6番目のアーウェルンクスちゃんは女子力が高い (肩がこっているん)
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原作開始前
おい、茶々丸。これは何だ?


主人公が登場するのは二話目からになります!


〜2003年1月 麻帆良学園都市郊外〜

 

「美空急便です。完全なる女子様から荷物です。エヴァンジェリン・A・K・マクダウェル様のお宅でお間違いはありませんでしょうか?はい、はい……それではこちらのお荷物ですが、玄関の中までお運びしましょうか?」

 

「はい、お願いします」

 

ーーーーカァ〜〜、カァ〜〜、カァ〜〜……

 

 

麻帆良郊外の森の奥、ひっそりと立つログハウス。

緑に囲まれたログハウスという絵面は、田舎暮らしに憧れる人々なら羨んで止まない隠れ家的雰囲気を醸し出している。

の、だが、ログハウス上空を旋回するおびただしい数のカラスたち(某アニメ劇場版に登場する白い量産機のごとく)がその雰囲気を見事にぶち壊し、笑顔の絶えない素敵なセカンドライフな日常から一転、先祖代々から婿養子が謎の死を遂げるミステリチックな殺人ハウスと化してしまった。

 

そんな何々館の殺人的なイメージのログハウスだが、当然住所登録もされており、強いては電気も通っているし電話線もひいている。

現にこうしてログハウスの玄関では宅配業者とこの家の住人の間で荷物の受け渡しが行われているのだから。

 

「ここに判子かサインをお願いします……はい、どうも、ありがとうございました〜」

 

両者互いに頭を下げ、宅配業者は台車をひき森の中へと去っていく。

 

リビングのソファーに腰掛け寛いでいたこの家の主であるエヴァンジェリンは、玄関から聞こえてくるやり取りを耳に、はて最近何か通販で買い物などしたか?と疑問符を浮かべていた。

 

「おい、茶々丸」

それだけエヴァンジェリンは声をかけると、たった今荷物の受け取りを対応したこの家のもう一人の住人である絡繰茶々丸が、小さな子供一人なら入れるほどの大きさのダンボールを抱えてリビングにやってきた。

 

 

side:エヴァ

 

私の名前はエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。

闇の福音という通り名で知られ、魔法関係者の間では泣く子も黙る悪の魔法使い、真祖の吸血鬼として恐れられているぞ。

 

吸血鬼が何で日本に?人が寄り付かないお城とかに住んでるんじゃないの?だと?

色々こっちにも都合があるんだ。

それに今は吸血鬼としての力も封印され、見た目通り10歳の少女と何ら変わらない程度の力しかない。その辺りのことはあんま深く聞くんじゃない。

 

そんなわけで今私の目の前にいる従者が両手に抱えているダンボールに興味を占めているわけだ。

 

でかいな。

そしてやはり私には覚えがない。

 

「私宛の荷物だと聞こえたんだが、それはお前が頼んだものか?」

 

先ほどの茶々丸と配達員とのやり取りはリビングにいた私の耳にも届いていた。

正確にはここしばらくこの家に来客などなかったので、ついつい魔法で聴覚強化をして聞き耳をたてていた。

吸血鬼であるこの私を狙う輩が来ないとも限らないからな。念には念をというやつだ。

決して家に友達が遊びに来ない子供の心境と一緒にしないでもらいたい。

 

 

が、そのせいで外にいた大量のカラスの鳴き声もばっちり拾ってしまった。

いつ頃からかは忘れたが、この家はなぜかカラスの溜まり場となっている。

その数は『この家の屋根の色って黒かったかな?』と知り合いの某デスメガネがボケなのかマジなのかわからない質問をしてきたほどだ。

いきなりカラスが大量発生したというわけではなく、気づいたら意識せざるを得ない数になっていたのだ。

 

しかし闇の福音と恐れられるこの私が、自宅に屯するカラスに困っているなどとキャラに合わん。

カラスたちに魔力の反応を見られなかった。

学園側の魔法使いたちの手によるものでもない。

そんなわけで、そのまま放置していたわけなのだが……

 

それがよくなかった。

 

ただのカラスたちだと侮っていたばかりか、困った問題が発生してしまった。

あいつら私が外に出るとなぜか知らんがその時々謎のフォーメーションを組んで上空からついてくるようになったのだ。

おかげで麻帆良報道部の出している校内新聞で「カラスを率いる謎の少女」「カラス王」などという記事を組まれたこともある。

記事を書いたのは私と同じクラスに通っているパパラッチだ。

何が謎の少女だ。貴様クラスメイトじゃないか。

カラス王とかもっと良いネーミングなかったのか。

ええい忌々しい。

私は真祖の吸血鬼だぞ?

何でコウモリではなくカラスを使役せにゃならんのだ。

何で学園の魔法使いどもから「実は闇の福音のパチもん?」的な視線を向けられねばならんのだ。

ちなみに今まで一度もフンを落とされたことはないということは言っておく。

 

「はい、名義上はマスターの名前ですが、これは私が個人的にまほネットで注文をしたものです」

 

……話が逸れたな。

ん?何の話だったか……あ、そうだ茶々丸がまほネットで買い物をしたという話だったな。

ゴホン!え〜話を戻すが……まほネットとは、古今東西あらゆる魔法に携わる者たちが利用する、魔法使いのためのインターネットだ。

電子精霊とか言ったか。

いつからか魔法使いたちは何やらハイテク方面にも手を出したようで、そっち専門の魔法使いなんてのもいるらしい。

かという私自身も、過去にまほネットを利用して魔法具をいくつか購入した。

ひょんな事情によりここ麻帆良から動くことができない私にとってまほネット通販は便利なものだった。

ああ、実に便利ではあるさ。

 

しかし先ほどのように配達を請け負う業者はなんてことはない、普通の一般社会の宅配業者なのだ。

注文画面でコンビニ受け取りなんぞ出た時はフリーズしたぞ。

魔法の秘匿云々のレベルじゃないぞ、いいのかそれでと真祖の吸血鬼、悪の魔法使いである私ですらそう思ってしまった。

故に、便利ではあるのだがあまりに希少な魔法具や魔法薬を注文した際、何か事故でも起きたら怖い、とのことから次第に利用回数は減っていったのだ。

 

しかし……

 

(茶々丸が今まで自分から特定の物品を欲したことなどなかったな。これも良い影響が出ているのか……)

 

目の前にいる従者は感情を表に出すことがない。

 

ここ麻帆良で作られたロボット、正確にはガノノイド、それが目の前の絡繰茶々丸の正体である。

日々学習するプログラムが組まれているようで、当初に比べればだいぶ感情豊かになったほうだ。

実際、こうして自分から欲しいものを通販で頼むくらいには人間味というやつが出てきたのだろう。

そんな人間らしさが出てきたガノノイドが、主人に内緒で何を通販で買ったのか……

 

一体何を頼んだのか、と私が聞くよりも早く茶々丸は床にダンボールを置きすぐさま開封を始めた。

 

「購入したものはぬいぐるみです、マスター」

 

ダンボールの中から取り出されたビニールに包まれた物。

ぱっと見、黄色と黒の二色が全体の割合を占めているそれは、茶々丸が言うにはぬいぐるみらしい。

 

「今のまほネットではぬいぐるみの通販なんぞしているのか……なんだ、随分とでかいな。どれ、よこしてみろ」

 

ビニールから取り出されたぬいぐるみを茶々丸から受け取る。

 

(アニメのキャラクターか?まさか少女のぬいぐるみとは)

 

ぬいぐるみは典型的な動物をモチーフにしたものではなく、美少女アニメチックな少女をモチーフにしているようだ。

ちなみにペタン座りである。

 

「…………むぅ」

 

(別にアニメキャラのぬいぐるみだからと言って問題ない。しかし、問題は部分を構成しているパーツだ)

 

「黄色のロングヘアー、黄色ではなくここは金髪か。身につけている服は黒を基調としたドレス?ネグリジェ?とりあえずやたら露出度が高い。そしてやたら襟が尖ったマント……」

 

既視感を覚える。

このぬいぐるみ他人事の気がしない。

現にマントを除けば今私が身につけている服装と、このぬいぐるみの衣装は全く同じといっていい。

『このぬいぐるみ私じゃね?』という疑問はとうに頭の中に出ている。

なんだ?どういうことだ?

 

「ちなみにそのマントは着脱式になっております」

 

そうか、そこは別に問題じゃないなんだが。茶々丸に言うべきか、どう見てもこれは

 

「茶々丸……このぬいぐるみなんだが、……これ、なんというか私に似て」

 

「グッドナイト†エヴァ。そのぬいぐるみは魔法関係者の間でカルト的人気を誇る、マスターを題材にしたシリーズ作品のグッズの内の一つです」

 

「は?」

 

(なんだそれは。私が題材のシリーズ物?そのぬいぐるみ?)

 

茶々丸が語った内容を頭の中で反復するものの、思考が追いつかない。理解に至らない。

そして何より……

 

「え、これ、まほネットで売ってるって……」

 

「はい、グッドナイト†エヴァちゃんは今年で10周年の人気作品です。今から10周年イベントが楽しみで仕方がありません」

 

「…………」

 

私は開いた口が塞がらなかった。



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初めまして、セクストゥムです

皆さん、初めまして。

私はアーウェルンクスシリーズが一体、6=セクストゥム。水のアーウェルンクスを拝命してます。

ついさっき目覚めたばかりの人造人間、とでも言うべきでしょうか。

アーウェルンクスシリーズとはその人造人間達の名称ですね。

ちなみに6番目に造られたから6=セクストゥム。

まんま製品扱い、早くも少し挫けてます。

 

此度、最強の魔法使いであるサウザンドマスター=ナギ・スプリングフィールドが率いる紅き翼に対抗するための戦闘要員として、造物主=ライフメーカーの手により私含めて5体のアーウェルンクスが同時に造られました。

私は”完全なる世界”という魔法世界の救済を目的とした組織の一員、となるわけなのですが、正直実感がわきません。

組織の目的も何やら曖昧ですし、私を造った人、造物主=ライフメーカーの情報も穴だらけ……詳細なプロフィールをプリーズ!

 

たった今お話ししたこれらの情報は私の脳内に記録されたガイドブック的なものから抜粋したものです。

完全なる世界の大まかな活動方針、これまでの活動記録までご丁寧に載っています。

ガイドブックによると私たちアーウェルンクスは主の崇高なる目的を達成するための”人形”、という立ち位置のようです。

なんというブラック企業なのでしょうか。

どうせ使いっ走りにされるなら心なんていらなかった!!!!!

 

……すいません、熱くなってしまいました。

人形が考えるようなことじゃありませんね。

というかホントに私人形なのでしょうかね。

 

そんな人形らしからぬ私が目が覚めて感じたことは、これもまた人形らしからぬ感情。

 

それは、「まっ暗!てか何も見えない!」「寒い!」「息ができない!苦しい!」の3つ。

 

なぜ真っ暗なのか、それは私が棺桶のようなモノに入れられていたから。

なぜ寒いのか、そりゃ全裸だから。

なぜ息ができないのか、棺桶の蓋が閉められているから。

 

すぐさま棺桶のようなモノから飛び出して発した第一声は「殺す気か!」でした。

 

しかし、棺桶から出たら出たで外もまた真っ暗。

「電気ぐらいつけたらどうなんですか?」と自分でも場違いだなと思うセリフを吐いて、大声で「誰かいませんか〜」と呼びかけるも返事はなし。

私が目覚めた棺桶の近くには、他のアーウェルンクスが眠っていたのであろう蓋の開いた棺桶がそのままにしてあるという惨状。

仕方なく辺りを散策するも人影は皆無。

ここが私たち組織のアジトで間違いはないはずですが、なぜ人っこ一人いないのでしょうか。

 

結局新たな発見も得られぬまま元いた場所まで戻ってきたのですが、何もしないわけにもいかないので、読めば読むほど鬱になる脳内ガイドブックから情報を得る作業を現在進行形で行なっているというわけです。

 

あ、紅き翼との戦歴なんかもありますね……ぶっちゃけ全敗じゃないですか。

なんかもぅ、負け戦じゃないですか。

これじゃあやる気も起こりませんよ。

 

脳内ガイドを順繰りに読み進めていくと、何やら自分のステータス表と思しきデータが載っていました。

なんのRPGですか、ここら辺いかにも造られた人形って感じです。

ただ、ステータス表の項目を見つけた時若干テンションが上がりました。

なんかこういうの燃えるというか、割と単純ですね、私。

 

自分のステータスを見る限り、割り振られたパラメーターはどれもアーウェルンクスシリーズの必要最低値。

つまり素焼きというやつですね。

なんというかもうちょっとなんとかならなかったのでしょうか?

 

後々自分でカスタマイズ的なこともできるみたいですが……だったら初めからやっとけって話です。

造物主も、一斉に5体も造ったから余裕がなかったのですかね。

 

それと、ステータス項目の中にひとつだけ用途が不明なものがあります。

 

 

女子力:MAX

 

 

女子力、とは一体なんなのでしょうか?

困りますね、せめて注釈くらいあってもいいでしょうに。

これだけパラメーターがMAXって……。

自分で言うのもアレですが、何やら人形らしからぬ思考回路の原因は、この女子力とやらが関係しているのでしょうか?

 

パラメーター”女子力”も疑問を抱きつつも脳内ガイドを一通り読み終え、なんだか頭が冴えてきたなぁと感じつつ一言……

 

 

 

 

ーーーーーーー私、ひょっとして寝過ごしました?

 

 

 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 

 

〜セクストゥム in ロンドン〜

 

 

紅き翼がとっくに解散してるらしいです。

 

あれからアジトを出て、真っ先に寄った洋服屋の店主が教えてくれました。

驚く私に、店主はさらに一言「知らなかったのかい?もう一年前の話だよ?」と言いました。

 

造物主は!?完全なる世界は!?他のアーウェルンクスは!?今どこで何してるのですか!?

そんな心の訴えも虚しく、私は店を出てただただ途方に暮れることしかできませんでした。

 

なんでアジトを出て初めに洋服屋へ行ったのか?ですか?

 

パンツです。パンツを買いました。

 

アジトを探索した結果「アーウェルンクス・コスチューム」と書かれた箪笥の中に、ブレザー型の同じデザインの服、並びにズボンが何着もあった(ちゃんと女の子用まで用意されてました)のですが、なぜかパンツがなかったのです。

靴はありましたよ。それに靴下も。

靴下あるのになんでパンツがない!?

他のアーウェルンクスの方々は皆ノーパンだったのですかね。

あいにく私はそういった嗜好は持ち合わせてないので、ムズムズする妙な感覚を我慢しながら真っ先に洋服屋を探したわけです。

あ、お金ならちゃんと払いましたよ。アジトの金庫にたんまりとありました。

 

「これも可愛い!すみませ〜ん、試着よろしいでしょうか?え、これ最後の一着!?今逃したら二度と手に入らない!?買いです!これ買いです!」

 

話は変わりますが、私は現在旧世界ロンドンにてショッピングを楽しんでいます。

なんでわざわざ旧世界に?

 

結局のところ、どこにも行く宛てがないんですよね。

私は見た目10歳くらいの少女。

日頃から魔法が飛び交うような危険な世界で一人生きて行く自信なんてないのです。

ぶっちゃけて言いましょう、戦うのとか怖いです。

アーウェルンクスとして生み出された私の力は、いくらステータスが最低値だと言えどそんじゃそこらの魔法使い相手には負けることはないでしょう。

だからといって万が一がないとは限らない。

 

打って変わって、旧世界は基本魔法は隠蔽されている。

戦わないで済むならそれに越したことはない。

よし、旧世界に行こう。

 

そういうわけで、ゲート警備に引っかかることもなく旧世界はイギリス、ロンドンにやって来た私は、気分転換に街中でショッピングと洒落込んでいるわけです。

 

「両手が完全に塞がってしまいました……一旦ホテルに荷物を置きに行きましょうか。」

 

可愛いお洋服をたくさん買っちゃいました。

基本的にヒラヒラやフリルがたくさん付いた服に惹かれるようです。

早く着替えたいですね。

いい加減アーウェルンクスの服にも飽きてましたし、この際捨てちゃいましょうか、この服。

 

「おや、これは実に少女心をくすぐるぬいぐるみですね」

 

ホテルを探すはずがお店のショーウィンドウの前で急停止。

 

猫がモチーフでしょうか?

口がないデザインは仕様のようですね。

タグにプロフィールまで載っているとは、これはシリーズ物のぬいぐるみなのですね。

なんて愛らしいのでしょうか。

荷物を置きにいってるうちに売り切れないか心配です。

いやもうこの場ですぐ買うべきでしょう。

でも両手が……

 

「なぁ、おまえひょっとしてアーウェルンクスの奴らの仲間じゃねーか?」

「体重はりんご3個分……って、はい、私はアーウェルンクスが一人、その名もセク……」

 

はっ!超強大な魔力反応!?それもすぐそばから!?

迂闊、ぬいぐるみに気を取られすぎました!

急いで声の方へ振り向くとそこにはローブを羽織った赤毛のイケメン。

この人知ってます、なぜなら私の脳内ガイドに顔写真付きで載ってましたから。

なぜ、なぜここに!?

この人は私たち完全なる世界の敵であり、最強の魔法使い集団、紅き翼のリーダー、サ、ササ……

 

「サウザンド……マスター……さん?」

「おう、千の呪文の男、サウザンドマスターことナギ・スプリングフィールド様だ」

 

しっかりと名乗られてしまいました。

なんというか自分からサウザンドマスターとか言ってたら世話ないですね。

っていやそれどころじゃありません。

私の耳が間違ってなければ「アーウェルンクスの仲間か?」的なことを言っていた気がします。

ま、まずいです、ややややややや殺られる⁉︎

 

「いっ……」

「い?」

「いやぁああああああああああああああ!!!!!!!」

「ぅお!急に大声出すな……って、ちょ、ちょちょ、おい!待て!」

 

逃げて私!超逃げて!

無理でしょうあんなバカ魔力!冗談キツイですって!

他のアーウェルンクスの方々はあんなの相手にしてたのですか⁉︎無謀すぎます!

私は目覚めて以降、戦闘はおろか攻撃魔法なんて一度も使ったことのないヒヨッコアーウェルンクス。

あんな魔力で攻撃されたらイチコロ……そりゃもう木っ端微塵です!

 

「いやぁああああああ、殺されるぅううう」

 

「バッ⁉︎街中で物騒なこと言うんじゃねぇ〜〜〜」

 

両手の荷物が邪魔です!

ぁあ〜でもせっかく買ったお洋服を捨てるなんてもったいない……

中には最後の一着だったものもあるんですよ⁉︎

捨てるだなんて!そんな!……ってヒャァ⁉︎

 

「やっと捕まえたぜ……おい、こんな街の中で何考えてやがる」

 

つ、捕まってしまいました……

腕を掴まれただけで体が動きません……

ヒィ、すんごい怒ってらっしゃいます⁉︎額に青筋が……

 

「あ、あの、周りが見てます……よ?」

「あぁ!?」

 

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!

も、もう!そ、そんな睨まなくても「誰のせいでこんな見られてる思ってんだ?あぁ?」……そ、そうですよね、はい。

ここは正直に言うべきでしょうか、そうです、私はただここでショッピングを楽しんでいただけ!やましいことなんて何一つないのですから!

 

「え、えとですね?わわ私は今ここでおかおかお買い物をしてましてですね……」

「ハァ!?買い物だぁ?なんだそりゃ」

 

イヤァァァ!あまりご理解いただけていない⁉︎

「買い物に来ました」ではいけませんか?

だってその通りなんですからしょうがないでしょう⁉︎

これ以上なんて説明しろと!

なんでしょうか理不尽なクレーム処理に対応させられた時の気分に近いといいますかはて私は何を言ってるのでしょう自分でもわかりません!

 

「あぁえと、え〜〜〜ぁぁああもう!!!」

 

パニックが臨界点を超え、破れかぶれになった私は無意識のうちに魔力放出を行なっていたようです。

 

「……っ!やべ!こういう時は……そう、あれだ!武装解除!」

 

サウザンドマスターが呪文を唱えると、体にものすごい魔力が叩きつけれたかのような感覚に襲われます。

今サウザンドマスターが使った魔法は風属性の武装解除魔法のようですね。

対象者の武器を吹き飛ばす的な魔法のはずですが、荒れ狂う魔力は私の身につけていた衣服やら、両手に持っていた荷物をバラバラにちぎり飛ばてしまいました。

それはもうコナゴナに。

これほどの威力の前では、パンツの防御力なんてカスに等しいものですね。

あぁ、そろそろ現実逃避はやめにしましょうか……

 

「ふぇ……?」

「あ、ありゃ?……この魔法こんなんだっけか?」

「ッ!!!!キ、k『おま!し、静かにしろ!』〜〜ッ!ンググぅ〜〜〜〜〜〜〜!!!」

 

離して〜〜〜やめて〜〜〜こんな公衆の面前でそんな〜〜〜〜!!!!!

 

「おい!ちょっ暴れんな!このっ!……おいこら見せもんじゃねぇぞ!!ぁあ〜〜〜くそったれぇ!」

 

サウザンドマスターに抱えられ、猛スピードでなすがままにどこかへと連れて行かれる私。

ひん剥かれた上に誘拐とは……

私ったらなんたる不幸……

 

 

 

 

side:ナギ

 

不幸だ……

 

買い出しに来た街で何やら懐かしい魔力反応があったから探して見たんだが、そこいたのは買い物袋をわんさか持った嬢ちゃん。

白髪色白、んでもってブレザー。その形りは忘れもしねぇ、俺の宿敵だったアーウェルンクス、あいつらのスタイル。

女のアーウェルンクスなんてのは今まで見なかったが、なんであろうとほっとくわけにはいかねぇ。

街中でやり合うわけにはいかねぇが、相手が相手だ。

とりあえず近くまで接近して出方を伺おうとしたんだが……

 

「ハァハァ、ここまでくりゃ大丈夫か?ちくしょうもうすぐガキが産まれるって時になんつー災難だ」

 

すげービビられるわ逃げられるわ叫ばれるわで、完全俺犯罪者扱い。

周囲の目線が冷たいのなんの……ありゃキツイぜ。

あんまりにも無防備なもんでついつい話しかけちまったのがいけなかったか。

こんなことなら手刀でパパッと気絶させとくべきだったか?

いやあの状況で何が最善策だったのかなんて考えたところで無駄だな……ハァ……

ちくしょう、サウザンドマスターの俺様が警察のお世話になるなんざ御免だぜ……

 

「グス、ぅう、ううう……私ったらなんたる不幸……」

 

うるせぇ!俺だって不幸だわ!お互い様だちくしょう!!

 

「魔法の秘匿はどうなってるんですか!?あんな街中でいきなり服が消し飛んだら誰だって驚くでしょう!?」

「嬢ちゃんが急に魔力放出なんてしだしたのがいけねぇんだぜ?あの場合ああするしかねぇだろ!?」

「せっかく買ったお洋服まで……何もコナゴナにする必要無いでしょう。あぁ、最後の一着だったのに……」

「いや、な?俺もあんな風になるとは思ってなくてだな……」

「弁償!弁償してください!」

 

実のところあそこで武装解除の魔法使ったのはたまたまだけどな。

相手を傷つけずに無力化する呪文なんざしばらく使ってねぇからか、とっさに出てきたのがなぜか武装解除だったわけだ。

魔法使い相手に武装解除を撃つんなら、杖や指輪といった魔法発動体を破棄させるのが狙いになる。

つっても、魔法発動体はあくまで魔法使う際の魔力の補助がメインだ。破棄させたところで完全に無力化はできねぇ。

俺自身杖がなくてもバリバリ魔法使えるし、今まで戦ってきたアーウェルンクスの奴らも魔法発動体なんざ身につけてなかった。

この嬢ちゃんに対しては、結果的に会心の一撃だったわけだが。

まぁ、なんだ、慣れねぇ魔法は使うもんじゃねーな。

 

「弁償〜〜〜〜〜!!!!」

 

わかったっつぅの!

にしてもえらい感情豊かな嬢ちゃんだな。

本当にアーウェルンクスの仲間か?

 

「わかったよ、ほら、今はとりあえずこれでも羽織っとけよ」

「はっ!そうでした今私マッパ……早く貸してくださいそして見ないでください!」

 

目の前にいる嬢ちゃんは、俺から受け取ったローブを羽織るとその場にぺたりと座り込んだ。

上目遣いで睨まれてもなぁ……

 

「ぅ〜〜〜〜〜、う〜〜〜!う〜〜〜!」

「…………」

 

ある意味強敵だぜ、今までアーウェルンクスの奴らよりもな……



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スプリングフィールド家は陥落しました

多少原作の時系列との差異がありますが、ご了承ください。


〜回想

 

ーーー寝過ごしてしまったんです!起きたら私一人で……

ーーー下着も用意されてなかったんですよ!?考えられなくないですか?

ーーーこれからどうするのか、ですか?むしろどうしたらいいですか?教えてください!

ーーーあ、それより女子力って何か知ってます?私、女子力が高いらしいんですけど……

ーーーねぇ〜!ちゃんと聞いてます〜〜?

 

 

〜side:ナギ in ウェールズ

 

「女子か!」

 

いかん、回想にツッコミをいれちまった。

 

結論から言おう。

あの街中全裸事件から2ヶ月。

俺と、アーウェルンクスの嬢ちゃんは共に一つ屋根の下で暮らしている。

なんでそんなことになってるのかって?まぁ聞いてくれ。

曲がりなりにも嬢ちゃんはあのアーウェルンクスの一人だ。

嬢ちゃんから敵意は感じられなかったが、無害そうだからハイ解放ってわけにもいかないのは事実。

結果、身柄確保という形でこの村、ウェールズまで連れてきて今に至るってわけだ。

わけなんだが……

 

「ナギ、いきなり大声をあげてどうしたのですか」

「もう、ナギさん!ネギ君泣いちゃったじゃないですか〜〜!あ〜よしよし、怖かったねぇ〜」

「ナギ、騒ぐなら外に行ってくれんかのう」

 

なんでこうなったんだろなぁ……

 

昼下がりの平和なひと時。

赤ん坊をあやしている妻と少女、その様子をビデオカメラで撮影している変態を遠目に、ソファーで寛ぎながら俺はそんなことを思っていた。

 

「なぁ、アル。お前はこれでよかったと思うか?」

「よかった……とは?大声出して赤ん坊を泣かせてしまったことがですか?」

 

ちげぇよ!

ま、まぁ……悪かったな、ネギ。大声出しちまって。

 

「俺が言いたいのはだな……」

「わかってますよナギ。敵の手先であるかもしれない少女をこんな身近に置いてしまって果たしてよかったのか……そんなところでしょう?」

 

わかってんじゃねぇか。

昔っから回りくどいなこいつは。

 

「そもそも“魔力封印の術式”を施した故に心配いらないと思ったのか、この村の中でなら好きにしていいと言ったのは貴方ですよ?今さら悩んだところでしょうがないでしょう?」

 

まぁ、そうなんだがな。

 

ーーー“魔力封印の術式”を施しての監視処分。

 

身柄確保、加えて一緒に生活する上で、真っ先に俺が嬢ちゃんに行なった処置だ。

武力は先に抑えておかねぇといけねぇからな。

アルの奴は「なんならギアスペーパーで制約でもさせますか?」と提案してきたが、俺はそこまでは必要ないと言った。

今思うと、スッゲェ甘ぇ判断だったな、俺。

 

「アリカが口を挟まなかったのが意外だったがな……いつ子供が生まれるかって大事な時に、夫が爆弾抱えてきたようなもんなのによ」

「確か「ナギが自分で決めたことなら、妾はそれを受け入れるだけだ。今までもそうしてきた」でしたかね。いやはや、お熱いことで」

 

ごちそう様です、そう言ってニヤけ顔のアル。

こいつマジ殴りてぇ。

 

「アリカがそう言ってくれたことは嬉しかったけどよ、それ以上にすまねぇという気持ちの方が強いな」

「精神的な不安は母体に悪影響を与えますからね……まったくこのバカ夫は」

「んだとてめ「びぃええええええええ〜〜〜〜〜!!!」ぇえ…………」

「んもー!ナギさんいい加減にしてください!よしよし〜ネギ君のパパはおっかないでちゅねぇ〜〜」

「ナギ、出て行け」

「いやぁ、平和ですねぇ(ジーーー)」

 

……俺、この家の主なんだけどなぁ。

そしてアル。やめろ、こんな俺を撮るな。

 

「結果論になりますが、あの時貴方が彼女に下した判断に間違いはなかったと思いますよ?貴方の奥方ともいい関係を築けているようですからね、彼女は」

 

 

 

 

「ベロベロベロベロ〜〜〜、っばぁああああ!!」

「あぅ〜〜〜♪ きゃ!きゃ!きゃ!」

「アリカ様アリカ様!ネギ君笑いましたよ!や〜ん、かわぃいいい〜!」

「ふふ、まったくセツ子は赤ん坊をあやすのが上手いのぅ」

「任せてください!こう見えて私、女子力高いですから!」

 

 

 

 

…………

 

「いい関係通り越してる気がするんだが」

「……そのようですね」

 

そう言ってアルは一旦言葉を区切り、手元のビデオカメラのディスプレイに目を落とした後、「それにしても……」と言葉を続けた。

 

「ここまで彼女が馴染むとは、さすがの私も2ヶ月前、彼女が村で生活を始めた当初は思いませんでしたよ。料理、洗濯、掃除にはたまた赤ん坊の子守りまで……家事の全てを取り仕切るスーパーメイドとして君臨しているなんてね」

「ある意味乗っ取られたな……スプリングフィールド家終わったかも」

 

そう、現在スプリングフィールド家の家庭事情を支配しているのは他でもない、あの嬢ちゃんだ。

 

 

 

ーーータダで住ませていただくわけにはいきません!私にお手伝いできることがあればなんなりと申し付けてください!

ーーー聞けば赤ちゃんが生まれるのはもうじきとのことではありませんか、ナギさんはアリカ様の側にいてあげてください!

ーーーナギさんに台所を任せるとロクなことになりません、ナギさんはじっとしててください!

ーーーお掃除の邪魔です!ナギさん、立ち歩かないでください!

ーーーナギさん、動かないでください!

 

 

 

 

振り返ってみたが、家庭を支配っていうか俺を支配してんじゃねーか!

 

 

 

 

「ッ!〜〜〜〜〜〜!…………はぁ」

 

耐えたっ!

今ので叫ばなかった自分を褒めてやりたい。

もう怒鳴られんのはごめんだ。ネギ、父さんは頑張ったぜ……

 

「よくわかりませんが、おめでとうございます、ナギ」

「……おう」

 

死地から脱した俺は、アルからの心無い賞賛でも心地良く感じるようになっていた。

俺はあらためて妻と子、そして俺の支配者となった少女の方へと視線を移す。

 

 

 

 

 

 

「べろべろ〜〜……妾の時はまったく笑ってくれんのう?」

「アリカ様はまだ照れが残っているんですよ。もっとこう、ベロベロ〜〜〜って、これくらいしないと」

「むぅ……やはり、そこまで吹っ切れんといかんのか」

「ぅあ〜〜〜、ぅう?」

「べ、べろべろ〜〜〜 ……だめか?」

「アリカ様、私のお手本ちゃんと見て! ん〜〜ベロベロベロベロ〜〜〜〜!!!!」

 

 

 

 

 

 

………………

 

大丈夫だよな?この家本当に乗っ取られてねぇよな!?

 

「まさかこれが嬢ちゃんの手口なんじゃ……」

「それならそれで私としては大歓迎なのですがね……フフ」

「お前は始めからまったく警戒してない感じだったもんな」

「何を言うのですかナギ。さすがに貴方が彼女を連れてきた時はキモを冷やしましたよ……まさか、サウザンドマスターともあろうものが少女を連れ込むなど……それも妻が出産間近の大事な時期に」

「俺が連れてきて早々に自己紹介を済ませ、「セクストゥムなら、あだ名はセッちゃんですね」とか抜かしたロリコンに言われたくはねぇ!アリカもそれを受けてか「セツ子」とか呼んでるし、つーかもう原型とどめてねぇじゃねーか!」

 

「フフフ……」

 

何笑ってんだこいつ。

ちなみに、嬢ちゃんと自己紹介をした時にはすでに片手にビデオカメラを持っていた。

それ以来、暇があればずっと嬢ちゃんを撮影している。

このロリコン。

お前が捕まれ。

 

「まぁ……仮に、この状況が彼女の狙いなのだとしても、正直メリットが浮かびません。我々に危害を加えるつもりなら、とっくにやっているでしょう」

「そりゃ、寝首を搔くチャンスなんてたくさんあったな」

 

なんせ毎朝嬢ちゃんに起こされてるからな。

料理作ってるのも嬢ちゃんだし。

アリカと交代でネギの子守りもしてるし。

嬢ちゃんがその気がだったら俺たちとっくに死んでたなぁ……

 

 

 

 

 

 

「アリカ様もっと舌を動かして!上下だけではなく、左右の動きも混ぜるのです!」

「ベロベロベロ〜〜〜/// ベロロロロロロロロ///////」

「はい!そこで両手グーにしてダブルピース用意!溜めて溜めて〜〜〜〜〜〜はい、解放!!!」

「っばぁああああああああ〜〜〜〜〜〜〜〜〜////////」

「きゃっきゃっwwwwwwwwきゃっきゃっwwwきゃっww」

「おお!笑った!セツ子、やったぞ!ネギが笑ったぞ!」

「ええ、笑われましたね♪」

 

 

 

 

もうやめてくれ!!!!!

 

 

 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 

 

〜セクストゥム in ロンドン

 

今日は、ナギさんとロンドンの街までやってきました。

なんでも2ヶ月前の街中武装解除事件の弁償をしていただけるとのこと。

ナギさんが「あのダメにしちまった服の弁償をしてやる」と言ってきた時はなんのことかわかりませんでした。

ウェールズの村での慌ただしい毎日過ごしていた私は、そのことをすっかり忘れてた模様。

ナギさんはなんだかんだ気にしてくれてたんですね。

 

「ナギさん、早く早く!置いていきますよ!」

「おい、走り回るんじゃねぇ!だぁ〜〜〜ったく、ガキかオメェは……いや、ガキだったな」

 

ちなみに、ナギさんは現在サングラスにキャップを着用しての参戦。

ナギさん曰く「捕まりたくないから」とのこと。

街中武装解除事件の時に大勢の人から顔を見られましたからね。

まぁ、一番の被害者は大衆の面前でひん剥かれた私なんですが。

 

「お〜い、一旦どっか座ろうぜ?俺くたびれちまったよ」

「ええ〜、まだ午前中ですよ?サウザンドマスターともあろう方がだらしない。ハァ、少し早いですがこのままランチにしましょうか」

「嬢ちゃん、言っとくが金払うのは俺だぞ?そこんとこ……」

「これも弁償の一環ですよ。さぁナギさん、いきましょういきましょう」

「……へいへい」

 

まだまだ、これくらいでへばってもらっちゃ困ります。

時間はたっぷりあります。

今日は思う存分楽しむんですから。

 

 

 

ファミレス内

 

「ムムム……」

「嬢ちゃんまだ決まんね〜かよ〜。なんでもいいから早く頼もうぜ、俺腹減っちまったよ」

 

やってきたファミレスにて、備え付けのメニューを見ながら唸るセクストゥム。

 

「ちょっと黙っててください、気が散ります」

「そこまで真剣なことかよ!?」

 

もう、ナギさんったら事あるごとに大声出すんですから……

ウェイトレスさんにオーダーを済ませ、再びメニューを見つめる私。

 

「たった今料理注文したってのに、もう次食う物悩んでんのか?」

「ナギさん、これは重要な事なんですよ?スプリングフィールドの食卓事情に関わることなんです」

「ウチの食卓事情に関係って……ぁあ、なんだっけか、例のインストールってやつか?」

 

電子精霊を用いた、アーウェルンクス・シリーズに備わった固有の情報検索能力。

電子精霊を駆使することで不特定多数の情報をその場で得ることができる便利機能です。

 

「知りたいことがあったら頭の中の電子精霊が勝手に調べてくれるんだっけか?そりゃ便利だな」

「それだけじゃありませんよ?この能力には、自身のスキル拡張機能も備わってるんです」

 

例えば、「車を運転できるようになりたい」という漠然としたことにも、この能力は力を発揮します。

「車の運転」には知識のみならず、技術面の問題が出てくるのですが、そこで電子精霊たちの出番。

電子精霊が、知識と技術の間に存在する問題を自動補完して、「技能アプリケーション」としてパッケージ化。

それをインストールすることで、自分のスキルを増やすことができるのです。

 

「私の家事スキルもみんなこの能力で得たものなんですよ」

「てことは、調べればなんでもできるってことか?なんだそのチート」

「なんでも、ってわけにはいかないんですけどね」

 

インストールされたスキルは、自身の身体性能に依存するみたいです。

例えば魔法なんかもインストールできるんですが……

 

「私は水属性のアーウェルンクスなんで、雷系の魔法をインストールしたところで使えないですし」

 

そもそも水系魔法すら1個もインストールしてないんですけどね。

なんせ使う場面なんか今までありませんでしたし。

 

「使えたら使えたで、それこそ本当のサウザンドマスターになっちまうな」

「ナギさんはサウザンドマスター(笑)ですからね」

「うっせ」

 

会話はそこで一旦切り、再びメニューを見始めるセクストゥム。

ナギは、それを黙って眺めていた。

 

 

 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 

 

 

ファミレスを出て、ナギさんと午後のショッピングを楽しんだ後、私たちは公園の芝生の上で休んでいました。

 

「今日は楽しかったです!こんなにたくさんお洋服も買えたし」

「代償に俺の小遣いが消し飛んだけどな」

「私もお洋服消し飛ばされましたし、おあいこですよ」

「まぁ、いいけどな」

 

セクストゥムは買い物袋からお洋服を取り出し、体の前で合わせる。

 

「似合いますか?ナギさん?」

「……おう、似合ってる似合ってる」

「本当に思ってますか〜?」

 

ナギは芝生に寝そべりながら、セクストゥムのそんな様子に苦笑しつつ、空を仰いだ。

 

「なぁ、嬢ちゃん」

「はい、なんですか?」

「嬢ちゃんは……これからどうしたい?」

「いきなりなんですか?」

 

真面目なお話でしょうか?

私はお洋服を買い物袋に戻し、ナギさんの横に腰をおろします。

 

「嬢ちゃんは今の生活楽しいか?」

「ええ!もう毎日が新しい発見の連続で……」

 

アリカ様も、村のみなさんも優しいですし。

アルさんは……優しすぎて、逆に怖いところがありますが……

何よりもネギ君が可愛いくて可愛くて。

あ〜、私も赤ちゃん欲しいなぁ……

 

「ハハ、そうかい。そりゃよかった」

「はい!今更ですが……私、ナギさんに会えてよかった……」

「うん?」

「今の私があるのも、ナギさんが居場所を作ってくれたから……」

 

ナギさんに会わなかったら、きっと何をしたらいいかもわからない人形のままだった。

ナギさんが居場所を作ってくれたから、私は人として生活することができた。

 

「だから、ナギさんにはとっても感謝しているんです!ナギさん、ありがとうございます!」

 

セクストゥムは満面の笑みでナギに感謝の言葉を述べる。

その笑顔はまさしく、年相応の少女の笑顔だった。

 

 

 

〜side:ナギ

 

……こりゃあ、俺の今までの心配は無駄だったな。

 

「嬢ちゃん、ちょっとここで待ってろ」

「え?ナギさんどこ行くんですか!……あ〜、ひょっとして照れちゃったとか?」

「ば〜か、ちげぇよ!いいから大人しく待ってろよ」

 

俺は走ってその場を離れ、その足で街へ向かった。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

「ナギさんおかえりなさ〜い!もう、こんな少女を一人待たせるなんてひどいです!」

「……ちゃんと待ってたな」

 

俺は街であるものを買い、またまた走って公園まで戻ってきた。

なんつーか、俺、この街で走ってばっかだな……

 

「待ってろって言ったのはナギさんじゃないですか」

「いや、ここで嬢ちゃんがいなくなってたら、なんつーかドラマチックだったのになぁ……と」

「?何言ってるんですか?」

 

ホント何言ってるんだろうな俺。

 

「そんなことより、ホレ」

 

俺は嬢ちゃんにたった今買ってきたものを渡す。

 

「あれ?また街に行ってたんですか?なんです?これ?」

「い〜から、中見てみろよ」

 

嬢ちゃんは買い物袋からソレを取り出す。

 

「あ〜!これ、あの時私が見てたぬいぐるみ!」

 

買ってきたのは、俺と嬢ちゃんが初めて会ったあの場所で、嬢ちゃんが食い入るように見ていた、猫?と思われるぬいぐるみ。

 

「てっきり、今日それ買うもんだと思ってたんだけどよ。嬢ちゃんすっかり忘れてたな?」

「う……あの時、ナギさんに会ったことの衝撃の方が大きくて、完全に忘れてました」

「あんだけ食い入るように見てたんだぜ?俺が近くまで来ても気づかないくらい……そんだけ欲しかったんだろ?」

「はい!もうビビッっときました!私の中の女子力が、こう……ビビッと」

 

だったら忘れんなよ……ったく、調子の狂う嬢ちゃんだな。

 

「俺、明日からしばらく家空けるからよ。ちなみにアルもな」

「え?しばらくって、どこに行かれるんですか?」

 

ぬいぐるみをキラキラした目で眺める嬢ちゃんにそう伝えると、キョトンとした表情で嬢ちゃんは答える。

 

「仕事だよ。俺は魔法使いだぜ?最近はアリカが身重だったから俺はずっと家にいたが、本当なら各地を飛び回って大忙しなんだよ」

「ナギさんは今魔法関係者の間で一番の有名人ですもんね。普段のナギさんからはとてもじゃないけど、想像できませんが……ぷぷ」

「なぁ〜に笑ってんだ、よっと!」

「ひゃあ!?ちょ、ナギさん髪の毛かき回さないでください〜〜〜〜!うが〜〜〜!」

 

嬢ちゃんの頭をガシガシと撫でる。

嬢ちゃんの「うが〜」という反応に満足した俺は、その場に腰を下ろす。

 

「てなわけでよ、家のこと、アリカとネギのこと頼むわ」

「任せてください!って、さっきアルさんも行かれるって……」

 

そう、俺とアルが二人とも嬢ちゃんの側から離れる。

それが意味することなんて、さすがの嬢ちゃんでもわかったみてぇだな。

 

「その……よろしいのですか?」

「信じてるぜ、嬢ちゃん」

 

正直なところをいうと、いくら嬢ちゃんに信用があるといっても、アリカとネギを俺の目の届かないとこにおくのは不安だ。

ただな、こればかりは、嬢ちゃんを信じるしかねぇ。

だから……

 

「信じてる」

 

俺は嬢ちゃんの目をしっかりと見て、今一度そう言った。

 

「…………」

 

嬢ちゃんは一瞬不安そうな顔を浮かべるが、すぐに表情を引き締め、しっかりと頷いてくれた。

 

 

 

 

 



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なぜ私の電子精霊たちは水着を着用してるのでしょう?

〜side:アリカ

 

 ナギとアルビレオが仕事で家を離れ、しばらくがたった。

 妾は目の前で洗濯物を干している少女、セツ子がこの家に来てからのことを振り返り、ふと心の中で感想が浮かんだ。

 

ーーーセツ子がこの家の家事をしている様を見て、これ程安心感を得られる日が来るとは、思っておらんかった。

 

 セツ子がどういった存在であり、それがもたらす危険がどれほどのものかは理解している。

 妾は幾度もセツ子と同じ存在、アーウェルンクスと呼ぶ者らと対峙し、その脅威を目にして来た。ある時は毒の息吹による石化に脅かされ、またある時は人が反応ができる速度外からの襲撃に恐怖した。セツ子が害ある存在なら、妾はもちろんナギやアルビレオ、そしてネギもすでにこの世からいなかったじゃろう。それだけナギの此度の判断は、大胆なものであった。

 そんなナギの判断に口を挟むことなく受け入れた妾も大概ではあるがな。

 妾はいつでもナギの判断を信じ、今日まで生きてきた。妾のナギに対する信頼、如何な場合も例外などない。

 そして今回も。その判断は間違ってなかったように思う。

 なぜなら、そのナギが側にいない今、不安を取り払うかのような笑みで、セツ子は妾に安心を与えてくれておるのだから。

 

「アリカ様、お洗濯が片付きました。ネギ君のお世話交代しましょうか?」

「セツ子、ネギはたった今眠ったところだ。主も一息入れたらよい」

「あちゃ、一足遅かったですか。せっかく新作のベロベロバーを披露しようと思ったのに……」

 

 残念ですーーと言ってセツ子は脱力する。

 まったく、セツ子は休むことを知らぬな。

 ネギが生まれてからしばらく体力が戻るまで時間がかかった。故にセツ子の言葉に甘え、家事のほとんどを任せてしまったことに関しては頭が上がらぬ。まぁ、セツ子自身はこの家で働くことを楽しんでいるようだがな。それは、妾としても好ましいところだ。

 

「最近主はぬいぐるみ作りを始めただろう?今日は時間もある。それに費やせばよいのではないか?」

「あ〜、実はもう作り終わっちゃいまして。材料も使っちゃったんですよね……」

「なんと、材料はかなりの量があったように見えたがのう……しかし、そうか、何とも間の悪い」

「村にあれだけぬいぐるみに使える材料があったことが驚きでしたけどね」

「材料を買うにしても、街まで出なければならん……か」

「はい……でも、今この村を離れるわけにはいきませんから。ナギさんに任されましたからね、アリカさんとネギ君のことを」

「何とも律儀じゃの、セツ子は」

 

 本当に律儀な子じゃ。

 ナギも、こんなセツ子だからこうして妾の側に残すことを決めたのじゃろう。

 セツ子もまた、ナギに信頼されているということじゃな。

 しかしーーー

 

「セツ子、主はあの時、魔力封印の術式を解くのを断った。良かったのか?」

 

 セツ子の左手の甲から肘にかけて刻まれた、魔力封印の術式、その紋章。

 我々がセツ子を信頼しているからこそ、その白く細い腕を侵す業を見ると心が痛む。

 

「むしろこっちがビックリですよ。いきなりナギさんが「アル、嬢ちゃんの魔力封印、この際解いちまわねぇか?」って」

 

 そう、この魔力封印の術式を施したのはナギではなくアルビレオ。

 何でもナギのいい加減な呪文認識では、魔力封印の効果に加えて余計なものを付与しかねないとのことだそうだ。確かに、ナギに細々とした魔法は向かないじゃろう。

 アルビレオが言うには「というか実際にそれを受け、ものすごく迷惑している知り合いを知っている」とのことだが。誰なのじゃろうな?

 

「そもそも、魔力封印が解かれたところで使いたい魔法なんてないんですよね。攻撃魔法なんて物騒なもの、女子力が高い私にとって邪魔みたいなもんです!」

 

 出おった、女子力。

 何かあるごとにセツ子は「女子力」という単語を使う。

 妾が思うに、おそらく世間一般の女の子らしい振る舞い、また行いを指しているのではなかろうか。そのようにセツ子に聞いてみたのだが、セツ子本人も具体的なことはわからぬらしい。結局は謎である。

 

「それに電子精霊によるスキル拡張能力は使えますし、だったら尚更急いで解く必要もないかな〜と」

「そうか、主が良いなら……良しとするかの」

「はい!……後、こういうのなんかかっこいいとか思っちゃったりなんかしたり……なんだったら背中とかにもびっしりと……」

「主の外見でそれはマズイ。妾は全力で止めるぞ」

「なんか大人の女?って感じがしていいと思うのですが……」

「主の女子力とやらはどこへ行ったのだ……そんなせっかくの白い肌が、もっと自分を大事にせい」

 

 ナギ、早く帰ってこい。そしてセツ子が間違った道に進まないか改めて監視せよ。

 本当に、どこで道草を食っているのじゃ。

 

 

 

ーーーごめんくださ〜い、ネカネです。どなたかいらっしゃいますか〜?

 

 

 

♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡♡

 

 

side:セクストゥム

 

「あ、セッちゃん!今、アリカさんって大丈夫?何でもスタンさんが用があるみたいなんだけど」

 

 この子のお名前はネカネ・スプリングフィールド。ナギさんの親戚のお子さんだそうです。

 ネギ君が生まれ、親戚の方々がこの家に集まった時に知り合いました。

 それ以降頻繁にウチに遊びに来てくれるようになり、ネギ君のお世話をしつつ魔法学校での日々のお話などをしてくれます。

 私の初めてできたお友達です。

 

「スタン老が妾にとな、わかったすぐ参る。セツ子すまぬな、ネギを見ていてくれるかのう?」

「はい、でも無理しないでくださいね?ようやく最近になって出歩けるようになったんですから」

「すぐ近所だというのに、大げさじゃのう」

 

 身支度を整え、スタンさんの家へと向かうアリカ様を見届けた私に、ネカネちゃんが声をかけてくる。

 

「セッちゃん、上がってもいいかな?」

「いいですよ、ネギ君今お寝んねしてるから暇してたんです。どうぞ上がってください!」

 

 家に上がったネカネちゃんに、ベビーベッドで寝ているネギ君を見てもらっている間、お茶の用意をする。

 

「ネカネちゃん、ネギ君の様子はどうですか?」

「ぐっすり寝てるよ。ふふ、おてて小さいなぁ〜……あ、ごめんね気を遣わせちゃって」

「構いませんよ」

 

 私がテーブルでお茶の用意をしているのを見て、ネカネちゃんは申し訳なさそうに言います。

 ほんと礼儀正しい子ですね。私と背丈ほとんど変わらないから10歳前後だと思うのに……中々の女子力をお持ちとみた。この私の女子力が警鐘を鳴らしています、恐るべしネカネちゃん。

 そうだ、一昨日出来た「アレ」をネカネちゃんに見せてあげましょう。ここで私の女子力を見せつけてやります。

 

「ちょっと待ってください、見せたいものがあるんです」

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

「すごーい!このぬいぐるみ本当にセッちゃんが作ったの!?手作りで出来る範囲超えてるよ!」

「フフン!もっと褒めていいんですよ〜〜〜♪」

 

 私がネカネちゃんに見せたかったもの、それは先ほどアリカ様との会話の中で登場した、自作のぬいぐるみです。

 最近アリカ様の体力が戻られたことにより、お互い家事を分担するようになったのですが、それゆえに何かと空いた時間が出来てしまうようになりました。

 空いた時間を有効活用できないものか、そこで思いついたのが手作りのぬいぐるみ製作です。

 ナギさんにロンドンでぬいぐるみを買ってもらってからというものの、愛でているだけでは飽き足らなく感じていたのです。

 決してナギさんから頂いたぬいぐるみに満足がいっていないというわけではありませんよ?なんと言いますか、欲しいものを手に入れたらまた次の欲しいものが出てくる心理ですかね。

 そもそもナギさんから頂いたぬいぐるみ、「シリーズもの」なんですよ。まだ見ぬお仲間がいるのですよ?しかし、私はこの村を離れることができないのでありますよ!だったら自分で作ったれという結論に至るのは当然なのですよ(!?)

 

「ぬいぐるみに使える材料持ってない?って聞かれた時はこんなすごいの作るつもりだったなんて思いもよらなかったよ……これお店で売ってても違和感ないもの」

「いやぁ〜、とうとう私の女子力も来るとこまで来ちゃったということですかねぇ〜?自分の女子力が怖い」

「セッちゃんの女子力?ってすごいんだね〜」

「ネカネちゃんの女子力も捨てたもんじゃないと思いますけどね?ネカネちゃんさえ良ければ私が女子力とはなんたるかを「でも」……なんでしょう?」

 

 ネカネちゃんは私の作ったぬいぐるみをじっと見つめながらーーー

 

 

 

「これキ◯ィちゃんじゃないよね?」

 

 

 

 うん、知ってました。

 

 

 

「セッちゃん、確か◯ティちゃんのぬいぐるみを作りたいって言ってたよね?このぬいぐるみ、どう見ても金髪の女の子に見えるんだけど……」

「そう、金髪の女の子ですよね。その通りだと思います」

 

 これには深〜〜いような、深くな〜〜いような、そんな事情があるんですよ…………

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

ーーー今回私がぬいぐるみの自作をするにあたって、電子精霊によるスキル拡張機能を使ったことは言うまでもありません。

ーーーこれは、この時私と電子精霊たちのやりとりの大まかな回想になります。

 

 

〜回想始め

 

 

(電子精霊の皆さん、新しいスキルをインストールしたいので、ご協力をお願いします!)

 

ーー早くキーワードを入れるでち!

ーーさっさとするのねん!

ーーわぁお!辛辣辛辣!

ーーがるるぅ〜〜

 

(せっかちなんだからもう!いいですか?一度しか言いませんよ?キーワードは「キティ」「ぬいぐるみ」です)

 

ーーイクの〜!

ーーネットの海へ直行!どぼぉーーん!

 

(あ、すいません!「作り方」も追加で!その3つのキーワードを技能スキルとしてパッケージングしてください!)

 

ーー後から追加してんじゃないでち!

ーーアハトアハト

ーーこいつの名前の中にキティって入ってるのねん!

ーーあ、じゃあその娘だね!そのままインストール行っちゃお〜!

ーーまだ、パッケージングが終わってない、ですって!ダンケ、ダンケ!

ーーもぐもぐもぐ〜…………

 

 

〜Fin

 

 

 

「今考えて見ると不安要素しかなかった」

「え?セッちゃん、なんか言った?」

「ううん、なんていうか……いや、なんでもありません。……そうだ、ネカネちゃん、そのぬいぐるみいります?」

「え?くれるの?せっかく作ったものなのに……」

「構いませんよ。あと4個同じやつ作ったので」

 

 そう、さっきの電子精霊たちとのやり取りは、その後似たような内容が4回が行われた。

 

「すごいね!全部で5個も作っちゃったんだ!」

「そのせいで材料無くなったんですけどね……」

 

 

 

ホント、「キティ」「ぬいぐるみ」「作り方」でなぜ金髪の女の子が完成するのでしょうか……

ハァ、電子精霊も万能ではないということですね……

 

 

 

 

 

 

 



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女の子が止まらない

シリアス回です


〜side:ナギ

 

(…………やっぱりこうなっちまったか)

 

 俺は今まで生きてきて感じたことのない「体の違和感」に捕らわれていた。

 取り憑かれたーー陳腐な表現だとは思うが、俺の体に起こっている「違和感」を表すとしたらそんな言葉しか出てこねぇ。

 体が奪われる。俺が俺でなくなる。何者かが俺に成り替わろうとしている。

 

(気合いでどうにかなることを期待してたんだが……コイツはそうさせてくれねぇか……まぁ、お師匠でさえああなっちまったんだ。覚悟はしてたさ)

 

ーーー……ッ…………ッ!………………

 

(喜ぶべきは、狙い通りコイツが俺の所にきてくれたってところか…………ったく、運が良いんだか悪いんだか……)

 

 体を乗っ取られたのが俺でよかった。そこだけが心配だった。

 他のヤツにコイツを押さえ込ませるなんて真似させられねぇ。

 お師匠はずっとコイツと戦ってたんだな。ずっと、……耐えてくれてたんだな。

 にしてもよう、お師匠には悪いが、何も今じゃなくてもいいじゃねぇかよ。

 

ーーー……ギッ!…………ナギッ!……

 

(せっかく姫子ちゃんにネギを会わせてやれたって時によ……来るタイミングってのを考えろよな、コイツ)

 

ーーーまだ意識はありますか!?……ナギ、しっかりしてください!!…………ッ!………

 

(聞こえてるよアル。あんなに俺に騒ぐなって言ってたのによ……ん?……言ってたのは嬢ちゃんだったか?……まぁなんだっていいか)

 

ーーーまだ持ちますか!?…………いま近右衛門に連絡を……ッ!…………ッ!……

 

(遺言状、アル、お前に言われた通り早めに作っといてよかったぜ……危うくネギに何も残してやれねぇところだった)

 

ーーーアル!何がどうなっている!?今の戦いは……ナギが勝ったんじゃないのか!?…………ッ!……

 

(アル、あとは手筈通りに頼むぜ…………そうだ、聞いてくれよアル。嬉しいニュースがあるんだ)

 

ーーー……ガトウ!貴方はタカミチとアスナさんを連れてここから……私たちから離れるのです!……今のナギは……ッ……ッ

 

(さっきさ、ちょっとの間だけだったけど、お師匠と話せたんだよ……そしたらさ……)

 

「…………よ……た……」

「っ!ナギ!なんですか!?何か私に伝えたいことは!?」

 

(お嬢ちゃんは……お師匠の最後の悪あがきだったんだよ……お嬢ちゃんは……お師匠がこの世に残した……)

 

「……最後の……意地の結晶、……お嬢ちゃんを…………信じてよかった」

「どういうことです、なぜ今彼女のことが!?」

 

(大丈夫だ……お嬢ちゃんなら護ってくれる…………俺の家族を……)

 

「アリカを……ネギを……きっと、…………お嬢ちゃんなら」

「……ナギ!?彼女は、彼女はーーーーーーーーーー」

 

 アリカ、すまねぇな。しばらくは帰れそうにない。

 ネギ、散々大声出して驚かせちまってすまねぇ、元気に育てよ。

 お嬢ちゃん、すまねぇ。俺の代わりに二人を頼む。

 なんか、謝ってばっかだな、俺。

 ハハ、らしくもねぇ。

 

(……さてよ、しばらく……付き合ってもらうぜ?……造物主。……オメェが「不滅」の存在だってんなら、俺は「最強」の魔法使いだ…………このまま黙って持ってかれるなんて、俺はそんな温かねぇぜ?)

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

〜セクストゥム

 

「ねぇセッちゃん、ナギさんたちがこの村を出てしばらく経つよね?」

「はい、もうかれこれ一週間以上、もうじき二週間になりますね」

 

 ネカネちゃんと自作ぬいぐるみの話で一通り盛り上がった後、別の話題へ移ろうかという最中、ネカネちゃんがそんなことを言いました。

 

「確か、トルコのイスタンブールにある魔法協会本部に行ったんですよね。なんでも、「とある人」に会うためだって」

 

 正確には、そのイスタンブール魔法協会本部に滞在している「とある人」をこの村、ウェールズまで連れてくる、まぁ護衛というのが正しいですかね。それが今回のナギさんたちの仕事。

 ちなみに「とある人」が誰かに関しては、ナギさんは「サプライズだ」とか言って教えてくれませんでした。

 アリカ様は誰のことか知っているみたいでしたが、そもそも私に知り合いなんてナギさんたちを除けばいませんからね。聞いたところでしょうがないかな、と思い深く追求はしませんでしたが。

 

「うん、それでね……そのナギさんたちのことなんだけど……」

「?」

「ごめんねセッちゃん、ゆっくり説明するから、落ち着いて聞いて?」

 

 視線を落とし、私の顔を直視するのを避けるかのようなネカネちゃんの態度を不自然に思うも、私は話を聞く体制に入ります。

 

「……昨日の夜遅くにね?ウチにスタンさんが来て、お父さんと二人でお話ししてたんだけど……私、夜更かししちゃって、お部屋のドア越しから盗み聞きしてたの……」

「ネカネちゃんの年で夜更かしはよくないですよ?私は毎日8時間は睡眠をとってます」

「セッちゃん、真面目な話なの。黙って聞いて」

 

 ムッ、と睨まれてました。

 い、今のは私が悪いのでしょうか?

 

「それでね、スタンさんとお父さんのお話をわかりやすく説明するとねーーー」

 

 

 

 

 

 

 それからネカネちゃんがお話をしている間、私は一言一句を聞き逃さないように努めました。

 

 

「元々、ナギさんは途中で観光を挟むにしても一週間も経たない内に帰ってくる予定だったんだって」

 

 それはーー知っています。アリカ様は「どうせ途中で道草でも食っているのじゃろう」と言ってましたが。

 

「ナギさんは村を出る前にウチのお父さんに声をかけてて、そのようなことを言ってたの。だからお父さんもナギさんの帰りがおそいからといって、特に気にもしてなかったんだけど」

 

 ナギさんのやる事なす事は、気にするだけ無駄なところがありますからね。

 

「だけど、昨日そのイスタンブールの魔法協会本部からスタンさんに連絡が入って……あ、スタンさんの知り合い、元々この村出身の人らしいんだけど」

 

 ナギさんがアレすぎるってだけで、この村に住む魔法使いの方々ってかなり優秀なんですよね。

 ナギさんもそのことを認めているからこそ、安心して村を離れたのでしょう。

 

「なんでもその人が言うにはね?イスタンブール魔法協会本部の近辺で、大きな魔力の奔流が確認されて、どうやら不特定多数の魔法使いが魔族の召喚儀式を行なったらしいんだけど……」

 

 ……魔族の召喚、ですか。

 

「当初は魔法協会本部に対しての襲撃ーーかと思い警戒態勢に入ったものの、本部への攻撃行為等は一切無し。先遣隊が、儀式召喚が確認された地点に到着した時には、すでに付近一帯から魔族の反応は消失」

 

……え、と……ネカネちゃん?

 

「その後も探索範囲を広げ調査が行われた……しかし、結局召喚を為したと思われる術者の発見はおろか、魔族たちによる周辺の被害も皆無。術者は何が目的だったのか「ちょ、ちょっとネカネちゃん」……もう、真面目な話だって言ってるのに」

 

 それはわかってるけど!

 ネカネちゃんあなた年いくつ!?

 まだ10歳そこらですよね!?

 

「かいつまんでいうと、ナギさんたちの帰りが遅いことと、イスタンブール魔法協会で起こった事件が関係してるって……つまりはそういうことが言いたいわけですね?」

「そうだよ。それを今話してるのに」

「いや、なんか終わりが見えなくなりそうだったので……ネカネちゃん。結論から言って、つまりは何が言いたいのです?」

 

 ナギさんたちの仕事はイスタンブール魔法協会に行き「とある人」をこの村まで連れてくること。

 どんなにナギさんが寄り道しても、本来一週間の内には帰ってくる予定だったこと。

 昨日、スタンさんとネカネちゃんのお父さんが、イスタンブール魔法協会で起こった事件の話をしていたこと。

 ナギさんがなんらかの事件に巻き込まれたから帰りが遅れている、さすがの私でもそれくらい推測できます。

 だからーーー

 

「結論を……ナギさんがなんでまだ帰ってきてないのか……知っているなら、それを早く教えてください」

 

 なぜなら、それはここ最近ずっと私が不安に思っていたことだから。

 ネカネちゃんがその答えを知っているなら、なんでもいいから早く教えて欲しかったから。

 

「そうだね……そっちを先に言うべきだったよね……ごめん、セッちゃんにこのことを話すのが怖くて、つい回り道しちゃったっていうか……」

 

 じれったいなぁ……

 いいから、いいから早く話せばいいのに……

 

「落ち着いて聞いてね「それ、さっきも言いました」…………ッ!ナギさんたちがーー」

 

 

 

 

 

ーーーナギさんたちが、サウザンドマスター一行が……行方不明になったの

 

 

 

 

 それから、ネカネちゃんがまだ何か話していたけど、私の頭の中には何も入ってこなかった。

 

 遠くでネギ君の泣いている声が聞こえて、少しーーうるさいなぁって思った。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

「セツ子?」

 

 セクストゥムーーセツ子はすぐそばから聞こえた声で、ようやく我に返る。

 

「……アリカ様」

 

 声がする方へ視線を移すと、そこには我が子であるネギを抱えたアリカがいた。

 先ほどまでいたネカネは、いつの間にか帰ったようだ。

 うるさく感じていた泣き声も、止んでいた。

 セツ子は視線を前に戻すと、ネカネが座っていた椅子の上に金髪の少女のぬいぐるみが鎮座してあるのに気づく。

 

(あげたのに、ネカネちゃん忘れていっちゃったのかな)

 

 そんなことを思っているセツ子を、アリカは神妙な面持ちで見つめると、ふぅとため息をつく。

 

「セツ子、もう陽も沈んだぞ」

 

 セツ子はその言葉で、ハッとした表情を浮かべ立ち上がる。

 今更になって、明るいと思っていたのは、部屋の電灯の明かりによるものだと気づく。

 電灯の明かりを点けたのはアリカである。

 

「お、お洗濯取り込まなくちゃ!」

 

 慌ただしく動き出すセツ子を眺め、アリカは今一度短くため息をついた。

 

 

 

 

 

 

 

「妾が料理するなど久しぶりじゃ。味は期待するでないぞ?」

「す、すみません……」

 

 夕飯の買い出しに行く時間はとうに過ぎていた。

 何度も謝罪の言葉を述べ、冷蔵庫に残ったものでせめてーーと夕飯の支度に取り掛かろうとするセツ子をアリカは止めた。

 

ーー今の主に包丁を持たせるなぞ危なっかしくて見てられん、夕飯は妾が用意する故、主は大人しく座っておれ

 

 そういって、また謝罪の言葉を繰り返すセツ子を収め、いざ久方ぶりに台所に立ったアリカであったが……

 

「……酸っぱいな」

「……すみません」

「……主がなぜ謝る」

 

 アリカが作った「シチューと思しきもの」は、なぜか酸っぱかった。

 

 結局半分も口にしないうちに、喉を通らなくなってしまった「シチューと思しきもの」を片付け(その際セツ子はまた謝罪していたのは言うまでもない)、その後二人は思い思いの時間を過ごしていた。

 セツ子はアリカがネギに授乳を行なっている姿を見つめ、今度はネギに向かって謝罪の言葉を吐いていた。

 

「ネギ君、ごめんね……」

 

 セツ子は先ほどまでの自分が信じられなかった。

 育児放棄もいいところだ。

 下手したら取り返しのつかないことになっていた。

 

「明日、ネカネちゃんにも謝らないと……」

 

 昼間、セツ子が自分の世界へ旅立っている間、ネギの世話をしていたのはネカネである。

 台所のコップ立てには、消毒を済ませたと思われる哺乳瓶が立てかけられており、履いていたオムツ

も新しいものに取り替えてあった。

 

「まったく、セツ子は先ほどから謝ってばかりじゃな」

 

 アリカが外出から帰ってきてから、セツ子はかなり様子がおかしかった。

 アリカ自身、セツ子の異変に心当たりがあったため、それについて言及することはなかった。

 

(まぁ、真っ暗な部屋で我が子が泣きわめいていたから、なんじゃなんじゃと電気を点けたら、焦点の合っていない目で虚空を睨むセツ子がそこに佇んでいた時は……正直心臓が止まるかと思ったがの。)

 

 あの時、アリカは結構ビビっていた。

 

(ネカネは父親が話したのか知らぬか、知っていたのじゃろう。スタン老もなぜか知らぬがそのことを把握していた。スタン老が妾をわざわざ呼びつけた、それにネカネを寄越したのは、ネカネの口からセツ子に聞かせるためだったのじゃな)

 

ーーこの村の者は、皆気ばかり使ってくれる。……しかし、妾は

 

 アリカはそのことに感謝をするも、それ以上に、深い自責の念にかられていた。

 

(一親子にここまで肩入れをしてくれて本当に感謝している。しかし、妾はこの村の者に何も返してはやれぬのだ。妾の存在は、村の者たちに害しか及ばぬ……火種を運んでくることしかできぬ)

 

ーー本当に、すまない

 

 アリカはそう思い、今一度目の前にいる少女に目を向ける。

 

「……私、アリカ様に頼まれたのに、ネギ君のこと見ててって……頼まれたのに……ナギさんにも」

 

(まったく、二人揃って、謝ってばかりか)

 

 まるで似た者親子だなーーそう思って、アリカは目の前の少女にそんな感想を抱いた。

 

「セツ子、今日はもう休もう」

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

〜セクストゥム

 

 私はアリカ様と一緒の布団に入っている。

 アリカ様が「今日は一緒に寝ないか?」と勧めてくれて、私は自分が返事をしたのかも定かではないまま、気づいたら私はアリカ様に寄り添う形で布団の上で横になっていた。

 

 アリカ様は何も言わない。

 アリカ様も知っているはずだ。

 ナギさんたちが今行方知らずだと言うことは。

 スタンさんに呼ばれたのはそのことなのだろう。

 

 しかしーーアリカ様は何も言わない。

 ただ、黙って私の髪を撫でる。

 私は、この人に言わなければならない。

 

 私の、心の醜さをーーー

 

 

 

 

「聞いてもらって……いいですか?」

「うん?」

 

 私は、罪を告白する罪人のような気持ちで、話し始めた。

 

「ネカネちゃんに、ナギさんが行方不明になったって聞いたとき……悲しい気持ちになりました」

「あぁ……」

 

 

 そう、私はとても悲しかった。

 こうして私が生きていられる、「会えてよかった」と感謝を伝えた人が、大変なことになっているかもしれない。

 そんな状況だというのにーーー

 

 

「でもーーそれだけだったんです」

「……セツ子?」

 

 悲しかった。

 ただ、それだけ。

 

「ナギさんが帰ってこないかもしれない……私はそれに対して、ただ悲しいと思うことしかできなかったんです……!」

 

 ネカネちゃんの話を聞いた時、私はただ、悲しいと思っている自分、ーーそれだけしか思わなかった自分に驚いていた。

 それだけ?

 そんなものなの?

 こういう時は、普通こう思ったりするんじゃないの?

 

「ナギさんが帰ってこないのは嫌……だったら」

 

 ナギさんを探しにいけばいいじゃないか。

 あくまで、ナギさんは行方不明なんだ。死んでしまったわけじゃない。

 会えるかもしれない。

 今こそ、ナギさんに、アリカ様に受けた恩を、私は返すべきではないのか?

 

「探しに行きたい……そう、思うのが普通なんじゃないのかなって……でもっ」 

 

 

 

 

 

 

 

 でも、それでもし私に何かあったらどうするの?

 

 

 

 

 

 

 

「ナギさんがいなくなった……あのナギさんが、サウザンドマスター、最強の魔法使いと呼ばれる人が危機に陥った……!そんな人が陥った状況に対して私は何ができるんだろうって!」

 

 自分の声が次第に大きくなっていくのを感じる。

 

「もし、自分がそういう状況になったら…………戦わなくちゃいけなくなるかもしれない……!そんなの嫌!」

 

 旧世界にやってくる前、まだ魔法世界にいた時、私は魔法使いたちが戦っているのを見たことがある。

 

 何もかもがありえなかった。

 

 

 炎が空を覆う様を見て、息ができなかった。

 

 雷が山を消しとばす様を見て、足の感覚がなくなった。

 

 氷付けにされ、粉々に砕かれる木々を見て、体を抱いて震えた。

 

 大地が裂け、辺り一面に溶岩が吹き出す様を見て、涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 水が、全てを飲み込んでいく様を見て、私はこの世の終わりを思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔法なんて使いたくない!戦うだなんて絶対イヤ!!人を殺すだなんて考えたくない!!!……イヤ!そんなの絶対イヤイヤイヤ!!!!!!!!」

「セツ子!落ち着け!!落ち着くのじゃ!」

「私普通に生きたい!!!お洋服いっぱい買ってお洒落して、家族のみんなにお料理作ってあげて美味しいって言われたい!!!ぬいぐるみに囲まれたお部屋でお友達とお喋りして!!!好きな人と一緒に街中でお買い物して…………なのに、……戦うだなんて、痛いことなんてしたくないっ…………」

 

 

 

 止まらない。

 

 

 私の中の女の子が、いうことを聞いてくれない。

 

 

 溢れて、溢れてーーー

 

 

 

 

 

 「今のままの生活ができるんならこのままがいい!!!私は……私は普通の女の子でいい!!!」

 「……セツ子!!!」

 

 

 アリカ様が私を強く抱きしめる。

 まだ私は何か叫んでる。

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ネギ君が遠くで泣いてる声が、また聞こえた。

 

 

 

 

 

 



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ネカネちゃんは大切な友達です(震え)

「セツ子、それが人じゃ」

 

 アリカは、自分の胸に顔を埋ませているセツ子の頭を抱き、そう口にした。

 先ほどまで肩で息をしていた胸の中の少女は、今は呼吸も落ち着き、今はただその抱擁に身を委ねている。

 

「他者のために命を顧みず行動できる者などそうそうおらん。セツ子、主の考えは人として間違ったことではないのじゃ」

 

 セクストゥムはあれから一言も喋らない。

 アリカは言葉を続ける。

 

「セツ子。主は優しい子じゃ。大勢は、自分の無力に対して、そこまで本気で悩めはせぬ」

 

 そう、セクストゥムは悩んでいた。

 ネカネからナギ達の失踪の事実を伝えられたその時から、周囲の声が耳に入らなくなり、時間を忘れるほどに。

 

「戦いたくない、傷つきたくない、当たり前じゃ。皆が皆、死地へ向かうことを恐れぬ勇敢な心を持った者達ばかりなら、英雄という概念なぞ存在せん」

 

 そうであろう、セツ子?ーーアリカは諭すように言う。

 セクストゥムは答えない。

 

「主は、まだ生を受けて間もないのじゃったな。…………なら、主はまだ赤子ということになる」

「赤子……?」

 

 ここにきて初めてセクストゥムが口を開く。

 とは言っても、アリカの言葉を反復するだけではあるが。

 

「そうじゃ。主はネギと同じ赤子じゃ。自我を持っておろうが、そのようなことは関係ない」

 

 赤子、ネギ君と、同じーーセクストゥムはまだ言葉の反復を続ける。

 

「普段の主は、あまりに人が良く出来ている。いや、出来過ぎている。人とはこうあるべきだ、それを体現するかのごとく振舞っている。妾も、それが主の姿なのだと、ずっと思っておった」

 

 社会への適用能力、一般常識。

 セクストゥムは生まれてから常にそれらを意識していた。

 

「だが、妾は勘違いをしていた。先ほどの主の訴えを聞くまでな。セツ子、あれが主の本来の心。生まれたばかりの赤子の心、気持ちそのものなのじゃ」

 

 アリカはセクストゥムの頭を撫でる。

 

「ナギ達への罪悪感、自分の考え方に対する嫌悪感……赤子がそんなことを気にするものか。主はあまりにも普通とは異なる生まれ方をしてしまった。初めから与えられた、人が正しいと認識する行いを体現しようとする意識に、赤子の心がついていけるはずもなかろうて…………ッ」

 

 ここにきて、アリカの声色に変化が生じる。

 アリカは泣いていた。

 

「ナギの大馬鹿者め……!このような幼子に何を背負わせようというのじゃ……っ!セツ子は……セツ子は、ネギと同じ……妾らが守ってやらねばならぬ子供ではないか……!」

「ア、アリカ様……」

 

 先ほどまでとは真逆、アリカは感情を滾らせて言葉を綴る。

 セクストゥムは、アリカの語った話、今のアリカの様子を受けて困惑の表情を浮かべている。

 

「可哀想にのう……辛かったじゃろう。人の心を持って生まれてしまったばっかりに……主を取り巻く環境は、そんな主にとってただただ辛いだけだったのじゃな」

「アリカ様……私は……」

「様などつけぬでいい……!主は出会ってすぐに私のことを「アリカ様」などと……どこまで主は忠実なのじゃ」

 

 アリカのセクストゥムに向ける感情は、不幸な境遇に生まれた少女に対するものから、親が子に対するものへと変わっていた。

 子に試練を与えようとする父、それをかばう母。そのような構図が当てはまる。

 

「眠れセツ子、もうよい。子供はもう寝る時間じゃ。朝まで……っ、朝までこうして抱いててやるから……」

「…………」

 

 セクストゥムは、その後アリカに何も言葉を発することもなく、静かに目を閉じた。

 母の温もり、セクストゥムはその身に、確かにそれを感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「朝までしか……っ、こうしてお前といてやれない妾を…………どうか許してくれ……」

 

 

 安心した顔を浮かべて眠るセクストゥムに、その言葉は届かなかった。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ウェールズの早朝、スプリングフィールドの家の前には、何人かの村人が集まっていた。

 扉が開き、アリカが少ない荷物を背負った姿で出てくる。その手には我が子であるネギを抱えている。

 

「すまぬ、待たせてしまったか」

 

 集まった村人は皆神妙な面もちだ。

 その中の数人が、アリカに歩み寄る。

 

「任せてしまう形になって本当にすまない……ネギを、よろしく頼む」

 

 アリカに歩み寄った一人の女性に、赤子のネギが授けられる。

 この女性は、ネカネの母である。

 ネカネの母はアリカの言葉に頷き、手渡されたネギに優しい眼差しを送る。

 その様子を見ていた村人は、瞳に涙を浮かべる者もいれば、自分の力足りなさに拳を握りしめる者もいた。

 

「あの子、セツ子の様子は、いかがなもので?」

 

 この問いを発したのは、この村に住む老魔法使いのスタンである。

 アリカがセクストゥムを呼ぶときの愛称は、村に住む者達の間にも広まっている。

 

「セツ子はまだ眠っている。色々頭を使って疲れたのであろう」

「このことは、話したので?」

「……いや、セツ子には何も」

 

 アリカの言葉を聞いて、スタンは目を閉じて深く息を吐く。

 

「セツ子はナギ達のことで頭がいっぱいだったようでな……妾にはできんかった……すまぬ」

「ご自分を責めるのはよしてくだされ……あの子には儂らから言っておきますゆえ」

「すまない、セツ子のことも、ネギと同じくよろしく頼む……あの子は……」

 

 ーー妾の娘だ

 

 しかし、アリカはその後を言うことができなかった。

 子供を置いて出て行く、理由はどうであれ、その行為自体は変わらない。

 生まれたばかり、乳離れもしていないネギを。

 生まれたばかり、幼い心に不安を抱えたセツ子を。

 

(妾には言えぬ……主らの親だとは……主らを置いていく妾に、どうしてそんなことが言えようか)

 

 アリカの胸には、先ほどまで抱いていた二人の子供達の感触が残っていた。

 アリカはただ唇を噛んで、自らの行いを悔いることしかできない。

 その様子を見ていたスタンを含めた村人は、何も声をかけることができなかった。

 スタンはふと空を見上げた。

 

 空模様は、とても優れているとは言えなかった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

〜セクストゥム

 

 

ーーー…………んっ!…………ちゃん!………

 

 

 

 

 

 ん〜〜、ママ、もう少し寝かせてください……

 

 

 

 

ーーー…………起きてっ!…………セッちゃん!………セッちゃん!!ってば!!!

 

 

 

 うるさぃママですねぇ…………しょうがないですね……私が目覚めたら大変なことになるってことを教えて……て……?

 

 

「ネカネちゃん……?」

 

 目を開けると、そこにいたのはネカネちゃんでした。

 いつのまにか朝のようです。

 誰かに起こされるなんて、初めての経験ですね。

 って、あれ?

 

「ママは?」

 

 とっさに口にしたその言葉。

 その言葉は意図せず、自然に出たものでした。

 

「セッちゃん……」

 

 ネカネちゃんは首を振りながらため息をついています。

 あれ、私今変なこと言いました?

 ………………

 なんでしょう、急激に自分の顔に熱を帯びていくのを感じます。

 

 

 あっ…………///あぁ、あああ〜〜〜〜//////////

 

 

「あ、あの!その……ま、ま…」

 

 なんかものすごい恥ずかしいこと言っちゃった気がしますっ///

 いい、今のは、聞かなかったことにーーー

 

「ママに会いたい?」

 

 聞かなかったことにできないでしょうかっ…………て、……はい?

 

「…………え〜と、その」

「……………………」

 

 ネカネちゃんは、む〜っと口を噤んだまま私に顔を近づけてきます。

 10歳そこらの少女の圧力じゃありません。

 や、やっぱ昨日のこと怒って……

 ……近い、近い!近い!!

 

「あ、会いたいと、思います」

 

 なんかよくわからない返答をしてしまったと、自分でも思いました。

 ネカネちゃん……恐ろしい娘ッ!

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ネカネちゃん……そろそろなんなのか話してくださいよぉ……」

「…………シッ、黙ってて」

 

 ネカネちゃんの謎の圧力に屈した私は、ネカネちゃんがいつの間にか用意していた特大リュックサック(子供の体型から見たら)を無理やり背負わされ、言われるがまま、村の家と家の間を這うように移動を行なっている最中です。

 

「…………」

 

 ネカネちゃんはさっきからずっとこんな調子です。

 というか、朝起きてからというものの、何がなんだかわからないことばかりです。

 家には私とネカネちゃんしかいなく、アリカ様とネギくんは?と聞いたらーーー

 

ーーーネギ君はウチで預かってるよ。……アリカさんは、会いたかったら黙ってついてきて。

 

 脅迫ですか!?

 少し文章入れ替えればまんまそれです。

 昨日の私があまりにダメダメだった故に、このままネギ君を任せてはいられない、そういう意味ですか!?そう聞いたのですがーーー

 

ーーー半分アタリで半分ハズレ。ていうかセッちゃん、ぐだぐだ言ってないでさっさと着替えて。3分後には出るよ。

 

 そんなわけで、半分涙目になりながら普段着ている使用人服(なぜわざわざそれを選んだのか)に着替え、特大リュックサックを背中に換装。ネカネちゃんにひきづられるような形で家を出て、今に至ります。

 ひょっとしてピクニックですか?アリカ様とネギ君は先に行ってるとかーーーーはい、めっちゃ睨まれました。

 もう話しかけるのも怖いです。

 ちなみに天気はめっさ悪いです。いつ雨降ってもおかしくありません。

 最悪のピクニック日和ですね。

 

「……大体出払ってるみたいだね、よし、セッちゃん!走るよ!」

「ぅえ!?急にそんな「急いで!」……ま、待ってくださいって「静かにして!」…………ぅう」

 

 ネカネちゃんを怒らせるようなことは今後やめよう。

 そんな見当違いなことを思っていた私でした。

 

 

 

 そんなこんなで、異様に重たいリュックを背負った状態で全力疾走を強いられた私は、村のはずれ、森の入り口までやってきました。

 

「森に入るよ」

「……ゼェ、ゼェ……ぇえ!今度は森の中ですか!?もぅ勘弁し……わかりましたお供させていただきます」

「…………」

 

 もうやだこの子怖い。

 というかこのリュック何が入ってるんですか!?

 いくら魔力封印されてるとはいえ、私の体はそんじゃそこらの子供の体とは違う、ちょっとの負荷じゃ息も上がらないはずなのに!

 息も絶え絶えな私に対して、ネカネちゃんは器用に木々の枝を跳ね除けずんずんと森の奥へ奥へ歩を進めていきます。

 

 痛い、痛い!

 ネカネちゃんに跳ね除けらた枝たちが、報復とばかりにしなりを上げ私に襲いかかります。

 涙とか鼻水とか生傷とかで私の顔面は、それはもう酷いことになっています。

 ネカネちゃんSです、ドSです!皆さん、ネカネちゃんはドSです!

 ネカネちゃんと結婚を前提でお付き合いを考える方々は、ご自分の性癖趣向にご相談した上で覚悟を決めてください。

 

 あぁ〜、私、このままじゃ変な扉を開いてしまーーー

 

「……ッ!伏せてセッちゃん!」

「へぶっ!?」

 

 ネカネちゃんが急に振り返ったの思ったら、私の頭をぐわしと鷲掴み、そのまま地面へと叩きつけられました。

 背中のリュックサックの重さが後押しして、とてつもない相乗効果を生みました。なんか地面にめり込んでません?

 これが「引き裂く大地」……

 一瞬だけ見えたネカネちゃんの表情がやばかった。

 目がマジでした。

 

「……うっ……ぇうぅ…………」

「よかった……ただのオコジョかぁ……ってセッちゃん顔面酷いことになってるよ!?」

「……ヒク、う、ぅ〜〜……びぃえぇぇぇええええええん!!!!」 

 

 

 

 もうこんなピクニック嫌ぁあああああああ!!!

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「アリカ様が、遠くに行っちゃう?」

 

 あれから森を抜け、芝生が生い茂る広場に出た私たちはその場に座り込み、つかの間の休憩を取ることにしました。

 さすがのネカネちゃんも私の顔面の惨状を見て気を使ってくれたようです。

 ネカネちゃんから渡されたハンカチで顔を拭いている時、ネカネちゃんはそんなことを言いだしました。

 アリカさんが遠くへ行ってしまうーーーと。

 

「今朝ね、セッちゃんがまだ寝てる時だよ。アリカさんが村の人を何人か連れてこの村を出て行くのを見たの」

 

 ネカネちゃん、夜更かしはしても朝は早いんですね……って今はそんなことじゃなくて!

 

「く、詳しく聞かせてください!」

 

ーーアリカ様は朝、スプリングフィールドの家の前で村の人と挨拶を交わしていた

ーーその時、ネカネちゃんのお母さんがネギ君を預かった

ーーその後、村の中でも凄腕の魔法使いの方々何人かを連れて、この村を出て行った……と

 

「先に言ってセッちゃんが昨日見たくダメダメになっちゃうと困るからね。あえて黙ってた」

 

 う、やっぱり、ネカネちゃん根に持ってますね。

 

「えっと……単に遠くへお出かけに行った、とかではないんでしょうか?それこそ、街とかに……」

 

 私がこの村に来てから、アリカさんが遠出をするなんて初めてのことです。

 最近まで出産やらネギ君のお世話でそれどころじゃないのもありましたけど。

 それにしても、そんな朝早くから、私に何も言わずになんてことがあるのでしょうか?

 

「こんな天気の悪い日に遠出なんてするわけないよ。それに……そんな雰囲気でもなかったしね」

 

 です、よね……

 正直今にも雨が降ってきそうです。

 さっきまでピクニックとか思ってた私って……

 

「アリカさんがウェールズの村に滞在してるってことは、基本村の中での秘密。それはセッちゃんも知ってるでしょ?」

「はい、この村に来た時にナギさんから聞きました……なぜならーー」

 

 

 

ーーーナギさんは賞金首だから

 

 

 

 私がこの世界で目覚めた時、電子精霊と一緒に脳内に保存されていたガイドマップ。

 それは完全なる世界の日記帳のようなものでありながら、現在の社会情勢、そしてナギさんたち紅き翼に関する情報も載っていた。当然、アリカ様のことも。

 ナギさんたち紅き翼は、今の魔法関係者なら誰もが憧れる存在。

 大戦の英雄として、それから偉大なる魔法使いとして。

 皆が皆彼らのようになりたい、そう思ってやまないのが紅き翼、そして、サウザンドマスターなのだ。

 そんなナギさんが、いかなる経緯で賞金首になってしまったのか。

 そのこともガイドマップに書いてあった。

 わからないことがあれば随時、電子精霊にネットから情報提供、補足を頼んだ。

 紅き翼のメンバーは今どこにいるのか?

 そして、アリカ様は何者なのか?

 ナギさんはとある組織から恨みを買っている。

 それは、ナギさんがアリカ様を助けたから。

 なぜそれで恨まれるのか?

 ーーーそれは「はいセッちゃんストーップ」……っ!

 

「へぶぅ!?!?」

 

 いきなりネカネちゃんに両頬を平手でサンドイッチされました!

 今日こんなのばっかり……

 

「危なかった……もうちょっとでセッちゃんが昨日のダメダメモードに入るとこだったよ……」

「ダメダメモードって!?」

 

 た、確かに……なんか今ちょっと入りかけてたような気がしますけど……!

 ていうか変な名前つけないください!

 

「やっぱ最初に話さないで正解だった。万が一先に話して、セッちゃんが使い物にならなくなっちゃったら、こうして連れてくるのも一苦労だったよ」

 

 もうネカネちゃん、私に対して遠慮という言葉がなくなりましたね。

 昨日とはまるで別人ですよ。

 こんな私で本当にすみません。

 

「一旦話戻そう?ナギさんたちがウェールズに滞在してることは村の中の秘密。言い方を変えれば、ナギさんたちはある意味お尋ね者ってところになるのかな」

「はい、ネカネちゃんの表現は間違っていません。ナギさんたちはお尋ね者、追われる身です」

「多分、ここら辺のことはセッちゃんの方が詳しいんじゃないかな。で、そのお尋ね者であるナギさんとアルさんが先日から行方不明、そしてアリカさんはネギ君を私のお母さんに預け、朝早くから村を出た。村での凄腕の魔法使いを護衛に引き連れて……このことが意味するのは……」

「アリカ様は……ナギさんたちを探しにいった?とか?」

「それもありそうだけど……私の考えたことはそれとは別。それはーー」

 

 

 

 

 

ーーーアリカさんが、ウェールズの村から離れなければいけない理由ができてしまった、から

 

 

 

 

 ネカネちゃんがその言葉を言い終わるとほぼ同時、遠くから耳をつんざくばかりの轟音が聞こえた。

 それは、私たちが先ほどまでいた場所、ウェールズの村の方からだった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 セクストゥムとネカネの耳に謎の轟音が届いたと同時刻。

 現在、ウェールズの村の外れの至るところで、魔法使いたちによる戦いが繰り広げられていた。

 轟音の正体、それは攻撃魔法同士の衝突によるものであった。

 

「ーーー我が手に宿りて 敵を喰らえ ーーー白き雷!!!」

 

ーーーーバリバリバリバリッ…………ズドォォォォォ!!!

 

「がぁっ……!!?」

「メガロの下っ端が、俺たち村の魔法使いを舐めんなよ!!」

 

 迎え撃つは村の魔法使い達。

 対するは、メガロの下っ端と呼ばれる者達。

 両方の戦いの様相は、村の魔法使い達が優勢と見える。

  

「くそっ!こんな英国の片田舎に、なぜこれほどの魔法を行使する奴らが「喋ってる場合かよ?」……!?ぐぁっ!?」

「ナギの馬鹿に頭下げて頼まれてんだ、テメェら下っ端を何人たりとも村の中に入れるわけにはいかねぇんだよ!!」

「誰一人逃すな!この場で終いにしてやるぞ!」

「「「おう!!!」」」

 

 村の魔法使い達の奮闘により、幸い、村の中、民家までには被害が及んでいない。

 非戦闘員である他の村人達は皆、村のほぼ中央一箇所に集まっている。

 その中にいた村の老魔法使い、スタンは、村全体の状況を隈なく把握するべく、探知魔法による索敵を行なっていた。

 

(ナギがいなくなって早々仕掛けてきたか……さては張られていたか。メガロメセンブリアの奴らめ)

 

 スタンは、ナギとアルビレオが行方を眩まして、真っ先にこのような事態になることを読んでいた。

 

(敵の術者の程度からして、恐らく末端の奴らの暴走じゃろう。不幸中の幸い、最も、ナギがいれば奴らも迂闊に手は出せなかった……アリカ殿も村を出て行かずにすんだもの……ったく、あやつはいつも儂の手を焼かせおって)

 

 スタンはそう思いながら、周りの村人達に目を向ける。

 

「くそ、メガロの下っ端が……直接村に仕掛けてきやがるとは……!」

「こうなる可能性は踏んでたが……いや、泣き言も言ってられねぇ、ここを凌いじばえば、丸く収まるんだからよ!」

「そうだ、この間にアリカさんをできるだけ遠くへ逃してやるんだ!」

 

 村人は互いに互いを励まし合う。

 村人はこの状況に対して不安がないわけではない。

 しかし、それ以上に村人達にはプライドがあった。

 

 ーー俺たちはナギの馬鹿に頼まれた

 

 大戦の英雄であるナギに対する憧れは、村人達の心の中にも存在した。

 いや、近くにいたからこそ、その感情はなおさら強いものとなっていた。

 幼い頃、ナギと共に魔法学校へ通っていた者達の中には、ナギの才能を妬む者も少なからず存在した。

 なぜ、あいつだけが。

 なぜ、あいつと俺たちはここまで違う。

 しかし、時が経った今、そんな彼らは大人になった。

 当初ナギに抱いていた感情は、あまりに馬鹿げた偉業を成し遂げた事により呆れへ、それを経て、尊敬へと変わっていった。

 そんなナギが、自分たちのことを頼った。

 自分たちの力を必要としている。

 大戦の英雄が、自分たちの力を信じてくれている。

 それが自分たちの誇りだ。

 自分たちはそれを裏切るなんてことはできない。

 

「お、俺も加勢に行ってくる!」

「テメェ!抜け駆けはさせねぇぞ!」

「魔法の射手くらいしかまともに使えねぇ奴はおとなしくしてな!」

「ばっ!……俺の魔法の射手は天をつらぬーーー」

 

 スタンは、その様子を見てこう思う。

 

ーー村の一大事じゃと言うに緊張感のない奴らめ……ったく、ナギ、お前が何人もいるようじゃよ

 

 この村は大丈夫ーースタンはそう心に秘め、探知魔法に集中をしようと始めたその時だった。

 

 

「おい!そっちにセツ子ちゃんとネカネちゃんはきてるか!?」

「は!?お前探しに行ったんじゃ……おいおい冗談だろ……」

 

 

 スタンはすかさず探知魔法の範囲を広げ、大声で叫んだ。

 

「ったく!一体どこで何をしとるんじゃあの二人は!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その頃、セクストゥムとネカネはというとーーー

 

 

「大人しくっ……!唇を奪われなさい!……セッちゃんったら!!!」

「ダメダメダメダメ!!!お、女の子同士なんてそんなっ//////////」

 

 

 

 今まさにナニをしようとしていた。

 

 

 

 

 

 



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10連仮契約って……なんか儲かりそうな響きですね

 〜セクストゥム 

 

 村の方角から謎の轟音が聞こえた私たちは、その場からとにかく離れようとむやみやたらに走り続けました。

 正直な所を言うと、私たちは大きな音にびっくりした、ただそれだけでした。

 そこら辺は私もネカネちゃんも外見相応の反応でした。

 今日初めてネカネちゃんの子供らしい反応を見れたので、この後からかうのが楽しみだなぁ〜と思ったのも束の間ーーー

 

 

「なんでこんなちっこい嬢ちゃんらがおんねん。この嬢ちゃんらが今回の標的なんか?」

「なーー」

 

 なんで、こんなところに魔族がーーネカネちゃんがそう零す。

 見上げるほどに巨大な背格好、黒々とした肌はまるで鎧のよう。口は耳元まで裂け、鋭利な牙が覗いている。

 魔族の軍団が私たちの眼前に立ちはだかっている。

 数は……?いやこんな数えたってどうしようなない。

 恐怖による硬直で動けない私達を尻目に、魔族たちは私達の周りを囲み始める。

 

 

「金髪の女言うたか?片方の嬢ちゃんがそうかいな」

「ちゃうな。標的は大人の女や。……なんや儂等だけ変なとこ飛ばされたようやの、他の仲間はもっと先行っとるで」

「かぁ〜、じゃ今から行っても間に合わんやんけ。召喚場所くらいちゃんとしてほしいわ、今回の術者はヒヨッコかいな」

 

「「…………」」

 

「おう、ところでこの嬢ちゃんらどないすんねん。とりあえず殺っといた方がええか?」

 

「「……ッ!?」」

 

「命まで取る必要はあらんやろ。……嬢ちゃんら、はよここから去れや。見た所迷子かなんかやろ。とっととウチ帰りぃ」

 

 そう言って魔族は、道を開ける。

 私たちは助かる。

 このまま今来た道を引き返せばいい。

 それなのにーー 

 

 

「……セッちゃん」

 

 

 私の足は動こうとしない。

 意思は折られたも同然。身がすくんでしまったのだろうか。

 

 

 …………

 …………

 …………

 

 

 

ーーーああ、またこの感覚だ。

 

 ナギさんたちが行方不明になったと知った時にも味わった、まるで世界から私が遠のいていくような、そんな感覚。

 この世界に、私の居場所などなかったんだーーあの時、そう思ってしまった私の心。

 

 目の前の魔族たちは言ったーー標的は大人の女、他の仲間はもっと先に行った。

 それが誰であるか、その言葉が何を意味するか、さすがの私でもここまできたら嫌と言うほどわかる。

 

ーーーアリカ様が殺されてしまう

 

 魔族たちは、もう間に合わないと言った。

 おそらく、アリカ様は今にも捕らえられようとしているのかもしれない。

 ナギさんがいなくなってしまった、今度はアリカ様が……

 私のーーお母さんが……

 

 怖いーー

 逃げたいーー

 早くこの場所から立ち去って、楽になりたいーー

 行ったところで間に合わないのなら、いっそこのまま引き返したいーー

 

 

 でもーーそこに私の居場所は……

 

 

 

「あっ……」

 

 ふと、ネカネちゃんと目があった。その瞳は震えている。

 私をここまで連れてきてしまったことに対する罪悪感か。

 はたまた、私にまだ何かを期待している、のか。

 そのどちらでもあるかもしれない。

 

ーーー私は試されている

 

 ネカネちゃんを通して、世界が私を見ているかのような、錯覚。

 私が、この世界で舞台に上がることができる器たる者なのか、そう問われているかのような。

 

ーーー今、この世界にお前の居場所はない

 

ーーーわざわざ居場所を用意してやるほど、この世界は甘くなどない

 

ーーーお前は、居場所が欲しいのなら、自分でどうにかしなければいけない

 

 

 

 

 

 

 

ーーーそれだけの力は、儂は用意してやったつもりじゃ

 

 

 

 

 

 

 誰かに、そう言われた気がした。

 

 

 

 

「ネカネちゃん……私、逃げたくない」

「……セッちゃん」

 

 逃げたくないーーその言葉は意図せず私の口から出ていた。

 

「私は……この先に行きたい……」

 

 ネカネちゃんには迷惑をかけてしまうかもしれない。

 もしかしたら、私は取り返しのつかないことをしようとしているのかもしれない。

 もし自分に甘えがなかったらなんて……ネカネちゃんをただ危険にさらしてしまうことも……

 なんて都合の良いことを私は考えているのでしょうか。

 それでも……それでも私は……

 

 

 

「私……私、アリカ様に会いたい……っ!!!」

 

 

 

 

 ネカネちゃんは、「ホント、しょうがない子に付き合っちゃったな」と、困ったような、それでいて笑ったような表情を浮かべた。

 

 

 

 私とネカネちゃんは、改めて目の前の魔族を見据え、これからの動きについて言葉を交わし合う。

 

「セッちゃん、身体強化の魔法は使える?」

「……いま、魔力が封印されてまして」

「……そう、だったね。うん、私もすっかり忘れてたよ……」

「申し訳ございません」

 

 ホント、私ってば完全にやらかしてます。

 足手まといとかそんなレベルじゃないです。

 こんな大事な時に私というものは……!

 

「ないものねだりしてもしょうがない。セッちゃんがそんな状態だったのを忘れてた私のミス……だったら……」

 

 静かになるネカネちゃん。

 それから間も無く、ネカネちゃんが小声でボソボソと言葉を発し始めます。

 

 

「ーー逆巻け、春の嵐、我らに風の加護を……『風花旋風 風障壁』!!!」

 

 

「なんや!?ぬぅうう!!!?」

 

 私とネカネちゃんを中心に、竜巻が吹き荒れる。

 その余波で何体かの魔族を巻き込んだようだ。

 これは、今ので相手を怒らせちゃったかな……

 ある程度まで広がった竜巻は、その勢力を保ったまま停滞。

 そして、私たち二人と魔族を分かつかのように、今も両方の間を隔てる壁として機能している。

 

「こ、これって!?」

「あくまで時間稼ぎ、持って3分かな……でも、今はそれが重要だから」

「これで完全に敵対宣言というわけですね……」

 

 今の魔法で魔族たちもこちらに敵意があると悟ったのだろう。

 竜巻の向こう側から、この壁を突破しようと試みている音が聞こえる。

 すごい、ネカネちゃんこんな魔法まで使えたなんて……

 私がネカネちゃんの魔法行使の力量に驚いているとーー

 

「さぁ、今なら邪魔は入らないよ」

「え、なんで私の肩を掴んで……」

 

 肩を鷲掴まれ、目の前には真剣な眼差しのネカネちゃん。

 

「いくよセッちゃん、初めてが私なんかで悪いけど……」

 

 そう言って顔を近づけてくるネカネちゃん。

 互いの吐息が唇にかかる。

 時間稼ぎって……現実逃避のための!?

 私は、ネカネちゃんがおかしくなってしまったーーそう思って、思いっきり暴れた。

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

「え!仮契約!?」

 

 突如私の唇を奪おうとしだしたネカネちゃん。

 必死な抵抗を示した私に対して、ネカネちゃんが言った言葉がそれでした。

 

「そうだよ、たった今私が地面に仮契約の魔法陣書いたでしょ?」

 

 それ見て把握してくれないと困るよ?まったくーーどことなく会社の上司みたいなことを言うネカネちゃん。

 すみません、私、勉強不足でした……

 

「いつのまにこんな綺麗な魔法陣を……いつ練習したんですか?」

「こういうのは得意なんだよ、来るべき日のたまに練習してたんだから……って、馬鹿言ってないで、さっさとやるよ?セッちゃんが今この場であまりに無力なのは、さっきわかっちゃった事なんだから」

「そ、その事に関しては……大変申し訳ない気持ちでいっぱいです」

 

 まったくこんな一刻も争うって時にーーネカネちゃんはそう言いますが、事情を知らない人から見れば緊急事態時にキスを迫る少女ですけどね……この場合。

 

「いい?何も仮契約で戦力補強をして、あの魔族たちと正面からやり合えだなんて言わない。だからこの仮契約でーーー」

 

 ネカネちゃんから、今回の作戦のプランが聞かされる。

 

「私がセッちゃんを従者として仮契約すれば、魔力供給でセッちゃんの身体能力を強化できる。この風障壁の効果が切れると同時に、私がなんとか道を作るから、セッちゃんは全力であの魔族たちの中を突っ切ることだけを考えて」

「そ、それだと……ネカネちゃんが!?」

 

 私が囮になるーーネカネちゃんはそう言っている。

 確かに、いくら私が仮契約でアーティファクトを得たとしても、二人であの数を相手にするには心もとない。

 それに、この場合ただネカネちゃんに負担がいくだけだ。

 

「セッちゃんの我儘に付き合って死ぬつもりはないよ。大丈夫、私はある程度引きつけたらすぐに逃げるから」

 

「ネカネちゃん……どうしてそこまで……」

 

 ネカネちゃんはどうしてそこまで私のことをーー

 

「セッちゃんみたいな子供がいちいち気にしない。それに、私だってウェールズの村の住人、サウザンドマスターに憧れる一人の魔法使いなんだから」

「そんな……そんな理由で、何もネカネちゃんが……」

 

 私がそう言うと、「もう、時間がないって言ってるのにしょうがないなぁ」と言って、ネカネちゃんは互いの額を合わせます。

 

「これからのセッちゃんにアリカさんは絶対必要。セッちゃんったらまんま、お母さんとはぐれた子供だもん。このまま離れ離れなんてダメ、そんなのセッちゃん耐えられないよ。私もそんなセッちゃん見たくない」

「…………」

「ネギ君のことなんてもっと任せられない。ネギ君のことは私とか、他の村の人に任せてくれればいい。今のセッちゃんがお世話するより全然マシだよ」

「……っ!……うぅ、ネカネちゃん……」

 

 思わず目がにじむ。

 情けない。

 目の前のネカネちゃんに比べて、今の私はとにかく情けない。

 今まで私を呪ってやりたいくらい。

 

「覚悟を決めて、アリカさんに、お母さんに会いたいんでしょ?さっきのセッちゃんの言葉が嘘だったなんて言わせないよ」

 

 心に決めよう。

 いつか、目の前のネカネちゃんみたいになるって。

 こんな、こんな素敵な女の子になるって。

 だから今はーーー

 

「決めたよネカネちゃん、私、もう逃げないから。だからネカネちゃん、私に、私に力を貸して!!!」

「うん、今まで一番いい顔だよ、セッちゃん」

 

 改めてお互い姿勢を正す。

 

「セッちゃん、今度は暴れないでね?じゃあ……いくよ?」

「ネカネちゃん、お願い…………」

 

 

 

 

ーーー『仮契約(パクティオー)!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーキィン!キィン!キィン!キィン!キィン!キィン!キィン!キィン!キィン!キィン!

 

 

 

 

 

「「!?」」

 

 聞いたことのない音が連続で鳴り響く。

 思わず目を見開いたら、私たち二人がようやく入れるくらいの大きさだった魔法陣が、視界を覆うほどの光を放ちながら周囲に展開していく。

 

 最後にひときわ輝かしい光を放った後、頭上から何枚かのカードが落ちてくる。

 

 

 

 

 そのカードの枚数は、10枚だった。

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

ーーねぇねぇねぇ!なんかメール来たよ?

ーーアハトアハト

ーー開いとけばどうせ勝手に見るでち

ーーわぁお!開封!開封!

 

 

(……………………)

 

 

 

ーー「仮契約(パクティオー)カード・2G(セカンドジェネレーション)」による初のシリーズテーマ「きせかえごっこ」のマスターとして選ばれた方に本メールを送付させていただきます。

 

ーー本メールでは、「仮契約(パクティオー)カード・2G(セカンドジェネレーション)」(本メールでは「2Gカード」と略)の取り扱い、またこれからの仮契約ライフを快適にお送りいただくための注意事項をご紹介いたします。

 

 

ーー2Gカードは、「C(コモン)」「R(レア)」「SR(スーパーレア)」「SSR(ダブルスーパーレア)」の4種のランクに各種分類されます。

 

ーー2Gカードは、「C(コモン)」ランクのカード群を除いて、従来の仮契約(パクティオー)カード通り、来たれ(アデアット)去れ(アベアット)でアーティファクトの開閉が行えます。

 

ーー2Gカードに、「魔法使い側のカード(マスターカード)従者側のカード(コピーカード)」といった概念は存在しません。よって2Gカードの複製を行うことはできません。

 

 

ーー2Gカードを用いた「魔力供給」を行なう場合〜 魔力供給を受けたい相手に、自身が所持する2Gカードテーマ群の中から、どれでもいいので一枚贈呈してください。2Gカードを渡した相手(ゲスト)と、自身(カードテーマのマスター)との間で、相互の魔力供給を行なうことが可能です。

 

 

(…………な、なんですかこれ)

 

 

 仮契約(パクティオー)カードにこんな要素は存在しないはず!?

 し、しかも地味に書いてあること多い!

 

 

 

ーー追加の2Gカードの入手は、仮契約(パクティオー)一回につき1枚入手できます。

ーーまた、基本的に同じ相手との仮契約(パクティオー)は1日に1回という制限が付いています。

 

ーー10連仮契約(パクティオー)を行なう場合、一回の仮契約(パクティオー)で10枚の2Gカードを入手できますが、それを行なった相手とは10日間の間、仮契約(パクティオー)を行なえません。

 

 

 

(これって仮契約って言うより単に見境ないただの……って!悠長に読んでる場合じゃありません!)

 

 

「セッちゃん!?」

「ッ!」

 

 もう猶予はあまりない。

 私は急いで足元に散らばった10枚の仮契約(パクティオー)カードをかき集める。

 

 

ーーきせかえごっこ〜「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」(C(コモン)) 〜9枚

 

ーーきせかえごっこ〜「紫陽花の指輪(アジサイノユビワ)」(R(レア)) 〜1枚

 

 

 私は「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」と書かれた、9枚もダブっているカードを1枚ネカネちゃんに渡す。

 ちなみに「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」のカードに写っている私は、今身に着けている使用人服の姿で、なぜか包丁を握っていた。

 

「このカードで私に魔力供給して!」

「!うん、わかった!ーー契約執行、180秒間、ネカネの従者、セクストゥム!!!」

 

 ネカネちゃんも今回の仮契約(パクティオー)の結果に戸惑っていることだろう。

 それでも、ネカネちゃんは何も言わずに私の言うことに従ってくれる。

 

「…………!」

 

 来た!

 ネカネちゃんの魔力が体に流れてくる!これなら……!

 

「セッちゃん、障壁が解けるよ!準備して!!」

「いつでもいいよネカネちゃん!」

 

 お互い各々の構えをとる。

 ネカネちゃんは呪文の詠唱を始めたようだ。

 タイミングは外さない。

 しっかりと合わせてみせる!

 

 

 

「雷を纏いて、吹きすさべ、南洋の嵐ーーー『雷の暴風』!!!!!!」

 

 

 

 

 私は今、ようやく前へと走り出せた。そんな気がした。

 

 

 

 

 

 



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とりあえず斬りかかるしかない

茶々丸「マスター、もうそろそろ出番です」

エヴァ「長いわ」


〜セクストゥム

 

「きぃええええええええええええ!!!」

「うぉ!?あっぶね!!!」 

 

 

 草木が香る森の奥深く、そこで遭遇してしまったーー

 

 

「シィィィイ!!!!!!!!!」

「うひゃ!?このガキ、また投げてきやがった!!!」

 

 

 魔法使い達相手に私はーー

 

 

「このガキ気が狂ってやがる!?それは人に向けていいもんじゃねぇぞ!?」

「落ち着け!手元にあるのは投げちまったんだ!このガキにもう武器は「来たれ(アデアット)」ってまだ持ってんのかよ!?」

「こぉなくそぉおおおおお!!!!!!!」

「<ブォンーーガキィィン!!>のぁ!?障壁にひびが!?ち、散れ!散れ!囲んでやってまえ!」

 

 

 

 

 「包丁」を振り回していましたーー

 

 

 

 

 

(こんな、こんなはずじゃなかったのに〜〜〜〜〜〜!!!!!)

 

 

 

 

 

 

〜これより少し前

 

 

 私たちの作戦は成功した。

 一直線に放たれたネカネちゃんの『雷の暴風』は、進行方向にいた魔族達を飲み込みながら道を作り、その空いた道を私は全速力で駆け抜けた。

 魔族たちの驚く声が聞こえるが、気にせず進む。意識は私の方には向いていない、脅威は今の攻撃を放ったネカネちゃんだと認識したのだろう。

 魔族の群れを抜けた私はそのまま真っ直ぐに走る。追ってはない。

 

「よし、成功!ネカネちゃんはーー」

 

 後方の様子を確認しようと首を向けようとして、やめた。

 ここまできたら、後はネカネちゃんを信じるしかない。

 

(ありがとうネカネちゃん……私頑張るから、絶対アリカ様を助けるから……だから、お願いだからネカネちゃんは無事に逃げて)

 

 ネカネちゃんから流れてくる魔力を感じながら、どうかこの魔力が不意に途切れることの無いように祈る。

 しばらく走り続け、私は再び木々が生い茂る森の中へと入った。

 木の間を縫うように移動するしかない、そんな自分に苛立ちを覚える。そうだーー

 

(電子精霊の皆さん!今すぐ私に飛行魔法をインストールしてもらえませんか!?いいですか、すぐにですよ!)

 

 今私の体にはネカネちゃんから供給された魔力が流れている。

 この魔力を使って、一時的ではあるが魔法の行使が可能になるかもしれない。

 ネカネちゃんの魔力供給がいつまで続くかわからないが、ここまできたらもう破れかぶれ、やれることは全部やるしかない。

 

ーーやっと家事以外のこと覚える気になったのね!

ーーいい加減この魔法のインストーラーファイル邪魔だったから捨てようと思ってたところだったでち!

ーーデスクトップがごちゃごちゃで泳ぎにくかったんだよね〜!ありです!

ーーこの前……頭、ぶつけました……

 

(なんか、すみません……というか、一応ファイル自体はすでにあったんですね)

 

ーー真っ先にインストールしようとしたでち!それを止めたのはたいげ〜でち!

ーー「え、ちょ、じゃこれどこ置いとけばいいの?」的な空気になったのね!忘れたとは言わせないのね!

 

(あ、そうでした。それと、私「たいげ〜」とかいう名前じゃないですよ。セクストゥムです。ってそんなことより早くインストールしてください!)

 

ーー飛行魔法のファイルを探せばいいんだね?任せてよ!

ーーもぐもぐ〜〜……

 

 

 

 これで飛べる!と、そう思ったんですが……

 

 

(ええ〜〜2時間!?そんなにかかるんですか!?!?)

 

 なんと飛行魔法のインストールには2時間もかかると電子精霊たちが言うのです。

 

ーー杖や箒といった飛行に特化した魔法媒体無しの飛行魔法なんて、普通の魔法使いじゃ習得すら困難な魔法なんだよ?

ーーむしろ、2時間で済むことに感謝して欲しいでち

 

(そ、そんな……)

 

 素直に森の中を突っ切る……そうするしかないですね。

 準備って大切だなぁ……

 

ーー魔法媒体自体はさっき手に入ったみたいだけどねー

ーー水系魔法なら最上級極大魔法だろうがなんだろうが10分程度でインストールできるのね!そっちをオススメするのね……ちょっと、聞いてるの?

 

(え、魔法媒体?私いつのまにそんなもの……)

 

 さっき手に入ったって……ひょっとしてーー

 

(この、仮契約(パクティオー)カードのことですか?確か、2G仮契約(パクティオー)カードでいいんでしたっけ?)

 

 そういって、私は9枚の2G仮契約(パクティオー)カードを取り出してみる。

 にしても同じ絵柄のやつばっかり……

 

ーー1枚だけ、指輪が描いてあるやつがそうでち

ーー無視しないでなのね!!!

 

 そういって電子精霊が、アーティファクトを解析したデータを表示してくれる。

 私は、先ほど届いた2G仮契約(パクティオー)カードの取説と照らし合わせながら、カードの確認をすることにした。

 

 

 

 先に、従来の「仮契約(パクティオー)カード」と、「2G仮契約(パクティオー)カード」の間の相違点から。

 

 

 ルールその1

「セクストゥムは、誰かと仮契約(パクティオー)を行なうことで、従来の「仮契約(パクティオー)カードとは異なる、2G仮契約(パクティオー)カード、「きせかえごっこ」を入手することができる」

 

 

(え〜と……)

 

 〜私が仮契約(パクティオー)して手に入るカードは、皆「きせかえごっこ」と呼ばれるシリーズのもの

 〜それは普通の仮契約(パクティオー)カードとは違う

 〜こんなややこしいカードが出て来るのは、今の所私だけ

 

 

(こんなとこですか?「2G」とか、「きせかえごっこ」とかややこしいから、私はこれから「きせかえごっこカード」で統一しますか。)

 

 

 

 

 ルールその2

「『きせかえごっこ』カード所有者同士の念話、魔力供給が可能。『きせかえごっこ』カードを所持した時点で、アドレスが作成、リストに登録される。以降、カードの所有者はそのアドレスリストの中から対象を選び、念話、魔力供給が可能になる。拒否することもできる。」

 

 

(え〜と、……仮に、今私の「きせかえごっこカード」を持っているネカネちゃんに加えて、アリカ様にカードをあげれば……)

 

 〜ネカネちゃんは、私だけじゃなく、アリカ様とも念話ができる

 〜私、ネカネちゃん、アリカ様の3人は、互いに魔力供給をできる

 〜ネカネちゃん、アリカ様とは全く関係のない人にカードを渡した場合でも、同じことができる

 

 

(…………従者とかもう関係ないじゃないですか。いいんですかね、これ)

 

 

 

 

 ルールその3

「『きせかえごっこ』カード所有者を召喚できる。ただし、これは『きせかえごっこ』のマスターであるセクストゥムにしか行えない」

 

 

(今「きせかえごっこカード」を持ってるのは私とネカネちゃん、このことを例にすると……)

 

 〜私は「きせかえごっこカード」のマスターだから、ネカネちゃんを召喚できる

 〜しかし、ネカネちゃんは「きせかえごっこカード」を持ってても、私を召喚することはできない

 

 

 

 

 ルールその4

「『きせかえごっこ』カードのアーティファクト化は、『きせかえごっこ』カードのマスターであるセクストゥムにしか行えない」

 

 

(まぁ、これは問題ないですかね。にしても、ややこしい……)

 

 

 

 

 この4つの要素は全部の「きせかえごっこカード」に適用されている。

 それらを踏まえた上で、手元にある「きせかえごっこカード」の内の1枚、「紫陽花の指輪(アジサイノユビワ)」のデータを確認する。

 

 

 

 

 

 アーティファクトーーきせかえごっこ〜「紫陽花の指輪(アジサイノユビワ)」(R(レア)

 

 

 手元に8枚もある「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」が、従来の仮契約(パクティオー)カード同様使用者の絵が描かれたものなのに対して、これは指輪の絵のみが描かれている。

 カードのレアリティは4段階の内、下から2番目のR(レア)

 

 

 〜水系魔法の行使に特化した魔法発動体

 〜水精霊と意思の疎通ができる

 〜上位改修可能。同種カードを特定枚数所持することが条件

 

 

 

 

 

  

 う〜ん……

 

 

 正直な感想を申し上げますと……

 

 

 

 

 

 

 

 あんま、すごくなくないですか?これ。

 

 

 

 なんというか、普通の魔法具って感じで、アーティファクトの域にないような……

 

 そもそも、私がもし魔法を使えたとしても、魔法発動体とか多分いらないんですよね。水属性強化はありがたいですが。

 

 ……水精霊と意思の疎通……ねぇ……

 

 

来たれ(アデアット)

 

 物は試し、アーティファクト化した紫陽花の指輪(アジサイノユビワ)はそのまま私の左手中指に収まる。 

 

(う〜ん、何か特に変わったというところは……おや?)

 

 

ーー…………っ………っ……

 

 

(何か聞こえる?)

 

 私はどこからか聞こえてくる声に集中した。するとーー

 

 

 

ーー雨だ〜〜〜!!!雨が降るぞ〜〜〜!!!

ーー雨じゃ……天のお恵みじゃあ!!!

ーーでち〜〜〜!!!!

ーー……いい、雨だね

ーーねぇねぇ、傘持ってきてないよね!?今どんな気持ち?どんな気持ち?

ーー慣れ親しんだ雨なのに、何だかとっても摩訶不思議。この雨は、きっと優しさやワクワクする心も一緒に届けてるんだね……

 

 

 私は思わず頭を振り払う。

 

 すると雑念は聞こえなくなった。

 

 よかった、指輪つけたままでもオンオフはできるみたいです。

 あんなの聞かされながら詠唱に集中なんかできませんよまったく。

 というか今のが水精霊?やかましいだけでしたが!?

 あれと意思疎通とかお断りします。頭おかしくなります。

 そしてしれっとウチの連中(電子精霊)1名混じってませんでしたか!?

 

 あっあれ!本当に雨降ってきた!?確かに今朝から天気悪かったですから「でち!聞いてるでち!?」……って!?

 

(さっきの「でち」ってやっぱあなただったんですか!?)

 

 紛らわしい!

 これは混乱しますね……

 

(はい、なんでしょうか?ひょっとして今の間で飛行魔法のインストールが完了したとか……)

 

ーー何寝ぼけたこと言ってるでち!近くに魔力反応があるでち!

 

「っ!」

 

 いけない、また自分の世界に入り込んでた!

 足を止めることなく今までのやり取りを並行でできた自分には驚いてるが、肝心なところで……もう!

 

「魔力反応……またさっきみたいな魔族が!?」

 

 一旦歩みを止めて、近くの木の陰に身を潜ませる。

 呼吸を整え、意識を集中する。

 たった今降り出した雨の音がうるさく感じるが、それを受け入れるかの要領で意識を自然に溶け込ませていく。

 ーー確かに、魔力の反応を感じるが、先ほどの魔族ほどではない。人間、魔法使いでしょうか?

 

「さっきの魔族の術者でしょうか?……く、こんな時に」

 

 このままやり過ごすか?

 どちらにせよ、お互いアリカ様の行方を探してるのなら、目的地は同じ……最悪、アリカ様の危険が増すばかりだ。

 私は手元に残った8枚の「きせかえごっこカード」を見る。(紫陽花の指輪(アジサイノユビワ)は装備したまま)

 

「やるしかない…………来たれ(アデアット)

 

 念のため、電子精霊に水系魔法のインストールを頼んでおく。

 意を決した私は、1枚の「きせかえごっこカード」をアーティファクト化させ、そのまま木の陰から躍り出る。

 

(来るなら来なさい!今までの私と思うな!)

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

(と、息巻いては見たものの!)

 

「距離をとれ!なんなら空から攻撃するぞ!」

「させますかぁああああ!!!」

「のぉう!?」

 

 

(これはさすがに厳しいのではないでしょうか!?ーーー)

 

 

 魔力の反応はやはり、アリカ様を狙う魔法使い達で間違いはありませんでした。

 雨の中、木の陰から飛び出して来た私に驚いた魔法使い達を見て、私は先手必勝とばかりに手元のアーティファクトで襲い掛かりました。

 しかし、その肝心のアーティファクトなのですがーー

 

 

(やっぱこれ、ただの包丁じゃないですかーーーーーーーーーー!!!)

 

 

 

 

 

 アーティファクトーーきせかえごっこ〜「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」(C(コモン)

 

 

 今身につけている使用人服姿(どういうわけか現実と同じように雨に濡れている)のセクストゥムが、包丁を構えた絵が描かれているきせかえごっこカード。

 10枚出現したきせかえごっこカードのうち、9枚もダブった罪深きカード。その内の1枚は現在ネカネが所持している。(しかし、アーティファクト化できるのはセクストゥムのみ)

 

 

 アーティファクト形態の姿は、包丁。

 まんま、ただの包丁である。

 特別な術式が組まれているわけでもない。

 

 2G仮契約(パクティオー)カードが定める4つのランク上の格付けは、最低ランクのC(コモン)

 C(コモン)に該当するカードは、来たれ(アデアット)でアーティファクト化はできるが、それ以降は再びカードへと戻すことができない。

 つまりは、使い捨てである。

 

 

 

 総括すると、アーティファクト「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」は、「2G仮契約(パクティオー)カード」の機能が備わった、ただのーー包丁。

 

 

 

 

 セクストゥムと対峙する魔法使い達は、徐々に落ち着きを取り戻していた。

 最初こそ予想外の人物による、これまた予想外の行動を前にして動揺した結果、いいように暴れられてしまった。

 ただ、セクストゥムの包丁による攻撃は、自分たちの魔法障壁にひびを与えるほどの威力はあれど、突破には至らず。

 素人臭い動きを、見た目に反して高い身体能力で補ってはいるものの、結局は決定打に欠けている。

 

 要は「包丁を振り回す少女」の図に驚いただけで、落ち着いて対処すれば問題はないーー

 

 

 

 セクストゥムも、そのことは痛いほどわかっている。

 

(流石に無理がありましたか……!包丁(ハナヨメシュギョウ)も残り3枚、ネカネちゃんの魔力供給もいつまで続くのかわかりませんし……このままじゃ)

 

 実は、ネカネが設定した魔力供給の制限時間である180秒はとっくに過ぎている。

 にも関わらず、セクストゥムの体には魔力による身体強化が今もなお施されていた。

 このことに、目の前の戦闘に夢中であるセクストゥムは気づいていない。

 

 

「ーー破壊の王にして、再生の徴よ、我が手に宿りて、敵を喰らえ……!」

 

「……っ!?しまっ」

 

 いつのまに呪文の詠唱を許してーーー

 

 呪文が詠唱が聞こえたのは、上からだった。

 セクストゥムの包丁乱舞から抜け出した魔法使いの一人は杖に跨りそのまま上空へ、間髪入れず呪文の詠唱を始め、セクストゥムがそれに気づいた頃には、すでにそれは放たれようとしていた。

 

 

「『紅き焔』!!!」

 

 魔法使いの手元で起きていた魔力の奔流が収束、瞬時にそれは轟々と燃え滾る炎へと変換され、セクストゥムへと放たれた。

 

 雨を蒸発させながら爆炎が迫り来る。

 

 水精霊達の悲鳴が、セクストゥムの耳に届く。

 

 

(回避は間に合わない!?そんな、そんなそんな!!?こんなところでーーーーーーーー)

 

 

 

 

 

 

 アリカ、様ーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「ーーーあきらめてはなりませんよ」

 

 

 

 

 目の前まで迫っていた炎の塊が一瞬にして消えた……いや、潰れた。

 

 それと同時に、私が対峙していた魔法使い達の頭上に黒い球体のようなものが複数出現、そして炸裂ーー

 

 急激な負荷が魔法使い達を地面へと叩きつける、粉砕ーー

 

 黒い球体は周囲の木々を巻き込みながら、破壊の限りを尽くした。

 

 

「こ、これって………………」

 

 

 全てが終わった後、私の周りにはいくつものクレーターができていた。

 あれだけ木々で囲まれ、閉鎖感を漂わせていた景色は、今はもう別世界のように広々としている。

 魔法使い達がどうなったのか……私は確認する気すら起きない。

 

 

 

 ふと、私の横に人の気配を感じたーー

 

 振り向くと、そこには白いローブに身を包み、長い髪を一本に束ねた、中性的な顔立ちのーー

 

 

「遅れてしまい申し訳ありません。……どうやら、事なきは得たようですね」

 

 

 ナギさんと共に、もう一人現在行方が知られていないはずの人物ーー

 

 

「ぁ、ぁあ……あ……あ、アル、さん?」

 

 

 

 

 

 

 

 アルビレオ・イマ。その人が居た。

 

 

 

 

 

 

 

 




ややこしい設定ですみません。


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武器が欲しかったからシたんであって、貴方の事なんか何とも思ってないんだからね!

〜セクストゥム

 

 いきなり私の横にアルさんが現れた。

 何故ここに、行方不明なのではなかったのか、そもそもどうやってここに来た。

 突然の出来事に混乱し言葉が出ない私を尻目に、この男は事もあろうにーー

 

「とりあえずーーその包丁をしまってくれませんか?」

「…………」

 

 そう言われた私は包丁(ハナヨメシュギョウ)を足元の地面へと突き刺し、改めてアルさんの全身を隈なく見渡す。

 

「幽霊、というわけではないようですね」

「幽霊に先ほどのような魔法を撃てませんよ……いや、幽霊というわけではありませんが、今の私は似たようなものですか」

「一体何を言ってるんです?」

 

 フフフーーと笑うアルさん。笑ってる場合じゃないんですよ。

 この人はいつもそうだ。

 何かと思わせぶりな言葉回しを好む節がある。

 いつもなら付き合うところだが、状況が状況だ。私は急がなければならない。

 ナギさんのこと、今までどこで何をしていたか、聞きたいことはたくさんある。

 

 しかし、今の私には他にやらなくてはいけないことがあった。

 先ほどの戦闘を経てわかった。それはもう痛いほどに。

 チラリと足元に刺さる包丁を見る。そうーー

 

 今の私にはーー武力が足りない。

 

 武力が無ければ、それを調達せねばなるまい。

 はやる気持ちを抑えて、アルさんの顔をじっと見る。

 

「…………」

「?どうかしましたか?セッちゃん」

 

 美形だ、うん。性格はあれなところがあるが、この男は誰が見ても美形、それは事実である。

 清潔感もあるし……うん、まぁ、いいかな?

 

 意を決して、私はアルさんと目を合わせ、口を開いた。

 

 

「アルさん。この私とーーー仮契約(パクティオー)してください」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「いやいや、何とも奇妙なことがあるものですね」

 

 魔法使い達からの脅威から脱し、再び私は雨が降る森の中を絶賛移動中である。

 偉く上機嫌なアルさんを連れて。

 

「いつの間に好感度が達していたのか、はたまた巡り合わせが良かったのか……何にせよご馳走様です」

 

 アルさんが何か言ってるが、私は今それどころじゃない。

 先ほど新たに獲得した10枚の「きせかえごっこ(仮契約カード)」の内、1枚のカードの使い道を考えるのに忙しいのだ。

 

 

 

 アーティファクトーきせかえごっこ〜「小悪魔のランドセル」(SR)

 

 〜自身と干渉した相手の精神に働きかけ、態度を和らげる効果がある。距離が離れたら効果はリセットされる。

 〜特定の性癖を持つ相手に使用した場合、稀に、自身が意図しない事態が起こる可能性がある。

 〜使用中は精神が退行する

 

 

 

 果たしてこれは使えるのだろうか。

 いや、決して使い道がないわけではないだろう、少なくとも、今はそれが思い浮かばないだけだ。

 効果を見ただけでは、とても戦闘用だとは思えない。

 「きせかえごっこ」シリーズって、こんなのばかりなのか?願わくば、そうでないことを祈りたい。

 

 私の横を並走するアルさんに目線を向ける。

 

「フフ、今の私はかなり機嫌がいいですよ。長きに渡り現世に縛られ続けた生の中で、このような役得は初めてです。少し気合いを入れてお相手致しましょう」

「な!?貴様は、アルビレオ・イマ!?なぜ貴様がここに……ぐぉ!?」

 

 満面の笑みを浮かべ、アルさんは向かってくる魔法使い相手に、先の黒い球体(曰く、重力魔法)を放つことで一撃の元に葬る。

 あの後からも、頻繁に森の中で魔法使い達と遭遇している。

 むしろ、先に進むに連れてその数は増している。

 アリカ様が近いのか。

 

 後続の私たちがこうして先を行く魔法使い達に追いつくことができる所以は、やはり紛いなりにも私のアーウェルンクスとしての身体能力にあるのだろう。

 これで最低値のステータスなのだから、調整を重ねたアーウェルンクス本来の力は、そら恐ろしいものがある。

 この件が終わったら、私も自身の性能を見直す必要がありますね。

 

「フフフフフフフ……!愉快、実に愉快です!あぁ、私は今日という日を迎えるために今までこうしてーー」

 

 …………

 この男の前で「小悪魔のランドセル」は使わない方がいい。

 私の女子力が全力でそう訴えかけている。

 まだ効果を見ただけで実際に試してすらいないが、そう思える。

 

 ちなみに、先ほどアルさんとの仮契約で獲得した残りの9枚は、またしても包丁(ハナヨメシュギョウ)でした。

 なんてことだ、私は包丁を補充するためだけに唇を捧げてしまったのか。

 しかも、男性との初キッスだったというのに……。

 思わず「きせかえごっこ」を握る手に力が入る。

 

「……それにしても、先ほども驚きましたがーーなんとも不思議な仮契約(パクティオー)カードですねぇ」

「ひゃ!?いきなり耳元で話しかけないでください!」

 

 耳元から聞こえてきた声に驚くと、そこには私が手にする「きせかえごっこ」カードを興味深そうに覗き込むアルさんの姿が。

 周りに魔法使い達はいない。

 私が自分の世界に入り込んでいるうちに殲滅してくれたようだ。

 素晴らしすぎる、さすが紅き翼。

 それにしてもーー

 

「ち、近いですよ!アルさん!」

「おや、お互い唇を合わせた仲だというのに……いや、だからこそ、こういったウブな反応が胸を打つというもの……フフフ、素敵ですよセッちゃん」

 

 まずい、はやまったか。

 アルさんの目が色々とヤバい。

 完全にロックオンされてしまっている。

 「きせかえごっこ(仮契約カード)」欲しさと、場の空気に当てられてついやってしまったが、今更になって取り返しのつかないことをしてしまった気持ちになる。

 なんとかアルさんの意識をこのカードに戻さねば……。

 

「アルさんでもこのような仮契約(パクティオー)カードの存在はご存知ないのですか?」

「っと……ええ、一度の仮契約で10枚のカードが出現するなど、ましてや同じカードが被っているなんて話は聞いたことがありません」

「そうですか……あ、念の為1枚どうぞ」

「よろしいのですか?それは貴女の仮契約(パクティオー)カードでしょう?」

 

 大丈夫です、ストックはこんなにありますからーーそう言ってアルさんに「花嫁修行(ハナヨメシュギョウ)」を1枚渡す。

 軽く、「きせかえごっこ」カードの説明も入れておく。

 その説明を受けたアルさんは、何度も驚いた表情を浮かべるも、最後にはうんうんと頷いてーー

 

「そういうことなら、このカードは頂戴しましょう。最高の贈り物に感謝します」

 

 こうして、私とネカネちゃん2人のアドレス帳に、ある意味危険な男が1人追加された。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「さて、贈り物も頂いたばかりで大変申し訳ないのですが、私はこの辺りでお暇させて頂きます」

「ふぇえええ!?!?ちょ、いきなりなんですか!?」

 

 「きせかえごっこ」カードを額に当て、アルさんがそのようなことをのたまう。

 今なんて言いましたかこの男!

 贈り物も頂いたのでお暇させてもらいますですって!?

 薄情とかそんなレベルをゆうに超えていますよ!?

 

「や、や、やるだけやってポイだなんて!見損ないましたよアルさん!!この男の恥!!!」

 

 まだアリカ様救出が済んでいないというのに!

 罵声を浴び続けながらも、どうにか私を宥めようとするアルさん。

 やだ、触らないで!貴方の声なんて聞きたくもない!

 

「この場でさよならだなんて……本気で言ってるんですかアルさん!?」

「誤解、誤解ですよ!?今の私はそもそも本体ではないのです!これ以上は現界を維持できないんです!」

「え?どういうことです?」

 

 本体ではない、とはこれいかに?

 待ってください、確かアルさんってそもそも……

 

「今の私は、本体である魔導書の一部の書き写し、いわば分身のようなものです。貴女も私の正体が魔導書であることはご存知でしょう?電子精霊を用いての情報収集は得意ですものね。」

 

 確かに、私はアルさんの正体を知っている。

 古来から存在する、一冊の魔導書を依代としている「本の精霊」であると。

 むしろその魔導書自体がアルさん自身だとも言えるのだろう。

 このことは、電子精霊に調べてもらう以前に、私がこの世界で目覚めた時に読んだ脳内ガイドに記されていた。

 ふむーー

 

「仮に、今のアルさんがその本体の一部、すなわち分身であるとして……なぜ私の前に姿を現したのですか?てっきり、このままアリカ様救出に協力してくれるものだとばかり思っていましたが、違うのでしょう?」

 

 私がそう言うとアルさんは、「これでようやく話ができそうですね」と居住まいを正し、語り始めた。

 

「私がこうやって現界した目的、ーーそれは貴女に課せられた魔力封印の術式を解除するためですよ、セッちゃん」

「私の、魔力封印……!」

 

 それが、今回アルさんがこうして私の前に現れた理由ーー。

 

「セッちゃん、貴女の左腕、肘に至るまで刻まれた帯びたたしい刻印ーーそれこそが私の本体である魔導書から書き写した一部なのです」

「これがアルさんの……!?って、刻印がーー」

 

 薄くなっている。

 左腕に刻まれた刻印が、今にも消え入りそうなほどに薄く。

 

「そう、正確に言うと左腕の刻印は全てが私自身(魔導書の書き写し)。魔力封印の術式など、その左腕には存在しない。つまりは、私自身(魔導書の書き写し)が、今まで貴女の魔力を抑える役目を仰せつかっていたのです」

 

 そのようなことが可能なのか。

 

「なんとも無茶苦茶な荒技ですね……というか、なぜ、そのような面倒なことを……」

「今となれば過ぎた話ですが、ーー単に魔力封印を施すだけでは警戒が甘い、故に私自身がこうやっていつでも姿を現わせるようにした……それだけの話です」

 

 警戒が甘い、要は保険だったということか。

 つまり、魔力を封印された上で、それでも私が何か悪事を働こうとした場合に、こうしてアルさんが姿を現すーー先の、重力魔法の一撃を持って、私を処する。そのための保険。

 アルさんは常に万全な体勢を敷いた上で、私を泳がせていたのですね……。

 それにしてもーー

 

「だったら、もうちょっと早く解きに来てくれても良かったのではないですか?今の話だと、いつでも私をどうにかできたーーつまり、常に私を視ていた訳でしょう?」

「私の本体の方が先ほどまで別件で手が離せない状況だったのですよ。こうして貴女の側に現れた私は分身体ですが、意識は本体と共有しています。本体の方に何かあった場合は、貴女に意識を向ける余裕はなくなってしまうのです」

 

 本体の方が、緊急事態だった。

 それは、本体のアルさんと共にいたはずのあの人も同じーー

 やっぱり、何かあったんだ。

 

「本体の方の件も、先ほどようやく落ち着きました。それで、こうして遅ればせながら参上した次第です。……しかし、結局はここまでの事態になることを予測できなかった、私の落ち度を思い知らされただけ。貴女にただ負担をかけてしまうことになってしまいました。ーー申し訳ございません」

「アルさん……」

 

 アルさんは私に深く頭を下げ、謝罪の言葉を述べる。

 違う、悪いのはアルさんじゃない……!

 

「元はと言えば、魔力封印を解く話を持ちかけてくれたナギさんの好意を……それをふいにした私の責任です!アルさんが謝ることなんてありません!……それに」

 

 それに、アルさんは先ほど私を助けてくれたじゃないですか。

 

「……!…………もう、時間はありません。セッちゃん、お気づきではありませんか?ーー私が貴女の危機に駆けつける前から、すでに半分ほどは、貴女は魔力を行使する力を取り戻していることに」

「え?」

 

 私の魔力が、もう戻っている?

 今流れている魔力、これはずっと、ネカネちゃんから流れてくる魔力によるものだと思っていた……。

 そりゃ、随分と長い間魔力供給が続いてるとは思ってた。

 でもそれは、てっきりネカネちゃんが供給時間を延長してくれたのだとばっかり……。

 そうだ、ネカネちゃんはーー

 

「ちなみに、ネカネさんなら無事ですよ。先ほど、お暇の趣を貴女にお話した時に、確認をとりましたから」

「え、……じゃあ、あの時きせかえごっこカードを額に当ててたのは……そういうこと」

 

 あの時は、アルさんの唐突な言動に気を取られて完全に意識してなかった。

 え?私の危機に駆けつける前から、半分ほど魔力が戻ってたって……。

 それ、だいぶ前からアルさんが私の魔力封印を解除しつつスタンバッてたって事ですか?

 

 なんというか、抜け目がないというか……かなわない、なぁ。

 

「少しでも貴女の不安をとり除くことに繋がればと……セッちゃん」

 

 アルさんが改めて私の名前を呼ぶ。

 私は表情を引き締め、アルさんの言葉を待つ。

 

 

 

「さぁ、ーーーー決断の時ですよ」

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ウェールズの外れに存在する深い森。

 セクストゥムが今もなお踏破を目指し疾走するその森の中で、アリカは1人、男と対峙していた。

 

「災厄の女王、アリカ・アナルキア・エンテオフュシアだな?」

 

 黒いローブに身を包んだ男がそう問う。

 アリカはその問いには答えず、逆に質問を返す。

 

「此度の村、そして妾に対しての襲撃は、主の手によるもののようじゃな」

「…………なぜそう思う?」

「先ほどから仕掛けてきている他の魔法使い達と主とでは、まるで身のこなしが違う。妾もこれまで幾たびも戦場を歩いてきた身じゃ、それくらい感覚でわかる」

「…………」

 

 男は答えない。

 アリカは今一度、これまで自身の身に起きた一連の流れの整理をした。

 

 ウェールズの村が襲撃された件は、アリカ自身の耳に届いていた。

 それは、アリカの護衛である魔法使い達が、村で待機する魔法使い達と頻繁に連絡を取り合い、互いに状況を確認し合っていた際に入った情報である。

 

 当初の予定では、アリカは護衛である村の魔法使いを数名引き連れ、この頃にはすでに森を抜けているはずだった。

 村が襲撃された件を知ったアリカ達一向は、それに伴っていち早くこの森を抜けようと足を早めた。

 それが、想定外の事態により、直進するだけだった進路は大きくずらされ、雨降る森の中を右往左往する事態となってしまったのである。その想定外の事態というのがーー

 

「わざわざ村を襲撃したのは、こちらへ増援を寄越さぬよう足止めをするためであろう?まさか、すでに森の中で待ち伏せされているとは思わなんだ」

 

 思わぬ伏兵。

 村を襲撃した者達とは別に、すでにこの森の中には数多の下手人が潜伏していた。

 

 今、アリカの側には共についてきた護衛達はいない。

 皆、アリカを狙う下手人との戦闘で負傷し、時間稼ぎのためにその場に残ることを選んだ。

 彼らがその後どうなったか、知る由もない。

 

(このような妾のために…………)

 

 アリカは苦虫を噛み潰したような顔で、ただ悔やむことしかできない。

 その様子を見ていた男が、口を開く。

 

「確かに、此度の一件は私主導の元実行された、そのことに間違いはない。もっとも、私は他の連中のように組織に属している人間ではない、あくまで私は連中をそそのかしたに過ぎん」

「……主は、メガロメセンブリアの人間ではないと申すか」

「左様、私自身はなんてことはない、流れの仕事屋のようなものだ…………クク、まぁ、この私のようなどこの誰とも知らぬ輩の口車に乗せられる馬鹿がここまで大勢いたことには驚いたがな……いや、呆れていると言った方がいいか」

 

 男は実に愉快そうに嗤う。

 目の前の男は、メガロメセンブリアの関係者ではない。

 

 では、何が目的でこのようなことをーー

 

「そもそも此度の件、私自身も話を持ちかけられたに過ぎぬのだよ。災厄の女王の身柄の確保、それを為すことが今回の私に課せられた依頼だ」

 

 依頼かーー

 仕事屋が事を起こすとしたら、やはりそれ以外にないだろう。

 

「それに、目的は身柄の確保であって、お前を殺す事ではない。……先ほど森に潜んでいた連中にもそう話したのだが、あれだけ血気盛んだと間違いが起きても仕方がない。こうしてお前と一対一の状況を作ってくれた事だけは感謝しているよーー本来、あの馬鹿連中に期待していたのは「数」の威力だけだ。期待する方が無理な話だったか」

「やけにべらべらと喋るではないか。願わくば、主に話を持ちかけたのは誰なのか。それも聞かせてほしいものじゃの」

 

 アリカの言葉に、男は愉快な態度を崩さずに、答えた。

 

「お前自身良く知っているだろうーー「完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)」。それが今回の私の依頼主たる組織の名だ」

「…………っ!」

 

 やはり、というべきか。

 

「先に言っておくと、この事はメガロメセンブリア元老院の連中は預かり知らぬ事だ。今回の一件は完全なる世界が私に個人的に依頼してきたものに過ぎない」

「なんじゃと?」

「大戦時は元老院と完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)は手を結んでいたようだが、それはもう過去の話だ、今は直接的な関わりはない。元老院がターゲットにしているのはサウザンドマスターだ、お前ではない。そもそも、災厄の女王は元老院の間ではすでに「処刑」された事になっている。今更お前をどのような形であれ元老院の前へ連れて行ったところで、奴らは恨みを晴らす事はできても、一切の得はない」

 

 今回集まった連中は、その事すら気付かない馬鹿どもだがなーーそう言って男は再び嗤う。

 本当に、聞いてもいない事をべらべらと話してくれる。

 

「さて、もう話も終わりにするか。馬鹿どもが安易に呼んだ魔族どもがここに来る前にな。大切な捕獲対象だ、理性の乏しい魔族どもでは誤って殺してしまいかねん。ーーーまぁ、お前のような美しい女なら、殺される以上の地獄を見るやもしれんがな」

「……貴様、…………っ!?」

 

 男は言葉を終えると、たちまちその場から姿を消した。

 

(ーー後ろか!)

 

 アリカはすぐさま腰の物を引き抜き、振り向きざまに剣を振るう。

 

「……なるほど、伊達に戦場を歩いてはいない。先の言葉は誠だったようだな」

「っ!ぬぅ!?」

 

 剣を伝ってアリカの腕に衝撃が伝わる。

 男が手にしていたもの、それもまたーー剣であった。

 

「貴様は……剣士であったか!」

「剣士の真似事をしているに過ぎんよ。大雑把ではあるが知っているぞ。ーーお前の扱う魔法、その効果のほどを」

「!」

 

 妾の魔法がどういったものなのかを把握されている?

 それ故に近接戦闘の形を取ったというのなら、やはり此奴はーー

 

 

 

 

「お前の魔法は、ーー相手の魔法そのものを任意のタイミングで打ち消す、ようなものだろう?」

「それも完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)の情報というわけか」

 

 鍔迫り合いの状態から、先に距離を取ろうとするアリカ。

 それを許すまいと、男は追う。

 

 

 

 

 雨が降り注ぐ森の中、女王と魔法使いによる剣舞の幕が切って落とされた。。

 

 

 

 

 

 

 




エヴァ「おい、茶々丸。終わらんではないか」

茶々丸「本当は次回から麻帆良編だったらしいですよ」


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6th Lord judgement

 雨が降り注ぐ森の中。

 絶え間なく降り続く雨を受けて、やがて土は水を受け容れることを諦め、その上に水面を築くに任せている。

 真っ白な空の色を映した水面と、それを打ち付ける雨粒がしぶきを散らし、辺り一面は白銀の幻想世界を演出している。

 その白く滲んだ世界の中で、二つの影が慌ただしく動く。

 

 二つの影の片割れ、アリカは決死の表情を浮かべていた。

 

(剣筋は我流ーーいや、所々型に沿ったものを織り交ぜておるか、……しかしこれは)

 

 アリカは剣に関してずぶの素人ではない。

 アリカの故郷「オスティア」、そこを統治する「王国ウェスペルタティア」は、利益を貪ることだけを考えている輩が蔓延る魔の巣窟。

 自分の身は自分で守らなくてはならない、それは姫であるアリカとて例外ではなかった。

 そういった環境のこともあり、自衛ができるほどには剣を扱うことができた。

 そして、紅き翼と共に数多の戦地を乗り切った経験もある。

 純然たる魔法使いが付け焼刃程度に身につけた剣相手に、後れを取ることはなどないーーはずであった。

 

(複数の型をバラバラに取り入れておる。それも、殺傷力の高い技のみを選んで……此奴、魔法使いのような成りのわりに、普段から剣を扱っているな)

 

 この男は剣を使い慣れている。

 アリカ自身の魔法特性を考慮しての武器の選択ではなく、元より日頃から剣を扱う人物だったようだ。

 

(「魔法使い」ではなく「魔法剣士」タイプか。紅き翼の連中と長いこと共に居ったせいで、その辺の基準が曖昧になっておった)

 

ーーギィン!ギィイン!!

 

 先ほどから自身の体を打ち付ける雨脚のことなど、両者は気にもせず剣を振るい続ける。

 アリカが護りに徹するのに対し、男の剣は首元や目元といった即死性の高い箇所を容赦無く攻め立てる。

 

(殺さぬと言っておきながら、何とも遠慮のない。これでは先ほどのメガロの連中の方がマシではない、か……ッ!?)

「考え事か、その油断貰ったーー」

 

 いつのまにかアリカは肩を掴まれていた。

 男の剣に合わせるので必死だったアリカがーーそのことに気づいた時にはすでに遅かった。

 

「なーー」

 

 男はアリカの肩を掴むと、流れるような動作で自身の足を相手の足に絡め、そのまま互いに宙を舞う。

 体を固定されたアリカは男と共には駒のように空中を瞬時に二、三回転ーーその勢いのまま水の貼った地面へと叩きつけられる。

 大きな水しぶきが迸る。

 

「ーーーーーかはぁッ!?」

 

(今のは……神鳴流の……)

 

「ーー浮雲・旋一閃」

 

 高速回転の勢いのまま地面へ強く体を打ち付けられたアリカは、強烈な痺れを感じたまま身を起こすことができなかった。

 手にしていた剣も、今の衝撃で投げ出してしまっていた。

 そのアリカの傍に、遅れて地面へと着地した男がそう口にする。

 

神鳴流剣士(お手本)は私の戦場ではそこら中にいる。捕獲対象が抵抗を示した際の無力化に役立てばーーと思い盗ませてもらったが、その甲斐はあったようだ」

「……ゴホッ!ゴホ、ゴホ!」

 

 アリカは肺を打たれたためうまく呼吸ができない。

 それを見て、男はこの戦いの決着を確信した。

 

 

「災厄の女王ーーお前の負けだ」

 

 

 ここにきて、アリカは自身の顔を強く打ち続ける雨粒を感じていた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 妾の生とは何だったのか。

 

 あの日、これと似たようなことを考えていた。

 

「災厄の女王」としてかの大戦の主犯として貶められ、魔法世界全土の民の前で処刑されたーーあの日。

 

 妾の死を持って、民が少しでも大戦の傷を癒すことができるというのなら。

 

 少しでも、魔法世界の平和の礎として貢献することができるというのなら。

 

 妾の生が、このために存在するのだというのなら。

 

 妾はこの生を、そして死を受け入れよう。

 

 そう思ったのだ。そうーーあの時はそう思えたのじゃ。

 

 だが、今は違う。

 

 妾はーー救いを欲しておる。

 

 あの日と同じ問い。しかし、あの日とは違う思いを抱いておる。

 

 ナギに救われ、妾は光を見てしまった。

 

 ナギと結ばれ、妾は家族を得てしまった。

 

 誰も信じることなどできぬ、人間関係など何の意味も持たぬ冷え切った王宮での日々を送ってきた。

 

 そんな妾にとって、ウェールズの村での暮らしがどれほど暖かく、光に溢れた日々だったことか。

 

 ナギは近いうちアスナを連れてくると言っておった。

 

 ナギがイスタンブール魔法協会へと赴いたのもそのため。

 

 もう少しだったのじゃ。

 

 もう少しで、失うほかなかった妾の家族が揃ったのじゃ。

 

 これから先辛い日々が待ち受けているのは百も承知

 

 しかし、家族が共にいてくれるのなら妾はそれを乗り越えようーーこの光ある暮らしを決して離さぬよう心に決めた。

 

 それなのにーー結果がこれか。

 

 ナギが行方を眩まし、アスナがどうなったのかすらわからない。

 

 妾を守る者がいなくなってしまったため、村に危機が及ぶ前に姿を晦ませねばならなくなったーー子供たちと、離れねばならなくなった。

 

 その村も結局は襲われてしまった。妾は再び罪を重ねる事になった。

 

 そしてーー妾自身も、また冷たく暗いだけの日々に逆戻り。

 

 

 

ーーあんまりではないか。

 

 

 

 幸せを感じていた、それはいけない事だったのか。

 

 妾には結局のところ、そのような資格などないということなのか。

 

 妾は充分に罰を受けた、まだ、まだ足りぬと申すか。

 

 これ以上、この世界は妾に何を背負わせようというのか。

 

 憎いーー妾を貶め、全ての責任を押し付けた連中が。

 

 憎いーー連中の言う事を信じ、それに同調した、今ものうのうと暮らしているであろう全ての魔法世界の民が。 

 

 憎い、憎い憎いーー

 

 

 

「憎い……何もかも、皆……」

「何だ?何か言ったか?」

 

 アリカの呟きは雨音にかき消され、男の耳には入らなかった。

 アリカは瞬きもせずただ目を見開き、雨粒が瞳を打つ事も気にせず、うわ言のように怨嗟の言葉を吐き出す。

 

「先ほどまでの威勢が嘘のようだな、災厄の女王。…………ふむ」

 

 男は、打って変わって大人しくなったアリカの様子を気にはせず、地面に投げ出されたアリカの姿を改めて見る。

 

 露出度を抑えた白いワンピースは、泥水に直に浸かったため、茶色く、惨たらしく汚れきっている。

 雨水を吸い込んだ服はピタリと肌に張り付き、生地の薄さも相まって身体中の線が隈なく浮き彫りになっている。

 重力に任せるがままの服に反して、それに包まれていた滑らかな凹凸はことさら主張を強めているように見える。

 そして、その身体の主は虚ろな表情を浮かべるのみ。

 

 男が、劣情を催さない理由がなかった。

 

「…………」

 

 男は膝を付き、右手の親指と人差しでアリカの顎を持ち上げ、目線をこちらに向けさせる。

 その際、男の指に付着していた泥が、アリカの口元を汚す。

 2人の目線が合うが、アリカは何の反応も示さない。

 まるで人形と目を合わせているかのようだ。

 

(捕獲対象に危害を加えるな、とは依頼にない。……いや、今更になってこの女を奴らに受け渡す事が勿体なく感じてきた。まぁ、今その事を考えるよりもーー)

 

 目の前には、身体から一切の力が抜けきり、抜け殻のようになったーー美しい女が横たわっている。

 男が唾を飲み込む。

 波打つ心臓の鼓動が男を囃し立てる。

 

 

 

「災厄の女王……お前はつくづくーー運のない女だ!」

 

 

 

 男は劣情に任せるがまま、アリカの上に覆いかぶさろうと腰を上げたーーーー

 

 

 

 

 

 ーーーーが、それは叶わなかった。

 

 

 

 

 

 ーー掴まれている。

 白く小さい手にーーアリカの顎を持ち上げていた己の腕がーーー掴まれている。

 それもーー真下から。

 

 男は反射的に、白い手が伸びている先を見る。

 

 真下、地面に突いている自分の膝のすぐ前、そこに溜まっている水たまりからーーそれは伸びていた。

 

 

 

「ーーーーーーッ!!!!!!!」

 

 男はその手を払い、後ろへすぐさま飛び跳ねる。

 小さな手が水たまりに引っ込む。それと同時。その水たまりから後退する男に向かって一直線に水しぶきが迫ってくる。

 さながら、ヒレを水面に出した鮫が迫り来るかのように。

 

(ーー水を利用した転移魔法か!?そんな高等技術を扱える者が村にいるなど聞いてはおらんぞ!?)

 

 男は必死に体制を立て直しながらバックステップを繰り返すも、水面を走る水しぶきは今にも男を捉えられる距離まで近づいていた。

 

(追いつかれるーーならば、空へ逃げるまで!!!)

 

 たまらず男は地面を強く踏みつけ、その場から真上に跳躍ーー空中へ離脱した。そのまま、虚空瞬動を用いてさらに真上へーーただただ地面から遠ざかるために。

  

(転移魔法を扱うということはよほど強力な術者ーー一旦引くか?……いや、ここまできて撤退などーー)

 

 瞬間ーー男に悪寒が走る。

 

 

 ーー登ってきている。

 

 あの、水しぶきの主が。

 

 飛行魔法で追いかけてきているのではーーない。

 

 地上から、何者かがこちらに向かってくる姿はない。姿はーー確認できない。

 

 しかし、男の悪寒は止まらない。続けて虚空を踏み抜き高度を上げる。

 

(登ってきている、ヤツは、上空にいる私を目指して、この、雨の中をーーー)

 

 

 

 

 ーーこの、激しく降り注ぐ雨、落下する小さな雨粒一つ一つを通りながらーーーいやーー転移を繰り返しながら。

 

 

 

 

 「ーーーそんな、バカなこと…………が」

 

 

 

 

 突然、男の目の前で、雨粒がーー跳ねた。

 同時に、そこから現れた。

 男の悪寒の主が。

 使用人服を身にまとった、白髪の小柄な少女が。

 

 男はーー動けない。

 男が常時張っていた魔法障壁は、少女の出現と共に展開された曼荼羅模様の多重障壁と競合を起こし、あっけなく破壊された。

 それを認識してなおーー男は動くことができない。

 何をしてもーー無駄。

 視界に映る少女の姿を目にした時からーーそう思わされてしまった。

 男は、ただ驚愕するしかなかった。

 

 少女は動く。 

 流れるような動作で、少女の手から1枚のカードが投げられる。

 そのカードは吸い込まれるように男の胸元へ辿り着き、そこで静止する。

 

 

来たれ(アデアット)

 

 

 その言葉を聞いて、男はただ確認を取るかのように、視線を下げる。

 

 凶刃がーー己の胸元を貫いていた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「……セツ子?」

 

 空で起きた一部始終は、横たわっていたアリカの瞳に映っていた。

 瞳に光が戻る。

 体の痺れはいつの間にかなくなっており、容易く起き上がることができた。

 

「ーーッ!セツ子!」

 

 体を起こし、再びを空を仰ぎ見る。

 

 ーー降りてくる。

 

 アリカの元へ、雨を伴い、空からゆっくりと少女が降りてくる。

 まるで、天が自分へ遣わした使者のように。

 

 アリカは目が離せない。

 

 ーーアリカ様

 

 少女の自分を呼ぶ声が、頭の中に響いたような気がした。

 少女が手を広げる。

 アリカもそれにつられ、空へと手を伸ばす。

 

 ふわりーーとアリカの腕の中に少女が収まる。

 

「アリカ様」

 

 今度はーー確かに聞こえた。

 

「アリカ様、やっと捕まえました」

 

 アリカは、言葉を発することができない。

 少女の肩越しから、先ほどの男が倒れているのが目に入った。

 ーー驚愕の表情を浮かべ、胸を包丁で貫かれたまま。

 男は絶命していた。

 

「セツ子…………なぜ……なぜ」

 

 ようやく、振り絞るようにして言葉を紡ぐアリカ。

 

「……どうして、主がここに……どうして……」

 

 アリカの視線は、倒れている男の胸元にある包丁を注視していた。

 

 

 セツ子が何故、人を殺めねばならなかったーー

 

 

「まだ子供である主が……何故手を血に染めねばならぬのじゃ……そのような業、主が背負う必要など……」

 

 アリカの知るセツ子はーー普通の女の子だった。

 料理とお洒落が大好きな、多少人よりも気配りの利くーーそんな女の子だった。

 ーーそのままで、いて欲しかった。

 

 如何にしてこの場所にたどり着いたのか、どのような術を使ったかなど、そのような問いはアリカの頭には存在しなかった。

 ただただーー少女が自らの手を汚してしまったことを嘆いた。

 

「ーーもう、覚悟は決めましたから」

 

 アリカの背に回された少女の腕に力が入る。

 手の震えをアリカに悟られないように、強く、力を込めて震えを押し殺す。

 

「私はアリカ様の側を離れたくない、離れないんだって。アリカ様と一緒にいる、怖い人たちが来ても、私がアリカ様を守るんだって」

「……そんな……そんなことで……」

「ーーだから、その為だったらどんなことでもする。そうしなきゃ、アリカ様と一緒にいられないならーー私は、やってやるんだって、だからーー」

 

ーーだから、殺しました。

 

 少女のその言葉には一切の迷いも感じられなかった。

 

「まぁ、あそこまでやったのは……たまたまです。ーーあの男の、アリカ様を見る目に吐き気を覚えたから」

「……馬鹿ものぉ……そんな、理由で……自分の手を汚すでないわ……ばか、もの」

 

 なんたることだ。

 いつの間に主は、そこまでの殺気を放つようになってしまった。

 何故ここまでーー変わってしまった。

 

「……妾が、ほんの少し目を離した間に……とんでもない不良娘に育ってくれおって……」

「はい、アリカ様が私を置いて勝手にお出かけなんてしたからーーセツ子は、悪い子に育ってしまいました。……だから、アリカ様、いっぱい、いっぱい叱ってください」

「……あぁ……あぁ。叱ってやる……こんな不良娘を目の届かないところに置いておけるか」 

 

 2人は雨の中、しばらく抱き合った。

 そのまま白銀の世界へ溶け込んでしまうかのように。

 

 

 

 しかしーーそれも半ば強引に中断せざるを得なくなった。

 

 

 

「…………ホント、空気を読めない連中には困ったものですね」

「……セツ子?どうしたーーー!?」

 

 2人だけに許されるはずの世界に土足で入ってきたーー無粋な輩が現れてしまったから。

 

「いたぞ!!災厄の女王だ!!」

「手こずらせてくれたなァ……ええ?」

 

 水を差した輩は、当然今回の火種の発端である、メガロメセンブリアの魔法使い達だった。

 彼らだけではなく、後ろから魔族達も続々とやってくる。

 

「護衛連中は中々に手強かったぜ?おかげで随分と連れがくたばっちまったよ……おい、さっさと囲んじまえ!」

 

 木々の間から何人も魔法使い達が現れ、2人の周りを取り囲む。

 雨しぶきが織りなす白銀の空間は、今や見る影も無く黒に染められてしまった。

 

(森に中にまだここまでの人数がーーそれとも、村の方から流れてきおったか?く、状況は振り出しに戻るどころか最悪ではないか!このままではセツ子までーー)

 

「おう、さっきの嬢ちゃんやないか。まんまと連れの金髪の方には一杯食わされてもうたわい。ーーちと、八つ当たりさせてもらうで」

 

 取り囲んでいた集団の中で、一体の魔族が輪から飛び出す。

 それを見ていた他の集団は、「抜け駆けは許さない」と怒号をあげながら、追随しようと各々の得物に手をかける。

 先行した魔族が、怒気を滾らせながら2人へと迫る。

 

「ーーー!止せ、セツ子だけはどうにか見逃し「誰が誰に八つ当たりするですって?」ーーセツ子!?」

 

 セクストゥムがアリカを庇うように前に立つ。

 それを見たアリカが言葉を続けるよりも早くーーセクストゥムの腕がしなりをあげ、向かってくる魔族に向かって何かが投擲される。

 

「ーーー!?がぁっ!!!?〜〜〜〜〜〜〜〜!!!?」

 

 セクストゥムが投擲したソレは弾丸のように雨風を切り、向かってきていた魔族の右目を貫く。

 突然の出来事に魔族は体制を崩し、走る勢いのまま地面を滑り込む。

 魔族は自身の右目に刺さっているソレを確認しーーさらに怒気を高めることとなった。

 

「包丁!?こんなもんで……っ、よくもこの儂をーー」

 

「ーー八つ当たりされるのはそちらの方です……よ!!!」

 

 さらにセクストゥムは追加で、今しがた右目を射抜いた魔族へ包丁(ハナヨメシュギョウ)を投擲する。その数ーー10本。

 10本の包丁(ハナヨメシュギョウ)は全て倒れ伏していた魔族の顔から肩に掛けてに命中し、その黒い皮膚に深々と刺さる。

 ただの包丁といえど、痛みは感じるのか、魔族は思わず仰け反る。

 

 アリカがその光景に唖然としていると、そのまま魔族へ向かって走り出したセクストゥムを認識して、我に帰る。

 

「セツ子!近づくでない!!其奴はその程度では「あぁ〜〜もう!!!こんだけ投げても包丁は包丁ということですか!!!」……その、程度、では……」

 

 アリカの言葉を大声で遮ったセクストゥムは、痛みに悶える魔族の元へ辿りつくと、刺さっていた包丁(ハナヨメシュギョウ)を一本引き抜きーーそのまま魔族を切りつけた。

 

「!!?ーーな、なにすんじゃこのーーがぁ!?」

「この!ーーこの、この!!!」

 

 倒れ伏している魔族に対し、力任せに何べんも包丁を叩きつけるセクストゥムの姿に、アリカや周囲の魔法使い達は言葉が出ない。

 さすがの魔族もこれには堪らず、体を丸めされるがままにーーそして、動かなくなった。

 

「ーーこれだけやってこれですか。やはりただの包丁と割り切るべきですかね……あぁ、でも、スッとしました」

 

 セクストゥムのこの行為は、本当にただのーー八つ当たりだった。

 魔族の言動に苛立ち、自身のアーティファクトの不甲斐なさに苛立ったーーただそれだけ。

 それだけの余裕が、今のセクストゥムにはあったのだ。

 

(紫陽花の指輪は意外に有効なことがわかっただけ僥倖でしたけどね。ーーアリカ様の所在地を水精霊たちが探してくれたので、転移もスムーズにできましたし)

 

 包丁を片手に、自分の世界に入り始めるセクストゥム。

 その様子を見ていたアリカは思わず手で顔を覆う。

 

「セツ子ーー主は、本当に……」

 

 本当に、主はどうしてしまったのかーー。

 このような状況に置かれて、なぜそうも平然とふざけていられる。

 これでは、まるでーー

 

「主は、妾だけではなくナギにも似てしまったよう……じゃな」

 

 久しく感じていなかった、あの紅き翼と共に戦場を歩いていた時の、謎の安心感。

 目の前のセクストゥムを通して、あの時感じていたものがこみ上げてくる。

 

(……どうしてしまったのかーーか。フ、どちらかと言えば、らしくないのはーー妾の方じゃな。いつまで弱気でいるつもりじゃ)

 

 アリカはふと笑みをこぼし、勢いよく立ち上がる。

 

「セツ子!!いい加減帰って来ぬか!この不良娘!」

「ーーー!!は、ハイ!すみませんまた私やってしまいました!!」

 

 ハッと我に帰ったセクストゥムは、思い出しかのように辺りを見渡し、猛ダッシュでアリカの側へ駆け寄る。

 

「この不良娘が!従者が主人のそばを離れてどうする!」

「申し訳ございません!私ついカッとしちゃって……え、今」

 

 ーー今、従者って。

 ペコペコと頭を下げていたセクストゥムは、アリカの言葉の意味を心の中で反復し、顔を上げる。

 

「言葉通りじゃ。最も、従者であると同時に不良娘というオマケがついておるがの。ーーー主は、妾を守ってくれるのじゃろ?」

 

 その言葉を聞いたセクストゥムは、顔を輝かせ、何度も頷く。

 

「ーーハイ!!私、アリカ様の側を離れません!そのためにも、私はアリカ様を守ります、守らせてください!」

 

 2人は見つめあい、今にも抱擁するのではないかーーそれくらい、2人の間の空気は出来上がっていた。

 

 

 

 

「ーーーーーオイ、お前らの三文芝居にいつまで俺たちは付き合わされるんだ?」

 

 

 

 

 当然、このまま終わらせてはくれない。当たり前だ。

 2人だけの空間など、この状況においてーー許されるはずもなかっただろうに。

 先ほどまでの緊張感は何処へやら、2人は周囲が囲まれているという事実をすっかり頭の隅へ追いやっていた。

 いつの間にか、包丁(ハナヨメシュギョウ)で滅多刺しにされていた魔族も立ち上がっている。

 

「なんだ?現実逃避のつもりだったのか?だったらもうそれはお終いの時間だ。ーーさっきよりも苛ついちまったよ、もう我慢ならねぇ。2人仲良くあの世へ送ってやる」

 

 周囲を囲んでいた魔法使い達は、誰もが怒気を放ちながら、ジリジリと2人へと近づいていく。

 

(ーー結局はこの危機的状況は変わらず、か……仕方がないの)

 

 アリカは落ちていた自分の剣を拾い、セクストゥムに語りかける。

 

「セツ子、一点突破じゃ。ーー主の魔力封印はいつの間にか解かれているようじゃしの。障壁を最大に展開して「アリカ様」……なんじゃ?」

 

 何回妾は言葉を遮られればいいのか。

 すぐそこに脅威が迫っていることも相まって、無理にでも気丈に振る舞おうと立てた作戦の説明を邪魔されてしまったアリカは、少しやっつけ気味にセクストゥムへ返事をする。

 しかし、セクストゥムから返ってきた答を受け、アリカの中で驚きと、そして微かなる希望が芽生えるのを感じた。

 

 

 

「倒しますーーーーここで全員。1人残らず、それこそ……一撃の元に」

「ーーーーーーーー!」

 

 

 セクストゥムの目は本気である。

 私を信じろーーそう訴えかけている。

 

「……いける、そう申すのならーーーここで妾に示してみよ。妾の新たな剣、その力をーーーー」

 

 

 

 

「何ごちゃごちゃ話してやがる!?まだ余裕ってか?ええ!?ーーお前ら、いくぞ!!!!!」

 

 

 ーー開幕。

 

 中心にいる2人へと、魔法使い達がなだれ込む。

 もう地上に逃げ場などない。あるとしたらーーそれは上。

 

「アリカ様ーー失礼します」

 

 セクストゥムは素早くアリカを抱き抱えーーー真上の空へと投げ出した。

 突然の行動に、思わず釣られて顔を上げ空を仰ぎ見る魔法使い達。

 

 

「ーーーーあ?」

 

 1人の魔法使いが呆けたような声を出す。

 

 そこには、たった今アリカを空へ投げ出したはずのセクストゥムが、遥か上空の雨空の中、アリカを受け止めている光景が映し出されていた。

 

 

 

 

 さっき、アリカ様を厭らしい目で見ていた男をーー空まで追いかけた時よりも、精度が上がってる。

 突貫的に考えた複合技だけど、これは十二分に強力なものだ。

 

「ーーーーーーっ」

 

 アリカ様は驚いている、だけど、今は追求してこない。

 私のやることにちゃちゃを入れまいと、黙っているのだろう。

 だったらーーその期待に答えないわけにはいかない。

 

 

 

ーーーナギは、今も貴女のことを信じています。

 

 

 

 別れ際に、最後にアルさんが言った一言が、私に勇気をくれる。

 

 

 

 地上に蔓延る黒い集団を見下ろす。

 

 やれるーーやれないはずなんて、ない。

 

 私は、水を司るアーウェルンクスが1人ーーー。

 

 

 

 

 

 教えてやれーー紅き翼の面々に匹敵する、その宿敵であった者達の力を。

 

 思い知らせろーー三下風情が敵う相手ではないということを。

 

 

 

 

 示せーー数多の文明を悉く滅亡へと追い込んだ、水の理を。

 

 

 

 

 セクストゥムはーー謳うように、精霊へ、世界へと語りかける。

 

 

 

 

 

「ーーヴィシュ・タル リ・シュタル ヴァンゲイト

 

 

 ーー契約により、我に従え、深淵の王

 

 

 ーー来れ、水の氾濫、古の水門

 

 

 ーー全ての、驕慢なる生に、等しき罰を

 

 

 ーー此は、測り知れざる、海洋の理

 

 

 

 

 

 ーー『しずむせかい』」

 

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 

 あの後、村の被害はほとんどなかったそうです。

 

 なんでも、村の魔法使いさん達がこれでもかと張り切ったそうで、どちらかというと味方からの誤爆での負傷の方が多かったとのことでした。

 

 ネカネちゃんは私と別れた後は、宣言通り全力で逃走、その途中でスタンさんに拾われて事なきを得たようです。

 私の分までたっぷりと叱りつけられたそうです。

 ネカネちゃんはそのことを愚痴っていましたが、私もアリカ様にそこそこ叱られたので、お相子ということで。

 

 思い返せば、あの時は完全にネカネちゃんに女子力負けしてたなぁ。

 あ、ネカネちゃんが私に背負わせた巨大リュックサック、どうやら沢山の携帯食料とか簡易テントなどが詰め込まれてたそうです。

 そうーーいつの間にか背中からなくなってたんです、あのリュックサック。

 ネカネちゃんと別れてすぐ遭遇した魔法使いたち、私が闇雲に包丁(ハナヨメシュギョウ)を振り回してた時。おそらく邪魔だからと一旦おろして、そのまま忘れてしまったようです。

 

 おかげで苦労しましたねぇ〜。

 

 女2人で何日間も野宿をする羽目になるとは。

 アリカ様も途中で落としたらしいんですよ、荷物。

 私がアリカ様を探し出して、2人で熱く抱きしめあった時には、すでに2人は無一文だったんですね。

 

 まぁ、今となってはいい思い出です。

 

 話は戻りますが、私が女子力で惨敗を喫したネカネちゃん。

 そのネカネちゃんを通して、ネギ君の様子を定期的に聞かせてもらってます。

 やっぱりというか、ネギ君はお父さんの話を聞くのが大好きだそうな。

 男の子ですものね、無敵のヒーローのような存在には憧れるでしょう。それが自分のお父さんだというならなおさら。

 

 ちなみに、ネギ君は今年で3歳になります。

 あれから3年経つのですね、時が経つのは早いものです。

 

 そんな、無敵のお父さんに憧れてるネギ君ですが、母であるアリカ様のことは聞かされてません。

 ネギ君のお母さんは、ネギ君を産んで間もない内に亡くなった、そのように伝えたそうです。

 というのも、本人であるアリカ様自身がそのように村の人たちに頼んだからなんですが。

 

 こればかりはしょうがないのでしょうね……。

 

 経緯はどうであれ、私とアリカ様はネギ君に負い目を感じていることは事実。

 

 まだ赤ん坊だったから、というのは言い訳にしかならないのはわかってます。

 もし、これから先ネギ君に会ったら、その時は心から謝りましょう。

 と言っても、ネギ君にしてみたらなんのことかわからないと思いますが。

 結局は自己満足ーーそれでもやらないよりは全然良い、はずです。

 

 いつかまた、ナギさん、アリカ様、ネギ君、そして私。4人が揃う日を期待して、日々頑張らねばなりませんね。

 

 

 

 そんな私とアリカ様は、2人で旧世界の国々を宛てもなく旅をする日々を送っています。

 

 聞いてくださいよ。アリカ様ったら、ウェールズの村を出る時、「どこに行こうかなど決めてはおらんかった」とか言うんですよ。

 考えられません。

 ーーまぁ結局のところ、何かと曰く付きなアリカ様を受け入れてくれる旧世界の魔法関係組織なんて存在しない、というのがそもそもの理由なんですが。

 

 といっても、理解のある人がいないーーというわけではないんです。

 

 極東の島国、日本という国には、アリカ様とも縁のある紅き翼の元メンバーの1人、近衛詠春さん。

 そして、アリカ様どころか私にとっても縁の深いーーアルビレオ・イマさん。

 

 この2人が、今現在日本にいます。近衛詠春さんはそもそも日本出身だそうですから、当たり前といっちゃ当たり前ですが。

 

 かといって、こちらがただ押しかけるというわけにもいきません。

 

 近衛さんは、なんでも日本に存在する魔法関係の二大組織の一つ、関西呪術協会の長を務めてらっしゃるそうです。

 曰くだらけの私たちが2人押しかけては、組織の不和に繋がりかねません。

 近衛さんにただご迷惑をおかけするだけです。

 アリカ様も、それは好むところではないと仰ってました。

 

 変わって、アルさんが今いる場所ーー「麻帆良」という都市。

 そこも、魔法関係者が多く在籍するという点では、前述した関西呪術協会の例の通り。

 いらぬ火種を投げ込む気もさらさらないので、今まで近づこうとすらしなかったのですが、ただーー。

 

 

 

ーーアルさんが会いに来てくれってうるさいんです。

 

 

 

 来る日来る日も、アルさんと私は「きせかえごっこ」による念話機能でお話をしています。

 それも基本はアルさんの方からかけてきます。

 どうやら、あの時の仮契約で、アルさんのハートに火を着けてしまった模様。

 

 

ーー日がな一日中、貰った仮契約(パクティオー)カードに描かれたセッちゃんを見て自身を慰める毎日です。寂しいですよ、セッちゃん。どうか、会いにきてください。

 

 

ーー今晩わ、セッちゃん。あぁ、そちらはまだ昼でしたか。ーーえ、要件は何か、と?……フフ、ただ声を聞きたかったから、では、いけませんか?

 

 

ーーセッちゃん。貰った仮契約(パクティオー)カードがなんだかふやけてきてしまったので、できれば新しいのを貰いたいのですが。

 

 

 

ーー…………セッちゃん、セッちゃん、セッちゃん、セッちゃん、セッちゃん、セッちゃん、セッちゃん、セ…………

 

 

 

 

 

 

 怖い。

 

 

 

 

 

 

 会いに行くのは、もう少し先でいいや。

 

 

 

 

 

 

「アリカ様、今日もお願いします」

 

 

「なんだかんだで、この行為も慣れてしまったのぅ」

 

 

「慣れたーーだなんて……やっぱり時々趣向を凝らして変化を加えて言った方がいいんでしょうか」

 

 

「何を言っておるんじゃ、ほれ、さっさとやるぞ。今日は新作の最終調整をせねばならんからの、きびきびいくぞ」

 

 

「……アリカ様、最初はこの商売全然乗り気じゃなかったのに、今や私以上に熱入ってますね」

 

 

「待ってくれておるファンの期待を、そして何よりキティを裏切るわけにはいかんじゃろう!」

 

 

「もぅ、正式名称はそっちじゃないんですけどね。ーーというか、私たち未だに本物に会ったことすらないんですけどね。はぁ……路銀の足しにでもなればと思って始めたら、まさかこんなに人気が出るなんて……」

 

 

「ぬぅ!?いかんもうこんな時間じゃ!新作の調整が終わったら、まほケット用のキティ原稿の仕上げも残っとるというに!セツ子、とっととやるぞ」

 

 

「え〜、どんな時でも雰囲気にはこだわるのが女の子の嗜みだと思うんですけど……」

 

 

「だから!時間がないと言っておろうが。ーーどうせ、今日も包丁じゃろ。ほれ、いくぞ」

 

 

「今日は良いの来そうな感じがするんですってーーームグゥ!?〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

 

 

 

 

 

 

 

 こんな感じで、アリカ様と2人で今日も頑張ってます。

 

 セクストゥムでした。

 

 

 

 

 




エヴァ「何!?終わったーーだと」

茶々丸「次回から麻帆良編です」


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原作開始
グッドナイト†エヴァ


真・第一話(これが第一話でもよかったかもしれない)


 グッドナイト†エヴァ。

 それは魔法関係業界の一角を賑わす、名状し難い案件である。

 

 

「おい茶々丸。いきなりどうした」

 

 

 女性2人によるユニット「完全なる女子」が世に送り出したシリーズ作品、及びそのブランド名を指す。

 

 メインである「グッドナイト†エヴァぬいぐるみ」を筆頭に、ゴシックファッションからTシャツ、バッグといったアパレル物。キーホルダーやストラップ等の小物類、マグカップ、筆記用具といったものまで広く手がけている。

 

 

「説明しろと言ったのは私だが……おい待て、ブランド化してる!?このぬいぐるみが!?私モデルの筆記用具ってなんだ!?」

 

 

 1993年。当時見聞を広げる目的で各地を旅していた「完全なる女子」の2人が、旅の費用を工面するために、趣味で自作した金髪少女のぬいぐるみを路上販売を行なったのが事の発端である。

 この時売られたグッドナイト†エヴァ(当時はまだ名前はなかった)第1号は、現在ファンの間で高額な値で取引されている。

 

 

「何故そこで私のぬいぐるみを作った。そして何故売った」

 

 

 「完全なる女子」の2人も当初はこれを商売にしようなどとは考えていなかったと思われ、路上販売もほどほどの期間で終了、一旦鳴りをひそめた。

 しかし、幾許かの空白期間を経て2人は、まほネット上で「グッドナイト†エヴァ」という名前でホームページを立ち上げ、通販という形で再び金髪少女のぬいぐるみの販売を再開する。

 この時を持って、初めて金髪少女のぬいぐるみは「グッドナイト†エヴァ」という名を得て、世に出回ることとなった。

 

 

「そのまま鳴りをひそめておけばよかったものを」

 

 

 「グッドナイト†エヴァ」が、かの「闇の福音」をモチーフにデザインされているという事実。この事は、ホームページ立ち上げ当初から「完全なる女子」本人らが明かしていた。

 題材元が「闇の福音」だけに、当初の売れ行きは芳しくなかった。

 批判のメール、掲示板での書き込みも相次いだと当人たちは語っている。

 

 

「ふ、ふん!私のぬいぐるみなど売り出すからそのようなことになるのだ。……ばかものめ」

 

 

 しかし、その当時も少なからず「グッドナイト†エヴァ」のファンは存在した。

 

 公式ホームページ内の掲示板では、ファンからの応援の声が多数寄せられていた。

 それらの声を励みに、その後も続々と新商品を発表。

 クチコミなどを通し、「グッドナイト†エヴァ」の名は徐々に広まり、特定の層内で人気に火が着いた。

 

 

「特定の……層」

 

 

 その特定の層とは主に、現魔法社会の体制や、日々の暮らし、周りの大人たち等に不満を持っている、いわば悩み多き荒くれ者たちである。

 彼らが「グッドナイト†エヴァ」に惹かれた要因として、ぬいぐるみの愛くるしさも挙げられるが、多くは「グッドナイト†エヴァ」の公式ストーリーに感銘を受けたと思われる。

 

 

「何?ストーリー?は?」

 

 

 「グッドナイト†エヴァ」には、実際の「闇の福音」の情報を元に作られた「ストーリー」が存在する。

 

 

 〜凶悪な力を持ち人々に恐れられていた真祖の吸血鬼「エヴァンジェリン」

 

 〜そんな彼女の前に1人の男が現れる。

 

 〜その男は、「赤松の剣」と呼ばれる伝説の剣に選ばれし勇者だった。

 

 〜この勇者が、思いの外自分の好みにドストライクだったエヴァンジェリン。

 

 〜あろうことか、この勇者をデートに誘ってしまう。

 

 〜ウキウキ気分のエヴァンジェリンが、勇者に手を引かれ連れてこられた場所。レーベンスシュルト城。

 

 〜あらやだ素敵なお城、と浮かれてたエヴァンジェリンは、あっという間に勇者に呪いをかけられ、城に閉じ込められてしまう。

 

 〜外に出られなくなったエヴァンジェリンは、呪いを解く手がかりを探すため、広大なレーベンスシュルト城内の探索を始めたのであった。

 

 

 これが、「グッドナイト†エヴァ」のストーリー、大まかなあらすじである。

 

 

「どこに感銘を受ける要素があった……というか赤松の剣ってなんだ」

 

 

 退廃的でアンダーグラウンドな「グッドナイト†エヴァ」の世界観に魅入られた者達の中には、魔法世界で活躍する大物アーティストも多く存在する。

 

 まほロックバンド界のカリスマ、「X ARIADNE(エックス・アリアドネー)」のリーダー、「TOSHIKI(トシキ)」。

 彼は「グッドナイト†エヴァ」の魅力にまほロック界でいち早く気づき、ステージパフォーマンスに「グッドナイト†エヴァ」にちなんだ演出を幾度となく採用している。

 今や「TOSHIKI(トシキ)」の代名詞ともなっている、魔力で加工された氷で作られた「アイスピアノ」を、冷たすぎて弾けないという理由で曲の途中で壊し始めるパフォーマンスは圧巻である。(その後気絶するまでが様式美)

 

 

 他にも、支配者のポーズを取った自分自身を氷漬けにして、ステージに登場する演出で客を沸かせた「jackt(ジャクト)」。(が、その後氷がまったく溶けず、そのままライブは中止になった)

 

 「氷爆-absolute-」という曲のPV撮影を、ガチ吹雪の中ボンテージコスチュームを纏い行なった「P.M.Revolution」。そのPV撮影の後、半年の間生死を彷徨うこととなった。(その時の出来事を歌った「WHITE BLAST」は、ミリオンヒットを達成した)

 

 

「何やってんだそいつら」

 

 

 魔法業界のあらゆる大物を巻き込みながら、今尚勢いを増す「グッドナイト†エヴァ」。

 10周年記念を控え、これからどのような世界を我々に魅せてくれるのか、期待は膨らむばかりである。

 

 「グッドナイト†エヴァ」の一挙一動から、目を離すなーー。

 

 

「私は目を覆いたくなるばかりだよ」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「ちなみにファンクラブの名前は「Maze of the dark」。ファンの名称は「DOLL(ドール)」となっております。……マスター、如何なさいました?」

 

「……いや、感情の矛先をどこに向けたらいいのかわからなくてな」 

 

 目の前の自身を模したぬいぐるみを見て、ため息を吐く題材元のエヴァ。

 

「ーーそれで?「完全なる女子」と言ったか?私のあずかり知らぬ所でそのような事態にまで事を発展させおった奴らは。その2人は何者だ?先ほどの説明では奴らの詳細が語られてはおらんのだが」

 

「その2人なのですが……この10年間「完全なる女子」のお二人は公には一切のプロフィールが明かされておりません」

 

「何?」

 

 エヴァが怪訝な顔を茶々丸に向ける。

 

「いや、一切ーーというのは違いました。「完全なる女子」のお二人の関係は母と娘。それ以外のプロフィールが皆無なのです」

 

「そんなバカな話があるか。ーーいや、実際今長々と説明されたもの自体がバカな話ではあるが……。ゴホン、それよりもだ。そいつら親子は路上販売なんかをしてたんだろ?その時の目撃情報などはないのか?」

 

「当時の目撃情報によると、彼女たちは常にローブを身に纏い、フードで顔を隠していたそうです。それに、今も公に姿を見せる際には似たような形で顔を隠しています。グッドナイト†エヴァのファンからしたら、それが逆にミステリアスな雰囲気を醸し出していてグッとくるとのことです」

 

「最後の情報は余計だ。……くそ、グッドナイト†エヴァのことよりもその親子の方が気になってきた」

 

「マスターは心当たりなどないのですか?」

 

「そんな頭のおかしい親子に心当たりなどない。ーーしかし、先ほどのグッドナイト†エヴァのストーリーだが、細部が腹立たしいまでに脚色が加えられてはいるものの、大筋が今の私の置かれている状況と妙に酷似しているのが気になる」

 

 茶々丸はエヴァの言葉の続きを待つ。

 

「伝説の勇者があのバカ(ナギ)で、レーベンスシュルト城をここ、麻帆良と置き換えるとしっくりきてしまう。そもそもレーベンスシュルト城なんて単語が出てくること自体怪しい。なぜあったこともない奴らがその存在を知っているのだ。そいつらは、不自然なほど私に詳しすぎる」

 

「……それは」

 

 確かにーーと茶々丸は同意を示す。

 

「少なくとも麻帆良でそのような親子など知らん。……ええぃ、いよいよもってこの呪いが忌々しいな。外に調べに行くことすら叶わんとは」

 

「10年経った今となっても「完全なる女子」のお二人は、なぜマスターを……「闇の福音」を題材にした物を売り出そうとしたのか、この理由は未だ公式では語られておらず、謎に包まれたままです」

 

「フン、10年前というのも奇妙な話だ。その頃にはすでに私は麻帆良に縛られており、私が麻帆良にいるという情報も外部には隠蔽されている。……ハァ」

 

 ため息をつき、グッドナイト†エヴァを抱えソファに横たわるエヴァ。

 

「いくら考えても今の私にどうこうできやしない、か……何のつもりかは知らぬが、私に害が無い内は好きにさせてやるとしよう。ーー当人になんの断りもないというのは見過ごせる話ではないがな……」

 

 ぬいぐるみの出来は良いようだなーーと言って、何とも言えない表情で自身のぬいぐるみと見つめ合うエヴァ。

 

(なんだかんだ言いつつ、御自分に好意的な出来事など滅多に無いから照れておられるのですね。)

 

 その様子を録画する茶々丸。

 

「マスター、そのぬいぐるみは差し上げます」

 

「ん?ーー別に私は自分のぬいぐるみなぞ要らんのだが……お前はわざわざ私にこれをよこすために買ったのか?」

 

「はい、一つはマスター用にと。ーー私個人のものは、ちゃんと別に購入しております」

 

「…………茶々丸、お前ーー」

 

 一体このぬいぐるみをいくつ買ったーーと恐る恐る茶々丸に聞くエヴァ。

 

 玄関には、平積みにされたダンボールが10個近く積んであった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「そう言えば、あの性悪はいつ頃帰ってくると言っていた?」

 

 リビングに大量のダンボールが積まれ、その開封作業に勤しんでいた茶々丸に、エヴァがそう声をかける。

 

刹子(せつこ)さんでしたら、「しばらくは帰らない」とだけ。いつ頃戻られるかは伺っておりません」

 

「フン、そうか……」

 

「マスター、寂しいのですか?」

 

「アホ!んなわけあるか!毎日毎日節操もなく唇をせがまれんでせいせいしとるわ!」

 

 エヴァはソファから勢いよく身を起こし、茶々丸を怒鳴りつける。なお、グッドナイト†エヴァは抱えたまま。

 

「第一、あいつは事あるごとに私に対してちょっかいを出してくるからな。ーー大事な計画が控えているんだ。万が一あの性悪に邪魔されてはたまったもんじゃない」

 

「……大事な計画、と申しますと」

 

 茶々丸は開封作業を行なっていた手を止め、改めてエヴァに向き直る。

 

「ーーもうじきサウザンドマスターの息子がここ麻帆良にやってくる。そのために私は今の今まで準備をしてきたんだ。あの性悪がいないならそれに越したことはない」

 

 エヴァはそう言って、懐から1枚のカードを取り出す。

 

「……どうやら性悪が今いるところは夜のようだな」

 

「ーーと、申しますと?」

 

「カードに描かれている衣装がパジャマになっている。今頃奴はぐっすり夢の中だろうよ」

 

 茶々丸はそれを聞くと、同じように懐からカードを取り出す。

 カシャ!カシャ!とシャッターを切る音が響く。

 

「迂闊でした……パジャマを着ているということはーーすでにお風呂は済ませてしまったということですか……っ!」

「このカードには「常時衣装反映機能」が付いていることをあの性悪は未だ気づいておらんからな。茶々丸、今の内にたっぷり弱みを握っておけ」

 

 エヴァがそう言うも、茶々丸は大きく項垂れ、ひどく後悔した表情を浮かべているだけ。

 エヴァはそんな茶々丸の様子に目もくれず、手元のカードに向けて愚痴をこぼす。

 

「まったく、身動きの取れない私を差し置いて、自分は悠々と旅を楽しみおって……くそ、早く来いナギの息子。お前の血を持って私はこの忌々しい呪いから解放されるんだ!」

 

 

 手元のカードには、パジャマを着た白髪の少女が、包丁を握り佇んでいる絵が写っている。(目は閉じられている)

 

 紛いも無い、そのカードは「きせかえごっこ」が誇る産廃アーティファクト。

 

 「花嫁修行(ハナヨメシュギョウ)」そのものであった。

 

 

 

 

 

 




エヴァとの出会いなどは追々補完していく予定です


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お子ちゃま先生vsジャスティスレンジャー〜前編

「ターゲットは人質を伴い図書室に立てこもったよ!」

 

「無駄な抵抗はやめなさい!君は包囲されている!」

 

「くっ、君たち何のつもりだ!邪魔をするつもりか!?」

 

「フッ……今の俺たちに楯突くことがどういうことか……知りたいようだな」

 

「高畑先生……僕は、貴方にだけは負けるつもりはありませんよ」

 

「我々は決して屈しない!正義を、正義と自由なる解放を!」

 

「そうよ!今こそ私達の正義をーージャスティスを!!!」

 

「「「「「ジャスティス!!!!!」」」」」

 

 

 

「ちょ、ちょっとネギ!?何よ、どうなってるのよ!?」

 

「ぼぼ、僕に言われても!?わかりませんよーーーーー!?」

 

 なんで!?なんでこんなことになってるの!?

 

 もうやだ、麻帆良学園怖いよ……キティちゃん助けて!!!

 

 

 

 

 

〜事件前日〜

 

 

 

 

 

 麻帆良学園女子校エリア。

 朝の通学路は、何としても遅刻はしまいと校舎を目指し全力疾走をする生徒たちで溢れかえっている。

 そんな生徒達を尻目に、敷地内にあるカフェテラスで優雅にお茶を楽しむ5人の姿があった。

 

 

「実に平和だ……心が洗われるようだ」

 

 褐色肌に白いスーツの男、名をガンドルフィーニ。ここ麻帆良学園に勤務する教師、兼魔法使いである。

 

 

「まったくです。彼女がいないだけで、ここまで心が安らぐとは……」

 

 ロングヘアーに眼鏡、凛とした佇まいの女、葛葉刀子。彼女もまたガンドルフィーニに同じ。

 

 

「フッ……あまりこの平和に浸かりすぎると、いざ奴が戻ってきた時に辛いぞ」

 

 ヒゲとグラサン、名を神多羅木。どう見ても堅気に見えない、威圧感が有り余る人相だが、一応肩書きは教師である。

 

 

「まぁ刀子さんの気持ちもわからんでもないけどねぇ。僕なんて何キロ体重が落ちたことか」

 

 名を弐集院。ふくよかな体型。深夜のラジオ王とは別人である。

 

 

「ハハ、ひどい言い様ですねぇ。ていうか弐集院先生は逆によかったのでは……」

 

 瀬流彦。若い、イケメン、以上。

 

 

 

 5人は麻帆良学園に所属する教師であり、また魔法使いでもある。所謂、「魔法先生」と呼ばれる人物らである。

 仮にも教師なのだから、こんな時間にカフェで駄弁っている暇などないはずなのだが……

 

 

「それにしてもいいんですかね、いくらオフだとはいえ、朝からこんなところでお茶してて……」

 

 疑問に対する返答を投げかけたのは、5人の中で最も若手である瀬流彦。

 こんな朝っぱらから遠目に見ても目立つ5人組が一つのテーブルを囲っているのだ。

 通りかかる生徒達から奇異の目を向けられてもおかしくない。現に瀬流彦はその視線を気にしている様子である。

 

 対する4人も、その奇異の視線に気づいていないわけではない。

 しかし、別段取り繕うこともなくただただ目の前の茶を啜り、軽い雑談を交わしている。

 

「フッ、いい加減お前も堂々としたらどうだ。俺たちは久方振りの休日を満喫しているだけだ。周りの目を気にする必要などどこにある?」

 

「そうだよ瀬流彦君。君だって疲れただろう?彼女が起こしたと思われる事件の前後関係の調査、実際起こした事件の後処理に追われる日々に」

 

「えっと、まぁ、確かに疲れましたけど……」

 

「思い返すと色々なことがあった……彼女がこの学園にやってきたのは……あぁ、もうじき2年にもなるのか」

 

「「「「…………」」」」

 

 ガンドルフィーニがそう言うと、瀬流彦を除く4人が空を仰ぎ見て、どこか遠い世界へ旅立とうとしている。

 

(ハァ……また始まった)

 

「今でも思い出すねぇ。彼女と初めて顔を合わせた時のことを」

 

「フッ……あれは学園に所属する魔法関係者達による定例会の場だったな」

 

 

ーーどもども〜♪六戸刹子(ろくのへせつこ)って言いま〜す♪親しい人からはセッちゃんって呼ばれてます!みんなもそう呼んでね!あ、あと絶賛彼氏募集中です!よろしくね〜♪

 

 

「最初の印象は、やたら軽い子だなーーというくらいしかなかった。私も軽く注意するくらいだったさ。学園の魔法生徒たるもの、もう少し気を引き締めるようにーーなんてね」

 

「私は同じ場に居た刹那が盛大に吹き出してた事の方が印象に残ってるわね……なんでもあだ名がどうこうって」

 

「は、はは。刹子ちゃん、その時からすでにそんな感じだったんですね」

 

「思えばもう少し彼女に気を張っておくべきだったよ……態度だけじゃなく、行動まで軽い子だったとは」

 

 

ーー大変です!六戸君が、聖ウルスラ女子の校舎に殴り込みをかけたって!なんか午前中のドッジボール対決の延長戦だとか訳わかんない理由で……どなたか、手の空いてる方、現場に向かってください!

 

ーー緊急事態です!六戸君と闇の福音が、白昼の街中で大喧嘩をしているとか……今すぐ彼女達の無力化と、街中に散らばった包丁の回収を急いでください!

 

ーー超・緊急事態です!皆さん起きてください!六戸君と闇の福音が、深夜の麻帆良学園都市を舞台にカーチェイスを行なっているとのことです!現在、車の持ち主である高畑先生と明石教授が叫び声を上げながら彼女達を追跡しています!皆さんも早く駆けつけてください!

 

ーーえ〜と……葛葉先生が「彼氏を寝取られた」とか言って六戸君とキャットファイトをしているそうです……六戸君は否定しているそうですが……と、とりあえず皆さん止めにいってあげてください。

 

ーー校舎の窓ガラスが割られまくって……

 

ーー大変です六戸君が……

 

ーー……

 

 

「「「「「…………」」」」」

 

 

 5人一様に顔がブルーになる。

 

 

「彼女の危険性を危うんだ私達4人が、学園長に無理を言ってクラス担任から外してもらい、彼女専門の指導員となること1年と半年。私たちは常に戦いの日々に明け暮れていました。瀬流彦先生は、まだここに赴任して間もないゆえに余裕があるのかもしれませんが……」

 

 刀子がそういうと、瀬流彦を除く他の面々はうんうんと頷く。

 

「毎晩毎晩徹夜に明け暮れ私の肌も荒れに荒れ……。おかげで男にも逃げられ心身共に極限状態に達し、ようやく山場を乗り越えたと思ったら次の事件に駆り出され…………。一向に減ることのない書類の山、その原因を作った当人はいつの間にか長期の旅行で麻帆良を離れている始末ッ!!!あのあばずれ小娘が……!」

 

 刀子の持つティーカップがガタガタと揺れ、中身が溢れる。

 さすがの他の面子もその様子には軽く引き気味のようだ。

 

「……い、いやぁ、なんかすいませんでした」

 

 藪蛇だったかーーと瀬流彦は辟易した。

 特に憎しみに染まった女教師の表情は直視に耐えるものではなかった。

 

「深夜のカーチェイス事件はしばらく頻繁に起こったよねぇ。なんでも『麻帆良道最速理論を極める』とかなんとか。……街中の巨大モニターをジャックして音楽流しながら中継までやってたね。あの頃まだ茶々丸君もいなかったのにどうやったんだろ……」

 

「高畑先生と明石教授はあの時ばかりは怒ってましたね……まぁそれもそうでしょうね。自分たちの車をカーチェイスの道具に使われ、挙句には麻帆良湖に沈められたのですから。あれ以来新しく車を買うたび乗り回されるものだから、今ではすっかり電車通勤ですが」

 

「フッ…………俺とガンドルフィーニの愛車も何台か奴らに持ってかれてしまったな」

 

「ああ…………あいつら軽自動車でも問答無用でカーチェイスの道具にするぞ。次の日文句を言われたよ。何が「もっといい車買え、高そうな車みたいな名前してるんだから」だ馬鹿野郎!お前らが勝手に乗り潰すからおっかなくてこっちはーー」

 

「まぁまぁガンドルフィーニ先生。それと「高そうな車みたいな名前」なんて言ったのは闇の福音の方ですよ」

 

 弐集院がガンドルフィーニを諌める。

 見れば各々過去にあった事件を思い出し、涙に歯を食いしばっていた。

 

(僕が麻帆良に来てから一度もないんだよなぁ、カーチェイス。見てみたいなぁ、刹子ちゃん、きっとカッコいいんだろうなぁ……) 

 

 若干一名違う事を考えている者もいたが。

 

「う〜ん、でも、僕が今まで聞いた限りでは、刹子ちゃんは魔法に関するいざこざは特に起こしていないそうじゃないですか。それに、深夜のカーチェイスだって確か闇の福音に唆されてやったことだって聞きましたし、ウルスラ襲撃だってーー」

 

 そういう瀬流彦に、ガンドルフィーニが涙を流しながらも詰め寄る。

 

「魔法に関することじゃないからなおのことタチが悪いんだ!彼女は学園に張られている認識阻害の結界をいいように利用しているんだよ!どうせなら魔法で一発ドカーン!とやってくれた方がまだわかりやすくて良いくらいだ「いや、さすがにそれは」……それともなんだね?君は僕達の車のことよりも彼女の肩を持つ気かい!?」

「フッ……俺たちの車のことなんかどうでもいい、そういうことか?瀬流彦」

 

 確かにあなたたちの車のことなんてこれっぽっちも残念だとは思ってない、むしろ早く新しい車を買って欲しいーーとは、口が裂けても言えない瀬流彦は、首をフルフルして否定する。

 

「瀬流彦先生、あなたあんなあばずれ小娘の味方をするなんてどういうつもりです!?親しげに「ちゃん付け」なんかして!」

 

「瀬流彦君はたまに彼女を擁護するような物言いをするけど、ひょっとして、彼女に脅されてるの?」

 

 一斉に瀬流彦に食らいつく面々。

 こればかりは瀬流彦もたまったものではなかった。

 

「ち、違いますよ!別に脅されてなんか……あ〜!そういえば、今日はほら、彼が麻帆良に来る日じゃないですか!忘れちゃったんですか?」

 

 必死に話題をそらそうとする瀬流彦。

 それを受けて、乗り出していた身を収める4人。

 

「ふむ、サウザンドマスターの息子だろう?別に忘れてたわけじゃないさ」

 

「かの英雄の血を受け継いだ天才少年、当然興味はあるよ?ただねぇ……」

 

「「「「それ以上に、今はこの疲れを癒したい」」」」

 

 あ〜、この人たちもうダメかもしれないなーー瀬流彦はそんなことを思った。

 

「それにね、彼には高畑先生がお目付役で付くんだろう?心配ないさ」

 

「それでも、せめて顔合わせだけでもしておくべきじゃ……ほら、せっかく皆さんオフなんですから」

 

「今度の魔法関係者の集まりの時にでも自己紹介すればいいだろう。今さら我々がぞろぞろと出向いたところで彼を驚かすだけだよ。高畑先生の邪魔にもなりかねない」

 

「そうだよ瀬流彦先生。何度も言ってるでしょ、僕らはクタクタなんだ。せっかくの休みなんだ、のんびりしようよ」

 

「フッ……束の間の平和を満喫、か……それも悪くない」

 

「いっそこのままあの小娘が戻ってこなかったらどれだけ楽か……」

 

「それは願ってもないことだね」

 

「「「「ハハハハハ!!!!」」」」

 

(いいのかなぁ……こんなんで)

 

 瀬流彦が目の前の大人たちに不安を抱いた、そんな時ーー

 

 

ーーどうやら、あなた方は実にふぬけてしまったようですね。

 

 

「「「「「!?」」」」」

 

 

 その声は、5人の頭の中に響いた。

 

 

ーー貴方達の正義の心に陰りが見えます。このままでは大変なことになりますよ。

 

 

「これは……!この、頭の中に直接響いてくる声は……!まさか!?」

 

「フッ……お出ましというワケか」

 

「いつも我々が窮地に陥った際に、何処と無く何処からともなく聞こえてくる……天の声」

 

「この……厳かな声の主は……」

 

「……えっと、ここは僕も乗っかった方がいいのか、な?」

 

 

「「「「「ジャスティス神さま!!!」」」」」

 

 

 彼ら5人が、一際通学する生徒たちから注目を集めていたのは、言うまでもない。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 とある国のとある街、人気のないカフェテラス。

 そこに、ゴスロリ衣装に身を包んだ年端もいかない少女が1人、お茶を飲んでいた。

 

「ああ、行き交う人々を眺めながら1人カフェで佇む、なんて素敵な休日なのでしょう。女子力が高まっていくのを感じます……」

 

 皆さんお久しぶりです、セクストゥムです。

 私は今、女子力探しの旅にーーではなく、仕事の都合で旧世界、魔法世界問わず各地を飛び回っています。

 

「グッドナイト†エヴァ10周年イベントのことから、例の組織のことまで……何かと大忙しで休む暇もありませんでしたが、今日は丸一日オフです。たっぷりと休日を満喫させていただきましょう。ーーほんとはアリカ様と一緒ならよかったのですが、あの方も何かと忙しい身ですからね、仕方がないとしましょう」

 

 セクストゥムはティーカップを置くと、すぐ横に積んであった「きせかえごっこカード」の束を手に取り、小さな両手で器用にシャッフルを始めた。

 

「手持ち無沙汰になるとついついきせかえごっこカードを弄ってしまいますね。別にこれで遊ぼうなんてつもりもないのですが……」

 

 ある程度シャッフルをしたら、今度は1枚ずつテーブルの上に並べ出す。

 傍目に見たら、カード占いをしているかのように映るかもしれないが、実際はただカードを並べているだけである。

 

「ふふ、素敵なお洋服がいっぱい♪癒されますね〜…………っと、余計なカードが混ざってました」

 

 テーブルに並べられたカードはどれも洋服や小物類の絵が描かれている中、5枚だけ様子の違うものがあった。

 その5枚はどれも人間が写っている。

 

 

 きせかえごっこ「束縛する彼女」(SR)

 

〜カードに登録された人物の現在位置の確認、及び会話を盗聴することができる。

〜「来たれ(アデアット)」でカードが認証登録状態になり、そのまま対象と握手を交わすことにより登録が可能。

〜以降は、カードに登録された相手が「セクストゥムに盗聴されている」という事実に気づくまで使用が可能。

〜距離が離れている場合、音声に乱れが生じる。

〜推奨はしないが、登録されている対象に念話を送ることも可能。

 

 

 カードに写っている人物らの名はーーガンドルフィーニ、葛葉刀子、神多羅木、弐集院、瀬流彦。

 もはや、言うまでもないであろう。

 

 

「何かと私に突っかかってくる面倒な人たちですからねぇ。何か弱みでも握れればと思いカードに登録させてもらいましたが……実際はいたずらをする事くらいにしか活用してないんですよね………おや?どうやら5人とも同じ場所に集まってる模様」

 

 セクストゥムは5枚のカードに向けて「来たれ(アデアット)」と宣言。

 カードから若干乱れながらも声が聞こえてくる。

 

「どれどれ、あの方々の様子でも伺いましょうか。5人集まって話していることなんて大抵はーー」

 

 

ーー……ザザ……彼女がいないだけで、ここまで………

ーー……いざ奴が戻ってきた時に…ぞ……

ーー……ザザ……彼女が…学園にやってきた……もうじき2年……

 

 

「ほらやっぱり。彼女とはおそらく私のことでしょう。ふふ、一体どのようなことを話しているのでしょうか」

 

 セクストゥムは、この10年間で割と自意識過剰に育ってしまったようだ。

 

 

ーー……毎晩毎晩……ザザ……当人はいつの間にか……旅行で麻帆良を離れて…………あのあばずれ小娘……

 

 

「……お、おや?あばずれって……ひょっとして別の人の話をしてらっしゃる?……いや、でも旅行で麻帆良を離れてるって、や、でもあばずれって……」

 

 

ーー……深夜のカーチェイス……麻帆良道最速理論……

ーー……馬鹿野郎……おっかなくてこっちは……

ーー……刹子ちゃんは……そうじゃないですか……ウルスラ襲撃だって……

 

 

「あ〜。やっぱり私のことで間違いないようですね……じゃ、じゃあ、さっきのあばずれどうのこうのって……」

 

 

ーー……あんなあばずれ小娘の……ちゃん付けなんかして……

ーー……瀬流彦君…………彼女に脅されてるの?……

 

 

「む、むぅ!教師5人集まって生徒の悪口ですか!?なんて酷い言われようなのでしょう!?この私をビッチ呼ばわりだなんてーーゆ、許せません!!」

 

 そりゃ、同級生の子たちと比べたら多少はそういった風に見られるのも仕方ないかもしれませんけど……で、でもそれは私の戦力アップに関わる大事な行為なのであって、決してふしだらな目的のためにやってるわけじゃないんです!

 キスする相手も大抵は女の子ですし。……まぁ、アリカ様を除いて一番数をこなしている人物はアルさんなんですけど……

 

 

ーーそういえばーーッーーが麻帆良にやってくる日ーーー

 

 

 おっと、いけないいけない。

 自分の世界にイントゥザダイブしてました。この癖いつまでたっても治りませんね。

 

 

ーー高畑先生がーーいるんだ、心配無いさ

ーー我々が……出向いたところで……高畑先生の邪魔に……

 

 

「?荒事でしょうか?それにしても正義の代行者ともあろう方々が他人任せとは……そうだ、先ほどのビッチ呼ばわりの仕返しに……少しからかって差し上げましょう」

 

 「束縛する彼女」はこちらから声を届けることもできる。

 この機能を使ってーー

 

 

ーーいっそこのままあの小娘が戻ってこなかったらどれだけ楽か……「ハハハハハ!!!!」………

 

 

「言ってなさい。ふふ、ーーどうやら、あなた方は実にふぬけてしまったようですね」

 

 

ーー!?

 

 

「ーー貴方達の正義の心に陰りが見えます。このままでは大変なことになりますよ」

 

(ふふ、驚いてる驚いてる♪麻帆良では結構()()()()()()()こともあって、こうして丁寧な言葉遣いをするだけで全然私だってバレないんですよね……まぁ、麻帆良では()()()()()()で活動してましたから、単純に声色の違いで気づいていないだけかもしれませんが)

 

 

ーーこれは……!この、頭の中に直接響いてくる声は……!まさか!?

ーー……フッ……お出ましというワケか

ーーいつも我々が窮地に陥った際に、何処と無く何処からともなく聞こえてくる……天の声

 

 

ーージャスティス神さま!!!

 

 

(……あ〜、確かそんな設定でした。にしても、ジャスティス神とか……ないですよね〜)

 

 

 ジャスティス神。

 

 それは、目に見えて疲労が蓄積してますと言わんばかりの5人のことを慮ったセクストゥムが、半ば労いの意図も含めて「束縛する彼女」の念話機能を用いて彼らにエールを送ったことが事の始まりである。

 

 当初5人は、疲れからくる幻聴だと一切怪しまなかった。

 それどころか、自分たちを労う言葉の数々が疲れた心身を癒し、逆に感謝の言葉を述べるほどだった。

 

 それを面白がったセクストゥムの行動はさらにエスカレート。

 自身を正義と慈愛の神「ジャスティス神」だと偽り、あなた方5人は正義の神に選ばれた代行者なのだーーと悪ノリをする始末。

 

 さすがの5人もこのノリばかりはただ笑ってあしらった(そもそも幻聴がそんな事を言い出している時点で怪しいと気づくべきなのだが)。

 

 しかしこの「ジャスティス神」は来る日も来る日も、彼らが危機に陥った際に適切な助言(ただの耳障りの良い励まし)を与え、幾たびの困難から彼らを導いた(問題を起こした事に反省したセクストゥムが、せめてものお詫びのつもりで彼らを励ましただけ)。

 

 いつしか5人は「ジャスティス神」の存在を疑わなくなった。

 

 彼らは、このようなあからさまに胡散臭い存在を認めてしまうほどにーー疲れ切っていたのだ。

 

 

「ーー平和に胡座をかいて、目の前の問題を他人任せとはなんたることですか」

 

ーーいや!?我々は別に……他人任せをしているというつもりじゃ……

ーー僕たちは……ただ久々の……を満喫しているだけで……

 

 

 このように、胡散臭い存在に対し普通に受け答えをしてしまうほどに……。

 

 

「ーー出会ったばかりの頃の貴方達は実に正義に満ち溢れていた。幾度ともなく空回りすることも多々あれど、貴方達は懸命に自分たちの正義の心に従い行動をしてきた……それが、今や自分たちの手に余ることだからといって行動を起こそうとすらしない」

 

ーーあぁ……ジャスティス神様……どうか私達をお許しください……

ーー何事も適材適所……自分たちの正義が時に誤った結果を招く事になり得ると仰ったのは貴方様ではありませんか……

ーー……今回は……高畑先生に任せれば……問題は……

ーー……う、う〜ん……この声やっぱどこかで………

 

 

(え、そんなまともな事言ってたんでしたっけ、私。……う〜ん、でも荒事を高畑先生一人に任せるなんてよくないですし、ここはーー)

 

 

「ーー黙りなさい!!!」

 

 

ーー!?!?!?!?!?

 

 

「ーーよくもそのような言い訳をつらつらと!恥を知りなさい!……私は悲しいです、正義の代行者に足る方々だと見込んで今日という日まで私は貴方達を導いてきた。ーーしかし、それも間違いだったようですね」

 

ーーそんな!?ジャスティス神さま!……決して我々はそのようなつもりでは……

 

 

「ーー言い訳は十分です。私は深く失望しました。ーーこれから貴方達の目の前で生徒達が傷つく事があるとしたら、それは貴方達自身の怠慢が招いたものだと知り、そして絶望しなさい」

 

ーージャスティス神さま!?……そんな、どうか我々に今一度……

ーーこれはやばいよ!……ジャスティス神さまに見捨てられたら僕たちは……

ーーフッ……俺たちは、間違ってしまった……という事なのか……

ーーいやぁああ……ジャスティス神さま!ジャスティス神さま!!……

ーー……やっぱ聞き違いかな……刹子ちゃんに声が似てるだなんて………

 

 

「こちらからの念話は遮断ーーっと。ふふ、これで少しは身に沁みましたかね」

 

 

 セクストゥムからあちら5人への念話は切られたが、5枚の「束縛する彼女」からは未だ彼らの阿鼻叫喚の様が聞こえてくる。

 それを、両手で頬杖を付きながら、意地の悪い表情を浮かべ聞いているセクストゥム。

 

 

ーー我々は一体……どうすれば…………「キャーーッ!何よコレーーッ!」ーー!?……なんだ!?………

ーー……悲鳴!?……しかも女子の声だったよ!?……

ーーフッ……こうも早くツケが回ってきたか……

ーー……まさか、これがジャスティス神さまの言っていた我々の怠慢が………

 

 

 何やらカード越しから聞こえてくる彼らの様子がおかしい。

 

「ちょっと、本当にまずい事になってるんですか?あ〜、言わんこっちゃないですよ」

 

 

ーー今からでも遅くはありません!……私達も現場に向かいましょう!……

ーーよし、行くぞ!!……ザザザザザザザ……

 

 

「あ、ちょっと移動しただけで酷いノイズ……ん〜〜〜、このアーティファクトほんっと使いづらいですね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 悲鳴の聞こえた現場へと駆けつけた5人の魔法先生。

 

 そこには、公衆の面前で下着姿をさらけ出し、その場にうずくまる少女。

 

 唖然とした表情の高畑、そしてーー

 

 

 ーーぷんぷんと顔を膨らませ怒った表情の少年が、その下着姿の少女を見下ろしている光景があった。

 

 

 

 




やらかしたセクストゥム


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お子ちゃま先生vsジャスティスレンジャー〜中編

エヴァ「なに、中編?ここで3話も使うというのか!?」
茶々丸「これも想定外だそうです」


「そうか、彼がネギ・スプリングフィールド君だったのか」

 

 公衆わいせつ事件?の現場に駆けつけた5人の魔法先生(ガンドル、葛葉、神多羅木、弐集院、瀬流彦)は、その場に居合わせた高畑から説明を受けていた。

 

 なんでも、下着姿でうずくまっていた少女の目の前にいた少年。彼こそが、先ほどカフェテラスで5人が話題にあげていたサウザンドマスターの息子、天才少年とも名高いネギ・スプリングフィールドだったのだ。

 

 サウザンドマスターの容姿は5人とも記録写真等を通して知っている。なるほど、確かに生前の彼に瓜二つである。

 新たな時代の幕開けーーそのような感情を、実際にネギを目の前にした5人は感じていた。

 

 しかしこの天才少年、優秀ではあるのだが、決して未熟さが残っていないという訳ではなかったようだ。

 なんでも魔力の制御を怠っていたのか、咄嗟に出たくしゃみを引き金に辺りに魔力を発散させてしまったというのである。

 ちょうど目の前にいた少女はその直撃を受けてしまい、身につけていた衣服は下着を残して四散、あのような光景が生まれてしまったーーこれが事件の真相だった。

 

 

「魔力の暴発か……」

「うーん、流石の天才魔法少年も、根っこの所は未だ未熟な子供……ということかな。まぁ、仕方ないよね」

 

 

 当事者であるネギと、服を剥かれてしまった少女はすでにこの場にいない。

 

 今ネギ達は学園長室へと向かっている。高畑がそうさせたのである。

 事件の現場にはこの2人と高畑、それともう一人、学園長の孫娘である近衛木乃香がいた。

 近衛木乃香は、祖父からネギのお迎えを頼まれたらしく、ひん剥かれた少女は彼女の付き添いだったそうな。彼女からしたらとんだとばっちりを受けてしまったことになる。

 いつまでも公衆に肌を晒しておくわけにもいかないので、彼女の着替えついでにそのまま学園長の元へ挨拶に向かわせたのである。

 

 結果この場には高畑を含めた6人が残ったというわけだ。

 

 

「初めて訪れた土地で緊張しているのかもしれないな、肩が張っていまいち調子が出ないんだろう。我々大人でもそういったことはあるからね」

「被害を受けてしまった彼女に心傷が残らないか心配ではありますが……その辺りのケアは当事者であるネギ君を交えて、私たちもサポートしていきましょう」

「フッ……今はあまり気負わせるな、といったところか」

 

 

 5人の意見はあらかた現状維持の方向でまとまりそうだ。

 高畑はその様子を見ながら、うんうんと頷く。

 

 

(うん、これこそ魔法先生のあるべき姿だ)

 

 

 高畑は目の前の同僚の姿に感動していた。

 

 魔法による被害の防止、及び隠蔽は魔法関係者にとって何よりも重視するべきことである。

 ガンドルフィーニを筆頭に、彼ら5人は麻帆良に在籍する魔法関係者の中でも、そのことに対して特に気を張っている面々と印象が強い。(ほとんどはガンドルフィーニのイメージなのだが)

 

 それ故ネギが起こした此度の騒動に彼らが駆けつけてしまったことに、いささか不安の念があったのだ。

 

 高畑は幼い頃からネギとは付き合いがあり、常に等身大の彼の姿を知っている。

 サウザンドマスターの息子という肩書きが先行して、周囲からのプレッシャーに潰されてしまうのではーー高畑はそれを危惧していた。

 しかし、目の前の彼らを見て高畑の不安は晴れ、同時に彼らを侮っていたことへの反省の念まで生まれた。

 

 

(これも刹子君が麻帆良に与えた影響の一つ、なのかもしれないね)

 

 

 高畑は脳裏に1人の少女を思い浮かべ、笑みを浮かべた。

 すると、少女と彼ら5人の麻帆良での出来事が断片的に湧いてくる。

 

 

ーー六戸君、胸元のリボンはきちんと閉めなさい!君はもう少し魔法生徒として……いや、まずは女子としての自覚をだね……。

ーー私こう見えても家庭科の成績は常に最高評価なんですー。ガンドル先生だってネクタイ曲がってますよぉ?……ほら、直してあげるからじっとしてて?

 

ーーいや〜、財布を落としてしまった私なんかのためにこうして奢ってもらえるなんて、皆さんお優しくて感激ですよ〜♪あ、高畑先生と神多羅木先生?タバコなら私気にしないので吸っていいんですよ?

ーーフッ……いや、ここは遠慮しておこう。お前も飯に匂いが移っては嫌だろうからな。

 

ーーなぁ、刹子君。いつもうちの娘にお土産でぬいぐるみをくれるのはいいんだけど……このグッドナイト†エヴァって結構高いんじゃないかい?無理しちゃダメだよ?

ーーい〜んですよ弐集院先生。こうして小さい子に布教させるのは将来的に私にとってプラスに繋がるんですから。……それに私の場合タダで手に入りますからね……ごにょごにょ

 

ーーお願いします六戸刹子!どうか私に……私に粋のいい男を紹介してください!!!このままじゃ私は……。

ーーいや紹介しろと言われても……私だって彼氏探してますし〜……ってああもう泣かない泣かない!……あぁ〜、ほらハンカチ。あそこの喫茶店で話だけも聞いてあげますから、ね?

 

ーーガンドル先生に怒鳴られた〜〜〜!!!私今回は何もしてないのに!ヒドイと思いません?ね、瀬流彦先生!

ーーう、うん///そ、そうだね〜///よ、よし!僕がガツンと言っちゃたりしちゃおうかな〜?///アハハ……

 

 

(……………………)

 

 

 あれ、仲良すぎじゃないかな。

 

 というか、取り込まれてる……?

 

 

「高畑先生」

「……っと、はい、なんでしょう?」

 

 いつの間にか話し合いも終わったようだ。

 

「それでは、我々はこれから彼の……ネギ君の様子を観察しに行きますので」

「ええ、ええ、そうですか、それはよか……えっ、観察って……」

 

 さっきの話し合いからして、てっきり僕に任せてくれるものだとばっかり……。

 

「ご心配なく、高畑先生。あくまで観察です。私たちから彼に接触することはいたしませんので」

「はぁ……いや、でもそれは僕の仕事であって」

 

 なんだ?彼らはどういう結論に至ったんだ?

 

「高畑先生も学園長から頼まれた仕事とかで、1日中ネギ君を見てられるわけではないでしょ?」

「フッ……その点、今日の俺たちはオフだ。いや、ひょっとしたらしばらくオフかもしれんな」

「我々は今や六戸君専属の指導員。その彼女がいない故に、こうして暇を持て余しているんです」

「つまり、他にやることがないから……と」

 

(大の大人5人集まってやることがないーーとは何とも複雑な気持ちにさせてくれるね……)

 

「それに、高畑先生はネギ君とは親しい仲なのでしょう?それだと、どうしても贔屓目で彼を見てしまう部分もあるはずです」

「そうそう。何事も、自分の目で見て判断した上で厳正な評価を下すべきだよね」

 

 言っていることは正しい。

 しかしこの5人、いや僕を合わせて6人でネギ君を観察するって?それはどうなんだろうか。

 

「さすがに大人数だと観察するにも……それにネギ君にだって気づかれるでしょう」

 

 高畑はそう5人に訴えるもーー。

 

「皆、いいかな?彼がどのような失敗を犯したとしても、決して彼を煽るような言動は避けるんだ。刺激などしてはもってのほかだ」

「当然。幾多もの先人たちがそれで手痛い失敗をしてきたんだ、同じ轍を踏む気などさらさらないよ」

「私たちの成長した姿をジャスティス神様に示しましょう。さすれば、きっとまた私たちに応えてくれるはず」

 

 うん、聞いてないね。

 でも間違ったこと言ってるわけじゃないんだよなぁ……。

 それと幾多もの先人ってなんだい?貴方達と似たような人たちが過去にいたのかな?

 あと、今聞きなれない単語があったような……

 

「では高畑先生、我々は先に」

「まずは最初の授業風景の見学をしながら様子を伺いましょう」

「フッ……お手並み拝見、と言ったところだな」

 

 ズレてる。

 何かがズレてる。

 彼らの思考回路に深刻なバグが発生している。

 そのことに彼らは気づいていない。

 おかしいな彼らはもっと聡明だったはずだが。

 

 ……刹子君か?

 刹子君との日々の触れ合いにより溜まった疲れなのか?このポンコツ化の原因は?

 う〜ん…………。

 

「高畑先生」

「っ!ああ、瀬流彦先生。どうしたんです?他の4人と一緒に行かないので?」

 

 気づいたらすでに他の4人は校舎の中へと入っていく姿が見える。

 周りには登校中の生徒もいない。

 この場に高畑と瀬流彦の2人しかいない。

 

(なんだろう?いつになく真剣な表情だな、瀬流彦先生。ーーそういえば、さっきのやり取り中ずっと黙ってたな)

 

 いつもと様子の違う瀬流彦に思わず強張る高畑。

 瀬流彦は真っ直ぐと高畑を見据え、深く息を吐いた後、こう口にした。

 

 

 

「高畑先生は……せ、刹子ちゃんのことを、どうお考えなのですか?」

 

 

 

 ………………

 

 

 

「はい?」

 

「刹子ちゃんが高畑先生の家によく出入りしていることは存じています!刹子ちゃんが貴方を見る時の目が僕ら……いえ、僕とは違うということも!……心の底から貴方を頼りにしていると言わんばかりの、あの、熱を帯びた眼差し!ーー刹子ちゃんと貴方はただならぬ関係、違いますか!?」

 

 なんだなんだ、僕と刹子君がただならぬ関係って……。

 そりゃ僕は彼女の正体も、彼女の抱える問題も知ってるから、君よりは彼女に信用されているという自負はあるけども。

 いや、だからといって…………あぁ、瀬流彦先生、つまり貴方は、そういうことなのか。

 

「瀬流彦先生、僕はーー」

 

「いや、言わなくていいです。僕にはわかってますから「いや、聞いてきたのは君のほ」ーー僕は!だからと言って彼女を諦めるつもりはありません!……これが言いたかっただけです、すいません、時間を取らせてしまってーーでは、僕はこれで」

 

 そう言って駆け足で校舎へと去っていく瀬流彦。

 高畑は黙ってそれを見届けた後、頭を掻きながら胸ポケットからタバコを取り出す。

 

「……刹子君のことをどうお考え、か……」

 

 タバコに火を付け、ぷかぷかと煙をふかしながら空を見上げる高畑。

 

「僕が彼女のことをどう思ってるのかは置いておいて、瀬流彦先生。君が本気で刹子君をどうこうしたいと言うのなら……その気迫を向けるべき相手は他にいるよ……この学園の、地下に……」

 

 手強い、強敵がねーー高畑はそう独り言を呟くと、今度は胸の内ポケットから1枚のカードを取り出し、それを見ながらこう思った。

 

 

(刹子君、早く帰って来てくれ……そして、早く彼らの手綱を握ってくれ)

 

 

 カードに写るゴスロリ衣装に身を包んだ少女、先ほどの5人の支離滅裂な思考すらも彼女が一枚噛んでいるということを、高畑は知る由をなかった。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「今日は大変な一日だったなぁ……」

 

 その日の夜、ネギはとても疲れた表情で今日一日の感想を述べていた。

 

(クラスの皆さんは歓迎会も開いてくれたし、アスナさんとも何とかやっていけそうだけど……問題はあの人たちだよなぁ)

 

 修行で麻帆良学園に教師としてやってきた初日、その日の出来事を振り返るネギの脳内映像には、常に同じ5人の姿があった。

 

(朝、僕がアスナさんの服を吹っ飛ばしちゃった時からだよね、あの人たちが僕に付きまとい始めたの……タカミチが言うには魔法使いらしいけど、やっぱあれがいけなかったのかなぁ……)

 

 あの人たちとは言わずもがな、ガンドルフィーニを始めとした5人の魔法先生達である。

 彼らは高畑と別れた後、丸一日ネギを監視(そう呼べるかは疑問だが)し続けた。

 

(最初の授業はあの人たちの視線が気になってそれどころじゃなかったよ……)

 

 ネギが2ーAの教室に初めて足を踏み入れた際、生徒の仕掛けたトラップに盛大に引っかかった。

 

 その音を聞きつけた彼ら5人は、なんだなんだと教室に乱入。

 現場監督である指導教員のしずな先生がその場を収めたが、その後も彼らは教室のドア窓から教室の様子を除く始末。

 

 ネギはおろか生徒達も、ドア窓越しから見える5つの顔が気になって仕方がない。

 困ったものだとしずな先生が頭を悩ませていた矢先、教室のドアが開き、入ってきたのはガンドルフィーニ。

 

 そのガンドルフィーニの言ったセリフはーー

 

「ネギ君、僕が君の踏み台になろう」

 

 いきなり授業中に教室に入ってきて何を言っているのかと思うかもしれないが、一応は彼の言動にも理由があった。

 

 なんでも、黒板に板書をする上で身長の関係上背伸びをしなければならないネギの様子を見兼ねてこのようなセリフをはいたらしい。

 優しいんだか何なんだか、どちらにせよ生徒の目の前でそんな姿を晒させるわけにもいかないと、しずな先生はその申し出をやんわりと断った。(踏み台は別に用意した)

 

 このまま教室から出ていくかと思いきやしれっと「せっかくだからこのまま見学させてもらいます」などと言い出し、5人は教室の後ろに立ち並び授業の続行を促す始末。(その間、一番後ろの席の金髪少女がものすごく不機嫌だった)

 

 気を取り直して授業をーーと思ったのも束の間、再度事件発生。

 今朝方ネギに服を吹っ飛ばされた少女が、黒板に向かうネギに対して消しゴムの切れ端を当て始めたのだ。

 少女自身はとある理由があってそのような行為を行なったのだが、これを見ていた5人の魔法先生達がざわつき出した。

 

「や、やはり今朝の事件を根に持っていたか!?」

「いかん、彼を刺激してはいけない!」

「フッ……撃ち落とす!」

「それがあの方に誓った私たちのジャスティス!」

 

 などと言いながら、少女が射出する消しゴムの切れ端を無詠唱魔法で撃ち落とそうとしたり(某金髪少女が糸で止めた)、少女に対して「馬鹿な真似はやめなさい!」などと大声で叫んだ後、そのまま教室から締め出された。

 

 授業が終わった後も、彼ら5人による謎の監視体制は続き、結局彼ら5人の顔が今日一日で最も印象に残る結果となってしまった。

 

 

「宮崎さんを助けた時にタカミチが近くにいてくれて助かったよ……あの時も近くで僕のこと見てたみたいだし、あの人たち」

 

 

 そう、何を隠そうこのネギ、初日にして盛大にやらかしてしまったのである。

 

 一般人に魔法を使う現場を見られた、また、魔法使いだとバレてしまったーーそういうことである。

 

 ここでは割愛するが、言い逃れのできない事態に陥ってしまったネギ。

 そこに、自分を監視していた5人、を監視していた高畑が彼らを抑えつつもフォローを入れてくれたため、事なきを得たのだ。(結局その一般人に魔法はバレてしまったのだが)

 

 

「これからずっと僕を監視するつもりなのかなぁ、あの人たち。……はぁ、僕、ここでやってく自信がなくなってきたよ。……キティちゃん、僕どうしたらいいんだろうね」

 

 ネギは自身の膝の上に乗せていた、金髪少女のぬいぐるみにそう語りかける。そこへーー

 

「なぁ〜にガキがため息なんか吐いてんのよ、ったく、ため息吐きたいのは私の方よ……」

「あ、アスナさん」

 

 やってきたのは神楽坂明日菜。今朝方、ネギに服を消し飛ばされた張本人の少女である。

 これまた訳あって、ネギは今日からここ、女子寮に存在する彼女の部屋に居候させてもらうことになったのだ。

 

「あんたも色々あっていっぱいいっぱいなのはわかるけど、私だって今日だけで何回ひどい目にあったか……高畑先生には裸見られるし」

「うぅ……すいません」

 

 ある意味自分以上にひどい目にあったのは彼女だというのは本当のことだ。

 そう思うとネギはただ素直に謝ることしかできなかった。

 

「あのジャスティスレンジャーも、刹子が長期旅行に行ったおかげでようやく顔を合わせないで済むと思ったのに……なんでまた今度はあんたの監視なんて……」

「ジャス、ティス?ひょっとしてあの5人組の……アスナさん、あの人たちのこと知ってるんですか?」

 

 ネギは驚く。

 

「知ってるも何も、ウチ(麻帆良)じゃ有名よ。麻帆良学園一の問題児、六戸刹子(ろくのへせつこ)の愉快な取り巻き……じゃなかった、指導員としてね」

「も、問題児?ここにそんな人が……」

 

 いわゆる不良って言う……人なのかな?

 

「日頃から包丁持ってたり「えっ」、未成年で車の運転したり、あ、しかもそれ盗んだ車ね「うわぁ」、他校に殴り込みかけたり「う…」、昼間から街中で包丁振り回したり「アウトじゃないですか!?」、男性教論を誘惑したり「うわぁ…」……まぁ、表に出てるやつでもざっとこれくらい。ーー裏ではもっとヤバいことしてるって噂よ」

 

「え、えぇ……これだけで充分捕まっててもおかしくないんですが……これ以上ヤバいことなんて……」

 

 うぅ、なんだろう。ひょ、ひょっとして、ひ、人ごろーー。

 

「ま、安心しなさい。さっきも言ったけど、ソイツ今旅行行ってて麻帆良にいないから」

「そうなんですか!?」

 

 よかった〜!

 あ、でも旅行ってことはいつか帰ってくるんだよね……。

 ど、どうしよう、もし会ったら今日以上に僕、酷いことされるんじゃないかな?カ、カツアゲ?とか。

 ……こ、怖いなぁ〜。

 

 ーーそうだ、会わなければいいだけじゃないか。

 

 たぶん、高校生とかだよね?なるべく近づかないように心掛ければ……。

 

「ア、アスナさん!その不良の人は、お年はおいくつなんですか?出来るだけ会わないようにしたいんですけど……」

「え?いくつも何も、私たちのクラスの同級生だけど?」

 

 

 え…………

 

 ええぇえぇぇぅぇぅぇええええええ!?!?!?

 

 

「ーーーーーーーーーッ!!!」

 

 そうだーークラス名簿!!!

 

 

「……出席番号32番。六戸刹子(ろくのへせつこ)……そ、そんな……」

 

 いた。

 ウチのクラスに……麻帆良一の不良が……。

 そ、そんな……僕、こ、この不良の人の先生だなんて……む、無理だよ……。

 

「さっき、ジャスティスレンジャー……あの5人組の先生たちのことだけど、言ったでしょ?ようやく顔合わせないで済むって。刹子のこともあってよくウチのクラスに来るのよ。まぁ今日みたいに授業中まで監視付けなんてことはなかったけど……」

 

「そうなんですね……」

 

 白髪で色白で、キレイな人なんだな。名簿の写真を見る限り、麻帆良一の不良だなんてとても思えないけど……。

 でも、人は見かけによらないって日本語であるし……。

 

 タカミチの書き込み……「姉」って書いてあるけど、なんだろう?

 ま、まさか、姉御とかそういう意味合いで!?

 舎弟ってこと!?

 僕、舎弟……逃げられないぞってことなの!?タカミチ!?

 

「あ〜。まぁ、そんな心配しないでもいいと思うわよ?問題児であることに代わりはないけど、クラスメイトには普通に接してるし。私も刹子って呼んでるくらいだしね」

 

 どんどん顔が青ざめていくネギの様子を見兼ねたアスナがそう言うも、あまり効果は見られない。

 

「あれ、2人ともまだ起きてたんー?アスナ明日早いんやろー?」

 

 近衛木乃香がバスタオル片手にやってくる。

 木乃香もこの部屋の住人であり、ここの女子寮は基本的に相部屋が多いのだ。

 

「いけな、もうこんな時間じゃない!ほら、あんたもいつまでうじうじしてんのよ!とっとと寝る用意しなさい」

「は、はい……」

 

 ネギは寝床として与えられたソファーまでふらふらと覚束ない足取りで歩き、布団に入り込もうとする。

 

「……ねぇ。あんたそのぬいぐるみと一緒に寝るつもり?」

「え、えぇ、そうですけど……」

 

 先ほどからネギの膝の上に鎮座していた金髪少女のぬいぐるみ。(メイド服着用)

 それを抱えたままネギは布団に入り込み、そして一緒に寝るというのだ。

 

「そのぬいぐるみかわええなー♪ネギ君そういうの好きなん?」

「あんた男のくせにそんな女の子みたいな趣味してるわけ?どうなのよそこらへん」

「え!?い、いや、キティちゃんは……このぬいぐるみは特別な思い入れがあって……」

 

 

 ネギは2人にこう語った。

 

 

ーーこのぬいぐるみは、ネギが生まれて間もない頃に亡くなってしまったお姉ちゃんが生前、趣味で作ったもの。

 

ーーネギの従姉のネカネと、そのお姉ちゃんは仲が良く、よく2人して赤ん坊のネギの面倒を見ていた。

 

ーーネカネは、お姉ちゃんが亡くなる前に、そのぬいぐるみを譲り受けた。

 

ーーぬいぐるみはいくつかあったので、その内の一つを幼いネギに与えた……とのこと。

 

 

「そんなわけで、このキティちゃん……あ、キティって言うのはそのお姉ちゃんが付けた名前らしいんですけど、小さい頃からずっとこのキティちゃんと一緒だったんです。それこそ寝る時だって。なんと言うか、会ったこともないお姉ちゃんの温もりみたいなのを感じまして……」

 

 アスナと木乃香は黙ってネギの話を聞いている。

 木乃香に至っては少し涙ぐんでいるようだ。

 

「だから、キティちゃんを抱いてないと寝付けない体になっちゃって……アハハ、恥ずかしいですね、男の子なのに」

 

 アスナと木乃香はお互い視線を合わせる。

 アスナは少し気まずそうながらも、木乃香に頷く。

 

「え〜と、ネギ?ご、ごめん!出会ったばかりの私たちに話しづらいこと話させちゃって……軽い気持ちで聞くことじゃなかったわ」

「い、いや、いいんですよ……僕の方こそ、寝る前に変な空気にさせちゃったみたいで……」

 

 お互い頭を下げあうネギとアスナ。

 

 木乃香はその様子を見て、「この2人ならしばらく上手くやっていけるかな」と思い、頰をほころばせる。

 

 しかし、このままだとお互い謝罪の姿勢を崩さないと思った木乃香は、不器用な2人に心の中で苦笑をこぼしながら、助け舟を出そうと話題の転換を試みる。

 木乃香の目に留まったのは、ネギが今も大事そうに抱えている金髪少女のぬいぐるみーーキティだった。

 

「……にしても、そのキティちゃん、えらく出来がええなー。これ、売り物でもいけるで?」

 

 木乃香は素直に驚いていた。

 ぬいぐるみの出来は素人が家で自作するレベルをゆうに超えているからだ。

 

「確かに……改めて見るとすごいわね。縫い目なんか全然見えないじゃない……これを趣味で作っちゃうなんて、あんたのお姉さんとんでもなかったのね」

「ネカネお姉ちゃんとほぼ同い年で、僕が生まれた頃に作ったって言ってたから……多分、今の僕とほとんど変わらないくらいの年に作ったんだ……今考えるとすごかったんだなぁ、お姉ちゃん。家事も完璧にこなしてたって聞いたし」

 

 余談ではあるが、ネカネはネギにこのことを話した後、ふと当時25歳だったナギの年齢を逆算して、やってしまったーーと冷や汗を流していた。

 ネギにそう話してしまった手前、後の祭りである。

 15歳の時にできた子供って……。

 

 

「あんたも、しっかりしないとね。……そのお姉ちゃんに負けてられないわよ」

「はい、頑張らないと、ですね」

 

 

 しんみりとした空気にはなってしまったが、ネギの緊張は少しばかり解れた様子。

 

 今日一日の間で、ようやくネギがーー落ち着いた、と感じた瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「はい、お久しぶりですネカネちゃん。……今ですか?大丈夫ですよ、ついさっきお風呂から上がったところですから」

 

 

 …………

 

 

「……サプライズ?なんのことですか?……はいはい、私を驚かせようと……」

 

 

 …………

 

 

「あ〜。ネカネちゃんに言ってませんでしたね。私今麻帆良を離れてまして……ええ、仕事の関係で……」

 

 

 …………

 

 

「申し訳ないです……いえいえ、いいんですよ……それで?サプライズとはなんだったのですか?」

 

 

 …………

 

 

「……メルディアナ魔法学校を卒業ですか?ネギ君が?時が経つのは早いですね〜……ええ……それも首席で…」

 

 

 …………

 

 

「さすがネギ君ですね……はい……それで修行の地が………………はい……は、ええ!?………」

 

 

 …………

 

 

「……麻帆良で教師を、やることになった……ですって……」

 

 

 …………

 

 

「……はい……あ、はい……ですね……今日はもうこの辺で……お休みなさい……」

 

 

 ……プツン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……………………やっば」

 

 

 

 

 




これはアンチ方面には含まれない、はず?


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お子ちゃま先生vsジャスティスレンジャー〜後編

 真夜中、とあるビジネスホテルの一室。

 質素な部屋の雰囲気にまるで合ってない、アンティーク調の姿見の前にセクストゥムは立っていた。

 

「ーー起きなさい、鏡の中の私」

 

 鏡に映る自身へと語りかけるセクストゥム。

 すると鏡面に波紋が広がる。そこに映る自身の姿が幾度か揺らぎ、やがてそれも静まる。

 

 ーー別段、何かが起きた様子はない。

 

 セクストゥムは、鏡に映る自身に変化がないことに疑問符を浮かべる。

 

「あ、あれ……私何か間違えましたかね?これでいいはずーー「成功してますよ」って、ひゃぁ!?」

 

 成功してますよーー声色はセクストゥムと同じものだったが、それは姿()()()()から聞こえた。

 そして、その声の主は今、姿()()()()()()()ひょいと顔を出している。

 その様に思わずセクストゥムは驚きの声を上げながら仰け反り、転倒。

 尻餅をつき、鏡面から顔を出している人物を見上げる形となった。

 

 再びその人物が声を発する。

 

「ふふ、ドッキリ大成功ですね♪尻餅なんてついて、私の本体ともあろうに情けないですよ?」

 

「こらー!!自分自身を驚かすとは何事ですかー!!」

 

 鏡に向かって怒鳴るセクストゥムをよそに、よいしょーーと窓から身を乗り出すかのようにしてその人物は鏡の中から這い出てきた。

 外見から服装、何から何まで、ただいま尻餅をついているセクストゥムと瓜二つの少女がそこにいた。

 

 

 

 きせかえごっこ〜「空谷の姿見(くうこくのすがたみ)」(SSR)

 

〜セクストゥムの「完全分身体」を作り出す(魔力保有量以外完全コピー)。

 

〜分身体の魔力保有量は、本体の魔力保有量から分割する形で負担する。

 

 (例)本体:分身  7:3 → ◯

 

    本体:分身 10:4 → ×

 

〜副産物として、身につけている衣服や所持品も複製される。

 

〜「きせかえごっこカード」は、カード自体が複製不可なので、分身を作り出す際に複製はされない。

 

〜本体が解除するか、または致死量に至るダメージを分身体が受けた場合、分身は解除される(分け与えていた魔力保有量、所持していた物品は本体へ返還される)

 

 

 

 セクストゥムと瓜二つの少女が今しがた出てきた姿見。 

 その姿見はアーティファクトであり、その能力は上記に記した通り。

 セクストゥムの分身体ーーそれが姿見の中から現れた少女の正体であった。

 

 

「先ほどネカネちゃんに素敵なサプライズをおみまいされましたから、つい悪戯心が湧いてしまいまして……」

 

 分身はおどけた表情で、尻餅をついている本物に対して、そう答える。

 

「っ〜〜〜、……ハァ。その様子だと、容姿だけでなく記憶までちゃんと受け継がれてるようですね。初めて使ったアーティファクトなので不安でしたが……」

 

 分身である以上、目の前の相手は自分そのもの。

 自分相手に憤ったところで虚しくなるだけーーそう悟ったセクストゥムは気を取り直して立ち上がり、目の前に存在する我が写し身の状態を確認することにした。

 

ーーぺたぺた

 

 自らの分身に触れるセクストゥム。

 触れられるがままに、分身は話を続けた。

 

「先ほど鏡に映る自分に語りかけるまでの記憶がありますよ。私自身不思議な感覚です」

 

「身体の調子はいかがです?」

 

ーーぺたぺたぺた

 

 受け答えをしながらも、分身の身体を触りまくるセクストゥム。

 その表情には若干感動の様相が含まれている。

 よく見れば分身の方も少し顔を赤らめている様子。

 

 側から見たら、双子がじゃれあっているようにしか見えない。

 

「……ふむ、特に不調はありませんね。身体性能も、魔力保有量以外は本体である貴女と同スペック。ご丁寧に、脳内在住の電子精霊たちもちゃっかりコピーされてますよーー今頭の中でめっちゃ騒いでてうるさいですけど」

 

「貴女に分け与えた魔力保有量は、最大値の2割ほどしかありません。……すいませんね」

 

 充分に自身の身体の再現率を堪能し、セクストゥムは分身に触れるのを止める。

 

完全なる世界(コズモ・エンテレケイア)の動向が掴めない今、分身の貴女に割ける魔力保有量はそれが精一杯なんです。どうかご理解を」

 

「お気になさらず。分身である私に力注ぎすぎたせいで本体である貴女がやられてしまった、では本末転倒ですからね。それに、麻帆良で生活する上でそこまで魔力量は重要ではありませんし」

 

 さすが自身の思考を完全再現しただけあって、特に不満もない様子の分身。

 その様子に安堵したセクストゥムは、備え付けのベッドに腰を下ろす。

 分身も同じように、セクストゥムのすぐ横に並ぶように座る。

 

 目の前にある姿見に、ベッドに腰掛ける2人の姿が写る。

 まさに魔法が成せる術といったところかーーそう思いながら、セクストゥムは会話を再開する。

 

「貴女が言う通り、麻帆良にいる限りは武力が必要になることなどそうそう無いでしょう。それに、あちらではもっぱら包丁殺法がメインでしたからね。……本当は自分の足でネギ君の元に出向きたいのですが、間が悪いといいますか……せっかく面と向かってネギ君と会える機会が巡ってきたというのに……」

 

「さらに言うと、今は麻帆良に戻ってる余裕すらないんですけどね。……4体ですよ?クルトさんの情報で、私達を除き、現在確認されているアーウェルンクスの数は」

 

「分かっていますよ、これは私の我が儘です。対アーウェルンクス戦が起こった場合のことを考えると、このように戦力を分散させるような形は得策ではありません。…………それでも私は、今のうちにネギ君に会っておかないといけない気がするんです」

 

 セクストゥムは目の前の姿見に写る自分を見つめながら、そう言う。

 

「貴女の気持ちは、同じく貴女の分身である私がよく理解してますよ。……貴女は自分の仕事を全うすることだけを考えてください。ネギ君のことは、私が」

 

 分身は、セクストゥムの手に自身の手を重ねた。

 我ながら頼もしい分身だーーセクストゥムは心の中で熱いものが込み上げてくるのを感じた。

 

「ネギ君を頼みます。ーーもう1人のセクストゥム」

 

 セクストゥムは分身の顔を見ながら言う。

 

「そちらこそ、アリカ様をお願いしますね。ーーアリカ様から離れるのは、分身である私からしたらここ10年で初めてのことなんですから」

 

「ええ、言われるまでもありません」

 

 両者とも互いの意思を確認し合い、決意を固める。

 誰よりも信頼できる存在、私達なら心配はいらない、お互いそう確信した。

 

「「六戸刹子」の戦闘スタイルに合ったものを厳選した、きせかえごっこカードのセット。忘れずに持っていってくださいね。あちらでもガンガン仮契約をお願いします。あ、出発する前にこの部屋の中で体を中学生バージョンにしておいた方がいいですよ。それと、ポケットに入れてあったお財布、ちゃんとコピーされてます?……あ、ちゃんとコピーできてますね♪いやぁ、さすがSSRクラスのカードですね。これを多用すればお金なんて無限にーー」

 

「……あの、ちょっといいですか?」

 

 まとめに入ろうと、まくしたてるように喋っていたセクストゥムに対し、分身が待ったをかける。

 

「はい、なんですか?急を要する事態ゆえに予め旅支度は整えておいたので、すぐに出発できますよ?それは貴女もご存知でしょう?」

 

 そうセクストゥムは言うが、分身は何やら煮えたぎらない様子。

 分身は、確認の意味を含めて、次のような質問をした。

 

「ええ、その点は心配してないのですが。その……やはり、今から出発、ですか?」

 

「え?」

 

 

 そう言われて、セクストゥムは改めて己の分身体の姿を眺める。 

 

 分身はパジャマを着ている。自分と同じ格好だ。

 

 現在真夜中である。

 

 セクストゥムは、事が済んだらそのまま寝るつもりで、自分の分身を作り出した。

 

 「空谷の姿見(くうこくのすがたみ)」は、分身体が作られる寸前までのセクストゥムの状態を完全に再現する。

 

 つまりーー

 

 

「ひょっとしてーー眠かったりします?」

 

「……ええ、お恥ずかしながら」

 

 

 

……………………

 

 

 

 結局、セクストゥムは分身の訴えを受け入れ、出発は明日の朝に決まった。

 2人は現在、一つのベッドの上で寄り添うように横になっている。

 

 

「「…………」」

 

 お互い目は開いている。

 なんとも、2人は少し緊張している様子である。

 

「変なことしないでくださいよ?」

 

 言ったのは本体か、それとも分身か。

 この際どちらでも構わないが。

 

「それはそれで、中々特殊な趣味を開拓できそうですね。……やってみます?」

 

「……やめときましょう。なんだか戻ってこれないところまで行ってします気がします」

 

 2人は顔が赤い。

 その光景を想像しているようだ。

 

「……仮に、私達2人がキスしたら、ーーその場合カードは出てくるんですかね?」

 

「……試してみる価値は、あると思いますよ?」

 

 お互い目が合う。

 スタンドライトの明かりにより、お互いの表情はしっかりと確認できる。何やら昂揚した様子だ。

 薄暗い部屋が、いかにもな雰囲気を醸し出している。

 

「「………………」」

 

 オレンジの明かりに照らされる中、2人の陰が重なった。

 

 

 

〜〜

 

「なんでしょう、この胸騒ぎは……!私の知り得ないところで、何かとてつもなく淫らな世界が繰り広げられているような気が。この感じは一体……」

 

 遠い国の地底深く、1人の男が妙な電波を受信していた。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 麻帆良学園女子中等部、2ーAの教室。

 現在昼休みの最中であり、教室内は疎らながらも残っている生徒たちで賑わっている。

 

 昼食を終えた明日菜は、机に突っ伏しながら午後の授業に向けて束の間の休息を取っていた。

 そんな彼女の元に、1人の訪問者が現れた。

 

「アスナさん!」

 

 呼ばれた明日菜は顔を上げる。

 この声はーー。

 

「何よネギ坊主。今私休んでるんだけど?」

 

 明日菜のもとに訪れた人物はネギだった。

 休息時間を邪魔された明日菜は少し不機嫌気味である。

 そんな明日菜の様子をお構いなしに、ネギは何やら用があるのだと囃し立てる。

 ネギは手に持っていた、謎の液体の入った試験管を指差し、勝手に説明を始めた。

 ネギが言うに、その試験管の中身はーー。

 

「で?そのおかしな色の液体がホレ薬ってわけ?……私、いらないって言ったわよね?」

 

 ホレ薬。

 飲めばたちどころにあらゆる異性にモテモテになる薬。

 試験管の中身は、そのホレ薬なのだとネギは言う。

 

 明日菜は、昨日ネギが魔法使いだと知った際に、「魔法とはどのような事ができるのか」といった内容の質問をした。

 その質問の中で、明日菜は「異性から好意を得られるもの、ホレ薬のようなものはないのか」とネギに聞いたのだ。

 

 それに対し、ネギは「ある」と言った。

 ただ、そのホレ薬を作るために要する期間は4ヶ月、とのこと。

 ネギは「今から作り始めましょうか?」と明日菜に提案したが、明日菜は悩んだ挙句その提案を断った。

 

 そんなものに頼らねば実らない恋だというなら、やるだけ虚しいだけではないか。

 明日菜はそう思い至り、自分の力で意中の人をものにしてやるーーと、決心を固めたのであった。

 

 だというのに、目の前のネギは何を聞いていたのか。

 

 なぜ、いらないと言ったホレ薬を持ってきたのか。

 そもそも、作るのに4ヶ月かかるのではなかったのか。

 

 明日菜はそれらの疑問をネギにぶつける。

 それに対し、ネギから返ってきた返答はというとーー。

 

「このホレ薬は、麻帆良一の問題児さんに対抗するための、対策その1です!」

 

 明日菜はその返答の意味が理解できない。

 説明を促す。

 

「あれから考えたんです。どうすれば僕は、麻帆良一の問題児ーー六戸刹子さんと良い関係を築くことができるのかと。……けど、これだ!という案は浮かびませんでした。だから、まずは色々と数を用意しようと思ったんです」

 

「……で、その数ある一つがそれ(ホレ薬)ってわけ?」

 

「はい!さっき鞄を漁ってたら、昔おじいちゃんがくれた「魔法の素・丸薬七色セット×12」が出てきたんです!これを使って、普通は4ヶ月もかかるホレ薬を数分たらず完成させたんです!」

 

 どんだけ都合の良いセットなんだ。

 その魔法の素なんちゃらは。

 

 しかし、別にホレ薬が早く完成した理由など、明日菜にとってはどうでもいいことである。

 問題はーー。

 

「で、そのホレ薬をどうする気なのよ?ーー不良対策ってことは……まさかあんた、刹子にそれ飲ませるってわけ?」

 

 それは、教師として……いや、人としてどうなのだろうか。

 明日菜自身、そのホレ薬を使って、高畑先生をあわよくばーーなどといった考えが頭を過ぎったものの、結局は思いとどまった。

 ホレ薬。一歩引いて、その薬が及ぼす作用を考えてみると、あまり褒められたものではない。

 

(危うく私ったら取り返しのつかないことを……)

 

 明日菜は、「ホレ薬なんかに頼らないでよかった」と安堵した。

 

 しかし、目の前の少年はそのホレ薬を他者に使おうとしてーー。

 

「ち、違いますよ!これは、あくまで試作品なんです!魔法の素セットはたくさん余ってるので、このホレ薬が上手くいったら、徐々に改良を加えていって、ゆくゆくは「不良更生薬」なるものを完成させようと……」

 

「ハァ?不良更生って……そんな曖昧なもの、ホントに作れるわけ?」

 

 どうやら雲行きが怪しい。

 目の前の少年、やはり「不良」という言葉に怯えて判断が鈍っているのか。

 明日菜はそのように感じた。

 

「確かにそんな薬はないんですけど……でも、原理は近いと思うんです!だから…………や、やっぱダメですかね?」

「私にそんなこと聞くんじゃないわよ。……ハァ、あんた頭は良いくせして、こういうところはホントガキなんだから」

 

 明日菜はネギとしっかり目を合わせる。

 

「あんた教師なんでしょ?こんなろくでもないモノに頼ろうだなんて考えてる内は、いつまでたっても一人前になんかなれないわよ」

「う、おっしゃる通りです……」

 

 ネギはガクリと頭を垂れる。

 明日菜は言葉を続ける。

 

「それに、不良って言葉にビビりすぎよ。大丈夫、刹子はあんたが思ってるほどヒドイ奴じゃないから。……ちゃんと教師として向かい合えば、心配することなんてないわ」

 

 明日菜の言葉を受けて、ネギは反省しているようだ。

 

(なんで私が柄にもないこと言ってんだか……やっぱ無理なんじゃない?ガキに教師なんて……)

 

 落ち込むネギの前で、明日菜もまた頭を抱えた。

 しかし、いつまでもこうしていては埒があかない。

 昼休みの時間も長くないのだ。

 明日菜は、なけなしの休息時間を確保すべく、目の前の少年にこの場からの退散を訴える。

 

「もう用は済んだでしょ?ほら、さっさと行った行った」

「は、はい……お手数をおかけしました……」

 

 ネギは立ち去ろうとする。

 しかし、ふと明日菜の脳裏に疑問が過ぎる。

 

(そういえば、なんでわざわざ私の所にきたのかしら?……私の意見が聞きたかったから、ってこと?)

 

「ねぇ、ちょっとあんた」

「……はい?なんですかアスナさん」

 

 明日菜はネギを呼び止める。

 

 結論から言おう。

 明日菜はここで、その疑問を口にすべきではなかった。

 

「あんた、なんで私の所に来たわけ?」

「え?それはーー」

 

 ネギの口から語られる、今回の来訪の目的。

 

「えと、意外にも簡単にホレ薬ができちゃったので、せっかくだからアスナさんに試してもらおうと思いまして。ほら、ちゃんと効くか試しておかないと……。それに、アスナさんのお役にも立てますし……」

「へぇ……」

 

 明日菜は席を立ち、ゆっくりとネギに向かって近づいていく。

 

「ようはあんた、私で実験しようって腹だったわけね……」

「え!?そ、そんな、そんなつもりじゃ……アスナさんも、タカミチと仲良くなる良いチャンスじゃーー」

 

 ネギは大慌てで否定する。

 その間明日菜はネギの前に立ち、手に持つホレ薬入りの試験管を奪い取る。

 

「……言ったでしょ?私、いらないって。……ネギ坊主、良いこと教えてあげるわ。こういったのはーーまず自分で試すもの、よ!!!」

 

 そう言って、明日菜はネギの口に試験管を突っ込む。

 中の液体が、ネギの口内へと流れる。

 

 

「ーーん、むぐぅ!?」

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 2ーAの教室で、ネギと明日菜が会話を行なっていたのと同じ頃、2ーAの教室から少し離れた廊下の真ん中に、彼ら5人は居た。

 そう、明日菜が言うところの、「ジャスティスレンジャー」の面々である。

 

 彼らの表情は、皆一様に暗かった。

 

「やることがない……」

「高畑先生も酷いよね。「ネギ君は僕に任せて、貴方達はしばらくゆっくりしててください」……なんてさ」

「フッ……事実上の戦力外通告といったところか」

「私たちの監視の何が良くなかったのでしょうか……」

 

 もう一度言うが、彼ら5人は廊下の真ん中に立っている。

 周りの生徒達が、面倒そうに彼らを避けて通っていく。

 比較的このメンツの中では正常な部類の瀬流彦も、この状況に慣れてしまったのか、周りの目を気にしている様子はない。

 慣れとは怖いものである。

 

「そういえば、皆さんはどう思いました?ネギ君のこと。……多少危なっかしい所はあるけど、それも許容の範囲内だと僕は感じたんですが」

 

 少しでも場を盛り上げようと、瀬流彦が話題を提供する。

 

「瀬流彦先生の言う通りだと思うよ?普通に良い子だよね、彼」

「ええ、昨日も話した通り、多少の危うさは時間が解決してくれるように思います」

 

 ネギの評価はおおむね良好なようだ。

 

 それもそのはず、彼らは、昨日の内にネギが明日菜に魔法バレしたという事実を知らない。

 

 ネギの魔法バレの決定的瞬間、その現場の近くにいた彼らだが、さらに彼らを監視していた高畑の献身的なフォローによって、ネギの失態はかろうじて隠蔽されていた。

 

 ちなみにその時の高畑が行なった献身的なフォローというのも、ネギが魔法を使う瞬間に彼ら5人の前に立ちはだかり、「ワー!ワー!」と言いながら身振り手振りに視界を遮ったというだけである。

 

 このままでは身が持たないーーそう思った高畑が、彼らにネギの監視を止めてくれるよう説得したのも当然のことだった。

 

 そんなわけで、彼ら5人からしたらネギは「危なっかしいけど、良い子」という評価に留まったのである。

 

「そうだね、良い子だよ、彼は。……それだけになんか、こう……君達もわかるだろう?」

 

 ガンドルフィーニは何やら浮かない様子で、他4人に何やら同意を求めようとしている。

 

「あ〜、ガンドルフィーニ先生の言いたいことはわかるよ?」

 

「ええ、私もおそらく同じような感情を抱いてます」

 

「フッ……ようはこう言いたいんだろう?あの少年は少しばかりーー」

 

 5人は口を揃えて次のように言った。

 

 

「「「「「ーー刺激が足りない」」」」」

 

 

 彼らの言葉は一言一句違わず一致した。

 

 

「だろう!?刺激が足りないんだよ!……あぁ、なんかこう、手が掛からなさ過ぎるというか……」

 

「わかるよぉ!良い資質は持ってるのに、それを押さえ込んじゃってる気がするんだよ!もうちょっと自を曝け出してくれれば、良い線行きそうなのに!!」

 

「それです!彼は私たちの良き指導対象となってくれる資質があります!……しかし、今はそれが開花されていない」

 

「フッ……教師として腕が鳴らないーーそう言ったところか」

 

「ですね〜。なんか鈍っちゃうなぁ……」

 

 

 彼らの言っていることの意味がわからないと思う、だが許してほしい。

 

 あえて訳すならばーーもっと悪さをしてくれ、つまりそう言うことを彼らは言いたいのだ。

 

 この場にツッコミ役がいないのが大変悔やまれる。

 

 

「ああ、なんだろう……これからもしばらくこんな怠惰な日々が続くんだろうか。このままでは僕は無気力症候群にでもなってしまうよ……」

 

「ガンドルフィーニ先生……」

 

 5人の表情の陰がさらに深みを増す。

 

「……刹子ちゃん、早く帰ってこないかなぁ」

 

 瀬流彦がポツリと言った一言。

 それを聞いて、4人はここにいない彼女のことを思い浮かべようとした。

 

 その時だったーー。

 

 

 

ーーきゃ〜〜!!ネギく〜ん、待って〜〜♪

 

 

 

「?なんだ、この大声はーーーッ!ネギ君!?」 

 

「ごごご、ごめんなさーーい!!どいてくださいーーー!!!」

 

 廊下の真ん中を陣取る5人へと、ネギが何やら大慌てで突っ込んでくる。

 

 思わず5人は道を空ける。

 

 ネギは猛スピードで5人の間を走り抜けていく。

 

「なんだいネギ君、廊下をあんな勢いで走ったりし「どいてどいて〜〜!」ーーのわぁ!?」

 

 ネギが突っ込んできたと思ったら、間髪入れず追撃が来た。

 

 それは大人数の女子生徒達だった。

 女子生徒達の形相に驚いた5人は、思わず廊下の端まで後退して道を譲ってしまう。

 

「今のは一体……」

 

 状況の飲み込めない5人、さらにこちらに向かって駆け足が聞こえてくる。

 今度はなんだ?そう思って5人は駆け足が聞こえてくる方へと振り向く。

 

「ーー!高畑先生!」

「刹那!一体何事ですか!」

 

 やってきたのは高畑、そして桜咲刹那の2人であった。

 反応したのはガンドルフィーニと刀子。

 刀子と刹那は旧知の間柄である。

 

「……なんとも、間が悪いねーーはぁ」

 

 高畑はうんざりとした表情でため息を吐いた

 

 

〜〜

 

 

「何!?ネギ君がホレ薬を使って女子生徒を誘惑しただって!?」

 

「あの、別に誘惑したってわけじゃ……刹那君、何で言っちゃうんだい?」

 

「え!?い、いけませんでしたか!?」

 

 ネギが「ホレ薬」なるものを服用して、周りの女子達の様子に異変が起こった。

 

 このことを高畑は目の前の5人に明かしたくなかった故、どう答えたものか戸惑っていた所、横にいた刹那があっさりと答えてしまったのだ。

 

「彼らはこう言った魔法関連の事件には厳しいんだ。できれば知られたくなかった。……このままではネギ君が糾弾されてーー」

 

 高畑と刹那が5人に目を向ける。

 

 そんな彼らの様子はーー。

 

 

 

「まさかあのネギ君が!あんな良い子が!信じられない!これは我々の手で事態を納めねばいけないね!(めっさ良い笑顔)」

 

「ほおっておくと学園中の生徒が巻き込まれるよ!早く対抗策を打たないと!(キリッ)」

 

「ジャスティス神様に私達の熱意を示す絶好の機会です!あぁ、腕が鳴る、腕が鳴るわ!!(錯乱)」

 

「フッ……あまりはしゃぎ過ぎるない方がいいぞ?事は慎重に運ぶべきだ(高速スクワット)」

 

「高畑先生、ここは僕たちに任せてください。貴方の出る幕はありませんよ(!?)」

 

 

 

 とてもーー活き活きしていた。

 

 

「……高畑先生、私の目がおかしくなったのでしょうか?何と言うかーーとても元気なご様子な気が……」

 

「……奇遇だね刹那君。僕も同じような感想を浮かべたよ」

 

 

 予想とは違う5人の様子にフリーズしている高畑と刹那。

 そんな2人を尻目に、彼ら5人は水を得た魚のように颯爽とその場から走り去って行った。

 

 

「……刹那君、真名君達に増援を頼めないかい?」

 

「……よろしいのですか?」

 

「僕1人で今の彼らを止める自身がない。先ほど見ての通り、今の彼らはハイになっているからね……僕は先に彼らを追う、頼む」

 

「わかりましたーーご武運を」

 

 そう言って刹那はその場から離れていく。

 

 

(ハァ……刹子君が不在でも、僕のストレスは健在のようだね)

 

 

 高畑は諦めた表情で彼らの後を追った。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 麻帆良女子中校舎内に存在する、図書室前。

 そこへ援軍を引き連れた刹那が駆けつけたが、そこには高畑が目の前の状況を見て頭を抱えている姿があった。

 

「高畑先生!こちらにいらっしゃいましたか!……ご無事、ですか?」

 

「あぁ、刹那君、来てくれたか。……真名君に、楓君、古菲君もすまないね」

 

「構わないよ高畑先生、報酬ははずんでーーこの状況は、何かな?」

 

 援軍としてやって来た龍宮真名が、目の前の光景を目にして、高畑にそう問いかける。

 見ての通りさーーそう言って高畑は図書室前に群がっている5人の教師達へと目線を向ける。

 

「くっ!扉が開かない!?」

 

「無駄な抵抗はやめなさい!君は包囲されている!」

 

「ネギ先生、速やかに人質を解放して投降しなさい!そして私達の新たな指導対象になるのです!」

 

 図書室前では、5人の教師達が謎の行動に走っていた。

 

「……緊急事態と聞いて駆けつけたアルが、いつもの愉快な先生達だったアルか」

 

「ふむ、ジャスティスレンジャーの面々でござるな」

 

 長瀬楓と古菲は、さして目の前の光景に動じている様子はない。

 彼女達にとっては、もはやお馴染みの光景だった。

 

「刹子の次は、ネギ先生ーーそう言うことでいいのかい?高畑先生」

 

「君の言う通りさ。久々に張り切っちゃってるみたいでね、彼ら。……刹子君のように、ネギ君にこの状況を切り抜けろと言うのは酷な話だ。悪いが皆、手を貸してもらえるかい?」

 

「望むところアル!この先生達とはいつか戦ってみたいと思ってたところネ!」

 

「このような機会は滅多に訪れないでござる。腕が鳴るでござるな」

 

「ーー刹那はいいのか?近衛なら先ほど廊下で介抱した故、お前が無理する必要はないぞ?」

 

「乗り掛かった船だ、ここで降りるなど許されないだろう。幸いあちらには刀子さんがいる。自分の腕を確かめるにはいい機会だ」

 

 4人は皆やる気のようだ。

 

「決まりだね。……彼らも今はああおかしくなってしまってるが、教師の本分まで忘れてしまったわけではないだろう。大きな怪我は無いと思うが、十分に気をつけるように……それじゃ、行くよーー」

 

 高畑側が一斉に臨戦態勢を整える。

 図書室の扉に向けて大声をあげていたジャスティスレンジャーの面々が、すぐさまその気配に感づき、後ろへ向き直る。

 

 

「!?何ということ……ネギ先生に気を取られている隙に、まさか私達が包囲されていたなんて……!?」

 

「くっ、君たち何のつもりだ!邪魔をするつもりか!?」

 

「フッ……今の俺たちに楯突くことがどういうことか……知りたいようだな」

 

「高畑先生……僕は、貴方にだけは負けるつもりはありませんよ」

 

「我々は誰であろうと屈しはしない!正義を、正義と自由なる解放を!」

 

 

 何と言うか、このジャスティスレンジャー、やたらとノリが良い。

 お決まりのようなセリフがポンポン出てくる。

 

 

(暑苦しい……どうにもこちらとの激しい温度差を感じる)

 

(この先生達ホント面白いアル。……言ってることほとんど意味不明アルが)

 

(刀子さん……貴女は一体どうしてしまったというのですか……)

 

 

「そうよ!今こそ私達の正義をーージャスティスを!!!」

 

「「「「「ジャスティス!!!」」」」」

 

 

 迫り来るジャスティスレンジャー。

 

 

「くるよ!皆、気をつけて!ふざけたこと言ってるが、この気迫は本物だ!ナメてかかっちゃいけない!」

 

「「「「ーーコク!!!」」」」

 

 

 迎え撃つ高畑陣営。

 

 

 

 

 今、世紀の一戦が幕を開けたーーーー。

 

 

 

 

 

 

 数()後ーーー。

 

 

 

 

 

「「「「「………………」」」」」

 

 

 

 ジャスティスレンジャーは全滅していた。

 

 

 地に伏した正義の戦隊を前にして、刹那達が思わず叫ぶ。

 

 

「「「「ーーーーよわ!?!?!?」」」」

 

 

(なんだこの茶番は……一瞬で肩がついたじゃないか)

 

(おかしいな……刀子さんの剣にキレがなさすぎた。これは一体……)

 

 

 ジャスティスレンジャーのあまりの貧弱っぷりに、逆に動揺をする刹那たち。

 

「高畑先生……これは一体どういうことでーーッ!高畑先生!?……何故ーー」

 

 高畑の様子がおかしい。

 刹那につられて、他の3人も一斉に高畑を見る。

 

「ーー何故、泣いておられるのですか……?」

 

 高畑はーー泣いていた。

 

 その様子を見て、思わずギョッとする真名達。

 

「……は、はは……泣きたくもなるさ……僕の同僚が、こんな……」

 

「高畑先生!!」

 

 高畑は膝から崩れ落ちる。

 駆け寄る刹那。

 真名、楓、古菲といった他の面々は、すでにこの状況についていけず立ち尽くすのみ。

 

「彼らはもう……刹子君無しでは生きていけない」

 

「「「は?」」」

 

 高畑の口から唐突に、そのような言葉が語られる。

 

「ーー!六戸さん無しでは?どういうことですか、高畑先生!!」

 

 刹那が聞き返す。

 他の3人はもうわけがわからない。

 

「彼らはね、刹子君という問題児の面倒を見ているうちに、生き甲斐を感じてしまったんだ……不良生徒を更生させるという、ごく普通の教師としての、生き甲斐をね」

 

「普通の教師としての、生きがい……」

 

「そう、本来彼らの本分は魔法使いであり、麻帆良で起こりうる魔法被害を防ぐ目的でこの地を訪れた。あくまで彼らにとって教師とは肩書きでしかなかったんだ」

 

(楓と古がそこにいるんだが……いいのかな、そんなこと喋ってしまって。……今更か)

 

 真名はやれやれと首を振った。

 

「彼らは教師の仕事も卒なくこなしたさ。しかし、根っからの魔法使いである故に、形式に沿った形でしか彼らは教師という仕事に取り組むことができなかった。生徒の将来を預かる身として、それはよくないことだと思う。生徒に対して心を開くということが、彼らにはできなかったんだ」

 

「ーーコク、コク」

 

 刹那は高畑の話を聴き漏らさぬよう、相槌を打ちながら言葉を噛みしめる。

 

「そんな彼らのもとに、彼女が現れた。ーー刹子君だ。あの問題児が、この麻帆良学園に降り立った」

 

「ーーそこで六戸さんが出てくるのですね!?」

 

 何やら2人して盛り上がっている。

 

 真名達は互いに顔を見合わせ、「?」を浮かべている。

 

「刹子君は素行不良の体現者だ。彼女の存在は、凍てついた仮初めの教師であった彼らの心を激しく揺さぶった。ーーなんてどうしようもない子なんだと」

 

(悪口じゃないか)

(悪口でござるな)

(悪口アル)

 

「刹子君の起こした数々の事件は君達の耳にも入っているだろう?その数々の事件に振り回されていたのは他ならぬ彼らだ。ーーそして、刹子君に関わっていく中で、彼らの中に初めて「教師」としての意識が芽生えたんだ。正しく、「正義」の心に目覚めたんだ!!!」

 

「な、なんと!?」

 

(今かなり飛躍しなかったか?)

(ものすごく端折ったでござるな)

(刹那なに普通に応答してるアル、そこは突っ込むところアル)

 

「刹子君という問題児を更生させるというストレートな思い、彼女の指導員としての仕事。彼らはその仕事に夢中になった。……それこそ、己の体力の限界にも気づかないほどに」

 

 高畑は改めて、目の前で倒れ伏しているジャスティスレンジャーを見る。

 彼らの目の下には、隈ができていた。

 

「嫌だ嫌だと言いつつも、彼らは充実していたんだ。刹子君との日々に。ーーしかし、その刹子君が……いなくなってしまった」

 

「……ああーーッ!」

 

 高畑の目から大粒の涙が溢れる。

 刹那も、感極まってもらい泣きをしている始末。

 

(なんか、六戸が死んだみたいな雰囲気なんだが……)

(それだったらこの話もそこそこ感動的な方へと向かうのでござるが……)

(旅行行ってるだけアルからね、刹子)

 

「刹子君という指針を失った彼らの正義は行き場を無くし、ひどく不安定な状態に陥った。ーー刹子君がいなくなった後も、彼らは()()()()()()()()()()()()を引っ張り出し、その資料を通して彼女の面影を求めていたんだよ!!」

 

(病んでるじゃないか!?)

(なぜそんなになるまで放っておいたでござる!?)

(怖いアル)

 

「そして昨日、そんな不安定な彼らのもとにーーネギ君が来てしまった」

 

「……そして、ネギ先生を六戸さんに見立て、此度の暴走を引き起こした、と」

 

「そうさ。息を吐くかのようにポカをやらかすネギ君は、彼らにとってうってつけの指導対象だ。刹子君に近い資質を、ネギ君の中に見出したんだろう」

 

(血は繋がってなくとも、似通うのかもしれないね、姉妹というのは……)

 

 高畑はやるせない表情でそのようなことを思う。

 

 そんな時だったーー。

 

 

 

 

「………ぅう、わ、我々の……正義を……かのじょ、に……」

 

 

 

 

「「「「「ーー!?」」」」」

 

 

 

 

「……フッ…………そこに、いるのか………六戸……」

 

 

 ふらふらと、おぼつかない手足で起き上がろうとするジャスティスレンジャー達。

 

 

「そんな…………なんで、なんでそこまでして、貴方達はッーー!?」

 

 刹那が悲鳴にも似た声を出す。

 

 

「……わ、私達は…………こんな……ところで……」

 

「……いつまでも…………寝て、たら……六戸、くんに……笑われちゃう……よ……」

 

 

 この光景には思わず半ば白け気味だった真名達も驚愕を隠せない様子。

 

「……た、立つでござるか……?」

 

「馬鹿な……もう心身ともに限界のはずだ!?」

 

「(ゴクリ)」

 

 

 彼らの目の焦点は合っていない。

 

 しかし、彼らは立ち上がり、そして一歩一歩、歩みを進める。

 

 

「……刹子、ちゃん…………僕は、き……君のことが……」

 

 

 刹那達は動けない。

 

 あまりにも奇妙な光景に圧倒されている。

 

 しかしーー高畑は立ち上がった。

 

 

「高畑先生!?」

 

 

 高畑の表情は刹那達からは見えない。

 

 高畑はただ前を見据えている。

 

 体がーー少し震えていた。

 

 

「……もういい」

 

 高畑は震える声で目の前の彼らに言葉を紡ぐ。

 

 

 

 

「……もう、いい!!!君たちは、限界だ!!!ーーー休んでくれ……もう、休むんだぁーーー!!!!!」

 

 

 

 

 麻帆良女子中校舎に、高畑の悲痛な叫びが響き渡った。

 

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

(もう1人の私!まだ麻帆良には着かないのですか!?先ほどジャスティスの方々を盗聴したら、何やらおかしなことになってるみたいでーー)

 

 

「……まだ海の中を絶賛移動中ですよ〜。はぁ、ちょっと落ち着いてください本体の私」

 

 

ーーたいげ〜が潜水してるとかギャグでち

 

ーーそれもう沈んでるのね

 

ーーアハトアハト♪

 

 

「は〜い、私の名前は「たいげ〜」じゃありませんよぅ〜だ」

 

 

(う〜〜!初めて目覚めた時もそうでしたが、なんで私はスタートで出遅れるのでしょうか!!!)

 

 

「きっとそういう星の元に生まれたんでしょうね〜」

 

 

 

 

 

 

 急げ、主人公。

 

 

 

 

 

 




エヴァ「なんだこれは」
茶々丸「まさか一万字超えるとは思いませんでした」


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不良少女と帰宅部少女

 長谷川千雨は苛立っていた。

 

 期末試験を三日後に控えた放課後、千雨は自室でパソコンと向かい合っていた。

 テスト勉強をする様子もなく、パソコンのモニターを睨みながら無意識のうちに口から愚痴の類の言葉を連呼していた。

 

「何が、期末試験で最下位だったら大変なことになる、だ!」

 

 千雨が在籍する麻帆良女子中等部2-Aでは、次のような噂が立っていた。

 

 なんでもーー次の学期末試験で2-Aの総合成績が学年最下位だった場合、クラスを解散する、といった内容である。

 

「噂だ、噂だってどいつもこいつも……情報元もハッキリしないもん素直に信じやがって。そんなお気楽な頭した奴ばっか集まってるからウチは毎回最下位なんだよ!」

 

 実際問題、千雨は噂の真偽などどうでもいいと思っている。

 むしろ、これで2-Aが本当に解散するなら大歓迎といったスタンスだ。

 千雨の苛立ちの原因は、あっさりとこのような噂に流される2-Aのクラスメイトたちにあるからだ。

 

「おまけに、「特に成績が悪かった生徒は小学生からやり直し」だなんて、普通に考えてありえねぇっての!訴えられるわ!」

 

 千雨は、仰天人間の巣窟のようなクラスで、日々ストレスを溜め続けている。

 そのストレスを発散させるために、今こうして趣味であるパソコンに興じているわけだ。

 

「こちとらホームページの日記書いた後、撮り溜めしといたコスプレ写真をフォ◯ショで修正するっていう大事な作業があるんだ。お前らに付き合ってられるかっての」

 

 学校から帰宅してからというもの、千雨は延々とパソコンでの作業に没頭している。

 

 しかし熱中しすぎたのか、始めた頃には明るかった外はすっかり暗くなっており、千雨がふと時刻を確認したらすでに夜の9時を回っていた。

 

(もう9時になんのか。……夕飯食って、それから風呂行かなきゃ。ーーあ〜たりぃ)

 

 気怠げに椅子から立ち上がり、食料を求めて台所へと向かう千雨。

 しかし、台所の電気を点けたところでハッとする。

 

「ーーいけね!?昨日の夜でカップ麺切らしちまったんだった!ーークソ、今日買い出しに行くつもりだったのに、すっかり忘れちまってた」

 

 台所からとんぼ帰りした千雨は、ふらふらと椅子まで戻り、倒れこむように腰掛ける。

 千雨から深いため息が溢れる。

 

「今からコンビニ行くかぁ?……いや、ダル過ぎる。あ〜、風呂も入んねーといけねぇし。……今晩は飯抜きか」

 

 最近の千雨の夕飯事情は、頻繁にこのようなことが起こる。

 

 基本、食料の買い出しは全てコンビニで済ませているため、買いだめしているものなどカップ麺くらいしかなく、冷蔵庫の中はペットボトル飲料が冷やされているのみ。

 

 台所の食器は綺麗に片付けられており、一滴の水も付着していない。

 最近全く使われていない証拠だ。

 

 千雨の食生活は、かなり荒んでいた。

 

 

「あいつの飯もしばらく食ってねぇな……」 

 

 千雨は、呟くようにそう言った後、自分が使ってる机の隣に備え付けられた、もう一つの机に目を向ける。

 

「居たら居たで面倒なんだが、いざこうして毎日似たようなもんばっか食ってると……なぁ」

 

 この部屋には本来、千雨の他にもう1人住人がいる。

 

 もう1人の住人ーー彼女は、千雨とルームメイトになって以降、この部屋のあらゆる家事を切り盛りしていた。

 

 そのことに関しては、千雨が強要したなどは一切なく、彼女が自ら進んで行なっていたことである。

 

 むしろ千雨は手伝おうかと申し出たが、あっさり跳ね除けられた口である。

 

 

 そして現在、もう1人の住人である彼女は、千雨を残し長期の旅行で不在。

 

 彼女に胃袋を握られていたも同然の千雨は、いざこれからは自分で料理を作ろうーーという気に中々なれず、コンビニ通いが常となってしまったのだ。

 

「……風呂行くか」

 

 ままならない。そんな気持ちを抱えた千雨が、椅子から立ち上がろうした時にーー。

 

 

ーーピンポーン

 

 

 室内にインターホンの音が響き渡る。

 

「チッ……誰だこんな時間に」

 

 これから風呂へ行こうとしていたところを、出鼻を挫かれた千雨は、不機嫌な態度を露わに玄関へと向かう。

 

 どなたですか?とも聞かず無言で、訪問者の姿を確認しようと玄関のドアを開ける。

 

 

ーーチュッ

 

 

 唐突に視界が遮られた千雨。

 

 続けて感じたのは、自身の唇に触れる柔らかい感触。

 

 

 ーーキスだ。

 ーードアを開けたら突然キスされた。

 ーーこんなことをする奴にーー私は心当たりがある。

 

 

 やがて互いの唇が離れ、こんなことを仕出かした不埒者の顔の全貌が視界に収まる。

 

「不意打ち頂きですよ?ち・さ・め♪」

 

 「ちさめ」と呼ぶのに合わせて、トントントン、とリズム良く千雨の唇を指でつつくこの少女。

 

「……ろ、六戸」

 

 

 六戸刹子。

 

 千雨のルームメイトがそこにいた。

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

「千雨は私がいないと食事もままならないんですねー」

 

「うるふぁい」

 

 刹子と千雨は、座卓を挟んで向かい合わせに座っている。

 千雨は今、コンビニのおにぎりを頬張っている。

 そのおにぎりだが、なんでも刹子が、もしやーーと思って帰宅途中に近くのコンビニに立ち寄って購入したとのことだ。

 もしやーーとは、「千雨が夕飯を食いっぱぐれた」という状況を指していることは言うまでもない。

 

「だいたい私の食生活が残念なのも、六戸。お前が部屋の家事の全権を掌握してくれたおかげで、私の家事スキルが一向に伸びなかったのがそもそもの原因なんだよ!」

 

「まぁまぁ」

 

 ーーこいつは。

 

「年明けに急に「旅に出る、いつ帰ってくるかはわからない」とか言いだして、2ヶ月か。……案外早かったな。後半年は帰ってこないとふんでたから、しばらく広い部屋でのびのびするつもりだったのに……」

 

「それだと千雨が栄養失調で倒れる方が先だと思いますよ」

 

 ジト目を向ける刹子。

 千雨は目を逸らし、もしゃもしゃとおにぎりを咀嚼する。

 

「それに、ホントはもう少し早く着く予定だったんですよ?……頭の中の妖精が「羅針盤の調子が悪いでち」とか抜かして同じとこぐるぐる泳がされさえしなければ……」

 

「お前ク◯リでもやってんのか?ただでさえ不良だ問題児だの言われてんのに、そればかりはシャレにならねぇぞ」

 

 何やら意味深なワードを口にする刹子に、千雨はかなり引き気味である。

 

 刹子は「まだ耳の中に海水が残っている感覚がーー」などと話を広げようとしている。

 

(こいつの荷物は漁らないようにしよう。本当にナニカ出てきそうだ)

 

 

〜〜〜 

 

 

「そういえば千雨。帰ってくる前、学園長の所へ立ち寄った際に耳にしたんですが、なんでも私たちのクラスに子供先生なる方が赴任されたというではありませんか」

 

 食事を終え、改めて風呂に行こうかと思っていた千雨に、刹子がそのような話題を切り出した。

 

「なんでそんな話題を今するかねぇ……まぁ、そりゃ初めて聞いたら誰でも気にはなるか」

 

 千雨にとっては触れて欲しくない話題だったのか、刹子に語る内容は実に簡潔なものだった。

 

 本当に子供だとか、授業はできてるからとりあえず頭は良い、とかその程度の情報である。

 

 

 それを受けて刹子は、「子供先生の情報が少ない」というより、意外にも千雨が大人しいことに疑問を持った。

 

 

「おや、千雨のことだから「子供が先生なんかありえねー!労働基準法がー!」って、憤るかと思ったんですが……案外大人しいですね?」

 

「それがお前の中の私のイメージか。……あながち間違ってもねぇけど」

 

 千雨はそれでも憤ることなく、落ち着いたトーンで語りだした。

 

「お前のいう通り、確かにあのガキが担任になるって知った時の私の感想はそんなもんだ。今でも納得はいってねぇよ。……ただ、それ以上にあのガキ、このままいくと潰れんじゃねぇかなって」

 

 それを聞いて、刹子は身を乗り出す。

 

「つ、潰れるって……まさか、ウチのクラスの生徒にいじめられてるんじゃーー」

 

「な、なんだよ!えらく食いつきいいな!……落ち着けって、別に誰もそんなことしちゃいねーよ。あのガキが潰れそうな原因は…………そうだな、強いていうなら六戸、お前関連だ」

 

 刹子は千雨の言葉を受けて仰け反った。

 顔が引きつっている。

 

「……わ、私関連……ですか……」 

 

「お前の熱烈な取り巻き連中、ジャスティスレンジャーとか言ったか?あの5人。……さらっというと、あいつらお前といつも戯れてるようなノリで、あのガキを「指導」しようとしたらしくてな?そこでまずビビッちまったらしいんだよ。赴任して二日目にして「麻帆良こわーい」とか言って…………おい、どうした?」

 

 刹子は床に手をついて項垂れている。

 

 やらかした私ーーと小さくな声で呟いている。

 

「おい、大丈夫か?」

 

「……いえ、お構いなく。それでその子供先生はその後はーー」

 

 刹子はそのままの体勢で続きを促す。

 千雨はその様子を不審に思いながらも、話を進める。

 

「あのガキは、今はなんとかやってるよ。一時期は引きこもり手前までいったらしいけど「ーーガハッ」…………なんでか知らんが神楽坂のやつが妙に面倒見が良くてな。それで持ち直した感はあるな」

 

「ーー明日菜さんが?」

 

「あのガキは神楽坂と近衛の部屋に居候してんだよ。そんで一緒に暮らしてく内に情でも沸いたんじゃねぇか?あ、ちなみにジャスティスレンジャーの連中は今自宅療養中だそうだーーって、聞いてねぇな」

 

 「ORZ」の体勢のまま何やら考え込む刹子。

 刹子が一度自分の世界に入ると、途端に反応が鈍くなることを付き合いの長い千雨は知っている。

 

「……聞こえてるかしらねぇが、お前が「不良」っていうことにもビビってんぞ、あのガキは」

 

 千雨がそう声をかけると、刹子はビクッと体を震わせ、再び硬直の状態へ入る。

 聞こえてはいるようだ。

 

 しばらくその状態が続き、どうしたものかーーと千雨が途方にくれているとーー。

 

「ーー!すいませんちょっと席を外します」

 

 刹子はそのように口にして立ち上がり、トイレへと駆け込む。

 

「別に黙っていきゃ良いのに、律儀な不良だな……」

 

(口調の悪さで言ったら私の方が不良っぽいな)

 

 そんなことを千雨は思いながらボーっとしていると、たった今トイレへ駆け込んだばかりの刹子がいつのまにか戻ってきていた。

 

「千雨、私これからちょっと出かけてきます」

 

「はぁ?」

 

 お前ちゃんと流したか?ーーと言おうとした千雨だったが、唐突な刹子の発言を前にそのような反応を返した。

 

 しかし、少し間を空けて、目の前の不良が夜の寮を抜け出すことなど日常茶飯事であったことを思い出し、「あぁ、わかったわかった」と千雨は応える。

 

「夜中の内に帰ってくるのか?」

 

「いえ……たぶん朝帰りになるかと」

 

「なるほどーーいつもの男のとこか」

 

「そんなとこです」

 

(ハァ、やっぱこいつは……そうゆうとこは如何にも問題児らしいな)

 

 すでに玄関に向けて歩きだしている刹子に、千雨が声を張る。

 

「おいこの清楚ビ◯チ!頼むからポリスに捕まって私に迷惑かけるのだけはやめてくれよ!?」

 

「ビ◯チゆーな!!!そういうのじゃないって何回言ったらわかるんです!?それじゃーー」

 

 

ーーバタン!

 

 

「男んのとこ行って朝帰りとかソレしか考えられねーだろ!ったく……不良少女から非行少女に肩書き変えた方がいいんじゃねぇか?」

 

 1人部屋に取り残された千雨は、誰に聞かせるでもなくそう呟く。

 

 

「……風呂行くか」

 

 

 

 そういえばあいつ、期末試験受けんのかな。

 

 そんなことを思いつつ、千雨はようやく風呂に向かったのだった。

 

 

 

 

 



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真夜中の逢瀬

「いやはや、まさか本当にセッちゃんが「2人に増えた」とは」

 

 アルビレオ・イマは、すぐ横にいる「セクストゥム=六戸刹子」を見て、そう感想を漏らした。

 

 麻帆良図書館島、最深部。

 アルビレオ・イマの隠れ家。

 

 隠れ家というよりも、ファンタジーものにおける「ラスボスの間」のような場所を、アルと刹子は歩いていた。

 

 先ほど麻帆良へとやってきたばかりの刹子は、念話でアルに呼び出され、夜中にも関わらずこうして図書館島の最深部までやってきたのだ。

 

「念話のアドレス帳にセッちゃんの名前が2つ表示された時は何事かと思いましたが、実際に目にして納得しましたよ。これは以前私が使用した「分身体」とは訳が違いますね。ーー貴女は完全に「実体」である」

 

 アルは、刹子の全身を舐めるように見る。

 別段、気にした様子もない刹子。

 

「これからは2人のセッちゃんと念話を楽しむことができそうですね。……待ってください、2人ということはーー。セッちゃん、貴女が今所持している「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」のカードなんですがーー」

 

「……はい、どうぞ。差し上げますよ」

 

 刹子はアルが言うよりも早く、懐から「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)」のカードを一枚取り出し、アルに渡した。

 それを、アルは震える手で受け取る。

 

「おお……ッ! 久しぶりの「中学生モード」の絵柄! ……そして本体のセッちゃんのカードは「10歳モード」のままではありませんか! 2枚のカードは、2人のセッちゃんを別々に認識している!?……これは、これはーー!!!」

 

 「10歳モード」と「中学生モード」2枚のカードを見比べながら、アルは何やら戦慄している。

 刹子はやれやれーーといった素振りを示す。

 

 いつもだったらこのまま放っておくのだが、刹子はまだ今晩アルが自分を呼び出した目的を聞かされていない。

 このままトリップされても困る。

 

「……アルさん、そろそろ教えてくださいよ。今回私を呼んだ目的ーー「面白いもの」とはなんなんですか?」

 

 

ーー長旅の疲れも残っているでしょうに、急に念話を繋いで申し訳ありません。

 

ーー面白いものを観てましてね。今からこちらにいらっしゃいませんか?

 

 

 アルは、刹子に念話でそのように言った。

 

 旅疲れを労った上で、それでも私を誘う理由とはなんなのかーー刹子はいい加減それを教えて欲しかった。

 

 

「ーーおっと。すいません、つい盛り上がってしまいました。ーーほら、着きましたよ」

 

 

 いつのまにか目的地にたどり着いていたらしい。

 

 2人がやってきたのは、大きな書棚が複数そびえ立つ書斎のような場所。

 

 

(確かーーアルさんの仕事部屋……でしたかね)

 

 

 書棚の間を通り、さらに奥、そこには大量の「モニター」が立ち並んでいた。

 

 さながら、監視部屋といったところか。

 

 アルがそのモニターの中から一つを指差す。

 

 刹子は、つられてそのモニターを見る。そこにはーー。

 

 

「……こんな時間に、図書館島内部に侵入者ですか?ーーおや?あれは夕映さんに明日菜さん……木乃香さんまで?まだいらっしゃいますね、というか2-Aの皆さんではないですか」

 

 モニターに映っている侵入者達の正体は、刹子のクラスメイトの面々だった。

 

「ーーバカレンジャーの皆さんぷらす木乃香さんといったところですか。…………それにーー」

 

 

 

ーーなんで図書館に湖が!?皆さ〜ん、待ってください〜〜〜!

 

 

 

 赤毛が特徴的な小さな男の子ーー。

 

 背中には、背丈に不釣り合っていない、大きな杖ーー。

 

 その顔立ちからは、忘れもしないあの人の面影がーー。

 

 

 

 

「ーーネギ君?」

 

「ええ。彼がーーネギ・スプリングフィールド君です」

 

 

 あそこに、ネギ君がいる。

 

 

「先ほど近右衛門の方から連絡がありましてね。ここ(図書館島)で保管している「メルキセデクの書」を求めて、彼らはこんな夜中にこの場所を訪れたようなのです」

 

「いきなりどうして……」

 

「なんでも、三日後に行われる学期末試験の結果云々で、ネギ君の進退を決めるとのことでーーここで正式に教師として採用するか否かをね。それを受けておそらくーー」

 

「読めば頭が良くなると噂の「魔法の本」。それを探しにきた、そんなところですか……」

 

 図書館探検部の間では有名な話ですからね。

 あそこにいる夕映さん辺りが話したのでしょう。

 

 それよりもーー。

 

「あれが、ネギ君……」

 

 刹子はモニターに映る少年から目が離せない。

 

 ネギの姿を確認したことで、なんとも言えない感情に支配されていた。

 

 学園長がネギに与えた課題の内容に突っ込み所もあるが、そんなものは些細なことでしかなかった。

 

 

(大きくなりましたね、ネギ君。ーー顔立ちも、なんだかナギさんが良い子になっちゃったみたい……ふふ)

 

 

 刹子は黙って、ただただネギの姿をその目に焼き付ける。

 

 アルはその間、何も言葉を発さない。

 

 

(ネカネちゃんの教育が良かったんですね。……でも、なんだか見ててほんと危なっかしいですね。ーーさてはネカネちゃん、存分に過保護に育てましたね。……私に対しては割とスパルタだったのに)

 

 モニターに手を触れる。

 

 刹子はネギのこれまでの暮らしぶりに思いを馳せる。

 

 

 しばらくそうして、画面の中で慌てふためくネギを見ながら微笑んでいた刹子だったが、ふと他のモニターに目をやるとーー。

 

 

「…………あれ?あのゴーレムって……」

 

 何やら他のモニターの映像が大変なことになっているーーネギだけを見ることに集中していた刹子はようやくそのことに気づく。

 

 

ーーどれどれ次の問題じゃ〜!フォフォフォ♪

 

ーー痛たた!こっちに体重あんまかけないで〜〜!

 

ーーうう、早く、次の出題を……。

 

ーーあわわわ、み、皆さん!耐えてください!

 

 

 女子達が体を寄せて姦しくツイスターゲームに興じているーーモニターにはそのような光景が映っている。

 

 そしてノリノリで問題を出題しているゴーレム。刹子とアルはそのゴーレムの中にいると思しき人物に心当たりがありすぎた。

 

 

「ええ、おそらく近右衛門でしょう。フフ、なんとも愉快な光景ではありませんか」

 

「ハァ……もう何やってんですか学園長」

 

 

 ここ麻帆良学園の学園長、近衛近右衛門。

 

 刹子は先ほど麻帆良に帰還した際に、一度顔を合わせたばかりである。

 

 そしてネギに課題を与えた張本人であった。

 

 

ーーフォ!?フォフォフォ♪パンツが丸見えじゃぞ?良いのかのう?

 

ーーコラ〜〜!!あんたがそうさせてんでしょ〜〜!!!

 

ーーや〜ん、ネギ君見ちゃダメ〜〜!

 

 

「学園長ったら、完全に遊んでるじゃないですか。……というかただのセクハラじじいですね。ーーアルさん、あんまり彼女達の痴態を見ないであげてください。哀れでなりません」

 

「安心してください。私はーー今や貴女一筋ですよ、セッちゃん」

 

「はいはい、そうですか。……ハァ、あの様子じゃネギ君の進退とやらも大丈夫そうですね。単に学園長が遊びたかっただけのようですし」

 

 

 刹子は犠牲となったバカレンジャーに手を合わせる。

 

 完全に空気が弛緩してしまった。

 

 それを感じたアルは、ここで刹子に話を切り出す。

 

 

「セッちゃんは、この先ネギ君とどう接するおつもりで?」

 

 

 その言葉を受けて、刹子は今一度モニターのネギを見つめ、少し考え込んだ後、言葉を発する。

 

 

「どう、接したらいいんですかね……私は」

 

「おや」

 

 

 ネギ君の身に危険が及んだ場合、当然私は彼の身を守るつもりだ。

 

 それは、アリカ様と共にあの村から逃げ出した私の、本心。

 

 私が力を振るうことを拒んだことから起きた責任。それ故のーー誓い。

 

 しかしーー。 

 

 

「流れのままにこうして麻帆良にやってきたわけですが、正直な話、私はわからないんです。日常において、私はネギ君とどういった関係であるべきなのか。……そもそも、私はネギ君に近づくべきなのか」 

 

 

 先ほどからのネギと2-Aの生徒達のふれあいを見て、刹子は思った。

 

 なんとも和気あいあいとしている。関係は良好、いや、出来上がっているといっていい。

 

 あの中に私は入っていけるのか。

 

 

「私の()()()は、あの中にあるのでしょうか……」

 

 

 

 守るだけなら、何も側にいなくてもーー。

 

 

 

「年頃の女の子そのものですね、貴女はーー」

 

「……あっ」

 

 

 アルが、刹子の肩をそっと抱く。

 

 体が強張るのを感じる刹子。

 

 刹子が顔をそちらに見やると、アルが優しい眼差しを送っている。

 

 

「麻帆良では貴女はただの女子中学生です。ネギ君と貴女の関係は教師と生徒、アーウェルンクス云々はここでは関係ありません。ーー貴女はただの一生徒として、六戸刹子として、彼と接すればいいのですよ。……何も気負う必要などないのです」

 

「気負う必要は……ない、ですか」

 

 不安げな表情を見せる刹子。

 

 アルを見つめるその瞳は、かすかに揺れていた。

 

「時と場合によっては、貴女は彼のためにその力を振るう場面が出てくるかもしれない。……だからといって、何も彼を護衛するかのような心持ちでいる必要などないのです。ーーそれは、私にとっても好むような関係ではありません」

 

 ネギ君と関わらずに、ただ彼の姿だけを追うーーアルさんはそのような関係のこと言っているのだろう。

 

「……アルさんは、そんな私の姿を見るのは嫌だと」

 

「嫌ですね。ええ、実にセッちゃんらしくない」

 

「私らしくないって……ふふ、アルさんはどういった風に私を見てるんですかね。ーーふぅ」

 

 

 刹子は体の力を抜き、肩に当てられていたアルの手を軽く叩く。

 

 アルは少し名残惜しそうに、刹子の肩から手を外す。

 

 

「ーー私は六戸刹子として、ありのままにネギ君と接します……これでいいでしょ?アルさん?」

 

「おやおや、なんだか私が決めたみたいになってませんか?セッちゃん、何もそういうつもりでは……」

 

「私の中ではそういうことになってるんです〜。ふふ、何か問題が起きたらアルさんも同罪ですよ?」

 

 

 いやいや別に罪とかいうものではーーそう言いながら、アルは何気なく刹子に手を伸ばす。

 

 それをするりと躱し、くるくると回りながらアルから離れる刹子。実に楽しそうな笑みを浮かべている。

 

 

「お風呂借りますね。共犯者のアルさんは引き続きネギ君達の監視を務めるように!ーーふふ」

 

 

 ビシッ!とアルを指差し、上機嫌に小走りでその場を離れていく刹子。

 

 対するアルは、困った表情を浮かべながらそれを見送ることしかできない。

 

 

「やれやれ……とんだ小悪魔に育ってしまったものです。まぁ、それもまた悪い気はしませんね。……ふむ」

 

 

 まんざらでもないーーそう思うことにしたアルは、おもむろに懐を弄りだす。

 

 そこから取り出した、先ほど彼女から譲り受けたばかりの「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)(中学生モード)」のカードを見つめる。

 

 

「私も楽しみが増えましたし、良しとしますか。ふふ、セッちゃん。ーー貴女がネギ君に負い目を感じているように、また私も貴女に対して負い目を感じているのですよ」

 

 

 しかしこればかりはどうしても止めることなどできないのですーー。

 

 切ないながらも、何やら期待に胸膨らませるような表情のアル。

 

 息遣いも荒い。

 

 

(セッちゃん……どうかこの卑しい私の目に、貴女の無垢な姿を晒して……嗚呼、セッちゃん……セッちゃーー)

 

 

 

「ーーア〜ルさん?」

 

「えーー」

 

 

 ハッと顔を上げるアル。

 

 するとすぐ目の前には風呂へ行ったはずの刹子ーーの、顔が迫ってーー。

 

 

 

ーーチュッ!…………ペロ

 

 

 

「………………」 

 

 

 アルはしばらく何が起きたのか理解できなかった。

 

 いや、この行為自体は2人の間では今まで幾度ともなく交わされているもの。

 

 それでも、このように突然の接触は今までなかった。

 

 完全に意識外から奇襲を受けたアルの思考は完全に固まってしまった。

 

 

「今日の夜のお礼ですーーぷっ、アルさんどうしたんです?固まっちゃって?アハハハ!!!ーーそれじゃ、今度こそお風呂行ってきますね♪」

 

 それと、最後のはサービスですーーそういって今一度走り去っていく刹子。

 

 刹子が去った後も、動く気配を見せないアル。

 

 

 やがてアルが手にしている「花嫁修業(ハナヨメシュギョウ)(中学生モード)」の絵柄に変化が生じる。

 

 

 カードに写るものを目にしたアルは、なんとも言えない背徳感と、これまで感じたことのない興奮に身を委ねたのであった。

 

 

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 ネギは、背中に大荷物を背負い、すっかり慣れ親しんだ麻帆良女子校エリアの道を歩く。 

 

「こうなっちゃったんだもの、仕方ないよね」

 

 

 今日は、期末試験結果発表日。

 

 先ほどクラス成績が発表され、ネギが担任を務める2-Aは最下位となった。

 

 ネギは、絶望に打ちひしがれる2-Aの輪の中からこっそりと抜け出し、人知れず校舎から立ち去った。

 

 

「この景色ともお別れか……人がいないと、この広い通学路は寂しいだけだね……」

 

 

 きょろきょろと辺りを見渡し、今や通い慣れた麻帆良女子校エリアの景色を目に焼き付けるネギ。

 

 

「終わっちゃったなぁ……」

 

 

 2-Aを万年最下位から脱出させることができなかったーー僕は、ここで教師を続けることができない。

 

 麻帆良での修行はこれでおしまい。

 

 「立派な魔法使い(マギステル・マギ)」の夢は叶えられなかった。

 

 

「ネカネお姉ちゃん、残念に思うだろうなぁ……」

 

 

 あれだけ、僕が麻帆良学園で教師をやることを喜んでくれてたのに。

 

 このことを知ったネカネお姉ちゃんの顔を思い浮かべると、申し訳ない気持ちしか浮かんでこない。

 

 修行を成し遂げられなかった悔しさより、今はそちらの思いの方が強い。

 

 多分、辛いのはこれからなんだろうな……。 

 

 

「子供1枚、新宿までお願いします」

 

 

 そうこうしている内に駅に着いていた。

 

 切符を買い、改札口を通ろうとして、一度立ち止まる。

 

 

(もう少し、クラスの皆さんと一緒に居たかったな……) 

 

 

 あれだけ勉強嫌いだったバカレンジャーの皆さんが、一生懸命良い成績を取ろうと頑張ってくれた。

 

 2-Aの皆さんだってそう、誰かを責めるなんて僕にはできない。

 

 

「アスナさんに、お礼くらい言っておくべきだったかな」

 

 

 麻帆良に来てから、いつも自分を励ましてくれた明日菜のことを思い浮かべる。

 

 

(なんだかんだいいつつ、アスナさんが僕のこと構ってくれたから……だから、今日まで頑張ってこれたんだよね。ーー僕、黙って来ちゃった……悪いことしたな)

 

 

 今からでも戻って挨拶してくるべきか?しかしーーそのように悩んでいたネギの耳に、遠くから誰かが自分を呼ぶ声が聞こえた。

 

 

ーーネギ〜〜〜!!!待って、待ちなさ〜〜〜い!!!

 

 

「ーーっ、アスナさん!?」 

 

 

 遠くからこちらに向かって走ってくる明日菜の姿。

 

 それを見たネギはーー。

 

 

「〜〜っ!!」

 

 

 ネギは、何を思ったか慌てて切符を改札に通し、今来たばかりの電車へと逃げるように駆け込もうとする。

 

 

ーーちょっとネギ!?聞いて、間違ってたの!!私たちの本当の成績はーー

 

 

「ごめんなさいアスナさん!!!僕もうみんなに合わせる顔なんてーー」

 

 

 明日菜の静止を振り切り、大声をあげながらネギは電車のすぐ目の前までやってくる。

 

 明日菜はまだ遠くにいる、今ならまだ捕まらない。

 

 まるで追われているかのような心境で、ネギは未だ開かないドアの前で足踏みをする。

 

 

「はやくはやく!アスナさんに追いつかれちゃうよ!!」

 

 

 ようやく、電車のドアが開く。

 

 ネギは人が出てくるかどうかも確認せず、中へと飛び込んだーー。

 

 

「ーーわぷ!?」

 

「おっと……」

 

 

 案の定ネギは、電車から降りようとドアの前に立っていた人物とぶつかってしまった。

 

 顔面に柔らかい感触が伝わる。

 

 慌てて、ネギは目の前の人物の顔を見ようともせず謝罪をする。

 

 

「す、すいません!僕急いでて、あ、あの、ごめんなさい!それじゃーーーって!?」

 

 

 謝罪もほどほどに、すぐさまネギはその人物の横を抜けようとしたーーが、突然肩を掴まれ、その反動で仰け反ってしまう。

 

 

「こらこら、まだ学校の時間は終わってないでしょう?どこへ行くというんです?」

 

「ぅえ?あのちょっとーー」

 

 

 ネギの肩を掴んだ人物は、そのままネギを引きずるようにして前へと歩き出す。

 

 それは思いの外強い力で、ネギはされるがままに電車から遠ざけられる。

 

 

「あぅ〜〜〜!?で、電車が!?は、離してーーあぁ〜〜〜〜」

 

 

 無情にも閉まる電車のドア。

 

 ネギの叫びも虚しく、動き出す電車。

 

 

「〜〜〜〜〜〜!!ひ、ひどいですよぉ!ぼくあの電車に乗らないといけなかったのに!」

 

 

 なんてことしてくれたんですか!

 

 ネギは抗議をしようと、ここにきてようやく自分の肩を掴んでいる人物に顔を向けた。

 

 

「ーーあれ?」

 

 

 声の感じから、女の人だとは思っていたけどーーどこかで見たことある顔だ。

 

 

 思わず目を引く白い髪に、透き通るような白い肌。

 

 こちらの心を見透かしているかのような蒼い瞳。

 

 ほんのり桜色に赤みがかった口元。

 

 綺麗な人だ。

 

 改めて見たら麻帆良女子中等部の制服を着ている。

 

 校舎の中であったのかな?

 

 

「今言ったでしょう?まだ学校は終わってませんよ?ーーネギ先生?……まぁ、こんな時間に登校してる私が言うのもなんですが」

 

「え……と、あの、あな「コラー、ネギー!!!」ーー!?あ、アスナさん!?」

 

 

 そうこうしている内に、ネギの姿を確認した明日菜が、改札口を飛び越え駆け寄って来る。

 

 なぜか恐怖に染まった表情を浮かべたネギが、傍にいる白い髪の少女の背に隠れる。 

 

 

「〜〜〜!ひぃ!?ご、ごめんなさい〜〜〜!!」

 

「なんで怯えてんのよ!私はあんたに嬉しいお知らせをーーーって」

 

 

 明日菜の言葉が途切れる。

 

 不審に思ったネギが、明日菜の様子を確認しようと、恐る恐る白い髪の少女の背から顔を出す。

 

 明日菜の視線はネギではなく、今自分の前にいる少女を向いていた。

 

 

「ーー刹子。あんた帰ってたの?」

 

「お久しぶりです、明日菜さん。ついこの間戻りました」

 

 

 明日菜は普通に白い髪の少女と会話をしている。

 

 2人は知り合いのようだ。

 

 

(ーー刹子?その名前どこかで…………ああ!!!)

 

 

「ーーーああ!思い出した!せ、刹子って……!」

 

 

 思わず声をあげるネギ。

 

 白い髪の少女はそんなネギの方に体を向け、挨拶をした。

 

 

 

 

「初めまして。出席番号32番、六戸刹子です。セッちゃんって呼んでくれてもいいですよ?ーーネギ先生♪」

 

 

 

 

 少女と少年は、ここでようやく出会ったのであった。

 

 

 

 

 



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桜通りの××××××

「学年トップを祝って、かんぱ〜い!」

 

 ーーかんぱ〜い!!!

 

 誰かの掛け声と共に、2-Aのクラスメイトたちの元気な声が青空の下に響き渡る。

 

 2-Aは現在「学年トップおめでとうパーティー」なる催しを執り行っている真っ只中。

 これは2-Aが学期末試験で学年一位の成績を収めたことを祝うため、つい先ほど、成績発表を終えた直後に決まった企画である。

 万年最下位の2-Aにとって、クラス始まって以来の快挙とも言える今回の結果に浮かれるのも無理はない。

 お祭り騒ぎの空気のまま放課後となり、こうして2-Aの生徒たちは女子寮前の芝生広場に集まったというわけだ。

 

 六戸刹子こと私もその集まりの中にいる。

 

「2-Aが一致団結して見事最下位を脱出ですか。なんとも感慨深いものがありますね……」

 

「刹子さん、あなた今回のテストも受けてらっしゃらないのによくそんなこと……」

 

 私の呟きが聞こえたのか、「いいんちょ」こと雪広あやかがそう言いながら近くに寄ってくる。

 

「第一、クラスに復帰するなり初日から遅刻とは何事ですの!?聞けば麻帆良には数日前に帰ってきていたと言いますし……千雨さん、あなたがついていながらなぜこの暴れん坊をーー」

 

「だ〜!私にこんな問題児の管理を期待すんじゃねぇ!「不良は、如何なる時も学校には遅刻するものです」とかわけわかんねーこと言ってる奴をどーにか出来るわけねぇだろ!」

 

 傍にいた千雨がいいんちょに反論を唱える。

 

 何気に私といいんちょは、クラスの中でもそれなりに会話することの多い間柄である。

 

 雪広あやかという人物は、「クラスに問題があるなら、それを見過ごしておくわけにはいかないーー」と自ら解決に乗り出すといった、典型的な「良き委員長」タイプといったところ。

 私が問題を起こした次の日に学校へ行くと、大抵はこのいいんちょからお小言を頂戴する。

 ジャスティスの5人組とまではいかないが、このいいんちょもまた、私の問題行動に頭を悩ませている一人と言えよう。

 そんないいんちょの心中を慮って、私はクラスの前では比較的素直に頭を下げるのだ。

 

 いいんちょの苦言に対して頭を下げる行為は、私からしたら割とやぶさかではない。

 

 比較的なんでもありな2-Aではあるが、中には「問題を起こす=危ない人」と認識するいたいけな女子も存在する。

 私がいいんちょに頭の上がらない姿を見ることで、ある程度警戒を緩めてくれる効果があるからだ。

 

 そういった効果を期待して、いいんちょとは取り留めもない日常会話なども気軽に交わしているうちに、私たちはそこそこの仲になったと言える。

 

「まぁ、ご自分がクビになったと思い早まったネギ先生を引き止めてくださった事には感謝してますが……そもそも!なんだかんだでテストの成績だけは良いあなたが今回の試験を受けていればもう少しーー」

 

「落ち着けよいいんちょ。しばらく休学してた奴がいきなり良い点なんて取れるわけ……いや、こいつなら取るか?なんかすごいイカサマ使ってーー」 

 

 イカサマはテストの度に使ってますけどね、頭の中の妖精さんたちに頼んでこう、すいすい〜っと。

 まぁそのことは置いといてーー。

 

「…………」

 

 今いいんちょの発言中に名前だけ出た、我らが2-Aの担任であるネギ君の方へと目線を向ける。

 私たちから少し離れた方で、複数のクラスメイトたちに囲まれて談笑をしている彼がいる。

 

 視線に気づいたのか、ネギ君がチラリと私と目を合わせるが、彼は軽い会釈をした後目線を逸らし、再び周りのクラスメイトたちとの会話に戻ってしまう。

 

(う〜む、ぎこちないですね。嫌われてるなんてことは、仮にも初対面だからないとは思うのですが……)

 

 私とネギ君がこの麻帆良で顔を合わせたのは、今しがたいいんちょが言った「私がネギ君を引き止めた」という先ほど起こった件が初である。

 

 引き止めたーーとは言ったもの、ようは「課題を達成できなかった」と勘違いして逃げるように電車へ駆け込んだネギ君に、たまたまその電車に乗り合わせていた私が鉢合わせただけなのだが。

 

 その後引きずるようにネギ君を連行していた私と、されるがままになっていた彼。

 そんな私達の元に駆けつけてきた明日菜さんの発言によって、ネギ君は私を自分の教え子の一人だと知る。

 そこで、私は改めてネギ君に自己紹介をしたのだがーー。

 

(大声あげて驚いてましたね〜。というか、悲鳴?……心なしか少し震えてましたし)

 

 以前千雨が私に言った発言を思い返す。

 

 

『お前が「不良」っていうことにもビビってんぞ、あのガキは』

 

 

 やはり、そういうことなのか。

 大方、過去の私の経歴でも調べたのだろう、ネギ君は。

 

 彼に伝わっているであろう、私の起こした問題事件の数々。

 

 半分は、初の学生デビューに浮かれていた当時の私が、女子力の赴くままに「JCとはこうあるべきだ」を実践したことで起こったこと。

 もう半分は、退屈を持て余していたどこぞの金髪少女に付き合ってしまった結果起こったこと、これは私も被害者だと言える。

 

 何はともあれーー。

 

「……もどかしいですね」

 

 もう一度、ネギ君の様子を伺う。

 

 バカレンジャーや図書館探検部の面々に囲まれて、ネギ君は実に楽しそうだ。

 

(うぅ……あの中に混ざりたい!私はあなたを本当の弟のように思っているのに!あなたのおしめも替えたことあるのに!)

 

 私の中に妙な感情が沸き上がるのを感じる。

 ジェラシーだ。

 この思いはまさしくジェラシーだ、私はあの光景にジェラシーを感じている。

 

(いっそのこと全部暴露してみる……?いや何を言っているんですか私!?どう考えても混乱が起きるでしょう。スプリングフィールド家に起こった事件は、今のネギ君に聞かせるべき内容じゃありません)

 

 私のバックグラウンドを話すことは、これから麻帆良で教師を頑張ろうとしているネギ君の負担にしかならない。

 そもそも、「私、あなたのお姉ちゃんなんですよ。だから、私にもっと構って」なんて理屈は通らない。

 仲良くなりたいという理由だけで、余計な事情を持ち込んではいけないのだ。

 私とネギ君を取り巻く事情ーー私達の家庭事情は、そんな甘いものではないのだから。

 それにーー。

 

 

「おい、六戸?お〜い!…………駄目だ聞こえてねぇ」

「またいつものですの?しょうがないですわね。千雨さん、向こうでネギ先生達と一緒にお茶でもしましょう」

「いや、私は別にーー」

 

 

 ーーそれに、麻帆良にいる以上ネギ君とは「教師と生徒」の関係を貫くと決めた。それを今更撤回する気などない。

 

 

 私は「六戸刹子」。

 

 麻帆良では不良と呼ばれ、一応魔法関係者でもある極々普通の女子中学生に他ならない存在、それが今の私。

 

 焦るな。

 

 生徒として彼と親密になる機会なら必ず巡ってくる。

 

 彼が成長し、魔法使いとして裏の世界に関わるようになれば、いずれは私の正体に触れる日も来るだろう。

 

 だが、それまでは「教師と生徒」の関係をより良いものにすることに専念すればいいのだ。

 

 それに考えてみなさい。

 

 もし私が「六戸刹子」として、ネギ君とお互いにいい関係になったとしましょう。強いていうならばーー。

 

 

 ーー六戸さんってすごい頼れる人だな〜こんな人が僕のお姉ちゃんだったらいいのに。

 

 

 的な!そしてのちに成長した彼は知るのです。

 

 

 ーーまさか、六戸さんが僕のお姉ちゃんだったなんて!……ぼ、僕はどうしたらいいんだ!

 

 

 的な的な!?

 

 いいです、実にいいです!

 

 その時に私はこう言うのです!

 

 

 ーーネギ先生?「六戸さん」じゃないでしょう?ほら、ちゃんと言ってみて?ーー「お姉ちゃん」って……

 

 

(いい、良いですよ良いですよ!実に良いです!あぁ〜、明日からの学園生活が楽しみでなりませんね!!!)

 

 

「……ふっ……ふふふふ……んふふふふふふふふふ」

 

 

〜〜〜

 

 

(……さっきから六戸さんが僕の方じっと見てるよ……なんだろう、やっぱり僕、ね、狙われてるのかなぁ……)

 

 

 ーーふっ……ふふふふ……んふふふふふふふふふ

 

 

「ーーーっ!ヒ、ヒィィィィ!?」

 

「ちょ、ちょっとネギ!?いきなり私の後ろに隠れたりして、どうしたのよ!?」

 

「どしたんネギ君?めっちゃ震えとるえー?顔も青いし……」

 

 突然様子がおかしくなったネギを心配する周囲の面々。

 

「ろ、ろくろくろくのへさんが……ぼぼくを」

 

「刹子ちゃんがどうしたの?……きゃあ!?すんごい顔してこっち見てる!?」

 

 ネギのつぶやきの中から「六戸」の単語を聞き取ったまき絵が、刹子のいる方へと顔を向けると、そこには怪しい笑いを浮かべながら目を見開いてこちらを凝視する刹子の姿があった。

 

 思わずギョッとするまき絵。

 驚いたまき絵につられて彼女を見た他の者も、みな同様の反応を示す。

 

「うおっ!?なんか背筋がゾクッってきた!?あれは獲物を狙う目……まさかネギ君、食われる!?」

 

「なんですって!?刹子さんがネギ先生を狙って……そんなこと許しませんわ!」

 

「……確かに、私を通り越して後ろのネギを見ているような気が……いや、なんとなくそう感じるだけなんだけど」

 

(あいつ何やってんだよ……そして私もなんでこいつらと一緒にいるんだ……)

 

 いいんちょに連れられるままに、ネギたちの輪の中に入れられてしまった千雨。

 同居人の珍行動を晒されて、羞恥心に体を震わせている。

 

「ネギ君、刹子ちゃんとなんかあったん?」 

 

「いえ、そんなこと……ろ、六戸さんとはついさっき初めて会ったばかりだし……」

 

「一目見て食べごろだと思われたんだって!なんたってあの子、麻帆良では不良であると同時に大の「男好き」との噂もあるし!ーー間違いないわね!」

 

 私のレーダーに狂い無し!ーーと、「刹子は大の男好き」論を唱えるハルナ。

 

「2-Aのエロ番長(自称)こと柿崎美砂さんがライバル視しているくらいです。あながち噂はホントかもしれないですね」

 

「ウチのパパラッチが未だ現場をおさえてないのがなんとも言えないところだけど。くぅ〜!年上の女性から男を寝取ったっていう噂、本当なのかしら!?気になるわ〜〜!」

 

「ね、寝取っ……!?そ、そんな〜、このままじゃネギ先生が……」

 

 図書館探検部の会話を聞いて、ネギの顔がますます青くなっていく。

 

「ア、アスナさぁ〜〜ん……」

 

 すがるような声で明日菜に助けを求めるネギ。

 

「なによ、もう。みんな心配しすぎじゃないの!?……わかったわかった!あいつには私から釘刺しとくから!だからネギ、あんたもそんな怯えんじゃないわよ!ったく」 

 

 ここにきて、楓と古菲。

 二人の肉体派コンビが初めて口を開く。

 

「万が一の時は拙者たちを呼ぶでござる。相手は不良、武力という手段を取ってくることも無きにしも非ずでござる。なんせ、日頃から体のどこかに包丁を仕込んでいるようなお方でござるからな」

 

(刹子殿はあのジャスティスレンジャーの方々と常に乱闘を繰り広げてるくらいでござるからな。腕も期待できるというもの)

 

「安心するアルネギ坊主、刹子が何かするようなら私たちが守ってあげるアル!包丁振り回されたって私と楓ならなんてことないアルよ」

 

(凶器を持った相手との戦いなんて中々ないアル。腕が鳴るアル)

 

 この二人、本音を言うところ単に刹子と戦ってみたいだけだった。

 

 しかし、万が一のセキュリティ面はこれで保証された。

 それを受けてネギの震えが止む。

 

「み、皆さん……」

 

(皆さん、やっぱり頼りになるな〜。僕も、しっかりしなきゃだめ、だよね。……よし、今後六戸さんが僕に何かするようなら、その時は先生らしくビシっと注意するんだ!)

 

 

 

 刹子は、どうやらまた墓穴を掘ってしまったようだ。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

「おはよ刹子。新学期早々遅刻なんてあんたも相変わらずね」

 

「ああ……美砂ですか、おはようございます。いや、これも不良の役目ですから」

 

「変なとこでこだわるわねあんたも……ていうか、なんか元気ないけど大丈夫?」

 

「ああ、わかります?ちょっとわけがありましてね……」

 

 

 私の元気がない理由、それはーーここ数日ネギ君に会えなかったというのが原因だ。

 

 まさかあの打ち上げの翌日が終業式だったとは!

 

 久々に登校したのも束の間、あっという間に春休みに突入してしまい、ネギ君との華やかな学園ライフはしばらくのお預け。

 

 しかし、春休み中だからといってネギ君に会えないとは限らない、私はめげずに麻帆良中至るところへ出張りに出張った。

 

 が、その努力も虚しく一切のエンカウントは無し。

 

 なぜ!?

 

 遭遇率低すぎやしませんか!?

 

 お姉ちゃんほったらかしにして、彼はどこで何をしていたというのです!?(実際、ただ単に運が悪かっただけ)

 

 挙げ句の果てには、コンビニにお菓子を買いに行くくらいの狭い行動範囲しか持たない千雨がーー「たったいまそこの廊下で会った」や「神楽坂たちといるところを出くわした、一緒に買い物に行かないかと誘われた」などそこそこのエンカウント率を見せる始末。

 

 なんですかこれは、一体なんの力が働いているというのです!?

 

 結局、一日の締めに「今日もダメでした」とアルさんに結果報告をして朝を迎えるだけの単調な日々。

 

 私の何がいけないというのですかーー。

 

 

「……私には出会う権利すらないと、そういうことですか?」

 

 新学期を前にして若干心が折れてしまった。

 それでも一抹の期待を胸に、こうしてギリギリの精神状態の中、私は登校をしたのです。

 

「何ぶつくさ言ってんのよ。……ほら、来たなら来たでさっさとあんたも服脱ぎなさいよ」 

 

「いきなり脱衣を要求されるとは、というか貴女もすでに下着姿で準備万端ですね。まさかエロ番長(自称)と名高い美砂が同性に走るだなんて……貴女も寂しい春休みを送ったんですね……(ホロリ)」

 

「違うわよ!身体測定よ!ほら、周り見なさい!あんた以外全員下着姿よ!」

 

 身体測定ーーアーウェルンクスである私にとって、体力テストに並んでなんとも無意味な行事です。

 

「はぁ……わかりましたよ。脱げばいいのしょう?脱げば」

 

 緩慢な動作でもぞもぞと制服のボタンを外し始める刹子。その目は遠く彼方を見ているようだ。

 このままじゃ下着姿になる頃には日が暮れるわ!ーーとその様子にやきもきした美砂は、彼女の脱衣を手伝い始める。

 

「いやぁ助かりますーーおや、黒板に描かれてるアレはなんですか?ーー()()()()()()?」

 

 己の脱衣作業を美砂に任せ、完全に脱力していた刹子はふと、黒板に描かれている落書きに興味を示す。

 

 

 ーーチュパカブラ。

 

 ーー黒板には「奇妙な外見をした生物」の落書きがあり、チュパカブラとはその生物の名前のようだ。

 

 ーー怪獣とも、またUMAともとれる奇妙な二足歩行の生命体で、一緒に書かれている説明文を読む限り、吸血能力を有するらしい。

 

 

「あ〜、あれはねーー」

 

 

 

〜〜〜

 

 

 

「ーー教室にいないと思ったらこんなところに……身体測定は済ませたのですか?」

 

「ーーチッ、……なんだ性悪、私は今昼寝中だ。邪魔するな」

 

 女子校舎屋上ーーそこに彼女はいた。

 

「ーー今舌打ちして……いやいや、お久しぶりですエヴァさん。そんな釣れないこと言わないで、少しお話ししましょうよ?」

 

「……旅行から帰ってきて今の今まで、私に何の挨拶もなかったお前と話すことなんてないな」

 

(え〜、なんかちょっと拗ねてる?)

 

 

 ーーエヴァンジェリン・A・K・マグダウェル。

 

 ーー魔法関係者の間では「闇の福音」の名で恐れられている、最強クラスの魔法使い。

 

 ーーまた、齢600歳前後の「真祖の吸血鬼」でもある。彼女は謂わば、生ける伝説的存在なのだ。

 

 

(初めて会った時は目ん玉破裂するかと思いましたよ……まさか、あの「キティちゃん」とこんなところで出会うだなんて) 

 

 そんな彼女も、今や私と同じ3-Aの生徒。

 真祖の吸血鬼が、なぜか日本の学校で女子中学生をやっている。

 本人から理由を聞けば、なんでも私の父とも呼べる人物ーーナギさんとの間で起きた痴情のもつれが原因でした(刹子フィルター)。

 

 その理由というのもーー。

 

「ーーって、エヴァさん?なにソロソロとこの場を立ち去ろうとしているんです?」

 

「チッ!……そのまま自分の世界に入り込んでおけばよかったものを」

 

 おっと、いけない。

 何やらエヴァさんは、今私と会話する事を拒んでいる様子。

 

 ーー仕方ない、さっさと踏み込みますか。

 

 

「最近女子達の間で流行ってる噂なんですがーー」

 

 

 先ほど美砂から黒板のチュパカブラについて質問した際に、このような話を聞かされた。

 

 

 ーー満月の夜、女子寮近くの桜並木ーー桜通りと呼ばれる場所で、真っ黒な布に身を包んだ吸血鬼が現れる。

 

 ーーあくまで噂だと思われていたが、今朝、クラスのまき絵がこの桜通りで倒れている姿が発見された。

 

 ーー今、ネギ君他数名が保健室で寝ているまき絵の様子を見に行っている。

 

 ーー黒板のチュパカブラは、「吸血鬼」を「吸血生物」だと勘違いしたこのかが面白半分に描いたもの。

 

 

「この桜通りの吸血鬼って、エヴァさんですよね?」

 

「どうだろうな。ーーというか、後半二つはいらん」

 

 

 あくまでとぼけた様子を貫くのですね。

 私は感知してるんですよ?

 

 ーー魔力を極限まで封印されているはずの貴女にしては、随分な量の魔力を蓄えてるではありませんか。

 

 

 私がそのように言うとーー。

 

 

「……そうだよ、私がその桜通りの吸血鬼とやらだ。……チッ、こんなことなら計画を前倒ししておくんだった」

 

 エヴァさんは再び舌打ちをして、結局自身が桜通りの吸血鬼であることを認めた。

 エヴァさんは、自分が隠し事なんて向かないということを理解すべきだと思います。

 

「それで?今回はなぜこのような事を?」

 

「なぜお前に言わねばならん。この件は私の個人的な都合に関わる事だ。……プライベートな事情にはあまり踏み込むものではないぞ?お前もそうだろう?」

 

「…………」

 

 

 何を言っているんだこのキティちゃんは。

 

 いきなりプライベートな事情云々って……それっぽい事言ってるようで会話が成り立っていません。

 

 知られたくない事があるから早々に会話を打ち切りたいーーそんな思いが筒抜けです。

 

 エヴァさんという人物は、素っ気なく振る舞っているようで、実のところお喋りするのが大好きな方なんです。

 

 私が「10」を投げかければ、エヴァさんは面倒そうに「1」を連発して、気づいたらそれが「50」くらいに達しているのです。

 

 ところが、今目の前にいるエヴァさんはどうです?

 

 まるで部屋で如何わしい行為に耽っていたところに母親がやってきて、その事を勘付かれるのを避けるため、冷静に意味不明な返答をする思春期の少年のようではありませんか。

 

 

「話は終わったな?私はもう行くぞ」

 

 エヴァさんはそういうと、足早に屋上から去った。

 

 

「…………怪しい」

 

 面白いことがあれば必ずと言っていいほど私を巻き込むあのエヴァさんが。

 

「桜通りか……」

 

 

 これは、確かめてみる必要がありますね。

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 翌日の朝、ネギは3-Aの教室へ続く廊下を、明日菜と木乃香の3人で歩いていた。

 

「う〜ん……」

 

「ネギ、あんた昨日の夜から何そんなに唸ってるのよ?」

 

「ネギ君、具合でも悪いん〜?」

 

「い、いえ……そういうわけじゃないんですが」

 

 昨日、保健室で寝てたまき絵さんから微小の「魔力反応」を感じた。

 ジャスティスレンジャーの件で、この麻帆良に自分以外の魔法使いがいることを知った僕は当然、次のように思った。

 

 ーーひょっとしたら、犯人はこの麻帆良内にいる魔法使いなんじゃ?

 

 ここにそんなことをする魔法使いがいるとは思いたくないけど、まき絵さんが被害にあった事実があることは確かだ。

 

(一応タカミチにこのことを話しておいたから、大丈夫だとは思うけど……)

 

 それでも、不安なのに変わりはない。

 やっぱり昨日の夜に自分でも調べておくべきだったかな。

 僕の生徒が被害にあったんだから、教師である僕がなんとかするべきじゃないか。

 

 でも、そうなると魔法使い同士での戦いにーー。

 

 

「ーーのどか、それ本当!?」

 

 

 考え込んでいたら、3-Aの教室の前に着いていた。

 今の声は、ハルナさん?

 なんだか、教室全体が騒がしい。

 

「何朝から騒いでるのかしら?ーーほら、ボケっと突っ立ってないで、入るわよネギ、このか」

 

 アスナさんが教室のドアを開け、先に中へ入っていく。

 続けて僕も教室へ入る。

 

 ーー宮崎さんの周りにクラスの皆さんが集まっていた。

 

 なんというか、珍しい光景だなーー僕がそう思ったのも束の間ーー。

 

 

「う、うん。昨日の夜……学校から帰るのが遅くなっちゃって、気づいたら桜通りを歩いてたんだけど……そこで、ね?……」 

 

 

 ーーえ、桜通り?宮崎さんが、昨日の夜……?よ、よかった、宮崎さんの身には何も起きなーーー

 

 

 

 

 

「ーーエヴァンジェリンさんがたまたまそこにいて……そしたら、いきなり私の目の前で、チュ、()()()()()()()()()()()…………」

 

 

 

 

 



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闇の福音編
血も滴る熱い夜


 その夜は満月だった。

 

 桜通りと呼ばれる女子寮に続く一本の桜並木道。

 その道を一人歩く宮崎のどかは、夜空に浮かぶオレンジ色に赤みがかった丸い月を視界に収め、ふと、今日学校で耳にしたーーある噂を思い出していた。

 

 ーー桜通りの吸血鬼。

 ーー満月の夜、女子寮前の桜通りにーー()()()()()()()()()()()()()()が現れる。

 

 所詮は根も葉もない噂、のどか自身そのように思っている。

 実際、のどかが恐怖を覚えたのは噂の内容というよりも、クラスメイトが悪戯で黒板に描いたチュパカブラなる怪物の方だ。

 そちらの衝撃が大きかったばかりに、今の今までこの場所が件の桜通りだということを忘れていた。

 

 ようするに、のどかにとって桜通りの吸血鬼の噂など、その程度の認識しかなかったのである。

 しかし、いざ自分がその噂通りの状況に置かれていると考えると、当然あまり気味のいいものではない。

 

(噂は噂だよね…………そうだ、お歌でも歌って……)

 

「こ、こ〜わく〜ない〜♪ ない〜♪ ない〜♪ ない……」

 

 恐怖を紛らわすために、のどかは歌い出す。

 

 我ながら逆に不安を誘うような声色だーーのどかは歌いながらそのように思った。

 薄暗い夜道に響き渡る彼女の歌声は、吸血鬼ならまだしも幽霊等の類だったら何かしらの効果があるのではないかと思うほどにマッチしている。

 

 オーディエンスの一人でもいたものなら即刻彼女にツッコミを入れているところだろう。頼むからやめてくれ、と。

 

 しかし、自分を鼓舞するために精一杯なのどかにしてみたら、そんな居もしない存在に構っている余裕は無い。

 

 すぐ近くの木陰に潜み、自身の歌を拝聴しているーー異形の怪物の存在など、彼女の知るところではないのだから。

 

 

 †††††

 

 

 その生物は息を殺し、目の前の通りを歌いながら歩く少女に視線を送っていた。

 

 闇の中に二つ、赤い光が浮かんでいる。それは、その生物の目だった。

 

 不気味な光を放つその目は、顔の半分の割合を占めるほどに大きい。

 

 胴体に比べていささか大きい頭、それを除けばほとんど人間の体型と変わらない。

 

 身体中は深々と毛で覆われおり、暗闇の中故に色の判断はつかないが、闇に溶け込んでいる度合いからしてあまり明るい色ではないだろう。

 

 別の身体的特徴を挙げるとすれば、頭部から背中、脊椎のラインにかけて突出している棘。木の幹に深く食い込んでいる鉤爪ーー、どれもこれも人外的要素を詰め込んだかのような造形だ。

 

 のどかからしてみたら、このような怪物がすぐ身近に潜んでいるなど、いかにこの桜通りが異様な雰囲気を漂わせていたところで思いも寄らないだろう。

 

 加えてーー

 

(そのいっぺん死んでみたくなるような歌声をやめなさい‼︎)

 

 ーーその怪物が、自身の歌に対してこのようなツッコミを入れているなどとは到底思うまい。

 

 そう、何を隠そうこの怪物の正体、もとい中身はーー。

 

(そりゃ私以外にいないでしょう)

 

 刹子以外に他ならなかった。

 

 

 ーーきせかえごっこ「日給五千円」(R)

 

 ーー自身のイメージした姿の「着ぐるみ」を作成する。

 ーー着ぐるみには自身の魔力反応を隠蔽する効果が備わっている。

 

 

(このアーティファクトの使い道なんてないと思ってましたが、このような機会があるとは…………というかチュパカブラってこんなんでいいんでしたっけ? 実物なんて見たこともないから適当なイメージで作ってしまいましたがーーーあ、長い舌忘れてた……って口そのものを作り忘れた模様!? ……ま、いいか)

 

 突如自分の体をベタベタと触り出す異形の怪物ーーもとい、チュパカブラ。

 刹子からしたら、着ぐるみの出来を確かめているに過ぎないのだが、何ともアレな光景である。 

 しかも顔の造形はかなり大雑把のようだ。

 吸血生物なのに口が無いとはこれいかに。

 もはやチュパカブラというよりもグレイである。

 

 刹子がこのような姿でこの時間、この場所にいる理由についてだが……。

 それは他ならないーー桜通りの吸血鬼騒動の犯人、エヴァンジェリンの無力化である。

 

(ここまで出張るつもりはなかったんですけどね……でも、茶々丸さんからあんなこと聞いてしまったら……)

 

 

 ーーマスターはネギ先生の血を求めています。

 

 ーーサウザンドマスターに掛けられた「登校地獄」の呪いを、肉親であるネギ先生の血をもって解呪するのが目的です。

 

 

 屋上でエヴァの言動に違和感を感じた刹子は、その後エヴァの従者である絡繰茶々丸を訪ねた。

 

(茶々丸さんがすんなり目的を話してくれたおかげで助かりました。まさか「モノ」で懐柔できるとはね……)

 

 

 ーーマスターの命令ゆえ、いかに刹子さんと言えどお話することはできません(キリッ)。

 

 ーーえ?刹子さん、それは「グッドナイト†エヴァ」公式サイトで企画された「ファンが選んだぬいぐるみ化してほしいシチュエーション」で第7位にランクインした「ミミックに頭からカブリつかれてもめげないエヴァたん」ではありませんか!? あの企画では3位までしか商品化されなかったはず!? なぜあなたがそのようなレアグッズを!?

 

 ーーえっ頂けるのですか!?(シュポー‼︎)あ、ああありがとうございます! ーーそれでマスターの目的はですね……

 

 

 主人思いなのかそうでないのか、いまいち判断に困る従者であった。

 

(……愛されてはいるんですけどね、エヴァさん。とりあえず、ドンマイとだけ言っておきましょう)

 

 改めてそのことを思い返した刹子は、ほんの少しだけエヴァを哀れんだ。

 

(にしても、血が欲しいなら素直にネギ君にそう言えばいいでしょうに……。なぜこのような回りくどいやり方を、ましてや「襲う」などという観念に囚われているのか。ーーまぁ、それもそれでエヴァさんらしいと言っちゃらしいですが……)

 

 妙なところで悪の魔法使いらしさに拘るエヴァに、刹子は半ば諦めに似た気持ちを抱く。 

 

 エヴァに架せられた呪いに関しては、刹子自身できることならどうにかしてやりたいという気持ちはあった。

 

 現に、刹子は過去に何度かエヴァの呪いの解呪を試みたこともあるくらいだーー結局、全て失敗に終わったのだが。

 

 何はともあれ、刹子はこうして事件解決に身を乗り出したのであった。

 

 

 これ以上被害者を出さないために、そしてエヴァに道を説くためにーーーー

 

 

 ーーーーと、残念ながら理由はこれだけではないのである。

 

 

(エヴァさんを説得した暁には、ネギ君と話し合いの場を設けることにしましょう。当然その場には私も同席しますよ? 当然でしょう! 私がネギ君との接点を作るまたと無い機会! ……このチャンスをふいにしてはならない!!!) 

 

 下心全開である。

 

 ちなみに、エヴァがネギの血を吸うことに関してだが、刹子はこのことを別段心配してはいない。

 

 二人はそこそこ長い付き合いだ。

 エヴァは女子供を手に掛ける事などない。

 万が一呪いの解呪に致死量の血が必要だと判断された場合、エヴァは素直に身を引くだろう。

 

 それほどに刹子はエヴァを信用している。

 

(欲を言えば、昼間の内にもう一度エヴァさんと接触できればよかったのですが……どこに隠れたのやら。当然の如く念話にも出ませんし)

 

 校舎内を駆け回っている内に日が暮れてしまった。

 過ぎたことを後悔しても仕方がない。

 

(ここで止めてしまえば何の問題もありませんからね……………おっとーーーーご到着ですか) 

 

 

 ()()の気配を感じ取った刹子。

 

 のどかに向けられていた赤い視線は、今は遥か上の虚空を見据えている。

 

 突如、漆黒の夜空から一粒の雫が溢れたかのように見えた。

 

 それは黒い塊と相成って、桜通りを歩くのどかから少し離れた後方に音も立てず着地を果たす。

 

 地面に降り立つと同時に黒い塊は霧散、その場には一人の少女が残った。

 

 

 ーーエヴァンジェリン・A・K・マグダウェル。

 

 

 此度の騒動を引き起こした張本人であり、今尚木陰から赤い瞳を輝かせている異形の怪物の標的でもある。

 

 噂とは違い、エヴァは黒衣など身に着けてはいない。

 昼間、刹子が屋上であった時と同じように麻帆良の制服姿である。

 

 エヴァは目の前で歌を歌っているのどかを視界に収め、静かに歩を進める。

 

 肩で風を切って歩く様は堂々たる貫禄だ。

 

 …………忙しくなく目線を動かし、周囲の様子をキョロキョロと伺ってさえいなければ。

 

(探してますね、私を。この着ぐるみの中にいる限り魔力探知にはかかりませんよ……と、こうしてはいられませんね!)

 

 この場に刹子はいないーーそう判断したエヴァの足並みが早まる。

 口元から鋭利な牙が覗く。

 狙うは今何も知らず歌など歌っている少女、その白くか細い首元ーー。

 

(ーーここで、止めます‼︎)

 

 異形の怪物が、今まさに獲物に食いつかんとする吸血鬼に襲い掛かった。

 

 

 

 †††††

 

 

 

 ーーガサガサッ!!!

 

「こ〜わく〜なーーーーはぅ⁉︎」

 

 突然の物音。それに驚いたのどかがハッと後ろを振り向く。

 

 そこには、自分と同じように驚愕に顔を染めたエヴァンジェリンがいた。

 

「エヴァンジェリンさん……⁉︎ いつのまに後ろにーーーー」

 

 のどかは声が喉に詰まったかのように、その先を口に出すことができない。

 

 何故なら、こちらに向かって猛進するナニモノかの姿が目に入ってしまったから。 

 

「がお〜〜〜〜〜〜!!!(エヴァさん覚悟〜〜〜!!!)」

 

「なっ……貴様はーーーーくっ⁉︎」

 

 すぐさま身を翻し、異形の怪物を迎え撃つエヴァ。

 お互いの両手ががっちりと噛み合い、力比べの体制に入る。

 

「〜〜〜〜〜〜〜、このぉ……」

 

「がお!がお〜〜〜〜〜〜!(おとなしく、しな……さい!)」

 

 吸血鬼と吸血生物の取っ組み合い。

 

 しかし……字面では怪獣大決戦とも言えるマッチングなのだが、ビジュアル的には「怪物に襲われている少女」にしか見えない。

 どう見ても少女側に勝ち目はないだろう。

 ちなみに吸血生物から発せられる鳴き声は、まんま刹子の声である。

 

「チュ、チュチュパチュパ……チュパカブラ⁉︎ あぅあぅーー」

 

 唯一のギャラリーであるのどかは混乱している。

 チュパカブラに驚くのも無理はないが、目の前の非力そうなエヴァがそのチュパカブラと力比べしているという異常な光景にも驚いてほしい。

 

(この声、やはり貴様か性悪! 何なんだその妙な格好はーーーーぬぅぅぅ!?)

 

 チュパカブラの見かけ通りの怪力に仰け反るエヴァ。

 

(流石に腕力ではまだ私の方が上のようですね!……このまま組倒してーー)

 

 吸血鬼に好条件を齎らす満月に加え、今まで蓄えてきた魔力。

 この二つを持ってしても、本来のポテンシャルには程遠く、徐々に押され始めるエヴァ。

 

 このままでは押し負けるーーそう思ったエヴァは少しだけ後ろの様子を伺い、すぐさま前に向き直る。

 

(……宮崎のどかの記憶は後で消せば問題なかろう。どのみちここでやられたら全てが水の泡だ!)

 

「ーーリク・ラク ラ・ラック……」 

 

 呪文の始動キー。

 力で負ける目の前のチュパカブラに対抗するために、エヴァは魔法の使用を選択した。

 

(ーーちょ⁉︎ エヴァさんったらここでぶちかます気ですか⁉︎ ……え、えと、この着ぐるみは自身のイメージで……)

 

「ーー来たれ氷精、爆ぜよ風精……」

 

(先手はもらったーーいや、この一撃で仕留める!このまま吹き飛ぶがいい性悪め!)

 

「ーー弾けよ凍れる息吹……」

 

 エヴァの周りに凍気が漲る。

 呪文の詠唱もあと一句をもって完成する。

 勝利を確信するエヴァに対し、刹子は半ば投げやり気味になっていた。

 

(ーーええいなんでもいい‼︎ 着ぐるみさん!とにかくエヴァさんの口を塞いでくださいーーーー)

 

 どんな方法でもいいからエヴァの口を封じるーー。

 

 刹子は投げやり気味にそのようなイメージを思い浮かべた。

 

 途端、チュパカブラの頭部に変化が生じるーー。

 

「ふぇ?」

 

 ーーのどかは見た。チュパカブラの首から上がグンと伸びる様を。

 

「ーー氷……は?ーーーー!!!?」

 

 ーーエヴァはその身で体感した。いきなり目の前にチュパカブラの顔面が迫ったと思ったら、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()て、次の瞬間ーー視界が真っ暗になったのだ。……エヴァは驚きのあまり、呪文の詠唱を中断してしまった。

 

 

 文字通り頭から首までぱっくりとーーエヴァはチュパカブラにかぶりつかれた。

 

 

「〜〜〜〜〜〜‼︎⁉︎」

 

 未だ自由な両足でチュパカブラに蹴りを入れ、せめてもの抵抗を示すエヴァ。

 

 チュパカブラは微動だにしない。

 やがてチュパカブラの頭部が縮み始め、体格の関係上エヴァは頭ごと引っ張られる。

 ーーエヴァの足は地を離れ、宙ぶらりんの状態になった。

 

(ーーなんだか知らないけど結果オーライ? ……と、とりあえずこのまま連れ帰って「ーー貴様ぁ……」ーーうひぃ⁉︎すぐ目の前にエヴァさんのお顔がーー)

 

 着ぐるみの中で顔面を付き合わせる刹子とエヴァーーとは言っても、着ぐるみの中故に真っ暗でお互いの表情は確認できないのだが。

 

「よくも邪魔を……よもや私にこのような辱めまでーー!」 

 

「ーーお、おお落ち着いてエヴァさん! 私は何も邪魔するつもりは……お、お話をーー」

 

 鼻先をガンガン付き合わせ、怒りの態度を示すエヴァ。

 

 ーー外面では、今もなお手足をバタバタと振り回し暴れるエヴァと、その場をぐるぐると回転するチュパカブラーーというなんともな光景が繰り広げられている。

 

(ーー!……そうだ、この性悪は都合よくこんな近くまで私に接近を許したのだ。ーーいっそこのまま……)

 

「ですからね! 私には考えがありまして! エヴァさんがこのような行為に及ぶ必要は「貰ったぞ馬鹿め‼︎」ーーむぐっ⁉︎」

 

 突如口内に違和感を感じる刹子。

 

 自分の口の中にうねうねと生暖かいモノが侵入してくる。

 

 これはーー。

 

「ーー、んぅ、ぅん……」

 

(ーー舌? エヴァさんの舌だこれ⁉︎ まさかエヴァさんの方から求めてくるなんて、しかもディープな……って違う違う! エヴァさんが考えもなしにこんなことーー)

 

 エヴァの突然の行動に驚くのも束の間、すぐに刹子は自身の口内での異変に気づいた。

 

「⁉︎ んん〜〜〜〜⁉︎ んぅ〜〜〜〜〜〜〜〜〜‼︎」

 

(ーー痛っ⁉︎ 噛みやがりましたこの吸血鬼‼︎ 私の舌を‼︎ この私から血を吸うなどとーー)

 

(ーーフハハハハハ‼︎‼︎ このマヌケめ、吸血鬼である私にここまで接近を許すお前が悪いんだよ‼︎‼︎ ……このまま根こそぎいただいてやる‼︎)

 

 

 

 †††††

 

 

 

 吸血鬼の頭にかじり付いた吸血生物。

 

 その吸血生物の舌にかじり付き、その力を奪おうとする吸血鬼。

 

 吸血種たる両者は一歩も譲らない。

 

 

「んぁ、んんん! んぁぁ⁉︎」

 

 刹子は必死にその行為から逃れようとするも、すでにエヴァは刹子の舌の根元近くまでを自身の口に含んでしまっている。

 なおかつ吸血鬼特有の鋭利な牙が深く突き立てられているのだ。

 刹子は舌を巻くことすらできない。

 

(ここにいる性悪が内包する魔力は上限値の約2割程度だったな……せっかく捕えたというのに分身体という事実にはがっかりだがーー贅沢は言ってられん、か……)

 

 

 ーーいやはや、まさか本当にセッちゃんが「2人に増えた」とは

 

 

 以前アルが話していたように、ここにいる「六戸刹子」は分身体である。

 

 この事実は念話を通して、すべての「花嫁修行」所持者に伝達されている。

 

 当然、目の前にいるエヴァにもその事実は伝わっている。

 

 

(どうした性悪? 首元の拘束力が弱まってきているぞ? これならば抜け出そうと思えばいつでも抜け出せる) 

 

 刹子の心的状態に影響したのか、エヴァの頭を固定していたチュパカブラ=着ぐるみの拘束が緩む。

 外から微かな光が着ぐるみ内に入り込み、エヴァは刹子の表情を確認した。

 

 ーー刹子の目に涙が溜まっている。

 

 それは舌を噛まれたことで生じた痛みによるものなのかどうかはわからない。

 

 涙は頰を伝い、密着した両者の口元を這う。

 

(ククククク……いい貌をするじゃないか性悪、えぇ? 一時はどうなるかと思ったが、かえって最高のロケーションではないか。ククク……血の味も極上だ、実に旨い。ーー耳が少し寂しいな……どれ、もっと声を張れ‼︎)

 

 エヴァはさらに舌に込める力を強める。

 

「ぃんぅぅぅぅぅーーーー⁉︎」

 

 悲鳴にすらならない刹子の呻きを受け、エヴァはぶるぶると体を震わせる。

 

(油断したーー!こういうキスもたまにはいいかも、とか!ちょっと思っちゃった少し前の自分を殴りたい……。さっさと振りほどくべきでしたか……いや、口づけという行為において私が負けを認めるなど…………く、魔力がーー)

 

 吸血鬼が行なう「吸血」行為は、その血を介して対象者の「魔力」を奪う特性も備わっている。

 

 いわばーーマジックドレイン。

 

 刹子の体からはすでにかなりの量の魔力が失われている。

 現に足元はおぼつかない、今にもエヴァを下敷きに倒れてしまいそうだ。

 

(やば、意識がーー)

 

 急激な魔力の減少により、薄れゆく意識。

 

 意識を手放し、このままエヴァに体重を預けようとしてーーーー踏み止まった。

 

 

 

 ーーおいセクストゥム。お前、私のモノにならんか?

 

 

 

 刹子の脳裏に浮かんだのは、遠い日に交わしたとある会話の中でーー

 

 ーー目の前の吸血鬼が、自身に対して発した言葉だった。

 

 

(……この、程度……なんてことない。そうでしょう? 私……)

 

 刹子の体に力が入る。

 

(この私が()()使()()との勝負に屈するなんて……あってはならないことなんだからーー!)

 

 刹子は両腕で強くエヴァを抱きしめる。

 

(ーー電子精霊たちよ!「アルバム」と「サテンケープ」の遠隔起動を!ーー急いで!!!)

 

 刹子の突然の抱擁ーーーー所詮は最後の悪あがき、とエヴァが切り捨てたのも束の間ーー。

 

(ーー、なんだこの光はーー⁉︎)

 

 突如着ぐるみの中が眩い光に染められる。

 

 光の発信源は刹子の制服、その内ポケットからだ。

 

(ーー性悪‼︎ ここにきて一体なにをーー)

 

 刹子の顔で視界が塞がっているため、エヴァは今身の回りで何が起きているのかを確認することすらできない。

 

 刹子がいつの間にか制服の上に()()()()()を羽織っていることも、二人の頭上に()()()()()()()()()()()()()が出現したことも、エヴァには知る由もない。

 

 ただ、自分の身に異変が起きているーーこの事実だけはまさに今体感していた。

 

(吸血を通して性悪から流れ込む魔力の流出が止まった?……いや違う、止まったどころかーー()()()()()()()()()()()()()⁉︎)

 

 

 ーーきせかえごっこ「きせかえアルバム」(R)

 

 アーティファクト形態の見た目はトレーディングカードを収納するカードファイルそのもの。

 手持ちの「きせかえごっこ」カードを収納することができる。

 仮契約時、このアーティファクト自体が契約の魔法陣の役割を果たす。

 

 

 ーーきせかえごっこ「吸血鬼のサテンケープ」(SR)

 

 俗にいう吸血鬼マント。

 接触している対象から魔力を吸収できる。

 仮契約時に着用することで、()()()()()()()()()()()SR以上のカードの排出率を底上げすることができる。

 

 

(ちぃーー!いつもの訳のわからんアーティファクトの力か⁉︎ ーーーー、くそっ)

 

 

 このままでは巻き返されるーー。

 

 エヴァは顎になおさら力を込める。

 

 刹子の口の端から暖かいものが溢れ出る。

 

 ーー流血。

 

 鮮血が着ぐるみの内部を染め上げ、外部には薄っすらと染みが広がっていく。

 

 エヴァはすでに血を啜ってなどいない。

 

 ただただ、刹子の舌に歯を付き立てる。

 

 噛みちぎれるのなら、そうするに違いない。

 

(私の舌を噛みちぎることができない……それほどまでに今の貴女は吸血鬼の力そのものが弱まっている。それにひきかえ、「吸血鬼のサテンケープ」が誇る「魔力の吸収能力」は真祖の吸血鬼のそれと同じ。ーー先に墜ちるのはエヴァさん、貴女の方です!)

 

 自身の体から抜け出ていく魔力、エヴァにはそれを止める術などない。

 

(おのれーーーー、吸血鬼である私に対して……このようなふざけた真似をーーーー!)

 

 抵抗しようにも、刹子による強固なホールドによって両手を動かすこともままならない。

 

 その上、刹子はさらなる追い討ちを掛ける。

 

(受けてみなさいーー既存の仮契約を超えた、私の10連仮契約(パクティオー)の力をーーーー‼︎)

 

 二人の頭上に浮かぶアーティファクト「きせかえアルバム」から一筋の閃光が地面に向かって伸び、一瞬の間に契約の魔法陣が形成される。

 

 エヴァは、自身の身体にさらなる負荷が加わったのを感じた。

 

(これまでの魔力吸収は前座……そしてこれからが本番。私の蓄えた魔力を奪い尽くすトドメの一撃を加えるつもりか。……こんなことなら、唇ではなく首元に噛み付いてやればよかった。……こいつに一泡吹かせようと奇をてらった私の判断ミス、だなーー)

 

 

 

 

 契約の魔法陣が放つ光が、桜通りを眩く照らす。

 

 

 吸血種たちの戦いは、間も無くして終わりを告げた。

 

 

 

 †††††

 

 

 

 着ぐるみのアーティファクト「日給五千円」をカードに戻し、私は桜通りに吹き渡る夜風にその身を委ねていた。

 そんな時、すぐ側でこちらを黙って見つめている茶々丸さんの存在に気づく。

 

「……茶々丸さん、ずっとそこに居たんですか?」

 

「こんばんわ刹子さん、マスターはご無事でしょうか? それと質問の返答ですが、私はマスターが頭からカジられたのと同時にこの場に到着しました。故に、今までのお二人のやり取りはバッチリと収めています」

 

「なるほど、B級映画的やり取りから目を離さず、ただただ傍観していたと……」

 

「はい、なんだかお二人の邪魔をしてはならないと感じまして……と、とても、盛り上がっているように思えましたし」

 

「確かに、エヴァさんからは実に濃厚なキッスを頂きましたよーーーー血が出るくらいにね」

 

 当事者である私とエヴァさんからしたらそれはもう、お互いの得意分野を賭けた負けられない一戦ーーいわば種の頂点を決めるかのごとき戦いと言えた。

 

 しかし、外面から見たらどうだったろう。

 

 着ぐるみプレイに興じるアレな関係の二人組ーーそのように映ったのではないか。

 

 エヴァさんが変なスイッチ入ったせいで収拾がつかなくなってしまった。

 

 口の中が血の味しかしない。

 

 下手したら本気で舌を噛み切られてた。

 

 なんて凶暴なのだろう、このーー 

 

 

「……終わらんぞ……今回ばかりは……このまま、お前に負けたままでは…………」

 

「ーーこぉのキティちゃんは……本当にもうーーー、痛ッ……つぅ……」

 

「刹子さん、口元の周りが大変なことに。ーーハンカチです、どうぞ」

 

「……どうも。このハンカチせっかく白いのにもったいない。今度新しいの買って渡しますね」

 

 

 茶々丸さんから無地の白いハンカチを受け取り、口の周りに優しく当てる。

 夜風に晒されて、若干乾き始めているようだ。

 これは寮に戻る前にどこかで洗わないといけない。

 でないと千雨になんて言われるかわかったものではない。

 

 地面に横たわるエヴァさんの口元も似たような惨状だ。

 

 見ようによっては、口の周りがケチャップで汚れるのも気にせずナポリタンをバクついたお子様のような絵面だ。

 

 私の血はさぞかし美味しかったのでしょうね、ったく。

 

 

「そうだ、宮崎さんはーー」

 

 宮崎さんの姿が見当たらないーーと思ったら、私のすぐ後ろで倒れていた。

 

「宮崎のどかさんは、私がここに到着したと同時に意識を失いました」

 

「つまり、目の前でショッキングな映像を見せられて気絶した、と。……なんとも好都合なことで」

 

「彼女の記憶はどうするのですか?」

 

「記憶は消しませんよ。宮崎さんには、チュパカブラがエヴァさんを襲った……いや、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、という情報を広めてもらう仕事が残っています」 

 

 わざわざ私が「チュパカブラ」に扮して此度の夜に臨んだ理由は単純だ。

 

 

 ーー桜通りの吸血鬼事件に対し、学園側の疑いを()()()()()()()()()()()ため。

 

 

「今回のエヴァさんが起こした騒動は言ってしまえば魔法絡み。まだ学園側には話が行ってないようですが、このまま事が進めば確実にバレる。ましてや最終的にはネギ君に接触するつもりでいるのです。……どう考えても、よくない事態になるのは目に見えてます」

 

「それで……チュパカブラ、というわけですか」

 

「ええ、さすがの魔法関係者も「チュパカブラ」なんてUMA的存在は信じないでしょうからね。ただの作り話、で軽くスルーしてくれることでしょう」

 

 これで、今回の騒動は終わり。

 

 宮崎さんには怖い思いをさせてしまったが、後日無事なエヴァさんを見ればとりあえずは安心してくれるだろう。

 

 後の問題はーー。

 

 

「……しょ、性悪ぅ〜……諦めんぞ私はぁ…………私が勝って……今度こそお前を……」

 

 

 ーーこのキティちゃんめ。うわ言でもまだそんな事を……。

 

 

「エヴァさ〜ん、エヴァさんってば〜? ……ダメですね、両頬をいくらプルプルしても起きる様子がありません。これは話し合いは明日に持ち越しですね…………よいしょっとーー」

 

 エヴァさんをお願いしますーーそう言って、抱きかかえたエヴァさんを茶々丸さんに渡す。

 

「エヴァさんが起きたら言っておいてください。話があるからそれまでじっとしておくように、と」

 

「マスターが聞き入れてくれる自信がありません」

 

「そこをなんとかするのが従者の役目じゃないですか!……ホント、頼みますよ」

 

 とは言ったものの、モノで簡単に買収できる茶々丸さんだ。

 このままエヴァさんの家に行って、起きるまで待機するべきか……でもーー。

 

「宮崎さんを寮の部屋まで運ばないといけませんからね。そのためにはまずこの血まみれの状態をなんとかしないと……」

 

 今確認したら口から流れ出た血は制服にまで達している。

 このまま女子寮に入ったら大問題だ。

 というかこれじゃ私が宮崎さんを襲った吸血鬼にしか見えない。

 

「そんなわけで、私は宮崎さんを送ったらそのまま自分の部屋に帰ります。それに千雨もお腹をすかせているでしょうし。ーーもう一度言いますが、頼みましたよ、茶々丸さん?」

 

「ーー善処いたします」

 

 

 エヴァさんを抱え夜空に飛び去っていく茶々丸さんを見送る。

 

「……わかってますよねエヴァさん。いつものような魔法が関係しない勝負とはわけが違うんですよ、今回の騒動は。私がかばえる範疇を超えかねないんですよ? ……エヴァさん」

 

 刹子は茶々丸から渡されたハンカチで今一度口周りを拭く。

 

 

 

 

 純白のハンカチは刹子の血でーーーー()()()に染まっていた。

 

 

 

 

 



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お、おや? 闇の福音の様子が……

 ーー桜通りにチュパカブラが現れた。

 

 このような噂が学園の生徒たちの間で流れ初めたその日の夜、件の桜通りでは昨晩激闘?を繰り広げた吸血種同士が再び顔を合わせていた。

 

「随分遅いご到着ですね、エヴァさん。ほとんどの生徒さんらは女子寮に帰られて、今や人っ子一人通る気配はありませんよ?」

 

 道の真ん中で対峙する二人。そのうちの片方である、猛々しいフォルムのチュパカブラがそう語りかける。

 

「わざわざ出迎えご苦労。そういうお前は、私が来るまでの間ずっとそこの木陰で生徒たちの帰りを見守っていたようだな……律儀なやつめ」

 

 フンッと鼻を鳴らし、吸血鬼は目の前のチュパカブラに対し怯むことなく仁王立ちの姿勢で言葉を返す。

 

「学園一律儀であると自覚しています。それより、昼間は学校をサボって何をしていたんです? クラスの皆さん、特に宮崎さんが心配してましたよ? 吸血対決で負けて凹むのも仕方ありませんが、せめて無事な姿は見せて頂かないと」

 

「目覚めたのはついさっき、夕方だ。どこかの馬鹿に魔力を空になるまで吸い尽くされたおかげでな。それに、私が無事だということは茶々丸の方からクラスに届出があったはずだ。……そもそも、私自身に学校をサボるという選択肢など無い事などお前も知っているだろうが!」

 

 忌々しい呪いのせいでなーー吸血鬼もといエヴァは投げやり気味にそう言うと、顔を背け何やらブツブツと言い始める。おそらく自身に呪いをかけた者への恨み言だろう。

 

(……言われてみればそうでしたね。今朝方エヴァさんの自宅に伺った際に茶々丸さんから『マスターは未だお目覚めではありません』と聞かされた時には、単に拗ねているのかと思ってましたが……。思いの外、昨夜のダメージは大きかったと) 

 

「いや、すいませんエヴァさん。呪いの効果をすっかり忘れてました。元々不登校の生徒を更生させるための呪いですものね、サボりたくてもサボれない、と……」

 

 そんな設定ありましたねーーチュパカブラもとい刹子は苦笑いを浮かべる。

 ーーまぁ、着ぐるみ故に表情など確認できないのだが。

 

 刹子が自身に掛けられている呪いの内容の細部を忘れていたことを知ったエヴァは、額に青筋を浮かべ、さらに不機嫌になる。

 「親子揃ってこの私をコケにしおって」と言い、小さな拳がギリギリと音を立てる。

 その様子を見て刹子はさっさと話を進めたほうが良いと判断した。

 

「エ、エヴァさんそんなことより『そんなことだと⁉︎』…………エヴァさんは、なんでまたここ(桜通り)に?」

 

「ああ?」

 

 不機嫌な態度は依然として変わらずだが、話を聞く気はあるようだ。

 

「まだ生徒を襲うつもりでいるのか聞いているんですよ。……こうしてここにやってきたということは、やはりそういう事だと判断してよろしいのでしょうか」

 

 チュパカブラの目が細まり、“ジト目”の形になる。

 中にいる刹子の表情とリンクしているようだ。

 ちなみに今夜のチュパカブラも昨夜と同じく“口”が無い仕様。まだ刹子のイメージが不足しているようだ。

 その様子を見てエヴァはなんとも言えない表情を浮かべつつ、質問に答える。

 

「……今夜は血が目当てでここに来たのではない。ーー性悪、私はお前に会いに来たんだよ」

 

「……ほほう?」

 

 チュパカブラは大きな目をぱちくりさせる。なんともコミカルな吸血生物だ。

 

「私のプランを聞き入れてくれる、と?」

 

「なんだそれは? お前の話を聞きに来たわけではないんだが……まぁ、聞くだけなら聞いてやろう。話してみろ、お前の言うプランとやらを」

 

 エヴァの態度を前にしてチュパカブラの目が一際大きく見開かれる。

 

(まぁーー! なんですかこの態度は! 昨夜私に負けといて何ジャイアニズム振りまいてんですかこのキティちゃんはーーーー!)

 

 ここで爆発させてはいけないーー怒りに耐えるかのように体を震わせて、刹子は本来ならば昨日エヴァに話すはずだった内容の説明に入る。

 プランなどと大げさに言っているが、ようはーー

 

 ーーネギに事情を話して、死なない程度に血を吸わせてもらう、というだけなのだが。

 

 それを受けてエヴァはーー。

 

「ーーえ? ああ、確かにそれはいい考えだと思うな、それで?」

 

 キョトンとした表情を浮かべそう言った。

 

「それでって……それだけですか⁉︎ いいと思うでしょう? このプランで行きましょうよ! というか何故初めにこういった考えが浮かばないんです⁉︎ RPGじゃないんだから倒して奪う的な発想から離れなさいよ‼︎ あぁ〜もうこれだからエヴァさんはまったくもうーー」

 

 地団駄を踏んで憤るチュパカブラ。

 なんで貴女はいつもそうなんだーーと大声を張り上げる。

 若干感情が外に漏れ出ている。

 対するエヴァは少し思案した後、目の前でじたばたと暴れるチュパカブラにこう答えた。

 

「……却下だ」

 

「ーーーーはい? 今なんと?」

 

 チュパカブラの動きが止まる。

 

「却下だと言ったのだ。お前のプランは飲めん」

 

「ーーなっ」

 

 何故ーー。

 チュパカブラはエヴァに詰め寄りその小さな肩を掴む。そしてグラグラと揺さぶりをかける。

 

「何を言ってるんですかエヴァさん⁉︎ 私の話をちゃんと理解してないでしょう⁉︎」

 

「のわぁ⁉︎ 揺さ振るんじゃない! というかその鉤爪をしまえ、刺さるだろうが! ーー、ええい、少し話を聞け! お前のプランが上手くいけば確かに何事もなく事は済むだろう、それはわかっている!」

 

「わかっているならどうして⁉︎」

 

「ーーそれは、私がーー、“闇の福音”だからーーだ‼︎」 

 

 自身の体を揺らすチュパカブラの両腕を掴みながらエヴァはそう答えた。

 

「また訳のわからない事ーーーー、⁉︎」

 

 刹子の挙動が静止する。

 掴まれている自分の腕に違和感を覚える。

 

(思いの外エヴァさんの力が強い……? いや、強いと言っても昨夜ほどじゃない。せいぜい10歳の少女の見かけにしては……といったところ。……筋トレでもした? いや、そんな程度でこの握力が身に付くはずが…………あーー)

 

「ーーエヴァさん、そういえばもう、満月……じゃないと思うんですけど……牙ってーーーー」

 

 魔力を封印されたエヴァの体は、満月の夜になると一部その力を取り戻す。

 具体的には、吸血鬼の身体的特徴とも言えるそのーー鋭利な八重歯。

 それと、微々たるものでしかないが、多少身体能力が向上する。

 

 思ってみれば、今月エヴァが桜通りに現れたのは今夜で()()()なのだ。

 初日に佐々木まき絵が被害を受け、昨夜に宮崎のどかがあわよくばその牙にかかるところだった。

 

「…………」

 

 刹子の問いを受けたエヴァは、見たけりゃ見せてやるーーと言わんばかりに大きく口を開く。

 

 ーー月の薄光を受けてギラリと光る鋭い牙がそこにあった。

 

「まだ牙がある……」

 

 刹子は何が言いたいのかというとーー()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()を、エヴァはすでに三日も健在させているということ。

 ーー満月が三日も続くなどありはしないというのに。

 

 刹子は顔を上げ夜空を仰ぎ見る。

 漆黒の宙に佇むその月はーー丸い。

 丸くはあるのだが……。

 

「そりゃ満月の夜でなくとも牙を生やす事はできるさ。……この身に相応の魔力が宿ってさえいればなーー!」

 

「ーーーー‼︎」

 

 着ぐるみを通して刹子は何かを感じ取る、それはーー冷気。

 エヴァの肩から手を離し、慌ててその場から後退する。

 

 ーーギィィィイイン‼︎

 

 刹子が先ほどまで立っていた場所に人の体ほどの大きさの氷柱が落ち、二人の間を分かつ。

 

「遅延魔法ーー!」

 

「私の魔力を空にしたからと油断していたな? 確かに矮小な魔力量故にわかりにくいかもしれんが、お前が感知できないハズなかろう?」

 

 エヴァの体から魔力の流動を感じる。

 刹子は自身の失態よりも、何故未だエヴァの身に魔力が残っているのかという疑問の方が勝っていた。

 

「未だ私が魔力を保有していることを疑問に思っているのか? ハッ、魔力なんざそこそこの量の魔法薬を服用すれば時間を空けずともある程度は回復できるさ。……いっても、昨夜お前に奪われた分を取り返すとまではいかんがな」

 

「……だったら、わざわざ一般生徒からチビチビと吸血なんてしなくても、薬をガバ飲みすればよかったんじゃ……」

 

「……ガバ飲みできるほどの数など手元に無い。今回私が飲んだのも『魔力の自然回復』を早める薬であって、『魔力そのものを得られる』薬じゃないんだよ」

 

 刹子は黙っている。

 エヴァはそのまま話を続ける。

 

「それに、そのような薬の所有を学園側が認めるわけないだろう? 前にまほネットで似たようなものを買ったが、案の定私の手に渡る前に取り上げられ、厳重注意されたよ」

 

「それは……そうなるでしょう、ね……。ちなみに今回エヴァさんが飲んだという薬は、何も言われなかったので?」

 

「もともと風邪っぴきの私が万が一のための保存薬として打診したものだ。特に文句はなかったさ。いくら今の私の魔力が自然回復したところで、せいぜい満月の夜と同じレベルが関の山。……このように、吸血鬼の牙が生える程度で頭打ちだからな」

 

(エヴァさんの魔力を抑制しているのは『登校地獄』の呪いではなく学園の結界によるもの。ようは薬次第でそれを突破できるってことじゃないですか……それだけでも危険な薬だと思うんですが。……まぁ、でもエヴァさんの体はそれ以上にーー)

 

「エヴァさんってなんだかんだ体弱いですからね……インフルかかったら一発でいきそうですし。……そりゃ学園側、もとい学園長も認めるわけですね」

 

「くそ、なぜ私が風邪引くたびに死にかけにゃーー、って、もうこの話はいいだろう!」

 

 強引に話を打ち切ったエヴァは、それと同時に指を鳴らす。

 二人の間にあった氷柱が音を立てて割れ、そのまま魔力に還元ーーそのまま形を失い消えていく。

 刹子は腰を落とし依然警戒を緩めない。

 

 

「話を戻すぞ性悪。今夜私がお前に会いに来た理由、それはーーーーお前に勝負を持ちかけるためだ」

 

 

「ーーはい?」

 

 チュパカブラの眉(?)が八の字になる。

 困惑しているようだ。

 

「勝負って……何を?」

 

「簡単だよ。私はこれまで通り生徒たちから血を頂き、そしてネギ・スプリングフィールドを襲う。お前は、それを妨害なり止めるなりする。……何、いつもお前とやっている勝負事と何ら変わらんさ」

 

「なーー」

 

 エヴァは涼しい顔でそのような事を言い出した。

 当然、刹子は反論する。

 

「ーーいやいやいや‼︎ 頭でも打ったんですか⁉︎ 私の無血のプラン(ネギが血を吸われる時点で正確には無血ではない)を聞いた上で何故そんな提案を持ちかけるのか、意味がわかりません‼︎」

 

(何言ってんですかこのキティ‼︎ ジャスティスの方々と同じくラリっていらっしゃるとしか思えない思考回路……意味、不明‼︎)

 

 エヴァの表情を見るも、至って冷静だ。

 刹子の脳内ではクエスチョンマークの発生が止まらない。

 

「何が理由なんですか⁉︎ 私のプランのどこに不満があると⁉︎ ……闇の福音がどうたら言ってましたけど、そんな事ーー」

 

「ーーそれだよ。お前の言う()()()()が理由だ。私はな、性悪……これでも外では“悪い魔法使い”で通ってるんだよ」

 

「知ってますよ、だからそれがどうしたとーー」

 

「どうしたもこうしたもない‼︎ そんな“悪い魔法使い”である私が、目の前に投げされたエサ(ネギ)を前にして何もしないなどと……そのように思われている事が腹立たしくて仕方がないんだよ‼︎‼︎‼︎」

 

(え、やだ、なんでいきなり怒りだすの⁉︎ わけわかんない‼︎)

 

 激昂するエヴァ。

 刹子も負けじと言い返す。

 

「ーーですから! ネギ君の血が欲しいなら本人にそう言って……なんなら私からもーー」

 

「なぜ私の方からあのボーヤに頼むような物言いをしなければならない? ナギが私に犯した失態だぞ? 被害を受けたのは私だ。私が頭を下げる道理がどこにある?」

 

 エヴァの声のトーンが低くなる。

 

「お前が私に話したプランだが、本来ならばその話はボーヤが麻帆良に赴任すると決まった際……ジジイ(学園長)の方から私に対していの一番に持ちかけるべき内容、私に対して通すべき筋ではないか? 当然、私がボーヤに頭を下げる事など無いよう配慮を加えてな。 ……私はすでにナギが今現在どのような状況に置かれているのか知っている。ナギが私の呪いを解く事などすぐには叶わん事を。ジジイが私に内緒にしていた事を、お前が教えてくれたおかげでな」

 

「…………」

 

「充分に学園のために尽くしてやったではないか。日々雑用をこなし、最弱状態でありながらも懸命に侵入者たちを退けーー学園の人間を守ってやったではないか。……私が無害だと言うことは、お前との絡みを通じて、皆、わかってくれたはずじゃないかーー」

 

(ジャスティスの皆さんからは、もはや“私の相方”的な扱いでフランクに話しかけられてますからね……。プライドの高いエヴァさんからして見たらそりゃ、格下にナメられてる感じで面白くないのでしょうけど……でもーー)

 

 エヴァは夜空に浮かぶ月を睨みつける。

 さらに言葉を紡ぐ。

 

「ーー私は、もう解放されていいはずだ。違うか?」

 

 様子がおかしい。

 刹子はエヴァの問いには答えず、ただただその姿を注視する。

 

「……ジジイはよっぽど私をここから出したくないらしい。まだ私に学園のガードマンをやらせたいのか、それとも私の魔法の腕を見込んでボーヤを鍛えてやることを望んでいるのか……ホント、ここまで都合の良い存在はいないな。ククーー」

 

(そりゃ、学園長も手放したくないですよね。貴女ほど頼りになる人なんて他にいませんし……それに、麻帆良にもなんだかんだ馴染めていたように見えた。学園長も、エヴァさんがこの先も麻帆良で暮らしていけるように色々手回しをしていた。私も学園長から、エヴァさんが退屈しないように()()()()になってやって欲しいと頼まれた。……エヴァさんは満更でもないように見えた。でも、それでもエヴァさんはーー)

 

 エヴァは顔を上げたまま刹子の方へと歩み寄る。

 

「どのみちここ桜通りでこそこそ活動を始めた段階で……いや、ジジイから何の申し出もなかった時点で私の心は決まっていた。ーー私は勝手に動かせてもらう、ーー闇の福音として、悪の魔法使いとしてな」

 

 刹子の目の前までやってきたエヴァは手を伸ばし、チュパカブラの……着ぐるみの顔部分にそっと手を当てる。

 何のためにーーその意味はわからない。

 刹子はそのまま会話を続けることを選択した。

 

「……エヴァさんは、麻帆良での生活を楽しんでいると思ってました」

 

「うん? 楽しませてもらっているとも。まぁ、お前がここに来てからは特にーーな」 

 

「……学園の皆さんにご不満がありますか? 学園長に対しては、かなり怒っていらっしゃる様子ですが」

 

「腑抜けているーーそういった点では不満があると言えるな。わざわざ坊やを私が所属するクラスに当てるといった危機管理意識の低さが。……タカミチが私に言ったよ、『ネギ君に何かあったら相談に乗ってやって欲しい』と。ハッ、私が坊やを襲うという考えには至らんのか? 実に腑抜けている証拠ではないか」

 

「エヴァさんは信頼されてるんですよ」

 

「……いい迷惑だ。むしろ、そうやって勝手に私を縛りつけていることに気づいて欲しいものだな」

 

「そう、かもしれませんね。私含めて、エヴァさんの都合を軽視していると思います……。ーーエヴァさんは、そんな学園の皆さんは……お嫌いですか?」

 

「嫌いじゃないさ。賞金首時代に私を狙って来た奴らと比べればな。……比べることすらおこがましいか。ーーいい奴らだと思うぞ? この学園の連中は」

 

「……でも、やっぱりネギ君は襲うんですね。この学園の人達を困らせることになると知った上で。ーー闇の福音として」

 

「自分たちがどれだけ腑抜けているか思い知らせてやるのさ。……なぁに、何も坊やが死ぬわけじゃないんだ。むしろ、坊やにとっては裏の世界を知るいい機会、いわば課外授業だ。学園の連中にはそのための授業料を払ってもらう、それだけのことさ」

 

「…………」

 

「それに言ったろ? 私はお前に勝負を持ちかけた。お前に敬意を払って、わざわざ己の障害として立ちはだかる権利を与えたんだ。……お前と坊やはただならぬ関係だものなぁ? クク、止めてみればよかろう? この私を」

 

「……まだ理解しかねます。生き死にはないにしろ、関係のない生徒を巻き込んで……それを勝負だなんて。ーー本心で言っているとはとても思えません。闇の福音が云々も、とってつけたような言い訳のようにしか聞こえません」

 

「フフ……」

 

 エヴァは反論しない。

 着ぐるみに触れている手がなぞるように優しく動く。

 

「着ぐるみを脱げ。ここ最近まともにお前の顔を見ていない」

 

「エヴァさん、話を逸らさないでください。ーー貴女は本来ならネギ君を襲うことなく、正式に彼から血を貰って呪いから解放されるつもりではあった。先ほどの話からはそのように判断できます」

 

「この着ぐるみチャックは付いておらんのか? チッ、おい、早く脱いでお前の顔を見せてくれ」

 

「しかし、今こうして私に勝負を持ちかけるなど、わざわざ遠回りとしか思えない行動に出ている。……呪いから解放されたいんでしょう? なぜ?」

 

「ーー!……邪魔が入った、いや、逆に好都合か。ーーいいか性悪、よく聞けよ? 勝負というくらいだから、勝った方には当然其れ相応の報酬が必要だ」

 

「エヴァさん! 話を聞いてください! 私は別に受けるだなんてーー」

 

(ーーおかしい! このエヴァさんはおかしい! ここまで人の話を聞かないなんて……。昨夜からこんな感じだった? いや違う! 何かあった? だとしたらいつ? 今夜ここに来るまでの間に? わからない、エヴァさん、貴女はどうしてそんなにーー)

 

「ーー負けた方は勝った方の言うことを一つ聞く。これがシンプルで一番いいだろう?」

 

(ーーどうしてそんなに、()()()()()()()()を私に向けていらっしゃるのですかーーーー⁉︎)

 

 エヴァの顔がやたらと赤い。

 心なしか息遣いも荒い。

 刹子は、エヴァのこのような表情を今まで見たことがない。

 

 ーー闇の福音に異常アリ。

 ーー繰り返す、闇の福音に異常アリ。

 

「ーーエヴァさん、貴女はどうしてーーーー」

 

「ーーゲームスタートだ。先手は貰ったーー」

 

(勝手に始めないでください! ……え、そんなに息を吸い込んで何をーー)

 

 刹子はエヴァの挙動に目が離せない。

 故に気づかなかった。

 

 ーーいつのまにか、自身の手が再びエヴァの肩に置かれている。

 ーーエヴァが、わざわざそのような態勢を取らせたことを。

 

 

 

「ーーキャァアアアアアアアアア‼︎‼︎ 誰か、誰か助けてぇ‼︎ 怪物に襲われてるのぉ‼︎‼︎‼︎」

 

「ーーーーは? エ、エヴァ、さん?」

 

 

 エヴァが、悪の魔法使いが、闇の福音がーーーー壊れた。

 

 思考停止。

 

 刹子の頭は完全にフリーズした。

 

 脳内の電子精霊たちがガンガンと警告を鳴らしている。

 

 しかし、もはや遅いとしか言えなかった。

 

 

 

「ーータ、タカミチ⁉︎ 大変だよ! エヴァンジェリンさんが⁉︎」

 

「うっそ⁉︎ ホントにチュパカブラ⁉︎ なんでこんなとこにマジモンの吸血生物がいんのよーーーー⁉︎」

 

「…………これは、どういう状況、かな? ハハ……」

 

 

 刹子は条件反射で振り返る。

 そこにいたのは3人組。

 

 一人は高畑、もう一人は明日菜。

 

 そして、触れ合える機会をずっと待ち望んでいた人物。

 しかし、できれば今最もこの場にいて欲しくなかった少年。

 

 

 ネギ・スプリングフィールドが、恐怖の表情を浮かべそこに立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ーーきせかえごっこ「吸血鬼のサテンケープ」(SR)

 

 接触している対象から魔力を吸収できる。

 仮契約時に着用することで、契約相手の魔力を媒介にSR以上のカードの排出率を底上げすることができる。 

 

 

 

 <EX(隠し)スキル>

 

 特殊技巧「魅惑のくちづけ」

 

 「女子力」スキルのパラメーター値を参照して、“くちづけ”を施した対象を一定確率で『()()』状態に陥らせる。

 

 

 

 

 




そろそろきせかえごっこの情報をまとめておきたい(自分用にw)


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付き添いでつい着ちゃったけど、私は帰ってもいいと思う By明日菜

『ーーキャァアアアアアアアアア‼︎‼︎ 誰か、誰か助けてぇ‼︎ 怪物に襲われてるのぉ‼︎‼︎‼︎』

 

 夜の静寂をつんざく金切り声。

 それは私自らが発したものだ。

 ーー私はこのような()()()()も出せるのか。

 

 ぼんやりとした意識の中、自身が発した声に対してそのような感想を浮かべていた。

 ぶっつけ本番で自信がなかったが、中々どうしてやればできるではないか。

 

「ーーーーーーーーーー」

 

 目の前でその怪物(チュパカブラ)が固まっている。なんだ、お前今ので驚いたのか?

 怪物側がいちいちそんなことで驚いていたらあっという間にタコ殴りにされてしまうぞ?

 せっかく私が名役者ぶりを披露してやったというのに、相方のお前がそんな調子でどうする?

 

『ーータ、タカミチ⁉︎ 大変だよ! エヴァンジェリンさんが⁉︎』

 

 ほら、ギャラリーも集まってきたぞ? ……おい性悪、いつまで惚けている、私の足を引っ張るつもりか。

 

 ーーーーーー

 

 ーーほう、今の振り向き動作は中々のものだ。まるで猫のような機敏な動きだな。うむ、そうでなくては私の相方は務まらん。

 

 ーーーーーー

 

 ーーハハッ、『私をみくびるな』だって? いやスマンスマン、私の素晴らしい演技を前にお前が着いてこれるのか不安になってしまってな。

 わかったからそんなに憤るんじゃない。……フフ、愛いやつめ。

 

 ーーーーーー

 

 ーーさぁ性悪、観客は少ないがお前の演技を奴らに見せつけてやれ。

 夜の桜通りを舞台に、未知の生命体チュパカブラの魂の鼓動をその目に焼き付けてやるのだ。

 ここ麻帆良での公演を足がかりに、ゆくゆくは魔法世界にも進出を果たす我々の第一歩を踏み出そうではないか!

 

 そうだ我々は……我々、私たち…………いや私はーーーー

 

 

 ーーーー私は、何をやってるんだーーーー

 

 ーーーーーーーー

 

 ーーーー

 

 ーーいや本当に、何をしているんだ私は⁉︎

 

 そう思った途端に急激な眠気が襲ってくる。

 頭を左右に大きく振り脳を揺らすーー意識は覚醒とまではいかないが、なんとか繫ぎ止めることができた。

 

 ーー頭が重たい。

 ーー酒に酔ったかのような、なんとも言えない夢うつつな感覚。

 

 ーーなんだ……私の身に何が起こっている……

 

 夕方自室で目が覚めた時、思えばその時からすでに調子がおかしかった。一言で言えばーー酩酊していた。

 謎の酔いと倦怠感。魔力が空になり抵抗力が弱まったところをやられたか。

 ーー単なる風邪かなんかだろう。

 そう思った私は常備していた『魔力の自然回復薬』を飲んだ。

 ーー長引くようなら明日は学校をサボることができそうだ、などと思いながら日が沈みきるまで居間で休んでいたら多少は良くなった。酔いは依然として残っていたが、倦怠感はさっぱり消えた。やはりただの風邪だ、私は別段気にすることもなくこうして桜通りへとやってきたのだ。

 

 しかしーー。

 

 ーー今夜私がお前に会いに来た理由、それはーーーーお前に勝負を持ちかけるためだ。

 

 なんだそれは。

 なぜ私はそのようなことを言った。 

 いくらお互いに『弱体化』しているとは言え、私は能力そのものが抑えられているのに対し、性悪に掛けられている制限は魔力量のみ。どう考えても分が悪い。そんな相手に勝負を持ちかけるメリットなどありはしない。

 

 そもそもなんで私はここにきた?

 具合が悪いんだ、そのまま寝ていればよかったではないか。

 どのみちこの性悪に目を付けられてしまったんだ、邪魔されることなど目に見えている。

 

 ーーネギ君に理由を話しましょう。それで血を頂けばいいではないですか。エヴァさんがこんなことをする必要なんてないんですよ?

 

 それしかなかっただろう。

 性悪の案に乗せられるのはしゃくではあるが、もうそれくらいしか手は残されてないだろうに。

 ーーなぜそれを拒んだというのだ。

 

 ーーくそ、また意識が…………! ええい、しっかりせんか私!

 

 今の私は正気ではない。

 先ほど品のない金切り声をあげたのがいい証拠だ、普段の私だったらどんなに追い詰められた状況だとしてもあのような真似するはずもない。

 そして何よりも問題なのはーー

 

「ーーーーエヴァさん?」

 

「ーーーーっ! ぅ、ぅぅ〜〜〜〜‼︎」

 

 ーーそう、性悪だ。

 この性悪のことを思うと妙な気分になってくる。

 胸が締め付けられるようにーー切ない。

 これはおかしい。

 なぜ私はこいつを前にしてこのような年端もいかない乙女のような心持ちになっているのか。

 

 闇の福音たるこの私がーーーーありえん。

 

 先ほどまでのやり取りを冷静に思い返してみるーーーー羞恥が湧き上がり顔が熱を帯びてくる。 

 なんだというのだ、なぜこれほどまでにお前がーー愛しく感じる?

 

 ーー性悪が私に何かした、そうとしか思えん。

 

 ーーおのれ、一体何の目的があってこんなことをーーーー。

 

 

 ††††††††

 

 

 ーーは、嵌められたーーまさかエヴァさんが搦め手を使ってくるなんてーー。

 

 エヴァさんの突然の珍行動、それは結果的に私を追い詰めるためのものでした。

 

「ちょっとネギ⁉︎ どーすんのよ⁉︎ あんたあんなのと戦えるの⁉︎」

 

「そんなこと言われても〜〜⁉︎ ゆ、UMAに魔法が効くかなんて知りませんしーー」

 

「……どうしたものかな、これは……」

 

 ーー高畑先生に明日菜さん、それにネギ君……なぜこの場に現れてしまったのですか……。ああ、見回りですね、クラスメイトが被害に合ったと聞いたらそりゃネギ君でなくとも誰だって現場確認くらいしますよね。迂闊でした、エヴァさんの様子がおかしいことに気が動転して周囲の警戒を怠るとは……。

 

「……うぅ〜〜、ぅ〜〜、ぅ〜〜‼︎」

 

 そのエヴァさんは先ほどからずっと『うーうー』と唸っています。やめなさい吸血鬼ともあろう者が『うーうー』とみっともない! そんなに恥ずかしかったのならなぜやったんですか! 

 

「チュ、チュパカブラさん! エヴァンジェリンさんを解放してくださーい‼︎」

 

 ネギ君は私ことチュパカブラに対し、対話を試みる選択をした模様。

 

 ーーその前にもう少しエヴァさんを疑ってください、仮にも昨日チュパカブラに襲われたばかりだというのに懲りずにまた襲われてるんですよ⁉︎ どう考えてもおかしいでしょ⁉︎ 

 

「………………」

 

「う……ア、アスナさんダメです〜〜‼︎ なんも反応してくれません〜〜‼︎」

 

「当たり前でしょ‼︎」

 

 ーーぐぐ……私の目の前でイチャイチャしてんじゃねーですよ‼︎ おのれ明日菜さんめ、なに私そっちのけでネギ君の信頼勝ち取ってやがるんですか! 羨ましい‼︎ 羨ましい‼︎

 

「ーーがるるる…………」

 

「うっ……な、なんか怒ってない? あれ」

 

「ぼ、僕のせいじゃないですよね⁉︎」

 

 ーーく、今は耐えるんです刹子。チャンスはきっと、きっと巡り巡ってやってくる。

 ーーそれよりもまずはこの状況をどうするかを考えねばーー。

 

「…………(あの着ぐるみ(?)の中身は刹子君だと思うんだけど……どうする? 彼女のことだから何か事情があってのことなんだろうけど……)」 

 

 高畑先生は動く様子を見せない。この状況に戸惑ってるのはお互い同じようです。

 

 ーー逃げる? いや、いくら高畑先生が付いているとはいえ、何をしでかすかわからない今のエヴァさんをネギ君が居るこの場に残すのはよろしくない。

 下手したら隙を見てガブリといきそうだ。このエヴァさんならやりかねない。

 ーーチュパカブラの中身が私だと打ち明ける? ややこしいことにはなりそうだけど、とりあえず話し合いには持っていける。これしかないか。ーーネギ君から疑惑の視線を受けるのは心苦しいけど、それも我慢するしかーー。

 

「ぅ、…………(いかん、意識が遠くーー)」

 

 ーードサ

 

 後ろで物音がしたので振り返ると、何故かエヴァさんが倒れていた。

 

「ーー! エヴァンジェリンさん⁉︎」

 

「エヴァちゃんが急に倒れた……? ーーっ、まさかあのチュパカブラに何かされてーー」

 

 ーーちょ、エヴァさん何してくれてるんですか⁉︎ これじゃますます話がややこしくーーいや、それがエヴァさんの狙い⁉︎

 

「〜〜〜! ぼ、僕の生徒に手を出すなんて、せ、先生として許せませんよ‼︎」

 

 そう言ってネギ君は私に杖を向けてくる。

 

 ーー違うの〜〜〜! お姉ちゃんは貴方と戦う気なんてこれっぽっちもないの〜〜〜!

 

 この状態で正体を明かしたらただでさえマイナスの傾向にある好感度がどうなるかわかったものではない。

 そう思うと、知らず知らず私は身動きが取れなくなっていました。

 

「…………ネギ君、ここは僕に任せてくれるかな?」

 

 高畑先生が一歩前に出る。

 ーーえ、何、どうなさるおつもりで?

 

「え? タカミチ? だ、大丈夫なの⁉︎ 相手はチュパカブラなんだよ⁉︎」

 

「高畑先生⁉︎ そんな、無茶です⁉︎」

 

 ーー話し合い、話し合いをするんですよね高畑先生? 何ポッケに手を突っ込んじゃってるんですか何する気ですかやめてほしいのですが。

 

「安心しなさい。これでも僕は魔法使いなんだよ? さっき話しただろう?」 

 

 ーー知ってますよそんなこと。そんな事よりも私と話し合いをですねーー。

 

「ーーそれに、ネギ君は魔法を使っての実戦経験はないだろう? ……流石に相手の実力は未知数だ、何をしてくるかわからない。いきなりアレとネギ君を戦わせるのは気がひけるよ」

 

 ーー今私のことを『アレ』呼ばわりしました? え、高畑先生、中身が私だって察してますよね? 本気でチュパカブラなんて思ってませんよね?

 

「いい機会だ。ネギ君は少し観戦しているといい。明日菜君もね。ーー僕の戦い方は普通の魔法使いとはベクトルが違う故あまり参考にはならないかもしれないけどね、ハハハ……」

 

 ーーえ、この流れってやっぱり……

 

「ーーうん、わかったよタカミチ。……き、気をつけてね」

 

「高畑先生、やばくなったら私も戦いますから! これでもキックとか自信あるんですよ!」

 

「ハハハ、それは頼もしい。まぁ、なるべく君たちの手を煩わすことが無いよう頑張るよーーーーさて」

 

 改めて高畑先生が私の方へ向き直る。

 

「それじゃお相手願おうかなーーーーチュパカブラ君?」

 

 

 ††††††††

 

 

 ーー何考えてんですかこの眼鏡。

 

 目の前の高畑先生は両手をズボンのポケットに収めたまま動かない。

 ネギ君と明日菜さんが困惑している。まぁどう見ても戦う気があるようには見えませんよね、あの姿は。

 高畑先生の表情はーー何やら楽しげだ。

 

「……(刹子君の方から先にアクションがあったらそれに合わせるつもりだったけど、あのまま待ってたらネギ君達が飛び出しかねなかったからね。さすがに時間切れだ。ーーそれに、ネギ君に実戦というものを肌で感じさせる良いチャンスだ、刹子君、わかってくれるね? ーーちゃんと合わせてくれよ)」

 

 ーー高畑先生から発せられる空気が変わる。

 冗談じゃない、高畑先生と肉弾戦なんてまっぴらごめんだ。

 でもどのみちあの感じじゃいつ仕掛けてきてもおかしくない。せめて回避の体制だけでも……ってーーーー

 

「ーーーー⁉︎(エヴァさん⁉︎ 何私の足掴んでるんですか⁉︎ しかも両足⁉︎)」

 

 倒れているはずのエヴァさんがもの凄い握力を込めて私の両足を掴んで離さない。

 ーー貴女起きてるでしょ⁉︎ というかどこにそんな力がーーーー

 

 

 ーードゴッ‼︎

 

 

「ーーーーーーーーごほッ⁉︎」

 

 突如お腹に()()()()()()()()()()()()衝撃が加わった。

 高畑先生は先ほどの場所から動いてもいないし、何かをした様子もない。

 しかし、私にはわかる。

 高畑先生は仕掛けてきた。一切のタメも予備動作も無しに、魔法の射手に匹敵する不可視の攻撃をーーーー。

 

「ーーーー!(無音拳、マジに撃ってきやがりましたーーーーっ)」

 

 エヴァさんに両足をしっかりと固定されていたおかげで棒立ち状態。見事に油断していたお腹にクリーンヒット。

 この場で()()()()なんて展開しているわけもなく、高畑先生の不可視の拳は惰性で張っていた私の薄っぺらい障壁をあっさりと突破。

 お腹の中のものが逆流してくるーーーーが、乙女の意地でなんとか堪える。 

 

 ーーーー私、男の人に腹パンされてしまいました。

 

 衝撃をまともに受けてしまった私の体は()()()に折れ曲がるも、未だ私の両足を固定しているキティちゃんのせいで仰け反ることもできない。

 かといってこのまま立っているとどのみちサンドバックにされる恐れがある。

 一瞬の判断で、私はこのまま勢いに任せて地面に突っ伏しているエヴァさんに甘えることにした。

 

「おぶッーーーーーーーー⁉︎」

 

 ーーエヴァさんの上に大の字で倒れこむ。理不尽な目にあっていることへの恨みも込めて、しっかりと体重を乗せる。

 

「ーーあ、あれ?…………(お、おかしいな、刹子君なら避けるか防ぐかしてくれると思ったんだけど……)」

 

「え、い、今何が? なんでいきなりチュパカブラが倒れたのよ⁉︎」

 

「今のタカミチが何かやったの⁉︎ なんだかわからないけどすごいや!」

 

 すごいや! じゃねーんですよネギ君‼︎

 貴方のお姉ちゃんがたった今そこの鬼畜メガネに腹パンされたんですよ! 感動してる場合じゃないでしょぉお⁉︎

 

「……ぬ、ぬぅ…………(なんだ、体が重いーーって性悪⁉︎ 貴様何私の上に乗っかってる⁉︎ くそ、体が思うように動かんーー)」

 

 高畑先生からしたら予想外、と言ったところでしょうか。

 私なら何かしら上手く対処してくれると思ってたんでしょうね。すみませんね不甲斐なくて。でもこちとらそれどころじゃないんですよ。

 

「ぅぅぷ…………(仰向けの体勢だとヤバい! 出る出る⁉︎)」

 

 お腹からのエマージェンシーを察知した私は腹部の痛みを堪えながらなんとか起き上がろうと試みる。

 

「ーーーー⁉︎(あたたた⁉︎ 性悪貴様、一箇所に体重を加えるんじゃない‼︎ ーーあぃたたたたた⁉︎)」

 

 やっとの思いで上半身だけ起こすことに成功。

 気づけばエヴァさんは私の両足から手を離して何やら悶えている様子。

 やはり起きていましたね、まぁエヴァさんのことは後にしましょう。今はそれよりもーー。

 

「…………(口の中が酸っぱい。うぅ、なぜ私がこのような目に……ッ! あんのデスメガネぇぇ‼︎‼︎‼︎)」

 

 着ぐるみ越しに高畑先生を睨みつける。

 

「ねぇタカミチ、今の何⁉︎ どうやってやったの? 僕にもできる⁉︎」

 

「い、いや……ネギ君? 今はそれよりもーー」

 

「キャア⁉︎ 起き上がってるわよチュパカブラ! それになんか目がすごく怒ってる感じなんだけど⁉︎」

 

 ええ、怒ってます、怒ってますとも。もうカンカンですよ。

 

「……ぐるるるるるる(刹子ボイス)」 

 

 立ち上がる私ことチュパカブラ。

 見据えるは気まずそうにこちらを見ているデスメガネ。

 許しませんよ、乙女の柔肌をなんだと思っているんですか。

 

「がうぅぅぅぅぅーーーーーー‼︎(顔面にワンパン入れてメガネ叩き割ってやりますよ‼︎)」

 

 できる限りドスを効かせて威嚇をする。

 ネギ君が驚いて明日菜さんの後ろに隠れる。待っててくださいねネギ君、お姉ちゃん今からそこの眼鏡とお話し合いをするので。

 

「……なんかややこしいことになっちゃった、かな? ハハ……」

 

「がおーーーーーーーー‼︎(覚悟しなさい!)」

 

「……このっ……こいつめ…………(私のことを忘れるなぁ‼︎ おのれ性悪めぇーーーー)」

 

 何やらエヴァさんが私の背中によじ登っているようですが、それに構っている余裕もない。

 

 ーー当初の目的? それよりも今は私の女子力にかけて、あのデスメガネを一発ぶん殴る方が、大事でしょうがぁぁあーーーー‼︎

 

 

 ††††††††

 

 

 ーー無音拳。又の名を居合い拳。

 

 刀の『居合抜き』になぞらえて命名されたその技術は、文字通り『拳』を振るう速度を極限まで高めることに特化したもの。

 刀を拳、鞘をポケットに置き換えるというなんとも飛躍した解釈の元に成り立ったその技術。

 見た目はただポケットに手を突っ込んでいる、というだらし無い姿勢にしか見えないーーけど、そう思って油断したら最後。

 

「ーーーーーー」

 

 その場から横へ大きく飛び退く。

 私が立っていた場所で何かが起こった様子はない。

 ネギ君達から見たら、チュパカブラが突然真横に飛んだだけの奇妙な行動にしか見えないでしょう。しかし、これは決死の回避行動に他ならないのです。

 

『相手の行動ログは攻撃一色、今も続いてるでち! 立ち止まったら集中砲火でち!』

 

『これだけの威力の小攻撃が、いくら連打してもMP消費ゼロとか魔法の射手涙目なのね!』

 

 電子精霊達の戦況報告を聞くまでもありません。

 無音かつ不可視とはいえ、肌で感じる『圧』が未だ相手の拳が止まってはいないことを証明しています。

 私は自身に無音拳の照準を合わせないよう、ひたすら左右に移動し続ける。

 高畑先生の本気の『拳』はこちらに一切の隙を見せることを許さない。

 ほんの少しの技後硬直でも良い的にされるーー無音拳を避け続けるという行為自体がかなり高度なこと、なんですがーー。

 

「ね、ねぇ……ネギ? あのチュパカブラ、さっきから何してるのかわかる?」

 

「いえ、なんというか…………反復横跳び?」

 

 なんとも微妙な表情でこちらの戦い(?)を眺めている二人。

  

 ーー地味ですか、地味だと言いたいんですか。

 ーーしょうがないでしょう、あの『拳』の恐ろしさを知ったらカスリダメすら貰いたくなくなるんですよ!

 

 無音拳は当たっても避けても、ド派手なエフェクトなど出ません。

 何かに取り憑かれたかのように反復横跳びを繰り返すチュパカブラ、それをポッケに手を突っ込んでただ眺めているオッサン。そのような構図でしかないのです。熱いバトルシーンになんか見えるはずもありません。

 

「(僕も刹子君も結構凄いことやってると思うんだけど……ちょっと地味すぎてインパクトが足りないかな?)」

 

 ーーちょっと地味すぎるな〜、インパクトが欲しいな〜とか考えてますね? 顔に出てますよ高畑先生。

 

「(人払いの結界は張っておいたし、少しくらいなら音を立てても……このままじゃネギ君達に何も伝わらないだろうからね)」

 

 ーーここらで一つネギ君と明日菜さんにかっこいいところ見せておこうかな、なぁ〜んてところですか? 冗談ですよね高畑先生? ()()()なんて使いませんよね?

 

 高畑先生の動きを注視する。

 ポケットから手を引き抜いたら、それは突撃の合図。

 

「(……刹子くん、少しくらいなら猶予はくれるよね?)」

 

 先ほどから私目掛けて飛んできていた『圧』の気配が消える。

 攻撃が止んだ。

 高畑先生の両手がポケットから、抜かれたーーーー。

 

「がぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー‼︎‼︎‼︎(させるかーーーー‼︎‼︎‼︎)」

 

 高畑先生目掛けて、前へ、全力突進。

 およそ20メートルほどの距離をーーその一歩で埋める。

 

「ーーーーっ!(刹子君⁉︎ ここは待つところじゃないのかい⁉︎)」

 

「がおおおお‼︎‼︎‼︎(誰が待つもんですか! そしてこのまま殴られなさい‼︎)」

 

 高畑先生の目の前へと躍り出た私は、右手に思いっきり魔力を込めて握り込む。

 幸いこの着ぐるみアーティファクト「日給五千円」は、自分の魔力を隠蔽することが可能。

 身体強化に関してなら、どれだけ魔力を使ってもネギ君に悟られることはない。

 ……わざわざ隠す必要もない気がしますが、それは置いておいてーー。

 

「ーーく、それを貰うわけには‼︎」

 

「がぁああ‼︎(取った‼︎)」

 

 ーー花嫁修行流 女子力全開パンチ‼︎‼︎‼︎(たった今命名)

 

 ようはただの大振りパンチ。

 とはいえ、当たれば確実に障壁を貫くほどの威力が込められている。

 それを肌で感じたのだろう、高畑先生は両腕を交差させ守りの体制に入る。

 私は構わずガードの上から拳を叩きつけた。

 

 ーーガィン、と金属同士がぶつかる音にも似た衝撃音が夜の桜通りに響く。

 

「ーーーー、(さばかれた!)」 

 

 殴りつけた拳に伝わる感触がやけにーー軽い。

 ヒット時に後ろに飛んで衝撃を逃したか。

 さすがに動きが直線的すぎた。こんな典型的な方法で対処されるような攻撃を決め手に選ぶとはーー迂闊。

 

「(衝撃は逃すことができたーーけど、腕がビリビリいってるよ⁉︎ 刹子君、君は()()()の中では一番STR(筋力値)が低いとかなんとか言ってなかったかい⁉︎)」

 

「ーーがるるぅ‼︎(次です、次! まだ高畑先生の両手はポケットに収められていないーー接近あるのみ‼︎)」

 

 距離を取られぬよう前へ前へと推し進む。

 先ほどまでの反復横跳びとは打って変わって、『横』ではなく『縦』の動き。

 当然腕をブンブンと振り回し打撃の連打を浴びせながら。

 ーー距離など取らせない。ましてや、この近距離で再度両手をポケットに収めさせなどしない、それだけは、()()()()()()()()

 咸卦法を使ってようがいまいが、この教訓は変わらない。

 

 ーー無音拳の脅威は中、遠距離だけではない。

 ーー()()()にこそ、対峙した相手の意識を根こそぎ刈り取る『死神の鎌』が存在する。

 

 ーー確たる破壊力を保ったまま飛来する『拳圧』、それを生み出すことのできる『拳』そのものこそーーーー真の脅威に他ならない。

 

「ーー是が非でも拳を再び鞘に収めさせはしない、そういうことか‼︎」

 

 高畑先生は私の意図を読み取ったようだ。

 無理に拳をポケットに収めようとして隙を作るくらいならーーそう思い至ったのだろう。両腕をボクシングのファイティングポーズのように構え、そのまま応戦してきた。

 高畑先生は私の『縮地』の完成度を知っている。

 下手に動くくらいなら、この場で足を止めて迎え撃つことを選んだようですね。ならばーー。

 

「がぉぉおお‼︎(いいでしょう。素の肉弾戦で貴方にどこまで迫れるのかを試すいい機会です。私の女子力にかけて、貴方をぶちのめします!)」

 

「本来なら『魔法使い型』の君とこうして殴り合いができるとは……。いいね、エヴァとの戯れを経て培われた体術、どれほどのものか見せてもらうよ‼︎」

 

 交差する拳と拳。

 己の意地をかけた私の戦いはまだ始まったばかりです!

 

 

 ††††††††

 

 

「…………なんていうか、私たち、蚊帳の外?」

 

「す、すごい! タカミチもチュパカブラさんも、まるで映画のアクションシーンみたいな動きでーー!」

 

「……ハァ、あんたはあんたで楽しそうね」 

 

 一人置いてぼりを食らった気分になった明日菜。

 高畑も刹子も、当初の目的など忘れてしまったかのように二人だけの世界に入り込んでしまっている。

 ネギはネギで、キラキラと目を光らせながらその光景を眺める始末。

 

「……あれ、そういえばエヴァちゃんはーーーー」

 

 エヴァンジェリンの姿が見えないーーと、辺りをキョロキョロと見回した明日菜。

 道端に倒れ込んでいたはずだが、いない。

 そこで再び視線を高畑達の方へと戻す。

 

「ーーーーあ」

 

 いた。

 チュパカブラの背後に。

 もっといえばチュパカブラのお尻にしがみつき、ブンブンと長い金髪を振り回している。ーーいや、振り回されている。

 

「……エヴァちゃん、なんでチュパカブラにしがみ付いてるのかしら」

 

 明日菜は当然の疑問を浮かべ、チュパカブラのお尻から尻尾のように垂れ下がっているエヴァをただただ見つめていた。

 

 

 

 




遅れました!
皆さんは夏風邪にはお気をつけて!(笑)


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後ろの二人がブツブツうるさくてかなわんアル

「どう見るーー楓」

 

 それは女性の声だった。

 麻帆良女子寮前の桜通り。

 時刻は夜の七時を回り、街灯に照らされた通りを除いて、辺り一帯は夜の闇に包まれている。

 往来にはいくつか人影が確認できる。

 

 その中で目を引くのは、やはり刹子扮する怪獣(チュパカブラ)だろう。

 怪獣(チュパカブラ)は目の前の男性に対して、真下から突き上げるようにアッパーカットを放っている。 

 見た目とは裏腹に、動作は完全に人間のそれである。己は今怪獣(チュパカブラ)に扮しているーーそのような事情など、中に入っている刹子の頭からはすっかり抜け落ちているに違いない。

 

 対する男性ーー高畑は、そんなのは些細なことだと言わんばかりに、まるで気にしている素振りはない。黙々と迫り来る乱打を捌き、的確な箇所に一撃を加え、そして後ろに引く。この一連の動作に神経を集中させている。

 この二人は純粋に殴り合いをしている。

 さながら、夜の桜通りを舞台に繰り広げられる異種格闘戦。

 その場にいるギャラリーは二人。少年と少女である。少年ーーネギは選手である高畑に対して応援の声を投げかけ、連れの少女ーー明日菜はただただ頭を抱えている。

 

 なんとも妙なメンツ、妙な催しだ。

 仮にこの場に事情を知らない第三者が通りかかったとしても、『撮影です』の一言で納得してしまうだろう。 

 

「お互い素の殴り合い。あれで判断を求められても困るでござるよ」

 

 先の声とはまた別。これまた女性。

 往来にいる明日菜が発したものではない。

 では誰が。

 通りに沿って並び立つ桜の木。

 木立の陰。

 声の主達は、そこに潜んでいた。

 

 

 ††††††

 

 

 ーー二人とも今夜時間は取れるか? ちょいとばかし噂のチュパカブラとやらを見に行こうかと思うんだが……。

 

 放課後、真名はそのように言って、拙者と古を夜の外出に誘った。

 字面通りに捉えれば、好奇心旺盛で、怖いもの見たさに自ら厄介ごとに首を突っ込んで行く、実にウチのクラスらしい思考だ。しかし、この友人に至ってはその限りではない。まず、ありえぬ。

 真名は言外に、『ウチのクラスメイトを襲ったチュパカブラを退治に行くから手を貸せ』と、そう言っているのだ。

 さすがに学園が誇る問題クラスといえど、倒すことまで視野に入れるような輩はそういない。チュパカブラの噂自体は盛り上がっているようだが、それでもなお、大半の生徒が未だ半信半疑といったところだろう。

 

 そんな中、真名は先の台詞を述べたのである。

 実際ウチのクラスで被害者が出た事実は確かだ。真名の台詞をそのまま捉えると、クラスメイトの敵討ち、脅威の排除、そんなところになるだろうか。無関心を装って、人知れず魔を成敗する。ーー何ともにニクい立ち回りだ。それは拙者も好むところである。

 ただ、あの真名が万が一でもそんな考えを起こすだろうか。

 

「……なんだ楓、私の顔をジッと見て。見るべきは私ではなく、あちらの戦いの方だろう?」

 

 ーー無いな。

 真名に限ってそのようなことは。

 普段の真名を知る拙者は、真名から誘いを受けた時、ただならぬ衝撃を覚えたくらいだ。

 これでも付き合いは長い。真名の個人的な経歴については一切知るところでは無いが、少なくとも人となりは理解しているつもりだ。

 真名は基本仕事絡みでなければ自ら動こうとしない。言ってしまえば金にがめつい。何かにつけて、これは幾ら分の仕事だ、これは転移符一枚は覚悟せねばならない故それだけの報酬は約束して貰う、などと言って学園からの依頼を断ったこともあるくらいだ。

 真名の気質をそう捉えている拙者は、真名の誘いを前に、何か裏があるのではーーと勘ぐってしまった。果たしてこの誘いを受けて良いのかと。

 念のために、『誰かの依頼か』と聞いてみたが、真名は、『何を言っているんだ?』と首を傾けるばかり。

 結局、返事に窮する拙者を尻目に、同じくその場にいた古が何の疑いも持たず了承を返してしまったため、半ば強引に拙者も道連れと相成った訳だ。

 

「ヌヌ、チュパカブラの攻撃さっきから全然当たってないアルよ! コラ、もっと気合い入れるネ!」

 

 古は実に気楽なものだ。

 何の疑いも抱かずこの場へやってきて、往来で繰り広げられている光景に対して一切の突っ込みはなし。

 お主は裏の世界を知らぬ一般人ではないのか?

 少しは動揺してもいいだろうに。

 

「おい、古。興奮するのはいいがあまり大声は出すな。あと暴れるんじゃない。あちらに気づかれた時点で、私たちの観戦タイムは終了だぞ?」

 

「なはは……すまないアル。でも、ついつい体が動いてしまうのは如何しようもないアルよ」

 

 肝が据わっている、まぁ、それが古の在るべき姿か。

 少なくも真名と比べて裏を読む必要がない分、拙者も気を張らずに済む。

 この場にいることで上手く真名との中和を保ってくれることをありがたく思うことにしよう。

 

「楓、せっかく連れてきてやったのに、私たちの方ばかり見ているじゃないか。あちらの試合は退屈か? それとも、すでに実力の程は見極めたが故の余裕か?」

 

「買いかぶり過ぎでござる。拙者は未だ修行中の身故、そこまでの境地には至っておらぬよ」

 

「だったらちゃんとあの怪物の戦いぶりを見ろ。お前の目の良さには期待してるんだ。ある程度はあれの力量を見定めてもらわないとな」

 

「お主こそ目は良いだろうに。ーーが、拙者も礼を欠いていた事は確かでござるな」

 

 真名の言う通り、人様の戦いから目を逸らすなどと、いささか無礼であった。

 視線を前方へ、通りで行われている戦いへと移す。

 しかしーー。

 

「それにしてもな、真名。お主はどうもあの怪物ーーチュパカブラの評価を拙者の口から聞きたいようだがーー先ほども言ったように、アレでは判断を下すにも無理があるでござる」

 

「むぅ」

 

 チュパカブラと高畑先生の戦い。今行われているソレは、武の道を往く拙者からしたら、あまり為になる内容では無い。

 お互い付かず離れずの間合いを保ったまま繰り広げられる肉弾戦も、拳と蹴りのみで成り立っているその試合運びも、威力は常人のそれとは桁外れなのだろうが、要はただの殴り合いだ。技の一つも挟みはしない。

 しかし、高畑先生と対峙している怪物、アレが本当にチュパカブラなのだとしたら、拙者が技をどうこう催促したところでお門違いだ。武の達人すら唸るような肉体技を繰り出す吸血生物、それはもう笑い話でしかない。

 

 ーーチュパカブラが拳を握りパンチを飛ばしている時点で、もうすでに笑い話の域なのでござるが。

 

 よってアレはチュパカブラではない。偽物だ。いや、そもそも人間、チュパカブラの『皮』を被った人間だろう、間違いない。

 

「ときに真名よ、あのチュパカブラの正体について、でござるが……」

 

「アレに中身が存在する事くらいは見抜いていたか、さすがだな楓」

 

「茶化さないでほしいでござる。…………刹子殿か?」

 

「そうだな、正解だ」

 

 真名は拙者の方へと顔を向け、うんうんと何度も頷きながら事実を認める。

 こういう感情表現も真名にしては珍しい。何故だか今夜は随分と機嫌が良いようだ。

 拙者は話を続ける。

 

「チュパカブラ、いや刹子殿か。刹子殿の腰の辺りにしがみ付いている者、あれはエヴァ殿でござろう? この麻帆良で何か事が起こるとしたら、大抵は刹子殿とエヴァ殿、あの二人が関係しているでござる。そしてあそこにはエヴァ殿がいる。すると必然、その片割れが不在とは考え難いでござる」

 

「ああそうだな、お前の読みは当たっているよ。実に良い目をしている。……フフ、それにしても、何故エヴァンジェリンはあんなにも必死にしがみ付いているんだろうな。まるでチュパカブラに尻尾が生えたかのようじゃないか。ーーああ、あの場所が気に入ったのか。あいつの尻は大層立派だからな」

 

 真名は、『くっくっ』と笑う。

 拙者の話もいつの間にか流されてしまっている。

 本当に機嫌が良いな、一体何かあったのか。

 刹子殿の臀部が立派なのは、まぁ、頷ける。何せクラス一の安産型と呼ばれているくらいだ。

 それでも、エヴァ殿の行為は甚だ疑問な事に変わりはないが。ーーいかん、話が逸れてしまった。

 

「それで、真名はこれがわかっていて拙者らを誘ったのでござるか?」

 

「ん? わかっていて、とはーーあのチュパカブラの正体を、という事か?」

 

 真名は少し笑いを引きずりながら、拙者に受け答えする。

 構わず続ける。

 

「どちらかというと、今目の前で起きている事を含めた全部、という意味でござるよ」

 

「いや、さすがにそれはないよ。私はただ()()()()()()()()()()を襲ったという奴に興味があっただけで、事態がどう転ぶかなんて考えてもいなかったさ。後は、犯人だと言われているチュパカブラに心当たりがあっただけだよ。実際当たっていたようだしね。お前だって、前に刹子と戦いたいと言ってただろう? 良い機会じゃないか、なぁ古」

 

 古に視線を移す。

 

「む〜! どうしたアル! 動きがどんどん鈍くなってるネ! そんなんじゃせっかく私達が来た意味がないアルヨ!」

 

「…………こりゃ聞こえてないね」

 

 古は熱心に観戦しているようだ。

 試合そっちのけで無駄口を叩いている拙者らとはえらい違いである。

 この様子では今の拙者たちの会話も聞いていなかっただろう。

 それにしても、動きが鈍くなっているーーか。

 

「……確かに、雑になってきているでござるな」

 

 改めて刹子殿の動きに着目してみる。

 動作は全体的に大振り、言ってしまえば隙が大きい。

 それもそのはず、刹子殿の戦い方は武道家というよりも、喧嘩屋のそれだ。刹子殿が一度拳を振るってから次の体制に移るまでの間に、高畑先生は捌く、打つ、退く、構えるの四動作を行なっている。高畑先生が巧みなのだと言ってしまえばそれまでかもしれないが、あれなら拙者でもカウンターを打ち込むくらいの隙はある。それはこの場にいる他の二人も同じことが可能だろう。

 

「あの様子じゃ高畑先生はあえて場を持たせているな。……なぜかは知らないがーー決めようと思えばいつでも決められるだろう」

 

「ただただ高畑先生の(うま)さが際立つばかりでござるな」

 

「あれじゃ私がいつも相手にしている武道会の連中とあまり変わらないアル。……下手したらそれ以下ね」

 

 そうーーあの程度ならば拙者達の領域には遠く及ばない。

 古が言ったように、麻帆良には素人でも気の使える人間が多数いるが、せいぜい彼らと同程度。それにすら及んでいない可能性もある。

 一方高畑先生の動きには、一切の衰えを感じない。余分にステップを踏む余裕すら見せているくらいだ。それに比べ刹子殿はダメージが蓄積するばかりで、一向に解決策が打てない様子。動きも鈍くなっている。あれではもう長くないだろう。

 

「……幕切れも近い、でござるか」

 

 拙者の呟きには誰も答えない。

 先ほどまで元気だった古も今ではすっかり静かだ。

 このまま幕切れーーそれは、なんとも味気ないことか。

 

「ーー帰るか?」

 

 真名がそう拙者らに問いかける。

 古は答えない。

 拙者も無言を貫く。

 

「ーー結果が見えたからといって、すぐ立ち去るというのは忍びない。と言ったところか?」

 

 違う。

 そう言った感覚ともまた違う。

 

 此度何度目になるか、拙者は試合から視線を外し、真名の方へと向ける。

 真名はすでに拙者を見据えていた。

 お互いの視線がかち合う。

 そんなとき、古が声を発した。

 

「ーーもう! 最初にやってた()()()()()()()()()()()()()()はなんだったネ! あれだけの技を見せておいてこのまま終わりなんてないアルよ‼︎」

 

 古は今にもここから飛び出て行きそうな程に憤っている。

 それはーー拙者も同じ心持ちだ。

 

 ーー拙者らがこの場に到着したばかりの時、刹子殿は見事に高畑先生の猛追を躱していた。あの時に見せた()()()、アレを成すことのできる者が、この程度の戦いしかできぬはずがなかろう‼︎

 

 思わず拳を強く握りしめる。

 釈然としない、馬鹿にされているような気分だ。

 古は『ピョンピョン早く動くアレ』と表現したが、その詳細は実のところ、本来ならば古も知り得るものだ。

 

「古、私たちが最初に見たのは瞬動術だろう? わざわざピョンピョン動くーーなどと解りにくい言い方をしなくてもいいじゃないか」

 

 真名は拙者から目を逸らさずにそう言う。

 

 ーー瞬動術。

 

 『気』による身体強化により跳ね上がった運動力。

 強化された全身のバネは高い瞬発力を生み、『ゴム(まり)』のような高い弾性を両脚に与える。

 これだけでも、その身は一飛びで屋根を越すほどの跳躍力を得る。

 

 そこで、さらなる『気』を足裏に収束させる。

 これにより、体は真下に吸い寄せされるかのような負荷が加わるが、同時に『ゴム(まり)』と化している両脚は、驚異的な爆発力を蓄えることとなる。

 

 限界まで引き絞られた弓弦につがえられた、矢。

 その身は、矢と等しくなる。

 ひとたび放たれれば、数歩と必要とする道を、一歩で跨ぐことが叶う。

 

 それが、瞬動術。

 これは幾度か修行の際に、拙者が古に見せたことあるし、古もこれと似た中国拳法の技を扱う。

 だがーー。

 

「瞬動術だったらも少し踏み込み先でバタつくアル。それに踏み込み前に力んでいる動作もなかったネ」

 

「ああ、『入り』も『抜き』も完璧だったな。それはもうーー」

 

 真名が言葉を溜める。

 拙者と目を合わせたまま。

 続きはお前が繋げーーその目はそう言っている。

 

「……それは、もはや『縮地』の域でござるな」

 

 瞬動術も縮地も、ある程度の距離を瞬時に移動すると言う点ではさほど変わりはない。

 違いは、『入り』と『抜き』。移動前と移動後の、体の態勢にある。

 古の言葉を借りれば、瞬動術と言うのは、踏み込む前に『力み』、踏み込んだ先で『バタつく』。

 要は見え見えの前動作で力を溜め、加速。一切の減速もなく、移動距離の限界を迎えた段階で、突然の急停止。当然、体は慣性という名の物理からの報復を受けることとなる。いくら『気』で強化された体とは言え、それは免れぬ事なのだ。

 

 それらの欠点を、無くすーーとまではいかないが、限りなく目立たなくする事は可能だ。

 対峙する相手に悟られる事なく地を踏み、穏やかな態勢のまま動作を締める。縮地とは、より完成された瞬動術を言うのである。

 そして、それは瞬動術を扱う拙者が、目指すところでもある。

 

「縮地、と言われればそうアルね。ふむ、あれが縮地だったアルか」

 

 古は勝手に納得したようだ。

 それならばそれでいい。

 ここから先は口にしたところで、その先に着地点はない。

 目の前で、先ほどから一寸たりとも拙者から視線を外さない、この信用の置けない友人はーーまだ何か言いたい事があるようだが。

 

「ーーそれにしても、いくら縮地と言えどアレは「真名、聞きたい事があるでござる」…………なんだ? 楓」

 

 真名の言葉にわざと被せる。

 それ以上は蛇足だ、言う必要はない。

 それよりも、だ。

 いつもよりも機嫌が良く、口の軽い、真名ーーお主には今聞いておかねばなるまい。

 

 拙者は珍しく人を睨みつけるかのような眼差しを真名に向ける。

 真名は動じない。

 拙者は構わず口を開く。

 

「お主は、刹子殿の実力をーー本当は知っているのではござらぬか?」

 

「…………」

 

 真名はーー答えない。

 だんまりを決め込むつもりか。

 言外に、それは肯定を表しているに他ならないーーだが、それでは拙者は納得しない。

 

「お主は随分と刹子殿に興味を持っているようでござる。いや、入れ込んでいると言うべきか」

 

「そう見えるか」

 

「あくまで惚けるつもりか」

 

 ーーそうはいかぬ。

 

「お主が今宵拙者らをこの場に誘った狙いは、この際置いておくでござる。結局のところ、お主は刹子殿とどういった関係なのだ? 刹子殿の何を知っている?」

 

 刹子殿がこの学園の裏の関係者である事は、拙者も知るところである。

 真名自身も、あくまで学園からの依頼という形ではあるが、裏の仕事も請け負っている。どちらも学園の裏に関わっている事に変わりはない。

 おそらく、そこで何らかの繋がりがあったのだろう。

 この場にーー刹那が居ない事が悔やまれる。

 真名が言うには、刹那は他に仕事が入っているため誘えなかった、とのことだが、それも信用できるか甚だ怪しい。

 これを見越してあえて誘わなかったか。

 だとしたら、なぜーー。

 

「……楓、凄い顔だぞ? 少し落ち着いたらどうだ?」

 

「だからそれはお主が……っ!」

 

 いかん。

 ペースを乱されている。

 今の拙者は酷く落ち着きがない。

 だが、それも致し方ない事だ。

 あれ程の『縮地』を、拙者と同年代の者が目の前でやってのけた。ただ事ではない。

 拙者自身、己の『縮地』の完成度に対しては、並々ならぬ自信がある。誇りがある。忍びとして、武人として、他者より秀でている部分を挙げろと言われれば、拙者は迷う事なく『縮地』を選ぶ。それほどのものなのだ。

 

 だが。

 

 だがーーそれも取り下げなくてはならなくなった。

 

 拙者の縮地はーー()()()()跳べぬ。

 いや、これは拙者に限った話ではない。

 瞬動術の特性上、人体の構造上、踏み込むといった概念上、生み出される力はどうしても()()()()()()()となって表れる。

 

 だが、刹子殿がやったあれはどうだ?

 あれはーー()()()()()いたではないか。()()に、何不自由なく跳んでいたではないか。

 できないーー拙者には。

 あの動きを前に、ネギ坊主はこう評していた。それは拙者の耳にも届いていた。

 まるで、反復横跳びのようだ、と。

 そんなーー生易しいものではない。

 技後硬直も何もあったものではない。絶え間無く縮地を連発するなど、一体どれほどの修練を積めば、そのような事が可能になるというのか。

 

「……嫉妬でもしたか? あいつの『縮地』を見て。お前ともあろう者が」 

 

「…………」

 

 した。

 ああ、したとも。

 だが、武に携わる者として、それだけで終わってはいけない。

 知らねばなるまい。

 刹子殿の事を、そこまでの完成度に在る縮地の詳細を、それに至った経緯を。

 聞かねばなるまい。

 拙者もそこに辿り着く事ができるのか、どうか。

 必要とあらば、拙者は何でも捧げよう。

 それだけの覚悟はーーある。

 

 真名が再び口を開く。

 

「……悪かったよ、楓」

 

「……何を思ってその言葉を口にする?」

 

「私自身、あいつがあそこまでのものを扱うとは、思いも寄らなくてな。同じテリトリーの技を使うお前がいる手前、意見を聞きたいがばっかりに、必要以上にお前を煽る形になってしまったーーーーすまないと思っている」

 

 そのような謝罪は、この話に何の発展も生まない。

 拙者がお主の口から聞きたいのは、そんなものではない。

 一向に煮えたぎらない友人に、今一度問う。

 

「ならば、答えろ真名。刹子殿は何者でござるか。実力のほどは。お主との関係はーー」

 

 先ほども同じ事を聞いた。

 これで答えないようなら、拙者は力づくでもーー。

 

「ーー昔の仕事仲間だ。私がこの学園に来る前の。だから……その逸る気を抑えろ」

 

「仕事仲間だと? お主と刹子殿が?」

 

 真名がようやく情報を出した事で、拙者の昂ぶる感情は一旦治まる。

 古が驚いた顔でこちらを見ている。

 逸る気とやらは、よほど外に漏れていたのだろう。

 修行が足りぬな。こうも容易く感情を悟られるとは。

 それにしてもーー仕事仲間か。

 

「初めてあいつと出会ったのは戦場だ。最も、味方としてだが。……聞くか?」

 

「いや、それには及ばぬ。戦場という事は、よっぽどの戦を経験してきたのだろう。刹子殿は手練れ。それがわかっただけでよい。そこから先は、踏み込む限りではない事は承知している」

 

「話が早くて助かるよ」

 

 場の空気が弛緩する。

 恐る恐るこちらの様子を伺っていた古は、ホッとため息を吐き、視線を通りへと戻す。

 拙者と真名も、同じように顔をそちらへ向ける。

 あいも変わらず喧嘩殺法の、刹子殿の姿がそこにある。

 まだ、続いていたか。

 

「刹子殿のあの喧嘩屋さながらの動きは、どういった意味があるでござるか?」

 

「意味も何も、見ての通りだと思うよ。あいつの格闘戦なんて出会った時から常にあんな感じだ」

 

「……それでは、先ほど行なっていた縮地についての説明にならぬ。それに、あそこまで隙だらけの拳撃で、裏の者とやり合えるものか」

 

「あいつが隙だらけなまでに大振りの拳を放っている要因はーーーー高畑先生だ」

 

「何?」

 

 刹子殿にのみ向けられていた視線を、高畑先生へと移す。

 両腕を十字の形に、胸元の前で構えた、守りの姿勢。

 攻めに転じる時以外は、常にその姿勢を崩さない。

 その十字の守りの上から、刹子殿は何度も拳を叩きつける。その度、弾かれーーガラ空きの態勢を眼前の高畑先生の前へさらけ出す。その、繰り返し。

 ()()()()ーーか。

 

「高畑先生は『咸卦法』と呼ばれる特殊な技法を用いている」

 

「ーーそれは」

 

「楓、お前が『気』と対をなす『魔力』の存在を知ったのは麻帆良に来てからだろう? ならばピンと来ないのも無理はない。私も、原理は解るが、実践はできない。大雑把に言うと『咸卦法』とは、『魔力』と『気』、二つの相反する要素を一重に融合させた、謂わば反則技みたいなものだ」

 

「少なくとも、拙者が育ってきた環境の中で、そのような技法を耳にした事はないでござる」 

 

「それはそうだろう。『咸卦法』は、『邪道』ではないが、かえって『王道』と言う訳でもない。知らぬのも無理はないさ」

 

 拙者はとんでもない試合を前に、随分と余計な事を考えていたようだ。

 あの攻防に隠された秘密を、拙者は見抜く事が出来なかった。

 不覚ーー。

 

「要はその『咸卦法』とやらで、高畑先生は驚異的な防御力を得ている、と言う事でござるか」

 

「ああ。今もああやって喧嘩殺法に興じている怪物もどきも、『咸卦法』だけは使わせまいと奮迅していたようだが、いつの間にやら使用を許してしまったようだ」

 

「ならば何故刹子殿は攻め手を変えない? あれではヤケを起こしているようにしか見えないでござる」

 

「お前の言う通り、ヤケを起こしているんだろうよ。何でかは知らないが、力比べ、とでも思っているんじゃないか? ()()()()()()、とでも呼べる人物が、そんな性格だったらしいからね」

 

「それは、難儀な血筋でござるな」

 

「フフ、そうだな。高畑先生もそんなあいつを相手にするのが楽しくて仕方無いんだろう。だから、ああして勝負を持たせている」

 

 その気持ちはーーなんとなく拙者も解る。

 

「ただの意地の張り合い。あの戦いはそれだけの上で成り立っているんだよ。お互いをどうこうするつもりなんてハナからあの二人の頭の中には無いのさ。だから、お前もそう身構えて見る必要はないんだよ」

 

 そうは言うが、こちらからしたらお預けを食らったまま、延々と出し惜しみされているような気分なのだ。今更気持ちを切り替えるなど、無理な話。

 刹子殿が難儀な性格をしている事は解った。戦場を経験してきた以上、かなりの手練れである事も解った。

 ここから先は、刹子殿本人から聞いた方が早いのだろう。

 彼女本来の戦い方。

 完成された縮地と、乱雑な喧嘩殺法。この二つからどのように戦いを組み立てていくのか、今すぐにでも問いただしたい。

 

 横目で真名を見る。

 この友人はこれ以上口を割らぬだろう。

 ここまで拙者を煽ったのだから、せめて拙者と刹子殿の仲をとり持つくらいはして欲しいものだ。

 

「……ふむ、しかし、殴り合いは殴り合い。楓が言ったように、多少は攻め手を変えてくれないと、さすがに飽きるな」

 

「今更過ぎるでござるよ。むしろ今まで飽きてなかった事の方が驚きでござる」

 

 今夜の真名は機嫌がいいどころか、おかしい。

 何だ、お主はそこまで刹子殿の事を気に入っているのか。

 仕事仲間というのは建前で、実はただならぬ関係、という事ではあるまいな。

 それは置いておいて、聞くべきところは聞いておくか。

 

「仮にーー攻め手を変えるとした、刹子殿はどういった動きに出るでござるか?」

 

 仕事仲間だったのだから、当然知っているだろう。

 答えてくれるかは、怪しいが。

 

 真名は顎に手を当てて、考える素振りを見せた後、案外すんなりと答えた。

 

「あいつは本来、接近戦には『得物』を用いる。攻め手を変えるとするならばそこだ。そもそも、握り拳を振るっている時点で、あいつの戦闘スタイルからは大きく外れてる」

 

「『得物』ーーしてそれは?」

 

「包丁だ」

 

「なんと」

 

 包丁とは、あれか。

 料理の具材を切るのに使う。

 そういえば、刹子殿が問題を起こした際に、かなりの割合で『包丁』という単語が挙がる。

 まさかーー。

 

「刹子殿の素行不良の原因の一つ、包丁の携帯。まさか、こんなところで結び付くとは」

 

「常に包丁という訳ではないようだがな。私が見た中には()()()()()()()()()()()()もあった」

 

「いや、もういいでござる……拙者はもう一杯一杯でござるよ」

 

 人の得物にケチをつける気などないが、何故なのだ。何故、包丁なのだ。

 縮地で鋭く間合いを詰めて、よりにもよって包丁で斬り付けるのか。果たして通るのか、それは。何故もっとマシな得物を選ばなかった。己の得物にこだわりはないのか。

 刃物ならば何でもいいのか、はたまた包丁がいいのか。感覚がわからぬ。

 何ともちぐはぐだ、刹子殿は。

 これ以上は拙者の頭が持たぬ。

 

「まぁ聞け楓。ただ闇雲に包丁を振り回すのがあいつの戦闘スタイルという訳じゃない。近接戦も、止むを得ない場合か、勝負を決める際にしか選ぶ事はない」

 

「なんでござるか。つまりは『縮地』や『包丁』といった近接戦の手段を備えておいて、基本は遠距離攻撃が主体などと申すか」

 

 もはや何を聞いても驚くまい。

 拙者はもううんざり、といった対応をする。

 真名はそんな拙者を見て、笑いながら話を続ける。

 

「そうだよ。そもそもあいつは『魔法使い』だ。それも元々は『後衛タイプ』のね。魔法自体はこの前見ただろう?」

 

「ジャスティスレンジャーの面々に披露してもらった、何とも摩訶不思議な術でござろう? あの戦い自体は一瞬の内にけりがついてしまった故に頂けないが、確かにあの『魔法』とやらは目を見張るものがあったでござる。しかしな、真名ーー」

 

「しかし、何だ?」

 

 拙者はその時の光景を脳内に思い浮かべる。

 

「拙者は、火と風、二つの魔法をあの戦いで目にしたでござる。詠唱というタメを必要とはするが、一度放たれれば、その威力たるや絶大ーーーーなおさらおかしいではないか。それほどの威力が込められた『魔法』を放っておいて、その上でわざわざ接近戦に持ち込むのでござるか? 言っては何だが、近接か遠距離、どちらか片方に寄せて伸ばした方が、自身の為にもなろう? 『後衛タイプ』なら、『魔法』の威力を高めることに重点を置くべきでござる。刹子殿は、結果的には『縮地』を会得して、不得意な距離を無くすことに繋がったのであろうが、そこまでに至る過程がわからないでござる」

 

「自身の戦闘スタイルに逆らってまで、畑の違う分野に手を出した事の意味、か」

 

 そうだ。

 そこまでする事の意味がわからない。

 まだ自分の『戦闘スタイル』が決まらない内ならば、そういった選択もあり得るだろう。

 しかし、真名は言った。

 刹子殿は、()()()()()()()()の魔法使いだと。

 無理矢理変えたと言うのか? 今まで自分が高めてきたスタイルを。

 下手したら両方器用貧乏になって、並々ならぬ時間を棒に振る可能性だってあり得ると言うのに。

 

「そうだな……この事に関しては、私も詳しくは把握してないんだがーーーーある程度の目処は立っている」

 

 真名は通りにいる刹子殿を、何やら感慨深いような目で見つめながら、言葉を続けた。

 

「恐らくは、あいつの扱う魔法のーー()()()()()()()()()んだと思う」

 

「属性ーー」

 

「先程話に出た、火と風、二つを例に挙げるとすればーー火は『破壊力』、風は『速度』又は『推進力』。『風』と生業を同じくする『雷』もまた同じ。西洋魔法における各属性には、これらの概念に沿った特性が与えられている」

 

「風と雷が同列だと言うのは、何とも違和感があるが、まぁ捉え方の違いでござるかーーして、刹子殿の属性とは?」

 

「ーー水だ」

 

 水。

 

「……水、でござるか」

 

「西洋魔法における水の特性は何だと思う?」

 

 なんだ?

 水を飲めば喉が潤うーー潤い? いや、違うか。

 川を水が流れるーー流れ? いや、流れとは何だ。抽象的すぎて漠然としない。

 水、水、水ーー。

 

「ーー答えは、『変化』だ」

 

「ーーハッ! 真名、拙者はまだ考えて…………『変化』?」

 

「『状態変化』、『性質変化』、『形状変化』ーーそれらの概念を司る魔法、それが水の魔法だ」

 

 変化ーーそれが刹子殿の魔法。

 その魔法は、一体どのようなーー。

 

 

 

「ーー『弱体化』や『状態異常』を(もたら)す水の魔法ーー謂わば、猛毒の雨。それを遠距離から絶え間無く放射し続ける。それが、補助に特化したあいつのーーセツ子の魔法使いとしてのスタイルだったんだよ」

 

 

 そう言って刹子殿を見る真名の瞳からは、拙者は何も読み取る事ができなかった。

 

 

 




刹子「説明回! 私一言も喋ってませんよ⁉︎」

エヴァ「私なんてお前の尻尾扱いだぞ」


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千雨は盛大な勘違いをしてしまったようです

 刹子の拳はすでに限界を向かえていた。

 咸卦法により高められた高畑の護りは、それを打ち崩さんと振るわれる刹子の拳を、鉄で打ち付けるかのような衝撃を与えた上で跳ね返す。

 鉄塊。今私は鉄塊を殴っている。刹子は高畑の護りを前にそのような印象を受けた。

 

 ーーダメ、もう手を握っている感覚すらない。

 

 『硬度』が備わった、高畑の『咸卦の盾』とも言うべき鋼の護りは、刹子の拳に確固たるダメージを与えていた。高畑への攻撃は己の拳へのダメージとなって、ことごとく還ってくる。打ち付ければ打ち付けるほど、それは蓄積される。刹子の拳には魔力によるコーティングが施されているが、そんなものはもはや気休めにもならない。

 

 ーーこの強度、練り込んでる魔力と気の量が尋常じゃない。ほとんど実戦用に近いレベルじゃないですか。……高畑先生ったらマジになってますーーねッ!

 

 手の方はもうダメだ。着ぐるみを着用しているために確認はできないが、おそらく中々にエグいことになっているだろう。骨も折れているかもしれない。そのため、今は蹴りを主体にした攻めに移行したが、別段効果があるようには思えない。刹子とて、そのことは文字通り、痛いほどに理解している。

 

「ーーーーッ!」

 

 高畑のガード越しに、刹子はハイキックを放つ。生じる打撃音と共に、何か別の、()()()が混じる。高畑はその音に気づいたが、構わず報復の拳撃を、真っ正面から刹子の腹部へと叩き込む。

 

「かはッーーーー」

 

 蹴り上げた片足が地に着く前の、態勢も整っていない状態。そこに叩き込まれた高畑渾身の一撃。当然その場で踏ん張ることもできず、刹子はその勢いのまま後方へ、車に跳ねられたかのように宙を飛ぶ。

 

「すごい! チュパカブラを殴り飛ばした!」

 

 ネギが歓喜の声を上げる。

 彼の目に映っていた今までの戦い。刹子と高畑。二人は五分に渡り合っているかのように見えていた。

 いや、ガードを固めている分、高畑の方が圧されているようにすら思っていた。

 しかし、実際は言わずもがな。ほとんどが刹子の自滅とも言える試合内容なのだが、まだ10歳にもなっていない子供であるネギに、そのような判断がつくはずもなかった。

 そんなところに此度の高畑の一撃。ネギからしたら、この戦い始まって以来の決定打に見えたのだ。

 表情に喜色を浮かべるネギ。

 

 しかし、それもすぐに曇ることになる。

 

「えーー」

 

 かなりの勢いを持って殴り飛ばされたかのように見えた。

 地に伏すまではいかずとも、膝を突く程度の光景は幻視していた。

 喜びから一転、困惑へ。

 ネギの視線の先には、たった今高畑が殴り飛ばしたはずの“チュパカブラ=刹子”が、なんてことはなく整然と立っていた。

 

「あれ、僕、目がおかしくなったのかな? ……チュパカブラが、一瞬、()()()()()()()()()()ーー」

 

「……奇遇ね、ネギ。私もおんなじものをこの目で見たわよ。何? チュパカブラって超能力でも使えるの? あは、あはは……」

 

 ネギと明日菜が、今しがたの刹子の動きを目の当たりにして、何やら戦々恐々としている。

 高畑は、今起こったことを冷静に分析していた。

 

「(まさか受け身すら取ることなく、さも当然のように着地するとはね……)」

 

 己の拳により弾き飛ばされ、そして着地するまでの刹子の動き。高畑はその一部始終をしっかりと捉えていた。

 

 刹子はかなりの勢いで宙を飛んでいた。それはもう、風を切るという言葉が合うほどに。

 高畑自身の計算でも、刹子の着地点はこの場からおよそ70m先は見積もっていた。。

 しかし現実は、その半分もいかない距離に留まることとなる。

 

 空中での突然の失速。

 不可解な急停止。

 まるで、()()()()()()()()()()()()()()かのような、物理的にありえない挙動。

 そして、刹子の周りだけ重力が働いていないかのような、あまりにも穏やかな着地。

 

 さながらーーロープアクションのような機械的な動きに見えた。

 

「(今のは飛行魔法か? それにしては挙動がおかしかったけど。ーーーーふむ、考えても仕方がないね)」 

 

 この場にいるすべての者が、刹子が行なった妙な動きを前に疑問符を浮かべていた。楓、古菲に至っては動揺すらしている。

 そんな中、対峙している高畑だけが、次なる一手をどう繰り出すかに神経を注いでいた。

 

「(あれで決まるなんて到底思ってはいなかったけど、ああもダメージが無いかのように振舞われるとはね)」

 

 高畑は刹子の足を注視する。

 

「(先ほどの接触時、刹子君の片足の骨は確実に折れた。あの独特の乾いた音は間違いない。普通ならあのように平然と立ってなどいられないはずなんだけどーー)」

 

 片足の骨が折れている。高畑からそのような診断を受けた当の刹子は、二本足でしっかりと地を踏みしめ、静かにその場に佇んでいる。

 着地以降、刹子は微動だにしない。

 それは虚勢なのか、はたまた他に狙いがあっての事なのか、判断はつかない。

 

 高畑は腹を決めた。 

 

「(虚勢か否かーー今一度その身に聞いてみるだけのこと‼︎)」

 

 高畑の上体が少し前に傾いたかと思われた途端、影がぶれ、瞬く間にその場から消え失せる。

 瞬動術だ。

 縮地とまではいかないものの、高畑のソレもかなりの精度を誇っていると言える。

 

「ーーッ! 消えーー」

 

 ネギが言葉を言い終える前に、高畑は再び姿を現す。 

 今尚、高畑が消えた場所をただただ見つめているだけの刹子。その、あまりに無防備な真後ろからーー。

 

「(獲ったーー)」

 

 刹子の首筋、ただ一点を見据える高畑。

 振るうは拳ではなく、手刀。

 刹子がこのまま何もしないのであれば、容赦無くその意識を刈り取るつもりだ。

 

 しかしーー

 

 ーー高畑はこの場面で重大なミスを犯していた。

 

 それはーーーー咸卦法の使用を解いてしまった事である。

 

 なぜ高畑は今になって、己の絶対的なアドバンテージを手放してしまったのか。

 答えは簡単である。単純に刹子の身を案じたためだ。

 今現在、刹子が自身の肉体に魔力による身体強化を施しているのか、高畑にはわからなかった。

 咸卦法により高められた高畑の攻撃は、ただの生身で受けるにはあまりにも、威力が高すぎるのだ。

 ただの手刀が、刹子の首を容易く両断してしまう可能性だってありうる。刹子は今、本当に満身創痍なのかもしれない。

 そう思った高畑は、最後の最後で手を緩めてしまった。

 鉄塊とも言うべき護りを、捨ててしまった。

 

 故に、奇襲とも言うべき意識外からの攻撃をーー通す事となってしまった。

 

「がッーーーーーー⁉︎」

 

 高畑の視界がーー突然切り替わった。

 

 眼前には、煌びやかな星々が散らばる、満面の夜空が広がっている。

 先ほどまで刹子の首筋に向かっていたはずの自分が、なぜ、今はこうして夜空を眺めているのだろう。高畑が事態の把握に至るまでに、幾許かの間が空く。

 

「(ーー顎を、蹴り上げられた、のかーー、一体、どうやってーーーー)」

 

 顎にほのかな痛みを感じる。

 間違いない、顎に強打を受けたことによる軽い脳震盪。自身の身体に起こっている現象はそれだ。

 

 景色がスライドする。

 まるで急激に落下するエレベーターの中から、流れる外の景色を見ているかのように。

 夜空から地上へ、チュパカブラの背中を滑らかに視線が走る。

 途中、信じられない表情でこちらを見ているネギの顔が映る。

 

「(ーーやあ、ネギ君。僕はどうやら君のお姉さんに打ち負かされてしまったようだよ)」

 

 今、自分は倒れようとしている。

 薄れゆく意識の中、かろうじて高畑は視界の端に、自身がこうなってしまった原因と思われる()()()()()()

 

「(ーー参ったな。君、起きてたのかい。てっきりーーーー刹子君の尻尾として収まってしまったのかと思ったよ…………エヴァ)」 

 

 高畑は見た。

 

 刹子と高畑の戦いが始まってからずっと、刹子の腰にしがみ付いていた、金髪の少女。

 彼女は今も刹子の臀部から、うつ伏せのまま垂れ下がっている。

 

 ただーーその片足だけが何故か()()()()()()

 夜空に向かって、()()()()()()()()()、ピンと、伸びている。

 

 ああーーあの足に蹴られたんだな、僕は。

 

 意識が暗転する間際、高畑はそんな事を思った。 

 

 

 ††††††

 

 

「何だよこんな時間に。何か用かーーいいんちょ」

 

 自室で飢えに苦しんでいた千雨の元を訪れた人物は、雪広あやかだった。

 

 てっきり同居人が帰ってきたのだと思った千雨は、夕食の支度をほっぽらかして何をしていたんだという怒りと、「お前鍵持ってる癖に何でわざわざインターホン鳴らすんだよ」という、これまた怒りーー二重に重なった怒りの感情を胸に、荒々しく玄関のドアを開け放ったのだ。

 しかし、そこには自分の想定とは別の人物が驚いた表情を浮かべ立っていた。

 不躾な対応をしてしまった気まずさと、行き場を失った同居人への怒りがないまぜになるも、持ち前の律儀さでそれらの感情を一旦奥へと押し込めて、極めて冷静な口調で先の言葉を発したのだった。

 

 いいんちょこと雪広あやかは、そんな千雨の気持ちを知ってか知らずか、次のような第一声を口にした。

 

「……あの、刹子さんは今部屋にいらっしゃいますか?」

 

「居ねぇ。じゃあな」

 

 有無を言わさずドアを閉めようとする千雨。

 いいんちょは機敏な動きでドアの間に足を入れてそれを防ぐ。

 

「ちょっと千雨さん⁉︎ まだ私の話は終わってませんわ⁉︎」

 

「ーーんだよ、用があんのは私じゃねぇんだろ⁉︎ あいつはまだ帰ってきてねぇんだよ! そんなことより私はもう腹が減って……とにかく、イライラしてしょうがねぇんだ! そんな時にいいんちょみたいな奴と話したら余計にストレスが溜まるし疲れるんだよ! 私に無駄なエネルギーを消費させんじゃね〜‼︎」

 

「まぁ⁉︎ 千雨さんは私の事をそんな厄介者か何かのように思っていたのですか! ちょっと顔を出しなさい!」

 

 ドアを挟み軽い小競り合いを始める二人。

 程なくして、体力と腕力の劣る千雨が音を上げる結果となった。

 

「……あぁ〜、もう何なんだよぉ。あいつに話があんなら伝えとくから、とっとと要件話して帰ってくれよぉ……」

 

 空腹が応えている、千雨はそのようにアピールをし、壁にもたれかかり気だるそうな態度を示す。

 実際空腹なのは間違いないが、千雨がやたらと情緒不安定な理由は他にあった。

 しかし、そんなことはおくびにも出さず、「さっさと話せよ」といいんちょを急かす千雨。

 いいんちょはそんな千雨の様子を見て、軽くため息をついた後、ようやく今回の訪問の旨を話し出した。

 

「少し落ち着いてくださいな。ーーいいですか、私は今この女子寮に住む3-Aの方々の部屋を一つずつ回って、不在の方が居ないかどうかの確認を行なっているんですわ」

 

「確認? 何でまたそんなこと」

 

「それはーー」

 

 いいんちょが言うに今回の訪問は、近日起こっている『桜通り事件』を受けての事らしい。

 吸血鬼だのチュパカブラだの、事件の概要はおよそ現実味の無いものであるが、実際に被害が出ている事だけは確かである。

 それに被害者の内二人は、同じクラスメイトである3-Aのメンバーだ。

 クラスの代表として、これは見過ごすわけにはいかない。そう思ったいいんちょは、勇敢にも単身で夜の桜通りへと乗り込むつもりでいたらしい。

 そんな決意を固めていたいいんちょだったがーー。

 

「止められた? 高畑先生とネギ先生。それと、神楽坂に?」

 

「ええ。女子寮(ここ)の玄関でばったりお会いしまして。それでーー」

 

 いざ寮を出発しようとした際に、偶然会ったのがその三人。こんな夜に外に何しに行くのか、そう聞かれたいいんちょは正直に目的を話したところ、三人から待ったをかけられたとの事だ。

 

「それ、何時ごろの話だ?」

 

「……7時前だったと記憶してますわ。それであの方々は、「自分たちがこれから調査をする故、心配はいらない」と、そのように仰いました。アスナさんは、そんなネギ先生の付き添いとか。……同室のよしみだとか、何とか言ってましたけど、どうせ高畑先生に釣られたのでしょう。それにしても何でアスナさんはよくて私はダメなのでしょう、納得がいきませんわ‼︎」

 

「まぁ、自分だけがつまはじきにされたってわけだもんな」

 

 先ほどのことを思い返して腹が立ったのだろう。いいんちょは、「キィーッ」と悔しそうな声をあげ地団駄を踏んでいる。

 壁にもたれかかった態勢でその奇行を眺めていた千雨は、何はともあれと件の桜通り事件について、改めて脳内で情報整理を始めた。

 

 千雨自身今回の事件について、当初は噂に尾びれがついたくらいのものと思っていたのだが、身近で被害者が出たことで、そうも言ってられなくなった。

 吸血鬼やチュパカブラの存在を肯定する訳では無いが、少なくとも、ことを起こした「犯人」と呼べる存在がいる確率は高い。

 その「犯人」はーー。

 

「(当然ーー「人間」ってことになるよな)」

 

 人間だ。

 吸血鬼だのチュパカブラだの、そのようなファンタジーな存在などでは決して無い。

 犯人がいるのなら、それは間違いなく人間だ。そこに異論を挟む余地などありはしない。

 

「(というか、普通に考えたらそれしかないだろ。何だよチュパカブラって。3-A(ウチ)の連中は本気でヤベェと思ってんのか? 何でこんな時までそんなお気楽思考でいられんだよ、ったく……)」

 

 3-Aのノリにはやはり着いて行けないーー改めてそう思うと同時に、次の懸念が千雨の頭を過ぎる。

 それはーー犯人の「目的」だ。

 千雨は、犯人の「目的」についての大まかな推測をする。

 

「(女子寮前の通りで待ち伏せしてるわけだろ? そいつは。つったらもう、()()しかねぇじゃねぇか。……女子にいかがわしい行為をすることが目的ーーーーつまり「変態」だ。間違いねぇ)」

 

 千雨は、自身の推測に対して確信めいたものを感じていた。

 

「(それも、被害者は襲われたって事になってる。ーー()()()()()って事じゃねぇか、つまりただの「変態」じゃねぇ、「犯罪者」だ。チュパカブラがどうこう騒いでられるような状況じゃねぇ、ガチの「犯罪者」が近くにいるかもしれねぇって事だ)」

 

 思わず最悪の事態を想像して、千雨は足元が寒くなるのを感じた。

 最悪の事態ーーそれは犯人が、被害者の身体に接触しているかもしれないという事。

 それも、自身のクラスメイトである二人がーー。

 

「(考えたくもねぇ。佐々木とエヴァンジェリンの奴らが、まさか、そんな。あいつらまだ中学生なんだぞ? いや、別に歳の問題じゃ断じてねぇんだが……それにしたって、エヴァンジェリンみたいな、あんな体の小さい奴を…………くそ! モヤモヤすんな畜生!)」

 

 考えれば考えるほど、自身の考えていることが本当に行われたのではないかという不安が強まる。

 被害にあった二人の顔を思い浮かべる。

 何とも言えない、嫌な気分になる。

 

「(すると宮崎もアウトって事になるな。現場で気絶するとか……何やってんだよ。ーーそういや、あいつは犯人の姿を見たんだっけ? チュパカブラがエヴァンジェリンを襲ったって。ハァ、チュパカブラ、ねぇ……)」

 

 本物のチュパカブラが桜通りに現れて、血だけを丁寧に頂いて、去った。というのが真相なら、そっちの方が断然いいーー千雨はそう思った。

 何故なら、血は吸われたかもしれないが、命に別状はないのだから。他に何かされるよりは全然マシだ。

 そういった意味では、千雨はチュパカブラの存在を認めたい気持ちになっていた。

 しかしーー。

 

「(藁にもすがるって気分なのかね。馬鹿か、私がそんなんでどうすんだよ。どうせ宮崎の奴が錯乱してて、暗がりから現れた陰がそう見えたってだけか、もしくはーーーー何かしらの変装をしてた、とかか?)」

 

 顔ぐらいは隠しているだろう。

 少なくとも個人が特定できないような服装のはずだ。

 それこそ、のどかが思わず「チュパカブラ」と見違えてしまうような、大掛かりな変装をーー。

 

「(ーーいやいや、チュパカブラと間違えるような変装って何だよ⁉︎ コスプレか⁉︎ そいつチュパカブラのコスプレでもしてんのか⁉︎ 特殊メイクか? それとも着ぐるみか? 何だそりゃ、意味不明すぎるだろーーッ⁉︎ ……いや待てよーーーーそうやって事件の重大性から目を逸らさせてる、とか?)」

 

 千雨は壁に傾けていた態勢を正し、顎に手を当てて考える。

 

「(桜通り=チュパカブラって図式は生徒の間ではもはや確立されたものになってる。そうやって学園側の印象操作を狙ってるなんてことはないだろうな。ありえない話じゃない。現に警察が動いてる様子も無ければ、学園から何の注意喚起もない。おいおい、嘘だろ、そんな馬鹿みたいな手口がまかり通るってか? 現代日本だぞここは⁉︎ 普通事件が起きたら些細なことでも調査をするってのが筋だろ⁉︎ こんなーー馬鹿げたことがーー)」

 

 千雨は顔を左右に何度も振り、自身の考えを払拭しようと試みる。

 今考えていたことは己の拙い妄想だ、そんなことはありえない、あってはいけないーーと。

 

 未だ地団駄を踏んでいる、いいんちょの足が千雨の視界に入る。

 

「……おい、いいんちょ。もうその辺にしとけ、てかまだやってたのか。いい加減近所迷惑になるぞ」

 

「ーーハッ! こ、これはこれは、私としたことが……」

 

 コホンッと咳払いをして、態度を取り繕ういいんちょ。

 そんないいんちょを見て、千雨が口を開く。

 

「だいぶ話が途切れちまったけど、要はあれだろ? いいんちょは、ネギ先生達から戦力外通告を受けたものの、居ても立っても居られない事に変わりはねぇ。だからこうして、3-Aの奴らが無事かどうか確認に回ってるってわけだ」

 

「ーーっ、え、ええ! そうですわ千雨さん、その通りですわ!」

 

 いいんちょは胸に手を当て、「どうだ」と言わんばかりに謎の主張をする。

 心構えは委員長として素晴らしいと思う。

 しかし、それでも千雨は微妙な表情のままである。

 その理由はーー。

 

「でもなぁ、いいんちょ。言っちゃあ悪いがーーーー()()()()9()()()()()()ぜ?」

 

「うーー」

 

「部屋でただじっとしてた私が言うのも、あれだけどよぉ……。見回りするなら、もうちょっと早い内にやっとくべきだったんじゃねぇか?」

 

「そ、そうですわね、それは確かに……」

 

「ーーあっ! さっきいいんちょがネギ先生達に玄関でおっ返されたのは、確か7()()()だって言ってたよな? それから2時間も経ってるじゃねぇか。 何だ、部屋に戻ってしょげてたのか?」

 

「そ、それはーー」

 

 千雨が立て続けに指摘すると、いいんちょは何ともバツの悪そうな表情を浮かべ、うつむく。

 

「(ーーやべ、がっつきすぎたか? ちっとばかし私も気が立ってるみたいだな、いけねぇ)」

 

 別に責めたつもりではないのだが、なぜだかそのような態度を取られて、千雨は少し気がひけた。

 

 いいんちょは少し間を空けてから、やがて、ポツポツと喋り出した。 

 

「実は、女子寮の玄関前でネギ先生達に戻るように言われた後も…………ずっと、()()()()()()()()()()んです」

 

「留まってって……いいんちょ、あんた女子寮の玄関にずっと居たって事か? 2時間も? なんでまた?」

 

「……ネギ先生達が無事女子寮(こちら)に戻るまで、その、お待ちしていようと思いまして……」

 

 いいんちょの性格ならありえる、千雨はそう思った。

 慕っているネギの身を案じた結果、そのような行為に繋がったのだろう。

 

「ネギ先生達は、ちゃんと帰ってきたんだよな?」

 

「……ええ、たった今お戻りになられましたわ。ネギ先生が仰るには、今夜は何も起きなかったとのことです。念のため、まだ高畑先生が現場に残ってらっしゃるそうですが、少ししたら引き上げるそうです。」

 

「それを聞いてもまだ不安が残るから、いいんちょはこうしてクラスメイトの安否確認をしている、と……」

 

「ええ、そんなところですわ……」

 

「ちなみに聞くがーー何でいいんちょは7時前に寮を出ようと思ったんだ?」

 

 桜通りから完全に生徒の影がなくなるのが大体6時半。

 それ以降は、訳あって学校に残っていた生徒がたまに通るくらいだ。

 何かしら事件が起こるとしたらその辺りの時間になるだろう。高畑達も同じように考えて、現場に赴く時刻を定めたのかもしれない。

 だとすると、いいんちょもその考えに至ったのだろうかーー千雨がそのことを聞くと、帰ってきた答えはーー

 

「……同室の千鶴さんに、夕飯はちゃんと取ってから行くよう言われまして……」

 

 ーーだった。

 

 これまたらしいと言えばらしいかーー千雨はそんなマイペースなクラスメイトにいささか呆れにも似た感情を抱く。

 

「(……私が必要以上に考え過ぎなだけか? それとも那波の奴がそこまで事態を深刻に受け止めてねぇのか? あいつは今朝の宮崎の話を聞いてなかったのかよ。いいんちょもいいんちょだ、何軽く流されてんだよ…………だめだ、3-Aの奴らの感覚を理解しようとしちゃいけねぇ。私とあいつらじゃそもそもの考え方が違うんだ、惑わされるな、頼れるのは自分自身の感覚だけだ)」

 

 幸い千雨は帰宅部である。遅くまで学校に残るような用事などない。放課後は寄り道などせず真っ先に帰宅し、以降外を出歩いたりはしない。

 そう言った点では、千雨自身が危険に晒される可能性はとても低いだろう。

 結局のところ、夜中に外を出歩かなければいいのだから。

 

 そもそも千雨は学校に行く以外であまり外出することがないのだ。

 あったとしても、その時は千雨一人ではない。

 大抵は、この部屋に住まうもう一人の住人が、出不精な千雨を無理矢理外へ連れ出すのが常だ。

 

 そして、千雨からしたら大変迷惑な同居人はーー未だこの部屋に戻っていないのである。

 

「それにしても、困りましたわね……まさかとは思いましたが、案の定ーーーー刹子さんがいらっしゃらないとは……」

 

「……言っとくけど、六戸は学校が終わってから一度もこの部屋に戻っちゃいねぇぜ? そんなわけで、私はあいつがどこにいるのか知らねぇ。……悪りぃな」

 

「千雨さんが謝ることではございませんわ。……貴女も、心配しているのでしょう?」

 

「……私がしてんのは飯の心配だ」

 

「素直じゃありませんわね、貴女も…………ハァ、さて、どうしたものやら……」

 

 二人はそれきり黙り込む。

 お互い、いい落とし所が見つからないようだ。

 

「……深夜の外出は立派な規則違反。何かあったらあったで、それは六戸の自業自得だ。いいんちょ、何もあんたが責任感じることはないんだぜ?」

 

「そうは言いましても……」

 

 このままじゃ埒が明かない。

 現場にまだ高畑がいるというなら、いっそのこと捜索を頼むという手もあるーー千雨はそこまで考えた後、いざそれを口にしようとしてーー踏み止まった。

 

「(今からわざわざ桜通りに行くってか? 実際に事件が起きた場所に? こんな夜中に?)」 

 

 無理だーー千雨はそう思った。

 いくら高畑が警備をしているとはいえ、今の時間、あの場所は完全な危険地帯。千雨の中でそれは確かなものになってしまっている。

 危ないと知っていてわざわざ首を突っ込むなど、他のクラスメイト達のような芸当は、千雨にはできない。

 千雨は事件の詳細を長々と考察していたが、それはあくまで自分の身の安全を確かめるために行なっていた。決して、目の前のいいんちょのように、クラスの為に何かしなければーーなどという使命感からではない。

 

 単純にーー自分が被害者になるのが怖いだけ。

 千雨のような普通の少女にとって、それは当たり前のことだった。

 未だ帰らぬ同居人のために腰をあげるなど、千雨には荷が重かった。

 

 それゆえに、千雨の足は先ほどから動こうとしない。

 ただただ、歯を食いしばりその場に立っていることしかできなかった。

 

「千雨さん……?」

 

 何やら様子がおかしい千雨を、いいんちょが不審に思ったーーーーその時だった。

 

 

「ーーあれ? いいんちょ? 千雨も、二人して部屋の前で立ち話なんて珍しいですね?」

 

 その声に、千雨といいんちょは同時に振り向く。

 

「ーー六戸……」

 

「せ、刹子さん……⁉︎」

 

 二人が振り向いた先には、片手にコンビニのビニール袋を持った刹子が、キョトンとした表情を浮かべ立っていた。

 

 

 ††††††

 

 

「今日の夕飯はコンビニ飯かよ……」

 

 台所でガサガサとビニール袋の中身を取り出している刹子に、千雨は不満を込めてそう言った。

 

「飯じゃなくて、麺ですよ。千雨、今夜は私と一緒にこの激辛カップ麺を食べましょう」

 

 そう言って、刹子はやたらと真っ赤なパッケージのカップ麺を高々と掲げる。

 

「それめちゃくちゃ辛くて有名なチェーン店のやつじゃねぇか! ……ただでさえこっちは空腹でテンション下がってるっつうのに、何でそんな要らんチョイスを……」

 

「ちょっとムシャクシャした事があったもので、そのストレスを発散するためにも刺激のあるものが食べたかったんです。そもそも、これは私の奢りなんですから、つべこべ言わずありがたくいただいて欲しいものですね」

 

「お前の個人的なストレス発散に私を巻き込むんじゃねぇ! 奢りでも嬉しくねぇわ!」

 

 刹子の何とも身勝手な態度に、千雨は怒りのボルテージが湧き上がるのを感じるも、同時に体が空腹を訴えてくるせいで、着火までには至らない。

 そんな千雨の心境など御構い無しに、刹子はふんふんと鼻歌を鳴らしながらカップ麺の開封を行なっている。

 

「(心配してホンット損したぜ! この非行女、私の気も知らないでーー)」

 

 結局、刹子は何事もなく無事帰宅した。

 話を聞いたらと、どうやら『友達』からゲームに誘われ、時間が経つのも忘れるほどに熱中してしまったらしい。それこそ、スーパーに夕飯の買い出しに行く事すら忘れて、今の今までずっとだ。

 そのことを聞いた千雨は怒る気力さえ湧かず、ただただ脱力した。

 横で聞いていたいいんちょも、同じ気持ちだったのだろう。刹子に軽く小言を言っただけで、その場は流れになった。ただ去り際に、刹子に「明日少しだけ話がある」とだけ残していった。千雨は、おそらく日を改めてからのガチ説教コースだなーーと内心清々した気持ちで汗る刹子をニヤニヤと眺めていた。

 

「(どうせならその『友達』も一緒に説教してやってくんねぇかな。毎度毎度ウチの料理担当を拘束しやがって……)」

 

 刹子は度々その『友達』とやらと一緒に遊んでいる。刹子にそういった仲間がいることは千雨も知っていた。

 最も千雨自身は刹子の言うその『友達』とやらと会ったことはない。会いたくもないーーと言うのが本音である。

 

 刹子から外出に誘われる際、千雨は真っ先にその『友達』やらは同行するのか否かを聞く。

 執拗に何度も聞いてくるので、なぜそのようなことを聞くのかーー刹子は以前千雨にそう問うた事があるのだが、その時の千雨は、

 

「お前と私、二人だけじゃなきゃーーどこも行きたくない」

 

 と、このように言った。

 聞きようによったら、何ともいじらしい台詞である。

 これを受けて刹子は、「千雨はそこまで私と二人きりがいいのですね、うふふ」などと勝手に舞い上がっていたのだが、当の千雨からしたら、これは死活問題だった。

 

 要は、千雨は刹子の『友達』との接触を避けたいのだ。

 

 『不良』と呼ばれる刹子とよくつるんでいると言うことはすなわち、その『友達』もまた『不良』に違いないのだ。

 目の前の不良はーーまだ「こんな感じ」だからいいが、お友達の方はわからない。マジの不良かも知れない。いきなりイチャモンをつけられるかも知れない。

 何よりも、自分が不良にビビってる姿を目の前の刹子に見られたくない、何だか負けた気がするーー故に千雨は意固地になっていたのである。帰宅部少女の妙なプライドがそこにあった。

 

「…………」

 

 千雨は刹子の姿は黙って眺めている。

 

「(なんだかんだ心配しちまったけど、思えばこいつが変質者に屈してる様なんて想像もできねぇな。ーー()()()()()()()()()みたいに、襲いかかって来た相手に啖呵を切ってそうだものな)」

 

 腕を組み、改めて刹子のことを考えている。

 

「(……逆にこいつの事だから、案外ノリノリで応じるなんてこともあるのか? 夜中によく会ってる『男』もいるみたいだし、あながちそっち方面は割と軽いとか……いやいや、無い、さすがに無いだろう! ていうかこいつが色々ふけってる姿なんざ想像もしたくねぇ!)」

 

 肩を抱いて悶える千雨。

 そんな千雨に、刹子が声をかける。

 

「……千雨、何一人で興奮してるんですか? そんなにこの激辛カップ麺を食べるのが楽しみで仕方ないとーー」

 

「……私にも色々あんだよ、ほっといてくれ。てか、カップ麺作んのにいつまでかかってんだ? 蓋開けたままお湯も入れねぇで……」

 

 先ほどまでルンルン気分でカップ麺を開封していた刹子は、今はその開け放たれた二つのカップ麺を前にして困った顔を浮かべている。

 今になって激辛カップ麺に臆したかーー千雨はそう言おうとしたのだがーー。 

 

「ーーお湯、空っぽじゃないですか」

 

 刹子はポットを指差し、口を尖らせてそう言った。

 

「……は? いや、そんなバカな。確か私が学校から帰ってきた時にお湯入れ替えたから、まだたっぷり残ってるはずだぜーーーーあれ? 嘘だろ、マジで空っぽかよ」

 

 ずかずかとポットの前まで歩み寄り、蓋を開けてみると、中身はすっからかん。

 

「千雨がコーヒーがば飲みしたから無くなっちゃったんじゃないです?」

 

「アホか、短時間でポット丸々なんていけねぇっつうの。……おかしいな、確かに並々入れたはずなんだが……」 

 

 千雨はポットの前で深々と考え込む。

 刹子は手をパンパンと鳴らして、千雨の意識をより戻す。

 

「ほらほら、そんなところで突っ立ってないで、今からお湯沸かしますよ。……時に千雨、あなたお風呂まだなんじゃないですか? 何だか汗臭いですよ?」

 

「ーーあ? 確かにまだ入ってねぇけど……って、そんなに汗臭いか⁉︎ 私ずっと部屋に居たんだが⁉︎」

 

「それはもう、何とも芳しい濃厚なスメルが……」

 

「っておい! 近くで嗅ぐんじゃねぇ!」

 

「ん〜、やっぱり匂いが強い感じがしますね。千雨、あなた先にお風呂行ってきたらどうですか? お湯は私が沸かしてますので」

 

「お前は入んないのかよ? それこそばっちいぞ」

 

「私は夕飯をとってから入りますよ。ささ、汗くさ千雨はとっとお風呂に行った行った!」

 

「わかった、わかったから! 今入浴セット取りにいくから、押すなっつぅの!」

 

 押されるがままに台所からの退却を余儀なくされる千雨。

 ポットのお湯が空だったこともまだ納得しておらず、何やら狐につままれたような気持ちで、千雨は入浴具と着替えを取りに行った。

 

 

 

 風呂へ行く準備を整えた千雨は、リビング越しから台所にいる刹子の後ろ姿を見やる。

 刹子はカップ麺と一緒に買ったのであろうペットボトルの飲み物やカット野菜やらを冷蔵庫に入れ、そして整理している。

 千雨はその様子を見て、何やら()()()()()()を抱いた。

 

「(なんだ? やけに動きがパッとしねぇな。一個一個たらたらと……)」

 

 あんまりにもじれったいので、千雨は思わず声をかけた。

 

「おい、何チンタラやってんだよ。お湯沸かすのはどうした? つうか冷蔵庫開けっ放しにすんなって、お前がいつも私に言ってることじゃねぇか」

 

「何ですか、まだお風呂に行ってなかったんですか? 私は冷蔵庫の中がごちゃごちゃにならないように、正しく整理整頓をですね……」

 

「大して何も入ってねぇのに整頓もねぇだろ? それよりさ、お前ーー」

 

「何ですか? 千雨」

 

「いや、何つうか、そのーー」

 

 千雨は刹子の動作が妙に気になっていた。

 思えば、それはカップ麺を開封している時も、いや、もっと前、刹子が帰宅してからというもの、ずっと。

 

 それは、他人から見たら何らおかしくは感じないほどに、些細な違和感だった。

 帰宅して刹子はローファーを脱ぎ、すぐさまスリッパに履き替えた。いつもなら刹子はそこで脱いだばかりの靴を正しく揃えるのだが、先ほどはそれをしなかった。これに関しては別段、こういう時もあるか、と言った感じで千雨はそこまで気に留めなかった。

 

 次に感じたのは、歩き方だった。

 というのも、先ほどから刹子はやたらとパタンパタンと音を立てて歩くのだ。

 スリッパを履いているのだから、仕方ないだろうと思うかもしれないが、普段から共に暮らしている千雨からしたら、それも気になる点であった。

 刹子は普段、意識的に足音を忍ばせているのではないかというほどに静かに歩く。それはスリッパを履いていようがなかろうが関係ない。

 机に向かっている千雨の背後にいつのまにか立って、耳元で「夕飯の支度ができました」と囁かれるのは毎度のことだ。

 

 言ってしまえば、刹子は一々の動作がやけに洗練されているのだ。

 その素行とは裏腹に、食事の際には箸の使い方から器を持つ動作まで、いいとこのお嬢様のように丁寧で、静かで、気品がある。

 短い時間であらゆる家事を済まし、一度に複数の料理を同時に手がける手際の良さもそうだ。

 過去にそう言った仕事でもしていたのではないかと疑ってしまうほどに、完璧だった。

 これで口を開かなければーーと、千雨は何度となく思ったことである。

 

 そんな刹子を、千雨は誰よりも近くから見てきた。

 故に、今冷蔵庫の前で食品片手にもたもたとしている刹子の姿が、不自然に思えて仕方がなかった。

 

「お前……なんか動き方ヘンじゃねぇか?」

 

 千雨は、それを指摘せざるを得なかった。

 

「…………変、とはーー」

 

 刹子は千雨の方を見ない。手にしているペットボトルを冷蔵庫にどう納めようか、といった様子である。

 千雨は構わずその先を口にした。

 

「……いつものお前はもっとこう、テキパキとしてた。今のお前の動きは、カクカクっていうか、機械的っていうかーー

 

 

 ーー()()()()()()()()じゃねぇか」

 

 

 刹子は手にしていたペットボトルを床に落とす。

 

「おっと、いけないいけないーー」

 

 刹子は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 千雨の違和感は沸点に達していた。

 入浴セットを床に置き、千雨は刹子に駆け寄る。 

 

「おい、やっぱなんかヘンだってお前!」

 

 千雨は刹子の肩を掴み、無理やり立ちあがらせる。

 思ったよりも華奢な肩周りを感じながら、千雨は刹子の目を真っ直ぐ見据える。

 

「ちょ、千雨⁉︎ 何ですかいきなりーー」

 

「……お前顔色悪くねぇか? それにーーなんだよ、汗くせぇのはお前の方じゃねぇか! 何でそんな汗だくなんだよ!」 

 

 なぜ今まで気がつかなかったのか。

 やたらと上気した頰、額に張り付いている前髪、荒い息遣い。

 刹子の様子がおかしいのは明白だ。

 

「ヘンだ、ヘンだって! 具合でも悪いのか⁉︎」

 

「へ、ヘンなのは千雨の方ですよ⁉︎ ちょっと、痛っーーーー」

 

 刹子の弱々しい反応を前に、千雨の懐疑心が強まる。

 抵抗はしているがぎこちない。腕力は断然刹子が優っているはずなのだが、これはどうしたことなのか。

 

「ひょっとして帰り道で何かあったのか⁉︎ まさか桜通りで何かーーーーーー」

 

 刹子の全身をくまなく確認していた千雨の瞳が、()()を捉えた。

 

 千雨の視線は、刹子の()()()に釘付けになった。

 スカート下から始まり、ひざ下の黒いソックスに至るまで、すらっと伸びた真っ白な肢。

 

 その白い肢の上を、一筋の()()()が伝っている。

 その赤い線は、刹子の内股から始まっている。

 

 血だーー。

 

 普段の千雨なら、それを見て女性特有の生理現象の方を想像したかもしれない。

 しかし今の千雨はーー気が動転していた。

 

「……ろ、六戸…………おまえ、それ……それって……」

 

「千雨……?」

 

 千雨は手の震えが止まらない。

 先ほどまでの()()想像が頭の中を駆け巡る。

 それは、千雨の脳の許容範囲を上回った。

 

「あ……あぁ…………そんな……嘘だ……六戸が……あの六戸が…………あぁぁぁぁぁぁぁぁーーーー」

 

 よろよろと後ろへ後ずさり、壁に力なく手をつく。

 そんな千雨に刹子が近づこうとしーー

 

「千雨、一体どうしたとーー」

 

「ーーッ! ご、ごめん……私、私は……っ! ぅ、うわぁあああああああ‼︎」

 

 千雨は、目の前の刹子からーー逃げた。

 入浴セットやタオルを床に置き去りにして、玄関まで走る。

 

「(ーーくそ! くそ‼︎ 六戸が……変質者なんかに……ちくしょうーーーー)」

 

 刹子の静止の声も聞かず、千雨は部屋から飛び出して行った。

 

 

 

 そして、一人その場に取り残された刹子はーー

 

「…………去れ(アベアット)

 

 千雨が走り去った音を聞いた刹子は、おもむろにその言葉を発する。

 すると、刹子の全身から光の粒子が放たれ、収束。やがてそれは一枚のカードとなって具現化し、床に落ちる。

 同時に、刹子も床に崩れ落ちた。

 それはまるでーー()()()()()()()()()()()()()()かのように。

 

「ーーハァ、ハァ……よかった、何とか耐え凌ぎました……痛たたたーー」

 

 苦痛に顔を歪める刹子。

 

「……動けない体を()()()()()()()()()というのは、いつまで経ってもなれませんね……」 

 

 刹子は床に落ちているカードに目をやり、そう口にする。

 

 

 そのカードにはーー()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()が写し出されていた。

 

 

 

 




エヴァ「これ……本当に私の話なんだよな(震え)」

刹子「たぶん」


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静まれ……私の半身……!

 ーーつくづく私は運から見放された女だ。

 ぼんやりとした意識の中、私はこれまでの半生を振り返って、そのような感想に至った。

 不本意ながらも、この身は人より永く世を生き長らえてきた。

 そんな永い人生の中で、「岐路」と言えるべきものは、大きく分けて三つ。

 一つ目は忘れもしない、私がこの世に生を受けて十歳を向かえたーーあの忌まわしき誕生日。人から魔へと転身し、宛てもない旅に身を投じることを余儀なくされた幕開(まくあき)の日。あの日が無ければ、今の私は存在しない。そうーーあの日が無ければ、悠久の時を経た今、この時代で、生き恥を晒すような真似をせずとも済んだのだ。

 

「ーーさっきからやけに大人しいね、エヴァ。起きているんだったら少しは僕の話に相槌を打つくらいはして欲しいんだけど……ひょっとしてあれかい? 刹子くんが君を道端に置き去りにして行ったことを恨んでるのかい? まぁ、そればかりは刹子くんを責めないでやってくれ。あんな格好(チュパカブラ)で君を連れて行ったらなおさら収集がつかなくなっていたよ。ーーこうして僕が君を家まで送り届けているんだから、それで帳消しということにしてくれないか」

 

「…………」

 

 ……二つ目は、出来ることなら忘却してしまいたい、あの馬鹿(ナギ)との出会いだ。今更あの馬鹿(ナギ)のことで語ることなど何もない。いや、語りたくない、というのが本音だ。馬鹿(ナギ)に出会わなければ今のような、人なのか吸血鬼なのかはっきりしない中途半端な存在になることもなかった。ひとときの気の迷いがこのような結果を生むなどとは考えもしなかった。

 ーーそうさ、馬鹿(ナギ)のことに関しては、単なる私の気の迷いだったのだ! 吸血鬼である私を好き好んで助けるような変わり者だったから、ついつい目を掛けてやっただけなのだ! 何? 馬鹿言え、色恋沙汰の類などであるものか!

 

「ーー認めんぞ、私はーー断じて認めん!」

 

「おわ⁉︎ こらこらエヴァ! 人の背中でそんなに暴れないでくれよ。落っことしても僕のせいじゃないからね」

 

 三つ目はーー今まさにこの状況だ。

 馬鹿(ナギ)に掛けられた呪いから解き放たれるために行動を起こした私は見事に玉砕し、今現在、満身創痍の心身のもと中年(タカミチ)の背におぶられて、あえなく自宅送還などという異常事態を体験している。

 なぜこのようなことになったのかーーそんなこと、私自身が知りたいわ。

 段取りは完璧だった。

 馬鹿(ナギ)の息子の血を頂く為に、学園の目を掻い潜り、日夜私は力を蓄えることに尽力してきた。

 計画が上手く行っていれば、今頃私は十五年ぶりに舞い戻ってきた自由を噛み締め、歓喜の声をあげながら麻帆良の夜空を狂喜乱舞していたかもしれないのだ。

 しかし蓋を開けてみればーーなんと言う有様だろう。

 闇の福音と恐れられた私が、だーー所詮魔力制限のかかった分身体でしかないあの性悪(刹子)の存在に日々怯え、案の定計画を嗅ぎつけた性悪(刹子)の手によって私が何ヶ月も掛けて蓄えた魔力は一夜にして霧散、報復もままならず目が覚めた時には翌日の夕方という体たらく。あまつさえあの性悪(刹子)は「酔い」や「意識薄弱」といった謎の体調不良という置き土産をこの私に残していく始末。もはや意地だけで臨んだ今宵の再戦ですらーー

 

「エヴァ、君はいま足を負傷してるんだぞ? 怪我人は大人しく僕の背中でじっとしてなさい」

 

 ーーこの通り惨敗だ。

 性悪(刹子)が私に施した謎の体調不良のせいで、今宵の再戦は心なし半ばで私が気を失うという無残な結果に終わった。

 目が覚めた時には、身に覚えのない足(かかと)の負傷と、おっさん(タカミチ)のワックスでベタベタに塗り固められた髪が立ち並ぶ後頭部がお出迎えだ。

 寝ぼけていた私は「やけにチクチクする枕だな」とおっさん(タカミチ)の後頭部に顔を懸命になすりつけていたわけだ。おかげで抜け毛が何本か口の中に侵入し、それはもう最悪の目覚めだった。

 

「くそ、まだ口の中に貴様の毛の感触が残っている」

 

「頼むからさっきみたいな、起きがけに人の後頭部に向けて『ペッペッ』と唾を吐き出す真似はよしてくれよ? せっかく人が好意で背中を貸しているのに……」

 

「私が頼んだわけじゃない。貴様の自己満足に感謝する気など毛頭ないわ。それにーー未だ戦場を歩いている現役の貴様なら、己が良かれと思ってやった行為を踏みにじられる事など慣れているだろう? 唾を吐いただの吐かないだのでいちいち反応するんじゃない」

 

「辛いねぇ……。それになんだかご機嫌もナナメのようだ。これ以上暴れられても面倒だから、僕は静かにしておくよ」

 

 タカミチは「もし僕に娘がいたらこんな気難しい子に育って欲しくないなぁ」と挑発的な言葉を残し、ようやく黙った。

 この中年ーー今一度上下関係をわからせてやりたいところだが、今の私にそれが叶うはずもなく、ますます無駄なフラストレーションが溜まっていく一方だ。

 歯がゆい。

 私が本調子ならば、性悪(刹子)はおろか、こんなおっさん(タカミチ)などーー

 

『ーーだったらさっさとその鬱憤を発散してしまえばいいではないか』

 

 ーー頭の中で、『奴』はそう囁く。

 

「ーーうるさい、黙れ」

 

「なんだい、僕はちゃんと黙ってるじゃないか」

 

 ええい、貴様(タカミチ)ではない!

 ーー頭の中だ。

 私の頭の中から、私と同じ声で、私の気にくわないことばかりを、飽きもせず延々と語りかけてくるーー。

 『奴』に対して私は言っているのだ。

 

『ーー奴呼ばわりとは、また他人行儀な。釣れないじゃないか、私は誰よりもお前に近しい存在だぞ?』

 

 いくら耳を塞ごうと、『奴』の声は明瞭に聞こえてくる。

 今日の夕方、目が覚めた時からずっとだ。

 初めのうちは体の具合の悪さもあいまって、幻聴か何かだと思っていた。

 しかし、どうやら『奴』は幻聴などという生温いものではなかったようだ。

 それがはっきりと解ったのはつい先ほど。桜通りでーー性悪(刹子)と接触した、あの時。

 あの時私はーー確かに『奴』に意識を乗っ取られたのだ。

 

『己の頭の中にいるのだから、どちらかというと『こいつ』の方が言い回し的には正しいんじゃないか? いや、わかっているぞ?『こいつ』よりも『奴』の方がなんとなくカッコいいからな。ーー私はお前。お前は私だ。自分自身なのだから、そう言った痛々しい趣向も十二分に理解している。恥じる事などない。私が何事も受け止めてくれよう』

 

「痛々しいとか言うな! まるで私が厨二病みたいな風にーー!」

 

「うるさいよ、エヴァ。耳元でいきなり大声出さないでくれ」 

 

 話が逸れてしまった。

 まとめるが、『奴』は私の中に突然変異のように生まれた確固たる『意識』なのだ。それこそ、人の独白にまで突っ込みを入れてくるほどのーー『私のもう一つの意識』とも言うべきか。

 

『そこは『意識』じゃなくて『人格』と銘打ったほうが……いや、それだとコテコテすぎるか? なるほどな、少しストライクゾーンからずらす事で、痛さを和らげる手法か。涙ぐましい無駄な配慮、実に痛み入るよ』

 

 このような調子で夕方からずっと語りかけてくるのだ。

 今思うと、このような非常事態をただの幻聴の一言で片付けてしまった夕方起きたばかりの私はどうかしていたのかもしれない。

 

『安心しろ。私達がどうかしているのは今に始まった事じゃないさ。それよりも、この度お前は「二重人格者」デビューを果たしたわけだ。あまねく全ての少年少女が羨むシチュエーションだぞ? それに関しての感想はないのか?』

 

 ーーやかましい、その一言しか浮かばん。

 これ以上私に無駄なオプションを増やさないでくれ。

 六百年も生きてきて、今さら心に疾患を患うなど、死体殴りもいいとこだ。

 

 重ね重ね言うが、本当、何故こんなことになってしまったのか。

 

 おそらく、夕方からの体調不良と何かしらの関係があるのだろう。

 ーーすると、これもまた性悪(刹子)の仕業か?

 

「あの性悪(刹子)、一体なんの恨みがあって……」

 

 少なくとも、私が体調を崩した原因を作ったのはあの性悪(刹子)に間違いない。こればかりは確信している。

 性悪(刹子)は、現存の精霊魔法の中で最も不人気かつ扱いにも困る「水属性魔法」の使用者だ。

 ーー弱体化(デバフ)魔法。

 私が好むロールプレイングゲーム風に言うと、そんなところか。

 「眠りの霧」を始めとする「状態異常」に特化した補助系魔法群。それが水の魔法。

 それ自体には何ら殺傷能力を持たない水の魔法は、精霊魔法が綴る長い歴史の中で、表立った活躍が一切ない。

 それもそうだ。ただでさえ精霊魔法は“詠唱”というディスアドバンテージを抱えている。高速化が進む魔法戦闘において、1チャージの時間をかけて放つ攻撃は「必殺」に至らなければならない。実力者同士ならばそれはより顕著に表れる。お互い生死をかけた渾身の撃ち合いで、切り札を切らない馬鹿などおらぬ。

 加えていうと、水の魔法は避けやすい上に魔法抵抗(レジスト)もされやすい。

 魔法抵抗(レジスト)に関してはどの魔法を撃たれても同様に行われる行為だが、避けやすいというのはいただけない。

 そうだな、例えば「眠りの霧」を例に挙げるとするとーー

 

性悪(刹子)から水の魔法のダメ出しへと話がシフトしているぞ、私よ』

 

 ーーつまりは、だ。

 そのようなただただ面倒なだけの魔法を好んで使う性悪(刹子)こそが、このような事態(もう一人の私誕生)を呼び起こした原因を作った張本人でなくして他に誰がいると言うのか。

 

『ーー正確に言うと、性悪(刹子)は引き金を引いたに過ぎないがな』

 

 何? それはどう言う意味だ?

 お前は、この現象の真相を知っていると言うのか?

 

『自分がなぜ生まれたのか、それくらいはわかるさ。そうだな、強いて言うなら原因はーー他ならぬお前(エヴァンジェリン)自身にある』

 

 さすがは存在自体が厨二病の塊である『もう一人の私』様だ。

 原因は私にある?

 そのような心当たりなどあるはずがーー

 

性悪(刹子)がお前に施した魔法はーー“魅了”だ』

 

 冗談はよせ。

 真祖の吸血鬼たるこの私が、“魅了”状態に陥っただと?

 ありえん、いくら力を封じ込められた最弱状態とはいえ、そのようなことは。

 そもそも性悪(刹子)がそんなことをするメリットが見当たらん。

 無力化を目的とするならば、もっと良い選択があったはずだ。

 

性悪(刹子)がなぜ“魅了”を掛けてきたなど私の知るところじゃない。ただ、“魅了”を仕掛けてきたのは事実。(もう一人のエヴァ)の意識がこうして表面化したのもそれが引き金、これもまた事実だ』

 

 “魅了”を掛けたつもりが“もう一人の人格”を誕生させてしまったとでも言うのか。

 そんなデタラメな術式、ナギですら不可能だ。

 

『あくまで原因はお前(エヴァンジェリン)だと言っただろう? 度重なる失敗が(たた)って思考力すら落ちてしまったのか?』

 

 では何だと言うのだ。

 性悪(刹子)に“魅了”を掛けられた結果、お前と言う存在(もう一人のエヴァ)が誕生した。そんな意味不明な事態に陥った原因は私自身にあると、お前はそう言う。それは一体なんだと言うのだ。

 

『ーー闇の魔法(マギア・エレベア)の極意。“太陰道”に代わる、第二の奥の手』

 

 ……なぜ、今その話が出てくる。

 

『あらゆる「痛み」を受け入れ、何者にも干渉を許すことのない「絶対的な精神」の確立。()()()()()()()()()()()()、半ば壊れかけたお前が、それでも“己”を維持するために、まるで取り憑かれたかのように行なったあの研究だよ。それによって生まれてしまった副産物(イレギュラー)のことを、お前は忘れてはいないだろう?』

 

 まさか、お前はーー

 

『研究の失敗を悟ったお前は、すぐさまその副産物(イレギュラー)を自身の精神世界にて討伐し、以降闇の魔法(マギア・エレベア)の研究を行なうことを辞めた。ーークックッ、どこまでも厨二病かつ荒唐無稽な存在だなぁ、私たち(エヴァンジェリン)は』

 

 消えていなかったと言うのか。

 どこまで悪辣で、

 どこまでも欲深い、

 私が最も禁忌する「誇りなき悪」の具現化たるお前という存在は。

 

『消し去ることなどできやしないさ。私は、お前が六百年の歳月をかけて澱み貯めてきた怨嗟の念。妄執の炎(もうしゅうのほむら)に他ならない。お前が闇に生き続ける限り、私はどこまでもお前の中に在り続ける』

 

 その心が痒くなるような言い回しをやめてくれ!

 思い出したぞ。

 実に痛いやつだとは思っていたが、本当に私の「黒歴史」だったとはな。

 ああ、やはり私は運がない。

 こんな大事な時に、この世で私が最も忌み嫌う存在と再び巡り会うことになろうとは。

 

『無理に自分を否定しようとするな。いくら否定したところで、私がお前の中にある“可能性の一つ”であることに変わりはない。一歩間違えていればこうなっていたかもしれないという、悪いお手本のようなものだ』

 

 フン、勝手に言っていろ。

 ーーそれで? お前の正体が私の心の「搾りカス」だと言うことは理解した。

 しかし、性悪(刹子)に掛けられた“魅了”とお前の出現とに何ら関係性が見出せん。

 まさかーー性悪(刹子)の“魅了”にホイホイ釣られて出てきたなどと言う、馬鹿げたことは言わんよな?

 

『ーーあながち間違っておらんな』

 

 頼むから否定してくれ!

 私の心の闇がそんな軽い存在であってたまるか!

 

『まぁ、聞け。わかっているとは思うが、お前自身は性悪(刹子)から“魅了”を掛けられはしたが、現段階では特に精神的な干渉を受けていない。お前の意識は素のままのお前だ』

 

 当然だ。

 本来、“魅了”とは吸血鬼の代名詞の一つでもある。

 その吸血鬼の頂点とも言える「真祖」であるこの私が、己が行使すべき術に溺れるなどありえん。

 

『……今のお前はその「真祖」の力もほとんど弱まっているではないか』

 

 ほっとけ!

 実に癪なことだが、現に私は今こうして平静を保っているのだから問題ないだろう。

 

『平静を保っている、か……まぁ、そう言うことにしておこう。ーー話を戻すが、今回の(ケース)は非常に珍しい偶然が積み重なったことにより起きた事案でね。私がこうして出てきたのも、ほとんど奇跡と言ってもいいくらいなんだよ』

 

 …………。

 

『続けるぞ。お前の精神は“魅了”の影響を受けなかった。だがーー“魅了”の効果自体を魔法抵抗(レジスト)するまでには至らなかった。それは真祖の吸血鬼の力が弱まっていることも要因ではあるが、それ以上にーー性悪(刹子)の魅了魔法の威力が()()()()()()()()()()()()だったのだ』

 

 そんな馬鹿な。

 真祖の吸血鬼()と同等の「魅了魔法」だと。

 いくら精霊魔法に汎用性があるとはいえ、真祖クラスの固有能力を再現することなど不可能だ。

 そもそも、水の魔法自体に“魅了”を付与する呪文などーー

 

『ーー千の仮契約の女(サウザンドマスター)。お前がからかいの意味を含めて性悪(刹子)に付けた異名を忘れたか?』

 

 ええい! 意味不明な仮契約(パクティオー)カードの力かーー!

 ホントロクなことをしないな、あの性悪め!

 

『ただの“魅了魔法”ならこうはならなかったろうよ。しかし相手は「真祖」クラスの術式によって呼び寄せられた、“魅了のエキスパート”たる最上位の精霊たち。お前の心を支配できなかった精霊たちは、八つ当たりとばかりに次なる対象を求めてお前の精神世界を駆け巡った。それに応えたのがーーーー私というわけだ』

 

「ーーぬぅ⁉︎」

 

「ん? どうしたんだいエヴァ? ひょっとして僕、道でも間違えたかな?」

 

 相変わらずタカミチは素っ頓狂なことを返してくる。

 だがーー今はそれどころではない。

 

『“エヴァンジェリン”という流れる精神の川の中で、吹き溜まりにこびり付いた澱んだ泥に過ぎなかった私ではあるがーー魅了の精霊の啓示を受け入れたことにより確たる目的を得て、こうしてお前の表面意識へと浮上することが叶った』 

 

 ーーこいつ、また私の精神を押しのけ、体を乗っ取るつもりか。

 目的を得た、と言ったな。

 いかん。するとこいつはーー

 

『ーーセクストゥム、もとい六戸刹子を我がモノとする。それが私の目的だ。焦れったいお前に代わって、私が両者の間を取り持ってやる、そう言っているのだ。ククーー従者が増えるぞ? それも極上のな。やったねエヴァちゃーー』

 

 やめろぉ!

 くそ、そういうことだろうと思ったわ!

 まずい、手段を選ばない悪の三下のようなこいつが、表に出てしまってはーー

 

『安心しろ。何も麻帆良一帯を氷漬けにするような真似はしないさ。そうなっては後始末が色々と面倒だからな』

 

 脳髄を鷲掴みにされるような感覚に苛まれ、足元が涼しくなる。

 弱り目に祟り目、不運ここに極まれり。

 このままーー持ってかれてはーー

 

『悪の魔法使いらしからぬお前に、この私がお手本を見せてやろう。“闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)”はここに新生する。まずは手始めに、そこの警戒のけの字も無いおっさんを料理してやるとするかーー』

 

 ……逃げろ、タカミ、チーーーー

 

 

 

 †††††

 

 

 

 激動の「デスメガネ戦」を無事(?)乗り越えた翌日の朝、私はいつもよりも幾分早い時間に登校した。

 

「おはよーござい……って、ーーまだ誰も来てないとは」

 

 教室の戸を開け放った先に3-Aのクラスメイト達の姿はなく、さんさんと煌めく朝日の光をこれでもかと反射させている机たちが私を出迎えた。

 

『ーーまさか、全滅した、でちか?』

 

『さすがは麻帆良が誇る奇人集団。散り様もぶっ飛んでるのね』

 

 電子精霊たちが何やら言っている。

 単に私が他より早く来過ぎただけなのだが、彼女達(電子精霊)の脳内では3-Aの生徒達は如何様な最期を向かえたと言うのだろう。

 

『お、お、おはようございます! 六戸さん!』

 

「はいはい、おはようございますよ〜」

 

 ()()()()()()()が口にしたのだろう唐突な挨拶に軽く答え、私は重い足取りで自分の席に向かう。

 黒板から最も遠い、教室の最奥で孤島のように佇む二組の机。その内の片方が私の席だ。

 ウチ(3-A)のクラスは三十二人編成。席の配置構成は一列五人、それが計六列となれば、当然二人あぶれることになる。

 そして見事にあぶれ、あえなく孤島行きとなった二人の内の片割れが、私だ。

 

「ーーよいしょ、と。はぁ〜、しんど〜い」

 

 スクールバッグを机に置き、その上から顔面ダイブをする。

 人前ではお淑やかに、誰も見てないところでは全力で脱力する。長きにわたり「女子力とはなんぞや」を追求してきた私の導き出した答えのうちの一つだ。

 

『学校に来て早々このダレよう……随分と辛気臭い“女子力”もあったものでち』

 

「うっさいですよでっち。私は今と〜っても疲れてるんです」

 

『たいげ〜……夜、眠れなかった?』

 

「そりゃもう完膚なきまでに完徹くらっちゃいましたよ、ろーちゃん。……あれじゃ寝るに寝れませんよ、まったく」

 

 昨日の夜のことだ。

 私の買ってきた「激辛カップ麺」がよほどお気に召さなかったのか、突如大声をあげて部屋を飛び出した私のルームメイト(千雨)

 いくら待てども暮らせど帰ってこないので、戦闘後の疲れた体に鞭を打って、女子寮内を駆け回った結果、共同トイレの個室で閉じこもっている千雨を発見。そして確保。引きずるように部屋へ連行。その時の時刻、夜十一時。

 沸かしていたお湯はすっかり冷めきり、もう一度沸かそうとするも、千雨は「今日はもう寝る」と言って布団に包まってしまう。

 

「せめてお風呂だけでも入ってきたら……」

 

 と言った私の声にも耳を貸さず、だんまりを決め込む始末。

 仕方ないので私も夕食は諦め、一人お風呂へ行き汗を流し(その際脱衣所で、血まみれでブラッディ状態な自分のパンツに驚く)、ようやくの思いで床に就く。

 のだがーー

 

「ーーちくしょう……、うぅ、ちくしょうーー」

 

 ……そんなに嫌だったんですか、激辛カップ麺。

 そんなこんなで、自身が横になっている二段ベッドの下から聞こえてくる怨嗟の声に悩まされ、気づけば夜が明けていたのだった。

 疲労を全身に感じながら二段ベッドのはしごをのしのしと降りると、そこには血走りドライアイをこれでもかと見開いた千雨の姿が。

 思わずはしごから落っこちそうになった私に、千雨の泣きはらし枯れ切った声が追撃をしてくる。

 

「……私、今日学校休む」

 

 有無を言わさない声色に慄きながら、うんうん、と首を振る私。

 ーーこの空間は耐えきれない。

 すっかり目が覚めてしまった私は、手早く身支度を整え、一刻も早くこの場から離脱をしようとスクールバッグを肩にかける。

 ーー千雨に再び声をかけられる。

 振り向くと、「信じられない」といった風な顔がそこにあった。

 

「……六戸、学校、行くのか?」

 

「え、はい、まぁ……行こうかな〜なんて、行っちゃおうかな〜なんて……あはあは」

 

「…………なんで」

 

「え、……千雨?」

 

 千雨はその後すっかり黙り込んでしまい、より一層気まずくなった私は「ごめんなさい」とだけ残し部屋を出ようとする。

 そんな私に千雨は一言だけ、

 

「ーー今日は、早く帰ってこいよ」

 

 と告げたのだった。

 

 そういうわけもあって、足早に部屋を出た私は、通学ラッシュの波がくるよりも先に、誰よりも早く教室へとやってきたのだ。

 

『なんというか六戸さん、朝から大変だったんですね〜』

 

「お〜、わかってくれますか、え〜と……君は」

 

『「さよ」です! 「相坂さよ」です!』

 

34(さよ)ちゃん……ウチ(電子精霊)にそんな名前の子いましたっけ? あぁ、新入りさんですか。よろしくですよ〜」

 

『はい、よろしくお願いします! ……あ、あの、よければ私とお友達に……』

 

「はいはい、ズッ友ですよぉ〜」

 

 スクールバッグに顔を押し付けながら、回らない頭で新入りと思しき電子精霊と会話する。

 

『たいげ〜……とうとう頭がおかしくなって……アハトアハト』

 

『昨日無理して「人形師の繰り糸(テレプシコーラ)」の演算処理を自分の頭でやったのが響いてるのね。大人しくデスメガネと戦ってた時みたいに私たちに任せておけばよかったと思うの』

 

『でも、たいげ〜の残念な頭で自分の部屋まで辿り着けたのは奇跡でち。そこは褒めてやるべきでち』

 

『それよりも、さっさと回復魔法使っとくべきだったと思うんだけどなぁ。そうすれば、千雨に怪しまれずに済んだかもしれないのにーーって、たいげ〜聞いてる?』

 

「うっさい。私はたいげ〜じゃないって何度言ったら……」

 

 だめだ。やかましくてかなわぬ。

 だぁ〜、と唸り声をあげながら顔をあげ、席を立つ。

 外の空気でも吸おう。

 そう思った私は、教室の外窓を勢いよく開き、入り込んでくる外気に身を委ねる。

 

「ああ、大いなる風の精霊よ、このまま私をどこか遠くへと連れ去って……」

 

『わぁ、六戸さんってロマンチックなんですね〜!』

 

「…………」

 

 何を馬鹿言ってるんだ私は。

 目の前の現実から目を背けるのはとうの昔に卒業しただろうに。

 

「ーー来たれ(アデアット)

 

 制服の内ポケットに手を入れ、一本の包丁を取り出す。

 太陽の光を浴びて爛々と輝くそれを、指先で器用に(もてあそ)ぶ。

 これは昔からの癖だ。

 手持ち無沙汰になるとついやってしまう。

 それは麻帆良にきてからも変わらず、おかげで多方面から誤解を招く要因にもなった。

 

「うまくいかないなぁ……ホント」

 

 麻帆良に戻ってきた当初の目的は、ネギ君の成長を見届ける……そんな感じだったと思う。

 だけど、近くで見ている内にだんだんもどかしくなっていって、結局、一生徒としてどうにか接点を持とうと右往左往している内に、今回の事件(桜通りの吸血鬼)が起こってしまった。

 戦況は非常に思わしくない。

 やることなすこと全て空回りで、現状リザルト画面はマイナス評価を最速でマークしていっている。

 私という異物が混入したことで、世界がゲーム難易度を底上げしているーーそんな錯覚すら覚える。

 

 ーーゲームをしようじゃないか、性悪。

 

 故にそれはーー世界からの挑戦に等しいのかもしれない。

 私というイレギュラーがここで退場したところで、この物語になんら影響を与えることはない。元どおりに歯車が回り始めるだろう。

 しかし、私はそれを認めることなどできない。

 

ここ(麻帆良)は、私の居場所の一つだから」

 

 生まれてこのかた、私はこの世界に自分の居場所を求め続けている。

 ここ(麻帆良)は、そんな私が心に決めたお気に入りの一つ。

 それを守り抜くためにも、私は……そう、頑張らないといけないのだ。

 

「いっちょ、やったりますか」

 

 敵は弱体化しているとはいえ、強敵に変わりはない。

 あの人は、いついかなる時でも私相手に手を抜く事はなかった。

 今回はいつも以上に本気でくるに違いない。

 ……少しばかり様子がおかしいのが気になるが、ひょっとしたら、それもまた新たな手口なのかもしれない。

 負けてなるものか。

 

 指先で弄んでいる包丁の回転を早める。

 落としたりなどしない。

 もはやこの得物は己の感覚器官の一つになっている。

 

 包丁が風を切る音がより一層高くなる。

 それが頂点に達したーーその時、

 

「ーーッ!」

 

 私は、それ(包丁)を背後へと投射した。

 ーー衝突音は一切なかった。

 

「……お見事」

 

「私の背後に立つな、でしたっけ? 自分がされて嫌な事は人にするもんじゃないですよーーマナ」

 

 振り向くと、そこにいたのは片手にハンドガン、もう片方の手で、私の投げた包丁を二本指で受け止めている色黒の女。

 私の昔の仕事仲間が立っていた。

 

「凶器を教室で振り回す癖はいい加減やめた方がいいぞ、セツ子。ましてやそれを投げつけるなど。私じゃなかったらどうするつもりだったんだ? ……いや、私であっても、目元を狙うのは勘弁して欲しいんだが」

 

 眼球スレスレで包丁を受け止めているマナは、若干冷や汗を垂らしている。

 どのみち()()()はたかが包丁くらいじゃ傷ひとつ付かないでしょうに。

 

「同じく凶器携帯しているあなたに言われたくありませんよ〜だ。というか、私の気配察知力をお忘れですか? 対象を誤るなんてヘマはしませんですし」

 

「ほ〜、気配察知力ねぇ?」

 

 いきなりニヤニヤしだしたと思ったら、すぐさまため息をつくオープンキャリー女。

 そして、顎でくいくいと明後日の方向を示し出す。

 随分と感情豊かになったものだ、と感慨深い気持ちで、マナが示した方へと目を向ける。

 

「ーーあ」

 

「………………」

 

 そこには、教室の入り口で顔を真っ青にしている私のクラスメイト達の顔があった。

 

 

 

 †††††

 

 

 

 どうやら私の気づかない内に、生徒達の登校時間になっていた模様。

 私の後にやってきた宮崎さん(図書委員の仕事で早めに登校した)は、窓から外の景色を眺めながら、鬼気迫る表情で包丁を振り回す私が怖くて、教室に入るに入れなかったようです。桜通りの時といい、よくない現場に出くわしますね。めげないで、本屋ちゃん。

 宮崎さんが固唾を呑んで私のトリップを見守っている内に、一人二人、三人と、ギャラリー(3-Aの生徒)は増え、このままでは埒が明かないとなって、ちょうど良いタイミングでやってきた龍宮真名(マナ)に白羽の矢が立ったようだ。

 気配察知力(笑)。

 あいつ(マナ)、それであんなニヤニヤしてたのか。

 それよりあのハンドガン本物?

 さすがの私も障壁無しの状態で脳天打ち抜かれたら死んでしまうのですがそれは。

 アルさんじゃあるまいし、分身体だからなんでもアリだなんて、私はそんな都合よくできちゃいないのです。

 他のクラスメイトが見てる前でそんなスプラッターな事態を引き起こして、マナはどう事後処理をするつもりだったのでしょうか。案の定、マナがハンドガン片手に私に近づいていく様を見て、ギャラリー(3-Aのクラスメイト)はかなり肝を冷やしたそうです。

 まぁ、マナからして見たら、私が何らかの対応をしてくるのを見越してのことだったのでしょうけど。

 学園は、私のようなたかが不良少女に躍起になるのではなく、リアルアウトレイジなあの色黒女にスポットを当てるべきだと私は思います。

 

 …………

 

 はぁ、せっかく人がいい感じでこれからの行動指針を定めていたというのに、何というか、またしても気分が落ち込んできました。

 何とも情緒不安定、今を生きる女子中学生の乙女心は繊細なのです。

 しくしく……

 

「刹子、あんたさっきから何やってんのよ」

 

「行き場のない(いきどお)りを、身振り手振りを交えながら外界へ発信しています」

 

「……あんた、なんかヘンなモノにでもハマった?」

 

 またしても人がトリップしているところに水を差す輩が現れました。

 

「うっさい。そっとしておいてください。今の私は触れれば引き裂く出刃包丁。いくらミサミサといえど、容赦はしませんよ」

 

 チョップを空切らせながら威嚇する私。

 柿崎美砂(ミサ)は、そんな私を見て苦笑いを浮かべ、そのまま自然な流れで私の机の上に腰を下ろす。

 ちなみに、今の教室内は先ほどの一触即発な空気(不良vsアウトレイジ)はすっかり霧散し、ホームルーム前の和気あいあいとした時間を各々過ごしている。

 

「ねぇ刹子、いい加減そろそろ部活に顔出しなさいよ。あんた、一応はチアリーディング部所属なのよ? 忘れたの?」

 

「そんな設定初めて聞きましたけど? ……あ痛た」

 

 いきなり脳天チョップをかましてくるミサ。

 不良の机の上にずかずかと座って、おまけに暴力まで振るってくるとは。

 こんのエロ番長、やはり私たちは相入れない。

 

「ったく……。そんで? 出る気はあるの? ないの? 旅行から帰ってきて一度も練習に顔出してないじゃない。あんたが勝手な性格なのは百も承知だけど、ずっと幽霊部員ってのも同じクラス在籍の私からしたら色々と納まりが悪いのよ」

 

「……去年のバスケ部の他校合同練習会で出禁喰らって以来、実質チアリーディング部は解散状態じゃないですか。部の方から練習再開したなんて知らせ、私には届いてませんけど?」 

 

「うぐ、それは……」

 

「ミサの言っている部活とは、あれのことでしょう? チアの練習なんかじゃなくて、ミサが勝手に組んだバンドのことでしょう? えと、名前は確か……デコポンロケットだか、テポ……」

 

「で・こ・ぴ・んロケットよ! なによ、ちゃんとわかってんじゃないの」

 

「え〜、まだあのバンド続いてるんですかぁ〜?」

 

 思いを馳せるは去年の麻帆良祭。

 でこぴんロケットは、チアリーディング部が無期限の活動休止に追い込まれたことで、暇を持て余したミサが突発的に組んだ、組まされたロックバンドである。

 メンバーは私、ミサ。そして同じチア部所属の釘宮円(くぎみー)椎名桜子(桜子大明神)

 各々初めて楽器に触れたということもあり、最初の内はアットホームで素敵なバンド練習だった。

 だが、ギターを手にしたことで調子に乗ったミサが、よせばいいのに、麻帆良祭でステージに立とうなどと言い出したことが悪夢の日々の幕開け。

 各々のバンドに対する熱量の差。

 いつまでたっても上達しない楽器の腕。

 少し自分の方が上手くなったからと言って、勝手気ままに担当楽器をチェンジ。それによるいたちごっこ。

 見合わない楽曲の難易度と演奏力。 

 すれ違っていくメンバー間の意識。

 乖離していく理想と現実。

 

 そしてミサを襲った突然の悲劇。ミサ、彼氏に別れを告げられる。

 

 「言い出しっぺが抜け駆けして自分だけ良い思いをしてきた。当然の報いだ」とは、誰が発した言葉だったか。

 

 ますます冷え込む人間関係。

 幾度にわたる言い争い。

 そして、極限の精神状態で臨んだ本番(麻帆良祭)のステージでの演奏はーー

 

「それはもう、最悪でした」

 

 ボロボロだった。

 空き缶とか飛んでこなかったのが不思議なくらいだ。

 客席の生暖かい視線がかえって心にくる。

 金輪際、あんな目に合うのはこりごりだ。

 

「ーー私は、もうステージの上に立ちたくはありません」

 

 居住まいを正して、ミサとしっかり目を合わせて、そう告げる。

 

「私、でこぴんロケットから脱退しまーー」

 

「却下よ」

 

 無情。

 渾身の告白を、ミサはあっけなくぶった切った。

 私はお尻に火がついたように椅子から立ち上がり、ミサに食ってかかる。

 

「なぁ〜んでですか〜⁉︎ またあの辛くて苦しくて何の実りもない虚無の日々を送れと⁉︎」

 

「えぇい、黙りなさい! 私は悔しいのよ! 音楽のおの字も知らない外部の連中にわかったような顔されるのは! 刹子、あんた知ってた? 麻帆良チア部活動休止の直接の原因となったウルスラのチア部の奴ら! あいつら客席で私たちの演奏聞いて大笑いしてたそうよ! ムカつくじゃない!」

 

「知ってますよぉ、知ってますとも! 実はバッチリ録音もされてて、今でも時折昼休みに教室で流してクラスみんなで大笑いしてることもね!」

 

「はぁ〜⁉︎ ちょっとなにソレ初耳なんだけど⁉︎ あいつらそこまでして私たちをコケに……くぅ〜ッ! くやしいくやしい! だったら、だったらなおさらあいつらをギャフンと言わせてやる必要があるわ! 刹子、今こそ立ち上がるときよ! 私たちの音であいつらの鼻をへし折って鼓膜をブッチブチに破ってやろうじゃない!」

 

「はいそれ却下〜、却下で〜す! あんなギスギスした放課後を送るくらいなら陰で笑われてる方がずっとマシです! 一切の表情を失った桜子とか、煙草の自販機の前で意味深に立ち止まるくぎみーとかもうこりごりです! 人間関係めっちゃくちゃになって、お互いの雪解けに何日費やしたと思ってるんですか! そんなに音楽がやりたいなら一人で路上ライブでもやって欲求を解消しててください! ただし演奏はド下手」

 

「な〜にお〜!」

 

「な〜んです〜⁉︎」

 

 練習終わりに立ち寄ったエヴァさんの家で、なぜだかいつもよりも優しいエヴァさんにトキメキを覚えてしまうくらいには精神が落ち込むんです。

 そうーーそう、エヴァさん!

 今はエヴァさんのことで手一杯なんだからなおさらバンド練習なんざやってる暇ないではありませんか。

 

「おお! 刹子、たつみ〜の次は柿崎とバトってる! やれやれ〜!」

 

「私、刹子に食券五十枚!」

 

「だったら私は刹子に七十枚!」

 

「私は刹子に手持ちの食券全部かけるよ!」

 

「誰か一人くらい私に賭けなさいよ!」

 

 ミサと両手で取っ組んでるうちに湧き上がり出すクラスメイトたち。

 力で私に勝てると思うてか!

 こちとらアーウェルンクスですよ、舐めないで!

 

「ちょっと! 何やってますの! もうすぐホームルームの時間ですわよ! 皆さんさっさと席にお戻りなさい!」

 

「ちぇ、良いところだったのに〜」

 

 オンオフの切り替えが早いのもウチ(3-A)の特徴。

 いいんちょの一声で皆、蜘蛛の子散らしたかのように解散していく。

 さすがの私たち(私とミサ)も空気を察し、両手に込める力を抜いて、お互いの体で重心を支え合う姿勢になる。

 私の耳の後ろでミサが声を発する。

 

「とにかく、ステージに立つか立たないかは置いといて、練習には顔出しなさい。いいわね」

 

「……ほんと、諦めが悪いですねあなたは」

 

 ゼェゼェと肩で息をしながら、ミサは自分の席へと戻っていく。

 それを目で追っていると、ふと、こちらを見ているくぎみーと目が合う。

 くぎみーの目はこう語っている。

 

 ーーあきらめて

 

「……もう、こっちはそれどころじゃないってのに」

 

 いつの間にか蹴飛ばしていた椅子を起こし、着座、そのまま脱力する。

 

「あ、そうだ。今日、千雨に早く帰れって言われてた……」

 

 ふと思い出した今朝方の件。

 あの有無を言わせない声色が頭の中で再生される。

 そうだ、今日私は寄り道をせず真っ直ぐに帰宅しなければならない。

 これはバンド練習をサボる免罪符になるのではーー

 ーーと、一瞬考えもしたがーー

 

「さすがにエヴァさんを野放しにするわけにはいかないじゃないですかぁ……」

 

 なんとも堂々巡り。

 あちらを立ててはこちらが立たず。

 かといってどちらも無視することはできない。

 窓際での決心は何処へやら、私の心象は再び奈落の底へ堕ちていく。

 

「……しんど」

 

 優先順位を設けるとするならば結果は明確だ。

 だというのに、私はまとめていっぺんにそれらを背負いこもうとしている。

 取捨選択を曖昧にしたままでは何一つとして結果は得られないだろうに。

 まぁ、それは今回に限ったことではないのだけど。

 

 教室にネギ君が入ってくる。

 

「みなさん、おはようございます! え、え〜と……」 

 

 ネギ君の表情には、緊張とか、困惑とか、そういった類の相が張り付いている。

 麻帆良で先生を初めてだいぶ経つと思うけど、やはりまだ緊張するのだろうか。

 思えばこうして私がホームルームから出席しているなんて、ネギ君が来てから一度もなかったっけ。

 見慣れない顔があるもんだから、ひょっとしてそれで驚いてるのかな。

 あれ、ホームルームといえばーー

 

「ーーエヴァさん、まだ、来てない?」

 

 私の隣席が未だ不在だということに、今更になって気がつく。

 よっぽどのことがない限り、登校という誓約から抜け出せないあの人が。

 遅刻? いや、そんなわけない。

 茶々丸さんという優秀なママンが、そんな蛮行許すはずがない。

 そうだ、茶々丸さんはーー

 

「…………」

 

 ーー居る。茶々丸さんは来てる。

 私の視線に気づいたのか、茶々丸さんはこちらを振り向くやいなや、何やら口をぱくぱくとさせている。

 なに、私に何か伝えたいことがあるの?

 

「…………」

 

 ごめん、ちょっとよくわかんない。

 

「茶々丸さん、何て言ってーー」

 

「ーーちょっと、刹子さん! 今はネギ先生のお話中ですわ! お静かになさって!」

 

 いいんちょ(ショタコン)からのストップが入る。

 そこまで大きい声出してないじゃないですか〜。

 あなたの声の方がよっぽどーー

 

 ーー前を向くと、ネギ君がなんとも言えない顔で私の方を見ている。

 

「あ、あの……六戸さん、続けて、いいでしょうか?」

 

 はい、なんというかその、話の腰を折ってしまってごめんなさい。

 あぁ〜、そんな目でお姉ちゃんを見ないで〜。

 柿崎ィ! ニヤニヤしてんじゃねー! です。

 

 この場での会話は不可能だと判断した茶々丸さんは既に前へ向き直っている。

 今日は何かと衆目に晒される。

 恥ずかしい真似は控えたいというのに。

 このまま教室の隅で石になってしまいたい。

 もうネギ君の話が耳に入ってこない……。

 

「ーーそれでは、えと、お入りください」

 

 クラス全員が一斉に教室の前扉の方へと顔を向ける。

 え、なに?

 私なにも聞いてなかった。何が始まるというのでーー

 

 ーーガラガラ

 

 扉を開けて入って来たのは、麻帆良女子中等部の制服を来た一人の生徒だった。

 流れるような金の長髪は、それ自体が光を放っているのかと思うほどに眩しく、

 

「うわ、めっちゃ美人ーー」

 

 しなやかで細い体の線と、月の光を閉じ込めたような白い肌。

 生者とは思えないほどに作り物めいた存在がそこにある。

 背丈は私と同じくらいだろうか。

 

「こ、これは、レベル高すぎ……?」

 

 クラス中が感嘆の息で溢れる。

 しかし、美人なのは認めるが、皆、色々と雰囲気に流されすぎではないだろうか。

 

 両手にレースの手袋。

 左目に青いバラの眼帯。

 

 校則無視とかそんなレベルじゃない。

 今現在、ノーネクタイで胸元のボタンを二つ解放している私が言うのもあれだが。

 

 ネギ君は進行するのを忘れて、完全に惚けてしまっている。

 あ、どうやら再起動したようだ。

 

「え、え〜と、この度、妹のエヴァンジェリンさんが事故に合われまして、それを心配して遠路はるばる麻帆良へとやってきて……え〜と」

 

 ネギ君落ち着いて。

 説明がしどろもどろかつ意味不明になってる。

 というか気づいて!

 そこにいる本人が当のーー

 

「ーー“エカテリーナ”と申します。この度、妹に代わって皆さんと一緒にお勉強をさせて頂く運びとなりました。……()()()ですが、どうぞ宜しくお願い致します」

 

 ーーなにしてんですか、あんた(エヴァ)

 

 

 

 




なかなか筆が進まず、気づけば一ヶ月がすぎて……
遅れてしまい申し訳ありません!


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自称転校生のエカテリーナちゃんは香水がキツい

遅くなりました!
なんとか二ヶ月オーバーは回避できた(できてない)


 久しぶりに出席した朝のホームルームは、私に学生生活の素晴らしさを改めて教えてくれた。

 クラスメイトたちの喧騒と朝の澄んだ空気。薄暗い教室には陽光が斜めに差し込み、それにより浮き立った個々の影が、室内を明と暗の絶妙なコントラストで彩っている。

 随分前に千雨と一緒に観に行った映画の中の景色のようだ。

 ノスタルジー溢れる物憂げな一枚の絵画。

 膨張された映画の演出にも引けを取らない世界が、いま私の目の前に広がっている。

 嗅覚と視覚の両方でそれらを愉しみながら、我が愛しのクラスメイト達の背中に感謝の意を込めて、我が子を慈しむ母のごとき視線を送る。

 ありがとう3-A。

 このような素敵な居場所をプレゼントしてくれたあなた達に、天使たる私が無償の愛を授けましょう。

 ああ、みんなまとめて私の嫁になれーー

 

「ーーみなさ〜ん、質問はそれくらいでーーえっと、次は……そうだ、席! エカテリーナさんの席は……」

 

「千雨ちゃんとエヴァちゃんの席が空いてるよ〜」

 

「あれ、そういえば長谷川って今日休みなの?」

 

「刹子〜? ウチ保健員やのになんも聞いて「あ、千雨なら風邪で休みです」……もうっ、連絡くらいちゃんとしぃや〜」

 

「あれ、そういえばまき絵復活してたんだ」

 

「今気づいたの⁉︎ ひど〜い!」

 

 …………。

 ふむ、少し雑音が入りましたが、気にせずいきましょう。リラックスリラックス。平常心を保つのです。いないいない、怪しさ満点の転校生なんていない。

 素敵な学園生活。

 清々しい朝のホームルーム。

 今はそれだけを考えるのです刹子、それだけを……

 …………よし、リセット。

 

「コホン、え、え〜、この席順だって、初めはどうかと思ったけど……」

 

 気を持ち直した私は、改めて今自分が座っている学習机に目を落とす。

 教室の後ろで離れ小島のように孤立した一台の長机。三人分の学習スペースを確保できるくらいには幅がある机を、今現在私は一人悠々と占領している。

 事情を知らない外部の人間がこの状況を見たら何かの罰ゲームか、はたまたよほど私が問題を抱えた生徒なのではと邪推するかもしれない。そしてそれらの予想はあながち間違いではない。

 何故ならば、このように生徒同士の不和を連想させる、悪質とも言うべき采配を振るったのは他でもない。この学園の長である「近衛近右衛門」本人なのだ。

 いちクラスの問題に担任を差し置いて、組織のトップが自ら介入してきた。このことから、この席に座る生徒がどれほど凶悪で危険な問題児なのかがうかがい知れる。およそ一年以上もの間、一切の席替えを認めず、他の生徒たちから隔離するような待遇を押し付けるほどだ。それはもうやばい生物……生徒なのだ。

 しかし、そんな当人は今日に限ってお休みらしい。

 指名手配級の問題児でありながら、病欠や台風の影響等の理由以外で学校を休んだことのない彼女にしては珍しい。

 理由が気になるところだが、まあ、そのおかげで今日一日私の安全が保証されたのだから良しとしよう。

 日々わがままな問題児からクラスメイトたちを守る生活というのは、中々に肩の張るお役目なのだ。

 たまにはこんな小休止があってもいいだろう。

 今日は一日何も考えずにのんびりとーー

 

「ーーそれじゃ、エカテリーナさんは六戸さんの隣……エヴァンジェリンさんの席を使っていただいて……」

 

 …………。

 現実を直視するにはまだ早い、まだいける。

 えと、そうだネギ君、ネギ君たら随分とまぁ立派な先生になっちゃって。

 こうしてネギ君がちゃんと先生をやっている姿を見るのは、実のところ今日が初めてな私。

 まだ完全に緊張が抜けてないのか。

 たどたどしくも、己が役割を懸命にこなそうと必死になっている姿を見ているとこう、胸にくるものがある。

 今日という日を私はどれだけ待ち望んだことか。

 旅先から、実にアナログ的な手段(素泳ぎで大陸横断)で帰国を果たしてはや一ヶ月。そして今日に至るまで一切合切(いっさいがっさい)、ネギ君と触れ合うという場を設けることができなかった。それは私の不徳の致すところである。

 だからと言って、焦った末に手段を誤るということだけは避けたい。

 一歩一歩、清く正しく堅実に歩み寄っていかねばならないだろう。

 今のところ、かろうじてお互いの声が耳に届く範囲。それだけで十分な進歩だ。

 不良というキャラクターを誇示するがために、年がら年中遅刻がモットーなどという不毛な行為を繰り返してきたが、それも、もうやめにしよう。

 この声を毎朝この時間に聞く。それを楽しみに、今一度社会のリズムに乗るのだ。

 ああ、私ったらなんて慎ましい乙女なんだろう。なんていじらしい心模様なんだろう。

 これはもうヒロイン確定ですね。それもダントツで。

 いつも陰からひやりとした視線を寄越すだけで、積極的に関わろうとはしない謎の美少女。

 しかし主人公が窮地に陥ると度々目の前に現れ、適切な助言を残し去っていく。

 ーー六戸さんって何者なんだろう、なんでいつも僕を助けてくれるんだろう。

 主人公の胸の中で、謎の美少女の割合が日に日に増していく。

 そして明かされる衝撃の事実、なんと謎の美少女の正体は敵の幹部だったのだ。

 ーーそんな、六戸さんが敵の幹部だったなんて! でも、でも僕は……

 荒れに荒れる驚天動地の戦いの数々。

 取り巻きの仲間はみな謎の美少女を非難するも、主人公だけは心の葛藤に苦しみ、毎晩彼女のことを思い涙を流す。

 そして来たる決戦の舞台。

 主人公の杖は遂に謎の美少女の喉元を捉える。

 これですべてが終わる、共に戦ってくれた仲間たちのためにも、主人公はここで彼女を殺さないといけない。

 心を押し殺し、最後の魔法が放たれようとしたその時、今まで沈黙を保っていた謎の美少女の口が開く。

 

 ーーやっと、私を見てくれましたね、ネギ先生。

 

 …………。

 キャーーーーーーーーー!!!

 何これやっば。何これマジでやっば!

 これ一生主人公の心を盗んで返さないやつじゃん!

 やだ私ったら罪深すぎーーー!

 なんという女子力、なんというヒロイン力!

 どうだぁ3-A〜? あなた達にここまでのポテンシャルはないでっしょ〜ぅ?

 こりゃ読者投票永久に一位ですね!

 はいはいヌルゲヌルゲ。

 こりゃ世界が難易度調整ミスったとしか思えなーー

 

「ーーえぇと、ろくのへ、さん? お隣、よろしいかしら?」

 

 …………。

 なんかこの部屋ホコリ多くないですか?

 こう、部屋の明暗が強いとホコリがくっきり見えて気になるんですよね。

 昨日の掃除当番は誰? 大方双子辺りがサボったんじゃないでしょうかね、まったく。

 それにしても、ああ、なんだか急に眠くなってきました。そういえば昨日は一睡もできませんでしたからね。

 一時間目は確か……国語? だめだ、新田先生じゃないですか。さすがにあの先生の前で堂々と爆睡はできませんね。

 仕方ない、せめて今のうちに仮眠だけでも取っておきましょう。気だるい頭じゃ勉強の効率も下がるってもんです。よし、寝よう、さぁ寝よう、すぐ寝よう。

 

「……それじゃ、お休みな「あ〜〜! 刹子がエカテリーナさんのこと無視しようとしてる! 態度わる〜い!」……チッ!」

 

 やっぱだめか!

 両腕を枕にして顔を埋めようとしたら、案の定ギャラリーがざわつき出した。

 

「これはあれか〜⁉︎ 俗にいう「洗礼」ってやつかぁ〜⁉︎ 麻帆良一の不良生徒、六戸刹子! 悪りぃがそう簡単にゃてめ〜を仲間となんざ認めね〜よ、的な⁉︎ 龍宮、柿崎と続いて早くも本日三度目のキャットファイトが間も無く開幕だぁ〜!」

 

「ちょっとみなさ〜ん⁉︎ け、喧嘩はいけないことですよ〜⁉︎ え、というか本日三度目? え、ええ〜⁉︎」

 

 ええい、沸くな沸くな!

 朝倉め、勝手に場を盛り立ておって、後で覚えてなさい。

 それに今ので間接的にネギ君の好感度がガクンと下がったじゃないですか!

 あ〜もう、私が目の前の自称転校生を避けたいのにはちゃんとした理由があるんですよ!

 

「…………(チラ)」

 

 恐る恐る伏せていた顔を上げる。

 真っ先に目に飛び込んできたのは、薔薇(ばら)模様の黒いレースの手袋。

 私と同じ目の高さに、そんな場違いな手袋に収められた両手が行儀よく控えている。

 学生服にレースの手袋。近くで見るとますます調和のとれていない組み合わせだ。

 しばらくレースの手袋に目を捕らわれていると、空気が奇妙な匂いを運んでくるのに気づく。

 

「…………(あれ? これって……薔薇(ばら)の匂い?)」

 

 濃厚な薔薇(ばら)の香りが鼻腔を刺激する。

 匂いの発信源は目の前の転校生で間違い無いだろう。

 おそらく香水か。

 彼女(エヴァ)は普段香水なんてつけないというのに、これはどうしたことか。

 

「(ちょっと適量オーバー気味じゃないですか? 薔薇(ばら)の主張が強すぎます。 普段つけなれてないから、適当に身体中ぶっかけたんじゃないでしょうね? ……これも、何かの作戦? 私の鼻を粉砕して何の意味があると)」

 

 しばらく思考にふけっていたが、それらしい答えは浮かんでこない。

 これ以上考えても仕方がない。

 先ほどから私が一言も言葉を発さないせいで、一触即発的な空気を感じ取ったのか、あれほど騒いでいたクラスメイト達が静まり返っている。

 現実逃避の猶予を引き延ばすのもいい加減限界か。

 意を決して視線を上げる。

 

 ーー心臓が大きく脈を打つ。

 

 私が今この世で最も厄介だと感じるモノが、そこにあった。

 青く透き通った雪の結晶。

 薔薇(ばら)の形状を得てこの世に繋ぎ止められた一粒の神秘。

 それは彼女の左目を覆っている青く透き通った薔薇(ばら)ーー薔薇(ばら)の眼帯だ。

 見た目はただの透明な薔薇(ばら)のブローチにすぎない。

 彼女がそんなものを眼帯代わりにつけている理由なんて、他の人からしたら「ミステリアス系な変わった子」くらいにしか思わないだろう。

 ーーしかし、()()はそんな自分のキャラ作りのために存在しているようなモノではない。先ほどから私が感じている悪寒は、彼女(エヴァ)が突然妙なキャラで私の目の前に現れたことが原因ではない。()()だ、その青い薔薇の形をしたモノが原因だ。そして私は()()の正体について、すでに確信に至っている。

 

 ーー咲きわたる氷の白薔薇

 

 彼女の左目にある青薔薇(あおばら)は、()()()()()()()()()、固形物として残したモノ。

 彼女(エヴァ)の開発していたオリジナルの「氷系魔法」、その試作段階のサンプル。

 その魔法の脅威は誰よりも私が知っている。

 なぜなら、度々その魔法の開発実験に、他ならぬ私が付き合わされていたのだから。

 

 ーー来れ永久の闇、永遠の氷河

 

 彼女が「解放」の言葉を発するだけで、止まっていた時計の針は動き出し、青薔薇(あおばら)は静止した氷の世界から解き放たれる。

 目覚めた薔薇(ばら)が真っ先に狙うは目の前にいる私だ。

 その毒々しいまでに棘の立ち並んだ茎を触手のように伸ばして、瞬く間に私を永遠の氷獄に閉じ込めるだろう。

 

 ーー魂なき人形を囚えよ

 

 私とエカテリーナ。お互い視線を交わしたまま、一切の動きはない。

 辺りは物音ひとつない。まるで、すでに私の時が止められてしまったかのような錯覚に陥る。

 エカテリーナは本当に綺麗な顔立ちだ。全体的にバランスが整っていて、目元口元から、西洋の絵画に描かれた貴婦人の高貴さを感じさせる。青薔薇(あおばら)の眼帯が壊滅的なマイナス点として働いているのが実に惜しい。

 

 ーー妙なる静謐

 

 先に動いたのはエカテリーナだった。

 前かがみに腰を折り、私と目線の高さを合わせる。

 もう少しでお互いの前髪が触れ合う距離まで、エカテリーナはその顔を近づけてくる。

 心臓の鼓動が早まる。

 頭の中で電子精霊達が警告を告げている。

 脅威はもう眼前に迫っている。

 もはや回避は叶わない。

 

 ーー白薔薇咲き乱れる、永遠の牢獄

 

 私の前髪が青薔薇(あおばら)に触れる。

 髪先から伝わってくる冷たい魔力の胎動。

 それとは裏腹に、私の唇にかかるエカテリーナの吐息は生暖かった。

 

「エカテリーナです。お隣、よろしいでしょうか? ふふっ」

 

 ーー終わりなく白き九天。

 

 そんなものまで持ち出してきて、そこまで本気ってわけですか、エヴァさん。

 

 

 †††

 

 

 久々のホームルームは思いの外早く終わった。

 ネギ君が足早に教室を出ていった様子を見ると、おそらく唐突に現れた謎の転校生というイレギュラーに時間を取られ、一時間目の授業の用意をする暇もなかったのだろう。こんな非常識なことに巻き込まれてしまったネギ君には、思わず憐憫(れんびん)の情を抱かずにはいられない。

 まぁ、ネギ君には申し訳ないが、そのおかげで授業が始まるまで幾ばくかの猶予ができたのもまた事実。

 完徹による倦怠感というバッドステータスを少しでも和らげるためにも、今すぐ机に突っ伏して軽く仮眠を取りたいところ。それをーー

 

「ねぇねぇ六戸さん、あなたのご趣味は何かしら?」

 

 ーーそれを、ことごとく邪魔してくれるのが、先ほどから私の左隣で〇〇している、この、自称転校生だ。

 

「……趣味はお料理と、お裁縫とか、です」

 

「まぁ、六戸さんったら、とても女の子らしくて素敵なご趣味だわ! お料理はどういったものが得意なの?」

 

「肉じゃが、ロールキャベツ、ハンバーグ……ぶっちゃけなんでも得意です、はい」

 

「羨ましいわぁ、私ったらキッチンに立っただけで『危なっかしいからやめなさい』なんて言われて、いつまで立ってもお料理の腕が上達しなくて……。練習すらさせてもらえないのよ? あんまりだと思わない?」

 

「そうですか、それは悲惨ですね」

 

 日本文化が好きだから包丁くらい握れるだろうと思って油断しました。

 目の前であんなザクザク指切られたんじゃぁ見てるこっちの精神が持ちません。

 あなたが作ったらどんな料理も血の味しかしないに決まってる。

 自分の血を大量摂取させる吸血鬼とかなんだそりゃ、バカか。

 

「機会があればあなたに教わりたいわぁ。ねぇ、よかったら今度頼めないかしら?」

 

「……クラスメイトの四葉さんと定期的にお料理研究会開いてるんで、その時でよければ」

 

「まぁ! いいの? お願いしてみるものね! うふふっ」

 

 さっちゃんにストップかけられれば流石に料理の道は諦めるだろう。

 その間こっちのSAN値減少は避けられないが。

 

「女の子同士でお料理作りなんて夢のようだわ。私の故郷にそんなこと頼める友達なんていなくて……。そうだ、ねぇ六戸さん、お菓子作りも得意なのかしら? ウチのエヴァったら日本のお菓子が大好きで大好きでーー」

 

 あ〜〜〜! もう、何、なんなの? 何が狙いなの⁉︎

 異国の転校生エカテリーナ。

 彼女は初めて訪れた土地だというにもかかわらず、驚異的なコミュニケーション能力を遺憾無く発揮して、隣席である私のストレスゲージを溜めに溜めまくっていた。

 私の外見が日本人離れしているという点から、まずは出身地を(たず)ねられた。

 それから容姿を褒めちぎられ、しまいには今使っている化粧品やらシャンプーのメーカーやらを根掘り葉掘り聞いてくる始末。

 何が「まぁ偶然! 私もあなたと同じ物を愛用しているわ! ふふふ、私たちお揃いね」だ! そりゃ一緒でしょうよ。あなたが使ってる化粧品その他諸々はみ〜んな私が選んだものなんだから! ただその薔薇の香水は存じませんがね。自分でお選びになられた? ならはっきり言ってやりましょう。何事も適量という概念が存在することを。きっついんですよさっきからその匂いが! なんだか匂いに当てられて視界一面がローゼンメ◯デンなんですよ! 幻覚が見えちゃってるんですよ! 絶対なんか良くないもの入ってるでしょその香水!

 そんな胸の憤りを知ってか知らずか、私の目の前でエカテリーナは、それはもう上品に微笑むばかり。

 ちくしょう、煽ってるようにしか見えない。

 

「ーーああ、初めてできた友達とあんなに楽しそうに」

 

「うん、うん、よかったね……刹子」

 

 まるで我が子の巣立ちを慈しむかのようなクラスメイトたちの視線もうざったいことこの上ない。

 しかもそこ私なの?

 ひょっとしてこれクラス全員グルだったりしません? みんな一致団結して私を煽ってるとかそんな風にも思えてきましたよ、ええ。

 くそ、こんな時に限っていいんちょの言いつけ通りみんな席を立たずにいるのが腹立たしい。どうせならいつもみたいにバカテンションに任せて、この自称転校生を取り囲んで化けの皮を引っぺがしてやってくださいよ。

 

「それにしてもよかったわ。六戸さんって、てっきり見た目通りの方で取り付く島もない感じがして……ちょっと身構えちゃった」

 

 身構えちゃった(照れ顔)ですって。

 どうした闇の福音。らしくないぞ。

 

「首元のボタンを閉めてなかったり、ネクタイもリボンも着けてないところを見たらね。もっと粗雑で、乱暴な方なのかとばっかり……」

 

「あ〜、それわかる! 刹子って、なんだか外見と口調が合ってないよね」

 

「うんうん、不良なのに、言葉遣いはなぜか丁寧やしなぁ〜」 

 

 ここぞばかりに同調を示すクラスメイトたち。

 人をまるでキャラ付け失敗したように言うな。

 あと和泉さん、私がわざわざ髪型いじったり服装崩したりしてる要因の一つにあなたも含まれてるんですよ。

 髪の色とか、長さとか……地味に被ってるんですよ! これで私が関西弁だったらそれこそ生き別れの姉妹にしか見えんわ! 勘弁してやホンマ。

 

「そうだ、刹子。試しに乱暴な言葉遣いで喋ってみてよ! あぁん、とか、うっせぇ、とかさ〜」

 

 ちょっと〜、転校生差し置いてなんで私の掘り下げになってるんですか。ぜって〜やんね〜し。

 

「あれじゃない? 長谷川っぽく喋ればそれっぽくなるんじゃない?」

 

「確かに! というか逆よね、長谷川と刹子のキャラって」

 

「あぁ〜ん! ご主人様ぁ、パソコンがウィルスに侵されちゃいましたぁ〜! みたいな?」

 

「キャハハ! ちょっとパルやめてよ〜! 今想像しちゃったじゃん!」

 

「千雨ちゃんがそんなキャラだったら絶対人気でるよねぇ〜。あははっ」

 

 とうとう千雨にまで矛先が。

 というか私そんな喋り方した記憶ないんですけど。

 あ、ちなみに千雨ならよくカメラの前でそんなことやってますよ。

 一応彼女の名誉のために黙っておきますけど。

 

「はいは〜い! それじゃ僕、せつこにリクエスト〜! 包丁構えて『ヒィーヒヒ、悪く思うなよ、俺に会ったが運のツキダ』ってやってみて〜」

 

 なんだその世界観。

 いきなりどうした鳴滝姉。

 それもはや不良じゃなくてシリアルキラーなんですけど。

 

「風香、あんたまた変な映画に影響された? しかも完全にB級感丸出しなんだけど」

 

「お姉ちゃん、最近そんなのばっかり借りてくるです。かえで姉も面白がっちゃって……私はアニメがいいって言ってるのに」

 

 よしよし、教室内は完全に「それはないよね〜」ムードに染まってる。 

 これは流れて何もしなくて済むパターンですね。

 このまま授業が始まるまで逃げ切ってーー

 

「なんだかかっこよさそうね。私、そんな六戸さん見てみたいわぁ」

 

 ーーあん? 今なんつった自称転校生。

 

「ありゃ、エカテリーナさん結構乗り気?」

 

「おおぅ、気が合うね、エカテリーナ。今度僕がオススメの映画教えたげるよ〜」

 

「う〜ん、言われてみると、なんか新鮮で面白そう? 刹子〜、やってやって〜」

 

 なんという段取りを無視した急展開。なんという無茶振り。

 あっという間に「やってやって」ムードに場が沸き上がる。

 それと鳴滝姉、今思いっきりこの人のこと呼び捨てにしましたね。度胸ありますねぇ、私知りませんよ。

 

「ほら、刹子! 一回でいいからさ、ね? お願い!」

 

 美砂、あなたの「お願い!」ほど聞き飽きた言葉はありませんよ。

 ……はぁ、これ逃げられる空気じゃありませんね。あんまりにも渋ってノリが悪いとか思われるのも癪ですし。

 

「……ったく、仕方ないですねぇ」

 

 頬杖の態勢から身を起こし、クラスメイトたちの顔を睨め回しながら制服の内ポケットに手を入れ、そこから包丁(花嫁修行)を二本取り出す。

 

「相変わらず包丁持ち歩いてるのね」

 

「ちょっと刹子さん、抜き身でそんなもの持ち歩いてるなんて危ないですわ! せめて紙か何かに包んでーー」

 

 いいんちょ、そこじゃないでしょう。

 それに加えて、私が包丁を取り出す様を期待に目を光らせて眺めるクラスメイトたち。

 やっぱりこのクラス駄目ですわ。毒されてるにもほどがある。

 もう適当にやって済ませちゃいますかね。

 両手に包丁持って、えぇ〜と、なんでしたっけーー

 

「……くけけ〜、私を恨むなら、私を生んだ社会を恨め〜。はい、おわり」

 

 それだけ言って済ませ、包丁をしまおうとすると、案の定クラスメイトたちのブーイングが起こる。

 

「えぇ〜! ダメダメそんな適当じゃ〜! 0点〜! 刹子はもっとできる子のはずだよ!」

 

「刹子が真面目にやるまで終わらないからね! ほら、もう一回!」

 

「大丈夫だよ、たとえ下手でも、刹子が『頑張ってる』って感じが伝わればおっけーだから! 自信を持って、やれるよ!」

 

 あぁ〜〜〜っもう! なんじゃいこいつら! 腹たつわ〜!

 人が今どんな気持ちでいるか知らないで〜!

 …………。

 なんかもうどうでもよくなってきた。そんなにお望みならやってやろうじゃないですか。

 見てなさい、そこの口開けて惚けてる演劇部所属の村上さん。

 私渾身のシリアルキラーっぷりをとくとご覧あれ。

 

「お、刹子が立った! ついに本気か⁉︎」

 

 面白がって囃し立てていられるのも今のうちですよ。乗せた相手を誤ったことを後悔させてやります。

 ーー包丁を逆手に持ち、鋭利な刃を群衆へと向ける。

 私の本気っぷりが伝わったのか、教室のギャラリー達が一斉に静まり返る。

 今さらビビっても遅い、こうなったらとことんやってやる。

 ーーイメージするのは頭のトチ狂った殺人鬼。

 少し喋り方を棒読みっぽくした方が雰囲気出るかな。声の抑揚も控えめに、機械じみた感じで。

 そうだ、あの仮契約カード、「人形師の繰り糸(テレプシコーラ)」に写ってるお人形、あれとかぴったりじゃないですか。

 よし、イメージは固まった。あれ、セリフどんなだっけ。まぁいいやアドリブで。

 うぉほん! それじゃ、せ〜のーー

 

「ケケケ……テメーラ、全員(ぜんいん)一人(ひとり)(のこ)ラズ、アノ()(おく)ッテヤルゼーー」

 

 私ノ得物ハ今スッゴク血ニ飢エテルゼ、ケケ。

 ケケケケケ。

 ケケ、け…………。

 

「「「…………」」」

 

 静寂、未だ健在。

 ……ちょっと、なんかリアクションとかないんですか。

 無反応とか、一番困るんですけど……あの、もしも〜し。

 

「……エット、イカガデショーカ、ミナサン?」

 

 予想していたものとは違った展開に身動きが取れず立ちすくんでいると、そのうち何人かが私に視線を合わせたまま、席の近い者同士で身を寄せ合い、ギリギリ私に聞こえないくらいの声量でヒソヒソ話を始めた。

 

「……宇宙人?」

 

「いや、どっちかって言うとロボット?」

 

「私閃いた。これ、猟奇系マスコットみたいな路線で将来人気がでるかも。血まみれクマさんーーいや、血まみれ刹子ちゃん的なやつ」

 

「ちょっと意味がわからないけど、桜子大明神が言うならワンチャンありえるかも……」

 

「え、なに、金儲けの話? 私にもちょっと噛ませなさいよ」

 

 包丁を構え、シャキーンっとポーズを決めている私をそっちのけで、隣人同士で内緒話に花を咲かせるクラスメイトたち。

 だんだんと頰に熱を帯びてくるのを感じる。

 え、何、新手のイジメ?

 イジメは悪い文明、粉砕すべし。

 何気にちゃっかり明日菜さんまで参加してるし……あなただけは信じてたのに、ぐすん。

 

「いいよいいよ〜、刹子〜、ちょっとこっちに目線ちょうだ〜い」

 

「ばっーー、ちょ、朝倉、何撮ってるんですかっ!」

 

 いかん、油断してパパラッチに対する守りが疎かになっていた。くそ、こんな目の前に堂々と陣取られるくらいにまで接近を許してしまうなんて。

 ネタに困ったからって、エヴァさん宅に(たむ)ろしてる謎のカラス集団を学内新聞の表紙に据えるくらいテキトーな奴だ。どんな酷い見出しにされるかわかったもんじゃない。

 くそ、そのカメラさえ潰してしまえばーー  

 

「朝倉、悪いことは言いません。そのカメラを寄越しなさい」

 

 得物の切っ先を向けなおし、目の前の悪しきパパラッチの首を取るべく、じわりじわりとにじり寄る。

 

「おぉ⁉︎ さすがにその状態(両手に包丁)で迫られるとスリル満点だね。でもダメだよ〜、カメラは記者の命なんだから。脅されたくらいで怯んでちゃあいつまでもスクープを掴み取ることなんてできないのさ(この写真現像してあんたのファンに売りつければ何ヶ月分のお小遣いを確保できると思ってんのさ。絶対に死守してやるもんね)」

 

 若干ビビりながらもすり足で後退しつつ、己の退路を確保をしようと(せわ)しなく目を動かすパパラッチ。

 その歳ですでに将来意地の汚い大人になるであろう片鱗が垣間見える。

 やはりこいつはここで摘んでおくべきか。

 

「てなわけでもう一枚、パシャりと(猛烈なフラッシュ)」

 

「朝倉ァ!」

 

「本日早くも四回戦目が開幕〜! 朝から飛ばすねぇ刹子」

 

「ちょっと刹子さん、もうすぐ先生がいらっしゃいますわ! 刃物を持って暴れまわるのは次の休み時間にしてくださいまし!」

 

「こ、こら朝倉! 私を盾にするなぁ! 刹子ストップストップ〜」 

 

「にゃはは〜、やったれ刹子〜! こら朝倉、少しは応戦しないと!」

 

「無茶言うな」

 

 いつもと何ら変わることのない教室の風景。

 多少の異物が紛れ込んだところで、持ち前のお気楽さとテンションの高さで流してしまうクラスメイト達。

 先ほどまでの私の憂鬱な感情は何処へやら、気づいたら誰よりもノリノリでお祭り騒ぎに興じる私がいる。

 ……やっぱいいなぁ、ここ(麻帆良)の生活は。

 痛いこととか、悲しいこととか、半ば当たり前に成りかけていた戦いの日々から遠ざけてくれる。

 マナもなんだかんだここでの暮らしが気に入ってるんだろう。素直になったというか、さりげないことで笑顔を見せることが多くなった。

 どんなに手のひらをガンオイルで汚しても、根っこのところじゃ年齢に抗えないんですね。

 

 ……そういえば、さっきからあの人の声を聞いてませんね。

 自分からけしかけたんだから、せめて責任とってリアクションの一つでも寄越しなさいよ。

 まぁ、それより今は目の前のパパラッチを三枚におろすことの方が先決。

 自称転校生のことは後回しにーー

 

「……ャ、ゼローー」

 

 それはとても、とてもか細い声だった。

 今にも消え入りそうで、私が偶然その声の存在に気づき、こうして振り向いていなければ、彼女は誰からも忘れ去られたまま居なくなってしまったのではないかーーそう思えるくらいに。

 

「ーーエヴァさん?」

 

 彼女が発した言葉を私はうまく聞き取ることができなかった。

 ただ、一つだけ言えることがある。

 私がその声に振り向いた先にあった顔ーー多少姿形は変わっていえど、そこには確かに普段のエヴァさんの面影があった。

 今日、ここにきて初めてエヴァさんと顔を合わせた、そんな気がした。

 

「……っ、えぇと、その、六戸さん?」

 

「はい、何でしょうかエーーっ、エ、エカテリーナ、さん」 

 

 残念、すぐに胡散臭い自称転校生の顔に戻ってしまった。

 表情でここまで顔の印象って変わるものなのか。

 これは主演女優賞並みですね、あなたいつの間にそんな演技がお上手にーー

 

「……六戸さん、その、後ろーー」

 

「はい? 後ろがどうかーー」

 

 少し困った表情で私の後方を指差すエカテリーナ。

 そういった仕草も上手だなと思いながら振り返ってみるとーー

 

「……先生が、いらしてますわ」

 

「……六戸、お前、とうとうーー」

 

 ーーそこに居たのは、一時間目の国語の授業を受け持っており、また学内の生活指導員でもある、我らが鬼教師ーー新田先生。

 ふと今の自分の身なりを確認してみる。

 両手に包丁を構えてーーはい、アウト。もういきなりアウト。

 

「……六戸、お前がよく包丁を持って暴れていると言う噂は私の耳にも届いている。ただ、さすがのお前でもそこまでは……そこまではせんと思っていた。根も葉もない噂だと一蹴していた。信じていた、それだけは絶対にないと……。それをーー」

 

 一時間目の授業は、めでたく自習となりました。

 私以外がね。

 

 

 †††

 

 

『ーーそれでですね、新田先生ったらいきなり『六戸、お前さんは私の妻の若いころにそっくりでな。あいつもお前さんと負けず劣らずヤンチャだったもんだーー』とか昔話が始まっちゃってですね。怒鳴られるかと思ったらマジ泣きしながら諭されて……』

 

『はぁ〜、それは大変でしたねぇ。それで、新田先生は今は亡き奥様の面影をあなたに重ねたということですか……プロポーズされたらちゃんと断っといてくださいよ? 私、明日菜さんと違ってそこまでおじさん趣味じゃないですし』

 

『今は亡きじゃないわ! しっかりご存命ですわ! いつの時代の学園ドラマですかそれは!』

 

 時刻はちょうど夜の六時半。エプロン姿に身を扮した私は、鮮烈極まりない一日を乗り切った自分自身へのご褒美と、昨日の夜からずっと様子のおかしいルームメイトへのご機嫌取りも兼ねて、「牛肉百パーセント使用セッちゃん特製愛情入りハンバーグ」の調理に力を入れていた。

 

『まったく、他人事だと思って適当に返してくれやがってからに……』

 

 お肉をこねこねしながら、念話越しに気の抜けた声を発する相手に悪態をつく。

 

『いやいや、他人事だなんてそんなつもりはないですよ。何故なら私とあなたは一蓮托生。あなたの行動により伴う周りからの評価はみ〜んな、私自身の評価に帰結するんですから。いざ私が麻帆良に戻ったら周りが敵だらけ、なんてことになったら嫌ですし。ましてや歳の差クインティプル(五重)スコアくらいついちゃってる旦那様がお出迎えとか死んでもごめんです』

 

『学生デビューでいきなり不良キャラなんかを選択して、その時点で(いばら)の道は避けられない運命ですよ』

 

 自分自身の声を若干幼くしたような、それでいて口調までも似ているーーいや、まったく同じと言える念話相手。

 姉妹以上に自分にとって近しい存在ーー分身(コピー)である私の生みの親。六戸刹子(ろくのへせつこ)、またの名をセクストゥム、その当人である。

 

『もう、久しぶりに私の半身の活躍っぷりを伺おうと思ったのに、さっきから愚痴や失敗談ばかりじゃないですかぁ。肝心のネギ君との距離も一向に縮む気配がありませんし』

 

 しっかりしてくださいよぉ、なんて心底上から目線なトーンでこちらに苦言を呈してくる我が本体。

 エカテリーナ、少しばかり邪険に扱って申し訳ありません。あなた以上に私の胃にダメージを与える輩がここにいました。

 私ってこんなに性格悪かったんですか? こりゃ性悪呼ばわりされても何も文句言えませんよ。

 私はこうはならないように気をつけましょう。

 

『ときに分身(もう一人)の私。あなたは今、何やらご馳走作りに精を出しているようですが、そんなことをしていていいんですか? 今までの話の流れから察するに、あなたが今扮するべきはエプロン姿ではなく未知の生命体チュパカブラであって、すぐにでも邪悪な吸血鬼の魔の手から愛しきネギ君を助けにいかねばならないと思うんですが……』

 

 本体の声のトーンが低くなる。

 やれやれ、ようやく本題に移れますね。

 

『そのことなんですが、なんだかややこしい事態になってましてーー』

 

 私は今日の昼休み、屋上で交わした()()()()とのやり取りを説明することにした。

 

 

 〜〜〜

 

 

『ーー学園長? なんだか私の耳がおかしくなったみたいです。大変申し訳ないのですが、もう一度、今の話をお願いできますか?』

 

『……刹子君、お主なんだか怒っとらんか? なんとも冷たい声色で儂の背筋が冷えっ冷えなんじゃが……』

 

 念話越しに聞こえてくるとぼけた声色に、私のストレスゲージが臨界点に達する。

 午前の授業を終えて、昼休みに活気付く教室を尻目に、私は一目散に校舎の屋上へと足を運んだ。この事態の詳細を把握しているであろう人物と大事なお話をするためだ。 

 麻帆良学園の学園長である近衛近右衛門(このえこのえもん)。エカテリーナという腹に一物を抱えた転校生を受け入れた張本人なら、今の現状について納得のいく説明ができるはずだ。いや、説明してもらわねばならない。何故このような暴挙に出たのか。これ以上事態をややこしくてどうするつもりなのか。

 幸いまだ肌寒い早春の季節。

 この時期に、寒空の下で冷たい風に当てられてまで屋上でお弁当を突つこうとする生徒はまずいない。ここは密談にはもってこいの場所だ。

 直接学園長室に乗り込むという手も考えた。むしろそちらの方が自然なのだが、今の私の身体は「新鮮な空気」というものを貪欲に欲している。ようはリフレッシュも兼ねてのこの屋上というチョイスなのだ。

 ……ほんと、具合が悪くなる一歩手前だった。

 他のクラスメイト達はあの香水の匂いに対してなんとも思わないのだろうか。

 そういうこともあって、一度頭を冷やしクールダウンした心持ちで、学園長からの指示を仰ごうと思っていたのだがーー

 

『ーーエヴァが本格的に麻帆良を出ると言い出した。そのためにネギ君の血を用意しろと。ーー拒否するなら孫の命はない、そのような脅しも添えてな』

 

『それ嘘でしょ』

 

『フォ⁉︎ わ、儂は嘘は言っとらんわい! 現に首元に包丁まで突きつけられたのじゃぞ……というかあの包丁、刹子君、お主のものじゃないか? 辺りそこらに包丁を撒きっぱなしにするでないとあれほどーー』

 

 あ〜うるさいうるさい。しゃ〜ないでしょ、ただでさえ掃いて捨てるほどあるんだから。

 一度包丁の形にしたら二度とカードには戻せないんだから、いちいち回収してたら部屋の中が包丁まみれになるんですよ。

 

『それで? 麻帆良学園の学園長でありながら、関東魔法協会の理事長も兼ねてらっしゃるあなた様が、さながら強盗のようなやり方で凶器を突きつけられビビった挙句、孫の命可愛さに将来有望な少年の命を差し出し、それをみすみす見逃せーーと、そう仰りたいのですね。……冗談はその頭の形状だけにしてくれませんか?』

 

『刹子君……後生だからもうちょい落ち着いて儂の言い分も聞いとくれぇ……。何もネギ君を殺すとまでは言っておらんじゃろうに』

 

 なんとも情けない声色に産毛が逆立つのを感じる。どうせいつものように、とぼけた口調と軽いノリで誤魔化すつもりなのだ。

 しかし、今回ばかりはそうはいかない。すでに一般人から幾人もの被害者が出た後なのだ。学園長もさすがにそのことは存じているようで、先ほどそのことを突いたら今のような困ったトーンで自分の至らなさを悔やんでいた。

 学園長の落ち度は至る所に存在する。ならば、ここはやる気持ちを抑えて、言うだけ言わせてから盛大に噛み付いてやろうと思い至り、学園長に話の続きを(うなが)した。

 

『実にエヴァらしからぬ下策な行為だとは儂も思っとるところじゃ。あやつはいついかなる時でも己の中のプライドに反したことはせぬからな』

 

『それでも一般人からこそこそ血を巻き上げてますけどね』

 

『そう言ってやるな。よもやあのエヴァがあそこまで追い込まれていたとは儂も思わなんだ。今朝あやつが儂の部屋に来て最初に発した一言はなんじゃと思う?

 『もう限界だ。私はもう自由になりたい』

 じゃぞ? あのエヴァが己の口でそう言ったのじゃぞ? 心の中で思ってはいようと、まさか口に出してくるとは』

 

 ーーおまけにその手には包丁が握られとるんじゃ、朝一からあれは流石の儂でも肝が冷えたわいーーなどと余計なことを付け足して、学園長は念話越しに心底怖かったアピールを始める。そう言うところですよ、私のあなたに対する信用度が常に低い理由は。

 まぁ、エヴァさんが実に()()()()()という点に関してだけは同意せざるを得ませんね。

 

『それは、エヴァさんにしては随分と弱気な発言ですね。まるで勤めている会社の重圧に心底疲弊したサラリーマンのようです。それで、エヴァさんは登校地獄という束縛から解放されるため、正式に依頼としてネギ君の血を要求したということですか』

 

『そういうことじゃ。……あぁ、ようやっと理解してくれたわい』

 

 理解なんてできるわけないでしょう。

 エヴァさんが話し合いという手段をとった?

 私に対して「ネギ君の血をかけて勝負しよう」なんて訳のわからないことを言った次の日に、あっさりと手のひらを返した? 何故。

 そもそも、学園長に直接ネギ君の血を依頼するように提案したのは他でもない私だ。なんなら一緒に頼みに行こうとまで言った。わざわざ早朝に脅迫まがいの殴り込みをかけなければならない理由が見つからない。

 不可解だ、行動が支離滅裂すぎる。

 エヴァさんは何をするにしてもわかりやすい人だ。隠し事や(はか)りごとの類が何よりもド下手なのだ。

 わからない、私には今のエヴァさんの考えていることが何一つわからない。

 ーーあぁ、わからないことなら他にもあった。むしろこっちの方が聞きたかった。

 

『……エヴァさんがあんな成り(成長した姿)で、異国からの転校生なんてやってる理由は? ましてやエヴァさんの実の姉だなんて設定でっちあげて……』

 

『…………』

 

『……学園長? もしもし、聞いてますか?』

 

『……っ、フォ、フォフォフォ、すまぬ少し考え事をじゃな……ちゃんと聞いておるよ刹子君。あ〜、エヴァが成長した姿、すなわち正体を隠している理由はじゃなーー

 

 

 〜〜〜

 

 

『ーー悪の魔法使い・闇の福音(ダーク・エヴァンジェル)として、かの英雄の息子、ネギ・スプリングフィールドと戦いーーそして負ける。そのまま自身は消滅したという噂を学園長に喧伝(けんでん)させることで、登校地獄の呪いだけでなく、己の悪名からも解き放たれ、本当の意味で自由を手にいれるーーエヴァさんの言い分はこんなところですか』

 

『それで間違ってないですよ。……いけないいけない、鍋のお湯が沸騰しちゃう』

 

 なんとも胡散臭いですねーーそう言って念話の向こうの(オリジナル)は、舌の上でぶつぶつと私が話した内容を復唱する。

 

『上手くいきますかね、それ。闇の福音が消滅したなんて噂を流すにしても、確たる証拠も無しに頭のお堅い連中が信用するとは思えないんですけど』

 

『そこんところは二の次なんじゃないですか? 本来の目的である「呪いの改呪」さえ達成できればいいわけですし。それにまったく効果が無いとは言い切れないですよ? かの「サウザンドマスター死亡」の噂を広めたのも、他でもない学園長なんですから。上の連中はどうか知りませんけど、おおかたの魔法関係者はそれを鵜呑みにしている現状ですからね』

 

『この案を考えたのはどちらですか? まさかエヴァさんじゃないですよね? さすがにイメージとかけ離れすぎてるんですけど』

 

『……残念ながら、エヴァさんが学園長に持ちかけた案だそうです。「学園側にとって利益しかない話だ。断る理由もないだろう?」なんてことを言ってたようですよ』

 

 将来有望なネギ君にこれ以上ないベストな条件で「リアルな戦い」を経験させ、自信をつけさせることができる。さらには「あのサウザンドマスターが実現できなかった闇の福音討伐を、その息子が果たした」なんていう本国へのアピールポイントまで付いてくる。()()()からしたら非常に美味しい話だ。……()()()()()としては、また別かもしれないが。

 

『学園長的には、エヴァさんとの戦いでネギ君が実戦経験を得ることくらいしか旨味がないように思えますね。本音は本国に媚びなんて売りたくもないし、エヴァさんには麻帆良に残ってもらいたいはずです』

 

『理解が早くて助かります、さすが私の本体』

 

 エヴァさんに包丁突きつけられた勢いで了承してしまったのではないか。

 学園長はもっと食い下がるタイプだと思っていたのだが。

 なんだかんだでエヴァさんが麻帆良に囚われていることを不憫に思ってはいたのだろう、その結果、エヴァさんの意を汲んだということなのだろうか。

 ……なんともしっくりこない。エヴァさんだけでなく、こうなると学園長も怪しく思えてくる。

 ()()()()()()()()()()()()()()。そんな気がしてならない。

 

『事態の把握はできました。でも、それだとどのタイミングでネギ君から血を貰うんですか? エヴァさんは負ける前提で戦うわけであって、どう考えても吸血なんてしたらアウトだと思うんですけど……流石にネギ君戦意喪失しちゃいますよ?』

 

『“エヴァンジェリン”と“エカテリーナ”は別人だって設定を生かすそうです。「チュパカブラに襲われ、未だ寝込んだままのエヴァさん」を回復させるには、優れた魔法使いの生き血が必要、だなんて設定にするつもりとのことですよ。おそらくエカテリーナ戦が終わった後にでも頼むつもりでしょう。ーーああ、この部分に関してだけは学園長の()()()のアレンジだそうです。わざわざ成長した姿で3-Aに編入させたのも、エヴァさんとは実の姉妹だなんて設定も』

 

『実の姉妹ってところはいりますか? 呪いが解けたら麻帆良を出て行くわけですよね? 闇の福音の姉妹とか無理があると思うんですけど』

 

『さぁ? そこんとこはどうでもいいので聞いてすらいませんよ。適当に親戚とかでお茶を濁すんじゃないですか? それで「チュパカブラに襲われて心に傷を負ったエヴァンジェリン」は国へ帰った。ネギ君には当たり障りのないケアをして、はい大団円』

 

『確かに、こんな計画が滞りなく進んだ場合の「後始末」なんて聞いたところで時間の無駄ですね。学園長の()()()()()の落とし所なんて』

 

『でしょう? 得意なんですよ、学園長。こんな()()()()()()()()()()()()が』

 

 …………。

 お互いの間でしばし静寂が流れる。

 とは言っても念話なため、実際の私は黙って夕食の支度をしている風にしか見えないのだが。

 

『……それで、見逃すんですか?』

 

『ん?』

 

『だから、あなたはもうこの件には関わらないのかって聞いてるんです。このまま、エヴァさんと学園長の思惑通りに事が進むことを良しとするのですか?』  

 

 念話越しに聞こえてくる(オリジナル)の声は不安の色を帯びていた。

 何かを探るような、それでいて、何かを期待しているような。

 ……よし、ちょっと悪戯してやるか。

 

『無駄に疲れる必要もありませんし? 当然、言われた通りこのまま何も『えぇ⁉︎ 私ともあろう者がこの裏切りも』ーーウソウソ! 冗談だからそんな激昂しないで!』

 

 なんて声出すんだ。あぁびっくりした。

 

『ちゃんと見張りを雇ってますよ。それも優秀なね。何かあったらすぐに連絡を寄越すように頼んであります』 

 

『本当ですかっ……あぁ、良かったぁ〜』

 

 (自分)のことくらい信用しなさいよ。いくらエヴァさんと学園長が不審な空気を出してるからって、何も私まで疑わなくてもいいでしょうに。

 それにしても、自分自身から怒鳴られるって結構心にくるものがありますね。ただでさえ今日は新田先生にどぎついの貰っちゃってるんですから、しばらく説教は勘弁願いたいです。

 

『もしこのまま何もしないで見過ごすなんて言われたら、私、この場であなたの分身体を解除して、すぐにでも麻帆良へ向かおうかと考えちゃいましたよ』

 

『せめてこの夕飯の支度くらいは済ませてからにしてください。今私が消えたらエヴァさんが云々の前に女子寮が火事になります』

 

 結局のところ、万が一のことがあったらあなた(オリジナル)が出張ることになりますがね。

 魔力制限のかかった(コピー)じゃ、補助魔法の回転率が格段に下がりますから。

 まぁ、そうならないために、連絡があれば()()()()()()()()()()スタンバッてはいるのですが。

 

 ああ、話のわかる相手と会話してたら幾分気が楽になりました。

 やっぱり最後に信じられるのは自分自身ということですね。

 こんな大変な時に呑気に念話なんぞかけてきて鬱陶(うっとう)しいなんて思ってごめんなさいね、(オリジナル)

 

『ところで(オリジナル)。最近はどうですか? あなたの方で何か新しい動きはありました?』

 

 まさか暇を持て余しているなんてことはないでしょうね。

 

あなた(コピー)とこうして話のが久しぶりなくらいには色々ありましたよ。こうなったら次は私の愚痴でも……あっ、いけない、大事なこと忘れてた。丁度あなたに聞きたいことがあったんですよ』

 

『今の私から愚痴しか出てきませんよ?』

 

 こちらの散々たる状況は今聞いただろうに。これ以上何を聞きたいと。

 

『そう言わずに。……あのですね、もしかしてそっちに()()()()()()が置いてありません?』

 

 

 〜〜〜

 

 

『ないですね』

 

『えぇ〜、もっとよく探してくださいよぉ! ロッカーの奥とかに立てかけてないですか?』

 

『ロッカーの奥も、タンスも、ベッドの下も、なんなら玄関の靴棚も確認しましたよ。何回も何回も、千雨に変な目で見られながらね』

 

 夕飯の支度を中断し、念話越しにあ〜だこ〜だ言ってくる(オリジナル)の声にイラつきながら、部屋中を捜索すること数十分。

 途中、千雨のまるで不審者でも見るかのような視線に耐えながら、何度も同じ場所を行ったり来たりする行為に疲れ果てたところで、私はギブアップ宣言をした。

 

『おかしいなぁ……てっきり私が麻帆良を離れる際、そちらの部屋に置き忘れたものとばっかり思ってたんですが……』

 

 もう一度だけ探してみてくれませんか、などと(オリジナル)は言うが、もう部屋中ありとあらゆる収納物をひっくり返す勢いで探したのだ。これ以上やっても片付ける手間を増やすだけだろう。

 

『もう勘弁してくださいよ。「ウェスペルタティアの宝剣」なんて、こんないたいけな女子二人が住む部屋にそんなもん転がってたら一発でわかりますよ』

 

『それはそうですけど……。あれぇ、アリカ様から預かった時どこにしまったんだろう。ねぇ、あなた(コピー)は覚えてませんか? アリカ様が()()()()()()に行く際に、確かに私たちが預かったんですよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って』

 

『さぁ……確か、私たちが麻帆良に入学するよりも前の話ですよね。さすがに覚えてないですよ』

 

 そもそも(コピー)の記憶は他ならぬあなた、(オリジナル)から引き継がれたものだ。

 本元がど忘れしてちゃ元も子もない。

 初めから落丁した原本で刷られたようなものなのだから。私に罪はない。

 

『どうしようどうしよう、明日は久しぶりにアリカ様が()()()()()()()()日なのに、「剣を無くした」なんてこと知られたら、どんなに怒られるか……』

 

『もういっぺん身の回りを探してみるしかないですよ。それで無かったらご愁傷様です』

 

『ちょっと、何他人事みたいに言ってるんですか! これはあなたにも関わる重要な案件であってーー』

 

『ちゃんとアリカ様のこと守ってくださいね。アリカ様の武器が無い以上、荒事があったら、その場合の前衛(アタッカー)はあなたです。くれぐれも、私がエヴァさんの件を解決する前にあなたがやられるなんてことが無いように(でち公、とっとと念話終了して)』

 

『こら、何勝手に念話切ろうとしてるんですか! お願いですからもう一度探してーーーープツン』

 

 はぁ、これ以上こっちに負担かけないでくださいよ、まったく。

 

「っと、いけな、早く夕飯の支度再開しなきゃ。……あぁ、でもーー」

 

 改めて部屋の惨事を目の当たりにして、台所へ向かう足が止まる。

 タンスの引き出しも開けっ放し、ロッカーの中の物も床に出しっ放し。ベッドの下をかき回したことでホコリも舞っている。ことあるたびに追加されていく()()()()()()()を詰め込んだ箱が横倒しになり、子供がおもちゃ箱をひっくり返したように床にばらまかれている。

 これをなんとかしないことには夕飯どころではない。

 

「……六戸、探し物はもういいのか?」

 

「ええ、結局見つからなかったんで諦めます。ごめんなさい、こんな散らかしちゃって。今、片付けますから」

 

 ここにきてようやく千雨から声をかけられる。

 千雨は何やらコスプレ(?)用の衣装を製作している様子で、私が帰宅してからずっと生地とハサミを前に頭を抱えている。

 しかし、進捗は思わしくないようで、一向に手が動く気配がない。

 私が話しかけたところでロクに返事も返ってこないので、「これは相当機嫌が悪いな」と内心戦々恐々としながら、気まずい空気を払拭すべく夕飯の支度に励んでいたのだ。

 

「今夜は昨日の晩のお詫びも兼ねてご馳走ですよ千雨。期待しててください、そりゃもう腕によりをかけて作っちゃいますから」

 

 不機嫌の原因で思い当たるところなんて、昨晩の激辛カップ麺くらいだ。

 もう金輪際、千雨の前に激辛系とカップ麺の類のものは出さないようにしよう。

 

「……あぁ、なんか、悪りぃな」

 

「別に謝ることでも……って、どんだけクラッカー買いだめしてんだ私。ついでにやたらバリエーション豊富なこの謎の付けひげシリーズとか。そんでもってこの()()()()、何の用途で買ったんでしたっけ……」

 

「ああ、ほんとごめん……」

 

 だから何でそう謝るのか。少なくともこれらパーティグッズを買い込んだのは私なのだから、千雨が謝るところじゃないんですが。

 というか謝るくらいならさっさと機嫌を直して欲しいものです。

 それに、さっきからホント視線が気になるんですよね。床に散らばったパーティグッズを回収すべく、赤ちゃんのようにハイハイしながら部屋を移動する私をじっと見つめる千雨アイ。反応は悪い癖に、必要以上に私のーー太もも? いや、お尻? そこらへんを穴が開くくらいに凝視して……え、なに、もしかして千雨、ついにそっち方面に目覚めた? いや、それともーー

 

「千雨、私のお尻になんかついてます?」

 

 ベッドの下を漁った時にホコリでも付いたのか。

 四つん這いの姿勢でお尻を千雨の方へと向けたまま尋ねてみる。

 

「……いや、なんというか、その……」

 

「え、やだ、ほんとになんか付いてます? それそれ〜(お尻フリフリ)」

 

「なっーーおい、ばか、やめろ! 六戸!」

 

 えぇ……なぜ怒鳴られた?

 実際に手で触ってみたが、特に何かが付着しているような感じは無かった。

 

「そういうの、やめてくれよ……そんな真似……」

 

 どうしたと言うのか。

 エヴァさんと学園長の次は千雨、あなたまでおかしくなったと言うのですか。

 激辛カップ麺以外に何か気に入らないことでもあったのだろうか。

 

「ねぇ、千雨。あなた一体どうし『たいげ〜! 現場から通信でち!』ーーすみませんちょっとトイレ」

 

「六戸、やっぱお前ーー」

 

 ーー来たか。

 抱えていた珍グッズたちを放り投げ、駆け足でリビングを出てトイレへと駆け込む。

 後ろで千雨が何か喋っていたような気がするし、未だエプロンを着用したままだが、今はそれどころじゃない。

 私が個室に入ったところで電子精霊が念話を繋げてくれる。

 

『マナ、何か動きがあったんですか⁉︎』

 

『セツ子、いいか、要点だけを()(つま)んで説明するから落ち着いて聞け』

 

 龍宮真名。今回助っ人として雇った私のクラスメイトにして昔の仕事仲間。

 共に潜り抜けてきた修羅場は数知れず、お互いの戦闘スタイルや微細なクセなどを知り尽くした歴戦の相棒。

 実力は言うまでもなく、その正確無比な戦況コントロールと、探知外からの無慈悲なる長距離狙撃で、幾人もの格上相手を地に沈めてきた。

 対エカテリーナ戦における私の切り札。これ以上にないパートナーだ。

 

『先ほどから、ネギ先生と闇の福音が交戦している』

 

『待って、先ほどからって、今あなたは何をしてるんですか⁉︎ 連絡だってもっと早くーー』

 

『だから落ち着けと言っているだろう。この戦いは(あらかじ)め仕組まれていたこと。闇の福音と学園長プレゼンツの八百長に過ぎないと。そう私に教えたのはお前じゃないか』

 

 い、いけない、ネギ君のことだからつい……。

 頭では解ってても、口と態度に出ちゃうのはどうしても治らないんですよね。

 

『すぐ熱くなるのは相変わらずだな……まぁ、それがお前らしさでもあるんだが。……話を戻すぞ、ネギ先生対闇の福音。戦況はネギ先生有利、いや、圧倒していると言っていい。これはシナリオ通りということなんだろう。あまりにも両者の手数に差があり過ぎる。手を抜き過ぎて逆に不審に思われるんじゃないかってレベルだ』

 

『……そんなにですか?』

 

『ああ、ネギ先生は高威力の雷系魔法・雷の暴風をすでに()()()()()()()()()()のに対し、闇の福音は魔法瓶による威嚇攻撃を時々けしかけるくらいだ。……改めて口にしてみると、すごいなネギ先生は。あの歳でこれほどまでの威力の魔法を連発しても、まだ余力があると見える』

 

『そう、ですね……確かにそれはすごいと思うんですけど……』

 

 三発、叩き込まれた? 雷の暴風を? 直撃すれば並の魔法障壁なんて木っ端微塵に粉砕するほどの攻撃性能を秘めた魔法を、三発、その身で受けた?

 並の魔法使い以下まで能力を制限されたエヴァさんが?

 そんなこと、あり得るはずがーー

 

『さてセツ子、ここからが本題だ。この戦いの結末以上に見過ごせない点ができてしまった。そのことが解らない以上は対策を立てようもない。普段から闇の福音と親しいお前なら、答えられると信じたいのだがーー』

 

 それは……

 

『闇の福音は、魔法に対する強固な防御手段、いや、防御などと生温いものじゃない。無力化ーーそれもまた違う。なんと表現すべきか……ああ、そうか、たった今、自分の目でその光景を見て確信した。あれはーー』

 

『…………』

 

 

『ーー吸収だ。セツ子、闇の福音はーー()()()()()()()()()()()()()を持っているのか?』

 




エヴァ「これ年明けまでに絶対決着つかんだろ」
刹子「こんなハズでは……」


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ニンニク大好きエカテリーナさん

「ーーラス・テル・マ・スキル・マギステル、雷の精霊37柱、集い来たりて敵を討てーー魔法の射手! 連弾・雷の37矢!」

 

 夜の森を数多の閃光が駆け抜ける。

 精霊の意思が込められた雷の矢は、木々の間を器用にすり抜け、やがて目標へと到達ーー凄まじい放電音を響かせながら対象を攻め立てる。

 

「よし、当たった! 今度こそ!」

 

 雷撃を放った主ーーネギは、この度の一撃に確かな手応えを感じ、目標の状態を確認しようと木々の間から顔を出す。

 

「……うそ、まだ倒れてない? そんな、ここまでやって……」

 

 驚くネギが見つめる先には異形の怪物がいた。

 怪物=チュパカブラは、己の身体がジュウジュウと音を立てて焼き焦げている事など気にした様子も無く、悠々とその場に佇んでいる。

 

「まずい、また逃げないと……!」

 

 一目散にその場から離れるネギ。今の攻撃で自分の位置、場所は確実に割れてしまった。故に、距離を取るべく今日何度目かになる全力疾走をする。

 夜闇のせいで視界がままならない。途中何度も木にぶつかっては倒れそうになるも、すんでの所で堪えてはまた走り出す。その身に魔法障壁という不可視の加護がなければ、全身打撲の大怪我をしているところだ。

 

 魔法を一当てしては距離を取り、気づかれないように最接近しては魔法を放ち、そしてまた距離を取る。

 ネギの懸命のヒットアンドアウェイ戦法が報われる時は中々訪れない。

 チュパカブラの驚異的なタフネスを前に、幼い魔法使いは満身創痍だった。

 

「ーーはぁ、はぁ……、ここまでくれば……」

 

 ひとしきり走り、もう大丈夫だろうと後方の確認もせず、その場に座り込んで息を整えるネギ。

 

「馬鹿、何やってるんだ僕は、逃げるんじゃなくって追撃しないと……いや、でも、さっきみたいに詠唱中に攻撃されるかもしれないし……」

 

 周囲の警戒もせず、うずくまったままブツブツと独り言を始める。実戦経験もなければ、相手に向かって攻撃魔法を撃つという行為自体が初めてだったのだ。こうなるのも仕方のない事である。

 

「アスナさんとエカテリーナさんは大丈夫かな……そうだ、僕は早く二人を探さなきゃいけないんだ、こんな所で……」

 

 まさに今、自分の生徒が脅威にさらされているかもしれない。

 疲労を訴える体に鞭を打って、ネギは立ち上がる。

 

「空が飛べればもっと上手く立ち回れるのに……もう、何でこんな時に限って飛行魔法が使えなくなっちゃったんだよ……今までこんな事なかったのに……」

 

 原因不明の不調が、常日頃から秀才だと持て囃されてきた少年の心を荒立てる。

 先ほどチュパカブラに対して、ネギは飛行魔法による空からの攻撃を試みた。杖にまたがって、夜空へと飛翔すべくと術式を発動させたが、しかし、どういう訳かネギの足はいつまでも地面についたままだった。

 今まで飛行魔法など自転車に乗るような感覚で扱えた。焦りや戸惑い、理不尽な仕打ちに対する怒り等が脳内を支配し、ネギから正常な思考を奪った。

 

 できる事ならこの場でじっくりと不調の原因解明に努めたいが、ここは戦場である。悲しきかな、そんな悠長な事をしている暇は無い。

 

 ーー来てる!

 

 全身が泡立つ感覚を覚え、すぐさま周囲の警戒に入る。耳を澄ますと、確かに、遠くの方で木々を派手にかき分ける物音が近づいてくるのがわかる。

 

「(だんだん僕を探し出す時間が短くなってきてる? ……あれだけ攻撃を受けておいて、なんでそんなに動けるんだ!)」

 

 今一度この場から逃げるべきか、それとも立ち向かうか。心身ともに追い詰められたネギが下した判断は、後者であった。

 

「もう一回“雷の暴風”を撃とう。さっき一発撃った時、あいつ(チュパカブラ)は確かに怯んでた。あの魔法(雷の暴風)ならダメージが通るんだ」

 

 鬼ごっこを初めてまだ序盤の際に、“魔法の射手”レベルの魔法では良くて足止めにしかならないと思ったネギは、思い切って自らの切り札である最大威力の魔法“雷の暴風”の仕様に踏み切った。

 効果は目に見えて明らかで、“魔法の射手”では仰け反らせるのが関の山だったチュパカブラの巨体を、“雷の暴風”は大きく後退させ、暴風が止んだ頃にはチュパカブラはその場に膝を折っていた。

 

 本来ならそのまま追撃をかければよかったのかもしれない。しかし、元来気の優しい性格のネギにそのような選択肢は浮かばなかった。手負いの相手を前に「やり過ぎた、ごめんなさい」とばかりに大慌てで背を向けて逃げてしまうような少年なのだ。例え相手が、異形の怪物であったとしても。

 

 最も、そんな少年もいい加減鬼ごっこには疲れたようで……

 

「(……もう手加減しないからな。先に襲ってきたのはそっちなんだ)ーーラス・テル・マ・スキル・マギステル、来れ雷精、風の精……」

 

 相手の正確な位置は掴めていないが、出会ってからでは遅い。

 先ほど、倒したと思い込んでいたチュパカブラが再度ネギの目の前に現れた。その形相はまさに報復相手を見つけた血に飢えた怪物。

 そして、混乱のあまり怪物の目の前で迎撃用の呪文を悠長に詠唱した結果、詠唱中にあっけなく攻撃を受けて呪文を中断させられた(魔法障壁によってネギ自身のダメージはさほど無いのだが)。このことは、戦闘初心者であるネギに軽いトラウマを植え付ける形となった。

 

「ーー雷を纏いて、吹きすさべ、南洋の嵐……」

 

 それ故の、先手必勝。

 基本的な魔法使いが武力を得るのは呪文が完成したその瞬間から。それ以外は魔法障壁による防御はあれど、攻撃面ではほぼ無力である。

 半ば追われるような心持ちで呪文を完成させたネギは、チュパカブラがどの方向から現れてもいいようにその場をぐるぐると回る。

 

「(うぅ、早くきてよぉ……)」

 

 ネギの右手で待機中の魔力が少しずつ漏れ出し、周囲に放電現象が起きる。

 こんなにバチバチと目立つように音を立てていたら普通の敵だったら警戒し、無闇に近づこうとはしないだろう(実際、このままなら勝手に暴発する)。

 流石に焦り過ぎたか。ネギ自身もそのように感じ、待機状態の雷魔法の処理をどうするべきか考えあぐねていた。

 

 しかし、意外にもその怪物はあっさりと迷える少年の前に姿を現した。

 

「…………」

「……あ」

 

 本日何度目かになる少年とUMAの邂逅。

 暗闇で鋭く光る赤い眼差しも、この瞬間絶対的な武力をその拳に宿す少年の前では、ただの目立つ《まと》に過ぎない。

 このような肝心な場面で思わず惚けてしまっているネギを急かすように、右手の雷は一際大きく唸りを上げた。

 正気に戻ったネギは、弾かれたように右手を突き出す。

 

「……っ! ーー雷の暴風!」

 

 待機の任を解かれた魔力の嵐が、轟々と音を立ててチュパカブラへと襲いかかる。

 チュパカブラは棒立ちだった。

 避ける気がないのか、自身に迫り来る魔力の嵐を前にして何ら動きを見せない。

 

 チュパカブラが魔力の渦に飲み込まれる。

 刹那、チュパカブラは嗤っていた。その獰猛な姿とはとても似つかわしくない、妖艶な声だった。

 

 

 †††

 

 

「ーー神楽坂さん、どうやら私はここまでのようです」

「ダメよエカテリーナさん、そんなの私が許すわけないじゃない」

 

 なんでこんなことになっちゃったんだろう。

 揺れる電車の中。乗客の訝しむ視線。隣には転校初日にして早くも山場を迎えようとしている金髪の女の子。

 私の今日の運勢は最悪。今朝、木乃香がそう言ってた。

 どうせネギ関連で一悶着あるとかそんなんでしょ? ここしばらくあいつに振り回されてきた私よ? 今さらちょっとした面倒ごとじゃ一ミリも動じないわ。

 って、思ってたんだけど……

 

「……くっ!」

「エカテリーナさん!」

 

 いよいよ堪え切れなくなって膝をつくエカテリーナさん。

 私は覆いかぶさるようにして、周りの乗客からエカテリーナさんを隠す。

 

「……誤算でした。気持ちだけでは届かないものですね。ここまで、辛抱のない我が身だとは思いませんでした……!」

「喋らないで、少しでも体力を温存して。もう少しで次の駅に着くから。何としてでも耐えるのよ!」

 

 油断していた。震える背中をさすりながら、「まさかネギ以外でこんな面倒ごとが起きるなんて」と自分の不運を呪った。

 抱え込まされた爆弾をどう処理すべきか。簡単な方程式を前にしただけで、いとも容易くショートしてしまう我が脳細胞をフル回転させる。

 

「……うぶ」

 

 あ、これもうダメだ。

 くぐもった声が目の前でうずくまるクラスメイトから発せられた。それを耳にした瞬間、私は諦めにも似た境地になって、何か色々どうでもよくなってしまったのだった。

 

 

 

 放課後。一日の勤めから解放された学生達で賑わう街中。そこを歩く私の心は、そんな明るい空気とは対照的に、ずんと沈んでいた。

 

(ちょうど五時か。約束の時間までまだまだあるわね……)

 

 今日も夜に桜通りのパトロールがある。

 なんか流れでメンバー入りしちゃった私なんだけど、今更になって自分の場違い感がヤバいっていうか。

 なんだったかな。確か、まきちゃんに続いてエヴァちゃんがチュパなんとかってのに襲われて、ネギがそいつをこらしめに行くとか言い出して。私は止めたんだけど、そこに高畑先生がやってきて、「だったら僕もついて行くよ」って。しまいには、「高畑先生が行くなら私も」だなんて言っちゃって。確かそんな感じの流れ。

 そりゃ私だって自分のクラスメイトを襲った奴には腹が立ってるし、出来ることなら思いっきりぶん殴ってやろうって思ってた。それに、居候で私より年下のネギが行くって言ってきかないんだもの。こんなのじっとしてる方が無理な話よ。

 なんだけど……

 

(ありゃ、私なんかがどうにかできる相手じゃないわよね……)

 

 実際に現場で憎っくき報復相手を前にして、色々と諦めた。

 まさか本当に《怪獣》が出てくるなんて思わないじゃない!

 何あれ、今時の《怪獣》って瞬間移動できるの? 凄いのね、馬鹿じゃないの?

 高畑先生は何であんなのと殴り合いができるのよ? ネギと同じ魔法使いだって聞いたけど、どっちかって言うとグラップラーじゃないの? 魔法どこ行ったのよ! 高畑先生が魔法使いって事以上に衝撃だったわよ!

 

 なんてな感じで、怪物同士の戦いにあっけなく心を折られた私は、パーティ内における自分の存在意義の無さを自覚し、ため息を漏らすのであった。

 

(かと言って今さら抜けますだなんて言えないし、それに、ネギの奴なんてますますやる気になっちゃて……)

 

 昨日はタカミチに任せっきりだったから、今日は僕が頑張らなきゃーーとか、よく言えるわよホント。あいつ、あんな無茶苦茶な殴り合いにどう介入するってのかしら。……やっぱ、魔法使いだから似たような事が出来るのかしら? まさか、あのネギが? いやいや、流石にないでしょ。速攻で怪我して泣いてる姿しか浮かばないわね。

 

「ま、そん時は介抱くらいはしてやるか。いや、そうなる前にしっかり見張っておかないとね」

 

 一緒に夜出歩いて大怪我なんてされたら木乃香になんて言われるかわかったもんじゃない。

 同居人の無事を見届けるとか、そんなのが私の役目ってことで。曖昧なままだけど、それでとりあえず決定。頭使うのは疲れるし苦手なのよ。

 

 勝手に自己解決して、いくらか心が軽くなった。我ながら良い性格してると思う。

 ……って、あれ?

 

「やっば、見失っちゃった!」

 

 少し考え込み過ぎた。

 現在進行形で私に与えられている役目を放棄してどうする。

 足取りを速め、目的の人物の後ろ姿を探す。

 その人物は案外すぐに見つかった。

 

「エカテリーナさん!」

「神楽坂さん、今ならこの《からおけ》? なるものが安いそうですよ」

 

 目的の人物はどうやらカラオケ屋のキャッチに捕まってたみたい。

 キャッチの持つ看板に目をやる。

 ……確かに安いけど、最低二時間コースか。軽く時間オーバーね。

 

「ごめんなさい、私たちこれから予定があるので。……エカテリーナさん、ほら、行こう」

「あっ、ごめんなさいお兄さん。そういうことなので……」

 

 エカテリーナさんの手を取ってその場を離れる。

 律儀にもキャッチのバイトさんに手を振ってるエカテリーナさんを見て(そして顔を赤らめながら手を振り返すキャッチのお兄さん)、つい先ほど封印したばかりのため息が漏れた。

 

「もうっ、勝手に先行っちゃ駄目って言ったでしょ? あと、知らない人にはフラフラついていかない!」

「ごめんなさい。何だか目に映るもの全てが新鮮で。ついつい足が進んでしまいました」

 

 彼女は今日3-Aに転入してきたエカテリーナさん。

 少し込み入った事情があって、今こうして私が放課後の街を案内してるわけなんだけど。

 ……私って日本に来たばかりの外国人に縁でもあるのかしら。そんでもって、どうして私が相手をする外国人は揃いも揃って落ち着きが無いのかしら。

 ジトッとした視線をエカテリーナさんに送ると、改まってもう一度謝られた。

 口元の前で行儀良く手を合わせるエカテリーナさんを前にして、怒る選択肢を選び続けることは私にはできないわ。

 同じ金髪ロングでお嬢様キャラでも、ウチの委員長とはえらい違いね。

 

「私がボーッとしてたってのもあるし、もういいわよ。それより、ほら、そろそろ何処行くか決めないと」

「だったら、先ほどの《からおけ》というお店に……」

「あそこ入ったら待ち合わせの時間に間に合わなくなっちゃうからダメ」

 

 そう言うと、あからさまに落胆した表情を浮かべる。どんなお店かもわからないのに何でそこまで執心になれるのか不思議だわ。

 

 そうそう、どうして私がエカテリーナさんと一緒に街を歩いているのかなんだけど、その理由はとても簡単で、実はこの子……

 

 

「申し遅れました。本日は、私の可愛い妹を襲った下手人“チュパカブラ”を成敗すべく、此度のパトロールに参加させて頂く運びとなりました。改めまして、エカテリーナです。どうぞよろしくお願い致します」

「と、いうことなんだ。僕からもひとつよろしく頼むよ」

 

 自然な流れで会話を進める二人に、私とネギは「ほぇ〜」だなんて揃って口を開けては頷くことしかできなかった。

 桜通りパトロールの打ち合わせ。放課後にメンバー同士で一度集まった私達なんだけど、そこに、昨日のメンバー三人に加えて何故かエカテリーナさんまでしれっと混ざってるんだから驚きよね。

 それで、訝しむ私とネギの視線を受けて出たのが、さっきの言葉。

 私の可愛い妹。

 ウチのクラスにエヴァちゃんって言う外国人の子が居るんだけど、エカテリーナさんはそのエヴァちゃんのお姉さんでね、久々に妹の顔を見に遠路はるばる異国からここ麻帆良へとやって来たってわけ。

 そんな大事な時にやってくれたのが、例のチュパカブなんとかっていう《怪獣》ね。

 ウチのクラスでは二人そいつに襲われちゃったんだけど、なんとその内の一人がエヴァちゃんなのよ。

 そのことを知ったエカテリーナさんはカンカンに怒っちゃって、「自分の妹を襲った相手を懲らしめてやる」って、そりゃお姉ちゃんだもの、当然許せないわよね。

 でもね、そうは言っても……

 

「危ないですよ! なんたってあのチュパカブラは本当にーー」

 

 本当に怪物だったんだから。

 直接戦ったわけでもない私達でも、あいつが人間じゃないことくらい肌でわかった。

 チュパカブラかどうかなんてこの際どっちでもいい。

 どのみち、私達女学生が喧嘩を売っていい相手じゃないってのは確かなんだから。

 

「ーーそんなわけで、普通に一般人がどうにかできる相手じゃないんです! ですからどうかここは僕達に任せて……」

 

 これから自分達が相手をする敵の危険性を説くネギ。

 というか、ネギ。その言い方だと私は大丈夫みたいに聞こえるんですけど?

 そんでもって、事情を知らないエカテリーナさんからしてみたら一番ひ弱そうなのは間違いなくあんたよ、このガキンチョ。

 

「じゃあ、エカテリーナ君が“一般人”じゃなければいいんだね?」

「ほっへあをつねらないへくらはいあふなはん(ほっぺたを抓らないでくださいアスナさん)! なんへすか、いきなり…………えっ、タカミチ今なんて……」

 

 思わずネギのほっぺたを弄る手が止まる。高畑先生はさらっと次のように言葉を続けた。

 

「“魔法使い”なんだよ、エカテリーナ君は。ネギ君、君や僕と同じね」

「ええっ! エ、エカテリーナさんが⁉︎」

 

 驚くネギとは対照的に、私は「あ〜、またこの展開か」とすっかり諦め顔。

 魔法使い、居すぎじゃない?

 ネギに続いて、昔からの知り合いの高畑先生が魔法使いだって知らされた(それも昨日)こともあって、なんかもう何でもウェルカムって感じ?

 今なら私以外の3-Aの生徒全員が「実は魔法使いでした」なんて事になっても受け入れられるわ。

 ……ごめん、流石にそれは盛り過ぎた。

 あの木乃香や委員長にそんな隠された裏事情があったら、それをあの二人が今まで隠し通せたと言う事に驚きを隠せないでしょうね。

 

「お二人と同じだなんてそんな……私がそこまで優秀な魔法使いでない事は高畑先生もご存知のはずでしょう?」

「ひょっとして、タカミチはエカテリーナさんと知り合いだったの?」

 

 どうやら高畑先生とエカテリーナさんは魔法関係で元から知り合いだったみたい。

 そう言われると、二人の間に何やら親密な空気が流れているのを感じる。

 私にとってはこっちの方が問題だわ。魔法使いが云々とか最早些細な問題に過ぎないくらいに。

 くっ、場違いなこと考えてるってのはわかってる。わかってるけれども!

 

「……(ニコッ)」

 

 私の視線を感じたのか、エカテリーナさんはこっちを見てキョトンとした表情を浮かべたと思ったら、「ええ、わかってますよ」と言ったニュアンスの微笑みを返される。

 なによ、何がわかったって言うの!

 

 私が恋敵(仮)? と視線のみで探り合いをしている間も、高畑先生の説明は続いていた。

 

 エヴァちゃんとエカテリーナさん。

 なんでもこの姉妹、《魔法使い》なのはエカテリーナさんだけで、エヴァちゃんは普通に一般人っていうなんだか意味深な事情を抱えてるんだそうな。ようはそれが原因で二人は遠い地で離れ離れになって暮らしてたみたい。なんというか、正直深く踏みいらないほうがよさそうね。

 ネギも、かくいう私もそうだけど、この学園には“わけあり”の子供がなんともまあ多いこと多いこと。

 

 

 そんな事情もあって、エカテリーナさんのメンバー入りは何ら問題なく決まった。

 作戦みたいなのも決めて、その結果、約束の時間まで私とエカテリーナさん組は別行動ってことに。

 そんなわけでこうして集合時間までエカテリーナさんをエスコートしてるってわけ。

 

「そうです! 実は私、前々から日本に来たら行ってみたいお店があったんです!」

 

 手をポンッと叩いて私の方を振り向くや否や、目をキラキラ光らせて食いかかるように迫ってくる。ああ、こういうのに男は弱いんでしょうね。わかっていても私は絶対にやらないけど。

 それよりも、エカテリーナさんが行きたかったというお店。

 お店の名前を聞いて、私は何とも微妙な反応をするしかなかった。

 

「それ、マジで言ってる? 確かにそのお店ならここ(麻帆良)にもあるし、私も一回だけ行ったことあるけど……」

「本当ですか! 私の国ではお目にかかれないものでして、カルチャーショックと言うんでしょうか。前に、麻帆良に来たら一緒に行こうってエヴァを誘ったんですが、素っ気なく断られちゃいました」

 

 それでもやっぱり気になってしまって、エカテリーナさんはよっぽどそのお店に行きたい様子。

 だけどねぇ、何というか人を選ぶお店って感じだし、とてもエカテリーナさんに合うとは思えないんだけど……

 というか、私があんまり行きたくないってのもあるけど。

 

「お願いします! 私、絶対に残しませんから!」

 

 エカテリーナさんの意思は固い。

 これ、どのみち却下したらこの後気まずくなるやつじゃない。

 ああ、最早私に選択肢なんて無いようなものなのね。

 

「うん、まぁ……それじゃ、混まないうちにいこっか……」

「わあ! ありがとうございます、神楽坂さん!」

 

 後で木乃香に夕飯要らないって連絡しとこ……。

 

 

 †††

 

 

「大の方、ニンニクは?」

「ーーヤサイネギマシマシニンニクチョモランマアブラカラメ!」

 

 ムフ〜っと、いかにも「してやった」と言った感じの表情を浮かべるエカテリーナさん。何でそんなに満足そうなのかしら。

 店内の他のお客さんが一斉に箸を止めて「えっ」って言う顔でこっちを見てる。

 ちょっと、私を勝手に仲間扱いしないでよ。

 

「ミニの方は?」

「……私は何も無しで」

 

 店員さんが私とエカテリーナさんの顔を交互に見比べている。

 何よ、「こっち()の方が食いそうなのになぁ」って言いたいわけ?

 

「神楽坂さんはニンニク入れない派なんですね」

「そう言うエカテリーナさんはニンニク好きなのね。……初めて聞いたわチョモランマって」

 

 てな訳でやってきたのがこのラーメン屋。

 麻帆良近辺の学生の胃袋を支える(主に男子)脂っこい味方。その名もラーメンショップ小太郎。

 連日、食事時になると飢えた戦士たちが道路沿いに長蛇の列を作るほどの人気店。まさにカルト的な人気ってやつかしら。

 それにしても、エカテリーナさんがラーメン屋に行きたかったなんてねぇ。しかもよりにもよってここかぁ。

 前に私も興味本位で木乃香達と食べにきたことがあるんだけど……量のチョイスからトッピング、何から何まで失敗したわ。まさかもやしだけでお腹いっぱいになるなんて思わなかった。一緒に来てた刹子が途中で援軍を呼んでくれた(弐集院ほか数名)から事なきを得たけど、あのままだったら確実に残してたわね。

 

「日本に来る前から“呪文(コール)”の練習を毎日欠かさず行ってたんです! 報われてよかったわぁ」

 

 どんだけよ。

 それに呪文って、大げさな。

 まったく魔法使いじゃ無いんだから……あぁ、そうだった、この人魔法使いだったわね。今の今まで本気で忘れてたわ。

 というか、現時点で私の中じゃネギが一番魔法使いらしいんだけど、そこんとこどうなのよ。

 最初は「こんなガキが魔法使いとか無いわ〜」とか思ってたけど、蓋を開けてみれば、ねぇ?

 

「……(ワクワク)」

「(喰い入るような目で自分の器にトッピングされていくニンニクを凝視してる……そこまで好きか)」

 

 蓋を開けてみれば、怪獣相手にボクシングしたり、かたやクリーチャー級の大盛りラーメンを恍惚とした表情で見つめたり。まぁ、ネギも大概おかしな所あるけど。てかそんなんばっかりか、魔法使いって!

 

 ……今はこんなエカテリーナさんでも、いざ戦いとなればネギみたいに難しそうな言葉でブツブツ呪文を唱えたりするのかしら。まさか、高畑先生みたいに肉弾戦志向なんてことはないわよね? 

 結局のところ、私って魔法のことについて何も知らないのよね。

 いや、知ってどうしようって言うわけじゃ無いんだけど。私ってば魔法使いの知り合いが多い……どころか、その内の一人とは実際一緒に住んでるのよね。つまり、長い目で見るとこれから先も魔法に触れ合う機会が多い訳で。

 何が言いたいかって言うと、そんな常日頃から身近にあるモノ(魔法)について何も知らないってのは問題なんじゃないかなって。

 何が問題だとか、具体的にはわかんないけど。こういうのは、あれよ、気持ちの問題っていうか。

 

「(エカテリーナさんにそれとなく聞いたら教えてくれるかしら?)」

 

 ネギに聞くってのはなんかシャクなのよね。

 聞いてないことまでベラベラ喋りそうだし、何よりもアイツの得意げな顔が腹たつし。

 あ、聞くにしても、魔法の何を聞けばいいんだろう。もうそこからわかんない。か〜、なんたってこんな頭使うことばっかりなのよ〜!

 

「……ごめんなさいね、神楽坂さん」

「え、なに?」

 

 急に謝られた。横に視線を移すと、そこには先ほどの浮かれた面持ちは影を潜め、表情に反省の色を浮かべたエカテリーナさんがいた。

 

「無理に合わせてもらった形になってしまって、少しわがままが過ぎました。……迷惑、でしたよね」

 

 私が考え込んでたせいかな。多分、無意識でイヤ〜な顔してたんだと思う。

 あちゃ〜、ちょっと水を差しちゃったかな。

 これは完全に私が悪いわ。

 

「いいのいいの、別に迷惑なんて全然思ってないから!」

「でも……」

「街を案内するって言ったのは私なんだし、それに本当だったら今日は……」

 

 そこまで言いかけてやめる。

 あ〜、これは言わない方がいいかな。

 

「神楽坂さん?」

「ううん、やっぱ何でも無い。でも、迷惑じゃないのは本当よ?」

 

 本当だったら今頃3-Aのみんなで「エカテリーナさんの歓迎会」をやっていたはず。

 チュパカブなんとかのせいで「放課後部活動はしばらく休止、生徒は速やかに下校」だなんてことになってなければね。

 ウチのクラスの連中も歓迎会中止は残念だと思ってる。ただ単に騒ぎたいだけのやつもいるけど。

 まぁ、この事件を解決した後に改めてやりましょ。エヴァちゃんも加えてね。

 そんなわけで、その時がくるまで内緒にしておくほうがいいでしょ。

 

「ほら、ラーメン出来たみたいだし、余計なことは気にしないで食べよ食べよ。エカテリーナさんの量が多いし、ちゃんと集中しないと残しちゃうわよ?」 

 

 雑談を交わしている間に注文したラーメンが完成したようだ。店員さん、ナイスタイミング。

 待ちに待ったラーメンを目の前にして、エカテリーナさんの表情に喜色が戻る。そうそう、その顔その顔。そういう明るい顔の方がエカテリーナさんには合ってるわ。

 

「わぁ、ニンニクがこんなに! これを待ち望んでたの!」

「……す、すごいわね。量も、そして匂いも……」

「今日は限定でネギが追加トッピングできる日なんです! 本当にツイてるわぁ……これで()()()()()()()だな、ふふふ」

 

 ……切り替えも早いようで何よりね。最後の方はよく聞き取れなかったけど、とっても喜んでるってことだけはわかる。これ、あんまり心配する必要なかったかしら。

 

「いただきます!」

「……いただきます」

 

 隣のもやしとネギとニンニクがこんもり盛られた妖怪のような物体は見ないふり。目の前の自分のラーメンのサイズを見て安心する。

 さっさと自分の分食べて出ましょ。思った以上にすっごい香ってくるのよ、隣から強烈なニンニク臭が!

 箸を割って、もやしを一口含んだら続けて麺を啜る。うん、一口目は美味しいのよね。この間来た時は暴力的な量とビジュアルに圧倒されて味を楽しむどころじゃなかったけど。男子がハマるのも頷ける。そしてスープは飲み干してはいけない、絶対に。

 

「……(ミニサイズにしてよかった。この量ならいけるわね)」

 

 二口目、と麺を丼の底から引っ張り上げたところで、何気なく横を見て、すぐに視線を麺に……戻せなかった。

 

「……ねぇ、エカテリーナさん? その、手、すっごい震えてるけど……」

 

 なぜなら一緒にやってきた連れの様子がおかしいからだ。

 

「あら、どういうことでしょう。神楽坂さんの仰る通り、手が震えて震えて仕方がありません」

「……箸、ひょっとして使うの初めて、とか?」

「いえ、日本に来る前に練習しました。幾度と無く苦戦した強敵“あずき豆”ですら今では赤子の手をひねるも同然」

「……よくわかんないけど、箸は問題なく使える、と。じゃあ、その震えはナニ?」

「さぁ、どういうことなのでしょう。私の()()()()()()が最後の抵抗を示しているのでしょうか」

 

 なんか雲行きが怪しくなってきたわ。

 表情自体はとても穏やかで涼しい顔をしている、が、よく見ると汗が吹き出ている。

 どういうこと? ひょっとして、悪ふざけでこんなの頼んじゃった? いや、とてもじゃないけど、そんなことをするような人には見えないし……。いや、それよりも……

 

「食べられるわよね? 全部」

「……食べられますよぅ?」

「ホントに頼むわよ⁉︎ そんなの私手伝えないからね!」

 

 なんかいっきにこの子の事がわかんなくなったわ。

 その後、震える手を空いた方の手で必死に押さえながら、やっとの事で最初の一口にありつくエカテリーナさん。

 

「ハフッ…………ゴホッ!」

「…………」

 

 ()せた。今この子()せた。え、好きなのよね? ネギとニンニク。

 

「〜〜〜〜〜っ! お、美味しい! ゴホッ、ゴホゴホッ!」

「流石に無理があると思わない⁉︎」

 

 さっきから周りの客や店員の視線がこっちに集中してるけど、そんなの気にしてる場合じゃない。()せながらも一口、また一口とラーメン(ほぼもやしとニンニク)を口に運んでは戻しそうになる連れの奇行から目を離すわけにはいかないから。目を離したら、次の瞬間には悲惨なことになっていそうだから。

 しかし、どんなに辛そうでも、彼女の箸は止まらない。いや、むしろ箸の進みは次第に早くなっている。

 依然として震えは収まっていないのに、汗はもう滴るほど流れているのに、それでも止まらない。

 

「……っ!」

 

 私は驚いた。

 笑ってる。

 私の連れは、笑ってる。

 そうか、美味しいんだ。美味しいから笑みが溢れてるんだ。

 でも、なんで?

 どうみても貴女の体は必死に拒否反応を訴えているのに、なのに、なんで貴女はそれをあざ笑うかのように大量のネギとニンニクを受け入れているの?

 気になってしまった。貴女はなんで、そこまでしなくちゃいけないのか。だから、聞いてみた。エカテリーナさんは私の問いに対して一旦箸を止め、こっちを向いて実に良いキメ顔でこう答えた。

 

「ーー己に打ち勝つには必要なことなので……ゲフッ!」

 

 私はもう何も言えなかった。

 私とエカテリーナさんはもう、同じ次元でラーメンを食べちゃいない。彼女がラーメンを食べる意味は、お腹を満たすだとか、美味しいからとか、もはやそういうレベルじゃないのだ。

 そんな遠い次元に居る人に対して、私の理解が及ばないのは仕方のない事なんだから。

 

「ズルズル、ズズズ! ハフッハフッ……ッ! ゲフッゲフッ! ゴッホ! ンンン!(どうだ、宿主! 身が引き裂かれる思いだろう? ハハハハハッ!)」

「…………」

 

 とりあえず、この店出たらコンビニでブレス○ア買おう。

 私の、エカテリーナさんに対する認識は、ほぼほぼ「変人」方面に固まった。

 

 

 †††

 

 

 ラーメン屋を出て適当にブラブラしてたらいい時間になったので、私達は待ち合わせ場所の桜通りへと赴くべく(といっても帰り道なんだけど)最寄りの駅のホームで駄弁ってた。

 電車が来るまで暇だったから、何の気なしに“魔法”のことに関して聞いてみたんだけど……

 

「魔法とはなんなのか……ですか」

 

 今更ながら随分と大雑把な質問をしたと思う。

 案の定、エカテリーナさんは唇に指を当てて考え込んでしまった。

 

「まるで禅問答のような質問ですね」

 

 エカテリーナさんは困ったように笑う。そうね、私も質問の仕方が悪かったと思う。

 それでもエカテリーナさんは「ではなるべく掻い摘んで、そうですね、では魔力とはなんなのか……」と素人の私に懇切丁寧に話してくれた。

 でも、どんなに聞きかじったところで私の日常生活には馴染みの無い世界。魔力や呪文、精神力がうんぬんと言われても、単なる文字の羅列が頭の中をぐるぐると掻き回すばかりで一向に理解が及ばない。

 

「結局のところ実際に魔法を見てもらった方が理解しやすいと思うのですが……」

 

 ごめん、ネギの魔法なら何回か見てるけど、正直それでもサッパリだわ。

 ようは私の頭じゃ魔法の“ま”の字すら理解できないのね……。

 なおもエカテリーナさんは私が理解できるように例えを挟んだりして説明を続けてくれるんだけど、イマイチどれもこれもピンと来ない。

 なんだか申し訳なくなってくる。

 

「ようは、魔法使いは“妖精”の力を借りて、魔法を使ってるって事、かな? そんでもって、それが“妖精魔法”」

 

 私が精一杯情報を咀嚼して出した結論がこれ。というか、これ以外に理解できたところがない。

 

「“妖精”ではなく“精霊”ですね。神楽坂さんの仰っている事で合っていますよ。……ああ、なるほどそこからですか」

 

 どうやら私はギリギリ「初級の門」は叩けたようだ。もっとも、叩いただけで開くことは叶わなそうだけど。

 その後もエカテリーナ先生と出来の悪い生徒の間で授業は続く。次第にエカテリーナさんの声が大きくなっていくのは、間違いなく怒気が混ざってきてるからだろう。自分の教え方が間違ってるのかもしれないという不安からくるものなのか、単にコイツ本当頭悪いなって苛立ってるのか。どっちかはわからないけど。ネギもこんな気持ちで私に勉強を教えていたのね。なんかゴメン。

 

「もうお手上げ! ごめんね、無理な事聞いちゃって。こういうのってあれでしょ? 一般人にベラベラ喋っていいもんじゃないんでしょ?」

 

 もう限界とばかりに首をブルブルと振ってギブアップの意を示す。

 初めから私の質問は破綻してたんだ。自分が何を知りたいか、何を持って納得するのか、他ならぬ私自身がソレをわかっていないんだから。

 私がそう言うと、エカテリーナさんは目を瞑って黙ってしまった。あれ、ひょっとして呆れられちゃった?

 心配になった私は、エカテリーナさんに呼びかけようとしてーー

 

「エカテリーナさーー」

 

 その横顔を見て、奇妙な感覚に襲われた。

 それはひとえに違和感であったり、一風変わって懐かしいモノを見たような気持ちだったり、はたまた悲しい出来事に見舞われたような嫌な感覚だったり……いっぺんに様々な感情がない交ぜになって浮き上がってきて、なんて形容したらいいかわからなかった。

 

「……(あれ、なんだろこれ、この感じ)」

 

 奇妙な感覚の正体が掴めない。

 ただ、それらの感覚を引き起こした大本は、目の前にいるエカテリーナさん、なんだと思う。たぶん、断言なんてできないけど。

 肩が触れ合うほど近くにいるのに、吐息一つ聞こえない。周りの景色は忙しなく動いているのに、唇一つ動かない。

 そんなエカテリーナさんを見ていると、不思議なことに彼女を《赤の他人》だとは思えなくなってきた。私、なんだかどうかしちゃった? 変だよね、今日初めて会った人に対して、なんでこんな気持ちになってるんだろう。

 

 ーー妾は、結局のところお主に何もしてやれぬのだな。

 

 それは誰の声だったか。

 エカテリーナさんを基点に周囲の景色がぼやけていく、そんな中、ひどく懐かしい声を聴いた。

 

「(ああ、もう少しでーー)」

 

 もう少しでーーなんなのだろう。

 もう少しで、この感覚の正体がわかるとでも言うのか。

 ついには視界がぐにゃりと捻れた。

 私は無意識のうちに手を伸ばしていた。

 私を、置いていかないでーー

 

「ーー神楽坂さん!」

「っ!」

 

 気がつけば私はエカテリーナさんの腕の中に居た。すぐ目の前にエカテリーナさんの顔がある。青味がかった透明な薔薇ーーを模した眼帯が、やけに鮮烈に私の目に映った。頰をひんやりとした冷気が撫でたような気がした。

 

「あ、れ……私、今なにを……って、うええ⁉︎」

 

 なんで私こんな仰け反って……のわ、地面近っ⁉︎ そんでもってエカテリーナさんも近っ⁉︎

 

「ごめん、なんか急に立ち眩みが……」

「……あそこのベンチで休みましょうか」

「いや、今はもうなんともないから……」

 

 なんども大丈夫だって言ったんだけど、エカテリーナさんは問答無用で私をベンチまで連行した。「何か飲み物を買ってきます」と言ってこの場を離れるエカテリーナさんを目で追いかける。

 

「なんだったんだろう、さっきの」

 

 寸前まで観ていた夢の内容が思い出せないのと同じようにに、先ほどの奇妙な感覚は綺麗さっぱりなくなっていた。いくら思い起こそうとしても、それは叶わなかった。

 しばらくしてエカテリーナさんがペットボトル飲料を持って戻ってきた。特別のどが乾いているわけじゃないんだけど、せっかく買ってきてくれた物に手をつけないのもあれなので、中身も見ずに蓋を開けて、少量を含み、口の中で転がす。

 しばらく私たちの間に会話はなかった。

 電車は一向にくる様子も無い。

 そろそろ帰宅ラッシュの時間であるにも関わらず、私達以外に人は疎らだった。その事に対して、なぜか不思議と私は疑問を抱かなかった。

 エカテリーナさんは空を仰いでいた。

 夕暮れを羽ばたく鳥達の影が、その透き通るコバルトブルーの瞳に映る様を眺めていると、不思議と心が安らいでくる。

 さっきに言葉を発したのはエカテリーナさんだった。

 

「少し昔話をしましょうか」

「昔話? ひょっとして、エヴァちゃん関連?」

 

 私の言葉にエカテリーナさんは首を横に振る。

 違うんだ。じゃあなんだろう?

 

「それは遠い遠い昔、まだ(あまね)く全ての人間の目が“精霊”を視認できた、古い神代の世の物語です」

 

 胸に手を当てて、高らかにそう告げる様はまるで舞台劇の語り部のようで、とてもエカテリーナさんに合っていた。

 そして昔話とはエカテリーナさん自身のことではなく、どうやら魔法に関することのようだ。

 

「神代って……それってどれくらい昔?」

「ずっとずっと昔です。教科書で習うような範囲よりもずっと前だとお考えください」

「昔の人は、“精霊”を視ることができたの?」

「視ることもできれば触れることもできました。昔の精霊は実体を持っていたので、飲食もすれば睡眠もとります。……当然、“死”という概念も。それこそ、先ほど神楽坂さんの仰った“妖精”と言う存在に近いですね。最も、姿形は人間に比べてかなり個体差に幅がありますが」

 

 想像してみる。羽が生えてて、肌の色がカラフルで、耳が尖ってて……し、尻尾とか、あるのかしら? んでもって、頭とか長くて……。

 ……私の脳内であらゆる人外パーツを備えた学園長の図が出来上がった。

 堪え切れずに盛大にむせる。

 

「そういうデザインの精霊も居ますよ。長いだけじゃなくて二つに分かれてるような精霊もいます」

「えっ⁉︎」

 

 なに? 頭の中でも読まれた? これも魔法の一種?

 エカテリーナさんは構わずに話を続けた。

 

「今でこそ多種多様な精霊が存在しますが、元を辿れば大まかには精霊は四つの種族に分かれていました。火、風、地、水……魔法使いの間では《四大元素》と呼ばれ、あらゆる魔法の根幹と言われています」

 

 火に風に地……地は地面かしら? そんでもって水、ね。なんかゲームに出てくる属性みたい。

 四大元素とか、なんか難しそうな言葉でちょっと身構えちゃったけど、魔力うんぬんよりかは分かりやすいわね。

 火族とか風族とかそんな感じかしら。

 私が尋ねるよりも先にエカテリーナさんは「それで合っています」と返してくる。なんだか便利なんだけど複雑だ。

 

「人間と、四種族の精霊達は互いに手を取り合い暮らしていました。中には人間と精霊の間で愛を育む事あり、それにより産まれた子供は“混血”と呼ばれ、両種族間の平和の象徴として受け入れられていたほどです」

「えっ、子供ができるの⁉︎ 人間と、精霊の間で? その……モニョモニョしたりして?」

「はい、性行ですね」

「ちょっ」

 

 あの? エカテリーナさん? そう言うのはもうちょっとボカして! 周りに人だって……あんまりいないわね、よかった。

 

「神話ではそう言った異種間で子供が産まれる事など日常茶飯事ですからね。あくまで当時の時代背景を鑑みた上でご想像ください」

 

 そんな時代背景想像できるか〜!

 でも、そういう種族の間で差別が無いって言うのは見習うべきところかもね。……麻帆良はなんでもかんでも受け入れすぎな気がするけど。

 

「話をここからですよ。……ある日、そんな仲睦まじい両種族の関係に亀裂が入る事件が起こったのです」

「ああ、平和は長く続かないっていう……」

「そうです。先程も言いましたが、その時代の精霊は火、風、地、水の四種族に分かれていました。そして、それら四種族の上に立つ者としてリーダー的な存在……“四柱の王”が存在したのです」

 

 エカテリーナさんはここで一息入れる。

 ちなみに「“四柱の王”というのは“四人の王”という事ですよ」と補足を入れてくれた。この短時間で私の脳みそのレベルは十分把握したみたい。馬鹿で悪かったわね。

 

「四柱の王の事を、私達魔法使いは《El(エル)》と読んでいます。火のEl(エル)、風のEl(エル)、地のEl(エル)、水のEl(エル)。大昔の精霊は、それら四柱のエルを頂点とした、四つのピラミッド式の組織として成り立っていたのです」

「まさに精霊の四天王みたいね」

 

 そう言うと、エカテリーナさんは「実に的を射た例えです」と言って笑った。

 

「現在魔法使いが魔法行使のために使役できる精霊の中でも最大規模の霊格を持つ“上位精霊”すらも、El(エル)を前にしたら頭を下げるしかないそうです。文字通り、四天王ですね。……まぁ、ここで四天王の中で最も厄介なお方が色々とやらかしてくれた所為で、人間と精霊の間で戦争が起こってしまうんですけど」

 

 戦争⁉︎ いや、さっき確かに両種族の間に亀裂が〜とは言ってたけど、なんでいきなり⁉︎ こういうファンタジーな物語に出てくる王様ってなんでこう突拍子もないのかしら。

 

「やらかしてくれたのは、四柱の中で最も権力を持った長女と呼ぶべき存在、水のEl(エル)です。彼女がもう少し慎ましい性格だったら、ひょっとしたら未だに神代の世は続いていたかもしれないですね」

 

 長女? ってことはその水のエルって女性ってこと? ……あ、子供が出来るくらいだからそりゃ精霊にも性別くらいあるのか。

 一番上のお姉ちゃんだから、一番偉いってこと?

 そもそもエルってみんな女性なの?

 

「女性は水のEl(エル)のみで、他三柱は皆男性です。“水”のEl(エル)が長女、“火”が長兄、“風”が次男、“地”が末っ子ですね。これはEl(エル)の誕生の順を表しています。……ちなみに地のEl(エル)は重度のシスコンで、姉の水のEl(エル)もそんな弟を溺愛していたそうです」

 

 あら、微笑ましい……って、そういう細い所まで伝えられてるのね。

 

「……そんなお姉ちゃんの水のエルが、戦争の引き金なの?」

「原因は“痴情のもつれ”だと言われています」

「は?」

 

 ちじょうのもつれ? って?

 

「水のEl(エル)は恋多き女性でした。惚れやすい性格と言いますか、己の権力を利用して男を取っ替え引っ替え。精霊、人間問わず気に入った男は妻帯者でも御構い無しに関係を持ったそうです。実質その時代の最高権力者ですからね。男の方々には断る術などある筈もなく」

「え? え?」

「ちなみに、弟の地のEl(エル)は最愛の姉の閨での情事を毎晩覗いては悔し涙を流し、水のEl(エル)も弟に覗かれている事に気づいていながら見せつけるように行為に耽けることで、さらなる快感を得ていたそうです」

「生々しいうえに愛が歪んでるわぁ!」

 

 何その昼ドラや時代劇とかに出てきそうな典型的な悪女は。もはや魔法とか精霊とかどっか行っちゃったんだけど。

 というかこれのエ○本の内容に片足突っ込んでるんじゃない⁉︎ これがあんたら魔法使い達のバイブルなの⁉︎ エ○本じゃないの! あんたらのバイブルはどう聞いてもエ○本よ!

 私は、別に、エ○本とか読まないけど?

 

「神楽坂さん。時代背景を考慮してください。そういうものなのです」

「わかったわよ、もう!」

 

 はぁ〜、なんかもうあれだ、疲れた。

 

「まさかとは思うけど、戦争の原因がその、水のエルの痴情のもつれって言うのは……」

「一人の人間の男にフられて、その逆恨みで戦争を起こしました」

「うわぁ……」

 

 思わず頭を抱える。

 エカテリーナさんは「神話ではよくある事」って言うけど、そんな国のトップ最悪過ぎる。

 

「続けますね。水のEl(エル)が口火を切った事により始まった人間と精霊の戦は、当然のことながら精霊側が有利に事を進めました」

 

 それはもう、圧勝と言っていいほどに一方的だったそうだ。

 その時代の人間側にも、現代の銃火器に値する武器は存在してたらしいけど、戦力差を埋めるまでには至らなかったみたい。

 

「ていうか、精霊たちはよくもまぁ水のエルの無茶苦茶な命令に従ったわね。“混血”……人との間に子供がいるヤツだって居たんでしょ? 子供はどうなっちゃったのよ?」

「それが戦というものですから。神楽坂さん、念のためもう一度言っておきますが、時代背景を考慮して……」

「はいはい、わかってますよ。とりあえず水のエルって言うのはサイテーな女ってことでいいんでしょ?」

 

 エカテリーナさんには苦笑いを返されたけど、ごく一般の受け手目線からしたら間違った認識じゃないと思う。

 

「それで結局、人類側は……滅ぼされちゃったの?」

「私達のご先祖様が滅ぼされていたら、ここに私達はいませんよ。先に結末だけ言ってしまうと、この戦争はちゃんと人間側の勝利で幕を閉じるのです」

 

 そりゃあ「私達の先祖は大昔精霊達にボコボコにされました」ってだけの話を代々ありがたく語り継ぐわきゃあないわよね。

 

「今と昔では倫理観が違えども、精霊達がやってる事は即ち弱い者イジメ。いくら自分達のトップの命令だからと言って、精霊の中には乗り気じゃない者も当然いました……そんな中、遂に一柱の精霊が立ち上がったのです」

 

 エカテリーナさんの口調に熱がこもる。

 私は思わず唾を飲み込んだ。

 

「風のEl(エル)。四柱の精霊王の中において、最強のEl(エル)とも謳われる存在。その風のEl(エル)が、途中で人間側に味方をしたのです」

「なんか、ヒーロー登場って感じね」

 

 風のエル。エカテリーナさんが言うには、天候を自由自在に操れた精霊で、それはもう自然そのものって言われるくらい強かったんだって。

 ようやくお話として受け入れられるようになってきたわね。やっぱりストレートにバッドエンドなんて認められないわ

 あれ、風のエルが一番強いって……水のエルは?

 

「水のEl(エル)はあくまで“位”が一番高いというだけであって、強さに関してはあまり明言されていないんです。組織のリーダーが前線で戦うことはありませんからね。……三人の弟よりも喧嘩が強い姉というのは、それはそれで面白いかもしれませんが」

 

 ボスよりもその取り巻きのエネミーの方が強いっていう、あれね。なんかいつかやったゲームでそんなステージがあった気がする。

 

「風のEl(エル)は配下の風精、雷精を率いて精霊軍に反旗を翻し、文字通り疾風迅雷の働きで瞬く間に戦況を塗り替えました。そして、そのまま精霊軍を滅ぼすーーとはならず、風のEl(エル)は戦の間に何度も水のEl(エル)に対して停戦勧告を訴えたのです。しかしその訴えも虚しくーー」

 

 ーー水のEl(エル)の改心には至らなかった。最後まで己の為に戦ってくれた地のEl(エル)が、最愛の弟が戦場で命を落とすその時まで……

 

「地のEl(エル)は最後まで水のEl(エル)の理解者として、自身の姉を護りました。そして来たる決戦の時、地のEl(エル)と風のEl(エル)の一騎打ちになり、両者は相打ち。そこに至ってようやく水のEl(エル)は自らの過ちに気付いたそうです」

「……遅すぎるわよ」

 

 エカテリーナさんは戦の描写に関しては所々曖昧に濁した。戦だから、やっぱり説明にも困るどギツイ場面もあるし、わざわざ語るものでもないらしい。

 

「風のEl(エル)は力尽きる前に、自らの力を共に戦った人間達に分け与えたといいます。それから、配下の精霊達に命じました。『人と共にあれ』と。ここから永きに渡り西洋魔法界で主流として扱われる《精霊魔法》が始まったのです」

「精霊、魔法……それが……」

「はい、ネギ先生や私が扱う魔法の事です。ちなみに風系呪文は魔法使いの間でトップシェアを誇っているんですよ。神代の世が終わり、精霊達は人々の間から姿を消した。それでも風のEl(エル)の思いは今もなお続いているのです。とても素敵な事だと思いませんか?」

 

 なんとなく、エカテリーナさんが言いたかった事が解った。

 私達(魔法使い)が使う魔法は、別に悪意があって生まれたものじゃないって、多分、そう言いたかったんだ。

 私は、不安だった。

 自分の理解が及ばない未知の力が。知らず知らずのうちに私達の日常を脅かしてるんじゃないかって。

 エカテリーナさん、ひょっとしてそれに気づいてたのかもしれない。

 そういえばさっきだって……

 

「電車、来ましたね」

 

 図ったようなタイミングで電車がやってくる。それと同時にホームに人が大勢なだれ込んで来た。よいせ、とベンチから立ち上がったエカテリーナさんに、先ほどから気になっていたことを尋ねる。

 

「エカテリーナさん、今も私の心を読んでるの?」

「え? 何のことですか?」

 

 惚けた演技か、それとも私の思い違いなのか、どっちかはわからなかった。まぁ、気を遣われたことに変わりはないと思う。

 私の中のもやもやは晴れた。それで良しとしましょうか。

 

「そういえば、その後、水のエルはどうなったの?」

「ご想像にお任せします」

 

 はい?

 

「ちょ、ちょっと、ここまで話しといてオチだけブン投げって、そりゃ無いわよぉ!」

「ごめんなさい。水のEl(エル)のその後に関しては正確な資料が残っていなくて。どのみち話すことはできないんです」

 

 エンディングは読者の心の中にありますって? 何よその適当な打ち切りエンドは!

 せっかくさっきまでのもやもやが無くなったのに!

 

「ねぇ2(ツー)は? その神話って2(ツー)とかないの?」

「あるわけないでしょう、そんなの。ギリシャ神話2(ツー)とか聞いたことありませんよ。ほら、さっさと電車に乗りますよ」

 

 あぁ〜もう! 作品はちゃんと完結させないよ! 馬鹿!

 

 

 

 

「すいません神楽坂さん。なんだか私とっても気分が悪いのですが……単刀直入にこれから私の身に起こるであろう症状を申し上げますとーー吐きます。……うぷっ」

「絶対さっき食べたラーメンが原因でしょ! ちょ、こんなところで……ぜ、絶対ダメよ! 耐えなさい!」

 

 電車を降りる頃には、先ほどの打切りエンドへの不満は綺麗さっぱり無くなっていたのだった。

 エカテリーナさんが耐えたか耐えられなかったかどうかは、一人一人の想像にお任せするわ。




お久しぶりです!
気力やら時間やらがなくて完全にエタっていました……
最後の明日菜のセリフは作者に対するブーメランです。


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ファンネルは女子の嗜み

『闇の福音に神楽坂明日菜両名、間も無く桜通りへと到着します』

『フォフォフォ、それでは皆の者、手筈通り頼むぞ。念の為にもう一度言うが、くれぐれもネギ君に我々の事を気付かれんようにな』

 

 我らが学園長の飄々とした声が脳内に響く。

 辺りに目を走らせると、夜の帳を蠢く()()()()が複数。影たちは皆、私の同僚であり、昼間は至って普通の教職員として麻帆良に勤めている者たちである。

 しかし、今は幾分ーーいや、だいぶ風貌が変わってしまっているが。

 

『第一班、行きます! 皆、私に続け!』

 

 影が動き出す。彼らが暗い茂みの中から街灯に照らされた通りへと躍り出ると同時に、少女の甲高い叫び声が上がった。

 それが此度の作戦の決行の合図であった。

 

「な、何よこれぇーーーーっ! なんで、なんでこんなにーー」

 

 その声はこの場に居合わせた唯一の一般人の少女。可哀想に。彼女は不運にも、この作戦とも呼べない出来の悪い三文芝居に巻き込まれてしまった犠牲者なのだ。

 

「アスナさん! どうしたんですか……って、うわぁ! チュ、チュパカブラが! 一、二、三四五六……か、数え切れないくらいいっぱい⁉︎」

「ネギ君、勝手に飛び出しては駄目だ! む、これは一体……」

 

 桜通りは早くも阿鼻叫喚の様相を呈している。それを受けて、潜んでいた他の影が次々と動き出す。

 

『よし、そのまま彼女らを分断するのじゃ。一般人の明日菜君に怪我をさせる事の無いようにのぅ』

 

 言われずともそのつもりである。

 

「私達も行きますよ」

 

 後ろに控えていたチームメイトに声をかけ、返事も待たずにその場から飛躍する。

 我らは訳あってチュパカブラという異形の怪物に身を扮した学園の魔法教師。何も知らない少年少女達を、何やら邪な謀事を胸に秘めた吸血鬼の毒牙から護るという使命がある。

 三者三様の思惑が絡み合う夜はまだ始まったばかりだ。

 

 

 

《ネギ君の成長を見守るチュパカブラ軍団》。今回の任務名である。ネギ・スプリングフィールドに実戦経験を積ませるために闇の福音が一芝居打つというもので、その監視役として私たち魔法教師が抜擢されたのだ。

 発案者は他ならぬ学園長本人。

 緊急の報だと言って放課後に呼び出された我々を待ち構えていたのは、学園長室いっぱいに埋め尽くすされた“チュパカブラの着ぐるみ”だった。そして呆然とする我々に向かって、学園長は此度の奇妙奇天烈な任務内容を明かしたのである。

 

 現在、ここ桜通り周辺一帯には“空間拡張の結界”が張られている。学園の手練の魔法使い複数人で作り上げた本格仕様であり、半径200メートル程の結界の内部は、現実空間の十倍以上にまで膨れ上がっている。追加で増やされた木々のソリッド・ビジョンは術式によって実体を持っており、術者側の並々ならぬ熱意が感じられる。当然、遠目からは桜通りに変化が起きているように知覚される事は無い。

 さらには、大掛かりにも学園の“認識阻害結界”のシステムを流用し、ターゲットであるネギ・スプリングフィールドと神楽坂明日菜にはこの“拡張された桜通り”を“異常”だとは認識出来ないように保険までかけられている。

 特例にもほどがある。それほどまでに学園長は“英雄の息子”に入れ込んでいるのか。

 元々は女子寮の近くで暴れられては困るという我々側からの苦言に対する解決案に過ぎなかったはずが、蓋を開けてみればまるで、こんな事もあろうかと思って前々から準備していました、と言わんばかりの手際の良さである。タチの悪い事この上ない。

 

 結局、異を唱える隙も何も有りはしなかった。流されるがままチュパカブラの着ぐるみに着替えた我々は、釈然としない気持ちを押し殺し、これも仕事だと胸に言い聞かせながらこの場に立っている。

 加えて私はチーム単位で動くこの任務に置いて、一つのグループのリーダーを任されてしまった。日頃の行いの良さがこんな所で災いするとは目も当てられない。学園長からしたら私が断る姿など想像出来ないのだろう、それほどまでに学園長の私に対する印象は良好だ。

 

 ーーまさか私の本来の所属は麻帆良学園では無く、外部からの派遣だという事を忘れているのではでしょうね?

 

 何はともあれ、結果的に引き受けてしまった事に変わりは無い。切り替えは大事だ。一小隊のリーダーとして、班員たちの模範となるよう整然とした態度で臨むべきだろう。

 これもまた、小さな善行を積み重ねる行為に繋がると思えばこそ、である。

 

「いやいや、少し驚かせ過ぎたかな。こういった事は慣れてなくて加減がわからんよ」

「あの神楽坂って女の子、確かネギ君と同室の一般人ですよね? こんな事に巻き込まれちゃって可哀想に」

「ネギ君がほっとけないんだろう。勇敢で実に頼もしい子じゃないか。3-Aの生徒は皆粒ぞろいとは本当だね」

 

 班員の二人は実にリラックスした態度で雑談を交わしている。後ろに目をやると、二人共着ぐるみのチャックから顔を出して、パタパタとチュパカブラの頭を団扇(うちわ)がわりにして涼んでいる。もうやる事は済んだとばかりに緊張感が無い。

 そう、彼らのような不真面目な連中を導くためにも、私は指針を示さねばならないのだ。言うべき事はハッキリと告げるとしよう。

 

「……その着ぐるみは学園長曰く“レンタル品”だそうで、取り扱いには注意を払うように。後で別途請求がきても知りませんよ」

「えっ、そうだったんですか? しまった、さっき盛大にすっ転んだんだ。穴空いてないかな……ああ、情報ありがとうございます」

 

 彼らはお互いに着ぐるみの損傷の有無を確認し合う。やがて傷一つ無い事がわかると、彼らはホッと一息ついた後に、「チープな割に丈夫なんだね」と言って再び雑談に戻る。

 

 ーーまぁ、これが普通でしょう。

 

 この任務内容で常に気を張れと言うのも酷な話だ。第一、我々のグループに与えられた“神楽坂明日菜を予定戦闘外区域(セーフティーゾーン)まで誘導する”という目的は達成した。

 ようは今現在は暇を持て余している状態なのだ。後はネギ・スプリングフィールドと闇の福音が実際に交戦を始めるまで我々に仕事は無い。これくらいの気の緩みは大目に見るとしよう。

 

「そう言えば、神楽坂ちゃん。この件が終わったらどうなるんですかね? やっぱり規則通り記憶を消す事になるんでしょうか」

「そりゃそうだろうーーって、言いたい所だけど、正直わからんなぁ」

「記憶を消されない、なんて事があり得ると?」

「うむ、私もハッキリとは言えないんだが……あの、3-Aっていうクラスは(いささ)か事情が混み合っていてね。一概にも既存の魔法使いのルールが適用されるとは限らないんだよ」

「あのクラス、治外法権みたいなもんですからね。どんな事件を起こしても学園長の裁断で無理やり丸め込まれるし」

「そうそう、過去にはガンドルフィーニ先生をはじめ大勢の魔法教師連中が学園長と衝突したものだよ。今ではすっかり角も取れて丸くなったけど」

 

 丸くなるどころか潰れてしまったのだが。

 ガンドルフィーニ先生らが長期休暇に入る事になった際、誰一人として不平不満の声が出なかった。それほどまでに他教師からの同情を集めていた。

 

「それに、十歳の子供を担任に据えるだけじゃなく、生徒の部屋に同居人として寝泊りもさせているんだよ? それだけ私物化している3-Aだ。きっと上手いことネギ君との間にきっかけを作らせて、そのままパートナー契約でも結ばせようと考えているに違いない」

「うわぁ、そういう風に聞くと悪どいなぁ、学園長」

「悪どいも何も悪党さ! 実際に我々はこうしてサービス残業を強制させれているのだからね! ただでさえガンドルフィーニ先生らが休職に入ってしまって、処理出来なくなった案件等の皺寄せにてんてこ舞いなんだ! あぁ、妻の温かい手料理が恋しいよ……」

 

 本音はそちらか。

 しかし、学園長が悪党かどうかは置いておいて、裏で色々と手回しをしている事は確かだ。

 ここに居る彼らは知らないだろうが、ネギ・スプリングフィールドは既に魔法バレという違反を犯している。だが、学園長はその事実をあっさりと流した。本国に知られれば即有罪判決が下されるであろう事案を、だ。私を含め、一部の魔法教師にはこの事を明かしているだけに、これはもう開き直っていると言っていい。学園長は確信犯だ。暗に“揉み消す手立てならいくらでもある”、そう言っているに等しい。

 ただ、今回の件に関しては不可解な点が多い。

 どの辺りが不可解なのかと言われれば全部と答えたい。未来有望な少年に力をつけさせるという目的も、それによって得られる相対的効果も、理解はできる。ただ、何故それを今やらねければならないのか。もう少し時期相応なタイミングは無かったのか。闇の福音はどういった経緯で此度の案件を了承するに至ったのか。何もかもが説明不足だ。

 学園長は何故ーーここまで事を急がねばならぬのか。

 学園長は焦っている。焦らされている。

 その焦りの原因の先に何が待ち構えているのかは知る由もない。ただ、あまり良い事ではないのだろう。

 最後に責任を被るのが学園長一人であれば、そこまで問題ではないのだが。

 

 森は依然として静かだ。

 そろそろ交戦が始まっていてもおかしくない筈だが、それらしき音は一切聞こえてこない。

 班員たちの無駄話もいい加減に聴き飽きた。既に作戦とは関係の無い内容へと移って、ヒートアップしている。我々は世間話をしに来たのではない。

 ーーこれは様子を見に行くべきか。

 

「そこ、無駄話はそこまでにしなさい。少し移動しますよ」

「す、すいません、今すぐ支度を……って、あぁ⁉︎」

「どうしたんですか先輩?」

「着ぐるみのチャックの引き手が無い! その辺に落ちてないかな⁉︎」

 

 慌てて身なりを整える班員を横目に、近辺に軽く探知魔法(レーダー)を走らせるーーが、一切の生体反応が返ってこない。

 我らは他班からかなり孤立した場所に居るようだ。

 位置どりを誤った覚えは無いのだが。

 

 ーー間違いは無い。私達の待機場所はここで合っている。

 

 その証拠に、今私が背を預けている木の幹には、私達の班番号である“6”の数字がマーキングされている。ここからそう離れていない場所には他班が待機しているーーはずなのだ。

 

「……そう言えば君、ウチの班のリーダーはどなただったかな?」

「声色からして女性って事くらいしかーーって、先輩も知らなかったんですか!」

「しょうがないだろう、なんせ集まった時から皆この着ぐるみを着用していたんだから。それよりもチャックの引き手は……」

「こんな真っ暗じゃ探しようも無いですよ。諦めて修理代払いましょう?」

 

 班員の私語を注意している場合では無いようだ。

 未だ着ぐるみの着用に苦戦している彼らを残して、一足先に夜の闇へと飛び込む。

 

 異常はすぐに確認できた。

 

 ーー流石に静か過ぎる。

 

 近辺に人が居ないという理由だけではこの静かさは説明できない。

 聴覚強化の魔法を使っても、せいぜい私を追いかけて来ている班員二人の私語しか耳に届かない。

 高々とそびえる木々に視界を覆われたままでは得られる情報も少ない。

 いっそ空から全体を見渡せればいいのだが、この“拡張結界内”は()()()()の魔法がかけられている。

 無理に飛ぼうとしようものならーー

 

「うわぁぁぁっ⁉︎」

「せ、先輩⁉︎ お、落ちるーー」

 

 ーーこのように無残にも地に体を打ち付けることになる。

 

 二人組のチュパカブラは墜落するだけでは止まらず、流れるように地面を滑走し、ちょうど私の目の前で仲良く静止した。

 

「貴方達は作戦説明を聞いていなかったのですか?」 

「……うっかりしていました」

 

 もはやため息も出ない。彼らには後ほど指導が必要かもしれない。

 とりあえず他の班に連絡をーーそう思って、共同用の念話符を額に当て、チャンネルを開いた。

 

『ザザ……ザザザザザザ……ザザザーー』

 

 しかし、人の声はおろか、砂嵐が吹き荒れるばかりでこちら側のコール音すら鳴らないとはどういう事か。

 

 念話が妨害されている? いや、この症状はーー

 

「あ、先輩、そこに落ちてるのって……」

 

 班員の一人が私の足元を指差す。視線を下にやると、月の光を受けてキラリと光るものがあった。これは、何かの金具だろうか?

 

「ああっ、引き手だ! 着ぐるみの! チャックの! よかった、こんなとこに落ちていたのか!」

 

 私は足元に落ちていた引き手を拾い、彼に渡した。

 そして、辺りを見回すとーーやはり、()()はあった。

 

「あれ、でも先輩、さっき着ぐるみに傷が無いか確認しあった時にはまだ付いてましたよね? 引き手」

「うん? そうだったかな……」

「そうですよ。それに、こんなとこに落としてたなら、どうやって着ぐるみから顔を出したんですか? 引き手無しじゃこのチャック開けられませんよ?」

「え、じゃあ今()()()()()()この引き手はーー」

 

「ーーそれは貴方の物で合っていますよ」

「え?」

 

 班員二人の視線が私に集まる。

 そんな彼らの真後ろにある木ーーそこに刻まれた“6”の数字。

 ここは私達が先ほどまで待機していた場所。

 

「貴方達はこの場に居なさい」

「ちょ、リーダー⁉︎ どこ行くんですか⁉︎」

 

 困惑する班員二人を置いて、私は夜闇に浸る森を全力疾走する。

 これは確認だ。

 十中八九、私の推測は当たっているだろう。

 

 人影が見えた。

 当然、その二組の影はーー

 

「ーーやはり、嵌められたかっ!」

「うわぁっ! って、リーダー⁉︎ なんで後ろから……」

 

 勘が鈍ったか、私とあろうものがまんまと敵の術中に陥るとは!

 

「二人共、すぐに攻撃魔法の準備を! 私が許可します。辺り一面に手当たり次第放射しなさい!」

「はい? それってどういうーー」

 

 (わずら)わしい着ぐるみを脱ぎ捨て、《無詠唱・魔法の射手(サギタ・マギカ)》を“6”の数字が刻まれた木に向かって放つ。

 攻撃を受けた(オブジェクト)はそのままポリゴン化して消滅した。

 しかし周囲の様子に変わりは無い。

 どうやらこの木はハズレのようだ。

 

「あ、貴女は()()()ーー」

「私達は今、一種の幻術空間に閉じ込められています。同じ道を何度も彷徨わせるループ型の使用です」

「幻術……まさか、闇の福音が⁉︎」

 

 日本の呪術者の間では《無間方処(むけんほうしょ)咒法(じゅほう)》と呼ばれる類の結界術で、西洋では宝物(ほうもつ)を求めてダンジョンへ足を踏み入れた冒険者(トレジャー)達を陥れる罠等に多く見られる術式だ。

 

「どこかに術の基点となる《要所》がある筈です。直ちにそれを見つけ破壊しなさい。事を一刻を争います、早く!」

「わ、わかりました!」

 

 これは闇の福音からの明確な“敵対宣言”に他ならない。

 この結界を脱出した後は確実に闇の福音との戦闘になるだろう。

 急な事態で武装もままならないが、やるしかない。

 

「くそっ、まだその《要所》は破壊出来ないのか!」

「先輩、愚痴じゃなくて呪文を唱えてください!」

 

 すでに相当な数の魔法の射手(サギタ・マギカ)が周囲の木々(オブジェクト)に撃ち込まれているが、何ら結界に変化が起きた様子はない。木々(オブジェクト)が消滅し、見晴らしだけが無駄に良くなる一方である。

 

 ーーこの事に学園長が気づいていない筈が無い。私達はともかく学園長ほどの術者が、単なる結界魔法の解除に手間取るなどあり得るだろうか。

 

「まさか、学園側の《空間拡張結界》そのものに細工を施されたかーーいや、下手したら術式ごと乗っ取られて……」

 

 闇の福音ならあり得る。

 魔法に関する造詣(ぞうけい)の深さは、あらゆる魔法関係者を相手取っても右に出る者がいない言われる程だ。極東最強の使い手とされる学園長を出し抜く事も可能だろう。

 今もなお頑張って魔法を放っている班員達には悪いが、この行為はただの徒労に終わりそうである。闇雲に魔力を消費するだけでーーまたは、それも狙いの一つなのかもしれない。

 

 凶々(まがまが)とした光を放つ太陰(つき)が全てを物語っている気がした。

 力を抑えられているとはいえ、吸血鬼との交渉事に“夜”という時間を指定するなど迂闊にもほどがある。

 

「……やられたか」

 

 

 ††††

 

 

「ようやく連中(学園の魔法使い)も気付いたか」

 

 自分達が最初から罠にかかっていたことにーー計画の順調な滑り出しを感じ、エカテリーナは実に満足気だった。

 

 兼ねてから警戒していた近衛近右衛門の力量は充分に知れた。未だ“空間結界”の支配権を取り戻せずにあくせくしている様子から、エカテリーナの予想を超える一手を打てるほどの引き出しは無いだろう。戦闘になれば話はまた変わってくるが、それはそれ。やりようはいくらでもある。

 エカテリーナからしてみれば、危惧すべきは外敵よりも、他ならぬ自分自身なのだ。

 

『おい、宿主よ。気分はどうだ? さっきから一言も言葉を発さないではないか』

 

 内に問いかけるも、返事は返ってこない。日中は己の身体の支配権を取り戻さんと随分暴れられたものだが、それが今は嘘のように静かだ。完全に意識を失っている。大嫌いなニンニクとネギの大量摂取はよっぽど応えたようだ。実に好都合である。できれば事が終わるまでそうしていてくれると助かるのだが。

 そしてーー

 

「なぁぼーや、もうその辺にしておけ。足がふらふらじゃないか」

「…………」

 

 目の前の少年ーーネギに声をかける。

 ネギは杖をこちらに向けたまま微動だにしない。

 エカテリーナがすぐ側まで近づいても反応は無い。

 よく見ると唇だけが小刻みに動いている。どうやら呪文の詠唱を繰り返しているようだが、息だけが弱々しく漏れるばかりで、声になっていない。これでは精霊にまで届かないだろう。

 どうやら精神力(マインド)が擦り切れてしまったようだ。万が一精霊が反応した場合に使役が叶わず、最悪暴発する可能性がある。

 

「ほら、杖を離せ。ここまでにしよう……ん? どうした?」

 

 魔法媒体を失えば決定的に戦意を失くすだろう、そう思ってネギの手から杖を奪い取る。しかし、それでもこの少年は戦闘態勢を崩す様子が無い。

 不思議に思い、顔を覗き込んだところでようやく合点がいった。

 

「ああ、ワタシの“瘴気”に当てられたのか。これはすまないことをしたーーーーほら、これでどうだ?」

 

 リアル感を演出するためには幻術で化けるだけでは足りぬと思い至り、吸血鬼固有の毒気をサービスしたのがいけなかったようだ。どうやらこの少年には効きすぎてしまったらしい。

 エカテリーナが指を鳴らすとその瘴気は霧散し、ネギはようやく己を縛り付けていた“圧力”から解放され、糸が切れた人形のように脱力した。崩れ落ちるその身を、エカテリーナは優しく受け止める。

 ちなみに幻術による変化は解いていない。側から見たらとんでもない絵面だろう。

 

「よ〜しよし、頑張った頑張った。お前は強い子だ」

 

 ネギは将来大物になる、少年の頭を撫でながらエカテリーナはそう思った。

 驚いた。まさかここまでの逸材だったとは。末恐ろしいとはこのことか。間違いなく少年はこの先の未来、ありとあらゆる魔法使い達を束ねる存在になるだろう。この分なら大魔法“千の雷”を単独行使する日もそう遠くないかもしれない。

 

「もっとも、そのような日は来ないに越した方が、ぼーやにとっては幸せなんだろうが……」

 

 “燃える天空”、“引き裂く大地”、“千の雷”……攻撃魔法の最奥である大呪文の数々。

 本来は優れた術者複数人で行使することを前提に組まれた術式であるが、稀に強力な”精神力(マインド)“を備えた術者が現れ、単独行使を成功させてきた。上位精霊、いわば精霊の“王”に認められた個人として、その時代を生きる全ての魔法使い達の羨望の的となった。

 そんな大魔法使いと呼ばれた者達の最期はーー決していいものとは呼べない。大魔法が精神に及ぼすリスクは誰しもが平等に被るものなのだ。それは、この真祖の吸血鬼の身体を持ってしても同じこと。

 ましてや、ネギはまだ幼い。早すぎる才能の開花は、少年に対して自らの寿命を縮める毒にしかならない。

 

「また、ぼーやの才能の恩恵にあやかろうと群がる()()()()が存在するのもまた事実。ジジイやタカミチは、自分達がその辺をどうにかするつもりでいるのだろうが、如何せんこの類の天才は成長が早い。悠長に地盤固めをしようものなら、あっという間に貴様らの手から離れていくぞ」

 

 それ故に、闇の福音という都合のいい存在をあてにしたのだろうがーー

 

「ーータイミングが悪かったな、ジジイ。残念ながら今の“ワタシ”は、貴様のアテにしていた“私”ではないのだよ……さて」

 

 エカテリーナは己の胸の中で安らかに眠る少年ーーその首筋に目線を向ける。

 闇の福音を戒める《登校地獄》の呪い、その解呪法は、“術者の血縁者の血を取り込む”というもの。

 もう邪魔は入らない。 

 このままネギの喉元に牙を突き立てれば、かねてからの闇の福音の悲願が達成される。

 

 ーー()()()()()()()()()()()()の話だが。

 

「宿主にも困ったものだ。千の呪文の男(サウザンド・マスター)本人による解呪が物理的に不可能だと知らされて、よっぽど気が動転していたのだろう。よもやーー」

 

 ーーよもやそんな()()()()()()()を信じてしまうとはな。

 

 唇を首筋に近づける。

 本当に血を吸うつもりはない。

 あくまでもパフォーマンス、そうでもしなければーー

 

「ーーおっと、そこまでだ。私の目の前で不純な行為は止めてもらおうか。エヴァンジェリン」

 

 ーーこの覗き魔がいつまで経っても顔を見せてくれないからな。

 

「貴女こそ、覗きなんてあまり良い趣味とは言えませんよ? 背格好の割に随分と陰気な真似をなさるのですね、龍宮真名さーー」

 

 声がするほうへ振り向いた矢先、龍宮真名はこちらへ向かって“何か”を投擲(とうてき)してきた。

 反射的に障壁を展開するーーしかし、その飛来物の正体を確認し、思わず眉をひそめる。

 何故ならそれはただのーー()()()()()()だったのだ。 

 

「それはーー」

 

 一体なんのつもりだ、そう言葉が出かかったところで、エカテリーナの第六感とも言うべき戦闘勘が警報を鳴らした。

 視界に映るのは、すぐ目の前まで接近しているペットボトルと、ハンドガンの銃口をこちらへ向けている龍宮真名の姿。どちらも魔力障壁の前では何ら脅威ではない。しかしーー

 

「ーーっ!」

 

 エカテリーナは抱えていたネギを突き放し、後ろへ跳躍する態勢に入る。

 だがーー早かったのは真名の方であった。

 

「さっきから()()()が耳越しにギャンギャンとうるさくてねーー」

 

 銃口から放たれた弾丸はエカテリーナではなく、宙を舞っていたペットボトルを射抜いた。

 中身のミネラルウォーターが吹き荒れる。

 

「ーー悪いがそちらの方で引き取ってくれ。いたいけな少年と肌を寄せ合うよりかはずっとお似合いさ」

 

 エカテリーナの眼前、暴発する水から急激な魔力反応が表れる。

 これはーー水の転移門(ゲート)

 そこから現れたのはーー

 

「ーーネェェギ君に何してくれてんですかァ! こんのぉ馬鹿吸血鬼ィィイ!」

 

 ーー当然、お前に決まってるか、性悪(セクストゥム)

 

 やたらと荒ぶった『元祖・着ぐるみチュパカブラ』の跳び蹴りを障壁で受け止めながら、エカテリーナは艶然(えんぜん)と目を細めた。

 

 

 ††††

 

 

 居ても立っても居られずやって来てしまった。

 夕飯の支度を放り出して姿を消すだなんて、正直言い訳のしようが無い。千雨から浴びせられるだろうお小言の事を思うと、今から気が滅入る思いだ。いや、お小言で済めばまだ良い方か。昨日から千雨は様子がおかしい。原因は詳しくわからないが、恐らくここ最近の私の行動に対して何か思うところがあるのだろう。それが心配からくるものなのか、はたまた別の要因があるのか定かではないが。

 しかし、私はこうして来てしまったのだ。

 

 千雨にはまた埋め合わせをーー今晩、するつもりだったんですよねぇ、本当なら。ああ、いけない、怯んでは駄目だ。今晩出来なかった埋め合わせの埋め合わせをまた今度、念入りにするとしよう。大丈夫、千雨ならわかってくれる。

 

 ネギ君は真名に任せてきた。

 依頼内容には入ってないが、あの状態を見ればそのまま放っておく事はしないだろう。彼女は子供を放ってはおけない。

 

 とにかく今は、だ。目の前で軽快にバックステップを刻みながら、私からの追及を逃れようとしている意地汚い吸血鬼を問いたださねばならない。

 

「コラっ! そこのチュパカブラの皮を被った吸血鬼! アンタ何考えてんですか! とうとうストレスで頭がおかしくなりましたかっ!」

「随分な言われようだな。ワタシはジジイに頼まれた事を実行しただけだが? ぼーやに軽い手ほどきを、な」

 

 あれのどこが軽い手ほどきだ。

 確かに横目でチラリと状態(ステータス)を視た感じでは、特に外傷がある訳でもなく、魔法の使い過ぎによる一時的なダウン状態といった所。魔力切れでは無い。真名が言うには相当な回数ーー正確には十二回ーーの“雷の暴風”を使用したらしいが、それでも内蔵魔力にはまだ余力があった。ネギ君の持つ“魔力の器”は、まさしくナギさん譲りだ。

 しかし、結果としてネギ君は極度の疲弊により意識を失った。

 魔力はまだ残っているにも関わらず、である。

 

 理由は単純。“精神力”ーー“マインド”が限界を迎えてしまったからだ。

 

 魔法使いが言うところの精神力(マインド)とは、一概に言ってしまえば“魔法の完成度(レベル)”を左右する最重要項目である。

 一回の魔法にどれだけの量の魔力を注ぎ込めるか。また、より少ない魔力消費でどこまで術の威力を伸ばせるか。高位の精霊を使役するに足るか。これらは全て魔法の威力に直結する要素であり、それを定めるのが精神力(マインド)なのだ。

 魔力(マナ)を燃料とするなら、それを組するエンジンに当たる領域が精神力(マインド)という事になる。

 

 ネギ君はまさしくその“エンジン”が焼き切れる寸前だった。

 

 私の目算では、現状ネギ君の精神力(マインド)では本来“雷の暴風”を三、四発も続けて撃てればいい方だろう。それが十二発。明らかな過負荷(オーバーロード)だ。消費した魔力量も相当なものだが、それ以上に精神(マインド)の擦り切れが激しすぎた。普通に魔法を使っていたら、あそこまで消費魔力と精神疲弊の比例が崩れる事は無い。なんらかの方法で無理矢理魔法を行使させていたとしか思えない。

 

 これから先もあんな調子で訓練を続けたら、ネギ君はあっという間に廃人になってしまうだろう。

 そして、訓練初回にしてそんな滅茶苦茶なコーチングをした目の前の人物は、信じられない事に魔法界ではトップクラスの実力者なのだ。

 

「あの一瞬でそこまでぼーやの状態を把握したか。流石は水系魔法の使い手。ステータスの異常には敏感だな」

「……よくもまあ臆面も無くそんな事が言えますね」

 

 本人は至って悪びれる様子も無い。

 それとも本当に気づいていない? いや、あり得ない。

 新米のペーペーならまだしも、600年の歳月を魔法の研鑽に費やしてきたエキスパートが、そんな初歩的な過ちをするわけが無い。

 

「ーー貴女はネギ君を“潰す”つもりですか?」

 

 私の知っているエヴァさんはそのような事をする人では無い。

 しかし、昨日と今日で一切エヴァさんの考えが読めなくなってしまった。

 彼女の左目に当てがられた“薔薇の水晶”は、私に対する明確な牽制。私が未だ攻略の目処が立っていない“切り札”を投入してきたのだ。私が持ちかけた“ネギ君に事情を話して血を分けてもらう”と言う提案を受け付けないと言う意思表示なのだろう。

 それが、どうして学園側を罠に嵌め、ネギ君を追い詰めるという行動に繋がるのかはわからないが。

 

「潰す、か。そんな事は考えていなかったさ。少なくともワタシはぼーやに対してそんな邪な感情を抱いていない。どちらかと言えば保護してやりたい対象さ」

「だったら、ネギ君のあの状態はどう説明する気ですか。貴女クラスの使い手になると、ワザとでも無い限りあんなヘタクソな教えにはならないと思うんですが?」

「そう責めてくれるな。ぼーやのような、幼いながらも既にある程度能力が備わった“早咲き”は、こちらとしても扱いが難しいんだよ。『やれるやれる』と言うからやらせてみたら、まさか命を削る勢いだったとは思うまい? それにぼーやは“早咲き”の中でも特異中の特異だ。教科書通りにはいかなかったーーそれだけのことさ」

 

 言っている事はそれらしい。

 故に、違和感が尋常では無い。

 この開き直ったような態度もだが、そんな教科書通りの言い訳を返すような事が今まであっただろうか。

 

「……学園の魔法先生を罠に嵌めた理由は?」

「恥ずかしいではないか。ワタシは人に見られながら耽る趣味は無い」

 

 わかった。この人だいぶオカシイ事になってる。

 私の問いに対してまとも取り合う気は皆無。ならーー

 

 ーー先手必勝、とっとと取っ捕まえて、目を覚まさせる。

 

「ヴィシュ・タル・リ・シュタル・ヴァンゲイト、目醒め現れよ、浪立つる水妖、水床に敵を沈めんーー」

 

 宙に浮かび上がる水の塊。水の魔力(マナ)から生成されたそれはただの液体ではなく、術者の意思によって自由自在に形を変える万能兵器である。

 

「ーー水の柩!」

 

 水のアーウェルンクスの基本魔法として設定されている水系捕縛魔法。

 一般的な魔法使いの間では、“流水の縛り手”という名で通っている呪文だが、そちらと比べるとこの“水の柩”はだいぶ自由度が高い。呪文難易度や性能面では完全に別魔法と言える。

 水の形状、捕獲方法、魔法の持続時間、それら全てが術式によって一定に統一されている“流水の縛り手”に対して、“水の柩”はすべてがマニュアル制御だ。術者の力量が満たなければ、生成された水は敵を捕らえもしなければ、そのまま地面を潤すだけの水分にしかならない。

 しかし、私は水のアーウェルンクス。

 他属性の魔法すべてを犠牲にして、“水”のみに特化されたこの身体ならば、自分で作り出した水の制御なんて赤子の手をひねるのようなもの。

 

「捕らえなさい!」

「そう容易く捕まるか」

 

 重力を無視した水の触手が一直線に対象に襲いかかる。追尾能力に長けたこの魔法は、効果時間が続く限り延々と対象を追い詰める。

 エヴァさんは木々の間をピンポン球のように跳ねながら回避を続ける。吸血鬼の身体能力を抑えられていても、これだけの動きが出来る時点でこの人は色々と規格外だ。

 ただ、何かある度に「別荘に来い、そこで決着をつけよう」と言われて、全力状態のエヴァさんと喧嘩に興じてきた私だ。この程度の動きはーー

 

「ーー流石にイージーモード過ぎますよ、エヴァさん」

「っ!」

 

 ーー水の制御なんてお手の物。

 私の意思一つで、宙を踊っていた水の塊は形を変える。球体から棒状へ、更には糸状に。そこから枝分かれし、最終的には“網状”にまで形状を変え、周囲の木々をウォーターカッターの要領で切り裂きながら、遂には対象を捕らえるに至った。

 紙で包み込むように、捕獲対象を水の柩へと封じ込める。

 

「見事、また腕を上げたな性悪」

 

 ブロック状に形を定められた水牢の中で、こちらへ賞賛を送るエヴァさん。

 

「そんな状態で余裕ですね。この魔法がただの捕縛魔法じゃ無い事はお忘れじゃないでしょうに」

「この水の柩の中からでは“精霊に声が届かない”。無詠唱含め、あらゆる精霊魔法の使用が不可能になる。脱出方法は、体内から内臓魔力(オド)、または気の放出による術式の破壊のみ。しかし、術者の力量によって呪文の拘束力も増すーー中々に高性能な魔法だ。会得難易度さえ低ければ、水の魔法はもう少し人気があっただろうよ」

 

 よくわかっていらっしゃる。

 付け足すとすれば、“気の使い手”と違って、西洋魔法使いの間では“内臓魔力(オド)放出”という技術が浸透していない。これは精霊魔法のシステム上、魔力は呪文を発動するためのコスト、またエネルギーとして捉えられている故に、大事な魔力(エネルギー)を無駄に消費する技術などハナから見向きもされないのだ。そのため、ほとんどの西洋魔法使いをいい様に餌食に出来る。

 エヴァさんなら可能だろうが、そもそもこの人は放出する為の内臓魔力(オド)が封印によって抑えられている。抵抗したところで魔力切れが関の山だ。

 だから、ここまで余裕の態度でいられるのはおかしい。

 

 ーー闇の福音は、魔法を吸収する能力を持っているのか?

 

 念話越しでの真名との会話を思い出す。

 まさか、本当にできるのか。

 でも、()()は完成させられなかった技術のハズじゃーー

 

「ーー術式吸収・太陰太極陣」

「なっーー」

 

 私と水の柩を繋ぐラインが途絶えた。

 エヴァさんの周囲に展開された陰陽模様の魔法陣が回転し、ブロック状の水牢を巻き込みながら収縮、そのままエヴァさんへと取り込まれる。

 

「……ホントに魔法を吸収した」

「おおぅ寒い寒い。びしょ濡れになってしまったぞ性悪? これは風邪をひくな。ちゃんと責任を持って看病に来いよ?」

 

 水牢から解放されたエヴァさんは、水で滴る髪を振り乱し、惚ける私に向かってカラカラと笑いながらそう言った。

 

 ーー太陰道。

 以前に聞いたことがある。エヴァさんが自身の奥の手として開発を始め、遂には完成に至らなかった魔法技術が、確かそんな感じの名前だったはずだ。

 

「ホントは隠しておくつもりだったんだがーーああ、その様子だと既に情報は伝達済みか。なるほどーー龍宮真名か。この結界内を一直線で抜けてくる辺り、中々に()()()を持っているようだ」

「貴女の余裕の正体はその魔法吸収術でしたか」

「いや? お前の目にはそう映っていたのかもしれないが、内心はヒヤヒヤ物だったぞ? 何せ実戦投入したのは今夜が初だからな。それに、いくら魔法を吸収したところでワタシはお前に対して有効な攻撃手段を持っていない。結局は八方塞がりな事に変わりないさ」

「そう思うなら諦めてさっさとお縄についてほしいんですけどね。ようやく完成した新術を私に見せびらかせて満足でしょう?」

 

 このまま大人しく引き下がって欲しいと心の底から思う。

 というのは、エヴァさんがまだ何かを隠し持っているという嫌な予感がひしひしと伝わってくるからだ。

 こういう時のエヴァさんは必ずと言っていいほど隠し球を用意してくる。

 まさか、その“薔薇の眼帯”に秘められた魔法をここでぶちかます気ではーー

 

「そうせっかちになるなよ。わざわざワタシの為に時間を割いてお越し下さった大事な客だ。もう少しワタシの悪あがきを愉しんでいくといいーー」

「結構です! こちとら夕飯の支度の途中なんで!」

 

 エヴァさんの周囲に“赤いもや”が立ちこめる。

 やはりまだ何かあるーー前に歩み出そうとする私の眼前に、巨大な氷柱が飛来する。

 

「くっーー」

 

 障壁を展開し氷柱を防ぐも、すぐに二打目三打目と打ち出される氷柱に足を止められる。

 その隙に、エヴァさんは呪文の詠唱を開始しーー

 

「リク・ラク・ラ・ラック・ライラック、契約に従い彼方より出でよ、真紅に染まりし我が幻影城よ、現世を惑わし、威風たるその様で我が寄る辺となれーー」

 

 ーーあっという間に唱え切った。

 四工程を費やす大呪文を一瞬にして完成させるその高速詠唱は、従者による護衛を必要としない上位の術者の証。

 

「な、景色が変わってーー」

 

 赤いもやが周囲を埋め尽くす。

 木々は輪郭を保てず崩れ落ち、地面が脈々と波を打つ。

 まるで重度の薬物投与が見せるサイケデリックな異常風景。

 幻術魔法か、いや違う。

 十二基の電子精霊によって脳を保護されている私は、あらゆる幻術・催眠効果を看破する耐性を持っている。だからこれは幻術では無い。

 遂には視界に映る物全てが赤いもやで覆われ、何も見えなくなった。

 

 呪文の成功を告げるエヴァさんの声が聞こえた。

 

「ーー異界召喚・レーベンスシュルト城。……ようこそ我が城へ、歓迎するよ性悪」

 

 その声と同時に赤いもやが晴れ、視界が復活する。

 見渡すは、足元一面に広がる石畳(いしだたみ)

 草木が香り、夜露が葉を濡らす先ほどまでの桜通りの様相から一変、そこは中世を思わせる巨大な外壁が堂々と建ち並ぶ異世界。

 宙に浮かぶ紅い月が夜空を気味悪く染め上げる。

 そして、天と地を繋ぐ役割を担っているが如く、悠然とそびえ建つ魔城の影。

 その城を背に、ここの唯一の住人であり、城主である真祖の吸血鬼が悠々たる態度で私を出迎えた。

 

「これは、エヴァさんの別荘の……」

「そう、不甲斐ない城主の身を案じて態々駆けつけてくれたワタシの自慢の城さ。どうだ、別荘で観る時よりもデカくて威厳があるだろう?」

 

 こんな型破りな事をしてのけるなんて。

 それに、異界召喚なんてーー今のエヴァさんの何処にこれだけの大魔法を扱える力がーー

 

「現在、この桜通りの『空間拡張結界』はワタシの支配下にある。いわばワタシが好き勝手に遊べる庭のようなものだ。故に、この結界内であればこのような無茶も効くのさ。おまけに結界を維持している魔力は学園側が全負担している。至れり尽くせり、ノーコストで使う大魔法とは気持ちのいいものだな」

 

 脳内で電子精霊達の解析が進む。

 なるほど、『空間拡張結界』によって作られた“仮想スペース”。その領域を利用した異界召喚ならば、現実の桜通りに何ら干渉する事なくすんなり術が通る、ということか。よかった、てっきり桜通りごと異界で押し潰したのではないかとヒヤヒヤした。だとしたら、この異界はーー

 

「ーー完全な異界では無い。別荘とは違って、ここの空間座標は依然として“麻帆良女子寮前の桜通り”を示している。結局、麻帆良の中に居るのと変わらないため、ワタシの魔力は抑え込まれたままという訳さ」

 

 別荘とは違う。

 その証拠に、目の前のエヴァさんからは微弱な魔力しか感知できない。

 そうーー()()()()()()は、微弱なままだ。

 

「結局、この大層な城も私に見せびらかすくらいしか役に立たないのでは?」

 

 自分で言ってて笑いそうになる。

 先程から感じている尋常じゃ無いプレッシャーは間違いなく彼女のモノ。

 強がりを言って誤魔化すくらいしか今は出来ない。

 無意識に後退している足にすら気づく余裕はなかった。

 

「役に立っているさ。久し振りに我が城へ来客がやってきた。それをもてなすというイベントを前にどれだけワタシが舞い上がっているかーー」

 

 姿が消えた。

 私の視界から、黄金の吸血鬼が。

 

「ーー身を以て体感しろ」

「あーーーー」

 

 耳をつんざく炸裂音の正体が、私の多重魔法障壁の半数以上を粉々に砕いた音だと理解した時には既に、吸血鬼は私の懐に入り込もうとしていた。

 お互いの目が合う。

 縦に切り開かれた瞳孔は、彼女が人ならざるものである何よりの証。

 その両手に構える()()()()()をもって、今にも私を両断すべく腕が振り上げられーー

 

 ーー遠隔発動・『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』! 対象、セクストゥム!

 

 ーー寸前、物凄い力で後ろへ引っ張られた。

 

「むーー」

 

 光剣が私の制服の前ボタンを両断していく様子をスローモーションで眺めていたらーー次の瞬間にはエヴァさんからだいぶ距離が離れた場所で尻餅をついていた。遠くの方で光剣が空を切る音が聞こえる。

 

『ボサッとしてるんじゃねーでち! しっかりするでちたいげ〜!』

 

 脳内で電子精霊の叱咤が木霊する。どうやら間一髪、彼女達が私を救ってくれたようだ。

 

「ありがとう、おかげで助かりました」

 

 すぐさま立ち上がり、障壁の再展開の準備をする。

 エヴァさんが遠くから声をかけてくる。

 

「今のはワタシの『人形師(ドール・マスター)』としてのスキルを模したアーティファクトの能力か。人形のみならず人間すらも意のままに操れるとはいえ、よもや()()()()()にするとは、随分と妙な趣向のプレイだな」

「言ってなさい。接近戦(インファイト)が苦手な私にとっては大事な命綱なんですよ」

 

 人形師の繰り糸(テレプシコーラ)。あらゆる対象を人形のように自在に操ることが出来る“不可視の魔力糸”のアーティファクト。この仮契約カードを排出した相手は、他ならぬエヴァンジェリン・A・K・マクダウェル。たった今私の制服を無惨にも切り裂いた目の前の吸血鬼だ。

 人形師のスキルをアーティファクトでお手軽体験できると言う、エヴァさんブチ切れ案件の代物だが(実際にブチ切れた)、現実はそう甘くは無かった。何しろ、使用者には“不可視の魔力糸”と言う本格派プロ仕様アイテムを与えられるのみで、肝心の人形を操る為のスキルを享受してくれるわけでは無いのだ。

 幸いにも私はアーウェルンクスであるため、お得意の電子精霊を使った情報収集により、初歩的な入門編まではこぎ着ける事が出来た。が、そこまでだった。鼻の垂れた子供に見せるくらいが精々な拙い人形劇レベルで私のスキル上昇は伸び悩んでしまい、とても実戦に投入できるようなものではなかった。

 

 原因はおそらく私のステータスに存在する『女子力』スキルが邪魔をしているのだろう。

 

 料理や裁縫、家事全般に至るあらゆる“主婦の知恵袋”的なスキルから、ピアノや花道、茶道と言った“いいトコのお嬢様の嗜み”的なスキル等に至っては免許皆伝レベルにまで昇華されていく。うって変わって、戦闘に必要な格闘技術方面はまるでいけない。拳法など以ての外、基礎的な瞬動術ですら身に付けるまでに何回胃の中の物を空にしたか。『女子力』スキルがどういう判定を下しているのかしれないが、よっぽど私を“か弱い乙女”にさせたいようだ。

 

 そういう理由もあり、この人形師の繰り糸(テレプシコーラ)もお蔵入り、このまま観賞用カードと成り果てていく運命かと思われたのだが、ひょんな事から三軍から一軍へと見事なレギュラー入りを果たす。

 

『やっぱりたいげ〜の戦いは見ててヒヤヒヤするでち』

『イクたちがちゃんと糸で引っ張ってあげないとあっと言う間にお陀仏なのね』

『エヴァンジェリンさんがこんな便利なアーティファクトを排出してくれたおかげで、私達は今日まで生きて来られたんですねぇ……あ、次、左脚はしおんが担当しますね』

 

 原因はこいつら、電子精霊達である。

 近接戦闘に持ち込まれる度によたよたと醜態を晒す私の戦いぶりを前に、電子精霊達は常々肝を冷やしていた。なんせ私が死んだら自分達も道連れだ。いつも彼女達は「たいげ〜は私達十二人分の命を背負ってるんだから、しっかりと戦ってくれ」と訴えてくるが、私だって何も手を抜いてるわけじゃないのだ。彼女達には悪いが、そこは肉弾戦最弱のアーウェルンクスとしてデザインされ、尚且つ『女子力スキル』により成長も見込めない、そんなダメダメな私の担当になった自分達の運の無さを恨んで欲しい。

 

 まぁ、電子精霊達とは生まれた時からの長い付き合いだ。

 思い入れが無いと言えば嘘になる。

 少しでも彼女達の心労を減らしてやろうと、一向に実を結ぶ気配の無い近接戦闘の修行に打ち込んでいたーーそんな最中に偶然引き当てたのが、この『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』である。

 前述の通り、私自身は『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』を使い道の無いハズレアーティファクト扱いした。ところが、彼女達(電子精霊)はコレに目を付けてしまったのだ。

 電子精霊達は基本的に暇を持て余している。私の頼みでネットの海をクルージングする以外の時間は、全くもってやることが無い。彼女達曰く「前世は忙し過ぎたけど、こっちは逆に暇過ぎる」との事。電子精霊に前世なんてものがあるのかどうかしれないが、本人達が言うからにはそう言う事なのだろう。ようは彼女達は常日頃から暇をつぶすための“おもちゃ”を探している。

 そんな彼女達にとって一番の楽しみは、なんと私の“十連仮契約(パクティオー)”なのだ。

 電子精霊達は私の『2G仮契約カード』の管理権限を持っており(何故かはわからないが)、”遠隔発動”をして私の脳内でアーティファクトを顕現させて遊ぶ事ができる(これまたどういう原理なのかは知らないが)。

 

 ここまで話せばもうオチはあらかた把握できただろう。

 そう、電子精霊達は新しく引き当てた『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』を使って、事もあろうに()()()()()()を人形に見立てて遊び始めたのである。

 電子精霊達の演算能力を持ってすれば、糸操り人形(マリオネット)のように“不可視の糸”を宙に張り巡らせ、私の身体を雑に宙ぶらりんにする事もできれば、まぶたや唇といった身体の一部の部位のみを高速開閉させる事も出来る。

 まさか長年連れ添ってきた子分達に体の自由を奪われるとは。

 私が止めろと言ったところで、新しいおもちゃを手にした子供達がそんな言葉を聞くはずもない。

 どうにか「学校や人がいる前以外で、私が許可した時だけ」という折り合いをつけたのだが、結果は今見てもらった通り。

 

 戦闘中、私が危なくなる度に、電子精霊は『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』を遠隔発動させ、私の態勢などまるで御構い無しな緊急回避を度々行うようになったのである。

 

 結果的に私もそれで何度も一命を取り留めているため、文句が言えなくなってしまったのだ。

 さて、それじゃいい加減気合い入れますか。

 

「不意打ちとはらしく無いですね。余裕そうな顔ぶりとは裏腹に、内心今ので仕留められなくて焦ってるんじゃないですか?」

「いや、私はほんの挨拶程度のつもりだったんだがな? どうやら思いのほかお前は惚けていたようだ。ひょっとしたらあのまま倒せていたのか? だったら惜しい事をした」

 

 あれのどこが挨拶程度だ。

 アーウェルンクスの多重障壁をそんなノリで木っ端微塵にされては溜まったもんじゃ無い。

 もはや“瞬間転移”の域に達している完璧極まりない“縮地”、更には体に“回転を加える”事でライフルの弾丸よろしく突っ込んで来る様は、さながら人型の削岩機だ。

 あんなものの直撃を許したらあっという間にミンチにされてしまう。

 

 そしてーー断罪の剣(エンシス・エクセクエンス)

 今も尚、その両手に在りながら燦然(さんぜん)と殺意を振り撒くその光剣は、彼女の得意とする『相転移魔法』の結晶。

 私の多重障壁の破壊が可能な事から、恐らく出力は最大の“オーバーロード”の手前くらいだろう。

 さっきの縮地と言い、断罪の剣の出力といい、間違いなく今のエヴァさんはーー

 

「術の威力も身体能力もほぼフルパワー、制限されているのは内臓魔力(オド)のみーー我が城は実に役に立ってくれているだろう?」

「そのようですね。おかげで目もすっかり覚めました」

 

 今頃になってお互いチュパカブラの扮装を解いている事に気付いた。

 そのくらいには雰囲気に呑まれていたという事。

 まったく、私ともあろうものが情けない。気合いで負けていては、いつまで経ってもこの人との勝敗差は縮まらないではないか。

 それに、どうやら今回は本気で私を殺りにきている様子なのだから。

 

「これでお互い条件はイーブンだ、性悪よ。お互い魔力制限という(ハンデ)を背負った(ワケ)あり者同士、正々堂々と試合をしようじゃないかーー」

 

 障壁の再展開完了。

 すぐさま殺意の剣舞の第二陣が襲いかかるだろう。

 

 ーー来る。

 

「ーー呪的概念付与(エンチャント)・“障壁突破”・断罪の剣」

「ーー呪的概念付与(エンチャント)・“対物概念阻害”!」

 

 先程の再演なぞさせてやるものか。

 

 再びの轟音。

 相反する概念(エンチャント)と超高密度魔力物質の同士の衝突。

 魔力で保護していなければ鼓膜が破れているだろう。

 エンチャントにより己の存在的役割を極限にまで高められた剣と盾の衝突ーー見事に役割を果たしたのは、“盾”。先程は無惨にも敗北を喫した私の多重障壁の方であった。

 周囲に飛散するガラスの状の魔力物質は、たった今剥がされた私の多重障壁の“外皮”の他に、先程まで敵の業物として暴威を振るっていた“断罪の剣そのもの”である。

 

「今度のは流石に硬いな」

「念入りに作り直しましたから」

 

 すかさず魔力放出。

 突進攻撃を防がれ、敢え無く宙に停滞、硬直状態にあったエヴァさんを魔力の圧を持って上空へ吹き飛ばす。

 近接攻撃の手段なんて私には無い。

 故に、私は敵との間合いを常に遠距離で維持しなければならない。例えそれが、従者(パートナー)不在の一対一のタイマンだとしても。

 

「つれないな。もっと身を寄せ合おうじゃないか」

 

 上空へ投げ飛ばされたエヴァさんは、一度背転することで態勢を立て直し、断罪の剣を再構築ーー再び私目掛けて跳躍する。

 これはーー虚空瞬動。

 三度目の襲撃は空からの爆撃弾となり、その衝撃波が周囲に伝播、舗装された石畳が(めく)れ上がり宙を舞う。

 

 再度、魔力放出。

 だが、エヴァさんは断罪の剣を地に突き刺し、支えすることで、魔力の熱風を凌ぎ切ってしまった。

 

「ヤバーー」

「せっかく今朝おろしたばかりのブレザーが炭になってしまった」

 

 距離を離すことに失敗した私に対して、お返しとばかりにエヴァさんは一気に畳み掛けてきた。

 怒涛の剣の乱舞が火花を散らし、私の多重障壁を破砕していく。

 

 ーー障壁の損傷率67%、もう既に半分以上持っていかれたか!

 

 このレベルの障壁は再展開に時間がかかる。

 『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』による緊急回避もこの暴君相手では数十秒と保たないだろう。

 地上戦はまずい、一旦空へーー

 

「ーーって、あれっ⁉︎」

 

 ーー飛ぼうとしたら、なんか妙な力で抑えつけられて……あれ、飛べない⁉︎

 

「言い忘れていたが、現在桜通り一帯には“飛行阻害”のエンチャントが掛けられている」

「確信犯でしょこんにゃろぉ!」

 

 私の絶叫と同時に、多重障壁の損傷率が八割を上回る。

 トドメとばかりに、断罪の剣による鋭い突きが放たれようとしたところで、電子精霊達の救助(レスキュー)が入った。

 『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』による不可視の糸が、猛烈な勢いを以って私を空へと引き上げていく。

 

「……持つべきものは優秀な電子精霊ですね」

 

 不可視の糸を通して伝わってくる電子精霊達の“死んでたまるか”という必死な思いに思わず涙腺が緩む。

 遠くに霞むレーベンスシュルト城の塔頂と目線を同じくする辺りまで上昇し、数回の回転運動を以って宙に静止した。一切の重力は感じない。身体を糸で吊られているといった違和感も無い辺り、最早飛行魔法と何ら変わりは無い。素晴らしい精度である。

 

「飛行阻害が掛かっているなら、エヴァさんはもう空にいる私をーー」

 

 ーー捕らえる事は出来ない、そう喉先まで出かかったところで、言葉を呑んだ。

 何故なら、今現在上空にいる私目掛けて高笑いを交えながらぐんぐんと接近して来ているのは、他でもない金髪の吸血鬼だからだ。

 

「飛行阻害の抜け穴さえも付けるとは、面倒なアーティファクトだなそれは!」

 

 大振りに切り上げてきた断罪の剣を、私は身をねじる事で回避する。

 

「ちょ、なんでアンタは飛べるんですかっ!」

「ワタシはこの空間結界の支配者(オーナー)だぞ? なんでわざわざ自分までデメリットを重ねばならんのだ」

「なんつーインチキ! いつからアンタはそんな狡い事を覚えてーーああ、もうっ!」

 

 『人形師の繰り糸(テレプシコーラ)』が織り成す、通常の飛行魔法ではあり得ない無茶苦茶な空中遊舞。それを、虚空瞬動を多用した華麗な空中歩行を以って喰い迫って来る。

 狂気に転色した真紅の独眼ーーその眼光が尾を引き、漆黒の夜空に紅い軌道を描く。完全に狂戦士の威容だ。

 

「しつこいっーーとまれ、このバーサーカー!」

 

 ーー魔法の射手・無尽連弾・水の豪矢!

 

 これでは堪らないとばかりに『無詠唱・魔法の射手』の連打を暴れ狂う追撃者に撃ち込む。

 無数の水矢を前にして、エヴァさんの周囲に先程の“陰陽陣”が再び顔を出す。

 これも“吸収”するつもりか。

 

 “陰陽陣”が絶え間無く降り続く水矢のことごとくを飲み込んでいく。

 しかし、だからと言って怯んでる場合では無い。構わず撃ち続ける。

 完全に自棄っぱちの愚策にしか見えないが、別に考え無しな訳でも無い。狙いはある。

 そしてーーそれはすぐに訪れた。

 

 いつまでも止む様子の無い『魔法の射手』のしつこさに“陰陽陣”も嫌気がさしたのか、防戦の半ばで撤退ーー“陣”が消失したのである。

 

「……弱攻撃連打のチキンプレイも考えものだな」

 

 魔法吸収現象が治り、無数の水矢が護りを失った暴君に殺到する。

 両腕を十字に組み防御の姿勢を取るが、水矢のダメージは抑えられてもその勢いまでは殺せず、押し出されるように大きく後退する形となった。

 再び両者の距離が開かれる。

 

「やっぱり、その厄介な“魔法陣”はいつまでも出しっぱという訳にはいかないようですね」

 

 “魔法吸収陣”は展開出来る時間には限度がある。それも最大で十秒もいかない程度。それを知る事が出来たのは大きい。

 

「ハーーこんなショボくれた水鉄砲などいくら貰ったところで何の足しにもならんからな。実りがないと悟ってさっさと帰ってしまったんだろうよ」

「減らず口を……まぁいいです、おかげでこうして()()()()()()()ーーーー来れ(アデアット)

 

 ようやくターンを確保出来た。

 何の準備も許さないエヴァさんの執拗なアプローチのおかげで、いつまで経っても反撃にありつけない所だった。

 

 仮契約(パクティオー)カードの起動と共に私のズタボロになった学生服が光の粒子に包まれ、変貌を遂げていく。

 神秘の力を持って再構築された私の衣装は、一見すると何らファンタジー要素など存在しない。

 さらに言うと、学生服以上に戦場という場に似つかわしくないその姿は、間違いなく台所に立っている方が映えるだろう。

 

 学生服に代わり私の身を包むのはーー着物。紺地に白の水玉模様。

 その上に、クジラのワッペンが縫い付けれた白いエプロンを着用している。

 そう、割烹着(かっぽうぎ)である。

 

「ーーアーティファクト『花嫁修行・炊事』」

 

 私が扱う『2G仮契約カード』において、最重要の役割を担う“洋服カテゴリー”に分類されるアーティファクトの内の一つ。『きせかえごっこ』というシリーズ名の所以。

 

「させると思うかーーーー何っ⁉︎」

 

 この割烹着の能力を知っているエヴァさんは、これ以上好き勝手は許さないと行動を起こそうとする。

 しかし、虚空瞬動の態勢に入ろうとした途端にその動きを止めた。

 

「これはーー麻痺毒。そうか、あの水鉄砲にーー」

「ええ、たっぷりと練り込んでおきました。イタズラ好きな水の精霊達特製の痺れ粉を。いいからじっとしてなさい」

 

 私の手には新たに十一枚の仮契約(パクティオー)カードが握られている。

 その全ては『花嫁修行(ただの包丁)』ーー本来なら食材を切る事にしか用途が無い、数だけ無駄にあって戦闘には何の役にも立たない最低レアリティのハズレカード達。

 しかし、“洋服”を身にまとった今なら、その()()()姿()が解放される。

 

 十一枚の『花嫁修行』カードの画面が暗転する。

 平面の静止画から一転、現在カードが映し出す光景は、深海を思わせる暗い水底と、その中を漂う“白くて丸い物体”。()()には“口”があり、妖しく発光する“目”があり、その不気味な印象をぶち壊すような“猫耳”がある。

 そんな十一基の“球体メカ”が一斉にこちらを向く。

 すると、まるで親を見つけた子供のように画面に向かって迫って来てーー

 

 ーーカードの中(深海)からこちら(現実)の世界へと、飛び出してきた。

 

「お得意の()()()()()達のお出ましか」

 

 カードから飛び出して来た彼らを見て、エヴァさんがうんざりした顔で呟く。

 

 人間の頭部より一回り小さいサイズの彼ら球体メカ達は、特殊な浮力を以って私の周囲を自由に飛び回る。

 不気味でありながらもどこか愛嬌のある彼等こそが、この『きせかえごっこ』シリーズで唯一の戦闘特化アーティファクトである。

 エヴァさん曰くーーファンネル。

 電子精霊達曰くーー艦載機。

 私が主張するはーーキ○ィちゃん(子猫っぽいから)。

 

「待ってなさい、今から“餌”を用意しますから」

 

 彼らが主食とするのは食べ物では無くーー魔法だ。

 

 ーー固定、魔法の射手・水矢!

 ーー掌握、変換!

 ーー魔法弾倉、装填!

 

 組み上げられた術式情報が十一基の球体メカへと転送される。

 同時に私と球体メカの間で送受信が行われる。

 脳内で膨大な量の演算処理が繰り返され、やがて彼ら十一基全ての視覚情報を獲得する。

 

「ーー術式兵装()『深海の突撃兵』!」

 

 全行程(セッティング)完了。

 今この時、彼らはただの奇妙な球体メカから、強力な武力を秘めた“戦闘機”へと換装された。

 

「この子達の水鉄砲はそう甘くはありませんよーー往け、()()()()達よ!」

 

 稲妻が走るようなイメージが脳裏を過る。

 私の脳波を受信した球体メカ達が、不規則な軌道と、驚異的な高速飛行能力を以ってエヴァさんを取り囲む。

 ちなみにメカの名前は厳正な抽選の結果“タコヤキ”に決まった。

 

 十一基のタコヤキの口から一斉に放たれたのはーー光線であった。

 術式として設定した“魔法の射手・水矢”とは随分と趣きが変わっているが、このタコヤキ達は取り込んだ魔法を自身の規格に合わせて再構成する能力がある。

 故に、今放たれたのは単なる魔法の射手ーーエヴァさんが言う水鉄砲とは()()()()()

 

 エヴァさんはまだ麻痺による戒めから解放されていない。回避は不可能。

 しかし、エヴァさんには“陰陽陣”がある。

 当然、展開する。せざるを得ない。

 

 全方位から放たれた十一の光線が今まさに“陰陽陣”に接触しーー

 

「……これのどこが水鉄砲だ」

「水鉄砲ですよ。()()()、ですけどね」

 

 ーー光線、改め十一の『荷電粒子(ビーム)』は陰陽の壁をすり抜け、その敵の体を貫いた。

 




タコヤキのイメージ図は艦これに出てくるあの丸い艦載機そのままです。


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