僕には幼馴染が居る。
小さい頃から一緒に遊んで、中学三年になった今でも切っても切れぬ縁で、一緒に行動する機会も多い。
彼女は男勝りで、粗野で、乱暴で、がさつで、そのくせ繊細で、プライドも高くて、なまじ何でもできちゃう天才肌。女の子なのに、近所の男の子を締め上げてガキ大将に君臨していた様は、僕にとって何故か神々しいものであった。
そして四歳になり、幼稚園に入った頃だ。
元々運動神経抜群の彼女に“個性”が発現した。この超常社会では、もはや当たり前といってもいい出来事だ。彼女の父親の個性は『酸化酸』で、母親の方は確か『グリセリン』だったと思う。
奇しくも、前時代によく見られた『個性婚』かのように相性のいい“個性”の親の下に産まれた彼女は、『爆破』という恵まれた“個性”が発現したのだ。
それに比べて僕は“無個性”。
この世代では、寧ろ珍しい方だって診察してもらった先生に言われたのを覚えてる。
……辛かった。
ヒーローになりたかった僕は、自分に“個性”がないことを絶望した。
いつも笑っていて、困っている誰かを助けられるようなヒーローに―――平和の象徴みたいなヒーローになりたかった僕は、どうしようもない現実を突き付けられて早十年、どこかパッとしない陰鬱な日々を過ごしていたんだ。
だけど彼女は違う。
人間性のトータルで見れば最底辺の彼女は、その恵まれた能力で常に何かのトップに立ち続けており、僕とは裏腹の燦然としたエリート街道を歩んでいると言っても過言ではない。
だが、そんないっちゃん凄い彼女は、常にいっちゃん凄くないような僕に、よく突っかかるようになっていた。
「オイ、こらデクッ!! サイフが主人から離れてどーする!?」
「わッ……ご、ゴメン、かっちゃん!」
そうして僕は今日も、『
*
色褪せた金髪は、天を衝かんばかりに逆立っている。
三白眼の小さな瞳は、血のように真っ赤に染まっており、過去に殺人でも犯しているのではないかというほどの眼光を宿らせていた。
制服から覗く四肢は、女子らしく華奢であるものの、普段から鍛えている所為かほどよく引き締まっている。
総合的に見れば、『美人だけれどもヤバいくらいキツそう』と言われる外見―――それが爆豪勝己だ。
僕はそんな彼女にいいように扱われているのだ。
登下校は荷物持ちに。
休日の買い物にも荷物持ちに。
時折、コンビニでなにか菓子や飲み物類を買わされにパシられたりもする……お金はきちんと渡してくれるけども。
何度もお金は貸したことがある。大体は返してくれるけども。
そして罵詈雑言は日常茶飯事。些細なことで爆音のような怒号が響いてくるから、十年も一緒に居てしまっている僕はもう慣れっこだ。
今日もまた、通勤時間に線路で暴れているヒーローと敵の戦いを見ていたら……
「デク~~~! まさかアタシを待たせる訳じゃねえよなぁ~~?」
「え? あ、ゴゴゴ、ゴメンかっちゃん!! すぐ行くから!!」
「アタシの荷物はテメーが持ってるんだから、テメーが遅刻したらアタシも困るんだよ!! 遅刻でもしてアタシの内申点下がったらどうするつもりだよッ!?」
「ゴ、ゴモットモデス!」
「テメーみたいなナードは兎も角、アタシみたいな将来有望株の成績に傷がついたらどうすんだ? あ゛ぁん!?」
白い歯を剥き出しにして咆えるかっちゃんの顔は、最早女子のソレではないよ。
例えるなら……蛙を前にした蛇?
獲物を見つけて舌舐めずりをする獣のような笑みを浮かべるかっちゃんは、もうスケバンのヘッドでもおかしくないっていうくらいの威圧感はある。うん、将来ヒーローになったとしたら、『敵っぽい見た目ヒーローランキング』の上位に食い込みそう。
でも、ニッチな層にニッチなウケ方はするんじゃないかな。例えば、Mっ気のある人達とかには。
とか言ってる間にも、シンリンカムイと戦っていた敵が、横入りしてきた
「“個性”は巨大化なのかぁ! 人気も出そうな凄い“個性”だけど、それに伴う街の被害を考えると割と限定的な活用になっていくのか? いや……大きさは自在かそれか」
「お゛ぉいい!!? 無視たぁいい度胸じゃねえか、デク!!」
「わわっ、ゴメンよかっちゃん!!」
「何度も言わせてんじゃねえよ、ナードの癖によぉ!!」
首に腕を回されて、至近距離でドスの効いた声で囁かれる。
わッ、女の子っぽい良い匂いがするけど、般若の如きオーラが凄まじ過ぎて、とてもじゃないけど直視できない……!
「ったくよ、さっさと行くぞ荷物持ち!」
「あ、待ってよかっちゃ~ん!」
「待たねえよ! 勝手に付いて来い!」
スカートの裾をパンツが見えるか見えないかまでのギリギリを攻めるかっちゃんは、踏ん反り返るような体勢で、尚且つ大股で闊歩する。
「か、かっちゃん……それじゃパンツ視えちゃうよ……!」
「あ゛ぁ? 見んじゃねえよ!」
見ないように、手で顔を覆い隠しながら進む僕。
それにしてもなんで今日のかっちゃんはこんなに機嫌が悪いんだろう。いつもなら、眉間に寄る皺があと二ミリくらい浅いのに……。
う~ん、Mt.レディが登場した辺りから機嫌悪そうにしてたなぁ。
かっちゃんが機嫌悪いと、基本的に僕へ被害が及ぶから、学校の間にどうにか機嫌直してくれないかなぁ。
*
そんなこんなで折寺中学校まで来た僕だけど、のっけから嫌な思いをした。
ホームルームの時間に、進路希望調査の紙を配られたんだ。僕は“無個性”だけどヒーローになりたい……だから、ヒーロー養成学校として最高峰である雄英高等学校に通いたい! のだけれど、先生がそう言った瞬間にクラスメイトの皆に笑われた。
かっちゃんが雄英志望だって先生が言った時は、みんなして彼女に感嘆の声を上げて、羨望の眼差しを向けてたのに……。
僕だって勉強ができない訳じゃない。
寧ろ、勉強ぐらいはできなきゃと、学年でトップクラスになる程度には頑張っているんだ。でも、かっちゃんは必死に頑張る僕を軽く超えていってしまう。
悔しい。だけれども妥当だと思ってしまう自分が居ることを、僕は理解したんだ。
彼女は凄いんだ。もしプロヒーローになれば、華々しい活躍ができることは間違いない。ヒーローオタクの僕が、長年のヒーロー研究を重ねた上で言うのだから、なおさらだ。
兎に角かっちゃんは凄い人。
僕がどれだけ頑張っても手が届かない、身近に居る凄い人なんだ。
「はぁ……」
「なに溜め息吐いてやがんだ?」
「ひィッ!?」
「『ひィッ!?』とは随分じゃねえか、デクさんよォ~」
帰り支度をしていた僕の後ろに、並々ならぬ威圧感を覚えて振り返ってみれば、友人二人と並んでいるかっちゃんが、下種な笑みを浮かべて佇んでいた。
黙って居れば綺麗な顔なのに、どうしてここまで悪役みたいな表情を浮かべられるんだろう? もしかして、これも“個性”なのかな?
そんなどうでもいいことを考えて気を紛らわせようとして居れば、かっちゃんが何かに気付いたかのように、僕の進路希望調査の紙を手に取った。
一瞥し、一笑。
「プッ、ギャハハ!」
「な、なにが可笑しいのさ!?」
「“没個性”ならまだしも、なんで“無個性”のテメーが堂々と第一志望に雄英ヒーロー科って書いてんだよ!? ―――舐めてんのかぁ!!」
「ひゃ!?」
そのまま調査書を僕の机に叩き付けるかっちゃんは、先程とは裏腹に、あからさまない憤怒を抱いているかのような表情で僕を睨みつけていた。多分、鬼でもここまでの顔はできないだろうな……。
徐に、紙とかっちゃんの掌の間からプスプスと黒煙が立ち上り、僕と彼女の間に焦げ臭いにおいが漂い始める。恐らくかっちゃんが、“個性”を僅かに行使しているのだろう。
かっちゃんの“個性”の『爆破』は、掌の汗腺からニトロのような物質を分泌し、それを爆発させるというもの。軽い爆発でも空き缶を粉々にする程度の威力があるから、もし生身の人間なんかが喰らったら……。
僕がそんな風に怯えていれば、かっちゃんが眉間をピクピクと痙攣させながら、顔面を間近まで近寄せる。
「なあ、デク……今の社会で殉職率高い職業が何か知ってるか?」
「そ、それは勿論ヒーローだよ。なんたって、凶悪敵を相手にするんだから、相応の危険は常に付き物で―――」
「それが分かってんなら、“無個性”のテメーが『ヒーローになろう』なんざ、口が裂けてもほざくんじゃねえよ!!」
「ひぃ!?」
「“無個性”がどうやって敵に勝てるってんだぁ~~~? 仮にデクがヒーローになっても、デビュー戦で殉職するのが精々だろうなぁ!」
「そ、そんなの……」
「現実見ろよ。な? ナードくん」
先程とは一変して満面の笑みを浮かべてるかっちゃんだけど、目が笑ってない。正直、普通に怒鳴っている時よりも怖いや。
彼女の笑みに戦々恐々していれば、続けるようにこう口走ってくる。
「知ってるか? 一線級のトップヒーローは学生時代から逸話を残してる。アタシゃ、こ平凡な私立中学校から
「し、知ってるよ……」
「だーかーらーさー、そんなに雄英受けてーんなら、普通科か経営科にしとけ。な?」
制服に皺が付きそうなほど、僕の肩を掴むかっちゃん。アレ? なんだかだんだん焦げ臭いにおいが漂ってきたぞ? これ、燃えてない!?
……そんなことより、かっちゃんにここまで言われると堪えるや。
確かに雄英には、ヒーロー科以外にも普通科や経営科、サポート科もある。普通科はそんじょそこらの進学校よりも大学への進学率もいい。経営科やサポート科は、直接人を救ったりはしないけれど、ヒーローに携われる就職先を見つけられる学科だ。
でも、僕が入りたいのはヒーロー科。
オールマイトみたいになりたいから、彼が通った軌跡の上を歩んでいきたい。
誰も、できるなんて思っていないだろうけど。僕自身だってそうさ。雄英のヒーロー科に入るなんて、ほとんど夢物語のようなものだ。
そんなことを思って言い返せずにいると、かっちゃんとつるんでいる女子生徒が『イヤイヤ、なんか言い返せよ!』と僕を嘲笑する。甲斐性無しだから、笑われても仕方ないとは思ってるけど、それでも指を差されて笑われるのは気分が良くない。
「あ、かっちゃん、荷も―――」
「アタシ、これからカラオケ行くから。ああ、それと……」
僕が反射的に荷物のことを尋ねようとしてきた時、かっちゃんが振り返って口を開く。
悪辣な笑みを浮かべて。
「そんなにヒーローと一緒になりたいなら、たらふく稼いでる女ヒーローのヒモになって、専業主夫にでもなりゃあいいんじゃあねえか? ハハッ!!」
「いや、一緒になりたい訳じゃなくて、僕自身がヒーローに……」
「デク如きが口答えしよーってのか、あ゛ぁん!?」
「ナ、ナンデモゴザイマセン!!」
彼女の言葉を訂正しようと思ったけど、上から罵声を浴びせられて萎縮してしまった。
いつもこうやって怒鳴るから、会話がなりたたないんだ……。毎度、お互いの観点が少し違うから訂正しようと思ってるのに、そう思った矢先に捲し立てられる。
結局今日も同じく言い返せないまま、茫然と立ち尽くすことしかできない。
“無個性”でも、ヒーローになりたいんだ。
僕も、そんな固定観念をぶち壊す英雄になりたい。
有り得ないって思えるほどの、偉大な英雄になりたい。
でも―――“個性”の有無っていう壁が、酷く壊し難いんだ……。
*
「かっちゃんさぁ、デクと幼馴染じゃなかったの?」
「流石に今日のはやり過ぎぢゃね? ウケたけどさッ!」
「ハ? なにが?」
後ろを歩く連れが、女子らしからぬ下品な笑いを上げる。
そんな彼女たちの言葉にアタシは、地面に転がっていたコーラのペットボトルを蹴飛ばす。やけに重かった気がしたけど、飲みかけか?
アタシが疑問符が付きそうな声色で答えれば、突然慌てだす。
「いや、記念受験ぐらい、いいじゃん? 受かんないって分かってても、現実見るって意味でさー!」
「あ゛ぁ? アタシは別に受けるななんて一言も言ってねーんだけど。アタシが言ったのは、ヒーロー科受けんなってコト」
「イヤイヤイヤ。あれは絶対雄英受けるなって聞こえるっしょ!」
「はんッ。勝手に勘違いする方が悪いっつーの」
なんだ、そんなことか。
アタシは確かに『ヒーロー科は受けるな』っては言ったけど、『雄英を受けるな』っては一言も言ってない。
デクのことだ。なんやかんや言っても、アタシのことが好きなんだから、いつもみたいに追いかけてくるだろう。
小さい頃からつるんでて、ひ弱で雑魚の癖にヒーロー染みた真似をしようとするウザい奴。
しょっちゅう虐めてやったけれど、どんだけ突き飛ばしてもちょこちょこ後ろに付いてきやがる。
果てには、アタシが近所でガキ大将していた頃に近所の森で遊んでた時、橋代わりの丸太から滑って落ちた時、他の奴らが『大丈夫だろ』なんて日和見してる間にも、アタシを心配して下りてきて手ェ差し伸べてきやがった。
ああコイツ、アタシに気がありやがるから、どんだけ突っ撥ねても付いてくるんだ!
それは一種の確信だった。
相手が自分に気があると思えば、あら不思議。以前は雑魚で“無個性”の癖にヒーロー気取りのウザい奴と思っていたが、だんだん可愛く見えてくる。
なにをやるにしても、デクがアタシにつるもうとするのは、アタシのことが好きだから。デクの行動についての理由の結論は、常にソレで片付く。
健気だ、健気。
何でも出来る天才肌のアタシに、いつも尽くそうとしてくれるデクの姿は、酷く健気で微笑ましい。この感覚……例えるのであれば、駄目なペットに愛らしさを感じてしまう飼い主の感覚と一緒だろうか。
彼を見る度にじゅんわりと胸の内に湧き上がる優越感……堪らない。
不意に大声を上げれば萎縮する姿……堪らない。
必死に抗議しようとするも、結局は捲し立てられて口を噤む姿も……堪らない。
誰かが困ってたら、反射的に手を差し伸べる姿……ときめく―――じゃなくて、堪らない。
幼稚園、小学校、中学校と延々と感じているこの感覚。できれば高校でも同じく感じていたいと、婉曲した言い回しで雄英を受けろと言ったつもりなのだが、デクは気付いてるのだろうか?
―――この時、爆豪勝己は気付いていなかった。
爆豪は緑谷にツンデレでなく、ボンデレだったのだ。
余りに婉曲してしまった言い方……もとい、気を許している相手だからこそ吐ける罵詈雑言が全てを台無しにし、不意に見せているつもりのデレが、一切相手方に見えていないということを。
暴言という名の爆炎によって、仄かに漂わせるデレが焼き尽くされているということに。
そしてなにより、『デクがアタシのことを好き』という大前提自体が、勘違いであることを―――
(デクはアタシの荷物持ちなんだから、雄英に受かってもらって、今後も働いてもらわなきゃな……もしアイツが経営科に入ったら、卒業後はアタシの事務所にでも入れて、会計にでも……ふふッ)
―――当の本人はそのことに一切気付いておらず、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべていた。
しかし、その笑みも不意に終わりを告げることとなる。
ちょうど“個性”で呑み干した空き缶を木端微塵にした時であった。
「―――良い“個性”の隠れミノ」
「ハ?」
異臭を放つ流動体の“
*
(泣くな、緑谷出久……男だろ!?)
僕は、心の中で自分に言い聞かせるように同じ言葉を反芻させるけれども、目尻から零れる涙はそんなこと知ったこっちゃないと言わんばかりに、滂沱の如く溢れだしてくる。
それもそうだ。なんたって、憧れのヒーローから受け止め難い現実を突き付けられたのだ。これまではなんとかギリギリの所で食いとめていた諦観も、止めの一発と言わんばかりに一撃を喰らってしまった。
―――夢見るのは悪い事じゃない。だが……相応に現実も見なくてはな
見ないように……見ないようにしていたけれど、とうとう面と向かう日が来たんだろう。
うん、ヘドロヴィランに襲われたけど、結果としてオールマイトと会ってサインも貰った。良い機会だ。
これからは自分の身の丈に合った生活を……。
そんなことを思いながら歩いていた僕は、何時の間にか野次馬が集まっている商店街に来てしまっていた。長年、ヒーロー研究の一環として現場で戦うヒーローを見ようと赴く癖が出てしまったんだと思う。
心の中で、二人の『僕』が言い合っている。
―――止めとけ。辛くなるだけだから
―――でも、将来役に立つかもしれない
平行線な議論だ。どうせ僕は何やかんや言って、野次馬根性を働かせて足を運んでしまうのだ。本当なら、人質にされる危険とかも鑑みて、野次馬はさっさと去るべきなんだろうけど、ヒーローにはパフォーマンス的な側面も有しているし、仕方ないと言えば仕方ないのかな。
……っていうか、アレ!?
(あいつ何で!!?)
僕の目に映ったのは、さっき帰宅途中に襲いかかってきたヘドロヴィランの姿だった。
有り得ない。だって、あのヴィランはオールマイトが倒した筈なのに……もしかして、逃げたのか!?
目の前で逃げられたなら、オールマイトだったらちょちょいのちょいで捕まえられる筈だ。なら、逃げたとしたなら―――あのヴィランが入っていたペットボトルを落としたとしたなら、僕が飛び去っていくオールマイトの脚に掴まった時だ。
あの時じたばた動いてたから、振り落とされたのかもしれない。
そこへ前で眺めている男性が『中学生が捕まってる』って口走った。
一度捕まったから分かる。あのヘドロヴィランに捕まったら、底なし沼に足を踏み入れたみたいに呑み込まれて、息ができなくなるんだ。
あんなのを耐え続けるなんて、僕には無理としか思えない。
こうしている間にも、捕まっている中学生の子は腕から爆発を起こして抵抗しているけれど、流動体の体を完全に吹き飛ばすことはできず、周りの建物や道路を吹き飛ばすだけだ。
それが二次災害となって、周りの被害を大きくしてるんだけど……爆発?
その時だった。僕と、捕まっている子―――かっちゃんの視線が交差したのは。
同時に、僕の足は自然と彼女の元へ動いていた。
*
「あぁぁああアアアア!!!」
「へへッ、嬢ちゃん! もうちょいで楽になれるから、静かにしてろ!!」
「っざけんなアアア!!!」
一瞬だった。訳も分からない物体に覆いかぶさられたと思ったら、ヘドロ状のヴィランがアタシを乗っ取ろうと蠢き始めた。
全身をのたうち回る、脂っこい液体。それだけでも最悪だというにも拘わらず、ゴミ溜めのような酷い匂いが鼻をつく……というよりも、直接鼻にも入り込んでこようとする。
息継ぎをしなければ窒息してしまう。だが、ヴィランはそれを阻止しようと鼻のみならず、口腔にも入り込んでこようともする。これでは鼬ごっこだ。
だが、客観的に見ればどちらに分があるかなど一目瞭然だろう。
この際、怒られてもいいと“個性”を使って抵抗しても、流動体の体には致命的なダメージを与えられない。上手く透かされては、外れた―――否、外れる様に操作されて外れた爆撃が商店街の到る所を焼く。
それが救援に来てくれたヒーローの妨げになっているが、こうでも抵抗しなければ、すぐにでも体を乗っ取られそうなのだ。
体力は限界目前。一瞬でも気を緩んでしまえばアウトだ。
(苦しッ……誰、か、救け―――!!!)
「馬鹿ヤロー!! 止まれ!! 止まれ!!!」
突然響く男性ヒーローの怒号。
朦朧とする視界の奥からは、見慣れた制服を皆纏う男子生徒がこちらに駆け寄っているのが見えた。
(デク―――!?)
思いもよらぬ人物。
デクはそのまま背負っていたカバンの中身をぶちまける様に投擲し、見事ヘドロヴィランの眼球部分に攻撃を当てることに成功したようだ。
そのお蔭で一瞬拘束が緩み、息継ぎが出来たが、予断を許さぬ状況には変わりはなかった。
寧ろ、デクが来た所為で人質が増えたみたいなものだ。だというにも拘わらず、デクは今にも泣き出しそうな―――いや、もう泣いていながらも、手を動かしてヘドロヴィランを引きはがそうと必死になっている。
「デ、クッ……!」
「かっちゃん!!」
「どっか行けよ!! なんでテメーが……!!」
「足が勝手に!! 何でって……わかんないけど―――」
―――君が救けを求める顔してた
(コイツ……!!)
その言葉に、僅かに胸がざわついた。
苛立ちとも、怒りとも、心配とも、安堵ともとれぬ、とても不思議な感覚。
時間がゆっくりと感じられた。
デクがヘドロを剥がそうとし、ヒーローたちが大慌てでこちらに向かってきて、ヘドロヴィランがデクを大きな手で張り倒そうとする光景。
次第に暗転していく視界の中、アタシが最後に見たのは……
「―――DETROIT SMASH!!!!!」
アタシら二人の救いの手を掴む、№1ヒーローの姿。
*
事の顛末はこうだ。
あの後、近くに来ていてくれたオールマイトが、寸前のところで助けに来てくれて、ヘドロヴィランを拳圧で吹き飛ばしてくれた。
その後、僕はデステゴロや他数名のヒーローたちにこっぴどく叱られちゃって……。
逆にかっちゃんは、数分間も敵の侵食に耐えたことを称賛されていたけれど、その表情は決して晴々としたものじゃなかった。
敵に襲われたばっかで明るい顔をしろというのは当然無理な話だけれど、てっきりあれだけ褒められたら、機嫌を良くするものだとばかり思っていたけれど、これは彼女のプライドの問題なんだろう。
僕なんかに……“無個性”なんかに、ヒーロー気取りで助けられかければ、そりゃあ機嫌も悪くなるさ。
でも……あの時はどうしようもなかったんだ。
考えるよりも先に、体が動いていた。
彼女を……救けたいと思った。
で、当の本人はどうなのかと言うと―――。
(うわぁ……すっごい歯軋りしてる)
砕けるんじゃないかってくらいに歯を食い縛るかっちゃんが、僕に背中を向けて立っていた。
もう時刻は夕方。お互いもう家に帰らなきゃ、家族のみんなに心配されるだろう。特に僕の母親は心配症だから、あのヴィラン事件の生中継でも観ていれば、気が気じゃかった筈だ。
早く帰って、安心させてあげないと。
それに僕の所為でオールマイトに迷惑をかけてしまった訳だし、HPかなにかで謝罪と感謝のメッセージでも送らなきゃいけない。
「デク!!!」
「ッ!? ど、どうしたの……かっちゃん……?」
突然怒鳴り声を上げるかっちゃん。
いつものことだけど、この時は幾分か疲弊してたのもあって気を抜いてたから、思わず肩が飛び跳ねてしまった。
振り返れば、未だに歯軋りしながら僕を睨みつけるかっちゃんの姿が見える。
「どうだったぁ……!? “無個性”の癖にィ……ヒーロー気取りでェ……アタシを助けようとした気分はァ……!!!」
ヤバい。怒り狂ってる。
僕がそう思って、あたふたとなにか言い訳を考えようとした時、不意にかっちゃんはしおらしい顔になって背を向けて、こう告げた。
「……遅ぇんだよ。救けんなら、もっと早く来いや」
「……へっ?」
「るっせ―――!!! 恩売ったつもりだかなんだか知らねえが、返す気はさらさら無えからな、っんのナードが!! ヒーローごっこは満足したろ!? これっきりだ!! もうヒーロー目指すなんて、口が裂けても言うんじゃねえっ!!」
そのまま踵を返して帰路につくかっちゃん。
「あ……うん」
この時ほど、僕は適当な返事をしてしまったと思ったことはない。
ただ、若干俯き気味な彼女が呟いた言葉が衝撃的で、放心してしまっていたんだ。あと、ついでに言えば……普段は般若みたいな顔が、一瞬だけ、とても優しく、可愛い女の子らしく見えてしまった。
そして……
「私が来た!!」
「わ!? オールマイト!? 何でここに……さっきまで取材陣に囲まれて……」
「抜けるくらい訳ないさ!! 何故なら私はオールマゲボォッ!!!」
「わ―――!!」
俊足でやって来たオールマイトが、世間には公表していない
僕は、この後告げられる憧れのヒーローの衝撃的で、コミックみたいで、有り得ない提案に驚くんだけれども、自然と彼女も救けれるくらいに強いヒーローになりたいと思った。
結局、僕はオールマイトの提案を了承し、十か月の地獄の特訓を経て雄英になんとか入って、その後も色々とゴタゴタを……あ、そうだ。
―――言い忘れてたけど、これはあったかもしれない一つの
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