ゼロの狩人 (テアテマ)
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01:狩人

 古都ヤーナム。遥か東、人里離れた山間にある忘れられたこの街では、古くから奇妙な風土病「獣の病」が蔓延していた。

 

 獣の病の罹患者は、その名の通り獣憑きとなり人としての理性を失う。そして夜な夜な「狩人」たちが、そうした、もはや人ではない獣を狩っていた。

 

 ヤーナムは、古い医療の街でもある。数多くの救われぬ病み人たちがこの怪しげな医療行為を求め、長旅の末ヤーナムを訪れる。

 

 ……俺もまた、そんな救われぬ病み人の1人だった。

 正確には、1人だったらしい。俺はこの街に着いてすぐ奇妙な輸血の医療を受けた。それより以前の記憶は、無い。

 ただ、俺にその治療を施した男の言葉と、自筆のメモに残された「青ざめた血」という言葉。それだけが鮮明に脳裏に焼き付いていた。

 

 それからはまさに、悪夢のような夜だった。いや、ある意味で悪夢だったのかもしれない。俺は青ざめた血を求め、獣を狩り、血を求め、夢の中をのたうったのだ。

 

 結果として俺は全てを終わらせた。赤子も、ゲールマンも、月の魔物も手にかけて。

 全てを狩り終えた俺は……空っぽだった。

 感じる事など何もない。今まで散々振り回されて、何も理解する事も出来ずここまで来てしまった。

 

 呆然とする俺の目の前に、突如として光り輝く鏡が現れる。

 その淡い光の向こうで、何故だか自分を呼ぶ声が聞こえた気がした。

 

 あぁ、きっとこれで終わりなのだろう。これでいい。これでようやく、悪夢のない夜でゆっくりと休むことができる。

 

 俺はその鏡をくぐり抜け、そこで自分の意識がすうっと霞んでいくのを、感じていた。

 

 

 

 

 

 場所は変わり、ハルケギニア、トリステイン王国。

 そのトリステイン魔法学校の第1演習場にて、神聖なるサモン・サーヴァントの儀は執り行われていた。

 進級のため使い魔を召喚するこの儀式を、ほとんどの生徒が1回で成功させている中、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、今日10回目の爆発を起こした。

 周囲の生徒はすでに召喚を終え、ルイズが成功するのを待たされている。退屈に待たされる生徒たちの我慢も限界を迎えているらしく、爆発のたびにヤジが飛ぶ。

 この日の担当教員であるコルベールも、さすがに見かねて声をかける。

 

「ミス・ヴァリエール、残念ですが今日はここまでにしましょう。あなたの召喚は明日また時間を取らせますので……」

「まっ、待ってください! あと1度、1度だけでいいのでチャンスをください!」

 

 しかし、ルイズは食い下がった。もともと彼女の気質をよく知るコルベールは、これで諦めることはないと悟り、ため息をつきながら「あと1度ですよ!」と念を押した。

 一方のルイズからすれば、実質的にこれが最後のチャンス。汗を拭い、ギュッと握りしめた杖を高々と掲げ、これまでで最も高らかに、召喚の呪文を読み上げる。

 

「宇宙の果てのどこかにいる私の僕よ! 神聖で美しく、そして強力な使い魔よ! 私は心より求め、訴える! 我が導きに……応えなさい!!!」

 

 ルイズが勢いよく杖を振り下ろすと、同時にそれまでとは比べ物にならないほど、大きな爆発が起きた。

 あまりの衝撃に、数人の生徒は転げ倒れ、使い魔の動物の何体かが恐慌した声を上げた。

 

「ゲホッ、ゲホッ! また失敗かよ、ルイズ!」

「何度やったって同じだよ! ほんとにゼロのルイズだな!」

 

 再び、ヤジと怒号が飛び交う。悔しさのあまり唇を噛み締め、涙を浮かべるルイズ。思わず言い返そうとしたその肩を、コルベールが抱えた。

 

「え……先生?」

 

 突然のことに、ルイズは目をパチクリさせる。見ればコルベールは、普段のにこやかな表情とはかけ離れた緊張した面持ちで、爆発の煙を睨んでいる。

 

「……っ!」

 

 遅れてルイズが感じ取り、また遅れて生徒たちも気がついた。

 

 何か、いる。

 

「おっ、おい、何かいるみたいだぞ!」

「ルイズがサモン・サーヴァントに成功したのか!?」

「何、何が出てきたの!?」

 

 生徒たちは次々に騒ぎ出す。緊張感を醸し出しているのは、ルイズとコルベールだけ。

 ルイズは、自分の使い魔の正体を知りたいが故に。そしてコルベールは、そのあまりに大きすぎる力を感じ取ったが故に。

 

 少しづつ煙が晴れ、中からその正体が姿を現わす。

 

 それは、1人の大柄な男。

 狩人だった。

 

「あんた誰?」

 

 最初に沈黙を破ったのはルイズだった。

 幾度となく失敗し、最後に与えられたチャンスでようやく成功したサモン・サーヴァント。その呼びかけに応えたのは、いやに大柄の、黒装束の男。

 黒革で出来ていると見られるコート、口元を不気味に覆うマントに、船乗りの船長などが好んで着けるような三角帽子。それらが全て、黒々とした革の色と相待ってなんとも言えないおどろおどろしさを醸し出している。

 

 大男はひどく呆然とした様子で、周囲をぐるりと見渡す。先ほどまで狩人の夢の花畑にいたはずの彼だが、今は一転して青空の下の草原にいる。

 

「これは……?」

「ちょっと、聞いてる? 誰って言ってるの!」

 

 彼の真正面、コルベールに肩を抱かれたルイズが、ピィピィと小鳥のように甲高い声でまくし立てる。

 

「……………」

 

 男は、懐から鎮静剤を取り出し一気に飲み下す。当然目の前で起きているのは現実であり、狂った彼の幻覚ではなく、それがわかると頭を抱えた。

 こう見えて男は、静かにかなり混乱していた。そんな様子に、周囲の生徒たちが興味津々に声を上げた。

 

「平民だ! ゼロのルイズがサモン・サーヴァントで平民を召喚したぞ!」

「何か飲んでるぞ、行儀がなってないんじゃないか?」

「あはははは! 平民を召喚するなんてさすがはゼロのルイズね!」

「お、おいでもあれ、銃じゃないのか?」

 

 騒ぎ立てていた生徒たちだったが、男の持ち物の仰々しさを見て、次第にまた違う種類のざわめきへと変貌していった。男の腰元には、ハルケギニアではあまり見る事のない無骨な散弾銃のようなものと、ノコギリのような鉈のような、乱暴な鉄の塊がぶら下げられている。

 

「おいルイズ、サモン・サーヴァントが上手くいかないからってそこらへんの木こりを連れてくるなよ!」

 

 しかし、飛び交うヤジの内のこの1言で、多くの生徒は木こりと納得してしまった。

 

「うるさいわね、ちょっと間違えただけよ」

 

 ルイズはと言えば、そんなヤジに顔を赤らめながら、自分の肩を抱いていたコルベールの手を振り払い、向き直った。

 

「コルベール先生、やり直しを……」

「ミス・ヴァリエール、下がりなさい」

 

 しかし、その声を、コルベールの低い声が遮った。

 ルイズはハッとする。コルベールの様子からはただならぬものが感じられる。いつもの温厚そうな表情はどこへやら、杖を向け、明らかな警戒心を男へと向けていた。

 

 それもそのはず、コルベールには見えていたのだ。

 男の中にある、人とは到底かけ離れたものの気配を。

 

 男もやがてコルベールのそんな様子に気がつき、一転冷静そうな表情で……といっても帽子とマスクで目元しか窺い知れないが……コルベールを睨みつけた。

 

「あなたは、何者ですか」

「……それはこちらが聞きたいが」

 

 初めてまともに話した声は、まるで獣の唸り声のような響きをたたえる。コルベールは緊張感が高まるのを感じ、生唾を飲んだ。

 

「私はコルベール、ここトリステイン魔法学校の教師です」

「トリステイン……?」

「ご存知ありませんか」

「聞かん名だが……その学校の教師とやらは、初対面の"人間"にそうも殺意を向けるものなのか?」

「ぐ……」

 

 男はひょうひょうとした様子で、コルベールの警戒心をかわす。そして何かに気づいたようなそぶりを見せ、くくっと低く笑った。

 

「そうか……"見えている"わけだな?」

 

「!!!」

 

 その瞬間コルベールは、相手が危険な存在であると判断した。生徒の安全を守るため、目の前の脅威を排除する必要がある。さもなければ、どこまで危険が及ぶか計り知れない。

 

 だが、そんなコルベールの臨戦態勢とは裏腹に、男はそれまで纏っていた異様とも取れる気配を、サッと消してみせた。

 

「な……?」

「すまんな、こちらも動揺している。おかしな話かもしれんが、自分がなぜここにいるのか、そもそもここはどこなのか、全く見当が付かん。ここへ来る直前の事まで曖昧という始末だ。もし説明していただけるなら、わざわざ"人"に戦いを挑むこともない」

 

 男はコルベールが想像するよりもはるかに社交的な態度に打って出ていた。あっけに取られたコルベールだが、先ほど感じた匂い立つ獣の気配が、自分の気のせいだったとは流石に思えない……。

 動揺しながらも、コルベールはここは穏便に収めることができると、判断した。

 

「その、あなたはここにいる、ミス・ヴァリエール嬢の召喚によってここへ呼び出されました」

「ほう、召喚」

「はい。それでその、これはサモン・サーヴァントというとても神聖な儀式であり、もしできるのであれば儀式を最後まで完了させたいのです。その後でよろしければ、こちらが説明しうる全てをお教えすることはできます」

「ふむ……」

 

 男は、先程から不安そうにこちらを見つめる桃色髪の少女を見やる。なるほど悪意や獣性とはとても縁のない、普通の少女だ。狩人同士が鐘で呼び合い、召喚し合うこともあった男にとって、これが召喚だと言われれば納得できない部分もない。何故あの悪夢にいた自分が、などと不可解なことはあるのだが、それでもその要求を断る理由も、特段無いと判断できた。

 

「いいだろう、では儀式とやらにも協力する。その代わり、洗いざらい教えてもらうぞ」

「ありがとうございます……ミス・ヴァリエール、それではコントラクト・サーヴァントを」

「そんな、でも、ミスタ・コルベール! 彼は平民の、人間です!」

 

 今度は何か言い争いを始めてしまった。男はため息を吐く。あからさまに面倒なことになったことだけは間違いない。

 それに……"臍の緒"を取り込み、体の血をほとんど月の魔物のそれと交換したはずの自分が、何故上位者にならずこうして平然と召喚されているのか。それにこの青空だ。青ざめた血の空に覆われる前だって、こんな空に見覚えはない。夜が明けたということなのかもしれないが……。

 

 そう考えて空を見上げ、蒼穹に浮かぶあるものを見た男は、驚きのあまり目を見開いた。

 

「あれは……!?」

「ねぇ、ちょっと」

 

 服の裾を引かれて見下げれば、小さな桃色髪。どうやら言い争いは済み、儀式とやらを始めるようだ。

 

「あんた、名前は?」

「……ジェヴォーダンだ」

「そう……ジェヴォーダン、まずちょっとかがみなさい。あんた、デカすぎ」

 

 言われるがままに身を眺めると、顔をやたら近づけられる。

 

「……この暑苦しいの、外して」

「……?」

 

 何をする気だ? と怪訝に感じつつも、瘴気から呼吸を守る革のマントとマスクを下ろす。

 

 少し痩せ気味の薄い顔が露わになると、周囲を取り囲む女生徒から、特に赤髪の娘から、おぉと声が上がった。

 

「こ、ここ、光栄に思いなさい、よね。普通は貴族とこんなこと、で、できないんだから!」

「……早く済ませてくれ……」

「〜〜!! わかってるわよ!」

 

 そしてルイズは杖を持ち、呪文をブツブツと唱える。そして、少しの躊躇いのあと、自分の唇とジェヴォーダンの唇を、そっと重ねた。

 突然の接吻。さすがのジェヴォーダンも、これには面食らった。

 長い夜の間、女っ気を求める感覚などとっくに無くしているが、気恥ずかしさまで忘れたわけではない。

 が、ほんの1瞬でルイズは唇を離し、プイと振り返る。

 

「先生、コントラクト・サーヴァントが終わりました」

「うむ、こちらは1回で成功したようだね」

 

 儀式と言っていたが、まさか勝手に婚姻の儀なんぞをされちゃあいないだろうな?

 ジェヴォーダンがそんな事を考えたのもつかの間、焼けるような痛みが左腕に走る。

 

「ぐっ……!?」

 

 慌てて手袋を外すと、そこには奇妙な文様が浮かび上がっていた。何事かと思案していると、コルベールが近づいてきて、その文様を覗き込みながらスケッチをとる。

 

「ふむ? 珍しいルーンだな。それにルーンの上にあるこれは……印、かな?こちらはさらに見たことがない」

「これが、お前らの言う儀式か?」

「えぇ、儀式は完了しました。約束通り、お話し出来る限りを。皆さん、これにてサモン・サーヴァントの儀式は終了です。各々教室に戻ってください!」

 

 コルベールがそう言うと、生徒たちはそれぞれに呪文を唱え、ふわりと宙に浮いた。

 

「ルイズ、お前は歩いてこいよ!」

「あいつ、『フライ』はおろか『レビテーション』だってまともにできないんだぜ」

 

 そんな様を、ジェヴォーダンはあっけにとられて見ていた。

 

「……浮いてる」

「? 何言ってるの、メイジが浮くのは当たり前じゃない」

「……メイジは人じゃないのか」

「はぁ!? 人に決まってるじゃないの! っていうかあんた、どこの田舎者よ! こんなのが私の使い魔だなんて……あぁもう、最悪だわ!」

 

 理不尽な暴言を吐かれているが、ジェヴォーダンの耳には入らない。トリステイン、メイジ、宙に浮く人、そして何より……2つの月。

 

「ミス・ヴァリエール、私たちは歩いて行きましょう。ミスタ・ジェヴォーダン、よろしければ歩きながらお話を」

 

 ここへきてジェヴォーダンはようやく、自分の身に何か尋常ではない事が起きたのだと悟った。

 

 

 

 

 




狩人の徴

吊り下げられた逆さまのルーン。
自身の心の中にある、ハンターのシンボル。
かつては目覚めをやり直す効果を持っていたそれも、今となっては単なる徴に過ぎない。

どんな悪い夢も、いつかは醒める時が来る。
たとえそれを望もうが、望むまいが。


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02:月

 ジェヴォーダンとコルベールが情報を交わし、互いに違和感を感じるのにそう時間はかからなかった。

 ハルケギニア、トリステイン、魔法、メイジ、使い魔。

 ヤーナム、狩人、獣の病、血の医療、医療教会。

 お互いの知りうる情報のあまりの食い違い。ジェヴォーダンが、ヤーナムが遥か東の地であると言った時、ロバ・アル・カリイエという名に聞き覚えはあるか尋ねてきたが、それもまた的外れだった。

 召喚という行為が珍しいというわけではなかったため、ジェヴォーダンはその点だけはすんなりと受け入れる事ができた。だがそれも、よくよく考えれば召喚される直前の状況からして大きな違和感がある。

 そこからジェヴォーダンが導き出した答えは、1つ。

 

「異なる宇宙、ねぇ」

 

 場所は変わり、ルイズの部屋。時間もすっかり夜更け。

 ルイズは夜食のパンをかじりながら、ジェヴォーダンの話を聞いていた。

 上位者や宇宙のことなど、重要な内容を避けて話していたジェヴォーダンは、魔法もないようなとてつもない異邦の地から来た、ということにされ、夜までには解放されていた。

 しかし、自らの主人ということになったらしいルイズにまで伏せておくわけには行かず、ジェヴォーダンは自分の考えを話さざるを得なかった

 

「私もヤーナムなんて土地は聞いた事がないし、そんなにその、医療? 魔法を使わないで病を治そうってそれが発展してる地なんて聞いた事がないし……ほんとにただ遠いところから来ただけじゃないの?」

「確かに、俺も記憶をなくしているせいでヤーナムの外の事までは詳しくない。単に遠くから召喚されたと考えられなくもないが……問題はアレだ」

 

 ジェヴォーダンが窓の外を指差す。

 見れば、星がきらめく雲ひとつない夜空に、2つの月が仲睦まじく浮かんでいる。

 

「確かに私も『月が1つ』なんて話、聞いたこともないわ」

「月は俺たちの土地にとってひどく重要な存在だったんだ。ただ見え方が異なるだけなら、遠方と言われても納得できるが、あんなにも小さく、そして2つあるなどというのは……」

 

 ジェヴォーダンは月の魔物が2体で襲いかかってくる様を想像して、ゾッとしてやめた。

 

「でも……信じられないわ」

「そう言われてもな」

「月が1つなんて、お話なんだとしても支離滅裂すぎるわ。そんな宇宙がどこにあるのよ」

「それは……恐ろしく、遠くかもな」

 

 ジェヴォーダンは窓の外を見つめる。数多の星がきらめくその宇宙が、ジェヴォーダンには美しいものには到底思えない。そこに渦巻くものが何者であるか、知っているからだ。

 ルイズはそんなジェヴォーダンの様子を見て、ため息をつきながら続けた。

 

「何にせよ、もう諦めなさい。私も諦めるから。あなたは私の使い魔として召喚されたの、それが現実。それが異なる宇宙だろうが、異世界だろうがね」

「戻す方法はないのか?」

「戻りたいの?」

 

 ジェヴォーダンは、少し黙り込み、自分が元いた世界と、自分の境遇について思い出した。

 

「……俺は自分の狩りを全うした。夜明けのために。ただそのために、宇宙の理にすら働きかけて」

「……宇宙の、なんですって?」

「俺は狩りを全うしなければならん。ヤーナムを……夜明けへと導かなければならない」

 

 ジェヴォーダンは、ルーンの浮かび上がった自分の左手を見た。

 

「あの日、俺は俺で無くなるはずだった。"上"に行くはずだったんだ。それがどうだ、今俺はこうして俺のままでいる」

「………」

「ヤーナムは、まだ夜なのかもしれない……それを終わらせる事は俺の義務だ。狩りを全うするために、俺は帰らなくちゃならない」

 

 ルイズは、ジェヴォーダンの言葉の半分も理解できてはいなかった。だが、それでも深刻そうなジェヴォーダンの様子から、それがただならぬ事情である事くらいは察することができた。

 

「でも、帰すなんて無理よ。あなた、私の使い魔だし。呼び出す魔法はあっても、帰す魔法なんてないのよ」

「サモン・サーヴァントといったか、あれをもう1度かけたらどうなるんだ?」

「……サモン・サーヴァントを再び使うには、一度呼び出した使い魔が、死なないといけないの」

「なんだと?」

 

 流石に冷や汗が伝う。自分で悪夢の原因を潰した今、夢を見るとも限らないのだから、そこまでのダイスは振れない。

 

「死んでみる?」

「勘弁してくれ……」

 

 どうやら、事態はジェヴォーダンが想像するよりずっと深刻だ。

 上位者たちを相手に立ち回っていたほうが、まだマシだったかもしれない。そもそもこの世界に上位者はいるのか? 異なる宇宙なのだから、ゴースや月の魔物の影響があったとは考えにくいが……あちらこちらに顔を出していたアメンドーズ程度なら、流れ着いていてもおかしくはない。

 

「……わかった、こうなっては仕方ない。しばらくはお前の言う使い魔とやらをやってやろう」

「ちょっと、何よその言い方」

「ん?」

 

 ルイズはジェヴォーダンの前に仁王立ちし、指をさしながら言い放った。

 

「口の利き方よ。ご主人様に対してそんな言葉遣いをしていいと思ってるわけ?」

「……ふむ」

 

 立場上、ジェヴォーダンはルイズの使い魔というものをやると、先ほど明言した。その制約がある以上、行為でそれを裏切るわけにもいかない。

 それでは、と、ジェヴォーダンは本来、血の眷属に対して使われる礼拝の姿勢をとった。

 

「なんなりとお申し付けくださいませ、ご主人様」

 

 そのあまりにも無駄のない、優雅な動きに、ルイズは思わずあんぐりと口を開ける。

 

「あ、あんた、爵位でももらったことあるの?」

「あいにく、メイジの称号はもらったことがないがな」

 

 それに、穢れた血の眷属であるなど、知れたらこの小娘になんと言われるか。

 それにしても、アンナリーゼをとびきり幼くしたらルイズのようになるだろうかと、ジェヴォーダンは心の中で少し笑った。

 

「それで、使い魔というのは何をすればいいんだ?」

「そっ、そうね! まず使い魔は、主人の目となり、耳となる能力を与えられるわ。使い魔が見たものは、主人も見ることができるのよ」

「……俺が瞳で見てきたものをお前が見たら、間違いなく発狂するな」

「……何見てきたのよ……ま、あんたじゃ無理みたいね。私、何も見えないもの」

 

 ルイズはさらに続ける。

 

「次に、使い魔は主人の望むものを見つけてくるのよ。例えば秘薬とか」

「秘薬か、これか?」

 

 ジェヴォーダンは懐から青白く光る液体の入った瓶を取り出す。

 

「えっ、それ秘薬なの!?」

「あぁ、脳を麻痺させる麻酔薬の類だがな」

「そんな危ない秘薬ないわよ! 秘薬ってのは特定の魔法を使うときに使用する触媒よ。硫黄とか、コケとか……」

「ふむ、魔法への予備知識がないからなんとも言えんが、そこを解決できればなんとかできそうだな」

 

 散々っぱらダンジョンで物探しをしたジェヴォーダンにとって、何かを探してくるなど朝飯前のように思えた。

 

「そして、これが1番なんだけど……使い魔は、主人を守る存在であるのよ! その能力で、主人を敵から守るのが1番の役目! あんたは……」

「あぁ、それは自信があるな」

 

 ジェヴォーダンが身に付ける、様々な武具の数々。特に腰から下がる大柄な散弾銃と、ノコギリと鉈が合体した狂気の武器。血で浅黒く汚れたそれに、ルイズは少しだけ恐怖心を覚えた。

 

「でも、そんな敵なんて毎日現れるものでもないわね……だから、普段は雑用ね。洗濯や、掃除よ」

「……全くの専門外なんだが」

「はいはい。そのうち狩りが必要になったら言うわよ。さて、喋ったら眠くなっちゃったわ」

 

 ルイズは、ブラウスのボタンを外し、下着まで露わにする。ジェヴォーダンはその様子に呆れ返ったように言った。

 

「お前、いくらなんでも不用心なんじゃあないのか」

「なんで?」

「普通は、男の目につくところで女は着替えはしないんじゃないか」

「あんた、使い魔でしょ? なんとも思わないわよ」

 

 完全に、男として扱わないという発言。ジェヴォーダンはさらに呆れた。ようは使い魔に、主人としての威厳を示しておきたいのだろう。

 男扱いされない程度で傷つくようなジェヴォーダンではないが、仮にも自分の主人たる少女の器の大きさについては心配になる。

 

「じゃあこれ、明日になったら洗濯しといて」

 

 そういうと、ルイズはジェヴォーダンの足元にパンツやキャミソールなどの下着を投げ捨てる。

 

「……………」

「あ、あんたの寝床はそこの藁束だから」

 

 ルイズが指差した先は、一応にと積み重ねられた藁束がある。だが、ジェヴォーダンは首を横に振った。

 

「俺は夜は眠らないんだ」

「え? いつ寝るのよ」

「寝やしないさ……まぁ、ルイズ様に手を伸ばす不届きものか、それか獣でもいないか見張っておくさ」

「……ふん」

 

 ルイズはそのままベッドにもぐる。本当は、わざわざ毛布まで用意していたというのに。人の好意を素直に受け取らないなんて、きっとろくなやつじゃない!

 ルイズはそう決めつけて、パチンと指を弾く。部屋のランプが切れ、夜の帳が下りた。

 

 ルイズがすっかり眠りにふけてからも、ジェヴォーダンは壁にもたれかかり、腕を組んで夜空を見つめた。

 2つの月は怪しげな光を放っている。

 

「異なる宇宙、か……」

 

 自分は果たして、元の世界に戻り、上位者たることはできるのだろうか。

 獣の声のしない夜の静けさに、ジェヴォーダンの心は落ち着かなかった。

 

 

 

 月が巡り、夜が明ける頃、ジェヴォーダンは机に向かっていた。

 ルイズの部屋にある本のいくつかを読み解こうとしたのだが、異なる宇宙であるためか、全く知らない字で書かれたそれを読み取ることはできなかった。そのためジェヴォーダンは、まずこの世界の字の解析から始めていた。

 ルイズに教わる事も考えたが、あの性格を省みるに、スッと教えてくれるとも思えない。必然的に、自力で読む方が早いと判断した。

 それに、獣がいない故に手持ち無沙汰になってしまった夜の時間を、何かしらで消化してしまいたかった。

 

 ヤーナムの血の医療のせいで肉体的な疲労など知らない狩人にとって、睡眠というのは本来必要ないものだ。

 悪夢に囚われている時点で、自分からその理屈を捻じ曲げることはできない。

 だからこそ……一息つき、ふと口を開けて眠りこけるルイズの姿を見て、あの鴉羽の狩人と最後に会った時のことを思い出した。

 

「……………」

 

 考えても無駄なことだ。眠ってしまった彼女は、生きてるか、死んでるかも、わからない。その後の足取りは全く掴めていない。

 もし、彼女も誰かに召喚したりされて、こちらの世界に来たりしているだろうか?

 ……いや、きっとないだろう。余計な考えを振り捨て、ジェヴォーダンは改めて本に向かう。

 一晩費やしただけあって、簡単な単語程度なら読み取れるようになっていた。それでも、文書として読み起こすには、まだしばらくかかりそうな様子だ。

 今夜は、これぐらいにしよう。ジェヴォーダンは取り出した本や、自前のメモなどを片付ける。そして、床に雑多に置かれた、昨日のルイズの下着を見やった。

 

「……ハァ」

 

 狩人が、事もあろうに雑用。

 様式美などを重視したりする狩人たちは、ある程度自らの狩人たることに誇りを持っている。ジェヴォーダン自身もそうだ。

 だからこそこの待遇はあまりに不遇だ。何か、自分の立場を少しでも上げる工夫が欲しい……。

 見れば、夜が明けてかなり立つ。そろそろ頃合だろう。

 ジェヴォーダンはルイズのベッドに近づき、かかってる毛布を盛大に引っぺがした。

 

「きゃあああ! なっ、何!?」

「朝だ」

「あ、あぁ、はい……って、だっ、誰……?」

「……お前の使い魔だ」

「え……あ、あぁ、そうか……」

 

 ルイズは一瞬思考が停止していた。

 ジェヴォーダンは今、いつもの狩人のマスクと帽子をしていない。その内に隠された精悍な顔つきは、よく見なくても恐ろしく美しく整ったものだ。

 寝起きでそんな顔に覗き込まれていたものだから、ルイズも一瞬ドキリとしたのだが、すぐに「使い魔に何を!」と頭を切り替えた。

 ベッドから起きだし、1つ大きなあくびをして、思いっきり伸びをする。そして気だるそうな顔をジェヴォーダンに向けた。

 

「着替えさせて」

「……何?」

「着替えさせてって言ってるの。そこの引き出しの中にあるから。早くして」

 

 ジェヴォーダンはとびきり盛大にため息をついた。

 

「俺を下僕扱いか?」

「……? 使い魔は下僕でしょ。貴族は下僕がいる時に、自分で着替えなんてしないのよ」

 

ルイズがそう言うと、ジェヴォーダンは途端に険しい表情になった。

 

「なぁ、昨日話した通り、俺のいた土地では"人間"と"獣"がいた」

「それが?」

「俺たち狩人が、扱いの複雑な仕掛け武器を用いたり、いわゆる様式美のようなものを求めたのは、それが自分は獣ではない、人にしかなし得ないことをしていることの誇示になるからだ」

 

 ルイズはさらに首をかしげた。話の主体性がわからないと言う様子で。

 ジェヴォーダンはさらに声のトーンを低くして言い放った。

 

「着替え1つ自分の手でできないというなら、俺はお前を人ではないと判断するぞ」

「なっ!?」

「別に獣の病に罹患しているわけでないから、わざわざ狩る気もないが……たとえ主従関係が築かれているとしても、俺がお前をどう見るかまではお前に操作できんよ。俺は自分の主人を、着替え1つ自分でできない『畜生』か『犬』程度のやつなんだと判断して扱うことになるが……」

「あ、あんた、ご主人様に向かって……!」

 

 怒りに震えるルイズに、ジェヴォーダンはやれやれという様子で答えた。

 

「それでいいなら着替えさせてやるぞ? 俺も自分の主人が人間以下で残念だが……」

「ぐぅぅぅ、わかったわよ! もう! その代わりあんた、朝ごはん抜きだからね!」

 

 主従関係はハッキリさせたい。だが、下僕に獣同然などと思われているのは、もっと気に入らない。使い魔ができたら、散々こき使ってやるつもりだったのに!

 仕方なく、ルイズは自分で引き出しを開けるしかなかった。

 

 

 

 ルイズとジェヴォーダンが部屋を出ると、近くの扉が開いて、中から燃えるような赤い髪の少女が現れた。

 ルイズよりもいくばくか背が高く、シャツの胸元のボタンはいくつかはだけさせ、少女と呼ぶにはいやに大人っぽい雰囲気をたたえて……ルイズを見つけるなり、その印象が消え去り、子供のようにいたずらっぽく笑った。

 

「おはよう、ルイズ」

 

 ルイズは顔をしかめ、嫌そうに挨拶を返す。

 

「おはよう、キュルケ」

「あんたの使い魔って、それ?」

「そうよ」

 

 ジェヴォーダンを指差し、キュルケは鈴を転がしたように笑った。

 

「あっはっは! ほんとに人間なのね、すごいじゃない! それになかなか、いえ、かぁなり男前じゃないの……」

 

 キュルケはジェヴォーダンの顔をより近くで見ようと、ぐいと身体をすり寄せる。ルイズがギョッとした表情で止めようとするが、キュルケは聞かない。

 

「ミスタ、お名前をお聞かせいただいてもよろしい?」

「……………」

 

 ジェヴォーダンは答えない。先程からルイズの様子が気にかかっていた。どうやら、この赤毛の娘とは不仲のように見える。

 うっとりと顔を覗き込むキュルケを、とうとうルイズが引っぺがした。

 

「こいつの名前はジェヴォーダンよ! キュルケ、離れてよ!」

「あーん、邪魔しないでよゼロのルイズゥ、あんたには不釣り合いだわこんな男前、ねぇミスタ・ジェヴォーダン? いっそのことこんな胸ゼロ女ほっぽりだして、私の所へ来ませんこと? きっとこの子のせいで、いろいろと苦労なさってるんでしょう?」

「だだだだだ誰が胸ゼロ女かぁっ!」

 

 ルイズが血なまこになって怒るが、キュルケは涼しい顔でそれをかわす。

 

「私も昨日使い魔を召喚したのよ? どうせ使い魔にするならこういうのがいいわよね、フレイムー」

 

 キュルケが勝ち誇った声で言うと、キュルケの背後から真っ赤で巨大なトカゲが現れた。むんとした熱気が漂い、口からはちろちろと火が漏れている。

 

「これって、サラマンダー?」

 

 ルイズが悔しそうに尋ねる。

 

「そうよー、火トカゲよー。素敵でしょー? 私の2つ名、『微熱』のキュルケにぴったりの気品溢れる使い魔だわー……あぁ、あんたの使い魔だってあんたの2つ名にぴったりよ? 『ゼロ』のルイズにぴったりの、平民の使い魔でね! あーっはっはっはっはっ!」

 

 あぁ、こりゃあ俺もこいつがいけ好かんな。

 ジェヴォーダンは確信した。アリアンナの気品あふれた色とは少し毛色の違う、下品な色の匂いと振る舞い。"上"を求めるジェヴォーダンにとって、これはひどく不快なものだった。

 そこでジェヴォーダンは……少し、からかってやることにした。

 

「ルイズ、先ほどの人と獣の話を覚えているか」

「え? ……服を着られるのは人だけ、それが獣ではない誇示になる、ってあれ?」

「そうだ、ルイズ……お前は正しく服が着れたから、間違いなく人と言っていい。"ボタンの閉め忘れもない"だろうからな」

 

 そんなジェヴォーダンの言葉の意味を、ルイズは少し置いて理解し、にんまりと笑った。

 

「えぇ当然よ! 何せ私は獣でなく人だもの、シャツのボタンを1番上まで閉じるなんて、当たり前のようにできるわ!」

「そうだな。俺も自分の身なりは完璧に整えられているつもりだ。ボタンの閉め方を知らない奴など……人以下と言っていいな?」

「えぇ……さしずめ『畜生』か『犬』かしら?」

 

 2人が息を合わせて芝居掛かった喋りを展開するのを、キュルケはポカンとして眺めていた。ルイズがそれを見逃すはずもなく、さらに続ける。

 

「あらキュルケ、どうしたの、そんなにシャツの胸元を開けて? まさかボタンが閉められないの?」

「複雑な仕組みだからな、人でないものにはそう器用にはできない。所詮は獣だ、人の言葉も解さんだろう」

「違いないわね。ジェヴォーダン、じゃあ目の前にいるこれが獣なら、何かしら?」

「ふむ……浅黒い肌に、赤い毛並み、ブクッと膨らんだ乳房。さしずめ牛だな」

「それね! きっと、サラマンダーの餌として取り寄せられたに違いないわ。そうでなかったら貴族の、寄宿舎の廊下にいるはずがないものね!」

 

 ルイズはもう笑いを堪えるのが限界だったようで「じゃあね、モーモー!」と追い討ちをかけると、ジェヴォーダンと共に固まるキュルケの横を素通りして行った。

 

「え……え……?」

 

 自分の身に起きた事がよくわかっていないキュルケは、少しづつ2人の話の内容が読み込めてきて、顔を真っ赤にした。

 

「だっ、誰が獣よ!? 誰が牛よ! キィィ〜〜〜!!! ゼロのルイズのくせして〜〜〜〜〜〜!!!!」

 

 キュルケは悔しさに地団を踏みながら、しかしシャツのボタンは1番上まできっちり整え直したのだった。

 

「ぷっ……くく、あっはっはっはっは!!」

 

 キュルケが見えなくなるところまで来てから、ルイズはこらえきれず吹き出した。

 

「んひひひひ……あははははは! ジェ、ジェヴォーダンあんた……やるじゃないの! ぷっくくく、う、牛って……!」

「……実を言えば身なりで色を出せるのも人ならではなのだがな。まぁ、あの手の輩にはこういうのが1番効く」

「違いないわね……にしても牛……にゃははははは!」

 

 ルイズはこのことで小1時間笑うつもりのようだ。よほど気分が良かったのだろう。

 それにしても……と、ジェヴォーダンは思考を巡らせる。先ほどの様子を見るにルイズは、あのキュルケという娘にさんざんいじくられてきたようだ。

 そしてあのキュルケという娘、確か『微熱』とかいう2つ名で呼ばれていた。そしてルイズは『ゼロ』と……。

 どうもジェヴォーダンは違和感を感じていた。確かにこの地では魔法が生活の主となっているようだが、ルイズが魔法を使っているところをまだ一度も目にしていない。

 そして、『ゼロ』の2つ名。なんとなく察しはついていたが、それを本人に聞くようなマネはさすがにできなかった。

 

 

 

 

 

 

 トリステイン魔法学校の食堂は、学園の敷地内で1番背の高い、真ん中の本塔にあった。

 食堂の中には、100人は座れるであろう長いテーブルが3つ並べられている。

 その真ん中、2年生の生徒が座るテーブル。ルイズの席の後ろ、床に置かれた皿を見て、ジェヴォーダンはもう何度目かもわからないため息をついた。

 

「……ほんとなら、あんたみたいな平民はこの『アルヴィースの食堂』には一生入れないの。その上ほんとなら使い魔は外のところを、あんたは私の特別な計らいで、床」

「……俺は『人扱いをしろ』と言っているんだが」

「仮にそうだとして、それと貴族と同じ食事をさせるってのとは違うでしょ?」

 

 それは尤もだがジェヴォーダンが言っているのは床で食えというのがいただけないという話だ。この小娘は……と呆れつつ、ジェヴォーダンは皿を拾った。

 

「ちょっと、どこ行くのよ」

「中庭に行く。ベンチがあったろう。そうでなくたって犬食いはごめんだ」

「あんた、私が特別に計らったって言ったでしょ!? いいからここで食べなさい!」

 

 しかし、ジェヴォーダンは聞く耳を持たず食堂から出て行ってしまった。それどころか、奴のやたらと目立つ背の高さとルイズの声の大きさで、まわりからはクスクスと笑い声が上がる始末。

 

 本当はここで少しおこぼれをやって主人としての威厳を示してやろうと思っていたのに……。

 ルイズはそんなことを考えたが、先ほどのジェヴォーダンの言葉を思い出す。

『人扱いをしろ』

 ジェヴォーダンが元いた宇宙について話した時といい先ほどのキュルケの時といい、あいつはなぜか人である事を大事にしてる、獣ではないってことを言い張ってる。

 それはあいつの言ってた、獣の病ってもののせいかもしれないけど。獣の病って、一体なんなんだろうか?

 考え事が巡ってしまい、ルイズは祈りの言葉が読み上げられているのに気がつかず、ハッとして慌てて手を組んで、また周囲に笑われてしまった。

 

 




魔法の杖

ハルケギニアの貴族たちが用いる魔法の杖。
魔法の触媒として用いられるもの。
様々な種類があり、必ず自らに合ったものを選んで使わなくてはならない。

魔法は、貴族を貴族たらしめる『力』である。力あるものが正義であることは、どの地でも変わらない。
神話における、『神』とは『力』である。


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03:ゼロ

 血さえ入れれば大概のことは何とかなる狩人にとって、食事は決して必要不可欠な事ではない。

 だが、獣狩りの夜のせいで長らくまともな食事をとっていなかったジェヴォーダンは、この世界の食事を少しだけ楽しみにしていた。

 それに、ジェヴォーダンの知る料理というのは……あまり美味いものではなかったというのも大きい。

 だが、悲しいかな皿の上には水のようなスープと固そうなパン2つ。これでは何も変わらない。

 結局ジェヴォーダンにとってハルケギニア最初の食事は最悪なものになった。

 

 食べ終えた頃にルイズに呼び出され、向かった先は魔法学院の教室。ジェヴォーダンとルイズが中に入っていくと、先に入っていた生徒たちが一斉に振り返り、クスクスと笑い始める。

 先ほどのキュルケもいた。男たちに取り囲まれ、女王のように祭り上げられているが、シャツのボタンはきっちり閉じられていた。

 ジェヴォーダンは、様々な使い魔たちが集まる教室でほんの少し緊張を高める。どれか1つでも襲ってくるものなどないか、少し疑問に感じてしまったのだ。

 ルイズが席の1つに腰掛け、ジェヴォーダンはすぐ後ろの壁にもたれて腕を組む。見渡せば、なるほど暴れるような使い魔はいなさそうだ。

そもそも今ジェヴォーダンは、ルイズの指示でノコギリ鉈を部屋に置いて来ており、コートに隠すならいいと持った銃と、あとは火炎瓶や投げナイフ程度しか持っていない。帽子とマスクも外し、手甲もしていないため、実際戦闘になった場合勝てるかどうか危うい。

 そう言った意味での緊張だったが、杞憂だったようだ。

 

 扉が開いて、茶色のローブの女性が入って来た。ふくよかで優しそうな表情を浮かべ、教室を見回すと、嬉しそうに微笑んだ。

 

「皆さん、春の使い魔召喚は大成功のようですわね。このシュヴルーズ、こうやって春の新学期に様々な使い魔たちを見るのがとても楽しみなのですよ」

 

 シュヴルーズは再び教室をぐるりと見渡し……壁にもたれて腕を組む、ジェヴォーダンを見つけた。

 

「変わった使い魔を召喚したものですね、ミス・ヴァリエール」

 

 シュヴルーズがとぼけた声で言うと、教室中がどっと笑いに包まれた。

 そんな様子にジェヴォーダンは……半歩前に出たかと思うと、簡易拝謁の姿勢で礼をした。

 その優雅で洗礼された動きに、教室の笑い声が消える。シュヴルーズは嬉しそうにルイズを見た。

 

「気品のある使い魔ですわね。ミス・ヴァリエール、とても良い使い魔を召喚したものです」

「いっ、いえっそんな、そんなことないです! ジェヴォーダン、余計なことしなくていいから!」

 

 しかし、ルイズがそう謝ると所々からまた笑いが起きた。

 

「ゼロのルイズ! 芸を仕込むならちゃんとやっとけよな、召喚できなかったからって平民を連れてくるならさ!」

 

 その声にルイズは立ち上がり、可愛らしい澄んだ声で怒鳴る。

 

「違うわ! ちゃんと召喚したもの! こいつは……こ、こういうやつなだけよ!」

「嘘つくな! 『サモン・サーヴァント』ができなかったんだろ?」

 

 また、教室の中の男子生徒の何人かが笑う。

 

「ミセス・シュヴルーズ! かぜっぴきのマルコリヌがわたしを侮辱したわ!」

 

 握りしめた拳でルイズは机を叩く。

 

「かぜっぴきだと? 俺は風上のマルコリヌだ! 風邪なんか引いてないぞ!」

「あんたのガラガラ声は、まるで風邪も引いてるみたいなのよ!」

 

 マルコリヌと呼ばれた男子生徒も立ち上がり、ルイズを睨みつける。シュヴルーズ先生が手に取った小ぶりな杖を振ると、2人とも糸の切れた操り人形のように、すとんと席に落ちた。

 

「ミス・ヴァリエール。ミスタ・マルコリヌ。みっともない口論はおやめなさい。お友達をゼロだのかぜっぴきだの呼んではいけません。わかりましたか?」

「ミセス・シュヴルーズ。僕のかぜっぴきはただの中傷ですが、ルイズのゼロは事実です」

 クスクス笑いが漏れる。シュヴルーズは厳しい表情で教室を見回し、杖を振った。クスクス笑いをする生徒たちの口に、どこから現れたものか、ぴたっと赤土の粘土が押し付けられる。

 

「あなたたちは、その格好で授業を受けなさい」

 

 クスクス笑いがおさまった。

 その様子を見て、ジェヴォーダンは静かに感心していた。なるほどこれは、魔法とは便利なものだ。そしてそれと同時に、自分の主人の扱いもずいぶんと酷いものだと。

 

「では、授業を始めますよ」

 

 そこから先の授業内容を、ジェヴォーダンはとても注意深く、一言も聞き漏らすまいと耳を立てていた。

 魔法の四大系統、『火』『水』『土』『風』、そして今は失われた魔法系統『虚無』の、合わせて5つの系統。

 自らを『赤土』と名乗ったシュヴルーズは、その中でも『土』系統はもっとも重要なポジションを占めていると語る。

 

「土系統の魔法は、万物の組成を司る、重要な魔法であるのです。この魔法がなければ、重要な金属を作り出す事もできないし、加工することもできません。大きな石を切り出して建物を建てることもできなければ、農作物の収穫も、今より手間取ることでしょう。このように『土』系統の魔法は皆さんの生活に密接に関係しているのです」

 

 ジェヴォーダンは、なるほどと感嘆を漏らした。この宇宙では、魔法が生活そのものにかなり密接に関係している。単純に生きる術として染み付いているのだ、これは単に、便利になるだとかそういった次元を超えている。

 であれば、魔法が使える貴族と、使えない平民の地位の差はなるほど明白だ。これがこの宇宙でのパワーバランスなのだろう。

 

「今から皆さんには『土』系統の基本である『錬金』の魔法を覚えてもらいます」

 

 シュヴルーズは、机の上に並んだ石ころに向けて杖を振り、短いルーンを唱える。

 石が一瞬光り輝いたと思うと、ピカピカと輝く金属に変貌していた。

 石が真鍮に変わった……? ジェヴォーダンが目を見開く。

 

「ゴゴ、ゴールドですの? ミセス・シュヴルーズ」

 

 キュルケが身を乗り出して尋ねた。

 

「いいえ、真鍮です。ゴールドを精製できるのは『スクウェア』クラスのメイジだけです。私はただの……『トライアングル』ですから」

 

ジェヴォーダンは、目の前に座るルイズに耳打ちする。

 

「スクウェアやトライアングルというのは、メイジとしての位を現す言葉か?」

「何よ、授業中よ……そう、系統を足せる数のことよ。それでメイジのレベルが決まるの。『土』系統の魔法はそれ単体でも使えるけど、『火』の系統を足せば、さらに強力な呪文になるの」

「なるほど。それで3系統足せるものは『トライアングル』、4系統足せるものが『スクウェア』というわけか」

「不気味なほど飲み込みが早いわね、あんた。ちなみに2系統足せるのが『ライン』メイジ。シュヴルーズ先生みたいに『土』『土』『火』、3つ足せるのが『トライアングル』メイジ」

「同じ系統を足すこともできるわけか……興味深いな」

「あんた、そんなに魔法の事知ってどうするつもり?」

「……啓蒙を得るためだ」

「え?」

 

 そんな風に喋っていると、シュヴルーズ先生に見咎められた。

 

「ミス・ヴァリエール! 授業中の私語は慎みなさい」

「は、はい! すいません……」

「おしゃべりをする暇があるのなら、あなたにやってもらいましょう」

「え? わたし?」

「そうです。ここにある石ころを、望む金属に変えてごらんなさい」

 

 しかし、ルイズは立ち上がらない。困ったようにもじもじするだけだ。

 

「……? どうした?」

 

 ジェヴォーダンが聞くが、答えない。

 

「ミス・ヴァリエール! どうしたのですか?」

 

 シュヴルーズ先生が再び呼びかけると、キュルケが困った声で言った。

 

「あの、先生、やめておいた方がいいと思いますけど……」

「どうしてですか?」

「危険です」

 

 キュルケは、きっぱりと言った。教室のほとんど全員が頷いた。

 

「危険? 何が危険だと言うのです?」

「ルイズを教えるのは初めてですよね?」

「えぇ。でも、彼女が努力家ということは聞いています。さぁ、ミス・ヴァリエール。気にしないでやってごらんなさい。失敗を恐れていては、何もできませんよ?」

「ルイズ。やめて」

 

 キュルケが蒼白な顔で言う。しかしルイズは、そう言わられれば言われるほどワナワナと震え、やがて勢いよく立ち上がった。

 

「やります」

 

 そして、緊張した顔で、つかつかと教室の前へと歩いていった。

 隣に立ったシュヴルーズはにっこりとルイズに笑いかけた。

 

「ミス・ヴァリエール。錬金したい金属を、強く心に思い浮かべるのです」

 

 ゆっくりと杖を振り上げたルイズを見て、ジェヴォーダンは何やらただならぬ気配を感じた。さきほどのキュルケの様子といい、他の生徒たちといい、何か妙だ。目の前の女子生徒が何故か椅子の下に隠れる。ジェヴォーダンは何となく、何が起きるのかを察して自らも身体を伏せた。

 

 そしてその判断は大当たりだった。ルイズが短くルーンをとなえ、杖を振り下ろした瞬間、強烈な爆発音と衝撃が教室中に響き渡った。

 

 爆風をモロに受けたルイズとシュヴルーズは、黒板の下で伸びている。爆風に驚いた使い魔たちが暴れ出し教室はパニック状態となった。

 

「だから言ったのよ! あいつにやらせるなって!」

「もう! ヴァリエールは退学にしてくれよ!」

「俺のラッキーが蛇に食われた! ラッキーが!」

 

 ジェヴォーダンが身を起こす。教室はもはや阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。

 シュヴルーズ先生は倒れたまま動かない。たまに痙攣しているから死んではいないようだ。

 ルイズは……むくりと起き上がる。見るも無残にボロボロになった制服。煤で真っ黒になり、綺麗だった桃色の髪もグシャグシャ。

 しかし、大物ぶりはさすがというかなんというか……。大騒ぎの教室を意に介した風もなく、頬についた煤を、取り出したハンカチで拭きながら、淡々と言った。

 

「ちょっと失敗したみたいね」

 

 当然、他の生徒たちからは怒号が飛び交う。

 

「ちょっとじゃないだろ、ちょっとじゃ!」

「いつだって成功確率ゼロじゃないか!」

「ゼロのルイズ!」

 

 ジェヴォーダンは服についた煤を払いながら、ククッと喉で笑った。

 

「やはりそういう意味でのゼロ、か……大したものだ」

 

 

 

 

 

 

 爆発の影響でボロボロになった教室を、ルイズとジェヴォーダンが片付けていた。

 掃き掃除をルイズに任せ、男手のジェヴォーダンが崩れたガレキや机を片付ける。

 淡々と掃除だけを続ける2人に、会話はなかった。

 

「……なんで何も言わないの」

 

 沈黙を破ったのはルイズの方だった。しびれを切らしたように、しかしジェヴォーダンの方を見ずに言う。

 そんなルイズの様子を知ってか知らずか……ジェヴォーダンも手を止めず、ルイズの方を見ようとはしない。

 

「……何がだ」

「みんながなんで私をバカにしてるか、わかったでしょ」

 

 ルイズは不安だったのだ。自分が魔法を失敗するたび、必ず自分をバカにする言葉だけが飛んでくる。みんなが自分を蔑み、嘲笑い、去っていく。それが当たり前だった。自分の失敗を初めて見たジェヴォーダンが、何も言わず黙っているのが、耐えられなかった。

 

「……何がだ」

「……! あぁ、もう!」

 

 そしてとうとう、ルイズの感情は爆発した。

 

「見てわかるでしょ! 成功確率ゼロ、出来る魔法はゼロ、とにかくゼロ、ゼロゼロゼロ! これがあんたのご主人よ! 『ゼロ』のルイズ! ……あんただって、心の中でバカにしてるんでしょ。こんなご主人様で残念だなって思ってるんでしょ! 黙ってないで、そう言えばいいのよ!」

 

 ジェヴォーダンが、ため息をつきながら振り返る。腰に手を当てながらこちらを見やるその態度に、ルイズはビクリと肩をすくませる。

 

「不当な評価だな」

「……え?」

 

 だが、ジェヴォーダンの口から出てきた言葉は、そんなルイズの予想とは違っていた。

 

「魔法というのは全部で何種類あるんだ」

「そんなの……数えきれないほどあるわよ」

「そのうちお前は何種類試したんだ」

「それは……1年の授業で学ぶ魔法の数なんてたかが知れてるわ」

「なら、まだまだお前が使える魔法があるかどうかはわからんな」

「でっ、でも!」

 

 ルイズは、批判をされない事に違和感を覚えていた。だがジェヴォーダンは、あくまで冷静な視点から物事を語る。それがルイズには理解できないでいた。

 

「それにお前は、成功確率ゼロとは言えないな」

「なっ、なんでよ!」

「俺を呼んだろう」

「……あっ」

 

 ルイズは忘れていた、目の前にいる男は平民だが、間違いなく自分で呼び出した使い魔だ。それに、呼び出すサモン・サーヴァントだけでなく、コントラクト・サーヴァントだって問題なく成功している。あまりに特殊な使い魔の出現に、それが成功だとすっかり忘れていた。

 

「それとな、人に向き不向きがあるなどというのは当たり前の事だ。俺にはまだ魔法というものがわからんが、お前のそれは単に他者と少し性質が違うというだけに過ぎんだろう。そんなにも短絡的な考えをするな」

「……なんで?」

「ん?」

 

 ルイズは顔を背ける。

 

「なんで、バカにしないの」

「先ほども言ったが、向き不向きがあるなど当たり前の事だ。それをバカにするということの方が俺には理解できんな」

 

 最後のガレキを軽く持ち上げながら、ジェヴォーダンは続ける。

 

「探求とは大抵の場合、今現在持ち得ないものや不明の中に追い求めるものだ。こちらでは空にあるとはっきり分かっている宇宙だが、俺のとこではかつては地底にあると言ったり、湖にあると言ったりしたのだ。宇宙が空にあると唱えるものは、その中の1つでしかなかった。そういった探求の果てに、得られるのが啓蒙というものだ」

「……………」

「ふむ。例えばな」

 

 ジェヴォーダンが何か話しそうだったので、ルイズは慌てて目元を拭って振り返る。ジェヴォーダンは懐を漁っていたので、どうやら目撃はされなかった。

 

「なに?」

「まて、あった、これだ」

 

 そう言ってジェヴォーダンが懐から取り出したのは……巨大なナメクジだった。

 

「うわぁぁぁ!? 何!? 気持ち悪っ!」

「こいつは、俺たちの宇宙で言う『神秘』というものの先ぶれだ。この宇宙でいう魔法のようなものだな。こいつを媒介にする事で、ある上位者の身体の一部を召喚する事ができるんだ」

 

 青白く、ぬらぬらとぬめる軟体生物。ジェヴォーダンの手の上のそれを、ルイズは怪訝そうに見つめた。

 

「し、神秘って言ったけど……こんなんで魔法みたいな事ができるの? 信じられないわね……」

「だがな……俺はこいつが使えん」

「えぇっ!?」

 

 ルイズは驚いて声を上げた。

 

「な、なんで!? やっぱり平民だから?」

「少し違う。こいつは高貴な血にしか反応しないんだ。どうやら俺の血では気にくわないらしい」

「……なんで持ってるの?」

「……捨てるに捨てられないだろう」

 

 ルイズは思わず吹き出した。ジェヴォーダンにも意外と愛嬌のある部分があったのだ。意外な一面を見たようで、可笑しかった。

 

「俺からすればあの爆発を起こせるのが羨ましいさ。狩りであの力が使えたら戦いがどれほど楽だったか知れん。お前は単に戦い向きの魔法使いなんだろう」

「……フフ、まぁ、そうなのかもね。いいわ、もしあんたの狩りとかいうのを手伝う機会があったら試してやるわよ」

 

 ジェヴォーダンが最後のガレキを運び終える。ルイズは、この使い魔への扱いを少し改めなければいけないなと思った。図らずも、勇気をもらってしまったのだ。今まではゼロと呼ばれる度に劣等感に苛まれていたが、少しはマシになれたかもしれない。

 

「……あぁ、そういえばその神秘ってやつ、どうやって使うの?」

「これか? こいつはこうやって握って、腕を突き出してだな」

 

 グッと前に突き出したジェヴォーダンの腕が、一瞬にして青白い巨大な触手に変貌し、たった今彼が片付け終えたガレキの山を木っ端微塵に吹き飛ばした。

 巨大な触手は、シュルシュルとジェヴォーダンの腕に戻り、何事もなかったかのように消え去った。ジェヴォーダンの手の中には、あの軟体動物だけが残る。

 唖然としたルイズと、ジェヴォーダンが向き合った。

 

「あぁ、そう、いや」

 

 ジェヴォーダンは少し言葉につまり、そして、

 

「今のは、間違いだ」

 

 ごまかしてみた。

 しかし、そうはいかなかった。ルイズは「かひぃ」とかそんな変な息を鳴らしたかと思うと、白目をむいてそのまま後ろ向きに倒れた。慌ててジェヴォーダンがそれを受け止める。

 発狂などしていないかと心配したが、どうやら単に気絶しただけのようだ。よほどショックを受けたのだろう。

 

 ジェヴォーダンは、再び自らの手に握られた軟体動物を見た。今までこんな事は一度も無かった。突然使えるようになるなどおかしい、それにあの触手の大きさ……。

 再び、今度はガレキの無い方へ向けて腕を突き出す。再び巨大な触手が出現し、伸びきり、また腕に戻っていった。その大きさたるや、本物のエーブリエタースと大差ないほどのものだ。

 

「どういう事だ……?」

 

 この時ジェヴォーダンは、自らの左手のルーンが輝いている事に、気がつかなかった。

 

 

 




エーブリエタースの先触れ

かつてビルゲンワースが見えた神秘の名残。
見捨てられた上位者、エーブリエタースの一部を召喚するもの。
使い魔のルーンの効果により、その本来の力を呼び起こす事ができる。

宇宙は空にある。星の娘よ、だから空を見ていたのだろう。
その呼びかけに、応えるものがないとしても。


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04:ルーン

 トリステイン魔法学校の中堅教師、『炎蛇』の2つ名を持つコルベールは、先日の夜から図書館にこもりきりになっていた。

 理由は、先日の『春の使い魔召喚』の際に、ルイズが呼び出した平民の青年のこと。正確にいうと、その青年の左手に現れたルーンのことが気にかかっていた。

 コルベールが、初めて彼に対峙した時、コルベールの中の『炎蛇』としての血が叫んだ。「危険だ」と。およそ人に感じるような気配ではなかった。かといって、今まで生きてきて対峙したどんな魔獣とも、違っていた。

 そんな彼に現れた使い魔のルーン。珍しいルーンであった。そのルーンの上に浮かんだ印も含め、これまで見たことがないような。しかし、どこかで見たような。

 そうして資料を洗いざらい漁っている内……始祖ブリミルが使用した使い魔たちの記述に行き着いた。

 そして、その古書の一節と、彼の左手に現れたルーンのスケッチを見比べ、あっ、と声にならないうめきをあげた。

 

「これだ! しかし、まさか……」

 

 コルベールは本を抱えると、慌てて走り出す。向かった先は、学院長室であった。

 

 

 

 

 

 

 気を失ったルイズを自室へと運び、近くにいた教員と思わしき者にルイズの体調を伝え……ジェヴォーダンは、中庭のベンチに腰掛けて思案していた。

 先ほどの、神秘のこと。血の質が間に合わないはずのジェヴォーダンが、何故エーブリエタースの先触れを呼び出す事が出来たのか。そも、本来この軟体動物を触媒として呼び出せる触手はもっと小さかったはずだ。

 

「くそ、こんな事なら他の神秘の触媒も持ち歩いておくんだった……」

 

 この先触れも偶然手元にあっただけの事で、基本的なものは夢の中の倉庫の中だ。もう夢を見ない以上、取り出しに行く術もない。

 

「あの、どうなさいました?」

 

 ジェヴォーダンがうなだれていると、後ろから声をかけられた。

 振り向くと、大きい銀のトレイを持ち、メイドの格好をした素朴な感じの少女が、心配そうにジェヴォーダンを見つめている。

 

「いや、なんでもない。気にしないでくれ」

「あなた、もしかしてミス・ヴァリエールの使い魔になったっていう……」

 

 彼女は、ジェヴォーダンの左手にかかれたルーンに気がついたらしい。

 

「む、俺を知っているのか」

「えぇ、なんでも、召喚の魔法で平民の木こりを呼んでしまったって、噂になっていますわ」

「木こり!?」

 

 ジェヴォーダンは驚きのあまり立ち上がった。

 

「……え、そういうことになっているのか?」

「え、えぇ。大きな鉈のようなノコギリのような工具と銃を持ち歩いた大男だと……」

「俺は狩人だ」

「まぁ、狩人様! これはとんだ間違いだったようですわ、申し訳ございません!」

「いや、いや、いいんだ……」

 

 しかし、木こり……と、ジェヴォーダンは頭を押さえる。

 

「君も魔法使いか?」

「いえ、私は違います。あなたと同じ平民で、貴族の方々をお世話するためにここでご奉仕させていただいている、シエスタといいます」

 

 シエスタはそう名乗ると、貴族にするように甲斐甲斐しく礼をした。

 

「俺はジェヴォーダンだ。察しの通り、ヴァリエール嬢の使い魔として勤めている」

「あら、では今は昼食のお時間ですから、外で待機を?」

「いや、あいつは……倒れたんだ」

「えぇっ!? 大丈夫なんですか?」

 

 ジェヴォーダンは、やれやれといった感じで手を振る。

 

「いびきをかいて寝る程度には元気さ。奴が寝ている手前、昼飯は抜きになるがな」

「……お腹がすいているんですか?」

「ん? まぁ、そうかもな」

「でしたら……こちらにいらしてください」

 

 シエスタはジェヴォーダンを案内して歩き出した。

 

 ジェヴォーダンが連れていかれたのは、食堂の裏にある厨房だった。大きな鍋や、オーブンがいくつも並んでいる。コックや、シエスタのようなメイドたちが忙しげに料理を作っている。

 

「ちょっと待っててくださいね」

 

 ジェヴォーダンを厨房の片隅に置かれた椅子に座らせると、シエスタは小走りで厨房の奥に行き、しばらくしてお皿を抱えて戻って来た。皿の中には、湯気の立つシチューが入っている。

 

「貴族の方々にお出しする料理の余りモノで作ったシチューです。よかったら食べてください」

「良いのか?」

「えぇ、賄い食ですけど……」

 

 望外な申し出に、ジェヴォーダンは素直に甘えることにした。スプーンでシチューを取り、ひと口食べる。ジェヴォーダンは目を見開いた。

 

「……うまい」

「そう、おかわりもありますから……」

「くれ」

「え?」

 

 そう言ってジェヴォーダンが差し出した皿は、既に空だった。

 結局ジェヴォーダンはこのまま、とても狩人らしいスピードで3人前ほどのシチューを平らげた。シエスタは、ポカンとした様子でジェヴォーダンを見つめている。

 

「……そ、そんなに美味しかったですか?」

「こんな美味いもの、俺の住んでいた地にはなかった」

「そ、そうなんですか……」

 

 ただの賄い飯なのに……とシエスタは思う。ジェヴォーダンの普段の食生活に興味が湧いた。

 

「あの、ジェヴォーダンさんの暮らしてた土地の料理というのは?」

「……揚げた魚と芋を組み合わせただけのものや、豆を水で炊いたものなどだ」

「……それは……」

 

 どことなく「おいしい」というビジョンが想像できない言葉の羅列に、シエスタは微妙な気持ちになる。この人、どんな食生活を送ってきたのだろうか?

 

「……とても美味かった、感謝する」

「よかった。お腹がすいたらいつでも来てください。私たちが食べているものでよかったら、お出ししますから」

 

 ジェヴォーダンは、なるほどなと思った。おそらくこの世界では、魔法が使えるメイジとそうでない平民の地位的格差がかなり大きい。半ば迫害され奴隷同然の扱いを受ける平民たちの間には、強い仲間意識のようなものがあるのだろう。

 これは今後利用できるかもしれない。ジェヴォーダンは、自分の立ち位置を確保しておこうと思った。

 

「ただ飯は食らわん。俺にできることはあるか? せめてもの礼だ、手伝いをさせてくれ」

「あら、そうですか? なら、デザートを運ぶのを手伝ってくださいな」

「承知した」

 

 シエスタはにっこりと微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 ドアを勢いよく開け、コルベール氏は学院長室に飛び込んだ。

 

「オールド・オスマン!」

「なんじゃね?」

 

 一瞬、秘書であるミス・ロングビルに蹴り回される、学院長オスマン氏が見えたような気がしたが……いまはミス・ロングビルは何事も無かったように机に座り、オスマン氏は腕を後ろに組んで重々しく乱入者を受け入れた。

 

「たた、大変です!」

「大変なことなど、あるものか。すべては小事じゃ」

「これを、見てください!」

 

 コルベールはオスマン氏に先ほど読んでいた書物を手渡した。

 

「これは『始祖ブリミルの使い魔たち』ではないか。まーたこのような古臭い文献など漁りおって。そんな暇があるなら、たるんだ貴族たちから学費を徴収するうまい手をもっと考えるんじゃよ。ミスタ……、なんだっけ?」

 

 オスマン氏は首をかしげた。

 

「コルベールです! お忘れですか!」

「そうそう、そんな名前だったな。君はどうも早口でいかんよ。で、コルベール君、この書物がどうかしたのかね?」

「これを見てください!」

 

 コルベールはジェヴォーダンの手に現れたルーンのスケッチを手渡した。

 それを見た瞬間、オスマン氏の表情が変わった。

 

「……ミス・ロングビル、すまんが」

「……はい」

 

 ミス・ロングビルが、いくつかの書類を手に部屋を出て行く。彼女の退室を見届け、オスマン氏は口を開いた。

 

「……詳しく説明するんじゃ、ミスタ・コルベール」

 

 

 

 

 

 

 大きな銀のトレイに、デザートのケーキが並んでいる。ジェヴォーダンがそのトレイを持ち、シエスタがトングでケーキをつまみ、1つずつ貴族たちに配って行く。

 様々なメイジがいた。互いの使い魔の自慢をしあうもの、巷で話題の小説について話すもの、恋愛話に花を咲かせるもの。

 その中の1人、金色の巻き髪にフリルのついたシャツを着た、気障(キザ)なメイジがいた。薔薇をシャツのポケットに刺した彼を、周りの友人が口々に冷やかしている。

 

「なぁ、ギーシュ! お前、いまは誰と付き合っているんだよ!」

「誰が恋人なんだ? ギーシュ!」

 

 ギーシュと呼ばれた少年は、すっと唇の前に指を立てた。

 

「付き合う? 僕にそのような特定の女性はいないのだ。薔薇は多くの人を楽しませるために咲くのだからね」

 

 自分を薔薇にたとえるナルシストぶり。しかし、周囲の様々な貴族を観察するジェヴォーダンの眼中にはない。

 そのため、ギーシュのポケットから小壜が落ち、コロコロと転がるも……それを知る由もないジェヴォーダンは、小壜をグシャリと盛大に踏み潰した。

 

「……ん?」

「……!? んがぁっ!? おっ、おい君!」

 

 途端に立ち上がる華やかな芳香に気づいたジェヴォーダンとギーシュが、その香りの出所に気がつく。ギーシュは顔面蒼白になって小壜にすがりよった。

 

「な、な、なんてことをするんだ君は!」

「気づかなかった。落としたのか?」

「そう……あ、いや、その」

 

 何故か、自分の持ち物であることを濁すギーシュ。

 すると、その小壜の出所に気づいたギーシュの友達が、大声で騒ぎ始めた。

 

「おお? その香水は、もしや、モンモランシーの香水じゃないのか?」

「そうだ! その鮮やかな紫色は、モンモランシーが自分のためだけに調合している香水だぞ!」

「そいつがギーシュ、お前のポケットから落ちてきたってことは、つまりお前は今モンモランシーとつきあっている。そうだな?」

「違う。いいかい? 彼女の名誉のために言っておくが……」

 

 ギーシュが何か言いかけたとき、後ろのテーブルに座っていた茶色のマントの少女が立ち上がり、ギーシュの前に向かってコツコツと歩いてきた。

 栗色の髪をした可愛らしい少女は、ポロポロと涙を零していた。

 

「ギーシュさま……やはり、ミス・モンモランシーと……」

「彼らは誤解しているんだ、ケティ。僕の心の中に住んでいるのは、君だけ……」

 

 しかし、ケティと呼ばれた少女は、思いっきりギーシュの頬をひっぱたいた。

 

「その香水があなたのポケットから出てきたのが、何よりの証拠ですわ! さようなら!」

 

 かけて行ってしまう少女。

 変わって遠くの席から1人の見事な巻き髪の女の子が立ち上がった。厳しい顔つきで、かつかつとギーシュの席までやってくる。

 

「モンモランシー、誤解だ。彼女とはただいっしょに、ラ・ロシェールの森へ遠乗りをしただけで……」

「やっぱり、あの1年生に手を出していたのね?」

「お願いだよ、『香水』のモンモランシー。咲き誇る薔薇のような顔を、そのような怒りでゆがませないでくれよ。僕まで悲しくなるじゃないか!」

 

 冷静な態度を装って弁明するギーシュだったが、モンモランシーはテーブルに置かれたワインの壜を掴むと、中身をどぼどぼとギーシュの頭からかけた。

 そして……、

 

「うそつき!」

 

 と怒鳴って去って行った。

 沈黙が流れる。

 ギーシュはハンカチを取り出すと、ゆっくりと顔を拭いた。そして、首を振りながら芝居がかった仕草で言った。

 

「あのレディたちは、薔薇の存在の意味を理解していないようだ」

 

 と、一連の流れを全く見ていなかったジェヴォーダンは、心配そうにこちらを見るシエスタを促し、再び歩き出した。

 

「待ちたまえ」

「……?」

 

 そんなジェヴォーダンをギーシュが止めた。椅子の上で体を回転させると、すさっ! と足を組む。

 

「君が不注意に、香水の壜なんかを踏み潰したりしてくれたおかげで、2人の女性の名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」

 

 ジェヴォーダンは呆れてため息をついた。

 

「二股などかけてるからだろう」

 

 ギーシュの友人たちが、どっと笑った。

 

「その通りだギーシュ! お前が悪い!」

 

 ギーシュの顔に、さっと赤みが差す。

 

「いいかい、給仕君。君が少し気を利かせて、小壜を拾い上げるなりすればよかったろう。機転をきかせて話を合わせることもできたはずだ」

「くだらんな。俺がそこまでする義理はない。それと、俺は給仕ではない」

「ふん……。あぁ、君は……」

 

 ギーシュは、バカにしたように鼻を鳴らした。

 

「確か、あのゼロのルイズが呼び出した、平民の木こりだったな。木こりに貴族の機転を期待した僕が間違っていた。行きたまえ」

 

 明らかに相手を馬鹿にし、見下すような言葉に、ジェヴォーダンが足を止めた。

 

「俺は木こりではない、狩人だ」

「狩人? ほう、銃と鉈は狩り道具だったか。ふん、なら、毛皮の1つでもこしらえてくれよ。貴族の命なのだから聞けるだろう?」

「あいにく、俺が狩るのはそういう獣ではない。貴公のような、人皮の獣だ」

「何……?」

 

 ジェヴォーダンは、振り返って冷たい目をギーシュに向ける。その瞳の不気味な視線に、ギーシュは冷や汗を流した。

 

「小娘に欲情でもしていたものか。それで二股をかけるなど、浅ましいものだな」

「……っ! どうやら、君は貴族に対する礼を知らないようだな」

「あいにくと、獣相手に礼節も何もないのでな」

「よかろう。そこまでコケにされて、僕も黙っているわけにはいかない。君に礼儀を教えてやろう、丁度いい腹ごなしだ」

 

 ギーシュは立ち上がった。

 

「決闘だ。逃げるとは言わせん」

「……ふん、ここでやるのか?」

「ふざけるな。貴族の食卓を平民の血で汚せるか。ヴェストリの広場で待っている、ケーキを配り終わったら来たまえ」

 

 ギーシュの友人たちが、ワクワクした顔で立ち上がり、ギーシュの後を追った。1人は、テーブルに残った。ジェヴォーダンを逃さないよう、見張るつもりのようだ。

 シエスタが、ぶるぶる震えながらジェヴォーダンを見つめている。

「あ、あなた、殺されちゃう……貴族を本気で怒らせたら……!」

「……シエスタ、残りのケーキを頼む」

「え? あ……」

 

 ジェヴォーダンは、シエスタにトレーを渡す。シエスタは少し迷ったような表情を見せ、やがてだーっと走って逃げてしまった。

 そして、入れ替わるように……ルイズが走って来た。

 

「あんた! 何してんのよ! 見てたわよ!」

「なんだ、起きたのか」

「……さ、さっきのは、あんたの言う通り間違いってことにしといてやるわ! そんなことより、なに勝手に決闘なんか約束してんのよ!」

 

 あれを見て、ショックで気絶しておいて、ほんとに間違いで済ましてケロッとしているあたり、本当にこいつは大物になるだろう。

 

「謝ってきなさい」

「おい、一度部屋に準備に戻る。その後そのヴェストリの広場とやらに行く。ついてきて案内してくれ」

「いいだろう、平民」

 

 しかし、ジェヴォーダンはすっかりルイズを無視し、監視役の貴族に話しかける。

 

「ちょっと! 聞きなさい、メイジに平民は絶対に勝てないの! 怪我で済んだら運がいい方なのよ!」

 

 そしてジェヴォーダンは、かけらも聞く耳を持たずに歩いて行ってしまった。

 

「あぁもう! ほんとに! 使い魔のくせになんで勝手なことばっかりするのよ!」

 

 ルイズは、ジェヴォーダンの後を追いかけた。

 

 

 

 ルイズの部屋、ジェヴォーダンが1人、決闘の準備をしていた。

 外していた手袋と手甲を装着し、いつもの防疫マスクとマントをつけ、胸のホルスターに水銀弾を装填し、懐の持ち物を確認する。

 ルイズに言われコートの内側に隠していた獣狩りの散弾銃をいつもの腰元に、そして部屋に置いていたノコギリ鉈を手に。

 そのノコギリ鉈を振り抜く。ガチンと音を立て、開かれていた刃が閉じた。

 そしてジェヴォーダンは、狩人の象徴でもある鋭い三角帽子をかぶると、ゆっくりと暗い廊下を歩いて行った。

 

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場は、魔法学院の敷地内、『風』と『火』の塔の間にある、中庭である。西側にある広場なので、日中でも日があまり差さない。決闘にはうってつけの場所である。

 広場は、噂を聞きつけた生徒たちで溢れかえっていた。

 

「諸君! 決闘だ!」

 

 ギーシュが薔薇の造花を掲げると、うおーっ! と歓声が巻き起こる。

 

「ギーシュが決闘するぞ! 相手はルイズの木こりだ!」

 

 ギーシュは腕を振って、歓声に答えている。

 集まっている観客は皆、決闘が見られる事というより、ギーシュが平民を一方的に打ち倒す様が見られる事に期待し、湧き上がっていた。そのためギーシュの相手が何者であるかなど、彼らにとってはどうでもいいことだった。

 しかし……そんな群衆の後ろの方で、やにわに小さな悲鳴が上がり、人垣がわらわらと割れていく。

 歓声に答えていたギーシュもそれに気がついた。そして割れきった人垣から現れたのは……ヤーナムの狩人装束に身を包んだ、ジェヴォーダンだった。

 

 腰元には無骨な大砲のような銃と冷たく重たい刃の集合体を携え、目元だけを出した見慣れない装束と、特徴的な帽子。

 まさに狩人たるその姿に、湧いていた広場の群衆は、むしろどよめきの色を強くした。

 ただ、召喚の儀の日にその姿を見ていたギーシュは、変わらぬ様子で手を振った。

 

「とりあえず、逃げずに来たことは誉めてやろうじゃないか」

「……………」

「さてと、では始めるか」

 

 ジェヴォーダンは返答しない。

 決闘とは言うが、勝負を一瞬で終わらせる事は可能だった。ジェヴォーダンが左手の散弾銃の引き金を引けば、重たい水銀の散弾が、ギーシュを物言わぬ冷たい肉塊に変えるだろう。

 だが、それでは意味がない。それでは、銃が強いということの誇示にしかならない。

 ジェヴォーダンに必要だったのは、自分が、『狩人』が『メイジ』より強いこと、それを証明することだった。

 その意味で、この群衆の多さは都合がいい。

 

「フン……言葉は不要というわけかい。ではさっさと始めるとしようか!」

 

 ギーシュは、そんなジェヴォーダンを余裕の笑みで見つめ、薔薇の花を振った。

 花びらが1枚、宙に舞ったかと思うと……次の瞬間、硬い金属製と見られる、甲冑を着た女戦士の形をした人形になった。

 

「ほう……これが魔法か」

「そう……僕はメイジだ。だから魔法で戦う。よもや文句はあるまいね? 言い忘れたな。僕の2つ名は『青銅』。青銅のギーシュだ。従って、青銅のゴーレム『ワルキューレ』がお相手するよ」

「ふん、なるほど、メイジが魔法を使うのは道理だ」

 

 そしてジェヴォーダンは……ノコギリ鉈を右手に、散弾銃を左手に、それぞれ腰から抜いた。

 

「ならば俺は狩人だ。狩人の武器で戦う。文句はなかろう」

 

 そうして武器を構えた時……ジェヴォーダンの左手のルーンが、光り輝いた。

 

 

 

 

 

 

 学院長室。ミスタ・コルベールは、オスマン氏に全てを説明していた。

 春の使い魔召喚の際に、ルイズが平民の使い魔を呼び出してしまったこと。

 その青年に、ただならぬものの気配を感じ取ったこと。

 ルイズがその青年と『契約』した証明として現れたルーン文字を調べていたら…始祖ブリミルの使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いたこと。

 オスマン長老は、コルベールが描いたルーン文字のスケッチをじっと見つめ、ふーむと唸り髭をいじくった。

 

「ふむ、確かに同じじゃ。ルーンが同じということは、ただの平民だったその青年は、『ガンダールヴ』になった、ということになるんじゃろうな」

「どうしましょう」

「しかし、それだけでそうと決めつけるのは早計かもしれんが……ん? これは?」

 

 ふと、オスマン氏は、ルーン文字のスケッチと同じ紙に描かれたもう1つのスケッチに気が付いた。

 

「あぁ、こちらもその青年の左手にルーンと共に刻まれた印なのですが、こちらはどんなに資料を探しても該当するものを見つけることができませんで……」

 

 オスマン氏は、その印を改めてまじまじと見つめる。そして、それまでのどこか余裕そうな表情が一変、目を見開いた。

 

「ミスタ・コルベール! こっ、これは!」

「ど、どうかなさいましたか?」

 

 その時、ドアがノックされた。扉の向こうから、ミス・ロングビルの声が聞こえてくる。

 

「私です、オールド・オスマン」

「なんじゃ?」

「ヴェストリの広場で、決闘をしている生徒がいるようです。大騒ぎになっています。止めに入った教師がいましたが、生徒たちに邪魔されて、止められないようです」

「まったく、暇をもてあました貴族ほど、たちの悪い生き物はおらんわい。で、誰が暴れておるんだね?」

「1人は、ギーシュ・ド・グラモン」

「あの、グラモンとこのバカ息子か。オヤジも色の道では剛の者じゃったが、息子も輪をかけて女好きじゃ。おおかた女の取り合いじゃろう。相手は誰じゃ?」

「……それがメイジではありません。ミス・ヴァリエールの使い魔の青年です」

 

 オスマン氏とコルベールは顔を見合わせた。

 

「教師たちは、決闘を止めるために『眠りの鐘』の使用許可を求めております」

「アホか。たかが子供のケンカを止めるために、秘宝を使ってどうするんじゃ。放っておきなさい」

「わかりました」

 

 ミス・ロングビルが去っていく足音が聞こえた。

 コルベールは、唾を飲み込んだ。

 

「オールド・オスマン」

「うむ」

 

 オスマン氏は、杖を振った。壁にかかった大きな鏡に、ヴェストリの広場の様子が映し出された。

 

 

 

 

 

 

 ジェヴォーダンは、武器を握った瞬間左手のルーンが光り輝きだしたことに気がついた。そして、ほのかに身体が軽くなったのを感じる。

 ギーシュの青銅のゴーレムが拳を振り上げる。青銅の塊、戦乙女ワルキューレの姿をした像が、ゆっくりとした動きでジェヴォーダンに向かってくる。

 その動きは、もはや止まって見えた。

 ジェヴォーダンがノコギリ鉈を振りかざすと、ゴーレムはまるで紙細工のように、ひしゃげてしまった。

 真っ二つになったゴーレムが地面に落ちる。ギーシュは声にならないうめきをあげた。

 

「くっ……! ま、まだだ!」

 

 ギーシュはブンブンと薔薇を振る。花びらが舞い、新たなゴーレムが6体現れる。

 全部で7体のゴーレムが、ギーシュの武器だ。一体しか使わなかったのは、それには及ばないと思っていたためである。

 ゴーレムが、ジェヴォーダンを取り囲み、一斉に躍り掛かる。

 

 ジェヴォーダンは冷静だった。

 ルーンが光りだした途端、わずかにではあるが身体が軽くなった。普段通りでさえ遅れをとることはない相手だ、今なら、やれる。

 

 横から飛びかかってきていたゴーレムの腹部に蹴りをいれる。吹き飛んだゴーレムのほうにステップすると同時に、別の2体のゴーレムを袈裟斬りにする。

 さらに、横から殴りかかってきたゴーレムの攻撃を体勢を低くしてかわし、武器を変形させながら引き裂く。

 展開したノコギリ鉈で、起き上がろうとしていたゴーレムを叩き潰す。

 背後から殴りかかろうとしていたゴーレムに……散弾銃を打ち込んだ。強烈な衝撃に、ゴーレムは体勢を崩して膝をつく。

 ジェヴォーダンはとっさにノコギリ鉈を地面に刺し、空いた右腕を、ゴーレムの腹部に叩き込んだ。

 血も肉もない、空っぽの鎧。ジェヴォーダンは冷たい目でゴーレムを見ると……素手で、ゴーレムを、引き裂いた。

 まるで紙でもやぶくかのように、引き裂いてしまったのだ。グロテスクにひしゃげたゴーレムは、背後にふらふらと数歩あるいて、力なく倒れた。

 ほんの一瞬のうちに、ギーシュ自慢のゴーレムが、まるで土クズのように打ち捨てられた。絶望するギーシュに、ジェヴォーダンがゆっくりと、歩いて迫ってくる。

 咄嗟に残りの1体を、ギーシュは自分の盾に置いた。

 その瞬間に……ゴーレムはそのノコギリ状の刃でズタズタに引き裂かれた。

 

「ひ、ひぃぃっ……!」

 

 ゴーレムの亡骸が崩れ、あの狩人が姿をあらわす。ギーシュは恐怖のあまり尻餅をつく。そのギーシュに向けて、ジェヴォーダンは展開したノコギリ鉈を振りかざす。

 ギーシュは、覚悟した。頬を涙がつたうのを感じながら、頭を抱えた。

 ズシャッと音がして……。

 おそるおそる目を開けると、ギーシュの右頬、涙が届くほどの距離に、ノコギリ鉈が突き立てられていた。

 恐怖と絶望が、ギーシュの心臓を握り潰す。がくがくと震えながら、ギーシュは言った。

 

「ま、参った……」

 

 ノコギリ鉈を握ったジェヴォーダンは、冷たい目でギーシュを見下した。そして、獣のように低く恐ろしげな声で言い放った。

 

「いや、まだだ」

「……え?」

 

 ギーシュの表情が、絶望に歪む。

 ジェヴォーダンは、懐から何かを取り出した。

 

 それは、ボロボロにひび割れた、頭蓋だった。内側からは、軟体生物のような形を象った、青白い光が漏れている。

 ジェヴォーダンの表情が変わった。防疫マスクに隠れて見えないその顔は、しかし、笑っているようだった。

 

「……お前に礼儀を教えてやる」

 

 そしてその頭蓋を、ギーシュの鼻面の目の前で、握り砕いた。

 

 

 

 

 

 

 ギーシュは夢を見ていた。

 

 ちらつく炎、襲い来る獣たち。

 瞳を纏う脳。その瞳がこちらを見つめ、世界が歪んでいく。

 足元が泥に沈み、ぬかるんで動くことができない。

 目の前の暗がりから、女性が歩いて来る。ギーシュは必死で助けを求めた。

 だが、それは人間ではなかった。ブヨッと膨らんだ頭部には、大量の瞳、瞳、瞳。

 その瞳がギーシュを見た。気づけば、ギーシュは血まみれだった。

 その血が自分の体から流れ出ているものだと気がついて、ギーシュは悲鳴をあげた。

 瞳の女が、動けないギーシュを抱擁する。恐怖に泣き叫ぶギーシュを、女特有の柔らかい身体が、優しく抱きしめる。

 歌声が聞こえた。大きな瞳が、ギーシュを見つめた。

 

 ギーシュは見た。瞳に反射して映る自分の姿を。

 そこには、青白く膨らんだ頭の、奇怪な生き物が映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

 ヴェストリの広場が、わっと歓声に包まれた。

 あの木こり、やるじゃないか! ギーシュが負けたぞ! 見物していた連中が、口々に声を上げる。

 群衆の多くは、ジェヴォーダンが最後にギーシュに何をしたのか、気づいていなかった。ジェヴォーダンがノコギリ鉈を引き抜く。ギーシュは、泡を吹いて気絶していた。

 異変に気付いた群衆の歓声が、しだいにどよめきに変わる。

 そんなギーシュの様子に気がついた少女が2人、駆け寄ってきた。先ほどギーシュに浮気を食らっていた2人、ケティとモンモランシーだ。

 

「ギーシュさま!」

「ギーシュ!?」

 

 ジェヴォーダンは、無言で振り向き、歩き出した。もう彼に、用はなかった。

 入れ替わるように、数人の生徒がギーシュの側に集まり、『水』系統のメイジが、気つけの治癒の魔法をかける。

 

「う……?」

「ギーシュ! 大丈夫?」

「ギーシュさま……」

「モンモランシー……ケティ……?」

 

 ギーシュが、自分を呼ぶ声に目を覚ます。聞きなれた、愛しい人の声。

 うっすらと目を開け……そして見開いた。

 

 2人の人影が、自分を覗き込んでいた。膨らんだ頭部に生えた、無数の瞳で。

 

「うわぁぁぁぁぁぁぁぉ!!!!」.

「ギーシュ!?」

 

 夢の光景がフラッシュバックし、ギーシュは恐怖のあまり悲鳴を上げた。

 当然、ケティとモンモランシーは、瞳の化け物になどなっていない。ただ様子のおかしいギーシュを、心配そうに見るだけだ。

 だがギーシュには、それが違うものに見えているのだ。

 

「こっ、こないでくれ……! 嫌だ、うわぁぁぁ!!」

「ちょっと、ギーシュ!? どうしちゃったのよ、ねぇ!」

 

 再びモンモランシーが叫ぶ。ギーシュは、その瞳の化け物がモンモランシーの声で話しかけてきていることに気がつき……再び気を失った。

 

 ジェヴォーダンはそんな様子に目もくれず、ざわめく群衆の中を歩いた。

 その先に、ルイズがいた。

 

「……あんた、ギーシュに何をしたの?」

 

 様子を見ていたのだろう。ルイズはジェヴォーダンが頭蓋を砕いたのを見ていたようだ。ジェヴォーダンはフンと鼻を鳴らした。

 

「啓蒙の片鱗を、少しばかり覗かせてやった。安心しろ、死にはしない」

「啓蒙って……ギーシュ、様子がおかしかったけど。本当に大丈夫なの?」

「俺の手で砕いた智慧の片鱗を見せてやっただけだ。ほとんどは俺の方に入った、あいつはかけらを見たに過ぎない。あれは一時的な狂気だ。数日もしないうちに収まるだろう」

「そう……」

 

 ルイズが聞きたかったのは、まったくそう言う事ではなかった。あの頭蓋は何だったのか。智慧とは何か。そも、そんな片鱗を見ただけでギーシュがああなっているような物なのに、それを取り込んだジェヴォーダンは、なぜ平気な顔をしているのか。

 だが、ジェヴォーダンの様子から、それを問うてもまったく答えてくれるつもりはないのだろうとわかり、ルイズは聞くのを諦めるしかなかった。

 ジェヴォーダンは、そのままルイズを素通りして歩いて行こうとする。ルイズは振り返った。

 

「ジェヴォーダン! あんた……何者なの」

「……………」

 

 先ほど神秘を見せつけられて、ルイズはすぐに気を持ち直した。今回の事といい、おそらく、ジェヴォーダンがただの人間ではないと、気が付いたのだろう。

 こいつなら、啓蒙のひとつくらい訳無いだろう。あるいは、瞳を得る事も造作無いかもしれん。ジェヴォーダンは、楽しげにククッと笑った。

 

「少なくとも、木こりではないからな」

 

 そしてジェヴォーダンは行ってしまった。どよめく群衆の中、ルイズだけがただ黙って、ジェヴォーダンの背中を見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 オスマン氏とコルベールは、『遠見の鏡』で一部始終を見終えると、顔を見合わせた。

 コルベールは、震えながら声を絞り出す。

 

「オールド・オスマン」

「うむ」

「あの平民、勝ってしまいましたが」

「うむ」

「ギーシュは1番レベルの低い『ドット』のメイジですが、それでもただの平民に遅れをとるとは思えません。そしてあの動き! あんな平民見たことない! やはり彼は『ガンダールヴ』!」

「……………」

 

 オスマン氏は、フーッとため息をつくと、手を顔につけた。そしてゆっくりと顔を撫で、続いて白い髭をなでる。

 そして重苦しく呟いた。

 

「……彼は、ただの平民なんぞではないよ」

「え? それはどういう……」

 

 ミスタ・コルベールは、意味がわからないという風に首をかしげた。

 

「それは確かに、彼を呼び出した際には異様な気配を感じました。しかし、その際に念のため『ディタクト・マジック』で確かめたのですが、正真正銘、ただの平民の青年でした」

「……メイジか平民か、ということであれば、そうかもしれん。だが、事はそう単純ではない。彼は『狩人』じゃ」

「……狩人、ですか」

 

 重苦しく語るオスマン氏とは相対的に、コルベールはポカンと口を開けた。

 

「しかし、狩人がただの平民でないというのは……? 言うなれば、平民ならではの業者かではありますが……」

「あぁ、そうではない。ワシが言う『狩人』とは、野山でウサギなどを射る者のことではない……『炎蛇』よ、あれは夜の狩人じゃ。人皮を被る、おぞましい獣を狩る者じゃ」

「!? いや、しかし、そんな……」

 

 コルベールは、即座にその言葉の意味を理解する。あの時の、異様な気配も説明がつく。

 

「あ、暗殺者の類ということですか?」

「少し違うのう。何せ彼が狩るのは……既に人でないものじゃ」

 

 コルベールは、背筋に悪寒が走るのを感じた。それは一体どういう意味か。

 

「……ミスタ・コルベール、このことは、決して口外してはならん。特に王室のボンクラどもに『ガンダールヴ』とその主人を渡すわけにはいくまい。そんなオモチャを与えてしまっては、またぞろ戦でも引き起こすじゃろうて。宮廷で暇を持て余している連中はまったく、戦が好きじゃからな」

「……学園長の深謀には恐れ入ります」

 

 オスマン氏は杖を握ると窓際へと向かった。目を閉じ、はるか宇宙の彼方へ、想いを馳せる。

 

「……狩人よ。どのような夜を駆け抜けてきたのかのう」

 

 コルベールが描いた、ジェヴォーダンの左手のルーンのスケッチ。その紙に描かれた、もう1つの印。

 それは吊り下げられた逆さまのルーン。

 全ての狩人たちの心の中にある、ハンターのシンボル。

 狩人の徴であった。

 

 

 




狂人の智慧

上位者の智慧に触れ狂った、狂人の頭蓋。
その頭蓋の中には啓蒙的知識が宿っている。

知り過ぎてはならないことは、どの世界にも存在している。
知ってしまえば、もう戻ることはできないのだ。


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05:牙

 ジェヴォーダンがトリステイン魔法学院でルイズの使い魔として生活を始めてから1週間が経った。

 

 相変わらず、ジェヴォーダンは夜眠らない。夜通し机に向かい、文字を解読し続けた事で、ルイズの部屋の本はすでに読み切ってしまった。

 もはやこの世界の文字はほとんど読み解けるようになっていた。だが現状では、資料が少なすぎる。ルイズに頼めば、新しい本を用立ててくれるだろうか。

 やがて夜が明け、朝になる。ジェヴォーダンの朝一番の仕事は、ルイズを起こすことだ。

 ルイズは起こされると、まず着替える。最初にジェヴォーダンがしっかりと釘を刺したおかげで、再び着替えさせるよう要求してくることはなかった。

 黒いマントと白のブラウス、グレーのプリーツスカートの制服に身を包んだルイズは、顔を洗って歯を磨く。流石にそこは使い魔の仕事、ジェヴォーダンは下の水汲み場まで行って、ルイズが使う水をバケツに汲んでこなければならない。だが、そこから先の顔を洗う行為は、言わずともルイズ自身で行なっていた。ルイズはそれが不満な様子だった。

 だが、『人として自分ですべき最低限の行動はすべき、でなければ人以下と判断する』というジェヴォーダンのポリシーは理解できたし、それ以外のジェヴォーダンの仕事は完璧だった。

 朝起こす時間も均一、部屋にはチリ1つ落ちておらず、洗濯物も抜かりない。食事時に姿を消すのは不可解だが、腹を空かしている様子もない。

 何より、彼の基準で『使い魔の仕事』としている物事に関して、文句も言わず、礼儀作法もしっかりしている彼を批判することは、ルイズにはできなかった。フラストレーションが溜まるかどうかは別として。

 

 ではジェヴォーダンの方は嬉々として仕事をこなしてるのかといえば、そんなことは全くない。

 ルイズが朝食を食べ、授業に出向けば、楽しい楽しい洗濯の時間が待っている。これがジェヴォーダンにとって最も苦痛な時間だ。

 やはり狩人としての誇りが、激しい不満を漏らしてくる。それでも、それが義務である以上投げ出すわけにもいかず、結局最善策は「さっさと終わらせること」。

 

 忌まわしい洗濯をテキパキと終わらせると、午前中にすべきことは大体終わってしまう。そこで数日前からジェヴォーダンは、学生用の図書館を利用させてもらっていた。

 午前の、学生が授業に出ていてほとんどいない時間であれば、大した問題もないだろうと、先生方も半ば放任気味にジェヴォーダンに許可をくれた。

 結果としてジェヴォーダンは様々な情報を凄まじいスピードで吸い込んでいくことになった。未だ文字の全てを解読したわけではないにしても、ほとんど文章を読むのに差し支えないレベルに来ている。

 そんなわけで、この日も図書館へ向かったのだが……珍しく、先客がいた。

 

「……………」

「……………」

 

 深みを持った青い髪の少女。異様なまでに小柄で、一見すると幼児のようにすら見える。だがその制服はルイズたちと同じトリステイン魔法学校のもので、マントの色からして2年生のようだった。

 身の丈を超える、大きなレッドオークの杖を立てかけ、眼鏡越しに一瞬ジェヴォーダンの方を見て驚いたような表情を見せたが、またすぐに本の世界に戻っていった。

 まだ午前は授業中の筈だが……とジェヴォーダンが思案を巡らすも、見渡せばその少女以外に生徒らしき人影もない。

 それに、彼女の方も自分と目的は同じなようだ。ならば、わざわざ改めて関わる必要があるわけでもない。

 ジェヴォーダンも手頃な一冊を手に取ると、自前のメモ帳と共に机に置く。青髪の少女の眉が、ピクリと動いた。

 そこからは、お互いに本の世界に飛び込む。ただ無音と、時々ジェヴォーダンが万年筆を滑らす音だけが、図書館をより一層静まり返った場所にしていた。

 

そしてそのうち、正午の鐘が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 ルイズを教室に迎えにいく。探すまでもなく現れたジェヴォーダンに、なぜかルイズは少し悔しそうな顔を見せた。

 

「……お前、何でもいいから俺を叱る判断材料を探しているだろう」

「なっ!? そ、そそ、そんな事ないわよ!」

 

 顔を赤くしたルイズは大股でズケズケと歩いていく。なんというかここまでわかりやすいといっそ清々しいくらいだな、とジェヴォーダンは笑う。

 

「あぁそうだ、青髪の小柄な娘はお前のクラスメートか?」

「青髪? ……あぁ、タバサのことかしら。そういえば体調が悪いって早退してたわね、いつものことよ」

「そうか。図書館にいたから、単なるサボりかもな」

 

 ルイズは「そう……」と空返事し、ワンテンポ遅れて眉をひそめた。

 

「いや、ちょっと待ちなさい。なんであんたが図書館にいるタバサを見たの」

「図書館にいたからな」

「あんたが貴族の図書館に何の用があるの」

「本を読むためだな」

「あんたこの世界の字が読めないんじゃないの!?」

 

 ルイズは、訳がわからないという様子でジェヴォーダンに詰め寄る。

 

「食堂だぞ。昼飯にしてこい」

 

 が、目的地についたルイズを軽くあしらって、ジェヴォーダンはまた何処かへ歩いていってしまった。

 

「くぅ〜っ……」

 

 ルイズは、いずれジェヴォーダンに字を教えてやり、主人の器の大きさを示そうなどと考えていた。これまた、ジェヴォーダンとの上下関係を示す機会がなくなってしまったのだった。

 

 そのジェヴォーダンはというと、相変わらず厨房の賄い食に世話になっていた。

 食事をしなければならない身体というわけでもないというのに、ジェヴォーダンはこの世界の料理にすっかり魅了されていた。

 アルヴィースの食堂の裏にある厨房に赴き、シエスタに頼めば、シチューや骨つきの肉なんかを寄越してくれる。

 その何れもが絶妙に味付けされたものであり、狩人の痩せた味覚をも満足させてくれる。そんなわけで、ジェヴォーダンは会ったこともない女王陛下や始祖ブリミルの百倍、シエスタと厨房を敬愛しているのであった。

 

 この日もジェヴォーダンは、厨房の扉を叩いた。ヴェストリの広場で、貴族のギーシュを倒したジェヴォーダンは、大変な人気である。

 

「『我らの牙』が来たぞ!」

 

 そう叫んでジェヴォーダンを歓迎したのは、コック長のマルトー親父である。もちろん貴族ではなく平民であるのだが、魔法学校のコック長ともなれば、収入は身分の低い貴族なんかは及びもつかなく、羽振りもいい。

 丸々と太った体に、立派なあつらえの服を着込み、厨房を一手に切り盛りしているマルトー親父は、羽振りのいい平民の例に漏れず、貴族と魔法を毛嫌いしていた。

 彼はメイジのギーシュを倒したジェヴォーダンを『我らの牙』と呼び、まるで王様でも扱うようにもてなしてくれるのであった。ジェヴォーダンはそれがなんともくすぐったかった。何せヤーナムにいた頃は、狩人なんぞは不吉の象徴のようなものだ。彼らの枯れたトリコーン帽子を見れば、民衆は恐怖におののき、扉の鍵を締めるのだ。

 

「その『我らの牙』というの、やめてくれないか」

「何を言うか! 俺たちだって貴族どもには腹がたっても黙ってるしか無かったんだ、それをあんたは奴らの鼻面に噛み付いて、打ち倒してしまったんだ! まさに我らにとっての『牙』そのものさ!」

「そうか……」

 

 ジェヴォーダンはため息を吐いて諦めた。こりゃあ、どう言っても呼び方を変えることはないだろう。

 改めて、自分専用の席に座ると、シエスタがさっと寄ってきてにっこりと笑いかけ、温かいシチューの入った皿と、ふかふかの白パンを出してくれた。

 

「今日のシチューは特別ですわ」

 

 シエスタは嬉しそうに微笑んだ。ジェヴォーダンはひと口シチューを頬張ると、うんうんと唸った。

 

「うまい。流石だな、親父」

「そうだろう。そのシチューは、貴族連中に出してるのと同じもんさ」

「素晴らしい味付けだ。俺の土地の料理とは本当に大違いだな」

「……なぁ、よくそれを言っているが、お前んとこの料理はそんなに不味いのか? どんなもんなんだ?」

 

 マルトー親父はジェヴォーダンの土地の食事に興味が湧いたようだ。シエスタが、あぁ、という顔をする。

 

「……親の仇の様に火を通したマッシュポテトや、ウナギをゼラチンで固めたものなどだ」

「……あぁ、それは……」

 

 目を細めるジェヴォーダンに、マルトー親父も渋い顔になる。料理人の観点から言えば、どうしても美味くする事のできる世界ではないとわかったのだろう。

 

「だが、この地の料理は違う。食材を様々な形に変え、美しく彩り、味付ける。貴族でなくとも、これも立派な魔法と言えるものだ」

「おぉ、おぉ、『我らの牙』よ! お前はいい奴だ!」

 

 マルトー親父は、ジェヴォーダンの首根っこにぶっとい腕を巻きつけた。

 

「なぁ、『我らの牙』! 俺はお前の額に接吻するぞ! こら! いいな!」

「……!? やめろ、その呼び方も接吻も勘弁してくれ!」

 

 獣とは全く違う悪寒に、ジェヴォーダンはマルトー親父の顔を押しのけた。

 

「どうしてだ?」

「背筋が凍る」

 

 マルトー親父はジェヴォーダンから体を離すと、両腕を広げてみせた。

 

「お前はメイジのゴーレムを切り裂いたんだぞ! わかってるのか!」

「あぁ」

「なぁ、お前はただの木こりなんかじゃあないんだろ? 狩人だと言ってたじゃないか! どうやったらあんな風に戦えるのか、俺に教えてくれよ!」

「何の事はない、俺は普段通りの事をしたまでだ。特別な事をしたわけでもない」

 

 ヤーナムの夜を生き延びる力があれば、あの程度の相手に遅れをとる事はない。だがマルトー親父は、嬉しそうに目を見開く。

 

「お前たち! 聞いたか!」

 

 マルトー親父は、厨房に響くよう怒鳴った。若いコックや見習いたちが、返事を寄越す。

 

「聞いてますよ! 親方!」

「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」

 

 コックたちは嬉しげに唱和する。

 

「達人は誇らない!」

 

 するとマルトー親父はくるりと振り向き、ジェヴォーダンを見つめる。

 

「やい、『我らの牙』。俺はそんなお前がますます好きになったぞ。どうしてくれる」

「そう言われてもな……」

 

 本当の事なのだが、マルトー親父はそれを謙遜と受け取っている。

 それに……と、ジェヴォーダンは左手のルーンを見つめた。武器を握った時だけ光るこのルーン。あの時、やにわに身体が軽くなった。

 それに、ルーンの上に刻まれた狩人の徴。こちらはひかるでもなく、ただ刻まれているだけ。カレル文字と何か関係があるのだろうか?

 ジェヴォーダンが考え込んでしまう。しかしマルトー親父は、それをジェヴォーダンの控えめさ、と受け取ってしまうのだ。

 マルトー親父は、シエスタの方を向いた。

 

「シエスタ!」

「はい!」

 

 2人の様子を、ニコニコしながら見守っていた気のいいシエスタが、元気よく返事を返す。

 

「我らの勇者に、アルビオンの古いのを注いでやれ」

 

 シエスタは満面の笑みになると、ぶどう酒の棚から言われた通りのヴィンテージを取り出してきて、ジェヴォーダンのグラスに並々と注いでくれた。

 ジェヴォーダンも「ほう」とグラスを手に取る。そんな様子を、シエスタはうっとりとした面持ちで見つめている。

 そして、ジェヴォーダンはグラスをクルクルと回して、スッと香りを確かめ……眉をひそめた。

 

「……? 血は入っていないのか」

「……血?」

 

 厨房の空気が凍りついた。しまった、とジェヴォーダンは思う。それを決して表には出さず、冷静に取り繕った。

 

「……乳だ。俺のとこでは、ワインに乳を入れることがあった」

「……あ、あぁ! 乳! ミルクですね! すいません私、変な空耳しちゃって……」

 

 シエスタが笑うと、みんなも緊張を解いた。ジェヴォーダンも頭の中で汗を拭う。血を嗜む文化はヤーナム特有のものだ。こういうところで、人にボロを見せるのは良くない。

 

「……それにしてもワインにミルクって……」

「……忘れてくれ」

 

 マルトー親父が、別の理由で顔を青くする。申し訳ない嘘をついたと、ジェヴォーダンは一飲みにグラスを乾かした。

 

 

 

 

 

 

 朝食、掃除、洗濯のあとは、ルイズの授業のお供を務める。

 基本的にルイズは教室の最後尾、最も壁に近い席を利用する事が多いため、ジェヴォーダンは基本的にその壁にもたれて授業を聞いていた。

 授業の内容を注意深く聞き、自前のメモに万年筆を滑らせる。今やジェヴォーダンの授業態度はそこらの生徒以上だ。

 水からワインを作り出す魔法、秘薬を調合して特殊なポーションを作り出す講義、目の前に現れる大きな火球や、空中に箱や棒やボールを自在に浮かべ、それを窓の外に飛ばして使い魔に取りに行かせる授業など。

 どれもジェヴォーダンの世界には存在しない技術や概念だ。一言一句すら見逃すまいと、ジェヴォーダンは知識を飲み込むようにメモを取った。

 ルイズとしては、ジェヴォーダンのこの授業態度は気に食わなかった。平民が貴族の授業を受けるなんて! と怒鳴りつけてやりたいところなのだが、教室中には誰かしらの使い魔がひしめいていて、今更ジェヴォーダンだけ追い出すなんてわけにも行かない。それに少なくとも講師はジェヴォーダンのこの態度を気に入っていた。普段からまともな授業態度を取っている生徒など数える程度しかいないのだ、好印象に決まっていた。

 

「なぁ、ルイズ」

 

 ジェヴォーダンは、ルイズに声をかける。以前注意を受けた事がきっかけで大事になった為、声を潜めてひっそりと。だが、ルイズは怪訝そうな顔でジェヴォーダンを振り返る。

 

「なに」

「魔法を使えるか否かはどうやって決まる?」

「貴族か平民か。以上」

 

 会話をすっぱり切り上げて授業に向き直るルイズ。しかしジェヴォーダンはまたひそひそと話しかける。

 

「平民でも杖を握れば魔法が使えるものもいるのか?」

「授業の後にして。平民は平民、貴族は貴族、それ以上も以下もないわ」

「ふむ」

 

 この世界の本を何冊か読み込んだジェヴォーダンは、この世界では探求というものがあまり深められていない事に気がついていた。そしてそれは、大半の事が魔法でどうにかなってしまうため、科学的探求が発展しなかったのだろう。

 まるで何者かから思考の停止を促されているようだな……と、ジェヴォーダンは考えた。

 上位者と呼ぶべきでは無いだろうが、何者かからの監視のある世界なのは確かなのかもしれない。魔法の存在はそれほどまでに、人に都合が良すぎた。

 

「平民出の貴族というのはいないのか」

「えぇ……そんなの、調べた事もないしわかんないわよ。けど私は聞いた事ないわ」

「そうか。1度平民を集めて杖を握らせてみたいものだ」

「あんた、何考えてるの?」

「科学的見地にもとづけば……」

「そこっ!」

 

 授業を取っていた先生が杖を振ると、黒板の台からチョークが2本、弾丸のように飛び出し、1発をジェヴォーダンがかわし、1発はルイズの額に直撃した。

 

 

 

 

 

 

 ルイズがジェヴォーダンに怒りの声を上げている頃、学園長室で、秘書のミス・ロングビルは書き物をしていた。

 ミス・ロングビルは手を止めるとオスマン氏の方を見やった。オスマン氏は机に伏せて居眠りをしている。

 ミス・ロングビルは薄く笑い……低い声で『サイレント』の呪文を唱える。オスマン氏を起こさぬよう、音を消して学園長室を抜けた。

 

 ミス・ロングビルが向かった先は、学園長室の1番下にある、宝物庫がある階である。

 階段を下りて、鉄の巨大な扉を見上げる。扉には太い閂が刺さり、閂はこれまた巨大な錠で守られている。

 ここには、魔法学院成立以来の秘宝が収められているのだ。

 ミス・ロングビルは慎重に周囲を見渡し、ポケットから杖を取り出した。ミス・ロングビルが杖を手持ち、クイッと振ると、短く小さかった杖は指揮者のタクトほどの長さになった。

 低く呪文を唱え、詠唱が完成すると同時に杖を錠前に向けて振る。

 しかし……錠前からは何の音もしない。

 

「まあ、この錠前に『アンロック』が通用するとも思えないけどね」

 

 くすっと、妖艶に笑うと、ミス・ロングビルは自分が得意とする魔法を唱え始めた。

 『錬金』の呪文。朗々と呪文を唱え、分厚い鉄のドアに向かって杖を振る。

 呪文は扉に届いたが……しばらく待っても、変わったところは見られない。

 

「スクウェアクラスのメイジが『固定化』の呪文をかけているみたいね」

 

 『固定化』の呪文は、物質の酸化や腐敗を防ぐ呪文である。これをかけられた物質は、あらゆる化学反応から保護され、そのままの姿を永遠に保ち続ける。

 『固定化』をかけられた物質には『錬金』の呪文も効力を失う。呪文をかけたメイジが『固定化』をかけたメイジの実力を上回れば、その限りではないが。

 しかし、この扉に『固定化』の呪文をかけたメイジは相当強力なメイジであるようだった。『土』系統のエキスパートであるミス・ロングビルの『錬金』を受け付けないのだから。

 ミス・ロングビルはかけたメガネを持ち上げ、扉を見つめていた。その時に、階段の方からの足音に気づく。

 杖をたたみ、ポケットにしまう。

 現れたのは、コルベールだった。

 

「おや、ミス・ロングビル、ここで何を?」

 

 間の抜けた声で尋ねるコルベールに、ミス・ロングビルは愛想のいい笑みを浮かべた。

 

「ミスタ・コルベール。宝物庫の目録を作っているのですが……」

「はぁ、それは大変だ。1つ1つ見て回るだけで1日がかりですよ。何せここにはお宝ガラクタひっくるめで所狭しと並んでますからな」

「でしょうね」

「オールド・オスマンに鍵を借りればいいじゃないですか」

 

 ミス・ロングビルは微笑んだ。

 

「それが……ご就寝中なのですまぁ、目録作成は急ぎの仕事ではないし……」

「なるほど、ご就寝中ですか。あのジジイ、じゃなかったオールド・オスマンは寝ると起きませんからな。では、僕も後で伺うことにしよう」

 

 ミスタ・コルベールは歩き出し……思い出したように立ち止まり、振り向いた。

 

「その……ミス・ロングビル」

「なんでしょう?」

 

 照れくさそうに、ミスタ・コルベールは口を開いた。

 

「もし、よろしかったら、なんですが……昼食を一緒にいかがですかな」

 

 ミス・ロングビルは少し考えたあとに、にっこりと微笑んで、申し出を受けた。

 

「ええ、喜んで」

 

 2人は並んで歩き始めた。

 

「ねぇ、ミスタ・コルベール」

 

 ちょっとくだけた言葉遣いになって、ミス・ロングビルが話しかけた。

 

「は、はい? なんでしょう」

 

 自分の誘いがあっさり受けられたことに気を良くしたミスタ・コルベールは、跳ねるような調子で答えた。

 

「宝物庫の中に、入ったことはありまして?」

「ありますとも」

「では、『破壊の杖』をご存知?」

「あぁ、あれは……」

 

 柔らかかったコルベールの表情が、かすかに強張る。宝物庫の中でそれを初めて目にした時のことを思い出していた。

 

「……あれは、不気味な代物でしたなぁ」

 

 ミス・ロングビルの目が光った。

 

「と、申されますと?」

「説明のしようがありません。不気味としか……杖として、変わった形というわけではないのです。むしろ南東の国にならあんな形の杖は多くあるのですが……」

 

 コルベールが目を伏せる。その先を言うべきか迷って、やめた。杖から、血の気配を感じたからなどと。

 それは彼の『炎蛇』としての目線から見た話であったからだ。

 だが、ミス・ロングビルはその目をまた光らせた。

 

「しかし、宝物庫は、立派なつくりですわね。あれでは、どんなメイジを連れてきても、開けるのは不可能でしょうね」

「そのようですな。メイジには、開けるのは不可能と思います。なんでも、スクウェアクラスのメイジが何人も集まって、あらゆる呪文に対抗できるよう設計したそうですから」

「ほんとに感心しますわ。ミスタ・コルベールは物知りでいらっしゃる」

 

 ミス・ロングビルは、コルベールを頼もしげに見つめた。

 

「よろしければ、もっと宝物庫のことについて知りたいわ。私、魔法の品々にとても興味がありますの」

 

 コルベールはミス・ロングビルの気を引きたい一心で、頭の中を探った。宝物庫、宝物庫と……。

 やっとミス・ロングビルの興味を引けそうな話しを見つけたコルベールは、もったいぶって話し始めた。

 

「では、ちょっとご披露いたしましょう。大した話ではないのですが……」

「是非とも、伺いたいわ」

「宝物庫は確かに魔法に関しては無敵ですが、1つだけ弱点があると思うのですよ」

「はぁ、興味深いお話ですわ」

「それは……物理的な力です」

「物理的な力?」

「そうですとも! 例えば、まぁ、そんなことはありえないのですが、巨大なゴーレムが……」

「巨大なゴーレムが?」

 

 コルベールは、得意げにミス・ロングビルに自説を語った。聞き終わったあと、ミス・ロングビルは満足げに微笑んだ。

 

「大変興味深いお話でしたわ。ミスタ・コルベール」

 

 

 

 

 

 

 授業中、私語が原因でチョークをかっ食らった日の夜……。

 ルイズはジェヴォーダンを、廊下にほっぽり出した。

 

「なにをする」

「罰よ、罰。どうせ寝ないんでしょ、廊下に立ってなさい」

 

 怒られたことを根に持っているらしい。ルイズの額には、綺麗に赤い点ができている。

 

「お前、だから人として……」

「人なら悪い事すると罰受けるの! あんたチョークかわしたんだから1回は1回よ!」

 

 ルイズは扉をピシャリと締め、中からガチャリと鍵をかける音が聞こえてきた。

 扱いに不満はあるものの、今回はジェヴォーダン自身も責任があるとは思っているため、仕方ないかとため息をついた。

 仕方ない、この時間でも図書館は開いているのだろうか。そう考えていると……隣の部屋の扉が、がちゃりと開いた。

 

 出てきたのは、サラマンダーのフレイムだ。ジェヴォーダンはつい癖で一瞬身構えたが、それがキュルケの使い魔だと気付いて緊張を解いた。

 サラマンダーはちょこちょことジェヴォーダンの方に近づいてくる。ジェヴォーダンは小首を傾げた。

 

「お前は……?」

 

 きゅるきゅる、と人懐こくサラマンダーは鳴いた。害意はないようだった。

 サラマンダーはジェヴォーダンのコートを、くわえるとグイグイと引っ張った。

 

「ついて来いと言うのか?」

 

 キュルケの部屋のドアは開けっ放しだ。あそこに引っ張り込むつもりのようだ。

 サラマンダーの気まぐれじゃなかったら、いったいキュルケが俺に何の用だ?

 先日の朝からキュルケが気に入っていないジェヴォーダンは、怪訝そうな顔でキュルケの部屋のドアをくぐった。

 

 部屋の中は真っ暗だった。ジェヴォーダンは松明を取り出そうとして、奥からの声に手を止める。

 

「扉を閉めて?」

 

 ジェヴォーダンは言われた通りにする。そしてコツコツと奥へ歩いて行くと、それについてくるように周りのロウソクに火が灯り、その灯にキュルケの悩ましい姿が浮かび上がる。誘惑するための下着だろう、それしかつけていない。

 おおよその目的がわかり、ジェヴォーダンはため息をついた。

 

「俺に何の用だ」

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「何の、用だ」

 

 しっかりと、解らせるように、ジェヴォーダンは繰り返す。キュルケは目を細め、上気した顔でジェヴォーダンを見やった。

 

「恋してるのよ。あたし。あなたに。恋はまったく、突然ね。あなたが、ギーシュを倒したときの姿……かっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだったわ! あたしね、それを見て……」

 

 ジェヴォーダンは振り返り、扉を抜けて帰ろうとした。すかさずキュルケが杖を振るい、扉に『ロック』の呪文をかける。

 だが、それがジェヴォーダンを引き止めるどころか、さらに怒りに火を注いだのだろう。

 彼はコートの下に隠していた散弾銃を取り出し、ドアノブに容赦なく銃弾を打ち込んだ。キュルケも、こっそり窓から様子を見ていたキュルケのボーイフレンドも、これには面食らう。

 数発の散弾がドアノブを襲ったが……こうした学校の建物の内、ドアノブのように壊れやすいものには『固定化』がかけられていたようだ。ドアノブはびくりともしない。ジェヴォーダンの機嫌はさらに悪くなった。

 

「荒っぽいのね、あなた。でもそんなワイルドなのも、嫌いじゃないわ」

 

 そんな彼の心持ちを知ってか知らずか、いつの間にか背後まで迫ったキュルケが、ジェヴォーダンの背後からスルッと腕をからめて抱きしめる。これでもかというくらい自慢の胸を押し付ける、キュルケの必殺技だ。

 

「キュルケ! そいつは誰なんだ!」

 

 窓からこっそり覗き込んでいたキュルケのボーイフレンドたちが抗議の声を上げるが、キュルケが杖を振るうと、立ち上った炎とともに落下していった。

 

「……ふぅ、これで邪魔者はいないわ。とにかく! 愛してる!」

 

 改めてキュルケはジェヴォーダンを抱きしめ、誘惑の言葉を次々に投げかける。しかしジェヴォーダンはキュルケの肩を引き離すと、冷たい目で見下ろした。

 マスクを外したジェヴォーダンの顔は、薄暗いロウソクの灯に影を落とし、それがキュルケにはこの上なく魅力的に見えた。

 

「……みろ」

「あら、ダーリン……見つめ合うのも素敵だわ」

「違う……"啓ろ"」

「……え?」

 

 ジェヴォーダンの声のトーンは、どこまでも低く冷淡で、キュルケが期待していたような気配など微塵も感じられない。

 そんなキュルケに、ジェヴォーダンはぐいと顔を寄せる。瞳と瞳が近づく。キュルケは、ジェヴォーダンの瞳の中を、見た。

 

「………っ」

「見えるか?」

 

 キュルケは、全身に鳥肌が立つのを感じた。冷たい汗が流れ、呼吸も荒くなる。

 

「見えるだろう」

「あ……ぁ………」

 

 全身がガクガクと震える。それなのに、その瞳から目を逸らす事が出来ない。恐ろしいのに、逃げる事ができない。

 

「これがお前が手を出そうとしているものだ。おぞましいもの……俺の中の獣だ」

「あぁ………」

「あの色小僧の事でも、こちらは腹を立てているんだ……これ以上、余計なことをするな」

 

 ようやく、ジェヴォーダンはキュルケから顔を放してやる。キュルケは顔面蒼白で、へたり込み、自分の肩を抱いてふるふると震えていた。

 もうこれで、用などない。

 ジェヴォーダンが振り返り、扉を開けようとすると、唐突に向こうから扉が開かれた。

 立っていたのは、ルイズだった。

 

「ジェヴォーダン!」

 

 どうやら、銃声を聞いて慌てて駆けつけたようだ。ルイズは部屋に駆け込み、青くなったキュルケを見つけて息を飲んだ。

 

「あんた、ツェルプストーに何を……」

「あの色小僧と同じ目に合わせたまでだ」

「さっきの銃声は何!?」

「鍵を持ってなくてな」

 

 ジェヴォーダンはそうとだけ言うと、さっさと部屋を出て行ってしまう。ルイズはへたり込むキュルケとジェヴォーダン、どちらを優先するか迷い、しかしキュルケの様子に気がついて窓から乗り込んで来ようとするキュルケのボーイフレンドを見て、やむなく部屋を飛び出した。

 

 2人が出て行った後、キュルケは数人のボーイフレンドに介抱を受けていたが……おもむろに杖を振りかぶり、ロウソクの火から立ち上った炎の蛇が彼らを窓の外へ吹っ飛ばした。

 

「……ふふ、うふふふふふ」

 

 残念ながら、ジェヴォーダンの読みは外れていた。

 

「うふふ、あんなに、ワイルドなヒト、初めてだわ……燃え上がる恋でなく、こんなにもクールで凍えるような恋もあるのね……」

 

 キュルケは、燃えていた。

 

「絶対モノにしてやるわー! オホホホホ!!!」

 

 

 

 ルイズはジェヴォーダンが戻った自室に駆け込み、慌てて後ろ手に扉を閉める。大きく息を吸い、また大きく吐き出すと、キッとジェヴォーダンを睨みつけた。

 

「あんたねぇ! 何があったのか知らないけど、学校の中で銃を撃つなんて何考えてるの!?」

「言ったろう、鍵を持っていなかったと。扉を閉められて、仕方なくドアノブを撃った」

「銃弾は鍵じゃなーーーい!! なにが『獣でなく人である証』よ、あんたこそ見境なくバンバカ撃ちまくる獣じゃないの!!!」

 

 怒り任せの軽率な行動だった事はジェヴォーダン自身にもわかっていたため、ジェヴォーダンは思わず返答に詰まってしまう。

 しかしそれがルイズの怒りをさらに延焼させることとなる。

 

「しかも、なんで、あんたが、あの、ツェルプストーの部屋にいるのよおおおお!!! 何をしてたの!!!!!」

「奴の火トカゲに引っ張り込まれた。ロクな話ではなかったがな。軽々しい色恋など、俺には無縁だ」

「……まぁ、あの女の誘惑に引っかかんなかった事だけはいいわ。でもね、他に理由があったとしても、あの女だけはだめ。ツェルプストーの家と、ヴァリエール家には、深い深い因縁があるんだから!」

 

 そこから、ルイズによる数世代に渡る両家の下らない争いについての演説がつらつらと並べられるが、ジェヴォーダンは相槌すら打たずに聞き流し、ノコギリ鉈の調整などに手を伸ばしていた。

 肩で息をするルイズがハーーーッとため息をし、そんなジェヴォーダンの頭を掴んでグリンと無理やり向き直させる。

 

「それにね、あんたも見たでしょう。あいつの男の数。あんた、顔が割れてるんだからね。もしツェルプストーに、ただの平民の使い魔が手を出したなんて知れたら、あんた4、5人に背中を狙われるわよ」

「何も問題ない話だな」

「私には問題よ!」

 

 そうは言いつつ、ジェヴォーダンはふむ、と唸った。背中を狙われる事などヤーナムでは日常茶飯事だったし、今更驚くような事柄ではないが、ここでの生活に支障が出るとなると話は違う。

 自分を狙うものを2度3度ほど返り討ちにすれば、自分自身を狙っても意味はないと流石にわかるはずだが、あまりしつこくそういった連中につけ狙われるのは単に気分が悪い。

 であれば、ジェヴォーダンには身を守る術がいる。

 

「ルイズ、剣をくれ」

 

 出した結論は、抑止論だった。

 

「剣? それがあるじゃないの」

「これか。お前が持ち歩くなと言ったんだろう」

 

 グロテスクな見た目のノコギリ鉈に、ルイズはうーんと顔をしかめる。確かに、この見た目の刃物はできれば持ち歩いて欲しくはない。

 

「丸腰でいたら狙われても文句は言えん。お前としても、使い魔が剣を携えておけばれっきとした力の誇示になる」

「……ん、確かにそうね。いいわよ、剣買ってあげる」

「恩に着る」

「明日は虚無の曜日だから、街まで降りましょう。それにしてもあんた、剣なんか扱えるの? 戦いぶりは確かにすごかったけど、剣士っていう感じでもないわ」

「ものによるな。俺たち狩人は、何かしらの仕込みのある武器しか使わない。様式美を重んじ、扱いこなすことを人の誇示とするために」

「……前から思ってたんだけど」

 

 ルイズは少し首をかしげ、ジェヴォーダンに向き直る。

 

「あんたのその、異様なまでに人であることに固執するのはなんなの? 別にあんたはただの人に見えるんだけど」

「俺の宇宙で、獣の病というものが蔓延したことは話したな」

「えぇ。人が獣になっちゃうとかっていう。それを、狩ってたんでしょう」

「言うなれば獣とて元は人さ。人狩りなど、おぞましいと思わんか?」

「それは……」

 

 ルイズは言葉に詰まった。人殺し、などと言う気はないが、何も感じないとも言えない。ジェヴォーダンは一息つくと、かすかにうつむいた。

 

「ガスコインという狩人がいた。異邦から来た男で、俺も彼について詳しく知る訳ではないが、優秀な狩人だった。だが彼はやがて狩りに溺れた。獣の愚かに浸り、ただ狩る事だけを選んだんだ……自分の妻さえ、手にかけて」

「……!」

「彼にはもう人と獣の区別がつかなくなっていた。見境なく狩り、ただ殺し回るだけの獣なんぞと、同じものにはなりたくない。人でありたいと思うのは、真っ当だと思うがね」

 

 フーッと息を吐き、ジェヴォーダンはそれから、ノコギリ鉈を手に持ってそれをまじまじと見やった。

 

「……あぁ、それと、剣を買ってほしい理由はもう1つある」

「何?」

「これだ」

 

 ジェヴォーダンがノコギリ鉈を振りかざし、変形させ……そのノコギリ状の刃が柄から離れてかっ飛び、ルイズの顔の横をかすめて後ろの壁に突き刺さった。美しい桃色の髪が2、3本ほど、月の光を反射して神秘的に輝く。

 ルイズは白目を剥き、気絶しそうになりながらもなんとか意識を留めた。

 

「あんたは、ご主人様に、何を」

「すまんな、ここにくる前にかなりの激戦があって酷使しててな、先日のギーシュとの決闘で限界だったようだ。本来なら工房の道具がないと直せないものだから、改めて剣は必要だ」

「それと、この、所業に、なんの、関係が」

「さて、夜も遅いぞ。寝たらどうだ?」

 

 ジェヴォーダンなりの茶目っ気だったのだが、当然そんな狩人ジョークが貴族に通じるはずもなく、鞭を取り出したルイズの説教は夜更けまで続く事になった。

 




輸血液

血の医療で使用される特別な血液。

ヤーナム独特の血の医療を受けたものは
以後、同様の輸血により生きる力、その感覚を得る。

血は、狩人たちにとって生きる感覚そのものである。
生きる事への渇望、それは血の悦びに他ならない。


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06:親友

 キュルケは、昼前に目覚めた。今日は虚無の曜日、授業はない。窓を眺めて、窓ガラスが入っていないことに気付いた。周りが焼け焦げているのを寝ぼけまなこで見つめて、昨晩の出来事を思い出した。

 

「そうだわ、ふぁ、色んな連中が顔を出すから、吹っ飛ばしたんだっけ」

 

 そして、窓の事などまったく気にせずに、起き上がると化粧を始めた。今日は、どうやってジェヴォーダンを口説こうか、と考えるとウキウキしてくる。キュルケもある意味、生まれついての狩人なのだ。

 化粧を終え、自分の部屋から出て、ルイズの部屋の扉をノックした。自分の顎に手を置いて、にっこりと笑う。

 ジェヴォーダンが出てきたら、抱きついてキスをする。

 ルイズが出てきたら、部屋の奥にいるであろう、ジェヴォーダンに流し目を送って中庭でもブラブラしていれば、向こうからアプローチしてくるだろう。

 キュルケは、よもや自分の求愛が拒まれるなどとは露ほども思っていなかった。しかし、ノックの返事はない。あけようとするも鍵がかかっているので、キュルケはなんの躊躇いもなく『アンロック』の呪文をかけた。学院内で『アンロック』の呪文を唱えることは重大な校則違反であるが、キュルケは気にしない。恋の情熱は全てのルールに優越する、というのがツェルプストー家の家訓なのだ。

 しかし、部屋はもぬけの殻だった。2人ともいない。

 

「相変わらず色気のない部屋で……え、なんで?」

 

 おかしな点と言えば、壁に深々と突き刺さるノコギリ状の刃。当然女子の部屋にこんな物騒なアクセサリーがあるはずもない。

 そしてその脇、机のそばの鞄かけにルイズの鞄がない。どこかに出かけたのかと、窓から外を見まわした。

 すると、門から馬に乗って出て行く2人が見えて目を凝らす。果たしてそれは、ルイズとジェヴォーダンだった。

 

「なによー、出かけるの?」

 

 キュルケはつまらなそうに呟いた。それから、ちょっと考え、ルイズの部屋を飛び出した。

 

 

 

 タバサは寮の自分の部屋で、読書を楽しんでいた。青みがかった髪と、ブルーの瞳を持つ彼女は、メガネの奥の目をキラキラと海のように輝かせて本の世界に没頭していた。

 タバサは年より4つも5つも若く見られることが多い。身長は小柄なルイズより5センチも低く、体も細い。しかし、そんなことは気にも留めない。

 他人からどう見られるかなどより、とにかく放っておいてほしいと考えている。

 タバサは虚無の曜日が好きだった。自分の世界に、好きなだけ浸っていられる。彼女にとって他人は、自分の世界に対する無粋な闖入者だ。数少ない例外に属する人間でも、よほどの場合でない限り鬱陶しく感じてしまう。

 その日も、どんどんとドアが叩かれたのでタバサはとりあえず無視し、音が激しくなると杖を振るい『サイレント』の魔法を唱えた。その間、表情はぴくりとも変わらない。

 彼女が無音の世界に落ちると同時に、ドアが勢いよく開かれた。入ってきたのは、キュルケだった。彼女は大げさに何かを喚いたが、『サイレント』の呪文が効果を発揮しているため、タバサには届かない。

 キュルケはタバサの本を取り上げた。そして、タバサの肩を掴んで自分に振り向かせる。タバサは、無表情にキュルケの顔を見つめていた。

 招かれざる客ではあるが、入ってきたのはキュルケである。これが他の相手なら、なんなく部屋から『ウインド・ブレイク』でも使って吹き飛ばすところなのだが、キュルケは数少ない例外だった。

 しかたなく、タバサが『サイレント』の魔法を解くと、いきなりスイッチを入れたオルゴールのように、キュルケの口から言葉が飛び出した。

 

「タバサ、今から出かけるわよ! 早く支度をしてちょうだい!」

 

 タバサは短くボソッとした声で自分の都合を述べた。

 

「虚無の曜日」

 

 それで十分だと言わんばかりに、タバサはキュルケの手から本を取り返そうとした。キュルケが本を掲げると、背の高さのせいでタバサの手は本に届かない。

 

「わかってる、あなたにとって虚無の曜日がどんな日だか、あたしは痛いほどよく知ってるわよ。でも。今はね、そんなこと言ってられないの! 恋なのよ、恋!」

 

 それでわかるでしょ? と言わんばかりのキュルケの態度であるが、タバサは首を振った。キュルケは感情で動くが、タバサは理屈で動く。対照的な2人だが、そんな2人は、なぜか仲が良い。

 

「そうね、あなたは説明しないと動かないのよね! ああもう! あたしね、恋をしたの、でね? その人が今日、あのにっくいヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、2人がどこに行くのか突き止めなくちゃいけないの! わかった?」

 

 タバサは首を振った。それでどうして自分に頼むのか、理由がわからなかった。

 

「出かけたのよ! 馬に乗って! あなたの使い魔じゃないと、彼に追いつけないの! ヴァリエールの使い魔の彼よ!」

 

 その言葉に、タバサの眉がピクッと動いた。

 『ヴァリエールの使い魔』。サモン・サーヴァントで平民を召喚したという噂は聞いていたが、タバサはその男を学校の図書室で見たことがあった。

 本を読むふりをして、彼のメモを覗き見て驚愕した。見たことのない文字で書かれたメモだったが、彼は間違いなくこちらの世界の文字の分析を行っていた。召喚の日から1週間ほどしか経っていないというのに、あのメモを見る限り、解読はかなり進んでいたように思える。

 異国から来たのなら文字が違うのも頷ける。だが、どこの世界に、1週間で異国の文字を覚えられる者がいようか。タバサはそれ以来、彼に興味があったのだ。

 その男に、キュルケが恋をした。自分の使い魔で追いかけたいという。タバサは頷いた。なるほど自分も、彼を追いかけたい理由ができた。

 

 

 トリステインの城下町を、ジェヴォーダンとルイズは歩いていた。乗ってきた馬は町の門のそばにある駅に預けてある。ジェヴォーダンも流石に乗馬の経験はなく、腰を痛めてしまった。

 

「くっ、なかなか痛むな……」

「意外ね、あんたなんでも卒なくこなすから、乗馬くらい平気かと思った」

「馬車には乗ったことがあるがな。尤も、死に馬の引く馬車だったがね」

 

 ジェヴォーダンは、物珍しそうに辺りを見回した。白い石造りの街はどれもヤーナムにはない造形ばかり。道端で声を張り上げて、果物や肉や、籠などを売る商人たちの姿。にぎわう人々の喧騒。どれもこれも、ジェヴォーダンにとっては初めてのことだ。

 

「すごい人だな」

「ブルドンネ街。トリステインで1番大きな通りよ。この先にトリステインの宮殿があるわ」

「宮殿か。王女陛下とやらもそこか?」

「たぶんね。それよりあんた、上着の中の財布は大丈夫でしょうね? このへんはスリが多いから」

「あぁ、何人か仕掛けてきたな」

 

 ジェヴォーダンが手に持った剃刀の返り血を袖で拭うと、ルイズはぎょっとした。

 

「あ、あんた何したの!?」

「手を伸ばして来た奴の、手の腱をな。かわいそうだが、2度とスリなど働けない身体になったろう」

 

 涼しい顔でそう言ってのけるジェヴォーダンに、もはやこういう事にもなれてきたルイズは呆れ顔で答える。

 

「ほんと、とんでもない事するわねあんた……」

「人が清く正しく生きる道に戻る手助けをしてやったんだ、感謝してほしいくらいだな」

「でも、それが効くのは手を伸ばすスリだけね。魔法を使われたら1発だわ」

 

 辺りを見渡すが、メイジのような姿のものはいない。ジェヴォーダンは魔法学院で、メイジと平民を見分ける術を覚えた。メイジは、とにかくマントをつけているのだ。

 

「平民しかいないのではないか?」

「だって、貴族は全体の人口の1割いないのよ。あと、こんな下賤なとこ滅多に歩かないわ」

「貴族もスリを働くのか」

「貴族は全員がメイジだけど、メイジのすべてが貴族ってわけじゃないわ。いろんな事情で、勘当されたり家を捨てたり……」

「わかった、もういい。要は没落ということだろう。それを貴族のお前に語らせる義理はない」

「……そう、それならいいわ」

 

 改めて、2人は歩き始める。と、ジェヴォーダンが何かの気配に気がついて振り向いた。

 

「ん……?」

 

 群衆の中を見渡すと、チラと、見覚えのある赤髪。フンとジェヴォーダンは鼻で笑うと、もはや追跡者を意にも留めず、ルイズと共に武器屋を目指した。

 

 

 

 店の中は昼間だというのに薄暗く、ランプの灯りがともっていた。壁や棚に、所狭しと剣や槍が乱雑に並べられ、立派な甲冑が飾ってあった。

 店の奥で、パイプをくわえていた50がらみの親父が、入ってきたルイズを胡散臭げに見つめた。紐タイ留めに描かれた五芒星に気がつくと、慌ててパイプを離し、ドスの利いた声を出した。

 

「旦那。貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさぁ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」

「客よ」

「こりゃあおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」

「どうして?」

「いえ、若奥さま。坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーから手をおふりになられる、と相場は決まっておりますんで」

「買うのはわたしじゃないわ。使い魔よ」

「忘れておりました。昨今は貴族の使い魔も剣をふるようで」

 

 主人は、商売っ気たっぷりにお愛想を言い、それから、ジェヴォーダンをじろじろと眺めた。

 

「剣をお使いになるのは、この方で?」

 

 ルイズは頷いた。ジェヴォーダンは、棚に並べられた武器を代わる代わる手に取り、ふむーと唸っている。店先にあるものは、どれも武器として単純に過ぎる。気にいるものはないようだ。

 ルイズはそんなジェヴォーダンを無視して言った。

 

「わたしは剣のことなんかわからないから、適当に選んでちょうだい」

 

 主人はいそいそと奥の倉庫に入り、聞かれないよう小声でククッと笑った。

 

「こりゃ、鴨がネギしょってやってきたわい。せいぜい、高く売りつけるとしよう」

 

 彼は1メイルほどの長さの、細身の剣を持って現れた。

 随分華奢な剣であり、片手で扱うものらしく、短めの柄にハンドガードがついている。主人は思い出すように言った。

 

「そういや、昨今は宮廷の家族の方々の間で下僕に剣を持たすのがはやっておりましてね。その際にお選びになるのが、このようなレイピアでさあ」

「貴族の間で、下僕に剣を持たすのがはやってる?」

 

 ルイズが尋ねると、主人はもっともらしく頷いた。

 

「へぇ、なんでも、最近このトリステインの城下町を、盗賊が荒らしておりまして……」

「盗賊?」

「そうでさ。なんでも『土くれ』のフーケとかいう、メイジの盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせる始末で。へえ」

 

 ルイズは盗賊には興味がなかったので、じろじろと剣を眺めた。しかし、すぐに折れてしまいそうなほどに細い。

 

「もっと太くて大きいのがいいわ」

「お言葉ですが、剣と人には相性ってもんがございます。男と女のように。見たところ、若奥さまの使い魔とやらには、この程度が無難なようで」

「太くて大きいのがいいと、言ったのよ」

 

 ルイズが強く言う。ぺこりと頭を下げ、主人は奥に入った。その際、小声で「素人が!」とつぶやきながら。

 今度は立派な剣を油布で拭きながら、主人は現れた。

 

「これなんかいかがです?」

 

 見事な剣だった。1.5メイルはあろうかという大剣で、柄は両手で扱えるように長く、立派な拵えになっている。ところどころに宝石も散りばめられ、諸刃の刀身は鏡のように輝いている。見るからに切れそうな、頑丈そうな大剣であった。

 

「店1番の業物でさ。貴族のお供をさせるなら、このくらいは腰から下げて欲しいものですな。といっても、こいつを腰から下げるのは、よほどの大男でないと無理でさあ。やっこさんなら……まぁ、ギリギリいけるかどうかというとこですなあ」

「おいくら?」

「何せこいつを鍛えたのは、かの有名なゲルマニアの錬金術師シュペー卿で。魔法がかかってる鉄だって一刀両断でさ。ごらんなさい、ここにその名が刻まれているでしょう? おやすかあ、ありませんで」

「わたしは貴族よ」

 

 ルイズが胸をそらして言うので、主人は淡々と値段を告げた。

 

「エキュー金貨で二千。新金貨なら三千」

「立派な家と、森付きの庭が買えるじゃないの」

「名剣は城に匹敵しますぜ。屋敷で済んだらやすいもんでさ」

「新金貨で、百しか持ってきてないわ」

 

 ルイズは貴族なので、買い物の駆け引きが下手であった。あっけなく財布の中身をばらしたルイズに、主人は話にならない、というように手を振った。

 

「まともな大剣なら、どんなに安くても相場は二百でさ」

 

 ルイズは顔を赤くした。剣がそんなに高いとは知らなかったのだ。

 だがそこへ、ジェヴォーダンが身を乗り出して剣を覗き込み……防疫マスク越しに、ため息をついた。

 

「これでは、ダメだ」

 

 えっというふうに、ルイズと主人がジェヴォーダンを見る。ジェヴォーダンは刀身を指先でコンコンと叩きながら、つまらなそうに言った。

 

「メッキの真鍮製などでは話にならん。名剣だって? 見ろ、シュペー卿とやらの銘が刻まれていると言ったが、こんなエングレーブは素人以下の手のものだ。さしずめまともに客として見てないもの向けの商品だろう」

 

 ルイズが冷たい目で主人に向き直る。禿げ上がった親父の頭に、大粒の脂汗が浮かんでいた。貴族の方は素人で合っていたのだが、使い魔の方はとんでもない食わせ物であったことに、今になって気が付いたのだ。

 だがジェヴォーダンは、さして責める様子もなく淡々と、己のニーズだけを伝えた。

 

「すまんが、事情があって単純な武器を使うわけにいかない身でな。扱いの複雑なものや、願わくば暗器のようなものが望ましい。大きさは問わん、ただ、扱いが難しければ難しいほどいいんだ。難しい要望だと思うが、用立てできるか?」

「へえ、へえ、すぐお持ちします」

 

 主人は慌てて裏に入り、額の汗をぬぐった。

 

「こりゃ、鴨ネギだなんてとんでもない。ありゃあ太い客だ、しっかりしたものを用立てせにゃ」

 

 次に主人が持ってきたのは、複雑に湾曲した曲剣だった。まるで三日月のような独特のフォルムに、ルイズが眉をひそめる。

 

「なあに、それ」

「これは、北の果ての国、カリム伯アルスターの作の1つでさ。扱いの難しさで言えば確たるもので、普通に振り回して扱うようなものではございやせん。このカギ状の刃が、相手の首を刈るのに適してるだけでなく、盾や障害物を越えて敵に刃を届けさせるというものでさあ、へえ」

「ふむ」

 

 ジェヴォーダンは歪んだ刀剣を手に取り、手先でくるくると回してみせる。主人の説明通りの作りであれば確かに簡単に扱えるものではない、だが、それに勝る利点もとても多いように思える。

 

「なるほど、これなら『人』たりえるな」

 

 そう呟いたときだった。乱雑に積み上げられた剣の中から、声がした。低い、男の声だった。

 

「生意気言うんじゃねえ、木偶の坊」

 

 ルイズとジェヴォーダンは声の方を向いた。主人が、頭を抱える。

 

「おめえ、そんなもんを振り回してまともに立ち回れるのか? まともな剣を扱えるようにも見えねえぞ! おでれーた! 冗談じゃねえ! おめえにゃ棒っきれがお似合いさ!」

「……言ってくれるな」

 

 ジェヴォーダンが眼光を鋭くし、声の主を探す。しかし、どこを探しても、人の姿は見えない。

 

「わかったら、さっさと家に帰りな! おめえもだよ! 貴族の娘っ子!」

「失礼ね!」

 

 ジェヴォーダンが声のする方に近づく。

 

「どこにいる?」

「おめえの目は節穴か!」

 

 ジェヴォーダンは驚きのあまり声を失った。声の主は1本の剣だった。錆び付いたボロボロの剣から声は発せられていたのである。

 

「剣が言葉を……?」

 

 ジェヴォーダンがそう言うと、主人が怒鳴り声をあげた。

 

「やい、デル公! お客様に失礼なことを言うんじゃねえ!」

「デル公?」

 

 デル公と呼ばれたこの剣、先ほどの大剣と長さは変わらないが、刀身が細い、薄手の長剣だった。表面の錆のせいで、お世辞にも見栄えがいいとは言えないが。

 

「お客様? 身の丈にあった剣もふれない木偶の坊がお客様? ふざけんじゃねえよ! 耳をちょんぎってやらあ! 顔を出せ!」

「それって、インテリジェンスソード?」

 

 ルイズが、当惑した声をあげた。

 

「そうでさ、若奥さま。意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったい、どこの魔術師が始めたんでしょうかねえ、剣をしゃべらせるなんて……。とにかく、こいつはやたらと口は悪いわ、客にケンカは売るわで閉口してまして……。やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめえを溶かしちまうからな!」

「おもしれ! やってみろ! どうせこの世にゃもう、飽き飽きしてたところさ! 溶かしてくれるんなら、上等だ!」

「やってやらあ!」

 

 主人が歩き出すのを、ジェヴォーダンが手を上げて静止した。

 

「溶かすだと? とんでもない、これは凄い剣だ……こいつは、どんな仕掛けなんぞよりも上等だ」

 

 ジェヴォーダンは、その剣を手に取りまじまじと見つめた。

 狩人に仕掛け武器が必要なのは、その仕掛けが動かせる事こそ人の誇示になるため。その仕掛けを扱いこなせることが、まだ獣に落ちていない何よりの証拠になる。

 であれば、会話のできる剣は? それこそ、究極の『人の誇示』を備えていると言える。

 

「デル公と呼ばれていたが、貴公の名は?」

「俺はデルフリンガーさまだ! おきやがれ!」

「名前だけは、一人前でさ」

「俺はジェヴォーダン。デルフリンガー、俺には貴公の価値がわかる。俺は貴公が気に入ったぞ」

「ほーぅ、言いやがるじゃねえか。褒められるっつーのは慣れんぞ、俺様照れっちまう」

 

 ふと、剣は黙りこくった。じっと、ジェヴォーダンを観察するように。

 息を飲むように剣がささやき、小さな声で話し始めた。

 

「おで、れーた。おめ、『使い手』か。いや、それだけじゃない」

 

 その声は、先ほどまでの威勢とは打って変わり、震えていた。

 

「『使い手』?」

「それだけじゃねえ。お前の中にある、これは……いや、これはお前自身が、か? てめ、一体何者だ?」

「……ふん、なるほど、『見える』か。ますます気に入ったぞ、俺はお前を買う」

 

 ジェヴォーダンが言うと、剣は黙りこくった。

 

「ルイズ、これにする」

 

 ルイズはいやそうな声をあげた。

 

「え〜〜〜〜、そんなのにするの? もっと綺麗でしゃべらないのにしなさいよ」

「これ以外ない。この上ない素晴らしい剣だ」

「褒めるねえ、俺様、感激」

「そうは見えないけど……」

 

 ルイズはぶつくさ文句を言ったが、あまりにも気に入っているようなので、主人に尋ねた。

 

「あれ、おいくら?」

「あれなら、百で結構でさ」

「安いじゃない」

「こっちにしてみりゃ、厄介払いみたいなもんでさ。

 

 ジェヴォーダンは、思いついたように振り返り、主人に歩み寄ると耳打ちをした。

 

「主人、貴公の目利きは確かなようだ。今後、武具を用立てする際は、貴公に頼みたい」

「……へへ、旦那さんは、目利きだけでなく商売まで上手と見える。結構でさ、ではこの剣は九十でお売りいたしやす」

「感謝する。ついでに浮いた10で用立てて欲しいものがある」

 

 ジェヴォーダンがさらに小さな声で主人に耳打ちをする。主人はギョッとしたような顔をして、それから店の裏に入り、小さな包みを持って出てきた。

 

「仰られているものに似たものですと、うちではこちらしか……」

 

 ジェヴォーダンは包みを確認し、コクリと頷く。

 

「塗りたくるだけで、仰るような使い方ができるかと思います」

「恩に着る」

 

 ジェヴォーダンは、ルイズに持たされていた財布から金貨をカウンターにぶちまけた。主人は慎重に枚数を確認すると、頷いた。

 

「毎度」

 

 剣を取り、鞘に収めるとジェヴォーダンに手渡した。

 

「どうしても煩いと思ったら、こうやって鞘に入れればおとなしくなりまさあ」

 

 ジェヴォーダンは頷いて、デルフリンガーという名の剣を受け取った。

 

 

 

 

 

 

『土くれ』の二つ名で呼ばれ、トリステイン中の貴族を恐怖に陥れているメイジの盗賊がいる。

 土くれのフーケ。北の貴族の屋敷に、宝石が散りばめられたティアラがあると聞けば、早速赴きこれを頂戴し、南の貴族の別荘に先帝から賜りし家宝の杖があると聞けば、別荘を破壊してこれを頂戴し、東の貴族の豪邸に、北の国の細工師が腕によりをかけて作った石咬みの指輪があると聞いたら一も二もなく頂戴し、西の貴族のワイン倉に、値千金、百年ものヴィンテージワインがあると聞けば喜び勇んで頂戴する。

 まさに神出鬼没、メイジの大怪盗。それが土くれのフーケだった。

 フーケの盗みは行動パターンが読めず、トリステインの治安を預かる王室衛士隊の魔法衛士たちも振り回されているのだった。

 しかし、盗みの方法には共通する点があった。フーケは狙った獲物が隠されたところに忍び込む時には、主に『錬金』の魔法を使い、扉や壁を粘土や砂に変え、穴を開けて潜り込むのだ。

 貴族も当然対策は練る。屋敷の壁やドアは、強力なメイジに頼んでかけられた『固定化』の魔法で『錬金』の魔法から守られている。しかし、フーケの『錬金』は強力であり、たいていの場合『固定化』の呪文などものともしないのであった。

 忍び込むばかりでなく、力任せに屋敷を破壊するときは、フーケは30メイルはあろうかという巨大な土ゴーレムを使う。

 城でも壊せるような巨大な土ゴーレムである。集まった魔法衛士たちを蹴散らし、白昼堂々とお宝を盗み出したこともある。

 そんな土くれのフーケの正体を見たものはいない。男か、女かもわかっていない。わかっているのは、おそらくトライアングルクラスの『土』系統のメイジであること。

 そして、犯行現場の壁に『秘蔵の◯◯、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』と、ふざけたサインを残していくこと。

 そして……いわゆるマジックアイテム、強力な魔法が付与された数々の高名なお宝が何より好きということであった。

 

 

 

 巨大な2つの月が、五階に宝物庫がある魔法学院の本塔を照らしている。

 その塔の壁、垂直に立った人影。土くれのフーケであった。

 フーケは足から伝わってる壁の感触に舌打ちをした。

 

「さすがは魔法学院本塔の壁ね……物理衝撃が弱点? こんなに厚かったら、ちょっとやそっとの魔法じゃどうしようもないじゃないの!」

 

 足の裏で、壁の厚さを測っているのだ。『土』系統のエキスパートであるフーケにとって、そんなことは造作もない。

 

「確かに『固定化』の魔法以外はかかってないみたいだけど……これじゃ私のゴーレムの力でも、壊せそうにないね……」

 

 フーケは、腕を組んで悩んだ。

 

「やっとここまで来たってのに……かといって、『破壊の杖』を諦めるわけにゃあいかないね……」

 

 フーケの目がきらりと光り、腕を組んだまま、じっと考え始めた。

 

 

 

 フーケが本塔の壁に足をつけて悩んでいる頃……ルイズの部屋では、軽い騒動が持ち上がっていた。

 ルイズとジェヴォーダンは、ぽかんとしてキュルケが差し出した剣を見ていた。

 ピカピカと輝きを放つ長剣。それはまさしく、昼の武器屋で見たもの。キュルケは得意げな顔でその剣をジェヴォーダンに送りつけて来たのだ。

 

「ねぇどーう? ダーリンによりお似合いの剣を見つけたから、あたしプレゼントしたくて買って来たのよ」

 

 ルイズとジェヴォーダンを付けていたキュルケは、ルイズがジェヴォーダンに剣を買っていたのを見ていたのだ。そのすぐ後に武器屋に入ったキュルケは、店主をたぶらかしてその大剣を買っていた。当然、その剣の正体を知る由もなく。

 

「知ってる? この剣を鍛えたのはゲルマニアの錬金術師シュペー卿だそうよ? ねえ、あなた、よくって? 剣も女も、生まれはゲルマニアに限るわよ? トリステインの女ときたら、このルイズみたいに嫉妬深くって、気が短くって、ヒステリーで、プライドばっかり高くて、どうしようもないんだから」

 

 胸をはり、声高にそう語ってみせるキュルケ。しかし……そんな様子を見たルイズとジェヴォーダンは、キュルケの予想とは違い、必死で笑いをこらえているようだった。

 

「……何がおかしいの?」

「い、いや、何でもないわよ。ジェ、ジェヴォーダン、あんたその剣貰ってあげなさいよ、ちょっと可哀想じゃない、ぷぷ」

「そうだな、クク」

 

 なんとも可笑しそうな様子の2人に、キュルケは意味がわからないという風に首をかしげる。

 

「なんなのもう!? 何がそんなに面白いのよ!」

「なんでもないわよ、いやほんと……ひひ、げ、ゲルマニアの女ってみんなそうなの? 抜けてるっていうか、単にバカって言うか。あんたこの剣にいくら払ったのよ……にひひひひ」

 

 キュルケの眉がピクピクと動く。相当頭にきているようだ。

 

「言ってくれるわね、ヴァリエール……」

「何よ、ホントのことでしょう? 物の価値のわからない、お牛さん」

 

 2人は同時に自分の杖に手をかけた。

 が、2人の手元につむじ風が舞い上がり、杖を吹き飛ばす。

 

「室内」

 

 それまでじっと本を読んでいたタバサが、杖を掲げて言った。ここでやったら危険であると言いたいのだろう。

 

「で、なんでこの子ここにいるの」

「あたしの友達よ」

「なんで、あんたの友達が私の部屋にいるのよ」

「いいじゃない」

 

 ふと、思い出したように顔を上げたタバサがジェヴォーダンを見る。気付いたジェヴォーダンも、「ん?」と目を合わせる。

 

「……メモ」

「なに?」

「あなたのメモ」

 

 ルイズとキュルケも、ハテナを浮かべて2人の様子を見る。ジェヴォーダンは不思議そうに自前のメモ帳を取り出し、タバサに手渡した。

 タバサはこれまで読んでいた本を傍らに置き、ジェヴォーダンのメモを開く。そしてそれまでの本と同じように、内容に目を凝らしはじめてしまった。

 

「……なんにせよね」

 

 キュルケとルイズが改めて睨み合う。いつものタバサだ、という判断だった。

 

「なによ」

「そろそろ、決着をつけませんこと?」

「そうね」

「ただのメモだぞ」

「ただのメモじゃない」

「あたしね、あんたのこと、だいっきらいなのよ」

「わたしもよ」

「こんな凄い物、見た事がない」

「そう言われてもな」

「気があうわね」

「文脈まで、どうやって?」

「言語の解読なら、先ず接続詞を見つけて……」

「うるさいわねさっきから!」

 

 ルイズが叫び、またキュルケと睨み合う。

 キュルケは微笑んだ後、目を吊り上げた。

 ルイズも、負けじと胸をはり、2人は同時に怒鳴った。

 

「決闘よ!」

「パズルと変わらない、繋がり合うポイントを見つけたら、両サイドの……」

「この方法、他の言語でも応用が効く?」

「恐らくいける」

 

 語り合うジェヴォーダンとタバサに、怒りをむき出しにして睨み合う2人はすでに全く見えていなかった。もちろん2人にも、ジェヴォーダンとタバサの会話は聞こえていない。

 

「もちろん、魔法でよ?」

 

 キュルケが勝ち誇ったように言った。

 ルイズは唇を噛み締めたが、すぐに頷いた。

 

「ええ、望むところよ」

「いいの? ゼロのルイズ……魔法で決闘で、大丈夫なの?」

 

 小ばかにした調子で、キュルケがつぶやく。ルイズは頷いた。自信はない。もちろん、ない。でも、ツェルプストー家の女に魔法で勝負と言われては、引き下がれない。

 

「もちろんよ! 誰が負けるもんですか!」

 

 

 

 本塔の外壁に張りついていたフーケは、誰かが近づく気配を感じた。

 とんっと壁を蹴り、地面へと降り立つ。『レビテーション』を唱えて勢いを殺し、羽毛のように音もなく着地する。そしてすぐに植え込みの中に消えた。

 

 

 

 中庭に現れたのは、ルイズとキュルケと、タバサ、ジェヴォーダンであった。

 

「じゃあ、始めましょうか」

 

 キュルケが言った。ジェヴォーダンは、呆れ返りながらも心配そうに言う。

 

「お前ら、本当に決闘などする気か?」

「そうよ」

 

 ルイズもやる気満々である。

 

「文法解読は? 単に当て読みでは?」

「グループ化して、説文数で判断していた……タバサと言ったか、貴公もすごいな」

 

 全く別のベクトルではあるが、タバサもやる気満々である。メモ帳から目を話すことなく、あれやこれやとジェヴォーダンに質問を飛ばしてくる。

 

「でも、怪我するのもバカらしいわね」

 

 キュルケがそう言うと、ルイズも「そうね」と頷く。そしてキュルケは辺りをきょろきょろと見渡し、近くの木を見つけ、指差した。

 

「アレなんかいいんじゃない?」

 

 見れば、離れたところにある木に、1つの赤々としたリンゴが成っていた。白い石造りの本塔を背に、暗闇の中でいやに赤く、強く主張しているように見えた。

 

「そうね、あれがいいわ」

 

 話をほとんど聞いていなかったタバサとジェヴォーダンも、2人が木になったリンゴを見る様子で、なんとなくどんな勝負になるのか、察しがついた。

 2人が横に並び、キュルケが腕を組んで言う。

 

「いいこと? ヴァリエール。あのリンゴを地面に落とした方が勝ちよ。そうね、ダーリンは勝った方のもの、ってことでいいかしら?」

「……なに? いや、ちょっと待て!」

「……わかったわ」

 

 ジェヴォーダンが口を挟もうとするも、2人には聞こえていない。ジェヴォーダンは頭を抱えた。タバサがぼそっと「もの扱い」と呟く。

 

「使う魔法は自由。ただし、あたしは後攻。そのぐらいはハンデよ」

「いいわ」

「じゃあ、どうぞ」

 

 ルイズは杖を構えた。タバサが杖を軽く振ると、頬を撫でる風が吹く。とても強い風とは言い難いが、枝先のリンゴをゆらゆらと揺らすには十分なものだ。『ファイヤーボール』等の魔法の命中率は高い。動かさなければ、簡単にリンゴに命中してしまう。

 しかし……ルイズには、命中するかしないかを気にする前に、問題があった。魔法が成功するかしないか、である。

 ルイズは悩んだ。どれなら成功するのか。キュルケのファイヤーボールはリンゴを難なく落とすだろう。失敗は許されない。

 悩んだ挙句、ルイズは『ファイヤーボール』を使う事に決めた。小さな火球を目標めがけて打ち込む魔法である。

 短くルーンを呟く。失敗したら……ジェヴォーダンを取られてしまう。そんな事は、絶対に許すわけにはいかない。

 呪文詠唱が完了する。気合を入れて、杖を振った。

 呪文が成功すれば、火の玉がその杖先から飛び出すはずであった。しかし、杖の先からは何も出ない。一瞬遅れて、リンゴの背後、本塔の壁が爆発した。

 強烈な爆風に、ジェヴォーダンは改めて感心する。蔑んでいるわけでも馬鹿にしているわけでもなく、素直にこの爆発を起こせることを評価していた。

 爆風でリンゴが落ちるか、とも思ったが、そう甘くはないようだ。本塔の壁にはヒビが入っている。キュルケは……腹を抱えて笑っていた。

 

「ゼロ! ゼロのルイズ! リンゴじゃなくて壁を爆発させてどうするの! 器用ね! あなたってどんな魔法を使っても爆発させるんだから! あっはっは!」

 

 ルイズは悔しそうに拳を握り締めると、膝をついて俯いた。

 

「さて、わたしの番ね……」

 

 キュルケは余裕の笑みでリンゴを見据えた。風で揺れるリンゴに向け、ルーンを短く呟き、手慣れた仕草で杖を突き出す。

 小さな標的であるため、『ファイヤーボール』も小さめに。さながら火線とも呼べる鋭い炎が、リンゴと枝の間のヘタを見事に打ち抜き、リンゴには傷1つ付けることなく、落下させた。

 リンゴが落ちる。宇宙を司る力、重力になぞらって。

 

「あたしの勝ちね! ヴァリエール!」

 

 

 

 フーケは、中庭の植え込みの中から一部始終を見届けていた。ルイズの魔法で、本塔の壁には大きなヒビが入っていた。

 あの魔法はいったいなんだ? 唱えた呪文は確かに『ファイヤーボール』だったのに、火球は飛ばず、壁が爆発した。

 あんな風に物が爆発する魔法など、聞いたことがない。

 いや、それどころではない。フーケは頭を振った。このチャンスを、逃すわけにはいかない。

 長い長い、詠唱を唱える。呪文が完成し、杖の先端から雫のような魔法が、ポタリと地面に落ちる。

 フーケは、薄く笑った。『土くれ』の、本領を発揮する時が来たのだ。

 音を立て、地面が盛り上がった。

 

 




ショーテル

大きく湾曲した刃を持つ曲剣。
カリム伯アルスターの作の1つであり、
盾の防御を掻い潜ってダメージを与えられる。

トゥメルの末裔たちも振るうその捩じくれた刃は、
首を刈り取る用途にも適している。


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07:光

「残念ね! ヴァリエール!」

 

 勝ち誇ったキュルケは大声で笑った。ルイズは勝負に負けた悔しさからか、膝をついて肩を落とした。

 ジェヴォーダンはなんとも言えない気持ちでルイズを見つめた。

 

「あぁ、ダーリン! これで邪魔者はいないわぁ!」

 

 唇を尖らせて飛びつこうとしたキュルケの頭を、ジェヴォーダンの長い腕が押さえる。

 

「あん! でもそんないけずなとこもステキ!」

「お前、あれだけの目に遭ってまだ……」

「あいにく、恋の前にはどんなものも脅威にはならないの! そんな所もひっくるめて愛してこそよ!」

 

 ここまで清々しいとこれはこれで感心してしまう。さてどうあしらったものかと思案し、異様な気配を感じて顔を上げた。

 

「! あれは何だ!」

「え? な、なにこれ!」

 

 見れば、天にそびえる巨大なゴーレムがこちらへた歩いてきていた。

 

「きゃぁああああああ!!」

 

 キュルケは悲鳴を上げて逃げ出した。ジェヴォーダンはルイズをかばい、身構える。

 

「くっ……!」

「あ、あんた何してるの! 逃げなさい!」

 

 ゴーレムの足が持ち上がる。ジェヴォーダンはルイズを抱えて逃げようとするが、間に合いそうにもない。

 ゴーレムの足が落ちてくる。ルイズは目をつむった。

 が、ごうっと一陣の風が吹き抜け、間一髪でタバサのウィンドドラゴンが滑り込んだ。ジェヴォーダンとルイズを拾い上げ、ひらりと飛び抜ける。

 直後、ジェヴォーダンたちがいた場所にゴーレムの足がずしんとめり込んだ。

 ウィンドドラゴンの足にしがみついたジェヴォーダンはとルイズは、息を飲んでその様子を見ていた。

 

「なんて大きな土ゴーレム……あんな大きい土ゴーレムを操れるなんて、トライアングルクラスのメイジに違いないわ」

 

 ルイズは唇を噛み……先ほど、ジェヴォーダンが危険をかえりみずルイズを助けようとしてくれていた事を思い出した。

 

「あんた……なんでさっき、逃げなかったの」

 

 ジェヴォーダンは、きっぱりと言った。

 

「主人を見捨てて逃げる使い魔がいるものかよ」

 

 ルイズは驚いて、ジェヴォーダンの横顔を見た。なんだか、ジェヴォーダンがとても眩しく見えた。

 

「あのゴーレム、壁を破壊したようだが……」

「宝物庫」

 

 ウィンドドラゴンの背中にまたがったタバサが、ジェヴォーダンの疑問に答えた。見れば、ゴーレムが拳をぶつけた事で本塔にあいた穴に、黒いローブを着たメイジが滑り込んでいく。

 

「なるほど……『土くれ』か」

「土くれって、あの土くれのフーケ?」

「そのようだ。トライアングルクラスの『土』系統のメイジなのだろう? 噂の通りのようだ」

「流石ダーリン! よく知ってるわね」

 

 キュルケの声。どうやら彼女もドラゴンの背中にいるようだ。ジェヴォーダンの懸念はなくなった。

 

「タバサ、2人を頼む」

 

 えっ、とした表情になる3人をよそに、ジェヴォーダンは、しがみついていたウィンドドラゴンの足から手を離した。

 背後から聞こえてくるルイズの悲鳴をよそに、ジェヴォーダンはキュルケから受け取った剣を引き抜く。

 左手のルーンが、淡く光り輝いた。

 

 

 

 フーケは、壁に掛けられた『破壊の杖』を見て薄い笑いを浮かべた。

 聞いていた通り、見た目は平凡な杖そのものだった。1メイル弱の長さで、見たことのない金属でできていた。柄の先端に大きな球体が取り付けられた、俗に『ワンド』などと呼ばれる杖の形。しかし、どうにも球体が大きくアンバランスな出で立ちで、あまりに飾り気のない無骨な姿はどこか異様な雰囲気を醸し出している

 その下には『破壊の杖、持ち出し不可』の文字。フーケの笑みがますます深くなった。

 フーケは『破壊の杖』を取った。

 金属製の杖らしいズッシリとした重さが手に伝わる。

 フーケは急いでゴーレムの肩に乗る。去り際に杖を振る。すると、壁に文字が刻まれた。

『破壊の杖、確かに領収いたしました。土くれのフーケ』

 

 

 

「『土くれ』だな」

 

 聞こえるはずのない、声。フーケが飛び乗ったゴーレムの肩に、先客がいた。

 月の光に照らされ影を落とした後ろ姿。獣の耳のような出で立ちの帽子に、右手には煌びやかな装飾の施された優美な長剣。

 いったい、どうやって登ってきたのか。そう考えた時、上空を先程からチョロチョロしているドラゴンが旋回した。まさか、飛び降りてきたのか?

 

「……よもや、学園の宝物庫に盗みを働くとはな。貴公もメイジなのだろう。貴族だというに、誇りもないのか?」

「……っ……」

 

 フーケは歯を食いしばった。憎悪が腹の底からふつふつと沸き起こるが、声で正体を悟られないために、必死で堪える。

 己の素性を知るはずはない。だからこの男は当てずっぽうを言ってるに過ぎない。落ち着け。冷静になれ。怒りに身をまかせるな。

 

「……杖を捨てて投降しろ」

 

 フーケは杖に手を伸ばす。男の足元に向けて、ペッと唾を吐いた。

 フーケなりの挑発だった。男が何かしらにでも行動に移せば、すぐにでもゴーレムを動かしてこいつをゆすり落としてやる。それくらい造作もない

 しかし、そんなフーケの思案に反し……男は低く、笑っていた。

 

「……獣め」

 

 唸るような声。フーケの背筋に、ゾッと悪寒が走る。

 男は懐の包みの中に手を入れ、『何か』を1つ、取り出した。フーケからはそれが何であるか、夜の暗がりに紛れてよく見えない。

 フーケが知る由もない。それは男が昼間、武器屋との商談で仕入れたものだ。

 

「こんなにも早く使う気はなかったのだがな」

 

 そして男は、左手に持った『何か』を、右手に持った長剣の刀身に、べたっと押し付けた。

 

「俺も『ヤニ』というのは初めてだ」

 

 月光を淡く反射していた長剣が、突如として怒りの様な炎の光に包まれた。

 

 一瞬、フーケは血の気の引いた思いで身構えた。『炎』系統のメイジが来たのだと思ったからだ。

 だが、炎が上がってすぐ、鼻をツンとついた臭いで、これが『松脂』によるものだと気がついた。

 虚仮威しだ。フーケは表情を険しくする。こんなものに、一瞬でも恐れをなした自分が馬鹿馬鹿しかった。

 だが、フーケはすぐに考えを改めることになった。

 

 ジェヴォーダンは風の様な速度でフーケに詰め寄ると、炎を纏った大剣を躊躇なく振りかざして来た。

 フーケがすんでのところでそれをかわし、ルーンを唱えながら杖を払う。ゴーレムが大きく上体をゆすりながら歩き始め、ジェヴォーダンを振るい落としにかかった。

 だが、ジェヴォーダンはまるで這うようにゴーレムの動きに対応し、なおもフーケへと距離を詰めてくる。

 舌打ちをしながら、さらに次のルーンを唱え杖を振る。ゴーレムの体の何箇所かが盛り上がり、土塊になって飛び出した。ジェヴォーダンはそのいくつかをかわし、いくつかを燃えたぎる剣で払いのけた。

 接近を止められない。ゴーレムの肩の反対側にまで追い込まれてしまえば終わりだ。飛び降りてレビテーションなど使っても、この男なら飛び降りてくるだろう。

 逃げられない。逃げれば死ぬ。

 その上、どれだけゴーレムを揺らして足場を不安定にしても、どういうわけかこいつにはそれが通用しない。

 そうでなくたって不安定なゴーレムの上だ。自分で生み出したものとは言え、自分にとってもある程度不安定であることに変わりない。相対的に、足場の状態では負けている。

 しかも、片手には布で包んだ『破壊の杖』を持ったままなのだ。重い金属製の杖であることがここで響いてきてしまう。

 

「………」

「っ……!」

 

 刃がローブの裾をかすめる。燃え移った炎を手で慌てて払った。 

 そう、極め付けにフーケを追い込んでいるのが、あの剣にまとわせた炎だ。単なる虚仮威しかと思ったがそうではない。

 フーケは『土』系統のスペシャリストであり、それは金属に対する知識でも変わらない。土塊をはじき返された時点でわかった。熱を持った金属というのは、それが想像させるよりはるかに殺傷性が増すのだ。一太刀でも食らえば、恐らく命はない。

 さらに悪い条件を重ねてくる、炎の光。素性を隠さなければならないフーケにとって暗闇に紛れる黒いローブは生命線だ。軽くなびいたフードの中を見られるだけで命取りだというのに、あの炎は武器としての強みだけでなく、灯りとしての機能で追い立ててくる。

 足場、獲物、武器、光。全てが相手に有利に働いている。早すぎる猛攻に、長い詠唱を唱える余裕もない。かといって、短い詠唱ではジリ貧を誘発する。

 フーケは、完全に相手の術中にはまっていたことにここへ来てようやく気がついた。

 まるで雪山で狼に囲まれているように、逃げ場のない恐怖と、冷たい絶望。

 

「………」

「っ、フッ……」

 

 刃が迫る。かわす。それしかできない。反撃の糸口がない。

 こいつ、まさかこの為に、ゴーレムの上で待ち構えていたのか。

 飛び降りて来るなら、上から不意打ちもできたはず。追い立てて来たのなら、『破壊の杖』を手に取られる前に仕留めに来る方が良いはず。

 そう、これらは全て『破壊の杖』を守るなら。それなら、ベターな選択肢なのだ。

 だがそうでなく、『殺す』ためなら。ただ『狩る』為なのなら。

 賭けるべきではない、わずかなリスクにでも。

 

「………」

「くっ……ハ、ハァッ、ハァッ」

 

 剣の熱気が迫る。なんとか詠唱を完成させ、巨大な土塊を形成し飛ばす。

 土塊は勢いよく男に迫り……真っ二つに割れた。

 その間から燃えたぎる刃が迫り……気づけば、もう後ろに逃げ場はなかった。

 

「………」

「う……」

 

 眼前に、燃えたぎる剣先が突きつけられている。

 ゴーレムを歩かせていたため、すでに学園からそれなりに離れた場所。月が浮かぶ空を、ドラゴンが見下すように、優雅に旋回している。

 

「……どうした、息が上がっているようだが」

「ハー……ハー……」

「何も、恐れることはない。獣に、恐れなど無縁なはずだ」

 

 男が、ゆっくりと燃える剣を振りかざす。月を背に、その姿は、人のようには見えない。

 

「死ぬ時間が来ただけだ」

 

 フーケは賭けに出た。とても短い詠唱を足元に伝え、ゴーレムを動かす。

 剣をかざしていた男は身構える。その男がいる、ゴーレムの『肩』に、ゴーレムの拳を振るわせたのだ。直撃の直前、拳を鉄に変質させるのを忘れない。

 ジェヴォーダンは冷静に身を翻しながら、拳を剣でいなした。

 

 その瞬間、キーンと高い音が夜空にこだまする。

 

「なっ……!?」

「……!」

 

 剣が、折れた。根元からぽっきりと。

 ジェヴォーダンが見誤っていたわけではない。真鍮製とはいえ、力の加減を間違えなければ力を逃すのは容易い。

 ジェヴォーダンが読み誤ったのは松脂とメッキの質だった。酸化した金属が、彼が思う以上に劣悪な作りだった剣を、より弱めてしまっていたのだ。剣が折れてからそれに気づいたジェヴォーダンは歯噛みして己の甘さを呪った。

 そしてフーケは、思いもよらず賭けに勝利し……薄ら笑いを浮かべ、ルーンと共に杖を振った。

 

 ゴーレムが、崩壊する。土くれと共に落下しながら、ジェヴォーダンはとっさに左手に銃を取り、フーケのいるであろう場所に目測を定め引き金を引いた。

 ジェヴォーダンが地面に激突するまでに、5発の銃声が鳴り響き……ゴーレムは、文字通りただの土くれとなって完全に沈黙した。

 

「ダーリーーーーン!」

「ジェヴォーダン! 嘘……!」

 

 タバサのウィンドドラゴンが地面に降り立ち、キュルケとルイズが土の山に向けて走り出す。……少し遅れて、土の中からもこりと、ジェヴォーダンが立ち上がった。

 

「キャッ! …ジェ、ジェヴォーダン!」

「ハァー……ハァァー……」

 

 肩で息をするジェヴォーダン。どう見ても普通ではないその様子に、ルイズが心配そうに手を伸ばした。

 

「ジェヴォーダン……?」

「ハァ、ハァ……アァッ!!」

 

 だが、ジェヴォーダンはそんなルイズには目もくれず、フーケがいたであろう方角めがけ、吠えた。

 

「獣め……獣め!! 土くれ、どこだ! 出てこい! 狩ってやる……狩ってやるぞ!」

 

 激昂する、ジェヴォーダン。ルイズも、タバサも、キュルケでさえ、そのあまりの変わり様に狼狽する。

 だが、ジェヴォーダンは血走った眼で、虚空に向け散弾銃の引き金を引きながら、フーケを探すばかり。

 土埃が舞う闇の中、黒ローブの盗賊の姿は、どこにもなかった。

 

 

 

「やりよるのぉ」

 

 オールド・オスマン氏は、宝物庫の壁に書かれた『土くれ』のフーケの犯行声明を見て、感心したように呟いた。

 

『破壊の杖、確かに領収いたしました』

 

 学園中の教師が集まり、宝物庫の壁にあいた大きな穴を見て愕然としている。

 教師たちは、次々に好き勝手なことをわめいている。

 

「土くれのフーケ! 貴族たちの財宝を荒らしまくってるという盗賊か! 魔法学院にまで手を出しおって! ずいぶんとナメられたもんじゃないか!」

「衛兵はいったい何をしていたんだね?」

「衛兵などあてにならん! 所詮は平民ではないか! それより当直の貴族は誰だったんだね!」

 

 それを聞いたミセス・シュヴルースは震え上がった。彼女が当直だったが、まさか魔法学院を襲う盗賊がいるなどとは思わず、当直をサボって自室で寝ていたのだ。

 それを指摘されたシュヴルースは、目に大粒の涙を浮かべてうろたえた。

 

「も、申し訳……」

「泣いてもお宝は戻ってこないのですぞ! それともあなた、『破壊の杖』の弁償をできるのですかな!」

「わたくし、家を建てたばかりで……」

 

 とうとうミセス・シュヴルースはよよよと床に伏した。

 そんな様子を、オスマン氏がなだめる。

 

「これこれ、女性を苛めるものではない」

「しかしですな、オールド・オスマン! ミセス・シュヴルースは当直なのに、ぐうぐう自室で寝ていたのですぞ!」

 

 オスマン氏はつまらなそうに髭を撫で、ボケッとしたように聞き返した。

 

「ミスタ……なんだっけ?」

「ギトーです!!! お忘れですか!」

「おっほほ、そうそうギトー君、そんな名前じゃったな。君は怒りっぽくていかん。さて、この中でまともに当直をしたことがある教師は何人おるかな?」

 

 オスマン氏が辺りを見渡す。教師たちはお互い顔を見合わせ、恥ずかしそうに顔を伏せた。まともに当直をしたことがあるものなど、1人もいなかった。

 

「さて、これが現実じゃ。責任があるとすれば、我々全員じゃ。この中の誰もが……、もちろん私も含めてじゃが……まさかこの魔法学院が賊に襲われるなどと夢にも思っていなかった。何せここにいるのはほとんどがメイジじゃからな。誰が好き好んで虎穴に入るかと思っとったが、それは間違いじゃったようじゃ。このとおり、敵は大胆にも忍び込み『破壊の杖』を奪っていきおった。つまり、我々は油断していたのじゃ。責任があるとすれば、我々全員にあるといわねばなるまい」

 

 ミセス・シュヴルースは感激してオスマン氏に抱きついた。

 

「おぉ、オールド・オスマン! あなたの慈悲のお心に感謝いたします! わたくしはあなたをこれから父と呼ぶことにいたします!」

 

 オスマン氏はそんなシュヴルースの尻を撫でた。

 

「ええのじゃ。ええのよ、ミセス……」

「わたくしのお尻でよかったら! そりゃもう! いくらでも! はい!」

 

 オスマン氏はこほんと咳をした。場を和ませるために尻を撫でたが、みんな一様に真剣な眼差しでオスマン氏の言葉を待っていた。

 

「で、現場の犯行を見ていたのは誰だね?」

 

 オスマン氏が尋ねた。

 

「この3人です」

 

 コルベールが進み出て、自分の後ろに控えていた3人を指した。ルイズ、キュルケ、タバサの3人。使い魔であるジェヴォーダンは数に入っていない。

 ジェヴォーダンは、昨夜の我を忘れたように激昂した様子はどこへやら、涼しげな顔でそこに佇んでいた。背中には、折れてしまったキュルケの剣の代わりにデルフリンガーを携えている。

 

「ふむ……君たちか」

 

 オスマン氏は、興味深そうにジェヴォーダンを見つめた。ジェヴォーダンもそれに気がつく。流石に学園長クラスともなれば、自分の正体が見えても狼狽えまではしないのだろうと、ジェヴォーダンは変わらぬ様子で立っていた。

 

「詳しく説明したまえ」

 

 ルイズが進み出て、見たままを述べた。

 

「あの、大きなゴーレムが現れて、ここの壁を破壊したんです。肩に乗っていた黒いメイジがこの宝物庫から何かを……その、『破壊の杖』だと思いますけど、盗み出したあと、またゴーレムの肩に乗りました」

 

 そこまで話して、ルイズはジェヴォーダンの方を見やった。はたしてここを話していいか迷ったが、ジェヴォーダンも特に反応しないため、重く口を開いた。

 

「その……私の使い魔がゴーレムの上に飛び乗って、黒いメイジを追いました。ゴーレムは城壁を越えて歩き出して……こいつがあと少しまで追い詰めたみたいなんですが、ギリギリのところでゴーレムが崩れて土になっちゃいました」

「ほう、使い魔がメイジを追い詰めた……」

 

 ルイズの説明に、にわかに教師たちがざわざわとざわめく。彼らからすればジェヴォーダンはただの平民、まして使い魔。それがメイジであるフーケを追い詰めたなどと、にわかには信じがたい。

 

「それで後には、土しかありませんでした。肩に乗っていた黒いローブを着たメイジは、影も形もなくなってました」

「ふむ……」

 

 オスマン氏だけがさして驚いた様子もなくひげを撫でた。

 

「後を追おうにも、手がかりナシというわけか……」

 

 それからオスマン氏は、気づいたようにコルベールに尋ねた。

 

「ときに、ミス・ロングビルはどうしたね?」

「それがその……今朝から姿が見えませんで」

「この非常時に、どこに行ったのじゃ」

「どこなんでしょう?」

 

 そんな風に話していると、見計らったようにミス・ロングビルが現れた。

 

「ミス・ロングビル! どこに行っていたんですか! 大変ですぞ! 事件ですぞ!」

 

 興奮した様子でコルベールがまくし立てる。しかし、ミス・ロングビルは落ち着き払った様子で、オスマン氏に告げた。

 

「申し訳ありません。朝から、急いで調査をしておりましたの」

「調査?」

「そうですわ。今朝方、起きたら大騒ぎじゃありませんか。そして、宝物庫はこのとおり。すぐに壁のフーケのサインを見つけたので、これが国中の貴族を震え上がらせている大怪盗の仕業と知り、すぐに調査をいたしました」

「仕事が早いの、ミス・ロングビル」

 

 コルベールがあわてた様子で促した。

 

「で、結果は?」

「はい。フーケの居場所がわかりました」

「な、なんですと!」

 

 コルベールが、素っ頓狂な声を上げた。

 

「誰に聞いたんじゃね? ミス・ロングビル」

「はい。近所の農民に聞き込んだところ、近くの森の廃屋に入っていった黒ずくめのローブの男を見たそうです。おそらく、彼はフーケで、廃屋はフーケの隠れ家ではないかと」

 

 ルイズが叫んだ。

 

「黒ずくめのローブ? それはフーケです、間違いありません!」

「それはどうだろうな」

 

 次いで口を開いたのは、ルイズの後ろに立つ使い魔だった。

 

その場にいた全員が、驚いてジェヴォーダンの方を見る。

 オスマン氏だけが落ち着いた様子で聞き返した。

 

「どういうことじゃね?」

「……実際に相手したからこそ言えることだが、奴はローブを使って顔を隠していた。明かりを灯された状態でなお見られないよう立ち回るほどの慎重さだ。そのフーケが農民ごときに素性がバレるように動き回るとも思えん。疑うなら、その農民か……」

 

 ジェヴォーダンは、鋭い視線でその報を伝えた人物をにらんだ。

 

「その女かだ」

 

 ミス・ロングビルの顔が引きつり、冷や汗が流れる。

 だが、それを破るように先ほどの教員ギトーが声を荒らげた。

 

「貴様、平民の、それも使い魔の分際でメイジに向けて何を言うか! しかも、貴様ごときがメイジであるフーケを追い詰めたなどという話も不自然だ! 貴様こそフーケのグルなのではないか!」

「……フン」

 

 ジェヴォーダンは目もくれない。そんな様子をオスマン氏がなだめ、ジェヴォーダンに向き直った。

 

「まぁまぁ、彼がフーケと対峙したのは夜じゃ。明かりがあるとはいえ、素性を知るには限界がある。日中ともなれば、フーケも油断して隙を見せる事もあろうて。ミス・ロングビル、そこは近いのかね」

「はい。徒歩で半日、馬で4時間といったところでしょうか」

 

 ジェヴォーダンは、誰にも聞かれないよう小さく、鼻で笑った。

 

「すぐに王室に報告しましょう! 王室衛士隊に頼んで、兵隊を差し向けてもらわなくては!」

 

 コルベールが叫んだ。が、オスマン氏は首を横に振ると、年寄りとは思えない迫力で怒鳴った。

 

「ばかもの! 王室なんぞに知らせている間にフーケは逃げてしまうわ! その上……身にかかる火の粉を己で払えぬようで、何が貴族じゃ! 魔法学院の宝が盗まれた、これは魔法学院の問題じゃ! 当然我らで解決する!」

 

 オスマン氏は咳払いをすると、有志を募った。

 

「では、捜索隊を編成する。我と思う者は、杖を掲げよ」

 

 誰も杖を掲げようとはしない。困ったように、顔を見合わせるだけだ。

 ルイズは俯いていたが、それからすっと、杖を顔の前に掲げた。

 

「ミス・ヴァリエール!」

 

 ミセス・シュヴルースが、驚いた声をあげた。

 

「何をしているのです! あなたは生徒ではありませんか! ここは教師に任せて……」

「誰も掲げないじゃないですか」

 

 ルイズがきっと唇を強く結んで言い放つので、シュヴルースも言い返せない。

 ルイズがそのように杖を掲げているのを見て、しぶしぶキュルケも杖を掲げた。

 

「ツェルプストー! 君は生徒じゃないか!」

「ふん。ヴァリエールには負けられませんわ」

 

 キュルケが杖を掲げるのを見て、タバサも掲げた。

 

「タバサ、あんたはいいのよ。関係ないんだから」

「心配」

 

 キュルケは感動した面持ちでタバサを見つめた。ルイズも唇を噛み締めて、お礼を言った。

 

「ありがとう、タバサ」

 

 そんな3人の様子を見て、オスマン氏は笑った。

 

「そうか、では、頼むとしようか」

「オールド・オスマン! わたしは反対です! 生徒たちをそんな危険にさらすわけには!」

「では、君が行くかね? ミセス・シュヴルース」

「い、いえ……わたしは体調が優れませんので……」

「彼女たちは、敵を見ている。その上、ミス・タバサは若くしてシュヴァリエの称号を持つ騎士だと聞いているが?」

 

 返事もせずにぼけっと突っ立っているタバサを、教師たちは驚いて見つめた。

 

「本当なの? タバサ」

 

 キュルケでさえ驚いた。王室から与えられる爵位としては最下級の『シュヴァリエ』の称号ではあるが、タバサの年齢で与えられることは驚きだ。金で買うことはできない、純粋に業績に対して与えられる、実力の爵位だ。

 

「ミス・ツェルプストーは、ゲルマニアの優秀な軍人を数多く輩出した家系の出で、彼女自身の炎の魔法も、かなり強力と聞いているが?」

 

 キュルケは得意げに、髪をかきあげた。

 それから、ルイズが自分の番だとばかりに可愛らしく胸を張った。オスマン氏は困って咳払いをすると、少し目をそらした。

 

「その……ミス・ヴァリエールは数々の優秀なメイジを輩出したヴァリエール公爵家の息女で、その、うむ、なんだ、将来有望なメイジと聞いているが? しかもその使い魔は!」

 

 それからジェヴォーダンを熱っぽい目で見つめた。

 

「平民ながらあのグラモン元帥の息子である、ギーシュ・ド・グラモンと決闘して勝ったという噂だが」

「当然だ」

「ほっほほ! 言うではないか」

 

 オスマン氏は思った。彼が、本当にあの伝説の『ガンダールヴ』なら……。

 

「そうですぞ! なにせ、彼はガンダー……」

 

 興奮した様子のコルベールの口を、慌ててオスマン氏が押さえる。

 

「むぐ! はぁ! いえ、なんでもありません! はい!」

 

 この場で、もはやオスマン氏に反論するものなど誰もいなかった。オスマン氏は威厳のある声で言った。

 

「この3人に勝てるという者がいるなら、前に一歩出たまえ」

 

 誰もいなかった。当然だった。これほどの戦力は教師陣では揃わないものだし、これほどの太鼓判を押された面々を蹴落としてなおフーケを捕まえに行こうとするものなどいるはずもない。

 オスマン氏もそれをわかって、誰もいないとわかっていてこの質問をしたのだ。

 

 だがその予想は裏切られた。

 静かにジェヴォーダンが一歩、前に踏み出した。教師陣も、ルイズやキュルケ、タバサでさえ、そして誰よりオスマン氏が、驚愕のあまり目を見開いた。

 

「つ、使い魔君! 君は、君はこの3人に勝てるというのかね! メイジでない君が!」

「……当然だ」

「ちょっとジェヴォーダン!」

 

 ルイズがジェヴォーダンの服の裾を引っ張り引き戻そうとするが、まるで杭か何かで固定されているかのように動かない。ジェヴォーダンは変わらず涼しい顔で佇んでいる。

 

「ちょっとダーリン、いくらあなたの言葉でもそれはちょっとナメすぎでなくって……?」

「傲り」

 

 キュルケとタバサも、静かに怒りを燃やしているのがうかがえる。己の実力に自信があるのもそうだが、何より貴族としての誇りがそこまで言わせる事を許さない。しかしジェヴォーダンは相変わらずの様子で

 

「言ってるだろう、当然だ」

 

 そう断言してのけるだけ。

 

「あら、そう……」

 

 キュルケが電光石火の速さで杖を引き抜き、聞き取れないほどの速さでルーンを完成させる。火球が一瞬で杖先から飛び出す。

 キュルケとしても、最速の一撃。しかしジェヴォーダンは、体勢を低く跳ねるようにステップし、瞬時にキュルケとの距離を詰める。

 あっ、と反応しかけたキュルケよりも早く、ジェヴォーダンの魔の手が伸び……その頬をがっしと掴んだ。

 

 あまりに一瞬の出来事に、教師陣やルイズはあっけにとられてそれを見ていた。ただタバサとキュルケ、数人の教師だけが、背筋を凍らせていた。

 一瞬、ほんとうにほんの一瞬ではあったが、あの手が狙っていたのは頬などでなく……キュルケの、腹部だった。

 何をしようとしたかまではわからない。単に拳をめり込ませるつもりだったのかもしれない。だがその刹那の一瞬に感じられたのは、常軌を逸した殺意だった。

 

「う……」

 

 キュルケは青い顔で、自分の頬を掴む大きな手を見る。そしてジェヴォーダンはマスクの下で薄く笑うと、手を離してやり、それまでと同じように淡々と続けた。

 

「当然だ、と言っている」

 

 オスマン氏は身震いした。恐怖で、というのもあったが、それ以上に武者震いが勝った。

 この男は、もしや本当に……。そんな想像が、深く刻まれたシワの奥に潜む瞳を輝かせた。

 

「改めよう。この"4人"に勝てるという者がいたら、前に一歩出たまえ」

 

 当然、誰もいなかった。オスマン氏は、ジェヴォーダン含む4人に向き直った。

 

「魔法学院は、諸君らの努力と貴族の義務に期待する」

 

 ルイズとタバサとキュルケは、真顔になって直立すると、「杖にかけて!」と同時に唱和した。それからスカートの裾をつまみ、恭しく礼をする。

 そしてオスマン氏は、ジェヴォーダンをしっかりと見つめ、微笑んだ。

 

「彼女達を守ってやってくれ、心強き牙よ」

「……我が血にかけて」

 

 ジェヴォーダンもまた、狩人の儀礼で応えた。

 

「では、馬車を用意しよう。それで向かうのじゃ。魔法は目的地につくまで温存したまえ。ミス・ロングビル、彼女達を手伝ってやってくれ」

 

 ミス・ロングビルは頭を下げた。

 

「もとよりそのつもりですわ」

 

 

 

 




炭松脂

炭のような黒い松脂
右手の武器に炎をまとわせる。

ある種の獣は病的に炎を恐れる。
それは炎が、何もかもをを黒く焼き尽くす
恐ろしい力だと知っているからだろうか。


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08:反攻

 4人はミス・ロングビルを案内役に、早速出発した。

 屋根のない荷車のような馬車で、薄暗い山道を進む。

 御者を買って出たミス・ロングビルに、キュルケが話しかけた。

 

「ミス・ロングビル……手綱なんて付き人にやらせればいいじゃないですか」

 

 ミス・ロングビルはにっこりと笑った。

 

「いいのです。わたくしは、貴族の名をなくした者ですから」

「だって、貴女はオールド・オスマンの秘書なのでしょ?」

「えぇ、でも、オスマン氏は貴族や平民だということに、あまり拘らないお方です」

「差し支えなかったら事情をお聞かせ願いたいわ」

 

 ミス・ロングビルは困ったように優しい微笑みを浮かべた。

 

「いいじゃないの。教えてくださいな」

 

 キュルケは興味津々と行った顔で、御者台に座ったミス・ロングビルににじり寄る。ルイズがその肩を掴んだ。キュルケはそんなルイズを睨みつける。

 

「なによ、ヴァリエール」

「よしなさいよ。昔のことを根掘り葉掘り聞くなんて」

 

 キュルケはふんと呟き、荷台の柵に寄りかかって頭の後ろで腕を組んだ。

 

「暇だからおしゃべりしようと思っただけじゃないの」

「あんたのお国じゃどうか知りませんけど、聞かれたくないことを、無理やり聞き出そうとするのはトリステインじゃ恥ずべきことなのよ」

 

 キュルケはそれには答えず、足を組んだ。

 

「ったく……あんたがカッコつけたおかげで、とばっちりよ。何が悲しくて、泥棒退治なんか……」

「とばっちり? あんたが自分で志願したんじゃないの」

「あんたが一人じゃ、ダーリンがかわいそうだもの」

 

 そしてキュルケは、タバサと何やら話をしていたジェヴォーダンにしなだれるようによりかかる。

 

「こぉんなうるさいゼロのルイズと2人っきりにされたら、ダーリンだってめんどくさいものねぇ?」

「……お前の方がよほど面倒くさいがな」

「あぁん、つれないわねぇ。でもそんなクールなとこも素敵!」

 

 タバサはといえば、ジェヴォーダンが持っている様々な知識に興味があるらしい。

 

「それから?」

「……聖剣のルドウイークは、教会の英雄として永遠に語り継がれるようになった。奴の狩道具は今でも多くの狩人の基本的な装備になるほどに、伝説的な英雄だ」

「……イーヴァルディのよう……」

「とはいえ、現実はそこまで物語らしい話でもない。英雄と呼ぶには……醜いかもしれないからな」

 

 特にタバサが興味を示したのは、教会の狩人ルドウイークについての物語。ヤーナムであれば子供でも知っているような昔話に、特に反応した。

 

「なぁに? ダーリンの住んでた場所の話?」

「は? あんたそんなこと私にだって話したことないくせに!」

「聞いてこなかっただろう?」

 

 頬を膨らますルイズに、新たな暇つぶしを見つけたキュルケ。そして、さらに話をねだるタバサ。

 

「もっと、ルドウイークの話を」

「奴に限るとなると、俺も多くは知らないが……英雄とまで呼ばれた奴が狩りの中に見出したのは、『月光』だったと言われている」

「月光?」

 

 キュルケが聞き返す。ジェヴォーダンは首を振った。

 

「それが何を意味するものかまでは、俺にもわからない。だが確かに奴は月光を剣に纏わせ振るった。獣の愚かに墜ちるまで、奴は心折れなかった」

「……? 本物のルドウイークを見たことがあるの?」

 

 タバサが首をかしげる。ジェヴォーダンはその様子が可笑しくて、笑いながら答えた。

 

「何、悪夢に出てきたのさ」

 

 

 馬車はさらに深く森に入っていった。森の中は昼間だというのに薄暗く、鬱蒼としている。

 馬車をある程度の場所で止め、一行は歩いて森の中を進むことにした。森を通る小道を進んでいく。

 

「なんか、暗くて怖いわ……いやだ……」

 

 キュルケがジェヴォーダンの腕に手を回す。ジェヴォーダンは無視して少し歩くスピードを速めた。

 

「あん! もう、ダーリンたらぁ」

 

 キュルケは変わらぬ調子で続けてくる。呆れ返っていたジェヴォーダンも、そんな様子を見ていたルイズも、ため息をついた。

 

 

 

 やがて、道は開けた場所に出た。森の中の空き地といった風勢で、真ん中には情報通りの小屋があった。木こり小屋か何かだったのだろうか、朽ち果てた炭焼き窯と、壁板の剥がれた物置が並んでいる。

 

「わたくしの聞いた情報だと、あの中にいるという話です」

 

 5人は少し離れた茂みの中で作戦を練り始めた。とにかく、あの中にいるのなら奇襲が1番だ。寝ていてくれたらなおさらである。

 タバサはちょこんと地面に正座すると、自分のたてた作戦を説明するため杖を使って地面に絵を描き始めた。

 まず、偵察兼囮が小屋のそばに赴き、中の様子を確認する。

 中にフーケがいれば、挑発しこれを外に出す。

 小屋の中にゴーレムを作り出すほどの土はないため、外に出る必要がある。ここを魔法で一気に攻撃し、ゴーレムを作り出す暇を与えずに、集中砲火でフーケを沈める、というもの。

 

「偵察兼囮は……俺か」

 

 ジェヴォーダンがそう言うとタバサが頷く。

 ジェヴォーダンも頷いて答えると、茂みの中から音もなく飛び出し、すっと一足跳びに小屋のそばに近付いた。窓に近づき、慎重に中を見渡す。

 蚊帳の中はひと部屋で、たいそうに荒れていた。もう長らく誰も使っていないようで、人の気配はうかがえない。

 ここにはいない。ジェヴォーダンは皆に合図を送った。

 

「無人だ。隠れている様子もない」

「……ワナも、ないみたい」

 

 小屋に向けて杖を振ったタバサがつぶやき、中に入っていった。キュルケとジェヴォーダンが後に続き、ルイズが外で見張りをすると言って後に残った。

 ミス・ロングビルは辺りを偵察してきますと言って、森の中に消えた。

 

 

 

 窓から、森に消えていくミス・ロングビルを目で追いながら、ジェヴォーダンは小屋の中を調べた。

 フーケが残した手がかりがないかを調べ始め、タバサが開けたチェストの中から……

 

「破壊の杖」

 

 なんと、『破壊の杖』を見つけ出した。

 

「あっけないわね!」

 

 キュルケが叫ぶ。

 そしてジェヴォーダンは、その『破壊の杖』を見て、面食らって目を丸くした。

 

「こ、これが、『破壊の杖』だと!?」

「そうよ。あたし、見たことあるもん。宝物庫を見学したとき」

「いや、しかし、これは……」

 

 ジェヴォーダンが近寄って、『破壊の杖』をまじまじと見つめた。

 全体が金属で出来ており、棒状の柄の先端に鉄球が取り付けられたフォルム。

 間違いない。これは……。

 

「きゃああああ!!」

 

 その時、外で見張りをしていたルイズの悲鳴が響き渡った。

 

「ヴァリエール、どうしたの!?」

「……来たか」

 

 突然、ジェヴォーダンはタバサとキュルケを小脇に抱き抱え、小屋を飛び出した。瞬間、小屋の屋根が吹っ飛ぶ。

 青空をバックに、小屋を破壊したものの正体が、ありありと見えた。

 

「ゴーレム!」

 

 キュルケが叫んだ。

 一定の距離を置いたところで、ジェヴォーダンは2人を降ろす。タバサが杖を振るい、呪文を唱えた。巨大な竜巻が舞い上がり、ゴーレムにぶつかっていく。

 キュルケも胸に刺した杖を引き抜き、呪文を唱えて炎を打ち出す。

 しかし、どんな攻撃を食らっても、ゴーレムはびくりともしない。

 

「無理よこんなの!」

「退却」

 

 キュルケとタバサは一目散に逃げ出し始めた。

 ジェヴォーダンは、背に携えていたデルフリンガーを引き抜いた。

 

「おう、相棒、出番かい」

 

 かっと左手のルーンが熱を持ち、身体がほのかに軽くなるのを感じる。

 

「あぁ、力を借りるぞ」

 

 ジェヴォーダンは駆け出した。目指すはゴーレムの背後に立っているルイズだ。

 ルイズは杖を振り回し、ルーンを唱えている。ゴーレムの表面がパッと炸裂し、気づいたゴーレムが振り向く。

 

「くっ……!」

 

 どう考えても、勝ち目のある相手じゃない。

 相手は大きすぎるし、自分の魔法も成功しない。仮に成功したとしても、それで倒せるような甘い相手ではないことは、先程キュルケとタバサが証明したばかりだ。

 ゴーレムが振り返る。完全にルイズに狙いを定めたようだ。

 ルイズの額に汗が流れる。息が上がり、緊張が高まっているのがわかる。だがそれでも、ルイズは強い眼差しで、ゴーレムを睨んだ。

 こいつを、倒す。フーケを捕らえれば、誰も自分をゼロだと呼ばなくなる。

 無理だとわかっていても、そんなの、やってみなければわからない。

 ルイズの貴族としての誇りが、意思が、ルイズの脚の震えを止めた。己を鼓舞し、立ち向かわせた。

 

「魔法が使えるものを、貴族と呼ぶんじゃないわ」

 

 ゴーレムが拳を振り上げる。ルイズは杖を振り上げた。

 

「敵に後ろを見せない者を、貴族と呼ぶのよ!」

 

 振り下ろされる拳に向けてルーンを唱え、杖を振るった。ゴーレムの腕が炸裂し、土埃が舞う。が、精々が小指ほどの土をえぐっただけ。ゴーレムの拳は止まらない。

 ルイズの視界が振り下ろされる拳で埋め尽くされる。ルイズは目をつぶった。

 

「その心意気や良し。やはりお前は、誇りある良い貴族だ」

 

 聞こえるはずのない、声。ルイズは身体が、ふわりと浮いたような感覚を覚え……目を見開くと、自分を抱きかかえるジェヴォーダンの姿があった。

 

「そうだ。どんな敵が相手でも、立ち向かうこと。戦いの中で、心折れず、何度でも立ち向かうことだ。それだけが、ただ戦いの中で俺たちの(よすが)になる」

「ジェヴォーダン……」

「だが、死ぬな。死ねば終わりだ。心折れず、死なず、狩りを成就しろ」

 

 風竜が、2人を救うために飛んできた。

 

「乗って!」

 

 風竜に跨ったタバサが叫ぶ。ジェヴォーダンは抱き抱えていたルイズを風竜の上に押し上げた。

 

「あなたも早く」

 

 タバサが、珍しく焦った様子でジェヴォーダンに言う。が、ジェヴォーダンは迫り来るゴーレムに向き直った。

 

「ジェヴォーダン!」

「行け」

 

 タバサは無表情にジェヴォーダンを見つめていたが、迫るゴーレムが拳を振り上げたのを見て、仕方なく風竜を飛び上がらせた。

 音を立て、ジェヴォーダンがいた場所にゴーレムの拳がめり込む。ジェヴォーダンは余裕でそれをかわし……デルフリンガーに炎を纏わせていた。

 

「おぉ、こりゃおでれーた! 剣にこんな事をする奴は相棒、おめーが初めてだ!」

「熱くないか?」

「剣だからな! こりゃあおもしれぇ、おもしれぇよ」

 

 ゴーレムが拳を持ち上げる。ジェヴォーダンは帽子を被りなおし、冷たい目でゴーレムを睨んだ。

 

「土くれめ。あまり人をナメるなよ」

 

 振りかぶる拳をくぐり抜け、剣を振るった。

 

「こちとら、ゼロのルイズの狩人だ」

 

 

 

「ジェヴォーダン!」

 

 ルイズは上昇する風竜の上から飛び降りようとした。タバサがその体を抱きかかえる。

 

「ジェヴォーダンを助けて!」

 

 ルイズが怒鳴るが、タバサは首を振った。

 

「近寄れない」

 

 近寄ろうとすると、やたらとゴーレムが拳を振り回すので、風竜を近づけることができないのだ。

 

「ジェヴォーダン!」

 

 ルイズは再び叫んだ。ジェヴォーダンが、燃え盛る剣を片手にゴーレムと対峙しているのが見える。

 

 ジェヴォーダンは、ゴーレムと戦いながらも、実際には全く別の事に意識を集中していた。

 ゴーレムの拳が唸りを上げて飛んでくる。拳は途中で鋼鉄の塊に変わる。

 だが、遅すぎるのだ。並みの剣士などならともかく、ジェヴォーダンにとっては止まって見えるほどに。

 余裕でそれをかわしながら、探しているのは、そこにいるはずの術者の影。

 確実に、近くにいるはずだ。

 

 周囲を探しながら戦うその様子は、ルイズには苦戦しているように見えていた。なんとか自分が手伝える方法はないかと探し、タバサが抱える『破壊の杖』に気づいた。

 

「タバサ! それを!」

 

 タバサは頷いて、『破壊の杖』を手渡す。

 ただ、手渡しただけであった。それ以外の特別なことなど何もしていない。にもかかわらず……『破壊の杖』がルイズの手に渡った瞬間、その杖の先端の球体から、バリッ! と、青白い電流がほとばしった。

 

「きゃっ!?」

「っ!?」

 

 ルイズも、タバサも、それに驚き……思わず、『破壊の杖』が手からこぼれる。慌ててそれを掴もうとしたルイズは、風竜の背から滑り落ちた。

 落下するルイズに、タバサが『レビテーション』を唱える。

 ルイズの身体はゆっくりと地面に降りていくが……『破壊の杖』の方は、そのまま落下して地面に突き刺さった。

 それにいち早く気がついたのは、ジェヴォーダンの方だった。

 

 術者の姿が見えず、かといってゴーレムを倒せるわけでもなく、埒のあかない状態をどうするか思案していたところに、思わぬ助け舟が来た。

 それに……と、先日自分が『エーブリエタースの先触れ』を使用した時に起きた異変のことを思い出す。今の自分があれを使えば、もしや……!

 ジェヴォーダンは『破壊の杖』と、地面に降り立ったルイズの元に駆け寄った。

 

「ジェヴォーダン!」

 

 ジェヴォーダンは『破壊の杖』を地面から引き抜いた。

 

「それ、変なの! 使い方が、わかんない!」

 

 だがジェヴォーダンは迷うことなく杖を手に取り、先端についた鉄球の、上半分をスライドさせて外す。内部の機械構造に見えたシリンダーに、水銀弾をきっちり6発、装填した。

 そんな様子を、ルイズは唖然として見つめている。

 蓋を閉め、『破壊の杖』を握ったジェヴォーダンは、ゴーレムに向き直った。

 ゴーレムが、地響きのような音を立てて迫る。

 ジェヴォーダンは、破壊の杖の鉄球部分を掴み……棒状の柄を、地面に突き刺した。

 

「これはな……こうやって使うんだ」

 

 球体をひねり、スイッチを作動させる。瞬間、強烈な落雷が、ゴーレムめがけて炸裂した。

 ゴーレムと変わらぬ程に巨大な青白い雷光が、列を連ねて走り抜ける。巨大ゴーレムであるがゆえ、複数の雷撃に巻き込まれてしまう。土くれが炸裂し、弾け飛ぶ。

 一瞬にして、ゴーレムは粉々に砕け散った。土の塊が、雨のように周囲に振り落ちる。

 下半身だけが残ったゴーレムが一歩前に踏み出そうとしたが……膝が折れ、そのまま崩れ落ちた。

 バラバラと、ゴーレムがただの土の塊に戻っていく。

 この前と同じように、後には土の小山が残された。

 ルイズは突然の雷撃に耳を押さえて呆然としていたが、やがて腰が抜けたのか、へなへなと地面に崩れ落ちた。

 木陰に隠れていたキュルケが駆け寄ってくるのが見えた。

 ジェヴォーダンは『破壊の杖』を引き抜き、それをまじまじと見やった。

 

「ジェヴォーダン! すごいわ、やっぱりダーリンね!」

 

 キュルケが抱きつこうとする。が、ジェヴォーダンはそれをさらりとかわした。

 否、キュルケが抱きつこうとした場所に、既にジェヴォーダンはいなかったのだ。

 

「……え?」

 

 ジェヴォーダンは瞬時に駆け出して……木陰から現れたミス・ロングビルを押し倒し、その喉元に刃を当てていた。衝撃で、杖が手から離れ地面を転がっていった。

 

「動くな。首が飛ぶぞ」

 

 あまりに突然の出来事に、ルイズもキュルケも、風竜とともに降り立ったタバサも面食らう。

 

「ちょっとジェヴォーダン! 何やってるの!?」

 

 ルイズが叫ぶが、ジェヴォーダンは変わらずロングビルを睨んでいる。ロングビルも、さほど驚いた様子もなくジェヴォーダンを見つめていた。

 

「お前を狩ってやると言ったろう。忘れたか、『土くれ』」

「……やっぱり今朝、気づいてたのかい」

 

 えっ、と誰からともなく声が上がる。ジェヴォーダンはさらに刃をロングビルの首筋に近づけた。

 

「お前が現れて、フーケが男だと語った時点では、さほど疑っていたわけではない。だがお前は、フーケの隠れ家が学園から4時間もかかる場所にあると語った。『朝早くから調査をしていた』と話したのにな」

「……あら」

「随分と初歩的だ。詰めが甘いようだな」

 

 ジェヴォーダンはゴーレムと戦っている間ずっと、フーケの姿を探していた。偵察に行くと森に消えた時点で、襲撃があることはわかっていたのだ。

 

「だが……それなら今朝すぐわたしを捕まえればよかったじゃないかい。乗せられてついて来たのはなぜだい?」

「残念だが全て仮説だった。確証が欲しかった。そのために『破壊の杖』を確保する必要があった。お前がなぜ俺たちを引っ張り出す必要があったのか。だが実物を見て理由はすぐわかった。お前はアレの使い方がわからなかったんだ」

「くっ……!」

 

 フーケは忌々しくジェヴォーダンを睨んだ。キュルケが驚いて声をあげる。

 

「じゃあ、私たちに『破壊の杖』を使わせて、使い方を探ろうとしていたってこと?」

「だろうな。杖として使おうとしてもうんともすんともしないのでは、ただの鉄のオブジェだ。だが、残念だが……あれは杖などではない、魔法など出はしない」

「何……? どういう意味よ!」

 

 叫ぶフーケに、ジェヴォーダンではなく、ルイズが答えた。

 

「あれは『神秘』の触媒……魔法の杖なんかじゃない。そうよね、ジェヴォーダン」

 

 皆が驚いてルイズを見る。ジェヴォーダンだけがニヤリと笑い、それに答えた。

 

「そうだ。あれは『小さなトニトルス』、俺たちの宇宙の狩り道具だ。ついでに言えば、あれは高貴な血を練りこんだ水銀がなければ作動せん。お前では使い物にならんよ」

 

 衝撃の事実を告げられ、フーケは完膚なきまでに打ちのめされてしまったようだ。うなだれてしまい、もはや反抗の意思も、戦意もなかった。

 ジェヴォーダンはフーケの首筋に手刀を叩き込む。気絶したフーケを拾い上げ、呆然とする3人に振り返った。

 

「フーケを捕まえて、『破壊の杖』を取り返したぞ」

 

 

 

 

 

 

 学園長室で、オスマン氏は戻った4人の報告を聞いていた。

 

「ふむ……ミス・ロングビルが土くれのフーケじゃったとはな……美人だったもので、なんの疑いもなく秘書に採用してしまった」

「いったい、どこで採用されたんですか?」

 

 隣に控えたコルベールが尋ねる

 

「街の居酒屋じゃ。私は客で、彼女は給仕をしておったのだが、ついついこの手がお尻を撫でてしまってな」

「で?」

 

 コルベールが冷めた目で促す。オスマン氏は照れたように告白した。

 

「おほん。それでも怒らないので、秘書にならないかと、言ってしまった」

「それで?」

 

 まったく理解できない、という様子でコルベールが訪ねた。

 

「カァーッ!」

 

 オスマン氏は目を見開いて声を上げた。が、まったくごまかされていない。それがわかるとオスマン氏は、ひとつ咳をして真顔になった。

 

「おまけに魔法も使えるというもんでな」

「死んだほうがいいのでは?」

 

 コルベールが小さく呟いた。

 オスマン氏は重苦しく咳払いをすると、コルベールにむきなおり深刻そうな表情を浮かべた

 

「今思えば、あれも魔法学院に潜り込むためのフーケの手じゃったに違いない。居酒屋でくつろぐ私の前になんどもやってきて、愛想よく酒を進める。魔法学院学園長は男前でしびれます、などとなんども媚を売り売り言いよって……終いにゃ尻を撫でても怒らない。惚れてる? とか思うじゃろ? なあ? ねえ?」

 

 コルベールは、思えば自分もフーケのその手にやられ、宝物庫の壁の弱点について語ってしまったことを思い出した。

 

「そ、そうですな! 美人はただそれだけで、いけない魔法使いですな!」

「そのとおりじゃ! 君は上手いことを言うなコルベール君!」

 

 そんな2人の様子を、4人は呆れて見つめていた。生徒たちのそんな視線に気づき、オスマン氏は恥ずかしそうに咳払いをすると、切り替えて厳しい顔をした。

 

「さてと、君たちはよくぞフーケを捕まえ、『破壊の杖』を取り返してきた。フーケは、城の衛兵に引き渡した。そして『破壊の杖』は、無事に宝物庫に収まった。一件落着じゃ」

 

 オスマン氏はそうして嬉しそうに、1人ずつ頭を撫でた。

 

「君たちの『シュヴァリエ』の爵位申請を、宮廷に出しておいた。追って沙汰があるじゃろう。といっても、ミス・タバサはすでに『シュヴァリエ』の爵位を持っているから、精霊勲章の授与を申請しておいた」

 

 3人の顔がぱっと輝いた。キュルケが驚いた声をあげる。

 

「ほんとうですか?」

「ほんとじゃ。いいのじゃ、君たちは、それぐらいのことをしたんじゃから」

 

 ふとルイズは、先ほどからつまらなそうな顔で立っているジェヴォーダンを見つめた。

 

「……オールド・オスマン。ジェヴォーダンには、何もないんですか?」

「……残念ながら、彼は貴族ではない」

 

 ジェヴォーダンは言った。

 

「使い魔の功績は主人のものだ。素直に受け取れ」

「……でも」

「よかったな、ルイズ」

 

 ジェヴォーダンは、ルイズの使い魔として召喚されてきてから、初めて見せる優しい表情を浮かべた。ルイズもそれに答え、すこし不器用に笑った。

 それを見て、オスマン氏は満足そうに微笑むと、ぽんぽんと手を打った。

 

「さてと、今日の夜は『フリッグの舞踏会』じゃ。このとおり、『破壊の杖』も戻ってきたし、予定通り執り行う」

 

 キュルケがパッと顔を輝かせた。

 

「そうでしたわ! フーケの騒ぎで忘れておりました!」

「今日の舞踏会の主役は君たちじゃ。用意をしてきたまえ。せいぜい、着飾るのじゃぞ」

 

 3人は、礼をするとドアに向かった。ジェヴォーダンだけが動かず、そこに立っている。ルイズはそんなジェヴォーダンをちらと見つめた。

 

「先に行っていろ。後で俺も向かう」

 

 ジェヴォーダンがそう言うので、ルイズは心配そうに彼を見つめたが……そのまま頷いて、部屋を出た。

 オスマン氏は、そんなジェヴォーダンをじっくりと見やった。

 

「なにか、私に聞きたいことがあるようじゃな、狩人よ」

「……!?」

 

 『狩人』。その言葉自体は珍しい言葉でもなんでもない。だが、そこに込められた意味をいちはやく察知したジェヴォーダンは、驚いて息を飲んだ。

 この老人は、自分が何者かを知っている。おそらく、これまでもずっと。

 ジェヴォーダンは思わずデルフリンガーに手をかけ……オスマン氏は慌てて手をあげてそれを静止した。

 

「まてまて、落ち着くのじゃ。少なくとも私は君の敵ではない。少々縁があって、君が何者かを知っているというだけじゃ。深いことは知らない。だからこそ、君が気にしていることを言ってごらんなさい、できるだけ力になろう。君に爵位を授けることはできんが、せめてものお礼じゃ」

 

 優しく、静かな声だった。ジェヴォーダンはその中に確かに他意がないことを感じ、デルフリンガーから手を離した。

 それからオスマン氏は、コルベールに退室を促した。わくわくしながらジェヴォーダンの話を待っていたコルベールは、しぶしぶ部屋を出ていった。

 コルベールが出て行ったあと、ジェヴォーダンは口を開いた。

 

「……あの『破壊の杖』は、俺が元いた宇宙の狩り道具だ」

 

 オスマン氏の目が光った。

 

「ふむ、元いた宇宙とは?」

「俺は、この宇宙の人間ではない」

「本当かね」

「本当だ。俺は、あのルイズの『召喚』に応え、果てしない宇宙の向こうから来た」

「ふむ……」

 

 オスマン氏は眼を細める。さらに、ジェヴォーダンは続けた。

 

「もっと言えば……俺はすでに人間じゃない」

「………」

「俺の体に流れる血は、人間のそれじゃない。ここに来る直前、すっかり『上位の者』の血と取り替えてしまった。あなたは、俺を知っている。なぜだ? あの『小さなトニトルス』はなぜここにある!? あなたは一体……」

「まぁ待て、落ち着きたまえ」

 

 オスマン氏はフーッとため息をつき、ゆっくりと髭を撫でた。

 

「1つずつ答えよう。あれを私にくれたのは、私の命の恩人じゃ」

「その狩人は?」

「死んでしまった。今から、もう30年も前の話じゃ」

「なんだと!?」

「30年前、森を散策していた私は、ワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのが、あの『破壊の杖』の持ち主じゃ。彼はあの『破壊の杖』でワイバーンを吹き飛ばすと、ばったりと倒れおった。……普通の人間なら、死んでいる怪我じゃった。私は彼を学園に運び込み、手厚く看護した。しかし、看護の甲斐なく……」

「そんな……」

 

 オスマン氏は俯いた。

 

「私は、彼が使った道具を『破壊の杖』と名づけ、宝物庫にしまいこんだ。恩人の形見としてな……」

 

 そう語り、オスマン氏は遠くを見つめるように眼を細めた。

 

「彼は、不思議なほど落ち着いていた。瀕死の重傷を負っているとはとても思えないほど。そして彼は語ってくれた、自分が『狩人』という存在であること、『上位者』の存在、『逆さ吊りのルーン』……君の左手に現れたそれじゃ」

 

 ジェヴォーダンはハッとして左手のルーンを見る。自分には読めない文字の上に浮かび上がったのは、狩人なら誰もが知る徴だった。

 

「彼は自らを教会の狩人だと語っていた。死に際に彼は安心した様子だった。『これで悪夢を見ることなくゆっくりと眠れる』と……。彼がどこから来たのか、どのような方法でこの地に来たのか、最後までわからんかった」

「くそっ、手がかりを見つけたと思っていたが……」

 

 ジェヴォーダンは歯噛むしかなかった。見つけた手がかりは、あっという間に消えてしまったのだ。

 おそらく彼は医療教会の名もなき狩人だったのだろう。何かしらの方法でこちらの世界へ来たのだろうが、今となっては知るすべはない。

 オスマン氏は、次にジェヴォーダンの左手を掴んだ。

 

「おぬしのこのルーン……」

「……こちらについても聞きたかった。これが光ると、どういうわけか体が軽くなる。それだけでなく、本来なら俺が使えないはずの狩り道具まで、自在に扱うことができた」

 

 オスマン氏は、話そうかどうかしばし悩み、仕方ないとばかりに口を開いた。

 

「これなら知っておるよ。ガンダールヴの徴じゃ。伝説の使い魔の印じゃよ」

「伝説の使い魔?」

「そうじゃ。その伝説の使い魔は、ありとあらゆる『武器』を使いこなしたそうじゃ。だがお主は、並大抵の武器ならすでに扱いに長けておる。だから身体能力の向上、そして、本来使えるはずのない武具を使いこなせたのじゃろう」

 

 ジェヴォーダンは、思わず息を飲んだ。

 

「……伝説の、使い魔だと? だとすれば、俺の主人のルイズは」

「それは、わからん」

 

 その意図を汲み、オスマン氏が先手を打って答えた。

 

「お主も知ってるであろうが、彼女はとても素晴らしい人物じゃ。強くしたたかな芯のある人間じゃ。それと同時に、決して優秀なメイジとは言い難い。なぜ彼女の使い魔であるお主が伝説の『ガンダールヴ』を持って召喚されたのかはわからん。だが、おぬしがこちらの宇宙にやってきたことと、そのガンダールヴの印は、何か関係があるのかもしれん」

 

 ジェヴォーダンはため息をついた。どれも有益な情報ばかりだったのだが、かといってこの現象の全体像は決して見えてこない。かつてこの地にやってきた狩人のことも、よくわからないままだった。

 

「力になれんですまんの。ただ、これだけは言っておく。私はおぬしの味方じゃ、狩人よ」

 

 そういうと、オスマン氏はジェヴォーダンを抱きしめた。

 

「よくぞ、恩人の杖を取り戻してくれた。改めて、礼を言う。『破壊の杖』、いや、『小さなトニトルス』というのか? これはお主が持って行きたまえ」

 

 なんとオスマン氏は、懐から件の『小さなトニトルス』を取り出した。ジェヴォーダンが驚きの声をあげる。

 

「これは!? いや、宝物庫に戻したはずでは?」

「ふふ、よいのじゃ。宝物庫にはよく似た鉄製のワンドを飾っておる。何、誰も彼も興味など持たずに眺めておったものじゃ、気付くまいて」

「しかし、あなたの恩人の……」

「よいのじゃ。言うたであろう、せめてもの礼じゃ。おぬしがどういう理屈でこちらの宇宙にやってきたのか、私なりにしらべるつもりじゃ。だが、何もわからんでも恨まんでくれよ。なに、こちらの宇宙も住めば都じゃ、嫁さんだって探してやる」

 

 ジェヴォーダンは、『小さなトニトルス』を受け取り、静かに礼をする。帰る手がかりは、簡単に指の間からすり抜けていってしまった。

 

 

 

 

 

 

 アルヴィースの食堂の上の階が、大きなホールになっており、舞踏会はそこで行われていた。ジェヴォーダンはバルコニーの枠にもたれ、2つの月を眺めていた。

 中では着飾った生徒や教師たちが、豪華な料理が盛られたテーブルの周りで歓談している。ジャヴォーダンも料理のおこぼれにありついてはいたものの、場違いな気がして中に入る気にならなかった。

 そばには、シエスタが持って来てくれた肉料理の皿とワインの瓶が乗っかっていた。この宇宙の料理にあれほど感動していたはずなのに、なぜか手をつける気にはならない。

 

「お前、何をしょぼくれてるんだ?」

 

 バルコニーの枠に立てかけた抜き身のデルフリンガーが、心配そうに言った。

 

「……狩人は、夜を駆け抜ける風だ」

「あぁ?」

「姿はなく、ただ獣だけを狩る。この宇宙に獣はいない。帰る方法への糸口が見つかるかと思ったが……このざまだからな」

 

 先ほどまで、綺麗なドレスに身を包んだキュルケがジェヴォーダンを誘い続けていたが、パーティーが始まるや中に入って男たちに囲まれて笑っている。

 黒いパーティドレスを着たタバサは、一生懸命にテーブルの上に山と盛られた料理と格闘している。

 

「それで……つまりお前、疎外感でも感じてんのか」

「……狩人の居場所がない夜だ。疎外感じゃない、疎外されてるんだよ」

 

 それぞれに、みんなパーティを満喫している。

 それで……先ほどのこともあって意気消沈しているジェヴォーダンは、なんとなく居場所を感じられずにいたのだ。

 

 突然、ホールの壮麗な扉が開き、ルイズが姿を現した。

 

「ヴァリエール公爵が息女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール嬢のおな〜〜り〜〜〜〜〜!」

 

 ルイズは、長い桃色がかった髪をバレッタにまとめ、ホワイトのパーティードレスに身を包んでいた。肘までの白い手袋が、ルイズの高貴さをいやになるくらい演出し、胸元のあいたつくりのドレスが、ルイズの小さい顔を宝石のように輝かせる。

 主役が全員揃ったことを確認した楽士たちが、小さく、流れるように音楽を奏で始めた。

 ルイズの周りには、これまでゼロのルイズとからかっていたノーマークの女の子の美貌に気づいた男たちが、いちはやく唾をつけておこうと慌てて群がり、さかんにダンスを申し込んでいる。

 ホールでは、貴族たちが優雅にダンスを踊り始めた。ルイズは誰の誘いも断り、バルコニーで月を眺めるジェヴォーダンに近づいた。

 ルイズが隣に来ても2つの月から目を離さないジェヴォーダンに、ルイズは首をかしげた。

 

「……楽しんでいるみたいね?」

「そう見えるか?」

 

 ジェヴォーダンはため息をつき、いい加減にと帽子を外した。銀色の髪が月光を反射し、鈍く光っている。

 

「……何が見える?」

「……『月』。あんたは?」

「『月』と『空』が見える」

 

 ルイズは、息を飲んだ。啓蒙の本質を、垣間見たのだ。

 そしてルイズは重苦しく俯くと、ジェヴォーダンの声色を真似たのか、低い声で言った。

 

「何が見える?」

「……『月』と『空』。お前は」

「……空に開いた穴かもしれないわよ」

 

 思わぬ返答に、ジェヴォーダンは吹き出した。つられてルイズも吹き出し……ジェヴォーダンにとっては、もうどれほどぶりか思い出せないほど久しぶりに……2人で、笑った。

 

「……お前は踊らないのか」

「相手がいないのよ」

「……? あれほど誘われていたろう」

 

 ジェヴォーダンのその問いかけに答えず……ルイズは、手を差し伸べた。

 

「踊ってあげても、よくってよ」

 

 ジェヴォーダンは驚き……そして帽子をかぶり直すと、薄い笑みを浮かべてその手を取った。

 

「喜んでお受けいたします、ご主人様」

 

 2人は並んで、ホールへと向かった。

 

 

 

 ジェヴォーダンのエスコートで、ルイズは軽いステップを踏む。ダンスまでこなせるなんて、この男はどこまで有能なのだろうかと、思わず関心してしまった。

 

「……ねぇ、ジェヴォーダン。信じてあげるわ」

「? 何をだ」

「……あんたが別の宇宙からやってきたってこと」

 

 ルイズはステップを踏みながら、そう呟いた。

 

「なんだ、信じていなかったのか」

「今まで、半信半疑だったけど……あの『破壊の杖』、あれを見せられちゃったら、さすがに信じるしかないわね」

 

 それからルイズは、少し俯いた。

 

「ねぇ、帰りたい?」

「……帰りたい、というのとは、少し違う。もし自分の願いだけを唱えるなら、帰りたくはない。ずっとここにいて、お前の使い魔をするのも悪くはない」

 

 ルイズの顔が一瞬明るくなった。だがその文脈を読み取れば、そう都合のいい話じゃないことがすぐわかり、また俯いた。

 

「俺は、帰らなくちゃならない。狩りはまだ、終わっていない。狩りを、成就しなければならない」

 

 そうよね……、と呟いて、ルイズはしばらく無言で踊り始めた。

 背の高いジェヴォーダンのエスコートで、ルイズはくるくると廻る。また向き直って踊り始め……ルイズは顔を赤らめると、思い切ったように口を開いた。

 

「ありがとう。その……フーケのゴーレムに潰されそうになった時、助けてくれて。良い貴族だって、言ってくれて」

 

 ジェヴォーダンは、答えない。ルイズは何か誤魔化すように呟いて、俯いた。

 楽士たちが奏でる曲のテンポが上がり始め、2人も軽やかになっていく。ジェヴォーダンは正直、こういう時に返すべき言葉がよくわからなかったのだ。だから今は、少しでもこの小さな娘が楽しめるようにしてやればいい。軽いステップを踏みながら、そう思えるだけで十分な気がした。

 

「当然だ」

「どうして?」

「俺は、お前の使い魔だからな」

 

 ジェヴォーダンはそう言って、ルイズをエスコートした。

 

 

 

 そんな様子をバルコニーから見ていたデルフリンガーが、こそっと呟いた。

 

「おでれーた!」

 

 2つの月がホールに月明かりを送る。何者の意思もない、溶け出すような月明かりを。

 何も潜まない、静かな宇宙を辿ってやってくる月明かりを。

 

「相棒! てーしたもんだ!」

 

 踊る相棒とその主人を見つめながら、デルフリンガーは、おでれーた! と繰り返した。

 

「おでれーた! 主人のダンスの相手をつとめる使い魔なんて、初めて見たぜ!」

 

 




小さなトニトルス

医療工房の異端、アーチボルドの手になる神秘の触媒
地面に突き刺し、黒獣が纏うという青い雷光を人工的に再現する。
使い魔のルーンの効果により、その本来の力を呼び起こす事ができる。

『破壊の杖』とは、決して買い被りではないだろう。
雷光とは、ただ破壊することしかできないのだ。


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09:悪夢

 ルイズは、夢を見ていた。

 生まれ故郷のラ・ヴァリエールの領地にある屋敷。夢の中の幼いルイズは、屋敷の中庭を逃げ回っていた。

 

「ルイズ、どこに行ったの? まだお説教は終わっていませんよ!」

 

 そう行って騒ぐ母。出来のいい姉たちと魔法の成績を比べられ、説教をされる毎日。

 ルイズは歯嚙みをして、逃げ出した。そして、彼女自身が『秘密の場所』と呼んでいる、中庭の池へと向かった。

 あまり人の寄り付かない、うらぶれた中庭の池。真ん中には小さな島があり、白い石造りの東屋が建っている。

 島のほとりには小舟が一艘浮いていた。今やもう、この池で舟遊びを楽しむものはいない。ルイズは叱られると、決まってこの小舟の中に逃げ込むのだった。

 夢の中の幼いルイズは、小舟の中に用意してあった毛布に潜り込む。そんなふうにしていると、中庭の島にかかる霧の中から、一人のマントを羽織った立派な貴族が現れた。

 

「泣いているのかい? ルイズ」

 

 つばの広い、羽根つき帽子に隠れて顔は見えない。だがルイズにはそれが子爵だとすぐにわかった。最近、近所の領地を相続した歳上の貴族。夢の中のルイズにとっての、憧れの子爵。父と彼の間で交わされた約束……。

 

「子爵さま、いらしてたの?」

「今日はきみのお父上に呼ばれたのさ。あのお話のことでね」

「まあ!」

 

 ルイズは恥ずかしさに顔を隠してうつむいた。

 

「いけない人ですわ、子爵さまは……」

「ルイズ、僕の小さなルイズ。きみはぼくのことが嫌いかい?」

 

 おどけた調子で、子爵が言った。

 

「いえ、そんなことはありませんわ。でも……わたし、まだ小さいし、よくわかりませんわ」

 

 ルイズがはにかんで言うと、帽子で顔が隠れたまま、子爵は手をそっと差し伸べてくる。上質な革手袋に包まれた、大きな手。

 

「子爵さま……」

 

 ルイズが手を取ると、子爵は顔を上げ……ルイズは、その姿を見て青ざめた。

 そこに、子爵の姿はなかった。文字通り「姿がなかった」。

 まるで透明人間が子爵の服と帽子を着ているかのよう。帽子と襟口の内側の布地が見える。

 

「ひっ……!?」

 

 思わずその手を振り払う。すると、まるで初めから中身などなかったかのように服がぺしゃりと潰れ、ルイズに覆いかぶさってきた。

 慌てて空っぽの子爵の服を払いのける。中から出てきたルイズは、幼い姿のルイズではなく、トリステイン魔法学校に通う今の姿のルイズだ。

 

「え……? どこ、ここ」

 

 周囲の景色も様変わりしていた。一面の白い花畑。そよ風に揺れる可愛らしい花びらが一面に広がり、不思議な香りが鼻腔をくすぐる。

 突然の事にルイズは困惑し、ゆっくりとあたりを見渡していた時だった。

 

『はっはっはっはっはっ……なるほど、君も何かにのまれたか。狩りか、血か、それとも悪夢か?』

 

 しゃがれた声のする方へ振り返る。燃える家と、見上げるほど大きな樹と、その下で車椅子に腰掛ける老人、そして……見慣れた姿があった。

 

「……ジェヴォーダン?」

 

 顔は、帽子と防塵マントに隠れて見えない。それでもそのいでたちでそれが自分の使い魔だとすぐにわかった。

 だが、ジェヴォーダンは呼びかけには応えない。ただ、車椅子からゆっくりと立ち上がる老人を睨みつけている。

 

『まぁ、どれでもよい。そういう者を始末するのも、助言者の役目というものだ……』

 

 老人は、傍らから巨大な刃を引き抜いた。そして独特の構えで、それを背負った仕掛けと組み合わせて展開する。

 

『ゲールマンの、狩りを知るがいい』

 

 そして、老人とジェヴォーダンは一斉に跳ねた。

 あまりの衝撃に思わずルイズは頭を抱える。だがなんとか薄く目を開け、己が使い魔の様子を見ていた。

 それは、まさしく死闘だった。攻撃に次ぐ攻撃、回避に次ぐ回避。全てをかわしきるのではなく、時には被弾をしてでも、肉を切らせて骨を断つ戦いが互いに繰り広げられる。

 ジェヴォーダンの動きは、ギーシュと決闘を繰り広げた時のそれとは、比べ物にならないほど凄まじいものだった。

 いつのまにか、ルイズはその闘いに静かに見とれていた。白い花弁が嵐のように舞い上がり、青い月明かりに照らされて眩く輝いている。

 ルイズは戦う2人の背後にある大きな1つの月を見て、確信した。これはジェヴォーダンの記憶なのだ。

 使い魔と主人は様々なものを共有する。ルイズはジェヴォーダンがその瞳で見た景色を観ているのだ。

 

 ジェヴォーダンの脇腹を、老人が振るう鎌がかすめる。鮮血が撒き散らされるがジェヴォーダンは気に止める様子も見せず、むしろノコギリを老人めがけ振り下ろす。老人の脇腹をノコ刃が捉え、吹き出した返り血を目いっぱいに浴びる。

 血みどろの戦い。白い花を赤く染める。ほんの一瞬の間合いが空いたのち……2人の影が重なった。

 

 ジェヴォーダンの喉を捉えたように見えた鎌の刃を、ジェヴォーダンは手で握って受け止めていた。刃を掴んだ指から大量の血が滴り落ちる。

 そして、ジェヴォーダンのノコギリ鉈は、老人の肩口から胸にかけて、深くえぐるように突き刺さっていた。

 

 勝負が、決する。老人は両手をやにわに掲げ、どこか満足そうな表情を浮かべた。

 

『全て、長い夜の夢だったよ……』

 

 そしてそのまま倒れこみ……老人の姿は、まるで夢のように消えてしまった。

 静けさだけが残る。返り血にまみれ、月光を浴びて立つジェヴォーダン。そのあまりに壮絶な姿は、なぜかルイズの心を何よりも強く打った。

 

「ジェヴォー……」

 

 応えないとわかっていても、ルイズは呼びかけた。だが、不意に挿した影にそれは遮られた。

 ルイズは、そして夢のジェヴォーダンは、月を見上げた。真っ赤に染まった月が、降りてくる。巨大な何かが、触手を携えて、月から降りてくる。

 

「あ、ぐぅっ?」

 

 突然、強烈な耳鳴りと頭痛を覚える。水音が絶えず聞こえ、頭の中を何かが蠢いているのを感じる。

 ルイズにはそれが何なのかわからない。だがジェヴォーダンは、月から降りてきたそれに向かって、迎え入れるように歩いていく。

 

「ジ、ジェヴォーダン! だ、め、行っちゃ……!」

 

 ぐらつく頭を押さえてジェヴォーダンを止めようとするルイズだったが、しかしジェヴォーダンは、そんなルイズの様子とは打って変わって、動揺した素振りは見せなかった。

 むしろまるでつまらなそうに、幼子が遊び飽きたおもちゃを見るような目で、その巨大な怪物と向かい合う。

 その怪物の両手がジェヴォーダンを掴んだ。怪物の顔とジェヴォーダンの身体が近づく。

 怪物が、ジェヴォーダンを抱き寄せる。触手に絡め取られて行くその姿に、ルイズは短く悲鳴を漏らす。

 その直後……ジェヴォーダンの身体から光が炸裂し、触手と腕を弾き飛ばした。

 地面に降り立つジェヴォーダンを、ルイズと怪物は驚愕して見やった。ジェヴォーダンは至極つまらなそうに、怪物をにらみつける。

 

『……お前は、頭の中に瞳があるのか』

 

 夢の中で初めて、ジェヴォーダンが口を開いた。それは今のジェヴォーダンと同じ声なのに、何故か今よりもずっと人間的に聞こえた。

 怪物が触手を鬣のようにたなびかせて立ち上がる。目の前のものを敵と、判断したようだ。

 

『そうか』

 

 そして、ジェヴォーダンもノコギリ鉈を振るい、ガチンと変形させる。

 

『なら、俺の勝ちだ』

 

 そして、戦いではなく、「狩り」が始まった。

 

 

 

 

 

 

 ルイズがうーんうーんと唸るので、壊れたノコギリ鉈を弄っていたジェヴォーダンは怪訝そうに振り返る。

 どうやら悪夢を見ているようだ。他人事としても、いい気はしない。ジェヴォーダンがそんなことを考えてると、傍らに置いたデルフリンガーがカチカチと金属音を鳴らす。

 

「ひどくうなされてやがるな。どんな夢見てるんだ?」

「さぁな。ロクなもんじゃなさそうだが……」

 

 そんなことを話していると、突然ムクッと、ルイズが起き上がる。

 

「……ジェヴォーダン! だから行くなって言ったのに! 何であんたはいっつも言うこと聞かないの、バカッ!」

 

 驚きのあまり固まるジェヴォーダンとデルフリンガー。ルイズはそれだけ喚くとまたパタリと倒れ、また寝息と唸り声を上げ始める。どうやら寝ぼけていただけのようだ。

 

「……相棒お前、娘っこの夢の中で何してんだ?」

「俺が知るかよ……」

 

 ジェヴォーダンは少し悩み、ルイズの枕元に忍び歩く。

 そして、懐から小さな木箱を取り出した。

 箱の底にあるゼンマイを幾分か巻き、蓋をあける。押し込まれていたスイッチが作動して、オルゴールから静かなメロディが流れ始めた。

 ヤーナムでは、ごく一般的に聞かれる、子守唄のメロディだ。

 そのままオルゴールを枕元に置いてやる。唸り声を上げていたルイズだったが……しばらくして、かすかな寝息を立て始めた。どうやら落ち着いたようだ。

 

「ほーぉ、相棒、変なもん持ってんだな。おでれーた」

 

 机に戻ったジェヴォーダンはひと息置くと、分解したノコギリ鉈のパーツを手に取る。

 

「で、直せそうかい」

「うーん、厳しそうだ。機関の故障というだけならまだなんとかなったかも知れないが、やはり機関部が断裂している。工房の道具なしではどうにもならないな」

「俺様も長生きしてきたが、こんな複雑な武器は初めて見たぜ。確かにこりゃ、まともな道具なしで手を加えるもんじゃねぇよ」

 

 デルフリンガーはそれから、また鍔をカチカチと鳴らし、誰かに聞かれてはまずいというかのように、声を潜めた。

 

「それにな、相棒。こう言っちゃなんだが、この宇宙に、相棒がその武器使ってまで戦うような相手はおそらくいねーよ。相棒と『同種』がいねーだろうからな。過ぎた力だぜ、それは」

「……『過ぎたるは及ばざるがごとし』か。まぁ、お前がいればしばらくは平気だろうな」

 

 分解されていたノコギリ鉈をテキパキと組み立て直す。それを布でくるんで部屋の隅に置くと、机に置いた携帯ランタンの火を消して椅子に深くもたれた。

 

「……少し疲れたな」

「なんだ相棒、寝るのか?」

「あぁ、少し、気が抜けたようだ」

 

 狩人である以上夜に眠ることなどなかったが、獣のいないこの世界。ずっと張り詰めていた殺意がすっかり緩みきり、ジェヴォーダンも無自覚に、自分が変わりつつあることを知る。

 眠気を覚えるなど、あの輸血を受けた日ぶりかもしれない。それも、血に眠らされるのではなく自分から感じる眠気など……もはや、記憶が消える前の事だったはずだ。

 

「まぁ、相棒は寝なさすぎだからな。少し休んだ方がいいだろうよ。娘っこが毛布かなんかくれてるんだろ、それで……って、なんだ、寝ちまったか」

 

 だから、ジェヴォーダンは自分がそんなことを自覚するよりも先に、すっかりと深い眠りに落ちていた。

 

「おやすみ、相棒」

 

 きっと全ての狩人が望んだ、悪夢のない眠りのはずだろう。異なる地でジェヴォーダンはあっさりと、それを手に入れていた。

 

 

 

 

 

 

 時を同じくして、遠く離れたトリステイン城下町の一角、チェルノボーグの監獄で、土くれのフーケがぼんやりとベッドに寝転んでいた。

 これまで散々貴族のお宝を荒らし回ってきた名うての怪盗だったフーケも、城下で最も監視と警備が厳重なこのチェルノボーグに入れられてしまっては手詰まりだ。

 裁判は軽い刑にはならないだろう。脱獄は不可能、杖を取り上げられ、金属にまつわるものは近くに一切置かない徹底ぶり。壁や鉄格子には魔法の障壁が張り巡らされ、たとえ杖があってもどうにもならない。

 

「かよわい女ひとり閉じ込めるのにこの物々しさはいかがなもんかねぇ」

 

 苦々しげにそう呟き、続いて自分を捕まえたあの男のことを思い出していた。

 

「たいしたもんじゃないの、あいつは!」

 

 思い返すほどに妙な男だった。身なりのおかしさから、その身のこなしまで。凄まじい身のこなしで自分を追い詰め、罠を張れば頭でも出し抜かれた。完敗とはこのことである。

 一体あいつは何者だったのだろうか。

 しかし、今となっては自分には関係のないこと。とりあえずは寝よう。そう思って目をつぶり……またすぐ開いた。

 上の階から、誰かが歩いてくる音がする。かつ、こつという音の中に、ガシャガシャと拍車の音が混じる。上階に控える牢番なら、拍車をつけているわけがない。フーケは飛び起きた。

 鉄格子の向こうに、長身の黒マントの人物が現れた。白い仮面に覆われて顔が見えないが、マントから突き出た魔法の杖でメイジだとわかった。

 

「おや、こんな夜更けにお客さんなんて、珍しいわね」

 

 フーケは、おそらく自分を殺しにきた刺客だろうと当たりをつけた。どうせこれまで盗みを働いた貴族のうち、明るみに出るとまずいものを取られたことへの口封じだろう。

 

「あいにくだけど、見ての通りここには客人をもてなすような気の利いたものはございませんの」

 

 フーケは身構えた。囚われたとはいえ、むざむざとやられてやるつもりはない。魔法だけでなく、体術にもいささかの心得はある。鉄格子越しに魔法を使われたら終わりなので、なんとか油断させて牢に引き込まねば。

 

「この痩せた体以外、何も得るものはないでしょうがね」

 

 だが、黒マントの男はそれを無視し、口を開いた。

 

「『土くれ』だな」

「誰がつけたか知らないけど、そう呼ばれているわ」

「話をしにきた」

「話? 弁護でもしてくれるっていうの? 物好きね」

「なんなら弁護してやっても構わんが。マチルダ・オブ・サウスゴータ」

「……あんた、何者?」

 

 平静を装ったが無理だった。震える声でフーケは聞き返す。それはかつて捨てた、捨てることを強いられた貴族の名だった。その名を知るものは、もうこの世にいないはず。

 男はその問いには答えず、笑った。

 

「再びアルビオンに仕える気はないかね、マチルダ」

「まさか! 父を殺し、家名を奪った王家に仕える気なんかさらさらないわ!」

 

 フーケが怒鳴り声を上げるが、男は態度を変えない。

 

「勘違いするな、何もアルビオンの王家に仕えろと言っているわけではない。アルビオンの王家は近いうちに倒れる。革命によってね。無能な王家はつぶれ、我々有能な貴族が(まつりごと)を行うのだ」

「でも、あんたはトリステインの貴族じゃないの。アルビオンの革命とやらと、なんの関係があるっていうの?」

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を超えて繋がった貴族の『連盟』さ。我々に国境はない。ハルケギニアは我々の手で1つになり、始祖ブリミルの光臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「バカ言っちゃいけないわ。で、その国境を超えた貴族の『連盟』とやらが、このコソ泥に何の用?」

「我々は優秀なメイジが1人でも多く欲しい。協力してくれないかね? 『土くれ』よ」

「夢の絵は、寝てから描くものよ」

 

 フーケは話にならないとばかりに手を振った。

 ハルケギニアを1つにする? たいそうなスローガンではあるが夢物語だ。数多くの王国が未だ小競り合いを繰り広げる中、それらを1つにするなどできるはずがない。

 おまけに『聖地』を取り返すときた。彼らは、あの強力なエルフたちにまで挑むつもりか。

 

「わたしは貴族は嫌いだし、ハルケギニアの統一なんかにゃ興味がないわ。おまけに、『聖地』を取り返す? エルフどもがあそこにいたいってんだから、好きにさせればいいじゃない」

 

 黒マントの男は腰に下げた長塚の杖に手をかけた。

 

「『土くれ』よ。お前は選択することができる。我々の同胞となるか……」

「ここで死ぬか、でしょ?」

 

 フーケが引き継ぐ。男は薄ら笑いを浮かべた。

 

「その通りだ。我々の事を知ったからには、生かしてはおけんからな」

「ほんとに、あんたら貴族ってやつは、困った連中だわ。他人の都合なんか考えやしない。つまりは選択じゃない、強制でしょ。だったらはっきり、味方になれって言いなさいな。命令もできない男は嫌いだわ」

「我々と一緒に来い」

 

 フーケは腕を組む。

 

「あんたらの貴族の『連盟』とやらは、なんていうのかしら」

「味方になるのか? ならないのか? どっちなんだ」

「これから旗を振る組織の名前は、先に聞いておきたいのよ」

 

 男は鍵を取り出し、鉄格子の錠前に差し込む。そして細い声で、しかしはっきりと言った。

 

「レコン・キスタ」

 

 

 

 

 

 

『狩人様』

 

 柔らかな光に包まれた庭。並んだ墓石の根元から伸びる草花が風に揺れ、穏やかな空気が漂う空には、無数の柱が地平まで伸びている。

 空には、月ではなく、柔らかな光。見慣れたはずの景色は、だがしかしどこまでも暖かく優しげだった。

 

『これは、夢か』

 

 ジェヴォーダンの目の前には、一体の人形が立っていた。球体関節の浮き出た指を重ね、虚ろな目でジェヴォーダンを見やるその姿は、ぞっとするような美しさをたたえ、しかしジェヴォーダンが知るそれよりも、ずっと優しげな表情を浮かべていた。

 

『はい、これは、狩人様の夢です』

『そうか。俺の、夢か』

『えぇ。狩人様の心は、すでにこの夢を離れていらっしゃいます』

 

 振り返れば、見慣れた工房の姿。炎に包まれていたはずの姿も、すっかりと美しさを取り戻していた。

 

『……すまなかったな』

『……?』

 

 人形が、首をかしげる。

 

『俺は成功したはずだった。月の魔物も殺し、瞳を得て、上位者になるはずだったが……こんなにも穏やかな夜を享受するに至っている。俺は、あんたらの望む狩人には、なれなかったようだ』

 

 光に包まれる工房の建物は絵画のように美しかった。人形は薄い笑みを浮かべ、長い睫毛を何度か瞬かせた。

 

『いいえ、狩人様。あなた様は、確かに狩りを全うされました。かつてここを去っていったどの狩人様にもなし得なかったことを、成し遂げました』

『俺が、ここであいつの使い魔として生きていてもか?』

『はい』

『ゲールマンは?』

 

 工房を見やる。誰も乗っていない空の車椅子が、寂しげにそこに置かれているのが見えた。

 

『ゲールマン様も、きっと理解しておいでです。あの方は、ずっとこの夢から醒めることを望み、しかし最後には狩人様を解放しようとしました』

『俺が解放されることを望む、か』

『私には、やはり人が人を愛する気持ちは理解できません。ですが、貴方がルイズ様を愛し、大切に思う気持ちに偽りがないということだけは、わかります』

『……そうか』

 

 人形は、かつて受け取った小さな髪飾りを、そっと指でなぞった。

 

『夜が月を抱くように、私も貴方を愛しています、狩人様。そして、貴方のハルケギニアでの目覚めが有意なものであることを、ずっとずっと祈っております』

 

 これは、自分の夢だ。全て、自分に都合のいい夢だ。

 それがわかっていてもジェヴォーダンは……人形に背を向けた。

 

『……もう行く』

『はい』

 

 ジェヴォーダンは歩みだした。光の先に、何が待っているのだろうか。

 

 

 

『行ってらっしゃいませ、狩人様』

 

 狩人の姿がすっかり見えなくなってから、人形は……空に浮かんだ、赤い赤い月を見た。

 

『狩人様、ご安心ください。幼年期は、すでに始まっています』

 




月の魔物

ローレンスたちの月の魔物
青ざめた血

3本の3本目


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10:依頼

 ボサボサの頭で目覚めたルイズの目に飛び込んできたのは予想外の光景だった。

 あのジェヴォーダンが、寝てる。

 ここに来てもうどれくらいの時が経ったかしれないが、彼は一晩たりとも眠ったことはなかった。最初のうちほど毎晩気になってしょうがなかったが、いつのまにか「そういうものなのだろう」くらいの認識に収まっていた。

 それがどうだろうか、今ルイズの目の前で、ジェヴォーダンは朝日を浴びながらくたびれるように目を閉じている。

 なんだか気になって、ルイズはベッドから出る。起こさないよう、足音をあまり立てずゆっくりと近付く。

 椅子にしなだれて目を閉じる様は、寝息さえたてていなければまるで死んでいるかのように見えたかもしれない。それくらい静かに、動きを感じさせずに眠ってる。

 不思議とその姿が気になって、ルイズは思わず手を伸ばした。その手が体にゆっくりと伸び……突然手首を掴まれた。

 

「うっ!?」

 

 そしてぐいっと、力任せに引き寄せられる。強引に顔を近づけられたジェヴォーダンの目は、まっすぐルイズを見ていた。

 

(ち、かい)

 

 ルイズは狼狽したが、実はジェヴォーダンも驚いていた。いかんせんとっさの対応だったのだ。

 

「……寝ていたのか、俺は」

「え、え、えぇそうよ……ってちょっとあんた、まず離しなさい!」

「あぁ」

 

 ルイズの手が、するりと離れる。ジェヴォーダンは立ち上がると、ひとまずとばかりに伸びをした。

 背骨がボキボキバキバキと凄まじい音を立てるのでルイズは目を丸くする。いや、そんな音出ないだろ普通。

 

「お前、昨晩だいぶうなされていたようだが」

「え? あぁ……なんか変な夢見てた気がしたけど……忘れちゃった」

「うーむ、俺も何か見ていた気がしたが。一眠りだったな、忘れた」

 

 全身をバキバキと音を立てながら伸ばすジェヴォーダン。なんだか関節を無視した曲がり方までしている気がするがこの場は何も言わないことにする。ルイズは怪訝そうな顔をした。

 

「あんた、寝るのね。意外だったわ」

「あぁ、どうも気が抜けていたようだ。ただやはり、俺は気分良く眠るのは無理だな。今もとっさに反応してしまった。あまり寝込みに手を出すな、感心せんぞ」

「へ? あ、いや、てっていうかご主人様の手をいきなり掴んでるんじゃないわよ!」

 

 まさかジェヴォーダンの寝姿に見とれて思わず手が出たなんて口が裂けても言えないだろう。ルイズはさっさと朝の仕度に取り掛かろうとして……枕元に置かれた小箱に気がついた。

 

「なに、これ? オルゴール?」

「あぁ、それはお前にやろう」

「え? いいの?」

 

 見れば、ハルケギニアではあまり見ない精巧な作りのオルゴールだ。貴族生まれで目が肥えているルイズからしても美しい品だとわかる。

 

「うなされるよりよかろう。俺にはもう不要な品だ」

「ふーん? ま、使い魔の忠義の心がけとしては褒めてあげるわ」

 

 そう高飛車に言ってのけるが、心なしかにやつきながら朝の準備をするルイズの足取りはわかりやすいほど軽やかだった。

 

 

 

 

 

 

 朝食を終えたルイズたちが教室で待っていると、扉がガラッと開き、漆黒のマントのメイジが入ってきた。じゃれていたルイズとキュルケを含め、生徒たち全員が一斉に席に着く。

 ミスタ・ギトー。フーケの一件の際、当直をほっぽり出して寝ていたミセス・シュヴルーズを責め、オスマン氏に怒りっぽいと指摘されていた教師だ。

 長い黒髪に漆黒のマントを纏った姿は、まだ若いのに不気味さと冷たい雰囲気があり、生徒たちからは不人気だ。が、この場にいる多くの生徒がちらっとジェヴォーダンを見る。

 なんとなく似てるが、絶対あっちのほうが怖い。そう思われていた。

 

「では授業を始める。知ってのとおり、私の二つ名は『疾風』。疾風のギトーだ」

 

 教室中が、しんと静まり返る。満足気に、ギトーは言葉を続けた。

 

「最強の系統は知っているかね? ミス・ツェルプストー」

「『虚無』じゃないんですか?」

「伝説の話をしているわけではない。現実的な答えを聞いてるんだ」

「……火に決まってますわ。ミスタ・ギトー」

 

 いちいち癪に触る言い方にカチンと来つつ、キュルケが言い放つ。

 

「ほほう。どうしてそう思うね?」

「全てを燃やし尽くせるのは、炎と情熱。そうじゃございません事?」

「残念ながらそうではない」

 

 ギトーは腰に差した長柄の杖を引き抜くいた。

 

「試しに、この私に君の得意な火の魔法をぶつけてきたまえ」

 

 キュルケはギョッとした表情を浮かべた。この教師はいきなり何を言い出すのか。

 

「どうしたね? 君は確か、『火』系統が得意ではなかったかな?」

 

 その口調は、明らかにキュルケを挑発していた。キュルケが目を細める。

 

「火傷じゃすみませんわよ?」

「構わん。本気で来たまえ。その有名なツェルプストー家の赤毛が飾りではないのならね」

 

 瞬間、キュルケの顔から笑みが消える。

 胸の谷間から杖を引き抜き振るう。目の前に差し出した右手の上に小さな炎の玉が現れる、キュルケがさらに呪文を詠唱し続けるにつれて膨れ上がる。直径一メイルほどの大きさになった火球を見て、ジェヴォーダンを除く生徒達が慌てて机の下に隠れた。

 キュルケは手首を回転させ、右手を胸元に引きつけて、火球をギトーめがけ押し出した。

 唸りを上げて飛んでくる炎の玉を避ける仕草すら見せずに、ギトーは長柄の杖を剣を振るうようにして薙ぎ払う。

 烈風が火球を掻き消し、そのまま向こうにいたキュルケを吹き飛ばした。

 とっさにその身を、ジェヴォーダンが受け止める。悠然とした態度でギトーは言い放った。

 

「諸君、風が最強たる所以ゆえんを教えよう。簡単だ。風は全てを薙ぎ払う。火も、水も、土も、風の前では立つ事すらできない。残念ながら試した事は無いが、虚無さえ吹き飛ばすだろう。それが風だ」

 

 キュルケは不服そうな顔を浮かべたが、自分を抱きとめるジェヴォーダンを見てうっとりと「ありがとうダーリン」と呟く。ジェヴォーダンはキュルケを落っことした。猫を踏み潰したような声がする。

 

「目に見えぬ風は見えずとも諸君らを護る盾となり、必要とあらば敵を吹き飛ばす矛となるだろう。そしてもう一つ、風が最強たる所以は……」

 

 ギトーは杖を立てた。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 低く、呪文を詠唱する。しかしその時……教室の扉がガラッと開き、いやに緊張した顔のミスタ・コルベールが現れた。

 かなり珍妙ななりをしていた。頭にやたらと馬鹿でかい、ロールした金髪のかつらをのっけ、ローブの胸にはレースの飾りやら刺繍をつけている。

 

「ミスタ?」

 

 あまりにも奇妙なその姿に、ギトーが眉をひそめた。

 

「あややや、ミスタ・ギトー! 失礼しますぞ!」

「授業中です」

 

 ギトーが重々しく言う。コルベールは咳払いをひとつした。

 

「おっほん。今日の授業は全て中止であります」

 

 コルベールは重々しい調子で告げる。教室から歓声が上がったが、それを抑えるように両手を振りながら、コルベールが言葉を続けた。

 

「えー、皆さんにお知らせですぞ」

 

 もったいぶった調子で、コルベールは仰け反った。その拍子に頭に乗せた馬鹿でかいカツラが、床に滑り落ちた。ギトーのおかげで重苦しかった教室の雰囲気が一気にほぐれ、教室中がくすくす笑いに包まれる。

 一番前に座ったタバサが、コルベールのつるつるの禿げ頭を指差して、ぽつんと呟いた。

 

「滑りやすい」

 

 教室が爆笑に包まれた。キュルケがひーひーと笑いながらタバサの肩をぽんぽんと叩く。

 

「あなた、たまに口を開くと、言うわね!」

 

 コルベールは顔を真っ赤にさせると、大声で怒鳴った。

 

「黙りなさい! ええい! 黙りなさい小童共が! 大口を開けて下品に笑うとはまったく貴族にあるまじき行い! 貴族はおかしいときは下を向いてこっそり笑うものですぞ! これでは王宮に教育の成果が疑われる!」

 

 コルベールのその剣幕に、とりあえず教室中がおとなしくなった。

 

「皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、良き日であります。始祖ブリミルの降臨祭に並ぶ、めでたい日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、この魔法学院に行幸なされます」

 

 その言葉に、教室中がざわめいた。

 

「したがって、粗相があってはいけません。急な事ですが、今から全力を挙げて歓迎式典の準備を行います。そのために本日の授業は中止。生徒諸君は正装し、門に整列すること」

 

 生徒達は緊張した面持ちになると一斉に頷いた。コルベールはうんうんと重々しげに頷くと、目を見張って怒鳴った。

 

「諸君が立派な貴族に成長した事を、姫殿下にお見せする絶好の機会ですぞ! 御覚えがよろしくなるように、しっかりと杖を磨いておきなさい! よろしいですかな!」

 

 

 

 

 

 

 魔法学院の正門をくぐって王女の一行が現れると、整列した生徒達は一斉に杖を掲げた。しゃん! と小気味よく杖の音が重なる。

 正門をくぐった先、本塔の玄関。学園長オスマン氏が、王女の一行を迎える。

 馬車が止まると、召使い達が駆け寄り、馬車の扉まで緋毛氈(ひもうせん)のじゅうたんを敷き詰めた。

 呼び出しの衛士が、緊張した声で王女の登場を告げる。

 

「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーりーーッ!」

 

 がちゃりと扉が開いて現れたのは枢機卿のマザリーニだった。

 生徒達は一斉に鼻を鳴らした。マザリーニは意に介した風もなく馬車の横に立つと、続いて降りてくる王女の手を取った。生徒の間から歓声が上がる。

 王女はにっこりと薔薇のような微笑を浮かべると、優雅に手を振った。

 

「あれがトリステインの王女? ふん、あたしの方が美人じゃない」

 

 キュルケがつまらなさそうな口調で言った。

 

「ねえ、ダーリンはどっちが綺麗だと思う?」

「気品はあちらが上だ」

「あぁん! じゃあ顔は私が上?」

 

 ジェヴォーダンからすれば、先ほどの枢機卿の様子と生徒たちの様子から、あっというまにこの王女が置かれた力関係の構図がわかってしまった。少し前に読んだ記事の内容から、この王国が置かれている状況はわかっていたため、おそらく王女の立場は相当に苦しいものだろう。

 そんなことを考えながら、ふと横にいるルイズの方を見た。

 真面目な顔をして王女を見つめていたが、その横顔が突然はっとした顔になった。そして顔を赤らめる。ジェヴォーダンは、その変化が気になってルイズの視線の先を確かめる。

 彼女の視線の先には、見事な羽帽子を被った凛々しい貴族の姿があった。鷲の頭と獅子の体を持った獣にまたがっている。

 ルイズはぼんやりとその貴族を見つめている。様子から察するにただ男前だから見とれているというわけではなさそうだ、何か縁のある人間なのだろう。

 

「……許嫁か?」

「へぁっ!?」

 

 ルイズが跳ね飛ぶ。ジェヴォーダンは「冗談だ」と呟くと、王女一行に視線を戻した。

 

 

 

 

 

 

 そしてその日の夜。

 すっかりこの世界の文字の解読を終えたジェヴォーダンが読書にふけっていた。ルイズはどうも、激しく落ち着きがない。立ち上がったと思ったら再びベッドに腰掛け、枕を抱いてぼーっとしている。昼間、王女一行の様子を見てからこの調子だ。

 かといってジェヴォーダンがそれを気にかけることもないため、こうして読書にふけっているわけである。

 その時だった。突然ドアがノックされた。

 ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。

 突如、ルイズの顔がはっとした表情になった。急いで立ち上がると、ドアに駆け寄って開く。

 そこに立っていたのは、真っ黒な頭巾をすっぽりと被った少女だった。辺りを窺うように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて後ろ手に扉を閉める。

 

「……あなたは?」

 

 ルイズは驚いたような声をあげた。頭巾をかぶった少女は、しっと言わんばかりに口元に指を立てる。それから、頭巾と同じ色のマントの隙間から杖を取り出すと軽く降った。ルーンを短く唱えると、光の粉が部屋に舞う。

 

「……ディテクト(探知)マジック?」

「どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

 

 そう言って少女は頭巾を取った。

 現れたその姿に、ルイズもジェヴォーダンも驚愕して息を飲んだ。そこにはつい先ほどの式典で目にした、アンリエッタ王女の姿があったのだ。

 

「姫殿下!」

 

 ルイズが慌てて膝をつく。ジェヴォーダンも、同じように礼拝の姿勢をとる。何が何だかわからない、なぜここに一国の王女がいるのか。

 そんな思惑をよそに、アンリエッタは涼しげな、心地よい声で言った。

 

「お久しぶりね、ルイズ・フランソワーズ」

 

 そして王女は、今度は感極まったような表情を浮かべ、膝をついたルイズを抱きしめた。

 

「あぁ、ルイズ、ルイズ! 懐かしいルイズ!」

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

「あぁ、ルイズ! ルイズ・フランソワーズ! そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい! あなたとわたくしはおともだち、おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 

 ルイズが緊張した様子で言う。ジェヴォーダンは、神経を尖らせた。どう言う意図で彼女はこの部屋を訪れたのか。どこに耳が目があるかと先ほど行っていたが、その探知魔法とやらは信用に値するのか。どの窓から、どの影からこちらを狙う影がないかと、周囲を見ていた。

 

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った獣のような宮廷魔術師たちもいないのですよ! あぁ、もう、わたくしに心を許せるおともだちはいないのかしら。昔なじみの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまでそんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 

 ルイズが頭を持ち上げた。

 

「幼い頃、一緒になって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 はにかんだ表情で、ルイズは応えた。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ポルト様に叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、掴み合いになった事もあるわ! あぁ、喧嘩になるといつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛を掴まれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫様が勝利をお収めになった事も、一度ならずございました」

 

 ルイズが懐かしそうに言った。

 

「思い出したわ! わたくし達がほら、カインの包囲戦と呼んでいるあの一戦よ!」

「姫様の寝室で、ドレスを奪い合った時ですね」

「そうよ、『宮廷ごっこ』の最中、どっちがお姫様をやるかで揉めて取っ組み合いになったわね! わたくしの一発が上手い具合にルイズ・フランソワーズ、あなたのお腹に決まって」

「姫様の御前でわたし、気絶いたしました」

 

 それから二人は、と顔を見合わせて笑った。おしとやかに見えた王女だが、中身はとんだお転婆娘なようだ。

 

「その調子よ、ルイズ。ああいやだ、懐かしくて、わたくし涙が出てしまうわ」

「……2人は、その、どういった間柄で?」

 

 ジェヴォーダンが尋ねると、ルイズは懐かしむように目を瞑る。

 

「姫様がご幼少のみぎり、恐れ多くもお遊び相手を務めさせていただいたのよ。でも、感激です。姫様が、そんな昔の事を覚えてくださってるなんて……。わたしの事など、とっくにお忘れになったかと思いました」

 

 ルイズの言葉に王女はため息をつくと、ベッドに腰掛けた。

 

「忘れるわけないじゃない。あの頃は、毎日が楽しかったわ。なんにも悩みなんかなくて」

 

 深い、憂いを含んだ声だった。

 

「姫様?」

 

 そんなアンリエッタの様子が心配になり、ルイズは彼女の顔を覗き込んだ。

 

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

「何をおっしゃいます。あなたはお姫様じゃない」

「王国に生まれた姫なんて、籠に飼われた鳥も同然。飼い主の機嫌一つで、あっちに行ったり、こっちに行ったり……」

 

 アンリエッタは窓の外の月を眺めて、寂しそうに言う。それからルイズの手を取ると、にっこりと笑いながら言った。

 

「結婚するのよ。わたくし」

「……おめでとうございます」

 

 アンリエッタの声の調子に、何か悲しいものを感じたルイズは沈んだ声で言う。

 なるほど、とジェヴォーダンは思った。何か策略のあって訪れたものかと思っていたが、要するにその結婚とは政略結婚のことであろう。マリッジブルーに、傷心を癒すため旧友を訪ねた。そんなところのようだ。

 そんな風に思考を巡らせているジェヴォーダンに、アンリエッタは気づいた。

 

「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」

「お邪魔? どうして?」

「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう? いやだわ、わたくしったら。つい懐かしさにかまけて、とんだ粗相をいたしてしまったみたいね」

「はい? 恋人? あの獣が?」

「おい」

 

 ジェヴォーダンが憮然とした声で言うが、ルイズは首をぶんぶんと振ってアンリエッタの言葉を否定した。

 

「姫様! あれはただの使い魔です! 恋人だなんて冗談じゃないわ!」

「使い魔……?」

 

 アンリエッタはきょとんとした表情で、ジェヴォーダンの顔をじっと見つめる。

 

「人にしか見えませんが……」

「……数奇なことではございますが、彼女の使い魔を努めさせていただいております。殿下」

 

 ジェヴォーダンの、ひとまずは礼節をわきまえた態度にルイズもほっと胸をなでおろす。これでとんでもなく失礼な態度を取られたりしたらたまったものではない。

 

「そうよね。はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって昔からどこか変わっていたけれど、相変わらずね」

「好きであれを使い魔にしたわけじゃありません」

 

 ルイズは憮然とした。アンリエッタが再びため息をついた。

 

「姫様、どうなさったんですか?」

「いえ、何でもないわ、ごめんなさいね……嫌だわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるような事じゃないのに、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫様が、そんな風にため息をつくって事は、何かとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言った事は忘れてちょうだい。ルイズ」

「いけません! 昔はなんでも話し合ったじゃございませんか! わたしとお友達と呼んでくださったのは姫様です。そのお友達に、悩みを話せないのですか?」

 

 ルイズがそう言うと、アンリエッタが嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをお友達と呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 アンリエッタは決心したように頷くと、真剣な表情を浮かべる。

 

「今から話す事は、誰にも話してはいけません」

 

 ジェヴォーダンが黙って部屋を出ようとしたら、アンリエッタがそれを止めた。

 

「メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由はありません」

 

 そして物悲しい調子で、アンリエッタは説明を始めた。

 

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐ事になったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 

 ルイズは驚いた声を上げた。たしかルイズは、大のゲルマニア嫌いであったはずだ。

 

「あんな野蛮な成り上がり共の国に!」

「そうよ。でも、仕方がないの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 アンリエッタは現在のハルケギニアの政治の情勢を、ルイズに説明した。

 アルビオンの貴族達が反乱を起こし、今にも王室が倒れそうな事。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろう事。

 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶ事になった事。

 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐ事になった事……。

 

「そうだったんですか……」

 

 ルイズは沈んだ声で言った。アンリエッタがその結婚を望んでいないのは、口調から明らかであった。

 

「良いのよ、ルイズ。好きな相手と結婚するなんて、物心ついた時から諦めていますわ」

「姫様……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族達は、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 アンリエッタは一息つき、そして呟いた。

 

「従って、わたくしの婚姻を妨げるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのような物が見つかったら……」

 

 トリステインは、アルビオンに侵攻される。

 ジェヴォーダンはこれまでの情報収集で、トリステインとアルビオンにどれほどの戦力差があるのかおおよその見当がついていた。貴族の身分にあぐらをかき、ろくに戦力を育てて来ていなかったアダはここで出てしまった、というところだろう。

 

「で、もしかして姫様の婚姻を妨げるような材料が?」

 

 ルイズが顔を蒼白にして尋ねると、アンリエッタは悲しそうに頷いた。

 

「おお、始祖ブリミルよ……。この不幸な姫をお救いください……」

 

 アンリエッタは顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。まるで芝居がかった仕草であり、ジェヴォーダンにはすでにその意図がわかっていたが、あえて閉口していることにした。

 

「言って! 姫様! 一体、姫様のご婚姻を妨げる材料って何なのですか?」

 

 ルイズもつられたのか、興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族達の手に渡ったら……彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだらゲルマニアの皇室は、このわたくしを許さないでしょう。あぁ、婚姻は潰れ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンの立ち向かわねばならないでしょうね」

 

 ルイズは息せきって、アンリエッタの手を強く握った。

 

「一体、その手紙はどこにあるのですか? トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 

 その言葉に、アンリエッタは首を振った。

 

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって! では! すでに敵の手中に?」

「いえ……その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの凛々しき王子様が?」

 

 アンリエッタはのけぞると、ルイズのベッドに体を横たえた。

 

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう! そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 ルイズは息を呑んだ。ジェヴォーダンだけが、心中で確信を得る。

 

「では姫様。わたしに頼みたい事というのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんて事でしょう! 混乱しているんだわ! 考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険な事、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! 例え地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの中だろうが、姫様の御為とあらば、何処なりと向かいますわ! 姫様とトリステインの危機を、このラ・ヴァリエール公爵家の三女、ルイズ・フランソワーズ、見過ごすわけには参りません!」

 

 ルイズは膝をついて恭しく頭を下げた。

 

「『土くれ』のフーケを捕まえたこのわたくしめに、その一件是非ともお任せくださいますよう」

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいお友達!」

「もちろんですわ! 姫様!」

 

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぽろぽろと泣き始めた。

 

「姫様! このルイズ、いつまでも姫様のお友達であり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れる事などありましょうか!」

「ああ、忠誠。これが誠の友情と忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 

「ルイズ。友情を確かめ合っているところ恐縮だがな」

 

 そんな熱のこもった二人の舞台が、突如冷たい声に裂かれた。背筋も凍るような、冷たい声だった。

 ルイズが振り返る。ジェヴォーダンが、氷のように冷たい目を二人に向けていた。

 

「なによ」

「お前はその任務のためにアルビオンに行くつもりでいるのか?」

「そんなの、当たり前じゃないの! あんた、今の私たちの話聞いてたの!?」

「聞いていたさ。だからこそ聞いている」

 

 ジェヴォーダンはため息をつくと、静かに、だが諭すように語り始めた。

 

「わかっているかどうか知らんが、アルビオンは今現在、戦地になっている。単に手紙を取りに行くと言うだけの話ではない、戦地に赴き、敵と戦いを繰り広げている皇太子一人を見つけ出し、手紙を受け取り、そして無事に帰ってこなければならない。はっきり言って普通の任務じゃあない、恐ろしく難しく、そして特殊な依頼だ。当然、お前一人にこなせるものではないだろう。戦場の女など、どこまでも無力だ」

 

 ジェヴォーダンのその言葉に、ルイズは思わず声に詰まった。彼の言っていることは全て事実であり、言い返せる余地などひとつもない。

 そしてジェヴォーダンは視線をアンリエッタに向ける。唖然とするアンリエッタにも、ジェヴォーダンは変わらぬ声で言った。

 

「この依頼をルイズに頼むのは、そんな特殊な依頼をこなせるほどの精鋭や特殊な兵士にも、明るみにすることができない内容だから。違いますか。極秘裏に、誰にも知られないで済む人間に依頼し、しかし手紙の内容は明かせないという。おそらく手紙の内容は、トリステインとゲルマニアの同盟を揺るがすだけのものではない。今のトリステインの内政を根底から破壊してしまうもの……ただでさえ政治の実権をほとんど枢機卿に握られているあなたの立ち位置は地に堕ちる、そういう種類のものだ」

 

 アンリエッタが息を飲む。今、目の前にいるこの男は、一体何者なのか。自分とルイズのほんのわずかな会話とその依頼内容だけで、核心である手紙の内容にまでたどり着いてしまった。

 

「さらに言えば、あなたはルイズを『おともだち』と言うが……この依頼がどう考えても失敗する可能性の高いものであることを考えれば、ルイズは『失っていい駒』というところだろうな」

「え……?」

 

 その言葉に、今度はルイズが反応する。

 

「ちょっと、何言ってるのよあんた! 姫殿下は私に……」

「ルイズ、この依頼をお前が受けてアルビオンに向かい、任務に失敗して死んだとしよう。依頼内容はお前と姫殿下しか知らないこと、今日ここに彼女が訪れていることを知るものもいない。お前は不審死として扱われる程度で、このことは公に出ない」

 

 ルイズは顔面蒼白になってジェヴォーダンを見た。認めなくないが、構図としてはその通り。自分をお友達と呼んでくれるはずの姫殿下が、自分を利用しようとしている?

 恐る恐る、アンリエッタに視線を移す。アンリエッタのほうも青ざめた表情でうつむくばかりで、口をあうあうと震わせている。

 

「ルイズ失敗の報が入れば枢機卿が次の手を打つのだろう? どうせ、そんなにも重要な内容の手紙なのであれば、実権を握る枢機卿が知らないわけもない。ルイズに任せるのは、実際それでルイズが手紙を取り返してくれれば僥倖だった、とだけの話だからな」

 

 アンリエッタの肩が、かくんと落ちる。緊張の糸がはち切れてしまったようだ。ルイズはわなわなと震え、涙を流し始めた。

 だが、その次にジェヴォーダンの口から発せられた言葉は、さらに二人が予想だにもしなかったものだった。

 

「……それで、いつ出発するんだ」

 

 何を言っているのかわからなかった。ルイズも、アンリエッタも、ぽかんとした表情でジェヴォーダンを見る。

 厳密には何を言っているかはわかる。いつ出発するか。わからないのは意味の方だ。これまで散々、この任務の危険性を謳っておいて、何を言っているのか?

 

「その、使い魔さん? この任務を、その……受けていただけるのですか?」

「ジェヴォーダン!? だったら、今の話は何だったのよ!」

 

 当然とばかりに両手をあげてため息をつく。

 

「重要な任務であるのに、芝居めいた自分たち語りで話の主体を逸らしたのはどこの誰だ。だいたい、重要な任務であるのにその内容を知らずに受けることができるわけがないだろう」

「それは、そうだけど……」

「そして、姫殿下」

 

 呼び止められてびくりと肩をすくませるアンリエッタを、ジェヴォーダンがまっすぐ、しかし力強く見つめながら言った。

 

「その手紙回収の任務、この俺にお任せください」

 

 アンリエッタは驚愕した。しかし、ジェヴォーダンは続ける。

 

「この任務の危険性がいかなるものであるか、先ほど述べた通り。しかし、その危険な任務にルイズを連れて行くわけにはいきません。であれば、少なくともこの場でその依頼を耳にした俺が、その依頼を受けるのがスジというものかと」

「あんた、何勝手なことを言ってんのよ!」

 

 ルイズはジェヴォーダンの意図がようやくわかり目を釣り上げた。この使い魔は、要は一人でアルビオンに乗り込もうというのだ。

 もちろん、アンリエッタもそれはわかっていた。だからこそ、疑問だった。

 

「先ほど、あなたの話を聞く限りあなたが私を信用してくれたとは思えませんわ。その……どうしてこの依頼を受けてくださるの?」

「先ほどの言い回し、俺にも失礼な点があった。『おともだち』と思っていなければ、あれほど思い出話が出てくるはずもない。傷心に頼れるものがほかにいないというのは、事実だったのだろう。その時に俺の主人であるルイズを思い出し、そして頼る選択をしてくれたことを、信じます」

 

 ジェヴォーダンの力強い言葉に、青ざめていたアンリエッタの表情に血の気が戻ってくる。

 恐ろしい男ではあった。しかしそれはルイズを思えばのこと。まことの忠誠を誓う使い魔の姿そのものだったのだ。

 この男になら、任せてもいいかもしれない。アンリエッタの心にいちまつの光が見え始めていた。

 だが、二人はそのやりとりの後ろで、ルイズが悪鬼のごとき表情を浮かべて毛を逆撫でているのに、気づかなかった。

 

「そういうわけだ、ルイズ。お前は一人で……」

「……さい」

「何?」

 

 ジェヴォーダンが振り返った瞬間。

 

「黙りなさぁーーい!! あんた、いい加減にしなさい!! 姫さまは……姫さまはあんたに頼みをしに来たんじゃないのよ! わたしに頼みに来たの!」

 

 猛烈な剣幕に、二人が固まる。そしてジェヴォーダンを押しのけて前に立ったルイズは胸を張った。

 

「姫様、今回の任務はこのルイズ・フランソワーズにお任せください。必ず手紙を手に入れてみせます」

「え……?」

「おい、ルイズ!?」

 

 ジェヴォーダンは驚いてルイズの肩を掴んだ。あれほどこの任務の危険性を説明したのにこいつはまだ……と思ったが、ルイズはその手を払いのけた。

 

「何度も言わせないで! あんたは使い魔で、私が主人なの! 私が行くと言ったら行くのよ! あんたは黙って、私に付いて来たらいいの!」

「お前……」

 

 きっぱりと、ルイズは言い放つ。反論は無駄だど目が語っていた。ジェヴォーダンはため息をつき、アンリエッタの困り顔を見た。

 

「……俺への任務は『ルイズを守る』に変更してくれ」

「! で、では……!」

「あぁ」

 

 ジェヴォーダンの言葉なき返答に、アンリエッタは表情を明るくした。

 

「しかし……本当に構わないのですか? ルイズ。彼の言ったことも正しい。私は……あなたを利用している……」

「よいのです、姫さま、一命にかけても、必ずアルビオンに無事に赴きウェールズ皇太子を捜し、手紙を取り戻してみせます」

 ルイズのきっぱりとした言葉に、アンリエッタはどこか切なそうに笑顔を浮かべると、ゆっくりとうなずいた。

 

「アルビオンの貴族達は、王党派を国の隅っこまで追い詰めていると聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう。一刻も早く、アルビオンに向かってもらう必要があります」

「では早速、明日の朝にでもここを出発いたします」

 

 アンリエッタは、それからジェヴォーダンを見た。

 

「恐ろしいけど、でもとても賢く、そして強い使い魔さん」

「……」

「わたくしの大切なおともだちを、どうか、守ってあげてください。どうか、おねがいいたします」

 

 そして、すっと左手を差し出した。ルイズが驚いた声をあげる。

 

「そんな、いけません姫さま! 使い魔にお手を許すなんて!」

「いいのです。彼の忠誠は……わたくしにむけてのものではありませんが……ですが、本物です。だからこそ、報いるところがなければなりません」

 

 ジェヴォーダンは跪き、恭しく左手をとると、穢れの女王にそうするように、手の甲に唇を落とす。

 

「……我が血に賭けて」

 

 ジェヴォーダンは深く礼拝の姿勢をとる。アンリエッタは微笑んだ。

 そしてジェヴォーダンはやにわに立ち上がると、ドアの方に視線を向けた。

 

「さて、いい加減出て来たらどうだ」

「え?」

 

 突然の言葉に二人は驚いてドアを見つめる。するとドアが開き、金髪の少年が頭をかきながら入って来た。

 

「は、はは、こ、こんばんわ……」

「ギーシュ!」

 

 ルイズが声を張り上げる。入って来たのは以前、ジェヴォーダンと決闘を繰り広げたギーシュ・ド・グラモンだった。相変わらずの薔薇の造花を手に、しかしばつが悪そうによたよたと入ってくる。

 

「あ、あんたまさか、立ち聞きしてたの! 今の話を!」

「薔薇のように見目麗しい姫さまの後を付けてきてみればいつの間にかこんなところへ……それでドアの鍵穴から盗賊のように様子をうかがえば……」

 

 ヘラヘラとそう言うギーシュだったが、突然シャキッと背筋を伸ばすと、アンリエッタに向き直って膝をついた。

 

「姫殿下! その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」

「え? あなたが?」

「ダメに決まってるでしょ、なんでよギーシュ!?」

 

 ルイズ尋ねると、ギーシュは頬を赤らめた。

 

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 

 ジェヴォーダンは頭を抱えた。こいつ、あの決闘騒ぎであれほどの目にあってもこの調子なのか……。

 

「……王女に欲情でもしているのか」

「よっ……! しっ、失礼な事を言うんじゃない。僕はただただ、姫殿下のお役に立ちたいだけだ」

 

 そう言いながらも、ギーシュは激しく顔を赤らめている。アンリエッタを見つめる熱っぽい目つきといい、惚れてるのは確かだろう。

 

「彼女はどうした。あぁ、決闘騒ぎの後フラれでもしたか」

「ふん、君の妖術の類にはもう騙されんぞ。あの後二人とも普通の姿に戻ったんだ、大方催眠術か何かだろう」

 

 ジェヴォーダンは、ギーシュについて考えるのをやめた。変わってアンリエッタが口を開く。

 

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

「息子でございます。姫殿下」

 

 ギーシュは立ち上がり、恭しく一礼する。

 

「あなたも、わたくしの力になってくれると言うの?」

「任務の一員に加えてくださるなら、これはもう望外の幸せにございます」

 

 熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

 

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この無力な姫をお助けください、ギーシュさん」

「姫殿下が僕の名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこの僕に微笑んでくださった!」

 

 ギーシュは感動のあまり、仰け反って失神した。

 ルイズはその騒ぎには目もくれず、真剣な声で言った。

 

「では明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉達とアルビオンを旅した事がございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族達は、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 

 アンリエッタは机に座るとルイズの羽ペンと羊皮紙を使い、さらさらと手紙をしたためた。

 そして自分が書いた手紙をじっと見つめ、その内悲しげに首を振った。

 

「姫様? どうなさいました?」

 

 アンリエッタの様子を怪訝に思ったルイズが声をかけた。

 

「な、なんでもありません」

 

 アンリエッタは顔を赤らめると決心したように頷き、末尾に一行付け加えた。そして小さな声で呟く。

 

「始祖ブリミルよ……この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはりこの一文を書かざるを得ないのです……自分の気持ちに、嘘をつく事は出来ないのです……」

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。ルイズはそれ以上何も言う事が出来ず、ただじっとアンリエッタを見つめるばかり。

 アンリエッタは書いた手紙を巻くと、杖を振るう。するとどこから現れたのか、巻いた手紙に封蝋がなされ、華押が押された。その手紙をルイズに手渡す。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。

 

「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金にあててください」

 

 ルイズは、深々と頭を下げた。

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風からあなた方を護りますように」

 

 そしてアンリエッタは、今度はジェヴォーダンに向きなおる。

 

「ルイズを、私のおともだちをお願いします、使い魔さん」

 

 ジェヴォーダンはニヤリと笑うと、目を細めた。

 真実には。ジェヴォーダンは、笑いをこらえるのに必死だったのだ。

 

「狩人は、ただ仇なす獣を、狩るだけだ」

 

 戦場が、狩場がくる。もうすぐ、行ける

 狩りが、始まる。

 

 




小さなオルゴール

ヤーナムの少女から預かった、小さなオルゴール
今はルイズの手に授けられている。

ヤーナムでは広く知られた、子守唄のメロディ。
か細く儚いその音色は、だがどこか恐ろしげでもある。
眠りの先、夢に潜む恐ろしいものを、知っていたのだろうか。


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11:疑惑

 朝もやの中で、ジェヴォーダンとルイズとギーシュは馬に鞍をつけていた。ジェヴォーダンはすっかり完全装備の狩人装束に、後ろ腰には銃とデルフリンガーをぶら下げている。ルイズは制服姿だったが、長距離を馬で移動するため、乗馬用のブーツを履いていた。

 そんな風に出発の準備をしていると、ギーシュが困ったような口調で言う。

 

「お願いがあるんだが……」

「何だ?」

 

 ジェヴォーダンは馬の鞍に荷物をくくりつけながら訊ね返した。ギーシュは少し萎縮気味に答える。どうやらやはり少しジェヴォーダンが怖いようだ。

 

「ぼ、僕の使い魔を連れて行きたいんだ」

「……? 好きに連れて行けばいいんじゃないか。どこにいる?」

「ここにいるよ」

 

 ギーシュが地面を指差した。

 

「いないじゃないの」

 

 ルイズがそう言うと、ギーシュはにやっと笑って足で地面を叩いた。

 すると、モコモコと地面の一箇所が盛り上がり、茶色の大きな生き物が顔を出した。

 

「うおっ……!?」

「ヴェルダンテ! ああ! 僕の可愛いヴェルダンテ!」

 

 ギーシュはすさっ! と膝をつくと、地面から出てきたその生き物を抱きしめた。

 

「な、何だそれは」

「何だそれは、などと言ってもらっては困る。大いに困る。僕の可愛い使い魔のヴェルダンデだ」

「あんたの使い魔、ジャイアントモールだったの?」

 

 ギーシュの使い魔は、子グマほどもある巨大なモグラだった。

 

「そうだ。ああ、ヴェルダンデ、君はいつ見ても可愛いね。困ってしまうね。どばどばミミズはいっぱい食べてきたかい?」

 

 ギーシュの言葉に答えるように、ヴェルダンデはモグモグモグと嬉しそうに鼻をひくつかせる。

 

「そうか! そりゃ良かった!」

 

 ギーシュはヴェルダンデに頬を擦り寄せた。その様子を見て、ルイズが呆れたように言う。

 

「ねえ、ギーシュ。ダメよ。その生き物、地面の中を進んで行くんでしょう?」

「そうだ。ヴェルダンデはなにせ、モグラだからな」

「そんなの連れていけないわよ。わたし達、馬で行くのよ」

「結構、地面を掘って進むのも早いんだぜ? なあ、ヴェルダンデ」

 

 ヴェルダンデがうんうんと頷くが、ルイズは困り顔になった。

 

「わたし達、これからアルビオンに行くのよ。地面を掘って進む生き物を連れていくなんてダメよ」

 

 ルイズの言葉に、ギーシュはよよよと地面に膝をついた。

 

「お別れなんて辛い、辛すぎるよ……ヴェルダンデ……」

 

 その時、巨大モグラが鼻をひくつかせ、くんかくんかとルイズに擦り寄る。

 

「な、何よこのモグラ!」

 

 ルイズが思わず叫んだ直後、ヴェルダンデは何故かルイズを押し倒し、鼻で体をまさぐり始めた。

 

「や! ちょっとどこ触ってるのよ!」

 

 ルイズは体をヴェルダンデの鼻でつつきまわされ、地面をのたうち回った。スカートが乱れ、派手にパンツをさらけ出しながら、ルイズは暴れ続ける。

 ジェヴォーダンは、付き合っていられないとばかりに馬の準備を再開した。

 

「……君、使い魔なんだよな? 一応」

「一応な」

「一応でも使い魔なら助けなさいよ! きゃあ!」

 

 ヴェルダンデはルイズの右手の薬指に光るルビーを見つけ、そこに鼻を擦りよせた。

 

「この! 無礼なモグラね! 姫様に頂いた指輪に鼻をくっつけないで!」

 

 すると、ギーシュが頷きながら呟いた。

 

「なるほど、指輪か。ヴェルダンデは宝石が大好きだからね」

「ほう?」

「ヴェルダンデは地面に潜って貴重な鉱石や宝石を僕のために見つけてきてくれるんだ。『土』系統のメイジの僕にとって、この上ない素敵な協力者さ」

「……!? 素晴らしい! 最高だ、最高の使い魔じゃないか!」

 

 思わずジェヴォーダンはギーシュの肩を掴む。一瞬こわばったギーシュだったが、すぐに意味を理解してパアッと顔を明るくした。

 

「わかるか!? わかってくれるのか!」

「あぁ! こいつがいれば、もうデブどもの臓物を嫌という程見なくても済むじゃないか!」

「え、なんて……?」

「ちょっと! いい加減! 助けなさいよぉ!」

 

 2人をよそにルイズが暴れていると……突然、突風が吹き荒れ、ヴェルダンテを吹き飛ばした。

 

「だれだっ!」

 

 ギーシュが叫ぶと、朝もやの中から1人の長身の男が現れた。羽帽子をかぶったその男の姿に、ジェヴォーダンは見覚えがあった。

 

「貴様、ぼくのヴェルダンデに何をするんだ!」

 

 ギーシュが薔薇の造花を引き抜く……が、それよりも早く羽帽子の貴族が杖を振り抜き、その造花を散り散りに吹き飛ばした。

 

「僕は敵じゃない。姫殿下より、きみたちに同行することを命じられてね。きみたちだけではやはり心もとないらしい。しかし、お忍びの任務であるゆえ、一部隊つけるわけにもいかぬ。そこで僕が指名されたワケだ」

 

 長身の貴族が、その羽帽子を取り一礼する。

 

「紹鴎陛下の魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵だ」

 

 文句を言うため口を開きかけたギーシュも、さすがの相手の悪さにうなだれる。魔法衛士隊といえば全貴族の憧れであり、ギーシュも例外ではない。

 ワルドはギーシュの様子を見ると首を振った。

 

「すまない、婚約者がモグラに襲われているのを見て見ぬふりはできなくてね」

「……なんだと?」

 

 驚きのあまりジェヴォーダンはルイズを見やる。まさか、本当に婚約者だったとは。

 

「ワルドさま……」

「久しぶりだな、ルイズ! 僕のルイズ!」

 

 ワルドは人懐っこい笑みを浮かべながらルイズに駆け寄り、その体を抱え上げた。

 

「お久しぶりでございます」

「相変わらず軽いなきみは! まるで羽のようだね!」

「……お恥ずかしいですわ」

「彼らを、紹介してくれたまえ」

 

 ワルドはルイズを下ろすと、再び羽帽子を目深にかぶった。

 

「あ、あの……ギーシュ・ド・グラモンと、使い魔のジェヴォーダンです」

 

 ルイズは交互に指差しながら言う。ギーシュは深々と頭を下げ、ジェヴォーダンもそれに習う。

 

「きみがルイズの使い魔か? 人とは思わなかったな」

 

 気さくにそう言いながら、ジェヴォーダンに近づくワルド。

 

「ぼくの婚約者がお世話になっているよ」

「……えぇ」

「しかし、すごい重装備だな? 顔もほとんど見えないじゃあないか」

 

 口髭と帽子の僕が言えたことじゃないがな、と高笑いする。ジェヴォーダンはといえば……正直なところ、ワルドを見定めかねていた。

 上から下までその貴族を見る。ぱっと見、人当たりの良さそうな顔をしているが……この男は、その身振り手振り、口調、表情、何もかもに、嘘が紛れている。

 当然、それを詮索しようとする者にもいち早く気づけるような、防衛線を張った上である。おそらく自分の嘘を暴こうとするものが現れれば、その時点で完全に全てを閉ざしてしまうだろう。

 もっとも、それに気づいたことを悟られるようなジェヴォーダンではないが。ワルドはこれまでと変わらぬ様子でジェヴォーダンの肩をぽんぽんと叩いた。

 

「どうした、もしかしてアルビオンに行くのが怖いのかい? なあに、何も怖いことなんかあるもんか。君はあの『土くれ』のフーケを捕まえたんだろう? その勇気があれば、なんだってできるさ!」

 

 ジェヴォーダンは、悟られないようクスリと笑った。

 

「……『土くれ』を捕らえたのは、俺ではありません。ルイズたちですよ」

「ん? そうなのかい? しかし確か君が……」

「使い魔の功績は主人のもの。大々的に報じられたのも、『トリステイン魔法学園の生徒3人がお手柄』、『生徒にシュヴァリエの称号授与』という話だったはずですんでね……公には」

「……!」

 

 ワルドの表情が、わずかに硬くなる。ジェヴォーダンはその鋭い視線をさらりとかわし、斜に構えてワルドを見やった。

 

「流石、魔法衛士隊の隊長ともなればお耳も早い。ですが、そのネタはルイズを褒めるのに取っておくのが得策です」

「ふふふ、やるなぁ君は! こりゃあ一本取られた! なるほどルイズ、面白い使い魔を召喚したものだね」

「お、お恥ずかしい限りですわ」

 

 ワルドに悟られないよう、ルイズがジェヴォーダンを睨む。サラリとそれをかわしたジェヴォーダンは、再びワルドと向き直った。

 

「君とは仲良くなれそうだよ、ジェヴォーダン君」

「……それはどうも」

 

 ワルドが口笛を吹くと、朝もやの中からグリフォンが降り立った。ワルドはひらりとそれに跨ると、ルイズに手を伸ばす。

 

「おいで、ルイズ」

 

 そして、恥ずかしがるルイズをグリフォンの上へと抱え上げると、手綱を握り、杖を掲げ叫んだ。

 

「では諸君! 出発だ!」

 

 

 

 

 

 魔法学園を出発してから、ワルドはグリフォンを疾走させ続けた。ジェヴォーダンたちは途中の駅で馬を交換していたが、ワルドのグリフォンは疲れを見せずに走り続けていた。

 

「ちょっと、ペースがはやくない?」

 

 抱かれるような格好でワルドの前に跨るルイズがいう。

 

「ギーシュもジェヴォーダンも、へばってるわ」

 

 ワルドが後ろを向くと、たしかにギーシュは半ば倒れる様な格好で馬にしがみついているし、ジェヴォーダンも何やら恐ろしい目つきでこちらを睨んでいる気がする。

 

「ラ・ロシェールの港町まで、止まらずに行きたいんだが……」

「無理よ、普通は馬で2日かかる距離なのよ」

「へばったら、置いていけばいい」

「そういうわけにはいかないわ」

「どうして?」

「だって、仲間じゃない。それに……使い魔を置いて行くなんて、メイジのすることじゃないわ」

「やけにあの2人の肩を持つね。どちらかが君の恋人かい?」

 

 ワルドが笑いながら言う。ルイズは頬を赤らめた。

 

「こ、恋人なんかじゃないわ」

「そうか、ならよかった。婚約者に恋人がいるなんて聞いたら、ショックで死んでしまうからね」

 

 そう言いながらも、ワルドは笑っていた。

 

「お、親が決めたことじゃない」 

「おや? ルイズ! 僕の小さなルイズ! 君は僕のことが嫌いになったのかい?」

 

 昔と同じ、おどけた口調でワルドが言った。

 

「も、もう小さくないもの。失礼ね」

「僕にとっては、まだ小さな女の子だよ」

 

 小さい頃。ルイズは先日見た夢を思い出した。生まれ故郷のラ・ヴァリエールの屋敷の中庭。忘れ去られた池に浮かぶ、小さな小舟……。

 ルイズは、はっと息を飲んだ。あの夢のあと。ジェヴォーダンが出てきたその夢の内容が、チラリと頭の中に蘇ったのだ。

 

「……ん? どうしたんだい、ルイズ?」

 

 突然押し黙ったルイズを不思議に思ったのか、ワルドがそう聞く。

 

「い、いえ! なんでもないわ、なんでも……」

 

 そう言ってルイズは前に向き直る。あとは1人ごちるワルドの言葉も、ルイズの耳には入ってこなかった。

 

 

 

「もう半日以上、走りっぱなしだ。魔法衛士隊の連中は化け物か」

 

 ぐったりと馬に体を預けたギーシュが呻くように言う。

 

「君も君ですごいな、平気なのか」

「そうでもないぞ……さすがに、これは堪える」

 

 乗馬慣れしていないジェヴォーダンにしてみれば、体力がある分まだマシであるが、感じている苦痛そのものはギーシュと同じだ。苦々しい思いで、前を走るグリフォンを睨みつける。

 

「それにしても驚いた、まさか婚約者がいたとはな」

「おや、意外かい? 貴族だからね、そう珍しいことではないだろう。あ、ぷぷ、もしかしてきみ……やきもち妬いてるのかい?」

「そうではない。むしろ逆だ」

 

 ほのかに身を傾け、耳打ちにはなっていないもののジェヴォーダンは内緒話のようにギーシュに語りかけた。

 

「あんな猛獣を嫁にもらってみろ、正気でいられんぞ」

「……君、言う時は本当言うな。自分のご主人様だろ?」

 

 

 

 馬を何度も替え飛ばしてきたので、一行はその日の夜中にラ・ロシェールの入り口についた。ジェヴォーダンは怪訝そうに辺りを見渡した。

 

「港町なのだろう? どう見ても山岳地だが……」

「えっ、まさか君アルビオンを知らないのか?」

 

 ギーシュが呆れたように言う。ジェヴォーダンは正直、海を見るのはあまりいい気がしないので構いはしなかったのだが。

 その時だった。ジェヴォーダンはいち早く気配に気づき、ギーシュの頭を手で押さえつけた。

 

「伏せろっ!」

「な、なんだ!?」

 

 不意に、崖の上から松明が何本も投げ込まれた。赤々と燃える松明が渓谷を照らし、戦の訓練を受けていない馬を驚かせる。

 暴れる馬から素早く降りたジェヴォーダンは、振り落とされたギーシュを引きよせた。と同時に、何本もの矢が闇夜から飛んでくる。

 

「き、奇襲だ!」

「そのようだ。ギーシュ、隠れていろ」

 

 ジェヴォーダンはデルフリンガーを引き抜き、飛んでくる矢を打ち払おうとする。と、一陣の風が舞い上がり、小型の竜巻が矢を巻き込んで弾き飛ばした。

 

「大丈夫か!」

 

 ワルドの助太刀だ。ジェヴォーダンはワルドへ向け軽い一礼で返すと、矢が飛んできたであろう崖の上を見やった。

 

「野盗か山賊の類か?」

「にしては数が多い……ワルド子爵、ギーシュとルイズを頼みます」

「何? お、おい君!」

 

 ワルドが呼び止めるのも聞かず、ジェヴォーダンは軽くなった身体を跳ね上げ、崖を登って行く。スサっと飛び上がり崖上に着地すると、その場に立っていた男たちから驚きの声が上がった。

 

「こ、こいつ登ってきやがった!」

「馬鹿野郎が、袋にしてやれ!」

 

 激昂した男たちが襲いかかってくる。ジェヴォーダンの目が、いびつに歪んだ事にも気付かずに。

 

 

 

 崖の上から男たちの悲鳴が聞こえてくる。どうやらジェヴォーダンは派手に暴れているようだ。暗闇に弓矢が飛んでいくのも見える。

 

「たいした男だ、こんな崖をあぁも軽やかに登っていくとは」

 

 ワルドが呟いた。ルイズは不安そうに、崖の上へ視線を送っている。ワルドはそんなルイズの様子を見て、ふむ、と頷いた。

 

「少し様子を見てくる。助けが必要なら加勢してくるとしよう」

「あ……ワルド、お願い」

「うむ。ルイズたちはここで待っていてくれ」

 

 ワルドがグリフォンに跨り、そのまま崖上へと飛び上がる。

 その状況が目に飛び込んできた瞬間、ワルドは絶句した。

 

「ひぃっ! ひぃぃぃぃ!」

「あが……ごぁ………」

 

 死屍累々。まさに、そう呼ぶのがふさわしい、燦々たる状況。20人かそこらはいたのであろう曲者たちは、ほとんど皆殺しにされていた。

 死にかけてうめき声をあげる1人に、ジェヴォーダンがとどめを刺す。うずくまるその体に深々と剣を突き立て、尻餅をついて涙を流す生き残りに見せつけるように、さらに剣を突き刺す。

 ジェヴォーダンは立ち上がると、股間を濡らした最後の生き残りへ歩み寄った。

 

「ひぃ! 助けてくれ! く、くるな!」

「……お前たちは何者だ」

「ただの、物取りだ! そうさ、身なりの良さそうな連中をここで襲ってたんだ……!」

「そうか、少し喋りやすくしてやろう」

 

 左手に握った散弾銃を横向きにして引き金を引く。強烈な衝撃を伴う散弾が、男の腹に対し横に向けて放たれた。散弾の何発かは腹をかすめ、食い込み、肉の中にこびりつく。

 

「がぁぁぁっ! うぐ……!」

「本当のことを言わんのなら次は貴公の脳液の色を調べるとしよう。さぁ……」

 

 もがき苦しむ男の額に、散弾銃の銃口が押し付けられる。まるで感情のない冷たい目が、男を刺すように見下ろした。

 

「貴公らは、何者だ」

「ひぃっ! や、雇われた! 貴族派の連中に雇われて、ここでお前たちを迎え撃てと言われてたんだ!」

「では、傭兵か」

「そう、そうだ……でも、でも、俺は違う! 俺はあいつらに命じられるままやっただけだ! それに、あんたらまだ生きてるじゃないか! そんなもん、ノーカウントだろっ!」

「どんな奴らだ、貴様らに依頼をしてきたのは」

「ぐ……! み、緑髪の女メイジと、仮面の男だ! 貴族派を名乗ってたこと以外は知らない!」

 

 ジェヴォーダンはふぅとため息をつくと、右手に携えていたデルフリンガーを鞘に収める。

 

「ひ、ひひ、話したんだからよぉ、見逃してくれるんだろう?」

「いや、だめだ」

 

 瞬間、ジェヴォーダンは男の腹、先ほどの銃弾でついた傷に、その右手を躊躇なく突き入れた。男の口からくぐもった声と鮮血が吹き出す。

 そのまま男の身体を持ち上げるように突き上げ……勢いそのままに、腕を引き抜いた。

 男の身体は血を撒き散らしながら転がっていき、一瞬でもの言わぬ肉塊と化した。そしてゆっくりと顔を上げたジェヴォーダンの右手には……腸だろうか、細長い臓物がだらりとぶら下がっていた。

 そしてそれを、まるで興味のない玩具を手にした子供のように、乱雑に打ち捨てた。

 

 ワルドは思わず胃の中身を戻しそうになるのを必死で抑えた。目の前で繰り広げられたあまりに壮絶な光景に、自分の目を信じる事ができない。

 この男は、崖を駆け上っていき、自分がグリフォンで到着するまでのほんのわずかな時間のうちにこれだけの死を振りまき……あげく1人の男の、体の中身を引き抜いて殺すなどという、あまりにも残虐な真似をしてみせた。

 コートの袖を使って刀剣の血を拭う、返り血にまみれたその姿は、おおよそ人のようには見えなかった。まるで……悪魔か、死神のようだ。

 ジェヴォーダンは呆然とするワルドに気がつき、その恐ろしい気配を消して近寄った。

 

「……子爵、まずいことになった。今回の任務、すでに貴族派に漏れている」

「は、いや、なんだと?」

「奴らは物取りではない、貴族派に雇われた傭兵だと語った。手紙の事は知られてはいなかったようだが、ルイズたちにアルビオンにたどり着かれると困るようだ……守りを固めるという事は、そこが最も脆いということでもある」

 

 そしてジェヴォーダンは、先ほどの男に向けたほどではないにしろ、冷たい視線をワルドに浴びせかける。

 

「この任務の概要を知る者はごく少ない。子爵、敵は内側にいる可能性が高まった」

「なっ、ぼ、僕を疑っているのかね!」

「あぁ、全員を均等に疑っている。子爵も、ギーシュも、ルイズでさえ。誰もが有力貴族に通じている。俺は……平民であり使い魔なので関係ないが」

 

 ワルドはぐっと言葉に詰まりながら、精一杯の威厳を込めた声で言い返した。

 

「……僕がこの任務について知ったのは出発の前日だ。王女様から直々に勅令があった。それから朝からは、君の知る通り行動を共にしていた」

「では、子爵はほとんど疑う余地はない。敵の目はどこか他にある。警戒するとしましょう」

 

 そう言いながらも、ジェヴォーダンは語気を全く緩める事はなかった。崖をサクサクと降りていく背中を見て、ワルドは静かに歯噛みした。

 

 




水銀弾

獣狩りの銃で用いられる特殊な弾丸。
触媒となる水銀に狩人自身の血を混ぜ、弾丸としたもの。

その威力は血の性質に依存する部分が大きいため
血質の優れていないものが用いても大きな効果は期待できない。
様々な意味で、血は抗えないものだ。


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12:記憶

 ジェヴォーダンが崖下に降りるや否や、ルイズとギーシュはその血みどろの姿に小さく悲鳴をあげた。

 

「ちょっとジェヴォーダン!? あんた、何をしたのよ!」

「……何もどうもあるまい」

「殺したの!?」

 

 ルイズは信じられないと言うように、涼しい顔をしたジェヴォーダンを問い詰める。グリフォンで降り立ったワルドも、しまったという顔をした。

 

「ジェヴォーダン、あんたは……ひ、人を……!」

「こちらを殺そうとしてきた連中だ。何をそんなに驚くことがある」

「……っ!」

「ルイズ、彼は僕たちを守ろうと……」

「黙って!」

 

 ギーシュがルイズをなだめようとするが、彼女は薄く涙を浮かべて、責めるようにジェヴォーダンを見やる。

 ジェヴォーダンはといえば、そんな視線をさして気にした様子すらない。ルイズは、悲しみと怒りで頭がいっぱいになって、声を荒らげた。

 

「殺すことないじゃない! あんたは、なんでそんなひどいこと……」

 

 さらにルイズが声を上げようとした時だった。突然影が差し、聞き覚えのある羽ばたきの音が聞こえてきて、一行は空を見上げた。

 

「シルフィード!」

 

 ルイズが驚きの声をあげる。それはタバサの使い魔の風竜だった。降り立った風竜から、これまた見覚えのある赤髪。キュルケであった。

 

「ダーリーン! 会いたかったわー!」

「会いたかったじゃないわよっ! あんた、何しにきたのよ!」

「朝方、窓から見てたらあんたたちが馬に乗って出かけようとしてるもんだから、急いでタバサを叩き起こして後をつけたのよ」

 

 風竜の上には確かにタバサがちょこんと座り、本をめくっている。本当に寝込みを叩き起こされたのだろう、パジャマ姿だというに気にする様子もない。

 

「ツェルプストー。あのねぇ、これはお忍びなのよ?」

「お忍び? だったらそう言いなさいよ。言ってくれなきゃわからないじゃない……それにしても、襲われた様子だったから急いで降りてきたんだけど、あっという間に終わっちゃったみたいね?」

 

 そうしてキュルケはしなをつくると、グリフォンに跨ったワルドににじり寄っていく。

 

「おひげが素敵よ。あなた、情熱はご存知?」

 

 ワルドは、ちらとキュルケを見やり……片手で押しやった。

 

「あらん?」

「善意は嬉しいが、これ以上近づかないでくれたまえ」

「なんで? どうして? あたしが好きって言ってるのに!」

 

 取りつく島もないワルドの態度にキュルケは怒りの声をあげる。どんな男だって自分に言い寄られたら、どこかに同様の色を見せるものだったのだが……最近はジェヴォーダンといい、ワルドといい、それがない男に出くわしてばかりだ。キュルケは不服そうにワルドを睨んだ。

 

「婚約者が誤解するといけないのでね」

「婚約者? ……なあに、あんたの婚約者だったの?」

 

 ルイズが頬を染める。キュルケはつまらなそうに言って、あらためてワルドの目を見やった。

 なんともいえない、冷たい目。ジェヴォーダンの目も冷たいは冷たいのだが、それにはクールな魅力を感じるものだ。吹き飛ばされた時なんかは受け止めてくれたり、ひどいことを言うにしても冗談が効いていたり、それはそれで好意的に受け止めることができるものばかり。だがワルドは違う。どこまでも冷たく、感情のない目だ。

 つまらない。キュルケはワルドを見限り、今度はジェヴォーダンを見る。

 

「って、あら? ダーリン、血まみれじゃないの!」

「……ダーリンはやめろ」

「あらぁん! じゃあ、あ・な・た?」

「……………」

 

 珍しく、嫌そ〜な目。何やらえらく気に入らない部分に触れたらしく、眉間にしわをよせている。

 かなり珍しいリアクションに、急にジェヴォーダンが可愛く見えてくる。キュルケはにまーっと笑った。

 

「あなた……ささ、血をお拭いいたしますわ」

「はぁ……」

 

 甲斐甲斐しくハンカチを使ってすり寄ってくるキュルケに、ジェヴォーダンは呆れ切ったため息を吐いた。

 ルイズはまた怒鳴ろうとした。ツェルプストーの女に使い魔が取られるのは我慢ならない。が、そっとワルドがそんなルイズの肩に手を置いた。

 ワルドはルイズを見てにっこりと微笑みかける。

 

「ワルド……」

 

 ワルドは何も言わずグリフォンにまたがると颯爽とルイズを抱きかかえた。

 

「今日はラ・ロシェールに一泊して、朝一番の便でアルビオンに渡ろう」

 

 ワルドはそう告げた。

 ルイズはワルドの腕の中、そっと後ろを見た。

 キュルケがジェヴォーダンの馬の後ろに乗って、楽しそうにきゃあきゃあ騒いでいる。

 

 彼はさっき、人を殺してきた。まだコートに残る返り血がそれを物語っている。

 ルイズは胸の中がぎゅうと痛くなるのを感じた。自分の使い魔が、人殺しをした。いくら自分たちを襲ってきた人間とはいえ、殺しをした。それがなんだか、とても辛かった。

 道の向こうに、渓谷に挟まれたラ・ロシェールの街明かりが輝く。一行は夜の道を、その明かりへ向けてまっすぐ進んでいった。

 

 

 

 

 

 

 ラ・ロシェール最上級の宿『女神の杵』亭に泊まることにした一行は、一階の酒場でその疲れを癒していた。

 『桟橋』へ乗船の交渉に行っていたワルドは、困ったように席に着いた。

 

「アルビオンに渡る船は明後日にならないと出ないようだ」

「急ぎの任務なのに……」

 

 ルイズは口を尖らせるが、ギーシュは明日も休めるとほっとしている様子だった。

 

「船が出せないとは、どういうことだ?」

 

 ジェヴォーダンの解いに、ワルドが答えた。

 

「明日の夜は月が重なる『スヴェル』の月夜だ。その翌日の朝、アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づく」

 

 近くとはどういう意味か考え、月の話を出すと言うことは潮の満ち引きだろうと、ジェヴォーダンは勝手に納得した。おそらく航行の難しい航路をいくのだろう。

 ワルドは鍵束を机の上にじゃらりと置いて、みんなに部屋割りを告げる。

 

「キュルケとタバサは相部屋だ。ジェヴォーダンとギーシュが相部屋、僕とルイズは同室だ」

 

 ルイズがはっとして、ワルドの方を見た。

 

「婚約者だからな、当然だろう?」

「そんな、ダメよ! まだ私たち結婚してるわけじゃないじゃない!」

 

 しかしワルドは首を降ってルイズを見つめた。

 

「大事な話があるんだ。二人きりで話したい」

 

 

 

 

 貴族相手の宿、『女神の杵』亭で一番上等な部屋だけあって、ワルドとルイズの部屋はかなり豪華な作りだった。レースで飾られたベッドには天蓋まで付いている。

 テーブルについたワルドは、ワインの栓を抜いて杯に注ぎ、それを飲み干す。

 

「きみも一杯やらないか? ルイズ」

 

 ルイズは言われたままにテーブルについた。ワルドがルイズの杯にワインを満たしていく。自分の杯にも注いで、ワルドはそれを掲げた。

 

「二人に」

 

 ルイズはちょっと俯いて、杯を合わせた。かちん、と陶器の杯が触れあう。

 

「姫殿下から預かった手紙は、きちんと持っているかい?」

 

 ルイズはポケットの上から、アンリエッタから預かった封筒を抑えた。いったいどんな内容なのだろう?

 そして、ウェールズから返してほしい手紙とはどういうものだろう? それはなんとなく、予想がつく気がした。

 ルイズは考え込んで俯く。ワルドはそんな様子を興味深そうに見た。

 

「……ええ」

「心配なのかい? 無事にアルビオンのウェールズ皇太子から、姫殿下の手紙を取り戻せるかどうか」

「そうね、心配だわ……」

「大丈夫だよ、きっと上手く行く。なにせ、僕がついてるんだから」

「そうね、あなたがいればきっと大丈夫よね。あなたは昔から、とても頼もしかったもの。で、大事な話って何?」

 

 ワルドはふと、遠くを見るような目をした。

 

「覚えているかい? あの日の約束。ほら、きみのお屋敷の中庭で……」

「あの、池に浮かんだ小船?」

 

 ワルドは頷く。

 

「きみはいつもご両親に叱られたあと、あそこでいじけていたな。まるで捨てられた子猫のように、うずくまって……」

「本当に、もう、ヘンなことばっかり覚えてるのね」

「そりゃ覚えてるさ」

 

 ワルドは楽しそうに笑った。

 

「きみはいっつもお姉さん達と魔法の才能を比べられて、出来が悪いなんて言われていた。でも僕は、それはずっと間違いだと思っていた。確かにきみは不器用で、失敗ばかりしていたけれど……」

「意地悪ね」

 

 ルイズは頬を膨らませた。

 

「違うんだルイズ、きみは失敗ばかりしていたけど、誰にもないオーラを放っていた。魅力と言ってもいい。それは、君が他の誰にもない特別な力を持っているからさ。僕だって並のメイジじゃない。だからそれがわかる」

「まさか」

「まさかじゃない、例えばそう、君の使い魔……」

 

 ルイズの背筋が、すっと寒くなる。

 

「……ジェヴォーダンのこと?」

「そうだ。君ならわかるだろう、彼は尋常ではない力の持ち主だ。ここに着く前に傭兵の一団に襲われたときも……僕も、自分の目を疑った」

 

 ワルドが纏う空気が、ピリピリと鋭くなる。魔法衛士隊の隊長としての、戦士としての空気だ。

 

「……でもあいつは、人殺しを……」

「あぁ、そうだ。僕が彼の元に駆けつけるまでの間に、彼は恐ろしい殺しをしてみせた。……僕も、戦場で弱いつもりはない。並みのメイジじゃないと言ったろ? だが、あそこまでの数の敵に囲まれて、あぁまで平然としているなんて……想像もできないよ」

 

 ルイズが青い顔をし始めたので、ワルドは慌てて話題を逸らした。

 

「それでだ。その時、武器を掴んだ彼の左手に浮かび上がっていたルーン……。あれは、ただの使い魔のルーンじゃない。あれはまさしく、伝説の使い魔の徴さ」

「伝説の使い魔の徴?」

「そうさ。あれは『ガンダールヴ』の徴だ、始祖ブリミルが用いたと言う、伝説の使い魔さ」

 

 ワルドの目が光った。

 

「ガンダールヴ?」

 

 ルイズが怪訝そうに尋ねた。

 

「誰もが持てる使い魔じゃない。君はそれだけの力を持ったメイジなんだよ」

「信じられないわ……いや、でも……」

 

 ルイズは俯いた。ワルドは冗談を言っているのかもしれない。

 自分はゼロのルイズだ、落ちこぼれ。どう考えたって、ワルドが言うような力が自分にあるとは思えない。

 それよりも……ジェヴォーダンの事が気になった。

 『伝説の使い魔』。そう言われれば、確かにあの異様な強さにも説明がつく気がする。貴族であるギーシュとの決闘に勝ち、フーケを追い詰めたあの実力。

 だが……果たして、そのジェヴォーダンの強さは、そんな使い魔のルーンによってもたらされたようなものだろうか。そうでなければ、ジェヴォーダンはどこにでもいる普通の平民の男だったのだろうか。

 ルイズにはどうしても、そうは思えなかった。『伝説の使い魔』()()()()、あの男の強さは説明しきれない。そう感じるのだ。

 答えないルイズを見て、ワルドが続けた。

 

「きみは偉大なメイジになるだろう、始祖ブリミルのように。歴史に名を残す、素晴らしいメイジになるに違いない、僕はそう予感している」

 

 ワルドは熱っぽい口調でそう言うと、真剣な表情でルイズを見つめた。

 

「ルイズ、この任務が終わったら僕と結婚しよう」

「え……」

 

 突然のプロポーズに、ルイズははっとした顔になった。

 

「僕は魔法衛士隊の隊長で終わるつもりはない。いずれは国を……このハルケギニアを動かすような貴族になりたいと思っている」

「で、でも……わ、わたし、まだ……」

「もう子供じゃない。きみは十六だ、自分の事は自分で決められる年だし、父上も許してくださっている。確かに……」

 

 ワルドはそこで言葉を切ると、顔を上げ、ルイズに顔を近づけた。

 

「確かに、ずっとほったらかしだった事は謝るよ。婚約者なんて言えた義理じゃないこともわかっている。でも、ルイズ、僕にはきみが必要なんだ」

「ワルド……」

 

 ルイズは考えた。なぜか、ジェヴォーダンの事が頭に浮かぶ。

 ワルドと結婚しても、自分はジェヴォーダンを使い魔として傍に置いておくのだろうか?

 ……なぜか、それはできないような気がした。これが犬や猫、カラスやフクロウだったら、こんなに悩まずに済んだに違いない。

 もし、あの奇妙な男をほっぽり出したらどうなるだろう?

 あいつはいつか、異なる宇宙とやらに帰ってしまう。自分の大切な、狩りとやらを成就させるために。

 なぜだかそれが、とても恐ろしいことのように思えた。自分の使い魔が、自分の知り得ないはるか遠くへ行ってしまうだけでなく、なんだか自分の知らない存在になってしまうようで、怖かった。ジェヴォーダンが殺しをしたと知った時、とても悲しかったのも、おそらくそれが理由だったのだろう。

 ルイズは顔を上げた。

 

「でも、でも……」

「でも?」

「……わたしまだ、あなたに釣り合うようなメイジじゃないし……もっともっと修行して……」

 

 ルイズは俯き、少し考えてから続けた。

 

「あのねワルド。小さい頃、わたし思ったの。いつか、皆に認めてもらいたいって。立派な魔法使いになって、父上と母上に誉めてもらうんだって」

 

 ルイズは顔を上げて、ワルドを見つめた。

 

「まだ、わたし、それができてない」

「きみの心の中には、誰かが住み始めたみたいだね」

「そんなことないの! そんなことないのよ!」

 

 ルイズは慌てて否定した。

 

「いいさ、僕にはわかる。わかった、取り消そう。今返事をくれとは言わないよ。でも、この旅が終わったら、きみの気持ちは僕に傾くはずさ」

 

 ルイズは頷いた。

 

「それじゃあ、もう寝ようか。疲れただろう」

 

 それからワルドはルイズに近付いて、唇を合わせようとした。

 ルイズの体が一瞬強張る。それから、ワルドの体をそっと押し戻した。

 

「ルイズ?」

「ごめん、でも、なんか、その……」

 

 ルイズはもじもじとしてワルドを見つめた。ワルドは苦笑いを浮かべて、首を振った。

 

「急がないよ、僕は」

 

 ルイズは再び俯いた。

 どうしてワルドはこんなに優しくて、凛々しいのに……。ずっと憧れていたのに……。

 結婚してくれと言われて、嬉しくないわけじゃない、でも何かが心にひっかかる。

 決して暖かな感情ではないそのひっかかりが、チクリチクリとルイズの心を刺した。

 

 

 

 

「かーっ、泣かせるねぇ。なかなか健気な話じゃあねぇか」

 

 そんな2人の部屋がある屋根の上……。一振りの剣がカチカチと、感嘆の声を漏らした。デルフリンガーである。

 ジェヴォーダンはデルフリンガーを肩に立てかけ、屋根に腰掛けていた。頭上では瞬く星と、重なりかけた2つの月が甘やかな光を地上に垂らしている。

 

「それにしても相棒、盗み聞きとはらしくねぇな」

「……ワルドか、ルイズか、あるいは両方か。貴族側に通じてるスパイがいるとすれば、と思ったが、どうやら見当違いだったようだ」

 

 ふーっとため息を漏らして、ジェヴォーダンは空を見上げる。ヤーナムの地とはまるでバラバラな星の位置、どうやらもう空を読むこともできそうにない。

 

「にしてもよ、相棒。ちょっと聞きたかったんだけど、いいか」

「なんだ」

「相棒、おめえは……殺しが、楽しいのかい」

 

 カチカチとなる鍔。ジェヴォーダンの顔から、わずかな表情が消える。はぁと短い息を吐き、肩にかけた剣を見た。

 

「なぜそう思うんだ?」

「今日の戦いぶりさ。まぁ元々、そういう気質なんだろうかなぁとは思ってたが、おめえさんにとっては都合がよくないんだろ」

 

 デルフリンガーもいつになく真剣な口調で語る。

 

「そりゃあ恐ろしいことだろうよ……『狩りに溺れる』なんてのは」

「……………」

 

 ジェヴォーダンの灰色の目が、遠くを見る。鮮明に思い出せる、今日の『狩り』。

 

 

 

 

「こ、こいつ登ってきやがった!」

「馬鹿野郎が、袋にしてやれ!」

 

 数は20かそこら。半数ほどがボウガンを持っており、もう半数は雑多な刀剣の類や、松明などを手にしている。

 最初の2人が、サーベルを振りかざし怒声を発して襲いかかってきた。

 姿勢を低くしてそれをかわし……同時に、右から迫ってきた男の腹をかっ裂く。鮮血が吹き出し、内臓がこぼれ落ちる。

 斬られた男が絶命するよりも早く、左から迫っていた男の喉元に剣を突き立てる。

 一瞬で白目を向いた男の喉から剣を引き抜くと同時に、返しの刃で後ろから迫った男を袈裟懸けになで斬った。

 

「う、嘘だろ!?」

「ひっ……」

「じょ、冗談じゃ……!」

 

 あっという間に3つの死が振りまかれ、傭兵たちは恐怖におののく。だが狩人は、攻め手を緩めることはない。

 素早いステップで次の獲物に近づき、胴を切り裂くと同時に後ろの男を蹴り飛ばす。蹴られた男が吹き飛んで、ボウガンを撃とうとしていた男に激突する。暴発したボウガンが、別の男の頭に突き刺さった。

 

「野郎!」

 

 素早くボウガンを構えた別の傭兵。だがその瞬間、その額にギザ刃の投げナイフが深々と突き刺さった。

 男が倒れ、その後ろにいた別の男は絶望した。高速で迫る恐ろしい狩人の刃が目の前に迫っていた。

 

「ぼ、ボウガン隊! 前に出ろ前に!」

 

 統率を取っていたのであろう、リーダー各の男がそう叫ぶと、ボウガンを手にした傭兵がその男の周りに並び、すさっと姿勢を落とした。

 ジェヴォーダンはそれを見計らい、近くにいた男の胴に剣を思いっきり突き刺す。金属に体を貫かれた男の断末魔が、喉から漏れる血を泡立てる。

 

「てぇっ!」

 

 ビビビビッと一斉にボウガンが射られ……ジェヴォーダンは、突き刺した男の肢体をさっと前に出した。肉の体が盾となり、次々と矢に射抜かれる。

 

「……っ!」

 

 後に残るは、矢の装填されていないボウガンを抱きかかえた、無力な獲物たち。

 恐ろしい狩人は、刃を翻して死体を投げ捨てると、その獲物に襲いかかった。

 

 デルフリンガーは、確かに見ていた。狩人の顔を。

 分厚い防疫マスク越しでもわかる。その顔は、笑っていた。

 

 

 

 

「……………」

「言ってたな、狩りに溺れないために、俺っちみたいな仕掛けの武器がいるって。そうしないための仕掛け武器で、そうしないために俺を選んだんだろう」

 

 ジェヴォーダンは黙って、空を見上げた。仲睦まじい2つの月。その片割れの赤い光に、かつての師、ゲールマンの言葉を思い出す。

 狩りか、血か、それとも悪夢か。狩人は皆、何かにのまれ、そして飢えている。

 

「戦うなとは言わねえ。必要な時もあるし、相棒だってそこに居場所を感じてるんだろう。だがよ、ただ殺すために殺して、それを楽しむってのは……」

「わかっている。それこそまさに、狩りに溺れるというものだ」

 

 深くため息をつき、肩にかけたデルフリンガーをくるくると弄ぶ。鍔がカチカチと震え、抜き身の刀身を揺らした。

 

「相棒、俺はお前さんを信じてるが……お前は、自分が戦いの中で絶対に我を忘れないって自信はあるんだろうな?」

「………」

 

 ジェヴォーダンは、黙ってデルフリンガーの柄を握った。左手のルーンが淡い光を放ち、体がほのかに軽くなる。その力強い闘志の底に、冷たく凍えるような禍々しさを押し殺して、ジェヴォーダンは答えた。

 

「あぁ……俺は俺のまま、狩りを成就してみせる」

 

 夜風が頬を撫でる。ジェヴォーダンはそのまま、眠らない狩人の夜を、屋根の上で過ごした。

 




使い魔の徴

ジェヴォーダンの左手に現れた使い魔の徴。
神の左手とも呼ばれる、伝説の使い魔のもの。
あらゆる武器、兵器を自在に操る力を得る。

それは魔法を詠唱する主を守るための守護の刃である。
だが狩人に、守るための戦いなど無縁のものだろう。
狩人は、ただ仇なす獣を狩るだけだ。


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13:偏在

 眠らない夜を過ごす狩人にとって、朝は誰よりも早いものである。常に夜と朝の境目を駆け抜けては、白む空に狩りの終わりを感じるものだ。

 が、狩りをするでなく、読む本もなく。ジェヴォーダンにとっては久方ぶりに退屈な夜明けとなり、珍しくうろうろと散歩をするほど。乗馬の疲れがあったからか、またも少しばかり眠気を覚えるまであった。

 いっそ部屋に戻って、どれくらいぶりかもわからないほど久しぶりにベッドに横になってやろうか。真剣にそんなことを考えた頃、思わぬ来客があった。すらりと背筋の伸びた羽帽子の男、あのワルドだ。

 

「おはよう、使い魔くん。ずいぶん早いんだな」

 

 ワルドは驚いたように、しかし友好的に笑った。当然、その表情の全てが嘘だ。こちらが起きていたことも知っているし、好意もないのだろう。

 

「おはようございます。子爵も随分とお早いのですね。出港は明日の朝と聞いていますが」

 

 ジェヴォーダンは決して気取られぬよう警戒しながら、端的に自分の疑問だけを告げる。ワルドはにっこりと笑い、そしておもむろに、聞き捨てならない言葉を発した。

 

「きみは伝説の使い魔『ガンダールヴ』なのだろう?」

「………」

 

 ジェヴォーダンは答えず、ワルドの目をじっと見る。

 その対応にワルドはどう思ったのか、誤魔化すように首をかしげた。

 

「……その、フーケの一件で僕はきみに興味を持ってね。僕は歴史と、兵に昔から興味があった。フーケを尋問したときに君に興味を抱き、王立図書館できみのことを調べたのさ。武器を扱いこなし、無敵の強さを誇る伝説の使い魔、『ガンダールヴ』に行き着いた。そういうわけさ」

「マイナーな歴史まで、よくご存知だ」

「はっはっは、まぁ僕も、いわゆるオタクというやつさ。オタクついでに、あの『土くれ』をものともせず倒した腕がどんなものなのか知りたいんだ。ちょっと手合わせ願いたい」

 

 ワルドは腰に差した魔法の杖を引き抜いて言う。その顔は笑っているが、目にはほのかな鋭さが走っている。

 

「……手合わせなどどこでするのですか」

「この宿は昔、アルビオンからの侵攻に備えるための砦だった。中庭に練兵場があるんだよ」

 

 

 

 

 かつて貴族たちが集い、陛下の閲兵を受けたと言う練兵場。今ではただの物置となったそこで、二人は向き合っていた。

 

「古き時代……王がまだ力を持ち、貴族たちが従った時代。あらゆる時代でもっとも、貴族が貴族らしかった時代。名誉と誇りをかけて、貴族は魔法を唱えあった。でも、実際にはくだらないことで杖をぬきあったものさ。たとえば……女を取り合ったりね」

 

 ジェヴォーダンはいまだ、まんじりともせずワルドを睨みつけている。ワルドはそれを気にせず、さらに芝居掛かった口上を続けた。

 

「立会いにもそれなりの作法というものがある。介添人が、いなくてはならない」

「……そういうことか」

 

 物陰から現れた姿を見て、ジェヴォーダンは全てを理解した。ルイズはそんな彼を見て、驚いた表情を浮かべた。

 

「ワルド、言われてきてみれば……何をする気なの?」

「彼の腕前をちょっと試したくなってね」

 

 ルイズの静止も、ワルドは聞き入れない。話が通じないと見るや、ルイズはジェヴォーダンを見た。

 

「ジェヴォーダンやめて、これは命令よ」

「………」

 

 ジェヴォーダンは答えない。答える必要は、もはやなかった。

 

「では介添人も現れたことだし、始めるとしよう」

「もうっ! 2人ともばかっ!」

 

 ワルドが杖を引き抜き、フェンシングの構えのごとくそれを前に突き出して腰を落とした。

 いつでも始められる。そんな気迫が伝わってくるような臨戦態勢。

 対するジェヴォーダンは……微動だにすることなく、佇んでいた。

 

「……? どうしたんだ、早く抜きたまえ」

「………」

「どうした! 怖気付いたか!?」

 

 はぁ。ジェヴォーダンは、この世界に召喚されてから明らかにため息の回数が増えたことを感じている。

 人が圧倒的に多いこの世界。絶対数が多いということは、残念ながら必然だ。

 そうなれば確実に、バカの割合が増える。

 

「来い」

「何……?」

「このままでいい。さっさと来い」

 

 ジェヴォーダンは後ろ腰に携えたデルフリンガーと散弾銃に手をかける気配すら見せず、ワルドと対峙した。

 ワルドも、固唾をのんで見守っていたルイズも驚愕する。それぞれに、別々の意味で。

 

「……ふ、ははっ。さすがに人を舐めすぎというものだろう使い魔くん。確かに、僕は君を伝説の使い魔と評した。君の強さは実際この目で確かめている限りさ。だからといって、それはあくまで平民としての、使い魔としての話だ」

 

 丸腰でメイジに 敵うことなど。ましてそれが、1対1の決闘となればなおさら。

 この時までワルドはジェヴォーダンが何か冗談を言っているのだと半分本気で思っていたのだ。だが、完全に素手のまま姿勢を低く落としたジェヴォーダンを見て、ワルドはとうとう、隠し通していた殺気をほのかにのぞかせるまでに激昂した。

 

「残念だ、君はもう少し賢いと思ったが」

「ベラベラとよく回る。言っているだろう、来るならさっさと来い」

「……いいだろう、なら後悔させてやる!」

 

 瞬間、ワルドは飛ぶような速さで踏み込んだ。レイピア状の杖が空を切り裂き、一点でもってジェヴォーダンに飛びかかる。

 対するジェヴォーダンは、既のところでそれをかわす。剣先が頬の高いところをかすめる。ワルドの攻め手は怒涛のもので風を切る音とともに、数え切れぬほどの斬撃がジェヴォーダンに殺到した。

 翻るマントが、ワルドの攻めの素早さを物語る。それだけを見れば、まるで伝承の騎士のように、力強く美しい光景に見えただろう。

 だが、ジェヴォーダンも凄まじい動きをしていた。それほどの剣さばきを、全てすんでのところで躱しているのだから。

 息もつかせぬ斬撃が、しかしどういうわけかかすり傷ひとつ負わせることも叶わない。だが、ここまではワルドにとっても予想の範疇だった。

 ワルドはただの剣士ではない。魔法衛士隊のメイジの戦いは、その魔法の詠唱さえ戦いに特化されている。

 杖を剣として振るいながら詠唱を完成させ、魔法を放つ。それこそが衛士隊の、軍人としてのメイジの戦い方なのだ。

 

「最後にもう一度確認するが、本当に武器を抜かないつもりか?」

 

 斬撃を繰り出しつつ、ワルドは確認する。いくら単なる手合わせとはいえ、丸腰を相手に全力の魔法を放つのは、ワルドにしてみてもバツが悪かった。

 だが、答えない相手を前にすれば話は違う。もはやこれほどの不遜を前に、いかなる遠慮も必要ない。

 

「デル・イル・ソル・ラ・ウィンデ……」

 

 ワルドの突きの動きが変わった。一定のリズムと動きを持ってそれを繰り出しながら、低い声でスペルを唱える。

 呪文は瞬く間に完成し、そしてそのリズムに合わせて流れるように、『エア・ハンマー』がジェヴォーダンの頭上に繰り出される。

 もういいだろう。

 ジェヴォーダンがすさっと、身を翻したのは一瞬のことだった。空気のハンマーは空振り、文字通り空気を揺らす。

 ワルドは驚きとともに苦虫を噛みしめるような表情を浮かべた。まさか、自分の最速の魔法が回避されるとは!

 返す踵で翻り、背後へ回ったであろうジェヴォーダンへ剣を繰り出して……その剣も、空を貫いた。

 一瞬ワルドは「えっ」と、素っ頓狂な声を素であげてしまった。一瞬の間、ワルドはジェヴォーダンを見失う。時間は、それで十分だった。

 強烈な衝撃がワルドの背中側を襲う。一瞬何をされたかわからず、膝が地面に着く。

 ジェヴォーダンの拳で態勢を崩されたのだと気づくまでに一瞬の時間を要し、その間にジェヴォーダンの手はワルドの背中へ急行し……

 

 ワルドの脳裏に、昨夜見たジェヴォーダンの戦いの光景がフラッシュバックした。

 素手を人の体内にねじり込む腕力、躊躇なく引き抜かれる内臓。それをするにはまず相手の態勢を崩していて。

 まさか。ワルドの後ろ、もう寸前に迫るこの腕は、まさか。

 

 ジェヴォーダンの腕は凄まじい勢いを持ってワルドへ迫り……既のところでかすめ、彼の羽帽子を取った。

 一瞬、何をされたのかわからないでいるワルドの視界に、羽帽子をくるくる回しながらジェヴォーダンが入って来る。

 

「子爵、手品のようなものです」

「え……?」

 

 呆然とするワルドにジェヴォーダンが言う。その顔は、先ほどまでの邪悪さとは打って変わり、少しいたずらっぽく笑っていた。

 

「我々狩人の戦いは何かと相手の背後を取ることが多くてね。一度背後に回られれば、振り向いて追撃しようと思うのは当たり前。であればその振り向いた後の背後へ動けるよう、再び返す受け身を取ればいい。それだけで相手の視界からは消え去ることができる」

 

 ワルドはハッとした。ジェヴォーダンは帽子を回しながらさらに続ける。

 

「狩人の戦いというのはこういうものなのです、子爵。視野外からの一撃、意識しない方法での攻撃、相手の攻撃を誘発させるミスディレクション……様々な手段を講じて相手の命を奪います。それらは騎士道精神などを重んじる貴族からすれば、暗く、卑怯で、許されざる戦いというもの。伝説の使い魔と言いましたか……このような戦い方をするものが、そんなものであるはずがありませんよ」

 

 そしてジェヴォーダンは、ワルドの頭に帽子を戻した。傾いた帽子が、素っ頓狂な表情のワルドの顔を半分隠す。

 

「戯れをお許しください。卑しい男なのです、私は」

「……………ふ、はは。そうか、そういうことか」

 

 ようやく合点が行ったワルドは、帽子を直しながら立ち上がった。

 

「正面から戦えば勝つことはできない。そう踏んでこんなことをしたわけか?」

「御察しの通りです、子爵。まぁそれに、そんな下賎な技の1つで子爵と手合わせとするのもどうかと思いまして」

「ん?」

「私は武器を抜いていない。手合わせは、なかったのです。それでよろしいかと」

 

 ワルドはルイズを見た。心配そうにこちらを見るルイズに、いいところを見せるつもりだったが。ジェヴォーダンは負ける気はなく、かといって勝つつもりもなく、自分の貴族としての名誉すら傷つける気はないと、そういうことのようだ。

 

「ふふふ、まぁいいだろう。これほどまでに1本取られると、帰って清々しいな」

「ご無礼を失礼しました」

「いいんだ、だが君の実力は知れた。正面を切って戦えば僕が勝つというのであれば、まぁそれでいいだろう。手合わせは、またの機会としようじゃないか」

 

 ワルドは笑いながらルイズの方へ歩いて行き、「行こう」と促した。ルイズは1度心配そうにジェヴォーダンを見たが、そのままワルドの手に促され歩いて行った。

 二人の姿が見えなくなってから、羽帽子をかすめた手をコキコキと鳴らした。

 そして、「奴の背骨を見てやるのはまたの機会にしよう」と、誰にも聞こえないよう小さな声で呟いた。

 

 

 

 

 

 その日の夜。ジェヴォーダンは2階で、月明かりを頼りに散弾銃を解体して掃除していた。

 下の階ではギーシュたちが、酒を飲んで騒ぎまくっている。明日はいよいよアルビオンへ渡る日。なんでも明日、2つの月が重なる夜が、アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づくと言うことだった。

 見上げた空、赤い月の後ろに青い月が隠れ、1つだけに見える赤い月がギラギラと輝いている。

 そうでないとわかっていても、ジェヴォーダンにはこの光景が不吉なものに思えてならない。思い返す、ヤーナムの月。これでもし赤ん坊の声など聞こえてこようものなら発狂ものである。

 そんなわけでそわそわと落ち着かないジェヴォーダンは、いつでも戦えるようにと散弾銃の調整を始めたのだった。

 水銀弾がもう残り少ないな。ストックを確認しそんなことを思っていると、後ろから声がかけられ、驚いて思わずデルフリンガーを抜いた。

 

「ひゃっ! ちょ、ちょっとジェヴォーダン!?」

「あぁ、すまん」

 

 本当にとっさの反応だったため、素直にルイズに謝罪すると、それはそれで驚いた顔をされてしまった。

 

「……驚いたからっていきなり主人に剣を向けないで」

「あぁ……いや、すまん」

「まぁ別にいいわ。ねぇそれより、聞きたいことがあるんだけど」

 

 ルイズは散弾銃を組み立てるジェヴォーダンの隣にきて、しゃがみこんだ。

 

「あんた、ワルドと正面切って戦ったら勝てないって、嘘でしょう」

 

 またも驚いて、ルイズを見る。リアクションの大きさに、ルイズも驚いて顔を見合わせる。

 

「だって私、あんたがギーシュと決闘してるところも、フーケと戦ってるところも見てるわけだしそりゃあわかるわよ……なんであんな嘘ついたのよ」

「そのことを、ワルドに言ったか」

「言わないわ。言うわけないわよ」

 

 ほっと胸をなでおろす。そんなさまを、ルイズがじとっと見つめた。

 

「子爵を信用していないのね」

「あまりな」

「どうしてよ」

 

 どう答えるべきか困る。まさか正直に『味方に内通者がいるかもしれないからだ』とは言えない。

 

「貴族の顔を立てようなんて、あんたが考えるはずないわ。本当のことを教えて」

「それは……」

 

 何か言い訳をしようとしたその時、異様な気配を感じて振り返る。月明かりが巨大な何かに遮られ、その輪郭が影となって現れた。

 それは、巨大な岩でできたゴーレムだった。そのゴーレムの肩に、誰かが座っている。その姿を確認したジェヴォーダンの目が、ぎらりと見開かれた。

 

「『土くれ』ぇ……っ!」

「あら、覚えててくれたのね。感激だわ」

「フーケ!? あなた、牢屋に入ってたんじゃあ……」

 

 遅れてルイズが、驚いた声をあげた。ジェヴォーダンはデルフリンガーに手をかける。

 

「親切な人がいてね、私みたいな美人はもっと世の中の役に立たなきゃいけないと言って出してくれたのよ」

 

 嘯くフーケの隣には、黒マントを着た男が立っている。白い仮面で顔は確認できず、だんまりを決め込んでいた。

 

「今日はねぇ、素敵なバカンスをありがとうって、お礼を言いに……」

 

 言いかけたフーケが身を翻す。厳密には、隣のマントの男に引っ張られて。フーケの頭があった場所に、ギザ歯の投げナイフが突き刺さった。

 

「ぐ、このぉ……!」

 

 フーケの目が釣り上がる。巨大ゴーレムが拳をうならせ、ベランダの手すりを粉々に破壊した。硬い岩でできたベランダにもかかわらず。ゴーレムは、以前にもまして攻撃力をあげているようだ。

 

「ここらは岩しかないからね。土がないからって、安心しちゃダメよ!」

「退くぞ!」

 

 分が悪い。ジェヴォーダンはルイズの手を掴み、部屋を抜けて一気に階段を駆け下りた。

 

 

 

 降りた先の一階もまたすでに戦場と化していた。玄関から現れた傭兵の集団が、一階で飲んでいたワルドたちを襲ったようだ。

 ギーシュ、キュルケ、ワルド、タバサが魔法で応戦しているが、いくら魔法があるとはいえ多勢に無勢、苦戦しているようだ。

 キュルケたちはテーブルの脚を折って倒し、盾にして傭兵たちと応戦していた。歴戦の傭兵たちはメイジとの戦いに慣れているようで、キュルケたちの魔法の射程外から矢を射かけていた。

 暗闇を背にしているのもあり、地の利は向こうにある。魔法を唱えようと立ち上がれば、矢が雨のように飛んでくるだろう。

 ジェヴォーダンは低い姿勢でキュルケたちと合流した。

 

「参ったね」

 

 ワルドの言葉にジェヴォーダンが頷く。

 

「先日の貴族派の連中でしょう。どうやらここで我々を袋にするつもりのようだ」

「貴族派? こないだ襲ってきてたの、あれ貴族派の連中だったの?」

 

 驚くルイズを横に、キュルケが杖をいじりながら呟く。

 

「やつらはこっちが魔法を使う精神力が切れたところで、一斉に突撃してくるでしょうね。どうするの?」

「その時は、僕のゴーレムでふせいでやる」

 

 ギーシュが青ざめながらバラの造花を握りしめる。キュルケはため息をついた。

 

「ギーシュ、あんたの『ワルキューレ』じゃあ、一個小隊くらいが関の山よ。相手は手練れの傭兵たちよ?」

「やってみなくちゃわからない!」

「あたしは戦のことならあなたよりちょっと専門家なの」

「ぼくはグラモン元帥の息子だぞ、卑しい傭兵ごときに遅れをとるわけがない」

 

 折れないギーシュにキュルケは呆れて諦め、ギーシュは立ち上がろうとする。ワルドがシャツの裾を引っ張ってそれを制すると、全員の顔をぐるりと見渡しながら言った。

 

「いいか諸君。このような任務は、半数が目的地に到達すれば成功とされている」

 

 それを聞いたタバサが広げていた本を閉じ、ワルドを見た。自分、キュルケ、ギーシュと杖で指し、「囮」と呟く。

 そして、ワルドとジェヴォーダン、青ざめるルイズを指して「桟橋へ」と呟いた。

 

「時間は?」

「今すぐ」

 

 ワルドはタバサに確認を取り、すぐに動き出した。

 

 

「行くぞ!」

「え? でも! そんな!」

 

 ルイズが信じられないという声をあげる。

 

「今からここで彼女たちが敵をひきつけてくれる。派手に暴れて目立ってもらうんだ。その間に僕らは裏口から桟橋へと向かう、それだけだ」

「でも、みんなを置いていくなんて!」

 

 ルイズがキュルケたちを見る。キュルケはいつものように赤髪をかきあげ、つまらなそうに唇を尖らせた。

 

「ま、しかたないかな。あたしたちいきなり押しかけちゃったし、あなたたちがなんでアルビオンに行くのかも知らないものね」

「ううむ、ここで死ぬのかな。死んだら、姫殿下とモンモランシーに会えなくなってしまうな……」

「行って」

 

 タバサが呟く。ジェヴォーダンは頷き、懐から自分のメモ帳を取り出してタバサに手渡した。タバサは頷いて、それを受け取った。

 

「行くぞ、ルイズ」

「……っ!」

 

 ジェヴォーダンに促され、ルイズもその場を離れる。ジェヴォーダンたちは姿勢を低く保ち、厨房の方にある通用口へと向かった。

 

 

 

 キュルケたちが暴れ始めたころ、3人は桟橋へ向けて走った。建物の隙間を抜け、階段を登って行く。

 長い階段を抜けると、丘の上に出た。山ほどもある樹が四方八方に枝を伸ばしている。どうやら『桟橋』はこの上にあるようで、上空には『船』が浮いているのが見えた。

 

「これは驚いた……」

「なに、あんたの宇宙には桟橋も船もないの?」

「どちらもあるのは海の上だ」

「海に浮かぶ船もあるし、空に浮かぶ船もあるわ」

 

 ルイズは事も無げに言う。一行はそのまま樹の根本に駆け寄る。目当ての階段を見つけるとそのまま駆け上り始めた。ボロボロの階段の隙間、足元の闇夜にラ・ロシェールの街明かりが見える。

 階段を駆け上がる最中だった。ジェヴォーダンは踊り場で突然立ち止まり、振り返った。ルイズが気づいて振り返る。

 

「ジェヴォーダン?」

 

 追いかけて来た黒い影がさっと翻る。すかさず、発砲音。散弾が影を捉え、男が地に落ちた。

 先ほどフーケの隣に立っていた、黒マントのメイジだった。倒れたメイジの白い仮面が、カタンと音を立てて落ちる。その遺体が、煙のように消えてしまった。

 

「これは……?」

 

 消えた遺体を確認するが、やはりマントと仮面だけが落ちている。その体はどこにもなかった。

 

「これは『偏在』? へぇ、こいつどうやら相当な『風』の使い手だな」

 

 それを見ていたのだろう、デルフリンガーがカチカチと鍔を鳴らした。

 

「知っているのか、デルフ」

「あぁ、風を使って作るゴーレムみたいなもの、有り体に言えば分身だよな。実体はあるけど幻みたいなもんだ」

「よく知っているな、インテリジェンスソード君。だが、今は口を閉じていてくれ。偏在が相手となれば1人とは限らない、今は少しでも音を立てず、身をひそめるんだ」

 

 ワルドが低い声で言う。警戒心を強めているのだろう、眼光にはむき出しの殺意が込められていた。

 

「行こう、桟橋はもうすぐだ」

 

 

 

 階段を駆け上った先、1本の枝に沿って、一艘の船が空中に停泊していた。舷側からは羽が突き出し、上からのびたロープで枝に吊るされている。ジェヴォーダンたちが乗る枝からはタラップが甲板に伸びていた。

 ワルドたちが船上に現れると、甲板で寝込んでいた船員が慌てて起き上がる。

 こちらを止めようとした船員にワルドは自分たちは貴族だと告げ、船長を呼ぶよう言いつける。ほどなくして、寝ぼけ眼の初老の男が、胡散臭げに現れた。

 

「これはこれは貴族の旦那。して、当船へいったいどういった御用向きで?」

「嬢王陛下の魔法衛士隊隊長、ワルド子爵だ。アルビオンへ、今すぐ出港してもらいたい」

「無茶を!」

「勅命だ。王室に逆らうつもりか?」

「あなたがたが何しにアルビオンに行くのかこっちは知ったこっちゃありませんが、朝にならないと出港は無理ですよ!」

「どうしてだ?」

「アルビオンがもっともラ・ロシェールに近づくのは朝です! その前に出港したんでは、風石が足りませんや! 子爵様、当船が積んだ風石は、アルビオンへの最短距離分しかありません。それ以上積んだら足が出ちまいますから。なので、今は出港できません。途中で落っこちちまいます」

 

 だがワルドは、一歩も引かず淡々と言った。

 

「風石が足りぬ分は、僕が補う。僕は『風』のスクウェアだ」

 

 船長と船員は顔を見合わせる。船長がワルドの方を向いて頷いた。

 

「ならば結構ですが、料金ははずんでもらいますよ」

「積荷はなんだ」

「硫黄で。アルビオンでは今や黄金並みの値段がつきますんで」

「その運賃と同額を出そう」

 

 船長は卑しく笑いを浮かべ頷いた。商談が成立したので、船長は矢継ぎ早に命令を下した。

 

「出港だ! もやいを放て! 帆を打て!」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも、船員達は船長の命令に従い、手際よく出港の準備を進める。

 戒めが解かれた船は一瞬空中に沈んだが、発動した『風石』の力で宙に浮かぶ。

 帆と羽が風を受け、ぶわっと張りつめ船が動き出した。

 

「アルビオンにはいつ着く?」

「明日の昼過ぎには、スカボローの港に到着しまさあ」

 

 ワルドの問いに船長が答える。

 ジェヴォーダンは舷側から地面を見た。桟橋の隙間から見えるラ・ロシェールの街明かりが、どんどん遠ざかって行く。

 あの中に、キュルケたちが残った宿屋の明かりもあるはずだろう。ジェヴォーダンは奥歯を噛み締めた。

 

「ジェヴォーダン? その、大丈夫?」

「……?」

 

 ルイズが心配そうにこちらを覗き込むので、ジェヴォーダンはようやく、随分表情に力が入っていたことに気がついた。ずっと恐ろしい顔をしていたのだろう。

 バツが悪くなったジェヴォーダンは、とりあえず話題をそらすことにした。

 

「……あいつらは、キュルケたちは逃げ果せただろうか」

「わかんない。大丈夫だって思いたいけど……」

「キュルケの方は力がある、タバサは賢く、ギーシュは指令に従って行動できる。おそらく上手くやれば、脱出くらいはできているだろうが……『土くれ』、あいつは……」

 

 ジェヴォーダンがもっとも気にしていたのは、そこだった。『土くれ』のフーケ、かつて狩り取ったはずの獲物。それがのうのうと自分の前に現れた。

 己の狩りを邪魔されたようで、ジェヴォーダンは怒りを隠せない。ルイズは再び硬くなったジェヴォーダンの表情を見て、冷や汗を流した。

 そんな二人の元へ、ワルドが寄ってきた。

 

「船長の話では、ニューカッスル付近に潜伏していた王軍は、攻囲されて苦戦中のようだ」

 

 ルイズがハッとして尋ねる。

 

「ウェールズ皇太子は?」

「わからん。生きてはいるだろうが……」

「どうせ、港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう」

「そうだね」

「どうやって、王党派と連絡を取ればいいのかしら」

「陣中突破しかあるまいな。スカボローから、ニューカッスルまでは馬で一日だ」

「反乱軍の間をすり抜けて?」

「それしかないだろう。まあ、反乱軍も公然とトリステインの貴族に手出しはできんだろう。隙を見て包囲線を突破し、ニューカッスルの陣へ向かう、ただ、夜の闇には気をつけなければならないがな」

 

 ルイズは緊張した顔で頷いた。

 

「そういえばワルド、あなたのグリフォンはどうしたの?」

 

 ワルドは微笑んで口笛を吹いた。下からグリフォンの羽音が聞こえてきて、そのまま甲板に着陸して船員達を驚かせた。

 

「ふむ、グリフォンでアルビオンへは行けないのか?」

「竜じゃあるまいし、そんなに長い距離は飛べないわ」

 

 ジェヴォーダンの解いにルイズが答えた。

 

「……使い魔くん、礼を言わねばならんな。階段での襲撃にいち早く気づいたのは君だった」

「俺はやるべきことをしているだけです。それよりも『偏在』、あれは警戒すべき相手です。フーケの側にもいた、貴族派に付いていることは間違いない。襲撃の傭兵のこともあります、今後は子爵も警戒を」

「あぁ……そうさせてもらう。到着は朝だ、ゆっくり休んでいてくれ」

 

 ワルドは振り向いて帽子を直す。そして悟られぬよう、小さく舌打ちをした。

 




遍在

風のユビキタス。風を用いて分身を作り出す魔法。
風のトライアングル以上のメイジが扱うことができる。

作り上げられた分身は思考し、魔法を使うこともできる。

地上にあって風はどこへでも吹き荒れる。
風の吹かぬ水底には、何が『遍在』しているのだろうか。


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14:白の国

 船員たちの声と朝日が、船の朝を告げる。見えるのは青い空、白い雲ばかり。どこまでも高い空が、幻想的な景色を作り上げている。

 

「アルビオンが見えたぞー!」

 

 鐘楼に立った見張りの声が響き渡る。ジェヴォーダンは、舷側から下の景色を覗き見た。が、広がるのは白い雲ばかりで、どこにも陸地などは見えない。

 眠っていたルイズが起き上がり、寝ぼけ眼をこすって大あくびをした。

 

「どこにも見えないようだが……」

「あっちよ」

 

 ルイズが空中を指差すので、ジェヴォーダンはまさかと空を仰ぐ。

 雲の切れ間から、大地が覗いている。山岳がそびえ、川が流れ、滝となった飛沫が落ちていく。ジェヴォーダンは息を飲み、しばしその光景に目を奪われた。

 

「驚いた?」

「あぁ……この宇宙に来てからというもの、驚かされっぱなしだったが……」

「浮遊大陸アルビオン。ああやって空中を浮かんで、主に大洋の上をさまよっているわ。でも月に何度か、ハルケギニアの上にやってくる。大きさはトリステインの国土ほどもあるわ。通称は『白の国』」

 

 大河から溢れた水は滝となり、空に落ちる。その飛沫が白い霧となり、大陸の下半分を覆い隠していた。霧は雲となり、ハルケギニアに雨を降らすのだという。

 

「素晴らしいな……」

「綺麗でしょ」

 

 二人は、しばし壮大な風景に見とれていた。

 そのとき、鐘楼の見張りの大声が響き渡った。

 

「右舷上方! 雲中より船が接近してきます!」

 

 言われた通りの方を見ると、船が一隻近づいてくる。ジェヴォーダンたちが乗る船よりも一回りも大きく、舷側からは大砲まで突き出している。どうやら、強力な船のようだ。

 

「いやだわ。反乱軍……貴族派の軍艦かしら」

 

 黒くタールの塗られた船体は、まさに戦闘用の船。ジェヴォーダンは目を凝らし、船の様子を伺った。

 

「いや、違うだろうな。あの船は旗を掲げていない」

「え? じゃあ、あれは……」

「あらかた海賊か。いや、今は空賊というべきか?」

 

 そんなことを話していると、船体がガクンと大きく揺れ、旋回を始めた。よろけたルイズをジェヴォーダンがかばう。

 船は軍艦から逃れようとしているようだが、すでに遅い。軍艦はすでに並走しはじめており、速度もあちらが上。

 ドゴン! と重たい音が響き、脅しの砲弾が船の進路めがけて消えていった。

 黒船のマストに、四色の旗流信号が登る。おそらく、停船命令だろう。

 

「じぇ、ジェヴォーダン……」

「下がっていろ、ルイズ」

 

 怯えるルイズを自分の影に隠し、ジェヴォーダンは相手の様子を伺う。軍艦から、メガホンを持った男が大声で怒鳴るのが見えた。

 

「空賊だ! 抵抗するな!」

 

 舷側には弓や銃を持った男たちが並び、狙いを定めている。やがてロープが放たれ、武器を持った男たちが伝ってくる。その数、およそ数十人。

 ジェヴォーダンはじっくりと相手を見やる。どこに隙があるか、攻撃のタイミングがあるかどうかを見定めていく。しかし、いつのまにか背後に現れたワルドに、肩を叩かれた。

 

「やめておけ。敵は武器を持った水兵だけじゃない。あれだけの門数の大砲が、こちらに狙いをつけているんだぞ。おまけに、向こうにはメイジがいるかもしれない」

 

 前甲板に繋ぎとめられていたワルドのグリフォンが、乗り移ろうとする空賊たちに驚いて喚き始める。直後、グリフォンの頭が青白い雲で覆われる。たちまちグリフォンは甲板に倒れ、寝息を立て始めた。

 

「眠りの雲……確実にメイジがいるようだな」

 

 次々と甲板に空賊たちが降り立ってくる。派手な格好の1人の空賊が、ぐるりとあたりを見渡した。

 汗とグリースで汚れて真っ黒になったシャツの胸をはだけ、真っ赤に日焼けしたたくましい胸をのぞかせている。ぼさぼさの黒い長髪を赤い布でまとめ、無精髭の生え散らかした顔には、左目を隠す眼帯が巻かれていた。いかにも、空賊のボスといった風体だ。

 

「船長はどこでえ」

「わたしだ」

 

 荒っぽい声に、精一杯の威厳を保とうと努力しながら船長が手をあげる。頭は大股で船長に近づき、青ざめた顔をぴたぴたと曲剣で叩いた。

 

「船の名前と、積荷は?」

「トリステインの『マリー・ガラント』号。積荷は硫黄だ」

 

 空賊たちの間からため息が漏れる。頭の男はにやっと笑い、船長の帽子を取り上げて自分の頭に乗せた。

 

「船ごと全部買った。料金はてめえらの命だ」

 

 船長が屈辱で震えるが、頭はそれを気にした様子もなく、やがて甲板に佇むワルドとルイズを見つけた。

 

「おや、貴族の客まで乗せてるのか」

 

 ルイズに近づき、顎を手で持ち上げる。

 

「こりゃあ別嬪だ。お前、俺の船で皿洗いをやらねえか?」

 

 空賊たちが下卑た笑い声をあげる。ルイズはその手をはねのけ、屈辱に怒りを燃やして男を睨みつけた。

 

「下がりなさい、下郎」

「驚いた! 下郎ときたもんだ!」

 

 男が大声で笑う。ルイズはさらに言い返そうとしたのだが、その前にジェヴォーダンが手で遮った。

 

「ジェヴォーダン?」

「………」

 

 ジェヴォーダンは、無言で首を振る。ルイズは悔しさを噛み締め、それでもジェヴォーダンに促される通りに押し黙った。

 

「ほう、お前は船員でも貴族でもないようだな」

 

 頭は今度はジェヴォーダンを見やる。トリコーン帽子と防疫マスクでほとんど見えない顔の、その目をぎらりの覗き込む。

 ジェヴォーダンは確信した。この男……

 

「はっ、すげぇ銃だな。不恰好だがなかなかよくできてるじゃねぇか。気に入った、こいつは俺がもらっておくぜ」

 

 ジェヴォーダンの獣狩りの散弾銃を強引に引き抜き、まじまじと眺める頭の男。ルイズはさらに怒りを浮かべるが、当のジェヴォーダンは眉ひとつ動かさない。

 

「……だんまりか? へっ、まぁいい。てめえら、こいつらも運びな。身代金がたんまり貰えるだろうぜ」

 

 

 

 空賊に捕らえられ、ジェヴォーダンたちは船倉に閉じ込められた。『マリー・ガラント』号の乗組員たちは、自分たちのものだった船の曳航を無理やり手伝わされているようだ。

 ジェヴォーダンは剣を取り上げられ、ワルドとルイズは杖を取り上げられた。

 杖を取り上げられたメイジほど無力なものもない。鍵をかけられただけでもう手足も出ず、大人しくしているほかなかった。

 周囲には、酒樽やら穀物の詰まった袋やら、火薬樽が雑然と置かれている。重たい砲弾も、部屋の隅にうずたかく積まれている。ワルドはそんな積荷を興味深そうに見て回っていた。

 ルイズは、先ほどから黙ったままのジェヴォーダンを見て、申し訳なさそうに俯いた。

 

「ジェヴォーダン。その、私、さっき」

「気にすることではない」

「でも……」

 

 ルイズは続く言葉が出て来ず、再び俯いてしまう。ジェヴォーダンはといえば、何か考え込んだ様子で、口を開こうとしない。

 どうしようか考え込んでいると、ワルドが近づいてきた。

 

「ルイズ、大丈夫かい?」

「えぇ、私は大丈夫」

「そうか……? 使い魔くん、君の方が様子がおかしいんじゃないか?」

「……子爵、1つ提案が」

 

 すると、それまで押し黙っていたジェヴォーダンが口を開いた。扉のほうにいる見張りに気を配りながら、姿勢を低くして声を細める。

 

「……俺はタイミングを見て、この部屋を脱出します」

「どこに脱出するつもりだね? ここは空の上だよ」

「何も船から脱出するわけではありません。あの空賊の頭、すこし気になることがありまして、それを確かめます。そのついで、2人の杖も回収できればいい」

「そんなこと言ってもあんた、武器の1つもないじゃない!」

「子爵、あの宿屋で話した通りです。俺たちの戦いは、相手の虚をつくもの。素手でもできることはあります。ただし脱出するのは俺だけにさせてほしい、これも少し、考えのあることです」

「………」

 

 ワルドは少しの間考えたが、やがて小さく頷いた。

 

「ジェヴォーダン……」

「ルイズ」

 

 心配そうな様子のルイズ。突然ジェヴォーダンは、そのルイズの手をとると、マスクをおろしてその甲に口づけをした。

 

「……!? な! な……!?」

 

 あまりに突然のことにルイズは目を白黒させ、続いて顔を真っ赤にさせる。しかしジェヴォーダンは当然のことというように拝謁の姿勢をとり、ルイズに頭を垂れた。

 

「我が血に賭けて誓う。無事に戻る、信じていてくれ」

「………」

 

 彼なりにこちらを案じて、こうしてくれたのだ。ルイズはゆっくり時間をかけて理解できた。ルイズは、「わかった」と呟いて、頷いた。

 ジェヴォーダンはワルドに「ルイズを頼みます」と一声をかけ、懐から、小さな青い瓶を取り出した。

 ルイズはそれに見覚えがあった。確か、神経を麻痺させる秘薬とかなんとかだったはずだ。

 そう思ったとき、扉が開いた。太った男がスープの入った皿を持って入ってくるのと、ジェヴォーダンが小瓶の中身を呷るのはほぼ同時だった。

 

「飯だ。ただし、質問に答えてからだ」

 

 男は腰掛けたままのルイズの前に立ちはだかる。

 

「お前たち、アルビオンになんの用なんだ?」

「………」

 

 ルイズは答えない。ただぽかんと口を開け、虚空を眺めていた。

 

「……? おい、聞いてんのか?」

「旅行だ」

 

 返す質問にワルドが代わりに答える。ルイズははっとして、それから皿を持った男の顔を睨んだ。

 

「トリステイン貴族が、今時のアルビオンに旅行? 一体何を見物するつもりだい?」

「そんなこと、あなたに言う必要はないわ」

「たった今ぼけっとしてたくせに、随分強がるじゃねぇか」

「そ、それは……」

 

 ルイズは眉をひそめる。だってそりゃあ、呆然もする。突然隣にいた使い魔の姿が見えなくなったのだから。

 

「へっ、まぁ好きにしろよ」

 

 男は皿を置き、部屋を出て言った。しばらくしてルイズは、ようやく信じられないという顔でワルドと目を合わせた。

 

「ワルド、ジェヴォーダンが……」

「わかっている、何かしたのだろう。僕にも彼の気配がうっすらとしか見えなくなっていた、あれは一体……」

 

 ワルドも驚いた様子で、それから2人は一緒に扉の方を見た。まさか2人とも、ジェヴォーダンが見張りの男と一緒に部屋を出て行ったとは、夢にも思っていなかった。

 

 

 

 

 さて、飛び出したはいいがどうしたものか。

 青い秘薬の効果も切れ、ジェヴォーダンは物陰で息を殺していた。目先の通路では、未だ空賊と思わしき男たちが行き来している。

 ジェヴォーダンは目を細めた。その空賊たち、1人1人の気配をじっくりと感じ取る。その体に、細い、青白い光が見えないかどうか確認する。

 結果は先ほどの頭の男と同じ通り。月光の導きは、見えない。彼らは殺すべき敵ではないという判断だ。

 そんな風にしていると、2人の空賊がばたばたと走ってきた。

 

「とにかく、皇太子に……」

 

 ジェヴォーダンはそれを聴き漏らさなかった。その空賊が走っていくのを確認し、その背後を音もなくついていく。細い通路を通り、階段を登り、やがて2人の空賊は1つの部屋に入って行った。

 おそらくは、船長室だろう。ジェヴォーダンは躊躇なく、その扉を開け放った。

 

「な、なんだお前!?」

 

 突然の来客に、2人の空賊と、ディナーテーブルの上座に腰掛ける海賊の頭は驚きの声を上げた。テーブルの上には、先ほどジェヴォーダンから奪った散弾銃や剣、杖が。

 空賊の頭の傍には大きな水晶のついた杖が。こんななりで、どうやらメイジらしい。ジェヴォーダンの予想は確信に変わった。

 

「お前、どうやって出やがった。まぁいい、わざわざ乗り込んでくるとはとんだ間抜けだったようだな」

 

 空賊が杖を構える。ジェヴォーダンの瞳が、ギラリと光った。

 

 

 

 

 それからしばらくして。船倉の2人は、することもなく座っていた。

 ワルドは壁にもたれ、何か考え込んでいる様子。ルイズは、出て行ったジェヴォーダンのことで気が気じゃなかった。

 その時、再びドアが開かれた。ジェヴォーダンかと思い、ルイズは顔をあげる。が、入ってきたのは痩せすぎた空賊の男だった。2人を見渡し、楽しそうに笑う。

 

「おめえらは、もしかしてアルビオンの貴族派かい?」

 

 ルイズは答えない。ワルドも黙ったままだ。

 

「おいおい、だんまりじゃわからねえよ。でも、そうだったら失礼したな。俺たちは貴族派の連中のおかげで商売させてもらってるんだ。王党派に味方しようとする酔狂な連中がいて、そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」

「じゃあこの船はやっぱり、反乱軍の軍艦なのね」

「いやいや、俺達は雇われているわけじゃあねぇ、あくまで対等な関係で協力し合っているのさ。で、どうなんだ? 貴族派なのか? そうだったらきちんと港まで送ってやるよ」

 

 ルイズはきっと目を尖らせ、真っ向からその空賊を睨みつけた。

 

「誰が薄汚いアルビオンの貴族派なものですか。バカ言っちゃいけないわ、わたしは王党派への使いよ。まだ、あんた達が勝ったわけじゃないんだから。アルビオンは王国だし、正当なる政府はアルビオンの王室よ。わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使ね。だから、大使としての扱いをあんたたちに要求するわ」

 

 まっすぐにそう行ってのけるルイズを見て、空賊は笑った。

 

「正直なのは確かに美徳だが、あんたらただじゃ済まないぞ」

「あんたたちに嘘ついて頭下げるくらいなら、死んだほうがマシよ」

「……頭に報告してくる。その間にゆっくり考えるんだな」

 

 空賊は去っていく。ルイズはふぅーっと息をつき、それからワルドが肩を叩いた。

 

「いいぞルイズ、さすがは僕の花嫁だ」

「……最後の最後まで、わたしは諦めないわ。地面に叩きつけられる瞬間まで、ロープが伸びると信じるわ」

 

 それでもルイズは、複雑な思いだった。果たして、これで良かったんだろうか。

 そういえば、あいつなんでジェヴォーダンがいないことに何も言わなかったんだろう。そんなことを考えていると、再び扉が開く、先ほどの痩せすぎた空賊が、険しい顔で言った。

 

「出ろ、頭がお呼びだ」

 

 

 

 狭い通路を通り、細い階段を登る。連れて行かれた先は、船長室だった。

 豪華なディナーテーブルの上座、先ほどの派手な格好の空賊が腰掛けている。その手に握られた水晶のついた杖を見て、ルイズは顔をしかめた。

 空賊の男たちも、頭の男も、何も言わない。ただじっくりと、ルイズたちを見つめている。見定められているのだろうか。

 

「……大使としての扱いを要求するわ」

 

 ルイズは、何かを言われる前にと先回りしてそう繰り返した。

 

「そうじゃなかったら、一言だってあんたたちなんかに口をきくもんですか」

 

 頭はそれを聞き、ふむぅと声を漏らした。

 

「王党派と言ったな?」

「えぇ、言ったわ」

「何をしにいく?」

「あんたらに言うことじゃないわ」

 

 頭はそれを見て、いっそう鋭い目でルイズを睨んだ。

 

「貴族派の優勢は誰が見ても明らかだ。王党派など、明日には消えてしまう。それでもお前たちは王党派につく大使だと。そう言い切るのだな?」

「そうよ。何度も言わせないで。私たちにはやるべきことがあるの、たとえどんなに不利な状況でも、決して心折れず、挑み続けてやるわ」

「……そうか、よかった。ジェヴォーダン、どうやら本当に君の言う通りなんだな」

 

 部屋の影から、すっと長身の男が出てくる。ルイズはそれが自分の使い魔の姿であるとわかって目を疑った。

 

「信じていただけたでしょうか。トリステインの貴族は気ばかり強くてどうしようもない連中ですが、彼女はこれだけ芯もある人物なのですよ」

「あぁ、どこぞの国の恥知らずと同じように思うなど、失礼というものだな」

 

 頭はそう言って、大笑いしながら立ち上がる。ルイズは呆然とした様子で、2人を見ていた。

 

「じぇ、ジェヴォーダン? 何、これ? どういうこと?」

「すまんなルイズ。騙して悪いが、どうしても確かめたいことがあってこいつを借りたぞ」

 

 ジェヴォーダンがそう言って、手に持った小さな指輪を掲げた。ルイズはハッと息を飲み、自分の手をまさぐった。

 

「そっ、それ! 姫殿下の、『水のルビー』! いつの間に!」

「殿下、1つ忘れておりました。確かに彼女は芯のある貴族ですが、特に扱いやすい主人でもあるのですよ」

「わっははは! 使い魔が主人に言うことではないな! 君、ひどい目にあわされるんじゃあないのかね?」

 

 ルイズは自分の顔に血が登っていくのを感じた。あいつ、部屋を出る前に妙なことをしやがった。いきなり手の甲にキスをして……あの時だ!

 怒りがマグマのように込み上げてきていたが、それと同時に、とても気になることがあった。

 

「……『殿下』?」

 

 ジェヴォーダンは、確かにそう言った。海賊の頭が「おっと」と漏らす。と同時に、周りに控えた空賊たちがニヤニヤ笑いをおさめ、一斉に直立した。

 

「失礼した。貴族に名乗らせるなら、こちらから名乗らなくてはな」

 

 頭は縮れた黒髪のカツラをはいだ。眼帯を外し、髭ををびりっとはがす。あっというまに、凛々しい金髪の若者が現れた。

 

「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊司令官……本国艦隊といっても、すでに本艦『イーグル』号しか存在しない、無力な艦隊だがね。まぁ、その肩書きよりこちらのほうが通りがいいだろう」

 

 そして、若者は居住まいをただし、威風堂々と言い切った。

 

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 

 ルイズは口をあんぐりとあけ、ワルドは興味深そうに皇太子を見つめた。空賊の頭だと思っていた人物が、いきなり若き皇太子に様変わりしてしまったのだから当然だ。

 ウェールズはにっこりと魅力的な笑みを浮かべると、ルイズたちに席を進めた。

 

「アルビオン王国へようこそ、大使殿。さて、御用の向きをうかがおうか」

 

 あまりのことに、ルイズはぼうっと呆けて立ち尽くした。

 

「その顔は、どうして空賊風情に身を”やつし”ているのだ、といった顔だね。いや、金持ちの反乱軍には続々と補給物資が送り込まれる。敵の補給路を断つのは戦の基本、しかしながら堂々と王軍の軍艦旗を掲げたのではあっというまに反乱軍の船に囲まれてしまう。空賊を装うのもいたしかたなかったのだが……」

 

 そう言って、ウェールズはジェヴォーダンを見る。

 

「どうやら、彼には通用しなかったようだな。私の変装をすっかり見破られていたようだ」

「じぇ、ジェヴォーダン! そうなの!?」

「……確証はなかった。だからこそ確かめる必要があったのさ」

「彼は、もし本当に僕たちがただの空賊なら武器を奪い、僕を仕留めるつもりでいたらしい。確かにこういう集団は、頭を押さえられればどうにも動けなくなる。しかし、一瞬でそれだけの判断をし、実際にここまでたどり着いてしまうなんてな……恐れ入ったよ」

 

 ルイズは思わず気を失いそうになるのを必死で抑えた。いったいどこまで周到に考えていたのだろう、この男は。まして、その一環で自分まで騙されるとは。

 

「いや、大使殿には誠に失礼をした。きみたちが王党派かどうか、確かめる必要があってね。外国に我々の味方の貴族がいるなどとは夢にも思わなかった。だが確かめるよりも早く、彼が来て証明をしてくれたのでなおさら助かったというものだ」

 

 ルイズは心の準備が一切できておらず、まして自分の使い魔がとんでもない働きをしたという事実もなかなか理解できず、口をぽかんと開くばかりだった。その様子を見かねて、ワルドが優雅に頭を下げて言った。

 

「アンリエッタ姫殿下より、密書を言付かって参りました」

「ふむ、姫殿下とな。きみは?」

「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵」

 

 そしてワルドは、ルイズたちを指して2人を紹介した。

 

「そしてこちらが姫殿下より大使の大任を仰せつかった、ラ・ヴァリエール嬢とその使い魔の青年でございます、殿下」

「なるほど! 君の様に立派な貴族が私の親衛隊にあと十人ばかりいたら、このような惨めな今日は迎えていなかっただろうに! では、その密書とやらは?」

 

 それを聞いて、ルイズがようやく我に帰る。慌てて胸のポケットから、アンリエッタの手紙を取り出した。

 恭しくウェールズに近づいたが、途中で立ち止まり、少しためらうように口を開いた。

 

「あ、あの……失礼ですが、本当に、皇太子さま?」

 

 ウェールズはそれを聞いて大笑いした。

 

「まぁ、さっきまでの顔を見れば、無理もない。僕はウェールズだよ、正真正銘、皇太子さ。どれ、証拠をお見せしよう。ジェヴォーダン君、それをかしておくれ」

 

 水のルビーを受け取ると、自分の薬指に光る指輪に近づけた。2つの宝石は共鳴しあい、虹色の光を振りまいた。

 

「この指輪は、アルビオン王家に伝わる『風のルビー』だ。きみが持っていたのは、アンリエッタが嵌めていた『水のルビー』。水と風は、虹を作る。王家の間にかかる虹さ」

「……大変、失礼をいたしました」

 

 ルイズは一礼し、手紙をウェールズに手渡した。

 ウェールズは、愛おしそうに目を細め、その手紙を見つめる。花押に軽く接吻すると、それから慎重に封を開き、中の便箋へ目を落とした。

 しばらくの間、真剣な眼差しで手紙を読んでいたが、ふっと顔をあげ、どこか遠くを見るように呟いた。

 

「姫は、結婚するのか? あの愛しいアンリエッタが。私の可愛い……従妹は」

 

 ワルドは無言で頷いた。再びウェールズは手紙に視線を落とし……やがて最後の1行を読むと、微笑んだ。

 

「了解した。姫は、あの手紙を返して欲しいとこの私に告げている。何より大切な、姫から貰った手紙だが、姫の望むことだ、私もそれを望もう」

 

 ルイズの顔がぱっと輝いた。

 

「しかし、今、手元にはない。ニューカッスルの城にあるんだ。姫の手紙を、空賊船に連れてくるわけにはいかぬのでね」

 

 そしてウェールズは、また笑顔を浮かべた。

 

「多少面倒だが、ニューカッスルまでご足労願いたい」

 

 




青い秘薬

医療教会の上位医療者が怪しげな実験に用いる飲み薬
それは脳を麻痺させる、神経麻酔の類である

狩人はこれを用い、その存在を薄れさせる
時に身を隠し、時に不意の一撃を狙う
それはとても狩人らしい使い方と言えよう


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15:手紙

 ジェヴォーダンたちを乗せた軍艦イーグル号は、アルビオンの狭く細い海岸線を雲に隠れるようにして航行する。3時間ほど進んだ頃、大陸から突き出た岬が見えてきた。

 岬の突端には、高い城が静かに佇んでいる。荘厳なその姿に、思い出すのはカインの古城。あれがニューカッスルの城だと、ウェールズは説明した。だが、イーグル号は城へは向かわず、大陸の下側にもぐりこむように航路をとる。

 

「なぜ、下へ?」

 

 ウェールズが城のはるか上空を指差す。遠く離れた岬の突端からは、巨大な船が降下してきている。しかし雲の中を航行してきたイーグル号は、向こうからは雲に隠れて見えていないようだ。

 巨大な船だった。ゆうにイーグル号の倍もあろうかという巨船は、いくつもの帆をなびかせて降下してくる。と、唐突にニューカッスルの城へ向けて、並んだ砲門を一斉に発射した。強烈な振動がイーグル号までにも伝わってくる。砲弾は城壁を砕き、城を粉々に打ち砕いていく。

 

「叛徒どもの、船だ。かつての本国艦隊旗艦、『ロイヤル・ソヴリン』号だ。叛徒どもが手中に収めてからは、『レキシントン』と名を変えている。やつらが初めて我々から勝利をもぎとった戦地の名だ、よほど名誉に感じているらしい。あの忌々しい艦は、空からニューカッスルを封鎖しているのだ。あのように、たまに嫌がらせのように城に大砲をぶっ放していく」

 

 巨大な戦艦は、城の上空、雲の切れ間に悠々と佇んでいる。艦上にはドラゴンが飛び交い、禍々しさも合間ってまるで悪の居城だ。

 

「備砲は両舷合わせ、108門。おまけに竜騎兵まで積んでいる。あの艦の反乱から、すべてが始まった。因縁の艦さ。さて、我々のフネはあんな化け物を相手にできるわけもないので、雲中を通り、大陸の下からニューカッスルに近く。そこに我々しか知らない秘密の港があるのだ」

 

 

 雲中を通って大陸の下へ。頭上に陸地があるため、日が遮られて真っ暗になった。おまけに雲の中であり、視界はほぼゼロ。頭上の陸地に座礁しかねない反乱軍は下には近づかないのだとウェールズは語る。

 

「地形図を頼りに、測量と魔法の明かりだけで航海することは、王立空軍の航海士にとってはなに、造作もないことなのだが。貴族派、あいつらは所詮、空を知らぬ無粋者さね」

 

 そう言ってウェールズは愉快そうに笑った。

 そうしてしばらく航行すると、頭上に黒々と穴が開いている部分に出た。

 

「一時停止」

「一時停止、アイ・サー」

 

 掌帆手の命令が復唱される。イーグル号は裏帆を打ち、ぴたりと穴の真下で停船する。

 

「微速上昇」

「微速上昇、アイ・サー」

 

 ゆるゆるとイーグル号は穴に向かって上昇していく。イーグル号の航海士が乗り込んだマリー・ガラントが後に続く。

 ワルドが頷いた。

 

「まるで空賊ですな。殿下」

「まさに空賊なのだよ、子爵」

 

 穴に沿って上昇すると、頭上に明かりが見える。そこに吸い込まれるようにイーグル号は登っていった。

 ニューカッスルの隠れ港。そこは、真っ白い発光性のコケに覆われた、巨大な鍾乳洞の中だった。岸壁の上には大勢の人影が見える。イーグル号が鍾乳洞の岸壁に近づくと、一斉にもやいの縄が飛んだ。

 停泊したイーグル号にかけられたタラップを、ウェールズはルイズたちを促しながら降りる。

 すると背の高い年老いたメイジが嬉しそうに近寄ってきた。

 

「ほほ、これはまた、大した戦果ですな。殿下」

 

 老メイジは現れたマリー・ガラント号を見て顔をほころばせる。

 

「喜べ、パリー。硫黄だ、硫黄!」

 

 ウェールズが叫ぶと、集まった兵隊からうぉーっと歓声が上がった。

 

「おお! 硫黄ですと! 火の秘薬ではござらぬか! これで我々の名誉も守られるというものですな!」

 

 老メイジは、おいおいと泣き始めた。

 

「先の陛下よりおつかえして六十年……こんな嬉しい日はありませぬぞ、殿下。反乱が起こってからは、苦渋を舐めっぱなしでありましたが、なに、これだけの硫黄があれば……」

 

 にっこりとウェールズは笑った。

 

「王家の誇りと名誉を叛徒どもに示しつつ、敗北することができるだろう」

「栄誉ある敗北ですな! この老骨、武者震いがいたしますぞ。してご報告なのですが、叛徒どもは明日の正午に攻城を開始するとの旨、伝えて参りました。まったく、殿下が間に合ってよかったですわい」

「してみると間一髪とはまさにこのこと! 戦に間に合わぬは、これ武人の恥だからな!」

 

 心底楽しそうに笑い合うウェールズたち。だが、敗北という言葉を聞いていたルイズは顔を青くした。

 敗北とはつまり、死にゆくことであるのに。

 しかしウェールズたちは恐怖など露ほども感じさせず、ルイズたちをパリーに紹介している。彼らは、死ぬのが怖くはないのだろうか。

 

「これはこれは大使殿。殿下の侍従を仰せつかっておりまする、パリーでございます。遠路はるばるようこそこのアルビオン大国へいらっしゃった。たいしたもてなしはできませぬが。今夜はささやかな祝宴が催されます。是非とも出席くださいませ」

 

 

 

 城内のウェールズの居室。城の一番高い天守の一角にあるウェールズの居室は、王子の部屋とは思えない質素な部屋だった。

 木でできた粗末なベッドに、椅子とテーブルが一組。壁には戦の様子を描いたタペストリー。

 王子は机の引き出しを開き、宝石の散りばめられた小さな箱を取り出した。彼は首からネックレスを外すと、その先についた小さな鍵を小箱の鍵穴に差し込んだ。

 開いた箱の内側には、アンリエッタの肖像が描かれていた。

 

「宝箱でね」

 

 中身は一通の、手紙だった。まぎれもなくそれが王女の手紙であるらしい。ウェールズはそれを取り出し、愛おしそうに口付けたあと、開いてゆっくりと読み始めた。何度も何度も、そうやって読み返したのであろう。手紙はすでにボロボロだった。

 読み返すと、ウェールズはその手紙を丁寧にたたみ、再び封筒に納める。その手紙を、ルイズに手渡した。

 

「これが姫からいただいた手紙だ。このとおり、確かに返却したぞ」

「ありがとうございます」

 

 ルイズは深くこうべを垂れ、うやうやしそうにその手紙を受け取った。

 

「明日の朝、非戦闘員を乗せたイーグル号がここを出港する。それに乗って、トリステインに帰りなさい」

 

 ルイズはしばし手紙をじっと見つめ、やがて決心したように口を開いた。

 

「あの、殿下……さきほど、栄誉ある敗北とおっしゃっていましたが、王軍に勝ち目はないのですか?」

 

 ルイズは躊躇いがちに問うた。しごくあっさりとウェールズは答える。

 

「ないよ。我が軍は三百、敵軍は五万。万に一つの可能性もありえない。我々にできることは、はてさて勇敢な死に様を連中に見せつけることだけだ」

 

 ルイズは、悲しそうに俯いた。

 

「殿下の、討ち死になさる様も、その中には含まれるのですか?」

「当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」

 

 明日にでも死ぬと言うのに、皇太子はいささかも取り乱したそぶりはない。

 ルイズは深々と頭を下げた。そして決意のまま、口を開いた。

 

「殿下……失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」

「なんなりと、申してみよ」

「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは……」

「ルイズ」

 

 ジェヴォーダンは思わずルイズの言葉を遮る。それはここにいる全員がわかっていても、決して口にしてはならぬ類のことだ。

 だが、ルイズは止まらない。きっと顔を上げると、ウェールズを真っ直ぐ見つめた。

 

「この任務をわたくしに仰せつけられた際の姫さまのご様子、尋常ではございませんでした。そう、まるで恋人を案じるような……それに、先ほどの小箱の内側には、姫さまの肖像が描かれておりました。手紙に接吻なさった際の殿下の物憂げなお顔といい、もしや、姫さまと、ウェールズ皇太子殿下は……」

 

 そこまでルイズが言ったところで、ウェールズは小さく、微笑んだ。

 

「きみは、従妹のアンリエッタと、この私が恋仲であったと言いたいのかね?」

「……そう想像いたしました。とんだご無礼をお許しください。してみると、この手紙の内容とやらは……」

 

 ウェールズは額に手を当てて、かすかに悩むような素振りを見せた後、変わらず柔らかく、言った。

 

「恋文だよ。君が想像しているとおりのものさ」

 

 ジェヴォーダンは、心の中で盛大にため息をついた。ことは自分の予想していた通りだったのだ。

 その後ウェールズが語ったことは、ほぼジェヴォーダンの予想と何も相違ない。この手紙の中でアンリエッタは、婚姻の際の誓いでなければならぬ始祖ブリミルへの誓いを語っていること。この手紙が白日の下に晒されれば彼女は重婚の罪を背負うこと。そうなれば、ゲルマニア皇室との婚約は反故になってしまうであろうこと。そしてそうなれば……トリステインは単身で、恐るべき貴族派と戦わねばならなくなること。

 

「とにかく、姫さまは、殿下と恋仲であらせられたのですね」

「昔の話だ」

 

 冷静なウェールズに反するように、ルイズは熱を持ってウェールズにたたみかけた。

 

「殿下、亡命なされませ! トリステインに亡命なされませ!」

 

 ワルドがよってきて、静かにルイズの肩に手を置いた。しかし、ルイズは止まろうとしない。

 

「お願いでございます! 私たちと共にトリステインへいらしてくださいませ!」

「それはできんよ」

 

 ウェールズは笑いながら言った。

 

「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! 姫さまの手紙には、そう書かれておりませんでしたか? わたくしは幼きころ。畏れ多くも姫さまのお遊び相手を務めさせていただきました! 姫さまの気性は大変よく存じております! あの姫さまが自分の愛した人を見捨てるわけがございません!おっしゃってくださいな、殿下! 姫さまは、たぶん手紙の末尾であなたに亡命をお勧めになっているはずですわ!

「……そのようなことは、一行も書かれていない」

「殿下!」

 

 ルイズはウェールズに詰め寄る。ウェールズは、苦しそうに答えた。

 

「私は王族だ。嘘はつかぬ。姫と、私の名誉に誓って言うが、ただの一行たりとも、私に亡命を勧めるような文句は書かれていない」

 

 口ぶりから、ルイズの指摘が当たっていることは明らかだった。しかし、ウェールズとて引かない。

 

「アンリエッタは王女だ。自分の都合を、国の大事に優先させるわけがない」

 

 ウェールズの意志は、果てしなく硬い。彼はアンリエッタを庇おうとしているのだ。臣下のものに、アンリエッタが情に流された女と思われぬように。

 ウェールズは、ルイズの肩に手を置いた。

 

「きみは、正直な女の子だな、ラ・ヴァリエール嬢。正直で、真っ直ぐで、いい目をしている。忠告しよう、そのように正直では大使は勤まらぬよ。しっかりしなさい」

 

 ウェールズが微笑む。白い歯がこぼれる、魅力的な笑みだった。

 

「しかしながら、亡国への大使としては適任かもしれぬ。明日に滅ぶ政府は、誰より正直だからね。なぜなら、名誉以外に守るものが他にないのだから」

 

 それからウェールズは、机の上の水盆のようなものにのった針を見やった。形から、どうやら時計であるようだった。

 

「そろそろ、パーティの時間だ。きみたちは、これから我が王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」

 

 ルイズたちは部屋を出る。ワルドは残るようだった。

 ジェヴォーダンはふと、ワルドを見やった。ウェールズへと一礼している。引っかかるものを感じながらも、部屋を後にした。

 残ったワルドへウェールズが尋ねる。

 

「まだ、なにか御用がおありかな? 子爵殿」

「恐れながら、殿下にお願いしたい議がございます」

「なんなりとうかがおう」

 

 ワルドはウェールズに、自分の願いを語って聞かせた。ウェールズはそれを聞いて、にっこりと笑った。

 

「なんともめでたい話ではないか。喜んでそのお役目を引き受けよう」

 

 

 

 

 パーティは、城のホールで行われた。簡易の玉座にはアルビオンの王、年老いたジェームズ一世が腰掛け、集まった貴族や臣下を目を細めて見守っていた。

 明日の亡国とは思えない、華やかなパーティであった。王党派の貴族たちはまるで園遊会のように着飾り、テーブルの上にはこの日のためにとっておかれたのであろう、様々なご馳走がならんでいる。

 ジェヴォーダンたちは会場の隅に立ち、華やかなパーティを見つめていた。

 王党派の貴族たちは、こんなときにやってきたトリステインからの客が珍しいらしく、かわるがわるルイズたちの元へやってきては、料理を勧め、酒を勧め、冗談を言う。そして最後に、アルビオン万歳! と怒鳴って去っていくのだった。

 悲しい。ただ悲しいと呼ぶべき、滅びゆく人々の姿。ジェヴォーダンですらそう感じるその姿が、ルイズにはより深く突き刺さったのであろう。たまらずといった様子で、ルイズは飛び出していった。

 ジェヴォーダンは、自分は適任ではないと感じた。こういう時、かける言葉など自分にはない。ワルドを促すと彼は頷き、ルイズを追いかけた。

 ジェヴォーダンはため息をついた。こういった場に来るたび、自分はどうも疎外感を感じてしまう。

 そんなことを考えていると、座の真ん中で歓談していたウェールズが近づいてきた。

 

「やぁジェヴォーダン、楽しんでいるかな」

「……えぇ、まぁ」

 

 ジェヴォーダンは取り繕うように空返事をする。

 

「先ほどは、機転の利いた行動に感謝するよ。君がいたから僕たちは、君たちが敵でないと知ることができたんだからね」

「ご安心ください、核心あっての行動ですので、失敗するということはなかったはずです」

「ふふ! 面白い男だな、君は!」

 

 ウェールズはそう言って笑う。先ほどと変わらない、魅力的で屈託のない笑顔だ。

 

「あなたは、本気で明日、真っ先に死ぬおつもりで?」

「もちろんさ。なんだ、案じてくれるのかい?」

「いいえ、誇りと名誉のため、死にゆくこと、これを止めるつもりはありません。ただ……」

 

 ジェヴォーダンは、なんと言うべきか迷う。そして思いつくままに語ってみようと、顔を上げた。

 

「殿下、ひとつ、お話をよろしいでしょうか。俺がくぐり抜けてきた、戦いの話です」

「おぉ! それは是非とも聞きたい。君ほどの男だ、どれほどの死地を切り抜けてきたのかね?」

「武勇伝と呼ぶべきものはありませんが……殿下、例えばの話です。『死ねない戦い』というものがあったとしたら、どう思いますか?」

「ふむ、守るもののため、引くわけにはいかない戦いということか?」

 

 ジェヴォーダンは静かに首を振る。

 

「そうではありません。死ねないとは、言葉の通りです。殿下がこれより死地へ赴き、名誉に死んだとします。すると、目が醒める。それは悪夢で、自分はこれから死地へ赴くのです。そして名誉に死に……また悪夢に、目が醒める」

「……!」

「幾度となく悪夢が繰り返され、もう今見ているのが悪夢なのか現実なのか、それすらもわからない。逃げることも叶わない。ただひたすら、死に、目覚め、また死ぬ。終わることを望めどそれは叶わず、何度でも、死ぬ」

「それは……まさしく悪夢というものだな」

「えぇ殿下、紛れもありませんよ。『悪夢』なのです。私はそんな戦いに身を置いてきました」

「まさか、不死だとでも言うつもりかね?」

 

 驚いた顔でウェールズが言う。ジェヴォーダンは低く笑った。

 

「例え話ですよ、殿下。ですがそれに近い日々であったことは確かです。殿下、死にゆく事これを名誉とする戦いは、美しいものです。俺には叶わなかったものだ。他の誰もこんな事は言わないだろうが、俺は少し……あなたが羨ましい」

 

 ウェールズは一瞬、ポカンと口を開け、それから大笑いした。それはそれは高らかに、見事なまで大笑いだった。

 

「はっはっはっ。いやすまない、可笑しくて笑ったのではないんだ、ははは。君の言う通り他にそんなことを言うものはいない。そうか、羨ましいか、そうか……」

 

 大笑いするウェールズを見て、ジェヴォーダンは心底気が沈むのを感じた。これほどいたたまれない気持ちになったことなど、ついぞあっただろうかと。

 死ねなかった自分にはわからない、死にゆく者の美しい悲しみ。こんなもの、知らない方が良かったとさえ思えてくる。

 

「ジェヴォーダン、君と話せて本当に良かった。感傷だが、君とは別の形で出会いたかったものだ」

「……俺もです、殿下」

「……ひとつ、頼まれてくれるか」

「なんなりと」

 

 ウェールズは目をつむって言った。

 

「彼女に、アンリエッタにはこう伝えてくれ。ウェールズは、勇敢に戦い、勇敢に死んでいったと。それで十分だ」

「……我が血に賭けて、伝えます」

 

 ウェールズは静かに頷くと、再び座の中心に入っていった。

 

 

 

 

 これ以上、ここに残る意味もない。

 ジェヴォーダンは近くにいた給仕に道を尋ね、寝室へ戻ることにした。寝るわけではないが、少し休みたい。そんな気分だった。

 部屋へ向かう暗い廊下。前方から、誰かが歩いてくるのが見えた。暗がりの中、月明かりに照らされて現れたのは、妙に冷たい目をしたワルドの姿だった。

 

「きみに、言っておかねばならぬことがある」

 

 何やら、冷えた声。節々には、まるで警戒するような態度が伺えるような。

 

「……何だ?」

「明日、僕とルイズはここで結婚式を挙げる」

 

 ジェヴォーダンは自分の耳を疑った。この男は、一体何を言っているのか。

 

「こんな時に、こんな所でか?」

「是非とも、僕たちの婚姻の媒酌を、あの勇敢なウェールズ皇太子にお願いしたくなってね。快く引き受けてくれた。決戦の前に、僕たちは式を挙げる」

 

 聞いただけで、ジェヴォーダンは頭痛のする思いだった。世の中には阿呆がいるが、これは飛び切りの阿呆というものだ。

 

「貴公、気でも触れたか……?」

「心外な物言いだな。皇太子殿下も、死に際に名誉な事だと喜んで下さっているのだ。これはまたとない機会というものだ」

「戦火はすぐ手前に迫っている。ルイズに危険が迫らないとも限らないのですよ?」

 

 ワルドはさらに眼光を鋭くしてジェヴォーダンを睨みつける。指摘はすべて気にくわない様子だ。

 

「何も平民の君に理解できなくても構わぬが、貴族は名誉や誇りを重んじるものだ。重ねていうが、皇太子殿下は名誉なこととお喜び下さった。君に理解できる必要はない」

 

 心底、呆れて物も言えない。ジェヴォーダンは心の中で大きくため息をつき、ワルドに対する考えを改めねばならなかった。

 

「きみも出席するかね?」

 

 まさか、とジェヴォーダンは首を振った。

 

「ならば、明日の朝すぐに出発したまえ。私とルイズはグリフォンで帰る」

「長距離は飛べないのではなかったか」

「滑空するだけなら話は別だ。問題ない」

 

 どうやら、全て計算尽くのようだ。ジェヴォーダンが頷くと、ワルドはフンと鼻を鳴らした。

 

「では、君はここでお別れだな」

「そのようですね……いや」

「ん?」

 

 言うだけ言って歩き去ろうとしたワルドは、ジェヴォーダンの言葉に足を止める。

 ジェヴォーダンは、その薄い顔にさらに薄ら笑いを浮かべて、ワルドを見やった。

 

「存外、すぐまたお会いできるかもしれませんよ……子爵殿」

「……っ、し、失礼する」

 

 その薄ら笑いに、ただならぬ不気味な何かを感じ取ったワルドは、足早にその場を去った。

 まさか、気付かれているのか? 一瞬ワルドの背筋を冷たいものが伝うが、それならば出席しないと回答するのもおかしな話だ。

 杞憂だろう。ワルドは振り返りもせず足早に歩き、やがてジェヴォーダンの視界から消えた。

 

「クク……阿呆な犬が……まぁだが、あんな阿呆が貴族派のスパイであろうはずもないか……」

 

 そしてワルド、ジェヴォーダン双方の予想は、残念ながら悪い方に命中していたのだ。

 

 

 

 

 




アンリエッタの手紙

ウェールズによって読み潰された、ボロボロの一通の手紙
いまや元の色はすっかり落ちきり
見る影もなく薄汚れている

だが込められた思いは、今も光り輝く


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16:恐怖

 アルビオンの隠れ港の中。

 ニューカッスルから逃げゆく人々に混じって、ジェヴォーダンもイーグル号に乗り込むための人々に混じり、列に並んでいた。拿捕されたマリー・ガラント号にも、人々が乗り込むようだ。

 

「それにしても意外だな」

 

 デルフリンガーが呟く。

 

「相棒、ほんとに先に帰る気かよ? しかも娘っこに一言もかけねえなんてさ」

「仕方なかろう。これを逃すと、俺もいつアルビオンから出られるかわからん。ルイズのことは確かに気にかかるが、子爵が付いていればひとまずは大丈夫だろう」

「なんだ、あれだけあの子爵様を疑ってたのに」

 

 ジェヴォーダンが最後まで内通者ではないかと踏んでいたのは、他ならぬワルド子爵。しかし、ジェヴォーダンは首を振った。

 

「残念だが、子爵はアリバイ付き。その上あれほどの阿呆ときた。貴族というやつはどいつもこいつも、栄誉だ名声だなんだと一つ覚えで頭にくる」

 

 貴族というものの考え方には、心底愛想が尽きている。ジェヴォーダンにしてみればもはや貴族というものに対する共通認識である。ルイズのように芯と誇りある貴族の例を全く見ることができないのだから、仕方がない。

 

「違いないな。しかし相棒、先に帰ってたってどうする気だい?」

「どうもこうもない。ルイズは婚姻を終わらせて帰り、まずは姫殿下への任務達成の報告、その後は……ふむ、果たしてそのまま使い魔を続けられるかどうか」

「なんでまた?」

「あの子爵が、俺をルイズの側に置くと思うか? 難癖をつけて引き剥がすだろうな。ヤーナムヘ帰る方法を探すにしろ、学園に残って使い魔を続けられる方がよっぽど都合がよかったのだがな」

「はっはっは、まぁ違いないや。もしつまみ出されるようなら、その時は相棒、傭兵でもやるかね?」

「傭兵?」

 

 素っ頓狂な声で聞き返す。

 

「そう、剣一本担いであっちの戦場からこっちの戦場へ。その日暮らしだ、悪くないもんだぜ。なぁに、俺と相棒なら、並大抵のやつには遅れを取らんよ」

 

 デルフリンガーが鍔をカチカチと鳴らす。どうやら笑っているようだ。

 

「見てくれは錆び剣だがな。格好は付かんぞ」

「手厳しいねえ。まぁそんな傭兵も悪くはないだろ。ところで相棒、この前、ちょっと思い出したことなんだが……」

「なんだ?」

「あぁ。相棒、『ガンダールヴ』とか呼ばれてたよな?」

「あぁ、伝説の使い魔だとかいう。だが、どうだろうな。実際に伝えられているガンダールヴの姿と俺とでは、かなり差があるように思える。本来はいかなる武具をも使いこなす、始祖ブリミルの詠唱の守り手だそうだが……」

「あぁ、それだそれ。その名前がなぁ……いやぁ、ずいぶん昔のことでな。なんかこう、頭の隅に引っかかってるんだが……」

 

 あぁ、だのふむ、だの、デルフリンガーは何度も唸ってみせる。ジェヴォーダンも、釣られて思わずうーむと唸る。

 

「どうだろうな。俺に現れた力はあらゆる武具を使いこなすというより、純粋に自分自身の力の増強に感じられるものだったからな。しかし、俺にはガンダールヴよりブリミルの方が気になる。始祖だなんだと言うが、大抵そういうのは上位者の無頼だからな。それが……」

「『上位者』?」

 

 唐突にデルフリンガーが、ジェヴォーダンの言葉を遮った。

 その声色の違いに、ジェヴォーダンも思わず言葉を止める。

 

「なんだ?」

「上位者、上位者? ガンダールヴ、あぁ、あー……あれぇ、なんか、思い出しそうな……」

 

 ブツブツとそんなことをつぶやき始めるデルフリンガー。ジェヴォーダンが聞き返そうと思った時、艦に乗り込む順番がジェヴォーダンにも回ってきた。タラップを登ると、さすがは難民船といったところで、人がぎゅうぎゅうに押し込まれていて甲板に座り込むこともできない。

 ジェヴォーダンは次々乗り込んでくる人の波にもまれながら、必死にデルフリンガーに声をかける。

 

「デルフ、お前何か知ってるのか、上位者について」

「何だろう、えらい頭の隅にひっかかる。上位者、ガンダールヴ、ブリミル……えーと、あーっと」

 

 うんうんと唸るばかりのデルフリンガー。人垣の中で足を踏まれ、ジェヴォーダンは小さく舌打ちをする。舷縁にのりだして、抜き身のデルフリンガーを手に持った。

 

「気のせいじゃないのか? お前の記憶はあまり当てにならん。だいたい頭の隅というが、お前の頭はどこにあるんだ?」

「んー、たぶん柄」

 

 それを聞いてジェヴォーダンはフンと鼻で笑う。そして、何気なく呟いた。

 

「なんだ、柄に上位者の精霊でも宿ってるとでも言うつもりか」

 

 ジェヴォーダンにしてみれば軽い冗談のつもりだった。頭の中に何かがひっかかるなどと言われて、自分に思い当たるものとすれば精霊くらいしかいない。そんな程度の軽い言い回しのつもりだった。

 

 そんなジェヴォーダンの手の中で、デルフリンガーがひときわ大きくガチリと鳴いた。

 

 

 

 そんな頃、始祖ブリミルの像が神々しく鎮座する礼拝堂で、ウェールズ皇太子は新郎と新婦の登場を待っていた。周りに他の人間はいない。皆、戦の準備に駆られているのだ。

 ウェールズは皇太子の礼装に身を包んでいた。王家の象徴たる明るい紫のマント、帽子にはアルビオン王家を象徴する7本の羽がついている。

 扉が開き、ルイズとワルドが現れた。ルイズは、ワルドに促されてただ歩くのみ。呆然とした様子だった。

 ルイズは戸惑っていた。今朝突然ワルドに起こされ、何もわからずここまで連れてこられた。

 とまどいはした。が、ルイズは死に戦へ赴くアルビオンの人々の様に当てられ、半ば自暴自棄な気持ちになっていた。それに、昨晩から姿の見えないジェヴォーダンの事も気にかかっていた。

 ワルドから、あいつが先にトリステイン行きの船に乗り込んだと聞いた。たった一声もかけず、あいつは行ってしまった。その突き放すような事実がルイズをひどく落ち込ませた。

 ワルドは「今から結婚式をするんだ」と言って、アルビオン王家から借り受けた新婦の冠をルイズの頭に乗せた。冠には魔法の力で永遠に枯れぬ花があしらわれ、清楚で美しいつくりだった。

 そしてワルドはルイズの黒いマントを外し、やはりアルビオン王家から借り受けた純白のマントを羽織らせた。新婦のみが身につける、乙女のマントだ。

 だが、そこまでされてもルイズは心ここに在らずに呆然としているのみ。その沈黙を、ワルドは肯定の意と受け取った。

 始祖ブリミルの像の前、ウェールズに向けて、魔法衛士隊の制服に身を包んだワルドが一礼する。

 

「では、式を始める」

 

 王子の声がルイズの耳に届く。が、その声はどこか遠くのもののように朧げだった。

 

「新郎、子爵ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、愛し、そして妻とすることを誓いますか」

 

 ワルドは重々しく頷き、杖を握った左手を胸の前に置いた。

 

「誓います」

 

 ウェールズはにっこりと頷き、続いてルイズを見やる。

 

「新婦、ラ・ヴァリエール公爵三女、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール……」

 

 ウェールズが誓いのための(みことのり)を読み上げる。ここへきてようやくルイズは、今が結婚式の最中であることに気がついた。

 相手は、憧れていた子爵、ワルド。2人の父が交わした婚約。幼い心の中、ぼんやりと想像していた未来。

 ワルドのことは嫌いではない。恐らくは、好きなのだろう。

 

 ならば、何故こんなにも……恐ろしいのだろう。

 どうしてこんなにも、恐怖に震えているのだろう。

 滅びゆく王国を目にしたから? 望んで死に向かう王子を目にしたから?

 違う。悲しい思い出が生むのは悲しみだ。気持ちを落ち込ませこそしても、それが恐怖にすり替わることなど、ない。

 ワルドのことが怖いのだろうか。それも違う気がする。頼もしく、そして憧れていたワルドが隣にいて、恐怖を感じるはずがない。

 

 違う。

 私は今、何か別の理由で怖いのだ。それはこの結婚式や、これまでの状況とはなんの関係もない。今、この瞬間が怖いのだ。

 何故怖いのか。何が怖いのか。ルイズはその虚空を、捉えた。

 ジェヴォーダンの事を思い出す。あいつが出てきた、あの夢。あの最後、降りてきた赤い月。あの時に感じた、頭の中で蠢いていたものはなんだったか?

 あいつは今日、私に何も声をかけずに行ってしまった。

 

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 舷縁にいた幾人かの人々は、ジェヴォーダンと共に唖然としていた。ジェヴォーダンの手の中、握られた剣が、突然青白く光り輝きだしたのだ。

 

「デルフ、お前……!?」

 

 驚きの声を上げるジェヴォーダンの手の中、まばゆく光るデルフリンガーが、ガチリと鍔を鳴らした。

 

『思い出した!』

 

 今やデルフリンガーに浮いていた錆は跡形もなく消え、まさに今研ぎ澄ましたがごとき美しい刀身が露わになる。その刃はほのかに青白く、ちらちらと光が走るのが見て取れる。そしてこれまでとはまるで雰囲気の違うはっきりとした口調で、デルフリンガーは語りだした。

 

『思い出したぞ! 六千年も前のことですっかり頭から抜け落ちていたが、私はお前に握られていたぞ、ガンダールヴ! いや、今代はこう呼ぶべきだな、月の香りの狩人よ!』

 

 ジェヴォーダンは驚きのあまりデルフリンガーを取り落としそうになった。この剣は、つい先ほどまで間抜けな声で喋るだけだったこの剣は今、なんといった?

 

「貴様、俺を……!?」

『まぁ待て狩人よ。私が表に出られるのはほんの僅かな時のみ、その間に伝えねばならぬことは山ほどあるが……どうやら時間は無いようだ。貴公、瞳を開くぞ、見えるか』

「何、っ!?」

 

 頭の理解が追いつかないままに、ジェヴォーダンは左眼に違和感を覚える。そしてその歪んだ視界が像を結び、そこに映した景色がなんなのか理解した時……ジェヴォーダンは、舷縁から跳ねた。

 

『私の精霊が貴公を導く。行け、月の香りの狩人よ! 主を護るのだ!』

 

 

 

 

「新婦?」

 ウェールズの問いにルイズは答えない。ただ答えず、俯いているのみだ。

 

「緊張しているのかい? 仕方がない。初めての時は、ことごなんであれ緊張するものだからね」

 

 にっこりと笑いながら、ウェールズは言う。

 

「まぁ、これは儀礼に過ぎぬが、儀礼にはそれをするだけの意味がある。では繰り返そう。汝は始祖ブリミルの名において、このものを敬い、そして夫と……」

 

 だが、そんなウェールズの言葉の途中、ルイズは顔を上げた。そして遮るように、首を振った。

 

「新婦?」

「ルイズ?」

 

 2人が怪訝そうな顔でルイズを覗き込む。ルイズは、悲しそうな表情で再び首を振った。

 

「どうした、ルイズ。気分でも悪いのかい?」

「違うの、ごめんなさい……」

「日が悪いなら、改めて……」

「そうじゃない、そうじゃないの。ごめんなさい、ワルド。私、あなたとは結婚できない」

 

 その言葉に、ウェールズは首を傾げた。

 

「新婦は、この結婚を望まぬのか?」

「そのとおりでございます。お二方には、大変失礼をいたすことになりますが、わたくしはこの結婚を望みません」

 

 ワルドの顔に、さっと朱がさす。ウェールズは困ったように首を傾げ、そして残念そうにワルドに告げた。

 

「子爵、誠に気の毒だが、花嫁が望まぬ式をこれ以上続けるわけにはいかぬ」

 

 しかしワルドはそんなウェールズに見向きもせず、ルイズの手をとる。

 

「……緊張してるんだ。そうだろルイズ。ほら、手だってこんなに震えている」

「違うのワルド、これは……」

 

 ルイズの身体は、恐怖にふるふると震えていた。先程からひと呼吸置くたびに、何かあってはならない恐怖を身体が吸い込んでいるように感じられて、仕方がない。

 本当は今すぐにでもこの場から逃げ出したいのだ。その一心で、ルイズはワルドの問いかけを拒んだ。

 だがワルドは、今度はルイズの肩を掴んだ。その目が釣り上がり、いつもの優しげな表情が消えた。

 

「世界だルイズ。僕は世界を手に入れる! そのために君が必要なんだ!」

 

 豹変したワルドにさらに恐怖を覚えながら、ルイズは首を振った。

 

「……わたし、世界なんかいらないもの」

 

 だがワルドは引かない。両手を広げると、ルイズに詰め寄った。

 

「僕には君が必要なんだ! 君の能力が! 君の力が! ルイズ、いつか言ったことを忘れたか! 君は始祖ブリミルに劣らぬ、優秀なメイジに成長するだろう! きみは自分で気づいていないだけだ、その才能に!」

「ワルド、あなた……!」

 

 ルイズの声が震える。これは、ルイズの知っているワルドではない。優しかったワルドがこんな顔をして、叫ぶように詰め寄るなど。我を忘れたような剣幕で怒鳴り散らすなど。

 これではまるで、獣ではないか。

 恐怖で身のすくむルイズ。そんなルイズへのワルドの剣幕を見かね、ウェールズが間に入ってとりなそうとした。

 

「子爵……きみはフラれたのだ。いさぎよく……」

「黙っておれ!」

 

 が、ワルドはその手を跳ね除ける。ウェールズはワルドの言葉に驚き、立ち尽くした。ワルドはルイズの手を握り、なおも凶暴な表情を浮かべルイズへ詰め寄る。

 

「ルイズ! 君の才能が僕には必要なんだ!」

「わたしは、そんな、才能のあるメイジじゃないわ」

「だから何度も言っている! 自分で気づいていないだけなんだよルイズ!」

 

 ルイズはワルドの手を振りほどこうとしたが、その力は強く、握りつぶされるような痛みに顔を歪める。ルイズは涙を浮かべ、はっきりと言い切った。

 

「そんな結婚、死んでも嫌よ! あなた、わたしをちっとも愛してないじゃない。わかったわ、あなたが愛しているのは、あなたがわたしにあるという、在りもしない魔法の才能だけ。ひどいわ。そんな理由で結婚しようだなんて、こんな侮辱はないわ!」

 

 ルイズはジタバタと暴れ、手を振りほどこうとする。ウェールズが見かねてワルドの肩に手を置き、引き離そうとする。しかし、今度はワルドに突き飛ばされた。

 突き飛ばされたウェールズも、これには顔を赤くする。立ち上がると、杖を引き抜いた。

 

「うぬ、なんたる無礼! なんたる侮辱! 子爵、今すぐにラ・ヴァリエール嬢から手を離したまえ! さもなくば、我が魔法の刃が君を切り裂くぞ!」

 

 それを聞いてか聞かずか、ようやくワルドはルイズから手を離した。そして、まるでそれまでのやりとりなどなかったかのように、いつもの優しい笑顔を被って、ルイズに微笑みかけた。

 

「こうまで僕が言ってもダメかい? ルイズ。僕のルイズ」

 

 ルイズは怒りに震える声で言い放った。

 

「嫌よ。誰があなたと結婚なんかするもんですか」

 

 ワルドの表情が、消えた。そして物思いにふけるように、天を仰ぐ。

 

「この旅で、君の気持ちを掴むためにずいぶん努力したんだが……」

 

 両手を広げ、まるで挑発するように、やれやれとばかりにワルドは首を振った。

 

「こうなってはしかたない。ならば目的の1つは諦めよう」

「目的?」

 

 ルイズが聞き返す。ワルドは口元を歪め、禍々しい笑みを浮かべた。

 

「そうだ。この旅における僕の目的は3つあった。その2つが達成できただけでも、よしとしなければな」

「達成? 2つ? ……どういうこと?」

 

 要領を得ないワルドの言葉。心の中で、考えたくもない想像が膨れ上がるのを感じる。ワルドは右手を掲げ、人差し指をたてた。

 

「まず1つは君だ、ルイズ。きみを手に入れることだ。しかしこれは果たせないようだ」

「当たり前じゃないの!」

 

 次にワルドは中指を立てた。

 

「2つ目の目的は、ルイズ、きみのポケットに入っているアンリエッタの手紙だ」

 

 ルイズはハッとした。

 

「ワルド、あなた……」

「そして3つ目……」

 

 アンリエッタの手紙。その言葉に、すべてを察したウェールズが杖を構えて呪文を詠唱する。

 しかし、ワルドは二つ名である閃光のごとく素早く杖を引き抜き、呪文を完成させた。風のように身を翻し……ウェールズの胸を青白く光る杖の先が貫いた。

 

「き、貴様……『レコン・キスタ』……!」

 

 ウェールズの口からどっと鮮血が溢れる。ルイズは悲鳴を上げる。ウェールズの胸を光る杖でえぐりながら、ワルドは呟いた。

 

「3つ目……貴様の命だ、ウェールズ」

 

 ワルドが杖を引き抜き、ウェールズの身体はどっと地に倒れ伏した。

 

「貴族派! あなた、アルビオンの貴族派だったのね! ワルド!」

 

 ルイズはわななきながら怒鳴った。ワルドは冷たい、感情のない声で言った。

 

「そうとも。いかにも僕は、アルビオンの貴族派『レコン・キスタ』の一員だ」

「どうして! トリステインの貴族であるあなたがどうして!?」

「我々はハルケギニアの将来を憂い、国境を越えて繋がった貴族の連盟さ。我々に国境はない」

 

 ワルドは再び、杖を掲げた。

 

「ハルケギニアは我々の手で1つになり、始祖ブリミルの降臨せし『聖地』を取り戻すのだ」

「昔は、昔はそんな風じゃなかったわ。何があなたを変えたの? ワルド……」

「月日と、数奇な運命の巡り合わせだ。それが君の知る僕を変えたが、今ここで語る気にはならぬ。話せば長くなるからな」

 

 ルイズは思い出したように杖を握り、それをワルドに向けて振り下ろそうとした。しかしそれはワルドに難なく弾き飛ばされ、地面へと転がる。

 

「助けて……」

 

 ルイズは青ざめて後ずさる。立とうとしたが、腰が抜けて動けない。ワルドは首を振った。

 

「だから! だから共に、世界を手に入れようと言ったじゃないか!」

 

 風の魔法が放たれる。『ウインド・ブレイク』。ルイズは紙切れのように吹き飛ばされた。

 

「いやだ……助けて……」

「言うことを聞かぬ小鳥は、首を捻るしかないだろう? なぁ、ルイズ」

 

 ここにいるはずのない者へ、縋るように助けを求める。

 

「助けて……お願い……」

 

 まるで呪文のように、ルイズは繰り返す。ただ恐怖のままに。

 楽しそうに、ワルドは呪文を詠唱した。雷の魔法、『ライトニング・クラウド』だ。

 

「残念だよ……この手で、きみの命を奪わなければならないとは……」

 

 全てを焦がす強力な雷の魔法だ。まともに食らえばひとたまりもない。

 全身が痛い。ショックで心が千切れそうになる。ルイズは子供のように怯えて、涙を流す。

 

「助けて! 私の……!」

 

 ルイズは叫んだ。

 ワルドの詠唱が完了する。そして、ワルドはその杖をルイズへ振り下ろそうと大きく掲げ……

 

 突如、扉の開く音と共に、一陣の風が舞い込んだ。

 

 驚愕したワルドは詠唱を中断して扉の方に構えた。大きく開かれた扉からは外気が入り込み、灯っていた燭台の火が吹き消える。

 やにわに影を落とした礼拝堂の中、ワルドは冷や汗を流してあたりを見回す。そこにいるはずのないものの、姿を探して。

 だが、それらしき姿を見つけるよりも先に、ワルドの耳に、聞きなれぬ軽いメロディが入ってきた。

 

「っ!!」

 

 慌てて振り返るが、そこに探していた姿はない。ウェールズの亡骸と、かすかに額に入った切り傷から血を流すルイズが気を失っているだけである。

 否。そのルイズの傍、見慣れぬ小さな小箱から、そのメロディは流れていた。

 そしてその小さなオルゴールの傍には、見覚えのある青い小瓶。ワルドの背中に冷たいものが流れる。

 いや、それは汗の感触でないように思えた。それだけでない。なにやらその冷たい感触が、自らの内側にまで食い込んでいるように感じられる。

 次第にそれが鋭い痛みを結び、ワルドは自分の体が刺し貫かれていることにようやく気がついた。消えゆく感覚が、背後にいるものの息づかいを確かに伝えていた。

 

「貴様……!」

 

 だが、ワルドの苦虫を潰したような声は別の場所、礼拝堂の柱の陰から響いた。

 気配を消したジェヴォーダンが背後から致命の一撃を食らわせたワルドは、力なく倒れ、やがて煙のように消えてしまった。気配が薄れていたジェヴォーダンも、秘薬の効果が切れて姿をあらわす。

 

「……迂闊だった。俺らしくもない見落としだ。貴公が裏切り者だったとはな」

「気付いているかと思っていたが。だがまぁ、結果として正解だったようだ。何故ここがわかった? 下賤な狩人め」

「下賤?」

 

 ジェヴォーダンがゆらりと揺れる。目深に被ったトリコーンのせいで顔が見えない。

 

「言うに事欠いて、下賤だと?」

「下賤と言わずしてなんという? おおかた主人の危機が眼に映ったのだろうが、その挙句とはいえ不意打ちなどと。だがまぁ、きみが言っていたことだ。それが君たち狩人のやり方なんだろう?」

 

 ジェヴォーダンは答えず、デルフリンガーを腰だめに構えた。ワルドも杖を構えて、臨戦態勢を取る。

 

「ルイズはこれでも、貴公を信じていた。幼い頃の憧れの貴公をな」

「信じる信じないはそちらの勝手だ。騙して悪いが、こちらも任務なんでな。貴様にもここで……」

 

 ワルドは飛び上がり、そして呪文を発した。風の呪文『ウインド・ブレイク』。

 

「死んでもらう!」

 

 強力な一陣の突風。しかしジェヴォーダンは一歩も動かず……それを、剣で受け止めた。

 否。剣が魔法を吸い込んだ。先程ルイズを軽く弾き飛ばした一撃は、今度は逆にデルフリンガーの中に、軽く飲み込まれてしまった。

 

「何……!?」

『残念だったな、若造。その程度の魔法であれば、このガンダールヴの左腕、デルフリンガーが吸い込んでくれよう』

 

 声色の違うデルフリンガーはそう高らかに宣言し、続いてジェヴォーダンに語りかけた。

 

『狩人よ。ガンダールヴの強さは、心の震えで決まる。怒り、悲しみ、愛、喜び。なんでもいい、ただ心を震わせるがいい。お前の心の震えが、狩りを成す』

「……わかっている」

 

 そしてデルフリンガーを構え、ジェヴォーダンはワルドに向き直る。歩み寄りながら、小さく口を開いた。

 

「貴様にはわかるまい」

 

 ワルドは、青ざめる思いでその冷たい声を聞いた。ジェヴォーダンの声は、これまで聞いたことの無いような、仄暗い気配をまとっていた。

 

「取り残される、裏切られるものの孤独や恐怖など。それを見ている事しかできなかった、痛みや怒りなど」

 

 思い出す、人食い豚の腹の中から取り出した、血濡れのリボンのこと。あの時自分のした行いへの後悔。そして、行き場のない沸き立つ怒り。

 

「貴様にはわかるまい」

 

 顔を上げたジェヴォーダンの眼が、薄明かりの中で光る。

 その目を見たワルドは、ぶわっと全身に鳥肌が立つのを感じた。

 その目は彼がハルケギニアに訪れて始めて見せる、興奮した、血走った目だった。

 

「っ……何を訳の分からぬことを……だが、その剣は厄介だ。こちらも本気で行かせてもらおう。何故、風の魔法が最強と呼ばれるのか。その所以を教えてやる……!」

 

 精一杯の威勢とともに、ワルドは杖を構える。

 

「ユビキタス・デル・ウィンデ……」

 

 呪文が完成すると、唐突にワルドの身体が分身する。

 1つ、2つ、3つ、4つ……本体と合わせ、5人のワルドがジェヴォーダンを取り囲んだ。

 

「ただの分身と思うな。風のユビキタス、『偏在』……風は偏在する。風の吹くところ、何処となくさ迷い現れ、その距離は意志の力に比例する」

 

 ワルドの分身は懐から白い仮面を取り出し、顔につけた。

 

「やはり、フーケの隣にいたのも、桟橋で襲ってきたのも、貴様だったのだな」

「いかにも。そして偏在は1つ1つが意思と力を持っている。言ったろう? 風は『偏在』する」

 

 

 そしてワルドたちはゆらりゆらりと揺れ動きながら、ジェヴォーダンへと迫る。

 5体のワルドがジェヴォーダンに躍り掛かる。さらにワルドは呪文を唱え、杖を青白く光らせた。

 

「杖自体が魔法の渦の中心だ、その剣で吸い込むことはできぬ!」

 

 そしてワルドたちは、一斉にジェヴォーダンに飛びかかった。だが、ワルドはそれを待つジェヴォーダンの動きを、全く読むことができなかった。

 

 ジェヴォーダンは、一歩も動かなかったのだ。

 

 5体のワルドの『エア・ニードル』が、次々にジェヴォーダンの身体に殺到し、射し貫き、穿った。

 鮮血が吹き荒れ、もつれるワルドたちに降りかかる。ワルドは唖然とした。少しも避けようとすらしないなどと。

 まさか、5体の自分に襲われて放心でもしていたか。だがそんなことはどうでもいい。殺すことができたのだから。

 

「はは、はははは! 訳ないな、ガンダールヴなどと! ははははははは!」

 

 勝ち誇る、ワルドの笑い声が、オルゴールの音色と混ざって薄暗い礼拝堂にこだまする。ジェヴォーダンが顔を上げた。

 

「はははは、は……ぁ……?」

「初めて獣に殺された時、怒りに燃えたよ」

 

 まるで、何事もないかのようなジェヴォーダンの声。5体全てのワルドの表情が、恐怖に歪んだ。

 

「武器を受け取ったあと、『仕返し』してやった。繰り返し何度も、何度も、殺してやった」

 

 その顔が、マスク越しにぐにゃりと歪む。冷たいオルゴールの音が、鼓膜を冷やす。

 

「今そんな気分だよ」

 

 それが笑っているのだと気付いた時、全てのワルドは、ジェヴォーダンの手でバラバラに切り裂かれていた。

 

 

 




導き

かつて月光の聖剣と共に、狩人ルドウイークが見出したカレル
リゲイン量を高める効果がある

ルドウイークが見出したその光が、彼が望んだ導きだったかはわからない
だが彼は確かにそれを見出し、またその導きも彼を見出したのだ
必然であろう。それを覗き込む時、向こうもまたこちらを覗いているのだから


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17:胞子

「ぐ、あぁぁ……ッ!」

 

 薄暗い礼拝堂に響き渡る、ワルドの悲痛な叫び。

 砕け散った偏在たち。本体のワルドは一瞬の隙に引いたのだろう。左腕だけが地面に落ち、残った身体にも無数の薄い切り傷を帯びていた。

 ジェヴォーダンの全身が、刺し傷から流れ出る血と、ワルドの返り血に濡れる。ワルドは刮目した。

 

「何故だ!? 何故死なない!!」

 

 理解できないものに対する、悲痛な叫び。そして次にジェヴォーダンに起きた現象を目にして、ワルドは恐れのままに息を飲んだ。

 自分が負わせたはずの、『エア・ニードル』の刺し傷。それが、みるみるうちに塞がっていく。

 それもただ塞がるのではない。ワルドの返り血を、その傷口から吸い込むようにして消えていく。言うなれば、傷口から吸血しているかのようだ。

 ワルドは恐怖のまま、もがくように後じさった。

 

「貴様は、人間じゃないのか……!?」

 

 完全に傷の消えたジェヴォーダンが振り返る。その手に、小さな何かを握って。

 

「人間さ。俺たちは血によって生まれ、人となり、また人をやめる。血によって生きる俺が人でなくて何になる」

「……な、なんだ? それは何だ、何をする気だ……」

 

 ゆっくりと歩み寄ってくるジェヴォーダンに、ワルドは幼子のようにばたついて逃げようとする。

 

「俺からも聞こう。お前は人間か? それとも……獣か?」

 

 ジェヴォーダンがその手に持っていたのは……この地へ訪れてからてんで使う機会のなかったもの。狩人を語る上で外せない小さな小さな道具。

 

「やめろ! くそぉ!」

 

 右手に持った杖を振りかぶり、ワルドは飛んで逃げようとする。が、ジェヴォーダンが摑みかかるほうが早かった。

 

「逃す訳ないだろう、貴様だけは」

 

 心底、冷たい声。その内に込められた、燃えたぎるような怒りと憎悪。ワルドは絶望の面持ちで、自分の脚を掴む手を見る。

 そしてワルドの脚に、その注射器を力強く叩きつけた。

 中に込められた血液が、ワルドの身体に流れ込む。ワルドは顔を歪め、ジェヴォーダンを蹴り飛ばした。ジェヴォーダンは地上に落下し、受け身をとってワルドを見上げる。

 

「ぐ……! おのれ、忌々しい!」

 

 ワルドは注射器を引き抜き、ぶっきらぼうにそれを投げ捨てた。

 

「まぁ、目的の1つが果たせただけ良しとしよう。どのみちここにはすぐに我が『レコン・キスタ』の大群が……ぁぐ、あっ!?」

 

 だが、捨て台詞を吐こうとしたワルドの様子が変わった。突然苦しみにもがくようにしたかと思えば、その顔はさぁっと赤くなり、かと思えばみるみるうちに青ざめた。

 

「ぐぁ、ひぃ! あがぁっ、な、何をした、貴様……っ! あ、あぁぁぁ!」

 

 そしてひとしきりもがいたのち、ワルドは狂ったように悲鳴をあげた。

 

「あ、ア"ア"ア"ァァァァァァッッッッ!!!!!」

 

 そしてまるでのたうちまわるように礼拝堂の中を飛び回ったかと思えば、壁に開いた穴から唐突に、飛び去ってしまった。

 

「……何をしたか、だって? 何もしちゃいないさ。お前の中の『人間』と『獣』、果たしてどっちが勝つものかね……」

 

 もうワルドが戻ることはない。かつてギーシュに見せた啓蒙の片鱗とは、比べ物にならないほどの事を奴にしたのだ。奴の行く末がどのようなものであったにしろ、もう2度と、相見えることも無い。

 ジェヴォーダンにはわかっていた。それだけワルドの行く末が、悲劇にまみれたものでしかないことが。

 

「……っ、ルイズ」

 

 1つの事は終わった。のであれば、残された問題がまだある。

 ジェヴォーダンは倒れ臥すルイズに駆け寄った。

 

「おいルイズ、しっかりしろ」

 

 そのまま抱き寄せるが、目を覚まさない。ジェヴォーダンは冷静に、ルイズの手首に指をあてた。

 そこからとくん、とくんと脈の音が聞こえたので、ジェヴォーダンはほっと胸を撫で下ろす。

 ルイズは胸のあたりで、手を硬く握っている。その下の胸ポケットのボタンが外れ、中からアンリエッタの手紙が顔を覗かせている。どうやらルイズは……意識を失ってでも、この手紙だけは守るつもりでいたようだ。

 

「大したものだよ、全く……」

 

 ひとまずは、ルイズが生きていてくれた。それだけでも、ジェヴォーダンにとっては安心できた。

 だがそんな安堵を、デルフリンガーの声が引き裂いた。

 

『狩人よ、まずいことになった』

 

 青白く光るデルフリンガーがカチカチと鳴る。緊迫したような声だった。

 

「なんだ」

『気づかないか。彼女の血だ』

「何? 出血しているのか、くそッ。だがあいにくいま止血できるようなものは……」

 

 その先の言葉は、出てこなかった。ジェヴォーダンは電撃のような衝撃をうけ、息を飲んだ。

 ルイズは確かに血を流していた。弾き飛ばされた時に切ってしまったのだろう、額に入った小さな切り傷から赤い線が伸びている。

 その、血。流れ落ちる瑞々しい赤色。ジェヴォーダンは、心拍数が凄まじい勢いで上がっていくのを感じた。

 バカな。バカな。バカな。

 そんなはずはない。何故こんなことが起こりうるんだ? 一体どうして、そんなことになるんだ?

 ハァーッ、ハァーッと、息が荒くなる。目が熱く、血走るのを感じる。

 その血の匂いには、嗅ぎ覚えがあった。

 思わずその一滴を指に取る。赤い、赤い血だ。

 

『……よ……人よ………』

 

 誘惑を、抑えられない。

 その滾るような穢れた血の匂いが、開いたジェヴォーダンの口にまで入ってきて……

 

『狩人よ!!』

 

 デルフリンガーの叫び声にジェヴォーダンがピタリと止まる。指先の血が、いつの間にやら降ろされたマスクの下の口、そのほんの目の前にあって……

 

「っ!?」

 

 ジェヴォーダンは思わずそれを振り払った。全身にびっしょりと汗をかいているのがわかる。いや、今は自分のことはどうでもいい。重要なのは目の前のルイズのことだ。

 

「……っ! おい、デルフ! いや、『導き』か!? どっちでもいい、答えろ! これはどういう事だ!」

『すまない狩人よ、それは私にもわからない」

「ふざけるな!!」

『ふざけてなどいない! 残念だが真実だ。私は断片的なものでしかない。この剣が1つの悪夢に通じているのは確かだが、そこではこんな事は語られていなかったのだ』

「……!? おい、待て! 貴様の話が全く見えてこないぞ。"剣が悪夢に通じている"だと? お前、一体……」

 

 もはやパニックにすら近かった。あまりに多くのことが同時に発生している。

 ルイズの血。そこに嗅ぎつけた、穢れの匂い。それは彼女がカインハーストの血族であり、女王ヤーナムの直系であることを、暗に物語っているのだ。

 何故この地にヤーナムの血が? どうして王族ではない、ラ・ヴァリエール家の三女であるルイズに?

 そもそもいま普通に話しているこのデルフリンガーの様子も普通ではない。唐突に月光色の煌めきを見せたと思えば、明らかにこれまでの様子と違う語り口調に、魔法を吸い込む特異な力。あげく、自分が悪夢に通じているなどと。

 

『狩人よ、聞いてくれ。私にもあまり時間がない。それまでに、君に話さなければならない事が山のようにある。君は、この剣の悪夢に飛び込むのだ。今はそうする他にない』

「なんだと? ルイズをここに置いておけないぞ」

『それは実に残念なことだ。外のわめきが聞こえるだろう? 皇太子のいない王軍はすでに敗退したようだ。すぐに敵はここまでやってくる』

「……俺にルイズを見捨て、一人で剣の中に逃げ込めと言うか」

 

 ジェヴォーダンは、ルイズをそっと椅子の上に寝かせた。そして、そのルイズを守るように立ち、剣と銃を構える。

 

『何をする気だ?』

「ルイズを守る」

『……そうか。それならば仕方がない。貴公は"ガンダールヴ"で、この貴族の娘は貴公の主人なのだからな。多くを語れぬは残念だが、貴公が答えに殉ずるのであればそれもいい』

「馬鹿な事を言うな」

『何?』

「敵を全て蹴散らす。貴様の話を聞くのはその後だ」

『……王の話によれば、敵は五万の軍勢だそうだな?』

「たった五万の雑兵どもだ。これまで俺が相手してきたどんな物と比べても、易かろう」

 

 デルフリンガーはますます震えを強くした。

 

『……貴公、よい狩人だな。狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っている。よかろう、それでこそガンダールヴというものだ』

 

 そうして、ジェヴォーダンはデルフリンガーを構えて礼拝堂の入り口を睨んだ。

 聞かなければならない事が山のようにある。それまでは、どの道死ねないのだ。

 いずれ現れる敵を待ち構る。

 しかし、そのとき……。

 ぼこっと、ルイズが横たわったとなりの地面が盛り上がった。

 

「っ、敵か。下から来たな」

 

 ジェヴォーダンは剣を構えて地面を睨む。ぼこっと床石が割れ、茶色の影が姿を現した。

 

「……!? き、貴様は!」

 

 その茶色の生き物に、ジェヴォーダンは見覚えがあった。あのギーシュの実に素晴らしい使い魔、ヴェルダンテだ。

 ウェルダンテは椅子に横たわったルイズを見つけると、嬉しそうにその身体をまさぐった。

 

「き、貴様何故こんなところにいる!? ギーシュはどうした!」

「おっ、その声は! 僕ならここにいるぞ!」

 

 呼ばれて飛び出てとばかりに、土まみれのギーシュが穴からひょっこり顔を出した。

 

「きみたち、ここにいたのかね!」

「ギーシュ! お前、何故ここにいるのだ!」

「いやなに、『土くれ』のフーケとの一戦に勝利した僕たちは、寝る間も惜しんできみたちのあとを追いかけたのだ。なにせこの任務には、姫殿下の名誉がかかっているからね」

「ここは雲の上だぞ、どうやって来たというのだ」

 

 すると、ギーシュのとなりに見覚えのある赤髪が顔を出す。

 

「タバサのシルフィードよ」

「キュルケ!」

「アルビオンに着いたはいいが、なにせ勝手のわからぬ異国だからね。でも、このヴェルダンテがいきなり穴を掘り始めた。後をくっついていったら、ここに出た」

 

 巨大モグラは、ルイズの指に光る『水のルビー』に鼻を押し付けフガフガ言っている。ギーシュはなるほどと頷いた。

 

「なるほど、水のルビーの匂いを追いかけて、ここまで穴を掘ったのか。僕の可愛いヴェルダンテは、なにせとびっきりの宝石が大好きだからね。ラ・ロシェールまで穴を掘ってやってきたんだよ、彼はあっ!?」

 

 突然、ジェヴォーダンがギーシュの肩を掴む。何事かとギーシュが震えおののいていると、ジェヴォーダンは感激したように言った。

 

「石を見つけてくるだけでなく、俺たちの窮地をすら救ってくれるとは……素晴らしい……本当に素晴らしい使い魔じゃないか、ギーシュ……!」

「……! わかってくれるか! わかってくれるのか! きびはいいやづだなぁぁ!」

 

 感涙するギーシュを煩そうに睨みながら、キュルケは頬に着いた土をハンカチで拭う。

 

「聞いてダーリン? あたし、もうちょっとであのフーケを捕まえるところだったんだけど、逃げられちゃった。あの女、メイジのくせに終いにゃ走って逃げたわ。ところでダーリン、ここで何をしてるの?」

 

 ジェヴォーダンは静かに首を振った。

 

「すまないが説明は後だ。敵がすぐそこまで来ている、逃げるぞ」

「逃げるって、任務は? ワルド子爵は?」

「手紙は手に入れた。ワルド子爵は裏切り者で……もう始末した。あとは帰るだけだ」

「なぁんだ。よくわかんないけど、もう終わっちゃったのね」

 

 ジェヴォーダンはルイズを抱きかかえ、それをギーシュに預けた。そしてふと、キュルケに振り返る。

 

「1つ、頼まれてくれるか」

 

 キュルケはこの瞬間をしばらくの間忘れることはないだろう。一瞬何を言われているのかわからなかったが、それが浸透してくると同時にばぁっと笑顔が花開いていく。

 ダーリンが。自分に。頼みごと。自分を頼って。頼みごと。

 

「きゃぁぁぁ! もちろんよダーリン! なんでも言ってちょうだい、私もうダーリンのためならなんだってしちゃうわ、燃え上がっちゃうわっ、オホホホホ!!」

「ルイズに『すぐ戻る』とだけ伝えてくれ」

 

 だがその頼みの内容を聞いて、今度は笑顔が消えた。

 

「行く気なの?」

「貴族派を相手するわけではない。やらなければならない事ができた。剣を置いていく、それをルイズに預けてくれるだけでいい」

「そう。こういう時聞きすぎるのはヤボだからやめとくわ、ダーリンにやる事があるっていうならそれが一番大事だもの」

 

 キュルケは切なそうに笑った。ジェヴォーダンは、少しだけキュルケに申し訳なくなった。彼女を甘く見ていたのかもしれない。

 数多くの出会いを持つ。それは、数多くの別れを経験する事でもあるのだ。大抵はその別れから目を背け、感覚を麻痺させてしまう。そうでなければ、あとは自分が強くなるしかない。

 キュルケは強くあったのだ。なら、彼女の出会いと別れ全ては、軽いものではなかったはずだ。

 

「……すまないな」

「いいの。さぁ、もう行くわよ」

「いや、少し待ってくれ」

 

 そしてジェヴォーダンは、斃れたウェールズに近づく。ウェールズは、すでに事切れていた。

 

「……勇敢な王子よ。貴公のことは決して忘れない。俺は、自らの狩りを全うするとしよう。我が血に賭けて」

 

 ジェヴォーダンはウェールズの瞼を下ろし、そして丁寧に彼の亡骸を寝かせ、その手を組ませた。

 その時、かれが指にはめた大粒のルビーに気がついた。

 アルビオン王家に伝わるという風のルビー。それを外し、未だ眠るルイズの胸ポケットに、手紙と共に収めた。

 

「……デルフ、行くぞ」

『あぁ』

 

 そして、デルフリンガーを持つジェヴォーダンの手から、不気味な光が放たれた。

 境目から発せられるようなその黒い光に、ギーシュとキュルケは思わず目を背けた。

 光が止み、カランと音がして2人は顔を上げる。そこには一本の長剣が転がるだけで、ジェヴォーダンの姿はどこにもなかった。

 

「か、彼はどこへ行ったのだね?」

「……さぁ。何となくだけど、私達じゃ想像もつかないことだと思うわ」

 

 キュルケは剣を手に取る。確かインテリジェンスソードだったはずのその剣は、今やいかなる気配も感じさせないただの直剣にしか見えなかった。

 

「……行きましょう」

 

 キュルケの一言と共に2人が穴に潜ったとたん、礼拝堂に王軍を打ち破った貴族派の兵士やメイジが飛び込んできた。

 

 

 

 

「どうやらそろそろ終わりみたいだな」

 

 貴族派の兵士の1人が、煙に包まれるニューカッスルの城を見てそうこぼした。

 アルビオンで無駄に長引いていた戦火もこれで収まるだろう。『レコン・キスタ』が新たな時代を築き上げる。その礎がここから始まる。

 

「だが、俺ら一般の兵士なんかにまでおこぼれがあるもんかね」

「さぁてねぇ。貴族と平民の差なんか、今さらどんなに広がったって変わりやしねぇや。俺たちは戦さ場で飯が食えりゃ……っと、なんだ?」

 

 ふと、兵士の1人が聞きなれない音に反応した。どうやら、崩れた城壁の方から聞こえたようだ。

 

「生き残りかもしれんな。行くぞ、ついてこい」

 

 男が呼びかけ、数人の傭兵がそれについていく。

 崩れた城郭の角を曲がると、その声の主はすぐに見つかった。

 

「アァ……ア"ア"ァァァ……」

「おいてめぇ、動くんじゃねぇ」

 

 傭兵がボウガンを向けながら、うずくまる男に近づく。負傷しているのか、あたりには血だまりができていた。

 傭兵は気づいた。男はマントを羽織っている。貴族の象徴たるマントは、たしかに質の高いもので、アルビオンの痩せ衰えたメイジどものものには見えない。

 加えて、その男の身なりに傭兵は見覚えがあった。

 

「まさか、子爵どのでないですか? ワルド子爵?」

「母、よ……ウグゥゥ……」

 

 見ればそのメイジはたしかに、レコン・キスタの中枢の1人、ワルド子爵であった。が、見るも無残にボロボロになったその姿は、普段の彼の様子とはあまりにもかけ離れていた。

 見れば、左腕がない。上腕から失われたそれは間違いなく太刀傷だ。

 彼は残された右手で、小さなロケットペンダントを握りしめて、唸り声をあげて苦しんでいた。

 

「た、大変だ! 貴族派のメイジだぞ、治療できるメイジを呼んでこい!」

 

 傭兵が仲間に呼びかけながら振り向いた。だが、仲間は動かなかった。

 あんぐりと口を開けて、こちらを見ているだけだ。

 

「おい、何呆けてんだ! 早く助けを

 

 ズンっと重たい音と共に、傭兵の意識は永遠にこの世から消え失せる。

 ワルド子爵は、既にワルド子爵では『なかった』。彼の身体は、内側から狭すぎる皮を破るように膨れ上がり、肥大化していく。

 その影から血が吹き出して、唖然としてそれを見ていた兵士の顔を濡らした。2人の傭兵は、全く動く事ができなかった。

 

 巨大な黒い獣が、そんな傭兵2人を容赦なく弾き飛ばした。

 

『キア"ア"ァァァァーーーーーーーーッッッッ!!!!!』

 

 人の喉から出るものではない声が、戦場に響き渡った。

 

 

 

 

 ルイズは夢を見ていた。

 故郷のラ・ヴァリエールの領地の夢。忘れ去られた中庭の池。

 そこに浮かぶ小舟の中が、ルイズの唯一の世界。誰にも邪魔されない、秘密の場所だった。

 もうここに、ワルドは来ない。優しい子爵。憧れの貴族。幼い頃、父同士が交わした結婚の約束。

 ルイズを抱え上げ、ここから連れ出してくれたワルドはもういない。いるのは、薄汚い獣。勇敢な皇太子を殺害し、この自分にすら牙を剥いた残忍な獣……。

 ルイズは小舟の上で泣いていた。

 ふと、傍に小さなオルゴールがあるのに気がついた。

 自分の使い魔もまた、ここへは迎えに来ないだろう。いいや、彼は……

 

 その時、聞き覚えのない音がして、ルイズは顔を上げた。

 霧の向こうまでずっと続く水面から、絶え間なく鳴り響く奇妙な音。チリリリリン、チリリリリンと、規則的なリズムで鳴る、ベルのような音。

 ルイズは小舟を降りた。足が濡れることなどためらわず、誘われるように音のする方へ向かった。

 霧の向こうにあったのは、小さな背の高いテーブルと、その上に置かれた奇妙な黒い装置だった。規則的なベルの音は、その装置から出ているようだった。

 それが「黒電話」と呼ばれるものであることなど、ルイズは知るはずもない。それなのにルイズは、とても自然に、初めからそれがなんであるか知っていたかのように、受話器を取る。

 使い方を知るはずもない。なのに、身体が勝手に動く。ルイズは受話器を耳に当てた。

 

「……はい」

 

 ルイズは注意深く、声をかけた。返事はすぐにかえってきた。

 

『       』

 

 それは、声ではなかったように思える。

 名状しがたい怪奇な音が、しかしするりと頭の中に流れ込んでくるようで心地がいい。ルイズはその音から、言語を超越して意味を聞き取ることができた。

 

「えぇ、ひさしぶり」

『       』

「私は大丈夫。ジェヴォーダンが、助けてくれた」

『     』

「……本当は、すごく怖かった。あの礼拝堂で、私、私……」

『            』

「うん。きっと目覚めたら、全部忘れちゃうんだと思うけど、でも……でも思い出した」

 

 ルイズの目から、ポロリと涙がこぼれた。切ないような、苦しいような、感情が溢れて止まらない。

 

「ごめんね。ずっと、寂しかったよね。1人に、させちゃったよね」

『            』

「いいえ。私は、貴族……いいえ。私はルイズよ。逃げたりしない、ちゃんと向き合わなければならないわ」

『                        』

「……礼拝堂で、教わったわ」

 

 そしてルイズは、とうとう確信に触れた。

 礼拝堂で感じた恐怖の正体。あの時気付いた、真実の1つ。

 

「あそこにいた『姿のない』ものが教えてくれた。私の使い魔は、彼じゃない」

『        』

 

 ルイズは受話器を強く、強く握りしめて、言った。

 

「私の使い魔は、あなたなのね。サイト」

 

 

 

 




姿なきオドン

人ならぬ声の表音となるカレル文字の1つ
上位者オドンは、姿なき故に声のみの存在である

オドンの本質は、自覚なき信徒へ触媒を望むものである
どこにでも存在しうる星の煌めきは、しかして決して消える事なく
湿り気と腐肉の上で暗がりにて萌ゆるのだ


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18:闇

 暗い音が、重たく響き渡る。

 閉じていた眼を開けると、どうやら悪夢の中に入ったようだ。

 どこか町の中にいるらしく、建物に挟まれた道の真ん中に立っている。だが悪夢らしく、建物は全て複雑に隆起した地形に押しつぶされ、もとの姿を見る事は叶わないほどの吹き溜まりを形成していた。

 

「……おい、『導き』。悪夢に着いたのだから説明してもらおうか」

 

 ジェヴォーダンが手に持ったデルフリンガーに声をかける。鍔がカチカチと鳴り、どうにも懐かしい声が聞こえてきた。

 

「あー、相棒。その、悪いんだがー……」

 

 ジェヴォーダンはガクッと肩を落とす。その気の抜けた語り口、声。どれも、ジェヴォーダンの期待したものではなかったのだ。

 

「戻っちまったのか、デルフ」

「時間切れだったみてえだな。俺に『悪夢の奥へ』とだけ言って、引っ込んじまったよあいつ」

 

 深いため息が漏れる。この世界に来てからというものこういう事を何度経験したものか。ようやく手がかりを見つけたと思えば、するりと手の間をすり抜けていく。まるで、馬鹿にでもされているようだ。

 

「まぁ仕方ない。この悪夢の中に何があるのか、それを見てやろう」

「あぁ、何にせよ奥へ行けって言ってたんだからな。あと、もう一個伝言だ」

「なんだ?」

「『タルブの村へ行け』だそうだ」

「……そうか」

 

 もはや、気になることをいちいち追求する気にもならなかった。タルブというのは、確かトリステインからそう遠くない平原の名前だったはず。そこに何があるというのか。

 どちらにせよ悪夢を抜けることがこの場は先決だった。ジェヴォーダンは周囲を見回し、道の奥へ進む。

 奇妙な町だった。ジェヴォーダンがこれまでどこでも見たことがないような奇妙な意匠にまみれている。

 どうにも建物は直線的で、道路はタイルではなく黒い岩石のようなもので成っているようだ。

 道のはじに立つ看板のようなもの。妙に平べったい馬車のようなもの。4つ付いたタイヤはゴム質で出来た妙な形。異質な風景であり、妙な不安感に駆られる。

 だが、悪夢の中とはいえ人の姿が見られない。狩人も、それに仇なす獣も。深い静寂が、ここに何者もいないことを音なく物語っているようだ。

 

「静かだな……ん?」

 

 そしてその奥、瓦礫に囲まれた道の最中にそれはあった。

 道の真ん中に浮かぶそれは、どうやら鏡であるらしかった。

 物理法則を無視してふわふわと浮かぶそれに、ジェヴォーダンは見覚えがあった。自分が召喚される時、目にした鏡だ。

 

「入れ、ということか」

 

 ためらいなくその鏡に近づき、手を伸ばす。指先が光の中に沈み、やがて吸い込まれるように鏡の中へと溶けていく。

 ぐるりと景色が暗転したかと思えば、またすぐに何処かの空間へと飛び出した。

 

「………」

 

 そして、言葉を失った。様々な意味で予想外の展開だった。

 

「なんでぇ、娘っこの部屋じゃねぇか?」

 

 デルフリンガーの言葉通り……荒れ果ててこそいるが、それはトリステイン魔法学校の、ルイズの部屋そのもの。見覚えのある家具類、間取りなど、物語るものはいくつもある。

 暗い奇妙な街を抜け、鏡をくぐるとルイズの部屋へ。奇妙な感覚に思わず眉をひそめる。

 

「ここがルイズの部屋ということは、当然外へ出れば廊下だろうが……」

 

 足に絡む藁束を蹴飛ばしながら、扉へと向かう。外へ出ると、これまた荒れ果てた瓦礫の山。だが見覚えのあるそこは、ヴェストリの広場の前だった。

 

「なんだぁ、こりゃ? 間取りも場所もめちゃくちゃじゃねぇか」

「悪夢、こういうものだ。ここでは物理法則が通用しない。さて、そろそろお出ましのようだな」

 

 デルフリンガーを構える。目線の先、ヴェストリの広場の瓦礫に動くものがあった。

 ガチャガチャと、こすれあう青銅。鎧のように見えるそれは、しかしバラバラに寸断されている。

 にもかかわらずそれは浮かび上がり、やがてうつろに人型を形成した。まるで幽体が鎧を着込んでいるかのよう。

 ジェヴォーダンを見つけたのだろう。鎧たちはフワフワと浮かびながら、向かってきた。

 

「歩かねぇんなら、人型になる意味はねぇわな」

「……だな」

 

 ジェヴォーダンの目が、鋭く光る。

 そして、あっというまだった。足元に転がる青銅の兜を見て、デルフリンガーが鍔を鳴らす。

 

「なんでぇ、随分弱っちいじゃねぇか」

「ギーシュのワルキューレだ、中身が何であれ元が元だ」

「ギーシュって、あの鼻っ面の青いガキだろ? なんでそんな奴のワルキューレが、こんなとこにいるのさ?」

 

 デルフリンガーは、ギーシュとジェヴォーダンの間に起きた一悶着を知らない。そのためこれがギーシュの魔法で生まれたものだと知らなかった。

 だが、今はそんなことはどうでもいい。ジェヴォーダンには、もっと別の疑問があった。すなわち、『これは誰の悪夢なのか?』。

 悪夢の世界と言うからには、誰かがこの世界を見ていたはず。だが、鏡をくぐりルイズと出会ったのも、ここでギーシュと戦ったのも、自分であるはずだ。

 ならば自分の悪夢であるのかと言えば、それも違う。それは、このワルキューレを見ればわかることだった。

 バラバラに切り裂かれていたワルキューレたち。その切り口は、鋭い剣によるものだった。ジェヴォーダンはこの時、ノコギリ鉈で応戦した。その切り口は、ノコ刃によって切り裂かれたような切り口になるはずだ。

 

「相棒、どうした?」

「……なんでもない。先へ進もう」

 

 ヴェストリの広場の向こう、既にそこに歪んだ景色が見て取れる。ぐちゃぐちゃに絡み合った街並みは、ほのかに既視感のあるもの。そこに踏み込むと、デルフリンガーが驚きの声を上げた。

 

「ブルドンネじゃねーか! なんだ、なんでこんなところに通じてるんだ!」

「お前を買った店のある通りだったか。だが、純粋なブルドンネ通りでもないな。トリステイン魔法学院と融合しているようだ」

 

 ブルドンネ通りの吹き溜まりを抜け、その先には学校の裏手にあるはずの、宝物庫の塔が見えていた。

 ジェヴォーダンにとっては、ある意味で曰く付きの場所。ここでルイズとキュルケが自分を争って戦い、そしてあの土くれが現れたのだ。取り逃がした雪辱は、忘れえるはずもない。

 だからこそ、目の前の地面がもこりと膨らんだ時、ジェヴォーダンは身体中の血が叫ぶのを感じた。

 

「これは!」

 

 一瞬にして立ち上がった、見上げるほどの巨大なゴーレム。しかしその姿はどうにもおぼつかず、グズグズの状態で胴には穴さえ空いている。しかし、明らかに異様なことが起きた。その体から炎が上がったのだ。

 

「『土くれ』のゴーレム、なのか……!?」

 

 炎に巻かれたゴーレムが拳を振り上げる。とっさにデルフリンガーで弾き、剣を地面に突き立てて勢いを殺す。

 皮膚にジリジリと迫る熱気。燃え盛る炎に巻かれたゴーレムが、うなりを上げて襲いかかってくる。

 

「っ!」

 

 とっさに、膝だけで体勢を落とす。掠める熱気に目を細めながら、その腕とすれ違うように斬り付ける。と、ゴーレムの腕からは血が吹き出し、悲鳴が上がる。

 やはりそうだ。悪夢で暮石の内に肉が詰まっていたのと同じ、これも生きている。

 であれば、殺せる。

 

「どうやら、何度解体されても足りないようだな!」

 

 小さなトニトルスを、懐から引き抜く。ルーンが熱を持つと同時に、ゴーレムが動いた。

 凄まじい勢いで振り下ろされる拳。だが、唸りを上げる拳も渦巻く炎も、今のジェヴォーダンには『止まって見える』。

 身をかすめて拳を躱しながら、雷撃が放たれる。稲光がゴーレムを打ち砕き、土くれが辺りに撒き散らされた。

 上半身を失ったゴーレムがよろける。その断面からは、血と炎が吹きこぼれた。

 あっけない。そう思っていたジェヴォーダンの身体を、衝撃が襲う。

 

「っ……!」

 

 ゴーレムの残った下半身が放った蹴りを受け、ジェヴォーダンの身体は宝物庫の壁に叩きつけられた。全身の骨が軋み、激痛に視界がゆらぐ。

 だがそれだけの事。一瞬で気を取り戻し、そして跳ねた。

 ゴーレムの脚が応戦しようとその脚を振り上げると、燃え盛る血と土が撒き散らされる。だがそれら全てを躱しながら、一気に距離を詰めていく。

 その脚の間を、スライディングで抜けながら脚に斬撃を。血が噴き出すが、構わず何度も斬り付ける。

 たまらずゴーレムは脚を上げる。そしてそのまま狩人を踏みつけ……しかし、次の瞬間には縦に深い切れ込みが走る。

 ゴーレムは重心を崩したのだろう、ぐらりとよろけた。狩人の血走った目は、それを見逃さなかった。

 すかさず反対の脚に、目にも留まらぬ連撃が加えられる。残ったゴーレムの重心が失われるまで、何度も何度も。

 ゴーレムはあっさりと、その体勢を崩した。尻餅をつくように倒れれば、吹き飛んだ上半身の断面が地面からでも届く位置に降りてくる。そこにジェヴォーダンは、すでに待っていた。

 

「……中身を晒せ、醜いゴーレム」

 

 その手が、ゴーレムの断面に突き込まれる。炎に包まれる事など、意にも介さず。

 手を、引き抜く。それだけでゴーレムの燃えたぎる血も、その中身も、なにもかも辺りに撒き散らされた。

 ゴーレムは、停止した。完膚なきまで粉々に打ち砕かれて。

 

「……はぁ」

 

 あとには積もる土くれと、血みどろの狩人だけ。ジェヴォーダンは雫をパンパンと払い、狩りの余韻に浸っている。

 だが、所詮はまがい物。フーケそのものを倒したわけではないし、悪夢にフーケがいようはずもない。これも、ただ悪夢が見せるだけのもの。

 まだ、この悪夢には何かがあるはずだ。こんなものを見せる為だけにあるような空間とは思えない。まだ、先があるはずだ。

 悪夢には、様々な見覚えのあるものが吹き溜まる。それが自分の知りうる姿であれば、ある程度歪んだ形をしていても察しはつく。

 しかし、崩れた宝物庫の塔の中に別の景色が見えて、流石にその認識を変えることになった。

 

「本当にとんでもねぇな、悪夢ってのは……アルビオン城、だよな?」

「そのようだ。なるほど、次はそこか」

 

 崩れた宝物庫のがれきを登り、中に入る。間取りの大きさも、外から見た塔の大きさでさえもめちゃくちゃ。周囲はまさに、アルビオンの城そのもの。だが当然そこに、人の姿などありはしない。

 そして、すでになんとなくどこを目指すべきなのかは察しがついていた。この悪夢は、そもそもそこから始まっているのだ。

 

「んで、どこへ行くんだ?」

「礼拝堂、ワルドを倒したあの場所だ」

 

 

 

 崩れた瓦礫をかき分け、ようやく姿を現した礼拝堂の扉をゆっくりと開け放つ。

 ついさっきまでいたはずの、礼拝堂。だがそこにはルイズも、斃れたウェールズもいない。

 だが、先客があった。それはつい先ほど打ち倒したばかりの、醜い獣の姿。

 

「ワルド……いや、その偏在か」

 

 その目から赤い光をこぼしながら、偏在は剣を振り上げる。

 全部で4体。だが、すでにこんなものはジェヴォーダンの敵ですらない。

 散弾銃が火を噴き、飛び上がっていた偏在を撃ち落とす。その偏在が地面に落ちるよりも早く、2体の偏在が斬り裂かれる。

 残った一体は、ジェヴォーダンの背後から迫っていた。その姿が偏在の視界から消えた。

 偏在は狩人を探して振り返るが、その視界には誰もいない。直後、その背中に衝撃を受けて、膝をつく。

 背後に回ったジェヴォーダンが、偏在の背中にその手を突き入れていた。腕を振りかぶり引き抜けば、偏在は血を撒き散らしながらゴロゴロと転がっていく。

 その手に握られた一本の背骨が、偏在と共に消えていった。

 

「さすがだな、相棒。あっさりしたもんだ」

「一度倒した相手だ。遅れをとるはずもない。さて……」

 

 静まり返る礼拝堂。続く道は、どうやらここで終わっている。

 

「一体、俺に何を見せたいんだ……?」

 

 悪夢の果て、ジェヴォーダンは次の呼びかけを待つばかりだった。

 

 

 

 

 

 トリステインの王宮はブルドンネ街の突き当たりにある。王宮の前には、当直の魔法衛士隊の隊員たちが幻獣に跨り闊歩している。戦争の噂は2、3日前から流れ始めていた。アルビオンを制圧した貴族派『レコン・キスタ』が、トリステインに侵攻してくるというものだった。

 そのせいで衛士隊の空気もピリピリしたものになっていた。王宮の上空は、幻獣、船問わず飛行を禁じられ、門をくぐる人物のチェックも厳しかった。

 それ故、王宮の上に1匹の風竜が現れたとき、警備の魔法衛士隊は色めきだった。

 マンティコアに騎乗したメイジたちが風竜めがけていっせいに飛び上がる。風竜には5人の人影があり、しかも竜は巨大モグラまでくわえている。

 隊員たちが飛行禁止区域であることを大声で告げてもそれを無視し、風竜は王宮の中庭へと着地した。

 マンティコアにまたがった隊員たちが一斉に周囲を取り囲んだ。腰からレイピア状の杖を引き抜き、いつでも呪文を詠唱できる臨戦態勢に入る。

 

「杖を捨てろ!」

 

 ごつい体にいかめしい髭面の隊長が、大声で侵入者たちに告げる。

 ルイズたちは一瞬むっとした表情を浮かべたが、タバサが首を降って「宮廷」と告げると、しかたないとばかりにうなづいて杖を地面に捨てた。

 キュルケが胸の谷間から杖を引き抜く動作で隊員たちを釘付けにしながら、小声で愚痴をこぼす。

 

 

「随分な扱いねぇ……お姫様の極秘任務とやらなんでしょ? もうちょっと扱い良くてもいいんじゃない?」

「………」

「ちょっとル〜イ〜ズ〜、あなたまだぶすくれてるの? ダーリンは確かに『すぐ戻る』って言ってたのよ。絶対大丈夫よ」

 

 ルイズは杖を捨てても、デルフリンガーはぎゅっと抱きしめて離さなかった。

 

 

 

 

 

 

 ルイズたちが乗った風竜が王宮に着く少し前。

 

 揺れる風竜の背の上、ルイズは目を覚ました。

 ルイズは自分が、キュルケに抱きかかえられていることに気づいた。風竜の尻尾の付け根のあたりに、自分を抱えたキュルケは座っている。物憂げな表情でどこか空を見つめていたが、やがて目を覚ましたルイズに気が付いた。

 

「あら、起きたのね。大丈夫? どこか怪我してないかしら」

「キュルケ……? 私、何か……」

 

 何か、大事な夢を見ていた気がする。

 頬に風があたり、もうこれが夢ではないことを告げている。してみると、自分は助かったのだ。

 ルイズの心の中を、熱い何かが満ちていく。

 あの裏切り者の、ワルドに殺されそうになった時何かが起きた。自分は失神して、それから、それから……。

 とてもとても大事な夢を見ていた気がするのに、それがなんであったかどうしても思い出せない。思い出そうと思考をぐるぐると巡らせているうちに、そこにあるべきはずの影が1つ、足りないことに気がついた。

 

「……! ジェヴォーダンは、あいつはどこ!?」

「ちょっとルイズ、落ち着いて。ダーリンは遠くには行ってないわ」

「ど、どこ!? どこいったの!?」

「ここさ」

 

 答えたのはギーシュだった。彼が手に持っていたのは、外でもないデルフリンガー。だが、ルイズの知っているその姿とはすでに大きく違っていた。錆びついてボロボロだったはずの剣は新品のようにピカピカで、うっすらと青白い光を帯びている。

 

「ど、どういうこと? あいつが、ここって?」

「彼は、どういうわけか知らないけど剣の中に消えちゃったの。預かっていて欲しいって言われたわ、すぐに戻るとも言ってた。しなければいけないことが、できたそうよ」

「……………」

 

 わけが、わからなかった。

 当然と言えば当然だ。剣の中に消えたとはどういうことなのか。そも、あいつがしなければいけないことなんて、一体?

 ルイズはギーシュから剣をぶんどると、その柄の部分を引き抜く。デルフリンガーはいつもこうやって、話すことができるようになったはずだ。

 

「デルフリンガー、答えなさい。あいつはどこにいったの」

「だめさ。僕たちも話しかけてみたんだが、何も答えてくれない。何も言わないんだよ」

「何よ、なによ、それ」

 

 ルイズは剣を掴んだまま、わなわなと震える。いろんな気持ちがいっぺんに湧き上がってきていた。

 自分が気を失っている間に、少なくともあいつに、何かがあったらしい。

 どうしても思い出せない、大切な夢。自分たちは助かった。でも王軍は、おそらく負けたのだろう。

 ウェールズも、死んでしまった。

 助かった喜びと悲しみと、そしてそれを最も分かち合いたい、使い魔の不在。ルイズは不安ではちきれそうになった。

 裏切り者のワルド。死んでしまった皇太子。勝利を収めた貴族派『レコン・キスタ』。

 王女に、伝えなければならないこと。ルイズは胸元の手紙に手を当てて、そこにある別のものの感触に、ポケットの中を探った。

 出てきたのは、大粒のルビーの指輪だった。忘れようはずもない、それが誰のものであったのか。

 

「………バカ」

 

 ジェヴォーダンは、行けと言っているのだ。少なくとも彼が戻ってくるまでの間、わずかとはいえ、1人で。

 

「ルイズ、あなた……」

「バカ……バカ……バ、カ……」

 

 ルイズの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ出した。不安も恐怖も寂しさも、何もかもひっくるめたような熱い涙だった。

 あいつはまた、1人で行ってしまった。ワルドとの結婚式の時だって、あいつは自分になんの言葉もなく行ってしまった。もう最後に顔を見たのがいつだったのか、それすら思い出せないほどだ。

 

「なんで、どうして……1人で行っちゃうのよ……」

 

 ルイズの涙が、風のルビーに落ちる。ルイズの指にはめられた水のルビーとの間に、涙で小さく虹の光がかかった。

 

 

 

 

 

「今現在、王宮の上空は飛行禁止だ。ふれを知らんのか?」

 

 隊長の大声が響き渡る。ルイズは少しの間悩んだが、どうやら自分が行かなければ話にならない様子だった。

 桃色がかったブロンドの髪を大きくたなびかせ、とんっと軽やかに竜の上から飛び降りる。そしてマンティコア隊へ向けて、毅然とした声で名乗った。

 

「わたしはラ・ヴァリエール公爵が三女、ルイズ・フランソワーズです。怪しいものではありません。姫殿下に取り次ぎ願いたいわ」

 

 隊長は口ひげをひねり、ルイズを見つめた。ラ・ヴァリエール公爵夫妻といえば、高名な貴族だ。隊長は掲げた杖を下ろした。

 

「ラ・ヴァリエール公爵さまの三女とな」

「いかにも」

「……なるほど、見れば目元が母君そっくりだ。して、要件を伺おうか?」

「それは言えません。密命なのです」

「では、殿下に取り次ぐわけにはいかぬ。要件も尋ねずに取り付いだ日にはこちらの首が飛ぶからな」

 

 困った声で、隊長が言った。そしてそのまま、目線はルイズの手元に移る。

 そこには、無骨な巨大な剣。どう考えても貴族の持ち物とは言えないだろう。更に言えば、杖は命令通り捨ててもこの剣は捨てずにその手に持ったままだ。その妙な姿を見て、隊長が目配せをする。一行を取り囲んだ魔法衛士隊たちが、再び杖を構えた。

 

「申し訳ないが、ひとまずあなた方を捕縛させてもらおう。貴公が本当にラ・ヴァリエール公爵さまの子女であるかどうかも、確かめねばならないからな」

「っ!」

 

 ルイズが顔をしかめる。隊長の一言で隊員たちが一斉に呪文を唱えようとした、その時だった。

 宮殿の入り口から、鮮やかな紫のマントとローブを羽織った人物が、ひょっこりと顔を出した。そして魔法衛士隊に囲まれたルイズの姿を見て、慌てて駆け寄ってくる。

 

「ルイズ!」

 

 駆け寄るアンリエッタの姿を見て、ルイズの顔がぱぁっと輝いた。

 

「姫さま!」

 

 2人は一行と魔法衛士隊が見守る中、ひっしと抱き合った。

 

「あぁ、無事に帰ってきたのね。うれしいわ。ルイズ、ルイズ・フランソワーズ……」

「姫さま……」

 

 ルイズの目から、こらえていた涙が再びぽろりとこぼれた。

 

「件の手紙は、無事、このとおりでございます」

 

 ルイズはシャツの胸ポケットから、そっと手紙を見せた。アンリエッタは小さく息を飲み、そして頷いて、ルイズの手をかたく握りしめた。

 

「やはり、あなたはわたくしの一番のおともだちですわ」

「もったいないお言葉です、姫さま」

 

 しかし、一行の中にウェールズの姿が見えないことに気づいたアンリエッタは、たちまち表情を曇らせた。

 

「……ウェールズさまは、やはり父王に殉じたのですね」

 

 ルイズは目をつむり、神妙に頷いた。

 

「……して、ワルド子爵は? それに、あなたの使い魔さんも。姿が見えませんが、別行動を取っているのかしら? それとも、まさか……敵の手にかかって? そんな、お2人に限って、そんなはずは……」

 

 ルイズは表情を曇らせる。そして、言いにくそうにアンリエッタに告げた。

 

「ワルド子爵は、裏切り者でした、姫さま。ジェヴォーダンは……」

「裏切り者?」

 

 アンリエッタの顔に陰がさす。そして、そんな自分たちを興味深そうに見つめる魔法衛士隊に気がつき、アンリエッタは説明した。

 

「彼らはわたくしめの客人ですわ、隊長どの」

「さようですか」

 

 アンリエッタの言葉に隊長は杖を納め、隊員たちを促しふたたび持ち場へと戻っていった。

 それを見届けると、アンリエッタは再びルイズに向き直った。

 

「道中、何があったのですか? ……とにかく、わたくしの部屋でお話しましょう。他のかたがたは別室を用意します。そこでお休みになってください」

 

 そうしてルイズたちは、王宮へと入っていく。ルイズはデルフリンガーをきゅっと抱きしめた。切なさを乗り越える覚悟が、勇気が少しでも欲しかった。

 

 

 

 

 

 礼拝堂のジェヴォーダンが異変に気づいたのは、背筋を冷たい気配がサーっと駆け巡ったからだった。

 

「……?」

「相棒、どうした?」

「いや、なんでもない。それよりも、だ」

 

 行き止まりとなっていた礼拝堂。床に空いていた、ヴェルダンテが開けた穴も見当たらない。どうやら本当に道が終わっているようだ。

 

「デルフ。お前の『導き』もなしか」

「あぁ、特に何も言ってこねぇなぁ。なぁ相棒、あんたはここが、悪夢の世界だって言ったかい?」

「そうだ。どうやらお前の中に眠っていたらしい、何者かの悪夢の記録だ」

「俺の中? どうしてそんなものが俺っちの中にあるってんだ」

「そんなこと、俺が聞きたい」

 

 変化を待つしかないジェヴォーダン。しかし、デルフリンガーはどうやら腑に落ちないらしい。ふーむと唸り、再び鍔をガチガチと鳴らした。

 

「なぁ相棒、悪夢ってのは『誰かが見たもの』だって? だったらこの世界は、俺を持ってた誰かが見たものだっていうのかい?」

「……あるいは、お前が見たものってことも考えたんだがな。どうやらそれもアテが外れた。お前はギーシュのゴーレムを知らないからな」

「だったらやっぱり、俺を握ってた奴の悪夢かい? でもよ、それって変だろう。ここまで辿ってきた道は、まるでおめぇの記憶みたいじゃないか」

「……そう、だな」

 

 薄々、ジェヴォーダンはこれが自分の悪夢なのではないかと思い始めていた。

 だが、違う。ところどころ相違点がありすぎる。はじめに目にした、あの奇妙な街並みは一体なんだったのか。ギーシュのワルキューレが、ノコギリではなく剣で切り裂かれたような壊れ方をしていたのは何故なのか。フーケのゴーレムは何故、炎に巻かれていたのか。

 様々な点で自分の記憶と、似ているが違う。一体これが、誰の悪夢なのか。何故デルフリンガーの導きは、自分にこれを見せたいのか。

 

「……なぁ、相棒」

「あぁ、わかっている」

 

 だが、考えてる暇がなくなったのが早かった。

 先ほど感じた、冷たい気配。それがより色濃くなって近づいてきた。迎え撃つためにデルフリンガーを抜く。だが、当のデルフがガチガチと震えた。

 

「相棒、ちょっと待ってくれ。この気配は、なんか妙じゃないか」

「確かに、大物の気配だ。これまでのようには……」

「違う、そういうこと言ってるんじゃない。これはなんか……とんでもないもののような……」

 

 その時だった。重たく、冷たい音が彼方から響き渡る。その出どころはどうやら礼拝堂の外のようだ。

 何者かがやってきた。自分たちのいる、この礼拝堂に近づいてきているようだ。

 

「……相棒、なぁ」

「なんだ、デル公」

「逃げよう」

「なんだと?」

「逃げたほうがいい。何か、まずい予感がするんだ。何か思い出しそうなんだよ、でもすごく、まずい気がするんだ」

 

 気配がどんどん近づいてくるのがわかる。散弾銃を左手に構え、迎撃の準備は整っている。デルフリンガーだけが、いつまでたってもガチガチと震えたままだった。

 

「相棒、相棒よう」

「うるさいぞ! 敵なら倒せばいい、大抵のものは俺にはどうにかなる!」

「違う、そういうものじゃないんだ。あぁ、あぁ、あれは……」

 

 そして、衝撃は突然だった。

 礼拝堂の壁が轟音と共に崩れ、外から烈風が飛び込んできた。

 

「!?」

 

 その強烈な風と共に、ジェヴォーダンに飛びかかってきた『影』。

 強烈な突進を間一髪で受け止める。が、あまりの衝撃に弾き飛ばされた。着地と同時に受け身を取り、飛び込んできた影を見据える。と同時に、デルフリンガーがひときわ大きくガチリと震えた。

 

「思い出した、あぁ、思い出した!」

「デル、フ?」

「相棒だめだ、あれには近づいちゃならねぇ。逃げるんだ、相棒」

 

 その異様な影は、全てが『赤』だった。

 身にまとうものも、皮膚も、髪の1本に到るまでも血みどろのような『赤』。その気配ですら、赤くオーラを纏って見えるほどの『赤』。

 その姿は、まだ少年のように見えた。赤黒い影に纏われてその表情までは窺い知れないが、片手には長剣を持ち、ゆっくりと体を起こしてこちらを向いた。

 ジェヴォーダンは、絶句した。少年の姿にではない。その手に握られた、これまた真っ赤に染まった長剣。

 

「あれは『闇霊』だ。あれに関わっちゃならねぇ、相棒。近づいちゃだめなんだ」

 

 それは血にまみれたような赤の、デルフリンガーそのものだった。

 

 

 

 




風のルビー

アルビオン王家に代々伝わるという大粒のルビーの指輪
対となる水のルビーとの間に、王家の虹をかけるという

アルビオンは白の国。大空に浮かぶ風の国である
王家に伝わるこのルビーもまた、風の名を冠している


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19:夜

 アンリエッタの居間。小さいながらも精巧なレリーフの施された椅子に腰掛け、アンリエッタはルイズの言葉をじっくりと紐解くように耳を傾けていた。

 道中、キュルケたちと合流したこと。

 アルビオンに向かう船で、空賊に襲われたこと。

 ジェヴォーダンの機転で、その空賊がウェールズ皇太子だったとわかったこと。

 ウェールズ皇太子に亡命を勧めたが、断られたこと。

 そして、ワルドと結婚式をあげるため、脱出船に乗らなかったこと。

 結婚式の最中、ワルドが豹変し……ウェールズを殺害し、ルイズが持つ手紙を奪い取ろうとしたこと。

 しかし、実際には手紙は取り返してきた。『レコン・キスタ』の野望のため、トリステインとゲルマニアの同盟を挫くという企みは未然に防がれたのだ。

 にも関わらず、その報告を聞き遂げたアンリエッタは……悲嘆の表情を浮かべた。

 

「あの子爵が、裏切りもの……まさか、魔法衛士隊に裏切り者がいた、なんて……」

 

 アンリエッタは、ボロボロになった手紙を見つめ、俯いた。はらはらと、その頬に大粒の涙がつたう。

 ルイズは黙って、アンリエッタの手を握った。

 

「姫さま……」

「わたくしが、ウェールズさまのお命を奪ったようなものだわ。裏切りものを、使者に選んでしまった……なんて、わたくしはなんということを……」

「姫さま、皇太子は亡命のお誘いを断られました。もとより、アルビオンに残るおつもりだったのでしょう」

「……ならば、ウェールズさまは……わたくしを愛して、おられなかったのね」

「……姫さま、やはり、手紙で皇太子に亡命をお勧めになったのですね?」

 

 悲しげに手紙を見つめ、アンリエッタは頷いた。

 ルイズはウェールズの言葉を思い出す。彼は「アンリエッタは亡命など勧めていない」と否定していた。やはりそれは、嘘だったのだ。

 

「えぇ。死んでほしくなかったんだもの。愛していたのよ、わたくし」

 

 それからアンリエッタは、呆けた様子でつぶやいた。

 

「わたくしより、名誉のほうが大事だったのかしら」

 

 ルイズは、あまりにもいたたまれない気持ちでいっぱいになった。愛するものを失った悲しみ、それは果たしていかほどのものか。

 ウェールズは名誉を守ろうなどと、アルビオンに残ったのではない。ルイズにはそれがわかっていた。それでも、それをどうアンリエッタに告げたらいいのか。ルイズには、正しい言葉など思いつかなかった。だから、ただただいたたまれなくて、切なくて、胸が張り裂けそうなほどだった。

 

「姫さま……わたしがもっと強く、ウェールズ皇太子を説得していれば……」

「いいのよ、ルイズ。あなたは立派にお役目どおり、手紙を取り戻してきたのです。あなたが気にする必要はどこにもないのよ。それにわたくしは、亡命を勧めてほしいなんて、あなたに言ったわけではないのですから」

 

 それからアンリエッタは、にっこりと笑った。

 

「わたくしの婚姻を妨げようとする暗躍は、未然に防がれたのです。わが国はゲルマニアと無事同盟を結ぶことができるでしょう、そうすればアルビオンも簡単に攻めてくるわけにはいきません。危機は去ったのですよ、ルイズ・フランソワーズ」

 

 アンリエッタが努めて明るい声を出しているのを、ルイズは感じ取っていた。

 せめて、何かできないのか。あいつなら、こんな時どうするだろうか。

 そう思って、預かりものの存在を思い出した。

 

「姫さま、これをお返しいたします」

 

 そう言って、ポケットからアンリエッタにもらった水のルビーを取り出す。しかし、アンリエッタは首を振った。

 

「それはあなたが持っていなさいな。せめてものお礼です」

「こ、こんな高価な品をいただくわけにはいきませんわ!」

「忠義には、報いるところがなければなりません。いいから、とっておきなさいな」

 

 ルイズは頷いて、そして恭しくそれを指にはめた。

 そして、預かりものはこれだけではなかった。ルイズは今度は、ポケットから風のルビーを取り出した。

 

「姫さま、これ……その、皇太子さまから、預かったものですわ」

 

 本当は、いつのまにか自分のポケットに手紙と一緒に入っていたものだ。誰がこれを自分に託したのか。それは容易に想像がつく。

 アンリエッタはその指輪を受け取ると、大きく目を見開いた。

 

「これは……ウェールズさまが、わたしに?」

「はい。最後に、これを姫さまに、託されました」

 

 精一杯の嘘。それでも、慰めになるのなら。

 アンリエッタは、風のルビーを指に通した。男手のものだったのでゆるゆるだったが……小さく呪文を呟くと、指輪のリングがすぼまり、薬指にピタリとおさまった。

 アンリエッタは、その指輪を愛おしそうに撫でた。そしてルイズを見て、悲しく、寂しく、はにかんだ笑みを浮かべた。

 

「ありがとう、優しいルイズ……わたしは、生きようと試みなければならないわね。あの人の分まで」

 

 それでもアンリエッタの表情に、ほんの少しだけ光が戻ったような気がして、ルイズも小さく笑みを浮かべた。

 そして、少し余裕ができたからだろうか……アンリエッタも、気にかかっていたことを口にした。

 

「そういえば……あなたの、使い魔さんだけれど」

 

 アンリエッタは、ルイズの抱える剣を見つめる。アンリエッタの脳裏には、最悪の構図が浮かんでいた。

 

「その、ルイズ……わたくしも、励ましてもらってばかりではいられないの。どうか、わたしには打ち明けてはくださらない?」

「……え、あ、姫さま? 何か、勘違いされています。あいつは生きています、たぶん……」

「たぶん?」

 

 ルイズはなんと説明したらいいものか、返答に困った。なにぶん自分も、使い魔がいったいどういう状況にあるのか、把握しきれていないのだ。

 

「そもそもどうやらワルドを倒したあと、何かあったみたいで。あいつは今、剣の中にいるらしいんです」

「剣の、中? ルイズが持ってる、その剣の?」

「はい、あの礼拝堂でワルドを倒して、それで……」

 

 ルイズの脳裏に、ピリッと何かが思い浮かぶ。

 

「……?」

 

 礼拝堂で、自分は気絶して。それでそのあと……どうなったんだったか。

 ずっと気を失っていて、そこで確か、何か……何かが、いたような気がするのだ。ジェヴォーダンでもない、ワルドでもない。何か、誰かと話をした。そんな夢を見たような……。

 しかし、どうしても思い出せない。どうして、思い出せないんだろう。

 固まったルイズを、アンリエッタが心配そうに覗き込んだ。

 

「ルイズ……あなたにも、何か大変なことが起きたのね」

「……私にも、わからないんです……」

 

 ルイズは、その胸に物言わぬ剣を抱いて、か細い声でそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 かつて名城と謳われたニューカッスルの城は、惨状を呈していた。城壁は度重なる砲撃と魔法攻撃で、瓦礫の山となり、無残に焼け焦げた死体は地面を埋め尽くして山と積まれている。

 攻城に要した時間はわずかであった。が、反乱軍『レコン・キスタ』の損害は、さまざまな想像の範囲を超える結果となった。

 三百の王軍に対して、損害は二千。けが人も合わせれば、四千。戦死者数だけみれば、どちらが勝者なのかもわからないほどだ。

 アルビオンの革命戦争の最終決戦、ニューカッスルの攻城戦は、100倍以上の敵軍に対して、自軍の10倍にも登る損害を与えた戦い……伝説となったのであった。

 

 だがこれは、戦での損害のみだ。

 今や、アルビオンには人の影はない。ニューカッスルの城の跡地ですら、積み上がるのは死体の山ばかり。

 王軍に対して受けた損害は、四千。だが、その「後」に受けた損害は、およそ四千……これは、負傷者を含まない死者の数だ。

 アルビオンに突如出現した、巨大な獣……それが、ニューカッスルを占拠した反乱軍の兵士たちに襲いかかったのだ。

 『黒風の獣』と名付けられたその獣によって、王軍は壊滅的な出血を強いられることとなった。まるでそれは、攻城によって打ち倒された王軍の怒りが、似姿となって現れたようだと、兵士たちの間でまことしやかに囁かれるほど。

 だが、結果として『黒風の獣』は打ち倒された。獣を倒したのは、結局のところ兵士の「数」であった。四千もの死者を出し、それでもなおその分手傷を負わせ、なんとか追い込んでいき……そしてとどめに、ニューカッスルから船で渡ってきて合流したフーケも加勢して、獣を『撃退』するに至ったのだった。

 『撃退』とは要するに、殺すにまでは至らなかったということ。風を巻き起こす青黒い獣は、フーケの巨大なゴーレムに怯み、退いた。そして城からそう離れていない森の中へと姿を消していったのだ。

 それでも、虐殺の限りを繰り返した獣を退けたフーケの存在は、兵士たちの士気を湧き上がらせた。歓声の中で、フーケは面白くなさげに返り血を拭った。口にまで飛び散った血が妙に甘ったるくて吐き気を催す。

 

「ったく……なんだって、私がバケモノ退治なんかに付き合わされなければいけないんだい」

 

 だが確かに、凶悪なまでに恐ろしい獣であった。

 様々な魔法生物を相手にしたことがあるが、こんなものは初めてだ。凄まじい速さで動き回り、疾風のようなものを起こして人を軽々と弾き飛ばす。聞くに耐えない醜い雄叫びをあげたかと思うと、今度は悪鬼のごとく荒れ狂う。

 負傷していたのか左腕を欠いていたのだけが救いというもので、それがなければ今だってどうなっていたかわからない。それほどの、凶悪な獣だった。

 

『……獣め』

 

 脳裏に、嫌な奴の顔が思い浮かぶ。

 人を獣呼ばわりしてくれた、あのいけ好かない青年。そもそも奴を殺すことが、このアルビオンにおいてフーケの最大目標だったというのに、どうやらそれも叶わずとなってしまったようだ。

 ワルドの協力あってすれば、はたしてどうとでもなったはずなのに……そういえば、ワルドの姿を見ていない。まさかあんな獣にやられちゃいないだろうが……。

 そんな風に考えていたおり、突然後ろから、快活な、澄んだ声が響き渡った。

 

「おぉ! ついにあの醜悪な獣を退けてくれたのかね! かねてから聞いていた噂通りの実力だよ、ミス・サウスゴータ!」

 

 それは、かつて捨てた貴族の名。冷えた表情を精一杯の笑みでごまかし、フーケは振り返った。

 

「ワルドに、わたしのその名前を教えたのは、あなたなのね?」

 

 

 

 

 

 

 ルイズたちが魔法学園に帰還した3日後、正式にトリステイン王国王女アンリエッタと、帝政ゲルマニア皇帝ログエリウス3世との婚姻が発表された。式は一ヶ月後に行われるはこびとなり、それに先立ち、軍事同盟が締結されることとなった。

 同盟の結婚式はゲルマニアの首都、ヴィンドボナで行われ、トリステインからは宰相のマザリーニ枢機卿が出席し、条約文に署名した。

 アルビオンの新政府樹立の公布が為されたのは、同盟締結式の翌日。両国にすぐに緊張が走ったが、アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルはすぐに特使をトリステインとゲルマニアに派遣し、不可侵条約の締結を打診してきた。

 両国は協議の結果、これを受けた。両国の軍事力を合わせてもアルビオンの艦隊には対抗しきれない。未だ軍備の整わぬ両国にとってこの申し出は願ったりであった。

 ハルケギニアに、表面上の平和が訪れた。普通の貴族や平民たちにとっては、いつもと変わらぬ日々が待っていた。それは、トリステイン魔法学院でも例外ではない。

 だがこの時まさに、濁り水はゆっくりと流れていた。まさに魔法学園、ルイズの教室の、その剣の中で。

 

 そんなことなどつゆ知らず、アルビオンから帰ってきたルイズたちが教室に入っていくと、すぐにクラスメイトたちに囲まれた。ルイズたちは学園を数日間開けていた間に、なにか危険な冒険をして、とんでもない手柄を立てたらしいともっぱらの噂だった。

 実際、魔法衛士隊の隊長と出発する姿を何人かの生徒たちが見ていたのである。クラスメイトたちは、それを聞きたくてうずうずしていたのだった。

 

「ねぇルイズ、あなたたち、授業を休んでいったいどこ行っていたの?」

 

 腕を組んで、そう話しかけたのは香水のモンモランシー。

 クラスメイトたちは、押しても引いても自分のペースを崩さないキュルケに業を煮やし、ギーシュとルイズに矛先を向けたのである。

 ギーシュは取り囲まれてちやほやされ、調子に乗ったらしい。あっはっはと笑って足を組み、人差し指を立てたので、ルイズに頭をひっぱたかれた。

 

「なにをするんだね!」

「口が軽いと魔法を失敗させて吹っ飛ばすわよ、ギーシュ」

 

 凄まじい剣幕である。ギーシュは黙る他なかった。そんな様子を見ていたクラスメイトたちはますます「なにかある」と確信したらしい。ルイズを取り囲んで質問ぜめに合わせた。

 

「ルイズ! いったい何があったんだよ!」

「何もどうもないわよ。ちょっとオスマン氏に頼まれて、王宮にお使いにいっていただけ。ギーシュ、キュルケ、タバサ。そうよね?」

 

 キュルケは意味深に微笑を浮かべ、ギーシュは頷き、タバサは本を読んでいた。

 取りつく島もないため、クラスメイトたちはつまらなさそうにため息をつき……そして今度は、また別の話題でルイズに詰め寄った。使い魔の不在である。

 

「おいルイズ、お前の使い魔はどこにいったんだ?」

「……! そ、それは……」

 

 何やらお忍びで学院を出て行き、帰ってきてみれば、ルイズの使い魔の姿が見えない。普段ルイズをバカにしている生徒たちにとってこれほどの話題は存在しなかった。

 

「おいゼロのルイズ! お前さては、あの平民に逃げられたんだろ!」

「やっぱりあの木こり、召喚できなかった代わりに呼んできただけだったんだな?」

「お忍びで出てったのは、もしかしてお役御免ってわけ?」

 

 教室で口々に浴びせかけられる、様々な嘲笑や嘲りの言葉。当然、わめき散らして否定するのを期待してのことだったが……ルイズは、全くの無反応だった。

 ルイズの同級生たちは、これまた不思議がった。皆の知るルイズというのは、魔法の使えない劣等生だというのにプライドばかり高くて、こういう侮辱を無視できるような性格ではなかったはずだった。

 実際には、ルイズは使い魔がどこへ行っているのか、それはわかっていてもどうすることもできずにいる。だがそんな事情などクラスメイトたちが知りうるはずもない。

 

「ねぇルイズ、聞いてるの? ちょっとー、ゼロのルイズー、お耳までゼロになっちゃったのかしら?」

 

 他の生徒たちが様子を見る中、見事な巻き毛を揺らして、モンモランシーが嫌味ったらしく言った。

 

「まさか、本当に使い魔に逃げられちゃったわけ? あっはははは! まぁでも、魔法のできないあなたですもの、使い魔を呼べなくたって仕方ないわよね! それとももしかして、あの平民の方から愛想尽かされちゃった!? それはちょっと可愛そうだけど、でもまぁ仕方ないわよねー! なんてったってあんたは、魔法成功率ゼロ、の……」

 

 だが、その嫌味は最後まで続かなかった。モンモランシーの沈黙に、他の生徒たちはなんだなんだとルイズを覗き込む。そして、驚愕した。

 俯いたルイズの目元からこぼれ落ちる、大粒の涙。これまでどれ程バカにされようと、嘲りをうけようと、決して見せたことのない涙。

 声を押し殺して泣くその姿に、モンモランシー含め全員が、とてつもない過ちを犯したのだと確信した。

 続くように、教室中にバァンと、誰かがテーブルに手を叩きつける音が響き渡る。驚いてそちらを見やった生徒から、「ひっ」と小さな悲鳴が上がる。

 モンモランシーは、恐るおそる振り返る。髪の毛が逆立つほどの怒りのオーラを身にまとったキュルケが、モンモランシーを睨んだ。キュルケがあの平民にも惚れ込んだらしいという噂がずいぶん前に立っていたのを、今更になって思い出した。

 

「……香水のモンモランシー」

 

 焚き木が鳴るような声が静まった教室にこだまする。「はぃっ」とモンモランシーが、声にならない音で返事をした。

 

「それ以上ジェヴォーダンと、それとルイズを侮辱して御覧なさい……私の炎なら、香水なんて雫1つ残さず蒸発させてやるわよ」

「……は、ひ」

 

 もはや涙を浮かべて震えるモンモランシー。だが、一番驚いているのは、涙で顔を濡らしたルイズだった。

 あのキュルケが、自分をかばってあんなことを言うだなんて。涙を忘れて、キュルケを見つめた。

 そして怒れるキュルケの隣に腰掛けるタバサが、「どうどう」と彼女の顎を撫でる。キュルケはボソッと「誰が牛よ」と呟くと、何事もなかったかのように爪をいじりだした。

 緊張から解放されたモンモランシー、およびルイズをバカにした生徒たち。しかし、さらに意外な方面から追撃が飛んできた。

 

「私も、香水なら一瞬で凍りつかせる」

 

 他でもない、キュルケをなだめたタバサだった。いつも本を読み、あるいは黙って教室を出てサボっているばかりのタバサが、滅多に発することのない言葉。それは二つ名の「雪風」に恥じない、凍えるような殺気をたたえた脅しかけの言葉だった。モンモランシーはもはや、意識すら失いそうなほどである。

 キュルケもルイズも驚いてタバサを見やる。タバサは言うことは言ったとばかりに、読書を再開した。

 モンモランシーは震える声で、ギーシュに縋り付いていった。

 

「ぎーしゅぅぅぅ……」

「も、モンモランシー、怖かったろう。僕がついているさ。ただ、その……」

 

 ギーシュは非常に罰が悪そうに、もごもごと呟く。

 

「あのー、あまり彼を悪く言わないでほしいというのは、実は僕も同意見でだね。その、彼をただの木こりだったと言うことにしてしまうとだね、僕は木こりに負けたメイジってことに、なってしまうんだがね……」

 

 無念、モンモランシーは発狂した。見事に真後ろにばったりと倒れて気絶した彼女にギーシュがすがりつき、「ごめんよぉぉ目を開けてくれモンモランシぃぃぃ」などと叫んでいる。

 ギーシュは放っておいて、ルイズはキュルケとタバサを見た。二人ともすっかり自分の世界に入り込んで、こちらの視線にも気づかない。だが少なくともルイズは、胸に熱いものがこみ上げるのを感じていた。

 

 

 

 だが、この日の騒動はこれで終わっていなかった。授業も終わってすっかり夜も更けた頃、ルイズは自室で着替えを済ませながら物憂げにため息をついていた。

 今までであれば、脱いだ着替えをテキパキと片付け翌朝の洗濯に備える使い魔の姿がそこにあるはずだった。奴は眠りもせず机に伏して、朝まで黙々と何かを学ぼうとしていた。そして、ルイズが目覚めるまでには朝の準備を完璧にこなして、ルイズの寝るベッドのシーツを引っぺがすのだ。

 だがその姿は、今やこの部屋にはない。

 かつて、ジェヴォーダンが壁にノコギリを突き刺してできた穴。今となっては、使い魔がこの部屋に残した痕跡はこれぐらいになってしまった。

 

「……………」

 

 一体どうして、あいつは行ってしまったのだろう。そりゃあ、キュルケから聞いた話だけでも何かが起きたことはわかる。自分が気を失っている間に、どれだけのことが起きたのだろう。思いをはせても、わかることは1つとしてない。

 壁についた傷を指でゆっくりと撫でる。あいつが使い魔として召喚される前は当たり前だった静寂が、何故か今は恐ろしく寂しく感じられた。

 

「……ジェヴォーダン」

 

 思わずそう呟くのと、ルイズの部屋の扉がバターンと開かれるのとは同時だった。

 

「ひゃあっ!?」

「ルイズ、邪魔するわよー」

 

 そこにいたのは、昼間自分をかばってくれたキュルケ……と、その小脇に抱きかかえられたタバサ。タバサは抱えられたままでも分厚い本に目を落としている。そしてキュルケがもう片方の腕に抱えたバスケットからは、ワインの瓶が頭を出していた。

 

「きゅ、キュルケ!? 何よ突然!」

「何よとはなによ、遊びに来てあげたんじゃない。相変わらず色気のない部屋ねぇ、ダーリンが帰ってきた時のこと考えて少しくらい綺麗にしておきなさいよ」

 

 そもそも鍵をかけていたはずなのに……というルイズの疑問をよそに、キュルケはルイズの部屋にバスケットをぽんと置くと、タバサと共に当たり前のようにくつろぎはじめた。

 

「はぁー、最近やっとちょっと涼しくなってきたわね。あ、ルイズ、あんたの部屋余分に皿置いてたりしない? クックベリーパイくすねてきたんだけど取り皿忘れちゃったわ」

「えっ……あ、うん、多分あると思うけど……その、なんで?」

「はい、ワイン。ゲルマニア産よ。ワインはゲルマニアに限るわぁ、トリステインのワインはダメだもの、酸っぱいばかりで品がないからね」

 

 キュルケはルイズの言葉に答えず、バスケットからどんどんといろんなものを取り出していく。ワインにパイ、いくつか果物にクッキー、チョコレートまである。

 ルイズは思わず喉を鳴らした。重ねて言うが、夜中である。年頃の、それも貴族である少女からすれば、あまりにも悪いことである。

 

「きゅ、キュルケ、いくらなんでもダメよ。今何時だと思ってるの」

「明日は虚無の曜日よ。あとついでに言うなら、長旅で少しひもじい思いもしたじゃないの。これくらいはいいのよ、これくらいは。それともこのクックベリーパイ、あなたはいらないのぉ?」

「うっ……わ、悪い! 悪い子よキュルケ! あ、あ、あんまりよ、こんな悪いことして、ゆゆゆゆゆ、許されないわよ!」

 

 口でそう言いながらも、ルイズはすっと席に着いた。完全にパイとワインの誘惑が優っている。

 

「はい、これで共犯。さ、ワイン開けましょ」

「開いてる」

 

 驚いてタバサを見れば、ワイングラス片手にとっくにクッキーに手をつけている。キュルケがその頭を小突いて「ほどほどにね」と囁いた。そしてルイズにグラスを差し出すと、そこにとくとくとワインを注いでいく。

 

「……あの、キュルケ? どうして私の部屋に?」

「タバサ、あんた結構いったわね」

「2人の分は残してある」

「2杯分の間違いじゃなくって……? まだまだあるからいいけどね」

「きゅ、キュルケ?」

 

 正直、ルイズはかなり困惑していた。そりゃそうである。確かにここ最近妙に付き合いが増えた感じがしていたとはいえ、相手はあのツェルプストー。ヴァリエール家とは因縁の家系であり、お互いそれは熟知した上でいがみ合っていた関係である。

 今日の教室でのことといい、今のことといい、何かおかしい。一体どう言うつもりでこんなことをしているのか。

 怪訝に何度も繰り返すルイズの質問を、キュルケがその度にはぐらかす。ルイズは妙に不安な気持ちのまま、とはいえ部屋の静寂が2人の……主にキュルケのではあるが……騒ぎ声にかき消されることに、妙な安心感も覚えていた。

 

「それでね、あの男ったらひどいわけ。私を相手に待ち合わせに30分も遅れて来たのよ? それでも堂々とするならまだしも、情けない声で平謝りしてくるもんだからもうたまんなくて、私置いて帰ってきちゃったわ。それでね、その次の男が……」

「あの……ねぇ! キュルケ、タバサ」

 

 しかし、どうしても黙ってはおけない。ルイズが声を張り上げると、ようやくキュルケはマシンガントークを止めた。タバサも、本からルイズへと視線を移す。

 

「その、今日、きょ、教室で、わ、わた、わたしをかかかかか、庇ってくれたのは、その……な、なんで?」

「………」

「………」

 

 キュルケもタバサも、ぽかんと口を開けた。そして2人とも……ふっと、微笑んでみせた。

 

「ま、これはあれね。腐れ縁って事でいいんじゃないかしら? ダーリンをあんまり酷く言われると私だって腹たっちゃうものね」

「貸し借り1」

 

 タバサのひと言にキュルケがズルッと机に額をぶつける。そして「そういうことは言うもんじゃないのよぉぉ」と、その頭をぐしゃぐしゃに撫で回した。タバサは気分良さげに目を細めていて……なんか、猫みたいだ。

 

「まぁ、何、あれよ。気にしたらダメよあんなの。これだけ色々あればあんたの事も分かってくるってもんだわ。だからあんたはいつも通り、ない胸はっていなさいな」

「だだ、誰が、胸ゼロかぁ……」

 言い返しながらもルイズは自分の顔が真っ赤になっているのを、かっかとした熱で感じる。今まで感じたことのないような、くすぐったいような不思議な気持ちが胸を満たして……自然と涙が、溢れていた。

 

「さーて、まぁそれは確かに気を使ってってのは1つ。でもそれじゃ半分よ。いい加減私たちくらいには教えなさいよ、ダーリンの事とか、何が起きてたのかとか、全部ね」

「あいつの、事?」

「ただの人間なんかじゃないんでしょ、彼は。初めて彼を部屋に呼んで、瞳の中を見せられた時からわかってたことよ。彼が普通じゃないってことくらいね」

「………うん。そうね。あいつは……」

 

 タバサが本を閉じて傍に置く。そして、ルイズの長い長い話が始まった。

 

 夜は更けていく。それぞれの夜の中、アルビオンの森には名状しがたい不気味な雄叫びが響き渡った。

 

 

 




クックベリーパイ

甘いクックベリーのグラッセが
ふんだんに使われたフルーツパイ
ルイズの大好物でもある

いつ食べたって甘かった思い出のパイ
彼女がくれたこのパイも、きっと甘い




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20:慈悲

 貴族派の勝利したアルビオンに訪れた、静かな夜。

 どちらが勝とうと同じ事だ。戦が終われば、勝利の狂熱も敗北の絶望もさほど後を引かず、やがて静寂だけが訪れる。

 そんな静まり返るアルビオンの、とある安宿の一室。静寂とは裏腹に、熱にうなされる者がいた。

 原因不明の高熱によって床に伏した彼女は、その熱と悪夢にうなされ続けていた。

 口の中に飛び散った、あの甘ったるい血の味が消えない。傷口に降りかかった返り血が、身体の中で蠢いているかのようだ。

 その狂熱の中で、確かな渇きを感じていた。何に対しての渇きなのか、ほのかに気づいていてもそれを認める気にはなれない。

 薄ぼんやりと見える宿の一室が、まるで血だまりに沈んでいくかのようだ。

 これは悪夢なのだろうか? それとも熱に浮かされた自分が見ている幻覚なのか?

 考えあぐねていると、その血だまりの中で蠢くものがあった。いや……血だまりから、まるで産まれるかのようにそれは現れた。

 大きな、黒い獣のようなものだった。まるでこちらの様子を伺うかのようにゆっくりと近づいてくるそれは、まるでアルビオンを襲ったあの黒い獣のようでもある。そしてその獣は、捩くれた爪の生えたその手を、ゆっくりとこちらへ差し伸べてみせた。

 彼女は、薄っすらと確信していた。あぁ、これはきっと救いの手を差し伸べているのだ。

 この身の渇きが、熱に浮かされた渇望が、一体なんであるのかはわかっているのだ。

 きっとこの獣の手を取ればそれが手に入る。飽くなき渇きに任せて……血を貪れるのだ。

 置いてきた『あの子』の事も、護らなければいけないことも忘れて。慌てふためく貴族どもの間抜け面も忘れて。

 あぁ、それは何て甘美で、それは何て魅惑的で、そしてそれは何て……。

 

 たいそう悪い、冗談なのだろう。

 

 次の瞬間、その獣は燃え盛る炎に包まれていた。それは決して驚くべきような事ではない。彼女自身が跳ね除けたのだ。

 自分自身のため、そして何より『あの子』のため、こんなところでそんな狂熱に身を任す事など、できるはずがない。初めから論外なのだ。

 2度と自分の前にその姿を現わすな。醜い『獣』め。

 そう心の中で唱えた時、ふと思い出す顔があった。あぁ、もしかしてあの男はこんな気持ちだったのだろうか。狂熱と渇きに身をまかせる愚かで醜い何者かを、許すことができなかったのだろうか。

 パチパチと音を立てて燃え尽きていく獣を、ぼんやりと見つめる。が、ふと、視界の隅に何かが映った。白くて細い、線のようなもの。

 何だろうと目を凝らすと、それは小さな小さな、手のようなものだった。ベッドの淵から伸びたそれが、しっかりとベッドを掴むと、その手の持ち主が身体を持ち上げる。

 果たしてこの存在を、なんと形容すべきだろうか。髑髏? ミイラ? それともしなびた、人間の赤子?

 その小さく白い『何者か』がベッドの淵から登ってくる。ふと視界をずらせば、それは1体ではない。

 それどころではない。何体も、何体も、何体も何体も何体も何体も何体も何体も。

 彼女はその白いもの達に取り囲まれ、そして気が遠くなっていくのを感じた。自分は今、熱に浮かされたまま、どうなってしまうというのか。

 深く沈みゆく意識の中、その暗闇から……今度は人間大の、手のようなものが伸びた。

 

『……あぁ、狩人様を見つけられたのですね』

 

 甘やかな声。その手の主のものだろうか。暗闇から伸びた手はゆっくりと、彼女の顔の方へと伸びる。

 人間の手のように見えたそれは、人間の手ではなかった。その指の節には、何か丸い球体のような絡繰が仕込まれていて、それはまるで、人形のような。

 その手が、額に触れた。そして意識は、まるで暗い海に突き落とされたかのように、さらに深くへと沈み込んで行った。

 

『これよりこの地の月の悪夢へ。どうか狩人様を、お救いください』

 

 

 

 

 

「ッ!!」

 

 強烈な衝撃にジェヴォーダンは顔を歪める。

 赤黒い少年は、攻め手を一歩も緩めずジェヴォーダンに斬りかかっていた。疾風のような斬撃が、しかし岩石よりも重たい。

 受け止め、かわし切るので必死だった。隙を見て散弾を放っても、気づけば射程の外にいる。

 強い。今まで相手してきたどんな相手とも性質の違う強さだ。技や殺しに訴えかける狩人のやり方や、ただただ暴力的な獣のやり方とも違う。

 余りにも感情的で、1つ1つは素人臭い。だがその全てに乗る、感情の重みが違う。

 怒っている。この赤黒い少年は、何か猛烈な怒りをジェヴォーダンにぶつけているのだ。

 

「くそっ……!」

 

 もちろん、何1つ思い当たる節がない。ジェヴォーダンはようやく見切れてきた動きの中、返す刃で少年を弾き飛ばした。

 わずかに生まれた隙を見逃さず、ジェヴォーダンは鋭く突きを繰り出した。仕留めるつもりで放った一撃。しかし、少年はその突きへ向け、間合いを詰めてきた。

 

「なっ!?」

 

 見切られた。突き出されたデルフリンガーの切っ先を弾き落とされ、足先で踏み落とされる。そして少年の手に握られたデルフリンガーが、ジェヴォーダンのみぞおちより上、胸骨のあたりを砕きながら身体を貫通した。

 

「ごっ……ッッ!!」

 

 強烈なまでの致命の一撃。喉奥で血が泡を立てる。冷たく激しい痛みが体内を突き抜け、しかしジェヴォーダンを冴えさせる。少年を蹴飛ばすと、突き刺さった剣ごと弾き飛んだ。

 

「げほぉっ、ごあ"ぁ"ッ!!」

 

 血は足りている。傷は塞がる。だが、溶岩のように湧き上がる怒りと、冴える狩人としての冷静さがせめぎ合いを始めるのを感じる。

 殺せ。なんとしても殺せ。だが荒ぶるな。手段はある。冷静になれ。

 だが、なお踏み出そうとするジェヴォーダンを、カチカチと鍔を鳴らしてデルフリンガーが止めた。

 

「ダメだ相棒、ムダだぜ。いくら戦ってもどうしようもない」

「黙っていろ……お前も俺も、奴の内臓をぶちまけることにだけ集中していればいいんだ」

「違う相棒、殺せはするだろうさ。問題はその後だ。あいつはまたやって来る、何度殺しても、何度でもだ」

「………」

「元を断つまでどうすることもできないんだ、相棒。あいつは相棒への怒りだけでここまで来た。相棒の持ってるものが欲しいんだ。それを奪い取れるまでこいつは何度だって侵入して来るぞ」

 

 赤黒い影は起き上がり、まだなお向かって来るつもりのようだ。赤黒いデルフリンガーを構え、そして飛びかかってきた。それを同じく、デルフリンガーで受け止める。

 体格はジェヴォーダンの方が大きくても、得物の大きさは全く同じのはずだ。にも関わらず質量からして違うかのような攻撃に、ジェヴォーダンは顔をしかめる。

 

「逃げるんだよ相棒! たとえ殺せたって無駄なんだ、本体はピンピンしてんだよ!」

「逃げられる状況と思うか!? どちらにせよやるしか無いんだ、今はそれだけに集中しろ!」

 

 いなしながらも散弾を放つ。なんとか体勢を崩せるだけでも大幅に違うというのに、まるで動きを読まれているかのようにかわされてしまう。

 恐らく埒があかない。ジェヴォーダンは銃を腰に納め、デルフリンガーを両手で構える。少年も、同じように構えてその体勢を低くした。

 そして、それ故に少年の左手から、何か光が漏れているのに気がついてしまった。

 

「………!?」

 

 そしてその一瞬の隙を、少年の方は見逃さなかった。激しい踏み込みで一気に近づかれ、真一文字の斬撃が飛んでくる。

 だが、ジェヴォーダンも一瞬の判断でそれを受け止めた。刀身を手で押さえ込むように受け止めたため、握り込んだ掌から血が滴り落ちる。

 それだけの無理をしてでも確かめたかった、少年の左手。そこにあったのはやはり、ギラギラと輝く、ガンダールヴのルーンだった。

 

「貴様、一体……!?」

 

 ここまで来れば、もはや類似では済まされない。

 自分自身と同じ武器、同じルーン。理屈はわからないが、この男も「ガンダールヴ」だ。

 それがどういう事なのか? ジェヴォーダンはそれをよく知っていた。

 

 

 

 

 

 重く、冷たい音が響き渡る地下墓。ジェヴォーダンは聖杯によってここに降り立ち、目の前のランタンに火を灯した。

 聖杯を拝領せよ。ゲールマンの教えに従いやってきたこの地で、ジェヴォーダンは様々なことを学んだ。

 足元をよく見て歩かなければならない。敵は1人とは限らない。いつだってどこからか銃口がこちらに向いており、そして鐘の音が聞こえれば敵はどこまででも追跡してくる。

 あまりにも悪意に満ち溢れたこの地で、狩人たちも黙ってやられているわけにはいかない。自分たちなりの対抗手段というものを見つけて、脅威と相対する。

 その1つである、小さな鐘。狩人同士が助け合うための指標でもあるそれを、ジェヴォーダンは小さく鳴らした。音が波紋となって響き渡り、地下墓にこだまする。

 程なくしてそれはやってきた。「協力者」たちだ。

 重たい音と共に現れた、自分とは違う狩人の姿。言葉を交わすこともなく、ジェヴォーダンとその狩人は一礼を交わした。

 否、言葉を交わすことはできなかった。協力者たちは鐘の音の召喚に応じてやってくる、これまた異質の存在たちだ。

 一説には、これは数多に拡散する世界の1つからやってくる、並行世界の自分なのだという。自分と同じように何かしらの理由でヤーナムヘやってきて、血の医療によって記憶を失い、狩人となったもの。単なる他の狩人とは違い、それは拡散した世界で自分と同じ時間にいる、「もう1人の自分」とも呼ぶべきものだと。

 そして、こうして協力者を募れば必ずやってくるもう1つの影。不吉な鐘の音が呼び起こす、「敵対者」たち。

 彼らもまた、並行世界の自分自身なのだろう。同じようにヤーナムヘやってきて、何が彼らを狂わせ、そんな剥き出しの悪意へと向かわせたのだろうか。

 いや、そんな事はどうでも良い。どうせそんなもの、人とは呼べない。

 ジェヴォーダンはノコギリ鉈をバチンと閉じ、協力者は仕込み杖を展開させ、重苦しい音の響く地下墓へと進んでいった。

 

 

 

 

 伝説の使い魔だという、ガンダールヴ。それが複数人いるなどと言うことが考えられるのだろうか。

 いや、現実問題この少年の左手にあるのがガンダールヴのルーンである以上、紛れもなくこの少年もガンダールヴだ。そして自分自身もガンダールヴであること、それは間違いない。

 そして、この悪夢。まるで自分のなぞってきた道を辿るかのような、それでいてどこか違和感を覚えていたこの悪夢。

 間違いない。この少年は。

 

「お前は、俺か……!」

「……わかったろ、相棒。殺しても無駄だ。そいつはお前がお前の居場所にいる限り、何度だってそれを奪いにやってくるんだ」

 

 赤黒い、影のような少年が顔を上げる。デルフリンガーは『闇霊』と呼んでいた。その顔は激しい怒りに歪んでいるが、それでも、ほんの10代程度の幼い少年であるように見えた。

 

「まだ、子供じゃあないか……!」

 

 自分が辿ってきた道を、本来歩んでいた別の少年。いや、自分と少年だけではない。数多に拡散する世界の、並行するいくつもの「自分」の、その1人。

 この悪夢も、きっとデルフリンガーを手に取った全ての「自分」たちが歩んだ道だったのだろう。皆一様にトリステインを抜け、フーケを倒し、アルビオンへ訪れ、そしてこの場所へ集約してしまうのだ。

 

「くっ!」

 

 少年が受け身を取り、再び距離が開く。自分と同じものなのであろう、デルフリンガーを低く構えて、そしてまた跳んできた。

 受け止めなければ。この怒りは彼1人のものではない、自分のものでもある。たとえ殺しても無駄だとしても、受け止めなければいけない。

 

「うぉぉ……っ!?」

 

 だが、突如として衝撃が走った。天井が崩れ、それとともに何か落ちてきた。

 疾風のようなものが真後ろに現れた。赤黒い少年の影でもない、見覚えのない暗い影。そいつは手に、切り詰めた小型のショートソードのようなものを持っていた。

 ジェヴォーダンはその影が自分に向け殺意を持って飛び込んできた事に気付いた。だが、目の前からはあの少年も迫っている。

 

 避け……切れない!

 

 一瞬の判断だった。少年の斬撃を右手のデルフリンガーで受け止め、背後からの一撃には体を捻り、その剣が繰り出した突きを左腕で受け止めた。前腕を剣が貫通し、血が噴き出す。

 そうして両方の攻撃を無理くり受け止め、全員の動きが止まった。ジェヴォーダンのコートが、残った衝撃でたなびく。

 ジェヴォーダンは言葉を失った。痛みのせいでも、怒りによってでもない。ただ驚きのあまりに、目を見開いていた。

 背後から襲いきた刺客。目深に被ったフードからゆっくりと顔をのぞかせ、"彼女"はニヤリと微笑んだ。

 

「また会ったねぇ、使い魔さん」

「土、くれ……!?」

 

 全く予想外の事態だった。この悪夢にあったのは、少なくとも数多くの「自分」の記憶であり、自分はそこに対する闖入者の立場だったはずだ。

 だが目の前にいる彼女は、『土くれ』のフーケは、自分を知っている。つまり自分の知る、自分の世界のフーケだ。それが何故、こんな悪夢の中にいるのか。

 

「どこだかもわかりもしないとこに放り出されて、何か音がするから来てみれば……まさかこんな所で顔を合わせようだなんてね」

「貴様、何故この悪夢にいる!」

「悪夢だって? アンタがそのペンキ被りに襲われてるもんだから助太刀してやろうと思っただけさ! アンタにはたっぷり礼があるんだ、これが悪夢なもんかい!」

 

 ジェヴォーダンの腕から剣を引き抜き、左手に杖を持ち、短くルーンを唱える。地面から盛り上がった土が、徐々に人型を形成する。

 が、その変体は歪な形のまま終わった。不定形の泥人形のような物が形成されただけで、それはフラフラとジェヴォーダンへ向かってくる。

 

「な、なんだ?」

 

 敵意があるのは間違いないのだろう。しかし、そのゴーレムなのかどうかもわからない不定形の泥人形は、少年の剣を止めるジェヴォーダンにたどり着くこともなく崩れ落ちてしまった。

 

「チッ……どうせこれが夢なんだったら、魔法くらい自由に使わせて欲しいもんだね。なんだって錬金以外は上手くいかないんだい」

 

 そして今度は、杖を手に持ったショートソードへ向ける。やや歪なその剣が、金属とは思えないような複雑な変形をしたかと思うと、今度はレイピア状の刺剣のようなものに変化した。

 

「精神力はとめどなく出てくるんだけどねぇ。まぁいいや、なんだか身体が軽くて、こっちの方が手っ取り早いからねぇ!」

 

 フーケが刺剣を突き出してくる。だが少年の方も待っていない。迫り来る斬撃をいなしながら、返す刃でフーケの刺剣を弾こうとし、しかしその速度の方が勝り、肩のあたりを貫かれる。

 

「ぐっ!?」

 

 予想を上回る、速さと力強さ。刺し傷であるため出血は少ないものの、これまでのフーケを思えば考えられない一撃。その身のこなしも、あのゴーレムの上で戦った時には考えられなかったものだ。

 だがそれよりも……その動きは、ジェヴォーダンにとってどうしても既視感のあるものだった。

 まさか。だがそれしか考えられない。

 迫り来る2つの斬撃をなんとかかわしながらも、ジェヴォーダンはフーケへと問いを投げた。

 

「土くれ! 貴公、アルビオンで何か獣と戦ったか!」

「は、はぁ!?」

 

 少年を弾き飛ばし、フーケの攻撃を受け止める。身長差があるため、フーケがジェヴォーダンの懐に潜り込むような形で、剣戟を受け止められてしまう。

 

「それが、なんだってんだい!」

「その獣の、『血液』を、身体に取り込んだか!?」

「……っ!?」

 

 飛び込んできた少年の攻撃を、2人ともはね飛ぶようにかわす。少年はフーケも邪魔だと判断したのだろうか、今度はフーケへ向けて飛び込むような斬撃を加えるが、フーケはそれをひらりとかわす。

 

「お前、なんでアルビオンにあんな獣が現れたって知ってるんだい?」

「入れたんだな、身体に血を」

「……返り血を浴びた時に、そりゃあ傷口に触れたりもしたかもしれないけど。それが?」

 

 少年とフーケが、ジェヴォーダンを挟むように立つ。フーケは注意深くジェヴォーダンの言葉を聞き、少年も気配を伺って立ち止まる。一瞬の静寂が訪れた。

 

「……クックッ……ハハ、アーッハッハッハッハッハッ!!」

 

 その静寂を破ったのは、ジェヴォーダンの……高らかな、笑い声だった。

 

「な、なんだい……?」

「クハハハハハハ!! そうか! "そう来る"か! こいつは愉快だ、実に愉快じゃあないか! まるで笑劇(ファルス)だ! 獣と蔑んでいた貴公が狩人などと!」

 

 全て合点がいった。そんな風な笑い方だった。高らかではあるが馬鹿にしたようではなく、どちらかといえばジェヴォーダン自身が自虐し、気の抜けてしまったかのようなそんな笑い声。

 フーケも拍子抜けするそんな高笑いの後、ジェヴォーダンは少年に向き直った。フーケに、背を向けるようにして。

 

「え……?」

「土くれ、この少年を倒す。話はそれからだ、手を貸せ」

「は、はぁ!?」

 

 今まさに飛びかからんと構えていた少年だったが、今度の先手はジェヴォーダンが優った。予備動作の無い動きから一気に踏み込んだため、少年も反応が遅れる。

 

「な、なんで私がお前に!」

「お前はその血で人を超えたのだ! もはやお前は獣ではない、狩人だ! ならば仇なす獣を狩る、それだけだ!」

 

 それでもフーケは、刺剣をジェヴォーダンへと突き出す。よろけていた少年を弾き飛ばしてフーケの刺突を受け止め、今度はフーケの方へ向き直った。

 

「誰がお前なんかに手を貸すものかよ、人をコケにしてくれやがって!」

「……錬金はできるんだったな」

「人の話を……は、何? 錬金?」

 

 ジェヴォーダンの背後から少年が斬りかかる。それをいなしながら、ジェヴォーダンは懐から取り出した注射器を自らの太腿のあたりに突き刺した。

 フーケも攻めの手を緩めないが、ジェヴォーダンは2人を同時に捌いてみせる。そしてさらにフーケへと叫んだ。

 

「俺の言う通りの物を錬金しろ、その方がお前の手にも馴染むはずだ!」

「だ、誰がお前の指図なんか!」

「お前が錬金するのは、引き寄せあう星の『隕鉄』だ!」

「……!?」

 

 この男、とんでもないことを言い出す。そんなもの、スクウェアクラスの土のメイジだって錬金できるかわからない。

 

「バカ言ってんじゃないよ! 私は……」

「いいや、今のお前にはできる」

「う……!」

「いいか、錬金するのはふた振りの短刀だ。だが引き寄せあい、重ね合わせる事で1つの刃になる、捩くれた剣だ」

 

 フーケは、ドクンと自分の内面に何か予感のような物が渦巻くのを感じた。

 何故だろう。この男の言っている物が、簡単にイメージできる。際限なく湧き上がる精神力のおかげで、なぜかどんな困難な魔法も、唱えられてしまう気がしてくる。

 

「いいか、お前が狩人たるならば、その『仕掛け武器』を生み出し、使いこなしてみせろ!」

「―――っ!!」

 

 ジェヴォーダンが少年の斬撃に押され、わずかに体勢を崩す。それと同時にフーケは、杖を引き抜き自らが持つ刺剣へと向けていた。

 きっとそのふた振りの剣は、こんな風に無骨で、左右で不釣合いで、捩くれていて、でも鋭く、そして慈悲を孕んだ殺意に満ちていて……。

 

「ぐっ……!」

 

 姿勢の崩れたジェヴォーダンがよろけ、少年が赤黒いデルフリンガーを構える。また身体を貫くほどの突きを繰り出すつもりだろう。今度こそは、血も足りるかわからない。

 だが、ジェヴォーダンは覚悟などしなかった。もっともっと強い、予感のままに呟いた。

 

「やれ、"フーケ"」

 

 次の瞬間、少年の横を鋭い影が、きりもみを描くように通り抜けた。

 それがフーケが編み出した、ふた振りの捩くれた刃によるものだと、ジェヴォーダンはすぐに理解できた。

 何度にもわたって切り裂かれる少年。膝をついたその背後で、フーケが2つの剣を近づける。

 

 そして、引き寄せあうそれを振り抜き、火花を散らして重ね合わせる。

 そこには一振りの、重苦しく捩くれた刃があった。

 

「気安く呼ぶんじゃないよ」

 

 次の瞬間、赤黒い少年の体に、フーケがその右手を突き込んでいた。

 

 

 




慈悲の刃

狩人狩りに代々受け継がれる、特別な「仕掛け武器」
しかしこれはマチルダが編み出した、彼女のもの

仕掛けにより2枚に分かれるその歪んだ刃には
慈悲にも似た、冷たい殺意が込められている
狩人たるもの、本来そういうものだろう


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