの子。そう、貴方よ」

 

 唐突に胡桃のほうを向き小憎たらしい笑みを浮かべる。

 

「あ、あたし?」

 

「貴方、秀樹の彼女なんでしょ? あんまりもたもたしていると私が取っちゃうわよ?」

 

「なっ!?」

 

「じゃあ、また会いましょ?」

 

 そう言って朱夏は小走りで車へと向かっていった。その後ろ姿を見て僕は気が付いた。彼女の耳が真っ赤になっていることを。恥ずかしいならしなければいいのに。車に乗った朱夏はエンジンを掛ける。これで本当にお別れのようだ。僕たちに手を振りながら彼女は走り去っていった。後に残るは唖然とする桐子さんたちと同じく硬直している僕たち。なんだこれ。

 

「な、な、なんじゃそりゃあああああああああ!」

 

 胡桃の叫びが朝の空に吸い込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、僕たちもこれで帰ります」

 

 暴走した胡桃を落ち着かせた後、僕たちも別れの時間がやってきた。たった一週間の出来事だったのに、本当に濃い時間であった。車の前で桐子さんたちに別れを告げる。

 

「胡桃君! またゲームしようね!」

 

「おう! 今度は負けねえ」

 

 どうやらゲームでは勝てなかったらしい。上には上がいるということか。

 

「今度、よかったら本田君の反省文集持ってきてくれないかな?」

 

「はい! 是非」

 

 美紀とリセさんは勝手に僕の反省文を製本する気なのだろうか。まあ、別にいいけど。五人を改めて見る。次に会うのはいつになるのだろうか。今度は学園生活部のみんなを連れて行きたい。それには色々課題が山積みだろうけど。

 

「君たちはまるで台風のようだね。とつぜん現れて暴れて唐突に去っていく」

 

 桐子さんが僕に言う。それは褒めているのだろうか。それとも貶しているのだろうか。顔を見る限り前者なのだろう。

 

「君たちが来てから本当に色々あったけどボクたちは君たちに会えて本当によかったと思っているよ。また遊びにきてよ。今度は他の人たちも連れてさ」

 

「ええ、必ず」

 

「秀先輩! 行きますよ!」

 

 振り向けばもう美紀が運転席で待機している。そう言えば帰りの運転は自分がするといって憚らなかった。僕も胡桃も昨日大暴れしたしその方が嬉しいけどぶつけたりしないだろうか。

 

「あんたも気を付けてね。胡桃泣かせたら承知しないわよ」

 

「本田君、またね」

 

 アキさんもヒカさんも笑顔で見送ってくれる。右原さんだけは僕が目を合わせると身体を震わせ目を逸らした。どうやら怖がられているらしい。まあ自業自得だけども。気が付けば車のエンジンが掛けられている。僕も行こう。バックドアから乗り込む。中には既に胡桃が乗り込んでいた。隣に座る。

 

「じゃあ、出しますね」

 

「おう、頼む」

 

 ゆっくりと発進する。バックドアの窓から外を見れば五人が手を振ってくれていた。胡桃が手を振り返す。車の後部には座席なんてものはない。マットとクッションが敷かれているだけだ。当然胡桃と隣どうしになる。

 

「ほんと、色々あったな」

 

「ああ、ありすぎだよ。まさか大学に来てまで戦うことになるとは思わなかったよ」

 

 武闘派との接触、桐子さん達との出会い、戦い、そして別れ。時間にしてたった一週間と少しなのにまるで何カ月ここにいたように錯覚する。でも、もう帰る。皆が待っている。そう言えば由紀のお土産はどうしようか。まあ、後で考えればいいか。

 

「疲れたか?」

 

「まあね」

 

 僕がそう言うと胡桃は立膝を正座に直し自分の膝を叩いた。これは、そういうことだろうか。

 

「じゃあ、あたしの膝使えよ。昨日出来なかったし……」

 

 もう断る理由もないか。

 

「そう、じゃあお言葉に甘えて」

 

 恥ずかしいのを我慢し彼女の膝に頭を乗せる。今の胡桃の服装はショートパンツのため必然的に腿の感触がダイレクトに伝わる。これは、なんか安心するな。そう感じるとどんどん眠気が強くなってきた。いくら昨日休んだとはいえ疲労はまだ残っている。気が付けば僕は胡桃に頭を撫でられていた。

 

「なあ、秀樹」

 

「なんだい?」

 

 駄目だ。もう眠くてしかたない。このまま寝てしまおうか。丁度車の振動が心地よく眠気を誘う。美紀はきっと気まずいだろうが今回ばかりは我慢してほしい。

 

「おつかれさま!」

 

「ああ」

 

 その言葉を最後に僕の意識は夢の向こうへ沈んでいった。帰ろう。僕たちの学校へ。

 




 いかがでしたか? 全部返り血なんで大丈夫ですよ(マジキチスマイル)。 とうとう、胡桃ちゃんも主人公君に汚染されてしまったようです。そしてどうしてこうなったアヤカさん。最初は車で逃げ出そうとしたところを遠隔操作の爆弾で吹き飛ばす予定だったのに。

 さて、いよいよ次回で最終回です。この一月半の間本当にありがとうございました。では、また次回に。


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閑話 チョコレート

 書いていて思うこと、死ぬかと思った。


 明るい太陽が照らす教室の中で大小二つのシャープペンシルの音が響く。小さい音は僕のペンの音で大きい音は胡桃の出すペンの音である。視界の先には四百字詰めの原稿用紙が僕がペンを動かすのを今か今かと待っている。視界を胡桃に合わせる。

 

「うがああああああ!」

 

 あ、壊れた。頭を両手で押さえまるでこの世の終わりのように唸る。アニメならきっと頭から煙が立ち上っていることだろう。

 

「全っ然、思いつかねえ!」

 

 僕たちは今、反省文を書かされている。大学から帰還した僕たち。最初は佐倉先生を筆頭に久しぶりの再会に心を躍らせた。しかし、そんな楽しい時間は一瞬で過ぎ去った。

 

 美紀に今まで行ってきた数々の無茶を余すことなく報告された。その後に待っていたのは勿論、悠里と佐倉先生による説教である。僕と胡桃は二人して正座させられみっちりとそれはもう延々と説教を聞かされた。それだけならばまだ救いはある。本当の地獄はそれからであった。僕にとってはもう慣れたものであるが、当たり前のように反省文用の原稿用紙を手渡された。それはもう大量に。

 

 そして僕たちは今、その反省文を書いている真っ最中なのである。実はもう書き始めて三日経過している。一応、僕たちも仕事があるので一日中書いている訳ではないが、悠里にスケジュールを管理され一日に必ず反省文タイムを与えられることになった。

 

「うー……。秀樹ぃ……。全然思いつかねえよぉ……」

 

 胡桃は反省文を書いた経験は一度もない。故に苦戦することは当然、想定内だ。しかし、これでも胡桃の反省文は僕よりも遥かに少ないのだ。

 

「秀樹はどのくらい書いたんだ?」

 

「僕かい? もう半分は書いたよ。あと二、三日で書き終わるんじゃないか?」

 

「なんでそんな早いんだよぉ……。めぐねえ、鬼すぎる……」

 

 恐らく僕を基準に反省文のノルマを提示していまったのだろう。あの人は僕が既に反省文を書くコツを身に着けたことを察知しているのだ。あの手この手で水増しする僕に対し胡桃は至って真面目に書いているのが伺える。苦戦するのも無理はない。

 

「もう、反省してるから、勘弁してくれよぉ」

 

「それだけ僕たちを心配してくれているってことだろう? いいじゃないか、誰にも何も言われなくなった時が一番悲しいんだよ」

 

 とは言え流石にこれは多すぎる。僕は腕時計を顔の前に持っていき時間を確認する。もうすぐ今日の反省タイムは終わりだな。扉がノックされる。

 

「入るわよ」

 

 引き戸が開かれ廊下から悠里が中に入ってくる。手にはお盆を持ちその上には恐らくココアと思われるマグカップが二つ。由紀が書きこんだ僕たちの似顔絵が書かれているので間違いない。あの子の絵は決して上手いわけではないがよく特徴を捉えていてひと目で誰だがわかる。風船に括り付けられた手紙の絵も彼女が書いたものだという。だからこそるーちゃんは悠里だと分かったのだろう。

 

「りーさん……。もう無理ぃ……」

 

「自業自得よ、胡桃。あれほど行く前に無茶はするなって言ったのにあんな死ぬかもしれないことして。美紀さんから話を聞いた時心臓が飛び出るかと思ったわ」

 

「う、そうだけどさ……」

 

「だけどもなにもありません! 秀樹君もよ。仕方なかったのは分かるけど限度ってものがあるでしょう。反省文はきちんと目標まで書くこと。いいわね?」

 

「う……はい」

 

 そう言われてしまうと反論のしようがない。でも、胡桃はもう限界に近い。これ以上書き続けてもそれは惰性でしかない。悠里もそれは分かっているのだろう。盆に載せたココアを僕たちの机の上に置いて手を叩く。

 

「でも、今日は終わりでいいわよ。めぐねえの補習も残っていることだしね。私は美紀さんと圭さんと物資のリストの整理をするからこれで行くわ」

 

「りーさんナイス! やっと、休憩だああ!」

 

 あからさまに喜び過ぎである。悠里から暗黒オーラが出ているのを幻視する。胡桃もすぐに気が付いたようで慌てて姿勢を正す。やはり学園生活部最恐は悠里だと思う。悠里は再び廊下に出ようとして扉の前で立ち止まる。

 

「あ、そう言えば胡桃。もうあれって渡したのかしら?」

 

「あっ!?」

 

 あれとはいったいなんだろうか。僕があれについて考察を巡らせているうちに悠里はいなくなってしまった。後に残ったのはモジモジしている胡桃と僕だけである。向かい合わせの胡桃は徐に机の中からラッピングされた袋を取り出す。

 

「あ、あの、これ……」

 

 よく見ればハートのシールが張られ、なんとも可愛らしい袋でる。中には何か入っている。大きさからして食べ物だろうか。

 

「これは?」

 

「今日、あの日だろ?」

 

「あの日?」

 

 今日は確か2月14日だ。ハートマークをあしらったラッピングに食べ物……。あ、そうだ。

 

「ば、バレンタインデーだろが!」

 

 僕が口にするより先に胡桃から正解を言われてしまった。確かに今日はバレンタインデーだ。僕はその手のことに全く興味がなかったから今の今まで忘れていた。思い返せば何故か一昨日辺りから胡桃が悠里と共に家庭科室に籠っている時があった。

 

「ぼ、僕にくれるのかい?」

 

「他に誰がいるんだよ!」

 

 バレンタインデーにチョコを貰ったのなんて小学生の時に母さんから貰った時以来だ。まさか、この僕が貰えるなんて思いもしなかった。なんだか変な気分だ。僕にはこういうふわふわしたイベントは似合わない。というかチョコレートなんてまだあったのか。

 

「く、くれないのか?」

 

 てっきりこのまま手渡されるのかと思ったのだが、胡桃は袋を持ったままそわそわしている。そして何を思ったのか自分で袋の封を切った。どういうことだ? 僕の疑問は直ぐに解決した。顔を赤らめながら中に入っているチョコレートを指で掴み僕に差し出す。

 

「そ、そのまま渡すのも何かあれだし。あたしが食べさせてやるよ」

 

「お、おう」

 

 机は向かい合わせでくっつけてあるが僕のほうが背が高いので自然と胡桃が身体を乗り出すことになる。どんどんチョコレートが近づいてくる。これは、猛烈に恥ずかしい。恥ずかしすぎて仰け反りそうになる顔を無理やり固定する。

 

「あ、あーん」

 

 そして食べる。口の中にチョコレートとイチゴの味が広がる。これは前に作ったドライフルーツか。はっきり言って猛烈に美味い。ただのチョコレートにドライフルーツを混ぜただけのはずなのに、僕にはとても美味しく感じた。

 

「ど、どう?」

 

「猛烈に美味い」

 

「そ、そうか、よかったぁ……。一昨日からりーさんに頼んで教えてもらったんだ」

 

 だから家庭科室に籠っていたのか。僕が気になって見に行こうととすると圭や由紀にあからさまに引き止められていたからなんだと思っていたがこれで全ての疑問が解決した。バレンタインデーにチョコレートを渡すなんて製菓会社のプロパガンダだと思って内心馬鹿にしていたが、いざ好きな子に貰うとなるとこれは、

 

「いいな、これ」

 

「え?」

 

「いや、何でもないよ。ていうかチョコレートなんて何処にあったんだ?」

 

「前に外に出かけた時にこっそり持って帰ってきたんだよ」

 

 思い返せば妙にそわそわしている時があったな。きっとあの時に回収していたのだろう。でもそうだとするとかなり前から計画していたことになる。何て健気なんだ。僕のためにここまでしてくれるなんて。

 

僕がそんな感慨に耽っていると胡桃は袋からもう一つチョコを取り出した。また、やるのか。もうお腹いっぱいだというのに。しかし、僕の予想とは裏腹に胡桃はチョコを自分の口に咥えた。あれ? 君も食べるのか。

 

「こっひ、ひて」

 

 と、思ったがどうやら違うらしい。胡桃は今度は顔を真っ赤にしながらどんどん僕に顔を近付けていく。これは所謂口移しというものなのだろうか。そんな恥ずかしいならしなければいいのに。あと、30cm、25cm、ええい、ままよ! 意を決して僕も顔を近づける。

 

 あと、20cm、15cm、10cm、5cm、もうこのままキスしてしまおうか。そんなことを考えていると突然、右の耳がカシャリという音を感知した。この音には聞き覚えがある。これは、そう由紀にあげた一眼レフカメラの……。待てよ、由紀だと。

 

 非常に嫌な予感がする。胡桃は目を瞑っていてまだ気が付いていない。目だけ動かして横を見る。案の定、顔を真っ赤にしてカメラを構える由紀とるーちゃんが立っていた。

 

「は、はやふしろよ……」

 

「胡桃、今すぐチョコを食べて目を開けて右を見ろ。いいか、決して取り乱すなよ」

 

「へ?」

 

 僕の言葉に従いチョコを食べて横を見る胡桃。時間停止なんて空想の世界だけの産物だと思っていたが実際にあるんだな。比喩でもなんでもなく胡桃は由紀とるーちゃんを見たまま1ミリも動かない。

 

「ふ、二人とも、ら、ラブラブだね」

 

「おじさん、何してるの……」

 

 胡桃はまだ動かない、生きているのだろうか。まさか、人に見られるとは、猛烈に恥ずかしい光景を見られてしまった。恐らく僕の顔はきっと溶鉱炉の鉄のように真っ赤になっていることだろう。

 

「こ、これは、卒業アルバムに残さなきゃダメだね!」

 

 胡桃が動く気配がない。さっきからずっと呆けたように固まっている。ちょっと可愛いかもしれない。写真に残したいな。僕が由紀に頼むために口を開こうとすると、胡桃の口がパクパクと動いているのが見て取れた。

 

「なあ、由紀」

 

「なあに、ひーくん」

 

 由紀の顔は未だに赤い。るーちゃんだけは状況が分かっていないようなのできょろきょろしているだけだ。

 

「さっきの写真あとで一枚くれないか?」

 

「い、いいけど」

 

 よし、部屋にでも飾ろうか。どこかに写真立てでもあればいいのだが。職員室辺りを探してみよう。胡桃をもう一度見る。顔が茹蛸のように真っ赤になている。時間差というやつだろうか。相変わらず何かを言おうとして必死に声を出そうとしている。そんな感じだ。

 

「う、うう」

 

「え? なに、くるみちゃん?」

 

「うわあああああああああああああああああ!!」

 

 戦いで鍛えた瞬発力を活かし胡桃は僕の目にも追えないほどの速さ教室から逃げ出した。その後、恥ずかしい場面を激写された胡桃はショックのあまり半日ほど寝込んだとさ。勿論写真は1枚現像してもらった。やったぜ。

 

 




 いかがでしたか? 書いていて本当に血反吐を吐く思いでした。書く度にダイレクトにダメージを受けます。もう二度と書きたくありません。

 次で本当に最終回です。


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最終話 それから、これから

 書いていて、思うこと、どいつもこいつも馬鹿ばかり。


「それではこれより巡ヶ丘学院高等学校の卒業証書授与式を執り行いたいと思います!」

 

 圭の元気のいい声が教室に木霊す。今日は待ちに待った卒業式だ。月日が経つのは本当に早いもので、つい最近まで外を見れば雪が降っていたというのに今では桜吹雪が舞っている。教室は紅白の斑幕と花紙で飾り付けられ黒板には皆で書いた卒業式のプログラムが描かれている。

 

「卒業証書授与!」

 

 教室の中央には窓側から僕、悠里、胡桃、由紀の順で座り、窓際には美紀と圭とるーちゃん、そして廊下側には佐倉先生が座っている。圭の言葉に従い佐倉先生が立ち上がり教卓に立つ。

 

「丈槍由紀さん!」

 

「はい!」

 

 由紀が佐倉先生の前に立ち先生が卒業証書を読み上げる。

 

「貴方は巡ヶ丘学院高等学校の全課程を修了したことを称えこの証書を授与します。はい、由紀ちゃん卒業おめでとう! 本当に頑張ったわね!」

 

「め、めぐねえ……」

 

 由紀が先生に抱き着きそうになるが寸でのところで我慢することに成功したようだ。ていうかもう泣いてるじゃないか。早いなおい。由紀は涙を滲ませつつ全員にお辞儀をする。

 

「恵飛須沢胡桃さん!」

 

「はい!」

 

 冬服の制服に袖を通した胡桃はいつもとは違う印象を受ける。少しだけお淑やかに見えるというのだろうか。言ったらきっと怒ることだろう。

 

「はい、卒業おめでとう! 今まで私たちを守ってくれてありがとう。そしてこれからもよろしくね!」

 

「めぐねえ……」

 

 あの日からひたすら皆を守り続けてきた胡桃にとってその言葉はきっととても重い意味を持つのだろう。大分僕に毒されたとはいえ彼女はただの女の子なのだ。卒業証書を受け取った胡桃は由紀と同じ様に涙を滲ませつつ全員にお辞儀をした後、席に戻る。

 

「若狭悠里さん!」

 

「はい!」

 

 悠里はもう泣いている。まったく、この学校の三年生は涙もろすぎて話にならないな。僕を見習ってほしいものだ。

 

「卒業おめでとう! 悠里さんもよく頑張りましたね。貴方には助けてもらってばかりだった。これからもよろしくね? 部長さん」

 

「はい、こちらこそ!」

 

 いよいよ、僕の番か。本当に卒業するんだな。前は卒業まで生き残れるかなんて下らないことを考えていたが案外呆気ないものだ。ここにはいろんな思い出が詰まっている。皆と共に笑い、共に歩き、共に成長していった。ここをただのコンクリートと鉄骨で作られた建物だと言うのは簡単だ。でも、ここは僕たちの大切な思い出の場所なのだ。僕はこの学校をいつまでの忘れることはないであろう。

 

「本田秀樹君!」

 

「はい!」

 

 慣れない詰襟を着ているせいで少しだけ変な気分だ。サイズは別に問題ないが傍から見れば酷く似合わないと思われるであろう。

 

「卒業おめでとう。貴方はもう一人ではありません。この先何があっても私たちは秀樹君の味方であり続けます。どうか、それを忘れないでください」

 

「はい!」

 

 もう、僕は独りなどではないのだ。一人でいるのは決して悪いことではない。誰の指図も受けなくていいし余計なしがらみに囚われることもない。でも、周りが楽しそうにしているのに一人で意地を張り続けるというのは寂しいものだ。

 

 きっと僕はこれからも間違い続けるだろう。取り返しのつかない間違いを犯しそうになるかもしれない。だけど、みんながいれば僕は楽しく笑ってい生きることができる。卒業証書を受け取り全員を一瞥し全身全霊をかけて礼をする。今までの感謝を込めて、そしてこれからのために。

 

 佐倉先生、由紀、悠里、美紀、圭、るーちゃん、そして胡桃、この七人を僕は死んでも守り通すのだ。そしてきっと僕も皆に守られるのだろう。助けた人に助けられ、また助ける。初めはただの自己満足だった。ただ、自分のためだけに戦った。でもそれだけじゃなかったのだ。情けは人の為ならず。己惚れるつもりはない。でも、僕はその言葉の意味をみんなとの暮らしの中で身をもって実感した。

 

「在校生、送辞! 直樹美紀さん、お願いします!」

 

「はい!」

 

 美紀が立ち上がり壇上にあがる。美紀も既に泣きそうになっているではないか。まったく、軟弱極まりない。そんなことで一々泣いていたらこの先いくら涙を流しても足りなくなってしまうことだろう。美紀は一礼し、息を吸う。

 

「みなさん。ご卒業本当におめでとうございます。月日が過ぎ去るのはとても早いもので、私たちが先輩達と出会ったばかりだというのにもう卒業の季節です。学校の外は相変わらず不安で一杯です。この世界はとても残酷です。死は避けられません。人はいつか絶対に死にます。みんないつか死にます。ですが、今日ではありません。私たちは生きています。生きてこの両足で立っています」

 

 そうだ。僕たちは生きている。生きているなら未来に向けて歩くことができる。生きていればそれでいいわけではない。だが、生きていなければ何もできない。

 

「だから、だから私たちは進めます。この先、私たちに何が待ち受けているのかは分かりません。ですが私はみんなと一緒にいればどんなことでも切り抜けられると確信しています。だから、もう何も怖くありません! 今まで本当にありがとうございました。そしてこれからもどうかよろしくお願いします! 在校生代表直樹美紀」

 

 六人の拍手が教室に木霊す。本当にいい後輩だよ。まったく、僕たちは恵まれている。さて、次は僕の番かな。

 

「美紀ぃ……」

 

 が、肝心の司会である圭が感極まって司会を放棄してしまっている。まあ、気持ちは分からんでもない。かくいう僕も危うく泣きそうになってしまった。それだけ皆と過ごした時間は掛け替えのないものであったのだ。

 

「け、圭! 司会!」

 

「あっ! 失礼しました。続いて卒業生答辞。卒業生代表、本田秀樹!」

 

 壇上にあがり礼をした後、皆を一瞥する。本当にここまで長かった。こんな胸が詰まる卒業式は生まれて初めてだ。それは僕が本気で生きてきたからに他ならない。全力でこの世界にぶつかった証拠なのだ。

 

 さて、何を言おうか。実を言うと何も考えていないのだ。言いたいことは殆ど美紀に先に言われてしまった。まさか僕の言った台詞をそのまま返されるとは思わなあった。これは不味い、完全にアドリブになってしまう。まあ、でも言いたいことは山ほどあるんだ。一度大きく息を吸う。準備は整った。

 

「美紀君、温かい言葉、本当にありがとうございます。でも、できれば僕の台詞を丸々引用するのは止めてもらいたかったです。貴方に言いたいことを殆ど言われてしまいました。えー、皆さん、卒業は人生の大切な門出、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

などではありません!」

 

『はぁ!?』

 

 教卓を叩き断言する。僕の当然の暴言に皆の目が点になる。言いたいことは美紀に言われてしまった。なら僕は本音をぶちまけるだけだ。

 

「卒業なんてものは所詮、人生という長い長い旅におけるモラトリアムが終わったに過ぎません。私たちはスタート地点に立ったにすぎないのです! 思い返せば僕は本当に恥の多い高校生活を送ってきました。一度は取り返しのつかない過ちを犯しました。ですが、そんな僕を引き戻してくれた人たちがいます。何を隠そうこの話を聞いている皆様方です。皆さんは僕に生きることの素晴らしさを教えてくれました。手を取って独りではないと教えてくれました。貴方達がいなければ僕はきっとその辺でくたばっていたことでしょう」

 

 ここで一呼吸置く。さて、掴みはいいようだ。ぶっちゃけ思いついたことを片っ端から話しているだけなので整合性の欠片もない。だけど今言ったことは紛れもない僕の本心である。

 

「皆さん、この世界は本当に腐っています。歩く死体にランダルとかいうゾンビ映画の黒幕みたいな企業、挙句の果てには銃火器と爆薬と火炎放射器で武装した高校生擬きがいる始末。まるで映画かゲームのような世界です。本当に腐っている。ですがこれが僕たちの生きる現実です。決して夢や幻などではありません。人間、逃げるのは簡単です。目の前の現実から目を背けて都合のいい妄想にしがみつけばいい」

 

 僕は母の死を記録にすることで目を背けた。復讐に狂うことで現実から目を背けた。狂っていると決めつけることで現実から目を背けた。本当に逃げてばかりの人生だ。これらは全て自分にとって都合のいい妄想に過ぎない。生きることは素晴らしいなんて言葉もあるが、これでは生きているとは言えない。皆と出会う前の僕は死んでいたのだ。

 

「しかし、逃げた先にはまた別の現実が待っています。結局は戦うしかないのです。否、生きるということは戦うことに他なりません! その先には死が待っているかもしれない。理不尽に殺されるかもしれない。だからなんだ! 最後の息の根が止まるその瞬間まで戦って戦って戦い抜いてやるんだ! この世界の腸に口径7.62mmの弾頭を叩きこんでやる! そして刻みつけてやるんだ。私たちはここにいますと! 以上です」

 

 感情の昂ぶりに任せてとんでもないことを言ってしまった。とてもじゃないが卒業式で言う言葉じゃない。まるで戦地に行く前の司令官の演説ではないか。皆が口をぽかんと空けて僕を見つめる。これは失敗したな。

 

 僕はそう思った。しかし、一人、また一人と拍手をする。いつしか七人全員があらん限りの拍手を僕に送ってくれた。僕は少し恥ずかしくなり逃げるように自分の席に戻る。卒業式はまだ終わらない。

 

「ほ、本田秀樹さん。ありがとうございます。次に卒業生より別れの歌」

 

 僕たちは席を立ち、佐倉先生が指揮棒を手にして僕たちの前に出る。圭がラジカセの電源を入れしばらくすれば曲が流れだす。確か曲名は仰げば尊しだったか。定番の卒業歌だ。

 

 僕か由紀が伴奏することも考えたのだが折角の卒業式なのだからみんなで一緒に歌うことにした。歌いながら横を見る。悠里が泣いていた、胡桃が泣いていた、由紀が泣いていた。頭を正面に戻す。佐倉先生が泣いていた。まったく、どいつもこいつも軟弱だ。そんなんじゃこの先やっていけないだろうに。

 

 そんなことを考えていると視界がどんどん滲んできた。まるで水を零した絵のように世界がぼやける。これは、なんだ。僕は自分の目に手を当てる。水の感触だ。白状しよう。僕はさっきからずっと泣くのを我慢していた。男の僕が泣くなんて情けないと思って我慢していたのだ。

 

 佐倉先生を目が合う。僕に笑いかける。まるで我慢しなくてもいいと言っているようだ。いや、本当にそう思っているのだろう。ならこの際恥は掻き捨ててしまおう。結局、僕は泣きすぎてまともに歌えなかった。

 

 

 

 

 

 

「以上により、巡ヶ丘学院高等学校、卒業式を終了いたします。一同、礼!」

 

 全員で深く、深く、礼をする。時間にして十秒ほどの長い礼だ。そして身体を起こす。

 

「やっと、卒業だああああ!」

 

 胡桃が飛び跳ねて喜んだ。本当に、長い、三年間だった。だが、あっという間だった。まあ、これで僕たちの高校生活は幕を閉じたわけだがここから去るわけではない。まだまだここでの暮らしは続くことだろう。後片付けが面倒だ。

 

「じゃあ、写真撮りませんか?」

 

 圭がいつの間にかカメラを片手に提案する。

 

「ねえねえ、外で撮ろうよ!」

 

 外はもう安全だし桜が咲いていていいと思うが死体が……。

 

「お、由紀ナイスアイデア!」

 

「じゃあ、外に行きましょうか」

 

 気が付けば外で撮る流れになっていた。皆が廊下に出る。仕方ない、僕もいくするかな。武器は手元にないがもう不安はない。依存しなくなったと言うべきだろうか。

 

「秀樹! はやく来いよ!」

 

「分かってるよ!」

 

 皆の背を追って歩く。目指すは校門前だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、じゃあ並んで下さいね!」

 

 圭がカメラを構え僕たちに指示を出す。佐倉先生を中心に五人で横一列に整列する。後ろには校門がいい塩梅で映っていることだろう。死体もいい具合に隠れている。このアングルを探すのにはひと手間かかった。卒業証書掲げる。

 

「はい、チーズ! オッケーです!」

 

「そうだ! 修学旅行行ってなかった!」

 

「は?」

 

 由紀が唐突に叫ぶ。そう言えば遠出したのは僕たちだけで残りは学校で留守番だったな。思えばかわいそうなことをしたと思う。今から行ったら卒業旅行になってしまうが。まあ、悪くないかもしれない。

 

「そう言えばそうね」

 

「だったら、どこか行きませんか?」

 

「るーちゃんも遠く行きたい……」

 

 すぐにあれやこれやと議論が始まる。やれ京都だの、軽井沢だの、沖縄だの、終わってしまった世界で話すことではないな。いや、終わってなんていない。社会や国は終わってしまったのかもしれない。だけど僕たちの世界は終わっていない。まだ始まってすらない。それにしても旅行か。車も丁度二台あるし案外いいかもしれない。

 

「やっぱり京都だよ、京都!」

 

「由紀ちゃん、流石にそれはちょっと……」

 

「熱海なんかいいんじゃないですか?」

 

「それだ! 結構近いし温泉あるしな!」

 

 段々と話が煮詰まっているようだ。僕はさっきからずっと蚊帳の外だ。僕としても行くのはいいんだがここの維持はどうするのだろうか。まあ、それは追々考えればいいか。

 

「ねえ、なんの話をしてるのかしら」

 

「えっとな、折角卒業したから旅行に行こうってなってね。今、熱海がいいんじゃないかってことになっている」

 

「へえ、なら私たちも混ぜてもらっていいかしら?」

 

「うん、別にいいけど」

 

 うん? 僕は今誰と話しているんだ? 視界の先には全員がいる。おかしいな、後ろから声が聞こえるなんて。突然の怪現象に頭を悩ましているといきなり何者かに耳を引っ張られた。痛いじゃないか。

 

「いいかげん、こっち向きなさいよ!」

 

 慌てて後ろを振り向く。そこには少し怒った顔の朱夏が居た。後ろにはどこかで見たことのあるキャンピングカーとはじめさんがいた。こっちに手を振りながらどんどん近づいてくる。

 

「やっほー! 秀樹君、寂しかったよー!」

 

 はじめさんは前に会った時と変わらぬテンションで僕の腕に抱き着こうとして朱夏に引っ張られた。話に夢中だったみんなも流石に気が付いたらしい全員が驚きながら二人を見る。僕も驚きを隠せない。

 

「はじめさん!? それに、あ、あんた!」

 

「はーい、久しぶりね、秀樹。そしてはじめまして学園生活部のみんな、私が神持朱夏よ」

 

 はじめさんは一度僕たちの学校に来ているので皆顔を知っているが朱夏は僕たちの話しか聞いていない。写真もないため誰がわからなかったようだ。

 

「るーちゃん久しぶり! お持ち帰りしたーい」

 

「だ、め、で、す、よ?」

 

 るーちゃんに抱き着いたはじめさんだが悠里の暗黒オーラによってすぐさま離れた。ていうか何故二人が一緒にいるのだろうか。

 

「何でって顔しているわね」

 

「そうだよ。朱夏、あんた旅に出たんじゃなかったのかよ。何ではじめさんと一緒にいるんだ?」

 

「旅の途中で偶然ラジオで一之瀬のこと知ってね、気まぐれで立ち寄ってみたのだけれど気が付いたらアシスタントにされてこの様よ」

 

 あの人ならやりかねない。というかよく見れば僕が前にあげたククリは勿論、はじめさんにあげたシグザウアーP228まで腰に吊り下げられている。使い方は任せると言ったが人にあげなくてもいではないか。

 

「一之瀬じゃなくてはじめちゃんでしょー! あやちゃん!」

 

「あやちゃんは止めなさいって言ってるでしょうが!」

 

「えー、だって可愛いじゃん」

 

 口ではそうは言っているものの満更でもない様子だ。本当に意外な組み合わせだ。いったいどんな化学反応が起きればこの組み合わせができるのだろうか。でも、これでこの様子なら二人とも大丈夫なようだ。

 

「美紀、あの黒髪の人だれ?」

 

「えっと、前に話した武闘派の人だよ」

 

「え!? じゃあ先輩にキスしたのってあの人なんだ!」

 

 なんでそんな楽しそうなんですかね。僕はあの後胡桃をなだめるのに酷く苦労したというのに。気が付けば由紀と佐倉先生が前までやってきた。

 

「久しぶり! はじめさん!」

 

「由紀ちゃん久しぶり! 卒業おめでとう! 本当なら終わる前に来たかったんだけど遅れちゃったみたいだね。あ、慈ちゃん久しぶり!」

 

「え、ええ」

 

「ふーん、貴方達が由紀って子と佐倉さんね。初めましてと言っておこうかしら」

 

 もう、何がなんだか。その後、朱夏の自己紹介を改めて行い、もう一度二人を交えて写真を撮る流れになった。その際、終始胡桃と朱夏の間で火花が散っていたがそれはきっと気のせいだと思いたい。

 

「じゃあ、みんなポーズとれよ! はい押したぞ!」

 

 カメラを三脚にセットし急いで皆の下に戻る。胡桃の隣に立つ。僕の横には当たり前のように朱夏が立っていた。腕を組むな腕を。そして胡桃も対抗して腕を組むな。でも、少し嬉しい。

 

 やがて、カメラのフラッシュの点滅の間隔が短くなっていく。

 

 3、昔、僕は独りだった。隣には誰もいなかった。独りで血塗れの道を歩いていた。

 

 2、だけど今、左右を見ればみんながいる。学園生活部の皆がいる。

 

 1、僕は家族を手に入れたんだ。だから、こう言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

──生きててよかった!──

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なあ、何見てるんだ?」

 

「ああ、昔の写真だよ。ほら、卒業式の時の」

 

 僕は隣に座った胡桃に少しだけ色あせた写真を手渡す。胡桃は左手でそれを受け取った。薬指には白金の指輪が輝いている。ちなみに僕の左手にも同じものが嵌められている。理由は言わなくても分かるだろう。

 

「あれから、もう五年も経ったんだよなあ」

 

「何言ってんだよ秀樹、まだ五年の間違いだろ?」

 

 写真の胡桃と違い今の胡桃は髪もストレートで見た目こそお淑やかだが、中身はまるで変わっていない。あの頃のツインテールも頼めばしてくれるのでぶっちゃけ殆ど変わっていないだろう。変わったと言えば少しだけ背が伸びたくらいか。

 

「昔の僕は随分とぶっ飛んでたなあ」

 

「今もぶっ飛んでるだろが! 一カ月前に朱夏と一緒に自衛隊の基地から戦車盗んできた奴がよく言うわ」

 

「あれは戦車じゃない、装甲戦闘車だ!」

 

 あの時は大変だったなあ。てっきりもぬけの空かと思ったらうじゃうじゃ湧き出すから。慌てたものだ。結局、二人で暴れる羽目になった。

 

「はいはい、わかったよ。って、そうじゃなかった。秀樹に報告したいことがあって、来たんだよ」

 

 胡桃は途端に頬を赤らめてモジモジし始めた。なんだか凄い可愛らしいぞ。やがて決心がついたようで僕を見つめる。

 

「あ、あのさ秀樹…………できたみたい」

 

「へぇ、そうなんだ、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「えっ!?」

 

 

 

 

 

 また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか

 

 完

 




 いかがでしたか? 空白の五年の間に何があったかは皆さんのご想像にお任せします。世界は良くなったのかもしれません。あるいはもっと悪くなったのかもしれません。ですが、学園生活部と秀樹がいればきっと何とかやっていけるでしょう。


 これにて、「また僕は如何にしてゾンビを怖がるのを止めて火炎放射器を愛するようになったか」を完結せていただきます。まさかこんなにも多くの人に読んでもらえるとは夢にも思っていませんでした。本当に、本当に、ありがとうございます。こんな拙作を面白いと言っていただき本当にありがとうございます。

 それではまたいつか、文字の世界でお会いしましょう。さようなら!


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