私の付き人はストーカー (眠たい兎)
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犬神美咲

追加話です、設定なんかを詳しく(?)知りたい人は読むとイメージが楽程度に見てくださると嬉しい。


 遠月学園高等部進級試験、正直に然程難易度の高い試験ではない。落第するのが難しいこの試験は、遠月の競争教育が始まる高等部における、一種の格付けを行うための試験であるが故に。

 

「ふむ⋯⋯」

 

 この試験において学園総帥である自分の仕事はただ一つだ。上位陣の発表、掲載。不動の一位に孫娘がいる事を確認しながら、活躍を幾度と耳にしてきた名前が連なっている。しかしその中に紛れるようにして一名、名前を聞き及んだ事のない者がいた。

 

「西園、犬神美咲についての資料を」

 

 それだけ伝えると続きの名前を記入し、期待出来そうな生徒が多い事に満足する。少しして戻ってきた西園から生徒情報の纏めてあるファイルを受け取ると『犬神美咲』を探す、五十音順に纏められている為、然程時間を掛けずに見つけることが出来た。

 

 

92期 犬神美咲

 

生年月日 11月8日

身長170cm 体重56kg B87W54H84 (4月13日測定)

血液型 B型

 

講師評価

 

~~~~~~~~~~~~~

 

~~~~~~~~~~~~~

 

食戟戦績 無し

 

特記事項 無し

 

 

 

 

 至って普通の評価、各講師の評価は殆どがAなので優秀なのは間違いないのだろう。ただ食戟戦績が無く、また優秀な評価を収めているのに特記事項も無い。至って普通に優秀な生徒という評価、さして興味を持つ程の人物にも思えない。しかし⋯⋯

 

『確実に玉の集っている学年において、果たしてただ優秀なだけの生徒が上位陣に食い込めるのか』

 

 確かに順位では【神の舌】を越えてはいない、だがその舌にピタリと付いているのだ。肉の専門家、香りの専門家、イタリア料理の専門家、それらを抑えての上位。座学の成績も考慮されている為一概に誰が料理上手かとは言えないが異常と言う他無い。

 疑問をこのまま放置しておく気にはならず、過去の食戟の記録を持ってこさせようとして気付く。食戟戦績無しと言う記載事項に、それ即ち彼女の料理を記録した映像が無いと言うこと。

 

「西園、彼女は何処に住んでいる」

 

「いえ、学園の近くに安アパートを借りている様です」

 

「⋯⋯調理の腕を披露する事を条件に学園内の貸家を一軒与え、その際調理風景は記録せよ」

 

 一見するとたかが生徒一人の実力の確認には大袈裟に思える指示、されど凡百の一人と判断すれば叩き出し、玉と判断すれば囲い込めばよい。どちらにせよ損は無く、むしろ無能ならば排除、玉ならば更に磨ける利しか無い計画だ。

 

「畏まりました。お任せください」

 

 西園は一礼すると去って行く、玉である事を期待しつつその他上位陣の資料に目を通す。

 

 

 一週間後、見事審査員を納得させた彼女は遠月の敷地内に居を構える事となる。そしてその時の映像を見た学園総帥は後日、彼女の調理風景を見に行き、周囲の耳を気にせず、多くの生徒、講師の前で呟くのである。

 

「天晴、犬神美咲。【神の包丁】よ」

 

 学園総帥の言葉はその場にいた無名の生徒、また一部講師の間から尾鰭が付いて広まる事となる。後にこの言葉が原因で騒動が引き起こされる事を、この時まだ誰も知らない。



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出会い編
一皿目、ボンゴレパスタ


勘違いが書きたくて書いた、後悔はしていない。
続くかどうかは未定だけど読んでくれる人がいる限りゆっくりでも続ける所存。

2019/7/14 手直しを入れました。


 遠月学園高等部一年主席、薙切えりな。神の舌を持つ私が食戟の審査員を務めるなど極めて稀なことである。それも一年生同士の食戟でとなると過去に例がなく、ましてお爺様と堂島先輩が横に並んで審査が行われる等十傑同士の食戟レベルでしか起こりえない。

 

「お爺様、本当に此度の食戟にこれほどの価値がおありで?」

 

「あると思うておる」

 

 一瞬で答えが返ってくる。美作昴と犬神美咲、食戟での成績だけ見れば美作昴は中々のものだと思うが料理人としては犬の糞にも劣るし犬神に関しては公式戦が初である。

 

「薙切嬢はあの2人と同級だったな、どうなんだ?」

 

「片方は下劣極まる料理人モドキ、もう一方は名前を聞くも初めての今回が初の食戟ですね。普通に考えて此度の食戟に私達が出るのは時間の無駄かと⋯⋯」

 

 そうこうしている内に2人の調理が終わり品が出される、美作昴、相手の作る料理を完璧に予測し一歩上を行く調理スタイルで食戟での勝率はほぼ100%、先ずは一口。

 

「⋯⋯悪くないわね」

 

「うむ」

 

「勝負のスタイルとしては好きになれそうも無いが⋯⋯工夫はむしろ素晴らしい」

 

 評価としては上等、この場では美味い料理が全てでありその過程、人格などは一切考慮されない。自分であればこの程度の品を越す品を作るのは容易いが犬神と言う無名の女がこれを越すことは出来ないだろう。

 

「次は私ですね、どうぞ」

 

 見た目は至って普通の料理、香りだけならば確かに遠月でもトップクラスだが、しかし美作昴にややリードと言ったレベルだ。付け合せやその他味付けの工夫を考慮すれば勝ち目は皆無だろう。あ、このハート形のパパイアは可愛いわ。一応の一口。

 

「「「______!?」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ひょんな事から包丁と退学を掛けた食戟をする事になってしまいいざ当日審査員席を見てみれば学年トップの才女に伝説のOB、学園総帥の御三方が鎮座しているではないか。というか神の舌の味見って目玉が飛び出るくらいの上納金が必要なんじゃなかっただろうか。

 

「⋯⋯嘘だろおい」

 

 対戦相手もビビッている様子なので彼が手配したわけじゃないのは確かだろう、このままびびり通して貰えないものだろうか。調理ミスなんかしてくれれば非常に助かるのだが。

 

『調理開始!』

 

 進行の一言で食材を取り出し調理に入る、私の料理にこの学園名物である突飛なアレンジなんてものは無い。私は料理上手な方だと自負はしているが、十傑の様な才能には恵まれなかったらしく土壇場でコースを考えたり新種の調味料を作り出したりなんて事は出来やしない。ただ出来ることは基本に忠実に、高等部の先輩が食戟で作った料理を参考にして味付けをする程度である。

 

「なんでこんな勝負に参加する事になってしまったのさ」

 

 

 

 

 ・・・1週間前・・・

 

 

 

 私は高等部で行われた食戟は基本全て見に行っている、一部の例外は修羅場に4月の春な雰囲気にほだされ発展した修羅場が原因の食戟やちゃんこ鍋研究会と土手鍋研究会の鍋の模様口論事件の様なものだ。この日も美作昴と同級生の女の子が食戟を行うと言うので見に行ったのだ。結果としては美作昴の再現+α料理の前に女の子が敗北し、私はその料理の調理法とレシピをメモに書き込んで去ろうとしたのだ。会場を出て直ぐの事だった。

 

「ふはははは、大した才能も無い奴が友達の包丁を取り返そうなんて馬鹿なことを考えるからこうなるのさ!さぁ、お前の包丁も貰うぜぇ」

 

「くっ⋯⋯! いつかお前なんか、神の包丁が!」

 

「あぁ? 神の包丁だぁ? そんな奴がお前の為なんかに立ち上がるかよ」

 

 神の包丁、以前同級生の男の子が話していたのを聞いた事がある。何やら神がかった包丁技で十傑に負けず劣らずの調理を行う一年生らしい。あの時詳しく聞こうと思い近寄ったら凄い頭下げられて逃げられてしまったが、嫌われているのだろうか私は。そこでふと勝ち誇る男の子、美作昴の肩に海老の尻尾が付いているのを私は見つけてしまった。

 

「ぐぅ⋯⋯」

 

 勝ち誇っているのに肩に海老の尻尾は格好悪いだろう、幸いまだ人の姿は周りに無い。もし私がヒーローならば正義感を起こして二人の間に割って入りこの険悪な雰囲気を壊しに行くのだろうが、生憎と私は食戟で名を上げている人間に睨まれて生活するのは嫌だ。むしろゴマを擂りたいレベルだ。なので彼の肩に乗っている海老に手を伸ばす。

 

「ふん、おらてめぇの包丁を寄越し⋯⋯あぁ?」

 

 彼がいちいち動きながら話すので少し手元が狂ってしまった。これでは唐突のかたぽんでは無いか。普通にやんのかごらと絡まれても文句が言えない、ここは謝り本当の事を説明するべきだろう。その時だった。

 

「い、犬神さん!」

 

 女の子がやや高い声を大にして私を呼ぶ。いや、私貴女と自己紹介した事無いはずなんだけど⋯⋯そりゃ授業で同じになったことは無いとは言わないけどここでは一学年1000人近く居るのだ。普通憶えてなんかいない。その声に釣られてか会場から出てきた観客たちが集まり人集りを形成する。

 

「⋯⋯」

 

 驚きで声もでない。黙っているうちに人集りはどんどん大きくなっていき美作昴もやや怯んでいる様子だ。

 

「て、てめぇ⋯⋯いいだろう、一週間後だ。お題はそうだな、春の魚介なんかでどうだ」

 

 こいつは何を言っているのだろうか。あ、海老の尻尾落ちた。丁度彼の足元に落ちたのを見届けると顔を元に戻す。

 

「成立だな、こんだけ証人が居るんだ。手続きは俺がしておいてやる。要求はなんだ」

 

 なんの話だろうか、思考がフリーズした私は少女の方、次に野次馬を見る。

 

「分かったそれじゃ相応の物を掛けてもらうぜぇ、じゃぁな」

 

 彼はすたすたと去っていってしまう。何がなんだか分からないが何も無かったことにして引いてくれたのは有難い。私もこの居心地の悪い場を去ろうと踵を返すと後ろで崩れ落ちる音がした、反射的に振り返ると包丁ケースを抱いた少女が座り込んでいた。なかなかの修羅場感である。

 

「大丈夫?」

 

「は、はい。ありがとう⋯⋯ございます」

 

 大丈夫らしいしこれだけの人が居るのだ、友達らしい女の子も駆け寄ってきているし他にも膝を付いている人が居るのが気になるが早く学園内に借りている借家に帰ることにする。

 

 翌日、ポストに入っていた遠スポに私が美作昴と98本の包丁と退学を掛けて勝負すると書いてあり目を疑ったのは記憶に新しい事である。

 

 

 

 

 

 

 ・・・現在・・・

 

「何はともあれ負けてられないか」

 

 過去に食戟を見て学んだレシピ、調理方法を基本に忠実に再現していく。作る品はボンゴレパスタ、第一席の先輩が以前作っていた麺を基本に忠実に再現しアサリの砂抜きと内臓処理を行う、処理と言っても撤去するのではなく不純物を丁寧に取り除くのだ。端から見ればアサリを眺め、時々上にかざす変な女の図だろう。

 

「まぁ知らない間に退学かかってるし、あっちもパクリの常習犯らしいしかまわないだろう」

 

 次に手を加えるのはスパイスだ、これは以前葉山だったか、褐色のイケメンがムール貝のピリ辛風を作った時のスパイスを少しマイルドにしたものだ。パスタを茹で貝に味を染み渡らせる。余談だがスーパーで年中見かけるがアサリの旬は春なのだ。茹で上がると青パパイアを薄くスライスしたものを数枚載せて完成である、完全に自分らしさなんて無いが勘弁して欲しい、こっちは一般生徒なのだパパイアのスライスはちょっと包丁細工したから許してくださいなんでもします。試食は美作昴先行であの審査員相手に中々の高評価に内心びびりながらも自分の番を待つ。

 

「次、犬神美咲! 皿を前へ」

 

「次は私ですね、どうぞ 」

 

 準備していた台詞を噛まずに言えた事に笑みを浮かべながら実食を待つ。薙切さん(孫)は匂いを嗅いで溜息を吐き、学園総帥はパスタを見つめ先輩は貝をフォークに載せてライトに当てている。なんともはや胃に悪い相手に思う、将来店を持ったらこの3人は出禁にしたい、権力的に無理だろうけど。そして一口。

 

「「「_____!?」」」

 

 時が止まったかの様な感覚、薙切さん(娘)はだらしなく口元を緩ませ口の端から涎を垂らしそうになっているし目が正気ではない、OBは上を向いて頭に手をあて黙っているし総帥に関しては上半身の高そうな着物を脱いでむきむきに鍛えられたその体を私に向けている。死を覚悟するレベルの反応である。総帥に殴り殺されるか先輩と薙切さんに社会的に抹殺されるか、私は何をやらかしたのか。

 

「決まったな」

 

 総帥は何処からとも無く身の丈ほどある筆を取り出すとこれまた巨大な紙に『犬神美咲』と書いて掲げる。アナウンスが流れる。

 

『只今を持ってこの食戟!犬神美咲の勝利とする!!!』

 

「え⋯⋯」

 

 客席から歓声が上がり緊張と覚悟の糸が解けた私はよろめきそうになるのを堪えるのが精一杯だ。

 

『只今を持って美作昴の獲得していた包丁の所有権は全て犬神美咲に渡るものとされます、今後の包丁は犬神美咲の好きにしてください』

 

 正直こんなに包丁を持っていても困るのでさっさと持ち主に返したい所だ、そんな私に堂島先輩が近寄りマイクを差し出す。

 

「見事な一皿であった。今代の十傑に君の様な子が居るとはね、これで皆に包丁をどうするか伝えるといい」

 

「あ、はい。包丁は元の持ち主に返したいと思います」

 

 すると包丁を取られた元持ち主たちを中心に会場が吼え包丁の下へ人が殺到する。マイクを返しながら堂島先輩に言う。

 

「ありがとうございました、それと私は十傑じゃないですよ」

 

 この人と話すだけで先程解れた緊張の糸がまた張るのが分かる。なにやら堂島先輩が目を見開いているが私なんかが十傑なわけがないだろう。

 

「あの料理を作ったのが十傑じゃない⋯⋯?まぁ兎も角だ、これからの君の活躍に期待する」

 

 そりゃレシピは十傑だったりその道のスペシャリストが食戟の場で使ってるものだから勘違いするのも頷ける、そしてこの勘違いは解かないほうがいいと私の本能が言っている。

 

「あ、ありがとうございます。あ、それと改善点があればお聞きしても⋯⋯?」

 

 その時だった。

 

「嘘だ! 犬神、お前の料理は確実に再現し改良したはずだ。俺の料理よりお前の料理が美味いわけが無い!」

 

 美作がその巨体を揺らしながら近付いてくる。堂島先輩がその美作に自分の皿を差し出して言う。

 

「ならば食べて見るといい。君の料理も十分に十傑が狙えるレベルだとは思うが.....彼女の料理は()()()()()

 

 美作が「そんなわけが」と言いながら口にする。私はへっぽこでもそれは十傑のレシピが原案なのだ。さっきは弱気になったが不味いわけが無い。

 

「う、うあ......」

 

 美作がその場で崩れ落ちる。つい反射的に手を伸ばしてしまう。

 

「完敗だ、ここまでの差があるなんてな。俺はもう料理をしな⋯⋯?」

 

 別に料理を今後しないなんて事は求めていないがそれは彼の勝手だろう。しかし私のせいで本来私より優秀な料理人が道を断たれたなんて言われるのはごめんこうむる所だ、どうするべきか考えていると再び堂島先輩が口を開く。

 

「ふむ、それが美咲くん、君の意思なのだな。美作昴、その手を取るがいい」

 

「いい、のか?」

 

 悪いが何の話か分からない、とりあえず少し頷いて対応する。すると伸ばしていた手を取られる。正直頭に警報が鳴り響いているが堂島先輩は笑顔で頷いているしここで振り払ったりするのは野暮なのだろう。というかこれは少年漫画の河原での喧嘩のあとの友情的なシーンなのではないだろうか。とっとと美作をひっぱり立たせると堂島先輩が声を掛けてきた。

 

「さて、先程君は改善点があれば教えろと言っていたな。強いて言うならばだが盛り付けはもう少し考えるといい、そうすれば三ツ星も狙えるだろう。では俺はここで失礼するよ、また会おう」

 

 そう言うと堂島先輩は私の頭を撫でてから去っていく、他のおっさんにされたら警察案件だが不思議と嫌でないのは堂島先輩の人柄の賜物だろうか。すると先程の男声からはかけ離れた声がかけられた。

 

「あの、犬神さん」

 

「包丁、良かったな」

 

 そこにいたのは件の女の子だった。涙を流しており大事そうに包丁を握り締めている。

 

「ありがとう、ございました」

 

 まともにお礼を言われたのはこの学校では初めてな気さえする。流石に涙で顔が酷いことになっていたのでハンカチで涙を拭いてやる。すると女の子は顔を真っ赤にして何度もお辞儀をしながら去っていった。

 

「おい、犬神⋯⋯さん?」

 

「いや、犬神でも美咲でもなんでもいいけど敬語は要らない」

 

 正直美作のこの巨体で敬語で縮こまられると怪獣にでもなった様な気がしてくる。薙切さんはよくこんなのに耐えられるなと改めて彼女に尊敬の念を抱く。

 生憎彼女と話したことなど無いが。

 

「なら美咲、お前それ天然でやってんだとしたらいつか修羅場を見ると思うぜ」

 

 何言ってんだこいつ。修羅場ってのは男女の関係から始まるんだ、生憎そんな関係になったことはないし碌に友達もいないのが私だ、修羅場なんか一生来るわけがない。

 

「そんな訳が無いだろう。さて、私は帰る」

 

 帰って宿題をするのだ。栄養学のレポート提出が明日であり、食戟なんかやらかした御蔭で手付かずなのである。クルリと背を向けると調理用に結んでいた髪を解いて出口へ向かう、その間色んな人に何度もお礼を言われたが「気にするな」の一言で流した。

 

 翌日、遠スポの大見出し記事に私と堂島先輩のやり取りと美作をひっぱり起こした時の写真が絶妙な角度で撮られていたらしい写真が載っており頭を抱えた。それともう一つだが神の包丁なんて言う痛々しい称号の持ち主が判明した。

 

___他ならぬ私であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 犬神美咲との食戟が終わり会場に残された俺は何をしていいのかが分らなくなっていた。俺は彼女に負け、今までしてきた事を考えるとこの場でリンチにされてもおかしくない俺を手を差し伸べることで救って見せた。恩があるのは分る、俺よりも上にいることも理解している、審査員できていたOBによると彼女の料理の腕は十傑にも及ぶらしい。

 

「俺はとんでもないのを相手にしてたんだな」

 

 しかし敗者は全てを失うのが食戟のルールだ。その上救ってもらった恩がある以上、相応の何かで返さねばならないだろう。そう思ったときふと目に付いた光景があった。

 新戸と薙切えりなである。

 一つ恩を返す方法を見つけたと思った。アレだけの腕を持ちながら派閥に属さず派閥を持たない、彼女は嫌がるかも知れない。拒絶されたら他の方法を探せばいい、けど受け入れてもらえたなら。  

 

「俺があいつの、美咲の派閥の一人目になろう」

 

 食戟でのし上がっていた猛者である美作昴は、たった一度の食戟経験しか持たない犬神美咲のたった一人の派閥の一人になる事を誓った。この後彼はバイクにサイドカーを付けてみたり彼女の借家の近くに拠点を移したりするのだがこの原因を犬神美咲が知ることは無かった。




どうかな...ちゃんと勘違いできてる...?
ご指摘ございましたらよろしくお願いします(土下座)


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二皿目 タレぶっかけご飯

感想下さった方ありがとうございます。
まさか1日でココまで見てくださる方が居るとは思いませんでした。
もう一皿勢いに任せて投稿します。

2019/7/14 修正済み


 新緑の春、中等部の三年間は大体この時期は先輩方の食戟を観戦しに行くかだだっ広い校内をうろついては人気の無い木陰で一人ぼーっとしているのが常だった。勿論天才でも何でもない、努力しないと退学の危険が危ないので料理の練習はするがこれも誰もいない厨房で一人だ。我ながら寂しい人間だとは思う。自分以外は敵と思え、それがこの学園のモットーだがそれでも普通友人の1人や2人はいるし人によっては彼氏彼女と連れ立っていたりするものだ。しかし例年通りになると思っていた日常は高等部に進学してからと言うもの、若干変化していた。何故なら今現在進行形で私は私以外の人間の敷物にお邪魔しているのだから。

 

「こうなるならお弁当でももってくれば良かったな」

 

「何、確かに美咲さんの弁当には興味があるが唐突に付いて来たのは俺だからな」

 

 誰であろう、美作昴である。食戟の翌日、2コマ目の授業で偶々同じクラスになった時に気持ちわ⋯⋯不自然な程の笑顔で近寄ってきたのだ。

 その際彼が言うには『俺を付き人にしてくれないか』と。

 何のことを言っているか分からなかったが授業の直後で、まだ多くの人が残っていたこともあり彼の一言に再び一週間前の様な人集りが出来てしまった。しかも新たに人集りに参加した者に『あの神の包丁が美作昴を付き人にするらしい。流石だ』だの『包丁九十八本を何の見返りも無しに取り戻したお方だ、きっと器の大きさを見せ付けてくれる』だのと説明する有様だ。当然そんな大人数に期待の眼差しを向けられ断ることなど私に出来るわけもない。『何も学べることは無いと思うぞ』や『そもそも付き人って何をするつもりだ?』と渋っては見たものの美作昴の『見返り何か求めない、何でも命令してくれて構わない』の一言で返され付き人になる事を承認する流れになってしまったのだ。まぁ御蔭様で脱ぼっちを達成したのだが。

 

「しかし食戟の後にも言ったが態々私相手にさん付けで話さなくてもいいんだぞ?」

 

「いや、俺はお前の付き人だからな。これでも全敬語は嫌がられそうだから止めたんだぞ」

 

 それはありがたい気遣いである。この巨体が全敬語で関わって来たら逃げる所だ、勿論全速力で。そして授業が終わった後もいつものぼーっとするスポットに立ち寄るや否や美作が敷物を敷いてお茶を淹れはじめたのでこうピクニックの様な事をしているのである。まぁなかなかに楽しいし時々広報部の腕章を付けた人がカメラを向けてきたり通りすがりの生徒が驚いた表情で見てくるのは彼が言葉通り食戟で伸し上がった猛者たる所以だろう。

 

「む、そうか。そういえばだが美作、お前は今まで普段何をしていたんだ?」

 

「食戟の準備をしているのが殆どだったな。大体週一で食戟をしていたからどうしても準備に時間を食われる」

 

 何この食戟狂い。確かに昔からこいつの食戟は何度も見てきたし、注目されない食戟はほぼ毎日行われているので数の印象は薄くなる。だが毎週行っていたとするとよっぽどだろう。よくよく思い返せばこいつの食戟を二十は見てきた気がする。

 

「それは⋯⋯なんとまぁ大変そうだな。料理の練習なんかはその中でしているのか?」

 

「そうとも言えるが毎回毎回相手の技術をそっくりそのまま俺のものにしてきたからな。これといって練習はしたことが無いかもしれん。あ、いやもうしねぇよ。付き人が人の技術ぱくってまわるなんて不名誉この上ないしな」

 

 こいつ天才型だ、異常な程の料理センスと吸収力を持つ変態だ。ちょっと引く。そんな様子に焦ったのかやや外れたフォローをしてくる。というかぱくってばっかりな私の心に何かが刺さった気がする。

 

「いや、度が過ぎるのは問題だが人の技術を学ぶのは大事だろう」

 

「っ! そうか、そうだな」

 

 私の自己弁護とも取れる言葉に乗っかってくれて非常に助かる。自己弁護を切り上げて今日あのシャペル先生にべた褒めされたと言う噂と食戟の噂を聞いた彼の話を振って見ることにする。この話題はひっぱると私の心が痛むのだ。

 

「そういえば話は変わるが美作は幸平創真と言う編入生を知っているか?」

 

「アレを知らない生徒がいるなら見て見たいぞ。で、どうしたんだ?」

 

 申し訳ないが私は噂程度しか聞いた事が無い。

 

「あぁ、どうやら彼が明日食戟をするらしくてな。どんぶり研究会の代表だそうだ」

 

「へぇ⋯⋯となると薙切えりなの狩りの対象ってわけだ。編入生には気の毒だが勝負にならんだろうな。」

 

「それは見てみないと何とも言えないが彼の料理を見に行こうと思う。お前明日暇か? 」

 

「美咲さんが行くなら付いていくぞ。たしかに薙切の手駒には俺も興味があるしな」

 

「お、おう。それじゃあ明日の午前十時、会場はF会場らしい。そろそろ肌寒くなって来たし私はそろそろ帰ることにするよ。お茶をありがとう」

 

 そう言うと私はすっと立ち上がり折れたスカートを直す。この遠月のスカートの短さには未だ抵抗を覚えるのだが、座学を受けるときは制服必須なので授業があるときには着ていかねばならないのだ。そんな私に美作が声をかける。

 

「あぁ、送ってこう。バイクにサイドカーあるし」

 

「うぇ、お前何時の間に免許取ったんだ? 高等部に上がってから余り時間は経っていないはずだが」

 

「あくまでまだ仮免だけど遠月の学生って言ったらこの辺だと融通きくのさ」

 

 言いながら敷物を畳んだ美作はひょこひょこと学生用駐車場に歩いていく。この学校学生用の駐車場あるんだよなぁ⋯⋯などと考えていたら黒いバイクに乗った美作がバイクを寄せてきたのでヘルメットを受け取りサイドカーに乗る、場所を説明しようと思ったがこいつ勝負の度に相手をストーキングする奴だったなと思い身震いする。そんな奴が付き人ってこれって公式ストーカーって感じなのではなかろうか。

 

 バイクで10分ほどで帰宅、美作に礼を言って見送ろうと思ったのだが彼の背中は向かい側の安アパートの駐車場へと消えてゆく。⋯⋯え、あいつご近所さんだったの?

 

 家に入ると誰も居ないだだっ広い空間が広がっている。家具も最低限、厨房だけは遠月の施設だけあって立派なものだが、他は特に使う事も無いので本棚に自作の食戟レポートが所狭しと並んでいる。強いて言うなら私らしさだろうか。

 今日も今日とて夜の練習の準備をする事にする。今日は中華の先輩が作っていた回鍋肉(ホイコーロー)にかかっていた後付けのタレの再現だ。レシピは分かっているし味の方向性も大体分かる。しかし何度やっても十傑の味ではなく、配合のバランスを紙に書いては横に✕を書き新しく比を書いて試す。私には突飛な発想や新しいメニューを作る才能は無い、だから置いていかれない様にするには地道な努力で必死に縋り付くのだ。淡々と繰り返される作業、気がついたら日が昇っていたのには驚いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女は意外とあっさり俺が付き人になる事を承認してくれた。もっと迷惑がられるか不審がられると思っていたのだがそんなことは無かったらしく、人集りの中心でもマイペースに断りを入れた上で許可してくれたのだ。遠月では珍しい他人に気を使うタイプと言う事だろう。風呂で今日の動きを振り返る。

 

「ふぅ、にしても俺の技能をそれも大事と言って貰えるとはな」

 

 完璧な再現をしそこに改良を加える俺の料理は実の父親にすら認めてもらえなかった物だ。元は父親に認めて欲しかっただけだと言うのに。しかし彼女はその技術すら大事なものと言ってくれた。アレだけの皿を作る才能があるが故の余裕かも知れない。だが認めて貰えたのは初めてなのだ。

 

「本当に鉄面皮に似合わない優しい女だな」

 

 許される限り一緒に居たいと思う。一人が好きなのかと思いきやそういうわけでも無さそうな彼女は一緒に居る事を拒んだりはしないだろうが、ならば何処が引き際なのだろうか? 頭を振って風呂から上がる。

 安アパートの風呂なので小さい風呂桶から俺が立ち上がると、その水かさは膝ほどもない。体を拭いて時計を確認する。

 

「2時半か⋯⋯」

 

 明日も予定がある、早く寝よう。そう思いふと向かいの家にまだ明かりが灯っているのが見えた。彼女はまだ起きているのだろうか。あの場所は厨房だった筈だ、まさかこの時間まで料理の練習をしているのだろうか。いや、アレだけの才能の持ち主だ、単なる消し忘れだろう。さっさと布団を引いてタオルを枕の上に乗せると横になる。

 

 

 

 

 ・・・翌日(8:50)・・・

 

 何ヶ月かぶりにインターホンが鳴った。

 美作が迎えに来たのだろう。まだ時間には早いが準備は終わっているので鍵を開けると中に入れる。夜通し作り続けた中華ダレの匂いが未だ漂っているのは気になるが、ここの生徒なら皆こんなものだろうと思い余り気にしない事にする。タレは完成したのか? まだに決まっているだろう、美味いには美味いが死ぬほど美味いかと言われればそんな事はないレベルだ。

 

「朝飯は食べたか?」

 

「いや、起きたのがついさっきでな。この匂いは四川料理のかけダレか?」

 

「そうだが⋯⋯少し食べていくか」

 

 美作昴、随分鼻が利くらしい。いや、私の鼻が余りにも匂いに慣れて麻痺しているだけであのタレは本来匂いが強烈なのか。

 

「いいのか?」

 

「感想を教えてくれると助かる、一晩味見を続けていたから鼻と舌がひりひりしてるんだ」

 

 やや驚いた顔をされたが一晩タレにかけるのは毎週食戟をするより遥かに楽だろう。厨房に向かうと石釜型炊飯器からご飯をよそい最後に出来たタレをかけて持っていく。タレのベースは中華ダレらしく大豆と唐辛子である。

 

「これなんだがどうだろうか」

 

 美作にタレぶっ掛けご飯をだすともの凄く驚いた顔をされた。たしかに料理人なのに料理なんてほぼせず出したのだから多少面食らうだろうが現状寝不足の私にそんなものを期待されても困る。最初の一口。

 

「________!?」

 

 一瞬止まった後凄い勢いで掻っ込む。微妙な味だと思ったが、あえて指摘するのも躊躇われたので何も言わずに完食する人の様な優しさを感じた。食べきるのを待って声をかける。

 

「どうだろうか」

 

「美咲さんはこれでも足りないのか⋯⋯。俺にわかった事は殆ど無いがソラマメが入っているな?」

 

「あぁ、むしろよく気がついたなそこに」

 

「このタレをアレンジするなら俺はそのソラマメをもう少し年食った奴に変える。すまねぇがこのくらいだ」

 

 凄く疑問なのだが何故ソラマメが入っていると分かったのだろうか、完全につぶして原型を留めていないし殆どソラマメらしさなど無いと思うのだが。

 

「分かった、次はそうして見よう。さてと、少し早いが会場入りするとしようか」

 

「あ、あぁ」

 

 戸締りをして表に止まっていた美作のバイクのサイドカーに乗る。今日は授業も何も無いのでジーパンにTシャツと言うラフな格好だ。中華服や褌など割と奇抜な格好で出歩くものが多いこの学校では無難すぎるが、私には恥ずかしすぎてあんな格好は出来ない。(と言うかあの中華服は絶対モドキだ)

 美作がバイクを走らせみるみる会場が近付いていく。いつもは徒歩だったので時間は早すぎるくらいだ。着くとバイクを降りて話しかける。

 

「美作、今回の食戟でどっちが勝つと思う?」

 

「水戸なんじゃねぇのか?」

 

 即答である。私はどちらも詳しく知らないのだが彼女はそんなに有名なのだろうか。なにやら肉の卸業で有名な水戸グループの関係者らしいがまさか本家の人間じゃないよな?

 

「なら水戸さんの料理の工夫をしっかりと見てろ。再現しようと思えば再現できるくらいに」

 

「ん、あぁ。元よりそのつもりだがどうしたんだ?」

 

「薙切さんのとこの子なら何か参考に出来るかなと」

 

 と言うか可能な限りそのまま使うつもりである。そして彼に水戸さんを見ていて貰うのは彼の才能があれば本物に近い再現が即興で出来るのではないかと言う淡い期待が混じっている。

 

「しかし改めて俺に言わなくても美咲さんが見ればそれで済むんじゃねぇのか?」

 

 そんな訳が無い。何を勘違いしているのか知らないが私にそんな才能は無いので、水戸さんとやらの料理の再現なんか十傑の再現に比べれば楽だろうが一般人の料理に比べたら専門性が高過ぎて一朝一夕には行かないだろう事間違いない。が、私の実力を300%増で見ているこの男の期待をその場でへし折るのも憚られた。そんな私の取った選択肢はこうだ。

 

「私は編入生の料理を見ておこうと思う。欲をかくとどちらの重要な部分も見逃したなんて事にもなりかねないからな」

 

「確かに⋯⋯なるほどな」

 

 納得した様で何よりだ。美作がバイクにチェーンをかけ終わるのを待っていると後ろから声をかけられた。

 

「あら、犬神さんじゃない」

 

 誰であろう、【神の舌(ゴッド・タン)】こと薙切えりなその人である。私は彼女と話した事は無いはずだ、なのにこの人は何故これ程までにフレンドリーな話しかけが出来るのだろうか。これがコミュ力の差という奴か。

 

「薙切さん?」

 

「えぇ、先日は素晴らしい料理をありがとう。久しぶりにあそこまでの品を口にしたわ、流石は神の包丁ね」

 

「お、お粗末さまでした。薙切さんはどうしてここに?」

 

 水戸さんが彼女の派閥の人間なのは知っているがこれは会話に慣れていない私からしたら定型分から文章を引っ張り出せただけ快挙である。

 

「今日の食戟にうちの子が出ますからね。それと編入生が自身の退学を賭けたと聞いたので彼の勇姿を見ておこうかと。貴女も見学なら一緒に如何?」

 

「今日は連れがいますので」

 

 偉い人と見学等となるとメモが取りにくい事もあり、ここに来た理由が薄れてしまう。なのでここは断っておくことにする。それに私とて将来料理人になるのが夢でありこんな所で彼女の不興を買って料理人生命終了なんて事になるのはごめんである。なにより嘘は言っていない。

 

「そう、それは残念ね。ではまた会いましょう」

 

 本当に残念そうな顔をしながら去っていく、一瞬般若の様な顔をした付き人に睨まれたがアレは何なのだろうか。

 

「っと待たせちまったな。あれは薙切えりなか、流石だな」

 

 何故此方を向いて流石だと言ったのか分からない、流石なのは彼女であって私ではないと思うのだが。美作を連れて会場に入る、適度に見やすい席に陣取っていつものメモ帳を片手に座って待つ。段々と人が集まって来て開始時刻には殆どの席が埋まっていたが私たちの半径1mは空席である。何かしただろうか。まぁメモを取っても隣の席の人に肘が当たる事が無いのはいい事である。準備が出来たらしい調理姿の二人を見た。

 

『食戟開始!!!!!』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝負は忌々しい編入生、幸平創真の勝ちであった。低俗な丼勝負であり彼の土俵でもあったと言う事だったと言えなくもないが、彼に負けた者を傍に置いておくつもりは無い。緋沙子に彼女を調理場から立ち退かせるように告げた。しかし今回の食戟、誰もが水戸さんの勝ちだと思っていた筈だ、なのに彼女、犬神美咲は何故始めから彼の料理のみを注視していたのだろうか。

 

「ねぇ緋沙子、貴女はこの結果が万に一つでもあると予想できていたかしら」

 

「いいえ。えりな様」

 

 当然だ、そもそも編入試験を何故かクリアした事になってはいたが誰も彼の勝ちなど予想していなかったはずだ。もしかしたら期待からそう思い込んだ者も居たかも知れないが、その者も彼の持ち込んだ食材を見て勝ちの目は無いと判断しただろう。

 

「でしょうね。でも彼女、犬神美咲は分かっていた様子よ」

 

「まさか⋯⋯」

 

「でも彼女は試合が始まる前から彼の方を見ていたし食材を出した時から何かメモを取っていたわ」

 

 おそらく元々注目していた彼が食材を出したときに彼の勝ちを確信していたのだろう。何故かは分からない、しかしこれだけは言える筈だ、彼女は確実に高み(十傑 )に伸し上がってくると。そしてまた、秋の選抜においてその実力を学園中に示す事だろう。

 お爺様が注目していたのも頷ける。先日のパスタでの貝柱の断面一つ取ってもずば抜けた料理センスの持ち主なのだから。

 

「しかしえりな様、彼女は先日の食戟までは無名もいいところ。どうやら下の学生たちには期待されていた様ですが十傑の集会で名前も上がった事が無いのでしょう?」

 

「能ある鳶は爪を隠すというわ。高等部に上がり十傑の座を狙い始めた。そうは考えられないかしら」

 

「っ! 引き入れますか?」

 

「いえ、彼女は飼いならせる様な相手じゃない。対等な存在と見るべきよ。それに⋯⋯ちょっとだけ、仲良くして見たいのよ。どうすればいいかしら」

 

「わかりました、それとですがえりな様。鳶でなく鷹です」

 

「え⋯⋯知ってたわよ!!!」

 

 恥ずかしくて顔を逸らしてしまった。緋沙子がおろおろとしているのは気の毒に思わなくも無かったが暫くは顔を合わせなかった。




美作付き人デビュー+えりな様の評価回でした。
次には料理まともに料理させられるといいなと思います。
(一応秋の選抜かスタジエールまでは書きたいと思ってます、ネタが切れたらどうなるか分からないけど)


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宿泊研修編
三皿目 サヨリの刺身


※勘違いタグが真価を発揮していないのは単純に作者の技量不足です。(神の土下座)
 そして今回の話は作者が何故か気に入っている人が書きたかった話なので益々勘違いが薄くなっております。

沢山のご感想と高評価ありがとうございます!作品中の粗い部分や原作との相違点等これは作者気づいて無いんじゃね?と言う点ございましたら是非ご指摘お願いします。

2019/7/20 修正完了


 遠月学園のモットーは『99%は1%の玉の為の捨て石である』だ。早い話が一学年1000人中990人は捨て石だという事であり上位の10名、つまり十傑のみが真に玉であると言う事なのだろう。この学園のシステムはまさにこれを突き詰めており、通常の高校であれば楽しく思い出として残る筈の年中行事は悉くが苦しくトラウマとして残る無情の振るい落としイベントへと変貌を遂げている。

 

「他の高校だと仲良く皆でキャンプをしたりしている宿泊研修が四六時中料理し続ける強化合宿にってどうなんだ」

 

「突然どうしたんだ?」

 

 乗り込んだバスで大半の生徒の声を代弁した私に対して美作が疑問符付きの台詞を返してくる。なお普段からほぼ全く人付き合いをしないため誤解が一人歩きしている事がある私であるが、隣に座る女の子は激しく首を縦に振っている。

 理解者がいてうれしい事だ。

 

「いや、なんでもないよ」

 

「そ、そうか? まぁ美咲さんなら何の心配もいらねぇだろ」

 

 そろそろ美作の名前だけ敬語にも慣れてきた所だ。

 しかし美作、お前は私を何だと思っているんだ? 生憎だが私は今回の振るい落としで振るい落とされないかと戦々恐々としているんだ。御蔭様で先程の様に何故そんな事を呟いた? と言う感じの事を口にする始末。

 

「そんな事はない、どんな試験が課されるか分からないんだからな」

 

「そりゃそうだが美咲さんが落ちるなら俺らの代はほぼ全滅じゃねぇか」

 

 試験の一言にビクンと反応した隣の女の子は親の敵の様に人を手の平に書いている。それは人に飲まれないために飲むものだから試験の緊張相手には何の役にも立たないと思うのだが⋯⋯

 

「薙切さんとか食戟の彼とかは残るんじゃないか?」

 

「あの編入生は確かに発想もいいし場慣れはしてるみたいだが確実に美咲さんより下だろ」

 

「私はあのブーイングの嵐の中でまともに調理なんか出来ないぞ?」

 

「食の魔王に伝説のOB、神の舌相手にノーリアクション貫いておいて今更何を言ってんだ」

 

 確かに無表情だったかも知れないがそれは学校と人生の二つの意味で退学がかかって唯でさえ仕事をしない表情筋が職務放棄しただけである。そこまで緊張すると人間逆に冷静になれるものなのだ。

 

「お前も大概通常運転だったじゃないか」

 

 そんな事を言っている内に見えてきたのは遠月リゾートだ。学園に匹敵する広さと整った景観は安くても一泊八万円クラスと聞く。いやぁ、リゾート施設に匹敵する学校って⋯⋯

 

「なかなかだと思わないか?」

 

「これを中々で済ませるって美咲さんもしかして高級旅館の跡取りとかなのか?」

 

「いや、山口の方にあるひっそりとした料亭の出身だ」

 

 この中々だと言う評価は学校と比較しての話である。この場合おかしいのは学校で間違いない。どんな敷地面積してるのやら。

 

「山口か⋯⋯まぁそれはさておき課題ってのはどんなんなんだろうな。美咲さんは何か聞いてないか?」

 

「どうやら当てられる先生次第で課題も難易度も桁違いらしいとだけ」

 

 情報元は例によって例の如く立ち聞きである。

 

「ほぉ、ってことはクラス分けがあるんだよな」

 

「基本はそうだろうけど大人の事情は知らないぞ」

 

 現にランダムの筈の座席で何故か美作が隣に居る。まぁ確実に誰かの作為が介在しているのだろう。美作が本来隣に座る筈だった人を力尽くで排除したとかじゃ無ければいいけど。

 

「っと、着いたみたいだぜ」

 

 バスが停車し、一番前の席だった私は美作と連れ立って降りる。横を見ると薙切さんが付き人を連れて先頭を切って歩いていた。

 まぁこの人を差し置いて前を歩く猛者はそうそういないだろう。私達も数歩分程後ろを歩いて集合場所へと向かう。集合場所は中央にある白い建造物の奥にある部屋らしい。

 

 その建造物は何階建てなのか考える事すら馬鹿馬鹿しい程の高さをしており、素人目にも格式高い場所なのは間違いないだろう。入れば内装は白で統一されており集合場所の部屋だけは真っ赤であった。

 

「目が回りそうな赤だな」

 

「この空気を完全に無視して内装を観察してられる程

 の心臓の持ち主はあのブーイングの中でも調理出来ると思うぞ」

 

 言われて初めて回りを見る。当たりには1000人もの人間が居るはずなのに通夜の様な静けさをしており、一部赤毛の編入生の周りはやや騒がしかったがライトが消えるとそれも静まって針を落とせば響きそうな程静かになった。

 前方のステージがライトで照らされ、シャペル先生が合宿の内容やゲスト講師の紹介を行っていく。その中で既に四之宮シェフによって一人目の犠牲者が出たがアレは座学をしっかり受けていればNGなのは分かる事なので自業自得だと思う。そんな事より知った顔が話し始めた方が遥かに衝撃を与えた。

 

「「堂島先輩⋯⋯」」

 

 つい先日の食戟は記憶に新しく、彼の登場を見てこちらを見た生徒も多いくらいだ。彼も此方を目聡く見つけると小さく手を振る有様だ。なんと言うかこの瞬間だけ少し場が息継ぎをした感覚すらした程だ。しかしそんな空気も彼の一言で一瞬で元に戻る。

 

『満足いく働きが出来なければクビ』

 

 この言葉の通り初日で何人もクビを宣告される事は先輩方の人数と現一年生を比較すれば明らかだ。自然と普段仕事をしない表情筋が引きつっていくのを感じた。そんな私を横目で見た美作がその場で硬直しているのが視界に入ったので気合を入れて表情筋の沈静化を図る。

 

「それじゃ、各々指定された試験場に向かってくれ。健闘を祈る!」

 

 彼は料理の腕は勿論なのだろうが、場を緊張させたりまたその緊張を解したりする才能も素晴らしいものがあるだろう。一言で場のほぼ全員に重りを括り付け、また一言で軽快に押し出してのける。

 指示された試験場グループはBであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 試験会場B、『銀座ひのわ』の関守先輩が試験監督だ。特徴としては目が開いているのかいないのか非常に分かりにくいと言った所だろうか。寿司屋の経営をしているだけあって部屋の中には魚のにおいが充満しており、課題も魚介を使った物となる事は想像に難くない。

 

「えぇ、一応自己紹介をしておこう。銀座ひのわで板長をしている関守平だ。君達はこの試験の最中、うちの料理人として扱わせてもらう。で、課題だがここで唐突に寿司を握れと言っても握れる者など殆ど居ないだろう。だから目利きと捌きで大半を振るい落とさせて貰う、指定された調理台にいる者同士で協力し後ろに置いてある魚の中からより良い魚を持って来る様に。それでは開始だ」

 

 同じ調理台の相手はバンダナを腕に巻きつけた長身の男子生徒だ。薙切さん(白)の付き人の人だったと思う、とりあえずは自己紹介からだろう。

 

「犬神です、よろしく」

 

 噛まずに言えたがぼーっとしている彼には聞こえているのだろうか。

 

「黒木場っす。どうも」

 

「「⋯⋯」」

 

 気まずい空気が流れる。

 薙切一族関係者を無視して課題を進めるのは些か面倒な事態に発展しそうなのでココは彼主体に課題を進めていきたいが、彼に任せて良いのかどうなのか。こうしている間にも多くの生徒が魚争奪戦争を繰り広げており、悠長に自己紹介なんかしていたため完全に出遅れている。一応魚は得意分野ではあるのでここで落第なんて事にはならないはずだがあの争奪戦に巻き込まれて魚が駄目になってしまうと洒落にならない。彼はのんびりとバンダナを頭に巻いている。

 

「ゴラァ!行くぞ犬神美咲ィ!」

 

「お、おう?」

 

 何故フルネーム知っているのかと唐突の変貌っぷりに少しならず驚いたがなにやらやる気になって頂けた様で安心だ。何かでスイッチを切り替えている生徒は上位陣に食い込んでいると言うのがこの学校の傾向であるので彼もその一例なのであろう。

 おそらく編入生の鉢巻も仲間だ。

 後を付いて行き魚の置かれた箱を眺める。

 

 この時期が旬の魚と言えば鯵や細魚、それに鯛と言った所だろうか。しかし鯛は殆ど持っていかれてしまったのか誰が見ても粗悪品と分かるものしか残っておらず、この中からなら鯵と細魚の二択だろう。時期外れの変な個体が居ないわけでもないだろうが。

 

「犬神美咲ィ、お前日本料理の魚の捌きは自信が有るか?」

 

 本来なら動く前にするべき質問の筈だが答えはYesだ。こくりと頷く、私とて海鮮料理が主体の料亭出身だし。

 何より基本の技術だけなら自信がある。これで鮟鱇など奇抜系深海魚を持って来られるのは困るが。私の肯定を見た彼は迷う素振りも無く細魚に手を伸ばす。自信の有無を聞いてきた理由はこれだろう、外国だとそのまま揚げるのが一般的な魚であり、その小ささと味の繊細さから生食を考えるならそれ相応の技術が必要だ。

 

 最後の組が選び終わったのを確認するとそれぞれの調理台を関守先輩が巡回して鯛を選んだ者に退学を言いつけていく。残ったのは細魚組と鯵組だけだ。流石に遠月学園の生徒だけあって旬を外した魚を選んだものは居なかったらしい。

 

「さて、鯛を選んだものの中には何故自分が退学なのか分からない者もいるだろう。それはこの場にある鯛は全て産卵を終えた物ばかりだからだ。当然味は落ちている、今後機会があれば注意するといい」

 

 退学を言い渡された者がとぼとぼと教室を追い出され、元の人数の半数程になったこの試験会場で再び関守先輩が声を上げる。この人温厚そうな顔に似合わず割と躊躇が無い。

 

「えー次は刺身の形で食べられる様に捌いて貰おう。始めてくれ」

 

 彼の一言で周囲が一斉に捌き始める。黒木場君はもう自分の仕事は終わったとばかりに選んだ細魚を睨みつけている、これはやはりやれと言う事なのだろう。氷の入った冷水を持ってくると手を漬ける、これは刺身を作る際に手の油が魚に移り難くする為で授業の片隅で先生がオマケとして言っていたものだ。将来使うだろう事と遠月で生き残るために少しでも丁寧な仕事をと思った私はこの状態で包丁を扱う訓練に中等部二年の二ヶ月ほどを費やした。

 

「さて⋯⋯」

 

 私は一番手馴れた柳刃包丁を取り出して鱗をこそぎヒレを抜くと切先を腹に当てる。普通は頭を切ってから腹を捌くのだがこれは伝統ある寿司研究会の公開資料から学んだ順序だ。

 細魚は何でも食べる習性があるため内容物が非常に臭く、少しでも内臓を傷付けると味が直ぐに悪くなってしまうのだ。故に先ず腹に切り込みを入れその後内臓を傷付けぬ様にドーナツ型に切り内臓と頭を引き抜く。最後に肛門ごと尻尾を切り取り一先ず終了だ、速やかにまな板から切除したパーツを隔離する。

 

「面白い真似をするじゃねぇか」

 

「そうか?」

 

 黙りこくっていた彼がなにやら感心した様子で頷いている。相槌を打ちながら再び冷水に手を浸し、手の感覚が遠のいた所で再び包丁を握り開いた細魚の中骨と腹骨を撤去する。そのあとは以前堂島先輩にも言われた見栄えを考え、先端数ミリを残して四つ切りにし網目状に編んで編み作りにして包丁を置き手を洗って布巾で暖める。これをせずに我慢すると翌日には腫れ上がって料理にならなくなるのだ。一息吐くと右から黒木場君の顔が、左からは関守先輩の顔が生えてくる。

 

「___!?!?」

 

 悲鳴を上げなかった事を褒められて然るべきだろう、特に関守先輩は何時から後ろに居たのだろうか。

 

「黒木場、犬神ペア、合格だ。この部屋にあった最高の食材を見事な包丁技術で捌いている。まだ時間があるからゆっくりしているといいだろう。しかし随分と懐かしい捌き方を見せてもらったよ」

 

 刺身をひょいと口にした関守先輩は頷くと歩き出す。やけに楽しそうに他のペアに退学を申し付けて行く関守先輩は非常に怖いものがあったがそれ以上にバンダナを外してぼーっとしている黒木場君の方が衝撃的だった。流石に差がありすぎだろう⋯⋯

 

 結局合格したのはアジを選んだペアが1つと私達のみだったらしい。後のグループはアジの骨抜きに失敗したり細魚の内臓を傷付けてしまったらしく笑顔で追い出されていた。

 

 今回偶々得意ジャンルだったから良かったもののこれで正直不得意なジャンル、具体的には肉料理を引いていたら我が身がああなっていたと思うとゾッとする思いだ。どうやら集合場所で連絡があるらしくバスに乗り込んだが始めは満員だったバスに関守先輩と運転手込みで五人と言うのはどうなのだろうか。その閑散としたバスの中関守先輩が私と隣に座る黒木場君に話しかけてくる。

 

「先程の課題ではお見事だったな、黒木場君の目利きはもう既にプロの域だったし犬神さんの包丁捌きも実に見事だった。毎年半数は落ちる試験だが此度はまた一段と鈍らが多かったからな。生き残った君達は総帥の言う玉なのだろう、いつか俺の店で働いて見ないか?」

 

「お嬢が行けって言ったら考えます」

 

「まだまだ勉強不足ですので」

 

 かつての十傑の店で働くなど現状絶対に力量不足も良い所だろう、あまり良い反応を貰えなかったからなのか少し落ち込んだ様子の関守先輩であったが気が変わったら連絡してくれと電話番号の書いた紙を私と黒木場君に渡すと寿司の素晴らしさを集合場所に着くまで⋯⋯着いてからもシャペル先生に連れて行かれるまでPRし続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 十傑として遠月を卒業してから可能な限りほぼ毎年この宿泊研修に参加してきたが久しぶりにココまでの人材を発掘出来たと思う。目利きでは多くの者が見栄えと名前の有名さに騙され碌に確認もせずに鯛を選んだにも関わらず細魚に目をつけた黒木場リョウ、扱いが難しい細魚を()()()()()()()()()()捌き方で完璧に捌いてのけた犬神美咲、彼女が逸材だとは堂島先輩から聞いていたがこの時期に冷水に手を浸けたその行動とそれでいて表情一つ変えない精神力は当時の俺には無かっただろう。何よりあの捌き方を何処で知ったのか、過去に研究会の活動で仲間との試行錯誤の末編み出した細魚専用の捌き方だ。

 

「随分と楽しそうじゃないか、関守」

 

「彼女は相当な逸材ですね、俺が長い時間を掛けて編み出した技をまだ向上の余地は多分にあれど使いこなしています。スタジエールでは是非うちに派遣して欲しいですね。それに何より基本となる動作がしっかりしていて無駄が無い、これから専門性の高い技術を身につけると思うと非常に興味深です」

 

「50食作りの課題で態々一番近い調理台に変更したのはそれが理由か?」

 

「えぇ、神の舌に次ぐ期待以上の速度を見せてくれました」

 

 堂島先輩が期待するのも頷けるものだった。正確な動作でペースを乱さず作ってのけるその動きは例えるなら機械のようであり恐らく今まで調理に費やしてきた時間は随一だろう。

 

「しかし彼女はアレだけの熟練した技能を持ちながらもつい先日、たった一度しか食戟を経験した事が無く、十傑の議題に上った事すら無かったらしい。まぁ同じ授業を受けた生徒の間では有名だったらしいがな。包丁細工の特別授業では君の一つ下の成績だったらしい。そして彼女はこう呼ばれているらしい、【神の包丁】と」

 

「っ!」

 

 【神の包丁】それだけの二つ名で呼ばれる彼女の底力は此度の審査では殆ど発揮されていなかった事だろう。過去に二つ名を与えられた者は数多く居れど、【神】と付く二つ名で呼ばれた者はそう居ない。それを得ているという事は数少ない天性の才を持つ者、薙切えりなと並ぶ事を意味する。底の知れない料理人、無表情だと思ったのは今回の課題程度では揺れ動かない程の絶対的地力あっての事だったのか、犬神美咲、彼女の事が益々欲しくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ」

 

 疲れた。他の単語など出てこない。強いて言うならチェックを担当してくれる関守先輩に最も近い調理台を与えられた事と恐らく公平を期す為だろう基本の技能だけを試す内容であったのが不幸中の幸いだろう。鼻歌を歌っている先客が居たらしい広い浴室に音を立てない様に浸かり小さく息を吐く。課題の最中に美作の姿を確認した事もあり一日中張り詰めていた緊張が解けていくのが分かる。

 しかし今回の課題では研究会巡りをした甲斐があったと心底思う。誰かは知らないが細魚専用の捌き方なんてモノを記録に残してくれていた事に深い感謝の念を贈る。明日の課題でも万が一があるかも知れないので部屋に戻ったら持って来た分だけでもメモ帳を読んでおくべきだろう。

 

「あ~♪」

 

 しかし上腕大学って何処にある学校なのだろうか。しかし今日最後の課題では関守先輩がずっとこっちを見ていた気がするし、緊張し過ぎて途中から記憶が無いのだが無事作り終えていたので妙な動きをしていないか以外の心配は要らないだろう。しかし随分と上品な鼻歌だ。鼻歌なのに上手いと言うか轟々と音を立てている給湯口に掻き消されずよく響いている。十二分に聞き入れるレベルだ。

 

「さて、誰か来るかもしれないしそろそろ上がるとしましょ⋯⋯犬神さん!?」

 

 誰かと思ったら薙切さんであった。ぺこりと頭を下げると彼女は顔を真っ赤にして悶えた後ハッと我に返り震える声で聞いてきた。

 

「何か、聞こえていましたか?」

 

「とてもお上手でしたね」

 

 何故か再び顔を真っ赤にするとわたわたと奇妙な動きをした後「忘れてください!」と叫んで上がって行ってしまった。たった一人になってしまった浴場でいくらかぼーっとし、次の生徒が入ってくるのを合図にお風呂を上がった。今晩は今後の課題のための知識の補填をしなければならないのだ。ペアの課題とかだと足を引っ張らない様にしないとなと思いながら自室に帰った。




犬神美咲の設定(一部)
・山口県の小さな料亭出身
・神の包丁と一部の生徒に呼ばれている。最近偉い人達にも...
・調理そのものの技術レベルと向上心は凄い、でも新メニューの開発等は向いていないと自覚している。努力型。

美作昴の今作での設定(今のところ)
・認めてくれた美咲に傾倒している。
・バイクにはサイドカーが付いている。
・美咲の借家の前の安アパートに下宿している。
・包丁集めはもうやめた。

作者は関守シェフの顔が何故か忘れられません。


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四皿目 フリッタータ

沢山のコメントと評価、お気に入りをありがとうございました。
知らぬ間にランキングに載っていたらしく驚きを隠せなかった作者です。
(お気に入り100人超したとか思ったら1000人でびっくりしたりもしました。)



1~3話にご指摘いただいた部分の修正を行いました、物語に影響は与えない部分ではございますが作者の無知とずぼらな部分を晒した事をお詫びいたします。

またあまり改善されてねぇじゃん!とお思いになられるかと思いますがこれがこの眠たい兎クオリティです、味だと思ってください。


 宿泊研修二日目、昨夜の私はどうやらメモを読みながら寝落ちてしまったらしく顔の上にメモが載った状態で目が覚めた。昨夜私は何時に寝落ちたのだろうか⋯⋯一応一冊分を読みきった記憶はあるのだがその後の記憶が曖昧だ。

 

「なぁ、私は何時に寝たんだろうな」

 

「個室な以上それは美咲さんにしか分かんねぇだろ」

 

 隣で美作が力無い声で応える、昨日の50食作りの時にも確認はしていたがこいつも無事に生き残っていて一安心だ。まぁこいつが落ちる様な試験だと私を含めた生徒の9割は退学だろうが。

 

「美作は昨日どの先輩の組に当たったんだ? 是非とも何をしたか聞きたいんだが」

 

「あー⋯⋯堂島先輩だ。やった事は筋トレか⋯⋯? 」

 

 筋トレってなんだよ⋯⋯確かにあの堂島先輩が卒業試験の点で最高記録を持っているらしい事を踏まえて考えると筋肉=料理の腕なんて暴論もまかり通る気もする。関守先輩も堂島先輩と一緒に上腕大学ボディービル部の方々と親交を深めていたし。

 

「具体的には何をしたんだ? 」

 

「勿論普通に料理もしたんだが一番の脱落理由は移動が走りだった事と準備されていた調理器具が殆ど重量級だったんだよ。一人程何の苦もなくこなしてた女がいたがな 」

 

 気力も体力も不足している方では無いと思うが毎週食戟をしてきたらしい美作がこれだけ疲れを見せる課題となると是非遠慮したい。特に最終日にそんなものに当たったら気が済むまで堂島先輩にくさやを送りつける日々がスタートしてもおかしくない。

 まだ見ぬ堂島先輩の課題に戦々恐々としていると噂をしたので影がさしたのか単に時間になったからなのか堂島先輩がステージに上がる。

 

「皆一日目の課題達成おめでとう、既に150名近くが強制送還のち退学処分になったが君達は未だここにいる。このまま残りの4日も無事切り抜けられる事を祈っているぞ。さて、二日目の課題だがグループ分けしたリストを部屋の四隅に掲載しているのでそれを確認するように、それでは移動開始! 」

 

 もう150人もいないらしい、とは言えうち40名近くを関守先輩が落としたのを見ているのでそう大した驚きは無い、ある種それだけ落とした課題を既に終えた事に安堵したと言ってもいいだろう。

 

「さて、俺が見てくるからここで待っててくれ 」

 

 そう言うと美作はのっそのっそと歩いていく、あの巨体だからそうそう人混みに流される事も無いだろうし体格的にもやしっ子が多い遠月の生徒で彼を押しのけられる者もそういないだろう。と言うかむしろ彼の後ろに流れが出来ている。

 ふと視線を自分の手に向けると恐らく昨日冷やしすぎたのが理由だろう、過去の練習で出来た傷の内新しいモノが浮き上がる様に腫れていた。やはりアレをすると自分のサイズ以外は余り女性的と言えない手が存在を主張するので少し辛い。

 

「美咲さん、見てきたぞ 」

 

「おかえり美作、どうだった 」

 

「美咲さんは水原先輩だな、グループは昨日に引き続きBだ。バス移動だからロビーに一旦集合らしいぞ 」

 

 確か水原先輩はイタリア料理の専門だった筈だ、別段得意な訳ではないが最低限パスタとチーズは人並み以上に研鑽を積んできたと自負しているので何とかなると信じている。そうであって欲しい。

 

「それで美作は誰が担当なんだ? 」

 

「俺か? 俺は関守先輩だな。」

 

 昨日笑顔で大人数を斬り捨てた光景が思い出される、美作なら大丈夫だと思うが万一その実力が元で慢心し失敗なんて事が無いとは言い切れない。しかしここで変にプレッシャーをかけるのもそれはそれで足を引っ張る事に繋がりそうだ。

 

「気を引き締めて臨めよ 」

 

「お、おう。まぁここで慢心できる程余裕はねぇよ 」

 

「ならいい、頑張れな 」

 

 結果口から出た言葉はなんとも微妙なものであった。プロの野球監督がやや生意気な新米選手を激励する場面の様なやり取りになってしまい美作がなんとも言えない顔をしているが、私にはこの雰囲気を何とかする話術を持っていないので手を振ってロビーに向かう。

 その時に微妙な会話が聞こえたからなのか美作だけでなく複数人の視線を感じたが全面的に私の自業自得なので振り返る事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 宿泊研修での講師陣の目的は優秀な生徒に目をつけコンタクトを取っておくことにある。当然優秀とされる生徒を自分の担当するクラスに回して貰えるように希望もするし二日目以降の組分けでは講師陣での生徒の取り合いも毎年恒例である。

 今年は神の舌以外にも期待できる者が多く喜ばしい限りだ。壇上での挨拶と今後の指示を終えた俺の視線はその中でも特に期待している者、初日に関守の試験を難なく突破した【神の包丁】犬神美咲へと向けられた。彼女は食戟の対戦相手を付き人にしたと聞いている。今現在彼女の近くに彼は居ないが大方組分けの確認にでも行っているのだろう。

 

「ほぉ 」

 

 彼女の動作に思わず声が漏れる。あの動きから推察するにもう既に関守から何かを掴んだのだろう、しかしまだ足りないといった所か。食戟の対戦相手であった男、美作昴が彼女に近付くと何かを話し、彼女は手を上げて退室していく。

 

「堂島さん、彼女ですね? 」

 

「あぁ、欲しいと思うか? 」

 

 乾の真面目な声が聞こえた、恐らくは手を見ての言葉だろう。彼女の手は実に料理人らしい手をしており、傷だらけの彼女の手は見る者が見れば一目瞭然である。幾度と無く包丁を振るってきただろう彼女があの食戟まで身を潜めていた理由は気になるがそれ以上に行く先が気になる。

 

「当然です、間違っても四宮先輩なんかに彼女は渡しませんよ 」

 

 いつもの声色にもどった乾は四宮には渡さないという。現状の四宮の組に彼女を回す気は無いがその辺りは今後の奴次第だろう。それに⋯⋯

 

「だよな 」

 

 

 

______俺も是非欲しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 調理台の上には卵と眼鏡が並んでいる。眼鏡は私の物ではない、隣で二日目にして死にそうな顔をしている男子生徒のものだ。

 

「大丈夫か? 」

 

 返事は無い、きっと彼は初日にハードな講師を引いた組の生き残りなのだろう。もう既に眼鏡がずり落ちるほど痩せ、掛け直す気力も無いらしい彼は今回戦力として当てにはできなさそうだ。

 

「ぼ⋯⋯くの⋯⋯眼鏡を 」

 

 掠れるような声で眼鏡を求める彼の顔に眼鏡をかける、痩せた彼の顔からは早速眼鏡がずり落ちようとしているが枯れ枝の様な腕で何とか支えている。

 何時倒れるかと心配しながら見ていると前の扉から水原先輩が入ってくる。やや遅れた理由の説明と課題の説明を済ませると早速調理に入るように言う。課題の内容は『この部屋の食材と配布済みの鶏卵で美味いフリッタータを作れ』だ。

 

「さて、何を入れようか」

 

 フリッタータは端的に言うと具沢山なオムレツであり、元々はイタリアで卵料理全般を指す言葉であったのだが近代では卵液の状態で食材を入れ、じっくりと焼き上げたものであるとは中等部時代の教師の雑談だ。

 

「食材は僕が運ぶよ⋯⋯調理と味の調整は任せていいかい? 」

 

 彼が擦れた声で答える。正直任せても大丈夫か迷う所だが彼に調理を任せるわけにはいかないとは思うしペアの課題である以上全て私がやるわけにもいかない。それに普通のチョイスでは水原先輩は納得しないだろう、ならば食材選び等は彼に任せて私は調理に専念するのが最善か。

 

「分かった、が。食材は持てるのか? 」

 

 なんとかするといいながらヨロヨロと歩いていく彼は今にも倒れそうなので慌てて着いて行く。挙句には粉類の小袋を持ち上げてはぷるぷると震える手で持ち帰ろうとするので途中からは彼の擦れた声を聞きとり食材を運搬するのが私の仕事になっていた。

 

「さて、先ずは調味料の計量から済ますぞ」

 

 現十傑第2席の食戟で使われていたオリジナルの再現故に未だ感覚での再現には自信の無い。非常に卵料理との親和性が高いので使う頻度は高いのだが恐らくこれが十傑とそうでない者の差なのであろう。これをふとした拍子に考え付いたなどそんな非常識な話があって堪るか。

 

「そして卵を割って調味料とトマト、椎茸、パプリカ、ベーコン、チーズ⋯⋯」

 

 態々声に出したのは彼の言葉からの聞き漏れを防止するためだ。恐らくは彼独自の合宿で練り上げてきたレシピであろうと推察できるので少しのズレも容認出来ない。

 

「さて、後は焼くだけだな」

 

 火を入れて直ぐに滲み出る芳香が第二席に鎮座する彼女の才能を感じさせる。強烈な香りの暴風に意識を奪われそうになるのは毎度の事ながら調理中は鼻栓が必要と思わざる得ない。10分程火が通ったと思ったのでひっくり返すと驚いた顔をされたがその顔はミイラの様で驚いていると言うより次の瞬間呪われていそうな顔付きだった。

 更に5分程経ったらフライパンごとひっくり返してまな板の上で少しの間放置する、これは形を整えるためのモノでフライパンの上で突きまわして整えるとどうしても見栄えが悪くなるため行うものだ。原案は二つ上の先輩方による食戟で、たしか割れた窓ガラスの責任をどっちが取るかだった筈だ。

 フライパンを除けると70°くらいの角度に切り分けて皿に盛る、男子生徒の方へ視線を向けると彼は見栄えの為にミツバを置くと眼鏡位置を調整する。

 

「それではいこうか」

 

 皿を持ち声を掛けると水原先輩の元へと運ぶ、その間の移動速度は彼に合わせた為とても遅く、年寄りと一緒に歩く気分だった。本当に誰の課題に当たったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿泊研修の二日目、堂島さんがえらく気に入っている生徒である犬神美咲を担当クラスに手に入れた。今日の課題は彼女の実力が気になったために当初予定していたレシピを配っての課題から自由度の高い課題へと変更した。

 

「さぁ、はじめて」

 

 スタートの指示を出すと大半の生徒が慌しく動く中、犬神美咲と丸井善二のペアだけはのんびりと何かを話している。犬神美咲が話している言葉は聞き取れるのだが丸井善二は何を言っているのか、そもそも話してるのかすら分からない。

 暫くすると丸井善二がふらふらと動き始めその横を犬神美咲が付き添う様に歩く、どこからどう見ても介護の現場であり犬神美咲の足を引っ張らない人間を選んだつもりだったが失敗だった様だ。とりあえず彼を優秀な生徒だと推してきたドナートには一言文句を言う事を決意した。

 

「水原シェフ、審査お願いします」

 

 そう言って最初に品を持って来た生徒は鉤鼻が特徴的な男子生徒とやや顔色の悪い女子生徒のペアだ。作業速度は早く焼き加減、材料こそ一般的なものだが丁寧に下ごしらえは済ませてある。一口食べて結果を伝える。

 

「合格、調理台を片付けたらバスで待機」

 

 些か早すぎるがイタリア料理は軽快さが持ち味の一つでもある、堂島さんや四之宮に指摘されたらそう返そう。少し目を離したが彼女を見ると丸井善二、ひょろい眼鏡を放置して食材の運搬を一人でこなしている。殆ど迷っている様子が見えないのでもう作るものは頭の中で決まっているのだろう。

 

「水原シェフ」

 

 次の組が持って来たが食べるまでも無い。

 

「作り直し、下拵えが不十分」

 

 今回の課題は机の上の卵が残機となる、卵がなくなれば当然退学だ。もとの課題を手前の都合で変えた事から若干課題の難易度は下がっているが少しでも焦がしたり食材の火の通りが悪ければ当然アウトだ。

 再び彼女に視線を戻すと既に下拵えとして素材の準備は出来ており、アレだけの食材を捌く速度はうちの厨房スタッフと比較しても上位であると評価を上げる。

 

「水原シェフ」

 

「作り直し、火加減にむらがある」

 

 課題をフリッタータにしたのは実は失敗だったかもしれない、余りに素直にフリッタータを作る生徒が多く工夫を凝らしたペアの数が余りに少ないのだ。また審査をしてもらいに来る間隔が短く彼女を見ていられるのが断片的になってしまう。

 卵を熱し始める音が聞こえ彼女に視線を戻そうとした顔が意識より早く移動する。余りに強烈な香りに意識より反射で振り向いたのだ、何をしたのか見ていなかったのが悔やまれる。火に掛け始めた彼女は微動だにしない、恐らくは食材に火が通る音を聞いているのだ。実に10分、彼女は身動ぎ一つしなかった。

 10分後にひっくり返すとその手際に驚いたのか眼鏡が凄い顔、例えるなら真夜中のアイアイの様な顔をしていた。また暫く火を通すと今度はまな板の上にフライパンごとひっくり返しそのまま十秒ほど放置してからフライパンを持ち上げる。素早く切り分け皿に載せると一歩。

 

「____!」

 

 たった一歩、それだけの感じ取れる匂いが強烈なモノへと変わる。調理中の者もそちらに意識を奪われ中には焦がしてしまっているペアも存在するが、それすらしょうがないとすら思えてしまう程の強烈に食欲を刺激する香りだ。

 また一歩。

 眼鏡のペースに合わせてくる事が腹立たしく思える程に刺激された食欲が私の足を前に出そうとする。

 

「っ!」

 

 オーナーシェフとしての矜持か、元十傑の第二席として積み上げてきた天才としての自覚がそうさせたのか半歩踏み出させた所で足を止める事に成功する。しかしそれでも半歩、たかが学生、それも1年生の作った料理の匂いだけでだ。歯を食いしばって平然を装う。

 

「水原先輩、審査お願いします」

 

 淡々と言う彼女の声は機械のそれを感じさせる程に感情が抑制されている、しかしそんな事はどうでもいい。フォークを用いて先端を数センチ削ぐ。溢れ出す香りに食欲揺さぶられながらもあくまでゆっくりと、口に運ぶ。最初の一口。

 

「_______!?!? 」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果から言うと試験は合格であった、調理台を手早く片付けると眼鏡の男子生徒___丸井君を連れてバスに乗り込む。丸井君は彼女の作った調味料の香りに当てられたからなのか、そもそも体力の限界が来ていたのかは知らないが、バスに乗り込むや否や人の肩を枕代わりに寝息を立て始めてしまった。起こすのも悪いので放置しているのだが私より身長の低い男子を見ると自分の身長に溜息が漏れる。助かる事も多いが160くらいで止まって欲しかった。また落ちている彼の眼鏡を拾う。

 

「なかなかユニークな眼鏡だな」

 

 今日の課題では過労のせいか水原先輩が眩暈を起こして倒れると言う事件があったが丸井君の選んだトマトやパパイアが心に染みたのか涙ぐみながら合格を出してくれた。料理人、それもオーナーシェフともあれば仕事も忙しいのだろうがいつぞやのうちの親の様にならない程度に休息は取るべきだろう。手に取った眼鏡をかけてみる。

 

「⋯⋯あり、なのだろうか」

 

 いままで服飾品とは無縁であったし最低限眉を顰められない程度にしか見た目に気を使って来なかったが、里帰りをしてまた母に愚痴られる前に少しは知識を持っておくのもいいかもしれない。まぁ何度もそう思いつつも今まで料理しかしてこなかったのだから今回もきっとそうだろう。

 

「う、うぅ。筋肉が⋯⋯」

 

 悪夢にうなされているらしい、彼の頭に手を当てて何度か撫でてやると動かなくなった。また深い眠りに入ったのだろう。今日は水原先輩に料理を出す等、非常に緊張する場面が多くいつも以上に身体が強張っているので是非ともじっくり風呂に入りたいと思う。

 暫くして最後の組と水原先輩が乗り込み、バスが発進する。まだ日が出ているうちに課題を終えた私達Bグループの生き残りの大半は早めに風呂を済ませ明日の為に休息を取った。生憎と諸事情により私は他のグループが来るまで風呂に行くことは叶わなかったが。

 




丸井氏も顔が忘れられないです、何かに似てるのだろうか?


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五皿目 炙りダルマのカルパッチョ

長い!長いよ!
本日(昨日?)初めてツイッターでアカウントを作ってみたんですがやはり慣れないことはするもんじゃ無いですね...

誤字脱字報告、感想、評価、お気に入りを下さった方ありがとうございます。これからも頑張りますのでよろしくお付き合いください。

早速誤字報告ありがとうございます

2019/10/11 修正


「本当にありがとうございました、犬神さん」

 

 私に丁寧に頭を下げているのは丸井君と同じ寮らしい榊さんだ。また、つい先程まで彼女の隣には小柄な女の子が居たのだが、前髪を目が隠れるまで伸ばした男子生徒が何かをぼそぼそと伝えると飛ぶように走り去ってしまった。

 

「気にしなくていい。私が勝手にやったことだしな」

 

「それでもよ。折角早々に課題が終わったのに随分とお世話になったみたいだし」

 

 彼女はもう一度深々と頭を下げるとちらりとベッドへと目を向ける。再び視線をこちらに向けると落ち着いた声色で話し掛けてきた。

 

「しかし噂通りの人柄なんですね」

 

「噂とは? 」

 

 私に関する噂は存外に多い事が最近分かってきた、その内容は多岐に渡り、事実無根のものから尾鰭背鰭がついたもの、はたまたやけに神格化されているものまであるのだ。彼女の言う噂がどれなのかは知らないが事実無根のものであればやんわりと否定しておくに越した事はないだろう。

 

「美作昴との食戟の話よ、アレは遠スポでも大々的に取り上げられていましたから、でも他人の包丁の為に退学を賭けるのはやり過ぎですよ」

 

 既に学園で知らぬものはいない対美作戦であるが、結果としては正しいのだが私の主観で見るとここには多大な誤解が含まれている。私は別に食戟をするつもりは無かったし、自主的に退学を賭けて美作に食戟を受けさせたなんて事もしていないのだ。

 

「あぁ⋯⋯次は無い」

 

 主に食戟をする事が。私としてはこの噂は非常に居心地が悪い、しかしだからと言ってここでそんな人間じゃないと言える程私の心臓はけむくじゃらではない。

 

「そうだと良いのですが⋯⋯犬神さんはお優しい方の様ですから」

 

「そんな事はない、ただの成り行きだ。さて、私はこの辺でおいとまさせて貰おう、彼によろしく」

 

 そう言うと手を軽く振りつつ自分の部屋に向かう、時計を確認するともう夕刻だ。昼一番に終わって(この学園の)宿泊研修では信じられない自由時間を獲得した筈が、そんなものは無かったと言わんばかりに消え去ったわけだ。

 

「どうしてこうなったかな」

 

 原因は数時間前に遡る。

 

 

 

 

 

 

・・・4時間前・・・

 

 課題が終わった私達Bグループは、早々にバスに乗って帰ることが出来ていた。その中で丸眼鏡をかけた男子生徒、もとい眼鏡を掛けていた丸井君が私に凭れ掛かりながら寝てしまったのだ。

 ここで女性らしい反応としては彼に変態扱いを行うのと、全てを許しつつも起きて貰う選択肢が存在したと4時間後になり落ち着いて事態を振り返った私は思うのだ。しかし当時の私にはその様な選択肢は存在していなかった。

 

「⋯⋯起きないか」

 

 バスが着いて他の生徒が彼を見ながら施設内に戻っていく中、彼は依然として目を覚まさなかった。何度か揺さぶって見ても起きる気配はないし、困った私は水原先輩を頼るべく彼女の方を見たのだが、過労で貧血症を起こす程疲労が溜まった彼女もまたちょっとやそっとの揺れでは起きない程に爆睡していたのだ。

 

「水原先輩も⋯⋯運転手さん」

 

 運転手の豪快そうな立派な体躯をしたおじさんも、声を掛けても起きない水原先輩に困りきっている様子だ。

 

「あぁ、お嬢さん。引率の先生なんだが⋯⋯」

 

「えぇ、あの此方の彼なんですが⋯⋯」

 

「「はぁ」」

 

 おじさんの話によると時々どうやっても起きないのにバスの中で眠ってしまう方はいるらしいのだが、彼も男性なのでどれ程幼児体型(比較乾先輩)でもやはり眠っている女性に触れるのは少々問題とのこと。

 

「分かりました、彼女は私が運びますので彼をロビーまで運んで頂けないでしょうか」

 

「助かるよ、でも大丈夫かい?」

 

 これでも遠月で3年以上のキャリアを積んできた私には中華鍋を振り回す程度の筋力は備わっている。小柄な水原先輩なら二人抱えても余裕である。

 

「大丈夫ですよ」

 

 そう言うとおじさんに寝ている丸井君を預け自分の荷物と丸井君の荷物を肩に掛け、水原先輩のリュックを背負うと彼女を抱きかかえる。バスを降りてロビーに向かうと先行していたおじさんには驚かれた。

 

「お嬢さん、案外パワフルなんだな」

 

 傷付くので是非止めて欲しいが彼に悪気は無いだろうし、また幾ら私が筋肉質だろうと三人分の荷物と一人の人間を持ち続けるのは疲れるので、肩を竦めつつ彼女を抱いたままロビーにあるソファに座る。構図的には倒れ付す丸井君の横に私が水原先輩を膝枕する形で落ち着いた。

 

「さて、俺はこの後学園まで生徒を連れてかにゃならんから悪いが後はよろしく頼むぞ」

 

 そう言うとのっしのっしと歩き去っていく。残された私は荷物の中からメモを取り出すとなるべく揺らさない様に気を付けながら今日のフリッタータ、丸井君の選んだ食材について書き記す。後は過去のメモに補足を書き加えたり、また確認しながら過ごした。

 2時間と少しが経った頃、3時を少し過ぎた頃。本日二組目の課題が終わったグループが帰ってきた、引率の講師は乾先輩だ。話した事は無いが霧の女帝の二つ名に似合わず温厚そうな人なので安心しつつ呼び止める事にする。

 

「乾先ぱ⋯⋯」

 

「丸井!? 」

 

 呼び止めるより先に丸井君の知り合いが見つけてくれたらしく、背の低い元気そうな女の子が走ってくる。その姿を見て気が付いたのか、乾先輩も満面の笑みを浮かべながら近寄ってくる。呼び止めておいて失礼かもしれないが、彼女の此方を見る目には少々寒気が走った。何故かは分からないが。

 

「もしかして丸井君の友人だろうか」

 

「い、犬神さん!? え、嘘本物なの」

 

「偽者の私がいるなら教えて欲しいがそれより彼の友人、または知人だろうか」

 

 私の偽者がいるとすればきっと噂は彼女のものなのだろう。彼女はコクコクと頷くと丸井君の頬をペシペシと容赦なく叩き上げ、「こりゃ駄目だ」等と言いながら彼の荷物を漁り始める。いいのだろうか。

 

「まぁまぁ水原先輩ったら」

 

 声の方を見ると乾先輩が此方にスマホを向けて写真を取っている所だった。

 

「あの、乾先輩。何を? 」

 

「あぁ、出来れば貴女、水原先輩の頬に指を当てて覗き込んで下さいますか? 」

 

 何も疑う事もせずに彼女の言う通りにするともう一度シャッター音が響く、気が済むまで水原先輩の寝顔を撮ったらしい彼女は此方に視線を向けると頭を下げる。

 

「申し訳ありませんでした。水原先輩には写真付きでよく言って聞かせますので犬神さんはゆっくり休んでください」

 

「名前を言いましたか? 」

 

「あ⋯⋯堂島先輩から聞いたんです。そういえばこれは忠告ですが陰険そうな眼鏡と堂島先輩からの誘いは全て断るのがぁぁぁぁぁぁぁ! 」

 

 唐突に後ろから何者かが彼女の頭部を掴んで持ち上げる。少し頭をずらすとそこにいたのは四宮先輩だった、初日に課題が始まる前に一人の生徒に退学を言い渡した事は記憶に新しく、先程の女子生徒も物音立てず無になっているし、私の背筋にも冷たいものが這うのを感じる。

 

「だぁれが陰険そうな眼鏡だって日向子ぉ、って水原じゃねぇか」

 

 彼は水原先輩の存在に気が付くと乾先輩を投げ捨てて写真を撮る。ここの卒業生は仲が良いのだろうか。

 

「あの⋯⋯できれば引き取って頂きたいのですが」

 

 控えめに主張すると彼は溜息を吐いて水原先輩の襟首を掴んで持ち上げる、その時に一瞬凄い目をしていたが空いている手を振ると振り返りもせずに歩きだす。その後を乾先輩が文句を言いながら付いていくのだが聞く気はさらさら無いらしく、そのまま従業員用のエレベーターに乗り込んで去っていった。

 

「よく四宮先輩に話しかけられたね犬神さん⋯⋯」

 

「いやまぁ、あのままの訳にもいかないし」

 

 いつの間にか丸井君を起こす人に赤い髪の女子生徒が増えているが、彼女も知人なのだろう。

 

「それに丸井君が随分と迷惑を掛けたみたいで⋯⋯」

 

 そういって頭を下げる赤い髪の女子生徒は頭を上げると丸井君を背負おうとする。しかしやや大きめの彼女でも男子生徒を一人持ち上げるのは大変らしく四苦八苦している。このまま放置して帰るのもどうかと思うので、丸井君を横から抱き抱えて言う。

 

「どこまで運べばいい? 」

 

「え、うわぁ。悪いけど2201までお願いします」

 

 なにやら「う、うわぁ!呂布だぁ!」みたいな反応をされて若干凹むが気を取り直して歩き始める。余談になるが私は無双ゲームが好きだ。逆に頭を使う謎解きゲームが苦手だったりする。

 部屋に着くと彼をベッドに安置し、お礼を言われ自己紹介と少しの雑談をした。

 

 

 

 

 

 

・・・そして現在・・・

 

 まぁ最初の段階で色々と選択肢を間違えたが故の結果なのが、遠月では珍しい良い人に会えた気がする。エリート校故にか他人を下に見るか上に見るかしかしない生徒が多い遠月では得難い人物だ、多少勘違いをしているが彼女達とは関係を持っておきたいと思う。

 

「さて、風呂に行って美作誘ってから賄いを作るか⋯⋯」

 

 自分の部屋から浴衣と下着、タオルを小袋に詰めると大浴場へと向かう。大浴場に着くと、早々に入った人は既に上がり、賄いの後組の人達にはまだ早い事もあり数人がまったりと寛いでいるのみとなっていた。正直このやけに筋肉質な身体を人に見せるのは心苦しいので大助かりである。

 

「昨日程ではないがゆっくりは出来そうだ」

 

 身体を洗い、音を立てない様に湯船に浸かると一息吐く。今日一日で何度も人を運んだ事もあり、身体が随分と疲れていたらしい、ゆっくりと身体を解して上がろうと思ったその時だった。周りで寛いでいた生徒が一斉に立ち上がり脱衣所へ向かい始め、それと入れ違う形で整ったプロポーションをした女性が二名、湯船に入ってくる。

 

「足元に気を付けて下さいね、えりな様」

 

「緋沙子は私の事を何だと思っているのよ⋯⋯あら、一人だけ先客が居る様、っえ!?」

 

 どうやら薙切さんだったらしい。彼女が入って来たのを確認した生徒は万一不興を買う事を恐れ逃げ出したのか⋯⋯

そんな彼女達を臆病者と罵るつもりは毛頭無い。私だって分かっていればほぼ確実に逃げ出したのだから。

 

「薙切さんでしたか、こんばんは」

 

「あ、貴女は犬神さん!」

 

「そうですけど⋯⋯」

 

 流石にどう返せばいいのか分からない、唐突に何度か話した人間に「あなたは〇〇さんですね?」と言われても返事に困るだろう。付き人の方は一歩下がった立ち位置で此方を睨みつけている。

 

「え、えぇっと⋯⋯そうよ。彼女は私の付き人の緋沙子よ」

 

「よろしくおねがいします」

 

「はい、よろしくおねがいします」

 

「「「⋯⋯」」」

 

 なんと言うか気不味い、私には薙切さんにフランクに話しかける程に肝は据わっていないし、緋沙子さんに関しては何かしてしまったのか親の仇を見る目で見られている。

 

「い、犬神さんも残っている様で何よりです。尤も貴女には簡単すぎる課題なのでしょうけど」

 

「ありがとうございます。薙切さん達は⋯⋯まぁ楽勝も楽勝ですよね。緋沙子さんも非常に優秀そうですし」

 

 話の主題を2人へと移す。まさか黒木場君と丸井君に食材選びを丸投げして基本の調理しかしていませんとは言えないのだ。

 

「犬神さんは夕食はまだなのかしら?それとももう?」

 

「まだですよ、先に入浴を済ませてしまおうと思いまして」

 

「ではご一緒しませんか? あなたの付き人も居てもらっても構いませんから」

 

 断る理由を完全に断たれた私には頷く以外の選択肢は存在しない、以前一度食べて貰っているとは言え、今回は課題の残り食材を使った賄いだ。当然味も落ちるので正直な所彼女の舌を満足させるだけの自信が無い、当時も無かったが。

 

「わかりました、それでは私は彼を呼んでおきますのでゆっくり温まってから来てくださいね」

 

 しかし一時的とはいえ退席する理由を得た私は即座に行動を開始する。偉い人の考える事は分からないが分からないが故に何所に地雷があるのか分からないのだ、よって彼女の地雷を踏む前に逃げ出せた私は運がよかったのだろう。脱衣所ですぐさま浴衣を着ると美作にメッセージを送信し、長い髪を乾かすためにドライヤーのスイッチをONにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の鼻歌を聞かれていた事が、少々私の冷静さを欠いていたのだろう。変な声の掛け方に始まり、持たない会話、恐らく気を使わせてしまったことだろう。そんな事を考え自己嫌悪をしていたのだが、立ち上がった彼女の身体を見るとそんな考えはどこかへ消えていった。

 

「緋沙子、彼女を見たかしら」

 

「はい⋯⋯」

 

 緋沙子の返事からはいつものきびきびとした張りが感じられない、恐らくは同じ事を考えているのだろう。

 

「頑張り屋の貴女だから言うのだけど、彼女に追いつこうなんて思わなくてもいいわ。それは即ち私を抜く事なのだから」

 

「⋯⋯ッ!」

 

 悔しそうだが当然の事だ、あの手を見て勝てると言うものがいればそれは余程の実力者か三流に他ならない。神の舌と言われ、数々の味見役やアドバイザーをしてきた私でも彼女には勝てないだろう。彼女のセンスは一流、そうでなければあの食戟の香り、風味、計算されつくした余韻の説明がつかない。

 ただそれだけでは無いのだ、私は神の舌に頼って来た、緋沙子は薬膳の技術に、しかし彼女の料理は一つのものに頼ってのモノではない。手の傷からだけでも柳刃包丁から始まり中華包丁、麺切り包丁、間違いでなければフグ切り包丁の傷まであった。当然火傷跡も様々だ、【神の包丁】と最初に言った者は余程見る目があったのだろう、恐らく彼女は⋯⋯

 

「緋沙子、上がるわよ」

 

「は、はい」

 

 彼女に負けてはいられない、楽勝と思えた宿泊研修だが唯突破するだけでは足りない。確実に成長しなくてはならないだろう、彼女に追いつかれるからでは無い、彼女に追い着くためにも。

 そう、彼女の包丁は______

 

 

 

 

 

「やっぱり朝の牛乳だけじゃ効果ないのかなぁ」

 

 緋沙子の呟きはよく聞き取れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 髪を適当に乾かすと脱衣所の外に出る、そこには美作がいつもの闇に紛れるストーカー装備(通常形態)で立っており、誰がどっからどう見ても不審者だ。ここに居る理由を知っている私ですらそう思ったのだから間違いない。

 

「あー待たせたか?」

 

「いや、そうでもねぇが⋯⋯薙切えりなと食卓を囲むってのは、マジで言ってるのか?」

 

 彼女が冗談で言ってなければマジだろう、生憎とあの目はマジだったと思っているしトーンも冗談のものでは無かった。黙って頷く。

 

「そうか⋯⋯美咲さん、頑張ってくれ」

 

「どういうことだ? 」

 

「俺にはまだ美咲さんの料理の横に料理を並べるには至ってない、ましてや神の舌相手にとなるとな」

 

「そうか?」

 

 すまないが美作、私にも神の舌に食わせる次元になんて至っていないし万に一つ、百万に一つの可能性で至っていたとしたら私は今遠月で無い場所で料理をしているか十傑にいる。彼女を満足させる料理なんて極一握りの一流店、その中でも特に腕のいい料理人の料理くらいなものだ。

 

「あぁ、しかしやっぱり美咲さんはすげぇぜ」

 

 これはやばい状況に嵌ってしまったのでは無いだろうか。私一人だと不安な事もあり呼んだ人間が立派に一つの不安要素になりつつある。

 こんなはずでは⋯⋯と内心で頭を抱えていると後ろから足音が聞こえて来た。ほかほかと頭から湯気を発しながら出てきた彼女達の浴衣姿は非常に美しい。女の端くれである私から見てもそうなのだから美作なんかは⋯⋯と思い彼の方を見るが大して反応を示していない。

 

「お待たせしました、犬神さん」

 

 ぺこりと頭を下げる薙切さんと緋沙子さんだが、先程緋沙子さんから感じた雰囲気は今全く感じない。気のせいだったのだろうか。

 

「いえ、それでは行きましょうか」

 

 ポジション的には薙切さんと私が先頭で、付き人コンビが各々の斜め後ろに陣取っている。話の中心となるのは何故かトランプの話で、淑女然とした普段の彼女からは想像も出来ない押しの強さで今晩トランプに付き合う約束をされてしまった。

 薙切さんの向かう先は昨日自分で賄いを作った場所とは別の厨房だった、その先にある食材は基本の目利きしか碌に出来ない私が見ても良品だと分かるものばかりで、彼女の為に残された食材らしい。十傑の優遇ってこんな所でも発揮されるのかと思うと、是非自分も十傑になってみたいものだと思う。まぁなりたくてなれるならもうなっているのだけど。

 

「さて、そうね。各自一品ずつ大皿に作って食べ合うってのはどうかしら。一番評価が得られなかった人が今晩のシャッフル係りって事にしましょう」

 

 美作は微妙な顔をしていたが、この場で最も発言権が無いのは誰が見ても明らかなので、諦めて作る事にしたらしい。例え二番目に発言権が有ってもTOPの決定は覆せないのだけど。

 

「それではスタートよ」

 

 にこやかに言う薙切さんは少し楽しそうだが余裕が無い様にも見える。それ以上に鬼気迫る顔をしているのは付き人2人なのだが。

 食材を一望すると頭の中で手帳を繰る、食材が豊富なのとここ数日で何度も繰った事もありスラスラと思い出せるが、ここで誰かと被ると直接勝ち負けが決まる様で嫌なので3人の様子を伺う事にする。ぱっと見た感じだと美作は中華料理、薙切さんは材料から推察するにソースと肉を使った何か、緋沙子さんは炊き込み系だろう。

 

「⋯⋯見事に散らばったな」

 

「どうした? 」

 

「いやなんでもない」

 

 ならばやはり魚だろうか、ダルマを数匹持ってくるとまな板に置く。一息深呼吸、円の動きを意識しつつ一閃。

 

「「はぁ!?」」

 

「!?」

 

 唐突に上がった声に反応して後ろを見ると、匙を取り落としそうな緋沙子さんと目を見張った薙切さんが慌てた様に自分の調理に戻って行った。此れは元十傑の黒髪の男性の映っていたビデオテープを元に練習した技で、未だお世辞にも完全とは言えない出来だがやるとやらぬのでは味に大きな差ができるのだ。

 所謂魅せ技にカテゴライズされる技法だが魚に触れる時間と面積を大幅に軽減出来る為、遠月で生食を行う時は必ずと言っていいほど使用している。とは言え映像の方なら兎も角、私は奇抜な形をした魚、具体的には平目やベラなんかには使えない。

 

「ふぅ⋯⋯」

 

 中骨を取り除き、薄く切ると皿に載せ、そばつゆを塗り砕いたオールスパイスを塗す。既に言うまでも無いが今から行う事は先駆者の残してくれたレシピに沿っており私の発想が介在する事はない。後は野菜が置いてある場所からラディッシュ、青菜をスライス、刻み3人の完成を待つ。

 

「準備完了」

 

「俺もいいぜ」

 

「私もですね」

 

「構いません」

 

 全員の品が並ぶとバーナーで炙り、先程切ったラディッシュと青菜を載せる。加熱される事によりオールスパイスが急激に存在を主張し、美作の作り出した中華の匂いを上書きする。私が作ったのは炙りカルパッチョで、美作が麻婆豆腐、薙切さんが鴨肉のソテー、緋沙子さんが山菜の炊き込みご飯だ。

 

「さぁ、それでは頂きましょうか」

 

「「「「いただきます」」」」

 

 優れた料理人は食材への感謝を忘れない、食材の事を日夜考える者が優れた料理人になれるのだから。食材への儀礼を済ますと5人、各々が思うままに手を伸ばす。

 

「「「「「_____!?」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 食事が終わり、全員が私の部屋に集まるとフロントから借りてきたトランプを美作君がシャッフルし始める。先程の料理勝負では突如香りに釣られ乱入したシャペル先生の公正な審査の下、美作君の負けが決まったのだ。これが食戟ならば緋沙子が負けることも有り得ただろうが、突如勃発した企画の為準備の周到さが発揮されなかったのが敗因だろう。しかし食戟の時より彼は確実に腕を上げている、やはり【神の包丁】と呼ばれる彼女といるからだろうか。

 今回の結果は引き分けと言う事になっている。理由としてはシャペル先生が美作君を指定すると先生に呼び出しが掛かってしまい、各自食べた結果で判断と言う事になったのだが、緋沙子と美作君が各々の主人に一票を入れ、その主人同士が相手に票を送ったが故だ。私としては味は互角だったと思っているが香りでは大敗したと認識しているので事実上の負けと思う事にした。是非ともリベンジをと考えている。

 

「やっぱり俺が負けか⋯⋯」

 

「いや、正直舐めていたぞ美作昴。想像を遥かに超す美味さだった」

 

「そうだぞ、確実に腕は上がっている」

 

 両者共に考えは同じだったらしい、緋沙子が私以外を認める事は非常に少ない事である事を考えると、美作君はこれからも予想以上に化けるだろう。しかしこの巨体で褒められてやや嬉しそうになっている彼は見た感じの違和感が凄い。

 

「で、何をやるんですか?」

 

「その前に一つ、今日この時間に限っては敬語を禁止とします」

 

 堅苦しく遊ぶのはつまらないだろう、特に犬神さんは敬語を使う時と使わない時の差が凄いので堅苦しさが増すのだ。やや反対の意見も出たが当然押し通した。

 

「えー⋯⋯何をするんだ?」

 

「そうね、折角4人いるのだから緋沙子、何かない?」

 

「そうで⋯⋯ね。ナポレオンとかはどうで⋯⋯だろう」

 

 笑いが込み上げてくるが彼女は大真面目にやっているのだから笑うのは駄目だろう。しかし聞き覚えの無いゲームなのでルールを説明して欲しい所だ。

 

「それは何だ?」

 

「「「え?」」」

 

 私が聞こうとした所で犬神さん⋯⋯美咲が質問をした。どうやら彼女も知らなかったらしく、緋沙子の懇切丁寧な説明が始まる。意外な様で彼女が誰かとトランプをしている姿は想像出来ないのも確かだ。

 説明が終わり札が配られる、就寝時間まではまだまだ時間があるので何としてでも勝ち越したい所だ。

 

「さぁ、はじめましょう」

 

 非常に意外な事に彼女はとても弱かった。




勘違いはどこかって?次の次くらいには帰ってくる予定です。
もしかしたら次かも。


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六皿目 クークー

ボンゴレパスタ作ってみました。
いやはや美味しいですね。

沢山の感想・お気に入りありがとうございます。
相変わらずの眠たい兎クオリティですがこれからもよろしくお願いします。


 トランプで散々に負け続けた翌日の課題はなんとも無難に終わった。あの四宮先輩の試験と言う事で緊張していたのだが、何故か初日の様な棘そのものの様な態度が棘がある程度にランクダウンしていたのだ。御蔭様で生徒の大半が合格し、課題の中で彼考案のルセットを知る事ができた。

 

「で、美作。昨日はこの時間にはトランプをしていたと思うが今から何の伝達があると思う?」

 

「嫌な予感しかしねぇ、この合宿を振り返るに唐突の伝達事項ってのは50食作れだの今から中華鍋背負って駆け足だのばっかりだからな」

 

 だろうな、と言う事は今回も課題なのだろう。しかし上腕大学の先輩方は今更夕飯と言う時間ではないし、となると夜間行軍の後どこかで朝食作りとかだろうか。

 

「減ったな」

 

 部屋の人間を見ての台詞である。既に200はいないのではないだろうか、よくぞココまで生き残れたと思う。

 

「そうだな、っと、堂島先輩だぜ」

 

 

 『全員、ステージに注目!集まってもらったのは他でもない。明日の課題について連絡するためだ。課題内容はこの遠月リゾートのお客様に提供するのに相応しい朝食の新メニュー作りだ。朝食はホテルの顔、宿泊客の一日の始まりを演出する大切な食事だ。そのテーブルを派手やかに彩るような新鮮な驚きのある一品を提案してもらいたい!』

 

 それがこの時間に告知した理由か⋯⋯! 身体が強張り顔が引きつるのが分かる、遠月の卒業生が監修したホテルの朝食で客に出すにふさわしい新メニューを提案しろ、どんな無茶振りだと言いたい。

 

『メインの食材は卵、和洋中といったジャンルは問わないが、ビュッフェ形式での提供を基本とする。審査開始は明日の午前6時だ。その時刻に試食出来るよう準備をしてくれ。朝までの時間の使い方は自由、各厨房で試作を行なうのもよし、部屋で睡眠をとるのもよしだ。解散!健闘を祈る!』

 

 やや言葉足らずに思える説明だが明日の朝6時、ビュッフェ形式で提供を行えるだけの準備をとの事だろう。ジャンルが卵に限定されているので余程の自信があろうとも、普通の卵料理等をつくろうものなら印象に欠けるだろう。そもそも驚きある一品との事だ。

 何はともあれ先ずやるべき事はどの様な品を作るか決めるのが先だろう。一先ず部屋に戻ろう。

 

「美作、私は部屋に戻る」

 

「なっ!? わ、分かった。俺はすぐに試作をするから何かあったら連絡してくれ」

 

 向きを変えると大扉に歩いてゆく、誰も動かないので少し失敗したとも思うが部屋に向かう宣言をした手前引っ込むのも如何なものかだ。なるべく気にしないように歩いて広間を出ると、確実に引き攣っていた表情筋を解す。

 再び歩みを進め部屋まで戻ると鍵を開け、部屋に入りメモ帳を鞄から取り出して物色を開始する。昨日の課題で作ったフリッタータが手軽さ、味、練度共に一番だとは思うがあの場の人間と被る可能性が大だ。

 

「⋯⋯オムレツ、目玉焼き、フリッタータ、カニタマ、TKG」

 

 単純なものが多い卵料理は料理人の技術を示すのに最適とされ、料理人の審査等では良く使われる、特に遠月では。なので基本的な調理法だけでは確実に誰かと被る。オリジナル、または強烈なアレンジが必要だ。

 

「ん⋯⋯これは⋯⋯?」

 

 記憶の片隅にすら残っていなかった料理、メモの隅に走り書きの様に記されている料理、名前すら不確かなそれの記入方法は珍しい品を見つけた時のそれだった。

 

「これで頑張ってみるか」

 

 調味料用のメモ冊子を手に鞄に入れると、実家の調理服に着替えて誰も居なさそうな離れにある厨房に足をのばした。大失敗の可能性を考えると誰にも見られたくはなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 課題の説明から1分と経たずに美咲さんは会場を後にした。驚くべき事だが、誰もが課題の内容と知っているレシピを照らし合わせている中、彼女は一切迷う事無くメニューを決めたのだ。試験の発表が行われ、彼女が出て行くのを見届けた直後から、会場は阿鼻叫喚の地獄絵図と化している。

 

「まぁココでこうしててもしょうがないよな」

 

 歩いて近場の厨房へと向かう事にする。当然今回の課題では目立つ見た目と、誰とも被らない独創性が試されるのだ、過去の自分が相手なら苦手としていた課題ではあるが今の俺ならクリアできる。何せ【神の舌】と【神の包丁】の両名から成長を認めてもらえたのだから。

 厨房に着くと手始めに幾つか鶏卵を確保して考える。何も鶏卵を使わずとも『卵』であれば何でも良いのだが、朝食のメニューとして魚卵は難易度が高い。ふと隣の調理台を使っている外国人の料理が目に付いた。

 

「それはインサラータか?」

 

「ん、あぁ。これはアルディーニの技術の粋を凝らした『インサラータ・フリッタータ』さ」

 

 やけにテンションが高く馬鹿っぽいがこいつの故郷の連中は皆このノリなのだろうか、いや、こいつの頭が軽いだけだな。

 

「サラダ、と言うのはいい発想だと思うがフリッタータを作る時間と和える時間が掛かるがそれは大丈夫なのか?ビュッフェ形式なんだろう?」

 

 別に彼がどうなろうと知った事では無いが料理を見る限り腕は確かだし、何よりこの手の馬鹿は次から次へと手の内を晒す傾向にある。過去の俺なら完全に再現して一歩上の品を作った事だろうが、現状俺の目標は美咲さんの料理と並べられる『俺』の料理の完成だ。

 最近はご無沙汰だったがこの際彼の技術の一部を盗ませてもらおう、当然盗んでそのまま使う等はしない、俺の料理の一部になってもらうのだ。

 

「アルディーニは日本風に言えば大衆食堂だ、初日のように50皿作れと言われても40分も掛からないさ」

 

 得意気に目の前で作ってくれる彼からは、自分の料理の腕への絶対の自信が感じ取れる。確かにぱっと見だと動きに無駄は無いしフリッタータの焼き上げも見事なものだ。是非とも今後の参考にさせて貰おう。

 

「ほら、一皿食べて見ろ」

 

 小皿に載せた品は確かに見事の一言、野菜も良い物を良い状態で使っているし色合いも良い。

 

「ほぅ⋯⋯美味いな」

 

 一口食べた感想は美味いの一言だった。この出来ならば余裕を持って課題をクリア出来るだろう事は確実だ。

 

「む⋯⋯反応が薄いな、まさか何か失敗していたか?」

 

「いや、美味いぞ。ただ昨夜、3品程飛びぬけた料理を食べた後でな」

 

「俺より料理が上手い奴が?言ってはなんだが厨房に立った事が無いやつに負けるとは思えないんだが」

 

 そういえば彼女の出身については先日初めて知ったのだが、彼女は厨房に立っていたりはしたのだろうか。あの包丁捌きからして幼少期から仕込まれていたと言われても納得は出来る。

 

「まぁ少なくとも内2人は同年代じゃ頭一つ抜けてるだろうな、っと俺も試作をしねぇとな」

 

 現状俺ではあの2人には遠く及ばない、新戸も技術的には俺より上に居るとは思うがまだ人類の域なので追いつく事は可能だろう。というか秋の選抜までには追い抜くつもりだ。

 まだまだ試作の夜は長い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば4時を回っていた、仕上がりは上々。最初のこれを作ったのは遠月の生徒ですと言われれば、100人中100人が笑い飛ばす様な料理とは比較にならないくらいには完成形が見えてきた。しかし案の定十傑の料理には遠く及ばないのは明白であるし、自信を持って課題が安全にこなせるとも言い切れない。

 

「結局ここに来たのは2時ごろのシャペル先生だけだったな⋯⋯」

 

 あの先生の神出鬼没っぷりはこの合宿が始まってから際立っている気がする。深い顔してるからこっそりこっちを覗いてたりした時には、心臓が止まりそうなくらい怖い。

 シャペル先生はさておき、まだ試作を続けたい所ではあるが課題が始まるまでに会場に食材を運び込み、難儀な作業をせねばならないのだ。先程250食分くらいの食材を持って6時までに集合と連絡を受け、この最も遠い厨房からどれだけ運ばせるつもりだと文句が言いたい。

 

「くぁ⋯⋯ぁ」

 

 誰も見ていないので欠伸も独り言もやり放題言い放題だ、大量の食材を台車に載せるとガラガラと押していく、些か欲を張りすぎた事もあり非常に重たいが、そう何度も行き来するのも面倒だ。運ぶ最中にこいつ何所から運んでんだアホかみたいな反応をされたが、私だってこんな大量の食材を自力で運ぶ事になるとは思わなかったのだ。

 突如横から聞きなれない声が掛けられた。

 

「犬神さん犬神さん」

 

「ん?」

 

 声の主は真っ白な肌と髪の女子生徒、薙切さん(白)と初日にお世話になった黒木場君だ。彼の方は何かを手の中でクルクルと回しているが筋トレでもしているのだろうか。

 

「リョウ君がお世話になったそうだから挨拶をね、私の駄犬が何か粗相をしなかったかしら?」

 

「⋯⋯強いて言うならあのバンダナには驚かされたな」

 

 格好そのものも調理服かと言われれば、格闘漫画の戦闘服の方がしっくり来るモノなので気になってはいたが、あの変貌には遠く及ばない。あれはもう病院に行くべき次元だ。

 

「まぁリョウ君!女の子を驚かせるなんて本当に駄犬ね、謝りなさい」

 

「すんません」

 

 別に謝罪が欲しかったわけではないが...今の彼からあの時の彼は想像出来ないので本気で別人説を考えている所だ。

 

「いや、それはいいんだが⋯⋯本当に君はあの時の黒木場君か?」

 

「紛れも無く本物だと保証するわ、彼以外にバンダナ一つでバーサクモードに入る生徒なんていないでしょうし」

 

 バーサクモード⋯⋯言わんとすることは分かるのだが何と言うかアレなネーミングセンスだと思う。それでいいのかと当の本人を見るが、肩をすくめて顔を横に振られた。いいのか⋯⋯?

 

「そうか、2人は準備はいいのか?」

 

「えぇ、先程運び込みは終わったから。ま、頑張ってね」

 

 そう言うとスタスタと去っていく、女子としては中々に身長高いな、等と思いながら運び込みの作業を続行する。宛がわれた調理台に材料を置き終わると箱いっぱいの胡桃を取り出し、一個ずつ取り出しては割る作業を行う。ふと非常に強烈な匂いが鼻につき、その方向に視線を向けると貞〇の様な女子生徒が鍋を掻き混ぜていた。

 

「ったく、何処のどいつだ? 朝っぱらから悪臭を漂わせてる馬鹿は」

 

 更に声の方を向くと衣服に頓着しない傾向のある私ですらアレは無理だと思う格好をした女子生徒、何時ぞやの食戟で目にした水戸さんがいた。

 

「薙切さんのとこの子か」

 

「あん? 喧嘩売ってんのかゴラ」

 

「違うのか?」

 

 薙切さんも美作も言っていたから間違いは無いはずだ。流石に私もそこまで馬鹿になった憶えは無いし、彼女のそっくりさんが偶然居るなんて事も無い筈だ。何よりそんな格好でうろつく人物がそうそう居るとは思えない。

 

「もうえりな様の派閥にはいねぇんだよ、今は幸h⋯⋯丼研だ!」

 

 喧嘩でもしたのだろうか、しかしそれでも様が付くあたりに薙切さんの人望、信頼の厚さが垣間見える。

 

「ふむ⋯⋯肉のスペシャリストが丼研にか。また今度お邪魔させて貰うとしよう」

 

「本当に知らなかったのか⋯⋯?」

 

 当然である、頷くと胡桃を割る作業に戻る。今回この胡桃は飾りも兼ねているのである程度原型を保ちつつ割らねばならない、力を入れすぎると勢いあまって破壊させてしまうので力加減が大切なのだ。

 後ろから水戸さんの視線を感じるが時間までに終わらせねばならないのだ、先程の告知に従うと最低限200個は割らねばならない。馬鹿みたいに面倒かつ集中力を消耗する作業だ。あ、しまった。

 

「う⋯⋯」

 

 胡桃に限らず殻を割らねばならない食材にあるあるなのがうっかり手に⋯⋯と言うやつだ。過去に幾度と無くやらかした私は未だにやらかすらしい。

 最後の一つを終わらせ顔を上げるとマイクのスイッチが入った音が聞こえる。時計を見るとそろそろ6時なので課題の最終説明だろう。

 

『各自、料理を出す準備は出来たか?これより合格条件の説明に入る、先ずは審査員の紹介だ』

 

 扉が開くと先ずは子供達、次に統一感の無い大人達が入ってくる。

 

『遠月リゾートが提携している生産者の皆様だ、そしてそのご家族もいる。毎年この合宿で審査員を務めて下さっており、驚きのある卵料理と言うテーマもお伝えしてある』

 

 最後に一際凄みのあるオーラ(?)を醸し出しているご老人達が入ってきた。彼らはきっと元百戦錬磨の軍人とかだろう、一般人の出すオーラではない。

 

『そして我が遠月リゾートから調理部門とサービス部門のスタッフ達も審査に加わる、先程告知した通り200食を食してもらう事がクリアの条件だ。それでは皆様方、朝食の一時を。審査開始!!!』

 

 審査開始の合図で一斉に動き始める、恐らくここで乗り遅れる私のような鈍間の大半はもう脱落している事だろう。よく生き残れたな私。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今回の合宿では忌々しいかの新戸緋沙子との食戟の結果により、敬愛するえりな様には近付けずにいた。調理台こそ近くないが忌々しい彼女とは同じブロックなので、得意の個性的な食材を使った料理で審査員を軒並み奪ってやる腹積もりでいる。

 

「フフフフフ、この貞塚ナオ特性、醗酵汁でケチョンケチョンにしてやるわ⋯⋯」

 

 えりな様のお傍に居るべきはこの私、万人の料理を強引に上書きし切り捨てる私の料理こそがえりな様の御前に在るべきなの。同ブロックにいる凡百の生徒には災難な事だが退学になってもらおう、この学園には私とえりな様さえ居ればいいのだから。

 蓋をして尚あふれ出る匂い、これを開ければ誰もが無視できないだけ芳香が溢れ出る。

 

「ウフフフフ、ほぉら」

 

 蓋を取ると今まで会場に充満していた焼き卵の匂いが一瞬で消え去り、醗酵した食材の持つ癖の強い匂いが上書きして行く、審査員の視線が全て此方を向く。丁度近くに居た老人が恐る恐るといった様子で椀を手に取り...

 

「う、美味い!?臭いが美味い!」

 

 それを皮切りに会場の客足が全て此方に向く、子供や女性の客足は鈍いがそれでも此方が気になって仕方が無い様子だ。この匂いがあれば誰にも負けない、この香ばしくも澄んだ⋯⋯!?

 

「この香りはァ!?」

 

 出所は丁度向かい側の女だ、時々えりな様の近くに居る。名前は犬神美咲だったか、彼女の料理は⋯⋯あれは何だ?毒々しさを感じさせる色合い、卵で繋ぎの役割を果たしているのは間違いない。しかし繋がれているものが謎極まるのだ、強いて言うなら香草、なのだろう。そうでなければこの強烈な匂いの説明が付かない。

 

「わぁ、こっちの方が良い香りね」

 

「まぁあっちは流石に⋯⋯」

 

 私の匂いで引き寄せた客を女性を中心にごっそりと引き抜き、ものの数分で長蛇の列が出来ている。同じ課題中の生徒であっても足を踏みださせる香りは、いとも容易く香りを上書きしてのけた。対新戸緋沙子用に練り上げた醗酵汁がノーマークの彼女の料理に打ちのめされる。

 口をパクパクとしながら彼女の姿を眺めていた私、それに気が付いた彼女は一瞬だが残念な者を見る目を此方に向ける。過去にえりな様に向けられた事のあるそれより、余程深く突き刺さるような視線は氷柱の様。

 

「美咲⋯⋯お姉様⋯⋯」

 

 私、貞塚ナオは真に付き添うべきお方を見つけたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予想外の繁盛、今回作ったのはクークーと言うアフガニスタンだったかイランだったかのご当地料理、を日本人向けの味付けに変えたものだ。作り方はフリッタータと大差なく、あちらが彩りを優先したものであるのに対して、こちらは香りを優先したものといった所か。

 

「お嬢ちゃん、これは何と言う料理だ?」

 

「クークーと言う中東の卵料理です、実物はもっとパサパサした食感なのですが少し内包物を変えました」

 

「ふむ⋯⋯載っているのは胡桃と蜜柑か」

 

 その通りだ、3時ごろの段階で味付けは胡桃で決まっていたのだが、それだけだと流石に香草の入れすぎで毒々しい、なので急遽何か合う食材で色合いが明るくなるモノを作ったのだ。

 しかし先程の強烈な匂いの主にはお客を奪ったようで申し訳ない、ちらりとそちらを見るとホラー映画のお化けも裸足で(足があれば)逃げ出すレベルの目付きで此方を睨んでいた。見てはいけないものを見た気がしてそっと目を逸らすと第三陣を火から上げて切り分ける。11回の内に8人前が作れるので単純計算で25回で課題はクリアできる、コンロは8口で時間をずらして投入しているので大体3往復と言った所か。

 

「お嬢さん、うちに嫁にこんか。ええ乳しとグハッ!」

 

 お爺さんはお婆さんに殴り飛ばされてしまった。その時に人体から出てはいけない音がしていたが大丈夫なのだろうか。

 

「うちのアホがすまへんなぁ、よういうて聞かせますから」

 

「いえいえ⋯⋯」

 

「⋯⋯美咲⋯⋯ま」

 

「ッ!?!?」

 

 何か今尋常ならざる寒気を憶えた、以前美作に付きまとわれた一週間に感じたそれに近いがレベルは桁外れだ。彼以上のストーカーなど存在しないと思っていたが遠月には忍者でもいるのだろうか。

 それでも手は止めない辺りに大分遠月に慣れてきたなぁ等と思う、しかしこの行列を捌くのは至難の業だ、堂島先輩もメニュー作りなどと言いながら客の数で圧殺してくるとは性格の悪い人だ。現状捌けていないのは私だけのようで水戸さんなんかの視線が非常に痛い。

 

「何年もこの審査をしてきたがクークーじゃったか、これを作った生徒は見た事無い。珍しいものを見せてもらった」

 

「ありがとうございます」

 

 未だ悪寒がするが顔に出さない様に気を付け提供を続ける、一刻も早くこの場を立ち去りたい私は次から次へと消費してくださる審査員の方が神にすら見えてきた。

 

『犬神美咲200食達成だ、食材が切れるまでは提供を続けてくれ』

 

 まだまだ課題は続くらしい、とは言え卵は兎も角胡桃はそう残量は無い、あと二回が限度か。

 残り十六皿、早く消費しきって頂きたい、祈りが届いたのか並べる端から消費はされて行く。

 

「食材が無くなったのですが」

 

「あぁ、それじゃ休憩に入って構わないよ。次の課題に向けてゆっくり休んでくれ」

 

 堂島先輩と合宿中に一緒に居るのをよく見る長髪の男性が言う。というか今日の課題は当然の如く続くんですね⋯⋯

 

「はい、ありがとうございました」

 

 食べてくれた審査員の皆さんに一礼すると自分の調理器具を持って会場を後にする。美作を見ていこうとも思ったが一刻も早くこの会場を離れたかったので、手を振って急ぎ足に隣の会場に向かう事にした。当然メモとペン持参で。

 隣のA会場に入ると当然と言うべきか薙切さんが無双していた。なるほど、彼女はエッグベネディクトをアレンジしたのか。調理台を見て見るとカラスミや一風変わったオランデールソースが見えるのでそれらを使ったのだろう。

 

「しかし彼女の料理は【神の舌】ありきだからな」

 

 正直真似するのは至難の技だ、一目見て普通と違うのは分かるが何が違うのか調合済みのソースから推測しろなど無理難題だ。一応可能な限りメモには残すけど。

 しかし薙切さんの次に見所だと思っていた編入生の彼の前には萎んだオムレツが陳列されており未だ片手の指で足りる程度しか捌けていない。本人は必死に入れ替えているが無策に回転させても卵の無駄なのは明白だ。

 

「場所が悪いのもあるんだろうけどさ⋯⋯」

 

 それは会場のほぼ全員に言えることだろうが彼女と同じ会場と言うだけで運が悪い。その中でも香辛料関係では(一方的かつ勝手に)お世話になっている葉山君や初日にお世話になった黒木場君等、才能溢れる実力者の面々は着実と皿を積み上げているので堂島先輩としてはこれくらい何とかしろよとの事なのだろう。

 まぁなけなしの消費ニーズを更に才能ある面々が食い散らかしているので更に合格枠を狭まっており、一般生徒の大半は気の毒ながら⋯⋯と言った所ではあるが。心底こっちではなくて良かった。

 

「あら、犬神さん。もう終わったの?」

 

「食材が無くなってしまい」

 

「敬語は駄目」

 

「なくなったからな」

 

 ゲーム中だけのルールだった筈だが完全敗北を喫した私に対して、彼女は罰ゲームだと敬語禁止令を強いたのだ。私の記憶が確かなら彼女の勝率も10%未満だったと思うのだが⋯⋯

 

「流石ね、私も早く売り切らなきゃ」

 

 尚この時点で彼女は200食を明らかに越しており、これ以上の継続は更なる脱落者を呼び込むことだろう。学園に帰ったら半数が居ませんでしたなんて事にもなりかねない。

 薙切一族の半人前料理人に対する振るい落としは無意識的にも発動するらしい。いつ餌食になるかと思うと背筋が凍る思いだ。

 

「頑張って⋯⋯?」

 

 これは400食は余裕だろうなぁ等と思いながら会場を回るが全くと言っていいほど見所が無い。先の2人は早々に店じまいをしてしまったし、その他の生徒は喰らい付こうと必死になって空回りしている者と諦めている者ばかりだ。

 かと言ってB会場に戻ってあの悪寒が復活するのも遠慮したいので暫く壁の花にでもなっていよう。私の身長と可愛げの無さだと壁の打撲痕くらいが適切かもしれない。試験終了までここで静観を決め込む事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カメラ越しの欠点は特定の角度から、特定の大きさでしか見る事が出来ないことだろう。当然匂いも感じ取れなければ熱量なども感じ取れない。

 

「関守、四宮、乾、アレ何か分かるか?」

 

「フリッタータ⋯⋯じゃねぇんだよな?」

 

「あの独創的なデザインながら売れてる所を鑑みると香り⋯⋯が武器なんでしょうか」

 

 関守が首を振り四宮と乾も分からない様子だ。嘗ての学友なら難なく答えに辿り着くだろうが、生憎奴とは連絡も取れずにいるし今何処で何をしているかも定かではない。

 

「フリッタータに確かに近い気もするけど⋯⋯それにしては卵の比率が少ない」

 

 イタリア料理の専門家、水原がそう言うならフリッタータその物では無いのだろう。変わらず我々を驚かせてくれる彼女にはこれからも期待が出来る、彼女は我々の中で誰よりもあの男に近い気がする。

 

「そういえば水原は彼女に世話になったそうじゃないか。何をしでかしたんだ?」

 

「見てくれよ堂島さん。ほらよ」

 

 四宮が渡した端末には、寝ている水原とそれをお姫様の様に抱き抱える彼女が映し出されていた。

 

「ちょ!四宮、それ!消せ!」

 

「なるほど、爆睡した水原を運んでくれたのか」

 

「堂島先輩、こっちの方が」

 

「消せ!!!!」

 

 学生相手に何をやらせているのだか⋯⋯明らかに乾がポーズを取らせたであろう彼女の写真には頬を突く彼女が写っていた。

 

「⋯⋯それ俺にも送って貰えるか?」

 

「「「「え゛⋯⋯」」」」

 

 違うそうじゃない。




一話に一度は料理をさせようと思うがネタが何時無くなるか...


以下オマケ

...二日目の夜(ソーマと田所ちゃんが食戟してた頃)...

「また残ったのは美咲さんとえりなさんか⋯⋯」

「まさかえりな様と対等に渡り合う人が居るとは⋯⋯」

 引き抜かれるトランプ、2人の手札は殆ど捨てられておらず、異常なまでの枚数が残っている。

「これよ!」

「っふ」

 引き抜かれた札の絵柄は道化だ。

「なっ!引きなさい!」

 今度は美咲がカードを引く。

「うっ!」

「ふふん!」

 今度も道化の札。

「「終わらない⋯⋯」」

 


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七皿目 バイサイチュルーク

 美咲のキャラデザイン(あとバスト)が分からないとの感想を頂いたので後で一話の前に主人公のデザインを(文で)上げようと思います。

 沢山の感想と評価をありがとうございますです!気がつけば100人以上の方が評価をしてくださり、また3000人ものお気に入りを頂けているとは⋯⋯

2019年10月11日 修正


 宿泊研修5日目、しおり上最後の課題は堂島先輩の下での丼飯を作れとの課題だった。ペアを組んでの課題なので、先ずは挨拶をしてそれから何を作るか協議しようと思い、俯いた状態の相方の女子生徒を覗き込むように声を掛けた。最初に断っておくが私はそれだけの事しかしてないし、ましてや睨みつけたわけでもなく、相手を怒らせる様な言動は何一つしていない。

 

「⋯⋯どうした?」

 

 本来ならよろしくと声を掛けるつもりだった、それが間を空けての質問になってしまったのには訳がある。覗き込んだ彼女の顔は目尻に大粒の水滴を溜め、真っ赤だったのだ。

 

「あ、あう。あの⋯⋯」

 

 上手く言葉がでないのか、パクパクと口を開けたり閉じたりする彼女の顔には敵意は感じられない。つまりは私に原因は無い、となると原因として考えられるのは【伝説のOB】こと堂島先輩を直視した事で感極まってしまった、これ一択だろう。

 取りあえず目尻の涙を拭いてやり、自分の調理道具、といっても包丁だけなのでそれを出す。ちなみにだが私の包丁は遠月ではお目にかかる事がない程の安物だ。当然普通の家庭用包丁よりは高いのだが、今でこそ磨り減っているものの、最初の頃は切れない、重い、引っかかるの三点揃った残念品だった。

 

「ん、まぁ頑張ろう」

 

「はい!」

 

 一度涙を拭いてやったら落ち着いたのか、堂島先輩に恥ずかしい姿を見られるわけにはいかないと思ったのか、元気な返事を返してくれる。正直周りに恋(?)する乙女が居た事なんて無いので対処法など分からないが、少女マンガを見る限りだと煽らずそれとなく活躍の機会を与えるのが吉だろう。

 

「何か作りたい品はあるか?」

 

「いえ、犬神さんにお任せします!」

 

 任されても困るのだが⋯⋯というか私は自己紹介をしただろうか。とにかく頭の中でメモを繰って行く、遠月の食戟は技術的に高度な者が行うと行う程ジャンルが曖昧な品が出されるので、何処までが丼なのかが分からなくなってくる。直近だと編入生のシャリアピンステーキ丼が良作であったが、あの食戟は観客が多くいた為、この場において作ろうとする者も多いだろう。たまねぎ使ってる者も多いし。

 

「なら、そうだな。バイサイチュルークは分かるか?」

 

 半年ほど前の食戟を思い出し告げる、作ったのは昨年度の卒業生だった筈で、十傑にこそ名前を連ねていなかったが卒業が叶った猛者の品だ。普通知らないし知らなければ指示を出すので然程問題はない。

 

「いえ⋯⋯それは?」

 

「簡潔に言えば豚丼だな、甘いタレを染みこませた豚を使う。これで良ければ指示を出すから大丈夫だ」

 

「よ、よろしくお願いします!」

 

 良い返事を頂いた所で豚肉と大蒜、大葉を取ってきて貰う様に指示をする。その間に自分は香辛料の調合を開始し、帰ってきた彼女に豚肉のカットを頼む。女の子にやらせるには多少重労働にも思えるが、そこは合宿最後の課題まで生き残っただけはあるのか、多少力んではいるが丁寧に切れ込みを入れ、指示通りに大蒜を揉み込んで行く。

 

「その調子だ、後はそこのタレに肉を漬け込んでおいてくれ」

 

 調合した香辛料と醤油、砂糖、ナンプラー、老酒を混ぜたタレの中に漬け込むのを確認すると、正直後は待つ事しかする事がない。大葉を切るのは食べる前だし、胡椒や山椒を挽くのも最後の一手だ。

 

「あとは暫く待機だな、一先ずお疲れ様」

 

「はい!お疲れ様です犬神さん!」

 

 輝くような笑顔で返して貰えるのは嬉しいがその笑顔は憧れの男性、堂島先輩に向けるべきだろう。頷いて堂島先輩を見ると、何故か清清しい笑顔でサムズアップされた。何を伝えたいのか分からなかったので見なかった事にしたが。

 第一組目が審査を受けに海鮮丼を運んでいるのが視界の片隅に見えたので目で追ってみる。審査の基準が分かれば幾らか覚悟が決まるだろうと思っての行動だ。堂島先輩はにこやかに受け取って口にすると改善点を幾つか指摘してから言う。

 

「作り直し」

 

 いや⋯⋯包丁の技術から盛り付けまで全否定されてやり直しと言われても、それはもう退学って事なのではなかろうか。確かに上か下かと言われれば紛れも無く下ではあるが、そもそも遠月で丼に精通しているとすればそれは現状1名⋯⋯いや水戸さん込みで2名ぐらいなものだろう。

 

「厳しい審査になりそうだな」

 

「そうでしょうか?」

 

 謎の余裕があるらしい彼女、流石に【神の舌】や編入生、美作の様な頭一つ抜けた技術は無いが、遠月の現一年では上の方には確実に居るだろう彼女の目に退学を言い渡される危惧は浮かんでいなかった。

 

「そうか、そろそろ焼き上げるとしよう」

 

「はい!」

 

 中華鍋に油を流し込み、熱する。何故中華鍋を使うかと言うと煮るように焼く際に最も優れているかららしい、普段試作するときからお世話になる中華鍋であるが、十傑クラスの食戟となると相当な頻度で登場する。

 

「中華鍋ですか⋯⋯? 布を用意しますね」

 

「いや、布はいらない」

 

 中華鍋を使う時、上手い者は布を持ち手に巻き、滑らすように使用する。が、私はどうやら向いていないようで、鍋を取り落としたり振りすぎてしまう事もあり使う時は素手である。肉をタレごと放り込み、強火に切り替え持ち手を掴む。

 

「頃合を見て米を準備しておいてくれるか?」

 

「は、はい」

 

 見るからに引き攣った顔で返事をされた。確かに上位陣は皆布を使って軽やかに動かすが私には無理なものは無理なのだ、ここで熱いのを嫌がって退学を言い渡される事を考えるとベストな回答だろうと思う。だからそんな期待はずれな者を見る目で見ないで欲しい。

 火を切ると準備された丼の上に流すように入れる、彼女に大葉を切って載せてもらっている内に胡椒と山椒を砕き、載せる。後は彼女に堂島先輩の下へ運んで貰うだけだ。

 

「さぁ、審査してもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中華鍋を使う時、常識的な使用法としては火傷をしないように、持ち手を布で包むのが普通だ。そんな事は疑った事も無かったし、まさか布を渡そうとして拒否されるとは思わなかった。

 

「頃合を見て米を準備しておいてくれるか?」

 

 動揺する私に彼女は言った。熱された中華鍋を持ちつつも無表情を崩さずにいるその様はまるで、この程度は日常茶飯事と言わんばかりだ。私と彼女の間にある実力差や、料理に対する情熱の違いを見せ付けられたように感じる。

 

「は、はい」

 

 しかし幾ら動揺しようと私が彼女の足を引っ張る事は許されない、もう既に一度助けてもらっている私が、恩を返せないうちに更に失態を見せるなど考えたくも無い。あってはならない事だ。

 彼女は素手のまま器用に中華鍋を振り、肉に火を通しつつ更にタレを絡めていく、周囲を肉が焼ける匂いと加熱された香辛料の発する香りが包み込んでゆく。その香りに呑まれそうになるのを必死に堪えて釜から米を器に移し、彼女の横に置く。此方を見もせずに火から鍋を離した彼女は米の上に肉を載せ、大葉を此方に差し出す。

 

「⋯⋯!」

 

 切れと言う事だと気がついた私は素早く受け取ると細く切っていく。肉の上に載せて彼女を見ると包丁の背で大小様々な黒い粒を砕き、上から塗す。

 

「さぁ、審査してもらおうか」

 

 彼女はそう言うと香りに呑まれそうな私に香りの発生源を預け、堂島シェフの下へと歩いていく。0距離で発せられるその香りは私の食欲を刺激し、口の中に涎が溢れ出る。見れば堂島シェフも箸を握り締めこの品を持ち望んでいるかの様だ。

 20秒と掛かっていないはずなのに、1時間にも感じ取れる道のりを越え、堂島シェフの前に丼を置く。彼の箸が肉と米を掬い上げ、口へと運ぶ。

 

「_______!」

 

 香りも一流であり、彼の反応を見れば一目瞭然の美味さだろう。しかし彼女の目はまるで、もっと美味く作れたのではないかという不安の色が浮かんでいた。確かに彼女の持てる技能をフルに活用し、私が一切の足手纏いにならなければもっと選択肢の幅が広がっただろう。それでも彼女は独断で行動せず、私にも仕事を与えてくれた。相変わらずの慈悲深さだ。

 彼女を伺っている内に丼の中は空になっており、一息吐いた堂島シェフは疲れた顔をしながらもニヤリと笑い、言った。

 

「犬神、潮田ペア、合格だ。片付けてバスで待機しておくように」

 

「はい」

 

「は、はい」

 

 丼を引き取ると彼女は黙って片付けを開始する、彼女に押し付ける訳にもいかないので、手につくものを片っ端から片付け、洗物を済ませていく。粗方片付き一息吐くと、彼女は包丁の刃の部分を眺めていた。恐らくは調理後の刃先のチェックをしているのだろう、流石は【神の包丁】、一切の手抜きは許さず料理人の半身たる包丁のチェックも怠らない。

 そんな彼女を見て自分の包丁を見る、今は亡き母の形見であるこの包丁は代々伝わる一品だ。当然ながら値が付けられる様な物では無く、私には勿体無い包丁、しかし一度は失った筈の包丁。

 

「ありがとうございました」

 

 気付けばそんな言葉が出ていた、今では彼女の付き人である美作昴、彼によって奪われた私の包丁を何の義理も無いにも関わらず取り返してくれた、私の憧れの人。

 

「気にする程のことじゃない。当然の事だ」

 

 そんな彼女は当然と返す。この遠月では料理の出来が全て、弱者は切り捨てられ強者のみが栄光と更なる技術を手にする。そんな弱肉強食が絶対の掟な学園において、無関係の料理人の誇りを守る事を当然と言う彼女はどれ程の余裕と器を持っているのか。

 もう一度頭を下げて荷物を纏める、合宿最後の課題で彼女と組めたのは幸運であっただろう。未だ彼女には腕も知識も程遠い事は分かっていた。だが腕が足りなければ磨けばよい、知識が足りなければ詰め込めばよいのだ。バスへと歩きながら私、潮田蜜柑は決意した。

 

_________いつか彼女の様な料理人になってみせると。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿泊研修5日目の夜、殆どの生徒が連日のスケジュールで心身共に限界値を迎えていた。それもまぁ当然といえば当然で、4日目の朝食作りの4時間後から何事も無かったかのように振るい落としが再開、多数の脱落者を横目に次は自分かと戦々恐々としながら包丁を振るって生き残ったのだ。私の精神もズタズタである。

 

「美作、お前痩せたか?」

 

「この数日の日程で一切変化が見られない美咲さんが異常なんだよ」

 

 失礼な、明らかに腹回りが細くなった美作と比べると乏しいかも知れないが私とて若干痩せたのだ。しかしまぁ痩せた理由としては日々謎の視線と悪寒による精神的なモノだろう、このリゾートで誰か首吊り自殺したとか工事中に生き埋めなんて事があっても私は驚かないだろう。

 

「まぁ今から何があるかは知らないが時間的にこれが最後だろう?まだ朝食作りするくらいの時間はあるが」

 

 近くに居た生徒が数人へたり込む、やはり疲労が限界で既に立つ事も難しいのだろう。椅子を空けてやろうとも考えたが、目の前に食の魔王の眷属、【神の舌】なんて呼ばれる人物が穏やかに寝息を立てている中休める人物などそうはいまい。

 

「犬神さんはタフですね⋯⋯私もそろそろ限界ですよ。今から朝食作れなんて言われたら膝から崩れ落ちます」

 

「緋沙子さん、私に敬語は要らない。気軽に話してくれていい」

 

 この合宿で一番変化したのは寝息を立てている【神の舌】とその付き人との関係だろう。連日トランプをしたりUNOをしたりと交流を重ねる内に、料理さえ絡まなければ彼女はちょっと常識を無くしたお嬢様と言った人格なのだと分かり、まともに会話が成立する様になった。

 

「私に『さん』こそ不要ですよ。えりな様のご友人にタメ口など恐れ多いです」

 

「私は同級生なら基本誰にでも『さん』か『君』を付けて話すからな?今の所例外は美作とえりなくらいなモノだ」

 

「貴女が他の人間を名前で呼んでいるのを聞いた事が無いですが⋯⋯まぁいいです。そういえば研修が終わった後なのですが、予定は決まっていますか?」

 

 恐らく連休の事だろう、当然ながら決まっていない。

 

「いや、特に無いな。美作に付き合ってもらおうとしか」

 

「え」

 

「先約でもいたか?」

 

「いや、いねぇよ」

 

 さっきの『え』は何なのだろうか。流石にボッチは何かと辛いので可能な限り付き合って欲しい。以前はこんな事を思いはしなかったのだが⋯⋯脱ボッチしてから何かと一人で居る事が減って私も群れる生き物になったのだろうか。

 

「それでは私達とご一緒しませんか?えりな様は昨日お誘いになるつもりだった様なのですが⋯⋯」

 

「昨日はトランプの最中で寝てしまっていたからな、勿論だ」

 

 ちらりと美作を見るとそっぽを向いていた。何かやましい事がある人のポーズなのは誰が何処から見ても明らかだがあえて触れまい。美作は時計を確認するとこっちを向かずに告げる。

 

「そろそろ、呼び出しの時間だぜ」

 

「ん、そうだな⋯⋯!?」

 

 合宿中感じていた悪寒が再び再発する、湯船で置いておいた服の場所が変わっていたり、美作との食戟の時の女の子が真っ青な顔で『気をつけてください!』とだけ言って去ってしまう等、怪奇現象は収まるところを知らない。まぁ手違いと激励だろうが。

 

「どうしました?」

 

「いや、ココ暫く誰かに見られている気がしたり服が動いていたりと色々起こっていてな。ちょっとまた悪寒が⋯⋯」

 

「「⋯⋯」」

 

 いや、何故黙る。流石に何か知っているのであればと問いただそうとしたが堂島先輩が壇上に立ったので会話は中断だ。

 

『よし、皆集まってるようだな。本題に入る前に、一言、現時点で352名の生徒が脱落し、残る人数は648名!過酷なようだがこれが料理人と言う職の縮図だ。未知の状況で冷静さを失わず、常に食材と対話する、シェフとなれば重圧は勿論、不安と逡巡に苛まれる夜を耐え抜き、多様な事態に対応し、立ち回っていかなければならない』

 

 残酷なようだが彼が言うならそうなのだろう、そう思わせる様な声色。辺りを見れば沈鬱な表情の者、覚悟を決めた顔の者が居る。

 

 _無限の可能性を持つ君達へ、どうかこの言葉を心に刻んで欲しい_

 

 そう言って繋げる。

 

『料理人として生きることは、嵐舞う荒野を一人きりで彷徨うことに等しい。極めれば極める程に、足は縺れ目的地は霞む。気付いた時には頂に立ち止まり、帰り道すら見失う者もあるかもしれん』

 

 会場の明かりが暗くなったかの様に錯覚する、覚悟を決めた顔をしていた者の大半も揺らぎが見える。

 

『どうか、忘れないでいて欲しい。この遠月という場所で、同じ荒野に足跡を刻む仲間と共に在ったことを。その事実こそが、やがて一人征く君を励ますだろう。君らの武運を⋯⋯』

 

_______心より祈っている

 

 

 以前も思ったがやはり彼の才能はコレにあるだろう。私とて先程から止まず襲い来る悪寒が無ければ涙していたかも知れないくらいに深い言葉、ゴクリと唾を呑む者、感極まって涙している者もいる。

 

『さぁ、合宿の最後のプログラムを始めよう。卒業生の料理で組んだ合宿終了を祝う、ささやかな宴の席だ、ここまで生き残った648名の生徒に告ぐ!宿泊研修の全クリアおめでとう!存分に楽しんでくれ!』

 

 生徒の中から歓声が上がる。ふと悪寒が止まり一心地吐き、やや表情筋が緩んだのを感じながらも私は美作を見て言った。

 

「美作、お疲れ様」

 

「ッ!お疲れさん」

 

 見上げた美作の顔はいつもより赤かった気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 脱落する事は考えていなかったが、非常にハードであった宿泊研修を終えた俺に向けられた、美咲さんの唐突の労わりの言葉と、初めて見た気がする表情に、何か熱く込み上げるモノを感じて顔を逸らしてしまった。首を傾げながらも平常運転に戻った彼女はこの合宿で縁が強まった2人と会場に歩いて行く。

 

「どうした美作、置いていくぞ」

 

 非常にいつも通りの無表情、何を考えているかも分からない、俺を打ち負かした時から何も変わらない顔で振り向きざまに言う。

 

「待てよ」

 

 小走りで人垣を掻き分けつつ彼女の背を追う、その時に一瞬すれ違いざまに声を掛けられた気がした。その声は擦れて聞き取り辛く、誰が言ったのかも定かではない。

 

『その場所は私が貰う』

 

 俺には確かにそう聞こえた。




 実はもうちょっと早い内に出す予定だった潮田ちゃん、初日の課題が魚でなければそこで出してた。


潮田蜜柑(現時点1年生)
・美作との食戟の時の女の子
・美作の事は未だ悪感情を持っているが、美咲については多分誰よりも神格化してみている


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八皿目 春の肴と牛スジ煮込み

試験終了!更新再開!
ついったーの方をフォローして下さった方もいた様で感謝です(基本メシテロしかしませんが)

2019年10月11日 編集完了


 宿泊研修5日目夜、卒業生の料理を堪能した私達は各々久方ぶりの余裕ある休息を取っていた。もっとも半数は卒業生の料理で腰が砕けて未だ会場付近で休憩しているが。

 私はといえば早々に風呂を済ませると、厨房で食材と格闘していた。当然目的は卒業生の料理の再現、残念ながら食戟ではないので調味料の詳細が分からず見た目だけだが。

 

「⋯⋯それにしても美味かったな」

 

 思い出すと賛美の言葉が口から出るくらい美味かったのだ、【神の舌】にすら美味いと言わせる料理だ、遠月卒業生の格がよく分かる。私が何処までいけるか分からない、もしかすると卒業出来るかもしれないが、かなりの確率で中退だろう。

 

「これでも無い」

 

 先程まで必死に再現していたのは冷製牛脛肉のワイン煮だ。ワインがベースであり、野菜などの形が分かりやすく入っていた為もしやと思ったが故の選択だ。結果としては確かに美味い、ただ先程の物の出来には及ばないといったものだ。

 未完成のものだが捨てるのは勿体無いし、かといって私が食べるとこの後に響く。折角なので明日の朝にでも美作に食わせる事にしよう。一応美味いし。

 

「次は魚で行くか」

 

 処分待ちの冷蔵庫を開き鯛を取り出す、今更だが私は別に無断で厨房を使っているわけではない。明日には捨てられる食材を許可を取って使っているのだ。

 鯛をまな板に乗せると頭の中に『コレが本当のまな板の上の鯛』とか言う言葉がよぎり、『鯉だろ』とつっこみを入れつつ息を落ち着かせる。若干顔に笑いが漏れた気がしたがどうせ誰もいない深夜の厨房だ。

 

「ふっ」

 

 短く息を吐くと鱗を落とさずえらとヒレだけを削ぎ落とす、続けて内臓を取り出すと頭部を落とし三枚におろす。沸かした湯に中骨と頭部、昆布を放り込むと再び深呼吸をする。

 

ガタッ

 

「⋯⋯?」

 

 何か物音が聞こえたが、器具が倒れて大惨事なんて音では無かったので無視だ。鯛の背に沿うように、丁寧に素早く包丁を入れる。

 薄く数枚スライスすると白ワインに浸し、また半身を数秒湯に通すと細く切り紫蘇と共に数枚の小皿に盛り、上から生卵と乾燥大蒜、刻み葱を載せる。

 

「ふむ⋯⋯一つ貰ってもいいかね」

 

「「「「っ!?」」」」

 

 いつの間にか置いた小皿を手にしたシャペル先生がいた。何時からいたのか、なんでここに居るのかなど問い詰めたい所だが、胃袋が一つ増えたのは正直嬉しい所でもある。

 

「え、えぇ。感想を聞かせてもらえると嬉しいのですが」

 

「任せなさい」

 

 そう言うとシャペル先生は箸を手に取り、鯛ユッケ(仮)を口に運んでいく。

 

「ッ!ほぉ⋯⋯」

 

 一度驚いた顔をすると皿を置いて少し考えてから口を開いた。

 

「流石だな、鮮度はこの際無視するがそれを除いて二点ほどアドバイスをしておこう。先ず一つはやや塩がきつい様に思える、宿泊研修明け⋯⋯まだ最中か、だから丁度いいのかもしれないが。さて、もう一点だが⋯⋯」

 

 そう言うと出入り口の方を見る、釣られて見ると見覚えのある白い割烹着がのぞいていた。

 

「乾先輩⋯⋯?」

 

「試作をするのなら盗まれないよう気をつけなさい。今回は心配要らないが」

 

 とは言え先程食べた料理を再現していただけなので、盗まれるも何も無いのだが。そもそも盗んでいたのは私だ。見つかった乾先輩を筆頭に、堂島先輩、関守先輩、水原先輩、四宮先輩と私が今回試験を受けた面子がぞろぞろと出てくる。

 

「どうしたんです⋯⋯?」

 

「いや、少し話があってね、君が休憩するのを待っていたんだ」

 

 堂々と待てばいいし、そもそも堂島先輩程の人物が相手なら調理中でも手を止めて話を聞く。休憩の予定は当分無かったので何時間待つつもりだったのだろうか。

 

「ではお聞きしましょう」

 

「そつぎょっ!」

 

 四宮先輩に思いっきり足を踏まれた堂島先輩の口が止まる。

 

「堂島先輩、事前に順番は決まってます。ルールは守るべき。それで犬神、イタリア料理の修業をするつもりはない?」

 

「はぁ、それは勿論練習してますけど」

 

「卒業後にウチで働かない?なんなら中退してもいい」

 

 唐突な展開だが実に嬉しい申し出でもある、元十傑の店だ、得られるものも多いだろう。しかし私がそこに行っても大丈夫なのかと不安もある。

 

「私で良いんですか?大した戦力にもなりそうに無いのですが⋯⋯」

 

「そんな事は無い、少し修行すれば第一線でも戦力になれる」

 

 非常に嬉しい事ではあるがどう考えても過大評価だ、ただし蹴るには惜しい話だ。

 

「まだ今の私では正直実力不足です、遠月で暫く研鑽を積んでからお返事をしても構わないでしょうか?」

 

「勿論構わない、連絡先を交換しよう」

 

 そう言うとスマホを取り出し『RICE』のQRコードを開いてみせる。私もバックからスマホを取り出すと読み取りを行う。

 

「これで完了ですね」

 

 私の美作と家族しかいない登録者欄に『水原』の名前が追加される。これで5人だ、数年の時を経てやっと友達追加チュートリアルが終了の時を向かえたのは嬉しい限りだ。

 

「俺もいいか?」

 

「あ、私も追加しましょう」

 

 堂島先輩と乾先輩がそう言ってスマホの画面を見せ、四宮先輩が黙って読み込みを迫る。初日の印象が強く、未だ苦手(恐怖)意識が強いが、今回の合宿で唯一レシピを公開してくれた人であり、最も恩恵をもたらしてくれた人なので、最も感謝もしている。

 

「ん?関守はいいのか?」

 

「俺が機械弱いのは知ってるでしょうに、それに連絡先はもう渡してありますから」

 

 すっかり忘れていたが初日に教えてもらっていた、確かにこの人機械弱そうだ。

 

「なぁ、犬神」

 

 ふと四宮先輩が口を開く。この場でお前退学とか言われそうで正直怖い。

 

「はい」

 

「そう身構えるな、朝食作りの課題についてだ、あれは何だ?」

 

 そういえばお爺さんを除いて誰にも名前を言っていない(多分)し、クークーなんて料理を知っている人の方が稀だろう、日本人で知ってる人率何%くらいなのだろうか。

 

「クークーと言う中東の卵料理です、然程日本人受けする料理ではありませんけど」

 

「ほう⋯⋯って事はたった一晩でアレンジしたのか」

 

 頷きはするが、元々他人が考案した味付けから合う物を探しただけだ。ゼロから考案してのけて合格した人は化物だと思う、【神の舌】の友人とかその隣の編入生とか。そういえばいつの間にかシャペル先生がいない。

 

「さて、美咲君。先程から試作をしているようだが⋯⋯味見役等は募集していないか?」

 

「ッ!是非お願いします」

 

 願ったり叶ったりだ、この人たちの前で調理となると非常に胃が痛むが、本来なら【神の舌】とまでは行かずとも味見をしてもらい意見を貰うだけで財布の中身が空になる人達だ。むしろその程度の出費で済めばいい。

 

「っふ、暫く居座らせてもらうから調理に集中してくれ」

 

「ちょっと酒を取ってくる」

 

「私の分も」

 

「懐も器も広い四宮先輩ですから何も言わず私たちの分も持ってきてくれるはずです!私信じてます」

 

 席を立った四宮先輩が女性陣に集られている、3人の感覚では私は肴を作る事で確定しているのだろうか? 確かに今は鯛を調理しているけれど。

 堂島先輩と関守先輩は落ち着いて座ってくれているので、今はこの2人に期待だ。弱火にかけ続けていたあら煮を中火に切り替え、葱と生姜を載せて出す。流石にあら煮を人数分出すのは手間、と言うよりほぼ不可能なので自分でよそいで貰う事にする。

 

「おぉ⋯⋯あら煮か、四宮が帰ってくる前に片付けよう」

 

「昆布が白い⋯⋯」

 

 水原先輩が不思議そうに声を上げる、イタリア料理で昆布なんて滅多に使わないし、使うにしてもこの昆布は選ばないだろうので当然か。ただ逆に、乾先輩と関守先輩はすぐに気付いただろう。

 

「白板昆布か、よく知っていたな」

 

「やはり美咲ちゃんも私がお持ち帰りするべき⋯⋯でも水原先輩がもう美咲ちゃんにお持ち帰りされてたんでしたっけ?」

 

 先輩は要らない、と呟いた乾先輩の頭に拳が振り下ろされる。水原先輩は顔を真っ赤にしていたが⋯⋯運び方が気に入らなかったのだろうか。

 

「ふむ⋯⋯鯛の切り口といい調味といい見事だ、関守、何かあるか?」

 

「これは甘露醤油を使っているな? 非常に良く整えられているが、たまり醤油も使えばもっと味に深みが出るだろう」

 

 甘露醤油は山口原産、非常に香り高い事知られている。たまり醤油は東海地方で作られている、此方は濃い味であり、基本は刺身等に付けて食べられる。確かに醤油を混ぜるなんていう発想は無かったが、使いこなせれば新たな武器になるだろう、使いこなせれば。

 

「ありがとうございます」

 

 当然早々にメモをとり、後の研鑽対象にする。ワインとビールを抱えた四宮先輩が帰ってきて、既に8割方食されているあら煮に文句を言いながら確保した。

 白ワインに浸けていた薄切りの鯛はオールスパイスを振り掛け、バーナーで炙り紫蘇の葉に乗せて出す。

 

「ほう⋯⋯」

 

「ソーヴィニヨン・ブランのワイン⋯⋯しかも未熟、中々いいセンス」

 

「ただのお前の好みだろうが」

 

 生憎酒としてのワインはまだ分からないが、料理に使うならリースリングの方が使い勝手はいい。ただそれでは余りに普通、遠月では埋没しかねないので敢えての選択だ。青草っぽい香りが意外な事に紫蘇と喧嘩せず魚にも合う。

 

「⋯⋯美味いな、これは四宮と水原の分野か?」

 

「そうだな、とは言っても言える事といったら紫蘇の選択だな。この味付けならもっと若い葉を使うべきだ」

 

「強いて言うなら炙る際にもう少し火力が強くていい」

 

「はい」

 

 火力に関しては未だ門外漢(女)な自覚はあったが、確かに繊細な味付けなので癖の弱い葉を使うべきだろう。此方も要改善だ。あとはまぁ⋯⋯ワインの云々に関しては飲んだことが無いのでコレでいいのか怪しい。調味用より香りがいいから使ってるけど。

 最後の半身は布をかけ、上から熱湯をかける。

 

「「「「「ッ!?」」」」」

 

「身がグズグズになるぞ?」

 

「何のつもり」

 

 食材の無事を心配をするのが四宮先輩と水原先輩だ、以前の私も同じ反応をしたのが記憶に新しい。心の中でだが。

 

「何処まで幅広いんだ君は」

 

「やはり彼女の技術は日本料理ですね」

 

 やはり関守先輩と乾先輩には分かるらしい。関守先輩は普通にやっていそう、というか晩餐で確認済みだったが乾先輩も流石日本料理の第一線で働く料理人だ。

 これは湯霜造りといって、皮等を通して表面だけに熱を通す方法だ。その後はすかさず冷却し、酢飯と共に握る。湯霜造りについてだが、嘗ては温度の加減が出来ず何度もグズグズの魚が出来上がったものだ。その時大分火傷もした。

 

「「____!」」

 

「寿司の分野となるとそのまま専門家がいるな、どうだ?」

 

「魚に関しては文句なし、ただ酢飯に関しては大いに改善の余地があるな、握り方も。酢飯はそれぞれ魚に合う酢があるから憶えておきなさい、握り方は⋯⋯寿司職人基準だと中の下だな、固すぎる」

 

 流石は上の上に位置するスペシャリストだ、辛辣な様だがそれだけ要改善、そもそも発展途上なので然程ショックを受ける必要もあるまい。勿論必死に勉強するが、現状これが原因で退学は容易に起こりそうだし。

 これで鯛は全て使い切った訳だが、まだアドバイスの欲しい食材はある。今度はシラスを手に取り、湯に通して握る。今度は柔らかく隙間が出来る様にだ。

 

「なぁ関守サン⋯⋯俺がやったら確実にこのシラスは落ちると思うんだが」

 

「彼女の手付きはこう言っては何だがまだ拙い、それに特別な手法も使っていなかったようだが⋯⋯」

 

 巧くなればシラスをそのまま握れるかと言えば普通そんな事は無い筈だ、多分関守先輩の感覚がおかしい。

 

「しかし現に崩れていない、となると何か秘密があるのだろうよ。それに少し気になる匂いもするしな」

 

 そう言うと一口で口に放り込み、ピタリと固まってから咀嚼する。

 

「香りの正体は夏蜜柑か⋯⋯しかし夏蜜柑にシラスの強度を補完する力があったとは⋯⋯」

 

 信じられないといった顔をしているが、それもそのはずだ。夏蜜柑にそんな効果は無いのだから。

 

「そんな力はありませんよ、シラスの強度があるのは単に茹でる時間の問題です」

 

 なら皆短くすればいいではないかと思うが、それでは生のままとなってしまう。ただ、この抜け道として使用したのが湯冷ましを再加熱した湯を使う方法だ。一度加熱する事で水分中の空気を抜き、熱の伝導効率を上げる...と言うのはかつて先輩が誇らしげに言っていた事だ。

 

「へぇ⋯⋯湯冷ましですか?」

 

 普段の言動から生徒間で既に頭の悪い人のレッテルが張られている乾先輩であるが、時折鋭く【霧の女帝】らしさを見せる、黒木場君程では無いが変貌っぷりが凄いと思う。主にオーラ。

 

「なるほど、考えたな。次が楽しみだ」

 

「ワインがなくなるまでは付き合ってやる」

 

 有意義には違いないが心臓に悪いこの時間は乾先輩と四宮先輩が寝落ちるまで続き、最後は乾先輩を私が、四宮先輩を堂島先輩が部屋まで運んだ所で終了となった。手元に残ったのは山の様な改善点と言う名の宿題、それと彼らとのパイプだった。美作が起こしにくるまでの約2時間、死んだように寝た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 部屋に四宮を放り込んでから、椅子に腰掛けると彼女の料理に思いを馳せる。完成度の高い料理、卓越した技能、自分で言うのもなんだが著名人に囲まれても表情一つ変えないその胆力、どう考えても無名でいられる筈がない。

 

「勧誘もしたが大して響いてはいなかったな」

 

 普通なら有頂天になっても可笑しくない程の誘い、けれど彼女は終ぞ頷かなかった。名声に興味が無く、美味い料理を作る事だけを求めるあり方。

 

「城一郎の様な女、少し違うが」

 

 奴の様な破天荒さは持ち合わせていない、少なくとも人前での態度と言う意味では媚びる者、驕る者が多い遠月では珍しい良識人。ただ常識人とは言いがたいその感性は何処までも料理人なのだろう、難しい注文を受ければ武者震いをし、美味い料理の為には傷付く事も厭わない、才能に溺れず鍛錬を積み重ね、自分すらも排斥し料理と客のみの世界を作り上げるその姿はまさに包丁。

 

「まさに【神の包丁】」

 

 学園総帥自らが与えた彼女の称号、看板に偽りなし。【神の舌】にも比肩、否、抜いているかもしれない彼女が秋の選抜、スタジエールにおいて何を成し遂げてくれるのか、珍しく酒が回ったのか、浮ついた気分のまま眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 出発の朝、平日ならば準備を済ませており、休日でも調理をしている時間になっても、美咲さんが現れない。彼女に限って体調不良は考え難いのだが、疲労が溜まってまだ寝ているのだろうか。彼女について考えると昨日の表情が思い出される、アレは本当にあったことなのか⋯⋯?

 

「なわけねーよな」

 

 頭を振って部屋をノックする、きっと疲労が原因の目の錯覚だ。『あ゛⋯⋯』なんて間違っても堅気の人間、もとい生きてる人間の上げていい声ではない地獄の番人の様な声が聞こえたが気のせいだろう。

 

「美咲さん、一応朝食の時間だぜ」

 

「⋯⋯そうか。少し待ってろ」

 

 10分と掛からず部屋から出てきた彼女は珍しい事に眠そうに、厨房に向かう。迷わずに一番遠くの厨房に向かうのには少し驚いたが、彼女の謎な言動には大概意味があるのはココ数週間で学んでいるので戸惑いはしない。

 

「美咲さん昨日は何時寝だ?」

 

「あー⋯⋯4時くらい」

 

「何してたんだよ」

 

 宿泊研修明けからそんな夜更かしをする者はそういない、一部トランプをすると張り切っていた連中もいたが、あの【神の舌】も寝落ちするほどのハードスケジュールだ。殺人的プランと言ってもいいだろう。

 

「料理の試作と、酒盛りの肴造り」

 

 遠い厨房に向かっている理由はそれらしい、というより宿泊研修の最後の晩まで試作をしているとは微塵も思わなかった。ただでさえ開いている実力差が、益々如何ともしがたいものになる気がして少し焦る。

 

「ここか」

 

 着いた厨房には集合場所や、宿泊している階との距離のせいか人はいないにもかかわらず、料理後の香りが漂っていた。大して嗅覚での判別に自信があるわけではないが、残る香辛料の香りの数からココで料理をしていたのが彼女なのはわかる。

 

「あぁ、美作は座っててくれ」

 

 手伝うぞと言おうとしたが彼女は冷蔵庫を開けると、ビーフシチューの様な物を取り出し持ってくる。どうやら昨晩作ったものらしく、出来合いのものが既にあったらしい。

 

「美咲さん、これは?」

 

「牛筋煮込み、流石に食いきれそうになかったからな」

 

 2人で手を合わせる。

 

「「いただきます」」

 

 中々に似合わない絵面だろうが、料理に関する事であれば遠月の生徒はしっかりとマナーを守る。一部例外は存在するが。腹も減っているので特に観察する事も無く口に運ぶ。

 

「______!?」

 

「え⋯⋯?」

 

 作った本人の疑問符にも気になるものがあるが、心構えをせずに口に運んだ事を激しく後悔した。口の中に入れた冷たいスジ肉は雪のように消え、ワインと野菜の爽やかな味わいが残る。口に入れた瞬間は肉の旨味が、次の瞬間には野菜の旨味が溢れかえるのだ。

 

「化物かよ⋯⋯」

 

 【神の包丁】の称号を持つ彼女の実力は、今現在の俺ではやはり足元にも及ばない事が分かった。調味センス、包丁捌き、熟成技術、どれを取っても高校生の次元ではない。

 

「ふむ⋯⋯まぁ食ったら行こう」

 

 作った本人なのもあるのだろうが、この料理をただの朝食感覚で処理するのはどうかと思う。しかし待たせるわけにはいかないので、可能な限り味わいつつ急いで食べる。

 

「さて、集合時間まで1時間と少しか⋯⋯」

 

「そうだな、やっと日常が帰ってくるぜ?」

 

 とは言え、一発退学が無いだけで通常授業でも躊躇無く退学を言い渡してくるのが遠月学園だ。暫くすればまた地獄の振るい落としが行われるのだろうし、そうすればこれ以上にきつい課題が待っているのだろう。

 

「日常⋯⋯か」

 

 随分と失意に満ちた声が聞こえた。恐らく失意の理由は現環境こそ彼女の料理を進める事が出来るが故、遠月の日常程度では得るものが特に無いのだろう。

 

「まぁ、薙切との約束もあるんだろ?っても結局は新戸とのか」

 

 よくよく考えれば薙切は起きて食べたら寝たので、彼女とは別に約束を取り付けてはいない。彼女に約束を取り付けたのは新戸の方だ、付き人としては先輩に当たる彼女はよくよく主人を理解していると思う。

 

「ふぅ、一旦部屋に帰ってシャワーでも浴びるか」

 

「それじゃ片付けは俺がやっとくぜ」

 

「頼んだ」

 

 そう言うと彼女は厨房から出て行く、片付けをすると言ったがこのまま鍋を洗うのは勿体無い。ゴムベラで綺麗にしてから洗おう、そう思って彼女の出した鍋の方を向く。

 

「は⋯⋯?」

 

 鍋が消えていた。何事かと思い室内を探し回ったのだが、結局鍋は見つからなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美作と別れて自室に戻った私は、オートロックに加えてチェーンロックを掛けると服を脱ぎ、髪を上げてシャワーを浴びる。先程から気になってはいたのだが、一晩魚を捌き続けたので地味に魚臭い。

 

「普通の子だったらやっぱり香水とか持ってるものなのか?」

 

 シルエットだけなら女らしい、ただその実筋肉の塊のような体は、ここ数日で更に引きしまってしまったらしい。多分牛だったらスジ肉とかそんな扱いを受けているだろう。

 

「しかしあの寒気はなんなんだよ」

 

 寒気を感じたせいで、後片付けを美作に丸投げしてしまったのが心残りだ。やはり幽霊とかが徘徊しているのではなかろうか?

 

「にしても⋯⋯日常か」

 

 先程の美作とのやり取りを思い出す、彼との食戟以降、私の平穏な学園生活はもう帰らぬものとなった。故に日常といってもあくまで最近の日常と言うのが悲しいところだ。勿論美作に文句はないし、なにせ初めて連絡先を交換したり、授業を共にしたりする人物だ。感謝もしている。

 だが生まれは普通で、とりわけ自分だけの才能を持って遠月に入った訳ではない、凡人の代表選手のような私には些かハードすぎる気がするのだ。最近彼の所為か大物が私の周りに多い気がするし。

 

「まぁ、その分参考になる料理も増えたから差し引きプラスか」

 

 具体例は先程の煮込みだろう、まさか一番寝かせる事であそこまで美味くなるとは予想外だった。人といなければこの発見は無かった事だろう。

 石鹸を手につけ、体表を撫でるように泡だらけにすると、綺麗に流していく。私は地味にこの瞬間が好きだったりする。共感できる人少ないだろうけど。

 

「ふぅ⋯⋯にしてもこの邪魔なものは...どうにもならんよな」

 

 現状邪魔にしかならない重しに文句を言いながら身体を拭き、溜息交じりに腹筋を叩く。多分腹筋背筋の異常な発達具合は中華鍋の所為だ、利用頻度高いくせに重いから。

 着替えると携帯を確認すると早速通知が来ていた。美作以外の通知はほぼ初めてなので、少しわくわくするのはしょうがないだろう。通知が来ていたのは水原先輩で、昨晩はありがとうとの事だが、此方としても貴重な意見を貰っている上、材料費は全額学園の遠月グループの負担だ。

 

「さて、美作が来る前に荷造りをすませるか」

 

 丁度荷造りを済ませた頃に美作が来、その足で駐車場近辺の集合場所へと向かう。先輩方への挨拶を少しした時に聞いたのだが、四宮先輩は三ツ星を取りに行くつもりらしい。彼ならすんなりと取ってしまいそうだが、ここは素直に応援しておいた。帰りのバスは男女別故に美作と離れる結果になったが、なにはともあれ、無事退学を回避できて一安心である。




もともと二話分の話を一つに纏めました、その所為でちょっとつめつめ


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九皿目 鯛尽くし

今回4人分の視点を書いて見ました、OVAの話になります
(何度この話ほっといて次の秋の選抜書こうと思った事か⋯⋯)

2019年10月11日 修正完了


 地獄の宿泊研修が終わり、生徒にはしばしの休暇が与えられた。もっともこれはご褒美ではなく、運営の都合上できた休暇なのだが。地獄を無事突破し、休暇が与えられれば羽を伸ばしたくなるのが人情というもので、多くの生徒が街に遊びに行ったり帰省をしていたりする。

 

「さて、美作。準備はいいか?」

 

「勿論だぜ、っても移動は殆どあっちの車だがな」

 

「まぁこの学園広いからな」

 

 目的地の薙切邸まで大体5キロくらいだ、比較的中心寄りの我が家でコレなのだから遠月の敷地の可笑しさは異常の一言に尽きよう。しかし持参物に包丁を指定されたのには驚いた。

 

「それじゃ、荷物を飛ばさねぇように気をつけろよ」

 

 そう言うと彼はバイクを走らせる、サイドカーの胃のあたりがヒュッとなる乗り心地にももう慣れたもので、包丁や日頃も持ち歩いている荷物を抱き抱えて乗る。因みに今の格好は美作はいつもの、私は男装だ。

 

「しかし美作、折角の休暇を良かったのか?もし彼女か彼氏とかがいるなら⋯⋯」

 

「彼女も彼氏もいねぇよ...つか美咲さんの付き人してる時点で察せるだろ」

 

「悪い」

 

 しかし私が最近先輩に聞いた男のからかい方を実践して見たのだが、そう上手くはいかないらしい。彼氏の辺りを勢いたっぷりに否定したところを弄れと言われたのだが⋯⋯まさか⋯⋯

 

「謝られるのも微妙なんだけどな、美咲さんはどうなんだ? 言い寄られた事とかねぇのか?」

 

「一度も無いな、なにせ中等部の頃からこの身長だぞ?」

 

「美咲さんの場合身長は関係ないと思うんだが⋯⋯まぁいいわ」

 

 私の上げる最も女性らしくないポイントだったのだが美作には別の心当たりがあるらしい。やはりこの仕事しない表情筋とコミュ力だろうか?

 

「いいのか。ほら目的地が見えてきたぞ」

 

 薙切邸の屋根が木々の合間から見える。歩けば意外と掛かるだろうがそこはバイクなのですぐだ。正門が見えるあたりに来ると、如何にも高級といった様子な黒塗りの車と屈強なサングラスのSP(?)、制服姿の美少女が2人いる。言わずと知れた彼女達だ。

 美作がバイクを止めるとヘルメットを脱ぎ(蒸すので正直好きではない)、彼女達に挨拶をする。

 

「おはよう、やはり2人とも制服なんだな」

 

「えぇ、おはよう。美咲は男子の制服⋯⋯それは特注なの?」

 

 緋沙子さんが頭を下げ、えりなが言う。女子用の制服は学校がある日こそ着ているが、動き難さとスカート丈の都合で余り好きではなく、男子のズボンと手頃なカッターシャツの組み合わせだ。それに私がミニスカなんか穿いても誰も喜ばないだろうし。

 

「動きやすいからな、やはり美作もスーツか何か着せた方が良かったか?」

 

 一応仕事との事なので正装(?)をしたのだが、美作は生憎そんなものは持っていないとの事であり、本人は最悪近くで待機すると言っていた事もあり普段着だ。

 

「いえ、大丈夫よ。3人が遠月の格好をしていれば舐められる事も無いでしょうし、私達はお願いされて行く立場なのだから多分文句も言われないわ」

 

 飲食業を営む店のスタッフが彼女に文句を言うとすれば元十傑や、彼女の事を知らないモグリだろう。いるなら是非見てみたいものだ、飛び火しないレベルで。

 

「そうか、一応言われた通りの物は持ってきたが私は何をすればいいんだ?」

 

「後で話すわ、さぁ乗って頂戴」

 

 彼女がそう言うと黒服の男性が車のドアを開ける、正直こんな高級車に乗る日が来るとは夢にも思わなかったので内心びくびくしている。まぁビビッててもしょうがないので出来る限り自然に乗り込んだが。

 車の内装は豪華⋯⋯というか行き過ぎて無駄を感じる次元で、車内というより高級宿泊施設のようだ。美作も珍しいのかキョロキョロとしており、未経験なのが私だけでない事に安心しつつも、車とは思えないような座席に着く。

 

「それでは行きましょう。午前中は都内のホテル4件、午後は料亭2件が今日の予定です。えりな様、犬神さんよろしいですか?」

 

「勿論よ」

 

「あぁ」

 

 緋沙子さんがえりなの所で秘書業をしているのは知っていたが、素人目に見ても優秀なのが分かる。実際口にすると頭悪い扱いをされかねないので言わないが、今かけている眼鏡と手帳が本人の生真面目な雰囲気と合わさってとてもそれっぽいのだ。

 

「そうだわ、美咲に包丁を持ってきてもらった理由を説明しておきましょう」

 

 車が走り出すとえりなが説明を開始する。私としても今一番気になる事でもあるので、早く説明してもらいたい所、現場で唐突な無茶振りをされるのは宿泊研修でもうこりごりなのだ。

 

「まぁ他にないとは思うけれど少し包丁を振るって貰いたいのよ。とは言え振るって欲しいと思っているのは現状一軒だけなのだけど」

 

 私が包丁を振るう理由はよく分からないが、その程度ならば別に良いだろう。人に包丁技術を伝授しろと言われても無理な話であるし、そもそも現場の人間に私程度の技術が必要とも思えない。包丁技術に関しては自信がないわけでは無いが、関守先輩にもまだ拙いと言われる様に学生の域は出ていない。

 

「何にだ?」

 

「多分鮮魚になるわ、日本料亭だし」

 

 肉類で無いならまぁ無様は晒さないだろう、肉類とスイーツは私の苦手分野なので遠月では生きていくのが精一杯なレベルである。加熱調理や味付けなんかは何とかならなくも無いが、肉の味を云々となるとさっぱりなのだ。是非また水戸さんには食戟をして欲しい。

 

「分かった、それでなんだが⋯⋯それは?」

 

 視線の先にあるのはトランプである、車の内装の所為で凄く雰囲気に合っているのだが、普通トランプは走行中の車内で使う物ではない筈だ。

 

「トランプだけど⋯⋯到着まで時間があるし暇でしょう?」

 

 だから暇潰しにトランプをしようと、まぁ言いたい事は分かるが⋯⋯確かに本当に車内なのか分からないくらい揺れないし空調が完璧だが⋯⋯

 

「で、何をするんだ?ババ抜きは美咲さんが確実に負けるぞ?」

 

「そうですね、犬神さんが絶対に負けます」

 

「そうね⋯⋯美咲が圧倒的に弱いものね」

 

 散々な言われようだが否定出来ない、何故なら宿泊研修時の私の勝率は0%。その殆どでジョーカーを終始握り締めていたのだから、何かこれと言って敗因があるわけでは無いと思うのだが。

 

「ポーカーとかはどうだ?」

 

「セブンブリッジなんかもいいですね」

 

 この後ルール説明を受け、ゲームをプレイしたのだが、どうやら私はポーカーだけは異常に強いらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美咲さんとポーカーはしてはいけない、恐らく彼女を除く全員の総意だろう。駆け引きも何も無く、常にジョーカーを二枚手札に持っていたのはただジョーカーに愛されているのからなのか。何はともあれ、無事に午前の予定をクリアし、午後の予定に備えて休憩をしようとなった。因みに薙切が一口食べて罵倒するのを見ているだけだったので俺は勿論、美咲さんも何もしていない。

 

「しかしまぁ、情け容赦の無い辛口コメントだったぜ」

 

「当然でしょう、レシピを何処から仕入れたのかは知らないけれど、遠月だと高等部進学も危ぶまれる下処理のレベルだったんだから」

 

 確かに上手いとは微塵も思わなかったが、恐らくそれはここにいる全員が美咲さんの包丁技術を見慣れたからだろう。世間的に見てそう程度が低いわけでは無いだろう、多分。

 

「まぁレシピそのものは良かったみたいだから後は練習あるのみだろう」

 

「美咲さんクラスならな⋯⋯流石に50近いおっさんに高校野球ばりの練習量を求めるのは酷だぜ」

 

 暇さえあれば食戟の観戦、朝から晩まで黙々と試作を繰り返す美咲さんと同じ練習量をこなせと言われても、学生ですら一月と持たずに体を壊すだろう。ましておっさんなら最悪過労死する可能性すらある。

 

「人にはその人に向いた練習方法があるからな、私みたいに能率無視して包丁振るうのが向いている人もいれば理屈から入るのが向いている人もいる」

 

「それでも美咲さんはおかしいだろ」

 

「美咲は普段からどんな練習をしているの?」

 

 彼女の試作風景を知る者はそう多くない、精々が一部講師や俺くらいだろう。過去にストーキングをした時はあまりの覗き難さ、何故か何時になっても途絶えない人の足に難儀したが、あれのせいで誰も覗こうにも覗けず、またたまたま見る事も無いだろう。

 

「大した事じゃない、長々と調理し続けるだけだ」

 

「美咲さんの作る量の所為で俺は太ったぞ」

 

 美咲さんの料理の消費先は保存の利くものは近場の児童養護施設に引き取ってもらい、そうでない物は自分で消費していたらしい。後者の消費に俺が加わったのだが、今まで彼女が太っていないのが何故か分からない程の量に驚き、このままだと不味いと思い積極的に運動をするようにしている。

 

「⋯⋯?」

 

「そんな事はどうでもいいんだ、この後はどうするんだ?」

 

「余り移動するのは望ましくないので出来れば近場で時間を潰したいのですが⋯⋯」

 

 近場で時間を潰す、となると観光もしくは喫茶店等になるのだが、とてもではないが【神の舌】と【神の包丁】を連れ込める場所が早々ある訳もなく、ほぼ観光一択だ。

 

「ねぇ緋沙子、あの⋯⋯ペンギンを」

 

「「ッ!?」」

 

 唐突にペンギンを所望する【神の舌】に一同唖然とする、味のイメージなのか食べるつもりなのか、はたまた何かの隠語なのか。もし最後のケースならば新戸が分からない筈が無いので、イメージなのか食べるつもりなのかだろうが、どちらにせよ意味が分からない。ペンギン料理なんて日本で出そうものなら大バッシング必須だろう。

 

「そうだな、ペンギンもアリだな」

 

「「え!?」」

 

 美咲さんには通じている、謎の隠語説が有望になったが、彼女ならペンギンを難なく捌いても驚かないだろう。流石に止めはするが。

 

「さぁ、行きましょう」

 

 そう言うと二人は水族館へと入って行く、よく分からないものの主達に置いて行かれるわけにもいかない俺と新戸は、2人を追いかけて水族館へと入っていった。そもそも俺達がいなければ支払いのシステムが良く分かっていない様子の薙切と、券購入のタブレット相手にボタンを探す美咲さん相手では置いて行かれる心配は不要だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ペンギンを堪能した後、目的の料亭に向かう。ペンギンと触れ合っていた時、美作君と緋沙子の私達を見る視線が(ペンギンの)親鳥のそれだったのが気になるが、水族館も堪能した所で今度は彼女の腕を堪能させてもらう事にしましょう。

 

「私の出番は次か?」

 

 やはり並ぶと大きい、彼女が周りに近寄りがたい雰囲気を感じさせるのはこの所為もあるのだろう。第一の要因は他にあると思うけど。

 

「えぇ、新人のプライドを圧し折るのが貴女の仕事よ。期待しているわ」

 

 彼女は前を向くと口元に獰猛な笑みを浮かべ、「あぁ」と呟く。彼女はきっと料理勝負や技比べが好きなのだろう、食戟をしないのは単に相手が居ないからだと見ている。

 

「さぁ、えりな様、犬神さん、こちらです」

 

「らしいぜ」

 

 この2人も随分と仲良くなった様子だ、やはり付き人同士感じるものがあるのだろうか。

 

「ふふ、遠月の名を馬鹿にしたとか言うお馬鹿さんのプライドを粉砕しに行くわよ」

 

「えりな様⋯⋯あくまで圧し折るくらいに」

 

「さっきのおっさんの前に言ってやれよ⋯⋯」

 

 料亭の門を潜ると芸者の方が出迎えてくれる、彼女達の案内は慣れたもので、此方に一切の不快感が無いように気遣っている。お馬鹿さんは兎も角彼女達はきっと一流なのだろう。

 奥の一室に通されると一人の男性が待っていた、彼の顔は自信と覇気に満ちており、明らかに此方を見下しても居る。

 

「こんにちは、遠月から来ました薙切えりなです」

 

「おや、お付きの方が3人も居るとはお聞きしていませんでしたが?」

 

「そちらの2人は貴方の料理への指導を手伝って貰う事になっていますので、まぁお気になさらず」

 

 彼の表情がピクリと動く、一先ずは挑発は十分だろう。

 

「それはそれは⋯⋯楽しみにしていますよ」

 

 そう言うと彼は厨房に向かったのだろう。しばらくすると私の前に鯛で作られた料理が並んでいく。鯛尽くし、時期でもあり、また脂の乗った上質な鯛が誇る身の張りは上々だ。包丁も火入れも煮込みも上々、遠月の学生と比べても間違いなく上位に食い込む実力はある。

 

しかし。

 

「それではどうぞ、ご賞味あれ」

 

 部屋に入ってきた彼が言う、「えぇ」と返事をすると一口ずつ箸を付けていく。確かに美味い、素材の味も殺す事無く調理されているがやはりだ。

 

「そうですね⋯⋯60点と言った所ですね。合格ではあるでしょう」

 

「はぁっ? 俺の料理が60点だと?」

 

 恐らく彼の素はこっちなのだろう、表面だけ取り繕ってもそれが表面だけのものなのは一目瞭然だ。

 

「えぇ、私から合格を貰ったのですから誇っていいでしょう」

 

「⋯⋯あんたが俺の料理を越す100点満点の料理を見せてくれるってのかぁ?」

 

「私は料理しませんよ、するのは彼女です」

 

 そう言うと美咲に視線を向ける、部屋中の視線が彼女に向くが、彼女は表情を崩すことなく鞄を持って立ち上がる。

 

「彼女を厨房へ」

 

 芸者の方に連れられて彼女は姿を消した、目の前には此方を射殺さんばかりに睨みつける男。左右で溜息まじりに哀れな子犬を見る目を向ける付き人達の姿があった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 まさかの挑発からのバトンタッチを喰らった。調理をする事になるとは聞いていたが、挑発して憤怒の形相を浮かべた相手のヘイトを丸投げされるとは思っていなかった。

 

「しかし⋯⋯多分これは美作の方が適任だよな」

 

 えりなの頼みたい事は分かるが、同じ料理で上を行くならばどう考えても適任は美作だ。寧ろ彼はその手の専門家なのだから、事前準備が無くとも今の彼なら容易くやってのけるだろう。

 内心で愚痴りながらも厨房と食材を使う事をスタッフの方に告げ、貰い受けた2匹の鯛の内、大きい鯛を捌く。最小の手数で捌く、生で食べる時の一手分の差は言うまでも無く、また加熱調理しても差は現れる。

 

「先ずは炊き込みだな」

 

 捌いた鯛の中から淡白な部位を切り離し、土鍋で米と共に火にかける。味付けは『薄口醤油と再仕込み醤油を合わせたもの』をベースに白昆布、加塩みりんを加えたものだ。これは時間は掛かるが待っていれば出来るので、仕掛けるだけ仕掛けて続きを行う。いつもの氷水を準備し、手の感覚が遠くなると身に沿うように皮を剥ぐ、ぶつ切りにした部分を衣に馴染ませ、薄切りにした部分は昆布でしめる。数日掛けたいがそんなに待っても居られないので、昆布の表面にざらつきを造り早く馴染んでもらう事にする。

 

「それでアラ煮」

 

 骨と頭を放り込み、『白醤油と薄口醤油』で味を調える。油を温めながらフライパンの準備も整え、揚げ物と酒蒸しの準備を済ませる。暫く待ち、鯛飯の出来る頃合で全ての調理をスタートする、揚げ物と酒蒸しの過熱を開始し、手を冷却すると今度は小さい方の鯛を一息に捌く、半身は刺身にして頭部と盛り、もう半分はカルパッチョにする。彼の料理にカルパッチョは無かったが、余してもしょうがないし、また香りが高い物もなかったので一案として出す。

 

「あとは運ぶだけか」

 

 幾らか香辛料をふりかけバーナーであぶれば完成なので、バーナーを腰に下げ、揚げ物や酒蒸し、刺身に鯛めし、アラ煮を盆に載せると先程の部屋へと持ち込む、どうやらずっと睨み合いを続けていたらしい。

 

「あら、思ったより早かったわね」

 

「急いだほうが良いと思ったからな」

 

「っは!早くても味がなってなきゃ話にならん」

 

 そう言うとカルパッチョに箸を伸ばすので手を掴んで止め、バーナーで炙る。コレをしないと完成しないし、食べる直前にしないと香りが逃げてしまうのが難点だが、その分直後の味は確かだ。手を放すと彼が口に運ぶ。

 

「_______!」

 

 魚の調理に対して助言をくれた卒業生、今回は特に関守先輩には深い感謝をしなければならないだろう、やはり卒業生は偉大だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気持ちのいいものを見た、えりな様に無礼を犯した男が目の前で打ちのめされるのは実に気持ちがいい。犬神さんは追い討ちを掛ける事と逃げ道を塞ぐ事も上手いらしく、相手より素早く調理を済ませる事で早さでの逃げ道を塞ぎ、最後に『この程度は卒業するまでには誰でも出来る様になる』と遠月を馬鹿にした男に対して何を馬鹿にしたかを思い知らせる追い討ちだ。

 

「しかしまぁ、よくあの短時間であそこまでの完成度が出来たな美咲さん」

 

「時間があればもう少しなんとかなったのだがな」

 

 しかもまだ余力は大いにあるのだろう、私もえりな様のお傍に居るためにはアレくらい容易に出来る様にならねばならないのだろうか。

 

「十分よ、少なくとも自分の実力すら測れない男に灸を据えるのにはね」

 

「まぁ⋯⋯別に遠月出身な訳でもない、ただの料亭の跡取り相手に美咲さんはオーバーキルだった気がするけどな。次美咲さんの本気の料理が見られるのは選抜か?」

 

 まったくもってその通りだ、遠月にも愚才な者は未だ残っているので一概には言えないが、あの程度の男はある程度の実力者になれば歯牙にも掛けないレベルだ。

 

「あ、そういえばだけど3人共、少し早いのだけど選抜予選出場決定おめでとう」

 

 秋の選抜、60名の予選出場者に選ばれた事をえりな様が告げるがここに居る全員、自分が選ばれる事を疑っていなかっただろう。犬神さんは相変わらずの無表情だし、美作も当然と言った表情でいる。私とて選ばれなければ自ら付き人の立場を返上するくらいには疑っていなかった。

 

「ありがとうございます、えりな様。先ずは目指せ本戦出場ですね」

 

 当然目指すべきは優勝なのだが犬神さんが居る限り現実的でない。えりな様をして勝てない、底が見えないと言われる人物に私が勝てるとも思えないのだ、せめて彼女以外には負けない事が私の使命だろう。

 

「3人が本戦出場してくれる事を期待しているわよ」

 

 犬神さんが獰猛に笑みを浮かべ、美作がその顔にまた違った笑みを浮かべる。きっと私も笑えているだろう、秋の選抜の課題発表がこれほど待ち遠しいのだから。




誤字脱字報告、感想くださった方ありがとうございます!
近いうちに次も投稿する予定ですので次回もよろしくお願いします。


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秋の選抜編
十皿目 鯛ちらし


ご無沙汰しております、盆帰りが終わってパソコンと料理の生活に舞い戻ってきた眠たい兎です。
今回はあまり料理しませんが次こそは⋯⋯

2019年10月11日 修正


 充満するカレーの香り、いい加減匂いに飽き飽きしているが試作を止める訳にいかないのが辛い所だ、えりなの厳命(?)もあるし、何より付き人が本戦に行っておいて主人が善戦すらせず予選敗退は流石に笑えない。それにコレには私の料理人生が掛かっている。

 

「⋯⋯問題はカレーなのに十分に煮込めないって所なんだよな」

 

 意外に多い過去の食戟でのカレーレシピを片っ端から再現しつつもう何度目か分からない溜息を吐く、気分転換に林檎酢を炭酸水で割ったものを一息に飲む。やはり暑い夏場はコレに限る。贅沢を言うならばアイスなんかも欲しい所だが、遠月の敷地を移動してアイスを買いに行くくらいなら作った方が早いのが難点だ。

 

「⋯⋯美作も一瞬入って来たと思ったら『コレじゃ駄目だ!』とか訳の分からない事を叫んで出て行ってしまったし」

 

 これで私の移動手段は徒歩に限られてしまったのだ、やはり自前でバイクの免許くらい取るべきだろうか?

 

「そもそも何でこの暑い時期にカレーを作らないといけないのさ」

 

 それは数日前に遡る。

 

 

 

 

・・・5日前・・・

 

 美作に連れられた私は、よく分からないままに、普段は進級テストや定期テストの上位陣が張り出されているらしい中庭にいた。らしいと言うのも上位陣に私が居るわけでも無いだろうし、また不合格であれば通知も届くため実は来た事が一度も無かったのだ。

 

「で、これは何だ?」

 

「美咲さん⋯⋯話聞いてなかったのかよ。秋の選抜の出場者が張り出されてるんだよ」

 

「ほぉ」

 

 確かにココはぴったりだろうが、何体もの屍や抱き合う男共、泣き崩れる女子生徒等が多数転がっていたり座り込んでいたりと、なんとも濃い空間が完成していた。ウミウシやヒトデの打ち上げられた浜辺の様な光景に違和感を感じて聞いたのだが、美作の中で私は人の話を聞かない奴と認識されていたらしい。

 

「まぁしかしコレに関しては出ざるを得ないのは知っていただろう?」

 

「敵を知るってのは大事だぜ?敵を知り己を知れば百戦危うからずって言うじゃねぇか、俺は99で止まっちまったがな」

 

 生憎と美作の様に電子錠を素通りする等、ストーカーの極意を身に着けている訳でも無いので出来る事と言えば過去のレシピを組み合わせて見劣りしない品を作るだけだ。

 

「しかしまぁ、食戟の常連が大量だな」

 

 幾度と無く目にした名前がずらりと並んでいる、(レシピ的に)お世話になった事のある人も多いので周りにいるかと思い、少し盛り上がった小山の上から周囲を一望する。生憎目に入った光景の殆どは先程の混沌とした光景だったが、闘志を燃やしている目も見える。少し静かになった気はする、燃え尽きたのだろう。

 

「流石だな⋯⋯それはさておき編入生も出場決定みたいだな」

 

「⋯⋯なぁ、急に寒気がしてきたんだが」

 

 この悪寒には覚えがある、もしや誰かが宿泊研修から幽霊(仮)をつれて帰ったのだろうか、帰ったら一応盛り塩でもしておこう。

 

「美咲さんに限って風邪はねぇだろ、マジでなんか憑いてんじゃねぇか?」

 

 人をなんだと思っているのかこの美作は、周囲も騒ぎを再開しはじめた所でクレーン車が突っ込んで来た。

 

「選抜入りした方々! 本当におめでとうございまーす!」

 

 そんな事を言いながらクレーン車で突っ込んできたのは顔立ちの整った女子生徒だった、彼女はそのまま選抜の説明を開始し、もう既に何度も見学しに行っていた私は聞き流していたのだが、彼女の話で一点、耳に残った言葉があった。

 

『選抜には多くのVIP、料理界の重鎮がゲストとして訪れる。自分の腕を示す絶好の機会だ。だが、無様な品を晒せば、その時点で料理人として成り上がる未来が消滅する事もある』

 

 この後『ま、精々がんばれや』と締めくくられたこの伝言は、伝言主のキャラの立ち様からして凄くその場の声が想像に容易かったのが、無様な品を晒しかねない私としては叡山先輩がどれだけヤンキーか等どうでもいい、もっと重大な事がある。

 

「美作、課題が分かったらとっとと試作しような」

 

「お、おう?」

 

 2日後、予選の課題が『カレー料理』だと通知が届いた。

 

 

・・・現在・・・

 

 

「⋯⋯なんというか、もっと涼の取れそうなチョイスにすればいいのに」

 

 片方のブロックだけでも30食、一口ずつ食べても胃に来るのは間違いないだろう。作る側としてもカレーは処分に困るし熱い、後でえりなに頼んで施設まで運んでもらおう。

 因みにだが今まで試作したカレーはヨーグルトカレーやトマトカレー等の王道や、白菜や長ネギを使った和風カレーやサンバールの様な変り種を合わせて約20種類だ、まだまだ半分にも届いておらず、方向性すら決まっていない。

 

「一度頭を冷やすのもいいかもな」

 

 美作を誘ってどこかの祭りにでも参加してみるのもいいかもしれない、偶には食べる側で。そう思い押しかけた彼が拠点としている貸し厨房で見たものは、きっと夏の暑さで狂ってしまった私が見た幻覚だったと信じたい。私の付き人にミニスカで厨房に立つ趣味があるなんてそんな事はある筈が無いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日掛けて過去のトレースで身に付けた料理を組み合わせ、やっとの思いで満足いく品を作った。出来は上々だと思うし、少なくともそこいらの凡百相手には絶対に負けない出来だろう。偶には美咲さんに試食してもらおうかと思い立って、彼女の厨房に押しかけたのだが、そこに広がっていたのは香ばしくもまろやかな強烈な香りであった。

 

「ん、美作か」

 

 凸凹したジャガイモ相手に流れる様な手付きで皮を向いていた彼女が振り返る。しかし今の俺は彼女に挨拶をする余裕すら感じていなかった。数日の内にここまで深く強烈な香りを練り上げ、今も尚上へ上へと試作を続ける彼女に、付け焼刃の技術の組み合わせで作り上げた料理を試食させよう等と考えた少し前の己をぶん殴ってやりたい。

 

「コレじゃ駄目だ!」

 

 俺は叫ぶと厨房を後にする。舐めていたつもりは無い、しかし出場者発表の場で大勢の参加者を見下ろし、宣戦布告するような彼女に今の俺が追いつける訳が無いのだ。彼女に試食を頼むなら過去に無い程の会心の一品を作り上げてからだ。

 ならばどの様にその一品を作り上げるのか、俺の武器はトレース唯一つ。幸いな事に俺の知る限り最有力の優勝候補がすぐ近くにおり、ココ数ヶ月はずっと彼女を見てきたのだ。今なら彼女に少しは近づけるかもしれない、イメージするのは理想の調理、最低限の手数で食材を捌き、最大限の効率で煮詰める彼女の姿。また何者にも臆さず、何事にも動揺しないその精神力。

 

「犬神美咲だ⋯⋯あん?」

 

 よくよく思い返してみれば彼女の主義を俺は良く知らない、弱者の為に立ち上がる姿勢から徹底した実力主義では無いのだろう。また試作する料理を考慮するとこの学園に多い高級料理至高主義でも無いはずだ、寧ろ安価に抑えて良心的な価格での提供が可能な料理を作る傾向にある。

 

「ペンギン⋯⋯は結局料理しなかったが⋯⋯」

 

 そして食材はペンギンだろうが蛇だろうが美味ければ恐らく無差別に使う、魚介をメインに使うのは実家での応用性を考えてと包丁技術を活かす為だろう。調理法にもこだわりと言えるものは無い。以前調べた時は『卓越した包丁技術を使い基本に忠実な女』といった印象であったため、余りにイメージしたものと違っていて勝負にもならなかったが、やはり今でもその印象は間違ってはいなかったと思う。程度と彼女の知識が大が何個も付く程間違っていたが。

 

「口数は少なく交友関係は狭いが付き合いが悪いわけではない」

 

 これは実際付き人(主に移動手段)として関わっていく中で知った事だ、実際薙切なんかの頼みは聞くし、遊びに誘われれば付いて行く。権力が無い相手でも、施設の子供達との関係は若干怖がられているようではあるが良好であるし、施設の管理人とも(やや管理人の一方通行感は拭えないが)世間話をするくらいの間柄ではいる。

 

「ファンクラブがあり一部から崇拝⋯⋯?」

 

 コレに関しては俺から包丁を取り戻した事が原因であるが、それ以前からも人気はあり、最近ではストーカーが近くに居るという噂も聞く。これは俺か?

 

「そして慢心せず黙々と技術の向上をはかる」

 

 既に学園でも単純な技能は学年の垣根を越して上位ランカーだろうが、上からは兎も角下から見上げる分には皆一様に化物にしか見えない為どれ程のものかは正直不明。奇抜な獲物を使う事は滅多に無いので、専門的な技術を要するものへの技術もこれまた不明だ。

 

「分からねぇ⋯⋯まぁ先ずは格好から入るか」

 

 悲劇の瞬間まで後数分。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石に美作の幻覚に話しかける訳にもいかず、学園内を走るバスを捕まえて学園を出ると、パンフレットと常備品(包丁を含む)を持って小規模な祭り会場へと向かう。今回向かったのは神社で行われるその地区の人間だけが参加する様な祭りだ。

 

「ぼっちで祭りもどうかと思うがな」

 

 しかしそうと決めると寂しかろうが出てしまうのが私である、頑固な性格だと思うがそうしないと何と言うか気持ち悪いのだ。行く先で出会える友人も居ない私は着いてからもぼっちであり、わたあめを買うとベンチに座って人混みを眺める。

 そういえば地元の祭りだと必ずといっていいほど餅を撒いていたのだが、それがローカルな伝統だと知った時には酷く驚いたものだ。わたあめをちぎって口に入れる。

 

「⋯⋯久しいな」

 

「ッ!よく分かったね、美咲っち」

 

 後ろからの声に内心驚きながら振り返ると、宿泊研修の時に眼鏡君関係で知り合った女の子が2人と、遠月では滅多に見ないまともそうな女の子がいた。

 

「もぉ悠姫ったら⋯⋯ごめんなさいね犬神さん」

 

「ん、かまわないさ」

 

 よく分からないので謝罪に対する万能ワードを返す、榊さんは名前を聞いた記憶があるのだが、悠姫と呼ばれた女の子と見覚えの無い女の子は名前を聞いた覚えが無い。しかしココで名前を聞いてもう名乗っていたら気まずくなってしまう可能性がある以上、ここは慎重にだ。

 

「遠月で外の祭りに参加する人が居るとは思わなかったな」

 

 無難な話題を振って名前を探る、ココに美作がいれば彼を紹介する流れで自己紹介に扱ぎ付けたのだが、生憎本物の美作は行方不明なのだ。

 

「そうですね、学園の生徒の大半は高価な美食至上主義ですから地元のお祭りなんかは見下してますから⋯⋯」

 

「確かに遠月でイカ焼きなんて出したら減点待ったなしだもんね」

 

 まぁ教師の大半も高価な美食至上主義であるからしょうがないと言えばしょうがない。シャペル先生等、美味ければ何でも認めてくれる先生も存在するが、彼らの舌をそこらの屋台で出品される様な品で満足させようと思うと十傑並の技能が要求されるだろう。

 

「でも創真君ならやりそうだよね」

 

「「それ、洒落にならない」」

 

 誰だろうかと首を傾げていると榊さんが此方の意図を察して説明をしてくれた。どうやら編入生の彼の事だったらしい、確かに食戟の時も1パック1000円程度の肉を持ち出して大ブーイングを喰らっていた筈だが懲りてはいないらしい。

 

「中々に強心臓の持ち主らしいな、もしかして彼は選抜にも出るか?」

 

「えぇ、私達3人も出場しますよ。犬神さんも出場おめでとうございます、といっても当然過ぎますよね」

 

「いや⋯⋯そんな事はない。榊さん達も出場おめでとう」

 

 正直例年通り見学していたかったのだが、あの尾鰭の付きまくった噂のせいか選ばれてしまい内心全くおめでたくない。程々の成績まで頑張ったら後は早々に見学をしていたい。

 

「恵っちも選ばれて極星から5人出場だからね。あ、美咲っちは何カレーにするか決めた?」

 

「煮詰まって逃げてきた所だ、3人はどうなんだ?」

 

 どうやら初見(?)の女の子の名前は恵と言うらしい、選抜に選ばれるという事は猛者なのは間違いないのだが、過去に彼女の料理を見た記憶が全くないのが謎極まる所だ。

 

「私達も⋯⋯『とっとと店仕舞いしたらどうなんだぁ?』」

 

 榊さんがそう言いかけた所で嫌らしく粘ついた男の声がした。どうやら現場は近くらしく、海鮮ちらしを売っていた店舗どうしの諍いらしい。まぁ関わる理由もなければ、煩くなったこの場で彼女達と雑談を続けるのも話し難い事この上ないので場所を変えるなりするべきだろう。

 

「はぁ⋯⋯行くか」

 

「ッ! そう来なくっちゃね!」

「流石は犬神さんね」

「あわわわわ」

 

 妙にノリの良い悠姫さんと当然とばかりに頷いた榊さんが私の両側を固め、後ろを恵さんが塞いだ状態で騒ぎの中心地に真っ直ぐ向かって歩き始める。いや、近付いてどうする。

 

「さぁ、のいたのいた」

 

 そう言い人混みを掻き分けて進む小さな背中は妙に逞しかったのだが、後で思えば多少無理矢理にでもここで引き返すべきだったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 当然の様に立ち上がった犬神さんはやはり噂に名高い『神の包丁』なのだと思う。実際に彼女が立ち上がる場面を見たのは初めてだが、迷い無く立ち上がるその姿は一部の生徒から『美咲様』なんて呼ばれるのも頷ける。

 

「美咲っちは流石だなぁ」

 

 悠姫もそんな事を言っている、恵は唐突に連れて来られた人混みの中心地でわたわたとしていたが、中心で踏み躙られる料理を見ると男に謝罪を要求し、男と口論の真っ只中だ。犬神さんはやや戸惑っている様だが、あの恵がまくし立てるのを目にすると当然だろう。

 

「お前達ァ⋯⋯笠原グループにたて突く意味分かってのか?あぁ!?」

 

 遠月の制服を着ていたら少しは話が違っていたのだろうが、生憎全員が私服である為遠月の威光は当てに出来ない。というか先ず笠原グループって何だろうか。

 

「笠原グループ⋯⋯? 知っているか?」

 

 犬神さんが躊躇無く挑発に出る。選抜メンバーの発表の場であれだけ対抗心のある視線を浴びても動じない女性だ、流石の精神力である。ここから先に求められる流れは遠月にいると慣れるものだ。男が青筋を立てているが悠姫が流れに乗る。

 

「知らなーい、自信満々に名乗るんだから大層なグループなんじゃない?」

 

「んだとぉ?ふん、まぁどうせそこの貧相なちらし寿司も売れのこんだ、ちったぁ買ってやったらどうだ?」

 

「へぇ⋯⋯随分と自信があるのね」

 

 貧相なちらし寿司、確かにそう見えるが年季を感じる確かな技術をそこに感じる。生憎専門外なので詳しくは分からないが、食べ比べであれば早々負ける事はないだろう出来なのは確かだ。遠月の上位陣と比べると話にならないのは間違いないが。

 

「そりゃそうだろ、人生引退間際の小汚い爺が一人でやってる所と違ってこっちは現役のプロがやってる寿司弁当だぜ?味も素材も段違いなんだよ、それが向かい側にいて売れのこらねぇ訳がないね」

 

「プロが作った寿司弁当って言うのは⋯⋯これか?」

 

 犬神さんが懐疑的な声を発する。いつの間にか向かい側の店にいた彼女は売り物を覗き込んでおり、ひとしきり見終えると顔を上げて残念そうに戻ってくる。

 

「はん!勝負にならねぇのが分かったろ?」

 

「美咲っち、どうなの?」

 

 彼女は首を振る事で答えると、男の妙な存在感ですっかり忘れられていたこけたお爺さんを引っ張り起こす。その首を振る動作を勝ち目が無いと判断したのか男は満足気に鼻を鳴らすと、人集りに対して自身の店のアピールを始める。

 

「お爺さん、大丈夫ですか」

 

「あぁ⋯⋯少し腰を悪くしていてね。助かったよ」

 

 自慢げに話し続けている男を放置し、お爺さんを恵と犬神さんが店の椅子に座らせる。私と悠姫が少し遅れて駆け寄ると彼女は包丁ケースがはみ出ているバッグを持って言った。

 

「さぁ、いこうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 お爺さんを腰掛けさせ、『さぁ行こうか』と声を掛けると、何故か全員が覚悟完了した目で調理場に立ちはじめてしまった。挙句恵さんはお爺さんに『私達に任せてください』なんて言っているし、明らかに『私達』の中には私も含まれているだろう。

 

「ふぅ⋯⋯」

 

 未だに得意気に自慢している男の店は実際学ぶべき所が素材程度と言う有様で、一切の収穫は無く、宿泊研修でこんなものを出そうものならその場で退学間違いないものだ。

 

「美咲っち、準備オーケーだヨ!」

 

「魚はこの場で捌いていたのね。魚は任せていいですか?」

 

 この空気で逃げ出せるわけも無く、面倒ごとを引き起こしてくれた男に若干の殺意を抱きながら包丁を取り出す。元々お爺さんが一人で作業するスペースで四人も入るのは物理的に不可能なので、調理台の一部を動かしてスペースを確保する。

 

「何を捌けばいい?」

 

 クーラーボックスに入っているのは鯛ばかりで、マグロなどを起用して酢飯に色が移るのを避けたのだろう。結果として貧相な見た目になってしまったわけだが、素材も良く厳選されており、産地にだけ拘って仕入れたらしいあちらとは比較にならないだろう。

 

「しかしまぁ鯛は鯛でもよくこれだけ仕入れたもんだっと」

 

 鯛をまな板に置くと一息に解体していく、遠月だと注目を浴びる事の殆ど無い動作だが、料理学校に通うわけでも無い一般の人の目にはもの珍しい動きに見えたらしく、話し続ける男をそのままに人目が集まっていく。

 

「鯛だけで統一すると包丁を一々洗わなくていいのか」

 

 初めて気付いた利点である、基本一食ずつ作る学園での課題では気付かない点だが、こう実践して見ると良く分かる。捌く端から恵さんが運んでいき、悠姫さんが盛り付け、榊さんが売り捌いていく。もともとはほぼ0だった客足も男の起こした騒ぎと、榊さん達の魅力により小規模ながら絶えず列が出来ている。

 

「休日返上かぁ⋯⋯」

 

 この後素材が無くなるまで子供達に囲まれながら捌き続けた。

 

 

 

 

・・・数時間後・・・

 

 

「ありがとう、助かったよ」

 

 お爺さんが何度も頭を下げる中、端切れや余った酢飯を使ったちらし寿司を手に落ち着ける場所へと向かう。

 

「見事な包丁捌きでしたね、犬神さん」

 

「流石は【神の包丁】その人だよー、美咲っちはどこかで修行とかしたの?」

 

 素直に首を振る、別段修行に行ったことは無い。全てが遠月で学んだ事や見て盗んだものなので、ある意味日々修行中ではあるが。

 石段に腰掛けるとちらし寿司に手をつける、張りのある良い鯛の食感が心地よく、また柔らかくしっかり焼き上げられた卵が甘い酢飯としっかりと馴染んでいる。鯛のみで構成する事で味の喧嘩を極限まで押さえ、その上でしっかりと相乗効果を生み出しているのはあのお爺さんの確かな技術の裏付けだろう。

 

「え、てっきり秘境に住む包丁妖怪とかの元で修行したのかと思ってました⋯⋯」

 

「恵さん、私に敬語はいらない」

 

 私の認識はどうなっているのだろうか⋯⋯師匠が妖怪ってどんなコミュニケーション能力があればいいのだ。いや、今までぼっち貫いてたから人と関わるイメージが無いのだろうけどさ。

 

「え、あ、はい⋯⋯じゃなくてうん」

 

 戸惑わせてしまったのは申し訳なく思うが、選抜の予選入りを果たした猛者に敬語で話されるのは落ち着かないのだ。

 

「しかし何処かに師事してくれる人がいればとは思うな、せめて味見役だけでも」

 

「あら、薙切さんには頼めないんです?」

 

 中々敬語を止めてくれない榊さんだが、彼女はまぁ妙にしっくりくるので然程気にならない。

 

「【神の舌】に自信を持って出せる品がそう簡単に作れるなら今頃厨房にいる」

 

 彼女は食に関しては人が変わったと思うくらい厳しいので、下手なものを出そうものなら『ゴリラと混浴する様な味』や『鳥の怪物に連れ去られるような味』といった良く分からない表現で散々な評価をもらうだろう。味覚は確かなのに妙な感性をもっている所為でそもそもあまり頼ろうと思えないのだ。

 

「あーーー! そろそろ帰らないとバス逃しちゃうよ!」

 

 ちらし寿司を頬張っていた悠姫さんが唐突に声を上げる、都会故に学園までならどうとでもなるのだが、学内便が無ければやってられないのが遠月学園の敷地だ。

 

「3人は寮生なのか?」

 

「えぇ、極星寮よ。森の奥の古い建物だからか殆どの人が知らないのだけど」

 

 立ちながら聞くと榊さんが答える。しかし極星寮と聞いたとき、聞き覚えは無いのだが何故か漢字が頭をよぎったのは何故だろうか?

 

「2人とも! 暢気に話してないで急がないと!」

 

 その場で駆け足をしている悠姫さんの声を受け、学園への帰路へ就いた。帰りに美作を覗いて見ようとも思ったのだが、どうしても足が向かなかったので諦めて早く帰り、カレーの試作をする事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ?4人組の女にしてやられただと?」

 

「は、はひ⋯⋯」

 

 高いコンサルト料を納める家畜⋯⋯上客からの電話に溜息が出る。遠月の感覚で見ると高等部進学も危ぶまれる3流職人しかいない寿司チェーンの男だが、今は利を削って商売敵を潰す事で売り上げを磐石の物していた筈だ。

 

「⋯⋯特徴は?」

 

「一人はえらく大きい黒髪長髪、後は偉くいい体した赤毛にチビと地味な奴です」

 

 その条件に当てはまる4人組が何組いると思っているのか、内心で罵声を浴びせながらも質問を続ける。

 

「手法は?」

 

「そりゃちらし寿司を作って⋯⋯包丁使った解体ショーなんかもしてましたよ」

 

 包丁と言う言葉に引っかかりを覚える、別人の可能性のほうが断然高いが最近やけに影響力を拡大してきた女の顔が浮かんだ。

 

「その解体をしていた女が黒髪長髪か?」

 

「えぇそうです。っくそ、次に会ったらただじゃおかねぇ」

 

 非常に三下染みた言葉を使う男に溜息を溢しながらも今後の指示を出し、通話を切ると部下の一人に連絡を取る。2コールと待たず電話にでた部下に明日、例の女を連れてくるよう告げると秋の選抜の書類に目を移す。

 

「犬神美咲、邪魔だけはすんなよな」

 

 手駒になるなら欲しいが、生憎既に手駒にするには名が売れすぎている。未だ実力を目にした事は無いが、【食の魔王】と【神の舌】の推薦に加え、宿泊研修での評価から推察するに相当な腕の持ち主だろう。従属しろとは言わないから敵対はするな、そう忠告するつもりで呼びつけた。



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十一皿目 珈琲カレー(蜜)

お久しぶりです、秋の選抜予選を一本に纏めようとしたら叡山先輩の話もあって10000字を超してしまったので『上』『下』ならぬ『蜜』『柑』でおおくりします。



 祭りの翌日、美作の様子を確認に行くべきか行かないべきか考えながら外に出る。今日の服装も相変わらずジーンズにTシャツといったシンプルな格好で、Tシャツは『Fack of naughty one』と綴られている貰い物だ。外国語は得意では無いので意味は良く分からないが、微妙なデザインの警察(?)とリーゼントの不良少年が気に入っている。

 いや、話が逸れてしまった。私の服装などどうでもいいのだ、今大事なのはあの美作が幻覚であったことの確認と、彼のカレー作りの進捗の確認だ。もっとも後者は建前であり、前者が私の思考の大部分を占めている。

 

「いっそ⋯⋯自分から出てきてくれれば楽なんだが⋯⋯」

 

 ふと溜息が漏れるのも無理の無い事ではなかろうか、仮にも自分の従者に女装趣味疑惑を掛け、その確認をする事にすら二の足を踏んでいるのだから。人としてあるまじき行いだと思う、あんな幻覚は見るだけでも失礼だ。

 

「⋯⋯ふぅ」

 

 自己嫌悪から再び溜息が漏れる、我ながら凄まじく心の篭った溜息が漏れたと思う。額を抑えて首を振る、こんな所を誰かに見られでもしたら路肩で百面相をする変な女認定間違いなしだ。

 

「随分なもの言いだな、一年生」

 

 後ろからの声に内心ではビクつきながら振り返る。そこにいたのは4人組の男達で、着用している制服から二年生のものだと分かる。加えてヤクザっぽいその風貌から”あの人”の勢力下の人間と言う事も。

 

「⋯⋯」

 

 決して彼らには何も言っていないのだが、まぁヤンキーが真面目で非力な生徒に因縁付けて絡むのは世の常だろう、漫画とかを見る限りだと。つまり私と彼ら以外の人間が居ないこの現状、カツアゲでもするつもりなのか生意気な一年としてサンドバックにするつもりなのかは知らないが、どう転んでも碌な未来が見えない。下手に出ればあるいは⋯⋯?

 

「ふん、まぁ分かってるなら話は早い。付いて来い」

 

 なんの話だ⋯⋯まったく分からないが彼らは私が付いていく事を疑っておらず、私を見もせずスタスタと移動を開始しているので何かするつもりは無いのだろう。もしかすると学園の講師に私を呼んでくるように言われただけかもしれないし(だとしたらその講師は何故彼らを選んだのか謎だが)、選抜についての話があるのだとすると彼らのボスが関わっているのだから彼らが遣わされてもおかしくはない。

 まぁ確信は無いが、害意が無いのであれば付いていっても問題は無いだろうし、ここで彼らを拒んで自宅に引き篭るのも問題行動だろう。そもそもよくよく考えれば遠月学園はこれでもかと言うほど監視カメラがあり、警備員も徘徊しているのだから漫画のヤンキーの様な行動は出来ない筈だ⋯⋯多分。なので付いていくことにする。

 

「おら、早く乗れ」

 

 言われるがままに路肩の車に乗る、以前えりなと出かけたときの車と比べても遜色の無いその車に少しばかり緊張するが、それ以上にこの無言が辛い。別段ヤクザの様な方と話したい事も無いのだが、かと言って無言で凄まれても困るのだ。

 私の乗った車は案の定”あの人”の根城(?)に向かい、着くや否や追い出す様に降車させられ、建物の一室へと連れていかれる。無駄の無いその一室には来客用と思われる黒い椅子と、部屋の主である金髪オールバック、眼鏡に金の時計を身に付けたインテリっぽいヤクザな外見をした男がいる。

 

「はじめまして、犬神美咲」

 

「こちらこそ、叡山先輩」

 

 十傑の中では会いたくない人筆頭である彼だが、料理の腕は一級であり、また十傑故に学園内での権力を持ち、また学園外においてもフードコンサルティングで巨万の富を稼ぐ出来るヤクザだ。遭ってしまったのなら刺激せず、好印象を持ってもらうのが吉であろう。

 

「お前は知っていたか...まぁそうだよな。先ずは選抜入りおめでとうと言っておこうか、【神の舌】直々の推薦だ、へまはしねぇと思うが⋯⋯期待しとくぜ」

 

「恐縮です」

 

 知っていたか⋯⋯と言われても学園内で十傑の名前を知らない者など居るのだろうか? 食戟観戦常連であれば確実に抑えているだろう人物だと思うのだが⋯⋯

 

「でだ、無事選抜入りを果たしたお前に一つ提案なんだが⋯⋯俺の下につかねぇか?一生食いっぱぐれねぇ様にはしてやるぜ?」

 

「生憎ですが⋯⋯」

 

 確実に面倒ごとに巻き込まれるので考えるまでも無くお断りだ、断りの言葉に繋げようとして彼が遮る。

 

「だろうな、【神の舌】の派閥から引き抜きが出来るとは思ってねぇ。こっからが本題だ、秋の選抜に勝たせてやるよ」

 

 ⋯⋯は?

 

「だから勝たせてやると言っている。お前はいつも通りに料理をしてればいい、必要な食材があれば手に入れてやる。1つ条件を呑んでくれればな」

 

 非常に怪しい取引である事は間違いないだろう、流石の私でも分かる。

 

「⋯⋯」

 

「条件はあの編入生を叩き潰す事だ、手段は問わねぇよ。食戟でもふっかければあいつは絶対に乗る、退学させるなり隷属させるなり好きにしな」

 

 要は食戟を吹っかけて快進撃を続ける例の編入生を撃破、身の破滅に追いやれと言う事か。⋯⋯当然ながらこれもお断りする以外の選択肢が無い、相手が退学を賭ける以上当然ながらそれ相応の賭け金が必要であるし、それすなわち私の退学だ。そもそも彼の発想力は今後も参考にさせて貰うつもりなので退学されるのは困る。

 

「⋯⋯」

 

「さぁ、返事を聞こうか。なんなら報酬を出してもいいぞ」

 

 問題はどう断るかだ、私は十傑に喧嘩を売る気も無ければヤクザに睨まれるのも御免被る。緊張から自然と体が強張る。頭を使え私...不良の要求を断る最適解で断らねばならない。

 

「おら、黙りこくってないで早く答えろよ」

 

 目の前のヤクザは黙っている私に痺れをきらして返事を求める。早く断らねばどんどん難易度は上がっていくだろう、不良に悪事を求められた時の最適解、それはつまり。

 

「断る!!!」

 

 ⋯⋯あ。

 

「⋯⋯んだと?」

 

 やってしまった、これは確実にやってしまった。何が最適解だ馬鹿、模範解答が最適解とは限らないだろうが。

 

「⋯⋯助力はいりません」

 

 これでフォローになるだろうか、なってくれるといいなぁ等と自分でも無理があると思うが一応敬語で下手に出ることにする。視線を逸らさず精一杯の誠意を見せる。

 

「ッ!大きく出たな犬神美咲、まぁ精々頑張れや」

 

 シッシとばかりに手を振って退室を促す、許しては貰えたのだろうか?一刻も早くこの場を去りたい私としては一礼するとなるべく穏やかな自然体を装いつつ部屋を後にする。扉が閉まる前に聞こえた気がする舌打ちは気のせいであったと思いたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 受けるか断るか、正直五分五分だとは思っていた。ただ、それは単純にメリットとデメリットを考慮しての話であったし、犬神美咲が既に【神の舌】の支援を受ける事が決まっていた場合は交渉が成り立たないが故の考えであった。

 

「欲張りすぎたか⋯⋯」

 

 メリット無しで落ちこぼれを助けた話は当然知っていたが、それは都合のいいヒーローとして名を上げ十傑を狙うつもりか、はたまた目的が美作昴だと考えていた。反応からして【神の舌】は後援者にはなっていないようだったので引き込むつもりで押しの一手に出たのだが、これは完全に裏目に出た。まさか拳を硬く握り、こちらを睨み付けながら拒絶してくるとは思わなかった。

 

「犬神美咲は敵対、潰す相手が増えちまったか」

 

 彼女が敵対する以上は潰さねばならない、選抜の審査員を買収するのは無理があるので選抜の間は直接手を下すのは控えるが、その後は【神の舌】が動く前に食戟を吹っかけるなりして追放、または完全に手駒にする。後者はリスキーではあるが、彼女を手駒として使えるのであれば十分に採算は取れるであろうし、一度手駒にしてしまえば学園から追放するのは容易な事だ。

 

「まぁ精々役に立って散って貰おうか」

 

 暫くは選抜を盛り上げる為に動いて貰うとしよう。

 珈琲を口にすると仕事脳に切り替える、少々仕事を入れ過ぎた気もするがその分金も入る予定であるし、良い儲け話も転がって来た所である。口元が緩むのを自覚しつつも【錬金術師】としての仕事を進めることにした。

 

 ⋯⋯しかし、今にして思えばあのTシャツの柄は俺が呼び付ける事を見越していたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

 

 『見て盗む』と言う言葉がある。料理界ではしばしば使われる言葉であるし、武道の世界や職人の活躍する場では日常的に行われている事である。尤も、大概の人は例えそれが元々は師や同輩から見て盗んだ技術であろうと他人に盗まれるのを嫌うし、一度盗まれれば相手を口汚く罵り、烈火の如く怒る事も珍しいものでは無い。

 それ故、俺は実の父親を含む多くの人に罵られて生きてきた。それを後悔はしていないし、正直な所盗まれる程度の技術なら秘匿する必要があるのかとすら思っている。

 

「⋯⋯ダメだ、アレは真似できねぇよ」

 

 アレとは当然ながら今の俺の主(ボス)である美咲さんの調理技術である。カレーを作る上で”包丁”の技術が最大の武器である彼女の技術が役に立つのかと言う疑問はあろうが、彼女の技術は包丁使いだけに留まらず、煮込みやスパイスの調合、麺打ち等多岐に渡る。また包丁技術に関しても、彼女はその技術だけで食材の魅力を引き出してみせるので、十二分に盗む価値アリだ。

 

「アレってなんだ?」

 

「あん? だから美咲さんのって、うおっ!?」

 

 驚くのも無理が無いだろう、当の本人が真後ろから声を掛けてきたのだから。

 

「脅かしてすまないな」

 

「いや、それはいいんだが。何か用事か?」

 

 この厨房には俺の他に利用者はいない、なので彼女が現れるとしたら当然俺に用事があっての事だろうが、これが昨日であれば流石に精神的に死んでいたかも知れない。というかアレを見られたら社会的にも死ぬ。

 

「ん、お前の様子を見にな」 

 

「⋯⋯そりゃどうも」

 

 やはり彼女は面倒見がいいのだろう、自分も試作があるだろうに俺の面倒すら見てくれる。味見をしてもらいたい気持ちもあるが現段階では彼女に食べさせられる味では無いし、煮込みの事前準備として食材に切れ込みを入れる練習をしている所だ。

 彼女は練習の為に色々な切れ込みを入れた食材の中から1つのジャガイモを手に取ると言う。

 

「順調そうで何よりだ。さて、私も試作をするとしよう」

 

 ジャガイモを置くと歩いてスタスタと去っていく、本当に様子を見に来たのだろう。あまり順調では無いのだが、そもそもが無理を承知での挑戦中だ。彼女を見送ると湯を沸かした平鍋に切れ込みを入れた食材を入れていく、最後に彼女が手にしたジャガイモを入れると蓋を閉めて暫く待つ。

 10分程で全ての食材を引き上げては口にして切れ込みの入れ方と結果を確認していく、結果としてはやはり納得のいかないもので、彼女と知り合う前なら気にならなかっただろうものが気になると言った所だ。最後の一つを口に入れる。

 

「⋯⋯なんだと?」

 

 そのジャガイモは柔らかく、口に入れるとそのまま程良く崩れる。入れた順に引き上げ、口にしたのでこれは彼女の手にしたジャガイモの筈だ。確かに切れ込みは入れたが他と大差の無い方法であり、ここまで決定的な差が出てくるとは考え難い、他と違う事といえば彼女が手にしたくらいである。

 

「美咲さんの超能力...なわけないよな」

 

 正直彼女の出鱈目な技術はファンタジックな何かを感じる事が多いが、そうでなければ彼女が手にした際に何かを加えたのだろうか?いや、そんな事を自分が見逃すとも思えないし、彼女はただジャガイモを手にして置いただけの筈だ。

 

「ん⋯⋯ただ手にして置きなおしただけ、なるほど」

 

 仮説がたてばすぐ検証開始だ、ただその前にこれだけはしておこう。彼女の住処、より具体的にはその厨房のある方角を向くと一礼して呟く。

 

「美咲さん、流石だ」

 

 短く彼女を称えると追加のジャガイモを取り出し技術を身につけるべく練習を開始した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美作のあるべき姿を確認した私は平穏を胸に、火入れの練習をしていただろう美作の仕事振りを褒めるとその場を後にする。その際に少々力加減を間違えて潰しそうになってしまったのが気がかりだが、まぁ食材は山の様に仕入れた様子であったので問題は無かろう。

 

「まぁ、流石にアレは白昼夢とか幻覚の類だよな」

 

 先日のアレについて内心で美作に土下座をしながら自宅に戻り、手早く荷物を纏めると最後にノートを鞄に詰めて再び出る。今回の目的地は珈琲研究会、隣の建物で頻繁に起こる異臭騒ぎにより構成員が激減した研究会であり、数年前の研究発表会の日以降珈琲豆の提供をして貰っている。やけに好意的な先輩が代表を務める、遠月では珍しい食戟で余り見ない研究会だ。あくまで余りなのだが。

 

「犬神です、いらっしゃいますか」

 

 今日も隣の建物から漂う異臭に鼻での呼吸を放棄し、同時に襲い来る寒気に戦慄しながらも研究会の扉を叩く。数秒で扉が開き、私史上最高速度で室内に入り込むと、消臭剤を吹き付けられてから代表が口を開く。

 

「やぁ、犬神さん。選抜入りおめでとッうわ!」

「犬神さん!!」

 

 代表を押しのけて私を呼ぶのは何処かで見た気がする少女だ、何故か泣き顔が頭に浮かぶ。一年生なのは間違いない様であるし、何かの課題で同じになった事が⋯⋯

 

「あの!合宿ではお世話になりました!」

 

 あぁ、合宿と言えばあの堂島先輩に恋する乙女か。他の女子生徒とはペアを組んでいないし、殆どの時間をあの3人とすごしていたので間違いない。⋯⋯ダメだ、名前を思い出せない。

 

「あぁ、こちらこそ」

 

「潮田さん.⋯⋯あぁそういえば彼女は君のあk⋯⋯い゛ッ!」

 

 なるほど、潮田さんか。まさか彼女が珈琲研の構成員だとは知らなかった、会った事は無かったと言う事は最近加入したのだろうか。

 

「犬神さん、”こんな所”にどうされました?」

 

「こんな所って⋯⋯彼女は定期的に各研究会を渡り歩いているんだよ。それでココに来た時少しお世話になってね、珈琲豆を提供させて貰っているんだ」

 

「もしかして滅多に人が立ち寄らないのに定期的に来客用のコップが使われた形跡があったのは⋯⋯」

 

「彼女だね、ココは教師すら立ち寄らないから」

 

 それもどうかと思うのだが、それに関しては彼女達ではなくあの悪臭が原因だろう。未だ巨大派閥の傘下に入れられていないのもその御蔭らしいので、悪い事ばかりでもないのだろうが。あ、潮田さんが崩れ落ちた。

 

「何故今まで会えなかったの⋯⋯」

 

「ほら、潮田さん。彼女に珈琲を淹れて」

 

 潮田さんは異常な速度で起き上がると珈琲を淹れ始める、それを眺めながら代表と仕入れて欲しい珈琲豆の話をし、先程感じ始めた寒気を耐える。⋯⋯あの起き上がり方って彼女はゴム人間なのだろうか?身震いする私を見てか代表が室温をチェックする。

 

「冷房が効きすぎ⋯⋯という事はないよね、風邪かい?」

 

「違うと思うのですが寒気⋯⋯といより悪寒が」

 

「噂でもされているのかな、どうやら君は叡山君に目をつけられてるみたいだし」

 

 心当たりは今朝出来たばかりだが、彼の心が広い事を切に願うばかりである。もしやこの寒気は虫の知らせ的な⋯⋯?

 

「あ、珈琲淹れ終わりましたよ」

 

 そう言いながら潮田さんが出した珈琲からは柑橘系の香りがする、代表の珈琲は正統な苦めの珈琲を突き詰めた味なのに比べ、こちらはマイルドだ。

 

「ふぅ、美味しい」

 

「君はそれ、狙って言ってるのかい?まぁいいや。珈琲豆に関しては任せてくれ、君が選抜で使ったとなればウチの研究会の名も上がるだろう、あまりネタバレは良くないだろうが他に仕入れで困っている物はないかい?」

 

「⋯⋯柑橘類の仕入れですかね、まだ確定はしていないのですが、やはり珈琲との親和性は高い様ですし」

 

「だから君は⋯⋯潮田さん、出来るかい?」

 

「ッハ! 勿論です! 家で取り扱っているものなら即座に手配しますよ!」

 

 『何が必要ですか?』とズイズイ近寄ってくる彼女にメモを取り出して品目を伝える。

 

「清見、アンコール、マーコット、バレンシア、ネーブル⋯⋯あとは、そうだな」

 

 流石に顔が近いと思うので、メモを閉じると未だ近寄る潮田さんの顔を下から抑えてから丸投げな注文をする。柑橘に関して特別造詣の深いわけでは無いので、なるべく多くの食材を知りたいのだ。

 

「よく熟れた、香り高い蜜柑があればそれを貰おう」

 

「「____!?!?」」

 

 代表が珈琲を口に含み天井を見上げ、潮田さんは近過ぎた事を今更認識したのか顔を真っ赤にして飛び退き、了解の旨を伝えると飛び出していってしまった。

 

「⋯⋯?」

 

「君は⋯⋯いつか刺されても知らないぞ」

 

 

 

 

 後日、大量の珈琲豆と共に『潮田グループ』なる業者から大量の柑橘類が送られ始め、潮田さんが大企業の社長令嬢であった事を知った。秋の選抜予選まで、私が柑橘類と珈琲豆と戦い続け、シャペル先生が度々訪れては蜜柑を摘んで帰っていく日々が続く事になる。彼はふとした拍子に玄関前で見かけたり、宅配の人を案内しにやってくるのだが、もしかすると彼は蜜柑が好きなのだろうか?




続く!


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十一皿目 珈琲カレー(柑)

分けた二話目となります。『蜜』からお読みください。

2019年10月12日 修正


 選抜メンバーがカレーとひたすらに向き合う日々が終わりを向かえ、多くの者がスパイスへの造詣を深め、各々がカレー一本で生きていけるレベルに到達した頃だろう。遠月の生徒ならばそれが出来て当然でもあり、それが出来ない者の殆どは既に振るい落とされている。

 

「美咲さん、どうだ?」

 

「大きな会場だな」

 

 彼女は余裕の返事を返す、食材も大量に仕入れていた様子であったし、もとより俺は彼女の予選通過など疑ってすらいない。当然俺も通過するつもりだが、彼女の通過は当然だろう。二位との差がいかなものか、気になるのはそれくらいである。

 

「まぁ、ここは本戦の会場だけどな」

 

「十傑同士の食戟で使われるんだったか、前に一席の食戟を見て以来だな」

 

「美咲さんの写真があそこに飾られてたりしてな」

 

 そう言って指したのは歴代一席の肖像が並ぶエリアだ、一席なだけあって今も世界中で活躍する料理人達の若い頃の顔写真には、少しばかり笑みがこぼれる。堂島シェフなんか今とは似ても似つかない。筋肉も大人しめだ。

 

「寝言は寝て言え。ほら、総帥の言葉だぞ」

 

「へいへい」

 

 総帥の言葉など正直どうでもいいが、下手に目をつけられるのは困るので大人しく耳を傾ける。過去に下した食戟相手がリベンジだとばかりに睨みつけてくるが、当時の俺にあっさり負けた奴らが今の俺の相手になるとは思えない。リベンジに燃えるのはいいが、話にもならないなんて事にならない事を祈るばかりだ。

 その後、総帥の言葉を聞いて予選会場に移ることになった。美咲さんとは幸いにも会場が別なので、ここで別れる事となる。

 

「美作」

 

「おう?」

 

「頑張れよ」

 

「美咲さんもな」

 

 彼女は手を振って会場に歩いていく、B会場の連中(新戸を含む)の不幸に合掌してからA会場へと向かう。噂の編入生や、葉山アキラの料理が気になるが、今は”目標”と”俺の”料理の事だけを考える。

 

「無駄の無い調理、繊細に、丁寧に⋯⋯」

 

 時計の針が11:00を指し示し、モニターにドアップで総帥の顔が映し出される。

 

「調理、開始!!!」

 

 それを合図に鍋に大量のトマトを投入し火にかける。トマトが煮崩れるまでの間に玉葱や人参と言った食材をミキサーにかけ、牛肉を三度挽く。全ての食材を”潰し”液状にし、トマトの皮を漉した鍋に入れ、カルダモン、クローブ、コリアンダー等19種類のスパイスと共に煮込む。

 

「敵になりそうなのはお前か、大男」

 

 声のした先にいたのは色黒のイケメン、葉山アキラだ。余裕そうに鍋でスパイスを調合している男は、横目で見ながら鼻をひくつかせる。

 

「葉山アキラか、随分余裕そうだな」

 

 小麦や卵を取り出し、パン生地を作る。薄く延ばしたパン生地を少し寝かし、包丁を握る。息を整え、彼女の手付きを思い描く。一月の間彼女の動きを模倣し続け、それでも成功率50%未満のこの技法は選抜の場においては高リスクにも程がある。

 

「ッシ!」

 

 一閃、正直直前まで本番で挑戦するか否か迷っていた。薄く延ばしたパン生地を更に二枚にスライスする等馬鹿馬鹿しい挑戦だ。単純に折りたためばそれで十分な効果を得られるのだから。

 

「うしっ!」

 

 綺麗に切ったその間にチーズを詰めていく、調理終了までの時間を確認した後オーブンに入れて寝かす。後は実食前の時間で焼き上げて終わりだ。自身の調理に満足感を覚えながら他人の採点を待つ。

 

 約1時間を掛けて俺の番が回ってくる、既に本戦出場を決めた葉山、バンダナ野郎、編入生の3人が落ち着いて俺の品を見、俺次第で出場が決まる煙野郎と眼鏡がピリピリとした空気を発しながら視線を飛ばしてくる。

 

「最後は美作昴選手の採点です!」

 

「⋯⋯君か」

 

 名前を呼ばれ皿を運ぶ。審査員の一人に俺の食戟に参加した事のある奴がいたらしく、苦虫を噛み潰した顔をされたが、今回は誰の品をコピーしたわけでもない。審査員の前に皿を並べると、香りを閉じ込める為のクロッシュを外す。

 

「「「「「_____!?」」」」」

 

 開放された香りは暴力的なまでに会場を暴れ回る。スパイスのレシピは以前彼女が作っていたものをアレンジしたものなので、その評価も当然のものだ。むしろこれに反応しない者がいたらそれは味覚音痴か正真正銘一握りの猛者だろう。

 

「馬鹿な!?誰とも被っていないだと!?」

 

 当然だ、一番近い可能性がある彼女はBブロックであるし、恐らく今回に限って彼女はまったく別の品物を作ってくるだろう。

 

「この香り⋯⋯葉山アキラと同等、それに加えてこのピザ生地みたいなものは⋯⋯」

 

「ピザ生地で間違ってねぇぞ、基本的に材料は同じだからな。それをカレーに浸して食うんだ」

 

 審査員の一人、千俵姉妹の姉の方(?)がパリッと音を鳴らしながら生地を割ると、中からチーズがジワリと流れ出る。それをカレーに浸け、口に運ぶ。

 

「_____!?」

 

 よい反応に自然と笑みがこぼれる、確実な手応えを感じ採点結果を待つ。

 

 

 

 

 

______美作昴 94点 本戦進出(Aブロック一位タイ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 美作に手を振り会場に向かう。予想以上のプレッシャーに胃が痛くなってきたが、流石に一ヶ月も援助を受け続けておいて『何の戦果も、得られませんでした』とは言えないので、全力で調理に臨む所存だ。

 

「犬神さん、同じ会場ですよね。ご一緒しませんか?」

 

 そう声を掛けてきたのは緋沙子さんである。そう言えば彼女はこちらのグループだ。彼女の腕なら本戦出場は間違いないので、残る枠は3つだ。いや、たしかえりなの妹さんも同じグループなので2つか、人外魔境の予感のするAグループ程ではないが、かなりの狭き門だ。

 

「勿論、知った顔がいるとやはり安心するな」

 

「ははは、そういえば私は真ん中あたりの採点順なのですが犬神さんは何番目なんです?」

 

 う⋯⋯痛い所を突いてくる、順番は完全にクジで決まっているらしく、私は見事に引いてしまったのだ。一番⋯⋯いや二番目に引きたくなかった順番を。

 

「⋯⋯最初だ」

 

「「「え゛⋯⋯」」」

 

 近くを歩いていた他の生徒も『お前⋯⋯』みたいな顔をしている。完全な外れクジだ。美作に話した時は腹を抱えて爆笑されたくらいには。一番最後なんかよりはマシだが、むしろ一番最後の次には外れクジなのだ。

 

「出来れば中央あたりがよかったんだが⋯⋯」

 

「それはなんというか⋯⋯」

 

 ほら、微妙な顔をしている。大体こういうのは後になるにつれて得点が増えていくのが常であるし、後のほうが印象にも残るのだ。予選、それも最初の方でちょろっと出てきたよね程度の戦果で終わるとなると、美作にも珈琲研の2人にも申し訳ない。えりなにも。

 

「⋯⋯着いたな、そもそもそう距離があるわけではないが」

 

「えぇ、少々気が重いですが。頑張ります」

 

 普段からシャキっとしている彼女も緊張する事があるんだなぁ等と考えながら会場入りをすると、吉野さん、田所さんも同じ会場だったらしい。参加者が調理台に着いた所で調理開始までのカウントダウンが始まり、11:00にモニターに映った総帥が調理開始を宣言する。余談だがあの総帥は録画であり、迫力ある映像を撮る為に数時間に及ぶ撮影が行われたらしい。

 

「結果がアレか⋯⋯」

 

 食材を取り出し、調理器具のスイッチを入れる。今回は使い慣れている訳ではない最新の調理器具を借りてきている為、余裕を持って調理をせねばならない。先ずは潮田さんから頂いた柑橘類の汁を遠心分離機に掛け、リモネン等の香り成分の高い液体を回収する。苦味成分を多く含む液体などは今回利用する事はないので廃棄だが、また何かに使えないか調べて見るのもいいだろう。

 

「これ⋯⋯専門外過ぎて特定の操作以外からきしなんだよな...」

 

 余り大量に操作が出来ないので他の調理と並行して行う。制限時間内に煮詰めるために食材をミキサーに掛け液状にし、チーズや少量のチョコレートと煮詰める。チーズは味の薄いものを使い、量を段々と増やしていく。

 

「そろそろ溜まったな」

 

 十数種類の柑橘類から抽出した液体を中学校の理科の授業をうけている気分になりながら混ぜ合わせ、煮込み続けている鍋に入れる。余った分は置いておき、今回は使用するスパイスをクミン、スターニアス等の苦味を持ち、香りよりも後味に影響する物を11種類に絞っている。また、通常のスパイスに加え秘密兵器たる2種類の珈琲豆の粉末を加えて放り込み時間いっぱいまで煮込む。

 

「⋯⋯勿体無いな」

 

 採点開始の時間となり、皿に盛り付け審査員席へと運ぶ。皿を並べ終わると数歩引き、審査員の採点を待つ体勢になる。審査員が暫く香りについて推察、討論(?)し、そのカレーを口に運ぶ。見た目は至って地味な、他の生徒の作ったカレーに埋没するその外見に望み薄と判断した観客の生徒は既に他のカレーについて話している。

 

「「「「「_____!?」」」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺、喜多修治は喜多ガストロノミークラブの主催者であり、稼いだ金をふんだんに使い数々の美食を口にしてきた。当然そこいらの庶民なんかとは比べ物にならんくらい舌が肥えているし、幾ら遠月学園の生徒といえど彼ら彼女らよりも料理も食材も知り尽くしている。故に秋の選抜の審査員等と言う仕事は半ば趣味で請けたものであり、精々期待できる新人を探してやろう程度に思っていた。

 

「なんや⋯⋯これ⋯⋯」

 

「重いようで、軽いような」

 

「濃いカレーなのに後味は爽やかで」

 

 短時間で作ったはずなのに濃厚で、この選抜ルール上尤も悪手だと思われていた”カレーライス”とは思えない程の完成度。これ程の品を作る料理人が最初から来るとは思わなかった、不意打ち気味にこの強烈なカレーを喰らった審査員は軒並み意識を何処かに飛ばしている。最初に復活したのは誰だったのか、切れ気味の声が料理人に飛ぶ。

 

「何を、何を入れた!?」

 

 犬神美咲と言うらしい大柄な女子生徒はその声に驚いたからか、また別に特別な事はしていないととぼけるつもりなのか、無表情に首を傾げている。

 

「柑橘類が数種類、あとは⋯⋯この苦味は珈琲か...?」

 

 カレーを本格風に仕立てるためにインスタント珈琲の粉を入れることがある。カレーに珈琲を入れると、苦味とコクが出るからである。これは料理のプロでも行う事があり、またプロであってもインスタント珈琲が使われる。理由は簡単、珈琲豆は硬くどうしても口に入れたときに邪魔になるからだ。

 

「けれどインスタント珈琲はどれだけ上手く量を調節しても、こういっては何だが所詮はインスタント、即席品に過ぎない。プロは濃い味や風味を生かすことでその安っぽさを圧殺する、しかし彼女のカレーは濃いが強い味ではない」

 

 普段はボソボソと話し、ペンと口を間違えてるのでは無いかと思う安東先生がボリュームこそ変わらないが饒舌に話している。非常にどうでもいい事に驚くが、今一番大事なのは矛盾した味の正体だ。派手な調理をしていない事から対して注目しておらず、調理風景をろくに見ていなかった事が悔やまれる。

 

「⋯⋯犬神はんっちゅうたな。今度、うちで「ずるいですよ!喜多さん!」うるさいわ!」

 

「えぇっと⋯⋯審査員の皆様、そろそろ採点の方を⋯⋯」

 

 控えめに司会進行の女子生徒が言う、確かに本来の仕事はそっちだ。流石に【食の魔王】の居城で彼の主催するイベントの進行を妨げるのは如何なものか、そう思う事でなんとか追求したい心にブレーキを掛け、点数を入力しようとした所で全員が固まる。

 

『まだ一人目、基準が定まっていない状態で何点を付ければ良いのか』

 

 この考えである、初めの一人が平凡な料理を出せばそれを基準に上に上にと点を決めていけば良い。しかしこれは上位数名を選出するための予選だ、例えば彼女に満点を付けたとして、彼女以上の品を出したものが4人以上出た場合は何点を付ければいいのだろうか。

 

「ここは一つ、彼女を基準として評価しませんか?」

 

 千俵姉妹の妹の方が提案する、つまり彼女に持ち点の半分を付け、それを基準に点数を付けていこうと言う提案だ。異論は無い、むしろバラバラに10点だったり20点だったりを付けるより一票の重みの面でも良案だろう。全員が頷き手元のボタンで点を入力する。

 この提案が玉の世代と言われながらもブロック内得点過去最低を記録すると言う悲劇を招く事になる。

 

 

 

______犬神美咲 50点 決勝進出(Bブロック一位)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 予選終了後、Bブロック会場は陰鬱とした雰囲気に包まれていた。最高得点が50点、生徒の半数がほぼ1桁という結果を見ると、選抜の予選出場者の自信やプライドを如何に叩き潰す結果となったか分かるだろう。一ヶ月の準備期間に死力を費やし、自信満々の品を出せど審査員は溜息交じりに1点か2点を画面に表示し、偶に褒められた者が出てもその結果は精々が一人5点から8点だ。

 

「一番最初で⋯⋯助かったのか?」

 

 私は非常に困惑している、審査員の会話から恐らく私は基準として50点を貰ったのだろう。それでも怒声を上げられ、褒め言葉らしい言葉を貰う事も無かったことから、妥協での50点だったのだろう。結局審査員のお眼鏡に適う者はおらず、高得点者0の結果だ。

 

「厳しい戦いでした⋯⋯取りあえずおめでとうございます、犬神さん」

 

 緋沙子さんがそう声を掛けてくるが、彼女の声には元気が無い。彼女も薙切さん(白)、イタリア人少年と共に予選通過を決めたのだが、やはりあの点数では元気も出まい。私もそこそこ自信があったものだから心が辛い。

 

「ふっふっふ...ふふふふふふ、叩き潰された、ふふふ。おねぇさまぁ」

 

 本当に心が折れてしまった様な声も聞こえ、それがまた空気を重たくする。A会場へと足を伸ばし、付き人特権(?)の恩恵に預かりながら特等席にいるえりなの下へと向かう。幸い美作の出番は次らしく、優勝候補葉山君、黒木場君、そして編入生が本戦出場を決めた所らしい。得点版に丸井君の名前がある事に驚くが、おそらくそこは美作が本戦出場を飾るだろう。

 

「あら、そちらは早く終わったのね⋯⋯ってどうしたのよ!?」

 

「後で結果を見れば分かる」

 

 今は美作だ、見た所余裕そうであるがBブロックの悲劇を見てきた手前それがまた緋沙子さんと私の直近の記憶を抉る。また、審査基準が同じだとするとAブロックはとんだ人外魔境だったらしい。94って⋯⋯

 

「どうやら決まりみたいね」

 

 えりなが満足気に言うと得点が表示され、同点一位で美作が本戦出場を決める。美作の悔しさが見え隠れする嬉しそうな顔を見て、私は呟いた。

 

「これ、付き人と主交代なのでは?」

 

 




美咲が使った珈琲に関してはまた次回です。


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十二皿目 ラムチョップのソテー

結局三つに分けることにしました。
(書きたい料理の数の都合上)


 最初の審査が行われる瞬間、参加者の反応は大きく3つに分けられた。

 1つ目は彼女を良く知らない者達、これは実力者が集まった選抜において多くの割合を占めていた。値踏みするような視線を送った彼らは、審査の結果を見て彼女を下に見ただろう。

 2つ目は彼女を良く知り、深く絶望した者達。意外にも少数派で、審査の結果を見て絶望を深めただろう。総帥は彼らを『捨て石』と称すだろうが、彼女の実力を良く知っていると言う事は彼女の数少ない公式の場を見た事がある、他者を良く見る人物が多くだ。

 最後は、彼女の実力を知り、その上で己の皿で挑む者達。総帥の言う『玉』であり、本戦出場の可能性がある者達だ。”僕の可愛い後輩”達もそこに含まれていた。

 

「⋯⋯しかしまぁ、この審査結果は無いよね」

 

 参加者、観客の去った会場で得点版を見上げながら呟く。ほぼ間違いなく遠月学園の(黒)歴史に残る戦績は、生来現場を知らぬ者が見れば『Bブロックには落ちこぼれしかいなかった』と判断するだろう。

 

「一色先輩、これは予め回避できた筈ですよ」

 

「そうだね。知ってはいるだろうけど、僕はこの審査順に反対したからね?」

 

 『神の舌』と言われる後輩の咎める様な視線に、にこやかに返す。どこかのヤンキーがルール厳守なんて似合わない主張をしなければ回避出来たのだ。僕だって現時点で『神の舌』を”満足”させる事が出来る”料理人”に後輩が勝てると思うほど彼らを過信してはいない。

 

「後輩思いの先輩なら、少々無理をしてでも避けるべきだったのでは?」

 

「あの子達はこれくらいで挫折したりはしないだろうからね。むしろ同じ会場で彼女の料理を見る事が、”料理人を目指す”上でプラスになると思ったんだ」

 

 もっとも、僕は審査員が80点くらいを彼女に付けると思っていたので、そこは激しく予想外であったが。

 

「⋯⋯そうですか。それでは失礼します」

 

 そう言うと”神の舌”は踵を返し会場を後にする。

 

「僕ももう帰ろうかな、後始末は叡山君が上手くするだろうし」

 

 彼の我侭を通したのだ、これくらいは許されて然るべきだろう。僕は後輩達との慰労会の準備でもするとしよう、生憎の結果ではあったがあの子達の品は十分にいい品だった。今晩は僕も腕を振るおうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 案の定、Bブロックは悲惨な結果に終わっていた。選抜参加者の発表の場で、美咲さんが出場者達を小山の上から見下ろした時点でこうなる事は分かりきっていたが、あの時挑戦的な目をして彼女を見ていた者達の心境はもうお察しだろう。

 

「美咲さん、本当に手伝わなくていいのか?」

 

「あぁ、ゆっくりしててくれ」

 

 現在、俺は彼女の家で少々居心地が悪いながらも寛いでいる。というか寛がされている。選抜の予選が終わった後、別段なんらかの集団に属しているわけでもない俺達は直帰する事となったのだが、彼女がふと提案したのだ。

 

『せっかくだから選抜予選の慰労会をしよう』

 

 結果として彼女の家に訪れる事となったのだが、いざ手伝おうとすると断られ、非常に落ち着かないが厨房に隣接したリビングのソファに腰掛けるに至ったのである。

 

「やはり私達では足手纏いなのでしょうか⋯⋯」

 

「うーん、確かに僕達では犬神さんには及ばないだろうけど」

 

 そう言うのは何故かいる珈琲研の猫間先輩と以前食戟をした潮田だ。どうやら彼女が呼んだらしいのだが、潮田の方は害意の無い敵意を向けてくるので少々息苦しい。

 

「俺もあの人が誰かと調理してるの見た事ねぇな」

 

「貴方もご一緒させてもらった事は無いの?」

 

 そう呟くと潮田は何故か勝ち誇った顔をしながら確認してくる。彼女の前で料理する事や彼女の料理を見ている事はあれど、一緒に作った事は無い気がする。そう告げると鼻歌を歌い出しそうなくらい機嫌が良くなったのは、こいつは彼女と料理をしたことがあるのだろうか。

 

「そういえば美作君はここ数ヶ月彼女と居るみたいだけど、何か得るものはあったかい?」

 

 のほほんと聞いてくる彼は正直頼りない印象を受けるが、二年生に持ち上がる数少ない先輩の一人であるからして実力は侮れない。そう考えるとこの家猫の様なのんびりとした雰囲気が素なのか勘繰ってしまう。

 

「勿論です、何だかんだ美咲さんは面倒見がいいですから」

 

 言葉で教える事はほぼ皆無だが、そもそも料理は言葉でなく見て食べて学ぶ物だ。前で実演して貰えるだけで取っ掛かりくらいは掴めるし、彼女の品を食べた後だと己の品が如何に妥協を許したものかが良く分かる。完成品の水準が上がるのだ。ただ、基本に於いてほぼ極まっている彼女の技術は早々真似出来るモノでもないので、未だ何一つとて追いつけていないのが悩みだ。

 

「力になれているのなら何よりだ。先輩、潮田さんゆっくりしていってくださいね」

 

 突然話題の人物が背後から現れた俺はビクリとする。ニコニコと笑っている猫間先輩は確信犯だろう、来るのを見て話題を振ったに違いない。

 音無く置かれたのは珈琲と、ドライフルーツだ。それだけ置くと彼女は厨房へと戻って行き、その背中を名残惜しげに見送った潮田が今度はドライフルーツをうっとりと眺めそれを口にする。

 

「ネーブルオレンジとマーコットオレンジだね、丁寧に仕上げてある」

 

「へぇ⋯⋯そう言えばココ暫く柑橘系の匂いがしてたな」

 

「あ⋯⋯あ⋯⋯」

 

 もしかすると課題を満たす品を作った後は早々に別料理の試作をしていたのだろうか。彼女であれば数日で課題突破が可能な品を作り上げたと言われても驚きはすれど不思議は無いし、最悪突破だけなら普通に作っても十分可能だろう。いや、そんなことより一口齧って夢の彼方に飛び立った潮田が流石に心配だ。

 

「それじゃ、頂きます」

 

 何処までも自分の道を突き進む先輩はドライフルーツを、俺は珈琲を口にする。ただこの時、選抜での疲れの所為か、元々挙動不審の極みであった潮田に気を取られていたからなのかすっかり忘れていたモノがあるのである。

 

「⋯⋯うわぁ」

 

「____ォ!?」

 

 その忘れ物を『心構え』と言う。気が付いたときには30分が立っており、カップと皿は空であった。

 

 

 

 

 

 

 

 珍しい事に我が家に人間が四人もいる、これは過去最多の記録である。最近は連日シャペル先生が来ていたりした為複数人いる事は多かったが、美作が課題に集中するために借り厨房に篭っていた事もあり3人以上の人間がいたことは無かったし、美作が付き人になる前など推して知るべしだ。初めてのホームパーティー(?)に少々張り切っている。

 

「美咲さん、本当に手伝わなくていいのか?」

 

「あぁ、ゆっくりしててくれ」

 

 彼以外の2人だが、今回は良い品を横流ししてくれたりと非常にお世話になった事もあり来ていただいた。もう頭が上がらない、感謝してもしきれないとはきっとこの事だ。

 

「珈琲でいいよな」

 

 そんな言葉が口から出たが、これは彼らが飲めるか飲めないかの話ではない。日夜研究会で研鑽を積む珈琲の専門家達に齧った程度の素人が珈琲を振舞っていいものかどうかと言う話だ、感想を聞きたい気持ちはあるが気分を害さないか不安でもある。付け合せにドライフルーツを出すつもりである以上、紅茶より珈琲だとは思うので珈琲を出す事にする。

 考え方的にどちらが付け合せか最早分からないが、それだけドライフルーツには凝ったのだ。カレーに使うためにも。選抜予選で作った柑橘カレー(仮)は、元々キツイ制限時間内に味に深みを出すために深炒りした珈琲を使ったレシピを用いるつもりだったのだが、珈琲研を訪れた際に頂いた珈琲から浅炒りにして柑橘類で纏める方向へとシフトしたのである。

 

「あー⋯⋯砂糖とか無いが大丈夫だろうか?」

 

 生憎私は普段から珈琲を飲まないし、滅多に来客も無いので角砂糖等は無い。業務用だったり手の込んだ試作用ならあるのだが...また今度仕入れておこう。入れた珈琲と、皿に大量に乗せたドライフルーツを運ぶ。

 

「勿論です、何だかんだ美咲さんは面倒見がいいですから」

 

 何の話かは詳しく知らないが悪い話ではないのだろう。若干照れくさい。

 

「力になれているのなら何よりだ。先輩、潮田さんゆっくりしていってくださいね」

 

 薄く割れやすい皿に乗せてあるのでうっかり握りつぶさない様に注意して皿を下ろす。日頃からガチャンガチャン割っているわけではないが、夏の始めごろにうっかり美作の芋を握りつぶしかけて以来気を使うようにしている。

 

「ネーブルオレンジとマーコットオレンジだね、丁寧に仕上げてある」

 

 猫間先輩の評価を受け少し喜ぶが、暫定柑橘類専門家の潮田さんはじっとドライフルーツを睨み続けている。柑橘類を扱う人間の目にはまだまだ及第点を貰えないようだ、確かにコーティングの出来はいまいちだったかもしれない。要練習といったところか。

 改善点も見つかったので早く夕食の支度に取り掛かるとしよう。厨房に戻り冷蔵庫から羊肉、大蒜、エシャロット、タイム等の臭み消しに用いるハーブを取り出す。

 

「羊肉はまだ扱い慣れてるが⋯⋯肉類の練習もしないとな」

 

 本戦で醜態を晒さない為にも肉類の扱いはこれを機になんとかするべきだろう。格段苦手な訳ではないが、唯でさえオリジナリティの無い料理しか作れないのだから技術で劣っていては話にならないのだ。

 早速羊肉の解体に入る、尤も元が然程大きくは無いので食戟の場で水戸さんが見せたような派手な動きは無いが、普通に料理を作る分には滅多に握らない『筋引』と言われる包丁を用いるため難易度は割りと高い。『筋引』とはその名の通り『筋に沿うように引き切る』包丁で、今回使用するラムチョップ等の摘出に適している。野菜なんかのスライスにも便利だが、肉の解体時とは使い勝手が大きく違う。

 

「やっぱり匂いが強い」

 

 実は羊肉の臭みが苦手と言う人は多いのではなかろうか。包丁を『骨透』に持ち替え食べやすいように切れ込みを入れる、こちらは包丁の扱い自体には然程技術を必要としないが、刃を入れる為の固定に慣れが必要だ。その後は刻み潰した大蒜やハーブと共に塩や胡椒を揉み込んで寝かす。

 次に、エシャロットを微塵切りにし、バターと赤ワイン、蜂蜜を絡めて弱火で煮詰めてソースを作る。時計を確認すると夕飯時まで少し早いと言った時間になっており、メイン以外の料理の準備も進めていく。

 

「⋯⋯盛り付けも要勉強だな」

 

 宿泊研修の際も同じ事を意識した気がするが、単純にセンスが無いのだろう。寝かせていた羊肉に火を通し、テーブルの準備に入った。

 

 

 

 

 

 

 流石は犬神さんだと思う。柑橘類は私の専門分野だと自負していたのに、あっさりと二段三段と上を行く。宿泊研修以降も彼女に並ぶ事を目標に励んできたつもりだけれど、いつまで経っても彼女には追いつける気がしない。恥ずかしながら始めの一口を食べて以降の記憶が飛んでおり、今も厨房からの香りに意識を引きずられているところだ。

 

「犬神さんはこの珈琲を使ったんですね」

 

「彼女が会場で説明しなかったのも頷けるだろう?」

 

 先輩は予め知っていたらしく、ニコニコとしながら彼女が行った工程を語る。今回彼女が使ったのは『ブラックアイボリー』という珈琲で、『コピ・ルアク』等と並べて『世界一高価な珈琲』なんて呼ばれる代物だ。正直製法が製法なだけに口にするのに抵抗のある人も多いが味や香りは一級で、それでいて珈琲特有のくどさが無いのが特徴だ。この特徴がお題である『カレー』に上手く噛み合ったのだろう。

 

「へぇ⋯⋯美咲さんは珈琲で攻めたのか。発想自体はあったがさらに柑橘類と合わせるとはなぁ」

 

 私の元怨敵、今でもその場所を譲れと詰め寄りたい男が感心した様に残り香に鼻をヒクつかせる。この男、付き人等と称していながら一夏の間彼女から離れていたらしい。事前に知っていたらもっとお手伝いをしたものの。

 

「有名所だと柑橘系のチョコレートをカレーに使う所もあるからね、恐らくその辺りからヒントを得たんだろう。本来コクを出すための後付けの部分に味の主軸を持っていくとは、やることが実に大胆だ」

 

「それとあのドライフルーツも使われたとか、お役に立てたようで何よりです」

 

 元怨敵に軽く嫌味を送るが、これくらい許されるだろう。私だって彼女と一緒に通常生活を送りたいのだ、よりによってこの男が彼女の隣にいるのかという気持ちもある。

 

「ドライフルーツに珈琲、遠心分離機を使った苦味を抑えた調節か。本戦じゃなるべく最後まで当たりたくねぇな」

 

 彼女以外に敵はいないと言いたげなこの態度はAブロック首位の余裕なのか、ただの慢心なのか。事実実力は相当伸びている(らしい)のでただの自惚れではないのだろうが、これで彼女以外に敗北して彼女の面子に泥を塗る真似をしたら如何してくれよう。やはり彼女の付き人交代を申し出て⋯⋯

 

「彼女の来年度十傑入りは確実だろうなぁ⋯⋯美作君も頑張ってね」

 

 噂によると彼の【神の舌】、薙切えりなさんも高く評価したとか。噂も何も例の食戟での審査員は彼女であったのだから、彼女が犬神さんを認めていない等と言うことは無いだろうが。

 

「十傑か⋯⋯」

 

「なんだ? 目指すのか?」

 

 座っている場所の都合上、厨房の入り口に背を向けている元怨敵の巨体がビクリとする。

 

「美咲さん⋯⋯足音立てて歩けよ。心臓に悪いだろうが」

 

「悪いな。そろそろ出来上がるんで声を掛けに来たんだ」

 

 先程から漂っていた香りが完成度を増し、宿泊研修の時に感じたそれに近い感覚が私を襲う。普段はニコニコとしていて表情の読めない先輩も真面目な顔をしているし、やはり先輩の目から見ても彼女は凄い人なんだなと思う。

 

「運んでくるから少し待っててくれ」

 

 テーブルに布を引いた彼女は一旦厨房に戻り、円形のトレイの上に黄色いゼリーの様な物が入ったカクテルグラスと恐らくトマト系の煮込み料理を盛った小鉢を載せて出てくる。4人分を一気に運び終えると恐らくはメイン、今この場に漂う香りの原因を持ってくる。

 

「あー⋯⋯取りあえず先の二品が玉蜀黍のムースと夏野菜のラタテュイユ、メインがラムチョップのソテーだ。どうぞ」

 

「⋯⋯フレンチは珍しいな」

 

「お洒落ですね!」

 

「冷めないうちにいただこう」

 

 恐らくは前菜とメインの組み合わせなのだろう。だけど...この香りは反則でしょう!

 彼女を除く全員が真っ先にメインに手を出し、骨付きの肉とは思えない取り分け安さに驚く。そしてそれらを口へと運ぶ。

 

「「「_____!?」」」

 

 口の中で解けるような柔らかさ、掛けられた甘めのソースと羊肉が口の中で踊る。明日からどんな基準で己の料理を作れば良いのだろうか、元怨敵が成長したと言われる所以がよくよく分かった。

 

 

 

 

 

 これでは生半可な料理では満足する事が出来なくなってしまいます!

 

 

 




できれば貞塚ナオを書きたかった...


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番外編 御節

毎年恒例魔の御節作りの季節です。
今回は番外編なので本編とは関係ありません。

みなさん良いお年を〜


12月末の忙しさは尋常ではない。私は帰省というものを滅多にしないので周りに比べれば楽であったが、今年は非常に忙しい。

 

「美作、付き合わせてすまん」

 

「いや、なんでこんなに御節を作ってんだよ。発注でも受けてんのか?」

 

「いや、毎年施設の方には贈ってるんだ。遠月も一応仕事終わりで保存の効きにくい食材は処分先に困ってるらしくてな」

 

結果、捨てるなら欲しいと言ってみた所、営利目的でなければ構わないとの事でまわして貰っているのだ。

 

「よく見つけたな」

 

「シャペル先生が愚痴を言いに来てな、先生を経由して貰った。お陰様で今年は豪華な出来なんだが...」

 

「その分調理の手間も増えた、と」

 

そして正月に向けての御節作りを美作に依頼したというわけだ。猫の手も借りたい現状、学年でも頭一つ抜けた技術を持つ美作が帰省してなくて助かった。

「お前が居てくれて助かったよ。もう一人助っ人を頼んだんだが...」

 

「潮田か?」

 

「いや、彼女は本家の集まりがあるらしい」

 

「そう言えばお嬢様だったな...」

 

生粋のお嬢様らしい彼女は早々に帰省し、新年会に備えるとの事。えりなや緋紗子さんも当然ながら日本全国を飛び回るのだろうし、先輩は珈琲豆の調達の為に海外に飛んだ。

まぁ先輩は大掃除を避けただけだと思うが。

 

「しかし手伝いを申し出てくれた彼女はこの家が分かるのだろうか...」

 

「どんな奴だ?」

 

「長い黒髪の、背筋を伸ばせば見違えるくらい美人になるだろうなって人」

 

ガタンッガタッ

 

美作が鍋を取り落とし、大きな音が響いた。

 

「美咲さん、正気か?」

 

「何の話だ」

 

子供人気の高い伊達巻の生地を作りながら話していたのだが、隣から怪訝そうに美作が聞いてくる。当然正気だ。

因みに伊達巻は煮林檎を混ぜ込み、蜂蜜を気持ち多めに作る。一昨年気が向いてやったのだが、去年やらなかったら酷く落ち込ませてしまったのだ。

200度に熱したオーブンに生地を入れ、火が通るまでの20分の内に巻き簾を用意し、沸かしておいた鍋に豆を入れて火を通しながら洗う。黒豆だ。

 

「美咲さん、迎え入れるつもりがあるなら玄関に行ってやりな。迎え入れるつもりがあるなら」

 

「来たのか?良くわかったな」

 

玄関へ向かう間に美作から視線を感じたが、折角手伝ってくれる人を待たせるのも忍びないので急いで扉を開ける。

 

「お、おね...美咲様!?」

 

「あぁ、寒かっただろう?早く入るといい」

 

何故か彼女、食材を取りに行った際にばったり遭遇したのだが私の事を様付けで呼ぶ。食戟の常連な彼女なだけに最初は首を傾げていたのだが、もう人生初のニックネームと受け取る事にした。

 

「あ、は、はい!」

 

何だか雰囲気が違うと思ったのだが、背筋が伸びているからだろう。髪留めで前髪をずらし、視界を開けると...

 

「うん、この方がいいな。っとすまない、勝手に弄ってしまった」

 

「大丈夫です!そ、それでは何を手伝いましょうか」

 

彼女を厨房に誘導すると、こちらを見た美作が驚いた顔をしていた。想像していた人物と違ったのだろうか?

 

「早速で悪いが昆布巻や蓮根なんかの煮物を頼めるだろうか?基本は我流で構わないが困ったらそこのノートにレシピが書いてある」

 

今更ながら馴れ馴れしいと思うかもしれないが、敬語を使った所素早い動きで止められてしまったのでこうなっている。本人曰く『蔑むくらいのつもりでいて下さい』とのこと、きっと気を遣われるのが苦な率直な言い回しを好む人なのだろう。

 

「お姉...美咲様のノート...」

 

ページを確認する音が暫く聞こえると、すぐに湯を沸かす音が聞こえる。流石天下の遠月学園、避難訓練より調理の速度が早い。

 

「作りやすいものでいいからな」

 

オーブンから伊達巻の生地を取り出すと、巻き簾の上に置き、切れ込みを入れて奥端を切り落とす。

あとは暫く室温で放置なので離れた台上に置き、湯気を上げる黒豆に調味料を放り込む。少し普通と違うのは重曹を入れた事だろうか?ふんわりと仕上がる。

 

「こっちは焼き肴に入るぞ」

 

一応宣言してからクーラーボックスの鰤を取り出し、素早く捌く。生で食べるわけでは無いが、折角状態の良い魚なので可能な限り美味しくだ。

長葱を千切りにし、油を引いたフライパンで炒める。葱が柔らかくなったタイミングで葱を端に避け、鰤を炒める。

 

「ん...なんで葱なんだ?」

 

「子供にはそのまま照り焼きにした鰤を出しても余り喜んでくれないんだ、食べれば美味いと言ってくれるんだが」

 

「それで色合いか」

 

「あとは葱油を使ってポワレにするんだ。バターでも試したんだが...こっちの方がウケがいい」

 

葱油を用いたポワレを知ったのは過去の食戟での記録であり、記録されていた人物とその人物の今を見比べて小さく吹き出したのは当人には秘密だ。意外と学生服似合ってたんだな...

 

「流石ですおn「なるほどな」」

 

味醂や酒、醤油なんかを加えて煮ると、いい感じの香りが広がる。この香りで白米が進みそうだがぐっと堪え、焼いた端から冷まし皿に置いてゆく。

次に作るのは海老関係のもので、例年通りならブラックタイガーなんかで海老チリを作るだけだった。今年はそれが高級志向の強い遠月学園提供(元産廃予定)のクルマエビやら伊勢海老に置き換わる。

 

「遠月ってこの辺も躊躇無く捨てるよな」

 

「お坊ちゃまお嬢様の価値観だと大した事ないんだろうよ。総帥も高い安いに文句は付けないが美味い不味いはハッキリしてるからな」

 

「クルマエビも漬け込むと美味しいのですわ!」

 

確かに彼女、ナオさ...の言う通り漬け込めば鮮度はそう気にならない。クルマエビの長期保存は考えた事が無かったが、彼女は煮込む漬け込むが強みの筈だ、教えて貰ってもいいかもしれない。

 

「今度味を知りたいな」

 

ちらりと彼女の進捗を確認するが、コンロを複数個使って相当なペースで仕上げているらしい。選抜にも出ていた猛者だから期待大であったが、手際も非常に良いらしい。

依頼主が一番仕事していないのはマズいと思い、クルマエビの殻に沿う様に2箇所刃を通し頭を外す。味噌を別の器に取っておき、身は豆板醤やトマト、いつだったか美作に米と一緒に食わせたタレと絡めて焼く。

 

「海老チリか...もしかしてアレか?」

 

流石は一級料理人顔負けの料理技能を持つだけはあって、見もせずに気付くあたりは流石だ。私はきっと気付かない。

 

「美咲様、アレとは?」

 

「タレと白米で以前美作に出したんだ、気に入ってたみたいで良かった」

 

「ダメだ...涎が...」

 

お世辞でも嬉しいものだと思いつつ、白葱とニンニクを加えて中華鍋を振るう。ナオが何か言いたげだったが、布なんかで滑ると調理しにくいなんて相変わらずの技術を察したのか黙っていてくれた。

煮物も良い香りが漂い始め、美作に頼んでいた口取りは既に箱に盛られ始めている。私がやるより遥かに綺麗に盛られているのが少々悔しいが、美味ければ見た目を気にしないだけだと自己弁護して目を逸らす。

 

「美作、これも頼む」

 

黒豆や伊達巻は後になるが、蒲鉾や酢蓮、ちょろぎ、紅白なますなんかはスグに盛り付けられる。

 

「美咲様、煮物なんかはどうしましょう」

 

「鍋ごと運ぶ。器は沢山あったと思うから多分足りるだろう」

 

本当は器に盛って行けたら良いのだが、如何せん嵩張るし、そもそもココにはそんなに皿がない。元々人なんて来ないボッチの家だから。

粗方作り終え、後は明日運ぶ前に調理するものや、馴染ませてから盛るものとなったら今日の部は終了だ。各人汗を拭い、美作が汗を流してくると自宅へと戻っていく。

 

「今のうちに汗を流すといい。片付けはやっておく」

 

そう言ってナオを風呂場に連れていき、普段は使われることのない使用中の札を吊るしておく。美作がうっかり入るのを防ぐためだ。

調理に使った皿や器具を食洗機に入れ、台拭きやモップ掛けを終えたらエプロンを脱ぎ髪を解く。

 

「あ、年賀状...兄は煩いだろうな」

 

すっかり忘れていた年賀状の事を思い出し、住所を書くと「あけましておめでとう、元気です」とだけ書いておく。後は明日にでも投函すれば3日には届くんじゃなかろうか。

年賀状を玄関に置いておき、ここ半年くらい使ってなかった気すらするドライヤーを引っ張り出すとガチャりと扉を開けてナオが首を出す。

 

「丁度良かった、これを」

 

やや驚いた顔をした後ぺこりと頭を下げて引っ込んだナオが、なんだか小動物に見えたのは何故だろうか。やはり美作みたいな大きいのに見慣れたからか?

20分と経たずに戻ってきた美作を居間へと通し、暫くして出てきたナオに櫛をいれてから交代する。シャワーを浴びている間に「美咲さん、先生が来たぞ」と美作が言っていたので後でお礼を言っておこう。

 

 

 

 

 

 

 

 

美咲さんがシャワーを浴びている間、居間には俺、貞塚ナオ、シャペル先生が揃っていた。シャペル先生は基本無口な人で、貞塚ナオは有名だから知ってはいたが今まで絡みは無かった。

つまり何が言いたいかと言うと、沈黙が辛い、これに限る。とは言っても美咲さんが淹れていった紅茶と茶菓子に二人が集中しているので現状問題は無いのだが、このペースだとすぐに無くなる。

 

「なぁ貞塚、お前なんで来たんだ?」

 

「偶然出会ったよぉ。ヒヒッ」

 

有名ないつもの調子に若干安心しながらも、少しでも間を持たせようと振った話題が一瞬で終わった事に内心舌打ちする。

かと言ってシャペル先生は何を話しかけようと食べ物がなくなるまでは「あぁ」しか返ってこないだろうから、必然的に話しかけるのは貞塚ナオだ。

 

「本当に偶然か?」

 

「愛の引き起こした偶然だから運命かもしれないわねぇ...イヒッ」

 

「つまり付け狙っていたと」

 

こいつが薙切をストーキングしていたのは誰もが知っているのだが、最近は美咲さんの近辺に出没しているとも聞いた。というか何度も見た。

 

「あぁ...お姉様...♡っは、今からお風呂に」

 

「落ち着け」

 

恍惚した笑みが消え、真面目な顔になったから何かと思えばこの通りだ。シャペル先生は黙々とクッキーを食っている。

しかしまぁ煮物の担当が出来たのは非常に助かった。悲劇のブロックで予選敗退だったとはいえ、それでも本戦に来てもおかしくない実力者だったという事だろう。

 

「厨房での存在感、凛とした佇まい、そして周りを叩き潰すが如き圧倒的な調理技術!」

 

「声がでけぇ...」

 

「むぅ」

 

丁度最後の1枚を食いきったらしいシャペル先生が名残惜しげに唸り、目敏く厨房に目を向ける。

あ、コレは居座るなと確信し、ぶつぶつと呟く(非常に珍しく格好だけは明るい)貞塚ナオを見る。

 

「貞塚、そろそろ美咲さん帰ってくるからお前も帰って来い」

 

むしろ帰ってきた結果がこれなのかもしれない。だとしたらとっとと出ていけか。

 

「ひひひ...そうよ、やっと大型のゴリラを追い払ってお姉様の傍に居れる切っ掛けを掴んだというのに」

 

「帰れ」

 

シャワーを終えた音がしたので忠告してやったのになんなんだこいつ。思わず素の反応をしてしまった。

 

「待たせた...あぁ、シャペル先生。今回はお世話になりました」

 

「いや、構わない。棄てられるよりは子供達に食べてもらった方が良いだろう、それで何を作ったのかな?」

 

シャペル先生の遠回りな味見要求だ。美咲さんは人の意見を積極的に聞こうとすることもあり、これで大体味見をする流れになる。

どうやら今回もその流れだったらしく、彼女は「失礼」と断って人数分の食器と詰められなかった分を持ってくる。

 

「折角ですから食べ比べといきましょう」

 

内心で「勝負になるわけが無い」と思う自分と、「もしかしたら」なんて考える自分がいる。

箸と取り皿を配り終えると席に座り、手を合わせる。

 

「「「「いただきます」」」」

 

当然ながら俺と貞塚は美咲さんの作った料理、海老チリと鰤の照り焼きへと手を伸ばす。シャペル先生も何で見分けたのか、美咲さんの作った伊達巻へと手を伸ばす。

 

「「「んっ!?」」」

 

以前白米と食べた時にも反則だと思ったそのタレは、本来の用途である中華料理に使われることでその真価を存分に引き出している。

正直事ある事にこんなものを食べている子供達が将来第二第三の薙切になるんじゃ無いかと心配になる。

 

 

 

当然ながら真っ先に空になったのは彼女の皿だ。特に海老チリの完成度が高かったと俺は思う。




海老チリ、いいですよね。
茹でて作る人、焼いて作る人、揚げて作る人いらっしゃいますが私は揚げて作る派ですな。

今回のメニュー
美咲作
・伊達巻
・黒豆
・海老チリ(美作イチオシ)
・鰤の照り焼き
・栗金団
美作作
・田作り
・たたきごぼう
・蒲鉾細工
・ローストビーフ
貞塚作(材料の影響で臭くない)
・蓮根や椎茸の煮物
・金柑の甘露煮
・筑前煮
・タコと大根の煮物


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十三皿目 鯛のポワレ~魅惑の白い粒を添えて~

ᕱ⑅ᕱ

('ω' )三( 'ω')

(っ∵ )っ⌒☆

≡≡≡ヾ(⌒(_'ω')_タッタッタッ


 秋の選抜、その予選が終わって数日が経った。私はと言うと、記録として残っている本戦出場者の“創った”カレーのレシピ再現に必死になっていた。

  十傑のモノと比べると劣るものが多いとは予想されるが、それでも発想や各自の得意分野を活かしたメニューの多様性は相当なものである。

 

「美咲さん⋯⋯何で折角終わったのにカレー作りなんだ⋯⋯?」

 

「復習は大事だと言うだろう? 折角どれもこれも完成度が高いんだ、もう少し練れば十分にカレーの専門店が出来るぞ」

 

 美作のもうカレーはうんざりだと言わんばかりの呟きに、思うがままに返す。が、その呟きを聞いていたシャペル先生がガタリと椅子を蹴立てて声を上げる。

 

「待ちたまえ! 君は⋯⋯カレーの店をするつもりなのか?」

 

「いや、カレーはあまり得意分野ではありませんから。フレンチやドイツ料理の方が得意ですし」

 

  その返答を聞いて、大人しく着席するシャペル先生。今日いるメンバーは付き人の美作、珈琲研の蜜柑(本人の希望により)、猫間先輩、ある程度完成が近付いたタイミングで私が味見を頼んだえりなとその付き人である緋紗子さんだ。

  それとは別に、宿泊研修でちょろっと顔を合わせた程度の関係の筈の白い方の薙切さん、非常にお世話になった黒木場君が何故かいる。

 

「⋯⋯この香りは緋紗子の造ったもの、を少し弄ってあるわね?」

 

  今行われているのは、私の猿真似カレーの評論会⋯⋯と言う名の素材当てクイズ大会だ。皆が少しずつカレーを賞味し、答えの予想を言う。最後にえりなが100%の精度で正解を言い当てると言う形式の。

 

「という事は当帰、川芎、芍薬、熟地黄を基幹にあると言う事ですか?疑うワケではありませんがその⋯⋯」

 

「貴女の使った当帰はミヤマトウキと言われるものでしょう? これはホッカイトウキよ。加えて川芎は中国のもので無いから、独特の香りが飛んでいるのよ」

 

  全く持ってその通りであり、料理人としては彼女にだけは店に来て欲しくないだろうなと思う。食べる前からレシピを当てられ、食べれば調理法まで読まれるとなれば商売あがったりだ。

  彼女はスプーンで一口、すくい上げると少し眺めてゆっくりと口に運ぶ。

 

「んっ_________!!」

 

「まぁそうなるな、当帰(とうき)の種類なんざ誰も当てられなかったが⋯⋯その反応は一律か」

 

  遠月の人間は大体物を食べる時に身体をくねらせる癖がある。必ずではないので何らかの法則性があるのだとは思われるが、イマイチ理解出来てないのが現状だ。

 

「なるほど⋯⋯芍薬も別物だったのね。原種でなく敢えて洋芍を用いる、それで辛さを際立たせた⋯⋯お見事よ」

 

  実際は緋紗子さんの使っていた原種を用いたかったのに手に入らなかっただけなのだが、プラスに働いたのなら良かった。

  これで一通りは済んだのだが、皆さんまだ帰るつもりは無いらしい。

 

「ほんと! 流石は犬神さんです!」

 

「それに流石は【神の舌】だ。見事完答じゃないか」

 

「猫間先輩も、殆ど合ってたじゃねぇか」

 

  で、次はまだか? と言わんばかりのシャペル先生と黒木場君、二人の視線に押されるようにして厨房に引き返すこととなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  美咲による本戦出場者の作ったカレーの“答え合わせ”は、誰一人として文句を出せないまま終わった。

 

「で、どうだったかしら?」

 

  会の感想を彼女の事を教えろと詰め寄ってきた従姉妹、アリスに聞く。少々意地が悪く、容赦のない方法だったとは思うが彼女を教えるなら料理を食べさせるのが最善だと思って連れてきたのだ。

 

「完敗ね。⋯⋯今は! 今はだからね? 本戦では絶対に負けないんだから」

 

「お嬢、泣きながら言っても説得力が」

 

「リョウ君、黙りなさい。貴方の辞書には気を使うとか敬うとかって言葉は無いの!? まぁ、それで?リョウ君はどうなの?」

 

  彼女の付き人、黒木場君が少し考える素振りを見せる。

 

「勝てない⋯⋯って事は無いと思います。もう一度やって、犬神が同じものを出すなら超えることは出来る」

 

「美咲さんに勝つ⋯⋯? お前が?」

 

「ア゛⋯⋯?」

 

  鼻で笑う様な美作君の言葉に、瞬時にバンダナを巻き付けた黒木場君が食ってかかる。

 

「落ち着きたまえ、そもそももう一度カレーで競う事があるとは思えない。しかし⋯⋯彼女には是非ともフランス料理を専攻して貰いたいものだ」

 

  シャペル先生は度々彼女の料理を求めて彼女の家に出没するらしく、この場では美作君の次に彼女の料理に詳しいだろう。教え子の、それも女子生徒の家に出没する男性教員というのはどうなんだとも思うけれど。

  ふと、ずっと気になっていた事を口にしてみる。

 

「シャペル先生、彼女の得意分野について何か知っていますか?」

 

「断言は出来ないが⋯⋯彼女の口振りからすると西洋料理ではないかな? フランス料理部門主任として言わせてもらえばだが、彼女のフランス料理への造形は相当だ」

 

「あ?鮮魚じゃねぇのか?」

 

  黒木場君は確か、彼女とのファーストコンタクトは宿泊研修での課題だったと聞いている。課題は関守板長が出したと聞いているから、海鮮系の課題だったのだろう。

 

「私はこれまではずっとイタリアンだと思ってました⋯⋯」

 

「僕は正直、創作菓子だと思っていたよ」

 

  潮田さん、猫間先輩が自分の考えを述べる。

 

「私はてっきり和食だと思っていました。えりな様もご存知でしょうが⋯⋯あの鯛尽くしは食べなくても一流なのが分かりましたし」

 

  私も緋紗子と同様に、和食だと考えていた。そもそも彼女は【神の包丁】と呼ばれる程の技術を持っているし、内緒ではあるが課題を決める際に彼女の存在を考慮して和食は最初から候補にすら上がらなかったくらいだ。

  結果はBブロックの悲劇であり、被害者の一部は鍋を見るだけで震えが止まらなくなるのだとか。

  暫く彼女の得意料理についての議論が行われたのだが、やはりここは付き人である彼に聞くべきだろう。

 

「美作君はどうかしら、以前から何か分かった?」

 

「俺は⋯⋯美咲さんの作ったものの中で一番美味かったのは中華ダレだ。アレはなんというか、俺が運動して痩せる事を決意するくらいにはヤバい」

 

  普段はニヤついていたり、無表情だったりする彼の真顔での発言に周りが少し引く。

 

「中華⋯⋯彼女の作った中華は見た事ないわね。でも美作君、タレなの?」

 

「葱や生姜を盛り付けた白米に掛けるんだ、料理とは言えんだろうが⋯⋯ピリ辛だが深い所に甘味を隠したタレとご飯の相性がだな」

 

「待ちたまえ、美作君」

 

「そうよ、その表現は反則よ」

 

  不覚にも口の中に唾液が湧き出る。この中で彼だけが食べた事のある、ただそれだけで彼を呪い殺さんとする気持ちが湧き出てしまう。

 

「しかし中華となると、十傑評議会にもいらっしゃいましたよね」

 

「⋯⋯久我先輩ね。あの人の中華は四川省のものだけど、辛ダレとなると彼女もそっちなのかしら」

 

「あ〜でも得意料理かどうかは兎も角、多分最初に手を出したのは海鮮系なんだろうな。何だったか、遠月に来る前からずっと妙な捌き方をしてて癖が抜けないものがあるとか言ってた気がする」

 

  そこで厨房から皿を出し入れする音が聞こえ、皆の視線がそちらに移る。棚から出したと言うよりは保温庫から出した様な音であったので、もうすぐ出来上がるのだろう。

  話をしている間黙って珈琲を睨み付けていたシャペル先生が、物凄い素早さで顔を上げたのが妙に印象的だった。

 

 

 

 

 

 

 

  何だか次を早く持ってこいと言われた気がしたので厨房に戻った私は、最近書いたノートの中からレシピを探す。

 

「カレーの後だからな、味の薄いものは避けるか」

 

  となると濃い味系となり、丁度良いものもある。取り敢えずと米を洗って石窯に入れ、タイマーをセットするとそれに合わせて調理を開始する。

  食材庫から引っ張り出したのは鯛、少々時期が外れているものの良く締まったもので、何故残り物として産廃扱いだったのか謎なものだ。

 

「よし⋯⋯」

 

  まな板に置いた三匹の鯛の鱗を、素早く落とし、各々三枚におろす。頭部は煮汁を取るために鍋に入れる。

  切り身を二口程度の大きさに切ると、皮の面を下にして抑えながら焼き目を付ける。この工程でパリパリの食感を与え、同時に見栄えを良くするのだ。

 

「もういいか」

 

  アラを煮ていた火を止めると、切り身をひっくり返してバターを入れる。溶けたバターは掬って身に掛ける、アロゼと呼ばれる工程だ。

  火が通ったらすぐに皿に移し、代わりに刻んだトマトと大蒜、椎茸を入れる。アラの煮汁に白ワインを入れ、ソースを作るのだ。

 

「そして最後は⋯⋯こいつだな」

 

  つい先日、学園で試作品が出来たからと送られてきたものだ。蓋を開けると中には白い粒が敷き詰められており、正体を知る身としては少しばかり使用を躊躇ってしまう。

  醤油と檸檬を使って煮汁の味を整えると、器へと移す。

 

「⋯⋯実に不安だが」

 

  意を決して白い粒をソースに入れ、数度混ぜたら後は魚へと掛ける。

  炊けた米を茶碗に盛り、半ば美作専用となっている中華ダレを準備すると後は運ぶだけだ。

 

「完成だ。済まないが運ぶのを手伝って貰えるか?」

 

  声を掛けると美作と潮⋯⋯蜜柑が席を立って手伝ってくれる。

  配膳を済ませたらする事はただ一つだ、最後に美作が幸せそうに中華ダレを運び入れれば、手を合わせて一言。

 

「「「「いただきます」」」」

 

  自分でも不安な鯛の切身を箸で割き、粒と一緒に口に入れる。

 

「⋯⋯っ!」

 

  我ながらこれはアリだ。

 

 

 

 

 

 

 

  美咲さんに呼ばれて配膳を手伝う。石窯で炊かれた米は綺麗に炊けており、いつもの中華ダレも準備されている事に頬が緩む。

  恐らく美咲さんの好物なのだろうあら煮はいつものものだと思うとして、問題は最後の鯛だ。

 

「潮田、コレ何だと思う?」

 

「鯛でしょう?」

 

「んなこたぁ分かってる、白い粒だ」

 

「冗談です、イイダコなんかの卵に似てはいますが⋯⋯」

 

  生憎とイイダコの産卵期は3〜4月、今仕入れても味は冷凍されたものだろう。長い時間をかけて漬けたものの可能性は否定出来ないが、そもそもイイダコの卵は楕円形、コレは完全な球体だ。

  首を傾げながらも配膳を済ませ、手を合わせて呟く。

 

「「「「いただきます」」」」

 

  皆が白い粒に注目し各自予想を立てる中、美咲さんが一足先に口にする。

 

「⋯⋯っ!」

 

  その後頷く動作から、美咲さんからしても味の完全な予想はついていなかったらしい。

  意を決して口に運ぶ、まず最初に伝わったのはパリッとした皮の食感、そして溢れ出すバター風味の脂だ。ソースの酸味と甘さも見事に調和が取れており、何かを加える必要性を感じさせない。

 

「「「「__________!?!?」」」」

 

  一足先に咀嚼したらしい黒木場、薙切、新戸、猫間先輩が声のない悲鳴を挙げる。

  つまり、そういう事だ。隣の潮田と目線を通わせ、頷いて咀嚼する。

 

「「「「______!?!?」」」」

 

  咀嚼と同時に弾けた白い粒、最も近い味わいは最高級のキャビアだろう。白いキャビアなど聞いたことも無いが、間違いなくこの料理の主役はこいつだ。

  美食を体感する傍ら、美咲さんが箸で白い粒を摘んで呟いた。

 

「ホワイトキャビア、アレの卵とは思えないな」

 

  どうやらチョウザメの卵ではなかったらしい。




ホワイトキャビア=蝸牛の卵

まだ期待してくれてる方がいると聞いて...


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十四皿目 あの日の鯵のカルパッチョ

|'ω')ノ⌒゜ソォイッ!

2019年10月12日 修正


  秋の選抜、第一回戦の課題決めが難航している。

  基本的にどちらか一方が著しく有利になったり不利になるのは避けるのだが、ほぼ万能である香辛料の使い手葉山アキラ、得意分野が未だ不明の犬神美咲、そしてその付き人で成長著しい美作昴。この三名の扱いが非常に困り所だった。

 

「だぁーからさ! いいじゃん! 中華で!」

「スイーツ、これ一択」

「蛇肉にしようぜ!平等だろ多分!」

「ラーメン⋯⋯」

「寿司がいい」

 

  勝手気ままな十傑メンバーも僕の胃を容赦なく痛め付ける、キリキリとする胃を抑えながら、候補の課題を書き留めてゆく。

  元々クジ引きで決めて運も実力のうちである! が伝統なのだが、何せBブロックの悲劇がある。実に出場者の半数に絶望を押し付けた結果になったのだが、AブロックもAブロックで美作昴が初手なら似た様な状況を産んだのでは無いかと懸念される。

 

「寿司だと犬神さん一択だし、蛇肉なんて俺も調理した事無いよ⋯⋯誰が解説するのさ」

 

  中華ならと思わなくも無いが、葉山君に著しく有利との声が出かねない。こういうのは自分の得意分野に引き込む事も出来る、それくらいがベストなのだ。

 

「もう誰か食戟吹っ掛けて3人とも潰してこいよ」

 

「叡山が逝けば良い、うん、逝けば良い」

 

「おいこら、何か違ったろ今」

 

  潰せと言うのは少々問題だが、実際底を知りたいなら本気で料理をさせる他無いだろう。ただ、下手をすると秋の選抜を運営するメンバーが運営中に減る。

  いや、僕の胃腸への負担は減るのでもしかして悪くない⋯⋯?

 

「もっと抽象的な課題にしてしまうのはどうだい? 解釈次第でどうとでもなる形にして放り投げてしまえばもう当人次第だろう?」

 

「一色先輩⋯⋯それは下手をすると更に悲惨な結果になりますよ? 誰が勝っても明確な差が出てしまうのでは⋯⋯」

 

「いや、もうそれで良いだろう。元より一年生内での序列決めが目的、いざとなったらスポンサー集めを行った叡山君に全責任を⋯⋯」

 

「待てやゴラァ!」

 

  まだまだ議論は終わりそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

  例年なら既に課題発表がある頃らしいが、未だ運営からは知らせは来ない。流石に不安になって畑にいたシャペル先生に尋ねたのだが、どうやら議論が進んでいないのだとか。まぁ十傑の人達は基本的に癖のある人達(変態)だし、議論の途中で食戟が始まるのは遠月では珍しく無い。

  何せ授業の評価が気に食わないからと講師に食戟を吹っ掛ける猛者もいるらしいし、目が合ったら食戟を吹っ掛けずにはいられない過去の美作みたいな輩も多い。

 

「⋯⋯お前も丸くなったよな」

 

「マジか⋯⋯ちょっと食い過ぎたか」

 

  横目でお腹を摘む美作を見ながら、今日も今日とて包丁技術の修練を行う。速く、細かく、潰さぬようにを心掛け、一息に切る。

  僅かに切り身が膨らむのを見届け、そのまま口に放り込む。

 

「ダメか⋯⋯」

 

「美咲さんはさっきから何してんだ?そろそろやめねぇと凍傷になるぞ⋯⋯」

 

  それは困ると残りの身を続け様に切る。美作がその身を摘み、怪訝な顔をしてから口にする。

 

「は⋯⋯? 美咲さんこれは⋯⋯?」

 

「練習中なんだ、大目に見てくれ。関守先輩から聞いた修めておくべき技能らしいのだが⋯⋯細胞を潰さず縫う様に断つのだとか」

 

「変⋯⋯態⋯⋯?」

 

  失礼だがあの人の腕前はそれこそ変態そのもの、むしろそれだけの技術が無いと生きていけないのかこの国の料理業界は。

  ただ「包丁技術で優先的に修めておくべき技能は何か」と聞いて返ってきた技術なので、やはり必要不可欠の技術なのは確定だ。特に選抜本戦では毎年OBが現れるため、それまでに技術を実用段階まで昇華させねばならない。まだまだ課されている課題は多いし。

 

「そぎ造りの練習中に発見したらしいが⋯⋯」

 

  あの人の手先の神経はどうなっているのか、包丁を入れている時にふと細胞レベルで断面を感じ取るとか正直同じ人間だとは思えない。

  まぁ合宿で出会った先輩方は関守先輩に限らず変態染みた調理技術を持っているし、遠月の卒業生とはそんなものなのかもしれない。

 

「いや、無理だろ」

 

「寧ろお前なら出来るんじゃないか?ほら、少し関守先輩をストーキングすればこう⋯⋯」

 

「美咲さん俺をメタポンか何かだと思ってないか?」

 

「気の所為だ。あぁ、この後緋沙子さんが来るのだが大丈夫か?」

 

  メタポンとはとあるゲームに出てくる変身モンスターだ。よくは知らないがどんな相手にも変身できるらしく、能力もコピーするのだとか。

 

「そりゃ勿論大丈夫だが⋯⋯新戸の奴は付き人ってか秘書業は大丈夫なのか?」

 

「えりなが議会で出ずっぱりらしくてな。一人にしていると息抜きを忘れるから見ていてくれと、とは言え家に来てもまともに揃っているのは調理器具くらいなものだが」

 

  一人で黙々と調理の練習をする分には困っていなかったが、やはりもう少し家具を導入するべきかもしれない。

  いや、まぁ今そんな余裕は無い。何せ本戦に出場してしまった挙句、それが私の連絡先を知るうちの卒業生にまで知られてしまったのだ。本戦で無様を晒した暁には本気で、その場で料理人としての人生が潰えかねない。

 

「へぇ⋯⋯逆効果にならなければ良いがな。で、それこそ議会の結果待ちな美咲さんとしてはどうなんだ?」

 

「この通りだ、言うまでもないだろう?」

 

  課題が発表されず、何の準備が必要か不明とあっては手の出しようが無い。結果として先輩を頼って基本技能の練習中だ。

 

「ま、そうだよな。っと、新戸か?」

 

  ドアノッカーを叩く音が聞こえ、美作が巨体を丸めて玄関口へと向かう。

  既にこの家に慣れきっている美作、恐らく目を瞑っていても衝突する事は無いだろう。因みに私には無理だ、絶対数歩で何かに激突する。

 

「あ、お邪魔します。申し出を受けて下さりありがとうございます」

 

「あぁ、構わない。自宅⋯⋯はもっと生活感があるか。そこらの公園だとでも思って好きに過ごして欲しい」

 

「はい。では御言葉に甘えさせていただきます。ところでそれは何を⋯⋯?」

 

  相変わらず丁寧な人だ。

 

「新しい包丁技なんだとよ。関守板長発案らしいが⋯⋯まぁなんと言うか美咲さんって感じだ」

 

「包丁技術の研鑽ですか⋯⋯流石は【神の包丁】ですね。一体何処まで⋯⋯」

 

  実に大袈裟だと思う二つ名である。美作との食戟で初めて知ったのだが、アレはいつ何をしているのを見てそんな分不相応な名付けを行ったのか⋯⋯

 

「むしろそれは関守先輩こそ呼ばれるべきだと思うのだが」

 

「⋯⋯そういえば、ソレは誰が言い始めたんだ? 食戟の時には既に付いてたが⋯⋯中等部の頃に聞いた覚えはねぇぞ?」

 

「諸説あるようだが⋯⋯新聞部が調べた情報にこんなのがあったぞ。いつか犬神さん本人に確認しておこうとは思っていたのだが⋯⋯これは一般生徒、必死に遠月で課される課題をこなし、日々ギリギリのラインで首を繋いできた一人の男子生徒から提供された話らしい」

 

  緋沙子さんが話し始める。折角なので、私はお茶を淹れ、茶受けに外郎を準備し席に着いた。

 

 

 

 

 

 

 

  ある日、常にギリギリで合格を掴んできたその男子生徒はふとした拍子に授業中に失敗してしまったらしい。結果、その場でどうこうとはならなかったものの、次で余裕のある成果を出さねばならなくなった。

  だが当然ながら、直前に失敗を犯してこっぴどく叱られた直後の人間と組んで課題に臨む物好きはそうはいない。固定の相方のいない実力者と組んで課題に臨みたいが、頼み込んでは断られていたらしい。

 

「くぅ⋯⋯お前に組んでくれとは言わない。だが誰か知らないか⋯⋯?」

 

  随分と失礼な物言いだが、そこそこ付き合いのあった心優しい友人は呆れた目で言ったらしい。

 

「安定した成績の奴と組みたいなら⋯⋯犬神に頼み込んでみたらどうなんだ? あいつは大体直前までペアを作ってはないだろ」

 

「え⋯⋯でもアイツ教師が瞬きした瞬間にまな板ごと魚を三枚に下ろしたとか割とおっかな⋯⋯」

 

「まぁ愛想は良くないし薄らデカいけどよ、無表情だし目付きもアレだが成績は良いんだろ? 余裕が無いなら多少の冒険は必要じゃね?」

 

  そんな会話の末、そのギリギリな男子生徒(以後ギリ男)は犬神美咲に助力を仰ぐ事にしたらしい。だが助力を仰ぐ事にはしたが、どのようにコンタクトを取れば良いのかで難航した。

  何せ彼女の連絡先など誰も知らなかったし、当時所属していた寮は女子寮密集地帯の奥地にあった。当然男子生徒が近寄ろうものなら良くて不審者、悪ければ下着泥棒である。

 

「くそ⋯⋯課題は明日だぞ⋯⋯」

 

  彼女とコンタクトを取ることに意地になっていたギリ男は、当然課題の準備なんかしていない。何故彼がギリ男なのか、その原因は既に明白である気もするが流石の彼も前日くらいはと学校の厨房で練習をする事にした。

  別段特別な才能に恵まれたワケでもない彼は、一般主婦よりは上程度の包丁技術しか持っていない。人外魔境遠月学園では下から数えた方が早い包丁技術で課題に臨めば、結果は芳しくないだろう。

 

「くそっ! くそっ!」

 

  悪態を吐きながらも最低限平均以上の評価を貰えるよう、必死で練習をした。清掃の時間に睡眠を取り、それが終わればまた食材と格闘した。

  運命の日の午前五時半頃、朦朧とする意識のなか彼女は現れたという。朝日を背に、自前の包丁ケースと練習用の食材を手に。

 

「お⋯⋯この時間に珍しい」

 

  彼にとっては朝日を背にした探し人は女神にも見えたという。

 

「犬神⋯⋯美咲か⋯⋯。どうか、助けてくれ⋯⋯」

 

  因みに、ギリ男は特別な才能こそ無いものの遠月の生徒では多い高いプライドの持ち主だ。本来の彼なら『よぉ犬神、次の課題俺と組もうじゃないか』などと宣っただろう。

  目にクマを拵え、ふらふらの男子生徒に二人きりの厨房で迫られるなど普通の女子生徒なら逃げ出してもおかしくないのだが、その時犬神美咲は努力の跡の見える手と包丁を見てこう言った。

 

「凄く頑張った様だな⋯⋯分かった、取り敢えずそこで横になって寝るといい」

 

  その言葉に従い倒れる様に横になったギリ男が目を覚ますと、彼の上には女子の上着が掛けられており、彼の散らかした調理台は綺麗に片付けられていた。

  そして彼女と臨んだ課題の時間、鯵のカルパッチョを作れという課題での彼女の動きを彼はこう語る。

 

『人間の手って追加で何本か増えるんだな』

 

  勿論彼女一人に全てを任せたわけでは無く、彼女の指示通りにではあるがタレを作る作業はきちんと行った。

  基本のレシピは配られるものの、自主性とスペシャリテの創造を理由に課題内容を逸脱しない程度にではあるが創意工夫は許されている。無論彼女の指示した手順は明らかな別物であった。

  檸檬ベースであっさりとしたものではあったが、それでいて軽く炙った胡麻を用いた香ばしさが食指を誘うものだ。後に味見をしたギリ男は、

 

『万一このタレを自分の捌いた魚に掛けたのならば、僕はその場で退学になっていたでしょう』

 

 と、涎を垂らしながら恍惚とした顔で語っている。

  タレの完成を確認した彼女は、それまで忙しなく準備していたその手をピタリと止めた。

 

「さて⋯⋯いくか」

 

  彼女がそう呟くや否や、『手って増えるんだ⋯⋯』等と驚いていたギリ男は、己の目指すべき包丁技の到達点を見た。記者の取材に対して、このエピソードでの肝だと念を押してこう口にした。

 

『神の領域に足を踏み入れた包丁人の手はな、消えんだぜ』と。

 

  ギリ男は目を離さなかったが、彼女の持つ包丁がブレたと思った次の瞬間、鯵は肉と骨に分かれていたのだ。

  彼が口をぱくぱくとする中、彼女は手早く皿に盛り付け、タレをかけると一言声を掛けて完成品を講師の下へと持っていった。慌てて追いかけ、審査を無事最高評価で通過したのは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

「と、言うわけだ。その後彼は犬神さんの包丁捌きを真似る為に決死の努力をし、未だ鍛錬に励んでいるらしい。何故急に、何を目指していると問われる度に犬神さんの包丁技術を神の領域だと語ったらしく、恐らく他のエピソードも相まって【神の包丁】が定着したらしいな」

 

「いや、それまだ他のエピソードもあるのかよ。ほんと美咲さんだな⋯⋯」

 

  得意気に語る緋沙子さんの話を、謎の美化っぷりに頭を抱えながら聞き終えた私は心に瀕死の重症を負っていた。

  明らかに一晩中調理の練習に励んでいた小柄で痩せた人間に迫られようと別段怖いものではないし、恐らく眠気で意識が朦朧としていた彼は覚えていないのだろうが間違いなく声は震えていた。主に緊張と誰もいないと思って厨房に入ったのに先客がいた動揺で。

 

「いや、そんな大したものじゃ⋯⋯それに当時はまだ中学生だぞ⋯⋯?」

 

「中学生でか⋯⋯新戸、そいつの名前は分かるか?」

 

「無論だ、そもそもお前のご近所さんだぞ」

 

  駄目だ、人の話なんか聞いていない。引き攣る頬を必死に宥め、遠い目をして庭を横切る人影を目線で追う。あぁ、あれはシャペル先生か。

 

「美咲さんとしても懐かしい話だったみたいだな、他のエピソードはどんなのなんだ?」

 

「あぁ、そうだな。他に繋がりそうななのは⋯⋯」

 

  まだこのマジ美化1000%の話を続けるつもりか、そう思いながら自分以外は減ってはいないが追加の茶受けを取ってくる。

  帰ってきたら何やら惚けていた二人のカップに紅茶を注ぎ、いつの間にか消えていた外郎の追加を出した。

 




ちょっと微妙...?
因みに中等部時代のコレが五皿目に進化していたりしてなかったり

しっかり感想は確認させて頂いております!
しかし私がコミックス版でしかソーマを読んでおらず、その後の展開を知らないのでちょくちょく返せてなかったりします。


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十五皿目 チリコンカン

忘れた頃にちょろっと投げる


 遠月に来てから、俺は勝ち組だった。

 才能によって居場所を手に入れた俺は、常に己が才能の価値を証明し続ける必要があったのだ。才能を磨き、【神の舌】に迫る才能を手に入れた。

 

 秋の選抜も【神の舌】が不参加ならば負ける事は無いと半ば確信して参加、実際予選Aブロックを首位通過している。

 

「焦るな。俺は負けない」

 

 言い聞かせるように呟く。

 先日知り合った編入生、幸平創真は僅かな時間で俺に食らいついてみせた。遠月では常にトップ層を維持してきた俺を相手に、奴は脅威となる。

 しかし俺を焦らせるのは幸平ではなく『美作昴』とその飼い主である『犬神美咲』だ。

 

 俺の得意分野スパイスの土俵で『武器模倣』を使わず俺と並んでみせた男と、その男を歯牙にもかけず屈服させたよく知るクソ女。

 俺は()()()()()()。だから負けない。

 

「俺の居場所を奪わせはしない」

 

 鍋蓋を上げると同時に、1つの香りが会場を支配した。

 考えうる限り最高の酸味と甘味、それを香りで纏めあげるトマトスープ。食材を扱う観点から低めの室温に設定された会場内ではより映える、この日のために組み立てた最高の一皿スペシャリテである。

 

「なんだと⋯⋯!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 玉葱やピーマン、大蒜を細かく切り刻み、肉を挽き数個のトマトを蒸す。

 作るのは『チリコンカン』と言うアメリカ南部の料理だ。スペイン語で『肉入りの唐辛子』を意味するのだとか。

 

「前にもあった気がする、このよく分からないうちに食戟をさせられる展開⋯⋯」

 

 汐見教授がいるから酷いことにはならないだろうが、それでも食戟の二文字は胃に優しくない。

 熱した挽肉と蒸しトマトを中華鍋に入れて焦がさぬように火を通し、刻んだ野菜とナツメグ、オレガノ、唐辛子などを加え強火にして焼き上げる。

 

「美作よりは闘い易いが、何故私は食戟をする話になっているんだ⋯⋯? 美作の時といい理由が見つからないんだが」

 

 

 ・・・1週間前・・・

 

 

 秋の選抜本戦、最初の課題は『トマト』に決まった。

 カレーよりは遥かに勝ち筋が分かりやすく、それでも幅はかなり広い。世界各地にトマトを使った料理があり、肉は勿論魚、米や小麦と食卓の主役になれる組み合わせも多い。

 

「該当項目が多過ぎる。ある程度対戦相手である彼と協議するべきだろうか⋯⋯」

 

 そんな考えに至った私は歩いて既に馴染みの研究所である汐見ゼミへと向かう。

 汐見教授との縁は中等部二年の頃からで、遠月教授最年少の肩書きに興味を持った私が野次馬根性を発揮したのが始まりだ。散乱する瓶置きトラップや散布された香辛料催涙弾、突拍子のない行動を取る汐見潤本人による攻撃を受け止めつつも良好な関係を築けたのは奇跡では無いだろうか。

 

 それはそうと汐見教授の元に通う過程で対戦相手葉山アキラとも知り合っているが、どうも好意的には捉えられていない気がする。害意は無いのだが、非常に警戒されているのだ。

 まぁ部外者が苦手なのだろう。番犬か⋯⋯?

 

「失礼します」

 

 呼び鈴を鳴らして反応がないという事は彼は外出しているのだろう。他の教授なら引き返す所だが、汐見教授なので扉を開ける。

 汐見教授はすぐに見つかった。

 床に倒れ伏した彼女に外傷がないのを確認する限り、研究に疲れてその場で寝てしまったのだろう。病気や事件ではないと思われる。

 

「しかし、風邪を引かないとも限らない。勝手だが運ばせてもらおう」

 

「うぅ⋯⋯先輩、それは、それだけは」

 

 一体なんの夢を見ているのか、まぁこの苦悶の表情を見る限り悪夢なのだろう。

 起こすか否か迷うが、安置しておけばすやすやと深い眠りに落ちる気もする。

 

「汐見教授、失礼します」

 

 彼女の小柄な身体を抱き上げ、勝手知ったる汐見研究所ゼミにあるベッドルームへと運ぶ。何故ベッドルームがあるのに床で寝るのか⋯⋯?

 ベッドへとゆっくりと降ろすが、彼女の目が薄らと開いた。

 

「すみません。起こすつもりは無かったのですが」

 

「駄目⋯⋯お願い⋯⋯許して⋯⋯それだけは」

 

 寝ぼけ眼の彼女はまだ半ば夢の中なのか、私ではない誰かを相手に弱々しく抵抗している。

 

「安心して下さい。ここには私しかいません」

 

 そこまで言ったところで半開きの扉が勢い良く開かれた。

 

「犬神美咲ィ! 食戟だ! 負けた方が勝った方の言い分に従う、そんで今すぐ出ていけェ!」

 

 驚いているうちに私は追い出せれてしまった。

 本当に何だったんだ⋯⋯

 

 

 ・・・現在・・・

 

 

 食欲を掻き立てるスパイスの香りが漂う中、先に料理が完成したのは私の方だった。

 単純に私が焼く料理で、彼が煮る料理なのだろうが、当然ながら先手が有利だ。空腹こそが最高のスパイスであり、満腹は味覚を鈍らせる。

 

「ふむ⋯⋯そろそろ待ても限界だったぞ。それでは諸君、実食といこうか」

 

 堂島先輩を筆頭に水原先輩、乾先輩と他2名が審査員をするらしい。四宮先輩がいないのはありがたいが、それでも緊張する相手には違いない。色々とお世話にはなっているけども。

 

 先輩方は楽しげにスプーンを口に運ぶ。

 

「「「「「______!?」」」」」

 

 戦車の砲撃に吹き飛ばされる彼等を見た気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 勝敗は決した。

 審査員満場一致で、犬神美咲の勝利だ。

 

「彼の料理も素晴らしかった。自身の武器を活かした、彼だけの必殺料理スペシャリテだった」

「間違いなく十傑に食い込める実力はありますが、相手が悪かったですね。鷹では戦闘機には勝てません」

 

 審査員の眼には失望の色は無く、俺の料理に欠陥など無かった。

 

「ただ犬神美咲が化物変態過ぎた」

 

 複数品種のトマトにそれぞれの処置を施し、崩れかけのジェンガの如く積み上げる。味、香り、舌触り全てにおいて完璧な調理。

 瞳を濡らし嫌がる潤をベッドに連れ込もうとする外道であろうとも、負けは負けだ。だがたとえ奴隷のように扱われようと潤だけは守り抜く。そしていつの日かリベンジしてのける。

 

「葉山君、お疲れ様。いやぁ、やっぱり彼女凄いよねぇ」

「潤! なんで来たんだ!?」

「え、葉山君の試合なんだから応援に来るのは当たり前だよね!?」

 

 自分を襲おうとした相手の試合に来るとは思わなかった。

 

「すまない。負けた」

「あ、でもでも、堂島先輩もすっごい褒めてたよ」

 

 いつも通りの潤に安心しつつ犬神美咲の方を向く。

 目が合い、下される命令に身構える。

 

「お疲れ様、ゆっくり休むといい」

 

 それだけ告げると去っていく。

 

「おい」

 

 そう呼び止めようとして、その背中の遠さに伸ばした手を下ろす。

 これは⋯⋯

 

「相手にすらされていなかった、か」

 

 食戟を断らなかったのは自分が負けると微塵も考えなかったから。

 

「クソっ!」

 

 恐らく彼女は食戟をしたとすら考えていない。

 

「犬神美咲」

 

 絶対に泣かす!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 宿泊研修以降もその実力を伸ばしていた。

 遠月リゾートの総料理長なんかをしているせいで出遅れているが、連中OBがせっせと課題を出しているらしい。

 

「まさに食の探求者だな。普通の人間ならばとうの昔に心が折れると思うが⋯⋯」

「いやぁ、美咲ちゃんって教えた事を残らず身に付けてくれるからついつい教えちゃうんですよね」

 

 極めて不親切でスパルタな教え方なのは間違いないが、それでも身に付けば十二分に役立つ技術だろう。何せ世界有数の達人が編み出した技術なのだから。

 スタジエールは争奪戦になりそうだな。

 

「次代の十傑、1人はもう決まったようなもの」

 

 当然だろう。

 彼女以上の実力者がそうそういたら立つ瀬がない。

 

「はっはっは、来年には今の十傑が彼女の信者で埋まってたりしてな!」

 

 案外本当になってしまうかもしれない、そんな気がした。




リハビリリハビリ


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