それでも僕は提督になると決めた (坂下郁)
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プロローグ
001. 始まりはだいたい突然


 えっと、皆様初めまして&お久しぶりです。新たに艦これの連載物を書こうと思いました。物語としてはボーイミーツガール的な要素もありつつ、できるだけ王道路線でいければな、と思っています。



 選択の連続、その積み重ねでしか人も艦娘も生きてゆけない。提督になる道を選んだ一人の若き士官と、独りになる事を選びがちな一人の艦娘の出会いから始まる物語。


 夏本番も間近のこの季節、真上から照りつける太陽が波に乱反射し、きらめく鏡のよう。その荒れる水面を跳ねるように疾走する一人の艦娘。全体を見ればセーラー服調になっているが、肩から脇まで大きく開いたノースリーブの上半身、辛うじて鼠蹊部を隠す程度の超ミニスカートからはショーオフの黒いTバックが覗く。

 

 「私には誰も追いつけないんだから…」

 

 島風型駆逐艦一番艦、島風。

 

 次世代型の高速重雷装の駆逐艦を目指し、特に速力と回避力は全艦娘中でもトップクラスを誇る。その彼女は、泊地施設が集中する池島地区と有事に備えた予備区画の白浜地区を結ぶ、宿毛湾泊地の港湾管理区域線を超え沖合に出ようとしている。しかも無断で。

 

 

 

 それは航路護衛任務からの帰投中に起きた、敵水雷戦隊との遭遇戦。戦力は互角、あとは用兵次第という局面で、現場を預かる矢矧の指示を待たず、島風は敵艦隊に突入し始めた。他艦と一線を画す強烈な加速に、慌てて追随しようとした潮が追い付けず孤立した所を狙い撃たれ、その援護に入った霞も被弾、間隙を縫い六一㌢五連装酸素魚雷を斉射する島風…一気に乱戦となった。多少の損害を受けたが部隊は勝利を収め泊地に帰投したが、霞が島風に激しく噛みついた。

 

 「アンタねぇーーーっ!! 何一人で突出してるのよっ! アンタのカバーに入ろうとした潮もその援護に回った私まで中破しちゃったじゃないっ! もっと連携を考えて動いたらどうなのよっ!!」

 「そんなの私悪くないもん。私に追いつけない方が悪いんだからっ」

 目を△にしてぎゃんぎゃん噛みつく霞と、頬を膨らませぷいっと横を向いて聞く耳持たない島風。矢矧は苦虫を噛み潰したよう表情で二人を仲裁しつつ、島風を諭し始める。もう何度目だろうか。

 

 「島風、いつも言ってるでしょう? あなた一人で戦闘している訳じゃないのよ。速ければいいってものじゃないわ、そんなんだと―――」

 「『孤立する』って言うんでしょっ! もういいもんっ、放っておいてっ!!」

 

 命令を待つより体が勝手に動いた。高速を活かして自分が囮になりつつ先陣を切る戦法。だが敵は飛び出した自分を無視して僚艦を狙ってきた。慌てて斉射した酸素魚雷は幸い敵を痛撃したけど、演習や訓練と違い、潮も霞も怪我をしている。こんなはずじゃなかった…自分の思い通りにならない目の前の現実に直面する遣る瀬無さ。

 

 -どうやって周りに合わせればいいのか分かんないもん。

 

 あっという間、それ以上の表現ができない加速で島風の姿は小さくなり、宿毛湾泊地の港湾管理区域線を超えて出て行ってしまった。

 

 

 

 「敵襲―――っ!! 南方より深海棲艦三が接近中っ!! 近隣拠点の救援を大至急乞う!!」

 

 四国沖合を進む輸送艦の艦内に鳴り響くサイレンが危機を知らせるが、現実は非情なものだ。申し訳程度の自衛用火器しか持たない、どこにでもある普通の輸送艦。船足も決して速い訳ではない。それでも必死に艦体を揺らし速度を上げ逃げようとする。目的地の宿毛湾泊地までもう少し、それでこの航海は終わるはずだった。だがその終盤で敵の襲撃を受けるとは。

 「キミもついてないな、艦隊本部の手違いで高知ではなく大阪に降ろされて船便になった挙句、深海棲艦の襲撃を受けるとはね。あとはもう祈るくらいしかできないか」

 

 「そんな事を言ってる暇があるなら、回避運動に集中してくださいっ!」

 

 騒然とする艦橋、一段高い位置にある艦長席に座り、半ばあきらめ顔で言葉を零す中年の艦長に対し、オペレータ席から叱咤するように言い返す若い男性。

 

 日南 要(ひなみ かなめ)少尉。海軍兵学校を卒業席次(ハンモックナンバー)第三位で卒業した将来を期待される若手士官の一人であり、宿毛湾泊地に一昨日着任する筈だった。だが、輸送艦の艦長の言う通り、珍しい事だが、艦隊本部の事務方の手違いで、空路で高知まで行くはずが用意されていたのは大阪行きの便。伊丹空港で訳も分からず降ろされた日南少尉は、艦隊本部と不毛なやりとりを経た結果、大阪港まで向かい、そこから宿毛湾行きの輸送艦に同乗することになった。そして今、深海棲艦の襲撃を受け、いきなりの窮地を迎えている。

 

 「宿毛湾泊地から入電っ。急遽救援に向かうとのことっ!」

 

 日南少尉はオペレータ席から振り返り乗組員に大声で告げる。艦橋内は歓声と安堵のため息に包まれるが、事態はそれほど容易ではない。自艦に迫ってくる駆逐イ級三体、ほぼ丸腰の輸送艦一隻を沈めるには十分すぎる。宿毛湾の部隊が到着するまで、果たして逃げ切れるかどうか―――?

 

 

 「あの…わたし、すぐそばにいるけど…」

 

 

 スピーカーから飛び込んできた、何となく気まずそうな少女の声。場違いなその声に日南少尉は怪訝な表情になる。

 

 「君は誰だ!? 近くを航行中の民間船か? 緊急退避を!」

 「あの…私、宿毛湾泊地所属の駆逐艦、島風なんだけど…」

 「自分は一昨日付でそちらの泊地に着任予定だった、司令部候補生の日南少尉だ」

 「お゛うっ!? 」

 

 泊地を飛び出した島風だが、無論行く当てなどなく、泊地の沖合に位置する沖の島沖でぼんやりとしていた。そこに飛び込んできた緊急救援要請。矢継ぎ早に切口上で問い返す日南少尉の声に、少し怯えたような声で島風が答える。島風がいる位置から輸送艦までは約五〇㌔、全速なら四〇分もかからずに到達する。航行中の輸送艦との相対速度を考えれば三〇分以内に合流可能だ。

 

 「『速きこと、島風の如し』、全速でやっちゃってくれるかな」

 「え………もっともっと速くなってもいいの?」

 

 

 

 『速きこと、島風の如し』-その名に恥じない高速性能を如何なく発揮する島風は、あっという間に日南少尉の乗る輸送艦を視認できる位置まで進出した。敵もこちらの存在に気が付いているのは明らかで、それまでの一直線に輸送艦に向かう動きを止め、進路を変え始め戦闘態勢に入り始めた。

 

 「あんまりあれだと過熱しちゃう? …でも、私の全速を見たいんだよねっ」

 

 日南少尉の声を聞いてから、島風は主機を全開にして走り続けている。卓越した速度性能も、速度差の大きい他の艦娘に合わせる艦隊行動では真価を発揮できずにいた。速度差だけではなく、意外と引っ込み思案で人見知りな島風の性格も大きく影響し、姉妹艦四人一組で運用される事の多い駆逐隊、指揮を執る旗艦、そこに自分が加わるとどうしても浮いた感じがする。作戦や演習の目的によっては四人組から一人が外れて自分が入ることもあり、そうなるとますますココジャナイ感が強くなる。だけど今は違う、自分の性能を必要としてくれる人がいる。だから、全速全開なんだもんっ―――島風はまだ散開を済ませきってない敵部隊に、長い金髪を大きく風になびかせながら突入する。

 

 「連装砲ちゃん、いっけぇーーーっ」

 右手を大きく前に振り出した島風の声に合わせるように、三体の自律砲塔が移動しながら射撃を始める。とにかく相手を散開させない、味方の航空隊が来るまで輸送艦を守りきる、敵三体をできれば撃沈する、弾薬魚雷の残弾は多くないから、相手を散布界に入れて開進射法で…と島風が相手の動きに目を配りながら頭の中をフル回転させている間に、連装砲ちゃんの砲撃をかいくぐり、敵三体のうち二体が砲撃を加えながら自分に向かって来た。残り一体の向かう先は、無論輸送艦。

 

 -えっとえっと…えっと…。

 

 「島風、落ち着いて自分の言う通りにしてほしいんだ」

 

 輸送艦から唐突に飛び込んできた通信。相手は言うまでもなく日南少尉。勇んで駆けつけたがどうすればいいか分からずパニくりかけていた島風を落ち着かせるタイミングで、日南少尉は指示を出す。

 「君は全速でこの艦とこっちに向かうイ級の間に割り込んでくれ。その間に自律砲塔たちに牽制射撃を加えさせ、残り二体をこっちの方へ追い込んでほしいんだ」

 

 とにかく、自分の煮詰まった頭ではいいアイデアが浮かばない。日南少尉の言う通り主機を全開にして一気に加速すると、すぐに距離が縮まる。輸送艦の左舷をかすめるように走り抜け、追いすがろうとする一体の駆逐イ級との間に割って入る。

 

 「敵の砲撃に注意しつつそのまま駆け抜けろっ!! 三〇秒後に雷撃開始っ! 方位西南西で開進射法、開度五!」

 

 輸送艦もイ級も後方に置き去りにし、島風は先を行く。日南少尉の指示は、輸送艦とイ級の間を遮る様にごく狭い散布界で雷撃すること。だがそれでは敵を撃沈する事はできない。ちらっと艦橋上の日南少尉に視線を送ると、大きく頷いている。迷ってる暇はない。

 

 「もー、ほんとに大丈夫なのっ!? 五連装酸素魚雷、いっちゃってぇー!」

 島風はお尻を突き出すようにして上体を倒し背中を少し反らす。スレンダーな島風の体が滑らかに動き、背負式の五連装酸素魚雷の魚雷格納筐が回転する。島風が肩越しに目標を視認すると、次々と魚雷が横撃ちで放たれる。いったん海中に沈み込み、ほとんど航跡を残さず疾走する五本の酸素魚雷。島風の動きから魚雷が斉射されたのを察知したイ級は、金属を擦り合わせるような不快な叫び声を上げると、左に大きく舵を切り大回頭で躱そうとする。

 

 ほとんどUターンを余儀なくされたイ級だが、それで終わらない。Uターンしたイ級と、連装砲ちゃん達に追い込まれ接近してきた二体のイ級が多重衝突を起こす。叫び声と衝撃音が海上に響き、敵艦隊が密集して動きを止める。それを待っていたように、空にはぽつぽつと黒点が増え、阿賀野率いる救援部隊の飛鷹と隼鷹を発艦した紫電改と流星の部隊が空を圧して進行してくる。勝敗は語るまでもなく、あっという間に三体のイ級は海の藻屑と消えた。

 

 

 

 ほどなく姿を現した救援部隊は宿毛湾泊地の第三艦隊を中核とする部隊で、そのまま輸送艦の護衛に回り、静かな航海が続く。一足先に輸送艦に合流した島風は、日南少尉から乗船するように言われ、そのままその言葉に従った。そして今、日南少尉と一緒に前部甲板から海を眺めている。

 

 -遅すぎるよこのフネ…。

 

 連装砲ちゃん(小)を胸にぎゅっと抱きながら、気付かれないようにそっと横に立つ日南少尉を盗み見る。白い第二種軍装を纏う長身の男の人。思ったより若い、のかな…軍人にありがちないかにもな厳つい顔貌ではなく、むしろ優しそうな表情をした、まだ子供っぽさを残す青年。島風は輸送艦の遅さに内心不満たらたらだが、それよりも何よりも聞きたい事があった。

 

 「ね、ねえ…。あの時、どうしてイ級が取舵するって分かったの?」

 結局島風は魚雷の一斉射と連装砲ちゃんの牽制射撃だけで、敵部隊を多重衝突に追い込んだことになる。その問いに、軽く微笑む日南少尉は軍帽を軽く直しながら、潮風に負けない程度に声を少しだけ大きくし答え始める。

 「分かったっていうか…面舵を切れない位置取りにするために君に割り込んでもらい、取舵の大回頭じゃないと躱せない射角と散布界での雷撃。D型自律砲塔に追い立てられた残りの二体も、先行したもう一体が射線に入るから撃てないだろうって。まあ、三体全部が衝突したのは出来過ぎだけどね」

 

 島風はただただ驚き、まじまじと日南少尉の顔を見つめるしかできなかった。ただ一つだけひっかかる。

 

 「………連装砲ちゃん」

 「ん?」

 「この子達、連装砲ちゃんって言うの。自律砲塔とか、言わないで…」

 

 両手でずいっと連装砲ちゃん(小)を、日南少尉の眼前に差し出す島風。一瞬虚を突かれた様な表情になった日南少尉だが、少し腰をかがめ連装砲ちゃんの頭? を撫でて微笑みかける。

 

 「そっか、失礼な呼び方をしてしまったね。君達と島風の活躍で自分とこのフネは救われた。心から感謝するよ」

 

 今度は島風がきょとんとする番だった。初めて会った目の前の少尉は、何の疑問も挟まずに自分の言った事を受け入れてくれた。島風は何だか嬉しくなり、よかったねー連装砲ちゃん、などと言いながらその手を取り、甲板の上でぴょんぴょんと跳ねている。

 

 

 

 朝から始まったこの戦いを経て、日南少尉を乗せた輸送艦は目的地の宿毛湾泊地へと急ぐ。豊後水道の南端に位置するこの泊地は、太平洋で作戦や演習を終えた艦隊の整備休息に利用される後方拠点であると同時に、艦娘運用基地の総責任者たる司令官を育成する教導機関の役割も担い、ある条件を満たし、特に将来を嘱望される若手士官が配属され、彼らは司令部候補生と呼ばれる。

 

 

 そして日南少尉の着任から、物語が動き出す―――。

 




 そんな訳で始まった新作ですが、以前ほどの投稿ペースにはならないと思います。ゆっくりお付き合いいただけますと嬉しいです。


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提督の卵が着任しました
002. 待つのも案外楽しいね


 前回のあらすじ。
 気が付いたら勝っていた。


 「流石海軍兵学校卒…ううん、日南少尉の実力って言うべきかな」

 

 室戸岬沖の戦で島風を指揮し敵部隊を撃退した日南少尉の話で泊地は持ちきりだ。敵部隊に止めを刺した、救援部隊の旗艦阿賀野は『よく分かんないけどスゴいっ!』と、興奮のあまり報告というより感想をそのまま作戦司令室に打電、さらに島風からの情報も加わり、戦いの全容が判明した。艦娘たちは、しばらくぶりに着任する司令部候補生に、その才能の片鱗をこれ以上ない分かりやすさで示され、一気にハイテンションになった。正門の前で日南少尉を待ち続ける駆逐艦二番艦の時雨も、自分の事のように誇らしく感じていた。

 

 海軍兵学校は日本全体を見渡しても難関校の一つで、海軍の人事政策としても、卒業者は何事もなければ最低でも大佐までは昇進するようになっている。留年が認められない兵学校を四年間で卒業するには、概要だけを記しても、兵学:運用術、航海術、砲術、水雷術、通信術、航空術、機関術、兵術、軍政、統率学、軍隊教育学、精神科学、兵学実習、普通学:数学、理化学、生体工学、霊子工学、機械工学、歴史、地理、国語、IT、外国語、武道と実に多種多様な分野を学び、その全てに合格しなければならない。日南少尉は、在学中に二ヵ月間の国内災害復旧支援派遣への参加、さらに一年間の海外留学を加え、最終的に一五〇名中第三位という成績で兵学校を卒業した。

 

 当然その情報は、司令部候補生の秘書艦役を任された時雨にも伝えられ、さらに室戸岬沖の戦での指揮ぶりを聞くだけで、期待がますます大きくなる。ところが、その日南少尉がなかなか姿を見せない。首を傾げつつ、時雨は待ち続ける。

 

 

 

 -あの時のキミの事は、今でも覚えているんだ。でも、きっと君は僕だと気づいていないよね…。

 

 それは時雨にしか分からない思いであり、自分だと気付いて欲しいという裏返し。数年前のとある出来事で、実は時雨と日南少尉は邂逅している。ただ当時の状況を考えると、時雨は日南少尉が自分に気付かなくても仕方ないかな、そう思っている。

 

 それでも着任する候補生が日南少尉と分かった時には、時雨は自分が絶対秘書艦になる、そう固く心に決めた。見事にその役目を射止めこうして待っているのだが、待ち人がなかなか姿を見せない。期待している分、心が逸る。時雨の姿勢は仁王立ちに変わり、引き続き待つ。

 「いったい何をしてるんだい、ほんとにもう」

 正門の前でぷんすかと頬を膨らませ腕組みする。ぷんすかついでに思わず艤装まで展開してしまった。そうこうしているうちに、誰かを背負う男性が近づいてくるのが時雨の目に映った。

 

 「やれやれ、やっと現れたと思ったら…あれは…?」

 

 時雨の表情が怪訝なものに変わり始める。時雨の記憶にある顔立ちより幾分精悍で、少し大人びた印象。近づいてきた白い第二種軍装を着たその姿、白い軍帽を被った頭と黒いウサミミリボンのついた金髪のロングヘアー。ほどなく現れた男性が口を開く。

 

 「自分は司令部候補生として着任した、日南 要少尉です。恐れ入りますが、時雨秘書艦でいらっしゃいますか?」

 

 その言動を見る限り、日南少尉が自分の事を覚えていなさそうなのがはっきりした。無意識に不機嫌そうな表情で、時雨は日南少尉の問いに答えないままじっと見る。

 

 -上背は一八〇cm弱って所かな、細身だけどひょろ助って感じはしないあたり…ちゃんと兵学校で鍛えていたようだね。でも、それはちょっとどうかと思うんだ…。

 時雨は自分でも表情が険しくなるのが分かったが、どうしても顔に出てしまう。

 

 「ところで、背中にいるのは島風、だよね? どうしてキミが彼女をおんぶしているのか、知りたい所だけど、キミの手は…その…島風を支えるのにちょっと上過ぎないかな? 」

 

 時雨の言葉に何事かを考えていた日南少尉は、さっと顔を赤くし始める。ぐっすりと眠っている島風を少し前かがみになり背中で支え、両手は太ももの中程を持ち安定させ、港からここまでやってきた。時折位置を直したりして、ちょっと上の方まで手が触れたりもしたが、不可抗力でやましい気持ちは全くない。だが、いざ時雨に指摘されると、どうしても意識してしまうー極度に露出の高い、装甲効果が本当にあるのか疑わしい島風の制服では、素肌に直に触っている事を。

 

 真っ赤になりながら、それでも真面目な表情を崩さない日南少尉を見ていると、余計な事を言っちゃったかな、と内心後悔した時雨に、意外な反応が返ってきた。

 

 「室戸岬沖の戦いで、自分は島風に過負荷での全速機動を強いてしまい、輸送艦が泊地に着いた時には、彼女は疲れ果てて眠り込んでしまいました。いくら彼女の速度性能が勝敗を分ける要因だったとはいえ、自分にもっと巧みな指揮ができていれば、ここまでの無理をさせずに済んだと思います。いえ、だからと言って、その…艦娘の太も…大腿部を触ってしまった事は何を言っても言い訳になります。罰走でもケツバットでも何でも覚悟しております」

 その視線が、背中から覗く自分の主砲の砲身にちらりと向けられたのに時雨は気づいた。ああ、確かにこれフルスイングしたら場外ホームラン級のケツバットにできるかな、と一瞬だけ考え、ふるふると頭を振る。

 

 「いや、でも…事情によっては、その…」

 むしろ時雨の方があたふたしてしまう。というより、自分にそんなことをするつもりなどないし、島風のあの格好でおんぶしたら、どうやってもそこに触れないで支える事は難しい。何とか話題を変えられないか考えていた時雨は、ある事に気付いた。

 

 「…島風、起きているんだよね?」

 

 日南少尉の肩越しに見える金髪がぴくり、と動き、黒いウサミミが揺れる。ゆっくりと顔を上げた島風も、真っ赤な照れた顔をしている。そして時雨に抗議する。

 

 「信じらんなーいっ! 島風だって恥ずかしいの我慢してたのにっ! そうやって時雨に言われると、私だって意識しちゃうから…」

 「じゃあ降りればいいと思うよ、うん、それがいいよ」

 間髪入れずに時雨がうんうんと頷きながら即答するが、島風は頬を膨らませぷいっと横を向く。

 「嫌っ! だって…そ、そう、足が痛いんだもーん」

 

 困ったような、それでいて年の離れた妹の我儘を受け入れるような、そんな表情を浮かべる日南少尉の表情を見ていると、時雨は自分だけいらいらしているのが馬鹿らしくなってきた。だいたい何で僕はこんなにもにょっとした気持ちになっているんだろう?

 

 気持ちを切り替えるように、時雨は艤装を格納して自分の頬をぺしぺしすると、正門の門扉を開ける。そしてぱあっと笑顔で振り返り、明るい声で改めて迎え入れる。

 

 「僕が司令部候補生付秘書艦の時雨だよ、要するにつまりキミの専属秘書艦、だね。宿毛湾泊地へようこそっ!」

 

 

 

 とにかく着任の報告を提督にしなければ話が始まらない。時雨はポケットからスマホを取り出しどこかと連絡を取っている。

 

 「さあ、行こうか日南少尉。道すがら簡単にいろいろ説明しておくよ」

 「はーい、はいはいーっ!! 島風も行くっ! わたしも色々お話したーいっ!」

 島風は付いてくると言って聞かず、時雨が何を言っても引き下がろうとしなかったが、日南少尉の一言でぴたりと動きを止めた。

 「足、痛いんだろう? あんなに頑張ってくれたんだ、入渠しなくてもいいのかい?」

 

 島風はぷうっと頬を膨らませながら、全然へーき、と日南少尉の背中から降りると、足が痛くない事を証明しようと走り出す。

 

 「ほらっ、島風には誰も追いつけないん…お゛うっ!?」

 ぴゅーっと風を巻くような速さで走る背中が急に見えなくなる。べたん、と音を立て派手に島風が転び、ただでさえ短いスカートが捲れあがり、ほとんどお尻が丸見えになっている。

 

 「島風っ、大丈夫か!?」

 「み、みたっ!?」

 

 慌てて駆け寄る日南少尉と、慌てて起き上がりスカートを直す島風。元々見せてるようなもんじゃないか…とツッコミたかった時雨だが、見せるのと見られるのは案外違うのかも知れないね、と一人納得していた。だが日南少尉が島風の足を念入りに確認しているのを見て小首をかしげる。

 

 ー足が痛いって、本当だったのかい?

 

 「ひゃあああっ」

 「時雨秘書艦、入渠施設はどちらですか?」

 躊躇わず島風をお姫様抱っこで抱きかかえた日南少尉は時雨に問いかける。こっちだよ、と言うより先に港の方へと走り出した時雨の後を追い、日南少尉も駆け出す。

 

 「おっそーいっ…けど、いいよ、別に…」

 それは島風の小さなつぶやき。何か言ったかい、と目線で問う日南少尉に、頬を赤らめながら島風も首を横に振るだけの仕草で応える。

 

 

 

 「損傷の程度はごく僅かですけど、タービン周りに負担を掛けたみたいですねー。強引に急加速と急停止を繰り返したんでしょう? 島風ちゃん、よくやるんですよ、これ。あっ、大丈夫です、すぐ治りますからご心配なく」

 

 駆け付けた工廠で、島風はただちに入渠という事になった。緊張した表情の日南少尉に対し、いつものことだという態で工廠を預かる工作艦の明石が言う。その言葉を聞き、日南少尉は安堵とも後悔とも取れる深いため息を吐いた。それよりも、と興味津々といった表情で、明石は日南少尉に寄り添うように立つ時雨に声を掛ける。

 

 「それよりも時雨ちゃん、この人が例の?」

 時雨がこくりと頷くと、明石はキラキラが三重くらいついた表情で矢継ぎ早に質問を始めようとしたのを、時雨が慌てて食い止める。

 「あ、明石さん、僕たちは提督に着任報告をしに行かなきゃ。また後でね。島風の事、頼むね」

 

 日南少尉の背中をぐいぐいと押しながら明石にぺこりと頭を下げ、時雨は足早に工廠を後にする。目的の本部棟まではごく緩やかな登り坂、時雨はちらりと斜め後ろを自分についてくる日南少尉に視線を送り、気付かれないうちにまた前を向く。

 

 

 

 宿毛湾泊地にも、もちろんこの地を管轄する提督がいて、その人物が日南少尉の教導責任者となる。執務室で日南少尉を待つ提督は、重厚な作りの執務机の引き出しから日南少尉に関するファイルを取り出し、ぱらぱらと繰り始める。だが何度読み返しても備考欄の言葉が腹落ちしない。

 

 

 『極めて優秀なれど非戦主義者の疑いあり、指揮官としての資質を慎重に見極められたし』

 

 

 日南少尉の成績は、兵学校で履修する全二四課目中一七課目で首席、残り七課目中六課目も五位以内。だが、最も重要な兵学実習-最終年次にそれまで学んだ内容の実践として、艦娘を実際に指揮して行う学内演習-は、落第すれすれの成績という歪さ。この結果が響き総合評価で卒業席次(ハンモックナンバー)第三位に留まってしまった。

 

 席を立った提督は窓際に進み外を眺めると、深く静かに考え込む。

 

 -報告によれば三体から成る敵部隊を、直接攻撃せず砲雷撃で牽制し進路を誘導し衝突させたという。落第すれすれどころか、むしろ非凡な指揮センスだが…。島風の弾薬魚雷の残量不足からなのか、ファイルにある通り、()()()()()()()()()のか…。

 

 

 こんこん。

 

 

 ドアがノックされ、返事より前にドアノブが動く。提督も特に咎めはしない。ノックの仕方で訪問者が誰か分かる。

 

 「ただ今戻りました。あら、そんな所に…景色でも眺めてるのですか?」

 

 長い銀髪を揺らしながら執務室を進み、白い弓道着にミニの朱袴を履いた艦娘-秘書艦にして歴戦の正規空母、そして提督のただ一人の伴侶-の翔鶴が隣り合って立つ。白の第二種軍装を纏う中将も老境に差し掛かり、軍人にしては長めのその髪は遠くから見ると銀髪に見えるほどに白くなっていた。翔鶴と並ぶと、二羽の鶴が寄り添うようにも見える二人は、艦娘達から憧れを込めて『鶴の夫婦』とも呼ばれている。

 

 「候補生の方が着任しましたね。かなり優秀な方のようで、みんな盛り上がっちゃって、食堂は大騒ぎでした」

 その騒ぎを思い出すように、小さく肩をすくめ笑顔になる翔鶴。

 「着任当初のあなたも、私達艦娘への接し方に戸惑い、けっこう長い間距離を置いてましたね。日南少尉はどうなのかしら」

 「長年蓄積された君たち艦娘の情報、それに基づく教育や拠点運営…今は全てがシステマティックになったからな。学生の気質も年々変わってるし、俺が着任した当時とは比較できないよ」

 「あなたがご自身の考えを口にせずに、要素を並べる時は迷いがある時ですから。…そうですね、いろいろ仕組みは洗練されましたけど、それだけでは私達艦娘の心は動きません。それはあなたが一番よくご存知ですよね」

 「日南少尉はまだ若い、これからの経験で彼は成長するはずだよ………」

 

 深く考え込む様な表情のまま、提督は窓の外を眺め続けていた。

 



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003. 気合入り過ぎの職人たち

 前回のあらすじ。
 設定紹介、今と思い出の間を揺れる時雨。


 提督執務室と廊下を隔てるドアの前、日南少尉と時雨は緊張した面持ちで立っている。軽く息を吸い込み、ふっと吐く。気持ちを落ち着けるようにして、日南少尉はドアをノックする。室内から翔鶴の綺麗な声が入室を促す。

 

 

 日南少尉の目に映ったのは、大きな窓を背に机に就いている男性、この泊地を治める提督の桜井 敬人(さくらい たかと)中将。その横には、弓道を修めた者特有の綺麗な姿勢で秘書艦にして宿毛湾泊地総旗艦の翔鶴が立つ。

 

 かつて荒廃していた那覇泊地を立て直し、その後に起きた那覇防衛戦で重傷を負った中将は一線を退き、その後は海軍兵学校の教官を長く務め、最終的に兵学校の校長として多くの学生を育ててきた。だが、大本営のたっての要請で、桜井中将は宿毛湾泊地の提督として現場復帰を果たし、以来一五年以上が経つ。日南少尉は中将が兵学校を退任した後の学生であり、二人の間に直接の面識はないが、兵学校で学んだ者にとって、その存在は絶大なものである。

 

 

 「日南少尉、遠路ご苦労さまでした。艦隊本部の手違いから始まり、深海棲艦との遭遇戦、大変でしたね」

 

 美しい笑顔で翔鶴がねぎらい、一瞬の間が空く。日南少尉は、絶やす事なく浮かべられる翔鶴の笑顔に思わず見とれていた自分に気が付いた。間髪入れずに脇腹を突かれる。横を見ればぷうっと頬を膨らませながら、時雨が自分の脇腹を肘で突いていた。

 

 「ご、ご配慮ありがとうございますっ! 改めて報告致します、司令部候補生、日南要少尉、ただ今着任いたしました。着任をお認め頂きますよう、よろしくお願い申し上げますっ!!」

 ほとんど直角に上体を倒してお辞儀をし、そのままの姿勢でいる日南と、その彼と同じ姿勢を取る時雨。

 

 その挨拶に直接答えずに、桜井中将は静かな声で話し始める。

 「二人とも、顔を上げなさい。…もう一五年以上前になるか、私は海軍兵学校の校長を務めていた。日南君、君が入学する随分前の話だけれどね」

 

 その声に導かれ、日南少尉と時雨は直立不動の姿勢になおる。軍人にしては細身で長髪、穏やかな笑みを浮かべる桜井提督の姿。その髪はほぼ銀髪と言え、隣に立つ翔鶴とお揃いのようである。同じ軍務でも、結果的に教育に携わった期間の方が長い桜井提督は、無意識に相手の事を階級ではなく君付けで呼ぶ時があり、その癖は今も出ている。

 

 「さて日南君、君は海軍兵学校を優秀な成績で卒業し、ここ宿毛湾泊地に司令部候補生として配属を命じられた。君が艦娘を率い、提督を目指し戦いの海に臨む理由を聞かせてもらえるかな?」

 

 国の命運を背負い国民の負託に応え、艦娘の命を預かり深海棲艦と戦う。それ以外に心に秘めた理由があるのか―――? そう問われているように日南少尉は感じ、自分の心の奥底を見透かされた様な気持ちになったが、桜井提督から目を逸らさずにいた。目を逸らしてはいけない、その気持ちだけで、訥々と言葉を返す。

 

 「じ、自分は、この教導を修了し司令官として認められること、全てはその先にしかないと思っています。それは自分自身に「提督、もし僕たちがここに来るのが遅れたことを遠まわしに咎めているなら、違うんだ。日南少尉は島風を工廠まで送り届けた「時雨秘書艦、それは関係ありま「関係あるよ、言うべきことは言わ―――」

 

 二人がほぼ同時に喋り出し、収拾がつかなくなりかけた。

 

 「二人とも、ここをどこだと思っているのですか? 提督の前ですよ」

 その空気を一発で翔鶴が引き締める。凛とした声が、二人を直立不動の姿勢に戻す。

 

 「翔鶴、それで十分だよ。概ねの事は報告を受けているんだ。明石からも連絡があったし、何より入渠明けの島風が文字通り駆け込んできたしね。日南少尉は艦娘を第一に思い行動する、そういう人物であると分かった、今はそれでよいだろう」

 

 そこまで言うと桜井提督は立ち上がろうとして杖を掴み、翔鶴がさりげなくその動きをサポートする。提督はかつての那覇防衛戦で、半年もの入院を余儀なくされるほどの重傷を負い、その傷は提督の体に今も後遺症として残っている。そして眩しそうに目を細めながら微笑み、告げる。

 

 「日南要少尉、本日付で司令部候補生として宿毛湾泊地への着任を認めるものとする。将来の提督候補として歓迎するよ。夜は君の歓迎会だ、明日から早速教導課程に入る分、今日は存分に楽しんでくれるかな」

 

 

 

 元々宿毛湾泊地は、太平洋方面から帰投した艦隊や海上公試等各種試験に参加した部隊の整備休息拠点である。そういった特性上外来者が多く、規模に比べ充実した福利厚生と工廠施設が整えられている。飲食関係の充実ぶりは有名で、羊羹やあんみつ、季節の各種和洋菓子が評判の甘味処の間宮、全海軍でも指折りと名高い和洋折衷の料理が饗される『居酒屋 鳳翔』を備える。

 

 泊地の食堂も兼ねるこの店は、二〇〇名規模の大宴会まで対応可能な広さで、大きな料亭と言う方が正解だろう。〇六〇〇(マルロクマルマル)から〇〇〇〇(マルマルマルマル)までの営業時間で、緊急時を除き軽空母の鳳翔が女将として店を切り盛りする。専任の鳳翔に加え、大鯨、秋津洲、速吸の三名のうち常時二名が交替で補佐として店に詰め、さらに本人の気分次第だが、ごく稀に大和も居酒屋鳳翔を手伝う時があるらしい。

 

 和洋に甘味と隙の無い食の布陣が宿毛湾泊地の自慢の一つでもあるが、その噂に名高い厨房組が全員揃う事はほぼ無い。だが今日の居酒屋鳳翔には、気まぐれシェフの大和を含め全員が集結しているという、かつてない状況となった。日南少尉が工廠を後にして中将の元に向かった頃、磨き上げられた白木のカウンターを挟み鳳翔と大和の間の空気は張りつめていた―――。

 

 

 胸部装甲を強調するように胸の下で腕組みをし、キッとした表情を崩さない大和。

 

 身長差を感じさせない、凛とした佇まいで一歩も引かない鳳翔。

 

 その二人の間には、今朝獲れたばかりの七〇cm級の(すずき)と特上中の特上のA5ランクの土佐褐毛牛。

 

 どちらも南国土佐を代表する食材で、魚と肉、誰がどちらを仕上げるかで大和と鳳翔が対立している。遠巻きに身を寄せ合いながら、大鯨秋津洲の二人はその光景をこわごわ見守っている。

 

 

 厨房組が全員集結した理由、それは今晩に控えた日南少尉の歓迎会のために他ならない。だがせっかく揃ったものの、この有様では用意するメニューの方向性が定まらない。司令部候補生を心から迎えたい、その一心ゆえにお互い引きさがろうとせず、その間にも和気あいあいと間宮と伊良湖は和洋のデザートづくりを着々と進めている。

 

 カウンターを挟み不可視の火花を散らし合う鳳翔と大和の勢いに、他の三人は口を挟めずにプルプル震えるしかなかった。その空気を破るように外出していた速吸が戻ってきた。事情を聞きふんふんと頷いていた速吸が、一つの提案を行う。

 

 「鳳翔さんはお魚が、大和さんはお肉が、それぞれ得意ですよね。ならそれを交換してチャレンジしてみては? 腕に覚えのあるお二人ですから、新しい味の世界が広がりますよ。きっと候補生の人も大喜びだろうなあ〜」

 

 チラチラと大和と鳳翔に視線を送る速吸。仲裁とも挑発とも受け取れる言葉だが、鳳翔と大和はその意図を素早く理解し、双方自信に満ちた表情でグータッチを交わす。どうやら速吸の提案は受け入れられたようだ。土佐褐毛牛は鳳翔が、鱸は大和が、それぞれメインディッシュとして仕上げることになった。メインからの逆算で和洋両方のメニューがあっという間に決まり、一気に厨房は戦場へと様変わりし、夜の歓迎会に向けた準備が始まる。

 

 

 

 「本日付で宿毛湾泊地教導課程に司令部候補生として着任した日南要少尉であります。自分はこれから一年間の間で、自分の艦隊を育成し沖ノ鳥海域の攻略を目指し拠点運営に取り組みます。その間、みなさんのご指導を仰ぎながら確実に事を成し遂げてゆきたいと思います。改めましてよろしくお願い致します」

 

 一八〇〇(ヒトハチマルマル)、居酒屋鳳翔の大広間には遠征で不在の艦娘を除き全員が集合している。司会を務める総旗艦翔鶴に促され着任の挨拶に臨んだ日南少尉は、深々と目の前に居並ぶ艦娘達に礼をすると、司会者台を後にする。温かな拍手が送られつつ、様々な囁きと視線が会場内を忙しなく行き交う。

 

 ざわめきの中を入れ替わる様に桜井中将が壇上にゆっくり上がると、自然と会場が静かになる。

 「皆には既知の事だが、日南少尉への説明も兼ね、この泊地の二つの性格を改めて振り返ろう。一つは太平洋で作戦や演習を終えた艦隊や各種公試を終えた艦娘の整備休息に利用される後方拠点。もう一つは、艦娘運用基地の総責任者たる司令官の教導拠点であり、司令部候補生と呼ばれる、特に将来を嘱望される若手士官を育成する。つまり君の事だ」

そこまで言い言葉を切ると、桜井中将は日南少尉に視線を送る。

 

 「二年ぶりとなる司令部候補生、ぜひ教導を修了し無事旅立ってほしいと思っている。そのためには、君達艦娘の諸君の協力が必要不可欠だ。今日のこの機会を、お互いを理解するきっかけとしてほしい。それと、今日の料理だが、珍しく厨房組が全員揃い、腕によりをかけたそうだ、期待してほしい。みなグラスは持ったかな…日南少尉の着任を祝し、今後の活躍を祈念して、乾杯っ!」

 提督の音頭に続き、大広間に乾杯の声が響くと、一気に雰囲気は砕けたものへと変わる。

 

 和洋両用に使えるよう設計された大広間は、今日は立食形式となる。部屋の中央に、間を広く開けて置かれた二列のフードテーブルとドリンクステーションには、あっという間に艦娘が集まり、思い思いにオードブルや飲み物を手にしている。

 

 「料理には相当自信があるような話だったし、まずは…」

 やや出遅れた感のある日南少尉が、白い取り皿を手に列に並ぼうとした所で呼び止められる。見れば二人の艦娘が立っている。阿賀野型軽巡洋艦である事を示す、肩出しのセーラーに紅色のスカート、白い長手袋の出で立ち、一人は黒髪のロング、もう一人は長い黒髪をポニーテールにまとめた赤い瞳。

 

 「こんにちはーっ! 矢矧がどうしても少尉とお話ししたいっていうからぁ~」

 「なっ!? 阿賀野姉が一人じゃ恥ずかしいからってっ!」

 

 口を尖らせ抗議する矢矧を気にせずに、阿賀野はオードブルが綺麗に盛られた取り皿を手に近づいてくる。

 「少尉とはぜーったいお話したかったんですよね~、ふふっ。よかったら一緒に食べませんか? はい、あ~ん」

 一人じゃ恥ずかしいどころか、ぐいぐい来る阿賀野。右手の長手袋は既に外され、綺麗な細い指でカナッペを摘むとそのまま日南少尉の口元へと差し出す。この場で供されるのは薄くスライスしたカマンベールチーズと生ハムを載せ、大和特製のジェノベーゼソースをかけたものである。

 

 にこにこしながら有無を言わさない圧力に断りきれなくなった日南少尉は、なるべく阿賀野の指に唇が触れないように差し出されたカナッペを口にしようとする。

 

 -びゅんっ

 

 影がものすごい速さで阿賀野と日南少尉の間を通り抜け、二人ともきょとんとするしかできずにいた。

 

 「あらっ!? 変ねえ…オードブルが無いわ?」

 

 すでに遠くの方へ走り去った島風は口をもぐもぐしている。不思議そうに阿賀野の手元を見つめる日南少尉と、その視線に気付きにへらっと笑いながら視線を返す阿賀野。

 「キラリーン☆ さては阿賀野に『あ~ん』ってしてほしかったんでしょう?」

 いや、そういう訳では、と慌てて否定する日南少尉を見ていた阿賀野は、くすくすと口元を手で隠すように笑うと、矢矧と一緒に立ち去った。去り際に振り向いて軽くウインクするのも忘れずに。

 「お話はまた今度ゆっくりね。独り占めしたら怒られちゃいそうだからね~。これから阿賀野型をどうぞよろしくおねがいいたしまーすっ!」

 

 背中に気配を感じた日南少尉が振り向くと、別の艦娘のグループがにこにこしながら待っていて、さらにその奥に、仏頂面としか表現できない表情の時雨が、手に取り皿を持って立っていた。

 

 「そういえばあなたの時はなし崩し的に歓迎会になりましたね」

 昔を懐かしむように翔鶴が静かに微笑むと、中将も同じように微笑み返す。始まって間もない歓迎会、これからどうなってゆくのか、二人も興味津々で会場を見守る。

 



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004. ふたりぼっち

 前回のあらすじ。
 至高と究極。


 入れ代わり立ち代わり訪れていた人波も、ようやくひと段落した頃、日南少尉は時雨とともに休憩用にいくつか設けられたバーテーブルの一つに腰を落ち着けていた。

 「皆さん、何というか積極的ですね。…時雨秘書艦、どうかされましたか?」

 ハイチェアに座り足をぶらぶらさせる時雨は、テーブルに両肘をつき頬を押さえ、むうっとした表情で間を空けて口を開く。

 「……時雨。僕は君の秘書艦なんだよ? そういう堅い口調はどうかと思うんだ。ね、呼び捨てにしてくれない、かな」

 

 そんな事を考えていたのか…日南少尉は面食らい、頬をぽりぽり掻きながら柔らかく断ろうとする。

 「お会いしたばかりで馴れ馴れしいのはどうかと思いますので…。ご理解いただけますか、時雨秘書か「時雨」」

 

 時雨は複雑な表情を浮かべ、一層呼び捨てに拘る。日南少尉は一連の会話のどこに地雷があったのか理解できず困惑したものの、頭に浮かぶどの理由も時雨の頼みを断るには弱いな、と思い彼女の言うとおりにしてみる。

 

 「分かりまし…分かったよ、時雨。これからこう呼ばせてもらうけど、いいかな」

 「うん、嬉しいよ。でも、ね…もう一回呼んでくれるかな」

 

 練習の名の下、繰り返し名を呼ぶ事になった日南少尉に、にこにこと時雨が微笑み返していたが、やがてその背後に黒いウサミミがひょこひょこと揺れだした。

 

 -名前を呼ぶとウサミミが生える…訳ないよな。

 

 日南少尉の口から出かかった島風の名は、唐突に響いたバック◯ラフトのテーマ曲と、巻き起こったどよめきと歓声に飲み込まれた。

 

 「本日のメインディッシュの登場ですっ! 今日はですね、日南少尉の着任を祝しまして、鳳翔さんと大和さんが、それぞれ手掛けたお肉とお魚の一品、いえ、逸品です。日南少尉の実食を経て、皆さんの目の前で取り分けますっ!」

 

 テンション高めに司会を始める速吸の声に導かれる様に、大広間の入り口から現れた、白いクロスで覆われた二台のワゴン。その上にはクロッシュ(釣鐘型の蓋)で覆われた大きな銀の皿。ワゴンを押して入室してきたのは鳳翔と大和。二台のワゴンは予め間を広く取ってある二列のフードテーブルの間に横並びになる。

 

 「では、大和から。コホン…日南少尉、着任おめでとうございます。お祝いの席に相応しい料理を、と思い用意したのがこちらですっ」

 大和が静かにクロッシュを持ち上げる。姿を現したのは大皿にこんがりと焼き上がった魚の姿をした大きなパイ、その周囲をオレンジ色のソースが鮮やかに彩る。

 

 「Loup en croûte, Sause orangine(鱸のパイ包み焼き、オレンジソース添え)です」

 丁寧に下拵えをし、腹と鰓にムースを詰めた鱸をパイ生地で包み魚の形を作る。鰓や尾びれの形を残し、頭の部分にナイフで模様をつけ、鱗模様も再現する。これをオーブンで焼き完成となる。サクサクに焼き上がった魚型のパイの中には、朝獲れの七〇cm超の極上の鱸。中に詰められたムースも奢られている。貝柱、ひらめ、オマールに卵白、生クリーム、バターの濃厚な味に、粗く刻んだピスタチオとトリュフを加える。全てが大和の手による物で、気合の入り様が分かる。

 

 自信に満ちた表情で大和が切り分け(デクパージュ)を始める。上面のパイを切り取ってはずし、適度な大きさに切り分けた鱸の上身、ムース、パイを盛りつけ、ソースを添えた最初の一皿が、大和自ら日南少尉に手渡される。皆言葉を飲み、日南少尉に視線が集まる。ソースを絡めた身とパイを口に運び、じっくりと全てを確かめるように日南少尉は味わっている。

 

 「これは…なんと言うか…素晴らしい味です…」

 それ以上の言葉は不要、全ては目の前にいる日南少尉の表情が物語る。ぱあっと花が咲くような笑顔で大和が頬を上気させると、周囲から大きな歓声が沸き上がる。

 

 「日南少尉、私のお料理を食べる隙間もお腹に残しておいてくださいね。私からは、日南少尉が大輪の花を咲かせるようにとの気持ちでこのお皿をご用意致しました」

 柔らかく日南少尉にかけられた言葉が、注目を鳳翔へと集める。にっこりとほほ笑みながら、鳳翔もクロッシェを持ち上げる。その中から現れた一皿に、今度は歓声ではなく皆一様にため息を漏らす。

 

 黒織部の大皿に咲く、大きな赤い薔薇の花、そうとしか表現できない料理がそこにあった。無論薔薇ではなく、その正体は土佐褐毛牛の腿肉で作られた牛肉のたたきである。薄く切られた一枚一枚を柔らかく飾り、うっすら白く入った差しが彩る肉の赤身を花弁に見立て、全体として見れば一つの大きな花を描く盛り付けで、中央には薬味の白髪葱が添えられる。

 

 「土佐褐毛牛のたたきでございます」

 鳳翔は土佐褐毛牛の腿肉の大きな塊を、鰹のたたきを作る技法、藁焼きを応用し表面を焼き上げた。一気に高温になる藁の特性を生かし強火で表面だけを焼き旨味を閉じ込める。たたきはここの段階で中まで火が入り過ぎないよう氷水で締めるが、ここで鳳翔はひと手間加えた。肉の脂の溶ける温度は魚のそれより高く、普通のたたきではどうしても口当たりの滑らかさに欠ける、さりとてローストビーフのように中まで火を通したくない。褐毛牛の上品な甘さのうっすら入ったサシが、口にいれた瞬間に溶けるように調整するため、鳳翔は表面を焼いた肉塊を真空パックしぬるま湯でじっくり湯煎し、生でも火入れでもない状態に仕上げた。別添えのたれは、カボスと土佐醤油、刻んだ茗荷を合せた爽やかな味わいの物。

 

 「日南少尉、どうぞ召し上がれ」

 鳳翔手ずから配られた一皿。一枚のたたきを箸で取り上げた日南少尉は、たれにつけ口に運ぶ。土佐褐毛牛の甘味のある肉の味が最大限引き出され、カボスの酸味が口の中を爽やかに洗う後味。

 

 「…美味しゅうございました、その言葉しか出ません、申し訳ない」

 「はい、そのお言葉が聞けただけで甲斐がありました」

 

 

 「ではみなさん、大和さんの至高の一皿と鳳翔さんの究極の一皿、沢山ありますからぜひ味わってくださいっ!」

 

 大好評のうちに大和と鳳翔の手によるメインディッシュは皆のお腹に収まり、隼鷹と千歳、そして響を中心とするアルコール勢の勢いは止まらず、お酒の輪が徐々に、しかし確実に広がり、まったりとした空気が支配する大広間。

 

 

 再び賑やかに盛り上がる中、日南少尉はそっと抜け出す島風の後を追い、大広間を後にする。やや遅れて歓迎会を後にした桜井中将は、翔鶴を伴い私室へと戻る道すがら、恐らく同じように気にかけていた事を話題にする。

 

 「島風ちゃん、多分いつもの所だと思うんですけど…」

 抜け出した島風を追い大広間を後にした日南少尉の事に二人とも気づいていた。その上で桜井中将は、日南少尉に島風を任せてみよう、そう翔鶴に答える。そう言いながら二人は、下弦の月に照らされながら手を取り合いゆっくりと歩いてゆく。

 

 

 

 歓迎会の会場を抜け出した島風だが、行く当てがある訳ではない。落ち込んだり一人になりたい時、やって来るのは決まって港。島風は連装砲ちゃんを相手に一人二役で話をしていた。そこに少し肩で息しながら日南少尉が現れた。港に居なければ再び時雨に連絡をして協力してもらおう、そう思っていた矢先に、突堤の方から独り芝居のような声が聞こえ、その方向へと歩みを進めた。

 

 -結局、日南少尉とお話できなかったよ。

 -オウッ?

 -だってだって、阿賀野とか時雨とかがさ…。

 -あううっ。

 -だってなに話せばいいのか分かんないんだもん。

 

 「何でもいいよ。島風の話したい事を話してくれるかい?」

 「お゛お゛お゛お゛うっっっ! 」

 

 唐突に一人芝居にカットインされた島風は、文字通り飛び上るほど驚き、涙目で背後に立つ日南少尉を振り返る。

 

 

 月明かりと保安灯が照らす港、波音だけが規則正しく響く。隣り合い座る二人はどれだけの間無言でいただろうか。ぽつりぽつりと、島風が言葉を紡ぎ始める。

 

 

 「あの時『全速全開でやってくれ』って言ってくれたでしょ? 四〇ノットの風に乗って、髪がね、ぶわーって」

 

 視線は海に向けたまま、唐突に切り出された話。小首を傾げながら、日南少尉は話の続きを待つ。あの時とは、室戸岬沖の戦いのこと。一対三の戦いを制するため、日南少尉は島風の速度性能を最大限活かす戦術を選択し成功を収めた。その時の感覚を島風は忘れられない。自分の能力を活かす指揮のもと、望まれて全力を出し、しかも勝利した。全てが初めての事だった。

 

 「でも、公試の時とあの時だけ。誰もついて来れないの。姉妹艦もいないし、てーとくも矢矧も、みんなに合せろ、そればっかり」

 ふむ、と小さく頷いた日南少尉は、ゆっくりと言葉を選びながら島風に語りかける。

 

 「島風、君の最高速度は誰もが知っている。けどね、動きに幅をもたせたらどうかな。加減速にメリハリをつければ、君の動きには、敵も味方も本当に誰もついて来れなくなる」

 「ホント!? もっともっと、もっともっと速くなれるのっ!?」

 満面の笑みを浮かべて振り返った島風の表情が、日南少尉が続けた言葉で固まる。

 

 「いや。速くなるんじゃない、君は強くなるんだ」

 「え…?」

 「島風、君は室戸岬沖の戦いで、どんなことを考えていた?」

 胸に連装砲ちゃん(小)を抱きしめながら、目を伏せて島風は思い出す。とにかく一刻も早く輸送艦に合流して守る、イ級と戦って倒す、それだけだった。言われてみると速さの事なんて考えていなかった。

 

 「砲の大きさも魚雷の数も装甲の厚さも、そして速度も、全ては戦って勝ち、生き残る事、そのための武器だと思うんだ。君はすでに強力な武器を持っている。あとはそれをどうやって活かすか、そういうことじゃないかな」

 島風と視線を合わせるように横を向いた日南少尉が、柔らかく微笑みかける。頬の熱さを自覚した島風は、自分の顔を見られないように俯き、しばらく考え込む。再び顔を上げると、連装砲ちゃんで顔の下半分を隠しながら、上目使いで話し始める。

 

 「あ、あのねっ、教えてくれるかなっ。わ、私じゃないよ、連装砲ちゃんが興味あるって」

 わたわたしながら、それでも期待と不安に揺れる瞳、島風は日南少尉から視線を逸らさず言葉を重ねる。

 

 「急な加速や減速はタービンに負担がかかるって明石さんが…。私…じゃなくて連装砲ちゃんもそんな機動よく分からないし」

 「練度が上がればもっと自由に体を動かせるようになるだろうし、これから考えていけばいいんじゃないかな」

 「ほんとっ!? 一緒に考えてくれるのっ?」

 「…桜井中将と翔鶴さんに意見具申してみるよ。残念だけど、自分は君の指揮官じゃなく、司令部候補生に過ぎないから…」

 

 島風は再び目を伏せてしまった。やっと自分の事を分かってくれる人が来たと思ったのに…一人じゃなくなったと思ったのに…。知らないうちにぼろぼろと涙が零れてしまう。

 

 「し、島風?」

 「てきとーに期待させるようなこと言わないでよっ! 島風はね、ここに来る前も、ここに来てからも一人ぼっちだったんだよ。日南少尉には分かんないよっ!」

 「…分かるよ」

 流れる涙をそのままに島風が顔を上げ、少し悲しそうな表情で日南少尉が話を続ける。

 「兵学校在籍中、三年次を終了してから一年間ドイツに留学したんだ。帰国したら同期は先に卒業していて、自分は一つ下の連中と一緒に四年次だったんだけど…。兵学校の同期って連帯意識がすごく強くて、突然やってきた一つ上の先輩なんて、本当に異邦人扱いでさ、班分けやグループを作ると、自分は取り残されていた。ガラス越しに毎日を見ている、そんな感じだった」

 

 「で、でもっ! 日南少尉には、おとーさんとかおかーさんとか、家族がいるんでしょ?」

 「正確には()()よ。自分は外地で長く暮らしていてね。子供の頃自分が住んでいたマナド、昔はメナドって言ったらしいけど、とにかくその街が深海棲艦に襲われて、両親と妹とは離ればなれになったんだよ。三人が無事なのかもう死んでいるのか、それさえも分からない。辛うじて海に逃れた自分を救助してくれたのは………いや、止めよう」

 

 沈黙が二人の間に訪れる。先ほどまでと違うのは、二人の間の距離。島風は日南少尉に寄り添うように隣り合い、肩に頭を預ける。長いウサミミリボンが日南少尉の頬をくすぐる。

 

 「そっか…日南少尉は私と同じなんだね」

 



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005. 数えたら三〇〇以上あったという

 前回のあらすじ。
 お互いを少しだけ理解した島風と日南少尉。


 宿毛湾泊地 司令部棟大会議室A―――。

 

 『任務娘』の通称そのままに、黒い長髪に白のヘアバンド、手にファイルを持つ大淀は眼鏡越しに優しく日南少尉を見る。その隣、アッシュブロンドの長髪を後ろで束ねアップにした香取は、教鞭をふりふりしつつ、まとった白地に青縁の儀礼用軍服そのままに真面目な相を崩さない。ここまでは時雨も特に気にすることはなかった。だが、香取からやや離れて立つ鹿島、ゆるくウェーブのかかったツインテールの銀髪だが、なぜかこれまた眼鏡。

 

 「…どうしたの、鹿島さん? 普段眼鏡なんかかけてたかな?」

 「うふふ♪ 司令部候補生…日南少尉、可愛いですよね。眼鏡があった方がお姉さんアピールできるかな、って」

 

 ぴくり、と時雨のアホ毛(センサー)が反応し、姉の香取が頭を抱え、大淀が苦笑いする。そんな周囲を気にすることなく、目が合った日南少尉に向かい、小さく手を振る鹿島。

 

 「さて、そろそろ始めようか。本日より、司令部候補生への泊地教導を開始する。今日ここに来てもらった三名、大淀、香取、鹿島は作戦指導、訓練指導、拠点運用および日常生活に関する指導役であり査定役となる。実際の訓練はまた別な艦娘達をアサインするが、今日はまず泊地の全体像についてオリエンテーションを行う」

 

 穏やかな桜井中将の声が通ると、会議室の照明が落ち、前方に吊るされたスクリーンには、天井付設のビーマーからの映像が投影される。

 「このグラフは、過去一〇年間の年度ごとの兵学校卒業生数、司令部候補生の着任数と修了した候補生の数を示しています」

 一〇年前、九名着任した司令部候補生のうち教導を無事終了したのは三名。その年をピークに着任者数も教導修了者数も減少の一途を辿り、二年前を最後にその後は着任者さえいない。教導のレベルの高さは知っているつもりでいた。だが実際にこうやって数字で見せられると嫌でも緊張が高まり、小さく日南少尉の喉が鳴る。

 

 続いて正面のスクリーンには組織図のようなものが映され、桜井提督がレーザーポインタを使い説明を始める。

 

 「君には本部施設の東部に造られた第二司令部が与えられ、教導期間中貸与される時雨を秘書艦として、文字通りゼロから拠点運営を始めてもらう。君の艦娘の訓練には、宿毛湾の艦娘が当たるよ。その計画立案も君の役目だ。拠点運営に必要な資材や資源は毎日所定量が供給されるけど、工廠や入渠ドックの必要経費はかかるからね」

 

 真面目にメモを取る日南少尉の手元の動きを確認し、ひと段落したタイミングで、翔鶴はスライドを次のページに変え、話の続きを引き取る。

 

 「最終目標は少尉自らが育成した艦隊で沖の鳥島沖を解放してもらいます。教導期間は一年間ですが、これはその長きに渡ってこの目標を達成できないようでは、私達を率いるに能わず、そう見極める時間と思ってください。イベントと称される季節ごとの深海棲艦の大規模侵攻への対応もありますが、こちらへの対応は任意です」

 

 「基準を甘くして修了者を増やしても意味がない。もっとも、着任がなければ教導のしようもないのだが」

 自嘲するように肩をすくめる桜井中将と、少し寂しげに目を伏せる翔鶴。

 

 それは宿毛湾の教導の問題ではなく、構造的な問題を示唆する話―――。

 

 司令部候補生と認められるのは、兵学校で成績優秀な事が前提条件だが、加えて妖精さんと意志疎通ができる能力も要求される。ただこの能力は不安定で、獲得喪失、向上低下の要因がハッキリしない。この能力が完全に失われたと判断されれば、例え司令部候補生と言えども提督への道が閉ざされる。無論通常戦力を含め海軍と言う巨大組織には多種多様な軍務があり、提督としての資質を発現できない、あるいは喪失した場合でも進路は事欠かない。だが『妖精さんと意志疎通ができる』はおろか、最低限度『目にすることができる』兵学校生まで減少傾向が明らかに認められるのだから、艦娘部隊にとっては重大な問題である。

 

 ゆえに二年ぶりの着任となる司令部候補生の日南少尉には大きな期待が寄せられていた。

 

 

 

 「実務の話だが、詳細は後ほど香取から説明があるので詳しく触れないが、資材四種各三〇〇、高速修復剤(バケツ)三、開発資材五が初期資源として与えられ、日々燃料鋼材弾薬が一四四〇、ボーキサイトが四八〇の補給を受けられる」

 そこまで聞いて、日南少尉は顎に手を当てながら何事か考え込む。その様子を見ながら、桜井中将は話を続ける。

 

 「君には自分の拠点を運営する過程で、クエストとも呼ばれる総数三〇〇を超える任務群が与えられる。これに取り組むかどうかも任意だ。だが一種のチュートリアルも兼ねているから、私としては参加した方がよいと推奨する。達成報酬として資材や装備、アイテム等の追加補給や艦娘の貸与もあるからね。宿毛湾泊地から貸与された艦娘は君が指揮権を有するが、教導修了時に君と艦娘の双方が合意すれば、君に所有権が移転される。君が建造で手に入れた艦娘も同様だと思ってほしい」

 

 「提督、昨日いただいたご連絡ではすでに任務A1の達成条件をクリアしていることになりますが?」

 くいっと眼鏡を持ち上げなら、手にしたバインダーを捲り、大淀が桜井中将に確認をする。

 「ああ、その話ね。それはこれからだが、日南君がノーと言えば流れる話でもあるから」

 

 日南少尉と時雨が顔を見合わせる。一体何の話なのか―――?

 

 「日南少尉、駆逐艦島風をあなたの教導拠点に貸与できることになりました。これは本人の承諾も得ていますので、あとは日南少尉のご判断です。どうされますか?」

 島風の潜在能力は駆逐艦娘の中で最高水準だろうが、今はまだ自分の能力に振り回されている段階で、一層の練度向上が必要となる。他方、それを引き出すには信頼と時間と、現実的な問題として資源が必要となる、と香取は指摘した上で決断を求める。

 

 

 -てきとーに期待させるようなこと言わないでよっ

 

 

 下弦の月明かりに見守られながら、島風と二人で話をした港での時間を、日南少尉は思い出す。途切れ途切れの言葉でも、彼女の秘めた思いやジレンマは痛いほど伝わってきた。

 

 -彼女は…島風は自分の思いを明かしてくれたんだよな。なら、応えなきゃな。

 

 「分かりました、自分の艦隊で島風を預からせていただきます」

 

 -ばたんっ!!

 

 やや間を空けて、決然とした表情で日南少尉が答えたのと同時に、勢いよく会議室Aのドアが開き、黒いウサミミを揺らしながら島風が飛び込んできた。

 

 「おっそーいー! すぐに返事しないからどきどきしちゃったじゃないっ! …わ、私じゃなくて連装砲ちゃんがねっ」

 言葉とは裏腹に嬉しさを隠せない様子で、きゃいきゃいと日南少尉にまとわりつく島風。その様子を見ながら、大げさに肩をすくめ時雨がやれやれ、といった表情で零す。

 

 「こうなるだろうって思っていたけど、ね…。まあいいさ、歓迎するよ、島風」

 

 

 

 日南少尉と秘書艦の時雨、さらに正式に部隊に所属した島風を加え、オリエンテーションは進行中。

 

 「それではみなさーん、お昼ご飯も食べて一番眠くなる時間ですよね~。頭をフル回転させて眠気を吹き飛ばしましょうね」

 

 無理な相談である。食事の後は消化のため胃に血流が集まり、自然と頭がぼうっとする。口調は柔らかくのんびりしているが、有無を言わせない鹿島の姿勢に、日南少尉の自然と背筋が伸びる。

 

 「組織、任務に続いて、私、鹿島から、拠点を財政面からどうやって運用するか、概略をお話したいと思います。えっと、それではスクリーンを見てください。拠点運営の健全性を測る上で重要な指標であり、教導期間の終りまでに日南少尉に作成してもらう書類が三つあります。貸借対照表(B/S)損益計算書(P/L)キャッシュフロー計算書(C/F)ですね。それぞれ一定期間での、B/Sは拠点の資産負債、P/Lは利益と損失、C/Fは資材(お金)の動きを表したものです。ではまずB/Sから―――「ちょ、ちょっと待って鹿島さんっ」」

 「はい、なんでしょうか?」

 

 たまらず時雨がカットインする。何のために艦娘がこんなことを勉強しなければならないのか、理解できない。島風はぽかーんとしている。

 

 「補給物資(サプライ)による収入、戦費としての支出…そのバランスを維持向上させ、ひいては作戦行動そのものを管理する、というのが主旨ですか?」

 日南少尉の反応を教壇から見守っていた鹿島は、ひどく満足そうに頷く。

 「はい、日南少尉、正解です、花マルあげちゃいますっ!! うふふっ、これは期待できそう。うふっ♪」

 

 ガッツポーズを作り、満面の笑顔を浮かべる。兵学校を卒業して間もないこの若い少尉は、過たずにポイントを掴んでいる。嬉しさのあまり怒涛の勢いで鹿島が語る、財務会計的視点から見た拠点運営の在り方に全員が面喰うのに時間はかからなかった。

 

 島風が目をぐるぐるにしながら頭から煙を出し、時雨が虚ろな目でどこか遠くを見つめるが、日南少尉は眉根に皺をよせ厳しい表情を見せながら、それでも何とか鹿島のハイスピード&ハイレベルのオリエンテーションに追いつこうとしている。話がひと段落した所で質問のため手を上げる。

 「…鹿島教官、質問よろしいでしょうか? 今の内容は、通常複数の補佐官と分担して行われますよね? 宿毛湾での教導は、それを一人でこなせる人材を育成する、その理解でよろしいでしょうか?」

 「はい、日南少尉、再び正解です、もう一つ花マルあげちゃいますっ!! ちなみに花マルが三つになると、ご褒美がありますよ♪ …今日はこのくらいにしておきましょうか、鹿島も一気にしゃべり過ぎちゃいました」

 

 その言葉を待っていた、とばかりに島風と時雨がべたーっと机に突っ伏す。

 「おおう…難しくて何言ってるのか分かんなかった…」

 「僕、ほんとに秘書艦できるのかな…?」

 

 日南少尉も背筋を伸ばし、少し体を動かす。

 「話には聞いていたが、あれだけの内容を網羅すれば拠点運営で書類が膨大になるはずだ。大淀さんは詳しく触れてなかったけど、作戦遂行にも当然必要だろうしね。書類かあ…自分も頑張るけど、時雨、それに島風も…頼むよ、マジで」

 

 そのくだけた口調に時雨が小さく笑う。呼び捨てにしてほしい、そう頼んで受け入てくれた。それ以来、日南少尉が徐々に砕けた口調で話してくれるようになったのが嬉しい。

 

 「最後に何か質問はありますか?」

 あれで概略、とくちくかんズがぐったりする横で、日南少尉が再び手を上げる。

 「クスッ…兵学校ではないので挙手はいりませんよ。でも可愛い♪ はい、なんでしょうか?」

 

 「拠点運営で、実際に現金で資材を外部から売買する訳ではないですよね? とすればキャッシュフローは何のために必要となるのでしょうか?」

 

 何を言ってるの? という表情で二人同時に首を傾げる時雨と島風。よく聞いてくれた、という表情で嬉しそうに身を震わせる鹿島。

 

 「はい、日南少尉、と~ってもいい質問ですっ! 文句なしに花マルあげちゃいますっ!! えっとですね―――」

 

 説明を聞き、なるほどよくできたシステムだ、と日南少尉は思わず唸った。何をするにも資源は必要で、無計画に使えばあっという間に散財してしまう。制度上、宿毛湾泊地から必要な資材を借りることができるが、借りた資材は負債となる。借りた以上、日南少尉が補給と遠征で得る資材で返済するが、このバランスが崩れると資材ショートとなり更なる借入れを招くことになる。軍事拠点として機能不全に陥るのを避けるため、負債や返済といっても数字上のものだが、その全てが記録される。一年間の教導期間中、どれほど戦果を挙げようとも、拠点が財政破綻と認定されれば失格となる。逆に財政バランスを重視し過ぎて出撃や建造等を抑制すれば戦果は挙げられず、同様に失格となる。

 

 「さすが卒業年次(ハンモックナンバー)三位は伊達じゃないですね。では、約束通りご褒美をあげちゃいまーす、うふふ♪」

 

 教壇を下りると、日南少尉の机の上に腰掛け足を組む鹿島。その視線が、日南少尉にまとわりつく。なんとなーく嫌な予感がした時雨と島風は、ひそひそと話し合う。その分出遅れてしまった。

 

 -ちゅっ。

 

 体の曲線を強調するような柔らかい仕草で、流れるように日南少尉の頬に手を添え、軽く頬に口づける鹿島。余りにも素早く、日南少尉も避けられなかった。というより、そんな事をされるとは思っていなかったため反応できなかった。

 

 「「「なっ………!!」」」

 

 余裕のある風を装っていた鹿島だが、同じように顔は真っ赤になり、視線を日南少尉から逸らしつつもちらっと見ている。時雨の目がハイライトオフになり、島風が思いっきり頬を膨らませる。

 



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006. 艦隊発足…?

 前回までのあらすじ
 『はじめての編成』クリア。


 「あら、まだ終わってなかったの? 次は私の時間なんだけど?」

 

 鹿島の姉の香取が入室してきたため、鹿島に抗議しようとした時雨と島風の気勢を削がれてしまった。そんな二人を置き去りに、姉と妹の会話が始まる。

 

 「うふふ♪ まだ日南少尉に本当のご褒美を上げてませんから。島風ちゃんの着任により、任務A1『はじめての編成!』の達成です。達成報酬として燃料弾薬各二〇の追加支給と、特型駆逐艦の中から一人貸与を受ける事が出来ますよ」

 

 日南少尉は興味深く眺めている間にも、鹿島がいそいそとタブレットを操作し画面を表示する。

 

 「えっと、こちらがA1任務報酬として貸与艦に選ばれた子たちです。この中から一人だけ指定してくださいね」

 鹿島が示すタブレットの画面には、何人かの駆逐艦娘が表示されていた。

 「おお~っ!!」

 「こういう仕組みなんだね」

 タブレットを見ようとした日南少尉だが、島風と時雨が左右から画面を覗き込んだため、見えるのは黒髪と金髪の頭二つ。鹿島の後を受けるように香取が補足説明を加える。

 「特別の希望が無ければ、特Ⅰ型駆逐艦の中から白雪をお勧めします。バランスの取れた性能、何より素直でいい子ですよ」

 「天津風はいないのー? 私の次に速いからいいと思うなー」

 「僕は海風がいいと思うな、うん。レア艦は先にゲットしておく方が後々楽だし」

 同時に全く違う要望を口にした島風と時雨が、希望の艦娘を探そうと、タブレットを奪い合い、二人で画面をスワイプする。その拍子に画面のどこかをタッチしたようだ。

 

 ぴろりーんという音が聞こえ、達成という文字が浮かんだような気がした。

 

 「あ…」

 「おう゛!?」

 

 任務報酬の貸与艦として選ばれたのは、特Ⅰ型あるいは吹雪型駆逐艦三番艦の初雪だった。

 

 

 

 「最後は香取が担当しますね。心配しないで…色々と優しく、指導させて頂きますから」

 にっこりとほほ笑む、アッシュブロンドの髪をアップに束ねた香取。白い軍服がいかにも教官という雰囲気だが、同種の制服を着ている鹿島よりも、よりクールで大人な感じを与えている。

 

 「組織、任務群、財務会計について、それぞれオリエンテーションがありましたね。私からはそれ以外の部分について説明したいと思います。教導拠点とはいえ、実際に出撃を行いますので、艦娘のメンテナンスが最重要になります。そう、私からは入渠を中心に、開発、建造等の工廠業務についてご説明します」

 

 日南少尉の指揮する教導拠点は、いわばミニ宿毛湾泊地というものだが、艦娘運用の中核施設とも言える工廠施設がない。同じ宿毛湾内に位置するとはいえ、施設設備の二重化は有事の際のバックアップとして機能するはずだ。その点を指摘した日南少尉の対し、満足そうに頷きながら香取が答える。

 

 

 「それは、艦娘の保護のためです」

 

 

 話は桜井中将が現役の頃、艦娘を海軍というシステムに組み込んだ黎明期まで遡る。組織的にも戦略的にも戦術的にも軍自体がひどく迷走し、艦娘への暴行や過度の酷使、資材の横領、倫理なき生体実験など今では考えられない問題行動が頻出、『ブラック鎮守府』という不名誉極まりない言葉が生まれるほどだった。さらには軍内部での主導権を巡る人間の権力争いに艦娘が巻き込まれ、反乱部隊による内乱が起きるなど、用兵側がブレにブレていた。その不幸な黒い歴史の反省に立ち、提督の育成と艦娘の保護を両立するこのシステムは、教導の中核と位置づけられる。

 

 「工廠での資材使用状況を通して、無理な出撃や虐待、補給不足などで艦娘が傷つくことのないよう未然に管理し事態の悪化を防ぐためです。これは桜井中将の極めて強い要望なので、十分に理解してくださいね」

 

 

 

 オリエンテーションが終了した後の軽い雑談の時間。話が駆逐隊の編成に及んだ時、香取は気の毒そうな表情を浮かべると、手元のバインダーから一枚の書類を取り出し説明を始める。話を聞いて日南少尉も頭を抱えてしまった。

 

 「初雪ですか…確かに貸与候補艦としてリストには載っていますが、あの子、異動届にサインをまだしていません。その書類がないと正式に着任が認められませんから、少尉の部隊はまだ二人、ということに。でもあの子、容易に部屋から出てきませんから…」

 

 「ならこっちから行くよっ! 連装砲ちゃん、ついて来てっ!」

 「僕も行くよ、このままだと建造貧乏になりかねないからね」

 島風が風を巻いて会議室を飛び出してゆき、香取から書類を受け取った時雨もそれを追い走り出す。ぽかーんとした顔で二人の後ろ姿を見送った日南少尉に、香取はくすくす笑いながらある提案をする。

 

 「日南少尉がご自分の言葉で初雪に説明した方がいいと思います。本来は男子禁制ですが、香取も同行しますので、特別に艦娘寮に行きましょうか」

 

 

 

 やってきた駆逐艦寮、そして初雪の部屋―――。

 

 目に飛び込んできた光景を、日南少尉はどう理解すればいいか分からずに固まってしまった。どう見ても万年床の布団、季節感のない炬燵、床を埋めるように積まれたゲームにマンガ。その中を押し入れに逃げ込もうとしているえんじ色の芋ジャージを着た艦娘と、左右から足を掴んでそうはさせないと頑張っている時雨と島風。

 

 「おそいーっ!! ひなみんも手伝ってっ!! ほらここっ!」

 「ここは譲れない。あ、日南少尉、手伝ってくれる、かな?」

 「ほらここって、ええっ!?」

 

 それぞれが外側に足を引っ張っているため、空いている場所とは真ん中。仕方なく脚と脚の間に入り、躊躇いがちに初雪のジャージの上着の裾を掴み引っ張り始める日南少尉。

 

そんな騒ぎの最中、やや遅れて香取が現れた。一瞬固まったが、すぐに眼鏡をきらーんと光らせると、教鞭を折れる寸前までしならせ、騒ぎを収拾する。

 

 「あら…ほほう…? なるほど。これは少し、厳しい躾が必要みたいですね」

 

 

  正座で目茶目茶怒られた後、香取は部屋を後にした。このくそ熱い季節、残った四人は通年仕様となっている初雪の炬燵に皆で入る奇妙な光景の中、微妙な雰囲気の時間が流れる。

 

 白い第二種軍装を纏い、脱いだ制帽を横に置いた日南少尉が口を開き、会話が始まる。

 「これは何と言うか…逆転の発想なのかな」

 「ん…夕張さん、言ってたの。『ハッキリ言って自信作です』って…」

 

 冷暖機能付き掘り炬燵-ありそうで無さそうな一品である。天板の裏には冷暖切り替え機能の付いた小型ファンが取り付けられ、炬燵の掛け布団の中に、冬は温風&夏は冷風を送り込む。夏に掛布団は不要に思えるが、体の冷え過ぎを防止するのに必要だとか何とか。工廠で明石とともに装備の開発や改修に携わる、兵装実験軽巡洋艦の夕張の手によるものらしい。炬燵に入ったものの体が冷えてしまった島風と時雨はがたがたと震えている。

 

 「寒すぎたら…こうやって…」

 初雪は炬燵と並行して敷かれている布団に素早く潜りこむ。そして掛布団を頭まで被ったと思うと、右手だけを出してひらひら振っている。

 

 

 「じゃ…おやすみ…」

 

 

 流れるような初雪の動きに呆気にとられていた三人だが、やや間があって我に返る。

 

 「いや、『おやすみ』じゃなーいっ!!」

 

 炬燵布団を跳ね除けて島風が初雪の布団に潜りこむ。しばらく布団の中でどたばたしていた二人だが、やがて静かになったかと思うと、ひょこっと黒髪と金髪の二つの頭が出てきた。

 

 「ひなみん、ここ、あったかいよ」

 「教導拠点…ここにすれば…。なら…働く…夢の中で…」

 

 ミイラ取りがミイラになる、というのを目の当たりにした日南少尉と時雨は唖然として顔を見合わせる。ただ、時雨は初雪の言葉を聞き逃さなかった。教導拠点、って自分から言ったよね―――。

 

 「初雪、そのままでいいから聞いて欲しいんだ。知ってると思うけど、ここにいる日南少尉は二年ぶりに着任した司令部候補生だよ。日南少尉は、僕の…」

 

 そこまで言うと一旦言葉を切り、時雨はちらっと日南少尉に視線を送る。

 

 「僕たちの希望の星になってくれる、そういう人だと信じてるんだ。だから、初雪にもちゃんと話をしてほしいんだ。ダメ、かな? あと島風は今すぐそこから出てくること」

 

 しばらくして、島風より先に初雪がもぞもぞと布団から出てくる。敷布団の上にぺたんと座り掛布団で体を包むようにしてじっと日南少尉の方を見ている、黒髪ロングで前髪ぱっつんの艦娘。一方で島風は本格的に寝落ちし始め、掛布団を追うように自分の位置を変え、布団の裾に包まるように寝ている。

 

 「時雨…どうして、いなくなっちゃう人のために…置いて行かれちゃうかも、知れないのに…頑張る、の?」

 

 眠たげな表情と気だるげな口調はいつも通り。でもよく見れば、時雨を憐れむような、僅かに悲しげな色が瞳に宿っている。

 

 

 

 「そうだったんだ…」

 

 初雪より後に着任した時雨の知らない過去。司令部候補生が教導を修了した際、候補生は司令官として与えられた任地に自分が開発した艦娘と貸与艦を伴い着任することができるが、一つ条件がある。それは双方の合意が必要と言う事。元々は意に染まぬ形で艦娘が司令官に従うのを防ぐ制度だが、一方で艦娘側が希望しても司令官がそれを拒否できる面もある。二年前に着任した候補生は、初雪を建造し、教導期間を共に過ごし、無事修了した。そして初雪を置いて任地へと旅立った。

 

 日南少尉はふむ、と頷き、納得したような表情で初雪に問いかける。

 「そうか、だから部屋に閉じこもりがちになってしまったのか…」

 「え…や、なんていうか…元々……」

 「初雪は昔からこうらしいんだ、うん」

 

 流石に少し気まずそうに頬をぽりぽり掻く初雪。以前の候補生の件があってもなくても、元々ヒッキー気質。ただその件以来、ヒッキーが加速したのは確かかもしれない。引きこもりと過去との関連性に肩透かしを喰いながら、日南少尉は炬燵を出ると初雪に近づき、真正面から彼女を見据える位置に座る。

 

 -香取教官の言ってた、『自分の言葉で説明する』っていうのはこういう意味だったのか。

 

 「初雪、自分は君の力を必要としているが、無理強いはしたくない。それでも今は、自分の拠点立ち上げに参加してほしいと思っている。これからの教導期間を通して、君にとって自分が相応しいか、よく考えてくれていい。答はその時に聞くから」

 

 真っ直ぐに自分を見つめてくる強く、そして優しい目。視線を受け止めきれなくなった初雪は、目をそらしながら訥々と内心を吐き出す。

 「貸与に応じるのは…任意っていうけど、実際は命令だし……香取教官(かとりーぬ)怖いし…。でも…ほんとは…、そんなことして、何になるの、かなって…。頑張っても………また…置いてきぼり、とか…嫌だし…」

 

 途切れ途切れの言葉の続きを、日南少尉は辛抱強く待つ。その姿勢に、初雪はあることに気が付き、薄く微笑み始める。

 「初雪の話…最後まで、聞いてくれるんだね…。前は…『こういう事だな』って…いつも話を途中で切られちゃった、けど…違うんだ…」

 

 一方の日南少尉は、ああ、なるほど、という表情に変わる。以前の候補生は、相当地頭の良い者だったのだろう。そういうタイプとは、常に結論を先に提示しその成立条件として過程を端的に話さないと衝突が起きる。結論を先読みし、順を追った話し方にイライラしやすいタイプといえば想像しやすいだろう。日南少尉も無論聡明な頭脳を持つが、以前の候補生とは違い、話をじっくり聞くタイプである。

 

 自分を必要だと言う日南少尉。そして、選ぶのは日南少尉ではなく自分だと、全てを委ねられた-掛布団を被った座敷童は急にもじもじとし始め、うっすらと頬に赤みが差し始める。

 

 「………私だって本気を出せばやれるし……。明日から本気だす…から見てて…多分」

 

 ぱあっと満面の笑みを浮かべ小さなガッツポーズをする時雨と、それを見守る日南少尉。そして明日頑張るから、今日はもう寝る、と布団に戻る初雪。布団の裾に包まっていた島風が、ちらっと薄目を開け、ふふんとドヤ顔のまま誰にも聞こえないように呟く。

 

 「だってひなみんだもん、当たり前だよ」

 

 

 

 「〇七〇〇(マルナナマルマル)。朝は僕も好きだな」

 

 こんこん。

 

 ドアがノックされ、その音に全員の視線が集まる。

 

 日南少尉の返事を待って静かにドアが開き、セーラー服姿の艦娘が入室してくる。

 

 「特型駆逐艦…三番艦…初雪…です。よろしく。まずお布団、コレがあれば安心。次に食べものと飲みもの。あと読むものとか、ゲームとか…。まぁ、それがあれば、なんとか…」

 

 

 拠点と呼ぶにはあまりにも何もない教導用の施設。そこに集った、一人の司令部候補生と、三人の艦娘。小さな、それでも確かな一歩が今日から始まる。



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成り立ちと在り方
007. 現実は甘くないけれど


 前回のあらすじ
 初雪、ひきこもらず。


 水面を疾走する六つの後ろ姿-雲龍、天城、江風、熊野、矢矧、そして比叡-がみるみるうちに小さくなり、宿毛湾泊地の港湾管理区域線を超えて沖合に消えてゆく。既に小さな点にしか見えない後ろ姿を見送っていたのは、宿毛湾泊地で教官を務める鹿島である。ツインテールの銀髪を吹く風に任せなびかせ、リンガ泊地を経由し遥か遠くカレー洋リランカ沖へと進攻する仲間の無事を一心に祈るような表情を見せる。そしてもう一人、同じように港に立ち制帽を目深に被るのは―――。

 

 「お疲れ様でした。急なお願いでしたが、快くお引き受け頂きありがとうございました」

 「いえ、そんな…。大規模な部隊運用に圧倒され碌な事が言えませんでした。これが大規模進攻作戦(イベント)…」

 

 くるりと振り返り、深々と頭を下げる鹿島に、緊張が抜けないまま、ぎこちなく受け応えするのは日南少尉。宿毛湾泊地提督の桜井中将の代理として、抜錨する艦娘達を見送る役目を仰せつかった。

 

 この夏に発令された『西方再打通 欧州救援作戦』は、カレー洋からステビア海を経て、スエズ運河を抜けて地中海を目指すという遠大なもので、過去のそれと比べてもかなりの規模の作戦となる。本来後方支援拠点の宿毛湾は、この手のイベント参加は任意とされていた。だが今回の作戦規模の大きさから、艦隊本部の意向への()()を参謀本部に強く求められた桜井中将は、三期ぶりとなるイベント参加を決断せざるを得なかった。

 

 本意ではないにせよ、一旦決まれば軍人は全力を尽くさねばならない。手堅い桜井中将らしく、資材確保を皮切りに、バックアップ要員となる艦娘のレベルアップ、主戦級艦娘の編成及び作戦立案、装備改修等、それこそ目まぐるしく動き、いつ寝ているのだろうか、というほどの働きぶりを見せていた。

 

 本来なら第二作戦海域、リランカ港湾部に拠る敵戦力を撃滅するため機動部隊が抜錨する今日、戦地に向かう艦娘達を見送るのだが、空気を読まない参謀本部との電話会議のため、桜井中将は日南少尉に代理を頼んだというのがここに至るまでの話となる。

 

 「いえ…日南少尉には何とお詫びしてよいか…。この鹿島に出来る事があれば何でもおっしゃって下さいね」

 鹿島がすぐ間近まで迫り、胸の前で小さくガッツポーズをしながら真剣な相で日南少尉に訴える。あまりに距離が近いため、鹿島の豊かな胸がほとんど日南少尉にくっつきそうになっている。少し背中を逸らし距離を空けようとする日南少尉とぐいぐい前に出てくる鹿島の姿を見守る艦娘達―――。

 

 「…あれ絶対わざとだよね、鹿島教官…」

 係留柱(ピット)に腰掛け足を組み、頬杖を付きながら呆れ顔の時雨。

 「完全に狙われてるよ…ひなみんは、胸の大きい(ああいうの)好きなのかな」

 ぺたぺたと自分の胸を触りながら、最高速度と胸部装甲のトレードオフを悩む島風。

 「若いイケメンエリート…それを自分で育てて一緒に旅立つ…逆光源氏計画…」

 アイスキャンデーをもごもごと咥えながら生々しい読みを見せる初雪。

 

 

 何故鹿島が詫びているのか? その責任は勿論彼女にはないが、それでも教導の受け入れ側として詫びの一つも言いたくなる、それも無理はない。このままでは教導の実施に支障が出かねないからだ。

 

 艦隊本部と参謀本部のゴリ押し(要請)で参戦を余儀なくされたイベントのため、宿毛湾泊地は日南少尉のバックアップがほとんどできない状態となっている。地中海進出という途方もない作戦、そのために資材はいくらあっても足りず、主戦級を二組、さらに予備戦力を編制するなど、規模の大きくない宿毛湾にとってまさに総力戦で臨まざるを得ない。日南少尉の運営次第な部分もあるが、今の宿毛湾には、資源の貸付や任務報酬となる艦娘の貸与、さらには少尉の建造した艦娘の訓練や演習などに割ける余力がない。スケジュール上、イベントは長くても三週間から四週間で終了し、その後は通常の教導体制に戻れる。だが作戦の進展次第では宿毛湾泊地の資材も大きく目減りする可能性もあり、その復旧に要する時間も無視できるものではない。

 

 とはいえ、通常の拠点運営と考えれば通常海域での実戦を通して艦娘の育成を図ればよいのだが、そこにも影響が出る。大規模作戦進行中であり、宿毛湾泊地のドックは当然作戦参加艦の入渠が優先される。つまり日南少尉が通常海域で戦闘を行い、艦娘が傷ついた場合でも、その入渠優先順位(トリアージ)は”低“に分類されてしまう。

 

 

 宿毛湾の居候司令官カッコカリ、それが日南少尉の現状である。

 

 

 

 着任したての司令部レベル、というよりまだ司令官でもない日南少尉には、そもそも大規模作戦(イベント)に参加する資格は無く、間借りしている以上宿毛湾泊地(家主)の都合が優先されるのは当然。拗ねるでも投げやりになるでもなく、日南少尉はただ淡々と現状を受け入れている。それよりも、もっと目の前で考えなければならないことがある。

 

 「毎日待機時間が長くてつまんなーいっ」

 「初雪は…大歓迎…」

 

 第二司令部の司令長官室で、椅子の背もたれに体を預け軽く伸びをする日南少尉と、机の上に体を投げ出すようにしてじたじたしている島風。それをやや離れた所にある炬燵からぼんやり眺めている初雪。いつの間にか自分の部屋から例の冷暖切替炬燵を移設し、その後も着々と私物を増やしている。すでに司令長官室の一角は初雪に侵食されているが、日南少尉はあまり気にしていない様子。

 

 『別に初雪がここに住む訳じゃないし。ただ、整理整頓清掃は絶対条件。お菓子のカスとかその辺に零したままにしたら綺麗にするまで持ち込んだ物は全部没収ね』

 

 ある程度の自由は認めるがルールは守ろうというシンプルで明確な約束。初雪は今の所ちゃんと守っている。それよりも何よりも、自由奔放な島風と夏でもコタツムリな初雪を怪訝そうな目で見つめながら、自分の指示をじっと待っている艦娘達の方が気になる。

 

 時雨と相談の上、デイリー任務の回し方は考え済み。宿毛湾泊地の現況も考慮に入れ、イベントの進行状況がはっきりするまでは当面建造系開発系の任務を中心に、資材(お財布)のINとOUTを計算しながら、建造は資材ALL30、開発は鋼材のみ30あとはALL10でゆるゆると進めることにした。その結果、これまでに三人の艦娘の建造に成功し、新たに部隊に加わった。

 

 加わったのだが―――。

 

 艦娘特有の性向というか傾向というか、それが早速発揮され日南少尉もどうしてよいか分からず、半ば現実逃避をするように、目の前でゆらゆら揺れる島風のウサミミと指で挟もうとして、それに気づいた島風がにこっと笑いながら躱す、というどうでもいい遊びに興じていた。

 

 「今日も静か…ですね。…えっと、そうだ!由良、お茶を淹れてきますね」

 「お茶にいたしましょうか?」

 ぽんっと手を打ちぱたぱたと動き始め、ぴたりと動き止めたのは、長良型軽巡洋艦四番艦の由良。

 のんびりとした声とで準備を始めようと動き始め、ぴたりと動き止めたのは、綾波型駆逐艦一番艦の綾波。

 

 かぶってるんですけど? …向かい合う笑顔が可愛ければ可愛いほど、見えない視線のビームが激しいのはこの手の場面のお約束。

 

 「ひなみん、私、お腹空いてきたかな? …だから、鳳翔さんのとこ一緒に行こ?」

 机に肘をつき指を組むと、そこに顎を載せ小首を傾げながら上目使いの島風。

 

 個体差も大きく、全員がそうだという訳ではない。だが、全体的な傾向として艦娘は直属の上官となる司令官に好意を寄せやすいようだ。これは明確に立証されている訳ではないが、彼女達のかつてのあり方-軍艦としてその身を捨ててでも勝利を願い、ひいては無辜の民間人を守るという、忠誠心や自己犠牲などの在り様に起因するのでは、と言われている。軍人として兵士として好ましい特性と見做されるが、それが女性の身体に現界すると、一途で尽くす系の個性として現れる。由良も綾波も、建造により現界してまだ日が浅いが、それでも何くれとなく日南少尉の世話を焼こうとしている。

 

 

 かちゃり。

 

 「なにしてるのさみんな、もうすぐお昼だけど。ああそうそう、今日のデ「うふふっ、好きよ。…あら、もしかしてぇ、て・き?」

 

 いきなりこれである。好きも嫌いもたった今、今日の建造の結果となる朝潮型駆逐艦四番艦の荒潮とは会ったのだが…さすがに日南少尉も面喰ってしまう。そして時雨もハイライトオフの目になり、ぶつぶつと独り言を呟いている。

 「部下に慕われる指揮官は得難い物さ。でも度が過ぎるんじゃないかな、日南少尉…うん。というか、ハンモックナンバー三位って、モテ順か何かなのかい?」

 

 その時雨をからかうように慰めるように、頭に載る妖精さんがによによしている。白いブラウスに青のプリーツスカートを穿いた長い茶髪の妖精さんは時雨の頭をぽんぽんとしたかと思うと、何かを耳元で囁いている。

 

 「こんにちは、君はどの兵装の妖精さんかな?」

 日南少尉は、膝をかがめ視線を合わせるようにして、今は頭上から時雨の肩に移動した妖精さんに話しかける。時雨も、妖精さんも、他の艦娘達もひどくびっくりしている。中でも直接話しかけられた妖精さんの驚き方、肩にそっと手を掛けられ耳元で囁かれた時雨の力の抜け方は尋常ではなかった。時雨は一瞬で顔を赤くし、くすぐったそうに肩をすくめながら力が抜けたようにぺたんと床に女の子座りになってしまった。突然足場を失った妖精さんは、慌てて反対側の肩に移動する。そして時雨の顔の陰からそおっとその顔を覗かせ様子を窺っている。

 

 日南少尉は頬をぽりぽりと気まずそうに掻きながら妖精さんに悪気が無かったことを伝えようし、時雨に視線を合わせようと床に膝をつく。

 

 「わわっ! ひ、日南少尉…ちょっと近くないかな、うん…。それ以上は僕が大破しちゃいそうなんだけど…。そ、それとも『はじめての入渠!』任務を僕で達成したいのかな?」

 軽く涙目になりながら外はねの髪をぴょこぴょこ動かす時雨に、再び妖精さんがひそひそと耳元で囁く。

 「うん? うん、多分そうだと思うよ。自覚が全くないのが良いのか悪いのか、って所かな」

 

 何の話かな? と首をかしげる日南少尉に、恐る恐る綾波が話しかける。

 「日南少尉は~、ひょっとして妖精さんと仲良しになれる人なんですか~?」

 「仲良しっていうか、姿は見えるよ。会話は…こっちの言う事は理解してもらえてると思うけど、相手の言う事は分かるっていうか、多分こうなんだろうなって感じられる程度、かな」

 

 「す、すごいよひなみんっ! 私、桜井中将以外でそんな人初めて見たよっ」

 興奮を隠せず駆け寄ってきた島風が捲し立て、由良はこれが司令部候補生なのね、と感に耐えない面持ちを見せる。

 

 「そ、そう。それでね、報告だよ。今日のデイリー建造は一回、結果は…そこにいる荒潮が成果だね。デイリー開発は四回、全部アレ狙いでいって二回成功させたよっ」

 

 ドヤ顔で妖精さんが胸を張る。彼女が制御を担当する、時雨が狙っていたアレとは、小口径主砲の10cm連装高角砲。差し当たって駆逐艦の多くが主装備とする12.7cm連装砲は対艦戦闘用、対空迎撃に優れるこの砲を状況に応じて使い分けよう。練度が上がり第一次改装まで至れば、装備可能な兵装数も増える。そうなれば併用も可能となる。

 

 

 ここまででクリアした単発任務は、A2「駆逐隊を編成せよ!」、A3「水雷戦隊を編成せよ」、F1「はじめての建造!」、F2「はじめての開発!」。そして今日、荒潮の加入によりA4「6隻編成の艦隊を編成せよ!」を達成したことになる。

 

 そしていよいよ第一艦隊分の艦娘が揃い、出撃系任務に取り掛かることになる。

 



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008. モノより思い出

 前回のあらすじ。
 イベントの余波で開店休業。


 「日南君には着任早々迷惑を掛ける形になってしまい申し訳ない」

 「いえそんな…中将、本当に大丈夫ですので」

 呼び出された本部棟の会議室で、大きなテーブルを挟み向かい合う日南少尉と桜井中将。頭を下げる中将に、日南少尉は心底戸惑っている。教導と大規模作戦の開始が重なったのは桜井中将の責任ではなく、たまたまタイミングが悪かっただけのこと。きっと翔鶴さんや鹿島さんの律義さは、中将の影響なんだろうな…などと考えながら、日南少尉は頭を上げてくれるよう桜井中将に改めて頼み、話を変えようと試みる。

 

 「それはそうと、今回の大規模進攻(イベント)の進捗はいかがですか?」

 「取り敢えず前段作戦までは完了した。スエズ運河までの補給網は確立したし、一旦小休止で艦隊整備に入ることになっている。後段作戦に参加する部隊の入れ替えのため、現地派遣していた最後の部隊がそろそろ帰投したよ」

 

 作戦拠点として宿毛湾泊地は、自衛に足る戦力があれば十分、との艦隊本部の判断もあり、総数で一〇〇名を切る規模である。構成としては、総旗艦翔鶴、そして瑞鶴、大鳳の装甲空母部隊を中核戦力とし、二航戦、加賀、雲龍型からなる機動部隊、両輪を成す水上打撃部隊は大和が戦艦重巡、雷巡を率いる。主だった水雷部隊は、天龍龍田が率いる睦月型と暁型、 神通と阿武隈が率いる綾波型・白露型、阿賀野と矢矧が率いる朝潮型に夕雲型で、他にも軽巡・駆逐艦が在籍。これら部隊に、作戦に応じて艦隊防空を担う軽空母部隊と防空駆逐艦の秋月型が組み合わせられる。その他にも、潜水艦隊や各種特務艦も所属している。規模ゆえに、連続した作戦継続が難しく、スエズ運河出口に造られた拠点を維持するため先行部隊を派遣、入れ替わりに前段作戦に参加した部隊を段階的に引き上げ整備休息、完了し次第バックアップ部隊として待機にあたり、後段作戦が開始される。

 

 -いずれ自分がイベントに参加する時は来る。今回の宿毛湾泊地の運用…資材確保、戦力配分、事前のレべリング等、これほどの活きた教材はない。

 

 そこまで考え、日南少尉は何かに気が付いたようにハッとした表情で桜井中将をまじまじと見つめる。それに対し桜井中将は薄く微笑むだけで何も言わなかったが、満足そうな表情で頷いていた。

 

 

 

 「ところで、着任からしばらくたったが感想はどうかな。今の所満足に出撃していないから、何とも言えないかもしれないが」

 日南少尉は顎に手を当てむうっと考え込む。一見何気なく抽象的な質問から、質問者の意図を掴み適切に回答できるかを試されるオープンクェスチョン法なのか、と。

 「ああ、これは純粋な雑談だから、『SMART』とか考えなくていいからね」

 苦笑いを浮かべる中将に苦笑いで返す少尉。オープンクエスチョンに対応するロジカルな応答法の一つがSMARTである。

 

 命令を忠実に遂行するのは軍人にとって階級の上下を問わず当然だが、有事ともなれば整然と分かりやすい命令系統が常に機能するとは限らず、短く抽象的な指示でも過たず意図を掴み遅滞なく実行、過程と結果をどんな相手にも状況が把握できるよう体系的に共有する必要がある。SMARTは相手の話を的確に理解し、Specific(具体的)Measurable(測定可能)Achievable(達成可能)Realistic(現実的)Time-bound(期限)のポイントを押さえ回答する話法で、かつて桜井中将が兵学校に導入した。だが今はそういう時間ではない、と中将は言外に伝えている。

 

 年齢の割に淡々とした所のある日南少尉だが、それでも艦娘達との距離感の取り方に未だに戸惑っているのが目下の悩み。いずれも容姿端麗で一途な彼女達から積極的に距離を詰められれば、男なら喜ぶことはあっても困ることはない…はず、学校やサークルや会社ならば。だがここは軍事拠点であり教導拠点である。しかも艦娘と言う存在の定義は、その登場から長い年月を経た今でも定まっていない。人工的に開発された素体に宿る在りし日の船魂…人と呼ぶには成り立ちが違い、兵器と呼ぶには生々しすぎる。

 

 「君の部隊は、確かA4『6隻編成の艦隊を編成せよ!』、A5『軽巡2隻を擁する隊を編成せよ!』までクリアして第二艦隊まで解放したと聞いたよ。新たに着任した軽巡は五十鈴だったかな?」

 「はい、お陰様で。デイリールーティーンのプランは確立しており、あとは艦娘の数が揃えば順調に回ってゆくものと思います」

 

 今日の任務が遠征と聞き、頷いた桜井中将は昔を懐かしむ様な表情を見せ、ゆったりとした口調で日南少尉に語りかける。

 「そろそろ君の艦娘達が戻ってくる頃だろう、出迎えてあげたらどうかな? 年寄りの昔話で申し訳ないが、私の場合もそれがきっかけで艦娘達との距離が縮まり始めたように思うよ」

 「そう…ですね、既に縮まり過ぎというか…色々大変ですね」

 「どうした? 色々にも色々な意味がありそうだが…」

 

 歯切れ悪く答える日南少尉に、桜井中将は怪訝な表情を見せる。根が素直な日南少尉は、ややばつが悪そうな表情で、それでも正直に午後の予定を中将にも打ち明けると―――。

 

 「はははっ! なるほど、そうなら早く行ってあげなさい。どうした、不思議そうな顔をして? 君がどのように君の艦娘と接しようと、海軍刑法に抵触しない限り君の自由だ」

 

 

 

 日南少尉のいる第二司令部施設は、司令部施設のある池島地区を経て、そこから奥まった場所、大発で五、六分の距離の片島地区にある。湾の最奥部を挟んだ対岸の白浜地区や小筑紫地区も今後の開発が予定されているが、現状は依然として風光明媚な自然が豊かに残る。

 

 「そろそろだと思うけど…」

 

 鏡のように陽光をきらきらと反射する海面、波静かな湾内に浮かぶ大発の艇首あたりに立つ日南少尉。湾内四地区全ての中間地点に位置取る大発の上から、双眼鏡をのぞき込み港湾管理区域線を注視している。ほどなく、単縦陣で五人の艦隊-旗艦の由良を先頭に、時雨、綾波、荒潮、島風からなる部隊が、海上護衛任務を無事成功させ帰投する姿が視界に入ってきた。そして五人の艦隊があっという間に4人に変わる。大発を視界に捉えた瞬間、島風が両舷全速で一気にトップスピードで由良を追い越し猛進してくる。

 

 「たっだいま~♪ ねえねえ凄い? 一番先に帰って来たよっ」

 

 大発の艇首が水面に向かって倒れるように開く。文字通りあっという間に管理区域線から大発までの距離を潰した島風は、歩板を駆け上がったと思うと日南少尉にぴょーんと抱き付く。遅れて大発に到着した遠征艦隊の残りの四名も続々と乗艇し、日南少尉の周りに輪ができる。ざわめきに誘われるように、操舵把の周囲に設けられた防盾の陰から、直近の建造で新たに部隊に加わった二名の頭が見える。ツインテールが特徴的な勝気な瞳の艦娘と、背中まで長く伸ばした亜麻色のストレートヘアの艦娘、五十鈴と夕立である。

 

 「何だか楽しそうっぽいっ。夕立もまぜてまぜて~」

 ぱあっと笑顔を浮かべて五十鈴の脇を駆け抜けると、島風に負けない勢いで日南少尉にタックルを敢行する夕立。

 

 「暑~い…溶けちゃいそうだよ、初雪だけに。…誰も聞いてないからセーフ」

 防盾を日よけ代わりに背中を預け、身体もダジャレもキレを失いぐったりしているのは初雪。その脇には大型のクーラーボックスが二つ三つ置かれ、よく見れば防盾の前には折りたたんだビーチパラソルやテーブルなどのアイテムが積まれている。

 

 「さあ少尉、午後の任務の発令をお願いしてもいいかな?」

 

 言いながらさりげなく日南少尉の右腕に自分の左腕を絡める時雨。緩く羽織ったラッシュガードの前は開け放たれ、いつものセーラー服のデザインを踏襲したビキニトップがいい感じに自己主張をしている。その格好で海上護衛してきたのか、という日南少尉の疑問は声にならなかった。夏になると艦娘達の制服の自由度が期間限定で高くなる。そのため、通常の制服を着ている由良と荒潮を尻目に、自由気ままな格好の艦娘も目立つ。

 「この時期はこの格好で、って艦隊本部から―――」

 慌てて日南少尉が時雨の口を塞ぐ。いやそういう話は、ね?

 

 「まったく…任務が終わったからって気を抜きすぎじゃないの? 先が思いやられるわね」

 やれやれ、という表情で首を横に振る五十鈴。花柄があしらわれたブルーのビキニとロングパレオが鮮やかだが、何よりブルーのワンショルダービキニの胸元が強烈な存在感を主張する。誰よりもやる気満々に見えるのは気のせいか、と皆思ったが、誰も突っ込むことはしなかった。何故なら、口に出すかどうかは別として、全員が楽しみにしていたからだ。

 

 「あー…こほん。遠征艦隊の五名は、よく無事に帰ってきてくれた。午前の遠征任務成功を受け、これより部隊は特別任務として、午後は白浜地区へ移動、大発を利用した砂浜への強襲揚陸、および拠点設営訓練を行う」

 

 おーっ!! と全員が元気よく声を上げ応える。遠征成功のご褒美として、要するに白浜地区にあるビーチに大発で乗り付けてバーベキュー(拠点設営)を行う。それが午後のお楽しみ(任務)

 

 『この暑い中頑張ってるんだから何かご褒美が欲しい』

 

 それは冷暖炬燵に身を預ける初雪の何気ない一言から始まった。いや君コタツムリだよね、と突っ込む間もなく、全員が賛成しきらきらした視線が向けられ、日南少尉は顎に手を当て考え込んだ。大規模作戦(イベント)のあおりでこれまで十分な作戦展開ができておらず、自分も含め部隊全体がやや消化不良気味になっているのは確かだ。モノで釣るようなやり方は好きではないが、気分転換にはいいかも知れない―――日南少尉は初雪の提案に合意し、次回の遠征任務を成功させたら、という条件を付した。ご褒美は皆で考えて決めるように、と言う事にした結果が、半日オフでみんなでビーチ、という事だった。

 

 移動中の大発で、ふと日南少尉は綾波に目を止めた。彼女もまた、この夏限定という藍色に花柄が鮮やかな浴衣姿である。海上護衛で裾は邪魔にならないのかな、という日南少尉は心の中で思っていた。

 

 「大丈夫ですよぉ~。いざという時はすぐに裾を上げますし、これで牽制できますから〜」

 これとは綾波が右手に持つ機関銃であるが、何故心の声と会話されてしまうのだろう、少尉は疑問に思いつつ、それでも綾波の笑顔に釣られる様に微笑み返す。

 「そ、そうなんだ…。でもご褒美が午後オフにして皆で遊ぶ、なんてので良かったのかな。間宮券とかそういうのをみんな欲しがるかと思っていたよ」

 少尉の言葉に一瞬だけ表情を変えた綾波は真面目に答え、すぐにまた柔らかな笑顔に戻り、仲間の輪に加わってゆく。

 

 「分かってませんね~少尉。いつ戦場で散っても悔いを残さないように、けれどそれ以上に必ず帰って来たい、そう思わせてくれるのは、モノより思い出ですよ~」




 夏イベに没頭していたもので、しばらくぶりでございます。クリア優先で進めてるのに、ようやくe5突破という有様。あと二つ、でも、かつてない速さで溶けゆく資材がが。この調子で掘り周回に入れるのだろうか…。


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009. それぞれの存在理由-1

 前回のあらすじ
 ごほうびにバーベキュー


 「…君には失望したよ。そんな風に考えていたんだね」

 執務机を挟んで視線を逸らさずに向かい合う日南少尉と時雨の間に走る緊張感。すうっと目を細めた少尉はこわばった表情を隠せず、おろおろしながら手を取り合う夕立と綾波は、くるりと踵を返す時雨の姿を見守るしかできずにいる。そんな不穏な様子を、初雪は冷暖炬燵に浸かったまま不快そうに顔を上げ見守っている。

 

 「なっ、何でそんな事言うの、時雨っ!?」

 不満を露わにした島風が黒いウサミミを揺らしながら詰め寄ろうとするが、時雨はするりと身をかわし足早に執務室から立ち去ろうとし、ドアノブに手を伸ばす。

 

 「ふぎゃっ!!」

 

 手がかかる前にドアノブが独りでに回り出し、遠慮なく開いたドアで時雨は顔面を強打し思わず妙な声を上げてしまった。赤くなった鼻を涙目で押さえる時雨は、開いたドアから入室してきた二つの影をぼんやりと見ていた。

 

 「…あら? 時雨さん、そんな所で何をしてるんですか? あ、そうそう、日南少尉、お客様ですよ」

 

 現れたのは鹿島。何かと用事を見つけてはやって来る彼女は、時雨を不思議そうな表情で見ていたがすぐに日南少尉へ視線を送り、満面の笑みを浮かべながら小さく手を振る。もう艦隊の一員でいいんじゃない、という頻度でやってくる鹿島には誰も驚かなくなっているが、もう一名は完全に新顔、というよりも宿毛湾で見ること自体が初めての存在。自然と全員の視線が集まる。

 

 「It's been a long time..., Admiralへの道を進んだということは、迷いは吹っ切れたのかしら」

 

 耳慣れない流暢な英語での挨拶に、さらに皆の驚きが増す。さらさらとしたストレートの金髪に、アイボリーのドレス風のローブをまとった艦娘。艤装さえなければどこか外国のお姫様、いやそれよりも女王然とした威厳のある堂々とした佇まい。そして日南少尉の反応は皆の予想を裏切るものだった。

 

 「……Warspite(ウォースパイト)…。なぜ君がここに…?」

 

 敢えて言うならロイヤルスマイル、威厳と優しさが同居した美しい微笑みを湛えたまま、静かに進み出るウォースパイトと、出迎えるように執務机の前に出てきた日南少尉。お互い手を伸ばせば届くほどの距離まで来ると、ウォースパイトは片膝をつきしゃがむと僅かに頭を垂れる。

 

「貴方が王たる道を進まれたと聞き、貴方の剣となる約束を果たすため、このウォースパイト、馳せ参じました。どうぞ着任をお認め頂きますよう」

 「まさか、留学時代(キール)での話を…?」

 

 ばたんっ!!

 

 激しい音を立てドアが閉まり、時雨が駆け出して行った。はっとした表情で手を伸ばしかけた日南少尉と、きょとんとした顔で周囲を見渡すウォースパイト、それを胡乱な表情で見つめる艦隊の艦娘達、ウォースパイトを案内してきた鹿島は、少尉のすぐそばまで近づいてくる。身長差があるため下から少尉の顔を覗き込む様な姿勢から、静かに、それでいて有無を言わせない口調で発せられた鹿島の言葉は―――。

 

 「日南少尉、ウォースパイト(この方)とはどういう…? もちろん納得のいく説明をみんなにしてもらえますよね?」

 

 花が咲くような笑顔と背中に背負った赤いオーラ…鹿島の柔らかい圧力に、日南少尉は無意識に冷や汗が流れるのを感じていた。

 

 

 

 

 遠くを飛ぶ海鳥のみゃあみゃあという鳴き声が風に乗って聞こえてくる。薄く靡くように空に広がっていた雲は、夕方も近づきどんどんと厚みを増し、その色も濃い灰色に変わってきた。天気の変化は天気予報通りだが、推移は予報より早いようだ。強く吹き抜ける風は、第二司令部の港湾施設からやや離れた小さな砂浜に立つ時雨の髪を大きくかき乱す。風は長い黒髪を躍らせ続け、押さえようとする時雨の儚い抵抗はいずれ止んだ。

 

 「はあ…言いすぎちゃったかなあ…。でも、僕は悪くない、と思うんだ…。それに、何だよあの金髪の艦娘…」

 

 日南少尉の着任以来、時雨には納得がいかないことが積み重なっていて、ついに今日爆発してしまった。教導拠点の母体となる宿毛湾泊地の大規模進攻(イベント)も無事終了し、派遣艦隊は現地で邂逅した多くの欧州生まれの艦娘を引き連れ、凱旋と呼べる戦果を挙げ帰投した。泊地の特性上、邂逅した艦娘の多くは艦隊本部に即時転籍となるが、泊地ひいては桜井中将の名声は高まった。

 

 ただ唯一違うのはウォースパイト。英国初の艦娘であり、少数だが精鋭揃いと名高い欧州連合艦隊の旗艦を務めた彼女は、嵐のような反対を押し切り、桜井中将に同行して日本へとやってきた。

 

 一方で日南少尉の教導艦隊運営も、少しずつだが着実に軌道に乗ってきた。建造も順調に進み、訓練と出撃の第一艦隊と遠征の第二艦隊でのローテーションを三交代で回せるほどに艦娘も増えてきた。第三艦隊解放のためのトリガーとなる川内型軽巡洋艦三姉妹の着任も、あとはネームシップの川内の着任を残すのみ…こう言えば色々順調に回っていると思える。実務面では間違いなくそうだろう。問題は時雨の気持ちだった。

 

 「君を分かっているのは、僕だけだと思っていたんだけど、ね…」

 

 砂浜に体育座りで背中を少し丸めながら膝を抱える時雨は、顔を伏せる。

 

 

 何かを約束した訳ではない、けれども確かに通じ合う何かがあると思えたあの日―――。

 

 

 

 時雨と日南少尉の出会いは、二年半前、ある日下された海上警備任務に時雨が参加した時まで遡る。

 

 その年の日本は、局地的な豪雨や季節外れの長雨などとても不順な天候だった。ある日、台風の影響で活発化した前線が齎した集中豪雨。緩んでいた地盤は大規模な土石流を発生させ、続いた大量の雨が被害に拍車を掛け、ある小さな町はほとんど壊滅といえる惨状となった。政府もすぐさま激甚災害に指定し、救援のため軍の派遣を決定した。だが、複数個所で発生した土石流により交通を遮断され孤立した、背後の山と前面の海に挟まれた山がちの小さな町には、陸と空からは近づけず、海からのアクセスより方法がなく、大規模部隊を即時投入、という訳にはいかなかった。

 

 国内の治安維持や深海棲艦との戦闘を考慮し、比較的手すきの軍関係者から組織された国内災害復旧支援派遣部隊、その先遣隊に、兵学校から派遣された日南少尉を含む学生の部隊と、海上警備のため派遣された時雨を含む宿毛湾からの部隊が含まれていた。

 

 市内を流れる幾筋の川から運ばれた大量の土砂や瓦礫で汚く濁った海に立ち、万が一の深海棲艦の襲撃に備える日々。そんな中、とある川の河口付近で軍人が作業をしているのが目に留まった。一人きりで、延々と何かを探している姿。

 

 「だいぶん水位は低下したけど、まだまだ危ないのに…」

 

 無謀ともえいるその行動を見ているうちに、時雨はだんだんといらいらしてきた。いつ終わるとも知れない海上警備行動を限られた人数でこなし、自分自身も疲弊している。万が一その人まで川に落ちて流されるような事になったら…これ以上手間を増やさないでほしい、軍人を退避させようと時雨は近くの砂浜から上陸し、河口に近づいて行った。念のため艦娘だと分からないように、お下げをほどいて髪型を変え伊達眼鏡をかける。

 

 

 

 「ここは危ないと思うんだ、軍人さん」

 

 振り返ったのは、軍人と呼ぶにはあどけない表情。顔と言わず服と言わず泥に汚れた彼は、じろりと僕を見るとすぐに元の姿勢に戻り、不機嫌そうな声を放つ。

 「君こそ早く戻りなさい。だいぶん水位は低下したけど、ここはまだまだ危ない」

 「そんな危ない場所で、君は何をしてるんだい? 万が一の時には誰かが君を助けるために危険な目に合うんだよ」

 

 僕のその言葉に、反応があった。

 

 「………君の言う通りかも知れない。けどね、自分はどうしても探したいんだ。妹が行方不明だっていう男の子に頼まれてね。あれからもう一週間、この場合の行方不明っていうのは恐らく…。けれど、例えそうだとしても、最期に一目会えるかどうかは、その後に大きく関わってくる。…どうしても他人事とは思えなくて」

 

 「………僕も手伝うよ、うん」

 

 他人事とは思えない―――おそらく、この人もきっとそういう経験が…そう思うと、どうしても放っておけなかった。彼は最後まで反対していたけど、折れない僕に諦めたようで、自分に結んでいた命綱を渡し、これで体をしっかりと縛るようにと言い、また作業に戻った。こんなの無くても僕は平気なんだけどな…そう思ったけど言い争っても仕方ないので言う通りにした。

 

 二人で作業をしながらぽつりぽつりと交わす会話で分かったのは、軍人じゃなくて兵学校からの派遣された学生さん、名前は日南さん、そして幼い頃住んでいた街が深海棲艦に襲われ、ご両親と妹さんと生き別れになっている…。

 

 「避難用の輸送船まで襲撃され、自分と妹は海に投げ出された。絶対に手を離さない、そう思っていたんだけどね。でも波にのまれ無我夢中で海面に顔を出した時、気付けば自分の手は何も握っていなかったんだ…」

 

 いつしか日南さんも僕も作業の手を止めていた。僕に向ける背中が小さく震えている。泣いてる、のかな…。

 

 「誰かの願いを叶えた所で、自分自身は何も変わらない。けれど、けれど…」

 

 気付けば背中から日南さんを抱きしめていた。僕にとっても他人事じゃなかったから。深海棲艦の攻撃での犠牲、それは僕を含む艦娘達が守れなかったから生まれてしまった。全てを守れると思うほど、僕は思いあがっていない。けれど、目の前で僕たちが守れずに大切な何かを失った人が悲しんでいる。

 

 「…兵学校の学生さんっていうことは、君はいつか提督になるんだよね? その時は、僕も一緒に戦うからね」

 「一緒にって、まるで艦娘みたいな事を言うんだな。でも、ありがとう。その気持ちだけでも嬉しいよ」

 

 

 

 「なのに…何であんなことを言ったんだい、君は…?」

 冷たくなり始めた海風に、時雨はぶるっと身を震わせ、回想から現実へと引き戻される。艦娘の数も増えたが、依然として出撃のペースは上がらず、出撃した場合でも殲滅戦は行わず、判定勝ちや優勢勝ち、評価基準でいえばA勝利どまり。資源の節約や艦娘側の被害局限、最初はそう思っていた。けれど、絶対に負けない代わりに大破や轟沈寸前の相手まで逃す。繰り返すA勝利に、艦隊全体に納得のいかない空気が広がっていた。このままじゃよくない、みんなが騒ぎ出す前に秘書艦として日南少尉の方針を改めて確認しなきゃ、きっと何か理由があるはず。そして返ってきた答は―――。

 

 「戦わずして勝つならそれが一番、艦隊の育成もあるし、当面は攻勢防御に徹しようと思うんだ。戦闘での勝利だけが、戦争での勝利ではないからね」

 

 まるで僕たち艦娘の存在意義を否定されたようで、思わずキツい事を言ってしまった…。




 先日ようやくe7クリア、三期ぶりのイベント完走を果たしました。作戦中のドロで、実装済みで自分艦隊に未着任の娘さんとそこそこ邂逅できました。ここからの残り期間、今回の新規実装艦との邂逅のため、堀りに臨もうとか思っています。ただ資源をかなり消費しているので、どこまでやれるか未知数ですが…。俺達の掘り(戦い)はこれからだ的な感じです。


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010. それぞれの存在理由-2

 前回のあらすじ
 女王降臨、秘書艦出奔


 納得のいく説明をみんなに―――鹿島にそう言われた日南少尉。部隊の艦娘達の視線が自分に集中しているのが分かるが、どこから話せばいいのか。むうっという表情で考え込む少尉をよそに、立ち上がったウォースパイトは我関せず、といった風情で滑るような足取りで、少尉の執務机へと向かう。椅子の座面や背もたれの弾力を確かめ、不満そうな表情を浮かべたものの腰掛け足を組む。肘掛けに置いた手で顎を支えるようにし、不機嫌な女王という雰囲気で周囲を睥睨する。それは色めき立つ艦娘よりも、むしろ日南少尉にも向けられているようだった。

 

 「安っぽい椅子…無いよりはマシですけど。日本はgrass carpet()に直接座る文化だから仕方ないのでしょうけれど。それともヒナミ、あなたはこんな安物の椅子が似合う程度の男性なのかしら?」

 

 痛烈な批判、いくら候補生相手とはいえ普通の艦娘がこのような物言いが許されるはずもないが、ウォースパイトが背負う峻厳な雰囲気は誰の反論も許さない威厳に満ちたものだった。

 

 「秘書艦(secretary)にあのような事を言われるとは情けない。ヒナミ、あの時の貴方は、迷い戸惑いながらでも、その瞳に曇りはありませんでした。ゆえに私も、新たな王として貴方を導こうと決心し、王権の象徴(レガリア)を海に捨ててまで極東の地に参ったのです。貴方が今も変わっていないことを願います。…ああ、そこのツインテールの貴女、そうです。紅茶を入れてくださるかしら」

 

 え、私? と自分を指さしながら戸惑う鹿島だが、そうすることがごく自然であるように柔らかく命じるウォースパイトには不思議と逆らえず、ぶつぶつ言いながら執務室に備え付けのミニキッチンへと向かい始める。他の艦娘達も唖然として一連の流れを見守るしかできずにいる。ややあって少し不機嫌な表情の鹿島がティーカップをトレイに載せ執務机にやってきた。

 

 「粗茶ですが」

 「…この味、謙遜ではないようですね。仕方ありません、後程英国(本国)より紅茶を取り寄せます」

 鹿島ににっこりとほほ笑みだけで返事をしたウォースパイトは、気品ある仕草で静かにティーカップを口元に運び一口紅茶を味わうと、身も蓋もない事を言い出す。苦笑いを浮かべ固まる鹿島に目もくれず、ウォースパイトは日南少尉に行動を促す。

 

 「何をしているのです、ヒナミ? レディを迎えに行くのは紳士の役目ですよ。シグレ…と言いましたか、早く迎えにいってあげなさい。そして誤解を解くのです、いいですね」

 

 複雑な表情を浮かべつつも、ウォースパイトに軽く会釈すると、日南少尉は軍帽をかぶり執務室を後にした。残された艦娘達の間に漂う微妙な空気。無いよりはマシです、と再び紅茶を口に運ぶウォースパイトに、我に返ったように島風が詰め寄る。

 

 「ねーねー、あなたってひなみんとどういう関係なの!?」

 

 ことり、と微かな音を立てティーカップを置いたウォースパイトは視線を島風に向け、どこか懐かしそうな表情を浮かべながら言葉を重ね始める。

 

 「私とヒナミですか? そうですね、あれは―――」

 

 

 

 「―――もう二年前になるかな。自分がドイツに留学していたのは知っているよね。ウォースパイトだけじゃない、その頃実装されていた数少ない欧州の艦娘達と、留学先のキール軍港で出会ったんだ」

 

 広い宿毛湾泊地を探し回る決心をしつつ、ダメ元で時雨にL●NEで連絡してみた少尉に、間髪入れず時雨から返信がきた。時雨はずっと砂浜でぼんやりと座っているらしい。文字通り駆けつけた日南少尉は、体育座りで座る時雨の横に、声が届く程度の距離で同じように体育座りで砂浜に座る。語られる日南少尉の話を、時雨はただひたすら聞き続けている。

 

 「子供の頃住んでいたマナドという街が深海棲艦に襲われて、自分は両親と妹と離ればなれになってしまったんだ」

 -うん、君はあの時そう言ってたよね。

 

 「避難用のフェリーまで襲撃され、海に投げ出された自分は、幸い近くに浮いていた救命ボートに乗ることができた。けれど、そのまま漂流する羽目になってね。水も食料もなく、赤道付近の海を潮に流されて何日も過ぎ、ほとんど意識も朦朧として子供心に死を覚悟したある夜、助けられたんだ。白く細い腕が自分を支えて、水を飲ませてくれた。あれがなければ、間違いなく死んでいたと思う」

 -そっか…ということは、当時その海域に展開していた艦娘の誰かが君を助けてくれたんだね。

 

 「でも、自分を助けてくれたのは深海棲艦だった、って言ったら信じてくれるかな? 今思えば彼女は防空棲姫だった。兵学校に進んだ後、調べられる限りの情報を調べてみた。マナド襲撃は当時のトップニュースだったみたいでね、かなりの情報が集まったよ。自分が防空棲姫に助けられたのは、ミナハサ半島とハルマヘラ島西岸の中間地点で、彼女は自分が発見される危険も顧みず、インドネシアとフィリピンの国境近くのサンギヘ島周辺まで自分を送り届けてくれた。実際、海域警備を担当する艦娘の部隊から砲撃を受けたよ」

 

 体育座りの膝に顔を伏せていた時雨ががばっと顔を上げ、信じられない、という表情で日南少尉を見つめ、思わず語気を強める。

 「そ…そんなこと、あり得ないよっ!! 深海棲艦が人間を助けるなんて…そんな…」

 時雨の反応にほろ苦い表情を浮かべた日南少尉は、やっとこっちを見てくれたね、と言い話を続ける。

 

 「奇跡の生還、なんて言われ日本に帰還した後、何度も事情聴取を受け、その度に同じことを話したけど、誰も信じてくれなかった。人類の敵・深海棲艦が人間を助けるはずがない、ってね。でも、救命ボートに寄り添い、取り止めのない話を交わし、水と食べ物をくれぎりぎりまで自分を送り届けてくれた彼女は、両親を失い盥回しにされた親類と言う他人の誰よりも優しかった」

 

 そこまで言うと日南少尉は立ち上がり、体を伸ばす。吹き抜ける海風に制服の上着の裾を揺らしながら、彼自身の核心に自ら触れる。それは彼が兵学校在学中に『非戦主義者の疑いあり』とまで疑問視された根本的な部分。

 

 「誰も信じてくれなくても、自分が防空棲姫に助けられたのは事実なんだ。もう一度彼女に会いたい、会って確かめたい。戦いの海でしか彼女に会えないなら、自分が提督になるしかない。馬鹿げているだろ、こんなの。それでも、自分は提督になると決めたんだ」

 

 

 「………君は、深海棲艦のために提督になる、そう言っているのかい?」

 

 同じように立ち上がった時雨が真っ直ぐに日南少尉の目を覗き込む。目を逸らすことを許さない鋭い視線、短く放たれた問い。回答次第では許さない、その決意を全身で表現している。日南少尉もまた、目を逸らさずに答える。

 

 「深海棲艦とは分かりあえる、自分はそう信じている。それは防空棲姫の行動が証明している。だからこの戦争自体を終わらせたいんだ。君達艦娘と深海棲艦、どちらの命も守る事のできる道がきっとあるはずだ。その日が来るまで、自分は敗けない戦いを続けてゆく、そう思っている」

 

 

 

 「―――そうヒナミは言った。彼がなぜ深海棲艦と和平を結べると思うのか、その核心部分については彼は語らなかったので分かりません。ですが、彼はそう固く信じています。そう願う彼を笑う事は容易です。戦争を始めるのは政治家の判断、戦闘に勝つのは軍人の責任です。ですが、戦争を終わらせる、その決断は王たる資質を持つ者にしかできません。でも、どうすればよいか、その方法は分からずとも、彼のその無垢な情熱に私は打たれたのです。英国初の艦娘として誕生しながら、母国には艦娘運用のノウハウはなく、先を行くドイツに派遣された私もまた、国を守りたい気持ちはあれどその道が見つからず苦悩していました。キールで出会った私とヒナミの願いは同じです。彼が戦争を終わらせるなら、私は喜んで彼の剣となる」

 

 そこまで言うと満足そうに目を細め微笑る、戦を憎む者(ウォースパイト)。そこにあるのは峻厳な女王の表情ではなく、まるで弟を愛しむ姉のような慈愛に満ちたそれだった。

 

 「なるほど~、ロマンチックですね~。でもですよ、日南少尉の指揮は、どちらかというと守勢的というか~、戦いそのものを極力避けようとしているようにも思えるんですよね~」

 小首を傾げなら綾波が声を上げる。その内容は綾波だけでなく、部隊の他の艦娘も同様に感じていた事だったため、多くの者がうんうんと頷く。それが部隊にとっての不満と疑問の根本である。深海棲艦との和平という途方もない夢、仮にそれを叶えるとしても、目の前に現れた敵と戦い勝たなければ全てが水の泡だ。

 

 果たして綾波の言葉を聞いたウォースパイトの目が鋭く光る。

 「そこのユカタを着ている駆逐艦の方、ちょっと詳しく教えて下さるかしら?」

 

 

 

 「…僕はあの日から、いつの日か君の元で戦い、海を深海棲艦の手から取り戻す、それを夢見て頑張ってきたんだ。一旦海に出て連中と向かい合えば、そこには命のやり取りしかないんだよ? 負けない戦い…君はそう言うけど、それで海は取り戻せるのかな? 人間を…君を守る事が出来るのかな? それとも、深海棲艦とお茶でも飲みながら話し合えば引き下がってくれるのかな? 和平とか戦争の終わりとか、もしそうなるならそれが一番いいと思うよ。でも、今の僕には…君が…理解できない、かな…。ごめん、先に行くね」

 

 沈み始めた夕陽が海を赤く染め、砂浜に長く伸びる二つの影を作る。一つはその場に立ちつくし、一つは立ち去ってゆく。

 

 



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011. 過去と今と将来

 前回のあらすじ
 日南少尉、語る。時雨、理解できず。


 飛び出していった時雨を日南少尉が追いかけ、その間にウォースパイトから部隊の艦娘達に明かされた、少尉の思い。全体としては何も間違っていない、自分たち艦娘が戦う理由は深海棲艦との戦いに勝ち海を取り戻す事、それ以上でもそれ以下でもなく、その先に訪れる、その先にしかない時間のためだろう。だからこそ自分たちは命を賭けて戦っているのだが…。

 

 話の後半に綾波から語られた日南少尉の指揮ぶりに、ウォースパイトは怒りと言うよりは悲しそうな表情になり、それ以上口を開くことはなかった。後程一人で戻ってきた時雨に注目が集まったが、その表情を見ると誰も声を掛けられなかった。自分に注がれる無言の視線に、少し煩わしそうにしながら、それでも時雨は一言だけぽつりと零した。

 

 「日南少尉は…僕たちがどうしてここにいるのか、分かってくれないのかな」

 

 

 

 それから数日、執務室はアンバランスな雰囲気へと変容を遂げていた。

 

 執務室に運ばれた一脚のゴージャスな仕様の椅子。家具職人の妖精さん達がウォースパイトの高貴なオーラに膝を折り、他の全ての仕事を投げ出し精魂込めて作製したそれは、イギリス王室の戴冠式に用いられる由緒正しきエドワード懺悔王の椅子の形状を踏襲しつつ、素材やデザインははるかに豪華な造りとして設えられた逸品。その椅子に優雅に足を組み座り、本を読むウォースパイト。日南少尉が就く執務席はもちろん、宿毛湾泊地全体を統括する桜井中将の物よりも明らかに格の違う高級さを漂わせ、そこだけが荘厳な玉座という風情である。その向こう、少尉の執務机とL字型に組み合わせられる秘書艦席からかりかりとペンの走る音が静かに続く。あの日以来、日南少尉も時雨もお互いぎこちない挨拶を交わし、業務上必要な事以外は喋っていない。折々お互い何か言いたそうな視線を向けるが、仕事に集中しているような雰囲気を醸し出してお互い婉曲に遮っている。

 

 

 ぎいっ。

 

 不意に椅子が動く音が二重にしたと思うと、同時に日南少尉と時雨が立ち上がった。

 

 「あ…」

 「う…」

 

 ぎこちなく空中で絡んだ視線、慌てて目を逸らす時雨と目を伏せる少尉。ウォースパイトは依然として微動だにせず本を読み続けている。

 

 「少し早いが午前の業務はここまでにしよう。自分は少し出かけてくる」

 「ぼ…僕もちょっと翔鶴さんの所へ行ってこなきゃ」

 

 

 「…あの三人が揃うと…特に空気…重い……。島風、そこのおせんべい、テーブルの上しゃーってして。…ん、ありがと(あふぃがほ)

 いつもの冷暖炬燵に浸かりながらテーブルの上に頬を載せている初雪は、冷暖炬燵の常連になり始めた島風に何気ない頼みごとをする。初雪の方を見ず、頼まれた通りに煎餅を滑らせる島風。待っていた口にジャストインした煎餅をもごもご食べる初雪と頬杖を突いてぼんやりとしている島風は、席を立った二人を見守る。

 

 「わひゃしはひょういのひうほうりにひゅるひゃけ…ひゃってひゃんむふはんひゃきゃら」

 「何言ってるのか分かんないよ。…でも、ひなみん……どうしたいのかな?」

 

 

 

 日南少尉と連れだって歩くのは、補給艦の速吸。実は日南少尉も、悩みに悩んだ末桜井中将に相談をしようと思い席を立ったのだが、時雨に中将の秘書艦の翔鶴の元へ行く用事があると言われた。さてどうしようか、と思いながら本部棟周辺をぶらついていたところで、速吸とばったり出くわし、誘われるまま散歩することになった。道すがら、過去の体験の事は伏せ、時雨との間でのすれ違い-極力犠牲を払わずに戦い続ける-について話をしていた。というより、ある程度の事は速吸の耳にまで届いていたようで、むしろ彼女の方から水を向けられたほどだ。

 

 「―――そうだったんですね。…少尉さん、今年の夏も終わろうとしています。私、毎年夏になると、少しお腹が痛くなるんです。何でか分かりますか?」

 思いがけない質問に、日南少尉は眉根に皺を寄せる。わざと元気を装って大きく手を振りながら速吸は先を歩き、前を向いたまま答を明かす。

 「実は…速吸にもよく分かってません。でも、私がフネだったとき、夏の終わりに魚雷攻撃で沈んだみたいなんです。だからその時の記憶がきっとそうさせてるのかな、って」

 

 そして立ち止まり、振り返る。真面目な相で日南少尉をまっすぐに見つめる。

 

 「少尉さんは、きっと『将来』の事を語ってますよね。でも私達艦娘は『今』と『過去』の両方を生きてます。戦船として戦い、破れた過去を下敷きにして甦って、新たな時代でも戦っています。そんな私達に『戦うな』って言うのは、ちょっと残酷かなあ、って…。私は補給艦でとっても弱くて、でも、もし目の前で仲間や少尉さんが深海棲艦に攻撃されたら、絶対に戦います。自分の身を犠牲にしてでも守りたいですっ」

 

 殴られた、そうとしか表現できないほどの衝撃を日南少尉は受けていた。結果として齎されるはずの深海棲艦との和平。過程にある戦いは現状では避けられず、何より艦娘自身が自らの存在理由として拠っている事実。方法論の無い理想など絵空事に過ぎない。だいたい和平とは言うが、どうやって深海棲艦を対話のテーブルに就かせるのか? かつて自分は姫の一人に助けられた。だがそれは単なる一つの特異な例で、一つの極例を全てに当てはめるのは全体を歪めてしまうかもしれない―――。

 

 暗然とした表情に変わった日南少尉の制服の袖口をくいくいと引っ張り、速吸は手近にあったベンチへと少尉を誘う。ダークグリーンと白を基調とし、オレンジのストライプがアクセントになるZ(瑞雲)カラーと呼ばれるジャージにプリーツミニを履く速吸。ジャージの中に手を突っ込み、スポーツドリンクのペットボトルを取り出し日南少尉に手渡すと、にっこりとほほ笑む。

 

 気を取り直し、いったいどこから…そう思い速吸をじっと見ていた少尉に、はにかみながら速吸が答える。

 「あ、これですか…。期間限定で着る様に、って艦隊本部から指示があったので。もう少ししたらいつものジャージに戻りますから」

 ジャージ(そっち)じゃなくてペットボトルの話ね、と言いながら、個人的にはそのジャージの方が可愛いと言うか…と心の中でぽつりとつぶやいた少尉の声は、しっかりと速吸に付いてふよふよ飛んでいた妖精さんによって伝えられてしまった。

 

 「わわっ!? ドキっと(被弾)しました。私、恋愛的に免疫(防御力)ないので、少しピンチです」

 顔を赤くして日南少尉に背を向けながらも、ちらちらと様子を窺う速吸。当の少尉は何の事だかわからずにきょとんとしている。照れたような笑いを浮かべながら、胸に手を当て深呼吸を繰り返し、自分を落ち着かせるようにする速吸が、思わぬ事を口にし始めた。

 

 「少尉さんの事、注目している艦娘、とっても多いんですよ?もしかしたら宿毛湾(ここ)から連れ出してくれるかも知れない人だから…。鹿島さんなんて『絶対少尉と一緒に行く』って宣言してますし。私のように戦闘が得意じゃない艦娘でも、やっぱり強くなってみんなを支えたい、そう思ってます」

 

 そこまで言うと、速吸は目を伏せ、言いにくそうにしながら、それでもハッキリと言葉を続けた。

 「でも宿毛湾にいる限り、限度があります。桜井中将はとても優しい方で、艦隊の指揮も巧みで、得難い指揮官だと思います。でも、あの方は翔鶴さんしか見ていないから、翔鶴さんを除いて練度の高い艦娘でも99止まり…。中将に恋愛感情を抱いてる子も、ただ強くなりたい子も、今のままでいいやって子まで様々です。けれど、ケッコンカッコカリっていう制度があっても、ここではガチなので翔鶴さんだけ。何て言いますか、閉塞感というか、戦力としても女の子としても中途半端というか…。だから、候補生の方が来ると皆期待しちゃうんです、えへへ」

 

 女性としての夢や憧れと、戦船としての強さへの渇望がないまぜになった複雑な感情。それが艦娘という在り方であり、自分が相対し指揮する存在。自分が自分の知識や思い込み、あるいは幻想を通して艦娘を見ていたことに気付かされた少尉だが、だからといって今すぐ何かができる訳でも自分の考えが一八〇度変わる訳でもない。キールでの出来事がどうしても頭に残っている。それでも、ただ、あるがままに目の前の艦娘を見る、今の自分にできるのはそれだけなのだろうか…少尉は深く考え込み始めた。

 

 そんな日南少尉を見つめていた速吸だが、軽く反動を付けてベンチから立ち上がるとくるっと振り返り、赤く染まった頬に満面の笑みを載せ、小さなガッツポーズを見せる。そして足早に立ち去って行った。

 

 「大丈夫ですよ、少尉さん。速吸がサポート、頑張りますっ」

 

 

 

 ぱたり、とハードカバーの本を閉じる音が執務室に響く。沈黙が支配していた室内に思いのほか響いた音は、冷暖炬燵で眠りに落ちていた初雪の目を覚ますには十分だった。

 

 ぼんやりと虚ろな視線で周囲を眺める初雪の目に映ったのは、玉座から立ち上がると一歩歩みだし、唐突に膝を折りしゃがみ込んだウォースパイトの姿。突然の事に思わず身を起こした初雪だが、一瞬だけ顔を歪めたウォースパイトは、何事も無かったように立ち上がる。そして初雪の方を振り返り、綺麗な人差し指を口に当てウインクをすると執務室を出て行った。その仕草が誰にも言うな、という意味なのは明らかだろう。

 

 「………執務机に玉座に炬燵、変な部屋…」

 

 再びこてんと炬燵のテーブルの頬を載せた初雪は、そのままうとうとと眠りに戻って行った。



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The Beginning
012. 女王陛下の憂鬱


 前回のあらすじ
 艦隊のマネージャー速吸。かわええ。


 「―――それで時雨は納得したのかい?」

 

 その問いに、桜井中将の秘書艦・翔鶴は静かに首を横に振る。時雨から頼まれ時間を取った翔鶴は、彼女の思いや悩みを受け止め、提督であり伴侶でもある中将に相談していた。翔鶴も翔鶴なりに時雨に話をしたというが、納得は得られなかったという。一連の話を注意深く聞いた中将は嘆息するしかなかった。

 

 なるほど、全て得心が行く。インドネシアの東端の街マナドが深海棲艦に襲撃された際の、数少ない生き残りの子供。保護された際に『白い深海のお姉ちゃんが助けてくれた』と繰り返していたとは、確かに噂で聞いたことはある。彼の名前は秘匿されたが、その後引き取られた先の養子となり変わった名字、さらに兵学校入学を境に本来の姓に戻すなど、その後の彼がどう過ごしたのかを物語るようだ。

 

 「日南君には二つの問題が混在している。一つは幼少時の体験から来る深海棲艦との和平を模索する思い。もう一つは、キール留学時のウォースパイトの件だ。それが、非戦主義者、彼の行動をそう言われても否定しにくいものにさせている。そして現状、艦隊運営と教導に強く影響を出しているのは後者だね。前者は…嫌いではないが正直青臭い理想論だと思うよ。彼が成長する過程で軌道修正してくれればよし、としよう」

 「はい…。ですがウォースパイトさんの件は、日南少尉の責任とは言えないのでは…」

 「責任転嫁する男でないのは好感できるけど、必要のないことまで抱え込むのも困り者だ。過去の記憶を受け継ぐ艦娘は、濃淡の差はあるがその影響を受けている。夜を怖がる者、特定の季節になると不調を訴える者、そしてウォースパイトのように特定の部位に不調をきたす者…こういう不安定な面があるから、司令官は艦娘を心身ともにサポートするけれども、一方でそれだけではどうにもならない事もあるからね…」

 

 

 

 「う~ん…ウォースパイトさん、ごめんなさい。原因が特定できません。こういう不定愁訴が一番技術屋泣かせなんですよ~。できれば調子が悪い時に来てもらえると助かるんですが…」

 「No worry, アカシ。気難しいだけのドイツのエンジニアと違い、貴女はよくやってくれたと思います」

 

 執務室を後にしたウォースパイトが訪れたのは、工廠設備だった。玉座とは異なる、無骨な鋼鉄製の椅子に座り明石の検査を受けていたが、ひんやりとした冷たさが意外と心地よく感じる。ウォースパイトは、座面に右の踵を載せ膝を立て、少し前かがみになると両手で爪先から象牙色のニーソックスをゆっくりと履き、短いスカートを少しめくりガーターで留める。何気ない仕草だが、ショルダーオフのローブから覗く豊かな胸、ミニスカートでの片膝立てで露わになる太もも…気品ある色気には同性の明石でさえ目を離せなかった。当のウォースパイトは、憂いを帯びた表情で前髪を触り、何事かを考えているようで、明石の不躾な視線に気づかないようである。

 

 

 英国デヴォンポート海軍工廠で誕生したウォースパイトは、誕生と同時に往時の記憶を引き継ぐデメリットを受ける事となった。かつてHMS Warspiteとして幾多の海を駆けた時と同様、原因不明の舵や機関の不調を起こしたのである。いつ、どのように起きるか法則性は無く、その度合いもその時々で異なる。英国初の艦娘として誕生した彼女だが、当時の英国海軍には彼女を扱い切るノウハウがなく、艦娘先進国の日本ははるか遠くの極東にあり、情報交換も思うに任せない。ジョンブル魂にとっては屈辱ではあったが、英国海軍は欧州で艦娘運用の最先端を行くドイツにウォースパイトを派遣し、運用ノウハウの習得と同時に原因不明の不調の修復に当らせようとした。

 

 その派遣先は、ドイツ海軍の根拠地の軍港を抱えるキール基地である。当時の同地は、さながら欧州産艦娘の見本市の様相を呈していた。ビスマルク、プリンツオイゲン、グラーフツェッペリン、Z1、Z3のドイツ艦隊、イタリア、ローマ、アクィラ、リベッチオのイタリア艦隊、フランスからもコマンダン・テストが集まり、ドイツの誇る艦娘運用ノウハウを吸収しようとしていた。無論ドイツとしても単なる親切心で各国の艦娘を受け入れる訳もなく、各国から相応以上の見返りを受けての事である。

 

 どちらかといえば往時の枢軸国の艦娘が大勢を占める中、一人堂々と英国から乗り込んできたウォースパイト。その彼女を含めた一一名の艦娘の訓練にあたったのが、日本から留学でやって来た日南少尉である。無論他国からも派遣された士官や留学生もいたが、その中でも艦娘運用の先進国・日本から来た日南少尉の存在は際立っていた。当時学生だった日南少尉に出来る事は限られており、主に訓練指揮を担当し、演習の指揮を通して、少尉は艦娘の挙動や特性を、艦娘達は人間の指揮の元組織的な戦闘を、お互い学び合った。

 

 キール基地で唯一の東洋人として良くも悪くも周囲と壁があった日南少尉と、かつての枢軸国の艦娘に囲まれる孤高の女王ウォースパイト。二人は少しずつ距離を縮め、お互いの心中を語り合い、やがて深く信頼を置く関係へとなっていた。

 

 「戦は避けられないものです。それでもヒナミは戦いたくないと言うのですか? ヒナミ、私は貴方を臆病者と思いたくない。私の誤解を解いてもらえますか? 」

 「戦いそのものを終わらせればいい、自分はそう思います。そのためにどうすればいいのか、それはまだ分かりません。ただ、この思いを失くさない限り、いつか道は見つかる、そう信じています」

 

 「……それは軍人ではなく、政治家…いえ、王の発想です。ヒナミ、貴方が信じる道を違えぬのなら、いつの日か私は貴方の剣となり、貴方の道を拓きましょう。これは、その約束です」

 

 涼やかに、それでいて艶やかに、静かに右手を差し出すウォースパイト。日南少尉もまた、中世の騎士のように、進み出ると片膝をつき、その手を取り軽く口づける。手の甲に軽く触れる感触に僅かながら頬を赤らめたウォースパイトの表情を、少尉が知ることは無かった。

 

 

 

 そんなある日、異変が起きた。日南少尉が指揮を執る五対五の演習が、島々が入り組むキール湾を抜けた先、デンマークとスウェーデンに挟まれたカテガット海峡で行われた。その帰途で、北海から侵入してきた深海棲艦の水雷戦隊の襲撃を受けることとなった。燃料弾薬とも残量少、あったとしても演習弾のため効果は期待できない。

 

 「この()()、ようやく私の出番が来ましたね。Sally go!」

 キール基地が騒然とする中、演習であればヒナミの指揮下で作戦行動が取れる、と独断で動いたウォースパイトを追認する形で、日南少尉は彼女の指揮を執った。

 

 演習部隊がシュラン島とフュン島の間を抜け退避するのに逆らうように、ウォースパイトは前進し、シュラン島西端の近くまで進出した。複雑な海岸線を形成する同島の突き出た半島を遮蔽物に使い、演習部隊を追いかけてくる敵部隊が姿を見せた所に斉射を加える―――演習部隊とも連携を取り、全ては上手く行くはずだった。ウォースパイトの舵がシュラン島西方一五km地点で突然故障するまでは。

 

 演習部隊と敵部隊を遮るような位置で動きが取れなくなったウォースパイトは、機動力に優れる水雷戦隊との戦いに苦戦し、回避もままならず魚雷を叩き込まれた。それでも果敢に反撃し、敵を食い止め続けている間に、帰投した演習部隊は補給を済ませ実弾に換装しウォースパイト救援に急行、敵の殲滅と彼女の救助に成功した。

 

 港で帰投を待つ日南少尉の前に現れたのは、セーラー服とオフショルダーのドレスローブを合わせたようなアイボリーの制服は至る所ボロボロで艤装も半壊、火傷や出血も痛々しいウォースパイトの姿。兵学校で教わった()()()()()が、血を流し痛みを堪えながら撃ち合う現実を目の当たりにして、まだ軍人になりきっていない、当時の日南少尉は愕然とした。

 

 「The old lady never loses if she lifts her skirt」

 

 雷撃のせいで脚部に大きな被害を受け、足を引きずるように帰投したウォースパイトは、往時のカニンガム提督の台詞をもじり、「オールドレディもスカートをたくし上げれば負けませんよ」と日南少尉を励ます様に華やかに微笑んだ。

 

 だが―――。

 

 元々不調を抱えたウォースパイトの舵と機関は、この戦いで受けた雷撃によりさらに不調となり、入渠でも解消できなかった。他国から派遣された艦娘に損傷を与えた責任を回避したいドイツ海軍は、指揮権逸脱として日南少尉に責任を押し付け、幕引きを図る日本海軍の判断で留学期間は当初予定から大幅に短縮され帰国することになった。

 

 

 自分が戦場に送り込んだ艦娘に癒えない傷を残した、その思いが日南少尉を縛り、留学の前後で、勝つための指揮から負けないための指揮へとガラッと変わってしまった。

 

 

 

 「とにかく、今後は不調を感じたら、いつどのような状況で何が起きたか記録してもらえますか? そこから原因と対策を探ってゆきましょう。大丈夫ですよ、ウォースパイトさん。私一人じゃなく、夕張にも協力してもらいますからっ」

 明るく励ます明石の声に、深い思考の海から引き揚げられたウォースパイトは、微笑みだけで返事をすると工廠を後にした。

 

 

 「ヒナミを縛っているのは私…。ヒナミが責任を感じる必要などないのに…どうすれば分かってもらえるのでしょうか」

 



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013. それだけでうれしい

 前回のあらすじ
 女王陛下のサービスと回想を両立する回。


 桜井中将は執務机に就き日南少尉が提出した報告書にじっくりと目を通し、一つ大きく頷いた。机を挟み直立不動の姿勢の日南少尉も、小さな安堵のため息を漏らす。だが報告書を読み終えても中将は何か言いたげな視線を日南少尉に送っている。

 

 「………中将、何か?」

 「ふむ…日南君、時間はまだ少しあるかな。応接の方へ移ろうか」

 

 促されるままに、広い執務室に設えられた応接セットへと少尉は向かう。杖を突きながらゆっくりとした足取りの中将の着席を待ってから、革張りのソファに浅く腰掛けた少尉は、少し身を乗り出す様にして中将が口を開くのを待っている。

 

 「済まないね、秘書艦(翔鶴)には席を外させたからお茶の一つも出せず」

 

 意図的に自分と二人で話をする時間を作ったと言われては、日南少尉は気を引き締めるしかない。膝に肘を置き口元を隠す様に手を組む中将の視線は柔らかく日南少尉に注がれている。

 

 「聡明で自己抑制が強い君が相手だ、単刀直入に言わせてもらうよ。君は、幼少時の経験から深海棲艦との和平を夢見ている、そしてキール留学時の経験から艦娘の損傷を恐れている。この二つが混ざり合った結果、艦娘の指揮は守勢的になり、深海棲艦との戦闘も殲滅せず敵が引けば追わない。違うかな? 日南君、曖昧な指揮は彼女達を死地に導いてしまうよ」

 

 視線を日南少尉から逸らさず、それでいて世間話をするような穏やかな口調の桜井中将。的確な内容と分析に、日南少尉は一言の反論もできず、ただ俯くだけだった。だが続く言葉に、堪らず日南少尉は顔を上げる。

 

 「和平は過程に過ぎない。その結果として何を目指しているのかな? ゴールが曖昧だから君は迷う、当然のことだ」

 

 戦争や紛争・災害が無く世の中や暮らしが穏やかな状態が平和、争っていた当事者が仲直りするのが和平、意味は似ているが明確に違う。ある日海から現れ、無差別に攻撃を開始した深海棲艦。軍民の別を問わず海を行く船は全て沈められ、その攻撃はすぐに内陸部へも及び、いくつもの街や地域が灰燼と化し数多の人命が失われた。産学官に宗教まで日本が総力を挙げた『天鳥船プロジェクト』の成果として艦娘が誕生するまで、どれほどの犠牲を払い続けたか。平和に至る過程としてしか和平は成立せず、相手を圧倒し交渉の場に引きずり出すか、双方が相互理解のもと交渉に臨むかとなる。深海棲艦とどうやって交渉するのか? その答を日南少尉は持たねばならない。それは政治の話だ。それでも―――。

 

 「―――軍人、分けても提督であろうとするなら、君は艦娘達を戦わせるより他ない。戦って勝って、深海棲艦を和平交渉の場に連れてくるしかない。艦娘の目的意識と存在理由は不可分、彼女達は戦船であり女性であり、何より軍人なのだよ。日南君、この場で君に答えは求めない、けれどハッキリさせるべきだよ。軍のためにも艦娘のためにも、そして君自身のためにも…む、済まない、電話のようだ。ああ、私だ。今は日南少尉と…ふむ、そっちに島風が…そうか、そういうことなら―――」

 

 携帯を片手に立ち上がり席を外していた桜井中将が呼びかけるが、再び俯いた日南少尉は、ぼんやりと膝に置いた自分の拳が震えるのを眺めるしかできずにいた。

 

 「もうこんな時間か…気分転換に鳳翔の所にでも行こうか。私は一つ片づける事があるので、先に行って始めていてくれ、いいね」

 

 

 居酒屋鳳翔―――。

 本部棟に近いこの施設はいつも多くの艦娘で賑わっている。白木のカウンターが眩しい代名詞の居酒屋、日南少尉の歓迎会の会場となった和洋広間、そして敷地の西側を流れる川に面したプライバシーの確保された個室…名前こそ居酒屋だが、その規模は料亭と呼んでも遜色ないものである。

 

 からからと軽い音を立て店の入り口の引き戸を開けると、中から涼やかな声がする。

 「いらっしゃいませ。お待ちしておりました、日南少尉」

 

 白木のカウンター席に着いた日南少尉。その向こうには、薄紅色の着物の上に白い割烹着を着た鳳翔が、左手に持った小皿を口元に運び味見をしている。納得がいったようで、うん、と小さな声を上げくるりと振り返る。鳳翔の動きに合せポニーテールも揺れる。

 

 「歓迎会以来でしょうか、随分お会いしていない様な気がしますね」

 「済みません、こんな立派なお店だと気おくれしてしまいまして」

 イタズラっぽい笑顔でからかう鳳翔に、苦笑いを浮かべながら返す日南少尉。

 

 「ふふ…日南少尉の部隊のみなさんは、ちょくちょくお店に来てくださいますから。遭遇戦を避けてらっしゃる、という所かしら?」

 

 料理を用意する所作の流れに乗せ、さりげなく発せられた言葉に日南少尉は固まってしまい、辛うじて目だけで鳳翔の動きを追いかけていた。視線に気が付いた鳳翔は、片手を頬に当てながらワザとらしく嘆息する。

 

 「いえ、こういう場所でお店をやっておりますと、色々な話を耳にしますし、桜井中将からも日南少尉のお話をゆっくり聞いてあげて欲しいと頼まれまして。貸切ですのでゆっくり寛いでくださいね。さて、今日のお料理は私にお任せいただいてよろしいですか。含め煮から始めますね」

 

 今度は日南少尉が嘆息し、桜井中将は最初から自分一人を居酒屋鳳翔に行かせるつもりだったことをやっと理解した。既に自分はここにいるし、席を立つのは中将にも鳳翔にも失礼である。せっかくだし…と気分を切り替えて日南少尉は鳳翔の料理を楽しむことにした。

 

 含め煮。

 素材の持ち味を引き出すためたっぷりの薄味の煮汁で時間をかけて味を含ませる煮方。季節感、素材同士の相性、全体の色彩、食感…これらを念頭において組み合わせられ、基本にして奥深い料理である。

 

 ことり、と小さな音と共に、椎茸、人参、南瓜、高野豆腐、鶏肉が盛られた器が日南少尉の目の前に置かれ、香りがふわりと広がる。思わず箸に手が伸びかけた日南少尉だが、まず鳳翔に向かい軽く目礼し、料理に手を合わせてから食べ始める。まずは出汁の良くしみた高野豆腐から。口に含むとじゅわっと染み出る出汁は、どうも灰汁が感じられる。んん? と思いつつ南瓜に箸を伸ばすと煮崩れている割には芯まで火が通り切っていない。人参も同様だ。いや、これは…歓迎会の時の料理には程遠い、でも…。日南少尉が微妙な表情で逡巡する様を、鳳翔はなぜかにこにこしながら眺めている。

 

 「いかがですか?」

 「え…そ、そうでね…」

 

 問いかけながら答を確認しようとせす、鳳翔は真面目な相に変わり話し始める。

 

 「含め煮は決して難しいお料理ではありません。ただ、仕上がりのお味をきちんと想像して、素材ごとの持ち味を最大限活かすよう、下拵え、煮る順番や火加減に注意して、時間を掛けて仕上げないと、思ったとおりのお味になりません。日南少尉、どう思われますか?」

 「いや、自分は料理を………いえ、料理の話ではないのですね…」

 

 自分が目指すものを示し、様々な個性を持つ艦娘達、その彼女達の持ち味が生きるよう指揮を執る。何より優先順位を定め強弱を付けた行動により、時間を掛けて達成する。自分に足りないのはそれではないのか。鳳翔は料理を通してそれを教えようとしている―――。

 

 日南少尉の指摘に、鳳翔は微笑みながら意味ありげな言葉を残すだけだった。

 

 「ふふふ、どうでしょうか。私は、純一な気持ちに少し手をお貸ししただけです。改めて含め煮を召し上がっていただきますね」

 

 鳳翔の視線の先を追いかけるように日南少尉も見ると、その先―――。

 

 湯気がほんのり上る器を載せたお盆を持った島風が、覚束ない足取りで近づいてくる。緊張しているのか、一歩歩くたびに黒いウサミミが揺れ、日南少尉に目もくれず視線はお盆に注がれてる。

 

 「し、島風っ!?」

 

 まったく予想していなかった展開に日南少尉は上ずった声を上げてしまった。その間にも自分の座る席までやってきた島風が、おずおずとお盆から含め煮の盛られた器を目の前に置き、不安そうな視線を送ってくる。どういうことか分からず、少尉は助け船を求める様に鳳翔の方を見る。

 

 「随分心配をかけてるようですよ、日南少尉。その点は反省してくださいね。島風ちゃんは、元気のない少尉が心配で、元気が出るお料理を教えてほしい、そう言って私の所に来たのです」

 「でもっ!!」

 鳳翔の言葉を遮るように鋭く声を上げる島風。大粒の涙が目の端に溜まり、ぷるぷると震えている。

 「でも…ぜんぜんできなかったもん…」

 「大丈夫ですよ、二度目に作ったのはとてもいいお味でしたよ」

 「だってだって、ほとんど鳳翔さんにやっちゃってもらったし…」

 鳳翔がぱたぱたとカウンターから出てくると、そっと島風の両肩に手を置き、ほんとうに優しく励ます様に島風に声を掛ける。島風が一人で作ったのは最初に出された含め煮。そして今持ってきたのは、鳳翔がアドバイスしながら作ったもの、ということか。

 

 「…自分は本当にだめな候補生ですね。こんなにもいろんな人たちに心配をかけて」

 

 日南少尉は新たな器に手を合わせ、ゆっくりと島風が作った含め煮に箸を伸ばす。具材は全て同じだが、整った形の根野菜にはしっかり芯まで火が通り、野菜本来の甘さを鶏の旨味と上品な出汁が引き出している。何と言うか、安心する優しい味。鳳翔の言葉によれば、違うのは順番と加減と時間、それだけでこれほど仕上がりに差が出るとは―――。

 

 「島風、ありがとう。本当に美味しいよ。…元気になったよ、うん」

 「おう゛っ!? ほんとにおいしいっ!? ほんとに元気っ!? えへへ~」

 期待半分不安半分の表情で日南少尉の横に座わり、僅かな動きや表情の変化も見逃さない、と至近距離からガン見していた島風が、ぱあっと満面の笑みを浮かべ少尉の首筋に勢いよく抱き付く。

 

 「あらあら、仲がいいのですね。少尉、あちらの小上りに移りませんか。せっかくおいで頂いたのに、何もお出ししないとあっては『居酒屋 鳳翔』の名折れです。島風ちゃんのお料理ほど少尉には響かないかも知れませんが、鳳翔のお味、ぜひご賞味くださいね」

 

 

 

 「…ひなみんが元気になるなら、島風、何でもするから言ってね。 でも、ひなみんが元気じゃないと、島風も頑張る気にならないよ」

「心配かけてごめんな。自分は…どうすべきか覚悟しなきゃ、それはハッキリ分かったよ。島風のお陰だ、ありがとうな」

 

 居酒屋鳳翔からの帰り道、日南少尉と島風は月明かりに照らされながら夜道をゆっくり歩いている。本部棟から第二司令部までは大発で五、六分だが、歩いて帰ることもできる。その場合居酒屋鳳翔の近くを流れる川にそって北上して橋を渡りまた戻って来るので大きく遠回りとなる。だが今日に限っては島風が歩いて帰ることを主張した。

 

 「ん」

 「ん?」

 

 小さな手を差し出した島風と包むように握り返した日南少尉は、月明かりに照らされ静かに歩き続ける。しばらく経って、意を決したように日南少尉が口を開く。

 

 

 「島風、明日朝イチで全員を集めてくれ。先延ばしにしていた次の作戦に取り掛かる」



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014. The Beginning

 前回のあらすじ。
 時に厳しく、時に優しく。


 ずーーーー………ぶくぶくぶく…。

 

 「…お行儀悪いっぽい、時雨」

 甘味処間宮、テーブルを挟んで座る夕立と時雨だが、普段は天真爛漫な夕立が眉をひそめ時雨にダメ出しをする。目の前にいる時雨は、両肘をテーブルにつき口元を隠すようにしながら注文したクリームソーダで遊んでいる。ずーっと音を立ててソーダを吸ったと思うと、そのまま吹き戻しクリームソーダの表面が泡立つ。

 

 夕立の方を見もせず、でもその言葉に素直に従った時雨の視線がぼんやりと宙を彷徨う。

 

 「君のために戦える、片腕になれるって証明したいんだ。次こそ必ず…」

 

 現在、日南少尉が指揮する教導部隊は海上輸送ラインを防衛するため、製油所沿岸部での海上護衛作戦を展開している。通称1-3と呼ばれるこの海域最奥に陣取る深海棲艦の主力部隊を目標に進攻中だが、今の所海域解放にまでは至っていない。戦端を開いて以来、四回進攻したが、二回羅針盤が逸れ、敵の前衛艦隊や支援艦隊との遭遇戦を余儀なくされた。残り二回は相手の主力艦隊が潜む海域最奥部へ至る北回り航路に入ったものの前衛部隊との交戦で大破艦が出たため撤退、という結果になっている。そしてその大破艦は、いずれも時雨である。

 

 

 「君が前に進むなら、今度こそ、今度こそ…必ず僕が海域を開放してみせる。あの時の扶桑や山城のように…僕は、進まなきゃ」

 

 「むぅ~、思いつめ過ぎで拗らせてるっぽい…。あの日からそうっぽい…」

 危うい視線でぼんやり宙を見つめる時雨を、どうすれば止められるのか、夕立には言葉が見つからなかった。そんな彼女の言うあの日とは―――。

 

 

 

 日南少尉が居酒屋鳳翔を訪れた翌日、部隊の艦娘達は第二司令部の会議室に集められた。秘書艦の時雨ではなく、唐突に島風から招集がかかったことに微妙な感じを覚えたが、呼ばれた以上行かねばならない。艦娘達は会議室にまとまりなく広がって、それでいて何となく仲の良い者同士で固まりながら少尉が現れるのを待っている。今や教導部隊の所属のように当たり前に顔を出している鹿島に関しては最早誰も突っ込まないが、時雨とウォースパイトは輪から外れる様に壁に寄り掛かっている。特に時雨はぼんやりとして思考の海に入り込んでいるように見える。

 

 日南少尉が自分の秘めた思いを時雨に吐露した日、二人は意見が合わず砂浜で別れ、それ以来、どうしても以前のようにできない。それは少尉も同じで、お互い目に見えない壁のようなものを感じながら日々を過ごしていた。比例するように二人の間の屈託のない会話は減り、反比例するように常に他の誰かが少尉の傍にいる事が増えた。

 

 

 -秘書艦、解任されちゃうのかな…。今日の招集だって、本当なら僕の役目のはずなのに島風が…。

 

 時雨の物思いを打ち消す様に、がちゃり、とドアが開き軍帽の位置を整えながら日南少尉が入室してきた。全員が一斉に姿勢を正し敬礼で少尉を迎える。時雨との一件以来、日南少尉の指揮を疑問視する声もない訳ではない。だが、それでも艦娘として自分の指揮官を信頼したい、という気持ちは根底にある。加えて、何があっても変わらず日南少尉を信じ続けると宣言した島風と初雪、さらに桜井中将が成功させた欧州救援作戦の結果、英国から自ら希望し少尉の指揮下に加わったウォースパイト、この三人の存在が周囲に好影響を与えているのも確かだ。

 

 相対する少尉は全員を見回し、ややあって柔らかく微笑んだと思うと、姿勢を楽にするよう艦娘達に促す。淡々として、それでも明確な意思を含んだ口調で話は始まった。

 

 「次の作戦に関するブリーフィングを行う。我々はこれより海上護衛作戦を実施し、製油所地帯沿岸地域の海上輸送ラインを防衛する。本海域には、水雷戦隊で構成される前衛部隊、重巡リ級を擁する支援部隊、そして最奥部には戦艦ル級を中核とする深海棲艦の主力部隊が陣取っているとの偵察結果で、現在の我々の戦力では苦戦も予想される。それでも、これを撃破し前に進むため、皆の力を貸してほしい」

 

 会議室にわあっと歓声が広がる。自分たちの指揮官は戦いを怖れてなんかいない、経験の少ない候補生だし迷う時もあるよね、とそれぞれ近くにいる艦娘と手を取り合い、喜びを分かち合う。その波がひと段落すると、皆現実に戻り、ざわめきがさざなみのように広がってゆく。

 

 教導艦隊はすでに鎮守府正面と南西諸島沖の二海域を解放し、任務達成に伴う報酬として宿毛湾泊地から貸与された吹雪型駆逐艦四番艦深雪と天龍型軽巡洋艦二番艦龍田が戦列に加わっている。彼女達二人以外にも建造やドロップで所属する艦娘は着実に増え、任務では出撃系はB6まで、編成系はA6まで達成している。戦力の充実は進みつつあるが、一部の貸与艦を除いて、実戦練度という点ではまだまだ心もとない。

 

 そして製油所地帯沿岸海域の最奥部に陣取るのは、戦艦ル級-これまで解放した二海域で戦った軽巡や駆逐艦と一線を画す難敵。強固な装甲と大口径砲を備える洋上の要塞と言える存在であり、そして戦艦固有の特性、砲撃戦の強制二巡化により、一歩間違えば水雷戦隊では一方的に蹂躙されかねない。ざわめきはやがて静まり、その代わりに一人の艦娘に視線が集中する。相手にル級がいるなら、自分達にはウォースパイトがいる-そう訴える視線が鼓舞するようにウォースパイトを見つめ、続いて日南少尉へ視線を移す。

 

 決意が本物なのか、言葉としての表現だけなのか…壁に寄り掛かかり俯いていたウォースパイトが、ゆっくりと頭を上げ日南少尉を真っ直ぐに見つめる。日南少尉の指揮を変えるきっかけとなった、自分の原因不明の舵や機関の不調は今でも解消されていない。それは彼も知っている。果たして自分を戦場に投入できるのか―――。

 

 「ヒナミ…よろしいのですか…?」

 「…それでも戦う事が君の存在意義なんだよね? なら自分は、()()も込で指揮を執る」

 

 自分から視線を逸らさず僅かに頷く日南少尉。迷いがない訳ではないのだろう、だが、全てを分かった上で呑み込んでいる、そういう種類の目。自分が与えてしまった過去の軛に、果たして彼なりに決着を付けたのだろうか…いけない、男が決意として口に出したことを重ねて確かめるなど…。首を振り、一歩、二歩…背筋を伸ばした美しい姿勢でウォースパイトは日南少尉へと近づき、無意識に手を伸ばす。高揚、歓喜、安堵…色々な感情がウォースパイトに訪れたが、誰が少尉の背中を押したのか、それを考えるとチクリと胸の奥が痛む。

 

 「日南少尉、もう一度、教えてくれないかな。ここから先、敵はさらに強力になり中途半端な戦闘では倒せないし、僕たちも無傷ではいられない。それでも…君は指揮を取れるのかい?」

 

 会議室の教壇の前に立つ日南少尉と、奥の壁に寄り掛かったまま、凛と通る声で重ねて覚悟を問う時雨。その距離がそのまま、二人の今の距離を現しているようだ。秘書艦を名乗る者が、主を信じずしてどうするのか。最も不安なときこそ、最も信じなければならない―――珍しくウォースパイトが不快感を露わにして時雨を振り返る。急激に高まる緊迫感が会議室を満たし、他の艦娘達も怖々と二人を見守っている。唯一初雪だけは、携帯ゲーム機に似た機械をかちゃかちゃと動かしている。

 

 「…そうだね、時雨。君の言う通りだと思う」

 

 優しく、どこまでも優しい日南少尉の声が時雨に向けられる。

 

 「…自分の目の前には、戦いの海で命を賭ける君達がいて、背中には守られるべき銃後の民間人がいる。それが自分の現実だ。自分が何を願おうとも、今は深海棲艦との戦争の最中、軍人として成すべきことの優先順位は間違っていけない、そう思うんだ」

 

 そこまで言うと言葉を切り、日南少尉は泣くとも笑うともつかない不思議な表情を見せる。

 

 「自分の描いた夢は、大それた、あり得ない夢かも知れない。それでも、遠い過去を背負いながら今を戦う君達も、自分は一緒に未来へと運びたい、()()()手を取り合う未来へと。夢と現実の間で、今の自分に出来る事をする、そう決めた。傷つけ傷つけられるのがこの世界なら、ありのまま向き合う。その先にしか未来はない、だから例え一歩でも前に進む。…時雨、答えになっているかな?」

 

 「…全部が分かるとは、言えない、かな…。でも、分かる所も分からない所も、全部ひっくるめて、君は君なんだね。だから…君がどこまで行くのか、僕は戦い続けて、最後まで隣で見届けてあげるよ、うん。だから…これからも一緒にいて…いい、かな?」

 

 知る者にはその夢が何か、知らない者にもある種の覚悟が伝わる日南少尉の言葉。涙ぐんだ眼を隠すようにぷいっと横を向きながら、わざと軽い感じの口調で時雨は答え、時雨の問いに日南少尉は手を伸ばし応える。最初はまばらに、そして会議室は艦娘達の拍手と歓声で満たされ、日南少尉を中心に集まってきた艦娘の輪が出来る。

 

 「これ、すごく便利…。騎英の手綱(ベルレフォーン)って夕張さんが言ってた」

 初雪が携帯ゲーム機のような機械から目線を逸らさず呟く。あらゆる乗り物を御すと言われる黄金の鞭と手綱の名を冠されたそれは、アプリ化して登録されたあらゆるリモコンを一台で遠隔制御する家電便利グッズ。

 「や、冷暖炬燵、切り忘れたなって思って…。でも…大事な場面みたいだったったから…会議室のスピーカーとマイクをいじって宿毛湾中に中継、した……。成功…すると、いいな、うん」

 

 初雪の目論見通り、この中継を切っ掛けに、教導部隊だけでなく宿毛湾の艦娘も含め、日南少尉への誤解は解け始めた。ただ同時に少尉への注目がさらに高くなったのはまた別な話として。

 

 

 

 そして再び時間は現在へと戻る―――。

 

 「日南少尉、今回は北回り航路に入ったよ。間もなく敵前衛艦隊との戦闘に入りそうかな。待っててね、すぐに蹴散らして敵の主力艦隊に向かうから」

 

 五回目の進撃、羅針盤に勝利し北東方面の航路に入った教導艦隊、今回の編成は時雨、島風、綾波、神通、五十鈴、そしてウォースパイトとなる。旗艦を務める時雨から待ち受ける前衛艦隊との戦闘準備に入ったとの連絡が宿毛湾の第二司令部に入った。その声に、どこか思いつめたような、焦りの色を感じた日南少尉もまた、不安な表情を隠せずにいる。



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015. VS自分

 前回のあらすじ。
 日南少尉、始まる。


 細かく波立つ海面を切り裂くように足元の主機は唸りを上げ、体を前へ前へと推し進める。今日は風が強いが、六人の艦娘達は風圧に負けない力強さで前進を続ける。唯一玉座を模した艤装に腰掛ける形のウォースパイトを除き、時雨、島風、綾波、神通、五十鈴の五名は、吹き荒ぶ風に髪を躍らせ、制服のスカートの裾も大きくはためいている。先頭を行く旗艦を務める時雨が敵前衛艦隊との戦闘で損傷しているが、他の艦娘達には目立った損傷もなく、艦隊の士気も高い。

 

 今回で五回目となる製油所沿岸海域への進攻は、北回り航路に入ることに成功した。この航路に入り敵前衛艦隊を突破すると、敵主力艦隊が陣取る海域最奥部へ到達できる可能性が高まる。あくまで高まるだけだが。

 

 可能性―――。深海棲艦との戦端が開かれて以来、人類は敗走に敗走を重ねてきた。その理由は至って簡単なもの。深海棲艦をレーダーやソナー、センサーで探知できないからだ。だが言いかえると、電子兵装に障害が発生する海域に深海棲艦は巣食っている、その関係性が明確になった。そして、その海域で、原理は不明ながら深海棲艦の存在を感じられるのが妖精さんであり、その力を宿す艤装を身に付ける艦娘である。

 

 それでさえ進軍は不安定なものになる。妖精さんが深海棲艦の存在を感知できる範囲は大雑把で精度は低く、それを頼りに前進し艦娘の電探により中短距離で探知精度を補う。要するに行ってみなければ分からない、そういう方法ゆえに、いつしか大航海時代に準え『羅針盤に勝つ』という言葉まで生まれた。

 

 今回の出撃で時雨たちは一度目の羅針盤に勝った。この海域では二度羅針盤に勝たねば最奥部への航路を取ることができず、それゆえに教導艦隊は出撃を重ねていた。

 

 

 

 「前衛艦隊は全艦撃沈とのことだけど、よくやったね。ところでこっちの被害状況は?」

 「ありがとう…よくやった、そう言ってもらえるのは本当に嬉しいよ。被害は…僕がかすり傷を負ったくらいだよ」

 

 海域最奥部に向け進行中の部隊、旗艦の時雨と日南少尉は状況把握のため通信中だが、時雨の言った『かすり傷』の言葉に日南少尉は眉を顰める。報告と呼ぶには主観的な表現、言葉通りなのか、あるいは正確に報告すれば作戦の中止を命じられる損傷なのか。いずれにせよ時雨には曖昧にしたい何かがある…日南少尉の声に力が籠る。

 「時雨…正確に報告してくれるか? 損傷は艤装なのか身体なのか、状況によっては―――」

 「少尉、ごめんねっ。妖精さんが何か感知したって言ってるんだ。ここからが勝負所だね。航路が確定したらまた連絡するよ」

 

 今行くから、という時雨の声。おそらくは僚艦への呼びかけだろうが、その声が遠くなりながら通信は終了し、日南少尉と鹿島は何とも言えない表情で顔を見合わせる。ずいっと、頬を膨らませた鹿島の顔がすぐ間近に迫る。思わず身を引いた少尉だが、鹿島の表情がいつものように自分をからかうものではない事に気付く。

 

 「大丈夫でしょうか、時雨ちゃん達…いえ、時雨ちゃん…」

 

 これまで四回の出撃では、羅針盤に翻弄され海域最奥部に陣取る敵主力艦隊との交戦には至っていないが、日南少尉は言葉通り迷いの無い指揮を取っている。今日こそは、の思いで作戦司令室には遠征組以外の艦娘が詰め、今回の戦いの成り行きを見届けようとしている。教官の立場を利用して作戦補佐という役割を強行に主張し日南少尉の隣に陣取る鹿島だが、往時は第四艦隊の旗艦を、さらに現界した今は宿毛湾で教官を務める経験と実績を活かし、的確かつ献身的に少尉をサポートしている。

 

 

 

 「や~りま~したぁ~」

 ニコニコしながら海面を飛びはねる綾波が、海上に突き出した櫓のような建造物へと急ぎ、五十鈴や神通もそれを追う。妖精さんが感知したのは、遺棄された海上プラント。深海棲艦の登場以来、それまで海底資源の採掘用に建てられた施設が至る所に遺棄されている。深海棲艦の攻撃で破壊された物も多いが、難を免れ今も現役で稼働している物も多い。ここ製油所沿岸海域では、その名の通り石油精製プラントが生き残り、艦隊に僅かながらの補給を齎してくれた。だが、島風とウォースパイトはプラントへ向かわず、時雨の様子を気に掛ける。

 

 「時雨、ほんとにどこも痛くないの?」

 「シグレ、きちんとヒナミには報告しましたか? 彼は何と?」

 「うん? 損傷は艤装なのか身体なのかって確認されたかな。この程度で日南少尉に心配かけたくないしね」

 「中破はこの程度とは言いませんよ。シグレ、貴女は一体何を考えているのです?」

 

 顔を覗き込もうとする島風を躱す様に、頭の後ろで両手を組み、くるりとフィギュアスケートのようにその場でターンする時雨を、ウォースパイトは冷めた視線で眺め厳しい言葉を投げかける。その言葉に、ぴたり、と動きを止めた時雨が真っ直ぐに見つめ返す。

 

 「遥か昔、僕たちがまだ軍艦だった頃の記憶…あの時、スリガオ海峡を突破しようとした扶桑も山城も…どんなに被雷しても前進を止めなかった。それでも…辿り着けなかった…。何かが僕を駆り立てるんだ、止まるなって…日南少尉のためにも、僕は…」

 

 ウォースパイトは思わず顔を顰めてしまった。過去の記憶を受け継ぐ艦娘は、濃淡の差はあるがその影響を心身に受けている。自分は身体だが、時雨の場合、生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)として心理面に現れているようだ…ウォースパイトが重ねて声を掛けようとしたのを遮るように、五十鈴が慌ただしく時雨の元へ駆け寄ってくる。部隊で唯一電探を装備している五十鈴の齎した情報は部隊を騒然とさせるのに十分な内容だった。

 

 「正しい方向に連れてきてくれた妖精さんにお礼しなきゃだね。南東四〇km地点に、戦艦ル級を中心とする敵主力艦隊を五十鈴さんの電探がキャッチしたよ。第二戦速で北西に進行中だって。僕たちを迎え撃つつもり、かな」

 

 

 

 南東に向かう教導艦隊と北西に進路を取る敵艦隊。向かい合わせで四〇kmの距離をお互い第二戦速で潰し合えば約三〇分後に会敵する。

 

 「反航戦カッコカリ、ですね」

 同意を求める視線を送る鹿島の声に、厳しい表情を崩さずに日南少尉が頷きかけた所で、緊迫した声で神通が事態の急変を告げてきた。

 

 「日南少尉っ! 時雨ちゃんの左主機から煙が…戦列から落伍中! ああ…中破なのに無理をするから…。と、とにかく、指示を…いただけますでしょうか!!」

 

 スピーカーから届いた時雨中破の言葉に、作戦司令室がざわめく。片側の主機が停止ということは、楽観できる状態ではない。しかも落伍した時雨を支えるためすでに戦列は乱れ足が止まりかけているようだ。指令室に満ちたざわめきは、すぐに日南少尉の怒号でかき消された。普段穏やかな彼がここまで感情を露わにするのを皆初めて見た。

 

 「なにがかすり傷だっ! 状況が分かってたら違う手も打てたのにっ! …今言っても仕方ない、神通、敵艦隊状況知らせっ。鹿島、情報精査、敵の動きを予測っ」

 

 神通からはこちらの動きが乱れ速度が落ちたのを察知した敵艦隊が増速したとの情報が入り、それを聞いた鹿島が顔色を変える。

 「これでは格好の的になっちゃいますっ。反航戦を挑むように見せかけ、相手が釣られたら急加速してから回頭、丁字に持ち込んで瞬間的に大火力を叩き込む…やろうとしてた事をやられちゃうかも…少尉、どうしましょう…」

 

 必死の表情で鹿島が日南少尉に訴える。状況は一気に悪化した。この間にも彼我の距離はどんどん縮まり、このままでは艦隊は大打撃を受けかねない、最悪の場合誰かが轟沈する恐れさえ…。作戦司令室にいる全員の視線を一身に集めながら、日南少尉は一つ大きく深呼吸をすると指示を出す。

 

 「全員良く聞いてくれ。全員第三戦速まで増速し突入続行」

 

 その言葉に全員の顔色が変わる。犠牲を顧みないつもりなの? 囁かれ始めた非難めいた声を気にする様子もなく、日南少尉は指示を続ける。

 「敵艦隊との距離二〇kmまで接近したら…ウォースパイト、斉射開始だ。弾着観測は不要、target at random(自由目標で攻撃)、広角で撃ち続けてくれ」

 「ちょ、ちょっと待ってヒナミ。私達の位置だと追い風なのよ。そんなことをしたら砲煙で視界が遮られて命中弾が得られないわっ」

 堪らずにウォースパイトが割り込んでくる。追い風での砲撃は、第一斉射の砲煙が風で前方に流れそれ以降の砲撃の視界を遮ってしまう。しかも少尉は連続砲撃を指示している。

 

 「そう、追い風だからね。砲煙が君達の姿を覆い隠してくれているうちに体勢を立て直す。神通、君は五十鈴、島風、綾波を率いて突入、雷撃戦を仕掛ける。深追いはしなくていいが、できれば雷巡と駆逐艦は叩いてほしい。そして時雨…」

 

 非難の囁きは、すでに感嘆の声へと変わっている。状況と天候、人型の大きさを利用し、砲煙で自分達の姿を隠しながら体勢を立て直し、反転攻勢に打って出る作戦…特に鹿島はキラが三重についた状態で日南少尉に熱い視線を送り続けている。だが深追いはしない―――状況が状況だから、判定勝ち狙いは仕方ない、というより合理的な判断、誰もがそう思ったがすぐにそれが間違いだと気づかされる。

 

 一方、名前を呼ばれたものの指示がない時雨は、ある種の覚悟を決めていた。損傷を隠し進軍し、肝心な場面で部隊の足を引っ張った…時雨の行動を客観的に見ればそう言われても反論の余地はない。当然、厳しい処罰を後日下す、そういう意味の話が続くのだろうかと、再び指令室に緊張が走る。

 

 少しの間が空き、見えないのを承知だろうが、日南少尉はふっと相好を崩し話し続ける。

 「…君はウォースパイトの護衛だ。そしていざとなったら回避に専念すること。これは命令だ。神通率いる水雷戦隊は、敵に打撃を与えるだろうが、相応に被害も受けるだろう。君には残存の水雷戦隊を率いて夜戦を仕掛けてもらう。だから、これ以上の損傷を負う事は許さない。…損傷の過少報告…君を信頼しているから、自分は君を叱らねばならない。だから…必ず帰って来るんだ、いいね?」

 

 スピーカーからは、時雨のうんうんと頷く声とすすり泣く声が伝わってくる。

 

 「シグレ、さあ泣き止みなさい。そろそろ二〇km地点よ。Enemy ship is in sight. Open fire!」

 

 ウォースパイトの凛とした声が嚆矢となり、敵主力艦隊との戦端が開かれる。



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016. 雨はいつか止むさ

 前回までのあらすじ。
 時雨、やらかす。日南少尉、立て直す。


 戦艦ル級、雷巡チ級、軽巡ヘ級に加え、駆逐ロ級二体で構成される敵主力艦隊。先に敵が優位な体勢から砲撃を加え始めた中での反撃は、砲煙をカモフラージュにする奇手で敵の目を晦ます事には成功したものの、戦いはこれからが本番となる。依然として緊張感が支配する作戦司令室で、少し気まずそうな表情で日南少尉が鹿島に頭を下げている。

 

 「鹿島…ああ、いや…鹿島教官、いくら緊迫していたとはいえ、乱暴な口をきいてしまい申し訳ありません」

 

 ふふーんと意味ありげな表情で、鹿島が強調するように胸を持ち上げる様にして腕を組む。

 「鹿島はさっきみたいな呼ばれ方の方が嬉しいかなあ。何て言うか、『俺の女』感丸出しって言うか、男らしかったですよ、うふふ♪ あ、でも今はそんな話じゃないですよね」

 

 鹿島はキャスター付の椅子を引き寄せ座ると、ヘッドセットを装着しリンク通信を設定する。作戦に参加中の全艦娘と同時接続される仕組みで、刻々と変化する戦場の状況を個々の艦娘から直接フィードバックするものだ。六人全員と接続確認を済ませ、鹿島はもう一組のヘッドセットを日南少尉に差し出す。

 

 

 

 「Fire! fire!! fire!!!」

 玉座を模した艤装から、両手で体を支えながらも少し腰を浮かせるようにし、ウォースパイトは移動しながら絶え間なく砲撃を続ける。玉座を左右から覆う艦首様の装甲に設置された38.1cm Mk.I連装砲は速射性と集弾性に優れ、砲撃開始から約7分で13回もの斉射を加えている。

 

 ウォースパイトが危惧した通り、第一斉射で齎された黒々とした砲煙は朦々と立ち込め、()()砲撃での命中は期待できない。だが日南少尉が期待した通り、往時のように軍艦サイズではなく人型サイズの艦娘六人の姿を敵の目から隠すには十二分な効果を発揮する。こちらからの砲撃も牽制程度にしかならないが、同様に相手の砲撃に的を絞らせず、さらに回避や警戒行動を強制する意味は大きく、水雷戦隊は突入の体勢を整えきった。

 

 「さあ皆さん、準備はいいですか。最大戦速で突撃します、遅れないで」

 

 薄らと儚げに、それでも目は冷ややかに微笑む神通が静かに宣言し、立ち込める黒煙の一角から飛び出す。それに続く綾波と五十鈴、そしてやや遅れて島風。上体を倒し気味にして前方投影面積を抑え風の抵抗を減らし、速度と回避を両立させながら疾走を続ける水雷戦隊は、あっという間に敵艦隊の左後方に迫る。砲撃を続けるウォースパイトへの応射で火線を右舷側に集中していた敵艦隊が、慌てて神通達に対応しようとするが一歩遅かった。

 

 「そろそろですね、五十鈴さん、ウォースパイトさんに通信お願いします。そして…島風ちゃん、一番槍を譲ります」

 「いいわ、五十鈴にお任せっ! ウォースパイトッ、偏差計算と修正射よろしくっ!」

 

 この海戦で重要な役割を担っているのは、実は五十鈴である。建造成功以来優先的に育成が図られ、既に第一次改装まで終えている彼女は二一号対空電探を装備している。対水上電探ほどの精度を持たない対空電探だが、二点間を測距するなら話は違う。日南少尉の指示で、ウォースパイトが射撃を開始した地点で測距開始、そして水雷戦隊として突撃し敵艦隊に接近してから再度測距し伝達。つまり移動中の敵艦隊はその二点間にいることになり、砲煙で視界が遮られていても、観測対象の相対的な移動速度と変位を計算し、ウォースパイトは射撃を修正できる。

 

 「五連装酸素魚雷!いっちゃってぇー!」

 そして、三人の黒髪の艦娘を追い越し、風になびく長い金髪が踊り出す。後方から最大戦速で追いかけてきた島風は、このタイミングで先行する神通達を追い抜き、射撃体勢を安定させるため、若干ブレーキをかけながらお尻を突き出すようにして上体を倒し背中を少し反らす。背負式の五連装酸素魚雷の魚雷格納筐が回転、次々と魚雷を横撃ちで放つと、すぐさま加速して遠ざかる。

 

 「突撃します、私に続いて!」

 凛とした表情の中に僅かに浮かぶ愉悦の色。やや遠方から島風が雷撃を開始したのと同時に突撃する三人。島風の酸素魚雷二本の直撃で駆逐ロ級は爆沈、それでもようやく左舷後方から迫る水雷戦隊への反撃体勢を整えた敵艦隊も激しく砲撃を加え、必死に撃ち払おうとする。

 「よく狙って…てぇえええ~い!!」

 軽巡へ級ともう一体の駆逐ロ級を相手取り、必死に敵の砲雷撃を躱しながら砲撃の機会を伺う綾波と、援護に入る島風。そして神通は、急加速と急減速を繰り返しながら雷巡チ級に接近、閃光のような右前蹴りを繰り出し動きを止める。顔の大半を鉄仮面のようなもので覆う雷巡チ級だが、予想しない近接戦闘で強烈な蹴りを叩き込まれ口元が苦悶の表情に歪み思わず上体を折り曲げる。

 

 「あなたは、優しく殺して(眠らせて)あげますね」

 その間に背後に回った神通はチ級の頭の上下を掴むと、回ってはいけない角度で強引に回す。砲声とは違う、骨の砕ける音が鈍く響き、そのままチ級は永遠に沈黙した。

 

 「げ…こっち狙う訳!?」

 五十鈴の顔色が変わる。敵味方双方一人ずついる戦艦だが、ル級はウォースパイトとの撃ち合いよりも水雷戦隊を撃ち払う事を選択したようだ。両前腕に艤装を装着した、全身黒づくめの無表情な女がゆっくりと砲身を動かし砲撃体勢に入る。巡洋艦とは桁の違う火力がそのまま自分に向けられる恐怖に、思わず五十鈴の体が硬直する。そんな時でも目だけは動き、ル級がにやり、と笑ったのを見た気がした。続いて目にしたのは、敵の発砲炎と同時に飛来した主砲弾が直撃する光景だった。ウォースパイトの主砲がついにル級に直撃弾を与えた。

 

 「たかが上部兵装を少し失っただけよ。機関部はまだ大丈夫!」

 巨大な水柱がすぐそばに立ちあがり、大きく体勢を崩し水面に倒れ込むも依然戦意旺盛な五十鈴だが、至近弾によりこの時点で中破。だがル級の左腕側の艤装も大きく損壊し、無表情だった顔が苦悶に呻いている。

 

 「この私から逃げられるとでも? イスズ、appreciate your support!」

 

 至上最高の武勲艦と称されるウォースパイトは、何が凄かったのだろうか。数々の海戦に参加し、甚大な被害を受けても戦列に復帰する強靭さもそうだが、約24kmという遠距離で敵戦艦に命中弾を与えるという移動目標に対する長距離射撃の命中記録を持つ射撃精度こそ、彼女の真骨頂である。そして艦娘として現界した今も、その長所は見事に引き継がれている。五十鈴の観測情報を元に射撃修正を行い、修正射で見事にル級を捕捉した。

 

 「さあヒナミ、私に期待していたのはカモフラージュだけかしら? 倒してしまってもいいのでしょう? シグレ、前進しますよっ」

 

 

 

 「―――戦艦ル級中破、軽巡ヘ級小破、残りは撃沈か。そしてこっちは、中破が時雨に五十鈴、小破が綾波と島風とウォースパイト、神通は無傷か…。状況は分かった、夜戦まで待つ必要はない。時雨、再突入の指揮を取ってくれるかな。雷撃戦で一気にカタを付けてくれ」

 

 「日南少尉…本当に、ボクでいいのかい?」

 不安げな時雨の声がスピーカー越しに響く作戦司令室。少尉はその問いに直接答えず、短く、しかしはっきりと応える。

 

 「港で待ってる。時雨が、全員が帰ってくるまで」

 

 

 

 涼しくなった夜風を受けながら、日南少尉は港に立ち、夜空と溶け合う黒い水平線を見続けている。その隣には携帯用通信機を肩掛けした鹿島が寄り添うように立っている。

 

 既に鎮守府正面海域と南西諸島沖の解放に成功しているが、今回は意味が違う。戦艦ル級という難敵、戦闘開始直前での作戦変更、何より、日南少尉自身が明確な意思で指揮を執った初めての戦い。教官を務める鹿島にしても、候補生のサポートだけではなく、自分や姉の香取が教え続けた艦娘達が指揮官の強い意志の元、本当の意味で初めて一つになって臨んだ戦い、だからこそ勝利を掴んでほしかった。

 

 通信を通して既に勝敗は知っている。敵艦隊殲滅、文句なしの結果に作戦司令室は歓声で満たされた。雷撃戦に直接参加できない中破した時雨と五十鈴は敵に的を絞らせないため動き回り、時雨を狙った軽巡ヘ級の雷撃をウォースパイトが身を呈して庇い大破したが、その間に神通に綾波と島風の一斉雷撃でル級とへ級の撃沈に成功した。

 

 夜戦を待つことなく、打って出る時は打って出る-日南少尉の判断力に合格点を与えた鹿島だが、覗いていた大型の双眼鏡を離すと、夜目にも輝く笑顔で日南少尉に訴える。

 

 「日南少尉っ、時雨ちゃん達ですっ!」

 

 人間より遥かに優れた感覚器官を持つ艦娘の目には、夜間の水平線に現れた艦隊を見つける事ができたが、日南少尉がその目で確認できたのは、六人が宿毛湾泊地の港湾管理線を越えたあたりだった。

 

 神通を除き、程度の差はあっても損傷を負っている艦娘達。突堤脇のラッタルから最初に陸に上がってきたのは、時雨だった。本人は相当渋っていたが、他の五人に無理矢理背中を押され、今にも泣き出しそうな表情で、外跳ねの髪も元気がない。

 

 「…艦隊、帰投したよ。損害状況は通信で連絡した通りで変更なし。今度は…本当だよ」

 敬礼の姿勢は取っているが、時雨はどうしても日南少尉と目を合せられず目を伏せてしまう。

 「時雨、言ったよね。自分は君を叱らなきゃならない。どうしてか分かるかい?」

 

 とても静かで、それでいて心に通る問いかけ。時雨は一瞬何かを堪えるにぐっと唇をかみしめたが、ゆっくりと答え始める。

 

 「虚偽報告をしたから」

 「違う」

 「作戦を予定通り遂行できなかったから」

 「違う」

 「あのままだと、少尉が僕を轟沈させちゃうかも知れなかったから」

 「それはそうだが、それも正確ではない」

 「じゃあなんなのさっ」

 

 

 「君が自分を大切にしないからだ」

 

 焦れた時雨が反駁したが、きょとんとした表情で固まる。目の前の日南少尉は静かな表情だが、断固たる意志を感じさせる強い目をしている。一歩ずつ近づいてくる少尉から時雨は目を離せず、ついに二人の距離は縮まった。

 

 「艦娘は過去の記憶に影響を受けているんだろう? けれど、だからと言って今の自分の生き方を過去に合せる必要はない。過去は過去で向き合い、その上で現在そして未来を一歩ずつ作り上げていけばいい。自分は君達艦娘からそれを教わったんだ。時雨、君の生きる時間は過去にしかないのかい?」

 

 ぽすん。

 

 時雨が日南少尉の胸に頭を預ける。

 

 「し、時雨?」

 「君は…ズルいよ。そんな叱り方をされたら、何も言えないじゃないか………ごめんね」




 ここまでで第一部が終了となり、次回から次の展開に入る予定です。


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Intermission 1
017. 例えばこんな休日: 前半


 前回のあらすじ
 ハンモックナンバー第三位、やればできる子。


 「結果的に無駄骨になって良かったと思うが、ご苦労だったね翔鶴」

 「いえ…ですが、少々過保護ではありませんか? 1-3(製油所地帯沿岸地域)で、しかも戦艦を加えた戦力ですよ? 私を含めた機動部隊で後詰にあたらずともよかったのでは?」

 二人だけの執務室で、お茶を飲みながらソファーで寛ぐ桜井中将と秘書艦の翔鶴。今日の話題は日南少尉の指揮した製油所地帯沿岸海域の戦い。あの戦いで、少尉を含め教導部隊は知らない事だが、桜井中将は秘書艦の翔鶴を旗艦に、瑞鶴と大鳳、秋月と照月、長門からなる宿毛湾最強の機動部隊を後詰で派遣していた。万が一教導部隊に甚大な被害が生じた際、すぐさま敵を屠れるよう、村田隊長率いる天山一二型を中心とした強力な攻撃隊が準備していたが、日南少尉の指揮の元、教導艦隊は敵主力部隊を殲滅し翔鶴達に出番はなかった。

 

 無言のまま微笑んだ桜井中将は、テーブルの上のお茶に手を伸ばし、ずずっと啜り、翔鶴に問いかける。急に思いがけない事を聞かれ、口に羊羹を加えたまま、翔鶴はむぐっと固まってしまった。

 「そうか? 翔鶴は思いのほか日南少尉に厳しいようだが?」

 「そ、それは…あなたがかつて瑞鶴の驕りを正してくださったように、ですね。その…才能のある子は、早いうちから道を間違えないように…」

 

 結局二人とも何だかんだ言って日南少尉のことを認め、正しく歩んでほしい、そう願っている。杖を手にしソファーから立ち上がった桜井中将は翔鶴の隣へと移動し、そっとその肩を抱く。ごく自然に頭を肩に預ける翔鶴の表情が柔らかく嬉しそうに変化する。

 「俺達も随分と長い事一緒にいるよな、もし、俺たちに子供がいたら…つい、日南少尉をそんな風に見てしまって、ね…」

 「………………はい、私も同じことを考えていました…………」

 

 しばらくの間、二人はお互いを労わるように寄り添っていたが、翔鶴が口を開く。

 

 「…あなた、今回の出撃に要した資材類ですが…日南少尉に課金(チャージ)してもいいのでしょうか?」

 「え………や、それはさすがに…」

 驚いて思わず体を起こした桜井中将に、小さく舌を出した翔鶴がいたずらっぽく微笑む。

 「冗談、ですよ」

 

 

 

 さてその日南少尉だが、今日が休日と言う事もあり、昨夜からほとんど徹夜で夜明け間際を迎えていた。

 

 話を前日に戻そう。

 

 万全を期してウォースパイトを投入した前回の戦いは、彼女の期待通りの働きもあり見事勝利を収めた。一方で、彼女の出撃は、まだ覚束ない足取りで進む教導艦隊の財政事情(フトコロ)を直撃した。燃料弾薬だけならまだしも、時雨をかばい大破したウォースパイトの入渠にかかる資材は馬鹿にならず、もし翔鶴が本気でバックアップ時の資材を請求していたら、教導艦隊は一時的に開店休業になったかもしれない。そういったこともあり、日南少尉は支出を賄うべく効率的な遠征計画を一人で立てていた。こういう時頼りにしたい秘書艦の時雨は感性重視のタイプで、数字のタテヨコナナメを合せるのにはあまり興味がない様子。午前の任務を終えてからずっとデスクに張り付いている日南少尉を尻目に、一八〇〇(ヒトハチマルマル)頃、

 

 「僕もお手伝いができたらいいのに」

 

 と飄々とした台詞を残し執務室を後にした。もっとも、差し入れのお握りを持って戻ってきて、肩を揉もうと申し出て断られるなど、時雨なりに出来る事で少尉を手助けしようとしていた。とはいいながら、二二〇〇(フタフタマルマル)にもなると、ソファーでうとうとし始めたので、日南少尉は時雨を部屋に帰し、それから一人で仕事に取り組んでいた。

 

 そして明け方も近づく〇四〇〇(マルヨンマルマル)、少尉は取りあえず諦めた。

 「ダメだ、ひと眠りしてまた続きをやろう…休日とか言ってられないし」

 執務机から立ち上がると、ふらふらしながら執務室につながる私室へと向かい、ドアのカギを締め、そのままベッドに倒れ込み、眠りへと落ちていった。

 

 司令部候補生は海軍法から派生した服務施行細則により四週六休が制度上認められており、また守るべき任地や海域もないため規則通り休もうと思えば休める。だがその上位規程にあたる服務施行令では『何時でも職務に従事することのできる態勢になければならない』との定めがある。要するに、へえ? ほんとに休むんだー、ふーん…というやつである。とはいえ日南少尉も機械ではない。なので今日は着任以来初となる丸一日の休日となるはずだったが…。

 

 

 

 -ソウナノ…アナタノオ父サンハ、ショウシャマン?…ソレハ階級? 特殊部隊カ何カ、カナ?

 

 僕は赤い目をしたお姉ちゃんの顔を見上げる。知らないの? 商社マンは世界中で活躍するビジネスエリートだって、お父さんは言ってたよ。エリートが何かよく分かんないけど。

 

 -エリート…ソウカ、上位種ナンダネ。キット強カッタンデショウネ。

 

 うん、僕はお父さんに腕相撲で一度も勝ったことが無いんだ。でも、もう…。

 

 赤い目をした白いお姉ちゃんが、軽く海面を蹴るとひらりと飛び上がって舟に乗ってきたのを、僕は泣きながら見つめていた。気付けば背中に背負っていたおっきな武器は姿を消している。すごい、どうやってそんなことできるんだろう? お姉ちゃんは、頭に巻いていた鉢巻を解くと、僕を片手で抱きかかえるようにして、もう一方の手で僕の顔を拭いてくれた。お姉ちゃんが小さな声でぼそっと言ったけど、よく聞こえなかった。

 

 -スマナイ…間ニ合ワナカッタ…。

 -えっ? 何て言ったの?

 

 

 

 

 ごんっ!

 

 「痛っ…マジ痛い!!」

 「痛っ!!」

 

 繰り返し何度も見た夢、それでも見るたびに動悸が激しくなる。思わず跳ね起きた日南少尉は、自分を覗き込んでいた誰かと正面衝突してしまった。おでこを押さえながら周囲を見回すと、同じようにおでこを押さえながらセーラー服姿の艦娘が床にへたり込んでいた。

 

 「えっと…初雪サン? こんな所で何をしてるのかな?」

 「いたい、治したい…ひきこもる」

 

 言いながらもぞもぞとベッドに潜りこんで来ようとする初雪を日南少尉は押しとどめる。しぶしぶベッドに腰掛けると、おでこをさすりながら初雪が淡々と答え始める。

 「だって…この部屋で…ひきこもれる場所…ベッドしか、ないから…。え、そうじゃなくて? 遠征…帰ってきたから報告に来た…。執務室…誰もいないから……ここに、来た。そしたら…」

 「そしたら…?」

 「少尉が…眠りながら泣いていた…悲しい、夢? だから…心配、だった…」

 

 既にすっかり目が覚めた日南少尉は体の向きを直し、初雪に隣り合うようにベッドに座ると、はあっとため息をつく。

 「…初雪、今見たのは誰にも―――」

 「どっちの、こと?」

 

 どっち―――? 怪訝な表情で初雪を見つめる少尉だが、向かい合う彼女の頬が染まり、視線が落ち着かなくとある部分を含めあちこち彷徨ってるのに気付く。初雪の視線を辿るように自分の視線を動かすと、自分のローライズボクサーパンツに到達した。寝る時はTシャツとパンツのみの日南少尉は、唐突に起床した事で自分がどんな格好なのか全く意識していなかった。初雪も色々限界だったのかも知れない、顔を真っ赤にして立ち上がるとそのまま部屋を出て行こうとし、ドアの前でぴたり、と立ち止まる。

 

 「…誰にも言わないよ。でも、もし、少尉が言いたくなったら、聞いてあげても…いいよ」

 初雪はハッキリそう言った。その手がドアノブにかかった時、日南少尉が声を掛ける。

 「初雪…ありがとう、助かるよ。…ただ、一つ教えてほしいんだが…どうやって入った? この部屋の鍵は自分以外では時雨(秘書艦)しか持ってないはずだが」

 

 振り向かずかちゃりとノブを回しドアを開けながら、初雪はぽつりとつぶやき出て行った。

 「…鍵、ニーズがあるから複製を限定販売した、って明石さんが、言ってた…商売上手…」

 

 

 

 「あれー? ひなみん、もしかして今日はお寝坊なのかなー? 起きるの遅いーっ!」

 

 初雪と入れ違うように、執務室で島風の声がする。居酒屋鳳翔での一件以来、島風は料理に目覚めたようだ。せっかちな性格は相変わらずだが、それでも一生懸命火加減を調整したりじっくり時間をかけて煮込むなど、少しずつだが確実に上達している。最近では朝食を用意するのは島風が買って出ている。

 

 「もうそんな時間か…着替えて執務室(あっちの部屋)に行こうか」

 壁掛けの時計を見れば〇七三〇(マルナナサンマル)、普段ならとっくに執務室にいる時間だ。そして聞き逃せない内容が聞こえる。

 

 「仕方ないなー、この合鍵で―――」

 

 一体宿毛湾の工廠はどうなっているのだろうか、この分だと合鍵がどれだけ出回っていることやら…日南少尉は鍵、変えようかな、と考えながら急いでドアを開ける。

 

 「お゛うっ!?」

 「お、おはよう、島風」

 

 慌てて私室から出てきた日南少尉と、朝食を載せたトレイをいったん応接のテーブルに置いて、ドアを開けようと近づいて来ていた島風。お互いの姿を目に映した二人は固まってしまう。

 

 島風は日南少尉の私服を初めて目にした。休日の少し遅い朝らしく、カーゴパンツにTシャツ、薄手のハイネックパーカーを着た姿、普段は制帽で隠れている髪は前髪を下している。カチッとした軍装とは一八〇度違うラフな装いは、軍人しか目にしたことのない島風にとって眩しく見えた。一方の日南少尉も、ちょっとしたギャップに、思わず目が離せなくなっている。長い金髪を頭の高い位置で結んだポニーテール、結び目を上手にいつもの黒いウサミミリボンで飾っている。髪をアップにすることで、普段は隠れていた耳の形やほっそりとした首筋、整った顔立ちが全て晒される

 

 料理をするんだから髪を纏めるのは当然でしょ、と島風は不思議そうに小首をかしげるが、何となく日南少尉は島風を直視できず、誤魔化すように執務机に着く。

 

 「あ、今日はそっちで食べるんだ。今持っていくね」

 

 デスクに並べられたのは、素朴な和朝食。白ごはんに焼き鮭、豆腐とわかめの味噌汁、小松菜のお浸し、そして鳳翔直伝の季節の野菜の合せ煮。けれど、島風はいつも一人分しか用意してこない。

 

 「私、あんまり食べない方だし、ひなみんが食べてくれてるのを見てると、なんかね、幸せな気分になるからそれでいーの。それより、私のご飯食べるのは、速くなくていいからねっ」

 

 

 ゆっくりとした朝食を済ませ、日南少尉の休日が始まる。



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018. 例えばこんな休日:後半

 前回のあらすじ。
 宿毛湾アイテム屋の売れ筋:合鍵


 朝食を済ませた日南少尉は、島風に頼まれポニーテールを結び直していた。

 「お願い、曲がってるような気がして、何か落ち着かないの」

 そう言いながら膝の上にぽすんと座り少し前かがみになる島風は、両手で長く垂れた金髪の束をかき上げる。白く細いうなじに日南少尉が戸惑っていると、「ねー早くー」と島風が体を揺らして不平をこぼす。

 

 そっと、壊れ物に触るように、島風の頭をなぞる日南少尉の指がゆっくりと髪の結び目まで至り、解く。背中を向けられた少尉からは勿論見えないが、この時島風は頬を染め僅かに唇を開き声を漏らしそうになったが、そこにノックとほぼ同時に入室してきた黒髪の艦娘が登場する。

 

 「…初雪、何も見てない、から」

 紙袋を抱えた初雪がちらりと二人に視線を送ると、そのまま進んで冷暖炬燵にINする。テーブルにポテチやお菓子を逆U字型に並べ終えると、小さな枕を置き頭を置く。そして左手で枕元に置いたマンガを読み始め、右手は時々思い出したようにお菓子を摘む。

 

 日南少尉と島風が流れる様に自然な動きで定位置を確保した初雪を呆然と見ていた所に、今度はウォースパイトがやってきた。同じように二人にちらりと視線を送ると、こちらもまた定位置の玉座を模した椅子に腰かけ、持参したハードカバーの本を読み始める。執務室に据えられた玉座もどんどん豪華に大型化し、玉座へと昇る階段の段数も増え、特に背もたれの部分は今では天井に届くような高さにまでなっている。その後も鹿島、荒潮、綾波、由良と続々と執務室に姿を見せ、普段より人が多いくらいの有様である。

 

 今日は休日だというのに、何でこんなに朝から人が集まるのか? よく見ればウォースパイト、初雪、島風以外は私服を着ている。状況が呑み込めずにいる日南少尉は、島風を膝に乗せたまま問いを発する。

 

 「あー…みんな、どうしてこんなに集まってるのか分からないけど、一応休みだから私服でいるけど、今日は仕事をしようと思ってるんだ。」

 

 全員がざわめくが、鹿島が執務机に進み出て、日南少尉と向かい合いその理由を問い返す。鹿島はいつもの白い礼装をベースにした軍服ではなく、腰にリボンのついた黒のボックスプリーツスカートに、襟元が刺繍で飾られた、胸元が広めにあいたキャメルブラウンの柔らかい素材のブラウスを着ていて、まるでどこかに外出するような出で立ちである。

 

 昨夜完成できなかった遠征計画の続き、そう聞いた鹿島は、綺麗な人差し指を唇に当て一瞬だけ考えた表情を浮かべると、にっこりとほほ笑む。

 「分かりました少尉、それでは私がそのお仕事を引き継ぎますね。休む時に休むのも、立派なお仕事ですよ」

 「いや、お気持ちは有り難いのですが、鹿島教官もどこかに出かけるのですよね? これは自分の仕事ですし、そこまでご迷惑は…」

 「そうですね…出かけようかな、と思っていましたが、その予定はなくなりました。全然分かってないようですので…。とにかく、少尉は今日はお休みする事、それが大事ですっ。それに、遠征計画とP/L(損益計算)なら、私の方がはるかに得意ですから。…そりゃあ、教官としてはどうかと思いますけど…」

 ジト目で日南少尉を見つめる鹿島は、はあっと大げさなため息をつくと腰に手を当て、生徒をたしなめる教官の顔に戻る。同じように他の艦娘達もやれやれ、といった表情を浮かべている。それでも言い返そうとした少尉を制するように、頭上から声が降ってくる。無論、玉座に座すウォースパイトの声である。

 

 「ヒナミ、work hard, play harder(よく働き、よく遊ぶ)…メリハリが無くてはよい仕事はできませんよ」

 

 

 

 そして〇九〇〇(マルキュウマルマル)、半ば追い出される様に執務室を後にした日南少尉は、所在なさ気に第二司令部棟の玄関前に立ち尽くす。

 

 「うーん、休めって言われてもなあ…。自分の仕事を肩代わりしてもらってるのに」

 頭の後ろで両手を組み、ぼんやりと周囲を見渡す日南少尉は、正門の傍にいる一人の艦娘に目が止まった。所々白い雲が浮かぶ澄み切った秋晴れの空の下、規則正しく響くざっざっと地面を掃く箒の音。

 「制服は個体認識上有効だっていうのが良く分かるよ。髪型と服装が変わると、まるで別な人みたいだから…」

 

 くるり、とまるで少尉の気配を察知したかのように、その艦娘-神通が振り返る。薄い笑みを浮かべ、ゆっくり箒を地面に置き、敬礼の姿勢を取る神通に、日南少尉も反射的に敬礼を返し、ゆっくり近づいてゆく。

 

 先ほどまでのゆるゆると気ままな艦娘達と打って変った、規律のみで動いているような神通に日南少尉は直れを命じる。ようやく右手を下した神通だが、それでも休めの姿勢を取っている。うーん…何となく堅苦しく感じた少尉は、思わず鼻の頭をぽりぽりと気まずそうに掻く。軍人という意味では、目の前で神通が取っている姿勢の方が正しいのだろう…そんな事を考えていたが、自分を見つめる神通の視線に気が付いた。

 

 「発言…してもよろしいでしょうか?」

 「もちろん、どうした?」

 「この格好…少尉はどう思われますか?」

 この格好とは今神通が着ている私服の事だろう。黒い薄手のニットは神通の上半身にフィットし、その引き締まったスタイルと胸の膨らみを明らかに示す。タイトジーンズも同様に細過ぎでも太過ぎでもない長い脚をより綺麗に見せている。無造作に後ろで一本にまとめている髪型でさえ、余計な手を加える必要がない、そう宣言しているようだ。神通に見とれている自分をじっと見つめ返されている事に気付いた日南少尉は、慌てて視線を逸らす。

 

 「いや…ごめん、女性をまじまじと見るのは失礼だよな。でも、とてもよく似合っていると思う」

 「そう、ですか…。那珂ちゃんに無理矢理着せられたのですが…でも、私には…よく分かりません」

 

 無防備に無造作に、自分の体を日南少尉に見せるかのように神通は立ち尽くしている。その様子は戸惑っているようにも見える。

 

 「神通…?」

 「兵器…兵士…どう見られているか、それはお任せしますが、少なくとも、()()()()()()では、ありません…。いくら柔らかい女性の体を得たとしても、私は軽巡洋艦の神通です。なのに…みんなはごく普通の女性のように振舞っています。那珂ちゃんなんて、この戦争が終わったら艦隊のアイドルを卒業して、国民的アイドルになるんだ、とかはしゃいでいます。それだけじゃない…少尉に心を寄せている子までもいます。私には理解できなくて、混乱しちゃいます…」

 

 日南少尉も、突然の告白に言葉を返せずにいると、目の前を見ているようでどこも見ていない、不思議な表情を浮かべながら、神通が言葉を続ける。

 「素体と呼ばれる人工生命体に移植された、往時の記憶と魂、それが私達です。国を守り民を守り敵を殺し沈むまで戦場で戦う。私はまだまだ練度が低く砲雷戦では十分なお役にたてませんが、幸い、この素体の運動能力はかなり高いようです、それが前回の戦いで分かりました。私が理解できたのは、どうすればこの体の性能を最大限発揮するのか、それだけです」

 

 

 時雨だけじゃない、神通もまた―――救うとか導くとか、そんな傲慢なことは言えない。君達は心があるから人間だ、なんて綺麗事も言えない。ただ、それでも自分だけの思いはある。

 

 「…戦いは避けられず、君たちの力は絶対に必要だ。自分が目指すものはその先にしかなくてね…。他人(ひと)の力を借りなきゃ辿り着けない、叶うかどうかも分からない夢。それでも自分は諦めたくないし、少しずつでも一歩ずつでも前に進む。だから、この先も一緒に戦ってほしいし、その先にあるものを、自分の目で見て判断してほしい」

 

 不思議そうに見返してくる神通から日南少尉は目を逸らさずにいる。しばらく経ち、ふっと寂しそうな表情で神通が呟く。

 「夢、ですか。少尉の仰ってるのは、過去でも現在でもない、未来のお話ですよね。もしよかったら、少尉の夢を教えていただけますか? 私には…ないものですので…」

 

――――――――――。

 

 「そんなことが…本気で実現できると思っているのでしょうか? ますます混乱しちゃいます…」

 それでも先ほどまでとは違う、柔らかい微笑みを浮かべた神通が、何となく納得した表情で頷いている。

 

 「今の私には…やっぱり分かりません。でも、司令官の作戦をどんな状況でも実行するのが私の役目です。だから、戦いの先にある物を見ろ、そう命じられたと理解します。きっとこのご命令は、あなただけが下せる、そんな気が…します」

 

 

 

 「はい、日南少尉、こちらが向こう三か月間の任務消化に対応した遠征計画です。計画を実施した場合に得られる資材と任務報酬の見込み、それらに基づく収支のベースラインはこうですね。ここにデイリー任務での支出と収入と加えると―――」

 

 神通と別れた後、宿毛湾の市街地を独りでぶらぶらした日南少尉は、日暮れ頃に第二司令部に帰投した。夕陽が赤く照らす執務室では、鹿島一人が残りラップトップで何か仕事をしていた。ドアの開く音に気付き、たっと駆け寄ってくる。満面の笑みで差し出してきた計画書のサマリーを見て、日南少尉は落ち込みかけていた。内心の動揺を見透かすように、鹿島がふふーんというような表情で話を続ける。

 

 「それもこれも、日南少尉が昨夜まとめていた計画の精度が高かったからですよ、これはもう、花マルあげちゃう出来でした、うふふ♪ そうじゃなきゃ私だって三時間でこの計画をまとめられませんでした」

 

 三時間ってほとんど午前中だけで、ここまで緻密な計画を組んだってことか…立てた人差し指を唇に当て、軽くウインクしてくるツインテールの艦娘の実務処理能力の際立った高さに、日南少尉は圧倒されると同時に、任せきりにして甘えてしまったことに罪悪感を覚え、謝罪の言葉を口にしようとして、果たせなかった。

 

 鹿島の細い人差し指が、開きかけた自分の唇を塞いでいる。

 

 「ごめん、よりも、ありがとうの方が嬉しいかな。鹿島、どんどん成長してゆく少尉をサポートできることが本当に嬉しいんです。私だけじゃなく、今日はみんなで協力して色んな書類関係片づけちゃいました。少尉、もっとみんなを頼っていいんですよ。たまには凪の日があっても、いいじゃないですか、うふふ♪」



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弱くて強い僕たち
019. 強くならなきゃ


 前回のあらすじ
 休むのが下手な日南少尉、甘やかす鹿島


 「この僕を、ここまで追い詰めるとはね…」

 「やだっ…痛いじゃない…」

 「Oh my god...」

 「まっ…まだ…戦える…はずです…」

 

 快晴、微風、波穏やか。絶好の条件ながら、教導艦隊は海面にへたりこみ動けずにいる。旗艦ウォースパイトと護衛の時雨を中心とし、綾波・五十鈴・神通・村雨からなる輪形陣。絶対的な練度はまだまだとはいえ、教導部隊の中では練度上位の者で構成された艦隊。だが今回の相手には苦も無く一蹴された。

 

 すでに陣形は大きく崩されている。右翼の村雨がまず標的となり、敵の第一撃で沈黙。次に狙われた左翼の五十鈴と、カバーに向かった前衛の綾波はともに集中攻撃を受け無力化された。丸裸になった本陣では時雨が奮闘したもののあえなく大破。旗艦を務めるウォースパイトの動きも今回は完全に精彩を欠き、時雨の護衛を失った時点で勝負はついたといえる。唯一、動物じみた運動能力で回避を続けた後衛の神通のみが小破ながら健在、という状況である。

 

 「よく……狙って!」

 

 海面に伏せるように、四肢を踏ん張りながら体重を徐々に前に掛けはじめる神通。それは猫科の猛獣が敵に一気に襲い掛かる直前の動きを想像させる。目指す相手との距離は依然遠く、たどり着くまでにどれだけ攻撃を受けるか分からない。

 

 それでも―――低い姿勢のまま突進を始めた神通だが、問答無用で頭上から降り注ぐ攻撃で叩き潰された。

 

 

 

 「そこまでっ。演習終了、全員帰投するように」

 

 日南少尉の声がスピーカーから響く。淡々とした声は冷静なように聞こえるが、僅かに悔しさをかみ殺してもいる。

 

 覗いていた双眼鏡を下した少尉が立つのは宿毛湾泊地内演習海域を見下す防空兼演習指揮塔。屋上に対空電探が設置された五階建てほどの高さのこの塔の、最上階に設けられた指揮所から少尉は戦況をつぶさに見ていた。

 

 -これが実戦だったら…。いや、戦闘にさえなっていない。あまりにも一方的じゃないか。

 

 「第一機動部隊も帰投します、判定は…私達の完全勝利です」

 

 一瞬無線から雑音がし、追いかけるように響く翔鶴の声。返事をした後、少尉は制帽を目深に被り指揮塔を階段で降り始め、その後をバインダーを抱えた香取が続く。

 

 

 

 日南少尉率いる教導艦隊が次に臨むのは南1号作戦とも呼ばれる、南西諸島防衛線での戦い。同諸島の防衛ライン上の敵侵攻艦隊を捕捉撃滅するのが任務だが、この海域奥部で激突するのが、敵の機動部隊である。

 

 かつての戦時、航空母艦は最新鋭かつ強力な兵器だった。超弩級戦艦の主砲射程を遥かに超える遠距離から大量の航空機を発艦させる移動する航空基地。その存在は戦闘を立体的なものへと変え、強大な攻撃力で戦場を面制圧する。第二次大戦時水準の兵装を双方有する艦娘と深海棲艦の戦いでも、航空母艦ひいてはそれを中核とする機動部隊の重要性と危険性は往時となにも変わらない。

 

 発足間もない教導艦隊には機動部隊と交戦した経験のある者が少ない。宿毛湾泊地本隊からの貸与扱いの時雨と龍田がせいぜい、といった程度。欧州戦線で活躍していたウォースパイトは砲戦主体の経歴。その経験不足をどう補うか…日南少尉が戦技訓練の責任者である香取に相談した所、宿毛湾泊地本隊の機動部隊を仮想敵とした演習の実施が決定した。

 

 ただ、香取が演習相手として連れてきたのは、選りによって宿毛湾泊地総旗艦にして練度161を誇る翔鶴だった。その二人が相談し演習に参加する艦娘を選定したのだが、翔鶴が相手では現時点の教導艦隊では歯が立たない。自信を付けさせるなら、他の空母娘でもよかったはず。だが香取の考えは違った。桜井中将が直卒せず翔鶴に任せている時点で十分手加減している。それよりも航空援護(エアカバー)のない艦隊がいかに航空攻撃に弱く、かつ鍛え抜かれた機動部隊と航空隊がいかに危険な存在か、身を以て理解してもらう。そうすることで無謀な指揮を戒める、その意図があった。もしこれで少尉や教導艦隊の心が折れるなら、それはそこまでだったのだろう、この先も続く戦いに立ち向かえるものではない―――。

 

 胸を借りる形の少尉にしても、航空攻撃隊の挙動と攻撃方法の確認、艦隊防空のための各艦連携、防御主体の輪形陣から攻撃のため単縦陣または複縦陣へのスムーズな移行、航空攻撃を抑制または回避しながらの接近と攻撃…試したいことは山ほどあったが、結果は全員大破。戦闘にならない、と日南少尉が唇を噛むのも仕方ない内容である。かんかんと音を立て指揮塔の外階段を下り続けていた日南少尉と香取はほどなく地面に着き、二組の艦隊を出迎える。すっと横に並んだ香取が、前を見たまま日南少尉に話しかける。

 

 「やられましたね。一太刀も浴びせられずに」

 分かっている事実だが、敢えて香取は口に出す。事実を事実として認め、この先どう対処するのか…この問いへの反応で日南少尉の性向も見極めようとの意図もある。

 「はい、香取教官。手も足も出なかった、それが今の自分達の実力です」

 

 怒りでも卑下でもない、淡々と今の自分の立ち位置を確かめるような日南少尉の回答。すぐに涼しい表情の翔鶴達が現れ敬礼の姿勢を取る。日南少尉はロクに汗もかいていないその姿に内心舌を巻いていた。

 

 「本日は自分たちのためにお時間をいただき、ありがとうございました。結果は…想定の範囲内でしたが、自分たちはまだまだ強くなれる、それが分かったのが最大の収穫です」

 

 そう言うと、翔鶴達に深々と頭を下げる。その姿に満足そうに頷く香取と優しく見守る翔鶴。現実を受け止める柔軟さと前向きさを持つ少尉の振舞を見て、将来の明るさを十分感じていた。

 

 だが前向きな気持ちだけで解決できないのが現実の戦力である。対戦経験も重要だが空母を制するのはやはり空母。もちろん日南少尉も手を拱いているわけではなく、保有資材とのバランスを考慮し、デイリー建造任務の消化は一旦中止、当面の間一日一回の建造で、燃料300弾薬30鋼材400ボーキ300の資材を投入し空母を狙うようルーチンを変更していた。鹿島がまとめてくれた遠征計画と損益計算はここまで計算に入れたもので、実際に運用してみるとまさに痒いところに手が届いているのが分かり、少尉は深く感謝していた。

 

 「これからも頑張りますっ…けれど、今日の結果は複雑な気分です。いくら演習でも、仲間と戦うのは…」

 

 翔鶴の背中に隠れるようにしていた一人の艦娘が申し訳なさそうに顔を出す。建造で新たに教導部隊に加わった、祥鳳型軽空母の一番艦祥鳳。

 

 今回は攻撃する側として航空隊の運用を学ぶため、翔鶴に従い演習参加していた。それでも、演習とはいえ勝利を収めた事は嬉しいのだろう、きゃいきゃいと跳ねるように喜びを露わにしている。その姿を見ながら、少尉は祥鳳を建造した時のことを思い出し苦笑いを浮かべる。

 

 

 

 建造担当の妖精さんから、2時間40分という建造予定時間の報告が入った時点で祥鳳の登場が明らかになり、その時手すきだった者で工廠に向かい、出迎えようとということなった。建造ドックの前にずらりと並ぶうちに、ドックの上部に設けられたデジタル式時計がやがて全てゼロになりブザーが鳴り響く。ドックの扉が内側から重い音を立てながら開き、ゆっくり出てくる一人の艦娘。その姿を見た少尉は、少し緊張した様子ながら彼女が始めようとした挨拶を遮り声を掛けた。

 

 「ああ…そんなに慌てなくていいから。着替えが終わってから出てくればよかったのに…。そのままだと、その…なんだ…」

 

 気まずそうに目を逸らす日南少尉の姿、そんな少尉の反応に不機嫌そうに頬を膨らませひじ打ちしてくる時雨や、自分の胸を下から持ち上げる様にしてハイライトオフの目になった島風、対照的なのが、無関心を装いつつ僅かに余裕の笑みを浮かべるウォースパイトと、完全に勝ち誇った五十鈴。そんな光景を生暖かくにやつきながら見守る明石と夕張の工廠組。その背後ではどんな時でもお茶の準備を欠かさない綾波がこまめに動き回っている。

 

 祥鳳はきょとんとしながら自分の姿を眺めていた。確かに重ね着した黒と白の弓道着は大胆に肌脱ぎし、左肩から腰にかけてが完全に露出している。そのため、スレンダーな体型ながら十分な自己主張のある、チューブトップで覆われた胸元が丸見えになっている。これがデフォなんだけど改めてそう言われると…自分の格好を意識せざるを得ず、祥鳳は徐々に顔を赤らめたかと思うと、両腕で自分の体を隠し背を向ける。

 

 「夏はこの恰好だと、丁度いいんです。冬は寒くないのかって? そ、そうですね…い、いえ、大丈夫です…」

 

 祥鳳の着任を受けて変更した第二艦隊の編成により、A11『第2艦隊で空母機動部隊を編成せよ!』を達成した。ぴろりーん、という音がしたようだが、気のせいだろう。ともかく、報酬として資材が支給され、教導艦隊の財政を若干でも潤すことになった。

 

 

 

 「頭では分かっていたんだけど、ね…。翔鶴さんがここまでとは思わなかった、よ…?」

 「This is real air raid...これがIJN(帝国海軍)とUS Navyの戦いだったのね…My gosh!」

 「………………どういうことでしょう……」

 

 全身にペイント弾を余すことなく受け、真っ赤に染まった姿で戻ってきた教導艦隊の面々だが、目の前の光景に表情が険しくなる。輝くような笑顔で頬を紅潮させながら祥鳳が嬉しそうに日南少尉と向かいあい、それはそれは楽しそうに語らっている(ように彼女達の目には映った)。

 

 「祥鳳さん、頑張ってましたからね~。きっと少尉に報告することがたくさんあるんでしょうね~」

 

 緊迫しかけた空気を瞬時に和らげる綾波の声に、その場にいる全員が確かにそれもそうだねと、ぽんと手を叩く。次の作戦海域、桜井中将から戦力貸与を受けない限り祥鳳が作戦の中心になるのは間違いない。それに着任以来小柄な祥鳳が重ねている努力も皆知っている。頭の後ろで手を組み小石を蹴るような仕草をしていた時雨が、ふと何かを思い出したような表情になる。

 

 「今日は祥鳳さんに主役を譲る日かな…それにしても、この先を考えるとどんどん練度を上げなきゃ…そういえば僕達、対外演習ってまだだったよね。少尉に提案してみようかな」

 



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020. 何もない記憶

 前回のあらすじ
 高練度の機動部隊マジヤベーから。


 風を鋭く切り裂く音が一瞬鳴り、すぐさま乾いた音が響く。宿毛湾泊地内に設けられた近的用の弓道場、射場に一人立つ祥鳳。28メートル先の的を見据える目には、はっきりと焦りの色が浮かんでいる。彼女の放った矢は辛うじて的の右端に当った程度で、的中には程遠い。射れば射るほどに矢が当たらなくなってゆく。残心、という点ではまったく失格となるが、結果を見て深いため息と同時に項垂れ、祥鳳はついに動きを止めた。すでに弓道場は夕日で照らされ、そこにあるもの全てを赤々と染め上げる。磨き上げられた板張りの床にぽつぽつと黒いしみが増え始める。俯きながら大粒の涙をこぼし、誰に聞かせるでもなく途切れ途切れに吐き出された言葉が彷徨う。

 

 「こんなんじゃ…こんなんじゃダメだよ。もっと、もっと頑張らないと…私が」

 

 

 

 朝食を済ませやってきた弓道場には、すでに他の空母娘が練習に来ていた。空母娘が艦載機を発艦させる方法はいくつかあるが、主流は弓を使い矢を放つ方法。どんなに荒れた海面で戦闘機動を行いながらでも安定して矢を放つこと、それはどんな状況でも盾であり矛である航空隊を発艦させることと同義で、空母娘の基礎にして目標となる。そのために、弓矢での発艦を行う空母娘は文字通り弓道を修める。祥鳳は射場の脇正面に正座し、瑞鶴や飛龍、蒼龍の射法を見学していた。練度も経験も段違いに高い、宿毛湾泊地機動部隊の主力たち。ごく自然に、流れる様な所作で軽く射る。無駄のない洗練された動き。いずれも練度九九かそれに近い強者ばかりだが、先日翔鶴と同じ部隊で演習に参加した祥鳳にとっては、何となく物足りなく見えてしまう。それほどまでに翔鶴の射法は完成されていたように思える。

 

 道場に一礼し、飛龍と蒼龍が座を空けて脇正面へと移動する。次は自分の番。祥鳳は自分の弓を取り上げ、射位へと進むが身体が固いのがよく分かる。二航戦の二人に見られている、さらに隣では瑞鶴が、柔らかい所作で放っているとは思えない速度と威力で矢を的に撃ち込んでいる。緊張が嫌でも増す。

 

 -あ、だめだ。全然集中できてない。

 

 はたして祥鳳の放った第一射は、的を大きく外れ鈍い音を立て安土に刺さった。それから放った十何本かの矢の軌道は全く安定せず、気持ちが焦る一方だった。やがて瑞鶴が去り、飛龍と蒼龍が去り、加賀が訪れては去り、いつしか誰もいなくなった弓道場。朝からもう何本矢を放ち続けただろう。祥鳳は周囲の状況の変化を気にする余裕もなく、ひたすら矢を放ち、矢が尽きれば矢取り道を走って矢を拾いに行き、再び射を繰り返す。

 

 そして気力と体力の限界が近づいた夕暮れ時、我に返った祥鳳はぼろぼろと泣き出してしまった。

 

 

 彼女がそこまで自分を追い詰めた理由、きっかけは一人の来訪者だが、根本はやはり自分自身にある。

 

 

 

 ある日の事、幌筵(パラムシル)泊地から長駆台湾の高雄まで訓練航海に出ていた艦隊が、根拠地に帰投する前の整備休息として宿毛湾に寄港した。それ自体は珍しい事でもないが、その艦隊を指揮していた人物が問題だった。

 

 猪狩 斗真(いがり とうま)少尉。

 

 幌筵泊地補佐官であり、同地司令官の命により艦隊の訓練航海に同行していた。軍内部では、柱島泊地前司令官を務めた猪狩中将のドラ息子として有名である。桜井中将が校長を退いた後の兵学校は、徐々にではあるが軍政側の圧力に抗しきれなくなり、有力者の子弟に対する()()が目立つようになっていた。そしてこの猪狩少尉こそ、日南少尉の卒業年度のハンモックナンバー第二位である。ハンモックナンバーは各科目の成績を元に行う定量評価と、兵学校の教官会議での定性評価を組み合わせ総合的に判定されるが、その教官会議の内容は非公開、かつ軍政側からも()()()()()()()()といえば、どのような物か想像に難くないだろう。

 

 兵学校の変質は、宿毛湾泊地での教導が提督になるための優先レーンと認知された事に他ならない。帝国海軍と海上自衛隊の後身となる日本海軍のキャリアパスは、海軍兵学校卒業(尉官)→軍艦の艦長になり出世(佐官)、上官の推薦→海軍大学校入学→卒業後に将官→出世して提督、となる。これが艦娘の登場後、ルートが大きく三つに分かれた。

 

 軍艦の艦長になる代わりのキーポイントは妖精さんへの感度。ゼロならどれだけ優秀でも通常戦力部隊や参謀本部、技術本部等への配属となる。最低限度『妖精さんを目にすることができる』者は、各拠点に補佐官として着任、地道に何年も働き続け中佐または大佐まで出世した後に、赴任地の司令長官と秘書艦の両方から推薦を得て海軍大学校へ入学資格を得られる。難関の試験を経て入学した同校を二年後に卒業してようやく将官へ、そして戦果を挙げようやく提督へ40歳代半ばで辿り着けるかもしれない。猪狩少尉はこの組である。

 

 宿毛湾泊地での教導は、このルートを大幅にショートカットする。

 

 成績優秀かつ『妖精さんと意志疎通が図れる』ほんの一握りの者を対象に、基本一年最長二年以内と言う期間で濃密に教導を行う。海軍大学校と同等水準の座学、さらに拠点運営の実践と深海棲艦との実戦を伴うので密度は遥かに上とされ、この教導を無事修了できた者は、最低でも少佐、成績次第では中佐か大佐へと昇進、拠点長としていずれかの拠点に配属される。その時点で「司令」「司令官」の職名が与えられ、戦果次第ではすぐに将官への道が開く。その点、日南少尉は三〇歳前に提督に辿りつくことさえ夢ではない。さすがにそれは極論だが、現実的な可能性が十分にあるのも事実である。

 

 女の嫉妬は愛情から、男の嫉妬は出世から、と言われるが、学生時代の成績は日南少尉に迫るほど優秀だった猪狩少尉が、妖精さんとのコミュニケーション力が決定的な差となり、司令部候補生の座を逃した。その彼が日南少尉にどのような感情を抱いているか、推して知るべしである。

 

 果たして、桜井中将が催した幌筵部隊慰労会の席上で、猪狩少尉はねちねちと日南少尉の悪口を言いたて始め、それに五十鈴が激ギレして喰ってかかる状況になった。桜井中将の仲裁もあってそれ以上に事態は悪化しなかったが、もやもやは残る。結果的に軍人らしく演習で白黒つけようという猪狩少尉の言い分を日南少尉は受けて立った。

 

 「日南、お前はこれから1-4に進出するんだろう? いいぜ、協力してやるよ。機動部隊同士で演習と行こうじゃないか。幸い、幌筵の司令官から今回預かってる部隊には千代田と千歳がいるからね。まあ練度はそんなに高くない、改二になったばかりだよ。日南、お前の空母は―――?」

 

 この時点で教導艦隊にいる空母戦力は、祥鳳とその妹・瑞鳳、いずれも着任から日が浅い二人である。

 

 

 

 「あ、あれ…おかしいな…。指…弓から離れないや…」

 

 板張りの床にぺたんと女の子座りで座る祥鳳。涙で濡れた頬を拭おうと弓を置こうとしたが、弓を握ったまま膝の上に置いた左手が開かない。何時間同じ形で握りしめていたのか、手が自分の言う事を聞いてくれない。

 

 祥鳳が途方に暮れていると、射場の左右に設けられた出入り口で影が動く。

 

 「あ………」

 

 無言のまま、夕日に照らされた第二種軍装を着た日南少尉が近づいてくる。祥鳳の正面に片膝を立て座ると、そっと左手を取り、マッサージを続け、少しずつ、緊張で強張った左手をほぐしゆっくりと開いてゆく。戒めを解かれた弓は、祥鳳の膝に落ち、その上を滑る様にして床へと落ちる。

 

 かたーん。

 

 乾いた固い音が弓道場に響き、その音を切っ掛けに二人の目が合い、日南少尉が初めて口を開く。

 

 「気は済んだかな?」

 

 ただ淡々と、思いつめ過ぎた祥鳳を柔らかく窘める言葉。祥鳳は涙が止まらず、無我夢中で日南少尉の胸に飛び込んで大声を上げて泣き始めた。そのままの勢いに押される様に、少尉は座ったまま祥鳳を抱き止める。

 

 

 

 どれほど泣き続けていたか、やっと落ち着きを取り戻した祥鳳は日南少尉を見つめ、自分がどういう体勢でいるのかに気付き、慌てて少尉から体を離し、肩脱ぎにしていた弓道着を着込む。そして正座から深々と座礼をする。

 「あの…日南少尉…本当に申し訳ありませんっ! 私、何て事を…」

 対する日南少尉は胡坐から片膝を立てて、薄く微笑みながら頷く。

 「努力家なのは知っていたつもりだけど…何が君をここまで駆り立てるんだ?」

 

 「艦娘は過去の記憶を持つ…のでしょう? でも、私には何もないんです。覚えているのは、必死に敵の急降下爆撃隊の攻撃を躱して躱して、それでも最期は…」

 

 それもまた過去の記憶。珊瑚海海戦-史上初の航空母艦同士の激突であり、往時の祥鳳は日本海軍が最初に喪失した空母となった。九〇機を超える米軍機に襲われ、それでも二八機もの急降下爆撃機の攻撃を躱し切る離れ業を見せたが、衆寡敵せず、軽空母一隻を沈めるのには過剰な爆弾一三発・魚雷七本を叩き込まれ珊瑚海に沈んだ。

 

 「今度の作戦海域でも、いいえ…あの幌筵の指揮官との間の演習、絶対に負けたくないんです。少尉の事をあんな風に言うなんて…。でも…私が戦いの中心になる、そう言われても、どう戦えばいいか…自信が無くて不安なんですっ! だから、とにかく一本でも多く矢を放って、感覚を身に付けないと…」

 

 「なるほど、ね…」

 改めて日南少尉は祥鳳に視線を送る。この小柄な少女は、自分を悪しざまに見下した相手との演習に臨むため、戦力差のある相手に立ち向かうため、一人でここまで思いつめていた。

 

 「努力と無理は、それでも違うと思うんだ。そもそもそんな状況にさせないよう、作戦で負けるつもりはない。それは演習でも実戦でも同じだ。だから、何もかも一人で負う事は無い、いいね? さあ、帰ろう」

 その言葉に祥鳳が顔を上げる。目の前には先に立ちあがった日南少尉が手を差し出している。その手を掴み、引き上げられるよりほんの少し勢いよく立ちあがり、再び少尉の胸に顔を埋める。今度は無我夢中ではなく、はっきり自分の意志で。

 

 「…ありがとう、ございます。…これからも頑張りますね…」

 



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021. 選択と集中-前編

 前回のあらすじ
 祥鳳さん、一生懸命。


 宿毛湾泊地の港湾管理線から直線距離で西方約25kmに位置する小さな島・鹿島(しかしま)。そして同じく直線距離で南南西約20kmに位置する、宿毛湾海域で最大の島・沖の島。この二つの島をそれぞれ出撃拠点とし、日南少尉率いる宿毛湾泊地教導艦隊と、整備休息で訪れていたはずの幌筵(パラムシル)泊地の長距離練習航海艦隊との演習が間もなく始まる。

 

 

 

 「くそっ、桜井中将、喰えないジジイめ…。まあいい、千歳に千代田、それに羽黒、日南の艦隊に後れを取るなよっ。どうせ練度の低い連中相手だ、陣形なんか考えず見敵必殺でいい。天津風は祥鳳か瑞鳳、どっちかを狙い突入だ。それが難しければ囮だ、せいぜい動き回って日南の航空隊の目を引け。いいなっ。おい、返事は? …ちっ、まあいい」

 

 四人とも無言のまま敬礼をすると、そのまま返事もせず出撃地点へと向かう。相手を舐めきった指揮官からロクな指示も受けられない彼女達にできる精一杯の抗議の意思表示、香取と雪風はそれを痛々しく見つめるしかできなかった。

 

 沖の島に置かれた仮設指揮所で、右手の親指の爪を噛みながらいらいらした表情で乱暴に指示を行うのは、幌筵艦隊を率いる猪狩少尉。その仕草を見て、長距離練習航海艦隊の旗艦として同伴した香取は眉を顰める。幌筵泊地を治める藤村董司(ふじむら とうじ)大佐の言いつけを守れなかった事への後悔もあるが、今さらどうにもできない。

 

 兵学校時代の成績を鼻にかけ、経験豊富な藤村大佐や香取から見れば教科書通りの戦闘教義(ドクトリン)を述べる猪狩少尉。それでも筋が悪い訳ではないが、今のままではどうにもならない。兵器や消耗品として艦娘を扱う心根が変わらなければ、早晩妖精さんとの縁は切れてしまうだろう。危惧した藤村大佐は鉄拳制裁を含めた厳しい指導を行ってきたが効果が出ない。北風と太陽、ではないが、長期間に及ぶ練習航海で同じ釜の飯を喰えば艦娘に対する理解が進むのではないか…香取は艦娘と少尉の橋渡しを藤村大佐から頼まれていた。

 

 -大佐、申し訳ありません、香取はご期待に沿えませんでした…。相手の少尉は猪狩補佐官と同期と聞きましたが…格が違い過ぎる…でもなぜその彼が三位なんでしょう…?

 

 決して口には出さない思いとともに、依然としてブツブツ言いながら爪を噛む猪狩少尉に、香取は気の毒そうな視線を送る。

 

 「そもそも卒業順位(ハンモックナンバー)第三位の日南が司令部候補生ってのが間違ってるんだ。汚い手で得た順位でも僕は二位、僕はあいつより上じゃなきゃダメなんだ…じゃないと…」

 

 

 

 「桜井中将もなかなか喰えない人だな…。練度でも艦種でもなく、これでは純粋に戦術の差が勝敗に直結する…やりがいがあるということにしようか。さて、相手の編成は分からないけど、空母二人がいるのだけは間違いない。こちらは前衛に五十鈴、後衛に旗艦漣と祥鳳、艦隊防空は瑞鳳で臨む」

 

 一方日南少尉以下教導艦隊が陣取る鹿島の仮設指揮所。名前を呼ばれた四名は気合に満ちた表情を見せる。演習に参加する者以外にも、島風や時雨、ウォースパイト、由良をはじめ教導艦隊の面々が揃い、演習メンバーの緊張をほぐそうと談笑している。

 

 いい感じで肩の力が抜けている、と安堵した日南少尉だが、ふと祥鳳のことが気になった。弓道場の件--自分の力を信じられずにいたあの姿…少尉の視線に気づいた祥鳳がにっこりと微笑み返す。

 「私だって、航空母艦です。やりますから」

 気負いも焦りもない、落ち着いた静かな闘志。きっとこれなら大丈夫だろう、と少尉も微笑み返す。その様子をニヤニヤと見ていた瑞鳳が、覗き込む様に上目使いで二人に割り込む。

 

 「お姉ちゃん、キラキラで女性ホルモン出まくりって感じ~。ひょっとして少尉、お姉ちゃんと、お赤飯と卵焼きでお祝いした方がいい関係になっちゃった?」

 

 ぴくり×複数。

 黒いうさみみリボンが、黒いアホ毛が、王笏が、耳が、肩が、一斉に反応し、真っ赤な顔をして瑞鳳を窘めている祥鳳に注がれる。演習直前とは思えないリラックスぶりだが、桜井中将の付けた条件さえなければ全員が参加を希望したほど熱くなっている。今回の演習は、教導艦隊の艦娘達にとって売られた喧嘩を買ったようなもので、高い士気を表に出して憚らない。

 

 それほどまでに彼女達が熱くなった理由―――話は幌筵艦隊の歓迎会まで遡る。

 

 

 

 「もう一度言ってみなさいよ、そのにやけたツラ、ほんと頭に来るわっ!」

 

 日南少尉の歓迎会が行われた居酒屋鳳翔の大広間を半分に仕切った会場に、五十鈴の鋭い声が響き、それまでの笑いさざめく空気を吹き飛ばす。幌筵部隊の艦娘六名と指揮官代行の猪狩少尉の慰労会として催されたパーティで、五十鈴が猪狩少尉に食って掛かっている。プンスカとかそういう可愛いものではなく、マジ切れ寸前の形相で詰め寄ろうとし、他の艦娘達に止められているが、口までは止められなかった。

 

 「いいこと? 私の記憶が教えてくれるのよ。山口多聞提督や松永貞市提督、松山茂中将、高須四郎大将…かつての私の艦長を務めた本物の男達に、きっと将来日南少尉は肩を並べるって。けどアンタから感じるのは安っぽい香水(パルファム)の臭いだけ。そんなチャラ男が何の権利があって私達の指揮官を悪く言う訳っ!? 訂正しなさいよっ」

 

 「ふ、ふんっ! お前こそ何の権利があって、艦娘がそんな口をきくんだ? 僕のように寛大な士官相手じゃなきゃ懲罰ものだぞ。僕は事実を…日南は兵学校時代に一番大事な学内演習で一〇戦七敗、妖精と喋れて座学の成績だけが良い、そんな奴に指揮されて気の毒だ、そう言っただけじゃないかっ…。そういえば1-4に取り掛るんだろ? 敵の主力は機動部隊だ、お前らの練度と日南の指揮じゃ太刀打ちできないだろうな…ところでこの香水、安っぽい?」

 

 くんくんと自分の腕を鼻に押し当てる様にする猪狩中尉に、さらに苛立ちを強める五十鈴。五十鈴だけでなく、明らかに凍てつく波動を放ち始めた宿毛湾教導部隊の艦娘。

 

 そもそも猪狩少尉が悪い。長距離練習航海の帰途艦隊整備のため寄港させてもらい、さらに慰労会まで開いてもらってるのに日南少尉にねちねちとケチをつけ、挙句に正面切って罵倒するなど、どんなに大人しい艦娘だってキレるに決まってる。沸点の低そうな五十鈴が真っ先にキレてくれたから、ある意味この程度の騒ぎで収まっているようなものだ。だいたい日南少尉はホスト(主催者)の桜井中将の名代、彼にケチを付けると言うのは桜井中将の顔に泥を塗るってことを分かってるの? 幌筵艦隊の旗艦を務める香取はほとほと頭を抱えてしまった。

 

 「猪狩、長距離練習航海、無事成功したようで何よりだよ。学内演習か、あれは確かに酷い成績だった。だから今頑張ってるんだよ。それよりも、教導部隊のみんなは優秀だ、自分の事をどう言おうと構わないが、彼女達を見下すのは止めてくれ」

 

 人波をかき分けるように前に進み出てきた日南少尉。自分に向けられた罵倒の言葉を軽く流し、それどころか相手の成果を素直に認める。そして何より、自分ではなく、自分の艦娘の悪口は許さない、ハッキリとした日南少尉の姿に、その場にいる全ての艦娘が目を見開いた。特に白い第二種軍装がよく映える爽やかな男らしさと器の大きさを間近で見た幌筵の艦娘達が、猪狩少尉(ウチの)と取り換えてくれないかな、とひそひそ囁き合い始める。

 

 その有様は猪狩少尉をさらに苛立たせるのに十分で、一層言い募ろうとしたが、その矢先に現れた人物には流石に黙るしかなかった。

 

 

 「若さゆえの熱さ、と黙認したい所だが、どうもそういう内容ではなさそうだね」

 

 秘書艦の翔鶴を伴い、桜井中将が現れ、その場の全員がそれまでの騒ぎを忘れたようにビシッと敬礼で迎え入れる。騒ぎがこれ以上大きくなる前に、と鳳翔が密かに連絡したのだが、中将も自分の非を認めているようで、鳳翔に向かい済まなそうに目礼を送る。同期だから仲が良い、と何故思い込んだのか。猪狩少尉の日南少尉に対する絡む様な視線が気になり、執務室で当時の事情を調べていた桜井中将は頭を抱えてしまった。

 

 「こ、これは中将っ! この度は幌筵艦隊のために慰労会を催していただきましてありがとうございますっ」

 一転、どこか媚びるような声で猪狩少尉が礼を言うが、桜井中将はじろりと見ただけで、全く違う話題を振り始める。

 

 「これからの海軍を担う若手二人が揃った席だ、同じ熱くなるなら未来に向けた建設的な議論にしてはどうかな」

 

 この言葉に猪狩少尉が反応した。明らかに日南少尉の肩を持ち、自分を揶揄する内容、と受け取ったのだ。無論桜井中将にそんな意図はないが、猪狩少尉はその言葉を逆手に取り挑発、日南少尉も受けて立った。

 

 「日南、お前はこれから1-4に進出するんだろう? 小手調べに機動部隊同士で演習と行こうじゃないか。お前の空母は? ああ…祥鳳型、ね…。幸い僕の部隊には千代田と千歳がいるからね。まあ練度はそんなに高くない、改二になりたてだ。でも教導艦隊には荷が重いかな。お前がチキってなきゃ胸を貸してやるよ」

 

 「さっきも言ったはずだ、教導艦隊を貶める発言は許さんぞ。誰が相手であっても、自分も彼女達も逃げたりはしない。我々の実力、そんなに知りたいか?」

 

 売り言葉に買い言葉、完全に熱くなりお互い手が出そうな雰囲気になったが、桜井中将の仲裁を袖にする訳にはいかず、二人とも距離を置き離れた位置で中将の話に耳を傾ける。

 

 「やれやれ…これは白黒つけないとお互いおさまりが着かなさそうだね。よろしい、この演習は私が預かる。幌筵艦隊の必須参加艦は千歳と千代田。二人の装備を除いた火力雷装対空回避耐久のステータス値を合計し、その二倍を上限に艦隊の総合値として参加する艦娘を決めなさい。日南君、君も同様だ。必須参加艦は祥鳳と瑞鳳、他の条件は同じだ」

 

 二人の少尉は思わず顔を見合わせ、それぞれに苦い表情に変わる。幌筵艦隊には香取と羽黒、教導艦隊にはウォースパイトと時雨、それぞれ切り札となる存在がいるが、このルールでは空母二人に加え高練度艦ならせいぜい一人、数を揃えたいなら中-低練度艦中心の編成を余儀なくされる。空母相手に少数艦では集中攻撃を受ける事になり、多数の中-低練度艦では目標を分散できるが総合的な打撃力に劣る。つまり艦隊の総合力に制限を加える事で、純粋に戦術で戦え、と命じられたのである。

 

 

 「どうした二人とも? 猪狩君、君は1-4に進出する教導部隊の成長に協力する、そう言ったね? 日南君、君は高練度の空母とどう戦うか経験を積みたがっていたね。ならば、お互いの空母部隊をどう生かして戦うか、戦術を競い合いなさい」



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022. 選択と集中-後編

 前回のあらすじ
 良い少尉、悪い少尉、喰えない中将。


 桜井中将の付した条件により、教導艦隊と幌筵艦隊の演習は、双方の考え方の差が明確に現れた布陣となった。練度で見れば一点集中型の幌筵艦隊とバランス型の教導艦隊だが、戦術で見れば真逆となる。

 

 幌筵艦隊の編成は、練度上限間近の練習巡洋艦香取に、改二なりたて勢の羽黒、千歳、千代田。難点は不知火型の二人、雪風と天津風の練度が低いことだが、そもそも今回の長距離演習航海の目的が不知火型の育成と改二勢の慣熟訓練であることを考えれば、これは止む無しと言える。だが今回の条件、『空母勢の装備を除いたステータス値の合計の二倍までを艦隊の総合値とする』のため、羽黒と香取の両方を同時に参戦させることができない。さりとて駆逐艦二人を参戦させると総合値の余力が高練度艦を組み込むには足りなくなる、という状態になった。

 

 結果、猪狩少尉の選択は羽黒と天津風の参戦だった。千歳千代田の攻撃隊による面制圧で事が済めばそれでよし、相手の抵抗が激しい場合は、航空攻撃で消耗させつつ水雷部隊が接近、天津風は高速雷撃で相手空母のいずれかを沈め、最後は羽黒が砲撃戦で残敵掃討という作戦。一方で練度の低い天津風を囮にする側面もあり、合理的だが情のない采配とも言える。

 

 

 一方、日南少尉の選択はある意味で真逆だった。猪狩少尉との行き掛りのため強行に出撃を主張した五十鈴、同じように祥鳳が出るなら自分も絶対に出る、と普段の調子からは想像できない強さで訴える漣。日南少尉はこの二人の訴えを受け入れ編成を決定、作戦を逆算する方法を取った。祥鳳と漣-祥鳳の最期の作戦となった珊瑚海海戦で護衛を務めるも、九〇機を超える米軍の空襲には抗せず祥鳳は撃沈され、漣は彼女の生存者を救助したという繋がりがある。

 

 ウサギの髪留めが目立つピンクのツインテールを揺らしながら、珍しく真面目な表情で漣が目を潤ませながら訴えた言葉に、日南少尉は頷くしかできなかった。

 「いつもふざけていると思われがちですが、祥ちゃんが出るなら今度こそ…。まぁ本気出すべき時は分かってます」

 そして日南少尉の了承を取り付けた後は、ぴゅーっと祥鳳に駆け寄ると抱き付いた漣はやっぱり漣だった。

 「(・∀・)キタコレ\(゜∀゜)/わっしょい!! 祥ちゃん、ご主人様見習いは、女の涙に弱いなり。これ豆ね」

 

 今回の演習ルールに従うなら、教導艦隊の切り札とも言えるウォースパイトを参戦させると、艦隊の総合値に四人目を加える余力が不十分で三人での出撃になり、低速の女王陛下に攻撃が集中する。宿毛湾泊地本隊からの貸与艦となる時雨、龍田、初雪、島風を中心に編成を考えると、条件を満たすには極低練度の艦娘を加えざるを得ず中途半端になる。参戦を強く希望する二人と祥鳳型の二人を念頭に、日南少尉は顎を手で支えながら目を伏せ考えていた。

 

 

 「五十鈴と漣…悪くない、というか、いい線いくんじゃないかな、うん」

 

 

 

 遠くの水平線がきらきらと不規則に輝いているのに最初に気付いたのは、教導艦隊を目指し波を蹴立て海面を疾走する天津風だったが、練度の低さ、すなわち経験の少なさがいきなり露呈する。

 「敵機!? いえ…波の反射かしら…いえ、でも…確証がないと報告は…」

 

 この逡巡のうちに、ペラが海面を叩かないすれすれの極低空を進む、祥鳳が発艦させた一八機の九七式艦上攻撃機が幌筵艦隊に迫る。この時の天津風が取るべき対応は、『敵機接近のおそれあり』と直ちに報告することだった。それを受けてどうするかは、報告を受けた側が考える事だが、確証がない事を上申すると叱られる、との恐れが天津風を必要以上に慎重にし、行き足を落としてまで確認を行い、報告のタイミングを致命的なまでに遅くしてしまった。

 

 その頃すでに幌筵艦隊上空では戦闘が始まっていた。浮かぶ雲間から逆落としで突入する一八機の零戦が、即座に腹下の爆弾懸架装置から二五〇kg爆弾相当の演習弾を切り離し、千歳と千代田が爆撃の雨に晒される。あまりにも大雑把な投弾だが、標的となった二人の軽空母の動きを止めるには十分な威嚇効果を発揮する。

 

 「わあああっーーーーっ」

 「やだあっ」

 

 次々と立ち上がる水柱でびしょ濡れになりながらも、キッと厳しい表情で空を見上げた二人は、改二改装と同時に配備された新鋭の零戦五二型を一気に上昇させ交戦を開始する。相手が突入させてきたのは同じ零戦でも爆戦、機体性能は高いとは言えない。すぐに蹴散らされるだろう、その考えは間違いだったと思い知らされた。識別のため、双方の機体の垂直尾翼は、教導艦隊側が黄色で、幌筵艦隊側の機体が若草色で塗られている。その黄色の垂直尾翼の機体の胴体に塗られたオレンジ色の不等号を二つ連ねたマーク。

 

 「やられた…」

 中継を聞いた幌筵艦隊の秘書艦、香取がぎりっと唇を噛む。艦娘の練度は簡単に上がらない。でも搭載する機体と搭乗員の妖精さんは別だ。おそらく教導艦隊は徹底的に航空隊を鍛えていたのだろう。こちらの機体性能が上と言っても二倍も三倍も違う事は無い、少々の差なら搭乗員の技量で互角以上に持ち込まれる。直掩隊を蹴散らされた後に、何が待つ?

 「二人とも回避ーーーーっ!!」

 香取の叫びと裏腹に、猪狩少尉は呆然としていた。圧倒的優位のはずが、どうしてこうなる…?

 

 

 「!!」

 千代田が慌てて千歳を庇うように突き飛ばすが一瞬遅かった。蹴散らされた直掩隊、ぽっかり空いた防空網、そこに突入してきた一八機の九九式艦上爆撃機。引き起こしの限度すれすれまで迫り、狙い澄ました爆撃を加えてくる。この時点で千代田中破、千歳小破。

 

 そしてようやく届いた天津風からの情報-『敵雷撃隊接近ノ可能性アリ。注意サレタシ』。

 

 「可能性、じゃなくて確実に敵機なんだけどっ!! ………きゃあああああっ」

 「飛行甲板だけは、やらせない!…って、手遅れだったね。あううっ」

 

 千歳は右舷から、千代田は左舷から、水面すれすれに突入してきた九七式艦攻の雷撃により、二人とも大破判定を受ける事になった。

 

 機動部隊同士の戦闘は先手必勝、いかに先に敵の空母の飛行甲板を叩くかがその後の成否を決める。教導艦隊が先手を打ったとはいえ、幌筵艦隊からの攻撃隊も祥鳳達に猛攻を仕掛けようと接近中、さらに海上を疾走し接近する天津風と羽黒の水雷部隊も着実に迫ってきた。

 

 

 

 空母娘同士の戦闘が他艦種の艦娘たちのそれと大きく異なるのは、自分自身の練度だけでなく搭載する航空隊の練度にも攻防ともに左右され、かつ場合によっては遠隔地の攻撃隊と直掩隊の制御を同時に行うことである。祥鳳の航空隊による猛攻を受けていた場面、それでも千歳と千代田は攻撃の手を緩める事は無かった。

 

 「お(ねえ)、先にあの軽巡やっちゃおうよ」

 航空隊の妖精さんから入る情報に、千代田は少しいらっとしながら、標的を五十鈴に絞るよう訴え、千歳も同意した。

 「そうね、千代田、まずうるさいのを抑えましょう。それから奥にいる空母部隊を狙います」

 

 これまでの交戦で、教導艦隊の直掩隊により雷撃隊が大きな被害を受けたのは把握している。だが海面すれすれを進む九七艦攻を抑える為水面近くまで下りてきた零戦二一型は、上空から急降下で追う自分たちの五二型からすればよい目標だ。それに数では大きく勝っている、ここで多少犠牲を出しても最終的に相手を叩くことができる。教導艦隊の巧みな攻撃に自分達は敗けた。けれどせめて引き分けに持ち込まなきゃ―――。

 

 奮闘を続ける瑞鳳率いる直掩隊をすり抜けるように接近する幌筵の航空隊。背後にいる漣と祥鳳、そして後衛の瑞鳳にちらっと視線を送り、空を見上げながら五十鈴はこきっと首を鳴らすと吠える。

 

 「さあ、五十鈴には丸見えよ。長一〇cm連装高角砲二基四門、お見舞いするわっ」

 

 二一号対空電探で捉えた相手に、速射性能に優れる長一〇cm砲が次々と火を噴く。空には黒煙でてきた花が咲き、その度に敵機が慌てて方向を変える。

 

 「なるほどね、少尉はつくづく合理的だわ。やりやすいったら」

 

 日南少尉がブリーフィングで念を押したのは、狙いを絞れる状況を作り艦隊防空にあたる事。瑞鳳の直掩隊はとにかく雷撃隊を叩く。そうすることで、五十鈴と漣は艦爆隊に集中でき、連装高角砲が真価を発揮する。

 

 「つっ、痛いじゃないっ! みんな、さすがに全部は抑えきれないわよっ。そっちに行くからねっ」

 高射装置を持たない五十鈴の対空射撃の命中精度は、一撃必中とまではいかないが、それでも猛訓練で得た練度の高さで幌筵航空隊の数を徐々に減らしてゆく。だが、千代田の作戦により狙いを変えた艦爆隊の猛攻を受けた五十鈴は、多勢に無勢、いよいよ躱し切れなくなり中破判定。

 

 

 

 続いて攻撃に晒されるのは漣と祥鳳。二人は距離を空け前方上空を睨む。瑞鳳の航空隊と五十鈴による必死の防空戦で大きな打撃を与えたものの、依然幌筵航空隊は攻撃力を喪失していない。加えてついに最前線に姿を現した天津風が突入を開始、さらにその後方からは羽黒が接近中。

 

 「祥ちゃ「漣ちゃんは突入してくる駆逐艦を抑えてくださいっ! 私、今度は負けませんからっ!」

 

 航空隊の目標は祥鳳、援護に回ろうとする漣には天津風がまとわりつく。さらに後方の瑞鳳は残存の航空隊を呼び戻し必死の防空に当る。

 

 「お姉ちゃん、まるで水面で踊ってるみたい…」

 

 -それしかない、じゃなくてそれがあるじゃないか。

 

 日南少尉の言葉を思い返し、迫りくる急降下爆撃を次々と躱し続ける祥鳳。珊瑚海海戦では二八機の攻撃を躱し切った。あれに比べたら―――長い黒髪を躍らせながら、ほとんど横転しそうなほどに体を倒し急角度でターンを続け、休むことなく回避を続ける姿の、あまりの見事さに瑞鳳が目を奪われたほどだ。それでも全弾を躱す事はできず、祥鳳中破判定。だが満足そうな表情で祥鳳が叫ぶ。

 「や、やりました少尉っ!! 今度は…今度は沈みませんでしたっ」

 

 

 「逃げられないよ! 漣はしつこいからっ!!」

 「ああっ、艦首と第一砲塔が!」

 長一〇cm連装高角砲での砲撃で天津風の接近を阻む漣と、何とか漣を振り切って祥鳳か瑞鳳に雷撃を加えたい天津風。どちらかの空母、という猪狩少尉の曖昧な指示が足を引っ張り、狙いを絞り切れないまま漣を振りきれず、天津風はどちらも逃すことになった。結果は相打ちといえる状態で、天津風漣とも中破。ただ雷撃を防ぎ切った点で漣の勝ちとも言える。

 

 そして―――。

 

 「全砲門開いてください!」

 粘る五十鈴を砲撃により大破判定で沈黙させ前進を再開した羽黒が、射程圏内に祥鳳を捉えた時、最後の一手が放たれる。

 

 「数は少なくても、精鋭だから!」

 

 それは瑞鳳が放っていた、教導艦隊に残った最後の矢。直上から急降下で襲い掛かる九機の九九艦爆が羽黒に迫る。これを躱されると、教導艦隊は羽黒に蹂躙されるだけだ。だが羽黒は祥鳳に意識を集中し過ぎたあまり、発動機の轟音と風切音に気付いた時には完全に遅かった。回避も迎撃もままならない。なぜ相手に航空隊が残っていないと決めつけていたのか、羽黒が悔しさに歯噛みしつつ着弾の衝撃に耐えようと体を丸める。羽黒、予期せぬ集中爆撃により大破判定。

 

 幌筵:大破:千歳、千代田、羽黒、中破:天津風

 宿毛湾:大破:五十鈴、中破:漣、祥鳳、損傷無:瑞鳳

 

 

 教導艦隊、勝利A―――。

 



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023. プライド

 前回のあらすじ
 勝利のポーズ、ぶいっ!


 「やったぁーっ! やりましたっ! 私っ、嬉しい!」

 喜びを爆発させ、弓を放り出すような勢いで両手でばんざいしぴょんぴょんと飛び跳ねる祥鳳。すぐ近くの漣に抱き付き演習の勝利の喜びを分かち合う。むぎゅうっと押し付けられた胸に顔を埋め、ハイライトオフの瞳になりながら漣が呟く。

 「小柄な体にほどよくたわわなこのサイズ…うっっくぅ~、なんもいえねぇ~…」

 

 「ほら、馬鹿やってないで帰投するわよ」

 全身を真っ赤に染めながら、やや不機嫌そうに大破判定の五十鈴が二人のもとへ近づいてくる。中破判定の漣も祥鳳も、五十鈴ほどではないが体を赤く染めている。演習用のペイント弾は炸薬の代わりにインクがはじける仕組みだが、それでも弾は弾、命に関わらないだけで痛いものは痛い。

 

 「帰ったら、瑞鳳が勝利の記念の卵焼き、張り切っていっぱい作りますね。うふふっ♪」

 

 瑞鳳がにっこり微笑みながら、弓を後ろ手に持ちすいーっと近づいてくると、五十鈴と祥鳳がジト目で絡みつくような視線を送る。

 

 「…アンタはいいわよね、一人だけ無傷で」

 「あれだけ攻撃を受けたのに…。やっぱり()()が違うのかしら…」

 

 祥鳳の言うアレとは、『運』。効果測定が難しい要素だが、瑞鳳は初期ステータスでいきなり30という高水準。今回の演習でも遺憾なくそれは発揮されていた模様だ。

 

 「まーまー皆の衆、せっかくだから全員お揃いにすべしっ」

 漣がわきわきっと手を動かしにやにやしながら近づき、五十鈴と祥鳳も頷くと、瑞鳳に近づく。そして全員で一斉に飛び掛かり瑞鳳に抱き付く。せっかく無傷なのに、ペイント塗れの三人に抱き付かれ瑞鳳も同じように赤く染まってしまう。

 「やだっ、ちょ、ちょっと~。んっ、格納庫まさぐるの止めてくれない?ひゃあああ~っ」

 

 拠点としていた鹿島の仮設指揮所で、演習参加組を出迎えた日南少尉と待機組の艦娘は首をかしげる。中大破三人に無傷一人との報告だったが、目の前にいる四人全員演習弾の真っ赤なペイントに染まっている。少尉が視線を合わせると、瑞鳳は微妙な表現で理由を説明し、ペロっと舌を小さく出す。

 「…瑞鳳は損傷無し、じゃなかったのかな?」

 「…フレンドリーファイアっていうのかな、こういうの」

 

 仮設指揮所のあった鹿島から宿毛湾泊地の本部棟のある池島地区までは大発で約1時間。船倉を改装した船室では真っ赤に染まった演習参加組が興奮気味に演習の推移を待機組に説明している。状況は随時中継で把握していたが、実際にその場にいた者の説明は臨場感が違う。日南少尉も最初は船室にいたが、ふと気分転換がしたくなり、操舵把の方へと移動する。一人後部甲板で寛ぎ、風を受けながら海を眺める。視界に入ってきたもう一艘の大発。幌筵艦隊に貸与されたもので、沖の島から同じように本部棟を目指している。

 

 同じ構造の大発はオープントップで中の様子が丸見えになる。演習に参加した幌筵の艦娘達は全員ひどく落ち込んでいるようだ。中でも天津風の落ち込んだ姿は気の毒で見ていられない程だった。対照的に満面に不機嫌な相を浮かべる猪狩少尉と目が合うが、露骨に視線を逸らされる。そして香取に命じて大発を増速させ、その姿はどんどん離れていった。

 

 

 

 本部棟に到着した後、演習参加艦はとりあえずシャワーを浴びてペイント弾の汚れを落としてから、改めて大会議室に集合する。日南少尉以下教導艦隊全員、猪狩少尉以下幌筵艦隊の六名、そして桜井中将と秘書艦の翔鶴、大淀が揃った時点で講評が始まる。

 

 「日南少尉の部隊がA判定で勝利を収めたようだね。攻防ともに空母部隊をどう動かすかに徹していたが、攻撃面ではあの先制爆撃は賭けだったのかな? 勝利とはいえ綱渡りだが、練度の差を考えるとよくやったというべきだろう。猪狩少尉も作戦自体は悪くなかったが、攻撃目標を確定しなかった点で水雷戦隊を十分に機能させられなかったようだな」

 

 わあっと歓声が教導部隊から湧き上がる。五十鈴は鼻高々に胸を大きく張り、祥鳳は満面の笑みでガッツポーズ、瑞鳳と漣は少し照れくさそうな表情を見せる。一方落ち込んだ表情でうつむく幌筵部隊。数は互角だったが練度は明らかに上、それでも負けた。中でも序盤では報告ミス、終盤では突撃を防がれた天津風は泣きそうな顔になり、というか泣き出してしまい雪風に慰められている。対照的な光景の中、幌筵艦隊の艦娘を押しのけ、心底悔しそうな表情で猪狩少尉が現れると、日南少尉を問いただし始める。

 

 「日南…どうやって僕の艦隊の居場所を特定したんだ? 先制さえ受けなければ…くそっ! 答えろっ!!」

 「…猪狩、お前はさ、昔から基本に忠実で、その分読みやすいんだ。それに、口が軽い。改二改二って騒ぎ過ぎだ。両方の情報を合わせると、お前が設定したのは、千歳千代田の最小スロットに合わせた北西方面への間隔一〇度の索敵線一六での偵察機展開、そうだろ? 五十鈴の電探が偵察機を二、三機捉えた時点で、方角と速度から距離と位置を割り出した。実戦ならこうはいかないだろうが、演習だからね」

 

 その会話を聞きながら、それぞれの秘書艦-教導艦隊の時雨と幌筵の香取は満足そうな表情を浮かべる。

 「前から思っていたけど、日南少尉はほんとうに計数に長けてるね。速度、風向き、方角、距離、時間…こういった情報の処理がずば抜けて速い。そして得られた情報をもとに組み立てる無駄の無い作戦。その成否は僕たち次第だからね、頑張らなきゃ」

 小さくガッツポーズをしながらふんすと意気込む時雨。

 

 「基本に忠実でブレない良さの反面、戦術が型通りで状況の変化に即応できない…それが今の猪狩少尉の弱点ですが、ものの見事にそこを突かれましたね。この勝敗はそのまま指揮官の差。そこをきちんと認めて糧にしてほしい…そして、私も藤村大佐とともに少尉をどう育てていくかが問われますね」

 眼鏡をくいっと持ち上げながら、それでも優しい視線を猪狩少尉に向ける香取。

 

 

 果たして、俯いたまま肩を大きく震わせていた猪狩少尉がキレた。

 「お前はいつもそうだ、日南っ! 昔から一人で全部見通したような顔をしてっ! 僕は…父のために…提督になるんだ。兵学校の三年次までは司令部候補生も夢じゃ無い、そう思っていた。そしたらドイツ帰りのお前だっ! 何で僕の邪魔をする? お前なんか…お前なんか…」

 

 「父上とは、猪狩中将のことだね。なるほど…だからといって、事の正邪は弁えるべきだな。日南少尉、猪狩少尉、私の執務室へ。残りの者は解散しなさい」

 慌てて駆け寄ってきた香取に羽交い絞めにされ、それでもじたばたと暴れる猪狩少尉だが、桜井中将の静かでよく通る声に動きを止めた。殴りかかろうとする途中の姿勢でぴたりと止まる辺り、猪狩少尉は基本的に荒事に向いていないのだろう。ざわめきを残しながら移動を始めた一団の中、日南少尉が静かに言葉を零す。それは猪狩少尉にも周囲の艦娘の耳にも届いていた。

 

 

 「猪狩…自分には家族がいないから、そういう事のために頑張れるお前が羨ましいよ」

 

 

 

 かつて起きた、艦隊本部のタカ派と技術本部の急進派が手を組んだ末の暴走による大事件・北太平洋海戦。艦隊本部が事態収拾にあたっていたその時期、前柱島泊地司令官で、元来温厚篤実な人物で知られた猪狩中将は、一度だけ夢を見た。混乱した状況下で勢力伸張を目論んだ一派に利用され、艦隊本部の統括大将になるべく政治工作を始めたのだ。結果は失敗に終わり、梯子を外された猪狩中将は失脚、その後閑職を盥回しにされる不遇の晩年を過ごしている。中将の息子・猪狩少尉の夢、それは父が果たせなかった艦隊本部の頂点に立つ事。その第一歩として提督になる事。

 

 そして、桜井中将の言った『事の正邪は弁えるべき』―――。

 

 その場に居合わせた多くの艦娘達は、演習の講評中に暴力沙汰に及ぼうとした猪狩少尉の行動と理解したが、行間を読む者と当事者は、真の意味-猪狩少尉を中心とするグループが、卒業順位を有利にするため、学内演習で日南少尉を陥れた事-を理解していた。

 

 「調べさせてもらったけどね。単純な方法ゆえに盲点だった、よく考えた罠と思うよ」

 執務席から淡々と桜井中将が語り、猪狩少尉は苦しそうに顔を歪め、日南少尉は困惑する。

 

 命令書のすり替え-兵学校の学内演習では、練度も艦種もランダムに選出された艦娘が一二人貸与され演習一〇戦の指揮を執る。一回の演習に参加できる上限は六名、小破判定以上の損傷によりバックアップの艦娘と交代が認められる。細々とルールの書かれた指令書は所定時間を過ぎたら回収され、演習が開始される。だが日南少尉に渡された演習指令書だけは『大破判定以上で交代』と書かれていた。

 

 結果、日南少尉の学内演習の成績は一〇戦三勝七敗。七敗は艦娘が傷つくのを嫌がった日南少尉が参加を放棄したための不戦敗である。それが非戦主義者と陰口を叩かれる理由にも繋がった。

 

 「日南君、きっと君は当時不正を確信していただろうね。でも騒ぎ立てなかった。分かっていたのだろう、不正を立証できない事を。それでも、衷心より申し訳ないと思うが、卒業順位を訂正することはできない。物証がないからだ」

 

 文書による命令書や兵卒のメモが玉砕や撤退した基地で押収され、それが日本軍の行動を米軍に教えたという往時の戦訓は、形を変え兵学校でも継承されていた。命令書の類は、細部まで記憶する事を求められ短時間で回収された。演習指令書も同様で、例え日南少尉が不正を訴えたとしても、回収された偽の命令書はただちに廃棄され、証拠がない。単純だがよくできた罠と、桜井中将が評した所以である。

 

 「猪狩君、卒業順位(ハンモックナンバー)二位という汚れた名誉は君の手にある。君はそれでも提督を目指せるのか?」

 

 桜井中将の重い問い、いや断罪が、猪狩少尉を精神的に押し潰そうになる。ついっと進み出た日南少尉の言葉が無ければ、猪狩少尉は退官を申し出たかも知れないほどに。

 

 「猪狩…あの時、自分の頭にあったのは、大破し傷ついても自分のために戦い続けようとする艦娘達の姿だった。お前が自分にした事を今さら問うつもりはない。だが、お前の個人的な欲望のため、演習とはいえ多くの艦娘が無用な傷を負った。今回の演習でも、幌筵の艦娘達はお前のために全力で戦ったんだ。お前が提督を目指すなら、自分の都合で艦娘を傷つけるな…分かってもらえるだろうか」

 

 長い長い沈黙の後、猪狩少尉が顔を上げ、日南少尉に向き合う。

 

 「日南………お前はきっといい提督になると思う」

 

 そしてニヤッと笑い、続けた言葉の後に相貌を改め、深々と頭を下げた。

 「…僕の次にだけどな。……………………済まなかった、日南」



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Intermission 2
024. Wish I was there


 前回のあらすじ
 何故アイツが負けたか? 坊やだからさ


 楽しそうに鼻歌を歌いながら、右手に持ったペンをふりふりして廊下を歩く鹿島は、宿毛湾泊地本部棟の教官詰所のドアをからからと開け、自分の席に座る。自分で用意したコーヒーの入ったマグカップを両手で持ち、ふーふーしながら口をつけたとき、姉の香取が隣席に着いた。

 「おはよう鹿島」

 「おはようございます、香取姉さん」

 ついっと立ち上がった鹿島は、姉のためにコーヒーを用意して戻ってくる。

 

 「メール見た? 教導艦隊の1-4進出、延期だそうよ」

 「はい、ちらっと見ました」

 ちらっとどころか実際は件名『1-4進出延期のお願い』を流し見しただけ。後で教導艦隊の司令部に顔を出す口実になるし…という心の声は伏せつつコーヒーを姉に差し出し、鹿島は自分の席に戻る。

 

 「はいどうぞ、姉さん。最近寒くなりましたねー」

 「そうね、寒くなりましたね。そのせいもあるのかしら。となると、温かくて消化の良い食べ物の方が…」

 「姉さん、どうしたんですか? お腹の調子でも悪いんですか?」

 「私は元気いっぱいですよ?」

 「だって今…」

 

 会話が噛みあっていない。怪訝な表情で姉の顔を覗き込む妹と、呆れたような表情で妹の顔を覗き込む姉。

 

 「日南少尉の事ですよ、ちらっとでもメール見たんでしょう? 体調を崩して寝込むなんて…聞けばロクに休みも取っていないらしいし。一人暮らしですから、早く医務室に―――」

 鹿島の顔色がさっと変わり、少尉のメールを再度確認する。確かに本文の下半分程にその内容が書いてあった。鹿島は真剣な表情で自分のラップトップに向かうと、大量の業務関係メールを素早く処理し、最後にRFA(承認申請)メールのテンプレートを立ち上げ、かたかた入力して送信する。そしていくつかのファイルを準備し、隣に座る香取の机に積み上げる。

 「業務引継内容はさきほどメールしました、これが関連資料のファイルです。休暇申請も先ほど出しましたので、それではっ」

 「ちょ、ちょっと鹿島…?」

 

 風を巻き銀髪のツインテールを揺らし、低速艦とは思えない速度で鹿島は第二司令部へと急行する。

 

 

 

 その日南少尉、重病ではなくただの風邪。数日前から不調を感じていたが、若さと責任感で体からの警告を無視し業務を続け、ついに昨夜遅く高熱を出し倒れ込んでしまった。それでも桜井提督と翔鶴、教官ズ(大淀、香取、鹿島)、秘書艦の時雨に、南西諸島防衛線進出の延期願いと自身の状態を伝えるメールを出し、何とかベッドに潜りこんだ後は、ひたすらこんこんと眠り続けている。

 

 

 異変に最初に気付いたのは島風だった。いつもの通り朝食を用意して執務室にやって来たが、誰もいない。それに、何となく空気が違う。

 「ごめんねひなみん」

 そういいながらポッケから合鍵を取り出し、かちゃりとドアを開ける。島風の目に飛び込んできたのは、熱で熱くなった吐息を苦しそうに漏らしながらベッドに横たわる日南少尉の姿だった。

 「ひな…みん?」

 一瞬目の前で起きている事が理解できずパニックになった。日南少尉が正常な状態でないことは明らかだが、自分にはどうしていいか分からない。

 「えっと…艦娘(私達)が不調の時は…」

 対処できそうな人を連れてくる、そう彼女は決断した。例えそれが間違った人選だとしても。

 

 「すぐに明石さんを連れて戻って来るからっ! それまで…死なないでね、ひなみん!」

 

 島風が小さく呟き、その姿は消えるような速度で疾走し工廠へ向かう。

 

 

 

 島風が工廠へと疾走を始めた頃、遠征中の時雨は海上で気が気ではなかった。難所越えが続いた夜間航行を終え朝になり、メールをスマホでチェックし飛び上がるほど驚いたからだ。届いたメールには、1-4進出の延期と日南少尉の体調不良、そして教導艦隊内には時雨から連絡してほしい、と書いてある。とにかく誰か様子を見てお世話してほしい、と慌てて()()()()()()にメールを転送した時雨だが、ひたすら心配である。

 

 秘書艦業務でデスクワークの中心の日々が続き、何となく体がなまっているかな…前回の演習も参加できなかったし、と思っていた所に、日南少尉から遠征参加の声がかかった。以心伝心かな、と執務机に隣接する秘書艦席から上目使いで少尉に視線を送る。見返してくる少尉の潤んだ視線がすごく熱い。そ、そんな目で見られると、僕…。思わず照れてしまい、熱くなった頬に手で風を送りながら、誤魔化す様に席を立つと執務室を後にした。

 

 「今思えば、日南少尉は熱があったんだ。何で気付けなかったんだろう…」

 

 今回第二艦隊の旗艦として参加しているのは海上護衛任務で1日半の航程。現在位置から予定通りに帰投すれば昼頃になる。考え込んでいた時雨は決断する。今日は晴れだが風が強く、波も高い。けれど…行かなきゃならない。

 「みんな、最大戦速っ! 最短距離で泊地に帰投するよっ!!」

 

 艦隊の編成は、睦月、如月、白雪、深雪、そして天龍。いずれも最近加わった艦娘で、まだまだ練度は低い。

 「おいおい、秘書艦様は急にどうしたんだ? 今日の天候を考えろよ? 最短距離ってことは、ここを真っ直ぐ突っ切って行く…この波で最大船速なんて出し続けたら縦揺れでがっくんがっくんなっちまうぜ?」

 天龍の指摘はもっともで、この海域から宿毛湾泊地に最短距離で戻るには正面から波を超える事になる。波と揺れは、船体(身体)の大きさと高さに応じ度合いが左右される。身体が大きければ波きりによって揺れが少ないが、小さければ波に乗せられてしまう。練度の低い今回の第二艦隊、しかも体の小さな駆逐艦たちでは、波にうまく乗れずにむしろ乗せられ、結果海面に打ちつけられたり推進機の空転で事故につながりかねない。それでも―――。

 

 「無理を言ってるのは分かってるんだ。でも…メール転送したけど、日南少尉が急病で寝込んでるって…。僕は…秘書艦として…早く戻りたいんだ」

 

 皆に動揺が走る中、天龍がニカッという男前な笑顔を見せ、サムズアップで応える。

 「なぁにが秘書艦として、だ。アイツの傍にいてやりたいんだろう? いいぜ、世界水準軽く超えてる所見せてやるよ。よぉし競争だっ!! オレの後にしっかりついてこいよっ」

 

 「ありがとう、みんな…」

 全員が一斉に最大戦速へと加速を始め、果敢に波きりに挑んでゆく。その背中に、時雨は深々と頭を下げ、自分も加速を始めた。

 

 

 

 その頃には時雨のメールを受け取った艦娘たちの中で動き始めた者もいる。日南少尉の部屋にはすでに一人の見舞客がいた。

 

 「ヒナミ、無理をしてはダメでしょう…。貴方一人の体ではないのですよ」

 ベッドサイドに座る一つの影。白い指先が少尉の頬に伸び、さらりと長く細い金髪が柔らかく少尉の顔にかかる。指先は彼の頬から顎を辿り肩へと落ちる。左手を枕元に置いたウォースパイトは日南少尉に覆いかぶさるような姿勢になる。右手で前髪をかき上げ、おでこを日南少尉のそれにくっつける。日南少尉の熱で浮かされた熱い吐息がウォースパイトの首筋を撫で、一瞬彼女の体がびくっとする。

 

 

 「ああ…熱い…。なんてこと…」

 「なんてウラヤマけしからんことを!! 少尉の…寝込みを襲うなんてーっ!!」

 

 本音ダダ漏れの叫び声に、頬を紅潮させたウォースパイトがびっくりして振り返ると、その視線の先にはわなわなと涙目でぷるぷる震える鹿島。途中酒保に立ち寄り経口補水ドリンクや果物、ヨーグルトなど口当たりの良さそうな食べ物を買い込んで、たどり着いた先では、長い金髪の艦娘が日南少尉に覆い被さって口づけていた…ように見えた。少なくとも後ろから見ればそう見えない事もない、というかそう見える。

 「な…何をハシタナイ事を叫んでいるのですか、カシマッ。私はただ…そう、英国王室伝統の熱の測り方をですね」

 

 金髪ストレートロングと銀髪ツインテ、静のウォースパイトに動の鹿島。そして流石に日南少尉が目を覚まし体を起こす。

 

 「う…ん…何で二人ともここに?」

 「ヒナミ、are you alright?」

 「少尉っ、鹿島がついてますからねっ」

 

 起き上がってはだめです、と二人の勢いに押され、横になると言うよりはベッドに抑え込まれた日南少尉。最早看病と言うより襲撃である。

 「とりあえず状態はメールで読みました。果物なら食べられますか?」

 ベッドの右側に座り、鹿島は持参したリンゴをしゃりしゃりとナイフで切り始め、ややあって小皿に載せられたウサギが少尉に差し出される。

 「はい、どうぞ。リンゴといえばウサギですよね♪」

 「…美味しそうっていうか、上手ですね……」

 少尉のその言葉が全てを物語っていた。ナイフを巧みに使い切出された、リアルに動物としてのウサギを象った彫像のようなリンゴがそこにあった。

 「なるほど…日本ではそのような形で病人食を用意するのね、興味深いわ。なら私も…ヒナミ、少し席を外しますね」

 ベッドの左側に座っていたウォースパイトが鹿島の無駄な妙技に感心し、自分も何かを作ろうと思いついた様子である。すっと立ち上がりスカートの裾をつまむと軽くお辞儀をし、部屋を立ち去った。

 

 「今がチャンスですねっ。あ、いいえ、何でもありません、うふふ♪ 日南少尉…お熱、正確に測りましょう。ちゃんと…おでこをくっつけないと、ですね」

 ぎしっとベッドが音を立てる。片膝をベッドに乗せ、鹿島が日南少尉に近づいてゆく。正確な検温はどこに行ったのか。

 

 

 じゃらり、と金属が擦れる音がしたと思うと、天井から鋭角に降ってきた鎖が鹿島のいる位置のすぐそばの床に突き刺さった。見れば鎖の先には、持ち手に近い辺りに返しを備えた棒状の短剣(ダガー)が付いている。

 

 「そこまでです…鹿島教官」

 

 その声に日南少尉と鹿島が一斉に天井を見る。神通が重力を無視して天井の隅に四つん這いで張り付き、こちらを見下ろしていた。少尉は唖然とし、口をパクパク動かすが声にならない。言うまでもなく、先ほどのチェーンダガーは神通が投擲したものである。

 「えええーっ、気配を遮断っ!? 全然気付かなかった…」

 神通が気配を消したというより、鹿島が日南少尉しか見ていないだけである。鹿島は紛れもなく一流の教官であるが、少尉絡みではどうもポンコツ化が目立つ。

 

 「少尉がこんな状態なので…万が一侵入者の襲撃にあったら…そう思って時雨秘書艦のメールを受けてすぐ護衛していました」

 

 泊地内、しかも自室にいる少尉の元に、目的が護衛とはいえ屋根を穿ち部屋に入り込み死角に潜む…まさに神通が侵入者である。無理に起こされてさらに具合の悪化した日南少尉は、力を振り絞り睨みあう鹿島と神通に対し、当然の疑問と要望をぶつける。

 

 「君達…いったい自分の部屋で何してるのかな…できれば、ゆっくり休ませてほしいんだけど…」




遠征: ゲームでの1時間=物語では0.5日、と換算してます。
(変更:20171101、Thank you 鷺ノ宮様)


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025. Rumbling hearts

 前回のあらすじ
 少尉、寝込む。艦娘、張り切る。


 「わ、ちょ、えええええっーーーー!!」

 

 執務室に飛び込むと、閉ざされた日南少尉の寝室のドアの前で急停止した島風に反し、慣性の法則に逆らえず明石は文字通り投げ飛ばされた。慌てて手にした大型の工具でドアを叩き割った明石だが、そのままの勢いで叫び声を上げながら室内へ突入、ばちばちと視線を可視光線に変えにらみ合う神通と鹿島の間を通り抜け壁に激突した。

 

 目から星ってほんとに出るんだね…とくらくらする頭を抑えながら、明石は島風が突如工廠に涙目で現れた時の事を思い出していた―――。とにかく何かを直してほしい、の一点張りで要領を得ないが、どうやらそれは日南少尉の部屋にあるものだということまでは分かった。明石が立ち上がり準備をしているうちにも島風のいらいらは募ってゆき、準備できましたよ、と言おうとした瞬間に腕を掴まれ、島風はいきなりトップスピードまで加速した。強烈な加速は、明石を宙に浮かせたままの疾走を見せる。曲がり角を強引に三角蹴りの要領で立体的にクリアする島風、遠心力が働き壁に叩きつけられそうになる度に、手にした工具をフルスイングで壁を破壊する明石。二人の通った後は分かりやすく瓦礫が残されていた。

 

 「しょ、しょれで一体何を直せばいいんでしゅか?」

 

 依然として痛む頭を押さえながらふらふら立ち上がった明石は、目の前の二人に問いかけるが答はない。遅れて日南少尉の寝室に飛び込んできた島風が、居ても立ってもいられない、という風情できーっとなる。

 

 「ひなみんにきまってるでしょう、もーっ!! 早く早くっ! 高速修復剤も必要なら取って来るからっ」

 

 明石、そして神通と鹿島、三人が顔を見合わせる。あーそういうこと…直すじゃなくて治す、ってことね、と明石がベッドで固まっている日南少尉に近づき、問診を行いながら確認する。人間の医師ではないが、状態はだいたい見れば分かる。発熱とそれに伴う関節痛、喉の痛み…流行性感冒、早い話が風邪。ちょっと熱が高目に思えるが、その辺は症状に個人差があるから仕方ない。

 

 「島風ちゃん、これは私の手にはちょっと…」

 当然である。日南少尉は人間で、工具でバラせばそれこそ入院もの、入渠施設に入れたら艦娘がきゃーきゃー騒ぐだけだ。高速修復剤なんて使ったら逆にどうなるか分かったものではない。医療妖精さんに診せて、と続く話を、島風はまったく聞いて居なかった。

 

 「そんな…明石さんでもダメだなんて…」

 日南少尉の首筋に抱き付いて、しくしく泣き始めた島風。彼女の中では日南少尉の死亡は確定した模様、風邪なのに。半ば現実逃避気味に、ドアの修理費用って自分持ちかな…と日南少尉は考えていた。それでも自分を心配してくれる島風の気持ちは嬉しい。嬉しいのはいいが、熱に浮かされると考えが浅くなる。無意識の行動ながら、日南少尉は、島風のさらっと長い金髪を撫で、そのままその手を頬に添える。

 

 「ひなみんっ…」

 「ズ、ズルいっ」

 

 世の中簡単にナデポが成立するなら苦労はしない。だがそれを無意識にやってしまう男もいる。島風は、それこそ急な発熱のように顔を真っ赤にして一層きつく抱き付く。余計な事をせずピュアっぽく抱き付いちゃえばよかったんだ、と悪魔の囁きに乗っかって島風の反対側からぎゅうっと抱き付く鹿島。

 

 その間にも、続々と艦娘が押し掛けてくる。INはあってもOUTはなく、執務室と少尉の寝室はいつしか人であふれていた。時雨が全員に少尉のメールを転送した成果である。

 

 「卵のお粥とー、卵焼きとー、オムレツと、エッグベネディクトと…あと卵スープ、卵とトマトの炒め物…少尉、どれがいい? お好みで半孵化ゆで卵(バロット)もあるよ?」

 人を選ぶエスニックな一品を含め、定番の卵焼き以外にも色々な卵料理でいっぱいのトレイを手に、小首を傾げてにこっと微笑む瑞鳳。

 

 「あ、あの…お熱があると聞きました。そういう時は人肌で温めあうのが一番とか…。少尉のためでしたら…私、その…」

 雪山での遭難と入り混じった知識で、何か決意を固めた表情で提案する、その人肌を常に半分肩脱ぎの祥鳳。

 

 そこにウォースパイトが戻ってきた。顔には何か飛び跳ねたような白い跡が残り、見れば制服もあちこち汚れている。そしてその手には食べ物と思われる何かがある。

 「お待たせしました、ヒナミ。これを食べれば元気になりますよ。ああ、コーンウォールの風を思い出しますね」

 満面の笑みで差し出されたのは、卵とジャガイモ、そしてイワシをパイ生地で包み焼き上げたスターゲイジーパイ。パイの至る所から魚の頭や尻尾が飛び出した、迫力と破壊力満点のビジュアルが特徴のイギリス料理である。

 「うわぁ、そのパイ、スケ○ヨっぽい…」

 夕立が呆然と『犬○家の一族』のワンシーンを彷彿とさせる名前を呟き、初雪は目を丸くして言葉を失ってしまった。

 「カシマのリンゴを見て、材料の原型を留めている方が日本人の好みかと思ったのですが………違うの?」

 周囲ドン引きの反応に、さすがの女王陛下も軽く涙目になりしょげてしまった。

 

 「はーい、みなさ~ん、リネンを取り替えますから、ちょっとベッド周りからどいてくださいね~」

 もっともまっとうに日南少尉のお世話をしようとしているのが、綾波と由良のコンビである。

 

 その他にもガッツリ系の料理を運んで来た速吸、矢矧をダシに元気一杯に現れた阿賀野、興味本位で顔を出した二航戦の二人など、宿毛湾泊地本体からも見舞い客が増え、いよいよ執務室は賑やかになった。

 

 流石に日南少尉が幽体離脱しかかった所に、救世主が現れる―――。

 

 

 「あらあら、みなさん元気があって何よりですね。でも、ここは執務室で、何より日南少尉はご病気ですよ。いい加減にしましょうね」

 

 

 土鍋の載ったお盆を手に鳳翔が現れた。さりげないが反論を許さない声に、あれだけ騒がしかった艦娘達がぴたりと静かになる。唯一島風だけが『ひなみんが死んじゃうー』と騒いでいたが、鳳翔と明石から改めて説明を受け、ようやく大人しくなった。

 

 「桜井中将から様子を見て欲しい、と頼まれて来てみたのですが…。みなさん、お世話をするというのは、自分のしたい事をするのではなく、相手がしてほしい事をすることだと、私は思いますよ。さあ、今は少尉を休ませてあげましょう、ね?」

 

 鳳翔の静かな威圧に押され、教導艦隊+αの艦娘達が、すごすごと部屋から出て行き始めたところに、元気いっぱいに天龍が現れた。すぐさま龍田が天龍に駆け寄る。

 「天龍ちゃん、お帰りなさ〜い。第二艦隊の帰投、早くない?」

 「時雨が半ベソかいて早く帰りたがったからな、最大戦速でぶっ飛ばしてきたぜ。少尉っ、起きてるか!?」

 

 小首を傾げ考え込んでいた鳳翔は、天龍の背後から、ひょこっと不安げな顔をのぞかせた時雨に頼みごとをする。

 

 「お部屋がこの有様ではゆっくりお休みいただくと言っても…。そうですね…私もお店の準備がありますし、時雨ちゃん、お手伝いお願いできますか? それと…島風ちゃん神通さん鹿島さん明石さん、お話があります」

 

 

 

 執務室と寝室を隔てるドアは、明石さんを投擲兵器として利用した島風に破壊された。見れば寝室の天井にも神通さんが侵入した際に穿った穴が開いている。そして教官のお仕事を放りだして駆けつけた鹿島さん。あまりにも常識がなさすぎます、と鳳翔さんから三人にはお叱りが入った。詳しい事はよく分からないけど、あの三人が涙目になってガクガク震えるんだから、鳳翔さんよっぽど怒ってたのかな。きっと本気で怒ったら、止められるのは桜井中将くらいかも知れない。僕も気を付けなきゃ。

 

 あちこち壊しまくった明石さんは妖精さんと一緒に、少尉の部屋を含め修繕に当っている。その間、少尉は居酒屋鳳翔の一番奥まった所にある離れで休養することになった。そして僕は少尉に付き添っている。

 

 熱のせいもあって、少尉の眠りは浅く時々目を覚ますから、その度に体を支えて上体を起こし、お水を飲ませたり、汗をすごくかくから、体を拭いてあげたり、着替えを用意したり…全部鳳翔さんから任されちゃった。

 

 製油所地帯沿岸地域を突破して、ぼろぼろになって帰って来た後、無理を言って一緒に撮らせてもらった二人の写真は、僕のスマホの待ち受けになっている。楽しい時、たまには辛い時、話しかけてしまう癖がついた。あの時の君の言葉と温もりで、分かってしまったんだ。僕は、君の事が―――。

 

 ふと浅い眠りから目を覚ますと、少し離れた真横に君の顔が見える。改めて自分の体勢を眺めてみる。ああ、僕は眠っちゃったんだ。徹夜で遠征して全速力で帰投して、執務室での大騒ぎの後片付けをして君を居酒屋鳳翔まで運んで、様子を見ながら色々お世話して…僕も疲れてたんだね…。穏やかで静かな寝息。君はどうしていつもそうやって僕をドギマギさせるんだい? こうやって手を伸ばせば、君に触れられそう…でもなかった。僕の手は、しっかりと君に握られていたから。無理に離すと起こしちゃうかな?

 

 

 ふあ…また眠くなってきちゃった。もう少し、だけ………このまま………で……。

 

 

 翌朝目が覚めて、僕は自分の状態に気づき、声も出せない程固まってしまった。日南少尉のお布団で眠っているなんて! 少し頭をもたげて覗き込んだ先では、第二種軍装に着替えを終えた日南少尉がいる。僕が起きたのに気付いてこちらへ来ようとしている。

 「す、すぐ起きるからっ。ちょ、ちょっと待ってっ」

 がばっとはね起きてから、はっとして確かめる。良かった、ちゃんと服を着ていた。慌てて日南少尉に駆け寄ろうとして、畳の縁に躓くと、そのまま日南少尉に抱き止められてしまった。

 

 「あ…あのあの…」

 転びかけたのを抱き止めてくれた…だけではないようで、日南少尉は何故かそのままにしている。

 

 「鳳翔さんに全部聞いたよ。自分は病気の時にこうやって誰かに世話してもらった事なんかないから…うまく言えないけど、本当に嬉しかった。自分はすっかり快復したよ、ありがとう。次こそ…南西諸島防衛線進出だ、時雨にも全力で戦ってもらうから」

 

 そういうと、日南少尉は少しだけ力を入れて僕を抱きしめると、すっと体を離して部屋を後にした。

 

 「えと……あの……今…僕………なに、されたの、かな?」

 

 完全にノックアウトされた僕は、そのまま居酒屋鳳翔で一日中寝込んでしまった。顔の熱さが引かない僕は、お見舞い兼遊びに来たみんなから『日南少尉から風邪が移るような事をしてたんでしょ』、とからかわれて一日を過ごすことになった。ホントにもう…でも、嬉しかった、かな、うん。



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勝つための戦い
026. 君との距離


 前回のあらすじ。
 お見舞いイベント、時雨一歩リードか。


 宿毛湾泊地第二司令部ブリーフィングルーム・午後―――。

 

 「改めて、我々教導艦隊は南1号作戦を発令し、南西諸島の防衛ライン上の敵侵攻艦隊を捕捉、全力出撃でこれを撃滅する。出撃は明日〇五〇〇(マルゴーマルマル)。今日はみなゆっくり休んで鋭気を養ってほしい。なお、宿毛湾本隊の作戦状況によっては、入渠施設の利用に優先度選別(トリアージ)がかかる恐れがある。桜井中将は柔軟な運用を約束してくれているが、あてにし過ぎてはいけない」

 

 「想定される敵の配置と航路については時雨から説明してもらう…………時雨?」

 ぼんやりとしていた時雨は、日南少尉から名前を呼ばれると、ほとんど飛び上がるような勢いで驚き、周囲をきょろきょろ見渡している。

 「え、あ、うん。いや…ご免、ちょっとボーっとしてた」

 軽いため息を漏らし、日南少尉は手にしていたクリップボードで時雨の頭を軽くぽんっと叩く。別に痛くはないが、叩かれた箇所を手で押さえ、時雨は頬を軽く膨らませる。

 

 -だめだなぁ、あの日から同じ事ばかり考えてるようじゃ。

 

 あの日とは、風邪で倒れた日南少尉の看病をしていて、思わず眠り込んでしまった次の朝の事。日南少尉がどんなつもりだったのか分からない、けれど、例えほんのわずかな時間でも抱きしめられた。いったん意識してしまうと、頭がそこから離れない。気付けばそればっかり考えている。

 

 -これじゃあ僕、こないだの続きを…期待してるみたいじゃないか…?

 

 「これまでの戦訓より、ルートは三つと判明している。どこを辿っても敵本隊となる機動部隊が陣取る最奥部に到達しやすいようだが、行ってみなければどのルートに入るか分からない。これは羅針盤に勝つしかないけど―――」

 

 「期待してもいいのかな?」

 「いや…どうだろうか。でも今回は羅針盤の影響はさほど受けずに敵本隊までたどり着けそうだけど」

 「えっ、羅針盤っ!? あ、うん、そうだねっ!」

 

 どうも時雨が集中しきれていない感じがする。大丈夫かな…と日南少尉の心中に徐々に不安が頭をもたげてきた。

 

 「今回の作戦はもちろん、次の南西諸島海域以降は航空戦がきわめて重要になる。なので今の段階から意識的に空母系のみんなを艦隊に迎え、育成を図ってきたつもりだ。君達の力を最大限活かせる作戦を進めたい」

 その言葉に、祥鳳と瑞鳳が大きく頷きガッツポーズを見せる。二人だけではなく、1-3攻略時に加わった水上機母艦の千歳と千代田もやる気に満ちた表情で頷いている。

 

 -君に…君好みに育てられる……悪くないかな。っていうか、いい、かも…。

 

 「好きにしてくれていいんだよ、少尉…」

 「いや、そんな投げやりな事を言われても…時雨?」

 「投げやりなんかじゃない、僕は本気で……あれ?」

 

 今度こそ日南少尉は本気で頭を抱えた。意味を理解している一部の艦娘たちはにやにやが止まらず、意味を理解していない艦娘たちはぽかーんとしている。

 

 「…取りあえず、伝達事項は全て伝えたかな。あとは編成だが、これはもう少し検討して最終決定したいと思う。それでは解散………時雨、ちょっと残ってくれるかな」

 

 贔屓目に言って、今日の時雨はぼんやりしている。完全に心ここに在らず、それは日南少尉だけじゃなく、多くの艦娘が感じていた。ただその理由を分かっている者いない者それぞれだが、さすがに今日の調子じゃぁお説教だね、と皆生暖かい目で時雨を見ながらブリーフィングルームを後にした。

 

 

 ばたん。

 

 最期の一人が出て扉が閉まる。ブリーフィングルームに残ったのは日南少尉と時雨の二人だが、何となく気まずい空気が二人の間に流れる。

 

 「…時雨、どうにも集中できていないようだけど、何かあったのかい? 自分で良ければ相談に乗るし、もし自分に言いにくい事なら教官たちや翔鶴さんに相談してみたらどうかな」

 

 ふわふわした気持ちにさせている当の張本人に、どう相談しろと? でも他の人に相談するのも気が引ける…何とも言えない表情を浮かべると、時雨は少しだけ爪先立ちで机に軽く腰掛けながら、時雨は人差し指を顎にあて考え込む。そしてさりげなく試す様に口を開く。

 

 「ねえ少尉、次の作戦に僕は参加できるのかな?」

 「無論そのつもりだ。そんなことを心配していたのかい?」

 日南少尉が明らかにほっとした表情で肩の力を抜く。ああ、この人は全然分かっていないんだ…今度は時雨がむぅっとした表情になる。

 

 「全体の編成をどうするか固めよう。ブリーフィングでも言ったが、これまでの記録からすると、海域最奥部での敵機動部隊本隊との戦闘を含め、羅針盤次第で最大三戦が予想される」

 

 

 時雨にも話のポイントが見え、真剣な表情で少尉の話にうなずく。

 

 「我々の航空戦力は祥鳳と瑞鳳、攻撃力に不安は持ってない。問題は―――」

 「防御力、だね。二人とも打たれ弱いのは…否定できない、かな」

 

 今度は日南少尉が時雨の分析に満足そうに頷く。抗甚性と継戦能力の点で軽空母に不安が残るは事実だが、今回の海域は攻防とも彼女達の力が不可欠だ。

 「今考えているのは、前衛に時雨を含め駆逐艦と軽巡洋艦で合計三人、本陣に祥鳳と瑞鳳、後衛には…まだ早いかもしれないが()()の投入を考えている。君の意見を聞かせてもらえないかな」

 

 首をひねりながら、時雨は頭の中で少尉の言う編成を思い浮かべてみる。そっと手を挙げて、思慮深げな表情で時雨が言葉を重ねる。

 

 「敵の機動部隊と連戦になる可能性もあるし、艦隊防空と水雷戦、どっちを重視するのかな。彼女って…古鷹さんだよね? 練度的には…うーん、まだ厳しいような気もするけど、火力は僕たちの中で高いのは確かだよね。何にしても中途半端は避けないと…」

 

 前回1-3突破の際に新たに加わったのが、艦隊初となる重巡洋艦、古鷹型一番艦の古鷹。艦隊加入から日は浅いが、以前の五十鈴同様集中的な育成が図られている。選択と集中は日南少尉の明確な傾向だね、と思いながら時雨は少尉の返事を待つ。

 「万全を期すならウォースパイトを投入すべきだろう。けれど時雨、君を含む貸与艦達と建造やドロップで加わった艦娘達の練度差は相応にあるからね。今の時点で練度が高い者だけで戦いを続ければ、いずれ行き詰まる」

 

 その後も二人は組み立てた編成の長所短所の議論を続け、かなり長時間話し込んでいる。ブリーフィングルームの机に隣り合い、真剣に語る日南少尉の横顔に時雨はいつしか見とれていた。

 

 -まつ毛長い。唇も綺麗な形だし…。

 

 不意に日南少尉と目が合い、時雨はぼっと音が出そうなくらいに一気に顔を赤らめる。見ている事に気付かれていた、その事実が恥ずかしい。だが、日南少尉は残念そうな表情でため息をついた。

 「…時雨、集中してくれないか。一体どうしたっていうんだ?」

 「どうも………しないよ、うん。………ごめんね」

 公私の区別をはっきりつけているのか、思うほど思われていないのか、自己抑制が強い日南少尉の言動から推し量ることは難しい。でも、自分の気持ちだけが盛り上がって空回りしている事につくづく嫌になる。艦娘であり秘書艦であり、兵器であり兵士であり、でも一人の女の子でもある。そんな自分を持て余してしまう。

 

 「…編成を最終確認するね。前衛は僕と夕立、本陣は祥鳳さん、瑞鳳さん、後衛は古鷹さん、そして旗艦は、那珂ちゃんさん、だね。装備品はさっきの話通りで。じゃあ、明日も早いし、僕は行くね。………おやすみ、少尉」

 

 -君はどうして、あの時僕の事…あんな風にしたの?

 

 言えない言葉を胸にしまうと、時雨は不器用な笑顔を作り、ブリーフィングルームを後にする。その表情に何かを感じた日南少尉も、微妙な表情に変わる。

 

 -自分は…どうしてあんな風にしてしまったんだろう。

 

 (よこしま)な気持ちや軽い戯れではないし、難聴系でも鈍感系でもない。時雨が自分に寄せているだろう感情の種類にも見当が付く。だから常に一定の距離を保とうとしていたが、それでも時々境界線が曖昧になる自分に気付いていた。艦娘であり兵器であり兵士であり、でも一人の女の子でもある。そんな彼女達とどう接すればいいのか、いまだに正直良く分からない。けれど前回、自分につきっきりで看病してくれた時雨に対し、感謝の気持ちが溢れ、思わず体が動いてしまった。すぐに我に返り体を離したものの、一旦高鳴った鼓動はなかなか収まってくれなかった。

 

 「それでも、軍務は軍務で、立場として自分は彼女達を死地と紙一重の戦場へ送り込んでいる。彼女達にとって、自分はどうあるべきなんだろう…?」

 

 

 

 翌日早朝、宿毛湾泊地を抜錨した教導艦隊は順調な航海を続けていた。一方作戦司令部で、日南少尉と遠征に参加中の者を除いた艦隊のメンバーがいつも通り集まっている。遠く離れた海を征き戦いに臨む仲間達を応援し無事を祈り、思いを分け合い届けたい、そんな少女たちの儚く一途な思いで満ちた部屋。そんな彼女達を眺めながら、日南少尉はふとあることに気付く。普段なら鹿島教官がいるはずだがその姿が見えない。代わりに香取教官がいる。

 

 「ふふ、気になりますか、私がいる事に? 前回のバカ騒ぎの中心が、事もあろうに教官でしかも私の妹だなんて…罰として第二司令部にはしばらく接近禁止を命じました」

 教鞭をふりふりしながら、口を尖らせる香取教官。話を聞いて、日南少尉は二重の意味で納得していた。最近鹿島教官を見かけない理由と、入れ替わる様にLI●Eメッセージの絨毯爆撃が始まった理由。

 

 「それよりも少尉、今回の戦闘ですが―――」

 「少尉~、第一艦隊から入電ですよ~。中継繋ぎますね~」

 綾波ののんびりした声が香取の質問を遮り、全員の注目が通信機に集まる。艦隊が真東に進路を取ったとの報告を受け、日南少尉はひとつ頷くと指示を出す。

 

 「祥鳳、東北東方面への索敵線六、間隔一五度の一段索敵を展開してくれ。索敵範囲は狭いがそれでいいと思う。恐らく敵は海域中央部にある島とプラントを拠点にしているはずだ、だからそこからの進路を重点的に警戒してくれ。陣形は複縦陣、時雨を先頭に那珂、瑞鳳の戦列、同じように夕立、古鷹、祥鳳。ここから先通信はリンク共有、リアルタイムで情報処理する」

 

 香取が日南少尉の指揮を実際に見るのは、実は二度目である。一度目は翔鶴との訓練、そして今回。

 

 -鹿島があそこまで入れ込むのも分からなくないですね。この少尉、本当に逸材かも知れません。

 

 香取が日南少尉への評価を密かに上方修正していたうちに、祥鳳の放った彩雲から連絡が入る。単縦陣で接近中の敵艦隊。構成は重巡リ級、軽巡ヘ級、駆逐イ級三体からなる偵察艦隊。現場の艦隊、作戦司令室に詰めた艦娘達、それぞれが日南少尉からの指示を待つ。

 

 「全員戦闘配置っ!! 祥鳳、瑞鳳、ただちに攻撃隊発艦っ。敵に航空戦力はない、一気に仕留めるぞっ」



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027. 手は熱く、頭は冷たく

 前回のあらすじ
 脳内妄想ガールと接近禁止ガール


 「第二次攻撃隊、編成できる? じゃあ、即時発進してくださいっ!」

 「そうね、追撃しちゃいますか♪」

 

 広くスタンスを取り荒れる海面を両足で押さえつける祥鳳が妖精さんに熱く叫ぶ。用いる幅広の弓は速射性にはやや劣るが反発が強く、非力な彼女を補い力強い矢勢を導くことを可能とする。一方散歩に行くかのように気軽な声で矢を放つのは瑞鳳。細い長大な弓をしならせ、こちらは言葉通り矢継ぎ早に速射を続ける。

 

 祥鳳の放った索敵機が発見したのは、単縦陣で南南西に第二戦速で進んできた深海棲艦の偵察艦隊。日南少尉の指示の下、相手に防御陣形に遷移する猶予を与えないため直ちに送り込まれた第一次攻撃隊は、航空援護のない敵の偵察艦隊に打撃を与える事に成功した。そして今、帰投した第一次攻撃隊を迎え入れた祥鳳と瑞鳳は、間髪入れず第二次攻撃隊を発艦させている―――。

 

 

 

 既に第一次攻撃隊は駆逐イ級二体を沈め、教導艦隊の前に立ちはだかるのは無傷の重巡リ級と駆逐イ級、小破程度の軽巡ヘ級。第一波より数は少ないが、態勢を整え終えた第二次攻撃隊は残存の敵艦隊に襲い掛かる。

 

 再び空からの猛威に晒された深海棲艦達は、上空から五〇度の急角度で降下を始めた瑞鳳の急降下爆撃隊を迎撃するため、高角砲の仰角を限界まで上げる。砲口が発砲炎(ブラスト)に包まれ、乾いた射撃音がリズミカルに戦場に木霊し空に黒い雲が広がる。

 

 -もらっちゃうねー。

 -絶対に…やります!

 

 航空隊の妖精さんと空母娘は感覚を共有し、今回の戦闘でも、妖精さんの見た物はそのまま祥鳳と瑞鳳の脳裏に再生される。急降下爆撃隊の降下開始と同時に、雷撃隊の護衛のため低空を旋回しながら飛行を続ける瑞鳳の零戦隊がふわりと高度を上げる。発動機の回転を一気に上げ加速すると、上空に目が向いた敵艦隊に突撃し、目一杯に接近し機銃掃射を加え左右に散開する。無論零戦の二〇mm機関砲では深海棲艦の装甲を抜けないが、対空射撃の妨害には十分な効果だ。そこに突入する急降下爆撃隊。対空射撃をまともに受け爆散する機、引き起こしをしくじって海面に叩きつけられる機…犠牲を払いながらも投弾された二五〇kg爆弾はリ級を直撃し、火災を引き起こした。

 

 敵艦隊の混乱に乗じるように、祥鳳の雷撃隊が低空を加速し攻撃体勢に入る。だが炎上したリ級を庇うように前に出た軽巡ヘ級と駆逐イ級が対空兵装と言わず主砲と言わず、動く全ての火砲を乱射し迎え撃つ。狙いは不正確だが、薙ぎ払うように撃ち続けられる高射砲や機銃、俯角一杯で放たれる主砲弾が立てる水柱…祥鳳の攻撃隊は果敢に攻め続けたが射点に付けず、むしろ猛烈な迎撃の前に損害を受け撤退を余儀なくされた。

 

 そして距離一八〇〇〇m、祥鳳と瑞鳳の攻撃隊と入れ替わる様に、古鷹、時雨、夕立が最前線に姿を現す。

 

 「あの祥鳳と瑞鳳(お二人)の性格は似てるのかな。火が付くと止まらないと言うか…」

 「そう?」

 「ぽい?」

 「でも二人とも頼りになりますねっ! さあ、次は私達の番です、重巡洋艦のいいところ、たくさん知ってもらわなきゃ! もちろん、駆逐艦のもですよ」

 

 その言葉を切っ掛けに、風を巻いて古鷹の左右から時雨と夕立が飛び出し突進を始めた。二人で螺旋を描くように高速スラロームで突き進む時雨と夕立は駆逐イ級を挟撃すると、合計四基八門の一〇cm連装高角砲の斉射を一気に叩き込み、駆逐イ級に抵抗する暇を与えず沈黙させる。

 

 「ちょ、夕立…? そのイ級もう沈んでるからっ。ほら、軽巡の方に…」

 「何で帰っちゃうっぽい? 夕立のパーティまだ終わってないっぽいー!!」

 

 左腕をひっぱり制止する時雨の声も耳に入らない様子で、夕立は右手に装備した一〇cm連装高角砲を海面に向け撃ち続けている。お嬢様然とした可愛らしいセーラー服姿の彼女が恍惚とした表情で濃緑色の瞳を輝かせ、既に沈み始めている敵艦に発砲を続ける姿は異様とも言える。

 

 二人の背中を見送った古鷹は、茶色いボブヘアーを揺らしながらゆっくりと銀色の鎧状の装甲に覆われた右腕を前に差し出す。肩と腕部分に装備された連装砲が仰角を取り始め、古鷹が叫ぶ。

 

 「主砲狙って、そう…。撃てぇー!」

 瞬間、五〇口径二〇.三cm連装砲二基四門が轟音とともに一斉に火を噴き、初速八三五m/sの鋼鉄の暴力が敵艦隊の旗艦、炎上を続ける重巡リ級に襲い掛かる。

 

 

 

 戦況は完全に教導艦隊優勢で推移している。リアルタイムで中継される第一艦隊の闘志あふれる戦いぶりに、作戦司令室に集まっている艦娘全員も大いに盛り上がり、声援を送り続けている。冷静な表情を崩さない日南少尉も、拳を僅かに握りその興奮を示す。

 

 -彼女達の戦意を抑えずに活かす形で作戦を動かし一気に勝ち切る。そうするのが、結果として一番損害を出さない方策、か。

 

 「那珂、聞こえているか? 中盤を押し上げて前線に向かってくれ。あと一息だ」

 

 熱く盛り上がる作戦司令室で、香取の表情が徐々に怪訝な物へと変わってゆく。同時に、第一艦隊の旗艦を務める那珂から返信が入った。

 

 「ねーねープロデューサー補さん、那珂ちゃんダヨー。ちょっとまずいかなーって」

 「プロデューサー補ってなんだよ…まあいいけど、どうしたんだ?」

 

 川内型軽巡洋艦三姉妹の末っ子、戦争が終わったら艦隊のアイドルを卒業して、国民的アイドルになるという明確な夢を持っている艦娘、那珂。戦技訓練でも一切手を抜かず、それでも空いた時間があれば歌やダンスの練習を欠かさない。『舞台裏はみちゃだめなんだから』と、周囲に努力している所を見られるのを嫌がるが、一途に努力を重ねる姿を皆知っている。気付けば姉の川内と神通はもちろん、初雪や北上といった熱烈なファンが少しずつ増え始めている。なお日南少尉は、提督=プロデューサー、なので候補生=プロデューサー補と呼ばれている。

 

 「軽巡へ級はねー、夕立ちゃんと時雨ちゃんが追い立てて、古鷹ちゃんが大天使っぽく丁寧に葬ったよ。二人がちょびっとだけ怪我したけど、S勝利確定っ!! でもねー…みんな、熱くなり過ぎて、C&R(コール&レス)に反応が遅かったの。祥鳳ちゃんとづほちゃんは引かないし、夕立ちゃんは前に出過ぎで、時雨ちゃんも引きずられてるし。アイドルグループはー、ハーモニ-とロケ弁が大切、って那珂ちゃん思うんだ。結構…てゆーかかなり油も弾薬も消費しちゃったから、この先ちょっと心配かなー。でも那珂ちゃん大丈夫っ」

 

 全員ぽかーんとして、那珂の一方的なトークを聞いていたが、我に返って喜びを爆発させる。那珂たちを含め、自分たちは強くなっている…単なる感覚や思い込じゃない、敵を寄せ付けない強さで1-4初戦S勝利で突破という戦果としてはっきり現れた。そんな喧騒の中、手にしたファイルをめくり注意深く読み込んでいた香取は、険しい表情で日南少尉に確認する。

 

 「今日の編成ですが、六人中三人が初陣、そして元々暴走しやすい傾向の夕立…少尉、部隊は今トリガーハッピーに近い状態と懸念されます。戦場の高揚感か恐怖感からの逃避か闘争本能か…随伴空母のない偵察艦隊に過剰な投射量です。旗艦の那珂はそれでも状況を理解しているようですが…マイペースな子ですから、どうやって部隊を束ねるのか…。少尉は作戦の推移がどうであれ、冷静に状況と部隊を把握して適切に指示を出さないと。目先の戦果に浮かれて力押しを重ねるようでは、今回の作戦の成功が危ぶまれます」

 

 評価の上方修正は時期尚早でしたか、鹿島にも少尉を甘やかさないよう重ねていっておかないと…眼鏡の奥から香取は冷静な視線を送る。香取の基準は桜井中将にあるため、一般的に見て誰に対しても辛口な評価だが、過去の候補生と比べれば日南少尉はこれでもかなりよい評価の部類である。歴戦の桜井中将と比べられる候補生はたまったものではないが、香取にすれば『目の前の壁に挑みもしない男に提督を名乗る資格はありません』とにべもない。

 

 一方日南少尉は、全く思いもしなかった要素を香取に指摘され、珍しく呆然とした表情のまま固まる。確かに、演習等に優先的に参加させていたが、実戦と言う意味では祥鳳も瑞鳳も今回の作戦が初陣で、古鷹も同様だ。夕立に関しては香取教官の指摘通り元々スイッチが入りやすい傾向がある。

 

 戦闘時における艦娘の心理状態は、兵学校時代に運用術や統率学、精神科学の授業で学び、感情と戦果の関連はある程度認識していたつもりだ。だが、本当にある程度だったようだ。闘志がなければ戦闘にならない、だがその闘志が何から生じているのか、個人差も含めより深い洞察が求められる。劣勢でも引かない、あるいは優勢でも引く…俯瞰的に戦場を見るから、自分が離れた場所で指揮を執り判断をする意味があると言うのに―――唇を噛み悔しそうな表情を見せる日南少尉だが、すでに作戦は進行中であり、編成を変えることなどできない。

 

 「那珂、航路そのままで。海域中央部には、おそらく敵の偵察部隊が根拠地として利用していた無人島と稼働中プラントがある。そこまで進出し一旦小休止。改めて物資の消費状況と部隊の損害状況を―――」

 「りょーかーいっ!! 那珂ちゃん、到着後にまた連絡しまーす、きゃはっ☆」

 

 

 

 「…という訳でーす! プロデューサー補、みんなにはー、那珂ちゃんからよーく言っておくから」

 

 那珂との通信で艦隊の現況を把握した日南少尉は、何とも言えない表情を浮かべるしかできなかった。非常に微妙な状態になったといえる。那珂の報告によれば、戦闘による損傷は軽微で、以後の航行や戦闘に支障はないとのこと。それよりも深刻なのは祥鳳の九十七式艦攻と瑞鳳の九十九式艦爆の損耗、夕立と時雨の弾薬消費。艦隊全体では油の消費が想定よりかなり多い。

 

 二通りの可能性がある次の航路選定…一方はプラント、もう一方は敵主力艦隊を護衛する前衛機動艦隊、このどちらを妖精さんが広域探知するかで局面が変わる。仮にプラントなら、そのまま敵主力まで一直線。そうでなければ空母機動部隊と二連戦となる。羅針盤に賭けて進むか、ここで撤退を命じるか。あるいは連戦に耐えうる策を持って臨むか―――。

 

 のんびり考えている時間はなく、日南少尉は決断する。



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028. キラキラ☆

 前回のあらすじ
 トリガーハッピーでノリノリ


 現在艦隊が投錨しているのは、海域中央部に位置する無人島と隣接する海底資源採掘施設(プラント)で、この海域全体で確認されている四か所のうちの一つ。島にはかつて施設関係者が定住していたが、戦争の激化に伴い放棄され、その後は深海棲艦の偵察艦隊の波待ち風待ちの退避場所として利用されていた。それを同じように利用し島に上陸し一時休息を取っている第一艦隊だが、旗艦の那珂は部隊の五名を集めると、両手を腰に当て胸を張り、ふんすという表情で目の前の五人に宣言する。

 

 

 「みんなー、お話がありまーす! プロデューサー補(日南少尉)がね、みんなのパフォーマンス(過剰な攻撃量)を心配してるよー。那珂ちゃんもセンター(旗艦)としてすっごく心配。アイドルはね、どんなに激しいステージ(戦闘)でも、いつも笑顔で(気持ちの余裕を失わず)キレキレで息が合ったダンス(正確かつ滑らかな連携攻撃)じゃなくちゃっ! でも…今日のみんなのパフォ、個人アピール強すぎて顔がおっかなかった(余裕がなく連携を欠いた個人戦闘だった)よー。もう一度、グループとして落ち着きを取り戻すのに、一旦小休止してフォーメーションの確認をするからねー」

 

 

 部隊の危うさがシビアに投げかけられた訳だが、ルビを多用しなければ意味が掴みにくい那珂ちゃん語で語られたため、聞いてる側もぽかーんとし、この人何を言ってるのかな、という表情に変わってしまった。そしてまっさきに反駁したのは瑞鳳である。

 「那珂ちゃんさん、ごめん、何言ってるのかよく分かんないけど…私達はちゃんと勝ったよね? 表情が怖いって言われても、そりゃ戦ってるんだし、当然じゃないかなー」

 うんうん、と腕組みをした夕立が大きく頷き、祥鳳も今一つ納得のいかなそうな表情、古鷹は「顔、怖かったかしら…」とずーんと落ち込むが、時雨は腕を組み飄然と海を眺めている。

 

 既に海の方向へ向かい駆け出していた那珂は、くるりと振り返ると不満の声に完璧なアイドルスマイルで反応する。

 「練習が足りないから、笑顔を忘れちゃうくらい必死に戦わないと勝てないんだよ。舞台裏を表に出すのは、那珂ちゃん賛成できないなー」

 

 見た目や言動で判断しちゃいけない、やっぱり川内型なんだ…全員が顔をひくつかせ冷や汗を流した所に那珂から追い撃ちがかかる。

 

 「それに、練習足りないと………死んじゃうよ?」

 

 日南少尉率いる教導部隊の川内型三姉妹は、指折りの訓練好き(那珂はレッスンというが)で、かつ三者三様に戦闘スタイルが異なる。那珂の場合、砲撃、雷撃、対空、対潜…全てそつなくこなす万能型で、戦技訓練でも演習でも歌でもダンスでも、学んだことは一度で身に付ける学習能力の高さが最大の特徴。そんな彼女だが、実は握手&ハグ会(超近接戦闘)を最も得意としている。

 

 五人はドナドナのように那珂の後をついてゆくしかできず、全員でフォーメーションチェックを、特に暴走気味だった夕立は那珂から直接レッスンを受けるなど、入念に行う事になった。戦闘機動とダンスでは使う筋肉が共通している部分と違う部分があり、那珂としては軽い練習のつもりだったが、時雨を除いた他の四人は肩で息をしている。

 「うん、それくらい力が抜けている方が、いい感じでパフォできると思いまーす。それじゃあ、ぜんたーい、やすめっ」

 

 

 

 巨大なプラントの櫓の中ほどにあるだだっ広いフロアの端に座り、強い風に吹かれながら足をぶらぶらさせる二つの人影。時雨はどうしても、と那珂に誘われこの場にやってきた。

 

 「それよりも、どうして僕と?」

 「うん? スカウト?」

 

 きょとんとした顔の時雨と、にぱあっと微笑む那珂が顔を見合わせる。そして那珂が話を続ける。

 

 「なんかねー、時雨ちゃんがもったいないなーって思って」

 そう言うと那珂は時雨の方に向き直り、手をぎゅっと掴む。

 「時雨ちゃんは、ぜったいキラキラのアイドルになれる素質があるよ、那珂ちゃんが保証するっ。…でも、今の時雨ちゃんは気持ちの余裕が無くて、周囲が見えてない…ってゆーか、特定の人しか見てない感じがするんだー」

 

 びっくりして思わずのけぞる時雨は、『特定の人』の言葉で日南少尉が脳裏に浮かび、一気に赤面してしまう。その表情を見た那珂は、さらに表情を輝かせる。

 「うんっ、その照れた顔、時雨ちゃん可愛い♪ 那珂ちゃんの次だけどねっ」

 

 そして、急に真面目な相になると、声のトーンも変わり那珂が諭すように話し出す。

 「那珂ちゃんはね、プロデューサー補も、姉さん達も、艦隊のみんなも…例え那珂ちゃんを嫌いな人も、みんなみんな大好き。だから、いつもキラキラしてるとこだけを見せてあげたいの」

 

 「…僕は、僕の事を必要としてくれる人が一人だけいればそれでいいよ。それに…好きな相手に好かれなかったら、僕の気持ちに意味なんかないよ」

 きっと自分と那珂ちゃんさんの『好き』は違う、時雨がそう指摘すると、那珂は人差し指を顎にあて、うーんという表情で考え込むが、やっぱり笑顔でブレずに時雨に答える。

 

 「そんな事ないと思うけどなー。時雨ちゃんは、好かれたいから好きになるの? 時雨ちゃんを好きじゃなかったらその人を嫌いになっちゃうのかな? それとも、思い通りにならないことが嫌なのかな? 那珂ちゃんはねー、ファンの人もアンチの人も、みーんなキラキラさせちゃう、それくらい凄いアイドルになるの。だから、那珂ちゃんの一番のファンは那珂ちゃんだよ。自分が輝いてなきゃ、みんなをキラキラにできないからねっ☆」

 

 突拍子もない…時雨にはそう聞こえる那珂のアイドル理論を自分に置き換えると、思わず表情がこわばってしまう。けれど、那珂の問いが頭にこびりついて離れない。確かに、日南少尉に自分の気持ちを押し付ける事はできない。今だって自分の気持ちに振り回されていると思う。思い通りにならないのが嫌…そもそも自分でもどうしたらいいか、それが分からないのに…。那珂ちゃんさん、ハイヤーレベルで悟っちゃってるの? アイドルを極めると解脱しちゃうの? 時雨は目をぐるぐるさせながらも、何となく自分の中のもやもやが収まってきたような気がし始めた。

 

 -僕は日南少尉と…どうしたい、のかな? こんなの簡単に答はでないし…。キラキラ…えっと、自分を磨くことが先ってこと、かな? …そう、かも…。

 

 時雨の表情が柔らかくなってきたのを見た那珂は、腕を曲げ力を溜めると、腕の力だけでぴょんっと斜め後ろに大きく飛んでバック転を一回、びしっとポーズを決め、立ち去って行った。

 

 「だからアイドルって素敵だと思うんだ☆きゃはっ。時雨ちゃんにもこの魅力、分かって欲しいなー。那珂ちゃんはプロデューサー補と打ち合わせだから、先に行くねー」

 

 

 

 第二司令部教導艦隊司令室。

 

 早朝から始まった今回の作戦、初戦を終え艦隊は海域中央部の無人島とプラントのあるエリアに投錨し休息を取っているとの連絡を受け、司令室に集まっていた艦娘も昼食のためいったん解散し、部屋には日南少尉だけが残っている。

 

 『ごめんなさい少尉、香取姉さんとは…ケンカになっちゃいました…。いえ、いいんです、少尉のせいじゃありませんよ。それより…1-4初戦突破おめでとうございますっ! 』

 

 日南少尉は鹿島とビデオチャットをしている。

 

 教官詰所に戻ってきた香取から、初戦の勝利と裏腹に日南少尉に厳しく接するよう忠告を受けた鹿島は、例の接近禁止令のせいもあり、姉と激しく言い合ってしまった。姉の言い分が正しいのは理解できる、それでも厳しく接するだけでは人は育たない、姉が尊敬してやまない桜井中将だって若い時があったのに、成熟した今だけを基準に比較するのは不公平だ-鹿島の主張をまとめるとこういう事になる。そこに個人的な想いがないといえば嘘になる、というかありまくりである。姉とケンカ別れをした鹿島は教官詰所を離れると、一人になれる場所に移動し、日南少尉とビデオチャットを始めた。いつものメッセだけでは足りない、どうしても顔が見たかった。

 

 「鹿島教官、ありがとうございます。何と言うか…顔が見れて安心しました」

 

 画面の向こうでは鹿島が虚を突かれたような表情で頬を染めている。そして少尉にカメラの位置を調整するように頼み始めた。

 

 『はい、もう少しインカメラを近づけて…ああ、ちょうどいいです。あとは、もうちょっと右…はい、そこで止めてください。……………鹿島からの…ご褒美です』

 

 スマホ越しの短い濡れた音、それでも鹿島が何をしたのかは明らかで、日南少尉も思わずまっかっかになってしまった。ちょうどその時、司令室のドアがノックされた。気付けば那珂との定時連絡の時間だ。日南少尉は鹿島に状況を説明しチャットを終了すると、通信を繋ぐ。この頃には艦娘達が司令室に戻り始め、少尉にとってはある意味で間一髪のタイミングだった。

 

 

 

 海図を映したモニターを見たまま日南少尉がぽつりと呟くと、長い金髪のローブドレスのウォースパイトが寄り添うように並び立つ。

 

 「艦隊の現在位置から北回り航路に入れれば、敵機動部隊の本隊まで一気に進めます。南回りですと護衛の機動部隊とも戦わなければならず、初戦で浪費した分の弾薬も含め、肝心の敵主力との戦いで物資不足で苦境に陥るかもしれない…それとも、艦隊の納得は得られずとも、今引きますか?」

 

 ウォースパイトが隣に立つ日南少尉の顔をそっと盗み見ると、少尉は前を向いたまま小さく頷く。

 

 「北回り航路に入れたら…文句なく決戦だ。南回りに入ったら…護衛艦隊を叩いて撤退する。勝っても負けても今回の出撃は次で終わりだ」

 

 「南回りだとツアー終了させちゃうの? 勝ってもだめなの?」

 その言葉を聞いた那珂の返事が作戦司令室に響き、スピーカーに注目が集まる。

 「聞こえてたか。ああ、南なら勝っても負けても次の戦いまでだ。指揮すると言うのは、気象条件や装備や物資に戦闘それ自体だけじゃない、君たちの感情の振幅…その全てを考慮にいれなければならない。今回の出撃、自分はそれを分かったつもりでしかいなかった。次で撤退しても、君達の負けじゃない。自分の責任だ」

 

 司令室に詰めた艦娘達は、日南少尉の発言に驚いている。午前中に香取が『今回の作戦の成功が危ぶまれる』と少尉にダメ出しをしたこともあり、多くの艦娘達はきっと少尉が遮二無二でも勝利を狙いに行くと考えていたためだ。だが、それでも少尉は目の前の勝利より、以前の様な守勢的な意味とは違う、別な何かを優先していると、皆は感じていた。肝心のその何かが掴めず首をかしげていたが、この場では、実戦経験が相応に多い龍田やウォースパイトが日南少尉の意図-戦いそれ自身に溺れずに熱く戦う事の重要性-を理解していた。

 

 「そっかー…それがプロデューサー補の気持ちなんだね。うん、那珂ちゃん納得! だからー、妖精さんにウルトラ頑張ってもらって、私達北周り航路を絶賛驀進中!! 今ねー、最後のプラントを通り過ぎたところでーす! キラーン☆ あっ、北北西に敵の偵察機はっけーん!! あれ? 敵の航空隊かな?」

 

 

 「………………………………はいっ!?」

 

 

 司令室が固まり、スピーカーからは那珂の楽しそうな歌声が続いていた。

 



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029. ファイト・オン・ステージ

 前回のあらすじ
 あーいどーるはー、やーめられなーい。


 「な、那珂っ!? もう北航路って!? 」

 「だってプロデューサ-補が南回りだとツアー中止っていうからー。でもちゃーんと北回りコースに入ったでしょ? 那珂ちゃん、ツアーファイナルに向かって気分サイコー☆」

 

 話が通じない。いや通じているが、那珂ちゃん語に変換されるためどこまで通じているのかが掴めない。そこが悩ましいものの、すでに進んでいるものは止められないし、何より狙い澄ましたように北航路、プラントを経由して敵主力の機動部隊の待つ海域最奥部へ進軍している。物資量はあと一会戦なら十分にあり、艦隊の士気はもとより高い。

 

 「…逆に考えれば、これ以上出し惜しみする必要もない、か。那珂―――」

 「ああもうっ。出待ち(偵察機)はマナー違反だと那珂ちゃん思いまーす。だからー、教育的指導、えいっ」

 

 呑気な言葉と裏腹に風切音と波音、何より砲撃音が連続して響き渡る。

 

 「那珂、状況知らせっ! 一体どうなってるっ!?」

 「…プロデューサー補、これより教導艦隊は戦闘態勢に入ります。こっちの偵察機も展開中ですがまだ敵影捕捉出来てないの。多分ね、海域が開け機動の自由が利きやすい南回りは前衛艦隊を縦深配置で迎撃、潮流の関係で航路が限定される北回りは、Dポイントを中心に索敵網を広げ敵本隊が直接乗り出す…これが敵の作戦みたいっ」

 

 司令室を沈黙が支配する。流れるように明晰な分析に基づく状況報告を那珂がしている。

 

 「…………あれ? 反応が悪いー。ちゃんと聞いてるー?」

 「あ、ああ、すまない。すでに発見されている、という訳か。那珂、輪形陣へ移行、防空戦急げっ。祥鳳は彩雲、瑞鳳はただちに艦戦を上げろ、敵の第一波をしのいで反撃はそれからだ」

 

 まさか那珂ちゃん語じゃなくてびっくりしたとも言えず、取りあえず誤魔化しつつ、日南少尉は急いで指示を出す。

 

 ちなみに今回の戦闘に限らず、教導艦隊の作戦状況は宿毛湾泊地で音声のみだがライブ配信され、教官たちだけではなく宿毛湾本隊の艦娘達からもオープンフィードバックが集まる仕組みとなっている。桜井中将の執務室は勿論、食堂、自室、甘味処間宮、居酒屋鳳翔、会議室…いたる所で多くの艦娘が固唾を飲んでいる。

 

 

 先手を取られた状態で始まった戦闘をいかに乗り切り勝ちにつなげるか―――教導艦隊の底力が試される。

 

 

 

 「敵艦隊東南東に展開…空母ヲ級二体、重巡リ級、軽巡ヘ級、駆逐ハ級二体を発見っ! 正規空母二からはすでに攻撃隊が発艦して…きゃあああっ!! …あーんもう、二式艦偵三番機と四番機、撃墜されちゃった」

 

 輪形陣を展開する教導艦隊の中央では、自分の艦偵が撃墜されたことで瑞鳳が海面で地団駄を踏むように悔しがるが、これで敵勢力の位置と規模、そして一刻の猶予もならない事が判明し、全員の表情が引き締まる。演習では日南少尉の指示で常に先手を取り戦いを優位に進め、一方でシミュレーションとしてこういう状況を想定した訓練もしてきた。だが、状況と行為の起点が明確な訓練と違い、実戦は連続的かつ不確定に状況が動く。

 

 発艦のための合成風力を得るために艦隊が向きを変え移動しながら輪形陣を展開した結果、その間に敵攻撃隊の接近を許し、さらに東南東に陣取る敵艦隊からは重巡リ級と軽巡ヘ級が横腹に突入してきた。いわゆるT字不利の状態である。索敵範囲の広い祥鳳の彩雲が敵艦隊を発見していれば避けられたかも知れないが、これは単なる結果論。

 

 「瑞鳳(ヅホ)、艦偵の収容は後回しよっ! 今は一機でも多く零戦を空にっ!!」

 必死の形相で弓を引き絞り矢を番え、発艦を続ける祥鳳型の姉妹。祥鳳は少し前に、瑞鳳は1-4進出の直前に、それぞれ第一次改装は済ませており、二人ともスロット数も搭載機数も一緒である。祥鳳を発艦した一八機の零戦二一型は一気に増速し輪形陣の外へ出ると、少しでも優位な交戦地点(エンゲージポイント)を得ようと上昇を続ける。瑞鳳は一二機の零戦二一型を艦隊直上に向け、艦隊を守る傘を展開する。いずれも胴体に描かれた二本のオレンジ色の不等号が示す通り練度も高く士気も十分。

 

 ただ、遅かった。

 

 すでに深海棲艦機の第一次攻撃隊が視認できる距離にまで迫る。その数八一機、相手は航空戦力の半分を投入してきた。対する教導艦隊の全機数は九六機、空母ヲ級一体で教導艦隊の軽空母二人の八割を超える投射量である。そして祥鳳の脳裏には、上空から被られ一航過で二機撃墜されながら、零戦隊が編隊を解き戦闘に突入した光景がフィードバックされていた。一八対二七、練度を考慮に入れれば、艦戦同士の戦いはまだ持ち堪えられるかもしれない。だが直掩隊は敵の攻撃力を減殺するのが役割である。艦戦同士の巴戦に興じている場合ではない。

 

 「輪形陣左舷は雷撃隊に集中! 各員全砲門俯角一杯で斉射、相手から突っ込んでくるんだ、細かい事は気にするな。あ、でも古鷹は弾種換装忘れるな、信管調定は最短でいいっ!! 斉射のタイミングは那珂に任せるぞ。祥鳳と瑞鳳、そして時雨は艦爆隊を迎え撃てっ」

 

 日南少尉から鋭い声で指示が飛び、古鷹、夕立、那珂が海面に全砲門を向ける。

 

 「カウントダウンいっくよ~っ! すりー、つー、わん! なっかちゃーん!!」

 

 今さらツッコんでる暇はない、『なっかちゃーん』のコールと共に一斉射撃。戦場を圧する轟音と、立ち込める砲煙と発砲炎(マズルフラッシュ)が混じり合う黒と赤の朦々とした煙があたりを包み、直掩機の攻撃を振り切り急降下を始めた敵の爆撃隊の視界を奪う。

 

 「ここでこんな風に使うんですねっ! 少尉、流石です!!」

 古鷹の感心した声は自身の放った二〇.三cm連装砲の砲口に向けられる。貫通力を犠牲にしてでも日南少尉が古鷹に装備させたのは三式弾。期待するほどの対空効果が無いと言われがちだが、それは指向性のある散弾効果を、上空を高速で移動する目標に期待するからだ。敵雷撃隊が編隊を解き包囲攻撃に入ろうとする直前、自ら高速で接近する相手に向け水平発射された三式弾は、カウンターのように炸裂すると大量の焼夷弾子をまき散らし、敵機のニ分の一程度を瞬時に葬った。突如燃え上がった空に飲みこまれるのを何とか回避した残りの雷撃隊も、夕立と那珂に撃墜され、あるいは海面にランダムに立ち上がる大小の水柱に激突したり、慌てて水面に接触するなどし、散々な目に遭い撃ち払われた。

 

 「ただちに艦隊移動、取舵一杯! 那珂、古鷹と夕立とともに突撃! 時雨、祥鳳と瑞鳳とともに対空防禦厳とせよ」

 

 日南少尉の指示が続き、緒戦の劣勢を徐々に押し戻そうとするが、それでも全てが思い通りにいく訳ではない。祥鳳の零戦が敵艦戦と激闘を続ける隙を縫い、さらに瑞鳳の直掩隊も振り切って襲い掛かる敵の急降下爆撃隊。回避運動に備え上空を見上げ、腰を落とし前後左右どの方向へも跳べるようにしていた祥鳳と瑞鳳だが、黒煙の中から突如現れ投弾されては回避のしようがない。

 

 「ヅホ、危ないっ!」

 

 狙われた妹の瑞鳳を突き飛ばす様にしてかばった祥鳳は直撃弾二、至近弾一により大破、継戦能力を喪失。その代りに敵機もあまりの至近距離での投弾で引き起こしが間に合わず海面に突入する機が続出、さらに時雨の高角砲と瑞鳳の航空隊による迎撃で次々と撃ち落される。

 

 

 

 やられたらやり返すと言わんばかりの勢いで、重巡リ級と軽巡ヘ級に横合いから突撃を開始した三人は、旗艦の那珂が先頭に立ち突進する。その姿を背後から見ていた夕立と、やや遅れて進む古鷹は戦闘中にも関わらず那珂のステップ(回避運動)に見入ってしまった。右に左に、自分たちがするようなスラロームではなく、ダンスの様に水面を跳ね滑りながら敵弾を躱す。躱すと言うより、敵が那珂の動きとは逆方向に砲撃を加える。

 

 それはまさに歌の振付。ステップを刻む足元と表情豊かで大きな上半身のアクションが逆だったり同じだったり、動きを先読みする事が出来ない。むしろより目立つ動きに釣られて、敵は那珂の動きの逆を撃たされている。接近を続ける那珂に慌てた敵の二体が挟撃しようと動き出したところで、那珂が夕立を振り返り見事なウインク。

 

 「やっちゃうっぽいっ!!」

 

 夕立が放った四連装酸素魚雷の斉射は、転舵し水面に描いた大きな弧の頂点で重巡リ級を捉え全弾命中。巨大な水柱の後、海面に立つものは存在していなかった。残る軽巡ヘ級は、自分たちが狙っていた通りに那珂と古鷹に挟撃され、瑞鳳の二式艦偵がもたらした命中精度向上と触接ダメージ上昇効果も加わりほどなく撃沈に成功。

 

 

 

 宿毛湾泊地第二司令部教導艦隊司令室―――。

 

 「現在祥鳳さん大破、瑞鳳さんと時雨さん損害軽微。敵艦隊は重巡一軽巡一轟沈…でも、空母部隊と護衛の駆逐艦が無傷。ね、少尉、次の手は…」

 秘書艦代行の由良が淡々と状況を報告し指示を仰ぐ。詰めかけた艦娘達の視線が集まる中、日南少尉は那珂と通信を繋ぐ。

 「那珂、まだいけるか? 敵の第二波が来る」

 「那珂ちゃんセンター、一番の見せ場です!」

 

 「なら、無茶させてくれ―――」

 

 

 

 日南少尉との通信を終えた那珂は、艦隊に指示を出す。大破の祥鳳は後方に退避させ、これでこちらは五名。相手は四体だがうち二体が無傷の正規空母。航空戦力は半減させたとはいえ、同様にこちらも被害を受けてる。相対距離はかなり近づき、敵の攻撃隊の第二波も間も無く始まるだろう。

 

 「みんなー、それじゃあ今回のツアーのファイナルステージ、いっくよーっ!!」

 

 その言葉と同時に、那珂がきれいなジャンプを見せる。身体を逸らせ両手を大きく広げて、膝を曲げる、アイドルが砂浜でやるあれである。着水と同時に一気に加速した那珂に、今度は古鷹が遅れまいと続き、その両翼に時雨と夕立が展開し疾走を開始する。

 

 「お姉ちゃんの分も…瑞鳳、絶対に頑張るからっ」

 

 一人残った瑞鳳が手にしているのは、悔しそうに唇を噛みながら後方退避の命令に従った姉の祥鳳から託された矢と、自分の矢。初戦で無理押しをしたため、姉は艦攻隊を減らし、自分は艦爆隊を減らしてしまった。二人の矢を合せてようやく本来の搭載数に近づいたものの、敵にはまだ丸々正規空母一体分と第一波の残存部隊が残っている。戦力比で見れば自分の倍ほどの敵機に挑むことになる。

 

 ここまで来たら綺麗事も泣き言も言ってられない-勝つだけだよねっ! 瑞鳳は一つ大きく頷くと、手にした弓に小さく口づけ、遥か先に陣取る敵艦隊を射抜くような視線を送ると、弓を大きく引き絞る。



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030. どんなになっても絶対負けない

 前回のあらすじ
 熱く危険なツアーファイナルステージ開幕


 敵の第一次攻撃だけでこれだけの激戦になるとは…教導艦隊の司令室で誰もが重苦しい空気に飲まれ言葉を発せずにいる中、日南少尉は瑞鳳に指示を出している。

 

 「この局面で君に負担を掛け無茶をさせて済まない」

 「ん~じゃあねぇ、お返しに…朝ご飯作って? …お姉ちゃんにも、ね」

 「それくらいお安いご用だよ。だから…必ず帰って来てくれ」

 

 少尉の言う無茶、それは瑞鳳航空隊が取る選択ー水雷戦隊の援護か敵空母への攻撃か。現有の航空戦力では瑞鳳と那珂達の両方は守りきれず、守るだけでは最終的に磨り潰される。寡兵だからこそ集中…日南少尉は敵空母への攻撃を選択した。どちらを選んでも損害は避けられず、そして勝負の行方が見えない中、戦場は刻一刻と変わりゆく。

 

 

 「さて、と…。零戦が一八機、九七式艦攻と九九式艦爆がそれぞれ一二機ずつ…これでヲ級二体相手にどこまでやれるかなぁ」

 

 既に小さな黒点となり空を行く航空隊を見送る瑞鳳。ほどなく敵の第二次攻撃隊も殺到するだろうが、問題は、どの程度の戦力が振り向けられるか。敵本隊の艦隊防空、突入を続ける教導艦隊水雷戦隊への攻撃、あるいは自分への攻撃、どれを敵が優先するのか。自分達は既に選択を終えた。あとは敵の選択次第。今さらながら日南少尉の言う『無茶』の意味を噛み締め、身震いする。

 

 「…来た。てゆーか…部隊を分けたんだ。ふうん…少尉、勝てるかもよ」

 

 ざっと視認できた範囲で、敵航空戦力の約半数、四〇機程度の攻撃隊が接近してくる。迎え撃つのは零戦六機。偵察機用に充てていた最小スロットさえ艦戦を積んだ総力戦。それでも一対六以上の戦いはさすがに分が悪いが、瑞鳳はにやっと笑みを浮かべる。

 

 「艦戦は…一〇機、か。ってことは雷爆で三〇くらいね。お姉ちゃんみたいに上手く回避できるといいんだけどな~。でも大丈夫、あの時に比べたら全然マシだもんっ」

 

 あの時―――帝国海軍の落日、往時のエンガノ岬沖海戦で、瑞鳳はエンタープライズやアイオワを擁する総勢七〇隻からなる米軍の主力機動部隊と激闘を繰り広げた。沈むまでに三次に渡る二〇〇機を超える艦載機の猛攻を耐え抜いた記憶と意地が、瑞鳳を支える。

 

 「さあ、かかって来なさいっ! 小沢艦隊…じゃなかった、教導艦隊の本当の力、見せてあげる!」

 

 

 

 「いった!…痛いって言ってるじゃん!」

 「いい加減にするっぽいっ!!」

 「邪魔、かな…」

 「や、やられたっ…まだ、撃てます!」

 艦隊のアイドルも至近弾を受けては笑顔をキープできず、ちょっとオコな表情で空を睨む。那珂を先頭に古鷹、夕立、時雨の単縦陣は、主機を全開に上げ最大速力すれすれの三二ノットで突き進む。前方に小さく見える、敵本隊に必死の猛攻を加える瑞鳳航空隊の妖精さんの献身に、防御を捨ててでも全力攻撃に出た瑞鳳の覚悟に、応えるためとにかく急ぐ。

 

 空を乱舞するのは敵機のみ。五機の艦戦に守られた、艦爆中心で少数の艦攻を含む三五機程の攻撃隊がうるさく飛び回っている。額から伝う血と汗を構う間も無く、時雨が空を見上げ呟く。

 

 「敵は部隊を分けたんだね。そっか…少尉、勝てるよ」

 

 それは期せずして瑞鳳とほぼ同じ言葉。敵部隊は、第一次攻撃でも全力投射は選ばず、今もまた艦隊防空の直掩機を除き、兵力を分散して同時攻撃を仕掛けてきた。日南少尉が選んだ集中攻撃とは真逆である。

 

 「この程度じゃ僕たちを止められないよっ!」

 

 敵艦隊を古鷹の主砲砲撃圏内に敵を捉えることが第一の目標。回避は最小限度にとどめ、濃密な対空砲火で敵の接近を阻みながら速度を維持する。そのため爆撃隊は水平爆撃を繰り返すしかできず、雷撃隊は第一次攻撃で不用意に古鷹に接近し三式弾の斉射を受け甚大な被害を受けた事を警戒し、接近の機会を慎重に窺っている。

 

 

 

 すでに瑞鳳を発艦した攻撃隊は空母ヲ級の直掩隊、そして護衛の駆逐艦との間で戦闘を始めている。一八機の零戦は、味方の攻撃隊の護衛と敵艦戦の迎撃の両方で、徐々にその数をすり減らしてゆくが、攻撃隊がヲ級を射点に捉える地点まで送り込むことに成功し、一機残らず空と海の間に散っていった。

 

 それでも攻撃隊は、那珂達水雷戦隊の突入を助けるためヲ級の発着艦能力を奪い無力化、最低でも足止めを目指し空を翔け抜ける。

 

 海の白い魔女(空母ヲ級)-髪も肌も白磁のように真白く、青い瞳を宿す秀麗な相貌は無表情。脚部を黒い装甲状のブーツで覆い、体に黒いマントを羽織り、ステッキのようなものを手に持つ。頭部を覆うのは軽母ヌ級を彷彿とさせる巨大な帽子状の艤装。瑞鳳の航空隊は護衛の駆逐ハ級一体に引導を渡し、魔女が二体陣取る敵の本陣に襲い掛かった。

 

 「手前のヲ級を集中してやっちゃお?」

 瑞鳳と航空隊の妖精さんは感覚を共有し、意思疎通にタイムラグはない。対空砲火と艦戦の攻撃に晒され数を減らしながらも、果敢に突入を続ける九九艦爆と九七艦攻。何度目かの突入で二五〇kg爆弾三、九三式航空酸素魚雷三を叩き込み、ヲ級一体を撃沈することに成功したが、この時点で瑞鳳航空隊は潰滅した。

 

 

 「みんな…本当にありがとう。瑞鳳も負けてられないねっ」

 

 航空隊の潰滅はすでに瑞鳳も理解している。送り込んだ四二機全てとの感覚共有が途絶したからだ。口では負けてられない、と強がったものの、被害は決して小さくなく、第一次改装を終えモスグリーンに変わった装束も至る所が千切れ破れ、白い素肌が剥き出しになっている。全体としては中破状態、飛行甲板は損傷し、主機も出力が不安定になっている。悔しそうな表情で見上げる空、新たに急降下爆撃を仕掛けようと四機一組で降下を始めた敵機が…慌てたように上昇して去ってゆく。

 

 「え…おねえ、ちゃん…?」

 

 ひょっとして援軍とか、と周囲をきょろきょろと見渡し、瑞鳳は思わず棒立ちになり両手を口で押えてしまった。おそらくは第三戦速が精いっぱいなのだろう、それでも大破し傷ついた姿のまま、祥鳳が戦域に駆け戻り、上空に弓を向けている。

 

 正確には、稼働機の全ては瑞鳳に渡しているため発艦を装っているだけだが、それでも現れたもう一人の空母娘に、敵は体勢を立て直す必要に迫られた。粘り強く回避を続けた瑞鳳の奮闘もあり、爆弾や魚雷を浪費していた敵攻撃隊は、二人に増えた空母を倒すには攻撃力不足と判断、一旦補給のため戦闘空域を離れていった。

 

 

 助かった…瑞鳳がへなへなと力が抜けたように海面に座り込み、祥鳳は崩れ落ちるように海面にへたり込む。それを見た瑞鳳は慌てて海面を這うように進み、祥鳳を抱きかかえる。姉妹艦ではあるが実戦で肩を並べて戦う場面がほとんどなかった二人、それでも不思議と絆にも似た思いがある。

 

 「お、おねえちゃんっ!? なんで、どうしてこんなことするのっ!! 沈んじゃったらどうするのよっ!!」

 「ごめんね、ヅホ…。でも、退避しながら通信で戦況を聞いていたら居ても立ってもいられなくて…。少しは…お姉ちゃんらしいこと、してあげられたかな?」

 

 その言葉に瑞鳳は涙ながらに祥鳳を抱きしめる。重ね合う記憶の無い姉妹は、新たに受けた艦娘としての生で、思い出を新たに紡ぎ始める。

 

 

 妹を守ろうとした祥鳳のこの行動が、戦局を大きく動かしてゆく。

 

 

 

 「ふえっ!? 敵機が…離れてゆく?」

 

 古鷹の砲戦距離に敵を捉えつつある水雷戦隊だが、さすがに損傷が目に見えて大きくなり、行き足が鈍っていた。特に艦隊防空の要として二基四門の一〇cm連装高角砲で敵機の接近を阻み続けた時雨と、攻撃の要だが重装甲を頼みに防空網を突破した敵の攻撃を吸収して仲間を庇い続けた古鷹の疲労と損傷が激しく、ここで集中攻撃を受けるようなことがあれば、流石に持ち堪えられない…那珂が日南少尉に指示を仰ごうかどうか考えた時、空に異変が起きた。

 

 隊長機と思われる機を中心に雷撃隊が再度編隊を組み直すと、別な方角へと空を翔けてゆく。そして入れ替わる様に別な部隊がヲ級に向かう。どうやら補給のために戻ってきたようだ。先行する敵機が進む方角の先には、瑞鳳と祥鳳がいる―――気付いた那珂はぎょっとした。

 

 「やっばーいっ!! 祥ちゃんとヅホちゃんに目標変更(推し変)? みんなー、全力でいくよっ! 古鷹エルは砲撃開始、ヲ級の発艦作業妨害っ!! 夕立ちゃんは那珂ちゃんについて来てっ!! 時雨ちゃんは後方から援護射撃お願いっ」

 

 中破し疲労困憊、それでも古鷹は力を振り絞り増速すると、移動しながらの最大射程でヲ級目がけ斉射を続ける。対空防御を重視しての三式弾だが、対艦攻撃でも相応に効果を発揮する。往時では霧島が第三次ソロモン海戦の第一夜、敵旗艦サンフランシスコに対し三式弾で猛攻を加え、装甲貫通はできなかったが艦上構造物を大破炎上させた。

 

 肩で大きく息をしながらも、砲撃の手を休めない古鷹の第五斉射がついに命中、着弾と同時に瞬発信管が作動した三式弾がヲ級を爆炎に包む。ヲ級の艤装が激しく炎上し目的通り火災で発着艦能力を奪うことに成功、そして予期しない大爆発を起こした。瑞鳳と祥鳳を再攻撃するため戻ってきた攻撃隊に補給を行っていた最中の着弾で、爆弾や燃料などに引火した結果である。

 

 「ヲォォォ…」

 頭部の巨大な艤装と左腕は跡形もなく吹き飛び、黒いマントも僅かに肩周りに残るだけ。それでも右手に持ったステッキを支えに幽鬼のように立ち、怨嗟の声を上げる空母ヲ級。

 

 そこに―――。

 

 「おまたせー、ナカチャンダヨー」

 

 とびっきりのアイドルスマイルを浮かべた那珂が明るい声で吶喊する。その声を聞いたヲ級がぴくりと反応し、接近を続ける那珂を右手に持ったステッキで横殴りで攻撃する。

 

 「きゃはっ♪」

 嬉しそうな声を上げ、全開脚近くまで一気に脚を前後にスライドさせ沈み込んで躱す。ヲ級が自分の力に振り回され体勢を崩す間に、那珂は一気にダッシュし左側に急速接近する。そして始まる握手&ハグ会―――。

 

 「那珂」

 最初の右足の踏み込みから腹部に強烈な右フック、ヲ級がたまらず体を曲げる。

 

 「ちゃん」

 さらに一歩前に左足を踏み込み、返す刀の左フックが背中に刺さりヲ級が体を反らし悶絶。

 

 「どっかぁーんっ!!」

 そのまま背後に回り込むと、両腕でヲ級の胴体をロックし、全力で締め上げ一瞬で肋骨粉砕。そのままブリッジのように勢いよく体を逸らし、ヲ級を放り投げる…要するに背面ベアハッグからの投げっぱなしジャーマンである。

 

 勢いを利用してバック転、すかさずポーズを決めた那珂は、もう一体の駆逐ハ級を仕留めていた夕立に指示を出す。

 

 「はいっ、ここで特殊効果(特効)っ!」

 

 特殊効果とは、コンサート等で盛り上がる曲のサビ終わりに合せ、銀や金のテープや花火を打ち上げる演出。無論この戦場での特効、それは夕立の装備する計二基四門の12.7cm連装砲の砲撃による轟音と発砲炎である。那珂の投げっぱなしジャーマンで空中に放り投げられたヲ級を目がけ、夕立は斉射を加える。最後に残ったヲ級、空中で爆散。

 

 

 「いつもありがとーっ!! 追撃戦(アンコール)はぁー、今日はなしっ」

 

 砲煙で煤けた顔、あちこち破れ血の滲む衣装…それでもキラッ☆のポーズでウインクをする那珂が宣言する。これをもって教導艦隊は1-4最奥部に陣取っていた敵の主力機動部隊を殲滅、海域開放に成功した。



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031. 笑顔で隠す思い

 前回のあらすじ
 那珂ちゃんどっかーんっ!


 大破:祥鳳、中破:瑞鳳、古鷹、時雨、小破:那珂、夕立…無事とはいえない状況ながら、1-4攻略戦は辛うじて勝利を収める事に成功した。状況の報告のため司令室と艦隊は通信を繋いでいるが、部隊六人の興奮が手に取る様に伝わってくる。

 

 「それじゃーこれから帰りまーすっ! プロデューサー補、打ち上げの準備よろしくぅーっ!」

 「提督、約束覚えてるよね? 朝ご飯、一緒にたべりゅからね」

 「この勝利、雨は…降ってなかったけど…とにかくそう、少尉のおかげだよっ!」

 

 スピーカー越しに飛び込んでくる声は疲れているが皆勝利に弾んでいる。その声を聞き心底安堵した日南少尉も、大きく息を吐くと、冷静さを装いながら、少し弾んだ調子の声で答える。

 

 「今からだと…帰りは明日の早朝になるね、打ち上げは無事帰ってきてから決めよう。いくら解放した海域と言っても、哨戒厳となすように。それでは港で会おう。皆、よく頑張ってくれた、本当に感謝する。…気を付けて帰っておいで」

 

 見えないのは承知、それでもそうしなければ気が済まない事もある。日南少尉はすっと背筋を伸ばすと踵を合せ、びしっと音が出そうなほど綺麗な敬礼を行う。司令室に詰めていた艦娘も、その姿に倣い敬礼を送る。しばらくの間スピーカーに向かい敬礼を続けていた日南少尉が振り返り、柔らかく微笑みながら解散を命じる。

 

 「皆もお疲れ様、聞いた通り艦隊が帰投するのは明日の早朝になる、今日は解散してくれ。ん? 自分は出迎えに行くよ、もちろん。皆は各自の判断に任せるよ」

 

 少尉にねぎらいや勝利を祝う言葉を残し、皆バラバラと司令室を立ち去った後、一人残った日南少尉は、両手を執務机に付くと、表情を歪め首を横に振る。出迎えに行く、とは言ったが心中は複雑なものがあった。

 

 「前回(1-3)もキツかったけど、今回も大破一に中破三、か…自分の指示で誰かが傷つくのは…やっぱり堪えるな…」

 

 艦娘が傷つくことを厭い戦わない選択肢はない、けれどもそれを勝利の代償、とは割り切れない。甘さ、若さ、優しさ、臆病さ…そのどれでもありどれでもなく、自分自身に折り合いを付けられずとも、日南少尉は自分の指揮が生んだ結果と向き合い、背負ってゆく。今はそれしかできないから。

 

 

 

 今日の宿毛湾は、湾内のゆるやかな波に朝日がきらきら輝き、眩しい水面が美しく、激戦を終え帰投する艦隊を出迎えるのにふさわしい朝である。この時間は宿毛湾泊地全体が動き始める直前で、波の音と遠くで鳴く海鳥の声だけが宿毛湾全体を支配する。そんな静けさの中を、突堤に向かい歩く二つの影。一つはゆっくりと歩く背の高い男性の影、言うまでもなく日南少尉である。その隣をちょこちょこと歩く影は、大きな黒いウサミミリボンを揺らす島風。

 

 「島風は眠たくないのかい?」

 「私、起きるの早いよ? だっていつもひなみんのご飯用意してるもん。今日はお出迎えだから作る暇なかったけど…ごめんね?」

 様子を窺うように日南少尉の顔を見上げる島風が、少しだけ不安そうな色を瞳に宿す。何も言わずに柔らかく微笑んだ少尉は、左手で島風の頭を左手でぽんぽんとする。出撃の関係で時間が取れない時以外は欠かさず朝食を作り運んできてくれる島風に、感謝をしても不満を言う事など少しもない。

 

 「ん?」

 「ん」

 

 島風の頭に置いた少尉の左手に島風の右手が重なる。二つの手は重なったまま頭から離れると、そのまま島風に手をつながれる。嬉しそうな表情をしながら、島風が行進のように大きく手と脚を振り出しながら歩く。

 

 「私ね、最近はこうやってゆっくり歩くのも悪くないかなーって思うようになったんだ。たまには、だけどね」

 

 

 ほどなく突堤が見えてきた。先客あり。

 

 「あっ、少尉さんっ!! …………と島風ちゃん、おはようございます、うふふ♪」

 「え?」

 「おう゛!?」

 

 銀髪のツインテールをきらきらと朝日に輝かせ海を眺めていた、白い礼装風の制服を着た艦娘-鹿島が振り返る。ぱああぁっと輝く笑顔で日南少尉を出迎えると、ゆったりと柔らかい微笑みを浮かべ、少尉から目を離さない。うるうると濡れた瞳に上気した頬は、そのまま鹿島の感情を現しているかのようだ。

 

 小首を傾げた島風が、おそらく教導艦隊の所属員なら全員思うであろう疑問を口にする。

 「え、鹿島教官って、第二司令部に接近禁止令が出てたんじゃないの?」

 ずいっと近づいてきた鹿島が、島風の顔を覗き込むようにして回答を口にする。

 「ここは港です」

 「え、でも、第二司令部のみな―――」

 「す・く・も・わ・ん、です」

 「お、おぅぅ…ひ、ひなみん、怖いよ…」

 

 鹿島の迫力に負けた島風が半泣きになりながら日南少尉にすがるように抱き付く。よしよしと頭を撫でながら、目の前の鹿島に、少尉も同じように訊ねてみる。

 

 「あの、鹿島教官…その、よろしいのですか?」

 無論接近禁止うんぬんの話である。拳を口にあてクスっと笑いながら、鹿島が答える。

「うふふ、あれは公的な命令ではありませんから。ただ、香取姉さんの気持ちも分かるので少し自重しようかなぁって。やっぱり鹿島は…教官ですから」

 最大限の自重の結果がLI●Eの絨毯爆撃とビデオチャットだったのだろうか。ただ、そのビデチャ以降、鹿島は日南少尉への連絡をぴたりと止めていた。習慣が突如止まる、その落差が少尉に鹿島の事を考えさせる効果を発揮していたのも確かである。

 

 「でも今日は、教導部隊のみんなが激戦の末に南西諸島防衛線攻略戦を勝ち抜いて帰投する日です。教官として、やっぱりお出迎えして、『よくやりましたね』って言ってあげたくて。…もちろん、少尉さんにも、ですよ。えへへ」

 気付けば少しずつ鹿島が日南少尉に距離を詰めてきた。どうやら島風はいない者として扱われている模様。少尉も何かに魅入られたように固まっている。

 

 「ねぇ少尉さん…鹿島に会えなくて、淋しかった? この勝利に…特別なご褒美…もらって、くれますよね?」

 鹿島の細い指がそっと少尉の頬に触れ、先ほどまで柔らかく微笑んでいた瞳が妖しく揺れる。すいっと背伸びをし顔を近づけようとした瞬間、鹿島が金縛りのように固まる。

 

 

 「おおぅ…これが引いてから一気に押すテク…さすが有明の女王。あ…ども…私達の事は…気にしないで、どぞ」

 

 至近距離で覗き込んでいたオレンジ色の法被を着た座敷童が、しゅたっと右手を挙げ挨拶をする。金縛りが解けた鹿島は、はっとした表情になり、そして一拍遅れて叫び出す。

 

 「き、きゃあああっ!! ってゆーか、は、初雪ちゃんっ!? …と?」

 

 見ればオレンジ色の法被に白い鉢巻、両手にはサイリウムを持った奇妙な一群-初雪、北上、川内、そして神通が、ギャラリーのように見物していた。慌てて体を離し、状況を理解しようと少尉に訊ねる鹿島だが、少尉にも分かる訳がない。

 

 「しょ、少尉さん…これは一体?」

 「い、いや…自分も一体どういうことかさっぱり…」

 

 鹿島が見た事のない集団に思いっきり戸惑う。日南少尉もここはコンサート会場じゃないよね、と顔を引き攣らせる。いそいそと北上と川内が突堤で位置決めをし、その間に初雪は「危ない…とこ、だったね」と島風にぼそぼそと囁き、鹿島から見えないように小さくVサインを送ると二人の後を追う。初雪と入れ替わる様に、顔を真っ赤にして小さく縮こまっていた神通が、少尉と目が合うと助けを求めるように近寄ってきた。

 

 「じ、神通? その格好は?」

 「………聞かないでください、少尉。いくら那珂ちゃんの出迎えだからって、何で私までこんな…」

 半泣きの表情で訴える神通だが、『楽しければ何でもいいよね』と川内に引きずられて列に戻される。

 

 「…那珂ちゃんさんファンクラブ…会員番号二番、初雪…」

 「会員番号三番の北上様だよー」

 「ファンクラブ名誉会長、川内参上」

 「……会員番号四番、神通…なんでしょう、顔から火が出るほど熱いです…」

 

 じゃあ練習ねー、と北上の軽い声とは裏腹に、四人は統制のとれた動きで踊り始める。神通はもはや泣き出しそうだが、熱いコールと、サイリウムをもった両手と上体が左右に激しく動くダンスが繰り返され、同じように北上の声でぴたっと静止する。

 「いいよいいよー、これでお出迎えの準備バッチリだねー。ねー少尉―、一緒にやる?」

 呆然と四人を見ていた少尉だが、無言のまま右手を顔の前で左右に振る。

 

 そうこうしているうちに、教導艦隊の艦娘たちが続々と港に集まる。結局遠征に出ている者を除き、全ての艦娘が集まり、艦隊の帰投を待ちわびている。香取もやや遅れて現れ、鹿島の姿を見て複雑な表情を浮かべるが、何も言わず出迎えの列に加わる。妹に思う所はあるが、今の香取はそれ以上に別な事で頭がいっぱいである。

 

 そして輝く朝日に照らされながら、水平線に現れた六人の艦娘の姿に、わあっと大きな歓声が上がる。先頭に立つのは、大きく手を振りながら満面の笑顔の那珂と夕立。二人の姿を見た日南少尉の表情が安堵に綻びかけ、そして固まる。遅れて背後に続くのは、時雨と古鷹、さらに瑞鳳に支えられた祥鳳。制服は激しく破れ、白い肌が大きく露出、至る所が火傷や怪我、出血で彩られた姿。その光景に、日南少尉は、制帽を目深に被り直し少しだけ俯いてしまった。

 

 -これが、自分の選択した結果だ。目を…逸らすな。

 

 ぎりっと歯噛みをし、再び上げた少尉の顔は、少しだけ辛そうな色を帯びた瞳を含めた柔らかい笑顔で飾られ、部隊を迎えるため突堤へ向かい歩き出す。

 

 「…おかえり、みんな。よく…よく、戦い抜いてくれたね。早く入渠するんだ、妖精さんも待機しているから」

 「たっだいまープロデューサ補っ! グループ(教導艦隊)オーディション(ドロップ)で新メン来たよっ! これは…妙高型の艤装かな」

 

 コンクリート製の突堤に到着し、脇に設けられたラッタルを元気よく上がってくる先頭の那珂が上陸した瞬間、ぴろーんという音が聞こえ、「新しいマップへの出撃が可能です」、続いてもう一度ぴろーん「おめでとうございます! 新しい海域への出撃が可能です」という文字が浮かんだような気がした。さらにぴろりーんという音が聞こえ、達成という文字が浮かんだような気もした。

 

 艦隊が無事母港に帰投した事をもって、正式に海域解放が認められた教導艦隊には、次の戦いの舞台となる南西諸島海域への進出許可と特務(EO)として鎮守府近海の対潜哨戒任務が同時に与えられた。さらにB9「空母機動部隊出撃せよ!」、B10「敵空母を撃沈せよ!」の二つの任務も達成となった。資材物資の追加補給に加えB10達成の成果報酬として、正規空母の赤城が教導艦隊に加わる…はずだった。宿毛湾泊地での教導システムに則り、宿毛湾泊地から本人の同意の下で日南少尉に貸与されることになるが、よりによって赤城が頑なに貸与を拒んでいる。

 

 「はあ…赤城さんのことは、遅かれ早かれ言わねばならないことですし…でも、気が重いですね」

 

 大きくため息をついた香取は、帰還と勝利を喜び合う教導艦隊に向かい近づいてゆく。




 ここまでで第二部終了となり、次回から次の展開に入っていきます。


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想いが届く先
032. 強すぎる光


 前回のあらすじ
 鹿島先生の抜け駆けを初雪阻止


 宿毛湾泊地は、現在進行中の大規模進攻作戦(イベント)には不参加だった。大本営からの通達では中規模とのことだったが、広大な侵攻海域での複雑かつ難易度の高い作戦内容で、参加した各拠点からは悲鳴が上がるほどだったようだ。さらに後半戦も冬に控え、両方を合わせると空前の規模と言える。当然、参加した各拠点の各艦隊も大きな損耗を受け、艦隊の整備と休息を行うために宿毛湾泊地に寄港する艦隊が引きも切らず、外来者の受け入れで現在の宿毛湾は大いに賑わっており、教導艦隊もそのサポートに駆り出されている。

 

 そして今回宿毛湾泊地に整備休息のため寄港するのは、秋のイベントを何とか完走したものの大きな損害を出した大湊警備府の艦隊となる。

 

 

 「いい感じ、いい感じ。おぉ~、グッド~!」

 「こっちっぽい~。気を付けるっぽい~」

 

 港湾管理線まで進出した夕立と村雨が出迎えているのは、現在の日本海軍が旧海上自衛隊から継承した多用途支援艦AMS-4305(えんしゅう)、本州の拠点としては最北に位置する大湊警備府の母艦だ。国内外の各拠点は外洋展開能力と継戦能力を担保するため、艦娘の修理補給能力を付与された通常艦艇を1隻ないしは複数有している。

 

 村雨が進路微調整の指示を出し、えんしゅうもスムーズな動きでそれに応える。先行する夕立が両手を大きく振り、投錨地点を示すと、速度を落とした母艦は機関停止。あとは惰性で進むのを、夕立と村雨が対角線の位置で支えつつ位置を調整しクッションが展開されたエリアに静かに接岸する。海から突堤にあがるため設けられたラッタルを駆け上がった夕立と村雨は、突堤で待つ日南少尉の元へと急ぐ。

 

 艦の中央部から自動式乗降用ラッタルがゆっくりと着地すると、最初に降りたったのは、白い巫女服のような着物を着た秘書艦を従えた中年の男性。艦隊司令、だね? 夕立と村雨が目で会話をし、二人とも小さく頷く。

 

 「ようこそっぽいっ! 宿毛湾泊地教導艦隊所属、夕立がお出迎えするっぽいっ」

 「いらっしゃいませ~! 同じく村雨よー。お客様が何名でもスタンバイオーケーよ」

 「自分は宿毛湾泊地教導艦隊を預かる日南少尉です。本日は桜井中将の命を受けお迎えに上がりました」

 

 両手を前に広げるように差し出し笑顔の夕立が左に、唇に指を添えウインクをした村雨が右に、そして敬礼の姿勢を取る日南少尉。一方の大湊艦隊の司令官は、制服の上着は着ておらず、カーキ色のタンクトップというラフな格好だが重々しく答礼を行う。

 

 「出迎えごくろう、私は大湊警備府司令長官の樫井 宗孝(かしい むねたか)大佐である。私以下艦娘三二名、宿毛湾泊地での整備休息で世話になる。桜井中将にはすでにお願いしてあるが、くれぐれも大湊の艦娘を労わっていただきたい」

 

 挨拶の間にもえんしゅうのラッタルから続々と艦娘が降りてくるが、半分程度は損傷もそのままに破れた制服をまとっている。樫井大佐に寄り添う秘書艦、扶桑型超弩級戦艦二番艦の山城も大破状態で露出の高い状態だが、大佐の制服の上着を肩から羽織り、素肌を隠している。

 

 

 年の頃は四十代前半の樫井大佐。良く言えば手堅い、悪く言えば凡庸な指揮官として認知され、そして本人はその評価を快く思っていない。世代で言えばかなり遡るが、樫井大佐も兵学校卒で日南少尉の遠い先輩に当り、候補生制度の創設期の卒業年次となる。当時樫井大佐は候補生には選ばれず、パラオ泊地の補佐官からキャリアを開始した。以来大湊警備府の司令長官の座に辿り着くまでに一〇年以上を要した。将官になるには赴任地司令官の推薦を得て海軍大学校へ進まねばならないが、『特筆すべき実績がない』との理由で推薦が得られず、佐官のまま大湊警備府へと配属された叩き上げの苦労人である。

 

 

 -若きエリートとその部下、か。俺とは対照的だな…。

 

 はたして、夕立の自己紹介に含まれた『教導艦隊』の言葉に、樫井大佐の目が一瞬、誰にも気づかれないほど僅かに嫌悪の色を帯びる。宿毛湾の司令部候補生と教導艦隊といえば、エリートコース中のエリートコース、海軍内では将来の四大鎮守府の提督候補と認知され、同時に着任条件も教導課程のハードルの高さゆえここ数年は着任が無かったことも知られている。

 

 「…教導艦隊所属、と言ったな? ということは、君が司令部候補生か?」

 「はい、そうであります!」

 「そうっぽい! 日南少尉が夕立たちの()()()っぽい」

 樫井大佐の問いに短く答えた日南少尉に、左腕にしがみ付きながら夕立が間髪入れずに続く。

 

 にぱっと満面の笑みを浮かべて夕立が答えたが、『司令官』の言葉に樫井大佐の感情が刺激された。それでも言葉柔らかに、諭すように日南少尉に話しかける。

 「ううむ、いかんなあ。無任地の尉官が自らを司令官と艦娘に呼ばせているのか? それは増長というものだな。軍は階級と職名により正しく動く組織だ。少尉、ただしく候補生…あるいはそうだな、見習とでも呼ばせるのがよいだろうな」

 「…申し訳ありません、自分の監督不行き届きです」

 「夕立が呼びたいように呼んでるっぽい。日南少尉は何も悪くないよ? それに少尉はすぐに教導クリアして出世するから、今のうちから司令官って呼ぶのに慣れておいた方がいいっぽい♪」

 

 小首を傾げきょとんとした表情の夕立は、無邪気な笑顔でさらに樫井大佐を刺激してしまう。樫井大佐は、今度は嫌悪を隠さずに声を荒げようとしたが、村雨は大佐の表情の変化を見逃さず、巧みに話の腰を折りつつ話題を変える。樫井大佐の暴発を押さえるためあえて中将の名前を出し、夕立を伴うとすたすたと先を進む。日南少尉も慌てて一礼すると、ではこちらへ、と言って二人の後を追いかける。

 

 「夕立、早く大湊のみんなをご案内しよう? 桜井中将も待っているでしょうし、ね? それでは大湊のみなさーん、こちらですので、着いて来てくださいねー」

 

 

 -ねえ村雨、夕立、何か悪い事言ったぽい?

 -ん~イケメンエリートにオジサンが嫉妬しちゃったのかな?

 

 

 「………聞こえてるんだがな」

 

 小声で話していた夕立と村雨の会話が、不幸にも風に乗り樫井大佐、そのそばに侍る秘書艦の山城の耳に届く。制帽を目深に被ったやや小太りの大佐がぎりぎりと歯ぎしりするのを、山城は秀麗な顔をやや青ざめさせ、不愉快そうに眺めていた。

 

 

 

 宿毛湾泊地本部棟―――。

 

 宿毛湾泊地提督の桜井中将、秘書艦の翔鶴、教官の大淀と香取と鹿島、工廠責任者の明石、オブザーバーとして鳳翔と間宮が参加するこの会議は早朝から続き、資材物資の収支報告、艦娘の育成状況、作戦遂行状況と戦果報告、他拠点から直接間接に寄せられた情報の分析、そして進行中の秋季の大規模進攻(イベント)に伴う整備補給受入対応など、多くの議題を話し合い、確実に結論付けていった。

 

 「今回のイベント、かなりの整備補給寄港要請が寄せられている所を見ると、激戦のようですね」

 大淀の問いかけに桜井中将は大きく頷き、補足するように話を継ぐ。

 「…確か今日は大湊警備府の艦隊が入港する予定になっていたね、もう着いた頃だろうか。さて、次の議題は、皆分かっている通り、教導艦隊を率いる日南少尉のレビューだ。現在少尉は鎮守府海域1-4までを解放、教導も折り返しになり、次は南西諸島海域の解放だ。加えて任意対応の、鎮守府近海での敵潜水艦掃討と航路護衛のEO(特務)もあるね。それぞれの担当分野ごとにサマリーをもらえるかな」

 

 全員が大きく頷きつつも、何となくそれぞれの方に視線を送ってしまう。この場での立ち位置を考えると、桜井中将と秘書艦の翔鶴は、立場上口には出さないが、折々の言動から日南少尉を温かく見守っているのが明らかだ。鳳翔はやや距離を置きながらも同様のスタンス。将来性は認めるが厳し目の立場を取るのが香取、実力を認めさらに肩入れしすぎなのが鹿島、本当の意味で中立なのは大淀と明石という所か。

 

 司令部候補生の業務は、編成・出撃・演習、遠征・補給、入渠・工廠・改装に大別され、これは規模の大小を問わず艦娘運用基地の責任者が網羅するものと全く同一である。教導艦隊においては、編成と任務消化:大淀、出撃・演習:香取・鹿島、遠征:香取、補給:鹿島、入渠・工廠・改装:明石 の担当で監督及び指導、そして査定を行う。これに加え生活指導:鳳翔による評価も加わる。

 

 こほん、と軽い咳払いをした大淀が話を進め出す。

 「それではお手元の資料をご覧いただけますでしょうか。これは日南少尉の戦績表示です。具体的な数字は割愛しますが、総評として勝率の高さはこの初期段階とはいえ過去の候補生の平均を遥かに超えています」

 

 この言葉に鹿島がにんまりと笑みを浮かべうんうんと頷く。

 「はいっ! 少尉の作戦指揮は、効率性と展開速度に重きを置いたもので、そう、とてもスマートなものです。選択と集中、まさにその言葉通りかと」

 「とは言っても、母数となる出撃数が少ないので率換算なら高くなって当然では? 」

眼鏡をくいっと持ち上げ香取がカットインすると大淀も頷き、対照的に鹿島がぷうっと頬を膨らませ不平を露わにする。

 

 「その指摘は確かです。勝()は確かに高いですが、作戦数自体が少ないのである意味では当然かと。ただ日南少尉の着任時期が前回のイベントと重なったため、特に入渠は優先度選別(トリアージ)がかかっていました。そのため作戦遂行への間接的な影響があったのは否定できず、ある程度考慮するのが公平と思います」

 「建造も少ないですねー、もっと頑張ってほしいです。私も夕張も暇で遊ん…あわわ、いえ、工廠の稼働率をもっと上げたいなー、なんて、あははー。あ、でも、装備の開発はかなり熱心ですね。入渠に関しては、タイミングは早いです。作戦実施後は損傷の程度によらず必ず入渠ですね。でも艦隊の稼働率を結果的に高めていると思います」

 

 明石が話に割って入り、言わなくてもいい事をいいそうになり慌てて口を塞ぎ、周囲は苦笑する。トピックはランダムに変わりながら議論は進み、その様子を興味深そうに眺めていた桜井中将だが、徐に話を鳳翔へと振った。

 

 「そうですね…日南少尉は、繊細でお優しい方だと思いますよ。好意の種類や濃淡は様々ですが、教導艦隊は皆少尉に好感を持っているようですね。明確に好意、という意味では数名でしょうか。ただ…」

 

 鳳翔にしては珍しく言い淀み間が空いた。お茶を一口飲むと改めて口を開く。

 

「ただ、少尉は自己抑制が強い方なので、艦娘との関係を判断するには時期尚早と思います。言い換えると…抑制しなければならない何かを心の奥底にお持ちのような…。なので、艦娘との距離を一定に保とうとしているのでしょうか」

 

 

 

 「どっちの脇腹が弱いっぽい? こっちっぽい?」

 日南少尉の左腕に右腕を絡めた夕立は、空いたもう一方の手で少尉の脇腹をくすぐろうとする。

 「少尉、村雨はこの後予定ないんですよ? 秋だしー、ちょーっと美味しい物でも食べたいかなあ、って」

 同じように少尉の右腕に胸を押し当てるようにぎゅうっとしがみ付く村雨は、意味ありげな視線で見上げる。

 

 自分は距離を空けても相手から詰めてくる事はままあることで、両方から腕にしがみ付かれた日南少尉は、やや歩きにくそうにしながら、時折後ろを振り返りながら樫井大佐を桜井中将のもとへと案内を続ける。



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033. 予期せぬ出会い方

 前回のあらすじ。
 ジェラシーとコンプレックス。


 こんこん。

 

 ノックの音に全員の視線がドアに集中する。日南少尉への中間評価会議、それぞれ違う意見を持つのは当然だが、どうにも鹿島と香取がしっくりこない。おそらく自分でも気づいていないのだろうが、冷静な口調の中でも香取が珍しく感情的になっている。日南少尉への評価で意見が割れている、というよりは鹿島の意見を否定することに拘っているようで、議論が微妙に前に進まずにいた。

 

 秘書艦の翔鶴が目線で桜井中将に確認し、中将もこくりと頷く。一旦頭を冷やし潮目を変える方がよいだろう、と中将はこのタイミングで休憩を挟むことにした。翔鶴がノックに返事をすると静かにドアが開き、すらっとしたシルエットの長身の若い男性が、がっちりしているがやや小太りの中年男性を伴い入室する。隙の無い敬礼を桜井中将に向ける二人は、言うまでもなく日南少尉と大湊の樫井大佐であり、案内役の少尉が口を開く。

 

 

 「失礼します、教導艦隊日南司令部候補生、大湊警備府司令長官の樫井大佐をお連れしました。所属艦娘については、それぞれ状態に応じて入渠や休息を取ってもらっており、そちらの方は夕立と村雨が対応しています」

 その声にぴくん、とツインテールが動き、鹿島は花が咲くような笑顔で振りかえる。だが、同行者がいることに気付き無理矢理頬の筋肉を意志の力で抑え込んだため、奇妙にひきつった表情を少尉たちに向ける事になった。

 

 「ああ、ご苦労だね日南少尉。そして…宿毛湾泊地へようこそ、樫井大佐。太鼓規模侵攻(イベント)は首尾よく完走されたと聞きましたが」

 「はっ! この度は整備休息のための寄港をご許可頂き、誠にありがとうございます。我が艦娘達、精神力と気力で何とか防空埋護姫を撃破したものの、いやぁ、手こずらされました。持参した資材物資で足りるかと思ったのですが、ボーキと高速修復剤を使い果たしてしまいまして、ははは。おおそうだ、中将は今回のイベントには不参加でしたな、邂逅を果たした秋月型防空駆逐艦娘の新型をお目に掛けたく思いますがいかがでしょうか?」

 

 樫井大佐が嬉しそうに桜井中将にイベントの結果を披歴したのを契機に礼は終わり、執務室にいる宿毛湾の中枢メンバーとも呼べる艦娘達が大佐に挨拶をする。大佐の意見具申は、明石が新型の艦娘に強い興味を示したことで受理され、早速樫井大佐は自分の秘書艦の山城に連絡を取っている。

 

 一歩下がりつつ直立不動の姿勢を崩さない日南少尉は、目線だけをちらっと大佐に向ける。依然として樫井大佐は、いかに大湊の艦娘が苦境に負けず乾坤一擲の覚悟で戦い抜いたかを誇らし気に話している。艦娘の精神力に頼るよりも、そういう状況にならないよう彼我の戦力分析や資材消費の目算の方が先ではないのか…との思いが心をよぎったが、高度な独立性が保証される各拠点の運営方針に、他拠点の者、しかも候補生に過ぎない日南少尉が異を唱える資格はない。自分の役割はここまでだな、と少尉は再び敬礼をし、執務室を退出する。

 

 

 

 宿毛湾泊地の中核施設が集中するのは、池島地区である。港湾設備から片島地区との間にある大深浦に注ぐ小さな川で挟まれたエリアで、宿毛湾の入り口に近い西側から見ると、広大な港湾施設、工廠設備や倉庫群、桜井中将のいる執務室を含む本部棟、艦娘寮、防火帯を兼ねた緑地帯とその一角にある甘味処間宮、運動場と練武場、そして広い庭園と菜園が続き、川沿いに建つ居酒屋鳳翔へと続く。今回大湊の部隊三二名、樫井大佐まで含め三三名は、名前こそ居酒屋だが、五〇名程度まで対応可能な宿泊設備を備えた大型料亭というべき鳳翔の店に宿泊する。

 

 「鳳翔さんには宿泊と夕食と朝食の手配はお願いしてあるし、後で大湊の母艦(えんしゅう)の整備補給状況を確認して報告、と。………あれ? 一本曲がる所間違ったかな」

 

 桜井中将の執務室を後にした日南少尉は、先ほど会った樫井大佐の話が微かに頭に残り続けすっきりしない気持ちのままでいた。普段は池島の港から第二司令部のある片島地区まで大発で移動するが、何となく気分転換をしたかった少尉は池島地区を横断し、居酒屋鳳翔で川沿いを北上して橋を渡るルートで片島地区まで戻ろうとしていた。それでもその間、来訪者の樫井大佐の歓待の予定を確認しつつ歩き続けていた日南少尉は、鳳翔の管理する庭園と菜園に紛れ込んでいたことに気が付いた。

 

 季節の草木で彩られた和風庭園は丁寧に整えられ、折々の花は手折られ鳳翔の店を美しく飾る。冬直前の今の季節は目立った花は無く、代わりに赤や黄色に色づいた葉を風に揺らす木々が秋の終わりを知らせている。

 

 「鳳翔さんが手入れしてるだけあって、どの季節に訪れても美しい庭なんだろうな」

 

 色づく木々の紅葉に感心しながら、日南少尉は庭園に設けられた小道沿いに進む。やがてまた別の色合い、今度は花の美しさではなく実りの美しさ、居酒屋鳳翔の菜園が少尉を出迎える。『関係者以外立入禁止』と書かれたプレートの貼られた木戸の向こうに広がるのは、鳳翔が中心となり大鯨、秋津洲、速吸が世話をする四季の野菜や果物と鶏。そして時折艦娘、特に駆逐艦娘が忍び込んで盗み食いをしている。

 

 鳳翔に言えばもちろん分けてくれるが、楽しみは味だけではなくスリルもあるのだろう…日南少尉は、視線の向こうに揺れる銀髪を見ながらそんなことを考えていた。とはいえ、目にした以上止めなければならない。普段は優しさの権化のような鳳翔だが、そういうことには非常に厳しい。ただ今いる位置からは銀色の髪の一部が見えるだけで誰かは特定できない。少尉は小さく木戸を鳴らすと菜園へと歩みを進め、その艦娘に声を掛ける。

 

 「君、ここは鳳翔さんの菜園なのは知っているだろう? 誰にも言わないから、一緒に出ようか」

 「ここの菜園のカボチャ…こんなに大きく! 煮つけにしてもいいですね。きっとお味も、期待できそうです」

 

 すっと立ち上がった艦娘は、左側をひと房束ねたセミロングの銀髪で、大人びた風貌、肩にジャケットを羽織っているのが印象的だ。日南少尉の記憶にない艦娘、けれど忘れた事の無い誰かの面影を感じさせる面差し。あの人はもっと色素が薄かったかな、もっと髪が長くて、瞳の色が青ではなく赤なら…何を考えてる? あの人がこんな所にいるはずが…ない…。日南少尉は自分の考えを振り払うように頭を左右に振り、問いかけられた言葉に辛うじて応える。

 

 「秋月型防空駆逐艦三番艦、涼月です。ここ、どこでしょう? 迷って…しまいました」

 「君は…涼月、か…。そうだよな、あの人の訳が…ない。ここは居酒屋鳳翔の菜園だよ」

 

 

 「樫井大佐、そう気にしなくてもよいでしょう。涼月はまた別な機会にでもご紹介ください。それよりも今日の宿、鳳翔の所でゆっくり休息を取ってはいかがかな?」

 

 経過した時間を考えると、とっくに到着していなければならないが、未だに涼月が姿を現さない。明石が工廠に連絡をして状況を確認した所、涼月はすでに検査を終え本部棟の司令部へ出発していた。イベント攻略の成果を桜井中将に見せる予定は潰れた形になり、苛々と困惑が混じったような表情で、ソファーに腰掛けた樫井大佐は気忙しそうに貧乏揺すりを続けている。

 

 当の涼月が、本部棟とは反対方向にある鳳翔の菜園に迷い込んでいたとは誰も知らず、大淀は捜索の指示を出しながら樫井大佐の気の利かなさを内心感じていた。確かに工廠から本部棟まで迷うほど複雑な道ではない、だが邂逅したばかりの艦娘は練度で言えば一、何もかもが新しく不安な状態なのに、案内も付けず一人で寄越す、というのはいかにも不親切だ。この方には想像力が不足している、それは不確定要素の想定と対応が必要な作戦立案と運用にも如実に現れる…知らない所でシビアな評価を大淀に下されたとも知らず、樫井大佐は何かと桜井中将に話しかけている。

 

 

 その頃、日南少尉と涼月は菜園内に設けられたベンチに距離を空けて腰掛けていた。ベンチの中ほどに座る涼月と、端に座る少尉。何となく話しかけたそうな空気を纏う涼月は少尉に視線を送っているが、当の少尉は困惑したような表情を隠さずに黙り込んでいる。このままでは埒が明かないと思ったのだろう、涼月が口を開く。

 

 「私は…桜井中将へのお披露目ということなので、本部棟という所に行きたいのですが…迷って…いえ、なぜかこの泊地は懐かしくて、つい歩き回っているうちに…やっぱり、迷った、で合ってますね」

 「そうか、君は今回のイベントで大湊に合流した艦娘なんだね。送っていくよ。けれど、宿毛湾が懐かしい、か…。君とここには、何か縁があるのかな?」

 

 少尉の言う縁は、確かにあった。往時の涼月は、普通なら轟沈しても不思議はない重大な損傷を三度に渡り受け、その三度とも生還を果たす不死身とも言える艦歴を持つ駆逐艦である。最初に受けた損傷は、第二回ウェーク島輸送作戦に参加した時のもので、米潜水艦の雷撃を受け2本が命中、凄まじい大爆発によって艦体中央部分だけが残る変わり果てた姿となってしまった。それでも生き残った涼月はなんとか宿毛湾泊地への避難に成功し、最終的に呉まで回航され約半年に渡る大規模な修理を受ける事となった。

 

 「貴方も…私に縁のある方なのでしょうか? 私を…見ていた瞳、綺麗で、でも…悲しそうでした」

 少しだけ間を取りながら、落ち着いた声で語りかける涼月の声に、少尉は思わず視線をむけると、涼月の青い瞳が不思議そうに自分を見ている。

 

 

 -似ている気はするけど、やっぱり違うんだよな。

 

 子供の頃に住んでいた街が深海棲艦の攻撃で壊滅し、避難用フェリーも襲われ、運よく乗った救命ボートで海を漂流し死を覚悟した。そんな自分を助けてくれたのは防空棲姫で、涼月の姿に面影を重ねて見ていた…などとは言えるはずもなく、少尉は涼月から視線を逸らしてしまう。

 

 「ひょっとして…どなたかご存知の方に、私が似ている…のですか? 悲しい事を、思い出させてしまいましたか?」

 非がないのに申し訳無さそうに肩を落とす涼月の姿に、日南少尉は慌てて内心を吐露してしまった。

 

 「いや、違うんだ。申し訳ない、君は何も悪くないんだ。でも、そうだね…君には、昔遠い場所で僅かに時間を重ねた、忘れられない人の面影が…いや、ごめん、聞かなかったことに―――はい、日南少尉です。…分かりました、本部棟に? そうですか、居酒屋鳳翔ならすぐ…い、いえ、何でもありません。はい、了解しました」

 

 -今でも…あれから何年経ったのか。それでもあの赤い瞳と白い影を忘れられずにいて、今一緒にいる艦娘の皆に距離を置いてしまう…。こんな事誰にも言えずにいたけれど、あの人に似た面影の彼女に、つい言ってしまったな…。

 

 助け舟とはこういう事だろうか、と日南少尉は携帯の呼び出し音に即座に反応した。

 

 「涼月、君の司令官と仲間達が居酒屋鳳翔で待っているそうだ。ここからすぐだから、案内するよ」

 

 自分の感情を整理するのに忙しい日南少尉は、ベンチから立ち上がり、振り返らずに歩きはじめる。何か言いたげに手を伸ばした涼月も、目の前の背中に黙ってついてゆく。



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034. それぞれの壁

 前回のあらすじ。
 固有スキル:運命の出会い。


 出かけたなら、必ず帰ることになる。涼月を居酒屋鳳翔に送り届けた日南少尉は、片島地区の第二司令部に戻り、偶然司令部棟前にいた神通に出迎えられた。誰に頼まれたわけではないが、綺麗好きの神通は本部棟前を竹箒で掃き掃除をしていることが多い。挨拶を交わし、横を通り過ぎようとした日南少尉を、神通が僅かに疑問の音色を込めた声で呼び止める。

 「お帰りなさい、少尉………あら? いつもと違う匂いがしますね。これは…お花の匂いと…知らない艦娘の匂い?」

 「うん? 涼月は確かに…。ああいや、鳳翔さんの庭園にしばらくいたから、花の匂いが移ったのかな?」

 

 日南少尉は聡明である。ただ、色々な面で経験が足りない。涼月が動くたびに、髪からふわりといい匂いがしたのは確かだが、この場合名前を出す必要は全くなかった。だが、自分の部隊ではない、大湊所属の艦娘と一緒にいたのは事実で、先にそれを指摘された少尉は、無駄に正直さを披露し動揺してしまった。

 

 「その表情…何か隠し事でも? 何でしょう…不安な気持ちになりますね。少尉…?」

 すでに出迎えのため何人かの艦娘が集まり始めていた。先頭を切って現れたのは時雨で、満面の笑みで手を振り近づいた所で聞こえてきた少尉と神通の会話に表情が凍りつき、ゴゴゴ…という擬音と共に背中に青いオーラを背負い始めた。

 

 「ふうん…興味深い話だね、日南少尉。僕たちが明日の演習に備えて自主練をしている間、鳳翔さんの庭園で、よその艦娘とデートしていたってこと? (僕を一回も誘ってくれないじゃないか)」

 

 「デートって…そういう事じゃなくて…。時雨、自分は道を間違えて、大湊の涼月は道に迷い、たまたま鳳翔さんの菜園でばったり会ったんだよ…」

 腕組みをした時雨は、ぷうっと頬を膨らませて日南少尉から顔をぷいっとそむける。何で言い訳してるんだろう…と日南少尉が疑問に思い始めたが、時雨の勢いは止まらない。軽く涙目になり、最早少尉の話の整合性などどうでもよく、気に障る事全てに噛みつきはじめる。

 「へぇ…もう呼び捨てなんだ。仲が良いんだね。(僕なんかお願いしてやっと呼んでもらえたのに)」

 「いやそれは他人行儀だから呼び捨ての方がいいって、時雨が…」

 「僕のせいだっていうのかい? 君には失望したよ…洗いざらい全部白状してもらうからね、少尉」

 

 無理矢理腕を取られ執務室まで連行された日南少尉は、応接用のソファーに座らされると、時雨と神通に左右から挟まれ、背後から村雨にムギュられ動きを封じられる。他にも大勢の艦娘が応接コーナーに密集するという状況で始まった、質問という名の尋問。そして日南少尉は経験から学ぶこととなる。

 

 

 『無い物を無いと証明するのは困難である』こと。

 『女の子を怒らせた時は、相手の感情をいったん受け止めない限り収まらない』こと。

 

 

 その教訓が日南少尉の今後に活かされるかどうかは別だが、概ね全てー涼月にかつて出会った防空棲姫の面影を重ねた事以外ーを答え、やましいことはないと信用してもらえたようだ。密着するように少尉の右側に座る時雨は、満足そうに腕を絡ませ肩に頭を預けながら、囁くように言葉を零す。

 

 「君が僕を…僕たちの事を裏切らないのは知っているよ。でも、ううん、だからこそ、納得したいだけなんだよ。それに…君の気持ちを、できれば言葉や行動で現してほしい、かな。そうすれば僕は、もっと…」

 

 その場にいる全員の艦娘が同意してうんうんと頷きながら、笑顔で少尉から時雨を引き離す。そして何やらひそひそ話をしたと思うと、執務室を後にする。一人残された日南少尉は立ち上がり背筋を伸ばすと、執務机に向かい歩き出した。踏み出した足が載った床が唐突に、角度はごく浅いが滑り台のように急に斜めになり、少尉はバランスを崩し滑ってゆく。

 

 「あ、少尉…一緒におコタ…入るの? いいよ…。この床? できるだけ、歩かなくて済むように…可動式スロープを…作ってもらった…。えっと…『消える魔球』って夕張さん言ってた」

 騒ぎに加わらずコタツに浸かっていた初雪は、唐突にしゃーっと滑ってコタツに突入してきた日南少尉に動じることなく、彼の頭をぽんぽんとして、微笑みかけていた。

 

 

 

 二一〇〇(フタヒトマルマル)・宿毛湾泊地A会議室―――。

 

 日南少尉への中間評価会議の続きが行われる会議室A。今部屋にいるのは香取と鹿島であるが、こじんまりとした部屋でやや離れて座る二人の間にはどうも微妙な空気が流れている。どちらも何か言いたことがあるが切出せない、そんな空気を先に破ったのは香取だった。

 

 「鹿島、ちょっといいかしら? その…日南少尉とのことですが…」

 教官の立場で見れば肩入れしすぎで、公正な評価ができているのか不安になる。姉の立場で見れば、好意を寄せているのは妹だけのように見えて不安になる。教導を修了した後、少尉はいずれかの任地へと旅立つ。その時、彼は果たして妹を伴っていくのだろうか―――?

 

 一方の鹿島は、姉の言葉を聞き、またか…という気分になってしまう。確かに自分は日南少尉に肩入れしている。だからといって甘やかしているつもりはない。もちろん気持ちが上乗せされているかも知れないけど…。少尉は間違いなく優秀だが、課題もある。人を育てる上で『長所は最大限大きく、短所は相対的に小さく』が教官としての鹿島のポリシーであり、例え姉相手と言えども簡単に譲れない。鹿島が固い表情で口を開こうとした矢先に、香取が言葉を継ぐ。

 

 「男はみんな狼なのよ? あなたは少し男性へのスキンシップの度が過ぎるというか、あれでは相手が…そういう気になってしまうわよ?」

 

 顔を真っ赤にして、たどたどしい警告を発する香取。鹿島はそんな姉をぽかーんとした顔で見ていたが、すぐに自分の勘違いに気付いてくすっと笑い、いつも通りの柔らかい表情で返事をする。

 「大丈夫ですよ香取姉さん、鹿島は日南少尉にしかああいうコトはしませんし、その気になってもらって全然構わないというか…。あ、でも、最初は優しくしてほしいかな、なんて…うふふ♪」

 

 ぎいっと椅子を鳴らして鹿島がうーんと背伸びをすると、大きな胸が強調される。自分も小さい方ではないけれど…と香取が部分比較を始め、すぐに我に返る。

 「で、ですからっ。そういう隙がありそうな言動が良くないと…。と、とにかく節度を失くさないように…というか、鹿島…あなたは本気で日南少尉のことを…?」

 

 「宿毛湾に居ても、艦娘としても女の子としても先が見えないかなーって思ってるのは…確かで、少尉と一緒に新しい世界が見たいなーって思ってるのも確かです。ごめんなさい、香取姉さん」

 

 香取の顔色を窺うように、鹿島はちらりと視線を送る。宿毛湾の教官であることに誇りを持ち、それ以外の在り方を自分に認めずにいる姉-少なくとも鹿島からはそう見える。そしてその心の奥も、知っているつもりだ。

 

 

 香取の想いは、絶対…そう言ってもいいほど報われる可能性が低い。

 

 桜井中将により宿毛湾泊地で建造された香取は、中将の積み重ねてきた経験の全てを受け継ぎ宿毛湾艦隊と教導艦隊の教官として艦娘や若き候補生の育成に当ってきた。教官として中将の期待に応えること、それが香取の全てであり、練度はもう随分前から九九、そして今も九九。ケッコンカッコカリという制度があっても、桜井中将は翔鶴以外の艦娘に、例え仮初めの縁だとしても決して指輪を贈らない。宿毛湾では、九九という境界線の向こうに行けるのはたった一人だけ。艦娘にとって、人間とそこまで深い愛情で結ばれる憧憬であり、女性として見てもらえず艦娘としてもそれ以上強くなれない絶望。そしてそれは、実績人格ともに優れた桜井中将が越えられなかった限界でもある。

 

 「ふふっ…鹿島、私の事を心配してくれてるの? 大丈夫よ、あなたにどう見えてるか分からないけど、私、これでも結構幸せなのよ、うん……」

 

 鹿島が言葉を重ねようとした時に大淀が会議室に現れ、二人の話はそれきりになる。

 「ごめんさい、遅れちゃいましたよね? 教導艦隊の子達が急に大勢来てたので…」

 大淀に遅れて明石が会議室に飛び込んできて、さらに遅れて桜井中将と翔鶴が入室してきた。

 

 「済まない、大湊の司令官と演習の打ち合わせが長引いてしまってね」

 

 

 

 宿毛湾泊地は、元来太平洋で作戦や演習を終えた艦隊が整備休息のために寄港する後方拠点である、と何度か触れた。それが司令部候補生制度を擁する上で重要な要素となっている。様々な拠点から作戦毎に編成や装備、練度の異なる艦娘部隊が訪れ、教導艦隊にとって得難い演習相手となるからだ。来訪した艦隊も整備休息のお返しに、ということで候補生率いる教導艦隊との演習を快く引き受けてくれる。そして今回の来訪者、大湊警備府艦隊ともその前提で話は進んでいたのだが―――。

 

 やや疲れた表情で椅子の背もたれに深く寄り掛かる桜井中将、その彼を労わる様に翔鶴がテーブルの下でそっと手を重ねる。翔鶴も樫井大佐との打ち合わせに同席していたが、大佐が繰り返し繰り返し懇願していた事を思い出す。分からなくもない話、なのだが…。

 

 「つまり、大湊艦隊が勝利したら、中将と翔鶴さんは、樫井大佐を海軍大学校に特例として推薦を行う、と。そして教導艦隊が勝ったら、手に入れたばかりの新鋭、秋月型防空駆逐艦を転籍させてもいい、と…。へぇ…大規模進攻(イベント)の成果を賭けてまでやることなんでしょうかねぇ~」

 

 頭の後ろで腕を組みながら、明石が腑に落ちない表情で疑問を呈する。艦娘は景品ではありません、と中将の話を聞き大淀と香取の表情が不愉快そうに変わる。桜井中将はそんな三人を眺めながら、樫井大佐の悲痛な叫びを思い返し、説いて聞かせるようにゆっくりと口を開く。

 

 

 -勝ったり負けたりを繰り返し、越えられない壁を目の当たりにした時、目を逸らして心に蓋をする。それでその場は終わりにできるが、壁を超えられなかった事実がなくなる訳ではない。自分が十年以上かけて辿り着いた地点を、日南少尉は軽やかに超えてゆくだろう。自分と何がそれほど違うのか? まだ何も成し遂げていない若者ではないかっ! 中将、私は、日南少尉に勝つ事で、積み重ねてきた年月が無駄ではないと、自分自身に証明したいのです。そのためには、何を賭けてもいい…-

 

 

 「…表面上、涼月の転属や海軍大学への特例推薦を持ち出しているが、樫井大佐が本当に賭けているのは彼の意地であり、執念にも似た挑戦だよ。日南君は司令部候補生として真っ直ぐに歩いているだけだが、大佐の目には…彼を拒み続けた海軍の昇進制度の象徴に映るんだろうね。君たちには分かりにくいかもしれないが、この演習はきっと二人のためにもなると思う。上手く行けば、特に日南少尉は一皮むけるかも知れないね」

 

 

 三人とも腑に落ちないような表情で、中将がそう言うなら…と不承不承頷くが、鹿島は少し違う反応を見せていた。樫井大佐の考えよりも、教導艦隊の編成の方が気にかかってしまう。

 

 「…涼月ちゃんを賭けて、少尉は大湊と戦うんですね…うらやま…ゴ、ゴホン。編成上の問題なら、赤城さんの件もまだ終わってないのに…はぁ…」



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035. 失くした誇りの見つけ方

 前回のあらすじ。
 コタツが手放せない初雪の季節。あと大佐。


 宿毛湾教導艦隊VS大湊警備府艦隊の演習-事前調整のため関係者の揃った桜井中将の執務室は、空気がどんどん緊迫してゆく。当初順調に進んでいた打ち合わせは、樫井大佐が桜井中将に違約なきよう、と念押ししたあたりから風向きが変わり始めた。

 

 怪訝な表情を浮かべる日南少尉に対し、樫井大佐が明かしたのは教導艦隊が勝てば涼月を宿毛湾に転籍させる、という話だった。大佐が勝った場合の条件は特に触れなかったが、問うた際の意味ありげな表情は『何かある』と日南少尉に悟らせるに十分で、その条件に激しく反発し始める。

 

 「演習に涼月を…艦娘を賭ける? そんな演習など参加は辞退させていただきたいっ!」

 珍しく日南少尉が不満を露わにし、立ち上がると樫井大佐に厳しい視線をぶつけるが、樫井大佐は意外そうな表情を浮かべ少尉に冷笑を返す。時雨は事の成り行きが理解できず、日南少尉を止めるべきかどうかの判断もつかないまま、ただ両者をおろおろと見る事しかできずにいる。

 

 「得る物があれば貴様も本気を出すと思ったが? 若造の指揮に後れを取るとは思わんが、それでも全力の候補生殿と戦って勝ちたいのだよ。勝って将官への道を掴むのだ」

 「…そんな理由で理不尽を艦娘に押し付けるような事が許されると…! こんなのは演習以前の話ですっ」

 

 

 「…私も、嫌よ」

 

 

 低く、怒りを堪えるような声に注目が集まる。大湊警備府の秘書艦、扶桑型超弩級戦艦二番艦の山城が冷ややかな視線を自らの指揮官に送っている。非難の色に染まる赤い瞳が樫井大佐を見据え、樫井大佐も視線を逸らさずに見つめ返す。しばらく続いた睨み合いだが、根負けしたように山城が吐き捨てる。

 

 

 「司令官は一体何のために戦っているの? 私、見る目無かったのかしら。貴方がそんな人だなんて……どうせ命令って言うんでしょう? いいわ、教導艦隊…蹴散らしてあげる。でも、私にも考えがあるわ…」

 ぐっと言葉に詰まり上体を揺らした樫井大佐だが、思いつめたような口調で吐いた言葉は、山城の表情を不愉快さから悲しさへと変えるのに十分だった。

 

 「構わん、この若造に勝たなければ、俺はどこにも行けないんだっ!!」

 

 それまで沈黙を守っていた桜井中将が、日南少尉に諭すように語りかけ、辛うじて演習は成立することになった。

 「…日南君、君には分かりにくいかもしれないが、この演習、受けるべきだよ。涼月を賭ける云々はさて置くとして、きっと君のためにもなると思う。無論樫井大佐にもだが」

 

 釈然としない表情ながら、桜井中将に言われては日南少尉に拒絶する選択肢はなく、しぶしぶ承諾したが凉月の転籍については最後まで譲らず、その件は棚上げとなった。

 

 

 今回の演習はブラインドゲーム-演習参加艦は事前に明かされず、双方から提出された所属全艦娘のリストを元に、参加艦六名を予想しつつ自軍の編成を決める。演習開始まで編成を伏せる点にこの形式は戦略性があるのだが、樫井大佐は意に介さず自軍の編成を予告し、秘書艦の山城を伴い執務室を後にした。

 「候補生殿、悩むことはないぞ。私は西村艦隊を中心に編成する。時間まで存分に考えるといい。準備ができたら知らせてくれ、こっちはいつでも構わん」

 

 「…少尉、あのリストで本当によかったのですか?」

 翔鶴にしては珍しく不安を表に出し、日南少尉を覗き込む。心配そうに揺れる琥珀色(アンバー)の瞳を見つめ返しながら、覚悟を決めたように少尉は頷く。

 

 

 「彼女…赤城さんの力があれば…いえ、彼女が参加したとしても、それでもどうしようもなく厳しいと思います。ただ強制はできませんので、もし来てくれなければ…その時はその時です」

 

 

 日南少尉は、教導艦隊への貸与を拒んでいた赤城型正規空母一番艦の赤城の真意を確かめる為、翔鶴に仲介してもらい赤城と話をした日を思い返していた―――。

 

 

 

 それは教導艦隊が1-4を突破した翌日の事。日南少尉は一人で宿毛湾泊地の本部棟近くにある甘味処 間宮に顔を出していた。所在なさ気に餡蜜をつつく少尉だが、からからと横開きの戸が開くたびに顔を上げ、また伏せる。何度か同じ行動を繰り返した後、すっと背筋を伸ばし右手を挙げ合図を送る。

 

 

 長い銀髪を揺らしながら、清楚な立ち姿で軽く会釈をする一人の艦娘-桜井中将の秘書艦にして宿毛湾泊地総旗艦の翔鶴が現れた。日南少尉の向かいの席に座り、伊良湖に抹茶セットを注文すると、楽しそうに微笑みながら少尉をからかう。

 「少尉に呼び出しを受けるなんて…何でしょう、告白、とかですか? …冗談ですよ♪」

 いたずらな少女のような翔鶴の姿に、内心日南少尉もドキッとしてしまうが、今日の本題はそういうことではない。

 

 「いえ、そ、そう言う事ではなくてですね…。実は赤城さんの事で相談がありまして」

 ぴくり、とスプーンを持った翔鶴の手が止まり、表情も真剣な物に改まる。

 「教導艦隊への貸与を拒んだのは知っています。でも、どうして私に相談を…?」

 「空の事は空を知る人に聞くべき、そう思いました」

 

 その言葉に、翔鶴は目を伏せながら昔話を始める―――。

 

 

 元々赤城は、宿毛湾泊地と豊後水道を挟んだ位置にある佐伯湾泊地の所属だった。ある日、南方海域で展開される遠征任務『MO作戦』を成功させ、他の艦娘や遠征に帯同した司令官の座乗する母艦ともども一路母港へと進んでいた。

 

 駆逐艦娘二人が帰路の対潜警戒を行っていたが、結果を見ればどこかに油断があったのかも知れない。

 

 佐伯湾泊地から東南東約五〇〇km、宿毛湾泊地から同方向三五〇km、見渡す限り海しかない地点で、残照が全方向を白とオレンジに輝かせ眩しくて目を開けられない時間帯、狙い澄ました様に深海棲艦の潜水艦隊の襲撃を受けた。一斉に放たれた六射線は見事に駆逐艦娘達と母艦を捉え、駆逐艦娘は瞬時に轟沈、母艦も急速に傾斜を増してゆく。慌てて海上に展開した赤城を含む四名の艦娘目がけ第二射が斉射され、大破漂流した赤城を除き、佐伯湾の司令官は戦死、部隊も壊滅した。

 

 夜明けとともに急行した宿毛湾の部隊に救助された赤城は、入渠を済ませ損傷を修復した後も、弓を引けなくなっていた。精神的な原因なのは明白で、様々な治療法が試されたが効果はなく、やがて所属基地の佐伯湾は匙を投げ、他に引き受け先が見つからなかった赤城は、宿毛湾泊地預かりとして時を過ごしている―――。

 

 

 「満足に動かない大破した体で深夜の海を漂流、深海棲艦の襲撃を受けても夜間では空母には成すすべがない…当時の赤城さんがどれだけの恐怖を感じ心に傷を負ったか、想像に余りあります」

 「…教えていただいてありがとうございます。翔鶴さん、これから赤城さんに会いたいのですが…連絡を取っていただくことは可能ですか?」

 

 目線だけで返事をした翔鶴はスマホを取り出すと通話先を選択し、通話のため席を外す。あまりにも有名すぎるミッドウェー作戦とその顛末だが、艦娘の赤城は、直上からの急降下爆撃ではなく、見えない足元からの雷撃により運命を狂わされた。

 

 -深夜の海は…ほんとうに嫌になる…。

 

 日南少尉は無言で天井を見上げながら、巡り合わせの皮肉を感じていた。理由や状況は違うが、少尉も赤城も同じ体験をした者同士だった。そして再びからからと扉が開き、翔鶴が戻ってきた。

 

 「日南少尉、三〇分後に突堤で待ち合わせ、とのことです。…私も、同行しましょうか?」

 「ご心配ありがとうございます、翔鶴さん。自分一人で、赤城さんと話してみます」

 

 

 

 突堤では既に赤城が待っていた。風になびく長い黒髪を手で抑えながら、海の果てのどこか遠くを見つめながらぼんやりと立っている。近づいてきた日南少尉の気配に気づくと、くるりと振り返り綺麗な所作で一礼する。

 

 「申し訳ありません、少尉。私なんかの事でお手を煩わせてしまいまして」

 

 夕陽に照らされた赤城が無理に作った笑顔は、例えようもなく美しく、同時に悲しいものだった。日南少尉は無言で敬礼し、赤城の元へと近づいてゆく。二人とも無言のまま何となく歩き、立ち止まる。

 「お疲れでしょう、少尉…」

 真っ白な第二種軍装を汚さぬようにと、自分の弓懸(ゆがけ)を右手から外し敷物にするよう差し出す赤城の申出をきっかけに、少尉は話し始める。

 

 「いえ、右手を守る大切なものを敷物にはできません。これからも…できれば自分の部隊の一員として、その手で矢を射てもらえれば、と…。ただそのためには…」

 「もう引くこともない弓のお道具なら、少尉のお召し物を汚さないように、と思ったのですが…。少尉は、私の事を…?」

 「ええ、翔鶴さんから教えてもらいました」

 

 そうですか、と小さく呟いた赤城は、ぼんやりと海を見つめながら誰に聞かせるともなく話し始める。

 「命令書や人を遣わせるのではなく、直接おいでくださった事にお応えする意味で、お話しします。あの日も…ちょうど今日のような残照が眩しい日でした。水面下から迫る雷撃に成すすべなく大破し夜間に漂流した私は、潜水艦からの攻撃に怯え、心が壊れそうになる恐怖に耐え、朝が来るのを待ちました。幸い救助され入渠させていただき体は元通りですが、私は…海に出ても前を向けないのです。どうしても、足元が気になり心が乱れて下ばかり見てしまう。前を、上を向けない私では矢を射れず、艦載機の子達を空に解き放つことが…。一航戦の誇りを、私はあの日に無くしてしまったのです。少尉、申し訳ありません…」

 

 夕陽の眩しさに日南少尉は目を細めながら、赤城の悲痛な心の声を正面から受け止めようとしていた。だからこそ、無理強いもできないし、適当なことも言いたくない。赤城は辛い心情を明かしてくれた。応えるなら、やはり自分の心情しかない。

 

 「深夜の海は…本当に怖い。自分は救命ボートで独り漂流しましたが、助けられるまでの間、死の恐怖に震えていました」

 それは少尉の実体験であり、今の道に至る原体験。偽りのない告白に、果たして赤城が反応する。

 「それは…?」

 「自分が子供の頃の話です。その体験があり、紆余曲折を経て、自分は提督になろうとして、今ここにいます」

 

 長い沈黙だけが二人の間に横たわったが、再び赤城が口を開く。

 

 「どうやって………どうやって、あの恐怖を乗り越えたのですか?」

 「乗り越えられたかどうかは、正直今でも分かりません。ただ、自分には叶えたい夢があります。叶うかどうかは分かりません、でも不安も迷いも全部ひっくるめて前に進む、そう選んだだけです」

 

 そこまで言うと日南少尉は二度三度屈伸をして、腰に手を当てて背中を逸らす。そしてくるりと振り返り、歩き出す。

 

 「あ、あの…?」

 どう見ても少尉は立ち去ろうとしている。自分を教導艦隊に誘いに来たのではないのか? 確かに自分は断っているが、そんなにあっさり引き下がるの…? 赤城は湧き上がる疑問で混乱し、思わず手を伸ばし呼び止めようとしてしまった。

 

 「自分は無理強いする気はないんです。でも、言葉で赤城さんは断ってますが、心では迷っているように見えました。都合よすぎの解釈でしょうか? 時間をかけてよく考えて、自分に一番いいと思った通りにしてください。どんな答えでも自分は受け止めますから」

 

 突堤を後にした少尉がぴたりと足を止め振り返り、一つ言い忘れました、と言葉を残す。それは、赤城の胸に深々と刺さった。

 

 

 「赤城さんが失くした物は…下を向いてても見つかりません。それはきっと、どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れる物だと思います」



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036. カウントダウン

 前回のあらすじ。
 赤城のごめんなさいVS少尉の絶妙な距離感。


 演習開始三時間前―――。

 

 甘味処間宮で食事中の赤城は、何杯目かのお代わりを頼みながら、店内を明るく飾る艦娘達の会話を聞くともなく聞いていた。

 「ふ~ん、教導艦隊の演習相手って大湊なんだ~。高練度艦ばかりって聞いてるけど? 指揮だけじゃ超えられない練度差だし、日南少尉もさすがに今回は厳しいかなー。きらりーん☆いいこと思いついちゃったー。最近顔も見てないしー、お疲れ様会で少尉をご飯に誘っちゃおうかなー。どう思う、矢矧ぃ~?」

 「旗艦の山城は指輪持ちで練度一〇〇を大きく超えると聞いたけど? お疲れ会でも何でも好きにすればいいと思うわ。でも阿賀野(ねえ)、私をダシに使うのは止めてくれない?」

 

 

 「…気になりますか?」

 気付けば向かいの席に加賀さんが座っていた。というか、阿賀野と矢矧の会話に集中して加賀の存在に気付かずにいた自分が恥ずかしくなり、赤城はあせあせと挙動不審な仕草を目の前の加賀に見せてしまった。一方の加賀は目の前の食事に手を合わせると綺麗な所作ながら残像を残すような速さで箸を運び、目の前のご飯を食べ進め、合間にポツリと呟いた。

 「…気になるなら、気にしているということを否定しない方がよいのでは? 何やら…大湊の司令官は桜井中将にも無理難題をふっかけているようですが…」

 

 加賀が何を言いたいか、十分に伝わってきた。以前突堤で心情を吐露して以来日南少尉とは会っていないが、気付けば彼の言葉を反芻している自分がいる。そして今、その彼は明らかに格上相手との演習に臨もうとしている。

 

 

 『失くした誇りは…下を向いてても見つかりませんよ。それはきっと、どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れる物だと思います』

 

 

 赤城は何も言わず、加賀に一礼すると席を立ち、空になった食器を返却場所に返すと、そのまま間宮を後にした。

 

 

 

 演習開始二時間前―――。

 

 

 こんこん。

 

 第二司令部、日南少尉の執務室のドアがノックされる。入室を許可すると、秘書艦の時雨が仏頂面のまま入ってきた。

 「………日南少尉、お客様だよ」

 抑えようとしているが、時雨の声にはトゲがある。書類の山に埋もれていた日南少尉と、少尉の作業を手伝っていた鹿島が顔を上げ、どうした、という表情を見せる。

 

 「お客さん…大湊警備府艦隊の秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月さんだよ。約束はしてない、って言ってた」

 「涼月……さんが?」

 「演習の対戦相手の艦娘さんが…? 日南少尉、あの…どういうご関係? ロミオとジュリエットごっこですか? それでしたらリアルにハードル高そうな他拠点の子じゃなく、姉がちょっと厳しいだけの鹿島の方がおすすめですよ? うふふ♪」

 

 前回少尉の尋問劇の際は、会議のため同席できなかった鹿島がゴゴゴ…となりながら、引き攣った笑顔を向け、日南少尉も怪訝な表情を浮かべる。とはいえ、すでに来ているものを無下にもできず、とりあえず応接に涼月を通し、少尉も移動する。

 

 

 「………」

 「………」

 

 

 無言が続く。訪れた涼月の方から話をしてくれなければ理由が分からない。しばらく待っていた日南少尉だがしびれを切らしたように口を開こうとした時に、涼月が口を開く。時雨と鹿島が耳をダンボにして二人の話を聞いているが、気にすることなく涼月は話を続ける。

 

 「日南少尉…この度はご迷惑をお掛けして申し訳…ありません…。先日、こちらの菜園でお話をした際、私…宿毛湾(ここ)が懐かしく感じる、と言ったのを覚えてますか? 居酒屋鳳翔まで送っていただいたのを部隊のみんなに見られていまして…慰労会の席で、少尉とのことを色々聞かれました。その際に、つい口を…滑らせて、それを司令官に聞きとがめられたの、です…。謝罪しましたし、説明もしましたが…」

 

 唖然としつつも、日南少尉はなぜ樫井大佐が涼月を演習の景品のように扱ったのか理解した。それは涼月の往時の記憶から出た言葉であり、そこに話が至った流れがあるのだが、背景を知らない、あるいは知ろうとしない人が聞けば、涼月が遠回しに桜井中将あるいは日南少尉の下へ転属を希望した、そう受け取られても仕方ない。まして樫井大佐は八つ当たりとも言える執念を少尉にぶつけている。涼月の話など耳を貸さなかっただろう。

 

 「樫井司令官が勝っても、私はもう…あの方の下で戦え…ないです。でも…日南少尉は…演習に勝っても私の転属をお認めにならない…そう聞きました。今は練度が低い私ですが…どんな戦場に行っても、必ず、帰ってくるつもりです…でも、私は…涼月は、どこに帰ればいいんでしょう?」

 

 それは違う、と言いかけた日南少尉だが、涼月の思いつめたような瞳に言葉を飲みこんでしまった。時雨も辛そうな表情を浮かべ、鹿島は目に涙を溜めすっかり涼月に同情した表情に変わっている。日南少尉は勝っても着任を認めないのではなく、艦娘を景品にするような演習自体を否定したのだが、その違いは今の彼女にとって意味がない。往時の戦闘で沈んでもおかしくない損傷を何度も受け、それでも母港に帰ってきた彼女が、帰る場所を見失う…それはどれほど重い事なのか―――。

 

 

 「今は…大湊のベース(出撃拠点)に戻ってください。もうすぐ演習が始まります。自分は………負けません。だから、演習が終わったら、帰ってくればいいです…………ここに」

 

 

 日南少尉は制帽を目深に被り直すと立ち上がり、涼月に退出を促す。言葉の前半に、涼月は明らかに気落ちしたような表情になったが、言葉の後半を聞き、自分の耳を疑うように驚いた表情に変わる。

 

 

 

 演習開始三〇分前―――。

 

 胸当ての位置を整えズレが無いか確認する。細く長い長弓を左手に持ち、右肩の飛行甲板も定位置にある。ただ、肩にかけた矢筒だけは空っぽのまま。ごくり、と唾を飲みこみドアノブに手をかけ、回す。きいっと軽い音を立て開け放たれたドアの先には廊下が見える。どれほど考え込んだか…覚悟を決め一歩踏み出す。

 

 長く真っ直ぐ続く板張りの廊下をゆっくりと進む。廊下の先には、出口がある。出口の先には、忘れかけていた海へと道は繋がる。演習とはいえ、はるかに格上の相手に日南少尉(あの人)は挑む。今の私では力になれない、でも彼の戦いを見届けたいと思う。もしかして…前をどうやって向くのか、何かが見えるのかもしれない。

 

 左側に窓、右側に艦娘の部屋が連なる廊下を進むと、黒いストッキングに包まれた細い脚が視界の右端に見えた。少しだけ視線を上げると青いミニの袴。

 

 「それなりに…期待はしているわ」

 その言葉と共に差し出された一本の矢。目を伏せ、おずおずと手を伸ばし受け取る。

 

 「………また一緒に出撃したいものです」

 その言葉を背に、視線を少しだけ上げて歩みを続ける。今度は緑色と黄橙色の弓道着が視界の右側に見えた。

 

 「よしっ、友永隊、頼んだわよ!」

 「嬉しいなぁ」

 その言葉と共に差し出された二本の矢。目を伏せ、手をまっすぐ伸ばし受け取る。

 

 「どんな苦境でも、反撃できるからね‼」

 「第一機動艦隊の栄光、ゆるぎません」

 その言葉を背に、視線を上げて歩みを続ける。もうすぐ出口…今度は白い弓道着を着た銀髪の艦娘と目が合う。

 

 「…今だけ、お貸しします」

 その言葉と共に差し出された一本の矢と赤い鉢巻。視線を逸らさずに、手を真っ直ぐ伸ばし受け取り、きゅっと音を立てて鉢巻を締める。託された四本の矢-六〇一空仕様烈風、友永隊九七式艦攻、江草隊九九式艦爆、東カロリン空仕様彩雲を矢筒にしまい、大きく息を吸い込み目を閉じる。目を開き大きく一歩踏み出す。ここまでしてもらって、見届けるだけ、なんて言ってられない。怖くても、前に―――。

 

 

 「一航戦赤城、出ます!」

 

 

 

 現在―――。

 

 「軍人として生きる以上、『上』を狙う気持ちは分からなくもない。だが、強すぎる執念は視野を狭め歪めてしまう。樫井大佐が現在の地位にあるのも、これまで彼が積み重ねてきた事の結果でしかない。戦績を残しているのに処遇が不当だと思い込み、一発逆転で彼にとっての是正を狙っているのだろうが、全てが独りよがりなのだ」

 

 腰掛けた椅子に足を組み、冷めた表情で吐き捨てるのは桜井中将。大湊艦隊と教導艦隊の演習はすでに始まってる。宿毛湾の司令部-中将以下秘書艦の翔鶴、管理艦の大淀、工廠責任者の明石、そして鳳翔の五名は、宿毛湾泊地内演習海域を見下す防空兼演習指揮塔の最上階に設けられた指揮所に詰め、戦況を見守っている。宿毛湾の港湾管理線から西に三〇kmほど、海に突き出た権現山の南端にある鼻面岬に建てられたこの施設からは演習海域が一望できる。

 

 「あなた…じゃなくて提督、この季節は冷えますのでこれを。ですが…さすがに大規模進攻(イベント)を完走しただけあって、これまでの所は実力通りに大湊艦隊が教導艦隊を圧倒しているようですが?」

 

 つい普段通りに桜井中将に呼びかけ、他の艦娘達がいることを思い出した翔鶴は慌てて言い直し、中将の脚に自分が肩にまいていたカシミアのストールを掛けようとする。

 

 しばらく前に始まった演習は、やはり地力の差が出る展開から始まっており、翔鶴はその点を指摘した。隣の席に座った翔鶴に眩しそうに目を細める笑顔を見せると、中将は自分の足に掛けられたストールを広げ妻の脚に掛ける。互いを労わり合う仕草とは裏腹に、言葉はさらに厳しさを増してゆく。

 

 「圧倒、ね…。樫井大佐が演習の勝利条件をどう解釈しているかにもよるが、私には大佐が日南君の術中に嵌りかけてるように見えるよ。もっとも日南君もリスキーな作戦を採用したようなので、翔鶴、君の言う通り地力の差で押し切られる結果になる可能性も十分にあるね」

 

 「提督…提督は今回の演習が双方にとって意味のあるものだと仰いましたが、ご説明頂けますか? 大淀には、どうしてもそう思えず…」

 中将の右斜め後ろにすっと近づいた大淀が、遠慮がちな口調で問いかけたのに対し、上体を振り向かせ、中将は生徒に教えるような口調で話し始めた。

 

 「そうだね…堅実とも凡庸ともいえる作戦、かつ刻々と変化する戦況に対応の遅い指揮…これにより樫井大佐は多くの敗戦を重ねてきた。つまり、作戦指揮を見れば彼が自分の功績として誇る事は多くないのだよ。一方でそれら短所を自覚した努力と、決して諦めない姿勢が艦娘たちの信頼を得て、艦隊一丸となって彼を支え結果として実績に繋がった。CSFの分析結果を援用すれば、彼のリーダーシップ領域は『影響力』にあり、それは艦隊のモチベーションと団結力として現れていた。だが今回、目先の我欲に狂った樫井大佐は、自分の艦隊の強みを否定してしまった。勝敗に関わらず、大佐が自分と自分の艦隊との関係性を正しく理解できれば、彼もまた成長できる。対する日南少尉だが―――」

 

 「あちゃーっ!! 教導艦隊、艦種不明ながら一人大破…戦線離脱ですっ!! これは…かなり厳しくなりましたかね~」

 

 明石の上げた悲鳴が桜井中将の言葉を遮り、全員の目が海に向けられる。宿毛湾の正規空母娘のうち、往時から赤城と縁の深い艦娘達は、それぞれの思いを矢に託した。大破一名と聞き青ざめた翔鶴は隣に座る桜井中将を見たが、特段心配するようでもなく、かえってヤキモキしてしまった。



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037. 指輪の跡は簡単に消えない

 前回のあらすじ。
 フルアーマー赤城、出陣。


 今回の演習では、力の差を見せたい樫井大佐が自身の編成の骨格を、西村艦隊を中心としたものであると予め明かしている。

 

 大湊艦隊/旗艦山城、副艦最上、鬼怒、満潮、山雲、扶桑

 

 旗艦山城は練度一〇〇超、改二勢の扶桑と鬼怒、満潮は練度九〇台後半、他の二名も練度八〇台半ば、長年同じ部隊で戦い続けているため連携も巧み、秋の大規模進攻(イベント)をギリギリとはいえ完走…一言で言えば強い。演習は双方索敵機を展開する所から始まるが、戦闘偵察爆撃機を大量投入できる扶桑型航空戦艦が二人いる強みを活かし、合計四六機中三十六機もの瑞雲十二型による濃密な哨戒線で早々と教導艦隊を発見、一気に開幕空襲を仕掛けた所から事態は動き出していた。

 

 

 沖の島仮設指揮所―――。

 

 宿毛湾泊地の港湾管理線から南南西約20kmに位置する沖の島は、有事には前衛陣地として活用される施設だが、平時は演習用の拠点として簡易的な指揮所が置かれている。ここに詰めているのは、指揮官の日南少尉を中心に教導艦隊のメンバー、そしてオブザーバーとして教官の鹿島も同席している。

 

 ブラインドゲームによる演習では、敵位置情報はおろか編成装備に至るまで索敵により入手せねばらならず、かつ齎された情報をもとに自軍編成と対比、作戦を修正しながら戦っていかねばならない。そのため日南少尉も普段より張り詰めた表情で野戦用の簡素で無骨な指揮官席に座っている。

 

 教導艦隊/旗艦ウォースパイト、副艦時雨、神通、古鷹、島風、赤城

 

 すでに進行中の演習、大湊艦隊は予告通り西村艦隊を中心とする布陣で装備も判明した。教導艦隊を守るのは、赤城率いる六〇一空仕様の烈風。瑞雲の編隊の接近を捉え、迎撃のため優美で獰猛な逆ガル型の翼が空を翔け上がる。だがブランクのある赤城は、どうしても航空隊を思うように動かせず、絶対性能では瑞雲を凌駕している烈風をもってしても、巧みな機動で防空網の穴をついて突入してくる熟練の大湊の航空攻撃を止められず、開幕の航空攻撃で神通が大破判定で戦闘不能。

 

 出だしから一人脱落という状況で、日南少尉は無言を続けている。頭をフル回転させ自分の考えに没頭しているだけだが、周りから見るといきなり一人大破の結果に不機嫌になっているようにも見えなくない。そこに全身をペイント弾で真っ赤に染めた神通が帰投してきた。上半身が大きく破れた制服からは両肩や胸元が大きく露出し、神通も身の置き場がない様に両腕で露出した部分を隠そうとしている。

 

 日南少尉は無言のまま立ち上がると、白い第二種軍装の上着を脱いで神通に羽織らせる。ペイント弾の赤で少尉の制服を汚すことを嫌がった神通が慌てて脱ごうとしたが、少尉は手で制し、静かに言葉を発した。

 

 「相手は…強かったかい?」

 「はい…あんな機動は予想してませんでした…。前の機の陰に入るように連なって突入してきた二機一組の瑞雲からの時間差の急降下爆撃…二発目を躱せずに…」

 「自分もだ、神通。水上機にあそこまでの機動をされるとは予想を超えていた。だから、君が大破したのは君の責任じゃない。自分の指揮が甘かったからだ。ごめんな、ここから立て直すよ。この演習…負けられないから、ね」

 

 そう言うとペイント弾で手が汚れるのもいとわず、神通の頭をぽんぽん、とすると指揮官席へと日南少尉は戻って行った。

 

 「少尉、申し訳…ありませ…」

 羽織らされた少尉の制服で自分を包むようにしていた神通だが、その声は最期まで言葉にならず、肩を震わせ泣き出してしまった。何もできなかった自分と、何も出来なくても責められない程度の自分…。少尉が自分を責めるつもりがないのは本当だと思う。それでも、それだからこそ、辛い。仮設指揮所に詰めている艦娘達が励ます様に集まり、神通もまた落ち着きを取り戻し始めるが、内心には固く誓うものが芽生えていた。

 

 「強く…誰にも負けないくらい強くなりますから…。もっともっと鍛錬して…」

 

 涙声に紛れ誰にも届かない神通の決意は、ほどなく『訓練の鬼』として結実するが、それは別な話として。

 

 

 

 大湊艦隊―――。

 

 瑞雲隊が教導艦隊を強襲したのと同じように、低空を進入する雷撃隊と上空から急降下爆撃を加えてくる艦爆隊が迫りくる。迎撃にあたる大湊の直掩隊にとっても、友永隊と江草隊を水上機(ゲタバキ)で相手取るのは容易ではなく、最上と山雲が小破したものの、鬼怒の強烈な対空砲火で損害を与え退ける事に成功した。装備機を見れば、その空母が教導艦隊の攻撃の中心だろう、と山城は判断していた。高練度の航空隊によるアウトレンジ攻撃…空母を帯同させていない自分達には確かに脅威で、さすがは司令部候補生だと思う。だが、ふふん、と不敵な笑みを浮かべた山城は動じる事が無い。教導艦隊の空母の数はおそらく一か二。それに、空母頼みの(そういう)連中とは数限りなく演習をしたことがあり、対策はいくらでもある。

 

 

 「艦隊の練度はまだまだでも、航空隊はきっちり仕上げてきているのね…っていうか、あの機体のマーク…そう、向こうの正規空母は宿毛湾本隊からの転属組………ふうん…まあ、ハンデということにしてあげます。さあ行くわよ、山城?」

 「ふふ…うふふ…ふふふ…思ったよりはやるみたいね。満潮、被害状況知らせっ。各艦、単縦陣に陣形遷移、第二戦速で前進開始、砲戦で押しつぶすわよ………は? 何? …陣形を変えるな? あのねっ、敵の航空隊が引いてる今が好機でしょうっ」

 

 山城が陣形を単縦陣に変更し前進を指示しようとした所に、鹿島(しかしま)の仮設指揮所にいる樫井大佐から通信が入る。最初は努めて平静に対応していた山城だが、徐々にヒートアップし、最期はヤケクソ気味になり通信を終了し艦隊に改めて指示を出した。

 「…………ああもう、分かったわよ、聞こえてるからっ。艦隊輪形陣を維持、第一戦速で警戒続行しつつ前進」

 

 -普段なら私の話も聞いてから、判断してくれるんだけどね………。

 

 はあっと大きなため息で苛立ちを吐き出し首を二度三度振ると、右手を大きく前に振り出した山城が号令をかける。指示に従い、艦隊が単縦陣に遷移しかけた陣形を再び輪形陣に戻し前進を開始する。輪形陣の中央にいる山城は、厳しく前を見つめてた視線を左手に落とすが、赤い瞳の端に涙が僅かに滲んているようにも見える。

 

 「指輪の跡って…簡単には消えないのね」

 

 -これは単なる演習じゃない、日南少尉に俺が勝つことに意味がある。将官に手が届くチャンスが手に入るんだ、その何が悪い? それに…どうも涼月はあの若造に気があるようだからな、宿毛湾の方がいいそうだ。ちょうどいいだろう?

 -だからそれは誤解で、あの子の往時の記憶が………はあ、もういい。この演習が最後、私…秘書艦を下りる。私にも考えがあるって言ったでしょ…もう、ついて行けない……」

 

 これ見よがしに、樫井大佐(あの人)の前で指輪を外したら、すごく動揺してたな…。姉様の次に…ううん、いつの間にか、姉様とは違う意味で大切に思っていたのに…。

 

 輪形陣の中心で物憂げに進む山城の物思いを破る様に、最上が鋭く叫ぶ。

 

 

 「敵艦隊来るよっ! 単縦陣で突入…速い! 司令官、指示をっ!」

 

 樫井大佐が陣取るのは宿毛湾の港湾管理線から直線距離で西方約25kmに位置する鹿島(しかしま)。仮設指揮所で最上の報告を聞いた樫井大佐は、正面火力で劣る教導艦隊が砲雷戦を挑んでくるとは思わず、最上からの連絡を受けて慌てはじめた。予想通り投入してきた赤城による面制圧で距離を取って戦ってくると判断し、敵の開幕航空攻撃の後も輪形陣のままで部隊を前進、赤城の航空戦力を壊滅させてから教導艦隊を殲滅しようと決め込んでいたからだ。

 

 指揮官席から離れた位置で壁に寄り掛かり腕を組み、山城と樫井大佐のやりとりを冷ややかに眺めているのが、宿毛湾泊地からオブザーバーとして派遣された教官の香取である。

 

 -おそらく、この人の判断の甘さを旗艦の山城以下艦隊全体で支えているのね…。

 

 桜井中将の薫陶を長年受け、今は成長を続ける日南少尉の指導に当る香取にとって、樫井大佐の指揮ぶりを見ていて不安しか覚えない。部外者ゆえに口を挟まず黙って聞いているが、何かを判断するための根拠が良く分からない。こうであってほしい、こうであるべきだ、という前提を根拠なく信じて作戦を決めているように見えてしまう。

 

 

 開幕の航空戦を終えた演習は、いよいよ砲雷戦へと舞台を移し激しさを増してゆく。

 

 

 

 「赤城さんの報告通りですね。敵艦隊補足、北西約四〇kmを第一戦速で移動中。あと10分で砲戦距離に入ります。古鷹、突撃します! ウォースパイトさん、ご武運を!」

 ウォースパイトには掛け値なしの最大戦速となる第三戦速で疾走を続けた教導艦隊が慌ただしく動き出す。練度差を考慮すると真っ向からぶつかっても支えきれるものではなく、だが負ける訳にはいかない。その答えが今回の作戦だった。

 

 風に金髪をなびかせる旗艦のウォースパイは速度を第二戦速に落とし、先行する古鷹を見送りながら配置に付く。玉座を模した艤装に座り直し脚を組み、すうっと目を細め遥か水平線を睨む。彼女の役割は、射撃精度を利した狙撃手(スナイパー)である。今回求められるのは、敵味方が激しく動き回る乱戦の中で()()()目標を射抜き、自軍を勝利に導くこと。部隊の仲間が作るチャンスを待つ間、ウォースパイトは分厚い装甲で敵弾に耐えながらチャンスを窺い目標を散布界に捉えなければならない。

 

 「それにしても、こんな大役を私に任せるとは…ヒナミ、you always make me hot(私を熱くさせてくれますね)

 

 桜井中将が看破した通り、日南少尉の狙いは明確な反面リスクのあるものだった。明確な役割を担ったそれぞれの艦娘が、大湊艦隊を日南少尉の描く通りに躍らせるため動き始める。戦力の分散投入はどのような戦闘戦場でも悪手とされ、日南少尉も選択と集中を戦術の基本としている。が、あえて採用したこの作戦で何を狙うのか。

 

 

 

 「―――話の途中だったね。対する日南君だが、CSFの結果で比べると、彼のリーダーシップ領域は『戦略思考』と言えそうだね。際立って高い情報処理能力と冷静な判断力が彼の特徴だが、何をすべきかの優先順位が極めて明確で、全ての作戦行動がそこに繋がっている点が出色だと私は思う。けどね、それはそのまま彼の重大な短所となって現れている」

 

 刻々と情報が集まる防空兼演習指揮塔の指揮所で、再び桜井中将が口を開く。

 「幼い頃に重ねた経験に起因し、日南君は非常に自己抑制の強い人格形成がなされた。するべきかしないべきか、いわば『べき論』で物事を捉えている。したくない事でもするべきなら行い、したい事でもすべきでなければ行わない。将官になりたいからなる、と理不尽な行動でも押し通そうとする樫井君とは真逆だよ」

 

 黙って話を聞いていた明石が、不思議そうな表情で横から口を挟み疑問を呈する。

 「んー、軍人としてはむしろそうあったほうがよいのでは?」

 

 「広義のそれとしてはそうだろうね。でも、日南君が目指すのは提督だ。命を賭けさせる立場として、下す命令に彼の思いが通ってなければ、部下は納得しないよ。彼はこの演習に勝とうとしている、だがそれは何のためなのだろうね? 些細なことほど自分を素直にはっきり出すべきだ」

 



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038. ダンス・オン・ザ・タイトロープ

 前回のあらすじ。
 指輪の重さは外した者しか分からない。


 「遅いのよっ! 今から陣形変更なんて出来る訳ないでしょう、ああもう、話は後よっ!! 南南東から一人…姉様、お願いしてもいいかしら、近づけないで。…はあっ!? 北北西からも…ってなんて速度!! 島風ね…満潮、そっちは任せたわ。挟撃って訳、面白い事してくれるじゃない」

 

 樫井大佐の指揮にダメ出しをして、山城は立て続けに迎撃を指示、突入を開始した教導艦隊との戦闘態勢に入る。樫井大佐と山城の間のギクシャクした艦隊運用の間隙を突くように、海上を疾走してきた教導艦隊が大湊艦隊に挑み始める。それは日南少尉の合理性を彼の艦娘達が超えようとした戦いでもあった。教導艦隊の出撃直前まで時計の針を戻してみよう。

 

 

 

 「ヒナミ、この手はいったいどういう意味かしら。説明してくださる?」

 「うん? 負けないための手だけれど?」

 

 ずいっと一歩前にウォースパイトが出て日南少尉の瞳の奥まで覗き込もうとする。まったく納得いかない、全身でそう訴える女王陛下の不満を、さらりと受け流し、日南少尉は説明を始めた。

 

 「自分達は狙いを旗艦と副艦に絞り撃破する。大湊艦隊との間には、意欲や技術だけで覆せない練度差があるのは事実。けれどこれは演習だ、ならB判定で十分…ルールの枠内で勝敗を言うなら、SもAもBも全部同じ。何より今回は…負ける訳にはいかないからね」

 

 沖の島の仮設指揮所がざわめきに包まれる中ブリーフィングは終了し、出撃組に注目が集まる。共有された作戦は、自分たちが弱く勝ち目が薄い現実を前提としたもので、艦娘達にはすっきりしない感情が残ったが、少尉の論理的な説明に口で勝てる者はおらず、またリスクは高いが作戦としては緻密なものであり、誰も異を唱える事は出来なかった…。

 

 「確かに少尉の作戦は、何ていうか…うん、事実だけどちょっと傷ついたかな。でもB判定以外だめとは言われてないよね。だから、少尉の作戦を下敷きにA勝利を狙おうよ。僕たちは負けない、その上で勝つ。どう、かな…?」

 

 出撃前のストレッチをしながら、時雨は部隊に問いかけ、ちらりと上目使いで仲間に視線を送る。恐らく皆同じ気持ちだったのだろう、ガッツポーズで応える者、大きく頷く者、様々だが反論は見られない。

 「シグレ、貴女も秘書艦として成長していますね。私達の今の実力、ヒナミに正しく理解してもらいましょう」

 満足そうな表情でウォースパイトが答え、全員が大きく頷き、全員が出撃ドックへと向かい歩き出した。

 

 

 

 そして現在、教導艦隊は厚い壁を打ち破るため苦闘を続ける―――。

 

 南南東からは三二ノットで古鷹が、北北西からは四〇ノットで島風が、大湊艦隊を南北から挟撃する。作戦開始当初から単独行動を取り戦場を大きく迂回していた島風が位置に付いた事を受け、作戦は開始された。

 

 まずは古鷹が大湊艦隊に迫り、砲雷同時攻撃を敢行する。両脚を肩幅よりやや広く開き体勢を安定させると右手を大きく前に振り出し、肩と腕、さらに左肩越しに出張る可動式台座の連装砲計三基での斉射を開始、やや遅れて太ももに装備した魚雷格納筐が回転し四連装酸素魚雷の長射程雷撃を加える。対する大湊艦隊も、最後尾にいる艦から古鷹の砲撃音を圧する轟音が響き黒煙が巻き上がる。旗艦が山城である以上、同型艦の扶桑による大口径砲の一斉射撃なのは明白だった。最大射程距離ギリギリまで接近した古鷹は、むしろ扶桑の主砲にとっては有効射程距離まで相手が近づいてきたことになり、余裕をもった応射で乱暴に出迎えられたことになる。

 

 往時の扶桑型超弩級戦艦は強大な破壊力を誇る反面、遠距離射撃時の散布界が広くなる傾向があった。艦娘が往時の記憶や体験を引き継ぐ以上、現在の扶桑山城もその傾向があるはずと日南少尉より事前に知らされていたが、予想を超える精度の高い砲撃が加えられ、初弾挟叉、さらに続く第二撃で至近弾多数と直撃弾一で古鷹はあっという間に大破判定に追い込まれ撤退。

 

 古鷹の砲撃と同時に、島風が四〇ノットの最大戦速で突入を開始していた。島風は可能な限り低い姿勢で敵の迎撃と風の抵抗を減らし、前へ前へと突き進む。長い金髪がほぼ水平になり風になびき、顔には礫のような痛みで水しぶきが叩きつけられるが、それでも目を閉じることなく、一直線に突き進む。前方からはすでに測距を兼ねた第一斉射が始まり、駆逐艦娘が迎撃のため向かってきているのが見える。

 

 「島風からは逃げられないって! 五連装酸素魚雷、開度一二でやっちゃうから!」

 

 古鷹が注意を引いた間に相手の陣形を突き崩す一手。高速雷撃で輪形陣の維持を許さず、個艦回避を強要する。連装砲ちゃん達を縦横に走らせ迎撃に応射しながら、島風自身はブレーキをかけ体幹を九〇度くるっと回し、お尻を突き出すようにしてスレンダーな上体を滑らかに反らせ、横撃ち雷撃のため背負式の五連装酸素魚雷の魚雷格納筐を回転させる―――。

 

 「甘いのよ、ホントに。何度も見たわよそれ」

 

 急速接近してきた満潮の右腕にある12.7cm連装砲C型改二が火を噴いたのを島風は視界に捉えた。島風型の弱点、それは最大の武器となる雷撃の開始体勢にある。背負式の魚雷格納筐を回転させ安定した射撃体勢に入るには、一瞬ブレーキをかけ若干速度を落とし体勢を整える必要がある。何度も他の島風と演習で対戦した事のある満潮はその弱点を把握し、狙い撃てる練度に到達していた。島風としても、今急加速すれば満潮の砲撃は躱せるが、まだ雷撃が完了していない。自分の役割を考えると、逃げる訳にはいかない。

 

 -速くなるんじゃなく、君は強くなるんだ。

 

 心に刻んだ日南少尉の言葉を拠り所に、撃たれると分かっていても撃つ。島風は五連装酸素魚雷の斉射を済ませ、ぎゅっと目を閉じ体に力を入れ着弾の衝撃に耐える準備をする。

 

 島風が雷撃を完了したのとほぼ同時に満潮の砲撃が着弾、島風中破。それでも放たれた五射線の酸素魚雷は五〇ノットを超える雷速に到達し大湊艦隊に襲い掛かる。島風の中破と雷撃を許したことは満潮によりすぐに山城に報じられ、山城は個艦回避後単縦陣に遷移の指示を出す。

 

 「たった二人での挟撃ってバカなの? ………いいえ、バカは私達か。雷撃は輪形陣を崩すための囮…ここで航空攻撃(切り札)って訳ね。もう樫井大佐(アイツ)の指示なんか待ってられない、各艦対空射撃開始! ここが山場よっ!」

 

 すでに大湊艦隊は、古鷹と島風の挟撃のため陣形を崩され、かつ回避行動による蛇行で航行速度が低下している。ここで空を切り裂いて殺到してきたのは、赤城が発艦させた第二次攻撃隊。大湊艦隊の各艦は空を睨みあげ対空射撃の準備をしながら、これまでの回避運動で落ちた速度を上げようと疾走を続ける。第一次航空攻撃を撃退したのと同じように、針鼠のように集中配備された鬼怒の三連装二五mm機関砲が唸りを上げ、次々と赤城の航空隊を火の塊に変えてゆく。が、先ほどと違い赤城の編隊は崩れず、猛進してくる。やがて江草隊が副艦の最上に集中的な急降下爆撃を加え、ついに大破判定にまで追い込んだ。他の艦娘には目もくれず最上だけを狙ってくるため、自然と対空砲火の火線が同一方向に集中した。

 

 「みんな、動きが単調になると…ほら…」

 扶桑の懸念通り、ここで海面を低空で進入してきた友永隊が一斉雷撃を仕掛けてきた。崩された陣形、最上を守るため集中させた対空砲火、単調になった艦隊運動…この雷撃が本命かと旗艦の山城がぎりっと唇を噛み、ようやく樫井大佐からの指示が入る。

 

 第二次航空攻撃に備えた輪形陣に加えられた挟撃での雷撃戦で陣形を崩された所で、満を持した航空攻撃。常に後手後手に回っていることに、樫井大佐は頭の芯を焼かれるような怒りを感じていた。それでもここまでの状況は押し気味-大湊艦隊:最上大破、山雲小破に対し、教導艦隊:神通大破、古鷹大破、島風中破。だが、ここでまともに航空攻撃を受けてしまえば戦況を引っくり返されるかもしれない。樫井大佐が窮地を脱するため出した指示は、山城の考えと同じだが異なっていた。

 

 「艦隊、面舵いっぱい大回頭っ!! 雷撃を躱していったん退避、事後別命待てっ!」

 「艦隊、面舵いっぱい大回頭っ!! 体勢を立て直して、今度こそ砲戦で叩くわよっ!!

 

 

 これこそが、日南少尉の真の狙いだった。航空攻撃さえ囮として、陣形を崩し来てほしい方角へ大回頭を強制、速度を低下させ誘導する。そこを狙い撃つのは―――。

 

 

 「Target insight, open fire!!(目標補足、全門斉射っ!!)

 

 二〇〇〇〇mまで距離を詰めたウォースパイトの眼前で行われた大回頭、しかも各艦の速度はまちまちで、目標艦-山城の速度は強速程度まで低下している。山城は必死に増速しようとしているが、一旦落ちた速度はなかなか戻らない。往時の扶桑型は、度重なる改装の結果、重量の増加による乾舷の低下、予備浮力の減少、高重心等で、急回頭を行うと大きく艦が傾き速度が大幅に低下する事に悩まされた。艦娘として現界した扶桑も山城も、巨大な艤装による高重心で同じ傾向を示している。

 

 玉座を模した艤装から、両手で体を支え少し腰を浮かせるようにし、ウォースパイトはしっかりと狙いを定めて斉射を開始する。玉座を左右から覆う艦首様の装甲に設置された、速射性と集弾性に優れる38.1cm Mk.I連装砲は火を噴き続け、第二撃で挟叉、第四第五斉射で直撃弾を与え、大湊艦隊の旗艦山城を中破に追い込んだ。もっともウォースパイトも無傷とはいかず、大湊艦隊の応射や突入してきた満潮と山雲の砲雷撃により小破判定となった。

 

 

 「全員最大戦速で離脱っ!! あとは時間まで逃げ切れっ!!」

 

 

 大湊:旗艦中破と副艦大破、教導艦隊:旗艦小破と副艦無傷。

 

 

 ここで逃げ切れば判定勝利となる。日南少尉は、最初からこのために、大湊艦隊の追撃が及ばない距離に赤城を配置し副艦の時雨を護衛に付けていた。が、状況は思い通りに進まない。

 

 

 「最初から…これが狙いだったのね、小癪なっ。各艦は私を顧みず前進して! 教導艦隊を撃滅してくださぁーい!」

 

 怒りの形相を露わにした山城が号令をかけ、無傷の扶桑を中心とする大湊艦隊がウォースパイトの追撃戦に入る。ここで女王陛下を逃せば判定負けは免れない。先行して快速を利した満潮と山雲が一気に距離を詰め進路を妨害し、次々と加えられる攻撃によりウォースパイトは損害の度を増してゆく。

 

 そこに―――。

 

 ウォースパイトの前方から大湊艦隊に向け疾走する雷撃を追いかけるように、時雨が一〇cm連装高角砲を乱射しながら突入してきた。

 

 「なっ! シグレ、貴女まで前線に出るなんて、ヒナミの策がっ!!」

 「君がやられたらおしまいだからね。それに…山城を大破させればA勝利が…!!」

 

 すれ違いざまにサムズアップを見せると大湊艦隊との間に陣取り、海面を踊るようなステップで大湊の攻撃を躱し続ける時雨と、中破ながらも北方から再突入した島風の姿を何度も振り返り、ウォースパイトは出せる全速力を出し続けた。

 

 

 あともう少しで演習がタイムアップになる時間、時雨が気を抜いたのか、山城の執念が上回ったのか―――。

 

 「邪魔だ…どけえぇぇぇぇぇぇっ!」

 

 咆哮とともに放たれた山城の一斉射撃が時雨に迫り、演習の終了を知らせるサイレンが海域に響き渡った。



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039. 君が見えない

 前回のあらすじ。
 山城にあの台詞を言わせたかったのです、はい。


 ノックの後入室を許可された日南少尉は、秘書艦の時雨を伴い、桜井中将の執務室を訪れていた。演習後のレビュー…普段なら会議室で参加した関係者全員を集め戦術面のディスカッションを行うのだが、今回は様子が違うようだ。

 

 結果から言えば、演習は大湊警備府艦隊の勝利に終わった。教導艦隊から見れば戦術的敗北、判定だが負けは負け。演習終了直前に山城が時雨に叩き込んだ一斉射が明暗を分けた。日南少尉の作戦のとおり、教導艦隊側が徹底した回避行動に入っていれば、勝敗は完全に逆転していた。だが、追撃を受けたウォースパイトの援護とあわよくば山城の大破を狙い突撃した時雨の判断は、結果を見れば完全に裏目に出たといえる。

 

 結果を直接左右したのは時雨の行動だが、敗北の種はそれ以前に撒かれていた-それが日南少尉の認識だった。高速接近からの長射程雷撃での一撃離脱を古鷹にも島風にも指示してあった。彼女達は大湊艦隊の陣形を突き崩し回避行動を強要するまでが役割だったが、何故か古鷹は足を止めて撃ち合い、島風も長射程雷撃ではなく必中距離まで進出した。ここで二人が損傷を受け、敵の追撃を受けた際に展開する予定だった防御体勢が取れず、時雨の突出を招いた。

 

 

 -だが、何故なんだ?

 

 日南少尉にはそれが理解できず、ゆえに帰投した艦隊を微妙な表情で出迎えるしかできなかった。

 

 

 「ともあれ、疲れただろう。まあ掛けたまえ」

 

 執務机について目を眩しそうに細める笑顔を浮かべる中将の言葉に従い、応接の革張りソファーに腰掛ける日南少尉と時雨。クッションを確かめるようにお尻で軽くバウンドする時雨を日南少尉は目線で窘めるが、桜井中将は気にするそぶりはない。

 

 

 「さて…日南少尉、今日は完敗だったね」

 「「え…?」」

 

 

 日南少尉と時雨が思わず顔を見合わせる。確かに教導艦隊は負けた、だが判定負けであり、完敗と言われるほどではないはずだが…。納得のいかないような表情の二人に、桜井中将は今まで見せた事のない厳しい表情で居住まいを正す。

 

 

 「自分の艦娘を綱渡りのような作戦に駒の如く当て嵌める指揮官」

 ぐっと苦い表情に変わる日南少尉。

 

 「疑義のある作戦を示され、議論を深めるでも駒に徹するでもない艦娘達」

 泣きそうな表情に変わる時雨。

 

 「大湊艦隊に指揮の乱れが無ければ一蹴されていただろう。日南君、君は教導課程で一体何を学んだというのだ?」

 

 有能さの片鱗を随所に見せるが、年相応に未熟な所もそれなりに持ち合せる少尉を、宿毛湾泊地の所属艦娘達は口では色々言うものの好ましく思っている。それは泊地を預かる桜井中将と翔鶴以下、司令部要員や教官たちも同様である。なので、桜井中将がここまで厳しく日南少尉に接したのは初めての事である。

 

 膝の上に置いた手を震わせ、怒りと悔しさをかみ殺しながら俯く日南少尉が、大きく深呼吸をして面を上げる。貼り付けたような無表情で、桜井中将に相対する。

 

 「自分の作戦指揮が至らず、このような結果になりました。恥じ入るばかりです」

 「ち、違うんだ、中将っ! 僕が余計な事を言いだして…日南少尉の作戦通りなら絶対判定勝利は得られる。けれど、僕達は、どこまで自分たちが成長しているか少尉に見せたくて…A勝利狙いでいこうと決めて、あんなことになっちゃったんだ…」

 

 中将に訴える時雨の姿を見て、日南少尉はようやく納得がいった。古鷹と島風が一撃離脱ではなく撃ち合ったり深入りした事、ウォースパイトも退避に入るタイミングが遅かった事、なにより時雨が突撃した事…。

 

 「この演習は負けなければそれでいい、何度もそう言っただろう?」

 僅かだが日南少尉が声を荒げ、普段との違いを敏感に感じた時雨がびくっと怯えた表情に変わる。場を引き取る様に、桜井中将が、今までとは一転した穏やかな声で、少尉を諭し始める。

 

 「では日南君、君は勝ちたくなかったのかい?」

 「え…? いえ、そんな事は…。ただ客観的に分析すれば、彼女達に無理を強いるべきではなく…」

 

 「勝ちたいなら、何故自分の艦娘達にそう言わないんだ? それとも、君の艦娘は君の思いや願いを託すに値しないのかな? 時雨もだ。人は言葉を介してしか思いを分かち合えない。不器用でもいい、何度同じことを聞いてもいい、なぜ日南少尉と納得ゆくまで話し合わない? それとも、君の指揮官は心を開くに値しないのかい?」

 

 中将のその言葉に、先に口を開いたのは時雨だった。思いつめたような、本当に口に出していいのか分からない、でも今を逃したら言えないかも知れない…そんな揺れる表情で、日南少尉を見つめながら訥々と言葉を紡ぐ。

 

 「…正直、少尉の事を怖い、って思う事が…あるんだ。おっきな夢を持ってて、僕達なんかより何手も先を読んで、滅多な事じゃ慌てない。何ていうのかな、本当の所で何を考えているか分からなくて、僕が何を言っても届かない、聞いてもらえないんじゃないか、って…。だってそうじゃないか! 君は…いつも何も言ってくれない! 好きな食べ物も好きな色も、どんな音楽が好きで趣味は何で…とか、こんなに近くにいるのに、僕は君の事が見えないんだっ! まるで…まるで…」

 

 

 そこまで言うのが精いっぱいだったのだろう、時雨はわんわんと声を上げて泣き出した。

 

 

 「日南君…時雨の言ってる事は、おそらく他の艦娘達も感じていると思うよ。君はまだ若い、自分の感情にもっともっと素直になった方がいい。艦娘は司令官との縁を強く感じれば感じるほど、強くなる。それは機械のような司令官ではできないことだ。二人とも、真っ直ぐに相手を見て素直になる事だ」

 

 そこまで言うと桜井中将は立ち上がり、ただ茫然とする日南少尉に言葉を残し、杖を突きながら執務室を後にする。

 

 「しばらく二人きりにしておくよ。男ってのはね、女の子の泣かせ方と涙の止め方、その両方を知っているべきだ。日南君、君はスマートだが、色々経験が足りないな。健闘を祈る」

 

 

 

 

 「樫井大佐、ご苦労だったね。さて…今回の結果について、君の見解に興味があるね」

 

 続いて招かれたのは、大湊艦隊である。執務室を日南少尉と時雨に明け渡したので、場所は会議室Aとなる。目を眩しそうに細める笑顔を浮かべる中将に対するのは、晴れやかな表情の大佐と、仏頂面としか表現できない表情で一切樫井大佐と目を合せようとしない山城。中将の問いかけに、バネ仕掛けのように立ち上がった大佐は、直立不動の姿勢で自身の考えを述べ始める。

 

 「はっ! 自分としては特に言う事はないといいますか…ここにはおりませんが扶桑を始めとする艦隊全員が最後まで諦めず一丸となって戦い抜いた結果だと考えております」

 

 扶桑を始めとする、というあたりが山城との拗れぶりを物語っており、山城も『はあっ!?』という表情で一瞬だけ樫井大佐を睨みつけると、また俯いてしまう。

 

 「ふむ…興味深い。中心となる艦が誰であれ、艦隊の勝利である、と?」

 「はっ! 左様であります。ところで中将…その、約定の件ですが…」

 

 

 桜井中将の声のトーンが僅かに変わったことに山城は気づき顔を上げた。中将と目があった山城だが、何も言うな、としか解釈できない意味ありげな視線を受け止め、その通りにしていた。一方でふんすと鼻息も荒く傲然と胸を張る樫井大佐は、この先の展開に気付いていなかった。

 

 「そうだね、では今一度確認しようか。樫井大佐、君にとって今回の勝利条件はなんだったかな?」

 「はっ!?」

 

 今さらそんな事を聞かれると思っていなかった樫井大佐は、きょとんとした表情になり言葉を飲みこんだ。だが聞かれた以上答えるしかないが、答えながらB判定勝利に難癖を付けられているのかと思い始め大佐の表情が硬くなりはじめる。

 

 「それは…演習での勝利以外何物でもないかと」

 「違うね」

 「「はぁっ!?」」

 

 思わず山城まで顔を上げ、樫井大佐と同じタイミングで声を上げてしまった。

 

 「樫井大佐、君がこれまで口にしていたのは『日南少尉に勝つ』ことで、演習の勝利そのものに言及はしていない。その意味で言えば、君は完敗した」

 

 唖然として何も言えない、という表情の樫井大佐だが、みるみる顔を真っ赤にして激昂したいのを堪えている。いくら理不尽でも目の前の将官に逆らう訳にいかない…憤懣遣る瀬無い表情のまま、せめて無言を貫くことで抗議の意を示す。

 

 

 「理不尽と思うかい? だがこれは君が言いだした事だ。日南少尉の作戦目標は『旗艦と副艦を撃破する』ことだ。それに気付けず、しかも達成させてしまうとは情けない。一貫性のない艦隊行動、テンポの遅い指揮、挙句に詰将棋のような日南少尉の作戦に嵌められ、死地ともいえる先に誘導された。結果論だが、神通が大破していなければ、ウォースパイトから受けた集中砲撃には古鷹も加わっていたはずだよ。そうすれば君の艦隊の被害は看過できないものになっていたはずだ。…君が指揮と言う名の邪魔をせず、山城の意見具申を全面的に取り入れていれば、早い段階で完勝できたかも知れないものを…」

 

 

 滅多斬り、としか言いようのない桜井中将の言葉の刃が樫井大佐の心を切り裂く。何も反論できる余地が無い。日南少尉の作戦を展開する速度について行けず、出す指示は全てワンテンポずれていた、演習には勝ったが、相手に作戦目標を達成させてしまったのは紛れもない事実だ。それでも、勝ちは勝ち―――。意を決して言い募ろうとした樫井大佐を制するように、今まで沈黙を守っていた山城ががばっと立ち上がり反論を始めた。勢いよく立ちあがったため全艦娘中でも有数の大きな胸部装甲が揺れ、その拍子に首にかけていたネックレスが胸元から飛び出して踊る。

 

 

 「い、いくら中将でも、そんな言い方はあんまりでは…。た、確かに、判断が遅いのは前々から問題だったけど、大佐は常に努力を続けていて…。そ、それに私が…私達がもっと早く情報を上げてじっくり考える時間を大佐に持ってもらえばいいだけで…」

 

 「だ、そうだよ? 樫井大佐。確か山城は指輪を外したと聞いたが、それでもこれだけ君のことを真剣に思いやってくれている。君は艦隊の、艦娘の力を最大に引き出すことに長けている。それが自分の強みだと気付くべきだ。率直に言おう、君は君個人の能力を過信しない方がいい。君の上げた戦果は、ひとえに君を支えようとする艦娘達の気持ちから成り立っている。だが、涼月の件も含め、君は艦娘達の信頼を裏切った。本人の希望もある、涼月は本日をもって宿毛湾泊地本部の所属とする。異論は認めぬ」

 

 

 将官の眼前である事も忘れ、樫井大佐はがっくりと膝をつき項垂れてしまった。慌てて山城が寄り添うと、赤い瞳に涙を溜め、なぜそこまで言うのか、という強い抗議の視線を中将に送る。

 

 「とはいえ演習に勝ったのも事実だ。なので、私から一つ提案がある。山城が秘書艦に復帰し、いつか君を将官に相応しい男だと推薦するなら、その時は海軍大学への特別推薦を認めよう。いいね?」

 

 がばっと顔を上げた樫井大佐は、桜井中将と山城の顔を交互に見やる。にやっと桜井中将が微笑み、山城に視線を送る。慌てて視線を逸らした山城だが、その頬は真っ赤に染まっている。

 

 「君から貰った指輪は、外すのが精いっぱいだったみたいだよ」

 「え…お前、指輪は捨てたって………あっ」

 「……………知らない」

 

 アクセサリーを身に付ける事の少ない艦娘だが、山城はプラチナのネックレスをしており、ペンダントヘッドとして、ケッコンカッコカリの指輪が鈍い光を放っていた。

 



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Intermission 3
040. Say a little prayer


 前回のあらすじ。
 中将最強説。


 軍事基地であっても季節感は大切である。日南少尉と教導艦隊は、宿毛湾本隊が冬の定番で毎年開催しているXマスパーティに参加することとなった。時間は開会を待つだけ、会場となる居酒屋鳳翔の大広間にはすでに大勢の艦娘が集まり、いい感じで飲み始めている。

 

 見渡せば多くの艦娘がクリスマスに因んだ衣装を着ており、そうでない者も何らかの工夫を凝らした衣装を着ている。初めて参加する日南少尉はある程度飲まされることは覚悟していたが、宿毛湾泊地クリパルールのコスプレについては悩まされ、最後の最後まで何を着るか決まらずにいた。

 

 さらに言えば、日南少尉は自分がお酒に強いのか弱いのか良く分かっていない。学生時代も含めお酒の席では面倒そうな相手から巧みに距離を取るポジショニングと機を逃さないフェードアウトで無茶飲みさせられるのを回避してきた。味で言えば日本酒やワイン等の醸造酒の方が好みだが、飲んだ時の思考が徐々に麻痺してくる感覚が苦手で、乾杯+α程度に止めている。だが今回、飲まない選択肢は無いだろう、と合理的な少尉は早々と割り切る代わりに、ウコン的な何かとかシジミ的な何かを飲むなど体内環境を整えることを優先していた。

 

 

 そして本日の司会、宿毛湾本隊の翔鶴が時間通りに集合をかけ、パーティが始まる。翔鶴は赤いサンタ服風ミニワンピに赤いサンタ帽という出で立ちで、普段より幼く見える。ただよく見れば頬が赤らみ、すでにいい感じに出来上がっているのは明らかだ。宿毛湾の総旗艦としていつも厳しい態度を崩さない翔鶴でさえこの有様である。

 

 「みなさん、今年も誰一人欠けることなく一年が終わろうとしています。Xマスは元々異国の宗教的行事ですが、ここ宿毛湾では、大切な仲間の無事を喜び合う日です。それでは、乾杯の音頭を提督に…あなた、早くこっちにきて♡」

 語り出しは総旗艦の顔、語り終えは夫を慕う妻の顔で、翔鶴が桜井中将を壇上に招く。

 

 「えー…翔鶴はすでに酔っているようで…何か、済まん。何を話すか色々考えていたのだがね、この際全部省略することにしたよ。みなグラスは持ったかな、それでは…乾杯っ!」

 

 桜井中将も翔鶴と同程度にいい感じのようである。

 

 

 

 乾杯の後は、皆自由気ままにフードテーブルやドリンクステーションを忙しく行き来し楽しんでいる。そんな中、桜井中将が連れてきた秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月に、日南少尉の目は釘付けになった。大湊艦隊との演習を経て、本人の希望で宿毛湾泊地への転属を果たしたと聞いていた。

 

 「おお、日南君。宿毛湾泊地()()()()()となった涼月を紹介…するまでもないか」

 本隊に配属、の言葉に涼月が驚いたような表情で桜井中将の顔を見上げ、悲しそうに日南少尉を見つめるが少尉は目を逸らしてしまった。桜井中将はそんな二人を眺めていたが、やれやれ、といった表情で助け船を出す。

 

 「君には自分の感情に従うべきだ、と言ったよね。涼月は教導艦隊への転属を希望してるが私としてもルールを守らねばならない。異動先の責任者の意向も確認せず適当な回答もできないからね…日南君、君はどう思う?」

 「彼女に帰る場所はここだ、と見栄を切ったのに、演習で負けてしまいました。自分に希望を言う資格はないと、と…」

 

 涼月も日南少尉も、ぐっと唇を噛み俯いてしまった。そんな仕草を見た桜井中将は、普段からは想像できない砕けた口調で日南少尉に迫り始める。

 「それでも男か? 涼月が欲しいのか欲しくないのか、どっちなんだ?」

 

 

 「…………自分の艦隊に、来て、欲しい…です」

 

 「ふむ、よく言ったね。日南君、艦娘貸与申請書の書き方は大淀にでも聞くといい。書類手続きもバカにならなくてね、涼月が実際に教導艦隊に着任するのは年明けになるだろう。それでは、な」

 

 その言葉を聞いた涼月はぱあっと輝くような笑顔に変わり、日南少尉の元に駆け寄ってゆく。意を決して自分の希望を口にした日南少尉を満足げに見ていた桜井中将は、うんうんと頷きながら立ち去ったが若干足元がふらついている

 

 

 少尉のすぐ目の前で揺れる銀髪、胸に寄り添うような距離まで近づいてきた涼月は、穏やかな口調に喜びを滲ませている。

 

 「少尉、メリークリスマス! こんな素敵な…プレゼント…嬉しいこと、です…」

 

 

 

 「大丈夫か…ここまで飲んだの、初めて、だ」

 

 身体が怠くて重い。動こうとすると普段より大げさな動きになる。言葉が訥々としか出てこない。要するに、日南少尉は酔っぱらっている。思えば開会前から飲んでいた飛鷹に捕まったのを皮切りに、次々とお酌とお喋りにやってくる艦娘達、阿賀野&矢矧、大鯨、速吸、妙高型四姉妹、大和、勿論言うまでもなく教導部隊の全員…数え上げれはキリが無く、律儀に付き合った結果かなりの量を飲む羽目になった。

 

 

 「案外ふにゃっとしてますね、貴方は。赤城さんから聞いていたのと違います」

 

 休憩用に設けられたハイチェアに座り、スツールにぐったりとしていた日南少尉は、出し抜けに掛けられた声に緩慢な動きで上体を起こす。目の前にはクールな眼差しの、リクスーを着て髪をアップにした加賀型航空母艦一番艦の加賀が立っていた。リクスーはシンプルでかっちりしたデザインだが、フィット感が高いため体の起伏を強調する、就職活動のため主に大学生が季節限定で着る着衣である。

 

 「ああいや…自分は…」

 「どうやらお酒には強くないようですね。その様子なら赤城さんに不埒な真似もできないでしょうから、安心しました」

 「なにが―――」

 

 「加賀さん、お待たせしました。七面鳥(ターキー)を取って来まし、た………?」

 

 右手に白いお皿を持った赤城が嬉しそうな声で現れ、日南少尉を見て固まった。JK風の制服である。白いブラウスに茶のブレザー、組み合わせられるチェックのスカートはなかなかチャレンジングな短さの丈で、しかも生脚。そして口には持ってくる途中で捥ぎったのだろう、ターキーの腿が咥えられていた。赤城はもぐもぐもぐもぐとハイスピードで口にした腿肉を食べ終えると、二羽ゲットしたターキーを近くのテーブルに置き、慌てて加賀の背に隠れた。

 

 「加賀さんっ、少尉がいるならいると先に…! 恥ずかしすぎますっ。まるで私が…大喰らいな子みたいですっ」

 「まるで違うと言いたいような口ぶりですね。先ほどもあれだけ大量の―――」

 わーわーわーと言いながら、赤城は真っ赤な顔のまま加賀の口にターキーの胴体をぐいぐい押し付け口を封じようとしている。

 

 「うん、何か楽しそうだね、じゃあごゆっくり…うぉっ」

 ハイチェアから降りようとした少尉はバランスを崩してコケてしまった。あいてて、と膝をさする少尉の頭上に、くすくすと笑い声が降りかかる。

 

 「ごめんなさい少尉、笑ったりして。でも、せっかくのカッコいいスーツ姿が台無しですよ、うふふ♪」

 

 少尉の見上げた先には、上半身がサンタ服風のニットセーターにケープを羽織った鹿島が立っていた。鹿島の言う通り、日南少尉が着ているのはVゾーンが狭く全体に細身のシルエットが特徴の黒いモッズスーツ。コスプレと呼ぶには些かインパクトに欠けるが、シャツもシューズも黒で統一、カラフルな艦娘達の中で場を引き締めるインパクトになった。普段が白一色の第二種軍装のギャップとも相まって、艦娘達からは大歓声で迎えられていた。

 

 はい、と差し出された手を掴み少尉は立ち上がろうとするが、酔った体は思い通りに動かず鹿島の方によろりと倒れ掛かる。

 

 「きゃあっ♡」

 

 悲鳴と呼ぶには甘すぎる声を上げ、これ以上ないほど嬉しそうな表情で、鹿島は壁に押し付けられた。見上げれば息がかかるような距離にある、端正な表情ながら酔いのせいで上気し若干潤んだ瞳の日南少尉の顔。すっと手を伸ばし少尉の頬に触れた鹿島だが、日南少尉がほろ酔いどころかマジで酔ってることにすぐに気が付いた。

 

 「少尉、ゆっくりできる所に…行きませんか?」

 

 

 

 何となく首の座りが悪く、くるりと寝返りを打って一休み…日南少尉がぼんやりしながら目を開けると、赤い服に包まれた大きな丸い何かを下から見上げていた。その先には、優しそうに微笑む鹿島の顔。どう考えても鹿島の膝枕で眠っていた…それが分かっても、少尉の頭はまだ覚醒しないようで、そのまま話しかける。

 

 「ここは…?」

 「休憩室、駆逐艦の子とか、飲みすぎちゃった子がお休みするための場所です。少尉はかなりお酒を召し上がっていたようでしたので、少しゆっくりしてもらおうと思って。でもソファー(ここ)に座った途端、眠っちゃったんです。寝顔、可愛かったですよ、うふふ♪」

 「そ、そうだったんですね…大変失礼しました」

 ようやく状況を飲みこんだ日南少尉は、急いで起き上がろうとしたが、鹿島はそのままで、と言うように手で制する。さらさらと少尉の髪を撫でながら、歌うように囁くように語り始める。

 

 「この前の演習…残念でしたね。でも、全ては少尉の糧となりますよ。少尉の進む道はこれからも長く続きます。鹿島は、ずっと応援してますから、ね」

 

 鹿島は言葉を重ねず、ただ全てから学ぶ大切さを遠まわしに告げると黙りこみ、日南少尉の髪を飽きることなく撫で続けていた。日南少尉も鹿島の優しさと指先の感触が心地よく、されるがままにしている。

 

 不意に髪を撫でる手が握られ、思わず鹿島はどきっとしてしまう。立ち上がった日南少尉は、鹿島に頭を下げ礼を言う。

 

 「鹿島教官、ありがとうございます。何ていうか…少し楽になりました。そろそろ、戻ります」

 

 何も言わずに柔らかく微笑んだ鹿島は、小さく手を振って休憩室を出てゆく日南少尉を見送っていた。

 

 

 

 「少し夜風にでも当ろうか…」

 

 酔いを冷ますため日南少尉は大広間には戻らず、外気に触れられる外の渡り廊下で涼んでいた。

 

 「お゛うっ!? こんな所にいたー! 探してたんだからねっ」

 

 白い息を吐きながら島風が姿を現した。黒いウサミミリボンは残しながら、白とピンクを基調とした魔法少女的な感じの衣装で、左手には魔法物理とも攻撃力の高そうなカレイドステッキを持っている。普段がコスっぽい格好のため、魔法少女でも違和感がないという逆転現象を起こしている。少尉は島風の問いに優しい微笑みで返事をし、ほっとした表情で島風も近づいてゆく。

 

 

 無言のまま星空を見上げ過ぎゆく時間の中、静かに島風が口を開く。

 

 「この前の演習、勝てなくてごめんね…」

 「島風のせいじゃないよ、結果責任は自分が………いや、残念だったけど仕方ないさ。また次頑張ろう」

 

 再び訪れた沈黙だが、居心地の悪いものではなく、少しずつ島風は日南少尉との距離を縮める。そして一番伝えたかったことを言の葉に乗せ始める。

 

 「………時雨から聞いたの。桜井中将が言ってたこと…無理しなくてもいいと思うの。誰だって言いたくない事、あるもん。でも、ひなみんが言いたくなったら…いつでも言っていいからね」

 

 大湊の演習の後、日南少尉は桜井中将から痛烈な批判を受けた。あまりにも感情を出さない、だから艦娘達が不安になる、と。

 

 「願いや思いは叶わない、自分の気持ちに意味なんてない…子供の頃に十分味わった。願って叶うなら、マナドは…自分の両親も妹も友達も、多くの民間人も救われていたはず。それでも諦めきれない事もあってここにいるんだけどね。ごめんな、すごく矛盾してると思うけど、これも本当の気持ちなんだ」

 

 自嘲するように肩を竦めた日南少尉は、悲しそうに島風に視線を送る。少尉の“今”を決定づけた過去…ちくり、と胸の奥に刺さる痛みを覚えながら、それでも島風は視線を逸らさない。

 

 「そっか…でも、それだけだと悲しすぎるね。…そうだっ、Xマスだしプレゼントちょーだいっ?」

 

 空気を変えるように殊更明るく島風がおねだりを始める。二人で凭れかかっている外廊下の壁、だらりと下げた少尉の左手に、島風の右手がふと触れる。島風は少尉の手を躊躇いがちにそのままきゅっと掴み、不安そうな表情で少し見上げ横顔を見つめている。そして、小さな願いを口にする。

 

 

 「少しずつでもいいから、ひなみんの嬉しい事も楽しい事も悲しい事も辛い事も、全部島風に…ううん、みんなに教えて? それが私達には、最高のプレゼントだよ」

 

 

 願いに答えは無かったが、日南少尉の手を握った島風の小さな手は、きゅっと握り返された。



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艦隊、南西へ
041. 南へ向かう前に


 20180408 連載再開しました。第三章、まるっと書き直しとなります。よろしければ引き続きお付き合いください。


 「随分と久しぶりな気がするね。ひょっとしてこのまま会えなくなるかと思っていたよ。最近はどうだい?」

 「いえ、その…そのような事はご冗談でも…。そうですね…何かと忙しかったような気がします。ですが、忙しさで言えば中将の方がはるかに大変だったでしょう」

 

 執務室のソファに腰掛けうち合わせを行っているのは、ここ宿毛湾泊地を治める桜井中将と、彼の麾下にある、将来の提督を目指し司令部候補生として研鑽を重ねる日南中尉。同じ泊地内にいる二人が、まるでしばらくぶりに合う親戚のような切り出しから話を始めた理由、それは先ごろまで実施されていた大規模侵攻作戦(イベント)『捷号決戦! 邀撃、レイテ沖海戦』に尽きる。

 

 イベントを振り返り話を続ける桜井中将だが、中尉はそれよりも自分の隣に当たり前のように座っている艦娘が気になっていた。明るいロングの茶髪を白いストライプの黒いリボンで結ったツインテールにしている艦娘が、中尉の目を覗き込みながら不思議そうに問いかけてくる。

 「ん? どうしたんだい、若き同士よ」

 「あの…中将、これは一体?」

 「ああ、イベントでのドロップ艦なんだがね…。君の隣にいるのはタシュケント、君には海外艦は珍しくないだろうが、ロシア艦の彼女には日本が色々と興味津々なようだ」

 

 ロシア艦…その言葉にまじまじとタシュケントに視線を送った日南中尉に、タシュケントが小首を傾げて微笑み返す。

 「あー…日南君、予め承知しておいてほしいんだが、彼女は貸与艦としての登録対象外なんだ。…でも、大丈夫か。タシュケントは育成終了後に高速A群編成のため横須賀鎮守府への転属が決まっているんだ。できれば彼女の意思も尊重したいのだが、ね…」

 「国家の命令にНет(ニェット)はありえないよ。同士諸君、何を言ってるんだい? ただ、将来有望な若き同士がいる、ってみんなが言うから、ちょっと見に来ただけだよ」

 

 高速A群…その言葉を聞いて、日南中尉はこれまでの背景が一気に見えた気がしていた。もともと島風は宿毛湾に転属してきたと言った。それは宿毛湾の性格を考えれば、他艦と艦隊行動を取れるように基本的な所作を身につけさせ、練度を向上させた上で、いずれ高速A群の編成を行う拠点へ送り出されたはずだ。だが中将は、島風の意思を優先して教導艦隊に配属できるよう色々手を回したのだろう。そして二度目はない、ましてより希少性の高いタシュケントという艦娘なら猶更だ。

 

 中将が納得していないのは表情を見れば明らかだが、代わりうる選択肢もないのだろう。そういう事情を考慮してもなお、自分の道を自分で選べない、いや選べないことに疑問を抱かないタシュケントの在り方に、ふと顔を顰めた中尉だが、中将の言葉が引っかかった。

 

 「現時点で無計画に艦隊規模を大きくするつもりは確かにないのですが…『でも、大丈夫か』というのは…?」

 「ん? いや、君は銀髪の艦娘にしか興味を示さない、と聞いたもので。言われてみれば頷ける部分もあるから、てっきりそうかと思っていたのだが…違うのかい?」

 

 揶揄われている、と日南中尉が気付いたのに気付いた中将は、にやっと薄く笑いながら肩を竦めていた。

 

 「それで日南中尉、本題に入ろうか。南西海域に進出を開始した所でのイベントだ、君の艦隊運営に制約を課してしまって申し訳ないと思う。だが一方で、限られた条件の中で君は現有戦力の底上げを図っていた、ということだね。概ねのことは報告を受けているが、詳細の説明を頼もうと思ってね」

 

 日南中尉は居住まいを正し、背筋を伸ばして中将の求めに答え始める。

 「はい、現在教導艦隊は鎮守府近海(1-5)を中心に、あとは鎮守府近海航路(1-6)EO(特務)に当たっています。これにより対潜哨戒攻撃能力と対空能力の向上を図ることを企図しています」

 「1-5か、相手は先制雷撃を仕掛けてくる、損傷艦が出るのは避けられないだろう?」

 

 柔らかく微笑みながらも、視線に冷ややかなものを宿す桜井中将。優秀と有能の違い-資質それ自体を指す前者と、資質の高低に関わらず結果を出す後者。少しずつ、艦娘達との関りを通して精神的に成長しているのは確かだが、これまでの所日南中尉は優秀さと同時に不安定さも露呈している。質問の意図を察した中尉は、中将に安心感を与えるには十分な、これまであまり見せなかった線の太さと、彼らしい甘さを感じさせる答えを返した。

 

 「スポーツで言えば、練習や試合でケガは避けられません。ケガを恐れて試合を避けるのは本末転倒です。ケガに強い体を作り、事前準備を怠らず、それでも起きてしまった事には迅速に対処する。まして戦場は生死が掛かっているので猶更です。…それでも、避けられるならそれに越したことはありませんが」

 

 

 

 白い礼装を着たツインテールの艦娘に率いられ海上を行く四人の艦娘。艦隊を率いるのは…なぜか鹿島である。先頭を進む鹿島に続くのは、初雪、龍驤、日向の三名。龍驤は頭の後ろに手を組み、海面でくるりとターンを描きながら初雪に近づき、耳元で話しかける。

 「なあコタツムリちゃん、聞いてええか? …教官、ついに教導艦隊に転属したんか?」

 「対潜攻撃のエキスパート…先制爆雷攻撃ができない…私達の護衛…って言ってた。あとは…既成事実を…作っちゃう、つもり…?」

 

 通称1-5、鎮守府近海での対潜掃討作戦に乗り出した教導艦隊だが、対潜先制爆雷攻撃を行える練度に到達している艦娘がいないこともあり、潜水艦の先制雷撃を躱し進撃を続けられるかは運次第という進捗状況。宿毛湾泊地での本来の鹿島の役割は教官、宿毛湾泊地本隊と教導艦隊の面々を指導育成することにあり、前線で力を振るうことではない。だが一進一退の作戦を続ける教導艦隊を見かねて、直接作戦への参加を申し出て受理された………という事になっている。実際は、巧みとも強引ともいえる話術で、イベント攻略に気を取られていた桜井中将を煙に巻いたのだった―――。

 

 「桜井中将、意見具申よろしいでしょうか?」

 「ああ、構わんよ。だが手短に頼む」

 「はいっ! 進行中の作戦ですが、対潜哨戒が重要なカギとなります。それでですね、この鹿島にも作戦参加のご許可を頂きたくお願いに参りました」

 「ああ…確かに対潜能力の高い軽巡と駆逐艦が必要となるのは間違いない。だが―――」

 「はいっ! それでは万全の準備を整え参加したく」

 

 もうお分かりと思うが、桜井中将はイベントの話をしており、鹿島は1-5の話をしている。目的語を曖昧にしたまま進んだ会話を利用し、鹿島は矢継ぎ早に姉の香取を黙らせ、日南中尉に反論を許さず、鎮守府近海での対潜掃討作戦に参加した。桜井中将も唖然としたが、もとより鹿島をイベント参戦させる意図はなく、それに忙しかったとはいえ話をよく聞かず承諾を与えたと解される返事をした事もあり、1-5限定の条件付きで鹿島の参戦が許可されたのであった。

 

 

 

 Extra Opetarion(特務海域)は特殊な条件が備わる海域で、一定期間内に当該海域の敵主力艦隊を複数回撃破して海域解放を達成することを求められる。この1-5海域では一部のポイントを除いて敵は全て潜水艦、しかも先制雷撃を仕掛けてくるため、被害は続出し攻略はなかなか進まなかった。

 

 それが鹿島の参戦で状況は大きく改善した。

 

 教導艦隊に比べればはるかに高練度で、対潜フル装備の鹿島は問答無用で敵潜水艦を先制攻撃で一体屠る。それでも被害をゼロにはできないが、確実に敵主力の陣取る海域最奥部まで到達できる確率は向上し、今回勝てば海域解放を達成できるところまできた。

 

 「ふむ…初雪は戦いたくない艦娘だと思っていたが、なかなかどうしでやるじゃないか。褒美に瑞雲をやろうか?」

 「いらない…てか積めないし…。てか、触らないで」

 海域最奥部突入直前、鹿島の指示で搭載している瑞雲の半数を哨戒に放ってひと段落した日向が、初雪の髪をくしゃくしゃしながら満足げに微笑みかける。実際今回の進軍では初雪の活躍が目立っている。敵の雷撃を躱しまくり、的確な爆雷攻撃で撃沈数を増やしている。一方の初雪は近すぎるコミュニケーションが得意ではなく、体を引き気味にしながら日向に訥々と答える。

 

 「それに…中尉の指揮は…安心、できるから…。ちゃんと入渠させて…くれるし」

 

 最後の言葉は急に吹いた強い風に飲み込まれ日向の耳には届かなかったが、それは初雪の本音でもある。往時の戦いでの初雪は、序盤の多くの海戦で活躍し、特にバダビア沖海戦では名取達と共に敵重・軽巡洋艦を撃沈させている。一方で、艦首断裂をはじめとする深刻な損傷や舵故障等のトラブルが発生しても応急処置の繰り返しで本格入渠させてもらえなかった過去を持つ。

 

 「艦隊、合戦用意! 急いでください!」

 

 鹿島からの号令が鋭く飛び、艦隊は一斉に行動を開始する。位置を入れ替えつつ単横陣を展開し、敵艦隊を迎え撃つ態勢を整える。覗き込んでいた双眼鏡を離すと、左手に提げているアタッシュケース様の爆雷格納筐を振り回しくるりと一回転し、真正面に爆雷を構えた鹿島は躊躇なく爆雷を投下する。次々と着水する爆雷が沈降を始め、しばらくすると、重低音と衝撃波と、立ち上がる巨大な水柱。一体を倒したのは確実だが、海域最奥部の敵は三体、残り二体からの先制雷撃に備えなければならない。すでに日向と龍驤は艦載機の発艦準備に取り掛かり、次々と瑞雲と九十七式艦上攻撃機が空に舞い上がる。

 

 が、すでに敵潜水艦からの雷撃は加えられていた。仲間一体が轟沈した際の激しい衝撃音と大量の泡に紛れ水面まで浮上した潜水カ級のflagshipとeliteが静かに牙を剥く。水面に広がる暗緑色の髪と赤紫色の髪を教導艦隊の艦載機が発見した時点では、すでに複数の雷跡が猛スピードで艦隊に疾走していた。

 

 「各艦雷撃に注意っ!! ………って、きゃあーっ! やだっ…」

 「…もうやだ、帰りたい」

 

 立ち上がる水柱が海に戻ろうとする雨と水煙、それが収まった海面に現れたのは、派手に制服が破れ海面にへたり込んだ鹿島と、セーラー服のスカートや上着の裾が破れ焦げた初雪の姿。射線が集中した初雪を庇い、受けなくてもいい雷撃をまともに受けてしまった。それでも鹿島は果敢に指揮を執り続け、龍驤と日向に攻撃続行の指示を出すとともに、初雪の状態を確認するため近寄ろうとして…コケた。ずべしゃ、と海面に顔から突っ込んだ所を見ると、脚部に受けた損傷は小さくなさそうだ。慌てて鹿島に近づいて助け起こそうとした初雪を制し、自分で立ち上がった鹿島が痛みを堪えた笑顔を見せる。

 

 その顔を見た初雪は、ちくりと胸が痛む。正直に言って、鹿島の事は苦手だった。ぐいぐい日南中尉に迫り、今回もポイント稼ぎでわざわざ参戦してきたのかな…そう考えていた。けれど、それだけでここまでのことができるはずがない―――。

 「大丈夫ですか、初雪ちゃん? 戦闘続行できる?」

 「………だいじょぶ。でも、教官…なんで? なんでここまで?」

 「当たり前じゃないですか、あなた達は宿毛湾の仲間で、日南中尉が大切にしている子達ですから。みんなを強くして、どんな海からでも生きて帰ってこられるようにするのが、鹿島の役目です。さ、おしゃべりはこの辺にして、残敵掃討、いきますよ♪」

 

 すでに日向の瑞雲と龍驤の艦攻が包囲態勢を敷いたとの報告が入り、次々と爆撃が加えられている。円を描くようにふわりと水面近くまで降下する瑞雲と九十七艦攻が爆撃を加え、時間差を付けられた時限信管がランダムな深度で爆発を引き起こす。断続的に立ち上がる大小の水柱の中、ひと際大きな水柱が立ち上がる。これでもう一体間違いなく撃沈した。

 

 「中破まで追い込んだけど、残り一体旗艦がまだ生きとるっ! うちらは艦載機収容して第二波攻撃に準備に入る。うまいことやってーや、コタツムリちゃん!」

 

 龍驤からの報告を受けた鹿島と初雪が見つめ合い、初雪がこくりと頷く。戦闘空域管制に当たる日向の瑞雲のナビゲートに従い、主機を全開にして突撃を開始する。

 

 -目標地点、視認…。

 

 腰に装備した爆雷を取り出すと、背中を反らして大きく振りかぶり、右足を軸に背中が正面に向くくらいねじり力をため込む初雪。そして一気にトルネード投法で投げ下ろす。ごっと低い風切音とともに空気を切り裂き直進する爆雷の直撃を、まともに頭に受けた潜水カ級のflagshipは、爆雷ッテソウジャナイダロ…と薄れゆく意識の中で思いつつ、ぶくぶくと沈んでゆく。さらに初雪の本格的な爆雷攻撃を受け、爆沈。

 

 「私だって本気を出せばやれるし…」

 

 にやにやしそうになる顔を必死でこらえつつ、小さなガッツポーズを見せた初雪の活躍で、教導艦隊は1-5解放を達成し、日南中尉に初となる勲章を齎すことになった。大きな歓声を上げながら抱きついてくる龍驤、「まあ、そうなるな」と万能のセリフとともに頷きながらゆっくり近づいてくる日向。旗艦の鹿島も懸命に胸元を直しながら近づいてきた。ああ、これから帰投だし、恥ずかしいのかな、という初雪の考えは、鹿島がぶつぶつ言ってる言葉で見事に裏切られた。

 

 「えっと…ああっ、これだと見え過ぎ? でも見えなさ過ぎだと、日南中尉にアピール不足だし…。まぁいいです、さぁ皆さん、宿毛湾に帰投しますよっ!!」



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042. 欲望の海へ

 前半は再掲分、後半は新規分となります。




 「おう! 中尉、六駆の連中は誰かいるか? そろそろ遠征の時間だってのによ、どこちょこまかしてんだか」

 

 日南中尉の返事を待たず気軽にドアを開け、泣いたように目を赤くした暁型駆逐艦一番艦の暁を伴い執務室に入ってきたのは天龍である。遠征旗艦を務める天龍は、今回チームを組む第六駆逐隊を探している。通称六駆の四名は全て建造で最近部隊に加わり、全員練度はまだまだひよっこというレベルだが、天龍と龍田は何かと目をかけている。

 

 最初に見つかったのは、食堂でお子様ランチの旗を最後まで倒さないように慎重に食べていた暁。ぷるぷると震える手でゆっくりと先割れスプーンを、最後まで残したチキンライスの小さな山に近づけていたが、『こんなとこにいたのかよ。おっし、行くぞ』と突然大声で天龍に呼びかけられ、びっくりして旗を倒してしまった。ガン泣きする暁をなだめるのにアイスをおごり泣き止むのを待つまで時間を費やした気がするものの、元来鷹揚な天龍は細かい事はあまり気にしない。どっちみち全員揃わなければ遠征には出発できないのである。

 

 日南中尉と目が合うとニカッと笑った天龍は、執務机に近づいてゆく。

 

 「ところで響はそんなところで何をしてんだ?」

 「春なのに今日は寒いからね。中尉をあっためるという重要な任務を遂行中だよ」

 

 天龍の問いに淡々とした口調で応える響、ここで発見。執務机に対し距離を空けた位置に椅子をずらし座る日南中尉。その膝の上にちょこんと座り、中尉に凭れかかっているのが響で、見れば分かる事を何で聞くのか、と怪訝な表情を天龍に向けている。

 

 そんな光景を見ながら、半ば呆れ顔で頭をがりがり掻く天龍が口にした言葉で、中尉は思わず唖然としてしまった。

 

 「あー噂通りっつーか、やっぱ中尉のポイントははっきりしてんだな。ぶっちゃけ銀髪色白に弱いだろ? あーいや、誤魔化すなって。そういや響もそうだけどよ、少し前に大湊から横取りした涼月なんて典型的じゃねーか」

 

 「よ、横取りって…」

 「流石に言い方が悪かったか。でもまぁ似たようなもんだろ。今だって響に好きなようにさせてるしな。ああ、あと鹿島教官もそうだな。だからよ、時雨なんて髪の色変えようかどうか真剣に悩んでて、今明石ん所に行ってるぜ?」

 

 「ハラショー、私は中尉の好みのタイプなんだね。なら、ヤりますか」

 「バ、バカ野郎っ。響、そ、そういうのはな、そんな簡単にするもんじゃないだろっ」

 「うん? 簡単でも難しくても遠征はやるけど? …変な事言ったかな?」

 

 響の微妙な言い回しに過剰反応し、顔を真っ赤にして意外に乙女な反応を見せる天龍と、頭の上に???を浮かべ小首をかしげる響。

 

 「こんな所にいたのです! 天龍さん、龍田さんが待ちくたびれて激オコで、雷ちゃんももう出撃ドックで待ってるのです」

 開けっぱなしたままの執務室の扉、慌てて飛び込んできたのは電である。天龍もようやく本来の目的を思い出し、響と暁を伴って部屋を駆けだそうとして立ち止まる。そして振り返ると、日南中尉にサムズアップで宣言する。

 

 「まーなんだ、心配しなくていいぜ。世界水準軽く超えてるオレが旗艦だ、ぜってーに物資を届けて、もちろん遠征も成功させるからよ。中尉は大船に乗ったつもりで待ってろよな」

 

 日南中尉は立ち上がると、言葉の代わりに敬礼で遠征任務『鼠輸送作戦』に向かう天龍達を見送る。

 

 

 

 海域解放と並行して進められるのは、艦隊本部から要請のあったバシー島沖のプラントに取り残された民間人の救助作戦の支援。

 

 深海棲艦との戦争が始まるまで、人類の海洋進出は、深々度掘削技術の進歩により拡大の一途を辿っていた。これまで手の届かなかった深度にある海底油田や海底鉱山が次々と開発され、採掘のための海上プラントが多数設けられた。深海棲艦との開戦以来、多くのプラントは戦火に飲みこまれ破壊されたが、それでも数は少ないが生き残ったプラントは各海域に点在している。

 

 そういった無人のプラントを狙い、無許可で秘密裏に各海域に進入し資源を不法採掘、ブラックマーケットへの転売で利益を得る悪質な企業も存在し、今回南西諸島海域に船団を送り込んだ企業もその類である。バシー島沖に首尾よく到着した船団だが、乗員がプラントで作業中に深海棲艦の襲撃を受け、輸送船を全て失い、海域に孤立する破目になった。

 

 違法操業だが民間人を救出しない選択肢はなく、艦隊本部は救出作戦を開始することにしたが問題が多い。まず、通常艦艇は深海棲艦の遊弋する海域に進入させられない。そんなことをすれば犠牲者もしくは要救助者を増やすだけとなる。一方で艦娘部隊では民間人の救出はできない。小さな体で発揮する大出力大火力という、戦闘用としては申し分のない特性が人命救助では真逆になる。人型サイズの制約により、艦娘一人で搬送できる人間は精々一人か二人。それも戦闘行為を行わない前提でだ。

 

 ならば、と立案されたのが岩国基地からUS-2を展開し空から救助に当たる作戦。超低空飛行と強力なSTOL性能、長大な航続距離を誇る世界最高峰の救難飛行艇は、バシー島沖に現れる深海棲艦の艦載機なら振り切る飛行性能と波高三mでも離着水できる能力を有し、今回の作戦にこれ以上ない適役と言える。ただし、制空権制海権を保持しているのが絶対条件となる。なにせUS-2は非武装、離水着水を狙われれば一たまりもない。この救出作戦の支援が、宿毛湾泊地に要請されたものだ。

 

 桜井中将からこの話を聞き、日南中尉は決然と受諾、本格進出に先立つ情報収集と支援のため『鼠輸送作戦』を利用することにした。各艦娘がドラム缶に食料を満載し一気にプラントを目指し届ける。余裕があれば帰りは資源を積み込んで泊地に戻る。利益のため犠牲にされかけた人達の命を繋ぐため、天龍達六名は、波濤を超え遠征に向かっている。

 

 

 

 執務室に一人残る日南中尉は、これまでの強行偵察任務で得られた情報をもとに状況を整理している。バシー島沖に二つあるプラントのうち、取り残された人達はEポイントに入る事がすでに判明。どれだけの人数が残っているのか、それ次第でUS-2の反復出撃回数が変わってくる。その間、教導艦隊は海域を保持し続けなければならない。

 

 こんこん。

 

 こんこん。

 

 かちゃり。

 

 「返事が無かったけど…いいかな、日南中尉…。あの…お腹空いてないかな、と思って…。よかったら、ちょっと休憩しないかい? お握りを持ってきたんだけど…」

 

 外はねの髪、三つ編みにした一本のお下げ。ただ、その色は滑らかに光を反射するシルキーな銀髪。作戦の立案に夢中になっていた日南中尉はその声にハッとして顔を上げ、躊躇いがちに小さく開けたドアの隙間から見える顔に驚いて、地雷を踏みぬいた。

 

 「………海風、じゃなくて時雨? あれ? え? その髪の色…?」

 

 長い銀髪が特徴の同型艦の名前を先に出された時雨は、みるみる頬を膨らませ、これ以上ないほど不機嫌な表情に変わった。ドアを開け放ったまま無言のままずかずかと入室し、乱暴にソファに腰掛けると、だんっと音を立てて手にしていたお盆をテーブルに置く。ぷいっと横を向いたふくれっ面、目じりにはうっすら涙。

 

 時雨は最近急速に広がっていた噂-日南中尉はどうやら銀髪スキーらしい-を真に受け、色々考えた末明石に相談して髪の色を変えてみた。仕上がりを見て、悪くないかも…と自分でも思った通り、似合わないどころか、けっこういい感じである。ただ、なんとなーく見覚えがあるような…という気はしていた。それを明確に日南中尉に指摘され、しかも自分ではなく海風(他の娘)の名が先に出て時雨はすっかりむくれてしまった。

 

 「いや…その…申し訳ない、うん、全面的に自分が悪い…と思う。休憩にしようと思うんだけど、いいかな?」

 「海風じゃなくて悪いけど、座りたかったら座ればいいよ。…ボソッ やっぱり噂通りなんだね…」

 

 執務机を離れ応接セットに日南中尉が向かうのをちらりと視線で確認しながら、またつーんと横を向く時雨。

 

 「…どうしたんだい、急に髪の色を変えたりして?」

 「わ、え、あの、あの…」

 

 静かな声が耳を撫で、時雨は自分の顔が一気に赤らんだのが分かった。中尉は正面ではなく時雨の横に隣り合って腰掛けていた。距離、近っ! 慌てて離れようとした時雨だが、沈み込みの大きいソファに深く腰掛けていたため、ただ体を上下に動かしてるようになってしまった。諦めてはぁっとため息をついて、日南中尉を上目遣いで見上げ、おずおずと気になっていたことを聞いてみる。

 「日南中尉は…やっぱり、噂通りにこういう髪の色が好き、なの?」

 

 色々揶揄われていたが、時雨まで真に受けているとは…、と今度は日南中尉がため息を吐く番だった。そして諭すように時雨に話しかける。

 「自分は髪の色や髪形だけでその人をどうこう思ったりしないよ。むしろ自然体の方がいいと思う。だから時雨も変なことを気にしないで、いつも通りにしてくれないか?」

 

 そっか、じゃぁ髪の色は後で戻しとくね、と嬉しそうに言いながら、ほっとしたような表情を見せた時雨は、持参したお皿のラップを外してお握りをつまんで日南中尉に差し出す。中尉も柔らかく微笑みながら受け取りもぐもぐと食べ始める。美味しそうに食べる日南中尉を満足そうに眺めていた時雨も、見ているとお腹が空いてきた。

 

 「それ、僕も食べたいかな」

 

 何気ない一言、持参したお握りはそこそこ数がある。その一つを食べたい、そう言っただけだが、日南中尉の反応は違っていた。きょとんとした顔になり一瞬だけ考え込むと、自分が食べていたお握りを差し出してきた。無論そこに他意はない。

 

 けれど、か…間接キス、かな!? と、再び顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせていた時雨は、恥ずかしくてまともに日南中尉を見られず、思わず唇をきゅっと引き締め目を閉じるという斜め上の行動に出た。お握りの話が何故かキス待ち顔の秘書艦の登場に繋がった展開が理解できず、日南中尉も固まってしまった。

 

 『それ』という指示代名詞が意味する曖昧さが生んだ状況は、遠征中の天龍からの通信で破られた。慌てて立ち上がった日南中尉はデスクに戻り回線を開きビデオ通話を始める。

 

 「おう、中尉か。今物資を届け終わった所だ。状況は…あんまり良くねーな。Eポイントのプラントに生き残ってるのは15名、全員衰弱してたな…。今日の補給で多少持ち直すだろうけど、ちんたらやってる余裕はなさそーだ。じゃな、今から帰るぜ。…ところでよ、秘書艦まで銀髪にしてんじゃねーぞ、ったく」



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043. 横槍と思いやり

 前回までのあらすじ。
 作者リハビリ。


 午後の執務室、デスクの縁に軽く腰掛けるようにして、日南中尉はこれまでの情報を改めてタブレットで確認、間近に迫ったバシー島沖への進出に向け準備を整えていた。この後は艦隊との最終ブリーフィングだが、この一人の時間に深く考え込み始める。

 

 海域に取り残された民間人を、かつての自分の姿を重ねない訳がない。今に至る時間の中で、自分はあの時と変わったのだろうか? 深海棲艦との和平を願う夢、艦娘達を傷つける事への怖れ、自分自身が何かを願う事への諦め…それらは全て本心だ。でも、そもそも兵学校に進み提督になると決めた始まりは何だったのか?

 

 灰燼と化した住んでいた街、炎の中を逃げまどい海に逃れ、家族とも生き別れた。乗り込んだ避難船は沈められ、小さな救命ボートで漂流した幼い自分は死を覚悟した。覚悟なんて格好いいものじゃない、それ以外できなかっただけだ。この先自分たちが向かう海、そこに取り残された民間人を救出した所で、自分の喪失感が埋まる訳じゃない。それでも、自分…いや、艦娘たちが戦って勝つ毎に、何かを失って泣く人が減って救われるなら、それでいい。

 

 -なら自分自身にとっての救いとは?

 

 答えのない問いを打ち切った中尉は現実に戻り、差し当たっての問題に思いを巡らせようとしたが、今度はそれを邪魔するように内線で呼び出しを受けた。軽くため息をつき、固定電話の受話器を持ち上げ応答する。

 

 「はい、第二司令部作戦司令室。…来客、ですか。はい、分かりました。すぐ参ります」

 

 

 

 「すまないね日南君、作戦前の忙しい時に呼び出して。こちらは―――」

 桜井中将の執務室に呼び出された日南中尉だが、見慣れない男性が同席しているのに気が付いた。控えめに言って大柄な、縦にも横にも大きな体格の男、階級章を見れば中佐であることが分かる。一七〇cm台半ばの日南中尉より頭一つ高い頭身なので一九〇cm超はありそうだが、桜井中将の紹介を遮るように巨漢は一歩前に出る。

 

 「生島(いくしま)参謀本部統括大将付作戦指導参謀、御子柴 昴(みこしば こう)中佐であるっ! こたびの作戦実施において注意喚起すべき点あり、極秘の情報を含むため我が直々に下向したっ! 録画録音筆記等すべての記録を禁ずる、頭に叩き込むようにっ!!」

 

 思わず日南中尉が顔を顰めてしまうほどの大声で挨拶をする中佐は、そもそも地声が大きいのだろう。だが、参謀本部から直接参謀を派遣して口頭で伝えるほどの内容とは…極秘の情報、の言葉に日南中尉の表情に緊張が走る。

 

 高度な独立性が保証される各拠点の作戦遂行に対し、指導という形で介入を行える数少ない部門が参謀本部である。とはいえ親任官たる将官が統治する拠点に対しては、要請という形で婉曲的に意向確認を行うのが通例となっている。それも人次第、この御子柴中佐は、作戦指導は有能だが相手が誰でも直言するとの評判である。

 

 「本来守るべき民間人だが、無許可で海域に侵入したとなれば話は別だ。貴重なる資源資材を費やし艦娘に負担を負わせる必要があろうか? いや無いっ! しかしながら、これを見殺しにしたなどと風評被害を受けるのは軍としては不本意である。昨今の戦況を鑑みれば前線から戦力を抽出するべき事案にもあらず、ゆえに貴様ら教導艦隊に出てもらうのだが…中身がどうであれ軍が動いた、という事実があれば名聞は立つ。中尉、安心して艦隊保全を優先するがよい。US-2にも自己保全を優先するよう申し伝える」

 

 大音声で叫ぶ御子柴中佐は、むふーっと鼻息も荒くドヤ顔で日南中尉を見下ろしている。無駄に騒がしいのを好まないのが共通する桜井中将と日南中尉は内心閉口してしまった。中佐と横並びなのをいいことに、中将は露骨に顔をしかめている。さすがに正面に立つ中尉は表情に出すわけにはいかないが、眉を顰めてしまう。

 

 「御子柴中佐、質問、よろしいでしょうか?」

 「うむっ! 許可するっ」

 「…民間人を助けなくともよい、我々教導艦隊には形式上海域入りして、いざとなれば逃げ回れ、と仰られているように聞こえるのですが―――」

 

 民間人を見殺しにしたという批判は避けたい、だが勝手に戦場入りした民間人のため実戦部隊に損害を出したくない。その点育成途上の教導艦隊なら、作戦が成功すれば軍の名声を高める、危険と思えば撤退しても大勢に影響はない…そう言われてるとしか思えない。

 

 「何を言うかと思えばっ!」

 日南中尉の言葉を殊更大声で遮り、くわっと目を見開いた御子柴中佐は、眼光鋭く中尉を見据える。

 

 「桜井中将が自慢するだけあって、なかなかに聡明ではないかっ! 優しく諭したつもりだったが、いやこれは話が早いっ! では我の役目は済んだということで」

 

 一方的に言いたいことを言い、すでに御子柴中佐は立ち去ろうとしている。日南中尉は唖然、そうとしか表現できない表情に変わったが、話は到底黙って聞いていられる内容ではなかった。ここまで教導艦隊を見くびられるとは…いや、いくら不法行為の結果とはいえ、民間人を助けないという判断自体が衝撃的だった。こんな命令を教導艦隊に下せるわけがない―――色を成して御子柴中佐を呼び止めようとする。中佐がドアノブに手を掛けようとした所で、こんこんとノックの音が響いた。

 

 「入るがよいっ!!」

 

 昂然と胸を張って入室を許可する御子柴中佐に、お前の部屋じゃねーよ、と桜井中将が突っ込むより早くドアが開き、艦娘が二人入室してきた。

 「失礼いたしますっ! こちらに日南中尉がいらっしゃると聞きまして…。その…どうしても姉様がご挨拶をすると言って聞かないので…。も、申し訳ありませんっ」

 

 

 「英国で産まれた帰国子女の金剛デース!ヨロシクオネガイシマース!」

 ゴスッ。

 「ふぬぅっ!!」

 

 恐縮しきりの榛名が伴って姿を現したのは、金剛型戦艦のネームシップの金剛である。本日のデイリー建造の結果として現界した金剛は、指揮官の日南中尉に挨拶をすると言い張り、彼が桜井中将を訪問していると聞くと「挨拶の手間が一度で済みマース」と妹分の榛名を伴って本部棟にやってきた、というのが顛末である。ただ、いきなり艤装を展開し見得を切ったため、三五.六cm主砲の砲口が正面に立ちはだかった格好の御子柴中佐の鳩尾を突いてしまった。

 

 「Oh…sorryネ…」

 驚いて両手で口を覆った金剛は慌てて艤装を格納すると、榛名の耳元でごしょごしょ囁き始めた。

 「HEY榛名ァ、教導艦隊の司令官はcutie guy(イケメン)じゃなかったノ? こんなGrizzly(ハイイログマ)が榛名基準のイケメンですカー…OMG(オーマイガー)

 コレじゃありません、と榛名はぶんぶんと顔の前で手を振る。このままでは自分の美的センスが疑われてしまう、と日南中尉に送った助けを求める視線を遮るように、御子柴中佐がぐわーっと勢いよく立ち上がる。その姿は、灰色熊という金剛の表現が強ち間違いでないと物語っている。

 

 「不意討ちとは卑怯なっ!! この我を誰と心得…る…?」

 「HEYミスター、怒った顔が素敵ネー。でも、笑顔の方がもっと素敵だと思うヨー?」

 

 憤怒の表情で目の前に立ちはだかった巨漢に身を寄せた金剛は、分厚い胸板に人差し指をつつつっと這わせ悪戯な色を浮かべた上目遣いで見つめる。御子柴中佐は、ぷるぷる体を震わせたと思うと、突如顔を真っ赤にして鼻血を吹き出した。

 「きゃあぁっ!!」

 「Creepy(キモッ)…じゃなくてmanly(男らしい)ネー」

 突然目の前で鼻血をだらだら垂らす男に怯えた榛名は金剛に抱き着き、金剛は一瞬浮かびかけた露骨に嫌な表情を収め、これ以上ない見事なplastic smile(営業スマイル)を浮かべる。目の前で何が起きたのか全く見当がつかず呆然とする日南中尉、桜井中将もやれやれ…という表情で肩を竦める。

 

 真面目一徹の中佐は、残念ながら女性に免疫がなかった。最大限好意的に表現すれば純情である。艦娘運用基地に作戦指導で乗り込んでも、露出の高い艦娘を見るたびに鼻血を噴出し、艦娘が怯えてしまうと各拠点からクレームが入ったためしばらくの間内勤中心(拠点出禁)になっていたらしい。

 

 「噂に聞いてはいたが、御子柴君もここまでとはね。彼女たちが来たのは偶然だろうが、彼を引き留める事ができたようだ。命令に納得がいかないんだろう? 君らしく論理的に説得するチャンスだと思うよ。…あと、君の所の金剛は…何というか、巧みだな…」

 

 御子柴中佐を再び応接に連れ戻しながら、金剛は桜井中将と日南中将に向かってぺろっと舌を見せ小さくウインクをする。

 

 

 

 「よかろう、桜井中将の命であり、金剛ちゃんの頼みとあらば、話を聞かぬこともない」

 

 テーブルを挟んで座るのは、左から桜井中将、日南中尉とさりげなくその隣を押さえた榛名。そしてその正面、ソファーの中央に陣取るのは、拳を膝の上に置いて傲然とした姿勢で鼻血をだらだら流し続ける御子柴中佐であり、右隣には金剛が寄り添うようでいて絶妙にくっつかない距離を保ち座っている。その金剛は、口元を手で隠し桜井中将に向かいこそっと重要な点を小声で確認する。

 「指名料はGrizzlyにチャージしていいんですよネー?」

 

 柔らかく体重を受け入れるソファに座るとお尻が沈みこんでしまうため、榛名はしきりとミニスカートを気にしている。隣に座っている日南中尉が少し視線を下げるだけで…見えてしまいそうである。見えそうだから見せたくない榛名の素人っぷりがかえって艶めかしい。一方の金剛にはミニスカを気にする素振りはないが、手にしたハンカチでさりげなく肝心な▼が隠れるようにしている。見えそうに思わせて絶対に見せない固いディフェンスに、御子柴中佐の視線が泳いでいる。

 

 桜井中将の咳払いをきっかけに、中佐も流石に威儀を正し、話を切り出すきっかけを迷っていた日南中尉が、改めて教導艦隊の現状水準や作戦内容について説明を始めた。理路整然と作戦を説明する日南中尉の落ち着いた声が執務室に流れ、御子柴中佐もふむぅとしばらくの間考えこんでいた。ばしん、と膝を叩く音が響き、決然と宣する。

 

 「概ね理に適っていると認めるっ! 我は貴様と教導艦隊の力を過小評価していたようだ。よろしい、全力を挙げバシー沖海域を解放せよっ! ただし、桜井中将の部隊が後詰めに入ることと、宿毛湾泊地に我が留まり作戦指導に当たる事を条件とするっ!!」

 

 その後も作戦内容や艦娘の運用に関する突っ込んだ議論が続き、経験と理論に裏打ちされた御子柴中佐の見識には日南中尉も驚かされ、内心舌を巻いていた。そして話すべきことは話した、と中佐は立ち上がり、彼なりの思いを告げると今度は立ち止まらずに執務室を出ていった。

 

 「若き日の我は、妖精さんなるものが見えずに提督への道を断念したのだよ。自業自得の輩のため艦娘を危険に晒すのは、どうにも納得ができなくてな。いや、全て私情か…忘れるがよい。それと、金剛ちゃんは明日も出勤かな?」

 

 極端ではあるが、御子柴中佐の考え方もまた、艦娘への愛情の一つのカタチなのかも知れない…そう日南中尉は思いながら、ばしんと左の掌を拳で打つ。様々な思惑が絡み合いながらも、作戦はついに始まる―――。

 



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044. 巡り合わせ

 前回のあらすじ。
 ナイスガッツ系参謀と金剛ちゃん


 「これはご丁寧にっ! ありがとうございますっ!」

 ことり、と小さな音を立て応接テーブルに置かれた湯飲みに、大げさなまでに頭を下げ礼をしているのは、参謀本部より派遣された御子柴中佐。宿毛湾泊地に留まり教導艦隊に作戦指導を続けるという展開になったのだが、部隊が出撃した今は、作戦司令部にとって現場から次の報告が入るまでの僅かな凪の時間となる。

 

 「ああ、済まないね、翔鶴。君も座るといい」

 来客の次に、桜井中将の前に湯飲みを置いた翔鶴は、その声に柔らかい笑顔で応え、奇麗な所作で中将の隣に腰を下ろす。ぼんやりとその動きを見ていた御子柴中佐は、いつものような激しい噴流ではなくたらたらと鼻血を出し始めた。

 

 「…自分の妻が他人にも魅力的に映っていると知るのは悪い気はしないが…だからといっていい気がするものではないな」

 「はっ、し、失礼いたしましたっ! 決して()()の奥方殿に劣情を催しているわけではなく、ただお美しい、と見とれておりましてっ。私は…その…できれば金剛ちゃんが…」

 さり気ない誉め言葉と微かな独占欲を同居させた桜井中将の表現に、翔鶴も嬉しそうに頬を染め、苦笑い混じりに御子柴中佐も相好を崩す。だが邪な目で翔鶴を見るなよ、と打ち込まれた楔に対し、経験値の無さの悲しさ、言わなくてもいい事まで言ってしまう中佐であった。

 

 昨日までとは一転、声は相変わらず大きいが、ごく普通の喋り方である。拠点に歓迎されず乗り込み『指導』を繰り返すうちに身に付けた仮面が大げさで時代掛かった喋り方だとすれば、なぜ桜井中将にはそうする必要が無いのか?

 

 「御子柴君、あれからもう何年になるかな?」

 「そうですね、卒業してから一五年は優に超えますでしょうか」

 

 桜井中将が海軍兵学校の教官、そして校長を長年任じていたことは以前も触れたが、御子柴中佐も兵学校の卒業生であり、かつての提督を目指す夢は夢のまま終わった。妖精さんとのコミュニケーション…この点で中佐は致命的だった。艦娘と同時に登場した妖精さんという存在は、いまだに多くの謎を秘めている。謎は謎と割り切る事もできるが、御子柴中佐のように、それが理由で提督への道を断念させられた者にとっては、複雑な思いを抱かざるを得ない。

 

 「教官…いえ、桜井中将、自分は参謀本部に配属されてからもずっと考え続けていました。妖精さんと意思疎通するための条件とは何なのか、と。その結果、一つの仮説に辿り着きました。中将の場合、かつて空軍を去る事となったカムラン半島海域の強襲作戦…ですよね? 解せないのは、日南中尉にあの若さで何があったのか…?」

 「ふむ…私の考えと概ね遠くない所に辿り着いたようだが、今の私の疑問はそこではなくてね、御子柴君」

 

 はっ、と短く答え居住まいを正した中佐の鋭い視線を、中将は眩しそうに目を細める微笑みで往なし、核心を突き返す。

 

 「なぜ()、積年の疑問に答えを出そうと急くのかな。そういう類の人間には、先がない、という共通点がある。君の取った行動…参謀本部から裁量など任されていない、独断だろう?」

 

 首を二度三度振った御子柴中佐は、敵わないなぁとでもいうようなさばさばとした表情で中将に白旗を上げた。

 「参謀本部は今回の件を、軍令を無視した民間人がどうなるのか示す見せしめと考えています。実際、教導艦隊に対し被害を徹底して避けるよう()()しろ、との厳命でした。ですが日南中尉の、民間人の救出を願う彼のまっすぐな思いは…重い。だからこそ、戦うなら参謀本部を黙らせる圧倒的戦果を、横槍が入らないうちに速やかに上げることが必要なのです」

 

 「それでもスケープゴート(人身御供)は必要、そう言いたいのかい?」

 「勝っても負けても参謀本部の意向を無視した責任は、誰かが取らねばならないでしょう。自分が果たせなかった夢に向かう後輩のために、先輩らしいことの一つもしてやらないと」

 

 純粋な思いに駆られ戦場に臨む日南中尉、その彼に累が及ばないよう御子柴中佐は責任を負うつもりで、桜井中将は二人のため遊撃部隊を出撃させる…誰も悪くないのに、誰か一人は必ず傷つく巡り合わせを思い、翔鶴は悲し気に目を伏せてしまう。そんな御子柴中佐には、大きな体躯を滑り台代わりにして遊ぶ妖精さんがまとわりついているが、本人は全く気が付いていない様子である。ふっと、空気を切り替える様に笑った中佐は、全く違う話題を持ち出し、桜井中将と翔鶴を困惑させ始める。

 

 「ところで中将、昨日金剛ちゃんから教えてもらったLI●Eにメッセを送ってるのですが、こっちの送った内容と返事が全然合ってなくて…だいたいの返事が『はい、榛名は大丈夫です』なんです。これって…どういう意味なんでしょうか」

 

 それって営業用L●NEなんじゃ…と桜井中将がポカーンとし、翔鶴は気の毒そうな表情で御子柴中佐を眺めるしかできなかった。実際のところその返事は、『HEY榛名ァー、返事しといてネー』と対応を丸投げした金剛と、そんなことを頼まれても…と困り果てて当たり障りのない返事しか返せない榛名の合作だった。

 

 

 

 「外海の風と…潮の…匂い…。久しぶりな気がします」

 長い黒髪を潮風になびかせ、気持ちよさそうに目を閉じていた赤城が、静かに目をあけ、前を見据える。久しぶりの実戦で旗艦を拝命し大いに奮い立った反面、不安はある。前回、大湊の部隊との演習に参加したが基本的に後衛として日南中尉の策を実行しただけだった。だが今回は自分が中心となり作戦に臨む。本来は柳輸送作戦と呼ばれ、貴重な戦略資源のボーキサイトを多く産出するバシー島沖から深海棲艦を撃退し輸送航路を確立するのが目的の海域攻略だったが、参謀本部から派遣された御子柴中佐の立案した作戦により様相は大きく変わった。

 

 「広域殲滅戦…空母機動部隊が作戦のカギを握る…私がしっかりしなければ」

 

 この海域を攻略するのに、日南中尉が選んだ編成は旗艦の赤城(自分)を筆頭に、千歳、千代田、川内、夕立、村雨。高速機動を可能とする速度区分で統一し、徹底したアウトレンジ戦で敵に相対する。航空母艦への改装を済ませた千代田と千歳の存在は、赤城を軸に祥鳳瑞鳳の組と合わせて、状況に応じて参戦させる組を変更できる柔軟性を教導艦隊に齎していた。微風で波穏やかな航海が続き、赤城は作戦実施前のことを振り返る―――。

 

 

 

 結局予定されていたブリーフィングは開始時刻がずれ込み、日南中尉は見知らぬ巨漢を伴って第二司令部の作戦司令室に戻ってきた。同行者の体躯の大きさももちろんだが、何よりも私達を見た瞬間に顔を真っ赤にして鼻血をだらだら流し始めたこと、無駄な声の大きさに皆驚いた。

 

 「諸君、我は参謀本部より派遣された作戦指導参謀の御子柴中佐であるっ! こたびは教導艦隊の出撃に際し、作戦指導に当たるものであるっ!」

 鼻血を流しながら傲然と胸を張る御子柴中佐の演説がひと段落したところで、皆の注目は日南中尉に集まった。一歩前に出て、制服の詰襟を直しふうっと短く息を吐き、居並ぶ私達艦娘の目を見ながら中尉は説明を始める。どれだけ上級参謀が中央から派遣されようとも、私達が命を預け戦うのは、目の前にいる若き指揮官だけ―――全員が日南中尉に熱い視線を注ぎ言葉を待つ。一方で、まるで自分が望んでも得られなかった光景を見るような、僅かに悲しみの色が宿った目で私達を見ていた御子柴中佐が印象的だった。

 

 「当初企図していたのは、US-2の到着までポイントE…プラント周辺の制海権制空権を確保することだった。けれども今回我々が臨むのは、敵の出現が報告されている三つのポイントを同時攻撃、さらに進撃して海域最奥部の敵主力を撃破し海域全体を迅速に制圧する作戦だ。そのために桜井中将麾下の遊撃部隊も参戦、御子柴中佐からは想定される戦闘場面ごとのケーススタディの助力を受けている」

 

 

 

 ―――みんな唖然として何も言えず、そして大騒ぎになりましたね…くすりと思い出し笑いをしていた赤城だが、展開していた彩雲からの報告がなかなか入らずに、少しじれったくなっていた。

 

 艦隊は既に第一目的地のポイントEに到着している。合成風力を得るため巨大なボーキサイトプラントの周りを周回しながら、三人の空母娘合わせて二六機の彩雲と二式艦偵を空に放つ。風上に向かい矢を番えた弓を引き絞り放つ赤城は、同じように偵察機の発艦作業に入る千歳と千代田に視線を向ける。甲板を模したカラクリ箱が複雑な動きで開くと、絡繰り人形のように中に紐が繋がれた航空機が勢いよく飛び出し、紐をパージして空に翔け上がる。

 

 あの紐も一種の制動索なのかしら…と、自分とは全く違う艦載機の制御方法を興味深げに眺めていた赤城だが、全偵察機の発艦を確認し、Eポイントを中心とした二七〇度に対する開度二〇度の二段索敵線構築を指示する。

 

 潮風に暴れる長い黒髪を押さえていた赤城だが、ふと気が付いた。プラントのはるか上部、居住区と思われる部分に人影が見え、こちらを指さし大声で歓声を上げている。中には感極まって泣き出している人もいる。輸送船を深海棲艦に沈められプラントに孤立した一五名の民間人。みな薄汚れた衣服をまとい伸び放題の髪や髭をそのままに、必死に叫んでいる。助けを求める悲鳴ではなく、戦いに臨む赤城たちを鼓舞する声。自分たち艦娘が戦い深海棲艦を排除しなければ、海域の安全は確保されない。だから、私達を応援するのは自分たちを助けてくれ、との意味。客観的にそう理解もできる。

 

 けれど―――多くの感情を現す様々な言葉の大半を占めるのは、感謝。来てくれてありがとう、俺たちのために申し訳ない、ケガしないでくれよ…等々。自らも飢え、中にはケガをしている人もいるのに、波頭を越えやってきた私たちの身を案じてくれる。

 

 ヒトは、自分より誰かを優先して思いやることができる。

 

 それを知ることができただけでも、人型として現界した意味があったのでしょう…赤城は自らの内側に沸き立つ感情を抑え冷静さを保つので精いっぱいだった。同じように助けを待つ人たちからの声は、他の五人にも聞こえたようで、皆感極まった表情を隠そうとせず、夕立や千代田は涙ぐんでいる。

 

 -これで奮い立たねば、女が廃るというものです。

 

 ついに彩雲から第一報が齎された。搭乗員の妖精さんと感覚を共有するのが空母娘の特徴であり、赤城の脳裏には海上を南下する敵艦隊の映像がフィードバックされていた。表情を引き締めると、右手を前に振り出し艦隊に号令をかける。

 

 「一航戦赤城…拝命した旗艦の重責、信頼には必ず結果でお応えしますっ! さあ、みなさん、用意はいいですか? 赤城隊、敵艦隊を北西に発見! 千歳さん千代田さん、そっちは!? 各員戦闘配置、単縦陣へ移行っ」



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045. Gamble Rumble

 前回のあらすじ
 主人公不在でも物語は進む。


 赤城の号令一下、教導艦隊は慌ただしく動き出す。若干の緊張を視線に宿し、赤城の表情は依然として固いままである。少なくとも片方の相手には先手を取れる。だがもう片方は―――? 千歳と千代田は必死の形相で偵察機に意識を集中し索敵を続ける。

 「お(ねぇ)っ、見つけたっ! 戦艦一、軽巡一、駆逐艦二、輸送艦二!! 単縦陣で北西に移動ちゅ…え、こっちに向かって来てる!?」

 

 千代田の叫び声に、赤城が、千歳が、他の艦娘が、そして宿毛湾泊地の第二司令部が大きく反応する。

 

 「水雷戦隊と戦艦率いる輸送部隊、か…」

 

 教導艦隊を中心として見れば、敵の配置は北西に展開する水雷戦隊と南東に展開する輸送部隊。むうっと顔を顰め、日南中尉は一瞬だけ口元を抑えるようにして考え込んだが、すぐに作業を再開する。作戦司令室に設置された壁掛けのスクリーンを凝視しながら、目の前のラップトップに、入力するキーボードをたたく音が繋がって聞こえる速さでデータ入力を続けている。スクリーンの左半分は現在八分割され、各艦娘の主観視点ビューと偵察機からの中継映像、画面の右半分には海域全体のデジタル海図が表示されている。中尉のデータ入力量に応じ、スクリーンに表示される情報量が増えてゆく。最初は教導艦隊だけがマークされていた海図に、北西の水雷戦隊が加わり、今また南東に輸送部隊が加わり、諸元が入力されるとそれに応じてマークが移動を続ける。

 

 「はっやーいっ! ひなみん、すごいねー」

 「僕、PCをあんな速さで操作する人を始めてみたよ」

 「中尉は絶対…いいゲーマーに…なる、うん。初雪の目に、狂いは…ない」

 

 教導艦隊創設当初からともに歩んできた島風、時雨、初雪でさえ驚かせる姿。音声で矢継ぎ早に入る現場からの各種情報を、目はスクリーンを見つめたまま手元を全く見ずに入力する。その度にデジタル海図は更新されてゆき、ヘッドセットを通して現場に指示を出し続けている。付き合いの長い彼女達三人でさえ驚く光景、他の艦娘達は遠巻きに見守っている。

 

 彼の目の前にあるのは、艦娘用の疑似的な戦術データリンクシステムの試作品。現用艦艇や艦載機に搭載されるC4I、あるいはC4ISTARと呼ばれる統合的指揮統制システム…敵に関するすべての情報報告を総合することで導き出される敵の可能行動について考察、現場のリアルタイムでの状況と旗艦の意図、そしてレーダー探知情報など敵の連続的な情報に基づいて最適な一手を打つ…は、深海棲艦相手には全く機能しなかった。サテライトナビゲーション、レーダー、ソナー、センサー等、システムの中核装備の電子兵装が機能しなければ、誘導兵器や精密射撃も機能せず、現代の海軍や空軍は敗北した。

 

 結果は出なかったが、それはシステムが本来想定していない相手との戦闘だったからであり、C4ISTARのコンセプト自体に間違いはない、と日南中尉は考えていた。そのため、艦娘の運用を前提とした形でできる範囲の中で同様の機能を何とか再現しようと桜井中将に提案を行い、明石と夕張がカタチにした。

 

 -自分は時間と情報で戦う。この程度のことしかできないとしても、自分にできることがあるなら、やらない理由はない。

 

 共に海に立ち戦う事も、感情として割り切る事も、どちらもできない。ならば、より早く情報を処理して、敵より一瞬だけでいい、常に先手を取ることでリスクを極小化する―――日南中尉らしいアプローチから誕生したこのシステムは、初めて稼働させたバシー島沖戦を見ても有用性は明らかだ。だが、日南中尉の空間把握能力と情報処理能力を前提とするオペレーションであり、優秀といっても日南中尉はしょせん普通の人間でしかなく、おのずとその限度はある。意義と効果は認めるが、技術的なブレイクスルーが必要…というのが桜井中将の見解となる。

 

 艦娘達にとっても、C4Iの元祖ともいえる早期警戒情報システムを確立した王立空軍(RAF)を擁したイギリス出身のウォースパイトが感動したのを除けば、統合指揮によるリスクの局限化あるいは戦闘効率の最大化、という中尉の考えは微妙な反応で迎えられた。戦術データリンクなどのマン・マシン・システムを持たない艦娘にとって、作戦運用は一旦戦闘が始まってしまえばあとは現場任せで、感覚的にピンとこなかったのも大きいだろう。ただ、自分たちだけを戦わせない、同じ場所に立ちたい、という中尉の気持ちが彼女達の琴線に触れたのは確かで、意図せずに恋愛感情的な方向で十分な効果を発揮した模様。

 

 

 

 第二司令部が慌ただしくなっていた頃、現場の赤城は日南中尉の指示に先んじて発艦作業に取り掛かっていた。移動する足を止めず、左右の主機の出力を変えその場で鋭くターンすると、長い黒髪がふわりと揺れ陽光を煌めかせながら風に踊る。体を風上に向けながら、右手に持った矢をくるりと回し弓に番え、いつでも引き絞れるよう準備を整える。いくらブランクがあったとはいえ、何万回何十万回と繰り返した動作に狂いはなく、体は機械的なほどに動く。狂いが出るとすれば―――。

 

 「私の判断と中尉の判断に違いがあれば…作戦は遅滞してしまう…」

 赤城は、このシステムを最大限活かすには、いかに指揮官である日南中尉と考えを共有できるかに掛かっていると看破していた。彼を信用していないわけではないが、戦場は常に動き、一瞬の判断遅れが生死を分ける。彼のシステムが、これまでのように事前に決めた作戦をいかに円滑に動かすかではなく、刻々と動く戦場の変化に即応しようとするものであれば猶更で、リアルタイムで情報の共有が出来ない以上、どれだけ頑張っても時間差が生じるのは避けられない。なら、現場にいる自分たちが日南中尉と同じ考えに立ち先んじて動くしかない。

 

 問題は三人の空母娘をどう組み合わせて二正面作戦にあたるのか? 赤城の搭載機数は並居る正規空母の中でも上位に入る八二機、千代田と千歳は各五六機で計一一二機。空母娘が航空隊を展開する方法は弓矢や式神、あるいはボウガン等様々だが、共通しているのは同時制御できる部隊数に限りがあり、かつ一部隊あたりの投射量が異なるという特徴。偵察機用に充てたスロットを除けば、三人合計九部隊をどう組み合わせるかで攻撃力が大きく変わってしまう。

 

 中尉の指示が自分の考えと大きく違うなら装備換装をすることになり、時間を浪費してしまう。どこまであの若い指揮官と考えを共有できているのか、ミッドウェー(あの時)のようなことは繰り返したくない…赤城の鼓動が僅かに早くなったところに、日南中尉からの指示が飛び込んできた。敵艦隊発見の報告を行ってからの僅かな、赤城が想像していたより遥かに短い時間に内心驚いていたが、その指示内容に耳を傾ける。

 

 「赤城、第一次攻撃隊発艦っ! 君は南東の輸送部隊(G群)、千代田と千歳は北西の水雷戦隊(A群)に当ってくれ。艦隊防空は一部隊、千歳のでいいだろう。意見具申は?」

 

 満足そうに赤城が目を閉じ頷く。異論も意見もない、直掩隊を千歳ではなく千代田から上げようとしたくらいしか違いがない。数が多く動きが速いが防空力が低いA群に千歳千代田が対し、強力だが足の遅いG群は自分が当たる。全て準備済みだ、指揮官と考えが狂いなく重なり合っている、あとは一刻も早く発艦させ敵を打ち倒す。さっきまでとは違う種類の鼓動が高鳴り自分を急かす。高ぶりと裏腹に静かに目を開け、赤城は部隊に宣する。

 

 「艦載機のみなさん、用意はいい? 第一次攻撃隊、発艦してください! 私はG群を、千歳さん千代田さんはA群を叩きます! 村雨さんは私達の護衛、川内さんと夕立さんは敵の足止めのため進撃。…全軍、掛かれっ!!」

 

 凛とした声と共に放たれた矢が空気を切り裂き、光と共に零戦五二型へと姿を変えると、左旋回しながら艦隊の上空で待機している。その間に放たれた二の矢三の矢は九九艦爆、九七式艦攻へと姿を変え、赤城の航空隊は南東へと空を翔けてゆく。千歳と千代田の複雑な艤装からも次々と艦載機が翔び立ってゆく。

 

 

 

 「映像はまだこないのー? あ、きたきたきたっ」

 「赤城さんの雄姿……………気分が高揚します」

 「対空見張りも厳として。よろしくねっ!」

 

 栄光の南雲機動部隊-一航戦の赤城と加賀、二航戦の飛龍と蒼龍。とある戦闘がもとで弓を引けない心理的外傷(トラウマ)を負っていた赤城だが、日南中尉と、文字通り生死を共にした三人の言葉が背中を押し、教導艦隊に移籍して再び海へと戻ってきた。そんな赤城の本格的な復帰戦ともいえる今回の作戦、加賀と飛龍と蒼龍(ダブルドラゴン)は作戦司令室に乗り込むと、C4ISTARのオペレータ席に座る日南中尉を取り囲んでいる。

 

 「第一次攻撃隊の発艦は無事行われています。航空隊全てをマッピングするのは、データ量が多いの少しだけタイムラグが出ますが、COP(共通作戦状況図)の更新は何とか追いつけますから」

 

 加賀が無表情のまま無言で、日南中尉の作業を邪魔するように真横からずいっと顔を差し入れる。いくら本隊所属の歴戦の艦娘とは言え、これはかなり無礼な振る舞いで、さすがにウォースパイトが険しい表情に変わり、一歩前に出る。時雨や五十鈴、鹿島も遅れまいと動き出す。そもそも我が物顔で作戦司令室に入ってきたと思えば、自分たちの指揮官を取り囲むとは何という不遜な態度か。

 

 すっと上げた日南中尉の右腕に遮られるように、ウォースパイトは立ち止まることを余儀なくされた。一瞬だけ目線での会話が成立し、女王陛下はしぶしぶその場に留まる。日南中尉はすっと立ち上がり、動きに合わせるように加賀も真正面に立ちはだかる。

 

 「………今回の作戦、本隊からの遊撃部隊も加え、三か所同時攻撃と聞きましたが?」

 「そうです」

 「赤城さんは貴方のことを随分買っているようですが…これは愚策でしょうに」

 「必ずしもそうとは言い切れません」

 「戦力の集中は基本中の基本、貴方はこれまでそうやって勝ってきたのでしょう?」

 「ですが、やらねばならない時もあります」

 「ふざけないで…貴方は赤城さんを何だと―――」

 

 日南中尉の淡々とした返事にイライラを募らせた加賀は、つい語気を荒げてしまった。対する中尉は、一旦言葉を切り、加賀に柔らかく微笑みかけながら、はっきりと答える。

 

 

 「赤城さんだから、こんな作戦を命じるのです。彼女でダメなら納得できます」

 

 

 黒目がちな目を一瞬だけ大きく見開いた加賀は、小さく首を横に振りながらすっと横にずれる。

 「心からの言葉…だと信じるわ。今は作戦に集中しましょう、勝たねば意味がない…」

 

 往時の栄光と挫折、その全てを一航戦として共に過ごし、さらに艦娘として現界した今も、海に出れなくなった赤城を見守ってきた加賀。赤城は指揮官として日南中尉に信頼を寄せているようだが、聞けば今回の作戦はかなり無茶がある。そんな作戦に赤城を投入するなんて―――加賀は納得がいかなかったが、中尉にきっぱりとああ言われては黙るしかなかった。

 

 

 「日南中尉、赤城航空隊、攻撃位置に付きます。突撃……開始っ!!」

 

 張り詰めた第二司令部の空気を破るように、赤城から届いた鋭い声が開戦のゴングとなる。



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046. ストライク・オン

 前回のあらすじ
 素質だけならゲーマー日南中尉。


 厚みのある楕円形の頑丈な翼は、急降下でもびくともせず機体を安定させる。何より主翼両側下面に設けられたダイブブレーキがその素性を、何のために生まれた機なのかを物語る。

 

 雲量は僅か、飛行条件は良い。同時にそれは敵艦隊からも自分たちがよく見えることでもある。先頭を行く隊長機のキャノピーがスライドし、左腕が出てきた。もちろん、航空隊の妖精さんである。腕を二度三度前に動かすと、四機編隊の九九式艦爆の小隊は速度を微調整して隊列を整える。隊長機が一瞬だけふわっと持ち上がると、前のめりに姿を消す。適度な間隔を保ちながら、次々と部隊が急降下体勢に入る。

 

 

 北西方面、水雷戦隊(A群)VS 千歳・千代田。

 

 先陣を切って突入を開始したのは千代田の艦爆隊。上空六〇〇〇mから、機体の最高速度を大きく超える時速四八〇kmで行われる角度六〇度の逆落としは、搭乗員の感覚では真っ逆さまに落ちてゆくのと変わらない。相手取るA群は陣形が乱れているようにも見えるが、猛烈な対空砲火を打ち上げている。次々と空に黒煙でできた雲が広がり、砲弾の炸裂する振動が空気を伝わりビリビリと機体を揺らす。海面高度まで約四五秒、瞬き一つの間に照準器一杯に深海棲艦が広がる。どれだけ激しい対空砲火に晒されようとも、腹下の二五〇kg爆弾(二五番)を切り離す高度五〇〇mまで、搭乗員の妖精さんは操縦桿を固く握りしめ、絶対にコースを変えない。

 

 一番槍で部下を率いていた小隊長機が、高角砲の直撃を受け爆散する。だが止まらない、止まれない部隊は次々と突入を続け、引き起こしをしくじって海面に叩きつけられるもの、対空砲火の餌食になるもの…突入開始からわずか数分で小隊は一機になったが、その一機の投じた爆弾は駆逐イ級に至近弾を浴びせることに成功した。その後も間断なく急降下爆撃の雨が深海棲艦に襲い掛かる―――。

 

 「なんか対空砲火激しくない、千歳お(ねぇ)?」

 「あら…千代田は自信がないの?」

 

 A群との交戦地点から九〇km後方の教導艦隊は、空が引き裂かれ海が荒れる最前線とは対照的に、零戦が大きく左旋回しながら直掩に当たり、海上では村雨が警戒を続けている中で、一定の距離を保ちながら三角形を作り陣取る三人の空母娘達が空を見上げている凪の光景である。千歳の挑発に、そんなことないもんっ! と乗せられた千代田がさらなる猛攻を仕掛けようと、航空隊に指示を出す。激しい戦闘が繰り広げられているのは最前線と、各航空機から齎される膨大な情報が並列処理される空母娘達の脳内という一種変わった光景だが、これが艦娘の機動部隊と水雷戦隊の戦い。

 

 同様に宿毛湾の第二司令部の作戦司令室では、日南中尉が猛烈な速さでデータ入力を続け、モニターに表示されるデジタル海図にマッピングされた合計一九四機の艦載機は、数を減らしつつもその位置を変え続ける。モニターを見たまま手を止めることなく、中尉は表情を変えず、それでも微かな納得を声にのせ戦況を確かめる。

 

 「千歳と千代田は狙い通りに航空隊を動かしているね。あとは…相手がどこまで粘ってくるかだけど、今の所陣形を変える動きはなさそうだから、予定通り追い込めそうかな」

 

 総勢一九四機中、偵察と艦隊防空にあてた機を除いたのが攻撃隊となる。北西のA群に対応しているのは千歳と千代田が操る七二機。左右どちらにも濃密な対空砲火を展開できるよう複縦陣を維持し動き回る敵艦隊に対し、何とか火線の死角となる直上を占位しようと空を縦横に飛び回るのは、六小隊の九九艦爆から成る千代田の第一航空隊二四機。感覚的には手が届きそうな距離まで肉薄して爆弾を叩き込む急降下爆撃は、命中率の高さと比例して損耗率も高い。事実、次々と至近弾や直撃弾を与え敵の水雷戦隊の陣形を崩しているものの、千代田の第一航空隊を現すモニター上の輝点は減り続けている。

 

 敵の対空射撃を妨害するため、少数だが攻撃隊の直掩に回った零戦は、緩降下、角度で言えば二五度くらいで敵艦隊に突入を繰り返す。機銃掃射を加えては、敵に衝突するすれすれまで接近しスロットルを全開にして急上昇から旋回、再び攻撃態勢に入る。そして遠巻きに戦場を窺いながら、ピンポイントの角度で、こちらはプロペラが水面を叩くぎりぎりの超低空飛行で海面を翔け抜ける九七艦攻隊が雷撃を仕掛ける。俯角、中間、最大仰角、その全ての角度での迎撃を強制された敵の防空射撃は破綻し、ついに駆逐艦二、雷巡一を失うと単縦陣に陣形を変更、残存艦隊は出せる限りの最大戦速で逃走…に見える動きを取り始めた。

 

 「千歳お姉っ、あとはよろしくっ!」

 「千歳さん、シミュレーション通りに、よろしくお願いします」

 

 千歳に対し、千代田と日南中尉が同時に呼びかける。中尉とタイミングが被った事で千代田はむぅっと面白くなさそうに膨れっ面になったが、千歳は一瞬だけ意味ありげに微笑むと、航空隊の操作に集中する。

 

 「中尉と千代田、息が合ってますね。何だか妬けるかも? うふふ。さ、今度は私の番ね」

 

 

 三か所同時攻撃という作戦は、色々な(しがらみ)を黙らせるため、桜井中将と御子柴参謀が立案し、日南中尉を加えた三名で運用が議論された。参謀本部からの横槍を防ぐには速攻で勝負を決めなければならないという御子柴参謀の危惧。民間人の救出とUS-2の進入離脱を確実なものとするには、敵に連携の暇を与えず一気呵成に叩くべきという桜井中将の決断。参謀本部云々は日南中尉には伏せられているが、中央から派遣された作戦参謀が現場に対して妙に協力的な点で、中尉は何かを感じてはいたが、すっきりと腹をくくった表情を見せる御子柴参謀を見ていると、聞いていい事とそうではない事があるのだろう…そう考え口に出さずにいた。

 

 深海棲艦側も指揮官クラスの姫級や鬼級が数多く現れ、その戦術も戦争序盤とは比べ物にならない駆け引き(ギミック)を艦娘側に求めるようになっている。今回のバシー島沖での作戦の場合、ポイントEに取り残された民間人の救出のため海域入りする部隊を狙うように敵が動く…それが桜井中将と御子柴参謀の読みであり、日南中尉はそれを前提に作戦を組み立てていた。

 

 北西方面に関しては、七二機を一斉に突入させ攻撃に当たれば勝ちは揺るがない。だがそうなると、敵は徹底的にこちらの航空戦力の減殺に目的を絞るだろう。教導艦隊が受ける損害と要する時間を考えれば得策とは言い切れない。ならば、意図的に手薄な方面を作り、敵を誘導し少ない労力で効率的に叩く。

 

 そして今、敵の残存水雷戦隊は、日南中尉の策通りに誘導された方向のその先にいる教導艦隊の本隊を目掛け単縦陣で猛進を始めていた。

 

 「さあ、艦載機の皆さん、やっちゃってください!」

 

 千代田隊の攻撃を振り切り、絶好の的となる横っ腹を見せながら一直線に突入してくる敵艦隊を、千歳は戦場を大きく迂回させ待機させていた三二機の九七式艦攻隊で挟撃する。深海棲艦も艦である以上、基本右か左にしか動けない、逃げ道を失った敵艦隊に水面下の牙が次々と突き刺さる。

 

 「やだ…私ったら…かっこいいかも。もちろん、中尉も」

 

 作戦は叩き台で実戦は現場主導、そう思っていた千歳が目を丸くしながら呟く。事前に指示は受けていた。その通りに動くようシミュレーションもした。だが実際に現場が作戦通りに動くのを目の当たりにして、千歳は中尉の戦術眼にすっかり惚れ込んでしまった。

 

 ―――北西方面A群、全艦撃沈。

 

 「出番がなかったっぽい…」

 ここが地上でならつま先で道端の小石を蹴っているような仕草で、夕立は退屈そうに零すと、頭の後ろで両手を組み、唇を尖らせながら続々と帰投する千歳と千代田の航空隊を見上げる。自分の出番はなかったが勝利は嬉しい、一瞬で気持ちを切り替えた夕立は、にぱっと満面の笑みを浮かべて上空を征く航空隊にぶんぶんと手を振る。中には翼をバンクさせ夕立に応える機もあり、北西方面での勝利を雄弁に物語る。

 

 

 

 南東方面、輸送部隊(G群)VS 赤城―――。

 

 「赤城航空隊、突撃に入りますっ!!」

 

 赤城の航空隊三隊計七二機が相手取るのは戦艦一、軽巡一、駆逐艦二、輸送艦二。千代田から回してもらった八機を直掩に当て、自分は攻撃に集中しているが、敵の足を止められない。敵は単縦陣から移行した輪形陣で、中央に旗艦の戦艦ル級を置き進行してくる。六体から成る敵艦隊は、輸送艦を二体含むので実質戦力は四体。にも関わらず猛進を続ける意図ははっきりしている。敵は明確に砲戦を志向し、戦艦の大火力で教導艦隊を蹂躙するつもりだ。それ以外の五体は戦艦ル級を守るための壁役。

 

 「お互いの意図ははっきりしていますね。あなた達は旗艦を守りたい、私は旗艦を沈めたい。この赤城、受けて立ちましょう」

 

 目的はこの上なく明確で、教導艦隊に近づく前に沈める-赤城は大きく息を吐くと、航空隊を攻撃態勢に入らせた。濃密な対空砲火を抜け、狙うは敵の旗艦。この場合、輸送艦は明らかに穴となり、当然赤城もそこから強固な壁を崩そうとし、左翼と右翼の輸送ワ級を目掛け、九九艦爆が急降下爆撃を加えようと降下を始める。

 

 輪形陣の中央に陣取る、全身黒づくめの女-戦艦ル級が目線を空に向けニヤリと笑う。両前腕に装備した艤装のせいでよりスレンダーで滑らかな肢体が強調されているが、その対応は凶悪なものだった。背中に装備した長砲身の高角砲が動き出し砲撃が始まると、それを合図に艦隊全体から激しい火線が左右の二点に向け集中する。

 

 -なるほど、そういう意図でしたか、合理的ですね。でも、卑劣な…。

 

 つまり囮。ワ級を狙う攻撃隊に照準を合わせ、他の四体は味方撃ちも辞さずに猛烈な砲撃を加えてきた。ワ級の球体の艤装はあっという間に損傷し弾痕が増えてゆくが、そのワ級を目掛けて突入する艦爆隊は急にコースを変える事もできず撃墜される機が続出した。それでも数に勝る攻撃隊は次々と突入し爆撃を成功させるが、ワ級は驚異的ともいえる粘りを見せ、炎上し行き脚は落ちているがなかなか沈まない。

 

 搭乗員の妖精さんから受けたこのフィードバックには赤城も驚かされた。実は輸送艦という艦種は、大量の物資を積むために大きな容積の空間があり、また重量物を搭載するために非常に浮力が高く、船体構造上沈めるのは意外に難しい。予想外のワ級の頑丈さに手こずらされ、かつ被害を受けた艦爆隊を一旦退避させた赤城は、航空隊の再編を余儀なくされ、やや不機嫌そうに長い黒髪を右手で後ろに送り、鋭い視線で前方に視線を送る。水平線の彼方には、自分たちを目指して進撃してくる敵艦隊。

 

 「………全力で、参ります。私にできなければ、他の誰にもできない…日南中尉はそう仰ってくれました。それほどの信頼に…必ずっ」

 

 戻る攻撃隊の収容と補給再編、第二次攻撃隊の発進に赤城が慌ただしく動く中、低速のワ級二体が沈み、むしろ身軽になった敵艦隊は、赤城の航空隊が引き上げるのを追いかけるように最大戦速に増速する。砲戦距離にはまだ遠いが、空母にとって感覚的には目の前に立たれたような距離まで敵が迫ってきた。



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047. 託す

 前回のあらすじ
 実は手ごわいワ級。


 ー初戦は私に任せて貰えませんか。

 

 出撃前に赤城から呼び出された日南中尉は、縋るようにそう訴えられた。ブランク明け初の実戦で入れ込み過ぎているのは見て取れるが、それでも思い詰めた気持ちを解き放てるなら、と一つ条件を付けて許可を出していた。だが戦闘開始直後から動きが硬く行動がワンテンポ遅かった。戦闘も中盤を越えずいぶん改善したが、その間に機動部隊にとっては懐とも言える距離まで敵の進出を許してしまった。

 

 作戦司令室でも様々な声が囁かれる中、加賀が右手の親指を噛むような仕草で滅多に見せない苛立ちを露わにする。

 

 どういう策を取る気なのか…加賀としては、日南中尉を問い質したい気持ちでいっぱいである。教導艦隊のことも勿論だが、より赤城を心配している自覚のある加賀は、だからこそ意見があっても口に出せない。しかも指揮官に、それも命令系統上別組織となる日南中尉に意見具申できるはずもない。何とか分かってもらおうと、思いを込めた視線を中尉に送り続ける。

 

 

 「中尉ー、そろそろイイ感じの距離なんだけど、始めちゃうね 」

 「はいはーい、村雨、やっちゃうからね♪」

 

 思い詰めた加賀が口を開きかけた瞬間、スピーカーから飛び込んでくる艦娘達の声を受け、日南中尉は、加賀に柔らかく微笑み返すと、凛として号令をかける。

 

 「川内、村雨、突撃っ! 長射程戦術で交戦開始っ!」

 

 全員の視線が日南中尉に集まり、続いてモニターに釘付けになる。画面左側の主観視点ビュー、村雨と川内の視点では、低い姿勢で風を巻いて白波を切り裂く光景が、赤城の視点では、風を孕んで左右から飛び出した二人の背中が遠ざかる光景がそれぞれ映し出されている。画面右側のCOP、分かりやすく言えばデジタル海図では、二つの輝点が猛烈な速度で最前線へと切り込んでいく軌跡が描かれる。

 

 千歳と千代田によるA群への攻撃状況に応じて動くよう水雷部隊に事前に徹底された指示。まず中間地点で本隊護衛を務める村雨が南東へ進出開始、北西から川内と夕立も転進する。夕立は村雨と入れ替わりで機動部隊の護衛に当たり、川内は第四戦速まで増速し先行する村雨と合流する。

 

 「赤城、ここでこの手を使わせてもらう。いいね?」

 赤城の航空攻撃で敵艦隊を沈められれば勿論それでいいが、抵抗が激しい場合、躊躇わず水雷戦隊も投入するーそれが日南中尉のいう条件で、いよいよ最終防衛距離に敵が到達する。

 

 川内と村雨は三三ノットで突撃を開始する。彼我の速度と距離を考慮すれば、攻撃態勢に入るまでの約一二分、二人は敵艦隊の攻撃を躱しながら疾走せざるを得ないが、その間に赤城は後方退避しつつ航空隊で敵を牽制し攻撃を妨害する。

 

 安全策で言えば、距離を取り時間をかけて航空攻撃に徹していても確実に勝てる。だが、今回の作戦の主眼は海域全体の広域同時殲滅戦。日南中尉は、航空戦力の保全と速戦即決を両立するために、C4ISTARを最大限活用して作戦に臨んでいた。

 

 

 

 第四戦速を超え最大戦速に迫る三三ノットの風に乗って、村雨の亜麻色の長いツインテールが激しく揺れる。突入時間は二二分。ただそれは三三ノットを海面状況や自分の機動に関わらず出し続けた場合の理論値であり、トップスピードを保ったまま敵の砲撃を躱して前に進むには、主機を全開に上げながら最少限度の回避行動で速度を維持するしかない。一瞬の油断も許されず、緊張と疲労で膝はがくがくし足も震えてるが、ここで気を抜くわけにいかない。敵艦隊があっという間にその輪郭を鮮明なものに変え、疾走を続けていた村雨の赤い目がきらりと輝く。

 

 「さぁーて、と…村雨の、ちょーっといい所、本気で見せちゃおうかな」

 

 交戦開始地点(エンゲージポイント)到達―――村雨は腰溜めの姿勢で脚を左右にやや広げ態勢を安定させる。両方の太ももに装備した魚雷格納筐ががこんと音を立て九〇度回転し四連装酸素魚雷が次々と海に放たれると、村雨は横転すれすれの急角度で回頭し一気に離脱する。さすがに至近弾を受け小破程度の損傷は負ってしまったが、次の戦いでの戦闘行動に支障はない。敵の射程外に出ると、ほうっと一息ついて空を見上げた村雨は、左右の主機の出力を変えその場でくるりとターンする。

 

 「ばーんっ! なーんちゃって…………あれ? おぉ~、グッド~!」

 構えた右手を、ウインクとともに銃を撃つような仕草で跳ね上げると、偶然そのタイミングで魚雷が命中し、巨大な水柱が複数立ち上がった。戦艦ル級に直撃、さらに駆逐艦一体を轟沈させる戦果を挙げ、村雨は満足げな表情で赤城たちとの合流に向かう。

 

 

 

 一方の川内は、中間地点をやや過ぎたあたりまで進出、敵艦隊から狙われ激しい砲撃を受けたが、その全てを躱しきっていた。

 

 「夜戦じゃないから気が乗らないけど、さあ、仕掛けるよ! よーい、てー!」

 

 にやりと笑みを浮かべた川内が左腕を伸ばし砲撃体勢に入る。一五.五cm三連装砲が火を噴くと、初速九二〇mで放たれた砲弾は約三〇秒で着弾。川内は位置を細かく調整しながら一二秒間隔での射撃を続けると、敵の軽巡を滅多撃ちにして沈黙させ、続いてル級に間断なく砲撃を浴びせる。中口径砲ではル級の装甲を穿突できないが、艤装や生体部分なら話は別、あっという間にル級の行動の自由を奪い去った。

 

 「ま、こんなもんかな、っと。あとは、ね?」

 

 ちらりと空を一瞬だけ見上げる川内。ツーサイドアップにしたセミロングの茶髪が風に揺れ、同じ色の瞳がにんまりと微笑む。参加した往時の海戦全てで無被弾という回避能力に極めて長けた軍艦川内の戦歴と記憶は、艦娘として現界した今、攻守全てを支える『眼』に宿っている。川内は、敵の砲撃を見切って躱しながら、回避だけでなく狙撃にも似た高水準の射撃精度で敵を沈黙させた。航空攻撃を別とすれば、川内が守勢に徹したら容易に捕捉できない、それが教導艦隊内の一致した認識である。

 

 

 そして村雨と川内が見上げた空から―――。

 

 

 「敵とはいえその粘りに敬意を。ですが…ここまで、です」

 

 後方で赤城が静かに目を閉じる。全ての護衛を失い、村雨の雷撃と川内の砲撃で完全に足を止められ沈黙した戦艦ル級に、止めの航空攻撃が加えられる。低空を侵攻し雷撃を加えた九七式艦攻の部隊がスロットル全開でル級を飛び越えるのと入れ替わるように、黒い影が落下してくる。投弾を済ませた九九式艦爆が艦攻隊とは反対の方向に一気に飛び去ってゆく。一拍の間が空き、これまでで一番激しい轟音と爆炎、水柱が巻き上がり、それらが収まった後水面には何も残されていなかった。

 

 爆雷同時攻撃、通常は艦攻隊と艦爆隊が共同して行う攻撃を指す。だが赤城の場合、雷撃と急降下爆撃を同時に着弾させる攻撃を意味する。水面下を一定距離疾走する魚雷と至近距離で投下される爆弾、時間差のある二つの攻撃の着弾時間差を計算して航空隊同士を連携させる極めて高度な攻撃で、赤城と言えども条件が揃わなければ容易に成功させられない。だが、その攻撃力はけた違いで、いくら頑丈な戦艦といえども跡形もなく吹き飛ばしてしまう。

 

 ―――南東方面G群、全艦撃沈。

 

 

 

 「すごいや…。ほんとに両面作戦をやっちゃった…」

 沈黙が支配していた作戦司令室に、秘書官の時雨の小さな呟きが通る。それをきっかけに作戦司令室は大歓声に包まれた。残る敵は北方に陣取るD群だが、こちらは宿毛湾の本隊から派遣された部隊が攻撃に当たっている。勝利の知らせが届くのは時間の問題だろう。

 

 「…ここまで上手くいくとは思わなかった。本当に良かった…」

 椅子を引いて立ち上がると、日南中尉は緊張を逃がすように制服の詰襟と第一ボタンまでを開けると、目を閉じて深く息を吐く。前回カムラン半島沖でも活用したC4ISTARだが、本格活用した今回の戦いで手ごたえを感じたと言ってもいい。

 

 -これなら、みんなに余計なリスクを負わすことなく戦闘を有利に進められるか…?

 

 むぎゅう。

 

 柔らかいが弾力のある感触が背中に圧し掛かってきて、中尉は驚いて振り返ろうとしたが果たせなかった。背中から覆いかぶさるように蒼龍が抱き付いている。

 

 「すごいっ! 前から興味はあったけど、さっすが司令部候補生だね~。え、離れろ? どの娘の視線が気になるの〜?」

 中尉に頬をすりすりする蒼龍に、時雨や神通がごごご…と不穏な擬音を背負いながら引きつった表情に変わる。あーあ、やっちゃった、というように苦笑いする飛龍だが、止める気も無いようで、それどころか煽りに回り始める始末。ここまで奔放に振舞われると、いくら先輩相手でも教導艦隊の艦娘達も黙っていられず空気がわやくちゃになり始めたが、ここで白い礼装の艦娘が前に進み出て場を引き取った。

 「二航戦のお二人、度が過ぎますよ。それとも、翔鶴さん(総旗艦)に報告しようかしら? うふふ♪」

 

 頬をヒクつかせながら氷の微笑を貼り付けた教官の鹿島から、翔鶴の名前が出てさすがにまずいと思ったのか、蒼龍は中尉からぱっと体を離すと口笛を吹き下手な誤魔化しを始める。一方で騒ぎの輪から外れた加賀は、オペレータデスクに浅く腰掛けながら赤城と通信を繋いでいた。

 

 「はい、旗艦赤城です。中尉ですか?」

 「………多少危なっかしいですが、良い戦いぶりでした…」

 「その声は加賀さん、ですね。…ありがとうございます」

 「最後の爆雷同時攻撃…最初から計算していたのですか?」

 「ちょっと出来過ぎな気もしますが、中尉の作戦どおりです」

 「そう…。いつか…一緒に出撃したいものです」

 

 沈黙が流れる。二人にしか分からない思いが短い時間の間に交錯していたが、今度は赤城が思いを打ち明ける。

 

 「ごめんなさい。私は教導艦隊の一員で、日南中尉に全てを預けていますから…。加賀さんが転属しない限りは一緒に出撃はできないと思います」

 「そう…赤城さんは中尉のことを信頼してるのね…」

 「はい、こんなに自信をもって、揺るぎない気持ちで戦えたのは、本当にいつ以来でしょう…」

 「そう…なのね。分かったわ…」

 

 ひょいっと軽く反動をつけデスクから降りた加賀は、きゃきゃい騒がしく日南中尉を取り囲む艦娘達を押しのけ、中尉の正面に立つと深々と頭を下げた。

 

 「赤城さんのこと…よろしく。それなりに…期待はしているわ」

 「彼女は…教導艦隊の一員で、かけがえのない仲間です」

 「そうね。赤城さんもそう言ってたわ。なので私から言えるのは―――」

 

 ふっと間を空け、相変わらず淡々とした口調のまま、加賀が一気にしゃべり倒す。

 

 「赤城さんはとにかくよく食べますので、資材資源の備蓄には十分な注意を払う事。お腹が空くとすぐに元気がなくなります。あとは、寝相はあまりよくありません。意外と寂しがり屋なので、ちゃんと見てあげる事。もし赤城さんを泣かせるような真似をしたら…私が全力で相手しますので―――」

 

 「わーーーーーっ!! 加賀さん、何を言ってるんですかっ!? 私は別にお腹が空いてもしょんぼりは…そんなにはしないはずで…。というか、中尉に何を吹き込んでるんですかっ、プライバシーの侵害ですっ!!」

 スピーカー越しに慌てに慌てた赤城の声が飛び込み、加賀の話を必死に否定しようとしているが、気にすることなく加賀は話をまとめ始める。

 

 「赤城さんが自然に喜怒哀楽を出せるようになった事…こう見えても、私…本当に貴方に感謝してるのよ」



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048. 凪のち嵐

 前回のあらすじ
 赤城さん必殺技炸裂。


 二正面作戦を成功させた教導艦隊だが、全体で見れば三分の一程度までの進捗に過ぎない。そもそもこの作戦は、Eポイントに取り残された民間人救助のため海域入りするUS-2の安全を確保し、救助作業の完遂まで護衛する事を最重要目標とし、その上で最奥部へ侵攻し海域解放を果たすものだ。

 

 海域の三か所に現れる深海棲艦の艦隊…南方のA群とG群、北方のD群を各個撃破し、Eポイントで民間人救助の護衛に当たる。この作戦で展開速度が最重要視されるのは、それだけが理由ではなく、あえて犠牲を作ることで民間への締め付けを狙う参謀本部の介入を防ぐため、一気呵成に決着を付けねばならない。民間人を救う、そのために戦う日南中尉と艦娘達のため、御子柴参謀は、本部の意向に逆らい自分の進退を賭して作戦指導に当たり、酷薄な()()に抗する新旧二人の教え子のため、桜井中将は自らの部隊の投入を決断した。

 

 対D群用に宿毛湾本隊から派遣されたのは、筑摩、阿賀野、矢矧、夕雲、長波、そして旗艦には強行に出撃を主張した翔鶴が配された。二人の指揮官と一人の参謀の会議に同席し、三人の思いを心に刻んだ翔鶴なりの意思表示である。待ち受けていたD群…戦艦ル級、軽巡ト級elite、駆逐ニ級二体、輸送ワ級二体は、奇しくも教導艦隊と交戦したG群と同じ編成だが、一方的に蹂躙されることになった。噴式景雲改の強襲から始まり、全力投射の猛烈な開幕空襲を経て、他の艦娘がやることは、辛うじて生き残り漂流する軽巡ト級と輸送ワ級の後片付けだけだった。

 

 これで広域同時殲滅戦は無事完了、Eポイントの民間人救助に当たる事ができる。翔鶴の報告を受けた桜井中将は、すぐさまバシー島沖近くまで進出し滞空していたUS-2に連絡し、本来の作戦がいよいよ始まる。

 

 

 

 本隊から派遣された部隊を翔鶴が率い、相手に抵抗さえ許さず完全勝利を収めたとの報はただちに教導艦隊にも共有され、圧倒的な実力差に感嘆するよりも呆れてしまった。特に同じ空母勢として自分たちが戦ったG群と同じ編成のD群を単艦でほぼ殲滅したと聞いて、千代田も千歳も笑うしかない、と引きつった表情を浮かべていた。

 

 「翔鶴さん、そこまで強くなっていたんですね。私や加賀さん亡き後も戦い続けた貴女にこそ、一航戦の名はふさわしいのでしょう…」

 

 赤城も空を見上げ、翔鶴について思いを馳せる。最精鋭の自分(一航戦)と追いかける翔鶴(五航戦)の関係だった往時。艦娘としては、この戦争の初期から今に至るまで戦い続ける最強の鶴と、比較的最近現界し、膝を抱え蹲っていた過去からようやく立ち上がったばかりの自分。今回の戦いも序盤は体が固く思うように動けず、敵の接近をむざむざと許してしまった。虚勢、羨望、諦念、称賛…言葉にすればどれも正しくどれも違う、様々な思いが赤城の心を乱してゆく。そんな物思いに深入りするのを止めるようなタイミングで日南中尉から通信が入った。

 

 「赤城、どうかしたのかい? 深く考えこんでいたようだったから…ひょっとして―――」

 赤城は思わず身を固くしてどきっとする。さすがにこんな心理状態までは知られたくない、と表情がこわばるが、日南中尉の問いは全く違うもので、赤城は加賀を内心恨んでしまった。

 「ひょっとして…お腹が空いたのかい? 加賀さんも気をつけるように言ってたし…」

 「なっ! ちがっ! 中尉は私のことを何だと思ってるのですか!? …まだ、そんなには空いてません」

 

 そして二人して笑い合う。中尉が自分の表情の変化に気づいたのは確かだろう。でも私の気持ちの行き先をくるっと変えてしまった。だから乗っかって気持ちを切り替える。その後も打ち合わせを続け、作戦方針について意思疎通を十分に図りながら、赤城は自分が自然に笑えていることに気付いた。

 

 -心というのは、これほどまでに複雑な模様を描くのですね。不思議だけど…心地いい。

 

 「US-2がそろそろ現場入りするそうだけど、そちらでも把握してるね。あとは風向きが変わったようだ、北東から結構な雲量の雲が急速に伸びてきている、天候の変化には注意を払うように」

 

 中尉の言葉に赤城は深く頷く。三方向の敵艦隊を同時に叩き制空権と制海権を確保したことを受け、全速でEポイントに向かっていたUS-2が、ついにその姿を現した。

 「わーっ!! おっきーっ!! すごいっぽいっ!」

 「やだ…こんなにおっきいのが…きちゃうんだ…」

 雲海を切り裂くように舞い降りるUS-2の巨体が大きな影を作りながら進入してくるのを見ながら、興奮する夕立と呆然とする村雨。二人は全く感想を言っているはずである。

 「二式大艇並み…。現在でもこんな飛行艇が運用されていたんですね」

 感心して頷く千歳と、その大きさに圧倒されごくりと唾を飲み込む千代田が遠くから見守る中、US-2は挙動に一切の乱れを見せず着水態勢に入ると徐々に海面に接触、ボディの左右に大きく波を逃がしながら僅か三一〇mの着水距離で水面に停止する。六翅のプロペラが徐々に回転を落とし完全に停止すると、救助員とメディックを兼ねる救護員が機体後部の搭乗口から二艇のゴムボートに分乗しプラントへと急行、救助作業がただちに開始された。

 

 三人の空母娘は互いに頷き合い、改めて直掩を務めるそれぞれの航空隊に指示を出す。この時間こそが一番無防備で危険な時間帯となる。敵は全て撃ち払ったはずだが、何事にも完璧はない。万が一にもUS-2は勿論民間人に傷一つ負わせる訳にはいかない、勝利に慢心せず索敵と直掩に当たる、それが旗艦としての赤城の信念だった。六人の艦娘が見守る中、救助作業は順調に進み、ゴムボートでUS-2に搬送される要救助者たち。赤城たちに手を振ったり大きな声で感謝を叫んだり、中には両手を合わせ拝む者までいる。

 

 そんな中、川内から日南中尉に報じられた不具合。C4ISTAR運用の鍵となる一cm四方程度のCMOSセンサーが映らなくなったという。センサーを各艦娘の艤装に組み込めれば一番いいのだが、現代の技術で製造された機材はどうやっても艦娘の艤装と同調できないため、やむを得ず頭部のどこかに外部搭載しているが、さきほどの交戦の衝撃で川内と村雨のものが故障したようだ。

 

 「ねえ中尉、村雨のこと見える? どう? あ、んもう…手が滑ったぁ」

 「うーん、信号が来たり来なかったりだね…。あ、映像が戻った―――ん? 肌色とレース? わぁっ!?」

 「えっちなのはいけないと思いまーす!」

 村雨の場合はツインテールを留める細い黒リボンの根元にセンサーを付けていたが、画像不良なので取り外し自分の顔を映そうとあれこれいじくり回していた。が、ぽろりと手から滑り落ちた超小型のセンサーは、するりと制服の胸元に入り込む神業的な挙動を見せた。作戦司令室のモニターに村雨の胸騒ぎの胸元が表示され、様々な意味のざわめきが起きたが、最速を超え神速で動いた島風が中尉の目を覆い隠し、非常事態は一瞬で過ぎ去った。そんな幕間ともいえる一コマの空気が一瞬で引き締まる。

 

 「日南中尉っ、失礼する! 陣中見舞という所だ、噂に違わぬ沈着冷静な指揮ぶりよっ! 」

 「これまでの所順調なようだが大詰めだね、しっかりやっていこう」

 

 桜井中将と御子柴参謀が揃って姿を現したのを見て、作戦司令室の全員が即座に立ち上がり背筋を伸ばし敬礼で出迎える。

 「よい、作戦中は作業に集中してくれ。それよりも日南君、システムはうまく稼働しているかい?」

 杖を突きゆっくりとした足取りで進む桜井中将に時雨はたたっと駆け寄り応接ソファまで案内し、モニターの映像を見逃さなかった御子柴参謀は、威礼に満ちた表情で鼻血をたらしながら傲然と室内を進みソファに腰掛ける。

 

 

 

 ここから先は本来の戦い、海域最奥部に侵攻し、敵の主力艦隊と戦って海域を解放する。航空戦力は保全できている、艦隊の損傷も村雨が小破しただけ、燃料弾薬も十分にある。何より、これ以上ないほど気合が入っている。行き掛かりはどうあれ海域に取り残された民間人を、自分たち戦船が守るべき命を守る事が出来た。それ以上誇りに思えることがあるだろうか。

 

 最後の要救助者を機内に収容し終えた機上救助員と救護員が後部搭乗口に並ぶと、びしっと音が出そうなほど奇麗に揃った敬礼を赤城たちに送る。答礼を返そうした時、北方に展開中の翔鶴率いる宿毛湾の本隊から緊急通信が入った。

 

 

 空母ヲ級elite二体、重巡リ級elite、軽巡ト級、駆逐ハ級二体から成る機動部隊が南西方面、つまりポイントEに第四戦速で進行中。

 

 

 D群を撃破した後も海域に留まった翔鶴は南方に濃密な索敵網を展開し、唯一残った敵艦隊-海域奥部に陣取る敵本隊の動向を探っていた。作戦開始から雲量が増え、敵の動きを掴むのが遅れてしまったと翔鶴は詫びているが、雲量六では空の多くが厚い雲に覆われ、隙間から空が覗く程度の視界、強力な哨戒能力を備える本隊であっても索敵は容易ではない。海域最奥部がもぬけの殻と分かった時点で、翔鶴は索敵範囲を大幅に拡大、分厚い雲の切れ間に航跡(ウェーキ)を発見したときには、すでに敵艦隊は海域最奥部とEポイントの中間ほどまで進出していると判明した。

 

 赤城がキッとした目で空を睨み上げるが、視線の先には厚い雲に覆われ閉ざされた空が広がるだけだった。

 

 

 

 風雲急を告げる。US-2はエンジンを始動させると、プロペラ後流が水面に渡る波を作りながら風を巻き起し、あっという間に五〇ノットまで増速し離水体勢に入る。

 「ええっ!? あんな距離でこんな大型の機体が離水できるの!? お姉っ、凄すぎだよっ!」

 千代田が驚いたのも無理はない。超大型機が僅か三〇〇mもせずにふわりと空に舞い上がり上昇すると西に向かい一気に速度を上げて遠ざかる。このタイミングで離脱すれば、零戦五二型よりも優速という桁外れの性能を誇るUS-2なら補足される心配はまずない。

 

 時間の経過とともに雲量はさらに増え、現在雲量七。自分たちの上空は、ほぼ全天が厚い雲に覆われている。だが翔鶴のお陰で敵艦隊の位置方角距離も判明している。しかも相手の上空は雲が抜けた快晴。

 「敵の位置は判明、私達の位置は雲が隠してくれる。これ楽勝?」

 「そうよね…さぁ千代田、おしゃべりしてないで発艦作業に集中しましょう」

 空母戦は先手を取って飛行甲板を潰した方が勝者となる。移動する航空基地とも呼べる強力な攻撃力を誇る航空母艦だが、被弾には脆い。飛行甲板が損傷すれば体が無事でも浮かぶ置物と化してしまう。一分でも早く発艦させ敵を叩く。

 

 「第一次攻撃隊、発艦してください!」

 

 右手を前に振り出し、決意を込め水平線の彼方を射る様な視線で見据える赤城の声に応えるように、千代田と千歳が寄木細工のような複雑さで甲板を模したカラクリ箱を開くと、絡繰り人形のように中に紐で繋がれた航空機が勢いよく飛び出し、紐をパージして空に翔け上がる。赤城も細い長弓に矢を番え、大きく引き絞ると空に鋭く放ち続ける。最初の二正面作戦で損害は受けているが、航空戦力はまだ十分にある。三人の空母娘が発艦させた一一〇機の攻撃隊と護衛二四機は、発動機の轟音を響かせながら見る間に小さくなり、曇天を切り裂き彼方の敵を追い求め翔けてゆく。

 



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049. ネバー・サレンダー

 前回のあらすじ。
 思わせぶりな村雨嬢。


 艦娘に装着した外部センサーから得られる情報と、マン・マシン・システムを持たない艦娘から刻々と入る情報を、日南中尉がデジタル情報に変換して統合的指揮統制システムを運用している以上、タイムラグが生じるのは避けられず、かつデータ入力と判断の両方を同時にこなすのは至難の技である。まして、川内と村雨に装備したセンサーの不具合で情報に欠損が出始めた今、中尉は珍しく険しそうな表情を浮かべブツブツ言いながら移動予測曲線を作成するため計算式のようなものを入力し始めた。

 

 「同時に複数の仕事を見事にこなす様は、流石と言うべきかっ! 日南中尉、貴様の器、我は見誤っていたっ! まさに将たるにふさわしいっ」

 情報の処理速度、判断の速さ…どれをとっても間違いなく優秀、それも折り紙付き…感に堪えない、という表情で首を振り、興奮気味に参謀が同意を求める様に話しかけた言葉を、中将は曖昧な笑みを浮かべながら何も言わずに聞いていた。

 

 -このシステムの本質は、彼の心理が投影されたものなのだろう。勝つためではなく、艦娘を傷つけない願望を合理的に叶える方法を、自分のできる範囲の中で見出した、ということか…。

 

 桜井中将は一瞬だけ峻厳な評価者としての視線を日南中尉に送ると、何事もなかったようにテーブルに置かれたお茶をずずっと啜りひと心地つく。正確にはそう見える様な素振りを見せた。中尉の様子を眺めていた桜井中将と御子柴参謀だが、思う所はまったく違っていた。

 

 しかし鹿島は視線の色合いと中将の振る舞いの意味に気付いたようだ。失礼します、とお茶のお代わりを入れるため湯飲みを下げようと桜井中将に近づくと小さな声で囁き、ふんふんと軽く鼻歌をしながら、ミニスカートの裾を揺らしその場を離れた。

 

 「日南中尉は、強さも弱さも全部ひっくるめて、まっすぐに前を見ています。良い所をより大きく、そのために鹿島が付いていますから」

 

 マイナスを減らすよりもプラスを大きく育てる、それが教官としての信念。同時に、弱点も相応にあるがそれを割り引いて余りある優秀さを見せる司令部候補生を絶対に大成させる、自分ならさせられるという教官としての矜持…何気ないが、鹿島という艦娘の強烈な自負心が凝縮された言葉である。

 

 はっきり言えばC4ISTARはbetter to have(あるに越した事はない)でありmust to have(なければならない)ではない。そういった物には、導入される側ではなく導入する側により大きな理由があることが多い。中将はその理由を日南中尉の心理上の問題として捉えたが、鹿島はそれを分った上で日南中尉を見守り育てる、そう言い切ったのだ。

 

 「…一本取られた、か。そして成長が見られないヤツもいる、と…」

 鹿島もまた教官として成長している…桜井中将は満足そうに一つ頷いたが、目の前の光景にはやれやれ、という表情しかできなかった。そこには、立ち去る鹿島のお尻に視線をホーミングさせ、鼻からはタラタラと情熱の証を零し続ける御子柴参謀の姿があった。

 

 

 

 「赤城、全力攻撃っ! 敵を逃すなっ」

 「はいっ! 全機突入、ここで叩きますっ!!」

 

 日南中尉の決然した指示と、スピーカーから間髪入れずに呼応する赤城の声が作戦司令室に響き、どよめきが起きる。赤城達が突入させた攻撃隊がついに敵艦隊を捉えた。敵艦隊上空ではすでに護衛の零戦五二型と敵の直掩隊が交戦を開始し、後に続く攻撃隊のため血路を拓こうとしている。

 

 「そろそろトドメを刺しちゃおっかな!」

 

 空母娘達の気合に反応するかのように、零戦五二型が敵艦隊上空を乱舞する。二一型が得意とした水平方向での巴戦に対し、五二型は縦方向での戦いを得意とし、七四〇kmまで引き上げられた急降下速度で一気に上空から襲い掛かる。今回赤城達の零戦隊が相手取るのはMark.IIと呼ばれるより上位の深海棲艦戦。一航過で何機かは確実に撃墜したが、多くはひらりと上空からの突撃を躱し同じように急降下で追撃を加えてくる。

 

 「振り切れないの?…ならっ」

 零戦よりも急降下速度の速い深海棲艦戦が追いすがり、後方から機銃を乱射してくる。敵機に背後につかれた一機の五二型は、機体を九〇度旋回させ意図的に失速状態に入り一気に沈降する。敵機が追い越したところで、慣性による姿勢制御で失速状態から回復し背後に回りこむと狙いすました二〇mm機関砲での斉射で敵機を落とす。『木の葉落とし』と呼ばれる戦闘機動(マニューバ)で、零戦を操る妖精さんの腕の冴えを存分に見せつけるが、一旦落ちた速度の回復には時間がかかり、その間に別な一群により上空から被られたこの機は撃墜された。

 

 空の至る所で繰り広げられる、艦戦同士の血で血を洗う激戦。一進一退の攻防は犠牲を払いながら教導艦隊が優勢を確保し、ついに戦局を動かす凛とした声が戦場に響く。

 

 「進路啓開! 艦爆隊、突入開始っ!」

 

 五二型が拓いた空の道、直下で激しく回避運動を続けながら航空戦の指揮を執る空母ヲ級eliteが剥き出しになった瞬間を逃さず、赤城の号令一下九九式艦爆隊が一気に突入を開始する。敵の攻撃隊の展開は想像以上に遅い。厚く覆われた雲により教導艦隊の位置を特定できずにいるのは間違いない、今敵の空母を叩かずにいつ叩くのか。

 

 空母娘の攻撃方法は大きく二つ、艦爆による爆撃か艦攻による雷撃で、赤城と彼女の航空隊はどちらにも優れた腕の冴えを見せるが、より得意な方は、と問えば急降下爆撃と答えるだろう。記録を紐解いても、南雲機動部隊としての記録になるが、真珠湾攻撃時で平均命中率四七%以上、セイロン沖海戦では驚異の八二%を誇る。往時の記憶を引き継ぐ艦娘としての赤城はその特性を備え、そして真価を今こそ発揮する。

 

 

 「日南中尉っ!! やりましたっ! 空母二、軽巡、駆逐二撃沈確実っ! 残敵は大破の重巡一ですっ」

 

 作戦司令室に飛び込んできた赤城の嬉しさを抑えきれない弾む声が、沸き上がる艦娘達の大歓声でかき消される。全員が勝利を確信していた。オペレータ席から立ち上がった日南中尉もガッツポーズを見せ喜びを露わに示する。応接席では御子柴参謀が膝を大きく叩き、よしっと大きな声を上げている。

 

 「敵はほぼ壊滅、航空隊も撤退しかないだろう。最後は水雷戦隊で叩く。川内、夕立、頼むぞ」

 「中尉、ヤバっ! 敵編隊…攻撃開始っ!! 私達戻るねっ!!」

 「………もうし…訳ありま…せん、中尉…敵の奇襲を…」

 

 瞬間、全てが暗転する。残敵殲滅のため進軍中の川内から急報が入ったのと、激しい爆音と悲鳴を背景に赤城から途切れ度切れの声が届いたのは、ほぼ同時だった。勝利のムードは吹き飛び、日南中尉も一瞬呆然とした後、思わずC4ISTARの画面に目をやる。主観ビューは千歳と夕立のものを残すのみ、送信される情報量が激減したモニターに示される COP(共通作戦状況図)はほとんど意味を成さない物になっていた。

 

 歓声から一転して悲鳴が木霊する作戦司令室、情報が錯綜し混乱する現場海域、中尉が把握したのは惨憺たる状況。攻撃ではなく、文字通り突入。帰るべき母艦を失った敵の航空隊の行動を、日南中尉は完全に読み違えた。爆弾を抱いたまま深海棲艦爆は教導艦隊に突入を続け、その混乱の最中で深海棲艦攻の雷撃は存分に効果を発揮した。必死の防空戦で、敵航空隊は大きく勢力を減らしたものの、依然として二次攻撃を仕掛けようとしており、艦隊護衛のため急行した川内と夕立と交戦中。

 

 大破:千代田、村雨、中破:赤城、小破:川内、千歳、夕立。

 

 

 「死なばもろとも…戻る母艦がないと分かれば、航空隊は死兵となる。戦場心理は経験しなければ分からない事も多い、今は責めないよ。それよりも日南君、今君がすべきことは?」

 

 「………艦隊の保全、です」

 

 桜井中将の淡々とした指摘と叱咤に、絞り出すような声で、青ざめた表情のまま日南中尉が拳を握る。噛み締めた唇の端には血が滲んでいる。中尉が艦隊に指示を出そうとしたのを、御子柴参謀が押しとどめる。興奮で顔を真っ赤にしながら、彼が行った指導は、妖精さんが見えるか否かの以前に、彼の資質が提督ではなく参謀である事を示す、ある面では冷静な、別な面では冷酷なものだった。

 

 「日南中尉っ! 旗艦さえ残れば勝てるのだっ! 健在な艦娘を旗艦の護衛につけ、後は敵の攻撃を吸収する盾とすべしっ! それが艦隊の保全だっ!」

 

 内容はどうあれ勝ちは勝ち、問題はどうやって確定させるか。静まり返った作戦司令室で、艦娘達の視線が日南中尉に集中する。敵の攻撃は続いていて、議論をしている時間はない。そして、御子柴参謀の言葉は大部分正しい。艦娘という存在を兵器として認識するなら、経験値や装備の喪失は痛手だが、()そのものは建造可能だ。それを理解しているから、艦娘として参謀の言葉は精神的に受け止められる。でも、理解しているからこそ、心理として受け入れたくない―――。

 

 日南中尉は大きく深呼吸をすると、御子柴参謀の言葉を無視するように、静かな、それでいて通る声で思いを語る。それは指示でも指揮でもない、本心からの言葉。

 

 

 「全て自分の指揮が至らなかった責任だ、君たちを傷つける様な事になって、悔しいよ…。こんな思いは…二度としたくない。だから、次の戦いでは全員で納得のいく勝利を分かち合おう。艦隊、輪形陣に移行、これより撤退戦に入る、決して諦めるなっ!! 中大破の三人を守れっ。川内と夕立は艦隊防空、千歳は直掩隊の展開を頼む。頼むから…全員、どんな姿でも構わない、必ず帰って来てくれ…」

 

 

 慰めるように励ますように、妖精さんが日南中尉の肩に座り、頭をぽんぽんとしている。少しだけ首を傾げた中尉は、妖精さんに微笑みかける。同じように、さり気なくスススと中尉の隣に立った時雨が躊躇いがちに制服の裾をつまむ。目を真っ赤にして涙をためた上目遣いのまま、何か言いたいけど言葉にならない、そんな表情。

 

 「…済まない、時雨。こんなことになるなんて…」

 「何を言ってるんだい? 勝ち負けで言えば勝ってるじゃないか。そりゃ、君には納得いかない内容かも入れないけど…。そんな事じゃなくて」

 

 艦娘から勝ち負けをそんな事と言われ、なら何が大切なのか、と日南中尉は驚いてしまった。

 「そんな事よりも…君の言葉が、君の気持ちが、すとんと胸に入ったんだ。そうだね、決して諦めない、うん、僕たちは…絶対に君の元に帰ってくるよ…何があっても必ず」

 反対側の腕には島風がぎゅうっと腕にしがみ付き、すりすりと頬ずりをしている。

 「おっそいよ、ひなみん…。でも、やっとクリスマスの時の約束、果たしてくれたんだね」

 それはクリスマスの時に、島風が中尉に願ったプレゼント-少しずつでもいいから、思っている事感じている事を教えてほしい。やっとそれが叶ったように島風は感じていた。

 

 

 日南中尉を中心に、多くの艦娘が集まり輪を作る。何を確かめるように、探していた何かが見つかったように、みな涙ぐんだり嬉しそうだったりしている。対照的に、呆然と、あの精神論的な指示にどんな意味があったのか訳が分からない、といった表情で眺める御子柴参謀。そんな光景を余所に、桜井中将は肩の荷が下りたような表情で翔鶴に通信を繋いでいる。

 

 「ああ、私だ…。雲中での航空追撃戦、無理をさせて済まなかったね。君の烈風のお陰で、教導艦隊は虎口を脱したようだ。…ようやく、かな、日南君も一皮剥けたようだよ」



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Intermission 4
050. ロミオとジュリエッツ-前編


 前回のあらすじ
 海域突破、辛うじて勝利。

 ※今回のIntermissionは、犬魚様『不健全鎮守府』の世界観の一部をお借りしてお送りします。


 バシー島沖の作戦は、終始圧倒しながら窮地に追い込まれた終盤、結果として辛うじて勝利、というものだった。しかし、日南中尉が作戦終盤で部隊を鼓舞し士気を保った点は一皮むけた印象を周囲に与えていた。ただ、結果と過程のどちらに重きを置くか、その点では中尉は後者だった。作戦終了から二日が経ち、ほんとうにボロボロになって帰投した艦隊の入渠整備も終わったが、中尉は桜井中将に降格を申し出るほど思い詰めていた。さすがに中将も唖然とし、どこの世界に作戦に勝利した指揮官を降格させる軍隊があるのかと滾々(こんこん)と説いて聞かせたとのこと。

 

 確かに薄氷の勝利だったことは間違いないが勝ったのだ。戦いに損傷は避けられない、とむしろ艦娘達の方が割り切っている部分もある。戦闘は理屈通りにはいかないし、艦娘の損傷をそこまで気にかけるのも繊細すぎる、と思わなくもないが、一方で必ず帰ってきてほしい、とまで思いの丈を明かされれば、艦娘達としてそんな上官に悪い感情を持つはずもない。

 

 気持ちを切り替えて中尉に元気になってほしい、というのが皆の共通した思いだった。祝勝会を開いて気分転換、といっても今の日南中尉の心理状態では乗ってこないだろうし、なら、なぜか知らないが依然として御子柴参謀も居座ってることだし、慰労会ならどうだろう、との声が誰からともなく上がった。酒と肴は鳳翔さんに頼めば間違いはない、後はどう場を演出するのか…。皆がうーんと首を傾げる中、一人の艦娘が自信満々の表情で大きく見得を見る。

 

 「ここは金剛に任せてくだサーイ! 男の人を癒すのはお酒といいオンナに限るって榛名の持ってるthin book(薄い本)に書いてありマシタ。Big shipに乗ったつもりでOKデース!」

 「こ、金剛お姉さまっ!? 榛名、そんな本持ってませんからっ」

 

 まっかせてくだサーイと胸を張る金剛と、風評被害で半泣きの榛名に、周囲の艦娘達もなんとなく不安を感じたり感じなかったりしていたが、何はともあれ金剛の仕切りの元あれこれ準備を進めていた。そして赤城の一言が、事態を大きく動かしてゆく。

 

 「決して諦めるな、必ず帰って来てくれ…あの言葉で、どれだけ勇気が湧いたでしょう…」

 

 皆その言葉を聞き、何となく頷き合う。国のため民のために体を張り、目の前の深海棲艦相手には血が滾る。でも、死の恐怖を押し殺しながら戦いの海から帰還し、その先で待つ若き指揮官の笑顔にほっとしてしまう。それは女性の心性と肉体を持って現界した艦娘の宿命かも知れない。

 

 作られた体に宿る、仮初めの記憶と鋼鉄の暴力、それが艦娘。それでも心だけは自分の物、奇麗事だけではない、女性としての想いは確かに息づいている。

 

 かくして慰労会の準備は赤城の言葉をきっかけに、宿毛湾本隊の艦娘まで巻き込んで一気に盛り上がりを見せ始めた。

 

 

 

 「…いつもと雰囲気が違うような…」

 

 あまり気は進まないが、教導艦隊総出で慰労会への出席を頼まれればイヤとは言えない。御子柴中佐を伴って居酒屋鳳翔を訪れた日南中尉が、カラカラと軽い音を立て横開きの外扉を開く。いつもなら正面に白木のカウンターとテーブル席が見えるが、今日は内扉が閉め切られている。

 

 ダウンライトだけが足元を照らす通路を進み、大広間へと続くドアを開けるとそこは…煌びやかな光を放つ夜の店…。鳳翔が女将を務めるこの店は、キャバレーナイトクラブ、略してキャバクラではない。和の装いに飾られ、繊細な料理と芳醇な酒を心穏やかに楽しむ店…のはず。

 

 「「ナイトクラブHO-SHOW宿毛湾店へようこそ、ロミオー!」」

 

 入り口の両側には、満面の笑みを浮かべて両手を広げて来客を迎え入れる二人の艦娘。一人は村雨で、ミニプリーツスカート+ブラウスにオーバーサイズのキャメルカラーのカーディガンのJKスタイル。ただ、ブラウスを第二ボタンまで開ける必要あるの? という着こなし。もう一人は綾波、白を基調とした、全身にぴったりと張り付く汎用人型決戦兵器に乗り込むような半装甲のボディスーツである。

 

 誰がロミオだよ…と唖然とした表情の日南中尉と特に興味無さそうな御子柴中佐が対照的である。露出度はゼロだが体のラインが丸分かりのコスに綾波が恥じらい動けずにいるうちに、村雨はニコッと微笑むと中尉に近づいてゆく。

 「お店もいいけどー…村雨のもっといい所、見たくない? 村雨は…見せたいよ? このまま…店外デートに行っちゃう?」

 村雨は意味深な目で見上げると、中尉の小指だけを握り手をふりふりと振る。気が進まない彼氏にお出かけをねだるような、甘カワ演出。ただ、二人が二人して同じお客に向かってはお店として失格である。鳳翔が村雨と綾波をたしなめつつ、静かに御子柴中佐へと近づいてゆく。

 

 「はいはい、お二人とも、その辺にしてくださいね。これは御子柴中佐…ようこそおいでくださいました。居酒屋…じゃなかった、今日はナ…ナ、ナイトクラブHO-SHOW宿毛湾店へようこそ、ロ、ロミ…ああっ、ダメです、恥ずかしすぎますっ」

 両手で真っ赤になった頬を押さえ顔を背ける鳳翔。いつもの和装ではなく髪を下ろした洋装のドレス姿で、村雨と同じように両手を広げて御子柴中佐を出迎えようとしたが…挫折した。日南中尉は、依然として照れまくっている鳳翔に向かい、当然の疑問をぶつけてみる。

 

 「あ…あの…鳳翔さん? こ、これは一体…何があったのですか?」

 「そ、そのですね…金剛さんの発案で『大人の慰労会』をやろう、ということで、私は会場をお貸ししたのですが…。お恥ずかしい話ですがそういうノウハウが無かったので…以前中尉と演習を行った九州の鎮守府を、覚えてらっしゃいますか? そちらの鳳翔さんはBig Mamaと呼ばれるほど、こういう方面には造詣が深い方のようでして、色々とアドバイスを頂いた結果といいますか…」

 

 日南中尉の脳裏に浮かんだのは、九州から乗り込んできたかつての演習相手。激しい演習となり、半ば相手の自滅に助けられ辛うじて勝ちを拾ったようなものだった。

 

 「何をしているのか、日南中尉っ!! 金剛ちゃんが招待してくれた慰労会(イベント)ではないかっ!! こんなところでモタモタしている暇があろうか、いや無いっ」

 

 鳳翔の口から出た金剛の言葉に、制服を破くような勢いで筋肉を隆起させ、鼻息も荒く目を輝かせる御子柴中佐は、村雨の手から日南中尉を奪い去り店内へ突入を開始した。

 

 

 

 「フリーのお客様一名、本指名のお客様一名、ご案内~♪」

 

 適度な暗さは、リラックスできて心を開きやすくなり、軽い不安感が距離を縮める。計算された照明の照らす店内に入る手前、煌びやかに彩られたアプローチにずらっと並ぶ、普段の制服とは違う、思い思いに選んだ衣装を身にまとった艦娘たち。一斉にロミオコールで出迎え、我先にと群がってくる…日南中尉に集中して。基本的に感情に素直過ぎて接客業には向いていない娘が多いのかも知れない。ちなみに出勤している艦娘は、全員一八歳以上(自己申告)である。

 

 「ご指名はぁ~…私? それともわ・た・し? うふふふふ~♪」

 選択肢があるようで全くない荒潮。

 

 「…えっと、そうだ!お茶を淹れてきますね」

 ドリンクは緑茶一択の由良。

 

 「那珂ちゃんのライブにようこそ♪ 張り切って歌うよぉー!」

 カラオケは自分が歌うと言い切る那珂。

 

 気ままな艦娘達に歓迎されつつ、日南中尉はゆったりと広い通路を取ってレイアウトされた薄暗い店内を進み、奥まった一角のブースに案内された。上質な仕立てで、少しだけ柔らかさを強調したソファに座る中尉は、フリーの客って自分のこと? というか客って何? いやそれより御子柴中佐は? …と思わずきょろきょろしてしまうが高い背もたれのおかげで他のブースの様子が伺えない。さすがに困惑してしまったが、さらっという衣擦れの音とともにソファが軽く沈みこんだ隣に気付いて振り返ると、一人の艦娘が座っていた。

 

 鮮やかな青色の着物、飛行甲板のような柄の入った帯には片仮名で小さく『カ』と一文字、サイドテールの根元には花をあしらった和装が涼やかに似合う加賀が、右手にマイクを握りしめ席に着いた。

 「え…あの…加賀さん?」

 「そう、カラオケ? チケットは一〇枚一〇〇〇円、キャッシュよ」

 いや、歌わないけど…と唖然とする日南中尉に、加賀はいつも通りのクールな表情で支払い待ちの左手をふりふりする。

 

 「やっほー、中尉ー。元気ないって聞いたけどー?」

 「最近暑かったり寒かったりで、お洋服選ぶのたいへーん」

 

 前を開け放ったチェックのシャツの裾を胸の下で結び谷間とお腹はまる見せ、ホットパンツに生脚+ウェスタンブーツ、さらにカウボーイハット…要するにコヨーテスタイルで美脚を強調する飛龍は元気いっぱいに中尉の斜め前で加賀の正面に座る。その隣には熱いねー、と風を送ろうと指で襟元を引っ張りながらぱたぱた手で胸元を扇ぐ蒼龍が座る。白いノースリーブのリブセーターは体に密着しかなりのサイズの持ち物を強調しつつ、黒で統一したボトムスは、フレアミニスカートから伸びる黒タイツで包んだ細い脚をショートブーツで引き締める。

 

 出だしから何となく気が付いていたが、これはいわゆる夜のお店的なスタイルなのかと、自分の知識にはない世界を無理やり理解しようとし始めた日南中尉の隣に、おずおずと躊躇いながら座ったのは―――。

 

 「あ、あの…失礼します。いらっしゃいませ、日南中尉―――」

 自分で言いながら困惑したような表情の赤城。ファッションのコーデには色んな方向性があるが、今日の赤城の場合、白ニーソに合わせた逆算なのだろう、薄いローズレッドのミニワンピ…にフリルのついたエプロン、頭にはホワイトブリムが加わり完全にメイド服である。

 「え、あの…あ、赤城…?」

 「は、はい…。その、この服は蒼龍が…。そ、それよりも…先般の戦い、不甲斐ない内容で申し訳ありません」

 「いや、君がそんな風にいう事は何もなくて…。不甲斐なかったのは自分の指揮だった」

 

 そのまま俯いてしまう、第二種軍装の男とメイド服の女のバックでは、先ほどからスラッシュメタルっぽい曲に乗せ那珂の美声がカラオケで響き渡る。九州のナイトクラブHO-SHOW本店で人気という、歌詞も曲調も激しい縦ノリ系の曲だが、歌ってる本人は気持ちよさそうである。日南中尉も何気に音楽の好みには偏りがあるので、これDLしようかなと思っている間に歌が終了した。

 

 ♪デデン

 

 続いて唐突に響く印象的なイントロに加賀が腰を浮かせる。が、すぐに『那珂ちゃんこの歌入れてないー。えいっ』っとキャンセルされてしまった。

 

 「…頭に来ました」

 そのまま席を立った加賀は何やら那珂とあーでもないこーでもないとやっていて、目の前では二航戦(ダブルドラゴン)が飲み食いに興じている。訳が分からない、という表情の日南中尉だが、全くその通りである。それでも赤城が意を決したように話しかけようとした時、名前の由来通り黒い細身のスーツに身を包んだ神通(黒服)が空気を切り裂くようにすっと割り込み、膝を付く。

 

 「みなさん、ローテーション(入れ替え)の時間ですので。…中尉、場内指名は…しませんよね?」

 笑顔に圧力があるというなら、神通が纏っているのはそれだろう、妙に『しませんよね』を強調している。というか、システムが全然分からないんだが…と困り果てている中尉に、一セット六〇分、二〇分入れ替え制ですので、と神通が耳打ちする。やだやだやだーとゴネる蒼龍を飛龍が連れてゆき、赤城も立ち去ろうとして、ふと立ち止まる。

 

 「中尉、その…どんな戦いでも、必ず帰って来ます…あなたの元へ、って、頭の中…いえ、心の中で何かが…」

 思わず口にしてしまったが、自分の気持ちの変化に戸惑い、耳まで真っ赤にして小走りに立ち去る赤城を見送りながら、中尉は次の艦娘が出待ちで背後に控えている気配を感じていた。



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051. ロミオとジュリエッツ-後編

 前回のあらすじ
 ナイトクラブHO-SHOW宿毛湾店、期間限定営業。


 出待ちしていた艦娘が楚々と近づいてくる。スカートの裾を両側からつまみ小さく持ち上げ、片膝を軽く曲げ挨拶をする彼女は―――。

 

 「ウ、ウォースッ!? 君まで一体何をしてるんだっ!?」

 「ようこそヒナミ…いらっしゃいませ…」

 

 薄暗い店内でも鮮やかな白い肌と輝く金髪、穏やかに柔らかく微笑む表情。衣装は普段と同じだが、そもそも女王陛下である、下手なドレスなど足元にも及ばない仕立ての良さであり、その美貌を一番引き立てる装いとなる。見つめられ思わず目を逸らしてしまった中尉に、ウォースパイトは小さくクスッと笑いかけ、寄り添うように隣に座る。

 

 「Japanの男性はこういう風にnight clubbing(夜遊び)をするのですね…。ヒナミも、ですか?」

 青い瞳が揺れながら、日南中尉の心の中までを覗き込むように視線を合わせて逸らさない。キール留学中に知り合い、異国から来た者同士の寂寥感と親近感、兵学校生とはいえ軍人と艦娘、二人が心を開き合うようになるのに時間は要さなかったが、開いた心を重ねるまでの時間は当時の二人には与えられなかった。

 

 「思いを持ち続ける事はとても難しいことです。でも貴方は良くも悪くも変わらない…ヒナミ、私は…ウォースパイトは、貴方の剣となる機会を得られて、本当に感謝しています」

 中尉も真剣な眼差しで訴える女王陛下から目を逸らせずにいた。見つめ合ったまま、寄り添うウォースパイトの手がそっと日南中尉の太ももに載せられる。思わず中尉がびくっとしてしまい、ウォースパイトも我に返ったように、ぎこちなく視線をそらし真っ赤になりながら、そうでした、ドリンクをまだお出ししてませんでした、とテーブルの上のグラスにしゅわしゅわと音を立てる飲み物を用意する。

 「ヒナミはお酒が強くないのでしたよね。これでしたら…Cheers(乾杯)

 

 小さな泡を立て続ける薄い黄金色のドリンク。ビールならまぁ…と日南中尉はグラスを目の高さに持ち上げてウォースパイトとアイコンタクトして乾杯、口を付ける。…が、思わずリバースしかけてげほげほと咽込んでしまった。一方のウォースパイトは、ああ、倫敦(ロンドン)を思い出しますね…などど懐かしそうである。

 

 ジンジャービア、それはイギリスの家庭で古くから作られてきた微炭酸飲料。しょうがと砂糖、水を混ぜ、イースト菌を加えて発酵させたもの。発泡の様子がビールに似ているだけでアルコール分を含まず、簡単に言うと冷やしあめの炭酸バージョンみたいなドリンクである。もったりとした甘さと刺さるしょうがの味が炭酸に乗って喉をくすぐる一品だが、中尉の口には合わなかった模様。

 

 「せっかくです、倫敦の味と一緒に」

 ウォースパイトがすっと手を挙げると、間髪入れずに音もなく影がすうっと現れる。白いマフラーで口元を隠しながら黒い細身のスーツを着た黒服(川内)がウォースパイトの前に跪く。あまりの無音潜行ぶりに日南中尉もびっくりしてしまう。

 

 「呼んだ? 何?夜戦?」

 ナイトクラブでそんなことはしない。川内はウォースパイトからフィッシュ&チップスのオーダーを受け取ると、音もなく姿を消し、またすぐに戻ってきた。

 「これは…?」

 「分かんない、オーダー入れたらこれを渡されたよ」

 

 拍子切りにしたポテトとぶつ切りの白身魚のフライ…のはずが、なぜかお握りが出てきた。

 

 じゃあね、と言いながら川内は音もなく姿を消し、ウォースパイトと日南中尉は訳も分からずぽかーんとしてしまう。せっかくだし、とお握りに手を伸ばそうとした中尉を押しとどめ、細い指先でお握りをつまむと、支えるように手を添えてウォースパイトがお握りを差し出す。要するにあーんである。戸惑いながら日南中尉が口を開けた所で、再び川内参上。ぱくりとお握りを横取りすると、もごもごしながら何かを言い始めた。

 「ひぃかんでゃよー、ふぉーはいひょろひく(時間だよー、交替よろしく)

 

 軽くため息をついたウォースパイトだが、潔く引き下がるようだ。それでも名残惜しそうな視線を日南中尉に送り、一言だけ残すと軽く会釈をしてすっと立ち上がり、静かに席を後にした。

 

 「私も…あの頃と変わっていないのですよ、ヒナミ…」

 

 

 

 日南中尉がロミオなら、こちらはロミ男こと御子柴中佐。彼は日南中尉から離れた場所で桜井中将と同じBOX席にいた。同席するのは、もちろん本指名の金剛、そして鹿島。ちなみに桜井中将は事前に秘書艦にして愛妻の翔鶴の許可を取った上での来店である。

 

 「改めて思います。提督と呼ばれるには、妖精さんと交流ができる、中将や日南中尉のような稀有な才が求められるのですなぁ。いやはや、自分などとは比べ物にならない」

 ボウモア ヴォルトをロックでゆったりと嗜んでいた桜井中将だが、その言葉をきっかけにグラスをテーブルに置くと、御子柴中佐を少しだけ悲しそうな目で見つめ、話を切り出した。

 

 中将自身も妖精さんに関して確信的な考えはあり、それは中佐の仮説と概ね同じと思っている。けれどもそれが全てではない。中佐の長所は、合理的思考と割り切った行動。勝つためなら旗艦以外を犠牲にする…バシー島沖の戦いで彼が日南中尉に行った作戦指導は、まさにその象徴であり、同時にそれがそのまま彼を提督への道から遠ざけた短所である。

 

 「御子柴君…妖精さんに関する君の仮説はおそらく正しいと思う。だが、君が妖精さんを目にできなかったのはそれだけが理由ではない。例え不合理でも、割り切ってはいけない物、切り捨ててはならぬ物は厳然としてあるのだ。妖精さんは、艦娘との絆は、そういうものだと私は思っている」

 

 同席する金剛も鹿島も目を伏せたまま静かに中将の話に耳を傾けている。きょとんとした表情に変わった御子柴中佐は、何度か首を横に振ると、改めて日南中将を正面から見据えた。その表情は辛そうでもあり、どこか嬉しそうでもある。

 

 「自分が提督になれなかったのを…もう妖精さんのせいにはできませんね。…ありがとうございます、長年の心の雲が晴れたような気がします。何年経っても教官は厳しく、そして…優しい」

 反論も議論もなく、自分の中の足りないピースがかちりと嵌った、そうとしか表現できないほど御子柴中佐はさばさばとした表情に変わり、努めて明るく振舞い、即座にカモられた。

 

 「さあ金剛ちゃん、飲もうじゃないかっ! 自分は明日には参謀本部に戻らねばならぬ。それで…その、プライベートの連絡先とか…教えてもらいたいかなー、とか…思うのだっ!!」

 「Huh? …まだそういうの早いカナー。もっと時間をかけてカラ…例えばエンチョーとかgood ideaだと思いマース。あと、喉が渇いたナー。フルーツとかexcellentデース」

 「はい喜んでっ! そこの黒服、ここへっ! 一セット追加、あとドリンクとフルーツもっ」

 へーいと言いながら、面倒くさそうに黒いスーツに身を包んだ黒服(北上)が現れる。ドヤ顔の金剛は、北上の耳元でピンドンお願いしまース、とオーダーしている。

 

 しばらくして北上は、クーラーに入ったピンクドンペリニヨンと…お握りとともに戻ってきた。

 

 

 

 居酒屋鳳翔厨房―――。

 

 「僕は幸運艦って話なのに、何で負けたのかな…。上には上がいる、って事、だね…」

 ぶつぶつ言いながら、憑りつかれたようにお握りを作り続けるのは、時雨である。今までのこの手の集まりは広く浅く…全員参加で和気藹々と過ごす時間だとすれば、今日の慰労会は深く狭く。全員平等に薄いメリットよりも、ハイリスクハイリターンでも構わない、確実に中尉を独占する時間をゲットする方向に転換したものとなる。

 

 九州のナイトクラブHO-SHOW本店のBig Mamaによれば、こういうお店は接客の基準時間を決めたセット制という形のローテーションを取っているらしい。このスタイルの場合、全員が慰労会に参加を希望した訳ではないが、それでも教導艦隊と宿毛湾本隊の参加希望者全員がフロアに出ると大混乱になる。御子柴参謀(ロミ男)は金剛一択だからいいとして、日南中尉と接する時間をそれなりに個別に確保しようとすると、一時間で三組がいい所だろう。中尉はまず延長しないだろうし、じょーないしめい? というのを受けると、その時一緒にいた艦娘がその場のパートナーに固定されるため、これは涙を呑んで回避する、という前提で事前に行われた調整…一セットの三組に入るための、恨みっこなしのじゃんけん大戦が勃発した。BOXシートのサイズを考えても、一組一~四名までの最大一二名。ただ、ほとんどの艦娘はグループよりソロ活動を選ぶのが見えている。

 

 結果に従い、フロアに出る娘、ウェイター(黒服)、厨房、照明、音響、アプローチでのお出迎え役 etcが割り当てられた。三回戦で敗退した時雨は厨房担当になったのだが―――。

 

 「だいたい僕は凝った料理とか作れないし…。もういいや、何の注文が来ても全部お握りで」

 

 マイペースになげやりである。

 

 なお、じゃんけん大戦の勝者は、個々ではそれなりだが四人分の運を合わせて勝ち抜いた赤城with チーム南雲(加賀、ダブルドラゴン)、史上最高の武勲艦に恥じない堂々とした戦いを見せたウォースパイト、そして―――。

 

 「少し、休んでいただけますと…なぜかって…中尉は思い詰め過ぎですから。榛名のお願いです」

 

 姉の金剛が本来の第三枠の勝者・鹿島と交わした政治的取引の結果、榛名にその枠が譲られた。

 

 

 

 大方の予想通り日南中尉は延長せず、はっちゃけている御子柴中佐に挨拶をして帰途に着いた。本部棟から第二司令部までは大発で五、六分だが、挨拶に行った際に中佐に飲まされたこともあり、酔い覚ましにもちょうどいい、と中尉は大きく遠回りになるが歩いて帰る事にした。鳳翔の店の近くを流れる川にそって北上して橋を渡りまた戻って来る道の途中、橋の袂で街灯に照らされる一つの人影―――島風である。ちらりと中尉の方に視線を送ったが、ぷいっと夜空を見上げている。やがて中尉が橋の袂までたどり着き、足を止める。

 

 「ん」

 「ん?」

 

 差し出された小さな手を握り返す前に、日南少尉は制服の上着を脱いで島風に羽織らせる。春とはいえまだ夜風は冷たく、島風の肩が小さく震えているのを中尉は見逃さなかった。えへへーと嬉しそうな表情でだぼだぼの袖から指を出し、島風は改めて手を差し出す。

 

 「きっとね、ひなみんはまっすぐ帰ってくるだろうって思って待ってたの」

 「みんなの気持ちも分かったし、嬉しかったけど、自分はああいう場はちょっと苦手かな」

 「うん、きっとそうだろうな、って」

 

 二人は月明かりに照らされながら手を繋ぎ、静かに帰り道を歩き続ける。

 

 

 

 「ありがとうございましたー」

 日南中尉が店を出てからさらに二時間後、かなりの酒量を腹に収めご満悦の御子柴中佐と、『もう若くないのですからほどほどにしてください』と迎えに来た翔鶴に連れられた桜井中将が、ナイトクラブHO-SHOWを後にする。中佐の足取りはしっかりしており、彼にとってはほどほどに酔った程度の様子である。結局金剛ちゃんの連絡先はゲットできず、調子に乗って入れたピンドンのシャンパンタワーのせいで、分厚い財布の中身はほとんどすっからかんになってしまったが、本人はあまり気にしていないようだ。その中佐が、乱れのない奇麗な敬礼で中将に向き合う。

 

 「中将、ありがとうございました。次の任地は鳥も通わぬ、と言われてる島ですから、今日はいい思い出になりました」

 「…私から参謀本部に掛け合うよ。あまりにも理不尽が過ぎる」

 「いいのです。参謀本部の意向に逆らうなら、誰かが責任を取る必要がある、そう申し上げました。中将や日南中尉に累が及ばぬよう参謀として最後の作戦に臨むのです、むしろ誇らしく思っています」

 

 御子柴中佐の視線の先、壁にもたれるようにして立つ金剛の姿が目に入った。正確には、金剛の肩の辺りをふよふよと飛ぶ人形のようなものが、である。ぱちぱちと瞬きをし目を擦る姿を怪訝な表情で見ていた中将が、御子柴中佐の視線の先を同じように目で追いかける。

 

 「…いけません、自分で思っているより酔ったようです。変なものが見えたような…」

 「………素面(しらふ)でもそれを目にするようになったら、連絡しなさい。推薦状を書いてあげるよ」




 次回から新章になる予定です。


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進路調査
052. 『次』という言葉


 前回のあらすじ
 おにぎり。


 『最終目標は少尉自らが育成した艦隊で沖の鳥島沖を解放してもらいます。教導期間は一年間ですが、これはその長きに渡ってこの目標を達成できないようでは、私達を率いるに能わず、そう見極める時間と思ってください』

 

 司令部候補生として日南中尉がここ宿毛湾泊地に着任した時のオリエンテーションで、宿毛湾泊地の総旗艦を務める翔鶴からかけられた言葉。淡々と語られる口調とは裏腹に明確な意思の籠った視線で見つめられたのは、今でも忘れない。すでに教導期間も折り返しを過ぎ、残るは東部オリョール海海域と、最終目標となる沖ノ島海域―――。

 

 ふと当時のことを思い出していた中尉は、作戦司令室のざわめきで現実に戻る。秘書艦席では時雨が工廠と連絡を取っている。相変わらずマイペースな所もあるが、秘書艦として最近の成長は著しい。慌しい司令室内を余所に、見上げるといよいよ壮麗さを増し輝く玉座ではウォースパイトが脚を組みながら静かに読書をし、振り返ると通年仕様の冷暖炬燵でだらりとくつろぐ初雪と北上は、たらたらとトランプでダウトをして遊んでいる。二人でダウトって何の意味があるのか…と日南中尉が乾いた笑いを浮かべてしまう。自分が持っている数は、()()相手は持っていないという疑う余地のない事実…ゲーム性を全否定しながら遊ぶ二人の間では、大量のカードがいったりきたりしている。

 

 「日南中尉、艦隊が帰投したみたいだよ。今回も…残念だけど旗艦大破で帰還、だね…。明石さんと妖精さん達には港へ急行してもらうようにしたから」

 「そうか…分かったよ、時雨。ありがとう」

 差し出された制帽を受け取った中尉は柔らかく微笑み返し、時雨は照れくさそうにクネクネしながらにへらと笑い、それに合わせるように三つ編みのおさげが揺れる。中尉が制帽を目深に被ったのを合図に、二人は連れ立って港へと向かってゆく。

 

 

 

 「………ねぇ中尉? この作戦って―――」

 「言いたいことは分るよ、時雨」

 頭の後ろで両手を組みながらちらりと斜め前を行く日南中尉に視線を送った時雨だが、目深に被った制帽のせいで表情はよく見えない。ただそれきり無言になった所を見ると、中尉も決して安閑としている訳でなさそうだ。この状況が続くようなら、そもそもこの海域に進出した理由さえ分からなくなる。

 

 

 近海航路での輸送船団護衛作戦-通称1-6と呼ばれるExtra Operation(特務)に派遣している艦隊。とりあえず二度達成し定期的に発令される出撃任務『強行輸送艦隊、抜錨!』のクリアを狙ってるが、一度は成功したが二度目で躓き出撃回数が嵩んできた。集積された物資の回収が主目的のこの海域を舞台に、対空対潜能力の向上、さらには東部オリョール海進出に先立つ戦力の平準化…簡単に言えば、比較的低練度の艦娘を投入し練度向上を図っているが、状況は芳しくない。

 

 「二兎を追う者は、ってやつかな…」

 

 ぽつりと呟いた中尉の言葉に、作戦運用と育成の両立の難しさを目の当たりにしつつ、時雨もむぅっと難しい表情になる。任意対応海域の1-6に進出を決断した日南中尉だが、そこには艦隊運営の事情も反映されていた。

 

 前回2-2(バシー島沖)での広域殲滅戦は、作戦全体で見れば成功を収めた。だが、海域最奥部での敵主力との戦闘で敵航空隊の動向を見誤り、最後の最後で手痛い反撃を受け艦隊に大きな被害が出て、特に赤城の艤装の修理に多大な時間と資材を要することとなった。さらに宿毛湾本隊から出撃した翔鶴率いる遊撃部隊の消費資材も課金(チャージ)され、もっと言えば、試作の統合型指揮統制システムの開発費用も教導艦隊の予算から捻出している。

 

 損益(P/L)べースでのバランスは何とか取れているが、残り少なくなった教導期間から逆算して貸借(B/S)ベースを見ると、財政状況の悪化が懸念される。宿毛湾本隊から借入を起こすほどではないが、日南中尉は財政バランス改善のため、2-2以後はしばらく遠征に集中し、収支状況の好転を図っていた。その一環での1-6進出だったのだが…。

 

 -こればっかりは出撃してみないと分かりませんから…。

 

 1-6進出と参加させる艦娘についてアドバイスを求めた際、ゆるふわのツインテールを揺らしながら顎に細い指をあて微妙な表情を浮かべていた鹿島は、この状況を予見していたのかもしれない。

 

 

 

 『!すでのな』『おかえりなさい』などと書かれたヘルメットを被った妖精さんが資材や機材を抱え忙しく飛び回る港の一角の人だかりでは、工廠に搬送する前に、明石と夕張が損傷を受けた艦娘に応急処置を施している。あそこだね、と時雨と日南中尉が頷き合い近づいてゆくと、傷の治療に上がる悲鳴が聞こえていた。帰還したのは日向、涼月、皐月、文月、阿武隈、そして泣きそうな声を上げているのは、旗艦を務めた改風早型補給艦の一番艦、速吸である。

 

 「い、痛い! あぁ、大事な補給物資が…も、もう! …あ、ちゅ、中尉さんっ!?」

 

 慌てて立ち上がり敬礼で出迎えようとした速吸だが、痛めている脚に力が入らず、すぐにしゃがみ込んでしまった。さらに派手に破れた制服(ジャージ)から見えてしまう素肌を気にして体を庇うようにくるりと後ろを向き、首だけで振り返ると中尉に申し訳なさと恥ずかしさの混じった、泣きそうな視線を送っている。

 

 「ちゅ、中尉さんっ! えへへ…速吸、被弾には弱くて…ごめんなさい。でも次は…次できっと練度が…そうすれば、だから…」

 「いや、無理に立たなくていいから。それよりも、早く入渠を済ませてきてくれ。とにかく、次で…」

 

 だから…の後は言葉にならず飲み込んだ速吸は、夕張に支えられながらストレッチャーに乗せられると、すぐさま工廠へと搬送されていった。

 「…中尉、速吸さんはああ言ってるけど、資源獲得のための作戦がこれじゃ…。次はやっぱり…」

 「…けどね、彼女は自分たち教導艦隊のために自分から協力を申し出て頑張ってくれている、何かいい手はないかな、と思うんだ」

 

 

 宿毛湾本隊の非戦闘艦娘の中で、着任が新しい速吸の練度はさほど高くないが、あと少しで改装可能な水準に到達する。それでも紙装甲と低回避なので被弾即大破のリスクを抱えたままなのは変わらないが、艦上攻撃機の運用が可能になり、通称『流星拳』と呼ばれるほどの攻撃力を獲得、局面が大きく変わる。

 

 だが、彼女は貸与艦である。

 

 貸与にはふた通りの意味がある。一つは海域突破のための臨時戦力で作戦が終われば本隊へ戻る。もう一つは転籍を前提とし、一定期間後に艦娘の合意の元で完全転籍が果たされる。前者なら一時的な所属で改装を教導艦隊で行う必要はない。

 

 ー私達艦娘は『今』と『過去』の両方を生きてます。戦船として戦い、破れた過去を下敷きにして甦って、新たな時代でも戦っています。そんな私達に『戦うな』って言うのは、ちょっと残酷かなあ、って…。私は補給艦でとっても弱くて、でも、もし目の前で仲間が深海棲艦に攻撃されたら、絶対に戦います。自分の身を犠牲にしてでも守りたいですっ-

 

 それはある日、迷いの中にいた当時の中尉の目を覚ますきっかけとなった、速吸が日南中尉に語った胸の裡。その言葉の通り、彼女は教導艦隊のために自ら参加してくれた。その一方で、多くの艦娘が知っているように、日南中尉への憧れや転籍への期待が無いと言えば嘘になるだろう。

 

 そしてあと一歩まで来た改装までの水準。貸与艦に改装を施す意味、それは受け入れ先が貸与された艦娘の将来に責任を持つことを意味し、完全転籍への意思表示となる。その鍵は日南中尉が持っていて、彼が改装を指示すれば速吸は拒まない、というよりむしろ期待しているのだろうが、果たして―――。

 

 「装備、指揮…きっと見直すべき点はあるはずなんだ。次で必ず…」

 

 速吸を見送る日南中尉の横顔を、時雨は以前には見せたことのない厳しい表情で見つめていた。

 

 -次でダメなら…いったん速吸さんを外して編成を見直した方がいいと思うんだ、うん。秘書艦としてはこれ以上の資源消費は避けたいよ。その後は、僕が出てもいいかな…対空も対潜も得意な方だと思うんだけど、な…。

 

 

 

 『次』という言葉に続く三者三様の思いに答えがないまま、1-6進出は延期が決定されることとなった。桜井中将から日南中尉に命じられた呉への出張業務のためである。

 

 それは呉鎮守府で西日本の拠点向けに開催される『第三世代技術運用展示会-駆逐艦編』への参加。海軍を構成する複数の統括部門のうち、参謀本部と技術本部が共同主催するこのイベントは、艦娘の最新運用技術についてのエキシビジョンで、今回は駆逐艦に関する技術展示が中心という。

 

 羅針盤に左右されない航路を辿れる1-6は、進軍自体に困難は多くない。問題は道中での大破撤退をどう防ぐのか-速吸を旗艦に据え、低練度の駆逐艦を中心に編成する艦隊で達成を狙う日南中尉は、この展示会が何か参考になるかも知れない、との思いで、彼にしては珍しく飛びつくように判断をくだした。

 

 そんな自分の振る舞いに気付き、照れくさそうにソファに腰を下ろした日南中尉を温かく、眩しそうに目を細めて見ていた中将は、杖をついて立ち上がると執務机に向かい、事前に送られていた参加案内を取り出すと中尉に差し出した。

 

 「私が行くよりも、これからの海軍を担う君のような若手に行ってもらう方がいいと思うんだ。案内によれば、同行させていい艦娘は原則一名、最大でも二名とのことだ。技術展示会ということでもあり、夕張か明石のいずれかを同行させるが、それは構わないだろう? あと一名の選定は君に任せる、出発の前日までに決定し報告すること、いいね。ただ、時雨は同行者から外すように。私からはそれだけだ。会期は二日間、一泊二日の出張になる。教導艦隊の有事指揮権は無論私が持つが、通常時の代行指揮命令系統を設定して併せて報告するように」

 

 「中将…なぜ、時雨だけを同行者の候補から外すのか、理由を伺ってもよろしいでしょうか?」

 

 あまりにも淡々とした、それでいて違和感のある内容。出張の内容や目的も納得が行くもので、同行者はこれから考えるにしても、時雨の件は理由に見当が付かない。

 

 「時雨には私から直接頼みたい仕事があってね。これはいくら君にでも内容は明かせない。直命として理解してもらえるかな」

 

 柔らかく微笑み返しながら、中将の目は笑っていない。これ以上の質問は無意味、とすぐに日南中尉は悟り、消えない内心のもやもやを隠しながら席から立ち上がり敬礼の姿勢を取ると、くるりと踵を返し退出する。ばたり、と重い音を立てドアが閉まるのを確認したが、桜井中将は表情を崩さない。

 

 「教導期間も中盤を超えてきたからね、その先のことを決めるために艦娘達の進路調査を今から始めないとならなくてね。この機会を利用させてもらうのだが、悪く思わないでくれよ」

 

 そして執務机の背後の窓から外を眺める中将はぼそりと呟く。

 

 「…一名だけ同行者を選ぶ、というのは海域攻略より大変ではないのか、日南君…健闘を祈る」



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053. 不完全に理想的な力

 前回のあらすじ。
 新章突入、出張ですって。


 「日南君の出張は、翔鶴もかなり気になっているようだね?」

 「だって…おそらく同行する艦娘にとっては大きな…すごく意味のある時間になりますから」

 「そもそも用務外出…出張なんだよ? 何をそんなに―――」

 そこまで言い、桜井中将は翔鶴の気配が変わったのに気付いたが手遅れだった。

 

 「…これだけ長く一緒にいると、やっぱり最初の頃の思い出なんて忘れちゃうのかしら…」

 

 それは遠い昔話。若き日の桜井少佐(当時)と翔鶴の関係が明確に変わり始めたのは、やはり出張への同行がきっかけで、翔鶴はその点を指摘している。やっちゃったなぁ、と気まずそうに頬を掻く中将だが、彼にとっても忘れ得ぬ時間であり、思い出は今も色褪せない。

 

 「………艦娘(私達)は、心の全てを預けられる方と一緒なら、どんな死地でも笑って赴きますし、どんな敵でも怖れず、どこまでも強くなります。そんな相手に思いが募れば、身も心も一つになりたい、自然にそう思います。人間(ヒト)が思うよりも…私達はずっと生々しいですよ? 」

 

 大切な何かを思い出すように、胸の前で手を組んで目を閉じうっとりとした表情を浮かべていた翔鶴だが、目を開くと一転ジト目で中将に視線を送る。

 

 「だからといって…私たちの方からホイホイ誘ったりできないのに。ほんと、男の人って鈍感…」

 

 ははは、と乾いた笑いを浮かべる桜井中将だが、翔鶴の言葉に改めて艦娘という存在に思いを馳せていた。

 

 一途に濃やかに、重ねた想いを力に変える、ヒトの理想(あこがれ)ともいえる姿。

 

 鋼鉄の暴風と咆哮で全てを破壊し焼き払う、力の象徴。

 

 心を預けられなければ強くなれない、兵器として安定性を欠く不完全さ。

 

 それが艦娘という、女性の柔らかさに鋼鉄の暴力と豊かな感情を持つ、人の現身にして人と異なる存在―――。

 

 

 

 呉への出張に一名随伴する旨は教導艦隊にも告知され、宿毛湾本隊にも通知があったが、艦娘たちの反応はあまり関心がないようにも見えた。一名だけ同行者を選ぶ、という行為を合理的に考えすぎていた日南中尉は、艦娘たちの反応が冷静さではなく、自分以外の他の艦娘に対する静かな牽制であることに気づけなかった。

 

 呉で開催される『第三世代技術運用展示会-駆逐艦編』。だが、案内をよく読んだ中尉は思わず眉を顰めた。同行可能な艦娘の種別が指定または制限されていない。となると、駆逐艦向けの技術運用展示会に超弩級戦艦や正規空母が参加してもよいことになる。大型艦が参加してはいけない訳ではないが、内容を考えると自ずと駆逐艦、せいぜい水雷戦隊を指揮する関係で軽巡だろう、というのが中尉の理解。

 

 けれども、そんなロジックは艦娘達にはあまり意味がなかった模様で、桜井中将との打ち合わせを終え本部棟から第二司令部へ戻る道すがら、日南中尉は自分の考えが甘かったことを身を以て理解した。

 

 「いい加減にしなさい、鹿島。貴女は宿毛湾の教官であって教導艦隊の所属ではないのですよ? そもそも…」

 訪れた宿毛湾の本部棟では、呆れ顔の香取に説教を受け、大きなスーツケースを持った鹿島が涙目でしゅんとしているのを見かけたり。

 

 「こうやって改まって話すのは初めてだな。この長門…最新技術というものにいささか興味があってだな、しかも噂によればくちくかんが呉に集結するのだろう? あ、おい、どこに行く? まだ話は終わってないぞっ」

 宿毛湾本隊の長門が珍しく話しかけてきたと思えばナガモンだったり。

 

 「展示会(エキスポ)といえばライブッ! 那珂ちゃん、張り切って歌うよぉー! えー、なんでプロデューサー補、那珂ちゃんのコト無視するのー? ひっどーいっ!!」

 (目を逸らしながら無言で通り過ぎる日南中尉)

 

 

 

 「………疲れた。やはり主旨に沿って駆逐艦娘から一人選ぶべきかなぁ」

 「中尉………お話が…あるの。呉の出張………」

 

 朝から気ままなアピールに振り回され、やや疲れた日南中尉は廊下を歩いていた。そこを初雪が真剣な表情で呼び止める。その眼差しに中尉も真剣に答えようと言葉の続きを待つ。

 「おみやげ、よろ。広島れもん鍋のもと…ご所望。炬燵とお鍋、最高…」

 夏に鍋…? と首を傾げた中尉だが、初雪の炬燵が通年仕様の冷暖機能完備だったことを思い出し、自分は行かない前提の初雪に、取り敢えずお土産を買う約束をしてその場を離れた。

 

 「おとまり、なんだよね…? …中尉とだったら…村雨は…いいよ…」

 少し恥ずかしそうに制服のスカートの裾を摘みながらふりふりしていた村雨は、ツインテールをふわりと揺らしてくるりと振り返り、意味ありげにウインクして立ち去った。一泊二日の出張への意思表示にも色んな表現があるんだなぁと、村雨の言葉に中尉はむしろ感心していた。

 

 「つまんなさそうだから、島風は行かなくてもいいかなー」

 長い金髪をポニーテールにして首筋を手でぱたぱたと仰ぎながら島風が現れた。訓練上がりで上気した顔に汗を光らせ、細い顎に指を当て一瞬だけ考えたが、展示会に全く興味がない様子。そんなこと言われても業務なんだが…と中尉が一歩近づくと、島風が一歩下がる。ん? と不思議に思った中尉を置き去りにして、島風は困ったような表情で頬を染めながら、両手を広げてぴゅーっと走り去る。

 「ち、近づかないでっ。あ…汗くさかったら…やだもんっ」

 

 

 時雨のいない執務室で一人きり、背中を大きく椅子に預け、うーんと背伸びをしていた日南中尉は、いよいよ困惑してしまった。同行させる予定のない中型艦や大型艦が積極的に参加を希望し、同行を念頭に置いている駆逐艦娘の反応は千差万別だが、いずれにしても主旨が正しく理解されていないようである。中尉もノーアイデアだった訳ではなく、時雨を除けば、実は島風を候補と考えていたが『つまんなさそう』を理由に参加しないと言う始末。

 

 -彼女達を過度に縛るつもりはないけど、規律というか、もう少し統制が利いていた方がいいのかな…?

 

 こんこん。

 

 こんこん。

 

 こんこん。

 

 かちゃり。

 

 「済みません…お返事が無かったので…。あの…お腹すいてませんか。もしよかったら、ふかし芋がありますので、どうですか。ちょうど一五〇〇(ヒトゴーマルマル)、おやつの時間ですし…」

 

 声を聞くまでドアがノックされている事に気付かなかった日南中尉は、セミロングの銀髪を揺らしながら、躊躇いがちに小さく開けたドアの隙間から不安そうな顔を覗かせる涼月を見て、我に返った。

 

 「…いや…ちょうどいい、休憩にしようか。入っていいよ」

 

 執務机を離れ応接セットに日南中尉が向かうのを確認してから涼月も執務室に入り、テーブルにふかし芋の載ったお皿を置くと、お茶を用意しますね、と執務室備え付けのミニキッチンに向かい準備を始める。

 

 「お待たせしました。どうぞ」

 お盆に湯呑が二つ、一方を日南中尉の前に、もう一方をテーブルを挟んだ向かい側に置き、涼月もソファに腰掛ける。

 「ああ、ありがとう」

 これ以上ない生返事で、ぼんやりとしたまま中尉は涼月に返事をし湯呑を手に取り、ずずっとお茶を飲む。休憩と言いながら、手には展示会の案内を持ったままで、視線はそこに集中している。

 

 「中尉、お芋も召し上がってくださいね」

 「ああ、ありがとう」

 相変わらずの生返事を聞いた涼月は、すっと手を伸ばすと、ふかし芋の載った皿の位置を静かにずらす。中尉は書類から目を離さず手だけを伸ばすが、指先がかつん、とテーブルに当りハッとして顔を上げる。目の前には悪戯っぽく微笑む涼月の顔。

 

 「…済まない。自分で思っていた以上に煮詰まっているみたいで…」

 

 気まずそうな表情を浮かべる中尉に、涼月は訥々と、穏やかな口調で話し始める。

 

 「駆逐艦の技術展示会、ですよね…? 私にも守れるものが増える、新しい何かがあれば…それは…嬉しい事…。もし中尉が…私を連れて行ってくれるなら…」

 

 涼月の空色の瞳が日南中尉を捉えて離さず、中尉も吸い込まれる様に目を逸らせずにいる。無言のまましばらくそうしていた二人だが、涼月は照れくさそうに目を逸らし、お茶を淹れ直しますと立ち上がる。

 

 -希望者は技術実証試験に参加できるのか…。その場合の推奨条件は、練度でいえば中程度の方が効果を体感しやすい、と…。これからの艦隊運営での駆逐艦の役割を考えると、対空対潜が中心になるんだよ、な…。

 

 目の前で揺れる銀髪は、全ての条件を満たしている…と中尉がぼんやりと眺めていると、視線に気づいた涼月が、少し戸惑ったような表情で、小首を傾げていた。

 

 

 

 日南中尉が、宿毛湾本隊から明石を、教導艦隊から涼月を伴い呉鎮守府へ向かう船に揺られていた頃、桜井中将の執務室に呼び出された時雨は姿勢を正し立っていた。凛とした指揮官としての表情を見せる中将を前にして、時雨にも自然と緊張感が走る。

 

 「さて時雨、今回君を日南君に帯同させなかった理由が分かるかい?」

 「…………」

 

 時雨は無言で首を横に振り仕草で答える。お行儀のいい答え方ではないが、むしろ中将の雰囲気に圧倒されて声が出なかった、という方が正解かも知れない。

 

 「これは定例の監査なんだけれど…。艦娘の発言の公平性や自発性を担保するために、指揮官と秘書艦を物理的に離して実施する手順(プロトコル)なものでね、このタイミングを利用させてもらったんだ、悪く思わないでほしい。秘書艦の君には、監査担当艦娘からのヒアリングへの回答、書類提出、質疑応答などを対応してもらう。同時に、君を含め教導艦隊所属の艦娘には第一次進路調査を行う。日南君が教導課程を修了したと仮定し、新たな任地に共に赴任したいかどうか、現時点での意思を確認するものだ」

 

 「…そっか、だから日南中尉と僕が一緒にいてもいなくてもダメなんだね」

 「理解が早くて助かるよ。そういうことだね」

 

 執務机に両肘をついて手を組み口元を隠す、いわゆるゲンドウのポーズを取りながら、桜井中将は今日初めて、眩しそうに目を細めながら時雨に微笑みかけた。その微笑みに時雨の緊張が解けた分、別な疑問も浮かんできた。

 

 「あの…中将、質問してもいい、かな? 進路調査は…その、中尉と同行した子はどうするの?」

 「出発前にヒアリングは済ませたよ。回答は個人情報なので言えないが…」

 

 聞かなくても分かるけどね、と時雨はぽつりと呟く。本人も強く希望し、日南中尉も望み、教導艦隊に配属された涼月。艦隊が強力になり戦力が厚くなるのは喜ばしいけれど、同じように僕も必要とされているのかな…くるくると変わる時雨の表情を見ていた桜井中将が、冷静な表情で語り掛ける。

 

 「指揮官と秘書艦は拠点及び艦隊を一体的に運用する存在で、指揮官と意思疎通を図りながら、その指揮言動を客観的に判断し、必要な意見具申により補佐、時には是正する…のだが、時雨、君と日南君の関係は―――」

 

 「いきなりそんな事を答えるの? …うん、ちょっぴり僕も、恥ずかしい…かな…」

 

 照れ照れと身をよじらせる時雨が何を言い出すのかと、むしろ桜井中将の方が身構えてしまった所から、教導艦隊への監査は始まった。

 



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054. 数字の裏にある思い

 前回のあらすじ
 白い子、出張。あと明石も。


 呉鎮守府-横須賀とともに兵器開発、造船の最重要拠点として帝国海軍時代には最前線であり続けた。時を経た現在、設備の全てを艦娘の運用に特化させ一新されたが西日本の最重要拠点なのは変わりなく、精強な海の守護者として君臨する基地である。

 

 到着した日南中尉と涼月、そして明石の三人は、世界をリードする先鋭的な技術とは対照的に、赤褐色の煉瓦と御影石で作られた重厚な美しさを誇る建築物群の間を抜け、目的の『第三世代技術展示会』会場となる大講堂まで歩いている。

 

 そして呉の西方沖合には、日南中尉が兵学校時代を過ごした江田島がある。築地にあった前身となる海軍操練所が明治期に移転し、以来帝国海軍、自衛隊を経て現在まで、時代を超え海軍を支える人材を輩出し続けている。ちなみに江田島が兵学校の所在地に選定された理由は、軍艦の錨泊が出来る入江があり、教育に専念できる隔離された環境で、かつ気候が温暖で安定しているからとのこと。

 

 

 ―――などという他愛もない話が、少し離れて前を歩く日南中尉と涼月の間で交わされているのを、後ろから眺める明石はつまらなさそうに聞くしかなかった。

 

 「呉方面(こっちのほう)に来たのは久しぶりでね。卒業してからそんなに経ってないけど、なんだか懐かしいよ」

 「そうなんですね…。中尉が青春の日々を過ごされた兵学校が近くに…」

 「青春の日々って…自分は今も若いと思うんだけど」

 「クスッ、でも学生時代の中尉は…きっと、モテました、よね…?」

 「兵学校は男ばかりだし、江田島に隔離されていたようなものだからね…。出会いなんてなかったよ」

 

 並んで歩く二人は、肩が触れるか触れないかの微妙な距離感。ちょっとした()()()()()()手と手が触れてもおかしくない。そんな不自然な自然さを求めて、躊躇いがちに涼月の手は微妙な動きを続けているように見える。

 

 明石から見れば、涼月方面から中尉方面に濃い空気が流れ込んでいるのがはっきり分かる。初夏の日差しに煌めく銀髪を風に揺らし、前髪越しに中尉を見上げるようにキラキラした瞳で視線を逸らさない涼月は、贔屓目無しに可愛らしく、嬉しそうである。時雨や村雨、鹿島あたりが見たら嫉妬でゴゴゴ…するのは間違いなさそうだ。明石自身は日南中尉をよく知っているとは言えず、基本は業務上のやりとりである。けれども聞いた話では、時雨とは国内災害復旧支援派遣で出会い、ウォースパイトとはキール留学中に何やらワケありになり、そして出張中の呉つまり目の前では涼月と現在進行中…外出先だと、この人は無自覚にモテ力を解放(卍解)しちゃうのかも…そう明石は観察し、すっと左手を耳元に寄せる。

 

 「こちら『鉄骨番長』…状況は、お知らせした通りです。涼月ちゃんの火力も相当ですが、それを遥かに上回る日南中尉の火力、生で見ると相当すごいですねー」

 

 ピンク色の髪に隠していたインカムを動かし口元にあて、ぼそぼそと呟く明石。コードネーム鉄骨番長を名乗る特務員(エージェント)、それが明石の非公式な役目。中継先は、言うまでもなく教導艦隊の艦娘たちが詰めている多目的ルームである。明石と涼月の出張同行が決まった際、多くの艦娘が脅威を感じたという。無論、明石にではなく涼月に。そして留守番組は工廠に押しかけて明石と間宮券を材料に交渉し、現場状況の定期報告と大破(あやまち)ストッパーの役割を担ってもらうことに成功したのだった。

 

 

 

 一方同じ頃、宿毛湾泊地第二司令部作戦司令室、要するに日南中尉の執務室では、秘書艦の時雨が分厚いファイルの束をどんどんと執務机に積み上げている。

 

 「えっと、これで頼まれた資料は揃ったと思うんだけど…、どう、かな?」

 

 はぁっと溜息を盛大につきながら、ぼんやりと天井、天井から窓、窓から遥か呉へと思いを馳せる時雨に、目の前に座り大量のファイルを受け取った監査担当の艦娘が、にこやかに笑いかける。

 「時雨ちゃん大丈夫? さあ、頑張りましょうね、これからが本番ですよ」

 

 割烹着に赤いリボンとヘアピンが特徴の朗らかな雰囲気、何気にかなりなボリュームの胸部装甲…言わずと知れた給糧艦の間宮がここにいる。宿毛湾の間宮と言えば、海軍でも指折りの甘味処として名を知られているが、もう一つの顔は宿毛湾泊地全体を管轄する内部監査員(オーディター)である。卓越した和菓子職人にして臨床心理学のエキスパートでもあり、さらに財務会計や兵站管理にも造詣が深い間宮は、拠点運営の客観的な評価を担当する、ある意味で最もシビアなお姉さんだったりする。

 

 往時の間宮も強力な通信設備を搭載し、寄港先で密かに各艦の通信状況を傍受監視、不良通信艦の摘発や通信技量の測定などを行う無線監査艦という顔も持っていた。間宮に摘発された不良艦は後日艦隊司令部に呼び出され、こってり油を絞られる羽目になったという。

 

 そのシビアなお姉さんは、普段は時雨が座る秘書艦用のデスクにぐいっと体を近づけて座り、手元近くまでラップトップを寄せ、左側に積まれたファイルを繰りながらPCの画面に表示させるファイルを次々と切り替えて、交互に確認を続けている。

 

 「すご…い、あれでよく見えるものだね…」

 どーんとデスクの上にオーバーハングしている巨大なバルジのせいで、間宮が視線を下に向けても手元はろくに見えないはずである。それでも何の問題もなくPCの操作を続け資料の確認を続けている。時折質問を受けたり追加の資料を頼まれたりしたが、これまでのところ順調に監査は推移しているようだ。ふう…と軽くため息をつき、間宮が両手を挙げて大きく背伸びをする。強調されている箇所がさらに強調される。

 「すご…い、あれなら確かに肩も凝るよね…」

 

 時雨の呟きに気付いたのか気付かないのか、間宮がにっこりと笑いかける。つられて時雨も微笑みたくなるような、そんな朗らかで明るい笑顔で、間宮は言葉を選びながら慎重に話を始める。

 

 「少し休憩にしますね。監査結果は私から報告書を桜井中将にお出ししますので、ここではお話できないの、ごめんなさい。でも、臨床心理士(CCP)としては、とても興味深いことが分かったので、少し時雨さんとお話がしたいと思います」

 

 時雨がきょとんとした顔で間宮を見つめ返す。質問に答えただけで、時雨と間宮は特別込み入った話もしていない。なのにどんなことが分かったのだろうか…と時雨も興味津々で、予備のキャスター付きの椅子に腰かけると、しゃーっと床を走らせ間宮のすぐそばまでやってきた。そんな時雨を柔らかく見守っていた間宮の視線が再びラップトップに戻る。

 

 「司令官と秘書艦の管理業務の大半は、資材や資源管理、戦績分析などに伴うものですから、扱うデータは膨大なもので、決して簡単な業務ではありません。日南中尉ご自身が元々数字に強いタイプなのでしょうが、彼のデータ管理はかなり高いレベルで整合性の取れた、見ていて気持ちのいい内容でした。ですが―――」

 

 ですが、に続く言葉を時雨が待つ。

 

 「ある時点からファイルの作り方が変わりましたね。何か、心当たりはありますか?」

 「心当たりは、ないかな…でも、いつだっけ…あぁそうだ、確か…南西諸島海域に進出したあたりかな、色々システムをいじってた、かな」

 

 「なるほど…戦場に出ることと管理業務の両立は決して楽ではありませんから、少しでも秘書艦の負担を軽くしようという、中尉のお気持ちがそのまま形になっているようですね。一見シンプルに見えて使いやすく、それでいて裏側では緻密なデータ処理を可能にするプログラムの走るファイル…大切にしてもらってますね、時雨さん。例え中尉が言葉で言わずとも、あなたの働きやすさと高度なデータ処理を両立しよう、という配慮が隅々に感じられます」

 

 

 そっか、そうなんだ…と、時雨は照れて真っ赤になった頬をぽりぽりと掻くしかできずにいた。こういうのは他人に言われる方が効果絶大である。だが、時雨が照れている間に、間宮の表情は少し冷めたように変わる。自分が言葉に込めた意味に、時雨が気付かなかったことへの軽い失望とそれでも説いて聞かせる優しさの入り混じった複雑な色。

 

 「…いくら日南中尉が優秀でも、相当忙しいと思いますよ。本来自分を補佐してくれるはずの秘書艦の仕事を減らすための仕事を増やしてるのですから。…時雨さん、あなたは日南中尉が秘書艦に、いいえ、自分の一番そばにいる艦娘に何を望んでいるのか、考えたことがありますか?」

 

 「え………」

 

 時雨は完全に言葉を失ってしまった。淡々と、それでいて核心を付く間宮の言葉。自分のことを見てほしい…教導艦隊に艦娘が増えるにつれ、そんな思いばかり募っていった。思いが募るほど、自分のことばかり考えるようになってたかも知れない。見ているつもりだけど、僕は中尉の事をちゃんと見てないのかな? 間宮さんの言葉が、ちょっと…ううん、すごく痛い、かな…。それでも何か言わなきゃ…中尉が望むのは…。

 

 「え………と………おにぎり、かな」

 

 僕には失望したよ、何でよりによってこんな事しか言えないかな…。焦っていたとはいえ自分の口から出た言葉に、時雨はほとんど泣き出しそうな表情でがくっと項垂れてしまった。

 

 「これからちゃんと中尉と向き合っていけばいいと思いますよ。さぁ時雨ちゃん、間宮特製の羊羹でも食べませんか? 一息入れて、続きに取り掛かりましょう、ね?」

 

 

 

 「それで、あなたの方がいかがでしたか?」

 

 ことり、と執務机に湯呑を置いた翔鶴が、ヒアリング結果を取りまとめている桜井中将に話しかける。目的語の無い曖昧な質問の意図を質すでもなく、ラップトップと睨めっこしていた中将は、隣に立つ秘書艦に向かい、肩を少しだけ竦めて軽口を叩くように問いに答える。翔鶴としても訊いてはいるが答は分かり切っているようなもの。ただ、それでも一応聞いておきたい、という風情で中将の言葉を待つ。

 

 第一次ヒアリング―――教導過程が後半に差し掛かった時点で行わる、教導艦隊に所属する艦娘への進路調査。司令部候補生は、教導過程を無事修了した後は、いずれかの基地の拠点長として正式に任じられる。その時が来たと仮定し、その艦隊への配属を希望するか否か、現時点での意向を確認するというもの。もちろんそれだけが目的ではなく、艦娘と話し合う過程で得られる情報を元に、育成方針の見直しや改善点の洗い出し、場合によっては不法行為の発見など、これも教導艦隊への評価と監査の一部を兼ねている。

 

 「今回のヒアリングは犯人を知っている推理小説を読むようなものだからね、進路調査というよりは、単なる確認作業といった感じで、時間もほとんどかからなかった。()()全員、日南君についてゆきたいそうだ。目立った問題も話題に上らなかったし、着任当初の不安定さを考えれば大きな進歩だと思うよ、これまでの所は」

 

 「ほぼ、ですか?」

 

 翔鶴が不審気に眉を顰め表情だけで問い返す。桜井中将はぎいっと音を鳴らしながら背もたれに背中を預け、翔鶴を見上げるようにしてその疑問に答える。

 

 「ああ…態度保留、という子がいてね、決められない自分に戸惑っている様子だった。艦娘にとって、進路を自分で決められる数少ない機会なんだ、焦る必要はない、よく考えればいいんだよ」

 



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055. 邂逅

 前回のあらすじ。
 監査で時雨ヘコむ、進路調査で気難し屋さん見つかる。


 呉鎮守府大講堂―――。

 

 鎮守府の本部棟となる総監部庁舎の奥に聳えるのは、海軍兵学校のそれと同様に花崗岩で表面を飾られた白亜の殿堂が技術展示会の会場となる。左右に弧を描く車寄せの中央にある重厚なエントランスの前には衛兵が物々しく無表情で立ち、ボディチェックを受けてようやく受付へと向かう事が出来る。

 

 広々としたエントランスホールでは、社交界さながらに各拠点の拠点長や秘書艦、同行艦と、今回の企画を主催した参謀本部や技術本部の担当者が話し合い(ロビー活動をし)、楽し気な歓談から怪しげなヒソヒソ話まで、なんとも混然一体とした雰囲気。その先にある扉の向こうで開かれる展示会はどうやら入退室自由らしく、多くの来場者の往来が見える。

 

 日南中尉が受付に進み入場手続きを申し出ると、担当する技術本部の技術少佐は一瞬怪訝な、そして明らかに見下すような表情に変わった。各拠点の長またはそれに準じる者の参加が想定され、受付簿に記される階級は最低でも佐官、少佐以上と思い込んでいた所に現れた若い尉官。だが明石が桜井中将から託された委任状を提出して派遣元が宿毛湾泊地であることが分かると、ようやく納得した様子である。

 

 今回の『第三世代技術運用展示会-駆逐艦編』は、参謀本部と技術本部の提唱するエンジニアリング手法の導入の支持拡大のためのイベントであり、彼らにとって決定権や影響力のない参加者は願い下げなのである。だが宿毛湾の司令部候補生ということは、本人の実績次第では若くして将官の座を得る事も現実的に視野に入るエリートと見て差し支えない、と素早く計算を済ませた技術少佐は、態度を変えにこやかに応対を始めた。

 

 「ああ…司令部候補生でしたか。なるほど、それならば…失礼しました、こちらがIDカードになりますので」

 

 そうして手渡されたIDカードと首からかけるカードホルダーは一人分しかなかった。日南中尉が涼月と明石の分を求めると、技術少佐は再び何言ってるのコイツという表情を見せた。

 「艦娘は複数のバイオメトリクスの組み合わせで個体認証してますけど?」

 受付の技術少佐は、自分にとって既知の事実が他人にもそうであると思い込む、二流技術者に見られる口調で言い捨てると、次の来場者の対応のため中尉を残して立ち去った。

 

 「………」

 日南中尉はすっきりしない思いのまま、涼月と明石に視線を送ってしまう。明石は当然ですね、という表情を、涼月は()()()()()()を強調された…そんな切なそうな表情を、それぞれ見せている。

 「そんなことよりも中尉、最新鋭の装備です、新技術です、早く行きましょう!」

 待ちきれない、と言わんばかりに展示会場へと駆け込む明石を見送りながら、気持ちを切り替える様に中尉が涼月に声をかけ、手を差し出す。

 「行こうか」

 「え…その…これは…つなぐ…の…?」

 島風とは「ん」「ん」だけのやりとりで成立する一連の流れを、中尉は無意識かつ無自覚に涼月にもしてしまった。人もそこそこ多いしはぐれないように、という意味で中尉が差し出した手。涼月はみるみるうちに頬を真っ赤に染めたものの、降って湧いた機会を逃がさないかのように、思わず指と指を絡めて握ってしまった。

 

 

 

 鮮やかな照明が室内を照らし、展示される兵装の周りを彼女たちがまとわりつくように彩る。武骨で冷たさを感じさせる武器と、柔らかく丸みを帯びた女性の曲線の組み合わせは対照的であり、どこか煽情的である。普段とは違い、イベントガール的なアレと言うかピッチピチな装いで、彼女たちーぷにぷにと柔らかいほっぺに黒いくりくりした目、ふよふよと装備品の周囲を飛び回ったり、腰掛けてポーズを決めたりする妖精さん達ーなりに展示会(エキスポ)を盛り上げようと一肌も二肌も脱ごうとしている。

 

 改修を重ねる事でより強力なC型改二やD型改二へと発展する基本装備の一二.七cm連装砲や、駆逐艦娘最大の武器となる六一cm酸素魚雷系列など、すでに各地の拠点に詳しい改修方法が通知されている正面装備は、威力の向上が見込める特定の艦娘との組み合わせが紹介されている。別のブースに展示される電探系やソナー系の電子兵装を中心とした海外の艦娘の装備品はあくまでも参考展示、皆ふむふむと一通り見ると立ち去ってしまい妖精さん達も暇そうである。ただ、明石は違ったようで、食い入るように見入っていたかと思うと、妖精さん達と熱い技術談議に花を咲かせている。日南中尉の元に戻ってきた明石は、興奮冷めやらぬ様子で一気にまくしたてると、次のブースへ向かっていった。

 

 「いやーすごいですねー。悔しいけど、やっぱり電子兵装は舶来由来の装備品の方が性能も安定性も上回ってます。なんていうのかな、一つ一つの基礎工業技術に少しずつ差があって、最終的に大きな差を付けられてるような感じ…。でもやっぱりあちらが気になるので、ではっ!」

 

 明石の向かった先にあるのは、技術本部が開発に成功した最新鋭装備の試製一五cm九連装対潜噴進砲や集中配備式三式爆雷投射機。海外由来の電子兵装もそうだが、これら最新の装備品は現時点では一般拠点の開発が行えず、技術本部と実戦での動作検証を委託されたごく一部の拠点でしか運用されないため、明石だけでなく多くの来場者がかぶりつきで見入っている。

 

 階級章も飾緒も豪奢な将官が多数居並ぶ展示会場にあって、尉官に過ぎない日南中尉の装いはいたってシンプルに見え、かつ際立って若い。それだけでも目を引くのに、同行しているのは、今の所前々回の大規模侵攻(イベント)でのみ邂逅が確認された涼月(むろん明石も一緒だが)とくれば、注目を集めないはずがない。

 「噂には聞いていたよ。君が桜井君の処の秘蔵っ子か」

 「中尉風情と思えば、候補生か…ふん、若造が」

 「民間人救出作戦は見事だったね。詳しく聞かせてくれ」

 日南中尉と涼月はひっきりなしに来場者から話しかけられることになり、なかなか展示を見る事が出来ずに時間が過ぎていった。そしてアナウンスが流れる―――。

 

 『ご来場の皆様、五分後から特別企画展『第三世代技術の展望と実用化』に関する講演が始まります。ぜひこの機会に、艦娘の技術開発の進歩に触れていただきたく思います』

 

 

 

 照明の落ちた大講堂ホールの演壇の後ろ、普段は国旗が掲揚されるスペースを覆い隠すように設置された、二〇〇インチを超えるプロジェクタースクリーンを三面繋いだ巨大な画面に映し出される映像、それはこれまで人類が辿ってきた戦いの歴史であり、艦娘の戦いの歴史。

 

 古いモノクロの映像に艦娘達から声が上がる。太平洋戦争…艦娘達の記憶と魂の在処となる軍艦が戦い、そのほとんどが海へと還った未曽有の戦争の記録、帝国海軍の栄光と苦闘、そして敗北がダイジェストで流れる。

 

 「…私は…大和さんを…守れませんでした…。なのに、自分は佐世保に帰り着いて…」

 涼月が悔しそうにきゅっと唇を噛み締める。画面には米軍機の猛攻を受け必死に回避運動を続ける超弩級戦艦大和の姿が映し出されている。坊ノ岬沖海戦…帝国海軍の最後の水上作戦に参加した涼月は、九ノットでの後進しかできない、ほとんど沈没寸前の被害を受けながらも佐世保まで帰り着いた。彼女が守るべき相手だった大和が轟沈し巨大な黒煙が上がる光景に映像が至った時、ただ静かに、音を立てず涼月の頬を涙が伝い落ちる。

 

 次は軍人たちがうめき声をあげる番だった。深海棲艦と戦う現代の軍隊…炎上し沈みゆくイージス艦や撃墜されバラバラになる戦闘機が映し出され、静まり返ったホールに息を飲む音が広がる。深海棲艦との開戦当初の貴重な、そして悲惨な映像。画面はさらに切り替わり、軍艦大和の姿がモーフィングで艦娘の大和へと変容する。

 

 『人類は艦娘を生み出し、その進化は止まることなく、技術実証モデルの初期艦、量産化に漕ぎつけた第一世代、そして長らく主力を担う現在の第二世代と到達しました』

 

 ナレーションがカットインし、軍産官学に宗教までを加え日本の総力を挙げた天鳥船(あまのとりふね)プロジェクトにより誕生した艦娘が戦局を盛り返し、深海棲艦と互角以上に渡り合えるようになった現在の海軍の戦いの映像が続き、技術の発展に基づいた艦娘の歴史が語られる。やー、こんなお話知らなかったです、と明石が目を丸くするほどの話が続くが、話はやがて核心へと迫り始める。

 

 『海軍の使命は戦闘に勝つことではなく、戦争に勝つことです。そのため、艦娘の開発に当たる技術本部と、作戦指導を担う参謀本部は全面的に協力し、我々は何をすべきか、原点に立ち返りました。その成果が、これから皆様にご紹介する第三世代艦娘の試験運用型です。今後実証試験を繰り返し、開発でも改装でも対応できるよう技術的な熟成を進める予定です。今回の御披露目を通して第三世代艦娘の意義への理解を深め、今後の主力たるべく、皆様からの広い支持を頂けますようお願いいたします』

 

 ナレーションに合わせ映像も終了し、大講堂のホールが一瞬暗闇に包まれる。そしてスポットライトに照らされる演壇。居並ぶ来場者たちの目がホワイトアウトから視界を取り戻した時、壇上には陽炎型の駆逐艦娘が三名立っていた。

 

 ざわめきが細波のようにホールに広がってゆく。壇上の三名は、初めて見る艦娘ではない。進出海域の関係で教導艦隊には未着任だが、邂逅の方法論は発見されており配備済みの拠点も多い。ただ、日南中尉の隣に座っていた涼月は両手で口を押え、大きく目を見開いて思わず立ち上がってしまった。忘れるはずもない、坊ノ岬沖で共に戦った第一七駆逐隊の三名―――。

 

 

 『紹介いたしましょう、第三世代艦娘試験運用艦、陽炎型駆逐艦、八番艦雪風、十二番艦磯風、そして一三番艦浜風です』

 

 

 ホール中のざわめきがさらに広がる。衣装、艤装、身体的な特徴…どこをどう見ても第一次改装を済ませた普通の陽炎型である。思わず立ち上がってしまった涼月も着席したが、日南中尉に向かいおずおずと不安そうに手を伸ばしている。視線だけを優しく送り返し頷いた中尉は、差し出された涼月の小さなを手をきゅっと握り返し、そのままの姿勢で反対側の隣に座る明石に問いかける。

 

 「見た限り、一般的な陽炎型とどこが違うのか自分には分からないけど…どうなんでしょう、明石さん?」

 「私にも同じように見えますねー。事前配布資料では詳細が伏せられてましたし…身体機能に違いがあるのでしょうか? 詳しく確認してみないと何とも言えませんが…」

 

 『私達が今回目指したコンセプトは、原点回帰です。歓談の席をご用意しておりますので、ぜひ皆様にはお近くで三体をご確認いただきたいと思います。明日は希望される方への技術実証試験と演習を予定していますので、ふるってご参加ください』

 

 論より証拠、とでも言いたいのだろう。さながら握手会の要領で来場者一組当たり五分の時間が割り当てられ、直接第三世代艦娘を確かめることができるらしい。そしてそれは、戦闘と戦争、人と艦娘…様々な関係性を、日南中尉に改めて示すものとなった。



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056. BANG DOLLS

 前回のあらすじ
 陽炎型もいいよね。


 始まった立食パーティでの懇親会、改めて見渡してみると、ホールに集う参加者に対し、この展示会を企画主催する参謀本部と技術本部から派遣された文官や技官の多さが目に付く。技術本部の担当者が第三世代艦娘(雪風・磯風・浜風)を伴い紹介して回りつつ、正式採用に向けた支持を訴えるんだろうな…日南中尉は壁に寄りかかりながら場を観察していた。

 

 アルコールに強くない日南中尉はオレンジソーダを飲みつつ、隣に寄り添う涼月に視線を送る。往時の記憶が齎す懐かしさと、自分たちを旧型と定義づける線引きへの怖れの両方が入り混じった視線で、ホール内を動き回り立ち止まり話し込む雪風・磯風・浜風の三名を、涼月は目で追いかけていたが、気を紛らわすように両手で持ったグラスを傾けこくりと一口飲み小さな溜息を零す。

 

 お茶を探していた涼月は、おいしいから試してみたらと中尉に勧められたアイス抹茶オレに、彼女らしいやり取りを経てすっかりはまってしまった模様。

 

 -こんな贅沢、いいのでしょうか…。贅沢に慣れてしまうと…いざというときに…。

 -抹茶オレの一杯も飲めない『いざ』が来ないよう、自分たちが頑張らないとね。

 

 軽い苦笑いを浮かべた中尉が差し出すグラスを、躊躇いつつ受け取り口を付けた涼月は、奇麗な空色の瞳を大きく見開き、ぱぁっとした表情に変わり、それ以来グラスを手放さずにいる。

 

 涼月が三人から目を離さないように、日南中尉も涼月を見つめていた。世代を分けるほどの明確な違いを、涼月とあの三人の間に見いだせない。技術畑ではない日南中尉だが、それでも彼らしい視点で考察していた。そもそもなぜこんな展示会とそれに続く懇親会が必要なのか? 技術本部の担当者は『支持拡大』と言っていた―――。

 

 -そのまま出せば支持されないものの普及を狙っているということか…?

 

 きゅっ。

 

 涼月に上着の裾を掴まれた日南中尉は、はっとする。深く考え込んでいて、目の前に誰かが来ていることに気付かなかった。視線を前に向けると、すぐさま背筋を伸ばし敬礼の姿勢を取る。というより、目の前に来られるまで気付かなかった時点で失態である。

 

 「ああよい、気にせずとも。桜井は息災か?」

 

 滑らかな仕草での答礼とともに、鷹揚な口調で宿毛湾泊地を治める桜井中将の様子を尋ねてきたのは、秘書艦を伴い現れた藤崎 祥一郎(ふじさき しょういちろう)大将、呉鎮守府の提督を勤める人物である。

 

 定年を超えた年齢だが、艦隊本部からの要請で提督職と海軍大学校で非常任の戦術顧問を兼務している。風貌は好々爺然とした小柄な老体だが、いざ艦娘の指揮に当たると精強を謳われる呉の伝統を受け継ぎ、『藤崎の辞書に退却はない』と言われる猛将として知られる。

 

 直立不動の姿勢で日南中尉が桜井中将の様子を説明すると、藤崎大将はうんうんと頷きながら、中尉にとってあまりにも意外なことをぽろりし始めた。

 

 「桜井もよき将官に成長したな。佐官の頃は気に食わない将官にヘッドバットくれるようなヤツだったが…なに、年寄りの余計な戯言だ。それより中尉、前回の作戦…バシー島沖での多方面同時殲滅戦、見事な手際だったな、詳しく聞かせてくれないか」

 

 

 

 「つまり敵は(すべか)らく(みなごろ)しにする、と。なかなかどうして、理論で裏打ちした作戦で敵を殲滅する、クールな武闘派といった所か。ん? どうした、変な顔をして。常に先手を打ち敵に反撃を許さない、貴様のいう C4ISTAR(システム)とやらの本質はそういうことだろう? いや参考になった、幾つになっても学ぶことが多い、だからこの仕事は辞められぬのだ。ではな、また近いうちに―――」

 

 そもそもC4ISTARの源流は米軍の情報処理システムであり、部隊の統制や火力の効率的な発揮、つまり、いかに効率よく敵を殲滅するかを追求したものである。藤崎大将にとって、中尉の行動は『攻撃は最大の防御』以外の何物でもない。そんな彼は、教導艦隊に所属する艦娘達の多くの目には、自分たちが傷つくのを嫌い、それでも避けられない戦いのため作戦とITを駆使して最大限共にあろうとする、繊細で思いやりのある指揮官…そう映っている。

 

 ただ、一部の艦娘が知る、中尉が胸の奥底に秘めた深海棲艦との戦争を和平に導きたいという途方もない夢。物事の優先順位からすれば、その夢の実現ははるか先、過程にあるのは、共にある艦娘(誰か)を守るため分かり合おうとする深海棲艦(誰か)を殺すという現実。

 

 葛藤を飲み込みながら艦娘を守ろうとしている自分は、他者から見ればロジカルに深海棲艦の殲滅を図るクールな武闘派…という矛盾に、藤崎大将の背中を見送る中尉は端正な表情を歪め、唇を噛み締めてしまった。そんな苦悩の時間は、唐突に上がった大声に否応なしに中断させられる。

 

 

 「これだから素人はっ! どいつもこいつも分かってませんねっ」

 

 ()()の艦娘を引率していた技本の担当者、武村 秀仁(たけむら ひでとし)技術少佐がキレている。第三世代艦娘に対し来場者からの反応が芳しくなく、説明や論破に労力と時間を使うことになった鬱憤が一気に噴出したようだ。

 

 「第三世代では、兵器に不要な『感情』を、ゼロではないにせよ、極力抑制しています。『より人間らしく、より女性らしく』を追求した第二世代は、兵器というよりむしろ芸術品です。どれほどの時間と資材を費やし高練度まで育て上げるのですか? その間にどれだけ深海棲艦の跳梁を許せば気が済みますか? 第三世代モデルは、誰が使っても命令への追従性100%っ」

 

 突然上がった大きな声に注目が集まるが、武村少佐は自己陶酔しているのか、一瞬の沈黙の後、演説のように滔々と語り続ける。

 

 「さ・ら・に、第三世代には練度や成長という概念がありません。建造時で完成形、あえて言えば練度六〇程度で現界、性能は100%を発揮っ! 現状では第二世代の艦娘の練度上限には届きませんが、これは技術の成熟とともに解決されます。着任と同時に練度一六五も将来には実用化可能でしょう。大切なのは、艦娘からの信頼感ではなく、艦娘の兵器としての信頼性ではないですか? 限られた提督(アーティスト)だけが扱える艦娘(芸術品)だけで維持できないほど戦線は拡大し、戦闘は激化の一途を辿っています。着任と同時に戦力化、安定した戦闘力、量産性の向上、指揮官を選ばない追従性…これは兵器として最も歓迎されるべき特性ですっ!! いいですか、この凄さが分かりますか? 分からなくても結構、私には分りますので」

 

 話にならない。何のための説明なのか。それでも一旦火が付いた技術少佐の舌は回り続ける。その間に、二人の艦娘-磯風と浜風が日南中尉の方へと近づいてくると、目の前でぴたりと立ち止まり、中尉をじいっと見上げている。

 

 右目を隠した銀髪のボブヘアーが特徴的な浜風と、黒いストレートのロングヘアーの磯風。二人とも紺と白の前止め式セーラー服とグレーのプリーツスカートを組み合わせた制服…見れば見るほど自分の知る艦娘との違いが分からない。だが間近で見たことにより、日南中尉は違和感を覚えた。

 

 

 「どうした? 言いたい事があるなら遠慮するな。何が言いたい?」

 「聞きたいことがあるなら、お答えできるよう、前向きに、検討し、努力、します」

 

 無表情のまま淡々と語られる言葉に、日南中尉は返す言葉に詰まってしまった。涼月に至っては両手で口を覆い、目にうっすらと涙を浮かべている。

 

 

 『いる』のではなく『ある』。

 

 

 日南中尉の違和感を言葉にすれば、そういう感覚。質量のある、物理的な意味で勿論そこに存在するが、肌の温もりや意思の輝き、喜怒哀楽を織り重ねた命の重さを二人から感じられない。中尉の目の前に立つ磯風と浜風には、一切の表情がなく、美しい人形が動き回っている、そんな風にさえ感じさせる立ち居振る舞い。

 

 「あの…君たちは…」

 「次はあそこの若造と話せ、との命令でな、だからやってきたのだ。さぁ、何でも聞くがいい。この磯風、相手になってやろう」

 命令を待つように瞳を覗き込んでくる磯風だが、その整った顔貌に一切の表情がない。日南中尉は、ふと心に浮かんだことをそのまま口にしてみた。

 

 「…『広島れもん鍋のもと』って、どこで買えるか、知ってるかな? 教えてもらえると助かるんだけれど…」

 「なんだそれは? むぅ…いや、だが…この磯風に戦闘以外の事を期待されても…努力はするが…。それにしても、そんな事を聞いてきたのは貴様だけだ。助かる、と言ったな…それを知れば貴様は…助かるんだな、そう、か…分かった…」

 

 宿毛湾を出る前に初雪に頼まれたお土産について、中尉は磯風に質問した。軍務以外の話にどう反応するか、少しでも感情を動かせないか期待しての言葉だったが、反応はなんとも言えないものだった。一方、涼月は必死な表情で両手を浜風の肩に掛け、呼びかけていた。

 

 「浜風…さん、なんですよね? ほんとうに…? 坊ノ岬のこと、覚えて…?」

 「っな、なんですか? 何か、私の兵装に、何か?」

 浜風も言葉とは裏腹に一切の表情がなく、その様子が涼月を余計に悲しませ、苛立たせる。

 「私たちは…今の私たちは…誰を守るのか…誰の元へ帰るのか…自分で選べる可能性が…ある。それはとても嬉しくて…心が温かくなること…。なのに…なのに…」

 それ以上涼月は言葉を続けられず、肩を震わせて泣き出してしまった。その姿を、依然として無表情のままで見つめる浜風だが、一言だけぽつりと呟いた。

 

 「守り…抜きます…。何を…誰に誓ったんだっけ?」

 

 「ああもう、雪風が緊急メンテの必要な状態になったと思えば、貴方がたは勝手にっ! …そうか、命令変更(コマンドチェンジ)してないからか…。まだ調整過程ですからこの硬直性はやむを得ない、という所ですか」

 

 演説を終えた武村技術少佐は、磯風と浜風がそばにいないのに気づき、づかづかと足音も荒く慌てて駆け寄ってきたと思うと、乱暴に涼月と浜風を引き離し、突き飛ばされたような格好になった涼月は、そのまま力なく床にへたり込んでしまった。その様子を見た日南中尉は顔色を変え武村少佐に詰め寄るが、当の少佐は意に介さず言いたいことを言い募り、磯風と浜風を連れて立ち去った。

 

 「雪風は技本で建造し、磯風と浜風(こちらの二人)は改装でアップデートした個体ですが、第三世代を理解できたでしょう? 明日の技術実証試験では、この素晴らしい技術を体験してもらうため、わざわざ艦娘を連れてきてもらったのです。私は雪風のメンテナンスをしなければならないので、それではこれで」

 

 感情の抑制と規格の統一、それは艦娘の完全な兵器化への道、とも言える。日南中尉が宿毛湾で過ごした日々を通して得た、艦娘と向き合い共に歩む道とは対極にある在り方。そしてそれを是とする一派が軍の中枢にいる事実を前に、中尉は愕然としながらも、心の内から沸々と沸き上がる感情-怒りを必死に抑えていた。

 

 -戦争なら…何をしてもいいのか? 感情を…心を殺して戦わせる…彼女達を何だと思ってるんだっ!!



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057. 長い夜

 前回のあらすじ
 兵器。


 「ったく、あの武村…今回のイベント、仕切りとしちゃ最悪の部類だぞ」

 

 宿舎の一室で報告書を作成している一人の男。短く刈り上げた髪、真っ黒に日焼けした精悍な顔貌、軍人より軍人らしく威圧感がある筋肉質の体躯…この展示会での参謀本部側の責任者となる橘川 眞利(きっかわ しんり)特務少佐である。参謀本部と技術本部が合同主催するこの展示会、参謀本部側でも相当力を入れ、異例の事だが大手広告代理店のマーケティング部門からこの男を徴用し(引き抜き)担当に当てている。実際、この男を中心に参謀本部が仕切り横須賀で開催された前回のイベントは評判も上々だった。だが技術本部から“分かってない”“演出過多”とクレームが付いた。

 

 典型的な艦娘主導(プロダクトアウト)-製品が良ければ必ず売れる-の技術本部の発想は、橘川特佐からすれば時代錯誤も甚だしい。そもそも良し悪しを決めるのは作り手ではない。それに支持拡大のためのイベントなのだから、『試してみたい』と現役の提督(ユーザー)の支持を得られねば話にならない。現在の作戦運用体系の支援戦力、あるいは遠征要員として導入を検討してもらうこと、現時点ではそれだけで大成功と考えていた。だが、第三世代の開発陣にとっては、現在の艦娘を主とし、自分たちの手掛けた新型を従とするアプローチが納得できなかったらしい。強行に今回の展示会を仕切る事を主張し開催に漕ぎつけたのだが―――。

 

 

 横柄ともいえる態度で今日のイベントを担当した技本の武村少佐に毒付いた橘川特佐は、自室のベッドで横たわる雪風に視線を投げかける。

 

 武村少佐のメンテナンスの後、技本のラボを抜け出し鎮守府内を彷徨い歩いた雪風は橘川特佐と鉢合わせた。夢遊病のように無表情でふらふらし、呼び掛けても反応のない雪風を橘川特佐は放っておけなかった。技本側に知らせるのが筋だが、あの武村少佐には任せられない。パーティ中に倒れてメンテナンスをしたというが、雪風の不調は一目瞭然だ。偶然であり成り行きであり、こんなことをすれば技本側からどんなクレームが入るか分かったものではない。それでも橘川特佐は雪風を自室に匿った。

 

 「雪風は…沈みません…」

 雪風は、ベッドから弱々しく、それでもにぱっと笑顔を送るが、調子は良くなさそうだ。ノックの音に待ちかねたようにドアへと向かった橘川特佐は、来訪者を伴ってベッドサイドへ近づくと、雪風の頭を撫でながら、つい零してしまった本音を打ち消すように、慌てて言葉を掛ける。

 「俺の娘も深海の糞野郎に殺されてなきゃ、今頃はお前くらいの齢だったんだよなぁ…。ほ、ほら、お前を診に…宿毛湾のやつだっけ? ま、呉や技本じゃなきゃ誰でもいいけど、とにかく明石が来たからもう安心だぞ」

 

 立食パーティ中に多少言葉を交わし知り合った程度だが、橘川特佐からの連絡を受けた明石は駆け付けると、すぐさま雪風の容態を確認し必要な処置を手早く始めた。技本の新型をあっさり直すんだから、この明石は相当優秀なんだろうと、橘川特佐は社交辞令も含め少し大げさに技量を持ち上げたものの、帰ってきたのは冷ややかな視線と吐き捨てる様な言葉だった。

 

 「この程度の調()()なら、私でもできますよ。感情(ある物)を押さえつけ、反応速度(ない物)を無理に引き出す…第三世代なんて仰々しく銘打って、やったことは生体部分のセーフティマージンを無視した乱暴なセッティングですかっ!?」

 

 道理でテクニカルノートが事前配布用の資料に無かった訳だ、と橘川特佐は顔を歪める。イベントは実施して初めて実績になり、実績は次の予算を生む。上層部からのプレッシャーに成果を焦った武村少佐達が、無理矢理第三世代として、既存の艦娘のマイナーチェンジ版をブチあげたのが事の真相だろう。前回のイベントは導入後のメリットにポイントを置いたからボロが出なかったが、今回は技本自ら仕切ったことで技術中心の展示にしてしまい、文字通り墓穴を掘った結果になった。

 

 「そうか…俺はプロモーション担当なんでね、技術的なことは分らんよ。とにかく、雪風を元気にしてやってくれ。この部屋は好きに使ってくれていい。じゃ、そういうことで!」

 

 逃げるように、いや、橘川特佐は実際に逃げ出した。明石の怒りにも雪風の視線にも耐えられなかったのもあるが、この状況は報告しなければならない。疲れた表情を浮かべながら独り言を呟いた橘川特佐は、再び携帯でどこかに連絡を取り、民間臭さの抜けない口調で話し始めた。

 

 「にしても()()()()()()も意地が悪いよなぁ。話の通りなら、最終的には艦娘も技本もお払い箱にするつもりのくせに、その手伝いをさせてんだからよ…。けど、そんな日が来たら、あいつらはどうすんだろうな? ………あっ、お疲れ様です、橘川でございます―――」

 

 

 『戦争を人間の手に取り戻す』―――それが橘川特佐の言うスポンサーが密かに進めるプロジェクトの旗印。聞かされている以上に裏がありそうな話なのは間違いなく、資金力や政治力を考えると、軍に相当の影響力を持つ外部か、あるいは軍の上層部、それも相当上のレベルでの関与を疑っている。ただ、自分も所詮は駒の一つと割り切る彼は、それ以上の詮索をしなかった。

 

 「―――それでは、明日のイベントは中止ですね。これ以上技本では仕切れませんよ。雪風だけならまだしも、そんな事まで起きたのでしたら。ええ、その方が事後処理はスムーズです。ええ…はい、現場の動きは私から逐次ご報告申し上げますので。それでは、はい、失礼いたします」

 

 そんな事―――鎮守府を抜け出そうとした磯風が取り押さえられたという、技本の面目が丸潰れになる事態に、日南中尉も関わってゆくことになる。

 

 

 

 時間軸は荒れた懇親会が終わって来場者が宿舎に戻った後で、橘川特佐が雪風を保護したあたり、明日の技術実証試験や演習の中止が発表される前まで遡る。

 

 ベッドサイドの間接照明だけが陰影を作る室内で、日南中尉はベッドに横になり、ぼんやりと天井を見上げていた。身じろぎ一つしないが、頭の中はフル回転し、同時に波立つ感情も抑えようとしている。

 

 全ての事象には理由や目的があり、それに沿って性能は定義され形が決まる。

 

 なら艦娘は?

 

 最先端のバイオテクノロジーと最深淵のオカルトロジーを融合し生まれた、女性の柔らかさに鋼鉄の暴力、そして濃やかな感情を持つ、人の現身にして人と異なり、人との絆の強さに比例して成長する存在。

 

 第三世代と呼ばれる艦娘は、艦娘を艦娘足らしめる要素を削ぎ落してなお、艦娘を名乗らせようとしている。

 

 懇親会での武村少佐との会話で、『そこまで艦娘の()()()を否定するなら、男性型とか機械そのものにすればいい』と反駁した提督がいた。建造設備を一新せねばならず、そんな莫大なコストはかけられない、という回答に、質問者は苦笑いを浮かべつつ納得していた。それはある部分での正解だろう。

 

 -つまり、戦闘以外にも艦娘に感情が必要な理由がある、ということなんだろうな。それが何か、今の自分には分からないけれど…。

 

 

 こんこん。

 

 まとまらない思索の海に溺れかけていた日南中尉を解き放つようにドアがノックされる。怪訝な表情で上体を起こした中尉だが、ノックの仕方で来訪者は涼月だと見当はつくが理由が思いつかず首を傾げる。何でこんな時間に?

 

 もう一度ドアがノックされたことで、中尉はベッドから降りるとドアに向かい歩き出す。静かにノブを回しドアを少し開けると、予想通り涼月が立っていた。予想外だったのは、パジャマに灰色のケープコートを羽織った姿。湯上りなのだろう、上気した頬に乾ききっていないセミロングの髪がひどく艶めかしい。

 

 「…中尉…遅い時間に…済みません…」

 「あ、ああ…。今じゃないとダメかな? 明日にでも―――」

 「…今じゃないと…ダメな、お話…です…」

 

 自分を見上げる思い詰めた色をのせた空色の瞳に逆らえず、中尉はドアを大きく開き涼月を室内に迎え入れる。取り敢えず照明を付けようとドアから伸びる通路脇の操作盤に手を触れた中尉だが、誤って全消灯してしまった。

 

 「すまない、すぐに照明をつけるから」

 ふぁさっと柔らかい布の音が聞こえた瞬間、中尉の背中に柔らかく温かい体が押し付けられた。寄り添うとか触れるとかではなく、はっきりとした意思で涼月に抱きしめられた。

 

 「す、涼月…? 一体何を…は、話があるんじゃないのか?」

 「はい…大事な…とても大事なお話…」

 日南中尉を抱きしめる涼月の腕に力が籠る。鈍感系でも勘違い系でもない中尉には、何を求められていて、しかも背中に押し付けられる感触から、涼月がどういう格好なのか容易に分かってしまう。ただ、何で突然こんな行動に出たのか―――? 涼月の告白が、彼女の、艦娘の切なさを物語り始める。

 

 「明日の技術実証試験…私を参加させるおつもり、だったのですか? …私も艦娘…強くなれるなら、それは嬉しい事……。でも、磯風さんや浜風さん…彼女達のように、私も…何も感じなくなる…私のこの想いも…無くしてしまう、のでしょうか…? 中尉が望むなら…それでも…涼月は…はい…。ですので、一つだけお願いが…。今の私……中尉の事を好きな私が私でいられる間に…中尉の全てを…涼月に刻んでください。そして…涼月の事を…忘れないで…」

 

 堪らずに日南中尉は涼月の腕を振りほどくと、色々見ないように視線を逸らしながら正面から強く抱きしめる。あっ、と短く声を上げ、一瞬身を固くした涼月の耳元で、日南中尉は自分の思いを明かす。答えであり問いでもある、偽りのない言葉で。

 

 「君たち艦娘がどういう存在なのか、自分は答えられない、ごめん。でも、技本の連中の言う事は、自分には受け入れられない。君と…君たちと重ねてきた時間と、これから重ねる時間を無かった事に…自分は、できない」

 

 二人は一瞬だけ視線を合わせる。潤んだ瞳を隠すように目を閉じた涼月に日南中尉が思わず息を飲む。そして―――。

 

 

 「日南中尉、日南中尉っ!! 駆逐艦磯風に対する脱走教唆の疑いで出頭を命じるっ! ただちにドアを開けるようにっ」

 

 激しくドアが殴打され続け、怒鳴り声が聞こえる。唐突に割り込んできた蛮声に、二人は我に返った。小さな叫び声をあげ雪より白い肌を真っ赤に染めてしゃがみ込んだ涼月に、日南中尉は慌てて着ていた第一種軍装の上着を脱いで涼月の体を覆い、身振り手振りで隠れるように指示をする。涼月がダッシュで部屋の奥に行ったのを確認してからドアを開けた中尉は、特別警察隊に連行されていった。

 

 

 

 「おお、日南中尉か。無事なようだな。この磯風、不覚を取った」

 「いや、自分は…。それよりも何があったんだい?」

 

 腫れた頬を濡れたタオルで覆いながら、磯風は無表情のまま話しかけてきた。その様子から見て、脱走の真偽はともかく、何らかのトラブルがあり取り押さえられたのは確かなのだろう。特別警察隊によると、磯風は日南中尉の無事を確認するまで何も話さないと言い張っていたそうだ。結果、脱走を唆したのは日南中尉で、事が露見した今、磯風は日南中尉の安否を最も気にしている、と判断されたのがこの連行劇に繋がった。

 

 「貴様は言っていたではないか。『広島れもん鍋のもと』の在処を知れば助かると。磯風は知らないのでな、呉の街に出るしかないと判断した」

 「なっ!? 助かるってそういうことじゃないんだけど…。けど、君は自分を助けるために、脱走してまで…?」

 「貴様の救命を最優先しただけだ。だが、何故…貴様の言葉だけを、これほど鮮明に覚えているのか…何故だ?」

 



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058. ハートに火を付けて

 前回のあらすじ
 第三世代? それはセールストークだ。


 第三世代技術運用展示会は、最早イベントの態を成さないものとなっていた。三体用意された新型(正確にはマイナーチェンジ版)も、雪風は不調で早々と退出、磯風は脱走騒ぎ…となればむしろ、長年の運用実績とノウハウが確立された現行の艦娘を大事にしよう、との機運が高まっても不思議はない。

 

 磯風の件でイベントの一方の責任者として特別警察隊の詰所に呼びつけられた橘川特佐は、やれやれ…といった表情で短く刈り揃えた髪をがしがしと掻きながら、守衛に訪問を告げ、詰所まで案内された。あーもう面倒くさい、と内心辟易しているのが顔に出ていたが、案内の守衛がドアを開け、飛び込んできた光景に驚かされた。

 

 コンクリート打ちっぱなしの殺風景な詰所には、ぎゃーぎゃーと激昂している白衣を着た武村少佐、その向こうに置かれたパイプ椅子が二つだが一つは空席。もう一方の椅子にはジャケットオフで第一種軍装を来た若い軍人が、無表情のままの磯風に対面座位的な感じで膝に乗られて密着されている。

 

 随分仲良さそうじゃねーの…と橘川特佐が肩を竦めた所で、椅子に座り困惑した表情を浮かべている若い軍人-日南中尉と目が合った。

 

 「も、申し訳ありません。その…この通りの状況で敬礼もままならず…」

 「なーに、民間出のエセ軍人相手にお楽しみを中断しなくていいさ」

 

 -この二人、いつの間にこんな関係に? てゆーか、磯風には感情ないんだよな?

 

 見た限り、若い軍人に磯風の方からぎゅうっと抱き付いてる光景。感情を抑制されたはずの艦娘が、何しちゃってるの?…橘川少佐が訝しがるのも無理はない。

 

 この若い軍人も、展示会に参加しているからには、拠点長かそれに近い立場、階級は最低でも同格の少佐のはずで、本来こんなぞんざいな口の利き方はご法度。だが見た限り相当若い…若すぎる、ゆえにどこかの拠点の提督に随伴してきた補佐官だろう、違ったら謝罪して態度を改めればいいだけだ、と橘川特佐はわざと気軽な口調で日南中尉に相対してみた。

 

 「その様子だと駆け落ちでもしようとした、って所か。けどな、主催者側としてはイベントの最中にそんなことされちゃ商売あがったりなんでね」

 

 日南中尉は磯風に膝から降りるよう何度も言ってるが、当の磯風は一向に動こうとしないどころか、物騒なことを言い放ち、武村少佐と橘川特佐の顔色を青ざめさせる。

 

 「万が一の際にはこの身を以て貴様の盾となるつもりだったが、どうやらこいつらを排除すればよさそうだな。よし、降りてやろう。艤装を展開するからな」

 

 言葉通り日南中尉の膝から降りた磯風は、背中に中尉を庇い艤装を展開した。ガングリップ型のトリガーを両手に握り、右は連装砲、左は連装機銃を底で張り合わせたような艤装が躊躇わずに目の前の二人に向けられる。教導艦隊にいる駆逐艦娘達とは一線を画す重武装の艤装を軽々と纏い、自分を守るように立ちはだかる磯風の背中に圧倒されながら、日南中尉の頭の中は疑問で一杯だった。

 

 「なぜだっ!!」

 

 ぴくり、と磯風の右手が動く。その声を発しようとした日南中尉より先に、肩を大きく震わせながら武村少佐が磯風に向かい叫ぶ。自分が手掛けた存在が理解できない、その表情にも声にも絶望的な色が浮かんでいた。

 

 「確かに貴様ら三体は、今回の展示会で不特定多数の来場者と会話を行うため排他モードはオフにしてある。だが貴様はその男()()を自分の指揮官(管理者)と認識しているっ!? 論理矛盾、おかしいではないかっ」

 

 日南中尉の疑問も武村少佐のそれに近い物だったが、もっと単純に、なぜ会ったばかりの自分を殊更に(しかも必要が無いのに)守ろうとするのか、というものだった。磯風の背中を改めて見つめると、小さく華奢な背中に様々な感情が隠されてるのでは、中尉はそんな気がしてきた。一方、艤装のトリガーにかけていた指を離した磯風は、意志を込めた強い視線を武村少佐にぶつけ、思いの丈を言葉にする。

 

 

 「ぼんやりした頭の芯と、限界を無視して動く体…何をされたかは分からぬが、改装と称して貴様らに何かをされた事だけは分かる。そして技本でも展示会でも見世物扱いだ。だが、日南中尉は…磯風に『助かる』、そう言ったのだ。私は…戦船だ、助けられる物があるのなら、そのために求められるなら、何においても優先する。それがこの磯風の、意志だ」

 

 磯風の言葉に一番驚かされたのは日南中尉だった。それは懇親会席上での何気なく、つまらない会話。話の接ぎ穂に困った中尉が持ち出した、初雪へのお土産をどこで買えるのか教えてもらえると()()()―――確かにそう言ったが、磯風の言ってる意味での『助かる』とは到底違う訳で。ただ、往時の記憶を引き継ぐ艦娘にとって、何かを、誰かを助けたり守ったりする、というのは、人間には想像もつかない重さを持つのだ、と中尉は今更ながら思い知らされた。

 

 同じように磯風の言葉を聞いた橘川少佐も敏感に理解していた。艦娘を性能や機能だけで理解し、繊細で濃やかな心理を置き去りにした武村少佐よりも、民間出身で艦娘に関する技術的知識はないが、民間企業で移り気なエンドユーザー相手のマーケティングを長年手掛けていた橘川少佐の方が、人間心理の要諦を通して磯風を理解しているという皮肉な現象。

 

 

 -感情は反応、意志は欲望みたいなもんだ。反応は制御できても、欲望は抑えられないってことか。日南中尉(こいつ)が磯風の心に火を付けた、と。そして武村は心の機微みたいのをまるで分かってねぇ、と…。

 

 

 感情は状況や対象に対する主観的な態度や価値づけで、外界の刺激の感覚や観念によって引き起こされる。意思は内的衝動により導かれ決定される行動への決断や決定。武村少佐が加えたのは、兵器として命令の是非を主観的に判断せず、戦闘行為やその結果に恐怖や忌避を起こさせないため、感情に施した制御。

 

 意思があり感情が薄い状態でも、行動を自発的に起こすことはできる。日南中尉が磯風との会話の中で言った『助かる』は、磯風が理解した文脈ではない。それでも、例え誤解だとしても日南中尉を助けようと行動を開始した磯風は、その一点のみに集中し、結果として生じた事態に一切の感情を見せていない。その意味では武村少佐の意図したセッティングになっているといえる。ただ、彼の技術水準が拙劣なだっただけで。

 

 「回収、調査、解体、隠蔽っ!! だから研究途上の技術だとあれほど念を押したのに…これ以上の不始末が…許されるはずが…俺は失脚しちまうじゃないか…」

 

 本当に地団駄を踏む人がいるんだなぁ、と珍しそうに、目の前で何度も床を踏みつける武村少佐の姿を眺めていた日南中尉は、そっと磯風の肩に手を置く。振り返った磯風に柔らかく微笑みかけると、入れ替わるように前に出て背中で彼女を庇う。

 

 「武村少佐、今回の件、自分は何も見なかった、聞かなかった…つまり何もなかった、という事でいかがでしょう? その代わり、磯風にも寛大な措置をお願いいたしたく」

 「はっ!? 尉官風情が生意気なっ! これは技本の名誉…いや、私の地位にもかかわる重大事だ!」

 

 一連の顛末を黙ってみていた橘川特佐が身構える。日南中尉が腰に手をやりお尻のポケットから何かを取り出そうとしている。隠し持った銃か…と丸腰の特佐は警戒したが、中尉が取り出したのはスマホだった。

 

 「このスマホ、結構クリアに録音できるんです。つまり、実用レベルにない技術で艦娘に生体実験まがいの手を加え、命懸けで戦う各拠点に不完全な戦力を送り込もうとした、ということですね…例え話、ですが」

 

 武村(バカ)の余計な発言を押さえられちまったか…目の前で起きている展開を冷めた表情で眺める橘川特佐は、負け確の武村少佐にどう助け舟を出すか考えていた。小知恵が利くだけの小心者をこれ以上追い込むとどう暴発するか分かったものじゃない。それに目の前の男…確か宿毛湾の司令部候補生ってことだが、若いが武村なんかより一枚も二枚も上手だ。将来性を考えれば恩を売って置いて損は無さそうだ…素早く打算を続けていた橘川特佐は、携帯の着信音にちっと舌打ちをする。無視しようとも思ったが、表示を見れば出なければならない相手である。

 「はい、橘川です。武村少佐ですか? 今一緒というか…はい、はい?……はいぃっ!? …そうですか」

 

 -新技術の開発どころか、既存の艦娘の調整さえ満足にできねーのかよ。ったく使えねぇ。

 

 内心激しく毒付きながら、完璧なまでの営業スマイルを浮かべた橘川特佐は、殊更大げさな身振りで二人の間に割り込んだ。

 

 「まあまあ、そう熱くならずに、な? ここは一旦お開きにしよう。俺は参謀本部の橘川特務少佐だ。日南中尉…って言ったか、なかなか面白い()()()をありがとう、興味深かったよ。お礼と言ってはなんだが、このイベントの責任者の一人として、磯風の脱走嫌疑と君の脱走幇助の嫌疑を取り下げておこう。それで今は十分だろう? 俺達は急用ができてね」

 

 呆然自失の態の武村少佐に、オラ行くぞ、今度は浜風だとよ、背中に蹴りを入れ追い出すように橘川少佐は詰所を後にする。

 

 ばたん、とドアが閉まり、日南中尉と磯風は再び殺風景な室内に取り残された。じいっと日南中尉の手元を見つめながら、磯風が淡々とした口調で口を開き始めた。

 「よく咄嗟に録音なんてできたものだ。その機転、見事だな」

 

 ん? といたずらっぽい表情を浮かべた日南中尉は、手にした携帯をふりふりしながらタネを明かす。

 「なんのことかな? 自分はスマホの機能を説明して自分の考えを述べただけだよ」

 

 -このスマホ、結構クリアに録音できるんです。

 確かに日南中尉は、録音した、とは一言も言ってない。

 

 「機転だけではなく、肚の座り方も見事なものだな」

 初めて磯風が表情を和らげる。目じりを少し下げ、唇の端を上げたにんまりとした表情。

 「ぬ…どうしたのだ? 表情筋が勝手に動いてしまう」

 

 感情がない訳じゃない、抑制されているだけ。明石さんに相談してみよう、と中尉は考えていた。同じ頃その明石は雪風の容態を通して、技本が加えた設定調整の内容を確実に解析している途中だったと知るのは後の事となる。その間にも、不思議そうにぺたぺたと自分の頬を触る磯風に、日南中尉は優しく話しかける。

 

 「何で顔が勝手に表情を変える? 何が起きている…?」

 「磯風、今君がしている表情は、笑顔って言うんだ」

 「笑顔、か…。それはこの磯風に必要なものなのか?」

 「必要だからするんじゃない、君が嬉しかったり楽しかったりすれば、自然とそうなるんだ」

 

 二人が笑い合ったのを見計らったように、携帯が鳴り始める。日南中尉の着信を確認すると涼月からだ。良く見れば鬼のようなLI〇Eの未読メッセも山積みになっている。確かに読む暇はなかったが…。慌てて中尉が応答すると、中尉の言葉を遮るように涼月が切羽詰まった声で切り出す。

 

 「もしも-「中尉、艤装の展開許可をっ!! 浜風さんが…!」

 

 

 今度は浜風だとよ―――そう吐き捨てた橘川特佐の言葉の意味。呉鎮守府の目の前に広がる海、呉市と江田島、挟まれた波穏やかな港に、浜風は海面に立ち尽くしじっと暗い海を見つめ続けている。

 



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059. さよならの向こう側

 前回のあらすじ
 裏話。


 「何がしたいんじゃ、あの浜風は…」

 

 杖代わりについた軍刀に組んだ両手を載せ、肩に羽織った外套の裾を風にはためかせる小柄な老体が訝しがる。ここ呉鎮守府の提督、藤崎大将が夜風に白い顎髭を靡かせながら、視線はサーチライトで照らされた港とその先にいる浜風に向けられる。すでに呉鎮守府が乗り出した事態、武村少佐の望むような隠蔽などできる段階はとっくに過ぎていた。

 

 スピーカーからは原隊復帰を命じる声がひっきりなしに響いているが、浜風はまったく反応しない。今いる地点から全く動こうとせず、目的が分からないまま時間だけが過ぎてゆく。元々は磯風の脱走騒ぎで軍を動かし始めた藤崎大将だが、特別警察隊が磯風を捕獲したとの報告がすぐに齎された。入れ替わるように海路の警戒に当たっていた部隊からの別報、それが浜風についてだった。最初は磯風を待っていて二人で逃亡しようとしているのかと疑ったが、磯風はすでに特別警察隊が押さえており、その旨を知らせても無反応。

 

 「いつの世も、組織が劣化する過程で有象無象が増え全体の水準を押し下げる。今の技本を見れば明白よの。さて…その劣化した技本に弄られた浜風、貴様は何を望みそこにいる? だんまりに何時迄も付きおうてられぬ、多少手荒でも捕まえるとするか」

 

 顎髭をひと撫でした右手をすっと持ち上げた藤崎大将が突入を命じようとした瞬間に、きびきびした動きで駆逐艦娘の朝潮が駆け込んできた。呼吸を整え、制服の乱れを直すと手櫛で髪を直し、ようやく奇麗な敬礼。

 

 「…急用なら早ようせんかっ! 右手上げっぱなしで待っとるんだっ!」

 「大将に失礼のないよう身嗜みを整えるのは当然かとっ。改めまして、面会の希望ですっ。宿毛湾泊地の日南中尉が大将に意見具申したいことがあるとのこと」

 

 根が真面目でいいんちょ気質の朝潮は、大将が焦れているのも構わず、礼に適った所作で来訪者の存在を告げる。大将は上げていた右手を下ろすと、前を向いたまま、首だけをくいっと動かし隣に侍る背の高い秘書艦に合図をする。こくり、と茶色のポニーテールを揺らし頷いた秘書艦は、朝潮に視線を送り静かに宣する。

 「分かりました…面会を許可します」

 

 案内として先導する朝潮の後に従いながら、左右に分かれた艦娘達の間にできた通路を、臆することなく、よろよろ蛇行しながら進む日南中尉。左腕にどやぁっという表情の磯風をぶら下げ、右腕は抱え込むように膨れっ面の涼月にホールドされているためである。

 「この磯風、護衛(こういうの)も得意でな。共に進もう、心配はいらない」

 「私…私がずっと、お守りしますので、磯風さんは下がってて…」

 

 呉の艦娘達からは、あーそういうことね…という生温かい視線で見送られている気がするが、気にしても手遅れだろう。そうこうしているうちに、中尉は藤崎大将の元へとたどり着いた。

 

 懇親会で出会い話をした時には、飄々とし優し気な表情を浮かべる小柄な老人にしか見えなかった大将だが、艦娘を率い現場に立つ姿は別人のような気迫で、気圧された日南中尉は背中を冷や汗が伝うのを感じていた。そんな中尉をじろりとねめつけると、藤崎大将は来訪の意図を問い始めた。

 

 「虚礼は抜きだ、何しに来た?」

 「呉沖に浜風がいると聞きまして、涼月と磯風に話をさせていただきたい、とのお願いに参りました」

 

 本来なら直接目通りする機会も滅多にない階級差ゆえに日南中尉は直立不動の姿勢を崩さないが、藤崎大将はそういうことに拘らないタイプのようである。

 

 「だから楽にしろって…朝潮と同じタイプか。まぁいい、話をさせてやらんことはない…が、なぜだ? お前ん所の娘二人が話して何になる?」

 「往時の…坊ノ岬沖海戦から数えれば七〇年以上の知り合いと言えましょう。だから彼女達が話すべき、そう判断しました」

 

 「浜風さんはっ」

 涼月が必死な表情で会話に割って入り訴え始めた。目の前の大将が顔を顰め射るような視線を送ってくるが、涼月も怯まずに答え、磯風も飄々とした口調で続く。

 「…私達は、果たせなかった夢や思いを、抱えたまま…今を生きています。それは…艦娘にとって、忘れてはいけないものの…はず。最後の戦いを…共にした私は…浜風さんに、思い出してほしい…」

 「改装と称して技本の連中に何かされたのだがな、それでもこの磯風は取り戻せたのだ。浜風も、戦船として、艦娘として、あるべき姿に立ち戻らせたい。それが十七駆の、姉妹としての責務なのでな」

 

 二人の言葉は、居合わせた艦娘に共通した思いだったのかも知れない。皆神妙な表情で聞き入っている。藤崎大将も深く考え込むような表情になっていたが、唇を歪め渋く笑うと隣に侍る秘書艦に指示を出し始めた。

 

 「ふ、ん…。見習いと小娘だが、肝心な事は外しておらんな。いいだろう、貴様らに任せる、浜風の目を覚ましてこい。坊ノ岬、か…(うち)の秘書艦も連れて行け、役に立つやも知れん」

 

 

 

 サーチライトに照らされ白く輝く海、その中心に立つ浜風は、銀のボブヘアーを揺らしながら、静かに近づいてきた涼月と磯風を振り返り呟き始めた。それは自分自身を繋ぎ合わせるように訥々とした言葉。

 

 「頭の芯はぼんやりしているけど、この限界を無視して動く体なら…今なら、きっと守れる、そんな気がしました。でも私は何を守ろうとしてたのか…思い出せない。ただここに来れば何かが分かるかもしれない…そう思った」

 「ずっとずっと一緒に、皆さんを守ってきました。涼月の…私の大切な、仲間…です」

 「生きることも立派な戦いだ、浜風…私達は今、ここにいるのだぞ」

 

 呉を抜錨した時点で、分っていた結果かも知れない。三六〇機を超える攻撃隊の波状攻撃を受けながら、必死に支え合い戦い抜いた記憶。それでも確かに目指した場所はあった。砲火に晒され逃げ惑う銃後の民を救うため、空と海を埋め尽くす驕敵を痛撃すべく一人立ち上がった海軍最大最強のフネを守る―――浜風が空を見上げながら言葉を風に乗せる。

 

 「私達十七駆が盾に……守りに付きます。誰も失わせない、無事に港に戻りましょう」

 「そこまで思ってもらえていたなんて、少し晴れがましいですね」

 「え…」

 

 姿を現した艦娘に浜風が絶句する。呉鎮守府提督藤崎大将の秘書艦、大和型超弩級戦艦一番艦の大和。往時の坊ノ岬沖海戦で激闘の末沈んだ、磯風や浜風、涼月らが命を賭けて守ろうとした存在。

 

 「無事…だったんですね、大和…さん。私は…守り抜け、たの…?」

 過去と現在が繋がり混交し、声を震わせながら手を伸ばす浜風に向かい、どこまでも優しく、けれど少しだけ悲しそうな微笑みを浮かべた大和は、三人をふわっと包むように抱きしめる。

 「第一遊撃部隊のみんなは、どれだけ時が巡っても、私の誇りです。忘れないで、くださいね」

 

 時刻は既に夜明けが近づき、夜の黒と暁の赤が混じり合う頃合いへと差し掛かった呉の沖合に、浜風の嗚咽がいつまでも響いていた。やがて大和に守られるように帰投してきた三人の姿に、安堵の溜息、そして歓声が沸き上がる。日南中尉も大きく息を吐いたが、突然わき腹をごすりと肘で突かれた。見れば藤崎大将がしたり顔で頷いている。

 

 「あの磯風、例の第三世代とやらか。いとも容易く手懐けたものよ。若いのに艦娘の心根をよく承知しておるようだな。いや、気に入ったぞ、また近いうちにな」

 

 

 

 「雪風は元気になりました! 橘川特佐、このご恩は忘れませんっ」

 「雪風(ユキ)、大分顔色が良くなったな。安心したぞ」

 

 橘川特佐は駆け寄ってきた雪風を見て、すぐさま表情を満面の笑みに切り替えて抱き止めると、脇の下を支えて子供をあやす様に高く持ち上げる。この技術展示会を通して知り合った橘川特佐と雪風だが、あっという間に打ち解けた。ユキとは彼だけが呼ぶ雪風の愛称で、深海棲艦の攻撃で命を落とした娘の名前を忍ばせていることは、本人だけの秘密である。

 

 持ち上げられた雪風も楽しそうにけらけらと笑っている。だが視線に気づいた特佐は、雪風を静かに地面に下ろすと、視線の送り主の明石に近づき、礼を述べたが、明石はごん太いピンクのもみあげをねじねじしながら興味無さそうに感謝の言葉を聞き流していた。エンジニアとして艦娘として、今回技本が、正確には武村少佐のグループがとった手法はあまりに乱暴すぎるとの結論に至り、主催者側の責任者の一人である橘川特佐を揶揄するように、殊更噛み砕いた表現で説明を始めた。

 

 「応急処置は済ませた、という所です。貴方たちの言う第三世代(笑)は、とても中途半端で…その分悪質。安全性を無視して出力を上げた体、埋め込んだ後付のプログラムだけに反応させるよう脳機能に加えた制限、つまり『いつでも火事場の馬鹿力を出せるぞ』改装ですね」

 「はははっ、そりゃあいいや。屁のツッパリはいらんです、ってか」

 「使い捨て前提の艦娘がそんなに可笑しいですか? あんなセッティングじゃ…長くは持ちませんよ」

 

 愉快そうに笑っていた橘川特佐だが、明石の言葉で完全に固まり青ざめ、慌てて雪風の方を見ている。その様子を見た明石は、ひょっとしてこの人…本当に技術的なこと知らないんじゃ…と首を傾げた。本当は痛烈に批判しやり込めてやるつもりで、雪風を連れ鼻息も荒く港へと乗り込んできた。だが、雪風をまるで自分の子供のようにあやす姿を見て、思わず毒気を抜かれていた。

 

 「なあ………どうすれば、雪風(ユキ)は…有希は助かるっ!? お前なら分かるんだろっ!!」

 雪風に亡き娘の面影を重ねていた橘川特佐は、混乱しながらも明石の両肩をがしっと掴んで激しく揺さぶりながら詰め寄る。事情を知らない明石は眉を顰めるが、無論無策でここに来たわけではない。

 

 「脳機能に加えた制限を解除し、貴方がたがインストールしたプログラムを無効化する、それだけで正常化されます。中途半端な改装が幸いしましたね。ですが…今の疑似的な高練度はリセットされ、改装されてから今に至るまでの記憶も失われます」

 「…なるほどね、初期化みたいなもんか。それで雪風は…助かるんだな」

 「雪風さんだけじゃなく、磯風さんや浜風さんもです。それはこの明石がお約束します」

 明石は力強く頷き、胸をどんと拳で叩く。橘川特佐はしばらくの間項垂れていたが、ゆっくりと頭を上げ、さばさばした表情で雪風に呼びかける。

 

 「雪風、ちょっといいか。一つ…頼みがある」

 「はいっ! 何でも言ってください!」

 「ああ…。俺がユキ(有希)って呼んだら、『お父さん』って言ってくれるか」

 「よく分かりませんが、お安い御用ですっ!」

 

 

 -じゃぁな、ユキ。

 

 

 

 技術本部が権益拡大のため、見切り発車での開発途上の技術を投入し艦娘を改装、さらに参謀本部を騙して戦力化を図ったとして、今回の一件は大きな醜聞となった。自分の鎮守府をその舞台に利用された藤崎大将が激怒、軍事法廷の開廷を求めたため、隠蔽もままならず技術本部は大きな痛手を被り、政治的にはほぼ影響力を失った。

 

 この過程でいち早く技本の不正に気付き、不法な改装を施された三名を救った存在として藤崎大将が繰り返し名を挙げたおかげで、日南中尉の存在は海軍中で広く知られることとなった。雪風・磯風・浜風には適切な処置が施され、改造以後の記憶と引き換えに健全な身体機能を取り戻し、正式な任地が決まるまで呉鎮守府預かりとなることが決定された。



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Intermission 5
060. 忘却


 前回のあらすじ
 三者三様。


 呉出張から数日が経過、Highly Confidential (極秘扱い)として第三世代艦娘に関する報告書を桜井中将に提出した明石は、人払いをした中将の執務室に招かれた。秘書艦の翔鶴さえ同席させない点で、中将が今回の一件を深刻に捉えていることが伺える。

 

 「技本というのは、昔から色んな意味でキレた連中が多くてね。あれは何時だったか、艦隊本部と癒着して非合法な実験を繰り返した霊子工学部門の急進派が反乱紛いの事まで起こし、当時の艦隊本部のトップ…三上大将が馘首される大事件もあったんだ。艦娘を深海棲艦化する実験を成功させたとかいう話だったが、そんなのは単なる噂だろうけどね」

 

 冷めたコーヒーを飲み干した桜井中将は、軍の暗部ともいえる昔話をぽろりして明石を驚かせる。技本-技術本部と言えばかつて海軍の徒花だった。バイオテクノロジーとオカルトロジーの粋を極めた艦娘を生み出し、飽くなき技術探求の欲望を隠さず不法な生体実験を繰り返した組織だが、非道な実験結果でも少なからず実戦にフィードバックされるため、大海営も痛し痒しで扱いに困っていた。頭脳明晰倫理皆無、そんな連中が暴走するとどうなるのか分かりやすく示した組織、ともいえる。そんな独善的な振る舞いは結果として組織を縮小させる方向に作用し、現在では新技術の開発というよりは既存技術の熟成とメンテナンスにシフトチェンジしている。

 

 「はえー…昔はそんな事があったんですかぁ。でも、今回呉での展示会は、そんなキレッキレの人はいなくて…実力はないけど出世はしたい人達がしなくてもいいことを頑張っちゃった、そんな感じでした」

 

 呉で行われた第三世代技術を用いた艦娘の展示会-結局は新世代どころか現行技術を稚拙に組み合わせたマイナーチェンジに過ぎず、利用された格好の参謀本部も、あやうく劣化した戦力を押し付けられそうになった艦隊本部も、怒髪天を突く勢いでキレている。結果として、これまでと違う意味で技本が暴走したことに変わりないのだが―――。

 

 「ふむ…技本が人材難から劣化しているのは確かだと思うんだ。だが…いや、だからこそ解せない。少し調べれば分かるこんな稚拙な内容を、なぜ誰も事前にチェックできなかった…? いや、分った上でやらせていた、とか? …なら、そんな事をして何になるのだ? …明石、この件では私から特命として指示を出すかも知れないが、その時は動いてもらう、いいね?」

 

 いつも通りの淡々とした柔らかい口調とは裏腹に、目が笑っていない。そんな中将を見るのは珍しく、はっ! っと短く返事をした明石はソファーから飛び跳ねる様に立ち上がると、緊張を隠さない敬礼で応えた。ワザとらしく軽いため息を突いた中将は、思わず一瞬だけ見せてしまった鋭さを仕舞いこむように、話題を切り替える。

 

 「ところで、彼女たちの着任は完了したのかい?」

 「はい、今朝〇八〇〇にっ! 今は夕張がバイタルチェックを行っている所です」

 

 明石の退出後、一人きりの執務室で桜井中将は椅子をぎいっと揺らしながら、呉鎮守府の藤崎大将と交わした数日前の会話を思い返す。状態が安定したので、雪風・磯風・浜風の三名を教導艦隊に転属させたい、との打診だった。第三世代-成長しない代わりに、建造したてでも練度換算で六〇-七〇に相当する高出力、後付のプログラムで脳機能を操作し感情を抑制する-見せかけの高機能モデルは、インストールしたプログラムを無効化し改装後の記憶を破棄する事で初期状態にリセット、練度も振り出しまで戻った。その三人を日南中尉の元へ、と藤崎大将は申し出てきたのだ。

 

 「日南君に確認しましたが、快く受諾してくれました。ですが藤崎大将…なぜですか?」

 「桜井よ、あの若いの、なかなか筋が良さそうだ。なに…海軍一〇〇年の計のためにも、次世代は大切にせねばな。まぁ…あの三人はいわば引き出物だ」

 

 そこまで思い返し、桜井中将は考え込むような呟きを唇に載せ始めた。

 

 「依然として軍に強い影響力を保つ藤崎大将に気に入られたのだから、日南君にとって悪い事ではないのだろうが…。組織の中で目立つというのは、良い点も悪い点もあるんだが…果たしてどうなるのか…?」

 

 

 

 第二司令部・執務室―――。

 

 日南中尉の執務机とL字に組まれた秘書艦席に、時雨はハムスターばりに頬を膨らませ腕を組んで座っている。その視線の先には挙動不審に下手な口笛を吹いて視線を逸らす明石。そして中尉の膝の上には横座りとなって両腕を首に絡ませる磯風、執務机の前には直立不動の姿勢で指示を待つ浜風と、にこにこ笑っている雪風。

 

 明石に伴われて姿を現した三人は、びしっと揃った敬礼を見せた…まではよかったが、答礼を終えた日南中尉が席に着くのを見計らい、磯風は流れるように中尉の膝の上に横座りで座り、体を押し付ける様に両腕を首に絡め、とんでもないことを言い始めた。

 

 「ふむ…やはり体が覚えている事は忘れない、ということか」

 「はぁっ!? いや…君は何を言ってるんだい?」

 「ええっ!? 磯風ちゃん、記憶が残ってるの!?」

 「体が覚えてる記憶って何したのさ?」

 

 明石が吃驚仰天、という表情で磯風をまじまじと見つめ、かたーん、と時雨が手にしていたペンを床に落とす。磯風は磯風で、唇の両端を僅かに持ち上げ満足そうにどやぁっという表情を浮かべている。

 

 問題となった第三世代技術は、元の練度が低ければ低いほどプログラムの影響が強いことが確認され、その点では建造で現界した雪風が最も強く影響を受けていた。一方、第一次改装の機会を利用してプログラムを施された磯風と浜風は相対的に影響が小さく、改装後の記憶を断片的に残す事が判明した。

 

 残る記憶の辻褄を彼女達なりに自分の中で咀嚼した結果、浜風の中では大和と涼月、そして磯風に助けられ、磯風の中では、日南中尉を助け守るために現界したとして、彼女達二人の成り立ちが再構成された。そういった背景もあって、呉の藤崎大将はこの三人を日南中尉の元へ送ったのである。

 

 「駆逐艦、浜風です。これより貴艦隊所属となります。それにしても磯風…そうなのね? なるほど、それもあり…ですか?」

 普通の挨拶から始まり、目的語なしで誤解を振りまく文脈を巧みに完成させた浜風は、駆逐艦離れした巨大な胸部装甲を含め、いたって普通の浜風と同じ姿と立ち居振る舞い。こちらは日南中尉へのこだわりというより、涼月と磯風と同じ艦隊に配備されたことに満足している模様。磯風を振りほどこうと四苦八苦している日南中尉を眺めていたが、覚悟を決めたように、しゅるりと黄色いスカーフをほどき始めた。

 

 「そんな所に手を…嫌いではないが、ここではどうだろうか?」

 「いや、それは偶然で、ゴ、ゴメンッ! というか磯風、膝から降りてくれないかっ」

 「そういう乱れた風紀…。私は……いやでも、命令なら…問題は…」

 「問題だらけだよっ! 君たち、僕の目の前で何してるのかな…てかまた銀髪きょにうが増えたんだ…」

 

 ハイライトが職務放棄した目でぼんやりする時雨。執務室の奥にある玉座では、我関せずとウォースパイトが読書を続けている。お馴染みの冷暖機能完備の炬燵に浸かり天板に顔を横たえる初雪が、我関せずという表情で口だけを器用に動かしアイスキャンデーを食べながら、『ひひゃみんひゃんぶぁへー(ひなみんがんばれー)』と適当な応援を続けている。

 

 

 

 「だいたい…なんのために呉まで行ったのさ?」

 ようやく磯風を引き離しぐったり疲れた日南中尉だが、時雨は明らかに不満タラタラである。ただ矛先は明石に向いた。

 

 「僕がへとへとになるまで監査対応してたってのに…。それが…なに? 332(涼月のコードネーム)だけでも手ごわいのに、新しいのまでくっ付いてきたんだけど? ねえ…『鉄骨番長』? こんなことなら間宮券、返してもらおうかな…うん」

 「え、いや…何のためにって、そもそも出張なんですけど…。向こうは向こうでホントに大変だったんですよ、時雨ちゃん? それに…使っちゃったのはもう返せないというか…」

 

 鉄骨番長-出張中の日南中尉が、出先で涼月の動きを監視し、現場状況の定期報告といざという時の実力行使を担って雇われた凄腕エージェントとして明石に付与されたコードネーム…のはずが、呉に着いた時と呉を離れる時の二回しか連絡をよこさない有様で、報酬の間宮券購入のため共同出資した艦娘達からぶーぶー言われていた。実際のところ、懇親会でフードステーションを飛び回ったり雪風のメンテナンスに掛かりきりだった明石はそれどころでなく、不可抗力である。それに三人が着任したのは明石のせいではない。

 

 盛大に溜息を付きながら、無言で時雨が立ち上がる。キレた…かに見えたが、踏みとどまったようだ。頬を両手でぺしぺしして気を取り直す。ふんすと鼻息も荒く、両手で小さくガッツポーズをして高らかに宣言する。

 

 「ダメだダメだ。間宮さんにも言われたばっかりだし、もっとしっかりしなきゃ。僕は秘書艦…誰よりも日南中尉を理解して支えなきゃ。新しい子たちの着任…いいじゃないか、うん…部隊の強化になるしね!」

 

 だが磯風が追い打ちを掛ける。

 

 「ほお…意外だな、呉での有様から涼月と懇ろな仲かと思っていたが…。まぁなんだ、浮気は男の甲斐性というしな。この磯風、悋気ではないぞ」

 

 「もーっ!! なんでたった一泊二日の出張でこんないい感じに仕上がっちゃうのかな?」

 ついに時雨がぷりぷり怒りながら磯風に食って掛かり、日南中尉にも文句を言い始める。そんな中、目の前の騒ぎを見守っていた雪風が言葉を漏らす。

 

 

 「楽しそうな艦隊で嬉しいです、きっと()()()()も安心してくれ…る?」

 

 

 ぎゃーぎゃー騒ぐ時雨と磯風の声にかき消され、雪風の声は一番近くにいた明石にしか届かなかった。ただ、それでよかったのかも知れない。雪風も自分の口から出た言葉に戸惑い、助けを求めるように明石を見上げる。

 

 「あ、明石さん…? 何で雪風は『お父さん』なんて言っちゃったんでしょう…? 艦娘の私にそんな人がいるわけないのに…ヘンですね? あとで診てもらってもいいですか?」

 

 怪訝な、そして少しだけ悲しそう表情を明石は浮かべる。最も強く第三世代技術の影響を受けた雪風は、ほぼ全て…練度一の状態まで初期化され宿毛湾に着任した。記憶が残っていないはずの雪風が、自分でも分からずに口にした言葉…それは第三世代プロジェクトに関わった参謀本部の橘川特佐の切ない願い。

 

 失くした娘を重ねていた彼は、雪風と実の親子のように接していた。第三世代の正体を知った時、彼は、自分の事を忘れても構わないから雪風を救うため初期化するよう明石に頼み込んでいた。技本の片棒を担いだ橘川特佐にも大きな責任はある、それでも明石は彼を不思議と憎めずにいた。

 

 

 頭をぽんぽんとされた雪風は、不思議そうな表情で明石の言葉を聞き、意味が分かったのかどうかは分からないが、にぱっと満面の笑みを浮かべていた。

 

 「忘却は一番優しくて、一番残酷…でしたっけ? 誰にとって優しくて、誰にとって残酷、なんでしょうね…」



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061. A Book of Life

 前回のあらすじ。
 思い出さないけど忘れない。


 ウォースパイトは出撃など任務が無い時は、有無を言わせず日南中尉の執務室に設えた玉座を定位置とすることがほとんどで、中尉の執務中でも不在時でも、彼女はこの場所で読書をして時を過ごすことが多い。もちろん自室は艦娘寮にあり、夜になると戻るのだが、単なるウォークインクローゼット+ベッドルームとして扱っている模様。

 

 今日も日南中尉の執務机を見下ろす高い着座位置で読書を続けるウォースパイト。日南中尉は朝から不在である。やや硬めの座り心地ながら、肌に触れる部分は柔らかく仕上げられた座面と背もたれは、家具職人の妖精さんの会心の出来。太ももからお尻の豊かで滑らかな線、腰から背中、首筋までの美しいSカーブ、華奢な肩、全てを包む込むように支えつつ、僅かな沈み込みだけで体圧を分散させる。長時間座っても疲れの残らない極上の座り心地に、ゆったりと身体を椅子に預けたウォースパイトも満足し、読書に没頭できる。青い瞳だけが静かに上下動を繰り返し行を追い、僅かな乾いた音を立てページが捲られる。

 

 宿毛湾泊地本部棟に併設される図書室は相当量の蔵書がありその多くが貸出可能となっている。だが時代の流れか、デジタルアーカイブの導入が始まっている。紙の書籍が好きなウォースパイトとしては、本の重さと紙をめくる乾いた音が無くなるのは寂しくもある。

 

 そんな彼女が着任以来読み進めているのは、この国の戦いの歴史。実質的な公式戦史と扱われる「大東亜戦争全史」と内部資料の性格も帯びる「戦史叢書」は読了し、現在取り掛かっているのは深海棲艦との開戦以後の膨大な数の「戦闘詳報」である。桜井中将のコネで一般拠点よりも閲覧可能な戦闘詳報の数が多い宿毛湾は、ウォースパイトのように知識欲旺盛な艦娘に好適だったかも知れない。

 

 彼女は、日南中尉の現在に至る全てを知ろうと試みていた。

 

 時雨が衝突を繰り返しながら中尉に正面から向き合うように、島風が中尉から話してくれるのを待っているように、ウォースパイトもまた、彼女らしいアプローチで日南中尉を理解しようとしていた。何が彼に最も影響を与えているのか、を。

 

 断片的なことは本人からも聞いたことはある。自分の事なのに主観を排し他人事のように語る姿は、冷静という事も出来るが、ウォースパイトの目には異様なものと映った。そこにヒナミを至らせた客観的な事実の全体像を掴みたい、そう考えた彼女は、戦闘詳報という、現在も続く深海棲艦との戦いの記録の海へと分け入った。そして、辿り着いた一つの記録―――。

 

 

 

 XX年前―――。

 

 インドネシア東部に位置する、西はボルネオ島、東はハルマヘラ海に浮かぶハルマヘラ島やセラム島などの島嶼群に挟まれるスラウェシ島。その最北端に位置する街マナドは、時ならぬ日本商社の進出で静かに盛り上がっていた。

 

 古くから日本人による漁法、鰹節の製法の教与による漁業や食文化が定着していたこの街だが、深海棲艦との開戦後は恵まれた水産資源を流通させることができず、衰退の一途を辿り今ではほぼ無人の地と化していた。

 

 日本政府とインドネシア政府は、東南アジア南部の要衝セレベス海の確保のため新たな海軍の拠点設置に合意し、その候補地にマナドを選定していた。ここに噛んできたのが日本の総合商社である。事前調査から始まり、軍拠点工事に伴うインフラ整備、基地完成後の補給…と莫大な利権が動く。軍としても経費節減と効率化のため可能な分野は民間委託を望んでおり、かくして競争入札の末とある商社と海軍が、軍民共同事業としてマナドの開発に乗り出した。

 

 そこからしばらくの間は、何事もなく順調に事業は進んでいったようだ。

 

 

 

 だが、いつの世も終わりは唐突に始まる。

 

 完成後のマナド泊地は、タウイタウイ泊地と共に海上交通の要衝セレベス海の警護に当たることが予定されていた。かつてのマラッカ海峡に代わり、ロンボク海峡経由で中東産油諸国と日本との間に大型タンカーが航行する重要な航路となっていたこの海は日本のライフラインであり、深海棲艦側からすればこの海域を抑える事で日本そのものに大打撃を与えることができる。奇しくも日本海軍と深海棲艦の戦略眼が合致し、事態は動き始める。

 

 ある日の夜マナドに叩き込まれた、戦艦棲姫二、戦艦タ級flagship三体による長時間に渡る艦砲射撃。灯火管制により真っ暗な街に、人々を地獄へと誘う篝火が突如して灯り、マナドは住民ごと劫火に飲まれ灰燼に帰した。

 

 第一に、完成間近のマナド基地を叩き機能を喪失させる、第二にこの救援に現れる艦娘部隊を叩く。マナド救援のため即応可能な基地はタウイタウイとスターリングの二ヵ所。さらにこの周辺海域最大の基地はパラオだが一五〇〇km以上遠方で、救援には間に合わないが、奪回に乗り出してくるのは間違いなく、これを迎え撃つのが本命。深海側に参謀役がいるなら中々優秀とみていいだろう。

 

 すぐさま反撃、といきり立つ現地拠点に対し、参謀本部は冷徹に戦況を分析し、深海棲艦の動きを注意深く見極め軽挙妄動を慎む厳命を下した。民間人の救出や基地の防衛は到底間に合う状況ではない、ならば尊い犠牲を無駄にしないためにも、敵の狙いを白日の下に晒す―――深海棲艦がマナドをエサにしたように、参謀本部もマナドをエサにして敵の全貌を掴もうとした。残酷な戦場の出現である。今回の基地建設JV開始に合わせ、工事と漁業の関係者で一万人を超える日本人と現地民が住むまでに活況を呈していたマナドは、一晩で地獄に早変わりした。

 

 

 迎えた夜明けには深海棲艦側の配置も判明し、声高に即時反撃を叫んでいた現地の艦娘達は凍り付いた。

 

 タウイタウイ泊地に対してはセレベス海に、スターリング泊地に対してはマカッサル海峡に、それぞれ敵の潜水艦部隊が群れを成し待ち構え、マナド自体は二組の連合艦隊で包囲を受けていた。西側のマナド湾を湾口封鎖し艦砲射撃を加えた戦艦五を中核とする水上打撃部隊と、北東のタフランダン島周辺に展開する正規空母四を擁する機動部隊である。こんな中を夜間に突入していたら、良くて壊滅悪くて全滅である。

 

 避難民を載せマナド湾を脱出しようした輸送船やフェリーなども容赦なく深海棲艦に撃沈され人的被害の拡大を助長したが、参謀本部の命を無視してスラウェシ島東方から突入した水雷戦隊がいたらしい。少数だが手練れのこの部隊が敵を引き付けている間に、ごく少数だが避難船が脱出に成功することができたようだ。到着時間からするとハルマヘラ海域からの抜錨を推定せざるを得ないが、当時同海域に艦娘の部隊は展開されておらず、どの部隊が動いたのかは現在まで特定できていない。

 

 かくして人口一〇六四五人のマナドは、生存者三〇八名だけを残し壊滅した。日本人に限れば、生存者二四名となる。これを機に、往時の沖縄や硫黄島で採用された要塞戦の戦訓を学び直す機運が広がり、軍民混在の拠点地の防御体制や有事の際の邦人避難の在り方等が急速に見直されたのは、せめてもの慰めかも知れない。

 

 そしてこれが、セレベス海の制海権を賭けた戦いの始まりとなった―――。

 

 

 

 「…………」

 

 憂いの色で彩られた表情で、前髪を揺らし天井を仰ぎ見るウォースパイト。膝の上にはいったん閉じられた戦闘詳報が載せられている。続きを読むべきかどうか迷っていた。正直に言って気分が悪い。民間人を攻撃し救援に向かう艦娘を釣りあげようとした深海棲艦と、救援が間に合わないと見るや民間人の犠牲の上で敵勢力を見極めようとした当時の参謀本部。どちらの戦略も理解はできる。だが、それを認め受け入れてはならない、そう思う。

 

 「ヒナミは幼い頃Manado(マナド)に居たとのことでしたが…」

 

 どくん、と鼓動が強くなる。ただ一旦読み始めた以上、最後まで読もう、と思い返した。それが何であれ、事実は知るべきである。やがてページはAppendix(付帯資料)に差し掛かった。おまけのページ扱いで付属する、当時のマナドに駐留していた軍人軍属と、軍に協力していた一部民間人の名簿。記載される消息の殆どは死亡か行方不明 (違いは死体の有無だろう)、そしてごく稀に生存。短く結論付けられた多くの人生を目で追っていたウォースパイトだが、発見した一つの家族の肖像に息を飲む。

 

 日南 景(ひなみ あきら)/■■商社 東南アジア事業開発本部事業部長-同地にて行方不明

 日南 祥(ひなみ さち)/同配偶者-同地にて行方不明

 日南 咲(ひなみ さき)/同長女-乗船した避難船が撃沈され、海上にて行方不明。

 

 そして、知りたかったはずの、それでいて見たくなかった名前―――。

 

 

 日南 要(ひなみ かなめ)/同長男-生存。事件から二週間後、救命ボートでセレベス海北東縁で漂流中を発見される。本件に関しては別途詳報するものとする。

 

 

 「なる、ほど…。深海棲艦の攻撃で両親と妹を…ヒナミが軍人を目指すには十分な動機になりうる強烈な体験…。ただ、ヒナミのmotivation(動機)vengeance(復讐)ではない。それどころか和平を願っている…。単なる臆病ではないのは明らかですが………どんな気持ちの変化を経れば、そう願えるのか…私は、知りたい。それにしても…」

 

 玉座から一歩一歩重い足取りで階段を降りたウォースパイトは、手にした戦闘詳報を日南中尉の執務机に一旦置くと、つつっと指先で表紙をなぞる。

 

 「ヒナミの…人々の人生(ライフ)が、たった一行や二行でまとめられてしまう、それが戦争…。それでも記録に留まる事が出来た人は、まだ救われた方なのでしょうか」

 

 

 かちゃり。

 

 「あぁ…ウォース、来てたのか。それにしても君は読書が好きだね」

 

 早朝から外出していた日南中尉が戻ってきた。すでに日は暮れ始め、窓から差し込む光はオレンジ色に変わり始めている。執務机の前に立ち、くるりと中尉の方へ向きなおるウォースパイト。背中越しに照らされる金髪は輝き、絵画的な美しさに中尉は思わず息を飲んでしまった。

 

 

 「好き嫌いで読書をしているわけではありませんよ。生きる事は知る事、望むと望まざるに関わらず、私は…全てを知りたいの」

 

 全てとは何を指しているのだろう…と中尉は思いながら、視線は執務机にある戦闘詳報に止まった。

 

 -あれを読んだのか…。

 

 机上の戦闘詳報は、表紙の色褪せ具合や角の擦れ具合で、すぐにマナド砲撃に関するものと分かった。なぜなら、彼自身も何度も何度も何度も読み込んだから。微かな衣擦れの音がしたと思うと、ついっと滑らかな足取りで進み出たウォースパイトが日南中尉を抱きしめる。守るように包むように慈しむように、優しく、それでいて力強く。

 

 「ウ、ウォース…?」

 「ごめんなさい、少しだけこのままで…」

 

 少しだけ、というのは主観的な時間感覚で、実際にはどれほど経ったのだろうか。窓から差し込んでいたオレンジ色の光が沈みゆく日の色に変わり始めた頃、ウォースパイトはすっと体を離すと、ドアに向かい歩き出す。そしてくるりと振り返り、彼女にしては珍しく、いたずらっぽく微笑んで、執務室を出ていった。

 

 「ヒナミ…抱きしめ返してくれても、よかったのですよ?」



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候補生いろいろ
062. コンフェッション


 前回のあらすじ
 記録の中の日南中尉。


 『艦娘は、建造元の、あるいは海域を問わず邂逅を果たした艦隊の属する拠点に所属が認められ、その統治運営を委嘱された当該拠点の最高責任者に独占的指揮権を付与する。ただし、直接の指揮命令系統においてより上位にある者の発令を受けたとき、あるいは当該艦娘と当該拠点の最高責任者の間に()()があるときは、拠点間の所属の変更を認めることがある(以下条文略)』

 

 上記は改正海軍特別法の一節だが、簡単な事を分かりにくく複雑に書くのは法律用語の常で、この条文の意味は明白である。艦娘に異動が認められる条件は二つ。一つはより上位者からの命令。艦娘運用拠点の責任者は言うまでもなく司令官や提督であり、指揮命令系統その上にあるのは軍区、艦隊本部、大海営、そして大本営である。各拠点には高度な独立性が担保されるため、発令前には慎重な事前調整(根回し)が行われるが、この場合は戦略的あるいは政治的な色を帯びた異動となり、余程の理由がなければ拒めない。

 

 もう一つは、艦娘あるいは拠点長の合意に基づく異動。艦娘の異動が同意ではなく合意-つまり艦娘の側にも選択権がある、というこの文言を改正海軍特別法に明記するかどうか、相当長期間議論の的となり紛糾が続いた。そして一五年前、この条文を含め艦娘の権利保護を中心とした改正を加えた海軍特別法が国会で可決、即日施行された。相当の制約を課すものの、それでも従来に比べれば大きな変化を受けたこの改正法により、いわゆる『ブラック鎮守府』を法的に規制する強力な根拠ができ、以来艦娘の処遇は目に見えて改善されたと言っていい。

 

 艦隊本部そして大海営の要請で桜井中将が宿毛湾泊地の提督として現場復帰を果たす際、膠着状態が続いていたこの問題を前進させることと司令部候補生制度の設立を条件に附したことは軍内で広く知られている。長年の課題に一応の決着をつける引き金を引いた事で、桜井中将は否応なしにハイライトされた。艦娘の権利保護に関しては賛成派も反対派も存在し、中将は前者からは自らの手柄のように褒め称えられ、後者からは諸悪の根源のように非難された。時を経た今でも、この問題は深く静かに尾を引いているが、それでも艦娘の権利保護の意識を高めることに成功したのは事実である。

 

 そしてこの条文が実効性を伴い機能する最初の場面が教導艦隊に訪れた。先日実施された第一次進路調査である。教導期間の折り返しに行われるこの調査は現時点での意向確認となる。この時点での回答が絶対ではなく、教導期間後半の艦隊運営次第ではプラスにもマイナスにも結果は転ぶ。最終的には教導課程修了時に、第二次(最終)進路調査として、日南中尉が直接艦娘達の意向を確認し合意を形成しなければならない。なお、日南中尉へのヒアリングは艦娘に先立ち行われていた。

 

 『自分は教導艦隊の全員を自分の任地に迎えたいと思っています。もちろん、自分の教導課程修了を仮定した上での話ですが』

 

 では、その肝心の彼女達はどうだったのだろうか―――?

 

 

 

 第一次進路調査の結果を分類すれば、艦種による傾向が比較的強く出ているのが特徴のようだ。

 

 川内型三姉妹と五十鈴を中心に、阿武隈や由良など長良型、北上、天龍などが揃う軽巡洋艦組は、日南中尉の将来性やポテンシャルを認め共に進もうとする娘が多い。一方で古鷹を中心に、建造や邂逅で早々に勢ぞろいした妙高型の四姉妹や、金剛型戦艦建造の過程で着任した鈴谷や熊野などが揃う重巡部隊は、中尉の戦術や作戦運用能力を高く評価し信用しているようだ。

 

 いずれにせよ日南中尉の力量や能力に信頼を置き、自分たちの将来を託すに足る指揮官として認めていることが窺える結果である。

 

 

 もし建造や邂逅を運が左右するなら、軽空母戦隊の充実に日南中尉の運の傾向が出ているかもしれない。部隊の航空戦力として活躍を続けるのは、教導艦隊創設初期から苦楽を共にし今では中尉に信頼を超えた感情を抱くようになった祥鳳と、姉を応援する立場を取る瑞鳳。さらに赤城も正規空母として大きな存在感を見せる。彼女もまた、過去のトラウマから前へ踏み出すのに中尉に支えられ、徐々に変化してきた自分の感情に気付き始めている。なお日南中尉と正規空母との巡り合わせは今一つのようで、今の所教導艦隊の正規空母は彼女だけである。この三人が千代田、千歳、飛鷹、隼鷹、RJを引っ張る形で、空母部隊は全員中尉に着いてゆくと一致団結。

 

 

 数では最多の駆逐艦勢と、力では最強の戦艦勢は、複雑な心模様や関係性を描いているようだ。

 

 

 

 舞台は金剛の手で勝手にガーリーにコーディネートされた榛名の部屋。普段は金剛型四姉妹で行われるお茶会に、今日は教導艦隊に属する戦艦部隊-日向、扶桑、ウォースパイトも招かれている。

 

 「手ぶらで来るのも何だから土産を持ってきた。ほら、特別な瑞雲だ」

 「これは…素敵です! ちょっとアレな感じもしますけれど…」

 どこに飾ればいいのかしら、と困り果てた表情の榛名が、ドヤ顔の日向から特別な土産を受け取る。

 

 「自慢のレシピ、比叡カレーだよ!さあ、食べて!」

 「逝けるかしら」

 紅茶の繊細な香りを吹っ飛ばすスパイスの香りを漂わせた一皿を満面の笑みで差し出す比叡と、そこはかとない棘を混ぜ込みつつ笑顔で拒絶する扶桑。

 

 「フォートナム&メイソン(フォートナムズ)のアフタヌーンティーですか、なかなかよいチョイスだと思います」

 「私手作りのスコーンも食べてくださ~イ!」

 最高級茶葉の繊細な香りに華やかな笑みを浮かべる、イギリス生まれの二人、金剛とウォースパイト。

 

 今日のお茶会は、トラディショナルなスタイルではなく、日英折衷ともいえるスタイル。L字型に組み合わされた白い革張りのローソファーには金剛型の四名が座り、中央に置かれたローテーブルには三段のケーキスタンド。下段にはサンドイッチ、中段にはフルーツやケーキ、上段にはスコーンやフィナンシェがスタンドを飾る。脇を飾る、というには自己主張の強い比叡特製のカレーも添えて。テーブルを挟んだ向こう側にはクッションが置かれ、ゲストの三名がそれぞれ座るのだが…脚を畳んで座る、という行為に慣れている扶桑や日向は上手に寛いでいるが、対照的にウォースパイトは悪戦苦闘していた。見かねた榛名が場所を変わり、女王陛下も一安心したようだ。それぞれ取り留めのない話をしながらお茶を嗜み軽食をつまむ中で、場もほぐれたと見た霧島が仕切り始める。

 

 

 「マイク音量大丈夫?チェック、ワン、ツー…よし。みなさん、今日は私たちのお茶会へようこそ! さて、最近教導艦隊に漂う仄かな緊張感…霧島的には、理論的な考察を心掛けていますが…みなさんは、どうされるのですか?」

 

 

 ぴたり、とざわめきが止まる。どうされるのですか、という目的語のない曖昧な問いは、ここ最近の教導艦隊の空気を考えるとその意味は一つしかない。第一次進路調査にどう答えたか、ということ。各人に選択の自由があり、かつ他者からの影響を避けるため個別にヒアリングが行われ、その結果は口外しないよう求められている。

 

 けれど当然気になる。ゆえに問いは曖昧に、なので答も曖昧に―――各艦娘の中でも比較的精神的な成熟度の高い戦艦娘達ならではの微妙なトークが開始される。

 

 「はい、榛名は大丈夫ですっ!」

 先陣を切って満面の笑みを浮かべ両手で小さくガッツポーズを見せる榛名。巧みに目的語を伏せつつ断言する榛名に他の戦艦娘達が思わず感心する。こういう時には使い勝手のいいセリフである。

 

 「まぁ、そうなるな」

 ミニスカートを気にすることなく胡坐をかき、ずずっと紅茶をすすりながら瑞雲を撫でまわす日向がぼそりと一言だけ言う。こちらも使い勝手のいいセリフである。

 「行けるかしら」

 クッションに横座りし、少し体をひねりながら艶然と微笑む扶桑。白く細い指先が上品にサンドウィッチを摘み、ゆっくりと口元へと運ぶ。さきほどから違うニュアンスで同じ事しか言ってないような気がするが、気のせいではないだろう。

 

 「私の想像以上、データ以上の方ですね」

 眼鏡をきらっと光らせながら、セーフともアウトともつかない微妙な表現で霧島が言う。よく見るとほんのり頬が赤い。あれ、そういうこと? と榛名が怪訝な表情で霧島を覗き込み、すぐに納得したような表情になった。ティーカップの紅茶はほとんど減っていない代わりに、香りづけで用意されたブランデーがすっからかんになっている。

 

 教導課程を日南中尉が無事修了した暁には任地が決まり司令官として着任する。その時に同行するかどうかは、中尉と自分自身が合意して成り立つ。榛名は日南中尉に着いてゆくと決めていて、はっきりと感情的な部分での思い入れがある自覚がある分、他のみんなの言葉は、同行を求められた際に断る理由はない、という風に聞こえていた。

 

 実際の所、日向や扶桑、あるいは霧島も、明確に戦艦であることを志向していた。この三人に共通しているのは、これまでのところ日南中尉の作戦や指揮に不満はなく、むしろ近い将来優秀な司令官になるのは間違いないと思っている点。加えて過信ではなく、自分たちの能力を正確に理解し、今後の日南中尉に必要とされる存在であると確信している。だからその指揮下で自分の力を存分に発揮する、それ以上でもそれ以下でもない。

 

 

 「Cum」

 

 

 唐突に発せられた、短い、聞きなれない言葉に注目が集まる。ティーカップを唇に寄せ静かに微笑むウォースパイトはそれ以上何も言わなかった。ただ一人金剛だけは何とも言えない微妙な表情を浮かべ、じっとウォースパイトを眺めていた。英国生まれの二人だけが分かるかもしれない、現在では主に学術の世界でのみ生き続けるその古い言語は、ウォースパイトの明確な、それでいて巧みに韜晦したメッセージ。

 

 「私は…金剛お姉さまの行くところに着いていきます!」

 ショートカットを揺らし立ち上がると、見得を切りながら微妙に方向性の違う宣言を堂々と行う比叡は、きらきらとした視線を金剛に送っているが、当の金剛はどうもぼんやりしている。やがて全員の視線が自分に集まっているのに気づいた金剛は、あははーと誤魔化すように笑いながら、いつも通りの明るい口調で応じる。ただ、どこか貼り付けたような笑顔にも感じられた。

 

 「あ…えと…私なら…時間と場所をわきまえれば、触ってもイイのデース」

 

 なかなか一足飛びな金剛の言葉に全員がきょとんとする。「……まあ、そうなるな」と日向が素っ気なく応じ、「イけるかしら」と、これまた同じ言葉でニュアンスを変えただけの扶桑。「気合い! 入れて! 触りますっ!」と微妙に方向性の違うシスコンぶりを比叡が見せれば、榛名はむぅっとした表情で長姉にわずかな対抗心を覗かせる。

 

 金剛型戦艦一番艦金剛、彼女が唯一、進路を決められない自分に戸惑い態度を保留した艦娘である。そんな彼女だからこそ、ウォースパイトのラテン語に余計反応してしまった。Cum、それはBe with(共に在る)を意味する言葉。なぜ自分ははっきりできないのデショウ…それが金剛にとっての悩みだった。



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063. ストロー

 前回のあらすじ
 いけるかしら、の活用法について。


 現在教導艦隊は『O1号作戦』遂行のため、東部オリョール海へ反復出撃中。敵通商破壊艦隊を排除、海上輸送ライン防衛のため最奥部の敵を撃破し海域解放を目指しているが、作戦は一旦中断である。一方で同時並行で受託中の反復継続の任務群、例えばBd3『敵艦隊を一〇回邀撃せよ!』、Bd4『敵空母を三隻撃沈せよ!』、Bd5『敵補給艦を三隻撃沈せよ!』、Bd6『敵輸送船団を叩け!』、Bw2『い号作戦』、Bw3『海上通商破壊作戦』などなどなど…はさくさくと消化中。

 

 深刻な問題が起きての作戦中断ではなく、羅針盤に左右されやすいオリョール海域の特性で、海域最奥部まで到達できずにいるだけである。日南中尉としても艦隊の疲労度を考慮し、心も体もリセットするため二連休で完全休養日を設けることを通達した。そんなわけで、部隊の艦娘達は思い思いの時間を過ごしていたのだが―――。

 

 

 

 甘味処間宮は艦娘達のオアシス。和洋を問わず抜群の技量を誇る間宮によるお持て成しの心は、数寄屋造り風の店内の随所に息づいている。今日は白露の奢りで、同時に第二次改装を受けた時雨と夕立を間宮でお祝いしている。参加しているのは教導艦隊に配属される白露型駆逐艦のうち白露、時雨、村雨、夕立の四人。

 

 第二次改装を済ませ、時雨も夕立も印象が随分変わった。二人とも外ハネの髪がまるで獣耳のようになり容貌も大人びた。従来からの同一線上で落ち着いた感じで大人っぽくなった時雨に対し、瞳は赤色、髪の色も亜麻色の先端が桜色に染まったカラーの夕立はかなりアグレッシブな仕上がりである。

 

 以前からのセーラー服を基調にしながら、改二の新制服は全体的にフィット感が高まり、体の線がより強調されている。白く縁どられた上着の裾の部分がハイライトカラーになり、自然とウエスト周りが目立ち、等身が伸び奇麗なSカーブを描くようになったスタイルの良さが強調されている。時雨も確実に成長したが、それを大きく上回って成長を遂げた夕立の胸回りは、駆逐艦(クラス)を超えた十二分なサイズになってきた。

 

 けれども、その心持ちは改装前とあんまり変わっておらず、やっぱり娘>艦なのが、くちくかんらしいと言えばそれらしい。戦艦組が個別ヒアリングの結果を口外しないよう求められたのに配慮して曖昧なトークの中で自分の感情を吐露したのに対し、駆逐艦勢は『ん? ひなみんと一緒に決まってるよ』『や、冷暖炬燵持参するし』と、ふっつーに進路について話し合っている。

 

 後にその髪型と戦闘スタイルから忠犬と狂犬と呼ばれる時雨と夕立のコンビ、さらに二人と同様に第二次改装が可能な村雨も、その例外ではない。

 

 

 「ふ~ん、大人の階段を先に上られちゃった感じ? じゃぁ村雨はー…中尉に大人にしてもらおうかなぁ。あん、やだぁ、一気に出てきたぁ。うわぁん、白いのついたー」

 

 ツインテールを揺らしながら生クリームたっぷりのキャラメルフラペチーノを飲んでいた村雨。太めのストローで強めに吸った途端、生クリームごと一気に吸い上げてしまったようで、溢れた生クリームが口に入りきらず唇にはみ出してしまった。それ以上の他意はない、多分。その村雨は現在の練度を考えると、第二次改装はもう少し先の事になりそうである。そんなやっかみもあるのか、ちらり、と時雨を挑発するような意味ありげな視線を送る。

 

 「何だよぉ…。ただでさえ涼月とか磯風とかで頭痛いのに、村雨までそんなこと言うの? 姉妹なんだからさ、もっとこう、僕を応援するとかしてくれてもいいと思うんだけどな」

 時雨はこの手のあおりに非常に弱い。ぷうっと頬を膨らませながら、飲んでいたコーラフロートのアイスをストローでがしがし崩し始め、あっという間にグラスの中のコーラを茶色く変色させてしまった。

 

 「時雨は機嫌が悪くなるとお行儀悪くなるっぽい」

 「だって村雨が…」

 

 ほんとに子犬がするようにソフトクリームをぺろぺろ舐めている夕立が、我関せずという様子で、ぽつりと言葉を零す。いつもの事だ、と言いたげである。一方の村雨はふふーんと揶揄うような表情で相変わらずフラペチーノを楽しんでいる。不満タラタラの表情で、わずかに目の端に涙を浮かべた時雨が、軽く八つ当たり気味に夕立に食って掛かる。

 

 「ケンカしないでよー、せっかくのお祝いなんだからさ。でもいいよねー、みんな。私なんて一番艦なのに、いまだに第二次改装が実装されてないんだから…(2018.06時点)」

 どよーんと黒い雲を頭上に漂わせた白露の沈んだ声で、慌てて三人が宥めようとワタワタし始める。白露型駆逐艦シリーズの長女、明るい茶髪のボブヘアーと黄色いカチューシャが特徴のかなりの美少女である白露。妹たちに負けず劣らずなナイスなプロポーションで、艦隊本部の指定する水着で出撃(真夏のお出かけ)勢にも選ばれている。ただ、優等生すぎるというのか、どうにも個性の尖ってる妹たちに押され気味の立ち位置である。

 

 「いや、大丈夫だよ、白露姉さんだってそのうち…」

 「はいきた適当な慰めかたー。そのうちっていつ? 何年何月何時何分になったら改二になれるのよ?」

 ケンカしないでと言いながら、面倒くさい拗ね方の白露が時雨を困惑させる。幸運艦と言われる時雨の運でも、流石に姉の改二実装の時期までは左右できず、夜戦のカットイン攻撃(シャッシャッシャッドーン)の確率が高いくらいだ。村雨は苦笑いを浮かべ二人を生ぬるく見守り、夕立はやっぱり我関せずである。

 

 「白露姉さん子供っぽいぽい?あれ?変な言い方っぽい?あ、そうだ、そんな事よりも、明日は演習ぽいっ!」

 改二になっても無邪気さが抜けない感じで首を傾げていた夕立が、唐突に明日の予定を思い出す。完全休養日は今日でおしまい。明日は対外演習の予定が組まれていて、すでに日南中尉から明日の演習参加者に指名されている夕立はうきうきしながら席を立つ。

 

 「どこいくの?」

 「うー、なんか体がうずうずするっぽいっ! 明日まで待ちきれないから、ちょっと運動してくるっぽい! 白露姉さん、ソフトクリーム美味しかったっぽいっ!」

 「あ、ちょっと!口の周りちゃんと拭きなって」

 慌てて呼び止めた白露がハンカチを取り出して夕立の口の周りをこしこしと拭いている。えへへー、と頭に手をやりながら朗らかに微笑む夕立は、甘味処間宮を飛び出していった。

 

 今回の演習、日南中尉にとっては艦隊に少しずつ増え始めた改二勢のシェイクダウン(慣熟試験)的な意味合いもあり、参加する艦娘には勝敗に拘り過ぎず、向上した身体能力や艤装の能力の確認と運用を重視するように指示を出していた。

 

 

 

 「あの人、今日到着するんだよな……うーん」

 宿毛湾泊地第二司令部執務室。日南中尉は執務机に両肘をつき、組んだ両手で口元を隠す、いわゆるゲンドウのポーズのままで考え込んでいた。

 

 宿毛湾泊地は、太平洋に展開する艦隊の整備休息、あるいは各種公試の拠点としての性格を持つことは以前も触れた。ゆえに来訪者も多いのだが、今回宿毛湾を訪れるのはブイン基地の司令官である。

 

 南太平洋拠点群の一角を成すブイン基地は、日本海軍の支配海域の最外縁を成すこともあり、常時深海棲艦の攻勢に晒され、その度に粘り強く戦い基地を守り続けていた。そんなブインだが、先ごろかつてない規模の猛攻を受け窮地に陥った。勝ち目はないと判断したブインの艦娘達は、反対する基地司令官を無理矢理後方退避させると、全滅覚悟で抵抗を続けた。だが物語は、絆が生んだ辛く悲しい玉砕…にはならなかった。

 

 海域最大の拠点ラバウル基地まで退避に成功したブインの司令官は、ただちにラバウルと共同作戦を展開し反転攻勢、激戦の末ブインの死守に成功した。前線まで通常艦艇で乗り込み艦娘を鼓舞し続けた同地の司令官は重傷を負い内地送還されたという荒武者ぶりである。現在ブイン基地の機能はほぼ失われ、文字通りゼロからの立て直しになるが、療養を終えたこの司令官は再び同地へと赴く。それに先立ち、横須賀鎮守府から新たに受領した一個艦隊の最終調整のため、宿毛湾に寄港するのだが―――。

 

 「正直いって、()()()()苦手なんだよな…」

 

 日南中尉の前、最後に修了した司令部候補生は二年前まで遡る。海軍兵学校の先輩にして、司令部候補生としても先輩に当たるのが、ブイン基地司令官を務める不破 允航(ふわ まさゆき)少佐。名前通り『不敗』を通り名に持つ若き佐官は、中尉にとって尊敬すべき先輩であり、同じ司令部候補生のロールモデルとして見習うべき存在になるはずだが、そう単純にもいかないようだ。

 

 うーん、と再び黙り込んでしまった日南中尉。どうやらよほど苦手意識があるらしい。

 

 そんな日南中尉を悩みから引き戻す様なタイミングで、こんこんとノックの音が響く。入室を許可すると小さくドアが開き、さらさらの銀髪が見える。

 

 「失礼します、中尉。一五〇〇(ヒトゴーマルマル)、休憩しませんか? はいこれ、工夫して作ってみました。お芋ドリンクです! 疲れた時には甘いものがいいと思って、用意してみました」

 柔らかく微笑んで銀髪を揺らしながら入室してきた涼月が、グラスに入った白いドリンクを差し出していた。蒸かしたサツマイモとココナッツミルク、牛乳、砂糖をミキサーにかけたシェイク風の飲み物である。時雨と村雨が甘味処間宮でばちばちやっている最中、涼月はさりげなく陣地要衝に突入を成功させていた。一瞬きょとんとした中尉だが、同じように柔らかく微笑み返すとグラスを受け取りこくこくと喉を鳴らす。

 

 「うん、優しい味が嬉しいね。ありがとう涼月。君はもう飲んだの?」

 「え…」

 

 半分ほど空いたグラスに、さり気なく視線を向ける日南中尉。何気なく、他意の無い行動のはずが、グラスを差し出されたと解釈した涼月は、間接キスを意識しすぎて真っ赤な顔で固まってしまった。意を決したように気合を入れた表情で、グラスを手に取りじっと見つめる。涼月が何をするのかと眺めていた日南中尉は気が付いた。え、唇が触れた位置を確かめてる、とか…? 引き続きグラスを見つめていた涼月の唇がグラスに近づく。そして―――。

 

 ずずずずーーー。

 

 「うん…おいしいけど、もったりとした…飲み心地。ストローだと、きついね」

 

 二人の間に割り込むように、無表情の初雪がグラスにストローを差し込んで一気に飲み干してしまった。けふ、っと軽い音を残し、すたすたと冷暖炬燵に戻った初雪はそのまますやすやと眠りに落ちた…ようだ。日南中尉と涼月からは、ぴくりとも動かない初雪の後ろ頭は寝ているようにしか見えないが、前から見れば初雪はしっかり起きていた。そして二人に聞こえないようぼそぼそと呟いていた。

 

 「危ないとこ…だった…。島風も…もうちょっとこう、あれをそれした方が…うん」

 発言の意味はよく分からないが、初雪的には島風推しの模様。身動き一つしない初雪をぼんやり眺めていた日南中尉と涼月だが、我に返ったように涼月が慌てて本来の要件を切り出す。

 

 「そ、そうでしたっ! 翔鶴さんから伝言を頼まれてました。ブイン基地の不破少佐が予定より早く到着されたそうですっ」



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064. ザ・ポジティブ

 前回のあらすじ。
 白露型は尊いですよね(確認。


 「そ、そうでしたっ! 翔鶴さんから頼まれてました。ブイン基地の不破少佐が到着されたそうですっ」

 慌てる涼月が日南中尉に来訪者のことを伝える。話を総合すると、のんびり涼月特製のドリンクを味わっている間に結構待たせてしまったかも知れない。中尉は席から立ち上がるとラックに掛けてあった第二種軍装の上着を手に取り出かける準備を始める。涼月もお手伝いします、と背伸びしながら日南中尉に制帽を被せようと正面に立つが、男性に服を着せる事になど慣れないため、よろけて中尉の胸に飛び込むような格好になってしまった。ふわっと涼月の銀髪が揺れ、柔らかい香りが日南中尉の鼻腔をくすぐる。

 

 「きゃ…っ」

 「す、涼月…?」

 「スクープ(青葉砲)直撃じゃね? 海軍スポーツ(海スポ)一面いただきか?」

 「ここの中尉は少佐と違う意味で有名ですから、"報道しない自由"が発動されると思いますよー」

 

 支えようと涼月の両肩に手を載せていた日南中尉だが、そのまま涼月を横にスライドさせる。そして声の主の姿を確認すると、一瞬ゲ…という表情になったが、すぐに顔を引き締め敬礼で応じる。ノックもなしにドアを開けた不破少佐がブインから同行させた艦娘の一人の青葉を伴い、にやにや笑いながら立っている。

 「もともといた場所だしねー、案内とかいらないし。候補生のとき俺もこの部屋使ってたけどさ、こんなわけわかんないインテリアにはしてなかったけど」

 炬燵と玉座が混在する執務室の中を珍し気に眺めながら、青葉に昔のことを説明する不破少佐。日南中尉の前の司令部候補生として宿毛湾に着任し、優秀な成績で教導課程を修了したブイン基地の司令官である。

 

 軍礼に則ったかっちりした敬礼の姿勢を崩さない日南中尉に対し、ウインクしながらぺろっと舌を出すペコちゃんスマイルで、テイッ! とかっるーい敬礼風のポーズを決める不破少佐。金髪の無造作ヘアが白い第二種軍装にマッチした、むしろ王子様然とした出で立ちで、日南中尉とはタイプは違うが彼もイケメンである模様。制服の上着は胸元までがっちり見えるほど開け放ちその中は素肌、一見すればただのチャラいあんちゃんに見えるが、肌蹴た制服から覗く上半身は細身ながら見事に鍛えられた筋肉質の体で、彼の素性が軍人であることを物語る。

 

 チャラい敬礼に続いてサングラスも取らず拳を差し出す不破少佐は、怪訝な表情のまま敬礼を続ける中尉に向けて、ふりふりと拳を揺らす。仕方なく中尉が敬礼の手を下ろし握り拳を作り、差し出された拳に軽く当てる。

 

 「ウェーイッ! 何年ぶり? 日南も変わんないなー」

 「先輩も…変わっていないようですね」

 にやっと破顔した不破少佐は、がばっとヘッドロックでもかますように左腕を日南中尉の首に回しうりゃうりゃいいながら小突いている。不破少佐とは三年離れている日南中尉だが、何かと目を掛けられていた。イジられていた、という言い方でもいいかも知れない。こんな風に誰かとジャレあう日南中尉を初めて見た涼月は、呆然、というか唖然とした表情で目の前の光景をぽかーんと口を開けて眺めていた。

 

 人との距離感をあっという間にゼロにして入り込んでくるタイプの不破少佐。コミュ力が高いとも空気を読まないとも、どちらとも言えるタイプだが、絡まれている日南中尉の様子を見ると、前者なのだろうか。艦娘で言えば金剛さんとかと同じでぐいぐい来る感じの人なのかなぁ…と涼月がぼんやり考えていると、視線に気が付いた。いつの間にか日南中尉へのヘッドロックを解いた不破少佐は、サングラスを頭の上に掛け、じっと涼月を見ていた。そしてばちこーんとウインクをすると、パリピっぽい感じのポーズで話しかけてきた。

 

 「おおっ、ブイン(うち)にはいないけど、秋月型の子猫ちゃんじゃーん? かわいー♡」

 

 深々と溜息を付いて頭を抱える日南中尉のことなどお構いなしに、つかつかと涼月に近づいた不破少佐は、指先まで白インナーで覆われた涼月の手をにぎにぎ握ったと思うと、トレードマークの銀髪をさらさらと指で滑らせる。

 「髪の毛超綺麗だよね、一本一本毛を並べて暖簾つくりたくなった!」

 

 言ってる事はてきとーだが、あまりにもなれなれしい態度に、涼月は完全に固まってしまい、涙目で中尉に助けを求めるような視線を送っていた。流石にいい加減にしろよ、という表情で中尉が動き始め、青葉はまた始まったと零しながら手にしたカメラで不破少佐が涼月に絡んでるのを激写し続けている。HOTな情報を満載する、海軍内部の公式エンターテインメントニュースペーパーの海軍スポーツ、略して海スポ。その紙面のゴシップ欄を度々賑わせている不破少佐だが、その多くは青葉が押さえたネタを横流ししているという、案外笑えない背景があったりする。

 

 「たっだいまーっ! オリョール海から無事戻りましたーっ! 勝ったけど敵の本隊には着かなかったよ…ってお客さん? わ、イケメン増えてるじゃーん」

 ノックと同時にばーんとドアを開け放ち、元気いっぱいに帰投を報告する最上型重巡洋艦三番艦の鈴谷が、詳細の報告そっちのけで不破少佐を目ざとくチェック、少佐も〇.五秒で鈴谷と打ち解けた模様。

 

 「ん? 日南は今頃東部オリョール海進出中なわけ? 重巡的な連中メイン? …へえ、そうなんだ。いやー、俺なんかもうずいぶん前の事だから、編成とか忘れちゃったよ」

 

 口調は相変わらず適当だが、鈴谷から聞いた編成に少佐は何か思う所があったようで、興味深そうに日南中尉へと視線を送っていた。

 

 

 

 不破少佐もまた司令部候補生になるほどの逸材、海軍兵学校在学時は座学実習とも極めて優秀だが、唯一悪かったのは女癖である。全寮制となる海軍兵学校で単位認定を受けられる出席率は九五%以上と定められ、下回ると成績に関わらずその科目は落第となってしまう。ゆえに夜中抜け出して呉の繁華街で遊び倒して朝帰ってくる、という破天荒な生活を続けていた。基本的に心身ともに昼夜問わず必要以上にタフなタイプである。

 

 「虎や狼は訓練しなくても強いじゃん? 俺はオオカミだからねー、色んな意味で」

 

 と手をくるくる回してびしっとチャラい敬礼ポーズにウインク。ムカつくことに顔もいいからそういうポーズも様になる。そもそもこの不破少佐が、海軍を目指した理由は分かりやすいほどシンプルなもの。

 

 「や、だってモテるから。この時代第二種軍装(白い制服)着て街歩いてたらもう入れ食いよ? それにさ、艦娘(子猫)ちゃん達超かわいいじゃん! 俺さ、何ていうのかな、時代を超越してるところがあるから、ハーレムとかマジ作りたいわけ」

 

 そんな男だが、不思議と桜井中将は高く評価しており、その期待に応えるように抜群の戦績とスピードで教導課程を修了、外地でも重要拠点の一つに数えられるパラオ泊地司令官に中佐として着任しキャリアをスタートした。

 

 したのだが…パラオ着任後暫く経ってからの本土出張の際、民間人とトラブルを起こし、少佐に降格の上最前線のブイン基地に転属となった。早い話が左遷である。

 

 出張に伴った艦娘達を連れて夜の街を練り歩いていた彼がちょっと目を離した隙に、彼の艦娘はナンパ目当ての連中に絡まれていた。無論艦娘たちはついて行くはずもなくあっさりオコトワリした。

 

 -艦娘のくせにお高く止まりやがって。バーカ、バーカ。

 

 単なる捨て台詞、当の艦娘達さえも気にしない戯言だが、不破中佐(当時)には違ったようだ。見た目はチャラいが兵学校と教導課程で鍛え抜かれたバリバリの軍人である。あっという間にナンパ連中を叩きのめし、通報を受けて急行した警官、さらには海軍憲兵(特別警察)隊とも乱闘を繰り広げた。一連の顛末は、海スポだけでなく一般紙の紙面を飾り一躍有名人となった…言うまでもなく悪い意味で。

 

 -のくせに。

 

 艦娘を見下すようなこの言葉だけは許せなかった、と彼が暴れた理由が事情聴取で判明した。とは言っても民間人との乱闘は重罪である、海軍内では表立って彼を擁護する声は聞かれなかったが、心情的には好感を持った者も多かったようだ。その結果が、降格+左遷という、何となく好意的な処遇に落ち着かせたのかも知れない。

 

 

 「俺は世界で三番目くらいにポジティブだから、気にしないけどねー」

 「少しは気にしろよなっ!! おかげであたし達まで最前線送りじゃねーか!」

 

 間髪入れずにツッコミに回ったブインの摩耶に向かい、さらっと前髪を跳ね上げながら、ふっ…と唇の端だけを上げて微笑む不破少佐は、教導艦隊の艦娘にアピールを開始する。

 「見てた? さっきみたいに『ふっ…』って笑うのは、俺みたいなハンサムちゃんに許された特権だと思うんだ」

 

 舞台は変わって甘味処間宮。時雨と夕立の第二次改装のお祝いもそろそろお開きかな、という所で、宿毛湾&ブインの混成部隊の登場。日南中尉の執務室には、その後も教導艦隊の艦娘や、不破少佐を探していたブイン基地の艦娘が引っ切り無しに現れたため、取り敢えず間宮へと移動して、そこで懇親会を開くことになり、元々店にいた白露型の四人も加え、店内は大いに賑わっている

 

 「…ねーねー中尉ー。夕立の新しい制服、似合うっぽい? ぽいぽいぽい?」

 「うん、そうだね…というか、そんなにくっつかれると制服が全然見えないよ」

 

 間宮に現れた集団の中に日南中尉の姿を認めた時雨は、たたっと駆け寄る。駆け足に合わせて外はねの髪がぴょこぴょこ動き、帰ってきたご主人様に嬉しさを爆発させて駆け寄る忠犬のようである。そんな時雨を追い越して、どーんとタックルを敢行する夕立。一瞬むぅっとした表情になった時雨だが、夕立の振る舞いを見ていると、少しだけ肩を竦め、取り敢えず場を譲る事にした。身体全体をぶつけるようにして抱き付いてきた夕立の勢いに押されるように、日南中尉は手近にあった椅子に座っている。夕立は正面からその膝の上に乗るように抱き付くと、嬉しそうに頬擦りを繰り返している。

 

 手足が伸びきって大人っぽい姿形になったとはいえ、普段の言動と合わせ無邪気な犬がじゃれている微笑ましい光景―――のはずだった。ちらり、と振り返った夕立の赤い目は、勝者の色を帯びニヤッと笑っている。ん? と思った時雨は、嬉しそうな表情で中尉に抱きついている夕立の動きを注視する。

 

 「わわっ、夕立っ。犬じゃないんだからっ」

 「えへへ~♪ 中尉はおいしいっぽい。中尉は…夕立のご主人様っぽい?」

 

 よく見てみると、夕立は改二になり大きく成長した胸をぎゅうぎゅう押し当てつつ、頬擦りをしていたはずが、いつの間にか小さく舌を出してぺろぺろと中尉の頬を舐めている。やられた!

 「もーっ! 夕立、すぐに降りて、おすわり! そこは僕の場所なんだから!」

 

 「へぇ、日南はくちくかんスキーなんだ。いんじゃね、似合ってると思うよ」

 依然として日南中尉の膝の上を奪い合うように時雨と夕立がわやくちゃしているが、その頭上から声が掛かる。不破少佐が葛切りの小鉢を両手に持ち中尉の元にやってきた。それを潮目にすいっと立ち上がった日南中尉は小鉢を受け取ると、少し離れたテーブルに移動し、先輩と後輩であり新旧の候補生である二人の話が始まった。



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065. アルター・エゴ

 前回のあらすじ。
 テイッ!


 桁の違う大規模攻勢を受けたブインの艦娘達は、腹を括った。不破少佐だけは守ろうと、寝ている彼を縛り上げラバウルまで無理矢理後退させた。これで安心して死んでゆける、と笑い合いながら頑強に抵抗を続け戦う彼女たちの前に、ラバウルで臨時編成した部隊を率いた少佐が疾風迅雷の勢いで取って返してきた。艦娘達が無理に作った笑顔はすぐ泣き顔に、それから鋼の意思に満ちた、本物の不敵な笑みへと変わった。

 

 座乗した母艦は沈められ不破少佐も内地送還を要する重傷を負うほどの激戦だったが、指揮官先頭の伝統が現代に甦ったような勇猛果敢な指揮ぶりで敵の重包囲を散々に打ち破り、艦娘を誰一人失うことなく基地の死守に成功した。そして内地での療養を終えた少佐は、ブインに戻る長旅の前に宿毛湾に立ち寄ったのだが―――。

 

 「ケガはもういいんですか? ブイン防衛戦で、先輩は深海棲艦…それも姫級と素手で戦ったって新聞で見ましたが?」

 「海スポの記事? んな訳ないじゃん、俺、ヒューマンだからね? でも、深海の連中を至近距離で見たのはマジ。港湾棲姫とかパないわ、あれ」

 「そんなに…」

 「も、すんごいの、ほんとに」

 

 真面目な顔で胸の下あたりに当てた両手を上下にゆさゆさ揺らす不破少佐は、どこの話をしてんだよ…と頬をヒクつかせる日南中尉に、相変わらずチャラくテイッと敬礼風のポーズでウインクを決める。

 

 本当に疲れる、と日南中尉は溜息を深々とつく。この人は昔から意味のない事はしない。チャラい口調と態度でカモフラージュしながら、相手に情報を与えず自分の知りたい情報を確実に引き出す頭の回転の速さは知ってるつもりだ。いやでも、知ってるつもりのだけで、本当にチャラいだけかも知れない…。テーブルに置かれたお茶を飲み一息ついた中尉は、少佐のペースに巻き込まれないよう警戒を強める。だがちょうどいい機会、と、以前から気になっていたことを聞いてみる。本当の事を答えてもらえるかは別としても。

 

 「…先輩、先輩は民間人に暴行を働いて降格になったんですよね? 自分の知ってる先輩はチャラくて女癖が悪くていっつも適当なことばっかり言ってましたが、とても優秀な方で、そんなことをする人ではなかった。いくら自分の艦娘に絡まれたからって…」

 「面と向かって褒められると…気分いいからもっと言ってよ」

 

 うぇーいと両手を前に緩く差し出しドヤ顔になる不破少佐。依然として甘味処間宮の店内は大勢の艦娘で賑わい笑顔と笑い声に満ちている。だが、静かだが通る声で淡々と、表情をあまり変えずに問う日南中尉と、オーバージェスチャーを交えながら顔芸すれすれに豊かな表情で明るく答える不破少佐のコントラストは徐々に注目を集め、いつしか間宮店内では二人の声に注目が集まり始めた。

 

 「あー、あれね…日南も自分の拠点を持って戦場と向き合えば分かると思うよ。俺ね、見て分かるだろうけど、礼儀とか結構拘るのよ」

 

 「どの口が言ってるんでしょう? 馬鹿め! と言って差し上げますわ」

 突っ込みながら、すっとブインの高雄が少佐の左隣に座る。

 「見てわかるのは貴方の頭がぱんぱかぱーんってことかなー」

 突っ込みながら、すっとブインの愛宕が少佐の右隣に座る。

 

 それぞれの腕を高雄と愛宕の背中にすっと回し二人の腰を抱きながら、顔芸を止め真面目な表情になった不破少佐が肩を竦め話しはじめる。

 「だいたいさ、『艦娘のくせに』なんて言う奴ら、何様なんだろうね? 艦娘のみんなは死に物狂いで戦って、痛い思いして帰ってきて、そんでまた高速修復材(バケツ)被って出撃してんだよ? 本土の連中、誰のおかげでチャラチャラ酒なんか飲めるようになったと思ってるのかな」

 

 「…だからと言って民間人への暴力を肯定する訳には―――」

 「ツイかっトシテヤッタ。今ハ反省シテマース。てかさ、深海棲艦と戦えるのは艦娘だけ。その艦娘を率いるのは俺ら選ばれた指揮官だけ。中でも俺みたいに優秀なのはさ、とびきりのスターだし。だから処分も軽かったしね。そんな俺に意見しようなんて、どうなのさ? 」

 「…み、みんな見てますから、あんまり―――」

 「あ、や、…声、でちゃ―――」

 

 棒読み口調で適当に言った言葉の前半、絶対に反省なんかしてないのがよく伝わってくる。そして言葉の後半は、戦時における事実だとしても、軍人が口にすべきではない傲慢な本音。少佐の強烈な本能的欲求に基づく確固たる自我(エゴ)、一方でエゴの暴走を抑制するはずの社会的規範が戦時下におけるそれでしかなく、むしろエゴを強化する方向に作用する皮相。

 

 高雄と愛宕を巧みな手作業で好い加減にいい感じにさせ、甘味処の一角を昼から別な感じの店に変えてしまった不破少佐。そんな光景を見せつけられた宿毛湾の艦娘達、ここ間宮に集っているのはくちくかんが中心ということもあり刺激が強すぎたのか皆顔を真っ赤にしながら、でも目は離せずにいる。

 「うー………っぽい…」

 上を向いて首の後ろを自分の手でとんとんしている夕立は鼻血をたらりと垂らし、村雨は手を胸の前で組んでクネクネし始める。時雨は時雨で真っ赤な顔をしながら上目遣いでちらちらと日南中尉に熱視線を送っている。いったい何を想像しているのか。

 

 「世間とか週刊誌とか色々言うけど、艦娘(子猫ちゃん)達に感謝の気持ちを忘れてるやつには、ちゃんと思い出させなきゃいけないんだよ。だからね、俺は俺にできる精一杯の感謝をするよ、毎晩ヘブンに連れてってるよ? だって全員俺のモノだからね」

 

 Fxxk you、ではなくて、きらりと鈍く光る指輪をした薬指を立てた紛らわしいポーズを見せた少佐が、ぐいっと身を乗り出して開け放した軍装の上着をさらにがばっと開け胸元をさらけ出す。その首元には、いくつもの指輪をペンダントヘッドにした、これまたチャラい感じの金のネックレスが輝いている。怪訝な表情を浮かべる日南中尉と、一斉に色めき立つ宿毛湾の艦娘達、この辺は男性と女性の感性の差というしかないだろう。

 

 「わぁ…カッコカリの指輪、あんなに…」

 「や、さすがに全部は指につけらんないっしょ。けど肌身離さず持ってたいからね」

 

 ジュウコン…それは痴力財力時の運、その全てを備えた司令官だけが成し得ると言われる男の浪漫丸出しのスタイル。不破少佐は若くしてその境地に辿り着いたようだ。練度の関係もあるが、誰一人指輪持ちのいない宿毛湾勢は、一斉に日南中尉に熱い視線を、高雄と愛宕には羨望の視線を送っている。そんなきゃいきゃいした様子を微笑ましそうに、同時に憐れむような目で見ていた不破少佐は日南中尉に話を振り始める。

 

 「それにしても日南は変わんないね。相変わらず真面目…てか真面目ぶってるけど、楽しーの、それ?」

 「真面目ぶってるって…別にそんなつもりでは」

 僅かだが、日南中尉の声に苛立ちが混じり、不破少佐も気付いたようだが一向に気に留めていない。

 「あれーそっかなー? 兵学校時代とか俺が一目置くくらい優秀なくせに、いっつも作り笑いを顔に貼り付けてさ。まるで自分じゃない別の何かになろうとしてるみたいで、見ててある意味面白かったよ。今でも変わってないみたいだし、無理してんねー」

 

 珍しく、本当に珍しく、日南中尉が露骨に嫌悪の色を顔に出し、不破少佐に鋭い視線を送っている。

 

 中尉が不破少佐を苦手としているのは、チャラさや適当さにではない。自分でも気付いていない、あるいは気付いていても蓋をしている心の奥に、あっさり気付いてしまう繊細さと、同時にそれを気にもとめない傲慢さの同居したエゴイズムに対するもの。反論しようと口を開きかけた日南中尉をにやにやしながら制し、不破少佐は畳みかけてくる。

 

 「東部オリョール海(2-3)で低練度の重巡と航巡メインに、軽巡とか駆逐艦組み合わせて部隊の底上げして、沖ノ島海域(その先)に備えてんでしょ? 俺はそんな面倒なことしなかったけどねー。教導なんてさっさとクリア優先で独り立ち、じゃね? だって俺、元帥になってやりたいことあるもん」

 

 日本を象徴する大君への軍務顧問となる地位、それが元帥。現在の海軍元帥は名将の誉れ高い伊達 雪成(だて ゆきなり)大将が長年その地位につき、全海軍だけでなく日本国民全体から信頼を集めている。このチャラい司令官がその地位を狙うのか、と皆唖然としながら、想像の翼を広げてみた。

 

 

 大君も臨席する御前会議。陸海空三軍の長が揃う重苦しい空気の会議室に―――。

 「テイテイテイテイ、テイッ!」

 右手を顔の前でくるくる回してかっるーい挨拶をしながら現れる金髪のチャラい元帥。白い第二種軍装の上着は胸元が大きく開き、中から覗く素肌、首には太い金のネックレスがジャらついている。

 

 

 ブインの摩耶が呆れたように首を振りながら不破少佐を窘めようとしたが、少佐は猛然と反論する。

 「だめだよ、俺は元帥になって、ジュウコンガチ制度を成立させるって。これ一番大事だよ、いやまじで」

 

 は?

 

 その場の全員が固まるが、少佐は一向に気にしない。

 

 「いつも言ってるじゃん、だいたい全員とアレをソレしてるんだから、俺はちゃんと責任取るって」

 「だぁーーーっ! そ、そういう恥ずかしいことをよく人前でっ! お前もうこれ以上喋るなっ! あたしらまで変な連中だと思われるっ! まだ用事残ってんだろ、もう行くぞ、オラッ!」

 

 呆気に取られている教導艦隊の艦娘と日南中尉に見送られながら、顔を真っ赤にした摩耶が不破少佐を無理矢理立たせ、高雄と愛宕を連れて間宮を逃げるように出ていこうとする。横開きの戸を半分ほど開けた所で立ち止まった不破少佐が振り返り、ウインクしながら日南中尉に言葉を残し、甘味処間宮を後にしようとする。

 

 「気持ちいーよ、曝け出すのって。YOUも、やっちゃいなよ。じゃあね日南、次はもっと高いステージで会おう、お前には俺の片腕として活躍してもらうからさ。さて、と…まずは明石だね。横須賀から押し付けられた(もらった)第三世代とかゆー困った艦娘、どうするか相談しなきゃ。ったく、面倒だわ」

 

 空気が一瞬で凍ったのが、全員に伝わった。呉出張での顛末は既に教導艦隊内で知れ渡っている。桜井中将からの特命を受けている明石は、指示を守りほとんど情報を漏らしていないが、磯風・浜風・雪風(当の本人たち)がぺらぺらと喋っているのだ。日南中尉や教導艦隊の艦娘は、第三世代艦娘はこの三人しかいない、と思い込んでいた。だが実態は、先行試験配備の名目で、想像よりも広く薄く配属がすでに進んでいたようだ。ただいずれにせよ呉での不祥事で露見した第三世代の問題点に、各拠点とも扱いに困っているのが実情らしい。

 

 「先輩、どうするか相談、って、どうするつもりなんですか?」

 「ん? どうするつもりって、それを日南が知ってどうするの?」

 

 やば、という顔で慌てて引き留めようとする摩耶を押しのけ、間宮店内に戻る不破少佐に対し、張り詰めた表情で張り合うように前に出る日南中尉。

 

 -ほんと、この先輩は苦手だ…。張り合うには、自分の心の底からの言葉じゃないと届かないから。

 



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066. セーフティロック

 前回のあらすじ。
 ジュウコン王に、奴は…なるっ!


 「以前から疑問だったのですが」

 と一言発した翔鶴は、お盆を両手で胸の前に持ち、じっと桜井中将を見つめる。

 

 甘味処間宮で不破少佐と日南中尉が揉めかけた話は、既に宿毛湾泊地の艦隊総旗艦を務める翔鶴の耳にまで届いている。神通の乱入と間宮のお説教(取り成し)でその場は収まったらしいが…。まったくあの人は変わっていません、と不破少佐の司令部候補生時代を思い出し苦い表情の翔鶴。無言のまま目線だけを返した桜井中将は、翔鶴の淹れたほうじ茶をずずっとすすり、軽く息を吐き疑問に答える。

 

 「なぜ不破君を、ということだね?」

 こくりと翔鶴が頷き、前髪がさらさらと揺れる。なぜ桜井中将が不破少佐を評価しているのか、彼女には理解できない。優秀なのは勿論認める。ただ、現候補生の日南中尉と比べるとあり方がまるで違う。緻密というより相手の裏をかく作戦、冷静というよりは(したた)かな性格、結果で過程を正当化する運用、何より一八〇度違う艦娘への接し方。繊細なコワレモノを扱うように、傷つけないように接する日南中尉と、欲望に従って艦娘の身も心も手に入れちゃう不破少佐。男女関係には一途な翔鶴にとって、不破少佐は女の敵、くらいに思えてしまう。

 

 「そうだね、より実戦的で実践的な指揮官だから、と言ったら納得するかい?」

 

 眉根に僅かに皺を寄せ、手にしたお盆で口元を隠す翔鶴。隠された唇は明らかに不満を示す形になっている。そんな様子を見ながら、うーん、と頬をぽりぽりと掻く桜井中将。

 

 「性格はともかく能力は一流、とは彼のためにあるような言葉だからね。確かに彼のチャラさというかエロさには、意見が分かれるだろう。煩悩塗れで途方もなく(欲望に)正直な馬鹿者、とも言える。けれど…」

 

 けれど? と翔鶴が首を小さく傾げ、きょとんとした表情になる。

 

 「彼の率いる艦隊は強い。これが最も重要なことだ。作戦が優れていようが艦娘を労わろうが、敗北に価値はない。軍紀を守る大前提はあれど、彼の凄さは、破天荒でも何でも、艦娘達を統べて自分の色に染めてしまう所にある。煩悩でも束ねれば人を惹きつける信念になるのかな。芯の強さ、心の強さは指揮官として最も重要で、得難い資質の一つだ。日南君にも芯が無いとは言わない、だが不破君に比べれば見えづらく…というか容易には見せないからね。いざという時に、艦娘達の身も心も支える存在となれるのか…」

 

 むぅっとジト目になり桜井中将を軽く睨む翔鶴。確かに正論であり、指揮官として確かな実績を残す不破少佐が、海軍刑法に反しない限り艦娘とどんな関係になろうと、それは彼と彼女らの問題だ。でも、正直ならいいってものでは…と納得いかず、翔鶴は依然としてぶつぶつ言っている。

 「この点では、私も彼に『器』を認めざるを得ないのだよ。比べれば、ただ一人の艦娘だけを受け入れる器しかない私は将官として二流なのだから」

 

 やや間を空けて桜井中将が口にした言葉。あまりにも意外できょとんとしてしまう翔鶴だが、すぐに照れたように優しく微笑む。中将にとってただ一人の艦娘、とは目の前にいる翔鶴のことである。手にしていたお盆を置くと、執務机を回り込み、中将を背中から抱きしめ、耳元で歌うように誘うように囁く。

 

 「多くの後進を育て、時を経た今でも機動部隊の指揮では肩を並べる者は僅か、と謂われる将を、二流とは言いませんよ。それに…私には超一流の旦那様ですから」

 

 

 

 

 甘味処間宮で不破少佐がオラつき始め、日南中尉が珍しく真っ向から受けて立った所まで、時間は遡る―――。

 

 「第三世代はさ、建造直後から練度が相対的にMAXなのがウリみたいだけど、そんなの最前線で二、三回死ぬような思いすればあっという間に超えちゃうよ。成長するのが艦娘のいい所じゃん? いい所を引き出せるかどうかは指揮官の腕次第」

 

 背後には顔を顰める高雄と摩耶。その気配に気づいたのか、取って食ったりしねーよ、と僅かに後ろを振り向き意味ありげに笑った不破少佐。日南中尉に向き直ると僅かに肩を竦め、にやりと口の端だけを上げて嘲笑(わら)いずいっと前に出る。

 「最初はさ、キスするだけで顔真っ赤にして恥ずかしがる子猫ちゃんが、数を重ねるうちに自分から欲しがりさんになるんだぜ? も、なんてーの、俺のテクっつーのかな、いや、俺の愛、そうLOVEだよアモーレ。でも、感情も薄くて成長もしないんじゃ、楽しくないじゃん」

 わきわきといやらしく手を動かす不破少佐。明るいイケメンじゃなければただの変質者にしか見えない。変質者ぶりはこの際さておき、楽しくないなら…どうするつもりだ? 日南中尉は内心で顔を顰める。自分の知っている頃と変わっていない、極めて実利的な思想と思考。押し負けないように、ずいっと前に出る。拳三つ分ほどの距離で真っ向から視線を逸らさず向き合う。

 

 「第三世代(彼女達)の不安定さは、技術本部による不適切な改装の結果であって、適切な処置を施せば成長してゆきます」

 「お前の所の三人みたいに、ってこと? でもさ、うちは最前線だからね、不確定要素はできるだけ排除しないと。弾込めてセーフティ外せば確実に撃てる銃じゃなきゃ意味ないよ。俺はね、撃ちたい時に撃ちたいの。例えば今、分かる?」

 

 撃つべき時に撃てること。成長の可能性を秘めていること。不破少佐の望む前者と、日南中尉の信じる後者、本来 “艦娘”という概念の中に奇麗に収まっていたそれらの要素が第三世代と呼ばれる艦娘にも内在することを実証するため、中尉は配属された第三世代艦のうち、磯風と浜風を、現在進行中の東部オリョール海攻略戦に投入することを決断した。

 

 

 

 「へえ…そんな面白ぇ事があったんだな。ったく、そういう時はオレを呼べよ、その不破とかいうチャラ男、ギッタギタにしてやったのによ」

 「他拠点のお客さんで、しかもひなみんより階級上なんだよ? そんなことしたらいけないと思いまーす」

 いつも捲っているカーディガンの袖をさらに捲り上げ天龍が鼻息も荒く言い募る。フィンガーレスのグローブを填めた右手で勇ましく撫す左腕だが、実は意外と華奢な骨格のその腕は細い。他の装備性能はともかく、確実に世界水準に肩を並べる立派な胸部装甲を強調するように腕組みをして息巻く天龍だが、一緒にいる相手から返ってきた言葉に、へっ、とつまらなさそうに声を上げ鼻をこする。

 

 天龍の世界標準超えの部位に、ちらり、と一瞬だけ視線を送ったのは、長いサラサラの金髪と黒いウサミミリボンを風になびかせる島風である。制服は…あえて説明するまでもないが、お馴染みのセーラー服調のもの。装甲効果があるのか疑わしいほど、肩から脇まで大きく開いたノースリーブの上半身、辛うじて鼠蹊部を隠す程度の超ミニスカートからはショーオフの黒いTバックが覗いている。

 

 「にしても中尉のヤツ、俺達をこんなところに呼び出して、何のつもりだろうな? 何か聞いてるか、島風?」

 ふるふると頭を振って身振りだけで返事をする島風も、同じことを考えていた。

 

 組み合わせとしては珍しい部類に入る。多種多様な艦隊任務に投じられることの多い駆逐艦にあって、強力な雷撃性能と最高速度四〇ノットを超える島風は往時の最新鋭最強と目された。一方で世界水準超え、と豪語する天龍は小型高出力を追求した野心的な軽巡洋艦だったが、小型に分類される船体が災いし拡張性を欠き、往時の戦争が始まった時点ではすでに性能は旧式となっていた。

 

 「済まない、待たせてしまったかな。そこの大発に乗って移動しようか」

 制帽をやや目深に被り視線を隠すようにして日南中尉が突堤に姿を現し、天龍と島風に乗船を促す。防盾に囲まれた大発の操舵把にはふよふよと妖精さんがまとわりつき、二人に向かってびしっと、それでいて可愛らしい敬礼を送っている。思わず顔を見合わせる天龍と島風。一体どこへ移動しようというのか、と二人が同時に口を開きかけたのを制するようなタイミングで、中尉が呼び出した理由と目的を明らかにする。

 

 「これから第三訓練海域まで行こうと思う。天龍、君には島風の教官になってもらいたいんだ」

 

 泊地内に複数設けられた、訓練専用のエリアの一つにこれから向かうという。再び顔を見合わせた天龍と島風だが、先に口を開いたのは島風だった。ただ、ちらちらと天龍を見ながら、どうにも言いにくそうな口調で、躊躇いがちに言葉を発する。

 

 「ね、ねぇひなみん? 私が、天龍ちゃんから何を教わるの? 多分、何にも教わる事ないと思うんだけど。だ、だって…天龍ちゃん、私より遅いんだもん」

 はぁっ!? と顔色を変えた天龍が島風をじろりと睨みつける。慌てて島風は胸に抱えた連装砲ちゃん(小)で顔を隠すようにして視線の攻撃から逃れようとする。

 

 「ば、馬鹿野郎っ! 戦いはなぁ、速さだけで勝負が決まるんじゃねーんだよ。勝ち負けを決めるのは…あれだ、ほら、そのなんだ……ここだ、ここっ!! ってガン見してんじゃーねよ、度胸とか根性とか、そうゆう話だっての!!」

 

 どーんと胸を張り、サムズアップの親指で胸元を指し示す天龍。大きく開けられた白いブラウスと、谷間に沿うように緩く締められたネクタイが世界基準越えの部位を強調し、その仕草に導かれるように日南中尉の視線が移動すると、見た目と威勢と裏腹に乙女な天龍は急に途中までの威勢のよさはどこへやら、急にあたふたし始める。そして中尉に近づくと、急に声を潜めて口元を手で隠しながら話し始める。

 

 「…いや、その、なんつーか、ほんとにオレでいいのか? オレが島風に教えてやれることなんざ…悔しいけど、ねーぞ…」

 

 天龍は自分の性能を誰よりも理解している。主機の出力は高くなく、中口径砲は積めるものの背は高いが華奢な体では砲撃の反動を吸収しきれず命中率は低い。そうなると駆逐艦同様にギリギリまで肉薄して魚雷を叩き込むのが主戦法になる。小型と言っても駆逐艦より遥かに等身が高い身体で、同じような機動を無理に取っているだけだ。同型艦の龍田は将来的に練度が満ちれば第二次改装を行え、天龍も次は自分だと期待している。だが、総じて対空・対戦・輸送護衛に特化したサポート型の能力で、遠征や輸送任務を軸に柔軟な対応ができる反面、天龍が夢見ていた、正面からのぶつかり合いで敵艦隊を打ち破れるような方向性ではなかった。

 

 「ん? あるよ、天龍にしか教えられないことだし、それは島風が最も知りたがっていたことだと、自分は思っているんだけれど? 二人の練度差が縮まってから、と思っていたからこの時期になったけど…まぁ、ちょうどいいきっかけにもなりそうだし、ね…」

 

 制帽をさらに目深に被り直し、表情を隠す様にする日南中尉が少しだけ苦い音色を言葉に交え、天龍と島風が『何言ってんのこの人』と、きょとんとした表情で顔を見合わせる。

 

 -そう…天龍、君のできることは特別な事なんだ。そしてそれを完全に身につけられるのは島風、君だけだと思う。けれど、うまくいけば、他の艦娘達…オリョール海に進出する磯風と浜風(彼女達)にも応用できるんだ。



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駆け抜ける嵐
067. 伝え合い、高め合う


 前回のあらすじ。
 フフ怖さんとぜかましちゃん。


 「で、だ。オレ達になにをさせようってんだ?」

 

 右手で庇を作る様にして、眩しそうに目を細める天龍が、大発に座乗する日南中尉に呼びかける。晴れ渡る初夏の宿毛湾、見上げる空には大きな白い雲がいくつも浮かんでいるが、ここ数日で一気に強くなった陽射しを遮るには十分ではなく、揺れる水面はぎらぎらと照り返す。もう一人、島風は両手を広げて全身に風を受けながら、長い金髪をなびかせながら第三訓練海域を縦横無尽に走り回っている。

 

 ゆらゆらと波に揺られる大発から、日南中尉がいたずらっぽく微笑んで天龍の問いに答える。その言葉は、天龍と島風の二人を唖然とさせるものだった。

 

 「そうだね、二人には鬼ごっこをしてもらう。訓練海域中一〇〇〇〇m四方だけを使って、制限時間は六分。鬼は天龍で、CMOSセンサーのセンターに島風を三秒以上補足し続けたら一回捕まえた、ということにしよう。大発(こっち)側でその判定はするよ」

 

 折り畳み式のディレクターチェアに腰掛ける日南中尉は長い脚を組んでラップトップを腿の上に置いている。はぁっ?と天龍が声を上げ、島風がきょとんとした表情になる。CMOSセンサーとは、日南中尉の発案で試験運用されたC4ISTARシステムの鍵となる一cm四方程度の画像センサー。確かに訓練海域まで移動する道すがら、頭部のどこかに付けるよう指示され、天龍は頭の横にある角状の艤装に、島風はウサミミリボンの付け根に、それぞれ装着していた。

 

 「おいおい、わざわざ呼び出して何をやらせるかと思えば…オレが鬼だと…フフフ怖いか?」

 「ひなみん…それはちょっと時間の無駄っていうか…天龍ちゃんが私に追いつけるはずないもん」

 「まぁ、そう言わずにやってみよう。きっと面白いと思うんだ」

 

 島風は明らかに気が乗らない表情で、つまらなさそうに連装砲ちゃん(大)の手を掴んでふりふりしている。その振る舞いが天龍に火を付けた。バシッと右拳で左の掌を叩いて勇ましく吠える。

 「うっしゃぁっ!やったろーじゃねーかっ! 天龍様を甘くみるなよ、ぜかましっ!」

 「へへーんだ、私には誰も追いつけないよ!」

 

 気合を入れる天龍を、島風は勝ち誇ったような表情で眺めているが、どうやら話はまとまったようだ。そんな二人の様子を意味ありげに見ていた日南中尉だが、ディレクターチェアから立ち上がると、右手を大きく上げ宣言する。

 

 「それじゃあ二人とも始めるよ。位置について…よーい、どんっ!」

 

 

 

 「はう…この私がやられるなんて…」

 「ったりめーだろ!オレが一番強いんだからよ!」

 

 所定時間が経過し終了を知らせる何度目かのブザーが訓練海域に鳴り響く。大発に帰投した二人を迎え入れる日南中尉だが、対照的な様子-しょんぼりと項垂れる島風とドヤ顔で胸を張る天龍を、こうなることが予想済みだったような表情で頷いている。最高速度は四〇ノット超の島風に対し、三四ノットの天龍。これだけを見れば勝負にならない…はずだったが、天龍は巧みに動き回り、何度も島風をセンサーに捉えることに成功していた。これが実戦なら、島風は天龍からの砲雷撃を何度も見舞われていたことになる。

 

 「おう゛っ! 納得いかなーいっ! なんで私が天龍ちゃんに何度も捕まっちゃうのっ!? もっかいやってよ!」

 「お、おう…オレも意外というか…まぁアレだ、オレは世界水準軽く超えちゃってるからな。いいぜ、受けて立ってやるよ!」

 

 はっはっは、と高らかに笑い両腰に手を当てそっくり返るほど鼻高々の天龍に、両肩をいからせてぷんすかしてる島風。そんな二人に割って入った日南中尉は少し休憩を挟むように命じ、三人で広々と広がる大発の船倉へと移動することにした。

 

 床にどっかと座りミニスカを気にせず胡坐をかく天龍と、ちょこんと体育座りで膝を抱える島風、二人の視線を一身に集める日南中尉も、白い第二種軍装が汚れるのも気にせず、片膝を立てた胡坐で座る。視線の高さに極力上下を作らない、というのは彼が心掛けていることでもある。連装砲ちゃん(小)を膝と胸の間に挟むようにして抱えた島風は、唇を尖らせてジト目で中尉の問いに、不機嫌そうに答える。

 

 「島風は実際に天龍と鬼ごっこしてみてどうだった?」

 「すっごいもやもやしたよ、ひなみん…。スピードが乗る前に進路をふさがれちゃうから、私は全然加速できなかったよ。なのに天龍ちゃんは特に低速域からぐぐーんって加速してくるし。それに、私より小回り利かせて、いっつも内側に回り込まれちゃうし…」

 「なるほどね。どの辺がポイントになるのかな、天龍?」

 んー、とぽりぽり頬を掻く天龍は、頭の中に浮かんだものをそのまんま言葉にして吐き出す。

 

 「まぁなんつーの、体が勝手にやってんだけど、ずばーんと突っ込んで、体が振り回される前にググッと踏ん張って、また一気にバーンってかっ飛んでくっつーの? それでいい感じだぜ?」

 「えー、でもー、ぴゅーって行ってぐいって止まって、またぴゅーんってなるのに時間かかるよ?」

 

 体は考えずとも勝手に動くが、頭では整理していない。自分の戦闘機動を言葉で説明しようとすると、大部分が擬音になってしまう感覚派の二人。それでもどうやら何となく会話が成立している様子に、日南中尉は笑いを堪えながら、要点を確かめるように解きほぐしていこうとする。

 

 「天龍、君が言いたいのは加速と体の使い方がポイント、ってことでいいのかな?」

 

 

 

 旧帝国海軍のオールギヤード・タービン採用艦の先駆けで、着任当時では三基三軸で約六万馬力に達する破格の出力を誇っていた天龍型だが、船体をコンパクトにまとめすぎたため凌波性や装備の拡張性に難があったのも事実。そのため、広大な海域を舞台とする長距離侵攻等や機動部隊相手の迎撃戦では対応が難しい場面があり、往時の太平洋戦争開戦時ですでに旧式扱いされていた。

 

 一方の島風は往時の最新鋭駆逐艦であり、二基二軸で七五〇〇〇馬力に達する出力から四〇ノットを超える最高速度と、強力な雷撃能力を備えた艦隊型駆逐艦の決定版。単純にカタログスペックだけの比較なら、旧式とはいえ軽巡洋艦の天龍を凌駕する高性能駆逐艦といえる。

 

 だが、別な視点で二人を比べてみよう。基準排水量は天龍三二三〇トンと島風二五六七トン、出力はそれぞれ六万馬力と七万五〇〇〇馬力。主機一軸当たりの重量出力比(パワーウェイトレシオ)なら天龍一七.九四と島風一七.一一とそこまで大きな差ではない。より軽くよりハイパワーな島風が最高速度の伸びや高速域での加速で天龍を圧倒するのは当然だが、低中速域でのダッシュ力に限れば、天龍は島風に匹敵する性能を有することになる。

 

 一旦会敵した後の戦闘機動は、最高速度で航行し続ける訳にいかず、直進、転舵、加速、減速…それらを全て急のつく動作で繰り返し続ける。水や風の抵抗、遠心力を受け常に下がり続ける速度をいかに落とさないか、あるいは落ちた速度をいかに早く戻すかが、実戦で勝敗を分ける重要な要素となる。戦闘中に多用される低中速域で、爆発的なダッシュを決める天龍は、この鬼ごっこでは、自分の得意な速度域に巧みに島風を封じ込めた。

 

 オレっ娘とか刀持ちとか眼帯とか、いろんな属性を持ち合わせている彼女の真価は加速性能にあり、狭い海域での乱戦なら一旦懐に入れると振り切るのが厄介で、無類の強さを発揮する。そして何より本人が胸を張った様に、敵の迎撃を切り裂き駆逐艦を率いて先陣を切って突入する、臆さない勇気こそが彼女を支える原動力なのだろう。

 

 

 

 島風が天龍を振り切れなかった理由を具体的に説明する日南中尉に、ほぉーっと歓声が沸き、キラキラした目から熱い視線が注がれる。

 

 「なるほどなーっ! あんま考えずに()ってたけど、オレの動きにそんな意味があったとはな、いや、大したもんだ」

 満足そうにうんうん頷く天龍は、よっしゃー、やっぱオレは世界水準超えてんだ、と大いに満足そうである。熱く盛り上がってる天龍を余所に、立ち上がった日南中尉は島風に並ぶように、体育座りで隣に座る。

 

 「どうかな、島風? 天龍の戦闘機動を学ぶのは、君が最も必要としていることだと思う。『君は速くなるんじゃなくて、強くなるんだ』、そしてそれを一緒に考えようって、あの時言っただろう? 随分待たせたけど、やっとあの時の約束を果たせそうかな。実際に教えるのは自分じゃなくて天龍だけどね」

 それは日南中尉が司令部候補生として着任して間もない頃、誰にも分ってもらえなかった気持ちを打ち明けた島風と、まっすぐにその気持ちに向き合った日南中尉が、月明かりに照らされた夜の港で交わした会話。島風と視線を合わせるように横を向いた日南少尉が、柔らかく微笑みかける。頬の熱さを自覚した島風は、自分の顔を見られないように俯き、しばらく考え込む。再び顔を上げると、連装砲ちゃんで顔の下半分を隠しながら、上目使いで話し始める。

 

 「し、仕方ないから、天龍ちゃんで我慢してあげる。わ、私じゃないよ、連装砲ちゃんが興味あるって」

 自分との約束、いや、約束とも呼べないような話を、日南中尉は忘れず、辛抱強く準備を整えてくれていた。目の縁を赤くして泣くのを堪えていた島風は、まっすぐな瞳で日南少尉から視線を逸らさず、けれども照れ隠しのような言葉を重ねにっこりと微笑む。中尉も視線を逸らさずに、今度は彼の方から島風に頼みごとをする。

 

 「そして、君が天龍から学ぶことを、磯風や浜風、雪風に教えてあげて欲しいんだ。君とあの三人のうち、磯風と浜風の訓練が終了し次第、東部オリョール海(2-3)の海域解放に乗り出す」

 

 艦娘が往時の軍艦の船魂や共に殉じた乗員たちの純化された思いを宿す存在であることは何度か触れた。当たり前だが、軍艦は機械である。三基三軸推進の軽巡洋艦天龍の機動を、二基二軸推進の駆逐艦島風で再現することはできない。だが艦娘の天龍の機動は、同じく艦娘の島風が学び、活かす事ができる。島風が学んだことを、さらに他の艦娘に伝えてゆくこともできる。知識や経験を伝え合い、お互いに成長し高め合ってゆけること、それが艦娘に与えられた大切な個性であり、その輪の中に第三世代と呼ばれる艦娘達にも加わってもらいたい―――という日南中尉の思い。

 

 「………ありがとう、ひなみん」

 

 沈黙が二人の間に訪れる。先ほどまでと違うのは、二人の間の距離。島風は日南中尉に寄り添うように隣り合い、肩に頭を預ける。長いウサミミリボンが日南少尉の頬をくすぐる。

 

 「ところでよ、あの鬼ごっこ何で六分間だったんだ?」

 頭の後ろで両手を組んだ天龍が、カットインしてくる。

 

 「雷速五二ノットの九三式酸素魚雷が必中距離の一〇〇〇〇メートルを疾走するのに必要な時間だからだよ。その距離では砲戦も雷撃戦も敵味方双方に危険な距離だからね、全力の戦闘機動での回避運動と射点確保の両立、ってところかな。ところで天龍、君にも第二次改装が実装されたって話、してたかな?」

 

 「な、なにぃぃぃっ! 初耳だぞっ!?」

 「だよね、いま初めて言ったから」

 

 にやり、とイタズラっぽく日南中尉は微笑んで、天龍にサムズアップでお祝いする。

 




(20180713 一部変更、たんぺい様ありがとうございます)


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068. これまでと、これからと

 前回のあらすじ
 天龍ちゃん改二おめ。


 海底資源採掘施設(プラント)の中でも、東部オリョール海域の中央部、Eポイントに設置された石油リグはその巨大さが知られている。海上に立ち上がる多数の巨大な円柱に支えられる構造物の威容は高さ二〇〇m超にも達し、さながら無機質な人工島のように聳え立つ。

 

 プラントの多くは深海棲艦との戦争の激化により多くが破壊あるいは放棄されたが、一部の施設は放棄された今も無人のまま残っている。かつて常駐していたエンジニアの居住区画は無人だが、海水脱塩処理を備え真水を自給可能、さらに深海から無尽蔵に供給されるエネルギーのお陰で、発電設備さえ生きていれば石油やガスの生産・精製設備は稼働し、生産された石油類は浮体式貯蔵設備に送ることができる。これら巨大な工業プラントは一旦運転を完全停止すると再開に莫大なコストと時間を要するため、プラントを放棄する際、人間は経済活動を優先し、最低限度の機能を維持する運転状態(メンテナンスモード)で立ち去った。

 

 各海域に遺棄されながらも人間の命令通り(プログラム)に従い働き続けるプラントからの資源回収、あるいは大本営からの委託を受け資源回収に向かう民間輸送船団の護衛が、艦娘の『遠征』と呼ばれる任務の一部に含まれる。そして遠征以外では、作戦行動中の艦娘達にとっても補給や休息の場として重宝される―――。

 

 その巨大な石油リグの屋上にあるヘリポートの端に立つ一つの人影。長い金髪と黒いウサミミを激しく吹き渡る潮風に躍らせながら、島風が両手を広げ風を受け止めるように立っている。目を閉じて強い風に身を任せながら、風に乗る様にふわっと後ろに飛ぶと、スレンダーな体を後ろに反らしながらバック転、とんっと手を床に付くともう一度くるっと体を回転させ奇麗な姿勢で着地する。連装砲ちゃん達が短い手をバタつかせて拍手をして迎えるが、島風はそのまま考え込む。

 

 教導艦隊は何度も東部オリョール海へ進出しているが、これまでの編成には意図的に空母勢が含まれておらず、海域解放のための最奥部進出よりも、教導艦隊全体の練度向上と資源回収、さらには任務群の消化を優先していた。だが今回、ついに日南中尉は海域解放に乗り出す。すっと細い顎を上げ空を見上げ、島風は出撃前の中尉の言葉を思い返していた。

 

 -羅針盤も関係するから絶対とは言えないけど、今回の編成には空母を加えるから最奥部へ到達できる確率は格段に高いはずだ。今回の東部オリョール海(2-3)を突破すれば、次はいよいよ教導艦隊としての最終目標、沖ノ島海域(2-4)攻略に向かうことになる。戦いを重ね着実に君たちは強くなった、そんな君たちを見ていて…自分は何をすべきなのか、いつも考えている。これまでも、そしてこれからも戦いは続き、自分の指揮に君たちは命を賭けてくれる。ならせめて自分は、その結果を全て受け止めるよう、揺らぐことなく、強くありたい-

 

 

 「私たちは強い…ひなみんは強くありたい、私は速くなるんじゃなくて強くなる…でも、『強い』って何なのかな…?」

 

 

 今回出撃した教導艦隊は北回り航路に入り、Aポイントのプラントで石油を補給、初戦となるBポイントでは敵艦隊を圧倒し勝利を収め、現在投錨中のポイントEへと進出した。この先は羅針盤次第だが、編成に空母を加えている以上、海域最奥部のGポイントへ進める確率が高い。二度の補給で物資も十分、損害もほとんど無く、待ち受ける敵主力打撃群とも十分に渡り合える。そのためEポイントでは、補給よりも休息が目的となっている。

 

 「こんな所にいたのか…まったく、探すのに骨が折れたぞ。旗艦が呼んでいる、ブリーフィングだ」

 

 島風は振り返り、風に踊る長い金髪が顔にまとわりつくのを抑えながら、声の主を確かめる。長い黒髪を同じように風に遊ばせる磯風が、やれやれ、といった表情で肩を竦めている。じっとその表情を眺めていた島風に、ん? と小首を傾げ、ぺたぺたと頬を触りながら磯風が問い返す。

 「どうした? この磯風の顔に何か付いているか? なに、心配はいらないぞ、貴様の教え通りにやれているだろう?」

 「ひゃっ!? あ、いや…うん、そ、そうだね…」

 

 腰に両手を当て胸を反らす磯風はどやぁっと得意げな表情で、島風の無言の問いを彼女なりに解釈して回答する。ぼんやりと自分の考えに嵌っていた島風は、磯風の言葉に我に返りややキョドりながら曖昧な返事をするが、彼女の心の中を占めていたのは、磯風の事でもあり、そうでもなかった。

 

 「ね、ねぇ…教えてくれる? 磯風は…強くなったと思う?」

 

 止むことのない強い海風は生き物のように磯風の黒髪を大きく巻き上げ制服のスカートを大きくはためかせる。髪型や制服の乱れを気にすることなく、ん? と不審気な表情になった磯風は、左手で右肘を押さえながら、右手を顎に当て考え込む。そして再び、さきほどよりもキラがついたどや顔で自信たっぷりの言葉を島風に返す。

 

 「確かに磯風は武勲をたてたがな。いや…この程度の働きでは何の意味もない。案ずるな島風よ、この磯風の力、次も見せてやろう」

 

 右腕を力こぶを作るように曲げ上腕を撫す磯風。Bポイントでの初戦、戦艦ル級二体、重巡リ級二体、駆逐ハ級エリート二体を擁する敵艦隊は決して侮れる相手ではなかったが、教導艦隊は巧みな攻撃で敵の連携を許さず各個撃破に成功、磯風がMVPを獲得する活躍を見せた。

 

 呉の藤崎大将からの打診を受け教導艦隊に転属となった磯風と浜風、そして雪風は、問題となった第三世代と呼ばれる特殊な改装を施されていたが、すでに明石の手で技本のプログラムは無効化され、磯風と浜風の練度は改装前の第一次改装の状態までリセットされている。素の状態に戻った彼女達は、宿毛湾本隊の教官・香取監修の特別プログラムを神通が指導するという、他の教導艦隊のくちくかん達が震えあがるほどの厳しい訓練に明け暮れていた。そして今回2-3進出に先立ち、日南中尉からの申し出で島風からの特別授業を加えた上で、満を持して実戦参加となった。

 

 第三世代艦娘とその問題点について艦娘間で多くが語られることはなく、島風も例の三人に対して、最初は多少ぎこちないな、と思ったが、すぐにその違和感も薄れ、彼女達も部隊に馴染んでいった。だが―――。

 

 「この大事な局面で教導艦隊に加われた事、磯風も誇らしいぞ。…よし、この戦いの後はMVP記念の夜間訓練を中尉と始めようか。手加減はせんぞ」

 

 馴染みすぎじゃないかな、と島風はむうっとした表情で唇を尖らせながら、プラント内の中央制御室に向かい風を巻いて走り出した。

 

 「私には誰も追いつけないよ!」

 

 

 

 日南中尉が東部オリョール海へ進出していた頃、宿毛湾を訪れていた不破少佐は、すでに洋上の人となっていた。航程はすでに終盤、最終経由地のラバウルを出発、目的地のブインまであと僅かである。

 

 艦娘が外洋展開する際の負担軽減策として、各拠点には通常艦艇が配備されている。通常艦艇と言っても、旧海上自衛隊から継承した艦艇に妖精さんの謎技術で艦娘運用に必要な装備を加え、オペレーションに要する人員は数名の艦娘と妖精さんで事足りる魔改造が施される。鎮守府クラスの規模の基地で二~三隻、泊地クラスで一~二隻、それ未満の基地には一隻が標準配備数となる。多くの基地では、通常艦艇を長距離移動時の足かつ洋上の整備補給拠点とする性格上、輸送艦や多用途支援艦、訓練支援艦等を母艦に採用しているが、不破少佐は彼の意向を反映し、艦後部の三分の一を占めるヘリコプター格納庫と甲板を艦娘運用スペースに改造したDDH-143(しらね)改を新たに受領した。

 

 「日南中尉(アイツ)は東部オリョール解放を狙って進出したか…。少しは本気出せよな、ったく」

 

 そもそも不破少佐が宿毛湾に立ち寄ったこと自体予定になかった行動で、これには艦隊本部も面食らったようだ。長旅に向かう前の国内最終整備との名目で宿毛湾に寄港した彼だが、日南中尉相手にオラつくためにわざわざ予定を変える訳もなく、真の目的は明石と打ち合わせにあった。

 

 海原を進むしらね改を中心とした輪形陣、旗艦の鳥海改二とペアの摩耶改二、直掩機を展開する雲龍、空を睨む秋月と照月、潜水艦(足元)を警戒する清霜と朝霜。そして広々とした後部甲板、遮るもののない洋上でぎらぎらと降り注ぐ陽光の下-――ビーチさながらに白いデッキチェアに寝そべる金のブーメランパンツ一丁の不破少佐と、差しかけたパラソルの下で左右からチャラ男にしな垂れかかる様に侍る、白ビキニの高雄と黒ビキニの愛宕。

 

 「適切な処置を施せば成長する…そりゃ駆逐艦レベルの話だ。より複雑で緻密な制御が必要な空母娘にあんな無理矢理な改装加えたら…明石も研究途上で今後何とかするって言ってたけど…」

 その言葉を聞くと、上体を逸らし少佐を見上げる高雄と愛宕。強烈なサイズのあれがぶるるんと揺れる。話題は第三世代艦娘のようだ。

 「だからって日南のヤツ、呉鎮守府提督(藤崎大将)のゴリ押しで三人も引き受けやがって…。アイツの性格じゃ飼い殺しなんてしないだろうし、上手く扱えなきゃ評価を下げるだろうが…。けれど上手く扱えば巻き返しを狙う技本の思う壺、運用方法に問題がすり替えられる。相変わらず甘い、どう転んでも誰かに利用されかねないぞ」

 

 「少佐だって…結局ブインに連れてゆくわけですから…」

 高雄が優しそうに微笑みながら、左腕にぎゅうっとしがみ付く。

 「日南がどう使うのかを見てから色々決めるよ」

 

 「うふっ、少佐とあの中尉、案外似てますね、可愛いっ♪」

 愛宕が嬉しそうに屈託なく笑い、右腕にぎゅうっと抱き付く。

 「な、ちがっ! 似てる訳ねーだろう! あんなんと一緒にするなっ」

 

 両腕をたわわでぷるんに挟まれながら不破少佐は反駁する。その後に続いた呟きは蒼空に溶けてゆく。

 「藤崎、桜井、そして元帥の伊達…ジジイどもがちんたら戦争を続けやがって。だから暇に任せた連中が第三世代(あんなの)まで作るんじゃないか。こんな戦争はさっさと終わらせるぞ、そうすれば」

 

 「そうすれば?」

 「どうなるのかしら?」

 「その頃には俺が元帥だ、俺にふさわしい豪華なハーレム…名前はもう決めてる、ファッキ〇ンガム宮殿を作って―――」

 「失礼します、不破司令官、命令を受けたので参りました。ブイン基地の司令官代理より入電ですので、CICにお戻りください」

 

 後部甲板に姿を現し、儀礼に則った敬礼を見せた第三世代の艦娘は、水着姿の艦娘を侍らかしたパンイチの指揮官にも、訳の分からない建物名称にも一切動じず、無表情のまま次の指示を直立不動で待ちづける。サングラス越しの目にその姿を映した不破少佐は、一瞬だけ哀しそうに顔を歪めたが、すぐに何事もないように、デッキチェアから立ち上がり艦橋へ向かい歩き始める。

 

 「ああ、分かったよ、今行く。さて、と…お前も俺の子猫ちゃんだ…何とかなるだろ。てか、何とかするさ」

 

 すれ違いざまに頭をぽんぽんとされたその艦娘は、髪を撫でながら、艦橋へと向かう不破少佐の背中を不思議そうに眺めていた。



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069. Heat Wave-前編

 前回のあらすじ
 ご休憩から始まる海域攻略。


 日本の夏、酷暑の夏―――。

 

 四〇度を超える最高気温が珍しくないなど、最早日本の話とは思えない今年の夏、それはここ宿毛湾泊地でも変わらず、抜けるような青空から容赦ない太陽が降り注ぐ。基地の執務棟群では空調を作動させているとはいえ、国民の税金で運用される基地である、夏場でも冬場でも設定温度の縛りは厳しく、現在東部オリョール海域で進行中の作戦を見届けようと数多くの艦娘が詰めている教導艦隊の本拠地、第二司令部の作戦司令室は人いきれでかなり蒸し暑くなっている。

 

 「…もぅ…村雨、我慢できないよぉ……」

 「うー…動くとすぐに汗だくになるっぽい…」

 

 板張りの床にぺたんと座ればそれなりにひんやりするが、湿度のせいですぐにじっとり汗が滲んでくる。お互いを背もたれにしながら背中合わせに体育座りをしているのは、村雨と夕立。村雨はぱたぱたと右手を団扇代わりにして、この季節限定仕様の、装甲効果が疑わしいビキニ(制服)の胸元に隙間を作って風を送りこんでいる。大きいと汗疹(あせも)が谷間にできるらしいから風通しの良さは重要である。夕立はというと、これまた軽量化したビキニ(制服)のまま体育座りで膝に顎を載せ、開けた口から舌を出しハァハァ言っている。犬の体温調整(パンティング)そのまんまだが、戦場の狂犬もこの暑さでふにゃっとしている。

 

 白いボディスーツで全身を覆う涼月、飄々とした風情で確実にぐったりしている北上、見た目からして暑さに弱そうな響などが、ついに真価を発揮し冷房MAXで運転中の初雪の冷暖炬燵に浸かりこむ異常事態であり、見れば作戦司令室内は普段の制服の者と水着姿(集中装甲)の者が入り混じる無秩序な状態となっている。女王陛下ことウォースパイトは、それでも毅然した表情を崩さないよう玉座に座すが、額やデコルテには汗が滲み、日本の高温多湿の気候にすっかり参ってしまったようである。

 

 しかし、どんな時でも指揮官は指揮官である。爽快素材で仕立てられた第二種軍装でもこの気温では厳しく、むしろ日南中尉を汗だくにする役割しか果たしていない。戦地なら半袖半パンの防暑制服の着用も許されるが、宿毛湾は内地の拠点、どれだけ暑かろうが普段通りの制服を着こまねばならない日南中尉がある意味では一番気の毒である。

 

 「これ、使ってよ」

 

 最小限度の動きで中尉が声の主に送った視線、その先にはラッシュガードを着たビキニ(夏の制服)姿の時雨の姿がある。自らも額に汗を浮かべながらにっこりと微笑み、きんきんに冷えたおしぼりを日南中尉に差し出してくる。

 「うん、正直助かるよ。ありがとう、時雨」

 

 ほっとしたような表情でお礼の言葉を告げる日南中尉は、おしぼりを受け取ろうと手を差し出し…すれ違う。そのまますいっと体を寄せてきた時雨が、中尉の制服の詰襟を外し、さらに第一ボタンを開ける。身長差があるためぎゅっと体を密着させながら中尉の制服の首元を楽にし、冷えたおしぼりを首の後ろにしばらく宛がい、さらに顎の下や首筋をこしこしと拭き始めた。

 「うわ…気持ちいい……んだけれど、あの…シグレサン?」

 「そっか、僕で気持ち良くなってくれたんだね、嬉しい…かな」

 

 棒読み気味で動揺を隠せない日南中尉と、いつもに比べ積極性がマシマシの時雨。解放感の高い季節限定の水着(制服)がそうさせるのか、はたまた近頃すっかり増えてきたライバルに誰が秘書艦か知らしめるためか、気温のせいか気持ちのせいかはともかく、顔を真っ赤にしながら頑張っているようだ。

 

 「珈琲お替わりいかがですか? ミルクとお砂糖、たっぷり入れるのはどうでしょう?」

 

 日南中尉と時雨の間にずいっと手を伸ばしてマグカップを差し入れるのは、鹿島である。ジト目でぷうっと頬を盛大に膨らませ、この暑いのに湯気の立つマグカップを差し出してくる。慌てて時雨から距離を取る日南中尉だが、それでもマグカップを受け取り一口すする辺り、律義である。暑い時には熱い飲み物、という対処法もあるが、さすがにこの気温では効果は期待できず、せっかく時雨の気遣いでひんやりした首筋に汗が再び浮かぶ。

 

 「日南中尉、こっちへどうぞ、うふふ♪」

 鹿島がぐいぐいと中尉の手を引いて執務机に連れてゆき、席に着かせる。普段と違うのは、本部棟から教官権限で持ち出したフィンレスファンが風を送っている事。日南中尉が戸惑う間に、鹿島は制服のポケットから取り出したスプレーボトルで、何かをしゅっしゅっと中尉の首筋に噴きかけている。

 「どうです? 鹿島もお風呂上りに使ってるんですよ。女の子はエアコンの風で体を冷やしすぎるのはよくないので♪」

 「あ、すごい…あっという間に涼しく…これ、なんですか?」

 

 ふふーんと勝ち誇ったような表情の鹿島が説明を始める。ボトルにはハッカ油、おサレに言えばミントオイルを混ぜた水が入っているそうだ。ミントオイルは蒸発する際に周囲の熱を奪う気化熱冷却の性質があり、暑くて体に熱がこもりがちな季節でも、ちょっと涼しいオアシスを作れるという。

 

 「へぇ~教官、ちち以外にもええもん持っとんなぁ。ちょっちウチにも貸してーや。…おおっ、こりゃ気持ちいいっ!」

 さらに興味津々で割り込んできたRJ(龍驤)が、鹿島からスプレーボトルを強引に借りると、しゅっしゅと自分の首筋や手首に噴きかける。効果絶大なのを体感し、じゃんじゃん噴きかけているのを見て、鹿島があーあ、やっちゃった…という表情に変わる。

 「涼しくて気持ちええ………を通り越して、寒いんやけど…てかアカン、まじ寒いっ」

 

 この蒸し暑い室内で一人だけ、マジに顔を青ざめさせがくがく震えている龍驤を、みな不思議な生き物を見るような目で眺めていたが、慌てて鹿島がふわふわの柔らかいタオルで龍驤の体からミントオイルを拭き取りながら窘める。

 「ああもう、気化熱冷却はとっても強いんですからっ。そんなにかけちゃったら―――」

 

 

 「あのー…聞こえないのかしら……? 日南中尉? 中尉ー?…あら、良かった。扶桑、ここに待機していますよ? もちろん部隊のみんなも、ですけど」

 

 

 旗艦扶桑を中心に、赤城、妙高、磯風、浜風、島風で編成された東部オリョール海域攻略部隊は、海域中央部のEポイントに到達し、整備休息を行いつつ次戦、羅針盤に勝つ前提で海域最奥部の偵察情報を踏まえた作戦会議を行うため、通信を接続し待機していた。執務机の正面に掛けられた大型のマルチビジョンモニターには、合わせた両手で口もとを隠しながら、にっこりと、それでいて圧を感じさせる笑顔で微笑む扶桑が大映しになっている。

 

 要するに『いい加減仕事してくださらないかしら』、そういうことである。さすがに日南中尉も気まずく思い、制帽を被り直すと改めて執務机に付き、ブリーフィングがようやく開始されることになった。

 

 

 

 「それにしても、この編成で…行けるかしら…?」

 「大丈夫だよ扶桑、君と、そして赤城が率いる艦隊だからね」

 

 顎を人差し指で支えながら小さく首を傾げ、うーんと考え込む扶桑だが、言葉ほどに不安を感じてはいないようだ。妖精さんの広域探知は既にEポイント北東に有力な敵艦隊の存在を大まかに把握している。教導艦隊は敵主力打撃群が陣取る海域最奥部、Gポイントへ向かう航路へと進むことが確定した。

 

 「大丈夫、暁の水平線に勝利を刻んで、みんな帰ってきますよ♪」

 満面の笑顔で鹿島が両手でガッツポーズを決め、日南中尉に励ますように声をかける。今回の編成案を聞いた鹿島は正直同意しきれなかった。赤城を中心とする機動部隊でも、扶桑を中心とする打撃部隊でもない。むしろ駆逐艦娘三名が主力を成している点は水雷戦隊に近いが指揮する軽巡がいない、要するに中途半端に思えたからだ。出撃前の作戦会議でその点を指摘したが、中尉から返ってきた言葉に、鹿島はそれ以上の事が言えなかった。

 

 -()()()を中心とする部隊で勝利を収める、それが自分の()()目標です。

 

 扶桑と赤城と打ち合わせを続ける日南中尉の横顔を、鹿島はじっと眺めていた。端正な横顔と真剣な口調、頬を伝う汗にも何だか色気を感じてしまう。豊かな胸を両腕で隠すようにしていやんいやんと体をよじる鹿島だが、頭の中は意外と冷静にフル回転していた。戦略目標、中尉はそう言ったのよね…と改めて思う。教導艦隊にとっての戦略目標(それ)は言うまでもなく東部オリョール海の解放、それ以外にないはずなのに。

 

 -第三世代(あの娘たち)を加えた部隊で収める勝利が戦略目標…中尉はいったい何と戦っているのかな…?

 

 じいっと見つめる鹿島の視線に気づいた日南中尉が、視線を返しながら柔らかく微笑む。瞬間、鹿島は自分の顔が真っ赤になってしまったことを自覚する。いけないいけない、と頬をぺしぺししながら誤魔化すように口を開きかけたが、中尉が先に口を開いた。

 

 「教え導く、教導艦隊はそう書きますよね。自分は若輩者で、大それたことは言えませんが、それでも一緒に悩んで、共に前に進み、成長する事はできます。その意味では、自分の方がみんなに教わり導かれている、そう思ってます。だから…彼女達も必ず成長すると、世代がどうとか、そんな区別に意味はない…誤解してる人たちに分かって欲しいんです」

 

 

 

 「はぁ。…空はこんなに青いのに…いえ、こんなに青いから、こんなに暑い…」

 

 遮るもののない海原、所々に浮かぶ僅かな雲を除けば快晴の空の下、白い航跡(ウェーキ)が海の碧を切り分けてゆく。複縦陣で一路東進を続ける教導艦隊の後尾、空からの強烈な日差しと海面からの照り返しに挟まれた扶桑が呟く。長い袂を庇代わりにして右腕で顔を隠すように空を見上げ、眩しそうに目を細める。

 

 「こんなに晴れると、天気がちょっと心配です」

 「予報が更新されましたか? それとも天測ですか?」

 

 単縦陣が並走する複縦陣、もう一方の列の後尾に陣取る赤城が声をかける。広域天気予報でも降雨確率はほぼゼロ、この強烈な日差しのせいで汗は止むことなく、肌に白い塩を残し蒸発する。むしろ通り雨くらい来てほしい、と赤城にしては珍しく軽口を叩く。そんな赤城に意味ありげな視線を送ると、扶桑は長い睫毛を伏せ、ふっと僅かに微笑む。天気というありふれた、それでいて全員に関係する重要な話題の解釈が全く違う点で、赤城の方から話を続けていた。

 

 「現在地から進路をやや東よりに、哨戒線は一五度間隔の二段五線で展開していますが…薄い雲が僅かに増えた以外は空一面の蒼ですよ」

 「そう…こんな天候で薄雲が増える時は―――」

 「!! 彩雲六号機より入電、北北東に敵主力打撃群を発見! 編成は、戦艦ル級…エリート級と通常級、空母ヲ級、重巡リ級、軽巡ヘ級、軽巡ヘ級の六体、第三戦速で西方に進行中!! 扶桑さん、指示をっ!」

 

 赤城が鋭く叫ぶ。敵主力艦隊発見の報は宿毛湾の日南中尉にも同時に齎され、艦隊が慌ただしく動き始める。ただちに赤城は風上に体を向けながら流れるように左手で弓を大きく構えると、指先で矢をくるりと回して弓に番える。旗艦の扶桑は、風に踊る黒髪を手で押さえながら、憂いを帯びた視線を前方に向け、右手をゆっくりと前に差し出し吼える。

 

 「是非も無し…いよいよ決戦よ! 頑張りましょうね。全軍…進撃っ!」



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070. Heat Wave-後編

 前回のあらすじ
 そろそろ夏服mode本番。


 戦艦二体、空母、重巡、軽巡二体からなる敵艦隊は、空母を含むが砲戦をより志向した編成といえる。対する教導艦隊は航戦、空母、重巡、そして駆逐艦三。編成は是非も無しと旗艦の扶桑が腹を括り、作戦会議で鹿島が中途半端と指摘した通り、この海域に展開する深海棲艦艦隊の戦力を考えれば、戦局は有利とは言い切れない。勝っても負けても編成内容が焦点となり、場合によっては指揮官の作戦指揮の是非を問われても不思議はない。

 

 C4ISTAR(統合的指揮統制システム)の映像が映されるマルチビジョンモニターを、真剣な表情で画面を見つめる日南中尉。現場にいる艦娘の頭部に装着されるCMOSセンサーは、遠く離れた東部オリョール海と宿毛湾の作戦司令室を一つに繋ぎ、その情報をもとに中尉はCOP(共通作戦状況図)の更新に余念がない。そんな中尉を、少し離れた所に立つ鹿島はじっと見つめている。右手で口元を隠すようにして送る意味深な視線に中尉は気付いていないようだ。

 

 「……………………」

 

 鹿島は思いを巡らせながら、ついっと中尉に向かい近づき、隣の席に座る。この編成で勝利を収めれば磯風や浜風の成長を明らかにできる。だが万が一負ければ編成に問題ありとして日南中尉は評価を下げてしまうかも知れない。どれだけ優秀でも、今は艦隊の指揮権を預かっただけの尉官に過ぎない中尉にとって、この教導課程を優秀な成績でクリアしなければ何も始まらない。それでも―――。

 

 -あの子達を…いいえ、私達艦娘の可能性を信じてくれるんだ…。

 

 人を育てるのは様々な要素が複合的に絡み合い、簡単な事ではない。教官としての鹿島は、長所を伸ばし相手が自ら成長を望むよう気付きを与え導こうとする。一方で教導艦隊を率いるこの若き士官は、自らのキャリアに傷がつくかもしれないことを意に介さず、艦娘達を信じて海へと送り出してくれた。鹿島の人材育成の要諦を寛容さとすれば、日南中尉のそれは信頼、と言えるかもしれない。

 

 アプローチは違っても、目指すところは同じ―――ぴとっとくっつくように鹿島が日南中尉に寄り添う。この感情を言葉としてどう呼ぶのか自覚はあったが、それでもどこかふわふわした感じの思いだった。けれど今、何かが自分の深い所でかちっと嵌ってしまった、そんな感覚。よりによって作戦遂行中にそんな自分の変化に気づいた鹿島は戸惑いを隠すことができず、今の自分の表情を見られたくない、と顔を伏せてしまった。

 

 開戦からすでに時間は経過し、赤城の航空隊は敵の前衛部隊にもうすぐで到達する。追いかけるように第三戦速で突き進む扶桑率いる打撃部隊も前進を続けている。

 

 きゅっ。

 

 鹿島が日南中尉の制服の裾を掴みながら、マルチビジョンモニターを食い入るように見つめる。その仕草に釣られるように、中尉は鹿島の横顔に視線を送る。普段の朗らかで明るい笑顔ではない、真剣な表情。二人の目に映る光景-各自目線の主観ビューから齎される画像は、いずれも海の碧と空の蒼が溶け合い境目さえ曖昧な一面の青………と雪風。

 

 唐突に湧き出るようにひょこっと現れ、モニターと二人の間にひょこっと割り込んできた。頭の両脇のレンジファインダーをぐりぐりするような距離まで近づいてきたかと思うと、にぱっと満面の笑みを浮かべ嬉々として報告を行う。

 

 「通信が入っています! 統合気象システム(JWS-2)の情報、更新されたみたいですっ!」

 

 国内二〇の気象隊・班と、在外拠点からの気象観測及び気象情報を収集・解析する全軍共通の統合システム、JWS-2からの情報が更新されたらしい。その内容を見た日南中尉は、目をすうっと細め怪訝な表情に変わる。改めてCMOSの中継が映るモニターを見れば、ほんの少し前までは一面の青が広がっていた視界の奥に、わずかにあった白い塊が急速に大きく、天を目指して翔け上がるように体積を増している。

 

 

 

 教導艦隊が出撃したEポイントから、敵の主力艦隊が陣取る海域最奥部のGポイントまでは小島一つもない広大な海が広がる。この距離を進軍し敵味方の双方が砲雷戦の距離に入るには第三戦速で進んでもまだ時間を要する。だが赤城を、そして敵からは空母ヲ級を発艦した航空隊はこの距離を一挙に潰してしまう。最速を謳われる島風の最高速度でも四〇ノット強だが、赤城が用いる九九式艦爆や九七式艦攻の巡航速度は約一三〇ノット、実に三倍以上の速度で移動しその戦闘半径は三〇〇kmを優に超える。往時の戦いで航空母艦が革新的な兵器足り得たのは、航空機という戦場を立体的な物へ変えた兵器により交戦距離を一挙に拡大し、戦艦の主砲を遥かに凌駕する爆雷撃を投射できたからだ。

 

 「中尉が策を立てこの赤城が戦う以上、ヲ級などに遅れは取りません!」

 

 急に強くなった風、波立つ足元を意に介さず発艦を無事完了させ終えた赤城は、遥か前方を猛進しみるみる小さくなる仲間たちの背中を見送りつつ航空隊の制御に集中する。そんな赤城の姿を、風に暴れる銀髪を抑えながら、護衛役の浜風はじっと見つめていた。

 

 -命令だから、とか、副旗艦だから、ではない…。離れていても赤城さんは中尉とともに戦っているんだ…。なら、私は…。

 

 現界したこの世界は、相手は米軍ではなく深海棲艦との戦火に覆われていた。ならその世界で、自分は何をすべきなのか。いつの頃からか…技術本部で第三世代化(最新の改装)を施すと言われ工廠で目覚めた時から、考えるという事を止めてしまっていたように思う。理由も告げられず再び改装を施された後は、若き指揮官の率いる宿毛湾の部隊に転属となった。磯風や雪風と一緒なのは安心したが、何か自分の中の芯のようなものが抜けている、明確な命令が無ければ安心できない自分に気が付いてしまった…。

 

 浜風の深く沈みこんだ思考を遮るように、宿毛湾の作戦司令部と、進行してくる敵の打撃部隊の迎撃に向かった旗艦扶桑、航空隊の制御を行う赤城の間で慌ただしく通信がやり取りされる。

 

 

 「中尉…巨大な積乱雲が急速に発達しているようです。このままだと航空攻撃は…それは敵も同じでしょうけれど…。今のうちに次のご指示を。………まだ、行けるかしら…」

 「JWS-2情報更新っ。戦闘海域中央部に巨大な積乱雲(Cb)が発達中、各員注意っ! 赤城、攻撃隊を―――」

 「はいっ! ですが、今からではもう…。と、とにかく部隊を東西に分けてCbを迂回させますっ!」

 

 

 

 積乱雲は、強い上昇気流によって鉛直方向に著しく発達した雲をいう。水平方向の広がりは数~数十kmに渡り、雲頂高度は四〇〇〇~一五〇〇〇m、局所的には二〇〇〇〇mに及び、これは艦娘や深海棲艦の艦載機の実用上昇限度の二倍にもなる。雲の輪郭は明確で、雲底は非常に暗く、雲の下では激しい雨、冷たい突風がもたらされ、雲の内外で雷が発生するのが特徴。航空機にとっては、上に逃れても越えられず、下に逃れれば激しい雨に視界を奪われた挙句雷や突風の餌食になるという生死にかかわる自然の障害物だ。

 

 赤城と空母ヲ級が、戦艦ル級と扶桑が、それぞれを求めて目指す交戦開始地点(エンゲージポイント)周辺で発生した雲は、僅か数分で雲頂一〇〇〇〇mを遥かに超え、あっという間に山のように巨大な塊の積乱雲の群れへと姿を変えた。すでに周囲は真っ黒な空へと色を変え、空を白くぎざぎざに切り裂く雷を撒き散らしている。そして双方の航空隊は積乱雲の成長に巻き込まれてしまった。

 

 日本でも四〇度を超える酷暑に、より南方に位置する東部オリョール海周辺の気象状態が影響していないはずがない。全世界的に異常気象と言える猛烈な暑さで、オリョール海の海面温度は三〇度弱、潮流の関係と合わせ台風レベルの強烈な上昇気流が発生し、ごく短時間で巨大な積乱雲が発生する素地に繋がっている。南方で積乱雲の発生は珍しいことではないが、この海域でこの巨大さは稀である。雲頂二〇〇〇〇mにも達する巨大な積乱雲が局所的に発生する場所としてオーストラリアのダーウィン沖が有名だが、今回教導艦隊の前に立ちふさがったのは、そのクラスに近いものである。

 

 

 

 海域攻略を見届けようと集まっていた艦娘達から悲鳴のような声が上がり、宿毛湾の作戦司令室は時ならぬ騒然とした空気に支配された。積乱雲の中を突っ切る怖さは誰もが往時の記憶から知っている。中でも空母娘達は手を取り合いながら、不安そうな表情を隠そうとしない。

 

 選りによってこれから突入しようとする地点で急速に発達した積乱雲、これでは航空隊、中でも艦攻隊が真っ先に被害を受けるかもしれない。積乱雲の真下ではダウンバーストと呼ばれる、瞬間風速三〇m/秒、稀にこの倍以上の風速に達する突風が吹き下ろす。これを受けると航空機は失速し一気に高度が下がってしまうが、下げる高度の無い海面すれすれを進む艦攻隊は、そのまま海面に叩きつけられてしまう。航空隊だけではない、吹き下ろしの突風が吹き渡る海面は激しく波立ち、いきなり台風の中を航行するような状態になる。

 

 撤退した方が…との声が多く聞こえ始めた作戦司令室で、日南中尉が扶桑と赤城に指示を出そうとした瞬間、スピーカーから大量のブリキを一斉に叩いたような、激しい轟音が何度も鳴り響く。

 

 「「「「きゃぁあっっっ」」」」

 「………あの、どいてもらえるかな…」

 

 轟音の正体は積乱雲が纏う激しい雷が落ちた雷鳴で、無意識的か意識的か、悲鳴とともに左右や背後から艦娘達にむぎゅられた中尉はC4ISTARのオペレーター席に押し潰されるように突っ伏していた。現場海域ではすでにスコールとダウンバーストが吹き荒れ、空と海を繋げるように、落雷域が広範囲に及ぶ熱界雷と呼ばれる雷が真っ黒な雲下を真っ白に照らしている。落雷は千分の一秒程度のごく僅かな時間に、数万~数十万A(アンペア)の放電量と一~一〇億V(ボルト)の電圧で一気に放出される、自然界のEMP(電磁パルス)攻撃のようなものである。その結果―――。

 

 「え…日南中尉、画面からみんなが…消えた…? 扶桑、扶桑っ!? だめだ、ほとんど聞こえない…。後衛の赤城さんは…うん、うん、通信状態はひどいけど、何とか回線生きてるよっ!」

 

 日南中尉を背中からむぎゅっていた時雨は慌てて通信機器にとびついて、必死にチューニングを行うが、艦隊側の通信設備の多くが損傷を受けたようで、作戦司令室のスピーカーからは耳障りな雑音の合間に誰かの声が途切れ途切れに聞こえるだけ。さらに外部装着したCMOSセンサーも過負荷で回路を焼き切られ映像と音声は途絶、マルチビジョンモニターは単なる空白の地図となってしまった。

 

 誰もが黙り込み日南中尉を見つめる。南方で作戦展開する以上天候の急変は盛り込むべき内容だが、想定の範囲を大きく超えた自然の猛威の前に艦隊と司令部が切り離されてしまい、進撃も撤退も指示ができない。唇を噛み不安の色を浮かべつつも、中尉は深く深呼吸をし、決然と前を向く。

 

 「赤城と扶桑なら…乗り切ってくれるはずだ。時雨は状況確認、赤城と扶桑を呼び出し続けてくれ。鹿島教官、非常事態です、作戦の立て直しに協力してください」



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071. 忘れ得ぬ海

 前回のあらすじ
 積乱雲、こわい。


 「どどどどどうしよう、中尉っ。つつつ通信が、通信がっ。そ、そうだ、こういう時はっ」

 目をぐるぐるにした時雨が通信機をガンガン叩き始めた。

 

 古典的な方法だが、その昔、特に真空管を精密機器に用いていた時代は接続用のコネクターソケットでの接触不良が多発し、叩くなどのショックを与えると治る事があったらしいが、現代の機器では余計に事態が悪化しかねない。それに障害が起きてるのは現場の方である。他の艦娘達も右往左往し、いよいよ作戦司令室は混乱の度合いが深まってゆく。だが(レディ)が恐々と両手でお臍のあたりを隠しながら、意外と的確な分析を見せ、ほぉ~っと周囲がどよめく。

 「機械が原因なら、もうしょうがないわよ。でも、回線の障害なら…雷様が通り過ぎれば…機嫌直してくれるんじゃないかしら」

 

 ふむ、という表情で頷いた日南中尉は、情報の供給が絶たれたC4ISTARに見切りをつけ、更新された統合気象システム(JSW-2)のデータをオーバーラップさせた海図を印刷し、机の上に広げる。わぁっと机の周りに艦娘たちが集まる中、中尉は手にしたペンで最後に確認した艦隊の位置を書き入れ、再び考え込む。

 

 「雷雲との位置関係から見て、扶桑たち前衛艦隊の電探や通信機器は使い物にならないと思った方が良さそうだ。後衛の赤城はおそらく回線の障害だけかな、時間が解決してくれるだろう。この先は…扶桑がどう動くかに掛かってるね」

 

 「それって…選択肢があるってこと~?」

 ツインテールを揺らしながら村雨が疑問を口にし、多くの艦娘がうんうんと頷く。

 

 「敵の航空攻撃は失敗、そして進行方向を塞ぐように積乱雲(Cb)は北北西に動いている。敵艦隊が西に進めばかなりの大回りになり、東なら大回頭して引き返す形で、どちらにしても大幅な時間のロス、自分たちには追いつけないよ…撤退を選ぶなら」

 

 そこで一旦言葉を切った日南中尉は、きゅうっと音を立て海図に直線を描き、ペンの先がたどり着いた先にある島を丸で囲む。

 

 「動きから見て、しばらく我慢すれば扶桑たちは暴風雨域を抜けてGポイントまで直進できそうだ。その頃にはもう日は暮れているだろう、帰投する敵艦隊を待ち伏せして夜戦に持ち込むことも計算上は可能だね」

 

 おおぉ~っと作戦司令室が歓声に包まれる。ただ、事態は指揮の及ばない状況で動いている。分断された扶桑と赤城の判断が違えば、艦隊は甚大な被害をうけかねない。かたり、とペンを置いた日南中尉は背筋を伸ばすと窓から外を眺め、息苦しそうに顔を顰めながら言葉を繋ぐ。

 

 「自分としては―――」

 

 それは指揮官としてか個人としてか、続く言葉は誰にも明かされないまま、作戦司令室は赤城との通信状況が回復するのをじりじりと待ち続ける時間を過ごしている。

 

 

 

 東部オリョール海最奥部―――。

 

 積乱雲は絶え間ない雷を撒き散らし、その形をどんどん変えながら北北西へと向かい青い空を飲み込んでゆく。扶桑率いる前衛艦隊は、激しく吹き荒れる風と足元を攫うように暴れる波に耐えながら進撃を続けている。

 

 「おぉぉうっ! これじゃぁまともに走れないよ…」

 黒いウサミミとロングの金髪はすでに雨でぐっしょりと濡れ、さらに自慢の“足”をこの荒れる海面では発揮できず困惑する島風。

 「これ以上…どうしろと言うのですか…」

 空を見上げて少しずつ降り始めた雨に顔を濡らしながら、TPOを考えればこれ以上ないセリフを零す妙高。

 

 主機を限界すれすれまで上げ第三戦速で突き進んできた扶桑は行き脚を落とし、繰り返し日南中尉と連絡を取ろうと試みていたが果たせずにいた。はあっと大きなため息を零し肩を落とすが、言葉ほどに表情は曇っていない。

 

 「あのー…聞こえないのかしら……? 日南中尉? 中尉ー?…やっぱり通信機、ダメかしら…そんなの、分かってたけど…」

 

 扶桑は特徴とも言える巨大な砲塔を背後に動かし、左腕に装備した後部甲板をやや下げ気味に前に差し出し、瑞雲の発艦準備に取り掛かる。天候は大荒れ、甲板を構える扶桑の足元も大きく波に揺らされ体勢が安定せず、航空隊の妖精さんが発艦の中止を扶桑に訴えるため、長い黒髪にしがみ付きながら耳元で語り掛けている。開いた右手の掌に妖精さんを載せた扶桑はにっこりと微笑みかける。

 

 「発艦、準備…急いでくださいね。え? 風が強すぎる? そう…この後は、今より厳しい状況での発艦になるけど…いいの?」

 

 声のトーンとは裏腹にNOを認めない言葉。往時の艦隊勤務者にとって、訓練の厳しさと制裁の凄まじさで『鬼の扶桑か蛇の伊勢か、回れ回れの声がする』と知られた扶桑姉様である。航空隊の妖精さん達はだらだら冷や汗をかきながらびしっと敬礼をすると、瑞雲を必死に操り、柔らかい微笑みに見送られながら次々と荒天を裂くように空へ翔け上がっていった。

 

 「そうそう、しっかり飛んでくださいね。さぁ、次は私達です、行きますよ」

 

 

 

 「みんな…ご苦労様でした。それにしても…」

 

 頭や肩に乗る航空隊の妖精さんに話しかけながら、赤城は被害の大きさに唖然とした。軽量化を追求する海軍機は機体強度に余裕がなく、激しい荒天下の飛行でフレームの歪みや機体表面に皺が寄るなど要修理の機体が続出、再出撃可能なのは全体の半数強まで減ってしまった。それでも戦力として計算は立つが、どうするにせよ前衛艦隊と宿毛湾の日南中尉と連携が必要なのには変わらない。通信状態は依然として劣悪で、お互いの話の二割も理解できない状態だが、辛うじて分かったのは日南中尉も赤城も前衛艦隊と連絡が取れないこと。先行する扶桑の状況を把握しなければ赤城も動きようがない。

 

 「日南中尉、中尉っ!?…また断音…酷い状態ね…」

 

 呆れ顔で空を見上げていた赤城だが、どうせ聞こえてないのだ、と思うとふと悪戯心がもたげてきた。

 

 「中尉…無事帰投したら、間宮さんのバケツチャレンジに連れて行ってくださいね。…ふ、二人きりで、ですよ? って、どうせ聞こえてないですよね」

 

 ちなみにバケツチャレンジとは修復バケツ一杯のパフェを制限時間内に食べきるチャレンジである。冷めない熱い頬を持てあましぱたぱたと手で扇いていた赤城は、膝に手を当て二、三度屈伸、次の行動に移ろうとして、気がついた。浜風の様子がおかしい。明らかに不安を隠せないような表情になっている。胸の前で祈るように手を組む浜風は、縋るように赤城に問いかける。

 

 「…赤城さんは、不安では…怖くはないのですか? 命令を受けずに、自分で自分の行動を決める…そんな…ことが…」

 

 機械のような艦娘を指向した技本により施された改装の目的には、命令への追従性を向上させる事も含まれる。どんな命令でも従う事は自分で判断を行わない事と同義である。無理な改装の後遺症と言えるかも知れないが、不可抗力とはいえ指揮官と連絡が取れない、すなわち命令を受けられない状態で、浜風はある種のパニック状態に陥りかかっていた。不安に震える浜風を励ますように、赤城は力強く手を伸ばす。

 

 「中尉の戦いは私の戦い、目指す先は必ず同じだと、私は確信しています。それに…大切な言葉は、もうもらっていますから、私は揺るがずに前に進めます。だから…あなたの戦う意味を…どんなに怖くても、前に進んで新しく手に入れてください」

 

 伸ばした手が、恐る恐る、それでいて力強く握られたのを見て、赤城は満足そうに浜風の頭をぽんぽんとして優しく微笑む。そして目の端で瞬く何かに気が付いた。荒れる空、吹き荒れる風に乗って遠くから聞こえてくる発動機の音と、一定の法則で明滅する光。

 

 「瑞雲の発動機(金星五四型)の音…扶桑さんっ!」

 

 発光信号のモールスが、前衛艦隊の現在位置と航路、速度を繰り返し赤城に伝える。赤城はすうっと目を細めると頭を振り、くるりとターンすると、流れるような所作で弓を引き絞り、強風に向かい発艦準備を整えると一気に矢を放つ。

 

 

 「それが貴方の選択…ならっ! 稼働機全機発艦、薄暮攻撃を敢行しますっ! 浜風さん、最大戦速で前進、扶桑さんに合流してくださいっ!」

 

 

 

 積乱雲は荒れ狂う大自然の猛威だが、発生条件にもよるがその寿命は案外短く、早ければ一時間程度、長くても数時間で減衰してゆく。雷雲の東縁に沿うように、雷と雨、突風に翻弄されながらも前進を止めない扶桑たち前衛艦隊の目の前が急に開ける。

 

 「わぁ…奇麗…」

 海など見飽きたはずの島風が、それでも思わず歓声を上げるほど、嵐の後の東部オリョール海は美しい。時刻はすでに夕暮れ、空の全てが夕日に変わり始め、繰り返し足元を揺さぶりながら砕ける波の白に反射し海も同じようにオレンジ色に輝いている。だがこれはロマンチックなオリョールクルーズではない、すでに扶桑の展開した開度二〇の六線一段の索敵線は敵艦を捕捉していた―軽巡へ級一体を護衛につれた空母ヲ級が東方に向かい第二戦速で移動中。

 

 「そうですね、本当に奇麗…」

 

 右手を庇にして眩しそうに空を見上げる扶桑の目に映るのは、輝く銀翼を連ねて翔け抜けてゆく九七艦攻と直掩の零戦二一型の編隊。薄暮攻撃を決断した赤城が発艦させた攻撃隊である。前衛艦隊を労わるように、先頭を行く隊長機が上空で二度三度翼をバンクさせる。ここから先は、瑞雲が先導機(パスファインダー)として攻撃隊を誘導する。

 

 艦載機の通信機は生きているが出力の関係で宿毛湾まで状況を中継することはできず、扶桑の瑞雲は哨戒索敵、連絡、先導…と、無線通信手段を失い分断された艦隊にとってこれ以上ないほど重要な働きを担った。そして今、夜間発着艦能力を持たない赤城にとって、この戦いにおける最後の攻撃が始まる。敵が自分たちと同じことをしない保証はどこにもない、一刻も早く敵空母を叩き、夜戦を決断した扶桑達を守り切る。

 

 

 

 日はすでに沈み夜の帳が下り切った東部オリョール海最奥部、夜でも生温かい潮風がそよぎ、海は星明りに照らされる。

 

 小さく肩を竦めると、口元を隠すようにして柔らかく微笑む扶桑。赤い瞳に妖しげな色を乗せて輝かせる様は艶然とした雰囲気を纏う。

 

 赤城の放った薄暮攻撃は見事に成功し、空母ヲ級と軽巡へ級を撃沈した。これで戦力は四対四、さらにこちらには応援の浜風が急行中。それでも依然戦艦二を擁する敵艦隊の火力は脅威だが、自分たちはすでに配置につき待ち伏せし先制を狙う。

 

 「生も死も一睡の夢…。ならば私は…燃やし尽くすだけ…」

 

 有利な要素と不利な要素が入り混じる綱渡りの夜戦を前に、今度は唇の端を持ち上げ、にやりと扶桑は微笑む。生と死が等価だったスリガオ海峡(あの海)を超える海などない。どんな海でも、どんな相手でも同じ。生への渇望と死への絶望が彩る(ひかり)は、ただ美しい。

 

 「私たちの本当の力…見せてあげましょう?」

 

 長い袂を揺らし、扶桑の右腕がゆったりと前に差し出される。前陣に配された妙高がちらりと後ろを振り返り、背後から姿を現した磯風と島風が静かに前進を始める。

 

 「主砲、副砲、撃てえっ!」

 

 発砲炎が夜を白く照らし、轟音が水面を駆け抜ける。胸を張り叫ぶ扶桑の一斉射撃を合図に三人が風を巻いて突撃を始め、第二ラウンドの火蓋が切られた。



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072. ディストーション

 前回のあらすじ
 レイテに行きたガール、嵐のオリョール驀進。


 轟音とともに一瞬だけ夜明けが訪れたように照らされた暗い海面に浮かぶ白い影は、すぐに辺り一面を覆う黒煙に紛れ姿を隠す。

 

 一斉射撃から即座に主機を全開に上げ第三戦速まで増速し、前方に流れる黒煙を抜け再び姿を現した扶桑。長い黒髪と両腕を飾る長い袂を風に躍らせながら一瞬だけ背後に視線をちらりと送る。元居た場所の周辺に次々と巨大な水柱が立ち上がるのを見て、唇の端だけを上げにやりと笑うと、赤い瞳は再び遥か前方で炎上する敵艦に向けられる。

 

 「…炎上が一体、至近弾は与えたみたい…いけるかしら…」

 

 待ち伏せは見事に成功した。敵艦隊は、おそらく空母ヲ級と軽巡ヘ級と合流しGポイントへ帰投するつもりなのだろう、盛んに発光信号を明滅させ、すでに赤城の薄暮攻撃で沈められた仲間に呼びかけている。これ以上ない目標を示された扶桑は冷静に照準を定め一斉射撃、先を行く妙高、磯風、島風を追いかけ突撃を開始した。

 

 戦艦ル級二体、重巡リ級、軽巡ヘ級の敵艦隊、いずれかに損害を与えたのは間違いない。だが夜戦の砲撃は砲炎により自分の位置を晒す行為でもあり、間髪入れず応射されるため同じ位置に留まるのは自殺行為となる。夜間偵察機はなく、無線通信も昼間の間断ない雷で十分に機能しない。この状況で確実に敵を倒すには、手の届きそうな距離まで近づけばいい。()()()のように、ひたすら前へ―――。

 

 「…私を止めたいんですよね…? 扶桑はここですよ…」

 

 唸りを上げる主機や間断なく続く砲撃に混じり、扶桑の甲高い哄笑が夜の闇に響く。大小八〇以上の艦隊で米軍が待ち構えるスリガオ海峡に突撃した西村艦隊七名-かつての記憶は、艦娘として現界した西村艦隊の所属員に、程度の差はあるが今も様々な形で影響を与えていると見ていい。

 

 唯一生還した時雨が生存者の罪悪感(サバイバーズ・ギルト)を抱えたように、勝利も生還も見込めない戦いに送り込まれ沈んだ扶桑は、艦娘として現界した今も、生の実感が薄く望んで死地へ向かうような危うさがあった。着任以来扶桑の言動にある種の危うさを感じていた日南中尉の懸念は、図らずも現実のものとなってしまった。

 

 有視界に敵を捉えた扶桑は右足を大きく外に踏み出す。同時に左膝を深く折り曲げ深く腰を落とし、右腕でバランスを取りながら急旋回で方向を変えると、風と水の抵抗で一気に速度が落ち長い髪が横に流れる。その間にも三五.六cm砲が敵を求め動き出し、長い砲身の延長線上に敵を捉える。

 

 「見えてきたわ…。そう、通常級に至近弾だったのね…負けたく…ないの!」

 

 目標地点にいる敵艦もすでに扶桑の接近に気付き、お互いを有効砲戦距離に捉えている。暗闇に溶け込むような黒い装束の戦艦ル級が二体、至近弾により生じた損傷で火災が生じた通常級だが程度としては小破。さらに赤いオーラを纏う旗艦のエリート級は無傷。二体の戦艦の砲塔や両前腕に装備した巨大な艤装が方向を変え、夜を叩き起こす轟音とともに一斉に火を噴き、夜空を切り裂く主砲弾を追いかけるように軽巡ヘ級が迎撃に向かってくる。

 

 「それとも、逝くのは私の方かしら…。さぁ、主砲、砲撃開始っ!!」

 

 迫りくる砲弾と敵艦を意に介さず砲撃態勢を整え終えた扶桑は、再び全門斉射の咆哮を夜の海に響き渡らせる。

 

 

 

 「どうだい、時雨?」

 「…ダメだよ日南中尉、たまーーーに一瞬だけ声が拾える、って感じかな」

 

 宿毛湾の作戦司令室では、日南中尉の問いに肩を竦めた時雨が首を横に振り溜息を零す。日が落ち切る前にEポイントまで退避した赤城からの通信により戦況はようやく把握できた。

 

 薄暮攻撃の成功、浜風の前進、そして扶桑たち打撃部隊の夜戦。

 

 選んで欲しくなかったが、扶桑なら選ぶかも知れないと思っていた選択に、日南中尉の顔が一瞬曇る。赤城なら抑えが利くかと思い副旗艦に付けたが、予期せぬ積乱雲で部隊は分断されてしまった。回線に一時的な障害が出ただけの赤城と浜風とは通信が復活しているが、現在戦闘中の部隊とは依然として直接連絡が取れない。こちらはより雷雲に近い位置にいたため、通信機器に物理的な障害が出ているとみられる。ただ完全に断音している訳ではないので、ひょっとしたらの希望のもと、日南中尉は秘書艦の時雨に交信を続けさせている。

 

 扶桑と連絡が取れず唇を噛み俯く時雨の肩に、ぽん、と手が載せられる。振り返ると日南中尉の顔。見上げた先にいる、必ず帰ってきてほしいと、本心から言い切る甘さの抜けない指揮官。でもその甘さに自分は、自分だけでなく艦隊の艦娘はどれだけ救われているか。だからこそ時雨は、やはり扶桑の事を考えてしまう。

 

 -扶桑、君は今でも、一人でスリガオ(あの夜)を戦っているの…? 僕たちに帰る場所はあるんだよ。僕は、そう中尉に教わったんだ…。

 

 

 

 「重巡、妙高。推して参ります! この好機、逃しませんっ」

 「この磯風に柔らかい横っ腹を見せるとどうなるか、教えてやろう」

 

 奇襲を受けた敵艦隊は慌ただしく動き、夜の東部オリョール海最奥部を照らす篝火はすでに二つに増え、それぞれの相手を次の行動へと導いている。

 

 一つ目の篝火は扶桑の斉射で小破し炎上した戦艦ル級の通常型で、扶桑に応射した後態勢を立て直すため、重巡リ級を護衛に伴い一旦戦線を離れ回避運動に徹している。こちらには妙高が磯風を伴い猛烈な勢いで迫っている。

 

 そして二つ目の篝火は―――扶桑。戦艦二体からの応射、さらに速射性能で上回るル級エリートの砲撃に耐え砲戦を続けていたが、何斉射目かで直撃弾を右肩に受け第一主砲塔は吹き飛ばされ炎上、加えて複数の至近弾、とりわけ右脚近辺へのものは被害が大きく、主機がやられ行き脚が止まってしまった。さらに至近距離まで接近を許した軽巡へ級から斉射を受け、扶桑は左のわき腹を抑え大きく体を傾けながら海面に片膝をつく。

 

 強大な攻撃力の代償に全体の六割にも及ぶ被弾危険個所があった往時と同様に、扶桑は打たれ強いとは言えない。勝ちを確信したように、ル級エリートは妙高を挟撃するため方向を変える。項垂れ動かなくなった扶桑を軽巡へ級に任せたようだ。深海魚の口に黒いボロ布を纏った人間が収まったような姿のへ級は、頭部を覆う仮面のような装甲越しに扶桑の状態を値踏みするように観察している。

 

 -雷撃で沈める気ね…。あの時よりは、長く戦えたかしら…。

 

 扶桑は何とも言えない笑みを浮かべたと思うと、ここではないどこかを見るような視線を彷徨わせる。

 

 

 「主機全開、最大戦速でいっきまーす!」

 

 

 その声にぴくり、と扶桑の肩が揺れ現実に引き戻される。力の入らない右脚を無理に動かし、ゆらり、とふらつきながら扶桑は立ち上がり、その声の主を探す。夜目にも鮮やかな赤い二つの瞳が見たものは―――。

 

 

 鮮やかな長い金髪が海面と水平になるほどの速度で疾走する島風の姿。

 

 日南中尉の言葉-必ず自分の元に帰ってきてほしい-に応えるため、誰も欠けることなく宿毛湾に帰るため、島風は扶桑の援護に突入してきた。炎上する扶桑の艤装を目印に、主機を全開に上げタービンを目いっぱい回す。四〇ノットの高速は景色をあっという間に置き去りにし、暗闇に浮かぶ敵の姿を把握する時間を一瞬しか与えてくれないが、それで十分。

 

 連装砲ちゃんたちは縦横に走り回りながら砲撃を加え、突如現れた襲撃者の巧みな攻撃の前に予期せぬ損害を受けたへ級は逃走を始める。その進路を阻むようにゆらりと立つ扶桑を、すでに無力化したものと決めつけへ級は脇を通り抜けようとして―――。

 

 「どこに行くのかしら…扶桑型を…舐めない、で…」

 

 不意に伸びてきた扶桑の左手に顔面を鷲掴みにされた軽巡ヘ級は、そのまま頭を握り潰され、ビクンと体を大きく震わせて沈黙。さらにトドメの零距離砲撃で爆沈した。

 

 

 そして。

 

 「天龍ちゃんが言ってたように、がーっと行ってぐぐって堪えて…五連装酸素魚雷、いっちゃってーっ!!」

 

 背負い式の魚雷格納筐を回転させ横撃ちする島風は、雷撃態勢に入るためどうしても姿勢を変えて速度を落とす必要があった。これまでも大湊艦隊との演習でその弱点を狙い撃ちされ、天龍との鬼ごっこでも中低域での加速に優れる天龍を逃がしてしまった。経験を通して学んだのは―――予備動作と加減速のタイムラグを最小限にすること。

 

 砲塔の可動範囲の死角から速度を落とさず一気に接近してくる島風に、扶桑との撃ち合いでダメージを受け速度が低下したル級エリートが白い顔貌を歪ませる。逃げ切れないなら、と横転すれすれの大回頭で距離をとって砲撃態勢に入ろうとする。もちろん島風がそれを許すはずもなく、最小限度の体重移動で速度を殺さずすれ違いざまに雷撃態勢を整える。スレンダーな体をしならせお尻を突き出す姿勢は変わらないが、以前より予備動作が小さくなり、動きも格段に速くなった。

 

 「島風からは、逃げられないって!」

 

 島風は、首を僅かに動かし後方の射界を確認する。左斜め後方に向け格納筐から一斉に放たれた五連装酸素魚雷は、五〇ノットを超える速度で回頭中のル級エリートに襲い掛かり、直撃した。爆煙と激しい炎、そして巨大な水柱が水滴となって海に戻る頃には、ル級エリートも水底の住人へと還っていった。

 

 

 

 戦艦ル級通常型の損傷は小破程度、火災が収まった今その戦闘力は健在で、この敵を自由にさせてしまうと艦隊は蹂躙されかねない。妙高と磯風は連携して難敵を葬ろうとしていたが、随伴の重巡リ級が巧みな位置取りで二人の連携を阻み続けていた。このままでは埒が明かない、と判断した妙高は意を決して飛び込む。

 

 「この戦い、退くわけには参りませんわ!」

 妙高は一気に主機を全開にすると接近戦を挑み、之の字を海面に描きながら背面航行で距離を取る重巡リ級に追いすがる。両腕を顔の前で交差させ防御、被弾しながらも果敢にリ級の懐に入り込む。ほとんど海面にしゃがみ込んで体を大きく屈め、伸び上がるのと同時に放った右フック(ガゼルパンチ)は、フックとアッパーの中間の軌道でリ級の腹部に突き刺さる。

 

 堪らず前屈みになったリ級に集中砲撃を加えようとした妙高だが、ル級からの砲撃を回避するのに距離を取らざるを得ず、回避運動に専念している間に、中破状態のリ級は脇目も振らず逃走を始めた。慌てて主砲を構え直し砲撃を加えた妙高だが命中弾は得られず、リ級はその姿を暗闇へと溶かし込んで消えた。それよりも、今倒すべきは、目の前の戦艦ル級(黒い殺戮者)だ。

 

 砲戦での正面火力を比べれば、いくら重巡といえども戦艦には及ばず、まして駆逐艦はお察しである。だが、夜は全てを変える。夜の闇に紛れて接近し、至近距離から叩き込むカットイン(砲雷同時)攻撃は、決まれば相手が戦艦といえども一撃で轟沈させることができる。

 

 「第一・第二主砲、斉射、始めます!」

 「今の磯風の力、嘗めないでもらおう」

 

 連続カットイン攻撃でル級を文字通り一片も残らず消し去った二人は、海域から脅威はすべて排除したと判断し、後方の島風と発光信号で状況を知らせ合う。旗艦扶桑は大破したものの、中破で逃走した重巡リ級を除き敵艦隊は殲滅。S勝利とはいかなかったが、今回の戦況でA勝利なら文句があるはずがない。満足気に微笑む妙高とドヤ顔の磯風は、扶桑と島風との合流を急ぐ。



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073. 雨の止んだ朝

 前回のあらすじ。
 奇襲からのフルボッコ…しそこなった。


 重巡リ級は、青い瞳にオーラを浮かべる。

 

 深海棲艦に感情があるなら、それは確かにニヤリと笑った。そしてすぐさま痛みに顔をしかめる。逃走に見せかけ一気に距離を取ったのは何とか成功した。両前腕全体を覆う攻防一体型の艤装もあちこち損傷を受け、さらに水着にしか見えないビキニアーマーで守る真っ白な体は傷や火傷で彩られた。とりわけ左脇腹一帯は暗紫色である。正面から見れば明らかに左右で胸郭の形が違い、左胸郭下部がべこりと内側、つまり体の内側に押し込まれている。左肋骨は下半部持っていかれ、内臓もやられているだろう。予期せぬ妙高のCQB(近接戦闘術)に対応できず、ロングフックをまともに喰らってしまった。息をするだけで激痛が走るが、それでも笑いたくなった。

 

 

 教導艦隊(敵艦隊)が自ら手招きしている。

 

 

 敵が自分たちと同じことをしない保証はどこにもない、とは薄暮攻撃を行った際の赤城の言葉。敵がいないことを前提として発光信号を明滅させた深海棲艦の艦隊は、教導艦隊の格好の目標となり待ち伏せの成功を許した。そして今、敵艦隊は壊滅、重巡リ級は逃走、と判断した教導艦隊は発光信号を送り合い集合を急いでいる。

 

 

 重巡リ級がゆらりと動き出す。道連れは誰がいいだろうか?

 

 

 ―――戦いはまだ終わっていない。

 

 

 

 「ひなみん、明石さんから連絡。何か困ってるみたいだよ」

 

 鳴り続ける日南中尉の執務机の上の固定電話。取り敢えず受話器を持ち上げて応対した村雨は、沢山あるファンクションボタンの上で指先を迷わせた結果、通話口を手で塞ぎながら日南中尉に呼びかける。各人に軍用規格(ミルスペック)のスマホが付与され連絡はL●NEかSKY●Eが多い教導艦隊では、固定電話の使い方をよく分かっていない艦娘が大多数だったりする。ちなみに電話をかけてきた明石はVoIPのセキュリティは信用できませんとか言い、頑として固定回線派、工廠にあるのはじーこじーことダイアルを回す黒電話である(中身はデジタル対応)。受話器を受け取った日南中尉は明石の話を聞き、しまった、という表情を浮かべている。

 

 「あーよかったぁ、やっと繋がりました。建造で現界した子、お迎えがないのですっかりスネちゃって、何を聞いても『不幸だわ…』しか言わなくなっちゃいましたよ。作戦指揮中なのは分かってますけど、早く何とかしてくださいねー」

 

 確かに建造指示を出していたが、丸一日放置したことになる。現在進行中なのは言うまでもなく東部オリョール海(2-3)だが、同様に、いやそれ以上に部隊の練度平準化と資源の調達のため、建造や開発、出撃などのデイリー任務消化や遠征も重要となる。その後作戦が辿った想定外の推移、分断された艦隊の状況把握など慌ただしく立ち働いてるうちに、すっかりデイリー任務の結果確認を怠っていた。

 

 本来なら自ら出向いて、待たせてしまったことを詫びるべきだが、明石の話からすれば現界したのは―――ふむ…としばらく考え込んでいた日南中尉は、時雨と、もう一人を呼んで工廠へ向かうように指示を出す。

 

 「作戦の状況もはっきりしていないのに…秘書艦の僕が席を外しても、いいのかな…?」

 「新しい艦が出来たって? 自分で見ればいいじゃない。ったく、私、なんでこんな部隊に配属されたのかしら」

 

 作戦遂行中なのに秘書艦が迎えに行くことに意味があるんだ、と言われた時雨は分ったような分からないような顔をして、つい最近邂逅(ドロップ)した、奇麗な茶髪をお団子付きのツインテールにした駆逐艦娘を促し、連れ立って工廠へと向かっていった。

 

 

 

 東部オリョール海最奥部―――。

 

 「生き残った、のね………。そういえば、私、旗艦でしたね。なら…是非も無し…」

 紙一重で敵旗艦と軽巡を撃沈した後、扶桑は完全に力が抜けたように海面にへたり込んでしまった。そこに島風が駆け戻ろうとして…転ぶ。被弾は僅かだが、全力過負荷状態での戦闘機動が続き、足が思うように動かない。それでも出せる全速力で戻ってきた島風は、どーんと体当たりするに扶桑の懐に飛び込む。しばらく黙っていたが、やがて肩を震わせ扶桑の胸をぽかすか叩き始めた。

 

 「………どうして、あなたが泣くの、島風? それに、ぽかすかされると、ちょっと…痛いかも」

 「だって、だって扶桑は…なんであんな無茶するのよっ!! 死んじゃったらどうするのっ!!」

 

 「だって…戦船ですもの…戦って沈むのは―――「ひなみんがっ!!」」

 涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした島風の叫びが、扶桑の声を遮って海に響く。

 

 「ひなみんが言ってたじゃないっ!! 『必ず帰ってきてほしい』って! 扶桑だってそうだよっ!」

 

 

 その声に応えるように拒むように、どん、と左手一本で扶桑は島風を突き飛ばす。

 

 

 大きく目を見開き驚きながら宙を舞う島風は、自分がいた場所と扶桑が、次々と立ち上がる水柱に飲まれるのを目にしながら海面に落ち、自らも水柱を作る。青いオーラを纏った重巡リ級の突進は、旗艦の扶桑に狙いを定めて敢行された。慌てて増速しこちらに駆け付ける妙高と磯風だが彼我の位置関係が悪い。砲雷撃の射界にリ級と島風、扶桑が入ってしまい撃つに撃てず、態勢を立て直すほどの時間の猶予もない。

 

 「ぶはぁっ!! 砲撃っ!?」

 

 すぐさま海面に顔を出した島風が見たのは、月明かりを背に巨大な艤装を背負った黒い影。島風を庇うように立ち上がった扶桑は、振り向きもせず島風に声をかけると、ゆるゆると前進を始めようとする。

 

 「そうね…島風、()()()()あの若き指揮官の元へ必ず帰りなさい。私は―――」

 

 重巡リ級が波を蹴立てて接近を続け、青いオーラがひときわ強く輝き、攻撃態勢に入る。持てる全火力での攻撃が今にも始まろうとしている―――。

 

 

 「届いて…くださいーっ!」

 

 

 最大戦速で一直線に戦闘海域を目指していた浜風が、ついに追いついた。滑り込むようして扶桑と重巡リ級の間に割り込むと、即座に攻撃態勢を整える。現れた乱入者に対し、正面の相手だけに照準を合わせていたリ級は反応が遅れ、中破状態の体では急回避も間に合わない。浜風は右手と背中の艤装に装備した一二.七7cm連装砲の照準を合わせる。同時にがこん、と音を立て両方の太腿外側に装備した四連装魚雷格納筐が九〇度回転し前方を向く。

 

 「守り抜きます!」

 

 二二号対水上電探で敵位置は測距済み、左手の25mm連装機銃を指揮刀のように払い、全門斉射。その威力は凄まじく、潮風が発砲の黒煙を払った時、海面に立っていたのは浜風だけだった。

 

 肩で大きく息をする浜風は、安堵の表情を浮かべ扶桑達を振り返り、宿毛湾の司令部に通信をつなぐ。

 

 「こちら浜風です。何とか…間に合いました。旗艦大破ながら敵艦隊を殲滅、私達の…勝利です! これより、無事に宿毛湾に戻るまで、守ります」

 

 

 教導艦隊、東部オリョール海海域、解放達成―――。

 

 艦隊はEポイントまで撤退し赤城と合流、宿毛湾を目指し帰投を始める。大破の扶桑を守りながらの輪形陣、帰投予定時刻はおそらく明日の払暁になるだろう。

 

 

 

 想定外の状況、二転三転する戦況、それでもなんとか勝った…浜風からの報告に、宿毛湾の司令部はやっと安堵の空気に包まれ、ざわざわと賑やかな雰囲気に変わり始める。

 

 「中尉、戻ったよ…。新しい子も無事着任したかな。かなりご機嫌斜めだったけど…何とか、なったか、な…」

 時雨が工廠から帰ってきたが、その声は何かをこらえる様に語尾が震えている。背後には赤いミニスカートに白い巫女服様の装束を合わせた、黒髪ボブカットの艦娘が寄り添い、同行した満潮は目の縁を赤くしている。

 

 バツが悪そうな表情のまま時雨に近づいた日南中尉は、時雨の肩にそっと手を置く。無言のまま、肩に置かれた中尉の手に時雨はそっと手を重ね、必死に言葉を探そうとしている。ようやく口を開こうとした時、作戦司令室のドアがノックと同時に開かれる。

 

 「中尉、鎮守府近海航路(1-6)から帰ったぞ。喜べ、君の狙いは達成できた…のだが、邪魔をしたかな…。出直そうか?」

 

 二人の様子を見た日向は、歯切れ悪く「あー…」という表情に変わる。少し前から中尉は1-6に拘っていたようで、航空戦艦という特性上日向が同海域に駆り出されることが多かった。最初は本隊から貸与を受けた速吸の育成、あるいは資源や経験値の獲得…そう思っていたが、途中からどうやらそれだけではないな、と気づいた。そして今日、ついにその目的は達せられた。

 

 時雨が不思議そうな表情で小さく首を傾げ、仕草だけで中尉に問いかける。目を逸らしながら、本当に決まり悪そうな表情を隠すように、中尉は制帽を目深に被り直して淡々と答える。

 

 「時雨には…いや、扶桑にも必要だと前々から思っていたんだ。1-6で邂逅可能という情報はあったけど、確率は決して高くなかったから…ぬか喜びはさせたくなくて、言ってなかったんだ。ごめん」

 

 日向の背中から顔を覗かせた、栗色の長い髪を水色と白のツートンカラーのリボンでツインテールにまとめた艦娘が、事態が把握できず首を傾げる時雨に向かって歩いてくる。その顔を見た時雨は堪え切れなくなった。

 

 

 「君は…どうしても僕を泣かせたいんだね。一生懸命…我慢してたのに…」

 

 

 

 「結局…朝になってしまったのね…」

 

 輪形陣の中央、扶桑は徐々に明け始めた空を気怠そうに見上げる。もとより低速艦であり、さらに受けた被害は一番大きく、出せる速度は第二戦速が精一杯。宿毛湾への航海は遅々として進まなかったが、それでもここまで来た。宿毛湾の港湾管理線を越え、ようやく帰ってきた実感が湧いてくるのか、島風がきゃいきゃいとはしゃぎはじめるが、扶桑の気持ちは依然として晴れないままだった。

 

 -必ず帰ってきてほしい。

 

 島風は若き指揮官の言葉を拠り所にしている。聞けば教導艦隊設立時から時雨とともに彼を支えてきたようだ。扶桑自身も、日南中尉の指揮や作戦立案には一目置いている。だが、死線を越え帰るべき場所として彼を心に置いているか、と問われると…。波がきらきらと朝日を反射して白く輝く水面に目を細めると、視線の先に出迎えの一群と思われる艦娘達が立っている。え…嘘…あれって…。思わず口を両手で押さえてしまった。扶桑の様子に気付いた赤城が、少しだけ意地悪そうな色を目の端に載せながら、すうっと近づいてくる。

 

 「連絡は頂いていましたが…オシオキでわざとお知らせしませんでした。中尉は…貴女や時雨さんを心配して、以前から力になりたいと思っていたようですよ。これでも貴女は…一人で戦い続けるのですか? 貴女が教導艦隊の一員だと、西()()()()を大切に思っていると、胸を張って言えるなら、私達の母港に…帰りましょう」

 

 驚いて見渡せば、どや顔でサムズアップする磯風、優し気に頷く浜風と妙高、えへへーと屈託のない笑顔の島風…みんな知っていたのね。大きく深呼吸をして、ゆっくりと、一歩ずつ前に進むたびに鼓動が激しくなる。

 

 山城に満潮…着任していたのね、叫ばなくても聞こえるわ。最上はオリョール攻略中に邂逅したって…。それに朝雲まで…。そして―――。

 

 

 「おかえり、扶桑…」

 

 時雨、そんなに泣かないで。

 

 

 私の帰る場所は―――。

 

 

 差し出された手を強く握り締め、精一杯微笑んで見せた。



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Intermission 6
074. ギラギラサマー


 前回のあらすじ。
 姉様、おかえりなさい。


 「出世キタコレ!まだ早いって? いいのいいの!早いぐらいがいいんだって!」

 

 工廠内に併設されるアイテム屋さんと酒保で買い出しを済ませ港へ向かいながら、えへっと肩をすくめテヘペロの表情を見せる漣。毎年恒例だが、この季節は艦隊本部の指示で水着や浴衣(軽量装甲)着用強化期間となり、宿毛湾泊地内は露出の多い艦娘達が闊歩している。

 

 漣も例外ではなく、セパレートの水着姿でぺたぺたビーサンで歩きながらピンクのツインテを揺らしている。手にしたクリアバッグを探り取り出したのは、お気に入りの紙パック飲料『どろり濃厚ピーチ』。一〇〇%ピーチドリンクから水分を程よく抜いて加糖した、すっきりさの欠片もないねっとりこってりとしたフルーツドリンクで、ごん太いストローをぶっ差してパックを潰すように押して吸い出すのが飲み方となる。

 

 「きっと日南中尉…じゃなくて大尉はさらなる高みへ上る方です」

 

 漣の言葉にこくりと頷きつつ、もはや食べ物という方が正解のドリンクを勧められたが、あははー、と苦笑いで断ったのは祥鳳で、この二人案外仲が良い。この季節、というより梅雨時以外は片肌脱ぎの出で立ちで、左肩から腰にかけて丸出し、さらに軽空母にしてはなかなかのサイズの何かが飛行甲板柄のチューブトップで強調されている。胸の前で手を組んだ祥鳳が夢見るような表情で言葉を零し、そして叫ぶ。

 

 「遠くない未来に名提督と呼ばれる方でしょうね。その日を一緒に迎えられたら……私…きゃぁぁぁっ!」

 「うっくぅ~、相変わらず祥ちゃんのピーチ、ピッチピチッ! これならご主人様見習いも大満足なりっ」

 あまりもひどい出来のダジャレとともに、祥鳳のチューブトップに手を突っ込んでタテタテヨコヨコとピーチをイジり倒す漣。

 

 

 そんな二人の会話だが、さらっと重要な情報が混じっている。

 

 教導艦隊を率いる日南中尉は、東部オリョール海(2-3)海域解放の戦果をもって大尉への昇進が決定した。尉官の間は教導艦隊を監督する桜井中将の判断で昇進の可否が決まるが、現状での出世はここが頂点で、この先は次の戦いに掛かっている。

 

 教導課程の最終目標、あ号艦隊決戦とも呼ばれる沖ノ島海域(2-4)攻略戦。これまでとは一線を画す有力な敵機動部隊を迎撃するため総力を挙げて臨むこの海域に照準を合わせ、教導艦隊は計画的に部隊を編成し訓練を重ねてきた。そして2-4攻略を成功させ教導課程を修了した暁には、桜井中将が艦隊本部に佐官への昇進を申請、裁可を受けた後いずれかの拠点の拠点長として赴任する。二〇代半ばで佐官というのは、今が戦時であることを考えても相当なスピード出世であり、この点でも宿毛湾泊地教導課程の位置づけが伺える。

 

 だが2-4よりも重要な最終関門、それは大尉が一緒に赴任先へ伴いたい艦娘の同意を得ること。これまで積み重ねてきた関係性の全てがその一点に凝縮される訳で、平たく言えば告ってOKをもらうようなものである。

 

 

 

 色々と問題はあったがともかく2-3突破、大尉への昇進、そして何より、夏本番である。何やかや考えあわせた結果、勝利と昇進のお祝いと、次戦に向けた決起大会が必要ということで艦娘達の意見は一致した。

 

 「という訳ですので大尉、お返事はハイかYESでお願いします」

 

 にっこりと有無を言わせない笑顔で日南大尉に微笑みかけながら申請書への決裁を求める赤城の姿は、周囲で見ていた艦娘によれば、一航戦の誇りを賭けた全力出撃並みの圧力だったという。

 

 意外と大掛かりにする気なんだな…と、任務外集合申請書、機材使用申請書、物品購入申請書、参加者名簿、各種添付書類や証憑…大量の書類をぺらぺらとめくり、必要な個所にぽんぽんとハンコを押してゆく日南大尉。

 

 「これで全てか、な……? え? あ、赤城、よくよく見ると隅っこにちーっちゃな字で一泊二日、って書いてあるんだが、これは?」

 「はい、読んで字の如くですが、すでに決済はいただいたので。それでは準備がありますので失礼します。ふふっ、楽しみですね」

 

 長い黒髪を揺らしながら、赤城は着任前からは想像がつかないいたずらな笑みを浮かべ執務室を後にした。虚を突かれたようにぽかんとしていた大尉は、やれやれ、という表情を浮かべ椅子の背もたれに体を預ける。

 

 「やられた、な…。まぁネーバルホリデーだし、場所は宿毛湾内の一角、よしとするか…」

 

 ネーバルホリデー…急遽発表があった海軍の休日で、ごく一部の警戒部隊を除き、艦娘部隊を運用する全拠点に一斉かつ強制的に与えられた。全作戦行動を停止するこの期間に、大海営は基幹システムのMilitary Resourse Planning(MRP)を全面更新するらしい。

 

 この休暇が終わればまた戦いの日々に戻り、いよいよ沖ノ島海域攻略戦、戦いはいよいよ激しさを増してゆく。

 

 『必ず帰ってきたい、そう思わせてくれるのは、モノより思い出ですよ~』

 

 それは以前綾波の言った言葉。だからこそ、日南大尉は今回の一泊二日のビーチキャンプにGoサインを出した。そしてお泊りOKで決裁が出た、という話は光の速さで部隊内を駆け抜け、全員で準備に取り掛かり始めた。

 

 

 

 ネーバルホリデー初日はいろいろ準備に追われた。そしていよいよお出かけの日。

 

 日南中尉は所用があって本部棟を訪れ、そのまま港で出発時間までに合流することになった。教導艦隊の艦娘達は大量の食べ物飲み物や荷物を大発へ積み込んだり、工廠の妖精さんたちとの最終打ち合わせなど忙しく動き回っている。教導艦隊全体が慌ただしくそわそわした空気に包まれた中、ウォースパイトの涼やかな声がする。

 

 「みなさん、必要なことは全て先に済ませましょう。そうすれば心置きなく楽しめます」

 

 地味に重要なのが、司令部と艦娘寮の片づけ。だらしなく施設を散らかして出かけてしまえば、浮かれたガールズとの悪印象になり、ひいては日南大尉の評価を下げかねない-女王陛下のこれ以上ない正論に従い、全員出発前に自室と共用部の掃除、一部の艦娘が執務室の掃除に取り掛かることになった。

 

 

 

 涼月は銀髪を揺らして日南中尉の机を拭き掃除している。手にした雑巾で机面を拭くのに手が左右に動くたび、黒のビキニに包まれたお尻がふりふりと揺れる。抜けるような色白の肌を際立たせる黒のホルターネックビキニ+同色のシースルーのミニスカの組み合わせは破壊力抜群である。

 

 ぶぃーんと間の抜けた音を立てる掃除機は動こうとしない。掃除機をほったらかしにした時雨は、机を拭く涼月の前に回り込む。ふきふきゆっさゆっさ…ふーん、かなり、かな…。みょいんと伸びたセンサー(アホ毛)を動かし、ジト目のまま時雨の心の中で警戒警報が鳴り響く。

 

 -君のその恰好…カレンダーだけ(七月限定)じゃないの?

 

 艦隊のキャンペーンガールと呼ばれるほど艦隊本部からあれこれ多種多様な制服を支給される時雨だが、さすがに秋月型の水着姿の強力なインパクトには驚かされた。確か粗食(マクロビ)派で、しかもくちくかんだったよね…。自分も決して小さい方ではないが、それにしても…と胸囲に脅威を覚えつつ思い出す。そういや妹たちもアレだったね…と、くるり、と振り返った先では―――。

 

 応接に陣取る、制服をモチーフにした黒を基調としたビキニに、黒のショートパレオ+マフラーの夕立と、白のショートパレオの村雨。執務室の掃除をする時雨についてわざわざ執務室にやってきたが、目当てはエアコンと日南大尉。だが大尉がいないと分かると、すっかりだらけ切ってしまった。

 

 「もーっ、手伝ってくれるんじゃないの? お掃除を終わらせなきゃ出かけられないじゃないかっ」

 両手を腰に当ててぷんすかしている時雨に向かい、なんとも適当な返事が返ってくる。

 

 「今練習中だからぁ~(ひみゃひふぇんひゅうひゅうひゃきゃらぁ~)

 ソファーの背もたれに体をぐてんと預けているのは村雨。ミルクアイスキャンデーを手を使わずに口だけでもごもごぺろぺろ、少しずつ飲み込んでゆき、時雨に返事をした拍子に溶けた白い滴が唇の端をつつーっと伝っている。お行儀は良くないが、それ以上でもそれ以下でもない食べ方だ。

 

 「ちょっと静かにしてほしいっぽい。集中してるから」

 その隣では、手の中の少し溶け始めたポッキンアイスをじいっと見ている夕立。地域によってチューペットとか棒アイスと呼ばれるアレである。すぅーっと息を吐きポッキンをぱくりとした瞬間、ずっ! と音を立て一瞬で中身を吸いきる荒業を見せる。えへへ~と満足そうな夕立は、様子を見にきた白露に「姉さんおかわりー」とパシらせている。

 

 大きく肩を落としマイペース過ぎる姉妹に溜息をついた時雨だが、聞き逃せない言葉を耳にする。

 

 「要さん…奇麗好きですから…これで大丈夫、だと…思います…」

 

 ふうっと手の甲で汗をぬぐい満足そうに呟いた涼月の言葉。

 

 -か、かなめさんっ!?

 

 日南大尉の下の名前である。階級か職名で呼ぶ艦娘がほとんどだが、島風が始めた『ひなみん』呼びする子も結構いる。けれど、ど直球で下の名前!? てか…そ、そんな関係にいつの間に…!? と時雨が口をぱくぱくさせて震える指で自分を指さしているのに気づいた涼月は、?を頭の上に浮かべちょっとだけ考え込んでいたが、すぐに自分が何を言ったか気付いたようだ。ぼんっと音を立てるように顔を真っ赤にしてあうあうし始めた。

 

 「あ、あの…き、聞こえちゃいました、か…?」

 「う、うん…き、聞こえちゃった、かな……」

 

 てれてれと胸の前で指をくねくねさせながら、涼月が言い訳するように言葉を零す。

 「そ、その…いつそういうことになっても…いいように…れ、練習、というか…。次戦を勝てば…大尉はご自分の拠点を…お持ちに…。やっと…本当の意味で涼月の帰る場所が…」

 

 よかった…練習、ってことは、実際にそういうコトじゃないんだね…よかった、と再び時雨が大きく肩を落として溜息を吐く。だが安心してばかりはいられない、とすぐに理解した。目の前で小さく首を傾げる銀髪の美少女を、自分は明確にライバル視し、めっちゃ強敵だと思ってる。けれど、涼月は誰のことも眼中になく、あくまでも日南大尉と彼女自身の関係性だけを問題にしているようだ。とても真っ直ぐな気持ちのあり方で、ある意味で空気を読まない、敵に回すとかなり厄介なタイプ。

 

 

 -ていうか…一番一緒にいる僕が…一番固い呼び方をしてる!?

 

 

 その事実に今更気づいて時雨がショックを受けた所に、執務室に飛び込んできた島風がぷりぷりと怒っている。

 

 「もーーーーっ!! みんなおっそーいっ! 他のみんなは準備して港で待ってるよっ! 早く早くっ」

 

 涼月が掃除道具を片付け、島風が村雨と夕立をソファから追い立てて外に連れ出す間に、時雨もいろいろ準備をする。重要書類を収納したキャビネットと日南大尉の寝室の施錠確認、照明を消して各種家電のスイッチをオフにして指さし確認。

 

 「よし、これでいいかな。あとは…忘れ物が無いようにしなきゃ、ね」

 

 トートバックを肩に掛け、折り畳んだパラソルを持ち、よいしょ、と少し重たそうに初雪を冷暖炬燵から引っ張り出して小脇に抱え、ふっと懐かしそうに部屋の中を見渡した時雨は、執務室を後にする。

 

 -泣いても笑っても、次の沖ノ島海域が正念場、だね。きっと忘れられない、夏になる…かな。



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075. デレデレサマー

 前回のあらすじ
 二期直前の短い夏休みの始まり。


 ネーバルホリデー二日目―――。

 

 大発は喫水線いっぱい、それだけでは足りずいくつかドラム缶を曳航してまで満載した荷物と共に向かったのは、宿毛湾の白浜地区。宿毛湾本隊のいる池島地区や日南大尉のいる片島地区から湾の最奥部を挟んだ対岸、低山が海際まで迫り切り立った断崖や岩場が多い地形だが、地区名の由来となった美しい白砂が広がる浜辺が点在している。その一角が一泊二日のビーチキャンプの舞台となる。

 

 「…時雨、これは一体? 自分たちは一泊二日のキャンプに来たんだよね? 」

 「う、うん…ベースポイントをしっかり作るって聞いてたけど…でも、まるで拠点設営みたいな規模だよ、ね…」

 

 時雨と日南大尉が顔を見合わせ、視線を送った先。浜辺ぎりぎりに投錨し船首の歩板を倒した大発から、上陸作戦並みに統制の取れた動きで、妖精さん達が大量の木材やブロック、厚手の布などなどを次々と運び込んでいる。揚陸された資材は奥で待っている、棟梁風の出で立ちの妖精さんの指揮に従い手際よく配置され、着々と何かが建てられている。

 

 ビーチキャンプに間違いはない。けれども今準備が進んでいるのはグランピング-欧米で定着しつつある glamorous(グラマラス) camping(キャンピング)、ざっくり言えばリゾート的超贅沢キャンプである。日南大尉や時雨が考えていたような、ビーチにテントを立ててバーベキューを囲んで、などどいうシンプルなものではない模様。

 

 「ああ…そういえばバケーションの本場の人がいたね……」

 「一泊二日、だよね? 一か月でも暮らせそうな勢いじゃね?」

 

 珍しく機敏な動きを見せたかと思うと、数少ない木陰をダッシュで奪取した響と北上は、離れた場所からグランピングの施設が着々と作られていくのを、半ば呆れながら見守っていた。六角形の高い屋根と長い庇を持つ巨大なウッドテラス。どの方向からもアクセスできる円形のフード&ドリンクステーションが中央に作られ、その周囲にはデッキチェアやソファがいくつも並べられる。その奥には、ひと際高く周囲を睥睨するように設けられた玉座。ただ放熱を考慮しラタン製なのが執務室の物とは異なる。

 

 「イメージに近い形になっているようですね。よい仕事ぶりです」

 

 涼やかな声がかかり、一斉に妖精さん達が片膝をついて頭を下げる。まるで女王陛下の降臨を迎える騎士達の様である。さくさくと砂浜に音を立て、満足げな表情で近づいてきたのは、やはり女王陛下(ウォースパイト)。どれだけ暑くてもセーラー服様のドレスローブを着こんでいる。さすがの女王陛下も日本の蒸し暑さには閉口したが、英国生まれらしい生真面目さで、日本の艦娘のように解放的過ぎる出で立ちも躊躇われる。ならば、と選んだのは普段通りの制服の素材を全て薄手のシースルーにするという高等テクで、夏の輝く陽射しで透けるその衣装では体のラインがモロ分かりになってしまう。

 

 不意討ち気味にそんな姿を目にした日南大尉と時雨は、口にしていた水を思わず噴き出してしまった。時雨は慌てて大尉の目を隠そうしたが、身長差があるために飛びついたようになり、バランスを崩した大尉を砂浜に押し倒し、そのまま胸に飛び込む格好になった。

 

 何をやってるんだか、とちらりと視線を送り通り過ぎたウォースパイトはそのままウッドテラスへと進み、妖精さんにお褒めの言葉をかけている。

 

 「あいた、た……? ふぇっ!?」

 

 時雨はふるふると頭を振る。顔近っ! …あ、でもこの角度から見るのも新鮮かも…などと思っていた時雨だが、すぐにサーフパンツにラッシュガードを羽織る日南中尉の胸元に寄り添う自分の体勢に気が付いた。ほとんど、概ね八五%くらい裸で抱き合っている状態に、メガ〇テ寸前のばく〇んいわのように真っ赤な顔で、ぐるぐるの目であうあうした思考は―――。

 

 「そ、そう、こ、ここはある意味雪山なんだ、うん。人肌であた、あたたたたため合わなきゃっ」

 

 季節も方向も間違った帰結を迎え、むしろぎゅっと抱き付いてしまった。

 

 「時雨…」

 

 呼ぶ声に応えた、上気を通り越して真っ赤な顔で潤んだ瞳の秘書艦殿はたらりと鼻血さえ見せる始末。日南大尉はがばっと身体を起こすと素早い身のこなしで時雨を抱きかかえる。きゅっと目を閉じて身体を固くした時雨だが、頭の中は一時のパニックを通り過ぎて次のステージへと向かっていた。

 

 『あ…みんなが見てるけど…でも、キミがいいなら僕は…』

 

 頭の中が沸騰した僕っ娘は、お姫様抱っこでウッドテラスへと運び込まれた。

 

 「医療担当の妖精さんはいますか!? 時雨が…熱射病っぽいんです、応急処置をお願いしますっ」

 

 真っ赤な顔で鼻血をたらし、雪山であたたたっ…様子と発言から大尉は熱射病による意識混濁と誤解した。ある意味無理はない。

 

 「それじゃみんなの様子を見てきます。同じような状態になると危険なので」

 

 遮るもののない洋上で真上からの強烈な太陽に照らされながら、何時間にも渡る航海や戦闘機動を取るのが艦娘で、人間よりはるかに強化された生体機能がこの程度で熱射病になるはずがない。おでこに冷えピタを張られソファーに寝かされた時雨は、誤解したまま走り去る日南大尉の背中を呆然と見送りながら、生ぬるい同情の視線とともに医療妖精さんに頭をぽんぽんされていた。

 

 

 

 「よっしゃーーー! 天龍様に勝負を挑む奴はいるかーっ!?」

 「あら~、天龍ちゃんカッコいい~」

 

 浜辺に設けられたビーチバレー用のコートでは、ボールを小脇に抱え天龍が吠えている。スポーティなタイプの水着が強調する世界水準越えのパーツと合わせ、ボールが三つあるようである。対照的にコートの端の方には、女の子座りで手で庇を作り、ずちゅーとトロピカルドリンクを楽しんでいる龍田。ドレープの多いパレオと、ほんとにそれでソレ支えられるの? といらぬ心配をしてしまうホルターネックビキニで艶然と微笑んでいる。

 

 「勝負だよ天龍ちゃんっ! こないだの鬼ごっこの借りはここで返すんだからっ!」

 

 鼻息も荒くコートに姿を現したのは島風。出で立ちは普段とまるで一緒だが、そもそも普段から色々丸出しのようなものなので、取り敢えず良しとしよう。そのパートナーは…初雪。こちらも普段通りのセーラー服のまま、何で私が…とか言いながら連れてこられた。

 

 「おおっ! 上等だ、ぜかまし! 返り討ちにしてやるよっ」

 「ふっふ~ん! 私には誰も追いつけないよっ!」

 

 興味が無さそうなパートナーそっちのけで熱く盛り上がる天龍と島風、わらわらと集まるギャラリー、審判役は相方の加古がさっそく寝たため暇していた古鷹に決まり、いよいよ試合が始まる。

 

 ホイッスルが鳴り、先攻の天龍・龍田組から攻撃が始まる。ぽーんとボールを空に放り上げた天龍は、たっと砂を蹴り高くジャンプ、体を大きく反らし強烈なサーブを放つ。クロスで放たれたサーブに初雪は反応できず、対角線のラインすれすれに着弾するかに思われた。

 

 「おらぁっ! まず一ポイントゲット……な、なにぃっ! 返しただと! ば、ばかなっ!」

 

 取りあえずレシーブの構えを取っている初雪には動いた様子はない。だがボールは高く舞い上がりワンタッチでリターンされた。慌てた天龍がパートナーの龍田を振り返り、諦めて自分で動き出す。

 

 「天龍ちゃ~ん、こっちに砂掛けないでね~」

 

 こちらのパートナーは様子どころか動く気配すらなく、ずちゅーっとトロピカルドリンクを楽しんでいる。柔らかい足場を物ともせず、天龍が相手コートの深い位置にボールを返す。初雪の後ろ、ラインすれすれに落ちそうな絶妙なボールコントロール。初雪が後ろ向きに飛び込めばあるいは間に合うか、というタイミング。

 

 「固有時制御・二重加速(タイムア〇ター・ダブル〇クセル)っ」

島風が小さく口にし、身体ごと消えるような加速でボールを追いかけ、追いつく。はっきり言って詠唱に意味はない。決め台詞っぽいのが欲しいと初雪に相談した結果である。相談相手は選ぼう、という教訓は島風に残らないだろう、きっと。

 

 ぽーん。

 

 再び返されたボールに、天龍は今度こそ目を見張る。眼帯ガールの彼女の視界は狭く、初雪しか見ていない天龍には島風の動きが死角になっていた。

 

 「ば、ばかなっ!? 初雪が動いた様子はない…ハッ! 俺が見ているのは残像、俺の心眼でさえ捉えられない速さだと…おもしれぇ、これならどうだっ!」

 

 心眼どころか節穴、初雪は一mmたりとも実際に動いていない。一対一でラリーの応酬を繰り広げる天龍と島風、暑い…と言いながら律義に動かない初雪、おかわりくださ~いと優雅にドリンクを楽しむ龍田。もはやビーチバレーとはいえない何かは、飛び入り参加組が出てくるなど思いのほか盛り上がっている。

 

 

 

 こちらも律義で真面目なもう一人、日南大尉。

 

 ひと通り全員の様子を見終え、熱射病の兆候を示している艦娘がいなかったことに安堵し、ウッドテラス内のフード&ドリンクステーションでひと心地ついている。普段は遠征を中心に動いてもらい、なかなかコミュニケーションを深められずにいた艦娘たちとも色々話ができた。

 

 「こういう機会も大切…いや、楽しい…って言っていいかな」

 「そうですよ、大尉は真面目過ぎるんです、うふふ♪」

 

 独り言にカットインされ驚きの表情を浮かべた日南大尉の前には、銀髪のツインテールでにこにこ微笑む艦娘の姿。教官の鹿島である。普段の制服ではなく、青と白のストライプが基調となった便利な店的な感じの制服を着こんでいる。

 

 「はっ!? な、何で鹿島教官がこんなところに…?」

 

 フード&ドリンクステーションとは言っても、出来合いの物がただ並ぶだけではない。六角形のウッドテラス中央には大型のキッチンが設えられ、オーダーごとに出来立ての食べ物が供される。そして…厨房で忙しく立ち働いているのは、速吸、大鯨、そして鳳翔である。道理で居酒屋鳳翔で食べるのと同じ味だ、と日南大尉は納得した。そして疑問をいだく。

 

 「うふふ♪ どうして私達がいるのか、って顔をしてますね」

 図星である。ビーチキャンプを実施するのは当然本部にも知らせてあるが、教導艦隊の所属員だけで行う大前提である。けれどよく見ればウッドテラス内には宿毛湾本隊の艦娘があちこちで寛いでいる。

 

 「ええ…自分たち教導艦隊だけのキャンプだと思っていたので…」

 「えーっ、冷たいですねぇ大尉。ネーバルホリデーは教導艦隊だけじゃないですよー。私達もお休みなんですから。それに…教導艦隊のみんなだけでお泊り会だなんて…。節度を保ってもらうため(抜け駆けはさせませんよ)って意味で、目付け役が必要かな、と思いまして」

 

 「…鹿島、本音も盛大に漏れてるわよ…」

 

 呆れた顔でカットインしてきたのは、鹿島の姉にして同じく宿毛湾の教官を務める香取。なぜか鹿島と同じように青と白のストライプの制服を着ている。そして舞台裏を明かし始めた。

 

 「私と鹿島はコン〇ニ(酒保)担当なので、分かりやすくこんな格好をしてるんです。今回このイベントの報告を受けた際、本隊からも参加を希望する艦娘がたくさんいまして、幹事役の赤城さんに相談したんです。そうしたら、資材や食材の損益計算(PnL)上のインパクトが…と悩まれてまして。なので相談の結果、資材は教導艦隊側が、食材と施設運営の人手は本隊側が負担、ということで話がまとまりまして」

 

 ぽかーんと口を開け唖然とした日南大尉だが、視線は左右し、すぐにテラスの奥で大量の食べ物を前に満面の笑みを浮かべ、何から食べようと迷っている赤城を見つけた。知らないうちにそんなことになっていたとは…。香取はちらりと鹿島に視線を送ると、挑発するような感じで話を続ける。

 

 「ですが食材をこちら側で負担、というのは上手くやられた感じがします。やりくりも交渉もお上手、赤城さんの内助の功でしょうか。鹿島、あなたも本気ならこのくらいやらいと、勝てないかも知れませんよ」

 

 ぷうっと頬を膨らませ不機嫌そうな鹿島と、にやにやした感じの香取。日南大尉の視線に気づいた赤城は、慌てて子豚の丸焼きを同じテーブルの加賀に押し付けている。



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076. タテノリサマー

 前回のあらすじ。
 キャンプの幹事は赤城さんです。


 早朝から始まった、宿毛湾の本隊と教導艦隊の合同贅沢キャンプ(グランピング)。妖精さんの謎技術であっという間に建設終了したベースポイントの大型ウッドテラスに加え、二階建ての宿泊棟も別建てされ、各人にウォーターベッド付の個室が用意される力の入れようである。

 

 宿毛湾本隊から参加した鳳翔たちが超豪勢な料理を振舞い、浜辺ではビーチバレー的何か、あるいはスイカ割り、水辺ではパラセーリングや水上スキーなど、アクティブ派は一秒でも無駄にしたくないと遊びまくっている。一方でウッドテラスの長い庇の下に置かれたデッキチェアやソファでは、まったり派がスロードリンク片手にゆったりと読書をしたり音楽を聴いたり、妖精さんによるエステなど、こちらもゆったりと充実した時間を過ごしている。

 

 

 そんな中、日南大尉はアクティブ派からもまったり派からも一歩歩くたびに声がかかっていた。

 

 

 「お、おい夕立っ、タイマンの途中だ…うぐぁっ!!」

 「大尉見つけたっぽいっ!」

 位置関係で言うと、夕立-ネット-天龍―(コート外)日南大尉。コートの向こう側に大尉の姿を認めた夕立は、柔らかい足場を物ともせず、ダッシュでネットの下を吶喊。もはやビーチバレーとさえ言わなくなった天龍を弾き飛ばして、大尉にロケットダイブを敢行とか。

 

 「ひなみん、この水上スキーを足につけて、この紐持って…準備はいい? 島風、最大戦速でいっきまーすっ!」

 四〇ノット超で疾走する島風に問答無用で牽引され、水面を水切りの石のように跳ねまわる水上スキーとか。

 

 「如月ちゃん、もうちょっと上に持ってて…そう、その辺。よしっ、いくにゃしっ!」

 「いや~ん、びしょびしょじゃない…。髪が傷んじゃう…」

 目隠しをして上体を∞にローリング、左右からデンプシー的なフックで如月が持ったスイカを叩き割る睦月と、叩き割られたスイカの果汁を浴びまくった髪の毛を気にする如月と、スイカ割りってこういう遊びだっけ…と唖然とする大尉とか。

 

 「きたきたきたー。大尉―、背中にオイル塗ってよー」

 「たまには休養も必要よね…って蒼龍、それはちょっと…」

 水着のトップスを外しうつぶせで寝転んでいたが、大尉に気が付くと上体を反らしながら満面の笑みで呼びかける蒼龍と、慌てて蒼龍をデッキチェアに押し付ける飛龍とか。

 

 行く先々でこんな感じ。

 

 一向に目的の場所に辿り着けずにいた日南大尉だが、ようやく目的の場所までたどり着くと、ジト目でちょっとお怒り気味の加賀と赤城が待っていた。

 

 「赤城さんを待たせるといい度胸ですね、大尉。赤城さんが心配のあまり、こんなに食が細くなって」

 「そういうのいいですから加賀さんっ。私はただ、まだかな、って言っただけで…」

 

 食材を本隊に提供させただけあって、遠慮という文字は辞書から消え去った感じで、二人のテーブルの前には大量の空いたお皿が積み上げられている。香取が赤城のことを交渉上手、と言った理由そのままである。

 

 んーと、少し考えた日南大尉はフードステーションで間宮に何かを注文して、赤城と加賀のテーブルに戻ってきた。

 「何を召し上がられるのですか?」

 「いや…オリョール戦で『間宮のバケツチャレンジ』って言ってましたよね? なので注文してきました」

 

 「ええっ!? 聞こえてたんですか? あの通信状態だからてっきり聞こえてないと…」

 

 がたっと椅子を揺らして赤城が真っ赤な顔で立ち上がる。食べたがってたバケツチャレンジをせっかくだから、という大尉の思いやり。確かにそう言ったが、重要なのは最後の『二人っきりで、ですよ』だった。そこを外してるのでがっくり、という感じで赤城は肩を落とすが、それでも自分の言葉を覚えていてくれたことに顔が綻んでしまう。

 

 「お待たせしました~。ごゆっくりどうぞー」

 どーん、という擬音が似合いそうな、修復バケツから大きくはみ出して盛られたかき氷を届けに来たのは、同じようにどーんという擬音でしか表現できない、フリルで飾られた黒いトップスが激しく自己主張する水着姿の間宮。

 

 「…赤城さんを目の前にして、他のを目で追うとは…頭に来ました。いいですか大尉、貴方は知らないかも知れませんが、赤城さんの胸部装甲もそれは見事なもので「わわわーっ! か、加賀さん!? 一体何を言い出すんですかーっ!!」」

 

 真っ赤な顔で無理矢理加賀の口を塞ごうとする赤城と、この機会に一航戦の誇りを見せるべきです、と赤城の弓道着を肌脱ぎにしようとする加賀。

 

 「あ…じゃ、じゃあ赤城さん、お待ちかねのバケツチャレンジ、楽しんでください」

 

 逃げるようにそそくさと日南大尉は立ち去った。というか、逃げた。

 

 

 

 時刻は夕方、水平線に太陽が沈み始め、きらきら輝く水面も砂浜も、全ての人も物もオレンジ色に染め始めた頃、ビーチは別な姿を見せ始める。ウッドテラスの前に作られた特設ステージでは探照灯を改造した幾つものライトが明滅を始め、各所に設置されたスピーカーからは重低音が速いテンポで響く。ステージ前に詰めかけた大勢の艦娘はリズムに合わせ踊りだし、まさに夏フェスといった様相。大尉もドリンク片手にリズムを取りながらライブの開演を待っている。

 

 瞬間、全てのライトが落ちる。そして全点灯。

 

 

 「那珂ちゃんサマーライブへようこそー!」

 

 

 ステージには言うまでもなく那珂ちゃんセンター、ただいつもと違い手にはギター。向かって左側に立つ川内は指先でベースを弾き音のチェック、奥のドラムには神通が座りドラムスティックをくるくる回している。

 

 「今日はぁー、スリーピースバンドで走っちゃうからね!! それじゃ一曲目いっきまーす!!」

 

 神通の合図で、センター那珂ちゃんが激しくヘドバンしながら疾走感溢れるリフをかき鳴らす。神通もBPM二〇〇以上の速さでバスドラを一六分で打ち、川内もきっちりリズムキープする。そして那珂ちゃんのロングトーンシャウトに、会場は一気にヒートアップし大歓声が巻き起こる。どう聞いてもスピードメタルやスラッシュ系の曲である

 

 「はぁっ!? アイドルどこ行った? ア●アとか…せめてポ●パじゃないの?」

 

 漠然とガールズポップだろうと思っていた日南大尉の予想は大きく裏切られた。けれど、大尉の音楽の好みも微妙に偏っており、こういう縦ノリ速弾き系の曲が大好きである。ノリノリで楽しんでいると、ふとオレンジの一団が目についた。初雪と北上から始まった那珂ちゃんさんファンクラブも、響や望月、さらには羽黒や阿武隈までも加え、いつの間にか勢力を拡大していた。水着とか解放的な恰好が目立つ中で、法被に長い鉢巻の姿で、那珂ちゃんの超絶ギターソロに合わせ、妙に統制の取れたオ〇芸を高速で打ちこんでいる。

 

 

 

 ライブ後半からは飛び入りでのカラオケ大会。那珂ちゃんバンドを従えた加賀のででん♪のハードロックアレンジ、ウォースパイトのAmazing Grace独唱、大和のヴァイオリンによる情〇大陸、初雪の意外なほどの美声…みんなカッコよかったな、と関心した日南大尉は、歌わされる前にこっそりとライブ会場を抜け出し、夜の波打ち際へと一人足を向けていた。

 

 さくさくと軽い足音を立てながら、ライブの余韻を引きずる大尉は、三ピースとは思えない那珂ちゃんバンドの音の厚さに圧倒され、艦娘と楽器の相性は良い、とつくづく考えていた。人間をはるかに凌駕する反射速度や感覚器を持つ艦娘にとって、人間のミュージシャンなら超絶テクと言われるコード進行やリズムキープなど、あくびしながらでもできるだろう。

 

 「戦争が終わったら、那珂ちゃんは本当に国民的アイドルになれるかも知れない………ん? あれ、は…?」

 

 浜辺にぼんやりと揺れる淡い炎が動いている。え…ヒトダマ的な…? と訝しがりながらも、大尉は近づいてゆく。さらに近づいてゆくと正体が分かった。行燈を持つ扶桑が波打ち際を歩いてきた。お互いの存在に気づき、扶桑は唇だけで薄っすら微笑み、大尉はほっと肩をなでおろす。

 

 「騒がしいのはちょっと…。気分転換に夜風に当たろうと思いまして。大尉も、ですか…?」

 白と赤のワンピースの水着に、透け感のある柔らかい素材のパレオとショールをまとった扶桑が、行燈の柔らかい光に浮かび上がる姿は幻想的にも見え、珍しく日南大尉が目を奪われていた。

 

 「……? 大尉、お時間があれば少しお話できませんか?」

 「は、はい…自分は大丈夫です」

 

 砂浜に腰を下ろした二人。やや距離をとって座っていた日南大尉だが、扶桑が距離をつつっと詰めてくる。

 「大尉にはお礼をしなきゃ、そう思っていたの。私に…帰る場所、帰りたいと思える場所があるって、思い出させてくれた…。死の中で生を感じるんじゃなくて、生は生で感じればいいんだ、って…」

 

 その言葉を聞いて日南大尉は心の底から安堵した。死にたがっているわけではない、でも生きることに執着がないようにしか見えなかった扶桑だが、オリョール戦の後から明らかに笑顔が増えていた。

 

 「ほら、見てください、大尉。淡い光の向こうに西村艦隊のみんなが…。大丈夫、みんなの思い…今なら分かるわ。安心して見守っていてね…」

 

 そっと日南大尉に寄り添い扶桑は腕を絡めてムギュる。砂浜に置かれた行燈が曖昧に照らす闇の中に浮かぶのは、最上、山城、時雨、満潮、朝雲。夜の暗さに輪郭が溶け込むようなぼんやりとした姿。え、これってそういう回想話だっけ?

 

 「姉様に亡き者にされるなんて…」

 「あーもー、やってらんないわねっ」

 「扶桑…それはどうかな、って思うんだ、うん…」

 

 完全に不機嫌な表情になった時雨がずいっと近づき、後に続くように西村艦隊のメンバーがわらわらと現れる。単に行燈の淡い光が陰影を色濃く作っていただけで、いうまでもなく皆現実の艦娘である。

 

 「一人でふらっと出かけるから、心配でみんなでついてきたのがバカらしくなったよ…」

 「あら…私は大丈夫よ、時雨…。みんながいるから、もう、大丈夫…」

 

 ぱんぱん、とお尻の砂を払いながら立ち上がった扶桑は、なんとも言えない艶やかな笑みを浮かべ、日南大尉にウインクをすると、さらに時雨をゴゴゴ…させるような事を言い放つ。

 

 「では大尉、私はこれで…。そうそう時雨、いつまでもお子様なお付き合いでは大尉が気の毒ですよ? 私でよければお慰めして「わーーーっ、何言ってるさ、扶桑っ!?「ね、姉様っ!? 姉様がそんなことするのでしたら、山城が代わりにっ」」」

 

 どこまで本気か冗談か相変わらず分かりにくい扶桑を中心に、チーム西村はわいわいと賑やかに騒がしく宿泊棟へと向かい遠ざかってゆく。

 

 

 ぽつん、と一人残された日南大尉だが、何とも言えない表情で夜空を見上げる。降って湧いた突然の休日を利用した、たった一泊二日のキャンプ。朝からこの時間までバカみたいに騒いで遊んで、あっという間に時間が過ぎていった。明日は撤収して第二司令部に戻って整備休息、そして再び戦いの日に戻る。それでも、いや、だからこそ時が経っても今日の事は忘れられないだろう。

 

 

 遠い過去を背負いながら今を戦う艦娘を、未来に連れてゆきたい―――指揮官として、彼女達が命と誇りを賭けるに値する未来を、自分は示さねばならない。教導課程を修了し自分の拠点を持ち、全ての責任を自分の肩に背負えば、少しは何かが見えるだろうか?

 

 

 「ようやく…自分のスタートラインが見える所まできたんだ…」




 本家ゲームも第二期開始ということで、この物語もここまでのお話を第一期とさせていただきたいと思います。次話以降は第二期準拠で行こうと思いますが、どうしようかな…。


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パンドラの海-前編
077. コンパス


 前回のあらすじ
 歌(メタル)は希望。

 (一部表現変更/ Thanks to 鷺ノ宮様)


 ことり、と軽い音を立て水出し茶のグラスと間宮謹製水ようかん、冷えたおしぼりが応接テーブルに置かれる。お茶を供された来客は満足げな表情を浮かべ、滴が表面に浮かぶグラスを掴むと旨そうに味わっている。お茶を出し終えた翔鶴は、桜井中将の隣に寄り添い座る。

 

 「B()L()O()C()K()1()とやらが発令されて以来、軍区内の各拠点長と巡回面談しておるのだ。人事も組織も相当動き、これからも動くからな」

 

 来客は呉鎮守府の提督を勤める藤崎 祥一郎(ふじさき しょういちろう)大将。定年を超えた年齢だが、艦隊本部からの要請で提督職と海軍大学校で非常任の戦術顧問を兼務している。風貌は好々爺然とした小柄な老体だが歴戦の猛将として畏怖を集める存在である。

 

 BLOCK1とは、ネーバルホリデーの終了と同時に発表された、海軍内部の大変更。従来六つに区分されていた海域は、東南アジア南西部を主戦場とする南西海域を新たに加え七海域に再編、それに伴う大規模な人事異動や組織改編も行われた。

 

 改めて軍の編成を整理すると、戦時に設置される、三軍と立法行政府の長を中心に構成される大君直属の最高統帥機関の大本営、その下に海軍の最高機関にあたる大海営(陸軍は大陸営)があり、艦隊本部、参謀本部、技術本部、監査本部、情報本部などなど多数の部門で構成される。泊地や基地など各地の拠点は、軍区と呼ばれるブロック単位で所管され、横須賀・呉・佐世保・舞鶴の四大鎮守府と大湊警備府が主管となり管理される。

 

 宿毛湾泊地は藤崎大将が主管する呉鎮守府を頂点とする第二軍区に属し、大将が宿毛湾を訪れる事に不思議はない。だが―――。

 

 「…大将、ひょっとして翔鶴自慢の水出し茶を飲むために…?」

 

 中将の軽口に、藤崎大将がやれやれと首を振る。何の話が始まるのかは分からないが、大将の様子からしてポジティブな方向の話には思えず、翔鶴は不安を募らせてゆく。

 

 「桜井よ…日南大尉(あの見習い)、いつ司令部候補生として着任したのだ?」

 

 思いの他普通の、世間話の続きのような問いに、思わず顔を見合わせた中将と翔鶴だが回答に困るようなものではない。

 

 「昨年の七月一一日ですが、それが何か?」

 「一年超だな、確かに…。せめてBLOCK1発令前の課程修了なら、抑え込めたものを…」

 

 つまり、日南大尉の着任から一年を過ぎていると藤崎大将から指摘され、中将と翔鶴は再び顔を見合わせてしまった。

 

 確かに一年は超えたが、日南大尉の教導課程修了まで2-4攻略を残すのみ。そもそも一年という期間は最重要指標の一つだがあくまでも原則であり、中将の判断で一定期間の延長が可能となる。過去にも期間の延長が行われた事もあるが、今回に至るまで誰からも容喙を受けたことはない。その疑問が表情に出ていたのだろう、藤崎大将も唇を歪め苦笑いを浮かべる。

 

 「あの見習いは、良くも悪くも名を早く上げ過ぎたようだ。そうなると、雑音が入ってくるのだよ」

 

 海軍のエリートコースの一つとして認知される宿毛湾の司令部候補生制度には、他の教育機関にはない優遇措置が取られている。ゆえにこれまでも羨望と不平の両方を集めていたが、今回はまさにその点を突いて、監査本部から『教導期間は原則通り一年間で運用されるべきで、他教育訓練機関との平等性に配慮すべし』と今更ともいえる改善要請が唐突に寄せられた。桜井中将は、指揮権侵害としてこれを『下郎推参』の一言のみでバッサリ斬って捨て、監査本部を唖然とさせていた。

 

 「能力と成果に応じた公平な処遇と、機会における平等性の担保は本質的に異なるものです」

 「その通りだ。だが、連中は意図的にその二つを混同し、貴様が職権濫用であの見習いを依怙贔屓しているとの印象操作を行っている。…桜井、キナ臭いぞ。名前こそ表に出ていないが技本も絡んでいて、何より…伊達元帥が背後におるようだ」

 

 藤崎大将は、傍らの鞄から取り出したファイルを中将に差し出す。それは大海令と呼ばれる命令書で、海軍の最高機関たる大海営が発する最上位の強制力を持つもの。なかなか目にすることの少ない元帥が発令者となる命令書の内容に、桜井中将も翔鶴も唖然としてしまった。

 

 「例の第三世代を二名含む艦隊での2-3勝利には、技本の幹部が狂喜乱舞しておったらしいぞ。あの見習いなら横須賀の広告塔として文句なしと踏んだに違いない。…分の悪い賭けだが、あの見習いには勝ってもらわんと…儂にも都合があるのでな」

 

 

 すでに藤崎大将は宿舎となる居酒屋鳳翔の離れで寛ぎ、執務室には中将と翔鶴が残るだけ。執務机の前に立ち尽くす翔鶴に、桜井中将は僅かに悔しさを滲ませつつ言葉をかけ始める。

 

 「今回の海域再編とそれに伴う戦力の再配備の裏で、色々と暗躍している連中がいた、ということだろうね」

 「政治寄りのお話は私には分かりません……でも、あなたがどれだけ公明正大に制度を運用し多くの若手を育成してきたか…まして日南大尉を利用しようだなんて!」

 立てかけておいた杖を掴み、ゆっくりと立ち上がった桜井中将は、机を回り込み、肩を震わせる翔鶴を両腕で包むように背中から抱きしめる。

 

 大海令で示されたのは、司令部候補生が特例付与に値する優秀性を有する事を、作戦の成否をもって証明せよ。証明できぬ場合、当該候補生は新設される横須賀の新課程にて再教育を行う、というもの。だが示された作戦内容は―――。

 

 「今回の軍の大変更…色々裏がありそうだね。ふむ…日南君にばかり負担をかける訳にもいくまい、私も動くとしようか」

 

 

 

 宿毛湾第二司令部の講堂には、教導艦隊に所属する全艦娘が集められた。遠征中の者もいたが、それどころじゃない、と時雨は秘書艦令で遠征中止を命じ、全員を大至急帰投させた。

 

 「…ありえ、ない…ありえなさ過ぎ…」

 「何でしょう…混乱しちゃいます…」

 

 明かされた顛末に理解が追い付かず、戸惑っている初雪と神通の声が代表するように、この場にいる艦娘の全てが事態を飲み込めず、どよめきが波のように広がってゆく。

 

 だん、と時雨が黒板に拳を叩きつける。普段からは想像できない激しい仕草に注目が集まった。

 

 「こんな理不尽が罷り通るなんて…僕は…海軍に失望したよ。でも、これが僕たちの現実…。立ち向かうには…沖ノ島海域 (2-4)沖ノ島沖 (2-5)の最短解放、それしか…ないんだ」

 

 2-4は依然として羅針盤が荒れやすく、海域最奥部に到達出来るかどうかは確率論の問題。続く2-5は2-4解放で進出が許可されるExtra Operation(特務海域)で、海域最奥部に陣取る敵主力を撃破し海域を解放するには最低でも四回は全力攻撃が必要となるほど敵の守りが堅い。それでも理論上は二海域合わせ出撃五回で最短解放が可能となる。

 

 日南大尉と教導艦隊に与えられたチャンスは、出撃六回以内で二海域を解放する事。道中撤退や羅針盤に負けるのは一回まで、あとは是が非でも、特に2-5は全て敵旗艦を撃破して勝ち抜かなければ海域解放に辿り着けない。

 

 条件を満たせなければ、日南大尉は横須賀に新設されるという新課程に再教育のため編入、そして宿毛湾の教導艦隊の艦娘たちとお別れとなる。

 

 

 「どんなになっても絶対路線変更しないからっ! 勝つよ、絶対っ!」

 「勝てばいいんだよね? 勝てばひなみんと一緒にいられるんだよね?」

 とにかく勝つんだ、と気合を入れまくる那珂ちゃんさんと島風の決意に、全員が大きく頷き気合の入った表情へと変わる。唯一、ウォースパイトだけは冷めた表情を浮かべたまま、一時的な狂騒状態に陥っている他の艦娘達とは違う角度で、日南大尉に問いを投げる。

 

 「ヒナミ…このような状況に至った理由が興味深いですが、この国の海軍には、貴方のような優秀な指揮官を扱い切れる器がないようですね。もし…もしも、ですが、貴方が我が王立海軍(RN)への転籍を望むなら、私…ウォースパイトはその実現に尽力します」

 

 強烈な皮肉で日本海軍をこき下ろす女王陛下。さすがに他の艦娘達も唖然としたが、すぐに皆気が付いた。ウォースパイトは激怒している、と。いつも通りの秀麗で涼やかな表情だが、内心は怒りに震えているのが伝わってくる。

 

 -スターゲイジーパイ(スケキヨパイ)、思い出しちゃった…。

 -朝昼晩三食朝食がいいって聞いたことがあるっぽい。

 

 気が早く王立海軍に転籍した後の事をひそひそと話す声が聞こえる。聞き捨てならない、とばかりにウォースパイトが熱弁を振るう。

 「どなたですか、我が祖国の食に懸念を持つのは? 日本食は確かに多彩な味わいですが、イギリスにもおいしいものはたくさんありますよ?」

 例えばなーに? の声にウォースパイトが挙げたサンプルで、完全に評価は確定してしまった。

 「そうですね…ウナギのゼリー寄せでしょうか…? どうして皆さん、ドン・ビキーな顔をしてるの?」

 

 いやそりゃ引くでしょ…と顔を見合わせる日本の艦娘達と、思いがけない反応に半べそのウォースパイト。

 

 「Hey大尉、こんな作戦、ハッキリ言って無茶苦茶デース。それでも、アナタ次第で私達の覚悟も一八〇度変わってきマース」

 

 特徴的な口調は言うまでもなく金剛のもの。本来なら2-4を解放した後に行われるはずの手順、第二次進路調査。教導課程の修了をもって、与えられる任地に伴いたい艦娘から日南大尉が直接OKをもらう最終段階で、通称『告白タイム』などと言われるが、金剛は今ハッキリして欲しいと迫っている。すでに本来の教導課程は態を成さなくなり、この先のことなど誰にも分からなくなった。今しかチャンスがないという真剣な思いをぶつける。

 

 -私は…ハッキリと聞きたいのデス。戦艦娘とか教導艦隊とかじゃなく、私自身を必要としてくれている、と。第一次進路調査の時は…確信が持てなかったんダヨ、大尉…。

 

 「金剛―――」

 

 黒板に寄りかかり目を閉じたまま沈黙を守り続ける日南大尉に、真剣な視線が一斉に集まる。姿勢をゆっくりと正した大尉は、心の奥までを覗き込むように金剛から視線を逸らさず、はっきりとした口調で呼びかけた。続いて一人づつ、教導艦隊に所属している艦娘の名前を呼んでゆく。

 

 「………涼月、ウォース、初雪、島風。そして、時雨…」

 

 沈黙が支配する第二司令部の講堂で、再び日南大尉が口を開く。

 

 「自分は、宿毛湾泊地の司令部候補生として着任し今に至る。教導課程の修了は、もちろんここ宿毛湾で迎えるつもりだ。そして任地に向かう時に、君たちの誰一人であっても欠けている光景が自分には想像できないんだ。そのために…力を、皆の力を貸してほしい」

 

 深々と頭を下げる日南大尉。彼からは見えていないが、全員が立ち上がり敬礼を送る。あまりにも一斉に行われたそれは、一瞬だけ講堂にザッと音を響かせる。いないことが想像できない…やや回りくどいが、自分たちが必要だと言い切った若き指揮官に、これ以上ないほどに美しい敬礼と輝くような表情で応える彼の艦娘達。

 

 「総力戦になるのは間違いない、だが、宿毛湾泊地教導艦隊の実力、全海軍に見せてやろうっ!」

 

 大尉の言葉に艦娘全員が感情を爆発させ、教導艦隊最大の挑戦を後押しするように、叫びが講堂を揺らすほどに木霊する。




 入院とかスランプとかリアルライフ忙しいとかやってたら、連載開始から一年が経っていたのに気付かなかったという…。せめて第二期実装までには教導課程を決着させるつもりだったのですが、だらし無くて済まないのです…。


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078. ライトニング・ダイアリー

 前回のあらすじ
 BLOCK1対応開始。


 「電~、まだ起きてるの~?」

 「ごめんなさい暁ちゃん、もうちょっとなのです」

 

 振り返るとそこには、パジャマにナイトキャップ姿、両手でマグカップを持ってふーふーしながらホットミルクを飲んでいる暁ちゃん。六駆の四人で一部屋の艦娘寮、雷ちゃんと響ちゃんはもう寝てるのです。

 

 消灯時間を過ぎてますが、電はデスクライトを頼りに日記を書いているのです。PCやタブレットじゃなく、頭の中を整理し、自分の中の自分と対話するように考えをまとめ、自分の手で文字を書く。普段は言い出せないような思いや感情を、少しだけ解き放つ。それが電の一日の締めくくり―――。

 

 

 

 

〇月△日 日焼け止めを経費で買いたいほどの晴れ

 

 

 「君たちの誰一人であっても欠けている光景が自分には想像できないんだ」

 

 大尉の言葉に私達全員は感情を爆発させ、教導艦隊最大の挑戦を後押しするように、叫びが講堂を揺らしたのです。でも、早速沖ノ島海域に向けて艦隊抜錨………というほど世の中は甘くないのです。

 

 海域再編で六つの海域が七つになった結果、ほぼ全海域で深海棲艦の出現予想ポイントの増加や敵編成の変化、何より今まで通りの私達の編成では航路制御が不安定になることがあるなど、各海域に進出済の艦隊から寄せられた報告が、私達を含む全艦娘部隊が利用している軍用基幹システム(MRP)に次々と公表されたのです。

 

 大海営も対策として、MRPの中核となる海域攻略に重要な役割を果たす戦術情報データベース(通称Wi●i)の大規模アップデートを宣言、各拠点に向けて再編後の各海域に出撃した際には、敵情報はもちろん試行した編成や装備、航路などの情報を艦隊本部に継続的に提出するよう命令を出しましたが…。

 

 失敗の許されない私達教導艦隊にとって、蓄積された情報が使えない中で2-4と2-5に進出するのは、イチかバチかにも程があるのです。

 

 

〇月☆日 アロマキャンドルが折れ曲がるほどの晴れ

 

 

 「雨はいつ止むのかな…誰か僕をお手伝いしてくれたらいいのに」

 「元気を出してください、時雨さん! 頑張って!私も頑張りますから!」

 

 秘書艦に秘書艦がつく修羅場、時雨ちゃんと涼月ちゃんがハイライトオフの目で続々と集まる情報をデータ処理してるのです。この二人、大尉を巡ってはライバルですが仕事ではよくサポートしあってるのです。でも揃ってIT系はいまいちの模様。これ系の作業は初雪ちゃんが…あ、冷暖炬燵で寝てる…。

 

 「頑張ってるねー。大尉は…いないんだ。…じゃぁ二人とも腹ごしらえしなよ! 川内お手製の夜御飯、食べていいから!」

 

 よいしょ、っとお尻で時雨ちゃんをオペレータ席からどかしたのは川内さん。画面に表示されたデータの羅列をザーッと見て、ふんふんと頷いてます。え? すごっ! 大尉ほどじゃないけど、なかなかの速さでデータ処理を始めたのです!

 

 「ん! おいし…って川内さんスゴっ」

 川内さんが持参したのはイワシの揚げ団子定食。口にした時雨ちゃんが目を真ん丸にして味に驚き、自分が手こずっていたデータ処理をさくさくこなす姿にさらに驚いてるのです。

 

 「ん~、ほら、私目がいいからさ。こういうの苦にならないんだ」

 にひひ、とツーサイドアップにしたセミロングの茶髪を揺らして笑う川内さん。…電は知ってるのです。川内さんさえその気になれば、実はひっじょーに強力な存在なのを。

 

 マイペースだけど明るい性格、バランスの取れたスタイルの良さ、その昔海軍料理コンペで上位に入賞したほどのお料理上手、掛け軸や短冊で披露した書道の腕前も達筆、そして今見せたITスキル、そして戦闘になれば分身の術!? ってくらいの回避能力…夜戦夜戦騒がなきゃ完璧超人系のハイスペック彼女、それが川内さん。

 

 

 …と、大騒ぎしてるのですが、海域再進出と情報収集に当たってるのは、桜井中将の直卒で出撃中の宿毛湾の本隊。教導艦隊が担当しているのはデータ処理だけなのです。

 

 

 「これは()()に対し発令されているからね、宿毛湾泊地を預かる私が指揮を執るのは当然だろう? 日南君、君は過去と最新の情報を対比分析、2-4と2-5を最短解放する作戦立案に集中しなさい。教導艦隊は艦隊本部に提出するデータ処理に協力してあたること。情報は力だ、心して頼むよ」

 

 さすが中将、カッコいいのです。電はどうしてもシブいオッサンに目がいっちゃう系なのです。現在宿毛湾の本隊は、カムラン半島から南西諸島近海に改称された2-1に、艦隊総旗艦の翔鶴さん率いる装甲空母三人からなる空母機動部隊で進出中…これでは深海棲艦の方が可哀想になってくるのです。

 

 沈んだ敵も、出来れば助けたいのです。せめて形くらい残っていれば、ですが…。

 

 

〇月◆日 降り始めたら加減知らずの雨

 

 

 早朝の着信音。あまりいい気分がしない目覚めなのです。

 

 ケータイを見ると、秘書艦の時雨ちゃんからL●NEのグループメッセ。

 

 台風の接近で今日は全ての出撃任務が中止…了解なのです。

 

 勢力を落とさず接近を続ける大型の台風は、何と豊後水道のど真ん中を突っ切って北北西に直進、進路の東西に位置する宿毛湾泊地と九州の佐伯湾泊地が暴風雨圏に入ってしまったのです。昨夜から続く激しい雷を伴う暴風雨、この天気で無理は禁物と日南大尉は判断したみたいなのです。

 

 「…………」

 暁ちゃんがベッドの上にぺたんと座って呆然としてるのです。雷様怖い、おへそ取られる…ってずっと毛布を被ってガクブルしてたから、夜一人でおトイレに行けなかったみたいなのです。でも、むしろこんな天気だから、さっさとシーツとパジャマを洗濯して乾燥機に放り込めば何も無かったことにできると思うのです。

 

 「暁ちゃん」

 ぽん、と肩に手を載せると、暁ちゃんがぷるぷるしながら電を見上げてくるのです。

 

 「………それ、どこの海図なのです?」

 小粋なジョークのつもりでしたが、涙目の暁ちゃんにぽかすかとぱんちをお見舞いされたのです。

 

 

□月◎日 フェーン現象殺す、ってくらいの晴れ

 

 

 今年何度目かの台風が過ぎ去った今日は、台風一過のフェーン現象で気温は急上昇、ちょっと動くだけで汗だくになったのです。台風一()だと思ってた時期が電にもあって、あばし●一家みたいのを想像してたのですが、台風が過ぎ去るだけ。単なる語感詐欺。

 

 詐欺といえば、浜風ちゃんはやっぱりくちくかん詐欺でいいと思うのです。艦種でいえばより大型艦のはずの龍驤(RJ)さんや瑞鳳(たべりゅ)さんを遥かに上回るサイズで、私服のチョイスが無いのが悩みって言ってたのです。ぴったりなデザインの服だと目立ち過ぎ、ゆったりなデザインの服だと太って見える………電には無縁な悩みですが、それが何か?

 

 「きゃあっ!」

 「ごごごめんなさいなのですっ!」

 

 慌てて頭を思いっきり下げます。あまりの暑さに、気休めに打ち水をしていたら、通りかかった浜風ちゃんにばっしゃーんと水をかけてしまいました。悪い事をしちゃったのです。

 

 最初は第三世代っていう、何だかよく分からない括りだったので、ちょっと???って感じでしたが、お話をすれば普通の艦娘でとてもいい子なのです。びしょ濡れになりながら、自分もぼんやり歩いてたので気にしないで、と電を慰めてくれた浜風ちゃん。あ、口元を押さえ上体を屈めながらくしゃみしてる。

 

 「へくちっ」

 

 すごい揺れっぷりなのです。じゃなくて、早く着替えた方がいいのです。ぺこり、と頭を下げて艦娘寮に向かう浜風ちゃんの後姿を見送りながら、つくづく思うのです。

 

 「銀髪にあのサイズ、大尉が呉鎮守府から引き受けたのがよく分かるのです」

 

 涼月ちゃんは今更ですが、大尉は響ちゃんとも仲がいいのです。思い余った時雨ちゃんが銀髪にしたこともありましたが、『海風っ!?』と呼びかけたみたいですし。

 

 あ、浜風ちゃんが戻ってきたのです。………その恰好はちょっとマズいのではないでしょうか?

 

 制服のプリーツミニはそのままで、上着は五ボタンのポロシャツ。割と細身のデザインなので、強調しまくりなのです。上二つのボタンを開けてますが、留めてるはずの残り三つのボタンは内側から押されて浮いちゃって、隙間からチラリしまくりなのです。

 

 「あ…日南大尉」

 

 浜風ちゃんは、通りかかった大尉に自分の恰好を考えず敬礼の姿勢を取っちゃいました。礼法に沿って右手を上げて胸を張った拍子に、ボタンは弾け飛んで自由になったのです。胸の中ほどまである、ポロシャツの五つボタン全開…。慌てて両手で隠す浜風ちゃんと、慌ててくるりと背を向ける大尉。

 

 「も、申し訳ありませんっ! その…お見苦しい所を…」

 「い、いや、そんな事は…ご、ごめん。暑いかも知れないけど、これを…」

 

 自然な動きで大尉は第二種軍装の上着を素早く浜風ちゃんの肩に掛けてあげてます。女の子は男子が思うより視線に敏感なので、どこを見てるのかすぐに分かっちゃいます。その点、大尉の視線が不快だって話は、誰からも聞いたことが無いのです。

 

 今みたいな時も、ガン見は論外ですが、変に目を逸らすのも意識してるのがモロ分かりなのでNG。速やかに流れるように隠してあげる、うん、合格なのです。余計な事を言わずに柔らかい笑顔だけ残して去ってゆくのも、スマートな立ち居振る舞いでポイントアップ。

 

 でも、いいのでしょうか? ほら…浜風ちゃんがぽーっと赤い頬で大尉の背中を見送ってるのです。

 

 

□月▼日 今の気持ちみたいな曇り

 

 

 やっぱり宿毛湾の本隊は強いのです。私達教導艦隊が何度も挑戦してようやく漕ぎつけた2-3まで、敵の反撃を許さず全航路調査完了、さらに2-4や2-5も縦深偵察を何度も敢行して、貴重な海域情報を入手してくれたのです。

 

 いよいよここから先は、日南大尉率いる教導艦隊にバトンが渡されます。

 

 

 こうやって戦い続けてる私達ですが、深海棲艦との戦争はいつまで続くのでしょう? 私達が命懸けで解放した海域でも、時間が経つと深海棲艦は水底から甦るように姿を現し、放っておくとまた海を制圧されます。なので私達は何度でも定期的に海域を清掃し、深海棲艦を海域毎に一定数未満で抑え込むために戦っている、とも言えます。つまり、圧倒的に数で勝る深海棲艦側が本気で殲滅戦を仕掛けてきたら、私達に勝ち目は…。電は…正直に言って怖いのです。

 

 けれど、どうして深海棲艦は殲滅戦をしないのでしょう?

 

 電の単なる想像でしかありませんけど、それでも思う時があるのです。深海棲艦は、もしかしたら『戦争には勝ちたいけど、命は助けたい』って、電とおんなじ事を考えているのかな、って。だとしたら、大尉の言う『深海棲艦との和平』は、ひょっとしたら可能性があるんじゃないか、って。少なくとも、教導艦隊内で大尉を巡る争いに決着がつくよりは、可能性が高いかも知れないのです。

 

 

 

 ふぁ…電も眠くなってきたのです。今日の日記はここでおしまい。明日からはいよいよ2-4進出、後に続く2-5と合わせて六回しかないチャンス…絶対にモノにするのですっ! なるべくなら、戦いたくはないです、でも…このまま教導艦隊のみんなと、日南大尉とお別れするのは…もっと嫌なのです。

 

 おやすみなさい。あ…寝る前に暁ちゃんをトイレに連れて行ってあげるのです。



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079. 明日、また

 前回のあらすじ。
 第三者視点での状況整理 (建前)。


 早朝・宿毛湾泊地第二司令部作戦司令室―――。

 

 「…………」

 

 この部屋にいるのはただ一人、教導艦隊の指揮を執る日南大尉のみ。彼にしては珍しく行儀が悪い振る舞いで深く考え込んでいる。椅子にごく浅く腰掛けて執務机に長い脚を投げ出し、椅子の背凭れに上体を預け天井を見上げている。明けきらない夜と朝の間の、未だ薄暗い執務室で灯りもつけず思い詰めた表情で、日南大尉は無言のまま天井をぼんやりと見つけ続けている。与えられた六回の出撃で沖ノ島海域(2-4)沖ノ島戦闘哨戒(2-5)を解放しなければならない。だがこの二海域を解放するのに最短で五回、しかも2-5は解放に最短でも四回を要する。

 

 「…………」

 

 ぎいっと椅子を鳴らし、大尉は上体を起し投げ出していた脚を体の方に引き寄せる。BLOCK1による海域再編後にアップデートの続く戦術情報データベースは、再編後の2-4の姿を明らかにし始めた。航路は再編前に比べればある程度制御が利きやすく、軽量編成であれば海域北部を通過して最奥部に到達できそうだ。ただ、そこで待ち受ける敵主力は戦艦ル級flagshipが最大三体、陣形も最大火力の単縦陣で勝負を挑んでくる。重量編成の敵と互角に戦うにはこちらも戦艦や空母を加えた編成で臨むのが常道だが、この場合妖精さんによる航路探知が上手く機能せず航路はランダムになり、海域最奥部に到達できるかどうは文字通り運任せ。

 

「………」

 

 三体の戦艦ル級だけでも手ごわいが、随伴艦も回避力が高い敵の新型が揃い、こちらの砲撃がかわされると手痛い反撃を貰うことになるだろう。とはいえ、そもそも教導艦隊が発足して以来、この海域の攻略を念頭に置いて艦隊を育成し装備を整えてきた。確かに航路制御や敵の編成は想定していたものとは変わったが、それで右往左往することもない。ただ今回完全に置き去りにされたものが一つだけある。それは時間。海域の性質上、航路制御もそうだが、損傷による撤退もありえるだろうと、最初から2-4の攻略は複数回出撃する事を前提としていた。その前提が覆された戦いに、自分の部隊を送り込まねばならない。

 

 前述の通り、出撃回数に制限を課せられた今回の戦い、教導艦隊の中心を成す艦娘達に宿毛湾本隊から教官の香取、鹿島、大淀を加え出撃に至るまで相当な議論が重ねられた。今回の条件では2-4を出撃二回以内でクリアしなければ、全てがお終いになる。

 

 比較的確実な航路での軽量編成(水雷戦隊)と不確実な航路での重量編成(打撃部隊)ー昼戦では機動力と回避力を活かし敵の攻撃を躱しつつ、夜戦の砲雷同時(カットイン)攻撃で勝負を挑む水雷戦隊と、開幕空襲とそれに続く大口径砲のアウトレンジ砲撃により昼戦で大勢を決め夜戦で残敵掃討に当たる打撃部隊。

 

 目的地に辿り着けるまで持ちこたえられるか不安な前者か、攻防とも十分な能力だが目的地に辿り着けるかが不安な後者か。どちらにもPros & Cons(プロコン)があり、取るべきリスクの種類が違うだけ。そして下された判断は―――。

 

 ぎりっと唇を噛み締め顔を歪める日南大尉は、椅子から立ち上がる。今日払暁宿毛湾を抜錨した、()()()()2-4進出部隊。第一回目の出撃で選択したのは、旗艦ウォースパイトが率いる、摩耶、鳥海、北上、祥鳳、瑞鳳から成る打撃部隊。そして彼女達は海域最奥部まで到達できなかった。今回の場合は敵主力艦隊の撃滅のみが目標となる以上、戦果はゼロともいえる。

 

 「ウォースがあんな風に泣くなんて…本当に堪えたな…」

 

 第一回目の出撃から帰投した艦隊を出迎えた時のことを日南大尉は振り返り、肩を小さく揺らし溜息を零した。

 

 

 

 出撃した艦隊は、Bポイントで敵の前衛を務める巡洋艦戦隊を寄せ付けずほぼ無傷で進撃を続けた。その後航路はGポイントからHポイントを経由し、Iポイントで襲い掛かってきた敵水雷戦隊を祥鳳と瑞鳳の航空隊が撃ち払い、いよいよ海域奥部へ向けて進軍となり、艦隊も気合を入れなおした。進路が東なら海域最奥部に向かい進む。だが、西に進路を取る事になれば、この出撃はその時点で失敗となる。結果は…西。

 

 航路が確定した時点で、普段と変わらない冷静な声でウォースパイトから報告が入った。ただ僅かに震える語尾だけが彼女の感情を伝えている。教導艦隊の執務室には溜息と悲鳴が広がり、秘書艦の時雨が不安そうな表情で隣に立つ日南大尉を見上げていた。

 

 -え、見間違い、かな…?

 

 そう時雨が思うほど、柔らかい笑みを一瞬だけ浮かべた大尉は、淡々とマイクに向かい指示を出した。

 

 「了解。ウォース、道中にはまだ敵艦隊が遊弋している。警戒厳として無事に帰投してくれ」

 

 艦隊は高速軽快部隊と呼ばれる水雷戦隊とEポイントで遭遇、戦闘に突入した。上がらないモチベーションと八つ当たりにも似た怒りが綯交ぜとなった複雑な感情に支配されつつ、敵に反撃を許さず一方的な勝利を収めたが、誰一人喜ぶものはいなかった。最後の経由地となったDポイントの石油プラントで資材を補給し、艦隊は帰投を果たした。

 

 

 「艦隊、母港に無事帰投したね、だけど…」

 宿毛湾泊地片島地区の港で艦隊を出迎えながら、日南大尉の横に立つ時雨は明らかに言葉を言い澱んでいた。人間より遥かに優れた艦娘の目は宿毛湾の港湾管理線のはるか向こう、水平線近くに姿を見せた艦隊を捉えていた。重苦しさに包まれた単縦陣の葬列にも似た艦隊の帰投。鳥海と北上は項垂れ、中央では泣き続ける祥鳳を目を真っ赤にした瑞鳳が慰め続け、摩耶は乱暴に拳で目を拭っている。唯一、先頭を行く旗艦ウォースパイトだけは、伏し目勝ちだが真っ直ぐに前を見ている。

 

 「夕立に任せるっぽい…じゃなくて、任せて」

 すっと大尉を挟んだ反対側に夕立が寄り添い、まっすぐ前を向いたまま言葉を潮風に載せる。いつもの『ぽい』口調ではなく真面目な口調。ウォースパイト達重量編成の部隊が海域最奥部に到達できなかった今、次に出撃するのは水雷戦隊、しかも戦艦ル級三体と戦い、()()()勝たねばならない。だから日南大尉の顔は見ない、顔を見られたくないから。こんな時ににやり、と凄絶に笑っている自分の顔を見られたくない。

 

 「大尉…艦隊、接岸します。みんな…上陸を始め、ます…」

 後ろから涼月が、目の端をそっと指で拭いながら大尉に声をかける。少し涙声になっているようだ。涼月にはとにかく納得がいかない。海域最奥部まで行けなかったのは確かだが、こんな理不尽な攻略回数の制限がなければ、『残念でしたね』で終わる話だ。この結果で、次は必ず水雷戦隊で勝たなければならず、続く2-5では一切の敗退が許されなくなった。その責任を全て負うようにこの世の終わりのような顔をする仲間の姿を見ていられない。そしてそれを見守るしかできない大尉の姿も。

 

 

 続々と上陸を果たす第一艦隊だが、日南大尉の顔を見た時点で泣き崩れてしまった。摩耶が泣き腫らした目のまま気丈に敬礼の姿勢を取る横を、ついっと北上が近づいてきた。

 「いやー、何て言うの、こんな時も…あるよね。せっかく…第二次改装までしてもらって、いい装備積んでくれたのに、さ…」

 明るく振舞おうとしていたが言葉にならず、えぐえぐと北上まで泣き始める。

 

 「ヒナミ…」

 ゆっくりと静かな足取りで旗艦のウォースパイトが姿を見せる。固い表情で大尉の目の前に立つと敬礼を送り、静かに手を下ろす。ドレスローブとセーラー服を合わせたようなアイボリーの制服には、ほとんど汚れも破れも見られず、戦いそれ自体は三戦とも優位に進めたのは間違いない。

 「報告した内容と大差はありません。ポイントはBからG、H、Iを経由、そして…E。出撃前に危惧した通り、この編成では航路制御が…。ヒナミ…ごめんなさい…ごめんな、さ…」

 そのまましゃがみ込むと、ウォースパイトは両手で顔を覆い、激しく肩を震わせて泣き出してしまった。教導艦隊の置かれている状況は痛いほど理解していた。その上で自分は重要な第一回目の出撃の旗艦に選ばれた。不安定な航路と引き換えに選んだ敵を確実に打ち倒すための重編成。自分の力だけでどうにもできないのは分っていたが、目的地に辿り着けさえすれば、例え大破進軍…大尉の願いに反しても(何が起きようとも必ず)勝つ、部隊の総意として決めていたのに…。

 

 全六回の出撃は始まったばかりで、この結果だけで全てを判断するのは早計にすぎる。それでも誰もが同じ気持ちだった。この挑戦に勝てなければ、日南大尉は自分たちを残して宿毛湾を後にしなければならない。そんなことは、認められない―――。

 

 「大丈夫だよ…。私達がやるから、絶対に勝つから見てて」

 

 ウォースパイトの長い金髪に長い金髪がかかる。いつになく小さく見える女王陛下の背中を、小さな駆逐艦娘が守るように抱きしめている。頬を紅潮させた島風が、訥々とした口調で、それでもはっきりと戦う意思を前に出す。同じように、ウォースパイトを横抱きに抱きしめた時雨は何も言わず、ただぎゅっと腕に力を籠める。立ち上がると大尉に向き合い、まっすぐに見つめる。無言のまま見つめ合っていた二人の周りに、いつの間にか駆逐艦娘と軽巡洋艦娘が輪を作る。そして時雨が意を決した表情で、高らかに宣言する。

 

 

 「日南大尉、教導艦隊水雷戦隊は、キミの言葉を待っているんだ。行けと…それだけ言ってくれればいいんだ」

 

 

 

 そして時間は戻る―――。

 

 こんこん。

 

 執務室のドアがノックされ、一人の艦娘が入室を求めてきた。日南大尉の返事を待って入ってきたのは、朝食を携えた鳳翔だった。お礼を言う日南大尉に微笑みだけで返事をしながら、かちゃかちゃと軽い音を立てながら鳳翔は持参した皿を執務机に用意する。

 

 「ありがとうございます、鳳翔さん」

 「島風ちゃんなしでは、大尉は朝ご飯も召し上がらないのでしょう? だめですよ、こんな時は特に」

 

 苦笑いで応えた大尉は鳳翔の微笑みに促され椅子に座る。食事に向かい手を合わせて食事を始めると、鳳翔が何気なく言葉をかけてきた。

 

 「『焦らず、慌てず、諦めず』…言い古された言葉ですが、今の大尉にこそ、大事だと思いますよ」

 

 ぴたり、と動きを止め箸を置いた大尉は、ゆっくりと鳳翔の方を振り返り、敵わないなぁという表情を浮かべる。

 「そんなつもりは…いえ、そう見せないようにしていたんですが、ダメでしたか?」

 「大尉と同じ状況に置かれれば、誰だって…。それでも大尉は立派に振舞ってらっしゃると思います」

 

 しばらくの沈黙の後、ぽん、と手を打って鳳翔がくるりと話題を変える。

 「そういえば、二回目の出撃ですが…人選はやはり…? 涼月ちゃんは大分しょげてましたけど?」

 「鳳翔さん、自分は諦めるつもりはありません。彼女には2-5で活躍してもらうつもりなので…。けれど、万が一の事を考えるなら、納得のいく形にしたかったんです。教導艦隊の創設から自分を支え続けてくれてきたメンバーに、2-4は託します」

 

 2-4攻略に向けた第二回目の出撃、古鷹、神通、時雨、村雨、島風、そして旗艦の夕立からなる水雷戦隊が海域最奥部に向け疾走を続ける。




 ごぶさたしております、はい。リアルがめちゃ忙しくて結構間が開いてしまいました。そうこうしているうちにイベントも始まり、現在E4ラスダンで沼り中だったります…。


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080. 勝つ事と負けない事と

 前回のあらすじ
 六分の一。


 沖ノ島海域 (2-4)―――。

 

 出撃地点から見ると、北東方面は複雑な海流が生む渦潮が障害となり、南東方面には岩礁が広がるため、艦隊は必ず東進することになる。なのでその先にあるポイントBではこの海域で最初の交戦となる敵艦隊が待ち構えていて、進出を図る艦隊を荒っぽく出迎えてくれる。

 

 東進を続け進行方向右側にある岩礁を過ぎたあたりで、古鷹の零式水上観測機が複縦陣で展開する重巡リ級エリート三体を中核とする巡洋艦戦隊の西進を発見した。水観の妖精さんの索敵結果を裏付けるように、水平線に僅かに姿を見せ始めた小さな黒点が慌ただしく動いている。雲量一の快晴では索敵にあたるこちらの水上機が丸見えになる。零観の位置から教導艦隊の進行方向を特定したのだろう、どうやら敵艦隊は陣形を単縦陣に変更しようとしているようだ。

 

 

 「ぽーい! チャンスっぽーい! 総員突撃っぽーい!」

 「ゆ、夕立っ!?」

 副旗艦を務める時雨が止める間もなく、向い風に白いマフラーを靡かせて夕立が先陣を切って突撃を始めた。同じ主機とタービンのはずなのに、夕立のダッシュ力は目を見張るものがあり、あっという間に時雨は置いて行かれる。『単縦陣でいくっぽいーっ』と叫ぶ夕立の声が風に乗って届いた。みるみる小さくなる背中をぽかーんと見つめていた時雨だが、視界を切り裂くように神通と島風が疾走する水しぶきを顔に浴びて我に返った。

 「時雨ちゃん、行こっ! …てか夕立ちゃんと神通さん(あの二人)の加速、島風ちゃんより速いの? ありえなくない?」

 「う、うん、そうだね、僕たちも行こう。…まったく夕立は…」

 村雨がツインテールを揺らしながら時雨を早く行こうと急かし、時雨も腰を僅かに落とし加速態勢に入る。風に逆らい波を切り裂き疾走を続けながら、時雨は夕立の行動に不満を覚えていた。

 

 -いきなり反航戦だなんて…日南大尉の作戦の中でも優先度低だったじゃないか。しかも旗艦が先頭に立って突撃するなんて…。

 

 正面火力に勝る重巡を主力とする敵艦隊相手に渡り合うには、昼戦をやり過ごし夜戦で勝負をかけるか、日南大尉の策に沿ってセットアップする(ひっかける)か。もちろん作戦通りに相手が動くか、あるいは動かせるかは保証できない。なので掛け値なしの反航戦、双方最大戦速に近い速度で正面から突き進み、すれ違いざまに斬って落とす戦法もオプションに入っている。でも敵の姿を捉えた瞬間に駆けだすなんて…まるで…。

 

 「連装砲ちゃん、いっけぇーっ!!」

 すでに敵艦隊からの砲撃は始まり、先頭を疾走する夕立に向け遠弾だが次々と水柱が上がり始める。手数に勝る敵艦隊に対し、教導艦隊側の砲戦火力を担うのは古鷹。味方の砲撃を支援し、さらに敵の砲撃を妨害し進路を強制するため、島風は連装砲ちゃん達を左右から戦場を走らせる。

 「さすがは沖ノ島って所かな。一歩も引いてこない。でも、僕達も引くわけにいかないんだ」

 敵の統制の取れた動きに感心しつつ、時雨は唇をきゅっと噛み締めて砲撃態勢に入る。反航戦では先に引いた方が不利になる。圧力に負け転舵した時点で、相手の射界に速度を落としながら自らの側面を先に晒すことになる。その一瞬を先に捕まえ火力を一気に叩き込んだ方が勝利に近づくチキンレース。

 

 だが勝利条件は反航戦に付き合って打ち合う事ではない。

 

 「古鷹、頼んだよ。ここで敵艦隊の足を止められるのは君だけだ」

 「はい、大尉! 教導艦隊は本当にいい部隊ですね、だから重巡の…いえ、私達のいい所、全力でお見せします!!」

 

 やや距離を空けて最後尾を進んでいた古鷹は、日南大尉の指示に大きく頷いて微笑む。両脚を大きく開き前後にややスライドさせ態勢を安定させると、左手は腰のあたりでガッツポーズを作り、右手を前に振り出す。古鷹の肩と腕部分に装備された連装砲が仰角を取り、五〇口径二〇.三cm連装砲二基四門が轟音とともに一斉に火を噴く。初速八三五m/sの砲弾は敵艦隊の上空に到達すると、炎の散弾となって炸裂し襲い掛かる。

 

 通常弾頭ではなく三式弾による一斉射撃は、装甲貫通力が不足するものの敵の艤装や生体部分を破壊し炎上させるには十分な効果を発揮する。比較的装甲の厚い重巡は持ち堪えられても、ランダムに調定された時限信管により上空と至近距離の両方から爆風と弾頭の破片、そして焼夷散弾をまともに浴びた軽巡ヘ級と駆逐ロ級は、回避もままならず被害を受け炎上した。先頭を進む水雷戦隊が急停止し、衝突を避けるため回避運動を余儀なくされた敵の重巡部隊の足も止まりかける。

 

 反航戦を成立させず、敵を足止めして優位な態勢に持ち込む-入念にシミュレートした日南大尉の作戦の一つが形となった瞬間である。

 

 この機を逃さず教導艦隊は一斉に面舵で大転舵を開始、舵を切り始めた瞬間に現在位置と速度からすると狭い射角しか得られないが左舷から一斉雷撃を加える。六人合計二五射線、水面下の酸素魚雷(ロングランス)は混乱した敵に殺到し、次々と水柱と黒煙、そして三式弾で起きた火災を上回る激しい炎で敵艦隊を包み込む。次発装填を済ませながら旋回する艦隊は、今度は右舷から広角での一斉雷撃を敢行し、さらに残敵を砲撃で仕留めるため艦隊はさらなる攻勢に出ようとしたが、こちらも一旦停滞する。

 

 「突き進むっぽい! みんな、パーティーの時間っぽい!!」

 「だめだよ、夕立っ!! ここはこれで十分だから、先を急ごうっ!!」

 夕立の出した突撃の指示をかき消す時雨の鋭い叫び声。亜麻色の髪がくりると揺れ、先頭を進みながら器用にその場でターンした夕立が鋭い視線で時雨を睨みつけるが、時雨もぎゅっと拳を握りしめ強い視線を返し、一歩も引こうとしない。夕立(旗艦)時雨(副旗艦)のにらみ合いで艦隊に不穏な空気が走る。言い争いもよくないが、なによりまだ戦闘は継続中、こんなことで艦隊行動を停滞させるわけにはいかない。

 

 「何で止めるっぽいっ!? 全部()っちゃえばいいっ! そうすれば誰にもひなみんを邪魔できないっぽい!」

 「夕立、今がリスクを負うべき時とは思えない。パーティーには敵主力艦隊(ふさわしいお客さん)を招待しよう、ね?」

 「……時雨の喋り方、ひなみんに似てきたっぽい…」

 

 必死に訴える時雨に対し、夕立は怪訝な表情に変わっていた。はぁっとわざとらしいため息をつくと、再びくるりと前を向く。夕立の様子が変わったのに気が付いた村雨は、今が戦線を縮小するチャンスと呼びかける。

 「そうだよ、夕立ちゃん、きっとひなみんもそう言うよ。だから先を急ご?」

 

 部隊内の交信状況は遠く離れた宿毛湾の作戦司令室でも把握されている。一連の流れを聞いていた日南大尉は、表現は多少違うが時雨に概ね言おうとしていた事を言われてしまい、バツが悪そうな、それでいて秘書艦としての時雨の成長に少し嬉しそうな表情を浮かべていた。それでも指示がやや足りないので、日南大尉は軍装の詰襟を直しながら万全を期す。

 

 「夕立、今は戦力保全を優先してくれないか。Gポイントへ向け艦隊転進、古鷹と神通は後衛に回ってくれ、多分大丈夫だろうけど、敵の追撃に備えてほしい」

 

 

 教導艦隊2-4初戦勝利。戦果:敵艦隊、大破二、中破二、小破二。

 

 

 

 Gポイント―――。

 

 懸念した敵の追撃はなく、教導艦隊は日が落ちる前に、海上に聳え立つ巨大な円柱に支えられた正方形の広大な平面と複数の工廠区画を持つ海底資源採掘施設(プラント)に無事到着した。沖ノ島海域 (2-4)には比較的多くのプラントが遺棄され、その多くは海底資源の採掘精錬用だが、中には採掘した鉱物を一次加工し輸送後の手間を省く、Gポイントのような文字通りの工場(プラント)跡もある。教導艦隊はここで投錨し整備休息、翌日払暁から進軍を再開することになる。

 

 各人の損傷や弾薬燃料の消費状況の確認が行われ、最新の天気図と偵察情報が共有された。進軍の支障となる情報はなく、明日は東南のHポイントを経由、そこから東進してLポイントを目指すことになる。明日の作戦に備えたブリーフィング、少し早めの夕食を済ませた後は思い思いに時間を過ごし、消灯時間を迎えた。

 

 「………何だろう、神経が高ぶってるの、かな…。よく眠れないや…」

 暗がりに動く一つの影、時雨がベッドの上でむくりと上体を起こす。

 

 -そうすれば誰にもひなみんを邪魔できないっぽい!!

 

 夕立の言うのもよく分かる。目の前に現れる敵を全て倒せば勝てる。でも、例えどれだけ理不尽でも命令は命令、達成するために自分たちは負けられない。勝つ事と負けない事、似ていて異なる命題に日南大尉と、自分たちの将来が掛かっている。答のない問いを振り払うようにぶんぶんと頭を振った時雨は、枕元においたケータイに目を止める。現在午前一時、目が覚めてしまった時雨は、興味深いなぁと思いながらきょろきょろと周囲を見渡してみる。

 

 遺棄されたプラントとはいえ、自分たち同様に艦娘の部隊が高頻度で訪れるため居住区画は清掃が行き届き、最大一二名までが寝起きできるよう簡易ベッドが用意されている。部隊は各人毎に割り当てられたベッドで眠りに落ちている。

 

 古鷹はすやすやと健やかな寝息を立て天使のような寝顔で眠っている。自分の腕を枕にして丸まって眠っているのは夕立。まるで犬みたいだね、と思わず時雨はクスリと小さく笑う。島風は抱き枕のように連装砲ちゃんを抱きしめながら眠っている。ごつごつしてる感じだけど、痛くないのかな…? ただ村雨、キミは…その…いつもそんな恰好で寝てるの!? 音を立てないようにそっとベッドから降りた時雨は、はだけた布団を直してあげようして、寝ぼけた村雨にムギュられる。大尉の名前を呼びながらどんな夢見てんだか、とぶつぶつ言いながら村雨を振りほどいた時雨は、視線の先に違和感を覚えた。

 

 立ったまま壁に寄りかかり、腕を組み俯いた神通の姿。規則正しく微かな呼吸音が聞こえる所を見ると、どうやら寝ているらしい。てかそんな姿勢で!? そっと神通の脇を通り抜け、皆を起こさないよう静かにドアを開け、時雨は居住区画を後にする。すぅっと神通は薄く目を開け、目だけで足音を追ったが、方角を確認すると再び目を閉じる。

 

 -戦地で最も無防備な時間…万が一敵襲があれば、この神通が皆を守ります。大尉の夢…叶うものかどうか、私には…分かりません。でも、理不尽に終わらせられていい夢ではないと、思います…。

 

 

 

 時雨が向かったのは、ヘリポートを兼ねた広大な平面が広がるプラントの屋上部。回転する赤い保安灯や通路を示す発光塗料で描かれた白緑の標示が夜を照らす中、広大な鋼鉄製の平面の端に腰掛けてぼんやりと暗い海を眺め続けていた時雨は、ころんと後転すると立ち上がる。ぱんぱんとスカートの埃を払い、視線の先に広がる真っ黒な海にくるりと背を向けて居住区画へ戻るため歩き始めた。

 

 「僕は、日南大尉がどこまで行くのか、戦い続けて、最後まで隣で見届ける、そう言ったんだ。こんな所で止まるなんて…できない。偵察情報によれば、海域最奥部に到達するには、敵の機動部隊を突破しなきゃ、だね。次は…僕がみんなを守らきゃ」



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081. RAIN

 前回のあらすじ
 ルートは制御できても道中は難題。


 二体の空母ヲ級を中心とする敵の機動部隊の空襲を受けた教導艦隊が、日南大尉の指揮の元必死の防空戦を繰り広げながら沖ノ島海域(2-4)最奥部を目指していた頃、宿毛湾泊地本隊に予期せぬ来訪者が現れる。

 

 

 「提督、伺ってもよろしいでしょうか?」

 いつも通りアッシュブロンドの長い髪をアップにし、かっちりとした白い礼装に似た制服を着た香取は、いつもより厚みのあるバインダーを胸に抱えながら、桜井中将に問いを投げる。一連の経緯は、もちろん教導課程の筆頭教官を長年務める香取にとって納得いくはずがない。言葉を選ばずに言えば、侮辱されたとも感じている。桜井中将が候補生を依怙贔屓し優遇しているとの風評(デマ)、戦績が候補生の将来を左右する頭越しに課された作戦、挙句に横須賀に設置されるという新課程…それは日南大尉がどうこうという以前に、教導課程で候補生の指導にあたる自分の否定でもある。

 

 執務机に広げた書類に視線を落としていた桜井中将は珍しくすぐに反応せず、香取がそっと眼鏡の位置を直す。

 

 香取はここ宿毛湾で建造され、以来桜井中将の経験を全て受け継ぐように育てられた。作戦、戦技、装備…全てを綿密に計算し敵と向き合い、時には目の前の相手とがっぷり四つに組んで殲滅し、時には意図的に敵の一部を逃がし後を付ける事で更なる敵に迫る、引いたと見せかけて有利な交戦地点に誘導し伏兵で叩く…最終目的から逆算し戦闘だけでなく戦場全体を管理するために桜井中将から学んだこと。ならば、と香取は考える。

 

 -この一件の最終目的はなんなのか?

 

 香取は例の胡散臭い新課程がキモだと睨んでいた。つまり裏にいると思われる技本-技術本部に何らかの目的がある、それは藤崎大将も指摘していた、と。反応のない桜井中将に内心焦れながら自分の考えを披露すると、初めて中将が書類から目を離して香取に視線を送った。そして中将の口から出た言葉が香取の驚愕を誘う。

 

 「恐らく、だけどね…技本は伊達元帥に利用されてるんじゃないかな」

 

 驚きのあまり抱えていたファイルを落とした香取に、ぎいっと椅子を鳴らして背もたれに寄りかかった桜井中将が満足そうな表情を見せる。

 

 「君ほど冷静で客観的な視点を持つ艦娘でさえそうなんだ、見事な後光効果(ハローエフェクト)だと思うよ、うん」

 

 元帥-伊達 雪成(だて ゆきなり)大将。艦娘開発の黎明期から今に至るまで軍務に当たる海軍の最長老の一人であり、それまで防戦一方の深海棲艦との戦争を攻勢へと向かわせた名将。一縷の希望を託し実戦投入された艦娘の運用方法を体系化し、積み重ねた輝かしい戦果は彼を、日本の象徴たる大君の軍事顧問として元帥の地位へと導いた。

 

 桜井中将が指揮官の育成制度や艦娘の権利確立に尽力した軍の改革者(リフォーマー)なら、伊達元帥は艦娘運用システムを体系化した黎明期の革新者(イノベーター)といえる。戦闘結果、艦娘の開発や装備、あるいは深海棲艦に関する情報は細大漏らさず海軍内で情報共有し戦術情報データベースの原形を作り上げ、数に勝る深海棲艦に対し殲滅戦ではなく封じ込め-試行錯誤しながら進行手順や編成など有効な戦術を探り当て、定期的に海域を清掃するプロトコルを導入するなど、戦争の継続に着目した現在でも生きる仕組みを整備し、稀代の戦略家との評価を不動のものとした。

 

 艦娘が個の戦力としてどれだけ強力でも、体系的に運用されなければ力を発揮できない。加えて人型、それも見目麗しい女性の姿で現界した()()は艦娘の登場直後から問題になっていた。過去の戦争の記憶を基礎人格のコアに持つ艦娘にとって、適切に用いられて戦いの海に臨み、しかも優れた指揮で勝利する…それは何にも替え難い達成感と喜びを齎した。そういった背景もあり、艦娘達にとって伊達元帥は半ば伝説と化していた。

 

 「いくら桜井中将のお言葉でも…そんな…伊達元帥が…」

 「色々と調べてみたんだよ。例の第三世代、誰の言葉だったかな…『欠陥強化』とは言い得て妙だが、あんな中途半端な改装を施された艦娘達が試験運用の名目で徐々にだが配備が進み始めている。そして『新課程』…技本主導での教導課程モドキのようだが、所属する艦娘は()()第三世代だそうだ。元帥ともあろう方が、第三世代の問題点に気付かないはずがない。にも拘らず、許可を与えている。問題はね、香取―――」

 

 いったん言葉を切った桜井中将は香取に視線を送り、ごくり、と喉を鳴らした香取が見つめ返す。

 

 「物事には必ず理由がある。『誰』が『何を』しているか、はそれほど重要ではない。『何故』そうなっているか、それを知る事だ。相手の名前や立場で思考停止になるのが最も危険な事だよ」

 

 

 「失礼します。あなた…お客様ですよ?」

 二人の会話は、ドアをノックする音で中断した。返事を受けてから執務室の重厚なドアが開くと、翔鶴が来客を伴って姿を見せた。桜井中将と香取の視線は翔鶴の背後に立つ人物に注がれ、香取は眉を顰め不審げな表情へと変わる。桜井中将も一瞬目を細め鋭く目を光らせたが、すぐに社交的な薄い笑顔の仮面を被り直す。現れたのは、威圧感のある筋肉質の体躯を白い第二種軍装に包み、微妙に身に付いていない敬礼を行う一人の佐官。

 

 「参謀本部より参りました橘川 眞利特務少佐であります。突然のお願いにも関わらずお時間を割いて頂いた事、お礼申し上げます」

 

 「ふむ…呉では日南君が世話になったようだね。教導課程の視察とのことだが、先に言っておくが、彼は今海域攻略の真っ最中でね」

 「大尉との面会は状況に合わせます。宿毛湾泊地が誇る教導課程を実地で勉強させて頂くよい機会になりそうですね」

 

 

 

 沖ノ島海域・Lポイント東―――。

 

 「古鷹ちゃん、まだ来るっぽい! しつこいっ!」

 「もういい加減に…!」

 「みんな、来るよっ!! とにかく…とにかくやるよっ!」

 

 間断なく現場からの情報が届く宿毛湾泊地第二司令部の執務室。スピーカーからは緊迫した部隊の声、スクリーンには各人が頭部に装備しているCMOSセンサーから届く映像が目まぐるしく場面を切り替えながら映し出される。映像はいずれも空、迫りくる黒い鋼色の深海棲艦爆 Mark.IIと、遠くから魚雷を抱えた深海棲艦攻 Mark.IIが突入の機会を窺っているのも見える。

 

 ぎりっと、唇を噛み締め緊張した表情で、それでも日南大尉はスクリーンから目を離さない。空母ヲ級のflagship型とelite型の攻撃力は教導艦隊にとって脅威以外の何物でもない。艦戦を含め約一八〇機に全力投射で襲い掛かられたら、教導艦隊は良くて敗北、悪ければ全滅。だが日南大尉には確信があった。戦術情報データベースにある膨大な数の交戦記録、自分が指揮を執った数々の作戦を振り返ると、深海棲艦は戦力を分散し均等に投入、そして深追いしてこない。艦隊に戦艦を含む場合で三波、通常なら二波。それは海域再編後でも変わっていない。だから―――。

 

 「開幕空襲は凌いだ。あと一回…ここを持ち堪えて全速で空襲圏外に離脱する。時雨、村雨…そして夕立、古鷹と連携して空を燃やせ。全員、走り抜けろっ!」

 

 知名度と実績が一致しないことは間々起きることで、それは古鷹の装備する三式弾にも当てはまる。拡散角一〇度で前方に向かい炸裂する対空弾の有効加害距離は約六〇〇m、信管調定も瞬発か時限式と限られるので、空を高速で立体的に機動する航空機を撃墜するには心許無い。だからこそ日南大尉はそれを利用する。三式弾の散弾破片効果を避けるため、敵機は左右に分散する。一度旋回に入った航空機は容易に方向を変えられず、そこを白露型三人が一〇cm連装高角砲で狙い撃つ。射撃管制は、教導艦隊でも貴重な装備となる高射装置付一〇cm連装砲を二基、さらに一三号対空電探改を備えた時雨が担う。

 

 「やっちゃうからね♪」

 「選り取りみどりっぽい?」

 

 空を睨み上げた村雨と夕立が砲を構え、発砲炎(ブラスト)が砲口から噴き上がる。甲高い連続した射撃音が艦隊を包み、初速秒速一〇〇〇mで打ち上げられる砲弾が空を疾ると、黒煙と炎でできた華がいくつも咲き乱れる。機械的な限界を補う猛訓練で射撃速度は毎分一〇発に達し、時雨の指示に従い的確な射撃で次々と深海棲艦爆が撃墜される。それでも対空砲火を突破して敵機が迫る。

 

 「…ここは譲れない」

 

 その先には時雨。すうっと目を細め砲身を空に向け呟くと、正確な射撃で敵機を火だるまにする。海面には撃墜された敵機や外れた爆弾が高々と水柱を作り、先を急ぐ教導艦隊に降り注ぐ。雨の中で踊るように複雑な軌跡を海面に描きながらも、最小限度の回避運動で速度を維持し、濃密で正確な対空砲火で敵機の接近を阻むのは教導艦隊水雷戦隊の十八番(オハコ)、着任した駆逐艦や軽巡洋艦は例外なくこの艦隊行動から叩き込まれる。

 

 だが敵の航空攻撃は急降下爆撃だけではない。むしろ爆撃隊が活発なら活発なほど艦隊防空の目は上に向けられ、海面スレスレを這うように近づいてくる雷撃隊に行動の自由を与える事になる。輪形陣は強力な防御陣形だが、各艦の距離が開きすぎると隙間だらけで意味をなさず、密集し過ぎると艦隊行動に制約が生じる。時雨や村雨、夕立が急降下爆撃隊を押さえ込んでいる間に、教導艦隊を左右から狙い雷撃隊が迫る。

 

 「させないよっ!! ぜったいに…ぜったいに勝つんだもん!」

 

 疾走を続けるのは教導艦隊だけではない。陣形を維持する必要のない島風の連装砲ちゃんたちは、じたじたと短い手でバランスを取りながら輪形陣の左右を自由自在に駆け回り、くりんとした黒い目にωの口の可愛い顔とは裏腹な凶悪な砲撃で、雷撃隊が射点につくのを妨害しながら迎え撃つ。

 

 「よく……狙って!」

 艦隊中央に陣取る神通が、数に勝る雷撃隊が連装砲ちゃんの砲撃に手を焼いて方向を変え突破を図る所を狙い撃つ。爆風で背中まである長い髪と大きなリボンを揺らしながら、冷静な目で敵編隊の動きを見逃さない砲撃で艦隊を守り続ける。

 

 「敵攻撃隊、第二波損耗率六割超! 今のうちに全艦最大戦速まで増速、突破せよっ!」

 

 敵攻撃隊の半数以上の撃墜に成功し、残存部隊が撤退の動きを見せたのを見逃さず、日南大尉が指示を出す。質問や復唱をする暇さえ惜しむように、一糸乱れぬ動きで教導艦隊は一気に速度を上げLポイントから遠ざかる。直掩隊の傘のない教導艦隊では全ての航空攻撃を阻止できず、全員が至近弾により何らかの損傷を追っていて、むしろ直撃弾を受けなかったのが幸運といえる。予想通り敵の航空攻撃に第三波はない。護衛役の駆逐艦が追撃に向かってきたとしても、彼我の距離なら振り切る事が十分可能だ。

 

 Lポイント:戦術的敗北。だが艦隊の被害を局限することに成功、一路海域最奥部に向かい進軍を続ける。

 

 日南大尉だけでなく、海戦の行方を見届けるため集まっていた艦娘達が肩を撫で下ろし、執務室に安堵の溜息が満ちる。戦闘それ自体は敗北となり、大尉の累積での戦績、勝敗数と勝率の計算に影響が出る。だがそんなことを気にするような大尉ではないし、何より気にしているような情勢ではない。

 

 大きく息を吐いて天井を仰ぎ見ると、遠い戦場に思いを馳せながら日南大尉は表情を引き締める。



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082. ドッグファイト-前編

 前回のあらすじ
 偉い人はだいたい何か企んでそう。


 宿毛湾泊地・第二司令部、早朝と呼ぶには早い〇四二〇だが執務室には灯りが点っている。

 

 こんこん。

 

 ちょうど日南大尉が強張った体を解すように体幹を左右に回し、ボキボキッと骨が鳴ったのと同時にドアがノックされた。怪訝な表情で大尉がドアを見つめていると、もう一度ドアがノックされる。気のせいや聞き違いではない、と判断した大尉はドアに近づき、ゆっくりと内側に開く。ドアの前で所在なさげに立っていたのは―――。

 

 「おはよう涼月、随分と早いね」

 「おはようございます。いえ…大尉は…随分と…遅いようですね…」

 

 朝一で作物の収穫のため菜園に向かっていた涼月だが、煌々と灯りのついた執務室に気が付き、電気の消し忘れかと立ち寄ったとのこと。

 「ああ…いや…お見通しか。敵わないな…」

 早起きではなくずっと起きていた、と涼月に指摘され、少し気まずそうに日南大尉は涼月から視線を逸らす。実際大尉は徹夜で敵主力艦隊と教導艦隊の戦闘結果のシミュレーションを繰り返していた。

 

 暴走しがちな夕立を敢えて旗艦に据えリスクを抑え、海域最奥部まで損害を局限するよう、副旗艦の時雨が道中の戦闘をコントロールする進軍で、残るは敵の主力が陣取るPポイントへの突入のみ。

 

 勝利条件で言えば戦術的勝利=B判定でも海域解放が認められる。しかし戦力に勝る相手に判定勝ちを狙うのは極めて困難で、それは大湊艦隊との演習で経験済み。ましてこれは実戦である。当たっても痛いだけの演習弾と異なり、戦艦の大口径主砲の直撃でも受けようものなら…。だから引き気味に戦うなど愚の骨頂、全力で挑んでようやく互角の戦いになる。艦娘のみんなは、他でもない自分のために文字通り体を張って命を賭けて戦ってくれている。それに比べれば睡眠不足くらい取るに足りないことだ、と大尉は心の内を吐き出した。

 

 不安そうな表情のまま近づいた涼月が、そっと腕を伸ばし日南大尉の目の下に細い指先を伸ばす。白いインナースーツで指先までを覆い、その上にセーラー服様の上着と白いミニスカートを纏ういつも通りの出で立ち。背伸びしながら斜め上に伸ばした手のせいで、肩に羽織るだけで着ていたグレーのケープコートが、ふぁさっと軽い音を立てて床に落ちる。

 

 「す、涼月…?」

 「ひどい隈…ですよ? 2-4進出開始以来、ほとんど…寝てらっしゃらない、のでしょう…?」

 「いや別に…。自分は大丈夫だから…え? あの? 涼月?」

 話を聞きながら、じーっと大尉を見つめ続けていた涼月だが、日南大尉の目元を撫でていた指を下ろすと、そのまま彼の手を握りすたすたと歩き出す。行き先は応接の三人掛けソファ。まず涼月が奥側に詰めて座ると真ん中にクッションを置き、目線で反対側の端を指し示す。やれやれといった表情で、大尉が指定された通りの位置に腰を下ろそうとした瞬間、涼月は大尉の手をぐいっと強引なくらい引っ張る。

 

 「ええっ!?、あの…涼月? これは…?」

 日南大尉は涼月の太ももに覆いかぶさるように倒れ込む羽目になった。慌てて起き上がろうとする大尉だが、柔らかく動きを押しとどめられる。もも枕は実は意外と寛げない。頭の位置を太ももに合わせると首の角度が急すぎるためである。だがその点は真ん中に置かれたクッションが大尉の背中をかさ上げする事で緩和されている。見事なまでに計算された位置取り。だからといって部下にもも枕をされる訳にはいかない、と身体を起こそうとした大尉だが、涼月の指摘と懇願の前に沈黙せざるを得なかった。

 「すっきりした頭で…指揮を執っていただくのが…一番、です…。それに…お一人にしたら、また…お仕事に戻られるのでしょう…? 少しで…いいので、お休みになって…ください…お願い、ですから…」

 

 太ももに頭を預けながら、大尉は涼月の顔を見上げる。銀のさらさらした前髪越しに覗く蒼い瞳に根負けしたように、大尉は体の力を抜き、目を閉じる。

 「部隊が敵の警戒圏内に入るのは…夜明け頃になるはず、だ…。〇四五五になったら起こし…て…」

 太ももにかかる重みを嬉しく感じながら、涼月は無言で柔らかく微笑み、緩やかに大尉の髪を撫で続ける。

 

 

 

 低い姿勢で向かい風を切り裂きながら教導艦隊の先頭に立って疾走を続けていた時雨が、少しだけ速度を落とし身体を起こすとおもむろに振り返る。風向きと合わない動きを見せるアホ毛(センサー)がゆらゆらと揺れながら指す方向を、どことなく不安げな表情で見つめている。

 

 「…時雨、何か見つけたっぽい?」

 未だ夜明け前、黒い空と重油のように重い色をした海面は、その境がじわじわと赤く色づき始めている。白いマフラーを風に靡かせながら旗艦の夕立が時雨に近寄り、まだ暗い空を見上げる。遅かれ早かれ戦艦ル級の装備する電探は自分たちを探知するだろう。だが偵察機に見つかるのは極力遅らせたい。敵の電探の探知精度は精密とまでは言えず、偵察機の観測情報による詳細な修正と組み合わせて精度の高い砲撃に繋げる。もしこの時間で敵の偵察機が飛び回っているなら、危険な夜間カタパルト発艦を強行してまで自分たちを探している事を意味する。それは殲滅を指向する意志の現れ。

 

 優秀な電探を装備している時雨が意味ありげにアゴをくいっと上げて空を見上げれば、部隊の艦娘達が色めき立たないはずがない。

 

 「あ…いや…何か…少し危険な感じがするんだ。宿毛湾の方でね。…考えすぎ、かな…」

 

 ふるふると気を紛らわすように首を振った時雨は、ぺしぺしと自分の頬を叩き気持ちを切り替える。…同じ頃に第二司令部の執務室で起きている事を考えれば、あながち考えすぎとも言い切れないが、今はそれどころではない。予定では〇五〇〇に突入直前の最終打ち合わせ。そして時間通りに通信機に連絡が入る。送信元は無論日南大尉。

 

 「皆よく無事にここまでたどり着いてくれた。いよいよ海域最奥部、偵察情報通り、敵は戦艦ル級三体を擁する強力な水上打撃部隊だ」

 

 そこまで言うと、大尉の口調が変わる。

 

 「時雨、古鷹、村雨…よくここまで艦隊の戦力を保全してくれた、ありがとう。…夕立、神通、島風、待たせたね。ここから先は君たちの戦場だ。必ず宿毛湾に帰ってくる、それさえ守ってくれれば、あとは縦横に暴れ回ってくれていい」

 

 「おっそーいっ! 島風、待ちくたびれたよ」

 連装砲ちゃんを抱きしめながら、黒いウサミミを風に揺らして島風が自信満々に答える。

 「突撃…開始…」

 目を伏せ海面を虚ろに眺める神通は、唇だけで笑っている。

 

 「………もう、我慢しなくていいっぽい? ()っちゃっていいっぽい?」

 赤い瞳を輝かせ、可愛らしさ全開で物騒な事を言い立てる夕立。

 

 「ああ、全力で()ってくれるか、夕立?」

 通じているようで通じていないが、日南大尉の言葉に夕立はにぱぁっと輝くような笑顔になる。心なしか外はねの髪がぱたぱたはねている様にも見える。

 

「教導艦隊、突撃かい「ご、ごめんなさい大尉っ! …起こしてほしいって言われてたのに、涼月が…寝坊だなんて…。でも…すっきりしました、か…? 少しでも…涼月がお役に立てたのなら、それは…嬉しい事…「「「「「はぁぁぁぁぁっ!?」」」」」」」

 

 やはり気持ちが高ぶっていたのだろう、日南大尉は〇四五五に自力で目を覚ました。見上げれば可愛い寝顔で涼月が寝落ちしている。起こさないようにそっと体をずらしてソファを後にした大尉が予定通り艦隊と通信を繋ぎ、最後の激励を行っていた所で目を覚ました涼月は、艦隊と通信中だと知らずに、少し寝ぼけた声のまま、現状をほぼ正確に言葉にした。

 

 「よ、夜明けをふ、ふた、ふたりで…? うわ~ん、やられた~」

 「…へぇ…スッキリする役に立ってもらったんだ…? 」

 「ぽい?」

 「何でしょう…身体が…火照ってきちゃいます…」

 

 涼月の説明は何も間違っていないが、音声だけなのがまた余分な想像力を働かせる余地となる。教導艦隊は混乱に叩き込まれ、日南大尉が発するはずだった号令をかき消した。

 

 

 「そうだね…次こそ決戦だ……突入するね。戦艦ル級、か…僕たちの…このやり場のない思いを…ぶつけるのに値する相手だといいんだけど、ね。いや、本番は…帰投後かな、うん」

 

 自分たちが想像したようなことはきっと起きてない。でも…八つ当たり気味にゴゴゴしながら時雨と村雨が先陣を争うように切り込んでゆく。無自覚に開戦のゴングを鳴らした涼月は、執務室できょとんとしていた。

 

 

 

 電探と偵察機を併用し敵艦隊の位置を特定しての進撃。戦いは先手必勝、とは言うがそもそも互角の戦いではない。仮にお互い同時に相手を発見した場合、教導艦隊側の不利は明らかだ。敵艦隊と教導艦隊の相対距離は約九〇km、双方北北東へ移動中と状況が判明。追いつけば同航戦に入るが、相手が大人しく待ってくれるはずもない。速度を上げて北北東へ猛進する教導艦隊に対し、緩やかに回頭を続ける敵艦隊。こちらの前方を圧迫して丁字戦を成立させようとしている。

 

 敵の水上打撃部隊の中核を成す戦艦ル級の主兵装、一六インチ三連装砲の最大射程は三八〇〇〇mにも達する。対する教導艦隊側の砲戦火力は、古鷹と神通の装備する射程約二九〇〇〇mの二〇.三cm砲が最大。三〇ノットで突入しても、射程差で約一〇分反撃できない状態が続く。まして駆逐艦娘の射程は敵主砲の約半分程度。実際に命中率を考慮した有効射程は最大射程の半分程度とも言われ、教導艦隊が敵を攻撃圏に捉えるには、敵の最大射程に到達後二〇分以上も接近を続ける必要がある。

 

 「おおぉ~、たーまやー!」

 「射撃精度はイマイチだけど、散布界密度が高いっぽい…」

 

 すでに開始された敵の砲撃、警戒はしても恐れはしない。単縦陣で突き進む教導艦隊の左右では、空から墜落するような勢いで巨弾が海面に着弾し、巨大な水柱を次々と立ち上げ続けている。着弾位置はまだまだ遠弾、余裕の表情を崩さない村雨に対し、集中的に立ち上がる水柱を見て、夕立は眉を顰める。

 

 直撃弾を受けるのはよほど運がないと揶揄されるほど、戦艦の遠距離砲撃は()()()()()。そもそもが公算射撃、目標を主砲弾の散布界に収め、撃った砲弾が一つでも当たれば超ラッキーという攻撃方法。ゆえにたった一発で相手を屠る事ができる大和の攻撃力は脅威であり、二〇〇〇〇m超で命中弾を与えるウォースパイトの命中精度は驚異的だ。対する戦艦ル級は、三体合計六基一八門を集中的に叩きこむことで散布界の密度を高め教導艦隊を葬り去ろうと一斉射撃を続けている。

 

 「そうだね、このままいいようにさせておくにはいかないかな」

 速度を落とさずくるりとターンした時雨は、右の前腕に沿うように持った長一〇cm砲を空に向け対空射撃を始める。普段は背負い式に見える形状で装備される時雨の主砲だが、砲戦時には左右に分割され、背中の基部からフレキシブルアームを介して前方に伸びてくる。砲塔内側のガングリップを握って保持される砲は、時雨の腕の動きに合わせて稼働し火を噴き続け、しつこく付きまとい上空を旋回する深海棲艦の偵察機を爆散させた。

 

 「みなさん、あと五分…あと五分堪えてくださいっ!! そうすれば…古鷹の射程圏内に敵の最後尾が入りますっ!」

 

 古鷹の叫びに全員が頷く。全開にした足元の主機は唸りを上げ続け、加熱するタービンをそのままに、後ろに白く伸びる航跡を残しながら敵艦隊に食らいつこうと必死に走り続ける。

 



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083. ドッグファイト-後編

 前回のあらすじ
 敵は宿毛湾にあり…っぽい?


 速度では劣るが先に行動を開始し、砲撃を繰り返しながら進路を塞ぎ丁字戦に持ち込もうとする敵主力艦隊と、回避を続けながら敵の最後尾を突こうとをする教導艦隊。二つの艦隊が幾重にも描く白い軌跡に彩られた海面が双方の艦隊運動の激しさを物語る。

 

 教導艦隊が敵主力艦隊と対峙するのに、日南大尉が選んだのは超近接戦闘。敵に勝るスピードを活かし一気に敵の懐に入り乱戦に持ち込んで大口径砲の砲撃に制約を加えながら、昼戦では随伴艦を倒し敵戦艦を可能な限り削る。そして勝負は夜戦。戦力差を考慮すれば、S勝利を目指した結果としての現実的な落し処がA勝利かB勝利だろうと、大尉は予想している。

 

 トリッキーな作戦に見えるが、艦娘達には焦りや不安の色はない。選択と集中-日南大尉の方針は一貫し、それは教導艦隊に浸透している。どれだけ複雑な作戦でも、構成要素を分解してゆけば一つ一つの行動はシンプルな物へと帰結する。単純な行動を積み重ねるだけ、だから迷わない。単純な行動をハイスピードで連結して精緻な動きに導く訓練を常に続けた、だから揺るがない。

 

 そうやって積み重ねた時間の集大成はまさに今、敵に撃たれ続け必死に躱しながら前進を続け、ついに二〇.三cm砲の最大射程に敵を収め、教導艦隊の反撃が始まる。

 

 艦隊の火力を支える古鷹も第二次改装を経て、新調された艤装は以前の物に比べ大型化している。艦隊の最後尾を最大戦速で疾走しながら右腕を前に伸ばす。右腕全体を覆う銀の装甲にマウントされる二基の二〇.三cm連装砲、さらに左肩からはフレキシブルアームで繋がるもう一基の黒い連装砲が前方に向かい仰角を取る。轟音が響き渡り黒煙と炎が古鷹を包み、残り五人がそれをきっかけに速度を上げて突入を開始した。

 

 古鷹が装備している三式弾を対艦攻撃に応用した場合、装甲を貫けないため重要区画(バイタルパート)に打撃を与えられないが、艤装や生体部分を炎上させ攻撃力を奪う事ができる。敵艦隊の後尾に付けていた二体の駆逐ロ級後期型は、予期せぬ炎の雨に包まれ、うち一体が激しく炎上し艦隊から落伍する。

 

 「撃たれたって…撃ち続けますっ! …って、きゃぁぁぁぁっ!」

 スピードが最重要視されるこの戦い、古鷹は速度を維持するために、砲撃態勢を取らず最大戦速で疾走しながら流し撃ちでの全門斉射を続けている。だが、無理な姿勢での砲撃の反動に耐え切れなくなり、後ろから右腕を引っ張られたように大きく態勢を崩し、水飛沫を上げながらものすごい勢いで転がってゆく。

 

 「あいたたた…やっちゃった」

 起き上がった古鷹は海面に膝立ちになる。敵の砲撃による損傷もあるが、顔を顰めて右肩を押さえている。ごきっ、と鈍い音をさせながら脱臼した肩を填め直すと立ち上がり、二度三度肩を回し戦闘に支障がないのを確かめると前進を再開する。

 

 

 

 猛進する水雷戦隊の中で、一番槍を務めるのはやはり彼女だった。

 

 亜麻色の髪を激しく風に靡かせ、口元を隠していた白いマフラーを右手で後ろに送った夕立は、すぅっと大きく息を吸い込む。両脚を肩幅程度に開き膝を屈め、上体も海面近くまで倒す。

 

 「いくっぽいっ!!」

 

 短距離走(スプリント)の選手のように低い姿勢からスタートダッシュを決めた夕立は、文字通り身体ごと()()()

 

 「なっ!?」

 「はっやーいっ!?」

 時雨と島風が顔を見合わせて驚くのも無理はない。夕立はロケットのような爆発的な加速で海面すれすれを跳んでいる。そして着水点に足が触れた瞬間、後ろに激しく水飛沫を撒きながら再び跳んでゆく。『艦』娘というくらいなので、その機動の特性はフネとしての性能が反映される。だが夕立のように、ごく少数だがフネの動きとは異質な三次元的機動を取る者がいる。

 

 高速で物体が水面に衝突した際、その反力は水自身の弾性係数に等しい状態にまで達する可能性がある。簡単に言えば高い所から水に衝突するとコンクリ並みの硬さになるアレである。夕立は瞬間的に最大出力を叩き込むことで、水の反力を陸上競技のスターティングブロック代わりにして圧倒的な速度で飛び跳ねる。出力をそのまま加速度に置き換えているようなものである。

 

 ちなみに日南大尉が、加速方法について流体力学的な視点を交え夕立に確認した日の事。「…ぽ、ぽい?」とキョドりながら目に涙を浮かべ頭から煙をしゅーっと出していたらしい。夕立、本能のみで高みに至る。

 

 

 航行ではなく跳躍、あっという間に距離を潰した夕立は、古鷹の砲撃で炎上中の駆逐ロ級後期型に狙いを定め吶喊する。

 「パーティにはクラッカーが付き物っぽい」

 夕立は一二.七cm連装砲B型改の砲身をロ級(後)の口に突き刺し、そのままトリガーを引き続ける。内側から爆ぜたロ級、ここで沈黙。接触を受けた敵艦隊は散開しながら方向転換、教導艦隊を迎え撃とうと接近してきた。

 

 「あんなことできるの夕立ちゃんくらいだし」

 「すごいけど、ね…。僕らは僕ららしく行こうか、村雨」

 

 時雨と村雨のコンビが、黒いセーラー服のスカートの裾を翻しながら最大戦速で疾走し、黒いお下げと亜麻色のツインテールが風に踊る度、二人の航路は繰り返し交わり螺旋状の航跡が海面に描かれる。攻守や進行方向が目まぐるしく入れ替わる乱戦で、正面から向かってくる軽巡へ級エリートを間に挟み込む。相手に直進を強要しつつ、すれ違いざまに時雨と村雨の一〇cm連装高角砲が左右から火を噴き続ける。接敵から航過までの僅かな間に、四基八門の高角砲で滅多撃ちにされた軽巡へ級は大破炎上し漂流後、静かに沈んでいった。

 

 時雨がウインクしながらサムズアップ、村雨も同じように応えようとして、巨弾の着水による水柱で姿が見えなくなった。三体いる戦艦ル級の一体が、移動中の時雨達を目標に砲撃を加え、村雨が挟叉され至近弾により中破。

 

 「ちょ、まっ…主機がヤバッ!!」

 破れた制服でへなへなと海面にしゃがみこみかけた村雨だが、救援に向かって来ようとする時雨を押しとどめ、拳で震える膝を叩き足に力を入れようとする。遠くに光る発砲炎(ブラスト)、すでに敵の次の砲撃が開始されている。主機の出力が上がらず焦る村雨にごうっと突風が迫り、姿がかき消える。

 

 「村雨は少しダイエットした方がいいっぽい」

 「なっ! 失礼ねっ!? …お、重い…?」

 

 戦艦ル級に向かって突進していた夕立が鋭角的な機動で村雨の元に駆け付け、セーラー服の上着を捕まえると間髪入れずにダッシュでその場を離れた。僅かに遅れて、先ほどより密度を増した集中砲撃が、村雨のいた近辺に降り注いだ。

 

 

 

 神通が目標とするのは、村雨を狙うため他の二体と距離を取っていた戦艦ル級。距離は縮まるほどに相手の砲撃は激しさと正確さを増し、神通の左右に大きな水柱が断続的に立ち上がる。流石に全ての砲撃は躱せず、損傷を負うが神通は前進を止めない。水柱が海に戻る雨を抜けながら、左腰にマウントした魚雷格納筐が回転を始め雷撃開始。疾走する酸素魚雷を追いかけるように神通はル級に向かい突進する。

 

 目元に黄色いオーラを立ち昇らせ、全身黒づくめのスレンダーな姿、両前腕に装備した巨大な艤装を前面に押し出し、無表情のままル級は副砲で迎撃を開始した。副砲の連射で迫る魚雷を薙ぎ払い、次々と立ち上がった水柱が収まった時、ル級は青ざめる。目の前にいたはずの艦娘が姿を消し、代わりに背後から声がする。

 

 「少し、痛いですよ…でも、一瞬ですから」

 

 夕立が爆発的な加速を生む土台として水の反力を使うのに対し、神通はCQC(近接格闘)の足場とする。ル級の背中を眺めながら、大きなリボンを揺らしふわっと軽くジャンプする。緩やかな動きと裏腹に、着水する左足が最大出力で震脚のように一瞬だけ踏み込まれ海面に波紋を広げる。

 

 瞬間的に大出力の加速度を送られた海面は弾粘性を変化させる時間がなく、硬度を保持したまま神通の右内回し蹴りの強固な足場となる。閃光の蹴りがル級の左肩甲骨を叩き割り、肩を半ば裂断する。痛みと衝撃でル級が仰け反り、反射的に右腕で左肩を庇おうとした所に、今度は左の蹴り足が迫るのが見えた。避けられないと判断し、人体(と呼んでいいかは不明だが)で最も堅い頭蓋骨(おでこ)をずいっと前に出す。インパクトの瞬間を強引にずらし神通の蹴りの威力を乱暴に削いだ結果、ル級は脳震盪を起こしその場で昏倒。だが神通も左足を骨折、両者の動きが止まる。

 

 遠くに聞こえた砲声に神通は無言で強引にル級を海面から引き起こし盾にする。残る二体のル級による中間距離での集中砲撃ですぐさま挟叉され、至近弾多数により盾にしたル級は完全に沈黙したが、神通の被害も猶予を許さない状況。これ以上の損傷では大破になってしまう、と動かなくなったル級で体を必死に庇う。

 

 -もし私が…いえ、誰かが大破したと知れば…大尉は勝敗に関わらず撤退を命じる…。それだけは…絶対にしてはいけない…!

 

 島風がもう一体の駆逐ロ級を追い詰めるため海域を走り回り、村雨はこれ以上の損傷を避け夜戦に備えるため後方に一旦下がる中、神通に引導を渡そうと前進を始めた二体の戦艦ル級が異変に気付き、それぞれ別方向に視線を送る。

 

 一つは海面すれすれの低い姿勢で連装砲を斉射しながら突入してきた時雨。もう一つは海面を水切りの石のように右に左に跳躍しながら強烈な加速で迫る夕立。二人の高速機動に砲撃が追従できず、何より、主砲の散布界密度を上げるためにル級が二体一組で行動していたことが仇となり、二組の敵を撃ち払おうとすると、必ずお互いがお互いの射線に入ってしまう。もちろん、時雨も夕立もそれを意図して戦闘機動を取っている。そして―――。

 

 「ひなみんが一番最初に教えてくれたの、これだったよね」

 

 島風と連装砲ちゃんの巧みな連携攻撃で逃げ道を失った駆逐ロ級が、少しでも有利な交戦地点(エンゲージポイント)を得るのにル級二体が態勢を立て直そうと回頭中の所に突っ込んできた。装甲同士がぶつかり拉げる甲高い金属音と、獣じみた悲鳴が上がり、三体の動きが止まる。

 

 「さあ、ステキなパーティしましょ!」

 「五連装酸素魚雷! いっちゃってー!」

 「まだ…まだ……この神通は沈みません! もう一撃っ!」

 

 三方向から放射線状に放たれた、水雷戦隊最大の武器・酸素魚雷(ロングランス)。さらに時雨と連装砲ちゃんが砲身が真っ赤になるまで斉射を続け、猛烈な勢いで加速する酸素魚雷が動きの取れない敵艦隊に迫る。夕立と島風はさらなる攻撃のため転舵しながら用心深く敵の反撃に備えている。聞こえてきた連続する衝突音、そして衝撃波、立ち昇る水柱と炎と黒煙が敵艦隊を包み込む。敵艦隊からの反撃はなく、夕立や時雨、島風は勝利を確信した。

 

 「わわっ、急に出てこないでくださいっ! …こういうの苦手なんだけど…えいっ!」

 

 黒々とした煙と炎に紛れて逃走を開始していた駆逐ロ級は、開幕の砲撃戦で中破し遅れて最前線に駆け付けた古鷹と鉢合わせした。お互い攻撃態勢に入るのが間に合わず、このままだと衝突してしまう。古鷹が選択したのは…ラリアット。装甲で覆われた右腕に力を込め、渾身のカウンターで最後の敵を殴り倒した。

 

 

 教導艦隊、沖ノ島海域を昼戦のみでS勝利、海域解放。それは日南大尉の戦前の予想を超える戦果であり、彼の艦娘達の成長を証明する勝利となった。



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Intermission 7
084. ウェスト・エンド・ガールズ -1


 前回のあらすじ
 ラン&ガンで勝つんだ!


 沖ノ島海域(2-4)を攻略した教導艦隊だが、戦闘が終わるとへなへなと海面にへたり込んでしまった。ここで負けると全てが終わるという緊張感、戦艦三体を擁する強大な敵を相手に挑む高揚感…過剰なまでに脳内で分泌されたアドレナリンは多少の傷や痛みをマヒさせ、体を前へ前へと推し進めていた。

 

 そしていざ戦闘が終わると―――戦艦ル級の砲撃による損傷…戦闘序盤に艦隊の盾となり中破した古鷹、至近弾を受けながら何とか中破で持ち堪えた村雨、集中砲撃を受け大破寸前まで追い込まれた神通、無理な加速を繰り返した二人…戦場を縦横に駆けまわった代償に両脚のあちこちに筋断裂を起こした夕立と、同じくタービン回りに異常をきたした島風。時雨は身体的には小破未満の損傷だが、砲身の耐用限度を超えて一〇cm連装高角砲を撃ち続けたため艤装損壊、戦闘力としては半減。誰もがその場から動けなくなっていた。

 

 かくして第一戦速も精一杯でノロノロと帰投、唯一元気だったのは、海域奥部で邂逅を果たした陽炎型駆逐艦一一番艦の浦風だけという状態。続く沖ノ島沖(2-5)を考えると作戦上の収穫と課題の両方がある。2-5は沖ノ島海域(2-4)の海域奥部をさらに進んだ最奥部で、待ち構える敵主力の構成には大きな差がないらしい。ただ攻略可能な航路が2-4と異なり、編成にも手を加えなければならない。

 

 それでも今は2-4の勝利を実感し、教導艦隊にはひと時の凪ともいえる日々が帰ってきた。ただ海域攻略の終盤から何故か居座っている来客がいるので、一概に平穏な日々とも言えなかったりする―――。

 

 

 

 あれだけ暑かった夏の日は過ぎ去り、港を吹き抜ける潮風も以前に比べ涼しさを増し、季節はすっかり秋。潮風が爽やかに吹き抜ける宿毛湾の港湾部には多くの艦娘が集まり、ざわざわとした雰囲気となっている。つい先日まで行われていた大規模侵攻(イベント)も無事終了、入れ替わるように始まった漁場支援作戦(秋刀魚祭り)のため、宿毛湾泊地の本隊の艦娘達は探信儀や探照灯を加えた装備に換装し続々と北方海域へと出撃している。教導艦隊も、来るべき2-5進出に先立ち、鎮守府近海海域での()()に勤しんでいたりする。

 

 「こういう特殊な作戦も含め、全て参謀本部管轄なんですか?」

 「本来的な意味での大規模侵攻作戦は、作戦毎に主管部門は違うけどそうだね。こないだのイベントは第三部英欧情報八課(サンパチ)の連中だな。秋刀魚祭りは特務班(オレら)の仕事…っていうかこれは引継ぎ+αだからラクなもんだよ。てか、お前もこれ着ろよ、ほれ」

 

 ぞんざいな口調で、ずいっと差し出された法被を、ははは…と乾いた笑いを浮かべ日南大尉は受け取るが、さり気なく斜め後ろに立つ時雨へとスルーパスする。ノリが悪いねぇ…と肩を竦めながら手にした双眼鏡で水平線に視線を送る大柄の男。

 

 背中にでかでかと『大量DEATH(デース)』と白抜きされ、無駄にリアルな筆致の秋刀魚を食いちぎる駆逐イ級、さらにそれを力ずくで引き裂いている艦娘の姿が描かれた、デスメタルのアルバムジャケットのような派手な法被を着こんで、制帽の代わりに捩じり鉢巻きをした筋肉質で浅黒い肌…参謀本部から派遣された橘川(きっかわ) 眞利(しんり)特務少佐。日南大尉とは以前呉で開催された技術展示会以来の知り合いとなる。

 

 「こういうのはな、仕切る側が変に照れたりしたら上手くいかないんだよ」

 係留柱(ピット)に片足を掛け、ぐっとサムズアップで振り返る橘川特佐がばちこんとウインクを決め、白い歯を煌めかせると、おぉーっと睦月型を中心にくちくかん娘達から拍手が起きる。

 「ほらな日南よ、艦娘のお嬢ちゃん達だって楽しんでるだろ?」

 「ダサかっこいいにゃしっ! 一周回って面白いってゆーか」

 

 たはは、と頬をぽりぽりしながら橘川特佐が苦笑いを浮かべているが、日南大尉は一連の仕草が、巧みなまでに演出されたものだと見ていた。大尉の視線に気が付いた橘川特佐は、にやりと意味ありげに唇を歪めると大尉に大股で近寄りがばっと肩を組む。そして耳元でぼそっと言葉を刺す。

 

 「鋭いねぇ日南よ。でもな、舞台裏は気付いても知らない振りしとくのがマナーってもんだ」

 

 舞台裏-海軍がなぜ秋刀魚漁支援に精を出すのか?

 

 数年前に始まったこのイベントのキッカケは、余剰の備蓄糧食の秋刀魚の缶詰を放出した事だった。深海棲艦との戦争が始まって以来、民間の漁船が気軽に海に出られるはずもなく、市場に出回る新鮮な魚介類は激減した。需給バランスから言えば値段の高騰を招く状況だが、そこは責任追及を免れたい海軍が市場介入して価格統制を敷き、庶民にも手の届く価格での流通を維持している。とはいえ、いくら安くともモノがなければ同じこと。

 

 放出した秋刀魚缶が好評だった事に目を付けた参謀本部は、以来毎年季節になると秋刀魚漁を支援し、旬の食材を流通させることで国民の不満のガス抜きを図っている。そして今年は、民間企業から出向中のマーケティングのスペシャリスト-橘川特佐がいるので企画はさらに大掛かりとなり、民間の飲食企業大手と提携、加工食品としてではなく新鮮な秋刀魚が味わえる予約制のオンサイトイベントを実施し、これが大好評となった。予約受付の告知を経て、開始から僅か二〇数分で予定していた全席が埋まり、慌てて追加の席を用意するほどだった。

 

 なので艦娘の皆には秋刀魚漁を全力で支援してもらわないと困るのだ。なのでダサかっこいいでも何でも構わないので、行く先々でイベを盛り上げるのが大切な役目になる。

 

 日南大尉が2-4攻略の真っ最中に参謀本部から派遣された橘川特佐が、そのまま宿毛湾泊地に居座っているのには理由がある。一つは述べたように秋刀魚祭りの後援。運営を担当する参謀本部特務班は、全国の各拠点に足を運び企画趣旨の徹底と盛り上げに余念がない。だがこれ自体は過去何年かに実施されノウハウも確立されているので大きな心配はない。それよりも重要なのが―――。

 

 

 「翔鶴の偵察機から連絡が入ったよ。お客様は豊後水道を順調に南下中、もうすぐ鹿島(しかしま)と鶴御崎の第一哨戒線を通過するようだ。速度は第二戦速、あと三〇分もすれば港湾管理線内に到達するだろう」

 

 杖を突きながらゆっくりとした足取りで姿を現した桜井中将を、その場の全員がざっと音を立て敬礼の姿勢で出迎える。オラつき気味の橘川特佐も、絡まれて振り回され気味の日南大尉も、慌てて背筋を伸ばし敬礼。宿毛湾泊地を治める将官にして、教導課程の責任者。その彼が秋刀魚漁に直々に立ち合う…という訳ではない。

 

 中将の言うお客様―――欧州連合艦隊の親善航海。日本海軍が辿った航路をなぞる様に、欧州諸国の艦娘たちにより編成された連合艦隊が東征、佐世保、呉に続く三番目の寄港地として宿毛湾泊地が選ばれた。その後は横須賀、大湊と北上し、津軽海峡を経て舞鶴を最終寄港地とし、再び欧州へと帰路に就く。

 

 今回の大規模侵攻(イベント)により北大西洋と北海までを打通した日本海軍への答礼という表向きの理由、一方で欧州諸国の海軍力の誇示という政治的思惑が表裏一体となったこの親善航海、受け入れの窓口から各拠点との交渉調整、軍官民にまたがる複雑な諸手続きを一手に担ったのが橘川特佐を中心とする特務班である。

 

 秋刀魚漁、欧州親善艦隊、そしてもう一つの理由があるからこそ、橘川特佐はわざわざ宿毛湾にやってきたのだが、最後の理由について彼はまだ誰にも話していない。

 

 「これはこれは桜井中将、わざわざご足労いただきまして…この橘川、光栄の至りでございます」

 「ふむ…親善友好の証か砲艦外交か…いずれにせよ遠く欧州からやってくるのだ、礼は尽くさねばなるまいよ。それにしても、欧州諸国がここまでまとまった数の艦娘を揃えられるようになったのか…感慨深いな」

 

 深海棲艦との戦争初期から戦ってきた将官たちも時の流れには逆らえず、一人また一人と現役を退き、あるいは鬼籍に入る者も出始めた。老け込むにはまだ早い桜井中将だが、お世辞にも若いとは言えない年齢である。昔を懐かしむように目を細め、遥か先の水平線に視線を送っている。

 

 その視線の先の空にぽつりぽつりと黒点が増え始め、やがてそれらは六機編成で見事な傘型編隊を二組作り上げると、宿毛湾港で出迎える艦娘達のざわめきがひと際大きくなる。宿毛湾の港湾管理線のはるか向こうの水平線に、徐々に姿を見せ始めた艦娘達の姿。

 

 「あれは…Swordfish…」

 

 ウォースパイトが懐かしそうに、空を優雅に舞う複葉機の名を口にする。一方で日本の艦娘の一部からは失笑に近い笑いがこぼれる。あんな旧式の機体をまだ使ってるんだね、と。そしてその失笑は誤りだったとすぐに思い知らされる。

 

 傘型に広がっていたソードフィッシュは次々と海面へと降下を続ける。低空での安定性に優れる九七艦攻よりもさらに低く、胴体に直接つながる固定脚が海面に付きそうなほどの高度で低く、一二機の複葉機は一糸乱れず一直線に並び、港で出迎える宿毛湾の艦娘達目掛け進んでくる。

 

 「え…わわわっ! 近い、近すぎるって!!」

 

 慌てた宿毛湾の艦娘達が突堤から逃げ出すように走り出し、中には転んだりしているのを笑うように、岸壁ぎりぎりで急上昇に転じると、上空で六機編隊に分かれて見事な宙返りを決め、再び艦隊上空に戻ってゆく。

 

 「複葉機、か…乗ったことはないが、かなり面白そうな機体だな」

 きらきらと子供のように目を輝かせてソードフィッシュの動きを目で追いかける桜井中将だが、すっとその横に並ぶ影が幾分つまらなさそうな声を上げる。

 

 「あのくらいの動き…私の艦載機の子達も余裕ですけれど?」

 桜井中将の秘書艦、そして宿毛湾泊地の総旗艦の翔鶴が頬を僅かに膨らませ、自分の艦載機の技量をアピールしていたが、やや抑揚は強いが比較的奇麗な日本語での挨拶が中継され、その声に全員の注目が集まる。

 

 

 「こちらは欧州連合艦隊旗艦代理を務めるネルソンである。余以下全一一名、宿毛湾泊地に余達の寄港地となる栄誉を与えてやろう。なぁに、これもビッグセブンの務めだ、気にすることはないぞ!」

 

 今回のイベントで邂逅が初めて確認されたネルソン級戦艦ネームシップのネルソンを旗艦に、正規空母アークロイヤル、J型駆逐艦ジャービスの英国勢を中心とし、その護衛を務めるのはこちらも初邂逅となるスウェーデンの艦娘ゴトランドとフランスの艦娘コマンダン・テスト、さらに第一艦隊の外縁を務める第二艦隊はビスマルク、プリンツオイゲン、レーベレヒト・マース(Z1)マックス・シュルツ(Z3 )のドイツ勢と、イタリアとローマのイタリア勢。

 

 第二次大戦では砲火を交え合った艦娘達が織り成す連合艦隊、しかも戦艦を中心とした強大な水上打撃部隊の威容に、宿毛湾の艦娘達も息を飲むしかなかった。けれど…日南大尉が訝しそうな表情になる。

 

 「他にも欧州生まれの艦娘はいるのに、なぜ一一名? 親善艦隊なら儀礼に則って完全編成…今回なら一二名編成となるのが常道じゃないのか…?」



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085. ウェスト・エンド・ガールズ -2

 前回のあらすじ
 季節ネタは難しいのがよく分かりました。


 豊後水道を南下した左側に見えてくる広く開けた湾口部を経て、奥に向かって狭くなる三角形の宿毛湾の最奥部に向かい、第二警戒航行序列で整然と進んでくる欧州連合艦隊。

 

 実戦で必ず随伴する水雷戦隊は同行せず、戦艦と重巡を中心とした、ある意味で見栄えを重視した編成となる。宿毛湾泊地側も、本部施設が置かれる池島地区、その奥に位置する教導艦隊が本拠とする片島地区に至る水道に蓋をするように咸陽島と大島周辺まで艦隊が前進し出迎える。

 

 その大島に設けられた臨時の野外作戦司令部では、頑丈かつ軽量な野戦用指揮官席に座りながら、日南大尉は艦隊の様子をモニター越しに確認中。親善航海で来港する欧州連合艦隊の出迎えのため、宿毛湾本隊の一一名と教導艦隊の七名で編成される儀礼艦隊が抜錨している。

 

 教導艦隊からは秘書艦の時雨と宿毛湾唯一の欧州艦ウォースパイトが参加しているため、秘書艦代理として涼月が日南大尉に付き添っているが、どうも普段の大尉の様子とは違うように涼月は感じていた。彼がまだ兵学校の学生だった頃にドイツのキール軍港に派遣されていた事、彼と共に訓練に参加した艦娘の多くが今回の親善艦隊に参加している事…懐かしさを隠さない表情を見せられ、隣り合う椅子に座る涼月は、胸の裡がもやもやとして、銀の細い毛先をつまらなさそうに指で弄んでいる。

 

 

 

 展開された儀礼艦隊の前列に展開される艦隊は梯形陣が左右に分かれ二重に敷かれ、上空から見ればV字型で構成されるのがよく分かるだろう。右翼は本隊の打撃部隊、最強の矛・大和を中心に、ビッグセブンの一角を成す長門と陸奥、脇を固める摩耶と鳥海、そして教導艦隊のウォースパイト。左翼は泊地総旗艦の翔鶴、瑞鶴、大鳳の装甲空母部隊を中心とする空母機動部隊に秋月型三姉妹が護衛に就く。

 

 「…………………」

 

 後列に陣取るのは教導艦隊で、部隊を率いる時雨はガチガチである。まさか国際儀礼上欠くことのできない礼砲を担う儀礼艦隊に参加する日が来るとは夢にも思っていなかった。旗艦の緊張は部隊に伝わり、白露、夕立、村雨、由良、阿武隈と連鎖的に動きがおかしくなる。通常の観艦式と同様の艦隊行動で、動作は難しいものではない。だが本隊所属の艦娘達と精度が決定的に違う。一つ一つの動作のタイムラグが積み重なり、教導艦隊は必死に隊列を乱さぬよう努力していた。

 

 宿毛湾泊地の場合、港湾管理線を来港する艦隊の旗艦が超えた瞬間に一発目の礼砲が発射されなければならない。そのため、前列左翼の空母部隊の艦載機は前進観測班として上空に展開、実戦さながらの緊張感で近づいてくる欧州連合艦隊の航路と速度を刻々と中継している。

 

 「今日は貴女に栄えある第一射を譲ります」

 「That will be great」

 和傘を差し掛けた大和が涼しい笑顔で告げると、前列右翼の最後尾に位置するウォースパイトがこくりと頷き無言の返事を返す。栄誉と重責は背中合わせ、ウォースパイトは玉座を模した特徴的な艤装から僅かに腰を浮かせ、小さく喉を鳴らす。そして玉座の左右から覆う装甲に配置された三八.一cmMk.Ⅰ連装砲が仰角を取り砲撃態勢に入る。

 

 「Gun salute, fire!(礼砲、放てっ!)

 

 横須賀鎮守府のように専用の礼砲台を持たない宿毛湾泊地では、儀礼艦隊に参加する艦娘達が礼砲を担当する。空砲での射撃なので、砲口がオレンジ色に輝き白煙が立ち昇る。各国の国旗を掲げ来航した欧州連合艦隊への礼砲数は礼法に則り二一、これを五秒間隔で繰り返し撃ち続ける。

 

 左右の連装砲を僅かな時間差で動かしきっかり所定の間隔で四発撃ち終え、爆風に金髪を激しく躍らせながらウォースパイトが威儀を正して前方の艦隊に視線を送る間に、前列の大型艦による大口径砲と、後列の水雷戦隊による小口径砲の射撃音がリズミカルに繰り返され、重低音と高音による砲声のハーモニーが鳴り響き、フィナーレは日本の誇る超弩級戦艦、大和の四六cm三連装砲による礼砲が締めくくり、欧州連合艦隊の度肝を抜いた。

 

 歓迎の礼砲は無事終わり、時雨を始めとする後列の教導艦隊が安堵の溜息を漏らす中、宿毛湾側の親善大使(アンバサダー)として、ウォースパイトが欧州連合艦隊の旗艦代理ネルソンへと近づいてゆく。同時に先頭を進んでいたネルソンも動き出し、英国生まれの二人が邂逅する。それぞれ後ろに控える艦隊に見守られながら言葉を交わすが、ネルソンは社交辞令の範囲を超えて踏み込んできた。

 

 「Queen Elizabeth Class Battleship二番艦、Warspiteです。遠路はるばるようこそ、宿毛湾泊地は貴女達を歓迎します。迎賓館へご案内しましょう」

 「欧州連合艦隊旗艦代理、余がNelsonだ。Warspite、貴女から直々に歓迎を受けるとは光栄の極みだ。色々話がしたかったのだ。なに、難しい事はない、御身に相応しい座について貰いたい、それだけだ。詳しい話はまた後でな」

 

 ウォースパイトの凛とした気品に気圧されず、外連味がない直截な言葉を返すネルソン。言葉に裏も表も無いのだろう、満足した表情で胸を張る。ネルソンの背後のやや離れた遠くには、右腰に矢筒を提げ、左手にはコンパウンドボウに似た弓をもつ背の高い赤いボブヘアー(レディッシュ)の艦娘の姿。ちらちらとウォースパイトに視線を送るアークロイヤルが、目が合った瞬間に女王陛下の姫騎士空母らしく片膝を海面に着き頭を垂れ、お言葉を掛けてくださいオーラを振り撒いている。

 

 一瞬、ほんの僅かに眉を顰めたウォースパイトだが、ネルソンの言葉には何も答えずアークロイヤルはスルーし、静かに遠来の艦隊を先導する。

 

 

 

 ウォースパイトが迎賓館(The Guesthouse)と呼んだのは、大島に新設されたスパリゾート施設。太平洋を見渡す大展望の露天風呂にエステ、宿毛湾で水揚げされる新鮮な魚、マリンスポーツが楽しめる外来者向けの施設で、妖精さん達が全面的に管理し、宿毛湾の艦娘達でさえ桜井中将の許可なく利用できない徹底ぶり。

 

 今回は儀礼艦隊に参加した宿毛湾勢、料理を担当する鳳翔・速吸・秋津洲(居酒屋鳳翔組)に、ホストとなる泊地総責任者の桜井中将と香取・鹿島・大淀(本部の幹部勢)に教導艦隊を率いる日南大尉、さらにはこのイベント全体の運営に当たる参謀本部特務班の橘川特佐を加え、全一一名の欧州生まれの艦娘達を盛大に歓迎する、するのだが。

 

 「Sono contento di rivederti!(久しぶりに会えましたね!) 今はね、イタリアに名前が変わったの!」

 旗艦(本人は頑なに代理を強調しているが)のネルソンを中心とする英国勢が桜井中将と歓談している傍らでは、かつて日南大尉と同じ部隊にいた六名が進んでくる。挨拶もそこそこに、大尉と同じか少しだけ背の高い、緩やかにウェーブのかかった長いブルネットの艦娘が駆け寄ってきたと思うと、満面の笑みを浮かべて大尉を抱擁する。

 

 雨が降ったら傘を差す、そんな自然さで行われるハグに、教導艦隊の艦娘もぽかーんとして、ハグされる大尉を見つめるだけだった。…思いっきりムギュってるので、日本の艦娘でいえば扶桑や山城に勝るとも劣らない何かが、大尉の胸元に押し付けられ柔らかく形を変え、さらにすりすりと頬ずりをしているを目にするまでは。

 

 「…あら? 地中海的なスキンシップは、ジャポネーゼには刺激が強かったかしら? あぁ…はは~ん、そういうこと? 心配しなくていいのよ、ヒナーミはfratello()みたいで可愛いだけよ」

 Vヴェネト級二番艦は改装で名前が変わる戦艦娘で、キール時代はリットリオだったが、第一次改装を経て名前は既にイタリアに変わったようだ。

 

 イタリアは教導艦隊の艦娘達がかなーりゴゴゴ…し始めているのに気が付くと、タレ目気味の明るい茶色の瞳でにっこり微笑みかける。明るい太陽を思わせる笑顔に、うーっと警戒の低い唸り声をあげている夕立やジト目の村雨、口をぱくぱくとさせている時雨でさえ思わず釣られてにへらっとしてしまった。

 

 ただ、宿毛湾の幹部勢の一人として、桜井中将と一緒に英国艦隊と歓談中の鹿島は様子が違った。

 「ゆるふわヘアー、おっきなやわらか胸部装甲と包容力満点の笑顔でお姉さんアピール…大尉はこの路線に免疫があったんだ、だからかぁ…。あれが欧州からの刺客…」

 ぐぬぬし過ぎて話を全然聞いていなかったので、香取に耳をつままれて (>_<)(こんな顔)になってしまった。

 

 

 

 その後もやってきた日南大尉の元へ現れるドイツ勢とイタリア勢。イタリアとは対照的に、レーベレヒト・マース(Z1)マックス・シュルツ(Z3 )やローマは、どちらかというと大人しいというかクールというか、淡々とした対応で、普通に大尉に挨拶して握手し、教導艦隊の艦娘達ともちょいちょい話をしている。とはいっても単なる社交辞令ではなく、目の端や唇の端に嬉しさや懐かしさを少しだけ浮かべ、大尉から付かず離れずの距離に留まっている。

 

 「………ねぇ、ひょっとして僕らブロックされてるのかな? 考えすぎ、かな…?」

 「ひょっとしなくても考えなくてもそうっぽい?」

 興味無さそうに返事をする夕立に、食べていたシュークリームのクリームを唇の端につけながら時雨が言い募ろうとした所で、場がざわっとし始める。

 

 豊かなストレートの金髪を右手で後ろに送りながら、ゴージャスなバディを黒とグレーを基調とした制服に包んだ背の高い艦娘が真っ直ぐに近づいてきた。

 

 「久しぶりね、ヒナーミ。このビスマルクがわざわざ会いに来てあげたのよ、もっと喜んでもいいのよ!」

 

 どやぁっと背中に集中線を背負うような勢いで現れたのは、ドイツの誇る大戦艦ビスマルク。…と、その背中からひょこっと姿を見せた、ビスマルクを一回り小さくしたような、長い金髪を耳のあたりで左右にお下げにした艦娘。にぱぁっと満面の笑みを浮かべ、両腕をまっすぐ前に差し出して手だけをふりふりする。

 

 「Guten Morgen! 私は、重巡プリンツ・オイゲン。よろしくね!」

 

 あざと可愛く小首を傾げ、相対する日南大尉の返事を待つプリンツだが、当の日南大尉は当惑した表情をビスマルクに送る。視線を逸らすように、苦し気な表情にビスマルクが変わる。

 

 「あ、ああ、久しぶりだねプリンツ。元気にしていたかい?」

 

 まるで初めて会うような挨拶に、日南大尉も戸惑いながら右手を差し出しプリンツと挨拶を交わすが、今度はプリンツが申し訳なさそうな表情に変わる。後に続く言葉が、大尉の疑問とビスマルクの苦い表情の答えとなった。

 

 「久しぶり、かぁ…あっ! 貴方のこと、写真で見た事あるよ! ってことは、こんな極東の国の人なのに私の事を知ってるんだね、不思議っ! でもね、ごめんなさい、私…前の事うまく思い出せないんだ、だから、もし失礼な事言っちゃっても許してね!」

 

 激戦に継ぐ激戦の欧州戦線で、轟沈寸前の損傷を受けたプリンツは、緊急入渠で命を繋いだ。ただ損傷を受けた部位が良くなかった。頭部に重傷を負ったプリンツは入渠が明けても記憶を取り戻す事ができずにいた。損傷自体は完全に治っているので、あとはキッカケ次第…というのが医療担当の妖精さんの見解。今回の親善艦隊へはビスマルクの強引なまでの主張で参加が決定した。



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086. メモリア

 前回のあらすじ
 女王陛下と貴族様、そして姫騎士。


 水と比較した場合、筋肉の比重は約1.1、骨は約2.0、脂肪は約0.9、人体全体としてはおよそ0.9から1コンマ00+αという程度。そして女性の象徴の一つであり、超・爆・巨・美・微・無などの接頭辞で表現される部位、艦娘的に言えば胸部装甲に占める脂肪の割合は七〇~九〇%で、欧州系人種(コーカソイド)の方が日本人よりも高い比率らしい。ここから導かれる仮説は―でかいと水に浮き、欧州産のがふわっふわ。

 

 生化学的にも統計学的にも有意な差が認められる事象だが、ここ宿毛湾泊地のスパリゾートにおけるサンプリングは―――。

 

 湯に浸かり額に汗を浮かべたイタリアは、うっとりとした表情で眼下に広がる光景を眺め、ネルソンは両腕を背凭れにしている岩場に預けながらうんうんと頷いている。身体の動きは波紋に変換され湯に伝わり、水面に浮かぶ四つの白い半球を微かに揺らす。

 

 「素敵………ティレニアの海に沈む夕日が最高だと思っていたけれど…この地にもこんな美しい景色があるのね」

 「ふむ、いや…これは余も脱帽だな。国は違えど美しいものは美しい、そう認める度量は持ち合わせておるぞ」

 

 宿毛湾泊地に新たに設けられたVIP用のスパリゾートで、欧州連合艦隊の艦娘達は全員が初体験となる日本の露天風呂を堪能している。地形を巧みに取り入れて、棚田をイメージして造形された岩風呂からの眺望は、遮るものがなく宿毛湾から太平洋が広がる。そして今彼女達が入浴している時間は夕暮れ時、真っ赤に燃える夕日が海にゆっくりと沈み、辺り一面をオレンジ色に染めてゆく様に全員が目と心を奪われている。

 

 「ビスマルク、タオルをユブネに浸けるのはマナー違反だ」

 「何するのよっ! 返しなさいっ!! …あ、でも…気持ちいいわね…」

 

 体を隠しながらお湯に浸かろうとしていたビスマルクは、アークロイヤルにタオルを取り上げられ、諦めた様子でそろそろとお湯に浸かる。そしてすぐさま日本の温泉の魅力を身体で理解した。姫騎士空母はむしろもうちょい隠せよと言いたくなるほど堂々と振舞っている。

 

 「これは…心地いいものだな。ふっ…女王陛下の薫陶を受けるうちに、私も日本通になってな。何やらコン・ヨーク(混浴)なる文化があるそうだ。どういったものかは知らないが、一度体験してみるものよいだろうな」

 

 アークロイヤルがドヤ顔で危ない異文化交流を勧めているが、皆思い思いに貸切の露天風呂を堪能している。そして歓迎会の開催時間を知らせる館内放送をきっかけに、皆ばらばらと岩風呂を後にしてドレッシングルームへと向かい始める。

 

 

 

 桜井中将からの挨拶と、それに応えるネルソンの答礼から始まった歓迎パーティは盛況のうちに時間が過ぎてゆく。鳳翔の手による豪華な日本料理が饗され、宿毛湾勢から歓声が上がる。日本料理の実力、試させてもらうわ…と最初は疑わしそうにしていたコマンダン・テストだが、一口味わうやいなや、すぐさま鳳翔を捕まえて質問責めを始めた。ジャーヴィスやZ1、Z3は時雨や夕立たち教導艦隊のくちくかん達と打ち解け、きゃっきゃと盛り上がっている。そんな中、やはり等身が高く体つきも成熟している欧州の戦艦娘達は明らかにパーティの華として目を引く。

 

 「あの…ビスマルクさん…」

 「えっと…貴女は…」

 「宿毛湾教導艦隊所属、秋月型防空駆逐艦三番艦の涼月…です」

 「そう…ヒナーミのschiff(フネ)なのね。で、何かしら?」

 

 目の前にあるのは、絹のように細い銀髪が目立つ、駆逐艦にしてはすらっと背が高く大人びた艦娘の姿。社交辞令的に話しかけてきた訳ではなさそうね、とビスマルクは見つめ返す。ヒナーミのフネ、そう呼びかけた時に、ぴくりと涼月の肩が動いたのを見逃さなかった。

 

 -呼び止めたなら、そっちから切り出してくれないと話が進まないのよね。

 

 思い詰めたような空色の瞳を見ているだけで用件はだいたい見当がついた。それでもじぃっと見つめていると、意を決したように、涼月が大きく深呼吸をしてから話を始める。

 

 「日南大尉………いえ、か、()()()の留学時代に知り合われたそうですが…そ、その…」

 

 頬を上気させながら、わざわざ下の名前で言い直して必死に訴えてくる涼月のあまりの可愛らしさに、ビスマルクは思わず微笑んでしまう。

 

 -でもね、所有権をアピールしないと不安な程度の関係だって言ってるようなものだけど?

 

 流石にそこまで言うのは可哀想だと思い直し、ビスマルクはずばり核心に触れ始める。そもそも回りくどい話は好きではない。

 

 「そうね…ヒナーミは弟みたいなものよ。兵器(私達)が傷ついたくらいで狼狽する、優しいけど軍人としては甘過ぎるグリーンボーイ。けれど、そんな優しさに救われていた部分も、確かにあったわね。久しぶりに会ってみたら、かなり成長したみたいで、何て言うの…嬉しいけど少し寂しい、そんな感じかしら。貴女が心配するようなことは無いわ」

 

 涼月の返事を待たずにくるりと振り返り、背中越しにひらひらと手を振ってビスマルクは立ち去ってゆく。そしてその先には―――。

 

 「久しぶりね」

 「久しぶりですね」

 挨拶を交わしながら、日南大尉は手にしていたワイングラスをビスマルクに差し出す。気が利くようになったじゃない、と揶揄われ苦笑いを浮かべた大尉だが、気になっていたことを真っすぐに問いかける。

 

 「ビスマルク…プリンツのこと「ヒナーミ、ここは暑いわね。場所を変えましょうか」」

 

 問いかけを遮ったビスマルクは、パーティの喧騒から離れたテラスまで無言で歩き、日南大尉も黙ってついてゆく

 

 

 

 手を伸ばせば星がつかめそうな満天の夜空の下、ビスマルクは独り言のように呟き、大尉の疑問に答え始める。

 

 「………プリンツは深海棲艦の罠に嵌った艦娘を助けるのに、自分が沈む寸前まで一歩も引かずに戦った。妹分に助けられる姉なんて…そんな間抜けは放っておけばよかったのよ」

 

 秀麗な顔を歪め、軍帽を目深に被り直すビスマルク。プリンツが命懸けで守ろうとした艦娘が誰なのか、その口調で察して余りある。日南大尉もかける言葉がなく、ただ黙って話の続きを待つ。

 

 「私も甘く考えていた。どんな酷い損傷でも入渠で完全に直るって。でも…」

 ぎりっと唇を噛み締めたビスマルクは、握りしめた右拳で思いっきり自分の左手を叩く。人間よりはるかに強靭で再生能力の高い艦娘の身体だが、例外はある。生体機能の中核を成す頭部か心臓を完全に破壊されると機能停止()は避けられない。頭部に重傷を負ったプリンツは、その一歩手前の状態だったらしい。

 

 修復は何とか間に合ったが、目覚めたプリンツの記憶は断片化としか表現できない状態になっていた。検査しても脳機能は正常で、何が原因か判明しない。ビスマルクを含むドイツ勢の献身的なケアで、少しずつプリンツ自身の中で過去と現在が繋がり始めてきたが、完全回復までは道半ばのようだ。

 

 「………次の寄港地はヨコスカ。この国の艦娘技術開発の中心、技術本部(ギホン)があるのよね。プリンツを診てもらうと思ってるの。でも…ヒナーミ、貴方とはかつて同じ時間を過ごしたわよね。どんな小さな事でもいいの、プリンツが自分を取り戻せるキッカケが見つかるよう力を貸して……お願いだから…」

 

 ビスマルクが深々と頭を下げた拍子に、豊かな金髪が背中から肩を滑り体の前に流れる。

 

 

 

 「これを私に…? ありがとう、すごく奇麗だね」

 

 休憩用に設けられたカウンターテーブルで一人ぼんやりとしていたプリンツは、近づく人影に気付いて顔を向けると、ドリンクを持った日南大尉の姿があった。隣に座るのかな、と思ったプリンツだが、大尉はグラスを差し出すと柔らかく微笑んで立っている。

 

 「大和さんにお願いして作ってもらったんだ。プリンツ、君はこれがお気に入りだったよね? 朝焼けに祝福される海みたい、って言ってたよ」

 

 「そっか…そうなんだ…。でも、ごめんね、私、思い出せないんだ」

 プリンツがふるふると頭を振り、無理に作った笑顔を返すと、日南大尉も目を伏せて肩をすくませる。

 

 大尉が持参したのはグラデーションカクテル。ブルーキュラソー、ヨーグルトドリンク、パインジュース、ラズベリージュースの順で注ぎ、最後に炭酸水をマドラーを伝わせてグラスの縁に沿って慎重に加えると、比重が重い糖度の高い材料が沈み四層のグラデーションができる。味はパインとラズベリーの効いた甘酸っぱい風味で、かつてプリンツが好んで飲んでいた。

 

 「気にしないでいいよ。何かを思い出すきっかけくらいにはなれば、と思っただけだから。自分は行くよ」

 

 僅かに悲しそうな色を載せた視線を日南大尉から送られるが、プリンツは曖昧に微笑むしかできない。大尉はパーティの人ごみの中へと戻ってゆき、プリンツは再びカウンターに頬杖を突く。そしてぼんやりとグラスを眺める。底から青、白、黄色、一番上はうっすらと赤紫。飲むときは挿してあるストローでステアするから、色合いの美しさは味わうまでの僅かな時間しか楽しめない。

 

 「ほんとに奇麗なドリンク…ヤーパンの男性がこんなにロマンチックだなんてね。朝焼けに祝福される海(暁の水平線に勝利を刻んでほしい)かぁ―――」

 

 かつて自分が言ったという言葉の反芻に、二重写しで脳裡にフラッシュバックした言葉。唐突に自分の中で重なった二つの言葉にプリンツは戸惑い、明らかに動揺を見せる。その様子に気付いたビスマルクが、場の空気を壊さないようさり気無く動き、プリンツに隣り合ってハイチェアに腰掛ける。

 

 プリンツの脳裏に、ザッピングするように映像が一瞬だけ浮かぶ。

 

 

 -キール軍港を抜錨して訓練を続ける自分。誰の指揮? 無線越しの声、さっきまで喋っていた人の声に似てる…。

 

 

 さらに違う映像が一瞬だけ浮かぶ。

 

 

 -こじんまりとした手作りのお別れパーティの風景。黒髪の東洋人の士官を囲んで、皆で泣いて笑って。

 

 

 もう一度、別な映像が一瞬だけ浮かぶ。

 

 

 -手にした四層のグラデーションの奇麗なカクテル。さっき思い出した若い東洋人の士官が、訥々と語っている。謂れのない責任を負わされ、それでも黙って受けいれた、そんな彼の告げる別れの言葉。

 

 

 『知っての通り、自分は日本に帰国を命じられた。君たちの戦いをこれ以上見届ける事は出来ない。けれど…これからも暁の水平線に勝利を刻んでほしい。それが自分の願いだ』

 

 

 「ヒナーミ…………。そっかぁ、私…貴方に願いを託されてたんだね。どうしてこんな大切な事、思い出せなかったんだろう…」

 

 

 「ちょ、ちょっとプリンツ、あなた今…?」

 「あ…ビスマルク姉さま………。はい、全部じゃないけど、でも、ヒナーミのおかげで、大事なことをちょっとだけ思い出せたかな」

 

 にへらっとプリンツが微笑みながら零した言葉に、ビスマルクは人目をはばからずにわんわん泣き始める。

 

 「わわっ! ビ、ビスマルク姉さま、落ち着いてくださいっ」

 「う、うるさいっ! なによ、私がどれだけ心配したと思ってるのっ!! ………もっと早く帰ってきないよ、バカプリン!」

 

 プリンツは本当に心からの笑顔で、姉と慕う戦艦娘の、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔をハンカチで拭っている。



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087. ラストダンスは私に

 前回のあらすじ
 大人路線への挑戦


 「貴女が手を回したのだな、Ladyよ」

 「貴女が私の元まで足を運ぶと聞きましたからね、ネルソン…」

 

 満足そうな表情でネルソンが手にしたグラスを口元に運び豪快に飲み干すと、傍にある瓶を取り上げて再びグラスを満たす。ネルソンの隣に立つのは、同じようにグラスを手に持つウォースパイト。長い睫毛を伏せながら僅かに口角を上げ、仕草だけで問いを婉曲に肯定する。

 

 武人らしい逞しさと女性らしい曲線を軍服様の制服に同居させるネルソンと、美しいデコルテと肩を露わにしたアイボリーのローブドレスをその身に纏う華やかなウォースパイト。会話をしながらも視線を合わせない二人は、壁に凭れながらなんとなくパーティ会場を見渡している。

 

 ネルソンが懐かしそうに、それでいて惜しげもなく味わっているのは、王立海軍(RN)に籍を置いた者なら特別な感傷を抱かずにいられない、BRNIと呼ばれるラム酒。一六五五年から三一五年に渡り英国王室艦船乗組員に配られ、一九七〇年時点で残っていた六一八本は、英国のとある企業が買い占め秘蔵している。以来王室ゆかりのイベントでしかお目に掛かれなくなり、手に入る場合でも最低で一本三六万円以上するのだが、なぜか遠く離れた日本の、それも一地方拠点の宿毛湾に一ダース唐突に入荷されてきた。

 

 「BRNIが饗されるなら、これは王室行事ということなるのか?」

 「さぁ…どうでしょう。私はそのような立場ではありませんから」

 「王権の象徴(レガリア)がよく言う…。おお、そういえば、国元から無事許可を得てな。此度の遠征、貴女が残していったのを持参したぞ」

 「そう…それで聖櫃(アーク)をあの娘が抱えていたのね…」

 「アークロイヤルに任せたのは余の不明だった。厳重に保管せよと命じたら、在ろう事か蓋を溶接しおった。取り出せと言ったら、今度はソードフィッシュの爆撃でこじ開けようとしたのでな、ここの工廠に開封を頼んでおる」

 

 溜息と共に頭を抱えたウォースパイトを余所に、グラスを再び呷りごくりと喉をならすと、ネルソンは殊更気軽そうな口ぶりで核心へと切り込み始めた。レガリアとは、その所有により持ち主の王権の正統性を象徴する物品で、英国の場合は王冠・王笏・宝珠の三つを言う。その三つを備え現界した英国初の艦娘ウォースパイトは、特別な存在として多くの者から『女王陛下』と呼ばれている。しかし、この初秋にネルソンが現界した時には、レガリアを国に残してウォースパイトは既に英国を後にしていた。その理由がどうしても分からない。

 

 黙秘を貫くようにウォースパイトはラム酒のグラスを口元に運び、ネルソンもまた答を待たずに話を続ける。

 

 「Ladyよ、英国総旗艦の座は空けてある、帰還せぬか? 世界は以前と変わらず…いや、以前に増して激しい戦乱の最中にある。艦娘という新たな兵器として甦った我等は王立海軍の『力』の象徴なのだ。特に余はビッグセブンの一角、余がおれば絶対不敗と民は熱狂しておる。だがなウォースパイト…レガリヤとともに現れた貴女は違う、海における王権の代行者なのだ。…なぜだ? 貴女の現界から今に至るまで、何があったのじゃ?」

 

 ネルソンとウォースパイトの会話はいったん途切れ、二人もまた喧騒に満ちた歓迎会の一部となる。二人の視線の先には、杖を突きながらゆっくりと会場を歩く桜井中将のそばを離れない翔鶴と、入れ代わり立ち代わり艦娘達に迫られ距離を詰められる日南大尉の姿。再びグラスを空けたネルソンは唇を歪める。

 

 「日本の艦娘はとても兵器とは思えん、これではまるでSchool Promではないか。さしずめあの日南大尉(青二才)がProm kingか、入れあげておる娘が随分とおるようじゃな」

 

 「口を慎みなさい」

 

 皮肉交じりに言い募ろうとしたネルソンだが、ウォースパイトの峻厳な口調に遮られ、ぐぬぅと口を閉じるしかなかった。ちらりとウォースパイトを覗き見れば、その視線の先には―――。怪訝な表情に変わったネルソンを諭すように、あるいは自らの感情を整理するようかのように、ウォースパイトは静かに語りだす。

 

 「私は史上最高の武勲艦であり王権の代行者。ですが、艦娘として現界した私は、過去の記憶と、自らの意志と…この柔らかい体の齎らす感情にずっと戸惑っていました」

 

 こくり、と先ほどより多めのラム酒を口に含んだウォースパイトの目の周りはほんのりと赤みを帯びてくる。

 

 「あの日…キールでの戦い…元より不調を(かこ)つこの身の損傷に、彼は激しく動揺しました。兵器を大切に扱うのではなく、私を私として…まるで人のように扱われた私もまた動揺し、自分が何者か考えさせられました」

 

 ウォースパイトは初めてネルソンの方を見た。ネルソンも腕組みをしながら、ウォースパイトの真剣な眼差しから目を逸らさない。そして話の続きを聞き終えると、ネルソンはやれやれといった具合に肩を竦め頭を振る。

 

 「だから私は彼を理解し、自分を理解しようと試みた。深海棲艦により家族を失った彼が、復讐でも栄光でもなく、戦いを終わらせるため提督を目指す…そのためなら、私は彼の剣となる。英国は…すでに完成された王国。過去の栄光の象徴たるよりも、私は新たな王道を、心優しき若き力と共に歩むと決めたのです」

 

 「思い入れが過ぎるのではないか? 今の貴女はまるで…いや、何でもない。まぁ、酔いのせい、という事にしておこうか。これ以上今は言うまいよ。仕方あるまい、古き良き英国の栄光は余が担うとするか」

 まるで恋する少女のようではないか、との言葉を何杯目かのラム酒と一緒に飲み込んだネルソンは、軽く反動をつけて壁から背を離すと歩き出す。

 

 「余はナガートに会ってくる。ビッグセブン同士、積もる話もあるのでな。余の必殺技、ネルソンタッチを自慢してやらないとな」

 

 数歩歩いたところで立ち止まったネルソンは、ウォースパイトに問いかける。

 「自分が何者かを考えた、そう言ったな? …答えは、見つかったのか?」

 

 一瞬きょとんとしたウォースパイトだが、女王の華やかさと少女の屈託のなさが同居する、眩しいばかりの笑顔でネルソンにウインクをしながらハッキリと答えた。

 

 

 「いいえ、その答えを見つけるために私は生きているのです」

 

 

 

 「喜べネルソン、箱の中身を女王陛下にお届けに上がったぞ。ここの明石は大したものだな、あっさり開けてくれた。念のためと思ってソードフィッシュを展開していたのだが無駄に終わったな」

 金属の箱を載せた台車をごろごろと押しながら、赤い髪を揺らしながらアークロイヤルが姿を現した。きょろきょろしながらウォースパイトを探してるが、発言内容にみるみるネルソンの顔が険しくなる。

 「待て待て待て! すると何か、貴様は寄港先の工廠を攻撃隊で取り囲んでいたというのか!?」

 「ふっ…女王陛下のためだ、万全を期さねばな。そんなことよりも女王陛下は?」

 「Ladyは…それよりもアーク、その箱だが英国に持ち帰ることになった。()()()工廠にUターンだ、念入りに封印してもらえ。ああそれと、今度はソードフィッシュを出すんじゃないぞ」

 

 しょんぼりしながらごろごろと台車を転がして立ち去るアークロイヤルの背中を見送ると、ネルソンは手際よく片づけられあっという間にダンスフロアへと変わり始めたパーティ会場を見つめてる。照明は落とされBGMもスローな曲に変わり、いわゆるいい雰囲気というやつに変わっている。そしてこのムーディな僅かな時間を最後に、歓迎会の幕が下りる。

 

 「さて、と…女王陛下はダンスに夢中なようだし、余はもう少し懐かしい味のラム酒を味わうとするか」

 

 

 

 「Ciao、楽しんでる? イタリアのワインも充実してたわね」

 「そうね…島国のパーティにしては悪くないと思うわ」

 休憩用に設けられたラウンジでビスマルクが寛いでいると、ワイングラス片手にイタリアとローマがやってきた。頬杖を突きながら生返事を返す独逸娘と、気にすることなくワインの評論を始める伊太利娘だが、すぐに話題も尽き沈黙が訪れる。ダンスホールに変わった会場で、寄り添うようにゆったりと踊る一組のペアをぼんやりと眺めていた三人だが、ぽつりぽつりと、誰からともなく短く言葉を発する。

 

 「fratelloだと思ってたけど…立派になったね」

 「まあまあってとこね。リードがまだぎこちない」

 

 「そっちちょうだい。ん、やっぱりドイツワインは甘いね。…そういえばプリンツのこと、よかったね」

 

 返事を待たずにグラスを引き寄せ、テイスティングの域を大幅に超えて味わっていたイタリアからプリンツの名前が出た瞬間、ビスマルクが決然と言い切る。

 

 「せっかく回復の兆しが見えたのよ、宿毛湾(ここ)に置いてゆくわ。技本がどうとかキッカワとかいう佐官がさんざん文句を言ってたけど関係ない。政治回りの調整はサクライの仕事、プリンツのことはヒナーミの仕事だけど、まぁ……任せられる程度には成長したわね」

 

 酔いも手伝い、少し気怠そうに長い金髪を揺らしたビスマルクは、柔らかく緩めたに表情に僅かな寂しさを加え、ワイングラスを揺らす。

 「Viel Glück, meine schwester」

 

 

 

 「あのアークロイヤルさん、マイペース過ぎるっぽい」

 「やっと戻ってこれたと思ったら…。でも今日は、女王様の日かな」

 「私達こういうの慣れてないもんね。…今日のひなみん、優しそう…」

 

 工廠にUターンしたアークロイヤルの付き添い(監視役)に駆り出されていた白露型シスターズ。隙あらばソーフィッ、シューしようとするアークを苦労しながら押さえ込み、明石への依頼が終わるのを待って会場に戻って来てみると、パーティ会場の雰囲気は一変し大人のムード溢れる空間へと変わっていた。ホールで踊るのは、ただゆったりと曲に合わせて身体を寄せ合って漂う一組のペア。いつもならゴゴゴ…となる光景だが、組み合わせと洗練された動きを見ていると、夕立も村雨も、時雨でさえも憧れの目で見とれてしまった。

 

 

 やがて曲も終わりを迎える頃、無駄のない細さと女性としての柔らかさが美しいデコルテと華奢な肩が前に動き、自らを支えるパートナーにいっそう密着する。頬を寄せ合うような姿勢になると、セミロングの金髪を揺らしながら、アイボリーのローブドレスを着た艦娘が歌うように囁く。

 

 「無理に連れ出してしまいましたね。ですが安心できるリードでした。…ヒナミ、貴方はadmiralの前にgentlemanであるべきです。貴方をじーっと見ている娘達が待っていますよ」

 

 体を離す瞬間、ほんの一瞬だけ唇の触れる柔らかい感触を日南大尉の頬に残し、ウォースパイトはホールを後にした。ゆったりとラウンジへと歩みを進めながら、再びネルソンとのやり取りが頭をよぎり、口角を僅かに上げる。

 

 ー自分が何者かを考えた、そう言ったな? …答えは、見つかったのか?

 

 ホールでは教導艦隊の艦娘達と手を取り合い踊る日南大尉。嬉し恥ずかしできゃーきゃー騒ぐ教導艦隊の艦娘達は、どこまでも自然体の彼女達らしい。見守る様にしばらく足を止めていた女王陛下は、届かないのを承知で小さな呟きを日南大尉に向けて零すと、歓迎会の会場を後にした。

 

 -You make me feel like a natural woman.



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パンドラの海-後編
088. 静かなエール


 前回のあらすじ
 答よりも、それを求める努力が貴いのです。


 欧州連合艦隊はすでに横須賀へ向け抜錨した。国際儀礼上欠かせないとはいえ、手の込んだセレモニーとイベントを全て終え、革張りの椅子にぐったりと体を預けるのは桜井中将。執務室に備え付けのアイランドキッチンで片づけをしている翔鶴がちらりと様子を窺うが、中将に気付いた様子はない。

 

 洗い物の水音に紛れて溜息を付いた翔鶴だが、気になる事はある。若き日に二度に渡り生死の境を彷徨った中将は、健康を保っているが頑丈というほどではなく、翔鶴は彼の健康状態の些細な変化にも気を配っている。けれど中将が以前に比べ疲れやすく回復が遅くなったのも否定できない。

 

 -…お体を考えると、少し夜は控えた方がいいのかしら…。それともお食事でスタミナ増強を…。

 

 こんこん、とドアがノックされ、何かをモワモワと思い出していた翔鶴が我に返り、真っ赤な顔でちらりと中将に視線を送る。何で顔真っ赤なの、と怪訝な表情をしつつも中将が目線だけで許可を与え、翔鶴は大きく咳ばらいをしてから、良く通る奇麗な声で入室を許可する。

 

 「どーもー、青葉です。報告書がまとまったのでお持ちしましたー」

 軽ーい感じで青葉がタブレットを小脇に挟んで入室し、冷めない頬をぱたぱたと手であおぐ翔鶴を不思議そうに見ながら、桜井中将の前で敬礼の姿勢を取る。中将がゆっくりと応接へと向かう間、青葉はてきぱきとプロジェクタの準備をし、翔鶴は入室禁止のプレートを執務室のドアに掲げる。

 

 「では青葉、始めてくれ」

 

 心理学と統計学を組み合わせたソシオメトリーに基づき、日南大尉を中心とした宿毛湾泊地内の構成員の関係性を図式化したソシオグラムがスクリーンに投影される。様々な書類作成や何気ない会話の中に巧みに忍ばせたソシオメトリックテストへの回答を定量的に集計、さらに進路調査として中将から口頭で艦娘達に確認した定性評価結果と合わせた分析結果が示されている。

 

 今回の調査は、対象が教導艦隊だけではなく宿毛湾の本隊にも及んでいる点が特徴となる。教導課程の制度では、宿毛湾本隊の艦娘も、日南大尉との間で合意形成できれば転属対象となる。思わぬ横やりが入ったが、教導課程も沖ノ島沖(2-5)攻略を残すのみ。泊地全体を統治する桜井中将としては、日南大尉が2-5攻略に成功した場合、どれだけの艦娘が彼の元へ転属する可能性があるのかを事前に把握しておく必要がある。以後の補充や育成計画に直結するからだ。

 

 

 

 日南大尉と教導艦隊と宿毛湾本隊の各艦娘を示すアイコンが、それぞれの関係性に応じた色のコネクタで結ばれている。

 

 コネクタの色は、黒から青、緑、黄色、オレンジ、赤、最後は赤紫まで変化し、それぞれの色は敵対、悪意、無関心、打算、中庸、信頼、好意、愛情、ヤンデレにまで対応する親切設計。

 

 「では最初に、日南大尉と本隊の艦娘の関係性からご説明したいと思います」

 

 艦娘の貸与という関係で戦力の一部を共有する教導艦隊と泊地本隊だが、司令部候補生によって関わりの濃淡が異なる。過去の候補生に見られたのは、海域攻略を急ぐあまり本隊から戦艦や正規空母など大型艦の貸与を受け、運用する資材が回らずに財政難に陥るケース。

 

 日南大尉の場合、自らが建造あるいは邂逅した艦娘を中心とする水雷戦隊と軽空母が主戦力で、いざという時は重巡や高速戦艦で支援する作戦を取ることが多く、本隊の艦娘との作戦上の関わりは歴代の候補生の中でも低水準に留まる(反面、作戦外の関わりは歴代でも高水準だったりする)。

 

 「ありがとう青葉、非常に明快な内容だった。本隊から日南君の元へ、彼が要因で転属する可能性が高いのは、速吸と蒼龍だな。蒼龍が飛龍に、赤城が加賀に、それぞれ強い影響者(インフルエンサー)になればその二人も動くかも知れないな。翔鶴、君の采配に影響しそうだが、どう思うかね?」

 「予想の範囲内なので、今名前の出た全員が転属した場合でも問題はないと思います。空母機動部隊の再編を念頭に、今後の建造計画を立てればいいかしら。あの…あなた、そういえば鹿島さんの転属は考慮に入れてないのですか?」

 

 桜井中将から名前の出なかった一人、鹿島のことを翔鶴が取り上げる。正面戦力としてはともかく、新規に着任した艦娘や日南大尉を含む司令部候補生の育成に、彼女の指導教育は極めて重要な位置を占めている。そして本人は、最近は不思議と大人しいが以前までは『日南大尉について行く』と公言していた。

 

 「彼女が断るのか日南君が望まないのか、そこまでは言い切れないが、転属オコトワリがあり得るなら鹿島だよ、忘れたのかい? 彼女は誤解されやすいが、根は受け身な子だからね。日南君への積極的なアプローチは、自分が()()()()()()()形を作ることに固執していた裏返しだったのだろうね。でもそれは、彼女自身が求めている事と果たしてイコールかどうか、ようやく自分の気持ちに気付いたようだが、さて、どうなるか…」

 

 確かに鹿島は、チャラさと優秀さに定評のあった、一代前の司令部候補生・日南大尉の先輩にあたる不破少佐からの転属要請をオコトワリして、当時話題になった。不破少佐があまりにもチャラかったので、『まぁそうなるな』的に皆納得していた部分もあり、忘れたのかい、と問われれば翔鶴と青葉は、すっかり忘れていた。

 

 「では青葉、教導艦隊内のソシオグラムに移ろうか。プリンツ・オイゲンのこともあるが、彼女は特殊なケースだ、現時点では外部要因扱いでもいいんじゃないかな? 説明を始めてくれ―――」

 

 プリンツの身体機能は戦闘に支障なく、問題は記憶の断片化だけ。日南大尉が責任を持ってケアするのが最善の方法、とビスマルクは妹分を教導艦隊へ残すことを強行に主張、本国政府との交渉を経て出向という形で決着を見たのだった。

 

 

 

 「改めて…こほん、Guten Morgen! 私は、重巡プリンツ・オイゲン。よろしくね! ヒナーミの事、ずっと前から知ってるはずなのに、すっごく新鮮!」

 

 敬礼から一転、にぱぁっと輝くような笑顔で、まっすぐに差し出した両手だけをふりふりしての挨拶。微妙に角度をつけて体をひねるから、体の色んなカーブやふくらみがさり気なく強調され、劇的に短いミニスカも絶妙に中が見えない範囲でひらひらする。秘書艦席の時雨も、にこっと微笑んで小さく手を振り返す。

 

 各国の重巡級艦娘の中でもトップクラスの火力を誇るプリンツの着任は、教導艦隊の戦力強化につながり、秘書艦として大歓迎。まして着任に至るまでの事情ー記憶の断片化を起こした状態の安定化のため、かつて同じ部隊だった日南大尉のいる宿毛湾に着任ーを聞けば、もし自分が大尉の事を思い出せなくなったら…と考えると同情的になる。

 

 すすっと三歩ほど下がったプリンツがぺたんと床に座る。悪戦苦闘しながら長い脚を折り畳み正座らしい姿勢になると、手を膝の前で揃えてぺこりと頭を下げる。

 

 「フトドキ・モノー? じゃなかった、フツツカ・モノーですが、スエナガク可愛がってね、ヒナーミ」

 

 三つ指ついてのご挨拶に、流石に時雨も頬を膨らませて日南大尉をジト目で睨みつける。当の大尉は、時雨の肩にぽんと手を置き、柔らかく微笑みながら誤解を解こうとする。

 

 「昔からプリンツは日本文化に興味津々で、日本語もかなり上達したけど…不慣れな所もあるだろうし、彼女なりに一生懸命丁寧に挨拶しようとしたと思うんだ。分かってくれるかな、時雨?」

 

 「そっか…うん、分かったよ。ごめんね…僕もちょっと早とちりしちゃ「ヤーパンの男性はシジュー・ハッテ? でメロメロだ、ってビスマルク姉さまが言ってたし、私、頑張るねっ!」」

 「不慣れどころか詳しすぎるっ! てか四八のメロメロアーツ知ってるの!? 僕だって全部は知らないよ!!」

 

 意味は分かっていないのだろうが、えへへーと無邪気に笑いながらカットイン攻撃をぶち込んできたプリンツに、ついに時雨がめんどくさいモードに突入してぷんすかし始める。そんな光景をワイドショーの生中継的に生温かく眺めている一団―――。

 

 「銀髪一番、金髪二番、三時のおやつは黒髪で♪、ってか?」

 「その歌聞くとカステラ食べたくなるねぇ。ないの、初雪?」

 「あるけど…炬燵からじゃ、手が…届かない…」

 

 季節は秋、南国に位置する宿毛湾も朝晩の冷え込みは結構厳しい。執務室に置かれた冷暖炬燵にも薄手の炬燵布団が掛けられ、正しく暖房器具として使われ始めた。炬燵の四辺には、緑茶と羊羹で渋く時を過ごす天龍、北上、初雪()と、寝落ち中の島風が陣取る。そして玉座のウォースパイトも、季節の移り変わりを反映し薔薇の刺繍の入った薄手のストールを膝にかけ、下界のざわめきにも我関せず、という風情で読書を続けている。気が付けば執務室の天井の一部は高々とした吹き抜けに改築され、遮るもののなくなった玉座はのびやかに高さを増している。

 

 「そういやビスマルクの一声でプリンツの事は決まったんだってな? どんだけ偉いんだ、ドイツの戦艦様は?」

 天龍の指摘に、微妙な表情を浮かべながら頷き合う炬燵仲間たち。所属を艦娘が決められるのかと疑問に思う。そんな問いに啓示を与えるかのように、唐突に頭上から声が降ってきた。

 

 「偉いかどうかはさて置き、欧州各国の総旗艦(フラッグシップ)を務める艦娘は、自国艦隊の編成運用に関して、提督と同格の権威と権能を有するのは確かです」

 

 涼やかな声に、執務室にいる全員が見上げた先には、トップライトから差し込む秋の柔らかな光に包まれ、金髪を煌めかせた女王陛下。まさに天からのお言葉である。

 

 建造ラインの一部規格化に成功したドイツを除けば、ほとんどの欧州の艦娘とはかなり低確率での邂逅しか望めない。なので欧州では艦娘の、とりわけ戦艦級の所有それ自体が国のステータスとなり、待遇もそれに見合うものとなるらしい。

 

 とはいえ、現実には提督を実務のトップとする管理体制に強固に組み込まれている以上、総旗艦の権限が額面通りに行使される機会はまずない。そこに風穴を空けたのがウォースパイト。まさか総旗艦が編成権を自分に行使して日本行きを言い出すなど想像していなかった英国政府は慌てふためいた。最終的には日英防衛相互協定締結の予備調査要員という名目をこじ付け、何とか面目を保とうとした。

 

 その先例をチラつかせプリンツの件でドイツ政府に圧力を掛けたビスマルクだが、ドイツ勢との邂逅や建造成功の事例は以前に比べて徐々にだが増加している現状で、双方の落とし所が『出向』という形になったようだ。

 

 ぷんすか中の時雨を宥めていた日南大尉だが、ウォースパイトの話を聞いて、ビスマルクがなぜ編成権を行使したのか理解できた気がした。

 

 沖ノ島沖(2-5)は、沖ノ島海域(2-4)最奥部からさらに東進、海域中央部北寄りに広がる広い岩礁(リーフ)を避けるようにして南北それぞれから海域最奥部に到達する。潮流と進行ルートの深度の兼ね合いで、北回り航路では戦艦や航空巡洋艦、()()で、南回り航路は水雷戦隊と機動部隊でそれぞれ進撃可能となる。

 

 「プリンツの状態に配慮しながらも、2-5攻略に向けた自分たちへの援軍、か…。ありがとう、ビスマルク…」



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089. 大人には色々あるんだよ

 前回のあらすじ
 ラッキーガール


 気が付けば日が暮れる時間も早くなり始めた秋の日、港に立つ日南大尉は潮風に吹かれながら、大きく海に向かって開けた宿毛湾の湾口を眺めている。ふよふよ肩の周りを飛び回る工廠の妖精さんたちと共に、心配そうな視線を遠く水平線に向けながら艦隊の帰投を待ち続ける。

 

 既に始まった沖ノ島(2-5)への進出、一戦目二戦目に続き、三戦目となる今回もS勝利を収めたとの報告が入った。

 

 教導艦隊は北ルートと南ルートの両方から2-5の海域最奥部を目指している。所属各艦娘の練度を考慮すると、南北いずれかのルートに絞っての攻略よりは、二戦ずつ南北両方のルートで臨むのが大尉の判断だった。

 

 第一戦(北ルート):日向、伊勢、羽黒、妙高、鈴谷、熊野

 第二戦(南ルート):千歳、千代田、由良、磯風、浜風、綾波

 第三戦(北ルート):扶桑、古鷹、加古、プリンツ・オイゲン、利根、筑摩

 

 重巡航巡に航空戦艦を加えた北ルート攻略部隊、軽空母に水雷戦隊を加えた南ルート攻略部隊、いずれも前回の2-4同様、道中は徹底して損耗を避け戦力を温存し海域最奥部に突入するのをセオリーとしている。戦艦ル級フラッグシップ三体を擁する強力な水上打撃部隊を相手に、三戦全て夜戦までもつれ込みながらS勝利を収めたものの、参加艦娘のほとんどが大破、よくても中破で帰投する厳しい戦い。

 

 ボス戦の昼戦で中破した艦娘は、戦船としての矜持をかなぐり捨て必死に逃げ回る。昼戦で大破状態になった艦娘が夜戦に参加して、万が一装甲を貫かれれば轟沈が待っている。当然それを理解する日南大尉は、昼戦で大破艦が出れば自らの進路に関わりなく迷わず撤退を命じる、それが自分たちの指揮官だと皆理解している。だから艦娘達は、命令に違反しないスレスレの線で絶対に引き下がろうとせず、夜戦に全てを賭けぎりぎりの戦いを続けている。

 

 

 

 「2-5、三戦三勝とはやるじゃねーの。正直見直したぜ」

 揶揄うような口ぶりで掛けられた言葉に日南大尉は振り返り、すぐさま敬礼の姿勢を取る。

 「俺らしかいねーんだ、堅苦しいのは抜きでいこうや、な?」

 

 パンツのポケットに両手を突っ込んで、唇を少し歪めて笑いながら現れたのは参謀本部の橘川特務少佐。細く整えられた顎髭、戦闘用ではないが鍛えられた筋肉質の体躯…民間企業から軍へ出向中という異色の経歴が示す通り、明らかに生粋の軍人とは違う空気を纏う。元の性質か習い性かは別として、ある意味で優秀な実務家の特徴でもあるドライさや計算高さを隠すため、橘川特佐は意図してオラつき気味の態度や砕けた口調を装っている。そんな特佐に水を向けられても、日南大尉は上官相手として敬礼を続けている。

 

 「だから気軽にって…えーっと…直れ。ったく、いいんちょ気質だねぇ、日南は」

 直れの言葉でようやく姿勢を戻した日南大尉は思わず苦笑いを浮かべるが、ふと嬉しくなった。

 「艦隊の出迎えに来ていただけるとは思っていませんでした。ありがとうございます」

 

 よせよ、と言わんばかりに手を二度三度振った橘川特佐もにやりと笑い、大尉の反応を伺うため、率直さを装った口調で話を切り出し観察を始めた。

 

 「欧州連合艦隊歓迎イベント、教導課程の視察…随分長く宿毛湾に居ると思ってるだろ? だがほんとの仕事がまだなんだ。お前さんのそばには必ず艦娘がいるからよ、捕まえてサシで話す時間が案外無くてな」

 

 

 

 潮風に吹かれる男二人、困惑をはっきり表情に浮かべる日南大尉と、余裕の表情を崩さない橘川特佐。徐々に落ち始めた夕陽が、少しずつオレンジ色を濃くし始める。

 

 「大した指揮ぶりだと思うぜ、実際。このまま2-5突破しちゃうんじゃね?」

 「万が一の状況になれば即撤退を命じるつもりでしたが…幸いそうせずに済んでいます。皆が全力で戦い、掴んでくれた勝利です。次は最終戦、南ルートからの攻略に当たる彼女達に…自分の進路を委ねます」

 

 あと一戦、次をS勝利でクリアすれば日南大尉は宿毛湾泊地司令部候補生教導課程の修了が確定する。その正真正銘の最終戦に投入される予定の艦娘を聞き、橘川特佐は肩をぴくりと揺らす。個々の要素ならより上をゆく艦娘もいて、教導艦隊の最強メンバーなら別の組み合わせもあり得るだろう。だが、安定感という意味では名前の上がった六名が最良の布陣といえる。

 

 「お前さん的には切り札って訳か。負ければ新課程行きだが…?」

 「彼女達は負けません。もし負けるなら自分の指揮の問題です」

 

 自信か決意か、あるいは両方か、静かだが揺るがない表情で言い切る日南大尉に、顎髭を撫でながら仕草だけで応える橘川特佐。頭の中では猛烈な速さで思考を巡らせ、方針を決める。

 

 横須賀新課程…教導課程のような名称だがその実態は、例の第三世代艦娘だけで構成された部隊である。2-3攻略で磯風や浜風を参戦させ戦果を挙げた日南大尉は、第三世代艦娘の実用性をアピールする格好の指揮官(道具)として技本の目を引いてしまった。

 

 宿毛湾から大尉を横取りするため技本が裏で糸を引いた結果、それが二海域解放を六戦以内という命令の正体。

 

 それでも、薄氷を渡るような危うさながら難題をクリアし続ける教導艦隊の戦況に技本側は慌てだした。このまま命令を達成されては元も子もないが、今更邪魔もできない。それに日南大尉の戦果を見ればますます新課程の指揮官として欲しくなった。もし攻略結果に関わらず日南大尉の意志で転属が行われるなら―――説得、動機づけ、あるいは弱みを握る、橘川特佐が宿毛湾に派遣された真の理由はそこにある。

 

 「なるほどね。けどな…勝っても新課程に来ねえか? お前さんの勧誘が俺の仕事なんだわ。かなーり好待遇っぽいぞ? お前が横須賀に来れば、プリンツの件で技本の協力が得られんじゃねーかな。あーゆーの得意そうな奴を知ってるぜ? それに…いや、何でもない。…また、後でな」

 

 日南大尉の反応を見るのに軽くジャブを放った橘川特佐だが、帰投する艦隊を出迎えるため続々と艦娘達が集まり始め、今はこれ以上の会話を続けられないと判断した。近づいてくる大勢の艦娘の中に雪風の姿を認めた橘川特佐は、泣くような笑うような表情を浮かべ視線を逸らさない。脳裏を過ぎる記憶の欠片に、思わず顔を顰めてしまう。

 

 

 -へえ、雪風って言うのか、よろしくな。

 呉で開催され、いわゆる第三世代艦娘のアピールのはずが問題点を暴露することになった技術展示会で知り合った。

 

 -俺ら人間の仇だ、深海のクソヤロー共を皆殺しにしてくれよ。

 現用兵器が通用しない深海棲艦相手と互角に戦える唯一の存在、それが艦娘。見た目がどれだけ可愛かろうが、こいつらは兵器…なんだよ、な?

 

 -俺の娘もお前と同じ位の年だぜ…生きていたら、だけどな。

 激化する空襲を避けるため妻子の疎開を決めた。もう数日早ければ、少なくとも焼き払われた自宅で娘を失う事はなかった。

 

 -雪風、俺がユキ(有希)って呼んだら、『お父さん』って言ってくれるか?

 -よく分かりませんが、お安い御用ですっ!

 

 

 展示会の技術サンプルとして技本が用意した艦娘の一人。準備期間を含めても、せいぜい一週間一緒にいただけの関係。たまたま自分の娘と似たような名前。ふとした表情がどことなく娘と似ていた。

 

 

 -改装されてから今に至るまでの記憶も失われます。

 無茶な改装を施されていた雪風を助けるには、全てをリセットするしかなかった。疑似的な高練度も、爆発的な高出力も………僅かな思い出も、全て。

 

 

 それだけ、ただそれだけのはずだった。なのに―――。

 

 近づいてくる雪風に向け、抱きしめるように橘川特佐の両腕が僅かに動きかけ―――すれ違う。雪風は橘川特佐をスルーして日南大尉の前まで進んでゆく。

 

 「大尉、お疲れ様ですっ! 雪風、扶桑さん達のお出迎えにやってきましたっ!」

 

 雪風はびしっとした敬礼で挨拶し、すぐににぱぁっと満開の笑顔を浮かべる。うっすらと苦い微笑みを浮かべた橘川特佐の両手はポケットに仕舞われる。懐かしそうな視線がちらりと雪風に、そして奥底に本音を忍ばせた瞳が日南大尉に向けられる。

 

 -雪風(ユキ)の記憶を回復するのに協力してもいい、技本の奴らはそう言った。そのためにプリンツの状態を調べるのが役に立つ、ともな。日南、お前が新課程の指揮官になれば…俺は…ユキと…有希ともう一度…会える…。

 

 

 

 「今度は何を企んでるんですか? 雪風ちゃんの引き抜きですか?」

 「よぉ…引き抜き? 雪風を? 俺は指揮官じゃねーっつーの」

 

 胸のあたりで腕を組み、不審気な表情を隠さない明石が橘川特佐に話しかける。声ですぐに気が付いた特佐は、くるりと表情を切り替え、ビジネス用のそれとは違う、自然な表情を浮かべ軽口を叩く。

 

 この二人は微妙な関係で、明石からすれば橘川特佐は無理な改装を艦娘に施した技本の宣伝役、橘川特佐からすれば明石はプロジェクトの問題点を明るみに出すきっかけを作った艦娘となる。ただ、橘川特佐が雪風に寄せる複雑な感情を目の当たりにした明石は、不思議と特佐を根っからの悪人とは思えなかった。特佐にとっても雪風を正常な状態に回復してくれた明石には、ビジネス抜きである程度心を開いている部分もある。なので今回の宿毛湾への出張で、橘川特佐は工廠に入り浸り明石とツルむことが多かった。

 

 「He-y榛名ぁ…あの二人の雰囲気、どう思いマスかぁ?」

 「いつも一緒にいますね。ひょっとして明石さん、あの参謀本部の人にホの字とかっ!?」

 その表現はout of date(時代遅れ)デショ…と金剛は頬をヒクつかせ、妙に興味津々の榛名が大きな声で叫ぶ。居並ぶ艦娘達の注目はまず高速戦艦姉妹に、次いで明石と橘川特佐に集まる。

 

 「「はぁぁぁっ!?」」

 顔を見合わせ、お互いを指さしていた明石と橘川特佐が同時に叫び、慌てて距離を空ける。

 

 何を騒いでるんだか…と振り返ってきょとんとした表情になった日南大尉だが、すぐに帰投した艦隊に向き直ると、一人一人と固く握手を交わし、目を伏せながら勝利をねぎらい入渠を指示する。一番最後に、旗艦の扶桑が目の前に立ち背筋を伸ばし敬礼をし、そのままボス戦の概要を報告し始めたが、流石に大尉も目のやり場に困ってしまった。

 

 「その…扶桑、報告は入渠を済ませてからで…」

 「あら…その方がよければそうしますけど…」

 

 帰投した艦隊は、一戦目二戦目同様、大破艦が多かった。それはそのまま、制服の布面積が大幅に減少していることを意味し、特に扶桑は上半身の半分ほどが剥き出しで、超弩級戦艦の名に恥じない持ち物が露わになっている。

 

 「気になるのでしたら、こうすれば…ほら、もう見えませんよね?」

 

 大尉の首に両腕を回し、そのままぎゅっとしがみつく扶桑。確かに密着すれば見えなくなるが…。一瞬の沈黙の後、ぎゃーぎゃーと一気に騒がしくなる港。何を騒いでんだか…と呆れていた橘川特佐は、くるくると豊かに表情を変え感情を表に出す艦娘達、中でも自然な笑顔で仲間の輪に溶け込む雪風を複雑な表情で眺めた後、携帯を片手に港を後にする。

 

 「橘川だ。教導艦隊は、日南大尉を中心によくまとまってると思うぜ? 口説き落とすのは無理…いや、ちゃんとやるって。…なぁ、第三世代(G3)みたいに感情を制御するのって、ほんとに有効なアプローチなんかね? …いや、そういう訳じゃ、まぁいい、また連絡する」



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090. 前夜

 前回のあらすじ
 諦めの悪い技本、暗躍中。


 教導艦隊の残す戦いは沖ノ島沖(2-5)最終戦。

 

 教導艦隊の誰もが参加を望んだが、参加できるのは勿論六人。日南大尉の選択は、赤城、瑞鳳、神通、時雨、涼月、雪風の六名となった。しかし、しばしの出撃延期を余儀なくされている。出撃地の宿毛湾は快晴だが目的地の沖ノ島沖は荒れ模様の天気が続いていたためだ。その間、選ばれた者も見送る者もそれぞれに複雑な感情を抱きながら、その日-統合気象システム(JWS-2)の告げる出撃可能な状況を待ち続けていた。そしてその日が明日に迫った前夜―――。

 

 

 一八三〇・居酒屋鳳翔―――。

 

 「どうしたのですか、赤城さん? 食が進まないようですが」

 すっと箸がのび刺身を取ると、醤油皿に一瞬留まった後上品に開けた口に消えてゆく。俯き気味にしていた赤城が口を開きかけたのを遮るように、加賀は再びイサキの刺身に箸を伸ばす。咀嚼と咀嚼の間の短い気遣いは、いつも通り多くの来客で賑わう居酒屋鳳翔の喧騒に消えてゆく。消えてゆくのは気遣いだけでなく、テーブル狭しと並んだ大量の料理も同様で、加賀と赤城が揃った以上見る間に一掃されてゆく。ただいつもと違い、赤城の箸の進みは鈍い。心ここにあらずといった風情で箸を弄びながら、冬瓜と鶏肉の煮物を摘まんでいる。

 

 「日南大尉(あの人)ならここにはいませんよ、遠慮しなくても」

 「そういうのいいですからっ! 加賀さんはもう…」

 ぱくぱく食べ続けながら、加賀は話を赤城に振る。さっと頬を赤くしながら顔を上げた赤城が口を開きかけ、飲み込んだ言葉の代わりに少しずつ本音を吐露し始める。

 「明日、です…」

 「天候が急変するか、赤城さんが食べ過ぎでダウンしない限りは、そうね」

 「だから…はぁ………2-5、決着をつけられる…でしょうか?」

 

 珍しく加賀が眉間に皺を寄せ、何言ってるの? という顔を一瞬浮かべ、くだらない、と言わんばかりに頭を二、三度振ると再び食事に集中し始める。器用な手つきで大ぶりのホッケの開きから骨を外す加賀を見ていた赤城だが、少し不機嫌そうな表情に変わる。今は宿毛湾の本隊と教導艦隊に所属が分かれているが、二人は親友と呼べる仲だ。その自分が抱える不安に気付いてくれてもいいのでは、ともやもやした赤城は、目の前の加賀の表情が真剣なものに変わっているのに気が付いた。

 

 「2-2の広域同時殲滅作戦…。日南大尉は『赤城さんでダメなら納得できる』、そう言ったのよ。そして今、彼は再び貴女を選んだ…私でも、きっとそうするけど。それ以上、何が必要なのかしら?」

 

 加賀はそれだけを言うと、気分が高揚します、とホッケをひょいぱくひょいぱくと口に運ぶ。その様子を眺めていた赤城だが、目の縁を赤くしてぐっと唇を噛み締める。これだけの信頼に、どう応えればいい―――?

 

 「赤城さん」

 

 その声に応えようとした赤城に被せるように、加賀が宣言する。

 「ホッケ…食べないのでしたら、私が全部食べます」

 「そんな…鳳翔さんのホッケを…こんな所で失う訳には…」

 

 二組の箸がホッケの上で踊り、普段の調子を取り戻した赤城に、加賀はわずかに頬を緩める。

 

 

 

 一八三〇(同時刻)・宿毛湾泊地練武場―――。

 

 「ねー神通、そろそろ止めようよー? 私、夜戦に備えたいしさー」

 「那珂ちゃんも賛成っ! クールダウンも大事だよー」

 

 戦艦娘の打撃力と駆逐艦娘の機動性の中間をゆく巡洋艦娘の本職はもちろん砲雷撃戦だが、人型の特性を最大限生かすのと、局面を引っくり返す奥の手としてCQC(近接格闘)を修める者が少なくない。川内型三姉妹の場合、遠距離は川内、近距離は那珂、そして神通は中間距離での戦いを得意とする。

 

 練武場の端には神通、中央には那珂、反対側の端には川内。迎え撃つ那珂を突破して川内を倒せば神通の勝ち、それが二対一の変則組手のルール。何度も那珂に突撃を防がれ川内まで辿り着けずにいた神通だが、思い詰めたように組手を止めようとしない。前海域の2-4で戦艦ル級を仕留めきれなかった事が神通の頭から離れない。普通に考えれば軽巡洋艦が戦艦に大ダメージを与えただけでも大したものだが、神通としては納得できずにいた。

 

 明日の出撃を控えた神通に頼み込まれた二人だが、これ以上はむしろ疲れを残して逆効果になる。それに本気で突進してくる神通を()()で往なすのも限界がある。だが神通の返事は言葉ではなく行動で返ってきた。

 

 「も~っ! 人の話を聞かない神通ちゃんにはオシオキしちゃうぞ!」

 「いいよ、那珂ちゃんは下がってて。私がやるよ」

 

 何度も繰り返したこの組手、初めて川内が自分から前に出て那珂と入れ替わる。それを見た神通の唇の端がにやりと持ち上がる。マフラーを直しながら、とんとんとリズムを取るように体を軽く上下に揺する川内に狙いを定めた神通は、縮地と呼ばれる、距離を一気に潰す踏み込みから神速の蹴りを送り込む…はずだった。

 

 「なっ!?」

 何気なく、川内が予備動作なしで前に詰めてきた。神通は蹴りを放つために左足に力を込め既に右脚を持ち上げている。相対距離が一気に縮まり、蹴りに入れない。そこに川内が首の白いマフラーをしゅるりと外し、手首のスナップを利かせ顔を打つように奔らせる。一瞬視界を塞がれた神通は次の動作に入るのが一拍遅れてしまった。

 

 軸足をぽん、と払われた神通が目にしたのは練武場の天井で、背中を床板に打ち付け一瞬呼吸が止まる。体の悲鳴を無視して起き上がろうとしたが、川内にマウントポジションを取られ、体を動かすことができない。

 

 「はい、おしまい」

 

 川内のあっさりとした勝利宣言に、神通はぎりっと唇を噛み締める。そんな妹を困ったような表情で眺める川内は、神通を助け起こしながら優しく問いかける。

 

 「そのうち私なんか追い越して神通は強くなるよ? なんでそんなに焦ってるのさ?」

 「そのうち…じゃダメなんです。今勝たないと…大尉は…」

 「そっかー…じゃぁ那珂ちゃんが出撃しよ(舞台にあがろ)っかな? 今の神通ちゃんじゃ、実力の半分も出せないよ? 」

 

 川内と神通が反応したのを確かめた那珂ちゃんは、とびっきりのアイドルスマイルを浮かべて真意を明かし始める。

 

 「真剣なのと余裕がないのは、那珂ちゃん違うと思うなー。神通ちゃんはー、もっと自分を信じて、もっとのびのびとパフォーマンスした方がいいと思うの。こんな大舞台に神通ちゃんを選んだ日南大尉(プロデューサ補)の目は、確かだよ」

 

 那珂ちゃんに釣られた神通は、ぎこちないが、それでも少しだけ肩の力が抜けたように、柔らかく微笑み返す。

 

 

 

 一九三〇・艦娘寮―――。

 

 出撃を明日に控えた夜、自炊派の涼月が自室で晩ご飯の用意をしようと立ち上がる。エプロンをつけ奇麗に片付いた部屋を横切りキッチンへ向かうと、床に置いた篭からカボチャを取り出し、満足そうににっこりする。

 

 こんこん。

 

 首を傾げて不思議そうにドアを見つめていると、もう一度ドアがノックされる。取り敢えず手にしたカボチャを篭に戻しドアに向かう涼月。開いたドアの向こうには、土鍋を両手で持つ秋月と篭を下げた照月と初月の姿があった。

 

 宿毛湾全体で見れば秋月型駆逐艦四名が揃っているが、涼月以外の三名は本隊所属、しかも貴重な防空駆逐艦であり出撃の機会が多くなかなか涼月と顔を合わせる機会がなかった。だが今回、涼月が2-5最終戦に参戦すると聞いた三人は、涼月を応援する夕食会を開こうとこっそり企画していた。そして出撃前夜、涼月の部屋にやってきたのだった。

 

 思いがけないサプライズに、思わず半泣きの涼月を慰めるように集まり、広いとはいえないキッチンで四人仲良く料理を始める。できあがったのは―――。

 

 「こっ、これは! 秋月姉さん、な…なんというものを…」

 

 炊きあがったご飯を一口食べた涼月が、ぷるぷると肩を震わせる。その様子を見た秋月が満足そうに微笑み、にぱぁっと満面の笑みを浮かべる照月と、クールにふっと笑う初月がグータッチでさらなるサプライズの成功をお祝いする。

 

 「は…白米だけだなんてっ!」

 「今年度評価特Aのゆめぴりかの新米を、玄米で仕入れて自家精米したのよ。さぁ、みんなで食べましょう!」

 

 麦飯ではなく土鍋で炊いた最上級のお米、おかずにはお馴染み牛缶と入荷されたばかりの秋刀魚缶、涼月自慢のカボチャの煮物、そして自家製の沢庵が並ぶ。粗食(マクロビ)派の秋月型姉妹らしいが、素朴でも思いやりに溢れた食卓。

 

 「こんばんわー♪ 明日に向けた決起大会でしょう? なら一緒にしません?」

 

 大量の卵焼きが載せられた皿を両手で持った瑞鳳と祥鳳、漣がノックの返事も待たずに上がり込んできた。こちらはこちらで出撃する瑞鳳を励ます会を開いていたが、秋月達が来ているのを聞きつけて合流しようとアポなしで涼月の部屋に突撃してきた。

 

 「お初さん、秋月姉さん、照月姉さんっ! あんなにたくさん…黄金色の…良質のたんぱく質ですっ!」

 肩を抱き合いお互いを庇うようにがくぶるしながら瑞鳳の卵焼きから目を離さない秋月型四姉妹から逆に目を離せない来客たちだが、すぐに気を取り直して卓袱台に持参した皿を置き、賑やかな食事が再開された。

 

 

 

 二一〇〇・艦娘寮(別の部屋)―――。

 

 椅子に逆向きに座り背凭れに胸を預け、頬をぷうっと膨らませる時雨。おさげを解いて下ろしたセミロングの黒髪、大きめのTシャツとハーフパンツ…簡単に言えば寝る直前だった。視線の先には私室備え付けの冷蔵庫を勝手に開け、牛乳を紙パックのままごくごくと飲む村雨。湯上りで長い亜麻色の髪をタオルでまとめたシルクのパジャマ姿で、お尻でぱたんと冷蔵庫のドアを閉めている。

 

 「………何しに来たのさ? 僕は明日早いんだけどな」

 

 もっともである。時雨は明日出撃、よほどの用事がない限り時雨の休息を優先すべきタイミング。時雨の対応が気に入らなかったのか、紙パックを口から離した村雨は拗ねたようにぷいっと横を向くと、少しの間を空けてじろりと視線を送る。

 

 「べっつにぃ~。…時雨ちゃんが緊張してないかどうか、見に来ただけだし。…勝ってね。勝たないと…」

 

 

 続く言葉は、教導艦隊の誰もが分かっていること。

 

 

 仮に、百万歩譲って2-5を今回突破できなかったとしても、客観的に見ればきっと大きな問題ではない。日南大尉は横須賀に設置される新課程に転籍して、多少遠回りでもいずれ頭角を現す。教導艦隊の艦娘達は、究極的にはやることは変わらない。深海棲艦と戦い、これに勝つ。宿毛湾残留なら桜井中将の指揮下に戻るだけ、どこか別の拠点に転属を命じられたら新しい誰かの指揮の下で戦う。艦娘には、何を撃つのか、誰が引き金を引けと命じるのか、選ぶことはできるはずがなかった。

 

 

 そう、できなかった。

 

 

 司令部候補生制度と教導課程という、桜井中将が半生を賭けて作り上げた制度は、限定的とはいえ、艦娘達に選択の自由を与えた。教導艦隊の艦娘達は、日南大尉と出会い、彼のために戦いたいと望み、彼に望まれて戦うことを選んだ。時雨だけではなく、教導艦隊にとって2-5攻略は、自分たちが自分の意志を叶えるための戦い。だから負けるわけにいかない。

 

 「村雨、僕はもう寝るよ。………村雨、僕たちは…ここにいても大丈夫、うん、大丈夫だよ」



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091. Bitter Sweet Nightmare

 前回のあらすじ
 出撃前夜の娘さんたち。


 二〇一五(フタマルヒトゴー)・外来者用宿舎。

 

 今の仕事は学部生でもできるような試料分析や生検の繰り返し。率いていたチームからは一人また一人と去り、与えられた薄暗く古いラボには自分だけ。このままでは自分は技術者として終わってしまう。あれだけ酷評された第三世代艦娘(G3)だが試験先行配備として少しずつだが配備数が増え、実戦投入され戦果を挙げた部隊まででてきたではないか。さらにはG3だけで構成される部隊の編制…これは自分の技術の方向性が正しかった証拠だ。いわば自分は生みの親、なのにその自分を飼い殺しにするとは―――。

 

 …と、一頻り武村技術少佐の話を聞かないと本題に入れない。

 

 必要があるから定期的に連絡を取っているだけで、毎度同じ話の繰り返しに橘川特佐はうんざりしている。宿毛湾泊地への滞在が続く中、宿舎として与えられた一室で、特佐はベッドに横たわりながら携帯をスピーカーモードにして武村少佐の繰り言が終わるのを待っている。ただ、哀れに思わない事もない。

 

 -否定されてんのは技術者としてのお前自身だって分かんねーのかよ? いや、分かんねーから武村なんだろうな…。

 

 そもそもG3と呼ばれる第三世代艦娘は、明石の言う通り技術的に目新しい物はなく、枯れた技術の水平展開でしかない。長い年月をかけ確立された既存の艦娘開発技術は安定している、問題があるなら組み合わせ方…つまり武村少佐に問題があったと判断されている。橘川特佐がスポンサー様と呼ぶ黒幕が第三世代艦娘に価値を見出しているのは確かで、呉での失態を経ても技本そのものは組織として生き残った。むしろ新たな担当の手で改良を施された、いわば3.1世代や3.2世代は、依然として試験艦特有のトラブルを抱えているが、それでも武村少佐が手掛けた実験艦よりは安定している。そこまで振り返り、これからの事を思うと特佐の表情が険しい物に変わる。

 

 「…武村、これだけは答えろ。本当に…プリンツ・オイゲンの脳の状態を調査することが、雪風(ユキ)の記憶を取り戻すことに繋がるんだろうな?」

 

 武村少佐の愚痴が終わったのを見計らい、身体を起こしてベッドに腰掛けた橘川特佐は、内心別な事を考えながらも、声を低くして電話越しに少佐を問い質す。言外に『ホントにお前にできるのか?』との疑念を忍ばせているが、武村少佐は気付かないようだ。

 

 

 日南大尉を新課程に引き抜くのは、技本首脳陣の要望で、雪風の件は利害の一致した武村少佐との個人的な動き。

 

 二つの異なる目的で技本を舞台に動く橘川特佐もまた、自分が黒幕の動かす駒の一つに過ぎないと自覚している。だが宿毛湾に来て目にした、共に歩む未来を勝ち取るため無理筋な作戦に一丸となって挑み続ける日南大尉と教導艦隊の姿は、特佐に鮮烈な印象を残していた。彼らを引き離すのが良い事かどうか、正直に言えば迷いがある。だが仕事は仕事、心のどこかに蓋をしなければやっていけない。それに―――。

 

 「まずプリンツを横須賀(私の元)に送り込む手筈を整えなさい、話はそれからです。忘れてはいけませんよ、貴方は私の返り咲きに力を貸す。そうすれば雪風の件で力になる、それが我々の約束」

 

 愚痴から始まり実務的な話を挟んで恫喝で締めくくる…それが橘川特佐と武村少佐のいつもの会話だが、その後の行動は対照的とも言えるものとなった。

 

 「日南大尉と教導艦隊(あいつら)を切り離す…やるとしたら日南を二者択一に追い込む…生き別れた妹に関する情報と引き換え、ってのは結構効くと思うが、えげつねぇやり口だよなぁ…」

 深いため息をつき項垂れそのまま動かずにいたが、やがてぼそりと、耐え切れなくなったように感情を吐き出し、枕を殴りつける橘川特佐と―――。

 

 「レア艦として名高いプリンツ…欧州生まれの艦娘の生体分析を通して、私が名を上げるための新たな発見(ブレイクスルー)があるかも知れないのです! 何が記憶だ、そもそも雪風が呉で計画通りに動いていればこんなことには! 橘川のヤツもくだらない事に拘る…適当に記憶(情報)を上書きしてあげますよ」

 薄暗いラボで一頻り身を捩って哄笑すると、本音を叫び出した武村技術少佐。

 

 

 

 それは繰り返し見る夢の一部。

 

 作業用の鉄柱や通信設備が乱立する旧式の輸送艦の上甲板。マナド湾を出た直後に、激しい衝撃で船は大きく揺さぶられ、長くたなびく悲鳴を残しながら、大勢の人が甲板から夜の海へと放り出されるのが見えた。船の動揺が収まった頃、緩やかに船は傾き始め、甲板の上をずりずりと音を立てながら重たいコンテナがゆっくりと滑っている。怯え切った妹を両腕で抱え甲板の隅に蹲っている。自分でも震えているのが分かる。聞きなれないがちがちと鳴る音が自分の歯の音だと気付くのに時間がかかった。辺り一面、怒鳴り声と悲鳴、甲高い発砲音と砲撃音で満ちている。誰もが自分のことで精いっぱいで、自分の邪魔になりそうな者は押しのけ蹴倒し、少しでも安全な場所を確保しようと必死だ。

 

 「おにいちゃん、こわいよ…。パパとママ、どこ…?」

 「…分かんない。でもお兄ちゃんから離れちゃだめだよ。絶対に手を離さないで」

 

 兄・日南 要と妹・日南 咲―――二人の住んでいたスラウェシ島北端の街マナドは、深海棲艦の水上打撃部隊による猛烈な艦砲射撃を受け劫火に包まれた。どこをどう逃げたか分からないが、両親とは途中で逸れてしまい、逃げ惑う人々の波に押し流されるように港までたどり着いた。押しのけられ突き飛ばされ、それでも何とか乗り込んだ避難船が攻撃を受けている。

 

 顔も体もあちこち傷だらけ、汗と泥と埃で薄汚れた少年にも、守りたいものがある。妹が痛みに顔を顰めるくらい強く手を握り、立ち上がる。父さんや母さんはもしかしたら…どうすればいいかは分からない。でも、妹がいるんだ、びびってばかりいられない。遠くに立ち昇る炎と煙…攻撃を受けた避難船か、()避難船。ふと海を見れば、真っ黒な海面を彷徨うように青や黄色、赤の光が蠢いている。

 

 「あれは…蛍…いや、人魂?」

 

 今なら、色とりどりの燐光は深海棲艦の上位種が纏うオーラの光だと分かる。けれどあの時は、遠目にゆらゆらと海面に漂う光は、場違いなまでに奇麗で、怖さよりも不思議と安心感を与えてくれた。そしてもう一撃、さっきよりも激しい衝撃と轟音に、船全体が軋み悲鳴を上げる。ほとんど止まりそうなくらいに速度が落ちた輸送船は、それでも必死に逃げようとする。大人たちが半狂乱になりながら救命ボートに群がっている。ボートを海に下ろそうとしているのか、先を争って乗り込もうとしているのか、よく分からない。でも誰も親からはぐれた子供には目もくれなかった。泣きながら子供たちがボートに近づくたびに、大人の人に蹴り飛ばされている。喉まで出かかった『助けてください』という言葉は引っ込んだ。見たこともない深海棲艦よりも、目の前で大声を出して子供を苛める大人の方が怖かった。

 

 船底からわき上がるように、小さな爆発が立て続けに起き、もう一度大きく船が揺さぶられる。今度こそ船から投げ出されてしまった。目の前に満天の星空が、目の端には自分が手を離してしまった妹が遠くに投げ出されるのを一瞬だけ見た後は、海面に叩きつけられ沈み込んだ。無我夢中で海面まで上がってくると、輸送船は炎を上げ傾きながら遠ざかったゆく。浮かんでいる大きな板切れに掴まり潮に流され、偶然見つけた無人の救命ボートに必死にしがみ付いた。

 

 助かった、という実感と同時に、自分が助かったと実感できるまで妹の事を思い出さなかった自分に気が付いた。狂ったように妹の名前を呼び続け、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにして泣き続けた。泣き疲れボートに横たわっていると、少しずつ空の色が黒から紫に変わろうとしていた。二週間に渡る漂流の始まり―――。

 

 

 「…〇二三〇(マルフタサンマル)、か…」

 

 びっしょりと寝汗をかいて目を覚ました日南大尉は、ベッドサイドの時計をちらりと見る。寝起きらしい少し掠れた声で、確かめるように時刻を読み上げベッドに腰掛けて、ぼんやりしながら頭を振る。二時間は寝られたか、と思わず苦笑してしまう。幼い子供が受け止めるにはあまりにも重すぎる体験は、時を経た今でも大尉の心にPTSDとして残っている。以前ほどではないが、依然としてマナド襲撃時の夢にうなされる事は少なくない。ふぅっと息を吐いて髪を無造作に掻き上げる。着任当初は短く切り揃えていたが、気づけば手櫛で流せるほど長くなっていた。妖精さんにお願いして小まめに切ればいいのだが、桜井中将がその辺のことをとやかく言うタイプではないのをいいことに、そのまま伸ばしっぱなしにしていた。俯いたまま、ただ淡々と自分に言い聞かせるように、夜明けにはまだ遠い暗がりに包まれた寝室の闇に、日南大尉の声は溶けてゆく。

 

 「自分のような思いをする人を増やしてはいけない…この戦争に終わりの道筋をつけるべきだ。…嫌な夢だけど、なぜ自分が提督になると決めたのか、思い出させてくれるのだけは…感謝しないと、な…」

 

 

 「そんな悲しい夢に…感謝…しないで…」

 

 

 突然、柔らかい灯りが宙に点り、濃い陰影に彩られた前髪ぱっつんの黒髪ロングの顔が浮かび上がる。人間、本当に驚くと声も出なくなる。文字通り腰掛けていたベッドから飛び跳ねた日南大尉が声のする方を凝視すると、懐中電灯で顔を下から照らしながらセーラー服に半纏を纏った初雪が立っていた。何で寝室のドアを…と言いかけて大尉は苦い顔になる。教導艦隊に初期からいる子は明石が作った鍵の複製を持っていたことと、変えよう変えようと思っていて鍵をそのままにしていたことを思い出した。バクバクする心臓を宥めつつ、初雪に声を掛けようとするが上手く言葉にならない。

 

 

 「私たち…知ってる、から…。大尉が結構…夜うなされてる…こと。だから島風は…大尉がちゃんと寝られたかどうか…確かめるのに…朝イチで…来てる。涼月は…菜園の収穫がてら…外から灯りを…確認してる…。時雨は…低血圧だから…朝じゃなくて…夜はぎりぎりまで、いる…。や、初雪は…よくおコタで…寝落ち…してる、から…」

 

 「みんな知ってる、ってことかい?」

 「全員じゃない。あとは女王陛下…」

 

 つつつっと隣に来てベッドにちょこんと腰掛けた初雪の話を聞きながら、ようやく落ち着きを取り戻した日南大尉は、それほど心配をかけていたのか、と何とも言えないキナ臭い表情に変わるしかなかった。そんな大尉の肩に、こてん、と初雪が頭を預けるように寄りかかる。何も聞かずただ寄り添う初雪の、肩越しに伝わる温もりに気持ちが解けてゆくのを感じた日南大尉は、しばらく無言のまま時間を過ごしていたが、ぽつりと初雪が問いかける。

 

 「この戦い…2-5を突破すれば…ちゃんと…寝られる?」

 「どうかな…でも…少なくとも今日はもう少し寝られそうかな。…ありがとう、初雪。自分は寝るよ、ちゃんと自室に戻る事、いいね?」

 

 こくり、と頷いてしゃーっと寝室を後にした初雪の後姿を見送った後、日南大尉はベッドに転がる。深呼吸を一つ、そしてそのまま眠りに落ちていった。

 



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092. 月が吠える

 前回のあらすじ
 眠れない夜。


 沖ノ島沖(2-5)南回り航路、Cポイントで戦うのは軽母ヌ級フラッグシップ、二体の重巡リ級、三体の駆逐ロ級後期型から成る敵前衛艦隊A群。赤城、瑞鳳、神通、時雨、雪風、涼月から成る教導艦隊は、定石通り戦力を保全しつつ海域最奥部へと向かおうとしているが、道中で向かってくる敵はそのままにできない。そうして双方空母を有する艦隊同士の激突が始まったのだが―――。

 

 「大尉っ! 敵航空隊がすでに展開中ですっ!! 先手を取られてますっ」

 

 ツインテールを揺らしながら C4ISTAR(統合指揮統制システム)のオペレータ席に座り端末の操作を担当する鹿島が慌てて振り返るのは日南大尉。教導艦隊としての戦いは、勝っても負けてもこれで最後。大尉の、そして自分たちの行く末を見届けようと遠征もすべて中止し全員が集まり、さらに本隊からも多くの艦娘が観戦を希望したため、今日の指揮は泊地本部の作戦指令室で行われている。

 

 赤城と瑞鳳の展開する索敵線が敵を捕捉できずにいる間に、涼月の一三号対空電探改が総勢九〇機にも及ぶ敵航空隊を探知したと急報が入り、作戦指令室は一気に騒然とする。敵艦隊を警戒しつつ南南東へ進む教導艦隊に対し、回り込んで南から一気に攻め上がってくる敵の攻撃隊が青の輝点でモニター上に踊っている。

 

 眉を顰め顎に手を当てる日南大尉の僅かな仕草だが、これまでの戦いと違う予感を感じさせ、見守る教導艦隊の艦娘達もざわざわし始める。南回り航路での一戦目、千代田と千歳を中核とした部隊は海域最奥部に到達し見事S勝利を収めたが、受けた被害は想定を大きく超え甚大なものだった。提出された戦闘詳報を読み込んだ日南大尉は、敵の装備向上に加えて戦術レベルでの変化を疑っていた。

 

 「偵察機…いや……高出力の電探、か…?」

 

 モニター上で激しく動き回る輝点を俯瞰する日南大尉の目つきが険しくなる。捉えられなかった敵部隊に、自分たちを待ち構える敵航空隊…大尉の表情が苦い物へと変わり、鹿島と隣り合うオペレータ席に荒っぽい動きで座ると、手にしたヘッドセットを付ける間も勿体ないと言わんばかりにそのまま指示を出す。

 

 「艦隊、輪形陣へ移行っ! 赤城、瑞鳳、全艦戦直掩に回し艦隊防空っ! 全員対空戦闘用意! 防ぎきるぞっ!!」

 

 偵察機による索敵線は、長距離かつ広範囲に敵を捉えられるメリットがある反面、偵察機を発見されること自体が自らの存在を間接的に暴露するリスクになる。だが艦隊上空を旋回し直掩に当たっていた部隊からは敵偵察機を発見したとの報告は上がっていない。にも関わらず、敵の航空隊はすでに進出している。ということは高出力の電探により探知された前提に立つべきだ…と日南大尉は判断した。

 

 敵艦隊の航空戦力は空母ヌ級フラッグシップ一体だが、軽空母といえども大型正規空母並みの投射量を誇り侮れる相手ではない。そして大尉が危惧した通り、敵艦隊はヌ級が装備する深海対空電探の性能をフルに発揮して戦闘管制に当たっていた。対空電探は方位と距離に加え高度を計算する三次元レーダーだが、二次元探知、つまり水上電探としても十分代用できる。垂直方向の走査で教導艦隊上空を旋回する直掩隊を捕捉し、さらに水平方向の走査で艦隊の方位と距離を測定した後、空母ヌ級は自身の艦隊防空さえも捨て、全力投射で先制攻撃を仕掛けてきた。さらに海上では重巡二と駆逐艦三から成る重水雷戦隊が、空を翔ける攻撃隊の後を追うように疾走を続ける。

 

 

 

 偵察機の操作に集中していた赤城と瑞鳳は、飛び込んできた日南大尉からの緊迫した指示に、長い黒髪とポニーテールの茶髪を揺らしながら顔を見合わせ、頷き合う。なぜ、とかどうして、などを問う必要はない。右手で頬に掛かった髪を後ろに送りながらすぅっと目を細めた赤城は弓を握りしめた。周囲では慌ただしく水雷部隊が位置を入れ替え、輪形陣を完成させようと海面に白い軌跡を描いている。

 

 「敵編隊…さらに接近中…方位南、距離約一一〇km…。高度六〇〇〇の一群と…高度七〇〇の一群…」

 

 南方約中央に赤城と瑞鳳が配される教導艦隊の輪形陣を上空から見れば、前衛に時雨、後衛に雪風、左翼に神通、そして最初に接敵する南面の右翼には涼月が陣取り、一三号対空電探改が捉えた情報を部隊内、そして宿毛湾泊地で指揮を執る日南大尉に伝えつつ空を睨む。その情報は空母娘に最早一刻の猶予もない事を知らせ、二人は左手に提げた弓に矢を番えながら大きく引き絞る。

 

 「瑞鳳、足の軽い二一型から出してくださいっ!」

 「う、うん! 数は少なくても精鋭だから!」

 

 日南大尉の張り詰めた声と、空を厳しく見上げる赤城の視線に気圧されながら、瑞鳳は弓を構え引き絞る。ひゅんっと弦が空気を震わせ、空を切り裂くように進む矢は光と共に熟練の零戦二一型へと姿を変え、ふわりと上空へと消えてゆく。隣では同じように番えた矢に語りかえ、それから力強く引き絞る赤城の姿。

 

 「かつての貴方たちと戦ったことはありませんが、零の系譜に連なる子達…よろしくお願いします」

 

 -引きが大きい…そっかアレを飛ばすんだもんね。

 

 瑞鳳の言うアレ-烈風を空に解き放つ赤城。零戦より遥かに大柄で重量級の機体を飛ばすには、矢勢も相応に必要となるが、いつもより大きく強く弓を引き絞った赤城は普段通りの速射で航空隊の展開を素早く完了させた。

 

 

 

 敵の編隊を迎え撃つのは、瑞鳳の零戦二一型一八機と赤城の烈風一六機。優位な高度から一斉射撃を加えながら急降下で迫る白い深海猫艦戦に対し、烈風隊は二〇〇〇馬力を超えるハ四三の大馬力にモノを言わせた急加速からの急上昇を見せる。上空から被ってきた相手の下腹越しにすれ違い追い越してから一八〇度ループで宙返り、背面飛行から一八〇度ロールで縦方向のUターン、つまりインメルマンターンで躱しきった。数機は被弾し撃墜された機もあるが編隊は崩さず、烈風は逆ガルの大きな翼に風を孕んでそのまま翔け抜け、その先にいる、艦戦に護衛された深海地獄艦爆の一群を目指している。

 

 「全小隊突撃開始、逃さないでっ!」

 「二〇ミリ機関砲弾(おべんと)、食べるりゅ?」

 

 航空隊の妖精さん達と感覚を共有する赤城の脳裏には、敵艦爆へ向かう部隊から齎される情報がフィードバックされ、遅れることなく攻撃を命じる。上空で赤城の烈風が護衛の敵艦戦と艦爆隊との激闘を続けている間にも、急降下から海面近くまで高度を下げた敵艦戦に瑞鳳の零戦二一型が襲い掛かる。最高速度を利したズーム&ダイブでは分の悪い二一型だが、格闘戦の性能はいまだ一級品である。待ち構えて低高度の水平方向での格闘戦に持ち込み、総合性能に勝る猫艦戦と一進一退の戦いを続けている。

 

 敵に大きな打撃は与えたが、三四機の直掩隊で敵九〇機を抑えるのは容易ではなく、徐々に防空網を抜け輪形陣に向かい距離を詰めてくる敵機が増え始めた。

 

 

 「涼月、聞こえるね? 直掩隊を突破した敵機が来る。距離六〇〇〇まで引きつけて叩いてくれ」

 「はい…。大尉…艦隊は…私が必ず…お守りします」

 

 肩幅よりやや広く両脚を開き、柔らかく膝を曲げ少し前に重心を掛ける涼月は、少しだけ頭だけを持ち上げ空を見上げると、ひと房束ねられた左側の髪が頭の動きに合わせて揺れる。腰にアタッチされた、艦首を二分割したような装甲の内側に配置される二体の長一〇cm砲ちゃん達も星十字の目を光らせ、砲塔()を回し浅い仰角で前方への射撃体勢を整える。

 

 「ここは譲れない」

 「絶対にお守りしますっ」

 前衛の時雨は二、三度屈伸を繰り返した後、背中の基部からフレキシブルアームを介して前方に伸びる砲塔内側のガングリップを握り対空射撃に備える。空母娘二人を挟んた後衛の雪風も首から下げた双眼鏡を覗き込んでいたが、きゅっと唇を噛むと、茶色のベルトで肩から鞄上に提げた砲塔に持ち替え、同じように対空射撃の準備に入る。

 

 「近づける訳にはいかない………撃て!」

 

 凛とした涼月の号令一下、長一〇cm連装高角砲が一斉に火を噴き、あっという間に空一面に黒煙でできた花が咲き乱れる。

 

 

 

 対空射撃の砲煙が作る黒い雲が汚す青空を切り裂くように敵機が空を乱舞し、海には放たれた爆弾が作る水柱が次々と立ち上がる。陣形を崩さず必死に回避運動を続けながらも、視線と砲口を空に向け対空弾幕を張り続ける時雨達教導艦隊。その中で唯一、回避行動をごく最小限に留め、腰をやや落とし膝を柔らかく上下させ下半身全体でバランスを取り反動を逃がしながら連続射撃を続ける涼月。距離六〇〇〇、僅か一分で目前まで迫ってきた敵機を、四門の高角砲が唸りを上げ迎え撃つ。放たれた毎分一五発、秒速一〇〇〇mの鋼鉄の弾幕は、手始めに四機一組の深海復讐艦攻の小隊を爆散させ、後続の部隊は慌てて方向転換し涼月の火線から逃れる。

 

 「逃がしませんっ! 乙型駆逐艦の実力、今こそっ!」

 対空射撃の妨害のため突っ込んできた敵艦戦の機銃掃射に耐えながら、旋回し再突入を図る別部隊に狙いを定めた涼月は火線を集中して追撃する。涼月一人に散々に撃ち払われた敵雷撃隊は戦力の半数を失い、体勢の立て直しを余儀なくされるに至った。

 

 「は、早いっ。そっか…まさに本職ってことかな、うん…」

 時雨が思わず砲撃の手を止め見つめてしまい赤城から注意を受けてしまう。駆逐艦娘全員が装備する長一〇cm連装高角砲は毎分一五発の射撃が理論上可能だが、実際にその速度で撃ち続けるにはどれだけの訓練が必要となるのか。さらに一三号対空電探改と組み合わせられる高射装置により、涼月は目標の探知追跡、未来位置修正角計算、射線設定を瞬時に行い精度の高い射撃を行うが、同時にそれは情報処理を担う脳や神経に想像を超える負荷を掛ける。対空攻撃に優れた能力を発揮する時雨でさえ、同装備を同じようには扱えない。だから分かる、凄まじさ。

 

 「けれど…僕も負けてられないね…いくよっ」

 

 

 

 直掩隊と駆逐艦娘達の奮戦により、教導艦隊の被害は赤城と涼月の小破に抑えられた。耐えに耐え、敵航空部隊に大きな損害を与え撤退に追い込んだ今、攻守が入れ替わる。赤城と瑞鳳を発艦した攻撃隊が、接近を続ける敵の重水雷戦隊に銀翼を連ね殺到している。この航空攻撃でCポイントでの交戦の勝利は確実となった。警戒を緩めない艦隊だが、それでも時ならぬ凪が訪れ、心配そうな表情で時雨が涼月に近寄ってゆく。

 

 「何とかなりそうかな。それよりも…大丈夫、涼月?」

 「はい、このくらい…。私、こう見えて結構頑丈なんですよ」

 

 砲煙で煤けた白い頬に赤い血の筋を伝わせながら、柔らかい笑顔で涼月が応え、時雨が不安そうな表情になる。防空駆逐艦として艦隊を守るため、涼月は敵の攻撃を極力()()()()。ぎりぎりまで引きつけ、自らの危険と引き換えに確実に敵機を屠る。

 

 -僕も以前はそうだったから分かるけど…そんな戦い方、日南大尉は望んでないと思うんだ、うん…。

 

 その表情から何かを悟ったのだろう。涼月はうっすらと微笑んだまま目を閉じ、胸の前で両手を重ねると、時雨を安心させるように、自分に言い聞かせるように、静かに告げる。

 

 「…心配しないでください。私は…涼月は必ず、帰ります。皆さんの…大尉のもとに」




 リアルライフが超忙しく、週一更新も危うくなっています。時間が作れればペースを上げたいとは思ってますので、引き続きお付き合いいただけますと幸いです。


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093. ガラスのメモリーズ

 前回のあらすじ
 艦隊防空ガール、全開。


 現在教導艦隊は、Eポイントと海域最奥部のOポイントの中間地点、海域中央部北寄りに広がる広い岩礁(リーフ)で明朝の再出撃のため休息にあたっている。

 

 初戦Cポイントは先制で空襲を受けながらも涼月の対空砲火で艦隊を守り切ってから反撃に移り敵を撃退、続くEポイントで待ち受ける重巡戦隊に対しては、空母部隊の航空攻撃で追い込み、最後は時雨と雪風の活躍によりS勝利を飾った。だが、初戦は赤城と涼月の小破に留めることができた損害も、第二戦を終え涼月が中破、さらに雪風も中破と損害が拡大。現時点で撤退を命じるほどではないが、最終戦での夜戦に不安を残す状況となった。

 

 「みんな、よくここまで辿り着いてくれた。今日はゆっくり休んでくれ。戦闘糧食で悪いけど、ちゃんと食べてよく眠る事、いいね」

 

 柔らかく、モニター越しに艦隊を労わる様に呼びかけるのは日南大尉。宿毛湾泊地本隊の作戦指令室には、依然として多くの艦娘が詰め盛り上がっている。だがその表情をよく見れば笑顔の中に緊張感が隠れている。教導艦隊の艦娘も宿毛湾の本隊の艦娘も、艦隊の現況と戦況は分かっている。勝つだけなら可能性は十分にある。だがそれだけでは足りないのだ。今回の作戦に課せられた条件が教導艦隊に大きくのしかかる。S勝利以外が意味するのは、誰もが分かっている。それでも、日南大尉は微笑む。

 

 岩礁に囲まれた広い遠浅の海の至る所に岩場が点在し、そのうちの一つに教導艦隊は投錨し、中継用に設置されたカメラとセンサーには、テーブルのような平面を持つ大きな岩場で寛ぐ六人の姿が映し出されている。

 

 「悪いだなんて、そんな…白米のお握りにお漬物、それに牛缶に秋刀魚缶まであるんですっ!…むしろこんな贅沢をさせてもらって…。あ、でも…帰ったら…その…ま、抹茶オレを…その…」

 日南大尉の声を聞き、慌てたような口調で手をワタワタさせて言いつのるのは涼月。動きに合わせて月明かりを纏うように銀髪が揺れ、中破した姿のままで画面にズームされたので、初月が思わず日南大尉とスクリーンの間に割って入る。涼月を除く姉妹三人は宿毛湾の本体所属だが、この2-5最終戦は涼月の応援のために集まっている。

 

 気まずそうに目を逸らす日南大尉に、自分がどういう状態か改めて気が付いた涼月は、くるりとカメラに背を向け、それでも夜目に分かるほど真っ赤にした顔でちらちらと振り返る。

 

 「抹茶…お、れ…? そ、そんなあり得ない贅沢を涼月のために…? そうでしたか…この秋月、長女として大尉のお気持ち、よーく分かりました。涼月は自慢の妹です、末永く可愛がってあげてください」

 「え、あの? いや…秋月さん? 何を…?」

 「だめですよ、そんな他人行儀な。秋月姉さん…いえ、義姉(おねえ)さんで構いません」

 大尉に向かい深々と頭を下げた秋月だが、がばっと身体を起こしぷうっと頬を含まらせ、先生のように人差し指を立て大尉を指導すると、すぐに大尉の耳元に口を寄せて、少し恥ずかしそうにこっそり打ち明ける。

 「…な、なので…私や妹たちにも、抹茶オレを、ですね…」

 

 

 「……時雨ちゃん、いいの? あれ、ほっといて」

 「てかアキ、妹と抹茶オレを引き換えっぽい?」

 「ごめん、なんか言ったかな? 聞いてなかった」

 秋月姉妹に贅沢を教え始めた日南大尉をジト目で見ていた村雨と夕立が、危機感を露わにして現場にいる時雨に警報を鳴らす。だが当の本人はご飯粒の付いた指先を舐めると、ん? と小首を傾げ、唇の端にもご飯粒を付け考え込んでいたが、アホ毛(センサー)を揺らして気まずそうに言葉を返す。

 

 「あ…ひょっとして、三角食べしてないから…? 夕立は食事のマナー厳しいから…」

 三角食べは主菜と副菜を順序良く食べる食べ方だが、今の時雨はとにかくお腹が空いていたのでお握りをパクついていた。妙に拗らせやすいくせに肝心な所でピントが外れる時雨に、白露型シスターズは顔を見合わせて大げさに溜息を付く。

 

 「も、もぉ~、白露ねえさんも何か言ってよ!」

 「ん? ごめん、なんか言ったかな? 聞いてなかった」

 

 茶色い紙袋に幾つか入った赤紫の紡錘形の塊、平たく言えば焼き芋を一つ取り出し、適当な大きさに折って頬張っていた白露が、ダメだこりゃと項垂れて顔を手で覆う村雨をきょとんとした顔で見つめていた。

 

 

 

 「……で、特佐はどのような御用向きで、この部屋に残られているのでしょうか?」

 

 問いかけてみた日南大尉だが、橘川特佐が敢えて居残る理由に見当はついている。借りている宿毛湾本隊の作戦指令室つまり桜井中将の執務室に詰め掛けていた艦娘達は既に全て退室し、しばらく前から執務室にいるのは日南大尉と橘川特佐の二人だけとなった。敢えて誰もいなくなるこの時間を待った以上、こないだの話の続きをするつもりなのは明らかだろうが、視線の先にいる特佐は、C4ISTARのモニターを食い入るように見つめ、大尉の問いかけに振り返りもしない。

 

 勝敗に関わりなく横須賀新課程に転籍する承諾を、この特佐は求めてきた。それは、全六戦以内で2-4と2-5を解放するこの挑戦自体を否定するものだ。

 

 

 宿毛湾泊地より遠く東南東に位置する沖ノ島(2-5)海域、教導艦隊が投錨する岩礁 (リーフ)に置かれたカメラの解像度はクリアで、夜空に輝く月明りも緩やかな波が渡る黒い海面も映しだす。月と星だけが照らす海、モニターの端からふわりと降りてきた二本の白い脚。

 

 一歩目のつま先がとん、と着くと水面に波紋が広り、その先に降り立った二歩目の生んだ波紋と干渉し、二つの輪郭を不規則に揺れながら月明かりを溶かすように映し出す。一つ、二つ、三つ…跳ねるように雪風の白い影が躍る。中破した雪風は元々丈の短いワンピース様の制服の下部が派手に破れ、ネームがバックプリントされたアンダーウェアに包まれるお尻さえ見えている。ただ白い脚は、砲煙の煤か出血が固まった跡か定かではないが、至る所が黒く汚れている。

 

 執務机に上体を寄せ、先ほどよりも目を細め鋭い視線を送る日南大尉に、依然として橘川特佐は反応しない。その代わり、モニター越しに雪風に話し掛け始めた。

 

 「ゆ…雪風(ユキ)、大丈夫なのか、オイ…」

 語尾を震わせながら、モニター越しの遠い海域に届かぬ手を伸ばす橘川特佐の声に反応せず、雪風は海面をとん、と弾むような足取りで小さく跳ね続けている。日南大尉からは見えないが、この時橘川特佐の顔は青ざめていた。演習や訓練ではなく、生身の艦娘が実戦で戦った結果を初めて目にした彼にとって、殴られたような衝撃を受けていた。

 

 「雪風、今日はもう遅い。明日に備えて就寝してくれ」

 「雪風は…何か……変ですね。気が付けば…こうやって夜の海を眺めてる事が多いのです。…では大尉、おやすみなさい」

 

 静かだがよく通る大尉の声が、画面の中の雪風の動きをぴたりと止める。席を立ちC4ISTARのオペレータ席の辺りまでやってきた大尉の呼びかけには、即座に反応する雪風。少し青ざめた笑顔で、茶色い髪を飾るレンジファインダーは片側が損傷している。中継用カメラを真っすぐに見つめ、ぺこりと大きく頭を下げるとフレームアウトしていった。

 

 感情を制御し命令への追従性を高め実際の練度以上の出力を発揮する、規格化モデル-第三世代(G3 )。問題点の発覚後、先行試験機(テストベッド)の三体-磯風・浜風・雪風は改装と記憶を無効化されたが、最初期ロットの雪風は、改装の影響を最も強く受けている。

 

 自分の事を忘れ去ったように反応しない雪風が大尉の声には敏感に応答する現実に、ぎりっと唇を噛んだ橘川特佐は、大きく深呼吸して気持ちを一旦静めると、初めて大尉に向き直った。

 

 「………………明日に備える、だと? 日南、あんな目に合った雪風(俺の娘)を戦わせる気かよ…。なあ…撤退しろよ。お前が優秀なのはよく分かった、こんな作戦、ここで引いても恥じゃねぇだろ?」

 

 

 「恥…ですよ。この上なく」

 

 

 淡々とした口調に意思を載せた強く短い大尉の言葉に、特佐の表情が険しくなる。自己抑制も階級差も放り出し、日南大尉は自分の言葉ではっきりと怒りと欲求を露わにする。

 

 「自分は未熟者だが恥知らずではない! 自分のために戦う彼女達に、今までの全てが茶番だと、努力が無意味だと、そう言えというのか!? 彼女達が誇りと命を賭けて戦ってるんだ、釣り合う重さかは分からないが、それでも自分が賭けられる全てで、自分は応えるっ!」

 

 「俺の娘を…ユキを…()()深海のクソヤローどもに…!」

 だん、っと大きな音を立て、胸ぐらを掴まれた日南大尉が壁に押し付けられる。憤怒の形相の橘川特佐は殴りかかってきそうな勢いである。それでも大尉は、特佐の目が今にも泣きだしそうだな…と感じていた。

 

 刹那、ばん、とドアが蹴破られ長い黒髪が風を巻いて踊り込み、大尉の制服の胸元を掴み上げた橘川特佐の右手首を見事に極める。咄嗟に逃れようとした特佐だが、関節技に逆らえば腕が砕かれる、とすぐに諦め、流れるように放たれた投げで思いっきり床に叩きつけられ、そのままマウントポジションを取られた。

 

 「…上官への危害確認、排除に当たる。大尉、艤装展開の許可を」

 

 淡々とした口調に怒りを滲ませる磯風が求める許可は、この至近距離から橘川特佐に砲撃を加えようというもの。絶対許可しない、と明言した大尉だが、なぜ磯風がここに…と頭の中に?が浮かんでいる。日南大尉の問いに対し、橘川特佐への警戒を続けたまま、磯風は返事をする。

 

 「本来ここは中将の執務室だ、異変があれば翔鶴(総旗艦)から急報が入る手筈でな。それに、場所がどこだろうと我々が大尉の護衛を怠る訳がないだろう。…なに? 大尉がそういうなら、まぁいいが―――む?」

 

 

 「俺の娘を…ユキを…二度と深海のクソヤローどもに…奪われてたまるか…」

 マウントを解かれた橘川特佐は、後頭部をさすりながら軋む体を無理矢理支えて立ち上がる。磯風は日南大尉を守る様に背中に庇ったが、特佐の言葉を聞き、色を成して吠えかかった。

 

 「雪風は、断じて貴様の娘ではない。貴様にしか分からない何かを求めてるようだが、雪風が思い出せないようにしたのは…貴様らだ。いいか、我々艦娘には…死と隣り合わせの生を送る我々だからこそ、失くしたくない思いはあるのだ! それを第三世代などと称して奪おうとしたのは誰だっ!?」

 

 

 -俺が…雪風から…奪ったの、か…?

 

 

 鋭いが悲痛な言葉に、特佐は今度こそがっくりと項垂れ動けなくなってしまった。そのまま沈黙が支配していた執務室が再び動き出す。悄然とした表情で橘川特佐は力なくふらふらと無言のまま部屋の入口へと向かう。磯風が蹴り飛ばし半壊した扉に手を掛けた所で、背中越しに日南大尉から掛けられた言葉に、ぴたりと足を止める。そして振り向かずに立ち去った。

 

 「…橘川特佐、誰にでも、忘れ得ぬ思い出はあります。大切な人を失くしたのは…貴方だけじゃ…ない」

 「……俺だけじゃない、か…。だがな日南、お前はまだ失くしちゃいない。お前の妹は…生きて日本にいる。新課程に引き抜く切り札に使うはずの情報(ネタ)だったが…教えてやるよ。見つけられたら、手放すなよ…………じゃあな」



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094. 気づかない焦り

 前回のあらすじ
 失くしたものの重さ。

(20190110 一部改訂)


 「敵はどう出てくるでしょうか…?」

 

 C4ISTARのオペレータ席に座りコンソールを操作する鹿島がぽつりと呟いて、隣に立つ日南大尉を見上げる。隣り合う席に座らず、背凭れに手を掛けて横に立ちモニターを見つめているのは、見慣れたと言ってもいい端正な顔立ち。状況の緊迫さを感じさせない穏やかさに、つい見入ってしまう…ふるふると頭を振って雑念を振り払うようにする鹿島も、自分の問いに答えない大尉と同じように視線を前に向ける。

 

 画面に表示されるのは教導艦隊の航空隊を示す黄色い輝点。先行し敵艦隊に北東から接近する一群と、戦場を迂回するように南南西から進む一群が、海域最東部に陣取る敵艦隊に向かい猛進を続けている。対する敵艦隊の周囲にも緑の輝点が周回していたが、やがて北東から進む攻撃隊に向かい進撃を始めた。

 

 「瑞鳳の航空隊に釣られてくれた、か。あとはターゲットが自艦防空にどの程度目を向けているか、ですね」

 

 時間差で返ってきた短い答えに、鹿島は銀のツインテールを揺らしながら思わず振り返ると…固まった。固まりついでに真っ赤に染まっているのが自分で分かるくらいに頬が熱くなった。モニターを見ているとばかり思っていた大尉が自分のほうを見ていて、がっつり目が合ってしまったが、その表情に少し違和感を覚えた。まるで自分を納得させるかのような、作り笑いのような…。

 

 

 沖ノ島沖(2-5)初戦Cポイントでは、高出力の対空電探を駆使した敵空母の先制攻撃を受けた。涼月の活躍で辛くも撃退したが、この一戦は日南大尉の心に不安の影を落としていた。海域最奥部に出現報告がある敵の中枢艦隊は大きく分けて二通り、三体の戦艦ル級を中核とする水上打撃部隊か、戦艦ル級が二体に減る代わりに空母ヲ級が加わる機動打撃部隊か。直接的な砲戦火力は前者が上回るが、大尉がより警戒する後者が海域最奥部に陣取る事が判明した。

 

 機動水雷部隊といえる教導艦隊は防御力に難があり、戦艦二体でも十分な脅威、さらに空母ヲ級が作戦に柔軟性を与えているのが気がかりだ。それだけでも厄介なのに、対空電探まで加えて防御に徹せられると自分たちの航空攻撃は無力化されかねず、あるいは全力投射されれば水雷戦の距離に入る前に部隊は壊滅的な打撃を受けかねない。

 

 だからこそCポイントでの戦訓を反映し、瑞鳳と赤城に強行偵察を指示していた。高高度から敵艦隊の位置を特定する部隊と、被発見・被撃墜のリスクを負ってでも低空侵入し、敵の装備詳細を掴む部隊。一六機投入した彩雲のうち無事帰投できたのは半数にも満たない損害を受けたが、得られた貴重な情報で作戦の方向性が決まった。敵の電探はMark.1と呼ばれる()()電探、探知距離はさほど長くないが射撃管制用で、代わりに垂直方向、つまり航空攻撃にはヲ級が備える態勢とみることができる。

 

 だが断続的に続いたスコールの影響で、教導艦隊の索敵網にも一時的な間隙が出来てしまった。結果、接近する敵艦隊()と航空隊を捕捉しながら、空母ヲ級フラッグシップをロストするという事態に直面している。

 

 

 「瑞鳳、君の部隊が緒戦の鍵になる、いいね? そして赤城、索敵線を東方に延伸しようか。攻撃隊はすでに発艦している、一刻も早くヲ級の位置を再特定しないと…。ああ、言うまでもないがーー」

 

 発言を聞いた鹿島は、違和感の正体を確信した。

 

 ー大尉は…焦っている?

 

 決行された作戦はアウトレンジ攻撃。惨敗したかつてのマリアナ沖海戦で採用された戦術なので否定的に語られることも多いが、成立条件を整えれば有効な奇襲戦術になりえるー教導艦隊の練度と編成、そして敵部隊の索敵能力を秤に掛け、日南大尉は先にヲ級を無力化するためアウトレンジ攻撃に打って出た。それだけその存在が作戦に大きく影響したと言える。

 

 ある意味で彼らしくない投機的とも言える作戦に、血の気の多い艦娘たちは大いに盛り上がりを見せているが、鹿島は胸の内で強くなる不安をどう伝えればいいか戸惑っていた。

 

 

 

 大尉が指揮を執るのは泊地本部の桜井中将の執務室。正真正銘の最終戦、広い執務室には教導艦隊の艦娘達はもちろん、宿毛湾の本隊の艦娘達も詰め掛け、広い執務室はぎゅうぎゅう詰めの賑わいを見せている。不安げな表情でモニターを見つめる者、不安を振り払うように殊更明るく振る舞う者、それぞれに思う所はあるが、気持ちはただ一つ、教導艦隊の勝利を願う。

 

 「……翔鶴(ねえ)、やれる、よね?」

 「戦に絶対はないわ、瑞鶴…。でも、私は…信じてます」

 

 そんな喧騒を見守るように壁に寄り掛かるのは、宿毛湾泊地の総旗艦を務める翔鶴と、その妹の瑞鶴。かつてマリアナ沖で生死を分けた姉妹が成しえなかった戦術をもって戦いに臨む若き指揮官を、不安と、それ以上に期待を込めた眼差しで見守る二人は、赤いミニスカワンピにポンチョを纏い、赤いサンタ帽を被ったクリスマス仕様の制服。よく見れば他の艦娘の多くも同じようにクリスマス仕様の制服を着用している。今の緊迫した宿毛湾にはそぐわない風情、毎年恒例の指示を出す艦隊本部にはその辺の事はお構いなしだが、これは仕方ないといえるだろう。

 

 「にしても、中将が艦隊本部の指示を遵守してるのは…なんというか、意外でしたね」

 「そうかい? クリスマスモードの制服はむしろ彼女たち艦娘の希望でもあるしね」

 

 同じように離れた場所で場を見守るのは桜井中将と、参謀本部に戻るはずだった橘川特佐の二人。暇乞いの挨拶に中将の元を訪れた特佐だが、この戦いを見届けていったほうがいい、との中将の勧めに逆らえない雰囲気を感じ、執務室に同席している。

 

 「私としては教え子に理不尽を強いられるのは不本意だが…まぁ、君の背後にいる技術本部…いや、もっと上かな? いずれにしても深海棲艦側に頑張ってほしいところかな」

 「ちゅ、中将…いくらご冗談でもそれは…いえ、貴方は一体どこまで…」

 

 唐突に斬り込まれた橘川特佐がしどろもどろになり慌てている。当の中将はいたずらっぽくにやりと笑い特佐に視線を送るが、目は笑ってない。その様子に背中がぞくっとしながらも、とにかく平静を装い話題を逸らそうとする。実際気になる事もあるからだ。明石からも色々聞いていたし、自分の目でも指揮ぶりは見たが、やはり日南大尉は異色だと思う。

 

 「それにしても…C4ISTAR(あんなもの)を開発するって、どんだけ優秀なんだか…」

 「彼が関わったのは理論構築で、実際の開発は明石や夕張、妖精さんが担ったシステムだ。彼の優秀さは、むしろ今まで無かったものの有用性を論理的に説明し関係者を納得させた点にあるよ」

 

 技術営業やらせても十分イケそうだな、と中将の話を聞いていた橘川特佐は考え込むように顎髭を撫でている。立場上声には出せないが、個人として大尉には負けて欲しくない…と無言のまま視線を送る。特佐からは後姿しか見えないため日南大尉の表情は伺えず、そのままC4ISTARのモニターをーに視線を移すと、表示される敵味方の輝点の動きは一層激しさを増している。

 

 「そろそろ…始まるだろうか」

 

 中将の言葉通り、いよいよ2-5最奥部での戦いが幕を開ける。

 

 

 

 吹き抜ける強い潮風に長い黒髪を預けながら、赤城は離れた位置に立つ瑞鳳にちらりと目を向ける。薄茶色の長い髪を高い位置でポニーテールにした瑞鳳は、膝に手をついて屈伸を繰り返すと、『よしっ!』っと気合を入れ直すと両手でガッツポーズを作り航空隊の操作に集中し始める。夜明けすぎから始まった作戦も、瑞鳳の航空隊と敵の航空隊が接触を開始し、いよいよ本格的に交戦開始となる。

 

 撃たせずに撃つーアウトレンジ攻撃の本質は距離ではない、と赤城は考えている。敵にどこまで気付かれずに近づけるかが全て。気付かれたら、撃たれない代わりに撃つこともできない。その点で条件は整っているはずなのに、なぜか不安が打ち消せない。

 

 「()()()()()決戦距離はもっと近かった…」

 

 赤城の言う私達の時ー還らぬミッドウェーを振り返りながら、日南大尉の作戦を反芻する。航空隊の長距離進攻で敵を叩き、その間に水雷戦隊が接近して残敵掃討と夜戦で決着をつける…だけど、不確定要素は敵の空母ヲ級。ある意味では戦艦ル級三体の方が与しやすかった。火力は脅威だが、射程と指向性ー一度放たれた砲弾は真っ直ぐ進むだけ。一方航空攻撃は、航空機が攻撃手段を運搬する特性上、航続距離の制約はあるが、目標も距離も方角も投射量も自在に変えることができる。空母ヲ級も動き出した。スコールに紛れて姿を晦ましながら展開した航空隊。自分たちの機体より航続距離は短い。一体何を狙っているのかーーーー?

 

 ごうっと吹き抜けた強い潮風に赤城の長い黒髪が踊る。自分に近づいてきた毛先をヒョイっと掴んで、ぱっと手を離す。ヲ級の狙いが何であれ、自分の攻撃隊はすでに発艦し、敵の航空隊も接近している。とにかくヲ級の位置を特定しないと。

 

 「大尉、ヲ級の補足までもう少しお時間を頂きたく。発見し次第必ず…」

 「涼ちゃんが本調子なら、電探探知と組み合わせてもっと効果的に索敵できたのになぁ〜」

 「瑞鳳、過ぎた事は言っても意味がありません。今できる最善を尽くしましょう」

 

 大尉が焦っているように感じられる理由は…と赤城はすうっと目を細める。瑞鳳の言う通り、涼月の状態は気掛かりだ。

 

 初戦第二戦と活躍した涼月だが、その代償として頭部に裂傷を負い、結構な量の出血を起こしている。気丈な彼女らしく、何事も無いように振舞っているが、怪我の位置が良くない。電探や射撃管制を司る部位の損傷は、走査距離や精度の低下として現れている。

 

 赤城は瑞鳳に視線を送る。視線に気づいて小首を傾げながらこちらを見返す瑞鳳は、小柄な軽空母だが、かつての自分がミッドウェーで沈んだ後も、戦いに戦いを重ね、栄光も挫折も飲み込んだ歴戦の勇士だ。きっと分かってもらえるはず―――。

 

 

 「…瑞鳳、お願いがあります」

 

 

 おそらくは同じような事を考えていたのだろう、瑞鳳は少しも驚かずに、ふふーんといった表情で胸当てをトンと叩くと、赤城の提案に賛成した。

 

 今ならまだ間に合うーー赤城と瑞鳳も最大戦速で最前線に向かう。先を行く瑞鳳がくるりとターンして赤城を振り返ると、えへへーと笑いかける。

 

 「赤城さんから言ってくれて、助かっちゃった。どうやって説得しようかな、って思ってたから。瑞鳳、()()()()()経験あるから、うまくやる自信あるし」

 

 それは私の知らない、エンガノ岬沖での海戦。栄光の空母機動部隊は、戦艦部隊のレイテ湾突入を助ける囮役として米軍と激戦の末に壊滅した。私がやろうとしているのは、水雷戦隊の突入を助け、敵の攻撃隊の標的を分散させるため前線に出ることだ。長い黒髪を大きく風になびかせ、体を前へ前へと推し進める。こんな時なのに、ふと浮かんだ思いに我ながらくすりと笑ってしまった。

 

 「そうですね…無事に帰ったら…間宮さんの所で大尉に何を奢ってもらおうかしら」



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095. 甘く優しく、そして強く

 前回のあらすじ
 戦闘開始…だけどモヤモヤ。

(20190110 一部改訂)


 「全艦反航戦準備、突にゅ…え…?」

 

 単縦陣で突入し大火力でに圧倒を目論むと見られた敵艦隊は、最大戦速まで増速すると弧を描くようにそのまま教導艦隊とすれ違い通り過ぎていった。この間に受けた攻撃は散発的なもので、こちらを叩くためではなく、変針を強要して反航戦を成立させないようにするためとしか思えなかった。

 

 「な…ん、で…?」

 

 水雷戦隊を率い部隊の先頭を疾走していた神通の顔が戸惑いに揺れる。強大な砲戦火力を有する部隊の行動にしては消極的過ぎる。時雨が首を傾げながら敵の背中に砲を向けるが、すっと差し出された神通の手に遮られる。

 

 「ふぅん…逃げる気かな?」

 

 「敵に背を向けるとは…それでも海域の首魁…でしょうか…? いいでしょう、ならば後方から急追、同航戦で仕留めます!」

 

 速度と機動力に勝る水雷戦隊は殆ど横転しそうな急角度で大回頭すると再び速度を上げ始める。一連の動きは、高度六〇〇〇mを進む瑞鳳の航空隊から俯瞰できる。敵艦隊は大きな弧を描き五体での一糸乱れぬ艦隊運動を続けている。今なら艦爆隊の急降下爆撃を躱せないと瑞鳳が航空隊を差し向けようとした時、別な動きに気が付いた---。

 

 「神通さん、敵攻撃隊っ!! 援護に行くねっ‼」

 

 瑞鳳の急報に先頭を行く神通が怪訝な表情に変わり、すぐさま全周索敵に入ろうとして、目に飛び込んできた反射光に目を細める。一つ、二つ、三つ…敵艦隊と入れ替わるように、次々と深海復讐艦攻の部隊が現れ突入してくる。

 

 「神通、涼月、状況報告っ!」

 

 日南大尉からも短く鋭い指示が飛び、一三号対空電探改を装備する涼月が垂直方向を、二二号水上電探を装備する神通が水平方向の索敵に当たっていたが、それでも補足できなかった敵航空隊の接近。電探での探知を避けるため海面すれすれの高度を維持し、中にはあまりにも高度を下げすぎ海面に接触して墜落する機もいるが、明確な殺意を振りまきながらみるみる近づいてくる。そして上空では護衛の深海猫艦戦を突破して水雷戦隊を守ろうと瑞鳳の零戦隊が乱舞する。

 

 「上空は瑞鳳に任せて、時雨と神通で前衛、敵を射点に着かせなければいい。雪風は中盤まで下がり前衛の撃ち漏らしに備えるんだ。涼月は後衛、対空射撃管制に徹して絶対に前に出るなっ!」

 

 中破の二人を後方に下げながらの防空戦-日南大尉から緊迫した指示が飛び、艦隊は一斉に動き出す。神通は下腕部が甲板状の黒い耐熱防護板に覆われた左手をまっすぐ前に伸ばし肘の下を右腕で支え砲撃体勢に入る。照準や発射角など構ってられない、一刻も早く敵機が射点に着くのを妨害しなければ。速射性能に優れた一〇cm連装高角砲を装備する時雨はすでに水平射撃を開始している。

 

 「僕が…全力で守るから」

 「よく……狙って…なんて言ってる場合じゃっ!!」

 

 時雨の連装高角砲が発する甲高い砲撃音が連続で響き渡り、何個かの小隊に分かれ突っ込んでくる敵編隊の先導機(パスファインダー)が爆散する。涼月の指示で的確な照準を得ると次々に敵機を狙い撃つ。時雨の奮戦で少しだけ余裕の出た神通も砲撃を敢行する。二〇.三cm連装砲の轟音が響き、爆風が茶色の髪とリボンを激しく揺らす。だが至近距離から突入してきた敵編隊のすべてを抑えられるはずもなく、少なくない数の雷撃が神通達に襲い掛かる。必死の回避運動と瑞鳳の烈風隊の奮戦もあって敵部隊は辛くも撃退したが、瑞鳳の航空隊は大きな損害を受け態勢を立て直す必要に迫られ、水雷戦隊も神通と時雨が小破する損害を受け、目標とした敵艦隊との距離が大きく開いてしまった。

 

 

 

 刻々と戦闘海域から飛び込んでくる情報に基づき、普段の冷静さを置き去りにして、必死に防空戦の指揮を執り続ける日南大尉。隣に座る鹿島はC4ISTARの情報を更新しながら、ちらりと横目で大尉を盗み見る。大尉の作戦がここまで見事に躱されたのは初めてかも…と思う。

 

 戦況は悪いと言っていい、それも頗る付きに。

 

 アウトレンジで発艦し空母ヲ級を狙う赤城航空隊、敵の航空隊を釣り上げつつ先制を狙う瑞鳳航空隊、敵艦隊に迫ろうとする神通率いる水雷戦隊…緻密に組まれた用兵は、途切れることの無い相互連携により成り立つ。大尉の作戦は、相手は交戦開始地点を後方に下げるだけで、教導艦隊の連携を台無しにされたと言ってもいい。

 

 赤城のアウトレンジ攻撃の前に水雷戦隊が攻撃を受け、敵直掩機を釣り上げつつ急降下爆撃を担うはずの瑞鳳が水雷戦隊の援護に急行する状況。自部隊の動きは当然把握しているが、相手の意図は分からない。分からない物を自分の意図に沿って動かすのが戦術であり作戦だが、動かす要素が増えるほど状況は複雑になり、僅かなミスが成否を分け修正が難しくなる。

 

 すでに当初企図した通りに作戦が推移していない事を理解し、日南大尉は作戦を立て直そうと状況把握に努めている。視線はモニター上を動き回る輝点から離さず、無意識なのだろう、制服の詰襟を開けると乾いた口の中から絞り出した唾を飲み込むように喉をごくりと動かす。

 

 -わ…喉仏動いてる…こういうフと見せる男らしさって…。

 

 日南大尉の姿に思わず見入っていた鹿島は、ぷるぷると頭を振って合を入れ直す。作戦に沿って敵を動かして効率的に戦闘を運ぶ大尉だが、状況の変化にも柔軟に対応しこれまでは戦ってきた。だが今回は、すでに状況が変わっているのにヲ級に固執しているように見える。損害は受けたものの敵の航空攻撃は辛くも退けた。敵の打撃部隊は後退したが未だ無傷、第二波の航空攻撃も警戒しなければならない。敵が態勢を整えなおすのが先か、赤城の航空隊が敵に届くのが先か-いずれにしてもこの僅かな凪の時間に次の手を打たねばならない。

 

 

 「涼月と雪風を…みんなを…これ以上傷つける訳にいかないだろう…」

 

 

 大尉がぽつりと零した小さな呟きは、騒然とする作戦指令室の中でかき消されたように思えたが、さざ波の様に多くの艦娘の耳に届いていた。もちろん、隣に座る鹿島の耳にも。

 

 

 鹿島はようやく大尉の『焦り』の正体に気が付いた。

 

 

 夜戦に備えた戦力温存などではなく、もちろん中破した涼月と雪風だけを特別扱いしている訳でもない。戦艦ル級も脅威だが、砲撃は二次元的な攻撃でしかなく射程外にいればそれで済む。けれど、長大な攻撃距離と立体的に高速で機動しながら目標を自在に変えられる航空攻撃を躱し続けるのは至難の技。ヲ級を倒せば味方の脅威は減り、エアカバーを失った戦艦ル級に航空攻撃で大打撃を与えられる。そうすればこれ以上誰も傷つけずに済むから---。

 

 「だから大尉は、空母ヲ級を真っ先に倒したかったんですね…」

 

 2-5をS勝利で突破した先にしか、教導艦隊の皆が望む未来は得られない。だから部隊の艦娘達は自らを省みずに戦うだろう。戦場にいたら、自分でもそうすると鹿島は思う。それが分かるからこそ、共に戦場に立てず、退けとも言えない大尉にできる、精一杯の攻め(守り)。気づいてしまうと、もうどうしようもない。鹿島は眼の縁を赤くし泣くのを堪えながら、隣にいる若き指揮官がどれほど自分たち艦娘に思いを砕いているのか、改めて思い知らされた。

 

 

 -ああ…この人は、結局何も変わっていないんだ。

 

 

 合理的な作戦指揮と裏腹に、艦娘が傷つくのを割り切れない甘さ。きっと今でも葛藤や逡巡があるのだろう。日南大尉はそういう自分を割り切ることなく、それでも提督になろうとしている。自分は、そんな彼が勝つために何ができる? 鹿島は別の視点から戦場を俯瞰し始めた。そもそも、ヲ級を倒すのが目的ではない。あくまでも敵艦隊を殲滅して2-5を解放することが最終目的となる。なら、教導艦隊を迎え撃つ敵艦隊は何を考えているのか?

 

 「迎え…撃つ? まるで指揮官がいるみたいに…?」

 

 むうっと眉根に皺を寄せ、細い顎に支えながら小首を傾げた鹿島は、自分の言葉に何か引っかかりを覚え、頭脳をフル回転させ始めた。そして、隣のオペレータ席で起きた変化にも、引っ掛かりを覚えた。

 

 

 

 「He-y 大尉…」

 「金剛、今はそんなことしてる場合じゃない」

 「はぁっ!?」

 

 銀のツインテールを大きく揺らして鹿島が驚きの声をあげ、僅かに不快感を声に乗せた日南大尉の目の前にいるのは金剛。大尉とデスクの狭い隙間に入り込むと、そのままデスクに腰掛けて長い脚を組み、大尉を見上げるように意味ありげな纏わりつくような視線を送っている。背中から腰にかけての綺麗なSカーブを強調するように背筋を伸ばし、すうっと両腕を伸ばした金剛の巫女服様の上着の袂が白い影となって鹿島の視線を遮る。

 

 金剛は妖艶な笑みを浮かべながら日南大尉の顎をなぞる様に指を添わせ、もう一方の手を第一種軍装の胸元に忍び込ませる。周りから見ればナニヤッテンノ!? 的な状態で、夕立や村雨がゴゴゴしたのは言うまでもなく、祥鳳は泣きそう、ウォースパイトは無言のままキレそう…そんな光景に心底頭が痛いという素振りで困り果てた顔をする榛名。

 

 「…どうせこんな事だと思ったネー」

 一転、いたずらっぽくふふっと笑った金剛の手には、日南大尉が胸の内ポケットに忍ばせていた一通の封筒がある。表書には『退官届』の文字。この戦いに負けた時、あるいは誰かを轟沈させるような事になった時、日南大尉は躊躇わず提出する腹積もりでいた。そして大尉が唖然としている間に金剛が畳みかける。

 

 「こんなコトで思い詰めるなら軍を辞めてもイイのデース。その時は私が食べさせてあげるヨ? 御子柴中佐から前に稼いだ指名料と延長料金、運用したらかなりいい金額に育ちマシタカラ。けど違うデショ? 弱気の虫は、Nooo! なんだからネ! 大尉は絶対に負けまセン。もし負けるなら、私達が弱かっただけデース。デモネ、大尉の指揮で私たちが戦って、勝てない理由なんかないヨ」

 

 びりびりっと音を立てポイッと紙吹雪を撒き散らすと、金剛は黒いミニスカートを揺らしながら机を下りて、スッキリした表情で姉妹達の元へと戻っていった。その背中に日南大尉が声を掛ける。どこか肩の力が抜けたような、落ち着きを取り戻したような声。

 

 「金剛、自分は誰かに養ってもらうつもりはないよ、男だしね。…けど、ありがとう…」

 

 振り返らずに上げた右手をふりふりとする金剛の背中に柔らかく微笑んだ日南大尉は、ばしんと音を立てて両頬を叩く。

 

 一方で現場は緊迫の度を増している。Uターンして遠ざかった敵打撃部隊が東方面に再進出してきたとの報告が入り、さらに北方向の空には敵の第二次攻撃隊。対ヲ級でアウトレンジ攻撃を敢行するため航空隊を指揮する赤城からも、明らかに焦燥が伺える声で通信が入った。

 

 戦場を大きく迂回して超低空飛行を続けながら空母ヲ級を求めていた赤城だが、なかなか敵影を捉えられない。このままアウトレンジ攻撃を続けるか、水雷戦隊に進行中の敵に向かわせるかーー日南大尉の表情が苦しげに歪む。

 

 

 「…分かったぁっ!」

 

 鹿島が唐突に勢いよく立ち上がり、皆怪訝な表情で鹿島の動きを眺めていた。

 

 「大尉、これは…最近確認された『特異種』の可能性大ですっ!」

 

 鹿島が声を上げ、特異種の言葉に大尉の表情が怪訝なものへと変わる。今の所鹿島だけが掴んだ、敵艦隊攻略に向けた『何か』--。




 えっと、物語にお付き合いいただいている皆様、いつもありがとうございます。坂下、明日から海外へと旅立ちます。帰国は2019年1月中旬頃となる予定です。行く先はネット環境があんまり安定していないという話もあり、可能ならハメの巡回とか更新もするつもりですが、どうかなぁ…。気長に次回の更新をお待ちいただけますと嬉しいです。それでは、気の早いご挨拶ですが、A Happy Xmas & A Happy New Year!


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096. パンドラの海

 2019年のご挨拶
 あけましておめでとうございます(今更感。さあ、今から冬イベ…。

 ※2019年一発目ということもあり、これまでの話を見直した結果、少しですが#94と#95に手を加えました。合わせてお読みいただけますと幸いです。


 「鹿島教官、特異種……ですか?」

 

 目的達成のための方法論が作戦であり、現場での具体的な運用が指揮。だから作戦行動には必ず指揮官の意図が反映される。目的は欲求とも言い換えられ、それは意思の現れだ。指揮命令系統の所在が判然としない深海棲艦は、本能のように存在意義のように、強烈な破壊衝動で軍民問わず海を行く全ての存在に敵対する、それが長年の定説となっている。

 

 しかし、今2-5の海域最奥部で相対する敵の動きをみると、それが何かまでは掴めないが、行動に意図があるように見える。

 

 だからこそ引っかかる、腹落ちしないモヤモヤ感に与えられた名前--特異種。作戦遂行の真っ最中で、長々と話をしている暇などない。それでも鹿島が持ち出してきた情報に無視できないものを日南大尉は覚えた。時間を稼ぐ意味でも、間髪入れずに水雷戦隊を率いる神通に指示が飛ぶ。東方から接近中の打撃部隊と撃ち合うのでも、北方に姿を見せた敵航空隊に備えた防空戦でもなく、南方への退避を装い進路変更を命じる。

 

 その間に--。

 

 「手短に言いますね、大尉。『特異種』とは海域再編後に出現が確認され始めた深海棲艦のことで----」

 

 今回の敵の動きを見るとその可能性が濃厚です、といったん言葉を切った鹿島はちらりと日南大尉を見て、ためらい勝ちに上目遣いで反応を伺うように説明を続ける。

 

 「装備や能力は既出の艦と変わりませんが、交戦した部隊の多くが…全艦轟沈を含む甚大な被害を受けています。まるで優秀な指揮官に率いられているかのように、統制の取れた動きや精度の高い砲雷撃、巧みな戦術…戦闘詳報を見れば見るほど、鹿島には敵の作戦が…その…何らかの戦術教義に基づいているように思えてしまいます。サンプル数が多くないので、『敵を侮り油断した』『想定外の反撃』『敗北した部隊の言い訳』みたいな感じで今の所は片づけられちゃってますけど…。ああ、私何言ってるんだろ…でも、やっぱり不可解な点が多くて」

 

 うがーっと頭を掻きむしりながら、自分で言ってることに自分で困惑して銀のツインテールを揺らす鹿島だが、日南大尉は胸の前で腕組みしながら難しい表情で目を伏せ何かを考え込んでいた。やや間があって、唐突に何か閃いたというか思い出したというか、文字通り血相を変えながら、手元にあったレポートパッドに乱雑かつ大量に数式と図形を書き込んでいる。一通り確認し終えると、大尉は艦隊に指示を出す。

 

 

 「みんなよく聞いてくれないか。これは作戦とは呼べない、ある仮定に基づいた推論でしかない。それでも…信じて動いてほしい。まず赤城、航空隊の進路を北西に変針し、突入準備開始。そこから一〇分以内の地点にヲ級はいるはずだ。そして神通、敵は海域を周回して、時計回りの円運動を続けている。最大戦速で突入、敵の最後尾を突くぞ」

 

 作戦司令室から遥か彼方の沖ノ島沖に展開する教導艦隊は、それ以上何を問い返すでもなく、整然と行動を開始した。答えは簡単で、声の調子だけで分かる。大尉は落ち着きを取り戻した。さっきまでとは違う、いつも通りの冷静さの中にも熱さを感じさせる口調とトーン。ああ、もう大丈夫だ。安心して全てを賭けることができる----。

 

 

 「そうだね…進むしかない」

 短い一言に万感の思いを乗せ静かに高揚する時雨。

 

 「雪風は沈みませんっ!」

 中破したものの意気軒高、ふんすと両手でガッツポーズを決める雪風。

 

 「…合戦、準備!」

 血の滲む白い鉢巻を締め直し、決意を固めた表情で主機の回転を上げる涼月。

 

 「水雷戦隊…主機全開、増速しながら単縦陣へ移行。神通に続いてください!」

 返事の代わりに三人の駆逐艦を引き連れ行動に移った神通。

 

 「そっか。じゃぁ瑞鳳がみんなのこと守るね!」

 自らの役割を明確に理解した瑞鳳が力強く宣言する。

 

 

 「あの…日南大尉…?」

 日南大尉は、恐る恐る呼びかける鹿島の声に反応しない。自分の指示に沿って動き出した艦隊と航空隊がモニター上の輝点として動き回るのを無言のまま眺めていた。むぅっと頬を膨らませた鹿島がもう一度呼びかける。自分の説明のどこにヲ級の居場所を特定したり敵艦隊の動きを見破る余地があったのか、まるで分からない。さらに暫くして、困ったような表情を浮かべながらようやく大尉は鹿島の方を振り返った。

 

 「…自分の想像通りなら、これで行けるはずです」

 

 さらに問いかけようと鹿島が口を開きかけた時、日南大尉は艦隊にさらなる指示を送る。聞く限りでは、大尉は敵の動きを把握しているようにしか鹿島は思えず、小首を傾げながら頭の上に?を浮かべてしまう。

 

 

 「最後尾の駆逐ロ級に集中砲撃! 射程距離に捉え次第全艦取舵大回頭、一瞬だけできる丁字の態勢を逃さず斉射後、最大戦速で離脱っ!! 忘れるな、周回する敵の内側に入ると丁字で集中砲火を受けることになる、それが敵の陣形の狙いだ。敵航空隊は円周上の一点、着弾予定地点に我々を足止めするのが役割だ。瑞鳳は北方に展開している敵の航空隊を食い止めろ! いずれにせよ、赤城の航空隊がヲ級を叩いてからが本番になる」

 

 

 指示を矢継ぎ早に出し終えた日南大尉は、ようやく隣り合う鹿島の方を向く。何とも言えない苦い表情で語られる内容に、鹿島はそれを偶然とすべきか、何らかの意味を見出すべきか、判断できなかった。

 

 「鹿島教官の話の中にあった『戦術教義』で思い出したんです。兵学校時代に読んだ論文…狭隘な、擂鉢状に狭くなる海域を背に防衛線を展開する戦術考察でした。海域最奥部に空母を配し、打撃部隊は円を描いて周回…航空隊は常に相手を円周の内側、つまり打撃部隊が常に丁字有利の態勢で砲撃を加えられる位置に釘付けにする、……今回の敵は、その理論を実戦で試したかのような動きに見えました。卒業席次(ハンモックナンバー)第一位…いえ、第一位になるはずだった男の手によるものでしたが…」

 

 

 

 例え甘くても、何かを切り捨てることなく、全て抱えながら前に進もうとする。それが日南大尉の強さであり弱さであると気づいたのはいつだったろうか。過去に縛られ俯いていた自分に、再び前を向くきっかけをくれた。その後も、教導艦隊の航空戦力の中核として、寄せられる信頼がありありと分かる。

 

 「大尉! 空母ヲ級(白い魔女)を捉えましたっ! 赤城攻撃隊、突撃開始しますっ!!」

 

 信頼には結果で応える--航空隊の燃料残量は僅か、だがようやく捉えた。教導艦隊だけでなく宿毛湾全体が大歓声に沸く中、長い黒髪を靡かせる赤城は、艦隊最後尾を疾走し水雷戦隊の進撃についてゆきながら、襷をキュッと締め直し鋭い目で遠い空に視線を送る。

 

 -私は…大尉を未来へと運ぶ翼になる。だから…邪魔をしないでくださいっ!

 

 赤城の脳裏に、航空隊の妖精さん達からの情報が次々とフィードバックされる。水平線にぽつんと立つ白と黒の人影。頭には大きな艤装を纏いステッキをもった姿-空母ヲ級。赤城の号令一下、七二機全て発動機が一斉に唸りを上げ沖ノ島最奥部に轟音を響かせる。先に飛び出した二〇機の烈風隊が、落下式増槽(ドロップタンク)を切り離し戦闘態勢に入る。荷物がなくなると、当時のレシプロ機としてはトップレベルに低い空気抵抗の流線型の機体は軽やかに大空に舞い上がり、後続の流星改の部隊をみるみる引き離し加速してゆく。

 

 烈風の接近に気づいた空母ヲ級フラッグシップは、秀麗だが無表情な顔貌を空に向け、右手を頭上まで持ち上げると手にしたステッキを振り下ろす。上空に展開する直掩の深海猫艦戦は十五機程度で、南東方面に姿を現し急上昇中の烈風に挑みかかる。優位な高度から急降下で攻め寄せる猫艦戦に格闘戦で対抗する烈風の戦いは激しさを増し、青空にいくつもの弧が描かれ、あちらこちらで撃墜された機の爆発と炎の花が咲き乱れる。やがて数に勝る烈風が徐々に混戦を抜け出して空母ヲ級に激しい機銃掃射を敢行する。

 

 マントの裾を左で掴むとぶわっと巻き上げ体を覆い隠したヲ級は、二〇mm機銃の集中砲火に耐えながら頭部の巨大な艤装の左右に装備する対空火器で、突入し頭上を翔け抜ける烈風に応戦する。だが直掩機の三分の二を失い、さらに対空兵装にも少なからず損害を受けてしまった。

 

 その間に本命が突入態勢を整えきる。海面スレスレを一糸乱れぬ編隊行動で迫る、腹下に魚雷を抱える八小隊三二機と、爆装の五小隊二〇機で構成される流星改。このうち爆装した四小隊一六機が高度を七〇mに調整し、発動機の回転をさらに上げ過負荷全開で増速する。艦上攻撃機ながら二〇mm機銃二門の重武装の流星改は、ヲ級にさらなる機銃掃射を浴びせながら急接近する。

 

 残存の対空火器で必死に応戦するヲ級は、手を伸ばせば届くように思える二〇〇mを切る距離まで肉薄してきた相手の動きが理解できず、魅入られたように流星改の動きを見つめていた。爆弾倉の扉が胴体内側に畳み込まれ、水面に投下された尾羽のない五〇〇kg爆弾--反跳爆撃(スキップボミング)

 

 水しぶきの中から猛烈な速度で五〇〇kg爆弾が回転しながら姿を現す。直ちに高度を上げ逃走を図る流星改よりも--ヲ級の目には、黒い大きな円筒状の物体が迫るのがスローモーションのように映っていた。海面を跳ねながら襲い掛かる五〇〇kg爆弾を次々と被弾し、真っ黒な煙と炎に包まれながらヲ級は爆沈した。

 

 

 「ごめんね、みんな…」

 

 赤城からの情報を受けヲ級撃沈の知らせに沸き立つ宿毛湾の作戦司令部とは裏腹に、瑞鳳は悲痛な表情で即座に航空隊に指示を出す。皆いい笑顔でサムズアップを見せながら、彗星隊の妖精さんたちは急上昇してゆく。

 

 任された守り、そのためにも打って出る。急上昇から一転、角度五〇度の降下で空気の壁を切り裂きながら彗星隊が一気に敵打撃部隊へと突っ込んでゆくが、瑞鳳の脳裏に齎される妖精さん達からのフィードバックが次々と消えてゆく。ぎりっと悔しそうに唇を噛みながら、自らの直掩隊の制御にも意識を向ける瑞鳳。

 

 敵の第一波では後手に回った艦隊防空で想定以上の被害を受けた今、自分が動かせる機数は限られている。十分な護衛を付けられなかった艦爆隊は、迎撃に向かってきた敵の艦戦に食い荒らされてゆく。その分、教導艦隊へ向かってくる敵攻撃隊の守りが薄くなり、間隙を突いて乱舞する瑞鳳の零戦隊が次々と撃墜数を重ねる。瑞鳳に粘り強く守られた水雷戦隊は一瞬のチャンスで駆逐ロ級後期型を屠り、さらなる攻勢のため大回頭から再び単縦陣へと遷移、敵打撃部隊に突撃を開始した。敵も空母ヲ級の異変を察知したのだろう、周回を止めて完全に撃ち合う態勢に移行し、機動力の教導艦隊と火力の深海棲艦艦隊がついに正面から砲火を交える。

 

 「赤城航空隊、第二次攻撃に入ります!」

 

 ヲ級への攻撃を終えた流星改の部隊のうち、雷撃隊が突入を開始した。八〇〇kgにも及ぶ航空魚雷を抱えた長距離飛行の結果、燃料は残り少なく、敵艦隊の猛烈な対空砲火を回避しながら射点に着く余裕はない。いくら高性能な機体とはいえ、真っすぐに敵艦隊に突入すれば的でしかない。次々と撃墜され爆散したり海面に叩きつけられる流星改だが、少数の機が雷撃を命中させ、敵艦隊の痛撃に成功した。

 

 朝から続く激戦も日暮れを迎えた現在、戦況はいよいよ最後の局面、夜戦へと舞台を移す----。




 みなさまお久しぶりです。約三週間ぶりに帰国しました。そのあたりのお話は活動報告をアップしましたので、もしよろしければご覧いただけますと幸いです。


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097. 最後に残る物

 前回のあらすじ
 特異種。


 夜戦----時間と場所をわきまえると異なる意味になる場合もあるが、2-5最奥部で激闘を続ける教導艦隊にとっては文字通り敵中枢艦隊との最終戦。

 

 昼戦を終え双方一旦距離を取り態勢を立て直して次の展開に入るのだが、これまでの戦闘で、神通率いる水雷戦隊と赤城の航空隊による連携攻撃をもってしても、守勢に徹した敵に十分なダメージを与えきることができなかった。二体の駆逐ロ級後期型のうち一体は撃沈し残り一体は中破、軽巡ヘ級フラッグシップも中破止まり、さらに肝心の二体の戦艦ル級フラッグシップはともに小破で健在。

 

 対する教導艦隊は----。

 

 

 大破:涼月、赤城、中破:雪風、神通、小破:時雨、瑞鳳

 

 

 大破艦を抱えた状況で夜戦突入の可否を決断する-日南大尉が最も避けたかった状況であり、彼と教導艦隊に課された制約を考えると、完全に追い込まれたと言っていい。さらに、特異種と疑われる敵の動向はやはり異質だった。夜戦に際し、どの戦場でも深海棲艦側は受動的に反応--撤退か交戦かを選択する艦娘側の動きに対応していた。だが、2-5の海域最奥部に陣取る敵の中枢艦隊はここに来て前進を開始、自ら夜戦に臨んでいるのが明らかになった。

 

 作戦指令室に満ちていた騒然とした雰囲気は既に過ぎ去り、部屋中を重苦しい空気が支配する中、C4ISTARのモニターを凍てついた表情で見つめる日南大尉に全ての視線が集中する。

 

 

 

 「…ここで『特異種』とは、ね。橘川君、これも()()()()()()()の差し金かな?」

 

 桜井中将は冷静な口調で問いかけながら、横に立つ橘川特佐を鋭い視線で正面から見据えた。橘川特佐は内心の動揺をひた隠し、何とか切り抜けようと得意の口車を走らせようとしたが、中将が間髪入れずに放った二の矢で逃げ道を塞がれた。

 

 「答えなくても構わないよ。翔鶴が認め、香取や鹿島が育てた日南大尉(逸材)が、艦娘達と心を通わせて臨む戦い、私は無粋な横槍が入らないようにするだけだ。例え相手が伊達元帥と関係がありそうな連中だとしてもね」

 

 全て発見された挙句に『繋がり』まで掴まれた--桜井中将は戦争初期に活躍した将官だが、所詮キャリアの過半は教育畑…と侮っていたしっぺ返しの苛烈さに特佐は震え上がった。それでも知ってる事をゲロる訳にもいかない。特佐は曖昧なトークの中で、何とか中将が矛を収めてくれるのを願うしかなかった。

 

 「…中将の()()()()()()()()()()()、大変興味深い物です、としか自分には…。特異種については参謀本部でも半信半疑という所ですが……大尉は運悪くパンドラの箱を開けてしまったのかも知れません」

 

 

 「君には色々聞きたい事も多いが、日南君の方は猶予ならないからね。……私だ、特異種を相手にすることになりそうだが、構わないかね?」

 

 (おもむろ)にインカムに手を当てた中将が発した、前後の脈絡を無視するような呼びかけに、橘川特佐は『え、俺に言ってるの?』とぽかーんと口を開け、自らを指さしている。続く言葉の前に、作戦指令室がどよめきに揺れる。何かを決心した面持ちで日南大尉が口を開きかけた時に、受信範囲内にいる全ての艦娘に対し最優先で介入してきた強制通信----。

 

 

 

 『特異種、ねぇ…俺様の子猫ちゃん達に相応しい相手だといいんだが。…ブイン基地特務艦隊、突入!』

 

 

 

 聞き覚えのある声に、日南大尉の表情が驚愕に彩られる。

 

 「不破先輩っ!?…これは一体…? まさか友軍艦隊? いやでも…通常海域では許可されない特別編成部隊のはずでは…!?」

 

 つい先日終了が宣言された大規模侵攻(イベント)『邀撃! ブイン防衛作戦』。自分の任地を含む海域で遂行されたこのイベントを文字通り怒涛の勢いで攻略し殊勲甲を認められた、チャラさと優秀さの両方で有名な金髪の指揮官・不破少佐は、現在2-5海域南方に進出し、DDH-143(しらね)改に座乗し指揮を執っていた。

 

 「偶然だよ偶然。そっか日南の部隊だったんだー、シラナカッタナー。まぁでもせっかくの機会だ、このハンサムな先輩様の華麗な指揮、目に焼き付けちゃいなよ……濡れるぜ?」

 

 相変わらずのテキトーな感じの受け答えで韜晦する不破少佐だが、言葉通りの意味に受け取れるはずがない。日南大尉はさらに怪訝な表情で問いをぶつけるしかできずにいた。

 

 「でも、どうして……」

 「俺らみたいな次世代エースの邪魔する阿呆共に一泡吹かせんの気持ちいーじゃん? ま、礼なら中将に言っときな…って言うなって言われてたんだっけ」

 

 慌てて振り返った大尉の視線の先、壁に寄り掛かる桜井中将と目が合う。一瞬だけ眩しそうに目を細めてほほ笑んだ中将は、誤魔化すように唇を尖らせて口笛を吹く真似なんかをしている。

 

 「中将…、そして先輩…」

 

 それ以上言葉にならず、制帽を目深に被り直しグッと唇を噛んだ日南大尉は感に堪えない様子で動けずにいる。

 

 ブイン基地特務艦隊--旗艦大和を筆頭に、武蔵改二、長門改二、アイオワ、愛宕、高雄から成る部隊。高速化され、三〇ノットの艦隊速度で突入してくる超重量編成の打撃部隊に精密で濃密な大火力を叩きこまれては、さすがの戦艦ル級もただでは済まない。敵中枢艦隊は出鼻を挫かれ、その間に教導艦隊は態勢を立て直すことに成功した。

 

 「日南、腹括って残りの連中をさっさとぶっ殺してこいっ!!」

 

 背中を押すというより蹴飛ばす勢いの不破少佐の檄を受け、キッと眦を決し背筋を伸ばした日南大尉だが、改めて指揮を執ろうとした矢先に入ったダメ押しのダメージは大きかった模様。主に財政面で。

 

 「あぁそうだ、この出撃の全費用お前に課金(チャージ)するんで、そこんトコよろしくぅ。ティッ!」

 

 

 ブイン特務艦隊のお陰で、戦況は盛り返したが危機には違いない。望まないシナリオだとしても、いや、望まないからこそ何度もシミュレーションを重ねた策の一つ、使わずに済めばいいと秘めていた崖っぷちの策を日南大尉が部隊に告げる。作戦指令室に詰める艦娘達が固唾を飲む中、大きく深呼吸をした大尉は、大きく右手を前に振り出し、決然と号令を下す。

 

 

 「教導艦隊、前進開始っ!! All Guns Blazing(全火砲全力攻撃)!!」

 

 

 

 トレードマークの銀髪と白いペンネントは至る所が出血で黒く変色…頭部に負った損傷の深刻さを物語る涼月がこの海戦で最後の動きを見せる。

 

 「今の涼月にはこれが精一杯…けれど、大尉のご命令…この身に代えてでも…!」

 

 連装砲ちゃんを自律稼働させ、艦隊から大きく離れた位置で牽制砲撃を開始する。夜の海に唐突に咲いた白い発砲炎の花と甲高い射撃音に対し、敵艦隊は猛然と応射を加え、漆黒の海の一か所が瞬間だけ激しく照らされる。ブイン艦隊から齎された射撃管制用データに加え、目視でも敵艦隊の位置は完全に特定した。

 

 敵が見当違いの方向に砲撃を加えている間に、涼月・赤城・瑞鳳は全力で退避し、同時に時雨と雪風、そして神通が長射程雷撃を敢行しつつ突撃を始める。味方は中破二に小破一、ブイン特務艦隊の猛攻を受けた敵は、残存の駆逐ロ級後期型一が撃沈、軽巡ヘ級フラッグシップが大破、戦艦ル級フラッグシップは中破二にまで勢力を減じていた。

 

 高速長射程が自慢の酸素魚雷だが、往時の実戦での長射程戦術の命中度は海軍の期待値を大きく下回っていたらしい。日南大尉もそれは十分に理解していて、この一斉雷撃での決着は端から期待していない。それよりも扇状に広がる酸素魚雷が敵艦隊の行動に掣肘を加えることで----。

 

 「流石大尉…これなら今の雪風の脚でも!」

 

 雪風がにぱっと微笑む。同時に大きく前後に両脚をスライドさせ、ふらりと海面に横倒しになったのかと錯覚するほどの急回頭を見せる。視線の先には、酸素魚雷の接近に気づいて慌てて方向転換中の軽巡ヘ級。大きく円を描きながら逃げるヘ級に対し、ほとんどUターンで方向を変えた雪風。両者の距離は一気に縮まった。

 

 「不沈艦の名は…伊達じゃないのです!」

 拳で膝をがんがんと叩いて無理やり言う事を聞かせながら中破の主機を増速、両手持ちした肩掛け式の主砲を連射して突撃。例え相手が大破していても、教導艦隊の勝利条件を知る雪風には手心を加える選択肢はない。敵に手が届くような距離まで迫ると、背負式の魚雷格納筐を九〇度回転させ五連装酸素魚雷の斉射。全駆逐艦中最強の一角を譲らない雪風の攻撃をまともに受けたヘ級、艤装の残骸だけを残して轟沈---。

 

 

 同じ中破でも神通の損傷は上半身に集中していた。昼戦で左肩や頭部に決して軽いとは言えないケガを負い、左側の視界が薄ぼんやりしか見えないが主機の出力に異常はない、神通は時雨の前に出て突き進む。左側の視界は後方の時雨がフォローしてくれているが、それもそろそろおしまい。時雨にはこれから重要な役目を果たしてもらわないと。前方には長射程で放たれた初撃の酸素魚雷を躱すために回避運動中の戦艦ル級が二体。

 

 「左の…敵の旗艦を…お願い。右は…私が引き受けます」

 

 突入を続ける二人の航路が分かれる。軽巡の自分が敵戦艦の装甲を貫くには、懐深くまで潜り込んでの零距離砲撃、動きを止めてから止めの雷撃。ぎりっと唇を噛み締めた神通は、速度を殺さずに大きくスラロームしながら敵の砲撃を躱し前へ前へと低い姿勢で突進する。右手を前に差し向け砲撃態勢に入ろうとした所で、左側から頭をもぎ取られるような衝撃を受け、吹っ飛ばされた。

 

 「あ……あぁ………」

 

 戦艦級の力で振るわれた破壊の暴力、艤装をそのまま武器にしたル級に殴り倒された神通は、途切れ途切れの声しか出せず、何とか立ち上がろうとするが思い通りに体が動かない。勝利を確信したル級は、そのまま神通を見下ろす位置に立つと、両腕の前腕に装備する主砲の狙いを構え、長い砲身が頭部と心臓部に狙いを定めている。夜の闇に浮かぶ白い顔がニヤリと嫌な笑みを浮かべ----。

 

 「油断しましたね」

 

 辛うじて動く左手で、神通が自らの太ももを弄るとガシャンと音がする。照射面保護のシャッターが解放された探照灯が黒い夜空に光の柱を立ち上げる。こんな至近距離でまともに探照灯の強烈な灯りを直視し目を焼かれたル級、悲鳴とも咆哮ともつかない声を上げ、苦しそうに体を捩る。その間に立ち上がった神通は、無言のまま右手の指先を束ねると、ル級の喉元に全力の貫手を送り込む。連続して聞こえる三つの水音、一つは水面に倒れ込むル級の胴体、もう一つは水面に落ちるル級の頭部、そして再び海面に倒れ込む神通。夜天を見上げながら、動けない体をそのままに、それでも満足そうに神通は微笑む。

 

 

 

 「日南大尉…僕は、僕たちはやっとここまで来たんだね」

 

 作戦指令室に淡々と語る時雨の声が響く。静かな、それでいて戦場の颶風に負けない凛とした声。

 

 「ねぇ…君の目指す夢が叶う頃には、この世界はどうなってるかな? えっと、そんな大きな話じゃなくてもいいんだ。何が言いたいかっていうと--」

 

 一旦声が途切れる。恐らくは回避運動に集中しているのだろう、しばらくの間スピーカーからは砲撃音だけが途切れる事無く続いている。ごくりと喉を鳴らし唾を飲み込んだ日南大尉は、時雨の言葉の続きを待つ。

 

 「きっと遠い未来に、今を振り返った時、胸を張って言えると…思うんだ。この勝利が…僕たちの大きな一歩になるって。だから僕は…これからも、そばにいて……いいんだよね?」

 

 

 「ああ、勿論だ。だから時雨、絶対に…帰ってくるんだ」

 「帰る場所があるのって、嬉しいな…うん。待っててね」

 

 

 指揮官との絆が強ければ強いほど、想いを力に変え強くなる。それが艦娘の成長だとすれば、紆余曲折を経ながらも、時雨は確実に成長を遂げた。降り注ぐ敵の砲撃を華麗なステップで躱し続け、届いた先--忌々しそうな表情で時雨の接近を拒もうとする戦艦ル級フラグシップの内懐。

 

 「時雨、いくよ」

 

 自らの砲身の内側、手を伸ばせば届くような距離まで時雨の接近を許したル級は、前腕の艤装を振り回し時雨を追い払おうとするが、大振りの隙を突かれ柔らかい脇腹に零距離射撃を受け、体を大きく仰け反らせる。その隙に海面すれすれを這うようにしてするりと体を入れ替えた時雨は、太ももに装備した四連装酸素魚雷筐を九〇度回転させ態勢を整えると、必中距離で雷撃敢行。

 

 

 

 宿毛湾泊地の作戦指令室には、スピーカー越しに激しい砲撃音とル級の咆哮、そして海を震わせる轟音が木霊していた。音声だけではどちらが何をしたのか判然とせず、誰もが重苦しい沈黙を肩に背負いながら待っていた。そして----。

 

 「…至近距離でやりすぎちゃったかな、うん…」

 

 呑気な時雨の声が聞こえた瞬間、大歓声が作戦指令室を揺らす。

 

 教導艦隊、2-5解放。

 

 無言のまま天井を見上げ両手でガッツポーズを作る日南大尉には、次々と艦娘達が喜びを分かち合おうと集まっている。満足そうな表情で温かくそんな光景を見守っていた桜井中将が、思い出したように橘川特佐に水を向ける。

 

 「そういえば君は、『日南君はパンドラの箱を開けた』って言っていたね。その通りだと思うよ。パンドラの箱に最後に残っていたのは…希望だからね」

 



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Intermission 8
098. トナリアウ


 前回のあらすじ
 総力戦。


 「着任当初のぎくしゃくぶりを思い出せば、よくここまでの絆を結んだものだ」

 「はい…自分の将来を預ける指揮官と、戦船としての誇りを賭ける艦娘と…。お互いの大切なものを躊躇いなく賭ける、間違いなく良い部隊へと成長しました」

 

 宿毛湾泊地の本部棟内に設けられた桜井中将の私室。サイドアームが左右についた革張りのフェザークッションを備えたソファに深く腰掛け、脚をオットマンに載せる中将は、再びグラスを口に運ぶと喉をごくりと鳴らす。からん、とグラスの中で溶けた氷が形を変え、ダークアンバーのラム酒の中を一頻り泳ぐ。ヒナミは飲みませんので、残念ですが…と、ウォースパイトから譲り受けた秘蔵のラム酒に、中将は上機嫌である。グラスを口に運ぶ桜井中将の横には、ジト目で中将を眺める翔鶴の姿。

 

 二人の話題が2-5攻略を完遂、つまり教導課程の全てを修了した日南大尉と教導艦隊なのは言うまでもない。彼らが攻略を終えてから早数日、参謀本部からは節分関連の(期間限定)任務群が発令されているが、任地を持たない日南大尉が参加できる任務も限定されており、遠征を中心に開発や建造、あるいは演習などで日々をゆるゆると過ごしている。これには2-5最終戦で友軍艦隊(通りすがり)のブイン艦隊-超重量編成水上打撃部隊-の出撃経費をチャージされ、思わぬ形で資源にダメージを負った事も影響している。

 

 「そうだね。教導課程を修了し、第二次進路調査も事実上終了している。あとは大海営に彼の昇進と拠点長就任を上申し任地を確定させる。まぁ…一連の事を考えると、これが一番大仕事かも知れないね。ただ…」

 

 上体を起こした中将は、いったんグラスをテーブルに置き、口直しにドライクランベリーに手を伸ばす。甘酸っぱさが濃厚なラムの香りを流し口をすっきりさせる。もごもご口を動かしていた中将が話を再開する。

 

 「戦力差のある相手…しかも試行回数の制限まで加えられた戦い、特殊装備を積むのも選択肢だったがね。彼の艦隊司令部練度では入手数も多くなかったのは確かだが、それ以上に彼の性質からしてそこまで割り切れなかったようだが」

 

 中将に隣り合う翔鶴がぴたりと動きを止め、何とも言えない表情のまま中将にじぃっと視線を送る。言葉に出さない翔鶴の言葉を十二分に理解している中将は、ゆったりとした微笑みを浮かべている。

 

 応急修理(ダメコン)-配備数が限られるこの特殊装備を積んだ艦娘は、一度きりだが轟沈状態からでもサルベージされる。人間(生物)艦娘(生体)の違いはいくつもあるが、死の無効化はその最たるもの。艦娘の魂と肉体を強制的に現界に留める謎技術の結晶にして極地。それは絆を永遠につなぐ妖精さんの祈り、あるいは死して尚戦えというヒトの呪い。

 

 いずれであっても艦娘側から見た時、この装備が起動する条件として、戻れると分かっていても()()一度死ななければならない。海軍が公式に配備した装備である以上、ダメコンの使用に良いも悪いもない。ただ桜井中将は、ダメコンを使わずに済むならそれに越したことは無いと考えるタイプである。そんな彼も昔一度だけ、使う前提で翔鶴を含む当時の部下達にダメコンを積み戦いに送り出したことがある。

 

 「艦娘を失わずに済む以上積極的に使うべき…当然の事で、日南君がダメコンを使う選択をしたならそれは勿論合理的と評価した。けどね…彼がそうしなかったことが嬉しくもあるんだ」

 

 中将はそう言うと顔の前で両手を合わせて翔鶴にお願いする。はぁ…と溜息とともに遠ざけたグラスを中将に差し出した翔鶴は、むぅっとした表情で宣言する。

 

 「今日はこの一杯でおしまいです。真剣にお体の事、考えてください。それに…お酒臭いキスは…」

 

 その言葉を聞いた中将は無言のまま立ち上がり、ゆっくりとした足取りで洗面台へと向かって行った。しゃこしゃこ一生懸命歯を磨く音をBGMに聞きながら、両手でグラスを持った翔鶴は恐る恐るラム酒を舐めてみる。秀麗な顔を><に歪めてペーッと舌を出した翔鶴だが、心の底から嬉しそうな表情で小さく呟く。

 

 「~~~っ! …今目の前にいる私達の生を共に喜び、死を恐れてくださるあなたのように…きっと日南大尉も育ってくれるはずですよ」

 

 

 

 予定通りなら2-4クリアで教導課程を無事終了していた。なのに課せられた、2-4と2-5を合わせて六回で攻略、失敗すれば日南大尉は横須賀の新課程へ転属という理不尽な横槍。だがそれも薄氷を渡る勝利とはいえ見事にクリア。さぞ教導艦隊も盛り上がり、まずは宴だーっ!…と思いきや、意外なほどの静けさの中で日々を過ごしている。

 

 「…宿毛湾(ここ)でもこの季節は冷えるね、大丈夫?」

 「寒くない訳じゃないけど…十分に温かいよ」

 

 宿毛湾泊地の演習海域を見下ろす防空兼演習指揮塔。五階建ほどの高さのこの棟の屋上、対空電探の支柱に寄り掛かりながら、訥々と言葉を夜空に溶かしているのは時雨と日南大尉。南国とはいえ朝晩は一桁前半、低ければ〇度に近い温度まで気温は下がる。風が無いのが幸いだが、ぺたんと屋上に座り、一枚の厚手の毛布に包まりながら肩を寄せ合う二人の吐息は白く、今夜の冷え込みを物語る。

 

 「もう一杯、飲む?」

 もぞもぞと毛布の中で動いていた時雨は、ごめんね、と言いながら首元まで覆っていた毛布を緩めると、右手で魔法瓶の蓋兼カップを差し出す。頬のそばに湯気の上がるカップを差し出された日南大尉は、ぴったりとくっついた右腕を動かせず遠回りになるが左腕を伸ばして受け取ると、そのまま口元に運ぶ。

 

 「ああ、ありがとう。…ホットワインは、懐かしいよ。ドイツ留学中に飲んだ事もあるけど、今が一番…美味しいと思う」

 「そう? 鳳翔さんに温かい飲み物を、ってお願いしたらこれをくれたんだ」

 「そうなんだ、どうりで…。時雨も?」

 

 大尉が二口ほど味わったホットワインはカップの半分ほど残っている。日南大尉の左腕がそのまま少し伸び、カップが時雨の顔の前までやってくる。

 

 「わ…う、うん。僕も…もらおうかな…」

 

 右手で受け取った時雨の白い吐息といまだ温かさの残るホットワインのカップの湯気が溶け合い、時雨の顔のあたりが白く煙る。その向こうに見える赤らんだ頬は、冷たい夜風のせいだけではなさそうだ。ず…と啜る小さな音がし、時雨の喉がこくりと動く。

 

 

 それきり二人とも何も言わず、冴えた光を纏う星達が照らす午前〇時。

 

 

 「…ねえ、どうして来てくれたのかな?」

 「うん? なら、どうして呼び出したんだい?」

 

 時雨からの二人だけで話をしたい、とL●NEを受け取った日南大尉は、理由を聞くこともなく承諾した。即リプにむしろ時雨の方が戸惑ったほどだった。

 

 「もう…質問に質問で返すのは、どうかと思うよ」

 「そっか、ごめんよ。そうだね…ここの所ずーっと忙しかったせいもあって、時雨と作戦以外の話ができてなかったな、と思ってね。どんな用件かは分からなかったけど、ちょうどいい機会だと思ってね」

 「そっか…そうなんだ…。うん、そうだね……僕も…おんなじこと…思ってたんだ……」

 

 続く言葉の代わりに、触れ合った肩に力が入り、時雨は左腕を大尉の右腕に絡ませる。夕立や村雨(妹達)ほどではないにせよ、十分なボリュームのやわらか胸部装甲が押し付けられる。普段なら距離を取る大尉も、寒さのせいか、あるいは違う理由があるのか、珍しく時雨のさせたいようにさせている。

 

 

 再び二人とも何も言わず、銀の糸のような光を放つ月が見守る午前一時。

 

 

 「…ずっと、不安だったんだ。僕は君のために何ができるのか、何ができているのか、って…」

 こてん、と時雨の頭が日南大尉の肩に凭れ掛かる。ふわふわした黒い髪に頬をくすぐられるが、大尉はそのままにして話の続きを待っている。

 

 「ウォースパイトさんや赤城さん、それに扶桑みたいな決戦戦力って訳じゃないし、鹿島教官みたいに計数管理は得意じゃないし、村雨みたいにすんごくないし。…それに…」

 ずいっと上目遣いのジト目で見上げる時雨。何やら雲行きが怪しくなってきた。

 

 「…それに僕、銀髪じゃないし…」

 

 やれやれ…といった表情で、空いた左手を伸ばして赤い頬をぽりぽりと掻く大尉に対し、時雨は赤らんだ頬をぷうっと膨らませて言い募る。

 

 「君の事は…あの時から…。だから君が司令部候補生になって宿毛湾に来るって聞いて…絶対に秘書艦になるって…。なったのに…ああもう、こんなことが言いたいんじゃないのにっ」

 

 

 その年に発生した集中豪雨に齎された大規模な土石流でほとんど壊滅した町での救援任務。先遣隊として派遣された日南大尉を含む兵学校からの部隊と、海上警備に派遣された時雨は、その時に僅かだが印象深い邂逅を遂げていた。ただ、残念ながら時雨の方しか覚えていないと時雨は思っていた。

 

 

 「……自分は」

 

 唐突に日南大尉が口を開く。時雨に答えるというよりは、自分自身に語り掛けるような、どこか熱に浮かされたような、そんな口調。

 

 「ようやくここまで辿り着いた。けれど…過去を背負い今を戦う君達と、共に歩み未来へと進みたい…そう自分は言ったけど、本当にそう出来ているのだろうか。いや…だからこそ、自分と共に迷いながらでも前に進んでくれる時雨が秘書艦で…」

 

 一旦言葉を切って大尉が大きく深呼吸した拍子に時雨の頭が動く。うん…と返事とも吐息とつかない切ない声を漏らすと、時雨はぎゅっと絡ませた左手に力を籠る。その声にどきっとさせられた大尉は、肩越しに時雨を覗き込むと……規則正しい小さな寝息が聞こえてきた。

 

 「……って寝てる?」

 

 拍子抜けしたような表情になった日南大尉だが、時雨を起こさないように慎重に体勢を整えると、軽くため息を零しながら、最後に一言だけひとり呟くと、吸い込まれるように眠りに落ちていった。

 

 「あの時、か…。あの時の時雨は変装のつもりだったのかな? 三つ編をほどいて伊達眼鏡をかけてたよね。忘れるわけが…ない、だろう…」

 

 ホットワイン-温めたワインに砂糖、レモン果汁、シナモンスティック、クローブで香り付けしたドイツを中心とする地域の伝統的な飲料で、寒い欧州の冬には欠かせない飲み物。砂糖で甘さと濃厚さを加えているので飲みやすいが、どう言ってもワインである。しかも名高い鳳翔が仕込んだものである以上、必要以上にアルコール分を飛ばすはずもない。口当たりの良さに釣られてくいくい飲んだお酒に弱い二人は、知らぬ間に酔っ払いお互い本音を吐露しそうになり、寸前で寝落ちに至った午前一時半。

 

 

 

 翌朝----。

 

 「くしゅんっ」

 「はくしょんっ」

 

 いくら厚手の毛布に包まり二人で肩を寄せ合っていたとはいえ、寒いものは寒い。ほどなくして目を覚ました日南大尉と時雨は、自分たちがどういう状況かすぐに理解し、二人して真っ赤な顔であうあうしながらぎこちなく、足早に防空兼演習指揮塔を後にした。そして何事もなかったように今日の執務に当たったのだが--。

 

 「二人揃ってくしゃみ? 風邪っぽい?」

 「あやし~い。風邪が移るようなことでもしたぁ?」

 

 遠征や演習の予定がない夕立と村雨は、初雪と島風と共に炬燵に浸かりながら、苦笑いを浮かべながら視線を絡ませている指揮官と秘書艦をジト目で疑りまくっていた。



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099. 飄々とエモーション

 前回のあらすじ
 二人、夜空の下で。


 「ってな感じで色々あったんだよ~、でもホント、いい部隊だと思うよ。私もさ、2-4の初戦を落とした時は、ガラにもなく泣いちゃってさ~」

 

 丈の短いクリーム色のセーラー服からはおへそが完全に見えていて、同じ色のミニスカートをひらひらと揺らしながら歩くのは球磨型軽巡洋艦三番艦、というよりは重雷装巡洋艦の北上である。棒付きの飴(ロリポップ)を咥え、ゆるい笑顔を浮かべお下げ髪を揺らして甘味処の間宮へと向かう道すがら、頭の後ろで両手を組んで歩きながら、隣に並ぶ艦娘にこれまでの教導艦隊の歩みを語り聞かせている。

 

 2-5四戦ストレートでS勝利、と結果だけを言えば圧勝に聞こえるが、内実は全て紙一重、参加した艦娘のほとんどが甚大な損傷を受け、一歩間違えば誰かが轟沈していても不思議ではなかった。そんな激戦でも勝利は勝利、教導艦隊は2-5で新たな仲間を加えていた。北上が連れているのはその一人である。

 

 話が厳しい条件を課せられた2-4と2-5の攻略に及ぶと、北上はいつもののんびりした表情を少しだけ曇らせたが、すぐににへらっと隣の艦娘に笑いかける。だが隣にいる、大きなポケットの付いたモスグリーンの半袖セーラー服を着た艦娘はぴたりと足を止める。俯きながら肩を揺らすと、ハイライトを目から追い出して叫び出す。

 

 「北上さんを…泣かす? …傷つけるの…誰?あの若造かぁぁぁぁっ!?」

 「いや大井っちの指揮官だからね。てかテンション高いね~」

 

 まぁまぁと北上が宥めているのは、いきなり艤装を展開して一四cm単装砲(じょうご)を構えだした同じ球磨型の四番艦、大井。既に第二次改装まで済ませ重雷装化された北上に対し、着任したての大井は言うまでもなく無印。話の流れガン無視で北上が泣いた所だけに喰い付き黒いオーラを背負う大井は、すでにアレな気配を余す所なく漂わせている。

 

 「まーまー、そう熱くならないでさー。ほら、これでも食べなよ~」

 「はぅっ!? 北上さんの唾液に塗れたロリポップがっ! 口の中で私の唾液で混じり合い溶け合い一つになって…!」

 「何してんのさ大井っちー、置いてくよー。間宮さんトコでひなみんに差し入れ買うんだから。攻略終わったのに忙しいんだってさ」

 

 お前もう喋るな、と思ったのかどうかはともかく、ちゅぽんと音を立て口から出したロリポップを、ふにゃぁっと微笑みながら大井の口に突っ込むとスタスタ歩き出す北上に対し、真っ赤になった頬を両手で挟みながらイヤイヤとクネる大井は、腰が抜け立てないようで道にへたりこんでいたりする。

 

 

 

 その日南大尉は、第二司令部の執務室で珍しく難しい顔。秘書艦席とL字に組み合わせられる自席でラップトップに向かい合い、目の前のモニターに集中している。取り組んでいるのは、教導課程の締めくくりとなる書類作成。

 

 教導課程における拠点運営の評価指標は大きく二つ、まずは戦闘部隊としての戦果。期間中に所定の海域を解放するのだが、これはクリアしている。そしてもう一つ問われるのは拠点運営の健全性。

 

 部隊の資源資材は無計画に使えばあっという間に散財してしまう。教導課程の制度上、不足の際には宿毛湾地本隊から必要な分を借りることができるが、それはそのまま教導艦隊の負債となり、借りた以上は補給と遠征、任務等で得る資材で返済する必要がある。軍事拠点として機能不全に陥るのを避けるため、借り入れが嵩んでも赤字経営に追い込まれないが、負債や返済は全てが記録される。結果、教導期間中にどれほど戦果を挙げようとも、拠点が財政破綻と認定されれば失格となる。

 

 教導艦隊の財務状況は、借対照表(B/S)損益計算書(P/L)キャッシュフロー計算書(C/F)で多角的に評価される。この三種類の書類の作成に流石の日南大尉も悩まされていた。例えば弾薬一つとっても、砲の種類ごとに弾薬の種類があり、それを艦娘毎にどの作戦でいつどれだけ消費し、どの遠征や任務でどれだけ補給を受けたのか…これを全て管理する必要がある。もちろん燃料や鉄鋼、ボーキサイト、高速修復材(バケツ)改修資材(ネジ)、さらに食料、加えて膨大な一般消費財もある。提督と秘書艦の仕事の殆どは書類作成と言われる所以がここにある。

 

 基本的にいいんちょ気質の大尉は、資源資材のINとOUTをきっちり管理しているが、それでも完璧という訳にはいかない。塵も積もれば山となる、の言葉通り、細かな誤差の積み重ねが最終的にP/L上で数字のタテヨコナナメが合わない状態となって跳ね返ってくる。なので大尉は誤差のある勘定科目を過去に遡って調べ直し、データの修正と再集計と整合性チェックを繰り返している。

 

 こんな時頼りにしたい教導艦隊の秘書艦はというと、時雨メインで涼月サポート、最近では朝潮も加わった体制に落ち着いているが、三人は倉庫に出向いて資材資源の棚卸の真っ最中。彼女たちから寄せられるアイテム毎の備蓄状況を元に日南大尉がシステムデータをチェックしている。秘書艦ズ不在のそんな執務室だが、それでも何名かの艦娘が詰めている。

 

 

 「そのような些事、任せる部下はいないのですか? ヒナミ、将の役割は人を育てる事ですよ」

 いつもと変わらず玉座から涼やかな声を掛けるウォースパイト。いや、貴女も部下なんですけど…。

 

 「確定データの遡り修正(VOID処理)って面倒…それに…炬燵様が動くなって…」

 褞袍(どてら)を着て炬燵でぬくぬく中の初雪。怠惰を炬燵のせいにしてはいけない。

 

 

 そして--。

 

 

 「司令かぁ~ん、遊んでくれないと~、つまらないぴょーん…ぷっぷくぷー!」

 

 

 秘書艦席から身を乗り出して日南大尉とラップトップの間に顔を突っ込んでいる、少し癖のあるピンク色の長い髪の駆逐艦娘--睦月型駆逐艦四番艦の卯月が変顔を繰り返している。彼女も2-5攻略戦で邂逅した艦娘の一人である。仕事に集中している(集中したい)大尉が適当に流しながら相手にしないので、卯月は実力行使に訴え始めた。

 

 「…卯月、画面が見えないんだけど」

 「これ触ってほしいぴょん。そしたら満足だぴょん」

 

 自分の長い髪で隠すようにラップトップの画面を覆った卯月は、うりゃうりゃと毛先をまとめるウサギの髪留めを大尉の方に押し付けている。はぁっと軽く溜息を吐いた大尉は一旦仕事の手を止めると、椅子を少し引いて卯月の方に体を向け、髪留めを触ろうと指先を伸ばす。

 

 「アイッタァー! 噛んだ、これ噛んだっ!!」

 「えへへ♪ひっかかったぴょん」

 

 髪留めが噛むはずがない。卯月がクリップを動かして大尉の指を挟んだのだが、反射的に指を引っ込めた大尉が椅子を大きく引いた隙に、するりと机と大尉の間に潜り込んだ卯月は、そのまま膝の上を占領してにんまりと笑みを浮かべる。といっても大尉から見えるのはピンク色の頭と紺色のセーラー服の背中だが。

 

 「卯月、自分は今「『忙しい』って言うぴょん? そんな時ほど卯月を愛でるぴょん。数字ばっかり見てると、大事なものが見えなくなるぴょん」

 

 卯月に言葉を遮られた日南大尉だが、虚を突かれたような表情になる。今は数字の整合性を取るのが大仕事だが、少し煮詰まっていたかもな…と、大尉は自分の膝の上で目の前で、はよ撫でろと言わんばかりに左右に揺れるピンクの頭に柔らかく笑いかけ、そっと手を載せ左右に動かす。むふーっと満足そうに微笑んだ卯月は、くるりと九〇度大尉の膝の上で回転し横座りに態勢を変える。

 

 「背中もなでるぴょん」

 「はいはい」

 「あんまり触ると、ウサギは偽妊娠するぴょん」

 「はぁっ!?」

 

 ウサギは周年繁殖動物で、明確な発情期を持つ他の動物と異なり年中繁殖することが可能だが、艦娘の卯月にこの生態が当てはまるかどうか定かではない。またひっかけたぴょん、とニヤニヤ顔の卯月にかなーり引き気味に大尉が顔をヒクつかせていると、丁度よくドアがノックされる。卯月を膝から降ろして入室を許可するとドアが開き、両手でお盆を持った艦娘がにっこりと微笑んでいる。

 

 

 「こんにちわあ。肉じゃがが出来たのでお持ちしましたあ」

 

 2-5で邂逅可能な中でトップクラスにレアな艦娘、白と紺のセーラー服にクジラのイラストが入った白のエプロン姿、潜水母艦の大鯨もまた一連の作戦の中で教導艦隊に合流していた。特務艦娘の一人で、現時点の正面火力は残念ながら前線に立たせられるものではないが、練度が上がると軽空母の龍鳳へと大規模改造が可能となる艦娘である。潜水母艦のまま練度を高めることも勿論可能で、そのあたりは指揮官の方針による。

 

 赤い瞳を優し気な微笑みの形にしてすたすたと室内へ進んできた大鯨は、ラップトップや様々な書類やファイルが山積みになった執務机をちらりと見て、応接テーブルの方へ方向転換し応接テーブルにてきぱきと食事の準備を整える。いつも抱えているバケツに入っている玉葱に馬鈴薯を活用し、それに牛肉や白滝、人参なんかを加えれば肉じゃがの完成、ということのようだ。

 

 「あ、ありがとう大鯨。でもさっき昼食を済ませたばかりで…」

 「本当はフーカテンビーフがいいかなあって思ったんですけど、それは先のお楽しみということで。あ、それとも、このままの方がいいですかあ? 潜水母艦、いいですよね?」

 

 大尉の困惑を華麗にスルーしつつ、すとんとソファに腰を下ろした大鯨は、ぽんぽんと自分の横のシートを叩いて無言のうちに大尉を呼ぶ。見ればテーブルには二人分の食器が並んでいる。というかこういう場合は向かい合わせではないのか?

 

 「結構大きめのテーブルですから、前からあ~んするには距離がありすぎなので。今日のは自信作ですから、冷めないうちに召し上がってくださいねえ」

 

 にっこりと微笑んで小さくガッツポーズをする大鯨。その拍子にエプロンで抑えられていても抑えきれない部位が大きく揺れる。はよ来いや、と瞳をきらきらさせて熱視線を送り続ける大鯨に、どうしたものかと大尉が逡巡していると、今度はノックなしでドアが開く。

 

 「頑張ってる~? ひなみんに差し入れ持ってきたよ~」

 「北上さんっ!? ひなみんと挿し入れですって!?」

 

 ふりふりと手にした包みを揺らし笑顔とともに現れた北上と、驚いた表情で北上の顔を見た後、返す刀で噛みつきそうに日南大尉を睨みつける大井。話の腰は複雑骨折させられた模様。さらに秘書艦ズも倉庫から戻り、卯月の様子を見ていつものように時雨がぷんすかし始め、大鯨の肉じゃがを見た涼月は「そうそう、カボチャの煮物が残っていました」と自室にダッシュする。朝潮は何事もなかったように秘書艦席に向かうと席について仕事に取り掛かる。

 

 

 「…どう? こんな艦隊だけど…やってけそ?」

 「うっ…うーん、弥生も活躍…できると…えーっと、うれしい…かな」

 

 一連の様子をずっと見守っていた、やはり2-5で邂逅を遂げた一人の艦娘-初雪と共に炬燵に浸かりこんでいた、薄紫色の髪に三日月型の髪飾りを付けた紺セーラー服の睦月型駆逐艦三番艦の弥生が、訥々と、頬を赤くしながら一生懸命言葉を繋ぐ。



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100. 思い出を形に

 前回のあらすじ
 仲間が増えたのはいいけれど…。


 宿毛湾泊地を含む第二軍区の長、呉鎮守府を治める藤崎大将の訪問を受けた桜井中将だが、世間話がつらつら続く応接で次第に怪訝な表情になってきた。大将が本題に入るのを避けているような気さえする。中将とともに会談の席に着く翔鶴もまた不安を募らせ、話の流れが見えない以上大将の出方を見守っている態である。二人の視線に気づいたのか、やれやれと頭を振った藤崎大将の話はようやく本題へと移ってゆく。

 

 「年を喰うと前置きが長くなっていかんな、本題に入るとするか。桜井、司令部候補生に関する貴様の上申は裁可を受け、日南大尉の佐官昇進と赴任地が決まったぞ。これであの若造も晴れて司令官だが、な…」

 

 歯切れの悪い藤崎大将の言葉に眉を顰めつつ、差し出された大海令を受け取り目を通した桜井中将は、冷静さを顔に貼り付けようと努めた。上申した官位は中佐だが裁可されたのは少佐。教導課程には本来必要のない2-5の解放、それも2-4と合わせ六回でクリアする謂れのない難題のクリアは、二階級特進を申請してみる価値はある。いわば技本の罠を逆手に取ったようなものである。吹っ掛けられた無理筋の命令を見事達成したとはいえ、技本や軍上層部が関与してる点を鑑みれば、昇進は少佐が()()()だろうと中将は見ていた。そしてそれはその通りに落着したが、それにしてもこの任地が意味する所は--。赴任地は極めて政略的な要素で、戦況や派閥などを含め海軍上層部の意向が反映される、戦争と政争の狭間ともいえる。

 

 「第二軍区内であれば、とは思うたがな、確かに。だがどの拠点であれ、己の才覚と戦果で将官、ひいては提督を目指すのは変わらぬ。後は…運。桜井、あの若造もいよいよ拠点長、ここから先は政治向きとも無縁ではいられぬ。外様()で教育畑の貴様ではヤツの後ろ盾として権力基盤は盤石とは言えぬだろう? そこで、だな…」

 

 傍らに置いた鞄から、大将は涼しい顔でもう一つ書類を取り出し応接テーブルの上に置く。豪華な装丁を施されたA3二つ折りの冊子。辞令よりもこちらが本命か、と桜井中将は悟った。それにしても…と何気なく手に取って開いた中将が驚き、ひょいっと覗き込んだ翔鶴も目を真ん丸にする。

 

 左側には女性の写真、右側には経歴の抜粋。要するにお見合いの釣り書、というやつである。

 

 「大将…これは? ひょっとして」

 「藤崎大将、ま、まさかこれは!」

 二人同時に声を上げる桜井中将と翔鶴に、うむ、と意味あり気に頷く藤崎大将。だが話の着地点は大きくずれていた。

 

 「日南大尉にお見合いの話ですか? さすがにまだ早いのでは…」

 「桜井中将にお見合いの話ですか!? 私という者がいるのに…」

 

 お互いの顔を見合わせる中将と翔鶴。翔鶴の声を聞いた大将は一瞬きょとんとし、膝を叩いて大笑いし始める。

 

 「確かに桜井は民法上独身だが、儂ほどではないが立派なジジイだ、見合いのニーズはない。安心せい翔鶴よ、『鶴の夫婦』に割り込む度胸のある女子(おなご)もおるまい」

 

 火が出るほど、あるいはトマトのように、またはリンゴでもいい、とにかく翔鶴は自分の勘違いに顔を真っ赤っかにして俯いてしまった。さすがに照れくさそうに気まずい表情を浮かべていた桜井中将だが、翔鶴の頭をぽんぽんとし、眩しそうに目を細めて微笑みかける。

 

 「先般の呉での第三世代艦娘の一件…儂がヤツの名を上げた事、今回の沖ノ島沖攻略戦の勝利…若造は将来有望な若手として軍内でも注目株じゃ。軍高官や民間企業のお偉いさんの娘やら孫娘やら、話は色々ある。それにバシー島沖での民間人救出作戦が成功した後、参謀本部が手のひらを反して軍の宣伝に利用したからの。なんでも若造は、民間でもなかなか有名人なんだそうじゃ」

 

 軍内の事はまぁまだ分かる。だが民間でそんなことになっているとは…むぅっと考え込んだ桜井中将だが、ふと気が付いた。

 「………大将、『なんだそうじゃ』とは誰からそのような民間の話を?」

 「鋭いのぉ桜井……。いや、その…儂の孫娘がな、あの若造のふぁんというかの…」

 

 唖然として顔を見合わせる事しかできずにいる中将と翔鶴に、大将は気まずそうに顎髭を撫で続けていた。

 

 

 

 宿毛湾泊地第二司令部--。

 

 日南大尉改め少佐は無言のまま執務机につき思いを巡らせていた。桜井中将から本部棟に呼び出され、正式に佐官への昇進と、教導課程修了の証として与えられた任地の内示を受けた日。

 

 「日南君、ここから先は君が全ての責任を負って君の艦娘を率いて与えられた拠点を統治してゆくことになる。宿毛湾での日々が、これから長く続く君の道を支える糧となることを願う。司令部候補生日南要大尉、教導課程の修了を認め、少佐への昇進をここに通知する。…君の任地確定を受け、教導艦隊に所属する全員の所属権と指揮権が移譲された。加えて第二次進路調査…宿毛湾の本隊から伴いたい艦娘についての申請を早く上げるように。これで君の拠点の陣容が固まる。宿毛湾からの離任は、司令官に与えられる通常艦艇の用意ができ次第となる、それまで悔いのないように過ごしてくれたまえ」

 

 眩しそうに目を細めながら微笑む桜井中将と、その横でそっと目頭を押さえる翔鶴。一歩下がった位置で二人を中心に左右に分かれる宿毛湾泊地の首脳陣-うんうんと満足げに頷く大淀と香取、目頭も鼻も真っ赤にしてぐすぐす泣いている鹿島、柔らかく微笑む鳳翔、満面の笑みを浮かべる明石、目を伏せ唇だけで微笑みを示す間宮。

 

 -この人たちがいたから、自分はここまで辿り着くことが出来た。

 

 任地は正直に言って意外だった。けれど大きな問題ではない、どこであってもやることは変わらないから。それよりも、居並ぶ恩人とも呼べる目の前の人たちに無様な姿は見せたくない。込み上げる感情を抑えるのに短い返事で応えることしかできなかったが、語尾の震えは隠せなかったと思う。深々と下げた頭で、目尻の涙は隠せただろうか。

 

 「謹んで…拝命致します。今まで…ありがとうございましたっ!」

 

 ふっと思い出し笑いを少佐は浮かべてしまう。ほどなくして正式に発令された自分の異動、あっという間に教導艦隊の艦娘が執務室に詰め掛けてきて大騒ぎになった日から数日が経った頃--。

 

 「大尉…じゃなかった、日南少佐、ちょっといいかな」

 

 少し腫れぼったい目で、明らかに寝不足そうな時雨が執務室に現れた。時雨だけではなく、島風、初雪…教導艦隊創設当初のメンバーが姿を見せた。見れば初雪はいつもと同じ、他の二人は眠たげな表情で、さらによく見れば指先に絆創膏を巻いている。

 

 「ひなみん…じゃなくて、日南少佐、こちら…お、お渡しに…アイタッ舌噛んだ…痛い…けど引きこもらず…」

 

 慣れない敬語で言葉だけでなく舌も噛んだ初雪は顔を真っ赤にしながら、白い和紙に包まれた、柔らかそうな何かを両手で支え進み出る。僅かに眉を顰め、同じように前に出た少佐が包みを受け取ると、焦れた様に島風が急かし始めた。

 

 「早く開けて、はーやーくっ! 島風、頑張ったんだから!」

 

 黒いウサミミを揺らしながら迫る島風の勢いに押されるように、少佐は手にした包みをカサカサと音を立てて開け始め、指がぴたりと止まる。

 

 「これは…」

 

 真新しい、仕立てたばかりの制服。濃紺の第一種軍装が一組に純白の第二種軍装が二組、姿を現した。日南少佐の昇進と教導課程修了が確定してから、教導艦隊の艦娘達全員で用意した心づくし。三人の視線が少佐に集まるが、肝心の少佐が反応してくれない。歓声でも試着でもなく、ただじっと贈った制服を見つめている。こうなると三人の方が我慢しきれず口を開き始めた。

 

 「ほんとはもっともっといいプレゼントでお祝いしたかったんだけど…」

 

 先ほどまでの勢いはどこへやら、連装砲ちゃんをきゅっと抱きしめながら島風が不安そうに口ごもる。ここに至るまでの道の始まりは、偶然の結果とは言え、当時は少尉だった日南少佐が緊急事態で島風の指揮を執った時から始まった。強くなるんだ-月夜に交わした小さな約束を少佐は忘れずに、島風は寄せられた期待に応えた。そして今、島風は教導艦隊における遊撃、局面を一気に変える切り札(ジョーカー)として活躍を続けている。

 

 「モン●ンがいいかな、とか…思ったけど…。そういうんだと…部屋から出なくなっちゃう…や、初雪が、だけど…」

 

 生欠伸を噛み殺しながら初雪が訥々と告げる。赴任先でも執務室に籠る気まんまんなのが彼女らしい。以前の候補生との関係が上手くいかず引き籠もりが加速した自分を必要だと言い、選ぶのは自分だと、全てを委ねられた-だから迷いながらでも選んだ。踏み出すきっかけは少佐からもらった。以来遠征と対潜哨戒を中心に、縁の下から教導艦隊を支え続けている。

 

 「みんな…僕たちだけじゃなくて、教導艦隊の全員でお金を出し合って、明石さんのアイテム屋さんで特注したんだ。赴任地は暑い所だよね…だから第二種軍装の方を多くしたんだけど…」

 

 不安そうな表情で時雨が上目遣いで少佐に視線を送り、少佐は改めて贈られた制服に視線を落とす。衝突も誤解も多いぎこちない関係。表面的には、共にありたいと思う反面目指す道を受け止めきれずにいた時雨と、秘めた夢を時に持て余しながら無理強いにも似た自己抑制で()()に徹しようとした少佐。分からないから分かりたい、そんな時雨の想いは教導艦隊で波紋のように広がり、少佐への理解と共感を支えていた。時雨は正しく秘書艦であり、教導艦隊の中心に成長していた。

 

 

 軍の支給品に過ぎない制服は一般備品に過ぎず、申請すればいくらでも支給される。昇進祝いとしてはあまりにも在り来たりな品。それでも込めた想いはある。

 

 

 「ほんとは発令が出た次の日くらいには渡したかったんだけど、ね…。僕たちそんなのしたことないから、思ったより時間がかかっちゃって…。昨日なんかみんなで徹夜しちゃったんだ、うん…」

 

 何気なく触れた真新しい制服に覚えた違和感。指先が違和感を辿る。辿るうちに気が付いた。目立たないように上着の裾に沿って、制服と同じ色の糸で小さく刺繍された、教導艦隊に所属する艦娘全員の名前。それは常に寄り添い、指揮官を支えるという部隊の総意。

 

 「そうか…そうなんだね。だから…」

 

 だから揃いも揃って指先に絆創膏を巻いているのか…と言葉にするまでもなく。彼にしては珍しく、少佐はくしゃっと顔を歪め制服を抱きしめる。入渠するまでもない小さなケガ、慣れない刺繍針を悪戦苦闘しながら使って一生懸命名前を縫い付け、針先で指を刺した姿が容易に想像できる。

 

 「ほんとはみんなで来るつもりだったけど」

 「ウォースパイトさん(女王陛下)が…初雪たち三人で…行くべき、って…」

 

 

 桜井中将が一線を退かなくなるほどの重傷を負った後に、思いを託し発足した司令部候補生という制度。艦娘と真っすぐに向き合い、彼女たちの思いに応えられる軍人を初期段階から育成する…兵器としての特性、兵士としての心持ち、そして女性としての想い、その全てを理解し受け止める人材を育成する。その道を経て幾人もの若き候補生が教導課程を修了し任地へと巣立っていった。

 

 そして今、日南少佐が宿毛湾泊地からの旅立ちを迎えようとしている。

 



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101. それぞれの理由

 前回のあらすじ
 卒業。


 宿毛湾泊地に着任した日、別送した段ボール数箱と手荷物のカーキ色のダッフルバック一つが日南少佐の荷物の全てだった。時は流れて一年数か月が経った今、日南少佐は自分に与えられた任地へと赴く準備を進めなければならない。とは言っても少佐は執務机についたまま黙って机の上を見つめている。

 

 「着任と離任でこんなに違うものなんだな…」

 

 日南少佐が口にしたのは荷物の話ではない。着任以来モノはほんとど増えていない。軍事拠点の、しかも司令部候補生といえども責任者である、多くない休日でも気軽に外出できる訳もなく。しかもティッシュから反応弾まで、大概のものは工廠責任者の明石のアイテム屋さん『AKAZON(アカゾン)』で手に入るので、本人がその気なら泊地から一歩も出ずに全てを完結できる。ちなみに教導艦隊の艦娘達が少佐に贈った特注の軍装もアカゾンで注文したものだ。

 

 少佐の言う『違い』--背負う思いと想い。

 

 艦娘の思いに応えられる人の悟性を信じ続ける桜井中将、人と艦娘の絆の証として司令部候補生を支える翔鶴をはじめとする宿毛湾泊地の首脳陣達。そして少佐と戦いの海で邂逅し(出会い)、あるいは願いを体現し建造さ(生まれ)た教導艦隊の艦娘達-過去を背負い今を生きる彼女達の思いと、今を生きた結果で生まれた少佐への想い。そして自分自身の、深海棲艦との戦を和平に導く夢。難聴系でも鈍感系でもなく、それどころか繊細な心の内を()()の仮面で隠し、兵器であり兵士であり女性でもある彼女達に、傷ついてほしくないと願いつつ戦場へと送り出す。肩に、背中に、心にその全てを背負い旅立つための準備を進める。差し当たって、改めて机上の書類に少佐は視線を落とす。

 

 一つは艦艇の仕様書。艦娘が外洋展開する際の負担軽減策として、あるいは万が一の拠点失陥時の脱出用として、拠点規模に応じて一隻から最大三隻の範囲で配備される通常艦艇。日南少佐の拠点には一隻の通常艦艇が配備されることになり、仕様諸元が通知された。多くの基地では、通常艦艇を長距離移動時の足かつ洋上の整備補給拠点とする性格上、輸送艦や多用途支援艦、訓練支援艦等を母艦に採用する。積極攻勢を指向する一部拠点にはヘリ搭載護衛艦が配備されるが、少佐には搭載兵器実験艦ASE6102(あすか)改が割り当てられた。詳細は実際にフネが到着してから確かめればいい、と少佐はこの書類にはざっとだけ目を通した。

 

 それよりも所属変更申請書の方が重要だ。日南少佐が宿毛湾泊地()()から任地に帯同したい艦娘の所属変更を申請するための書類で、これが確定しなければ最終的な陣容が決まらない。司令部候補生制度において最終的な艦娘の所属は指揮官と所属員、つまり日南少佐と艦娘の合意により確定する。

 

 この『告ってOKをもらう』ルールは教導艦隊だけでなく、宿毛湾泊地本隊の艦娘にも適用される。ただし制度上本隊からの異動は、少佐と艦娘の間に合意があっても桜井中将の許可が必要となる。いわば『本人たちがOKの上でお父さんの許可を得る』のが最終関門。他の制約としては、本隊からの転属は教導課程修了時点での艦隊所属員総数の五%未満が上限となる。

 

 椅子を回転させた少佐は、背後にある窓からの光に目を細め両手を頭の後ろで組むと、以前速吸と話した時のことを思い出していた。

 

 -ケッコンカッコカリは宿毛湾(ここ)ではガチなので翔鶴さんだけ、あの人以外は練度の高い艦娘でも九九止まり…。何て言いますか、戦力としても女の子としても中途半端というか…。だから、候補生の方が来ると期待しちゃう子も多いんです。

 

 ぎいっと音を立て、少佐は背凭れに深く体を預け長い脚を組む。これから先、戦域は拡大し練度の高い艦娘は何人いても足りないくらいだ。だが、そのためなら誰でもいい訳じゃなく、無理に本隊から転属させなくてもよい。それでも、頭に浮かぶ顔がある。

 

 軽く反動をつけるように席を立った少佐は、そのまま執務室を後にした。

 

 

 「えぇー!? 速吸を!? 素直に嬉しいです、嬉しい!!」

 

 少し緊張した面持ちの少佐の眼前で、頬を桜色に染めぱぁぁぁっと顔中を笑顔にした速吸()が、胸の前で両手をぽんと叩いてぴょんぴょん跳ねている。かつて、女性としての夢や憧れと、戦船としての強さへの渇望がないまぜになった複雑な感情を、速吸は正直に吐露した。同時に、自分の夢と課せられた役割の間で揺れていた少佐の迷いに光をもたらしてくれた。

 

 その後速吸は1-6出撃の一環で教導艦隊に一時貸与され、その間に第一次改装を受けた。貸与された艦娘に改装を打診し艦娘側が受諾するのは、少佐が速吸の将来に責任を持つ意思表示であり、速吸はそれを受け入れたことでもある。なので、今回の意思確認はある意味で形式的な作業ともいえた。だが当然それだけではない。むしろ--。

 

 「改になって攻撃機の運用(流星拳)も身に付けたこの速吸…やっと、やっと仲間や少佐さんを守れますっ! 艦隊随伴航空給油艦の本領、発揮したいと思います!」

 

 両手でガッツポーズを作り興奮を隠せない速吸を見ていると、少佐はつい彼女の頭をポンポンしてしまった。

 

 「わわっ!? ドキっと(被弾)しました。私、恋愛的に免疫(防御力)ないので…大破、しちゃいました…」

 

 ぷしゅーっと頭から湯気を出しそうなほど真っ赤な顔になった速吸に、書類を整えて提出しておくからと声を掛け、少佐は次の目的地へと向かった。

 

 

 

 日南少佐は次の転属候補の艦娘を探しに、泊地内の教練施設の一つである弓道場へと足を運んだ。少佐の頭にあった数名には、いずれも確認したいことがあり、回答を踏まえた上で正式に転属の判断を下そうと考えていた。

 

 道場に入ると、脇正面に飛龍が正座し、射場には自然体で目を閉じる蒼龍が立っていた。弓を持った蒼龍の左手が高く上がり、同じように矢を番える右手も持ち上がる。蒼龍の流れるような動きの中に息合いが満ちてくるのが見てる少佐にも伝わり、動くのが躊躇われるほどに空気が張り詰めてゆく。少佐の気配に気づいた飛龍が、目くばせしつつ立てた人差し指を唇に当てた瞬間、蒼龍の指先は矢を解き放つ。

 

 ゆったりとした動きから放たれたと思えない速さで、矢は龍の息吹に似た音を立て空気を切り裂くと的に突き刺さる。残心から構えを解いて一礼、脇正面に下がるのが礼に則った射法となるが、蒼龍はそのまま速射を続けた。一歩も動かず、流れるような所作で次々と、弓は引き絞られ放たれた矢は過たず的の中央へと集束する。矢が的に当たる音が一〇を超えた所で、蒼龍はふうっと大きく息を吐き集中を解く。ツインテールを揺らしてくるりと振り返った視線が少佐を捉える。口角が上がって表情が和らぎ小さく肩を竦める。

 

 「………判断の速さ、かな」

 

 蒼龍が口を開き、少佐が問う前に示された答え。どうして自分の事を気にかけ、教導艦隊への転属を事あるごとに匂わせていたのか-そう言うと何だか自惚れているようで、でも上手い言葉も見つからず迷いながら弓道場を訪れたが、少佐は蒼龍の目を見て自分の考えを素早く修正した。笑顔だが目は笑っていない。両手で弓を持ち、大きな胸部装甲を強調するようにん~と背筋を伸ばした蒼龍が言葉を継ぐ。

 

 「私ね…艦娘(この体)に生まれてから、繰り返し思い出すんだ…。たった五分、それで私はあの海に…。少佐、貴方の作戦立案や現場指揮、補給線の組み立てとか、凄いと思うよ。でも、一番大事なのは、情報の管理と判断の速さ…私にはそれが全て。……ねぇ、私を…あの海の向こうへ、連れて行って…くれるよね?」

 

 戦史を少しでも知る者には説明不要な()()()-往時の戦争の転換点となったミッドウェー。杜撰な情報統制により奇襲のはずが待ち伏せを受け、さらに戦闘中の大掛かりな装備転換で浪費した時間は、蒼龍と、二人を見つめる飛龍を、僅か五分の差で取り返しのつかない悲劇へと導いた。

 

 同じ轍を踏まないと寄せられた信頼-過去を振り返るなという人は多いが、清算しなければ前に進めない過去もある。置かれていた状況は違っても、背負う物は少佐にも蒼龍にもある。

 

 少佐は射場に歩みを進め蒼龍の目の前に立つと、何も言わずに右手を差し出す。お互いの決意と覚悟は瞳に宿し、視線を逸らさず少佐と蒼龍は固く握手を交わす。満足したのか、蒼龍はにっこりと微笑むと少佐にとって予定外の事を告げ始めた。

 

 「嬉しいなぁ。龍を乗りこなすのは簡単じゃないけど、少佐なら大丈夫かな。飛龍ともどもよろしくねっ!」

 「「え…?」」

 

 その言葉に離れた脇正面に座っていた飛龍が思わず腰を浮かせる。何それ、聞いてないんだけど? と、戸惑いをありありと表情に浮かべながら、慌てて飛龍が射場にやってきた。飛龍の困惑をよそに、蒼龍は飛龍の手を取ると導くように少佐と握手したままの手に重ねる。

 

 「だって、飛龍はいつも言ってるじゃない! 少佐の部隊には本格的な機動部隊が必要だって! 私達がいれば百人力だよ!」

 「確かにそうだけど! だからって何で私まで」

 「飛龍は今の自分に…宿毛湾に満足しちゃってるの? 私は…全然、全っっ然足りないっ!」

 

 ぴくり、と飛龍の動きが止まり、蒼龍に厳しい視線を送る。艦娘として現界した今、洗練された桜井中将の指揮の元で数多の戦いに参加し勝ちぬいた。けれど--空母運用の黎明期、試行錯誤を重ねながら猛訓練で世界最強の航空隊を育て上げた山口提督(多聞丸)と共に歩み、自分が成長し強くなってゆくことが実感できた日々。洗練が悪いわけじゃない、でも、粗削りで血が沸くような、昨日の自分を今日の自分が乗り越えてゆく感覚…成長を続ける日南少佐に、かつての自分と指揮官を重ねているのに、飛龍は気が付いた。

 

 やれやれと頭を振った飛龍は、降参だと言うように両手を上げる。そして少佐と蒼龍を交互に見て、にやりと笑う。

 

 「…いいわ、蒼龍一人だと危なっかしいし、付き合ってあげる! そうと決まったら少佐、航空隊は徹底的に鍛えましょう! 多聞丸仕込みだから任せといて!! 蒼龍、私が満足してるかどうか、よーく見ててよ!」

 

 

 

 泊地の癒し所・甘味処間宮の一角のテーブルでは、日南少佐と加賀が向かい合っていた。少佐が加賀の意志を確認するため会っている…と言いたい所だが実はその逆、加賀が少佐を呼び出していた。

 

 速吸や蒼龍・飛龍(ダブルドラゴン)と会っていたため少佐は待ち合わせ時間より若干遅れて間宮に現れた。賑わう店内で加賀の姿を求めきょろきょろしていた少佐だが、加賀が涼しい顔で視線を送ってきたのですぐに場所は分かった。テーブルに付いた少佐を、加賀は黙って見ている。呼び出した方が話を始めなければ何も進まない。仕方なく少佐は、若干の言い訳も含みつつ本隊から転属する艦娘について話を始めた。

 

 「そう…蒼龍と飛龍が…」

 

 一言だけ呟いた加賀は、考え込むような表情でほうじ茶の入った湯飲みを口に運び、それきりまた黙り込む。

 

 「………少佐」

 

 これでは話が進まない、と少佐が口を開こうとした機先を制するように加賀が呼びかける。

 

 「…間宮さんの新作、頼みたいのだけれど」

 

 どうやらここからが話の本番だろうと察した少佐は、手を挙げて店員を勤める妖精さんを呼び止める。



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その海の先に
102. 役目


 前回のあらすじ
 なかまになりたそうにこちらをみています。


 「桜前線の北上に合わせ各拠点の間宮で解禁される限定品、『季節の桜色タルト』。九州の拠点でお目見えしたと聞いて、宿毛湾での解禁日…すなわち今日が来るのを待ち侘びていました。…欲しいのですか? 残念ね…季節のタルトは初日にして最終日、私が全て買い占めたわ」

 

 アーモンドクリームを焼き込んだサクサクの生地に飾られるのは春の果物。イチゴや土佐文旦を向こうが透けるほどに薄切りにし何層にも重ね合わせ、さらにあえてうっすら半透明に白濁させたナパージュでコーティング。イチゴの赤、文旦の黄、ナパージュの白、これらが重ね合わされ桜色に染まる色合いは、まさに季節のタルトの名にふさわしい仕上がり…のはず。向かい合う日南少佐から見ればそんな繊細な品は跡形もなく、白い丸皿が回転寿司のように加賀の前に(うずたか)く積み上がっているだけである。

 

 相変わらずのポーカーフェイスの中に、僅かにふふんと勝ち誇った色を浮かべる食母娘(加賀)にとって、日南少佐の答えは虚をつき図星をつくもので、飲み込みかけのタルトを一瞬だけむぐっと喉に詰まらせた。

 

 「いえ…加賀さんにしては珍しく饒舌だな、と思っていました。やっぱり好物を目の前にすると気分が高揚するんでしょうか」

 

 少しだけ頬を桜色に染めた加賀は静かに手元のナプキンで口元を拭う。そんな仕草を見ていた少佐は改めて感心する。食べる速度と量は呆れるほど、でも所作はむしろゆったりと流れるようで上品でさえある。同じ空母でも雰囲気が違うなぁ、と教導艦隊の軽空母娘を思い出し、少佐は軽く笑みを浮かべる。きっと祥鳳や瑞鳳、千代田ならきゃいきゃいと盛り上がりながら表情をくるくる変え、明るい声のガールズトークで盛り上がるはず。そして次に浮かんだことをふっと口に出し、加賀がピクリと反応する。

 

 「赤城なら、頬に手を当てながら満面の笑みを浮かべそうかな」

 「呼び捨てはよい傾向ね。期待しているわ」

 

 何に期待しているのか-目的語を欠く言葉に微妙な表情に変わる少佐に、加賀にしては珍しく柔らかく微笑みかける。普段のクールな表情とのギャップに、少佐でさえ思わずどきっとさせられたほどである。

 

 「赤城さんのことを貴方に託したのは…正解だったようね」

 

 季節のタルトが姿を消した後に注文した道明寺を竹の菓子切で二つに分ける加賀は、一見すると表情を変えず、けどよく見れば満足そうに口角を僅かに持ち上げる。ただ…少佐の目には、微笑みながらも心なしか寂しそうな、アンビバレントな印象に映った。

 

 赤城と加賀--栄光と悲劇の第一航空戦隊。

 

 かつての戦争序盤の快進撃を担う一翼として太平洋からインド洋に至るまで勝利を重ねた末に、戦争の転換点とも呼べる大敗北を喫し、二人は北太平洋の荒い波間に姿を消した。長い時間を経て艦娘として現界した今、二人は対照的とも言える道を歩んできた。

 

 一人は長く戦い続ける宿毛湾泊地の艦娘、加賀として。

 

 一人は比較的近年に現界した佐伯湾泊地の艦娘、赤城として。

 

 教導泊地でもある宿毛湾の性格上、艦娘の入れ替わりはかなり多い。練度の上がった艦娘は要請があり受諾すれば他拠点へ、あるいは司令部候補生に伴われ異動する。数少ない例外が翔鶴と加賀で、桜井中将の赴任以来一貫して宿毛湾に所属している。一方の赤城は元々佐伯湾泊地の所属で、現界から間もないある日、深海棲艦の潜水艦隊による薄暮攻撃で艦隊壊滅という悲劇に見舞われた。唯一生存したものの大破漂流の末に保護されたが弓が引けなくなるほどのPTSDを負い、紆余曲折を経て宿毛湾に転属してきた。

 

 鋼鉄のフネならどれだけ損傷が酷くても修理すれば元に戻る。だが赤城が心に負った傷は容易に癒えなかった。赤城のメンタルケアも含め同室で暮らすことになった二人だが、俯いて立ち止まる赤城を、加賀は励ますでも慰めるでもなく、ただずっと見守り続けてきた。人に言われたからといって踏み出し生き残れるほど、戦いの海は優しくない。立ち上がるのでも蹲るのでも、かつての一航戦同士、加賀は赤城の意志を最大限尊重すると決めていた。

 

 そして赤城は日南少佐と出会い、自らの意志で教導艦隊への転属を受け入れ、前を向いて進むことを決断した。それは心で願っていても、加賀にはできなかったこと。

 

 「赤城さんは自分自身を乗り越え、少佐と共に戦うことを選んだ。とても喜ばしい…ええ、間違いないわ」

 

 すっと視線を上げた加賀は、今度こそはっきりと寂しさを表情に現した。

 

 「だから…私の役目は終わり…。赤城さんには…貴方がいますので…。少佐、重ねて言います」

 

 一旦言葉を切ると表情を改めた加賀は、日南少佐に懇々と説いて聞かせ始める。

 

 「赤城さんは見た目も中身も大和撫子ですが、それに甘えてフラフラしないこと。だいたい…時雨島風村雨祥鳳涼月磯風浜風榛名響、さらに舶来の金髪娘が二人、あとは鹿島教官もいましたか…まったく節操のない…。軍がジュウコンを認めている以上、私が口を挟む筋合いではありませんが…それでも約束しなさい、赤城さんを大切にすると、身も心もお腹も必ず満たしてあげると」

 

 問答無用で指切りげんまんをさせられ伝票を渡され、私からはそれだけです、と一方的に加賀に宣言された日南少佐はぽかーんとするしかできずにいた。

 

 「…どうしました? 早く赤城さんの所へ行ったらどうなの? この時間は…間違いなく部屋でおやつを食べているはずです。私は…そうね、二時間ほどは戻らないから。そうそう、入り口から向かって左側が私のベッドよ、間違ってもそっちは使わないでね」

 

 ナニイッチャッテルノコノヒト…と少佐が口をパクパクさせていたが、加賀は涼しい顔で薯蕷まんじゅうを頬ばっている。仕方なしに伝票を手にして立ち上がり間宮を後にしようとした少佐だが、立ち止まり加賀に言葉を残す。どうしてもひっかかりを覚えた一言に対する、彼なりの問い。

 

 「自分も赤城も…教導艦隊は戦い続けます。それが自分たちの役目であり、生きる意義です。…加賀さんの役目は、赤城を見守るだけなんですか?」

 

 少佐は答を求めずに間宮を後にし、加賀は答を返さずにテーブルを見つめていた。

 

 

 

 ぼすんっ。

 

 人当たりが良くいつも柔らかい笑顔を絶やさない鹿島だが、今日は自室でイライラを爆発させていた。

 

 見た目同様ガーリーであまーい感じに白とピンクを基調としてコーディネートされた自室、ベッドの上にぺたんと女の子座りしていた美貌の教官は、手近にあったクッションを鷲掴みにすると壁に向かって放り投げ、はぁっと深く溜息を吐き肩を落とす。その拍子にキャミの右の肩ひもがするりと下がる。Tバックのショーツにキャミソールを着ただけの格好、髪はツインテールをほどきゆるふわの髪を無造作に下ろしている。少し乱れた感じで、柔らかい鹿島の曲線美が強調され実におっふうな雰囲気である。

 

 のろのろとベッドの上を四つん這いで進み、自分が投げたクッションを拾うと、そのまま壁に背を預けて胸元にクッションをぎゅうっと抱きしめる鹿島がぽつりと呟く。一言だけだが、彼女の悩みの深さを現すような沈んだ声。

 

 「はぁ……どうしよ、ほんとに…」

 

 ツインテールを結び直すのがどうしても決まらず、ついに鹿島は癇癪を起した。両サイドの髪を持ち上げて頭の高い位置で根元を結ぶ髪型、高さと前後と結ぶ髪の量を左右で揃える必要があるが、何度やっても納得がいかない。数えたことはないが何万回もしている髪型なのに、どうして…結んでは解きを繰り返しているうちに、ついに爆発した。髪型は結果でクッションはとばっちりの被害者、イライラの原因は分かっている。分かりすぎるほどに。

 

 「日南少佐…鹿島は…一緒に行きたいんですよ…」

 

 鹿島はもう一度、さっきよりも強くクッションを抱きしめ顔を埋める。今度は八つ当たりではなく、目の前にいない誰かの代わりとなったクッションが柔らかく形を変える。

 

 日南少佐が宿毛湾を旅立つまで残り僅かな日々、いまだに『一緒に任地に来てください』と言われていない。少佐が教導課程を修了した日から、元々大きな胸をさらに期待で膨らませ、転属を打診された(告られた)時の返事まで何通りもシミュレーションし自室で練習していた。姉妹の気安さでノックなしに姉の香取がドアを開け、少佐から抱きしめられる練習で体をくねっていた所を見られ、本気で心配され明石さんの所に連行されそうにもなった。

 

 けれど--肝心の言葉が日南少佐から貰えない。少佐が教導課程を修了した今、教官という役目も同時に終了した。そしてそれ以上の接点が作れない。速吸のことは聞いた。蒼龍と飛龍のことも聞いた。

 

 「あっ! 教官は転属対象外って思ってるのかな?」

 

 顔を上げ一瞬いいこと思い付いた的にぱぁっと表情を明るくしたがすぐにしょげる。なら、自分からはっきり言えばいい、そう思ったりもする。貴方と一緒に行きたいです、と。

 

 教導艦隊を巡る情勢は依然として予断を許さない、と鹿島は見ている。今は大人しくしている技本、軍上層部の介入、2-5で対峙した特異種、少佐の話を踏まえ調べた結果判明した、行方不明のハンモックナンバー一位の動向…佐官に昇進し任地を得たと言っても、不確定要素が多すぎる。前線での戦力としてはイマイチな自分でも、拠点運営や後方支援で少佐を支えられる、というか支えたい。でも…。

 

 「自分のしたいコトをしたい、って言うのは…勇気がいるんですね。やっと少佐の気持ちが…分かった。だって…」

 

 クッションから顔を離した鹿島がゆっくりを頭を持ち上げ、ごつんと音を立て壁に当たる。ぼんやりと天井を見上げる鹿島の目が不安の色に彩られる。

 

 「オコトワリされたら…って思うと…怖い…」

 

 着任したての司令部候補生(日南少尉(当時))を見て、特別な何かを感じたけど、それは大成しそうな素質を教官として見出したから、そう思っていた。

 

 最高指揮官の桜井中将が翔鶴以外に指輪を渡さない宿毛湾泊地での、自らの果たすべき役目と未来予想図-艦娘ごとに違いはあって、例えば香取は宿毛湾の教官であることに誇りを持ち、それでいいと納得している。

 

 宿毛湾の外の世界をずっと見たかった鹿島だが、これまで何人かの候補生と出会ったが、日南少佐ほど深く心に住む相手はいなかった。行くなら彼しかいない-艦娘が傷付くのを嫌がる優しさと、深海棲艦との和平という途方もない夢、その両立には繊細すぎる少佐を支えたい…すぐに想いが勝っていることを自覚した鹿島は、正式な教導艦隊の所属ではなく接点が限られるため、ちょっとやり過ぎかなーというくらい、思い切ったアプローチを続けた。そして…動けなくなった。

 

 

 日南少佐に求められたい以上に、自分が求めていることに気が付いたから。

 

 でも、求めて受け入れられなかったら、どうすればいいか分からない。

 

 だから、少佐の方から求められたかった。

 

 

 「そろそろ着替えなきゃ。中将から呼ばれてたんだっけ…。はぁ…仕事に身が入ってないなぁ…」

 

 仕方なくベッドから下りた鹿島は、制服に着替えるのにのろのろとクローゼットの前に立つ。



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103. そんなことよりも

 前回のあらすじ
 加賀さん、公認する。鹿島さん、モヤモヤする。


 「これで全員揃ったね。急な招集で済まない」

 

 鹿島が桜井中将の執務室を訪れると、日南少佐が応接テーブルを挟んで中将と翔鶴と向かい合っていた。ヤバ…私一番最後? と鹿島が慌てて応接に駆け寄り、ミニスカの後ろの裾を手で押さえながら空いている少佐の隣に腰を下ろす。

 

 「どうだい日南君、受領したASE6102(あすか)改の調整は進んでいるかい?」

 「はい、フネ自体は問題ありません。あとは洋上出撃装備(カタパルトレール)運用の完熟訓練が必要かと」

 

 カタパルトレールとは、テールゲートやウェルドックを持たない艦艇から艦娘が洋上出撃する際の装備で、あすか改の場合、魚雷防御用投射型静止式ジャマーを撤去し船体中央部から左右に各三組、折畳式のレール設置され、一艦隊分六名同時出撃が可能となる。

 

 上達すれば着水と同時に全開加速が可能だが、こんな装備は教導艦隊の艦娘には未体験領域で、初めての訓練では射出された後にそのまま海面に突き刺さる者が続出した。めくれちゃったスカートから丸見えのおパ○ツ(インナーアーマー)や剥き出しの両脚がいくつも海面から逆さに突き出る様は、スケ●ヨの群れのようだったらしい。

 

 「なるほど…カタパルトレールにはすぐに慣れる、心配はいらないよ。それよりも、本隊から帯同させる艦娘はまだ確定しないのかい? まぁ、枠を全て使い切らなくても構わないのだが」

 「申し訳ありません、重要なことなのでぎりぎりまで考えさせていただきたく思います」

 

 司令部候補生制度において、任地を得た候補生が本隊から帯同できる艦娘の数には限りがある(課程修了時の所属員数の5%が上限)。教導艦隊の場合は計算上4.45名、すなわち四名と少佐は理解していた。そのうち三名、速吸・蒼龍・飛龍はすでに決定しているので、残り一枠をどうするのか…。何食わぬ顔で黙って話を聞いていた鹿島だが、胸の奥にちくりと痛みを覚えながら少佐の横顔を盗み見る。気づいているのかいないのか、少佐は鹿島の視線に反応せずに中将との話を続けている。

 

 「本題に入ろうか。早速というか、君の任地を管轄する横須賀鎮守府から演習参加命令だ。ただ…」

 

 そこで一旦言葉を切った中将の表情は苦り切ったものに変わる。

 

 司令部候補生としての日南少佐は無任地の佐官であり、ある意味ではどの軍区にも属していなかった。だが今回の昇進と任地決定により、少佐の所属は横須賀鎮守府が頂点の第一軍区と正式決定された。

 

 第三世代艦娘を巡る、横須賀に置かれた技本主導の新課程、その背後に見え隠れする伊達元帥の影…桜井中将は日南少佐の任地決定に関してきな臭いものを感じ、優秀な若手が政治的には別勢力に取り込まれるのを良しとしない藤崎大将は、日南少佐に自らの影響力を残す方策として古典的だが閨閥に取り込もうと見合い話を持ち込んだ背景につながる。目の前の中将の様子に日南少佐にはピンとくることがあったようで、それは正解だった。

 

 「横須賀鎮守府本隊ではなく、横須賀新課程と対戦、ということですか?」

 「横須賀新課程もようやく指揮官が決まったそうで、ぜひ君に意趣返しをしたい(教導艦隊の胸を借りたい)ようだ。第一軍区…横鎮にとっては待望の若手の実力と第三世代の改良具合の両方を確認したいのだろうね。それに鹿島、君には新課程の指揮官養成計画に助言が欲しいそうだよ。実際に第三世代艦娘…しかも初期型を主戦力として活用している日南少佐、その彼を育てた手腕に着目している、ということらしい」

 

 唖然とした表情同士、日南少佐と鹿島が顔を見合わせる。臆面もなくというか粘着質というか、技術本部の厚顔っぷりには呆れるしかない。理不尽な圧力を掛けてまで日南少佐を教導艦隊から奪おうとした相手は、この期に及んで一体何を考えているのか…。顎に手を当て考え込んだ日南少佐に向かい、肩を竦めながら桜井中将が話を続ける。それは自らも属する海軍自体を自嘲するような、皮肉な口ぶり。

 

 「軍区と管理海域も再編されたがね、それぞれの方針には埋めがたい差があるのが現実だ。日南君、今後は君も拠点長だ、否応無しに政治向きとは無縁でいられない。その意味では…日南君、例のお見合いだが」

 

 「はぁっ!?」

 

 思わず鹿島はソファからがばっと立ち上がり、我に返って慌てて席に戻る。急な起立と着席のせいで鹿島のプリーツミニのスカートは、座っている日南少佐のちょうど目の高さでふわりと大きく揺れ、Oh モーレツな感じのインナーをばっちり見せてしまった。動揺を極力押し殺しながらンンッと一つ咳払い、露骨に視線を逸らしながらも、日南少佐ははっきりと言葉を続ける。

 

 「触れていただいたので、この場をお借りしてお答えいたします。そのお話はお断りさせていただきたく。今の自分にそういった事を考えている余裕はありません。中将、そんなことよりも--」

 

 

 ◇

 

 降り注ぐ月明りと夜天に輝く星と、逆らう様に地上で光を放つ赤や黄色の作業灯や警告灯が彩る宿毛湾泊地片島地区の港湾施設。長い影を埠頭に落としながら歩くのは日南少佐で、視線の先には洋上迷彩を施されたあすか改が停泊している。旧自衛隊時代にはライトグレーの単色だったが、今回艦娘の運用母艦として再整備と大改修を加えられ、それに合わせて海との識別困難化を図り深海棲艦からの視認性を低減させるため濃紺と青を組み合わせたカラーリングに変更された。

 

 「司令官、こちらにいらしたのですね! 今回の出撃に参加する要員二一名のうち、最終搭乗組が到着致しましたっ」

 

 たたっと少佐の前に回り込むときびきびした動きで敬礼、直立不動で出撃前の報告を行うのは朝潮型駆逐艦一番艦の朝潮。正秘書艦の時雨に副秘書艦の涼月に加え、いわば秘書官補佐的な位置付けで管理業務を回してくれている。マイペースな時雨と癒し系の涼月に対し、朝潮の生真面目さは少佐と噛み合いが良く、業務効率という点では先任二人を上回るほどの仕事人ぶりである。

 

 「ああ、ありがとう朝潮。それで「母艦の機関武装艤装すべてオールグリーン、抜錨三〇分前に最終チェックをかけます。積載貨物は念には念を入れまして、五会戦分の燃料弾薬と必要資材に高速修復材、あとは食糧真水と…おやつは一人三〇〇円で用意しました! 」」

 

 演習の詳細が分からず、かつ相手が技本ということもあり、少佐は二艦隊+交代要員という大所帯で臨んでいた。そのため必要な物資は多いのだが、朝潮に確認事項を最後まで言わせてもらえなかった。それでも先回りで届いた満額回答に柔らかく微笑みかける。おやつ云々はまぁあれだが、そこまで気を回してくれたのだから文句のつけようがない。当然ですっ! と口では言いながら満足そうにムフーっとする朝潮だが、きょろきょろと周囲を確認し、すーはーすーはーと深呼吸を繰り返す。いいんちょ、という言葉が誰よりも似合う朝潮にしては珍しい姿。

 

 「何事も平等は大切と意見具申致します。つきましては--」

 「へ?」

 

 ずいっ。

 

 出し抜けに朝潮の頭が差し出され、日南少佐が間の抜けた声を出す。綺麗な天使の輪で飾られた艶やかな黒髪を見ながら、ああそういうこと…と少佐は思い当たった。成功報酬…きっかけは忘れたが、いつの頃からか、任務や業務が上手くいった時の習慣。時雨は頭をなでなでされるのを好み、えへへーとくすぐったそうに照れながらくねくねする。涼月は肩に手を置かれるのがいいようで、そうすると触れた手を自分の頬で愛おしそうに挟んでくる。どうやら秘書艦同士扱いは同じに、ということらしいが朝潮は時雨と同じ系列のようだ。

 

 「ま、まぁ…そういうことなら…」

 

 少佐が朝潮に向かい伸ばした手を頭に載せ、左右に動かす。だが朝潮は不完全燃焼といった感じの微妙な表情を浮かべて、頭を動かしている。

 

 「頭じゃなくてぇ~、か・み。髪を優しく撫でてほしいのよぉ~」

 「ちょっと…恥ずかしい…」

 「なんか、少し信じらんないわね。まあ…でも、なんて言うか……」

 「そうそうその感じ! アゲアゲで行きましょ!」

 

 振り返ると朝潮型駆逐艦四名-荒潮・霰・満潮・大潮がニヤニヤしながら立っている。目の前の朝潮はというと、口をパクパクさせながら顔を真っ赤にして固まっていた。だが開き直ったのか、ギクシャクした動きで少佐の手をガシッと掴むと、「こ、こんな感じでお願いします」と手を導いて髪を撫で始めた。

 

 「くちくかんの髪撫でてニヤついてるようじゃ、アンタもクズってことかしら」

 

 灰色の長い髪を青緑色のリボンでサイドテールにした霞が、少佐と朝潮を呆れたようなジト目で見ながら近づいてきた。これまで語られることは無かったが、朝潮型は、教導艦隊水雷戦隊の中核戦力の一角をなす白露型、綾波・潮(綾波型)磯風・浜風・雪風(陽炎型)の一部と並ぶ練度を誇る。ただ第二次改装に改装設計図や戦闘詳報など特殊な資材が必要なこともあり、準備が整い次第ということで順番待ちになっているのが現状だったりする。

 

 「まぁいいわ、今回の演習は曰くつきの連中なんでしょ、私に任せておきなさいっ。ほら、ついてらっしゃいな」

 

 朝潮の手から少佐の手を強引に奪い取った霞は、あすか改のラッタルへと向かいずんずんと歩いてゆく。背後からは朝潮型シスターズににやにや見守られ、ラッタルの終点、あすか改のデッキでは時雨と涼月、そして鹿島がゴゴゴ…しながら待っていた。

 

 

 

 桜井中将私室---。

 

 「日南君は抜錨したようだね。……翔鶴、私は自分で思う以上に政治寄りに物を考えるようになっていたんだね。日南君は…どこまでも真っ直ぐに艦娘と向き合ってくれている…こんなに嬉しいことはない」

 

 少し寂しそうに微笑む桜井中将は、パートナーの翔鶴に向かい偽らざる心情を吐露していた。日南少佐の任地が属する第一軍区は、横須賀鎮守府を頂点とした完全な上意下達型の組織で、艦娘に対するスタンスも、藤崎大将や桜井中将の属する第二軍区とは異なっている。

 

 第一軍区に第二軍区が打ち込む日南少佐()…藤崎大将の狙いを知ってか知らずか、少佐は大将の孫娘との縁談をあっさり断った。世間知らずとも自らの才を恃んだ傲慢とも、どのようにでも言える。だが---。

 

 『技本としては技術力誇示が必要なのでしょうが…そんなどうでもいい事よりも、第三世代(彼女達)を含め艦娘のみんなに自分は…海軍は、いえ…人間は何を示せるのでしょう。第一軍区は第二軍区とは異なる統治方針と聞いています。違いを知り、知った上で自分で決める糧とする…今回の発令は、自分にとってそういう意味があると、思っています』

 

 

 静かな口調で語られた、少佐の揺るぎない意思。

 

 

 先刻の打ち合わせを締めくくる少佐の言葉を思い返し、すうっと目を細めた桜井中将は、既に船上の人となった日南少佐に思いを馳せ、合わせる相手のいない、ラム酒で満たされたグラスを持ち上げる。

 

 「力無き理想は無力だが、理想無き力は暴力だ。技本は昔から何を考えているか底の読めない連中が多い、日南君…いや、日南少佐、心して掛かるといい」



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104. オキュペーション

 前回のあらすじ。
 こりゃぁ一本取られたね。

(20190522 改稿)


 「それで、どうだったのだ?」

 

 漆黒の本黒檀が奢られる執務机が存在感を主張する横須賀鎮守府司令長官室。横須賀鎮守府の長-有栖宮(ありすみや) (いつき)大将は、抑揚のない静かな、重い音色の声で問いかける。地位に見合わぬ若さ、といっても限りなく五〇歳に近い年齢だが、それはそのまま有栖宮大将の能力や実績の現れ。さらに姓の示す出自-日本を象徴する大君に連なる名家-も昇進の速さを手伝っている。

 

 問い掛けられたのは、広い執務室の一角にある同じように豪勢な革張りのソファに脚を組んで座る艦娘。声に気圧されることもなく我関せずといった風情で、指一本ずつネイルカラーを確かめるようにしている。

 

 「ネイルが乾くのを待ってくれてもいいんじゃない?」

 

 茶髪の少し癖のあるボブカット、和風デザインのへそ出しノースリーブのトップスに黒の超ミニスカートを纏う、長門型超弩級戦艦二番艦陸奥が振り返らず、唇を軽く突き出し指先にふうっと息を掛けている。

 

 「()れるな陸奥よ」

 「レポートならあるでしょう?」

 

 問いを受け流す陸奥(秘書艦)に鋭く返す有栖宮大将(提督)の手元には、確かに分厚いファイルと急遽差し込まれたであろう一枚のA4の紙が添えられる。横須賀鎮守府に到着した日南少佐率いる宿毛湾教導艦隊の出迎えに赴いた陸奥は、所定の場所に少佐たちを案内したあと、すぐさま所感をレポートにまとめ提出していた。それでも大将は、陸奥が語るのを求めている。

 

 謎めいた、悪戯な雰囲気をまとうお姉さんキャラの陸奥だが、練度はカンスト(解放上限到達)間近、最近正式に実装された第二次改装もあっさり済ませるなど実力は折り紙付き、さらに第一軍区の筆頭秘書艦として事務管理能力も群を抜いている。何より、日南少佐を直接目にした印象を尋ねられるだろうと要旨をまとめ事前に提出する配慮と手回しの良さ。

 

 「文章が上手すぎるのだよ。お前の目で見たものをお前の言葉で語ってほしい」

 「あら。あらあら。私の口から日南少佐(他の男)の話を聞きたいなんて、悪趣味ね」

 

 すっと腰を上げた陸奥は隙の無い、それでいて優雅な足取りで有栖宮大将の執務机に進むと机面に浅く腰掛け、柔らかな曲線美を見せつけるように僅かに腰をひねり視線を向ける。

 

 「それで?」

 「釣れないのね。まぁいいわ、日南少佐(可愛いボーヤ)のことだけど--」

 

 

 

 「なるほどな。非常に興味深かった」

 

 手元の分厚いファイルをとさっと放り出し、有栖宮大将は姿勢を正すと決済待ちの書類の束に手を伸ばす。言葉とは裏腹に、すでに日南少佐への関心を失ったかのような対応に、陸奥は苦笑交じりに肩を竦める。

 

 「よく言うわね。興味なんて無さそうだけど?」

 陸奥の言葉の続きは内線電話により遮られ、有栖宮大将は受話器を持ち上げる。超ミニスカートを揺らしひょいっと机面からお尻を離した陸奥は、本黒檀の執務机にL字型に組み合わせられる自身の秘書艦席へと向かう。耳に入るのは相変わらず抑揚のない、およそ話者の感情を伝えない声。だが長年提督に仕える陸奥には、その声色が苛立ちと不快感を含んでいると敏感に察せられた。

 

 受話器を置いた有栖宮大将は無言で書類へと目を落とし、陸奥もまた大将から回される書類の内容を確認し必要な処理を進めてゆく。かたかたとキーボードを叩く音とかさかさと紙が繰られる音だけが広い執務室を満たす。

 

 「……聞きたそうだな」

 「……言いたそうね」

 

 お互い書類から目を離さずに短い言葉をやり取りしたが、根負けしたように有栖宮大将が手を止める。眼鏡を外し眉根を揉むように押さえながら、辟易したような口調で話し出す。

 

 「技本からだ。教導艦隊との演習に勝てば連中の…例の第三世代艦娘で構成される試験艦隊を横須賀に配備しろとしつこくてな。天下の横須賀に技本風情が…」

 「新課程が宿毛湾に勝てるとは思えないけど?」

 「演習だからな、勝利条件次第では新課程側にもやりようはある。あとは指揮官次第だな」

 「なら尚更ね。宿毛湾の日南少佐のがずっといい男よ」

 

 揶揄うようにウインクをした陸奥だが、有栖宮大将は無視して話を続ける。軍区に新たに加わる指揮官と麾下部隊の実力を計るには新課程は丁度良い演習相手として、有栖宮大将は日南少佐と教導艦隊を冷静に値踏みしようとしているのだがーー。

 

 「だからレポート以上ではないと言ったのだ。やはり桜井中将の教え子…艦娘への思い入れが過ぎる。人間は艦娘抜きに深海棲艦と対峙できぬ。だが艦娘は、軍の、組織の機能の一部でしかないのだ。深海棲艦を殲滅し海と民を守る、その一点においてのみ存在している。正しく理解できねば…潰れるだろうよ」

 

 

 

 宿毛湾教導艦隊と横須賀新課程艦隊の演習は、東京湾南部から浦賀水道にかけての海域で行われる。

 

 教導艦隊の出撃拠点に指定されたのは、横須賀鎮守府中央部にある横須賀本港の第二埠頭。港に係留されるあすか改のCICで、日南少佐は腕組みしながらキナ臭い表情で考え込んでいる。薄暗い室内をレーダーやC4ISTAR、各種センサー類のモニターが発するLED光がぼんやりと照らし、見ようによっては幻想的でもある。少佐は通知された演習要綱を振り返るが、制限事項を含めて考えてみると教導艦隊側が不利ともいえる。

 

 拠点占領(オキュペーション)-双方とも一艦隊が参加しお互いの出撃拠点を制圧するのが今回の演習。艦隊は相手の拠点まで進攻し、出撃地点に設置された部隊旗を奪えば勝利、奪われれば敗北となる。作戦遂行過程で当然生じる戦闘(対戦)がどのような位置付けかは伏せられたままで、そこが少佐の悩みの種となっている。

 

 演習海域を教導艦隊の視点で俯瞰しよう。出撃拠点の横須賀本港第二埠頭から、新課程側の拠点となる三浦半島南部の江奈湾を目指すには、かつて米海軍基地が置かれた東京湾に突き出る泊丘陵を回り込み東南東に進路を取り、さらに観音崎灯台を目安に南西へ変針となる。奥に深く幅の狭い東京湾内での航路設定は自ずと制限を受け、課された制約条件-空母娘の参加禁止-により効率的な索敵も行えない。

 

 -第一軍区で新たな進攻計画…それも上陸戦が自分の任地で行われるのか? いや…そもそもこの演習を主導しているのは技本、一体…?

 

 艦隊決戦や対潜哨戒、航路護衛だけが艦娘の戦闘行動ではなく対地攻撃を行うこともあるが、実際に敵地へ上陸し地上戦を行うことは想定されない。それは人間の部隊の仕事だ。艦娘が陸上で戦闘できない訳ではなく、優れた身体能力や攻撃力は概ねそのまま発揮できるが、()で島嶼を保持するには数が少なすぎる。そのため艦娘が深海棲艦を掃討し海域を制圧した後、十分な護衛のもとに人間の通常部隊が上陸し拠点設営に取り掛かるのがプロシージャ(進攻制圧手順)となる。

 

 「ヒナミ、どうしましたか? 何か不安事でも?」

 

 少佐の席のすぐ後ろからに耳を撫でる涼やかな声。頬に触れる細く豊かな金髪の波をくすぐったく感じながら頭を動かすと、椅子のヘッドレストに手を掛けたウォースパイトが少佐に頬を寄せていた。CIC内で戦況を見守るのはあすか改のブリッジクルーを勤める時雨、村雨、朝潮だが、いつの間にか現れた女王陛下に皆驚きつつ、()()はこうやって使うんだ…と半ば呆れていた。

 

 あすかの改装が想定より時間を要した理由の一つ、02甲板レベルから第三甲板までを貫く吹き抜け内へのレールに沿って上下する豪奢な椅子(戦闘艦艇用昇降式玉座)の組み込みである。スプリンター防御で区切られるCICには直通しないが、ドアの真向かいにプラットホームがあったりする。機能性と様式美を追求する家具職人の妖精さんと、構造上の工夫が必要となった建造妖精さん、それぞれの苦労は推して知るべしだがそれはそれとして--。

 

 「何でもな--」

 「そんな風情には見えませんが?」

 

 耳元での囁きで言葉を遮るウォースパイトに、少佐は背中をぞくっとする感覚を覚えた。鼓膜よりも三半規管よりも脳を甘く揺らされるような錯覚に一瞬だけ陥ったが、そんな甘ったるい話題でも場面でもない。表情を引き締めた少佐は短く息を吐くと、自らの考えを整理するように疑問点を口に上らせた。

 

 「自分はこの演習を対地攻撃を含む上陸作戦と理解したんだけど…本当にそれでいいのか、と思ってね。上陸作戦前段として敵艦隊の排除という線もあり得るし。相手部隊、いや…技本が何を考えているのか、それがね…」

 

 実際、少佐は対地攻撃に軸足を置き部隊を送り込んでいた。金剛と榛名の高速戦艦部隊、鳥海と摩耶の重巡洋艦、艦隊の目兼火力支援として航空巡洋艦の鈴谷、遊撃として島風の編成。対地制圧なら本来は戦艦重巡勢には三式弾を装備させるところだが、実際に艦砲射撃を加えることはないので金剛と榛名は九一式徹甲弾(模擬弾)を装備している。

 

 話を聞いたウォースパイトだが、少佐を含めCICクルー全員を唖然とさせる、英国艦隊総旗艦の底知れぬ権勢をさらっと見せてきた。

 

 「軍組織は上意下達、命令は一旦発令されれば従うもので、功利で論ずるべきではない…。ですがヨコスカ、ギホンとやら、そしてヒナミ…この中で唯一貴方に勝って得る物がありません、どうしても不公平に思えてしまいます。やはり英国王立海軍(RN)への転籍、進めるべきでしたでしょうか。任地はSNG(シンガポール)で、という話もあったのですが…」

 

 え、いつの間にそんな事になってたの? と唖然とする少佐に、華やかな笑顔で応じるウォースパイト。そんな裏話の最中、演習部隊からの通信を受けた朝潮が声を上げる。

 

 「司令官、鈴谷さんの瑞雲から入電、敵艦隊発見です! 編成は…阿賀野型軽巡二、夕雲型駆逐艦三と…艦種不明一、サイズ的には軽巡? 変形の複縦陣…でしょうか、あまり見ない陣形ですね…なんだろ?」

 

 発見した新課程艦隊はやや北北東に進路を取り、浦賀水道を横切る様に航路を取っているようだ。

 

 少佐が素早くC4ISTARに諸元を入力しデジタル海図を更新する。読み切れない部分は依然残るが、相手部隊を発見した以上成すべきことはハッキリしている。今回の演習の性質上、教導艦隊は南へ、新課程艦隊は北へ、双方とも三浦半島と房総半島に挟まれたごく狭い海域を進むことになり、まず想定されるのは反航戦。

 

 母艦のあすか改のCICで、仄白いLEDの灯りに照らされる少佐がすうっと目を細める。久里浜の東南東約一〇km、浦賀水道のど真ん中で新課程艦隊を捕捉した教導艦隊は、索敵と同時に航空支援を担う鈴谷が最初に動き出していた。

 

 「教導艦隊進路変更、横須賀新課程艦隊(YS1B)の排除を優先する!!」



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105. 限りなく黒に近いグレー

 前回のあらすじ
 釣れない大将様とクセのある演習開幕。

(20190522 改稿)


 最大二二機の水上機を搭載できる鈴谷だが、今回は火力支援との折衷で約半数に止めている。敵艦隊の発見からそのまま開幕空襲、相手を足止めする間に水上打撃部隊が接近するのは定石の戦法で、教導艦隊は一糸乱れぬ連携で直ちに攻撃態勢に移った。

 

 「ああん! なんなの!? 鈴谷の瑞雲の爆撃、全部躱されたんですけどーっ!?」

 

 戦況は想定通りには進まなかった。(くだん)の艦種不明の艦娘の指揮の元、水際立った回避運動を取り、八機の瑞雲が急降下爆撃で放った二五〇kg模擬弾は空しく水柱を作るだけに終わった。その頃、データベースとの照合を完了した朝潮がリンク通信で全員に共有した情報に、CICも演習部隊もざわめく。

 

 相手の不明艦は、タシュケント級一番艦のタシュケントだった。空色の巡洋艦とも呼ばれる大型の駆逐艦で、鈴谷の瑞雲が軽巡と判断したのもあながち間違いではない。

 

 「タシュケント、か…」

 

 日南少佐の脳裏に過ぎるのは、かつて宿毛湾で出会った*1、明るい長い茶髪を白い帯の入った黒いリボンで結ったツインテールにした艦娘。あの時は桜井中将の執務室で挨拶程度の軽い会話をしただけだったが、確かに横須賀に配備されるという話だった。思い出される彼女の言葉--。

 

 『国家の命令にНет(ニェット)はありえないよ。同士諸君、何を言ってるんだい?』

 

 本音を圧し殺しているのか、心からそう信じているのか、あの短い会話だけで測りようもないが、自らを兵器であると規定したかのような言葉。ある意味では感情を制御する第三世代艦娘との親和性は高いかもしれない。だが、大規模侵攻(イベント)『抜錨! 連合艦隊、西へ!』で初めて邂逅が確認された希少な艦娘に、第三世代艦娘化(あんな無茶な改装)を施すはずがない。ならなぜ彼女がここに--?

 

 「…分からない物は分からない。ならこの演習を早く終わらせて確かめるしかないようだ」

 

 CICに詰めている艦娘達がきょとんと首を傾げる少佐の呟き。一致しているのは演習を長引かせても意味がないということで、日南少佐がどのような指示を出すのか、皆それを待っている。

 

 

 

 現場海域では、空襲が空振りに終わり、><(キ~ッ!)と癇癪を爆発させた表情で両手をブンブン振って地団駄を踏む鈴谷を余所に、旗艦の金剛が怪訝な表情で目の前の光景について後ろに続く榛名に確認していた。

 

 「HE-Y榛名ァ…YS1Bの動き、mysteriousだと思いませんカー? やる気…ナッシング?」

 「はい、引き返しましたね…。鍵の閉め忘れでも思い出したのでしょうか?」

 

 新課程艦隊は開幕空襲を凌ぎながら統制の取れた艦隊行動で変針、南へと最大戦速で遠ざかってゆく。この動きには、流石に現場の金剛達もCICの日南少佐も呆気に取られるしかなかった。拠点占領が目的の演習にも関わらず、目標地点と真逆に向かうことに何の意味があるのか。

 

 「尻尾巻いて逃げるってか!? なっさけねぇ、キン●マついてんのかっ!?」

 「私の計算では艦娘に装備不能なはずよ、摩耶。それよりも追撃をっ!!」

 

 勇ましく腕を撫しながら毒吐く摩耶と、冷静にツッコミながら続くべき行動を求めて旗艦の金剛を振り返る鳥海が眼鏡を光らせ、プンスカしていた鈴谷も気を取り直して砲撃準備に入る。単縦陣の先頭を行く島風も、徐々に体を前に倒し命令が出次第突入できる態勢を取り始めた。

 

 「Lt. Com.(少佐)Give us a command(指示をお願いしまース)

 

 速度を上げ急速に小さくなる新課程艦隊の背中を見送りながら、金剛が珍しく流暢な英語で呟き、前を見据える。視線だけではない、弾着観測のため飛び立った零式水上観測機(零観)、腰背部にマウントされる船体を模した艤装の上に配置される二基四門の三五.六cm砲が旋回し砲身が仰角を取る。長い黒髪を左手で後ろに送りながら、榛名も前に出て金剛と並び立つ。そして日南少佐から渡される、艦隊を解き放つ鍵--。

 

 「金剛と榛名は、重巡隊(摩耶・鳥海・鈴谷)が交戦開始するまで遠距離砲撃、YS1Bの道を塞いでくれ。鳥海、重巡隊の現場指揮は任せる、正面から押しつぶせ。島風、君は今回スナイパーだ、こちらの圧力に押されて隊列から落伍した艦を確実に雷撃で仕留めよう。…教導艦隊、突撃!!」

 

 少佐の攻撃命令が終わるか終わらないかの刹那、金剛と榛名の砲撃が始まり、狭い浦賀水道を圧倒する轟音が響き辺りが黒煙と炎で覆われる。砲煙を切り裂いて飛び出した摩耶と鳥海、鈴谷は最短距離を突き進む。敵は駆逐艦と軽巡、彼らの攻撃で装甲を抜かれることはない。回避は最小限に止め一刻も早く有効射程距離まで進出する。対地攻撃に軸足を置く艦隊で唯一魚雷を装備する島風はやや遅れて進撃、用心深く敵味方の動きを見定めつつ雷撃対象を選定する。

 

 が----。

 

 「Shit! いい加減当たってくだサーイ!!」

 「私の計算が…そんな…」

 「くそがぁっ! ちょこまかとウザい!!」

 

 艦隊から続々とあすか改のCICに入る通信は、最初は驚愕を、徐々に困惑と苛立ちを伝える物へと変わってゆく。砲弾の散布界に敵を収め命中弾を得るのが砲撃における公算射撃で、いわば確率論になるのだが、それにしても当たらなさすぎる。弾着観測機が相手位置の詳細を知らせ、狙いすました砲撃が相手を挟叉しているにも関わらず、直撃弾はおろか至近弾も得られない。騒然とし始めたあすか改のCICで、日南少佐が思わず席を立ちあがる。

 

 「艦隊最大戦速、雷撃に警戒しつつ距離を潰せっ!」

 

 何より、教導艦隊から猛攻を受けている新課程艦隊がいまだに()()()反撃してこないことに、少佐は疑問を抱いていた。

 

 

 

 日南少佐が新課程艦隊の急追を指示したのと同じ頃、三浦半島南部・江奈湾奥に設けられた横須賀新課程側の仮設指揮所では、鹿()()がこれ以上ないくらいの仏頂面で、目の前にいる二人の男性を冷ややかに眺めていた。

 

 一人は第一種軍装を纏う若い男でこちらが横須賀新課程の指揮官だが、顔色も悪く、どこか身の置き所のない挙動不審な様子。一方で白衣の男は堂々と振る舞い、むしろこちらの方が場を取り仕切っているようで、あれこれと指示を出している。

 

 鹿島がこの演習に同行した理由は、新課程の指揮官養成計画に助言が欲しいとの要請に基づく。桜井中将が了承した以上断れないのもあるが、自分だけの力ではないが、日南少佐を育てた手腕に着目していると言われれば悪い気はしなかった。それに短い日程ながら少佐と一緒の時間を過ごせる…はずだったが、いざ横須賀に着いてみればオブザーバーとして新課程側に派遣されてしまった。思いっきりムクれてしまいたかったが、横須賀を訪れた艦娘の中では自分が最先任で、いわば宿毛湾の艦娘の代表だ、変な振る舞いをする訳にはいかない。仕事は仕事、そう割り切ったのだが---。

 

 「どうされました、その表情は? 何か不審な点でもありますか、オブザーバー殿?」

 

 鹿島を揶揄するような口調で言い終えたのは、技術本部から横須賀新課程に派遣された笹井(ささい) 儀重(よししげ)技術少佐。第三世代艦娘の発展改良をプロジェクトリーダーだった武村技術少佐から引き継いだ男で、元々は武村少佐の部下だった。努めて冷静さを装った鹿島だが、笹井技術少佐の口調にイラッとさせられ、つい口を出してしまった。

 

 「まだ演習の途中ですので講評は差し控えますが……これでは勝てないのでは…?」

 

 教導艦隊の攻撃を見事なまでに躱し続けているが、鹿島から評価できるのはそれだけだ。新課程艦隊にどのような策があるかは今後の推移を見るしかないが、逃げるだけではいずれ終わる…鹿島は勝敗を早々に断じていた。そんな鹿島の心中を見透かしたように、笹井技術少佐は肩を竦めイヤな感じの笑みを浮かべ、もう一人の男-新課程の指揮官に指示を出す。

 

 それは勝利だけを指向する笹井技術少佐の発案、真っ当な軍人には思いつかない物で、日南少佐や鹿島の思考の外にあるとも言えた。

 

 「宿毛湾教導艦隊(SK1B)をもう少し南方へ引き寄せなさい。そうすれば()()()に気づかれても追撃が間に合わなくなります」

「はぁっ!? 七人編成の警戒陣を使っているのですか!? そんなの、ルール違反ですっ!」

 

 第三世代艦娘との演習と言いながら、横須賀鎮守府からタシュケントの派遣を受け指揮させる。

 

 参加する艦娘全員に改良型艦本式タービンと新型高温高圧缶、強化型艦本式缶を装備させ最速化。

 

 そして何より--『捷号決戦! 遊撃、レイテ沖海戦』だけで運用された()()()()()()()()を濫用し、潜水艦娘を投入する。

 

 嚮導駆逐艦の名が示す通り、駆逐艦隊の旗艦となることを前提とするタシュケントは、様々な練度の艦娘を率いる訓練としてこの演習に参加していた。タービンと缶をガン積みした艦隊は全員が最速化され、攻撃力を低下させた代償に得た速度と回避性能で教導艦隊の攻撃を悉く躱し切った。そうして相手艦隊を誘引する間に、七人目-伊一九(イク)が潜航し教導艦隊の拠点を衝く。本来なら潜水艦が上陸作戦で敵拠点を占拠できるはずがないが、人型の艦娘は陸上でも活動可能、今回の勝利条件となる部隊旗を確保するだけなら支障はない。

 

 ルールの枠内で最善を尽くそうとする日南少佐と、限りなく黒に近いグレーなルールの解釈で成果だけを求める技本側、それぞれの姿勢が対照的に現れている。

 

 イクに交戦指示が出ていれば雷撃のため浮上航行するので、鈴谷の瑞雲が発見していた可能性が高かった。だが新課程側に撃ち合う気は最初から無く、水上の六名は教導艦隊を引き付け振り回す囮で、本命のイクは最大深度近くを進んだため教導艦隊の索敵網を見事にすり抜けた。加えて演習の意図を対地攻撃と推定した日南少佐の編成と装備選択が悪い方向に噛み合っている。対潜攻撃が可能な島風は水上戦闘用の装備で、仮にイクを発見していた場合でも有効な攻撃を行えたかどうか…。

 

 「誰が警戒陣を使ってはいけないと言いましたか? 名高い宿毛湾の教導課程はずいぶんと硬直した思考をお持ちのようで」

 

 鹿島を、この場にいない日南少佐を、明らかに見下すように肩を揺らしクックックと嗤う笹井技術少佐を、新課程(張り子)の指揮官は暗然とした目で眺めていた。

 

 このまま進めば新課程側のイカサマすれすれの策に教導艦隊が敗れかねない状況だが、突然の第一種警戒警報が全てをひっくり返した。そして双方の司令部に、横須賀鎮守府の有栖宮大将から直々に入った強制通信ーー。

 

 『横須賀新課程艦隊及び宿毛湾教導艦隊の双方、今回の演習は中止を命ずる! 連合艦隊規模の深海棲艦艦隊が侵攻中との急報だ! 既に大島警戒所とは連絡途絶、 館山航空隊が迎撃に向かっているが、敵は帝都…あるいは横須賀鎮守府への攻撃を指向するものと思われる。両艦隊は部隊撤収、実弾装備に換装後待機、双方の司令部要員は大至急本部棟へ出頭せよ! これより横須賀鎮守府は戦闘態勢に入る!!』

 

*1
041. 南へ向かう前に



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106. 繰り返し問う、命の重さ

 一か月以上のご無沙汰となりました。引き続きよろしくお付き合いいただけますよう、お願い致します。




 深海棲艦連合艦隊の迎撃戦-横須賀鎮守府艦隊、宿毛湾教導艦隊、横須賀新課程…系統の異なる三部隊を効率的に運用すべく、最高指揮官の有栖宮大将は統合司令部設置を命じ、日南少佐は招集に応じ横須賀鎮守府本部棟へと急行した。現場指揮は自身の代理として正秘書艦役の時雨に委ね、朝潮と涼月をサポートに配し、あとは大将の指示に従い作戦行動を執る。

 

 大将から回されたSH-60K(ヘリ)の中で、少佐の頭をよぎるのは鹿島の存在。宿毛湾の着任当初から、教官の域を超えたサポートを受け続け、気づけば当たり前のように海域攻略時のサポート役を務めてもらうことが多くなっていた。実際的な拠点運営や遠征や訓練の計画、作戦運用の補佐はもとより、時雨や涼月、朝潮など教導艦隊の秘書艦グループを形成する艦娘達に対しても、さり気なく気づきを与えてそれぞれに異なる長所を伸ばすように接してくれる。

 

 「こんな緊急事態こそ、鹿島教官に時雨のサポートを頼みたかったんだけど……だめだ、自分まで教官に頼っているようじゃ…!」

 

 ばしんと両手で頬を挟むように叩き、少佐は頭を切り替えようとする。それに、頼りたくても当の鹿島は横須賀新課程に派遣されている。

 

 されていたのだが--。

 

 

 「一体…貴方たちは艦娘を何だと思ってるんですかっ!! 」

 

 SH-60 Kでの短い空の旅を終え、日南少佐が駆け付けた横須賀鎮守府本部棟地下三階の作戦指令室に鹿島の声が響いていた。

 

 

 

 「馬鹿とその言いなりの馬鹿が馬鹿な事をした、ってことよ」

 

 単純な話でしょ、と鮮やかにウインクしながら有栖宮大将の秘書艦・陸奥は事も無げに言うが、あまりにもまとめすぎである。目の前では、新課程の指揮官と技本の笹井技官が真っ青な顔貌を歪め、海軍特別警察隊(特警)に拘束されているのだ。

 

 改めて詳細を聞いた日南少佐は開いた口が塞がらずに唖然としてしまった。この緊急事態に、あろうことか新課程は独断で艦隊を深海棲艦の迎撃に送り込んだという。事態はすぐさま新課程付オブザーバーの鹿島が緊急報告し、新課程の指揮官と技本の笹井技官は直ちに統合司令部に召喚された。これだけでも大問題なのに、第三世代艦娘の真の力を周知する好機と、技本の笹井技官は伊達元帥の名前を持ち出して大将を牽制したが、思い上がりは真っ向から打ち砕かれたらしい。

 

 -仮に元帥が技本に肩入れしてたとしても誤りがあれば正す。貴様ら下郎の恫喝に横須賀が屈すると思ったかっ!!

 

 「大将の一喝、聞きごたえあったわよ」

 

 こっちへ、と言いながら陸奥は日南少佐を海図が広げられた大きなデスク、その先にいる有栖宮大将と鹿島の下へと案内する。机面に手を突き、鋭く目を細め何事かを考え込んでいる有栖宮大将と、対照的な様子なのは鹿島。大将から少し離れ立っているが、俯いていて表情が窺えない。到着した時に聞こえた、鋭い叫びは一体…と少佐は訝しんだ所で、有栖宮大将は視線を上げずに少佐に声を掛ける

 

 「さて日南少佐よ、遅かったな。兵は拙速を貴ぶ、肝に銘じよ。それでだ---」

 

 机上に海図を広げ必要な事を書き込み敵味方を示すコマを動かしながら、有栖宮大将は膨大な情報量を一気に日南少佐に落とし込む。戦況情報によれば戦闘そのものは互角に推移している。深海棲艦連合艦隊の攻撃隊は総勢二〇〇機を超えているが、対する横須賀航空隊を中心とする各地の基地航空隊は、地の利を生かした綿密な連携で敵の進行を食い止めている。

 

 強固な防御陣に内心舌を巻いた日南少佐だが、緻密に描かれた作戦図にある異質な存在に気が付いた。緻密に描かれた絵画の中に一点だけ目立つ汚れのように、壮麗に奏でられるオーケストラの中の外れた音のように、作戦計画と調和しない部隊の存在。

 

 「…なるほど。ですがこちらの方面の部隊が突出しているようですが、これは--?」

 「ほお? 話は全て把握したか、噂通りに優秀なようだな。そこは捨て置け、大勢に影響はない」

 

 話を引き取る様に、意味ありげな視線を有栖宮大将に送った陸奥は日南少佐に向き直ると、デスクに浅く腰掛け足を組み膝に両手を置く。家庭教師が生徒に説いて聞かせるような口調で、分かりやすく言うとね…との切り出しで始まった話に、少佐は不快感に思わず顔を歪めてしまった。

 

 突出しているのは新課程艦隊。それは予想通りだが、問題は練度の概念を持たない第三世代艦娘の第二次改装に相当する、Mod.Bと呼ばれる上限解放。(Beast)狂戦士(Berserk)を意味する頭文字通り、指揮官の指示で任意にリミッターを解除し、爆発的な出力を獲得、視界に入る全てを活動停止する(自分自身が死ぬ)まで破壊する。感情の次は理性を抑制した殺戮兵器、それが技本の言う艦娘の行き着く先(進化形)

 

 「新課程艦隊(あの子たち)…まったく火遊びもいい加減にしてほしいわ…」

 「火遊びとは言い得て妙だな、陸奥。Mod. Bと言ったか…悪手もまた手の内、深海棲艦(奴等)を引きつけてもらおう」

 

 新課程の艦娘を見捨てる…有栖宮大将の指示は、そうとしか日南少佐には受け取れなかった。意を決し一歩進み出ようとした矢先---。

 

 「あの子達の…艦娘の命は、そんな軽い物じゃありませんっ!!」

 

 目に涙を浮かべた鹿島が叫び、思い詰めた視線を有栖宮大将と陸奥にぶつける。そして日南少佐は理解した--統合司令部に着いた時に、鹿島が非難していたのは新課程の指揮官だったと。今また、鹿島のやり切れなさが悲鳴を上げる。

 

 お嬢様然とした外見通りに、朗らかで笑顔を絶やさない鹿島がここまで決然と自分の意志を示すのは異例中の異例。違う表現で同じ意味の事を意見具申しようとした日南少佐は、先を越されて中途半端に口を開けてしまった。ただ…相手は横須賀鎮守府の長にして、全海軍内の序列でも最上位に位置する一人の有栖宮大将、しかも階級や組織の秩序を重んじることで知られている人物だ。

 

 場が凍る。あーやっちゃったよ…と陸奥が頭を抱える横で、鹿島を見返す大将の目が冷めた炎を宿す。特に大柄な体でもない、声も大きい訳ではない、だが有栖宮大将が鹿島に宣告した言葉は、背骨を握るような峻厳さと威圧感に満ちていた。

 

 「賭ける命の重さに貴賤はない…だが守られるべき命には序列はある。海を閉ざされ空襲に怯える罪なき民を守るため、一朝事あらば真っ先に死ぬのが艦娘…そして我ら軍人の運命(さだめ)。行き掛かりはどうあれ、新課程の奴等を今から救うには作戦を大きく変えねばならぬ。ならば奴等が成すべきことは、横須賀の盾となり一機でも一隻でも多く敵を倒し死ぬこと……こんなことも分からぬ者が宿毛湾の教官とは、聞いて呆れる」

 

 「新課程は突出し過ぎ、今からじゃどうにもできないわ…。せめて彼女達に意味を持たせるのは…」

 

 くるりと背を向けた有栖宮大将と入れ替わるように、慌てて陸奥が鹿島に近づく。肩を震わせながら声を殺して涙を零す鹿島の背中からそっと肩に手を掛け、大将の秘書艦として言い聞かせるのか、あるいは同じ艦娘として痛みを分けあうのか、囁きはあくまでも優しかった。それでも陸奥が飲み込んだ言葉、彼女たちに意味を持たせる…それは轟沈を前提とした命の燃焼。受け入れがたい現実に逆らう様に、鹿島は激しく身を捩り陸奥の手を振り切ると、しゃがみ込んでしまう。

 

 「鹿島は…教官として…どんな海からでも…必ず生きて帰ってこられるようにって…みんなを育てて…なのに、なのに…こんなの……っ!」

 

 かつり、とリノリュームの床に響く革靴の音が近づき、鹿島の肩に優しく手が置かれる。反射的に上げた鹿島の視線の先には、日南少佐の姿。床に片膝をつき目線の高さを揃えた少佐は鹿島に柔らかく微笑むと、静かな口調で語り掛ける。

 

 「教導艦隊がいる限り、新課程艦隊を沈めさせたりしません」

 

 すっと立ち上がった日南少佐は、大きく息を吸い込んで深呼吸、詰襟を直して覚悟を固める。大局的に見れば有栖宮大将の作戦は冷酷だが正解だろう。偶発的に起きた状況ならともかく、現状に至ったのは新課程側の落ち度しかなく、敵の航空隊が乱舞し味方と激しく戦う空の下を救援に向かうのは作戦全体の調和を乱しかねない。それでも言わねばならない----。

 

 「大将、意見具申致します。宿毛湾教導艦隊は横須賀新課程艦隊救出に向かいたく、ご許可いただけますようお願い申し上げます」

 「奴等の不始末の尻拭いのために、作戦を変えろと? そのような事が認められると思うほど愚昧ではあるまい?」

 

 歴戦の将が放つ強烈な圧力に対し、一歩も引かず日南少佐は柔らかく微笑み返して、むしろ踏み込んでゆく。

 

 「ここで彼女たちを失うのは、この先彼女達が守るより多くの命を失うことでもあります」

 

 実際の時間はごく僅かだが、恐々と見守る陸奥と鹿島にとっては一秒が永遠にも感じられる緊張感の中、日南少佐と有栖宮大将は視線をぶつけ合っていた。ふと、興味を失った表情で大将は吐き捨てるように言い残した。

 

 「下らぬ詭弁を……失望したぞ少佐よ、出て行くがよい。貴様が何をしようが横須賀は予定通り戦うまで。好きにすればよい、()()()()戦闘に巻き込まれて沈む痴れ者がいても関知せぬ。…だが邪魔だてされても敵わぬ、情報だけは共有してやろう」

 

 無言のまま敬礼した日南少佐は、鹿島を伴い統合司令部を後にした。

 

 

 

 「少佐…あの…」

 

 あすか改のCICに連絡を取り状況と経緯を伝え指示を出し終えた日南少佐を呼び止めた鹿島は、続く言葉を言い出せずにいた。

 

 有栖宮大将の言う事を受け入れてしまうと、自分は…艦娘は、戦争という大きな歯車を動かすための小さな部品でしかなくなってしまう。それは間違いではないし、実際艦娘は深海棲艦に勝つために生み出された存在だ。それでも自分達には心があり、自分だけの思いがある。でもそれは単なる我儘で…心の乱れは収束せず、気持ちが言葉にならない。

 

 「自分は甘くて、間違っているのかも知れません、それでも…できることがあるのにしない、そんな選択はしたくないんです。鹿島教官、さぁ、急ぎま--うぁわっ!!」

 

 呼び止めたが何も言わず戸惑っている鹿島に、ふっと柔らかく相好を崩した少佐が告げた言葉。それは鹿島の心に温かく熱い想いを広げ、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔のまま胸に飛び込んできた鹿島の勢いに押され、日南少佐は廊下の壁に押しやられた。

 

 「間違ってても…いいじゃないですか! 鹿島はこれからもずっと少佐といます、二人で一緒に正解を探しましょう!」

 

 こんなにも艦娘の事を思いやってくれる人と出会えてよかった…鹿島は何も考えずに、溢れた感情をそのまま口にした。少佐から言って欲しいとか、オコトワリされたらどうしようとか、そんなのはどうでもいい---心の羅針盤は常に日南少佐を指しているんだから、素直に従えばいいんだ。

 



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107. Beauty and Beast-前編

 前回のあらすじ
 ただいま戻りました。


 「…それで少佐は…どう…されるのですか?」

 

 鹿島は依然として日南少佐の腕の中で、うるうると潤んだ瞳の上目遣いで見上げる。戦況は理解してるが、『一緒に』といった自分に、何か聞かせてほしい…鹿島は臆することなく答えを求める。本当の意味での積極性を発揮し、鹿島はさらに体を押し付ける。戦場では敵航空隊から熾烈な攻撃が続き、壁と鹿島に挟まれて逃げ道のない日南少佐には胸板で感触を強調するやわらか装甲の圧力が続く。

 

 「い、意図した状況ではありませんが、横須賀艦隊の前衛を務める場合を想定した作戦を下敷きにしようと思います。時雨には先ほど伝えておいたので、みんなは動いてるはずです」

 「………………そ、そうですね………………はぁ……分かりました」

 

 鹿島は任地に自分を伴うのかを、少佐は新課程艦隊の救出作戦を、それぞれ『どうするのか』--曖昧な問いは、返した答と期待した答の双方にズレを生んでいた。ぷうっとふくれっ面の鹿島が大きなため息とともに答え、あれ? あの作戦では駄目だっただろうかと日南少佐が少ししょげる。

 

 少佐の作戦は理にかなったものだが、真っ当すぎる。なら…と、鹿島は脳内フル回転で少佐の作戦をベースに編成を組み立てるが、一転、くすっと悪戯っぽく笑い明るく弾む声で次の行動のきっかけを作る。自分の望む答ではないけれど、今は気にしない。思いは精一杯伝えたつもりだ--すっと少佐から離れて、自分を励ますように小さくガッツポーズを作ると、鹿島は花が咲くような笑顔で少佐に手を伸ばす。

 

 「さぁ、行きましょう、日南少佐!」

 「はい、でも先に行かねばならない所があります。そちらに寄ってからあすか改に戻ります」

 

 駆け出した日南少佐と鹿島が肩を並べた僅かな刹那、耳に入った言葉が鹿島の足に急ブレーキをかけた。

 

 -宿毛湾に戻ったら、中将に転属申請書を出します。

 

 その間にも少佐は振り返らずに、横須賀鎮守府の本部棟の廊下を駆け目的の場所へと向かっている。しばらくぼんやりと走り去る背中を見つめていた鹿島は、目をぱちくりし、自分の頬を軽くつねる。そして我に返ったように慌てて日南少佐を追いかけてゆく。

 

 「えっ? えっ? 少佐、少佐ぁーーーっ!! それって…!? も、もう一度言ってくださいっ! 録音し損ねましたっ」

 

 

 

 教導艦隊は時雨の指揮代行の下、旗艦金剛以下、蒼龍、飛龍、赤城、高雄、愛宕が現場海域に向かっている。そんな中で時間の浪費は避けねばならないが、情報不足での戦闘はもっと避けねばならない。責任者二人が拘束された異常事態の中、新課程艦隊がどういう作戦目標でどのような指揮命令系統で動いているのかも分からず、まして第三世代艦娘における第二次改装に相当するMod.Bの詳細は不明なままだ。不確定情報をできるだけクリアにして、適切な判断をする…日南少佐は笹井技官と秋川特務少佐-横須賀新課程艦隊指揮官-の収監されている営倉を訪れ、刑務官が二人を連れてくるのをじっと待っていた。

 

 「宿毛湾泊地教導艦隊指揮官、少佐の日南です。笹井技術少佐に単刀直入に伺います、Mod.Bとは--」

 「おおっ、日南少佐、何だかんだ言って第三世代にご興味がおありですか。技本は技術蓄積の宝庫、封印指定まで含め過去の記録を調べた中に、何やら昔々、霊子工学部門の鬼才と称された仁科(なにがし)が提唱した、堕天(フォールダウン)と呼ばれる特殊な改装理論を発見しましてね、ええ。さすがにあんなエキセントリックな機能の実装は憚られますが有益な部分も多く、この私が部分的に再利用「結論から話してください」」

 

 昔話も自慢話も興味はない、と日南少佐の切り口上に一瞬鼻白んだ笹井技官だが、さすがに長口舌を振るう場面ではないと理解し、ポイントを要約し始めた。ただその内容は到底少佐の容認できるものではなかった。

 

 「…まぁ、いいでしょう。Mod.B…形容すればBeastやBerserk、機能で言えばBoostやBurst。ダミーコア(疑似人格)に体を明け渡して出力制限を解除、爆発的な出力でさながら獣のように戦い、文字通り体の動く限り視界に入る物全てを破壊する、第三世代艦娘の到達点です。いざとなれば貴方との演習で発動させるのも選択肢に入っていましたがね」

 

 「艦娘を死なせる気ですかっ!?」

 「壊れる可能性は否定しません」

 

 笹井技官-失脚した武村技術少佐の後任となるこの男は、つまらなさそうに眉を顰めている。同様に日南少佐も眉を顰めているが、こちらは埋めようのない断絶に暗然としたためだ。艦娘の命の際を同じように話しているが、『死なせる』と『壊れる』の間の溝はあまりにも深い。間を置いて、笹井技官は淡々と語り続ける。

 

 「私が求められたのは()()()()()()()()()、そのために必要と仮定されることをしたまでです。あなたの好きそうなクープマンモデルを持ち出すまでもなく分るでしょう、戦いは数です。それゆえの第三世代…育成に最も時間がかかり不安定性の元凶となる感情を極力低下させ、命令への追従性と生産性を向上させる。さらにダミーコアが起動すれば理性さえ捨てて殺戮兵器(キリングマシーン)化することも可能で戦闘の質にも配慮。この方が人間も艦娘も余計な感情をお互いに抱かず健全な関係…そう、兵器と使用者に立ち戻り深海棲艦の殲滅に集中できる、そう思いませんか? …思わないでしょうね、あなた達みたいな人は」

 

 一旦言葉を切った笹井技官は、鹿島を一瞥し文字通り鼻で笑った。目線の動きを追う様に日南少佐も鹿島に視線を送ると--両手で頬を押さえデレた表情の鹿島が色々呟いていた。

 

 「新たな任地に少佐と一緒に…えへへ♪ という事は……ある日二人きりの執務室、ふと目が合うと少佐の手が鹿島の手に重なって……。か、鹿島にも心の準備が…あ、嫌じゃないですよ? むしろ大歓迎というか…」

 

 久々にポンコツモード全開で、身体をクネクネしながら一人でキャーキャー言ってる鹿島だが、日南少佐と笹井技官の視線に気づくと、顔を真っ赤にしながらンンッとわざとらしい咳ばらいをして威儀を正し始めた。

 

 「あの…鹿島教官?」

 「は、はいっ!? そ、そうですね、少佐は先にシャワーを浴びていただくとして……じゃなくて! 話は全部聞いてましたからね? ……笹井技術少佐、貴方は自分で手掛けながら、艦娘を分かろうとしないのだから、分かるはずがないですね。そんな無茶な改装なんかなくて、必ず帰ると信じて送り出してくれて、無事の帰還を喜んでくれる…それだけで私達はどこまでだって強くなれるんです! なのに…」

 

 ナニイッテルノコノヒト…と疑問符を頭上にいくつも浮かべた日南少佐はさておき、一旦言葉を切った鹿島の少し釣り目の目がすうっと細められ、冷ややかな鋭さを帯びた視線を放つ。

 

 作られた身体に宿る仮初の魂を持つ艦娘は、ある意味で量産化された工業製品だが、だからこそ一人の『個』として認められ、失うことを怖がってもらえるだけでいい。矛盾しているが、そうすれば命を捨てて戦い、必ず生きて帰ってくると誓える。だから教官は、指揮官は、少しでも強くなれるように艦娘の心と体を大切に慈しみ、厳しく鍛えるのだ。

 

 戦うことは目的なのか手段なのか-相反する思いを抱え矛盾を生きる、それは人間そのもの。ヒトの現身としてヒトの理想を託された艦娘だからこそ、託された理想に純粋に応えようと懸命なのだ。なのに目の前の、自分達艦娘の建造に深く関わっているはずの技官は、まるで正反対の事を臆面もなく言い募る。

 

 

 そんな中時雨から日南少佐に緊急連絡が飛び込んできた。応答した少佐の携帯から今にも泣きだしそうな時雨の声が響く。ダミーコアに支配された艦娘に、敵味方の区別はない--今の今までしていた会話が、思いつく限り最悪の形で現実となっている。

 

 「少佐っ、日南少佐っ!! 金剛さん達、新課程艦隊と接触したって。動けるのは能代さんと夕雲だけらしいだけど……その…僕たちに攻撃してくるって……。ね、ねぇ、どうしたらいいかなっ!?」

 

 

 

 新課程艦隊がどうなろうと戦局全体に影響はない。残酷だが、それがこの戦闘の現実。ぎりっと歯噛みした日南少佐は、これまで青ざめた顔で空気と化していたもう一人に、一縷の希望を手繰り寄せようと呼びかける。彼女達を見捨てることはできない。

 

 「秋川特務少佐、Mod. Bを停止させる方法は!? 彼女達は…貴方の艦娘だ、こんな状況で何も、何も思わないんですか!? 自分達指揮官が彼女達を守らずに…誰が守るんだっ!?」

 

 「ははははっ! そんな情緒的なことを言い出すとは…本当に貴方は卒業席次(ハンモックナンバー)第三位ですか? そんなのは--」

 「少佐、能代と夕雲(二人)を大人しくさせないと新課程の子たちに近づけないよ! このままじゃ……」

 

 

 「黙れっ!!」

 

 

 笹井技官の嘲笑も時雨の悲鳴も掻き消す怒号が木霊する。声の主は横須賀新課程艦隊の指揮官・秋川少佐で、俯いたまま肩を震わせていたが顔を上げると日南少佐に鋭い視線を送ってきた。

 

 「Mod. Bは指揮官を含めてのシステム…一旦起動したダミーコアには新課程の指揮官が指揮を執る限り、轟沈までシグナルが強制的に送信され続ける。だから俺は指揮権を放棄する。そうすれば…彼女たちは…命令が無ければ人形と変わらないから。……知らなかったんだ…第三世代っていうのがこんなものだなんて……能代は、俺の昇進のためにあんな改装を受けて…なのに…俺の事を忘れちまったんだ。俺達にだって今の君達と同じような時が……。日南少佐、言えた義理じゃないのは分かってる、でも…頼む…頼むから能代を…あいつらを救って…」

 

 

 

 全速前進させていた母艦と海上で合流した日南少佐と鹿島はすぐさまCICへ移動し指揮を執り始めた。前陣に荒潮、後陣に霰、左右に文月と皐月、直掩に祥鳳を配置した輪形陣の中央に陣取るあすか改は、敵の散発的な攻撃を受けたもののこれまでの所順調に南下を続けている。

 

 レーダースクリーンや各種計器類が白く輝く薄暗いCICで、ブリッジクルーの交代要員の到着を待っている日南少佐と鹿島に、僅かな凪の時間が訪れていた。

 

 「…にしても鹿島教官、流石にこの編成は驚かされました。というか、自分はそこまで頭が回りませんでした」

 

 ぽつりと零す日南少佐の呟きに、右手に持ったペンをくるくる回す鹿島は、ツインテールを揺らしながらにっこり微笑んだ。

 

 「うふふ♪ どうせならトコトンやっちゃう方がいいかなーって思います! 投入した第二艦隊が第一艦隊に追い付き次第輪形陣に遷移、進軍続行です!」

 

 鹿島の助言を受けて投入した後続部隊--川内を旗艦とし、時雨、涼月、朝潮、霞、そして摩耶から成る第二艦隊。先発の正規空母三を中核とする第一艦隊と合わせれば、全一二人から成る連合艦隊、今回は空母機動部隊を構成できる。第一艦隊の搭載全機数の八割を占める艦上戦闘機隊と対空兵装をガン積みした後続の第二艦隊は、強力な対空防御陣を形成する。

 

 徹底的に空を明け渡さず、全力を挙げて自分自身と横須賀新課程艦隊を守ることを最重要作戦目標に置き、戦場を突っ切り教導艦隊は南下を続ける。



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108. Beauty and Beast-中編

 前回のあらすじ
 鹿島さん、よかったね。


 すでに横須賀新課程艦隊に接触していた第一艦隊だが、救助のため接近した高雄と愛宕に対し突如能代と夕雲が攻撃を加えてきたために、現場は大混乱に陥った。無防備な状態で至近距離から()()の攻撃を受けた重巡二名は驚愕のあまり防御もままならずに中破。新課程艦隊護衛のため艦戦を配置しつつ態勢を立て直すのに一時後退中の第一艦隊と、全速で追いかける第二艦隊の合流待ちの現況―――。

 

 「周囲に敵機を近づけず、新課程艦隊を力づくでも連れて帰る…だからこそ作戦目標をシンプルにして、余計な事を考えずに済むようにしてあげないと。少佐の仰る『選択と集中』ですよ♪」

 

 簡単ではないのは、言ってる鹿島も分かっている。分かっているからこそ、日南少佐の肩にかかる重圧を少しでも和らげようと、人差し指を立ててウインクしながら、ことさら明るく訴える。

 

 横須賀新課程艦隊は突出し過ぎ――有栖宮大将の鳴らした警鐘が、教導艦隊の接近により具体的な危機へと成長している。作戦計画からはみ出した一部隊だけならともかく、連合艦隊級の戦力が投入され前線を押し上げていると深海棲艦側が判断しても不思議はなく、今までとは比較にならない数の敵攻撃隊が急速接近してきた。

 

 横須賀鎮守府は放置することで深海棲艦の攻撃目標を分散し、深海棲艦は攻撃することで接近中の教導艦隊を釣り上げようとする…双方が新課程艦隊に見出した価値は『捨石』。ただ一人それを良しとしない日南少佐と、彼の思いを受け止めた教導艦隊の孤独な闘いだが、容易なものではない。

 

 蒼龍と飛龍の送り込んだ直掩隊は敵の第一波を撃退したものの、すでに第二波の接近を対空電探が捉えている。交戦開始にはまだ多少時間があるが、この間に方針を定め行動しなければならない。

 

 教導艦隊として連合艦隊を編成するのは実は初めてで、各艦の連携や陣形遷移の訓練は十分とはいえない。もちろん必要な指示は出してあるが、実戦で大規模艦隊行動には不安が残る…日南少佐が少し表情を曇らせたのを見逃さず、席を立った鹿島が少佐を励ますように背後に立つと、そのまま背中から覆いかぶさるように両腕を回す。

 

 ふわっと爽やかで甘い香りに包まれた日南少佐は、一瞬ここが戦場で自分がCICにいることを忘れそうになった。だからといって本当に忘れる訳もなく、ムギュられながらも鹿島の言葉に応じようと首を回して振り返ろうとして…完全に固まった。

 

 背中から抱きしめられているので、鹿島の顔のない方に振り返ったはずが、いつの間にか鹿島が頭の位置を変えていた。結果、少佐の唇が鹿島の頬にほとんど触れそうな距離になり、少佐は触れかかる鹿島の細い銀の髪に絡め捕られたような錯覚に囚われた。頭を僅かに動かした鹿島の唇が動き、吐息と共に溶けそうな言葉を投げかける。

 

 「みんなを信じましょう。…覚えてますか? 花丸三つで特別なご褒美…少佐はとっくに達成してますよ? ご褒美…今……あげちゃおうかな…ううん、貰ってくれますか?」

 

 鹿島の長い睫が下り瞼が閉じられ、吐息が少佐の唇にゆっくりと近づいてくる。攻めっ気まんまんの鹿島に対し、少佐も少佐で魅入られた様に動けずにいた。

 

「…………」

 

 近づく鹿島と動かない(動けない?)少佐にほとんどくっつきそうな距離まで接近した初雪が、無言のままジト目で強引に割り込んできた。

 

 ブリッジクルーの交代要員…吹雪と潮、そして初雪の三名がCICに入室した際に目にした光景――指揮官と本隊から派遣された教官のラブシーンに、他の二人が顔を真っ赤にして棒立ちになったのと対照的に、無表情ですたすた近づいた初雪は、彼女らしいマイペースさでカットインして二人を引き離した。

 

 「で、では少佐、作戦内容はしょういうことでお、お願いしますね」

 あからさまな言い訳をしどろもどろな口調で残した鹿島は真っ赤な顔で髪を直しながら自席に戻り、初雪はじとーっと刺さる視線を少佐に送り込んでいた。

 

 「あの…初雪? その…イヤなんか…」

 「言い訳おつ……。てか、脇…甘すぎ……」

 

 ぷいっとそっぽを向いた初雪は自分の席へとしゃーっと向かってゆく。中途半端に伸ばしかけた手が宙ぶらりんになった少佐は、ぱんぱんっと自分の頬を強めに叩き気持ちを引き締め直す。その間にオペレータ席に座った初雪はヘッドセットを装着しインカムの位置を口元に調整すると、どこかと連絡を取り始めたようだ。

 

 「…だってさ、少佐。指揮、よろ…」

 

 時間にすれば僅かな間にCICで繰り広げられた攻防の最中、合流を果たした第一艦隊と第二艦隊から輪形陣への遷移完了の報告が入り、初雪の横着なスルーパスの声が新たな局面の開始を告げる。

 

 

 

 前衛に涼月、左舷に霞と川内、右舷に朝潮と摩耶、後衛に時雨という第二艦隊のガードの内側には第一艦隊が複縦陣で配され、第一列に金剛と赤城、第二列に飛龍と蒼龍、第三列に中破した高雄と愛宕が並ぶ。蒼龍と飛龍の航空隊が新課程艦隊を守り、赤城の航空隊が教導艦隊を守り、さらに対空偏重の布陣で防御に徹すれば教導艦隊の保全は果たせるが、最終目的は横須賀新課程艦隊の救出なので、いずれかのタイミングで必ず前進しなければならない。

 

 そのためにも横須賀新課程艦隊に襲い掛かる深海棲艦の攻撃隊を蹴散らさねばならないのだが―――。

 

 「しつこいっ…けどそろそろ反撃よ!」

 「手ごわいっ! けど…徹底的に叩く!」

 

 輪形陣の中央、海上で地団駄を踏んでばいんばいん揺らしながら悔しがっているのは蒼龍で、対照的にキッと空を見上げ唇を噛んでいるのは飛龍である。遠くの空で戦う航空隊の妖精さんから齎される情報は二人の脳裏にフィードバックされるが、敵の第二波は第一波よりも激しさを増している。

 

 徹底した敵艦戦の編隊戦闘-二機一組で描かれるS字の軌跡(サッチウィーブ)は制空に当たる蒼龍の零戦隊の連携を阻み、個人技での対抗を余儀なくされる付岩井小隊の零戦五二型丙の部隊。一方飛龍の部隊は岩本隊の零戦五三型で編成され、高空から侵入する急降下爆撃隊を迎え撃とうとするが、蒼龍のエアカバーで抑えきれなかった敵機の妨害を受け、望まぬドッグファイトに巻き込まれている。低空を進む敵の雷撃隊に対応する熟練の零戦二一型の部隊も、敵艦の跳梁を抑えるため向かい始めた。ミッドウェー海戦で初めて実戦投入され、以後零戦の弱点を突き日本軍機に対する米軍機のキルレシオを改善させた戦法が、時を経て姿形が変わった今も、二航戦の前に立ちはだかっている。

 

 

 高まる緊迫感が首筋にヒリヒリした感触をもたらすが、第一艦隊の旗艦を務める金剛は冷静な表情を崩さず、ちらりと左に視線を送る。手は首元を飾る細い金の組紐のタイをいじり、世間話でもするかのように何気なく話し始める。

 

 「HE-Y 赤城ィ…蒼龍と飛龍(ダブルドラゴン)のストレスも限界ネー。そろそろだと思うヨ…」

 

 第一艦隊第一列、隣り合う赤城は伏せた目をそのままに何気なく答える。

 

 「そうですね…そろそろだと思います」

 

 防空網が破綻する前に艦隊直掩を担う赤城の烈風隊の一部を割いて援護に回すタイミングでは、という金剛の問いに、赤城は同意しながら全く動こうとしない。潮風に踊る長い黒髪を押さえながら、何かを待つように遠くを見つめている。ん~? と眉根を寄せた金剛がもう一度問いかけようとした瞬間、赤城が待っていた『何か』が全艦にリンク通信で訪れた。

 

 「教導艦隊、第四警戒航行序列に陣形変更、前進開始! 敵を後退させる! 川内、時雨、涼月、朝潮は最大戦速で突入、新課程艦隊を中心に簡易輪形陣形成! 蒼龍と飛龍、九九式艦爆(江草隊)九七式艦攻(友永隊)発艦、指揮権は赤城に移譲し二人は直掩隊を立て直してくれ。金剛は主砲三式弾装填、砲撃のタイミングは任せる、敵攻撃隊の進路に制限を加えつつ前進。そして高雄と愛宕、空母部隊は敵航空攻撃を排除した後に前進、霞と摩耶は護衛に当たってくれ」

 

 日南少佐からの流れるような指示に()()()の艦娘が即座に行動を開始する。現場が騒然と動き出す中、残る一人…赤城への指示が出る。

 

 「赤城…頼んだぞ」

 「はい…お任せください」

 

 たったこれだけの短い会話に、赤城は満足そうに微笑むと長弓を撓らせ番えた矢を空へと解き放つ。光に包まれた矢は流星改へと姿を変え、直掩の烈風とともに一気に増速し小さな点となる。発艦を終えふうっと小さな息を吐いた赤城に、不思議そうな表情で金剛が話しかける。すぐにでも主機を全開にして前進する場面だが、どうしても気になることがある。

 

 「赤城…貴女の言った『そろそろ』って……」

 「はい。少佐が突入の指示を出す頃だろうって」

 

 防御に徹するとはいえ、数に勝る敵相手に守るだけではジリジリと追い込まれる。だからこそ前に出る…赤城は一〇機の彩雲を開度二〇度で放ち、敵艦隊の位置を特定するため広範囲の索敵を続けていた。少佐にだけ共有された結果に基づく指示を待ち、赤城は一人静かに息合いを整えていた――敵旗艦の空母棲姫を奇襲し敵を撤退、悪くても後退させ新課程艦隊を安全に救出する時間を稼ぐ一撃を放つために。

 

 「彼我の距離、私の部隊の航続距離と速度、突入経路を考慮すれば、少佐が攻撃を選択するならあの頃合いで指示がでますので」

 

 事も無げに微笑む赤城に対し、金剛はぽかーんと口を開けるしかできなかった。『頼んだぞ』と『お任せください』だけで、少佐と赤城は通じ合っている。どれだけの信頼関係ならそんなことが…ちくりと胸の奥に感じた痛みを隠すように、金剛は捨て台詞っぽく、あるいは宣戦布告っぽく言い残し、白波を蹴立てて一気に速度を上げ前線へと突入を始める。

 

 「Woow!! 少佐と赤城、そこまで分かり合ってるなんテ、まるで夫婦みたいネー…ムゥ…jealousyデース! 負けてられないネ!」

 

 きょとんとした表情で小さく手を振りながら、前進する部隊を見送っていた赤城の顔が真っ赤に染まるのに時間は要さなかった。

 

 「多門丸、聞こえた!?」

 「やだやだやだぁっ!」

 

 背後で騒いでいるのは、空を見上げ感無量の態の飛龍と、イヤイヤと激しく頭を振る蒼龍。

 

 「てっきり時雨か涼月だと思ってたけど、ほぉ~…なるほどねー。いやでも、少佐みたいな男には、姉さん女房の方がいいのか。なぁ、霞?」

 「なんで私に振るのよ? そんなのどうでもいいじゃないっ!」

 ニヤニヤしながら霞に寄り掛かる摩耶に対し、興味なさそうにしながら唇を尖らせる霞がそっぽを向く。

 

 僅かな幕間でも垣間見せるキャイキャイした少女の顔と、旺盛な戦意で深海棲艦に立ち向かう兵士の顔と…どちらが彼女達艦娘なのかと聞くのも野暮だろう。今こうして笑いあっている次の瞬間には自分は海に沈んでいるかもしれない――命懸けだからこそ自分の想いに嘘をつかない、それだけの事。儚い命だからこそ瞬間を全力で愛おしみ、戦う。そんな艦娘がもう一人。

 

 「みなさん、配置に就きましたね? 戦闘に集中してくださいっ! ちなみに、全部通信で聞こえてましたけど…って少佐っ! 何を照れてるんですかっ!!」

 

 あすか改のCICでは一連の会話の中継を聞いていた鹿島がゴゴゴ…しながら膨れっ面になり、オマエモナーと初雪がボソリと突っ込んでいた。



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109. Beauty and Beast-後編

 前回のあらすじ
 戦闘開始。


 この世界で、深海棲艦が日本本土に攻勢を仕掛けてくるのは稀な事ではない。敵空母『シャングリラ』が本土への空襲を仕掛けてきたり(その追撃作戦が艦隊作戦第三法)、敵大型泊地の偵察に先立ち戦力増派のため本土近海の敵を排除したり(光作戦前段)、北方海域を舞台とした迎撃戦に第五艦隊を中核とする部隊を派遣したり(出撃!北東方面 第五艦隊)などなど。

 

 ゆえに帝都の防衛義務を負う横須賀の守りは有栖宮大将の代になり徹底して強化された。継戦能力を重視した鎮守府は重要施設を全て地下化し、敵の進攻に対し主戦場に設定した浦賀水道で敵を鏖殺するのが作戦の基本となる。今回も、富津岬沖合に展開する第一・第二艦隊(連合艦隊)と、三浦半島の城ケ島と房総半島の洲崎に秘匿された要塞陣地に配備された第三・第四艦隊が敵が浦賀水道に入った時点で挟撃する構えで、館山・横須賀・立川・谷田部の各基地航空隊は状況により攻防ともに対応する。

 

 ここまで考えれば、単独行動を取った新課程艦隊は完全に統制を乱すもので、有栖宮大将の逆鱗に触れるのも当然と言える。ましてその救援に横須賀の艦隊を動かすとなれば味方の配置を暴露することに繋がり、到底許容できるものではない。それゆえに、あるいはだからこそ、横須賀鎮守府の作戦計画にとって+αでしかない日南少佐率いる教導艦隊の動く余地があるのだが…。

 

 

 「ん~…少佐、電探に感あり。敵前衛艦隊の突入を確認、どうしよっか?」

 

 川内率いる時雨・涼月・朝潮(救援部隊)から入った連絡に、あすか改のCICでは日南少佐が無言で頷く。敵は空母棲姫を旗艦とし、空母ヲ級二体、護衛の駆逐艦から成る機動部隊を中核とした連合艦隊で、このうち前衛艦隊から軽巡ツ級、それに駆逐イ級三体が突入してきたという。横須賀鎮守府の作戦計画を知る少佐にとって、遅かれ早かれこうなるのは予想できていた。

 

 基地航空隊の分厚い防空網の突破に梃子摺っていた敵の目には、壊滅寸前の新課程艦隊(先遣隊)を救出、あるいは前線を押し上げる、いずれかの目的で横須賀から連合艦隊が出撃してきたと映るだろう。なら攻撃に充てた航空隊を呼び戻し再編、決戦に臨むと判断しても不思議はない。消耗しているとはいえ依然強力な戦力を残した敵の連合艦隊が今、教導艦隊に牙を剥こうとしている。

 

 

 

 「さて…と。う~ん、どうしよっかな」

 

 上に伸ばした両腕、右手首を左手で掴み肩甲骨のあたりを解すように大きく伸びをする川内が独り言のように呟く。コキッと鳴らすように首を左右に動かしながら、川内は頭の中で優先順位を整理する。

 

 上空を乱舞する敵機には味方の航空隊が対抗しているが、空域を安全圏とするにはもう少し時間がかかりそう。

 

 接近中の敵前衛艦隊四体は、軽巡ツ級率いる駆逐イ級三体、それも後期型と呼ばれるタイプ。

 

 さらに救出対象の新課程艦隊は五名全員大破、ただ能代と夕雲は近づくと見境無しに攻撃を仕掛けてくる。

 

 中破艦を含む味方の後続部隊は現場海域(ここ)の制空権を確保しなければ進出できない。

 

 

 脳内会議は終了、うん、と一つ大きく頷き川内の揺れるセミロングの茶髪に合わせてマストを模した髪飾りも揺れる。そしてニヘラッと笑いながら、あすか改の日南少佐に自らの考えを伝える。少佐の作戦と現場の状況を擦り合わせ最終的な指示を仰ぐのだが、今回は―――。

 

 「実質四対二の戦いになるぞ…それでもいいのか?」

 「いいじゃーん、私にピッタリ! 肉は切られても、骨は断ってくるから!」

 

 真っ先にツ級を叩く――川内の進言と少佐の目標は合致した。先ほどまでとは違う、ニヤリとしながら凄みを湛えた笑みが川内の顔を彩る。5inch連装両用砲を二基備え、艦娘側で言えば五十鈴をも上回る対空能力を誇る軽巡ツ級(黒い巨腕)を好きにさせては蒼龍と飛龍の航空隊に甚大な被害が及び、ひいては後続部隊の進出の妨げになる。

 

 だが、二人の間で一致しなかった部分もある。敵艦隊四体を排除してから新課程艦隊を伴い戦場を離脱させようとした少佐に対し、川内は新課程艦隊の救出を優先した。自分と朝潮だけで突入、時雨と涼月には能代と夕雲の制圧に当たらせるという。戦場で議論している時間もなく、少佐は声にあふれる自信と、徹すれば教導艦隊随一と言われる回避能力の川内、そして朝潮のコンビに敵前衛艦隊との戦闘を託す決断をした。

 

 「骨は断って欲しいけど、肉は切られないで欲しい。…済まない、川内」

 「あんな事言われたら、その気になっちゃうじゃん。ね、だから夜戦…どうかな?」

 

 川内らしい夜戦主義全開の発言にあすか改のCICに苦笑が満ち、日南少佐も愉快そうに相好を崩しつつ、やんわりとオコトワリしたのだが、川内の反応は違っていた。

 

 「そこまでこの戦闘を長引かせるつもりはないんだ。悪いけど次の機会でいいかな?」

 「ん? その夜戦じゃない方だけど? まいっか、突撃よ、朝潮、遅れないでねっ!」

 

 明るい性格、スタイルの良さ、料理も上手、書道も達筆、戦闘になれば群を抜くCQB(近接戦闘術)と回避能力…夜戦夜戦騒がなきゃ完璧超人系の川内。その彼女がいろんな意味で本気を出した瞬間だった。

 

 

 

 

 時雨は思う―――。

 

 

 それは出撃前の話。少佐は作戦に関して隠し事をしない。今回みたいな戦いなら、余計に知っておくべきだったのかな、うん…。でも僕たちは…どうしようもないほどショックを受けたんだ。技術的な(難しい)ことはよく分からないけど、Mod.B…それは僕達が辿っていたかもしれない道。僕達には少佐がいて、新課程(あの子達)にはいなかった。偶然なのか運命の悪戯なのか、たったそれだけの違いであの子達は自分が自分でいられる全てを剥ぎ取られて、死地に放り出されたんだ。

 

 -心から申し訳ないと思う。君達艦娘に何をしたのか、自分は受け止めなければならない。

 

 出撃前の訓示には程遠い、内臓を絞る様に辛そうな声で、それでも少佐は僕達から目を逸らさずハッキリと言った。負う必要のない責任まで、自分の事として感じているんだね。君が君であるために、そこまでしなきゃならないの…? 君はどれだけの想いを抱えて提督になろうとするの…? いけない、出撃前に涙は禁物だね。フルフルと首を振ると、ぐっと唇を噛んで目を真っ赤にした涼月が少佐から視線を逸らさずにいるのが目に入った。

 

 -君達艦娘は確かに存在して生きている。命が救われるのに…それ以上どんな理由が必要かな? だから…自分に力を貸してほしい。

 

 悲しそうな色を瞳に宿した少佐は、僕たちに深々と頭を下げている。止めてよ、そんなこと。僕は君の艦娘で、同じ方向を目指して戦い、歩き続けるんだ。君があの子達を助けたいと思うなら、それは僕も同じ思いだよ。

 

 

 けど、戦場で実際に目にしたのは、砲も魚雷も失い、力なく海面に横たわる清霜・早霜・阿賀野(三人)と、仲間を守る様に立ちはだかる能代・夕雲(二人)の新課程艦隊…いや、鏡合わせの僕達―――。

 

 

 

 聞きたくない。僕たちはそんな…獣みたいな叫び声で相手を威嚇したりしないよ。

 

 

 見たくない。腕とか脚とか…早く治さないと。ねぇ…その赤い瞳…ちゃんと見えてるの…?

 

 

 知りたくない。艦娘の中に…そんな獰猛な一面があるなんて…それとも…僕達のほんとの姿…なの?

 

 

 

 「時雨さんっ!! ぐぅっ!!」

 

 あうっ! 右から疾走してきた涼月に思いっきり突き飛ばされ、現実に引き戻された。水面に叩きつけられそうになり、二度三度踏鞴を踏んで何とか体勢を立て直す。その間に僕の目が捉えたのは、折れているはずの右腕を振り回して涼月を殴る能代さんの姿。ごめんよ、僕がぼんやりしてたから…。僕を庇った涼月は、無防備な状態でまともに強烈なロングフックを顔面に受けて、そのまま倒れ……ない。両足を踏ん張って持ち堪えてるけど、膝がガクガクしてる。

 

 能代さんは艤装がほぼ全壊だから力技で押してくる。けど涼月は、連撃の左フックを右手だけで組み止め、追撃で迫る右フックも左手で組み止める。僕達駆逐艦娘の中ではタフな彼女だけど、近接戦闘はそんなに得意じゃない。まして僕達のミッションは『救出』、砲雷撃で沈黙させる訳にもいかないし。

 

 手四つの体勢になると体格差と出力差がモロに効いてきて、能代さんが押さえつけるように覆いかぶさり、涼月が膝を折りそうになる。待ってて、今度は僕が助ける……って夕雲、邪魔しないでっ!!

 

 

 何度も何度も殴られ蹴られながら、それもでもどうにかこうにか夕雲を押さえ込んで必死にチョークスリーパーホールドに持ち込んで落とした時。ついに支えきれなくなった涼月が海面に押し倒されそうになりながら、持ち上げた右脚を力いっぱい前に送り出す。涼月の前蹴りは能代さんの鳩尾に深々と食い込んで呼吸を奪ったみたいだ。僕達は最強の生体兵器って言われてるけど、やっぱり生身の体な訳で、息が出来なきゃ体を動かせない。びくん、と大きく背を反らした能代さんは動きを止め、その間に立ち上がった涼月は振りかぶって思いっきり能代さんを殴り倒した。

 

 

 「ずっと…ずっと、守るんですっ! 貴方を…貴方の想いを…私は…私がっ!!」

 

 

 涼月が吠えた。普段の物静かな彼女からは考えられない叫び。ぼろぼろになって、立っているのもやっとの姿で。

 

 

 そっか。

 

 

 何となく分かっていたけど、僕と涼月は、求めてるものが違うんだ。今、ハッキリ分かったよ。

 

 

 少佐と色々…ほんとに色々あって、ようやく気付いたんだ。深海棲艦との和平なんて叶うかどうかも分からない大きな夢、分からず屋の軍の上層部の横槍、その狭間で僕達艦娘が泣かないように少佐は戦い続けてるんだ。それは僕達が深海棲艦と戦火を交えるとは違う戦い。僕は少佐の夢を叶えるための力でありたくて、その夢が叶うのを一番近くで見たくなったんだ。

 

 でも涼月、君は少佐のために戦って、少佐だけが君の帰る港なんだよね? だから君は一番Mod.Bに反応していた。僕たち艦娘が作られた存在で、どれだけ人間と異なるのか、嫌になるくらい教えてくれる第三世代の到達点…。僕達は戦うために生まれた存在で、どう言っても否定できない事実だよね。でも涼月、君は…人と艦娘、その間にどれだけ深い河があるのか僕には分からないけど…君はそれを越えて、少佐と結ばれたいんだよね。僕もそういう時があったから、分かるんだ、うん…。けど―――。

 

 「涼月っ!! 避けてーーーっ!!」

 

 完全に無警戒の涼月に、能代さんが右手の指先を束ねた貫手で心臓部を目掛け突き込もうと突撃。これ以上ない奇襲、いくら艦娘でも脳か心臓を破壊されると生体機能を維持できない。これまでの戦いで負ったダメージのせいか涼月の動きは鈍く、回避運動もままならないみたい。少佐を守りたいと思っている涼月を守る。そのためには―――背中の基部からフレキシブルアームを介して前方に伸びる砲身の延長線上には荒れ狂う軽巡がいて、トリガーに掛けた指先を少し内側に引くだけで砲は火を噴き涼月を救う事ができる。こんなことしたくない、でも…。

 

 がいんっ!!

 

 え……呆然と立ちすくむ僕の目には、金剛さんがほとんど海面とすれすれに上体を倒して突入してきたかと思うと、体を大きくひねった渾身の右フックを能代さんのボディに叩き込み、横っ飛びに吹っ飛ばされてゆくのがスローモーションのように映っていた。



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110. 君を想う

 前回のあらすじ
 似ていて異なるベクトル。


 到達した前線で金剛が目にしたのは--無防備に立ち尽くす涼月に攻撃を仕掛けようとする能代と、意を決したように砲を構える時雨の姿だった。

 

 「Noooo! もう少しだからァー!!」

 

 許容限度を超えて主機を強制加圧、タービンを過回転(オーバーレブ)させた金剛は、強烈な加速に耐え空気抵抗を減らすため前傾姿勢を深くし一気に速度を上げる。強い向かい風に長い茶髪と巫女服の袂を靡かせ必死に前へ前へと疾走する。突如右膝から下に走った鋭い痛み…恐らくは主機に異常が出たのだろうが、気にしていられない。

 

 機関は壊れても直せる、けど命は――時雨にも涼月にも、そして新課程にも、そんなことはさせられない。

 

 あっという間に視界一杯に広がる能代目掛け低い姿勢で突っ込み、大きく体を捻って下から伸びあがる様に放った右フックで動きを止めようと試みる。戦艦娘が近接戦闘に打って出るなんてレア中のレア、慣れない戦い方で自らの力に振り回された金剛はそのまま前のめりに体が流れ、能代にぶつかった。

 

 密着体勢を奇貨とし能代は左貫手を振り回しカウンターの要領で金剛に突き立てたが、金剛の強烈なパンチを受け不自然なまでにくの字に曲がった体を支えきれずに吹っ飛ばされる。

 

 海面を交通事故のように転がった能代が動かないのを確認した金剛は、大きく肩で息をすると、時雨と合流しようと緩慢な歩みを進め始めた。

 

 「金剛さん…そんな……」

 「流石に無理しちゃったかもネー」

 不用意に近づいた愛宕や高雄が大きな損害を受け後退したのは聞いていた。けど、まさか戦艦にここまでのダメージを与えるなんて…近づくにつれ見えてきた金剛の痛々しい姿に、時雨は涙目になって息を呑んでしまった。右脚を引きずりながら、右手で脇腹を抑え、それでも金剛は時雨の頭を空いた左手でクシャクシャと撫で、いつと同じ太陽のような笑顔を見せると、こんなの引っ掻き傷(scratch)ダヨーと胸を張る。

 

 泊地でも戦場でも変わらず明るくポジティブな空気を絶やさない金剛に釣られ、時雨はポロッと軽口を叩いた。

 

 「頑張りすぎだよ、まったく…年寄りの冷やみぃぃぃぃぃっ!?」

 「…時雨ぇー、いい女は時間が熟成させるの(いいワインと同じなの)デース。とにかく、少佐から別命あるまで新課程艦隊を護衛しマス!!」

 

 引き攣った笑顔の金剛が繰りだした戦艦級アイアンクローでこめかみをギリギリされた時雨だが、安堵の溜息とともに泣き笑いの表情を浮かべている。なお、往時の実艦の艦歴を艦娘の年齢とするかどうかには議論があるが、仮にその場合は金剛は全艦娘中でも最年長クラスだったりする。

 

 

 

 「…………という状況かな。新課程の五人はとりあえず無事。でも……心配なのは涼月ダヨ……」

 「能代と交戦したそうだが、損傷状況は?」

 「ンー……私はちょっとダケ。でも涼月は……艦娘同士で戦うのは、誰だって心が痛みマス。ちゃんとケアしてくださーイ」

 

 長く伸びた戦線の制空権を敵に渡さなかった蒼龍と飛龍、二対四の劣勢ながら敵前衛艦隊を撤退に追い込んだ川内と朝潮、敵旗艦空母棲姫への攻撃を成功させた赤城……皆の獅子奮迅の活躍で敵を後退させた今こそ、新課程艦隊を救出しあすか改に収容する好機となる。

 

 全体として作戦は順調に推移していると多くの艦娘が感じ、戦闘中の部隊はもちろん、あすか改で待機している艦娘達も次の指示を待っている。だが指揮を執る日南少佐の表情はいま一つ冴えない。初めて指揮を執った連合艦隊編成だが、戦線が伸びてしまい戦力を効果的に集中できなかったからだ。

 

 一方で有栖宮大将率いる横須賀鎮守府は、大規模侵攻(イベント)『第二次ハワイ沖作戦』に部隊を派遣しながら、降って湧いた深海棲艦の奇襲を浦賀水道と東京湾を要塞化した強固な防御陣で迎え撃ち、教導艦隊の後を受ける形で満を持して進軍を始めた横須賀連合艦隊が敵を追撃している。自分も深海棲艦も、結局は有栖宮大将の掌で踊っていたようなものだと、少佐はほろ苦く表情を歪める。

 

 「未熟、だな……」

 

 誰にも届かない、少佐の自嘲気味の小さな呟き。結果オーライとは言いたくないが、進んでいる作戦を完遂させる方が先、と気合を入れ直した。

 

 「金剛、川内と朝潮と合流した後は撤退戦だ。全五名は各自一人ずつ新課程艦隊の艦娘を抱えながらあすか改に帰投してくれ」

 

 

 

 「では回収した新課程艦隊を引き渡すため金田港に回航すればいいのですね」

 

 三浦半島南部の予備港湾施設で待機する技本のエンジニアに新課程の艦娘を引き渡すよう指示を受けた日南少佐は、釈然としないものを感じていた。

 

 第三世代艦娘の開発改装に関わった技本の関係者は失脚したり収監されているのに、一体誰が彼女達のメンテを行うのか? と言っても技本の人事を知悉している訳でもなく、何より母艦上で暴れられても困るので、指示に従う他ないのだが…。

 

 「すみません、担当エンジニアの方の職氏名をご教示ください」

 

 スピーカーからは一瞬言い淀むように息を呑む音が聞こえ、困ったような色を載せた声が質問に答えると、一方的に通信は打ち切られた。

 

 「にし…じゃなかった、Dr. モローです。そ、それではこれでっ!」

 

 師尾(もろお)博士、か……と、微妙に間違った形で名前を記憶に留めた日南少佐だが、それでも何かが引っかかる。横須賀鎮守府の指示命令系統を考えれば、大将の秘書艦・陸奥からこの手の連絡が入るはずだが、通信相手は大鳳型装甲空母一番艦の大鳳だった。横須賀鎮守府は敵艦隊の追撃戦の真っ最中でもあり、代行なのだろうか? いや、念のため確認した方がよいのか……と続いた思案は、鹿島の声で中断させられ、次の行動へと移ることになった。

 

 「少佐、赤城・蒼龍・飛龍(空母部隊)が到着しました! これより収容作業に入ります!」

 

 収容作業の陣頭指揮と出迎えに向かうため席を立った日南少佐は、鹿島と吹雪を伴い後部甲板に向かい歩みを進める。

 

 

 ウェルドックを持たないあすか改だが、航行中でも艦娘の収容を容易にするため、艦尾から海面に緩傾斜で伸びる六本のレールとその上に敷かれるスロープを展開できる。往時の水上機母艦の神威に装備されたハインマットを参考にしたもので、帰投する艦娘はスロープを歩いて後部甲板まで上がり、そのままヘリ格納庫を改装した艦上工廠へと向かう。マットの巻取りと洗浄の手間を省くため強化プラスチックの歩板でできたスロープは使い捨てだが、環境負荷を考慮し生分解性の素材が用いられている。

 

 被害は軽微だが艦載機の消耗の激しい赤城・蒼龍・飛龍(空母部隊)をまず収容、あすか改で待機中の軽空母部隊と入れ替えエアカバーを維持。祥鳳・瑞鳳・千歳・千代田が展開する直掩隊の傘の下、被害の大きい重巡隊は収容し高速修復材を併用して入渠中。一連の慌ただしい作業がひと段落した所に、新課程艦隊の艦娘を連れて金剛を中心とする部隊が戻ってきた。

 

 「He-y 少佐ァー、私、中破しちゃったヨー」

 

 左脇に抱えていた新課程の艦娘を出迎えに来ていた榛名に預けた金剛が、ボロボロの制服をはだけたままに二パッと笑う。

 

 何がちょっとだけだ、と少佐は眉を顰めたが、それでも中破と聞いて安堵の溜息を零した。中破と大破では深刻度が段違いだからだ。艦娘の制服は霊的加護の付与された爆発反応装甲(リアクティブアーマー)のようなもので、艦娘が攻撃を受けると身代わりとなりポロリする(破壊される)。中破までは制服で身体への被害を最小限に抑えられるが、それ以上は身体に大きな被害が及ぶ大破、それでも無理をすれば轟沈へと繋がってゆく。

 

 「ケアしてくださーイ! …結構、堪えたからネ……」

 

 いたずらっぽくウインクした金剛は少佐に近づこうとして……遠ざかる。

 

 「金剛お姉様も早く入渠しないと! 高速修復材は準備してありますから早くっ!」

 

 姉の身を案じてか、あるいは違う意図があるのか、ひきつった微笑みを顔に貼り付けた榛名が金剛を引き留める。Noooo! と叫ぶ声を残し、新課程の艦娘を小脇に抱えた榛名の手で、金剛は工廠へとずるずる引きずられていった。

 

 

 収容作業も終了に近づきようやく気持ちにゆとりの出た日南少佐は、制服の詰襟を緩め首元に風を導くが、表情はどうしても曇ってしまう。新課程艦隊の救出に向かった高雄・愛宕は大破すれすれ、金剛・涼月が中破、時雨が小破と、手負いの二人相手にひどい有様だ。Mod.Bを発動した新課程の艦娘の攻撃力は想定を遥かに上回り、もし相手の稼働艦があと一名いたら味方の損害はさらに大きくなり、救出活動に支障が出ていたかも知れない。

 

 「艦娘、か……」

 

 それは短く重い一言。持てる力が強大な分、その心根が純粋な分、力の向け先次第では艦娘の存在さえも歪めかねない。全ては艦娘と共に在る指揮官に掛かっている。何を望み、どこへ行こうとするのか―――。

 

 

 「艦娘(それ)でも……涼月は…涼月、です……」

 

 か細く消え入りそうで思い詰めた声が耳を打ち、日南少佐は振り返る。

 

 

 

 日南少佐の目の前には、所在無さげに儚げに立つ涼月。思わぬ形で余儀なくされた近接戦闘で大きなダメージを負い、特に両腕の状態は酷そうだ。ああ、だからなのか……と少佐は納得しつつも視線を逸らしていた。

 

 中破した姿、ダークグレーのコルセットも羽織っているケープコートも半壊し、上半身のインナースーツも激しく破損しているため、何というか…中身がほぼ丸見えになっている。にも拘わらず隠す素振りがないのは、損傷した腕が動かせないほど酷いのだろう、と少佐は理解した。実際、ほぼ無傷の川内が涼月の代わりに新課程の艦娘を二人回収していたくらいだ。なら背を向けるなりすればいいのに、と思いつつ、制服の上着を手早く脱いだ少佐は涼月の肩に掛けようと近づいた。

 

 どんっ。

 

 銀髪を揺らし飛び込んできた涼月は、そのまま日南少佐を甲板に押し倒し、胸に顔を埋めながら嗚咽し始めた。涼月の行動に当惑しながらも慌てて起き上がろうとした少佐だが、途切れ途切れに涼月が漏らす言葉に動けなくなった。

 

 

 「作られた体に宿る…仮初の魂。それでも……私には私だけの想いがあって…。でも…それさえ……戦のために差し出すのが第三世代……それが艦娘のあるべき姿……なのでしょうか? お願い…です、涼月を……涼月のままでいさせて……それは…貴方にしか…できないこと……」

 

 

 思えば呉への出張以来、涼月は望むと望まざると第三世代艦娘と関わりが深く、その度に自分自身の存在を自問自答する、させられる機会が多かった。その彼女が傷つき悩みながら辿り着いた、答でも問でもある心の声。涼月が自分に寄せる想いの種類も、彼女が何を望んでいるのかも、気づかないほど日南少佐は鈍くはない。それは涼月だけでなく―――艦娘の数だけ求める在り方があって、自分は必ず何らかの形で深く関わっている。

 

 ふっと柔らかく微笑んだ後、日南少佐は両腕を動かし手を涼月の肩に置く。手の重さにハッとしたように涼月が顔を上げ、涙に濡れた空色の瞳を少佐に向ける。

 

 「…今はまず、入渠してくれないか」

 

 少佐は涼月に手を貸し立ち上がらせると、背中に手を回し支えながら工廠へ向かいゆっくりと歩き出す。そして涼月の耳元に唇を寄せ、小さく囁いた。

 

 涼月は一瞬きょとんとした後、少佐の言葉を噛み締め、心からの笑顔で嬉しそうに、先ほどまでと違う種類の涙を流しながら何度も頷いていた。かつて轟沈してもおかしくないほどの損傷を何度も負いながら必ず母港へ帰投した涼月にとって、いや、全ての艦娘にとって大切なその言葉。

 

 ――おかえり。これからもずっと一緒だから。



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Intermission 9
111. 飾りじゃないのよ指輪は


 前回のあらすじ
 涼月。



 横須賀での戦闘終結後、日南少佐と教導艦隊はホームグラウンドの宿毛湾泊地へと帰投した。この後は整備休息を経ていよいよ新任地へと旅立つのだが、彼を取り巻く環境は相も変わらず騒がしく、あるいは水面下で変化を見せていた―――。

 

 

 「よろしいでしょうか?」

 淡いワインレッドのブラウスとロングプリーツスカートを白い割烹着で覆う間宮が桜井中将の元を訪れ、人払いを頼んだ。宿毛湾泊地本部棟、中将の執務室にこの時いたのは秘書艦の翔鶴のみ。

 

 通信監視を担う内部監査員で、宿毛湾の指揮命令系統に直接は属さない間宮が桜井中将の元を自分から訪れることは珍しく、加えて張り詰めた真剣な表情。顔を見合わせていた中将と翔鶴だが、話の方向性を敏感に感じ取った。決して良い話ではない、と。

 

 間宮は目で翔鶴に退出を求めるが、翔鶴は重要な話題なら秘書艦であり艦隊総旗艦の自分も知るべき、と抗して引き下がらず、中将の執務室に緊迫した空気が満ちてゆく。

 

 「翔鶴、先ほどの話をどう日南君に伝えるか、少しリフレッシュしながら考えてはどうかな?」

 

 中将にまでそう言われては仕方なく、翔鶴は小さく溜息を吐き執務室を後にする。重い音を立てドアが閉まり、気配が遠ざかるのを確かめてから、間宮は口を開いた。

 

 「ご理解いただきありがとうございます、中将。本来私は直接的な関与を避けるべき立場ですが、今回はそうも言えないと判断しまして…。横須賀での戦闘行動中に、あすか改(ASE6102)がハッキングされた痕跡が発見されました。横須賀のチャンネルを巧みに偽装していましたが、明らかに外部の手によるものです」

 

 「そうか……それを今になって言い出す意味は?」

 

 既に日南少佐と教導艦隊は帰投しているのだ、まして戦闘中に起こった事なら即応しなければ場合によっては命に関わる……中将が目を細め間宮を見据える。並の艦娘なら震え上がるだろう鋭さだが、間宮は臆することは無い。ただ、少し気まずそうに目を逸らし、少し言い訳気味のような口調で話を続ける。

 

 「ここまで高度な通信データの暗号化技術は見たことがなく、通信傍受記録に感じた違和感を確信に変え、解析するのに相当時間を要したもので……。結果は純粋に通話でした。外部の何者かが戦闘指揮中の日南少佐にコンタクトを取った、それが現在分かっている事実です。これだけでも監査上問題になりますが、それにも増して---」

 

 「……間宮、この件はどこまで?」

 

 続く説明を聞いた桜井中将は片眉を顰めながら短く反応する。

 

 「横須賀鎮守府では緘口令が敷かれ、すでに海軍特別警察隊(特警)が動き出しているようですが、日南少佐本人には戦闘行動中で陣頭指揮を執っていた明確なアリバイがあります。それに、横須賀の通信傍受班はあすか改に外部から接触されたことを感知していません。ただ、あくまでも今の所です。この件が明らかになれば、少佐との間に何らかの関係を疑う動きが出ても不思議ではありません」

 

 間宮だから掴めた異常が起きていた……深く感謝しつつも間宮の危惧する点を正確に理解した桜井中将は、珍しく困惑した表情を顔に出した。両手を頭の後ろで組み、椅子の背凭れに大きく背中を預けながら独り言のように呟きを残す。

 

 「日南君……まったく君は身の上も身の下もなかなか落ち着かない男だな…」

 「翔鶴さんとされていたお話ですね? 身の下話だなんて……藤崎大将に怒られますよ?」

 

 本気とも冗談ともつかない中将のぼやきを聞いた間宮が、思わずクスクスと笑い出し混ぜっ返す。

 

 

 

 桜井中将の執務室を半ば追い出された格好の翔鶴だが、今日は特に予定もない。どうしようかしら、と細い顎に人差し指を当てながら考えていると、くぅ~と小さくお腹が鳴ってしまった。体のリクエストに素直に従った翔鶴が向かったのは、主が現在桜中将の元を訪れている甘味処間宮だった。間宮が不在でも、腕は勝るとも劣らない伊良湖が店を切り盛りしている。

 

 カラカラと音を立て横開きの扉を開け、大勢の艦娘で賑わう甘味処間宮を覗き込む。きょろきょろ探して空いてるテーブルを見つけると着席。しばらく待ってテーブルに届いた餡蜜に舌鼓を打ちながら翔鶴がぽろっと零した言葉は、水面に落ちた石が波紋を広げるように伝言ゲームのように浸透していった。

 

 

 「日南少佐も二〇代半ば…お年頃ですもの。それにしても…結婚かぁ」

 

 

 以前日南少佐が断ったつもりの、第二軍区を率いる藤崎大将の孫娘との見合い話である。一介の佐官に過ぎない日南少佐の意見は『取り敢えず会ってから考えればよい』と大将に一蹴され、近々その孫娘が宿毛湾を訪問するという。

 

 それが桜井中将と翔鶴が話し合っていた内容だった。どうやって日南少佐に伝えようかを考えるはずが、翔鶴は自分と中将の事に思いを馳せ、それがそのまんま口から出ていた。

 

 こういう話題になると、艦娘達の耳は四式水中聴音機よりも四二号対空電探よりも鋭敏である。特に教導艦隊の艦娘達にとっては、ケッコンカッコカリ以外に思い当たるものはない。翔鶴が甘味を無邪気に楽しんでいる間に、それぞれに行動を開始した。すぐさま間宮を後にする者、ケータイを取り出してL●NEを始める者、きゃーきゃー大騒ぎする者、一気に想像が花開いたのか鼻血を垂らして真っ赤な顔をする者まで様々である。

 

 

 そして--――。

 

 

 「誰よ誰、誰誰誰誰?? ヅホ知ってる?」

 「ちょっと意味分かんないんですけど?」

 

 往時の大戦で同僚だった期間が長く最期も共にした瑞鶴と瑞鳳は、本隊と教導艦隊という枠を超え随分と仲が良い。そんな瑞鶴から届いたメッセに瑞鳳は首を傾げ、しばしやりとりが続く。主旨を掴んだ瑞鳳は肩をプルプル震わせると、バイト●のCMのように見事なバンザイジャンプで喜びを爆発させた。

 

 「やったねお姉ちゃんっ! 卵焼きでウェディングケーキ作るの難しそうだけど、頑張るね!!」

 

 相手を姉の祥鳳と決め込んだ瑞鳳が、姉にエモコン満載のメッセを送って困惑させてみたり。

 

 

 「ふむ……浜風はどう思う?」

 「何がですか? 目的語無しに話されても…」

 

 読んでいた本をパタリと閉じた浜風が、唐突に話題を振ってきた磯風に視線を送る。ソファの上に胡坐をかいて座る磯風は、顎を手で支え考え込む態で選択肢を浜風に提供する。

 

 「他でもない、少佐とのケッコン話だ。白無垢かウェディングドレスか、いや……少佐はああ見えて制服を征服したい年頃かも知れぬ。何を着てもどうせ最終的には脱ぐとはいえ、最初から大破状態というのも慎みに欠ける。なので浜風、この磯風に最も似合う装いについて意見を聞かせてもらおうか」

 「えー……」

 

 磯風に身も蓋もない話を一方的に捲し立てられ、浜風が相槌マシーンと化してしまったり。

 

 

 「昇進、任地決定ときて今度は嫁取りですか……赤城さんも第二次改装が可能になるようですし、少佐とはお似合いですね。気分が興奮…じゃなく高揚します」

 

 当の赤城はといえば、甘味処間宮に端を発した騒ぎなど知らず、弓道場で一意専心修練に励んでいた。そこに本当に珍しく血相を変えて駆け込んできた加賀が、料理は食べるだけなく作ることも覚えないと、などと新妻の心得を懇々と説き始めた。怪訝な表情で加賀を宥めた赤城だが、そのうち話に追いつき、爆発しそうなほど顔を真っ赤にしてフリーズしたり。

 

 …といった具合の騒ぎは無論これだけで済むはずもなく、教導艦隊だけでなく宿毛湾本隊も含め、多くの艦娘は色めき立っていた。

 

 その理由はただ一つ、今回は(実際は誤解も甚だしいのだが)、日南少佐にとって初めてのケッコンカッコカリになるからだ。

 

 戦力強化のシステムに特別な意味を求めること自体が無意味かも知れず、実際絆の象徴とされる指輪だって指揮官が自腹を切れば所属艦娘の数だけ購入可能。

 

 多くの艦娘は、最初の一人になれることに大きな意味を感じている。たった一組だけ軍が公式に支給するリングは、艦娘にとって自分が誰かの特別な存在だと感じさせてくれる、数少ない形あるものと認知されている。

 

 だから気になる。それは誰なのか? だが、盛り上がったあまり、肝心な事ー教導艦隊所属の艦娘は誰も練度上限に達していないーを忘れてる者も意外に多かった。

 

 

 

 渦中の人物でありながら、恐ろしいことに起きている騒ぎを知らない日南少佐は、執務室に籠りラップトップに向かい合い報告書の作成に追われていた。

 

 戦闘詳報は有栖宮大将へ、出張報告は桜井中将へそれぞれ提出、敵味方の編成情報を軍用基幹システム(MRP)にアップロード、消費した資材の数量確認は秘書艦ズに頼んでいるが、最終チェックは自分でしなければならない。さらに鹿島を教導艦隊へ転属させるための申請書も書く必要がある。何より新任地へ部隊ごと引っ越すための物理的な準備も必要だ。

 

 とはいえそこは日南少佐、横須賀から宿毛湾への帰投中にあらかたの報告書関係は下書き(ドラフト)を済ませ、帰投してすぐに完成させた。今手掛けているのは、ある意味最も難しい、別命として中将から指示のあった横須賀新課程艦隊に関する詳細をまとめたレポート。

 

 演習開始から深海棲艦との交戦までは書き終え、残りは新課程艦隊の回収から宿毛湾帰投に至る間の出来事。

 

 左右に頭を振りコキコキと首を鳴らした少佐は、改めて内容の整理を脳内で進めるため記憶を辿るように思い出す。

 

 

 

 教導艦隊が横須賀新課程の艦娘の回収に成功した辺りまで、時間は遡る―――。

 

 久里浜から津久井浜を経た弓状に延びる砂浜の終点、三浦半島中南部に位置する金田港で、白衣の裾を風に遊ばせる一人の男が埠頭に視線を送りながら立っている。

 

 男の存在は、封印指定された技本の記録にのみ残るはずだった。

 

 時間軸で言えば深海棲艦の攻勢が今より激しかった過去のとある時期が、男の表向きの活動期間。敗北の恐怖に怯えた艦隊本部と未知の探求に餓えた技術本部が倫理を度外視し癒着、繰り返された数多の人間と艦娘の犠牲を生んだ非道な実験において、男は中心的な役割を担っていた。その技術的成果は、技本の急進派が起こした大規模内乱の『北太平洋海戦』に投入され猛威を振るった。

 

 仁科(にしな) 良典(よしのり)()技術大佐―――狂気の天才と称される技術本部の俊英。北太平洋海戦に参加したが戦闘終盤にパートナーの大鳳を伴い戦場を出奔、以後の動向は公式には不明とされている。だが、Dr.モローと名を変えた彼が大鳳とともにハワイにラボを構え、非合法な実験や生活家電や人間の修理改造を愉しみながら悠々自適に暮らしているのを、知る人は知っている。

 

 その彼だが、先日まで行われた大規模侵攻(イベント)『第二次ハワイ沖作戦』を無事成功させ帰途に就く艦隊に紛れ込み日本へやってきた。

 

 横須賀鎮守府の膝元ともいえる場所に飄々と立つ彼の元に、小さな足音が近づいてゆく。茶色のボブカットを揺らす小柄な少女が、髪の乱れを気にしながら遠慮気味に声を掛けてきた。()技本実験艦隊の旗艦にして、仁科大佐に寄り添い共に在り続ける艦娘、大鳳型装甲空母一番艦の大鳳である。

 

 「えっと大佐……じゃなかった、Dr.モロー、あすか改(ASE6102)へのハッキング成功です、まもなく金田港(ここ)に入港するものと思われます」




登場人物補足

仁科大佐:拙作『逃げ水の鎮守府』に登場した中ボス的立ち位置の技本の技術者。通称へんたいさ、あるいは偽名 Dr. モロー。

※今回のIntermissionは、犬魚様『不健全鎮守府』に仁科大佐が登場した際の設定の一部を逆輸入させて頂いております。


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112. バタフライ・エフェクト

 前回のあらすじ
 久々の宿毛湾。


 「それにしても、どうして舞鶴の艦娘達は私達に気付かなかったのでしょう? 特に大佐はあんなに堂々と…」

 「住み慣れたアイランドの周りを騒がしくしてくれたのです、このくらいの便宜は当然でしょう。ですが騒がれるのも面倒なので少々小細工を弄しただけです」

 

 仁科大佐と大鳳の会話は淡々と進むが、内容は割ととんでもない。大規模侵攻(イベント)に参戦した舞鶴鎮守府の艦隊を、文字通りハワイから日本への()に使う荒業――その『少々』が仁科大佐の場合、一般的な範囲に収まらない帰来がある。

 

 「試作品の光学迷彩(OC)がなかなか有効なようでしたので、こちらでも使いました。……ふむ、あすか改の到着まで少し時間がありそうですね。いいでしょう大鳳、理論物理学にほんの少し触れましょうか」

 

 何かが上がった様子でブワッと白衣を巻き上げズビシッと指さした仁科大佐、そして大鳳は生徒のごとくコクリと頷く。

 

 「私の白衣とブーメランビキニ(インナーアーマー)、そして貴方に用意したマントは、負の誘電率、つまり可視光線を後方に迂回させるアシンメトリック・マテリアル素材により光学的な不可視を実現、起動時には見る側からすれば私達は透明となります。ですが、いくらOCを纏った私達でも実在する以上必ず痕跡は残ります。そこで―――」

 

 白衣のポケットから取り出したスマホをフリフリしながら仁科大佐が話を続ける。

 

 「より効率的に洗脳(ブレインウォッシュ)を短時間で行う手法を探求する過程で開発したアプリも併用しました。暇つぶしで作ったので名前は……そうそう、SAI-MINアプリです。つまり舞鶴の艦娘や妖精さん達は、私を視界に捉えた時点でdominate(支配)されたのです。ちなみにこのアプリのβ版ですが有料DL(ダウンロード)が好調で、フィードバックを今後の開発に反映させようと思います」

 

 「ああ……そういう……」

 

 足元まですっぽりマントで覆われた自分を舞鶴の艦娘達が視認できなかったのも、白衣が透明イコールいろいろ丸出しで艦内を闊歩した大佐が、無人の野を行くようにブリッジまで進み母艦を掌握し横須賀経由の航路を取らせたのも、確かにそういうことなのだろう。それよりも、最近電子マネーでの小口入金が急増した理由が理解できてしまった大鳳は、何となく遠い目で空を見上げていた。

 

 「……指揮官は日南少佐といいましたか。わざわざ第三世代艦娘(サンプル)を運んでくれたのです、相応に礼を尽くしましょうか」

 

 仁科大佐と大鳳の視線は、日南少佐と教導艦隊、そして新課程艦隊を乗せたあすか改の接近を捉えていた。

 

 

 

 「……………………」

 

 人間の想定できる事には限度があり、許容限度を超えた事象に直面するとフリーズしても無理はない。金田港に降り立った日南少佐と新課程艦隊の艦娘五名、少佐の護衛に付き添った教導艦隊の艦娘達にとって、まさに今がその状況である。新課程艦隊の艦娘を受領すると指定されたこの港で待っているはずの技本のエンジニア……と思われる男は確かに目の前にいる。

 

 無帽の第二種軍装は、妙に体にフィットした、いや、フィットし過ぎるスリムな仕立て。その違和感の正体に日南少佐はすぐに気が付き、固まった。

 

 仁科大佐が光学迷彩をオンにしているため白衣は透明化し、日南少佐の目には単にマッパ、正確には白いブーメランビキニのみを纏う裸体の男がいるだけだ。その裸体をカンバスに超写実的な筆致で()()()()()()()()()()()()。大佐の肩章や金ボタンの陰影、上着の皺や軍袴の折り目まで再現され、遠目には何となく信じてしまいそうになるほどだ。加えて顔の上半分を派手に飾るバタフライマスク。

 

 仁科大佐(Dr.モロー)、知られた通り名は『へんたいさ』。由来は…言うに及ばず。布面積の極度に少ないネイキッドに近い着衣を好み、エキセントリックな言動を繰り返す人格破綻者だが、戦争中期における艦娘の技術的発展に彼の貢献は計り知れない。一方で倫理無き貪欲な探求心は犠牲を省みない生体実験を主導し、技術本部の負の側面を象徴する人物でもある。

 

 新課程艦隊の艦娘達を確認した仁科大佐は、斜め後ろに立っていた大鳳型装甲空母一番艦の大鳳に何か伝え、彼女はたっと駆け出しこの場を離れた。この大鳳があすか改に連絡してきたとみて間違いないだろう。なら目の前の不審者が……いやでも技本のやることだし……と、日南少佐が逡巡している間に相手から声がかかった。

 

 「どうしました? 貴官は宿毛湾泊地付司令部候補生の日南 要少佐ではないのですか?」

 「……貴方は……その……師尾博士、で本当によろしいのでしょうか?」

 

 怪訝な表情を隠せず、戸惑いがちに少佐が問い返し、彼の背中に隠れるように涼月、夕立、村雨、ウォースパイト、古鷹、神通が完全に固まっている。おやおや、といった態で肩を竦めた仁科大佐がバタフライマスク越しににやり、と笑う。爬虫類が笑うとこんな表情なのかという冷たい目、そして皮肉めいた口調。

 

 「イントネーションが異なりますね、私はDr. モローです。……ふむ、貴官は記号(アイコン)がないと目の前の事実を受容できませんか? 私が開発した皮膚呼吸を阻害しないこのボディペイントさえあれば、着衣という文化を脱ぎ捨てるのも夢ではないというのに…。まぁいいです、話を進めましょうか」

 

 大げさなポーズで頭を振る仁科大佐はパチンと指を鳴らしOCをオフにする。突如白衣が第二種軍装を覆い隠し、少佐と教導艦隊は度肝を抜かれた。本人はこれで気が済んだかもしれないが、見る方にはバタフライマスクにパンイチでボディペイントの男に白衣が加わっただけで、怪しさに特段変化はない。これでよいでしょう、と仁科大佐は胸元のポケットから本物より精密な偽造IDを取り出し少佐に放り投げた。

 

 「技本ってこれでいいんだ……。IDって一体……」

 

 日南少佐の周りには教導艦隊の艦娘がわっと集まり、IDをまじまじと覗き込む。IDの写真も実物もバタフライマスクをしている点では確かに同一人物だが、本人性の確認には用を足さないのでは……村雨の呟きは全員共通の思いを代弁したものだった。

 

 

 

 「……なるほど、これが今の艦娘の到達点ですか」

 

 新課程艦隊の艦娘に明確な侮蔑が込められた淡々とした口調に、仁科大佐(Dr. モロー)に対し覚えた日南少佐の違和感は強まっていった。LCACを曳航し戻ってきた大鳳があれこれと機材を揚陸していたのもそうだ。なぜ技本所属のエンジニアが『これが今の艦娘』と初めて見るような口調で値踏みするのか、なぜ外部から来たように検査機材を積んだLCACが必要なのか……Dr. モローを見つめる少佐の視線が徐々に険しくなる。

 

 それでも新課程艦の艦娘に行う検査手順を見るだけで、Dr. モローの知見や技術が並大抵のエンジニアでないことが明らかに伝わってくる。例え高い背凭れのついた籐製の椅子に脚を組んで腰掛けるパンイチのバタフライマスクでも、大鳳に持たせた大きな孔雀羽の団扇で扇がせていても、多数のコードが接続されるラップトップを膝に乗せ、とんでもない速度でデータを処理し続けている。

 

 「私の専門領域は霊子工学…簡潔に言えば脳と魂のエンジニアリングです。まぁ…艦娘という存在の探求には医学、物理学、生命工学をはじめとし多種多様で広範な技術的バックボーンが必要となるので、それ一本ではないのですが」

 

 必要な処置を施し終えたのだろう、タンッとenterキーを叩いたDr. モローはラップトップのモニターを畳み立ち上がると、それまでハイライトの消えた目で微動だにしなかった新課程の五名は一斉にビクンッと弾かれたように跳ねる。時間にすればごく僅かでしかない検査で、一体何をどうしたのというのだ? しばらくの間無言で日南少佐を見つめていたDr.モローが再び口を開く。バタフライマスクに隠れた表情は誰も窺えないが、声は僅かに沈痛な色を帯びていた。

 

 「技術は時間の流れの中で陳腐化しいずれ塗り替えられる宿命を負う仇花です」

 

 そう切り出したDr.モロー…いや、仁科大佐の独白が続く。

 

 「だからこそ! 知性を武器に深淵の底でなお輝きを放つ技術を犠牲を厭わず追い続けるのです。ですがこの第三世代……無粋も極めれば粋とは言いますが、あまりに無知っ! 稚拙っ! 醜悪! 私の理論と実験データを利用してこの程度とは……さて、私の失望、どう贖ってもらいましょうかねぇ」

 

 くいっと腰を入れ体を捻り腕を体に巻き付ける姿…ジョ●ョ立ちをキモくしたようなポーズで、昏い愉悦を湛えた笑みを唇に上らせた仁科大佐は明らかに禍々しい気配を撒き散らす。悪意に釣られるように日南少佐は思わず銃に手を掛け、彼の艦娘達も即座に対応し艤装を展開し対峙した。涼月は少佐の前に出て盾となり、夕立は仁科大佐に照準を合わせ、ウォースパイトは大鳳に狙いを定める。神通、村雨、古鷹の三名は新課程艦隊を守ろうと立ちはだかる。

 

 「Dr.モロー…貴方の目的は一体? 回答次第では貴方を拘束します」

 「よしなさい大鳳。無駄に目立つと人目につきます」

 

 ぴくり、と眉を顰めた大鳳が動き出そうとするのを制した仁科大佐は、日南少佐の問いに答えずティーの準備を、と命じる始末である。大鳳も当たり前のようにLCACから運び込んだテーブルをてきぱきと組み立てるとティーセットを出し、言葉通り紅茶を淹れる。椅子に腰掛けると小指を立てくいっとティーカップを傾け唇を濡らした仁科大佐は、満足そうに大鳳に微笑みかけてから日南少佐を手招きする。

 

 「よい仕事です、大鳳。日南少佐…私に貴官と戦う意図はありません。それよりも、紳士はいかなるときもティーを嗜む余裕を失ってはなりませんよ。さぁ、かけなさい……ところで、()()はいいのですか?」

 

 へんたいの語る紳士像がどういうものかはともかく、時間を稼ぐ―――まともに戦っても勝てない、理屈ではなく根拠もないが、日南少佐は直感的にそう理解していた。だが現状をこのままにはできず、あすか改から横須賀鎮守府に連絡し対応を仰ぐ必要がある。そのためには……部隊の反対を押し切り、砂浜にさくさくと音を残しながら歩き出した少佐だが、仁科大佐の言葉に背後を振り返ると、頬を染めた涼月が腰を抜かしたようにへたり込み、肩で荒い息をしている。

 

 -やはり許可するべきではなかった。

 

 先の戦闘で大きなダメージを負ったにも関わらず、同行を強行に主張した涼月を受け入れてしまったことを激しく後悔する少佐だったが、彼の理解は完全に間違っていた。

 

 艦上の簡易工廠とはいえ高速修復材を併用して入渠を済ませた艦娘にダメージが残ることは無い。問題は、対峙する正体不明の相手から守るように自分の前に立った涼月の背中に残した少佐の指文字――『あすか改に連絡、金田港に不審者、増派要請』にあった。相手から見えないよう、肩に羽織るケープコートの下、インナースーツ越しの背中をなぞって柔らかく動き続けた指先は、少佐が予期していなかった効果を涼月に与えてしまったようだ。



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113. Call of Destiny

 前回のあらすじ
 前話で丸二年、なのにへんたい回とは…。


 「……それは何というか、ある意味得難い体験をしたものだね、日南君」

 「技本にはエキセントリックな方が多いと中将から伺っていましたが、まさかあれほどとは…」

 

 とさっと軽い音を立て、桜井中将は途中まで読んだ紙の束から目を離し、デスクの上に置く。

 

 宿毛湾泊地本部棟、何とも言えない表情を浮かべているのは桜井中将と日南少佐である。話題は、少佐が提出した横須賀新課程艦隊に関する報告書について。少佐は彼が知り得た詳細を時系列に沿って記述している。

 

 始まりは呉鎮守府を舞台に開催された技術展示会、第三世代艦娘の開発に当たった武村技術少佐と広報を担った橘川特佐、第三世代艦娘の初期型になる磯風・浜風・雪風と出会った。

 

 第三世代の名とは裏腹に欠点強化の劣化モデルとまで揶揄された彼女達の、成長の可能性を信じて臨んだ東部オリョール海域解放戦。

 

 今回の横須賀出張中に起きた深海棲艦の連合艦隊との激突。武井技官の後任・笹井技術少佐の艦娘観、新課程を指揮する秋川特務少佐の苦悩に触れ、命令を無視して突出した改良型第三世代艦娘から成る横須賀新課程の救出作戦を強行。

 

 安全性を度外視した上限解放機能-Mod.B-により荒れ狂う彼女達を、被害を受けながらも確保し撤退に成功。

 

 そして報告書の後半は完全にDr. モローの話で占められた。白いブーメランビキニだけをまとった体をボディペイントで飾り、顔をバタフライマスクで覆った男の様子を描写しているうちに、日南少佐は何やってんだろ……と疑問に思いつつ、新課程の艦娘を引き渡すため寄港した金田港での邂逅について詳述を続けた。

 

 「新課程の艦娘を受領するとの話でしたが、結局自分達が横須賀鎮守府まで送り届けました。彼女達の検査を終えた後、何と言いますか、Dr.モローはすっかり興味を失ったかのようでした」

 

 だが―――桜井中将が表情を改めたのを受け、日南少佐も威儀を正す。内容は分からないが、恐らく極めて重要な事が語られる、中将の雰囲気がそう告げている。そしてそれは日南少佐が想像さえできない物だった。

 

 

 「日南君、落ち着いて聞いてほしい。君が報告書中で名を挙げた第三世代艦娘関係者だが、横須賀艦隊と君が深海棲艦と戦っている最中に武村・笹井の両技官が行方不明になった。しかも笹井技官に至っては営倉内から拉致されたようだ」

 

 

 人間は驚きすぎると声も出なくなる。中将の話を聞いた日南少佐は大きく目を見開いて息を呑むしかできなかった。カラカラに乾いた口の中で唾を絞り、辛うじて飲み込むと予想外に大きな音が鳴る。日南少佐の動揺が収まるのを待って、桜井中将が話を続け出す。続く話がさらなる動揺を彼に齎すのは理解しているが、言わずに済む話でもない。

 

 「Dr.モローの通信は横須賀のチャンネルを偽装したものと判明した。そしてそのDr.モロー(不審者)だが、技本のデータベースに職氏名の登録はあるが、報告にあった外見上の特徴とは似ても似つかない人物……ともかく、君は事件の陰で存在しない人物と会っていたことになる。これが意味することは理解できるね?」

 

 「………自分が事件に何らかの形で関与している、と疑われる状況証拠になり得ます」

 

 「この件で横須賀は緘口令を敷き、特警も動いているが、君とDr.モローの件はまだ掴んでいないようだ。それほど巧みで強固な暗号化通信を用いるような相手だが、間宮が辛うじて発見したんだ」

 

 血の気が引き蒼白になった顔色で、強張った唇を動かしやっと言葉を絞り出した日南少佐に対し、組んだ脚を組み替えた桜井中将は、ずいっと身を乗り出すと、少佐の目を覗き込みながら切り出した。

 

 「日南君、君は第三世代艦娘と関わり持ち始めて以来、様々な事に巻き込まれ、技本に対して控えめに言って良い印象は持っていない。だが、だからといって技本の関係者に害を成したり、ましてそのために外部の何者かを引き込んだりしない。そうだね?」

 

 「無論です」

 「分かった」

 

 ある意味では形式的なやり取りかも知れない。それでもお互いに深く信頼を置く上司と部下の間で交わされる言葉には、何にも増した重みがある。重々しく、桜井中将が続ける言葉にさえ、日南少佐はむしろうっすら微笑みさえ浮かべ応じた。

 

 「なら…私は君に回り道を強いる事になるが、任せてくれるか?」

 

 この一件でDr.モローとの通信記録が発見されると、日南少佐の立場は極めて不利になる。戦闘指揮中という動かぬアリバイがある以上容疑者にはなり得ないが、正体不明の外部者と接触した事実は、少なく見積もっても彼を最重要参考人にしてしまい、以後のキャリアに大きな影を落とすだろう。少佐の所属が第二軍区管轄の今しか打てない手を打つ……それが桜井中将の判断で、そのためには―――。

 

 桜井中将、そして間宮の策を理解した日南少佐は特に反論もなく同意し、中将の執務室を退去しようとする。厚みのあるドアの前に立ち、ドアノブに手を掛けようとした少佐は、振り向かずに初めて問いを発した。

 

 「どうして……どうして中将は自分のためにそこまでしてくださるのでしょうか?」

 

 ふっと寂し気に目を細めた桜井中将の本心の吐露は、ドアに向かい立つ日南少佐の肩を震わせるのに十分だった。

 

 

 「……翔鶴のため、と言ったら君は笑うだろうか……。私と翔鶴は言うまでもなく人間と艦娘で、どれだけ望んでも子を成すことはできなかった。……ごめんなさい、と何度も泣かれたよ。だから翔鶴も私も、司令部候補生を自分達の子供のように思っているんだ。そして大切な子が手に余る理不尽に晒されたのだ、親が身を呈し庇うのは当然だろう」

 

 

 

 そして報告書に書かれることの無い、日南少佐が金田港を後にした後の話―――。

 

 「たいさ……じゃなかったDr.モロー、冷えてきますので何か着ては…」

 「気を使わせましたか大鳳……ふむ、来たようですね」

 

 金田港の突堤に立ち夕陽に照らされながら潮風をブーメランビキニに受ける仁科大佐(Dr.モロー)だが、大鳳は気を使ったのではなく目のやり場に困っていた。見慣れてると言えばそうだが、透過性が高い白地の布が赤い夕陽に照らされパンイチが透けパンイチになると流石に……。

 

 仁科大佐の声に振り返った大鳳の視線の先には誰もおらず、ただ不自然に、まるで透明なマントが風に揺れるように空気が揺らぎ、突堤には拘束されたびしょ濡れの男が二人-武村笹井の両技官-が無造作に転がされている。

 

 「久しぶりですねぇ、直接相見えるのは私が貴方の命を救ってあげた時以来ですか」

 「見たくねぇ面だが、手前の両手両足をぶった切った時以来と思えば懐かしいか」

 

 皮肉めいた口調で揶揄する仁科大佐(Dr.モロー)の視線の先で再び空気が揺らぐ。光学迷彩のマントをずらし、空中に顔を覗かせた大柄の男-槇原(まきはら) 南洲(なんしゅう)が皮肉で応える。

 

 かつて海軍にMIGOと呼ばれる査察部隊があった。艦娘という存在に人間が戸惑い扱いを決めかねていた初期とは異なり、艦娘を理解した上で人間が彼女達を苦しめていた戦争中期、艦娘の権利保護のため槇原南洲は査察官として各地の拠点を内偵、時には武力行使も含め不法行為を摘発していた。

 

 陰の男として艦娘を守る盾であり、同時に政治の刀でもあった彼の任務には、表沙汰にできない荒事も数多く含まれた。極め付けの不祥事…内乱を起こした仁科大佐率いる技本艦隊の追撃戦を最後にその足取りは途絶える。戦死とも病死とも言われたが、彼を慕う艦娘と、技本の負の遺産・堕天艦を守るため軍と決別し、インドネシアの島嶼群の一つハルマヘラ島に隠棲していた。

 

 いわば仇敵同士であり、それぞれハワイとインドネシアに潜伏中の仁科大佐と槇原南洲が、どうして日本で邂逅しているのか?

 

 「光学迷彩マント(これ)、手前が作ったにしちゃ随分まともじゃねーか、役に立ったぜ」

 「それは何より。貴方も良い物を良いと言えるようになったとは、多少は成長、いえ、老成しましたか」

 

 ぬかせ、と言いながら南洲は肩を竦める。この男こそ、横須賀鎮守府に潜入し第三世代艦娘に関与する二名を拉致した張本人である。彼の背中を守るように寄り添う艦娘も光学迷彩マントを纏っており姿ははっきりしないが、はみ出した明るい茶髪のお下げが二本宙に踊っている。その様子に、おや? と仁科大佐が首を傾げる。

 

 「貴方が伴うとすれば春雨かと思っていましたが、照月でしたか」

 「どうしても来るって聞かなくてよ、照月(こいつ)。多少ワケありでな」

 「わわっ! そんなことされたら顔が見えちゃうよ!」

 

 マントなどお構いなしに頭をわしゃわしゃされ照月の顔が完全に露出し、不服そうに口を尖らせ文句を言うが、南洲は気にする様子もない。

 

 「それよりも、だ……」

 

 ばさっとマントを巻き上げた南洲は、腰に佩いた刀を抜き放ち、鋭い視線を仁科大佐にぶつける。

 「手前から協力を求められて正直唖然としたがな。俺は昔も今も変わらねぇ、艦娘を玩具みてーに扱う連中を減らせりゃそれでいい。責任者二人を失う第三世代とかいう企ては早晩潰れるだろうよ。だが……こいつらをどうするつもりだ?」

 

 「教育です」

 

 両の手の平を空に向けアメリカンなポーズで肩を竦める仁科大佐が、珍しく悪戯っぽい笑みを浮かべ発した言葉の場違いさに、槇原南洲も怪訝な表情になる。だがそれに続いた言葉は、突堤に転がされたままの武村笹井の両名が顔を青褪めさせるのに十分だったようだ。

 

 「第三世代艦娘と聞いて…私は自らの目で確かめようと思うほどに期待していたのですよ。レシプロエンジンに対するジェットエンジンのような、用兵の根本を変える進化を遂に艦娘が迎えたのかと、その進化を導く技術者が現れたのかと。ですがこの二人が作ったのは、私のライフワーク『堕天』の実験データを盗用した挙句のマガイモノ。技術者は自らの理論を自らの手で実証する、基本にして根本を蔑ろにするとは言語道断! ゆえにこの二人は私のラボで再教育します。彼らの理論を、彼ら自身を実験台として検証してあげましょう。おや、どうしました、そんな顔をして? 成功すればヒト由来の生体兵器の開発に道を拓くかも知れませんよ。失敗しても貴方たちの稚拙さが命を代償に証明されるだけです」

 

 長話に付き合ってられない、と途中から仁科大佐の話を無視した南洲は、大鳳ときゃいきゃい仲良く話し込んでいる照月に視線を送っていた。視線に気づいた照月は、たたっと南洲の元へ駆け寄り、指示を仰ごうとする。大した話じゃないんだが、と前置きした南洲の問いに、照月はこくりと頷いた。

 

 「結局、例の…なんつった、宿毛湾の少佐? あいつはお前がマナド襲撃の際に助けたボーズだったのか?」

 「……はい。成長してましたけど面影は残ってました。自分のしたことが無駄じゃないって確かめられて、嬉しいなぁ。いひひ♪」

 

 かつてマナドが深海棲艦の大艦隊に猛攻撃を受け壊滅した際、重囲を破り少数の避難船を救出したのは、近隣に位置するハルマヘラ島を拠点とする槇原南洲の率いる部隊だったが、日南少佐が知る由もないことだった。




登場人物補足

槇原南洲:拙作『逃げ水の鎮守府』のオリ主。かつて存在した艦隊本部付査察部隊MIGOの隊長を務めていた。色々あって現在インドネシアのハルマヘラ島に隠棲中。


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114. Be With

 前回のあらすじ
 色々あるんです、色々…。


 一部の自炊派の艦娘を除けば、宿毛湾の多くの艦娘がランチメニュー目当てでやってくる居酒屋鳳翔の昼時はいつも忙しい。開店早々に席は埋まり、空き待ちの客が店外に作る列は長くなる。そして今日、列の先頭は珍しい組み合わせの二人-ウォースパイトとプリンツ・オイゲン-が立っていた。

 

 経緯は違うが日南少佐との個人的な関係が縁で配属された二人は、参戦海域の関係上海外生まれの艦娘と邂逅の機会の無い教導艦隊で目立つ存在である。ただ立ち位置は対照的で、ほとんどの時間を日南少佐の執務室に据えられた玉座で読書をして時を過ごす孤高の女王陛下と、屈託のない明るさで日本の艦娘の輪にあっという間に溶け込んで笑顔の絶えないプリンツ……そんな二人が居酒屋鳳翔の列に並んだのは単なる偶然である。

 

 いつも通りその場にいる誰かにくっついてランチを食べようとするプリンツと、今日のランチがウナギの蒲焼御膳と聞き好奇心に動かされたウォースパイト。

 

 「英国でウナギ(eel)と言えばゼリー寄せですが、日本では土用のウシと言うのですね。ウナギなのにウシとはこれ如何に…。ですがヒナミが美味しいと言ってましたので」

  「ゼリー寄せ…? あー……ヒナーミには勧めない方がいいよ、うん。それよりも――」

 

 さらっと母国の味を無かったことにされ「えっ!?」という表情になったウォースパイトだが、続くプリンツの言葉には冷静さを装って答えるしかなく、二人の話を聞くともなく聞いていた席待ちの列に並ぶ艦娘達も複雑な表情に変わる

 

 「今日はヒナーミのお見合い(オミ・アーイ)だよね。両親公認の出会い系みたいな? ヤーパンってすごいねー」

 「相手は大物(fixer)の孫娘とか。軍の閨閥化は賛成できませんが、ヒナミの地歩を確かにするのも事実…」

 

 第二軍区長の藤崎大将の孫娘が宿毛湾泊地を訪れ日南少佐とお見合いををしていること、一度は日南少佐が断ったが藤崎大将がゴリ押ししてきたことも、宿毛湾中の艦娘は皆知っている。

 

 僅かに曇った語尾を聞き逃さなかったプリンツは、ウォースパイトの横顔に視線を送る。いつもと変わらない秀麗な横顔だが、自己抑制の強い彼女の言葉と表情は当てにならない。ちらりと視線を下に向けたプリンツは、聞かなくても分かることは聞く必要がない、と口に出さなかった。

 

 ウォースパイトの握り締めた右手がローブドレスのスカートに与える皺が乱れ、深くなる。

 

 -つまりそういうことなのよね。

 

 受け入れちゃえば楽になるのに、と考えこんでいたプリンツがウォースパイトに話しかけようとした所で、カラカラと音を立て白木の横開きの扉が開いた。

 

 「こんな所で鳳翔さんの蒲焼御膳の余韻に浸ってる場合じゃありません! 行きますよっ!」

 

 傲然と胸を張り脈絡なく話に割り込んできたのは、教導艦隊付として()()が決定し複雑なテンションの鹿島である。さらに日南少佐のお見合いの話も加わりモヤモヤした感情に振り回され、やけ食いのようにウナギを完食し居酒屋鳳翔を後にしようとして耳に入った二人の会話は、彼女の何かにスイッチを入れたようだ。

 

 翔鶴を生涯の伴侶に選んだ桜井中将や、艦娘を心から気にかけてくれる日南少佐を見ていると忘れがちだが、そもそも指揮官と艦娘のケッコンカッコカリと、人間同士の結婚は全く別なものだ。実際軍務と私生活を完全に分け、普通に家庭を持ち艦娘とは一線を引く指揮官もいるという。今回のお見合い話は、そんな現実を教導艦隊の艦娘達に否応なく突き付けた。

 

 だからこそ、自分達は受け入れるしかできなくても、日南少佐の選択を自分の目で確かめたい。待っていれば結果はいずれ分かるが待ってられない――愛情に、あるいは嫉妬に、中には好奇心に突き動かされた艦娘達は動き始めた。

 

 

 

 当人不在で話題の中心になるのはいつものことだが、日南少佐はというと、緩くウェーブした肩より長い茶髪を揺らす藤崎大将の孫娘をエスコートして宿毛湾泊地内を散歩していた。

 

 「彩雲一〇号機より入電、二人を発見しました! 索敵続行します!」

 グレーと濃紺の洋上迷彩仕様のBUDを纏い、顔も右肩の飛行甲板までも迷彩パターンでペイントした赤城が、四つん這いのまま真剣な表情で宣言する。

 

 「了解! 各艦ステルスモードにて追跡に入りますっ」

 艦隊決戦の指揮を執るような決然とした口調で発令するのは鹿島。緑の茂みを背負って四つん這いの姿勢で前進を開始する。

 

 「少佐……安全のためにも距離は空けた方がいいと思うよ、そうだね…最低でも一〇〇〇〇mくらい」

 それではお見合いにならない。膨れっ面で無茶な要求をするのは時雨で、鹿島同様に緑の茂みを背負っている。

 

 「現在四大の保育科に在籍中、趣味はお料理、見た感じ性格も良さそう、そして藤崎大将の孫娘……優良どころか特選物件……」

 通りすがりのアルパカを装った着ぐるみを着て興味本位で参加した初雪によって、少佐のお見合い相手の情報は共有された。

 

 「将来は保育士、か……いやなに、この磯風、実は子供が好きかも知れなくてな。磯風の秋刀魚定食を食べさせれば、少佐のように頭のいい子に育つぞ」

 根拠のない危険な自信に溢れた磯風はどこまでも真面目に言い放ち、少佐と大将の孫娘が動き出したのに合わせて前に出る。

 

 そして――――。

 

 「すみません……どなたか、なぜ私がこのようなことをするのか教えてもらえませんか……」

 初雪の用意したカワウソの着ぐるみを着こんで、皆と同じように匍匐前進しながらハイライトオフの目で呆然と呟くのはウォースパイト。意外と付き合いが良い。

 

 

 日南少佐は、鹿島の指揮の元、赤城・時雨・初雪・磯風、そして居酒屋鳳翔で出会ったために巻き込まれたウォースパイトを含めた強行偵察艦隊の追跡を受けているのに気づいていない。そして少し休憩するのか大将の孫娘とベンチに並んで腰かけた。この間に六人は一気に動き出し、ベンチの背後に広がる植え込みの陰に隠れると、二人の会話が聞こえる距離にまで接近を成功させた。

 

 

 

 お見合い相手を出迎えた日南少佐は、桜井中将のもとへ案内し、翔鶴を交えて色々話し合った後は居酒屋鳳翔の個室で昼食、そしてお決まりの文句『後は若い二人に任せて』に見送られて泊地内を散策し今に至る訳だが――――。

 

 少佐にとって結論は決まっていたはずだが、実際に会って話を重ねると、育ちの良さを伺わせる丁寧な所作と物腰、朗らかで頭の回転も良く、会話のリズムがぴったりと合い大いに盛り上がり、自分の結論を切り出しにくくなっていた。

 

 「藤崎大将(お爺様)は私達の意志を尊重する、って仰ってましたけど、本当は少佐と私にくっついてほしいみたいです。私も関心のない方にはお会いしようと思いませんけど……少佐は一度お断りになられましたよね? 会いもしないで私の何が分かるのかな、ってちょっと怒っちゃいました」

 

 藤崎大将の意向に関わらず、自分の意志でこの場にいると明確に芯の強さを告げる涼やかな声に、植え込みの裏が反応する。

 

 

  ――慢心しては駄目。

 

 会えば断られるはずがない、とも聞こえるお見合い相手の言葉に、思わず立ち上がろうとした赤城を他の五人が無言で押さえ込んでいる最中、少佐はベンチに座り直し真っ直ぐに相手の目を見つめる。

 

 

  ――な、なんで急に見つめあっちゃうんですかっ!?

  ――ほう、この磯風、そういうのも得意なのだが。

 

 背後の植え込みの陰で、ぐいぐい前に出る勢いの鹿島と磯風を他の四人が慌てて引き留めているとは知らず少佐は話を切り出す。

 

 「ご自身の目で見て、自分はどのように映りましたか?」

 「色々予想と違ったのも多いです。……いい意味で、ですよ?」

 

 

  ――…少し嫌な予感がする。そばに行っても、いい、かな?

  ――や、ふつーにダメでしょ……えいっ!

 

 背後の植え込みの陰で、久々にめんどくさいモードに突入した時雨に、初雪がアルパカの首を時雨に被せ大人しくさせているとは想像もしない少佐に、てへっと笑ったお見合い相手は、軽く反動を付けベンチから立ち上がると、長いスカートを揺らしてくるりと振り返る。

 

 「予想よりもずっと聡明で、ずっと素敵な方です。えへっ、本人が目の前なのに、照れちゃいますね。けど……少佐は私を見ていませんよね?」

 

 予想外に鋭く自分を見られていたことに驚き言葉の続きを待つ少佐だが、すでに相手の表情の変化に気が付いていた。真剣な、それでいて悲し気な眼差しで自分の目から視線を逸らさずにいる。

 

 「お爺様が仰ってましたけど、艦娘と人間の間に線を引けず、魅入られる軍人さんもいるって。私は……艦娘(仕事)人間(生活)を分けて、私をちゃんと見てくれる方がいいです。あなたは……どうなのかしら?」

 

 「自分は――――」

 

 立ち上がった少佐は姿勢を正してお見合い相手に向かい合い、植え込みの陰の強行偵察艦隊も沈黙の中で見守っている。ここまで正直に思いを打ち明けてくれた相手には、自分も心からの言葉で応えなければならない……少佐の心の内を黙って聞いていた大将の孫娘は、うんうんと頷くと、胸を張って元来た道を引き返し始めた。

 

 「一番大事な事も予想外でした。あ、こっちは悪い意味で、でしたけど…。……私、帰りますね。あ、大丈夫です……一人で帰りたいんです」

 

 

 

 日南少佐が執務室に戻ってきたのは、落ち行く夕日が室内をオレンジ色に染め上げた頃。任地赴任に向け玉座はすでに解体梱包済みなので、応接用のソファーに脚を組んで座るウォースパイトだが、カワウソの着ぐるみの頭の部分だけを外して着込んだまま静かに座っている。

 

 「……おかえりなさい。遅かったですね」

 「ただいま……ってウォース、その恰好は一体?」

 

 問いに無言で答えるウォースパイトを怪訝な表情で眺めていた少佐だが、取り敢えず少し寛ごうと歩きながら制服の詰襟と第一ボタンを開け、制帽をハンガーブースに掛ける。そして独り言のようにウォースパイトに言葉を掛ける。相手が気にしているかどうかも分からない、けれど言うべきだと思えるから。

 

 「元より縁がなかったのでしょう。これでいいんです」

 「そう………嘘吐きね、ヒナミ

 

 ウォースパイトも含め強行偵察に参加した艦娘が直接聞いた彼の独白。形の上では大将の孫娘がオコトワリしたことになるだろう。だが日南少佐の言葉を聞けば、誰であっても心に入り込む余地がないのは明白だった。

 

 

 『命を賭けて戦いの海に臨む彼女達に、必ず帰ってきて欲しいと自分は言いました。彼女達の想いは一途で濃やかで、とても純粋です。自分は託された想いに見合う男として、最期の時まで共に在りたいのです』

 

 共に在る――図らずも進路調査で明かしたのと同じ想いを同じ言葉で語られ、ウォースパイトの心は激しく揺さぶられていた。

 

 「ヒナミ、手伝ってください」

 

 少佐が振り返ると、ウォースパイトが立ち上がっていて、ミトン状の両手をふりふりしている。ああ、着ぐるみを脱ぎたいのね、と判断した少佐だが、ウォースパイトがソファを背にしたままなので、正面に立たざるを得なかった。少佐は抱きしめるような恰好で背中にあるだろうジッパーを探していたがどこにもない。すると唐突に着ぐるみがすとんと滑り落ち、中から華奢な両腕が伸びてきたと思うと少佐の首筋に絡みつき、そのまま引き寄せられた。

 

 「おやすみなさいヒナミ、良い夢を」

 

 ドアの閉まる音と脱ぎ捨てられたカワウソの着ぐるみと、唇に残る熱―――少佐は呆然とするしかできなかった。



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ターニング・ポイント
115. 夜明け前


 前回のあらすじ
 君をスネーク。


 ()司令部候補生の日南少佐と彼の率いる()宿毛湾泊地教導艦隊がいよいよ任地へ向け抜錨した日の夜。

 

 桜井中将と秘書艦の翔鶴、香取、大淀、明石、間宮-司令部候補生制度における教官達-が鳳翔の店に集い、歴代でも指折りに優秀で、同時に最も繊細な司令部候補生の旅立ちを祝う宴席を張っていた。ここに至るまでの日々をそれぞれの立場で振り返り懐かしんでいるのだが、料理を供しながら合間で唇を湿らす程度の鳳翔を除き、皆いい感じに酔っているようである。いい感じついでに、気になっていたが今まで聞けなかった事に話が進んでいる。

 

 「それしてもサイパンじゃなくなったんですねー。あそこならリゾートもたのし「はい、絶対国防圏の要です。なのに、なのに……」」

 

 リゾートも楽しめる…の言葉を絶対国防圏という重い言葉でかき消され、頬を赤くして陽気そうにビールのジョッキを呷りかけた明石が固まる。見れば明石と同じかそれ以上に顔の赤い翔鶴が、どよーんとした雲を頭上に垂れ込めさせ涙ぐんでいる。確かに往時の乾坤一擲の大戦(おおいくさ)、マリアナ沖海戦で翔鶴は戦没している。同じ地名を聞いて考えたことは全く別だったようだ。

 

 「そうだな……話しても構わないだろう、間宮? どうせ皆酔っている、()()()()()()()()()()()()――――」

 

 和食を中心とする居酒屋鳳翔では珍しいラム酒のグラスを右手で揺らし、左手で滑らかな銀髪が飾る翔鶴の頭をよしよししている桜井中将が切り出す。中将も多少酔っているようで、普段よりも口調が若干ぞんざいなようだ。「私は何も聞いていませんので」と、両手でカシスオレンジのグラスを持った間宮が苦笑いを浮かべつつ言外に同意を示す。忘れてしまう――他言無用の別な表現だが、明かされた話に皆言葉を失ってしまった。

 

 

 宿毛湾泊地の南南東約一五〇〇km、周囲に島一つない絶海に置かれた新設の沖ノ鳥島泊地こそ、日南少佐率いる宿毛湾泊地教導艦隊が晴れて……とは言い難い経緯を経て、急転直下赴任が決まった地である。

 

 

 明石が触れた様に、元々日南少佐の赴任地は第一軍区内に新設されたサイパン泊地に内定していたが、待ったを掛けたのが桜井中将だった。

 

 『教導艦隊母艦あすか改運用において電波送受信等における不備が感得された。内部監査の結果を踏まえた協議の結果、日南少佐は第二軍区の監督下での教育継続の要を認む。ついてはこれまでの内示を白紙撤回、処遇は第二軍区長藤崎大将預かりとする事を妥当とす』

 

 横須賀海戦時のDr.モローの一件と、その背後で起きた技本関係者の失踪事件……日南少佐は正体不明の第三者に海軍の最高機密・艦娘、しかも(実態はともかく)最新鋭モデルを調査させ、最悪の場合引き渡していたかもしれないのだ。あまりにも危ういミスであり桜井中将としても看過できず、この事実を横須賀鎮守府や特別警察隊が掴めば日南少佐のキャリアは完全に閉ざされてしまう。だが、全海軍中で最高の通信管制能力を持つ宿毛湾の間宮でさえ把握の難しかった、腕利きの Dr.モロー(不審者)を相手に全てを日南少佐の責とするのは酷に過ぎる。

 

 不要な電波送受信が()()起きたのかを意図的に曖昧にして行われた上申は、あくまでも司令部候補生に対する評価と処分の態でこの件を完結させ、賞罰における大原則――一事不再理により第一軍区や特警に対しこれ以上の手出しを封じる効果を発揮した。

 

 

 その結果、日南少佐は司令官()()として沖ノ鳥島泊地への着任、加えて再教育担当として宿毛湾本隊から鹿島の()()が決定したのだった。

 

 

 沈黙に支配された白木のカウンターに横並びに座る六名だが、香取が最初に口を開いた。

 

 「そんなことが……。だから鹿島()の立場はああなったんですね……あの子、納得したのでしょうか……?」

 「どうだろうね、納得と理解は別なものだが、このスキームにおける役割は受け入れてくれたと思う」

 

 再教育を前提とした人事である以上日南少佐の指導に当たる者が必要で、桜井中将は鹿島を選んだ。今日は、というかいつも通り甘え上戸の翔鶴を中将があやしている間に、くすくす笑う鳳翔がカウンター越しに袂を押さえながら一皿差し出してきた。

 

 「どうぞこちらをお試しください。中将のことです、計算尽なのでしょう? 無期限でも出向は出向、それで教導艦隊への転属枠は一つ空く……別な子を送り込む余地が出ますものね」

 「鹿島には日南君をどこに出しても恥じない提督になる日まで指導しろと命じただけさ………ん、美味いな。ラム酒(これ)に合う和食とは、流石鳳翔」

 「お褒めに預かり恐縮です。珍しく甘鱰(あましいら)が手に入りましたので、お味噌に漬け込んだものを炭火で焼いてみました」

 

 繊細な味わいの料理が多い和食は、どうしてもラム酒のクセの強い味に負けがちだ。そこに対抗心をくすぐられた鳳翔は、カジキに似た味わいで、脂乗りがよい赤身の甘鱰に味噌の焦げた濃厚な風味を加えることで、ラム酒の強い味に負けない一皿を仕立てた。桜井中将も満足そうに味わい、時々翔鶴にあーんしてあげたりしている。

 

 「ですが中将……あの子の着任は止められなかったのでしょうか? 間違いなく横須賀の手の内…」

 「そこまで容喙すると、また『依怙の沙汰あり』とか言われるからね…。まぁ日南君なら何とかする、いや、してもらわないとね」

 

 やや無責任にも投げっぱなしにも聞こえる中将の言い方に、酔いが回り若干目が座り始めた大淀が眼鏡を光らせる。大淀の懸念は、沖ノ鳥島泊地に横須賀鎮守府から転属の決まった一人の艦娘に向けられている。矢継ぎ早に桜井中将が打った手だが、横須賀鎮守府の疑念を完全には払拭できなかった。それが何かは掴めないが、技本関係者の失踪事件と関りがあるかも知れないとの疑念が、特種船丙型揚陸艦娘・あきつ丸改の転属に繋がった。言うまでもなく監視役としてであろう。

 

 ぐい飲みの中の吟醸酒をじぃっと見つめていた大淀が、少々不満げな表情で一気に呷り、再び手酌で器を満たす。言う事も分かるが、どうせここまで庇っているならトコトンやっても同じではないか、という意味の事を呂律の回らない口調で言い募る。余談だが、大淀は酔うとやや諄くなり、香取は静かに飲んで静かに寝落ちし、明石は陽気に盛り上がり、翔鶴はとにかく中将に甘え始める。唯一、鳳翔の酔った姿は誰も見たことがなく、伝説の酒豪ではないかと囁かれている。

 

 その後も話は時折脱線しつつも盛り上がり、いい加減いい感じを通り越し中将と鳳翔以外が轟沈した頃合、中将は手近にいくつもある吟醸酒の瓶を見渡す。まだ残っている瓶を見つけ持ち上げると、カウンター越しに鳳翔へと向け、鳳翔もお猪口を差し出す。

 

 「鳳翔、付き合ってくれるか?」

 「はい、私でよろしければ」

 「らめぇーーっ! 中将にはわらひがいるの--」

 

 カウンターに突っ伏して寝落ちしていたと思った翔鶴が突如乱入する。付き合うってそうじゃねーよ、と中将になだめられた翔鶴は徐々に覚醒し、状況を把握して真っ赤っかになった。苦笑いを浮かべつつ、翔鶴にはこれだな、と氷水の入ったグラスを渡す。

 

 「改めて、日南君の門出を祝して―――」

 

 「「「乾杯!!」」」

 

 

 これまで日南少佐を陰に日向に見守り、育て続けてきた宿毛湾泊地の首脳陣が杯を合わせ宴を締めくくろうとしていた頃、日南少佐と教導艦隊の艦娘が乗船する母艦あすか改は一路南南東へと進路を取っていた。二二ノットで約三七時間半の旅は、これまでのところ順調な航海で予定通りなら明朝払暁の頃に泊地入りが可能となる。

 

 

 

 薄曇りの空、棚引く雲の隙間から除く星以外に照らすもののない広大な太平洋--。

 

 あすか改を中央に配し左翼三名右翼三名から成る対潜特化の単横陣は、あすか改の航海灯と航跡に群がる夜光虫の発する青白くぼんやりとした光で海を飾りつつ深夜の海を進む。

 

 あすか改の前甲板、二機の揚錨機の間に立つのは日南少佐。うねりを切り裂き船首を僅かに上下させながら前へ進むあすか改は、甲板を吹き抜ける海風を生み、無帽の少佐の長く伸びた髪を大きく揺らす。無駄とは知りつつ長く伸びた髪を手櫛で適当に流しながら、少佐は眼前の光景に視線を送り、改めてぞっとした。生暖かい海風を浴びながらも、思わず両手で自分を掴み身震いするほどに。

 

 

 色の無い、モノクロームの夜の海。

 

 

 かつてマナド脱出時に投げだされ漂流した暗い海。

 

 夜戦に参加する全ての艦娘の、命の篝火だけが照らす世界。

 

 

 

 漆黒の空と暗い海を切り裂く、(くろがね)の戦船が進むのは色の無い夜の戦場……少佐は目を細め自らの任地を少しでも捉えようとするが、人間の視力には限りがあり、まして向かう先は四周を海に囲まれ、最寄の島でさえ約七〇〇kmの彼方という絶海の孤島。それはすなわち自分の泊地を取り巻く全てが敵地とも言い換えられる。

 

 

 「空はどうしてこんなにも青いのでしょう……って言うには、まだまだ早い時間かしら……」

 

 出し抜けに背中から掛けられた声に振り返ると、肩出しの白い巫女服に細かいプリーツの朱色のミニスカートを合わせた、長い黒髪の艦娘――扶桑がいた。夜明けまではまだ間があり、空は薄曇り…状況に合わないのを承知で敢えて口に出した態の扶桑は、艶然と微笑むと静かな足取りで少佐に近づき、隣に立ち同じようにまっすぐ前を見つめている。

 

 「どうされたのです? こんな所で?」

 「泊地が見えるかなって……いや……実は眠れなくてね」

 

 それきり二人とも言葉はなく、甲板に腰を下ろした。片膝を立てた少佐と寄り添うように横座りの扶桑は、ただ海風に吹かれながら黒い水面を見つめていた。しばらく経って、日南少佐がぽつりと一言絞り出した。

 

 「扶桑……君の言う空が青いって言葉は……とても重い、ね」

 

 かつてレイテ湾突入を狙った西村艦隊の七名は、旧型とはいえ戦艦六を含む総勢約八〇隻の米海軍が出口に蓋をするスリガオ海峡の夜間突破を図った。暗闇を切り払い一気に空を白く照らす猛烈な砲雷撃を受け、最後尾の前を進んでいた扶桑は全体の六割が被弾危険箇所と言われた船体が真っ二つになり炎上爆沈、朝日も青空も二度と見ることの無い壮絶な最期を迎えた。

 

 時を経た今、彼女達は色とりどりのセーラー服や軍服、あるいは巫女服的な衣装を身に纏う艦娘として海を征き、往時と変わらない鋼鉄の力を振るう。変わらないのは白と黒しかない、死地へと向かうかのような夜の海。だからこそ、戦うのなら万全の状態で送り届けねば―――。

 

 少佐の言葉に、一瞬ハッとした表情に変わった扶桑は、海風に紛れ小さくありがとうと呟くと、やや強引に少佐を引き寄せぎゅうっと抱きしめた。全艦娘でも最大級を誇る扶桑の胸部装甲に顔を埋める格好になった少佐が思わずじたばたするが、艦娘の力の前では人間の力などハムスターのようなものである。逃れられるはずがなかった。

 

 「心音……というのでしょうか、人の心を落ち着かせ安眠に誘うと聞きました。眠れないのでしょう? ならこのまま……」

 

 

 「このまま…じゃないですっ! 眠くなるどころか元気になっちゃうじゃないですかっ!!」

 

 鹿島の叫びが響き渡るのはあすか改のブリッジ。妖精さん渾身の魔改造でかなりの部分が省力化されているとはいえ、航海と夜間哨戒の指揮と運用を行うクルーは必要で、鹿島がその役を担っていた。

 

 ある意味ポーズにはなるが、鹿島は首に掛けている双眼鏡を覗き込んで前方と左右を確認し前甲板にふと視線を落とすと日南少佐を発見した。高鳴る鼓動と欲望を胸に、慌てて髪を直しリボンタイを少し緩め、ついでにグレーのブラウスのボタンをどこまで開けるか悩み、ようやく攻めすぎない程度の攻めっ気に落ち着いた。さぁ出撃前の最終確認、ともう一度双眼鏡を覗き込むと……すでに扶桑(先客)がいてしかも自分がやろうとしていたことをされていた。

 

 思わず手に力が入り、みしっと音を立て双眼鏡が悲鳴を上げる。きゃーきゃー騒ぎ立てる鹿島と、また始まったよと生暖かく見ないふりをするブリッジクルーの中にあって、少し離れた場所で冷ややかな視線を送るあきつ丸の姿があった。陸軍制服を思わせる上着にプリーツスカート、軍帽の出で立ちだが、その色は全て黒。抜けるように白い肌の色と合わせ、宵闇から抜け出てきたような雰囲気を漂わせている。軍帽を目深に被り直し画した表情には、困惑とも呆れともつかない複雑な色が浮かんでいた。

 

 「横須賀に比べるとどうにも風紀がアレでありますな。これを逆手に取れば案外監査本部の密命を思いのほか早く達成……いやでも自分は色仕掛け的なのは…だがこれも特務、鹿島教官(先達)を手本にするのが良さそうでありますな」

 

 

 沖ノ鳥島泊地到着まであと数時間-――日南少佐と彼の艦隊の新たなページが始まろうとしている。




物語的にはようやく折り返し、なのにすっかり更新頻度落ちてしまいまして、えぇはい…。しかも19夏イベもあるのでさらに…。


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116. 相変わらずな僕ら

 今回のあらすじ
 新章開幕、改めてよろしくお願いします。


 沖ノ鳥島の周囲は見渡す限り何もない。最も近い陸地とはいえば約七〇〇km先の硫黄島で、あとはただひたすらに海、波、空―――。

 

 単独で経済的生活を維持できない居住不可能な陸地には利用価値は殆どない。反面、排他的経済水域及び大陸棚の設定や、天然資源の探査、開発、保存及び管理などの経済的な目的で行われる探査及び開発のための活動に大きく影響するため、どの時代も日本政府はここが“島”であると一貫して主張してきた。

 

 そして今も長く続く始まった深海棲艦との戦争は、別の価値を沖ノ鳥島に齎した。

 

 南北約1.7キロ、東西約4.5キロ、周囲約11キロほどの珊瑚礁のこの島は、フィリピン海のほぼ中央に位置する唯一の陸地なのだ。

 

 広大なフィリピン海は、深海棲艦にとって日本本土に北進するための格好の回廊となっている。もし沖ノ鳥島に有力な基地を設置できれば、深海棲艦の行動に大きな制約を課すことができる―――海軍上層部がそう考えるのは自然の成り行きだが、事はそう簡単ではなかった。

 

 大船団を動員しだらだら工事を続けると、深海棲艦に射撃訓練の的を提供した挙句に戦略目標を暴露する結果となる。だが集積した資材を一時保管する十分な陸地もなく、工事に要する全ての資材人員は海路で長駆輸送するしか方法がない。この難題を丸投げされた(任された)のが、参謀本部の御子柴中佐*1だった。

 

 中佐の言う『鳥も通わぬ島』に向け、硫黄島・宿毛湾・佐世保・那覇・高雄・フィリピン各拠点・パラオから時間差で大規模な輸送船団と護衛の艦娘が出撃、同時に沖ノ鳥島沖に集結させ工事に取り掛かり一気に完成させる。

 

 何もない所に忽然と城ができるといえば、若き日の木下藤吉郎の名声を高めた『墨俣の一夜城』の故事があるが、この時代には妖精さんという頼もしい存在がいる。資材材料さえ揃えば彼らの謎技術で、さすがに一晩とはいかないが突貫工事で仕上げてくれた。あとは実際に着任した部隊が機能拡充してゆく。

 

 

 かくして、かつて“島”と言い張るのは内心躊躇いがあった沖ノ鳥島が、完全に生まれ変わった姿を見せていた。

 

 

 環礁を擁壁で囲み大規模に埋め立てた陸地と、隣接する巨大な洋上施設―――それが新設された沖ノ鳥島泊地。この地こそが、宿毛湾泊地司令部候補生改め沖ノ鳥島泊地司令官・日南少佐の任地であり、彼の艦娘達が所属する泊地となる。

 

 

 「久しぶりだし、説明しておいた方がいいかなぁって……コホン。改めて考えると、すごい所にすごいの作りましたね」

 

 誰に何を説明、というのはさておき、日南少佐の執務室の一角に設けられた秘書艦用のデスクの一つに座る鹿島が呟く。

 

 フネでいえば船体は完成したが艤装は最低限度、あとはよろしく! の状態で引き渡された泊地ゆえに、基地機能の早期拡充、さらに今までは宿毛湾泊地の本隊が肩代わりしてくれていた業務も独立した一拠点として全て行わねばならず、やることは売るほどあるのだ。拠点を預かる若き責任者にして執務室の主・日南少佐は泊地内の視察に出かけ、現状で優先度の高いペーパーワークの処理を、はいはいはーいっ!! と怒涛の勢いで買って出た鹿島が請け負った。

 

 

 ただのアピールではなく、鹿島にしかできない業務があるから―――。

 

 沖ノ鳥島泊地の情報に加え、宿毛湾を発つ際に桜井中将がアクセスを解禁してくれた情報を合わせ、泊地運営の方向性と作戦運用の方針を明らかにする。もちろん日南少佐は、自分と泊地を取り巻く課題について情報を構造化し、何をすべきか頭の中で組み立てているだろう。それでも膨大な情報を体系化し整理してドキュメント化することに意味がある、そう鹿島は確信していた。

 

 情報と思考の可視化と共有……日南少佐の思考プロセスを文書に落とし込むことで、艦娘全員が情報へのアプローチの仕方を少佐と同じベクトルに揃える――それが鹿島の手掛けている仕事の最終ゴールといえる。

 

 

 

 「はぁ……」

 

 仕事がひと段落した鹿島は、一つ溜息を吐くとこきこきと音を鳴らしながら首を回す。さすがにこれだけ長時間集中して書類の精査と報告書を作成すると疲れは溜まる、鹿島は左手で傾けた首の付け根をとんとんする。長時間同じ姿勢を取るデスクワークで一番負担がかかるのは首の付け根と肩。まして鹿島の場合は胸部装甲がたゆんたゆんなので負担は余計に大きい。

 

 「はぁ……」

 

 もう一度ついた溜息は、体の疲れのせいではない。少し体をほぐしながらも、目は自分の書いた報告書を読み返している。自分で書いておきながら、これはないな……と暗然とした気分になる。思考と情報の共有、と言ってもしていい物とそうでないものがある。

 

 

 

 「あの人と早く邂逅(ドロップ)しちゃいたいですね……」

 

 あの人―――工作艦 明石の不在。

 

 艦娘の建造や装備の開発に必要不可欠な工廠設備は、基本的な運営は妖精さんが担っているので、秘書艦と共同で行う通常業務に支障をきたすことはない。だが今後艦隊を強化してゆく過程で、大型艦建造ドックと装備改修は必ず必要となる。そしてそれこそが、特務艦の一人・明石がいなければ運用できない機能。あとアイテム屋さんも。

 

 「今すぐ困る、って訳じゃないけど、早めに手を打った方が---」

 

 こんこん。

 

 ドアをノックする音に鹿島が反応し返事をしようと口を開きかけたところで、ドアが勝手に空き一人の艦娘が入室してきた。

 

 「はいはーい♪ ちょっといい村雨、呼んだ?」

 

 呼んでない。てへっと軽く舌を出してウインクする村雨だが、少し季節を先取りした格好のようだ。ブラウンのカーディガンを制服の上に着て、手には釣竿を持っている。何より黒ストが艶めかしい。生足派の鹿島でも、ちょっといいかも……と思ってしまった。

 

 「暇だから少佐と一緒に釣りでもしようかなって。って、少佐は?」

 

 あー…魚釣りの後は私を料理して、的な? と鹿島がオヤジ臭い事を考えてる間にも、きょろきょろと室内を見渡す村雨だが、お目当ての日南少佐の姿はない。鹿島が少佐の不在を告げると、村雨は途端に詰まらなさそうな表情でくるりとUターンで部屋を後にした。

 

 

 再び執務室に静寂が戻り、鹿島も自分の考えに戻る。設備面の課題は工廠機能だが、他にも問題はある。

 

 

 「福利厚生って無いと分かると途端に欲しくなるんですよね……」

 

 人はパンのみで生きておらず、艦娘は資材のみで動く訳ではない。生と死の狭間で戦い続けるからこそ、艦娘は真逆に、日常の香りに執着する傾向がある。結果的にそれが士気を高めることになるのだが―――。

 

 「問題ですよね。サンドイッチとか軽食系なら大丈夫ですけど、もっと色々作れるようにしとけばよかったなぁ……」

 

 

 目下の所の大きな課題、それは『食』。

 

 

 規模としては小-中規模の沖ノ鳥島泊地には鳳翔も間宮も伊良湖も着任しておらず、居酒屋や甘味処を専任(勿論非常時は戦闘要員となるにせよ)させられる艦娘はいない。なので皆それぞれに自炊するか戦闘糧食(おにぎり)で済ませるかの二択になっている。

 

 祥鳳、大鯨、涼月、村雨、浜風、川内、速吸など料理上手、あるいはまぁ何とかこなせる島風や瑞鳳、鹿島などの艦娘と、そうでない艦娘達の間に深刻な格差が生じた。

 

 自分達の食事に、ではない。日南少佐の食事を用意する役が自然と固定されてしまった。食事を用意するイコール自動的に一緒にご飯、この格差の固定化は士気の低下につながりかねない。日南少佐は、泊地の福利厚生として必要欠くべからざる()なのだ。

 

 きぃっ。

 

 僅かな軋み音を立て、重いドアが開く。村雨がちゃんと閉めていかなかった模様。再び思索を中断させられた鹿島は、ちょっとだけ不機嫌そうな声で在室アピールをする。

 

 「あら、教官でしたか。少佐はどちらに? 軽い差し入れをお持ちしたのですが」

 

 はい?

 

 鹿島の目が点になる。視線の先には焼き立ての秋刀魚と山盛りのご飯をお盆に載せた赤城が立っていた。弓道着を模した普段の制服に緑色の半被を羽織った姿だが、 鹿島は少し眉根を寄せて凝視する。何か……ちょっと違う? 差し入れの定義についてではない。赤城の雰囲気が、である。思わず感じた疑問を鹿島は口にした。

 

 「赤城さん、少し……痩せました? 顎のラインとか…」

 

 それだけではなく、髪型はいつもの黒髪ストレートロングだが、ボリュームを少し押さえ毛先に向かって軽い感じになっているし、何よりうるつや感いっぱいのリップ、どこで買ったんですか? てか…ダイエット成功プラス軽いイメチェン?

 

 イメチェンも二通りある。マイナスを消す方向とプラスを伸ばす方向で、赤城は明らかに後者。鹿島がちょっとぐぬぬ……してる間にも、両手でお盆を持つ赤城は顔を隠すことができず、さっと赤く染まった頬をそのままに、はにかむ様な笑顔を浮かべた。

 

 「気が早いのは分かってますが……私もこの先第二次改装があって夜戦も得意になるようですし。それに日南少佐も晴れて一国一城の主、次は嫁取りと加賀さんから……なので……その……」

 

 一航戦魂、その方向で発揮ぃ!? とぷるぷるする鹿島をしり目に、当の赤城は部屋の主が不在と知り、くるりと踵を返し引き返す。

 

 「温かいうちにいただいてきますね」

 

 執務室に秋刀魚の香ばしい匂いを残し、赤城は綺麗な所作で去って行った。

 

 

 くぅ~。

 

 小さく鳴った音に、鹿島が自分のお腹をさする。

 

 「そういや没頭し過ぎて、朝から何も食べてないや……でも、もうちょっとやってから」

 

 理性で抑えていても感覚を刺激されると、空腹を意識せざるを得ない。集中力が途切れたのを自覚した鹿島だが、切りのいいところまで今の仕事をやっちゃおう、とラップトップに向かい、再び考え込み始める。課題はまだまだ多いのだ。

 

 まず艦隊組織の再編。工廠部門と福利厚生部門に留まらず、秘書部門の拡充、戦技訓練部、情報管理部、兵站管理、対外調整の設置などなどなど。それぞれに責任者を決め指示系統を確立する必要がある。今までのように時雨が筆頭秘書艦で、他数名でサポートする体制では泊地を回しきれない。

 

 さらに―――。

 

 「ここから先はみんなと共有できる情報じゃないけど……」

 

 桜井中将がアクセスを解禁した情報を見た時、冗談抜きに腰が抜けそうになったのを鹿島は思い出した。

 

 技本のプロジェクト責任者二名が行方不明になった結果、第三世代艦娘の開発は無期限凍結されたという。だが、事もあろうに海軍元帥の伊達(だて) 雪成(ゆきなり)大将の影が背後に見えるので、状況は予断を許さない。

 

 一方、2-5で対峙した『特異種』……一定の指揮命令系統に従い行動する深海棲艦艦隊の動向に、日南少佐の代の卒業席次(ハンモックナンバー)一位、成宮(なるみや) 創玄(そうげん)の関与が疑われること。

 

 

 これらを考え合わせると――――。

 

 

 ぎいっ。

 

 

 三度ドアが開き、鹿島の思考も三度目の中断を余儀なくされた。お盆で両手の塞がっていた赤城もドアをちゃんと閉めなかったようだ。流石にカチンときた鹿島は、がたりと椅子を揺らして立ち上がると、不機嫌さを露わに鋭く言い放つ。

 

 「ノックくらいしてください! 日南少佐なら不在ですよっ」

 「す、すみません……ただいま戻りました」

 

 

 え?

 

 

 聞き覚えのある涼やかな声が、戸惑いの色を帯びている。ドアを背に所在無さげに立っているのは、誰あろう部屋の主・日南少佐。

 

 「えええーーーっ! す、すみません!! てっきり誰かまた少佐にちょっかい出しに…じゃなかった、少佐を訪ねてきたのかと思い…」

 

 まさか自室に戻って叱られるとは夢にも思ってなかった日南少佐だが、しどろもどろの鹿島の言い訳を聞き、何となく状況の想像がついたのだろう、苦笑いを浮かべながら部屋の中へと進んでゆく。その歩みは執務机ではなく、応接席へと向かい、かちゃかちゃとテーブルに何か用意している。そんな様子をぽかーんと眺めていた鹿島に、少佐が柔らかく微笑みかける。

 

 「結局一日事務仕事を任せてしまって申し訳ありません。よかったら休憩してください。いつも世話になってばかりなので……作ってみました。味は多分……大丈夫だと思います。和風、平気ですよね?」

 

 え? 今なんと? 少佐手作りの何か? え? え?

 

 緊張のあまりぎくしゃくした足取りで応接に近づいた鹿島が覗き込んだテーブルの上の湯気の立つ木椀、中身はかぼちゃのぜんざい。

 

 「わぁ……ありがとうございます、うふふ♪ いただきますね?」

 

 ソファに腰を下ろした鹿島は、椀を手に取る。じんわりと伝わってくる温かさが嬉しい。満面の笑みを浮かべながら木匙でかぼちゃを程よい大きさに切り、餡と一緒に口に入れる。

 

 「~~~~! おいしいです! とってもおいしいですっ!!」

 

 ぱぁっと輝くような笑顔になった鹿島だが、ふと気が付いた。椀が一つしかない。あ、ひょとしてア~ン待ちとか? 一人でいやんいやんと身もだえながら、鹿島は少佐のためにいそいそと用意をし、手を指し伸ばそうとしたところで、少佐が無自覚にポロリする。

 

 「よかったです。涼月に教わりながら作っていた時に味見はしたので、大丈夫とは思いましたが、ほっとしました」

 

 

 ハイ? 姿ヲ見セナイト思ッタラ、ソウイウ事?

 

 喋り方が深海っぽいデスヨ…という日南少佐のツッコみを許さずにぷるぷるしていた鹿島は、意を決したように残りのぜんざいを一気に食べ終わると、がばっと立ち上がる。

 

「ごちそうさまでした、少佐。とってもおいしかったです、ええ。そうだ、お返しに鹿島が今からサンドウィッチをたーくさん作りますね♪」

 

*1
051. ロミオとジュリエッツー後編



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117. 会議は踊る

 前回のあらすじ
 プレイバック的なまとめ。


 南北約1.7キロ、東西約4.5キロ、周囲約11キロほどの米粒形をした環礁が沖ノ鳥島で、一〇mまでの高潮に耐えうる防潮堤で周囲はほぼ覆われている。高い壁の中の環礁は埋め立てられ、壁に沿う様に防風林が植えられている。島の中南部には、東西に延びる一五〇〇m級滑走路を二本備えた基地航空隊と、砲身が空を睨む対空陣地が占める。開閉式の門扉が備えられた西側の一角は港湾設備で、泊地母艦ASE-6102あすか改が係留されるほか、輸送船等外来船舶用の受け入れもここで行う。残った部分はというと―――。

 

 「本土ではようやく秋刀魚漁支援が始まるようね、行けるかしら…」

 「今年は記録的に漁獲量が低いって聞いたわ、姉様。不漁だわ……」

 

 北東の一角は人工的に作られたホワイトサンドの砂浜、屋根を大きく広げたウッドデッキとデッキチェア…とビーチリゾートっぽい区画。荒天時には閉鎖されるが、外海からの導水路が作られ、程よい強さに調整され寄せる波の音が心地よい。

 

 ここで扶桑と山城が他愛もない会話を続けている。デッキチェアに横たわるのは、ボディサイドに赤をあしらった白いワンピースの水着の扶桑。気だるげに上体を起こし、長い黒髪を掻き上げなら遠い北の方角に視線を送る。同じ系統のカラーリングの水着だが、山城はビキニスタイルで手にした抹茶小豆のかき氷を姉に勧めている。

 

 水着でお出かけ(軽量装甲推し)期間は本土では終了し秋の装いに変わるこの季節だが、ここ沖ノ鳥島泊地は北回帰線の南に位置し、気候区分で言えば熱帯に属する。なので日南少佐の判断で、着衣の選択は公式行事を除き体感温度に基づいて各自の良識に委ねる、と早々に発令された。そうしないと彼自身、今時期は第一種軍装を汗だくになって着ることになる。

 

 「そういえば姉様、今日の会議……どうなるんでしょうね?」

 

 食べきれない量のかき氷を持て余していた山城が思い出したように姉の背中に問いかける。デッキチェアから降りた扶桑は、とさっと軽い音を立て砂浜に立つと大きく背伸びをしながら、首の後ろと髪の間に手を差し入れ大きく髪をふぁさぁっと流し、振り返らずに妹の山城に言葉を返して()()()()()()()()()へと歩き出す。

 

 「さぁ? 北でも南でも、命じられたままに戦うだけ……。シャワーを浴びてから会議室に向かうわ。……そうそう山城、今年は鰯が豊漁だそうよ」

 

 

 

 扶桑が向かった先――――元来“島”だった北島と東島の岩盤を利用し、一部は沖ノ鳥島に覆いかぶさり、大半は洋上に屹立する巨大な建造物。大深度海底資源掘削の拠点となるプラント施設の工法を利用して建てられたのが、ここ沖ノ鳥島泊地の本部施設である。約一km四方、高さは海面から約二〇〇mの五層構造。面積なら東京にあるドーム球場の二四個分、容積ではなんと一八一個にも相当する。

 

 海と繋がる第一層(レベル0)は、艦娘の出撃ドックと入渠施設、工廠、倉庫、海水淡水化設備、そして巨大なOTEC(海洋温度差)発電設備を備える。

 

 第二層(レベル1)は所属艦娘用にバストイレ空調防音完備の広々とした個室が用意され、その他は大浴場、アミューズメントスペース、準備が整い次第開店予定の甘味処や居酒屋、レストラン街。

 

 第三層(レベル2)は日南少佐の執務室兼作戦司令部、応接室兼謁見の間、彼専用施設(ベッドルーム、キッチン、男性用バストイレetc)、一部艦娘の持ち込み品(玉座、冷暖炬燵 etc)、資料室、会議室、トレーニングルーム、サーバールームが置かれる。なお少佐の執務室の詳細については後々語ることもあるだろう、多分。

 

 第四層(レベル3)は対空電探、水上電探、気象観測設備、各種通信施設、電子基準点、灯台の役割として探照灯。これら各種機器用のアンテナ類は横、すなわち海面に対し水平に張り出してある。

 

 そして第五層(レベル4)は全面緑化された屋上で、熱帯の樹木や草花を巧みに植栽した庭園と、緑化に紛れるように高角砲が隠蔽配備される。屋上の対角線を貫くのは緊急用の滑走路で、本部施設の約一km四方というサイズは一五〇〇m級滑走路を確保する逆算で決められたものだ。

 

 これだけのサイズの建造物だが、実際に活用できる広さはそれほどでもない。構造物の中央部に必要な機能を集中配備し、その外周は全て装甲区画となる。巨大さは途方もない抗甚性を担保する余力となり、設計上は往時のサイパン上陸作戦時における米軍の艦砲射撃と空襲の第一波に耐えうる強度となっている。

 

 洋上の一大要塞に思える沖ノ鳥島泊地だが、突貫工事で仕上げた拠点である、実際に日南少佐たちが着任してみるとソフトハード両面で問題や課題が山積している。

 

 扶桑姉妹が話題にした今日の会議では、ソフト面の最重要課題、組織再編が集中討議される。

 

 

 

 三時間を超える長丁場の会議、議論は百出し結論が先送りになるかとも思われたが、日南少佐の「まずやってみて、継続的に見直してゆこう」の言葉で沖ノ鳥島泊地の新組織は発足した。

 

 

 日南少佐のブレーンともいえる泊地の中枢機能となる作戦司令部は、時雨、赤城、ウォースパイト、鹿島プラスサポート要員に朝潮、涼月の体制で固まり、新設された各部門の責任者も決まった。

 

  戦技訓練Grp:霧島、飛龍、古鷹、神通、島風

 

  情報管理Grp:初雪、漣、青葉

 

  兵站管理Grp:五十鈴、名取、速吸、大鯨

 

  対外調整Grp:プリンツオイゲン、あきつ丸、足柄

 

  福利厚生Grp:龍驤、千歳、隼鷹

 

  給養Grp:専任担当不在のため各員持ち回り

 

 

 そして最後まで残った役割が一つ。

 

 

 時雨の意向を踏まえて議題として盛り込んだものだが、会議の議事進行を担当した鹿島でさえ、何となくこの話題には触れにくいような雰囲気をありありと醸し出していたが、各自に配布されたアジェンダにも明記されており、ないことにはできない。意を決したように、こほんと咳ばらいを一つして切り出してゆく。

 

 「えーっと…それでは、最後にですね。秘書艦ですが―――」

 

 最大二〇〇人収容可能な会議室の空気が一瞬で張り詰める。沖ノ鳥島泊地の誰もが、濃淡の差はあるにせよ司令官の日南少佐に信頼、あるいはそれを越えた感情を抱いているのは紛れもない事実。秘書艦は少佐の片腕とされる最重要ポジションとして、思う所のある者は他を牽制するような空気を纏い、自分には関係ないと思っている者はその剣呑な空気に飲まれている。

 

 だがある意味で秘書艦は誤解されている業務かも知れない。

 

 月月火水木金金二四時間三六五日おはようからおやすみに至る一分一秒も離れることなく、拠点運営から戦闘指揮、さらに指揮官の身の上から身の下までお世話する、ケッコンカッコカリの相手に選ばれる確率No.1……という風潮で語られることもあり、艦娘の間でも業務の実態がつかみ切れていない節がある。

 

 実際に秘書艦として日南少佐と共に在り続けてきた時雨には、ある確信があった。教導艦隊では(時雨自身そう望んだのもあるが)桜井中将の指名で任命された。そして今、日南少佐は沖ノ鳥島泊地の長として自らの拠点を得た。だからこそ、はっきりさせたい。そう思い、この会議で議題にあげたのだが―――。

 

 

 手を上げ発言の許可を求めたのは榛名である。鹿島がこくりと頷き発言を促すと、すっと立ち上がった榛名が確認するように言葉を続ける。

 

 「今までは時雨ちゃんが筆頭秘書艦でしたが、今回の組織改編では作戦司令部に異動。これは秘書艦を辞退した、ということでしょうか?」

 「あ、それはですね。秘書艦の所属は作戦司令部ということで「鹿島さん、僕から話すよ」」

 

 鹿島の言葉を遮った時雨が、静かに立ち上がり説明、いや、思いを吐露し始める。

 

 「今までは宿毛湾泊地の中の教導艦隊っていう位置付けで、司令部候補生の日南少佐のサポートをしてきたんだ。少佐は……みんなも知ってる通りとっても優秀で、実務的には僕のサポートなんかなくても大丈夫なようにすぐになっちゃった。そして今、この泊地に移ってきて、こんな規模になったら僕一人で実務を回すことなんて無理だよ、だからこうやって組織化って言うのかな、役割をみんなで分かち合うんだ。なら……秘書艦が最後まで全うする役目って何だろうね?」

 

 一旦言葉を切った時雨は、会議室にいる全員を見渡し、これまで自負してきた、これから新たに背負う覚悟をはっきりと言葉にする。

 

 「強さも弱さも、迷いも決意も……一人の人間、一人の男性として日南少佐をぜーんぶ受け入れて共に歩んでゆく。そして万が一……ほんとに万が一だけど、僕達が負けてこの泊地を放棄するような事態に陥った時には、命に代えて少佐を守り本土まで無事送り届ける……それが役目、かな。もちろん、そんなことがないように強くなってゆくけどね」

 

 全員に送られていた時雨の視線は、いつしか日南少佐のみに注がれている。少佐も時雨から視線を逸らさずに真っ直ぐ見つめ返す。ぎこちなく触れ合い、時にはぶつかり合い、それでも支え合ってここまで辿り着いた。その思いを余すことなく、居並ぶ全員の前ではっきりと口に出した。少佐の心の奥底まで届いてほしい、そんな願いを込めていたのかどうかは本人しか分からないが、時雨は瞬き一つせず少佐から視線を逸らさずにいた。そしてにっこりと微笑むと、再び全員に向かい合う。

 

 「だから、僕よりも秘書艦に向いている、って思う子がいたら遠慮なく言って欲しいんだ」

 

 それは決意であり覚悟。あるいは宣言かもしれない。静かな口調で語られた激しい想いが、会議室に沈黙をもたらした。

 

 「ふ、ん―――」

 

 挑発するような物言いに注目が集まる。注目の先には磯風が燃えるような目をして立ち上がっている。

 

 「なるほどな。この磯風、柄にもなく感動したぞ。だが時雨……今貴様が述べた覚悟、ここにいる者で持ちあわせない者がいると思うのか? この磯風は……いや、ここにいる全員は、何があっても少佐と共にあると心に決めた者ばかりだ」

 

 その言葉が引き金となり、全員がざっと音を立てて席を立ち、日南少佐に視線を送る。

 

 「……どうやら秘書艦になる資格は全員有していることになるな。後は―――」

 

 後は? 今度は時雨が相手の言葉の続きを待つ番となった。

 

 「後は貴様も言っていただろう、少佐の全てを受け入れる、というやつだ。受け入れると言えばこの磯風、夜戦も殊の外得意かもしれなくてな。いや如何せんそういった経験がないので想像でしかないのだが」

 「僕だってそんなの……まだだけど…」

 

 思っていなかった展開に時雨が顔を真っ赤にしてしどろもどろになり、日南少佐も『はぁっ!?』という表情に変わる。

 

 「初めては色々大変らしいが、少佐に任せておけばまぁ多分大丈夫だろう。なのでこんな物を用意したのだがな」 

 

 磯風はどやぁっ! と勝ち誇った表情でごそごそとセーラー服の中に手を突っ込むと、明らかに不釣り合いな大きさの何かを取り出した。

 

 

 それは枕。よく見ると両面に文字がプリントされている。

 

 

 「少佐に贈ろうと思って持ってきたのだが、これはYES-YES枕といってだな。少佐が磯風を求めたい時はこの枕のYESの面を上にしておけば以心伝心だ。逆に少佐が求められたいときは反対の面のYESを上にしておけばよい」

 

 司会の落語家が椅子から落ちるために新婚夫婦をゲストに迎える長寿TV番組の、クイズの景品として贈られるアイテムに似ていて異なる、少佐の拒否権が全くない枕。

 

 「ってゆーか普通は反対側NOじゃないの!? でも少佐相手ならNOは言わないから……ってもーっ、何でこんな話になるのさ!」

 

 落差の大きい展開に時雨がめんどくさいモードに入り、居並ぶ艦娘の間にもざわざわとざわめきがさざ波の様に広がり、やがていつも通りの大騒ぎへと広がってゆく。結局秘書艦については日南少佐に一任、ということになり、わざわざ大海営発行の泊地運営規則集を調べていた鹿島の一言で会議は締めくくられた。

 

 「えっと……秘書艦に任命できる人数に上限はないみたいですよ、うふふ♪」

 



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118. 祭りと羅針盤

 前回のあらすじ
 時雨、宣言する。


 全ての艦娘運用拠点は国内五か所の鎮守府と警備府を頂点とするいずれかの軍区に属し、日南少佐率いる沖ノ鳥島泊地は第二軍区所属となる。指揮命令系統(レポートライン)は本来軍区長の藤崎大将に直結だが、少佐の場合少々事情が厄介である。正式な役職は司令官()()、すなわち()()の代わり、という位置付け。その誰とは宿毛湾泊地を率いる桜井中将。

 

 指揮官代行はDr. モローの一件で日南少佐に累が及ぶのを避けるため取られた政治上の手であり、少佐は事実上沖ノ鳥島泊地の責任者である。だがこういう形でワンクッション置かないと『第二軍区管轄下での再教育を要する』の建前が有名無実化してしまい、第一軍区や監査本部の介入を招きかねない。

 

 

 なので実務上の監督として、同時にアリバイ作り(教育記録)の一環として、沖ノ鳥島泊地⇔宿毛湾泊地間で定期的なオンラインでの会議が行われるのだが―――。

 

 桜井中将との会議に先立ち開かれる、沖ノ鳥島泊地首脳陣のプレミーティング。

 

 出席者は、もちろん日南少佐、そして新設された作戦司令部の面々――時雨、赤城、ウォースパイト、鹿島。参加者には事前にアジェンダを知らせ会議までに自分の考えを纏めておくよう指示が出ている。

 

 簡単な会議にも対応する応接スペースには、ふんふんと鼻歌を歌いながら緩くウェーブのかかった髪の毛先で遊ぶ鹿島と、「前のより上等な感じかな」と言いながらクッションを確かめるように革張りのソファの座面でお尻を弾ませる時雨がロングソファの中央になんとなく集まっている。

 

 テーブルを挟んだもう一方のソファには、静かに目を閉じるウォースパイトが座る。整った顔立ちの彼女が乱れぬ姿勢で座すとまるで美術品のようにも見える。中央を空け反対側の端に座るのは、すっと伸ばした背筋が綺麗なSカーブを描く赤城。落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる二人である。

 

 自らの執務机で作業していた日南少佐が、ラップトップとともに応接に移ろうと席を立った瞬間―――。

 

 事前に決めていたかのように、鹿島と時雨が同時に距離を空け、丁度人ひとり分ほどの空間を作ると『ね、きて』と熱視線を少佐に送る。一方最初から距離を空け座っていた向かい側の席では、ウォースパイト自ら少佐の分の紅茶を淹れ、ケーキスタンドを中央からややずらし、赤城は丁寧にソファ中央の座面を手で払い、こちら側に座るのが予め決まっているかのような自然な流れを整える。

 

 そして少佐は全てをスルーして、二台のロングソファを左右に見渡す位置にある一人掛のソファに座った。位置関係でいうと、少佐から見て中央にテーブル、左に鹿島と時雨、右にウォースパイトと赤城、正面にスクリーン。

 

 

 「それでは始めようか。知らせてある通り、今日のアジェンダは今後の作戦目標の設定についてだ。それぞれ意見を聞かせてもらえるかな」

 

 沖ノ鳥島泊地の現況は、鎮守府海域と南西諸島海域を解放したことにより、その先の戦場へと進む許可が得られている。

 

 

 北方海域、南西海域、そして西方海域。

 

 

 荒れやすい海域のため水雷戦隊を中心とした部隊の投入が定石とされる北方海域、距離としては最も近い南西海域は敵潜水艦が多く出没しかつ守りが堅い海域、長大な遠征となる西方海域では泊地の総合力を問われることになる。

 

 数に勝る深海棲艦は、艦娘が命懸けで解放した海域でも、時間が経つと水底から甦るように姿を現し、放置しておくと再度海域を制圧される。ゆえに軍区単位で管掌海域を定めた上で何度でも何度でも定期的に海域を清掃し続け、深海棲艦を海域毎に一定数未満で封じ込めるのが日本海軍の基本戦略。そのため各拠点は連携し相互支援しながら常に各海域に出撃している。

 

 なので沖ノ鳥島泊地としては遅かれ早かれ全てに進出しなければならず、詰まる所順番の問題でしかない。

 

 「やっぱり海上護衛総隊旗艦の実力、少佐には見てほしいなぁ、うふふ♪」

 コーヒーの入ったマグカップを両手持ちしながら、鹿島は体を捻り少佐の方を向くと小首を傾げにっこりと微笑みかける。主張は南西海域への出撃。練習巡洋艦といえども練度装備とも対潜掃討作戦の旗艦を務めるのにふさわしい実力を有する鹿島だが、これまで宿毛湾では教官の立場に徹し、実戦参加の経験は決して多くはない。それでも泊地最初の作戦行動で自分が指揮を執ると意気盛んだ。

 

 

 「少佐、君が育ててくれた水雷戦隊は泊地随一の充実度だと思うんだ。これを活かさない手はないよね、うん」

 やや離れた位置から、うるうると潤んだ瞳の上目遣いで訴えかけるのは時雨。彼女の主張は北方海域から始めようというもの。実際軍用基幹システム(MRP)を見ても、水雷戦隊を展開する優位性は確かに伺える。夏でも濃霧が出やすく航空隊展開に支障が多く、長く連なる島々のせいで潮流は複雑かつ激しく変化し大型艦の投入が必ずしも成功のカギにならない。そして時雨の言う通り、沖ノ鳥島泊地の水雷戦隊は鍛えあげられている。

 

 

 「ヒナミ……泊地の総力を挙げインド洋の敵を駆逐、英国を含む欧州各国との連携を図る大戦略も可能では? それこそ王の道(high road)の第一歩」

 かちゃりと小さな音を立てティーカップをソーサーに置いたウォースパイトが、西方海域攻略どころかさらにその先の欧州まで足を延ばそうと事も無げに言い放つ。彼女もまた新天地で気分が高揚している様子で、衣擦れの音とともに体を少佐に向けながら、白いフリルスカートから伸びる長く白い脚を組みかえると、正規空母や戦艦を中核とする機動打撃部隊の出撃を訴える。

 

 

 三者三様の意見を黙って聞いていた日南少佐だが、満足そうに薄っすらと微笑む。駆逐艦、軽巡、戦艦/重巡、正規空母/軽空母……特性や機能が異なる艦種が公平な立場で意見を出し合い最適解を模索する、という試み。作戦構想以外の意図も混じってそうな気もするが、それぞれの発言者はそれぞれの特性に応じた案を披露している。いずれ三海域とも進出するのだが、泊地の現況と艦隊の将来像のバランスを見ながら、優先順位を決めるのがこの会議の目的だ。

 

 さらに議論を深めないと……と少佐は脳内でSWOT分析を始めようとして、ふと気づいた。赤城が「私も北方…」と言いかけた時、少佐が膝に乗せたラップトップから電子音が鳴る。少佐は手早くチャットで返事をすると、PCを操作し正面にあるスクリーンに信号を送る。通信相手は―――

 

 

 「済まないね、会議を中断させて。進出海域の優先度を決めるとのことだが、ならこの情報も俎上に載せて話を進めた方がよいだろう」

 

 日南少佐に集中して注がれていた熱視線が、一斉に反対側のスクリーンに向かい、全員が起立し敬礼を送る。スクリーンの中の人物は宿毛湾泊地提督の桜井中将である。元々沖ノ鳥島側の事前会議が終了した後で中将にも参加してもらう予定だったが、先に中将がカットインしてきたのだ。スクリーン越しに答礼を返す中将から着席の声がかかり、一同は元の位置に戻る。

 

 「ふむ、少し声が遠いな。日南君、一人でそんな離れた所にいなくてもよいだろう、ソファが空いているようだが? ……ああ、楽にしてくれ。期間限定任務『鎮守府秋刀魚&鰯祭り』の発令と関連任務群の詳細について通達が届いた」

 

 中将にそう言われては是非も無し。日南少佐は『中将、絶対わざとですよね?』と内心呟きながら席を移し話の続きを待つ。

 

 「管理監督責任がある以上 沖ノ鳥島(そちら)には宿毛湾(こちら)から通知すべし、と艦隊本部は言ってきてね。くだらない権威主義というか……ともかく、幸いまだ漁は始まったばかりだ、今から参加しても時間は十分にあるはずだよ。任務達成報酬だが、資材資源に加え有力な装備、何より君が必要とするものが含まれているそうだ。詳細はデータを送っておいたからそちらを見てほしい。最終的な決定事項はメールしてくれればいい、時間は有効に使わねばな」

 

 そう言い残し中将は通信を終了した。

 

 「なるほど……。第四の選択肢になるかな、これは」

 

 中将から送られたデータをスクリーンに映し、日南少佐は顎に手を添え考え込む。今年の秋刀魚&鰯漁の関連任務……達成条件と報酬が簡潔にまとめられた表には、多種多様な資材や装備がある。試製甲板カタパルトやType144/147 ASDIC、一航戦仕様流星改などレアものも魅力的だが、何より少佐の目を引いたのは―――海防艦、そして()()()までもが漁獲量に応じ配備される点。

 

 工廠機能を強化拡充する鍵・工作艦の明石と邂逅できる海域は限られている。沖ノ鳥島泊地から現時点で進出可能なのは、鎮守府近海対潜掃討(1-5)沖ノ島(2-5)、そして今後進出予定の北方AL海域(3-5)と、いずれもExtra Operation(特務)海域のみ。進出難易度の低い鎮守府海域や南西諸島海域での反復出撃なら部隊と資源に負担をあまりかけず明石の配備が見込める。

 

 「………う」

 

 小さく上がった声に視線が集まる。見れば俯いた赤城が肩をプルプル震わせていたかと思うと、日南少佐に強く訴える。結果として少佐は赤城とウォースパイトの間を選びソファに座っていた。

 

 「出撃しましょう! ええ、鎮守府海域でも南西諸島でもどこでも! 新鮮な秋刀魚っ! ぱりっと焼けた皮目の香ばしさと脂の甘味が引き立つ塩焼き……ああ、大根おろしを添えて醤油を垂らせば……至福です。あ、お刺身もいいですね。鰯は梅と大葉と合わせて揚げるのもいいかしら。この泊地に来てからというもの、どうしても保存食が中心なので今一つも二つも三つも物足りないと言うか……『欲しがりません勝つまでは』ではないのです、欲しいから勝つのですっ!!」

 

 これが一航戦の誇り……と少佐が心打たれたどうかはともかく、彼は今非常に困っていた。ごくごく至近距離、具体的には両肩をがしっと掴まれ、鼻と鼻がくっつくような距離で赤城が熱弁を振るっている。北方海域の話じゃなかったのか。

 

 真っ直ぐ強く見つめる赤城の目から視線を逸らし下を向けば、いつも通り様の制服姿だが、戦場と異なり胸当てをしていない弓道着の袷の間から、普段はガードされている柔らかい部位の思い切った主張に合う。左に目を逸らせば鹿島や時雨がいてつくはどうを放っている。にげられない! 背後ではウォースパイトからも何となく不穏な雰囲気を感じる。ひなみ は まわりこまれた!

 

 繰り返すが今は会議中である。健康な男子として反応してしまうのは不可抗力だが、流される訳にもいかない。そうこうしているうちに、赤城の方がどれだけ至近距離で熱く語っていたのか、落ち付かない少佐の視線が時折どこに軟着陸していたかに気付き、さっと頬を赤らめ少佐と距離を取ると弓道着の袷をきゅっと固くし、ぎこちなく話を続ける。

 

 「そ、その……お恥ずかしいものを……。い、いえ、それはともかく、漁の支援に参加すれば低練度の子たちの技量向上を図りつつ、明石さんの配備が叶うのではないでしょうか。な、何より主力部隊による三海域いずれかの攻略と同時並行で進められるのも良い点では……」

 

 いえいえ、こちらこそ結構なものを……などとは口が裂けても言えない日南少佐もぎこちなく姿勢を正す。

 

 その後少佐の案を元に会議は続き至った結論―――『鎮守府秋刀魚&鰯祭り』へ参加し、低練度艦の底上げをしつつ明石の配備を目指す。そして並行して進出する海域も北方海域に決定、部隊は慌ただしく準備を整えてゆくことになる。



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119. ランブル・フィッシュ

 前回のあらすじ
 戦場と漁場、戦果と釣果。


 沖ノ鳥島泊地本部棟――海面からの高さ約二〇〇m、五層構造の洋上要塞ともいえる施設の屋上を上空から俯瞰すると、正方形の緑豊かな島に見える。カモフラージュと耐熱対光性のため屋上全面緑化が施され、生い茂る木々や草花の他、畑として開墾された区画や庭園風に整備された区画もある。その庭園の一角では、しゃがみ込んだ時雨がぼんやりと考え込んでいるようだ。ちょっと頭の中を覗いてみよう---。

 

 

 鹿島さんは南西海域、僕は北方海域、ウォースパイトさんは西方海域、そして赤城さんはとにかく漁場……見事に意見が割れちゃったけど、日南少佐が北方海域を最初の進出海域に選んだ理由……悪戯っぽく笑って、謎掛けみたいに話を切り出してたっけ―――。

 

 『そうだね、点と面、それと分散と集中…そういえばピンとくるかな?』

 

 ごめん、何のことか分かんないや。数学の授業でも始める気なの?

 

 『最も部隊を展開しやすいのは南西海域だね。北方海域も西方海域も、あすか改(泊地母艦)を投入する点では同じだけど目的が変わってくる。西方海域は日本海軍の勢力圏を越えた先まで進出し、そこであすか改は孤立点になる。北方は海域中の要所に友軍拠点があり、協力を得られるだろう』

 

 なるほど。泊地から直接出撃できる先と移動先での連携が取れる先……それが少佐の言う『面』なんだね。なら、分散と集中って?

 

 『北方海域は対空対水上戦闘…3-5(特務)海域まで視野に入れれば対地装備も必要かな……ともかく、火力を前方投射に集中できる。けれど南西海域も西方海域も、潜水艦と水上艦、その両方との戦闘を余儀なくされる。そうなると必要な装備が全く異なるからね、本格的なASW(対潜戦闘)SSW(対艦戦闘)の両立はやや時期尚早だと思うんだ』

 

 なるほどなるほど。確かに先制対潜攻撃をできる練度まで達している子はごく少数だね。対潜を重視すれば火力不足が心配だし、その逆も当然心配。

 

 『何よりこの泊地に赴任して初の本格的な海域攻略だ、現時点でのみんなの能力を最大限生かせる場所で戦い、勝利を狙いたい。成功は自信に繋がり、自信はさらなる成長に繋がる、そう思うんだ』

 

 そっか……どんな時でも僕達を信じて、前に進ませてくれる。こんなに真剣に僕達艦娘に向き合ってくれるなんて……あれ、やだな……何で涙が……?

 

 

 「ゴホゴホゲホッ――――――って誰!? 何するのさ、もうっ!!」

 

 高い空の下、沖ノ鳥島泊地の屋上に立ち昇る秋刀魚を焼く香ばしい煙。時雨は七輪の前にしゃがみこんで、ぱたぱた団扇を左右に動かしながら物思いに耽っていた。こんがりと焼き上がるまでの時間、これまでとこれからに深く思いを馳せつつも、焦げる脂の匂いでそろそろ食べ頃かな、と時雨のお腹がくぅ~っと可愛く鳴り始めた時、正面からばっさばっさと激しく扇がれた団扇で逆流した煙は時雨の目に入り、時ならぬ涙を流させた。

 

 犯人は磯風である。

 

 「浦風に教わった通りに焼けばこうなるはずだからな、この際過程は省略だ」

 普段のセーラー服に白い割烹着を付け、ポニーテールにまとめた長い黒髪を靡かせながら、秋刀魚を奪いぴゅーっと走り去ってゆく。

 

 「…美味しそうに焼けてたもんね…じゃなくてっ! 僕の秋刀魚、何でもってくのさ、もうっ!!」

 

 一瞬納得しかけた時雨だが、すぐに我に返って磯風(秋刀魚強盗)を追いかける。

 

 時雨が行き先の見当をつけた先、ドアが半開きの日南少佐の執務室からも香ばしい匂いが漂ってくる。やっぱり磯風、僕の秋刀魚を自分が焼いたふりをして少佐に食べさせようって魂胆なんだね、とぷりぷりしながらノックもそこそこに入室した時雨が見たものは―――。

 

 

 日南少佐が執務机でぐぬぅという表情を浮かべる珍しい光景。

 

 

 あれ、磯風がいない? と怪訝な表情の時雨の目の前には、少佐にプレッシャーをかけるようにずらりと居並ぶ艦娘達-満潮、祥鳳、扶桑、漣の四名がいる。茶髪を三角巾で覆い赤ジャーに黒エプロンの満潮、両袖を通し黒いフリルで飾られたエプロンを付けた祥鳳、ラベンダーのパーカーワンピ+白エプロンに赤い半被姿の漣。扶桑も制服の上に秋らしく紅葉柄の前掛けに青い法被を纏っている。

 

 皆季節限定制服……そういや僕も毎年秋はこの服だよね、と白ブラウスにベスト+チェックのミニスカの時雨も、スカートの裾を摘まんでふりふりしながら、ちょっとしょんぼりしてしまった。出遅れた……一言で言えばそんな感傷。

 

 『秋刀魚&鰯祭り』……本気の期間限定任務だが、ここ沖ノ鳥島泊地ではなぜか不漁と言われた秋刀魚の水揚げが盛んだ。比率で言えば1:3で鰯:秋刀魚である。不漁とは一体……と皆首を傾げつつも、出撃した艦娘はドラム缶いっぱいの秋刀魚(時々鰯)とともに帰投する。イコール、日々の食卓に秋刀魚が登場する頻度が激増したのだった。

 

 芸がないと言われれば身も蓋もないが、やはり秋刀魚を美味しく食べるのは塩焼きにして、大根おろしと合わせさっと醤油を回しかける……おいしいのを少佐に食べてほしい、と皆の思考が同じ結論に帰結し、結果少佐の机には秋刀魚の塩焼きが四尾並ぶ事態となった。皆が何となく牽制し合う中、ロングポニーにまとめた黒髪を揺らしながら、磯風がどやぁっと姿を現した。

 

 「ほぉ……これで秋刀魚が五尾、どれも甲乙付け難い焼き上がりだな。だが少佐なら、磯風のを迷わず選ぶだろうな。ふふふ、どれか分かるかな?」

 

 そして時雨の目が点になる。こんがりと焼き目がつき食べ頃に仕上げたはずの秋刀魚が、磯風の手にあった僅かな間に、秋刀魚型の黒い何かに変容している。

 

「もーっ! せっかくおいしく焼けたのに、何をすれば秋刀魚がダークマターになるのさっ!!」

 

 大根おろしとカボスが添えられた焼き秋刀魚が五皿(ダークマター含む)。この場を切り抜ける術が見つけられず、少佐はだらだら冷や汗を流すしかなかった。

 

 

 

 執務室で秋刀魚(ソウリ―)ルーレットが繰り広げられ、取り敢えず気を利かせた時雨が少佐のために胃薬を調達しに走り出した頃、泊地は大きく二つに分かれ活動している。

 

 一つは、鎮守府海域と南西諸島海域を舞台に、秋刀魚&鰯漁支援のため反復出撃を続ける部隊。

 

 こちらには比較的低練度の艦娘が投入され練度向上と漁獲の両立を図る。本来日南少佐は特定の艦娘だけに依存するようなやり方は好まず、部隊全体の底上げを余念なく進めてきた。だが教導課程の後半で2-4と2-5の海域解放に試行回数の制限を課された事もあり、育成よりも勝利に比重を置かざるを得なかった。その解消を図る意味でも漁支援任務は渡りに船と言えるが、参加する方からすればそうも言えないようでもある。出撃の合間には、新設された戦技訓練班による猛訓練が待っている。そんな一コマ―――。

 

 「クマ……死ぬクマ……」

 「もう……くたくたにゃ……」

 

 

 艦娘はウェルドックになっている第一層(レベル0)から抜錨するのだが、球磨型軽巡洋艦の一番艦と二番艦の球磨と多摩は、演習海域から引き上げてきたかと思うと、そのままへたり込んで動けなくなった。

 

 ミントグリーンの襟元や袖や裾をあしらった白いセーラー服にショートパンツの制服を着るのは球磨型軽巡の特徴だが、この季節柄、球磨は白地に赤いボタン柄の浴衣姿で、海水をこれでもかと浴び半透けで肌にぴったりと張り付いている。多摩も同じ有様だが、こちらは濃紺に黄金色の蒲の穂と肉球が柄なので透けはしない。ただ張り付いた浴衣のせいで体の線は丸わかりである。

 

 「……確かあなた方はこの後ローテで出撃予定が組まれてますが……時間はまだありますね、もう一戦……いきます」

 

 やや遅れてウェルドックに姿を現したのは神通である。戦技訓練班の教官の一人として、今日は一対二のCQB(近接戦闘)の訓練に当たっていた。結果は……言うまでもないだろう。神通は肩を少し上下させ、その分だけ息が乱れているが、いたって平然としている。左手で右肘を押さえ、右手を顎に当て考えるような素振りでぶつぶつと言ってるが、中々物騒である。

 

 「やはり演習だと身が入らないのでしょうか……。何でしょう、(こころ)が熱くなるような方法は……」

 

 潜在能力(ポテンシャル)は高くとも連携不十分な力押しで戦う球磨多摩では、教導艦隊初期から最前線で戦い続けてきた神通の相手にならず、完膚無きまでの敗北を喫した。いい加減クタクタなのに、目の前の訓練の鬼はもう一戦やるという。振り回せばイ級くらいなら両断できそうな長大なアホ毛をぷるぷるさせていた球磨が、流石にうがーっと吠える。

 

 「殺す気クマ!? 味方を足腰立たなくなるまでやっつける訓練なんて聞いたことないクマ!」

 「殺すだなんてそんな……でも、あなた方が弱いままなら死ぬかもしれませんね」

 

 涼やかな眼差しで穏やかに微笑む神通もまた浴衣姿。薄紫の地に白百合をあしらい、セミロングの茶髪を緑のリボンでアップに纏めたしっとりとした風情だが、口から出る言葉は割ととんでもない。

 

 項垂れながら神通にドナドナされる二人を、「うわぁ……」という表情で見送る艦娘も多いがそれも明日は我が身、このような感じで戦技訓練班の猛特訓はあちこちで繰り広げられている。

 

 

 その一方で出撃準備を余念なく進めるのは、阿武隈を旗艦とする高練度の駆逐艦と軽巡、軽空母を中心とする北方海域前段攻略部隊で、モーレイ海(3-1)キス島沖(3-2)の攻略を受け持つ。

 

 今回の北方海域攻略は艦娘自身の航続距離を超える進軍なので、泊地母艦のあすか改が移動・補給・工廠・休息等の洋上拠点となるのだが、あすか改自体の整備補給も必要だし、作戦行動にあたって事前偵察の協力、万が一敵に敗れ甚大な被害を被った時には緊急退避する場所も必要だ。そのため単冠湾泊地と幌筵泊地のサポートを受けながらの作戦遂行になる。

 

 敵の有力な機動部隊の進出は確認されておらず、定石ともいえる水雷戦隊での高速高機動戦闘で敵と対峙する。一方で重巡リ級のエリートやフラッグシップ、一部ポイントでは戦艦ル級の出没が確認されており、抗甚性に劣る軽巡や駆逐艦にとっては油断できない相手だ。

 

 「ってなにこれ!? 三式水中探信儀、三式水中探信儀、三式水中探信儀、三式水中探信儀って……対潜戦闘ないんですけどー?」

 

 沖ノ鳥島の本体ともいえる島側にある港湾施設では、あすか改に資材資源や換装用装備の積み込みチェックにあたっていた阿武隈が首を傾げていた。やたらと探信儀(ソナー)が目につく。首を傾げても崩れない前髪の仕上がりに満足しながら、手にしたリストを見て困惑してしまう。

 

 「あーそれ? 赤城さんが持って行けって言ってたわよ。『北方海域こそ決戦場』とか言って、妙に気合入ってたけど」

 

 何かの入った段ボール箱を抱えてあすか改に向かう霞が、ぶつぶつ言ってる阿武隈の手元のリストを覗き込み、種明かしをするとそのまま去ってゆく。秋刀魚と鰯のために…赤城がこっそりと大胆に盛りこんだ装備は、日南少佐の代理として艦隊に同行する鹿島の厳しいチェックで大部分が却下されたりしつつ、着々と出撃準備が整えられてゆく。

 



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Snow White
120. 目覚めのメロディー


 前回のあらすじ
 艦隊、北方へ。


 往時――太平洋戦争当時の通信環境に比べれば文字通り隔世の感……衛星を介した高速通信網は、二五〇〇km以上離れた泊地と出撃先をタイムラグのないクリアな音声と映像で繋ぐ。さてその通信技術を用いて行われているのは――――。

 

 「方向性に間違いはないし、今の形を変えるにはまだ早いと思うんです」

 「そうはおっしゃいますけど……う~ん……優先順位ですよねぇ……」

 

 宿毛湾泊地教導艦隊改め沖ノ鳥島泊地から北方海域に進出した遣北艦隊は、海域関頭のモーレイ海の攻略が停滞している。道中では重巡が、海域最奥部では戦艦ル級が、低耐久軽装甲の水雷戦隊に立ちはだかり、どうしても誰かが大破し撤退……を繰り返している。その対策について少佐と鹿島の間で会議がもたれている。

 

 作戦の総合指揮を執るのは司令官の日南少佐であり、現場の戦闘指揮を担うのは艦隊旗艦だが、母艦を伴うほどの長距離侵攻では、その中間に立ち現場状況を踏まえて司令官と作戦目標を精査し、現場の艦隊旗艦に助言、時には命令を下す作戦参謀が必要となる。通信技術は進歩したとはいえ、故障や戦闘による損傷も起こりえる。不測の事態に陥り作戦司令部と連絡が途絶した際、鹿島は司令官代行として指揮を執らねばならない。

 

 椅子に座ったまま背筋の凝りを解すように伸ばすのは鹿島。対する日南少佐は、気分転換するように制帽を脱ぐと、ややラフに手櫛で前髪を直した後は、顎に手を当て考え込んでいる。

 

  ――わ……ああいう伏し目がちな表情も……うふふ♪ って、そういう事じゃなくて。

 

 一瞬頭の中がもわもわしかけた鹿島だが、ふるふると頭を振って自分を現実に引き戻しつつ、こっそり自分側のスクリーンのズームと角度を調整して、イイ感じの角度で少佐の顔が映る様にし、デスクの下に隠した右手でよしっとガッツポーズを作る。

 

 元々の作りが良い男女は、素材をさらにいかすのにお洒落に敏感になるか、素材の良さそのままにシンプルな方向になる。軍人の日南少佐は制服生活なのでファッションに凝れるはずもなく、さらに彼自身の性向としても後者のタイプ。そんな彼だが、業務が忙しくなるにつれ髪を切る頻度が落ち、気づけば結構な長さの髪になっている。

 

 そんな話はさておき、膠着状態の理由ははっきりしている。端的に言えば編成。

 

 今回の遣北艦隊は低-中練度の水雷戦隊+αと護衛の空母を中核とするため、どうしても決め手を欠く状態が続いている。中でも少佐がモーレイ海の攻略戦力の中心と考えているのは初春・子日・若葉・初霜(第二一駆逐隊)で、まさに第一次改装以上第二次改装未満に当たる。

 

 最終的にはキス島沖を解放するまでが今回の出撃の目的だが、キス島沖での決戦戦力として帯同させた高練度の艦娘達を投入すれば早期の決着も期待できる。ただ、それをしてしまうと艦隊全体の練度の底上げは果たせない。

 

 

 現場にいる作戦参謀の鹿島は、現状を良しとせず早期攻略を狙う。

 

 総合指揮を執る日南少佐は、現状で可能な範囲の育成と攻略を狙う。

 

 

 教官としての鹿島(本来の役割)を考えれば、日南少佐と主張が真逆な気もするが、その理由について少佐には心当たりがあった。ぎぃっと椅子を鳴らし長い脚を組み替えた少佐は、ふっと表情を緩めゆっくりと鹿島に語り掛ける。

 

 「プレミーティングの際に自分が言った事……きっと教官は大切に感じてくれていると思います」

 「え……そ、それはもちろんです! 現体制になって初めての海域攻略、絶対に成功させないと!」

 

 胸の辺りまで持ち上げた両腕で可愛くガッツポーズを作る鹿島の姿を見ながら、少佐は自分の心当たりが間違っていないと確信した。

 

 焦り――――鹿島は明らかに焦っている。

 

 艦娘は往時の記憶に良くも悪くも影響を受ける。練習巡洋艦として数多の海兵を育てた鹿島だが、第四艦隊旗艦としては後方配置、後には第一護衛隊旗艦、最終的には海上護衛総隊に編入され終戦を呉で迎えている。つまり対潜掃討戦に関してはエキスパートだが、艦対艦戦の指揮に関して経験が乏しいのだ。そこにもってきて沖ノ鳥島泊地としての初戦、指揮官代行としての重圧、育成段階の艦娘、停滞気味の作戦遂行……意識してるかどうかは別として、鹿島が焦る理由は明確だ。

 

 「もう一度振り返って頂きたいのはーー」

 「はいっ! 今回の出撃は北方海域の前半戦……すなわちモーレイ海とキス島沖の海域解放を成し遂げ、沖ノ鳥島泊地、ひいては日南少佐の実力を広く知らしめることですっ」

 

 食い気味に答えを返した鹿島が困惑した表情に変わる。画面の中の日南少佐は、同意を示す縦ではなく、ふるふると首を横に振り、ゆっくりと諭すように届く声がスピーカー越しに届く。

 

 「振り返ってほしいのは教官ご自身です。『良い所を最大限大きく、悪い所は相対的に小さく』、それが信条(ポリシー)でしたよね。自分もそうやって育てて頂きました。だから結果はあくまでも結果であって、そこに至る過程を重視して事に当たる…それが教官の良い所を最大限大きくすることでもあると、自分は思います」

 

 話の途中から徐々に肩を落とし俯いていた鹿島は、しばらくしてツインテールを揺らしながら顔を上げ、柔らかい微笑みを画面に向けた。良い意味で肩の力が抜けたような、穏やかな表情。少し照れ臭そうに自然な笑顔を浮かべながら、本来の彼女らしい言葉を紡ぐ。

 

 「そっか……うん……そうですよね。二一駆の子達は必ずやってくれます。そのために鹿島がいるんですよね。少佐、ありがとうございます。………これじゃどっちが教官か分からないですね、えへへ♪」

 

 

 

 「隼鷹、あなた大丈夫なの? どっか被弾……いえ、燃料の入れ過ぎじゃないでしょうね?」

 「心配性だなぁ、飛鷹。さぁさっさと行こうじゃないの。これくらい酔ったうちに入らないっての

 

 モーレイ海(3-1)、CポイントとFポイントに陣取った敵艦隊との交戦を切り抜け海域最奥部へと急ぐ進出部隊にあって、黒髪ロングの飛鷹が荒れる潮風に長い髪を躍らせながら不審そうに振り返る。

 

 燃料とは隼鷹の場合アルコールである。

 

 飛鷹の視線の先、やや後方を疾走する隼鷹はといえば、へーきへーきと言わんばかりに手をフリフリし、ボソッと任務中(on duty)の艦娘が言うべきではない言葉を小さく零す。対潜警戒の之字運動というほど明確ではないが、この季節の北方海域特有の荒い波での揺れというには乱れた、軽―い千鳥足気味の航跡を残している。

 

 要するに二日酔い。攻略の過程で手に入った新鮮な秋刀魚&鰯が肴とくれば、毎晩の晩酌も進むというものだ。

 

 「福利厚生担当者だからねー、大事、大事ぃ!」

 

 夜ともなればすでに氷点下に近い気温まで下がる北方海域、『血の巡りをよくして体温維持、あたしらみたいな航空母艦は指先の感覚が生命線だからねぇ。砲雷戦だってそーだろ、なぁ?』と、聞けば何となくそれっぽい隼鷹の言い分。

 

 だがそもそも飛鷹型航空母艦の発着艦方式は式神、飛行甲板上を模した巻物を広げると白い式神が航空機に姿を変える謎技術なので、指先うんぬんは関係ない気がする。ともあれ、あすか改に持ち込まれたのは体を温めるどころか沸騰させそうな量のアルコール、そして順調に消費が進んでいる始末である。

 

 そんな隼鷹の呟きは、潮風に乗りその後方を進む二人の駆逐艦娘の耳に届いていた。

 

 「酔拳のようなものかの、いとおかし。ふむ……わらわも少々嗜んでもよいかの?」

 

 足元までもある長い藤色の髪をボリューミーなポニーテールにまとめ、口元を扇子で隠しながら一杯所望するのは初春型駆逐艦一番艦の初春。ワンピースのような白いセーラー服はかなりタイトで体にぴったりとしたデザイン、防寒性などこれっぽちもなさそうで彼女が体を温める云々を言うならまだ分かる。だがやはり艦娘なので、艤装の展開中は妖精さんの加護を受け、身体能力が外気から受ける影響など僅かな物。

 

 「任務中だ、ほどほどに……というか飲むな」

 

 並走する艦娘が呆れたような口調で言葉を返す。同型三番艦の若葉は黒のブレザーにプリーツミニスカートという、同じ艦型だが制服の意匠が全く違う。第一ボタンを開けたブラウスに合わせた緩めの赤いネクタイを激しく風に躍らせ、たまに顔に当たるネクタイに嫌な顔をして手で払いのけながら、視線はまっすぐ前……隼鷹と飛鷹の背中を越え、先頭を疾走する二人の駆逐艦娘-同型二番艦の子日と同じく四番艦の初霜-の背に注がれる。

 

 『みなさん、そろそろ敵の哨戒圏に入ります! 海域最奥部Gポイントでは空母ヲ級の出現も否定できません、対空見張り厳として! 合戦準備っ!!』

 

 後方に位置する母艦あすか改のCICから、指揮官代行を務める鹿島の指示が入り、間髪入れずに中盤を行く旗艦の飛鷹から指示が飛ぶ。

 

 「隼鷹、ただちに索敵機発艦!! 他の各員は艤装の動作チェックに入って! 凍結防止のためボイラーの温度は上げ気味にするのを忘れないで!」

 

 先頭を行く初霜が無言で両腕に装備した一二.七cm連装砲B型改二の動作確認に入る。制服の意匠は若葉と同様のものだが、彼女はブレザーのボタンをきっちり閉めているのが違いとなる。

 

 「えっと……仰角、俯角、揚弾機、全て動作良し。初霜、準備万端ですよ」

 「今日はどんな日かなぁ。きっと深海棲艦の命日かなぁ♪」

 

 柔らかな口調で戦闘準備を抜かりなく整える初霜とは対照的に、ふんふんと鼻歌を歌いながら同じように動作チェックを行いつつ物騒な事を言うのは子日。ピンク色の長い髪を三つ編みにまとめ、初春同様のタイトなセーラー服調の制服だが、こちらはスパッツ勢である。

 

 

 そんな中、困惑と緊張、その両方を声色に載せ隼鷹が叫ぶ。その内容は、遠く沖ノ鳥島泊地の作戦指令室にいる日南少佐が思わず立ち上がるほどのものだった。

 

 「敵艦隊発見……何だこの大群は……二艦隊いるような……戦艦四、軽巡二、駆逐艦四、輸送艦二……?」

 「なっ!? 連合艦隊級の敵が展開してるなんて情報は……鹿島、飛鷹、情報精査っ!」

 

 あすか改のCICからは鹿島の慌てる声が通信越しに聞こえ、艦隊にも動揺が広がる。戦艦四体を含む連合艦隊との戦闘など想定外にも程がある。

 

 だが唯一、旗艦の飛鷹は慌てた様子がなく、海面にしゃがみ込むと両手で海水を救う。北の海の冷たさにちょっと顔を歪めつつ、飛鷹はそのまま掬った海水をばっしゃーんと隼鷹の顔に掛ける。

 

 「どう隼鷹、目が覚めた? もう一度確認して」

 「ぶわっ!? 何すんだよ飛鷹っ。……って、あれ? 戦艦二、軽巡一、駆逐艦二、輸送艦一……一艦隊逃走したみたいだね、こりゃ」

 

 逃走じゃねーよ、この酔っ払い……と皆ジト目になり、当の隼鷹はいやーまいったね、と頭を掻いている。やれやれ、と頭を振った飛鷹だが、これで無駄な緊張がほぐれたと気合を入れ直し攻撃指示に移る。

 

 「少佐、鹿島さん、若干カウントミスがあったみたい、気にしないでくれると嬉しいわ。さあ、全力出撃よ!!」

 

 白い人形(ひとがた)は、荒っぽく吹き荒ぶ北の海風に舞い上がると、次々と艦載機へと姿を変え海域最奥部へと翼を連ねてゆく。



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