ロクでなし魔術講師と月香の狩人 (蛮鬼)
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第1巻
プロローグ -偽りの夜明け-


 ――己が思考の埒外にあるモノを知った時、多くのヒトはソレを求めずにはいられない。

 

 超次元。神域の智慧。超越存在――上位者の思考。

 

 およそ人の身では到達し得ぬ領域。絶対の禁域とも呼べるそこへ至るべく、多くの徒が研究に励み、探究を続け。

 そして、多くの禁と罪を犯した。

 古き都はもはや呪われ、悍ましい獣と汚物に溢れている。

 

 うんざりだった。

 

 獣も、上位者を名乗る化け物共も、何より全ての元凶である人の業も。

 全て、全てがうんざりだった。

 だからこそ、殺した。狩り尽したのだ。

 

 

『■■■■■■■ッ!!』

 

 

 耳に障る悍ましい末期の叫びと共に、その巨体が花畑へと倒れ込む。

 言葉に表すことさえできない、無数の触手を備え持つ怪物。

 剥き出しの骨の如き上半身と、不気味なぬめりを帯びた両足。

 顔に当たる部位には眼もなければ耳もなく、口さながらに空いた虚ろな穴が存在するのみ。

 

 『月の魔物』――それが怪物の名前だった。

 

 忌々しい狩人の夢。獣狩りの夜を繰り返す元凶たる、夜天の王。

 狂人どもの儀式を潰し、赤子を殺めても真なる夜明けを迎えることはない。

 この怪物を討ち果たすことで、ようやく全てが終わりを告げる。始まりの朝日が昇るのだ。

 

 

「……夜明けだ」

 

 

 倒れ伏し、刹那の間も置かずに血飛沫を上げて四散する魔物。

 しかし、その末路さえも視界に映すことなく、彼――狩人は夜天を見上げた。

 『ノコギリ鉈』を握る右手には、まだあの怪物を切った時の感触が残っている。

 硬く、しかし柔らかで、何とも云えないあの感触は、できることならすぐさま忘れたいものなのだが、そう思い通りにはいかないらしい。

 

 鉈を振るい、弾丸を見舞い、数多の道具、戦術の全てを駆使して討ち果たした人外。

 けれども、これで全てが終わりというわけではなく、この終末さえも新たなる始まりでしかない。

 儀式は潰した。魔物は倒した。なのに何故、この夜は明けない。

 

 繰り返される獣狩り。終わらない悪夢。

 これは一体どういうことか、新たな上位者の力によるものなのか。

 様々なIF(可能性)を生み出し、多くの時間をその思考に費やしてきたが、結局何も分からず終いだ。

 この夜明けも、所詮は仮初めのモノ。

 間も無くすれば自分の身は人から上位者へと変わり、そして再びあの悪夢が始まる。

 

 真に終わりなき、夢幻の内に広がる生き地獄。

 あのゲールマンが味わったものとは、もしやこういうモノだったのだろうか。

 

 

「まだ……目覚めには、遠いのか……」

 

 

 果ての無い悪夢に声なき慟哭を上げ、狩人の意識が徐々に消えていく。

 異邦より血の医療を求め、『青ざめた血』を求めたが故の罪なのか。

 “いつか、この悪夢が真に終わりを迎えんことを”

 

 その思いを心内に秘めて――狩人の意識は遂に、闇の中へ沈んだ。

 

 

 

 

 

 

 はたして狩人は、再び狩りを全うした。

 境を失い、獣と成り果てたモノたちを。病の元凶、その儀式の主催たる狂人を。

 そして真なる黒幕、悍ましき月の上位者をその刃で、弾丸で以て討ち、悉くを狩り尽した。

 

 斯くして一夜は終幕へ至り、新たなる一夜が幕を開ける――その筈だった。

 

 迎える筈の夜は来ず、暗闇に意識を手放した狩人の姿もまた無く。

 詰まる所、これは次なる一夜の前の寄り道だ。

 空間転移を可とする多腕の上位者(アメンドーズ)の仕業か、それとも別なる何者かの手によるものなのか。

 確かなことはただ一つ。どうやら彼の苦難は、まだ終わりに至ることはないらしい。

 

 故に狩人よ。数多に在する獣狩りの徒が1人よ、暫しの別れだ。

 新しい悪夢(せかい)を――堪能したまえよ。

 

 

 

 

 

 

 “悪夢は巡り、そして終わらないものだろう”

 

 繰り返される悪夢の中で、幾度となく聞いたある狂人の言葉だ。

 人を人ならざる領域へと至らしめる何か――今は亡きビルゲンワースの学長、ウィレームの言葉を借りるのなら、『瞳』と呼ばれるモノを求め、上位者ゴースに対し、交信を試み続けたあの男の言葉は、最初に聞いた時は苛立ちしか覚えなかった。

 

 終わらない悪夢などない、と信じ続けていたあの頃が懐かしい。

 奇しくもあの男の言葉は現実となり、幾度獣や上位者どもを屠ろうとも、真の夜明けを迎えることは叶わなかった。

 だがもし、今再びあの男が同じ言葉を吐いたとしたら、()はこう答えるだろう。

 

 

 ――“これも貴様の云う悪夢なのか?”

 

 

「はぁ、はぁ……っ!」

 

 

 忙しない様子のまま、纏う黒ローブを風になびかせて男が走る。

 夜闇に包まれた、人知れぬ路地裏を駆ける男の正体は魔術師――世間的に云う、外道魔術師と呼ばれる輩であった。

 目的のためならば手段を選ばない、文字通り人間の道を外れ、外道と成り果てた彼らではあるが、故にその危険性は高く、例えそれがチンピラ同然でも決して侮ってはならない。

 

 だが今、その外道魔術師の様子から察するに、彼は間違いなく逃げていた。

 相手は魔術師か、それとも噂に名高きあの帝国宮廷魔導士か?

 いずれであれ、今の彼の手に負える相手でないことは確からしく、屈辱に耐えながらもこうして逃走し続けているのが現状だ。

 

 

「……!」

 

 

 逃走の果て、曲がった角の先へと進んだところで男はその双眸を見開く。

 目の前にあるのは壁。夜闇の黒に染め上げられた、街区によく見られる長大な壁である。

 最初のその姿を見た時は僅かに絶望したが、何と云うことはない。

 周りにあるものに飛び移り、高さを縮めていけば何とかなる。

 

 天辺にさえ到達すれば、おそらく()()を撒くことはできるだろう。

 生存への道が見えたことに口元を歪める男。

 未だ生を諦めない外道魔術師を、だがその考えごと嘲笑うかのように――その靴音が夜闇に響いた。

 

 

「――!?」

 

 

 夜風が街区を吹き抜け、纏うコートと短マントをなびかせる。

 妖しく輝く満月を背に、道を進んでやって来るのは1人の男。

 夜闇に隠れて見えにくいが、その身に纏う装束はここらではあまり見られない異邦のモノ。

 灰がかった黒色の装束は肌という肌を覆い隠し、短めの黒髪の上には枯れた羽根付きの帽子が見られる。

 

 ローブではなく、およそ魔術師らしくない装束で身を固めたその男は、確かに魔術師と呼ぶには酷く異質で、歪な存在だ。

 そもそも彼自身が、自分は魔術師ではないと云っているのだから、正しくは『魔術師らしくない』のではなく、『魔術師ではない』だ。

 では何故、外道魔術師はそんな彼に対し、逃走せざるを得ないほど怯えていたのか。

 その原因とは、彼の右手に握る()()にこそあった。

 

 血に塗れ、まだ温かさを残す刻々(ギザギザ)の刃。

 およそ人間相手に向けるには、あまりにも不適格で恐ろしいソレは、だが確かに人を死に至らしめるだけの性能(ちから)を有していた。

 そして右手とは逆の左手に握るのは、右の刃物とはまた異なる殺しの道具――短銃(ピストル)だ。

 

 ノコギリと銃――まともな魔術師ならば絶対に使うことのない組み合わせに男は再度、その顔に怯えの情を湛え、口元を引き攣らせた。

 

 

「何なんだ……一体何なんだよ、お前ぇ……!」

 

「……」

 

 

 魔術師の言葉に、男が答える気配はなく。

 手にした2つの得物――ノコギリ鉈と短銃を握り締めて、魔術師の元へと歩み寄っていく。

 

 カツン、カツン、カツン――一歩、また一歩と足を進めるたびに、硬い靴音が夜闇に鳴る。

 それに伴って握り締めた得物の1つが、さながら歯軋るように刃を不気味に鳴らしていた。

 その音を1つずつ耳にする度、魔術師は怯えを伴い、己が内で何度も問いを繰り返した。

 

 どうしてこうなった。何故、こんなことになったんだ。

 コイツを探り、隙あらば捕縛するのが自分に与えられた任務であったはず。

 なのに何だ、この男は。

 素性不明、多くが謎に包まれていることは聞かされていたが、こんな奴だったなんて聞いていない!

 

 魔術師でもなければ、ただの人間ですらない。

 組織の下っ端も同然である自分であるが、それでも充分に分かるほどの死臭、()()()()

 これでは、まるで殺人鬼か何かではないか――!

 

 

「何なんだよ――お前はぁッ!?」

 

 

 遂に我慢も限界にきたらしく、魔術師は呪文を詠唱し、男へ向けて魔術を発動。

 紡がれた詞。伴い、具現する劫火。

 夜闇を照らす灼熱の光は男の体躯を瞬く間に呑み込み、その一切を灼き尽くさんと燃え盛る。

 

 ――だが。

 

 

「――ッ!」

 

 

 灼熱の檻を突破して、黒影が魔術師の元へ迫る。

 目にも止まらぬ駿足に対処する術などあるはずもなく、呆気なく隙を突かれた魔術師の喉元には鋸刃が当てられ、頭の横側には銃口が突きつけられている。

 

 

「……1つ問う。お前たちは、この俺を捕えて何をする気でいる?」

 

 

 ギリ、と当てられた鋸刃が喉元に食い込み、鈍い痛みと共に鮮血が肌を伝う。

 虚言は許さない――そう警告しているのだ。

 

 

「異端が如き輩に、お前たちは何を求めている?

 人外を殺す術か、命を刈り取る力か?

 それとも……未だ手にすることの叶わない未知か?」

 

 

 口にした言葉、その何れであるのかは正直この際、どうでもいい。

 ただ分かったことは、その内のどれかが正解だったらしく、怯えに染まった魔術師の顔に一瞬、驚愕の表情が垣間見えた。

 

 

「……そうか」

 

 

 それを知れたのを機に、男は手にしたノコギリ鉈を振るい切り、その鋸刃で魔術師の喉を骨ごと斬り断った。

 盛大に噴き出る血飛沫。まだ温かみを残した赤い液体を全身に浴びながらも、男は表情1つ変えることなく、首を断たれた死体を暗がりの方へと放り投げた。

 最悪の場合とはいえ、自分の命を奪わんとさえ考えていた輩に慈悲の念をかける必要などはない。

 

 少しでも隙を見せれば、背後から命を奪われることを、彼は身を以て知っていたからだ。

 血に塗れた衣装――鮮血に彩られた狩人装束を照らすかのように、月光が彼へと注がれる。

 不吉、狂気の象徴でもあった月は、今や淡い光を放ちながら、夜天の下にある街を優しく照らしている。

 似たようなことを何度も経験している故、そこまで驚きはしなかったのだが、どうも()()は自分の知る場所ではないらしい。

 

 上位者か、狂人どもか、それともソレらとは異なる別のナニカか。

 何はともあれ、自分はあの悪夢より抜け出せた。

 例え再び戻ることになったとしても、今の自分は自由の身なのだ。

 けれども、やはり狩人の宿命と云うべきなのか、ここでも同様に“何か”がある。

 秘儀もどきの魔術なる業、外道魔術師、己を狙う者たちの存在。

 

 この場所に来てからそこそこの年月を経たが、結局、今も昔も自分の為すべきことは変わらない。

 

 

「狩りの、全う……」

 

 

 血塗れの体躯を掻き消すように、狩人の身は夜闇の内へと消えていく。

 そして新たなる旅路を祝福するが如く、夜天に頂く満月は、一層強い輝きを放つのだった。

 

 



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第1夜 その男、狩人にして医師

 微睡の内に広がる世界。

 獣などの理性なきモノはどうだか分からないが、少なくとも人間であれば誰しもが、1度は必ず見るであろう幻想。

 人々はそれを『夢』と称し、時に悦楽、時に恐怖をその幻想より感じ得ている。

 

 故に、この世界もソレらと同じ夢。

 しかし、世間においての既知のモノとは異なり、この夢は何者かの手によって()()()()()()

 満月を頂く白灰色の空の下。無限に広がる果てなき幻想世界にて、ただ1つ存在する建造物。

 かつて、『狩人』と呼ばれた多くの者たちが夢幻の内に見て、囚われた牢獄。

 

 月の上位者の生み出せし、形なき幻夢(あくむ)――名を、『狩人の夢』という。

 

 

「……」

 

 

 古びた工房の内側より鳴り響く鉄音。

 この夢幻の工房の主が、己の所有物の手入れをしている音だ。

 工房内の作業机。その上に置かれた異形の武具。

 それをねじ回し(ドライバー)や鎚、やすりなどで分解・修理し、再び組み造り、元の形へと戻していく。

 

 再構築された武具――鋸と鉈を組み合わせた異形の狩道具『ノコギリ鉈』の姿は、以前と比べてもそう大して変わらないように見える。

 しかし、見掛けで判断してはいけないという言葉があるように、その得物は確かに修理前と比べて、その耐久度は回復し切っていた。

 

 

「まあ、こんなところか……」

 

 

 獣の牙を連想させる凶悪な鋸刃を鎚で数度叩き、刃音を鳴らすと狩人は先に直した短銃も合わせて、作業机に戻し、それから工房より抜け出た。

 ごく小さな石階段を下り、進んだ先に彼を待っていたのは、見目麗しい女人。

 いや、女性の姿を模した『人形』だった。

 

 

「――お疲れ様です、狩人様」

 

「……人形か」

 

 

 恭しく垂れた頭を上げ、無機質な両目で見つめてくる人形。

 この夢の世界と現実を別ける非常識、非日常の象徴が1つでもある彼女の姿は既に見慣れたものだ。

 だが、こうして近くで見ると、やはりその存在の異質さに疑問を抱かないことはない。

 

 

「何か用……という感じではないな」

 

「はい。……もしや狩人様、ご迷惑でしたか?」

 

「いや、ただの挨拶を迷惑と受け取るほど、俺はそこまで人間性を腐らせてはいない」

 

「そうでしたか」

 

「ああ。……人形、何か変わったことはあったか?

 具体的には、俺が現実に(おきて)いる間の時だが」

 

「いいえ。特に何も起きてはいません」

 

「……そうか」

 

 

 繰り返される悪夢の日々。

 永久に続くと思われていた一夜。

 その果てなき生き地獄は、ある時を境に途切れた。

 

 否、正しくは狩人自身がその繰り返し(ループ)より抜け出したと云った方がいい。

 以前と変わらず、この夢世界との繋がりが保たれたままだが、以前と異なるのはヤーナムの地へと向かう必要が無くなった点だ。

 

 『古都ヤーナム』

 かつて栄華を極め、しかし今は忘れ去られた亡都。

 東の人里離れた地に存在していたその都は、その土地の風土病である『獣の病』によって滅んだとされている。

 間違いではない。だが、完全な正解とも云い難い。

 

 他国を上回る医療技術を誇った古都滅亡の原因は謎に包まれ、その真相を知る者はごく僅か。

 古き時代、狩人の黎明期に生きた古狩人たち。

 滅亡の根本的原因を生み出した大元、学府ビルゲンワース。

 超越存在。ヤーナムに滅亡の鉄槌を振り下ろした張本者、上位者。

 そして、その全てに終止符を打った1人の狩人――それが彼だ。

 

 

「繰り返される一夜は終わり、だが目覚めた時には見知らぬ世ときた。

 またアメンドーズか何かの手で送られたのかとも考えたが……今回は、そういうわけではなさそうだな」

 

「狩人様がそうお考えならば、そうなのでしょう」

 

「お前には、この事象の元凶が何であるのかは分からないのか?」

 

 

 狩人の問いに、人形は首を左右に振って答えを示した。

 見知らぬ場所に飛ばされて早数年。

 今回の一件、その元凶が何であるのかを探り続けてはみたが、如何せん情報が一向に集まらない。

 

 分かったことは、どうも今居る場所、もとい国は自分にとって未知の国らしく、記憶を探ってみても一切聞いたことのない国名であった。

 ヤーナムにおいて輸血を受け入れた後、それまで保有していた記憶の大部分が失われてしまったが、それを踏まえた上でこの国の名前を彼は知り得ていなかった。

 

 

「アルザーノ帝国。北セルフォード大陸の北西端に位置する国。

 国家の種別は、名前の通り帝政国家、すなわち帝国。

 収集した情報から考えても、アルザーノなどという国を俺は知らない」

 

 

 それ以上に、彼が疑問に思ったのはある技術の存在だ。

 使える人間と、そうではない人間が分かれているものの、その術技は確かにこの国には存在している。

 『魔術』――神話や御伽話に必ずと云っていいほど出てくる概念。

 人間が為し得る筈のない、超常現象を引き起こす摩訶不思議な業。

 共通する点が多数あったことから、もしや上位者の恩恵を得ているのでは? とも考えたが、国内の様子を見る限り、その可能性はゼロに等しい。

 

 

「それに、俺を付け狙う魔術師どもも気になる……」

 

 

 情報収集の最中に得たもののなかで、気になる名前があった。

 その名前は、この国に根を張る最古の魔術結社を指す名であり、あの魔術師たち――外道魔術師の巣窟とも呼べる最悪の組織。

 上位者とはたして関係があるかまでは分からないが、何らかの理由で自分を狙っている以上、再び見える日はそう遠くないはず。

 

 

「狩人様。つかぬ事をお訊ねしますが……狩人様は、あの場所にお戻りになりたいのですか?」

 

「なに……?」

 

 

 あの場所、というのはおそらくヤーナムのことだろう。

 病み人であった自分が、その地のみ存在するモノを求め、赴いた古都。

 『青ざめた血』という言葉を頼りに進み、その地に隠された多くの秘密を知った因縁の都。

 

 獣の病、血の医療、医療教会、ビルゲンワース。

 メンシス学派、上位者、赤子、そして狩人の業。

 

 この世全ての神秘、悪意、狂気が形を成したが如き古の都。

 そんな場所に戻りたいと願う輩など、まともとは到底云えない。

 

 

「馬鹿な。誰が好きこのんで、あんな場所に戻りたいと願うものか……」

 

「……そうですか」

 

 

 その言葉を最後に、人形は口を閉じた。

 思えばこの人形は、この夢の中でしか動くことの叶わない存在だ。

 月の魔物の力によるものだったのかもしれないが、今やかの魔物は滅び、しかし彼女はまだ動き続けているのだから不思議だ。

 あの上位者がまだ生存しているのか、あるいは……

 

 

(いや、今探るべきはそれではない)

 

 

 夢の内にいつまでも閉じこもっているわけにはいかない。

 夢の世界は停滞しているが、現実は常に前進し続けている。

 己が為すべきを為すためにも、まずは目覚めねば何も始まらない。

 

 

「いってらっしゃいませ、狩人様。

 あなたの目覚めが、どうか有意なものでありますように」

 

 

 柔らかで、優し気で、そしてどこか懐かしさを感じさせる言葉。

 その言葉を口にする人形を背に、狩人はその目蓋を閉じて――現実への目覚めについた。

 

 

 

 

 

 

 未知なる世界、未知なる土地において情報の収集は極めて重要なことだ。

 それはヤーナムの地において、文字通り身を以て知っており、故に彼はこの数年をかけ、情報の収集場所の確保に勤しんでいた。

 己をこの未知なる世に飛ばした存在についての情報については全然だが、少なくともそれ以外のモノに関しては()()()()で定期的かつある程度の量は入手することに成功している。

 

 その場所こそは、アルザーノ帝国南部。ヨクシャー地方の都市が1つ、フェジテ。

 400年という永き歴史を誇る学院。アルザーノ帝国を魔導大国たらしめる故が1つ、『アルザーノ帝国魔術学院』のある地方都市である。

 新古が共存するその都市において、狩人は今も、仮初めの姿を以て在り続けていた。

 

 

「――ふむ」

 

 

 大量の丸薬が詰め込まれた瓶を棚より取り出し、男は中身を下から覗き込むように確認する。

 個人用のものだからか、はたまたラベルを貼り忘れたのか。その瓶の中身を示す名前はどこにも見当たらない。

 だが、男――狩人はすぐにそれが、目的のものであることを察すると既に持っていたもう1つの瓶と合わせ持ち、そのまま部屋を後とした。

 

 『ギルバート』――それが昼の刻における、彼の名前である。

 姓はなく、ただギルバートという名前で通っている小さな町医者こそが、今の彼の姿だ。

 

 遥か遠い、けれども幾度となく見えたとある人物。

 あの呪われた古都において、自らに輸血を施した医療者を除く、初めて出会った人間。

 同じ異邦人であり、数々の助言を授けてくれた数少ない良人。

 その彼の名を名乗り、狩人としての己を消しての偽りの生。

 その彼が、己が目的を達するため医者の他に兼ねている仕事があった。それは……

 

 

「戻りましたよ、先生」

 

「あぁ、ギルバートさん。お帰りなさ――ごふっ!?」

 

 

 とても医者とは思えない大柄な体躯を、簡素な白衣で包んだギルバートが入室すると、室内の椅子に腰掛けていた女性が笑みを浮かべた直後に吐血した。

 2人の間に距離があったから良かったものの、運が悪ければ血が彼の白衣と衣服に掛かっていたやもしれない。

 いや、それよりもまず、女性が吐血したこと自体が大変だ。

 持って来た瓶の内、丸薬入りの方の蓋を開けると手一杯に中身の丸薬を掴み取り、その全てを女性の口へと押し込んだ。

 

 押し込んだ際に、嵌めていた白手袋に血が付着してしまったが、そこはどうでもいい。

 ガリガリ、ボリボリと何かを噛み砕き、咀嚼する音が鳴る。

 効果はそこまで長く続くものではないが、取り敢えずはこれで何とかなるだろう。

 

 

「こふっ……ふぅ……す、すみません。いつものことながら、本当に……げほっ」

 

「本気でそう思っているのなら、取り敢えず大人しく寝てて貰えませんかね。セシリア先生?」

 

 

 女性――セシリアは、魔術師である。

 正しくは法医師。()()アルザーノ帝国魔術学院の医務室を任されている、第四階梯(クアットルデ)の魔術師。

 俗にいう若き天才、という奴だ。

 ……今しがた見せた、身体の脆弱さを除けば。

 

 

「お仕事が大切だと思う気持ちは分かりますが、無理は禁物。

 特に貴女の場合は、体の弱さが異常なんです。何もない時はとにかく休むべきと、俺はそう云いましたよね?」

 

「うぅっ……で、でも。医務室を預かる身として、休んでばかりでは……ごふっ!?」

 

「ほら、云った矢先に」

 

 

 持ち出して来たもう1つの瓶を机上に置き、再び吐血したセシリアの口元を白布で丁寧に拭く。

 真っ赤な血で染まった布をゴミ箱に捨てると、今度は彼女の体を両手で抱え、室内に備え付けてあるベッドの上へと置き、寝かせた。

 

 

「取り敢えずは寝ておいて下さい。伝統あるだの、由緒正しいだのと謳っている学院で、仕事もせずに眠るのは気が引けるでしょうが、貴女の場合は仕方がない。

 病気も同然である者に無理して仕事をさせることこそ、さらなる病状の悪化へと繋がりますよ」

 

「……でも」

 

「でもも何もないです。時と運が良かったとはいえ、俺は貴女の()()として採用された。

 なら、相応の働きをするのが“人として当然”でしょうに」

 

 

 人の矜持は穢され、もはや生死の概念さえも玩具として扱われた生き地獄(ヤーナム)

 その中でも、特に深い地獄を味わった身でありながら、それでもまだ人としての意識はあり続けている。

 “人として当然”――その言葉の重みを真に理解している者が、果たしてこの世に何人いることか。

 

 

「……と、云っている間にそろそろ刻限ですね。

 本業の方に当たらなければならないので、今日は此れで失礼しますよ」

 

 

 室内備えの時計を見つめて、黒カバンを片手にギルバートは医務室を去った。

 フェジテの町医者兼、アルザーノ帝国魔術学院法医師セシリア=ヘステイアの助手、ギルバート。

 それが今の彼、狩人のもう1つの姿であった。

 

 

 

 

 

 

 『アルザーノ帝国魔術学院』

 この国にて魔導に携わる者ならば、誰もが知る名門校。

 400年の歴史を誇り、その永き年月に見合う、多くの高名な魔術師たちを輩出した場所でもあるそこは、フェジテという新古共存の都市にあることもあってか、ギルバートにとっては様々な意味で良い隠れ蓑だった。

 

 己をこの摩訶不思議な異界に飛ばした元凶についての情報を得るならば、地方都市よりも首都の方に赴き、拠点を構えた方が良いとは思う。

 だが、国の首都というのは云わば、国主のお膝元でもあるのだ。

 当然、備えてある兵力。王城や国主を守護する兵士たちの数は多い。

 特に連中――『特務分室』とか云う者たちを相手にしたくはない。

 

 ある期間派手に動き過ぎて目を付けられ、ある時に戦闘になったことがある。

 あの時相手したのは、身の丈ほどもある大剣を扱う淡青色の髪の少女と、銃使いらしき黒髪の青年。

 聖剣士ルドウイークや最初の狩人ゲールマン、その弟子にしてカインハーストの血族たる女狩人マリアらと比べれば、純粋な力量の面では劣るものの、決して弱者ではなかった。

 武具と道具を駆使し、追い詰めこそしたものの援軍が駆けつけ、結局仕留めるには至らなかった。

 

 

(顔こそバレることはなかったが、あれ以来連中の俺に対する警戒は強まり、一層眼光が鋭くなったからな……)

 

 

 それでも夜の活動を止めるわけにはいかず、危険を承知で毎夜、()()を続けているのだ。

 

 

(昼の収集にも限界がある。やはり夜にこそ、だが……ん?)

 

 

 不意に耳に入った叫声。

 声の高さからして女性、いや女子生徒のものか。

 学院に勤めているとはいえ、所詮は講師の助手で、非正規の職員だ。故にそこまで学院に尽くすつもりもない。

 とはいえ、何があったのかを確かめたくなるのは人間の性とも云うべきか。

 

 木造の大扉を少し開け、声のした教室の中をバレないように覗き見ると――

 

 

「……あれは?」

 

 

 覗き見た教室内では今、頭に大きなタンコブを作った青年と、分厚い教科書を片手に持った銀髪の女子生徒が何やら言い争っている。

 状況から察するに、女子生徒の方が青年の頭を教科書で殴り付けたようだが、ギルバートは女子生徒の方に非があるとは思わなかった。

 何せその女子生徒は、非正規職員である彼でも良く知る、色々な意味で有名な生徒だからだ。

 

 名前をシスティーナ=フィーベル。

 あの魔導の名門である大貴族『フィーベル家』の令嬢で、座学・実技ともに高成績を誇る学年トップの秀才。

 そして講師泣かせとしても有名な、良い意味でも悪い意味でも扱いに困る生徒だ。

 

 そんな彼女が授業中、くだらない理由で講師を殴り付けるなどあり得るはずもなく。

 加えて黒板に刻まれた『自習』の二文字から察するに、非があるのは青年――講師の方なのだろう。

 そしてその講師である青年なのだが、ギルバートは彼のことを知っていた。いや、()()()()()

 

 

「あの男、確か『特務分室』の……」

 

 

 結局教室内の覗き見は他の講師からの注意が来るまで続き、面倒臭そうな顔つきでギルバートは学院を後にした。

 

 

 

 

 

 

 それは果たして、幾百ほど前の夜だったか。

 見知らぬ世界、未知なる秘術、そして魔術師。

 人外の気配の欠片もない、平和そのものたる帝国の夜の刻。

 その晩も狩人、ギルバートは襲い来る愚者どもを迎え撃ち、その悉くに刃と銃弾を見舞った。

 

 引き切られる皮と肉、撃ち抜かれる頭蓋、引き摺りだされる臓物。

 金目当てか、はたまた憂さ晴らしか。それとも別なる何かを求めてなのか。

 理由は何であれ、襲撃者に対して彼は情けを掛ける気など微塵もなく、その表れであるかのように彼の殺戮劇は凄惨を極めていた。

 

 そして今、彼の目の前には片腕を失った魔術師――襲撃者の最後の1人がへたり込み、恐怖に身を震わせながら彼を見ている。

 伸ばされ、長鉈へと形を変えたノコギリ鉈を大きく振りかぶり、その頭蓋に刃を叩き込まんと振り下ろそうとした――その時だ。

 

 

「――!」

 

 

 夜闇を駆け、迫り来る影が1つ。

 暗闇を裂くが如き銀閃の存在に気付いたのは早く、得物を振りかぶったままギルバートは後方へと跳躍。

 そして瞬時に距離を詰めて、銀閃を放った何者かへと蹴りを繰り出し、吹き飛ばした。

 

 

「……子供?」

 

 

 暗闇の中とはいえ、全てのものが見えないわけではない。

 寧ろ、闇黒よりも悍ましく、深い夜闇を身を以て知っている彼からすれば、この程度の暗闇など大したものではない。

 狩人の目を以て見た、新たなる襲撃者の姿。

 それはこれまで相手して来た者どもと比べ、とても若い、いや幼いとさえ云える様子の少女だ。

 淡青色の長髪に、人形を思わせる無表情の童顔。そして小柄な容姿。

 これだけならばただの少女と云えなくもないが、手にする身の丈ほどの大剣と、その身を包む衣服が彼女を『脅威なる存在』として彼に認識させていた。

 

 そして少女の後ろからまた1人、何者かが夜闇の戦場へと足を踏み入れて来た。

 

 

「今度は小娘と……小僧か」

 

「ようやく会えたな」

 

 

 現れたのは、少女と同じ装いに身を包んだ青年。

 黒髪黒眼、これといった特徴らしい特徴はないが、故に読み取れるものもまた少ない。

 分かるのは、先に仕掛けて来た少女同様、この青年も只人ではないことだけだ。

 

 

「毎夜毎夜、飽きもせずに殺戮劇とは熱心なこったな。

 そんなに楽しいのか、それはよ?」

 

「これは愉悦のためのものではない。襲撃者を迎え撃つ……云わば正当防衛だ」

 

「へえ? ンじゃあ聞くけどよ。コイツは正当防衛って云うには、少し過激すぎじゃあねえか?」

 

 

 青年が指差した先に広がる光景。

 そこにあるのは血、肉片、臓物――赤と黒の二色で彩られた領域。

 極小ながらもそこに広がる光景は、地獄と例えても違和感がない程に凄惨たるモノだった。

 

 

「……クズを殺して、誰かが困るとでも?」

 

 

 首の凝りを解す形で傾げ、ゴキリと音を鳴らしてギルバートが問う。

 何が目的かはともかく、最悪己の命さえ奪うことも躊躇わない連中だったのだ。

 情けをかけ、背中を見せれば後ろから刺される可能性もあり得る。

 

 故に殺す。

 情けの一欠片もかけることなく、その命を完全に断つ。

 そうでもしなければ、あの悪夢の魔境を生き残ることなどできる筈もなかったのだから。

 

 

「どんな理由があるにしろ、お前はちっとやり過ぎた。

 悪いが一緒に来て貰うぜ」

 

「そうか……だが、少し待て」

 

「あ……?」

 

 

 青年の口より声が上がると共に、夜の闇を銃声が引き裂いた。

 銃口より上がる硝煙。直後に鳴る、誰かが倒れる音。

 見れば先程、ギルバートに止めを刺されそうになっていた魔術師が少し離れた場所で倒れていた。

 俯せの体躯から流れ出るのは、赤い赤い、まだ温かみのある液体――血液。

 一撃で死亡したことから、どうやら頭か心臓を撃ち抜かれたらしい。

 

 

「――これで後の憂いは無くなった」

 

「……何で、殺した」

 

「何故、と……? 異なことを。

 己を狙った愚者を逃せば、再び襲い来るのは必定。

 甘さを抱えたままでは、夜闇に生きることなどできる筈もない……」

 

 

 故に容赦は要らない。徹頭徹尾、鏖殺だ――。

 呪われた古都で生き延びるために知り、身に付けた心得。

 情けは無用。ただ狩り、殺すべし。

 それが命を狙う輩ならば、尚更に。

 

 そう紡ぐ彼の姿は狂気的で、それは青年――グレンが忌み嫌う外道魔術師にどこか似通うものがあった。

 

 

「結局はこういう類かよ。

 ――行くぞ、リィエル!」

 

「うん。わかった」

 

 

 大剣を構え、銃を手に取る2人の魔導士。

 そして対する2人を迎え撃つべく、ギルバートは――いや、名を失った狩人は刃と銃を構えて、爛々と輝く双眸で以て2人の姿を見据え、捉えた。

 

 

「さて――では、狩りの時間だ」

 

 

 鋸と銃を構え、漂う血臭に口元を歪める彼を、雲の蓑より抜け出た月が淡く照らし出した――。

 

 

 



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第2夜 モノの使い様

 あの日の夜。

 それまでに屠ってきた連中と変わらぬ、愚者共の血で染め上げた紅色の路地裏。

 思い出せば、あの時こそが彼と――そして“彼ら”との最初の邂逅だった。

 

 『帝国宮廷魔導士団特務分室』

 アルザーノ帝国を魔導大国たらしめる所以が1つ。

 帝国の統治者として君臨する女王の懐刀であり、帝国最強の魔導士たちの集団でもある。

 1人1人の力に違いこそあれ、彼らが凄腕の魔導士であることに偽りはなく。

 その証明として、多くの外道魔術師たちが彼らの手によって葬られて来た。

 

 その集団の1人であった()()()が、まさかあの学院に来るとは予想もできなかったが。

 

 

(俺の正体がバレたのか……?)

 

 

 ふとそんな考えが頭の中を過ぎるが、それはすぐに否定された。

 手掛かりとなる物も、要素も、狩りの現場では一切残していない。

 残すのはいつも、対象の血と臓物だけ。それ以外を残していくなどというヘマは絶対にしないよう心掛けている。

 

 いくら相手が人道を外れた外道どもだとしても、それを惨殺する輩を人々が快く思う筈がない。

 無辜の人々からして見れば、外道魔術師も(ギルバート)も、同じ“人でなし”でしかないのだから。

 

 

(だが、俺の正体が知られていない場合となると、今度はあの男が来た理由が分からなくなる。

 別件か、それとも前の職を辞めてあの学院に? ……いや、そちらの方こそあり得んな)

 

 

 調合を終え、出来上がった丸薬を瓶詰にし、それを棚に置きながらギルバートは首を横に振る。

 あの日、件の男――グレン=レーダスが学院にやって来てから早数日。

 表向きの本業である医者としての仕事時間を削ってまで、彼の動きを観察していた。

 

 講師連中や生徒たちからも情報を集め、妙な動きがないか調べていたのだが、少なくともそういった事は皆無だった。

 耳に入るのはいつも『ロクでなし』、『ダメ講師』、『最低な男』といった酷評の言葉ばかり。

 先日においては、生徒の1人――あのフィーベル家の令嬢と決闘し、散々に負かされた末、彼女との約束を反故にしたという。

 互いに敵同士であったとはいえ、これ程の変わり様には流石のギルバートも呆れるしかなく、しかし同時に今の彼に対して大きな疑問を抱いていた。

 

 ――何故、あの男はあそこまで変わってしまったのか? と。

 

 性格であれ、行動であれ、人間という生き物の変化には、何かしらかの理由があるものだ。

 ある男は、その優しさ故にとある街での惨劇を前に絶望し、狩る側から守る側へ。

 ある女は、最も古き狩人の弟子たる女傑として名を馳せ、だがその心弱きが故に愛剣を捨て。そして悪夢の深奥にある秘密、その番人となった。

 望む、望まざるを関係なく、何かを切っ掛けに人とは変わるものだ。

 であれば、あのグレン=レーダスという男の身にも()()が起きた――そう考えていいだろう。

 

 

「……そろそろ時間か」

 

 

 幾つかの薬品を黒カバンに詰め込み、洗濯し終えた白衣の一着をその身に羽織って、小さな町医者(ギルバート)は今日も学院へとその足を進めた。

 

 

 

 

 

 

 本音を言えば、彼は魔術というモノを好きにはなれなかった。

 超常現象の発現。人の身では起こせない筈の業。人域を超越した力。

 術の1つ1つに差こそあれ、本来であれば人が扱うにはあまりにも巨大で、神秘に満ち溢れたソレをギルバートは自身がよく知る()()()に似ていると感じていたのだ。

 

 新たなる技術、道具――成程、それは素晴らしい。

 だがそれは、人に正しき利を与えてこそ言えることであり、間違っても異端の業をそれらに含めてはならない。

 詰まる所彼は、魔術を人が扱うには余りある代物であると考えているのだ。

 

 その常識離れした力に魅了された人間は、その多くが裏に隠された異質さとに気付くことなく、ソレの虜となる。

 やがて術技を使う者から、術技に使われる者と成り果てる。

 肝心なのは、如何に早くその裏に隠れた性質に気付けるか、否かだ。

 尤も、片方の面だけ見ていては、どちらもそう大差ないのだが。

 

 

「……」

 

 

 では何故、このようなことを彼は考えたのか。

 答えは簡単――教室内でのやり取りが、彼にそのことを思い出させたのだ。

 授業時間にある学院の廊下に他の人影はなく、居るのは2年2組の教室前で室内の様子を覗き見ているギルバートだけ。

 

 休憩時間を使ってグレンの動きを確かめるべく来たのだが、その時には既に室内でグレンと、例の秀才女子生徒ことシスティーナが言い合いを始めていた。

 魔術学院の講師と生徒――片方は非常勤ではあるが、それらしい事柄を題材に彼らの言い合いは繰り広げられていた。

 

 『魔術とは、この世界の真理を追究する学問。

 この世界の起源と構造、そして世界そのものを支配する法則。

 それら全てを解き明かし、己と世界が何のために存在するのかという永遠の疑問に対する解答を導き出し、人がより高次元の存在へと至る道を探す手段』

 

 『魔術は人にどんな恩恵を齎すのか。

 医術は人を病から救い、冶金技術は人に鉄を与えた。

 農耕技術、建築技術と、『術』の名を付けられた物の多くは人の役に立つが、魔術のみは人に何の恩恵も齎さない』

 

 両者の意見は共に真実だが、それは聞き手によって解釈も大きく異なってくる。

 特にシスティーナの言葉は、魔術師たちにとってはお手本的な最適解と言えるモノだろうが、魔術を使えない者たちにとっては、理解し得ぬ“どうでも良いこと”でしかない。

 別に彼女の答えを否定するつもりはないが、魔術を使えない身であるギルバートとしては、どうしてもグレンの言葉の方に頷いてしまうのだ。

 

 そして僅かな時間を経た後、グレンは自らの主張を改め、その口より新たな言葉を発した。

 

 

 “あぁ、魔術は(すげ)ぇ役に立つさ――人殺しにな”

 

 

 歪められた口元、細められた双眸。

 口調は普段と変わらないというのに、その言葉の1つ1つからは憎悪の念さえ感じ取れる。

 

 そこでようやく、ギルバートは理解した。

 何故、この男がこんな学び舎に講師としてやって来たのか。

 何か目的があるわけでもなく、ロクな授業も行うことなく、惰眠を貪る日々を過ごしているのか。

 その根本にあるのは、魔術に対する憎悪。

 まるで()()()()()()()()()()かのような、黒い憎悪が彼の内側にあるのだ。

 

 ビルゲンワースの学徒たちではないが、胸の奥より湧き上がる好奇を抑えることができず、そのまま室内の覗き見を続行していると。

 パァン――! と乾いた音が教室内に鳴り響いた。

 音の発生源はシスティーナ。

 もはや極論でしかないグレンの魔術に対する自論に耐えかねたシスティーナが、彼の頬を掌で叩いたのだ。

 

 

「いっ……てめっ!?」

 

 

 頬に生じる痛みを感じつつ、怒りの籠った目で彼女を見て、そしてグレンは言葉を失った。

 視線の先にいるシスティーナの姿から普段の気強さは微塵も見られず、その目元に涙を溜め、泣いていたのだ。

 

 

「――大っ嫌い!」

 

 

 涙を拭うこともせず、飛び出るように扉を開いて教室から出ると、彼女は廊下の先へと走り去って行ってしまった。

 その後ろ姿を、ギルバートは悲しげな目付きで見つめたまま、小さくため息を1つ吐いた。

 彼女が教室から廊下へ出る直前、彼は扉から距離を取り、虚空より取り出した“青色の飲み薬”を飲み干すことで姿を薄れさせたのだ。

 

 医療協会の医療者たちが、怪しげな実験の際に用いるという『青い秘薬』

 本来ならば脳を麻痺させる精神麻酔薬なのだが、狩人は遺志によって己が意識を保ち、その副作用のみを利用する。

 つまりは『半透明人間化』――狂気の探究の過程で生み出された代物だが、こういう時に役立つのだから無用と断じることはできないのだ。

 

 

「結局、肝心なのは使い様というわけか……」

 

 

 そんな呟きを漏らすギルバートの視線の先では、教室から出て来たのだろうグレンの姿があり。

 どこか重々しい足取りで、彼もまた廊下の先へと歩み進んで行った。

 

 

 

 

 

 

 2年2組の教室での一件の後、ギルバートは医務室へと戻って行った。

 常日頃は暇を持て余しているのが医務室で、戻ったところでやることは一応上司に当たる法医師の看護(せわ)と、薬品の調合ぐらいだ。

 それでも戻ったのは、元々真面目な性格だったのか、怪しまれないようにするための行動だったのか。

 

 とにかく彼は最低限の仕事を終えると、普段と変わらず職場である医務室を出て、街にある我が家へ戻ろうとする。

 

 

「……ん?」

 

 

 長い廊下を歩む彼の足が、ふと止まる。

 太陽は沈みかけ、空は淡い橙色に染め上げられている。

 もう少し経てば夜が来る。そう思わせる空の下、1人の男の姿があった。

 

 

「あんなところに居たのか」

 

 

 システィーナとの言い合いの後、彼女同様教室より出て行ったあの男は、結局あれ以降の授業を行うことなく、教室にも戻ることはなかったらしい。

 自ら行動せずとも、噂となって情報が広がり、それを入手できるのは学院勤めの利点だ。

 だからこそ彼が教室以外のどこかへ向かい、時間を過ごしているのだろうと考えたのだが、まだ学院内に居たのは意外だった。

 

 正体がバレていないこともあるが、今のギルバートとグレンは敵対関係ではない。

 同じ学院に勤めるロクでなしの非常勤講師と、魔術師ですらない法医師の助手。

 はたしてそれは意味があってのことか、それとも単なる気まぐれなのか。

 止めた足を再び動かし、帰路についていたギルバートの足は、夕焼けの空の下で黄昏れる非常勤講師の元へと向かって行った。

 

 

「――お疲れですか、講師殿?」

 

「……あ?」

 

 

 学院東館のバルコニー。

 そこに着いたや否や、何の抵抗もなく彼はグレンへと声を掛け、グレンも気だるげな声を上げつつ、彼の呼び掛けに応じた。

 

 

「あんた……誰?」

 

「ああ、これは失礼。俺はギルバート。医務室のセシリア先生の助手を務めてる者です」

 

「医務室の、助手?」

 

「付け加えるならば、助手は副業。本業はフェジテの小さな町医者なんですよ」

 

 

 グレンの隣にまでやって来ると、携えていた黒カバンを傍らに置き、彼同様に鉄柵に寄りかかる。

 大柄な体躯故、その重さに鉄柵から小さな音が鳴ったような気もしたが、彼はそれを気にすることなく言葉を続けた。

 

 

「噂の若先生がどんな方かと思えば、こんなところで黄昏れてらっしゃるとは」

 

 

 悪戯好きの悪童がするような、意地の悪そうな笑みを湛え、くつくつと笑う。

 正常(まとも)なフリをするなどお手の物。

 善人過ぎず、かといって明らかに悪意に満ちた人物を演じても駄目だ。

 何事も全て、半ば程度が最良なのだ。

 

 

「そんなに今日は心身共に疲労することでもあったんですか?

 例えば……生徒と喧嘩したとか」

 

「……あー、やっぱ広まってたか。ソレ」

 

 

 鉄柵に寄りかかりながら、夕焼けの空をぼんやりと眺めてグレンが呟く。

 ここ数日の観察中でも、やる気のある姿というのは見たことがないが、今の彼はやる気云々の話ではなく、精神的に疲弊しているように見えた。

 

 

「それで、助手さんは何で俺なんかに声を掛けて来たんすか?

 先に言っておきますけど、俺みたいな奴と関わってるトコを見られたら、ロクな奴じゃないって他の講師陣に思われるかもしれませんぜ?」

 

「ああ、そこら辺はご安心を。……俺も、()()()()()()()()()()

 

 

 口調や声の高低は変わらぬまま、さらりと紡いだその言葉。

 その真の意味を理解できる者が居るとすれば、余程感の鋭い者か、もしくは同類かのどちらかだ。

 どちらであれ、今のグレンはその言葉に込められた意味を理解できる状態ではなく、「ふーん」と興味なさそうに空を見つめるばかりだ。

 

 

「19歳の若年講師。うちンとこのセシリア先生も貴方とほぼ同い年だから、最初はどんな天才が来たもんかと思ってたんですが」

 

「悪かったな。期待に添えないダメ講師で」

 

「いえ、別に。ただ、噂伝いでもハッキリ分かる程の魔術嫌い。

 生徒の誰かは、憎んですらいるように見えたと言っていましたが……実際のところ、どうなんです?」

 

 

 吊り上げた口角を少し緩め、微笑に近い笑みと共に問い掛ける。

 この会話において、最も重要な部分。それがここだ。

 かつて凄腕の魔導士として恐れられた男が、何故こんな学院にまでやって来たのか。

 

 ここ数日の様子、そして今日の一件から察するに、この男が魔術に対して黒い感情を抱いているのは明白。

 だが確信へと至るには、どうしてもこの問いに対する答えを知っておく必要がある。

 魔術が嫌いか、否か――全ては彼の答えに懸かっている。

 

 

「……ああ。嫌いだね」

 

「……そうですか」

 

 

 嫌い――ただその一言で、ギルバートの中で1つの答えが出た。

 この男(グレン)は、何らかの任務を帯びてこの学院にやって来たわけではない。

 詳しい事情に関しては分からないが、何かを切っ掛けに以前の職を辞め、非常勤講師としてここへ来たのだ。

 それも自分の意思によるものではなく、誰かの手で無理矢理といった形で。

 

 

「なあ、助手さん。あんたはどうなんだ?」

 

「はい?」

 

「魔術。あんたはどう思ってるんだ?

 助手とはいえ、学院勤めの人にこんなこと聞くのはなんだけどさ」

 

「俺、ですか。そうですね……少なくとも、好きだと思ったことは1度もありませんよ」

 

「へえ。どうして?」

 

「俺は魔術師じゃないんで」

 

 

 ギルバートの言葉に、グレンは驚いたように目を少しだけ見開いた。

 法医師のセシリアの助手を務める人物である故、どれ程の腕前を持っているのかと思えば、その真実は非魔術師の一般人。

 何故、魔術を扱えない身でありながらセシリアの助手を務めているのか気になったが、それを問い掛ける前にギルバートの方が口を開き、新たな話を始めた。

 

 

「俺はね、先生。このアルザーノ帝国の出身じゃあないんです。

 遥か遠く、東へ進んだ先。

 人里離れた山間にある都……そこが俺が居た場所でした」

 

 

 故郷、とは言い表わさなかった。

 確かにあの場所で、自分は1度全てを忘れ、あの暗い夜に身を投じた。

 それまでに作り、得て来たモノの全てを忘却(なく)し、狩人として悪夢に挑む第二の生。

 

 ある意味では、あの呪われた古都は自分の第二の故郷なのかもしれない。

 だが、ソレを口にしてしまえば、かつて“忘却してしまった自分”を本当に失くしてしまいそうに思えたのだ。

 だから、ソレだけは決して口にはしない。

 例え他の者たちから、『くだらない拘り』と謗られようとも。

 

 

「その都ではね、魔術とかいうモノはなく、代わりに優れた医療技術があったんですよ。

 多くの医者が匙を投げた大病も、その地の医療を以てすれば、すぐさま快復する程に……そこの医術は並外れて高かったんです」

 

「どんな病も完治する……か?」

 

「まあ、少なくとも周辺の国々にはそう伝わっていたんでしょうね」

 

 

 実際、その都――ヤーナムの医術は優れていた。

 もしアレが、あんな探究の手段としてではなく、人々の救済のために使われていたのなら、どんな明るい未来が待っていたことか。

 

 

「でもね先生。高められた技術というのは、大体ロクなことに使われない。

 それはこれまで、人間が築き上げた歴史が証明している。

 俺の居た都もそうでした……あるモノを得んと望み、そのために使われたのが、その医術でした」

 

「……」

 

「高めに高め、遂に窮みにまで迫った医術を用いて、都の連中が手に入れたのは、摩訶不思議な業。

 先生らの知る魔術に似てもいましたが、この国に来てハッキリと理解しました。

 アレは、この国の魔術とは程遠い――正真正銘の外法だったんです」

 

 

 それからギルバートの話は進み、彼がかつて居た古都、その末路が語られた。

 外法を手にした連中は、だがソレが自分たちの望むモノには程遠い代物であると悟り、さらなる探究の末に自らを滅ぼした。

 もはや各国で語られる医療の国としての姿はなく、別のナニカへ変じようとしていた都から逃げるようにギルバートは旅に出て、ここ、アルザーノ帝国に行き着いたのだという。

 

 

「医術も、そして魔術も、結局ソレそのものが悪であるということはない。

 ただ、使う者によって善にも悪にもなり得てしまう……要するに、何物も使い様ってことですよ」

 

「……魔術も、使い様か」

 

「そういうことです。魔術師じゃない俺から言われても、納得しづらいでしょうがね」

 

 

 そう言い終えると傍らに置いていた黒カバンに手を伸ばし、中から1つの瓶を取り出し、それをグレンへと放り投げる。

 

 

「教師職っていうのは、結構悩みが溜まるモンでしょう?

 カウンセリングはできませんが、何かあったら(そいつ)でも飲んで下さい」

 

 

 瓶詰薬を投げた後、カバンを片手にギルバートはバルコニーから立ち去った。

 風になびく白衣を最後に、グレンは寄りかかっていた鉄柵から離れ、渡された白い錠剤入りの瓶へと視線を移し、瓶の側面に貼られたラベルを見て困ったような表情をその顔に浮かべた。

 

 

「いや、だからって何で栄養剤……ん?」

 

 

 ラベルに記された名前を映す瞳。

 その視界の端で、僅かに動く影を捉えたのは、この直後のことだった。

 

 

 

 

 

 

 ――ガチャ、と硬い音と共に銃口が向けられる。

 

 夜闇に包まれた路地裏での戦いは終わりを迎え、既に剣戟も、銃声も止んでいる。

 赤黒い色合いに染め上げられた路地裏にあるのは、1人の少女と2人の男の姿。

 少女の方は既に戦闘不能の状態にあるらしく、虚ろな双眸を開けたまま、微かに四肢を動かす程度だ。

 そして相方である青年の方も武器を弾き飛ばされ、無手のまま壁に叩き付けられ、寄りかかる姿勢のまま銃口をその額に向けられていた。

 

 

「――驚いたな」

 

 

 銃口を向けるその人物――狩人がふと、そんな呟きをマスクの下より漏らした。

 状況から察するに、この戦いの勝利者は彼なのだろうが、想像以上の激闘だったからか、彼も無傷とはいかなかった。

 その証拠に纏う黒の狩装束のあちこちが切り裂かれ、一部も炎か何かで焼かれたらしく、肉の焦げた臭いが漂っている。

 

 

「まさか、ここまで追い詰められるとは思わなかった。

 数に限りがあるというのに『骨の刃』や『霧』、その上で『秘薬』を飲ませてようやくとは……」

 

「がふっ……!」

 

 

 喉奥より上って来た血を吐き出し、その一部が狩人の身に付着する。

 するとグレンの吐き出した血が狩人の素肌へと吸収され、先程の戦闘の中で付けられた傷が忽ち癒えて、元の状態へと戻った。

 

 

「っ……血を吸収して回復とか。

 マジで化け物じゃねえかよ……」

 

「化け物、か……そうだな。お前たちからすれば、俺のような輩はそれ以外にあり得んだろう」

 

 

 だが、その驚愕は理解できないものではなかった。

 幾ら返り血を浴びようとも、それがヤーナムの血でなければ完全な回復には至らない。

 いや、例えヤーナムの血であったとしても、傷の深さによっては相当の量が必要となる。

 故にヤーナムの血を引くわけでもない、ただの人間の血を浴びてここまで回復したことは、狩人にとっても驚くべき事柄だった。

 

 まあしかし、そのことについて知ったのはもう随分前のことで、今となっては回復能力の向上化と済ましているのだが。

 

 

「まさか、てめぇ――『異能者』か……!?」

 

「『異能者』……いや、違うな。()()は異能と呼ぶには、あまりにも悍まし過ぎる」

 

 

 魔術に依らない奇跡の力。

 それを身に宿し、行使する者こそが『異能者』だ。

 収集した情報の中にあった名称だが、彼らの保有する主な異能と、狩人が有する能力はあまりにも性質が違い過ぎている。

 

 発火能力や生体発電能力、感応増幅――その何れと比べても、彼の……彼を始めとする狩人たちの業は異質なのだ。

 

 

「さて、そこの小娘は既に戦闘不能状態。

 お前は武器を無くし、そのタロットカードを用いた術技も俺には大して効果がないときた。

 まさに絶体絶命……窮地とはこのことだな、小僧」

 

「……っ」

 

 

 狩人の言う通り、今のグレンたちはまさに窮地にいる。

 様々な麻痺系統の道具を使われ、行動不能に陥ったリィエル。

 手足を片方ずつ、銃弾と鋸刃でやられ、もはやまともには動けないグレン。

 

 単純な白兵戦のみで考えれば、リィエルと狩人の相性は悪くない。

 小柄な体躯に強化した身体能力、高速の武器錬成という能力を考えれば、リィエルは近接戦闘において多くのアドバンテージを有している。

 加えて彼女には類稀なる戦闘特化の“勘”があり、並どころか優れた剣士でさえ彼女を相手し、勝利することはできないだろう。

 

 だが、今回は相手が悪かったというべきか。

 麻痺系道具の効果によって彼女の意識は未だ戻らず、グレンの方も意識はまだしも、肉体の方がもうまともに戦える状態ではない。

 

 

「そんな窮地にいるお前に1つ、問いを掛けよう。

 その命を僅かでも延ばしたければ、虚言を吐かず、正直に答えることだ」

 

 

 銃を持つ手とは反対の、右手に携えられたノコギリ鉈が鈍い音を立て、変形する。

 長鉈形態からノコギリ形態へ移行したそれは、数多の血を吸ってきたのか黒く汚れ、だがそのギザ刃は次なる獲物を求めているかのように、鈍い光を発しているように見えた。

 

 

「お前は……いや、お前たちの知る中で、転移系の能力を保有する者は居るか?」

 

「転移系の、能力……?」

 

「より正確には、物質の転移……人間を始めとする生物すらも別世界に飛ばすことができるような、そんな存在だ」

 

 

 知っているか? と銃口はそのままに、狩人が問い掛けて来る。

 職業上、多くのモノを見てきた彼ではあるが、物質転移を可能とする能力の保有者など見たこともないし、聞いたこともなかった。

 だが、今の問いから考えるに、どうもこの殺人鬼は殺人衝動に駆られ、無差別に人を殺しているわけではなく、何か目的があって行動しているのかもしれない。

 

 けれども、如何なる事情があるにせよ、殺人は殺人だ。

 例えその全てが外道魔術師を始めとする無法者だとしても、このまま野放しにすることはできない。

 ならばどうする、と考えたその時だ。

 遥か遠方、時計塔の天辺より放たれた一条の閃光が、狩人の頭蓋を貫かんと虚空を駆け抜けて来たのは。

 

 

「――!」

 

 

 向けていた銃口をグレンより外し、地面を蹴り上げて後方へ跳躍することで狩人は閃光の直撃を回避。

 僅かに狩帽子を掠めたが、直撃を受けて死ぬよりかは遥かにマシだ。

 だが、今の一撃で状況は変わってしまった。

 

 表通りの方から聞こえる複数の足音と、グレンの名を呼ぶ女の声。

 まずいことに、向こう側の援軍だ。

 まともな情報を得ることなく、こんな形で夜を終えるのはひどく口惜しいが、今は逃走こそが最善の手だ。

 このまま捕まり、本当のことを吐いたとしても信じて貰える可能性は低い。

 最悪、外道魔術師とはいえ多くの殺人を犯した自分は、そのまま処刑台送りにされても全くおかしくはない。

 

 故に狩人は着地した屋根上から援軍の数を確認し、その後にグレンを見下ろした。

 

 

「……では、さらばだ」

 

 

 纏う外套(コート)と短マントを夜風になびかせ、血塗れの狩人が夜の街を駆けていく。

 その晩の一件は、翌日の新聞にも取り上げられ、毎度のように多くの人々に恐れを抱かせることとなった。

 『外道魔術師、複数人が惨殺』。そして……

 

 ――『血塗れの殺人鬼、未だ捕まらず』

 

 

 



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第3夜 再会の時

 ――智慧ある者は、さらなる智慧を欲するものである。

 

 例えそれが遥か彼方。この手の届かぬ『ソラ』の領域にあるものだとしても。

 ()()はソレを求めずにはいられない。

 ああ、故に。故に人よ、智慧に狂いし人間(ケモノ)どもよ。

 求めよ。さすれば天は君たちに、さらなる智慧を与え、新しい思索を可とさせるだろう。

 求めよ。遥か彼方の智慧を獲得せし、静かに狂う『血塗れの狩人』を。

 

 では、君たちに倣い――()の智慧に栄光あれ。

 

 

 

 

 

 

 ――『ダメ講師、グレン覚醒』

 

 あの夕暮れの刻にて語り合った日の翌日。

 それまでいい加減過ぎる授業を行って来たグレンは、突如その姿勢を一変させた。

 とはいえ、彼自身の性格や人間性が変わったわけではなく、単に真面目に教え始めただけだ。

 

 そう、ただそれだけ。

 よく噛み砕き、真に正しい意味を理解し、それを確かなる考えのもとに生徒たちへと教授する――そんな授業をだ。

 おかげで彼の評判は格段に上昇。現在では、彼が授業を行う教室に空席はなく、立ち見の生徒さえ現れる状態だった。

 

 ――さて、それからさらに数日が経過し。

 そんな絶賛評判向上中のグレンとは別に。ギルバートは1人、学院長室に居た。

 非正規、それも魔術師ですらない一般人の町医者が学院長室に招かれるなど通常ならばある筈もなく、もし呼ばれることがあるとすれば、大体は悪い報せを告げられる時だろう。

 だが幸いにも、今回の呼び出しはそういう類――主に解雇(クビ)というわけではなく、ただの頼み事だった。

 

 

「連休中の医務室の担当、ですか?」

 

「うむ。帝都で行われる魔術学会に出席するべく、ここの講師・教授たちは今夜帝都に転移する。

 よって明日から5日間、学院は休校とすることについては、君も既に知っているね?」

 

 

 初めて会った時と変わらない好々爺然としたリック学院長の言葉に、ギルバートは軽く頷くことで肯定する。

 そう。明日から学院は5日間、休校だ。

 学院の教授や講師連中が帝都で催される学会に出席するため、生徒たちへの授業は行われない。

 だが唯一、例外が存在している。

 とある事情で退職した講師に代わり、非常勤講師グレン=レーダスが担当することになった2年2組。

 彼らのクラスだけ授業に遅れが生じ、彼らだけ休日中授業を行うことになっている。

 

 

「学院はほとんど空になるとはいえ、一応生徒たちとグレン君がいる。

 万が一のことがあっては困るのでな。すまないが、その間のみ君に医務室を任せたいのだが……どうかね?」

 

「いや、別に俺……私は構いませんが。

 はたして本当に必要でしょうかね?」

 

「言ったじゃろう、万が一のことがあっては困るとな。

 だが、受け持つ教室(クラス)がないとはいえ、医務室の法医師(セシリア君)も我が学院の講師だ。当然、彼女も帝都の学会に出席する。

 だからその間、医務室を任せられるのはギルバート君。君しか居らんのだよ」

 

 

 納得するには何か足りない気がするのだが、元々リックという男はこんな感じだ。

 歴史あるアルザーノ魔術学院の長を務めているというのに、いや……あるいはそうであるからこそ、他者をより強く思うのだろう。

 それがいつか、帝国の未来を担うであろう生徒たちであれば尚更に。

 

 

「……分かりました。その仕事、引き受けましょう」

 

「おお、やってくれるか」

 

「その代わり、給金は少し足してください。

 本業をそう何度も休んでいては、街の皆さんからの評判も落ちてしまう。ならせめて、それぐらいはして頂いても良いでしょう」

 

「むぅ……そうじゃのぅ」

 

 

 ほんの数秒ほど、困ったように唸りを上げていたリック学院長だったが、自分からの頼みでもある故、彼の要求を呑み込むこととした。

 周囲の住民たちから良い印象を抱かれ、評判が良くなれば『もしもの時』が来ても疑われる可能性は大幅に下がる。

 逆に住人たちからの評判が悪くなって、何かを切っ掛けに怪しまれでもしたら後が面倒だ。

 

 頂いた給金は取り敢えず、菓子か何かを買うために使って、馴染みの者たちに配ればいい。

 周囲の反応を気にし、対処法を考えるのは人間であるが故と、こういう時にはよく思うものだ。

 

 

「それで、用件はそれだけですか?

 私としては、まだ用があるのではと思っていたのですがね」

 

「……」

 

 

 普段と何も変わらない口調で尋ねるギルバート。

 変わらない声での問いだからこそか、学院長は彼が、ここに自分(ギルバート)を呼んだ別の理由。ソレに気付いていることを理解した。

 それもそうだ。こんなことを知らせるためだけに、学院長室に呼び出される筈もない。

 例え自分が同じ立場であったとしても、とリックは思い、彼を呼んだ本当の理由たる(モノ)をその口より語り始めた。

 

 

「……君も知っているだろう。『血塗れの殺人鬼』のことを」

 

「ええ。もうかれこれ4年ほどになりますかね、例の殺人鬼の名前が世に広まってから」

 

「一般的に知られている最初の犯行場所は、帝都オルランド。

 精鋭を揃えた帝国宮廷魔導士団の手から逃れ、後に場所をこのフェジテに移し、今もなお夜毎に魔術師たちを惨殺しているとの噂だ」

 

「そのようですね……それで? それと何の繋がりがあって、私をここへ招かれたのですか?

 まさか……学院長殿は、しがない町医者に過ぎない私を疑っているとでも?」

 

 

 若干目付きに鋭さが帯び、気付かれない程度でに睨みつけると学院長は両手を横に振り、「違う」と否定した。

 

 

「君を疑うつもりなどないよ。ただ、少し君の意見が聞きたくてね」

 

「私の?」

 

「うむ。……ギルバート君、君は件の殺人鬼がどういう輩を殺めてきたのか、知っているかな?」

 

「どういう輩って……やっぱり魔術師でしょう?

 少なくとも新聞や近所の方々から聞く噂話では、一般人を襲ったという情報は聞きませんからね」

 

「そうだ、魔術師なんだよ。彼が殺害対象として定めているのは。

 ……まあ、正しくは。彼が殺しているのは普通の魔術師ではなく、人道を違えた『外道魔術師』なんだがね」

 

「ふむ……」

 

 

 ここまで話を聞いて、ギルバートはリック学院長の言いたいことに大体察しがついて来た。

 『外道魔術師』と改めたのは、単に件の殺人鬼が見境なく魔術師たちを殺しているわけではないことの証明。

 彼を庇うつもりではないのだろうが、学院長的にはその輩が、単なる殺戮狂ではないと考えているらしい。

 

 

「魔術の探究のためならば、他の一切を犠牲にすることも厭わない外道魔術師。

 そんな彼らの存在を知る民衆は、当然のごとく彼らを恐れ、だがそれ故に外道魔術師を狩り続ける件の殺人鬼に対し、ある種の好感を抱いている者もいるそうだ」

 

「それはまた……殺人鬼に好感を抱く民衆とは、世も末ですね」

 

「今はまだいい。だが、これから先そういった国民が増え続ければどうなるのか……それを想像するのは、そう難しいことではない」

 

 

 想像するは容易く、だからこそそうなった時にどれ程の被害が出るのかを、学院長は考えていた。

 彼も魔術師の端くれだが、魔術至上主義者ではない。

 少なくとも、推薦があったとはいえ、ただの一般人であるギルバートをセシリアの助手と認めるだけの寛容さはある。

 例え凄まじい魔術の腕を持っていたとしても、魔術師と一般人を明確に差別するような輩ならば、伝統ある学院の長を務められる筈もない。

 

 

「ギルバート君。このアルザーノ魔術学院において唯一、魔術師ではない一般の人間である君に問いたい。

 君たち一般の人間にとって、我々魔術師は――魔術は、忌むべきモノなのかね?」

 

 

 糸目と表わせる細目を開き、普段の好々爺然とした空気は消え、学院の長としてリックは彼に問い掛ける。

 向けられる視線に込められた数多の感情を感じ取り、ギルバートもまた口元の微笑を消し、至極真面目な口調で彼の問いに対する答えを、その口より吐き出した。

 

 

「……そうですね。一般人(われわれ)の中には、そう思う者もいるのでしょう」

 

「……やはりか」

 

「ええ。……ですが学院長、それはほんの一部であって、全員ではありません。

 少なくとも私は――いえ、俺は魔術そのものを『悪』であるとは思いません。

 結局のところ、それを扱う者によって変わるんですよ。

 刃物(メス)も、薬物も、貴方がたが扱う魔術も……」

 

 

 その答えを聞き終えて、張り詰めていた空気を解き、いつもの姿勢へと戻る学院長。

 他の講師・教師陣と比べれば、勤務期間はそこまで長くはない。

 だが彼には、他の者たちにはない『ナニカ』があった。

 

 物事の真意を紡ぐ口と、何物も見抜くような双眸。

 どこか達観して見える彼の存在は、学院長としては羨ましく、そして時に異質に見えていた。

 

 

「では、俺はこれで失礼します。学院長。

 帝都での学会、頑張ってください」

 

 

 バタン――と重々しい扉を閉めて、学院長室より白衣の医者が消える。

 扉越しに聞こえる硬い靴音を耳にしながら、学院長は彼が立っていた場所を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 日は過ぎて、翌日の午前10時30分。

 9時頃には既に学院に到着し、医務室に待機していたギルバートは、1人何かを弄っていた。

 手荷物の黒カバンの中――捻じ曲げられた空間より取り出した()()は、およそ医者が扱うものではない一振り。

 歪な形状の刃を備えたソレをギルバートは撫でるように左手で触れ、その切れ味を確かめるように肌を少しばかり切った。

 

 ぽつり、と裂かれて出来た傷口から鮮血が流れ、白衣に落ちて染み渡る。

 血――ヤーナムの血を受け入れた狩人たちにとって、何よりも重い価値を持つモノこそが『血』である。

 魔術師たちにとっての魔術がそうであるように、狩人たちにとって、血とは彼らを狩人(かれら)たらしめるモノなのだ。

 

 あの忌々しい――青ざめた血を何故、自分が求めたのかはもはや分からない。

 ただ1つ、確かなことは、もう自分はまともな人間に戻ることはできないことだ。

 『なりそこない』とは、自分の体のほとんどはもう――

 

 

「……ん?」

 

 

 手にした刃から視線を離し、窓の方へ向けると、そこで彼の視界に何かが映った。

 学院に張られた結界。その一部が鏡の如く割れる光景を。

 そして割れた箇所を通り道に、2人の黒装束の男が学院の敷地内に踏み込む様を。

 

 学院の結界がどれほど高度な代物なのかは、表向きは一般人のギルバートでも理解していた。

 だからこそ、その結界を攻略して侵入してきた2人組がどういう類の人間なのか、それを知るのにそう時間は掛からなかった。

 

 

「外道魔術師……それもかなりの腕前と来たか」

 

 

 どうやって結界を攻略したかはさて置き、このまま好き勝手させるわけにはいかない。

 あるいは、連中の内のどちらかがあの件――自分をこの世界に飛ばした何かに関する情報を知っているやもしれない。

 そうとなれば行動は迅速に。

 カバンの内側に突っ込む形で刃を異空間に戻すと、それとはまた別の武具と装束。そして何に使うのか分からない()()を取り出して、ギルバートは準備に取り掛かる。

 

 人の良い医者としての(かめん)を外し、本来の己である狩人としての(かめん)へ。

 獣と狂人、果ては神に等しき異形共さえ屠って見せた狩人――その再動の瞬間であった。

 

 

 

 

 

 

 覚悟の下に生まれた強さと、張りぼての強さは全くの別物である。

 この時、彼女――システィーナ・フィーベルはそう思い知らされた。

 裂かれた制服。晒された白い肌。拘束され、身動きのできない体。

 

 眼前に見えるのは、黒い装束に身を包むチンピラ風の男。

 名をジンといい、今日この学院にレイクという仲間と共にやってきた、俗にいうテロリストだった。

 詳しい理由は分からないが、何故か彼らは自分の親友――ルミア・ティンジェルを目当てにやって来て、ルミアはもう1人の男に連れていかれてしまった。

 

 そしてシスティーナは、レイクが仕事を終わらせる間のジンの()()として此処に連れて来られ、現在の状況に至ったというわけだ。

 誇りある学院の生徒であり、名門フィーベル家の令嬢でありながらこの有り様。

 如何に吼えようとも、真に力ある魔術師の前では、自分など所詮小娘でしかなかった。

 自分の弱さを『強がり』という仮面で覆い隠して来ただけの小娘――ジンは彼女の性質をあっさりと見抜き、それを知った上で楽しもうとしているのだ。

 

 

「やだ……やめて……やめて、ください……」

 

「くっ――ぎゃはははははは! 落ちんの早過ぎだろ、お前! ひゃははははは!」

 

 

 目元に涙を溜め、恐怖に体を震わせて希うシスティーナを、ジンはその下品な哄笑で以て応える。

 答えは否。ここまで来て、今さら止めるなどあり得ない。

 長らくしていなかったこともあり、何より人の道を踏み外した外道である彼は良くも悪くも己が欲求に忠実で、故に彼はシスティーナへその腕を伸ばすことを躊躇わなかった。

 

 

「じゃ、そういうわけでいただきまーす!」

 

「いや……嫌ぁああああああああ――ッ!」

 

 

 ――その直後だった。

 

 少女(システィーナ)の甲高い悲鳴の後に続くかの如く、彼らの居る実験室の扉が開かれ――否。勢いよく()()()()()()()

 

 

「あ――!?」

 

 

 突然の轟音に思わず顔をシスティーナから扉の方へ向けるジン。

 咄嗟に反応し、視線をそちらへ移したのは良い判断だと言えるだろう。

 だが、今回はその行動が裏目に出た。

 

 視線のみならばまだ助かったのかもしれないが、時は既に遅く。

 扉のあった方へ向けた目の片方を、銀色に輝く()が貫いた。

 

 

「が、あぁあああああっ!?」

 

 

 左目に突き刺さった刃により、左の視界は喪失。

 突き立つ刃を引き抜こうと、その柄を手で握り掴むが、事はそう上手くはいかなかった。

 目の方に意識を取られていた隙を突かれ、いつの間にか接近していた人影が、構えていた拳をがら空きの懐へと叩き込んだ。

 

 

「がふぅ――ッ!?」

 

 

 腹に猛烈な痛みを感じつつ、ジンの体は実験室の隅へと吹き飛ばされ、壁に激突。

 予想外に次ぐ予想外の出来事にシスティーナの理解は追い付かず、ただ周囲を見回すのみだ。

 そしてその視界の中に1人、彼女は新たな黒装束の姿を捉えた。

 

 ジンやレイクのそれとは異なる、短めのマントを取り付けた外套(コート)とズボン。

 両の腕には金属製の籠手にも似たものを取り付けて、だが先端を覆うのは黒手袋のみ。

 そして頭に頂くのは、烏の翼を思わせる枯れた羽根付きの帽子。

 だがその下にある筈の顔はマスクと()()で隠され、唯一見える双眸からは良からぬ何かしか感じられない。

 

 

「あ、貴方……?」

 

「っつぅ……よくもやりやがったな、てめぇ……!」

 

 

 左目を押さえつけながら起き上がったジンは、明らかな憤怒の感情を顔に湛え、残る右目でその人物を見て――そして大きく、その右目を見開いた。

 両目を除き、肌の露出を一切抑えた黒尽くめの装束。

 枯れた羽根が特徴的な帽子もそうだが、それらの組み合わせからジンは()()()()の特徴を思い出す。

 

 組織の上層部より伝えられた、とある捕縛対象の特徴。

 全身黒尽くめ。肌の露出が極端に少ない異国風の装束。

 そして羽根付き帽子――これら全てを備えている以上、間違いはない。

 

 

「てめぇ……! 血塗れの――」

 

 

 バァン――ッ! とジンの声を遮って、銃声が室内に響く。

 硝煙の臭いが漂い、直後に男の悲鳴が鳴り響く。

 見ればジンが右の太腿を押さえ、激痛にその顔を歪めている。

 何が起きたのかと思い、システィーナの視線がジンから黒尽くめの男へと移ると、その男の左手にあるモノが握られているのが見えた――銃だ。

 

 

「……凄まじい痛みだろう?」

 

 

 左手に短銃を握ったまま、初めて男が言葉を発した。

 それは聞く者に恐怖を与える、一切の温かみを除いた冷たい声音。

 冷酷冷血な人物の声というものは、こういうものなのだろうか。

 

 

「お前たち魔術師が作る『魔術弾』とは異なるが、これも一応、異端の業を以て生み出された代物(だんがん)なのだ」

 

「異端の、業……だと……?」

 

「如何にも。獣共の硬い獣皮さえも貫く弾丸……魔術師とはいえ、脆弱な人の身など貫けぬ筈も無し」

 

 

 空いた右手を虚空に伸ばし、空間を歪めてそこから新たな得物を取り出す。

 歪みより引き抜かれたのは、従来の武具にはない悍ましさを備え持つ異形の武具。

 獣の牙を連想させる鋸刃と、硬い鎧すら一撃で両断できそうな分厚い刃。

 その双方を兼ね備えた、()()()武具が1つ――『ノコギリ鉈』。

 

 短銃と異形の武具を携え、肌の露出を極限にまで抑えた黒装束。

 多くの特徴を持ち、数年に渡り、帝国の夜を支配して来た最凶の殺人鬼。

 それが今、自分の目の前に居るなどと、一体誰が考えようものか。

 

 そして殺人鬼――狩人は行動に移るべく、まずは床に倒れるシスティーナをどうするべきかと考え始めると。

 

 

「――ここか!?」

 

 

 おそらく銃声に反応し、やって来たのだろう1人の非常勤講師が彼らのいる実験室に入り込む。

 乱入に次ぐ乱入。予想外の出来事の連続。

 学院の日常からは程遠い、殺伐としたこの日。

 

 

「――あ」

 

「む……」

 

 

 元宮廷魔導士グレン=レーダスは、かつての敵――『血塗れの殺人鬼』との再会を果たした。

 

 

 



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第4夜 人面獣心

 以前の感想で、フロム主人公を饒舌にし過ぎだと言われ、頑張って口数を減らして見ましたが……想像以上に難しかったです。

 取り敢えず、努力はしてみます。
 それでは第4話です。


 ()()姿()を忘れたことなど、ただの1度もありはしなかった。

 

 闇夜に紛れ、溶け込む漆黒の短マント付き外套(コート)

 両の手に携えられた、黒鉄の短銃と歪な鋸刃。

 目元以外をマスクと包帯で覆い隠し、頭に頂く羽根付き帽子は、さながら不気味な鴉を連想させる。

 

 正体不明、目的不明。

 判明しているのは、その異常にして異質なる強さ。

 4年の歳月に渡り、オルランド、フェジテ――ひいてはこのアルザーノ帝国の夜に恐怖をばら撒き続けた最凶最悪の殺人鬼。

 その名は……

 

 

「てめぇ――『血塗れの殺人鬼』……!」

 

「……」

 

 

 銃声を聞きつけ、急ぎ実験室にやって来た青年――グレンの鋭い視線を受けて、狩人ギルバートは一旦その動きを止めた。

 だがその停止は、標的を眼前のテロリスト(ジン)からグレンに移すためのものではなく、寧ろ現状況を把握するためのものだ。

 まず、システィーナ=フィーベル――拘束状態。

 テロリスト――左目、喪失。右腿、重傷。

 そしてグレン=レーダス――無傷。

 

 システィーナは然したる障害ではなく、ジンもまともには動けない。

 今しがた来たばかりのグレンは無傷であり、こちらの行動次第では敵対する可能性もゼロではないが……現状況において、それはまずあり得ないだろう。

 

 

「くっ、はは……そうか。やっぱり、間違いじゃあなかったんだな……ははっ」

 

「……?」

 

 

 銃弾で穿たれた右腿を押さえ、未だ苦痛に顔を歪めながらも、ジンはその口に不気味な笑みを浮かべていた。

 その笑みを、ギルバートは知っていた。

 心の奥底より求め、ようやくソレに見えた時に浮かべる――狂人の一笑。

 流石に連中のような深い狂気もなければ、寒気さえ覚える虚ろも見受けられないが、少なくともそれは常人が浮かべていいものではない。

 

 

()()()()()の通りだ。

 これまでの、お前の所業。そしてさっきの……くくっ、あの声のままじゃねぇかよ」

 

「……何を、知っている?」

 

「さあ、な?」

 

 

 底の見えない双眸で見下ろしてくるギルバートを、ジンは不敵な笑みと共に見上げる。

 夢の声――確かにこの男はそう言った。

 『夢』とは、血、宇宙、赤子と並び、あの古都に生きた狩人たちにとって深い意味を持つ単語の1つだ。

 

 ある上位者は、その絶大なる力を以てとある古工房を模した異空間を形成し、それを『夢』という形で固定し、多くの狩人の輩出所と成した。

 また、とある学府が行った冒涜的蹂躙を受けた漁村は、やがて何者かの手によって苗床とされ、そこを起点に『狩人の悪夢』が生まれた。

 

 夢とは、夢幻の内に隠された秘境でもある。

 そこに何者が潜み、如何なる悍ましき儀式を行っているのか。

 少なくとも『夢』絡みの事柄に対して、狩人はあまり良い印象を抱くことはなく、故にこそそこに潜む何かに対して敏感となれるのだ。

 となれば、ここで殺すのは賢明ではない。

 下手な動きをさせぬよう四肢を斬り落とすことになろうとも、最低口が利ける状態であれば問題は無い。

 故に動きを止めていた両腕を動かし、さながら尋問でも行うように銃口を再びジンに向け――

 

 

「――!」

 

 

 銃口を向けた直後、響き渡った音色。

 この世界に飛ばされて数年。多くの情報を収集してきたからこそ、その音色の正体が何であるのかを即座に思い出せた。

 魔力の共鳴音。何らかの魔術行使の際に発生するその音は、言うなれば『魔術発現の合図』。

 すぐ近くの空間に揺らぎが生じ、闇黒の歪みを通り道にソレらは出現した。

 

 2本足で屹立する白骨の体躯。

 手に携えた剣、槍、盾。

 眼孔に妖しい光を湛えた、無命の兵士――ボーン・ゴーレムの登場だ。

 

 

動く死体(リビングデッド)……!?」

 

「ひゃははははっ、やっとお出ましだぁ! 流石、レイクの兄貴!」

 

 

 命を持たぬ傀儡の骸骨兵。

 ヤーナムにも似たような敵を見たことはあるのだが、あちらは千切れかけた肉体そのものを操り、動かしていただけ。

 対するこちらは完全な白骨。骸骨にしては状態が良すぎる気もするのだが、これは魔術とやらの産物だ。おそらく人間のそれとは異なるモノだろう。

 

 

「面倒な……」

 

 

 問題は、ただの死体と白骨死体との違いだ。

 肉がまだ残っている死体は、火や刃で以て対処することができる。特に火は、まだ脂を残す肉を燃料と変え、轟々と燃え盛るのでよく好んで使った。

 だが白骨の場合は違う。肉を失い、骨身を晒して一見脆そうに見えるのだが、そういう敵に限って頑強なものだ。

 高い硬度を有する白骨には、斬撃でも炎でもなく、打撃がよく効くのだが――最悪なことに、今回は()()()()

 

 加えて、ここは戦場と定めるには狭すぎる。

 まずはここを脱し、別の場所へと移ろうと体の向きを変え、そしてその途中でギルバートの視界にシスティーナの姿が映る。

 

 

「――小僧!」

 

 

 抱えて逃げては最低でも片手が塞がる上、敵の相手をすることはできない。

 ならばと考えたギルバートは、1度短銃を腰のベルトに差すと床に倒れ込むシスティーナを左手で持ち上げ、そしてグレンの方へと投げ飛ばした。

 

 

「きゃああぁっ!」

 

「ぅおっとぉ!?」

 

 

 突然のことに驚愕しつつも、グレンはどうにかシスティーナを受け止めた。

 あまりにも突然の行動だったからか、グレンは何か一言言ってやろうとギルバートへと視線を向けるが、当の本人は彼の視線など知らんとばかりに背を向けて、肩越しにグレンを見つめていた。

 

 

「――任せた」

 

 

 任せた――その言葉を合図に、1つの駆動音が鳴り響く。

 ガシャン、と金属同士が打ち合う音と共に、ギルバートの握るノコギリ鉈が変形する。

 獣の骨肉を削り切る『ノコギリ』から、叩き切る『鉈』へ――。

 

 あの夜の刻に見た時と同じ、恐ろしき殺戮者の姿。

 人道を外れ、害悪をばら撒く外道魔術師たちを狩り続けた、血塗れの狩人。

 殺人鬼などではない。そもそも彼は、人を殺している気など微塵もないのだ。

 

 彼にとっては、人道を外れた魔術師も、狂った者共もみな等しく――“獣”でしかないのだ。

 

 

「チッ――ほんと、訳が分からねぇ野郎だ……!」

 

 

 忌々し気に舌打ちし、投げ渡されたシスティーナを抱えてグレンは実験室より脱出する。

 流石に理解が早い。過去の因縁に拘り、あのまま留まっていればどうなっていたことか。

 だがこれで戦いやすくなったのは事実だ。

 

 剣と槍を構え、数任せに迫る骸骨兵(ボーン・ゴーレム)に対し、ギルバートは腰に差していた短銃を再び握り直し。

 

 

「――始めるか」

 

 

 その引き金に指をかけ、号砲を鳴らした。

 

 

 

 

 

 

 魔術詠唱の声が響き、少女の手を拘束していた魔術の縄(マジック・ロープ)無力化の呪文(スペル・シール)が打ち消された。

 窮地より救われたシスティーナの顔には、完全ではないがらも先程の怯えは消え、心なしかいつもの顔に近い感じがした。

 

 

「……よしっ、取り敢えずはこれで大丈夫か。

 白猫、立てるか?」

 

「……」

 

 

 グレンの問いに対し、システィーナは返答をすることはなかった。

 だが差し出された手はしっかりと掴み取り、引き上げられるような形で彼女は再び両の足で立ち上がった。

 

 

「色々ありすぎて、正直何が何だか分からないのが現状だが。

 まずは状況を教えろ、白猫。何が起きて……おい、聞いてるのか?」

 

「……先生。アレは……あの人は……」

 

 

 グレンに対する感謝の念はある。できれば一言、お礼の言葉を言いたいくらいに。

 けれどもそれ以上に、システィーナはソレを聞かずにはいられなかった。

 黒衣を纏う長身。異形の武具と銃器。そしてマスクと包帯で隠された顔。

 学徒であるシスティーナでも、その人物の特徴については知っていた。

 

 いや、寧ろ魔術に携わる者ならば知っていて当然なのかもしれない。

 4年前のとある一夜を幕開けに、帝国の魔術師たちに恐怖を植え付けてきた存在。

 ある者は殺戮者として恐れ、またある者は民衆の味方たる英雄と讃えた。

 

 纏う外套を返り血で染め上げる魔術師殺し。

 故に『血塗れの殺人鬼』――それが先程、システィーナとグレンが出会った人物だった。

 

 

「……ああ。お前も大体分かってるだろうが、アレが噂の『殺人鬼』だ」

 

「……! じゃあ――」

 

「待て。別にアレは、俺やお前らを殺しに来たわけじゃねぇ」

 

 

 どうしてそう言えるのか、システィーナには理解できなかった。

 慰み者にされかけたことに対する恐怖もあるが、今はあの殺人鬼の存在が彼女の脳内を多く占めていた。

 何せ外道とはいえ、数多の魔術師たちをその手で葬り、帝国の夜から平穏を奪ったと言ってもいい張本人が現れたのだ。

 

 生きる世界そのものが違う怪人物が、何故あの場に現れたのか。何故、自分を助けるような形でグレンに任せたのか。

 謎は多く、だからこそ世の闇を知らない少女にとっては大きな不安でしかないのだろう。

 

 

「正直、俺がこう言うのも何だが、あいつは無差別に誰かを殺すような人でなしじゃない。

 考えても見ろ。あいつが本当に魔術師全員を標的に定めてるのなら、俺たちはあの場でとっくに死んでる」

 

「じゃあ……じゃあ、何で――!」

 

「分からん。だが、少なくとも今は()ってわけじゃあないらしい。

 そうでもなけりゃ、あの野郎は俺にお前(システィーナ)を「任せた」なんて言わねぇだろ」

 

 

 『必要とあらば殺し、そうでなければ殺さず』

 さながらそれはゴミの分別だ。

 これまでの奴のやり方と、あの夜の際に紡がれた奴自身の言葉。

 生粋の外道ではないにしろ、同時に善人でないのも確かだ。

 

 

「あの……先生」

 

「ん?」

 

「先生は……どうして、あの人のこと、そんなに詳しいんですか……?」

 

「……」

 

 

 予想外の問いに、グレンは1度沈黙する。

 グレンの過去を、システィーナは知らない。

 宮廷魔導士時代の頃の彼が見えた敵の中でも一際強大で、同時に最も異質と言っていい怪人。

 彼の性質を知る理由を語るには、まずグレン自身の過去を語らねばならない。

 

 だが、今それは必要のないことだ。

 しかしこのまま、彼女の精神状態に揺らぎを残しておくのも良しとは言えない。

 考え抜いた末、彼は1度腹に溜まった息を吐き出し――それから問いに対する『答え』を紡ぎ出した。

 

 

「……昔の奇縁っていうヤツだよ。俺と、あいつは……」

 

 

 そう呟いたグレンの後方で、爆音にも似た轟音が鳴ったのは、間もなくのことであった。

 

 

 

 

 

 

 ジン=ガニスという魔術師(おとこ)は、己が目を疑わずにはいられなかった。

 数多くの敵を殺し、魔術師としての実力も相応に積んできた。

 経験と力、知識。組織の下っ端とはいえ、そこらの研究者気取りの魔術師共と比べれば、自分は上の段階にいる人間という自負があった。

 だがその全ては、『魔術』という技術が根本にあってこそ成り立つものであり、故に彼らにとって『魔術』とは想像以上に大きな存在でもあるのだ。

 

 だからこそ、認められる筈がなかった。

 魔術の欠片も扱うことのできない、ただの殺戮者にゴーレム(まじゅつ)が蹂躙されるなど。

 

 

「――シャァッ!」

 

 

 真横から繰り出された長鉈の一撃が、ゴーレムたち数体を薙ぎ払う。

 硬い刃で打ち付けるようなその攻めは、硬質な白骨体を有するボーン・ゴーレムが相手でも有効で、単に“切る”のではなく“切り砕く”ようにして破壊している。

 実験室の壁を砕き、廊下へ場所を移したギルバートの戦法は至って単純。

 迫り来る敵を、その長鉈と短銃で迎え撃つ――ただそれだけだ。

 対多人数戦を得手とはしていない狩人にとって、この状況は決してよろしいものではないのだが、かと言って逃走する必要もない。

 

 というのも、最初にボーン・ゴーレムのうち、1体を試しに倒してみたところ、そこまで打倒が困難というわけではなかった。

 確かに硬い。が、砕けぬほど硬度が高いわけでもない。

 広範囲攻撃を続けて繰り出し、数を減らしていけば対処できないこともない。

 

 

(とはいえ……)

 

 

 その手段が最適とは言えないのもまた事実。

 何せ続々と歪みから出てくるのだ。神などの超次元存在の手による創造物ならともかく、このゴーレムたちは人造物だ。

 故に無限に生み出されるわけではない。人の手による産物は、真の意味での無限創造を可能とすることはできないのだから。

 

 

「ならば――」

 

 

 剣を振りかぶり、迫るゴーレムの頭蓋を銃撃で吹き飛ばすと、ノコギリ鉈と短銃を虚空の歪みに一旦収納する。

 その代わりとして取り出したのは、先程の2つとはまた異なる新たな武具。

 分厚い肉や獣皮さえも切り断つ肉厚の刃と、相応の重量を備え持つ片手斧。

 短銃よりもやや長めの銃身を持ち、多弾同時発射を可能とした銃器。

 

 その片方たる銃器を腰のベルトに差し込み、それから両手で斧の柄を握ると、捻るように柄を軽く回す。

 ガチャリ――と金属音が鳴り、斧の形状が()()する。

 先程の『ノコギリ鉈』のように『ノコギリ』から『鉈』への形態変化と同じく、大振りな手斧は瞬く間に柄を伸ばし、新たな武具『長斧』(ハルバード)へと変化する。

 

 接近するゴーレムの数は、約10体。

 これが普段の狩りならば、一遍に相手せず、各個撃破で全滅させる方法を取るのだが、今は時間が惜しい。

 故に彼は長斧を構えた体躯を捻り、一掃できる範囲にまで敵が来るのを待った。

 1秒、2秒、3秒と時間が過ぎていく。

 そして遂に10体のゴーレムが範囲に入り切り、各々の得物を振りかぶったその瞬間を狙い――

 

 

「――ォオッ!!」

 

 

 短くも猛々しい雄叫びを上げて、溜めた力が一気に解放される。

 限界にまで捻った体躯を戻し、その際に生じる回転の力を加えてその一撃は完成する。

 小細工など無用。ただ強大な暴力で殲滅する。

 長斧による回転攻撃は、ただそれだけで迫るボーン・ゴーレム10体を両断し、いや、それだけでなくその衝撃を以て1体の例外なく骨片に還した。

 

 長斧改め『獣狩りの斧』の属性は『重打』。

 重い一撃を繰り出すその斧と、典型的な『硬い』性質を持つボーン・ゴーレムとは相性が良い。

 例えそれが竜の牙から創造された一級品であろうとも、そもそも人外の域にまで達した狩人(ギルバート)の腕力と、限界にまで強化された武具の前では、その堅固さは意味を成さない。

 

 命すら宿さぬ、ただ堅牢を謳うだけの骸骨が、何故巨大な障害(かべ)となり得るか。

 この程度、あの恐ろしき獣共と比べれば、脆弱な木板も同然――!

 

 

『――!』

 

 

 カラカラと乾いた音色を奏でて、さらに数体のボーン・ゴーレムが剣を振りかぶる。

 長斧の回転攻撃の後に生じた隙を突き、そこで一気に仕留めようと考えたのだろうが、それは些か浅慮と言わざるを得ない。

 

 

「……」

 

 

 長斧を右手に握り締め、空いた左手で腰に差した銃を引き抜き、引き金を引く。

 バァン――ッ! 先程の短銃以上の銃声を上げ、放たれた弾丸がゴーレムたちを砕いていく。

 短銃は一発一発の威力に優れ、素早い射撃を可能としているが、如何せん対多人数相手には不向きだ。

 

 だが此方の銃――『獣狩りの散弾銃』は、散弾発射が可能な銃器だ。

 短銃と比べれば威力では劣るが、当てやすく、何より多人数相手にも使用できるのが利点だ――流石にヤーナムの獣共は、散弾程度で倒れてはくれなかったが。

 

 

「……終いか」

 

 

 あれだけのゴーレムを相手しておいて、息の1つも乱すことなく、紡ぎ出したのはその一言だけ。

 馬鹿な。馬鹿な。あり得ない。あり得る筈がない!

 魔力付呪(ウェポン・エンチャント)すらしていない、ただの武具と銃器で、あの兄貴(レイク)のゴーレムがやられる筈がない!

 

 だが、魔術を使っている素振りなどは見られなかった。

 つまりこの男は、ただ単純な腕力と技術、そして武具のみを扱ってボーン・ゴーレムたちを全滅させたというわけだ。

 

 

(こいつは、()()()……!)

 

 

 見えぬ左目も、動かぬ右足のことも脳内から忘却し、右手の人差し指をギルバートへと向ける。

 手柄欲しさでも何でもない。この男はいつか、我々(そしき)にとって最悪の敵となる。

 何を理由としているのかは定かではないが、外道魔術師のみを狙う彼は、きっとジンたちの組織に対して必ず弓を引くだろう。

 

 それが本格化する前に、ここで()す。

 それが組織の、ひいては大導師様の御為に――

 

 

「《ズド――》」

 

 

 紡がれた呪文は、だが詠唱し切ることはなく。

 突如手首に生じた()()によって、ジンの詠唱は苦痛からくる絶叫へと変わった。

 

 

「がッ――あぁああああああああぁッ!?」

 

 

 喉奥より発せられる苦悶の絶叫。

 脳内を絞めていた使命感、大導師への忠誠。その全てが、たった今生じた苦痛によって塗り潰された。

 痛い、痛い、痛い。

 痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い――痛い!

 

 

「――苦しそうだな」

 

 

 その時、ジンの耳に悪魔の一声が届いた。

 声のした方へ顔を向けると、そこに立っていたのは件の殺人鬼。

 いやさ、違う。夢の声が語った内容から察するに、この殺人鬼の真名は『血塗れの殺人鬼』ではなく、『血塗れの狩人』。

 骨片から出た白い粉塵を浴び、所々を白く染めた彼の左手に握られているのは銃ではなく、もっと生々しい何か。

 

 ――人間の手首。それも、他の誰でもない自分(ジン=ガニス)の物だ。

 

 

「ひィ……!」

 

「魔術を行使させぬ術がないとでも思ったか?」

 

 

 無論、全ての魔術師が手を封じただけで無力化するわけではない。

 だが今回、ジンという魔術師の攻性呪文(アサルト・スペル)の大半は指を用いて行うものだ。

 それを考えれば、偶然とはいえ手首丸ごと潰したギルバートの判断は適確だったと言えよう。

 

 苦痛に顔を歪めながら、右手を持っていかれたことから来る自身の劣勢に恐怖を覚える。

 次は何をしてくるのか。せめてもの抵抗として、苦悶に満ちた顔を上げ、ギルバートの顔を睨みつけんと行動し。

 

 

「――!」

 

 

 そして直後に、彼は後悔した。

 マスクと包帯で覆い隠され、肌一切の露出を抑えた狩人の顔。

 その中で唯一、露わとなっている双眸を見た瞬間、狩人(ギルバート)()()()()自分(ジン)を見ていたのか……それを知ってしまった。

 

 どこか虚ろげで、しかし明らかな狂気を湛えた黒い瞳。

 そこにジンという人間の姿は映されていない。否、ジンを人間として見ていないと言った方が正しい。

 ――(ケモノ)だ。人道を踏み外し、外道に身を堕とした人でなしを、彼は人外(ケモノ)としてしか見ていない。

 

 自らの求める智慧がため、無関係の命を悉く奪ってきた輩など人に非ず。

 血に塗れた研究を恐れぬ人面獣心の徒など、彼にとっては獣も同然。

 否! 獣以下の外道(クズ)でしかないのだ――!

 

 

「あ……ァ、ぁ……!」

 

「……このままいけば死は確実。

 人間は血無しでは生きていけない」

 

 

 回復の魔術を使えば少なくとも手首の傷はどうにかなるだろうが、その呪文を唱えさせてやるほどギルバートは甘くない。

 言葉を断つならば、舌を断ってしまえばいい。

 舌を断っても駄目ならば、口そのものを潰してしまえばいい。

 尤も、どちらも実行に移せば致死ものなのだが、幸いにも彼は医者でもある。忌々しく、だが優れたヤーナムの医術を用いれば、生かす術など幾らでもある。

 

 

「これまでの報いだ。せめて苦しみながら、此処から去れ」

 

 

 そう言って、軽く床を一踏み。

 銃声や刃による切断音と比べれば優しささえ感じられるソレは、だがジンにとっての凶兆そのもの。

 片足は満足に動けず、呪文を紡ごうにも苦痛がそれを邪魔する。

 そんな無防備なジンに魔手を伸ばし、現れたのは――小人だった。

 

 蒼白い肌。歪な顔付き。

 明らかに人外と分かるその小人たちは、その1人1人が両手を伸ばしてジンの体を掴み、拘束する。

 まるで底無しの沼に引きずり込むように、彼らはひしと衣服を握り締め、離さずにいる。

 世間では頭のイカれた狂人集団と言われ、自らもその一員であることを自覚していたジンではあるが、今ここにおいて己が愚かさを嘆いた。

 

 真に頭の狂った輩ならば、この悍ましい何かに対し、恐怖を抱く筈がない!

 知らない。知らない。知りたくない。

 こんな狂気(あくむ)など、知りたくなかった――!

 

 

「ま――待ってくれ!」

 

 

 もはや彼に、魔術師としての誇りも、組織や大導師への忠誠もない。

 あるのは、ただ只管に生存への欲求のみ。

 例え裏切り者の誹りを受けようとも、新たな世の導き手たる道から外れようとも。

 今はただ、生きたい。如何なる大業も、命がなければ為し得ることなどできない。

 

 

「もうしない! 今日……いや、これまでやって来たようなことはしねぇ!

 組織も抜ける! あんたの仲間になる! 役に立って見せる! だから――!」

 

 

 助けてくれ――。

 既に狩人は彼に背を向け、グレンたちが向かった方角へ歩みを始めている。

 それでも必死に声を絞り出し、呼び掛けたのは死の淵……それ以上に恐ろしい何かの際に立たされたが故か。

 

 文字通り、必死の呼び掛けの甲斐もあってか狩人はその歩みを止め、再びジンの方を向く。

 声が届き、救いの手が差し伸べられた時の敬遠な信徒の気持ちというのは、このようなものなのだろうか。

 胸の内に生じた温かな安堵を抱き、残った右目で狩人ギルバートの顔を見て――。

 

 

「……ああ。そうでなくは困る」

 

 

 どこまでも冷めた、その黒瞳を見て絶句した。

 救いを求める言葉を幾ら吐こうとも、この男に対しては意味などなかった。

 当然だ。狩ると決めた獣に対し、温情をかける狩人など居るものか。

 

 

「折角の手掛かり(どうぐ)だ――限界まで使()()()()()()()

 

「――!」

 

 

 もとより救う気などは微塵もない。

 深い絶望を味わいながら、使者たちの手で夢幻の世界に引きずり込まれ。

 今日この日――ジン=ガニスという男は、現実(せかい)から姿を消した。

 

 



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第5夜 葬送

 先に言っておきますと、後半はギルバートの口数は増えますので、そこだけはどうかご容赦ください。


 グレン=レーダスは、予想以上の苦戦を強いられていた。

 

 血塗れの殺人鬼(ギルバート)にシスティーナを任され、解呪を終えた後、廊下を先へ先へと進み。

 そしてその先に待ち構えていたのは、ジンとは別のテロリスト。

 名をレイク=フォーエンハイム。

 この帝国に根を張る最古の魔術結社『天の智慧研究会』に属する外道魔術師の1人。

 

 ジンとはまた異なる方向性(ベクトル)ながらも、自らを人ではなく『魔術師』という生き物であると呼称し、人を人とも思わぬある意味典型的な外道魔術師。

 そしてその実力は、相方(ジン)のそれを上回っている。

 

 

「ぐぅ……っ!?」

 

 

 虚空を舞う剣を身に受け、シャツごと肌を裂かれ、血が垂れ流れる。

 硬い鎧の類も纏わず、身を覆うのが衣服のみとなれば、鋭い剣刃で裂かれるのは道理だ。

 だが問題は、その剣が誰かの手に直接握られ、その上で振るわれたのではないことだ。

 

 虚空を舞う――その表現はまさに的を射ている。

 事実、数本の剣は時に泳ぐように飛行し、現在は主の意思によって空中に停止している。

 

 

「先生!」

 

「……しぶといな」

 

 

 システィーナの悲鳴染みた叫びと、レイクの氷のような冷たい声が響いたのはほぼ同時。

 この戦いを通して、レイクはグレンが何かを隠していることに気付き、積極的な攻めに移れないのが現状だ。

 だがしかし、幾度もの戦いを経て、己が戦法の最適解すら見出した外道魔術師の戦闘能力は凄まじく、かつて凄腕の『魔術師殺し』と謳われたグレンさえも劣勢に立たされている。

 

 いや、そもそもグレンの奥の手――固有魔術(オリジナル)『愚者の世界』は対魔術師戦において完全無欠の魔術というわけではない。

 確かに、魔術そのものを封殺するその特性は脅威である。

 が、それはあくまで発動前の話であり、発動後の魔術は適応範囲外だ。

 

 その魔術の存在を知らずとも、何か隠していることを見抜いていたのは流石だが、その警戒が今はグレンの方に有利に働いているのは何とも皮肉なことだ。

 

 

(っていうか、こいつが俺の隠し技を警戒せずに、最初(ハナ)から全力だったらマジでヤバかったな……)

 

「貴様が何を秘しているのかは知らんが、そろそろこちらも決着といこう」

 

 

 こちらも、というレイクの言葉にグレンは1つのことを読み取った。

 レイクはあのボーン・ゴーレムたちの創造者であり、グレンと戦いながらもゴーレムを通して()()()()の様子を見ていたのは確かだ。

 つまり、今の言葉から察するにギルバートの方(むこうがわ)は既に決着したのだろう。

 そして僅かに張り詰められた空気から、勝利者はレイクのゴーレムではなくギルバート。

 

 

「はっ……流石に化け物染みてるな、あいつ」

 

「……何者のことを指して言っているのかは察するに容易いが、聞く耳などは持たん」

 

 

 右手を横に一閃し、手動型の二振りの剣がグレンへ向けて飛ぶ。

 獲物を狙う猛禽の如く、冷たい刃を輝かせる飛剣。

 その剣に対し、グレンは回避と迎撃を行うべく横に跳びつつ、呪文の詠唱を始めて片手を突き出すと、

 

 

「――っ!?」

 

 

 ガァンッ――と硬い物同士が打ち合う音が鳴り、飛来する剣の片方が落とされた。

 残る剣はグレンへと向かうも、それも横に跳ぶことで回避され、結果レイクの攻撃は失敗に終わった。

 

 

「今の……!」

 

 

 鳴り響いた音――銃声の出元へ視線を向けるシスティーナ。

 彼女の視線の先に居たのは学院の講師でも、ましてレイクの相方(ジン=ガニス)でもない。

 黒塗りの狩装束に身を包み、左手に鉄製の弓を構えた大柄な男。

 レイクを始め、今回学院に侵入した『天の智慧研究会』の魔術師たちにとって、グレンと並ぶイレギュラー。

 

 

「そうか――アレが『血塗れの殺人鬼』」

 

 

 1つの呟きを口より漏らした後、レイクの顔が一層強張る。

 警戒を強めた証拠だが、それも無理はない。

 理由の如何は知らないが、彼らの組織、その上層部はこの数年かの殺人鬼に数多の同士を刺客として差し向けた。

 

 幹部陣の考えを推し量るなど、今の自分には到底できないことだが、それでもそのことについてはレイクも凡その察しはついていた。

 声だ。時折聞こえてくる謎の声。

 特に眠りの間に強く響くソレを、幹部陣はどうも『夢の声』と呼称し、それなりの重要性を見出すようになっていった。

 実はレイクもその声を耳にしたことは幾度もあり、少なくともその声のおかげで、何故組織の上層部が『血塗れの殺人鬼』を狙うのかの理由を知り得ることができたのだ。

 

 そして今、彼はここにやって来た。

 レイクの創造したボーン・ゴーレムたちを蹴散らし、濃密なまでの殺気を纏いながら、彼らの元へとやって来た。

 

 

「――苦戦しているな、小僧」

 

「はっ、そういうお前は……相変わらずか」

 

 

 傷を押さえつつ、それでも不敵さを滲ませた笑みを口元に張って、グレンがその声に応じる。

 その声から、今のグレンの状態を大体察したのか、ギルバートは小さな唸りを上げて歩を進める。

 システィーナの横を通り過ぎ、続いてグレンの横を通り過ぎて、それから数歩進んだところでようやく彼の歩みは止まり、その場で静止。

 

 常に得物を握っていた右手には何もなく、代わりに銃器の類を携えている筈の左手には、これまた今の時代には珍しいものが握られていた。

 

 

「弓……それも鉄製の物ときたか。

 何らかの機械仕掛けが施されていると見えるが……それも貴様の道具の1つか?」

 

「……」

 

 

 レイクの言葉に、ギルバートは答えない。

 沈黙を以ての返答なのかと考えたレイクは、さらにその目付きを鋭利なものに変化させ、警戒をさらに一段階引き上げた。

 だが、そんな彼とは対称的にギルバートの方はこれといった動きを見せることはなく、ズボンに備え付けられているポケットに右手を突っ込むとそこから何かを取り出して。

 

 ――ソレをレイクの胸元へと投げつけた。

 

 

「……!」

 

 

 硬く、それでいてどこか柔らかい感触のソレが何であるのか確かめるべく拾い上げ、そしてソレを見たレイクの目が僅かに見開かれた。

 驚愕したのだ。ソレの正体を知り、そこから読み取れるもの全てに。

 投げつけられたモノの正体――それは人間の、より厳密には彼の相方であったジン=ガニスの手首。

 

 黒手袋で包まれたソレを間違える筈がない。事の最後までとはいかないが、彼はボーン・ゴーレムの視界を通して実験室の出来事を見ていた。

 最後に長斧による回転攻撃と散弾によってゴーレムが全滅し、それから先は完全に見えなくなったのだが、あの状況から察するにジンを殺せる輩はただ1人。

 そしてこの手首を投げつけてきたということは、つまり……

 

 

「そうか。貴様が……ジンを()ったのか。

 ならばこの手首は、その証明であり――次はこの私であるという殺害予告か?」

 

「……」

 

「っ……お前、あのチンピラを殺ったのか!?」

 

 

 叫ぶグレンに対し、それがどうしたと言うかのようにギルバートがグレンを見つめる。

 底の見えぬ黒瞳の映すものの中に、システィーナの姿があった。

 明確に殺したとは言っていないが、今の行動からシスティーナは彼がジンを殺したのだと理解したのだろう。

 

 それ故の怯えなのか。普段は気強く見せているだけであり、だからこそ自らの弱みを露わとした彼女の姿は一種の小動物のようで、柄ではないが加虐心を刺激させられる。

 

 

「……それがどうした?」

 

「どうしたって、お前――」

 

「かつてと似たようなことを言うが……クズを殺して、何故に罪に問われる?」

 

 

 必要だからこそ始末した。そもそも生かす理由も、生かして帰す道理もない。

 只人は凡庸故に、善も悪も心の内に有し、故に真に改心する可能性がある。

 だが外道は違う。1度道を踏み外した輩は、その場凌ぎに改心するとほざく。

 

 何が改心するだ、笑わせるな。

 心を改め、真っ当な道を歩むには、貴様らの手足は血に汚れ過ぎているではないか――。

 

 

「クズはクズ。人道を踏み外した外道などに人の正しき法が適用される筈もない……あるのは苦痛、そして死という罰のみ」

 

「随分と、外道魔術師(われわれ)を憎んでいるのだな。

 幹部陣が貴様を狙う理由は私も理解しているが、貴様自身についてはほとんど知らん……以前に、それ程のモノ(にくしみ)を抱くだけの凶事にでも見舞われたか?」

 

「答える義理は――ない」

 

 

 空いた右手を虚空に伸ばし、歪みより1本の矢を取り出して、それを弓に番える。

 水銀弾を触媒に作成されたその矢は、元々は対獣化者用に生み出された代物。

 ヤーナムの地では何故か実現できなかったが、射手次第では下手な鉄板や石壁ならば、容易く貫くだけの威力を発揮できる。

 

 まずは一射。

 人域を超えた狩人の腕力で引き絞られた弓弦から矢が放たれ、虚空に浮かぶ剣を射ち落とす――いや、射ち砕いた。

 

 

「なに……っ!?」

 

 

 実戦用に用意し、これまで幾度の戦いにおいても砕け散ることのなかったレイクの剣が、その一瞬の内に砕かれた。

 対魔術用に【トライ・レジスト】を施したその剣群は、使い手の力量もあって並大抵の魔術師ですら壊すことはできない。

 では、どうしてあの剣を砕いたのか。あの矢には、かの大魔術師セリカ=アルフォネアと同じ物質破壊の能力が備わっているとでもいうのか?

 

 

(いや、違う! これは、もっと単純な……)

 

 

 魔術による物質破壊でも何でもない。

 そう。あの男は、ただの射撃()()でレイクの剣を射ち砕いたのだ。

 この世で最も単純な理――腕力(ちから)からくる単純な破壊力を以て。

 

 

「っ――何とデタラメな……!」

 

「――小僧」

 

 

 続いて第二射、三射を射ち放ちながら後ろのグレンに小声で呼び掛ける。

 戦闘中にしては随分余裕があると素人ならばそう思うだろうが、グレンは全く逆のことを考えていた。

 確かに彼は、あの宙に浮く剣群を射貫き、砕くことができるのだろう。

 だがそれを可能とするからこそ、レイクの意識はギルバートに集中し、それ以外の行動を制限されている状態にある。

 

 相手がジンのように幾分か慢心していれば良かったのだが、良くも悪くもこのレイクという男は戦いに慣れ、しかしその恐ろしさを忘れていない。

 僅かな余裕を相手に与えれば、その僅かを使って確実に自分を仕留めにくることを理解している。

 故に集中攻撃に移ったのだろうか、今のレイクの攻撃全てはギルバートにのみ注がれている。

 

 だからこそ、ギルバートはグレンに呼び掛けたのだろう。

 確実に仕留めるには時間がかかる。ならば、奴の意識の範囲外にいるグレンたちを使う必要があると。

 システィーナはまだ生徒だ。ならば、魔術師としてはともかく、かつて魔導士として幾度もの戦いを経験したであろうグレンを用いた方が良い。

 何よりグレンには、()()がある。

 

 

「何を――する気か!」

 

「……っ」

 

 

 3本の自動剣がギルバートへと向かい、残る1本の手動剣がグレンへと向かう。

 敵の状態、考え方を読み間違えたらしく、レイクにはまだ他に意識を向けるだけの余裕があったらしい。

 声が聞こえた筈はない。口元もマスクで覆っているので、唇の動きを見ることも叶わない。

 

 ならば僅かな動きからそれを察したのか。何であれ、伊達にこのテロの実行メンバーとして選ばれたわけではないらしい。

 

 

「チッ……!」

 

 

 番えた矢を次々と放ち、自動剣のうち二振りを射ち砕く。

 だが最後に残った自動剣を砕くには間に合わず、右の肩に深々と自動剣の刃が突き刺さる。

 激痛が走り、番えていた矢が手から滑るように落ちていく。

 攻撃ではなく回避を取るべきだったと悔むが、時間を巻き戻し、再びやり直すことなど不可能だ。

 

 ならば次にできることを考えるべきだ。

 輸血して回復か? それとも後は銃のみで片付けるか? それとも――

 

 

「――小僧(グレン=レーダス)ッ!!」

 

 

 右肩に剣を突き刺した状態のまま、グレンの名を呼んでレイクへと突撃する。

 突然の叫声に思わず驚愕を示したレイクだが、彼が何か企んでいることはすぐに察せられた。

 ならば、その企みが実現する前に仕留めればいい――!

 

 剣は既に無く、だが己にはまだ魔術がある。

 何よりも速く、そして確実に仕留め、長年に渡り組織が――そして己が追い求めた『遥かなる宙の智慧』を、この手に!

 

 

「――!」

 

 

 だがその時になって、彼はようやく気付いた。

 ギルバートの後方。そこに見える1人の非常勤講師。

 体に己が操っていた手動剣の一振りを突き刺し、シャツを血で染めながらも右手に持った魔導器(タロットカード)を掲げ、不敵に笑むグレンの姿。

 

 何ということだ。先程は警戒しておきながら、眼前の(ギルバート)に惑わされ、状況把握を怠るなど。

 『愚者の世界』で魔術を封じられたレイクの体躯を、左手の曲剣『シモンの弓剣』で床に縫い付けるように突き刺した。

 そして右手に持った()を口元に当て、その中に空気を吹き込み、甲高い音色を奏で鳴らした。

 

 

「貴、様……何を……!」

 

「言った筈だ。答える義理は……ない」

 

 

 笛の音が廊下に響き、その音色を頼りに出現する怪異。

 レイクを縫い付けた床が瞬く間に変貌し、現れ出でたのは巨大な()

 人間のものではない、如何なる生物さえも丸呑みにしてしまえそうな程に巨大な――巨大な()()()()

 

 

「……っ!」

 

「――諸共に喰らえ」

 

『――!』

 

 

 バクンッ――!

 文字通り口が裂けんばかりに開かれた大蛇の顎が、一瞬の内に閉じられ、2人を呑み込んだ。

 咀嚼音も何も立てず、巨大な毒蛇は2人を呑み込むとまるで何もなかったかのように消失し、残されたのはグレンとシスティーナの2人だけ。

 一体何が起きたのか。驚愕のあまり、理解が追いつかないシスティーナではあったが、彼女の意識を現実に呼び戻したのは、満身創痍のグレンの呼吸音だった。

 

 

「先生!」

 

 

 グレンの元へ駆け寄り、体の状態を見て彼女は絶句した。

 体に刻まれた切り傷。そこから溢れ出る鮮血。

 脇腹辺りの傷は特にひどく、おそらくは先程彼を貫いた剣を引き抜いてできた場所なのだろう。

 

 

「はぁ……はぁ……よ、よぉ、白猫。

 無事……だったか?」

 

「はっ、はい。私は……それよりも先生の方です!

 こんな傷じゃ……!」

 

「そりゃ……そうだろうよ。

 ったく、あいつ……相変わらずの、デタラメ……ぶ、り」

 

 

 出血の量が予想を上回っていたらしく、グレンの意識が朦朧とし始める。

 既にシスティーナの声も聞こえづらくなっていて、視界を黒が塗り潰していくのが分かる。

 

 

(ここで……終わり、かよ……)

 

 

 その言葉を胸の内にて呟き、グレン=レーダスの意識は闇の中に沈んでいった――。

 

 

 

 

 

 

「――っ、ん……?」

 

 

 目覚めた時、グレンを始めに迎えたのは見慣れぬ天井だった。

 鼻をつく薬品の臭い。清潔感溢れる白の室内。

 それらだけで、今いる場所がどこなのか察しがついた――医務室だ。

 

 

「俺、何で、ここに……?」

 

「――目覚めたか」

 

 

 突然の声に体が反応し、ほぼ反射的にそちらの方を向くと、そこに居たのは黒衣の狩人。

 2年前と全く――いや、顔に包帯を巻き、さらに表情が見え辛くなったが、それ以外はかつてと何ら変わらない。

 

 

「お前……」

 

「……そこの小娘に感謝するのだな」

 

 

 顎を軽く動かし、その動きで指し示した先に居たのは、ベッドにもたれ掛かり、深いに眠りについているシスティーナの姿。

 見れば自分の体の至る所に包帯が巻かれている。

 消毒液の臭いも、よく嗅いでみれば自分の体から発せられているものだった。

 

 

「俺も僅かばかり手伝いはしたが、その他は全てその小娘がやった。

 お前がそこまで回復したのも、その娘が回復魔術で懸命に治療していたが故のものだ……」

 

「……白猫が」

 

 

 眠る銀髪の少女の姿に、グレンは困ったような、それでいてほんの少し嬉しげな笑みを浮かべ、小さな息を吐く。

 

 

「……そう言えばお前、何で生きてんだ?

 いや、可能性がゼロってわけじゃあないのは分かってたんだが」

 

「……」

 

 

 沈黙。

 確かに口に出して言うべきことじゃないだろう。

 何せ1度喰われているのだ。丸呑みだ。下手すれば胃袋へ直行なのだ。

 あのレイクという魔術師に関してはこの際置いておくとして、あの蛇の顎からこの殺人鬼が脱出できたのは何故か納得できてしまう。

 

 いや、それとも逆に別の方法で脱出したのだろうか。

 例えば上の口からではなく、下の方から――

 

 

「……話はそこの小娘から聞いた。

 この学院の生徒、その1人が連れていかれたのだな?」

 

「……ああ」

 

「助けに行く気か?」

 

「それ以外に何がある?」

 

「いや、何も……」

 

 

 壁に寄りかかり、興味なさげな声音で答えるギルバートに、グレンはほんの少しだけ苛立ちを覚えていた。

 分かっている。この男は自分の目的以外のことには全く興味を示さないことを。

 それは彼の信条にも表れていて、必要とあれば誰であろうと殺すが、逆に必要でなければ殺さず。

 

 攫われた生徒の存在を知った上で、この男はなおも己の姿勢を崩さずにいる。

 まるで俺には関係のないことだと言うかのように。

 

 

「だが、そうか……それならば丁度いい」

 

「何がだよ?」

 

「小僧、俺も一緒に同行させろ。

 ……言っておくが、拒否はさせんぞ」

 

「はぁ……?」

 

 

 何故に自分と一緒に行動すると言っているのか、グレンにはその理由がさっぱり分からなかった。

 そもそも、何でこの男が学院内に侵入できているのか。

 学院内には、超一流の魔術師でさえ解除することが困難である結界が張られている。

 あのテロリストたちは、結界内に入るための割符を所有しており、一味のうち、グレンを襲った1人から奪うことでグレンも結界内に入ることができたのだ。

 

 割符はおそらく、あのテロリストたち3人分しか用意されていないはず。

 結界の解除はまずあり得ないとして、となれば別の方法で結界内に侵入したか、あるいは――結界の展開以前から学院内に潜んでいたか。

 そんなことを考えているうちに、ギルバートは準備を進めており、手には既に愛用の『ノコギリ鉈』と短銃が握られていた。

 

 

「俺はこの学院に侵入した外道魔術師共、そしてその協力者に用がある。

 そしてお前は、奴らに攫われた生徒を助けたい……目的は違えど、そこに至るまでの道は同じだ」

 

「つまり何だ。互いの目的達成の間、協力しろと?」

 

「そうだ」

 

 

 ギルバートの言葉に、少なくとも偽りはない。

 これまでの彼の殺人、その特徴から考えるに彼は本当に『天の智慧研究会』のみを標的に定め、学院に侵入したのだろう。

 何を目的に外道魔術師狩りなどしているのかまでは知らない。

 だが、少なくともこの状況においては、彼が裏切ることはない。これだけははっきりと言える。

 

 

「……1つ、条件がある」

 

「……何だ?」

 

「ルミア……攫われた俺の生徒だけは、絶対に死なせるな。

 例えその娘の殺害が、お前にとって必要になってもだ」

 

 

 ギルバートを睨みつけるグレンの双眸は、かつて凄腕の『魔術師殺し』として名を馳せた頃のものと同じ。

 もし約定を違えれば、お前を殺す――その意思が、ただの視線だけで嫌というほど伝わってきた。

 かつて正義を為すがため、その手を血で汚した宮廷魔導士グレン=レーダス。

 殺意にさえ頼ってまで、彼が提示した条件に対し、ギルバートの出した答えは……

 

 

「――良いだろう。

 この件の間のみ、俺は何があろうとお前の教え子を死なせはしない」

 

 

 ――狩人の誇りに懸けて。

 

 そしてグレンの条件を承諾したのと、彼のポケットに仕舞われていた宝石の通信魔導器が鳴ったのは、ほぼ同時のことだった。

 

 

 

 

 

 

 武装を固め、館内から外へ飛び出し、校内敷地を全力疾走するグレンとギルバート。

 疾走中、医務室内でのセリカとの会話から浮かんだある可能性。

 それを基に考えを巡らした結果、グレンは敵方のシナリオを考察してみた。

 

 下手人――裏切り者は昨日から、この学院に潜んでいた。

 セリカや学院長ら講師・教授陣が転送法陣を用いて帝都に出発した後、無人となった夜の校舎で学院の結界を改変し、仲間のみが侵入できるよう割符を作成。それをレイク、ジン、市街でグレンを襲ったキャレルの3人に配った。

 そして当時の計画を確実に成功させるべく行動し、今日あの2人を使ってルミアを運ばせた。

 

 無論、市街の1人も含めて、味方3人がやられたことは既に気付いているだろう。

 その上でグレンを襲わなかったのは、何もギルバートという第2のイレギュラーが居たからではない。

 手を離せなかったのだ。転送法陣の行き先、その改変に時間を要し、今まで動けなかっただけなのだ。

 

 そして今――。

 

 

「――ヌゥンッ!」

 

 

 爆発にも似た轟音を轟かせて、巨人(ゴーレム)の頭部を粉砕する。

 やはりと言うべきか、目的の白亜塔こと転送法陣安置所『転送塔』へ続く道には、無数の護衛(ゴーレム)が徘徊していた。

 言うまでもなく、ゴーレムたちは設定を弄られ、敵方の味方となっている。

 

 グレンとギルバートの2人を視認したゴーレムたちは、1体の例外なく彼らへ向けて足を進め、その巨大な拳と足で押し潰しに掛かった。

 1体1体を相手していては時間がないが、かといって無理矢理押し通るのもまた困難。

 考えた末、両者はゴーレムたちを破壊しつつ、先へと進む方法を選び取った。

 

 壁となる個体のみを破壊し、ただ前へと進み続ける。

 1人ならばまず不可能だったが、2人ならば――。

 

 

『――!』

 

 

 振り上げられた巨人の拳。

 硬い岩石そのものでもある一振りを前に、空中を舞うギルバートは回避に移るわけでもなく、左手に装備した大型銃火器の砲口を向けて。

 

 ――ドォンッ!!

 

 ()()

 普段扱う短銃や散弾銃を大きく超えるその威力。

 狩人の筋力を以てしても扱うことが困難とされるその銃器の名は『大砲』。

 設置型砲台をそのまま手持ち銃としたような代物で、その見掛けに違わぬ馬鹿げた重量、反動、何より1発ごとに消費する水銀弾の消費量から実用化前に破棄されてしまった物なのだ。

 

 ギルバート自身、この銃器に頼った回数は他の銃器と比べて遥かに少ない。

 が、こういった大型の、特に頑強な肉体を誇る敵相手には相性抜群。

 堅牢な岩の体躯は砲撃によって破壊され、剛腕の一振りも反動を利用することによって回避。

 

 そして反動によって後方に吹き飛ぶ最中、右手に取り付けた武器の仕掛けを起動させ、発射形態へ。

 後方に見えるもう1体のゴーレム。

 反動による吹き飛びもそろそろ減速し始めた頃、ギルバートも体勢を整えてゴーレムの顔面に着地。

 同時に――()()()()

 

 

『――!?』

 

 

 ガツンッ!――と、突如打ち込まれた強烈な一撃によってゴーレムの顔面に亀裂が生じ、直後に爆発。

 頭脳を失ったゴーレムの体躯はそのまま前のめりに倒れ込み、程なくして元の石片へと戻る。

 

 

「ホンっと無茶苦茶だな、あいつは!」

 

 

 ゴーレムの注意を引きつけ、破壊し続けているギルバートの姿を見て、グレンは呆れたようにそう叫んだ。

 元々化け物染みた身体能力の持ち主であることは分かっていたが、まさか大砲を拳銃さながらに用いるなどとは露ほども思わなかった。

 それに右手の武器――『パイルハンマー』なる武具もこれまた奇怪な代物で、おそらくこういったゴーレムたちでなければ活躍の場はなかっただろう。

 

 

『――!』

 

「ちっ! 《紅蓮の獅子よ・憤怒のままに・吼え狂え》――!」

 

 

 呪文詠唱。

 可能な限り高速で詠唱し、発動したのは炎の球。

 それを突き出した左手の掌から放ち、剛腕を伸ばすゴーレムへと――着弾。

 

 直後轟く爆音。ガラガラと鳴る崩壊音。

 魔術と砲撃が飛び交い、強烈な杭打ち等によって生じるゴーレムたちの崩壊の音。

 立ち塞がる敵を悉く粉砕し、遂に辿り着いた白亜塔を2人は上り進み、そこへと至る。

 

 

「ここか……」

 

 

 塞がり掛けていた傷口は見事に全て開いてしまい、衣服の所々に血が滲んでいるものの、グレンはそれを無視して眼前の扉――塔の最上階にある大広間へと続く扉の取っ手に手と掛けようとして――

 

 

「――退いていろ」

 

「あ? ――って、おぉ!?」

 

 

 いつの間に準備を終えていたのか、再び発射形態に移行させていた杭打機を後ろに引き、殴打の如く前へと突き出して、ソレを射出。

 轟音を上げて扉は見事に粉砕され、砲撃でも喰らったかのように2人の前に大穴が開いた。

 

 

「ふむ……」

 

「ふむ、じゃねぇ! 危ねぇだろうが、この馬鹿!」

 

「扉裏に敵が居ても面倒だ。待ち伏せを警戒しての先手であったが……」

 

 

 どうやら今の攻撃で、敵方がやられた可能性はゼロだろう。

 それならば悲鳴なり何なりと上げる筈だ。だが今回、それはなかった。

 その代わりとして、暗闇の中に人影が1つ確認できた。

 小柄……というよりも座り込んでいるのか、体躯の大きさから正体を察するのは意外と難しい。

 

 だがこんな無防備な状態で居るとなると、考えられる人物は1人。

 

 

「……小僧。見つけたぞ」

 

 

 松明――だと片手が塞がるのでランタンを灯し、それを腰に付けて辺りを淡く照らすと、ようやく人影の正体が判明した。

 

 

「だ、誰……? 貴方は……?」

 

「……ルミア? そこに居るの、ルミアか!」

 

「先生……!? その声、グレン先生なんですか!?」

 

 

 暗闇の中に見えたのは1人の少女。

 綿毛のように柔らかそうな金髪に、青玉(サファイア)を思わせる大きな瞳。

 ウサギの耳のようにピョンと突き出たリボンの存在もあってか、その少女が件の生徒――ルミアであると理解するのにそう時間は掛からなかった。

 

 

「よかった……先生、無事だったんですね!」

 

「はっ……これが無事に見えるなら、病院行け……」

 

 

 ルミアを見つけたことに安堵したからか、気が抜けてそれまで我慢していた疲労や痛みが彼を襲う。

 だがまだだ。まだ終わりではない。

 この暗闇に潜む最後の敵。

 裏切り者を倒すまで、この一件に終わりはない。

 

 やがてグレンの目も闇に慣れ、周囲を見回し始めると彼の視界にルミアとは異なる、別の誰かの姿が映った。

 

 

「そうか。お前が……」

 

「……ヒューイ=ルイセン」

 

「え……?」

 

 

 不意にギルバートの口から漏れたその名に、グレンは思わず耳を疑った。

 ヒューイ=ルイセン――それはグレンが非常勤講師としてこの学院にやって来る前の、ルミアやシスティーナたちが属する2年2組の担当講師だった男の名。

 何故にその名をギルバートが知っているのかは分からないが、その名を耳にしてようやく今回の一件、その最後の欠片(ピース)が揃った。

 

 

「……そういうことかよ。行方不明になったって聞いちゃいたが、そういう理由があったのか」

 

「ええ、そういうことです。

 そして今さらですが、初めまして。僕の後任のグレン=レーダス先生。……そして」

 

 

 涼やかな顔立ちの青年、ヒューイは視線をグレンからその隣にいた黒装束ことギルバートに移し、やはり柔らかな笑みを湛えたまま、その口を開いた。

 

 

「貴方が……噂に聞く『血塗れの殺人鬼』ですか。

 そしてどうやら、僕の推察は間違いではなかったようだ」

 

「……なに?」

 

「推察だろうが何だろうが関係ねぇ!」

 

 

 持っていた愚者のアルカナを手に取り、組み込まれていた魔術式を読み取り、起動。

 固有魔術(オリジナル)『愚者の世界』。

 発動前ならばあらゆる魔術を封殺し、魔術戦を不可とさせるグレンを『魔術師殺し』たらしめた由縁の代物。

 起動済みの魔術は確認できず、つまり今のヒューイは完全な無防備状態。

 後は煮るなり焼くなり、こちらの好きにできるというものだ。

 

 ――だが。

 

 

「――僕の勝ちです」

 

 

 勝利を確信した笑みを浮かべ、ヒューイがそう言った直後に変化が起きた。

 ルミアを中心に描かれた大型魔法陣。

 そしてヒューイを中心に小型魔法陣。

 それらが1本の線型魔法陣によって繋がれ、いよいよその効果を発揮せんと起動したのだ。

 

 

「白魔儀【サクリファイス】――換魂の儀式だと!?」

 

「換魂……物騒な名前だな」

 

「ええ、違いありません。

 ですがこれで、ルミアさんは法陣の力で以て、組織の元へ送り届けられるでしょう。

 それを切っ掛けに、僕の魂と直結させた()()()()も効果を発揮し……」

 

 

 変わらぬ笑みを湛えたまま、仕上げとばかりにヒューイは言った。

 

 

()()()()()()()()()錬成した莫大な魔力で以て、この学院を爆破します」

 

「っ! それじゃあまるで――」

 

「そうです。僕は人間爆弾。そう調整されているのです」

 

 

 その言葉に抵抗感は感じられず、さもそれが当たり前のように紡ぐヒューイの姿に、グレンは戦慄を禁じ得なかった。

 何故、こうも淡々と口にできるものなのか。自らの魂さえも弄られ、挙句爆弾として使われ、その生を終えるなど……

 

 

「……イカレてやがる。お前らやっぱり、超弩級のイカレ集団だよ……!」

 

「それは否定しません。ですがグレン先生、僕とのんびり言葉を交わしていても良いのですか?

 残念ながら、カウントダウンはもう始まっています。

 ルミアさんの転送法陣を解呪しなければ、僕の自爆法陣も解けませんよ?」

 

「……っ」

 

 

 そうだ。幾らこの男を責めても、起動した魔法陣が停止することはない。

 ルミアの転送と、学院爆破の阻止。

 それを可能にするには、この魔法陣を解呪するしかない。

 

 

「……おい、黒尽くめ」

 

「ああ。……解呪とやらは任せたぞ」

 

 

 ヒューイが怪しい動きをしないよう、見張り役をギルバートに頼むとグレンはすぐさま行動に移る。

 既に【愚者の世界】の効力は尽き、魔術の発動が可能状態にある。

 まずは右の手首を噛み千切り、ルミアの足元にある転送法陣へと向かい、そこに血を垂らす。

 

 

「迷いはありませんか、流石です。では……こちらはこちらで、お話でもしましょうか」

 

 

 張り付けたような笑みはそのままに、体の向きごとヒューイの顔がギルバートへと向けられる。

 いや、心なしか口角の吊り具合が下がっているように見える。

 己を道化と偽るのをやめて、ごく真剣に――ヒューイ=ルイセンという1人の人間として話をしようとしているのか。

 

 それを本人が気付いているのかどうかはさて置き、ギルバートも断ることなく、彼の提案に首肯を以て応じた。

 

 

「正直なところ、意外でした。

 まさかグレン先生のみならず、貴方まで僕の改変した結界を抜け、この学院に侵入して来ようとは。

 ……いえ、違いますね。貴方はそもそも、侵入さえしていなかった」

 

「……何故そう言える?」

 

「簡単です。貴方は確かに優れた暗殺者なのでしょう。

 ですが、魔術師ではない。それはこれまでの貴方の犯行、その手口から容易に察せられる」

 

 

 その通りだった。ギルバートは魔術師ではない。狩人だ。

 世間では殺人鬼だの何だのと言われてこそいるが、彼の殺人はある目的と信念の下に行われている。

 故にその信念――人の生を食い物とする狂人共の一掃を行ううちに殺人回数は増えていき、その手口を晒す結果となった。

 

 別に魔術が使えないことを知られても、大した不利にはならないと考えていたのだが、まさかここで効果を発揮するとは思わなかった。

 

 

「魔術師ですらない貴方が、改変した学院の結界を抜けることは不可能だ。

 そしてグレン先生のように、僕の仲間から割符を奪い、侵入する手段も取れない。

 その時には既に、残りの2人は学院に入り、割符もそこで効果を失っていますので」

 

「……つまり何だ。貴様、何が言いたい?」

 

「単刀直入に聞きます。殺人鬼さん。貴方――最初からこの学院に居ましたね?」

 

「……」

 

 

 ヒューイの言葉に、ギルバートは沈黙を以て応じた。

 答えたくない、というのもそうだが、この沈黙の内側に込められた意思こそが、ヒューイに対する彼なりの答えだったのだ。

 大方正体に気付いているからこそ、今のような問いが出て来たのだろう。

 だが、その先を紡ぐとなれば相応の覚悟をして貰わなければならない。

 

 誰にでも秘密はあり、秘密とは甘いものだ。

 だからこそ、必要なのだ。愚かな好奇を忘れさせるだけの恐怖――死が。

 

 

「色々聞きたいことはありますが、これだけはどうしても貴方の口から聞いておきたい。

 貴方は……何故、この学院に居たのですか? 僕と同じような理由があって留まったのか、それとも己が意思でここに居続けたのか」

 

「それを聞いて……貴様はどうする気だ?」

 

「分かりません。ただ、何となく聞いておきたかった。

 貴方のような人物が、何故にこのような学院に居続けたのか」

 

 

 僅かに顔を上げ、天井を見つめるヒューイの顔にはどこか悲愴の色が滲んでいる。

 だが、だからと言って彼の行いを許すことはできない。許される理由もない。

 故に、彼らはこう答えた。これまでと同じように、己が狂人狩りの狩人である証左、その1つを。

 

 

「……俺は、俺の目的のためにのみ行動する。

 そのためならば、如何なるものさえも利用する……それだけだ」

 

「そう、ですか……それが貴方の答えなのですね」

 

 

 ――何て、強い意思だ。

 

 ヒューイの紡いだその言葉は、これまでのどれよりも脆く、しかし確かなる自己を感じさせるものだった。

 そして丁度同じ時、グレンたちの方から尋常ならざる“光”が発せられた。

 溢れ出る輝光。生命の輝き、その具現と言っても過言ではないその光は、だがただの魔術によるものではないとその場の誰もが理解していた。

 

 そしてその光の大元たるは――それまで拘束されていた筈のルミアだった。

 

 

「これは……!」

 

「異能者――『感応増幅者』ですか……!」

 

「ぉ――おおおおおおおおおッ!!」

 

 

 文字通り増大した魔力によって、飛び掛けていた意識も、折れかけていた心も復活し、グレンの解呪作業が再開される。

 滑るように描かれる血の解呪術式。

 第4階層、解呪成功。

 いよいよ解呪も大詰めだが、転送も間もなく行われようとしている。

 

 

「先生……!」

 

「間に合え――間に合え、間に合え、間に合え!」

 

 

 自らの命すら懸けて、最後の仕上げといくグレン。

 転送術式発動まで、あと8秒。

 7秒、6秒、5秒――。

 

 

「間に合えーーーッ!!」

 

 

 4秒、3秒――。

 血文字の最後の言葉(ラストワード)を描き終えて、高らかにグレンは叫ぶ――!

 

 

「《終えよ天鎖・静寂の基底・理の頸木は此処に解放すべし》――ッ!」

 

 

 瞬間――全てが光に包まれた。

 音という音は消え、塔を起点に光が周囲へと広がり、そして拡散。

 増幅された魔力による解呪は、法陣起動の停止にのみ留まらず、徘徊していたゴーレムたちさえも無力化し、停止。

 

 後に残ったのは力を失い、ただの紋様と成り果てた魔法陣。

 そしてグレン、ギルバート、ヒューイ。

 最後にグレンによる決死の転送阻止により、転送を免れた――ルミア。

 

 

「……僕の、負けですか」

 

 

 訪れた沈黙を先に破ったのは、ヒューイの声だった。

 計画は阻まれ、己が存在意義さえも奪われたというのに、何故かその声に怒りや憎しみの類は感じられない。

 あるのは悲愴。痛々しいほどに感じられる、深い悲しみと……仄かな喜びのみ。

 

 

「不思議ですね。計画は頓挫し、自身の役割さえ果たせなかったというのに……どこかほっとしている自分がいる」

 

 

 決死の解呪により、グレンはもはや意識を失っている。

 その気になれば、今からでもグレンを始末することはできなくもない。

 だが――それをさせてくるほど、()も甘くは無かった。

 

 カチャリ――と首元に鋭い刃が当てられる。

 先程彼が手にしていた杭打機とはまた異なるソレは、寒気がするほど鋭利で、だが何故か恐怖を感じさせない曲剣だった。

 背後から注がれる彼、ギルバートの視線には並ならぬ殺気が込められているのが分かる。

 そしてその内に隠された、ほんの僅かな哀れみも――。

 

 

「……終わりだ」

 

「そう、ですね……」

 

「……場所を変えるか?」

 

「ええ……そうさせて下さい」

 

 

 どこまでも冷たい刃の感触、それを感じながらヒューイは彼に身を委ね、直後に襲ってきた衝撃に意識を刈り取られた。

 瞬時に前へ回ったギルバートが、彼の腹部に拳撃を見舞ったのだ。

 殺してはいない。ほんの僅かな間、眠って貰うだけだ。

 

 意識を失ったヒューイの体を脇に抱え、塔から出て行こうとするギルバート。

 だがその後ろ姿に、1つの声が掛けられた。

 

 

「あ――あの!」

 

「……?」

 

 

 歩みを止め、振り返ったその先に居るのはルミアと、彼女に膝枕される形で眠りに就いているグレンの2人。

 既に少女の顔に恐怖はなく、ただあるのは淡く、眩ささえ感じられる少女らしい柔らかな笑顔。

 

 

「あの……ありがとうございました」

 

「……ああ」

 

 

 ――どういたしまして。

 

 誰にも聞こえないような小声での呟きを最後に、狩人ギルバートは彼らの視界、そして現実からその姿を消した。

 

 

 

 

 

 

 ――目覚めた時、そこには『白』が広がっていた。

 

 暗闇より意識を取り戻したヒューイ=ルイセン。

 その彼を最初に迎えたのは、どこまでも白く、汚れを知らない花畑であった。

 かなりの時間が経過したのか、空は群青寄りの夜空と化していて、だが何故かその夜空の色に安堵を覚える自分がいた。

 

 

「――目覚めたか」

 

 

 花畑の最奥、巨大な大樹の根元に座す1人の男。

 年季の入った車椅子に腰掛け、ヒューイを見つめるのはかの殺人鬼――狩人ギルバート。

 既にその目には、意識を失う前にあった殺気はなく、代わりに存在するのはどこまでも深い、例えるならば深海を思わせる哀れみのみ。

 

 

「……始めるか?」

 

「……ええ。お願いします」

 

 

 ヒューイの言葉に、ギルバートは腰掛けていた車椅子から立ち上がり、虚空より2つの道具を取り出した。

 1つは、解呪の一件、その最後にヒューイの首元に当てられたあの曲剣。

 そしてもう1つは、およそ武具とは思えない木製の長杖。

 それら2つを組み合わせ、出来上がったのは大振りの鎌。

 身を包む黒衣の存在もあってか、今のギルバートはさながらヒューイの命を刈り(狩り)にきた死神だ。

 

 その鎌の刃が首元に当てられる。

 これが最期の時。そう告げるような彼の行いは、ある者には恐怖を与え、またある者には安堵を与えるのだろう。

 そして今、ヒューイが感じているモノは……後者だ。

 

 

「言い残す言葉は?」

 

「……最後に1つ、聞かせて頂けませんか?」

 

「何だ?」

 

 

 末期の言葉であるのなら、せめて最後に聞いておきたかった。

 これまでの自分の生、行い、その全てを懸けた問いを今、ヒューイはギルバートへと掛けた。

 

 

「僕は一体、どうすれば良かったのでしょうか?

 組織の言いなりになって死ぬべきだったのか、それとも組織に逆らい、教師としての道を選んだ上で死ぬべきだったのか。

 どちらが正しく、どちらが間違っていたのか……それは今となっても分からないんです」

 

「……1つ、決定的な間違いがある」

 

「それは……?」

 

「何故、死を決定付けている?

 言いなりとしての身を続けても、叛逆の道を取ろうとも、それでは結局一緒だ。何の解決にもなっていない」

 

「でも……組織からは、逃げられ――」

 

「言っただろう。決定付けるなと。

 例え地の果てまで追い続けて来ようとも、生を忘れず、諦めない限り、機会は必ず巡って来る。

 お前はただ、それを求めようとさえしなかっただけだ」

 

「求める……生を諦めない、ですか……」

 

「そうだ。……だがお前は、もっと早くその疑問を抱くべきだったな」

 

 

 その言葉は、これまでのどの言葉よりも深く心に突き立ち、同時に心身共に染み渡る、不思議な心地の言葉でもあった。

 だが、犯した罪を無にすることはできない。

 罪には罰を。犯した罪に見合うだけの、相応の罰を与えねばならない。

 

 

「人は夜に眠り、朝に目覚める。

 お前は死を以て、今生という夢を忘れ、次なる朝に目覚めるだろう」

 

 

 手にした大鎌を後ろに引き、体を捻り、構えを取る。

 掲げられた鎌刃が月光を浴びて妖しく輝く。

 命を刈り取る瞬間であるからこそ、その刃は一層の輝きを放つものなのだろうか。

 

 

「さようなら――()()()()()()

 

「ええ。さようなら――()()()()()()()

 

 

 ――一閃。

 

 月光を浴びた鎌刃が、ヒューイの首を刈り取る。

 不思議と血が噴き出すことはなく、白い花畑は変わらぬ姿を保ったままだ。

 かつて幾度かの夜の末。その1つにあった、目覚めの時。

 夢に疲れ果て、それでもなお後の狩人たちを夢に捕えさせまいとした、1人の古狩人の悲しい自己犠牲。

 

 あの時とは逆の立場。自らがその命を断ち、生という悪夢から解き放つ。

 来世はきっと、良き目覚めとなるように――。

 

 その思いを胸に、ギルバートの葬送の儀は此処に終わった。

 

 



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第2巻
第6夜 変わる物、変わらぬ者


 『アルザーノ帝国魔術学院自爆テロ未遂事件』

 

 1人の非常勤講師の活躍により、最悪の結末を回避するに至ったこの事件は、関わった組織や諸々の事情もあり、表向きにはグレン1人が解決したものとして、その上で社会的不安を生じさせぬよう内密に処理された。

 だが、物事はそう上手くいかないのが世の常と言うべきか。

 事件収束から1日も経たぬうちに、帝国宮廷魔導士団の情報統制を無に帰すが如く、()()は消し去られた闇の内より現出した。

 

 アルザーノ帝国魔術学院、その学院下に築かれたフェジテの街。

 その街のとある空き家に目を付けたのか、ソレらは惨たらしい様を晒して、フェジテの住民たちの視線を集めた。

 

 学院を襲撃したテロリスト。

 ジン=ガニスと、レイク=フォーエンハイム――その2人の()()

 この世ならざる恐ろしい何かを見てきたかのような、恐怖に染まり切った顔のまま絶命したらしい2人の生首は、想像以上にフェジテ、ひいては帝国政府そのものを震撼させた。

 

 犯人は『血塗れの殺人鬼』。

 表の世界にその名が広まったのが4年前。裏の世界、闇社会に生きる者ならば、もはや知らぬ者のいない連続殺人鬼。

 魔術を使えぬ身でありながら、夜な夜な外道魔術師を狩り殺す彼の名は魔術師たちに大いに恐れられ、同時に魔術を扱えぬ一部の一般人からは英雄視さえされる程に賞賛されていた。

 だが今回の一件は、それまでに彼が得て来た民衆からの好意を、全て己に対する恐怖へと変えてしまう程に凄惨たるものだった。

 

 

『求める者よ――かねて“()”を恐れたまえ』

 

 

 空き家の壁にこれでもかと大量に使われた血によって書かれた、誰かへの警告。

 使われた血はまず間違いなく、ジンやレイクのものなのだろう。それ故に、その警句に対する民衆たちの恐怖は倍増する形となった。

 道を踏み外し、己以外を実験材料としてしか見ていない外道魔術師たちを狩る殺人鬼。

 例え帝国や魔術師たちが彼を悪人と称し、罵ろうとも、自分たちだけは彼を信じている――そう思っていたのだろう。

 

 だが、彼の為すべき行いは民衆たちの想像を遥かに上回るモノだった。

 一般人だろうと魔術師だろうと関係ない。人の道を外れ、真に悪へと堕ちた者をこそ誅する処刑人。

 その行いはどこまでも純粋で、だからこそ常人には理解し難く、この生首事件を機に彼を応援していた者の数は減少していくこととなった。

 

 その様を見る者が見れば、きっとこう思うだろう。

 かつてのヤーナム――未だ狩人が英雄で在り得た頃から、侮蔑の存在へと成り果てて行く過程。その再現のようだ、と。

 

 

 

 

 

 

「――よろしかったのですか?」

 

 

 古工房の扉近くより、人形がそんな問いを彼に掛けた。

 工房内でいつもの如く、狩道具の修理を行っていた彼の手がその声によってふと止まり、手にしていた金槌が机に置かれる。

 

 

「……何がだ?」

 

「先日の貴方様の行いです。

 民より獲得してきた人気を、自ら手放すようなあの行い……狩人様、あれは本当に貴方様にとって、必要なことだったのでしょうか?」

 

 

 現実世界のジンとレイクの肉体を使い、作り上げた血の警告。

 およそ人の身では為し得ない――否、為そうとすら思わないであろう悍ましい所業を目にし、これまで『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)を慕っていた民衆の内、その大半が彼から離れていった。

 民衆の味方、魔術(ちから)なき者たちの救い主、夜の執行者。

 人を人とも思わない外道魔術師たちを葬る狩人の行いは、何も知らぬ民衆からすれば英雄的行動とさえ見えたのだろう。

 

 だが、今回の一件で以て彼らの思い描く偶像は打ち砕かれた。

 自分たちを外道の魔の手から守り続けて来た英雄は、正真正銘、本物の()()()だという現実を、改めて突きつけられたのだ。

 そしてそれこそが――狩人ギルバートにとっての狙いでもあった。

 

 

「人気などは必要ない。そも、民衆が殺人鬼を英雄と崇めるなど、それこそ世も末というモノだろう……」

 

「故に、自らを悪逆の象徴に?」

 

「……そんな大げさなものじゃない。ただ、認識を改めさせただけだ」

 

 

 工房の奥。簡素な布を被されただけの()()に近付き、それを思い切り取り払う。

 備え付けられたランプに照らされ、露わとなったのは2人の男。

 テロリスト――かの悪名高き『天の智慧研究会』の構成員、ジン=ガニスとレイク=フォーエンハイムだ。

 

 かつては幾人もの罪なき人を殺め、悪行の限りを尽くしたであろう2人の外道魔術師だったが、今の彼らには魔術師どころか人間、生物としての自由はない。

 

 

「かの老ゲールマンは、この夢に身を置きながら、だが現実に自身の肉体を有してはいなかった。

 それが月の上位者の権能(ちから)によるものだとしたら、かの魔物を屠った俺も――と思ったのだが……」

 

「――ッ、――ッ!」

 

「ああ……猿轡を外すつもりはない。

 苦痛に悶える人の叫声など、耳障りで仕方がない」

 

 

 虚空に左手を伸ばし、その空間のみを歪め、挿し入れる。

 そこから取り出し、掌中に収めたものは1つの頭蓋――いや、それはただの頭蓋ではない。

 頭蓋の割れ目から漏れ出るのは、並ならぬ神秘を宿した人外の智慧。

 常人ならばその断片すら取り込んだ瞬間、膨大過ぎる知識と神秘に堪えかね、発狂するのは必然。

 

 だがだからこそ、これを使う意味があるのだ。

 

 

「お前たちの言っていた声――『夢の声』と言ったか?

 それについて詳しく聞きたいのだが……」

 

「――ッ」

 

「ああ、分かっている。喋る気などは毛頭ないのだろう。

 此方としても……そう容易く口を開いて貰えるとは思っていない――だが」

 

 

 頭蓋を握る左手に僅かだが力が籠る。

 それに伴い、掌中の頭蓋より軋む音が鳴り、割れ目より知識、そのごく僅かな断片が漏れ出て、ジンの体へと吸い込まれていった。

 

 

「――ッ!? ――ッ!!」

 

 

 その直後、ジンの両目が見開かれ、狂ったようにその身を痙攣させた。

 びくんッ! とまるで陸に打ち上げられた魚のように身を震わせ、限界にまでその目を見開く彼の姿は、さながら拷問中の虜囚そのものだ。

 何が起きたのかと、隣のレイクもその目を開き、彼の様子を見ているが、そんな彼らを冷たい眼差しで見つめたまま、ギルバートは言葉を続けた。

 

 

「この通り、吐かせるための道具は幾らでもある。

 故に外道共、無駄な忍耐は止めたまえよ……苦悶が一層、長く続くだけだ」

 

 

 悶え苦しむジンの姿に、ギルバートは驚くほどに反応を示さない。

 驚愕も、哀れみも、憤怒も、喜悦も。

 如何なる感情を露わとすることもせず、ただ静かに眺めているのみ。

 

 いや、もはや彼の瞳にはきっと、ジンとレイクは生物としてすら映っていないのだろう。

 悪行の限りを尽くした外道など人に非ず。

 人の姿を模しただけの――ただの肉袋だ。

 

 

「さあ……お前たちはどうすれば、吐いてくれる?」

 

 

 もはや現実の体は存在せず、精神のみと成り果てた彼に逃げ場はなく。

 夢の主の意のまま、その最期の瞬間まで道具として生かされ続ける。

 まるで、それこそが彼らに対する罰であるかのように――。

 

 

 

 

 

 

 ――自爆テロ未遂事件から一月後。

 

 どうもグレンは、正式にこの学院の講師として就職することが決まったそうだ。

 それまでは真面目な授業を行うようになったとはいえ、魔術嫌いは変わらぬままだった彼が、何故そのような形に至ったのかは分からない。

 いや、分からないというのは間違いだ。

 現にギルバートは、何故にグレンが正式に講師となったのかの理由について、その大体を察している。

 だが、そこまでだ。彼は別段、グレンに強い興味があるわけではなく、彼がどうなろうと知ったことではない。

 

 いつの日だったか、彼に助言らしいものを授けたことはあったのだが、あれは単なる気まぐれも同じだ。2度目があるかどうか、それこそ分からぬものだ。

 けれども、いざ狩人として行動する際には、あの男はそれなりに使える。

 ヤーナムの狩人たちほどではないにしろ、魔術に依らない近接戦闘能力。

 そして対魔術師用の切り札、固有魔術【愚者の世界】。

 あの2人を拷問した末、ギルバートが求めるモノは彼らの属していた組織『天の智慧研究会』の近くにあることが分かり、かの魔術結社はどうもグレンの教え子であるルミアを狙っているそうだ。

 

 かの組織に狙われているという点では、ギルバートも同じなのだが、ルミアも狙われているとなれば、あのグレンが黙って見ている筈がない。

 

 

(クセはあるが、それさえ注意すれば使い勝手の良い駒だ)

 

「――ん。ギルバート君」

 

「ん……? ――あっ、はい! 何でしょうか、学院長?」

 

 

 考えごとを1度止め、呼び掛けてくる学院長の声に遅れながら応じる。

 あの事件の際、ギルバートは一応、学院内に居ることとなっていた。

 目的は違えども、狩人としてグレンと共に事件を解決に導いた彼であるが、そのことを学院の関係者――特に学院長には知られるわけにはいかなかった。

 

 故に学会から彼らが戻って来た際、彼は即座に学院長のもとへ向かい、言い訳をしたのだ。

 一般人である自分の力など、学院の生徒にさえ劣る脆弱なもの。

 だから医務室を離れ、学院内のどこかに隠れていた――と。

 

 聞く者が聞けば、何という無責任な男だと怒りを露わにし、罵詈雑言を浴びせてきただろう。

 だが、表向きとはいえギルバートは一般人だ。

 魔術の1つも扱えない、ただの町医者に外道とはいえ凄腕の魔術師たちに戦うことなどできる筈もなく、それが理由で講師・教授陣は彼のことを強く非難することはできなかった。

 故に今回の呼び出しについても、あの事件絡みのことならばそれほど強く責任は問われまい。

 

 

「大分遅くなってしまってすまないね。先月の一件、本当に申し訳なかった。ギルバート君」

 

「い、いえ……私の方こそ、申し訳ありません。

 医務室を任されておきながら、生徒を放って1人隠れるなど……」

 

「それはいいんだ。こういう言い方はよくないのだろうが、儂や講師、生徒たちは魔術の担い手。

 だが君はただの一般人。優れた医療技術を持っているとはいえ、魔術師ではない君に外道魔術師(テロリスト)の迎撃を任せるなど、それこそ大きな間違いだ」

 

「……学院長」

 

「まぁ、生徒を放って自分だけ隠れてました、というのは流石に教育者として見過ごせんがね」

 

「……すみません」

 

 

 幸いにも、生徒たちからの批判の類はなかった。

 未熟とはいえ、彼らも魔術師の卵ということなのか。魔術師と一般人の差というものを理解し、その上でギルバートを許してくれた。

 流石に全員とまではいかなかったが、理解ある生徒――特にあのルミア=ティンジェルという女子生徒は、彼のことを庇いさえしてくれた。

 

 

(そう言えば、元から優しい性格の娘ではあったが……流石にバレてはいないだろうな?)

 

「さて、この件に関してはここまでとして。

 そろそろ本題に入ろうか」

 

「……?」

 

 

 本題――確かに学院長はそう言った。

 つまり自分をここに呼んだのは、例の事件に対して何らかの責任を取って貰う……そういう話があってのことではないらしい。

 

 

「実は――」

 

 

 豊かに蓄えられた口髭が動き、覆い隠されていた口から紡がれた言葉。

 その言葉を耳にし、ギルバートが珍しく驚愕の表情を表わしたのは、その直後のことであった。

 

 

「ギルバート君、すまないが君――グレン君の補佐、頼めるかね?」

 

 

 

 

 

 

 狩人ギルバートは、『1つの可能性』を見落としていた。

 

 古都ヤーナムでの一夜の出来事。

 狩人たちの存在理由でもある『獣狩りの夜』が終わり、その直後に彼はこの未知なる世界に飛ばされた。

 そこで魔術を知り、それを扱う魔術師を知り、そして道を外れ、心を獣へと堕とした外道魔術師たちの存在を知った。

 

 数多の知識を得て、未知なる技術を知り、それを悪用する狂人を知った以上、彼が為すべきは狂人共の鏖殺、そして自らを飛ばした何者かの正体を探ることだった。

 成程、実に彼らしい。

 ヤーナムを生きた者、平らに連なる幾多もの世界に存在する『最後の狩人たち』――その1人である彼の行いとしては、深く納得できてしまう行動だ。

 

 だがそれ故に――彼は見落としていたのだ。

 1つの物事に縛られ、それにのみ意識を集めてしまうほど彼の視野は狭くはないが、それでも限界はある。

 ()()()()()は、その限界の外にあったものだ。

 摩訶不思議なる別の世界に飛ばされたのは、何も()()()()()()()()()ということだ。

 

 

「はぁ、はぁ、はぁ………!」

 

 

 逃げる。

 逃げる逃げる逃げる。

 後のことなど考えず、たがひたすらに逃げる続ける。

 

 逃走し続けている男は、魔術師――世間でいう外道魔術師と呼ばれる者たちの1人だ。

 とは言っても、『天の智慧研究会』のような大組織に属するほどの者ではなく、裏を探せばどこにでも居そうな野良の外道魔術師だ。

 だが野良とはいえ、外道は外道。そして魔術師は魔術師だ。

 己が好奇が何かに向けられれば、その衝動を抑えることはできず、その内側を探りたくなるのが彼らという生き物だ。

 

 『好奇心は猫を殺す』という諺があり、今の彼はまさに、己が好奇心によって引き起こされたものに殺されようとしている最中なのだ。

 

 

「あぁ――!?」

 

 

 街を抜け、人気のない草原を走り抜けた先にあったのは崖。

 下に広がる森林は、夜闇の中にあることもあってか黒々しく、一層その不気味さを増して男を今か今かと待ち続けている。

 冗談ではない。こんな高さから落ちでもすれば、自分の身など容易く死に至る。

 

 【ゲイル・ブロウ】あたりを使えば、突風によって勢いを和らげ、落下しても激痛程度で済むかもしれないが……

 

 

()()()が追って来ない筈がない……!」

 

 

 ――()()()

 

 まただ。また聞こえた!

 他の者では決して耳にすることのできない、()()()()()()()、その音色を。

 即ちそれは、未だ彼を狙う刺客が追跡し続けていることの証明。

 例え地の果てまで逃げようとも、あの男は決して諦めない。

 

 何者も逃れることなど叶わない。

 あの男……血に塗れ、狂気を纏うあの()()()

 血に濡れた()()()を被る、あの男からは――!

 

 

「が――ぁ……っ!?」

 

 

 ずぶり――と、嫌な音が耳に響く。

 腹の半ば辺りより突き出たソレは、まるで生き物のように蠢く切っ先。

 鉄や木のそれではない、もっと生々しい何かでできたソレを受けた魔術師は、何が起きたのか理解できぬまま意識を失い、死に絶えた後に崖から真下の森へと落ちていった。

 

 そして、その光景を崖より見下ろす男が1人。

 

 

「愚かな……」

 

 

 男の姿は、外道魔術師の男が言っていた通りのものだった。

 血に塗れた異邦の衣服。頭の上から被った、恐ろしい獣の皮。

 携えた得物も剣や槍などの類ではない、尋常ならざる長大さを誇った異形――その正体は槌。

 

 脈動する長槌を肩に担ぎ、血塗れのままで森を見下ろすその姿は帝国内、特にフェジテで有名な『血塗れの殺人鬼』にも似ていた。

 

 

「知るべきではないこと……それに近付く愚か者。

 世は変われども、人の性はやはり変わらぬ……か」

 

 

 妖しく輝く月を見上げ、男がそんな呟きを漏らす。

 そしてズボンのポケットにあった宝石――貸し出された通信魔導器が震動したのは、その直後のことであった。

 

 




 次回より原作2巻に突入です。


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第7夜 ギルバートという男

「や、やめっ――!」

 

 

 ザンッ――!

 無様な姿で命乞いをする男の言葉に耳を傾けることなく、血に塗れた長鉈の刃が振り下ろされた。

 鍛え上げられ、世に名立たる名剣、名刀に劣らぬ切れ味こそ有してはいても、元々鉈とは重さで切ることを目的とした道具だ。

 それは対獣用に作られた『ノコギリ鉈』も例外ではなく、遠心力の加わった一撃を受けた男の頭蓋は潰れるように両断され、原型を失った脳髄が血液と共に周囲にはね跳んだ。

 

 

「ふん……」

 

 

 刃に付いた血を払うべく、男を殺した黒装束――狩人ギルバートは長鉈を軽く一閃した。

 ガチャリ、と機械的な音を鳴らし、ノコギリ鉈が長鉈形態から通常時の鋸形態へと移行する。

 これだけならば普段と変わらぬ外道魔術師狩りなのだが、今回の彼の行動場所はフェジテではない。

 

 フェジテから北西に進んだ地方にある、とある都市。

 学院の存在するフェジテや、帝国の首都であるオルランドと比べれば広さではやや劣るも、毎日人々の活気的な声が止まぬ明るげな街だった。

 だが先週、その街を起点に奇妙な噂が広まり始めたのだ。

 いや、この国に住まう人々ならばソレを奇妙に思うことはないだろう。

 その噂を何故、奇妙であると考えるのは、おそらくギルバート唯一人のみだ。

 

 “『血塗れの殺人鬼』、出現”――それがこの地方都市において、最近有名になっている噂だ。

 

 

(だが、おかしい……)

 

 

 噂が出回り始めたのは先週。

 実際に出現したのがそれより前だとしても、『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)はその頃フェジテに居た。

 そこで矛盾が発生してしまう。

 ギルバート本人がフェジテに居たにも関わらず、同じ時の違う場所で殺人鬼が姿を現している。

 

 身を2つに分けでもしない限り、そんなことはできず、そしてギルバートにそんな奇術は使えない。

 となれば、考えられる可能性は1つ――()()だ。

 

 

「とはいえ、見つけられたのはいつもの外道(クズ)か……」

 

 

 診療所を休業にし、学院の仕事も休んでまでここに来たというのに、この数日中に得られたものはフェジテ同様、外道共の命のみ。

 流石に例の結社から放たれた刺客は来ないが、どの地に行こうとも外道というものは存在するらしい。

 それが大なり小なりと差はあれども、人の命を道具や玩具と扱う連中を生かしておく必要は無し。

 

 これまで通り、ただの1人も例外なく鏖殺してきたが、結局件の偽者殺人鬼を捕えるには至らなかった。

 

 

(今晩で切り上げるか……これ以上診療所を空けておくのは、よろしくない)

 

 

 折り畳んだノコギリ鉈と短銃を手に、その場から去ろうと歩を進め……

 

 

「――!」

 

 

 直後に感じた殺気に反応し、後方へと大きく跳躍した。

 横への回避ではなく、後方への跳躍と判断したのは正解だった。

 何せギルバートの居た場所には今、轟々と燃え盛る豪炎が生まれ、石畳を黒く焼き焦がしているのだから。

 

 

「チッ……直前で気付かれるとはのぉ」

 

 

 感じた殺気とは異なり、その主の口調はどこか飄々としたものを感じさせた。

 街の裏路に現れたのは、非常に大柄な筋骨隆々たる()()だった。

 夜闇を見通す狩人の目を持つからこそ、はっきりと見えるその姿。

 

 岩から削り出したような顔付きと、溢れ出る貫禄をさらに増させている灰色の口髭。

 黒を基調とした魔導士礼服の袖から伸びる両腕には今、灼熱の劫火が宿り、炎の拳を成している。

 

 

「しっかし、衰えたとは言ってもわしの拳を避けるとは大したもんじゃ」

 

「……その礼服、『特務分室』か」

 

 

 ギルバートの呟きに、老人は口髭に覆われた口をニヤリと歪ませる。

 『特務分室』。かつてグレンが所属していた組織。

 凄腕の魔導士たちが集うその集団は、主に魔術絡みの案件を対処する部署だった筈だが、まさかこの街に来ているとは。

 

 いや、寧ろ来て当然か。

 何せギルバートは2年前、当時まだ特務分室に所属していたグレンと、青髪の少女――リィエルとかいう少女魔導士を相手に戦い、見事打ち負かして見せたのだ。

 相性や使用した道具などの存在があっても、かの魔導士団に属する2人を相手に勝利した彼の存在を政府が低く見る筈もなく、あの戦闘を切っ掛けにギルバートに対する危険度は大きく跳ね上がったのだ。

 

 そして今回の『血塗れの殺人鬼』出現の噂。

 フェジテを離れ、この街にやって来た彼の行動を怪しく思うのは当然のことで、故に政府は特務分室から彼――否、()()を派遣してきたのだろう。

 

 

「……もう1人、か」

 

「ほう? もう気付いておったのか、いやはや鋭いのぉお前さん」

 

「――笑い事じゃないですよ、バーナードさん」

 

 

 はっはっは、と笑う老人ことバーナードを諫めるように、通路の影から別の人物が彼の前に姿を晒した。

 もう1人の人物――おそらく少年と言っていい年頃の若年魔導士は、先のバーナードとは対称的に細身で、だが見掛けよりも大分大人びた印象を受ける男だった。

 

 緑がかった髪、首元を覆う紫のマフラー。

 細身の体躯からひ弱に見えてしまう者もいるだろうが、それは大きな間違いだ。

 単純な肉弾戦でならば、きっと彼を上回る輩は数多にいるだろう。

 だがそういう輩に限って、別の方面――特に魔術とかいう得体の知れない術技においては、並外れた実力を有しているものなのだ。

 

 

「特務分室が2人……俺を殺しにでも来たか?」

 

「まるで人んとこを殺人集団みたいに言うでないわ。人聞きが悪いじゃろう」

 

「その割には、先の一撃は殺す気満々だったようだが……?」

 

「む? おう、確かにそうじゃな。ま、グレ坊たちを負かしたお前さんがあの程度、避けられぬ筈もあるまい?」

 

 

 バーナードの問いに、ギルバートは沈黙を以て応じた。

 その通りだ。確かに鍛えられ、限界にまで無駄を省いた一撃でこそあったが、殺意を感じられればあの状態で避けることなど容易い。

 だが逆に考えれば、それを理解した上でバーナードはそれを放ってきたというわけだ。

 最初から本気で殺すつもりなら、そんな無駄な行為はしない筈。

 何か別の目的がある。そう考えたギルバートの予想通り、バーナードと少年は攻撃して来るわけでもなく、ただ静かにそこで屹立しているのみだ。

 

 

「お前さん、ここ数年で色々派手にやっとるみたいだな。

 最初期の頃こそ、一般人や普通の魔術師も混じっとったが、以降は全部外道魔術師か、裏の世界の連中ばかり。

 ただの殺人狂ならば、こんな面倒臭い殺り方などはせん」

 

「……つまり?」

 

「遠回しな言い方は無しにして、率直に言わせて貰おう。

 『血塗れの殺人鬼』――お前さん、わしらと一緒に帝都まで来てはくれんか?」

 

 

 その言葉に、ギルバートは僅かながらその目を見開き、驚愕した。

 まさか実力行使による強制連行ではなく、同意の上での連行を求めてくるとは露ほども思わなかった。

 大抵の輩は殺人鬼というだけで無力化か、もしくは排除に掛かって来るのだが、どうもこの老人は他の連中とは違うらしい。

 

 

「無差別に他人を殺す外道畜生なら、問答無用で拳骨を見舞っとるところだが、どうもお前さんのやり方はそうではない。

 複雑な気持ちじゃが、民衆の中にはお前さんを英雄視する者まで居るくらいじゃ。

 そいつらのことも考えると、無理矢理連行してそのまま断頭台送りにするのは、些か浅慮に過ぎるとわしは思うのじゃよ」

 

「バーナードさん!」

 

「クリ坊、お前さんとてそういう考えが無いわけではないじゃろう?

 これまで何十、何百と阿呆共の相手をしてきたが、だからこそ分かる……この男は、あいつらとはどこかが違う」

 

 

 歴戦の戦士として培ってきた経験と、これまでに幾人もの人間を見てきた彼自身の目がその真実の欠片を見出したのか。

 それにクリ坊と呼ばれた少年の方も、バーナードほどではないにしろ、ギルバートをただの殺人鬼ではないのではないか、という考えがあるようだ。

 数年に渡り、帝国の夜を恐怖で染め上げて来た殺人鬼に対してのその考えは、国の上層部にいるお偉い方々からして見れば、甘いの一言に尽きるものなのだろう。

 

 その通りだ。だがそれ故に、彼らは僅かだが真実に近付く第一歩を踏み出すことができたのだ。

 

 

「お前さんが何を目的に外道魔術師たちを狩り続けているのかは分からん。

 じゃが、このまま行けば国は必ず、お前さんを本気で殺しに掛かるじゃろう。

 だからその前に、わしらと一緒に来てくれ。その行動の本当の意味を……お前さん自身の目的を、教えてくれ」

 

 

 普段の飄々とした性格はどこへいったのかとばかりの、真面目すぎる姿勢のバーナードに、クリ坊改めクリストフは少しだけ驚いていた。

 そしてギルバートもまた、彼の言葉にさらなる驚愕を見せ、そして理解した。

 似ているのだ。きっと性格も何もかも違うのだろうが、先達として後人を導くその姿勢。

 

 (ゲールマン)は狩人として生きる術を教え、後に自らを犠牲に悪夢から解き放たんと言葉を操り、自分に介錯を望ませた。

 (バーナード)は血塗られた行い、その最奥に隠された真の意味に気付き始め、殺人鬼としての道から彼を引き上げようとしている。

 

 どこの世界でも、老いた先達者という者は後人を放ってはおけないらしい。

 それが人として道を外れかけている者ならば、尚更に。

 

 だが――だからこそ、ギルバートもまた譲るわけにはいかなかった。

 

 

「――お断りしよう」

 

 

 瞬間、バーナードの顔が僅かに歪んだ。

 成程、確かに彼は根っこの部分が善人寄りなのだろう。

 そしてそれ以上に……彼は1人の軍人なのだ。

 

 彼は言った。行動の本当の意味を、自分(ギルバート)の目的を教えてくれ、と。

 殺人鬼としての道から救い出そうという気持ちに偽りはないのだろうが、それ以上に優先されるのが宮廷魔導士としての任務。

 殺し合いをすることなく、言葉のみで相手の目的、つまりは情報を得ようとするそのやり方は実に良い。

 人の優しさに飢えた輩ならば、思わず涙を流して何もかも吐き出してしまう程に。

 

 仮に今の言葉に嘘偽りがないとしても、彼らの上司――この国の上層部がはたして、この2人と同じ考えなのかどうか怪しい。

 最悪、利用されるだけ利用され、使えなくなったら始末される可能性さえあり得る。

 

 

 

「……理由を聞かせてはくれんか?」

 

「理由も何も、俺は世間でいう悪人であり、そちらは正義の執行者……理由などそれで十分」

 

「答えになっていません。正義と悪……ただそれだけが理由だなんて……!」

 

「いいや……それで十分なのだよ。お坊ちゃん」

 

「お坊ッ……!?」

 

 

 本心を読まれないための偽りの理由とはいえ、確かに一般的視点から見て、この程度の理由では足らないだろう。

 だがしかし、ギルバートのような闇に生きる者たちにとってそんなことはどうでもいい。

 ほんの僅かな切っ掛けを作り、後は逃げるなり戦いに持ち込むなりすれば、それで済む話なのだから。

 

 

「お優しい提案、感謝する。が、此方にも為すべきことがある。

 どうしても帝都に連れて行きたいと言うのなら……」

 

 

 カチャリ――と左手に持つ短銃の銃口を、バーナードたちの方へと向ける。

 力尽くで来い――それがギルバートの答えだった。

 どんなに綺麗事を吐こうとも、どれほど優しく語り掛けようとも、狂人にはそんなもの通用しない。

 まして今回はなりそこなったとはいえ、繰り返される夢の中で何度も()()()()()()彼にとっては、そこらに転がる石ころほどの意味も、そして価値さえもなかった。

 

 

「……はぁ。結局こうなるのかのぉ」

 

「仕方ありません。とにかく準備を、バーナードさん」

 

「ほいほい。……はぁぁぁ、できれば面倒事は避けたかったんじゃがのぉ。

 特にこんな如何にもアブナイ奴とは」

 

 

 先程の姿はどこへいったのかとばかりの変わり様に、思わずため息が出かけた。

 だが、気を緩めてはならない。

 相手は2人、此方は1人。数的に見えば、不利なのは此方の方だ。

 

 あの時は相性と対処のしやすさもあって何とかできたが、今回もそう上手くいくとは限らない。

 故に彼は四肢に力を込め、携えた両手の武具をさらに強く握り締め、眼前の2人を睨みつける。

 

 

「そいじゃあ……始めるとするかの」

 

 

 老いたる豪傑の一声を切っ掛けに、『特務分室』と『血塗れの殺人鬼』、双方の戦いが2年の月日を経て再び始まった。

 

 

 

 

 

 ――時は少しばかり遡り、フェジテ・アルザーノ帝国魔術学院では。

 

 

「――医務室補佐のギルバート先生?」

 

 

 グレンの問いに、珍しそうにセリカが首を傾げ、同じ言葉を繰り返した。

 

 

「ああ。何か学院長が、俺の補佐になってくれるかもしれないって話をしてたんだが。

 正直どういう人なのかあんまり分からなくてな」

 

「ふむ……あの医者をグレンの補佐に、ねぇ」

 

 

 学院長の意図について、セリカはある程度察しがついていた。

 とは言っても、リック学院長としてはこれといった特別な意味はなく、単にギルバートにグレンの講師生活の補佐をして貰おうとしているだけなのかもしれない。

 本人が気付いているか分からないが、あの町医者は学院長のお気に入りだ。

 魔術師でこそないものの、生徒や講師たちとは異なる別の目線を持ち、そこから多くのモノを得て助言することもたまにある。

 

 セリカも何度か彼から小さな助言を頂いたことがあったが、別にそれで何か大きな悩みが解決できたわけではない。

 ただ、少なくとも他の講師共と比べたらマシ程度には思っている。

 おそらく彼が魔術師だったとしても、きっと権威主義に染まることなく、変わらぬ目線で生徒たちに接するだろう。

 

 

「ただなぁ、本人はどうも乗り気じゃないらしくてな。

 1度は断るって、言ったみたいなんだ」

 

「あー……まぁ、分からなくはないな。

 医務室補佐とは言っても、その医務室担当の法医師(セシリア)があんな調子だからな。

 これ以上仕事を増やしたくはないのかもしれないな」

 

「うわ、それすっごく分かる。

 あーでも、これからまた仕事っつーか、競技祭関連で色々あるしなぁ」

 

「ま、そこのところは頑張れよ。

 何せお前は、文字通り生存がかかってるんだからな?」

 

 

 先週の給料日の後、貰った給料を全てギャンブルでスッたグレンは、セリカや学院長からお小遣い、もしくは給料の先払いを願い出たのだが要望が通る筈もなく、このまま行けば次の給料日まで持ち金ゼロで過ごさねばならなかったのだ。

 だが幸いと言うべきか、1週間後に控える魔術競技祭で優勝すると特別賞与が貰えるという話だ。

 

 金銭もなく、故にその日の食事さえも満足に摂れないグレンとしては、まさに救いの手そのものだったわけだ。

 その後様々なこともあって、どうにかクラスの生徒全員をやる気にさせることには成功したのだが……

 

 

「あー……腹減った。セリカ、マジで何でもいいので何か食べられるもの、もしくはお金をプリ――」

 

「駄目だ。少しでも恵んだら、お前その後続けて求めてくるだろうが」

 

「チッ……」

 

 

 事が上手くいかないのは、この19年を通して嫌というほど思い知って来た。

 そもそもあの時、ハートの3が来るのが悪いだの何だのとグレンがブツブツ言っている一方、セリカはセリカで考え事をしていた。

 

 

(医務室のギルバート……そう言えば、私もあんまり知らないな)

 

 

 ふらっと現れては、何かの助言らしいものを残して去って行く大柄な医療者。

 およそ医者とは思えない体躯からして、このアルザーノ帝国にやって来る前は故郷か、それとも別の国で従軍でもしたのだろうか。

 いまいち正体の掴めない男ではあるが、これといって目立つ人物でもなく、セリカも彼に対しては然したる興味を抱かなかった。

 

 

「んー……あの男は一応、こっちでの仕事は副業みたいなもので、本業は確かフェジテで町医者をしてる筈だったな」

 

「あ、それはもう聞いてるぜ」

 

「そうか。まあ私も直接聞いたわけじゃないんだが、評判はそれなりに良いらしいぞ?」

 

「それだけか?」

 

「……? ああ、それだけだが?」

 

「そっか……」

 

 

 何かを納得したように何度も頷くグレンと、その様子を不思議そうに見つめるセリカ。

 少し変わった親子の様子を、他の誰かが見ているわけでもなく、暫くしてグレンはセリカに礼を言い、その場から去って行った。

 もしかしたらグレンの補佐を務めるかもしれない男、ギルバート。

 これといって特徴のある人物でもないのだが、この時何故か、セリカは彼の存在をすぐに記憶の片隅に置くことができなかった。

 

 老いを知らぬ、人外に近しいこの身が警鐘を鳴らしている気がしたのだ。

 あの男は怪しい。何かを隠している。

 それは真実かどうかはともかく、このまま何でもないただの町医者として片付けていい気はしなかった。

 

 

「……今度軽く挨拶でもしてくるか」

 

 

 そんな呟きを最後に残して、セリカもグレンとは反対方向へと歩み出し、廊下の先へと進んで行った。

 

 



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第8夜 狩人と魔導士 

 血と硝煙に満ちた裏路。

 響く銃声、轟く拳撃、魔術の展開音。

 地方都市ではまず起こり得る筈のない、超人たちの戦い。

 それが今、この夜の地方都市を舞台に行われていた。

 

 

「ぬうぅんッ!」

 

 

 豪炎を纏う剛拳が、猛々しい一声と共に振り下ろされる。

 魔力を乗せ、接触と同時にそれを爆発させるという異色の近接格闘術『魔闘術』(ブラック・アーツ)

 かつてはその武術を用いて、破壊魔人の異名で恐れられ、遂には英雄と賞賛されるにまで至ったバーナードのそれは、全盛期のものと比べれば確かに威力は劣っている。

 

 が、それでも並大抵の外道魔術師ならば容易く葬るだけの威力はあり、おそらく直撃すればギルバートもただではすまない。

 

 

「……」

 

 

 迫る剛拳に対し、ギルバートが取った行動は防御ではなく回避。

 それもそうだ。元々狩人の戦いに防御という概念はない。

 いや、皆無というわけではなかったが、強大な獣の前に並大抵の盾や鎧などは意味を成さない。

 

 それは最初期から現在に至るまで変わることはなく、多くの狩人は獣の攻撃の際には防御ではなく、回避を多用する。

 

 

「ふん……」

 

 

 回避の直後、すかさず引き金を引いて銃口から弾丸を放つ。

 硬い獣皮さえも貫く水銀の弾丸、その存在を彼らは既に知っていた。

 故にバーナードも纏う礼服で受けるのではなく、転がるように回避して弾丸を避けた。

 

 

「っ、アッブナイのぉ!」

 

「……老齢の割によく避ける」

 

「フフン、侮るでないわ。

 老いたとはいえこのバーナード、まだまだ若いモン……いや、お前さんが若いかどうか分からんが、まだ負けは――って、おおぅッ!?」

 

 

 得意げに話すバーナードだったが、その語りは振り下ろされたノコギリ鉈の一撃で止められた。

 石畳に深い斬撃を刻むほどの一撃。

 一体どれほどの腕力を有していることか……それは百戦錬磨の古強者(バーナード)であっても、想像するに恐ろしいことだった。

 

 

「……っ、こりゃぁ! 口上を中途半端に断ちおって、お前さんには年長者に対する敬いの念はないのか!?」

 

「歳が何であろうと、敵であることに変わりは――ない」

 

 

 変形。そして縦横斬閃。

 鋸から長鉈へと再びの変形を遂げた『ノコギリ鉈』を振るい、斬閃を放つ。

 剣の如き鋭い一閃とは異なる、重量に依る鉈の一撃は重く、それ故に強力だ。

 

 その威力は先程石畳に刻まれた傷を見れば理解するには容易く、魔術的強化を施した両腕で以てしても、完全にその威力は殺し切れないだろう。

 下手をすれば、そのまま腕を持って行かれてもおかしくない程に。

 

 

(おまけにこやつ、ただの脳筋バカ(ちからまかせ)ではない……)

 

 

 リーチが延長化し、長鉈(ながもの)となったノコギリ鉈を扱うのは容易ではない筈だ。

 何も知らない無知者の目から見れば、今の彼はただ力任せに長鉈を振るっているだけにしか見えないのかもしれない。

 

 だが、バーナードは違った。

 何十年という歳月を戦場で過ごし、かつてとは異なり魔力、筋力、そして荒々しささえ感じられた攻撃性は失われたが、その経験と戦士としての感覚は未だある。

 一見すれば長鉈の振り回しにしか見えないこの技も、常人以上の筋力のみならず、確かな技術無くしては繰り出せない。

 それをああも自在に、かつ連続して繰り出すまでに、どれほどの修練と実戦を積んで来たことか。

 

 

「成程……こりゃ外道魔術師(れんちゅう)が悉くやられるわけだわい」

 

 

 口元より普段の笑みが消え、老傑らしい落ち着いた表情が代わりに現れる。

 世辞にも魔術師という存在は、身体的な面で優れているとは言い難い。

 バーナードらが所属する『特務分室』などの一部の例外こそあるが、魔術師の最大の武器は魔術であり、拳や足を用いた肉弾戦にはそこまで秀でていないものだ。

 

 老いたとはいえ、かつては魔闘術を用い、破壊魔人の異名で恐れられたバーナードでさえこの様なのだ。

 ならばこれまでギルバートに狩られて来た外道魔術師たちが敗北し、屍を晒したのも頷ける。

 

 

「――余裕だな、ご老体」

 

「――!」

 

 

 たった一瞬。

 その僅かな間に、ギルバートは距離を詰め、バーナードに迫っていた。

 右手の鉈は既に構えられ、その刃で彼を切らんと攻撃に移っていた。

 

 この距離では回避は間に合わず、できるとすれば防御か、それとも肉を切らせることを承知でこちらも攻撃するか。

 いや、駄目だ。特に後者はデメリットの方が高い。

 魔術的強化さえ施さぬ素の状態で、人間離れした怪力を持つギルバートの一撃は、当たり所によっては即死は免れない。

 

 

「まずは――1人」

 

 

 詠唱さえも許さぬ速度で、渾身の一撃が繰り出され――だが。

 

 

「――《高速結界展開・翠玉法陣》ッ!」

 

 

 長鉈が繰り出されるよりも前に、地面に投げ放たれた翠玉。

 それは丁度バーナードを囲うように地面に刺さると、直後のクリストフの呪文詠唱に応じ、魔力光を発した。

 生じた光は線となり、互いに繋がり五芒星を描くと緑光の壁が出現し、長鉈の一撃を見事に防いだ。

 

 

「ナイス! 最高のタイミングじゃったぞ、クリ坊!」

 

 

 結界内の中で親指を立て、クリストフへと笑い掛ける。

 戦闘中にその行動は余裕とも取れるものにも見えるが、寧ろ彼としてはクリストフに対する信頼の表われという方が正しい。

 魔導の名門フラウル家の宝玉式結界魔術。

 その中でも特に守りの結界術を得手とするクリストフの結界は、帝国宮廷魔導士団の中でも随一の硬度を誇る代物だ。

 

 故に特殊な効果を有する攻撃か、もしくはデタラメな威力の一撃でもない限り、何人も彼の結界を破ることは不可能。

 

 

「……硬いな」

 

 

 マスクに覆われた口元から、ぼそりとギルバートの呟きが漏れる。

 鉈の刃を通して伝わった結界の硬度。

 これまで相手して来たどの魔術師の防御魔術さえも大きく凌駕するそれは、鍛え上げた自慢の狩道具の一撃を防ぐだけの硬さはあったようだ。

 

 

「だが……砕けない程ではない」

 

 

 柄に力を込め、押し込むように鉈を振るうと結界に亀裂が生じ、直後に砕け壊れた。

 ガラスの破片のように砕けていく翠色の結界。

 振り切られた長鉈。

 

 幸いにも結界内にいたバーナードが鉈の一撃を受けることはなく、結界崩壊と同時に後方へと跳び、クリストフの傍に着地していた。

 だがその顔に、無傷で済んだことに対する安堵は無い。

 あるのは警戒。尋常ならざる相手にのみ向ける、古強者の鋭き視線のみだ。

 

 

「っ、《高速結界展開・翠玉法陣――」

 

 

 涼やかな美貌に警戒の念を強く出し、取り出した翠玉を再び地面へと投げ放つ。

 

 

「また壁か……」

 

 

 ほんの少し力を強めただけで砕ける壁など、大した障害にはなり得ない。

 硬度も覚えた。ならば今度は壁ごと相手を叩き切るだけの一撃を見舞うだけのこと。

 

 投げ放たれた翠玉が壁を発生させるよりも早く駆け抜け、ノコギリ鉈を鋸形態に変形させつつ構える。

 刃の届き間合いにまで近付けば、あとはこのノコギリ鉈を再度変形させ、刃を放つのみ。

 変形の際に生じる遠心力が加わった一撃は、如何なる防具をも切り砕く。

 

 そのことに一切の疑念を抱くことなく、ギルバートは構えたノコギリ鉈を振るわんと右手を動かし、変形機構を作動させ――そして。

 

 

「――《五重奏》ッ!」

 

 

 いつの間に仕込まれていた別の翠玉が発光し、先程と同じ壁を発生させる。

 先の結界がバーナードを守るための防壁であったのなら、今度の壁はギルバートを囲うための牢だ。

 先に投げた翠玉は囮であり、同時にこの牢を作り上げるためのパーツの1つだったのだ。

 

 ならば先と同じく砕けばよい。

 だがその考えを読めないほど、クリストフも馬鹿ではない。

 閉じ込められた時、ギルバートが真っ先に攻撃を繰り出す方向はクリストフたちの方だ。

 それを予想していたからこそクリストフは、自分たちのいる方角にのみ、さらに追加の守りを展開した。

 

 

「《高速結界展開・金剛法印》!」

 

 

 右手を翳し、握り持っていた5つの金剛石を空中に配置する。

 先程の翠玉と同じく、金剛石は五芒星の法印を描くように互いに魔力線を伸ばし、法印が完成するのと同時に堅固なる魔術盾が出現。

 まさに金剛石の如き守りの前に、ギルバートの一撃も防がれて、惜しくも彼らに届くことはなかった。

 

 とはいえ、流石に埒外な腕力と優れた武器を組み合わせた一撃だったためか、堅固なる金剛法印すらも半分以上が切られてしまっている。

 あと少しでも力を加えて押し込めば、きっとこの魔術盾すらも砕かれることは確実だ。

 

 

「――()()()、バーナードさん!」

 

 

 だが、それを為すには僅かな時間が要るだろう。

 そしてその瞬間のみ、彼の意識は盾とクリストフに集中する。

 クリストフが叫び、それに気付いた頃には既に遅く、結界の牢獄に囚われたギルバートを()()()()()老傑が見下ろしていた。

 

 

「どれ、今度はこっちの番じゃ!」

 

「……!」

 

 

 結界壁の上部分に乗り、そこから両手に携えたマスケット銃の銃口を向け――放つ。

 1発、2発、3発、4発――。

 攻性呪文(アサルト・スペル)を組み込んだ魔術弾入りのマスケット銃を撃つ度に、その一挺一挺を放り捨てて、また新しい銃を構えて撃っていく。

 魔術による圧縮保存によって縮小化したマスケット銃を全身に仕込み、状況に応じて使用する方法は、全盛期の彼を知る者ならば驚愕を隠せずにはいられないことだろう。

 

 だが老いを認め、力に劣るという事実を受け入れたが故のこの戦法は、彼なりの最良と言える手段だ。

 事実、結界牢にいたギルバートは連続銃撃による弾幕のせいで自由には動けず、牢の中に満ちた土煙で視界すらも塞がれている。

 幾十度めかの銃撃の後、ようやくバーナードの攻撃が止むが彼はまだマスケット銃を手放さぬまま、じっと壁の上から牢内を見据えている。

 

 

「どうですか?」

 

「分からん。あれだけ派手に撃ったからな、どんな状態になっているのかなど、想像もしたくないわ」

 

「……死んではいませんよね?」

 

「まさか。それこそあり得んじゃろ。攻性呪文(アサルト・スペル)仕込みの魔術弾とはいえ、あの殺人鬼がこの程度でくたばるとも思えん」

 

 

 尤も、無傷とも思えんがな――。

 至極真面目な口調で言うバーナードと、壁越しに結界牢内を見つめるクリストフ。

 今回下された命令は、件の殺人鬼の捕縛だ。

 『天の智慧研究会』のように明らかな外道であるなら上層部も抹殺命令を出せたのだが、幸か不幸か彼はそういう類の存在ではない。

 

 テロ未遂事件の後、血文字による警告の件を機に支持者が減ったとはいえ、未だ彼を英雄視する民衆は存在している。

 そんな中で彼を殺害すれば、最悪その支持者たちが暴走しかねない。

 故の捕縛命令であったのだが、あの実力を考えればその命が如何に至難であるのか、2人は今身を以て体験したというわけだ。

 そして――。

 

 

 ――ガガガガガガガッ!

 

 

 駆動音と共に鳴り響く音。

 これまでの戦いの中で、ただの1度も聞いたことのない音に2人は一瞬目を見開くが、真に驚くべきはそこではなかった。

 

 

「ぐぅぉっ!?」

 

 

 衝撃と激痛を伴い、右腕に当たる部位より鮮血が噴き上がる。

 携えていたマスケット銃を今の衝撃で落とし、右腕はその威力の前に千切れ飛んでしまっている。

 衝撃を諸に受けて、乗っていた結界壁の上から落ちたバーナードは激痛に耐えつつ立ち上がる。

 

 今の攻撃の正体が何であるのか、詳しくは分からない。

 が、何かに撃ち抜かれるような感覚から察するに、弾丸か何かで撃たれたようだ。

 それも自分がしたような複数のマスケット銃を用いた連射ではなく、それを遥かに上回る連続銃撃。

 自分がマスケット銃の弾丸1発を撃つ間に、最低でも10発近くの弾丸を放てるほどの、そんな馬鹿げた連射性の銃撃だった。

 

 

「バーナードさん!?」

 

「っ……わしのことはいい! それよりクリ坊、結界じゃ! 壁代わりの結界を張るんじゃ!」

 

「壁代わりの……はい!」

 

 

 バーナードの近くにまで寄ると、クリストフは言われた通りに周囲に大量の翠玉をばら撒き、結界を展開する。

 先程と同じく五重構造のもの。自分とバーナードを守ることを考えると、この結界が最も最適であると判断しての行動だ。

 

 そしてバーナードの予想は的中し、晴れかけた土煙を一気に吹き飛ばし、虚空を無数の弾丸が駆け抜けて来た。

 空中を駆け、猛速度で迫る弾丸たちはさながら海を進む魚群。

 それらがクリストフの張った結界に衝突。牢を成していた先の結界壁が軋み、やがて食い破られるように壁は破壊され、クリストフたちのもとへと迫る。

 

 ガガガガッ! と五重の多層結界壁に弾丸の群がぶつかる。

 1つ1つが壁にぶつかり、爆ぜる度に結界の耐久値は削られ、死が彼らの近くへと寄っていく。

 亀裂が生じ、破壊まであと少しと思われ――そして突然弾丸の射出が停止した。

 

 

「――中々にやるじゃないか」

 

 

 ざり、と靴で地面を踏み締めて、その姿を晒すギルバート。

 バーナードの連続銃撃の際に生じた土煙によって姿を消していた彼の装束は、少なからずマスケット銃による銃撃を受けたのか、所々が裂かれ、黒く焼け焦げていた。

 

 だが彼らとしては、その傷よりも彼が手にしていた()()の方が気になっていた。

 右手には変わらずのノコギリ鉈が携えられていたが、左手に握るものは既に短銃ではない。

 短銃とは比較にならない重量、大きさ、そしてその機構。

 数本もの砲身を束とし、僅かな時の間に敵対者を文字通りハチの巣とするその銃器の名は――『ガトリング銃』。

 

 

「そいつが……お前さんの……」

 

「……ああ」

 

 

 ガシャリ、と重々しい音を立てて複数の砲口が2人に向けられる。

 狩人の剛力を以てしても扱いが難しく、大砲ほどではないにしろクセのあるその銃器は、だが殺戮という点においては非常に優れた性能を有している。

 超速度で放たれる弾丸を連続で放つというものは、相対する者にとっては悪夢でしかない。

 魔術という存在が生まれたことにより、戦場から剣や槍、銃が主役(メイン)の座から外されたことはこの世界にとってごく当たり前のことなのだが、その当たり前が、文明発展の方向の違いが裏目に出た。

 

 少なくとも魔術ではなく、これまで通りの科学によった発展をしていれば、『ガトリング銃』などという奇怪な代物の存在にここまで追い込まれることはなかったのやもしれない。

 

 

「流石に『特務分室』。腕1本で済ませたか……」

 

「おう。とは言っても、このザマじゃぁのぉ……」

 

「油断を誘おうとしても無駄だぞ、ご老体」

 

 

 砲身をさらに前へと出し、脅すように眼光を強める。

 それに対してバーナードはこれといった反応を示さなかったが、クリストフの方はそうでもなく、取り出した紅玉(ルビー)を地面に投げ放ち、その眼光に対抗するようにギルバートを睨みつけた。

 

 

「……まだ、諦めないか」

 

「……当然」

 

「あまり良い判断とは言えんな。

 俺の機関銃(ガトリング)とそちらの魔術……どちらが早いかは明確だろうに」

 

「ならば無抵抗のまま殺されろと? それこそ最良には程遠いじゃないか」

 

 

 ギルバートは、世間において殺人鬼として知られている。

 彼を英雄と讃え、支持する者も存在するが、それでもその殺人鬼という印象は掻き消せない。

 当然、彼の次の行動も()()()()()()()であると考えるのは不思議ではなく、現にクリストフも彼の次なる行動をそういう方向のものであると予想した上で、今の言葉を吐いたというわけだ。

 

 だからこそクリストフの判断は正解とは言い難くも、決して間違いではない。

 

 

「成程……尤もだ」

 

 

 その答えを聞いて何を思ったのか、それまでギルバートの体躯より発せられていた殺気は失せ、向けていた砲口も下ろして彼らへと背を向け、歩き始めた。

 

 

「止めは、刺さんのか……?」

 

「……殺す予定のない相手に、何故止めを刺さねばならん?」

 

「いや……わしら、お前さんのこと……」

 

「あれは俺を捕えることを目的とした故だろう?

 まあ……確かにあの連続銃撃に関しては、苛立つものがあったが……それだけだ」

 

 

 殺気こそあれ、本気で殺しに掛かることはなかった彼らを、殺意の赴くままに鏖殺するのは愚行だ。

 彼らの提案を受けないだけならまだしも、ここで2人を殺してそのことが帝国政府の耳にでも入れば、それはまさに愚の骨頂。

 

 

政府(うえ)に伝えるといい。

 捕縛、抹殺問わず、俺を敵に回すのであれば……覚悟を決めろ――とな」

 

 

 その言葉を最後にギルバートは跳躍し、民家の屋根を足場に夜闇の中へと消えていった。

 

 

「覚悟を決めろ……か。えらく、デカいことを、言うじゃ……ないか」

 

 

 千切れた右腕を断面に当てられ、クリストフの治療魔術を受けながら老傑は1人呟く。

 彼の口にした『覚悟』の二文字。

 その重みを真に理解し得る者は、きっと少ないだろう。

 

 ただ1人の殺人鬼と侮り、何も知らぬまま敵に回したが最後――その先には破滅が待っている。

 そんなことを考えて、傷を負った古強者は後輩の治療に身を任せ、夜空の月を仰ぎ見た――。

 

 



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第9夜 因縁は断たれず

『――任務、お疲れ様です』

 

 

 耳に当てた宝石型の魔導器より響くその声。

 暗い夜闇のさらに深奥。

 人目の届かぬ闇黒の領域に、その人物の姿はあった。

 

 角を備え持つ獣皮の頭巾。

 血に濡れ、獣皮を羽織ることで乾くことのない深紅を帯びた異邦の衣服。

 数年ほど前より、アルザーノ帝国の夜を騒がせている怪人。

 血に濡れた外套を纏う『血塗れの殺人鬼』……その偽者である男だ。

 

 

『隠密に優れた術の担い手とはいえ、はぐれ魔術師如きに我が組織の秘密を知られてしまったとは。

 此度の一件、貴方様のお手を煩わせてしまい、申し訳ございません』

 

「構わん」

 

 

 魔導器越しの相手の言葉を、ひどく興味なさげな口調で応じた。

 元より秘密を知った相手を始末するなど、男にとってはごく当たり前のことであり、それが彼に与えられた唯一の仕事(しめい)だ。

 それにこの魔導器越しの相手も、心底より彼に対して謝罪をしているわけではないのは、その声音から容易に察することができた。

 

 

「お主たちが如何な不手際や失敗を晒そうとも、その後処理を私がこなせば済むだけのことだ」

 

『ええ。ですが、今回の一件は何とも情けない話で……』

 

「情けなかろうと何であろうと、これが私の仕事であり、お主たちとの間に交わした契約だ。

 それに……これ以上、お主の心の籠らぬ謝罪など聞いていても、無駄に時を浪費するだけだ」

 

『……』

 

 

 耳に当てた宝石から声が途絶える。

 その代わり、間もなくしてクスクスと笑い声のようなものが聞こえ始め、男の耳をその音で満たす。

 耳障りに響くその笑声には確かなる悪意が込められていて、その声の主の本質が窺えた。

 

 

「……本題に入ろうか。それで、お主は何の用で私を呼び出した?」

 

『っふふ……ええ、そうですね。では、貴方様のお望み通り、()()に移るとしましょう』

 

 

 何者も知らぬ暗がりの中で行われる会話はやがて終わりを告げ、全てを聞き終えた男は通信を切り、闇の中から空を見上げる。

 天に頂く満月は、今宵も淡く、そしてどこか怪しげな光を以て地上を照らしている。

 だが、そんな月光でさえ真なる闇――その深奥に隠れ潜む者共の姿を照らし暴くことは不可能だ。

 

 

「嘘か、真実か……あの狂人の言葉に信を置くことに危険がないわけではないが……」

 

 

 それでも、きっと行かねばならないのだろう。

 いや、そうでなければならない。

 如何なる苦難、危険が待ち受けていようとも、彼には為さねばならぬ使命がある。

 例えあの悪夢より解き放たれ、こうして再び肉の体を得ようとも変わらない。

 

 秘密を――教会の秘匿たるあの漁村の存在を知った者には、終わりなき死を与える。

 それこそが、彼――教会の刺客、狩人ブラドーの使命なのだから。

 

 

「一縷の希望……はたしてそれは応えてくれるかね」

 

 

 そんな呟きを最後に残して、狩人ブラドーの姿は夜闇の内から消失。

 そして街は変わらぬ夜の中、朝陽が来るのを待ち続けるのだった。

 

 

 

 

 

 

 偽者が現れたらしい地方都市を離れ、早数日。

 ギルバートはその装いを狩人の黒装束から町医者としての白衣姿へと変え、馬車に揺られながらようやくフェジテの街へと辿り着いた。

 普通ならば、このまま診療所の方へと帰宅するのだが、どうも街の様子が妙ににぎやかだ。

 人々のにぎわいを頼りに、視線をあちらこちらへと向けるとその要因たるは街の最奥、魔術学院にあると理解し、そこで今何が行われているのかを彼は思い出した。

 

 

「そうか。今日が競技祭だったか」

 

 

 件の事件が起きた地方都市に赴く前に、そろそろ競技祭開催の時期であることは知らされていた。

 とはいえ、所詮は医務室の法医師補佐に過ぎない彼は担当のクラスを持っているわけでもなく、去年の競技祭――より正確には、競技祭内で使われた魔術の数々を見て十分に満足したため、今年の競技祭に関してはそこまで興味はなかった。

 

 加えて今回の偽者が起こした殺人事件もある。

 これまでギルバートが帝国政府に抹殺ではなく、捕縛の条件で狙われていたのは、偏に彼の殺害した人物たちの種類によるものだ。

 悪行を働く外道魔術師たちを、その理由はともかく悉く殺戮してきた彼は帝国の民衆たちにとっては英雄(ヒーロー)も同然であり、それは以前の血文字による警告の件を経て、支持者の数が減少した今でも同じだった。

 

 今はまだ目立った動きはしていないようだ。

 だが今後、何の関係もない一般人に手を出すようなことがあれば、『血塗れの殺人鬼』は外道殺しの狩人から、単なる殺戮者へとなり下がる。

 

 

(それだけは絶対に避けねば……)

 

 

 民衆からの支持は、時として足枷になることもあるが、ギルバートにとっても都合の良いものだった。

 国とは民あってこそ成り立つものであり、その基盤たる者たちが暴走でもすれば、少なからず帝国に影響がでることはまず間違いない。

 故に政府も『血塗れの殺人鬼』を抹殺することは避け、秘密裏に捕縛する道を選ばざるを得ない状況なのだが、その殺人鬼(ギルバート)が真に単なる殺戮者へと成り果てれば、政府はそれを機にギルバートを抹殺しに掛かるだろう。

 

 いや、死ぬこと自体に恐怖は無い。

 そもそも死してもそれは“夢であった”と片付けられてしまうギルバートにとって、死とは()()恐れるに足りぬ概念なのだ。

 問題は殺されること自体よりも、政府に追われるという状態だ。

 未だ目的を果たせず、そのために各地へ出向くことも少なくないギルバートにとって、これは非常に厄介なことだ。

 自由に行動できる現状態を崩させぬためにも、偽者には消えて貰う必要があったのだが……。

 

 どうやらそのことばかりを考えていたこともあってか、競技祭の開催日をど忘れしてしまっていたようだ。

 

 

「それにしても、やけに今年の競技祭は盛り上がっているな」

 

 

 今年の競技祭の熱が去年のものとは比ではないのは、一見しただけでも充分に分かるほど。

 幾ら国内最高峰の魔術学院とはいえ、ここまでの盛り上がりを見せるなど普通ならばあり得る筈がない。

 それだけの理由がある――そうギルバートは推察し、何かを見据えるように学院の方へとその視線を向けた。

 

 

「……取り敢えず、行ってみるか」

 

 

 手持ちの黒カバンを携え、白衣をなびかせて彼は向かう。

 そこに待ち受けているモノ。後に起こる事件をどこか本能的に感じながら。

 彼は学院に続く道を進み始めた――。

 

 

 

 

 

 

 学院の護衛係に身元を証明し、学院内に入るギルバート。

 競技祭の開催場所は、去年と学院内北東にある魔術競技場に間違いないだろう。

 歓声もそちら側から聞こえてくるし、あそこ以外であんな大規模な祭事を行うことはできない。

 

 取り敢えず中の様子だけ見て、少ししたら学院を出ようと考えていた、ちょうどその時だ。

 

 

「……あれは」

 

 

 競技場から複数人、軽甲冑と緋色の陣羽織に身を包んだ男たちが出て行く姿が見えた。

 このアルザーノ帝国においては珍しい、鎧の類を身に着けた者たち。

 それにあの陣羽織。直接見たことはないが、話では聞いたことがある。

 

 『王室親衛隊』

 アルザーノ帝国、その頂点に君臨する女王の守護者。

 王室一族を何より、誰よりも優先的に守護し、その際には己が命さえ惜しむことのない忠義者たち。

 彼らがここに居るということは、この学院に王族の誰かがいることは確実。

 

 その彼らが、主の守護の任を離れてどこかへ向かうということは、何か良からぬことが起きた証明とも言える。

 彼らを追うか、それとも放っておいて競技場へと向かうべきか。

 

 

「……考えるまでもないな」

 

 

 周囲の視線に注意を払いつつ、姿を隠せるような物陰へと移動し。

 虚空を歪め、その歪みに手を突っ込んで取り出した青い液体で満たされた瓶の蓋を開け――その中身を一気に呷る。

 

 薄れゆく存在。脳を襲う僅かな痺れ。

 これまで幾度となく服用してきた秘薬によって半透明化したギルバートは、装いはそのままに人気のない道を進み、親衛隊の後を追った。

 彼らが向かう先は競技場とは真逆の方角。

 学院を取り囲む鉄柵の辺りまで来て、彼らはようやくその歩の速度を緩め、そこに居た()()()()と接触した。

 

 

(あれは、グレンと……ルミア君?)

 

 

 鉄柵近くの木々の下にいた男女――グレン=レーダスとルミア=ティンジェル。

 その2人を取り囲むように親衛隊5人は散開し、彼らに何かを問いかけるようにその口を開いた。

 1度目の問いに対し、おそらく問いの相手であろうルミアは訳が分からなさそうにグレンの方を見て、2度目の問いに今度は戸惑いながらも答えた。

 

 するとその答えを機とし、親衛隊は一斉に腰に佩いた細剣(レイピア)を抜剣。

 その鋭き切っ先を全て、ルミアの方へと向けて、隊長各らしき衛士が堂々たる叫声を挙げた。

 

 

「傾聴せよ! 我らは女王の意思の代行者である!」

 

 

 忠義に篤い親衛隊らしい、何とも堂々たる一声は何者の発言も許さぬ圧のようなものが込められている。

 さながらそれは、これより述べる事の一切が真実であり、我らにこそ正義があると言うかの如く。

 

 

「ルミア=ティンジェル。恐れ多くもアリシア七世女王陛下を密かに亡き者にせんと画策し、国家転覆を企てたその罪、もはや弁明の余地なし!

 よって貴殿を不敬罪および国家反逆罪によって発見次第、即、手討ちとせよ。これは女王陛下の勅命である!」

 

(……!)

 

 

 女王の暗殺。

 それがルミアが犯さんとしていた罪であると、そうあの親衛隊の男たちは言っていた。

 だがおかしい。あり得ない。できる筈がない。

 ルミアという女生徒については、そこまで深く知っているわけではない。

 

 だが、彼女の性格についてはそこそこ知っていたし、何よりあの日――ヒューイ=ルイセンの自爆テロ事件の際に見せてくれた、あの微笑と『ありがとう』の言葉から察するに、暗殺なんて考えるような娘ではないのは確かだ。

 ヤーナムという狂気に満ちた魔境(せかい)で生きたからこそ、分かることがある。

 狂気を隠し、内側を悪意に蝕まれた人間。

 狂気の渦の中においてなお、正気を保ち、善性を失わぬ人間。

 少なくともルミア=ティンジェルという少女には、誰かを殺そうなどという悪意に満ちた念は存在しない。これだけは断言できる。

 

 

「――ふざけんな!」

 

 

 親衛隊の衛士たちの言葉に、遂にグレンが憤怒を露わとし、叫ぶ。

 普段は性格的に難が見られる彼ではあるが、その根本は善性寄りだ。

 こんな一方的で、理不尽な行いに涼しげな顔で居られるような人間ではないし、それは自爆テロ事件を通してよく理解していた。

 

 とはいえ、あの人数を相手にルミアを連れて逃げ切るなど、そう容易いことではない。

 ヤーナムの群衆や地下のネズミ共を相手して来たから、対多人数戦や多数の追手からの逃走が如何に難しいものかなど、嫌というほどに知っている。

 

 真実を隠すための虚偽とはいえ、事件の際に1人隠れていたとなっている自分を擁護してくれたルミア。

 今後何か起きた際、確実に何らかの役に立つであろうグレン。

 掛けられた恩義と、利用性を合わせて考えた上で、ここで彼らを見捨てるという選択は既に無くなっている。

 では、どうすれば彼らの助けとなれるか。

 つい先日、バーナードら『特務分室』と()り合ったばかりだ。ここで『血塗れの殺人鬼』として親衛隊を殺害するのは良策ではない。

 

 では別の衣装を纏い、戦闘不能状態にまで追い込むか?

 普段の黒い狩人装束は、ノコギリ鉈や短銃と並び、『血塗れの殺人鬼』のトレードマークとして既に知られてしまっている。

 だが逆に、それ以外の装束は着てこなかったため、全くと言っていいほど別の姿でのギルバートの存在は知られていない。

 

 

(顔隠しの装束ならば、アルデオ……いや、やつしの装束か?)

 

 

 薬の効果も薄れかけてきている。

 早急に着替えねば、逆に親衛隊に見つかり、最悪彼らの助けとなるどころか足手纏いになってしまう。

 思考に思考を重ね、ある姿を思い出した彼は、だがその顔に明らかな嫌悪感を滲ませた表情を浮かべ。

 

 

(っ……状況が状況。親衛隊を殺さず、そして確実に彼ら(グレンたち)を逃がせるならば()()が最良……)

 

 

 計画の確実性を優先する思考と、人間としての誇りを優先する思考が脳内で鬩ぎ合う。

 上位者共の力を研究し、超越的思考へと至るための過程で生み出された術技『秘儀』。あれを扱うことに躊躇いはない。

 だが、()()だけは受け入れ難かった。初めてあの姿となり、敵対者を蹂躙した時の感覚を今でも覚えており、その悍ましさから彼は心底よりアレになることを拒み続けて来たのだ。

 

 それでも、確実に計画を成功へと導けるのは、おそらくアレだけ。

 単純な攻撃力でもなく、かと言って特殊な能力によるものではない。

 視覚的衝撃――それこそが今、最もこの状況に必要な要素だった。

 

 

「……なるしか、ないのか」

 

 

 苦悩の末に出した決断のもと、彼は虚空に再び手を伸ばし、そこから1つの装束と大型の工房道具を取り出し。

 白衣からその装束へと着替えた後、彼は道具を用いて、己が脳内に1つの『秘文字』を焼き付けた――。

 

 

 

 

 

 

 グレン=レーダスは、必死で思考を巡らせていた。

 ルミアの命を狙う王室親衛隊、その精鋭5人。

 いずれもが卓越した技量を有し、加えて1人の例外なくその身を耐魔術装備で固めている。

 おそらく単純な近接戦闘能力だけならば、グレンよりも上を行き、それだけでなく先程の動きから察するに連携練度も極めて高いと見た。

 

 まともにぶつかれば、まず間違いなく自分の方が殺られる――。

 そう思わざるを得ないほどに彼らという障害は手強く、故にルミアを連れてここから逃げ出すことは至難の業だ。

 

 

(いや……方法がないわけじゃねぇ)

 

 

 ルミアを連れ、確実にこの場から脱する術はある。

 だがそれを実行に移すには、彼らに隙を生じさせねばならない。

 一瞬でいい。ほんの一瞬、彼らの意識が自分から離れれば、それを実行し、ルミア共々ここから脱することができる。

 

 問題は、その隙をどう作るか。

 そんな思考で頭の中を満たしていたその最中、1人の衛士がグレンから視線を外し、別方角へと視線の向きを変えた。

 

 

「おい、そこのお前。そこで何をしている」

 

 

 衛士の視線の先に見えたのは、ボロボロの黒布で上半身を覆った誰か。

 被った黒布は如何にも自分は怪しい人物ですと証明しているようなものであり、加えて纏う空気もどこか不気味さを感じさせるものがある。

 その人物は一歩、また一歩と足を進め、徐々に彼らとの距離を縮め、近寄ってきている。

 

 得体の知れなさと、その不気味さ。

 その双方が合わさることで、言葉に表し難い恐怖が生まれ、そしてそれに相対する者は恐怖に当てられ、正常な思考ができなくなってしまう。

 

 

「おい、それ以上こちらへと来るな。我らは今――」

 

「……」

 

「っ、聞いているのか貴様! 我らは王室親衛隊。我らが言葉を聞き入れぬとなれば、相応の罰を覚悟して貰うぞ!」

 

「……」

 

「く……来るなと言っているのが分からんのか!?」

 

 

 無言。ただひたすらに無言を貫き、迫って来る黒布の怪人物。

 顔はおろか、声さえも発さぬ得体の知れない輩の登場に他の衛士たちにも徐々に恐怖が浸透し、彼らの顔に怯えの色が滲み出し始めた。

 

 

「っ――来るなァ!」

 

「っ、馬鹿者!」

 

 

 遂に耐え切れなくなった1人の衛士が、手に握る細剣で以てその人物の纏う黒布を切り裂いた。

 感情に任せたその攻撃行動は、例え女王陛下の任務遂行のためとはいえ、その行いは愚かの一言に尽きた。

 グレンや他の衛士たちしか見ている人間がいないとはいえ、彼は決して剣を抜くべきではなかったのだ。

 

 そしてその愚かさが故に、裂かれた黒布の隙間から――ソレはその正体を晒した。

 

 

「な――ごぁっ!?」

 

 

 首に巻き付き、締め上げる長いモノ。

 ぬるりと滑りを帯びたそれは死体のように蒼褪めていて、生理的嫌悪感を抱かざるを得ない気色悪さに満ちたソレは――触手。

 見れば頭に当たる部位も人間のそれではなく、白い木のようにも見えて、だが明らかにこの世のものとは思えない冒涜的形状。

 黒布の下に隠し、秘されていたものの正体は、文字通りの“怪人”だったというわけだ。

 

 

「ば、化け物!?」

 

「ひ、怯むな! 全員で取り囲み、一気に仕留めるのだ!」

 

 

 隊長らしき衛士の指示に従い、捕えられた1人を除く衛士たち全員が怪人を囲うように陣形を組む。

 女王――より正確には、総隊長であるゼーロスからの命さえ、今の彼らの脳内からは忘却されている。

 未知なる脅威、得体の知れない恐怖に直面した時、人は己が命を最優先に考える。

 

 彼らの今の行動も、正体不明の怪人を仕留めるためのものだが、大元を辿るとそれは自らの生存欲求から生じたものに他ならない。

 

 

「先生、あれは……」

 

「ああ……何だかよく分からねぇが、とにかく助かった!」

 

 

 予定とは少し違うが、衛士たちの意識が外れた今が好機。

 グレンはルミアを抱え、彼らに気付かれぬよう迅速にその場から抜け出し、何らかの魔術を行使して鉄柵を飛び越え、学院の外へと出て行った。

 

 

(行ったか……)

 

 

 触手による薙ぎ払いや、口に相当する部位から吐き出す粘液によって4人の衛士たちを相手取るも、状況はそこまで良いものとは言えない。

 何せ片腕を衛士1人の拘束に使っているのだから、使える主な武器はもう片方の触腕と粘液だ。

 触手に関してはその気になれば頭のあらゆる部位から出すこともできるのだが、自在に操れるわけでもなく、何より加減を間違えれば殺しかねない。

 

 だが、無駄に時間を費やして彼らの相手をしていても意味はない。

 そう考えたギルバートは拘束していた衛士を離すと、わざと4人の方に返すよう放り投げた。

 地面に叩き付けられ、その衝撃でせき込む衛士を他の仲間が起き上がらせると、仲間が戻り、人質もいなくなったことに親衛隊は気力を取り戻し、ギルバートに対する恐怖を強引に引き剥がした。

 

 

「行くぞ――!」

 

 

 隊長各の一声のもと、剣を構えて一斉に襲いにかかる衛士たち。

 この連携攻撃を以て必殺を成す――!

 そんな意気込みが感じられる彼らの猛進を前に、だがギルバートは臆する様子も見せず、それどころか受けて立たんとばかりの屹立の姿勢で彼らの攻撃を待っていた。

 

 剣の切っ先が届くまで、あと5歩、4歩、3歩。

 2歩、そして1歩のところまで彼らが距離を縮めて来たところでギルバートは己が体を限界にまで反らし、その触腕を体に巻き付けると。

 

 

「――吹キ飛ベ」

 

『――!?』

 

 

 轟――ッ!!

 それは、例えるならば極小の惑星爆発。

 宇宙的神秘を宿した爆発が怪人態のギルバートを中心に発生し、衛士たちを襲う。

 猛烈な衝撃が全身にかかり、握り持つ剣さえも折れて、1人の例外なく衛士は文字通り吹き飛ばされ、木々や地面、鉄柵に叩き付けられて意識を失った。

 

 

「フン……」

 

 

 敵を片付け、巻き付けた触腕を戻すと彼は周囲を見回し、その状況を確認する。

 そう遠くない場所から聞こえる声。その言葉から察するに、残りの親衛隊衛士が応援としてやって来たのだろう。

 その数について詳しく知る術はないが、少なくとも今しがた相手した連中以上の人数がこちらへ向かって来ているのは確かだ。

 

 

「面倒ダナ……此処ラデ退クノガ賢明カ」

 

 

 そうとなれば行動は速く。

 伸ばした触腕で鉄柵を掴むと、弓弦に番えた矢の要領で鉄柵を飛び越え、学院外区へと移動した。

 グレンたちがどこにいるのか、どこへ向かったのか。それは分からない。

 が、親衛隊から逃れるために、あの男はまず人目を避けられる場所を探すことだろう。

 

 ならばこちらも同じく、人目の届かぬ場所へ向かえば良いだけのことだ。

 幸いにもここはフェジテ。長年に渡り、夜毎この街で外道共を始末して来た彼にとって、もはや庭のようなものだ。

 人目を避ける場所の心当たりなど、幾らでもある。

 

 

「……行クカ」

 

 

 姿もこの眷族じみたものから元の人間としての姿に戻さねばならず。

 故にギルバートはまず、その場で最も近い人気のない場所を探しに向かうのだった。

 

 

 

 

 

 

 学院内にて発生した極小爆発。

 爆弾によるものではない、神秘を帯びた明らかに人業の類ではないそれを視認して、“彼”は珍しくその双眸を大きく見開いていた。

 あの狂人――『天の智慧研究会』に属する魔術師より知らされた情報から、このフェジテでならば見つかるかもしれないと思っていたのだが。

 

 

「まさか、こうも早くにその可能性を見出せるとは……」

 

 

 あの爆発は魔術によるものではない、もっと濃密な神秘によるもの。

 爆発の業そのものを直接この目で見たことはないが、たった今確認したアレは、かつてビルゲンワースや医療教会が見出し、創造した人外の御業『秘儀』に近しいモノだ。

 

 それを行使し得る者は、おそらくかの超越存在『上位者』に見えた者共。

 あるいは医療教会やビルゲンワースに少なからぬ関わりを持つ輩。

 そしてその何れかから、その御業を盗み出し、神秘に触れた愚者。

 

 何れであれ、その人物がヤーナムに関わりを持っていることは確実であり、それ即ちあちら側の世界から飛ばされて来た異界人であることの証明。

 もし、その人物が『血塗れの殺人鬼』であり、その殺人鬼が彼――ブラドーの知る愚か者(じんぶつ)ならば、為すべきことなど1つしかない。

 

 

「何であれ、この目で確かめねば事は始まるまい。

 もし、かの殺人鬼が私の知るあの男ならば……クハハッ、クハハハハハ……!」

 

 

 使命に狂い、もはや何が正しく、何が間違いであるのかさえ分からず。

 それでもなお、己が信ずるものに縋るよう、獣皮の殺し屋は得物を携え、街へと向かう。

 暴かれるべきではない、隠し続けるべき秘密を知った愚者を。

 

 この手で――殺すために。

 

 

 

 

 フェジテ西地区・一般住宅街。

 とある人気のない路地裏にまでやって来たグレンとルミアは、どうにか親衛隊の追手から逃げ切ることに成功した。

 あの後、別の場所から駆けつけて来た親衛隊に追われ、命懸けの鬼ごっこを繰り広げることとなったが、この通り今は完全に撒いている。

 

 抱えていたルミアを下ろし、それからセリカと連絡を取っては見たが、これといった情報は得られなかった。

 だが1つだけ、彼女は気になることを言っていた。

 

 

「俺だけ……俺だけが、この状況を打破できる、だと……?」

 

 

 何故、女王陛下はルミアを討つ勅命などを下したのか。

 親衛隊が暴走するに至った真の理由とは何なのか。

 色々と謎は多いが、その答えをセリカは確かに知っていて、その上で彼女はそれを口にはしなかった。いや、()()()()()()

 

 

「わけ分かんねぇ……そんでもって、どうやって俺1人で女王陛下のところまで行きゃいいんだよ……クソッ!」

 

「先生……」

 

 

 苦悩するグレンの姿を見て、ルミアは呟くように彼の名を呼んだ。

 元を辿れば、彼女の存在そのものがグレンをこの一件に巻き込んだようなものだ。

 故に全ては自分に非がある、と。心優しい彼女ならば、そう考えてしまうだろう。

 

 だがそれでも、グレンは彼女を救おうと決めていた。

 どんなことになろうとも、彼女の命を守り切る。

 

 ――俺だけは絶対、お前に味方してやる。

 

 かつて交わした約束のためにも、彼女を守り切らばければ――。

 

 

「だが、一体どうすりゃ……」

 

「――苦悩の色が滲み出ているな」

 

 

 ふと――聞き覚えのある声が耳奥に響いた。

 それはおよそ一ヶ月半前の時、あの自爆テロ事件の際、グレンと共に事件を解決に導いた協力者のものであり。

 同時にこのアルザーノ帝国において、今最も有名な殺人鬼の声。

 

 路地裏の先にて、黒い外套と短マントをなびかせ、屹立するその姿。

 忘れようにも忘れ難い、深く脳裏に刻まれた黒装束。

 変わらぬ装い、変わらぬ得物、そしてどこか特徴的なその口調。

 『血塗れの殺人鬼』――ギルバートだ。

 

 

「お前……何で……!」

 

「……思ったよりも早い再会だな、《愚者》の小僧。そして……」

 

 

 纏う外套を風になびかせ、彼らのもとへと歩み寄る。

 以前と変わらぬその姿は、紛れもなく闇世界の処刑者たる彼のもの。

 だが不思議にも、今日の彼からは殺気と呼べるものは微塵も感じられない。

 

 

「小娘……いや、ルミア=ティンジェルか」

 

「え……? ど、どうして……」

 

「何故、と? お前はかの結社が求めた存在。

 ならばその名を知っておくなど、当然のことだ」

 

 

 今回は前回とは異なり、目元辺りを包帯で覆い隠してはいないため、その目元の動きで彼の感情が僅かながら読み取れる。

 とはいえ、ルミアに対して吐いた言葉から察せられるように、彼にとってルミアの名を知ることは、己が目的達成のために『必要だったから』なのだろう。

 ……少なくとも、『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)の正体を知らないグレンは、そう思っていた。

 

 

「お前が居るってことは、つまり……」

 

「……残念だが、今回は事情が少し異なる。

 簡潔に言えば……学院の様子が妙だったから来た。それだけだ」

 

「それだけって……まあいい。あのカリフラワー怪人もそうだが、今日は運よく意外な助っ人に恵まれてる。

 ……いや、こんな目に遭ってる時点で俺の運勢最悪なんだが」

 

「それで? 一体何が起きているのだ、小僧?」

 

 

 異形の武器を携えたまま、器用に腕を組むギルバートからの問いに、グレンは少し悩むが状況を考え、その末に先程セリカとのやり取りを説明した。

 曰く、セリカは動くことができず、そして女王陛下の出したというルミア討伐の勅命についても話すことができない。

 つまり彼女は現在、下手に動くことのできない状況にあり、その全てを解決できる鍵はグレンにあること。

 

 

「ふむ……お前にしか打破できぬ状況」

 

 

 姿勢は崩さぬまま、左目のみを伏せて呟きを漏らす。

 かの大魔術師、『灰燼の魔女』ことセリカ・アルフォネアについてはよく知っていた。

 町医者としての表向きの姿と、狩人としての本来の姿の時においても直接的な関わりこそ多くはなかったが、良くも悪くも彼女は有名人で、それ故か情報も山というほどに存在した。

 

 400年の永き時を生きる『永遠者』(イモータリスト)

 200年前の戦争においては、外宇宙より召喚された邪神、その眷族を見事討ち果たした伝説を持つとされる、間違いなく大陸最高最強の魔術師だ。

 その彼女でさえ動くことの叶わない状況となると、それは単純な力でどうにかなるようなものではない、もっと複雑かつ難解な状況に違いない。

 

 

「……小僧。貴様、何か心当たりはないのか?」

 

「あったらこんな風に悩んじゃいねぇよ」

 

 

 諦めとさえ取れるその言葉を、だがギルバートは尤もであると受け取った。

 いずれにせよ、情報が少ない。このまま行動したとして、はたして事が上手く進むかどうか怪しいところだ。

 女王のもとへ向かう前に、解決策の1つか2つは考えていかねば、待っているのは失敗――最悪は死だ。

 

 

(『天の智恵研究会』がそう易々と諦める筈もない。となれば、奴らがまた彼女を狙うのは必然であり、今ここでルミア=ティンジェルに死なれるのは、俺にとっても手掛かりを失うも同然……それはよろしくない)

 

 

「――っ!」

 

 

 不意に。

 抜き身の刃にも似た殺気が彼らを襲う。

 その殺気に反応したギルバートは、ほぼ反射に近い形で右手のノコギリ鉈を長鉈形態に変形させ、その肉厚の刃を振るった。

 

 ギィン――! と鳴り響く鋼同士の打ち合う音。

 噛み合う2つの刃越しに見えるのは、尻尾のようになびく青い長髪。

 顔は驚くほどに無表情で、それ故に感情が一切読み取れず、ある種の不気味ささえ感じられる。

 

 

「――リィエル!?」

 

 

 ――リィエル。

 そう。確かそんな名前だった。

 表情そのものが死滅してしまったと言っていい程の無表情。

 幼さを残した顔付きに、小柄な体躯とその外見には似合わぬ、鉄塊が如き大剣。

 

 あの夜。初めて特務分室と接触した際に顔を合わせた魔導士。

 グレンと共に『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)を手こずらせ、その特大の刃で以て彼の命を刈り取りに掛かった少女魔導士。

 

 

「――リィエル=レイフォード。突撃一辺倒の猪め……」

 

「今度は逃がさない。――斬る!」

 

 



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第10夜 信ずるが故に

 お待たせしました。
 仕事やら何やらで遅くなりましたが最新話です。


 噛み合う刃。睨み合う両者。

 

 初めて邂逅を果たした場所とは異なれども、路地裏という舞台で再びの邂逅を果たしたのは、ある意味運命的だった。

 帝国宮廷魔導士団『特務分室』執行者ナンバー7、『戦車』リィエル=レイフォード。

 外道狩りの大量殺戮者。今や闇世界において知らぬ者なき処刑者、『血塗れの殺人鬼』ギルバート。

 

 共に近接戦闘においては卓越した力量を誇る両者が刃を交えれば、後にやるべきことは決まっている。

 

 

「リィエル=レイフォード……『特務分室』の魔導士が、何故にここへ……」

 

「言ったはず。今度こそ――斬る!」

 

 

 斬る――。

 その言葉が、意思が偽りのない真であると証明するように、リィエルの大剣が押し出される。

 鉈の刃に掛かる重みが増し、直後の爆発的な押し出しによって鍔迫り合いが遂に解けた。

 

 幾百幾千を超える夜の中で、ノコギリ鉈は彼が最も愛用した得物だ。

 使い勝手の良さから始まり、その威力、少ないながらも状況に合わせた変形機構。

 多くの要素から彼はこれまでにおいて、この武器を好んで使ってはきたが、それでも万能というわけではない。

 

 事実、リィエルの持つ大剣は受けて防ぐには重く、何よりその使い手の戦い方が厄介だ。

 狩人にも言えることではあるが、正統な剣術ではなく、我流剣術を扱う彼女の剣技は隙こそ見られるが、それを補ってあまりあるモノを彼女は有していたのだ。

 

 

「なら……」

 

 

 鍔迫り合いを解かれた直後に後方へと跳躍し、短銃による銃撃の牽制で時間を稼ぎつつ、得物を握る右手で虚空に歪みを生み出す。

 幻想(ユメ)と現実を交わらせる歪みの内に右手を差し込み、握り持っていたノコギリ鉈を手放すと、代わりに2つの武具をその手に取った。

 

 ずるり、と歪みより引き抜かれた2つの内、1つは一振りの剣だった。

 血錆の1つも見当たらないその刀身は白銀の輝きを湛えいて、その輝きに恥じない切れ味も備え持っている。

 そしてもう1つは白銀の剣とは異なる、重量感溢れる『鉄塊』で、それを背に負うとギルバートは新たに手にした銀の剣でリィエルの攻撃を受け、しかし先程と同じく後方へと跳んで再度彼女との間に距離を取った。

 

 

「武器を変えても同じ――!」

 

 

 常人ではまずあり得ない身体能力を駆使し、石畳を蹴って跳び上がるとリィエルは大上段の構えに移行した。

 落下の勢いを利用した一撃。隙こそ大きいものの、喰らえばまず両断は免れない必殺の一撃。

 取るべき手段は数多あるが、あの一撃に対処するとなればやはり回避か、もしくは強力な飛び道具の類で撃ち落とすのが一番だ。

 

 そしてそれを理解している上で、ギルバートは銃器ではなく、剣を選んだ。

 判断の誤りでもなければ、諦めによるものでもなく。

 偏に()()()こそが、銃器を上回るリィエルへの対処、その最適解であると信ずるが故に。

 

 徐々に迫るリィエルを見つめつつ、彼は背に帯びた鉄塊――巨大過ぎる鞘に右手の剣を挿し入れ、()()させた。

 

 

「ヌゥン――ッ!」

 

 

 合体し、真の姿となった剣――『ルドウイークの聖剣』を肩に担ぐように構え、直後に低い雄叫びを伴って鋼鉄の大刃が振るわれる。

 衝突。そして直後の豪風と轟音。

 再び鍔迫り合いとなる両者は、だが先程とは明らかな差異が見られた。

 

 

「ぐ、ぅ……!?」

 

 

 ()()()()()()

 あのリィエルが。脳筋的思考の人間とはいえ、特務分室一の魔導剣士たる『戦車』のリィエル=レイフォードが、真正面からのぶつかり合いで押し負けている――!

 

 

「どうした? 貴様の土俵だぞ……!」

 

 

 マスクで隠された口元を僅かに歪め、柄にさらなる力を込める。

 ガリガリと噛み合う刃の内、ギルバートの握る大剣の刃がリィエルの刃を削るように動き出す。

 大剣の刃はやがて敵対者を切り裂かんと奥へ奥へと押し出され、そして。

 

 ぴしり――と嫌な音を奏でた直後に、リィエルの担う大剣が砕かれた。

 

 

「――っ!?」

 

「シ――ッ!」

 

 

 相も変わらずの無表情とはいえど、全てを察せられないわけではない。

 例えば今の反応。剣が砕かれたや否や、すぐに後ろに跳んで距離を取った。

 数多の戦闘経験から導き出された判断であると、多くの者はそう考えるだろう。

 

 だが、別の見方で見れば、彼女は武器を失った現状を『まずい』と判断したとも取れる。

 リィエル=レイフォードの戦闘スタイル、およびその技能を知り得ているからこそ分かる。

 次に彼女がすべきことは……

 

 

「……《万象に希う・我が腕に・剛毅なる――」

 

「――的中」

 

 

 唇の動き、そして地面に伸ばされる左手を見るに、彼女が何らかの魔術の詠唱を行っていることは明らか。

 ()()()()だ。大剣を砕かれれば、彼女は必ず次の大剣錬成に移る。

 場合によっては1秒にも満たないが、それでもその瞬間こそが彼女の隙。

 

 大剣を右手持ちに持ち替え、空いた左手をコートの内側に手を突っ込み、引き抜くと共にナイフを数本投擲する。

 先日の一件もある故、特務分室の人間の殺害は言うまでもなく選択の外。

 だがこのまま戦闘が長引けば、此度の事件解決のために必要な時間が減り、成功率が減少するのは必然。

 

 故に求められるのは相手を殺さず、その上での早期の決着。

 人外の筋力で投げ放たれたナイフは異常なまでの速さで迫り、それに対してリィエルは錬成したばかりの大剣で薙ぎ払い、直撃を防いだ。

 だがその時には、彼女の視線の先にギルバートの姿はなく、路地裏特有の薄暗さがあるだけだ。

 

 

「どこ――ッ!?」

 

 

 瞬間、リィエルは本能的に己が身に対する危機を察し、その場で直上に跳躍した。

 直後、彼女が居た場所を鉄塊が薙ぎ払う。

 豪風を伴い、石畳や壁さえも容易く砕いたその一撃は、だがよく見てみれば()()()()攻撃ではなかった。

 

 

(剣の、側面……?)

 

 

 敵を切り裂くための刃ではなく、刃のついていない側面で薙ぎ払いにかかったのは、即ち“斬る”のではなく“打つ”ことを目的としたため。

 決着をつけるためならば、刃を用いた攻めが最適であるはず。なのに何故、彼はわざわざ側面で殴り掛かるようなやり方に出たのか。

 尤も、彼の剛力とあの大剣の重量を考えれば、斬撃だろうと殴打だろうと必殺に変わりはないのだろうが……。

 

 

「よく避ける……。――!」

 

 

 余裕を欠き、跳躍した相手が次にどんな行動に出るのかは分かっていた。

 空中からの落下攻撃か、あるいは武器の投擲か。数多の戦闘経験から絞り出された彼の予想は、だが思わぬ一撃によって無と帰された。

 路地裏の先、表通り寄りの場所より放たれた一条の閃光。

 さながらそれは獲物を狙う飢狼の如く空を駆け抜け、真っ直ぐにギルバートのもとへと迫り来ていた。

 

 

「――ぉあッ!」

 

 

 防御が間に合わぬと悟った彼は大剣を左手持ちに変えて、即座に虚空に再び歪みを生み出し、そこから新たな武器――青い雷光を迸らせる鉄鎚を取り出す。

 そして取り出した瞬間、その鉄球型の鎚頭を迫る紫電にぶつけるよう振るう。

 バチバチッ! と電撃音が鳴り響き、視界が一瞬青と紫に塗り潰されるも、回復もまた早く、そう間を置かずにギルバートは得物を握り締めたまま紫電の放ち手たる輩の姿を視認し――そして何かを理解したかのようにその双眼を細めた。

 

 

「……そうか。アレが2年前の狙撃手……」

 

「……」

 

 

 呟かれたギルバートの言葉は小さく、故に他の者に聞かれることはない。

 だがそれを聞き取ったかのように狙撃手――藍色がかった黒い長髪の青年魔導士はキッとギルバートを睨み据えて、そのまま歩を進め、グレンたちのもとへと歩み寄った。

 

 

「お前……アルベルト!?」

 

「……久しぶりだな、グレン。そして……」

 

 

 グレンからギルバートへと視線を移し、ほんの一瞬のみ彼を睨むとアルベルトはすぐさま詠唱し、右手を頭上に掲げた。

 魔術の起動音と共に展開される魔力盾。

 神秘的な光を湛える非物質の盾は、振り下ろされた大質量の一撃を見事防ぎ切り、()()()()()()ギルバートを大刃から守った。

 

 

「……何で邪魔するの、アルベルト?」

 

「邪魔ではない。お前の行いを阻止しただけのことだ」

 

「そいつは『血塗れの殺人鬼』」

 

「知っている。その上でお前を止めたのだ。

 上から出ているこの男への対処は、殺害ではなく捕縛。

 例え未遂とはいえ、殺害行為は明らかなる命令違反だ」

 

 

 ――大人しく下がれ、リィエル。

 

 猛禽を思わせる鋭い視線は、ただそれだけで人を射殺せそうなほどだ。

 言葉で言い聞かせても、リィエルという少女は素直に言うことを聞くような人間ではない。

 だがこの場においては、アルベルトの言葉に従うように大剣を引き、変わらぬ無表情のままグレンをじっと見つめた。

 

 

「……場所を変える。付いて来い」

 

 

 場を制したアルベルトはこの機を逃さぬうちに、他の4人へと新たな言葉を発する。

 先程の戦闘音から、おそらく親衛隊がここへやって来るだろう。

 それを理解した彼らはアルベルトに従うように、路地裏のさらに奥へと進み、その姿を薄闇の中に消した。

 

 

 

 

 

 

「――さて、グレン。まずは聞かせて貰おうか」

 

 

 路地裏のさらに奥。

 最奥寄りの場所でようやく歩みを止めたアルベルトはくるりと体の向きを反転させ、グレン、そしてその傍にいるギルバートを見つめた。

 

 

「聞かせろって、一体何を言えばいいんだよ?」

 

「その男……お前の傍にいる黒衣の輩についてだ」

 

 

 やはりそうきたか。

 グレンも同じことを思っているだろうが、アルベルトたちがまずグレンに尋ね訊いてくることがあるとすれば、その1つは間違いなくギルバートとの関係だ。

 先程の魔術狙撃を見て分かったことだが、2年前、初めて彼ら『特務分室』と刃を交えた時、最後の瞬間にギルバートの狩帽子を掠めた閃光の放ち手――それがこのアルベルトだ。

 

 あれだけの距離間で正確な狙撃を成して見せた男だ。きっと並外れた視力を有していることは確かだ。

 ならばあの時点で自分の姿は確認しているだろうし、故にかつての戦友がかつての敵と共に居ることに対し、何らかの疑問を抱くのは当然のことだ。

 

 

「その男が何者なのか。それを分からぬお前ではあるまい」

 

「……ああ。多分、こん中じゃこいつのことを一番よく知ってるかもな」

 

「ならば何故共にいる。外道殺しとはいえ、この男は犯罪者だ。

 もし今の姿を他者に見られでもしたら、共犯者と思われてもおかしくないぞ」

 

「それも承知の上だ。だが、それでも今回の件は――」

 

「それについては俺たちも承知している。そして情報を加えるならば、今回の件は女王陛下の意思によるものではない」

 

「……ってことは、つまり」

 

「ああ。王室親衛隊……おそらくはその総隊長、ゼーロスの独断によるものだろう」

 

 

 王室親衛隊総隊長ゼーロス。

 40年前の奉神戦争において、その名を馳せた英雄。

 二刀細剣の達人であり、かつて執行者ナンバー8《剛毅》であった頃のバーナードと共に、敵国の将兵たちを震え上がらせた猛者だ。

 

 彼を一言で表わすのなら『忠義者』であり、その言葉通り彼の王室に対する忠誠心は生半可なものではなく、ある意味では狂気的とさえ見る者もいるだろう。

 故に今回のような出来事も、女王に対する忠誠をもとに引き起こされたと考えられなくもない。

 

 

「そこのルミア嬢が噂の『廃棄王女』だとするのなら、それをどこかで聞きつけた親衛隊が女王の名誉を守らんと行動し、その末の暴走であると思えなくもない」

 

「だが、そいつは無理があるだろ。いくらあいつらとて、不敬罪を犯してまでこんなことをしようとは思わない筈だ」

 

 

 グレンの言葉に、アルベルトも同様に頷いた。

 思えなくはないが、それを正解と呼ぶには至らない。

 王室親衛隊は王室に対する忠義者の集まりではあるが、己が身を滅ぼすような愚行を犯すほど忠義に狂ってはいない。……その筈だ。

 

 

「話がずれたな。今回の一件について、女王陛下の意思は存在しないことは言っておこう。

 そして話を戻そう、グレン。……何故にその男の手を取った」

 

「……」

 

 

 紡がれるその言葉からは、僅かながら怒りが感じ取れた。

 それもそのはずだ。何せ先日、とある地方都市で起きた連続殺人事件の詳細を確認すべく向かったバーナードらが、『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)の手によって傷を負わされたのだ。

 そしてバーナードに至っては片腕を千切り飛ばされ、現在は帝国政府の有する優秀な法医師たちの手によって現在治療中だ。

 

 

「……随分と噛み付くじゃあないか、狙撃手。

 俺が小僧(グレン)と組むことが、それ程に嫌なのか?」

 

「……貴様にそれを、語る必要があるか?」

 

 

 キッと睨みつけて来るアルベルト。

 それとは対称に、ギルバートはマスクの下で不敵な笑みを湛えて「ないな」と小さく呟いた。

 我ながら愚かな問いかけだと、彼は思う。こういう如何にも感情を露わにしない輩ほど、内側では誰よりも熱く感情を燃やしているものだ。

 

 殺しこそしなかったとはいえ。優れた医療者が味方に居て、完全治癒の可能性があるとはいえ。

 狩人ギルバートはアルベルトにとって、戦友の片腕を奪い取らんとした仇なのだから。

 

 

「『血塗れの殺人鬼』。裏社会において、今や知らぬ者なき闇の処刑人。

 悪を以て悪を滅す英雄、などと謳う者も少なくはないが、所詮お前は殺人者。

 如何なる理由があろうとも、貴様の身が罪人であることに変わりはない」

 

 

 人を殺めて来た――その点においては、アルベルトたち『特務分室』も同じであった。

 だが彼らの行為は、政府(うえ)より下された命のもとに行われてきた任務であり、言うなれば正当な手続きを踏んだ上でのものだ。

 場合によってはかつての友さえ殺めることになろう彼らの任務は、ただの殺害行為と同一に見ることは、少なくともそういう事情を知る者たちならば決して出来はしないだろう。

 

 一方、ギルバートの殺人は彼らのように義務や仕事ではなく、あくまで個人的な行為に過ぎない。

 私的願望のもとに実行されるそれは、例えどれほども高潔な理想のもとに行われようとも、第三者たちの視点から見れば、一般に知られる殺人鬼と大して変わりない行為でしかない、

 

 それを見分けるためにこそ、アルベルトは普段の彼ならば使わないような挑発じみた言葉を口にしたのだ。

 この言葉に対する反応次第で、彼の本性、少なくともその一端が読み取れる。

 自身の行いを凄惨さを自覚せず、ただ理想に酔った英雄紛いの殺人鬼ならばそれでいい。

 

 そしてもし、己が行いの歪さ、凄惨さを自覚した上で殺戮行為に励む輩であるのなら……

 

 

「――否定はしない」

 

 

 アルベルトの言葉に対するギルバートの答え。

 それは、これまでの彼の行いを考えれば容易とはいかずとも察することが不可能というわけではなかった。

 いや、だからこそだろうか。アルベルトとしては、その答えが外れて欲しかったという思いも少なからずあった。

 

 己以外の誰かを殺し、その行動に酔いしれ、快楽を見出すだけの()()()狂人ならば、躊躇うことなく始末することもできる。そもそも、もし彼がそういう人物であったのなら帝国の民が彼を英雄視することはなく、帝国政府も捕縛などではなく、抹殺という手段を取れていたはずだ。

 だが、そういう類の人間でなかったからこそ、ただの殺人鬼1人に帝国政府は今日まで手こずらされてきたというわけだ。

 

 

「お前、何を……っ!?」

 

「狙撃手、お前の言う通りだ。どれ程に高潔で、どれ程に大層な理由があろうとも、所詮は殺戮。

 例え奪い取った命が獣のモノであろうとも……その時点で俺は殺戮者(ざいにん)だ」

 

 

 だが――と、そこで1度言葉を区切り、目深に被った狩帽子を指で押し上げ、その目元を晒す。

 たまらぬ血の臭いと、理解し難き狂気の渦の只中に在り続け、深く濁ったその双眸。

 病と呪いに滅んだ古都の夜闇すらも及ばぬ黒瞳には、だがこれまでに見せたことのなかった“熱”が確かに存在していた。

 

 

「だが、()()()()()()()

 人世における罪人の呼び名()()を恐れていては、己が信念を貫くことはできん。

 そしてその程度の理由で捻じ曲げられるほど、俺の信念は脆くはない」

 

「……よくしゃべるな。

 一体何が、貴様の心内に引っ掛かった?」

 

「愚問を。貴様ほどの男ならば、とうに気付いているはずだろう?」

 

 

 狂人というものは、1人の例外なく厄介な輩であることをギルバートは知っている。

 狂気とは、人を魔物へと変貌させ得る劇薬のようなものだ。

 だがそれは生来のものを除けば、そう簡単に生じるものではない。

 

 狂気とは、生ある者が抱く信心。全ての行動の基礎たる信念より生まれ出でるもの。

 ビルゲンワースも、メンシス学派も、その他の多くの狩人たちも信ずるモノがあったからこそ狂気を生み、あのような冒涜的、狂気的行動を始めたのだ。

 

 そして彼もまた、1つの狂気を抱えて、己が信念のもとに目的を果たさんと歩み続けているのだ。

 

 

「言いたいことは終いか? ならばこれ以上、無駄に時間を削るな魔導士。

 此度の一件において、この小僧共に与えられた時間は有限だ」

 

「……最後に1つ聞かせろ、殺人鬼」

 

「……何だ?」

 

「貴様は……何故、外道魔術師共を狙う?」

 

 

 これは純粋にアルベルト、そしてグレンたちにとっての疑問でもあった。

 何故、この男は外道魔術師たちを狙うのか。

 かの結社に属する者共ならば、何か有益な情報を有している可能性もあり得るが、彼がこれまでに殺めた外道魔術師たちの中には結社以外の連中もいた。いや、寧ろそちらの割合の方が多いくらいだ。

 

 

「……決まっている。奴らが、『獣』だからだ」

 

「獣……? 何を……外道とはいえ、奴らは人間だ」

 

「快楽と智慧を求め、それらを貪ることしか頭に無い連中など、獣も同然だ」

 

「……」

 

「故に狩る。獣を狩るのは、我ら『狩人』の務めだ」

 

 

 きっと誰にも理解されない。そして自身も、誰かに理解して貰おうとは思わない。

 かつて所属し、そして己に組織の長たる役目を任せ、後にどこかへ消えてしまった男曰く。

 

 『きっと誰にも理解されぬだろう。だからこそ、俺は同士たちを愛するのだ』

 

 あの男の言葉ではないが、きっと己が使命(しんねん)を理解できる者は居ないだろう。

 それでいい。自分で言うのも何だが、このような考えを抱く輩に理解を示すなど、それこそどこかが狂っていることの証明なのだから。

 

 ――リン。

 

 

「……?」

 

 

 不意に。耳奥に1つの音が響く。

 鉄と鉄とが打ち合う、だが剣や斧のそれとは異なる透き通った音色。

 だがしかし、何故かその音色に対してギルバートは良い感情を抱くことができなかった。

 

 頭のどこかに埋もれている筈の、聞き覚えのあるその音。

 これは鐘だ。鐘の鳴音だ。

 ヤーナムの地において幾度となく聴き、いつの日か当たり前のものと化したモノ。

 しかし、この音色はヤーナムで聴いた大鐘(グランドベル)のものとは違う。

 

 ヤーナムであって、ヤーナムではない歪んだ世界。

 雨の止まぬ蹂躙された漁村。血の池に浸った死体置き場、その先にある暗い廊。

 そこで鳴り響いた、不吉の鐘音。

 

 

「――っ!」

 

 

 まさか、とギルバートはアルベルトらから視線を外し、グレンらのいる方角へと振り向き、その先へと視線を注ぐ。

 黒衣の狩人の視線の先。薄暗い路地裏へと足を踏み入れ、進み来るのは1人の男。

 纏う装いから察するに、彼がこの帝国出身の者ではないことは明白だ。

 だがそれ以上に、彼が頭に被る頭巾擬き――枝分かれした双角を備え持つ恐ろしき獣皮の存在が、彼らにその男が只人ではないことを知らせていた。

 

 

「……ようやく。ようやく会えたな」

 

「貴様……!」

 

 

 珍しく目を見開き、驚愕を含ませた声を上げるギルバート。

 その彼の反応を面白がるように、獣皮の異邦人は頭巾の下で口元を歪め――不気味に笑んで、笑声を発するのだった。

 

 




 ロクアカ最新9巻でましたね。
 ようやく登場した天の智慧研究会第三団『天位』のメンバーですが……まさかセリカと同クラスの怪物だったとは。
 あれほどの傑物が6人揃い、うち5人が死に、その上で打倒できた邪神の眷族って一体……。


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第11夜 教会の刺客

 長らくお待たせしました。11話です。
 今回は諸事情により飛ばし飛ばしになっています。


 それは――例えるならば、死を告げる鐘であった。

 いや、例えなどではなく、真実それは耳にした者をこそ殺める死告の鐘音なのだ。

 

 禁忌とされた廃村に足を踏み入れ、人々を病より救うことを大義名分に掲げた医療教会(クズども)の秘密を知ってしまった時より、この鐘は己の耳内に響くようになった。

 鐘が告げるは、その音色を耳にする傾聴者の死。

 鐘が告げるは、その死を実現させるべく動き出した、獣皮の刺客の出現。

 

 忘れていたわけではなかった。

 だがその可能性を常に考慮していたわけでもなかった。

 その怠慢こそがこの状況を招き寄せたのであれば……。

 

 

(何たる馬鹿者か、俺は。迂闊にも程がある……!)

 

 

 眼前に見えるは、異国の装束を身に纏った人物。

 大柄なギルバートにも劣らぬ長身をその装束を包み、頭には所々が朱に染まった獣皮の頭巾を被っている。

 何の変哲もない衣装と、悍ましい怪物の一部を混ぜ合わせて出来た装束とは、何と混沌たる印象を与えてくるのだろうか。

 

 他の狩人(れんちゅう)もそうだったが、こんな姿を見せられたら嫌でもその姿を記憶に刻み込んでしまう。

 そしてギルバートも例に漏れず、その姿を忘れたことなど一時もありはしなかった。

 

 

「貴様……!」

 

「……ようやく。ようやく会えたな、狩人よ」

 

「狩人?」

 

 

 獣皮の狂人の言葉を耳にし、グレンが繰り返す形でその言葉を呟く。

 殺人鬼、魔術師殺しと呼ばれることはあっても、(ギルバート)を狩人と呼ぶ輩はおそらく、この刺客が初めてだろう。

 もしかしたら、未だ謎の多い鏖殺者の正体、その断片に触れられるやもしれないと人によっては考えるのかもしれないが、生憎と現状がその思考を許してはくれなかった。

 

 

「貴様……何故生きている? 確かに()()()()で殺した筈だ!」

 

「ああ、確かに私は()()()()。だが、こうして今も()()()()()

 その故については、全く以て分からんがね」

 

 

 そう言いながら、男はその手に1つの得物を握り締める。

 所々が角ばった、武器にも祭具にも見える奇怪なモノ。

 強いて言うなら、木製の鎚矛(メイス)に見えなくもないのだが、その武器の真貌をギルバートだけは知っていた。

 

 

「フン――ッ!」

 

 

 直後、男は手にしたソレを腹に突き刺すと、自ら腹の奥へ奥へと押し込んでいく。

 ずぶり、ぐじゅり、ぐじゅり――。

 粘着質な音を奏でながら、男の腹よりドス黒い血が溢れて出ていく。

 

 まるで腹底に溜まった病の根源を、悪意ごと吐き出しているかのようなその光景。

 そして流れ出る血にそれらは混ざり、それを吸って男の腹を貫くモノは肥大化する。

 

 

「ヌゥン――!」

 

 

 腹の血を吐き出すだけ吐き出して、ようやくソレを引き抜いた時には、既に彼が握り持つモノは先程の形をしてはいなかった。

 黒みがかった紅の棘槌。

 そう例えるしかないほどに、禍々しく変貌を遂げた男の得物。

 数多に突き出た血の棘と、脈打つ槌頭はもはや武器と呼ぶにはあまりにも悍ましく、寧ろ邪教で用いられる祭具と言った方がまだ信じられた。

 

 当然、そのような異形の武器を見せつけられて平然としている彼らではなく、ルミアは軽い悲鳴と共にその双眸を見開き、グレンたちはその顔に明らかな不快と嫌悪、そして警戒の念を表わした。

 

 

「お主とこうして再び見えた。ならば蘇りの理屈などどうでも良い。

 私は、教会の秘匿の守護者。知るべきではない禁忌を知った者には、終わり無き死を与えん……それが我が使命なれば」

 

「何が使命だ、何が守護者だ!

 あんなモノは教会の……否、ビルゲンワース(狂人ども)の罪の証そのものだ!」

 

「だからこそ知るべきではないのだ。そしてお主は愚かにも、アレを知ってしまった。

 ならば私が、これ以上お主を見逃す道理もない……」

 

 

 珍しく感情を露わにし、怒号の如き叫びを上げるギルバートに対し、獣皮の刺客――殺し屋ブラドーはどこまでも冷静なまま、己が得物である異形の長槌『瀉血の槌』を構える。

 そして――飛ぶ。

 石畳の地面を蹴り上げ、人間ならざる超越した脚力で以て一気に距離を詰めた彼は、横に構えた血槌を横薙ぎに振るい、ギルバートへと攻め掛かる。

 

 

「チ……ッ!」

 

 

 横から迫る血槌の重撃をギルバートは跳躍をして回避しようと試みたが、その寸前でグレンたち――より厳密にはルミアの存在を思い出し、回避から防御へと変更した。

 修羅場を潜って来たグレンや、元同僚である特務分室のアルベルトらならば気にしなくても良かっただろうが、ルミアは『異能者』という点を除けば、単なる魔術の学徒に過ぎない。

 

 既に手にしていた銀の直剣を背中に回し、背負っていた鉄塊の鞘に納めて大剣と成すと、切り上げる形でソレを振り抜き、血槌にぶつける。

 

 

「っぅ――!」

 

「ヌゥ――!」

 

 

 衝突の瞬間に生じる重厚な音。

 得物を握る両者の手には衝撃が電撃の如く伝わり、骨肉を痺れさせる。

 共にヤーナムの血を身に宿し、狩人として在った者同士の戦いだ。

 

 1度は打倒し、後にさらなる強敵たちを葬ってきたとはいえ、ヤーナムの出の者は人間人外問わず、あらゆる方面で異常を抱えている。

 だからこそだろうか。この剛力も、ギルバートが知らぬ間に得た、ブラドーのさらなる異常(ちから)なのだろう。

 故にギルバートは判断した。この戦いに、彼らを巻き込むべきではないと。

 

 

「――小僧!」

 

 

 叫ぶようにグレンを呼びつつ、左手で腰に差していた短銃を抜くと、瞬時に数発の弾丸を見舞う。

 無論、その全てはブラドーの持つ血槌によって防がれ、薙ぎ払われてしまったが、それは時間を稼ぐための銃撃。何も彼を倒すために放った弾ではないのだ。

 

 

「先に行け。この男の狙いは俺だ」

 

「お前はどうすんだよ!」

 

「後で追い掛ける。お前は……己の為すべきを為してこい」

 

 

 先程の感情は既に潜め、いつもの変わらぬ冷たさを湛えた声音でグレンに告げるギルバート。

 あるいは、冷徹という外皮を無理矢理にもでも纏わなければ、眼前の狂人(けもの)に要らぬ隙を晒す羽目になる。

 

 

「先生……」

 

「……行くぞ、グレン」

 

「……っ」

 

 

 かつての敵とはいえ、少なくとも今は味方だ。

 加えて、以前のテロ事件の際にも目的が共通していたとはいえ、手を取り合った仲でもある。

 そんな彼を1人置いていくことは気が引けたが、それも肩越しに注がれるギルバートからの眼光によってすぐに失せた。

 

 間もなくして、後方から複数の靴音を耳にして、彼らがようやくこの場を離れたことを察する。

 これでいい。これで彼らを巻き込まず――否。これで心置きなく、思い切り戦える。

 

 

「随分と、生温くなったものだな」

 

「何……?」

 

「以前のお主は、助けを請う者に手を差し伸べこそすれ、戦場においては如何なる命も利用するような男だった筈だが?」

 

 

 その言葉を聞き、ギルバートはフッとマスクの下で笑みを作った。

 成程、この男は今の俺を生温いと評するか。

 確かにヤーナムに在った頃は、多くの人や同業者(かりゅうど)たちの助けに応じ、彼らに手を伸ばすことはあったが、戦いの際には己が生存と目的達成のみを考え、そのために多くを利用し、(ぎせい)としてきた。

 

 この男(ブラドー)も全てを知っているわけではないだろうが、それでも彼――ギルバートという男の本性、その断片を確実に記憶している。

 故の発言なのだろうが、それは大きな間違いだ。

 そう見えるならば、今一度その目に刻み付けるとしよう。

 呪いと狂気が蔓延する古都を舞台に、幾多の夜を過ごし、遂にあの忌々しい神紛いの怪物共の領域にまで足を踏み入れるにまで至った。

 

 己がまだ人間でありたいという思い(かつぼう)があるのと同時に、己は既に只人ではないという自覚も持ち合わせている。

 見せてやろう、この男に。外宇宙より降り立った神紛いの怪物共を打ち倒し、ヤーナムに数多の血を撒き散らしたこの『最後の狩人』の真貌を。

 

 

「ならば身を以て、今の俺を知ってみるか――医療教会の亡霊」

 

「知る必要はないが、お主は生かしておけぬ。今度こそ――狩り殺そう」

 

 

 大剣を仕舞い、新たな得物である鉄鉈『獣肉断ち』を取り出して、その仕掛けを起動。分厚い鉄鉈から変幻自在の関節鉈へと変形させる。

 行くぞ――と。

 互いに睨み合い、沈黙を以て己が意思を伝え。

 

 そしてこの時――ヤーナムの狩りが始まった。

 

 

 

 

 

 

 時は過ぎて、魔術競技祭は遂に終わりを迎えようとしていた。

 鍛え上げ、磨き抜かれた魔術と技巧を以て、互いに競い合う競技祭の末、競技場は数多の熱に満ち溢れた。

 閉会式も粛々と進み、いよいよ表彰台に彼女――この国の頂に立つ女王、アリシア七世が立とうとしている同じく刻。別の場所では……。

 

 

「シャァ――ッ!」

 

「ムゥンッ!」

 

 

 ぶつかり合う鉈と槌。

 轟音を響かせて、血と火花を撒き散らす超人(ハンター)たちの戦い。

 一撃一撃が必殺の凶撃。相手がもし常人であればだが、当たり所が悪ければ掠っただけで四肢の1つは確実に奪えるほどの凶撃を放つ者共の戦いに、誰が好きこのんで乱入しようと考えるだろうか。

 

 既に彼らの姿は市中の人間の目に晒され、その超絶たる戦いの様も見られている。

 とはいえ、相手が格下ならばともかく、同じヤーナムの地に生きた狩人同士。それも両者共に卓越した実力を有しているのであれば、その戦いは狩人にとっての最たる力が発揮されるものとなる。

 

 即ち、速度。

 全ての狩人の祖、最初の狩人ゲールマンが敏捷性を重視したように、後に続く狩人たちの多くが高速戦闘を得手としている。

 狩人の装いは軽く、故に守りに関しては世辞にも優れているわけではない。

 ならば防御の薄さを考慮するまでもないほどの、優れた速さで以て回避すれば良い。

 さもなくば、如何に強靭な狩人の肉体であっても、荒ぶる獣の一撃によって死を齎される羽目になるからだ。

 

 

「ォアア――ッ!」

 

 

 短い雄叫びを上げて、ブラドーが血槌を大振りに振るう。

 薙ぎ払う形で豪快に放たれた槌の一閃は、ただそれだけで周囲の建物の壁を難なく破壊する。

 だが、肝心の標的であるギルバートを殺めるには至らず、彼は血槌の一閃が迫る直前に一歩後ろへと退き、紙一重でそれを避けていた。

 

 そして大振りの一撃を放った今こそが、最大の好機。

 右手に持つ関節鉈(獣肉断ち)を鞭の如く振るい、振り切られた血槌へと巻き付けると、血槌ごとブラドーを宙へと巻き上げる。

 

 

「――ぜぁッ!」

 

 

 巻き上げた後、右手の筋肉を極限にまで力ませて、渾身の力を込めてブラドーの身を地面へと叩きつける。

 石畳に打ち付けた瞬間の感覚からして、仕留めてはいないだろう。

 だが、それでも決して少なくはない損傷(ダメージ)を負った筈だ。

 

 そして、その考えこそが慢心だと言わんばかりに――直後。ギルバートの身が宙へと舞った。

 

 

「……っ!」

 

 

 一瞬で宙へと飛ばされた現状に驚愕しつつも、ギルバートは何がどうしてこうなったのか。その理由を探すことを忘れてはいなかった。

 このような状況へと移行させられた原因は1つ――間違いなくブラドーの仕業だ。

 自身の真下には、砕けた石畳の中心で血槌を振り切った獣皮の刺客(ブラドー)の姿が見え、その姿勢から彼が如何にしてギルバートを空中へ吹き飛ばしたのかの理由を察することができた。

 

 

(利用したのか……俺の()()()()を!?)

 

 

 血槌に巻き付いた関節鉈で巻き上げられたのなら、今度は()()()を行い、利用すればいい。

 そんな考えに至ったのだろうブラドーの策は成功し、こうしてギルバートは空中にて大きな隙を晒す羽目になっている。

 

 狩人の尋常ならざる腕力で以て飛ばされ、今ギルバートは競技場――この市中さえ一望できるほど高度にいる。

 仮に受け身を取っていたとはいえ、あの一撃と同じ狩人の腕力を以て放たれたものなのだ。無論、無傷はあり得ず、重傷さえ負っていても不思議ではない。

 

 加えて言うなら、もしブラドーが生前と同じ状態ならば、上位者モドキの自分とは違い、瞬間的な回復方法はヤーナムの血を用いなければならない筈だ。

 ここは異界。ヤーナムの地はなく、故にかの呪われた血を入手することは不可能。

 手持ちに輸血液が残っているならまだしも、もしそれが無かった場合……。

 

 

「……成程。執念か」

 

「――その通り」

 

 

 一体どうやってここまでやって来たのか、空中を舞うギルバートのもとにブラドーの姿が現れた。

 彼が身に纏う装束、その所々に血が滲み、心なしか獣皮の下から覗く素顔も青ざめかけている。

 それでも、表情は一切変わっていないだろう。

 

 使命のためなら、己が命など迷わず捨て去るほどの覚悟。

 いや、そんな表現さえも生温い。これは執念であり、彼の存在意義であり、そして――狂気だ。

 

 

「このまま続けても良いが、私にはまだ()()()()が残っている。

 だから……場所を変えさせて貰うぞ」

 

 

 轟ッ! と再び血槌の構え、渾身の力で以てブラドーは一閃を繰り出し、吹き飛ばす。

 風を裂かんばかりに空中を飛び、ギルバートの体躯は真っ直ぐに競技場の方へと向かっていく。

 

 そして――墜落。

 表彰台上に展開された結界を破り、硬い床にギルバートの体躯は叩きつけられる。

 結界は間もなく再生し、元の形へと戻らんとしたところでブラドーが飛来し、その血槌の一撃で以て再生し掛けの場所を再び砕き、同じように結界内部へと侵入する。

 

 

「っ、お前――!?」

 

「っぅ……!」

 

 

 結界内では既にグレンらは目的を果たしていたらしく、片膝を突く総隊長(ゼーロス)と、抱き合うアリシアとルミアの姿が見えた。

 騒動も収まり、ようやく一件落着かと思われたその瞬間に彼らが乱入してきたのだ。寧ろ驚いて当然と言えるだろう。

 

 まだ叩き付けられた際の衝撃が体に残り、痺れも取れていない状態だ。

 それでも体に鞭打ち、何とか立ち上がって見せたのは偏に、眼前に見える古敵(ブラドー)の存在故だろう。

 だが、そんな彼は何とギルバートを見ておらず、その視線はルミアとアリシアへと向けられていた。

 

 

「やはりな……()()()()めの言っていた通り、競技場とやらに居たか」

 

 

 紡ぐ言葉が何を意味しているのか、その全てを理解することはできない。

 ただ彼は、何者かに指示され、この競技場にいる誰かのことも標的としていたことは確かだろう。

 明言こそしていないものの、纏う空気と獣皮の下の眼光がそう告げている。

 そもそも、こんな地の果てまで追いかけてくるような恐ろしい殺し屋に下す指示など、殺人以外にあり得ない。

 

 

「おまけにこの結界(かこい)……ああ、成程。これは良い。

 この場所でなら逃すこともなく、確実に仕留められる」

 

「っ! ――セリカ! ルミアたちを頼む!」

 

「グレン!?」

 

 

 ブラドーの呟きを耳にして、此れより彼が何を行おうとしているのかを察したグレンは、ルミアたちをセリカに任せ、自分がブラドーと相対する形で前へと出る。

 立ち上がったギルバートと、その横に並ぶように立つグレン。

 そんな彼らを前にして、ブラドーは変わらぬ口調のまま言葉を吐いていく。

 

 

「正気かね? お主は俗に言う魔術師なのだろうが、魔術を頼りとするお主らでは、この状況では私には敵うまい」

 

「言うじゃねぇかよ。俺がお前より接近戦に秀でているとしたら、って考えがなかったのか?」

 

「それこそあり得ん。我ら狩人を相手に、肉と鋼を以て応じることを可と出来るのは、同じ狩人か……あるいは獣共のみよ」

 

 

 故に。と、ブラドーは再び血槌を構える。

 邪魔するならばお前ごと叩き潰さんとばかりの圧力は、幾多の修羅場を潜り抜けて来た者だからこそ発することができる代物。

 確かに、単純な接近戦ではグレンに勝ち目はない。

 そもそも彼は魔術師としても特別優れているわけではなく、どちらかと言えば非才の身だろう。

 特に魔力操作と略式詠唱のセンスが壊滅的で、この状況で魔術を用いても、彼がブラドーに勝つ可能性は万に一つもないだろう。

 

 だが、ここにいるのは(グレン)だけではない。

 少なくともここに1人、あの狂人(ブラドー)を相手できるだけの実力者がいる。

 

 

「……小僧。1つ、頼めるか」

 

「何だよ」

 

「少しの間……時間を稼げ。その間に、俺は1つ準備をする」

 

 

 無理だ、という言葉を呑み込み、グレンは首肯を以て応じる。

 あの獣()頭巾野郎を相手に、はたしてどれほどの時間を稼げるかは分からない。

 下手をすれば、最悪グレンの命は一瞬の間に刈り取られ、残りも全てあの気色悪い棘槌で叩き潰すだろう。

 

 それでもやらなければならない。

 折角ここまで辿り着いたんだ。あの2人(ルミアとアリシア)が、もう1度自分たちが親子であると確かめ合うことができたのだ。

 それを分けも分からない、()()()()()()に台無しにされてたまるものか。

 

 

「とはいえ、そう簡単にいく相手でもないか……」

 

「――ならば私も手を貸そう」

 

 

 ざり、と硬い床を踏み締めて、グレンの元に歩み寄ってきたのは、親衛隊総隊長ゼーロス。

 両手に二振りの細剣を携え、堂々たる佇まいでグレンの横に並んだ彼の姿は、それだけで敵対者の動きを鈍らせる。

 だが相手はあの『血塗れの殺人鬼』を相手に戦い、ここまで押した輩だ。

 当然、ゼーロスの圧など微塵も意に介しておらず、おそらくは葬るべき敵が1人増えただけだと認識している程度なのだろう。

 

 

「あんた……」

 

「貴公には、女王陛下を救って頂いた恩があり、借りがある。

 故に貴公とそこな男との関係についても()()問わぬ」

 

 

 細剣を軽く振り、空を裂く音が鳴り響く。

 グレンだけなら怪しいところではあったが、ゼーロス――かつて奉神戦争に参戦し、『双紫電』の異名を以て名を馳せた英雄が加われば、少なくともギルバートが望む時間を稼ぐくらいはできるだろう。

 

 もしかしたら、そのまま打ち倒せるのではないかとも考えたが、それは甘い考えであると敵対者の殺気がそう告げていた。

 

 

「何人来ようと同じだ。極限に至ったとはいえ、所詮はお主のそれは人の域。只人が狩人に勝てる道理もない」

 

「さあて……そいつはどうかな?」

 

「只人と侮るなよ、下郎。我が身は女王陛下の剣。如何なる強者が相手であろうと、私はただ刃にて斬るのみだ」

 

「そうか……ならば死ね。ヤーナムの狩人が力。その身で以て味わい、そして果てろ」

 

 

 一歩。互いに歩を進め、床を強く踏み締めて。三者の戦いの幕が上がる。

 甲高い金属音と詠唱が耳に響くなか、ギルバートも己の仕事を為すべく虚空に手を伸ばし、展開した空間の歪みより()()()()を取り出す。

 1つは、他のものと同じく数多の夜の中にて使い続けて来た工房道具『秘文字の工房道具』。

 そしてもう1つは、二又に分かれた骨のようなモノに包帯を巻きつけた奇怪な武具『獣の爪』。

 

 迅速に、そして確実に奴を仕留められる手段を思考してみた結果、彼が選んだ手段はソレだった。

 抵抗はある。躊躇いもないわけではない。

 だが、これはヤーナムの狩人たちの戦いであり、己の因縁の問題なのだ。

 奴の存在を認知していなかったならともかく、こうしてあの狂人と再び見えた以上、無視することはもはやできない。

 

 

(覚悟を決めるか……!)

 

 

 踏み出せなかった最後の一歩を踏み出して、遂にギルバートは()()()()()に手を伸ばし、工房道具を用いてソレを己が脳裏に刻み付け始めた。

 

 

 

 

 

 

 ブラドーとグレン、ゼーロスの戦いはまさに熾烈であった。

 ブラドーとゼーロスが白兵戦を繰り広げ、グレンが魔術を用いてゼーロスを支援しているという図なのだが、戦況は五分五分。

 グレンが略式詠唱をできないというのも理由の1つではあるが、もしそうでなかったとしても、この形勢に大して変化は生まれなかっただろう。

 

 

「夜にありて迷わず、血に塗れて酔わず」

 

 

 その最大の所以とは、ブラドー本人の力量にあった。

 閉ざされた悪夢の内に堕とされて、なおも止めることのなかった殺戮。

 秘密に触れんとする者、禁忌を暴かんとする者をこの手で殺め、両手を血で染め続けた日々。

 

 その殺伐とした日々は彼の糧となり、持ち得る力をさらなる高みへと昇らせるに至った。

 

 

「名誉ある教会の狩人よ」

 

 

 振るわれる高速の連撃を血槌の柄で受け、時に回避し、槌の重撃を放つ。

 時折放たれる魔術も詠唱を聞き取りながら戦うことによって難なく対処し、2対1という状況であるにも関わらず、彼らと対等に渡り合っていた。

 

 

「獣は呪い、呪いは軛」

 

 

 戦いの最中に紡がれ続けるその言葉は、彼が所属していた組織への忠誠の証明なのだろうか。

 何であれ、彼の強さは禁忌を破らんとする者を始末するという使命を起因とし、その使命を今もなお果たさんとするその意思の大元たるは、教会への忠誠か、あるいは己らが犯した罪を知られまいとする危機感か。

 

 だが確実だと言えるものがある。

 彼が持つその強さ、その根源とも言うべきモノは1つ。

 呪いと病が蔓延する古都の者ならば、いずれは抱くであろう闇の感情。

 

 即ち――『狂気』である。

 

 

「そして君たちは、教会の剣とならん――!」

 

 

 脈動する血槌の柄頭でゼーロスの身を叩き、柄頭より伸びる数多の血棘で彼の身を刺し貫く。

 

 

「が――はぁ……ッ!?」

 

「ゼーロス!」

 

 

 狂気の血槌の一撃は、如何なる者をも打ち砕く。

 例えそれがかつての英雄であろうとも例外ではなく、彼は真にゼーロスを殺めんとこの一撃を繰り出したのだ。

 臓腑を貫く血棘と、肉体に叩く血塊の槌頭。

 狩人たるブラドーの、その渾身の一撃を受けてなお生きているのは、彼を知る者からすれば奇跡と言っても過言ではないかもしれない。

 

 だが、2度目は無い。

 彼の身を棘で貫いたまま、槌を振り上げて再び叩きつけんと行動するブラドーに対し、ここでようやくグレンも動いた。

 

 

「《猛き雷帝よ・極光の閃槍以て・刺し穿て》ッ!」

 

 

 走行しつつ詠唱し、放たれる雷の迅槍。

 人の命など容易く奪い去れる雷の魔術を、だがブラドーがその詠唱を聞き取っていない筈がなく、叩きつけを中断して血棘に刺さるゼーロスの身を放り投げつつ、血槌の一閃でグレンの雷槍を迎え撃つ。

 

 極光を放ち、雷槍が血槌の一撃で以て霧散する。

 人命を奪い去る雷槍とて、直接体躯に当たらなければ意味がない。

 心臓を穿たれれば確実だろうが、常人の遥か上をいく身体硬度の狩人の肉体だ。例え当たっても、それが急所でなければまず死に至ることはない。

 

 

「――!」

 

 

 けれども、狩人とて完全ではない。

 肉体は人を超越したとはいえ、その思考までは人域のそれを出てはない、

 それは狂気を抱えたブラドーとて例外ではなく、一瞬の気の緩みと雷槍が放った()()で視界を一瞬塗り潰され、隙を晒してしまったのが運の尽きだ。

 

 

「――ていよ》」

 

「ヌゥ……ッ!?」

 

 

 視界に色が戻り、徐々に視力が戻って来たブラドーがまず始めに目にしたのはグレンの姿。

 左手を突き出し、まるで己を刺し貫こうとする意思を以てそれを向けつつ、()()()()()()()()()()()()彼の姿がそこにはあった。

 

 

「《極光の閃光以て》――」

 

「小僧が……!」

 

 

 すぐさま呪文を止めさせるべく槌を構え、彼を薙ぎ払わんと動き出す。

 だがその行動を許さんと言うが如く、どこかより投擲された()()がブラドーの左肩を貫き、その攻撃を阻む。

 何者かと視線を向け、その先にブラドーが見たモノ。

 それは先程ブラドーに貫かれ、その身を血に染めながら何かを投げ放った姿勢を取るゼーロスの姿。

 

 

「この、老兵如きが……!」

 

 

 獣皮の頭巾の下で歯軋り、珍しく怒りを露わとするブラドーであったが、その間にも詠唱は進み。

 そしてようやく、グレンの1つの魔術が解き放たれる。

 

 

「――《刺し穿て》ッ!」

 

 

 駆ける雷閃。飛び散る鮮血。

 腹のど真ん中を貫かれ、臓腑ごと刳り貫かれたかのように大穴を開くブラドー。

 場所から考えるに、重要な臓腑を幾つも失っている。こんな状態ではまず助かるまい。

 

 そう思い、ようやくこの狂人との戦いが終わりを迎えたと思われた――その瞬間だった。

 

 

「ヌン――ッ」

 

 

 いつの間に取り出したのか、ブラドーの空いていた左手にはあるモノが握り締められていた。

 それは袋だ。赤い液体が満ち、その鮮やかさな色合いをまだ失っていない輸血袋だ。

 

 その輸血袋を自身の右腕の、肌が露出した部位へと宛がうと袋に付いていた針で肌を刺し――その液体を体内へと注入する。

 

 

「――!?」

 

 

 するとどうだ。

 腹に開いていたあの大穴が、盛り上がった断面の肉によって見る見る塞がっていくではないか。

 それを興味の目で見るか、それともあまりの悍ましさに目を背けるかは人それぞれとして。

 

 グレンとゼーロスの連携によってようやく与えられた致命の一撃は、たった1つの輸血液によって無と帰し、その絶望した顔を完全回復したブラドーが静かに見つめていた。

 

 

「成程。確かに今のは危なかった……だが」

 

 

 そんな言葉を吐きながら得物の血槌を振りかぶると、自らの感情の昂りに比例するかのように血槌の柄頭が肥大化し、その凶悪さを増していく。

 

 

「残念だったな――ここまでだ」

 

 

 暗い感情を孕んだ声で言った後、今度こそ仕留めんとばかりに、己が出せる最大の力で以て槌の柄を握り締めて。

 凶悪に膨れ上がった血棘の槌をグレンに振り下ろさんと動き、そして。

 

 

『――ヴォオオオオオァッ!!』

 

 

 その凶行を止めるかのように。

 槌を振りかぶったブラドーの体躯を――凶獣(かりゅうど)の拳が殴り飛ばした。

 

 




 フロムさん、新作出すみたいですね。
 何か拷問器具なのか、骨を組み込んだ道具みたいなのが見えましたね。
 アレがブラボ2であれば嬉しいのですが……。


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第12夜 獣ならざるケモノ

 長らくお待たせしました。
 今回で2巻の内容は終了です。


 結界内に響く轟音。

 肉が潰れ、骨が砕ける音を伴い、響き渡るは拳撃の音色。

 城門を打ち開く破城鎚の如き一撃は、だが紛れもなく拳1つによるモノ。

 

 されどその拳が人ならざるモノ――尋常を超越した化生の凶拳であるのなら、その威力も納得がいく。

 

 

『ヴルルルゥ……!』

 

 

 響く唸りを発するは、恐ろしく、そして悍ましき獣面。

 伸びた剛毛が天を衝かんばかりに逆立ち、唸り声を漏らす口元からはナイフの如き鋭牙が覗いている。

 異形の武器を手にする右手も、同じく剛毛に包まれているが、それでも此方はまだマシな方だ。

 

 真に目を向けるべきはその反対。何も持たぬ左腕は、体躯の中で最も獣毛に覆われ、その大きさも形も、既に人間のそれを失い、凌駕していた。

 此れぞ『獣化』。血に酔い、正気を失った獣共を狩る古都(ヤーナム)の狩人たちにとっての禁忌。

 “獣を狩る者が、自ら獣に堕ちる”という、何とも皮肉と混沌を孕んだ行為。

 もはや狂行とすら言えるソレは、だが戦場という場においては比類なき武を獲得する一手でもある。

 

 握り拳の形となっている左手。

 殺し屋ブラドーを殴り飛ばした異形の左手による拳撃は、砲撃に匹敵――否、それさえも凌駕する。

 それでも即死に至ることなく、結界の端でどうにか体躯を立たせ、起き上がって見せたのは流石に狩人の強靭な肉体と生命力ゆえか。

 

 

「お主、それは……!」

 

『ヴォオオオオオオオァッ!!』

 

 

 獣皮頭巾の下で双眸を見開くブラドーであったが、そんな彼の反応など知らぬと、凶獣と化したギルバートが地面を蹴り上げ、猛進する。

 振り上げられた異形の左腕。獣の暴威の具現たる大爪の一撃は、ただそれだけで人如きの肉体など容易く破壊する。

 引き裂き、襤褸切れのように無惨な惨死体を生むか。

 あるいは斬撃の後に掌で以て押し潰し、形を失った肉塊と成すか。

 

 どちらにせよ死であることに変わりはなく、だからこそブラドーは即座に回避行動へと移るが……。

 

 

『ォオオッ!』

 

 

 そんなことなど赦さぬと、ギルバートは()()()()()()で彼の元へ至り、構えた左腕を勢いよく振り下ろす。

 ぐしゃり、と肉が潰れたような音が鳴る。

 回避が間に合わなかったブラドーの肉体のうち、右腕の付け根辺りがごっそりと抉れるように無くなっており、その近くでは、かつて右腕であった肉塊が凄惨な姿を晒していた。

 だが直後に後方へ大きく跳び、ブラドーは彼との間に距離を取った。尋常ならざる膂力を持つ獣を相手に、如何に狩人とはいえ超至近距離での戦闘は愚策だからだ。まして片腕を欠いた以上、力で押し勝てる道理はない。

 

 その光景に、結界の別場所でそれを見ていたグレンらは、驚愕の表情をその顔に表していた。

 これまでに幾度となく現出し、しかしただの1度も捕えることのできなかった闇世界の処刑人。

 かつては特務分室の精鋭すらも打ち倒した殺人鬼には、未だ多くの謎が残っている。

 

 今回の獣化もその1つ。

 噂とこれまでに彼との戦闘を経験した者たちの情報から、彼は少なくとも魔術師ではなく、あくまで卓越した技術と膂力を誇る殺し屋であると認識されていた。

 だが今回明かされた秘密より、少なくとも彼が魔術か、あるいはそれに近しい何らかの秘術を扱う人物であることが分かった。

 

 ああ、だがしかし。分かったからと言って、この光景に対して驚くなというのは無理な話だ。

 少なくともこれは実力力量とは()()()()で、人間が立ち入っていい戦いではない。

 

 

『ヴルルルゥ……ッ!』

 

 

 血塗れの左腕。獣毛に付着した紅の鮮血を左腕ごと振るい、血振りのように払い落とすと凶獣と化したギルバートが再び牙を剥き、突進する。

 既に右腕を失い、得物も片腕では全力を引き出せない。

 加えて輸血液を注入しようにも、回復する前にギルバートの攻撃が先に届く。

 

 だが、それでもやはり――。

 

 

「――舐めるなァッ!」

 

 

 膨れ上がった血槌を左腕のみで振り上げて、己が今出せる力の全てを注ぎ込む。

 狩人の最たる武器である速度では勝てず、回復も間に合わぬ以上、右腕を欠いた現状態では力で勝てる筈も無し。

 それでもやはり、敗北を受け入れることはない。

 

 自ら獣化を行ったとはいえ、その理性が完全に人の頃のままである可能性は限りなくゼロに近い。

 ならばこそ、真正面からの突進を逆に利用し、全力の一撃で奴を迎撃する。

 勝つためには――もはやそれしか手はない。

 

 そして距離が縮まり、獲物(ギルバート)が血槌の間合いへと近付いて。

 あと5歩――それほど近くにまで迫ったその時、凶獣ギルバートは突進を一瞬止めて、

 

 

『――ギィアアアアアアアアアアッ!!』

 

 

 ()()

 強靭な両足で地を踏み締め、喉が張り裂けんばかりに轟かされた大絶叫。

 只人が行うそれとは異なり、人を超えた獣の吐き出す声量は膨大の一言。

 

 吐き出された咆哮はもはや、膨大な音を溜め、固めた爆弾そのもの。

 それをあと数歩という距離で突然に、かつ完全な無防備状態の上で放たれたならば、どのような結果へと至ったのか。

 振りかぶった血槌は左腕から滑り落ち、音の爆弾を至近距離で受けた獣皮頭巾の殺し屋の体躯はその場に踏み止まることも叶わず、吹き飛ばされる。

 

 

(……!)

 

 

 吹き飛ばされ、体躯が宙を舞う瞬間、彼は見た。

 理性を欠いているという自分の勝手な思い込みから生じた失敗。

 それを起因とした自身への怒りが一瞬込みあげかけたが、その感情もソレを目にした瞬間にすぐ失せた。

 

 宙を舞う自身と、それをさらに上の宙より狙う恐るべき凶獣。

 既に左腕は振りかぶられ、異形の大爪がブラドーを切り裂かんと鈍く輝いている。

 爪牙を剥き出し、獲物を狩らんとするその姿。

 それは紛れもなく野に生きる獣のソレと変わらないが、唯一つ――異なるモノがその姿にはある。

 

 

「ああ……そうか」

 

 

 例え姿を獣へと変じさせようとも、理性を欠くことなく、己の意識を保ち続けた。

 その証明こそが、凶猛なる人獣の眼――その内にある、()()()()()()瞳である。

 

 

「お主は、既に……獣さえも……!」

 

『ヴォオオオオオオォ――ッ!!』

 

 

 ――(ザン)ッ!

 

 振り切られる大爪。

 分かたれる殺し屋の体躯。

 上下2つに分かたれて、夥しいほどの鮮血を溢れさせながらブラドーの体躯が地に落ちて、その凄惨な姿を晒した。

 

 断面より覗く内臓。未だ止まらぬ朱色の血液。そして色を失っていく肌。

 誰の目から見ても分かる通り、もはや彼には万が一にも助かる見込みはない。

 いやさ、例え奇跡的にこの状態から回復できる手があったとしても、即座にまた凶獣の大爪で息の根を止められるだけだ。

 

 輸血液を注入しようにも、体の自由がきかない。

 後に待つのは死のみ確信した丁度その時だ。

 溢れ迸った鮮血に濡れ、伸ばした獣毛を朱色に染めた凶猛なる人獣(ギルバート)が歩み寄り、覗くようにブラドーの顔を凝視し、そして。

 

 

『――クァ……ッ!』

 

 

 ――()()()()

 

 上下に開かれた(アギト)が殺し屋の体躯に喰らい付き、血濡れた肉を牙で断ち、喰らい始めた。

 いや、正しくは『喰らう』というよりも『啜っている』といった方が適切だろう。

 口内に含まれた肉より血を絞り出し、絞り切った肉はすぐさま吐き出し、また新しい肉を食んで絞り啜る。

 

 肉など要らぬ。ただ血だけを寄越せ、と。

 自然界によく有り触れて、しかし人界においてはあり得ざる悍ましい光景に、後方にいるグレンらもその双眸を見張り、これまで以上の驚愕を瞳に湛えていた。

 

 ある者は恐怖し、ある者は得物を構え、またある者は凄惨さに耐え切れず、腹より込みあげてくるものを感じて口元に手を当ててさえいる始末。

 ぐしゃり、ぴちゃり、と生々しい音が奏でられ続け。

 ようやく音が止んだ頃には、やはりというべきか、凶獣の意識は彼ら(グレンたち)の方へと向けられた。

 

 

『ハァァァ……!』

 

 

 向きを変え、再び彼らの視界に映った凶獣の姿を先のモノとは異なっていた。

 獣毛が伸び、野性味あふれるものであったとはいえ、まだ人の名残があった先程の姿とは違い、今の彼は完全な獣だ。

 狼の如き貌と、より鋭利かつ巨大となった左腕と大爪。

 獣毛はより(つよ)く、太くなり、肌という肌を覆って天然の鎧と化して、その身を固めている。

 

 そして何より月の如く爛々と輝く双眸には、先程までにはなかった狂気が滲み出ている。

 

 その狂気が彼の視界を歪めているのか、あるいは視界のみならず、理性さえも冒し始めているのか。

 血濡れた爪牙を剥き出して、人狼(ギルバート)が徐々にその歩みを進め、彼らの元へと近付いていく。

 

 

「っ……何かしらの欠点(デメリット)があるんじゃねぇかとは思ったが、やっぱこういう類かよ……!」

 

 

 猛獣の持つ比類なき凶暴性と人間を超越した身体能力。

 破壊と殺戮の化身と化したギルバートの戦闘能力は、確かに先程とは比べ物にならないほど上昇した。

 だが、あまりに飛躍的な強化の代償は大きく、ソレが現在の理性の喪失だ。

 

 誰が敵で誰が味方かなどとは判別できず、ただ飢えた獣のように眼前の生者一切を襲い、貪り喰らう。

 今のギルバートはもはや、世に悪名高い『血塗れの殺人鬼』などではない。

 善人悪人問わず、視界に入る総てを喰らい殺すだけの凶獣。

 名を与えるならば凶つの人狼――『凶狼』とでも言うべき、生きた災禍そのものだ。

 

 元々グレンとギルバートは、かつてとはいえ敵同士であった間柄。

 片や帝国の宮廷魔導士。片や帝国の夜を支配する殺人鬼。

 講師となった今でも、帝国内にて指名手配されているかの『血塗れの殺人鬼』を逃がす道理はない。ないのだが……。

 

 

(結局こうなるのかよ……!)

 

 

 先の学院における一件にて、利害が一致していたとはいえ協力し合った相手。

 殺人鬼などと称されているとはいるが、殺めた相手の大半が外道魔術師という、外道とは異なる異端の悪者。

 その所業は許されるものではない。外道魔術師が相手とはいえ、夜な夜な凄惨な殺人劇を繰り広げ、秩序と平穏を乱す輩が許される道理はない。

 だが、それでもどうにかできないのかと、グレンはそう思わずにはいられなかった。

 

 何にせよ、迎え撃つ準備は整えておかねばならない。

 相手にはもはや理性がなく、爪牙は既に構えられ、グレンたちを切り裂かんと鈍く輝いている。

 いつ如何なる瞬間にも対応できるよう、せめてと左手を前へ伸ばし、魔術行使の準備をせんと行動を始め。

 

 

 

 

「――右へ避けろ、グレン!」

 

 

 

 

 己の後ろ。ルミア・アリシア母娘の傍にいる金髪の美女。

 自分の魔術の師でもあるセリカが左手を翳し、その先にいる人狼(ギルバート)を睨み据えていた。

 

 

「――《吹き飛べ》ッ!」

 

 

 轟――ッ!!

 一瞬の詠唱の直後、生じた爆発が人狼の巨躯を呑み込み、灼き尽す。

 巨大な鎖で編まれたも同然の強度の誇る獣毛の鎧も、爆発による火炎の前ではその防御も著しく低下し、逆に毛の1本1本に火が燃え移り、灼熱と共に彼を苦しめる。

 

 だが、まだまだ彼女の(ターン)は終わらない。

 爆撃による奇襲が成功し、人狼が炎熱に苦しみ、足を止めている今が好機。

 先と変わらぬ極短詠唱で瞬く間に魔術行使へと移り、彼女の左手からさらなる魔術が解き放たれる。

 

 虚空を駆け、眩い輝煌を伴い放たれるは収束された雷電。

 【プラズマ・カノン】――束ねられた極太の稲妻は真っ直ぐに駆け抜け、グレンが立っていた場所を通過した後、その先にいる人狼ギルバートの身を穿ち、人狼の巨躯を引っ掛けたまま天高くへと飛んで行く。

 

 

『ヴォアアアアアアアアァ――ッ!!?』

 

 

 己の速度でさえ避け切れなかった雷撃砲の一撃を受け、結界を砕いて外界へと飛ばされた人狼の悲鳴じみた咆哮を最後に。

 やがて雷電と人狼の姿は見えなくなり、虚空の彼方へと消え失せた。

 

 

「セリカ!」

 

「罵倒なら受けないぞ。ああでもしなければ、あいつをこの場から遠ざける方法がなかったんだからな」

 

 

 己の名を呼びながら走り寄ってきた馬鹿弟子(グレン)に対してそう言うと、己が吹き飛ばした人狼の消えた方角を睨むように見つめる。

 既に結界は壊れ、壊れた箇所から徐々に結界そのものが解除されていく。

 結界内で何かが起こっていたことは、おそらく内部からの轟音などで察せられているだろうが、その轟音を発した者たちについてまでは知られていないだろう。

 

 あるいは、それでいいのかもしれない。

 魔術も用いず、ただ純粋に身体能力のみであれほどの激闘を繰り広げた者たち。

 獣皮頭巾の男は己を『狩人』と称していたようだが、その狩人なる者たちが如何なる経緯であれほどの力を手に入れたのか。あの激闘を間近で見たならば、それに対して興味を抱く輩も出てくるはずだからだ。

 

 それに、これはセリカ個人が感じたことなのだが……

 

 

(あの気配……アレは間違いなく、200年前の……)

 

 

 今からおよそ200年ほど前。

 当時セリカを含む『六英雄』なる者たちを切り札に、人類は()()()()と敵対し、凄絶な戦争を繰り広げた。

 それは人でもなければ獣でもない、正真正銘の化け物共。

 この世界とは異なる外宇宙より飛来し、召喚された恐るべき()()()

 多くの犠牲を払った末に、セリカたちは邪神の眷族を討ち取り、何とか人類の存続は相成ったのだが……。

 

 

(私がかつて討ち果たした眷族とは違う、さらに上位の気配――邪神のそれが、あの殺人鬼からは感じられたな……)

 

 

 一体どのような経緯でそのような代物を得たのか。

 あるいは初めからあの男は、邪神の血族としてこの世に生を受けた存在なのだろうか。

 

 

「……知る必要があるな。あの男――『血塗れの殺人鬼』とやらを」

 

 

 その言葉を最後に一旦セリカは独り言を中断し、己の意識を現実へと戻す。

 解かれた結界の外から生じる生徒や講師、その他数多くの人々の声。

 先の戦いが嘘に思えるようなその状況だからこそ、彼らは気づくのに遅れたのかもしれない。

 

 凶獣と化したギルバートに敗れ、真っ二つに両断された刺客ブラドーの遺体。

 それら全てが鮮血と化し、跡形もなく消えてなくなっていたことを。

 

 そしてこの後日、アルザーノ帝国魔術学院からは1人の男。

 法医師セシリア=ヘステイアの補佐ギルバートが、突如としてその姿を消したのだった。

 

 

 

 

 

 

 疲労を溜めた状態のまま、狩人ギルバートは道の先へと進み行く。

 ボロボロになった狩人装束。その所々より覗く肌に傷はないが、顔に滲み出ている疲労は相当なものだ。

 競技祭の日、セリカの雷撃砲を受けて遥か遠方に飛ばされた彼は、奇跡的にも理性を取り戻し、自らに施した獣化を解いて人間態へ戻ることに成功した。

 

 吹き飛ばされた際に受けた雷撃砲によって穿たれた腹部は、輸血液を注入することによってどうにか塞ぎ、傷も回復させることができたが、それでも蓄積した疲労まではゼロにすることはできない。

 地図もなく、それ以前に己が来たこともない不可思議な森林を進むこと早数日。

 途中で獣を捕まえて喰らい、どうにか過ごしてきたはいいが、先日の戦闘がかなり堪えたのか、そろそろ限界が近づいているのが理解できた。

 

 

「まだ、だ……っ!」

 

 

 それでも諦めることなく、人里へ出ようと進み続ける。

 ここで死んでも夢に戻り、また現実という朝に目覚めるだけなのだが、それでも目覚める場所は変わらない。

 ならば少しでも先へ。前へと進み、行かねばならない。

 

 凄惨たる狂気の古都における、繰り返される一夜の冒険。

 その中で得た不屈さ、諦めの悪さを核に森の先へと進んで行き、

 

 

「ァ……っ!」

 

 

 己の意思に体躯が付いていけず、遂にギルバートの体躯がそこで倒れた。

 溜まった疲労は重しとなり、鎖となって彼の身を縛り、その場に固定する。

 人間を超越した狩人とは言っても、体力(スタミナ)切れと無縁というわけではなく、故にこの結末は必然である。

 

 せめてあと一歩でもと、右手を伸ばして進もうとするも、もはやそれ以上先へと進むことはできず。

 やがて重くなっていく目蓋により、視界が徐々に黒く染めり――刹那の終焉(おわり)を彼に告げ始める。

 

 

「ク、ソ……ッ!」

 

 

 それは誰に対する罵倒の言なのか。

 とにかくその言葉を最後に吐いた後、ギルバートの意識はそこで完全に断たれ、狩人の無防備な体躯が森林内に晒される形となった。

 鼻の利く獣の類ならば、すぐさま嗅ぎ当てて彼を喰らいに掛かったことだろう。

 何せこれまでに幾百幾千という膨大な数の人獣を屠ってきたのだ。染みついた血の臭いを嗅ぎ取るなど、容易い筈だ。

 

 

「……こいつは」

 

 

 だが、そうはならなかった。

 鳥や獣よりも先に血の臭いを嗅ぎ取って、森林内に横たわる彼の姿を見つけたのは1人の人間。

 大柄な体躯のギルバートよりもさらに巨大な、頭一つ分は上の背丈を誇る大男。

 

 目元を包帯のような薄布で覆い、黒の帽子を被った大男が首に巻いているもの。

 それは別世界。ヤーナムと呼ばれる古都に設けられた教会に属していた者が持つ――聖布と呼ばれる代物だった。

 

 




 あんまり長々と引き摺るのもあれですし、区切りも見えたので原作2巻の内容はここで終了です。


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第3、4巻
第13夜 異邦者たち


 ――すべて、長い夜の夢だったよ……

 

 ――貴公は獣など狩っていない。あれは…やはり人だよ

 

 ――狩人は皆、狩りに酔うんだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――知ってるかい? 人は皆、獣なんだぜ……

 

 

 

 

 

「――!」

 

 

 脳裏に響く呻きじみた過去の声から逃れるように、彼の目蓋は突然に開かれた。

 バネで以て跳びあがるように、上半身のみが勢いよく起き上がると、まずその瞳に映ったのは、茶色い天井だった。

 何故――? と思わず口からそんな言葉が漏れ出る。

 

 

(確か俺は、どこぞの森林を歩いて、そこで……)

 

「――やっと目が覚めたか」

 

 

 思わぬ他者の声に反応し、反射的に虚空に手を伸ばし、仕掛け武器のいずれかを取り出さんとする。

 しかし声の主は()()()()()()()と予期していたらしく、その大柄な体躯からは想像もつかない俊敏さで距離を詰めると、その体躯に相応しい太腕でギルバートの右腕を掴み押さえた。

 

 そして残る左腕を伸ばし、虚空を歪めて短銃を取り出すと、その人物へとギルバートは銃口を突きつけ、

 

 

()()()()

 

 

 ()()()()――と。

 ギルバート同様、同じく短銃を構えた眼前の人物が、諭すような口調でそう語り掛けた。

 互いに銃口を突きつけ合い、沈黙が空間を支配した瞬間。

 そこでようやく冷静な思考のできる余裕を獲得できたのか、ギルバートは目を凝らし、もう1度目の前の人物の姿を視界に収めると……

 

 

「……()()()()()?」

 

「ああ。久しぶり……いや、初めまして。と言うべきか?」

 

 

 ガスコイン神父。

 あの呪われた古都において、初めて共闘した狩人。

 そして後に、初めて彼が戦い、その手で()()()人物。

 あり得ない。そんな思考が脳を巡るが、それを察知してか、ガスコインは首を横に振った。

 

 

「言っておくが、幽霊じゃないぞ。ちゃんと足も付いてる」

 

「だが、貴方は……」

 

「ああ。大部分は不明瞭だが、お前さんに殺されたってことだけははっきり覚えてやがる。

 ……嫌なところだけ覚えてるなんざ、全くどうしようもないな」

 

 

 くつくつと、目元を包帯で覆い隠した奇怪な貌も相まって、ひどく不気味に見えるガスコインだったが、どうしても嘘をついているようには見えなかった。

 やがて危険性を感じなくなり、突きつけていた銃を下ろすとガスコインも同様に短銃を虚空に収め、倒れた椅子を直した後、再びそれに腰掛けて、話の続きに移った。

 

 

「で、何から聞きたい? とはいえ、俺の方もお前に聞きたいことは山ほどあるんだがな」

 

「……何故、貴方は生きている。いや、それよりもどうして()()に……!」

 

「ここへの転移については、俺も詳しいことは分からん。

 そして自分が生きている理由さえも、皆目分からん」

 

「そう、か……」

 

 

 分からないだらけの返答ではあったが、それでも不思議と納得はいった。

 奇妙な理由で蘇ったと知らされるよりも、分からずじまいの方が時には納得のいくものだ。

 分からぬものをそのまま不明としておくことは、あの古都においては死へと繋がる要因となったが、良くも悪くもここはヤーナムではない。故に、わざわざそれを解明する必要もない。

 

 

「だが、俺以外にも似たような境遇の狩人が、この奇怪な異界に放り出されている。それだけは確かな情報だ」

 

「――! ……それは本当か」

 

「嘘じゃあない。アイリーン、ヘンリック、ヴァルトール……古い連中だと、シモンやヤマムラの奴までいる。

 処刑隊、だったか? そこの所属のアルフレートとかいう若造もいたが、あいつは……そこら辺については、後回しでいいか」

 

「アイリーン、ヘンリック、ヴァルトールまで……」

 

 

 ガスコインが今名前を挙げた面々は、いずれも大小問わずギルバートが関わった狩人たちであり、後に行方不明、死亡などといった様々な形で彼の前から姿を消した者たちでもあった。

 最後に口にしたアルフレートが、ここに着いてどのような行動に出たのかは気になるが、今は個人を優先すべき状況ではない。

 

 

「俺たちがこの未知の土地に飛ばされた時期は、個々によって異なる。

 2年近く前に来た奴もいれば、半年近く前に来た新参者もいる。

 だが、どういうわけか2年以上前にここへ飛ばされてきた奴はいなかった。そして、飛ばされて少し経ってから、俺たちは、ある人物の噂を耳にした」

 

「その噂とは?」

 

「『血塗れの殺人鬼』」

 

 

 その名を耳にした途端、体が硬直するのが分かった。

 対するガスコインも、その人物の正体が誰であるのかを既に理解していたらしく、確信を持った声で、さらなる言葉を繰り出した。

 

 

「お前だろう? 狩人の情報収集力については、お前もよく知っている筈だ。

 何より、得た情報が俺たちにとって、あまりにも優しすぎるヒントだったからな」

 

「……ではなぜ、今まで接触を図って来なかったんだ?」

 

「しようとしたさ。だが、情報は手に入れど、肝心のお前の住処についてはまるで収穫無しだった。

 自分の拠点(アジト)を特定されぬよう行動し、今日まで生きて来れた手腕は流石の一言だが……」

 

「それが、今回は貴方たちにとって仇となった……か」

 

「まあ、そんなところだ」

 

 

 頭に戴く帽子を目深に被り直し、その下で口角を吊り上げ、不敵に、けれども不気味に思われないていどに笑う。

 そしてその笑みは即座に消え、次にギルバートが目にしたのは、狩人としてのガスコインの顔だった。

 

 

「詳細については他の奴らと()()した後に話すが、一言で言えば――」

 

 

 

 

 

 

「月の香りの狩人――お前さんを、俺たちの元へ迎えに来た」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ……」

 

 

 学院長室に重々しいため息が吐き出される。

 歳のせいもあってか、その嘆息は一層重みを増し、その人物の不安を明確にしていた。

 

 

「学院長、どれだけため息を吐こうと、状況は良い方向には進まないぞ?」

 

「ああ、分かっている。分かっているのだが……はぁ」

 

 

 またか、と。同じく室内にいたセリカは肩を竦め、つられるように軽いため息を吐いた。

 リック学院長がこのような有り様となっている理由は1つ。この学院に勤めていた、とある人物が未だ帰還していないが故だ。

 

 その人物の名は『ギルバート』――医務室担当のセシリアの補佐を務め、普段はフェジテの街で小さな診療所を営んでいる町医者だ。

 魔術も使えず、本来ならば医務室補佐という職になどは到底就けない人物である筈なのに、様々な理由からこの学院長は彼のことを気に入っており、彼からの連絡がつかないというだけで、こんな状態と化している。

 

 

「なあ、学院長。前々から思っていたんだが、何でそこまでその……ギルバート先生のことを気にしてるんだ?」

 

 

 まさかソッチの気でもあるのか、とからかい半分で尋ねてみたが、当のリックからの反応はなく、変わらず手を組み、不安に満ちた表情で俯いていた。

 しかし、からかいについてはともかく、先の純粋な問いに対しては答えるつもりはあったらしい。

 俯かせていた顔を僅かに上げ、皺の刻まれた顔に一層深い皺を生み、いつになく活力のない声で語り始めた。

 

 

「彼は……一般人とは思えぬ、稀有な思考の持ち主だ」

 

「……? たまに聞く、私ら魔術師とは異なる目線での意見を述べてくれるってヤツか?」

 

「それもそうだが、彼は……そう。魔術師ならざる身でありながら、魔術の危険性を理解している節があるのだ」

 

「……」

 

 

 どういうことだ、という疑問の言葉を口にせず、セリカはそのまま呑み込んだ。

 直感的ではあったが、以前よりあの町医者はどうも怪しいと思っていたが、今の言葉で増々その思いは深まった。

 基本一般人は、魔術に対しての知識はない。

 例えこのアルザーノ帝国魔術学院に、特例として医務室補佐を任されたとはいえ、それはあの町医者も同じの筈だ。

 

 もしも、セシリアを通して何らかの魔術の知識を得たとしても限界がある筈だ。

 そんな中途半端な有り様で、魔術の危険性について語るなどできるわけがない。

 

 

(普通なら、な……)

 

「魔術の危険性をだけではない。魔術のみならず、あらゆる物事の本質を捉え、どう扱うべきかを理解しているのだよ。

 私や君と比べれば、一回りも二回りも年若いはずの彼が、だ」

 

「ふーん……それが、学院長が彼を気に入っている一番の理由なのか?」

 

「かもしれんな。彼の言葉は、時に残酷なほどに真実を穿っている。

 この歳になっては、恥ずべきことなのかもしれないが、彼との語り合いは……己を改めて戒められる、唯一の機会なのだ」

 

「ほう、それはそれは」

 

「だからな、今回のこれは、ごく個人的な感情によるものだが……セリカ君。可能ならば、君にも協力して欲しい。

 時間が空いている時でも構わない。どうか、ギルバート君を探して貰えんか……?」

 

 

 年老いて、酸いも甘いも噛分けた大の男が吐き出した本音(よわね)

 仮にも一学院の長を務める人物に、ここまで弱点を晒させる言葉を吐き出させるなど、並大抵の人物ではできる筈がない。

 希うリックとは対称に、セリカのギルバートに対する疑念はますます深まり、以前より考えていた人物調査を本格的に行おうかと迷い始めたが……。

 

 

「……私も、他人に割く時間はない。だが、手すきの時で良ければ、その捜索を手伝ってやってもいい」

 

「おお……! ……ありがとう」

 

「なに、日頃グレンが迷惑かけているからな。そのお詫びと考えてくれ」

 

 

 先程の暗い顔はどこへいったかと言わんばかりの、希望に満ちた顔を向けてくるリックを背に、セリカは学院長室を退室した。

 

 

「さて……それじゃあ私も、本格的に始めるか」

 

 

 まずはあの町医者が住居としている診療所へ。

 流石に中には入れないだろうが、近辺の彼と関わりある住人や、彼の治療を受けた元患者たちから、彼の人物像を探ることはできる。

 

 

「鬼が出るか蛇が出るか、だったか? まあ、どっちになろうと、ヤバかったんなら叩き潰すだけだがな」

 

 

 不確定の、しかし切り捨てることのできない己の直感を胸に、セリカはまず、街にある件の診療所へ向かう準備を始めた。

 

 

 

 

 

 

「――おろろろろろ……」

 

 

 燦然と輝く大海原と、その大海と鏡合わせの形で青々しさに満ちた蒼穹。

 潮風が肌を撫で、乗船者たちを常夏の空気に誘うなかで、グレンだけは1人、激しい吐き気に苛まれていた。

 雰囲気もクソもないと言うべきグレンの現在の有り様だが、これでもまだ和らいだ方で、先程ルミアに背中をさすって貰っていた時などは、これの比ではないくらいにひどかった。

 

 

「うっぷ……だから船は嫌いなんだよ。うぷっ……!?」

 

 

 吐いてようやく収まっても、また次の吐き気が襲い掛かり、再び嘔吐劇が再開されるという最悪かつ最低の繰り返し(ループ)

 あらかた吐き終えた時には、既に口内は胃酸による酸味に溢れ、物凄い不快感をグレンにもたらしていた。

 すぐに口をゆすごうと、船内に入って水を貰おうとしたその時――突然横から、水で満たされたグラスが現れた。

 

 

「そいつで口をゆすぎな。あんだけ吐いたんだ、流石に気持ち悪いだろう?」

 

「お、おう……」

 

 

 差し出された好意を無為にするわけにもいかず、何より今は口内の不快感を一刻も早く取り除きたい一心で、彼は受け取ったグラスの中身を豪快に仰ぎ、口内の隅々まで巡らせてから蒼い海へと吐き出した。

 

 

「ぷっはぁ! ――ありがとうよ。おかげで助か……りました」

 

「あんだけ近くでゲーゲーやらかしてたんだ。そりゃ見て見ぬフリする方が無理って話さね」

 

 

 ハッハッハ、と乾いた笑いを上げたその人物は、一言で言えば『黒かった』。

 これから向かうサイネリア島は、今の時期でも気温が高いはずなのに、纏う装いはどう見ても冬の時期のそれだ。

 黒い帽子に黒い衣服、黒い腕帯に黒ズボン。

 中でも上着は羽根付きの代物で、見てるこちらが暑さを感じてしまうほどだった。

 

 

「あんた、これからサイネリア島に向かうんだろう?」

 

「ん? ああ、そうだけど」

 

「だったら気を付けな。あの島はね、ちょいと嫌ぁな臭いが漂っている最中だよ」

 

「……?」

 

 

 装いからして怪しさ満点だが、今の意味深なセリフのせいで、一層その怪しさは増しに増した。

 だが同時に、グレンはその黒衣の人物――声からして老年の女性なのだろう――の言葉を、怪しさから即座に切って捨てることもできなかった。

 

 

「もしも無事に島から出たいのなら、そいつに目を瞑って黙って去るか、あるいは暴いて叩き潰しちまうかのどちらかにするんだね。

 ま、あたしとしては、前者の方を勧めるけどね」

 

「……あんた、何を言って――」

 

「――おい」

 

 

 黒衣の女性に問おうとしたその時、その問いを遮る形で、第三の人物が彼らの間に割って入ってきた。

 こちらも同じく、高い気温の地域に向かうというのに、服装は明らかに夏のそれではない。

 この蒼穹や大海原とは異なる、僅かに黒みを帯びた青い官憲服。

 手には杖を携え、大柄な体躯を見上げると、そこに見えたのはくすんだ金髪と口髭を備えた、壮年の男の顔だった。

 

 

「見ず知らずの相手に妙なことを話すな。相手も迷惑しているだろう」

 

「おや、ババアなりに親切心で言ってやったんだがねぇ」

 

「どこが親切心だ。……すまないな、青年。こちらの者が失礼をした」

 

「い、いや、別に! 寧ろ水を渡してくれて、助かりましたよ」

 

「そうか。遠目で見ていたが、随分と吐いていたからね。到着まで、気をつけたまえよ。……行くぞ」

 

「あいよ。じゃあね、坊や。縁があったら、また会おう」

 

 

 そう言って官憲服の男に連れられて、黒衣の女性は定期船のどこかへと姿を消した。

 

 

「何だったんだ、あの2人……って、また吐き気が、おぇぇ……

 

 

 奇妙な2人の正体を探るよりも、再び訪れた吐き気に気を移し、結局彼の頭の中からその2人への疑念はすぐに消え失せた。

 ……そして程なくして、定期船別領域では、その件の2人が人目を避けつつ、何か言葉を交わし合っていた。

 

 

「無意味な行動は慎んで貰おうか。どこに連中が潜んでいるか分からんのだ。我々の存在に感づかれる可能性は最小限に抑えるべきだ」

 

「分かっているさ。けどね()()()()()()、あたしはあの坊やにアレを伝えたこと、間違いだとは思っちゃいないよ」

 

「どういうことだ?」

 

 

 官憲服の男――ヴァルトールがそう問うと、黒衣の女性は帽子の鍔を指先で押し上げ、その下に秘されていた双眸を晒すと、その視線を先程の青年(グレン)へと注ぎ、口角を僅かに吊り上げた。

 

 

「あの坊やからは、血の臭いがする。あたしら程ではないにしろ、常人ならばまず生涯纏うはずのない程の、悍ましい血臭がね」

 

「……つまりアレは、外道魔術師(汚物共)か?」

 

「いや、外道と呼ぶには純粋に過ぎる。おそらくは、外道殺しのロクでなし……狩人狩り(あたし)と同じようなもんさね」

 

「……フン。まあいい。それよりも、もう間もなくで島に着く。

 ガスコインからの報せが本当なら、我らが望んだ最後の同士が、あの島にいるはずだ」

 

「んで、本当にいたら、あたしたち……いや。あんたの野望成就に一歩近づく、ってことかい?」

 

「そうだ」

 

 

 そう言いながらヴァルトールは、その視線を黒衣の女性から島の方へと移す。

 

 

「この奇怪な異界に飛ばされて2年近く。その間に多くの汚物を目にしてきた。

 時にそれらを狩り、殺し、踏み潰して掃除してきたが、汚物は汚物。際限なく湧くばかりだ」

 

 

 故に、彼は再成した。

 かつて彼と志を共にし、夜に蠢く総てを潰すべく駆けまわる者たちを。

 総ての虫を見出し、あらゆる淀みを根絶すべく奔走する――『連盟』を。

 

 

「異なる世界に飛ばされど、いつの世どこの世にも虫は湧くもの。

 ……さあ、同士。今、迎えに行くぞ」

 

 

 

 

 

 

 

「新たなる連盟――新たなる我らが使命を、共にしようじゃないか……」

 

 

 

 

 

 

 



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第14夜 再会と不吉の兆し

 サイネリア島・山奥。

 

 住宅街や観光街など、人気の多い場所から離れた場所に、その一軒家はひっそりと建っていた。

 一軒家とは言っても、そこまで大したものではない。

 外装は木板や丸太で作られた純木製で、窓ガラスなどの一部分を除けば、完全に専門職の人間ではない誰かが造ったであろうことは明白だ。

 

 既に外は夜闇に包まれ、その隠れ家の中では火が灯り、仄かに内部を照らしていた。

 

 

「……さて、まずは祝おうか」

 

 

 火の灯りに照らされ、まず明らかとなったのは金髪の壮年男性、ヴァルトール。

 用意された椅子の1つに掛け、口髭を蓄えた口角を小さく吊り上げ、微笑みを湛えながら言った。

 

 

「我が同士、その最後の1人。

 我ら狩人の宿願を遂げ、こうして再び巡り会えたことに――乾杯」

 

『――乾杯』

 

 

 ヴァルトールの祝福の言葉を合図に、それぞれが手に持つグラスを掲げ、その中身を呷る。

 中身は鮮血のように赤い液体で満たされていたが、狩人たちにして珍しく、中身は単なる葡萄酒だ。

 常ならばきっと、薄めた血をグラスに満たし、酒の代わりに飲んでいたやもしれないが、そこは流石に狩人。これから始まる件についての重要さを理解しているらしく、此度は控えたらしい。

 

 

「……それで、俺を迎えにきた、というのはどういうことだ?」

 

 

 空になったグラスを置き、隣に座るガスコインへと視線を移しながら尋ねる。

 御尤もな問いがくることはガスコイン自身察していらしく、彼の問いには答えず、代わりに顔を僅かに動かし、隠された視線をテーブル奥に座すヴァルトールへと向け、返答の代行を促した。

 

 

「言葉通りの意味だ、同士。我ら連盟、いや……『狩人連盟』は、お前を再び迎え入れたいのだ」

 

「『虫』の根絶、淀みの浄化……か?」

 

「ああ、そうだとも。流石は優秀な狩人だ」

 

 

 整った渋みを感じさせる顔立ちが、微かな狂気に歪む。

 元々総ての『虫』の根絶という、正気の沙汰ではない使命を課し、志を同じくする者たちと共に奔走していた男だ。

 ヤーナムの真っ当な狩人たちにとって忌むべき『狂気』も、この男ならば仕方ないと、片を竦めるほかない。

 

 そして狂気に満ちたヤーナムならざるこの異界にて、ヴァルトールら連盟――『狩人連盟』なる組織が求める『虫』と称すべき穢れとは……

 

 

「――外道魔術師か」

 

「ご名答。お前のもう1つの顔の噂も耳にしているのでね。そちらも同様に……偶然だろうが、我らの使命を全うし続けていることには、感謝しているぞ」

 

「……別に俺は、連盟の使命のために奴らを狩っていたわけではない」

 

 

 外道魔術師たちを殺していたのは、奴らの所業がかつての医療教会、そしてビルゲンワースやメンシス学派のそれに似ていた故に、そこから来る憎悪と怒りの解放というものだったが、奴らを狙う目的は別にある。

 それは己を――このヤーナムが存在しない未知の異界に飛ばした存在、それを知るためだ。

 近道をするならば国に取り入り、その内部に秘された情報を得るべきだろうが、必ずしも国が己の求める情報を手にしているとは限らない。

 

 それに己ができることは、獣を狩り、狂人を殺し、上位者を滅ぼすことだけ。

 今でこそ医者紛いの行為ができるようになったが、殺戮者も同然の人物を国が信用する筈がない。

 故の外道魔術師狩りであり、そこに連盟を起因とする使命感はほとんどなかったが……

 

 

「ああ、それで構わない」

 

 

 それでも、ヴァルトールは特に気にした素振りは見せなかった。

 

 

「いかなる思想、信念、目的のもとに行われた行為であっても、俺にとってはそう変わりない。

 肝心なのは、お前がこれから先も奴らを駆逐し続けること。そして――」

 

「その『狩人連盟』とやらに入るか否か、か?」

 

「そうだ」

 

 

 最初に新生した連盟の話を聞いた瞬間から、その問いが来ることは分かっていた。

 特にギルバートは、あのヤーナムの狩人たちが望んで止まなかった悪夢の夜明けを見事に遂行し、上位者たちを討ち果たした人物だ。

 殲滅すべき対象がいる中で、より強力な戦力を望むのは当然のことであり、それがかつて、己が目をかけた人物ならば尚更だ。

 

 

「先に言っておくけど、この馬鹿の勢いに呑まれて首を縦に振るんじゃないよ。

 入るかどうか、それを最後に決めんのはあんた自身だからね」

 

「……アイリーン。貴女も、連盟に加入しているのか?」

 

「あたしかい? まあ、形式上はそうなってるが……正確には、こいつのストッパーさね」

 

「ストッパー?」

 

「こいつのことを知ってるのなら、あんたも分かってるとは思うが、こいつはとにかく苛烈さ。

 虫だ淀みだと、その可能性が欠片でもあると判断した時点で即刻、処刑だ。

 今のところは対象を外道魔術師に()()絞ってるからいいが、これから先のことまでは分からない」

 

「故の歯止め役か」

 

 

 確かに、ヴァルトールは良くも悪くも行動的な人物だ。

 己の信ずるものを疑わず、そしてその積極性と愚かしさすら覚えるほどの何かに対する真っ直ぐな姿勢が、多くの狩人の心を惹かせ、率いてきたのは紛れもない事実だ。

 しかし、その行動性ゆえか、彼の行うことは悉くが苛烈で、傍から見ればそれは、あの忌々しいビルゲンワースや医療教会と同じ『狂行』としてしか映らなかっただろう。

 

 同じ狩人でさえそう思うのだ。彼のことを知らぬ、この異界の住人たちが目にすれば、どう感じ、どのような反応を示すかなど想像するに容易い。

 その点を考えれば、彼の傍でその行動の苛烈さを抑え込む歯止め役が必要になるのは当然であり、それをアイリーンが務めるというのなら、成程、確かに最適な人選だ。

 

 

「獣に堕ちた狩人も、狂って正気を失くした狩人も、その介錯は()()()の仕事さ。

 ならばこそ、現状で一番そうなりやすそうな奴に付くのは、当然じゃあないかい?」

 

「……成程。確かに貴女ならば、問題なく務まりそうだ」

 

 

 『狩人狩り』――狂気に堕ちた狩人たちを狩る、異端の狩人。

 それを務める鴉羽の処刑人は、その悍ましき業から()()()に優れている。

 それは、例え歴戦を誇る連盟の長とはいえど、容易に勝ちを得ることは叶わぬほどに。

 

 

「……で、どうするんだ。加盟するか、しないのか」

 

 

 そこでようやく、ガスコインが逸れかけた話を戻そうと声を発した。

 そうだ。本題は結局のところソレだ。

 ギルバートがその新生連盟こと『狩人連盟』に加入するか、否か。ヴァルトールらが求めるのはそれなのだから。

 

 

「……」

 

 

 『狩人連盟』への加入は、即ち、その組織に属する総ての狩人らへの助力が可能となることを意味する。

 自分で言うのは何だが、ヴァルトールはギルバートのことを高く評価し、内面では再び連盟に来ることを望んでいるだろう。

 かつて学院を襲ったテロリストの片割れが言っていた『夢の声』。その真実を知るであろう『天の智慧研究会』を本格的に相手取るには、個人で挑むのは危険過ぎる。

 

 ならばこそ、使える人員と戦力の増強を考えて、ここで加入するのが最善だろう。

 そのはずだ。その筈なのだが……

 

 

(そうであれば、アイリーンがわざわざ俺にあの忠告じみた発言はしないはずだ)

 

 

 狩人狩りアイリーンは聡い。

 長年の経験と、狩人狩りという常軌を逸する業を理性を損なうことなくこなし続けた強靭な精神。

 そしてそれらを合わせて獲得した人を見る『目』は、間違いなく一級だ。

 それが狂気――正気を失くした狩人に関してならば、尚更に。

 

 

「――どうやら、答えは今すぐには出しかねるみたいだね」

 

 

 アイリーンの方もギルバートの沈黙をそう受け取ったのか、助け船代わりにそう言った。

 可能であればすぐに答えが欲しい、というのがヴァルトールの本音らしく、その渋みを帯びた端正な顔に皺が刻まれるが、「仕方ない」と肩を竦め、嘆息した。

 

 

「俺たちも、暫くの間はこの島に滞在する。

 だから、その間でいい。その間のうちに、お前の答えを聞かせてくれ」

 

「……努力しよう」

 

「頼んだぞ、同士」

 

「ああ。……それからヴァルトール、これを」

 

「……?」

 

 

 このまま答えを出さずに去るのは、きっと彼にとって快くない行いであることに違いない。

 故にギルバートは、その品を虚空の歪みより取り出し、ヴァルトールへと差し出した。

 それは過去に、ヴァルトールからギルバートへと渡された『ある物』。

 連盟に属する狩人ならば、誰もが知る杖と並ぶ意味高きもの。

 

 『長の鉄兜』――連盟の長が代々引き継ぐ、かの組織の長たる証。

 

 

「これは……」

 

「答えをすぐに出せぬ俺に、あの組織の長たる資格はない。

 新成した連盟……『狩人連盟』の長が貴方ならば、鉄兜(これ)は貴方が持つべきだ」

 

「――」

 

 

 ヴァルトールからの返事はない。

 しかし、言葉代わりに彼の両手は差し出された鉄兜を掴むと、下に穿たれた穴に己の頭を入れ、被る。

 視界は狭まり、穿たれた覗き穴は右側のみで、故に左目で見ることはできなくなった。――だが。

 

 

「ああ――懐かしい感覚だ」

 

 

 込みあげてくるかつての感覚。

 忘れて久しい鉄の冷たさを感じて、ヴァルトールは静かに呟く。

 それを切っ掛けに、隠れ家での会談は幕を下ろし。

 狩人たちは、各々の目的のために、夜闇にその姿を消し、去って行った――。

 

 

 

 

 

 

 懐かしき面々との再会。

 その夜が明け、天には月に代わり太陽が昇っていた。

 燦々と輝く灼熱の星は、かつて求めてやまなかった目覚めの象徴であるはずなのに、今はひどく忌まわしかった。

 

 

「……暑い」

 

 

 季節はまだ夏には至っていないというのに、このサイネリア島はとても暖かい――いや、暑かった。

 考えればこの島は他の地域と比べて気温が高く、視線の先に見える浜辺では、観光客たちが一足早い海水浴を満喫していた。

 別に羨ましいとか、そんな感情を抱いているわけではない。ただ、用意する暇が無かったとか、そもそもヤーナムの衣服に半袖の類が存在しなかった、などと言う理由で高温地域用の衣服を用意してこなかった自分自身を呪ってやりたかった。

 

 今のギルバートの服装は、普段の白衣や夜の狩人装束ではない。

 今の彼が纏うのは、ヤーナムを訪れたばかりの頃に身に着けていた衣服だ。

 狩人の装束と比べれば、実戦などとまるで考慮していない異邦の衣服は懐かしさを感じさせるが、既に故郷の、ヤーナムを訪れる前の記憶は忘却してしまっているため、詳しいことまでは思い出せない。

 

 その代わりとばかりに、海に吹く潮風がフードを取り払い、剥き出しとなった顔の肌を叩く度に、ギルバートは()()()のことを思い出す。

 終わりの旅路、その果てに待ち受けていた最後の恐怖。

 あの狂人が追い求めた上位者ゴースが、その最期に残した、老いた赤子の生まれた海辺を。

 

 

「呪いと海に底はなく、故に全てを受け入れる、か――ん?」

 

 

 ぽん――っと、呟きの最中、ギルバートの革靴に軽い何かが当たる。

 足元を見下ろすと、そこにあったのは1個のボールだ。

 海辺でのスポーツでよく使われる道具であることは流石に分かっているが、さて、どこの客が飛ばしてきたものなのか。

 

 

「おーい、すみませーん。そっちにボール行ってませんかー?」

 

 

 程なくして、ボールが飛んできたであろう方角から男性の声が聞こえてきた。

 所有者が誰であるのかさえ分かれば問題ない。足元のボールを拾い上げ、そちらへ投げようと構えを取ろうとした――その時。

 

 

「すみませー……って、()()()()()()()!?」

 

「……」

 

 

 突然叫ばれたその名と、それを口にした男の声を近くで聞いたことで、ギルバートは何故その人物が驚愕したのかを理解し、そして呆れたように大きなため息を吐いた。

 己を先生と呼ぶのは、治療を受けにきた患者と、副業の医務室補佐で知り合ったあの学院の関係者たちぐらいしかいない。

 さらに言えば、こんな島で呑気に遊びに興じる輩など、彼の知る限り1人しかいなかった。

 

 

「……何で貴方がここにいるんですか、グレン先生」

 

「いや、それ俺のセリフでもあるんですけど……」

 

 

 当然、そのやり取りで存在が彼の教え子たちにバレたのは言うまでも無く。

 グレンたちがやっていた浜辺の遊び(ビーチバレー)に巻き込まれるように付き合わされる羽目になったのは、それから間もなくのことだった。

 

 

 

 

 

 

「いやぁ、まさかギルバート先生がこんなところに居ただなんて思わなかったっすよ」

 

「それはこちらのセリフです。まさか、『遠征学修』で先生たちが此処を訪れていたとは……」

 

 

 本当に危なかった、というのがギルバートの本音だった。

 一遊びして後、グレンとギルバートは一旦抜けて、休憩所代わりのビーチパラソルの下でこれまでの経緯を互いに語る形となった。

 グレンらは、たった今ギルバートが口にした通り『遠征学修』としてこの島を訪れていただけだ。

 学習対象である『白金魔導研究所』へ向かうのは明日だそうだが、それ以外は基本自由時間なので、こうして遊びに興じていたとのことらしい。

 そして対するギルバートは、知り合いに突然呼ばれ、予定を急遽変更して、このサイネリア島を訪れていた、という話で誤魔化した。

 『血塗れの殺人鬼ギルバート』などという本当の貌を知らないグレンらに、まさか競技祭でセリカの魔術で吹き飛ばされ、後にかつての仲間に拾われて現在に至る、などと話すわけにもいかないし、仮に話したところで信じてはもらえないだろう。

 

 

「そういや、学院長がすっげぇ心配してたぜ? 休暇から全然戻ってこないし、連絡も一切ないって。

 見つけてくれたら教えてくれって、直接頼んできた程だぞ?」

 

「ああ……それはご迷惑をお掛けしましたね。本来なら、用事は済ませたらすぐ帰る予定だったのですが、どうも知人の容体が芳しくなかったもので」

 

「でも驚いたぜ。あんた、出張治療なんてやってたんだな」

 

「知人限定ですよ。同じフェジテに住まう患者の方々ならすぐに行けますが、流石にこんな遠くまで何度も来たら、商売赤字塗れになってしまいますので」

 

 

 うへぇ、と赤字という言葉を聞いてグレンの顔が引きつる。

 無駄遣いばかりするロクでなしにとって、金欠は幾度となく体験したであろうが、やはり嫌なものは嫌なのだろう。

 

 

「今は大分容体も安定しましてね。明日か明後日あたりには、俺もフェジテの方に帰る予定です」

 

「で、今日は折角この島にまで来たから、完全オフにして一休み……ってとこか?」

 

「ま、そんなところです」

 

「そうか」

 

 

 その言葉に何かしらかの安堵を覚えたらしく、グレンはその場で横になり、パラソルを仰ぐ形で空を見上げた。

 

 

「そういやさ、これも学院長から聞いたとこなんだが……あんた、俺の補佐になってくれっていう学院長の頼み、断ったんだよな?」

 

「……そうですが?」

 

 

 何か不快に思いましたか? と問うと、再びグレンはまさか、と首を小さく横に振った。

 

 

「仕事が減るのはラッキーだが、流石に魔術師じゃない一般人を補佐として扱き使おうとは思わねえよ。

 医務室の方は、あんた自身が医者だから魔術無しでもやって来れただろうが、魔術がメインになる講義だと、そうはいかないだろ?」

 

「……否定はしませんよ」

 

「ああ。だから、俺は強制はしない。ちょいと使い方は違うだろうが……ほら、あんたが前に教えてくれたアレだよ。『何物も使い様』ってヤツだ」

 

 

 意外だった。

 まさかあの時、何気なく言ったあの言葉をまだ覚えていたとは。

 確かにその言葉は、ギルバートがヤーナムでの狩りを通して得た教訓だ。本来人を救うべき医術が、医療教会という担い手によって、恐るべき冒涜の術へと変貌したように。

 木や木板を削り、切り断つノコギリや鉈も、狩人という存在によって凶悪な武器へと形を変えたように。

 

 あらゆる物、術技は使い手によってその性質を変える。

 それは魔術も例外ではなく、特に医務室でセシリアの補佐をしていると、余計にそれを実感できるのだ。

 それにしても……

 

 

(よく覚えていたものだ……)

 

 

 学院に講師としてやってきたグレンだが、その講師としての働きを実際この目で見たことはない。

 だから、例え生徒や講師間での話から彼の評判を窺い知ることはできても、その深奥を知ることまではできない。

 知らぬからこそ、その人物への正しい評価ができなくなる。

 逆にこうして直に言葉を交わし、その言動の1つ1つより、その人物の思想・性格・本質を読み解いていけば、正当な評価ができやすくなる。

 

 

「……ところで先生、あの青髪の少女は……」

 

「ん? ああ、あいつっすか。あいつは――」

 

「――先生!」

 

 

 グレンがギルバートの質問に答えようとした丁度その時、足音と共に1人の少女の声がした。

 やってきたのは3人の少女で、うち2人は、ギルバートもよく知る少女たちだった。

 システィーナ=フィーベル、ルミア=ティンジェル、そしてもう1人は……

 

 

「グレン……その人、誰?」

 

 

 リィエル=レイフォード。

 帝国宮廷魔導士団特務分室所属の魔導士。

 執行官ナンバー7『戦車』の、あの組織の若きエースの1人だ。

 本来ならばここにいるはずのない人物に、ギルバートは微かな警戒心を密かに抱くが、無論グレンがそれに気づく筈がなかった。

 

 

「あー……そういや、ギルバート先生は休暇中でいなかったからなぁ。

 こいつはリィエル。ちょっと前に学院に編入してきた奴でしてね。ちょーっと性格はアレっすけど……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 グレンの説明など気にもせず、両者は互いを認識した後、じっと睨むように見つめ合っている。

 リィエルの方は変わらぬ寝ぼけた目付きではあるが、対するギルバートの目は、少なくともグレンらの知るいつもの彼のものではなかった。

 例えるならば、標的を前にした殺し屋の目。他者の傷を癒し、その命を救う医者という職とは対極に位置する者の目だ。

 

 睨み合うこと十数秒。流石にその空気に耐えられなくなったのか、ルミアがおずおずと声を掛けようとしたところで……

 

 

「――成程ね」

 

 

 目付きを普段のものへと戻し、すっと立ち上がってギルバートはリィエルを見下ろした。

 

 

()()()()()、リィエルさん。

 編入してまだ日は浅いでしょうが、遊びも勉学も、共に頑張ってください」

 

「……うん。そのつもり」

 

「そうですか。……ではグレン先生、それにシスティーナ君とルミア君。俺はこれで失礼します」

 

「もう行ってしまうんですか?」

 

「知人の容体を確認しに行く必要があるので。折角ここまで治療したのに、最後ら辺でまた再発したらたまったものじゃないからね」

 

 

 では、と。急くことなく、しかし遅すぎない程度の足取りでギルバートはその場から去って行った。

 グレンらがこの島に遠征学修で来ていたのもそうだが、そこにリィエルが加わっていたのはまずい。

 アレは阿呆だが、感覚は人よりも獣のそれに近いところがある。

 もしも、何かしらかを機に直感が働き、己の正体がバレでもしたら、それこそこれまでの行動の意味が無くなる。

 

 迅速に隠れ家へ戻ろうと速度を上げ、早歩きでもと来た道を戻っていくと、

 

 

「――戻って来たかい」

 

 

 街を抜けた先の森林。その入り口付近に、見慣れた鴉羽の装束が見えた。

 

 

「アイリーン……」

 

「戻って来てそうそう悪いけど、あんたに伝えることがあるよ」

 

 

 昼中でさえ薄暗い森の中。

 その闇に紛れた鴉の狩人の纏う雰囲気は、かつてヤーナムで出会った頃のそれと同じ。

 特に今はあの頃の……オドン協会付近で、古狩人(ヘンリック)が正気を失ったことを伝えてくれた時のものと酷く似ていた。

 

 

「明日の夜、この島にある『白金魔導研究所』へと攻め込むよ」

 

「理由は?」

 

「ガスコインと他の狩人連中の調べさ。どうもあそこ、外道魔術師どもが出入りしてるって話さね」

 

「……『天の智慧研究会』か」

 

「おそらくは、ね」

 

 

 確定ではない。だが、その可能性が充分にあると分かれば、侵入を拒む理由はない。

 だが一施設へ攻め込むとなれば、相応の準備が要るのもまた事実で、さらに他の事情と併せた上で、決行日を明日の夜と定めたのだろう。

 賢明な判断だった。それ故に、失敗は許されない。

 

 

「もしも本当に『天の智慧研究会』が居るってんなら、あたしらは連中にちょいと聞かなきゃならないことがある」

 

「末端の奴では駄目だ。少なくとも上位陣……組織の方針決定に携われる者を捕え、尋問すべきだろう。

 特に――奴らが口にしていた、『夢の声』なるものについては」

 

「『夢の声』……やっぱりあんたも、そいつを聞いたんだね」

 

「……? どういうことだ」

 

「あたしらが殺った連中も、同じことを言ってたんだよ。そいつがあたしら――『狩人』の存在を教えてたみたいでね」

 

「では……」

 

「ああ。その声の主が獣だろうが化け物だろうが、探ってみなきゃ分からない。

 ……ああ。それと、1つ。あんたは見事、あたしの忠告を理解してくれたみたいだからね。こいつを伝えておくよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――最古の狩人一派。ゲールマンたちも、この異界に飛ばされてるよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ええ。今のところ、準備は順当に進んでいますわ」

 

 

 薄暗く、湿り気を帯びた地下水路の中で、その人物――エレノア=シャーレットは虚空へ向けてそう言った。

 彼女以外に人影は見当たらず、真実その場には彼女以外、人間はおろか生物1匹すら存在していない。

 となれば、通信魔導器の類で遠距離通話を行っているのではと考えるのが普通だが、しかし今の彼女はそれすら行っておらず、そのままの意味で、彼女は虚空へ向けて話していたのだ。

 

 

「しかし、意外でしたわ。まさか()()()がこの一件に関わりを持とうとは……」

 

 

 そこまで言うと、今度は彼女が聞き手に回る番らしく、虚空の先にいるであろう()()が何かを語り、その内容を耳にして、彼女は納得したように頷いた。

 

 

「成程……我々『天の智慧研究会』があの施設に関わりを持っていると判明すれば、かの御方……『血塗れの殺人鬼』様は間違いなく向かってくるでしょう。貴方様にとってはどうでもいいことでしょうが、我々にとって、その内で行われる儀式のデータは非常に重要なもの。

 暴れ回られれて、儀式そのものを根本から破壊されてしまっては、私たちとしても大変困りますね」

 

『――』

 

「ええ。ですので、感謝致しますわ。偉大なる我らが大導師様、あの御方が直接迎え入れられた貴方様が、御自らの力を貸し与えて下されば、少なくとも最悪の事態は避けられましょう」

 

 

 蕩けるように魅力的な、どこか艶を帯びた声で言葉を紡いでいくも、やはりその視線の先には誰もいない。

 いや、きっとそこには誰かいるのだろう。ただ、存在する()()が異なるだけなのだ。

 やがて話も粗方済んだのか、エレノアは妖しくも柔らかい笑みを口元に湛え、侍女長であった頃の名残りである恭しい会釈で、その存在に感謝の意を示した。

 

 

「改めて、此度のご協力のほど、感謝致しますわ。第三団《天位》、■■■■■■様。

 貴方様より御貸し頂きました()、存分に使わせて頂きます」

 

 

 狂気の死霊術師の声に応じる者の姿はない。

 ただその時、蒙を啓かれた者が近くにいたのなら、きっと聞こえていただろう。

 暗がりの中で響く、ひどく不気味で、狂気を帯びた哄笑が――。

 

 そして白金魔導研究所の真上にて、不気味な『虚空の歪み』が生じたのは、それから間もなくのことだった。

 

 



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第15夜 悪夢からの刺客

 今回はストーリーをスムーズに進行させる都合上、場面の飛ばし回数が多いです。
 だらだらと引き延ばしていると終わりそうにないので、戦闘シーンはカットしています。後のメインは必ず描写しますので、ご了承下さい。


「――では、諸君。参ろうか」

 

 

 日を越え、光は落ちて闇が空を覆った刻。

 隠れ家に集った、このサイネリア島にいる全ての狩人たちは、ヴァルトールの言葉の下、一斉に件の研究所へ向けて疾走を開始した。

 とはいえ、彼らが直接白金魔導研究所へ真正面からぶつかるわけではない。

 

 今回は数こそいれども、狩人たちは基本、大軍相手の戦いに弱い。

 真正面からぶつかれば、それこそ布かれた防衛戦力によってたちまち囲まれ、全滅こそないが、戦力を大きく削られる可能性は大だ。

 だからこそ、ガスコインを筆頭とする調査班は、()()1()()の侵入口を探し、二日前、ようやくそれらしい場所を探り当てたのだ。

 

 

「——ぶっはぁ!」

 

 

 水面を食い破るように、続々と浮き上る狩人たち。

 軽装とはいえ、基本水中戦を行う機会がない彼らにとって、水中を泳ぐことは獣を相手に戦うよりも難しいかもしれない。

 狩人装束に溜まった水分を限界まで絞り出し、改めて周囲を見回すと、そこは自然の底に埋もれていた場所とは思えない場所だった。

 

 

「……貯水湖か」

 

「ああ。話によれば、あの研究所の持ち主……ブラウモンとかいうジジイの魔術は、特に水が必要だそうだ。

 時間をかけて人やら書物やらで奴さんの人物像や得手とする魔術、その魔術の性質を調べ上げた結果、水中を調べてみたんだが……」

 

「大当たり……だったな」

 

 

 枯れ羽の狩帽子から水を絞り出しながらギルバートが言うと、その隣で斧を担ぎながら「おう」とガスコインが唸るように応じた。

 

 

「んで、調べた時に分かったんだが、どうもこの貯水湖。ただの水溜め場じゃあないらしい」

 

「……? どういうことだい?」

 

「アレだ」

 

 

 担いだ斧の先端で前方を指し示すと、その先に見える水溜まりから、巨大な()()()が突如突き出でた。

 それから続くように2本、3本、4本と。続々と水面を突き出るハサミ。

 やがてそれらが6本に到達すると、ようやく本体もその姿を晒し、その悍ましい全貌を狩人たちの前に現わした。

 

 

「蟹か……それにしてもデカい」

 

「ハサミも6つときたか。これは、明らかに自然発生したものではないな」

 

「アレだけじゃないぞ。——()()

 

 

 再びガスコインがそう言うと、他の水面からも同様に何かが現出し、それぞれの異形を晒していく。

 巨大烏賊、半魚人、粘液生命体(スライム)——およそ自然が生み出したものとは考えられない、邪悪な意思のもとに生み出された異形の怪物が群れを成した現れた。

 

 

「……あのジジイ、とんだ狸だったみたいだね」

 

「いずれにせよ、この怪物の壁を突破しない限り、我々は先へは進めんな」

 

 

 ガ――ギィィンッ! と。

 虚空より戻した槌鉾(メイス)を背に回すと、その先端を背に帯びた道具と一体化させ、引き戻す。

 そうして新たに手にした武具――『回転ノコギリ』の先端を喧しいほどに駆動させ、ヴァルトールは謳い上げるように狩人たちへと叫んだ。

 

 

「さあ、同士たちよ。狩れ。狩って、狩って、狩り尽して、糞虫どもを潰して、潰して――潰し尽せぇッ!!」

 

 

 ノコギリが唸る。斧が振り上げられ、鋭刃が空を裂く。

 猛々しくも恐ろしい狩人たちの狩りは、開戦の銃声と共に幕を上げた。

 

 

 

 

 

 

「……っく……あ、ぅあああ……ッ!?」

 

 

 苦悶に満ちた少女の声が響く。

 研究所の最奥。その領域に囚われた少女、ルミアの身を、非人道的な業が苛んでいた。

 その身に刻まれたルーンの術式により、膨大な量の魔力が彼女の身を疾走し、彼女の意思に関係なく、その異能を行使させられている。

 

 

「ふふッ、ふは、ふははははははッ! いいぞ、いいぞッ!」

 

 

 その凄惨な光景を目にして、しかし悲哀を抱くどころか狂気を帯びた歓喜で、その顔を満たす男がいた。

 バークス=ブラウモン。この『白金魔導研究所』の主であり、今は天の智慧研究会への入会を望む者。

 かの結社への入会のため、仲介人であるエレノアから求められた『Project: Revive Life』の儀式を行っているのだが、その調子については、彼の様子を見れば言うまでもないだろう。

 

 

「成るッ、成るぞぉ! 『Project: Revive Life』は今日、ここに成る!

 このバークス=ブラウモンの手によってだ……ふははははははははははははッ!!」

 

「流石はバークスさん、お見事な腕前です」

 

 

 実験の順調さに哄笑を上げるバークスの傍で、青髪の青年がにこやかな笑みを湛えたまま、彼の実験の結果を讃える。

 無論、その笑みは仮初めのものであり、心の内では微塵もこの結果が彼の腕前によるものだとは思っていない。

 そもそもこの儀式を始める前に、バークスにこの儀式に必要な術式を丸ごと提供したのが彼なのだ。

 

 故に出来て当然、というのが青年の本音であり、それなのにこうして馬鹿みたいに高笑うバークスの姿に、呆れと苛立ちを抱いてならなかった。

 

 

(まあ、いいさ。どうせこの男は俺の踏み台だ。せいぜい、一瞬の勝利の美酒に酔えばいい……)

 

 

 そんな思いを抱きながら、青年は部屋の隅へと目を向けると、そこには彼と同じ青色の髪を持つ、小柄な少女の姿があった。

 リィエル――短い間とはいえ、かつてルミアの学友として在った少女は、今は彼女から目を背ける形で後ろを向き、その小さな手と肩を震わせていた。

 

 

「リィエル、大丈夫かい?」

 

「……」

 

 

 青年からの問いかけに、リィエルはしかし無言だった。

 かつての友人に対して、このような仕打ちを行ってしまったことに対する罪悪感か。

 これはこれで都合がいいのだが、と考える青年だったが、同時にこの先、どこまで使い物になるのかと密かに疑問に思った。

 

 ——その時だ。

 

 

「——何事だ!?」

 

 

 研究所内を地鳴りのような大音と、僅かな揺れが襲う。

 突然の出来事に思わず叫ぶバークスだが、その近くにいたもう1人の協力者エレノアは、冷静に遠見の魔術を行使して、その原因を探っていた。

 

 

「第4区画に侵入者ですわ。数は4名……成程、()()()()の予想が的中しましたか」

 

「どういうことだ、エレノア殿!?」

 

 

 全く話の意味が分からないバークスに、エレノアは感情を感じさせない声で詳細を告げた。

 

 

「我ら組織の内陣(インナー)が1人にして、第三団《天位》に属する『とある方』より、今回の件が始まる前より忠告がございました。

 この施設に、我ら『天の智慧研究会』が何らかの形で関わっていることを知れば、必ずやかの御方はやってくるだろう、と」

 

「では、貴様らとの関わりを確信したから攻めて来たと? 何だそれは、その馬鹿者の名は何という!?」

 

「——『血塗れの殺人鬼』」

 

「——ッ!?」

 

「——ッ!」

 

「……」

 

 

 エレノアが呟いたその名は、その場にいる全ての者たちに、個々の反応を示させた。

 バークスと青髪の青年の顔には僅かに恐怖の色が滲み、リィエルは僅かに警戒の念を抱く。

 そしてルミアは……

 

 

「あの人が……? どうして、また……」

 

「……ええいッ、映像を出せ!」

 

 

 モノリス型の魔導演算機に拳を叩きつけると、既に展開していた儀式のデータの横に、映像を映す法陣が出現する。

 そしてそこに映し出された光景を目にした時、バークスらは目を見開き、絶句した。

 

 

『——おおおおおおおぉッ!!』

 

 

 迫る巨大蟹のハサミを()()で受け止め、その怪力を同等の力で押し留める大男がいた。

 大男は巨大蟹の動きが止まるのを確認すると、もう片方の手に握った長大な柄を持つ斧を振り上げると、力のままにそれを振り下ろし、重い斧刃が巨大蟹を脳天から叩き割った。

 

 続けて映し出された光景では、鴉羽の衣装を纏う、ペストマスクのような嘴仮面の被った人物が、半魚人の群をその手に帯びた双刀で細切れに刻んでいた。

 その近くでは、粘液状の異形を回転する丸鋸で絶えず抉り刻んでいる、奇妙な鉄兜の男がいた。

 兜のせいで顔は見えないが、おそらく笑っているのだろう。そうでなければ、その喧しいほどに唸る駆動音すらも超える、この悍ましい狂笑が聞こえる筈がないからだ。

 

 そして最後に映し出されたのは、巨大蟹にノコギリ鉈を叩きつけ、後方より迫る半魚人を短銃の弾丸で貫く1人の男の姿。

 4年も活動していれば、その容姿の特徴などは既に多くへ知れ渡っている。——『血塗れの殺人鬼』だ。

 

 

「な――何なのだ、あの連中はッ!?」

 

 

 バークスが叫ぶが、それも無理はない。

 彼が生み出した合成魔獣(キメラ)は、個々に差こそあれど、打倒が困難というわけではない。

 寧ろ、エレノアは腕の立つ魔術師ならば、彼の合成魔獣など壁にすらなり得ないと考えていたが、それはあくまで相対する者が()()()であればの話だ。

 

 だからこそ、この光景はエレノアをして、驚愕に値するものだった。

 魔術を用いることのない、純粋な()()()()()()()()()鏖殺劇(それ)を創り上げたのだ。

 

 

(お仲間がいるやもしれない、とは伝えられていましたが、まさかその方々もあれ程の力量とは……)

 

 

 そうこうしている間に、件の貯水湖での戦闘は終了し、狩人たちは先へ進まんと既に行動を開始していた。

 

 

「ぐ、ぐぅぅ……ッ! 魔術も扱えぬ、力だけの低能力者どもがぁ……!」

 

 

 廃棄個体とはいえ、自身の手掛けた合成魔獣をいとも容易く葬り去った彼らの様子が気に入らないらしく、禿頭に青筋を浮かべながら、ぎりりと歯軋るバークス。

 しかし、そんな彼らのことなど構うことなく、貯水湖より新たな侵入者がその姿を見せた。

 そしてその者たちは、先程の狩人らとはまた別の意味で、彼らを驚愕させるに足る人物たちであった。

 

 

「……アルベルト様と、グレン様?」

 

 

 

 

 

 

 湖の中を黒魔【エア・スクリーン】で移動し、辿り着いた貯水湖の先で、グレンらはまず、その光景に己が目を疑った。

 無数に散らばる魔獣の肉片。積み上げられた異形の骸。撒き散らされた臓物と鮮血。

 血や死体に耐性のない輩が見れば、確実に吐き気を催すであろう冒涜的光景。

 だが、既にそれ以上の光景を嫌というほどに見てきた2人にとっては、そこまで酷いものではなかった。

 

 問題はその光景ではなく、その光景を創り上げたであろう者たち。

 そしてより厳密に言えば、その集団の中にいる、とある人物だった。

 

 

「おまっ――『血塗れの殺人鬼』!?」

 

「……どうして貴様がここにいる」

 

「……ん?」

 

「あんたの知り合いかい?」

 

「……顔見知りではある」 

 

 

 グレンの方は先日、浜辺で顔を合わせたので分かるが、まさかアルベルトまで来ているとは予想外だった。

 何故この場に現れたのか、その理由を互いに話し合うと、成程、確かに納得してしまえる内容ではあった。

 グレンらは攫われたルミアを取り返しに行くのと、その元凶である白金魔導研究所の外道魔術師たちを叩き潰しに。

 ギルバートらは研究所にいるという『天の智慧研究会』を含めた、外道魔術師たちの一掃。

 奇しくも、ルミアの奪還を除けば彼らの目的は一致していた。

 

 

「まさか、またル――あの小娘が攫われようとはな。加えて、あの猪娘が裏切るとは……」

 

「情けねえ話だが、事実だ。……っていうかお前、いつの間に仲間作ったんだ!?」

 

「いつの間に、ではない。彼と俺たちは同士。同じ夜を生き、志を共にした同士だよ。ゲロ吐きの青年」

 

「同士、ねぇ……ん? おいちょっと待て、そこの官憲服のあんたと、鴉羽の嘴仮面のあんた、まさか……」

 

「そこまでだ、グレン。……お前がここにいるのも、これまでと同じく外道魔術師狩りのためだということは理解した。

 仲間がいることはグレンと同じく驚きだが、まずは確認しておこう」

 

「何だ、狙撃手?」

 

「目的が一致しているのなら、協力もあり得る。……そう考えていいか?」

 

「……ほう?」

 

 

 競技祭の時の態度が嘘のように思える、柔軟な姿勢に思わずそう呟く。

 4年前の、初めて邂逅して以降、幾度となく命のやり取りを行った仲ゆえ、この男がどういう人間なのかは既に把握していた。

 現実主義者、“1を切って9を救う男”、演技屋——。

 目的遂行のためならば、多少の犠牲もやむなしと判断できる強さを持った男、それがアルベルト=フレイザーだ。

 

 そしてこの状況の場合、“1”とはギルバートという長年の宿敵に対する個人的感情。“9”とは、宿敵とその仲間たちを、共通の目的のもとに一時的な協力体制を布くこと。

 少々意味合いは異なるが、個人の感情さえ捨て去れば、その見返りとして戦力増強を行えるのだ。

 勿論、相手方が承諾すればの話だが、アルベルトはほぼ確信していた。

 絶対に乗ってくる――と。

 

 

「俺を目の敵にしていた男とは思えんセリフだな」

 

「否定はしない。だが、今この状況で個人の感情を優先すれば、この先どうなるのかの予想など容易い」

 

「だから個人の……俺への敵対心は捨て、協力を申し出た、と?」

 

「一時的なものだ。だが、互いに最終目標が一致している以上、この条件を利用しない手はない。……違うか?」

 

「……っ」

 

 

 相変わらず、機械のような男だ、と。マスクの下で呟く。

 他の狩人たちは別に協力に対して抵抗はないらしく、寧ろ敵の掃討に役立つならば、利用すべきだろうと考えているようだ。

 グレンの方も特に問題……ゲロ吐きと呼ばれたことには不満があるらしいが、それ以外は大丈夫らしい。

 ならば、出すべき答えは定まった。

 

 

「……良いだろう。一時的な協力だが、今回の掃討に限り、我らとお前たちは同盟だ。

 互いに利用し合おうではないか、狙撃手、小僧」

 

「元よりそのつもりだ。……それよりも、()が来たぞ」

 

 

 アルベルトの指し示した方角。そこから来たのは、新手の合成魔獣たち。

 蝙蝠の翼を備えた獅子の群と、その奥に控える、一際巨大な体躯を持つ宝石亀。

 間違いなく、敵方の放った魔獣の最高戦力だろう。

 続々と現れる侵入者たちの身勝手な振る舞いに、いよいよ堪忍袋の緒が切れたのやもしれない。

 

 

「獣、獣、獣……わらわらと寄ってくるものだなぁ」

 

「ちょっとあんた、笑いながらぶつくさ呟いてんじゃないよ。気味が悪い」

 

 

 回転ノコギリを駆動させ、ギャリギャリと金属音を掻き鳴らすヴァルトールを、その横で血振りを済ませながらアイリーンが諫める。

 

 

「あの亀……頭から叩き潰せば済むか?」

 

「そう簡単にはいくまい」

 

 

 長斧へと形態変化させながら呟くガスコインと、その横でいつでも放てるように指を突き出すアルベルト。

 

 

「さて、3度目の共同戦線だ。以前以上に上手くやれよ、小僧」

 

「それはこっちのセリフだっての。てめえも、ドジかまして足引っ張んなよ!」

 

 

 互いに短銃、魔銃を構え、その銃口を迫り来る魔獣の群に向ける。

 狩人と魔導士、その共同戦線の第一戦は、両者の銃声を以て始まりを告げた。

 

 

 

 

 

 

 完璧だった。完璧な筈だった。

 解放した合成魔獣、その中でも高性能の個体を全て解き放ったにも関わらず、未だ侵入者たちはその命を絶やしてはいなかった。

 解き放った魔獣の中には、自身の最高傑作である魔鉱石をふんだんに使った宝石獣までいるというのに、あの若魔導士2人と、そして鉄を振り回すだけの凡人ども相手に苦戦を強いられているというのが現状だった。

 

 

『クハハハハハッ!』

 

 

 通信法陣越しに見える鉄兜の男が、丸鋸を付けた槌鉾で有翼獅子たちを抉り刻みながら哄笑している。

 魔導士どもはまだいい。戦にしか魔術を用いぬ低能どもとはいえ、魔術を扱う資格と知識だけは有しているのだから。

 だが、先に侵入してきた4人は違う。

 旧時代的な、あるいは全く見覚えのない武器を振り回し、力のままに暴れ、蹂躙するだけの存在。

 

 獣も同然といっていい連中に、廃棄を含め、己の作品たちが蹂躙される光景は、バークスにとって屈辱以外の何物でもなかった。

 特に今しがた映っている鉄兜の男などは、先程から狂気じみた哄笑を上げ続けているので、煩いことこの上ない。

 

 

(かくなる上は、私自ら打って出て……!)

 

 

 歯が砕けんばかりに噛みしめて、怒りを露わにするバークス。

 そんな彼とは別に、エレノアは1人、少し離れた位置で此処にはいない誰かと会話の最中にあった。

 

 

「はい……ええ。この勢いのままですと、グレン様や狩人様方がこちらに到達するのも時間の問題でしょう」

 

 

 相手はやはりというべきか、その姿を確認することすらできない未知の存在。

 一応、彼女と同じく『天の智慧研究会』に属する身の者ではあるのだが、その存在は他の第三団《天位》の面子同様、謎に包まれている。

 やがてその存在と話を進めていくと、新たな指示が下ったのか、エレノアは珍しく目を丸くし、疑問の声をソレへ向けて放った。

 

 

「……大丈夫なのですか? いえ、別に彼らを使()()ことについて異論はありませんが、第二王女が持つかどうか……」

 

『――』

 

「……かしこまりました。では、予定を変更して、彼らをここに」

 

「――何をしているのだ、エレノア殿!」

 

 

 振り向いた先では、バークスが研究室入り口を指差していた。おそらく、グレンらのいる第4区画方面へと向かう気でいるのだろう。

 今度は魔獣などではなく、自分自身で彼らを打ち倒しに行くつもりなのだろう。

 あれだけの凄まじい戦闘を見ておきながら、自身と彼らとの実力差も分からないのかと、と。エレノアは心の内で呆れ果てるが、だからと言ってこのままむざむざと行かせるわけにもいかない。

 

 最優先すべきは大導師からの命であるが、第三団に属する者たちからの命もまた絶対。

 可能な限りは、与えられた任務を実行しなければならない。

 

 

「お待ちになってください、バークス様」

 

「なにィ……!?」

 

 

 この状況において、自分の判断こそが正しいと信じるがゆえ、エレノアからの静止の言葉を受けた途端、バークスの禿頭の青筋が一層太く浮かびあがった。

 しかし、エレノアは特に気にする様子もなく、言葉の先を続ける。

 

 

「皆様はここで待機を。例えここまでの道のりで、グレン様たちがどのような行為を働こうとも、決してこの場から動いてはなりません」

 

「何故、貴様にそのようなことを――!」

 

「それが、第三団……朧なる御方からのご指示ゆえに」

 

「……?」

 

 

 バークスや、リィエルの兄を名乗る青髪の青年は、その呼び名に対して首を傾げるだけ。

 しかしその時、苦悶の内にあるルミアだけが、()()を聞き取っていた。

 遥か彼方、あるいはすぐそこで響く、狂気に満ちた何者かの哄笑を。

 

 

 

 

 

 

 合成魔獣の群を殲滅した後、ギルバートとグレンたちは、貯水湖の先にある扉を開け、その先の通路を進んで行った。

 薄暗い道の先には、仄かな明かりが点いており、そこを目指して歩を進めると、一行は開けた空間へと出た。

 

 

「ここは……」

 

 

 そこは、どうやら保管庫だったらしい。

 壁や天井に取り付けられた結晶型の光源と、それらが照らす、空間内に無数に配置されたガラス円筒。

 謎の液体に満たされた円筒の中には何かが入っているらしく、グレンはその中身を確かめようと円筒の1つに近づき――そしてすぐに後悔した。

 

 

「……っ!?」

 

「……!」

 

 

 すぐ隣で、別の円筒の中を見ていたアルベルトも同様に、いや、あるいはグレン以上に険しい顔をして、ガラスに穴が空きそうなほど鋭い目付きで、その中身を凝視した。

 

 

「――()()か」

 

 

 同じように手で円筒に触れつつ、ギルバートがその中身の正体を口にする。

 それは他の狩人たちも同様であり、ガスコイン、アイリーン、ヴァルトールらの3人も、同じように円筒に触れ、その中で浮かぶ脳髄を凝視していた。

 

 

「『感応増幅者』、『生体発電能力者』、『発火能力者』……先の1つの名前は、以前ヒューイとかいう若造の口から聞いたことがあるな」

 

「……おそらくは、この脳髄は全て『異能者』のものなのだろう。あるいは、彼らの成れの果てと言うべきか……」

 

 

 淡々と、しかし確かな怒りの籠った声で言うアルベルト。

 円筒の羅列を潜り抜け、先へと進むと、そこには既にガスコインの姿があり、彼は最奥に位置された円筒の()()と向かい合っていた。

 その円筒の中に見えたのは、他のものとは異なり、まだ肉体を保っている被験者の少女。

 一瞬、まだ助かるやもしれないという希望が見えたが、それはすぐさま絶望へと叩き戻されることとなった。

 

 まず、その少女には手足がない。

 体には無数のチューブが繋がれて、開いた双眸には既に生気は失われていた。

 『生きている』のではなく『生かされている』、という表現が適切だろう。

 この研究所の主であるバークスによる非道な実験の数々を受け、心は死に、体も外的補助が無ければ、生物として生きることすらできない。

 

 いや、もはや既に彼女は、死んでいるも同然だった。

 

 

 ――コ、ロ、シ、テ。

 

「……ああ」

 

 

 ――任せろ。

 

 帽子の下で一層低い声を発すると、ガスコインは左手の短銃を上げ、その銃口を円筒越しに成れ果ての少女の額へと宛がう。

 バァン――ッ! 短い銃声の後、円筒はガラス片をばら撒きながら砕け散り、その中にいた少女も、無数のチューブから解放させる形で冷たい床の上に放り出された。

 放たれた散弾が少女のか細い身を貫き、一層ひどい有り様と化しているが、不思議と顔だけは穏やかだった。

 

 その少女であったモノの傍に片膝をつくと、胸の前で両手を合わせ、頭を僅かに垂らして祈りを捧ぐ。

 せめて、その死後は安らかであれ。願わくば、来世は幸福な生を送れるように――と。

 

 

「……小僧、狙撃手。ここら一帯の円筒を全て破壊するぞ」

 

 

 正直な話、脳髄()()ではギルバートの心はもう、揺らぐことはない。

 聖杯による地下迷宮創造の儀式の際、用いる素材が常に人体パーツであったことから、今さら人間の脳を見た程度で、驚くことはない。

 しかし、驚きはせずとも、怒りは溢れるものだ。

 この異端の実験場を生み出した主は、この脳髄の主であった『異能者』たちを、人間とは見ていなかった。

 ただ自身の利益がため、他者の尊厳を穢すことも厭わない冒涜的所業。

 

 場所も異なり、目指すべきものも異なるとはいえ、ギルバートはこの実験場に、かつてのビルゲンワースと医療教会を重ねていた。

 優れた技術も、使い方を誤れば神をも穢す業となる。

 その驕りと傲慢、行き過ぎた欲が神の領域にまで伸び、結果、神――上位者たちはあの都に呪いをもたらしたのだ。

 この研究所の実験も、いずれ同じ道を辿ることになろう。ならばこそ、ここで徹底的に叩かずして、何が狩人か。

 

 

「人の域を過ぎた行いは悪業も同然。ならば、この場の徹底的破壊を以て、犠牲者たちへの弔いとする」

 

 

 ――異論はないな?

 そう問う彼の声に、反論する者は誰もなく。

 間もなくして、その場を銃火と紫電が走り、刃が立ち並ぶ円筒全てを切り刻んだ。

 せめて、この悪夢を忘れられるように――その一縷の願いを込めて、彼らは怒りの蹂躙を続けた。

 

 

 

 

 

 

 実験場を叩き潰し、新たに見出した通路を駆け抜けた先。

 閉ざされた扉を足で乱暴げに突き破ると、そこに見えたのは巨大広場。

 先の実験場とは異なる、より大規模な実験のために造られたのだろう広域実験場。

 その最奥で鎖に繋がれ、吊るされる形で少女――ルミアはいた。

 

 

「――ルミア!」

 

「……先生ッ!」

 

 

 グレンの呼び掛けに、ルミアは涙目ながら精一杯の声で応える。

 目的のルミアは目と鼻の先で、後は彼女を取り戻して即退散……というわけにはいかないだろう。

 元よりそのつもりであったが、やはりと言うべきか、その場にはグレンらが考える敵の全てが揃っていた。

 エレノア、バークス、青髪の青年、そして――

 

 

「リィエル……」

 

「……」

 

 

 グレンの視線に気づき、リィエルはすぐさま顔を逸らして彼の視線から逃れる。

 言いたいことは山ほどあるが、まずは優先すべき案件を片付けてからだ。

 そう思い、リィエルの隣に立つ青髪の青年を睨みつけ、続けてバークス、最後にエレノアといった具合で視線を移していくと、エレノアの方もグレンの視線を察してか、薄気味悪い微笑で応じた。

 

 

「ようこそ、皆々様方。ここまでお越し頂きまして、恐悦至極に存じます。

 我らが主、そしてかの方に代わり、お礼を申し上げ致しますわ」

 

「はっ、何が礼を申し上げるだ! どいつもこいつも奥に引き籠って、こうして追いつめられてるだけじゃねえか!」

 

「貴様……!」

 

 

 グレンのあからさまな挑発に、またしてもバークスが憤怒を露わに歯軋るが、それをエレノアが片手で制して止める。

 

 

「いえいえ、我々としましても、可能であれば皆様をお迎えさせて頂きたかったのですが、生憎と、()()()()よりの別命がありまして、動くことも侭ならなかった次第なのです」

 

「どういうことだ」

 

 

 指をつきつけ、すぐにでも魔術を放てるように構えるアルベルト。

 彼とは昨晩のうちに一戦交えているゆえ、その戦闘能力の高さをエレノアは知り、経験済みだ。

 その上でなお、彼女は姿勢を崩すことなく、語りを続けるべく言葉を発し続けた。

 

 

「皆様全員がここへ参られるかどうかは、正直僅かに疑っておりましたが、誰一人欠けることなくお越しくださいまして、私も感激にございます。……ですので」

 

 

 その瞬間、エレノアの口元に歪みが生じた。

 これまでの張り付けた薄気味悪い笑みではなく、彼女自身の本性を顕す――狂気に塗れた凶笑。

 

 

「いよいよ御開帳の刻でございます。かの御方より預かりし、その偉大なる力の一端。

 かの方は支配下ではなく、あくまで同盟者であると仰られていましたが……私としてはどちらでも構いません」

 

 

 実験場の中心域。その中空に生じた『虚空の歪み』。

 先の見えない暗黒の孔の先より何かが蠢く気配を感じると、グレンやアルベルト、そしてエレノアの味方である筈のバークスと青年、リィエルすらも頭を抱え、生じる痛みに耐えるように指先を頭皮に食い込ませた。

 

 

「ぐ、ぐぁ……っ!?」

 

「こ、れは――!?」

 

「先生! アルベルトさん! ――く、ぅ……!?」

 

 

 皆に遅れて、ルミアも脳裏に生じた痛みに苦悶の声を漏らす。

 しかし、その瞬間に彼女はまた、件の哄笑を聞き取った。

 ()()ではない、しかし確かに()()に存在する『誰か』の声。

 存在するが認識できない、全く矛盾した奇妙不可解なる者の言葉。

 それが少しずつ、だが確実に明確化して聞こえるようになっているのだが、今のルミアには、それに割く意識の余裕はなかった。

 

 やがて歪みは広がり、ある程度の大きさにまで膨れ上がると、その奥から伸びた()()が広場の床を踏み締め、続けて巨大な着地音と共に揺れが生じ、研究所そのものを震わせた。

 グレンらにはソレが見えない。しかし招き手であるエレノア、そしてギルバートを始めとする狩人たちは、しっかりとその姿を瞳に捉えていた。

 そしてソレは、自らがその次元に干渉しやすくするよう、存在のレベルを低下させ、そこでようやくグレンたちもその姿を視認するに至った。

 あるいは――見ない方が幸せだったのかもしれないが。

 

 

「な――」

 

 

 そこにいたのは、巨大な()()だった。

 痩せすぎた体躯。7本の長腕。サボテンにも似た、複雑な網目を持つ特徴的な頭部。

 言葉で表せばこの程度だが、しかしそれは、その言葉でしか言い表わすことのできないことの証明でもあった。

 

 形容し難い巨躯を誇り、彼らの前に姿を現わした者。その真名は――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――『アメンドーズ』……!」

 

『――ッ!!』

 

 

 

 人の身では理解することの叶わない超越存在の咆哮。

 かつて狩人たちの住まう都に呪いをもたらし、ヤーナムを地獄と変えた存在――『上位者』の一角が、彼らの前に再臨を果たした。

 

 



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第16夜 暴かれる秘密

 今回はいつにも増して無理をしました。
 ですので少々無理矢理感はあるでしょうが、どうかご理解のほどをお願いします。


『――ッ!!』

 

 

 巨大な体躯を震わせて、異形が高らかに咆哮する。

 言葉1つでは表わすことのできない、奇怪極まる姿形。

 最も近しい外見を有する種を挙げるのなら『昆虫種』だろうが、それでもここまで特徴的な体躯の持ち主はいないだろう。

 

 『アメンドーズ』――遥か彼方の異界、その一地方に存在する呪われた古都の怪物。

 人類の遥か上位に位置する、高次元生命体――『上位者』の一角。

 この世界に来て初めて見る懐かしくも忌まわしい存在を前に、しかし狩人たちは至って冷静に、かの異形の姿を見据えていた。

 

 

「……アメンドーズ。上位者どもが絡んでいたとはな」

 

「ヤーナムではそこらにうじゃうじゃと居るって話は聞いたことがあったけど、まさか、こんなところにも来てるとはねぇ」

 

 

 回転ノコギリを肩に担ぎ、忌々しそうに呟くヴァルトールの横で、アイリーンが懐かしそうに嘴仮面の奥で言った。

 しかし、呑気に感想を述べている場合ではない。

 アメンドーズは、上位者の中では比較的低位の存在だ。空間転移能力を持つという点を除けば、然して脅威となり得る要素はない。

 地底に住まう個体は例外として、熟練の狩人、それが4人も集まった現状況であれば、寧ろまだ未知の部分を残す魔術師よりも容易い相手である。

 

 問題は、アメンドーズ――否。『上位者』という存在が、他の生命に対して与える影響についてだ。

 先の出現の際、グレンらが頭を抱えて苦しげに呻いたのは、アメンドーズという、本来ならば生涯見えることのない存在を『認知』してしまったからだ。

 “人が定めた理”の埒外に存在する高次元生命体の認知は、即ちその理の拡大を意味する。

 蒙を啓く、という意味では正しいのかもしれないが、要は上位者という存在を認知できる程度に、自身の脳の容量を無理矢理増加させられているようなものだ。

 

 狩人らはその狩りの過程で、頭蓋なり獣の認知なりを用いることで少しずつ認知力を増やしているので、多少の耐性は保有しているが、無駄に知識のあるこの世界の魔術師では、きっとその存在の大きさに脳が耐えられないだろう。

 

 

「外道共はどうでもいいとして、小僧と狙撃手らが壊れるのは後が面倒になる。

 即刻、撃滅する――いいな?」

 

 

 ギルバートの問いに、他の三者は首肯と武器の鳴音で以て応じる。

 そうとなれば行動は早く、狩人たちは各々の仕掛け武器を展開し、一斉に眼前のアメンドーズへ向けて跳びかかった。

 

 

「――おおおおおぉッ!!」

 

 

 まず最初に切り込んだのはガスコイン。

 両手で振りかぶった長斧を勢いよくアメンドーズの脳天へ叩きつけ、その重い一撃で怪物の巨躯を震わせた。

 網目を持つ果実のような頭部が床を砕きながら埋まると、そこに生じた隙を突かんと、今度は鴉が地を駆ける。

 

 

「はぁ――ッ!」

 

 

 両手に携えた双刀。それを用いての連撃乱舞。

 狩人を狩ることこそを宿業とする者とは思わぬ、舞をも連想させる剣舞は異形の上位者の巨躯を悉く刻み、その多腕に数多の斬撃を刻み込んだ。

 

 

『――ッ!』

 

 

 が、しかし。そこでアメンドーズも反撃へと移る決意をしたのか、埋まっていた頭部を2人の長腕で引き抜くと、その網目の内より膨れ上がる形で無数の眼球が現れて、

 

 

『――ッ!!』

 

 

 ――発射。

 一部の眼球より放たれた光線は、そのまま実験場内を駆け巡り、あらゆるものを貫き、破壊し尽す。

 とはいえ、あの光線の特徴は把握している。破壊力こそ高いものの、後ろに回ってしまえば直撃どころか掠ることもない。

 だが問題は、あの光線のもたらした破壊が原因で、この実験場が研究所ごと潰れる可能性についてだ。

 

 それだけは流石にいただけないな、と。密かに思うとギルバートは右手のノコギリ鉈を虚空に戻し、新たに手にしたパイルハンマーの仕掛けを起動。

 杭を引っ込ませ、長腕の1本を足場代わりに跳躍すると、光線を放つアメンドーズの顔へと近づき、

 

 

「――フンッ!」

 

『――ッ!?』

 

 

 ガゴン――ッ! と。

 複雑な機構が駆動を始め、超出力の杭の一撃がアメンドーズを襲う。

 使い勝手の悪さと引き換え、放たれる一撃の重さは、他の仕掛け武器を大きく上回り、不意を突かれたこともあって、アメンドーズはその巨体を支えきれず、虚空を掻く己の多腕も巻き込みながら倒れ込んだ。

 

 

「おっと、まだ終わってくれるなよ?」

 

 

 横倒れたアメンドーズの上に乗り、回転ノコギリを駆動させながらヴァルトールが不気味な口調で言う。

 既に回転を始めた丸鋸を多腕の付け根に当てると、躊躇うことなくそれを押し込み、盛大な血飛沫も厭わず多腕の1本を難なく切断した。

 

 

『――ッ!?』

 

「あらあら……まさかここまで一方的だなんて……」

 

 

 苦悶に悶えるアメンドーズの様子を見て、エレノアが何気ない口調で呟いた。

 成程、確かにあのアメンドーズとかいう怪物は強力だ。

 『上位者』という種の特性もあるだろうが、多腕に加えて怪光線、何よりその悍ましい外見が相手の精神に影響を与えるだろう。

 既に狂気に冒されている者、あるいは尋常ならざる鋼の精神の持ち主ならば、グレンたちのように存在認知の規格外さから生じる強烈な頭痛に悩まされず、平時と変わらずに在れるだろう。

 

 しかし、今回は相手が悪すぎた。

 アメンドーズら『上位者』が、異界のとある古都にいたのと同様に、彼ら狩人もまた同じく、その古都に身を置き、凄惨極まる狩りを続けて来た異常者なのだ。

 当然、その存在に慣れているのか認知容量の限界による頭痛などは起きず、また同世界出身からその攻撃手段や弱点も知っているので、下手をすればこの世界の魔術師を相手するよりも楽なのかもしれない。

 

 

「――ッハァ!」

 

 

 高らかな吼え声を上げつつ、ヴァルトールがまた1本と、アメンドーズの長腕を豪快に切断した。

 これで残る腕はあと1本。反撃しようにもガスコインの長斧による重撃がそれを許さず、また些細な動きさえも、アイリーンが先に察知して双刀で動きを封じられてしまう。

 

 完全に身動きが取れぬ上、残された攻撃手段はせいぜい、頭部からの怪光線や体液放出くらいだ。

 そして無論、その攻撃も()()していたからこそ、ギルバートは倒れ伏すアメンドーズのもとに歩み寄った。

 左手には短銃があるが、右手は完全に無手。武器の類は一切見当たらない。

 これを知らぬ者が見れば、好機とばかりに襲い掛かっただろうが、実際はそうではない。

 

 武器を持たぬ右手とは、狩人にとって最も恐るべき凶器。

 弱点を晒し、もはやそれを守る術がない者の、その最奥に直接痛撃をもたらす凶撃。

 

 

「――ムンッ!」

 

 

 即ち――()()()()

 突き出された右手は、網目を潜り抜けてアメンドーズの頭部に深々と突き刺さる。

 肉の蠢く感触を感じつつ、彼は掌中に収まったモノを掴み取ると、そのまま勢いよく右手を引き抜き、高らかにソレを掲げた。

 

 ぬめりを帯びて不気味に輝くソレ。ソレは――()()だ。

 蠢動する異形の眼球をギルバートは躊躇いなく握り潰し、苦痛に悶えてのたうち回るアメンドーズを見やる。

 無数に存在する眼球の中の1つではあるが、急所は急所。その痛みは計り知れない。

 やがて悶える巨躯の動きが鈍り、残された1本の長腕がゆっくりと下りて、それに続く形で頭部も再び床にめり込み、そこでようやくアメンドーズの命は絶えた。

 

 

「……これで終いか?」

 

 

 再び虚空よりノコギリ鉈を取り出し、仕掛けを展開させながらその切っ先をエレノアへと向ける。

 アメンドーズの死と共に、その亡骸は虚空へと失せて存在そのものが消失したためか、グレンらも頭痛が治まり、ようやくまともな状態へと戻ることができた。

 それは相手方も同じであるが、相手の手駒の1つを潰した以上、士気と勝率はこちらに分がある。

 しかし、侮りは禁物だ。狂人とは、例え自分の窮地に陥ったとしてもその調子を崩さぬ輩なのだ。

 

 そういう類は山ほど相手して来た。故に分かる。()()()も同じ類であるということを。

 その確信を胸に歩を進め、ギルバートはその凶刃で以て彼らを鏖殺に掛かろうとする。――しかし。

 

 

「――そこまで」

 

 

 彼らの下へ辿り着くよりも早く、大剣を構えたリィエルがギルバートの前に立ち塞がった。

 

 

「――小娘。死にたいのか」

 

「兄さんは殺させない。例え相手が、あなたであっても」

 

「っ……、黒、尽くめ……」

 

 

 後方で頭痛から解放されたグレンが、喉から絞り上げたような声音で彼を呼ぶ。

 魔導士時代の彼らを知るからこそ、グレンが自分へ向けて何を言いたいのかが分かる。

 肩越しにグレンを見据え、小さく頷いて見せるとギルバートは右手を再び空にし、虚空より新たな道具を取り出し、握り締めた。

 

 

「――!」

 

 

 直後――彼の姿はリィエルの斜め後ろにあった。

 瞬間移動もかくやという早さで移動したのは、偏に彼が右手に持つある狩道具ゆえだ。

 『古い狩人の遺骨』。ゲールマンの弟子の1人である、名も無き狩人。その人物が得手としたという《加速》の業を遺志を通じて引き出し、行使したのだ。

 

 

「お前なりに始末をつけろ」

 

 

 そう言い残し、再び《加速》を用いて疾走。

 狙うはエレノア。生け捕りが目的であるが、それが叶わないならば殺すのもやむなし。

 まずは機動力を奪わんと短銃を構え、その銃口を右足に向けて引き金に指を掛ける。

 

 

「……っふふ」

 

 

 ――()()()()()()()

 

 

 ()()()――と。

 エレノアが微笑みと共にそう言った瞬間、不気味な音と共にギルバートの胸部を何かが貫いた。

 何が起きた、と。胸部に視線を注ぐと、その先に見えたのは、うねうねと蠢く()()

 宇宙的恐怖を感じさせる触手の先端は鋭く、的確にギルバートの肺を破壊し、のみならず心臓までもを抉り貫いていた。

 

 

「が――はぁ……ッ!?」

 

月香(げっこう)!?」

 

 

 突然殺された仲間の姿に、ガスコインらは共に驚愕の声を上げる。

 同時に、その触手が何であるのかを理解した。

 ソレはヤーナムの秘儀。ビルゲンワースが見えた、かつての神秘の名残り。

 見捨てられた上位者の一部を召喚する、単純だが凶悪な秘術。

 

 それを扱うまともなヤーナムの狩人はいない。アレを扱うのは、医療教会やビルゲンワースなどに属する者だけだ。

 

 ――否。より正確には、もう一派閥存在する。

 医療教会と同じく、ビルゲンワースを起源とする一組織。

 ヤーナムの地に赤い月を呼び込み、かの地に上位者による呪いの災いをもたらした全ての元凶。

 ――そして。

 

 

『――勝利の後こそ、最大の好機。我らが人の先達は、良い言葉を遺したものだ』

 

 

 虚空に響く1つの声。

 それは男のものだ。しかし、エレノアはともかく、同じ『天の智慧研究会』に属する青髪の青年も、その声にはほんの僅かだが聞き覚えがあった。

 低く、理知的で、時に高らかに、狂気的。

 目蓋を閉じ、意識が闇に呑み込まれる際に聞こえたその声。

 組織の中では、『夢の声』と噂されたものと、たった今聞こえた声は酷似していた。

 

 間もなくして、ギルバートを貫く触手は消失し、彼の身が重力に引かれ、頭の狩帽子をずれ落としながら、叩きつけられるように床に倒れ伏す。

 

 

「お前――ッ!?」

 

 

 魔導士時代の宿敵とはいえ、今回を含め3度に渡り共闘した男の死に、グレンが叫声を上げる。

 

 

「――いいいやあぁぁぁッ!」

 

「っ!?」

 

 

 けれども、そんなグレンの都合など知らんとばかりに、リィエルは大剣による斬撃を繰り出す。

 大上段から放たれた重い斬撃は、直前の回避によってグレンを捉えることこそ叶わなかったが、その代わりとして床に大きな斬跡を刻む。

 当たれば確実に肉片確定だった、と。心内で悲鳴を上げるグレンだが、それ以上に眼前の相手に対する怒りで頭は一杯だった。

 

 

「っ、いい加減にしろリィエル! そいつらがルミアと……黒尽くめに何をしたか、分かってんのか!」

 

「うるさい! 例えグレンでも、兄さんに近づくことは許さない!」

 

 

 大剣を横薙ぎに払うと僅かに後方へ跳躍し、その最中に錬成を実行。左の掌中に新たな大剣が生み出される。

 握りしめた2本の大剣を腕ごと後ろへ大きく引くと、矢を放つが如く弓形に曲がった体躯を戻すと共に、その二振りをグレンへ向けて投擲する。

 

 

「――ぉあああぁッ!!」

 

 

 大剣がグレンへ迫るその時、飛来する鉄塊を同じ鉄塊が薙ぎ払い、叩き落とした。

 

 

「……あんた」

 

「……」

 

 

 大剣を叩き落としたのは、武骨な造りの長斧。

 そしてそれを扱うのは、その得物に相応しい巨躯の神父、ガスコイン。

 長大な斧を携えながら、左手の銃口を向けてリィエルを牽制しつつ、その視線は背後のグレンへと注がれる。

 

 

「……仲間か?」

 

「ああ。……どういうわけか、あの青髪野郎が兄貴を名乗ってやがる。それから色々おかしくなった」

 

「兄……そうか」

 

 

 それを聞くとガスコインは銃を構えつつ、視線をグレンからリィエルへと移し、包帯に隠された双眸で、強く彼女を睨み据えた。

 

 

「一応聞いておくが、本当にアレはお前の兄なのか?」

 

「少なくとも、兄さんはそう言ってくれた」

 

「ならば名前くらいは言えるだろう。同じ血の通った仲ならば、互いの名を知っていて当然の筈だ」

 

「当たり前。兄さんは……兄さんは……兄、さん……」

 

 

 ――()()()

 思い出せない。どう考えても、記憶の中を探り掘ろうとも、『兄』の名前が浮かび上がってこない。

 その様子を見ていた青髪の青年の顔に焦りが生じ、その反応からグレンは確信し、ガスコインに強い視線で以てそれを伝える。

 

 

(……そういうことか)

 

 

 上手くいけば、このままリィエルを無力化できるかもしれない。

 例えそうはならなくても、この精神的影響は戦闘に移っても負荷として働くだろう。

 グレンからの指示に従い、ガスコインはさらに問いを投げ掛ける。

 

 

「どうした? まさかそれ程に強く守ろうとした、実の兄の名を忘れたのか?」

 

「そんなはずない! 兄さんは……兄さんの、名前は……!……ぅっ、頭が……なんで……!?」

 

 

 思い出そうにも思い出せない兄の名を必死で探る彼女だが、結果は虚しく、ただ頭痛だけが酷くなるばかり。

 その最中にグレンはガスコインの後ろで何やら呪文を詠唱しているらしく、ぶつぶつと声が聞こえるが、今のリィエルの耳はそれすらも拾える状態ではないだろう。

 

 もう少し、あと少しだけ時間を稼げば、この娘(リィエル)後ろの男(グレン)が何とかしてくれるだろう。

 自分では最悪、殺してしまいかねない。ならば生きたまま捕えることのできる手段を他者が持ち得ているのなら、それに賭けるが賢明だ。

 

 

「実はお前に兄などおらず、その空の記憶を利用されて、あの男に騙されているだけではないのか?

 自分の記憶全てを探ってみろ。その中に、あの男の姿が1つでもあったか?」

 

「そんな……そんなこと、ない……! 兄さんは……兄さん……アレ、なんで……?」

 

「――いいぞ! 横に跳べ!」

 

 

 不意に上がったグレンの声に従い、ガスコインは狩人としての超人的脚力で跳躍。

 ガスコインがいた場所をグレンが勢いよく突き進み、記憶の海に意識を割いているリィエルへ向けて跳びかからんと迫る。

 それでも警戒だけは怠っていなかったらしく、リィエルは痛む頭を押さえながらも、片手で大剣を握り、グレンを薙ぎ払わんと腕を大きく引く。……だが。

 

 

「――《雷精の紫電》よ!」

 

 

 グレンやガスコインよりもさらに後方。

 そこに屹立し、右手を銃の形で構えたアルベルトの指先より紫電が飛ぶ。

 軍用魔術ですらない、学院で最初に習う基礎魔術程度は、常の頃のリィエルならば容易く避けられただろうが、今の彼女は万全とは程遠い状態にある。

 加えて、放ち手が特務分室随一の狙撃手であるアルベルトだということもあり、その紫電は素早く、そして正確にリィエルの体躯に届き、その小柄な体に強烈な痺れをもたらした。

 

 

「ぐ、ぅ……!」

 

 

 一瞬の痺れが生んだ硬直。

 その隙をグレンは確かに掴み取り、ある程度まで近づくと共に勢いを強め、そのまま体当たり。

 強烈な衝撃と共に彼女とグレンの体躯が浮かぶ。浮遊の最中、グレンはリィエルの左右の手を掴み取り、着地と共に押さえ込んで両手の自由を封じた。

 

 

「《――理の天秤は右舷に傾くべし》ッ!」

 

 

 先程より紡いでいた呪文が遂に完成し、そこでようやく彼の狙っていた魔術が発動する。

 黒魔《グラビティ・コントロール》。自身、また己が触れている全てのものにかかる重力を操る魔術を、グレンは己の有する全ての魔力を用いることで、リィエルにかかる重力を何倍にも膨れ上がらせる。

 

 これでリィエルという壁は消えた。そう理解すると残る4人の動きは早く、狩人3人が距離を一気に詰め、アルベルトが再び右手を構え、魔術行使へと移る。

 

 

「おのれ……! 鉄クズを振り回すだけの脳筋どもがぁッ!!」

 

 

 そこでいよいよバークスも堪え切れず、どこからか取り出した金属製の注射器を自らの首筋に打ちつつ、前へと出る。

 初老ながらも体格の良いバークスの身が、見る見るうちに膨れ上がり、不自然なほどに隆々たる体躯へと変貌する。

 そして膨張と共に衣服が破れると、彼はすぐさま右腕を突き出し、開いた掌より魔術――否。()()による炎の帯を狩人らへ向けて解き放った。

 

 

「シッ――!」

 

 

 しかし、その程度が何だとばかりに、彼らは炎帯を容易く避けていく。

 徐々に縮まりつつある距離。数秒の後にバークスの方へアイリーンが接近し、両手に構えた双刀を振るうと、瞬く間にバークスの右腕は無数の肉塊となって地に落ちた。

 

 

「無駄——だぁッ!」

 

 

 しかしバークスは、切断された右腕の断面でアイリーンの横顔を殴りつけた。

 切断による痛みは確実にあった筈だ。それに腕を失った以上、何らかの反応を示してもおかしくはない。

 だというのに、バークスは特に気にすることもなく、躊躇いもなしにアイリーンを殴ったのだ。

 

 すぐさま体勢を立て直し、再び双刀を構えるアイリーンであったが、彼女の視線の先では、ある変化が起きていた。

 切断されたバークスの右腕が、その断面から再生し、元の形へ戻りつつあるのだ。

 再生速度は尋常ではなく、瞬く間にバークスの右腕は元に戻り、彼女の行為を嘲るように髭面が醜く歪む。

 

 

「残念だったな、脳筋ども。私はこの手で、異能者どもの異能力を摘出し、己の能力として扱える魔薬を作り上げたのだ。

 貴様ら程度の攻撃など、無駄無意味と知るがいい!」

 

「……そうかい」

 

 

 先程の発火も、そしてたった今見せた再生能力も、総てはその魔薬とやらの効果なのか。

 ――それで、()()()()()()()

 

 

「再生するのなら、再生できなくなるまで切り刻めばいい。

 どれだけ驚異的な能力でも、限界は必ずある」

 

 

 寧ろ、再生能力などという異能は、狩人相手に用いるべきではなかった。

 限界があると確信している以上、アイリーンはその瞬間が来るまでやり続ける。

 例え呪いの言葉や怨嗟を吐き掛けられようとも、彼女はきっと、その刃による処刑の手を止めはしない。

 

 

「……あんたは踏み越えちゃならない一線を越えたんだ。

 その代償と、()()()()にした報い、必ず受けて貰うよ」

 

 

 双刀を手にし、高らかに掲げられた両腕はさながら翼の如く。

 黒羽を備え、腕を広げるその姿は、まさしく夜の訪れを告げる――『鴉』。

 

 

「――アイリーンの処刑(かり)、その身で存分に知りな」

 

 

 

 

 アイリーンがバークスとの戦闘に入った頃。

 ガスコインとヴァルトールも彼女同様、それぞれの敵を前に立ちはだかった。

 エレノアの相手はガスコインが、青髪の青年はヴァルトールが担当する形となっている。

 

 それぞれの得物を握りしめ、目元を覆う包帯と鉄兜の奥にある双眸で彼らを睨み据え、威嚇する。

 歴戦の狩人たちからの全力の威嚇に思わず青年は「ひィ……!」と引き攣った悲鳴を上げるが、逆にエレノアはそういった様子を一切見せず、ただ余裕げに不敵に笑うのみ。

 

 

「……よろしいのですか? 貴方がたのお仲間……殺人鬼様は未だ、骸を晒したままですわよ?」

 

「あいつはあの程度じゃあ死にはしない。うっすらとだが、死んだ筈なのに何度も挑みかかって来やがった記憶があるからな」

 

「同じく。あの程度で死に切るような男なら、この俺が、次の連盟の長を任せるものかよ」

 

 

 斧と丸鋸を鈍く煌めかせ、一層強い威嚇を以て脅しかかる狩人たち。

 その光景にエレノアは面白くないと笑みを掻き消し、つまらなさそうに「そうですか」と呟くと、その狂気を帯びた双眸を虚空へ向け、閉じた口を再び開き――()()()()()

 

 

「では、そろそろ幕引きと致しましょうか――朧なる御方」

 

『――ああ。ここらが潮時か』

 

 

 瞬間――エレノアを除く、その場にいる全ての存在が、ある感情を引き起こされた。

 グレンが、アルベルトが、ルミアが、リィエルが。

 ガスコインが、アイリーンが、ヴァルトールが、バークスが、青髪の青年が――。

 皆等しく、平等に、ある感情に脳内を埋め尽くされた。

 

 それはとある存在に対する嫌悪であり、受け入れ難き拒絶であり、底抜けの怯えである。

 即ち――『恐怖』。先のアメンドーズと似て、しかし決定的に異なる何かを備え持った存在が、その場に降臨を果たそうとしているのだ。

 虚空が歪み、やがてエレノアの傍で歪みそのものが形を成していくと、そこに、1人の人間(ヒトガタ)が具現した。

 

 いずこの大学のものらしい、学徒風の上衣とズボン。

 その上から羽織られた、厚手の黒いマント。

 何よりも目を引くのは、頭部を覆う形で被られた、六角柱の檻のような被り物。

 そしてその内側で爛々と輝く瞳を持つ――狂気纏う男の顔。

 

 

「初めましてかな、諸君? ああ……私はミコラーシュ。エレノア君やそこのライネル君同様、『天の智慧研究会』に属する者だ」

 

 

 ミコラーシュ――そう名乗った男の存在感は、控えめに言っても異質だった。

 アメンドーズのような頭痛こそ起きないものの、その存在は先の怪物以上に歪んでおり、どこまでも深く、底が見えない。

 

 

「一応、地位は第三団《天位》なのだが……まあ今はどうでもいいだろう。それよりも、ほら……彼の骸を見るといい。興味深いものが見れるぞ?」

 

 

 警戒は残しつつ、ミコラーシュの言葉に従い、グレンと狩人らは骸――ギルバートであったものの方へ視線を集中させる。

 向けた先に見える彼の骸に変化はなく、しかし程なく、ミコラーシュの言葉は現実となった。

 倒れ伏す骸は、まるで最初からそこに()()()()()()()かのように風景に溶け消えて、残されたのは灰色の淀みと、ずれ落ちた枯れ羽の狩帽子のみ。

 

 だが、驚くべきはその後だ。

 彼の骸が消えた場所。その空間に、突如人間の輪郭が浮かび上がったのだ。

 輪郭はやがて色を得、実体を得て、存在そのものを世界に刻む。

 具現を果たしたのは、先ほど消えた筈のギルバート。

 纏う短マント付きの黒外套と、同色のズボンという黒尽くめの装束は、紛れもなく彼のものだ。

 

 けれども――()()()()()()は、確かに存在していた。

 

 

「……!」

 

 

 その悲鳴を上げたのは、未だ拘束されているルミアだった。

 彼女の視線の先、そこに見えるギルバートの頭部は、これまで見たこともない『触手』で溢れていた。

 蠢く触手はやがて形を作り、出来上がったのは飢えた狼を思わせる獣頭。

 上位者と、獣、そして人の要素全てを混ぜ合わせたらこのような姿になるだろうという想像を、今まさに、ギルバートはその身で以て体現していたのだ。

 

 誰も彼もがその姿に絶句するなか、ミコラーシュとエレノアだけが興味深そうに微笑し、狂気に濁った目で彼の姿を見つめていた。

 

 

「やはり、()()そうなっていたか。人間でも、獣でも、そして上位者ですらない半端者。

 故に何者でもなく、しかし何者にもなれる可能性を秘めている……」

 

「どうなさるおつもりですか、ミコラーシュ様? このまま彼を連れ帰りましょうか?」

 

「いや……今連れ帰ったところで、得るものなどはきっとないだろう。

 充分に成長し、私も同じく成長を果たしたその時こそ……」

 

「……かしこまりました。バークス様とライネルについては?」

 

「連れ帰ろう。研究塔で少々、試してみたいことがあるのでね。

 ……ああ。勿論、ライネル君が創ったらしい人形も共に、ね」

 

 

 そう言うとミコラーシュは両腕を大袈裟気味に広げると、L字のように形を変え、実験場の天井を見上げる。

 すると、その行動が鍵であったのか、虚空に再び歪みが生じていく。

 1、2、3、4、5、6、7——数は優に20を超え、大小の差こそあれど、その奥からは長大な腕が伸びている。

 その腕は、先ほどまで戦っていた、多腕の上位者(アメンドーズ)のものと瓜二つであった。

 

 

「馬鹿な……」

 

 

 右手を構えながら、アルベルトが周囲を見回しつつ、軽く舌打ちする。

 頭痛が起きないのは、奴らがまだ全貌を現わしていないが故だろう。

 その気になればいつでも殺せる――その証明なのだと、アルベルトは受け取ったが、対するミコラーシュはそんな彼の考えなどに興味はなく、ただ底の知れぬ狂笑と共に、彼らを見つめているのみだ。

 

 

「ぬ、ぐぅ――ッ!? やめろ、やめろぉ! 貴様ら、私を誰だと思って――」

 

「い――嫌だぁッ!? エレノアさん、ミコラーシュ様! こいつらをどうにか――」

 

 

 恐怖を孕み、怯えた声で叫ぶも、バークスとライネルの2人は、アメンドーズの長腕に掴まれ、歪みの内へと消えていく。

 そして残されたミコラーシュとエレノアも同様、伸び出でたアメンドーズの腕に掴まれ、先の彼ら同様、虚空の歪みへと連れていかれようとしている。

 

 

「では諸君、またの機会に。どうかその間まで、良き悪夢を……」

 

 

 ――アッハハハハハ……!

 

 甲高く、果てのない不気味さを孕んだ哄笑を最後に、彼らの姿は完全に歪みの内へと消えた。

 残されたのはグレンとアルベルト、ルミアとリィエル、そして狩人たち。

 1人実験場の中心に屹立する月香の狩人の顔は、やがて元の人間時のものへと戻っており、そこに先程までの悍ましさは微塵も感じられなかった。

 兄が連れていかれ、それが理由で大人しくなったのか、虚ろげなリィエルを起こしつつ、彼女を連れて狩人のもとへ歩み寄る。

 

 丁度背を向ける形で立っているため、その顔を直接見ることはできないが、他の狩人らの反応から元に戻っていることは確実だ。

 

 

「……お前、本当に生き返ったんだな。学院テロの時もそうだったけど、一体どんな――!」

 

 

 彼の前へと回り込み、その顔を見た瞬間、グレンはあらん限りにその双眸を見開いた。

 信じられない、嘘だと、開かれた双眸は驚愕に満ちており、おそらく今日一日の中で、これほど強い驚愕の反応を示したことはないだろう。

 そしてそれは、未だ鎖で吊るされているルミアも同じであり、狩人の――秘匿され続けたその()()を碧眼に映して、彼女はその名を口にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――()()()()()()()……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 ミコラーシュの変化については、後々説明する予定です。
 次回でサイネリア島編は終了する予定です。


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第17夜 これからのこと

 燦々と輝く太陽が、地上に恵みの光を降り注ぐ。

 光に照らされ、輝く白浜で、水着姿の少年少女たちが楽し気な声を上げながら駆け抜ける。

 そんな光景を目にしながら、ビーチパラソルの下で彼らはじっと座り込み、何を言うこともなく沈黙していた。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

 あの後、バークス=ブラウモンは『謎の失踪』という形で処理され、翌日に控えていた研究所見学は、政府上層部より下された研究所への稼働停止命令によって中止。

 従ってその日の予定は完全に真っ白となり、丸々一日が休憩となってしまったのだ。

 だが、ある意味では幸運だったのかもしれない。

 生徒たちは自由に過ごす時間が増え、1度は裏切ったリィエルも、グレンとルミア、そして意外なことにガスコインの協力である程度は持ち直し、今は他の生徒たちと共に砂浜でビーチバレーの真っ最中だ。

 

 そしてこの先のことを考える上では、グレンたちにとっても、まとまった時間が要求されていたのは確かで、そう考えると二重の意味でこの空白の1日は幸運なのだろう。

 

 

「……まさか、あんたが『血塗れの殺人鬼』だったとはな」

 

 

 独り言のように呟くグレンの声からは、ある種の迷いが窺えた。

 かつて宿敵としてぶつかり合った殺人鬼として接するか、それとも同僚である医務室補佐の町医者として接するか。

 それを言葉の1つ1つから理解したのか、ギルバートは被っていたヤーナムの帽子を目深に被り直しながら、その下で軽く笑った。

 

 

「どちらでも構わんぞ。殺人鬼でも、町医者でも」

 

「……お前、まるで隠すつもりがねえな」

 

「当然だ。バレてしまった以上、これ以上の秘匿は無意味だ。……それに、アレは俺も疲れる」

 

「そうかよ」

 

「ああ、そうだ」

 

 

 町医者という仮の姿をとって、それなりに長い年月が経過しているが、それでも疲れるものは疲れるのだろう。

 寧ろ町医者としてではなく、狩人として(ほんとう)のギルバートとして接して欲しいという希望が、先のグレン同様に言葉の節々から伝わってきたため、グレンもそれに応じることとした。

 

 

「狙撃手はどうした?」

 

「先に帰ったよ。帝都の特務分室へ送る報告書を仕上げなきゃならないんだとさ」

 

「そうか」

 

「そっちのお仲間はどうしたんだよ? バケツ頭と鴉仮面、そんであのどデカい神父様は?」

 

「ガスコインらは早朝、本土に構えた連盟本部へと帰還するべく船に乗って行った。

 今回の一件……ミコラーシュの存在について、他の狩人たちと話し合うそうだ」

 

「そうかい」

 

 

 ミコラーシュ――復活の際、まだ意識が不明瞭であったギルバートは、直接その目で見ることは叶わなかったが、それらしい存在感を認知することは辛うじてできていた。

 『夢の声』の正体――かつて学院を襲ったテロリストの1人、ジン=ガニスの言っていたものの正体が、よもやあの男だとは思いもしなかったが、その正体が判明した今、よくよく考えて見れば納得できるものがある。

 

 ミコラーシュは、己が初めて邂逅した時点で既に現実世界の肉体はミイラ化し、抜け殻と化していた。

 本体である彼の精神は悪夢の中を漂い、彷徨い続けていたので、何らかの経験を経て他者の夢に干渉できる異能を身に付けていても不思議には思わなかった。

 そしてもう1つ、ガスコインらが聞き取ったミコラーシュの台詞の中に、非常に気になる言葉があったという。

 

 

「『彼もそうなっていたか』……まるで俺と奴が同じ存在になっているような言い振りだったそうだが、本当にそう言ったのか?」

 

「ああ。俺もはっきり耳にしたが、あの変態檻野郎は確かにそう言ってたぜ。あの野郎の言葉……お前、心当たりはあるのか?」

 

「……1つだけ。だが、奴がそうなっているとは考えたくはない」

 

 

 ギルバートは、()()()()()()だ。

 人の身を超えたことは間違いないが、かと言って上位者へ変貌することを拒み、けれども獣へと堕ちるにはその精神は強靭に過ぎた。

 人をやめ、神になることを拒み、けれども獣に堕ちることも叶わない。

 だからこその『なりそこない』――故に、彼はあらゆる方面での可能性を秘めた原石なのだ。

 

 もしもミコラーシュの呟いた言葉が本当ならば、奴もまた、ギルバートと同じく『なりそこない』だということになる。

 思考の海に沈み、脳内に様々な可能性を巡らせていると、その思考を中断させるようにグレンが彼へと問いを投げた。

 

 

「なぁ……お前が町医者を装っている時に名乗っていた名前……『ギルバート』ってのは、偽名なのか?」

 

「……そうであるとも言えるし、違うとも言える」

 

「は?」

 

 

 彼は話した。自らに冠した偽りの名の由来を。

 その名の本当の主は、自分と同じく異邦より訪れ、ヤーナムの地に伝わる『血の医療』を以て、その身に患った不治の病を治そうとした人物だった。

 彼と初めて言葉を交わした時、彼の容体は既に末期にあり、いつ死んでもおかしくはない状態であった。

 そんな重い病体であるにも関わらず、同じ異邦人という理由から、彼は己の知る限りの全てを教えてくれた。

 

 よそ者を嫌うヤーナムの地の中で、数少ない心の支えとなってくれた人物。

 結局彼は、癒えぬ病より生じる苦しみに悶え、残酷な運命を課した神に救いの手を求めて。

 あの夜――赤い月の昇る『青ざめた夜』の中で獣へと堕ち、同じ異邦人の手によって介錯(ころ)された。

 

 

「狩人としての俺にとって、その名は恩人たる彼の名だ。

 だが、この異界の……医療者として生きた俺にとっては、己自身を指し示す名でもある」

 

「……」

 

「だから俺は、医療者としての顔を、仮初めの己とは思わん。

 彼のように病に苦しむ人々を、正しき医術で以て救う……単なる自己満足かもしれんが、彼の名を借りて医術の祝福を与えることこそ、彼に対するせめてもの礼だと、俺は思っている」

 

 

 『重病人ギルバート』から、『医療者ギルバート』へ。

 本来の目的を遂げるための、表向きの世界における仮面だとしても、それもまた自分自身なのだと、彼は誇る。

 己が築き上げた名声が、いつか恩人である彼に届くことを願って。

 

 

「……じゃあ、お前自身の本当の名前は何なんだ?」

 

「なに……?」

 

「そいつが借り物だってんなら、お前自身の名前は別にあんだろ?」

 

 

 医療者として名前を聞かれたことはあっても、狩人として名を聞かれたことは片手で数える程度しかない。

 まして相手は、この4年の間で幾度も衝突した宿敵だ。多少の驚きはあって当然だ。だが、

 

 

「……名はない」

 

 

 それでも、名乗りを上げないわけではなかった。

 かつてはともかく、今は秘密を共有した者同士。

 幾度もの衝突をした仲ではあるが、同時に彼らはこの半年にも満たぬ期間で、3度もの共闘を重ねた者たちなのだ。

 狩人にとって、肩を並べて戦うことは友の証。

 例えその後に殺し合う運命にあろうとも、その瞬間が訪れるまでは、紛れもなき戦友なのだ。

 

 

「俺自身の名は、ヤーナムでの目覚めと共に失われた。

 思えばあの時より、人間としての俺は死んでいたのだろうな」

 

「……で、つまり名前はないってことか?」

 

「いや……人としての名は無くとも、狩人としての呼び名はある」

 

 

 忌まわしき月の上位者。

 かの魔物の尖兵たる者の証。狂気を象徴するものの残り香。

 後に彼自身の手で魔物は討ち取られ、それを機として彼は上位者のなりそこないと成り果てたが、あの呼び名は今でも、彼という個を指し示す唯一の言葉(オンリーワード)で使われている。

 

 

「――『月の香りの狩人』。知る者は、その名を略して『月香』(げっこう)と呼ぶ」

 

「月香……ね」

 

 

 そう言えば、あの時狩人の連中がそう呼んでたな、と。

 昨晩の戦いの最中に呼ばれたその名を思い出して、グレンは口角を僅かに吊り上げ、微笑する。

 そしてそれにつられる形でギルバートも口元に小さな三日月を形作った。

 

 

「呼び名は今まで通り、ギルバートで通せ。俺の正体がこれ以上知られるのは、決してよろしいことではない」

 

「白猫にもか? ルミアほどじゃないが、あいつもお前と関わりはあるんだぞ?」

 

「ならん。バレてしまったら仕方ないとしても、可能な限り俺の正体の露見は避けたい」

 

「何か不都合があるのか? 今後の行動に支障が出るとか」

 

「それもあるが……」

 

「あるが?」

 

 

 一旦間を置き、ギルバートはその場ですっと立ち上がる。

 相も変わらぬ大柄な体躯を見せつけてくる彼だったが、その帽子の下にある双眸は、グレンの方を向いていない。

 彼の視線の先にあるのは、浜辺で遊ぶ生徒達でも、他の観光客の姿でもない。

 

 その先にある海。海原を超えた先にあろう、アルザーノ帝国本土の、とある学院へ向けて――。

 

 

「……迷惑は、掛けたくないのでな」

 

「――せんせー!」

 

 

 海を眺め、その先にあるもののことを思う最中、彼らを呼ぶ声が1つ。

 声のした方角へと視線を移すと、その先では水着に身を包んだルミアとシスティーナが、満面の笑顔で彼らへ向けて手を振っていた。

 その隣ではリィエルも、少し申し訳なさそうな表情をしているが、猫のように片手で2人を手招いていた。

 

 

「……小僧。決めたぞ」

 

「ん?」

 

 

 あの男(ミコラーシュ)の目的が何であるのかはまだ分からない。

 しかし、『天の智慧研究会』に属している以上、奴も少なからずあの外道共の計画に加担しているのは間違いない。

 そして奴らが狙うのは、謎の異能を有したルミア――ならばこそ、より彼女に近い場所にいた方が、奴らとの接触機会も増える筈だ。

 

 

「以前の話……学院長からの提案を、覚えているか?」

 

 

 その後、グレンの口から今日一番の驚愕の声が響き、それを黙らすためにギルバートの鉄拳が繰り出されたのだった。

 

 

 

 

 

 

 帝国本土・某所。

 

 

「――では、彼は確かに存在していたのだね。ヴァルトール?」

 

「ああ。まさか、上位者のなりそこないになっていたとは思わなかったがな」

 

「だが、あいつ自身がそれになるのを拒んでいるんだ。あたしら狩人の仲間だと判断してもいいと思うよ」

 

 

 暗がりの中を照らす紫紺の灯。

 死者の魂を導く紫紺の光が暴くのは、死人ならざる、けれども死をその身に経験した狩人たち。

 その彼らが、誰も知らぬその地にて、それぞれの言葉を交わしていた。

 

 

「人も獣も、上位者さえも殺し尽した彼が、今はそのいずれでもない『なりそこない』とは……皮肉なものだな」

 

「皮肉でも何でも、彼は生きていたんだ。都だけじゃなく、俺たち古参の狩人すらも、あの悪夢から解放してくれた恩人なんだ。

 大手を広げて迎えてやろうじゃないか、なあ?」

 

「悪いが、今誘ったところで無駄だと思うぞ。アイリーンが先に忠告したというのもあるが、ヴァルトールの『狩人連盟』への誘いも、あいつは断ったからな」

 

「それに同士は今、フェジテにあるという、あのアルザーノ帝国魔術学院で医務室補佐をしているとのことだ。

 我ら『狩人連盟』か、それとも()()()に入るかについては、あの学院を辞める必要があるだろう」

 

「加入する派閥も組織も、深く拘る必要はない。問題は、あの男を――ミコラーシュを如何にして止めるかだ」

 

 

 上位者を操る能力。

 例え自在で無くとも、奴は確かに無数のアメンドーズを使役していた。

 上位者とは、ただ存在するだけで常人の思考は砕け、その精神全てを宇宙的恐怖に塗り潰される。

 

 もはやこの地はヤーナムではなく、守るべきものも失われたが、それでも相手は自分たちと同じ世界の存在だ。

 ならばこそ、同じ出身の自分たちの手で決着をつけねばならない。この場に集った狩人たちは、皆そう考えていた。

 

 

「……どうする、ゲールマン?」

 

 

 灰狼の狩人の呼び掛けに、灯の前に座す狩人が動く。

 麗しい女狩人の押す車椅子に腰掛け、既に全盛を過ぎたとはいえ、未だ狩人たちの重鎮として君臨する老傑。

 『最初の狩人』ゲールマン――その顔が今、紫紺の光に照らされる形で、暗闇の中に浮かび上がった。

 

 

「……ヴァルトールの言う通り、今、彼をこちらに引き込むのは得策とは言い難い。

 よくも悪くも、『血塗れの殺人鬼』という存在は、この国に大きな影響を与えている。

 民衆の中には、今もなお彼に対する信奉者が居り、その数は増々増えている」

 

「……強引に引き込みにかかれば、『月香』が彼らを率いて我らの敵に回るとでも?」

 

「可能性は低いが、ゼロではない。そして、かの悪名は帝国全土に広まっている。

 政府にとって、彼の存在は好ましくはない筈だ。それと同種である私たちが彼と合流し、万が一にもそれが政府上層部に伝われば、本格的に我々ごと彼を抹殺にかかるだろう」

 

 

 ゲールマンの言葉を否定する者はいなかった。

 この2年を通して、『血塗れの殺人鬼』という闇の英雄が築き上げた伝説は、この国に様々な影響を与え続けてきたことを、彼らは充分に知っている。

 そしてその影響ゆえ、今動けば多くの死人が出ることは確実だ。

 死ぬのが国民か、あるいは帝国軍の兵士、魔導士たちかの違いだが、きっと凄惨極まる地獄が顕現することだろう。

 

 その隙を、あの外道共——『天の智慧研究会』とミコラーシュが見逃すはずがない。

 

 

「今はただ伏して待とう。しかし、ただ無為に時を過ごす行為は愚行そのもの。

 我々と彼の繋がりが断ち切れぬよう、誰か1人でいい……傍にいる必要がある」

 

「……では、それは誰が務めると?」

 

「そうだね……」

 

 

 紫紺の光に照らされて、思考に耽るゲールマンの顔に皺が刻まれる。

 やがて時を置き、再び上がったゲールマンの顔が闇の先へと向けられ、その視線が闇の内を縦へ、横へ、後ろへと移り、そして最後に()()()()()へと止まり、ゲールマンは再びその口を開いた。

 

 

「――任されて、くれるかね?」

 

 

 返事はない。ただ闇の中で、その人物が首を縦に振る姿だけが、彼の瞳に映るのだった。

 

 

 

 

 

 

 遠征学修を終え、サイネリア島から本土へと帰還した2年2組。

 長旅から帰還したとはいえ、学院での授業は当然存在し、今日も彼らの姿は、普段の教室の定位置に見受けられた。

 

 

「うーっす」

 

 

 そんな一日の初めに、珍しくグレンが早めに到着した。

 普段ならば時間ぎりぎり、最悪遅刻してくるようなダメ講師の彼が、授業開始までまだ充分余裕がある時間帯に教室に入って来たことに、生徒たちは僅かな驚きを双眸に湛えたが、同時に彼がこれほど早く来たのには、何か理由があるのだろうと察してもいた。

 

 

「ちょいと早めに来ちまったが、授業開始前に1つ、お前らに紹介しておきたい奴——人がいます。ほら、入ってこーい」

 

 

 グレンの呼び掛けに応じ、教室のドアが開くと、そこから1人の人物が入室してきた。

 大柄な体躯を簡素な衣服で包み、さらにその上から汚れ一つない白衣を羽織った人物。

 この学院の講師たちと比べれば、会う機会は少ないだろうが、少なくとも医務室のお世話になった生徒ならば、その人物のことを誰もが知っていた。

 

 

「えー、今日からこの教室……っつうよりも、俺の補佐を担当してくれることになりました……」

 

「医務室補佐のギルバートです。急ではありますが、今日からグレン先生の補佐も兼任することとなりました。

 顔見知りの生徒も多いでしょうが、改めまして、よろしくお願いします」

 

 

 2年2組補佐、ギルバート。

 その存在が学院内に広まるのは、そう時間はかからなかったという。

 

 




 後ほど活動報告でアンケートを取る予定です。
 もしもご協力の意思がある方は、そちらの方をご覧ください。


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第5巻
第18夜 婚約者、来たる


 まず始めに、アンケートご協力ありがとうございました。
 大体集まりまして、登場させるキャラも決定しました。
 早速今回の話の中でも出ていますので、どうぞお楽しみを。


「……よし、これぐらいか」

 

 

 室内の清掃を終えて、ギルバートは仕事を完了したように独り呟く。

 先日よりグレンの補佐も兼任することとなり、仕事量は増えたが、普段の職務に支障が出るほどの負担とはなっていない。

 そもそも、知識はともかく魔術の扱いに関しては門外漢であるギルバートだ。

 せいぜいできるのは魔術に使う道具の運搬や、簡単な書類整理の手伝いくらい。

 

 それでも、グレンにとっては仕事の負担……もとい面倒事が減るのが嬉しかったらしく、気持ち悪いくらいにここ最近は礼などを言って来る始末だ。

 閑話休題——本来ギルバートの学院における主職務は、医務室におけるセシリアの補佐だ。

 法医術の腕はともかく、先天的な身体の弱さが致命的な彼女に室内の清掃を任せれば、それこそ綺麗になるどころか真っ赤な血でシャレにならないほど汚くなるのは必然だ。

 

 よって清掃は2年前こちらに就職して以降、ギルバートの領分であり、彼自身もそれについては納得していた。

 

 

「あとはセシリア先生に連絡を……ん?」

 

 

 羽織直そうと椅子に掛けた白衣に手を掛けたちょうどその時、医務室のドアを叩く音が響く。

 とりあえず入室の許可を出すと、そのドアを開け、間から顔を覗かせたのは、彼も良く知る生徒の1人だった。

 

 

「やっぱり、こちらにいらしていたんですね。ギルバート先生」

 

「……ルミア君か」

 

 

 ルミア=ティンジェル。

 彼が補佐を務め、グレンが担当する2年2組の生徒。

 そしてグレン曰く、この国の王族の血を引く元第二王女。

 さらに付け加えるなら、その身に宿した異能ゆえ、あの『天の智慧研究会』から狙われ続けている少女。

 

 この学院にグレンが来て以降、以前と比べて接触する機会が増え、今ではグレンやリィエルと同じく、ギルバートの正体を知る数少ない人物だった。

 

 

「ふふっ」

 

「何がおかしいのかね?」

 

「いえ。……ただ、その姿だと、あの時と話し方が違うんだなぁ、って」

 

 

 あの時、というのは狩人として行動している時のことだろう。

 表と裏を分けねば、いつかバレるのは確実であり、だが裏の顔を知るルミアにとっては、その違いが妙におかしく思えたらしい。

 

 

「……話し方も変えねば、勘の鋭い輩はすぐに察するからね。

 まあ、裏の顔(ほんとう)の俺と対面すれば、まともな奴はその特徴すら覚える余裕もないだろうな」

 

 

 『血塗れの殺人鬼』――それが医療者ギルバートの裏の顔であり、彼の正体。

 4年前より活動し、夜毎に外道魔術師を狩り殺し、一時はこのアルザーノ帝国の夜を恐怖で支配した連続殺人鬼。

 魔術を用いた痕跡がなく、実質武器と単純な身体能力のみで外道魔術師たちを狩っていく殺人鬼の存在は、魔術を重要視する今の世の中においては、まさに驚異そのものだった。

 

 故に彼の実力はその悪名と共に広まり、僅かでも彼を知る者ならば、余程の愚者か狂人、あるいは同等の強者でもない限り、対面した時点で恐怖に脳を支配され、先の彼の言葉通り特徴すら覚える余裕もなくなるだろう。

 その事実を知った上でなお、こうして話しかけてくるのだから、ルミアもルミアで、ある意味大物なのかもしれない。

 

 

「それで、何か用かね? 先の口ぶりだと、医務室ではなく俺に用があるように聞こえたのだが?」

 

「はい。先日は色々あって、結局言いそびれてしまいましたけど……」

 

 

 そこで一旦言葉を区切ると、ルミアはそこで腰を曲げ、深々と彼に頭を垂れた。

 

 

「学園でのテロと、競技祭、そして先日の遠征学修。

 グレン先生と一緒に、貴方は3回も私を助けてくれました。

 色々とお礼をしたいところですが、まずは……ありがとうございます」

 

「……」

 

 

 その行動に、ギルバートは密かに驚いていた。

 双眸を見開き、心臓がドクンと跳ね上がるのを感じたが、別に彼女に好意を抱いたわけではない。

 ヤーナムの地では、異邦人という立場から、たとえ獣を追い払い、窮地から救おうとも、浴びせられるのは罵詈雑言の数々。

 そして、それを吐き散らした連中も、最後には狂って言葉も交わせなくなり、ひどい者はこちらを殺しに掛かって来たりもした。

 

 だからこそ、ギルバートは純粋な好意というものに対して、耐性を持たなかった。

 まごつきこそなかったものの、一瞬脳内が真っ白になり、思考が停止していた。

 

 だがすぐに彼の意識は復活し、いや、と首を横に振って、目付きを半開きへと変えながら言った。

 

 

「礼を言われる資格など、俺にはない。最初のテロ事件の時も、俺はあの小僧から君を死なせるなと言われ、それに従っただけだ」

 

「それは……競技祭の時も、ですか?」

 

「競技祭の時は、君を狙っていた輩が俺と因縁のある者……ヤーナムの狩人だったからだ。

 その真の理由までは未だ分からぬが、君を死なせては、俺にとっても、今後不利になると判断したまでのこと」

 

 

 だから礼を言われる筋合いはない――。

 

 冷たく、氷のような声音で突き放すように彼は言う。

 その言葉は、もっと別の誰かに言うべきだと、心の内で叫ぶ。

 自分のような殺戮者が、君のような善人より礼を賜るなど、あってはならない。

 そう密かに思うギルバートだったが、対するルミアは「それでも……」と言葉を続け、あの光を失わぬ碧眼を彼へ向け続けた。

 

 

「それでも、貴方が私を助けてくれたのは事実です。

 色々事情はあったかもしれせんが……貴方も、グレン先生たちと同じ、私の恩人なんです」

 

 

 ――だから、ありがとうございます!

 

 そう言うと彼女は背を向けて、駆け足で医務室から廊下の方へ飛び出して行った。

 1人残されたギルバートは、改めて受けた彼女からの礼の言葉を思い出し、やがて困ったように苦笑して、軽く肩を竦めた。

 

 

「……最近の若者の考えは、よく分からん」

 

「――キャアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 

 

 呟きの後、外から女性の悲鳴のような――声音は確実に男のものだが、そんな叫声が聞こえた。

 窓から乗り出し、その音の根源を見やると、そこには前庭の池に頭から突っ込み、情けない姿を晒している男性職員と、その男の元へ駆け寄る、これまた見覚えのある銀髪と青髪の少女2人の姿が見えた。

 

 何が起き、どうしてああなったのかまでは分からないが、十中八九、原因はあの男(グレン)にあるのは確実で、ため息と共に彼は頭を押さえた。

 

 

「仕方ない……」

 

 

 一応、補佐の対象だ。このまま放っておいて、後の授業で情けない姿を晒されるのも困る。

 そんなことを考えながら、ギルバートは虚空を歪めて狩り道具の1つを取り出しつつ、窓から飛び降り、前庭の方へと向かった。

 

 

 

 

 

 

「――ん?」

 

 

 廊下を歩いている最中、セリカは窓越しに誰かが他の窓から飛び降りて、前庭へ向かう姿を目にした。

 白衣をなびかせた大柄な体躯。基本、講師陣が纏う外套(コート)は黒であり、白衣という時点でまず講師でないのは確実だ。

 加えて、魔術を使った素振りもない様子から、該当する人物は限られてくる。

 

 

「ギルバートか……」

 

 

 遠征学修から帰ってきた後、グレンから彼の正体については聞かされていた。

 あの悪名高き『血塗れの殺人鬼』が彼で、しかも人間ではない『上位者』なる邪神もどきのなりそこないだというのだから、最初にそれを聞いた時は流石の彼女も信じられなかった。

 

 だが、それは驚きによるものであり、冷静に考えると、競技祭の時に感じた気配。

 かつてセリカが、当時の仲間たちと共に相対し、死闘の末にどうにか打ち倒した邪神のそれと、殺人鬼――ギルバートの気配はよく似ていた。

 それを理解した時は、大丈夫なのかとグレンに問うたが、正体はともかく、現時点で学院や帝国民に仇なすような人物ではないと断言してきたゆえ、義理とはいえ息子の判断を信じ、セリカも渋々ながら了承したのだった。

 

 

「結局、私が個人で進めてた調査は無駄になったわけか」

 

 

 軽いため息を吐きつつ、肩を竦めてくるりと首を回すと、セリカは視線をあちらこちらへと泳がせた。

 感じるのだ。ほんの僅かではあるが、この無人の廊下のどこかに、自分以外の『誰か』の気配が。

 感覚を限界まで研ぎ澄まし、かつ心を落ち着かせることでようやく感じ取れた気配は徐々に強まっていき、その存在を確信したと同時に、セリカは小さく、しかし威圧的な声でそこにいるだろう『誰か』へ向けて言った。

 

 

「――誰だ?」

 

『――ほう。気づくかよ』

 

 

 そこで初めて、その『誰か』がセリカの声に応じ、声を発した。

 見えざる何者か。その第一声が発せられて少しばかりを時が経つと、やがてセリカから然程遠くない場所の空間に、人の輪郭が浮かび上がっていく。

 空間は形を作り、色を着け、その人物の特徴を創造していくと、ようやくそこに1人の人間が完成し、先程までなかった存在感が一気に解放された。

 

 まずセリカがその人物を見て思ったことは――『奇妙』だった。

 くたびれ、ボロボロになったコートで身を覆い、背に同じく使い古された荷物袋を帯びている。

 顔は頭から汚れた頭巾で覆われ、その両目も白布で塞ぐように隠されている。

 身形と、そして唯一見える口周りの顎髭の存在もあってか、一見すればそこらの乞食に見えるだろう。

 だが、このアルザーノ帝国魔術学院に、それもセリカがここまで接近を許したとなると、見掛け通りの人物ということは断じてあり得ない。

 

 キッと強く睨みつけ、その身に魔力を溢れさせるが、襤褸の男もその高まりを感じてか「ちょっと待ってくれ!」と慌てた口調で彼女を静止し、攻勢の意思はないとばかりに両手を短く上げた。

 

 

「俺は別に、あんたのことをどうこうしようなんて考えちゃいない」

 

「なら何で、そんな得体の知れない技まで用いて、この学院に侵入してきたんだ?

 もしも嘘を吐いているのなら――」

 

「待った待った! 嘘は吐いちゃいない、信じてくれ! 何ならあんたの問いに可能な限りは答えてもいい、セリカ=アルフォネアさん」

 

「……! ……どうして、私の名前を」

 

 

 襤褸の男が何故、自分の名前を知っているのか。

 確かにセリカは、自分という存在が良くも悪くも世間に広く知られていることは自覚していた。

 だが、それはあくまで魔術世界やあの凄絶なる戦争の時代における話であり、平和を謳歌するこの時代では、魔術師たちはともかく、一般人に自分の名が知られている可能性はあまり高くない。

 

 しかし、眼前の男は不敵に笑みを1つ作ると、当然とばかりに軽く胸を張った。

 

 

「あんた、最近街のギルバート診療所の周りで、何やら聞き込みをしてたみたいだね」

 

「……」

 

「隠さなくてもいいさ。ほんの少し前、それも1度切りだが……その時その場に、俺も居たんでね」

 

 

 故にセリカの名前を知っていて、かつ彼女が何を調べ回っていたのかも分かると、襤褸の男はそう語った。

 

 

「ああ、俺はシモン。ギルバート……月香の古い狩人仲間だ。

 本当はあいつと話すことがあったんだが……外に出られちゃ、それもできんなぁ」

 

「1つ聞かせろ。どうやって、この学院の警備を抜けて入って来た」

 

「ん? それはまあ、真正面から正門を使って入って来たぞ」

 

「……さっきの透明化か。それにしても、気配すら直前まで感じられないとは、どういう仕組みだ?」

 

「ああ……そいつはきっと()()()だな」

 

 

 セリカの疑問を晴らすように、襤褸の男こと、シモンは虚空の歪みに手を突っ込むと、そこから何かの液体が入った瓶を取り出し、見せつけるように彼女に示した。

 瓶の中に入った液体は青く、深い海を思わせるほどに濃い青色に染まっており、それは彼らヤーナムの狩人が持つ『青い秘薬』と似ているが、少なくとも従来の秘薬はそこまで深い青色をしてはいなかった。

 

 

「とある薬の濃度をさらに深めて、隠密用に改良した代物さ。

 本来の用途とは全く異なるが、俺たちにとっては、寧ろ副作用の方がメインなんでね」

 

 

 薬の詳細をべらべらと語るのは、彼女からの信頼を得んとするための行動だろうか。

 短い説明を終え、薬を再び虚空に戻すとシモンは彼女の方を向き、廊下の先を指差してから口を開いた。

 

 

「ちょいと予定外だが、あんたと接触できたのは幸運かもしれん。

 あんたの質問に答えるのも兼ねて、少し話し合おうじゃないか。……2人っきりになれる場所でな」

 

「……いいだろう。私も、少し聞きたいことができた」

 

 

 ギルバートの仲間だというのなら、彼の正体。その本質について知ることができるかもしれない。

 あの邪神にも似たギルバートの人外性。それが人類に仇なす者なのか、否か。

 それを知るべく、彼女はシモンを連れて廊下の先――邪魔の入らない場所を探すべく、先へ進んだ。

 

 

 

 

 

 

 ガゴン――ッ! と。

 

 鳴ってはならない重い音が鳴る。

 杭打機(パイルハンマー)の撃ち出し音にも似た音を響かせたのは、繰り出されたギルバートの鉄拳だった。

 そしてその拳が殴り付けた相手は、目の前で腹を押さえ、白目を剥き出しにしながら悶絶していた。

 

 

「っ~~ッ! てめえ、ギルバート! 何てことしてくれやがんだ!」

 

「何てことしてくれやがんだはこっちの台詞だ。元同僚とはいえ、教え子相手に何ということをさせているんだ」

 

 

 システィーナ曰く、グレンはリィエルに金の錬成を頼み、それを売ろうとしていたらしい。

 金の錬成は帝国内において犯罪であり、当然それを売り捌いたとなれば、もはや何らかの罰を与えられることは確実だ。

 リィエルの破天荒な行動の末、生じた賠償金額がグレンの給料から差し引かれているゆえ、まあ仕方ないかと思わないわけではないのだが……

 

 

「それでも生徒を犯罪に巻き込んでどうする。そもそも、日々の減給は彼女だけに原因があるわけではないだろうに」

 

「うっせー、バーカ! そんなくどくど説教垂れんなら、代わりにお前が俺の減った分の給料を寄越しやがれ。いや下さいお願いしますマジで!」

 

「……貴様」

 

「大体お前は俺の補佐なんだろ!? 補佐ならそれらしく、ちゃんと面倒見やがれ! ついでに俺の人生の補佐もお願いします養って下さい!」

 

 

 地鳴りのように低い声を発し、ギルバートの顔に陰がかかる。

 そして目にも止まらぬ早さで虚空を歪め、歪みの中から()()()を取り出し、ソレを左手に嵌めた。

 

 

「え、いや、あの……ギルバートさん?」

 

「貴様という男は……そうまでして他人の力を借りて楽をしたいのか……!」

 

 

 左手に嵌めたのは、銃でもなければ鋸でも剣でもない。

 ただの鉄塊。指を差し込む穴が開いただけの、何の変哲もない鉄の塊だ。

 けれども、これも立派な狩人武器。名を『ガラシャの拳』という。

 

 

「いいだろう……! そこまで言うのなら、俺が面倒を見てやる。殴りに殴って四肢を砕いた後、俺の診療所のベッド送りにしてやるぞ……!」

 

「あ……あのぉ、それってちゃんと三食付いてます?」

 

「勿論だ。朝昼晩と三食丸薬で栄養を摂って貰う。夜はサービスとして獣血——んんッ、特大丸薬を喰わせてやろう。

 ああ、ちなみに夜だけは食後にこの薬を服用して貰うので、そこはどうか了承しろ」

 

 

 そう言ってギルバートは白衣の裏側に仕舞っていた瓶を取り出すと、それをグレンへと見せつけた。

 中には赤い液体が入っているのだが、明らかにまともな品ではない。揺れるとドロリとして動くし、赤黒い色合いが明らかにまともな薬ではないことを物語っている。

 

 

「……あの、ギルバート大先生様。ちなみにお聞きしますが……なんですかコレ?」

 

鎮静剤(濃厚な人血)だが。ヤバい大学(ビルゲンワース)の」

 

「よし逃げろぉおおおおおおッ!!」

 

 

 魔導士時代に鍛えた身体能力を最大限に活かし、その場から脱走したグレンを、ギルバートも鉄塊片手に追いかける。

 

 

「あ――先生!」

 

「システィ! ……って、あれ? 何でギルバート先生が……?」

 

「ん。システィーナ、ルミア。グレンとギルバート、追いかけよう」

 

 

 脱兎の如く逃げ出したグレンと、それをそれ以上の速度で追うギルバート。

 身体能力では人外の域にあるギルバートの駿足からグレンが逃れ切れるわけがなく、それでも必死に抗い、先へ先へと走り続ける。

 だが、彼から逃れようとするあまり、他のものに対して意識を割く余裕をグレンは失っていた。

 よって前方に停留していた馬車の存在に直前まで気が付かず、ようやくその存在に気づいたグレンはすぐさま足でブレーキをかけ、衝突を回避しようとしたが、

 

 

「どわあああああああああぁッ!?」

 

 

 足のブレーキが想像以上に強く、強烈な衝撃を伴って、彼はその場に尻もちをつく形となった。

 これには流石のギルバートも彼を捕まえてどうこうしようという考えは失せ、すぐさま彼を起き上がらせて、眼前の馬車の持ち主へ謝罪するべく頭を垂れた。

 

 

「申し訳ありません。こちらの不注意でご迷惑をお掛けしました。どこかお怪我などは――」

 

 

 謝罪の言葉を述べている最中、馬車のドアが開き、そこから1人の男が姿を現わした。

 すらりとした長身を仕立ての良いコートで包み、緩くウェーブのかかった金髪が風になびく様は、まるで絵画の世界より飛び出た貴人そのもの。

 かけた片眼鏡(モノクル)は知性を象徴し、その奥に見える碧眼で見つめられれば、きっとあらゆる女人は虜となってしまうだろう。

 そんな完成した容姿の青年を視界に捉える彼らだったが、青年の視線はすぐさま2人から離れ、グレンらを追う形でやってきたシスティーナたち――より厳密には、システィーナ1人に向けられた。

 

 

「あ、貴方は――!」

 

「久しぶりですね、システィーナ。この学院に来て真っ先に君に会えるとは……本当に、幸先がいい」

 

「……アンタ、誰? こいつ(システィーナ)の知り合いか?」

 

 

 起き上がったグレンが、訳が分からなさそうに問うと、青年は申し訳なさそうに頭を垂れ、小さく謝罪した後、グレンらに名乗りを上げた。

 

 

「私はレオス。レオス=クライトス。この度、この学院に招かれた特別講師で……そうですね。

 有り体に言えば、そこの娘——システィーナの婚約者(フィアンセ)です」

 

「「「「え――」」」」

 

『ええええええええええええええええええ――ッ!?』

 

 

 システィーナの婚約者。

 その意外かつ衝撃的な内容に、その話を聞いた者たちの絶叫が学院内に轟き渡った。

 

 

 




『濃青の秘薬』

 医療教会の上位医療者が、怪しげな実験に用いる飲み薬。それを狩人たちが隠密向けに改良したもの。
 副作用による存在の希釈化は高まり、以前以上の効能に加え、動いても存在を感知されなくなった。
 しかし、その分脳への麻痺効果も高まっており、この薬を用いるのは狩人の中でも、特に意志力に秀でた者に限られる。



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第19夜 忍び寄る悪意

 ――レオス=クライトス。

 

 新興魔術一門『クライトス伯爵家』の次期当主候補の1人。

 私立校でありながら、アルザーノ帝国魔術学院に次ぐ魔術学舎『クライトス魔術学院』の教師であり、本人もまた、帝国総合魔術学会で名の知れた有名人だ。

 魔術に関する造詣が深く、特に軍用魔術に関しては、聞く話によるとあのハーレイでさえ認めているとのことだ。

 

 

「――で、どうだった?」

 

 

 大講義室の後方で、共にレオスの講義を聞いていたグレンとギルバート。

 魔術に関しては門外漢であるギルバートは、その内容がまるで分からなかったのでグレンにその内容と、レオスの講師としての腕前を問うが、返ってきた答えは、意外なことに高評価なものだった。

 

 

「――完璧だ」

 

「それは何故に?」

 

「今あいつが説きやがったのは物理作用力(マテリアル・フォース)理論って言って、軍の一般魔導兵の半分以上がイマイチ理解していないモンなんだ。それは、国内一とはいえ、まだ学院で学習中の生徒に完璧に理解させやがった……」

 

「……成程。それは確かに、完璧と言わざるを得んな」

 

 

 しかし言葉とは裏腹に、ギルバートのレオスに対する評価は低かった。

 講師としての教導力は認めよう。軍属の人間でさえ理解できない代物を、まだ学生の少年少女に理解させたその手腕は、実に凄まじいものだと。

 けれども、その内容がよろしくない。

 軍用とは即ち、実戦を前提としたものだ。まだ基礎を固め、そこから上の応用に移行するべき年頃の彼らに、いきなり強大な力を持たせる可能性を持つ内容の講義はまだ早過ぎる。

 

 扱う力の強大さを知り、恐怖し、怯えて使うことを躊躇うのはまだいい。

 問題は、その躊躇いをせず、力によってそちらの方面にのめり込んでしまうことだ。

 強大な力は、確かな経験と知識、そしてその恐ろしさを知った上で得ねば猛毒も同然だ。

 獣の力然り、上位者の力然り、そしてギルバートを始めとする、ヤーナムの狩人たちの力もまた然りだ。

 

 

「俺は医務室に戻る。もし何かあったら、誰か使いに寄越して知らせるといい」

 

「あいよ。つっても、魔術絡みのことだろうから、そうはならないだろうがな」

 

「だといいがな」

 

 

 嘆息を1つ残し、ギルバートは席を立つと白衣をなびかせ、そのまま教室を出て行こうとドアの方へ向かい。

 そこで件の講師、レオスに呼び止められて、その歩みを止めた。

 

 

「……何か御用ですか?」

 

「いえ。ただ、先程はあのようなことがありましたのでお訊ねする余裕がなかったのですが」

 

 

 そう言うとレオスはギルバートの体躯に視線を向け、それを上下させ始める。

 頭の天辺から足の爪先まで。まるで実験動物を観察するように、じろじろと見てくるレオスにギルバートは僅かながらに不快感を抱くが、そのレオスの行為も長くは続かなかった。

 

 

「貴方がグレン先生と並ぶ、噂の講師ですか」

 

「訂正させて頂きますが、私は講師ではありません。グレン先生と、医務室のセシリア先生の補佐を任されただけの、単なる町医者です」

 

「では、魔術師ですらないと?」

 

「魔術師ではなくとも、専門分野の手伝いならばできますよ。

 少なくとも、リック学院長はそれをご理解の上で、私を雇って下さいました」

 

 

 失礼します――逃げるように講義室を出て行ったギルバート。

 あまり関わりたくない、というのも理由だが、彼としてはもう1つ、その場から離れたい理由があった。

 簡潔に言うと、それは狩人としての直感だが、あの男はよろしくない。例えシスティーナの婚約者であるとしても、彼はレオスをどうにも受け入れ難かった。

 

 脳裏に残る靄を晴らすべく、別の仕事で気を紛らわせようと、彼は廊下を進む足を早めるのだった。

 

 

 

 

 

 

 それから1日が経過。ギルバートは、昨日の自分の判断をひどく後悔していた。

 医務室へ向かい、セシリアの手伝いをした後、自宅でもある診療所へ帰宅した彼は、その後学院で起きたグレンとレオスの一件を今朝来て初めて知った。

 グレンとレオスが、システィーナを賭けて決闘を行う――その噂話は既に学院中に広がっており、今さら中止できるような状態ではなくなっていた。

 そして現在、その噂話の元凶が一角であるグレンは、自身の担当する2年2組の教室にて――

 

 

「――というわけで、俺が見事白猫とくっついて逆玉の輿、夢の無職引きこもり生活をゲットするために――今からお前らに魔導兵団戦の特別授業を行う!」

 

『ふっざけんなぁああああああああああああああああああああああッ!?』

 

 

 教壇上で高らかに宣言したグレンに、当然クラス中が非難囂々となった。

 

 

「俺たちを巻き込むんじゃねえええぇ!」

 

「死ね! 苦しんで死ねぇッ!」

 

「もげろ! 色々ともげて再起不能になっちまえ!」

 

 

 特に男子生徒からの非難が凄まじく、しかし内容が内容なので、ギルバートもグレンを擁護するどころか、彼らの思いに納得してしまう始末だった。

 

 

「……小僧。貴様、一体あの半日でどうしてここまでの状況にできたのだ?

 あれか? お前は数日に一遍は厄介事を起こさずにはいられない、天性のトラブルメーカーだとでも言うのか?」

 

「人を悪戯盛りのガキんちょみたいにいうじゃねえよ。……まあ、お前には後でちゃんと詳細を伝えるから、安心しろ」

 

「それを聞いて安心した。では、その決闘——魔導兵団戦について、語って貰おうか」

 

 

 傍らの位置にすることが幸いし、2人の会話は生徒たちの耳には入っていない。

 そもそもあんな怒りに満ちた状態なのだ。遠耳の魔術を使える余裕のある者など居るわけがない。

 そうでない生徒たちも完全に呆れているため、2人の会話が盗み聞きされている可能性はほぼゼロだ。

 

 

「先生の決闘の行方に興味などありませんが……どうせ無駄ですよ」

 

 

 男子生徒が未だ非難の声を上げている中、1人冷ややかにそう断言する生徒がいた。

 丸眼鏡をかけ、どこか冷徹な印象を与える男子生徒――ギイブルだ。

 

 

「ほう……? じゃあギイブル、その無理って断言できる理由はなんだ?」

 

「魔導兵団戦は文字通り、僕ら生徒を魔導兵に見立てたクラス同士の模擬戦です。

 競技祭については、個々の尖った分野で競えたので何とかなりましたが、こちらはクラスの戦力差がもろに出る。

 その点を考えると、戦力になる魔術師は僕やシスティーナ、ウェンディくらいしかいませんよ」

 

 

 対するレオスが臨時担当しているクラスは、あのハーレイが担当する1組に次ぐ優秀なクラスだ。

 個々の実力は言うまでもなく、短期間とはいえレオスが鍛え上げれば、間違いなく集団戦での戦闘も彼らの方に軍配が上がるだろう。

 やったところで勝負にならない――それがギイブルを始めとする、2年2組の生徒たちの共通見解だった。

 

 

「なーに言ってんだ」

 

 

 しかし、そんなギイブルの主張を真っ向から否定するように、グレンは明るげな声で言った。

 

 

「このクラスで戦力になる奴なんて1人もいねーよ。つうか、お前みたいな奴が一番使えん」

 

「なっ――」

 

「……ふむ」

 

 

 何か考えるがあるな、と。傍らでギルバートはそう考えた。

 確かにギイブルは成績優秀で、このクラス内でも上位に位置する生徒だが、逆に言えばそれだけだ。

 特に彼のように、無駄に成績が良い生徒は、そればかりに思考が囚われ、柔軟性に欠ける。

 他者との連携が重要となる集団戦においては、その欠点は致命的と言えるだろう。

 

 もっとも、それを差し引いたとしても、グレンの今の発言はかなり謎を含んだものなのだが。

 

 

「まあいい機会だし、魔導兵団戦……戦場における魔術師の戦い方、その心得ってやつを教えようと思うんだが……。

 まず最初に、お前らは盛大に勘違いしている」

 

 

 またもや謎発言を発し、彼はチョークを片手に黒板を指し示す。

 

 

「魔術師の戦場に――英雄はいない」

 

 

 奇怪な発言を繰り返すグレンに、生徒たちは最後まで首を傾げ、疑問を抱き続けるのみ。

 唯一その言葉の意味を理解できたのは、皮肉なことにこのクラスで唯一魔術師ならぬ身の男――彼と同じ戦場で殺し合いを演じた、ギルバートのみだった。

 

 

 

 

 

 

 時は過ぎて、最初の特別授業から早数日。

 グレンとギルバートは、2人で繁華街を訪れていた。

 とはいえ、男2人でたまには食事、というわけではなく、確かな目的を持って彼らはここを訪れたのだ。

 グレンはこれから向かう場所に慣れているため普段と変わらぬ服装だが、ギルバートは念には念を込め、その装いを改めていた。

 

 

「しっかし、よくお前そんな服持ってたな。いつもあの簡素でダセぇ服に白衣ってイメージしかねえから、違和感マシマシだぞ?」

 

「うるさい。黙って歩け」

 

 

 グレンはそう言うが、ギルバート的には普段の狩人装束の組み合わせを少し変えただけのつもりだった。

 枯れ羽帽子の代わりにトップハットを被り、普段身に纏う黒装束から短マントを省いたものを身に着け、それ以外はいつもの狩人装束と大して変わらないものだ。

 一応、護身用として『仕込み杖』を携えているが、その仕込さえ知らねば、傍から見れば少し古風な紳士としか見えないだろう。

 

 そんな感じで路地裏へと入り、その奥に据えられたバーに踏み入ると、店内に設けられたカウンター席。その端の席に――()()の姿があった。

 1人は、以前研究所でグレンらと共に共闘した魔導士、アルベルト。

 そしてもう1人は、全身を襤褸のような装束で固めたやつしのような男で、グレンは面識がなかったが、ギルバートの方は彼に対し、見覚えがあった。

 

 

「――シモン!」

 

「よう。やっぱり来たな、この兄さんと一緒に待ってて正解だった」

 

「……? 知り合いか?」

 

 

 グレンの問いに、ギルバートは首肯と共に肯定する。

 ヤーナムにいた頃……とは言っても、彼とは死した狩人が囚われる『狩人の悪夢』の中で出会ったので、厳密にはヤーナムで出会ったとは言い難い。

 『やつしのシモン』――大小問わず、性格に難を持つ狩人たちの中で、おそらくは最も常識的かつ良識的な人物。

 医療教会に属しながら、彼らのやり方に不満を抱き、1人あの悪夢の中で秘密を探っていた男。

 最後には、秘密を探る者を殺す教会の刺客(ブラドー)によって致命傷を与えられ、彼の部屋を開ける鍵と、自身の代名詞である弓剣をギルバートに託して、深い眠りについたが、ガスコインらがこの異界に飛ばされている以上、彼もこちらに来ている可能性はあった。

 

 まさかこんな形で再会するとは思いもしなかったが。

 

 

「数日前に学院に忍び込んで、お前さんと接触しようとしたんだが、肝心のお前さんがちょうどその時窓から外へ飛び出しちまったからな」

 

「そ、そうだったのか……すまない」

 

「いいさ。薬も切れちまったし、数日この街でやつしに扮して張ってたんだが、この兄さんを見つけて一緒に待たせて貰い、結果あんたに会えた。それで全部帳消しだ」

 

 

 ははッ、と軽く笑いつつ、シモンは片手に持ったグラスを傾け、中に満たされていた琥珀色の液体を一気に呷る。

 ヤーナムの狩人は、基本酒で酔うことはない。ならば今の行動は、店内でそれらしい動きを見せて、他の者に疑念を抱かせないためのものなのだろう。

 例えこの店が、貴族や政治家、他にはスネに傷を持つ裏社会の住人たちにとっての密会の場として使われているとしても、相応の偽りは必要なのだ。

 

 

「……また何やら、派手に動いているようだな。グレン」

 

「ま、お前なら当然、こっちの状況も把握しているか」

 

 

 そんなことを言いながら席に着くと、グレンは適当な酒を一杯頼み、ギルバートも酒代わりに炭酸水を注文して、シモンの横の席についた。

 

 

「何だ、お前酒飲まないのか?」

 

「酒は嗜まん。酔えぬし、元々アルコールは好まないのでな」

 

「そっちのお仲間は普通に飲んでるが?」

 

「単なる偽装(カモフラージュ)だろう。そうだな、シモン?」

 

「ん? ……あ、ああ。そうだな、ははは」

 

 

 一瞬の間が妙に怪しかったが、少なくとも酔えないのは確かだ。

 であれば、単純に味を楽しんでいるだけなのだろうか、と。そんな風に思ったが、無駄話をする気はないと言いたげに、アルベルトは先を続けた。

 

 

「……惚れてもいない女を賭けて勝負など、下種の極みだ。少しはシスティーナ=フィーベルに申し訳ないと思わないのか?」

 

「はっ、いーじゃねーか。成功して白猫とくっついちまえば逆玉だ。もう働かなくていいんだぜ?」

 

「――セラ=シルヴァース」

 

 

 くつくつと喉を鳴らすグレンに、不意にアルベルトがその名を呟くと、彼の笑いが一瞬で失せ、その身が硬直する。

 

 

「……狙撃手。その名は……」

 

「殺人鬼。……いや、正しくは月香と言うのか。

 お前も知っているだろうが、彼女のことだ」

 

「……帝国宮廷魔導士団特務分室、《女帝》セラ=シルヴァース」

 

 

 忘れるわけがない。

 この世界に飛ばされ、今以上に外道魔術師狩りを行っていた頃のことだ。

 グレンら特務分室と初めて交戦し、それから何度目かの戦いの後で見えた敵、それがセラ=シルヴァースだ。

 風の魔術の扱いに長け、女性ながらあの特務分室でエースの1人として名を馳せた彼女の力は、ギルバートですら苦戦を強いられたほどだった。

 相性の問題もあるだろうが、彼女は間違いなく強者だった。その彼女の名前が突然出て、かつグレンが今のような反応を示すとなると、

 

 

「……死んでいたのか、既に」

 

「ああ。1年余り前にな」

 

「……そうか」

 

 

 初めて出会った時も、当時のグレンと大して変わらぬ年齢だった筈だ。

 それが1年と少し前に死んだとなれば、それはあまりにも早過ぎる死だ。

 残念だ、とは口にはしない。けれども、その死を悼まずにはいられないのまた、事実だ。

 

 

「今の反応で確信した。グレン、お前が何故、あの娘にあそこまで甘いのか。

 魔術戦の手解きまでして、自分の時間を費やすような真似など、普段のお前ならば絶対にしない筈だ」

 

「……やめろ」

 

「お前があの娘にそこまでするのは、あの娘をセラの代わりとして――」

 

「――ふざけんなッ!!」

 

 

 ガン――ッ!

 手にしたグラスごとテーブルに片手を叩きつけ、怒声が店内に鳴り響く。

 

 

「テメェ、言っていいことと悪いことがあんだろッ!? 俺はただ――」

 

「ただ、なんだ? 何故、言い淀む? 逆玉の輿が目当てなのではなかったのか?」

 

「……諦めろ、小僧。口籠った時点で、お前はこの男に敗北している」

 

「っ……」

 

 

 自分で暴露したも同然だと分かりながらも、湧き出るアルベルトへの怒りを抑え切れないグレン。

 そこをシモンがどうにか抑えることで、グレンも少しは頭を冷やしたらしく、再びグラスを傾けて、中身を少しばかり口に含んだ。

 

 

「……で? 何でまた俺に接触したんだ? それもこんな突然に」

 

「あのような話をした後で、追い打ちをかけるようですまないが……『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が、このフェジテに何者かの手によって持ち込まれている」

 

「な――ッ!?」

 

「――ッ!?」

 

 

 アルベルトの発言に、グレンは驚愕の一声を上げた後、絶句した。

 そしてギルバートも、グレンのように声を上げることこそなかったものの、トップハットの下でその双眸を大きく見開いていた。

 

 

「最近、謎の変死体がフェジテのあちこちで発見されてな。その遺体から『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が検出された」

 

「だが、『天使の塵』(エンジェル・ダスト)に関する研究資料と製法はすべて抹消されたはずだ!

 正確な製法抜きでアレを再現するなんて不可能だぞ!?」

 

「その通りだ。そして唯一、アレを単独で製造することが可能な男……自身の頭の中だけで製法を完全把握していた()も、あの事件の際にお前と……セラが始末したからな」

 

「だったらなんで!」

 

「それが分かれば苦労はしない。それゆえ、俺もしばらくは『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の出所の調査に当たることになった。

 お前も、王女や生徒たちの身辺には気をつけてやれ。たとえその男が今は味方に付いているとしても、もしものことがある。気を抜いて隙を突かれれば全て水の泡だ」

 

「言われなくても分かってる。……分かってるけどよ」

 

 

 それでもやはり、グレンは言わずにはいられなかった。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の一件は、彼女――セラが死ぬ直接の要因となった事件だ。

 あれを機にグレンは魔術に絶望し、特務分室を辞め、世間から一旦身を引いたのだ。

 後にセリカの強引な手段もあって、学院の講師となり、今に至るが、あの魔薬に関しては、どうしても無関係を貫くことはできないのだ。

 

 

「先に言っておくが、お前の要望は断らせて貰うぞ。

 今回は、お前が今まで関わった王女やリィエル絡みの事件とは状況が異なる。

 お前は関わるべきではないし、関わる資格もない」

 

「けどよ……!」

 

「お互い道こそ違えはしたが、望む物は同じ……一応は信頼のおける仲間と認識して、万が一を考慮し、情報を共有した。

 決してお前の助力を必要としたわけではない」

 

「……」

 

 

 これ以上は何も答えるつもりはないと、残った液体を呷り、アルベルトはすっと席を立った。

 そしてその場から去ろうと礼服を揺らし、ドアの前まで行くとそこで1度立ち止まり、今度はギルバートの方を向いて、一言言い残した。

 

 

「お前も……妙な動きはしない方がいい。特に今は、余計な混乱を招くだけだ」

 

「……分かっている」

 

 

 残されたアルベルトの最後の一言は、まるでギルバートが内に抱えた闇黒を指摘するかのようなものだった。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の一件に関して、ギルバートは特に関わりはない。

 しかし、用いられたソレが魔薬とは薬物の一種であること、そしてそれを用いた犯罪が、確かなる悪意のもとに行われたものだと理解しているからこそ、ギルバートはそれを黙し、見て見ぬフリをすることができなった。

 

 

「……まるでヤーナムみたいな事件だな。狂ってやがる」

 

「ああ。……それで、お前は何用で俺に接触を?」

 

「ああ、そうそう。渡すものと伝えるもの、それが1つずつあるんだよ」

 

 

 待っててくれ、と言うとシモンは虚空ではなく、背負った荷物袋を下ろして中に手を突っ込むと、そこから1つの小さな鐘を取り出し、ギルバートに渡した。

 見た目は『狩人呼びの鐘』と同一ではあるが、わざわざ渡しにくるということは、性能も同一というわけではないのだろう。

 

 

「『狩人招きの鐘』。『狩人呼びの鐘』と違って、ただ音によって知らせるだけで、召喚はできない」

 

「利点は?」

 

「対となる鐘が必要ない、ってことだな。

 一方的に知らせるだけだから必ずってわけじゃないが、この音色を知る狩人なら、鳴らして少しすればあんたの元に駆けつけるだろう。

 ……その時に、その音色を知る狩人たちが他の用事で手一杯じゃなければの話だが」

 

「成程……ありがたく受け取っておこう。それで、もう1つの件とは?」

 

「ああ。それなんだが、さっきの兄さんが言ってた変死体事件。その隅で妙な話を聞いたんだよ」

 

 

 曰く、例の変死体が見つかった区域付近で、最近失踪者が続出しているとのこと。

 『天使の塵』(エンジェル・ダスト)が過去に刻んだ被害の大きさゆえ、そちらの方はあまり話題に上がっていないようだが、狩人たちは密かにその原因を探っていたそうだ。

 

 

「こいつは最も新しい目撃情報なんだが、2日前、このフェジテの路地裏にあるごみ溜めに、失踪者らしい女の死体が見つかったんだ」

 

「状態は?」

 

「酷いもんさ。顔も、胸も、腕も、足も……体中のあらゆる箇所の肉が欠けていた」

 

 

 まるで()()()()後みたいだったよ、と。

 シモンの発言に、ギルバートは嫌なものを背筋に感じた。

 食われた後――単なる獣の類であれば良いのだが。

 

 そう心の中で密かに呟き、残った炭酸水を飲み干して、グレンと共に店を後にした。

 

 

 

 

 

 

 ――ぐじゅ、じゅぐッ。

 

 繁華街の路地裏、その奥の、さらに奥にある暗がり。

 裏町の住人ですらそう近づきはしないその場にて、その音は鳴っていた。

 水を含む、何か硬く、けれども柔らかいモノ。

 それを食み、口内で噛み続けているような、気味の悪い音色。

 

 

「がッ――はふッ……ンぐッ」

 

 

 ――()()()

 

 咀嚼音を奏でた後、喉を鳴らして食んでいたモノを呑みこむと、ソレは顔を上げて空を見上げた。

 空は既に黒く、星々が輝く夜空へと変わっていた。

 あの忌まわしくも愛おしい、古びた魔都のものとは異なる、純粋な星光に満ちた空に。

 

 

「はぁ……なんて、きれいな空なんだ……」

 

 

 男は、このような空を見たことがない。

 住みついた場所は異常に満ち溢れ、彼自身が生まれ持った性質も、その場所に住まう人々にとって忌み嫌われる類であったため、表で堂々と生を謳歌することもままならず。

 ゆえに常に、男は人目のつかぬ影に身を置き、細々と暮らしていた。

 

 だがどうだ。この世界は。

 その身形故に表に出ることは叶わないが、人々は恵み溢れる生活に浸り、平和の内に気が緩んでいる。

 しかも今は、変死体事件など何だので、人死にが珍しくなくなっている状況だ。

 そんな状況を利用しない手はなく、男は通りがかった人を裏に引きずり込み、密かに殺してその肉を喰らっていた。

 

 だが今日は気分変えに、例の変死体とやらを盗んで喰らってみたのだが、これがどういうわけか力が漲るのだ。

 高揚する気分に身を任せ、男はさらに肉を貪り、腹に収めると、浮かぶ満月の下で口元を歪め、血濡れの喉から声を発した。

 

 

「ああ……神様は、俺を見捨てちゃいなかったんだ。

 死んだはずなのに、こうしてまた蘇らせてくれた。しかも、こんなに良い肉を好きなだけ食える場所に……!」

 

 

 もっともっと喰らいたい。

 もっともっと貪らねば。

 湧き出る高揚感を抑え切れず、男は再び骸の肉に歯を突き立てる。

 肉を食んで骸を貪る男の周りには、犠牲となった者たちの骨や肉片が転がっていた。

 

 それは、男がこれまで積み重ねてきた――この異界での罪の数を示しているようだった。

 

 




『狩人招きの鐘』

 古い狩人たちの手によって造られた、新しい招きの鐘。
 人外ではなく、人の手による造物ゆえか、この鐘は音色は世界を跨ぐことはできず、また対となる鐘もないため、召喚することもできない。

 しかし、この鐘の音色は狩人たちのみ聞き取ることを可とし、どれほどの距離を隔てようとも、その音色は彼らの耳に必ず届く。
 来るか来ないか、それは運に任せるほかない。
 あるいはある程度の信頼を築いていれば、彼らはきっと、いち早く駆けつけてくるだろう。積み上げた信頼とは、このような場面でこそ活用すべきなのだ。


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第20夜 影に潜む狂気

 お久しぶりです。待ってくれている人がいるかどうか怪しいところですが、ようやく最新話投稿です。


「——ではこれより、グレン、レオス両講師を指揮官においての、魔導兵団戦を開始する!」

 

 

 審判兼運営を務める講師の1人、ハーレイの高らかなる宣言が轟く。

 遂にやってきた魔導兵団戦の日。

 今日まで両講師とも生徒たちの訓練に励み、その成果を見せる時が来たのだ。

 

 魔導兵団戦が初めてということもあり、まずはハーレイがルールを説明し始める。

 使う魔術は安全を期して初等魔術のみ。それに当たった生徒は『戦死』と見なし、戦場から除外されていく。

 万が一に怪我をしても、学院勤めの法医師——セシリアが立ち会っているため、その点についても問題ない。

 

 

「すみません、セシリア先生。こんなことにお付き合い頂いて」

 

「いえ、全然大丈夫ですよ。体調の方も優れていますし、念には念をでお薬もちゃんと服用してきましたので」

 

 

 それに、と。にこやかな顔付きのまま、セシリアはギルバートを見つめながら先を続ける。

 

 

「何だか、久しぶりな気がするんです。ギルバート先生とこうして、ちゃんと法医師らしい仕事ができるのが」

 

「それは……その、すみません。最近、妙に用事が増えてしまって」

 

「ふふっ、大丈夫です。怒っていませんので」

 

 

 にこやかに答えるセシリアに、申し訳なさで一杯になるギルバート。

 しかし、残念ながらこの魔導兵団戦。参加するのはグレンと彼の生徒たちだけではないのだ。

 補佐という立場もあって、ギルバートも一兵として参戦しなければならなかった――いや、そうなってしまったのだ。

 

 

「小ぞ――グレン先生が頼み込んで、それをレオス先生も承諾してしまいましたから……すみません。また治療をお任せする形になってしまって」

 

「構いません。さ、行ってきてください。グレン先生も待ってますよ」

 

「はい。……ああ、そうだ。これをお願いします」

 

「へ? ……っ、うわぁ!?」

 

 

 纏っていた白衣を脱ぎ、それをセシリアに渡す。

 普段は白衣を羽織っているため、他の講師陣は目にすることはなかったが、その姿を目にして、僅かながらに講師陣から驚愕の声が上がる。

 大柄な体躯であることは一目見れば分かることだが、その白衣の下に隠された体躯も、その背丈に相応しく鍛え上げられ、とてもではないが一介の町医者とは思えないほどの逞しさがあった。

 

 

「ではハーレイ先生、約定通り、2組の方に加勢させて頂きます」

 

「あ、ああ。……一応、規定では講師による攻性行為は禁じられている。

 が、貴様は魔術師ですらない一般人だ。なので今回、貴様だけは特別に肉体のみを用いた行為ならば、攻性行為を認められている」

 

「へぇ、それはまた……ですが、レオス先生はそのことをご承知なので?」

 

「無論だ。そうでなければ、このようなことを口にしたりなどはしない」

 

 

 普段よりも一層不機嫌さを増した顔のまま、ハーレイが睨み据えてくるが、一々そんなことを気にするほどギルバートも気にし屋ではなかった。

 

 

「そうですか。では、お言葉に甘えてそうさせて貰います。

 セシリア先生、少しの間、白衣をお願いします」

 

「はい。頑張ってくださいね」

 

「それから、生徒を必要以上に痛めつける行為は厳禁だ。もしもこれを破った場合、その時点で――」

 

「あの、ハーレイ先生? もうギルバート先生、行っちゃいましたけど……」

 

 

 その時には、セシリアの言葉通りギルバートの姿はなく、グレンらの方へ合流せんと猛進している彼を確認した後、会場にハーレイの怒号が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 事前の準備が整い、魔導兵団戦が開始されて少しの後。

 遠見の魔術で戦場の様子、さらには双陣営のそれぞれの動きを見ていた講師陣大半の考えは、この時点で既に1つに纏まっていた。

 “流石はレオス先生”――軍用魔術の第一線級研究者たるレオスの采配は見事の一言に尽き、さらには僅か1週間ばかりの時間で、彼が指導した生徒たちは講師陣も目を見張るほどの動きを見せているのだから、彼の手腕を讃えるのは当然だった。

 

 だが、その中でただ1人、別の考えを持つ講師がいた――ハーレイだった。

 彼は知っている。グレン=レーダスという男を。

 あの男がその裏に隠し持つ、正道を捻じ曲げ、上回る邪道の手腕を。

 

 

(レオス殿は軍用魔術の第一級研究者……他の面子が言う通り、兵団戦の指揮戦術に精通しているのは当然のこと。

 能力面でも全体的に見て、個々ではどうしても劣る2組ではレオス殿のクラスには勝てん。

 ……そう、()()()()()()()

 

 

 加えて今回の魔導兵団戦、ハーレイ個人にとっては、もう1人不穏分子がいた。

 ギルバート――少し前まではセシリアの補佐のみを受け持っていた平民。

 魔術師ですらない町医者如きの参加を何故かグレンは望み、レオスもそれを承諾してしまった。

 何の能力もない輩ならば、幾らあのグレン=レーダスでも兵団戦に参加させたりはしない筈だ。

 であれば、導き出される答えは1つ――あの男が、グレンが参加を希望するだけの()()を持っているからに他ならない。

 

 

()()グレン=レーダスのことだ。何か良からぬ策を行うために、あの医者風情を使うに違いない……!

 レオス殿、くれぐれも油断めされるな……!)

 

 

 そして時間はさらに過ぎ、ハーレイの不安の一部は現実のものと化した。

 初の交戦時、グレン陣営、レオス陣営の戦況は()()だった。

 訓練されたレオスの生徒たちは、その教えに忠実な三人一組(スリーマンセル)で組み、戦闘を始めた。

 だが対するグレン陣営は、何と二人一組(ツーマンセル)。一組当たりの構成人数を減らし、総合戦力に劣る陣形のグレン陣営は、しかしレオス陣営と対等に渡り合った。

 

 数の差を覆した理由は単純——熟練度だ。

 数の多さゆえに総合戦力では勝る三人一組だが、それはあくまでその陣形での連携練度が充分に達していれば話だ。

 如何にレオスの手腕が優れているとはいえ、所詮彼ら生徒は戦闘に関してはずぶの素人。本番になるとどうしてももたつきが出てしまう。

 しかし、グレン陣営の二人一組の場合、数こそ劣るものの逆にその数の少なさが連携熟練度の向上を早める要因となっていた。

 行使できる戦術はシンプルでこそあるものの、それゆえに分かり易く、動きに余計な無駄が省け、最終的にはより実戦的な陣形としての完成を早められるのだ。

 

 さらには、丘はリィエルという怪物が陣取り、特務分室で鍛えた戦闘感覚と、その卓越した身体能力でレオス陣営の丘制圧分隊を1人で圧倒。

 精神的に追い詰められ始めたレオスは、いよいよ戦いの舞台を森へと移行し始めた。

 

 

(ま、そう来るだろうなぁ……)

 

 

 そして無論、その考えを読んでいないグレンではなかった。

 ニヤニヤといやらしい笑みを湛え、レオスがいるであろう方角をヌメッとした目付きで見つめるグレンに、その横で彼の様子を見ていたギルバートが呆れたように嘆息した。

 

 

「事が思い通りに運ぶのは喜ばしいことだが、何故だろうな……お前のその下品な笑みを見ると、全くその感情が湧いてこない」

 

「まあそう言うなよ。最強の女王(クイーン)を陣取らせ、実際にその規格外さを思い知った以上、連中はもう丘は取れねえ。

 丘っつう頭を押さえられてる以上、狙撃を気にして中央への進軍もなし。となりゃあ、必然的に戦場は森へと移るってわけだ」

 

「だからアレだけの()()()をしていたわけか。周到な奴め」

 

「逆タマのためならボクちゃん、どんな汚い手も使っちゃいまーす。うぷぷぷぷ……!」

 

「……まあいい。それで、森に来た生徒たちの誘導は、俺たち2人で行えばいいのだな?」

 

「おうよ。まさか、今さらになって怖くなったとか言い出すわけねえよな?」

 

「当然だ」

 

「よしっ。それじゃあ……」

 

「ああ。では……」

 

 

 ――始めよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふっはははははははははは! 括目せい、皆の衆! グレン=レーダス大先生様軍の総大将はここにいるぞぉおおおおおおおおッ!!」

 

 

 森の中を駆け走りながら、いっそ清々しささえ感じる高笑いを伴い、グレンが叫び回る。

 森中に木霊する彼の声を耳にしながら、同様に木々を掻い潜り、疾走するギルバートは心中で深い呆れを抱き、軽く嘆息した。

 作戦とはいえ、指揮官自らが最前線に姿を晒し、のみならず己の存在を隠すどころか、逆に可能限りに目立たたせるその行為は、はっきり言って路地裏で遊ぶ悪ガキも同然のものだった。

 

 賛同したのは自身も同じことなのだが、下手をすれば一気に勝負がついてしまう博打性の高いこの作戦には、一片の気の緩みも、そして油断も許されない。……の筈なのだが。

 

 

「あの小僧……まさか楽しんでやってるんじゃあないだろうな?」

 

「ついでに副将、ギルバート先生もどっかにいるぞぉぉおおおおおおおおッ!!」

 

 

 耳に響くグレンの声に乗せられた内容を聞き取り、思わず反射的に舌打ちを鳴らす。

 囮役としての務め果たすならば、自ら目立ち、意識を集中させることこそが重要だ。

 だが今の声には、明らかに少ないながらも悪意のようなものが感じられた。

 

 

「やっぱり楽しんでいるではないか、あの阿呆……!」

 

「――いたぞぉッ!!」

 

「――!」

 

 

 疾走の途中、遂に自身の姿を捉えたらしいレオス陣営の生徒たちが声を上げ、続々と生徒たちが集まり始める。

 数にして8人――多くはなくとも、決して少ないとは言えない人数だ。

 加えて、一撃でも貰えばその時点で『戦死』扱い。被弾無しで、かつ過度なダメージを与えない程度に抑えて全滅させる他ない。

 

 

「貰っ――!?」

 

 

 指を突き出し、詠唱せんとしたリーダーらしき男子生徒のセリフが突如途切れる。

 それは何故か。答えは至って単純だ。

 

 

「――まずは、1人だ」

 

 

 倒れた男子生徒の後ろに()()()()()()立っていたギルバートが、感情を感じさせない口調でそう呟く。

 一体何が起きたのか、戦闘においては素人でしかない生徒たちには分からなかったが、彼が行った行動は1つだ。

 『背後に回り、手刀で首を薙いで意識を刈り取った』――それだけである。

 言葉にすれば何の複雑性もない行為に思えるだろうが、実際それを生徒たちに認識させずに行うには、相応に高い身体能力が求められた。

 

 だがその点においては問題なかった。

 ギルバートの正体はヤーナムの狩人。人外魔境が跋扈する古き都で、獣と堕ちた成り果て共を相手に戦ってきた彼の力は、常人の域などとうに超えている。

 況して『速さ』こそを戦いに求める狩人の駿足を、戦場経験皆無の学生如きに追えるはずが無かった。

 

 

「ら、《雷せ》――がッ!?」

 

「ライア!? ――ぁッ」

 

 

 続けて2人、3人と。

 手刀で虚空を薙ぐ度に、生徒たちの体が次々と地に伏し倒れていく。

 後遺症が残らぬよう、そしてそう時を置かずに目が覚める程度にまで力を加減しているとはいえ、尋常の域を超えた狩人の繰り出す技はたかが学徒に耐えられるものではなく、瞬く間にその場にいた生徒たちの体は地に伏した。

 

 

「だぁーっははははははははははは!!」

 

 

 そして丁度同じ頃、そう遠くない場所で阿呆講師(グレン)の馬鹿でかい笑声が響いた。

 続けて聞こえてきた何かの仕掛けが起動する音と生徒たちの悲鳴から察するに、どうやら彼の方も上手くやったらしい。

 ……声から察せられる彼の態度は、相変わらずこの状況を楽しんでいるようにしか思えなかったが。

 

 

「な――何だコレッ!?」

 

「ん?」

 

 

 新たに聞こえた声の方へと振り向くと、そこには別の隊らしきレオス陣営の生徒たちの姿があった。

 クラスメイトの予想外の姿に対してもそうだろうが、それ以上に仲間たちの横たわる場にいるのが()()()()()であったことに驚いたのだろう。

 魔術師ですらない、ただの一般人相手に端くれとはいえ魔術を学ぶ自分たちが全滅させられていたのだ。その反応は正しい。

 

 そして――

 

 

「……対多数は苦手なのだが、まあ仕方ない」

 

 

 吐き出す言葉とは裏腹に、拳を鳴らして歩み出すギルバートの姿には、魔術師に対する恐れなど欠片たりとも見当たらない。

 これは殺し合いにあらず。されど狩りではある。

 命の奪い合いという項目を引いただけの、互いを狩り合うという行為に違いはない。

 

 

「さあ君たち――覚悟はいいかね?」

 

 

 口角を吊り上げ、睨み据えてくるギルバートの姿は、さながら獲物を前にした飢狼のようだった。

 

 

 

 

 

 

 結果的に言うと、魔導兵団戦の勝敗は引き分けに終わった。

 元々力量で上回るレオス陣営は、その力でグレン陣営の戦力を着々と削っていたのだが、グレン考案の二人一組による戦法と、システィーナやリィエルなどといった一部のずば抜けた生徒たちの活躍、そして森におけるグレンとギルバートの奇策――という名の半ば反則行為によってレオス陣営も戦力を削られ、結果両陣営の戦力が八割を切ったところで試合は戦いは幕を引かれ、ルールに則り引き分けとなったのだ。

 

 演習舞台の近場にあるアストリア湖に集合した2年2組の生徒たちは、激闘から来る疲労を吐き出すように息を切らしていた。

 

 

「ぜぇ……ぜぇ……つ、疲れたー……!」

 

「でも……生き残ったぞ……!」

 

 

 疲れを露わにする者もいれば、全力を尽くし、最後まで生存したことに喜びを見出す者もいる。

 互いを励まし合い、にぎやかに談笑する彼らの姿には、微笑ましさすら感じられた。

 

 

「生徒たちも誰一人として目立った怪我をせず、無事に終われて良かったですね」

 

「ええ。机に噛り付くだけでなく、僅かばかりですが身体的にもちゃんと鍛えていて助かりました。

 おかげでこちらも、良い具合に打ちこめた」

 

「打ち込めたって……ギルバート先生、一体何をしたんですか?」

 

 

 預かっていた白衣を渡しながら、セシリアが怪訝そうに問う。

 

 

「いえ、特には。ただレオス先生の生徒たちに、少しばかり『本物』を経験させてあげただけです」

 

「本物……? 先生、お医者様ですよね?」

 

「医者とは言っても、色々あるんですよ」

 

 

 はぐらかすように言うと、白衣を再び纏ってギルバートはセシリアに礼を言った後、グレンの方へと向かった。

 当の彼は生徒たちの奮闘を労いつつ、彼らと楽し気に言葉を交わしていた。

 そして彼へと声を掛けようとした、丁度その時だった。

 

 

「——何なんですか、あの体たらくは!」

 

 

 グレンたちから少し離れた場所で、空を裂くような怒声が響き、思わずそれを耳にした者たち全員が首を縮ませた。

 見れば生徒たちを集めて、レオスが彼らを叱りつけていた。

 叩きつけるような怒声に逆らえる者はおらず、彼の生徒たちは何も言えぬまま、黙って彼の言葉を受け止めるしかなかった。

 

 

「……まるで別人のようだな、今の彼は」

 

「ギルバート……ああ。演習前の余裕が嘘みてえだ」

 

 

 絶えず続く激しい叱咤に、流石に別クラスとはいえ哀れに思ったのか2人はレオスの下にまで行き、それ以上の行為を阻むように声を掛けた。

 

 

「そもそも貴方たちが、もっと私の指示にきちんと従い、作戦行動を遂行していれば――」

 

「レオス先生、もうそこまでで良いでしょう」

 

「それにアンタ、ちっと筋が違うんじゃねーか? 兵隊の失態は指揮官の責だろ?」

 

「……っ!」

 

 

 自分の行為を邪魔された挙句、己にこそ責任があると言われてか、レオスは小さく歯軋ると、その怒りの視線をグレンたちへと向けた。

 

 

「うるさい、貴方がた如きが私に意見するなッ!」

 

「そうは言いましても……それに先生、少々具合が悪いのではないですか? 心なしか、顔色が悪く見えますが……」

 

「誰のせいだと思っているんですか!? そもそも貴方がたが、あのような反則を――いえ、もはやそんなことはどうでもいい。それよりも……!」

 

 

 息を荒げ、余裕を欠いた顔のまま睨み続けるレオスは、片方の手袋を外すと、それをグレンの胸へ叩きつけるように投げつけた。

 

 

「再戦です! 今度は、私が貴方に決闘を申し込む!」

 

「……お前、まだ白猫を諦めねえのか?」

 

「当然です! システィーナに魔導考古学を諦めさせ、私の妻とするまでは――」

 

「貴方、まだそのような……」

 

「……いいぜ」

 

「グレン……先生?」

 

 

 叩きつけられ、地面に落ちた手袋を拾い上げ、その決闘に応じようとグレンが顔を上げて……。

 

 

「——いい加減にしてよ!」

 

 

 三者の間に割り込むように、システィーナの甲高い一声が響き渡る。

 

 

「黙ってれば、2人で盛り上がって人を物みたいに……こんな勝負で勝っても、私が求婚を受けると思ってるの!?」

 

「……すみません、システィーナ。その件については、心から――ぁ」

 

「——っと!」

 

 

 ぐらり、と。倒れかけたレオスの体をギルバートが受け止め、支える。

 その瞬間に僅かだが彼の肌に触れ、そこから感じた()()()にギルバートは眉を寄せ、レオスの肌を凝視した。

 

 

()()は――?)

 

「……!」

 

 

 違和感の正体を掴むよりも早く、レオスは乱暴げにギルバートの手を振り解き、再びグレンを睨みつける。

 それに何を感じ取ったのか、グレンは演習時のふざけた態度が嘘のような静けさで、彼の視線に対する返答を吐き出した。

 

 

「——日時は明日の放課後。場所は学院の中庭。一対一の決闘戦で勝負だ、レオス」

 

「……!」

 

 

 その言葉に、システィーナは思わず絶句した。

 先程の自分の言葉を聞いていたのかと言わんばかりに目を見開き、睨むように彼を見据えるが、当のグレンは変わらず冷めた姿のままだ。

 

 

「致死性の魔術は禁止で、それ以外の全手段を解禁――このルールで、決着をつけようぜ」

 

「ほう……いいのですか? 」

 

「馬鹿か。これで勝ちゃあ、一生遊んで暮らせるんだぜ? ここで身体張らねーで、一体どこで――」

 

 

 氷のような冷たさを伴う態度が再び一変。

 言動も先と同じ真剣みの欠いたものへと戻ったが、その言葉が心からのものでないことぐらいは分かる。

 魔導士時代のグレンを知り、かつその本気の敵意を幾度となく叩きつけられたギルバートだからこそ分かる差異だ。

 

 だからこそ――本音を隠すための偽笑へ向けて平手が振るわれたのは、ある意味当然のことだった。

 

 

「……」

 

「——嫌いよ。貴方なんて」

 

「っ――システィーナ君!」

 

 

 目に涙を溜め、帰還用の馬車の1つへ駆けて行ったシスティーナを呼び止めんと声を発するも、彼女は止まらない。

 

 

「システィ!? ちょっと待って!」

 

「システィ、すごく怒ってる……なんで?」

 

 

 その彼女を追いかける形でルミアとリィエルも続き、そんな彼女たちの後ろ姿を見送った後、レオスはグレンへ向けて嘲笑を向けた。

 

 

「ふっ……やれやれ。貴方は彼女を諦めた方がいいんじゃないですか?」

 

「……ほっとけ」

 

 

 赤く腫れた頬を軽く擦りつつ、状況をはらはらとしながら見守っていた生徒たちへグレンは解散の声を告げる。

 その様子にレオスは最後まで忌々しげな表情を湛え、生徒や他の講師陣同様、フェジテへ帰還するための馬車に乗るべく去って行った。

 

 

「……小僧」

 

 

 周りに誰もいなくなったその場所で、ギルバートは本来の呼称でグレンを呼ぶ。

 本音を隠すために偽りを吐き、そして理解されなかったグレンの姿に、彼はかつて自分が感じたものと同じ孤独を見出していた。

 

 

 

 

 

 

「——くそっ、グレン=レーダス……本当に忌々しい男です!」

 

 

 自前の馬車で帰路についたレオスは、車内でそれまでに溜め込んでいた不満を一気にぶちまけた。

 その悪態を聞きながら、御者台に座り、手綱を取る青年は微笑を湛えながら応じた。

 

 

「あいつはそういう男なんだよ、レオス。魔術師としては君や僕の足元にも及ばないが、百戦中九十九回敗ける戦いでも、残る一回の勝利を必ず最初に引き当ててみせる……そういう男なんだ」

 

「随分とグレン先生を買ってらっしゃるのですね?」

 

 

 不満げに呟くレオスとは対称に、御者の青年は一層笑みを深め、喜ばしそうに「当然だよ」と返す。

 その返答が増々彼の苛立ちを高め、レオスの端正な顔が歪んでいく。

 

 

「ですが、たった今貴方が口にしたように、あの程度の三流魔術師など私の敵ではありませんよ」

 

「無理だよ」

 

「は――?」

 

 

 素っ頓狂な声が車内に響く。

 

 

「君如きに負けるようなら、僕の『正義』がグレンに敗れるはずもない」

 

「……」

 

「それにシスティーナを手に入れれば、フィーベル家が手に入る……? 馬鹿だな。上流階級のお家問題を、そんな個人的婚姻1つでどうこうできるはずもないだろう。この短絡的思考に違和感を覚えない時点で……いや、これ以上は余計か」

 

 

 青年の言葉が並べられていく内に、レオスのただでさえ悪い顔色は一層悪化していった。

 その様子を小窓越しに確認してから、青年はその笑みを薄ら笑いへと変え――冷たく言い放つ。

 

 

「最後に、君が栄光を掴めない理由を教えよう」

 

「……それは」

 

「それはね――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()

 

 

 ごふっ――。

 

 車内から聞こえた何かを吐き出す音を最後に、以降レオスが語り掛けてくることはなかった。

 そうして彼の最期を確認すると、青年は衣服の内に仕舞っていた通信魔導器を取り出し、それを耳に当ててから再び口を開いた。

 

 

「彼が死んだ。いよいよ今回の計画も大詰めだ」

 

『——』

 

「ああ。やはりあの医務室補佐、只者ではないようだね。最後まで生き残っていたようだよ」

 

 

 魔導器越しの相手の口調が昂り、喜悦を混じったものへと変わっていく。

 他人については然して興味もない青年であったが、この通信相手がそこまで熱く語り、同時に複雑な感情を抱いてやまない人物に対しては、若干ながら興味が湧いていた。

 

 

「もしも君の言葉通りならば、次の機会で必ず彼は己の正体、それへと繋がる一端を見せてくるだろう。……分かっているさ。そこで最終確認を済ませた上で彼が()()だったのなら、その時は君に任せるとも。

 僕は僕の『正義』を確固たるものとし、君は今度こそ、()()()()()()のために殉じればいい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「——共にこの穢れた帝国(せかい)を、浄化(そうじ)しよう」

 

 

 

 

 

 




 更新しない間にロクアカも刊が増えて、色んな人物が出て来ましたね。
 私としては、日の輪の国が気になるところですが。


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第21夜 一夜の交戦

 学院へと到着した後、その場で生徒たちは解散となった。

 演習の熱が未だ冷めぬ彼らの喧騒を背に、ギルバートはセシリアと共に医務室へと戻り、室内の整理に取り掛かった。

 途中、幾度かセシリアが吐血し、清掃した床をまた拭きなおす羽目にもなったが、もはやいつものことと割り切り、苦笑とため息1つを出しながら、ようやく彼らもその日の業務を終えることに至った。

 

 

「それではセシリア先生、また明日」

 

「はい。ギルバート先生、明日もよろしくお願いしますね」

 

 

 最後に確認するため医務室に残るセシリアに別れを告げ、街にある住居に戻ろうとしたその時、ふとグレンのことを思い出した。

 自分たち同様、校舎に戻ったはずのあの若輩講師の姿が、あれきり見られなかったのだ。

 あのような出来事もあった後だ。後仕事を済ませてすぐに帰路に就いたとも思えない。

 

 

(であれば、あそこか)

 

 

 諸々を詰め込んだ黒鞄を携え、階段を上っていく。

 靴音を鳴り響かせながら、夜の色が濃くなっていく校舎内を上がっていくとやがて目的の場所――屋上への入り口が見えてきた。

 扉の隙間を通して注ぐ月光を浴び、いざ屋上へと扉の前へと歩を早めた、丁度その時だった。

 

 扉をくぐり、決して浅くはない傷を負ったグレンがやって来たのは。

 

 

「——小僧……!」

 

 

 まだ自分が学院内にいることも忘れ、思わず素の状態時の呼称でグレンを呼びながら、彼の体を支えるように手を伸ばした。

 致命傷ではなくとも、決して浅いとは言えない傷。

 鋭利な刃物でやられたらしい裂傷もそうだが、その他にも打撲や火傷があったのを察するに、加害者は炎熱系統の魔術師――それも近接戦においてもグレンに劣らぬ技量を有した人物となる。

 

 

「何があった?」

 

「……」

 

 

 傷を負った腕を押さえ、湧きあがる感情を噛み殺しているかのように口を強く結んでいるグレンは何も答えない。

 だが、それでも伝えるべきことは伝えんと強く縛られた口を僅かに開くと、その隙間から極小の言葉を口にした。

 

 ——“この先へは行くな”、と。

 

 それからグレンは、それ以上何を言うわけでもなく、腕を押さえながらも苦悶の声を上げることもなく、階段を下へと降りていった。

 仲間——と言うには少々歪な関係であるが、かつての宿敵からの忠告は決して意味を持たぬわけではないだろう。

 この先に『何か』がいる。若くしてこの世の負、その一端を垣間見てきた青年が、重い言葉で以て危険を知らせるほどの『何か』が。

 行くべきではないのだろう。危機より逃れるためならば——だが。

 

 

(危険を冒さねば、知ることもできない……)

 

 

 心の奥底でグレンに小さく謝罪し、そして自らの身を放り投げるように彼は残る階段を駆け上がり、扉をくぐってその先――屋上へと出た。 

 

 

「——ギルバート、先生……?」

 

 

 夜空の下、石床の屋上の上に立っていた人影は2つ。

 1つは生徒のもの――グレンとギルバートが受け持つ2年2組の生徒、システィーナ=フィーベル。

 そしてもう1つは――

 

 

「——全く、今度は貴方ですか。ギルバート先生」

 

「……レオス先生」

 

 

 吐き出す言葉とは裏腹に、レオスの表情には彼に対する不快感は微塵も無く、寧ろ彼の到着を待っていたかのような喜悦が見て取れた。

 しかしその喜悦にこそ、ギルバートは悪寒を感じて止まなかった。

 

 

(この感覚は……)

 

 

 電撃のように駆けあがり、そして泥土のように背に張りつく得体の知れないナニか。

 否――得体の知れない、などあり得ない。少なくとも最後の狩人(じぶんじしん)にとっては。

 

 

「……ここで何をしているのですか」

 

「何を、と……見て分かりませんか。婚約者同士、仲を深め合っていたところですよ」

 

「ほう……今どきの婚約者は、片方を泣かせてこそ仲が深まるのですか」

 

 

 そうですか、と。目元に涙を溜めたシスティーナを見つつ、そんな皮肉を口にするが対するレオスは変わらぬ薄ら笑いでじっとギルバートを見据えているのみだ。

 

 

「先程そこでグレン先生に会いました。体の所々に裂傷、火傷、そして幾つかの打撲を負った状態で」

 

「それはお気の毒に――」

 

「——惚けないで頂きたい」

 

 

 吐き出す言葉の1つ1つに熱が籠る。この閉ざされた状況の中で、グレンに対してあのようなことができる可能性がある人物は、少なくとも彼以外にはあり得なかったからだ。

 気配遮断、または透明化能力者が近くにいるのなら話はまた違ってくるが、歴戦の中で培った狩人の感覚が、この場に自分たち3人以外いないことを密やかに告げていた。

 

 故にその可能性はない。グレンに傷を負わせたのは、間違いなくあの男(レオス)だ。

 

 

「システィーナ君が魔術に関して優秀であることは知っているが、それでもまだ一生徒。今日の兵団戦で実戦経験を積んだとしても、生身の人間相手にあそこまで躊躇のない傷を負わすことはできない」

 

「ギルバート、先生……」

 

「さらに、彼の体にあった痣……あの色深さは、女子供の筋力程度でできるものではない」

 

「それで私がやったと? 確かに私は軍用魔術の専門家(エキスパート)ではありますが、軍人ではありません。研究者でしかない私が、どうやってグレン先生にそれ程の傷を負わせられると言う――」

 

 

 最後まで言い切るその直前、レオスとシスティーナへ一陣の風が吹いた。

 いや、正しくは吹いたのではなく()()()()()と言うべきか。

 風が彼らの頬を撫でると共に、夜空に白い布が舞っていた。

 それはギルバートが常に身に纏っている白衣であり、彼の姿は既に扉の前にはなく、拳を突き出す形でレオスの前に存在していた。

 

 そして繰り出された拳を、レオスは体ごと首を左に動くことで回避していた。

 だが、直撃こそ免れたとはいえ、その白い頬には一線の傷が出来ていて、そこから溢れた血が彼の肌を伝い、流れ落ちていく。

 

 

「……成程。どうやら貴方も、皮を被っていたというわけですか」

 

「何故グレン先生を襲った? 昼間の演習結果に対する不満解消にしては、やり過ぎどころの話ではないぞ」

 

「いいえ、そんな理由ではありません。私はただ、彼がシスティーナに相応しい人間ではないこと、彼女の立つ側に在るべき存在ではないことを教えてあげただけです」

 

「……」

 

 

 意識をレオスからずらすことなく、片方の目のみをシスティーナに向け、彼女が気づくように視線を強めて見据える。

 その視線に気づいたシスティーナは、一瞬怯えたように体を震わせたが、それから間もなく小さく首肯し、レオスが口にした言葉が真実であることを伝えた。

 

 完全ではないながらも、大方の真相は理解できた。

 おそらくレオスの口にした挑発じみた言葉に怒り、グレンが先に仕掛け、それをレオスが防衛という形で叩きのめしたのだろう。

 そして今の発言——おそらくレオスは、グレンの過去を知っている。

 『在るべき存在ではない』、『相応しい人間ではない』……彼の前職を知っていなければ、こうも的確に彼の暗黒時代を突く発言はできないはずだ。

 

 

「そしてソレは、貴方にも言えることでしょう――ねぇ?」

 

 

 刹那――ギルバートの拳が空を薙ぐ。

 丸太や鉄柱を振り回したかのように周囲の空気を巻き込みながら、レオスの横顔に拳を叩き込み、吹き飛ばして見せた。

 死んではいない。致命傷にもならないよう加減はした。だが、意識を刈り取るだけの威力は込めていた。

 

 だというのに、レオスは石床に転がり、激しく咳き込みこそすれどすぐさま立ち上がった。

 その顔に、折角の端正さを台無しにせんばかりの酷薄な笑みを湛えて。

 

 

「やれやれ……グレン先生といい、貴方といい。2組の講師は乱暴者揃いなのですか?」

 

「……」

 

 

 ギルバートにレオスに対する言葉はない。

 ただ無言で、沈黙したままレオスの意識を刈り取ることに集中する。

 やはり錯覚などではなかった。先程感じた()()()()は、間違いなくレオスに対して起きたものだったのだ。

 まるで別人のように変わり果てた今の性格が気にならないわけではないが、今考えるべきことではない。

 

 全ては彼を捕えてから――そう再び意思を固め、今度こそ意識を奪わんと石床を蹴り上げ、拳打を見舞わんと右腕を引き絞り、そして。

 

 

「——!」

 

 

 そして彼は――突然後方へと()()退()()()

 身体能力的に見て、近接戦ではギルバートの方が圧倒的に有利なのは確かだ。

 その優位性を自覚した上で、何故突然退いたのか……その理由は彼の視線の先にあった。

 

 立ち上がったレオスの眼前。そこにはいつの間にか、赤い結晶体のような()()が浮遊していた。

 

 

「先生……それです! その結晶——『人工精霊』(タルパ)がグレン先生を……!」

 

「タルパ……?」

 

 

 魔術に関しては、対外道魔術師戦のことも考えてある程度の知識はあったが、初めて聞くその単語にギルバートは思わず繰り返した。

 だが繰り返したところで相手が答えてくれるはずもない。

 先の拳打の一撃を切っ掛けに、レオスも本格的にギルバートを敵と認識したのか、今は交戦意識を明確に表わしている。

 最初の人工精霊から続き、2体目、3体目と数を増やし、攻め手と守り手を揃え、攻防双方を整えているのが何よりの証拠だ。

 

 

「先生、逃げてください! グレン先生でも無理だったのに、一般人のギルバート先生では――!」

 

 

 先程の動き、その俊敏性からもしかしたらと思ったシスティーナも、今はギルバートに逃げろと言う他なかった。

 ()()()()をまだ知らないシスティーナにとって、ギルバートはグレンと違い、ただの一般人だ。

 昼の活躍と、たった今見せた身体能力こそ目を見張るものがあったが、相手が魔術を使ってくるとなればそれも意味はない。

 ましてそれが『人工精霊』(タルパ)——錬金術の秘奥と称される御業となれば、万が一にもギルバートに勝ち目はない。

 

 そしてそれは、他ならぬギルバート自身もそう認識していた。

 

 

(……まずい)

 

 

 攻撃を回避しつつ、相手の命をじわじわと削り取る戦法を常とする狩人の性質上、回避には自信がある。

 だが、レオスの正体が未だ掴めぬ上に、この場にはその他にもシスティーナがいる以上、仕掛け武器を使うこともできない。

 正体を知る者が徐々に増えてきたとはいえ、そう簡単に己の正体を明かしていいというわけではないのだ。

 それは、ギルバートの今後の行動に対する支障の発生にも繋がるだけでなく、自分の正体を知った者たちに、少なからず被害が及ぶ可能性まで生まれることを意味するからだ。

 

 

(銃ならば……いや、仮にも一般人が銃火器を所有していると知られれば、後でそのことを何に利用されるか分からん)

 

 

 情報もまた政治的・社会的武器である以上、銃の所有を知られるわけにもいかない。

 既に貴族を相手にし、挙句暴力を振るっている以上、この時点で充分に一線を越えているのだが……

 

 

「——どうしました? 動きが止まっていますよ」

 

「……!」

 

 

 使える手段・戦術に思考を巡らせている隙をレオスは見逃さなかった。

 繰り出した2体の人工精霊がギルバート目がけて突進してくる。

 それを紙一重で回避するギルバートだったが、微かに掠めた箇所より生じた灼熱に顔を歪ませ、苦悶の声を口内より漏らす。

 

 

「ゥ、ぐぅ……ッ!?」

 

「賢明ですね。それは火の精霊『サラマンダー』を具現召喚した『爆焔霊・偽』(サラマンダー・フェイク)。直撃すれば火傷どころでは済みませんよ」

 

 

 レオスからの遅い忠告に舌打ちしつつも、これで先のグレンの身体にあった火傷の原因が判明した。

 おそらく切り傷も、その人工精霊とやらの結晶部分によってできたものなのだろう。

 接触は不可能。仕掛け武器、銃火器類の使用も不可。使えるのは己の身体と周囲の置物、壁くらいだ。

 そして、幾千幾万の夜と共に培った戦闘思考が、自動的に勝敗を予測する。

 

 ——勝てない。現状況において、ギルバートがレオスに勝つ可能性は欠片たりとも存在し得なかった。

 対多数戦が不得手というのも理由の1つだが、何より触れることさえままならない人工精霊の性質が、彼の勝率を底辺にまで叩き落としていた。

 勝算がほぼ皆無という状況の中、徐々に追い込まれていくギルバートと、苛烈に攻め続けるレオス、それを止めんと叫ぶシスティーナ。

 先のグレンとは違い、今のレオスは本気だ。本気でギルバートを追いつめ、攻め掛かっている。

 何故に魔術師ですらない彼をここまで追い込んでいるのかは謎だが、かつての良き幼なじみの凶行を、これ以上見てはいられなかった。

 

 

「やめて! お願いやめて、レオス!」

 

「ははは――さぁ、どうしますギルバート先生! そろそろ化けの皮を脱ぎ捨てては如何ですか!? さもなくば……ここで本当に死んでしまいますよ!」

 

「……っ、!」

 

 

 忌々しく睨みつけるも、状況は変わらない。

 灼熱の砲弾を絶えず四方八方から繰り出されているようなこの状況を覆すには、攻めの手段があまりにも欠けている。

 左へ、右へ、前へ、後ろへ……時に上へと回避・跳躍し、人工精霊の直撃を避けている。

 だが何事にも限界があるように、あるいはそうレオスが計算し、その状況を作り上げたのか。

 道を遮られ、もはや回避もままならないほどに追い詰められ、閉ざされた場。

 

 戦闘の最中に増やしたらしい人工精霊によって前と左右は塞がれ、跳んでもすぐに精霊が追いつき、灼熱を喰らわせてくる。

 唯一の逃げ場は後方だが、そこには既に石床はない――完全に詰んでいる。

 

 

(……いや、まだ――)

 

「さて、どうしますギルバート先生? かつてのグレン先生は、様々な苦境の中でなお生存し、乗り越えてきたそうです。

 であれば、彼が信頼する貴方は……只人でしかない貴方は、一体どんな凄業を見せてくれるのですか?」

 

 

 精霊の内、一体を繰り出し、レオスはそれを突撃させた。

 これまでの危機を総て紙一重で回避してきたギルバートだが、この状況ではもはや紙一重も何もない。完全に当たる。

 それでもなお抗うというのなら、一体彼はどんな方法でこの逆境を乗り越えようとするのか。

 

 酷薄な笑みの下で、そんな期待を抱いていたレオスとは対称に、ギルバートは白衣の内側に()()()()()、迫る精霊の鋭利な結晶体が自分とぶつかりそうになった――その瞬間。

 

 

 

 

 

 

 精霊の突進に合わせる形で、ギルバートは後ろから屋上より飛び降りた。

 

 

「な——」

 

「——ッ!」

 

 

 精霊の動きに合わせた上での飛び降りは、システィーナから見れば彼が精霊の一撃を受け、耐え切れずに落ちてしまったように見えただろう。

 レオスも、彼が自ら飛び降りたのか、それとも本当に直撃を受けて無様に落ちたのかどうか、はっきりとは分からなかった。

 故に彼は人工精霊を退かせ、すぐさま彼がいた場所に立ってその真下を見下ろしたが、そこに彼の姿はなく、あるのはぶちまけられた夥しい量の()()のみ。

 

 

(死んだ……? いや、それならば死体がないのはおかしい。だがあれだけの出血量……まともに動けるとは思えない)

 

 

 姿を消したギルバートの生死を判断するには情報(材料)が足りず。結局この場でレオスにできることは、何1つとしてなかった。

 あとに残された、死んだかもしれない恩師に対するシスティーナの泣き叫ぶ声と。

 

 赤く――そして夜の黒みを帯びた大量の血液のみだった。

 

 

 

 

 

 

 現実と幻想との間に揺蕩う異界。

 『狩人の夢』と呼ばれる未知の空間に、ギルバートの姿はあった。

 ヤーナムの狩人の正装とも言うべき黒装束に身を包み、けれども枯れ羽帽子と籠手は外した状態で、彼は独り机上で武器を弄っていた。

 否、弄っているのではなく改造していると言うべきか。

 常日頃から愛用している『ノコギリ鉈』と同系統の仕掛け武器『ノコギリ槍』に穿たれた孔に、工房内にある道具の1つを使って奇妙な石を捻じり込んでいる。

 

 あの晩、ギルバートは死ななかった。

 飛び降りこそしたものの、彼らの視界から失せたその瞬間に持ち前の空間歪曲技術を用い、白衣の下に潜らせていた右手である物を取り出し、地面に投げつけたのだ。

 そう――『血液』だ。とはいえヤーナム産の呪われた血液などではなく、医療用の至極健全な血液だ。

 表向きの顔を維持するため、必要であるがゆえにやっていた医者仕事ではあったが、今回はその副業に感謝したかった。

 おかげで無駄にヤーナムの血液を浪費することなく、『狩人の確かな徴』で夢に帰ることで、雑とはいえ自らの生死を曖昧にしつつ、無事にあの場を脱することに成功した。

 

 今頃外では、レオスがあの血だまりを処理し、自分(ギルバート)の死を隠蔽するための工作を行っているに違いない。

 あの場にシスティーナがいた以上、目撃者が1人いることは確実で、真実はどうあれ、自らの不利益になりかねない以上、レオスは隠蔽せざるを得ない筈だ。

 ギルバートの突然の失踪、その偽装。

 相手が自分の不在の理由をでっち上げてくれる以上、自分が動く必要はない。

 そしてその分の時間も含めて、自分はあの男(レオス)への対策と、武具の準備を整えることができる。

 

 

(だが結局、レオスがシスティーナ君に何をしていたのかは分からず終いだ……)

 

 

 しかし、あの時の彼女の様子、そしてグレンの受けた傷などを考えれば、件の婚約絡みであることは容易に想像がつく。

 残る謎は、あの男が昼間と夜とで性格にかなりの変化があったこと。そしてあの男の内側に、悪寒を感じてやまない『何か』があったことだ。

 その解答がなんであれ、やるべきことは既に定まっている。だからこそ、今こうして準備に勤しんでいるのだ。

 

 

「——狩人様」

 

「ん……何だ?」

 

「外の世界で、お客様がお目見えです」

 

「客……?」

 

 

 人形からの突然の知らせに、思わず訊き返すギルバート。

 一応診療所の扉には、『しばらく休診します』と御報せ板をかけておいた筈だ。

 それを知った上でやってきたということは、つまり診察が目的ではないということになる。

 

 一応、警戒は怠らず身形を白衣に戻しつつも、左手には『獣狩りの短銃』を握り、夢から診療所内へと戻ると扉の前に張りつき、覗き穴から『客人』の顔を窺う。

 

 

「……小僧?」

 

 

 覗き穴から見えた客人の正体を知ると、ギルバートは取っ手に手を掛け、ゆっくりと扉を開けていく。

 実は偽者では、という可能性も考えていたがどうやら本当にグレン本人であるらしく、これといった攻撃は仕掛けて来なかった。

 ……ただし、その視線には怒気が含まれていたが。

 

 

「……まずは中に入れ。話はそれからだ」

 

「……おう」

 

 

 ぶっきらぼうに答えた後、ギルバートに誘われる形でグレンは診療所内に足を踏み入れた。

 そして用意された簡素な椅子に腰掛けると、向かい合う形で座ったギルバートへ再び声を掛けた。

 

 

「色々言ってやりてえところじゃあるが……まずは、生きてたようで安心した」

 

「……それについてはすまなかった。短いながらもお前の忠告を無視した結果がアレだった。

 それで……外で俺はどういう風に扱われている?」

 

「一応、遠方の患者を診察するために長期出張したって伝えられてる」

 

「……レオスか」

 

「ああ」

 

 

 一体どうやって情報操作をしたのかはさておき、やはりあの晩のやり取りと結末はレオスにとってもまずいものであったらしく、予想通りに偽装工作を行い、隠蔽したらしい。

 

 

「今思えば、俺ももうちっと強く忠告してりゃあとも思ったが……」

 

「構わん。それにどちらであれ、俺はレオスの下へ向かっただろう」

 

「てめぇ……」

 

「秘密は暴かねば気が済まぬ……そんな性分らしいのでな、俺は」

 

 

 さて、と。そこで話を変えるようにそんな呟きを1つ入れ、今度はギルバートがグレンに問い掛けた。

 

 

「それで小僧、お前はこれからどうするつもりだ? あのレオスという男……このまま放っておくには危険に過ぎるぞ?」

 

「ああ、分かってる。どうやって調べたのか、奴は俺の過去も……そしてルミアとリィエルの素性についても知っているらしい」

 

「何だと……?」

 

 

 ルミアの正体は国家機密、そしてリィエルの出生については政府すら把握していない極秘情報だというのに、それを知り得ているとなれば、もはや単なる名門貴族の御曹司ではない。

 おそらくは『天の智慧研究会』に属する魔術師か、あるいは相当情報に長けた研究会に通じる人間かのどちらかだ。

 

 

「あの日の夜遅く、うちにルミアが訪ねて来てこう言ったんだ。

 白猫は、レオスとの結婚を受け入れた、ってな。無論、さっき言ったルミアたちの素性を脅迫材料とされた上での結婚だろうがな」

 

「……奴は、俺が単なる一般人ではないことを知っている節があった」

 

「なに……?」

 

「俺が先に奴に仕掛け、動きを見た上での発言だったが、どうもそれだけで判断したとは思えん。

 もしかしたら、ミコラーシュに通じている可能性もあり得る」

 

「あの変態檻野郎と……? クソッ、マジかよ……!」

 

「ああ。……だからこそ問いたい。小僧、お前はあの男を打ち倒すつもりなのだろう?

 もしそうだというのなら、その手段と計画を知りたい。お前も、そのことを兼ねて俺の下を訪ねて来たのだろう?」

 

「見通し済みかよ。……良いぜ。その耳かっぽじってよーく聞けよ」

 

 

 もはやこれは、貴族同士の婚姻だけで済まされる話ではない。

 ルミアとリィエルの素性をどうやって知ったのか、何を目的にシスティーナを求めるのか。

 探るべきこと、暴くべきことは山ほどあるが、確定していることは1つ。

 

 レオスを倒す――その決着の日は、既に定まっていた。

 

 

 

 

 

 4日後に訪れる週末——2人の婚姻の日に、レオスとの決着をつける。

 

 

 

 

 



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間話 真夜中にて

 投稿した21話と、投稿予定の22話の間におきた話です。
 


 夜闇に覆われたフェジテの街。

 人気が失せたその時刻に、とある裏通りにて2つの人影が存在していた。

 その1人――車椅子に腰掛けた、些少な気配の老人が目の前に転がる()()を観察するように凝視していると、やがて何かを悟ったのか、不意にその口を開き呟いた。

 

 

「……これは、単なる野良犬の仕業ではないな」

 

「ええ」

 

 

 老人の呟きに、車椅子を押していたもう1人の人物――長身を男装で固めた女性は、肯定の言葉と共に首肯した。

 

 

「この“土気色の肌”そのものは、被害者の患っていた病によるものだろうが、この食い千切られた箇所は野良犬の類によるものではないだろう」

 

「加えて、この腕の欠損……断面から察するに、無理矢理千切り取ったというわけでもない。

 確かな知性を持った生物でなければ、このようなことはできるはずがない」

 

「そうだ、マリア。……だが、だとすると……」

 

 

 自身も未だ知らぬ未知に対し、僅かながら興味が湧いたが、それ以上に老人はこの被害者の腕を奪い去った者――仮称『人喰い』に対する危機感を抱いて止まなかった。

 シモンを通じて得た連続食人事件、その犯人の正体を探るべく表に出てきたが、調査の結果は老人にとっての『最悪』となる可能性が高かった。

 

 

「人の常識など容易に覆す……それが『ヤーナムの獣』です」

 

「そうだな。だが問題は、仮にこの食人事件が『ヤーナムの獣』の仕業だとして、何故に今ヤーナムの獣が現れたかについてだが……マリア、心当たりはあるかね?」

 

「……確証はありませんが、おそらくミコラーシュが関係しているかと」

 

「そうか……」

 

 

 ミコラーシュ――老人の母校たる、とある大学を大元に創設された1つの学派、その創設者。

 サイネリア島の一件、その報告の中に含まれていた彼の情報は、正直に言って老人たちヤーナムの狩人にとっては、好ましくないものだった。

 上位者の力を借りたとはいえ、あの学派はヤーナムに最大の危機を齎した元凶なのだ。

 そしてその長たる狂人が、よりにもよってあの最後の狩人(ギルバート)と同じ『なりそこない』と化してこの異界に来ていたとなれば、いつまでも静観している場合ではない。

 

 

『天使の塵』(エンジェル・ダスト)……だったか。ただでさえこのフェジテという街は今、渾沌が渦巻いている。

 これ以上の厄介事が増えれば、この街を拠点としている“彼”の行動にも少なからず影響が出るだろう」

 

「では、今後の方針は如何しますか?」

 

「決まっている――『ヤーナムの獣』を討つ。デュラがまた何か言ってくるかもしれないが、これ以上の被害拡大に目を背けるわけにもいかない。ヤーナムの災禍は、同じヤーナムの者の手によって鎮める……」

 

 

 吐き出す言葉とは裏腹に、老人の声に怒りはなかった。

 ヤーナムに由来する災禍。その全ての元凶は老人たちの母校たる1つの大学であり、そこに属し、共に未知への狂熱に浮かされていた以上、老人も同罪だった。

 だから加害者に怒りはない。いや、この跡からして自らの意思で行っている以上、それとはまた別の怒りを向ける時が来るかもしれないが、今は置いておこう。

 

 

「それからゲールマン、1つ伝えておくべきことがあります」

 

「ん……何だね?」

 

「シモンが帝国政府の人物より得た情報——先ほど貴方が口にした『天使の塵』(エンジェル・ダスト)なる魔薬の服用者、その変死体にも、同じような捕食の形跡があったそうです」

 

「何と……」

 

 

 最悪の魔薬と称される『天使の塵』。その投与後の効果については、今回の騒ぎの大本ということもあってゲールマンらも独自に調べ上げ、知り得ている。

 だからこそ驚愕した。かの魔薬を投与された変死体を、食人者がもし捕食していたとなれば、どのような変化が起きるかまるで想像がつかない。

 

 死体となってもなお、その効果は残っているのか。あるいは被投与者が死亡した時点で、その効果は失われるものなのか。

 後者であればありがたいが、もしも前者であるのなら、件の食人者はゲールマンらの予想を上回る災禍へと成長する可能性が出てくる。

 そうなれば、もはや民間に被害を出さず、そして自分たちの存在を秘匿しつつ討伐することは不可能となる。

 

 

「……嫌なことばかりが続くものだな」

 

「ええ……本当に」

 

「——暗い雰囲気のところ申し訳ないけど、ちょっといいかい?」

 

 

 不意に聞こえた新たな一声。

 夜闇に覆われた裏通りの先に視線を向けると、そこには見慣れた鴉羽の装束を纏う人物の姿があった――アイリーンである。

 

 

「アイリーンか……それで、何かあったのか?」

 

「ああ、あったとも。良い報せと悪い報せ、それが1つずつだけどね」

 

 

 特徴的な嘴の仮面(ペストマスク)の奥で、ため息と共に吐き出されたその声は、心なしか暗さが勝っているように聞こえた。

 それでも情報は共有せねばと思い、やってきた彼女にその報告を促すと、彼女も諦めたように肩を竦め、再びペストマスクの奥から声を発した。

 

 

「まず良い報せだね。随分前から姿を消していた処刑隊……アルフレートの奴が見つかった」

 

「ようやく見つかったか」

 

「しかし、今までどこにいたのか……」

 

 

 姿をくらませていた同士がようやく見つかったという報告は、悪報続きの彼らにとっては、久しぶりに喜べる内容だった。

 だが、アイリーンの纏う暗さが晴れることはなく、寧ろ一層その濃さを増しながら、彼女は続く『悪い報せ』について語り始めた。

 

 

「そして悪い報せだが――」

 

 

 

 



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第22夜 明かされる黒貌

 ようやく書きたかった話の1つに到達することができました。
 それでは前置きはこれぐらいで、どうぞ本編をお楽しみください。


 ——遂に、その日は訪れた。

 

 グレンとの作戦会議を経て数日。システィーナとレオスの結婚式日がようやく訪れた。

 仕掛け武器や銃火器を始め、輸血液や水銀弾、ナイフや毒メス、果ては小型トニトルスなどと、ありとあらゆる狩り道具の点検と改良、補充を済ませ、狩人装束も可能な限り調整を施してきた。

 万が一にも敗北はない、とは言い切れないが、その万が一すらも許されぬのが今回の作戦だ。

 未だ正体の掴めぬレオスであるが、あの男から滲み出ていたモノは、間違いなく常人が発せられる代物ではない。

 

 狂気と混沌が渦巻くヤーナムの夜を駆け抜けたからこそ分かる――アレは『狂気』だ。

 何かに酔い、惑わされ、あるいは自ら深淵に身を投じた者は、もはや怪物と何ら変わりない。

 そして怪物とは、只人風情の力でどうこうできるような柔いものではなく、だからこそ万全の備えをした上で、怪物狩りを業と定めた者が対処しなくてはならない――つまりは、『血塗れの殺人鬼』(ヤーナムの狩人)の出番というわけだ。

 

 

「——精が出るねぇ、お前さん」

 

「……何用だ」

 

 

 診療所内の片隅で、壁に背を預ける形で立つ人影が1つ――シモンだ。

 

 

「診療所の扉には鍵をかけておいた筈だが……」

 

「おいおい、鍵1つで遮れると思うか? まあ、少しばかり鍵穴を弄って失礼させて頂いたってのが真相なんだが……」

 

「……それで、何か用か? 生憎と、今日は俺も用事が――」

 

「学院の生徒の結婚式をぶち壊す……そんなところか?」

 

「……」

 

 

 完全に自分とグレンの行動が把握されていることに一瞬驚きを瞳に宿すも、すぐにそれは失せて、彼の顔から再び表情が消える。

 考えて見れば、シモンは元々市井に身を潜め、獣の兆候を監視する『やつし』だったのだ。

 環境に溶け込み、気配を消し、他者からの気を逸らすことに関しては超一級の腕を持つ彼ならば、どこかで自分たちの会話を聞き取っていてもおかしくはない。

 

 

「お前さんのおかげっていうべきかね、あの学院での出来事は、ある程度だったら把握してるんだ。

 無論、あんたが屋上であのレオスっていう若先生と戦って負けたこともな」

 

 

 助太刀できなくて悪かった、と。心底申し訳なさそうに謝罪するシモンだが、逆にそれで良かったとギルバートは返した。

 もしもレオスに、他のヤーナムの狩人たちの存在がバレでもしたら、それこそガスコインらに申し訳が立たない。

 幸いというか偽死を装い、レオスも自らギルバートの偽死を隠蔽したおかげで、今日まで周囲に怪しまれることなく準備の専念できたのだから、あの選択は間違いではなかったと思う。

 

 ——だが。

 

 

「あんたにとってはそれで良かったのかもしれないが、あのお嬢ちゃんはそうじゃないみたいだぞ」

 

「……?」

 

「そもそも何で、あの若先生があんたの偽死を隠蔽する羽目になったのか。それをちゃんと覚えているのか?」

 

「それは……」

 

 

 そこでようやく、ギルバートは思い出した。

 あの夜において、あの飛び降りの瞬間を目撃していたのはレオスだけではなかったのだ。

 システィーナ=フィーベル――グレンとギルバートを除けば、ルミア、そしてリィエルの2人の秘密を知る存在。

 あの場にレオスだけしか居なかったのなら、そもそも彼は隠蔽などという手のかかる行為はしない筈だ。

 それを行う必要があったのは、偏にあの場に自分以外の目撃者、つまりはシスティーナが居たからに他ならないのだ。

 

 レオスはギルバートの正体を薄々ながら察し、血だまりの中に死体がなかった点からギルバートの死を半信半疑で認識しているだろうが、まだ学徒の身であり、人の死に慣れていないシスティーナはきっと、ギルバートの死が真実であると認識してしまっているに違いない。

 

 

「元を辿れば、あの晩の一件はお嬢ちゃんと若先生の婚約から端を発しているものなんだろう?

 奴を倒すために必要だったとはいえ、あんたの偽死はあのお嬢ちゃんにとっては本物の死にしか映らなかっただろうし、それが自分が原因であると認識しちまっている。

 ……分かるかい。あんたが仕組んだ仮初めの死は、あのお嬢ちゃんを苛む罪の重りになっちまってるんだよ」

 

「……」

 

 

 そんなつもりはなかった――そう言いたくとも、口が言葉を紡ぎだせない。

 知らぬところで必要のない罪の十字架を背負わせていたことに、少なからず衝撃を受けたギルバート。

 最後の準備を整え、しかし机上に置いてある狩り道具を手に取らぬまま、沈黙の中で屹立する黒装束にこれ以上言うのは酷と判断したのか、シモンもその顔に暗い影を作り、小さく謝罪の言葉を口にした。 

 

 

「すまん、別にあんたを追いつめるわけじゃあなかった。……だが、こいつだけは分かってくれ。

 知られたくないからこそ隠すのが秘密ってやつだが、そいつのせいで振り回され、最終的に破滅する連中もいるってことを。

 医療教会のイカれた医療者や、ビルゲンワースの墓荒し共みたいな連中ならどうなろうと知ったこっちゃないが、あのお嬢ちゃんはまだ“白”だ。背負う必要もない罪を背負い、その重みで潰れて終わっちまうなんて最期は……あんまりじゃないか」

 

 

 それ以降、彼は何かを言うことはなく、簡素な扉を開けて外へと出ると、そのままギルバートの前から姿を消した。

 秘密を暴き、その罪による苦しみより解放をしてきたことは幾度となくあった。

 だが、今ではその自分が秘密を抱き、その秘密に苦しむ人が出てくる始末。

 

 

「……」

 

 

 己の愚行を戒めるように、歯を力の限りに食い縛る。

 せめてその苦しみを長引かせぬよう、早くこの一件(あくむ)を終わらせよう。

 その思いを胸に、ギルバートは机上に置いた狩り道具を手に取り、診療所の扉から外へと飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 ――純白の花嫁衣装(ウェディングドレス)が重い。

 

 そう感じたのは、偏に彼女の双肩に掛かった重圧と、泥のような罪悪感が故だろう。

 レオスは変わってしまった――あの一夜の出来事を切っ掛けに、システィーナはそう考えて止まなかった。

 あの優しい幼なじみが、自分の友人たちの秘密を武器に脅迫し、そして婚姻のために何の罪もない一般人すらも殺してしまった。

 その事実はシスティーナを苛み、純白で彩られた身形とは真逆に、今の彼女の心は泥か黒油を塗りたくられたかのような黒で塗り潰されてしまっている。

 

 

「これより、汝らの歩む先は、あらゆる艱難辛苦が魔の者の声となりて――」

 

 

 司祭の聖書朗読が進む度に、彼女の顔に暗さが増していく。

 紡がれる聖言の1つ1つが彼女の罪を指摘し、弾劾しているかのようだった。

 事実、今回の婚姻騒動の裏で、1人の人間が巻き込まれ、死亡した。

 

 ギルバート――システィーナたちが入学する以前より医務室の補佐として学院に勤め、ほんの数日前から彼女たち2年2組の補佐も兼任することとなった人物。

 フェジテで診療所を営む町医者という点を除けば、魔術師ですらない単なる一般人の彼は、あの晩にレオスとの戦いの果てに死んだ。

 普段の平々凡々とした佇まいからはかけ離れた身のこなしには驚かされたが、それでもやはり、一般人と魔術師との間にある差は埋めるには至らず、激闘の果てに彼の身体は屋上より落ち、落下した地面には彼のものらしき血だまりだけが残されていた。

 

 死体がどうしてなかったのか、と。後に落ち着きを取り戻した際に気にならなかったわけではないが、どちらであれ、彼が死亡したことに変わりはなく、そして間接的にそれが自分のせいで起きてしまったことだとシスティーナは思い込んでしまっていた。

 

 

(私が……私がもっと早く、受け入れていれば……)

 

「——誓います」

 

 

 思い悩んでいる最中、誓約の儀にまで移行していたらしく、隣に立つレオスが宣誓の言葉を発した。

 そして続く言葉は、システィーナに向けてのもの。

 聖言を以て問い掛ける司祭に、システィーナもレオスに続く形で宣誓すると、いよいよ式も大詰めとばかりに司祭は高らかに問いの言葉を紡いでいく。

 

 

「我、主の御名において、この式に参列する者に今一度、問い質さん。汝らはこの婚姻に讃するか? この婚儀に讃し、祝福せし者は沈黙を以てそれに答えよ……」

 

 

 司祭の言葉に異を唱える者はなく、聖堂内を沈黙が満たす。

 

 

「今日という佳き日、大いなる主と、愛する隣人の立ち合いの下、今、此処に2人の誓約はなされた。神の祝福があらんことを――」

 

「——異議ありッ!」

 

 

 バンッ――!

 先程までの静謐をぶち壊すかのように、真正面から聖堂の扉が開かれた。

 そしてその間を抜け、現れたその人影は、聖堂内にいる参列者たちにとって見覚えのあるものだった。

 

 

「グレン、先生――!」

 

「悪ィな、レオス。お前如きに白猫は――」

 

 

 指の間に数個の球体を挟めたまま、グレンは左手を高く掲げた後、

 

 

「——渡さねえよッ!」

 

 

 カ――ッ!

 

 球体が爆ぜ、直後に眩い光が聖堂内を染め上げる。

 光が彼らの視界を奪い、程なくして世界に色が戻り始め、元の色合いに戻った頃には。

 乱入してきたグレン、そしてレオスの隣にいる筈だったシスティーナの姿はどこにも見当たらなかった。

 

 

「は――花嫁が攫われたあああああああああああああッ!?」

 

 

 参列者の1人が吐き出した絶叫は木霊し、どこまでも響き渡っていった。

 

 

 

 

 

 

「——どうやら、上手くやったようだな」

 

 

 東地区の路地裏、その一ヶ所に姿を潜ませていたギルバートは、誰に告げるわけでもなく独り呟いた。

 まずは第一関門突破。であれば、次は合流地点にして決闘場である西地区へと向かうべきだ。

 

 そうと決まれば行動は迅速に。

 狩人の持つ俊足を発揮し、影が覆う路地裏の狭道を縫うように疾走し、ギルバートは目的地へと駆け抜けて行った。

 やがて西地区へと到着し、合流地点の近くにある適当な暗がりに身を隠すと、暫くして忙しなさを感じさせる足音が響き渡ってきた。

 

 

「はぁ……はぁ……取り敢えず、撒いたか……」

 

 

 足音が止み、肩を上下させて疲労の表情を見せながらもグレンは抱えていたシスティーナを下ろす。

 すると、その瞬間を待っていたかのようにシスティーナはその場から駆け出そうと動き、そして咄嗟に伸びたグレンの手が彼女を逃すまいと彼女の腕を掴み、引き留めた。

 

 

「お、おいっ、待て――」

 

「離して! 離してよッ! もういい加減にしてッ!」

 

 

 目に涙を溜め、今にもそれを溢れさせそうな顔で手足を動かし、暴れ出すシスティーナ。

 確かに急に現れた上、何の事情を話さぬまま攫って来たことについて申し訳なさを感じないグレンではなかったが、それにしても過剰すぎるその反応に思わず目を丸くし、慌てた口調で制止の声を発し続けた。

 

 

「静かにしろ! 折角撒いたってのに、また気づかれちまう!」

 

「貴方なんか大嫌いッ! 私はレオスと結婚するの! レオスと結婚しないと……ルミアが、リィエルが――!」

 

「……ああ。分かってる。それを承知した上で、俺はお前の味方だ!」

 

「離し――え……?」

 

 

 グレンのその言葉を耳にしてシスティーナは手足を止め、目を見開いて彼の方を見つめた。

 

 

「事情は知ってる。ルミアとリィエルを守るために、お前は1人で戦ってたんだろ? ……よく頑張った、あとは俺たちに任せろ」

 

「——ッ!」

 

 

 溜めていた涙が遂に溢れ、頬を伝って零れ落ちていく。

 そして縋るように彼へと手を伸ばし、彼の纏う講師用ローブに触れんとしたすんでのところで――。

 

 

「……やっぱり、駄目です」

 

「……白猫?」

 

 

 伸ばした両手を再び戻し、力なく下げて彼女は否定の言葉を紡ぐ。

 一体何故、と問うよりも早く、システィーナはその理由を、喉奥から絞り出すように話し始めた。

 

 

「駄目なんです、先生……ルミアやリィエルだけじゃない。私が結婚しなければ、レオスは……レオスは、また……」

 

「……ああ。分かってる。そのことも含めて、今日野郎と決着を――」

 

「分かってない! グレン先生は――全然分かってない!」

 

 

 悲哀に塗れた声から一変し、怒りの籠った叫声がグレンに叩きつけられる。

 

 

「レオスはもう……私の知ってる昔のレオスじゃなくなってる!

 彼は、私と結婚するためなら、どんな酷いことにだって手を出すようになった!

 私が……私がもっと早く、受け入れていれば……!」

 

「……白猫、お前……」

 

「私のせいで――ギルバート先生は、レオスに殺されたんです……」

 

 

 瞬間、グレンは絶句した。

 世間的には、レオスの偽装工作によってギルバートの死――本人の手による偽死だが――は隠蔽され、長期出張となっているが、実際彼が屋上から落とされる場面を、システィーナだけは見ていたのだ。

 親友の秘密を人質に取られた上、これまで相談できる相手がいなかったことを考えれば、一体彼女にどれだけの精神的負荷が掛かったのか。

 そしてもし、自分が彼の思う通りに動かなければ、また関係のない人が殺されると――そう彼女は考えるに至ったのだろう。

 

 

「長期出張に行ったって伝わってるけど……あれは嘘。レオスが、ギルバート先生の死を隠すために作った、嘘なの……!」

 

 

 涙が零れ落ちる度に、彼女は唇を一層強く噛み、己を戒めるように痛みを与える。

 

 

「だから、私はレオスと結婚しないといけないの! そうしないと……また、誰かがレオスに、殺されちゃう……!」

 

「……」

 

 

 遂に我慢の限界を超え、泣きじゃくるシスティーナ。

 その彼女に対し、グレンは慰めの言葉を掛けることはできなかった。

 きっと何を言ったところで、今のシスティーナには気休めにさえならないだろう。寧ろ、その件に関する言葉はどのようなものであれ、彼女の心を抉る刃となるだけだ。

 

 その傷を癒す方法は唯一つ――そしてそれを実行する代償は、決して小さなものではない。

 

 

「……っ!?」

 

 

 ふと――路地裏の奥より感じた複数の気配に反応し、グレンの視線がそちらへと移る。

 見ればそこには複数人の一般市民の姿があったが、そのいずれもがまともな状態とは言い難い様子だった。

 虚ろな目、土気色の肌、漏れ出る呻き声——。

 手には包丁や鉈、物干し竿、変わったところではシャベルなどもあり、皆不自然に武装していた。

 

 何故、一般市民があのようなものを携えて此処に――? と考えたところでグレンはハッと思い出したかのように目を見開き、そして双眸を細め、鋭利さを帯びたものへと変じさせた。

 

 

『天使の塵』(エンジェル・ダスト)の、末期中毒者……!?」

 

「えっ……?」

 

 

 思いもよらぬ乱入者の存在に驚きつつも、既にグレンは行動に移っており、その手は腰に差していた拳銃を引き抜き、構えていた。

 しかし僅かな時間差からか、彼が拳銃を構え、銃口を向けるよりも早く中毒者の1人が駆け出し、驚異的な跳躍力でグレンらへと襲い掛からんと跳んでいた。

 

 

「きぃああああああああああああああああァッ!!」

 

 

 奇声を上げ、振りかぶった鉈を叩きつけんと中毒者が迫る。

 鈍い輝きを宿した分厚い刃がシスティーナの肌を衣装ごと血に染めんと、徐々にその距離を縮め、そして――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——()()()()

 

 

 甲高くも重みを感じさせる銃声が響いた後、中毒者の額より鮮血が溢れ出た。

 黒みを帯びた血を噴き出しながら、空中で身体を弓形に曲げて、中毒者はそのまま背より地面に落ちていく。

 びちゃり、と肉が爆ぜ、血が飛び散る音が鳴るも、もはやその程度で2人は驚かなかった。

 寧ろ、2人の意識は銃声の発せられた方角へと向いており、やがてそちらより聞こえてきた靴音を耳にしつつ待っていると、路地裏の暗がりより()()()()は姿を現わした。

 

 

「血塗れの――殺人鬼……!」

 

「……」

 

 

 そこに居たのは、『天の智慧研究会』の外道魔術師たちによるテロの際に見えた黒尽くめの人物。

 4年前のとある一夜を境に現れ、以来外道魔術師を狩り続け、帝国にその悪名を轟かせ続けている稀代の連続殺人鬼。

 そしてどういう所以があってか、グレンと奇妙な縁で結ばれているという最凶の怪人――『血塗れの殺人鬼』。

 

 あの時は別の理由があって学院を訪れ、目的を果たすためにグレンに協力したと聞いているが、今回何故、昼間だというのにその姿を現わしたのか。今のシスティーナには、それが理解できなかった。

 しかし、注がれる視線にはかつてのような冷たさこそあれど、底冷えする程のものではない。

 寧ろ、その視線を通して、彼が自分とグレン――否、自分(システィーナ)に対して哀れみと申し訳なさを抱いているような、そんな気がした。

 

 

「お前、何で出てきたんだ!?」

 

「このような状況になれば、多少の計画変更も止むを得まい」

 

「っ……けどよ!」

 

「……どういうこと、ですか?」

 

 

 今のグレンの口ぶりからして、まるでグレンと殺人鬼が協力し合い、何かを為さんとしているように聞こえる。

 慌てたグレンはすぐさまシスティーナの方へと向き直り、必死に何かを隠そうと言葉を並べていく。

 しかし、そこでまた中毒者が迫り、携えた得物を振り下ろさんとしたが、それもまた殺人鬼の放った銃撃によって阻止された。

 

 そして中毒者たちが少しの間は襲い掛かって来ないことを確認してか、殺人鬼はその黒装束を揺らし、硬い靴音を鳴らしながらシスティーナの下へ歩み寄って来た。

 

 

「……」

 

「……っ」

 

 

 一言も言葉を発さず、ただ眼前にて屹立し、見下ろしてくる彼の姿に恐怖を覚えた。

 口元はマスクで覆われ、頭に被った枯れ羽帽子のせいで表情もよく見えない。

 ただ、唯一露出している目元からは、彼が何を思い、どのような目付きで自分で見下ろしているのかを知ることはできた。

 そこにあるのはやはり冷たさを帯びつつも、自分に対して悲哀と、そして謝罪の念を帯びた瞳。

 たった1度、それも彼が侵入した学院の一生徒に過ぎない自分に対して、何故そのような感情を向けてくるのか。

 どうして自分たちを助けるような行為をしたのかと疑問を抱いているうちに、殺人鬼は1度その双眸を閉じ、マスクで覆われたその口元から何かを呟いた。

 

 

「……まさか、シモンの言葉が真実だったとはな」

 

「……?」

 

 

 閉じていた双眸を再び開き、殺人鬼は語り出す。

 

 

「話は影から聞いていた。小娘……お前は婚約者による殺人が、自分のせいだと思っているようだな」

 

「……」

 

「だが、その責は無用のものだ。元はお前とその婚約者より始まった騒動、その過程で婚約者が殺人を犯そうとも、それは実行者の罪であり、お前自身が罪を負う必要はない」

 

「……っ、貴方に……一体、何が分かるって言うんですか……」

 

 

 キッと怒りを孕んだ目付きで殺人鬼を見上げ、睨みつける。

 恐怖はあるが、それ以上に今の発言に対する怒りが溢れて仕方がない。

 深い事情も知らないくせに、さも何でも知っているかのような口ぶりで自分(システィーナ)の無罪を説く彼が許せなかった。

 そして、その免罪の言葉に僅かでも安堵を抱いている自分自身を――。

 

 

「何も知らない人が……平然と命を奪える、貴方みたいな人が! 分かったような口を利かないで!」

 

「まっ、待て待て白猫! こいつは、その……おい、これ以上何も言うな。余計混乱しちまう――」

 

「——構わん」

 

「な――っ!?」

 

 

 明かすべきではないのだろう。自分自身の目的のため、そして巻き込む人間をごく少数に抑えるために、関わりを持たせるべきではないのかもしれない。

 だが、自分の為したことが原因で心に傷と()を抱えてしまったのなら、その原因(病原)を取り除くのは他ならぬ自分の務め。

 

 

「平然と命を奪える……か。確かにお前の言う通りだ、小娘。

 無関係の一般人や善人に対してはともかく、狂人や救いようのないクズ共を殺めたところで、俺の心が痛むことはない」

 

 

 だが――と。

 再び集まり始めた中毒者たちへ再度発砲し、撃ち漏らした個体には右手に握る新たな得物『ノコギリ槍』で応戦し、燃え上がる鋸刃で焼き切った。

 

 

「お前の抱える罪の意識について、助言をくれてやる権利はある。

 そも、お前がそのような十字架を負う必要はなく、それを理由に自らを犠牲に捧げ、事を収めるべきでもない」

 

「何で……何で、そんなことが言えるのよ……一体何なのよ、あんたは……!」

 

「……君も良く知っている男だよ――()()()()()()()

 

 

 一瞬、呆けた表情を浮かべ、見つめてくるシスティーナに、殺人鬼は携えたノコギリ槍を地面に突き立てると、その右手を枯れ羽帽子の上に乗せ、スッとそれを頭から取り外す。

 そして銃を持つ左手を器用に使い、口元のマスクを下ろして素顔を晒した時、システィーナは信じられないものを見たかのように目を見開き、絶句した。

 

 

「もう1度言おう。君が罪の責に苛まれることも、その重い十字架を背負う必要もない。

 あの男(レオス)は確かにまともではないが、あの晩奴は誰も殺してはおらず、そして誰も死んではいない」

 

「……っ、う、そ……!」

 

 

 かろうじて紡げた言葉に、殺人鬼はその素顔に小さく、緩やかな孤を描き、笑みと共に応じる。

 

 

「すまなかったね、システィーナ君。——俺が……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(ギルバート)が――『血塗れの殺人鬼』だ」

 

 

 

 

 

 

 

 



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第23夜 狂イ咲ク正義

 早いものでもう3月……今年最初の月香の狩人、始まるよー。


(ギルバート)が――『血塗れの殺人鬼』だ」

 

 

 枯れ羽帽子とマスクを外し、素顔を露わにして殺人鬼――ギルバートはシスティーナへ告げた。

 言葉を乗せた声には、かつて見えた際にあった冷たさはなく、これまでの自身の正体を秘密していたことへの申し訳なさが感じられた。

 だが、システィーナの反応は変わらず、今もその双眸を大きく見開き、端正な顔を驚愕一色に染めている。

 

 

「……っ、……」

 

「……すまなかった。必要とは言え、間接的に君へ残酷な仕打ちをしてしまったことは事実だ」

 

「——キィアアアアアアアアアアッ!!」

 

 

 無自覚に背負わせた罪悪感への謝罪を述べるも、その瞬間を最後まで待ってくれるほど中毒者たちは甘くはなかった。

 短剣を逆手に構え、中毒者の1人が奇声を上げて跳びかかるが、その凶刃は放たれた飛刃付きの鋼線によって遮られ、

 

 

「《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》——ッ!」

 

 

 出せる限りの最速で唱えられた【ショック・ボルト】により、中毒者の身体は突き刺さった鋼線を通し、内側から焼かれる末路を辿る。

 

 

「チッ――! おい、月香!」

 

「——ああ。少し待て」

 

 

 後方より聞こえる呻きからでも察せられる通り、中毒者たちの数はまだまだ膨大だ。正直に言って、弁明の機会を設けるだけの暇はない。

 故にギルバートは再び狩帽子を被り直すと、突き立てたノコギリ槍を引き抜き、再び戦闘態勢を整えた後にシスティーナへ背を向け、最後に言った。

 

 

「話はまた後ほどに。……今はこの場を切り抜けるのが先決だ」

 

 

 直後、亀裂が入るほどの脚力で石畳を蹴り、ギルバートの黒い体躯が中毒者ら目がけて飛んで行った。

 

 

「シャア――ッ!」

 

 

 疾走の勢いを落とさぬまま、すれ違いざまにノコギリ槍で数名の体躯を真中から真横に両断する。

 それから間もなくその断面より火が上がると、体の脂を燃料に燃え盛り、その近くにいた者たちも巻き込んで次々と炎上させていく。

 

 

「ァアアアアアアアアアアッ!」

 

「シャアアアアアアアアアアッ!」

 

 

 絶叫を上げて次々と襲い掛かる土気色の軍団。

 それぞれの得物を振りかざし、迫る複数人(かれら)の対処は正直に言えば苦手の部類だ。

 

 だが――それも単独であればの話だ。

 

 

「——月香ォおおおおおおおおおおおッ!!」

 

 

 迫る中毒者たちの後方より一声が上がると、鞭のようにしなりを得た長大な鎖が、薙ぎ払うかのように彼らの背へと放たれた。

 その意図を察し、ギルバートは即座に得物を『ノコギリ鉈』から『獣肉断ち』へと変え、その変形機構を利用して変形した連結鉈の一撃を水平に見舞う。

 

 遠心力も加わったグレンの鎖で押し出された複数人の狂人たちを、ギルバートの連結鉈による斬撃が襲う。

 結果、人外の域にある狩人の筋力も合わさった連結鉈の刃は、獣が噛み千切るように彼らの身体を真っ二つに裂き、狭い路地裏を鮮やかな真紅で染め上げる形となった。

 

 

「ひィ……ッ!」

 

 

 跳ねる鮮血が純白のドレスを汚し、その凄惨たる光景にシスティーナの喉より悲鳴が漏れ出る。

 そして鮮血を浴びて真紅の化粧を施された生首が1つ、彼女の前に転がるとシスティーナは一層顔を青ざめさせつつ、怯えた表情で後ずさる。

 

 

「「キィアアアアアアアアアアッ!!」」

 

「——!?」

 

 

 しかし、その逃走を許さぬとばかりにさらなる刺客がシスティーナへと迫る。

 見れば反対側より新手らしき多数の中毒者たちの姿が見え、血走った双眸を有らん限りに見開きながら、彼らを――否、()()()()()()()()を捉えていた。

 

 

「っ!? ——野郎……!」

 

 

 苛立ちを孕んだ低い声を漏らし、グレンが構えた魔銃の引き金に指を掛けようとし、

 ドォンッ!! と、すぐ傍で鳴り響いた銃声の後、システィーナを襲わんとしていた2人が背中から真後ろに倒れ込んだ。

 

 

「……お前——」

 

「場所を変えるぞ」

 

 

 虚空より新たに取り出した散弾銃を構え、牽制と撃滅を兼ねた銃撃を行いながら、ギルバートを先頭に3人はその場を後とした。

 

 

 

 

 

 

 ――走る。

 

 走る、走る、走る、走る。

 走り続け、逃げ続けた最中でも、グレンたちを狙う襲撃者たちは絶えなかった。

 血走った眼球を剥き出し、奇声を上げて人外じみた身体能力を駆使し、襲い掛かる末期中毒者たち。

 恐るべき彼らを、グレンとギルバートは魔術と体術、数多の武具や銃撃で対処しながら、フェジテの街中を駆け走った。

 

 

「小僧!」

 

「チィ……!?」

 

 

 互いの銃を向け合い、それぞれの背後にいた中毒者たちの頭部と胸部を撃ち抜く。

 ドス黒い血が虚空に孤を描きながら舞うが、それが地面に落ちて染みを作るよりも早く別の個体を仕留め、新たに死体と血溜まりを作っていく。

 

 

「ヌゥンッ!」

 

 

 連結鉈(獣肉断ち)を腰に差し、新たに手にした分厚い斧(獣狩りの斧)の柄を伸ばし、長斧へ変形させながら腰を捻り、瞬時にそれを解き放つ。

 死神の大鎌さながらの、巨大な斬撃に中毒者たちの体躯が別たれ、宙を舞う。

 荒々しい断面から覗く腸と共に、大量の血が路地裏に降り注ぐ。

 その丁度真下にいたギルバートが、諸にそれを受けるのは当然のことであったが、彼は気にすることなく体勢を整え、路先に見える中毒者をその銃撃で仕留めた。

 ひどく凄惨で、無慈悲なその姿は少し前に正体を知り、かつ以前に死合ったグレンにとっては然して気にするものではなかったが、システィーナの方は違った。

 

 

「……!」

 

 

 魔薬の中毒症状による凶暴化とはいえ、人の姿をしたモノを何の躊躇いもなく傷つけ、葬っていくグレンとギルバート。

 日々教えを受け、幾度と自分の親友を救ってくれた恩師(グレン)の平時とはかけ離れた姿もそうだが、それ以上にシスティーナを驚かせたのはギルバートの方だった。

 自分たちが入学する以前より学院に勤め、セシリアの補佐として医務室に居続けた、()()()()()()

 その筈だった人物が、実はかつてから帝国で騒がれていた怪人『血塗れの殺人鬼』であり、今は自分とグレンを守るために襲撃者たちと戦っている。

 

 予想もしなかった人物の正体、そこから生まれたあり得もしなかった筈の展開。

 次々と来たる驚愕の展開に彼女はただ混乱し、その様子を見守ることしかできなかった。

 

 

「シ――ッ!」

 

 

 短い呼吸と共に放たれた銃撃を最後に追手の中毒者たちは絶える。

 沈黙が瞬く間に路地裏を支配すると、2人は軽く一息吐き、それから睨むように鋭い眼光で互いを見つめ、言った。

 

 

「この事態……第三者が居るのは明白だ。こちらを守りに徹させ、攻めに転じることを阻害している」

 

「だろうな。どうにか撒いたが、長く留まっちゃいられねぇ……」

 

 

 こうしている間にも、次の追手が自分たちを探し回っているだろう。

 どこかに身を隠さなければならない。そのためにもまずは……

 

 

「……行こう、システィーナ君。どこか別の場所へ――」

 

「……っ!? さ、触らないで……ッ!」

 

 

 パシンッ、と。

 差し伸べられた手を、システィーナは拒絶するように叩く。

 しかし、その行動は無意識のものであったらしく、間もなく彼女ははっと目を見開くと、今にも泣き出しそうな表情で彼らの方へ向き直る。

 

 

「え、あ……これは、違——」

 

「……そうだな。こんな形では、それも仕方のないことか……」

 

 

 殺戮の果てに、ギルバートの身体は真紅に染まっている。

 纏う黒い狩人装束も、血除けの短マントも。

 手にした得物、枯れ羽帽子、あらゆる部位が返り血を受け、『血塗れ』と化している。

 これでは、噂通りの『血塗れの殺人鬼』そのものだ。

 たった1度の実戦を経たとはいえ、まだ学生であるシスティーナに拒絶されるのも無理はなかった。

 

 

「白猫……」

 

 

 そんな2人の間にグレンが入る。

 ギルバート程ではないにしろ、彼もまた血を浴びて、その姿は凄惨なものと化しているが、先にギルバートの姿を見てからか、システィーナに拒絶の反応は見られない。

 

 

「怖がらせちまって、悪かったな。俺も、こいつも……えげつない武器や魔術道具を使って戦うのが……本来の姿なんだ」

 

 

 だから、と。

 

 

「受け入れてくれ……とは、言わないが……もう少しだけ、我慢してくれ」

 

 

 な? と、最後に付け加えて言うも、システィーナは顔を俯かせ、無言のままだった。

 それでもグレンは構わず、その先を続けた。

 

 

「それでも……何があろうと……俺たちは、お前の味方だ」

 

(……最低だ)

 

 

 その言葉の後、システィーナは心の内でそう思う。

 本当は分かっていた。彼らが自分を守るために、あのような手段に出たことも。

 血に塗れ、殺気を撒き散らし、数多の命をその手に掛けたのかも。

 

 

(分かっている……分かっている筈、なのに……!)

 

 

 それでも、その身を蝕む彼らへの『恐怖』が、言葉を返すことさえ許さなかった。

 そうしている間にも、次の追手が遂に彼らの下へと辿り着く。

 奇声を上げて迫る中毒者の群れを、グレンとギルバートは再び魔術道具と狩人武器、互いの銃器を用いて迎え撃った。

 

 肉を断つ音が鳴る。骨を砕く音が響く。

 銃撃の音が木霊し、何度も何度も耳内にて反響する。

 そうして襲撃者たちは殲滅され、再び地面が血で濡れていく中でも、彼女を蝕む恐怖は無くならなかった。

 

 

(ダメよ、システィーナ……! ここで何も言わずにいたら、きっと……後悔する……ッ!)

 

 

 失われかけた勇気を振り絞り、決意を固める。

 ドレスが血で汚れることも厭わぬまま、彼女は震えを必死で抑え込みながら、2人の方へと向き直る。

 

 

「あ、あの……せんせい……」

 

「む……」

 

「どうした?」

 

「その……ご、ごめん……なさい……私――」

 

 

 その先を、システィーナは紡ぐことができなかった。

 何故ならば突如、グレンの形相がこれまでとは比較にならないほど恐ろしいものとなり、ギルバートからも冷気さえ感じ取れる冷たい殺気が放たれたからだ。

 無論、それはシスティーナに向けられたものではない。

 2人の視線が向けられた先、そこにいたのはシスティーナとはまた別の白装束――そう、“彼”だった。

 

 

「――レオス……!」

 

「いやぁ、見事だ。よくその小娘を守り切って見せたね、グレン。

 やはり君は、僕が倒さねばならない最高の敵だ。……そして」

 

 

 新たなる来訪者――レオスの登場に驚きの声を上げるシスティーナだが、当の本人は彼女に対しての関心はない。

 寧ろ、今の彼の意識はグレンの隣――ギルバートの方へと向けられていた。

 

 

「御初にお目に掛かる……いや、()()姿()では初めまして、と言うべきかな?」

 

「……」

 

 

 ギルバートは答えない。ただ視線で、気づいていたのかと問うだけだった。

 その視線に込められた意思を知ってか知らずか、レオスは変わらぬ薄ら笑いを浮かべたまま、言葉を続けた。

 

 

「良き同志が教えてくれたよ。あんな芸当ができるのは君ぐらいだ、と。

 兵団戦の時からそれらしい動きは見せていたけど、あの一件について相談した結果、確信したよ。

 君があの……稀代の――」

 

 

 ドォン――ッ!

 レオスの言葉は、1つの銃声によって遮られた。

 その放ち手は勿論、彼が言葉を向けていた人物、ギルバートであった。

 硝煙が立ち上る銃口を向けたまま、冷たい殺気と共にギルバートはレオスを睨みつけ、威嚇を兼ねた低声を発した。

 

 

「もういい。その化けの皮も不要だ」

 

「おや、いつ気付いていたのかな?」

 

「あの一夜以外にあり得るか? そも、貴様のような誰かを騙る者とは、既に会っている」

 

「それはそれは。じゃあ……ああ、これは愚問かな? 君も気付いていたのかな、グレン?」

 

「……当たり前だろ」

 

 

 底冷えするような低い声でグレンが言う。

 ギルバートが指摘せずとも、いや……レオスに成りすましている者の正体すらも、グレンは既に理解していた。

 口調も、態度も、何もかも……その全てがグレンの知る()()()()に似ていたのだ。

 

 

「ここまでヒント出されりゃ、どんだけ鈍くても気づく」

 

 

 そこからグレンは、これまでに生じたあらゆる要素を並べていく。

 システィーナとレオス、双方の得にならないこの状況。

 誰一人味方を作れない、孤立無援の状態。

 失伝魔術(ロスト・ミスティック)化した魔薬『天使の塵』(エンジェル・ダスト)

 そしてあの晩、グレンらを苦しめた――人工精霊(タルパ)

 

 

「思えばあの時気付くべきだった……天使の塵(エンジェル・ダスト)人工精霊(タルパ)召喚術……どちらも禁呪に近い超高等錬金術だが、その二つを両方極めたクソ野郎を、俺は知っている。

 もしそいつが今回、裏で糸を引いていたってんなら、ここに至るまでの展開も、状況も、全部納得しちまう……!」

 

「ど、どういうこと……?」

 

「この一連の事件は、天の智慧研究会の仕業でも、ルミアを狙ったものでもない……。

 狙いは最初から……俺だったんだ。俺個人を狙った、ただそれだけの……」

 

 

 グレンの考察の最中、レオスがその笑みをさらに深め、くつくつと笑声を漏らす。

 そして軽く首を左右に振ると、「惜しい」と一言紡いでから言った。

 

 

「惜しいね、素晴らしく良い線はいっていたよ。でも最後の最後で外れだ、グレン」

 

「なに……?」

 

「確かに君を狙っていたのは正解だ。だが、何も標的は君だけではないんだよ。

 ――ねえ、裏世界の英雄殿?」

 

「――ッ」

 

 

 直感的に何かを感じ取ったのか、ギルバートは刹那の間に引き金を引き、超速の弾丸をレオス目がけて撃ち放つ。

 獣の肉すら穿つ水銀の弾丸は、しかしどこからともなく放たれた()()()()()()によって防がれてしまう。

 その僅かな時の間にレオス……レオスを装う何者かは後退すると、1つ指を鳴らし、自らにかけた変身魔術を解呪する。

 

 白い礼服が揺らぎ、レオスという化けの皮が剥がれていき、やがて露わになったのは1人の青年の姿。

 黒い礼服に黒い革靴、黒の山高帽。

 全身を黒一色で染め、固めたグレンと同じくらいの長身痩躯の青年だ。

 その人物は被っていた山高帽を取ると、その下に隠していた顔を現わして……そしてグレンの顔は一層険しいものへと変わった。

 

 

「てめぇ……!」

 

「久しぶりだね――グレン」

 

 

 灰色の髪と、切れ長の目。

 死人とまではいかずとも、病を負っているかのような色白さを帯びた肌。

 顔立ちこそ整ってはいるものの、万人を魅了する魅力などは皆無で、何より露わとなったその双眸からは、計り知れない狂気が垣間見える。

 

 

「――ジャティス!」

 

 

 ジャティス=ロウファン――元・帝国宮廷魔導士団特務分室所属の魔導士。

 かつて執行官ナンバー11《正義》の二つ名を冠し、後に帝国内にてとある大事件を引き起こした人物。

 そして何より、グレンにとって最も深い因縁の相手。

 

 

「こうして互いに、ありのままの姿で対峙できたことを嬉しく思うよ。

 もっとも、僕がどれだけこの時を待ちわびたのかを――君には分からないだろうね?」

 

「ジャティスゥゥゥゥゥゥ!!」

 

 

 抑え込んでいた激情を爆発させて、グレンが疾走する。

 仕込んでいた飛刃付きの鋼線を飛ばし、もう片方の手には短剣を握って駆け走るグレンに、ジャティスは特に動くことなく待っていた。

 飛来する飛刃がジャティスの首を抉らんと迫った――丁度その時だ。

 

 

「――ヌゥンッ!!

 

 

 力強い一声と共に、振り下ろされた石鎚が飛刃を叩き落とした。

 飛刃だけではない。その先に繋がっていた鋼線すらも引っぱり、それを握っていたグレンの身体を無理矢理引き寄せようとする。

 

 

「シャァッ!」

 

 

 しかし、その行為は即座に中断されることとなった。

 連結鉈と長斧を虚空に戻しつつ、新たに取り出した『仕込み杖』を変形、関節剣へと変えて鋼線に巻きつけ、その刃で切断したのだ。

 

 

「月香!」

 

「止まれ、小僧。奴との間に如何なる因縁があるかは知らんが……」

 

 

 形態を再び杖に戻し、その先端を()()に突きつけながら彼は言った。

 

 

「こちらにも、縁のある相手が出てきたのでな」

 

 

 ()()は、異様としか言いようのない姿だった。

 厚手の白布を織り重ねて造ったのだろう白装束は、返り血を浴びてか汚れ、所々が黒ずんでいる。

 手にした石鎚も損傷が激しく、その人物が今日までどれだけソレを酷使し続け、苛烈な戦いに身を置いて来たのかが窺えた。

 だが何よりも目を引いたのはその頭部。

 血で汚れ、黒ずみを帯びてこそいるものの、変わらぬ輝きを湛えた黄金の三角兜(アルデオ)

 そして先に投擲されたあの円形物――巨大な車輪も含めれば、その正体はもはや明白だ。

 

 

「何故、貴方がそちら側に付いている――()()()()()()

 

 

 三角兜の男、アルフレートは石鎚を地面から引き抜くと、ギルバート同様それを虚空の歪みに戻す。

 そうして無手のまま、隠された顔をギルバートの方へ向けると、その兜の内側より言った。

 

 

「あぁ……お久しぶりですね、月香殿。またお会いできて嬉しく思います」

 

「質問に答えろ。何故にそちら側にいる?」

 

「貴方であれば、私が此方側にいる理由は察せられるでしょう? ――正しきを為すためです」

 

「正しきを……だと?」

 

 

 何を馬鹿な、と言い掛けたが、その言葉を口にせず、喉奥へと呑みこんだ。

 かつてのアルフレートは、師であるローゲリウスのためカインハーストの城へ至るための手段を模索し、その手段を得て間もなく、かの城へと単身攻め入り、不死の女王を惨殺した人物だ。

 信奉するものためならば、如何なる残酷な行為にも手を染める性質ではあったが、その根本にあるのは、先の言葉通り『正しきを為す』という意思だ。

 

 狂信的ではあったものの、決して悪とは言い難いその男が、多くの人間を巻き込んだ狂人に与するなど、余程の理由がなければあり得ない。

 だからこそ彼は問うた。正しきこととは何か、と。何が悪で、何を正すのか、と。

 

 

「その男は狂人だ。狂った輩が為した行いの果てを、ヤーナムの狩人であった貴方ならば、知らぬ筈があるまい」

 

「ええ、勿論。我ら狩人の源流たるゲールマン老、その起源とも言うべきビルゲンワース。

 そこから派生した数々の派閥による、数多無数の悲劇……貴方の言っていたメンシス学派の主宰の凶行は、よく理解していますとも」

 

「ならば……」

 

「ですが、例え狂人であろうと彼の成さんとしていることは正義です。

 目の前の小事に囚われない大局的正義……それは、行く行くはこの国を救済する偉業となるでしょう。……だからこそ」

 

 

 石畳にめり込む車輪を引き抜き、虚空から長銃を取り出し、その手に携える。

 言葉を交わすのではなく、得物を交える。

 態度でそう示したアルフレートには、きっとこれ以上の言葉は無意味だ。

 

 それに、語らいを行っているのは彼らだけではない。

 

 

「ジャティス……テメェ、何で生きていやがる。あの時、確かにブチ殺した筈だ……ッ!」

 

「そんなことは今さら、どうでもいいだろう。重要なのは僕が今も健在であり、こうして君たちの前に立っていることさ」

 

 

 急襲こそしかけなかったものの、グレンとジャティスの方も一触即発の状況だ。

 先のグレンの言葉が正しければ、ジャティスはグレンのみに狙いを定め、そのために今回のような大規模事件を引き起こしたこととなる。

 許されないことだと、枯れ羽帽子の下で睨みつけるが、当の本人は涼しい顔のまま、軽く目配せして受け流した。

 

 

「そちらの2人は既に会話を終えているようだけど、もう少しだけ待って貰えるかな。

 久しぶりの対面だ、語らうべきは多々あるんだよ」

 

 

 そう言って浮かべていた笑みをさらに深め、醸し出す冷たくも不気味な空気を一層強めながら、ジャティスは対する三者を――何よりグレンを見据え、語り出す。

 

 

「さあ――やがて至る正義のための語らいを始めよう」

 

 

 

 

 

 

 時は僅かに遡り、場所はフェジテ大聖堂。

 清廉なる空気の中で、新たに生まれようとしていた夫婦の儀は潰され、全てが台無しとなったその後。

 

 

「ヴゥゥゥ……!」

 

「ギィィィ……!」

 

 

 無数の呻き声を上げて、聖堂内に土気色の肌の人々が集まっていた。

 それぞれが得物を携え、理性の欠けた双眸で見つめ、迫って来る様はひどく恐ろしいものだ。

 現に、この聖堂内にいた者たち――2年次生2組の生徒たちは、そのほとんどが恐怖に顔を染めていた。

 

 謂れのない殺気を真正面からぶつけられ、それでもなお恐怖に打ち負けていないのはこの中でただ2人――ルミアとリィエルだけだった。

 

 

「――ルミア」

 

「うん。……皆、下がって!」

 

 

 大剣を錬成し、中毒者たちを威嚇するリィエルの言葉に頷き、ルミアは他の皆を避難させようと指示を飛ばす。

 しかし、聖堂内の構図は最悪だ。

 片や最高峰とはいえ、ロクな経験もない一学院の生徒たち。

 片や魔薬により身体能力の制限(リミッター)を解除された、生ける屍人形たち。

 上手くいけば僅かな抵抗は叶うだろう。だが、その隙に援軍が来るかどうかさえ分からない状況に彼らは在るのだ。

 この状況を突破し、全員無事に帰還するというのは、幾ら何でも無理があった。

 

 

 

 

 

 

 そう――少なくとも、()()()()()は。

 

 

 

 

 

 

「――はぁッ!」

 

 

 短い裂帛を伴い、中毒者たちの奥から血飛沫が上がる。

 真っ赤に噴き上がる血潮を見て、さらに怖がる生徒の姿もあったが、それ以上に何が起きたのかという驚きの反応の方が多かった。

 

 

「なに……?」

 

 

 ルミアの呟きに答えるかのように、続いて別の方角から豪風が吹き荒れ、中毒者たちの体躯を切り裂きながら吹き飛ばした。

 空間が空き、血と臓物で彩られた道を進むは巨体の男。

 異邦の黒い神父服に身を包み、長大な斧を肩に担いで発砲しつつ進んで来た大男の姿を、ルミアとリィエルは知っていた。

 

 

「ガスコイン、さん……?」

 

「ん? おお、お嬢ちゃんたちか」

 

 

 周りを敵に囲われているとは思えない、余裕を感じさせる声音で応じるガスコイン。

 それと共に彼が来た方向とは別の二方向からも人気が感じられ、土気色の肉壁を文字通り切り抜けながら、新たに2つの人影が彼らの前に現れた。

 

 

「貴女は……」

 

「……? 黄色い人、誰?」

 

 

 1人はやはり見覚えのある、鴉羽を主に用いた黒装束を纏う女狩人。

 もう1人は、以前の一件の際には見なかった、全身を黄色一色で染め上げた、どこかギルバートに似た狩人装束の男。

 2人はそれぞれの得物を軽く振るい、血振りを済ませながらガスコインと合流すると、ルミアたちを背にする形で、彼らを守るように中毒者たちの前に屹立した。

 

 

「妙にここだけ()()()()が集まってると思って来て見りゃ、嬢ちゃんたちが居たからか。

 月香の奴に聞いてはいたが、とことん運がないなぁ、お前さんたち」

 

「えっと、それは……」

 

「馬鹿な言ってんじゃないよ、ガスコイン。……嬢ちゃん、ここはあたしらに任せな」

 

「……いいの?」

 

「ああ。一級とはいえ、たかが学生が集まったところでどうにかできるわけもなし。

 かと言って、青髪の嬢ちゃんが1人戦ったところで、守りながらの戦闘じゃあすぐに崩れ――」

 

「ギィアアアアァァッ!!」

 

 

 アイリーンの言葉を遮って、中毒者の1人が得物を逆手に跳躍する。

 口元から涎を垂れ流し、襲い掛かる中毒者の襲撃は、しかし途中で失敗に終わることとなった。

 

 

「グギャアアアアアアアァッ!?」

 

 

 苦悶の叫びを上げながら、虚空に血で孤を描き、落下する中毒者。

 頭を強く打ち、頭蓋が割れて脳漿がぶちまけられた彼の眼球には2本のナイフが突き立てられ、それが襲撃を止めた原因であることはすぐに察せられた。

 

 

「……行け」

 

 

 そう言って最後の1人――ヘンリックがナイフを数本携えた左手で非常口の方を指差すと、彼らもその指示に従い、ルミアとリィエルの先導の下、聖堂からの脱出に移った。

 

 

「さぁて、と……」

 

 

 ようやく生徒たちが居なくなったのを機に、アイリーンたちも本格的に武装を固める。

 二振りの短刀、長柄の大斧、ノコギリ鉈と投げナイフ。

 各々が得意とする戦闘態勢(スタイル)で、唸る屍人の群れと対峙する。

 姿形は違えども、本質はそう違いはない。

 理性を欠き、自我を失い、本能の赴くままに殺戮を繰り返すなど、獣と何の違いがあろうか。

 

 

「――屍人狩(けものが)りだよ」

 

 

 同族狩りの鴉が、静かに鳴いた――。

 

 

 




 モンハンも大概やり尽して、ソウルシリーズは言わずもがな。
 空いた時間が暇です……早くエルデンリング出ないかな。
 あ、あと少しで仁王2発売ですね。皆さんは買いますか? 私は買います。

 それではまた次回も、よろしくお願いします。


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第24夜 矛盾の英雄、二面の狩人

 久々に短期で投稿&一万字超え。
 新ゲームやりながらよく投稿できたなと自分でも驚いている蛮鬼でした。

 それでは今回もどうぞ。


「――まず手始めにグレン、君は一年余り前のあの事件を覚えているかい?」

 

 

 酷薄な笑みを湛え、不気味な眼差しを向けたままジャティスが問う。

 その問いかけにグレンは短く歯軋り、当たり前だろと忌々し気に返した。

 

 

「忘れる筈がねぇ……テメェの引き起こしたあの事件のせいで、どれだけの人命が失われたと思ってる……!」

 

「そうだね、大勢死んだね。……そして彼女――セラも」

 

「――!」

 

 

 右手に握る拳銃の撃鉄を引き起こし、今にも銃口を向けんとするグレンを黒腕が遮る。

 

 

「今は堪えろ」

 

「……っ」

 

「だがねグレン、あの事件の全ては正義のためだったんだ」

 

 

 は? とここでグレンとギルバートの反応が初めて被った。

 グレンは直接の関係者として、ギルバートは裏世界での情報網を通して事件の内容を知っていたからこそ、そのような反応が出たのだろう。

 幾十を超える膨大な犠牲者たち、もたらされた悲劇、後に刻まれた爪痕。

 その全てが正義のためと言い張るジャティスの思考を、彼らは本気で疑ったのだ。

 

 

「グレン、そして月香。君たちは知らないだろうが、この国はとある邪悪な意思の下に創られた魔国なんだ。

 いずれ来たる最悪の脅威を除くためにも、この帝国は滅びるべきなんだ」

 

 

 帝国を滅ぼす――そう言い張るジャティスの姿は、はっきり言って狂っているとしか言い様がないだろう。

 現に件の事件を知らないシスティーナは、彼が何の躊躇いも無く国家滅亡を肯定する姿に恐怖し、彼の正気をグレンたち以上に疑っていた。

 

 

「故に僕は一年前、正義を執行した。君の言う通り犠牲者は多数出たが、それでも目的達成のためにはあまりにも小さかった。

 しかし……善行とはまず、自分ができることから始めるべき、と言うだろう?

 理想だけを掲げ、しかし何もせずに座して待つなど、それこそ僕の忌み嫌う偽善者共と同じに成り果ててしまう」

 

 

 だが――と。そこでジャティスは一息吐き、その淀んだ灰色の双眸を一層大きく見開き、グレンを強く凝視した。

 

 

「そんな僕の前にあの時立ちはだかったのが君だ、グレン! 君は僕と相対し、僕の完璧なる行動予測すら凌駕して打ち勝った!

 僕の正義が、君の正義に敗れた瞬間だった……!」

 

「……そうかよ。回りくどくあの事件を模して、こんな状況にまで至らせたのは、結局のところ、俺への復讐ってことかよ」

 

「……復讐?」

 

「違うかよ。結局てめぇは、俺に敗けたことが気に入らなかったんだろう?

 てめぇの語る正義ってヤツが、俺みたいな奴に敗北したことを認められなかったんだろ?

 ……いいぜ、逆恨みも甚だしいところだが、どっちにしろてめぇをぶち殺すことに変わりは――」

 

「……ふざけるな」

 

 

 その瞬間より、ジャティスの纏う空気が一変した。

 纏う狂気は熱を帯び、病人のように白かった肌は怒気で僅かに赤みを帯びる。

 そして狂的な薄ら笑いは失われ、そこにはこれまでに見たことのない怒貌が表われていた。

 

 

「ふざけるなよグレン……! 君は僕を侮辱する気か!」

 

「っ!?」

 

「この僕が、そんな下劣で無意味で、一時の感情の発散にしかならない非生産的な行為に手など染めるものか……!」

 

「……では、貴様は何のために再び、このような状況を生み出したというのだ?」

 

「愚問だね、月香。さっきも言ったろう? ――正義のためさ」

 

 

 口を開けば正義、正義、と。

 この時点でギルバートのジャティスに対する評価は最底辺にあったが、それとは別にジャティスを単なる夢想家と見ることは出来ていなかった。

 そもそも、ただの夢想を語る馬鹿者ならば、かつてや今回のような凶行に手を染める筈もない。

 

 

「これは謂わば『挑戦』さ。グレン、かつて僕の正義は君に敗れ去った。真の悪を知り、正しき正義に目覚め、正義のために魂すらも捧げると誓ったこの僕が……君のような何も知らない『愚者』の正義に敗けたままなど、あってはならない! 断じて否だ……!」

 

「……そうかよ。つまりてめぇは……」

 

「ああ、そうさ。僕は証明する。あの日の敗北が、何かの間違いであったと。僕の正義こそが、偽りのない真実であることを証明する」

 

 

 

 

「君を打倒し、この僕こそが――真の『正義の魔法使い』となる……!」

 

 

 

 

 高らかなる宣言の後、沈黙がその場を支配する。

 彼に与したアルフレートを除けば、ジャティスに対する各人の反応は呆れ、困惑、そして侮蔑と……決してよろしいものではなかった。

 それでもジャティスは語り続けた。まるで自身の抱く夢を友人に語る、幼き子供のように。

 

 

「グレン、月香! 君たちには話そう! 僕はこの国と世界の真実を知ると同時に、世界の全ての理を支配する存在を知ったんだ!

 そう――『禁忌教典』(アカシックレコード)だ!」

 

「……!」

 

「……? 何だ、それは」

 

「だが、あの力はあまりにも人知を超えている! 人が触れていい代物じゃあない!

 邪悪の手に渡れば、この世界はたちまち滅び去ってしまうだろう! だからこそ! あれを所有するべきは、絶対的に正しい人間だけなんだッ!!」

 

「では、その絶対的正義の人間とは……いや」

 

「ああ、語るまでもないだろう! この僕が、あの力を押さえなくてはならない! だけどね、僕は絶えず自問しているんだ。

 究極的なるあの力の所有は、何よりも優先して行うべき義務である筈なのに、肝心のこの僕は、かつてグレンの正義に1度敗北を喫している。そんな僕に『禁忌教典』(アカシックレコード)を手にする資格があるのか? いや、断じて否だ!

 例え世界の全てが認めても、この僕自身がそれを許さない! 認めない!」

 

 

 剥き出した眼球を血走らせて、ジャティスの言葉が加速する。

 

 

「だからこそグレン! 僕は君を倒し、揺るぎない純白の正義と共に『禁忌教典』(アカシックレコード)を手にする資格を得る!

 そしてその力で『正義の魔法使い』となり、この帝国を、天の智慧研究会を、否――この世全ての悪を駆逐し、真の平和をこの世界に築く!」

 

「……」

 

「分かるかいグレン!? この全ての悪は、絶対的正義の執行者たる僕の手によって滅殺されるんだ!

 この僕がいる限り、この世界に『悪』という存在は一片たりとも許さない! 真っ白に漂白してやる! (みなごろし)だッ!!」

 

「ぁ……ああ……ああ……ッ!」

 

 

 ようやくジャティスの演説が終わると共に、力の無い声を上げて、システィーナがその場にへたり込む。

 無理もなかった。口走る全てが狂的で、およそまともな部分が何一つとして存在しないその語りの最中、しかしジャティスはただの1度も自身の言動を疑いはしなかった。

 狂的で、しかし真っ直ぐで、決して折れることを知らない眼差しはいっそ清々しささえ感じさせて――だからこそシスティーナは、ジャティスに対して恐れを抱いてしまった。

 

 ()()()()()――その一言で、全てが片付いてしまう程に、ジャティスという人間は、もはや後戻りのできない狂気に憑りつかれていた。

 だが――ジャティスの語りは、まだ終わりではなかった。

 

 

「だが――信条を曲げるようで癪だけど、この世に在って然るべき『悪』も存在する――君だよ、月香」

 

「……!」

 

「……何を考えてやがる、ジャティス」

 

「手を組もう、英雄殿」

 

 

 その突然の提案に、グレンとシスティーナは絶句した。

 あれだけ悪を許さないと言っておきながら、存在すべき悪もいると述べたこともそうだが、何よりこの場面で勧誘を行って来たジャティスのその行為に、2人は驚愕を隠せなかった。

 

 一方、勧誘を呼び掛けられた当の本人(ギルバート)は目立った反応は見せず、しかし枯れ羽帽子の下に覗く双眸を一層険しいものへと変え、ジャティスとアルフレートを睨み据えていた。

 

 

「君は悪だ。外道魔術師共を殺戮し、市民の平穏を保ってきたとはいえ、数ヶ月前の血文字のメッセージもあって、少なくとも世間からの一般的な評価は君を『悪』と定義付けている」

 

「……それがどうした」

 

「だが、その行いの本質に邪性はない。どれだけ惨たらしく殺そうと、どれだけ多くの血を流すことになろうとも、それは君の信念による行いの結果であり、その果ては必ずと言っていいほど秩序の保存に終着していた。……ギリギリではあったけどね」

 

 

 そう、ジャティスは適確に真実を見抜いていた。

 残酷な手口、凄惨な殺戮現場、非人道的行動の数々。

 多くの人間、少なくとも同じ魔術を扱う者たちならば、その恐怖心から彼を悪と定め、忌み嫌っているだろう。

 事実、彼の凶行はこの4年間、帝国の夜を支配し続け、事件が起きる度に方々で騒ぎが生まれ、混沌が一時その場を包んでいた。

 だが、ジャティスは全く別の見方で彼の凶行を観察していた。

 

 

「そもそも、君が度々外道魔術師共を誅殺しなければ、連中は今より一層幅を利かせ、この世界の闇に跋扈していたことだろう。

 比類なき巨悪が力ある者にとっての敵ならば、鼠の如く散らばる無数の悪党は、力なき者たちにとっての脅威だからね。その行動を抑制し、絶えず削り続けることの労苦がどれほどのものか、この国の偽善者共は知らないのさ」

 

 

 もたらす混沌は一時のものなれど、その一時の混乱が半永久的な秩序を支えていたこともまた事実だ。

 もしも、彼が魔術師狩りの恐怖を広めていなければ、今頃この帝国の裏では一層外道魔術師たちが蔓延り、さらなる悪事を働き、人々の安寧を脅かしていたことだろう。つまりは――

 

 

「月香、君という社会的大悪の凶行が、奇しくも他の悪党共の抑え役となっていたんだ。

 それは、あの忌まわしい天の智慧研究会さえも例外ではなく、だからこそ僕は君という悪を特例として認めることにしたんだ。

 悪を以て悪を制する――『偽悪の英雄』として、ね」

 

「……貴様に讃えられても、嬉しくも何ともないがな」

 

「そう言わないでくれ。……さて、他にも語りたいことは山ほどあるが、時間は有限だ。それに、先の話で僕が君を誘った理由の説明にはなっただろう。

 偽悪の英雄、アルフレートたち異境の狩人の頂点へと至った超人『月香の狩人』。この世界の平和のため、悪の撲滅のためにも、どうかその力を貸してくれ」

 

 

 尊大さを感じさせる口調は変わらぬものの、その眼差しと意思は真剣そのもの。

 全悪の滅殺のため、絶対的正義成就のためにも、ジャティスは本気でギルバートを欲していた。

 手段はどうあれ、ジャティスの正義に捧ぐ意思と覚悟は本物だ。それこそ正気を失い、狂気に心身を堕としてしまう程に。

 それこそ信仰にも似た強烈な奉身に感銘を受けたからか、同じく狂信の気があるアルフレートも、彼の同士となったのだろう。

 

 

「ギルバート先生……」

 

「月香……」

 

 

 すぐ傍で自分を呼ぶ声がした。

 1つは不安を隠し切れず、自分に縋るようなか細い声。

 1つは低く静かに、しかし確かな信頼を寄せた声。

 

 

(……悩むまでもない)

 

 

 だが、即答はせず、ギルバートは暫しの沈黙を選び取った。

 グレンとの決闘を望む以上、ジャティスが中毒者たちを此処に集め、袋叩きにするという可能性は先程のやり取りから皆無と確信できる。

 故に他の援軍が来る可能性がある以上、時間が限られているのはジャティスの方であり、グレンやギルバートに対してはその限りではない。

 この沈黙は、その許された時間あっての行為であり、彼が()()で敵と相対するためのその前準備のようなものだった。

 

 

「……あらゆる物事は、正しき道にて用いるべき」

 

「なに……?」

 

「筆は学業に、食器は食事に、医術は医療に……あらゆる物事には、それぞれに正しき用途というものがある。

 数ある用途の中において、本来在るべき分野の中で用いてこそ、物も技術も、概念すらも真の意味を発揮する」

 

 

 ――だが。

 

 

「だがどうだ。魔術も、医術も、本来あるべきとは全く異なる用途で使われ、外道の術技と成り果てているではないか。

 俺の扱うこのノコギリも、貴様の扱うその錬金術とやらも、今や血に塗れ、外道の手足と化し、腐れ果ててしまっている」

 

「……何が言いたいんだ、君は」

 

「……分からんのか?」

 

 

 刹那、枯れ羽帽子の下の眼光が変わる。

 それは怒気を孕み、嫌悪の念で塗り固められ、ドス黒い殺意——憎悪の視線。

 

 

「貴様が口煩く紡ぐ『正義』とやらも、既に意味を失くしていると言っているのだ。

 正しきを為す? ……笑わせるな。違えた道で用いられたその瞬間より、その正義は正義足りえん。

 虐殺あっての正義など、俺や医療教会の連中と同じ、救いようのない――だッ!!」

 

「っ! 貴様――ッ!!」

 

 

 瞳に怒りを宿しながら吼えるジャティス。

 そんな彼を睨みつけ、ギルバートは携えた全ての武装を虚空へ戻すと、また新たな狩人武器を引き抜いて、その両手に握り締めて――。

 

 

「フ――ッ!」

 

 

 すかさず()()――放たれた水銀の魔弾が、ジャティスの心臓を抉らんと豪速で迫る。

 堅牢な獣皮さえも貫く弾丸。しかしそれは、再び突き立てられた車輪によって防がれた。――だが、

 

 

「……っ」

 

 

 車輪の一部が大きく削られている。

 生半可な攻撃ではビクともしない、名高き聖者が率いた処刑隊の主武器が、ここまでの損傷を受けるなど初めてのことだった。

 何が原因かとギルバートの方を見やると、アルフレートの視線は彼が握る左手の銃器――古めかしい装飾が施された古式銃へと注がれた。

 

 

「貴様――その()()は……!」

 

「――小僧!」

 

「……ああ!」

 

 

 相手が冷静さを取り戻すよりも前に、2人は行動に出た。

 互いの銃弾を撃ち放ち、ジャティスたちを牽制しながら準備を整えていく。

 

 

「行け、システィーナ君!」

 

「ここはもうお前の居ていい世界じゃねぇ! 互いの命を賭けた、本当の殺し合い(クソッたれ)の世界だ!」

 

「せん、せい……。――ッ!」

 

 

 2人の怒声に圧倒されながらも、システィーナは最後の力を振り絞り、踵を返してその場から立ち去った。

 これでいい。これで誰も巻き込まなくて済む。見せなくていいものを見せずに済む。

 本気の殺し合いへと――移れる。

 

 

「――殺るぞ」

 

 

 刃が煌めく。引き金が引かれる。魔術が蠢動する。

 ――異端者(ロクでなし)たちの殺し合い(たたかい)が、始まる。

 

 

 

 

 

 

 ――銃声が鳴り響く。

 

 放たれた弾丸が結晶体のような姿をした精霊を砕くと、その下へ砕けた結晶片が粉雪のように降り注ぎ、やがて溶けるように消えていく。

 

 

「まだまだ!」

 

 

 しかし、ジャティスは手を止めない。

 突き出した手から疑似霊素粒子粉末(パラ・エテリオンパウダー)を振り撒くと、それらがジャティスの深層意識野にいる神魔の姿を模り、新たな尖兵として具現する。

 【彼女の左手】(レーズ・レフト)――“黄金の剣を握る左手”の形をした異形の精霊は、たちまち数を増やし、その全てが大海を泳ぐ鮫の如く繰り出し、グレンへと襲い掛かる。

 

 

「屈め!」

 

 

 飛来する剣群の猛襲を、けれどもそれ以上の数で放たれた銃弾が阻止する。

 一発一発が必滅の威力を孕んだ銃弾。それらが異形の精霊を悉く砕き、その全てを欠片と変えて消していく。

 その様子を見ながら、銃弾の射手――()()()()()を構えたギルバートが、その銃口をジャティスへ向けようとしたその時――絹を裂くような甲高い裂帛を伴い、強烈な重撃が振り下ろされた。

 

 

「ヒャアアアアアアアアァ――ッ!!」

 

「ヌゥ……!」

 

 

 瞬時に後方へ跳ぶ(バックステップ)。そしてすかさずの連続射撃。

 二丁拳銃から放たれ、展開された弾幕がアルフレートに猛襲する。

 車輪の一撃で噴き出た土煙のせいで見えないが、あの弾幕を全て回避するのは至難の業だ。

 かと言って先程と同じように車輪を盾に防ごうにも、新たな拳銃――『エヴェリン』の血に依った破壊力は、車輪の防御さえも削り取る。

 それはあちら方も知っているだろうし、ならば防御に徹することはできず、数発の被弾を覚悟で回避を取る、と。そう読んでいたが……

 

 

「……!」

 

 

 土煙が突如晴れる。

 吹かれた豪風が土色のカーテンを取り除くと、その隙間から豪速で巨大な()()が飛んでくる。

 

 

(回避——いや、間に合わん……!)

 

 

 完全回避が不可能と悟ると、ギルバートは動きを変えた。

 ギリギリにまで体躯を左に動かすと、右手の銃を変形――大振りな騎士剣へと変えると、その刀身で飛来する大物を受け、そして流す。

 軌道を変えられた大物――車輪はそのまま飛んでいき、轟音を伴ってその先にあった建物の壁を粉砕した。

 

 

「……」

 

「……嘆かわしい」

 

 

 声のした方向を振り向く。そこには、やはりアルフレートの姿が見えたが、その有り様は先とは大きく異なっていた。

 薄汚れた白の聖布は撃ち抜かれ、生じた孔より滲み出る血で鮮やかな赤に彩られている。

 面積の多い胴は勿論のこと、手足のあちこちからも血が垂れ流れ、その全てが銃弾の命中箇所であることを物語っていた。

 

 

「嘆かわしい……貴方ともあろう御人が、よりにもよってそのような()()()()()をお使いになろうとは」

 

 

 多量の出血も厭わぬまま、長銃を片手にアルフレートが突進する。

 およそ重傷を帯びているとは思えない速度で迫るアルフレートに、ギルバートは左手のエヴェリンと右手の変形騎士剣(レイテルパラッシュ)で応戦しようと構える。

 だがアルフレートにその気はない。長射程狙撃こそを求めた長銃で出来る、精一杯の連射を繰り返しながら疾走しつつ、彼の体躯はギルバートの横を通り抜けた。

 

 瞬間、アルフレートの狙いを悟ったギルバートがすぐさま騎士剣を銃へと変形させ、再び弾幕を張るべく発砲する。

 が、時既に遅し。砕かれた壁の先に埋もれる車輪を引き抜くと、それを担ぐようにして構えたまま、再び豪速の突進が仕掛けられる。

 無数の弾丸も、それら全てに被弾することも厭わぬままの突進。

 死兵も同然の戦法に思わず絶句するギルバートだったが、すぐさま古式銃と銃剣――否、銃剣を仕舞い込み、瞬時に取り出した鋼の大剣(ルドウイークの聖剣)を垂直に突き立て、盾と為して受け止めた。

 

 

「貴方は否定なされるでしょうが、貴方が今日まで積み上げてきた行いは、紛れもなく偉業でした。

 多くの人命を散らしたのは事実でしょうが、それも仕方のないこと。何せ彼らは、どうしようもない外道だったのですからね」

 

「くぅ――シャアアッ!」

 

 

 押し迫る車輪を大剣の薙ぎ払いにより、アルフレートごと吹き飛ばす。

 人外的剛力で以て放たれた薙ぎ払いは強く、けれどもアルフレートは車輪に自身の重みを加え、強引に落下することですぐさま着地。そして再び車輪と長銃を構えてギルバートに向き直った。

 

 

「偉業を成した者は、須く英雄と称賛されるべきです。そして英雄には、それ相応の振る舞いや装いが要求される。

 我が師、ローゲリウスがそうであったようにね」

 

「……そんなにも気に入らないか、この古式銃(エヴェリン)が」

 

「ええ、気に入りませんとも。そしてそれを平然と扱う今の貴方も」

 

 

 黄金の三角兜の下で、アルフレートが怒気を混ぜた声を吐き出したのが分かる。

 おそらくその兜の下で、怒りに満ち溢れた凶相が浮かび上がっているに違いない。

 

 

「貴方のおかげで私は、あの悍ましい売女めを討ち取れました。師を列聖の殉教者として奉るという、最後の悲願も果たせました。

 あの狂った古都の中において、あれ程誰かのために奔走できた貴方だからこそ、私はジャティス殿に貴方を推したのです。……だと言うのに」

 

 

 バキンッ――と、硬いものが割れる音がした。兜の下で、アルフレートが自らの奥歯を噛み砕いたのだろう。

 

 

「何故に貴方がソレを使う! 否、あの騎士剣も、思い出せばカインハーストの卑しき従僕共が扱った穢れた刃であった筈!

 英雄ならば、それに相応しい得物があった筈です! 今貴方が手にするルドウイーク卿の剣も、我ら狩人の象徴にして、貴方の代名詞であるノコギリ鉈も、その手に飾るに相応しい得物は他にもあった筈だ! なのに!」

 

「……クッ――ハハ」

 

 

 笑声――漏れ出た声がソレであると気付くのに、そう時間は掛からなかった。

 直接相対するアルフレートは勿論、別の戦闘を行っていたグレンとジャティスすらも一瞬手を止め、思わずそちらに目を向けた。

 

 

「ハハハ――クッ、ハハハハハ……!」

 

「……何故笑っているのですか」

 

「ハハハッ……いや、すまない。あまりに青い発言ゆえ、笑いを堪えられなかった」

 

「青い……私の言葉が、青いと?」

 

「ああ、そうだ。英雄? 相応しい武器? それなりの装い? ――くだらん」

 

 

 そう吐き捨てたギルバートの姿は、先程ジャティスに正しき用途の何たるかを説いた時とはまるで別人のものだった。

 憎悪を胸に秘め、そこから溢れ出る怒気ゆえの灼炎が先の姿ならば、今の彼は氷。

 どこまでも冷たい、理想を無駄と吐き捨て、現実の優勢こそを求め、徹する氷鬼。

 かけ離れた性質の二面性に、同じ古都の同業たるアルフレートも、三角兜の下で目を丸くしていた。

 

 

「先の俺の言葉も中々に青かったが、あれは心情ゆえの発言だ。大目に見てくれ。

 だがアルフレート……貴方のそれは単なる理想像だ。理想を語ることそのものを咎めはしないが、それを他者に押し付け、強要するのはどうかと思うぞ?」

 

「……っ。ならば貴方は、自ら否定するというのか。民衆が求め、彼らが捧げてくれた英雄としての名を!」

 

「俺は英雄ではない」

 

 

 底冷えするような極冷の一声が響く。

 

 

「道を外れたとはいえ、他者の殺戮を良しとする男を英雄と呼んでいいのか? ……違うだろう。

 英雄というのは、常に日向に在り続け、万民の希望の星となるべく立ち上がった者のことを言う。

 日陰に潜み、血を撒き散らし、命を軽々と奪い続ける男が冠していい称号ではない。

 あのルドウイークでさえ、最期は英雄としてではなく厄介者として葬られ、後にあの悪夢を彷徨ったのだ」

 

 

 大剣をそのまま突き立て、新たに虚空から得物を取り出し、手に取る。

 仕掛け武器――否、それはもはや人の手掛けた武器ではない。

 数多に擁する彼の得物の中において、異質さならば1、2を争うほどの奇怪極まるモノ。

 自らを英雄ではないと断じ、アルフレートの言葉を理想と吐き捨てるギルバートが、一層彼の語る理想像を冒涜するに相応しい逸品であった。

 

 

「そら、続きだ。どちらの信念を貫き通すか……張り合おうじゃないか。アルフレート」

 

 

 紡ぐ言葉に呼応するように、握りしめた異形の腕槌(小アメンの腕)の先端が不気味に蠢いた――。

 

 

 

 

 

 

「――かあああああァッ!!」

 

 

 魔力を纏った剛拳が頭蓋を砕く。

 飢えた獣も同然となった中毒者の頭部は、ただそれだけで熟れ過ぎた果実のように爆ぜて、中身を盛大にぶちまけながら消失した。

 

 

「ふいィ……全く、手こずらせおって」

 

「ですが、これで周囲一帯の中毒者は掃討できた筈です」

 

 

 宝石を片手に握り締めて、少年――《法王》のクリストフは、肩越しにそう老人(バーナード)に言った。

 ゴキゴキと肩を鳴らして、腕の調子を確かめるバーナードやクリストフとは別に、もう1人――アルベルトは鷹の如き目付きで周囲を見回しながら警戒を続けていた。

 

 

「だが警戒を緩めるな。いつどこで奴らが飛び出てくるか分からん」

 

「アル坊の言う通りじゃな。しっかし、末期中毒者の死体が上がったと聞いて来て見れば、今度は中毒者集団に襲われるとは」

 

「そうですね。タイミング的にも出来過ぎている……ところでバーナードさん、右腕の調子はどうですか?」

 

「うむ? おう、全然問題ないぞい。ほれ、この通りじゃ!」

 

 

 自身の回復ぶりを見せつけるように、バーナードはその太い()()をクリストフの前に突き出し、自慢の筋肉をこれでもかと隆起させた。

 

 

「いやぁ、右腕の方で助かったわい。あの時千切れ飛んだのが左腕だったら、儂ぁもう魔導士引退せにゃならん羽目になっとったからなぁ。

 魔術を扱う者にとって、左腕の損失はそのまま魔術師にとっての死へと繋がる。例え無事に繋がったとしても、もう以前のように万全に魔術を振るうことはできんからのぉ」

 

「……その腕を断った張本人が、今ではグレンと行動を共にしているというのは、何とも奇妙な話ではあるがな」

 

「……」

 

 

 サイネリア島での一件の後、アルベルトはギルバートの正体を同僚たちへと明かした。

 その異質極まる身体については伏せたものの、帝国を震え上がらせた稀代の殺人鬼が帝国最高峰の魔術学院に勤め、現在はかつての同僚であるグレンの下にいるとなると、流石に動揺を隠し切れなかった。

 それでも彼らがこうして大人しくしているのは、偏にアルベルトの説得のおかげと言えた。

 

 

「……?」

 

 

 そんな最中、ふとアルベルトの双眸が妙な人影を捉えた。

 彼でなくても、その存在を認知できる程度の距離先には居るのだが、いざ詳しい姿を確認するとなると、残り2人の視力では限界があった。

 

 

「何じゃアルベルト、何か見つけたのか?」

 

「あれは……中毒者、なのでしょうか?」

 

「いや……あれは……」

 

 

 言葉で表すなら、その人物は“奇妙”の一言に尽きた。

 頭部は白い包帯で覆われており、無造作に伸ばした髭を蓄えた口元を除けば、何も見えはしなかった。

 しかし、そんな頭部とは対称に首から下の装いは皆無に等しく、薄汚れたズボンを除く全ての箇所が露出し、上半身に至っては完全な裸だった。

 そんな奇人がフラフラと歩み寄り、ゆっくりと、しかし確実にアルベルトたちの下へ近づいていた。

 

 

「あの包帯男、土気色の肌をしている……!」

 

「つまり、あの人も中毒者ということですか?」

 

「にしちゃァ様子が変だのぉ。呻き声も上げんし、襲い掛かって来るような様子にも見えん」

 

「ぁ、あ、あ……ああぁ……」

 

 

 三者が口々に言っていると、包帯男が突然声を上げ始めた。

 それは呻きにも、あるいは泣き声にも聞こえる何か。

 虚空に手を伸ばし、意味のない言葉を吐き出し続けるその様は、まるで大切なものを失くし、探し求める幼子にも見えなくはないが、その奇妙な動作が一層彼らの警戒を強めた。

 

 

「あ、ぁぁ、ぁぁぁぁ……アレはどこだ。アレは、どこにあるんだ……?」

 

「アレ……?」

 

「アレが無きゃダメなんだ……アレが無くちゃ、俺は、もう――ぐぅッ」

 

 

 呟く声が止むと、突然男は頭を押さえ、その場に蹲る。

 痩せさらばえた痩躯が蹲ることで一層男の肉体的貧困さを増させたが、直後、その印象は一気に吹き飛ぶこととなった。

 

 

「あ――ぁ、ああ――あああああああああああああアアアアアアアアッ!!!

 

 

 絶叫が轟く。引き裂くような悲鳴が響き渡る。

 蹲る男の体躯はたちまち膨れ上がり、その肌は炭のように黒ずんでいく。

 変貌した体躯からは剛毛が伸び、連なり、鎧の如く全身を覆い尽くす。

 手足の爪には鋭さが宿り、開いた口から覗く犬歯は太く、長く伸びて、剣もさながらの獣牙と化した。

 そして頭部を覆う包帯は破け、露わとなった顔には、その異形の巨体に相応しい赤目の獣面が飾られていた。

 

 

「な……ッ!」

 

「異能力者――いえ、これは……!」

 

「人が……怪物となっただと――!」

 

『ぐ、ぅぅ……何が、獣だ……。お前らこそ――』

 

 

 

 

 

『――お前らこそ、血塗れだろうがぁッ!!』

 

 

 

 

 

 

 周囲の建物さえ凌駕する巨躯を震わせて、雷迸らせる“恐ろしき獣”が悲鳴の如き咆哮を上げた。

 

 

 




 そう言えばランキングに久々にロクアカ原作の作品が載ってましたね。
 クロスオーバーではない作品は手掛けたことはないのですが、あれ程の完成度の作品は中々お目に掛かれないので楽しく拝読させて頂いております。
 
 ちなみに私は現在、仁王2プレイ中。
 今はようやく二章に突入(遅い)したところです。
 もし機会があったらマッチングで出会うかもしれませんが、その時はよろしくお願いします。

 


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第25夜 想定外の未来

 ここのところ調子がいい、筆が思った以上に進んでいます。
 けど内容があり過ぎて、ストーリーそのものはあまり進んでないんですよね。私は悲しい……。
 では、今回もどうぞ。


「はぁッ……はぁッ……はぁッ……!」

 

 

 純白のドレスを靡かせて、システィーナはひたすらに走り続けた。

 後方から聞こえる轟音や絶叫から逃れるように、彼女はただ、無我夢中で進み続けた。

 それでも、元々着慣れぬドレスに加え、先程のグレンらの間であったやり取りを目の当たりにしたせいか、精神的負荷も決して少なくはない。

 様々な要素が彼女を苛み、そしてヒールの先端がドレスの裾を誤って踏んでしまったその時、彼女の体躯は盛大に転がった。

 

 

「あぅッ!?」

 

 

 硬い石畳に肌が擦れ、血が流れ出る。

 電撃の如く駆け巡る一瞬の痛みは、だがシスティーナを我に返らせるには充分な切っ掛けとなった。

 

 

「……だって、仕方ないじゃない……!」

 

 

 吐き出した第一声は、誰かに対する言い訳だった。

 あの場に居ても仕方ない。激烈な戦闘を繰り広げる真正の戦闘者たちの間に入るなど、できるはずがない。

 優秀とはいえ、所詮は学院の一生徒。本気の殺意を剥き出しにした、真の魔術師と狩人の戦いに割って入ったところで、足手纏いになるだけだ。

 

 そして事実、あの場における彼女は、ソレ(足手纏い)以外の何物でもなかった。

 ……なかった筈なのだが。

 

 

「……大丈夫」

 

 

 また1つ、自分に言い聞かせるにして呟く。

 

 

「大丈夫……大丈夫。グレン先生も……ギルバート先生も、あんな奴らなんかに……」

 

 

 その戦い様に恐怖を抱いたものの、あれだけの立ち回りを見せたグレンならば、きっとジャティスに勝てる。

 そしてギルバート――『血塗れの殺人鬼』も、その実力の高さは言うまでもない。

 だから必ず勝ってくれる。勝って、また自分たちの下に戻って――

 

 

 ――()()()()

 

 

 学問に秀でた者は、必然として思考の基礎能力が高い。

 つまりは聡いということだが……その聡さが、今回ばかりは負の方角へと働いた。

 予想できてしまったのだ。少なくとも――どちらか1人は、自分たちの前から消えてしまうことを。

 

 自分を救い出すため、簒奪者として聖堂の扉を蹴破り、自分を(すく)ってくれたグレン。

 己の行いゆえに背負わせてしまった罪の意識から解放するため、それまで秘していた正体を晒し、手を貸してくれたギルバート。

 そんな彼らから差し伸べられた手を――彼女(システィーナ)は、拒絶してしまった。

 

 

「……っ」

 

 

 嗚咽する声が漏れ、路地裏に小さく木霊する。

 たった1つの過ちが、彼らの心を酷く傷つけたのだとしたら。

 もう2度と彼らが戻って来なかったのだとしたら、自分はどうすれば良いのか。

 時を巻き戻せるなら巻き戻したい。巻き戻し、あの瞬間をやり直したいとさえ思う。――しかし、それは許されない。

 

 

「私……わたし、は……どうしたら……っ」

 

 

 嗚咽を零し、溢れる涙が止められないシスティーナの問いに答えてくれるものはない。

 今も聞こえる轟音は一層激しさを増し、戦いがさらなる領域へ至ったことを告げている。

 やがて増した轟音は、少女の嗚咽をも呑みこむだろう。か細い泣き声を嘲笑うように、際限なく膨れ上がる戦いの音色はさらなる高みを目指し――。

 

 

「――どうかしたのかね?」

 

 

 ――しかしそれは、たった1つの声によって遮られた。

 その声は、不思議とよく響く一声だった。

 苛烈さや激しさとは程遠い、穏やかな音。

 まるで広い森林の中にいるのではないかと錯覚させるほどの柔らかみに満ちた声は、彼女のすぐ傍で発せられていた。

 

 振り向いた先に見えたのは――1人の老人。

 地味目の色合いの衣服で身を飾り、使い古した帽子から白髪を覗かせた、車椅子の老人。

 いつの間に現れたのかと不意にそう思ったが、彼女の疑問が口に出されるよりも早く、老人はさらに言葉を続けた。

 

 

「怪我をしているのかね? ……ああ、擦り傷だが出血が酷い。すぐに止血せねば」

 

 

 そう言って老人は纏うコートの裏側に手を伸ばすと、そこから水筒と真っ白な布を取り出し、止血作業に移る。

 血が流れ出る肘の傷に白布を宛がうと、その上から手を添え、強く押して圧迫する。

 傷口に触れた白布はたちまち赤みを帯びていくが、さらなる出血の様子が見られないことから圧迫部分が間違っていないことを悟り、老人はまた新たな白布を数枚取り出し、再び宛がう。

 

 そして最後に傷口に水を垂らして血を洗い流すと、最後の仕上げに布で拭き取り、包帯を巻いて治療を完了させた。

 

 

「……これで良し」

 

「あ……ありがとう、ございます」

 

「ふふっ……なに、礼を言われるほどではないとも」

 

 

 そう言いつつも、礼を受け取れたことが嬉しかったのか、老人は皺の刻まれた顔に薄っすらと笑みを浮かべ、微笑んだ。

 

 

「あの……ここは、危険です。早く離れた方が……」

 

「心配ないさ。少なくとも、()()は今のところ安全だよ」

 

「……」

 

 

 老人の言葉を耳にし、ふと周りを見回すシスティーナ。

 今や場所は路地裏を抜け、開けた広場に出ているが、不思議とそこに人影はなく、あの恐ろしい中毒者たちだけでなく、市民の姿さえも見当たらない。

 完全な無人領域に違和感を覚える彼女であったが、その空虚な領域に木霊するように、再び老人の声が発せられた。

 

 

「何か、思いつめた顔をしているね」

 

「……っ」

 

「話して御覧なさい。こんな老いぼれの身でも、それぐらいは役に立つさ」

 

 

 今日初めて会ったばかりだというのに、不思議とその老人の言葉に疑いを抱くことはなかった。

 まるで蝶を誘う花のように、あるいは生物を惹かせる淡い月光のように。

 既に精神に限界がきていたシスティーナも、これ以上1人で抱え込むことに耐えられなかったのもあり、少しずつだが、己の内に溜まったものを吐き出し始めた。

 

 

「私……逃げ出したんです。親しい人たちが、大変な目に遭っているなかで……私だけ……」

 

「……そうかね」

 

「……怖かったんです。その人たちを襲った人たちも……その人たち自身すらも……」

 

 

 吐露するたびに、また目元が熱くなっていくのを感じる。

 同時に内側で、何かが燃え上がるように熱を生んでいく感覚があった。

 怒っているのだ――自分自身に。

 同時に情けなくも思った。ルミアが襲われたあの日から、大切な人たちを守るために培った力を、しかし大事な場面で使うことができず、逃げ出した。

 それが例え、親しき人たちからの願いによる行為だったとしても――。

 

 

「わたしは……どうしたら、よかったんですか……?」

 

「……」

 

 

 老人は答えず、ただ考え込むように沈黙した。

 時を経るごとにまたあの轟音が響き、逃れた子猫を何処かと探っているように迫って来る。

 恐怖を呼び起こす戦音に彼女が耳を塞ぎかけた――その時。

 

 

「君は……その彼らを怖れた自分が、許せないかね?」

 

「え……?」

 

 

 老人の問いかけは唐突だったが、一瞬間を置きながらも彼女が小さく首肯すると、老人は「そうか」と呟き、また話を続けた。

 

 

「確かに恐怖とは、己が足を止め、時に枷となる厄介なものなのかもしれない。

 現にそれが原因で、過去に多くの英雄も命を落とし、帰らぬ者となった」

 

 

 だが――と。

 

 

「だがね少女よ。その感情こそが、己の道を別ける際に最も重要な要素となり得るのだよ」

 

「もっとも、重要な……」

 

「ああ。……死なないための怖れもあれば、何かを為すための怖れもある。

 生きるか、為すか……大切なのは、それを見極めることなのだよ」

 

 

 そう紡ぐ老人の目には、微かな後悔の念が垣間見えたが、帽子で隠されたその双眸を見ることが叶わないシスティーナには、それを察することはできなかった。

 

 

「後悔せぬことだ……その時の選択を……自分が本当に望んだ結末を裏切るような真似をすれば、その先ずっと、後悔は自分を苛み続ける」

 

「それは……おじいさんも、ですか?」

 

「……さあ、ね」

 

 

 最後の部分ははぐらかされ、聞き取ることはできなかった。

 だが、何となくではあるが老人の言うことは理解できた。そして――

 

 

「さあ、問いかけだ。君は――どちらを選ぶんだい?」

 

「……私は――」

 

 

 

 

 

 

「――ぐぅぁ……!」

 

 

 体躯が壁に叩きつけられ、アルフレートが三角兜の下で激しく吐血した。

 纏う聖布の装束はボロボロで、得物の車輪も損傷が激しい。

 長銃はまだ使えるが、だからと言ってこの状況を打開するには至らない。

 

 

「……終わりか?」

 

 

 短くそう問い掛けて、自身をこんな状態に追いやった張本人――ギルバートが腕槌を片手にやってくると、すかさずそれを振りかぶり、叩きつけんと振り下ろした。

 

 

「くぅ……っ!?」

 

 

 重装の身を無理矢理転がせ、どうにかその一撃を避けたが、得物を逃すまいとギルバートは左手の古式銃(エヴェリン)の銃口を向け、間髪入れずに発砲した。

 一撃、二撃、三撃――と。容赦のない連射がアルフレートを襲う。

 もはや先程までの特攻さえも侭ならない彼の様子に、しかしどこまでも苛烈にギルバートは追い打ちをかけ、傷を刻み続けた。

 右手、右足、左手、左足――四肢の悉くに銃弾を撃ちこみ、身動きを封じたところで腹部に腕槌を叩き込む。

 

 

「が――はぁッ!?」

 

「……」

 

 

 骨肉を砕く音が幾度となく反響する。

 腕槌を通じて伝わる損傷の度合いを確認すると、いよいよ詰めとばかりにギルバートが携える腕槌を一層強く握り締めると、腕槌が不気味に蠢き、その形状を変える。

 武骨で不気味な腕槌の一部が鞭のようにしなり、触手となって倒れ伏すアルフレートの片足を絡め取る。

 

 

(これで……!)

 

 

 絡め取ったアルフレートを叩きつけ、最後の仕上げに掛からんとした――その時だ。

 

 

「――がふッ……!?」

 

 

 突如、激痛が彼の身を駆け巡った。

 1つや2つではない。数にして5つ以上の激痛が彼の身を苛み、痛みによる灼熱を覚えさせた。

 その原因はすぐに分かった。黒衣で覆われた彼の身を貫くのは、剣とも槍とも見て取れる結晶の塊。

 そしてそれを放ったであろう天使型の人工精霊(タルパ)と、酷薄な笑みを湛えてこちらを見つめてくる狂人(ジャティス)の姿。

 

 

「が、ぁ……こ、ぞぉ……!?」

 

「よくやってくれた、アルフレート。君のおかげで、僕も心おきなくグレンに集中できたよ」

 

 

 未だ残る意識を視線と共にそちら側へ向けると、その先には壁に叩きつけられ、激しく吐血するグレンの姿が見えた。

 その周りには、ギルバートを貫いた天使とはまた別の、銃を構えた数人の天使が彼に銃口を向けている。

 

 

「が、ぁ……申しわけ、ござい……ません。ジャティス殿……」

 

「いいさ。個人の勝敗はこの際気にしないよ。……さぁ、早く輸血とやらで回復するといい」

 

「はい……」

 

 

 ギルバートの猛攻からようやく解き放たれたアルフレートは、ジャティスの言葉に従うように懐から2つの輸血液を取り出し、その先端を左腕に差し込み、一気に注入する。

 血液が中に入り込む度、瞬くに彼の傷は癒えてゆき、完全に注入を終えた頃には目立った外傷は1つ残らず消えていた。

 

 

「『血塗れの殺人鬼』は押さえておいてくれ。……さて、グレン。ようやく勝負あったね」

 

「っ、クソ、が……!」

 

「惜しいな……君の手に『イヴ・カイズルの玉薬』があれば、少しは違った結果になったのかもしれないが。

 まあ……既に軍属ではない君では、手に入れられる筈もないか」

 

 

 口惜しさ、そして憎さから睨み据えてくるグレンとは対称に、ジャティスは己の喜びを抑えることができない様子だった。

 現にそう言っている間にも、彼は浮かべた笑みをさらに深め、その口元から時折笑声を零している。

 

 

「ようやくだ……僕の勝利だ。全力の君を打ち砕き、僕の正義が証明された……!

 やはり僕には、『禁忌教典』(アカシックレコード)を手にする資格があるッ! 何せ、選ばれた人間である君を超えたわけだからな……!」

 

「……がたがたと、うるせえ奴だな。殺るなら殺れよ……」

 

「ああ……すまない。待ち焦がれた勝利の瞬間なんだ。思わず感情が昂ってしまってね」

 

「……小僧——グゥッ!?」

 

「……大人しく、して頂きましょうか」

 

 

 魔結晶で貫かれた体躯を、車輪に轢かれる形で石畳に縫い止められる。

 全快とまでは言わずとも、輸血液で大部分は回復したアルフレートと、急所を幾つも射貫かれたギルバートとでは、力の関係は逆転していると言っていい。

 

 

(この期に及んで、まだ勧誘を諦めんつもりか……!?)

 

 

 死しても夢という形で“死”そのものを無かったことし、復活できることを知るからこそ、ギリギリの状態に保ったまま拘束する形を選んだのだろう。

 全ては、彼らの言うこの世全ての悪の撃滅と、絶対的正義の成就とやらのために――。

 

 

「安心してくれ、グレン。君は苦しませずに一瞬で殺す。英雄殿は僕たちに協力してもらうことを条件にだが、彼は生かしておいてあげるよ」

 

「そう、かよ……」

 

「……かつて僕の正義を脅かした唯一無二の人間が君だ。この行為は、そんな君に対する最大限の敬意と礼儀と知って欲しい」

 

「……地獄に、堕ちろ」

 

 

 ガチャリ、と銃口が向けられ、引き金に指がかけられる。

 

 

「あの世でセラによろしく伝えておいてくれ……さらばだ、グレン」

 

 

 パチンと指鳴りを1つ鳴らし、それを合図に天使たちが一斉に銃の引き金を引こうとし――そして。

 

 

 

 

 

 

「《集え暴風・戦槌となりて・撃ち据えよ》――ッ!」

 

 

 

 

 

 

 唐突に叫ばれた呪文。

 放たれた魔術――【ブラスト・ブロウ】はジャティスの痩躯を殴りつける吹き飛ばした。

 

 

「ジャティス殿——ッ!?」

 

「――ぬぅあああああッ!!」

 

 

 相方に対する突然の奇襲に驚いた瞬間、アルフレートの拘束が一瞬緩んだ。

 生じたその隙を逃すまいと、満身創痍の体躯を力ませ、腕力に任せて車輪ごとアルフレートを投げ飛ばし、脱出する。

 一方、ジャティスは銃撃を任せていた天使たちをすぐに集め、クッション代わりにしてそれらごと壁に叩きつけられた。

 緩和材となったおかげでジャティス本人に目立った傷はなかったが、代償に召喚した天使たちは粉々に砕けた。

 そして衝撃全てを殺し切ることが叶わなかった証拠か、先程のグレンと同じくジャティスもその場で吐血し、石畳に真紅の塊を零れ落とした。

 

 

「――間に合った……!」

 

「な……!」

 

「……何故……!」

 

 

 カツンッ――。

 硬い靴音を鳴らして、新たに1つの人影が戦場に足を踏み入れた。

 血みどろの戦場には相応しくない純白の装い。飾られた髪、そして未だ恐怖の色残る双眸。

 あり得ない――共に同じ思いを抱いた2人の前に現れたのは……

 

 

「何故来た……何故戻って来た――システィーナ君ッ!!」

 

 

 今日一番の絶叫が轟く。

 ジャティスらに向けたものとは異なる、悲痛ささえ感じさせる叫び声。

 それが稀代の殺人鬼たる『血塗れの殺人鬼』から放たれたものとなれば、否が応にも意識を向けてしまう。

 だが……今の彼女には、まずすべきことがあった。

 

 

「……立ってください、グレン先生。この程度で終わらせられるほど、甘い相手じゃないんでしょう?」

 

「ば――馬鹿野郎! 何で戻って来やがった!?」

 

「……っ」

 

「ここはお前が居ていい世界じゃねぇんだ! とっとと帰りやがれッ!!」

 

 

 ギルバートと同等、いや、それ以上の激情が籠った一喝に、思わずシスティーナの肩が震える。

 それでも彼女はその場に屹立し、両手を翳し、威嚇するようにジャティスとアルフレートたちをキッと睨み据えていた。

 

 

「小僧の言う通りだ……君がいるべきは、こんな血塗れた戦場じゃあない! 早く立ち去れ!」

 

「……そうかもしれません。でも、()()は私だけじゃない」

 

「……!?」

 

「私は――貴方たち2人を、連れ戻しに来たの」

 

 

 システィーナの言葉に、思わず2人が絶句する。

 しかしそれもほんの一瞬。再び意識が戻ると、両者とも烈火の如く怒りを燃え上がらせ、再度彼女への激情の言葉を叩きつけた。

 

 

「ふざけるな! 君如きの力でどうにかなるとでも思ったかッ!?

 未熟な魔術師……否、子供が加わったところで何も変わらん! 聡い君がどうして――がッ……!?」

 

 

 叫んでいる最中、口奥から溢れた血が彼の言葉を断った。

 元々満身創痍の身を力ませ、さらなる負担をかけた結果だ。

 吐血で何も言えなくなった彼から引き継ぐように、続けてグレンがシスティーナへと叫び飛ばす。

 

 

「月香の言う通りだ! そもそも、俺はお前らとは違う! あいつらと同じ、あっち側の――」

 

「――だから、何だって言うんですか?」

 

「……!?」

 

 

 予想外の言葉を受けて、グレンの言葉が再び止まる。

 

 

「……正直に言えば、私は今でも、貴方たちが怖いです」

 

 

 魔薬により凶暴化したとはいえ、一般人を躊躇なく殺して見せたグレンの本性。

 帝国政府さえ手を焼き、グレン以上にその手を血で染めた大犯罪者が、自分の日常のすぐ傍にいたこと。

 今でもそれは恐ろしく感じる。正直に言って、心中の震えは止まらぬままだ。

 

 

「私は弱いから……臆病だから、貴方たちを拒絶してしまった。2人とも、知られたくないことさえ明かして、必死で守ってくれたのに……ごめんなさい」

 

「……」

 

「でも、思い出したの。貴方たちは、ただ怖いだけの人間じゃないってことを。凄く怖い今の2人も、学院で馬鹿なやり取りしてた2人も……どちらも、貴方たち自身。全部合わせて、貴方たちという人間なのよ……」

 

 

 それに――

 

 

「後悔したくない。その先に後悔しかない選択だけは、絶対にいや……だから私は、私自身のためにも、こうして戻って来たの。

 ……だから、先生――」

 

 

 

 

「――帰って来てよ。こんな形でのお別れなんて、絶対にいやだよ……!

 戻って来て、また2人で、私たちの傍に居てよ……ッ!」

 

「白、猫……」

 

「……」

 

 

 涙を浮かべ、必死の形相で希う少女に、もはやグレンたちは、これ以上何かを言う気力はなくなっていた。

 やがて内側の激情も収まり、ようやく心も落ち着きを取り戻し始めた、丁度その時だった。

 

 

「――やれやれ。不覚を取ったな」

 

 

 アルフレートに支えられ、再び立ち上がったジャティス。

 礼服に付着したゴミを取り払うような素振りを見せてこそいるが、その意識は絶えずグレン――否、今や別の人物へと向けられていた。

 

 

「『君が戻ってくる』未来なんて予測になかったよ。完全に想定外だが……」

 

「……ジャティスさん、でしたっけ?」

 

「ん?」

 

「もうこれ以上、先生たちに関わらないでください。貴方と先生たちの住んでいる場所は違うんです」

 

「は? 何を言っているんだ君は?」

 

 

 馬鹿にしたように反論するジャティスだが、その目までは笑っておらず、変わらぬ不気味さを湛えている。

 

 

「グレンと月香は僕と同じ側の人間だ。何も知らないからこそ、そんな馬鹿なことを言え――」

 

「うるさいです。黙っててください」

 

 

 だが、そんなジャティスの反論をシスティーナは真正面から切り捨てた。

 

 

「正直、グレン先生が昔、何をやっていたかなんて興味ありません。ギルバート先生だって、少なくとも貴方が思うような人じゃない」

 

 

 数ヶ月前の学院テロ未遂事件。思えばあそこから全てが始まった。

 魔導士としてのグレンの一端を垣間見た。稀代の殺戮者たる『血塗れの殺人鬼』と直に見えた。

 万民にとって、そして自分にとっても恐ろしく映ったのかもしれないが……少なくとも、『本当の顔』はそうじゃなかった。

 

 

「例え裏の顔がどんなものであろうとも、先生たちはこちら側の人間で、私たちの恩師です」

 

「……ウザいね、君。容姿だけじゃなくて、性格もセラに似てるんだな」

 

 

 チッと忌々し気に舌打ちを鳴らす。その顔には既に余裕は失われ、苛立ちによって微かに歪んでいる。

 

 

「残念だけど、君の言うことは聞けないね。グレンは僕の最大の敵で、そして月香は僕の計画の()と成り得る可能性を持つ男だ。

 共に征し、制することで僕の正義は――」

 

「――バッカじゃないの?」

 

 

 ぴたり、と。システィーナのその言葉に、ジャティスのあらゆる動きは停止した。

 驚愕どころではない。自分自身の行動理念、あるいは信念を“馬鹿”と断じられたのだ。信じるが故に狂ったからこそ、システィーナの言葉は思わぬ形で彼にダメージを与えた。

 

 

「まず最初に、グレン先生を倒したところで何にもならないわよ? この人は馬鹿で、ロクでなしで、いい加減で、やる気ゼロで、魔術講師失格の駄目人間。そんな人をやっつけたところで、一体何の証明になるっていうんですか?」

 

「……そこまで言うか」

 

「次に、ギルバート先生。この人はグレン先生みたいなロクでなしじゃないけど、貴方の言う計画の鍵になるどころか、魔術の1つすら扱えないただの一般人よ。最近は事あるごとにすぐ姿を消すし、もういっそ兼業なんかしないで片方に絞った方がいいんじゃないかってくらい、仕事の両立ができないの」

 

「あ、いや……それは……君たちの言う『血塗れの殺人鬼』としての活動を――」

 

「何か文句ありますか?」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 自分よりも10――下手すれば20近くは離れているだろう年下の少女から圧をかけられ、何も言い返せずに縮こまるギルバート。

 年若い少女の言葉すら言い返せないという事実に何気にショックを受け、顔を僅かに曇らせる2人だったが、一方のジャティスは、その顔を憤怒の色に染めていた。

 

 

「君は……この僕が認め、欲した2人を……愚弄するというのかッ!?」

 

 

 その怒りは、もはや熱すら伴っているのではと錯覚するほどに凄烈だった。

 それまでの狂気的な印象は吹き飛び、皮肉にもその状態のジャティスがこれまでで一番人間らしく見えていた。

 

 

「気が変わった……君は殺す。僕の魔術と、アルフレートの拷問術……ありとあらゆる手を尽くし、この世における数多無数の苦痛をもたらしてから殺す。己が口にした侮辱の数々を、地獄で詫び続けさせてやる……」

 

「――させねぇよ」

 

 

 憤怒に燃える視線を遮ったのは黒いローブ。

 纏う講師用ローブを脱ぎ捨てながら、システィーナを庇う形でグレンが立った。

 そして2人の横にまで歩み寄り、銃口をジャティスらに突きつけながらギルバートも彼らの傍に屹立した。

 

 

「地獄行きは貴様の方だ、狂人」

 

「先生……」

 

「白猫、月香、三人一組・一戦術単位(スリーマンセル・ワンユニット)だ。二人一組・一戦術単位(エレメント・ワンユニット)の方が本当は良いだろうが、今はこの組み合わせでやるしかねぇ」

 

「いや……配置そのものは二人一組・一戦術単位(エレメント・ワンユニット)のもので大丈夫だろう。

 小僧の魔術は即効性に欠け、俺に至ってはそもそも魔術は扱えん」

 

「じゃあ……私が後衛で、2人が前衛、ということですか?」

 

「まあ、そういうこったな」

 

「……どういうつもりだ?」

 

 

 3人のやり取りを見て、スッとジャティスの顔から表情が抜け落ちた。

 たった今ローブを脱ぎ捨てたという行為もそうだ。おそらくアレには、グレンが魔導士時代に扱った様々な魔術道具や武器が仕込んであるはず。それを脱ぎ捨てるだけでなく、あんな小娘(システィーナ)と組んで戦うとなれば、もはやそれは看過できない事柄だ。

 

 

「ふざけるなグレン! そんな小娘と組んで戦うなど……僕が打ち倒すべき君は、魔導士時代の君なんだ!

 全力の君と戦って勝たなければ、意味が――」

 

「やかましい。さっさと始めるぞ、このイカレ野郎ども」

 

 

 グレンとギルバートが前に、そしてシスティーナが後ろに。

 各々の配置ついた3人は、互いに視線を絡ませ、顔を見合った後、ジャティスらと対峙する。

 

 

「頼りにしてるぜ――()()()()()()()()()()()

 

「やっと、初めて……私の名前を呼んでくれたわね」

 

「フン……」

 

「システィーナ=フィーベル……ッ! 君のせいで、君のせいで、グレンが――ッ!」

 

 

 もはや激情を抑え切れなくなったジャティス。

 両手を突き出し、振り撒いた粉末(パウダー)によって大量の『彼女の左手』(ハーズ・レフト)を顕現させ、それら全てをグレンたちへ放つ。

 圧倒的物量による激流の如き猛攻。

 数に任せた陳腐な戦術ながらも、実はこの場で最も効果的なそれは、さらに言えばギルバートにとっては致命的なまでに苦手な戦術でもあった。

 

 それ故に――

 

 

()()()()は今か……!)

 

 

 心内にてそう呟き、月香の狩人は『奥の手』を抜くべく虚空にその手を伸ばした――。

 

 




 


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第26夜 狩人たち

 多くは語りません。
 本編をどうぞ。


 眩い黄金の剣閃が、ジグザグな軌道を描いて迫る。

 常人が触れれば、それだけで胴体を真っ二つにしてしまうそうな鋭利さを誇る黄金の剣を持つ左手の群は、相対する3人にとっても脅威であった。だが――

 

 

「《集え暴風・()()となりて・撃ち据えよ》ッ!」

 

 

 システィーナの放った黒魔【ブラスト・ブロウ】が上空を駆ける。

 放たれた圧縮空気の塊は瞬く間に破裂し、雨のように降り注ぎ、黄金剣の左手たちを悉く撃ち落とす。

 

 

「風の攻性呪文(アサルト・スペル)の即興改変――ッ!?」

 

 

 風の呪文は他の属性呪文に比べ、単純な威力は低い。

 その理由は操作しなければならないパラメータの数が圧倒的に多く、それ故に使用者には高度な操作技術を要求されるからだ。

 だが、逆に充分な技術さえ備わっていれば、応用性においては他の呪文を遥かに凌ぎ、実戦で用いればまさに、千変万化の力を発揮すると言っても過言ではない。

 無論、実戦の最中でそのような応用、しかも新しい呪文を紡ぐとなるには相当なセンスが問われるのだが、その上でシスティーナは()()をやってのけたのだ。

 

 

「小癪な――ッ!?」

 

 

 軽く舌打ちし、次の人工精霊を放たんと彼が手を突き出そうとしたその時、鋭利な先端が彼を襲う。

 不規則な動きで迫ったそれは蜘蛛の手足のようにも見えて、その先端はまるで1つの生き物のように柔軟な動きを見せた後、無慈悲にジャティスの左肩を貫いた。

 

 

「ぐぅ……ッ!」

 

 

 激痛で顔が歪み、孕んだ怒気が一層増す。

 先端はすぐさま抜けこそしたが、もたらされた傷による痛みは消えることなく、けれどもジャティスはそれが何だと言わんばかりに次の人工精霊を繰り出しながら、攻撃の下手人——ギルバートの姿を捉えた。

 彼の右手に握られた、触手のようなものを生やした腕槌――間違いなく、それが今攻撃してきた先端の正体だろう。

 

 

「小癪――ッ!?」

 

 

 不意に、ジャティスの言葉が途切れる。

 想定外の奇襲を受けたわけではない。僅かな差異、されど明確な相違点に気が付いたが故に、彼は一瞬動きを止めたのだ。

 ギルバートの手に握られる得物。右手には先程から用いられている不気味な触手を生やした腕槌、これはまあいい。

 彼が注目したのは、その反対――本来銃が握られる筈の左手に携えられている、()()()()()

 随分と大振りな剣だ。2m近くの背丈を持つギルバートに迫ろう程の刃長を誇っている。

 明らかに大物相手用の武器と見られるが、ジャティスが違和感を覚えたのはそこではない。

 

 

(アルフレートから聞いていた()()と違う……?)

 

 

 対ギルバート戦を想定した上で、ジャティスは事前にアルフレートから狩人たちの特徴について聞いていた。

 狂気渦巻く古都ヤーナムを戦場とする狩人たちにとって、生半可な精神魔術は意味を成さないこと。

 強烈極まる獣たちとの戦いを生き残るため、狩人は防御ではなく回避を優先し、それ故に大部分が軽装を好むこと。

 そして――彼らは右手に近接武器、左手に遠距離兼牽制用の()()を持つのが一般的なスタイルであること。

 

 上述した3つの特徴の内、2つは当て嵌まっている。だが、唯一3つ目の特徴だけ今のギルバートには当て嵌まらない。

 何か仕掛けてくる――システィーナの参戦に続き、再び飛来した『想定外』にジャティスは意識の大半を戦闘に注ぎつつ、残る意識部分で未来への計算を始めようとする――が。

 

 

「うぉおおおおおおおおおおおおッ!!」

 

「――!」

 

 

 彼が計算に移行するよりも早くグレンが迫る。

 力強い雄叫びを上げ、拳を握り締めて全力疾走する彼に、ジャティスは再び人工精霊を放とうとするが、それよりも先に1つの人影が現れ、グレンとジャティスの間に割り入る形で屹立した。

 

 

「アルフレート!」

 

「ジャティス殿、1度お下がりを!」

 

 

 黄金の三角兜に包まれた顔を向けて言ってくる同士の言葉に頷き、天使の1体を召喚し、その手に捕まって飛び下がる。

 

 

「逃がすか!」

 

「通すとお思いですか!」

 

 

 咄嗟に白魔【フィジカル・ブースト】を唱えて身体能力を強化するグレンだが、おそらく単純な接近戦ではアルフレートの方に分がある。

 加えて狩人特有の駿足、そして同等の速度を捉えられる眼力。間違いなくグレンは止められる。

 

 そう――このまま行けばの話だ。

 

 

「――ゼェアァッ!」

 

「ぬゥッ!?」

 

 

 突如落下して来た腕槌と大剣の一撃を、アルフレートは咄嗟に車輪を翳すことで防ぐ。

 古式銃(エヴェリン)の銃撃によって損傷していた車輪がさらなる軋みを上げるが、受けることには成功した。

 だが、その隙にグレンは彼らの横を過ぎ去り、そのまま天使と共に飛び去るジャティスへ向けて疾走していった。

 

 

「――月香ッ!」

 

「悪いが、もう1()()通させて貰おうか」

 

「なッ――」

 

 

 言葉を紡ぐよりも早く、また別の人影が彼らの横を通り抜けていく。

 豪風と共に駆け抜けて行ったのはシスティーナだ。

 指向性の突風を纏い、移動する――帝国軍ですらまともな使い手がほとんどいない黒魔【ラピッド・ストリーム】で以てグレンの後を追うシスティーナに驚くアルフレートだが、無論魔術に関しては門外漢である彼が、驚愕へ至った理由はその魔術の扱い辛さを考えたが故ではない。

 

 彼らが驚いたのは、その胆力。

 先程2人に一喝され、1度はあの場から去った者とは思えない思い切りの良さ。

 自分たちのように幾度となく戦場に踏み入ったわけではないのにも関わらず、あのような決断ができるなど、尋常の者ではない。

 

 

「クソ――ッ!」

 

「悪態をつく暇はないぞ……!」

 

 

 防御ゆえにがら空きとなった胴へ、渾身の蹴りを見舞い、吹き飛ばす。

 血の遺志を用いた極限までの人体改造の末に獲得した膂力は、重装のアルフレートを軽々と蹴り飛ばし、グレンらに追いつかん勢いで飛んで行く。

 そして後を追うようにギルバートも路地裏を駆け抜けていくと、その先では再びジャティスがグレン、そしてシスティーナを相手に再戦していた。

 ジャティスの放つ人工精霊の猛攻も、システィーナが操る風の魔術で悉く潰され、捻じ曲げられ、阻害されていく。

 とてもまだ学徒の身とは思えない巧みな魔術操作能力に驚愕するジャティスだったが、その目には既にシスティーナへの侮りはなく、そしてその顔から彼女への怒りもまた消えていた。

 

 

「……ははっ」

 

 

 乾いた笑いが響き、再びその目に狂気が宿る。

 その目に映るは無論グレンの姿だが、同時にもう片方の目が映すのはシスティーナの姿。

 ――もはや彼は、システィーナを自分たちの聖戦を侵す邪魔者と認識してはいなかった。

 

 

「惰弱などと言って申し訳ない。君たちは二人一組(エレメント)で、僕が倒す価値のある人間だ」

 

 

 紡がれたのは罵倒ではなく、称賛の言葉。彼ははっきりと、グレンだけでなくシスティーナすらも脅威と認め、倒すべき敵と認識を改めたのだ。

 

 

「あるいはギルバートも加え、三人一組(スリーマンセル)で挑む形も悪くないが、古い縁ならば仕方ない……まずは君たちに感謝しよう!」

 

 

 高らかに叫び、複雑な手振りを見せた後に大量の粒子粉末(パウダー)が撒かれる。

 

 

「君たちは僕が打倒する価値のある人間だ! そして君たちという壁を乗り越え、踏破した時――僕はより正義の高みに至れる!」

 

「ッ、させるかぁッ!」

 

「はははははは! ――さあ、来いッ! 僕の奥深くに眠る正義の具現ッ! 僕だけの神、正義の神よッ!」

 

 

 ばら撒かれた粉末が輝き出し、ジャティスの深層意識に眠る空想を模し、実体化する。

 顕現――そこに現れたのは、まさしく神。

 罪を裁定する白銀の天秤、罪を裁断する黄金の剣。

 歪なる七翼を備え、目元を秘した虚ろなる女神――。

 

 

「やれ――【正義の女神(レディ・ジャスティス)ユースティア】ッ!!」

 

 

 完全な実体化を待たずして、ジャティスが己の正義の化身へと命じる。

 極大の刀身を持つ左手が振りかぶられ、周囲の建物ごと彼らを両断せんと動き出し――。

 

 

「――《大いなる()()よ》ッ!」

 

 

 その直前、システィーナがまた新たな呪文を唱える。

 紡がれた呪文は、黒魔【ゲイル・ブロウ】の即興改変。

 風の破城鎚とも呼ぶべき魔術を、局地的に収束させる代わりに広範囲へと散らせて放つもの。

 だがそれでは、本来【ゲイル・ブロウ】を攻性呪文足らしめる高威力を消してしまい、結果残るのは、広範囲に吹くだけの、少し強めの風のみだ。その筈だったのだが……

 

 

「――ッ!?」

 

 

 何の力も持たない一陣の風は、だが驚くべき結果をその場に現わした。

 顕現を果たし、今まさに剣を振りかぶらんとする虚像の女神が。

 狂った正義の具現たる偽りの精霊の姿が――()()()()()

 それも当然のこと。人工精霊を具現させる疑似霊素粒子粉末(パラ・エテリオンパウダー)

 空想を現実へと昇華させるのに最も必要不可欠な代物が、吹き荒ぶ風によって押し流され、その濃度を著しく欠いたのだ。――だが。

 

 

「まだだぁッ!!」

 

 

 激昂し、荒ぶる手振りで再び粉末を撒き散らすジャティス。

 吹く風が粒子粉末全てを攫っていくのも時間の問題。だが、それならば足りない分を新たに補填すれば良いだけのことだ。

 欠けた分全てを補うことはできないだろうが、少なくとも一部分を再顕現させるには充分過ぎる。

 ばら撒かれた粉末は消えゆく女神の左手へと吸い込まれ、消滅しかけていた左手の黄金剣は、今再び輝きを取り戻し、その巨大な刀身をグレンへ向けて振り下ろした。

 

 

「ッ! グレン先生ッ!」

 

「……ッ!」

 

 

 全身全霊を駆使しての猛進。だが、彼の一撃がジャティスに至るよりも早く、黄金剣がグレンを斬り潰す方が早いのは誰の目から見ても明らかだ。

 その事実が明らかであるからこそ――

 

 

「――ヌゥッ!!

 

 

 彼は躊躇うことなく、その間に割って入った。

 極大の刀身を交差させた腕槌と大剣によって防ぎ、人外的膂力を最大限にまで解き放つ。

 交差させた二振りを一気に振り抜くと、その衝撃で巨大な黄金剣は砕け、これまでの精霊たち同様の末路を辿って消滅していく。

  

 

「く……ッ!」

 

 

 これでジャティスを守る盾も、敵を滅ぼす剣も消滅した。

 完全に無防備となった今こそ、ジャティスを討つ最大の好機。

 黄金剣の消滅に気を取られ、想定外の連続に遭わされたジャティスに今――渾身の一撃が迫る。

 

 

「――ジャティスゥウウウウウウウウウウウウウウウウッ!!

 

 

 拳撃――一閃。

 

 あらゆる力、全ての思いをありったけ乗せて放たれた拳が、ジャティスの頬を捉える。

 ひどく原始的で、しかし強烈極まる一撃にジャティスの体躯は空に舞い、背後の壁に叩きつけられる。

 戦況は絶望的、同士(アルフレート)は無力化され、切り札(レディ・ジャスティス)も打ち破られた。

 

 

「――まだだぁッ!!」

 

 

 だが諦めない。

 己の絶対的正義のためにも、この全ての悪を悉く滅ぼすためにも、彼は最後まで諦めるわけにはいかなかった。

 決定的な敗北を突きつけられるその時まで、己が膝を折り、屈することだけはあってはならない――!

 狂気の渦中に鎮座する信念に従い、再び彼が起き上がり、その顔を上げた時――。

 

 

「――ぁ」

 

 

 彼は目にした、その()()を。

 淡く、眩く、言葉で表すことの叶わない神秘の深淵。

 青い月光を宿したとさえ思えてしまう、暗黒の輝きがそこにはあった。

 万物万象、智ある総ての者を魅了してやまない魔光を担うは、暗闇の如き装束纏う狩人。

 手にした(ひかり)を振りかぶり、大上段にまで持ち上げた時――その輝きは一層深さを増し、そして。

 

 

 

 

 

 

「――“月光”

 

 

 

 

 

 

 自らの二つ名と同じ呼び名を持つ言葉と共に。

 フェジテにて今――宇宙の神秘が放たれた。

 

 

 

 

 

 

 極光が激流の如く駆け抜ける。

 宇宙の深淵、あるいは神秘の秘奥たる月光の剣閃。

 数多の神秘に触れたヤーナムの狩人たちでさえ、その大半が目にすることの叶わなかった神秘の極天。

 それに呑まれた以上、絶命は確実。例え生き残ったとして、その灯火は間もなく潰えよう。

 

 ――だが。そうはならなかった。

 

 

「……ッ!」

 

「――か……ふッ」

 

 

 ジャティスは神秘の極光を浴びた。それは疑い様のない事実だ。

 問題は、その全てを彼が受け切ったわけではなかったこと。

 神秘の奔流から彼を守り、宇宙的狂気の渦に抗った者がいたこと――それが唯一の誤算だった。

 

 

「――アルフレート……!」

 

 

 ジャティスの前に仁王立つ者――アルフレートの姿は、凄惨の一言に尽きた。

 纏う聖布の装束は朽ち、破けた箇所から覗く肌は神秘に灼かれ、醜く変色している。

 得物である車輪と共に、利き腕である右手は失われ、三角兜に覆われていた顔の右半分も既にごっそりと()()()()()()()

 間違いなく致命傷。いつ死んでもおかしくはない状態だ。

 それでも彼は懸命に、その命果てるその時までジャティスを守らんと、その屹立を保ち続けた。

 

 

「ジャ、ティス――どの……」

 

「……アルフレート」

 

 

 ()()()――。

 ジャティスの安否を確認し、アルフレートの屹立が遂に崩れた。

 無惨な姿を晒し、倒れ伏す同士の最期に、ジャティスは縋ることもなければ、けなすこともしなかった。

 ただ無言――何かを紡ぐこともなく、何かの反応を示すこともなく、ただ無意味に、その死をじっと見つめていた。

 

 

「――終わりだ、ジャティス」

 

「……」

 

 

 右腕を押さえて、グレンが告げる。

 渾身の一撃を放った以上、肉体的負荷がかかったグレンもこれ以上の激しい動きはできない。

 それはジャティスとて例外ではないだろうが、月光剣の奔流の直撃を免れたこともあって、グレンよりかはマシだろう。

 だが状況は変わらない。月光剣を携えたもう1人、ギルバートはほぼ無傷だ。

 加えて彼は、グレンと同等――否、狂人というものの恐ろしさを知る分、彼以上にジャティスへ強い警戒を抱いていた。

 

 “この男はここで始末する”――かつての同士の命さえ断っても成さねばならぬことを悟り、その巨大な刀身を槍の如く構え、切っ先を向ける。

 

 

(終わりだ……!)

 

 

 妙な動きを封じるために、最大限の殺気を戦鎚の如く叩きつけながら、大剣を勢いよく突き出して――

 

 

 

 

 

 

 

 

『――ヴォオオオオオオオオオオオァアアアアアアアアッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 フェジテの街にその大咆哮が轟いたのは、全く同時のことだった。

 

 

「なっ――!」

 

 

 その咆哮を耳にして、思わず彼の動きが止まった。

 今の咆哮は()()()()()()()

 地獄の底より響いたが如き、地の底に眠る恐獣の一声。

 咆哮の後に聞こえてくる、大気を裂かんばかりの猛烈な風の渦巻く音。

 数年を異界で過ごしたとはいえ、駆け抜けたヤーナムでの記憶が、血に刻まれたトラウマが、その咆哮の主の正体を導き出す。

 

 だからこそ、彼は動きを止めてしまった。あり得ない、そんなことはあり得ない、と。

 

 

「――ッ」

 

 

 その隙を突き、それまで沈黙していたジャティスが初めて動きを見せた。

 両手を瞬時に振るい、仕込んでいた粒子粉末をありったけばら撒くとその場に無数の天使型人工精霊を生み出し、グレンやギルバートに殺到させる。

 そして自分は数体の天使の手を借り、その場で飛翔して空に舞った。

 

 

「……ジャティスッ!」

 

「屈辱だよ……瞬時に“読めた未来”とはいえ、この僕が逃げの一手を打たねばならないとは……!」

 

 

 どうやら先の咆哮により、ギルバートが一瞬動きを止める未来を彼は“読んでいた”らしい。

 それでも、その未来の選択肢が現れたのは、どうやら月光剣による斬撃の後らしい。

 自らの死さえ覚悟した狂人が、一時とはいえ己の信念を捻じ曲げ、生存に走るなどまさしく屈辱の極みだろうが、彼はそれを選択し、仕掛けてきたのだ。

 

 

「グレンッ! 君はいつか、僕の手で確実に打ち倒す! 君をこの手で打倒し、僕の正義を――資格者たるを証明して見せる! ……そして」

 

 

 キッと眼下のギルバートを睨み据え、彼は猛々しく吼える。

 

 

「敵討ち、などとは言わない。僕もアルフレートも、掲げた正義に殉じる覚悟で生きてきた。だが、もはや君を同志として迎え入れることはやめる。来たるべき時……その時こそ、僕は君を討つ!」

 

「っ! ……それでは貴様の言っていた、計画の鍵たる存在は失われるのではないのか!?」

 

「いいや! 今し方だが、新たな未来を僕は“読んだ”! 僕の同志になろうとならまいと、君はいつかの未来に、このフェジテ――いや、この呪われた魔国(アルザーノ帝国)()()()()()ッ!

 絶対的邪悪の具現、立ちはだかるべき巨悪として降臨した時――僕の正義完遂は最終段階へと至るッ!!」

 

 

 バサッ! と天使たちの双翼がはためき、一層天高くジャティスを連れて行く。

 

 

「だからその時まで死ぬなよ! 君たちの終焉を飾るは、この僕――『正義の魔法使い』(ジャティス=ロウファン)だッ!!」

 

 

 そうしてジャティスは消え去り、召喚された大勢の天使たちだけが残された。

 圧倒的多数の敵というのは、今の状態のグレンは勿論、無傷に近い状態を保っているギルバートでさえ苦戦を強いられる難敵である。

 強大な極まる力を有そうとも、それが“個”であるならば確実に狩人は討ち果たすだろう。

 だが、“群”の相手となれば話は違ってくる。多による連続的猛襲こそは、狩人たち――あるいは別次元の不滅者たちさえ不得手とするもの。

 例えそのほとんどを薙ぎ払い、滅そうとも、最後の1匹が懐に入り、心臓に刃を突き立てればそれで終わりだ。

 

 

「――《集え暴風・散弾となりて・撃ち据えよ》ッ!」

 

 

 そんな絶望的状況を打破したのは、少女が放つ暴風の雨。

 降り注ぐ風の弾丸は、先程と同じく天使たちを撃ち砕き、結晶の墓標をその場に打ち立て、消失させる。

 

 

「ぁ――」

 

「っ、システィーナ!」

 

 

 倒れかけるシスティーナを、咄嗟にグレンが駆け寄り、受け止める。

 薄く化粧の施された顔は真っ青で、露わとなった肌には脂汗が流れ出ている。

 体躯の震えもあって、只人ならば何かの病にかかったのではと考えるだろうが、グレンはその症状についてを知っていた。

 

 

「マナ欠乏症——!? ……いや、あんだけかましたんだ。それも当然か……」

 

 

 激闘の最中だったとはいえ、本来魔術の即興改変は、多大な魔力を消費する。

 それは、同年代においてずば抜けて優れた魔力容量(キャパシティ)を誇るシスティーナと言えど例外ではなく、寧ろ人工精霊を連続で撃ち倒し、グレンのサポートのために行使し続けたのだ。枯渇に陥らない方がおかしかった。

 

 

「……せん、せい……」

 

「……良くやった。あとはゆっくり休め」

 

「う、ん……」

 

 

 その言葉に安堵し、張り詰めていた緊張が一気に解けたのか。

 あれだけの活躍をした天才は目蓋を閉じ、1人の少女に戻って静かな眠りに就いた。

 教え子が眠りに就いたのを悟ると、グレンは後ろを振り向いて、その先にいるであろうもう1人(ギルバート)に視線を注ぐ。

 視線の先に見えたギルバートは、右手に例の大剣を携えたまま、倒れ伏したかつての同業(アルフレート)の姿を見下ろしている。

 惨たらしい姿と成り果て、物言わぬ骸となったかつての友を見て、彼は何を思ったのか。

 その黒い枯れ羽帽子の下で、彼はどんな目をして見つめているのか……それを知ることは、グレンにはできなかった。

 

 やがて身体を反転させると、大剣を担ぎ、放り投げていた腕槌を拾いながら彼はグレンの横を通り過ぎ、広場の方へと歩み出した。

 

 

「どこへ行くんだ」

 

「……まだ為すべきことが、残っている」

 

「……あの咆哮か?」

 

「ああ」

 

 

 あの咆哮がもし、ギルバートが思い浮かべた()()()()のものならば、決して野放しにしてはおけない。

 熟練の魔術師でさえ、あの獣の恐るべき膂力、絶大な殲滅能力の前では無意味だ。

 グレンらのような近接戦闘にも優れ、多用な戦闘手段を用いる輩ならば少しはやれるだろうが、それでもやはり、この世界の人間には分が悪い。

 

 

「アレは俺たち(ヤーナム)の側の存在だ。もしもあの咆哮の主が俺の知るヤツならば、俺たちの手で始末をつけねばならん」

 

「お前1人でか?」

 

 

 グレンの問いに、ギルバートは立ち止まり、首を横に振る。

 腕槌と大剣を虚空に戻し、見慣れたノコギリ鉈と短銃を手に携えてから、彼は左手をグレンに掲げ見せる。

 短銃が握りしめられている左手から何かが垂れ、リンと軽やかな音色を鳴らす。

 

 

「言っただろう……」

 

 

 掲げた2()()()()――『狩人呼びの鐘』と『狩人招きの鐘』を鳴らして、ギルバートは告げる。

 

 

()()()で始末をつける――と」

 

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

 逃走の果てに、ようやく辿り着いた大広場。

 聖堂のあった東地区から離れ、中央地区の大広場へと至ったルミアたち2年次生2組の面子を迎えたのは、血風渦巻く戦場だった。

 

 

『ヴルゥオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 顔を上げ、巨体を震わせて力の限りに咆哮する怪物。

 剛毛の鎧によって覆われた恐怖の巨獣。その巨獣を相手取るのは、宮廷魔導士団の礼服に身を包んだ3人。

 クリストフ、バーナード、そしてアルベルト――卓越した魔術技量と戦闘能力を備える魔導士たちが、3人がかりでも圧倒されていた。

 クリストフの防御結界は、巨獣の圧倒的膂力の一撃によって悉く潰され、バーナードの鋼糸を用いた斬撃、マスケット銃を使い捨てての連続射撃も剛毛の鎧を貫き、断ち切ることも叶わず。

 最後にアルベルトの仕掛けた急所への精密射撃でさえ、巨獣はその巨躯に見合わぬ俊敏さで回避し、反撃の一撃を叩き込んで来た。

 

 

「ぐゥ、ぁ……!」

 

 

 埒外の破壊力を有した拳撃をまともに受け、アルベルトが盛大に吐血する。

 突然変貌した、奇怪な男の成れの果て。

 これまでに出会ったあらゆる怪物を凌駕せん程の馬鹿げた剛力、異能、身体能力。

 手を叩きつければ暴風が吹き、竜巻が巻き起こる。

 接近すれば剛毛を巡る紫電が放たれ、槍の如く貫いてくる。

 そしてその剛力――言うまでもなく、人間の身体など容易く砕き、滅する破壊力がある。

 

 魔術による防御壁さえ突破して見せる腕力の持ち主なのだ。この怪物を相手に、防御は意味を成さない。求められるのは“速さ”だ。

 しかし、満身創痍の今の状態で【フィジカル・ブースト】を使えばどうなるか、それが分からないアルベルトではない。

 寧ろ、術の反動によって生じた隙を突き、巨獣は止めの一撃を喰らわせに来るはずだ。

 

 

(翁にクリストフは……駄目か)

 

 

 他の2人も、アルベルトと同等に手負いの状態だ。

 クリストフは渾身の防御結界を突破された際、諸共に拳撃を喰らい、バーナードは鋼糸を巻き付けた際、その糸を逆に利用されて周囲の壁に連続で叩きつけられた。

 力だけではない、知性も人間並みか、それ以上のものを有している。

 巨獣の目から見ても、今のアルベルトたちはロクに動けない木偶人形同然に映っているのだろう。

 剥き出しの牙から涎を垂らし、爪を砥いで嫌な音色を奏でているのは、どう料理すべきか考えている最中なのだろうか。

 

 

『ヴルルル……』

 

 

 その時――ルミアの目と、巨獣の目が合った。

 満身創痍の身ながらも、たった3人しかいないアルベルトたちに比べ、手傷1つ負っていないとはいえ、見るからに無力そうな子供が10人近く……戦力差も考え、かつ()()()()を考えればどちらに牙を剥くかなど一目瞭然であった。

 

 

「待、て……!」

 

 

 身動きの取れない体に鞭打ち、指先を伸ばして魔術詠唱に移ろうとする。

 だが、確実に巨獣の爪牙が届く方が早い。あの俊敏性を考えれば、アルベルトの魔術が届くよりも先に、ルミアたちが血塗れの肉塊になる方が早いのは明らかだ。

 そしてルミアたちも恐怖に体を震わせながら、それでも最後まで抗わんと向き合った。

 ただの学徒の身たる彼らでは、為すすべなく巨獣の餌と成り果てるのは確実。その行為は無意味であり、無価値であり、ひどく愚かだ。

 それでもその選択を取った彼らを救わんとルミアも意を決し、すぐ傍に立つリィエルも錬成した大剣を向け、巨獣を強く睨みつける。

 

 

『ガアァ――』

 

 

 やがて巨獣が声を上げ、その爪牙を煌めかせてルミアたちに襲い掛からんと地を蹴った。

 

 

 

 

 ――その時だ。

 

 

 

 

 

「――シャアァッ!!」

 

 

 

 

 

 

 空を引き裂かんばかりの裂帛を上げて、黒い弾丸が巨獣の横顔に着弾した。

 否――それは弾丸などではない。

 黒尽くめの装束を纏う何者かが、その手に携えた異様な武器で、巨獣の横顔を殴りつけたのだ。

 すぐ傍にあった建物を巻き込みながら、倒れゆく巨獣の姿を横目にしつつ、ルミアたちは新たに現れた黒尽くめの人物の姿を見た。

 

 顔を隠す枯れ羽帽子と、黒布(マスク)で覆われた口元。

 短マント付きの長い黒外套(コート)

 右手にノコギリとも鉈とも見て取れる異形の武器。

 左手には古風さを醸し出す短銃。

 殴りつけた際に生じた巨獣の返り血を浴びたせいか、その姿を血に塗れ、表わし難い不気味さを纏っている。

 

 

「……! ギル――」

 

 

 即座にルミアが、自分自身の口を塞ぐ。

 彼の正体を知る人物は、学院内においては片手で数える程しかいない。

 もしも正体が露見すれば、彼は表の住処を失い、今以上に行動に支障をきたす羽目になる。

 吐き出しかけた名前を呑みこむと、周囲の空気――より具体的には後ろにいるクラスメイトたちの反応が変わったことを察する。

 

 だがそれも仕方のないことだ。何せ今、彼らがその目にしている人物は――

 

 

「あれ……あれって、まさか……」

 

「黒尽くめの姿に、変わった武器、それに短銃……!」

 

「嘘ですわよね……? だって、あの姿は……!」

 

 

 

 

「――『血塗れの殺人鬼』

 

 

 

 

 生徒たちの中の誰か1人が、その名を呟いたことでざわめきが生じる。

 『血塗れの殺人鬼』――稀代の連続殺人犯。帝国の夜の支配者。魔術師狩り。

 その他様々な呼び名で知られる大悪党の登場は、未だ思考が成熟ならざる彼らにとって少なくない影響を与えてしまっていた。

 しかし、それ以上に彼らは驚愕したのだ。何故、魔術師狩りを是とする殺人鬼が、自分たち(魔術の学徒)を守ったのか。

 何の得にもならない……もしかしたら巨獣に狙いを定められ、命の危機に陥りかねないリスクもあるだろうにも関わらず、彼は生徒たちを窮地から救ったのだ。

 

 

「何故……僕たちを助けた」

 

 

 未だ恐怖が抜けぬなか、クラスメイトの1人であるギイブルが問う。

 すると殺人鬼は一瞬肩越しに彼を見つめ、「何のことはない」と呟いた後、再び巨獣の方角を見やる。

 

 

「狙った獲物を殴り飛ばしたら、それが偶然お前たちの救いにもなった……それだけだ」

 

「……」

 

 

 納得がいかない――そんな表情で睨みつけてくるギイブルを、殺人鬼(ギルバート)は一瞬だけ殺気を放つことで黙らせる。

 そして徐々にだが起き上がる巨獣――『恐ろしい獣』の姿を見て、ほうと短く言葉を零した。

 

 

「俺が見てきた個体より随分とデカい……聖職者辺りが変じたものか?」

 

 

 まあ、どうでもいいがな――と。

 腰を低めに、ノコギリ鉈をやや水平に構え直して、殺人鬼は戦闘態勢を整える。

 その後に、街中より数多の飛び音が聞こえ始め、その全てが彼の下へと集結していく。

 ざっ、と石床を踏みしめて、あるいは近辺の建物の屋上に降り立つ形で現れたのは、異邦の装束に身を包んだ猛者たち。

 

 

「――こいつは、随分と大物が出てきたな」

 

 

 ――古狩人 ガスコイン神父

 

 

「デカブツ相手は得意じゃないんだけど……やるしかなさそうだね」

 

 

 ――古狩人 狩人狩りアイリーン

 

 

「……毒が有効だったか?」

 

 

 ――古狩人 ヘンリック

 

 

 集ったのは彼らだけではない。

 響く鐘の音に惹かれ、求めに応じた狩人は、彼らだけでは断じてなかった。

 

 

「……腑分け甲斐がありそうだな」

 

 

 ――古狩人 マダラスの弟

 

 

「長、如何なさいましょうか?」

 

 

 ――古狩人 流浪の狩人、ヤマムラ

 

 

「存分に狩り、殺し尽せ。汚物は不要だ……徹底的に潰したまえよ」

 

 

 ――古狩人 連盟の長、ヴァルトール

 

 

 応じた理由は様々なれど、ただ唯一の共通点は存在していた。

 

 

「ありゃぁ、あんたの得意分野じゃないのかい?」

 

 

 ――古狩人 やつしのシモン

 

 

「またこうして、肩を並べて戦えようとはな……」

 

 

 ――古狩人 聖剣のルドウイーク

 

 

 それは、ただ1人の男に対する恩がため。

 終わり無き悪夢に幕を引き、真の朝を迎えさせた後輩への礼のために。

 

 

「――久方ぶりの共闘ですね、ゲールマン」

 

 

 ――古狩人 時計塔のマリア

 

 

 そのためならば、彼らは肩を並べて戦う。

 

 

「ああ。とても懐かしい――だが新しい姿だよ……」

 

 

 ――最初の狩人、ゲールマン

 

 

 例え共に果てることになろうとも。

 狩人たちには、きっと後悔はない。

 

 

「――行くぞ」

 

 

 ――最後の狩人 月香

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――我々(ヤーナム)の狩りを知るがいい

 

 

 

 




 今こそ、狩りの再演を――。


 あと、活動報告にアンケートがありますので、ご協力頂けると助かります。


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第27夜 狂宴の果てに

*注意
 今話には活動報告で募集したオリジナル狩人様方が多数登場します。
 オリキャラ多数登場ということを踏まえた上で、今話をお読みください。

 それでは本編をどうぞ。 


「――うぉらあああああぁッ!!

 

 

 石畳が割れんばかりの脚力で踏み出し、ガスコインの長斧が空を薙ぐ。

 狩人屈指の怪力を以て放たれた一撃は巨獣『恐ろしい獣』の片足を捉え、猛烈な衝撃を喰らわせた。

 

 

ガァアアアアアアアアッ!?

 

「――悲鳴にはまだ早いぞ、(けだもの)

 

 

 強烈な一撃に思わず悲鳴を上げる巨獣の耳に短く、しかし明確な悪意を感じる声が不気味に響く。

 何事かと意識を割き、そちらへ視線を移そうとしたその時、今度はもう片方の足に尋常ならざる苦痛が生じた。

 ガスコインのものが一撃に凝縮された特大の激痛なら、これは少しずつ削り取る連続的な痛み。

 まるでノコギリで少しずつ削り切られていくような感覚のそれは、だが意外にも的中し、巨獣はすぐにその痛みの正体を知ることとなった。

 

 己の足元で、その大木の如き足を削り断たんとしている――鋼貌の警官(バーサーカー)の姿を。

 

 

「ククク……ッ!」

 

ヴォ――ヴォオオオオオオオオオオオッ!!

 

 

 鉄仮面の下で不敵に笑っているであろう狩人(むし)の姿に、巨獣は怒りと共に咆哮を放つ。

 そして暴風を纏い、怒りのままに大爪を振るった。

 足元に群がる2匹の虫(2人の狩人)を蹴散らさんと放たれたそれは、たった2人を殺めるには、あまりにも過ぎた暴力の塊そのもの。

 爪の一撃が叩き込まれた石畳からは暴風が渦巻き、竜巻となって空を巻き込み、蹂躙する。

 

 

『ヴァアアアアアアアアアアアアア――ォアッ!?』

 

 

 ――だが、その暴虐も長くは続かない。

 先のギルバートによって付けられた裂傷。そこに重なる形で繰り出された()()が巨獣の咆哮を無理矢理止め、再び瓦礫の山へと吹き飛ばした。

 ボロボロの黒衣を外套の如く靡かせ、しかし重力を感じさせない軽やかさで着地したその狩人は、瓦礫に埋もれた巨獣を見てうっとりとした声で呟いた。

 

 

「うぅむ……やはり素晴らしい。戦いの華はやはり爆発。爆発なしの闘争など、浪漫の欠片もありはせぬ!」

 

 

 その壮年の狩人は、今この場が戦場であることも意に介さない口調で叫んだ。

 まるでこの場を自分のショーのように扱うその男は、なるほどヤーナムの狩人らしい得体の知れない狂気を孕んでいることは確かだった。

 だが、孕む狂気の底知れなさはともかく、有する実力の高さには認めねばならぬものがあるのも確かだ。

 それでなければ、再度の転倒という難業を果たせはしなかっただろう。

 

 

「――おい、やるじゃないか」

 

「見慣れぬ顔の狩人だな……新参者か?」

 

 

 咄嗟に離脱し、大爪と暴風の蹂躙劇から逃れたガスコインらが狩人の下に駆け寄る。

 見知らぬ狩人の存在に怪訝気な顔を浮かべる2人であったが、対するその狩人は2人とは対称に懐かしそうな顔を浮かべ、喜悦を混じらせた声音で返した。

 

 

「なに、少し遠出して来た爆発狂(ロマンサー)だよ――友よ」

 

 

 ――火薬の狩人 フィジク

 

 

「友?」

 

「……何だか知らんが、手が多いことに越したことはない。()()を使いこなせているのなら、少なくとも腕は信用できそうだ」

 

 

 そう言ってヴァルトールは鉄兜の覗き目を通して、壮年狩人フィジクの右手――そこに取り付けられた複雑機構の鉄塊(パイルハンマー)を見る。

 彼の視線に気づき、フィジクもそれを翳して不敵に笑む。

 すると、彼の耳を劈くほどの音を伴い、豪速で巨獣の下へ()()が疾走して行った。

 駆ける人影は2つ。灰と白の装束を纏う2人の狩人は、瓦礫に埋もれた巨獣の体躯を鼠の如く這い上ると、剛毛に覆われた獣面の所で足を止め、各々の得物を振り上げる。

 

 

「行くぞ――!」

 

「――応とも!」

 

 

 ザクリッ――と。

 言葉で表せば簡素だが、しかし現実では酷く痛々しい二撃が巨獣の眼を共に貫く。

 視界を失い、急所への攻撃によって生じた激痛に巨獣はのたうち回り、さらなる破壊を拡散していく。

 災害のように街を荒らす巨獣の姿に、紙一重で巨獣の体躯から離れ飛び、広場に着地した2人は若干後悔が滲んだ表情を浮かべていた。

 

 

「……住宅街への被害の考慮が甘かったか」

 

「だが、これで視界は奪った。五感の内の1つを潰したんだ、僅かなりとも戦い易くはなっただろう。

 ……近辺の住民には、酷なことをしたが」

 

 

 ――異邦の狩人 ファル

 

 

「今さら言っても仕方はないか。……しかし、異なる時空の別存在とはいえ、()がその大剣を与えていようとは」

 

「半ば騙しに等しいやり方ではあったが……貴方には感謝しかない、聖ルドウイーク」

 

「止してくれ、私は聖職者などではないよ。だが、そうか……我が師は、新たな導きを示したのだな」

 

 

 感慨深く呟くと、白衣の狩人ルドウイークは自身の得物――神秘宿らぬ鋼の大剣を肩に担ぎ、駆け出す準備を整える。

 それに倣うようにファルという狩人も、別次元の彼から託された()()を担ぎ、暴れ回る黒き厄災を睨み据え、一歩踏み出す。

 

 

「さあ、行こうか()()。我ら狩人の為すべきを為そう」

 

「ああ。貴方の聖剣に恥じぬ戦いぶりを――!」

 

 

 白と灰の剣士たちは吼え、仲間が放つ弾幕を味方に、荒ぶる黒き厄災へ向けて猛進した。

 

 

 

 

 

 

 凄絶極まりない光景だった。

 見たこともない武具、およそ戦場に纏うものとは思えない軽装の異邦者たちが、あの巨大な魔獣を相手に圧倒している。

 ある者は斧と回転する丸鋸で足を切りつけ、またある者は先の『血塗れの殺人鬼』のように巨獣の横顔を爆撃で体躯ごと吹き飛ばした。

 倒れ落ちた巨獣に追い打ちをかけるべく、疾走した大剣を担ぐ剣士たちの猛攻も凄まじく、あっという間に巨獣は目を潰され、今現在無意味な猛撃を中央地区の住宅街へ繰り出し続けている。

 

 

「何なんだよ、あいつら……」

 

 

 その光景を目の当たりにして、クラスメイトの1人、カッシュが唖然とした様子で呟く。

 彼だけではない。彼が口にしたその言葉は、ある意味この場の面子全員の総意と言っても過言ではなかった。

 彼らは魔術師だ。いずれ正当な魔術師となるべく、日々を学院で過ごし、魔術の研鑽に励む魔術師の卵たちだ。

 生まれや育ちの違いはあれど、その認識だけ一部を除けばほぼ全員が変わらず、だからこそどこかで魔術師は一般人よりも上であるという認識があったのやもしれない。

 

 事実、それは()()()()()

 例え武術や武器術を習ったとしても、齧った程度の技量では一般人は魔術師には勝てない。

 だが、()()は違う。

 彼らは『狩人』だ。獲物を狩り殺すための術を学び、身に付け、徹底的に鍛え上げ、その果てに只人を超越した超人たちだ。

 加えて、彼らには魔術とは異なる『狩人の血の業』がある。遺志ある血潮をその身に取り込み、己の糧と為すことで彼らは際限なく強くなる。

 そもそも、彼らがそこまで強さを求める道を選び取ったのは討つべき敵、排除すべき障害があってのことであり、その敵である障害でもある“ヤーナムの獣”がいる今、その力を発揮せぬわけがなかった。

 

 故にこの光景は必然のもの。

 しかし、彼らの強さの絡繰りを知らぬ2年2組の生徒たちには、ただ異様な光景でしかなく、碌に実戦経験も積んでいない彼らはただそこで見ていることしか出来ずにいた。

 

 

「……あの人たち、強い」

 

「リィエル? ……うん。そうだね。でも、初めて見る人たちもいるけど……」

 

「分かる。強い。多分だけど……初めて見る顔の人たちは、全員『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)並みか、それ以上」

 

「え……っ? それって、どういう――」

 

 

 

「――ぎィいいいいいい……!」

 

『――!?』

 

 

 不意に発せられた呻き声。

 亡者さながらの悪寒を感じさせる一声に反応し、全員がそちらの方を振り向くと――

 

 

「シィイイイイィ……!」

 

「あああぁアア……!」

 

「ぐルルルルゥ……!」

 

 

 そこにいたのは一般人――否、一般人であった『天使の塵』(エンジェル・ダスト)中毒者(ぎせいしゃ)たち。

 鍬や包丁、棍棒、果てや食事用のナイフやフォークなどと多種多様なものを携えて現れた彼らの数は、およそ30人。

 しかも建物の間から続々と数を増やしていき、おそらくその総数は倍どころでは済まないだろう。

 

 

「どうしてここに……!」

 

「皆、下がってッ!」

 

 

 狼狽えるクラスメイトたちを片手で制しつつ、リィエルが大剣を手に前に出る。

 ルミアもリィエルの後ろに控える形で出てくるが、おそらく全ての中毒者たちを捌き、ここから脱することは不可能だ。

 狩人を名乗る援軍も巨獣の打倒に専念している今、彼らに応援を求めることもできない。

 

 

(時間を稼ぐ……!)

 

 

 今の自分にできることを考え、その末にリィエルは覚悟を決める。

 その間に、いよいよ堪えが効かなくなった中毒者の1人が跳躍。

 その恐ろしい跳躍力で空中を舞い、振りかぶる鍬をリィエル目がけて振り下ろさんと落下し――

 

 

「――()()()()()

 

 

 流れるように1つの人影が割り込み、その攻撃を阻害した。

 割り込みと共に放たれたもの――鞭のように長く、しなるソレは空中の中毒者の身体を絡めとると、力任せに石畳へと叩きつけられ、衝撃に耐えられず内臓を撒き散らしながら四散した。

 

 獲物を失ったソレ――関節剣と化した仕込み杖は主の下へと戻ると、再び杖の状態へと機構変形し、彼の手中に収まった。

 

 

()()()か。身体能力の飛躍的向上は、あくまで筋力の自己制限機能の解除によるもの。

 俊敏性や腕力は向上しようとも、防御に関してはその限りではない……と。

 ははは、これでまた1つ、『天使の塵』の完全解明に一歩近づいたぞ……!」

 

「……」

 

 

 突然現れたその人物は、一言で言えば『白』かった。

 顔を隠すフードも白ならば、その長躯を覆う装束も白。

 指先も白手袋で覆われ、脚絆すらも足先まで全て白。

 白、白、白――と。黒尽くめで有名な『血塗れの殺人鬼』とは対極の装束に身を包んだその人物は、だがリィエルとルミアは今し方の言動、そして本能的にだが彼がどういう人物なのかを悟った。

 

 

((あ、この人……絶対に変な人だ))

 

 

 言葉を交わさず、相手の完全な独り言であったにも関わらず、滲み出る奇人の気配は彼女たちのそう悟らせるには充分過ぎた。

 それは他のクラスメイトも同じく、2人よりやや遅れてはしたものの、その人物がまともではないことを知るのにそう時間はかからなかった。

 

 

「ん? ……ああ。()()()。やれやれ、最近の子供はどうしてこう、勘が良いのやら。

 前の協力した世界といい、さらに前の世界といい、悉くそれに気づかれては流石の私もへこむなぁ……」

 

 

 口ではそう言っているものの、実際は然程気にしていないかのように男は再び関節剣を振るうと、また1人中毒者を絡め取り、即席の鉄球と成して迫り来る敵の群を薙ぎ払った。

 

 

「ふぅ……仕方ない。所詮ここは別次元のフェジテ。私の人間性を知られようと知られまいと、大して不便はありませんからね」

 

 

 ――“悍ましき”オーウエル

 

 

 奇妙で、何とも底知れぬ不気味さを感じさせる援軍の力は、そのふざけた言動とは裏腹の常人を逸した代物だった。

 しかし、どれほど只人と隔絶した力を持とうとも、所詮は1人。

 リィエルと協力して戦ったところで、この長大な肉壁の越えることは叶わない。

 

 再び希望が潰えようとしたその時――けたたましい銃声と共に、さらなる影が彼らの下に降り立った。

 

 

「遅いじゃないですか、()()()()()

 

 

 いやらしささえ感じさせる呼び声に、新たに現れたその人物は不快そうに顔をしかめつつも、その左手に携えた鉄塊から放たれる無数の銃弾で、迫る敵群を悉くハチの巣にしていった。

 瞬く間に20人以上を射殺して見せたその人物は、しかし為した行いからは想像もつかない温和な雰囲気を醸し出し、後ろに控える2組の生徒たちの方を振り向いた。

 

 

「大丈夫ですか?」

 

「えっ、あ、その……」

 

「……その様子だと、特に怪我などはないようですね。……良かった」

 

 

 ――臆病な狩人 ササカズ

 

 

 生徒たちに目立った負傷がないことに安堵したのか、若年の狩人ササカズは微笑むように小さく笑むと、再び左手の巨大銃火器『ガトリング銃』を起動し、弾幕を展開する。

 

 

「しかし、君とはとことん縁がありますね。前の世界でも一緒、そのさらに前の世界でも一緒。そして今回で3回目ときた……これはもう、我々の間に運命の血塗れた糸が結んであるのでは? と思いたくなりますね」

 

「気色の悪いことを言わないでください。……あと、血塗れた糸ってなんですか。赤い糸じゃないんですか、普通」

 

「細かいことは気にしない」

 

 

 ははははは、とわざとらし笑い声を上げながら、白き狩人が中毒者改め肉鉄球付きの仕込み杖を大振りに振るう。

 鉄球代わりの中毒者の耐久が限界を迎えれば即座に放り捨て、また新しい獲物を捕まえては鉄球代わりにして振るう。

 相手の戦力を減らしつつ、かつ効率的に敵軍に損傷を与えるという点では、なるほど実に見事な芸当だ。

 

 もっとも、狩人武器の中でも大して耐久性がない仕込み杖を、あんな形で用いて、あれほど酷使するやり方を取るなど、常人なら普通思い付く筈もないが。

 

 

「さあ、行きなさい。生徒諸君。先導はルミア嬢、追手の対処はリィエル嬢に任せれば何とか切り抜けられるでしょう」

 

「で、でもっ、貴方たちは――」

 

「僕たちはこのまま中毒者たち(やつら)の注意を引き続けます。連中の司令塔は既にこの街から脱している頃……なら少なくとも、逃げに徹していればいずれ撒けます!」

 

「……」

 

「早く!」

 

 

 若年狩人(ササカズ)の一喝に、生徒たちは一瞬びくっと体を震わせる。

 しかし、次々と迫る中毒者たちと、それらの迎撃に徹する2人の後ろ姿を見て何かを感じ取ったらしく、全員の視線がルミアとリィエルに移り、注がれる。

 

 

「……うん。行こう!」

 

「後ろはわたしに任せて」

 

 

 オーウエルの指示通り、先導をルミアが務め、最後尾にリィエルを配置する形で彼らは即座に広場から駆け、中毒者たちの姿がない街路へと消えて行った。

 肩越しに彼らの姿が見えなくなったのを確認すると、オーウエルは再び前を向き、新たに左手に携えた『貫通銃』を撃ち放ちながら隣の若き狩人に声をかけた。

 

 

「聞いてもいいかね?」

 

「何です? 今は眼前の敵の掃討に集中すべきでしょう」

 

「何故、こうも他世界の狩人に協力する?」

 

「……」

 

 

 一瞬、その端正な顔に曇りが生じた。

 が、すぐに彼は曇りを払うと、ガトリング銃の引き金を強く引き、その身を銃撃の際の反動で小刻みに震わせた。

 

 

「……別に。ただ、恩を返すためですよ」

 

「恩? さて、協力相手への恩返しを言っているのなら、酷な言い様だがそれは無理だぞ?

 君に協力したということはつまり、少なくともその人物が君よりも実力的に上ということを示している。

 そんな彼らが苦戦するような戦場に、君が出てきたとして何の役に立つ?」

 

「分かっていますよ、そんなこと」

 

 

 声は若干苛立ちながらも、その表情は不変のままだった。

 

 

「僕は弱い。誰かの手助け無しでは碌に事も為せぬ程の臆病者だ。

 けれども、臆病者には臆病者なりにできることがあるんです。」

 

「それが()()かね? 見ず知らずの、それも他世界の狩人への手助けが?」

 

「ええ。かつて、彼らが僕にそうしてくれたように、僕もまた彼らのようになりたい。

 例えこんな露払いしかできなくても……」

 

 

 ガシャンッ、とガトリング銃が力ない音を立てて停止する。装填されていた銃弾が尽きた証拠だ。

 それでもササカズは武器を変えることなく、右手のノコギリ槍で左腕の一部を切ると、流れ出た鮮血を掬い、その血を水銀と混ぜて弾丸を作成する。

 

 

「僕は戦い続けます。何より優先すべきは自分の世界ですが、今だけは、彼らの力になりたい……!」

 

「……成程。なら喜びたまえ。君のその行いは、決して無駄ではないのだからね」

 

「……?」

 

「あの巨獣――特殊個体であろう『恐ろしい獣』の異常な巨大化は、この中毒者どもの中にある『天使の塵』(エンジェル・ダスト)だ。

 自分の世界の個体、その一部を徹底的に解剖して得た結果だが……おそらくは“ヤーナムの血”と何らかの化学反応を起こした末の成れ果てだろう」

 

「じゃあ、あの巨獣がもしこいつらをさらに喰らえば……!」

 

「さらなる成長の可能性があるだろうねぇ。それに、元々の効能の1つは筋力制限の解除だ。現時点での膂力も通常個体の2、3倍は優に超えていよう」

 

 

 最悪の可能性を知らされて、ササカズのただでさえ余裕のない顔に冷や汗が伝う。

 そんな彼とは対称に、オーウエルはどこまでも余裕に、もはや不遜ささえ感じさせる姿勢で迫る敵の群を蹂躙していた。

 

 

「だから、さあ! 徹底的に殺したまえ! 既に彼らの解剖は済んでいるゆえ、私も心おきなく皆殺せる。

 それとも何かね? 誰かの助けになりたいなどと口にしたはいいが、また臆病風にでも吹かれたのか?」

 

「……っ、言ってくれますね……! というか、何で僕の時だけそんな口調になるんですか!?」

 

「3回も共闘すればいい加減素の口調で話もするさ! さあ、どんどん撃ちたまえ! 文字通り、君の血液(いのち)全てを弾丸に変えてでもねぇ!」

 

「くぅ……! ――この奇人狩人がぁッ!」

 

「自覚しているとも! 天才と狂人は紙一重と言うだろう!?」

 

 

 はははははは! と高らかな哄笑と苛烈な銃声が響き渡る。

 およそ戦場ですべきではないやり取りを行いながらも、彼は少しずつ、だが確実に勝利へ至る道を創っていた。

 

 

 

 

 

 

 巨獣の猛攻は止まらない。

 視覚を失った巨獣は確かに弱体した。

 だが、それはあくまで身体的な意味での話であり、今の状況を目にすれば、先の目潰しが正解であったのかと疑いたくなる有り様だった。

 

 

「こりゃ酷いな……」

 

 

 建物から建物へと飛び移りながら、やつしのシモンは独り呟いた。

 巨獣の猛攻は狩人たちにはまるで当たらず、加えて怒りのままに振るわれている以上、冷静さも取り戻していないのが窺える。

 感情任せ故に予測のし辛い行動は、狩りにおいても厄介なことこの上ないが、逆に動きは単調になるため、慣れるまではそう時間はかからない。

 問題は街への被害だ。一定の獲物を狙ったわけではない無差別攻撃は、一撃一撃の隙は大きい代わりに、攻撃範囲が異常に広い。

 大爪を振るえば竜巻が巻き起こり、咆哮を放てば剛毛に帯びる紫電が蛇の如く空を這い、喰らいにかかってくる。

 そうして壊された建物の数は既に10を超えている。唯一の救いは、近辺から悲鳴が上がらないことから、既にこの地区一帯には人が存在していないことか。

 

 

(あるいは、全員魔薬の餌食とされたか……)

 

 

 最悪の結果を想像するも、すぐにそれを脳内の片隅へと押し込んで、シモンは弓に鉄矢を番える。

 

 

「――はぁッ!」

 

 

 短い裂帛と共に放たれる一矢。

 極小の流星の如く駆け抜けるその矢は、嵐のように暴虐を振るう巨獣の頭部に深々と突き立ち、新たな痛みを与える。

 

 

『ヴォオオオオオオオオオオオッ!?』

 

 

 痛みに悶え、悲鳴を上げる巨獣。

 固められた剛毛の鎧をすり抜け、堅牢極まる獣皮を貫き、肉を穿つ鉄矢が与えた傷からは、少量ながらも血が流れ、潰れた目に染みこみ、さらなる痛みを呼び込む。

 だが、当然と言うべきか代償はあった。

 度重なる苦痛に対し、巨獣もある程度の慣れを獲得したのか、序盤の時のようにのたうち回ることはなく、寧ろ潰された双眸を無理矢理開き、あるはずのない目でシモンのいる方角を睨み据えた。

 

 

(あちらも慣れてきたか!)

 

 

 状況を知る術は、何も視覚だけではない。

 風の流れを触覚で、生じる音は聴覚で、漂う臭気は嗅覚で。

 五感の1つを削られれば、その他全ての感覚を駆使して行動を続けるものだ。

 無論、そんな出鱈目ができるのは人の領域を超越した超人、あるいは人外や怪物ぐらいだろうが、奇しくも相手はその怪物。寧ろ人よりもより本能に従い、野生に生きる身である分、適応力は上なのかもしれない。

 

 穢れた血潮を撒き散らし、荒ぶる紫電を放ちながら巨獣の黒き巨体が迫って来る。

 見た目に似合わぬ俊足ぶりも考えると、シモンの下へ辿り着くのに5秒とかからない。

 竜巻の引き起こす爪撃か、紫電を撃ち放つ咆哮か、それとも力任せの拳か、あるいは――

 

 

(何であれ、()()()ことに違いはない……!)

 

「後は任せたぞ、()()()()()!」

 

 

 高らかに叫ぶシモンであったが、実は事前に狩人仲間の誰かと打ち合わせし、この作戦に出たわけではない。

 そもそも、戦場で事が上手く運ぶなどというのは稀だ。それが人理の埒外に属するヤーナムの獣相手ならばなおさらに。

 だからその場その場で、即席の作戦を立てるしかない。

 無論、そんな出鱈目を実行できる輩など普通ならば在りはしない。よしんば居たとしても、完遂できる者が果たしてどれだけいることか。

 だが、そのような常識外れすら彼らはやってのけるのだ。

 それが――ヤーナムの狩人であるが故に。

 

 

「――らあァッ!」

 

「――はぁあッ!」

 

 

 斬ッ――と。

 妖しく煌めく刃光と共に、2つの剣閃が虚空を裂く。

 振り抜かれた二刀と曲刀が鮮血で軌道を描くと、轟音と共に巨獣の巨体が盛大に倒れた。

 

 巨体を支える両の足――その命とも呼べる腱を断ち切ったのだ。

 

 

「フゥ――ッ!」

 

「……流石に武器に負担を掛け過ぎたな、今のは」

 

 

 一瞬の呼吸で再び息を整えるマリアの横で、狩人装束に着替えた巨躯の老人(ゲールマン)が独り呟く。

 頑強極まる獣を相手取るために、数多の工房で鍛造された狩人武器は相応の耐久性を獲得している。

 原初の狩人武器でもあるゲールマンの『葬送の刃』も、星に由来する隕鉄を用いることで初期武器とは思えない性能を獲得し、マリアの持つ連結双刀『落葉』も、彼の武器には及ばないものの、やはりそれなりの耐久性はあった。

 

 だが、此度の相手は特殊個体。

 異常なまでに巨大化した『恐ろしい獣』の肉の硬さは想像を絶し、百戦錬磨の体現者たる彼らであっても容易には切り崩せない程だった。

 

 

「だからこそ、ガスコインたちには感謝せねばなるまい。やはり巨大な獣相手には、ああいう力自慢が有効なのだね」

 

「言っている場合ですか。足を完全に切り離し、機動力を完全に封じますよ、ゲールマン!」

 

「ああ。分かっているとも……!」

 

 

 双刀を携えて先行するマリアに、ゲールマンも曲刀と散弾銃を片手に追行する。

 倒れ伏す巨体を駆け上がると、目にも追えぬ神速で武器を振るい、その刃の悉くを巨獣の腰に叩き込んでいく。

 絶え間なく続く苦痛の嵐に、再び巨獣が咆哮するも、その求めに応じる者は誰もいない。

 寧ろ、それはさらなる凶行を招く呼び声。

 巨獣が弱まっているのをその一鳴きで悟った狩人たちが一斉に集い、各々が手にする武器を、銃を、全て叩き込んだ。

 

 

「手を止めるな! 奴の半身を確実に断ち切るのだ!」

 

「正念場だね……ババアの底力、見せてやるよ……!」

 

 

 ノコギリが、斧が、槍が、剣が、槌が骨を砕き。

 短銃、散弾銃、ガトリング銃、大砲から放たれるあらゆる銃弾砲弾が肉を貫き、爆ぜさせる。

 一切の慈悲もない狩人たちの猛攻に、巨獣の上下を繋ぐ腰の部位がミチミチと嫌な音を立てて千切れていく。

 哀れみさえ抱いてしまう程の苛烈さに、遂に巨獣は悲鳴は枯れ果て、その四肢から力が失われていく――そう思われた、その時だ。

 

 

 

 

 

 

『フ、フ――フザケルナァッ!!!』

 

 

 

 

 

 

 千切れかけた半身を力ませ、自らの手で断ち切りながら巨獣が絶叫する。

 自死も厭わぬその行為は、確かに狩人たちの想像を超えた狂行であったが、彼らが驚愕を表わしたのはそんな理由ではない。

 ()()()()()。理性無き獣、本能のままに荒れ狂う筈のヤーナムの獣が、その悍ましい口から人語を吐き出したのだ。

 

 

『ナンデ――何デ俺バカリガ、コンナ目ニ遭ワナクチャナラナインダッ!』

 

「……馬鹿な、獣が……!」

 

「人語を、口にしている……!?」

 

 

 あまりにも予想外の出来事に彼らは思わず手を止め、その隙に巨獣は千切れた下半身を捨て、両手を用いて地を這うように駆け出した。

 

 

『何ガ獣ダッ! 俺ダッテ……俺ダッテナァ!!』

 

 

 

 

()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()ッ!!』

 

 

 

 

 それは、獣に堕ちた全ての罹患者たちの声そのものだった。

 誰も彼もが、望んで獣に堕ちたわけではない。

 蔓延する奇病から逃れるべく、医療教会にて施される『血の医術』を受け入れ、その末に至った結末でしかなかったのだ。

 自分が自分で無くなる感覚。正気というものが失われ、狂気に支配され、やがて全く別の()()に呑まれ、乗っ取られる感覚。

 それを責められる謂れは罹患者(かれら)にはなく、そしてそれを責める権利も狩人(かれら)にはない。

 

 

『俺ハ悪クナイ――俺は悪くない、俺は悪くない、俺は悪くないッ!!』

 

 

 無我夢中で這い続ける巨獣。

 その先に居るのは、関節剣とガトリング銃を駆使し、雑兵を始末している別世界の狩人(協力者)たち。

 そして司令塔(ジャティス)を失い統率が乱れ、本能のままに進む数多の中毒者たち。

 巨獣と化した『恐ろしい獣』、その異常なる巨大化の原因は『天使の塵』。

 そして中毒者たちの体内には未だ魔薬の成分が残留し、さらに言えば、雑兵の掃討に当たっている2人を除けば、狩人たちの中で『恐ろしい獣』の巨獣化の原因を知る者は居ない。

 

 喰らい続け、本能的に悟った自らが救われる術を求め、無様に足掻きながらも巨獣はなおも疾走し。

 そして大口を開け、その牙で狩人ごと中毒者を喰らわんと迫った。

 

 

 

 

 

 

「「――はぁッ!!」」

 

 

 

 

 

 

 ()()()ッ! ――と。複雑機構が起動し、重い一撃が放たれる音が鳴る。

 放出された2()()の杭は、その無駄に過ぎる呼び動作に相応しい破壊力を有し、爆発と共に巨獣を広場の方へ押し返した。

 

 

『が――あ……ッ!?』

 

「望んでこんな姿になったわけではない……か。成程、それは一理あるのだろうな」

 

 

 突き出た杭より冷却時の煙を生じさせながら、新たな狩人が先の言葉にそう答える。

 誰もが最初からそうであったわけではなく。そして誰もが、望んで人ならざる姿へ変貌したわけでもない、と。

 

 

「だが、言葉持つ獣よ。君もかつては人であったのだろう? 獣に怯える日々を、被害者としての日常を僅かなりとも過ごしていた筈だ」

 

 

 語る狩人もまた、異界より境界を越えて助力に来た協力者であった。

 最初期の狩人の証でもある胴衣を身に着け、様式美に拘ったトップハットを頭に頂く老紳士は、だが衰えを知らぬ鋭い眼光を向けて、睨むように巨獣を見据えていた。

 

 

「だがそれを知った上で、君はこの凶行に手を染めた。元居た場所(ヤーナム)の時も然り、そしてこの異界(フェジテ)においても然り。

 己が獣性を御する稀なる才を得ていながら、君は人としての苦ではなく、獣としての欲を選び取ったのだ。その事実だけは変わりない。

 ……そうであろう。風車小屋の“やつし”よ?」

 

『……何なんだよ。何で、俺を知ってるんだよ……あんたぁッ!?』

 

「異なる時の流れの中で、君と見えた“狩人”の1人だよ――私は」

 

 

 ――古狩人 ハンス

 

 

 人喰いの獣を前にしてさえも臆さぬ老狩人に、巨獣は感じたことのない恐怖を抱き、一刻も早くその場から逃げようと身体を反転させる。

 だが、それを止めた男がいた。剛毛に覆われた巨躯に飛び乗り、再びその背に杭を叩き込んだ。

 

 

『があああああああぁッ!?』

 

「……すまない。貴公らを守ると誓っておきながら、結局私は、貴公らのことを何も知らずに居た……!」

 

 

 噴き出す鮮血が雨となって注ぐも、不思議にも男の装束を濡らすことはなかった。

 男は、灰色だった。身に纏う狩人装束は、手袋からズボンに至るまでの全てが灰に包まれ、被る灰の狩帽子は、どことなく狼を彷彿とさせた。

 

 

「だからこそ、禁を破るのはこれが最後だ! 今この時、この一瞬だけは――私も、“狩人”としての務めを果たす……!」

 

 

 ――古狩人 デュラ

 

 

「……すまぬ、デュラよ。例え私の知らざる君であっても、その選択は苦痛であろうに……」

 

 

 優し過ぎたが故に愚かと謗られた古き盟友に、異界の狩人は悲痛な面持ちで呟きを漏らす。

 それでも、手にした得物を手放すことはせず、決意の証明とばかりに一層強く握り締める。

 そして向く。この悍ましい戦いの行く末、狩りの最果てを決めるに足る()()()()()『最後の狩人』へ。

 

 

「……お膳立ては済ませた。後は、貴公次第だ」

 

「……感謝する」

 

 

 すれ違いざまに言われ、そして答えながら『最後の狩人』はデュラ同様、巨獣の背へと跳躍する。

 飛び乗った剛毛の背には、未だ紫電が駆け巡り、触れるものを灼き尽さんと雷鳴を響かせているが、それももはや大した障害にはならない。

 紫電の檻を潜り抜け、その先にあろう巨獣の頭部に至ると、彼は血塗れとなったノコギリ鉈を虚空に収め、新たに一振りの曲刀を木製の長杖と共に取り出した。

 

 そして、即座にそれを連結・変形させる。

 三日月を描く形の曲刀は、長杖と組み合わさることで長大な大鎌と化し、その刃を巨獣の首元に宛がう。

 

 

「……?」

 

 

 すると、彼が大鎌を宛がった箇所とは反対の方より、もう一振りの大鎌の刃が首元に宛がわれる。

 見るとそこには、彼と同じ得物を手にする長躯の老人が1人。

 

 

「ゲールマン……」

 

「……」

 

『あ、あ、ああ――! 嫌だ、嫌だッ! 死にたくない、死にたくないィッ!!』

 

 

 獣皮を通して伝わる刃の冷たさに、いよいよ己の最期が迫っていることを察した巨獣が、最後の抵抗とばかりに暴れ始める。

 だが、それも長くは続かず、残る両手は狩人たちが各々の得物を突き刺し、杭代わりとして地面に縫い付けることで封じ、なおも動く身体には一部の狩人が所持していた毒メスを突き刺し、動きを鈍らせた。

 

 

「……やってやれ」

 

 

 毒メスを片手に言ってくる黄装束の古狩人(ヘンリック)の言葉に応じ、2人は高らかに大鎌を振り上げ、ほんの一瞬鎌刃を交差させ、虚空に歪んだ三日月を創る。

 

 

「せめてその死は、人たらんことを――」

 

「――悪夢は終わりだ。風車小屋の“やつし”」

 

 

 “最初”(ゲールマン)“最後”(ギルバート)の放った一閃。

 葬送を為す鎌は、確かに獣の頭を刈り取り。

 だが、宙を舞う獣の最期の顔には――失くした筈の“ヒトらしさ”が滲んでいた。

 

 

 




 今回登場して頂いた狩人たちは以下の通りです。

 『火薬の狩人 フィジク』 投稿者 ability10さん

 『異邦の狩人 ファル』  投稿者 fal989さん

 『臆病な狩人 ササカズ』 投稿者 ササカズさん

 『“悍ましき”オーウエル』 投稿者 素品さん

 『古狩人 ハンス』    投稿者 アンデルセソさん


 以上の5名様、ありがとうございました。
 他の方々も素晴らしい狩人様をお送り頂きありがとうございます。
 もしまたの機会がありましたら、その時もご協力お願いします。


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第28夜 誓い、そして蠢く悪意

 久しぶりの2日間連続投稿。
 感想たくさんもらって張り切っちゃったみたいです。
 今回でようやく5巻の内容は終了となります。
 それではどうぞ。


 その日――悪夢のような事件は終わった。

 

 一年余り前、帝都に引き起こされた大殺戮。

 恐るべき魔薬により、犠牲者がさらなる犠牲者を呼ぶ負の連鎖の極致。此度のフェジテの大事件は、奇しくも同じ犯人によるかの事件の再現ともなった。

 

 ジャティス=ロウファン――元・帝国魔導士団特務分室、執行官ナンバー11《正義》の男。

 己が狂信の果て、悪名高き魔薬『天使の塵』(エンジェル・ダスト)を用いて、その餌食となった死者数は100を超え、負傷者も含めれば恐らくその2倍どころの話ではない。

 システィーナの婚姻相手であったレオス=クライトスもまた、その犠牲者の中の1人であった。

 彼の場合は、彼の属する御家『クライトス家』の名誉を守るため、都合のいい理由を捏造され、どうにか家名失墜は免れたものの、それで救われるのはクライトスの血に連なる者たちであり、彼本人の命が戻ることはない。

 

 そしてもう1つ、今回の『天使の塵』事件と並び、帝国の大きな話題となった事件があった。

 それは――

 

 

 

 

 

 

「――ふわあああぁ……」

 

 

 長大な廊下を歩きながら、他者の目も気にせずギルバートは大口を開けて欠伸を漏らした。

 昨日の逃走劇、ジャティスとアルフレートとの戦闘、そして特殊個体の『恐ろしい獣』を相手とした大規模狩猟という大事の連続もあって、肉体的にも精神的にもギルバートにかかった負担は大きかった。

 傷や状態異常に関しては、輸血やヤーナムの薬を用いればどうとでもなるのだが、如何せん疲労までは掻き消せず、こうして間抜けな姿を晒しているわけだ。

 

 

「ギルバート先生、おはようございまーす!」

 

「ん、ああ……おはよう」

 

 

 すれ違い様に挨拶をしてきた生徒に、ギルバートも眠そうな顔を擦りつつ、薄っすらと笑って返す。

 昨日の大事件を知らぬ筈もだろうが、直接関与していない者たちからすれば、やはり心中のどこかでは他人事でしかないのだろう。

 薄情と言うべきか、何と冷たいというべきか。だがどちらであれ、それも人間の形の1つであると自らを納得させ、廊下の先を進んで行くと、見知った顔と出くわした。

 

 

「おや、ハーレイ先生」

 

「……」

 

 

 グレンの受け持つ2組とすぐ隣の、1組担当の講師である彼とは、世辞にも人間的交友は上手くいっていない。

 というか、魔術師ですらない彼が学院に勤めていること、そして最近ではグレンの補佐として2組に付いていることが気に食わないのか、以前よりも一層不快そうな態度を示す機会が増えている。

 それはさておき、そんなハーレイは普段以上に顔を顰め、眉間に皺を寄せて小さく唸りを上げている。

 原因は探るまでもなく、その手元に握られている()()だろう。

 

 

「ハーレイ先生? ハーレイ先生?」

 

「……っ」

 

「ふむ。あー……ハゲ先生?」

 

「誰がハゲだ、誰が! 私はまだハゲてなど……む」

 

「ようやく気付いてくれましたね、ハーレイ先生」

 

「貴様……ギルバートか。フン……」

 

 

 烈火の如き怒貌を表わし、勢いよく顔を向けてきたハーレイに、ギルバートは苦笑いを浮かべて応じる。

 ハーレイもその先にいたのが、忌々しい隣クラスの副担任であると知ると、怒貌を引っ込め、何とも言えない表情を浮かべて小さく鼻を鳴らした。

 

 

「どうしたんですか、普段以上に難しい顔をされて? それに、歩きながら新聞を読むなんて、ハーレイ先生らしくないですよ?」

 

「フンッ、貴様は何も知らないのだな。だからそんな呑気なことを言っていられるのだ」

 

「……? それ、今朝の朝刊ですよね? 俺はまだ見ていないのですが、何か凄いことでも記載されてました?

 例えば……昨日の『天使の塵』事件とか」

 

「その話題も無視できないが、それ以上に()()()のが出た」

 

 

 これだ、と。手にしていた新聞を開き、ある一面をギルバートに見せつける。

 何が記されているのかと好奇心を震わせながら、ハーレイが見せて来た新聞の一面を見ると、直後にギルバートはその目を大きく見開いた。

 

 

 

 

 

 

『殺人鬼は救世主か!? フェジテにて起きたもう1つの事件!!』

『未確認巨大魔獣、学究都市内に突如出現!? 討伐者は『血塗れの殺人鬼』!!』

『1人ではなかった? 『血塗れの殺人鬼』に協力者多数!?』

 

 

 

 

 

 

 それは、今朝出た朝刊とはまた別の、所謂号外と呼ばれる印刷物だ。

 たまたま朝刊と近い時間に発行され、販売されたその記事は、全て昨日のフェジテで起きた『もう1つの事件』に関する内容で埋め尽くされていた。

 

 

(いや、あれだけの大騒ぎだったんだ。寧ろこうなるのも当然か……)

 

 

 事態が事態だったとはいえ、本来影に徹し、日向に出ることを極力避けてきた稀代の大悪党が、ここにおいて初めて光の下に姿を現わしたのだ。

 当然、それに食いつかない情報屋共ではないだろうし、それが街を救った偉業となれば、報道しない筈がなかった。

 おそらくこの報道は、近いうちにすぐ規制が入るだろう。魔術大国として名を知られているアルザーノ帝国内において、非魔力保有者の大量殺戮犯が英雄扱いされたとなれば、それは帝国の威信に関わることだ。ともすれば、魔術師たちの国内の地位が揺さぶられかねない事態となる。

 ハーレイが普段以上に顔を顰めていたのも、これが原因だったのだ。

 

 

「愚かしいことだ。常人よりも身体能力に優れ、戦術に秀でていたとはいえ、非魔術師――それも殺人鬼が英雄と扱われるなどとは」

 

「……そうですね。結果的には人命救助に繋がったとはいえ、犯罪者が喝采を浴びていい理由にはならない」

 

「ふむ? 珍しく意見が合ったな。まあ……確かに奴の行いは、貴様の言う通り市民の人命、延いてはこの歴史あるフェジテの街を救うに至った。だが、だからと言って、奴がこれまでに積み上げてきた帝国に対する悪影響を帳消しにできるわけではない」

 

「……ええ。理解していますとも」

 

 

 そう、如何に英雄的偉業を成したとはいえ、所詮彼は殺人鬼。

 世間における彼の立ち位置は闇の側にあるものであり、ある意味では『天の智慧研究会』と並ぶ裏世界の負の象徴だ。

 そんな人物が表立って行動を起こせば、善悪に関係なくその大業に多くの者が魅せられ、最悪彼の同調者(シンパサイザー)となりかねない。

 現にこれまで、そういった輩が出てこなかったわけではなく、だからこそ数ヶ月前の学院テロ未遂事件の後、ギルバートは犯人たちの首と血で警告し、己の人望をわざと下げたのだ。

 

 だがそれも、今回の一件で全て台無しとなってしまったが……

 

 

「貴様も浮かれないことだ。認めたくはないが、奴は世間では非魔術師、つまりは大部分の帝国国民にとっての希望となりかけている。

 魔力が無く、魔術が扱えずとも自分たちは戦えるなどと、そんなものは都合のいい幻想に過ぎない。

 女王陛下に仕える帝国国民の1人として、貴様も、今一度己の在り様を見直すべきだぞ」

 

「そうですね。……ええ、その通りですとも」

 

 

 態度はどこまでも尊大で、口調も性格も最悪ではあるが、彼も彼なりに自分を気遣ってくれているのだと知り、仄かに胸の内が温かくなるのを感じた。

 そしてその後、彼に対する申し訳なさが胸中を埋め尽くす。

 彼の言葉を、その思いやりを裏切るようで申し訳なかったが、己は帝国の民でも、それどころかまともな人間ですらないことを、未だ告げられていないことを。

 ギルバートはただ――只々申し訳なく思い続けた。

 

 

「ではな。そろそろ授業の時間だ。補佐とはいえ、貴様も遅れぬように気をつけろよ」

 

「はい。……貴重な御時間、ありがとうございました」

 

「む。……ま、まあ、持たざる者に施すことも、力ある者の義務であるからな」

 

 

 そう言って、今度こそハーレイは受け持ちの教室へと去って行った。

 その後ろ姿を見送ると、ギルバートはすぐに2組の教室へは向かわず、廊下の先を歩き続け、とある一室の前で足を止めた。

 閉ざされた扉を開くと、その先に見えたのは1人の女性の姿。

 ほんの少しだけ力を込めて触れれば、ただそれだけで壊れてしまいそうな、そんな儚げな印象を抱かせる女性はギルバートの姿を見ると、変わらぬ柔らかな笑みを浮かべ、彼に笑い掛けた。

 

 

「――おはようございます、ギルバート先生!」

 

「――ええ。おはようございます、セシリア先生」

 

 

 もう逃れることはできない。

 光からも、闇からも。舞台からその身を下ろすには、あまりにも多くを為し過ぎた。

 

 

(すみません、セシリア先生。……俺は――)

 

 

 心の内で小さな謝罪を紡ぐと共に、ギルバート――月香の狩人は、1つの決意をその胸に固めた。

 

 

 

 

 

 

 夜が訪れ、昼とは異なる賑わいが街に訪れた頃。

 フェジテの繁華街、その路地裏の1つを進んだ先にある複雑な裏街。

 栄えた都市ならば必ずはある闇の一面たるその裏街の、とある大屋敷。

 その偉容に反して、不思議と周囲に溶け込んでいる様子に知らぬ者が見れば、間違いなく首を傾げて絡繰りを探ろうとするだろうが、此度の来客にはそのつもりは微塵もなかった。

 

 

「……本当に、此処なのか?」

 

「ああ。シモンの話が正しければ、間違いなくこの屋敷だ」

 

 

 変装用に自分の狩装束を紳士風に手を加え、それをグレンに着させて連れてきたギルバートだが、当の本人は変装するつもりがないのか、普段の黒尽くめの狩人装束姿だ。

 コンコンと扉を軽く叩くと、間もなくして内側から扉が開かれ、その先にいる居住者たちが彼らを迎え入れた。

 

 

「よく来てくれた、我らが同士よ」

 

 

 まず最初に2人を歓迎したのは、四角い鉄兜で顔を覆った男、ヴァルトールだった。

 既に葡萄酒で満たされたグラスを手に持ち、両手を広げて歓迎する彼の姿は、良くも悪くも彼らしいものだった。

 そんな彼に続いて、屋敷内にいた他の狩人たちも続々と集まり、その姿を晒していく。

 

 マリア、アイリーン、ガスコイン、ヘンリック、デュラ、ルドウイーク、ヤマムラ、マダラスの弟——そしてゲールマン。

 かつての呪われた古都ヤーナムにおいて、その名を轟かせた古狩人たちが集う様は圧巻の一言に尽きたが、その中においてなおギルバートの存在感は褪せることなく、寧ろ彼らの中心としてそこに在った。

 

 

「さて同士よ、歓迎の祝杯の前に1つ……何故その彼を連れて来た?」

 

「この男には見届け人になってもらう。俺たち狩人の新たなる誓いの、な」

 

「そうかね……まあ知らぬ者よりかは、幾分かマシか」

 

 

 言うとヴァルトールはもう片方の手で空のグラスを掴むと、それをギルバートに渡し、他の狩人に葡萄酒を注がせる。

 狩人は酒では酔わない。血にこそ酔うもの。故にこの酒は、趣向のためのものではないことは、この場にいる全ての狩人が承知していた。

 

 

「――皆、今宵はよく集まってくれた」

 

 

 主だった9名、そしてギルバートを除く他の狩人たちも集ったのを確認すると、開式の言葉とばかりにギルバートは静かにそう言った。

 

 

「知っての通り、昨日の一件において、我々狩人の存在は完全に露呈してしまった。

 『ヤーナムの狩人』の名こそ知られてはいないものの、今朝の朝刊を見た者がこの中に1人でもいるのなら、此度の事態の重さは重々理解しているだろう」

 

「……」

 

 

 今まで隠されて来た秘密を、必要だったとはいえ自ら晒したようなものなのだ。

 きっと今この時でも、どこかで誰かが自分たちを探り、その秘密のさらに最奥を知らんと奔走しているに違いない。

 それだけ今回犯した失態は大きく、彼らの今後の行動を大きく縛る要因となってしまったのだ。

 

 

「だが――それも詮無きことだと、俺は思う」

 

「……?」

 

「……どういうことだ?」

 

 

 主要メンバーも含め、狩人たちの内に動揺が生まれる。

 影に徹し、闇の内で事を為すのがこれまでの彼らにとっての暗黙の了解だった。

 それを、誰よりも強く心がけ、実践してきた男が、その失敗を『仕方ない』と認めたのだ。

 

 

「幾ら影に徹そうとも、人の見聞に捉われぬことはない。『壁に耳あり、障子に目あり』とは、貴方の母国の言葉であったかな、ヤマムラ」

 

「……秘密はいずれ漏れるもの。ただ早遅の違いがあるだけよ」

 

「そうだ。ヤーナムの医療教会、ビルゲンワースの秘匿が破られたように、我々の秘密もいずれは破られる運命にあった。

 己の手で晒したか、あるいは他者の手で暴かれたという違いもあるだろうが、結果的に我らは秘すべきものを失った」

 

 

 だからこそ――

 

 

「いい加減、俺も覚悟を決める時が来た。今回の一件で痛感したが、たった独りで為せることなどたかが知れている。

 それに世間では、『血塗れの殺人鬼』には協力者がいるという記事も出回っている……この機を逃す理由はない」

 

「では……!」

 

「俺は――正式に、貴方がたの一党に加わる。だが、属するはヴァルトール率いる『狩人連盟』でも、ゲールマンの『一派』でもない」

 

「何だと……? では何処の組織に? 我ら以外に、一党を築いた狩人は他に――」

 

「先に言った筈だ。俺は“貴方がたの一党”に加わる、と」

 

 

 そこでようやく、他の狩人たちは理解に至った。

 そして驚愕した。ギルバートが言いたいことはつまり……

 

 

「急進派も、穏健派も関係ない。我ら狩人が為すべきは、闇夜に蠢く狂気と悪意の淘汰。

 獣共も、見方によっては被害者に過ぎない。真に討つべき害悪が判明している以上、複数の派閥に分かれて行動するなど無駄に過ぎる」

 

「……お前……」

 

 

 グレンは我が目を疑った。

 補佐に付いて以降、日々何気なく過ごし、時に戦い、共闘したかつての宿敵の思わぬ一面に。

 そこにいるのはどこか間の抜けた学院勤めの『町医者』でも、帝国の夜の支配者と謳われた悪名高き『殺人鬼』でもない。

 獣を狩り、狂人を狩り、神の如き邪悪なる怪物を狩る――終わらぬ悪夢の幕引きを担った、『最後の狩人』の姿だ。

 

 

「討つべきは、かつての悪夢の元凶『ミコラーシュ』。

 かの狂人を討つその時まで、我々は変わらず、帝国の闇の脅威として在り続ける」

 

 

 

 

 

 

「これ以上――我々(ヤーナム)のせいで、要らぬ犠牲者が増えぬためにも……!」

 

 

 

 

 

 

 かつて、己が目的のためならば如何なる犠牲も厭わぬと謳った男の姿はそこにはなく。

 僅かばかりだが、人間性を取り戻した彼の言葉は良く響き。

 その声に応じ、グラスを掲げぬ者は――その場には誰一人、存在しなかった。

 

 

 

 

 

 

「――アッハハハハハハハハハハ……!」

 

 

 薄暗い一室。月光のみが照らす闇の一室の中に、その男の姿はあった。

 ミコラーシュ――かつて『メンシス学派』と呼ばれる狂気の学術一派を束ね、統率した主宰。

 狂気渦巻くヤーナムの中でも、飛び抜けて狂気に侵され、狂気に愛された男の目には、とある光景が映されていた。

 

 一室に設けられた巨大宝石。そこに映されるのは、昨日のフェジテ中央地区にて起きた巨獣と狩人たちの大乱闘。

 血で血を洗う苛烈な激闘の果てに巨獣を討たれ、狩人たちが勝利の御旗を上げたが、その光景を目にして、ミコラーシュはただ狂ったように笑い続けていた。

 

 

「アハハハハハハハッ! おお、おお、おお! 素晴らしい! 何ということか、ハハハハ、()()は成功したぞ! ウハ、ウハハハハハハ……!」

 

「――楽しそうでございますわね、ミコラーシュ様」

 

「ハハハハハハハ――あぁ? ああ……君か、エレノア」

 

 

 踊り狂いつつも、ギョロリと眼球だけを動かしてやって来た来訪者の姿を視界に捉える。

 そして来訪者、エレノア=シャーレットの下に不規則な動きで歩み寄ると、舐めるような視線で彼女の体躯をジロジロと凝視した。

 

 

「何の用かね、私は今忙しいのだ」

 

「昨日のフェジテの事件を機に、まるでお姿を見せなかったのでご確認に参った次第でしたが……どうやら何もなさそうですね」

 

「……何も? 何もない? 君にはそう見えるのかねエレノア!?」

 

 

 賢者の如く思考に耽たと思えば、突然おかしい声音で驚愕したように声を上げ、問うてくる。

 それは同じ『天の智慧研究会』に属する者であっても、あまりの規則性の無さに思わず相手するのを避けるほどの支離滅裂さであったが、不思議とエレノアはそうは思わず、変わらぬ姿勢で彼の相手をし続けていた。

 

 

「見たまえ! 木端の如き惰弱な獣ではない、紛れもないヤーナムの狂気を体現した獣が! 遂に! この世界へ姿を見せた!

 世界の境界線が曖昧となっている証拠だよ。確かな壁は崩れゆき、やがて繋がる世界同士、あらゆる異物が行き来し合うだろう!」

 

「まあ、それは何とも。それで、結果の方は上々と言ったところなのでしょうか?」

 

「何を言う! 結果としては()()()! 私の予想が正しければ、もう2、3体ほどはヤーナムの獣が流出してくる筈だった! だがどうだ!? 実際姿を現わしたのは、あの『恐ろしい獣』たった1体! 自我を保っている点を考えれば、より良い個体が流出してきたということだから、まあ上位個体流出という課題はクリアできたわけだが、今求められるのは質ではなく数! だから呆気なく狩人たちに狩られて終わってしまった!」

 

 

 髪を掻き毟ろうと手を伸ばすが、彼の頭には六角状の鉄格子が嵌められていて、結果その手が毛髪を掴むことはなく、ただその爪がガリガリと鉄格子を引っ掻くだけに終わった。

 

 

「だが……小さくとも確実に、我々の元居た世界のものがこちら側に流れ込んで来ている。

 それは事実であり、現実であり、偽らざる真実である。……だからこそ」

 

 

 ()()()()、と。艶めかしささえ感じさせる水音を響かせて、ミコラーシュの手先がソレに突っ込まれ、その中身を掻き回す。

 すると彼の眼前に横たわるソレがくぐもった声と共に痙攣し、どうにか逃れようと必死で身体を動かした。

 

 

「ああ、ああ……いけないなぁ、()()()()? これから君はこの世界で初の、“この世界産の獣”となるのだよ?

 人と獣の境界が曖昧となった時、人も獣も混ざり合い、その双方を行ったり来たり……ヤーナムにおいては、人が獣となるという一本道しかなかったがね?」

 

「――ッ、――ッ!?」

 

「ハハハハ、君も研究者の端くれならば理解しているだろう? 実験には犠牲が付き物だ……それがより高度なものを目指すのなら尚更に。

 君もこれまでにそうしてきたのだろう? 今度は君が()()()()()なだけだ」

 

 

 ねっとりと絡み付くように紡がれる言葉に、バークスは年甲斐も無く涙を滲ませ、苦悶の表情を浮かべる。

 だが彼を助ける手はどこにもない。ミコラーシュの言う通り、これまで彼も、多くの人間を実験台として扱って来た。

 『異能』という常人とは異なるものを持って生まれただけの、何の罪もない無辜の命を犠牲にしてきた男が、今度は彼らと同じ道を辿る。その時が来ただけなのだ。

 

 

「この一室は既にヤーナムと同じだ。人と獣の境界線など取り除いている。

 なぁに……夢だと思えばいい。どんな夢想も叶えてしまう、至上の『悪夢』の揺り籠だ」

 

「――ッ、――ッ、――■■■■■■■■ッ!!?

 

 

 最期のその時まで人語を発することは許されず、一室の主の意のままに、バークスはその姿を醜く変貌させていく。

 肉体改造の末に獲得した筋骨隆々たる体躯は内側から爆ぜ、余分な肉は削ぎ落とされていく。

 爆ぜて破れた皮は垂れ、内側のピンク色の肉が剥き出しとなった姿はやがて人の形を失い、獣のそれへと変わっていく。

 やがて出来たのは、1匹の獣。長大な四足を有し、髑髏の如き凶貌を備えた、血塗れの皮を垂らす肉食獣。

 血に塗れ、けれども絶え間ない血の渇望に苛まれる獣に、敢えて名を付けるのなら――『血に渇いた獣』

 

 

おお、素晴らしい(Oh majestic)! 誇りたまえよバークス! 獣にすらなれず肉塊と化したライネルとは違い、君は見事にその身を獣へ変えた! 何たる僥倖……遥かなる者たちは、やはり求めているというのかッ!!』

 

 

 誰に向かって言うわけでもなく、高らかに叫ぶミコラーシュに、しかしエレノアは変わらぬ薄ら笑いを湛えたまま見つめているのみ。

 けれども、流石にこれ以上留まる理由もなく、最後に聞いておくべきことだけ聞いて、その場から立ち去ろうと考え始めていた。

 

 

「……それでミコラーシュ様。大導師様には詳しい計画内容をお伝えしていると伺いましたが、貴方の仰るその計画とは、どのようなものなのですか?」

 

「んんんん? ……ああ、そう言えば我が盟友には伝えたが、それ以外の者には言っていなかったな。

 ……クフフッ、良いだろう。今日は気分がいい。君にだけ、ほんの少し、教えてあげよう」

 

 

 高揚から一気に冷め、狂気が一瞬治まったとも思われたその瞬間――ミコラーシュの身体が()()する。

 闇の中で蠢くそれは、果たして蛇か、あるいは軟体生物の手足か。

 不定形で、闇に包まれ全貌を見ることの叶わないソレを前に、エレノアは変わらず彼を直視し続け、紡がれるであろう計画の一端に耳を傾けた。

 

 

『そうだね……この計画の内容、そして君たちのネーミングセンスも考慮した上で名付けるなら、そう――』

 

 

 

 

 

 

 

『――『Project:Bloodborne』(プロジェクト ブラッドボーン)。そう呼ぶべきだろうね』

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 『Bloodborn』……この言葉の意味を調べ、よく理解すれば、ミコラーシュの思惑が分かるかもしれません。

 そして先日募集しましたオリジナル狩人様についてですが、今後の話でまた登場して頂く可能性もあります。その場合はまだ未登場の方のものを優先して出させて頂きます。募集ももう暫く続ける予定ですので、遠慮せずご応募ください。

 次回は6巻の内容には入らず、とある方からご希望がありました“あるお話”を投稿する予定です。
 皆さんのご感想お待ちしております。


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間話
ようこそ、夢世界へ①


 今回はほぼ説明回となります。
 そして最後は……センスはないが色々ぶちこんでみました。
 それでは本編をどうぞ。


 ――その日、システィーナ=フィーベルは珍しく虚ろげだった。

 

 別にグレンの講義が退屈なわけではない。成績優秀な生徒である前に、彼女は元々魔術に対して強い関心と熱意を持っていた。それこそ、グレンが初めてこの学院に来て、そのあまりにも適当な講義——と言う名の完全放置に憤慨したほどで、その彼女が今さらになって魔術講義に対する興味を薄れさせるなど、天地が逆転してもあり得る筈がない。

 では何故、今の彼女はそんな状態にあるのか。それは偏に、彼女の視線の先に見える()()()()()が理由だった。

 

 ギルバート――苗字不詳。2年前よりこのアルザーノ帝国魔術学院に勤め、時に医務室補佐、時に2年次生2組講師補佐として働く非魔力保持者。

 この学院内で唯一と言っていい非魔術師である彼を、つい先日までシスティーナは表面通りの人物として捉えていた。

 そう――つい先日まで、は。

 

 

(まさかあの人が……()()有名な『血塗れの殺人鬼』だっただなんて……)

 

 

 『血塗れの殺人鬼』

 それは今からおよそ4年前、アルザーノ帝国に突然現れた最凶の殺戮者の名前だ。

 歪な武器と銃を携え、黒尽くめの装いで夜な夜な現れては外道魔術師を殺し、その凄惨なやり口で帝国中の魔術師たちを怖れさせた大悪党。

 特徴的な装いや、その人道から外れた手口もそうだが、何より『非魔術師』という素性が彼という存在の異質さ、そして強大さを示し、一時期は彼を信奉する一派(クラブ)が創設される程に人気も獲得していたという。

 その悪名は勿論、名が知れ渡り始めた頃からシスティーナも耳にしており、正直な話、この前まではロクでもない大量殺人鬼という印象しか抱いていなかった。

 最初期はともかく、それ以外の時期では彼は一般市民を手に掛けることはなく、殺害対象も外道魔術師にのみ絞られ、結果的に言うと外道魔術師たちによる犯罪件数が大幅に減ったのでそこについては認めなくも無かったが、やはり他者を殺めるという行為に好感を抱けるはずもなく、大部分の人間はシスティーナと同じ気持ちを抱くだろう。

 

 だが、その正体を知ってしまうと、どうにも見る目が変わってくる。

 単独での犯罪歴ならば帝国犯罪史上最高と言っても過言ではない稀代の殺人鬼が、実は学院勤めの冴えない町医者で、補佐対象のロクでなし講師がふざけた行動を起こす度に、その人外的身体能力を駆使してお仕置きにかかる光景は、何とも微妙な感情を抱かせて止まない。

 

 

(でも……本当に、()()()なのよね……)

 

「――ナく――ス――ティ――」

 

(私やルミアが入学した頃にはもうここで働いてたみたいだし、それと並行して外道魔術師狩りも行ってたってことよね。

 グレン先生もそうだったけど、何でうちのクラスの先生は裏の顔が――)

 

「――システィーナ君

 

「うひゃあぁっ!?」

 

 

 耳元でこの世のものとは思えない声音で自分の名を囁かれ、珍しくシスティーナの口から素っ頓狂な驚声が漏れ出る。

 そのせいか、クラス中の視線が自分に集まるのを察し、慌てて彼女は自分の口を閉ざすように手を当て、睨むように自分に囁いて来た声の主の方を見て――そして思わず目を丸くした。

 

 

「珍しいな。君がぼうっとしている姿など、今までなかっただろうに」

 

「あ……ギ、ギルバート、先生……」

 

 

 視線を向けた先にいたのは、先程まで彼女の思考を埋め尽くしていた件の人物。

 2m近くはある長躯を簡素な衣服と白衣で固めた、表向きは一般人の町医者兼学院医務室補佐兼講師補佐。

 地味に多くの肩書きを持つ彼こそがギルバート――闇世界にその名を知らぬ者はいない伝説的大犯罪者『血塗れの殺人鬼』だ。

 

 

「あ、あの……何か御用でしょうか……?」

 

「ああ。……少し、耳を貸して貰えないか」

 

「……?」

 

 

 一瞬何故、と首を傾げたが、言われたとおりにギルバートへ片耳を向けると、スッと彼の顔が寄って来て、彼女の耳元に囁くように言った。

 

 

「学院の講義が終わり次第、グレン先生たちと合流して、俺の診療所にまで来てくれ。

 そこで……改めて、話しておくべきことがある」

 

「っ! ……はい」

 

 

 言葉を乗せた声は真剣そのもので、それこそ普段目にする町医者としてではない、本当の彼――『血塗れの殺人鬼』を思い出させる声音に一瞬驚くも、システィーナは静かに応じた。

 その返事を聞いて、これ以上用はないとばかりに白衣を翻し、ギルバートは教室から去って行った。

 

 

「話しておくべきこと……か」

 

 

 あの様子からして、間違いなく語られるのは『血塗れの殺人鬼』としてのことだろう。

 そもそも、あの日判明したことは彼の正体が件の殺人鬼であることぐらいで、それ以外のことをシスティーナは何も知らない。

 怖くない、と言えば嘘になるが、同時に知りたいとも思っていた。

 何故、彼があのような凶行を4年もの月日をかけて繰り返し続けて来たのか。

 何を理由にして身を偽り、この学院に勤めるに至ったのかを。

 

 

「そう言えば、グレン先生()()って言ってたけど……」

 

 

 他に誰か来るのかしら――?

 

 そんな疑問を抱き、その同伴者が自身の友人たちであると知り、驚愕の声を上げることになるのは、それから少し経ってからのことだった。

 

 

 

 

 

 

「――待っていたぞ」

 

 

 西地区のとある通り。

 そこそこの人気が感じられる住宅街の少し外れに、その建物はあった。

 2階建ての、良くも悪くも平凡な造りであるその建築物の扉前で、白衣を纏う長躯の男、ギルバートは立っていた。

 その彼の視線の先にいるのは、先頭からグレン、続いてルミアとリィエル、そして最近になってギルバートの正体を知ったシスティーナである。

 

 

「まさか、グレン先生だけじゃなくルミアたちまで知ってただなんて……」

 

「ごめんねシスティ。ギルバート先生から直接口止めされてて……」

 

「ん。ギルバート、正体知られるの、嫌がってた」

 

「しっかし、前来た時もそうだったが、相も変わらず平凡な家に住んでんなぁ」

 

「良いから入れ。あまり人目が付くと困る」

 

 

 バンバンと扉を叩いて入室を促すギルバートに、グレンたちもそれに従う形で診療所の中へと入っていく。

 扉を潜り、入った先で最初に彼らを出迎えたのは、仄かに香る薬品と消毒用アルコールの臭い。

 診察書らしい紙が数枚置かれた作業用机と、患者と自分用の椅子が2つ。

 奥には診察に使うのだろう医療用ベッドが1つ置かれており、見た目だけならば一般的な診療所のそれだ。

 

 

「さて――」

 

 

 だが――その光景は一瞬の内に消失した。

 目にしていた光景が空間ごと歪み、一瞬頭痛に苛まれながらもどうにか意識を保ち、再び目を開けた時、そこには全く違う光景(せかい)が広がっていた。

 

 まず目にしたのは空。

 微かな星明りを灯し、果てしない蒼と黒で染められた空はどこか神秘的で、思わず吸い込まれてしまいそうな感覚を覚えた。

 次に彼らの視界に入ったのは、その住居。

 蒼黒の空の下に築かれたらしい洋館。大きすぎず、されど小さすぎない規模のその建物は、古めかしさこそ感じられるものの、そこに異質さや奇妙さといった要素は皆無だった。

 そしてその洋館に繋がる小階段の半ば辺りに、()の姿はあった。

 

 

「ようこそ。我が庭――『狩人の夢』へ」

 

 

 そこに、『彼』の姿があった。

 夜の闇を凝縮したかの如き黒装束。

 鴉を彷彿とさせる枯れ羽帽子の下の顔は、黒布製のマスクで覆われているため表情は見えない。

 だが、唯一露わとなっている双眸からは刃の如き眼光が放たれ、心の弱い者ならばそれだけで殺めてしまいそうな程の凄みに満ちていた。

 

 

「おいおい、誘って来たのはお前だろ? そんなに凄んだ姿勢のままじゃあ、こいつらとまともに話せねぇぞ?」

 

「ん……そうだったな。どうもこの姿になると、自然とそうしてしまう故……すまなかった。君たち」

 

「全然平気。とっくの昔に慣れてる」

 

「お前はそうだろうな、猪娘。だが、他の2人はそうもいかん」

 

 

 並外れた精神耐性を持つとはいえ、純粋な殺気を常に浴びせられていては流石にルミアもきつい。

 システィーナに至っては、まだ正体を明かしてから日が浅い。耐性も何もないだろう。

 取り敢えずギルバートは4人を洋館の中へ案内すると、続けてパチンッ! と指鳴りを1つ鳴らし、虚空から人数分の椅子を具現させる。

 腰掛けるように促して、4人全員が椅子にかけるのを確認すると自身も同じく、4人と向かい合う形で椅子に座った。

 

 

「さて、急な呼び出しをしてすまなかった。が、近しい面子に顔を知られ、いよいよ俺たちの方も本格的に動き出す手筈となった。

 これを機に、俺の正体を知ったお前たち4人には、改めて俺の正体――延いては俺たち『ヤーナムの狩人』の目的、その全貌を知って貰おうと思う」

 

「正体って……ンなの、『血塗れの殺人鬼』だろ?」

 

「確かにそれも紛れもなく俺の正体だ。だが、少なくともシスティーナ君を除く3人は見ている筈だ。……素性としての意味ではなく、生物としての俺の正体。その異形の姿を」

 

「……!」

 

「……それは、白金魔導研究所の……ですか?」

 

 

 ルミアの問いに、ギルバートは首肯を以て肯定する。

 あの時――サイネリア島への遠征学修の際に寄った『白金魔導研究所』、その秘密領域にて行われた熾烈な戦闘の最中にて、グレンとルミア、リィエルの3人は見たのだ。

 心臓部を貫かれ、即死に至ったギルバートが虚空に消え、再び姿を現わした時に見えた――『触手で構成された狼頭』という異形の貌を。

 そのことを思い出し、一瞬沈黙が訪れるが、不意にギルバートが首を後ろを向けると、「ありがとう」といい、その手に突如茶で満たされたカップが出現した。

 続けてグレンらにも同じようなことが起き、3人は一瞬驚きこそしたものの、ギルバートに倣う形で『見えない誰か』に礼を言い、その手に紅茶のカップを受け取っていく。

 

 

「え……え? どうして、皆の手元に紅茶が……?」

 

「ん? ……ああ。もしかしてシスティーナ君、君は()()()()()()のか?」

 

「見えるって……まさか、何かここにいるんですか?」

 

 

 震えた声で問い掛けるシスティーナであったが、対するギルバートはその理由に見当がついたとばかりに立ち上がり、その黒衣を揺らしながらシスティーナの下へと歩み寄った。

 そして彼女と目線が同じになる位置にまで姿勢を低くし、その黒瞳で彼女を瞳をジッと見つめた。

 

 

()()()()()()。まずは俺の瞳をジッと見つめてくれ」

 

「ふぇっ!? で、でも……」

 

「少し頭痛がするかもしれないが、構わず見続けるんだ。そうすれば、君も3人と同じものが見えるようになる」

 

「……」

 

 

 一瞬頬を朱に染めて、上擦った声を上げるも、ギルバートの声が真剣そのものであったことを悟ると、その言葉に応じるようにシスティーナもギルバートの瞳を見つめた。

 暗い暗い瞳の奥。暗黒の深淵を覗いているかのような感覚を覚える黒瞳は、まるでシスティーナの視線を引きずり込むようにどこまでも先が見えず、果てが存在しない。

 もっと先、そのまた先を知らんと一層眼力を強め、見つめていると――

 

 

「……ぅっ!?」

 

 

 一瞬、脳を締め上げるような痛みが駆ける。

 縄か鎖で拘束されていたものが一瞬強く締められて、その後拘束を解かれたような解放感が溢れ出てくる。

 その余韻に浸り、間もなくして彼女が再び視界を開けた時――そこには、先程まではいなかった『モノ』の姿があった。

 

 

「――お客様。どうぞ、お茶でございます」

 

 

 ソレは人だった。否、厳密には人の姿を模した『人形』だった。

 精緻な顔の造りは人間とほぼ変わらず、その機械的な印象さえなければ人間と見間違えてしまってもおかしくない程に精巧に造られていた。

 ただし、手足はその限りではなく、紅茶で満たされたカップを差し出す右手の造りは間違いなく人形のそれであり、彼女が被造物であることを明確に示していた。

 

 

「あ……ありがとう、ございます」

 

「いえ。……それでは狩人様、私はこれで失礼致します」

 

「ああ。また何かあれば呼ぶ」

 

「かしこまりました。……では、ごゆっくりと」

 

 

 人間と変わらぬ所作を行い、それから程なく人形は洋館から姿を消し、再び館内に4人だけが残された。

 

 

「あの……ギルバート先生。あの人は……?」

 

「彼女は『人形』。この『狩人の夢』に残された、ある男の思い出の1つ。

 啓蒙無き者では彼女を見ることさえ叶わないゆえ、君にはほんの僅かだが、蒙を啓かせて貰ったよ」

 

「啓蒙……?」

 

「おい、月香。何で俺たちには普通に見えてたんだ?」

 

「お前たち3人はサイネリア島での一件の際、多腕の怪物を目にしただろう?

 あれは本来、常人では認識することの叶わない上位存在だ。住む次元が異なる生命体を見て、その脳で認識してしまったのだ。

 許容できる筈のない存在を認識できるよう、『新たな知識』という形で存在を許容するべく行われる無意識措置、あるいは情報――俺たちはそれを『啓蒙』と呼んでいる」

 

「じゃあ、わたしたちはその……『けいもー』があったってこと?」

 

「ああ。多腕の上位存在を見た際、お前たち3人は啓蒙をその時点で得た。その啓蒙こそが、先の人形を認識できる資格のようなものなのだ。

 ……尤も、決して有していいものではないがな」

 

 

 再び指鳴りをし、新たに具現させた小テーブルに飲みかけのカップを置くと、ギルバートは再び語り出す。

 

 

「改めて――俺は『月香の狩人』。世間では『血塗れの殺人鬼』として知られ、また君たちに対しては『ギルバート』という名の町医者を名乗っていた男だ。

 が、その正体はフェジテ、あるいはアルザーノ帝国が存在する世界とは異なる時空の世界――所謂『異世界』から来た、半獣半人、そして半邪神とも言うべき“化け物”だ」

 

『……っ!』

 

 

 その名乗りに、今度はギルバートを除く全員が驚愕を示した。

 何も知らないシスティーナは勿論、薄々ギルバートの『本当の正体』を感付き掛けていたグレンですら、今の内容に驚きを隠せなかった。

 いや、それよりもまず――

 

 

「『異世界』って……じゃあ、ギルバート先生は、この世界の人間ではないんですか?」

 

「俺だけじゃない。君を救出する際にいた異邦の装束の者たち、そして先日の巨獣戦闘の際に見たであろう他の狩人たちも、皆俺と同じ『異世界』――ヤーナムなる古都からやって来た異邦人だ」

 

 

 彼は語る。ヤーナムなる古都の詳細を。

 かつて栄華を極め、優れた医術で以て世界に名を轟かせた古都ヤーナムは、だが蔓延した奇病の影響で徐々に陰りを見せ始め、今やその存在さえ忘れられかけた亡都となりかけている、と。

 その奇病による発生した『ヤーナムの獣』を駆除するべく生まれた『狩人』たち。自分たちはその一員である、と。

 

 

「――そんじゃあお前は何で、こっちの世界に来たんだ?」

 

「それは俺にも分からん。幾度となく繰り返される悪夢の果てに、ある日、俺はこの夢世界ごとお前たちのいる世界に飛ばされていた。

 他の狩人たちも同様だが、あり得ないことに、その中には既に死んでいる筈の者まで混じっているため、詳しいことは俺にも分からん」

 

「では、先程言っていたことを聞いてもいいですか?」

 

「何だね?」

 

「ギルバート先生……月香さんの、本当の正体について、です」

 

 

 彼は先程言った。己は半獣半人、半邪神の異形であると。

 それは何となく……あの研究所での最中に見た姿から、ある程度は察せられていたことだった。

 それでも、そのことを聞いてしまうことは、彼の心に大きな傷を負わせてしまうのではないかと思い、今日まで言えずにいた。

 しかし今日、その彼自らが全てを明かすと決意し、このような場を設けてくれたのだ。

 好機ではない。興味関心程度の思いで聞くのではない。

 グレンと同じく、共に自分を守ってくれた人がどんな人物なのかを知っておきたい――その思いがあった故の問いかけだった。

 

 

「……俺は肉体、いや、存在の半分以上が人間ではない」

 

 

 瞬間、ギルバートの長躯に異変が生じる。

 左腕からは剛毛が伸び、瞬く間に腕を覆って手の先端には鋭い獣爪が伸び出でる。

 対する右腕は左腕ほどの変化はないものの、その籠手と黒布の下で何かが蠢いているような動きを見せ、見えざる変化を遂げたことを彼らに告げていた。

 

 

「俺のいた世界では、『上位者』という存在がいた。以前見た多腕の怪物もその一柱であり、その正体は俺たちが存在する次元とは異なる、遥か高次元の超越生命体だ。お前たちに分かり易く言うのなら、そう……かのセリカ・アルフォネアも参戦した200年前の大戦。その最中に出現した邪神に近しい存在、と言えばいいだろう」

 

「邪神……!?」

 

「おいおいおい、お前そんなヤバい奴になりかけてるってのか!?」

 

「かけてる、というよりもなり損ねた、という表現が正しいな」

 

 

 右の手袋を外すと、そこから()()()と滑っぽさを感じさせる漆黒の触手が垂れ、その先端がグレンに迫る。

 

 

「ひィィィ!? 寄るなぁあああああああっ!?」

 

「俺はこの『狩人の夢』の主たる、とある一柱の邪神を倒した。だが、その打倒に必要な処置の副作用で上位者化しかけたが……この世界に飛ばされた際、その変態が止まったのだ。……言っておくが、()()()()変態ではないからな?」

 

「じゃあ、左腕の獣化はどうしたの?」

 

「良い質問だ、猪娘。……この獣化は、俺だけのものではない。『ヤーナムの血』をその身に注いだ全ての人間にあり得る可能性の1つ。

 俺たち狩人は勿論、ヤーナムの血を受け入れた者は、何かを切っ掛けに理性を失い、自我が崩壊し、やがて獣に堕ちる……。俺も、この世界で1度なりかけた」

 

 

 グレンを弄る触手を引き戻すと、両腕の変化を解き、再び普段の人間の腕へと戻す。

 

 

「故に俺は、存在の三分の一が『人間』。残る三分の二を『獣』と『上位者』の要素で構築された混沌生物(キメラ)のようなものだ。

 この正体が知られれば、俺は間違いなくこの世界の魔術師――道を踏み外した外道共から狙われることとなろう」

 

 

 そこで1つ、グレンはある得心に至った。

 4年もの歳月をかけ、絶えず外道魔術師たちを殺し尽してきた凶行は、彼の信念によるものだとばかり思っていた。

 だが、実際はもう1つ理由があったのだ。自身という存在の希少性、その歪さを知れば、研究馬鹿の魔術師たちは目の色を変えて彼を捕縛しようとするだろう。

 特に、他者の犠牲を全く厭わない外道魔術師は、例え一時の同盟を結んででも彼を捕まえ、自身の研究材料として使おうとするだろう。

 

 

(こいつは強ぇが、無敵じゃねぇ。一対一の戦闘ならともかく、対多数の戦いは苦手だって言ってたな……)

 

 

 幾ら弱くとも、数を揃えられては流石のギルバートも敗北する。

 あの謎の復活能力があれば死には至らないだろうが、外道共の目的はあくまで生け捕り。その復活能力にはあまり期待できないのだろう。

 

 

「だからこそ、今回の俺たち狩人の存在露呈は痛手であるのと同時に好機でもあった。

 これを機に俺たちは、単騎ではなく集団であることを誇示できる。そうすれば他勢力の目につきやすくなるものの、応戦のしやすさは格段に跳ね上がる」

 

「成程。ようはテメェの自己防衛強化も兼ねての徒党結成だったわけか」

 

「そうだな。それでも、今の戦力では帝国総戦力全てを相手取るには足りない……フフッ、安心してくれ。俺たちは何も、国家転覆を狙っているわけではない。俺たちの狙いはあくまであの男――『ミコラーシュ』を討つことだけだ」

 

 

 そう言って少女3人に微笑みかける――マスクで口元は見えないが、彼なりの配慮のつもりだった。

 だが当の3人は彼が期待した程の安堵を得た筈も無く、システィーナは胡散臭そうに彼を見据え、ルミアは苦笑いを浮かべて返答に困っている。リィエルに至ってはそもそも意識が彼の話に向いていない。

 

 

「あ、はは……あ、でも。月香さんにはたくさんの仲間がいますよね? この前の騒動の最中に現れた、あのたくさんの狩人さんたちが」

 

「ん? ……ああ。あれは戦力としては数えられない。確かにあの時は大勢いたが、その約半数は召喚したものだ」

 

「召喚? 使い魔みたいなものですか?」

 

「使い魔、というより『協力者』だな。……少し待ちたまえ」

 

 

 スッと椅子から立ち上がると、ギルバートは虚空を歪め、その孔の中に右手を挿し入れる。

 虚空の中で何かを探るように動かすと、やがて彼の手は引き抜かれ、その手には似た形状の2()()()()が握られていた。

 

 

「ルミア君たちがあの時見た狩人たちの半数は、この鐘で他世界から喚び寄せたものだ。片方は音色だけを伝える新作なのだが……あの時同時に鳴らしたからな。実験も兼ねて君たちに見せてあげよう」

 

 

 リンッ、リンッ――と。

 軽やかな音色を奏でながら、鐘が左右に揺れ始める。

 音色はどこまでも木霊し、やがて遥か彼方へと消えていき、また鳴り響く。

 それの繰り返しを経て僅かな時が過ぎ――突如、彼らの周りの空間が歪み出した。

 歪みはやがて人の形を模り、そこに確かな存在感を生み出していく。

 

 

(3、4、5……いやそれ以上か!? こいつ……まだこんな手札を隠し持って――)

 

「――は? なにこれ。何で喚ばれてんの?」

 

 

 最初にグレンと目が合ったのは、先程会った人形と似た装束を身に纏う少女。

 年頃はシスティーナやルミアたちと大して変わらないだろうが、その目の下には睡眠を充分に取れていないのか、濃い隈が浮かび上がっている。

 そして手にはギルバートのようなノコギリ鉈もなければ短銃すらもない。あるのは何故か、執筆用の万年筆1本だけ。

 

 

「――あらあらあら? 今宵はまた、奇妙な場所にお呼ばれしましたわね。それに……見知った可愛いお顔もいくつか……ウフフッ」

 

 

 次に声を上げたのは、最初の少女とはまた違った美を持つ長身の美女。

 一部を違う衣服で固め、その他は先の少女と同じ人形の衣服で包んだ、過剰なまでに着飾った風貌が特徴の人物だ。

 それでも手に仕込み杖と古式銃を携えていることから、彼女もまたギルバートと同じ“狩人”なのだろう。

 

 

「な、何で……人が突然——」

 

「――はっはぁ。夢を見ているようだろう……お嬢ちゃん?」

 

「ひィッ!?」

 

 

 ぬるんッ、と視界の横から突然現れ、乾いた笑い声を上げて聞いてくる猫背の老人にシスティーナは本日2度目の悲鳴を上げる。

 そしてルミアやリィエルの方にも、やはりと言うべきか別の狩人たちの姿があった。

 

 

「……」

 

「え、えーっと……何か御用ですか?」

 

「……ルミア、エルミアナ……王女殿下……」

 

 

 ルミアの方には布のような銀の鎧を身に纏い、顔を同じく銀の兜で覆い隠した騎士の如き狩人が、彼女の前で片膝をつきながら頭を垂れている。

 

 

「やあリィエル。君はどの世界でも相変わらずだねぇ」

 

「ん。……あなた、だれ?」

 

 

 リィエルには統一感のない半端な装束で身を固めた壮年男性が、被っていたよれよれのヤーナム帽子を片手に、にこやかな笑みを浮かべて彼女に話しかけている。……そして――

 

 

喚ばれて飛び出てジャジャジャジャーンッ!! さあ今日も元気に狩りまくろう! ……って、ここ『狩人の夢』じゃないか」

 

 

 どこかで見たことのある全身白衣に仕込み杖を携えた、見るからに怪しい奇人狩人。

 それから続々と狂ったように狩人たちが召喚され、あっという間に洋館の中は彼らで埋め尽くされてしまった。

 

 

「ちょっ、押さないで! ただでさえ狭いんだから!」

 

「おい、俺に近づくなッ! 斬っちまっても知らな――シャァッ!!」

 

「ぎゃあああああっ!?」

 

「うわッ、こいつ、マジで斬りやがった!?」

 

「ふわぁぁ……ねぇ、帰っていい?」

 

「殺す殺す殺すコロスコロスコロス」

 

「ねぇねぇ、見て見て。ボクの○○○」

 

忍法・モツ抜き(タマつぶし)ッ!!」

 

「ぐぇあああああァッ!?」

 

「ただの内臓攻撃じゃねぇかッ!」

 

「忍び殿、ここはどこなのでしょう? 西国なのでしょうか」

 

「異邦の衣服を纏う者が数多く……おそらくは……」

 

「白サイン書いてないのに喚ばれた!?」

 

 

 時を経るごとに増える喧騒。

 他愛のない会話から、殺し合いレベルにまで発展した大喧嘩と、あらゆる狩人たちのやり取りが繰り広げられることとなった洋館内。

 既にグレンたちはその狩人たちの中に埋もれ、まともに息すらできない状態にあり、

 

 

(あ――やべぇ。意識飛びそ……)

 

 

 いよいよ本格的に意識が飛びかけようとしたその時――

 

 

 

 

 ――バァンッ!!

 

 

 

 

『――ッ!?』

 

 

 銃声が響き、狩人たちの視線が一斉にその方角へと向かう。

 絹を裂くが如き音色を奏で、彼らの喧騒を収めたのは1人の狩人。

 館内の最奥にある作業机の上に立ち、硝煙を立ち上らせる短銃を片手に握った男――ギルバートだ。

 

 

「……うむ。こちらから喚んでおいてこう言うのは何だが――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――取り敢えず(おもて)出ろ

 

『あっ、ハイ』

 

 

 




 今回登場して頂いた狩人はこちらです。

 『血の狩人 シャレ―ディア』 投稿者 甲乙さん

 『継ぐ者 アレイスター』   投稿者 紅茶@読者さん

 『裏切り者 アハヴァ』    投稿者 リーバーさん

 『“物書き”リズ』      投稿者 どんぐりあ~むず、さん

 『白痴の古狩人 ジェイク』  投稿者 幽レイさん


 その他多数のオリジナル狩人さんに登場して頂きました。
 そして『“悍ましき”オーウエル』の投稿者、素品さんおめでとうございます。何気に2回目の御登場でした。
 長くなったので一旦区切りますが、説明回は次回で終了予定です。
 次回もよろしくお願いします。








 ……狩人じゃない奴らも混じってた? 時間があったら当ててみてね。


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ようこそ、夢世界へ②

*注意
 今話は内容が大変カオスなものとなっております。
 はっちゃけた話が嫌いな方、またはキャラ崩壊を好まれない方はブラウザバックを推奨します。
 それでも良い方だけ、お読みください。


『喚び出して早々悪いが――お前たち帰れ

 

『い・や・だッ!!』

 

 

 洋館の外へ叩き出された狩人たちと、この世界の狩人たるギルバートの言葉が交わされる。

 内容は聞いての通りで、多分……いや確実にこの後の展開を全員――1人黙々と苺タルトを食っているリィエルを除く――が予想できた。

 

 

『そうかそうか――じゃあ皆殺しだァッ!!

 

『やってみろや変態野郎ォオオオオオオオオオオオッ!!』

 

 

 近日最大の無駄な雄叫びを上げて開催された狩人大乱闘。

 ギルバート対全協力者狩人という構図を思い描くのが普通だろうが、悪ノリとおふざけが大半の今回の狩人たちに真面目に戦う意思はなく、よってまともな連携が取れる筈もない。

 だからこそ理想的な一対多という構図には至らず、相手をまともに確認せずに、取り敢えず殴って撃って殺して見るという本物の大乱闘状態に突入してしまったのが現実であった。

 

 

『オラ尻出せやッ! 深々と突き刺して掘り返してやるよォッ!!』

 

『やめっ、やめろぉおおおおおおおッ!? ――アッーーーー!!?

 

『ウフフフッ、アハハハハハッ!! いいですわぁ……殺し愛、殺され愛、これぞまさしく至上の愛!

 (わたくし)、久方ぶりに昂って参りましたわぁッ!!』

 

『いいねぇッ! いいね、いいね、果てしなくイイッ!! どいつもこいつも切り刻んでも呻きは発せど文句は言わず!

 最ッ高だよ! 斬り放題、刻み放題じゃないかァッ!!』

 

『おい、そっちに行くんじゃねぇッ!! 変態共の巣窟だぞそこッ!?』

 

『はっはぁッ!! 若造がァ……調子にノってんじゃねぇよぉッ!!』

 

 

 絶え間なく響く罵詈雑言、叫声怒声の数々。

 金属同士がぶつかり合う音、銃火が放たれる音、そして肉と鋼が噛み合う粘着質な音。

 あらゆる声、あらゆる音が鳴り響く外庭に、だが不思議と4人は呆れや心配こそ抱くことはあれど、彼らの内に不快感は生じなかった。

 

 

「……あいつ。何気にまともだったんだなぁ」

 

「あ、あはははは……まあ、普段の様子から見ても、私たちと大して変わらないですしね」

 

「もう、何だって言うのよぉ……」

 

「? システィーナ、疲れた? 苺タルトたべる?」

 

「ありがとう、リィエル。でもだいじょ『ウハハハハハハハッ!! 刻んでやるよォ、何もかもォッ!!』せんせぇ……!」

 

「諦めろ、白猫。多分止めに入っても略式魔術の1つすら唱えることなくお陀仏だぞ」

 

 

 そもそも戦う土俵が決定的に異なる彼らでは、割り込んだところでグレンの言う通り秒で終わる。

 加えて今回召喚された狩人は、その大半が非常識人。中には狂人さえいるこの乱戦の中に身を投じるなど、肉食獣の群の中に己が身を捧げるも同然の行為だった。

 

 

『ウハハハッ、さあ、次はどいつだ!? どいつが俺の千景の餌食にコペァッ!?』

 

『ちょっとォッ! あんたのせいで折角思い付いたネタが吹っ飛んだじゃないのォッ!? どう落とし前付ける気だゴラァッ!?』

 

『狩人フィジク、『とっつき』行くぞォッ!』

 

『ちょっ、おまっ!? そこは流石にヤバ『爆発こそ浪漫だぁああああッ!!』ああああああああああッ!!?

 

『やぁやぁ、我こそはカインハーストの血族に名を連ねるかり『自己紹介長そうだから死ね』ぐふぅっ!?』

 

『はっはぁ……物書きの嬢ちゃん。お前さん、幾つでヤーナムにやってきた?』

 

『あぁ!? ンなこと聞いてどうすんのよ17よ!』

 

『そうかいそうかい……ンじゃあ俺から見りゃぁ赤子も同然だなぁ……』

 

『え――ちょっ、あんた、何でいきなり私のこと抱きかかえてんの? 一体何を『そぉれ他界他界(たかいたか)ぁああああああああああいィッ!!』イヤァアアアアアアアアアアアアアアアッ!?

 

『うぉッ!? 何でいきなり(ライス)が!?』

 

『あいつだ! あのニンジャ野郎が投げていやがる!』

 

『お米は大事お米は大事お米は大事お米は大事お米は大事お米は大事』

 

『こっちは○ンコ投げていやがる!?』

 

『いやマジでこういう場面じゃなきゃ消費されないんだよねぇ、○団子』

 

 

 それから後も外の喧噪が止むことはなく、苛烈なれども全く恐怖を感じない大乱闘の中で、多くの狩人たちがその命を落としていった(元の世界に還された)

 やがて音は絶え、あれだけ濃密だった殺気も失せて外に沈黙が訪れると、程となくして洋館の扉が開き、その隙間から見慣れた黒装束が現れた。……全身を返り血でべっとりと染め上げて。

 

 

「――待たせたな」

 

「お前ら『ヤーナムの狩人』って馬鹿か狂人しかいねぇのか」

 

 

 格好良く決めて来ようとも、外で起きた乱痴気騒ぎを無かったことにすることはできない。

 正直、全身血染めの今の姿を見ても恐怖は湧かず、ただ彼に対する呆れだけが心内にあった。

 

 

「……と、まあ。こんな風に他世界から狩人を喚べるのだよ。()()はハズレばかりを引いてしまったようだが、皆頼りになる狩人ばかり「いやだなぁ! そんなに褒めても輸血液しか出ないぞぉ!」うおおおぅっ!?」

 

 

 グレンたちとギルバートの間から飛び出す赤装束――もとい、血染めの白装束。

 未だしぶとく生き残っていた最後の1人(オーウエル)を外に連れ出し、骨を砕く音が鳴ってから少ししてギルバートは再び館内に戻ると、自分の椅子に腰掛け、話の続きを再開した。

 

 

「……話を元に戻そう。とにかく、俺は以降他の狩人たちとも行動を共にするだろう。あの一件以降、ミコラーシュは動きを見せていないが、いつまた奴が凶行を引き起こすか分からん。その時は対処のため、表の仕事を疎かにするかもしれないが……」

 

「ああ……そっちは気にすんな。お前が適当な言い訳考えてくれりゃ、後は俺の方でも上手くやっとく」

 

 

 減給までは知らねえがな、と。意地の悪そうな笑みを浮かべて言ってくるグレンだったが、それでもギルバートとしては少し意外だったらしく、マスクと狩帽子の間から覗く双眸を見開き、その瞳に驚きを宿していた。

 

 

「先生は、元々そちらの方を目的として生きて来たんですよね? 誰かの命を奪い取る……なんてやり方は、私はあまり認めたくはないけど、月香さんにも譲れないものがあるということだけは、分かっているつもりです」

 

「……ルミア君」

 

「あの檻頭、ギルバートの敵? だったら早めに倒した方がいい。そしたらまた皆で普通に過ごせる」

 

「……ああ。そうだな」

 

 

 理解、と言っていいかは分からないが、少なくともルミアとリィエルはギルバートの今後の行動について否定はしなかった。

 残るはシスティーナだが、当の本人は視線を左右交互に動かして、何を言うべきか迷っているような様子を見せていた。

 それでも思考の末、何を考えたのか彼女の双眸がようやくギルバートの方を向き、その瞳で彼の姿をしっかりと捉え、口を開いた。

 

 

「……正直、私は他の3人ほどギルバート先生のことをよく知りません。先生が『血塗れの殺人鬼』で、その……ミコラーシュって人を倒すために動いていることも、ここ最近になって初めて知りましたし……」

 

「……ああ。君の言うことは、何も間違ってはいない」

 

 

 一番遅くにギルバートの正体、その目的とこれまでの凶行の理由を知ったのは他でもないシスティーナだ。

 驚愕の事実の連続を突きつけられて、それでなお平静を保てる人間はいない。狩人にだって不可能だ。

 だから正直に言って、彼女からだけは了承を取れるつもりはなかった。ただ、先日の一件もあり、これ以上の秘匿はあってはならないと考えた上で、彼女もこの夢の中に呼んだのだ。

 

 

「……だから――」

 

「――でも、ギルバート先生は、好きこのんで魔術師を倒して来たわけではないんですよね?」

 

 

 突然の質問に一瞬驚くも、ギルバートはすぐに首肯し、その問いに肯定する。

 最初期こそ民間人や一般魔術師も巻き込んでしまったとはいえ、彼が討つべき敵は外道狂人の類のみ。

 邪魔する者は例外として、己の往く道を阻むことがなければ、彼は決して一般人をその手に掛けはしなかったし、それは今日まで続いた『血塗れの殺人鬼』としての殺戮歴が示している。

 

 その反応に、システィーナは「そうですか」と呟くと、一瞬だけ顔を曇らせ、その後に再び彼を顔を見つめて言った。

 

 

「……なら、勝ってください」

 

「……?」

 

「勝って勝って、勝ち続けて。必ずその本命の相手を倒してください。そしてまた――皆で一緒に過ごしましょう」

 

「……ああ」

 

 

 そうだな――そう紡ぐ声はどこか寂し気で、その目にも心なしか悲哀の色が映っていた。

 必ずミコラーシュを倒す。これは絶対不変の決定事項だ。舞台となる世界そのものが崩れぬ限り、ギルバートたち狩人は文字通り死んでもそれを成し遂げる。

 だが、その後までは分からない。例え奴を討ったとしても、その時自分の存在は世間的にどうなっているか。

 今はまだいい。正体を知っているのはごく限られた面子だけだ。だが、もしも決戦の前後に正体が世間にバレてしまえば――

 

 

(いや……今それを考えるべきではないか)

 

 

 後ろ向きだった思考を掻き消し、再び4人の顔を順に見ていく。

 狩人ならざる、この世界で友誼を結んだ者たち。

 かつての宿敵、教え子、巻き込んでしまった者――出会った際の形は異なれど、行き着いた先は皆同じ。

 ならば彼らを獣と狂気の牙から庇い、守るのもまた、『ヤーナムの狩人』としての使命である。

 

 

「――ありがとう」

 

 

 ただ一言告げ、ギルバートは再び立ち上がる。

 もう迷いはない。学院勤めの町医者として、異界に降り立ったヤーナムの狩人たちの長として。

 これまでも、これから先も、共に等しく己自身であると自負できる。

 確固たる自己の確立を認めると、彼は再度4人を見つめ、マスクに覆われた口を開き、言った。

 

 

「俺から語るべきはもう何もない。何か聞きたいことがあれば聞くが、あるかね?」

 

「いえ、今は特には」

 

「俺もだな。つか、さっき話された内容で一杯一杯だ。これ以上は勘弁して貰いてぇな」

 

「そうか。では現実に送り帰そう……が、その前に。回収がまだだったな」

 

「回収?」

 

「最初にシスティーナに『啓蒙』を与えた際に言っただろう? 後でちゃんと回収する、と」

 

 

 そこまで言うと、ギルバートはまずシスティーナの下へ歩み寄ると、彼女を見下ろす形で見つめるが、そこから特に動きが無かった。

 不思議に思い問い訊ねると、彼は何とも言えない口調で言葉を濁し、暫くして後ようやく語り始めた。

 

 

「その……『啓蒙』というのは、人の脳に蓄積されるものなのだ。

 本来それは特殊な方法でのみ消費するものなのだが、それとは別に『回収』という形で無くすことができる」

 

「ちなみに『啓蒙』を持ったままだとどうなるんですか?」

 

「微量ならば先の人形のように、低級の夢想存在が見えるようになるだけだ。だが、多量に蓄積されると本来見てはならない超次元存在が視認できるようになってしまったり、感受性の向上から発狂しやすくなる」

 

 

 それを聞いてシスティーナたちの顔が若干青ざめる。

 そしてすぐに彼に回収して貰うよう言うが、当の本人は「いや、それが……」とだけ言って、躊躇うような様子を見せるばかり。

 それでも彼女たちの押しには勝てず、諦めたように長躯を屈め、なるべく腰掛ける彼女たちと目線が合うように位置を調整した。

 

 

「……やる前に1つ言っておくぞ、システィーナ君」

 

「はい?」

 

「……こんなオヤジですまない」

 

「へ?」

 

 

 言ってすぐさま彼はマスクを下ろすと、手袋を嵌めた手でシスティーナの額に掛かる髪を上げ、露わになった額へ近づき、

 

 

『――!?』

 

 

 スッ――と。

 

 その額に、彼の()()()()()

 僅か数秒。されど数秒。一瞬であるが永劫にも思える時間の中で彼の唇はシスティーナの額を吸った。

 程なくして唇は離れ、瞬時に触れた箇所をハンカチで拭くと、ギルバートの視線がルミアへと移る。

 

 

「えっ、ギルバートせんせ――!?」

 

「すまない、本っ当にすまないルミア君……!」

 

 

 そうして、先のシスティーナ同様、ルミアの額に彼の唇が押し当てられる。

 同じような時間を経て、同じように離れて次の標的へ移るギルバート。

 リィエルは大して反応を示さなかったから2人より抵抗感が無くて助かったが、先の2人は顔を茹蛸のようにその顔を真っ赤にし、声にならない声を上げていた。

 

 

「……っ、……っ!?」

 

「白猫、ルミア!? ……おい、月香! 何しやがった!?」

 

「……先程も言っただろう。『啓蒙』は人の脳に蓄積する。特殊な方法でなければ消費されないが、それとは別に『回収』の方法があると」

 

「それが今のチューと何の関係が……いや、おい。まさか――!」

 

「……上位者の眷属の中には、人間の脳に捕食器官である管を突き刺し、直接『啓蒙』を吸い取る怪物がいる。

 低位の輩では脳から直接でなければ吸収できないが、幸か不幸か、俺は最高位の上位者のなりそこない。脳に触れずとも、啓蒙があろう脳に近い肉体箇所に直接接触することで『啓蒙』を回収できる」

 

 

 早口で言う彼の顔も、システィーナたちに劣らないほど真っ赤に染まっており、どうにか隠そうと顔に手を添えているが、はっきり言ってバレバレだった。

 呆れたように口をあんぐりと開け、顔を真っ赤に悶える2人へグレンは再び視線を移した。

 

 

「……ぅ、ぁ……あぅ……」

 

「口じゃないから大丈夫……そう、口じゃないから大丈夫よ、システィーナ……!」

 

「――さぁ、次はお前だ」

 

「っ!?」

 

 

 ガシッ! と明らかに過剰すぎる握力で肩を掴まれるグレンの耳元に、怨嗟の如き低声が響く。

 顔は変わらず真っ赤であるが、何故かそれをグレンは羞恥によるものだとは思えなかった。

 

 

「お、おまっ!? お前、マジでか、マジですんのか!?」

 

「『啓蒙』の蓄積は発狂の恐れがある! それはヤーナムの魑魅魍魎共を相手取る時、致命的な欠点と成り得る!」

 

「だからって他に方法はなかったのか!? あるんだろ、その特殊な消費方法ってヤツが!」

 

「あるにはあるが、肝心の使者たちが今どこにもいないのだ! 出て来るのを待っていて、その間にまたミコラーシュやヤーナムの狂人共が出てきたらそれこそ手遅れだ!」

 

「いいじゃねえか待ってろよその使者をよ! 俺はイヤだぞ、額とはいえ野郎とキスするなんざ!」

 

「いい加減に諦めろ! それに貴様が使者と会えば、多分その形相で怯え死ぬぞ!?」

 

「ウソだろそれ!? そんなに怖いわけねぇだろ!?」

 

「いいや、本気で怖い! 貴様ならば絶対にちびるぞ、あの顔は!」

 

 

 言い合いを続けながらも、着々と準備は進んでいく。

 元々身体能力の面では大きな差がある2人だ。接近戦を得意とするとはいえ、魔術師であるグレンと純粋な至近戦闘を土俵とするギルバートとでは、どちらが勝るかなど火を見るよりも明らかだ。

 

 

「観念して額を出せ! どうせ減るもんじゃあるまい!」

 

「減るわ! 男の尊厳とか、俺の華麗でクールなスーパーグレン大先生イメージが!」

 

「そんなもん最初からないわ! いいから――額を出せ小僧ォッ!!

 

「テメッ、マジで――あああああああああああああああッ!?

 

 

 

 

 

 

 その日、強烈な吸引音と共に、彼らは(どうでもいい)一線を越えた――。

 

 

 

 

 

 ――帝都・帝国魔導士団本部『業魔の塔』、特務分室オフィス。

 

 

「――『円卓会』から正式に指令が下されたわ」

 

 

 職務室内に凛とした声が響く。

 よく通ったその声が運んだ内容を耳にして、声の主の前に立つ3人は、それぞれの反応を示した。

 

 

「……やはり、こうなったか」

 

「当然よ。元々4年前から騒ぎを起こし続けて、今日に至るまで捕えられずにいた凶悪犯よ。

 単独でも脅威だったのに、それが徒党を組んで一大組織を築いたとなれば、流石に上層部も重い腰を上げるわ」

 

「まあ、初手が過激なものじゃないだけマシじゃが……あいつ、黙って従ってはくれんだろうのぉ」

 

 

 3人の内の2人――アルベルトは顔を僅かに曇らせつつもその決定には納得し、バーナードは面倒くさそうな声でそう言いながら背を伸ばす。

 

 

「……イヴさん。万が一ですが、彼がもし同行を拒否し、抵抗した場合は――」

 

「私に同じことを言わせるつもり、クリストフ? 繰り返すようだけど、その時は力尽くでも連れて来なさい。帝国上層部も、それについては認めているわ」

 

「それは陛下もか、イヴ?」

 

「ええ。最終的な決定は陛下が下されたわ。他の部署にも同じ命令がいっているけど、メインとなるのは私たち『特務分室』よ」

 

 

 そうして職務室の主――若き室長、イヴ=イグナイトは再度3人を見据える。

 

 

「もう1度言うわね。今回の任務内容は捕縛。殺害は許されない。私たちの目的はフェジテのアルザーノ帝国魔術学院へ向かい、医務室補佐ギルバート……いえ――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――武装組織『月狩』(つきがり)の首領、『血塗れの殺人鬼』を捕まえ、陛下の御前に連行することよ」

 

 

 

 

 

 




 補足しますと、最後に出てきた組織名は『誓い、そして蠢く悪意』の後に決められたものです。
 次回からはオリジナル話も混ぜた6巻の内容に移ります。
 感想お待ちしております。


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第6巻
第29夜 謁見


 永らくお待たせしました。
 今回より第6巻の内容に入って行きたいと思います……が、その前にオリジナル話として、女王との謁見が始まります。

 今回はまた募集したオリジナル狩人の中から2名を選び、登場して頂いております。

 それでは本編をどうぞ。


「――ギルバート君。君、このままだとクビになりそうだよ」

 

「……はい?」

 

 

 獣と狂人たちの戦いから早数日。

 その間にも己の正体を明かし、その上で受け入れられ、ありふれた――けれど少しだけ変わった日常へ戻った来たと思った矢先、叩きつけられたその言葉。

 無論、いきなりの解雇(クビ)発言には流石のギルバートも口をあんぐりと開け、一瞬放心した。

 

 

「い……いやいやいや、どういうことですか学院長!?」

 

「どうもこうも、言葉通りの意味じゃよ。このまま行けば、君を解雇せざるを得ない状況になっているんだ」

 

 

 そう言うリック学院長の顔は僅かに顰められており、彼としても、それは不本意なことであることを表わしていた。

 ならば何故、と思考するギルバートであったが、その理由は即座に思い至った。

 

 

「……もしかして、最近の俺の勤務状況……ですか?」

 

「うん。……ギルバート君。君は、他の講師陣から自分がどう思われているか、知っているかね?」

 

 

 リックの問いに対し、再びギルバートは思考する。

 魔術師ではなく、そして正式な講師ですらないギルバートは、基本2年前から医務室、最近ではグレンの補佐についたこともあって2組でしか働いていない。

 従って他の講師陣との面識はあまりなく、隣クラスの担任ということもあって最近ハーレイと会う回数は増えたが、普段の様子からあまり良い印象は抱かれていないだろう。

 

 

「非魔術師ということもあろうが、一部の面子を除き、学院内の講師たちの君に対する印象は元々良くはない。

 それでもセシリア君の虚弱体質を考慮し、万が一の際には彼女を支え、代理として医務室を任せられる人物として不承不承ながら認めて来たみたいじゃが……」

 

「……ここ最近の出勤回数が著しく少なくなっていることに関しては、申し訳ない限りです」

 

「いや、君も本業があるのだ。帝国国民全員が魔術師というわけでもないし、それ故一般医術を求める者も少なくはない。

 一個人として、私はそれは仕方ないと思っている。だが……そう思わない者も居るし、そういった弱味を手にして、無理難題を要求してくる場合もあるのだよ」

 

 

 その要求こそが、自分(ギルバート)の解雇である、と。

 リック学院長の言いたいことを理解し、内心で深く嘆息する。

 要求を突きつけてきた輩は、おそらく昔気質の権威主義派、もしくは貴族主義派の講師陣だろう。

 詳しい身の上——勿論、表向きの個人情報(プロフィール)だが――を明かさず、しかし学院長の推薦を経て勤務する平民の医者を、ああいう連中が良く思うはずがない。

 そしてここ最近の出勤状況の悪さもあって、いよいよ彼らの堪忍袋も限界に来たようだ。

 

 

「無論、わしはこの解雇要求を受理するつもりはない。じゃが、君がこれから先同じようなことを続けるようであれば、学院長としていよいよ君を解雇処分するしかなくなる」

 

 

 普段の温和な空気から入れ替わり、学院の長たるに相応しい厳格さを醸し出しながら告げるリック。

 彼としても、このようなことを言いたくないだろうが、私情で一個人を留めておくわけにもいかなかった。

 帝国の繁栄がため、その未来の支えとなるであろう人材を育成し、世の輩出するのが学院の使命ならば、その学院をより良く保ち、調和を維持することこそが学院長たるリックの務め。

 それを解せぬギルバートではなく、だからこそ彼も、自身のこの頃の行いからリックやセシリアに対して罪悪感を抱き始めていた。

 

 

「――分かりました。以降、このような呼び出しを受けぬよう、そして学院長のお手を煩わせぬよう努力致します」

 

「頼んだよ。……個人的感情だが、わしは君には辞めて欲しくないのじゃよ。君のように魔術師ならざる、けれどもわしらとはどこか違った視点を持つ君は、数少ない相談相手じゃ」

 

「そんな、過大評価も良いところで……」

 

「少なくとも、わしはそう思っているのじゃ。持たざる者に、持つ者と同じ視点を要求することは愚かじゃが、君はそれに近い視点を持っている。魔術師という立場に縛られず、しかし近しい視点で、わしの言葉に答えてくれる君は……得難い友なのじゃよ」

 

「……」

 

 

 リックの言葉に一瞬、ギルバートは言葉を詰まらせた。

 近い視点、と彼は言ったが、おそらくそれはリックの考えるような高尚な代物ではない。

 殺戮技術という一面も持つが、魔術は元々、探究のために生まれた術技だ。

 それに対し、ギルバートらヤーナムの狩人が扱う魔術モドキ――『秘儀』は、その悉くが万象を冒涜する穢れた業だ。

 あるものは失敗作、またあるものは上位者の一部の顕現。

 およそ正気からは程遠い狂気の産物を、少ないながらもギルバートも扱ったことはあり、その使用の際に得た視点が、この世界の魔術の何たるかを知るために機能していたのだ。

 時たまあったリックの相談事に付き合えたのも、それが理由だ。

 

 

「……お気持ちは大変嬉しく思います。しかし、学院長が私を評価して下さっているように、私も貴方に対して恩があります。

 既に多大な迷惑をかけている上で言わせて頂きますが、これ以上、何らかの形で再び貴方に御迷惑をお掛けするようでれば……その時は、俺――私も相応の形で責任を取らせて頂くつもりです」

 

「……っ!」

 

 

 今度はリックが絶句した。

 自分を気に入っていると言ってくれた人物に対し、その発言は明らかな裏切りと言っていいものだ。

 ギルバートとしても、叶うならばこのまま学院に居続けたい。今や『天の智慧研究会』、そしてあの狂人と関わりを持ってしまったルミアやシスティーナたちを守ると共に、奴らの目論見を悉く潰すために。

 そのためには、この学院に居続けることこそが最良だ。だが、それは同時に学院に少なからず被害を負わせることを意味する。

 恩義があるとはいえ、まだグレンたちと深く関わる以前——あの学院テロの一件前のギルバートなら、気にもしなかっただろう。

 けれども人と関わり、失われた人間性を取り戻しつつある今の彼には、その選択はあまりにも重すぎた。

 

 

「それでは、失礼いたします」

 

 

 白衣を翻し、学院長室を後にしようと扉の前まで進み、取っ手に手を掛けようとすると。

 

 

「――ん? 何だ、先客がいたのか」

 

「セリカ教授……って、どうしたのですかそのお姿は!?」

 

 

 ギルバートよりも先に扉を開け、姿を見せたのはセリカ。

 普段の漆黒のドレスに包まれた肢体は、所々を包帯と膏薬で覆われ、左腕に至っては三角巾で吊るしている有り様だ。

 どう見ても重傷という状態の彼女に思わず驚愕の声を上げたが、対するセリカは別段気にしていなさそうに笑声を漏らし、「そう心配するな」と言った。

 

 

「学院地下に迷宮があるのは知っているな? 久々にあそこに潜ってドンパチやってたんだが、こっちも派手にやられてな。この様だ」

 

「それは見れば分かりますが……寝ていなくて宜しいのですか?」

 

「ああ、少し動く分には問題ないぞ。それに、学院(うち)にはセシリア先生やギルバート(おまえ)がいるからな。完治も時間の問題だ」

 

「いや、セシリア先生はともかく俺は……というか、何用で学院長室(ここ)に?」

 

「ああ……うちの馬鹿息子がちょっとやらかしてな」

 

「……失礼ですが、どのような内容なので?」

 

「ぶっちゃけるとね、君と同じこのまま行くとクビ案件なんじゃよ」

 

「……はい?」

 

 

 それから続く会話の内容をまとめると、講師の雇用契約内にある更新条件の1つに、定期的に自身の魔術研究の論文を提出するというものがあるらしく、グレンはそれを未だに提出していないとのことだそうだ。

 幾ら帝国最高位の魔術師であり、生ける伝説と称されたセリカでもこれは庇い切れないらしく、保護者としてこの後グレンにその件について追及するらしい。

 

 

「……って、下手したら2組担当(われわれ)がまとめてクビになって、担当講師不在になるじゃないですか!?」

 

「うん。だから頑張ってね、マジで」

 

「まさかお前までクビ寸前になってたとは……頼むからグレンと一緒に仲良く解雇、なんて展開にはなるなよ?

 お前たちの最近の様子を見るに、()()()の気があるんじゃないかって噂も立ってるんだからな?」

 

「いや解雇案件については先程リック学院長からも言われまして、これからは気をつける――って今何て言いました!?

 

 

 結局ギルバートが学院長室を出たのは、セリカが口にしたソッチ疑惑案件についてを聞いた後であった。

 

 

 

 

 

 

「——馬鹿じゃないのか、貴様?」

 

 

 学院校舎屋上にて、ギルバートの呆れ声が響く。

 片手で掴んだ昼食のサンドイッチを口にしつつ、呆れを孕んだギルバートの視線の先では同じく昼食を摂っているグレンが「うるせえ」と言い返した。

 

 

「そういうお前だって、クビ寸前って話じゃあねえか。欠勤続きを突かれて、権威主義の講師連中から追い出されかけてるって聞いたぞ」

 

「それについては俺も情けなく思っているが、お前の場合は契約内容の確認不足が原因だろう。

 己の確認ミスで首を絞める形となっているのだ。完全なる自業自得ではないか」

 

「ぐぅっ!? ……げほっげほッ!?」

 

 

 反論のしようもないド正論にグレンは声をくぐもらせる。

 その拍子に口内のサンドイッチを喉につまらせ、激しく咳き込む。

 食べかすが散らばるのを横目に嘆息するも、ギルバートの方もグレンの指摘を認めないわけにはいかなかった。

 己のことを快く思わない講師陣がいることは、2年前の医務室補佐に就任してから分かっていた。

 だが、学院の長たるリックのお気に入りであり、これといった汚点を中々晒さない人物をどうやって糾弾し、排除できるか。

 目立った欠点を掴めずにいた彼らだったが、立て続けに起きた怪事件の対処により増えたギルバートの欠勤を利用し、学院長に訴えたのだ。

 

 以前ならば別に解雇されても問題なかったが、ルミアを狙う『天の智慧研究会』にミコラーシュが属していると知った以上、そうはいかなくなった。

 ミコラーシュの狙いが何であるかはまだ定かではないが、おそらく碌なことを企んでいないだろう。

 行動へ移すよりも早く撃滅――が最良であるのだが、相手の本拠地が不明な以上、此方から先手を打つことは叶わない。

 ならば、唯一『天の智慧研究会』が明確に目標と定めているルミアの傍に居続け、最速で奴らの動きに対処するのが現状で出来る最良だ。

 

 

(叶うならば、ミコラーシュの息がかかっている輩を捕え、奴の狙いを吐かせたい。

 ヤーナムの狩人でなければ、此方の拷問も効く筈だが……)

 

「おい、今ヤベぇこと考えてなかったか」

 

「何故そう思う?」

 

「顔がいつもの間抜け面じゃなかったから――って、痛ぇッ!?」

 

「間抜け面で悪かったな、小僧」

 

 

 具現させた短銃の銃床でグレンの頭を殴りつけながら、残ったサンドイッチを口の中に放り込む。

 

 

「学院長の手前故にああは言ったが、今学院を辞めるわけにはいかん。

 ミコラーシュの本拠地が何処にあるのか、それを知るまでは……?」

 

「どうした? ……?」

 

 

 不意にギルバートの言葉が止まり、その視線が屋上入口の方へ向くと、グレンもそれを追うようにそちらを向き、首を傾げた。

 2人の視線の先にいるのは、黒い礼服を纏った1人の男。

 仕立ての良い黒服は男の身分の高さを表わしている。しかし顔は目深に被った山高帽子のせいで隠れ、その表情を窺うことはできない。

 その姿から一瞬、数日前に激闘を繰り広げた正義に酔った狂人を思い出したが、あの尋常ならざる狂気が感じられないので、あの男というわけでもなさそうだった。

 

 

「何用ですかな? 見たところ、高貴な御家柄の方とお見受けしますが……」

 

「——違うぜ、月香」

 

「ん?」

 

 

 グレンの言葉に、ギルバートは言葉を止め、黒服の男を凝視する。

 表向きの偽名ではなく、狩人としての真名で呼んだということは、つまりはそういう相手だと言う証拠だ。

 そしてすぐに行動に移さず、ただ「違う」と言っただけということは、少なくとも黒服の男が敵ではないことを示している。

 

 ならば誰なのか? 今のグレンの反応を見る限り、彼の知り合いという可能性が高いが……。

 そんな思考を巡らせている内に、黒服は唯一見える口元を小さく歪め、「やはりお前には見破られるか」と呟くと、被った山高帽子を取り、押し込められていた濃紺の長髪と共に、その素顔を晒した。

 

 

「……! お前……!」

 

「……何の用だ、アルベルト」

 

 

 黒服の男――宮廷魔導士団特務分室、執行官ナンバー17《星》のアルベルト。

 かつてのグレンの同僚たる男は、その鷹の目の如き鋭い双眸を2人に向けると、彼にしては珍しく先に謝罪の言葉を口にした。

 

 

「まずは謝罪しよう。このような格好で、学院に直接やってきたことはお前たちに少なからず迷惑をかける可能性もあった」

 

「だろうな。もしもどっかの誰かがこの現場を目撃して、俺らの過去や正体がバレでもしたら大事だぞ?」

 

「それについては、本当にすまない。だが今回の任務、可能な限り面倒を掛けず、かつ()()()の近辺に迷惑をかけないやり方としては、これ以外に他なかった」

 

「その男……って、月香? こいつに何か用なのか? 俺じゃなくて?」

 

「ああ」

 

 

 グレンの問いに頷くアルベルトを見て、ギルバートの表情が一変。真剣みを帯びた本来の顔―—狩人のそれへと変わる。

 アルベルトは「任務」と言った。つまり今回、彼は国の命令で動き、己に接触して来たのだ。

 迷惑をかけず、かつ余計な面倒を生じさせずに自分――『血塗れの殺人鬼』に会いに来たということは、つまりはそういうことなのだろう。

 

 

「……俺を捕えに来たか」

 

「そうだな。上からはそう命じられている」

 

「……! アルベルト、お前……!」

 

「待て、グレン。別に俺は問答無用で、その男を拿捕に来たわけではない。最終的には帝国政府に連れていくが、やり方としては寧ろ真逆だ」

 

「どういうことだ?」

 

 

 拿捕する事実は変わらないが、アルベルトの言い振りから察するに、牢へ叩き込むことが目的というわけではなさそうだ。

 もっと別の目的がある――そのためにも、武力による強引な連行ではなく、こうして会話による解決を試みたのだろう。

 

 

「殺人鬼――いや、狩人。一緒に帝都に来てくれ。帝都に来て――女王陛下への謁見を頼みたい」

 

「……!」

 

「……」

 

 

 

 

 

 

 翌日の夜、場所はアルザーノ帝国北部イテリア地方・帝都オルランド。

 

 フェジテの遠く離れたこの地こそ、栄えあるアルザーノ帝国の中枢都市。

 国を統べる女王の住まう王城を中心に、様々な観光地や学術機関を有し、帝国経済、そして学問の要としても機能している。

 郊外には帝国魔導士団特務分室の本部『業魔の塔』も存在し、文化的方面のみならず、戦力的面においても抜かりはなかった。

 

 その王城の大正門前には今、3人の魔導士の姿が見えている。

 アルベルト、クリストフ、バーナード――特務分室が誇る熟練の魔導士たちが影に潜まず、こうして表に姿を現している理由はたった1つだ。

 

 

「のぉ、アル坊。本当にあやつは来るのかいのぉ?」

 

「そうですね……以前の『天使の塵』事件で現れた巨大魔獣の一件ではお世話になりましたが、元々彼は犯罪者。

 謁見という名目で、そのまま拿捕される可能性も考えて、来ない方が普通ですが……」

 

「うむ、うむ。……で、どうなんじゃアル坊?」

 

「……分からん」

 

「分からんって、お前さんのぉ……」

 

「だが、奴には全てを話した。その上で仲間内で話し合い、行くか否かを決めると。

 刻限にまで姿を見せれば、そのまま陛下の下へ通す。だが、間に合わなければ……」

 

「帝国政府が現状行使できる全ての戦力を、『月狩』(ツキガリ)掃討に用いる……やはりそれも言ったのか?」

 

「ああ。だが、かつての頃ならともかく、今の奴ならば――!」

 

「アル坊?」

 

「どうしたんですか、アルベルトさん?」

 

「――()()()

 

『――!』

 

 

 鷹の目と称されるアルベルトの並外れた視力が捉えたもの。

 帝都の夜闇に潜みながら、ゆっくりと此方へ近づいてくる5()()()()

 

 仕立ての良い貴族服を戦闘用に改めて、外套(マント)を取り付けた高貴な狩人装束に身を包む長身の女狩人——『マリア』。

 狼頭を思わせるささくれた帽子を被り、ボロボロの灰布が折り重なったような装束を纏う壮年の男――『デュラ』。

 

 

 狩人組織『月狩』(ツキガリ)が創設され、瞬く間にその知名度を広げていくと共に、闇社会にその名を轟かせた、かの組織の幹部たち。

 1人で来ないことは薄々察していたのだが、予想よりも大物を供に連れて来たことに対し、3人はその顔に驚愕を滲ませていた。

 

 だが、だからこそ()()()2()()が気になる。

 幹部、そして組織の首領たる『血塗れの殺人鬼』(ギルバート)といった、組織の中心人物が複数人居る以上、彼らの護衛を務める者が必要となってくるのは当然だ。

 しかし、その2人は護衛と呼ぶにはあまりにも個性の強い――単なる組織の構成員とは思えない風貌と空気を纏っていた。

 

 

 1人――飯事人形に着せるような、けれども充分に通用する装飾と、腰辺りまでの長さのケープを備えた上衣。

 下半身には派手な赤い色合いの脚衣を帯び、過剰なまでに着飾った風貌が目を引く、妖艶な美しさを纏う美女。

 

 1人――頭に被るトップハットに、焦げ茶色の狩人装束の上から濡れた外套(マント)を羽織る長身の人物。

 背丈や纏う装束とは裏腹に、顔付きは意外にも若く、けれども歴戦の猛者たる気配を漂わせた若年の青年狩人。

 

 

 およそ誰かの下に付く器とは思えない、見るからに個性の強そうな人物たちに気を向けていると、彼らとの間にあった距離のほとんどが縮まり、3mほどの間を開けて、アルベルトとギルバートたちは互いを向かい合った。

 

 

「……来たのか。その4人は?」

 

「俺の供だ。単独で行くには危険過ぎると意見が出てな、幹部陣の中でも比較的まともな人間性を持つ人物を連れて来た」

 

「“灰狼”デュラと“血の騎士”マリアか……他の2人は? お前たち組織の幹部全員を把握しているわけではない、少なくとも、そんな自己主張の強いの連中はいなかった筈だが……」

 

「彼らは俺の『盟友』だ。限定的ながら、此度の謁見の際、護衛役を担って貰うべく俺が喚んだ」

 

「組織内の者を使うわけにはいかなかったのか?」

 

「同行が決定したデュラやマリアは仕方ないが、可能な限り、戦友(かれら)を失うわけにはいかない。

 こんな言い方は好きでないのだが、この2人は()()()()()()()上に、本人たちもそれでいいと納得してくれている」

 

「こんばんわ、栄えある特務分室の魔導士様方。()()()()()()では初めまして、ですわね」

 

 

 赤い脚衣を少し摘み、貴族の令嬢がするような素振りで3人に軽く頭を垂れ、妖艶な女狩人が挨拶を贈る。

 

 

(わたくし)、“血の狩人”シャレ―ディアと申します。先の紹介にありました通り、月香とは盟友の間柄であり、此度は彼の招きに応じ、僭越ながら護衛の1人として罷り越した次第ですわ」

 

「うっほおおおおおおおおッ!? なにこれ、なにこの娘! メッチャ美人じゃのぉッ!!

 あ、シャレ―ディアちゃん? もし今度時間があったらわしと一緒に夜のパーティーを――」

 

「黙れ翁。話が進まん」

 

「次は僕ですね……初めまして、特務分室の皆さん。

 僕の名前はササカズ。ご存知かどうかは分かりませんが、以前『天使の塵』事件の魔獣騒動の際、微力ながら月香(げっこう)に助力するべく、彼の招き応じた者の1人です。

 見知らぬ顔ゆえ、警戒されるのは尤もですが、僕たち狩人は()()()()()()()()()()()()()限り、こちらかは何かを仕掛けることはありません」

 

「……その言葉、本当なんですか?」

 

 

 訝し気にクリストフが問うと、ササカズは真剣な面持ちで勿論と肯定し、同士である4人の狩人たちを見た。

 

 

「もしもまだ疑念が晴れぬようでしたら、我ら全員に“血判”をお求めください」

 

「“血判”?」

 

「我らヤーナムの狩人、その内において最も価値高きものは“血”です。

 血こそ我らの根源。我らが唯一神聖視し、貴きものと崇めるモノ。

 血によって交わされた契りは絶対。それを破るということは即ち、ヤーナムの狩人足り得ぬと証明するも同じです」

 

 

 血こそ我らの誇り。畏れ、敬い、崇めるもの。

 それをぞんざいに扱う者に狩人としての明日はなく、故に血の下に交わされた約定は絶対。

 謂わばその提案は、彼らにとって最大の譲歩。

 己の存在意義を賭けた提案は、もはや己の首を差し出す寸前と言っても過言ではない。

 

 

「……いや、その言葉だけで充分だ」

 

 

 言葉の1つ1つに込められる意思を汲み取り、アルベルトもそれ以上を求めるつもりはなく、彼ら5人を案内すべく王城の方へと歩み始めた。

 王城内は今、極限にまで空気が張り詰められている。

 稀代の連続殺人鬼を筆頭に、この短期間で瞬く間に勢力と知名度を上げた闇組織の猛者たちが今、彼らの目の前にいるのだ。

 やがて彼らの歩みが止まり、立ち止まったその先にあるのは、豪奢な装飾の施された1つの大扉。

 

 

「この扉の先に女王陛下が居られる。お前たちがそうしてきたように、陛下にも護衛を付けて貰っている。

 が、陛下から事前に譲歩を頂いてこそいるが、5人全員を玉座の間に入れることはできない。

 1人――多くても2人までが限界だ。共に入室する供を今すぐ選んでもらうが……いいな、月香?」

 

「ああ。――シャレ―ディア、それにササカズ。供を頼む」

 

「あら、ご指名ですか? 光栄ですわね」

 

「シャレ―ディアさん、どうか無礼のないようにお願いしますね。……マリアさんとデュラさんも、それでいいですか?」

 

「うん。……本音を言えば、私たちも同席したいところが、事前の打ち合わせで()()()()と決まっていたからな」

 

「左様。ササカズとやらも言っていたが、くれぐれも無礼のないようにな。

 他国とはいえ、一国の長たる御方。礼儀を欠くような姿を見せれば、我ら狩人の人間性を疑われよう」

 

「承知しています。……では、月香」

 

「ああ。――狙撃手。入室する」

 

 

 話が纏まり、ギルバートがアルベルトに呼び掛けると、彼は扉を軽く叩き、それから間もなく内側から引かれる形で玉座の間への扉が開かれていく。

 生じた隙間を潜るように、選ばれた3人がその内へと入っていくと、最後の1人を機に扉は再び閉ざされ、沈黙だけがその場に残された。

 

 

「――お待ちしておりました」

 

 

 凛とした声が響く。

 透き通り、よく響くその声は女性らしく柔らかなものなれど、宿す王聖によるものか、思わず傅きたくなるようなカリスマ性に満ちている。

 そんな声の発せられた方角へ3人は視線を向けると、そこには1つの玉座に腰掛け、左右に2人の護衛らしき男女を付けた『王』がいた。

 

 

「――って、セリカ教授!?」

 

「よう、ギルバート。昨日ぶりだな」

 

 

 女王らしき人物の左隣、そこに屹立する黒の豪奢なドレスに身を包む妙齢の女性の姿を見つけ、思わず学院時での呼び方で彼女を呼んでしまうギルバート。

 その反応を待っていたのか、セリカは悪戯が成功した子供のような笑みを浮かべ、右手をひらひらと振って彼らに笑いかけている。

 女王ともう1人の護衛である老剣士、ゼーロスもこれに対して咎める様子はなく、女王は苦笑いを浮かべ、ゼーロスは額に手を当てて嘆息している。

 

 

「な――何で、貴女がここに……?」

 

「何でって、お前を相手に女王陛下を守れるような奴が見当たらないってんで、既知の私に護衛役を頼めないかって話が昨日来たんだよ。

 そんで、治りかけの身体に鞭打って、転送方陣やら何やら使って帝都まで来たってわけだ」

 

 

 そう言いつつ、セリカは左腕をぐるぐると回して、己の回復ぶりを彼らに見せつける。

 確かに昨日までは左腕を吊るしていた筈なのだが、既に癒えたのか、そこにあった三角巾は無くなっている。

 

 

ああ……セリカ様、セリカ様だわ。あの容赦の無い攻め、連結刃(しこみづえ)を絡ませた際に見せた苦悶の表情……ああ、思い出すだけで身が火照りますわぁ……!

 

シャレ―ディアさん、落ち着いて! ステイ、ステイッ! ハウスッ! というか貴女、自分の世界線でどんなことをセリカさんとしてたんですか!?

 

それを聞きますの? ササカズさんったら……もう……

 

何でそこで頬を赤らめるんですか!? ああ、もう――どうして僕と組む人は皆変態ばっかりなんだッ!?

 

 

 そんなセリカたちの様子を余所目に、シャレ―ディアとササカズが妙なやり取りをして、時たま小声で絶叫しているのが聞こえた。

 完全にデュラの注意を忘れている2人の頭に手を乗せ、押し込むことで無理矢理頭を垂れさせると、ギルバートも同様に片膝を突き、狩帽子を外して左胸の位置に押し付ける形をとると、自分にできる精一杯の礼儀作法(マナー)で女王へと頭を垂れた。

 

 

「――お初にお目に掛かります、女王陛下。私のような血塗れの賊徒を相手に、このような場を設けて頂いたこと、光栄の極みにございます」

 

「こちらこそ。いつも娘がお世話になっております――()()()()()()()

 

「はっ。――は?」

 

「セリカから聞きました。学院でグレンと共に、エルミアナを守り続けてくれたことを。

 それだけでなく、娘がお世話になっているフィーベル家の御息女も助けて頂いたこと……大変遅れましたが、改めてお礼を言わせてください。――ありがとうございます」

 

「……」

 

「ちなみに私はグレンからこのことを聞いててな。政治的な話が今回はメインだが、娘のルミアが世話になってるお前の顔を、直接見たかったってのもアリスの本音だ」

 

「それは……誠に、恐縮であります」

 

「ふふっ、そう畏まらないでください。貴方がこれまでに為した数々の行いは知っていますが、セリカを伝いに聞いたグレンの話通り……噂とは全然違う人となりで安心しました」

 

 

 包み込むような王聖。権力による支配ではなく、人柄による統制は王と言うよりも母と呼ぶに相応しく、この国の民が抱く女王への忠誠心の強さを、ほんの僅かながら理解できたような気がした。

 

 

「改めてまして、よくぞ此度は我が王城へお越しくださいました。『月狩』(ツキガリ)首領、月香(げっこう)殿。

 私はアルザーノ帝国現女王、アリシア=イェル=ケル=アルザーノ七世と申します。

 此度の会合、貴方に多くの事を訊ねたく招かせて頂きました」

 

 

 女王の名乗りと共に、広間の空気が変わり始める。

 王との邂逅。この国の頂点に立つ人物との会合が今――始まる。

 

 

 




 次回は女王との会合を予定しています。
 


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