女剣闘士見参! (dokkakuhei)
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プロローグ

性懲りも無く新しい話を始めるよ。お暇ならどうぞ見て行ってください。


 道端に1人女が座り込んでいる。

 

「はぁ〜、どうしてこうなっちゃったんだろう。」

 

 見渡す限りの草原。なだらかな丘陵地帯に彼女はいる。そこで彼女は迷子になってしまったのだ。

 

 視界は良好、遮るものは何も無い、来た方向も分かる。迷子になる要素はカケラも無いが本当に迷子になったのだ。

 

「はぁ、お腹すいた。」

 

 グルルと怪獣の様な腹の音が鳴る。かれこれ1時間はここに座っていた。何故こんな事態になっているのか、事の顛末はこうだ。

 

 

 ーーー

 

 

「わー!ここに来るの凄く久し振りだ。全く変わってない!」

 

 ここはDMMO-RPGユグドラシルの中。有り体に言えば、ゲーム用のヴァーチャル空間だ。DMMO-RPGとは電脳空間に実際にダイブして楽しむ類のゲームで、体感型のゲームの最先端である。今、彼女の目の前に広がるのは電飾に飾られた街。紙吹雪が舞い、人々の往来も激しい。何かのお祭りの様だ。

 

 彼女の名前はリカオン。当然本名ではなくゲーム上のネームだ。彼女は一時期このユグドラシルにめっぽうハマり四六時中遊んでいた。就職を機に少し離れていたが、久し振りにログインしたのだ。

 

 彼女が戻って来たきっかけは、実はこのユグドラシル、今日でサービス終了となってしまうためである。その噂を聞きつけた彼女は居ても立ってもいられず慌ててログインしたというわけだ。

 

 

「自分のアバターも久し振りに見るなぁ。そういえばこんな姿だった。」

 

 このゲームの特徴は何と言ってもキャラクター作成の自由度である。凝り性な人ならキャラメイクで1日消費してしまう程キャラのパーツが豊富にある。そして種族・職業の種類は数千に登り、その上装備品の見た目・性能も自分好みに改変できるため、もはや無限の自由度と言えた。

 

 リカオンは前衛物理アタッカーだった。見た目もそれに準拠している。兜はヤカンをひっくり返して目の部分をくり抜き、頭に赤いトサカの様な飾りをつけた様なもの。鎧は動きやすさを重視して、鉄の胸当てにベルトを肩がけに2つクロスさせたものに革の腰当て。後は簡素な脚甲とブーツだ。

 

 武器は3種類。腰に下げた突剣と三日月刀、そして拳にはめる格闘武器だ。リカオンは取得職業を物理攻撃に傾倒させているので斬・突・打全てトップクラスの攻撃力を誇る。代償に魔法はからきし、防御も気休め程度だ。

 

 顔は自分の願望を込めた美形。髪は黒のボブカット。体型は筋肉質だが、スラリと伸びた長身で暑苦しさを感じないナイスバディである。

 

 

「でも、本当にユグドラシル終わっちゃうのか。残念だけど仕方ないかな。」

 

 どれだけ人気のゲームも時の流れには逆らえない。見やると街の垂れ幕に今までありがとうの文字。運営が用意したのだろう。それを見た途端、寂しさが一気に膨れ上がった。せめて今日は最後の最後までいよう。

 

 彼女はずっとソロで活動して来た。主な活動は傭兵業だ。いろんなグループを渡り歩き、モンスター討伐やギルド抗争などに参加した。彼女は割と腕の立つプレイヤーで顔が売れており、フレンドも多かった。

 

「今日はみんな来てるかな。」

 

 皆に挨拶して回りたい気もしたが、少し1人でワールドを見て回る事にした。運営の用意した最後のイベントを楽しもう。

 

 

 ーーー

 

 

「凄いな運営。この為だけに新しいテクスチャ作ったろ。本当よくわからないところでこだわるね。」

 

 祭りの屋台で出されている料理の多さに半ば呆れながら、街を練り歩く。サービス最終日ということで彼女みたいに戻ってくる人間が多いのか、街はかなり活気付いていた。

 

 いろんな催し物がある。今までイベントで使われたミニゲームが全て揃っていたり、設定資料の公開なんかもしてあったりした。そんな中彼女はある看板が気になった。

 

「なになに?ユグドラシルなんでもランキング?」

 

 どうやら運営が独自にカウントしていたデータをランキング形式で表示しているらしい。

 

「モンスター討伐数ランキング、希少アイテム発見ランキング…へぇー」

 

 ランキング上位には有名プレイヤーの名前がズラリと並んでいる。自分の名前がないかと探して見たが残念ながらどこにもなかった。

 

「結構やりこんだつもりだったんだけどなー。やっぱり上には上がいるという事か。…ん?これは?」

 

 1つ気になるランキングを発見した。

 

「PK数ランキング?一位は…あーあいつか。」

 

 そこにあったのはモモンガという名前。アインズ・ウール・ゴウンという異形種ギルドに属するオーバーロードだ。

 

「多分あれのせいだ。」

 

 アインズ・ウール・ゴウンはユグドラシルプレイヤーなら一度は聞いたことのあるギルドで、PKKを大々的に行なっていた恐ろしい集団である。そのメンバー41人はどいつもこいつも癖のある奴らで邪智暴虐の限りを尽くしていた。

 

 ある時、ギルドに恨みがある人間が打倒アインズ・ウール・ゴウンを掲げその拠点に攻め入ったことがある。その数何と1500。その中に傭兵として雇われたリカオンもいた。

 

 結果は1500対41にも関わらず、侵攻側の全滅。伝説の一戦となった。その時殆どのプレイヤーを葬ったのがモモンガだった。

 

「あの戦いは楽しかったなー。そうだ!ちょっと覗きに行こう!」

 

 彼女はお化け屋敷に入る子供のようにはしゃぎながらアインズ・ウール・ゴウンの拠点、ナザリック地下大墳墓に向かった。

 

 

 ーーー

 

 

「えーと。こっちだったっけ?」

 

 ナザリック地下大墳墓は入り組んだ沼地の奥にある。なんとか記憶を辿りながら目的地を目指す。時刻は午後11時半を回っている。少し急がねばゲームの終了をつまらない場所で迎えてしまう。

 

 鬱陶しい雑魚敵を倒しながら足早に歩を進める。

 

「はやくはやく。あー!あった!」

 

 そこには昔見た姿と変わらず立派な造りの墳墓が建っていた。

 

「懐かしー!確か8階層ぐらいまで進んだんだっけ?」

 

 思い出が蘇る。強大な敵とスリリングな罠。ユグドラシル中どこを見渡してもここまで計算されたダンジョンは他に無かった。まさにラストダンジョンと呼ぶにふさわしい代物であった。それが1プレイヤーギルドの拠点なのだ。運営はもう少しダンジョン設計を頑張った方がいい。

 

 1人でぐるぐると周りを見学しながら、彼女はある衝動に駆られる。

 

「入ってもいいかな?」

 

 当然1人では返り討ちにあうのは決まり切ったことである。ただ腕試しにどこまでいけるか試して見たくなった。そうと決まれば善は急げ、入り口に勢いよくダイブする。

 

「たのもー!」

 

 

 

 

 この時彼女は気がついていなかったのだが、ナザリック地表部を探索している間にその見事な造りに目と時間を奪われて既に時間は刻限を指していた。

 

 奇しくも彼女が入り口を潜ろうとした瞬間、丁度24時になってしまっていたのだ。

 

 

 ーーー

 

 

「たのもー! あれ?」

 

 彼女は意気揚々と悪魔の寝床の門を潜った。しかしその先に広がっていたのは見渡す限りの草原。

 

「す、す…。」

 

 

 

 

 

 

 

「すげー!ダンジョン作り変えたんだ!」

 

 彼女が前ナザリックに侵入した時、1階層はアンデットが渦巻く石造りの迷路だった。それが今ではどうだ。視界の開けた全く別の空間。流石大物ギルドはやることが違うぜ。

 

 そんな訳ないのである。

 

 興奮冷めやらぬまま彼女は進む。取り敢えず道を発見したので道なりに下階層に降りる階段を探すことにした。入り口がどこにも無いことには敢えて触れなかった。

 

 

 

 草原は彼女の知らないことばかりだった。まず空気が美味しい。今までこんなことはなかった。料理等は食べることができたが、匂いも感じることはできなかったし、味も同様であくまで気分を味わうためだけのものに過ぎなかったのだ。

 

「私がいない間にパッチでも当たったのかな?それともMODを入れているのかな?」

 

 彼女は少しアホだった。どれくらいアホかというと、利用規約を碌に読まずに"同意する"のチェックボックスにレを記入するぐらいのアホだ。

 

 例えば、今まさに感動のあまり時間のことをすっかり忘れている。

 

 

 

 彼女はすっかり上機嫌で小躍りでもしそうなほど舞い上がっている。しかしそんなお祭り人間に忍び寄る影が複数。ただ彼女も100レベルプレイヤーの端くれ、殺気にすぐさま反応する。

 

 ガサガサと草叢を掻き分けて出てきたのは、なんてことも無い最弱モンスターのゴブリン達である。数にして6。彼らは獲物が1人だと思って油断したのだろう、近付いてくる歩調に慎重さの欠片もない。

 

「うわ、ゴブリンとか久しぶりに見た。出現するエリアに長らく行ってないからなぁ。」

 

 彼女は闖入者を歯牙にも掛けず、無視して先を急ごうとする。しかし、いつもなら敵モンスターの警戒エリア外に出ると戦闘状態が解除されるのだが、中々しつこく追い縋って来る。

 

「メンドくさいな、もう!」

 

 彼女はスキルを使ってゴブリンを一掃しようとするが、そこで異変に気がつく。

 

 

「あれ!?スキルコマンド出ないんですけど!」

 

 

 しばらく離れていたとはいえ、何百、何千と振るっていたスキルの出し方を忘れるわけがない。

 

「というかステータスボードも出ない!」

 

 迫り来るゴブリン達。こうなったら仕方がない。適当にやってやれ。

 

「ええい!」

 

 彼女は三日月刀を抜き放ち、横薙ぎに振るう。

 

『スキル:円明』

 

 彼女がぐるりと一周し刀の鋒が円を描いたと思うと、次の瞬間全てのゴブリンの上半身が吹き飛び、下半身は噴水のように赤い液体を吐き出しながら力無く倒れて行った。

 

 

「出た…。」

 

 

 何となくいつもの感じでやったらスキルが発動した。彼女は何もコマンドを入れておらず、ただ頭の中でやろうと思っただけである。

 

 

「え、別ゲームになってんじゃん。」

 

 

 ーーー

 

 

「うわー、どうしよう。」

 

 ここまで来たらいくら鈍感でも気がつく。何かがおかしい。多分此処はナザリックでは無いだろう。全く知らない所にあてもなく放り出されたのだ。

 

「コンソールが出ないからログアウトも出来ない。」

 

 腹の虫がなる。ゲームをやってて空腹を感じたことは一度もなかった。疲労もある。今まではステータス異常としてただの数字の管理だった部分が全て自分のことのように感じる。

 

 まるでゲームが現実になったかのように。

 

「これからどうしよう。」

 

 さっきまでの気楽さは影を潜め、絶望混じりの声が出る。わからないことが多すぎる。帰りたくても帰れない。すべきことがわからない。怖い。

 

 

「うぐぅ。うえぇ。」

 

 嗚咽混じりの泣き声が漏れる。縮こまり、膝を抱えおいおいと泣く。もうだめだ。私はここで餓死するんだ。

 

 

 

 

 

「あの、大丈夫?」

 

 上から声がする。驚いて顔を上げると、ローブを被った軽戦士の格好をした女性がこちらを伺っている。

 

「あ…あ…うわーん!」

 

「ちょっとどうしたの!?落ち着いて!」

 

 宥めるのに10分かかった。

 

 

 ーーー

 

 

「迷子ぉ?」

 

「はい…。」

 

 道端に奇怪なヤカン頭が蹲って呻いていると思って、声をかけてみたのだが、事情を聞けばとんだ拾い物だ。

 

「この道は街と街を繋ぐだけで分かれ道もないし、どちらかに行けば街に着くけど…。」

 

「そうなんですか?」

 

 こいつマジか。とんだ痴呆に捕まってしまったな。さっきゴブリンの惨殺死体を見つけてまさかこいつかと思ったが、どうみてもそうは思えない。武器は立派なものだが本人は凄みを感じないし、さっさと行ってしまおう。

 

「じゃあ私は行くから。気をつけてね。」

 

 スッと立ち上がると踵を返す。

 

「あの…ついて行ってもいいですか?」

 

 うげぇと顔を顰める。もちろん相手に見えないように。

 

「ゴメンね、先を急ぐから。」

 

 ぎこちなく笑顔を作り、キッパリと拒絶する。

 

「後ろをついて行くだけでも!」

 

 期待に満ちた声。

 

 

 

 

「…いいよ。」

 

 メンドくさいし適当に走って振り切ってやろう。いざとなれば…。

 

「ありがとうございます!私リカオンといいます。貴女は?」

 

 

 

 

「…クレマンティーヌ。」

 

こうして奇妙な2人旅が始まった。

 

 

 

 

 




見切り発車で始まりました。次いつ書くか分かりません。


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第1話 ハングリー精神で行こう!

クレマンティーヌのキャラ崩壊が激しいです。原作の尖った彼女が好きな方はご注意を。







 星明かりの夜の街道を縦に並んで歩く影が2つ分。いや、歩くというのは少し語弊がある。確かに見た目は歩いているように見える。ただそのスピードは大人の男が全力で走っても追いつけない速さ、馬車などと同じような速さが出ている。

 

 クレマンティーヌは内心苛ついていた。まだ本気を出していないとはいえ、並の人間が自分の移動スピードについて来られるはずがない。しかも相手はさっきまで空腹で蹲っていたアホだというのに、人外級の自分の速さで振り切れないというのが殊更腹が立った。

 

「ねぇ、クレアー。折角だから話しでもしながら行こうよー。」

 

 その上これである。10分前まで敬語だったくせに、いつの間にかタメ口をきいているのだ。

 

「ねぇねぇねぇー。」

 

 本当に鬱陶しい。こんな奴に話しかけなければ良かった。いつもなら素通りするのに何で気まぐれなんか起こしたんだろう。

 

「あのさ…。さっきから気になってるんだけど、クレアって何?」

 

「あー!やっと話してくれた!クレマンティーヌじゃ長いでしょ?だから渾名考えたの。私のこともリカって呼んでいいのよ?」

 

「じゃあリックで。」

 

「えー、可愛くない。」

 

 細やかな抵抗である。こいつとは仲良くする気は無いのだ。街に着くまでの辛抱だと自分に言い聞かせる。殺しても良いのだが何故か躊躇われた。自分の戦士としてのプライドがこんな奴相手にするなと言っているのか、はたまたそれとも…。

 

「何処に向かってるの?」

 

 クレマンティーヌが心の内で何を思っているかはつゆ知らず、相手は気安く話しかけてくる。気に入らないが仕方なく答えてやる。

 

「エ・ランテル。」

 

「どんな所?」

 

「城塞都市、戦争の戦略拠点。」

 

 出来るだけ簡素な答えを選んでいく。無視すれば凄く五月蝿く、会話を続けようとすると止まらないからだ。クレマンティーヌはこの短時間でそれを学んだ。

 

「へぇ、戦争してるんだ。何処と何処が?」

 

 おや?とクレマンティーヌは思った。後ろからする気配が少し変わったからだ。獲物を品定めする獣のような、自分に近い雰囲気を感じ取った。

 

「王国と帝国ね。年に1回、秋にやってる。」

 

「どっちが強いの?」

 

「帝国ね。王国が勝ってるのは数ぐらい。」

 

「ふーん。戦って見たいな。」

 

 クレマンティーヌはどっちと?と聞きそうになったが、分かりきったことなので止めた。後ろにいる奴も何のことはない。自分と同じ、己の力を振るう事に生きがいを感じるような戦士なのだ。今振り返ったら恐らく、凶暴な貌をした獣と目が合うだろう。

 

 ニヤリと口元が緩む。久し振りにいいサンドバッグが見つかったかも知れない。自然に手がスティレットの位置を確認する。もうすぐ使う機会が訪れるかも知れないと。

 

 クレマンティーヌが1人緊張を高めていると、

 

 ぐぎゅるるる…。

 

 すごい音がなった。

 

「ねぇクレアー。まだつかないの?お腹すいたー!」

 

 クレマンティーヌはさっきの考えを改める。こんな奴が自分と同じ戦士な訳ない。

 

 

 ーーー

 

 

 何時間歩いただろうか。夜も更け、草木も眠る時間帯となり、聴こえるのは虫達の喧噪ばかりとなった。クレマンティーヌはピタリと歩を止める。

 

「どうしたの?」

 

「今日はここで休む。」

 

「野宿だね!」

 

 クレマンティーヌは内心歯噛みする。今日はついぞこいつを引き離せなかった。体力は並の戦士ではないと認めざるを得ないだろう。移動している時から分かっていたが、こうして実際についてきている事を見ると渋々実感する。

 

 クレマンティーヌがどさりと石に腰掛けると、リカオンはその隣にいそいそとやって来る。随分と懐かれたらしい。犬かこいつは。

 

 無視して懐から干し肉を取り出し、少しずつ千切って口に含む。何か物凄い視線を感じるが、絶対にやらん。

 

「じゅるる…。あのー。」

 

「何?」

 

 用件は聞くまでもないだろうが、素知らぬ振りをする。

 

「ちょっと分けて。」

 

 そら来た。

 

「いやー、生憎一人旅だったもんで私の分しかないなぁ〜。どうしてもっていうなら交換だね。例えばその突剣とか。」

 

 優位な立場に立ったのが原因かクレマンティーヌは生来のSっ気を全開にさせる。リカオンはぐぬぬと呻いた後、肉と剣を交互に見る。

 

「ダメ!やっぱりポチは手放せない!」

 

(ふふん、勝った。ん?ちょっと待って。)

 

「ポチ?」

 

「剣の名前。こっちはタマちゃん。」

 

 リカオンは突剣と三日月刀を手に取ってご満悦の様子。クレマンティーヌはどっと疲れた顔をする。剣の名前にそれはねーよ。おかしな奴だと思っていたが、もはや理解不能の域だ。

 

「じゃあそっちの格闘武器は?コロ助とか?」

 

 クレマンティーヌはリカオンの持つ、ガントレットとナックルダスターが合体した様な武器を指さし、もう好きにしてくれと半ば諦め気味の質問を飛ばす。

 

「これ?これはね。シャーデンフロイデ。」

 

「何でだよ!!」

 

 

 ほんと疲れる。

 

 

 ーーー

 

 

 肉を貰えないと悟ったリカオンは早々に寝てしまった。クレマンティーヌも今日は思わぬ拾い物をして、疲れたので眠ろうと考えていた。この辺りのモンスターが襲って来ても近づく前に気が付いて返り討ちにできる。さっさと寝てしまおう。

 

 寝てしまおうと思っていたのだが。

 

「ぐごごー。」

 

(五月蝿い…。)

 

 今まで聴いた中で一番大きないびきだ。起きていても寝ていても五月蝿いなど、もうどうしたらいいのだ。というかフルフェイスの兜を着けたままでこの音だ。外したらどうなるのか。

 

「というか、寝るときぐらい外さないの?」

 

「ぐごごー。ごごっ。」

 

「…。」

 

 兜の下はどうなっているのだろう。クレマンティーヌは興味を持った。訳あって隠しているのか、顔がバレると何かまずいことがあるのか、もしかするととんでもない醜女なのかもしれない。

 

 クレマンティーヌは兜に手を伸ばす。そっと首元に手を掛ける。そして一気に上に引き上げる。

 

「…え、取れない。」

 

 固まった様に腕が上がらない。見るとリカオンに手首を掴まれている。

 

「なっ!」

 

 手を振り解き、すぐさま後ろに跳んだ。一番驚いたのは掴まれるまでリカオンが動いたのを認識することができなかった事だ。

 

「駄目だよー。」

 

「起きてたの?」

 

 クレマンティーヌは咄嗟に、バツが悪そうに口を結んで、上目遣いで相手を見る。しかしリカオンはこちらを見ようともせずその場で呻くばかりだ。

 

「んー、これ以上は、これ以上はー。」

 

「…?」

 

 何か要領を得ない。

 

「何でこんなもやしばっかり…。もやし…。うう、これ以上はー。」

 

 リカオンは芝居掛かった、ある意味綺麗な寝相でのたうち回っている。

 

「え?」

 

「もやし…。うっ。」

 

 そしてガクリと力無く項垂れて、再びいびきをかき始める。

 

「…偶然掴まれたって事?」

 

 無意識のうちの行動だったので、気配を感じられず掴まれたのを認識できなかったのか。それを答えるものはいない。

 

「あり得るの?そんな事。」

 

 今ここに寝ている奴はとんでもない化け物なんじゃないのか。突然この得体の知れない阿呆が恐ろしく思えて来た。

 

「いや、無いよね。」

 

 人は未知に対して過大な恐怖を覚えるものだ。奇怪な格好と言動に少し惑わされただけだ。兜の謎はまたの機会にして今日は寝よう。

 

 クレマンティーヌはリカオンから20メートル離れた。そうしなければ五月蝿くて眠れそうにない。

 

 

 ーーー

 

 

「おはよー!クレアってば、ねぼすけさんだね。寝相も悪いし。元いた場所からこんなに転がっちゃって。」

 

 今までこれ程までムカついた目覚ましは生まれて初めてだ。クレマンティーヌは強く歯軋りしながら無理やり笑顔を作る。もう反論はしない。クレマンティーヌは学習したのだ。適当に流して、黙々と移動する準備をする。

 

「ん。」

 

 やたら視界に入ろうとするリカオンから無理やり目を逸らしていると、草叢の陰で蠢くものに気が付いた。距離は300m程、ゴブリンのようだ。そしてその後ろには棍棒を手に持った巨体、オーガがいるのが見える。クレマンティーヌからすればなんの面白味もない雑魚だが、数が多い。

 

 ゴブリン12匹にオーガが3匹。この草原で遭遇するにしては異常な数だ。リカオンも気が付いているようで、どうする?と聞いてきた。

 

「私は別にどっちでもいいけど。あいつら大所帯だし食料の1つや2つ持ってるんじゃない?」

 

 そう言うと、リカオンの目が爛々と輝き出した。どうやらやる気になったようだ。クレマンティーヌとしてもリカオンの実力をはっきりさせたかったし、上手くいけばオーガが五月蝿い蝿を始末してくれるかも知れなかった。淡い期待を抱いて集団に目を戻す。

 

 敵の進行方向からすると、こちらに気が付くのは時間の問題だ。リカオンは軽く準備運動をしている。腕を十字に組み筋肉をほぐした後、屈伸を2度、最後に宙返りをしてみせた。

 

「良し。」

 

 身体の調子を確認し終えたリカオンは突剣を左手に持ち、右手に格闘武器をはめた。すぅ、と息を大きく吸い込み、後ろに仰け反る姿勢になったと思うと、犬歯を剥き出しにした獰猛な笑みを見せる。そして大声で大気を震わせた。

 

 

 

()ラァアアーーー!!!!」

 

 

 

 音の波で周りの草が薙ぎ倒される。人間程度なら近くに居ただけで破裂しそうだ。危機を察知したクレマンティーヌはいち早く耳を塞いで難を逃れた。リカオンは既に敵に向かって走り出している。かなりのスピードだ。

 

 亜人の集団はやにわ驚き、ゴブリンなどは慌てふためいて逃げ出そうとするが、オーガが一声掛けると我を思い出し戦列に戻る。リーダー格と思わしきオーガは音の発生源を睨め付けると、いつの間にか近くにいる人間が1人。

 

 眉間にしわを寄せ訝しむが、その人間の腰に下げた得物を見て鼻を鳴らす。

 

「オマエ、オデノこブンヲコロシたヤつカ。」

 

 どうやら昨日の6匹のゴブリンのことを言っているらしい。相手は自分たちの仲間を死に至らしめた犯人を探して居たようだ。

 

「へぇ、だったらどうするの?」

 

 リカオンの挑発にリーダー格のオーガの顔が斑らに変わり、怒りの咆哮を上げる。

 

「コロス!コろシテクウ!」

 

 そう発言すると、周りのオーガやゴブリン達も同調し、一斉に騒ぎ出す。

 

「コロス!」「ころス!」「クウ!」「クウ!」「コロす!」「コロシテくう!」「ウおォォ!!」

 

 恐ろしい亜人の合唱が辺りに響き渡る。並の人間なら恐怖のあまり腰を抜かして意識を手放してしまうかも知れない。ただ、ここには並の人間は居ない。

 

「あは!」

 

 リカオンは短く笑うと、低くジャンプした。手前にいたゴブリンを足蹴にすると、リーダー格のオーガ目掛けて一直線に飛び込む。オーガは棍棒を抱えて防御姿勢を取ろうとするが、弾丸のような速度で飛んでくる突剣を防ぐこと能わず。

 

 剣の軌跡はザクリ、と首を串刺しにする。リカオンの体当たりにオーガの身体はバランスを保つことができず、そのまま後ろに倒れこんだ。オーガは呻き声を上げる事すら出来ず、ただ口から血とゴポゴポと詰まりかけの排水口のような音を立てるのみだ。

 

 リカオンが剣をずるりと引き抜くと数秒痙攣した後、動かなくなった。自分たちのリーダーがやられたのを目の当たりにしてゴブリン達は動くことができない。先に驚きと恐怖から解放された(危機感が鈍い)オーガ達がリカオン目掛けて一斉に棍棒を振り落とす。

 

 しかし、スピードがまるで違う。リカオンは棍棒を潜り抜け、オーガの1匹の懐に潜り込むと、身体を開き右腕を大きく振りかぶって思いきり殴りつける。

 

「どっせーい!」

 

『スキル:金剛頂』

 

 リカオンの拳がオーガの腹に突き刺さったと思うと、オーガの硬い皮膚がまるで水面に石を投げ込んだ時のように波打った。次の瞬間、全身から血を吹き出して崩れるように前屈みに倒れ込んだ。リカオンの突きの速度が衝撃の伝う速度を凌駕した為である。

 

 立て続けにオーガが殺されたのを見て漸くゴブリン達が動き出す。まさか闘おうという意思を持つものはおらず、遮二無二逃げ出そうと敵に背を向けて走り出した。それを逃すリカオンでは無い。

 

「えいや!」

 

 自分から一番遠いゴブリンに突剣を投げつける。突剣は容易くゴブリンの頭を貫き、仕留めた。

 

「ア、ガ…。」

 

 血を撒き散らしながらゴブリンが果てる。生き残ったゴブリン達はまたもや足を止めなければならなかった。敵から一番遠い仲間がやられたのだ。次に逃げ出そうとしたやつから順に殺されるかも知れない。

 

 ゴブリン達は注意深く敵を見る。不気味な薄ら笑いを浮かべた口元は死神の鎌を思わせるほど鋭く尖っている。ゴブリン達は出来るだけ敵から目を逸らさないように、そして目を合わせないようにしながら身の振り方を考える。目を合わせたらそれだけで殺されそうな気がした。

 

 いっそチャンスを待って全員で襲いかかった方が良いのではないか、そんな気分さえしてくる。重要なのは誰が口火を切るかだ。

 

 チャンスは思ったよりすぐに訪れた。敵が剣を手放したのを見て、生き残りのオーガが攻撃を仕掛けたのである。愚鈍な馬鹿でもこういう時は役に立つ。これを逃すまいとゴブリン達も合わせて一斉に飛びかかった。

 

「ゴォォアァ!」

 

 オーガは仲間を殺された怒りを載せて棍棒を振るう。彼の生きてきた中で最高の一撃であった。当たれば敵の頭なんてぐちゃぐちゃになる。そう思いを込めながら持てる全ての力で殴り付ける。

 

 しかし残酷なことにその一撃は空を切る。リカオンが右手で棍棒を払い除けたのだ。そして武器を投げて手空きになった左手で手刀をつくり、あろうことか()()()()()()()()()

 

「ギィヤァアアァ!!」

 

 その悲鳴と悲惨な光景は残されたもの達の心をへし折るのに十分だった。それこそゴブリン達のなけなしの闘気の炎も消えて無くなってしまう程度には。

 

 

 後にあったのはただの殺戮。

 

 

 ーーー

 

 

 クレマンティーヌは感心していた。リカオンは強さもそうであるが、何よりも多対一の戦闘に慣れているのだ。敵がどんなに弱くても、どうしても数の有利は発生してくる。常に相手の機先を制し、自分のペースに持ち込む術を身につけていると思った。リカオンは戦闘の中で恐怖という感情までも操って戦っていた。

 

 一番初めにリーダーを殺したのも、一番遠いゴブリンから殺したのも、出来るだけ残虐に殺したのも全て計算づくだろう。

 

(まあ、私の方が早くできたけど。)

 

 

「らっきー!食料みっけ!」

 

 リカオンはゴブリンが背負っていたサックから干し肉を見つけて大喜びだ。そのまま兜を脱いでかぶり付く。

 

 そう兜を脱いで。

 

 クレマンティーヌは目を丸くした。

 

「えっ…。」

 

「?どうしたの?あっ、お肉欲しいんでしょ。でもこれ1一人分だからぁ、あげなーい!どうしてもっていうならぁ…。」

 

 リカオンは見当違いなことを言っている。

 

「兜、なんで外したの…?」

 

「え?外さないと食べられないじゃん。」

 

 当たり前のことを言うリカオン。それはそうなのだが、いまいち納得できないクレマンティーヌは食い下がる。

 

「でも昨日寝る時付けたままだったじゃん。何か理由があるのかと…。」

 

 リカオンは少し考えてから。

 

「そういえば取るの忘れてた。」

 

 ぺろっ、と舌を出すリカオン。その言葉に嘘はなさそうだ。ということはクレマンティーヌは夜、何でもないのにリカオンの兜について無駄に深読みをしていたわけだ。そしてその後の恥ずかしい一人芝居も。

 

「あっ!」

 

 夜といえば、こいつの眠りがあんなに深いなら、ほっぽり出して1人で先に行けばよかったのだ。

 

「はあぁー。」

 

 深い溜息をつく。朝からものすごい疲れた。

 

 

 ーーー

 

 

 朝陽が差す街道を漫ろ行く影が2つ分。心なしか前の影は元気がないように見えた。

 

 

 

 

 

 



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補足:リカオンの設定

 本編ストーリーと関係ないけどちょっと関係ある、でもやっぱり関係ない設定の部分。ハイパー捏造設定集になっているので興味ない方はスルー安定です。

 

 

 ◆リカオン基本情報

 身長:170.3㎝

 体重:61kg

 体重(装備込):68.5kg

 スリーサイズ:B83W63H88

 足のサイズ:25cm

 

 

 ◆リカオンユグドラシル上ステータス(MAX100)

 HP(体力):75

 MP(魔力):30

 ATK(攻撃力):98

 DEF(防御力):40

 DEX(器用さ):80

 AGI(素早さ):85

 INT(賢さ):30

 LUK(運):85

 

 

 ◆リカオン取得職業

 ソルジャーlv5

 グラディエイターlv15

 ハイグラディエイターlv15

 ソードマンlv10

 ソードマスターlv10

 ウォーリアlv6

 レンジャーlv4

 バンデッドlv5

 モンクlv10

 ガイキマスターlv10

 ベンケイlv5

 アシュラlv5

 計100lv

 

 いかに効率良く物理攻撃力をあげられるかを追求したビルド。物理アタッカーとしての火力・継戦能力はトップクラス(ワールドチャンピオンを除く。)

 捏造ジョブ、ベンケイは属性の違う武器を制限無しに使用可能になり、専用パッシブスキル<スキル複合(コンビネーション)>で同時に2種類の攻撃スキルを発動可能になる。

 

 

 ◆リカオン装備

 頭:剣闘士の兜+5

 体:剣闘士の鎧+5

 足:剣闘士の脛当+5

 武器1:気炎のシミター(ポチ)

 武器2:雅蘭のレイピア(タマちゃん)

 武器3:太清のグローブ(シャーデンフロイデ)

 アクセサリー1左手親指:<虚偽情報・生命(フォールスデータライフ)>の指輪

 アクセサリー2左手人差指:鷹の目石の指輪

 アクセサリー3左手中指:赤眉の指輪

 アクセサリー4左手薬指:溢れる泉の指輪

 アクセサリー5左手小指:身代わり石の指輪

(右手は太清のグローブを着用するためアクセサリー装備不可)

 

 装備の殆どは伝説級。太清のグローブのみ神器級のアイテム。

 

 姿のイメージはPSP専用ソフト『剣闘士グラディエータービギンズ』のパッケージイラストそのまま。

 気炎のシミターは装備時にHPがMAXならMPを徐々に回復、MPがMAXならHPを徐々に回復するという特殊効果がある。

 雅蘭のレイピアは状態異常攻撃の成功率がupする特殊効果がある。

 太清のグローブは攻撃ヒット時に相手のバフをランダムで1つ消し去る効果がある。

<虚偽情報・生命(フォールスデータライフ)>の指輪は読んで字の如く相手の撹乱するための装備。クレマンティーヌがリカオンの実力に気が付かないのはこれのせい。

 鷹の目石の指輪は相手の弱点耐性で攻撃する時クリティカル率を上げる効果。クリティカル時攻撃力はDEXとLUKで決まるのでリカオンのクリティカルは高威力になる。

 赤眉の指輪は戦闘中与えたダメージ量に基づいて攻撃力がupする効果。上昇値の上限は最終与ダメージ2倍までで、一度でも攻撃を受けると効果は解除される。

 溢れる泉の指輪はスキル取得可能量を増やす効果。普通より多くのスキルを取得可能になるが、外した時は取得時期が古いスキルから充当されて行くため、充当されなかったスキルは一時使用不可能になる。もう一度装備すれば使用可能状態に戻る。

 身代わり石の指輪は一定時間内に最大HP以上のダメージを受けるとそのダメージを無効化し、代わりに破壊される効果。例えば最大HPの10%の攻撃を短時間に連続で10回受ける事でも発動する。逆にHPが減った状態で、暫く後に最大HPの80%ほどの攻撃を受け、HPが0になるとしても発動しない。

 武器の愛称の元ネタはディズニーアニメーション『ファイヤーボール』(人類が獣につける名前は僅か128通り。)に因む。

 

 

 ◆リカオンスキル

 

 攻撃スキル44種

 補助スキル44種

 パッシブスキル12種

 計100種。容量いっぱい。

 

 一例

 

『円明薙』

 斬属性。範囲攻撃。

 

『金剛頂』

 打属性。高威力。スキルクールタイム長め。

 

 

 ◆その他

 カルマ値は50(中立)

 

 

 キャラクター掘り下げのために無駄に使った設定ですが、ストーリーで活かされることはほぼなさそう。本編もだいたいこんな感じでグダグダ進みます。

 

 



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第2話 鬼ヶ島は何処?







 昼下りの街道、相変わらずクレマンティーヌとリカオンは縦に並んで歩いている。朝にリカオンが虐殺を敢行してから他にイベントは1つも起きていない。ただ代わり映えのしない草原をずっと道なりに進んでいるだけだ。

 

「まだ着かないの?」

 

「分かんない。」

 

 この辺りは正確な地図もないのだ。せいぜいが点在する村の数と方角ぐらいしかわからない。エ・ランテルに到達する時間などは、土地勘のある人間でなければ知る由もなかった。

 

 リカオンも初めのうちは道ゆく景色に心躍らせていたが、すぐに飽きたようでクレマンティーヌにウザ絡みをする以外やることがなくなっている。

 

「クレア、さっき私が兜とった時すごいこっちのこと見てたでしょ。私があんまり美人なもんで見とれちゃった?」

 

 実際それはあった。軽装の割にフルフェイスの兜を被っているのだから、いったいどんな顔をしているのか気になっていたが、蓋を開けてみれば、想像に反して誰もが振り返るような整った顔がそこにあったのだ。不覚ながらまじまじと見てしまった。

 

「ん、別に。」

 

 だがクレマンティーヌは素っ気なく返事をする。ここで余計なリアクションを取れば相手のペースに巻き込まれる。

 

「むぅー。最近クレア冷たくない?」

 

 最近って昨日会ったばかりだし、いったい何時仲がよかった時があったのか、ツッコミを入れたくなったが、ぐっと堪える。ただリカオンではないが確かに草花を眺めるだけの道中はつまらない。そろそろ退屈を吹き飛ばす様な画替わりが欲しい。そう考えていると、道の前方に2人組の旅人らしき人影が見えた。

 

 

「こんにちは!」

 

 無駄にでかい声でリカオンが旅人に挨拶をする。2人組はものすごい速度で迫り来る謎の女2人に驚いた様子だったが、会釈で返してくれる。

 

 旅人は見るからに厳めしい黒いフルプレートの甲冑を着込んだ巨漢と黒い髪を後ろに束ねて茶色いローブを着た女性の組み合わせだった。

 

「いや、奇遇ですね。このようなところで人に出会うとは、お二人はどちらに行かれるのですか?」

 

 甲冑の人物が丁寧に語りかけてくる。見た目とは裏腹に穏和で出来た人物のようだ。リカオンは日本人的な精神を感じ親近感を覚えた。

 

「エ・ランテルです。」

 

「おや、これまた奇遇ですね。我々もエ・ランテルに向かうところだったのですよ。」

 

「わぁ!そうだったんですか?奇遇ですね。」

 

「ところで、我々はこの通り旅人でしてエ・ランテルに行くのは初めてなのですよ。どういったところなのか差し支えなければ教えて頂けませんか?」

 

「実は私も初めてで…。分かる範囲でならお教えしますよ、クレアが。ほらちょっと。ねえ、クレア聴いてる?」

 

 リカオンと男は会話を弾ませる。しかし、会話の文面だけ見れば和気藹々とした雰囲気なのだが、場には殺伐とした雰囲気が漂っている。ローブの女とクレマンティーヌが剣呑な雰囲気で睨み合っているのだ。

 

 クレマンティーヌはこの2人組から血腥い臭いがするのを第六感で感じ取っていた。さっきからガン飛ばしてくる女もそうだが、男の方がヤバイ雰囲気がする。佇まいは紳士然としているが、此方にくれる一瞥は冷徹な捕食者を思わせる。

 

「モモンさーーーん。こんな下等生物(ヒトスジシマカ)共など放っておいて先を急ぎましょう。」

 

「ナーベ。もう少し節度を持った言い方を心がけよ。無為に敵を増やすものではない。」

 

「ハッ。申し訳ございません。」

 

 どうやら男は仲間の女に手を焼いている様だ。女は仕草上では謝罪の意を示しているが、何が悪かったのかは理解できていない様子。男は半ば呆れてしまっている。その姿は覚えの悪い子供に礼儀を教える親みたいで少し微笑ましい。

 

「仲間が申し訳ない。代わりに詫びよう。」

 

「そんな。全然気にしてませんよ。」

 

「いや、そっちの魔法詠唱者()が言う通り、さっさといっちまった方が良いよ。」

 

 

 こっちにも問題児がいた。クレマンティーヌは明らかに敵意の含んだ声を発したのだ。

 

 

 場の空気は一気に冷え切ったものになる。ナーベと呼ばれたローブの女はクレマンティーヌを睨みつけ、一歩踏み出す。男も今度は止めようとしない。それどころかクレマンティーヌの言葉の意味を確かめるが如く、威圧的な態度でこちらを向いている。血腥い雰囲気が一層強くなってくる。突然バリバリと音がした。空気の緊張が錯覚させた音でなく、本当にナーベから雷が鳴ったのだ。いつ魔法が飛んできてもおかしくない。

 

「わー!わー!ストップ、ストッープ!」

 

 慌ててリカオンが仲介に入る。

 

「悪気があって言ったんじゃないんですよ。ちょっと口が過ぎるだけなんですよぅ。」

 

 ニコニコとしながらリカオンはクレマンティーヌを引きずって後退りする。

 

(ちょっと!なんであんなこと言ったの?)

 

 小声でクレマンティーヌを詰問する。

 

「面白そうだったから。丁度2対2だしね。」

 

 クレマンティーヌは悪びれもせずに舌を出してそう宣った。クレマンティーヌは朝のリカオンの戦闘を見て血が騒いだらしい。誰でも良いから強そうな奴と戦いたいという衝動に駆られていた。だから短気そうなナーベと呼ばれた女を挑発したのだ。

 

 クレマンティーヌはにんまりと笑った。

 

(こいつぅ〜。)

 

 

 

 

「あのー、いいですか?」

 

 モモンが話しかけてきた。どうやら相手を待たせ過ぎたらしい。

 

「アッハイ!こいつにはきつく言っておくんで!」

 

「いや、それはもういいんですが…。」

 

「はい?」

 

 相手はなにか気になることがある様だが、聞き辛そうにしている。だが意を決して話し出した。

 

「それ、どうしたんですか?」

 

 モモンは場の雰囲気が一向に明るくならない一番の理由、リカオンの装備品について尋ねた。何を隠そうこの中で最も血腥いのは返り血がべったりついているリカオンである。文字通り血腥い、もとい血生臭いのだ。

 

「あーこれですか?これはさっきオーガに()()()()…。とっても怖かったんですぅ。」

 

 リカオンは大袈裟に怖がるフリをする。あまりの女優(大根役者)っぷりに真実を知るクレマンティーヌは吹き出しそうになった。

 

「…それは災難でしたね。良くご無事で。」

 

「ええ。ありがとうございます。」

 

 若干引きながらもモモンは波風を立てない様に答える。モンスターに襲われたのは分かったが、普通、返り血は拭うものなのではないのだろうか?そんな暇もないほど急いでたのだろうか。

 

 

 訝しむモモンに対して、リカオンはさらに畳み掛ける。

 

「そこで提案というか、お願いがあって。このまま一緒にエ・ランテルまで行きませんか?モンスターに襲われても2人より4人の方がいいと思うんです。」

 

 リカオンはモモンにそう言ってズイと迫る。心なしか距離が近い。モモンは即答しかねた。どう見ても怪しい2人組、1人は此方に敵意を剥き出しにしていて、もう1人は血塗れでうろつくような得体の知れない奴らである。その上ナーベは偶に制御が利かない事があり、面倒ごとになるのは火を見るより明らかだ。

 

 しかし、エ・ランテルまでは一本道でここで断るのも不自然だ。それにこれから戦士として振る舞いを身につける上で、この世界の近接職のレベルと戦い方を間近で見るのは有用な気がした。

 

「良いですよ。こちらこそお願いします。」

 

「やった!」

 

 ナーベは苦虫を噛み潰したような顔をしている。そこまで露骨に拒否反応を示すのは如何なものか。クレマンティーヌはというと、先程のやり取りなどなかったかのように平然としている。こちらもこちらで如何なものか。このパーティー、問題児しかいない。

 

 

 ーーー

 

 

 日の傾きかけた街道沿い。かくして旅の人数は増えたが、仲良く談笑しながらの道中とは行かず、相も変わらず4人縦並びで歩いていく。その姿は往年のRPGを思わせた。一番前からモモン、ナーベ、リカオン、クレマンティーヌの順番だ。この順番になったのは、目を話すとその隙にナーベとクレマンティーヌが諍いを始めるのでリカオンが渋々間に入った為である。

 

 宛ら干支の申酉戌の伝承のようであったが、そうなれば犬と猿と鳥を連れている自分は桃太郎になるのか?モモだけに。とモモンは1人下らないことを考えていた。…日が陰ってきたせいか少し寒い。

 

 一方、リカオンはなんとかモモンと話をしようとしているのだが、ナーベにブロックされて上手く行かない。そんなリカオンに後ろからクレマンティーヌが話しかける。

 

「あのさ、ちょっといい?」

 

「うん。」

 

「さっきから思ってたんだけど、あんたやたらとあのモモンって奴に拘るよね。」

 

「え、え、えーと?な、何のこと?」

 

 誤魔化すのが下手すぎるリカオンにクレマンティーヌはもう何の感情も抱かないが、時間をかけるのも癪なので手っ取り早く問い詰める。

 

「あいつの事どう思ってるわけ?」

 

「あ…あのさクレア。モモンさんって絶対イケメンだよね。」

 

「は?」

 

 イケメンもなにもフルフェイスのヘルムで輪郭すら1ミリも見えない。根拠はどこにあろうというのか。

 

「背が高くて、強そうで、しかも優しくて、賢そう。これは絶対イケメンだよ!私の勘がそう言ってる。」

 

 半分以上希望的観測が含まれているのはこの際置いておくとして、他人に対して夢を見すぎではないか。そんな理由であんなにモモンにアタックしていたのか。

 

「はぁ、あんたがそう思うならそれで良いんじゃない?」

 

 

 

 

「おい。下等生物(コウガイビル)ども。さっきから聞いていればなんだその会話は!」

 

 モモンの話と聞いて側耳を立てていたナーベが会話に乱入する。青筋を立て憤懣遣る方無いという顔をしている。流石に個人の詮索は失礼すぎたかと思いリカオンはバツが悪そうに縮こまってナーベの説教を待つ姿勢を取る。

 

「モモンさーーーんはイケメンなどという言葉の範疇で収まるお方などではない!」

 

 

 

「すいませ…!…ん?」

 

「ナーベ。」

 

 モモンはものすごく嫌な予感がした。ナーベの名を呼ぶが熱の入った彼女の演説を止められない。

 

「その御顔の輪郭は森羅万象にも天地神祇にも並ぶものがなく、正に至高と呼ぶに相応しい曲線美を顕し、」

 

「ナーベ、やめろ。」

 

「瞳の発する輝きは見る者を心の底から魅了して止まない力強さを感じさせます。それに比べればこの世の全ての宝石、いや天に輝く星々でさえ霞んで見えてしまう程…。」

 

「ナーベ!」

 

「ハッ。」

 

 モモンの方に振り返ったナーベは、"如何でした?言ってやりましたよ"と言わんばかりの満面のしたり顔だ。ついでにリカオンも目を輝かせて興味津々の様子。

 

「ナーベよ。」

 

「モモンさmーーん。只今、無知蒙昧な下等生物(コメツキムシ)共にいかにその御尊顔が素晴らしいものであるかを…。」

 

「お前は私が許可するまで喋るな。」

 

「!!」

 

 ナーベは雷に打たれたような衝撃に襲われた。信じられないという風に目は皿のように丸くなり、口はあんぐりと開けられている。その後、力無く項垂れてしまった。

 

 一方、モモンもかなり精神的に参っていた。他人の身体的特徴を論って話のネタにするのは老若男女よくある事だが、される方はたまったものではない。特にうら若き女性にされるのが一番辛い。てっきりナーベはその意を汲んで注意しに行ったかと期待したのだが、燃料を投下して話の収集がつかなくしただけだ。

 

 モモンはチラリとリカオンとクレマンティーヌを伺う。案の定此方をじっと見つめている。どうするんだコレ、一生ヘルム脱げなくなったぞ。いや、骨の顔だから初めから人前で脱ぐ気はないのだが、イケメンだという噂が立つと皆あの手この手でヘルムを脱がせに来るだろう。そんな状態では街への潜入は非常にやりにくい。

 

「仲間はああ言ってますが、実際大した事ないですよ?」

 

 一先ず取り繕っておく。

 

「またまた〜。謙遜しちゃって〜。」

 

 駄目だった。

 

 もう強硬手段に出るしかない。幻術で顔を作るか?いや、至高のイケメンの顔を作成することは俺には無理だ。<記憶操作(コントロール・アムネジア)>で記憶を弄るか?うーん、コストパフォーマンスが悪すぎる。もういっその事…。

 

 思考が其処まで辿り着いた時、モモンはクレマンティーヌの視線に気がついた。懐疑の目でも奇異の目でも無い、ただ対象を観察する視線。それも具に相手の強さを計っているような。もしや考えを読まれたか、始末出来るかどうか考えた時にわずかに漏れた殺気に気づかれたのか?

 

 とりわけクレマンティーヌは初めから油断ならなかった。ナーベに絶えず挑発を仕掛けている事もそうだが、何よりも出会った時から常にモモンの死角に移動するように立ち回っている。いつもアンブッシュを仕掛けられる位置取りを行なっているのだ。

 

 モモンはわざとクレマンティーヌに目線をぶつけてみる。そうするとクレマンティーヌはのらりくらりと目線を外し、此方に気配を悟らせまいとしたように見えた。まあ、杞憂かもしれないが気を付けるに越したことはないだろう。

 

 

 

「きゃー!今モモンさんと目が合っちゃった!」

 

 リカオンが子供のようにはしゃぐ。こっちは緊張感のかけらも無い。いや、本来なら旅の道連れ、過度に緊張する事も無いのだ。此方の方が正しいのかもしれない。モモンは少し癒された。

 

 

 ーーー

 

 

 旅のメンバーが増えてから2日程歩いたが、モモンが期待するような此方の世界の戦士の戦いを見られる機会は訪れず、もうすぐエ・ランテルに到着しようとしていた。

 

 道中にあったイベントといえば、目を離した隙にクレマンティーヌがナーベをコケにしていたぐらいだろう。こんな感じに。

 

 

 //

 

「ねぇナーベちゃん。」

 

「…。」

 

「ねぇ〜。」

 

「…。」

 

 ナーベはモモンからの言いつけを健気に守っていた。許可が有るまで喋るなというものだ。だからナーベはこの下等生物(ショウジョウバエ)を追い払う事を出来ずにいた。ナーベからすれば話しかけられる事自体鬱憤の溜まるものなのだが、もっと腹立たしいのはクレマンティーヌがそれを理解してやっている事だ。

 

「ねぇ〜。」

 

「このッ…。」

 

「アレ〜ェ?ナーベちゃん、モモンさーーーんとの約束破っちゃうんだ?」

 

 ナーベが言葉を発するとすぐさまクレマンティーヌが満面の笑みを浮かべる。ただしその笑顔は歳相応の屈託のない笑顔ではなく、目と口を憎たらしい程湾曲させた笑顔である。丁度、半円分度器を3つ顔にくっつけた様な笑顔だ。

 

 

 ブチィッ

 

 

 何かが切れる音がした。

 

 

「…。」

 

 ナーベは無言のままだ。だが、その顔にはありとあらゆる怒りのサインが現れていた。青筋を立て、顔を真っ赤にし、目を血走らせ、肩を震わせ、半笑いの口角には泡が噴き出し、頭上には湯気が立ち昇っていた。

 

 //

 

 

「ふぅ、やっと着いた。」

 

 城塞都市エ・ランテル。外敵との戦闘を考慮され、防御壁が何重かに渡って設計されている。4人は街に入るために検問に並ぶ。既に検問所には少なくない行列が出来ており、街に入るのには中々難儀しそうだ。

 

「あ、私ツテがあるからここで。」

 

「ええー。」

 

 クレマンティーヌがパーティーから離脱する。掻き回すだけ掻き回しておいて自分だけどこかに行く、猫の様に気まぐれな奴だ。モモンは率直な疑問をリカオンにぶつける。

 

「お二人は旅仲間ではなかったのですか?」

 

「3日前に知り合いました。」

 

「あ、そうですか…。」

 

 そんな他愛もない会話をしていても、列は微動だにしない。どうやら今日エ・ランテルには要人が来ているらしく、検問がいつもより厳しいらしい。特に身元不明の人間など審査に恐ろしく時間がかかるだろう。日が暮れるまで待たされるかもしれない。

 

 退屈を持て余したモモンはリカオンに1つの提案をする。

 

「ここで時間をただ費やすのも味気ないですし、どうでしょう。ちょっと身体を動かしませんか。軽く手合わせでもしましょう。」

 

 

 

 モモンとしては道中で叶えられなかった、此方の世界の戦士のレベルを確認するという希望を叶えるチャンスだと、何気ない提案だったのだが…。

 

 

「ええ!良いですよ!」

 

 にこやかなリカオンの笑顔。といってもフルフェイスの下で誰も見ることは叶わないが。

 

 

 かくして、この世界における今世紀最大の対戦カードが組まれてしまった。

 

 

 

 

 

 

 



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第3話 気分上々気炎万丈

 太陽が容赦無く照りつける真昼、2人の獣が相対する。一方は夜を塗り込めたような漆黒のフルプレートの甲冑に身を包んだ戦士。赤いマントを風にたなびかせ、その背には巨大な両手剣を二本差しにしている。一方は黄金色のヘルムに挑発的な赤い飾りをつけた軽戦士。腰に巻いたベルトには業物であろう見事な剣を帯びている。

 

 ここは都市エ・ランテルの城壁の外、草木がマメに剪定されてあり、障害物も何もない場所。2人はここで剣戟を交えようとしている。観客には都市の衛兵と検問待ちの旅人や御者がおり、彼らは暇を持て余してどちらが勝つか賭けをし始めた。

 

「では、型など何も考えずに自由に手合わせするということで。」

 

「オッケーです。」

 

 モモンは近接職初心者なので型もへったくれもないのだが、リカオンも特定の戦いの型はなく、敢えていうならば実戦剣法といったところだ。互いの距離は10m、リーチを考えればモモンが多少有利か。観客の大方の予想も体格の良いモモンに軍配があがるだろうとしていた。

 

「よいしょ。」

 

 リカオンは三日月刀を腰から抜いて、格闘武器も装備する。その姿にモモンは違和感を感じた。普通フルプレート相手なら鎧の隙間を攻撃できる突剣を選択する筈だ。斬属性と打属性を選択するとはどういうことなのか。もしかするとこいつ、俺の正体を見破っているのかも知れない。

 

 モモンは実は人間に扮したアンデットなのだ。種族はオーバーロード、スケルトン種である。種族特性から突属性耐性が高く、打属性耐性が低い。もしや俺を仕留める気ではあるまいな。

 

三日月刀(そっち)で良いのか?こっちはフルプレートだぞ。」

 

 気になったので単刀直入に聴いてみた。するとリカオンはキョトンとした顔をして答える。

 

「殺し合うわけじゃないですし、鍔迫り合いをするにはこっちの方がいいでしょう?」

 

 

 ああ、成る程そういうことか。モモンは自分のPVP脳を改める。戦いになると、どうしてもいかに効率良くダメージを与えられるかという思考になってしまうのだ。

 

「そうか、失礼した。」

 

 モモンは凝り固まった思考を振り払うようにグレートソードを1つ抜き、縦に横に空を斬り付け感触を確かめた後、両手で持って正眼に構えた。観客からは巨大な両手剣を軽々と扱うモモンにどよめきが起きる。

 

 やる気満々のモモンにリカオンも戦闘態勢に入った。右脚を後ろに開き三日月刀の鋒を相手に向けてフェンシングの構えを取る。勝負の匂いに観客のボルテージもうなぎ登りだ。

 

 

 

 モモンは周囲の雑音など気にも留めず、目の前の相手に集中する。いつでも掛かって来いという気持ちで重心を深く落とす。何が来ても初撃は受け止めてやるつもりだった。いくら相手がスピード重視の装備や戦闘スタイルでも、100レベルのパラメータがあれば対応可能だろうと軽く考えていたのだ。

 

「来い。」

 

 モモンは視界の中心に相手の全身を捉えており、相手の一挙手一投足を具に観察することができる。対象のリカオンは軽く刀を上下に振り、攻撃のリズムを作り出そうとしている。刀は見せつけるようにふらふらと動く。モモンの目がつい、刀の動きに気をとられた瞬間。

 

 

 モモンはリカオンを見失った。

 

「!」

 

 姿を眩ましたのはほんの一瞬、モモンは再度リカオンを発見する。その位置は自分から僅か1メートル、相手の攻撃範囲に入っている。そして既にリカオンの三日月刀は右から襲い掛かり、モモンの胴体を横薙ぎにしようとしていた。

 

 モモンは三日月刀に集中していた為、辛うじてその動きに対応できる。攻撃の進行方向にグレートソードを滑り込ませ、正面から受け止めんとする。

 

『スキル複合(コンビネーション)斬&打:八栗・津照』

 

 突然あり得ない方向にリカオンの三日月刀の軌跡が曲がり、モモンのグレートソードとの衝突は避けられた。リカオンはグレートソードを躱し、モモンの目の前に着地する。

 

(大振りな横薙ぎはフェイント!本命は…。)

 

 バランスを崩しているモモンに対して、腰を低くして安定した構えをしているリカオンから最短距離で掌底が放たれた。

 

「くぉっ!」

 

 咄嗟にモモンは身を翻しマントでリカオンの視界を遮るが、無駄な足掻き、左脇腹に打撃を喰らった。

 

 ガキィィン!!

 

 鎧と武器が派手な音を立て、モモンが吹っ飛ぶ。称賛すべきはリカオンの戦闘技術、この一撃を成功させる為の始めの武器の構えからフェイントまで無駄な動きが一切無い。

 

「この程度!」

 

 モモンは地面に叩きつけられる前に<飛行>で空中制御し、即座に体勢を復帰させる。一対一ではダウンを奪われるのが一番拙い。追撃に起き攻め、スキル発動の待機時間を稼がれる等、良いことは1つもない。

 

 モモンはてっきり追撃が有るものと踏んで直ぐさま身構えたが、相手は此方を追って来ず、武器を構えている。慎重に様子を見ているのか、早く終わらせるとつまらないと思ったか。それともその両方か。

 

(何が鍔迫り合いだ、初めからぶっ込んで来やがった。それより、相手は先日見た王国戦士長より遥かに強い。やはり此方の世界にも強者はいるのか。それとも…。)

 

 モモンが思考の海にとらわれる前に、再度リカオンが突っ込んで来る。

 

「うおぉぉおらぁぁあ!」

 

 怒号とともに高速で吶喊するリカオン。だがモモンも戦士との戦闘経験は豊富に有る。物凄いスピードだが、一度見れば容易く対応可能だ。しかし相手は明らかに戦士としては格上、今のまま正面からぶつかり合えば負ける。やりたくなかったがモモンは仕方なく奥の手を使うことにする。

 

<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)>

 

 モモンは戦士化の魔法を唱える。これで即席の100レベル前衛職の出来上がりだ。

 

 モモンは突っ込んで来るリカオンに左手で逆袈裟にカウンターを合わせる。地面を削り、土を捲き上げながらリカオンの顔面に迫り来るグレートソード。だがリカオンは一切スピードを緩めることなく、グレートソードの腹を右手で小突き、払いのける。刹那の見切りと熟練の技が無ければ出来ない芸当だ。

 

 ニヤリと勝ち誇った様に笑うリカオン。隙だらけな左胴に拳の突きを繰り出す。だがここまでモモンの手の内だ。モモンは斬り上げの勢いそのままに飛び上がり、上半身を捻ったと思うと、背中のもう一本の大剣を右手で掴み、抜刀しながら一回転。裏拳の要領で剣を横一文字にブン回す。化け物じみた身体能力だ。

 

「ぐぅ!」

 

 ガキィィンと、先程と同じ音が鳴る。今度はリカオンの方が吹っ飛んだ。姿勢を低くして吶喊したため大剣をもろに頭に喰らったのだ。リカオンはゴロゴロと地面を転がりながら受け身を取る。直ぐに立ち上がって見せたが、ダメージを少なからず受け息を切らしている。兜も先程の攻撃で脱げてしまった。

 

「やられっぱなしは性に合わないのでね。」

 

 モモンはニヤリと笑った。

 

 

 

 リカオンはモモンの戦闘センスに素直に驚いていた。1駆目はこちらの策に嵌ったのだが、2駆目には対応して来たどころか此方の度肝を抜いて来た。

 

「ここで止めるかね。」

 

 モモンが問う。

 

「まさか。」

 

 リカオンは顎にかけて伝って来た鼻血を拭いながら答えた。出血の見た目は酷いが骨は折れていない。にぃ、と歯を剥き出しにして笑みを浮かべる。強者との戦闘は堪らない。これからがお楽しみなのだ。先程のやり取りでお互い相手の戦闘スタイルは大体分かった。今からは力と技の駆け引き、不意打ちが通用しない純粋な戦闘になる。

 

 リカオンは再度三日月刀を構えた。そして今度は距離を一気に詰めようとせず、ジリジリとした足運びで相手に近づいていく。ゆっくり、ゆっくりと、だが確実にモモンの剣の射程距離に入っていく。

 

(踏み込めばグレートソードが当たる距離。攻撃を誘っているのか?カウンターが怖いが、これ以上近付けると小回りの効かないこちらが不利になる。)

 

 モモンが攻撃の予兆を見せると、リカオンはピタリと止まった。数秒、両者は沈黙を守り、相手の出方を伺っている。まるでお互いの次の行動で賭けをしているようだ。

 

 場の緊張が高まる。

 

 戦いの気に当てられて騒がしかった観客たちも静まり返っている。唾を飲む音さえ聞こえる静寂。

 

 先に仕掛けたのはモモン。右のグレートソードを一息にリカオンの頭に目掛けて叩き付ける。巨大な岩山をも両断する威力、当れば並の人間なら縦に半分になって死ぬだろう。リカオンは身を低くして死の圧力を潜り抜け、モモンの右側に回り込む。攻撃の死角に入ることで左の追撃を受けないためだ。

 

 それをみすみす許すモモンではない。地面に突き刺さった右のグレートソードを支えにして右脚で回り込んで来るリカオンに対し唐竹蹴りを放つ。

 

『スキル:地蔵』

 

「なっ?」

 

 リカオンは顔面にまともに蹴りを受けるがびくともしない。それどころか逆にモモンの方が反作用で押し返された。バランスを崩すモモンにリカオンはすれ違い様に右腕でラリアットをかます。リカオンの武器は的確にヘルムの中心を芯で捉え、会心の一撃となった。

 

「がぁ!」

 

 モモンは後ろ向きに地面に叩きつけられる。

 

「いよし!」

 

 決まった。リカオンはガッツポーズを取る。顎にクリーンヒット、普通なら脳が揺れて(バッドステータスで)起き上がれない。勝負アリだ。リカオンは勝鬨を上げる。観客も応えるようにウォォォ、と歓声を上げて拍手を贈りリカオンを祝福する。

 

「イェーイ!ぶい!」

 

 リカオンは両手でピースマークを作り、満点の笑顔を見せる。その顔は誰もが恋に落ちるような可憐なもの……、ではなく再三顔面に攻撃を喰らって両の鼻の穴から血が滝のように流れており、折角の整った顔が台無しであった。

 

 

 

 

「よっこいせっと。」

 

 そんな盛り上がるリカオンと観客を他所にモモンは何事もなかったかのように立ち上がる。

 

「ええー!?なんで!?」

 

「鍛え方が違うのでね。」

 

 本当は脳が無いのでバッドステータスを受けなかったのだ、無いものは揺れない。アンデット特性様様である。

 

「さて、と。」

 

 両者戦闘続行可能なので、決闘は続く。2人は10mの位置で向き合い直し、次の掛合いの準備をする。

 

(やはり専門の前衛職はスキルの使いどころが上手い。不用意な攻撃は避けた方がいいな。相手の対処できない大技をメイン軸に戦闘を組み立てて行かねばならない。そうなるとチャンスをひたすら待ってカウンターを決めて行く感じか。)

 

(接近戦(インファイト)密着(クリンチ)への対処が凄く上手い。しかしそれを嫌って離れるとグレートソードの攻撃範囲の餌食になる。戦士というより中距離戦闘の魔法詠唱者(マジックキャスター)だと思って戦った方がいいわね。そうなると相手の攻撃範囲外から一気に近づいて一撃で仕留める感じね。)

 

 

 視線がぶつかり合い、今一度戦いの火蓋が切って落とされようとした時。

 

 

 

「そこで何をしている!!」

 

 

 

 城壁の方から怒声が聞こえた。見ると役人か何かの格好をした人間が兵士を引き連れて、此方に近づいて来た。

 

「いや、検問が時間かかりそうだったので暇つぶしを…。」

 

「暇つぶしだと?お前らの周りをよく見てみろ!」

 

 促されるまま周りを見る。地面はあちこちめくり上がり、穴だらけになっている。モモンが剣を突き立てた場所など20mほどの長さの亀裂が入り、リカオンのラリアットでモモンが沈められた場所はクレーターが出来ている。この惨状では、街を預かる身であれば癇癪の1つも起こそうというものだ。

 

 2人は少し反省した。ユグドラシル時代では時間経過でフィールドエフェクトは復元されていたので全く気にならなかったが、こちらでは幾分目立ちすぎる。

 

 役人の怒りは2人の前まで来ても収まりそうにない。唾のかかる距離で怒りをブチまけている。

 

「いや、申し訳ない。」

 

「ごめんなさい。」

 

「誰が地面を整備していると思っとるんだ!全く近頃の冒険者は!でかいのは図体だけか?頭に脳は詰まっているのかね!」

 

 役人がモモンのヘルムを小突く。

 

(スミマセン、詰まってません。)

 

 バキッ。カランカラン。

 

「は?」「あ。」「え?」

 

 突然ヘルムが割れて地面に落ちた。リカオンとの戦闘でダメージが蓄積されていて、今のパンチで限界を突破したのだ。

 

「あーあ。」

 

 

 

 

「あ、あ、あ」

 

 

 

 

「「アンデットだーーー!!!???」」

 

 

 そこにあったのは肉のない顔。正真正銘の化け物だ。役人、観客たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。兵士たちも及び腰だ。そんな周りを気にも留めずモモンは1人心情を吐露する。

 

「…やっちまった。計画がパーだ。」

 

 モモンはガクリと肩を落とす。その言葉に反応するものが1人。

 

「計画だと!?まさかこの街を狙っていたのか!変装して潜り込んで虐殺をするつもりだったのだな!」

 

 一目散に逃げ出した役人だが、口だけは達者だ。何か変な方向に話が進んでいるが否定するのも面倒だ。そういう体にしてこの場を切り抜けよう。

 

「はっはっは、バレてしまったか。仕方があるまい、今日のところは帰らせてもらおう。()()()()()派手にやれ。」

 

「ハッ。」

 

 ナーベラルと呼ばれたナーベは魔法を詠唱し始める。昨日、今日と鬱憤を貯めてきた彼女は愉悦の笑みを浮かべてさぞ楽しそうだった。

 

<地割れ(グランド・ウェーブ)>

 

 ナーベが魔法を発動させると、その足下に亀裂が入り、城壁の方へ波打ちながら進んで行く。一拍した後、亀裂が拡がったと思うと地面が穴の内側に崩れ始め、あらゆるものが飲み込まれ出した。

 

「やば。」

 

 検問所は大惨事だ。展開が早すぎて状況が飲み込めていなかったリカオンも100m7秒台のダッシュでひたすら逃げる。騒ぎが落ち着いた頃にはあの2人組はどこにもいなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 その日エ・ランテルはてんやわんやの大騒ぎだった。街の近くで強大なアンデットが出現したことにより厳戒体制が敷かれ、冒険者組合は至急討伐チームを結成する為人員を募り出した。

 

 そんな中リカオンは重要参考人として役所に出頭していた。だがそんな事は気にも留めず、リカオンは1つの事に思い当たっていた。

 

 

 

「あの声、あの顔…。ひょっとしてモモンガさんじゃね?」

 

 

 

 ーーー

 

 

 ここはナザリック地下大墳墓、玉座の間。アインズはこの度の情報収集計画が失敗した事について緊急閣僚会議という名の謝罪会見を開いていた。メンバーはガルガンチュアとヴィクティム、任務のあるシャルティアを除く守護者各位とナーベラルである。

 

「かくかくしかじか…。というわけで、なんというか…その…計画を一部変更してだな、一度帰還したのだ。」

 

 アインズはチラリとアルベドを伺う。無理を言ってナザリックの外に出たのに、初志を貫徹出来ずにおめおめと帰ってきたのだ。アルベドに合わせる顔が無い。当のアルベドはニコリと聖母のように微笑んでアインズを見つめ返す。心の内では何を思っているかわからないのでとても怖い。アインズはもう考えない事にした。早速本題に入る。

 

「さて、計画は予定と変わったわけだが全く問題はない。だが私1人の考えで行動しては組織全体の動きに不備が出るやもしれん。そこでお前たちの意見が聞きたいのだ。今後どうすれば良いのかをな。」

 

 嘘だ。今後の計画は一切無い。白紙状態だ。

 

「ソノヨウナ事、我々シモベハアインズ様の御心ニタダ合ワセルノミ」

 

 コキュートスの言葉にシモベ達はみなうんうんと揃えて首を縦に降る。

 

(言葉自体は嬉しいけど、そういう事を聞きたいわけじゃないんだよなー。)

 

「お前達の忠誠、嬉しく思う。それを承知の上で、お前達の意見を聞きたい。なにぶん私1人では見落としもあろうからな。」

 

 意訳すれば、この後どうしたら良いんですか教えてください、だ。

 

「現状のままで何も問題は無いかと存じます。というよりもやはりアインズ様の御計画はいつも我々の先を行かれる。ナーベラルという人選を考えると元よりこうする予定だったのでは?」

 

「全くデミウルゴスの言う通りでございます。」

 

(え?)

 

 ナザリックの頭脳2人が相次いでアインズを褒める。他のメンバーはアインズも含めてどうしてこういう話の流れになったのか分からない。

 

「デミウルゴス、どう言う事?」

 

 アウラが不思議そうに尋ねた。マーレとコキュートスも同様にデミウルゴスに視線を集める。アインズは興味の無いフリをするが、聞き耳を立てて会話の経過を探る。

 

「何事も見通す神算鬼謀の持ち主であらせられるアインズ様が計画の変更を余儀無くされることなどあり得るかい?今までの行動、あのカルネ村を助けたのも、王国戦士長と懇意にしたのも全てこの状況を作り出す為だったのだよ。」

 

(え?え?)

 

 アインズの頭の中はクエスチョンマークでいっぱいだ。しかしここは支配者ロールでなんとか乗り切るしか無い。話の流れで自分が説明する羽目になることだけは避けなければ。

 

「はっはっは、デミウルゴス、アルベドよ。少々買いかぶりすぎではないか?今回は賭けのようなものだった、偶々だよ。」

 

「またまたご謙遜を。」

 

「アインズ様の誘導あればこそです。」

 

 賢い3人(2人)だけの会話に他のメンバーは面白くない。

 

「つまりどういうことなんです?アインズ様。」

 

 縋るようにアウラが説明を求める。

 

「私から話すのは少し照れるな、デミウルゴス頼むよ。」

 

「では僭越ながら。」

 

(セーフ!バトンはデミウルゴスに渡された。あとは見守るだけだ)

 

「先ず、現状がどうなっているか整理してみよう。王国にとっての要所エ・ランテルに強大なアンデットが現れた。そのアンデットは都市の前で戦闘、供の魔法で甚大な被害を出した後、行方を眩ませた。」

 

 デミウルゴスがつらつらと解説していく。

 

「今、王国は大きな脅威に晒されていることになる。現有戦力では対処できるか分からない。そこで白羽の矢が立つのがカルネ村と王国戦士長を救ったアインズ・ウール・ゴウンという魔法詠唱者(マジックキャスター)だ。モモンという脅威に対策を示すことができれば信用を築き上げ、王国を内部から侵略する足がかりとなる。モモンはモモンで外部から王国を脅かし侵略に邪魔な勢力を物理的に排除していく。」

 

「でもどちらもアインズ様だよ?出現タイミングも同じだし、関係性を疑われるんじゃないかな。」

 

「そう。だからアインズ様は戦士の姿でエ・ランテルに行き、一流の戦士としての力を見せた。国を脅かすアンデットと村を救った心優しい魔法詠唱者(マジックキャスター)、よもや同一人物とは思わないだろう。因みにナーベラルをエ・ランテルに連れて行ったのも一悶着起こして戦う機会を作るための人選だったんじゃないかな。印象操作の一環だろうね。」

 

(話の流れがおかしい。たかが情報収集をするだけの計画の筈なのだが、王国を侵略する計画になっている。皆そこには疑問を抱いていない様子だし、おかしいのは俺だけ?)

 

「更に盤石に事を進めるために予めアインズ様は王国戦士長とパイプを作っておき…。」

 

 デミウルゴスの話が続いていく。

 

 

「如何致しました?アインズ様。」

 

「ん、あ、なんでもないぞ。」

 

 考えているところに突然アルベドが話しかけてきたので、言葉を濁してしまった。誤魔化すために話題を少し変える。

 

「いや、1つ懸念事項があってな。」

 

 アインズの言葉にシモベ達が一斉にこちらを向く。

 

「私が実際に戦うことになったリカオンとやらのことだ。名前もプレイヤーネームのようだし、偶然かと思っていたがあの強さだ。プレイヤーの可能性があり、監視が必要だ。後、連れのクレマンティーヌとか言う奴もだ。」

 

「ハッ。直ちに対処致します。」

 

「但し、迂闊に手を出すんじゃないぞ。落ち着くまで明らかな敵対行動はしたくない。」

 

「承知致しました。」

 

「では今日は解散とする。」

 

 

 指輪で転移したアインズは周りに誰もいない事を確認して、悲喜交々の溜息をつく。

 

「はぁ。なんとか守護者達には説明付けたけど、暫く気晴らしとして戦士の真似事をするのはお預けかぁ。参ったな、またギルドを抜け出す良い手を考えないと。それにしてもリカオンか、変なやつだったな…。」

 

 アインズは昼に戦った女に想いを馳せる。もし奴がプレイヤーなら、アインズ・ウール・ゴウンのメンバーもこの世界に来ている可能性がある。そうなれば捜索活動にも一層熱が入ろうというものだ。

 

 

 




大英雄モモン誕生ならず!

何気に巻き込まれたクレマンティーヌさん。彼女の明日はどっちだ。




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第4話 神の血は獣の肉になる








 街道の決闘から丸一日経ち、その演者の片方であるリカオンは今、兵士詰所の取調室にいた。この兵士詰所の場所は都市の中心に近く、都市の中で2番目に大きい通りに面している。この位置取りは内憂外患に即座に対応出来るように設計されたものだ。

 

「だーかーらー。私はあいつらの仲間じゃないって言ってるでしょ!」

 

 リカオンは先日、街を襲ったアンデッドと親しく話していた上に、住所不定無職、身分を証明するものもなければどこから来たかも分からないという、怪しさ数え役満により長期間の拘束を受けていた。さっきから尋問官が入れ替わり立ち替わり、同じ質問を何度も受けている。まるで被疑者の精神を摩耗させることが目的であるかのような対応にリカオンはウンザリしていた。

 

「なんで私がこんな目に…。」

 

 昔の刑事ドラマで見たことある風景だが、まさか自分が当事者になるとは。カツ丼の1つでも出てくれば気分も上がるというものなのだが、出てくるのはパン半斤だけ。辛い。

 

「おい、聞いてるのか!」

 

 今日2人目の尋問官が耳元で怒鳴ってくる。中肉中背の40代半ばの男性、面長の顔に対応する如く切れ長の目と、それに不釣り合いな厚めの唇。イケメンじゃないのでどうでもいいリカオンは不貞腐れながら窓の外を眺めている。宿屋、薬屋と目を滑らせていくと、通りを歩く集団の中に唯一知っている人間、クレマンティーヌが見えた。彼女は薬屋の前で中を覗いている。お腹でも下したのだろうか。

 

「あー!!」

 

「どうした?」

 

「あの人!知り合いです!」

 

 リカオンはオーバーリアクションで椅子を転がしながら立ち上がり、目当ての人物を指で指し示した。道行く人々はバカでかい声が兵士詰所のから聞こえるので何事かと思い足を止める。クレマンティーヌも顔をこちらに向ける。そして確実に目があった。

 

 クレマンティーヌは、バッタの交尾ぐらいしょーもないものを見たというまるで興味ない顔をした。

 

「クレアー!身元保証人になってよ!」

 

 リカオンは姿を確認するなり無茶苦茶なことを言っている。尋問官は面倒臭そうに仕方なく通りまで出て行き、クレマンティーヌに確認する。

 

「すみません、あの方と知り合いですか?」

 

「…んー。いんや、顔も見たことない。」

 

「嘘だ!」

 

 リカオンは喚きながら格子窓を持ってガタガタしている。

 

「じゃあ、私はこれで。」

 

 スッと踵を返すクレマンティーヌ。その姿は微塵の迷いもない。この通りは2度と歩かないという決心が背中から感じられた。

 

「薄情者ー!はぐじょゔも"の"ー!!」

 

 取調室から獣の慟哭が聴こえる。まるで猛獣が入れられた檻だ。この日も軟禁は解かれそうにない。

 

 

 ーーー

 

 

「ねえガガーラン、エ・ランテルの話聞いた?」

 

 王国首都リ・エステリーゼのとある高級宿の一室。椅子に腰掛けた、うら若きという形容詞が頗る似合いそうな女性が、床で腕立て伏せをしている筋骨隆々の女性に話しかける。この2人は王国の誇る最上級冒険者チーム蒼の薔薇のラキュースとガガーランである。

 

「門外のアンデッド騒ぎの事か?なんでも強大な骸骨騎士(スケルトンナイト)が出たっていう。それじゃなかったら知らねえ。」

 

「正しくそれの話よ。さっき組合長から詳しい話が来たんだけど、もしかしたらうちにお鉢が回ってくるかもしれないから貴女にも話しておくわ。」

 

「ああ?わざわざ1匹2匹のモンスターの為にアダマンタイト級が出る程の事なのかい。それもエ・ランテルくんだりまで出向いて。」

 

 ガガーランが訝しむ。自分が聞いた話だとそのアンデッドはエ・ランテルの兵士が追い払った筈だ。王国兵の練度はお世辞にも高いとは言えず、兵士で追い払える程度のモンスターなら気に止める必要もないと思ったからだ。

 

「実はよくよく話を聞いてみるとやばい奴らしいのよ。資料を見た方が速いわ。これを。」

 

 そう言ってラキュースは懐から一枚の羊皮紙を取り出す。ガガーランが筋トレを中断して中を改めると、そのアンデッドが出した被害状況を図解付きで取りまとめたものだった。ガガーランは素早く紙に目を通すと眉間にしわを寄せる。

 

「なんじゃこりゃ。眉唾じゃないのか?剣を振り下ろした箇所に20mの亀裂とか。」

 

 どう考えても一体のスケルトンが暴れた戦闘跡とは思えない。ドラゴンか何かだと言われた方がまだしっくりくるというものだ。

 

「現場を臨検したのはエ・ランテルの冒険者組合長よ。情報は誇張じゃないと思うわ。」

 

 ガガーランはその言葉にむんずと口をへの字に曲げて眉根を下げる。まだ納得していないようだ。

 

「エ・ランテルの兵士はこんなのとやりあったのか?とてもじゃないが地面をこんなにしちまう奴を追い返したっていうのは信じ難いな。」

 

 ガガーランの尤もな質問にラキュースは少し困った顔をする。

 

「そこなのよねぇ。噂によると兵士が来る前に件のモンスターと1人でやりあっている戦士を見たっていう話もあるみたい。その最中に正体が露見したスケルトンが撤退したらしいわ。エ・ランテル行政は自分の手柄にしたいから、さも現場は自分達が治めたという風に吹聴してるみたいだけどね。」

 

「オイオイ、誰だよそいつは。こんなバケモンと単騎でやりあえるとはこの辺じゃ名の知れた奴じゃあないのか?」

 

 戦士という言葉にガガーランが食いつく。どうも戦士という人種は強いヤツに興味をそそられる病気を等しく患っているらしい。ラキュースは、はぁ、と溜息を吐く。

 

「それが全く情報無し。本当にどこの誰かもわからないって…。」

 

 ラキュースが喋りながらチラリと相手を伺うと、其処には戦場で見る蒼の薔薇1番の戦士の顔が有った。ラキュースは再度溜息を吐く。

 

「なあ、ラキュース。」

 

「分かってるわよ。エ・ランテルに行きたいって言うんでしょ?今受けてる仕事は4人でやっとくから。」

 

「すまねえ、恩に着る。」

 

「ちゃんと情報収集するのよ?貴女はいつもはしっかりしてるけど偶に変なところで見境無くなるから。」

 

「ああ、分かってるよ。一体何処のどいつなのか、流派とかもちゃんと聞いて来る。」

 

「そっちじゃないわ。アンデッドの方よ。」

 

 ラキュースは嬉しそうに支度するガガーランを少し心配そうに見守った。

 

 

 ーーー

 

 

「久し振りに外に出られた…。こんなにお日様が恋しくなるとはね。」

 

 何を質問しても有用な答えが返ってこないリカオンに業を煮やした兵士詰所は一時釈放という手段でこの獣を厄介払いした。入念に検査を受けたので更に丸一日経った後の話である。検査中マジックアイテムを検分した魔術師が発狂して泡を吹いて倒れるという珍事が起きた以外は特段気に止めるようなこともなかった。兎に角、人間である事は証明され一安心といった所だ。

 

「お腹空いたな…。でもお金持ってないし…。」

 

 リカオンは自分のポケット中を弄る。すると懐の中にポーション瓶が入っているのを見つけた。といっても冒険の序盤に使う初心者のお供みたいなもので、リカオンクラスになるともはや使い物にならないガラクタだ。リカオンは鞄の底から10円玉を発見した時のような気分を覚えた。

 

「これしかないのー?」

 

 ガクリと肩を落とす。まあいいや、今日のところはこれをお金に変えてご飯を食べよう。リカオンは早速兵士詰所の中から見えた薬屋に入る。店内を見渡すとずらりと液体の入った瓶が並んでいた。ポーションのようだが色は見たことのない青色のものが殆どだ。リカオンは物珍しく商品を眺めた後、辺りを確認する。この店、店員がいないのだ。

 

「すみませーん。ここって買取もやってますか?」

 

 ……。

 

「すみませーん!」

 

 人の気配はするのだが返事が全くない。店内は草を潰した匂いが充満していて、声を出すために口を開くと胸いっぱいに苦い空気が広がる。

 

「うげぇ。」

 

 生理現象で唾液が込み上げてくる。リカオンは思いっきりベロを出した。

 

「何をしておるのかね。」

 

 いつの間にか小柄な初老の女性がリカオンのそばに立っていた。店の中で変な行動をしている奇妙な女に眉根を寄せて怪訝な顔でこちらを見上げている。

 

「あー、あはは。」

 

 リカオンはなんとか笑って場を誤魔化す。すると女性は益々怪訝な顔をした。

 

「客かと思って出てきたが冷やかしかい。忙しいのに迷惑なもんだよ。」

 

 女性は店の奥に入ろうとする。どうやらここの店員らしい。

 

「ちょっとまって!ここって買取もやってますか?」

 

「あー?やっとるにはやっとるが、つまらんもんはつまらん値段しか付かん…。」

 

 店員は興味がないかのようにこちらに少しだけ視線を向けた。どうせこんな変な客はガラクタしか持ち込まない。そんな感情を多分に含んだ視線だ。しかし、リカオンが手にしているものを見せるとこの世のものではないものを見たように目を丸くして全く動かなくなってしまった。

 

「あのー。」

 

「…んじゃ。」

 

「はい?」

 

「お主の持っているものはなんじゃ…?」

 

 店員はワナワナと震える手でポーション瓶を指差して、喉から絞り出すように声を発した。リカオンは意味がわからない。

 

「え、これ?普通のポーションだけど…?」

 

「見せとくれ!!」

 

 店員は見た目の年齢からは想像もできない速度で弾かれたように動き出し、リカオンの手首をがしりと掴む。目は血走っていてまともな状態ではない。

 

「ちょっと、ちょっと!」

 

 リカオンは驚いてポーション瓶を持つ手を上に挙げるが、女性は手を離さず宙吊りの状態になる。何処にこんな力があるのかと驚く程の握力だ。もう2度と手首から取れない気がした。

 

「まず落ち着いて!」

 

 女性は聞く耳を持たない。顔を見ると目の焦点が合っていない。なにやら赤、赤、と呟いている。いよいよ危ない状態だ。無理やり引き剥がすのは簡単だが怪我をさせてしまうかもしれない。リカオンはどうすることもできなくなってしまった。

 

 …。

 

 五分ぐらい経っただろうか、状況は一向に変化しない。もういっそ振りほどいてしまおうかとリカオンは決心を固めかけた。

 

「おばあちゃん。どうしたの?」

 

 店の入り口から若い男の声がした。どうやら店員の親族らしい。助かった、この状態をなんとかしてくれそうだ。

 

「すいません助けてください。いきなり手を掴まれて、…ってあれ?」

 

 よく見ると新しく入って来た少年の方も何か様子がおかしい。リカオンの握ったポーション瓶を凝視して口を開けたり閉めたりしている。

 

「ちょっと?」

 

「…ですか。」

 

「え?」

 

「それ、何ですか…?」

 

 さっきも同じ質問をされたリカオンは嫌な予感がするが、正直に答える。

 

「普通のポーションだけど…?」

 

「うわぁぁ!見せてください!」

 

 少年は弾かれたように走り出し、リカオンの持つポーションを捥ぎ取らんと手首に齧り付く。本当に何なんだこの店。

 

「助けて〜!」

 

 リカオンの悲痛な声が店内に響いた。

 

 

 ーーー

 

 

「ハムッ ハフハフ、ハフッ!!」

 

 リカオンは熱々のシチューを貪り食う。具材の旨味がしっかり溶け込んだ白いソースの中で大きめに切られたジャガイモやニンジンが良いアクセントとなり味も見た目も非常に良い。リカオンは骨付きばら肉(スペアリブ)を口一杯に頬張りすっかりご満悦だ。

 

「おかわり有りますよ。」

 

「ンフィー!ありがと!」

 

 ンフィーと呼ばれた少年、名前はンフィーレア・バレアレという。リカオンと薬屋店内で揉み合いになった者の一人だ。薬屋を営む祖母リィジー・バレアレを手伝い、自らも腕の立つ薬師として日夜ポーションの研究を行っている。

 

 リカオンが持ち込んだポーションはこちらの世界において所謂ポーションの完成系とも言えるものらしく、先の豹変は自分の研究の到達点がいきなり目の前に現れたことが原因だったらしい。

 

「そんなに凄いものなの?」

 

 リカオンがンフィーレアに尋ねる。少年はそうですね、と呟くと、赤いポーションが如何に優れているかを語り出した。

 

「ポーションは本来、製造過程で全て青色になります。これはポーション中に含まれる成分が調合や蒸留という工程を行なっている間に……ポーションの効果を高めるためには不純物を取り除いた上で様々な成分をバランス良く配合する必要があります。そして多様な局面での使用に耐えうる製品が、……止血、消毒、治癒、代謝向上、意識清浄といった効果を複合させ且つ副作用を抑えること、経口摂取、表面塗布など使用形態に左右されない機能を確保すること……成分同士の干渉で本来期待される効果が見込めない場合もあります。また、服用者の体質で意図せぬ作用が起きたり、経年や保管方法で劣化したり……赤いポーションはそういった問題を全て解決し、普遍的な効果と高い安定性を確立したまさにポーションの最高到達点とも言うべき……これは余談なんですが製造途中で熱処理をする時どうしても成分同士が結合してしまって別の物質に……を入れることによって一度分離させてから、再度……反応速度を上げることでクリアできると思うんです。その方法が……。」

 

「うん…。」

 

 リカオンはキラキラと目を輝かせながら喋る少年を暖かく見守ることしかできなかった。

 

 

 ところで、なぜこのような状況になっているのかと言うと、店内で一悶着あった後、少しで良いからポーションを分けてくれというリィジーにリカオンが宿と飯の面倒を見てくれればと交換条件を提示したのだ。断る理由がないリィジーは狂喜乱舞して、研究をするためにすぐさま店を閉めて器具の準備にかかった。今まさに数滴を成分分析にかけているところだ。

 

「あー、僕も研究したいなー。」

 

 少年はさっきからずっとそわそわしている。宛ら親が自分への誕生日プレゼントを買っているところを目撃してしまった子供のようだ。赤いポーションを扱っている精密作業をするための暗室が人一人入る程度のスペースしかないので仕方なく祖母に任せているのだ。

 

(かわいい…。)

 

 一方でその姿を見ているリカオンはンフィーレアのことを自分の好みでは無いが、女子に密かに人気が出るタイプだ。などと邪なことを考えていた。経済力もあるし料理もできる。物凄い優良物件なのでは。

 

 

(ん。)

 

 そんな事を思いながらしばらくぼーっとしていたリカオンはある事に気が付く。

 

「あのさ、この家ってンフィーとおばあちゃん以外に誰かいる?」

 

「? いえ、もうずっと僕達だけです。」

 

「へー。」

 

 そう言うとリカオンは音もなく立ち上がり、勝手口の方に歩き出す。その流れるような体捌きは見事なもので、近くで見ていたンフィーレアですら扉に手をかけるまでリカオンが移動していた事に気が付かなかった程だ。

 

 ガチャリと扉を開けるリカオン。

 

「ねぇ、クレア。何でここにいるの?」

 

「え"っ。」

 

 クレマンティーヌはいきなり声をかけられて思わず素っ頓狂な声を出してしまった。何故ターゲットの家にこいつがいるんだ。

 

「わざわざ人通りの少ない裏口に…。あっ、もしかしてクレアってンフィーのこと…。」

 

(計画がバレている?)

 

 クレマンティーヌはローブの中の武器に手を差し伸べる。相手が妙な動きをしたら<魅了(チャーム)>が付与されたスティレットで刺し、操る。その後ターゲットを速やかに拉致する。辺りは夜の帳が降り始め既に薄暗くなっており、誰かに気付かれる可能性は低い。1分と掛からずに遂行できるだろう。クレマンティーヌは右足を踏み出し、重心を前に傾けた。

 

「もしかしてンフィーのこと…。」

 

(そうだよ、攫いに来たんだよ。そしてその前にお前を殺る。)

 

 クレマンティーヌは懐のスティレットを握る。この距離であれば0.1秒も掛からず目の前の敵を刺す事が出来る。

 

 

 

「好きなの?」

 

 

 

「は?」

 

 意識外の言葉にクレマンティーヌはスティレットを取り落としそうになるが、慌てて仕舞い笑顔を取り繕う。

 

「へぇー、クレアって年下が好みなんだね。分かるよ、ンフィーは将来大化けすると思うし、今でも片鱗あるしね。でも人通りの少ない時間に家まで押し掛けるとかストーカーっぽいよ?」

 

 こいつやっぱり刺してやろうか。笑顔が引き攣る。

 

「いや、私は通りかかっただけだよ?」

 

「ふーん?」

 

 リカオンはニヤケ面をこちらに向けてくる。マジでメンドくせえよこいつ。クレマンティーヌは踵を返して立ち去ろうとする。しかしそれはリカオンに肩を組まれることで妨害された。

 

「そんなことよりさあー。昨日私と目があったのに無視したよね?」

 

 覚えていたか。クレマンティーヌは顔を顰める。三歩歩けば忘れる類の奴かと思っていたが、まともな記憶力は持ち合わせているらしい。

 

「あの後大変だったんだからね。分かる?」

 

「あ、はい。」

 

 クレマンティーヌはヤンキーに絡まれる女子大生のように目を逸らした。

 

「リカオンさん、どうかしたんですか?」

 

 ンフィーレアが扉からひょっこり顔を出す。

 

「いや、友達がね。あはは。」

 

 ンフィーレアはリカオンの隣にいる女性を見る。かなり密着して肩を組んでいるところを見ると本当に仲がいいんだろうなと思った。笑い声が乾いているのは気のせいだろう。

 

 

 ーーー

 

 

「どうしてこうなった。」

 

 クレマンティーヌは拉致する予定のターゲットとテーブルを囲んで夕食を食べている。リカオンの友人だと知ったンフィーレアがついでに寄って行って下さいと家に迎え入れたのだ。リカオンがさっきからニヤニヤしていて目障りだ。

 

「お茶淹れてきますね。」

 

 ンフィーレアが台所に立つと、リカオンは陰でクレマンティーヌに合図を送る。

 

「ねぇ、いつ告白するの?」

 

「だから違うって。」

 

「じゃあなんであんな所にいたの?」

 

「うっ、それは…。」

 

 まさか正直に攫いに来たとは言えず、言葉に詰まるクレマンティーヌ。その様子を見て益々リカオンは勘違いを深めていく。というかここで攫いに来たと言ったら略奪愛的な意味で捉えられて更に勘違いされそうだ。

 

「仕方ないなー、クレアちゃんは。どれ、私が一肌脱いでやりますか。」

 

 リカオンが不吉な事を言っている。何をしでかすつもりなのか、聞くのも恐ろしい。

 

「お待たせしました。熱いので気を付けて下さい。」

 

 台所から戻ったンフィーレアが急須を使い整った作法でお茶を注ぐ。薬屋らしく薬草を使ったハーブティーらしく、良い香りが辺りに立罩めた。その匂いに緊張気味だった空気も和らぎ、クレマンティーヌも少しばかり苛立ちから解放されて安らかな気分になった。一口含むと香りが一気に広がって身体中が心地良く弛緩していくのを感じる。

 

 その油断が命取りだった。

 

「あ、手が滑った。」

 

 突然リカオンは急須の取っ手をむんずと掴み、素早く蓋を開けるとクレマンティーヌに向けて中身をぶち撒けた。机、椅子、床は一切汚さず、正確にクレマンティーヌだけを狙った見事な手際だ。

 

「熱ぁあつぁあ!?何してんだテメ…ムグ!…グ!。」

 

「大変!服を脱いでシャワーを浴びないと!そうだ、服を洗濯しなきゃだから今日はクレアも泊まっていきなよ!」

 

 リカオンはクレマンティーヌの口を後ろ手に塞ぎながら、そのまま担いで嵐のように風呂場に逃げて行く。取り残されたンフィーレアはポカンと口を開けて見ていることしかできなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 なんやかんやあって結局クレマンティーヌはバレアレ家に泊まることになった。客室が一間しかないため、友人ということもあってリカオンとクレマンティーヌは同室を充てがわれた。

 

「ねえクレア、ンフィーに夜這いとかしないの?」

 

「…。」

 

「怒ってる?」

 

「…。」

 

「わ、私だって昨日凄く怒ったんだよ?これでおあいこじゃない?」

 

「…。」

 

「ごめんよー。謝るから、このとーり。」

 

「…。」

 

 先の一件からクレマンティーヌは一切口を開いていない。今もベットの上で布に包まり、リカオンに背を向けて横たわっている。

 

(さっさと用事を済ませてここから出よう。)

 

 そう決心した。

 

 

 

 全てが寝静まった頃クレマンティーヌはむくりと身体を起こす。音を立てないように床に足を下ろすと抜き足差し足で扉まで移動する。ノブに手を伸ばし、一度顔を扉に近づけて耳を欹てみた。動く気配は何1つない。それを確認するとノブを回し、扉を押し開く。

 

 しかしクレマンティーヌの予想に反して扉はその動きを何かに阻まれた。

 

 ゴン! 「あ痛っ!」

 

 扉に額をぶつけたリカオンが大袈裟に顔を覗ける。しかしもっと驚いたのはクレマンティーヌの方だ。さっき調べた時、確かに誰もいなかったはずだ。それ以前にリカオンが部屋の外に出たことさえ気が付いていなかった。いくら背を向けていたとはいえ動く気配を悟られぬ程平和ボケはしていない。

 

「どうしてそこにいるの?」

 

 クレマンティーヌは恐る恐る聞いてみた。

 

「ちょっとお花摘みに…。」

 

 そういう事を聞きたいのではない。聞きたいのはどうやってそこにいるかだ。

 

「クレア寝てたから起こさないようにゆっくり出て行ったんだけど、起こしちゃった?ゴメンゴメン。」

 

 クレマンティーヌは瞠目する。リカオンは今、普通に扉から出て行ったと言った。つまり隠密したリカオンがクレマンティーヌの感知をすり抜けたという事だ。

 

「あんた…。」

 

「クレアこそこんな時間にどうしたの?ンフィーの部屋にでも行くの?」

 

 リカオンが半笑いになりながら人を馬鹿にした目でこちらを見てくる。

 

「違う!」

 

 合ってるけど違うのだ。クレマンティーヌは扉をバタンと閉め、内側から鍵をかけた。そして不貞腐れたように布に包まって眠りについた。

 

 

「クレアー。開けてよー。」

 

 リカオンの哀れな声が夜に木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第5話 筋肉同盟






 リカオンがエ・ランテルに来て3日目の朝となった。昨日の夜、クレマンティーヌに部屋から締め出されてしまったリカオンは仕方がなく廊下で睡眠を取っていたが、研究室から出て来たリィジーに邪魔になるからと朝早くに叩き起こされていた。同時にリィジーはいつの間にかクレマンティーヌという宿泊客が増えていた事に疑問を覚えたが、ポーションの研究の前には些細な事だと、特に咎めることはしなかった。

 

「あれ、ンフィーは?」

 

「ああ、ポーションの原料となる薬草が切れかかっていたのでな、森に採取に行かせたんじゃ。急に通常の営業を止めるわけには行かんのでな。今頃は冒険者組合で依頼を出しとる頃じゃろうよ。」

 

「森に?面白そう!」

 

 今からついていけばまだ間に合うだろうか。リカオンは急いで支度をする。

 

「そうだ、クレアも行くでしょー?」

 

 眠い目を擦りながら部屋から出て来たクレマンティーヌは言葉を発さずにただ右手で追い払うようなジェスチャーをする。一人で行って来いという事らしい。そして家人のように食卓に座ると卓の上にあったリンゴを躊躇いもなく齧り始めた。中々図々しい奴だ。

 

「ちぇー。ノリの悪いやつ。」

 

 リカオンも同様にリンゴを手に取り、歩きながら食べる。こちらも人のことを言えたものではない。

 

 

「おーい。誰かいないか?」

 

 リカオン達がシャリシャリと音を立てて朝食に勤しんでいると、店先の方から声がする。どうやら朝早くから客が来たらしい。

 

「おばあちゃん。お客さんみたいだよー!」

 

 奥にいるリィジーに呼びかけるが返事はない。再度研究室に閉じこもってしまったみたいだ。仕方がない。居候の身だが少しは役に立とう。リカオンは店先に顔を出そうと、販売スペースに続く暖簾を潜ろうとする。しかし同時に向こう側から来た巨大な影に行く手を阻まれた。縦横にでかい偉丈夫はこちらの姿を認めるや否や質問を投げかける。

 

「すまねえ。悪いと思ったんだが、ちょっと聞きたいことがあってな。先日、この街でアンデッド騒ぎがあったと思うんだが、そいつを撃退した戦士ってのがこの店にいるって噂を聞いてな。それで、…どっちだ?」

 

 いきなり店に入って来た人物はリカオンとクレマンティーヌを交互に見比べて、威圧するような声で尋ねた。近くに立つリカオンはこの異様な客を繁々と見つめる。雰囲気からして恐らく女性だが、太い首に鎧の上からでもわかる美しい逆三角形、がっしりとした下半身、頭から爪先まで余すところなく逞しい肉体をしている。装備は重鎧と刺突戦槌であり、彼女の戦闘スタイルを如実に表していた。

 

「あんた、ガガーランじゃない?」

 

 クレマンティーヌは椅子に腰掛けて視線だけこちらに向けながら問いを被せた。それを聞いた客は呵々と笑う。

 

「なんだ、俺のこと知っているのか。それだったら話が早い。」

 

「これ見よがしにアダマンタイトのプレートを下げていたら誰だって分かるよね。…実は前からどんなものか、見てみたくて。」

 

 クレマンティーヌはすっと立ち上がった。そして相手の威圧と張り合うように真正面からガンを飛ばす。ガガーランも負けじとクレマンティーヌを睨みつけた。両者の目線がぶつかり、空間に火花が散る。

 

「俺のこと知ってて喧嘩売るってことは相当自信あるみたいだな。いいぜ、表に出ろよ。化け物を追っ払った実力、見せてもらおうか。」

 

 ガガーランの呼びかけにクレマンティーヌは即座に応え、顎で外に出るよう指示する。挑発的な態度に空気は益々熱を帯びる。

 

 

「んー。それ、私だと思うよ。」

 

 しかし、すっかりやる気になった2人が通りに出ようとした所にリカオンが水を差した。ガガーランは敵意の発生源から注意を逸さぬように視線だけ移動させてリカオンの言葉の真意を探る。

 

「何だって?」

 

「アンデッド騒ぎの事でしょ?当事者は私だと思うけど。」

 

 リカオンは指についたリンゴの果汁を一本一本舐め取りながら答えた。ガガーランは再度リカオンの方に向き直り、そして観察する。相手はここで今まさに諍いが始まろうとしていたにも関わらず、自然体を保ったままだ。こちらを見ているが、それは敵を見据えると行った風ではなく、何方かと言えばサーカスの珍獣でも見るかのような純粋な興味の視線であった。

 

 ガガーランは相手の態度の観察から、相手の性質の観察に移行する。とぼけた顔をしているが体つきや姿勢は戦いに身を置くものの特徴を備えている。また、先のガガーランの威圧に怯まなかったところを見ると実力に自信ありといった所だろうか。

 

「へぇ、つまりお前がアンデッドを撃退したと…ん?…どうしたんだ?」

 

 リカオンの視線が自分の腕に集中している事に気がついたガガーランは疑問を呈する。

 

「あのさ、ちょっとここからここまで、外してもらっていいかな。」

 

 どういう意図かはわからないが、リカオンはガガーランに腕の鎧を指差して、それを取るように言っている。ガガーランは何のことかと思ったが相手が期待するような目で頼むので、左のガントレットからリアーブレスまでを外して卓の上に置いた。人前で装備を外すなど、いつもなら拒むのだが、リカオンの不思議な雰囲気がそれをさせなかった。

 

「力瘤作ってもらっていい?」

 

「?」

 

 ガガーランは言われるがまま上腕二頭筋に力を込める。

 

 

 

 

 

 

 

「ああ…。キレてる。堪らん…。」

 

 リカオンはガガーランの筋肉にうっとりとした恍惚の表情を浮かべ、筋肉の割目や血管にそっと指を這わせる。完全に自分の世界に入っている。ガガーランの方は真正面に自分の筋肉を褒められたのが嬉しいらしく少し満足げだ。

 

「ええ…。」

 

 クレマンティーヌはその光景にドン引きしていた。

 

 

「すまない、誰か居ないか!」

 

 戸口からよく通る男の声が聞こえた。また客が来たようだ。その声には何処か余裕のない印象を受けた。厄介ごとの匂いがする。リカオンとガガーランは筋肉の世界から我に帰ると、何事かと店の前まで出て行く。そこには首に白金のプレートを下げた魔術師風の男がいた。男はアダマンタイトのプレートを下げたガガーランに目の玉が飛び出るほど驚いていたが、すぐ平静を取り戻すとここに来た経緯を話し出した。

 

 聞くと彼はンフィーレアの依頼を受けた冒険者チームの1人だという。冒険者組合で依頼内容の打ち合わせをした後、一度装備を整えるため解散し、再び集合したのだがンフィーレアの姿が見えないらしい。仲間と手分けして大きい通りや都市外へ続く道、街道沿いは探したのだがついぞ見つからなかった。そのためバレアレ店にやって来たのだという。目ぼしい目撃情報もなくほとほと困り果てた後の一縷の望みをかけての来店であった。

 

 ンフィーレアが不在であることを告げると彼は肩を落とし、他に何か知っていることはないかと尋ねる。しかし今日、ンフィーレアは朝早くに店を出て行ったきりでリカオン達は行き先について何も知らなかった。1人、クレマンティーヌだけは何か思い当たる節があるのか少し鼻白んだが、その機微に気が付くものはこの場には居なかった。それを聞いた男は男は益々落胆したように溜息を吐く。

 

「先に行ったんじゃない?」

 

 リカオンが率直に聞いた。

 

「荷は全て置いて行っているんだ。しかも荷造りの途中で。身1つで街を出るなんて考えられない。」

 

「誰もンフィーレアを見ていないのか?有名人なんだろ、誰かの目に止まっていてもおかしくないんじゃないか?」

 

 ガガーランも疑問を口にする。

 

「いや、俺たちが聞いて回った結果、ンフィーレアさんを見たって人はいなかった。」

 

 男の言葉にガガーランは考え込む。そして何かを思いつくと、矢継ぎ早に質問を浴びせかけた。

 

「解散してからンフィーレアがいなくなったと気付くまで時間はどれくらいだった?」

 

「ん、25分ってとこか。」

 

「聞き込みをしたのはどこの通りだ?」

 

「ティ・ヤンツ通りとナ・シャルフェン通り、後はリ・リール通りにリ・カプルルース通り、ラ・パズス通りってとこだな。」

 

「外壁の周りは見たんだな?」

 

「仲間の盗賊が高いところからぐるっと辺りを見回したが、外にも内にも見つからなかった。」

 

「最後、解散したのは何処だった?」

 

「組合の前だ。集合予定もそこだったし、ンフィーレアさんはそこで待つと言っていた。」

 

「ふむ。」

 

 ガガーランは腕を組んで神妙な顔つきをしている。

 

「ねぇ、何かわかったの?」

 

 リカオンがガガーランに尋ねる。するとガガーランは冷静に言い放った。

 

「ああ、ンフィーレアの場所がな。」

 

 その場にいる全員の顔が一斉にガガーランに向いた。男は特に信じられないという顔をしている。それもそのはず今まで自分たちが必死になって探した上で見つからなかった目標を話を聞いただけで何処にいるか当てて見せようと言うのだから真に受ける方がおかしい。だがガガーランはそんな周囲の視線を物ともせずに説明を始め出した。

 

「先ず、これだけの時間が経っているにも関わらず誰にも目撃されていないことから、ンフィーレアは屋外にはいない。通りにも裏道にもな。何処かに移動したと考えられるだろう。聞き込みをした通りの位置や、防壁回りと街道にいないことからして、見つからないように移動する経路は、リ・リール通りの裏を抜け区画を3つ進んだ後、西に転換して更に3区画、リ・オースティン通りの端を横断してまた裏道へ入る。続けて西進して外周部へ、墓地の方だな。」

 

 ガガーランは都市の地図を指で指しながらルートをなぞる。そこに冒険者の男が食い付いた。

 

「ちょっと待ってくれ、ンフィーレアさんがなんでそんなところに行くんだ。」

 

「いや、あくまで状況判断で理由はわからん。これは憶測なんだが、多分誘拐されたんじゃないか?身代金目的かなんかの。」

 

 

 ガガーランの言葉にその場にいるものは押し黙る。皆何か言いたげだ。ガガーランは気不味い雰囲気の理由が分からないといった顔で、眉根を寄せ、目で他の3人に説明を促していた。リカオンは他2人の顔を伺いながら代表して口を開く。

 

「…ガガーランって見かけによらず頭良いんだね。」

 

 クレマンティーヌもうんうんと首を縦に振っている。男もあからさまな同意はしないが、表情は同じ言葉を語っていた。

 

「…あのな。アダマンタイトが筋肉バカで務まるわけないだろ。」

 

 ガガーランは呆れたように溜息を吐いた。

 

 

 ーーー

 

 

 リカオン、クレマンティーヌ、ガガーランの3人は乗りかかった船と、ンフィーレア捜索に乗り出した。クレマンティーヌは乗り気ではなかったがリカオンに無理やり連れてこられていた。

 

 そうして目下ンフィーレアがいるであろう共同墓地の探索をンフィーレアの依頼を受けた冒険者チームと共にする事にしたのだが、問題が1つあった。エ・ランテルが戦争拠点であり、毎年大量に出る兵士の死体を埋葬する場所を確保するために、この墓地は広く作られているのである。

 

「本当にこんなところにいるの?」

 

 不揃いな墓標の山を掻き分けつつ一行はンフィーレアの痕跡を探す。

 

「状況的に可能性が高いっつーこった。ここにいなけりゃ後は地下下水道ぐらいだろ。」

 

 そう答えるガガーランの周りにはンフィーレアの依頼を受けた冒険者達5人が囲んでいる。メンバーは戦士2人に盗賊、魔力系と信仰系の魔法詠唱者(マジックキャスター)が1人ずつだ。皆羨望の眼差しでアダマンタイトのプレートを見つめていた。やはり自分たちが目指す最高位の称号に憧れを抱いているのだろう。自らの白金のプレートを握りしめて、冒険者として上り詰めるという決意を新たにしている。

 

 そんな様子を見ながらクレマンティーヌは自分の次の行動を考えあぐねていた。ンフィーレアは十中八九墓地にいるだろう。そしてその犯人も彼女には分かっていた。

 

 クレマンティーヌは懐に手を入れて叡者の額冠の位置を確認する。カジットがンフィーレア誘拐を強行するなら先にこれを渡しておいて勝手に<死者の軍勢(アンデス・アーミー)>を発動させておけば良かった。そうすれば混乱に乗じて姿をくらますことが出来たと内心舌打ちをする。交渉材料として叡者の額冠を所有したままにしておいたのが間違いだったか。

 

 もう1つ懸念材料として、このままズーラーノーンの拠点が発覚した場合、冒険者一行とズーラーノーンの戦闘は避けられないだろう。果たしてどちらに付くのが良いか。彼女は頭の中で戦力を天秤にかけた。

 

 ズーラーノーンには弟子たちが何人かいるが、戦闘経験は殆ど無く使い物にならない。戦力になりそうなのは死の宝珠の力で使役している動死体(ゾンビ)150体程、虎の子2匹のスケリトル・ドラゴンといったところか。アンデッドは白金冒険者チームがいれば対処可能だろう。スケリトル・ドラゴンは強力だが、いかんせん刺突戦槌持ちのガガーランと相性が悪く、2匹でかからないと各個撃破されかねない。

 

 後はカジットとリカオンの2人になる。いくらズーラーノーン十二幹部とはいえ壁役なしで戦士とやりあうのはキツイだろう。リカオンの強さを考えれば尚更だ。

 

 ここで重要なのはクレマンティーヌがどちらかについた場合どうなるかということだ。クレマンティーヌは想像(シミュレーション)する。

 

 ズーラーノーン側につけば叡者の額冠とンフィーレア(タレント)のコンボで一気に形勢逆転、勝つことは容易になる。ただしアダマンタイト級冒険者に目を付けられ、今後の逃走生活に支障が出るかもしれない。冒険者側につけば、これも余裕でズーラーノーンを蹴散らすことが可能だ。カジットだけ鬱陶しいが所詮それまで、これだけ戦力が整えば恐れることはない。後は各地に偏在するズーラーノーンの報復が怖いくらいだ。

 

 正直クレマンティーヌからすればどっちでも良かった。彼女にとっては自分の属する組織など最初からどうでもよく、ただ利用するだけのものに過ぎないのだ。どちらに付くかはその場の流れで決めてもいいだろう。

 

 

「ねぇ、クレア!さっきから全然喋らないけど大丈夫?」

 

「きゃっ!」

 

 いきなり後ろから強く肩をリカオンに叩かれ、思考の海から引き戻された。驚いて手に持っていたものを落とす。それはクレマンティーヌの手から逃げるように放物線を描いてリカオンの足元に落ちた。

 

 ジャリ。ブチッ!

 

「あっ、なんか踏んだ。」

 

 リカオンは踏みつけたものを両手でつまむようにして拾い上げる。蜘蛛の巣状に白い宝石を繋ぎ合わせたサークレット、輪状になっていたと思われるそれは、無残に千切られ、リカオンの手の中で所々糸がだらしなく垂れ下がっている。

 

 クレマンティーヌが手に持っていたもの。叡者の額冠。それが今、リカオンの脚甲に踏み砕かれ、そのものが持つ装飾品としての美しさと、装備品としての機能が失われてしまった。

 

「ちょっ、おま、ま、お前!」

 

 クレマンティーヌは額冠の価値を知っているからか、元漆黒聖典の性か、法国の貴重なマジックアイテムが破壊されて相当に取り乱した。

 

「ご、ごめん。」

 

 クレマンティーヌはリカオンを殴りつけてやろうかと思ったが、ガガーランの笑い声に遮られる。

 

「はっはっはっ、そのアクセサリーそんなに大切なものだったのか?俺が新しいやつ買ってやろうか。」

 

 ガガーランなりの気遣いなのだろうが、それが余計に腹立たしかった。今ここで叡者の額冠がどのようなものかを説明して、どれだけの過ちをしたのか阿保に教示してやりたいところなのだ。当然そんな事は出来ず、諦めの嘆息を漏らすばかりである。

 

 ついでにカジッちゃんには悪いが<死者の群勢(アンデス・アーミー)>が不可能になった今、ズーラーノーンを裏切ることが決定した。

 

 

 ーーー

 

 

 一行は墓地に敷設された霊廟に足を踏み入れていた。今は安置されている死体もなく綺麗に掃除されている。辺りに漂う臭い消しの香だと思われる甘ったるい残り香が鼻を刺激した。

 

「いるとしたらここだよな。」

 

「誰もいないよ?」

 

 さして広くない内部の空間には大仰な台座が1つあるだけで、人の気配がしない。ガガーランは当てが外れたかと肩をすくめる。墓地は粗方見て回った、見落としがなければンフィーレアはここにはいなかったということになる。移動してしまった後だろうか。

 

「さて、次行くとしたら何処だろうな。」

 

 ガガーランはすぐに見切りをつけて、対象の移動先を考えだした。皆もそれに倣って腕を組んで頭を悩ませたり、隣の人間と話をし始めた。

 

「ちょっと待ってくれ。」

 

 そんな中、白金冒険者チームの盗賊が声を上げ、皆の思考を中断する。彼は霊廟内を歩き回り、しきりに辺りの匂いを嗅いでいる。

 

「何しているんだ?」

 

「ここ最近、お偉いさんの葬式なんて挙げていない。この香の匂いは不自然だ。それに外からの見た目と内部の空間の広さが合わない。…あった。」

 

 盗賊は霊廟の壁の一部を示す。どうやら石でできた台座の裏の壁から風が吹き出してきているらしい。盗賊は壁を拳でコツコツと叩いて中が空洞になっていることを確認すると、仕掛けがないか入念に探っていく。台座の裏側に手を入れ、指を這わせると、それは直ぐに見つかった。カチンと音がしたと思うとゆっくり台座が横に動いていく。すると中から甘い香の匂いが外に漏れ出してくる。誰かがいる事は疑いようもない。

 

「おおー。」

 

 リカオンは盗賊の手並みにパチパチと拍手を送る。盗賊は少し照れ臭そうにはにかんだ。割といいおっさんなのに。

 

「さて、突入したいと思うがどうする。待ち伏せや罠があるかもしれん、全員で入るのは愚策じゃないか?」

 

 ガガーランの提案に反論はない。話し合いの結果、4人2チームに分けて突入と挟撃防止の見張りをそれぞれ設ける事になった。チーム分けは突入班にガガーラン、リカオン、盗賊、魔力系魔術師(マジックキャスター)となった。見張り班はそれ以外だ。

 

 

「じゃ行きますか。」

 

 一行は開いた壁を潜り、下へ進む階段を歩いていく。順番は盗賊、リカオン、魔術師、ガガーランだ。灯りのない中を音を立てないように一歩一歩、罠がないか確認しながら奥へ向かう。ガガーランは重鎧を着ながら音を立てずに歩いている。一流の足運びを習熟している所作だろう。

 

「…おや?」

 

 リカオンは広大なダンジョンを密かに期待していたが、階段は思ったより短く、丁度1階層分地下に降りたあたりで開けた部屋に出た。入り口は1つだけ、部屋は死者が安らかに眠るための墓地にはおおよそ似つかわしくない怪しげな調度品で埋め尽くされている。その中に色褪せた赤いローブに身を包んだ男が1人佇んでいた。男の顔は生気がなくまさに土気色というのがぴったりだ。

 

「…なんだ、貴様らは。どうしてここに来た?」

 

 男が不気味な笑みを湛えつつ言葉を投げかけてくる。質問とは裏腹にやけに余裕のある態度だ。男は右手を鷹揚に振るう。それと同時に、リカオン達の目は男の後ろに手足を縛られ、横たえられたンフィーレアの姿を捉えた。

 

「探し物をしていてね、あんたの後ろにあるやつさ。」

 

「さて、なんのことやら。」

 

 男はまるで自分は無関係であるという風に素知らぬ振りで顎に手を当てて笑みを深くする。

 

「…この装飾見たことあるな、あんたズーラーノーンだろ。今までの悪事の数々、更に人攫いまでやったんだ。務所入りの覚悟は出来てんだろうな?」

 

「それは困るな。」

 

 周りの様子を観察していたガガーランが男に問い詰める。男はピクリと眉を動かし後ろにいるンフィーレアを一瞥した。そして再び視線を戻すと嫌味な笑みは消え、今度は害意を剥き出しにした兇悪な顔になっていた。素性が知れているとわかった男はこれ以上演技をする理由はないと判断したのか、左手の杖を前に構えて戦闘態勢を取る。

 

「じゃあどうする。周りに隠れてる奴らと一緒に俺らと()ろうっての?」

 

「その通りだ。」

 

 男は何処からともなく暗い闇色をした球を取りだす。その球が鈍く光ったと思うと、壁から地中から動死体(ゾンビ)の群れが飛び出した。あっという間に部屋を埋め尽くしていく。即座にリカオン達は魔術師を中心に円陣を組んだ。リカオンは突剣を左手に、格闘武器を右手に装備する。ガガーランは刺突戦槌を構える。部屋が狭く満足に振り回すことができないので、柄を短く持つ。盗賊は右手に短剣を握った。

 

「おいあんた、周りの奴らはどうにかするからありったけをあのハゲにぶつけてやれ。」

 

 ガガーランが魔術師に指示すると、彼は心得たとばかり魔法の詠唱に入った。同時に敵はそれを阻止せんと動死体(ゾンビ)を一斉にけしかけた。腐肉のうねりと化した動死体(ゾンビ)の群勢が生あるものを呑み込まんと迫りくる。

 

「ウオォラァア!!」

 

 刺突戦槌と裏拳の薙ぎ払いで動死体(ゾンビ)達が近づいた途端に次から次へと紙屑のように吹き飛んでいく。

 

「やるな。」

 

「あんたもね。」

 

 動死体(ゾンビ)にとっては多少の欠損は致命傷たり得ないが、2人の攻撃はそんな生半可なものでは無く、動死体(ゾンビ)達はバラバラに吹き飛び、2度と動くことはなかった。

 

「クソ、なかなか手強い。チッ、奴は何処をほっつき歩いている!叡者の額冠さえあれば今頃…!」

 

「考え事をしている暇はないぞ!<旋風(ワールウィンド)>!」

 

 魔術師が渾身の一撃を放つ。巻き起こる風の刃はアンデッドの包囲を食い破り、敵の喉元に向けて揺らめく軌跡を残して迫る。

 

「フン、くだらん。」

 

 ローブの男は魔法を一瞥すると避けるそぶりも見せずに手に持つ球に魔力を込める。ズズズと何かが這い出す音がした。敵の喉笛を噛みちぎり、血の噴水を上げるかと思われた見えない刃は突如地中から現れた壁に阻まれる。より正確にいうと壁ではなく、巨大な爬虫類の骨の前脚だ。それは地中から出てきた勢いそのままに全貌を明らかにする。巨大な骨の竜、スケリトル・ドラゴンだ。

 

「なっ…。」

 

 その姿に魔術師の顔は青褪める。スケリトル・ドラゴンは魔法を無効化する特性を持っており、魔法を扱う者にとっての天敵だ。彼の動揺は当然のものと言えた。スケリトル・ドラゴンはローブの男を肋骨の隙間に隠し、周りを包むように尻尾を曲げる。そして首だけこちらに擡げて威嚇するような姿勢を取った。この狭い部屋の中では凄まじい威圧感だ。

 

「あんな隠し玉があるとはな。」

 

 ガガーランにとってスケリトル・ドラゴンを倒すことは其処まで苦ではないが、持ち場を離れると魔術師や盗賊が危ない。相手も防御に徹している様子なので、暫くは周りの群れの対処を優先する。

 

「くっく、甘いな。」

 

 ローブの男が不敵に笑う。すると冒険者の円陣の足元がいきなり盛り上がった。

 

「何っ!2体目か!?」

 

 地面から突き出された腕をガガーランは刺突戦槌の柄で受ける。リカオンは咄嗟に魔術師を庇った。周りの動死体(ゾンビ)諸共吹き飛ばされる。

 

「ガガーラン!大丈夫!?」

 

「俺は大したことねえ!他のやつは無事か!」

 

 幸い戦闘不能になる者は居なかったが、状況としては絶望的だ。とても4人で対応できるレベルではない。ガガーランは自分を殿に部屋から脱出する事を考える。

 

 しかし、目の前を遮る影がある。リカオンがゆらりと立ち上がりスケリトル・ドラゴンに無造作に歩いて行くのだ。

 

「おい!何してる!」

 

 ガガーランの問いかけにリカオンは背を向けたまま何も答えない。そして徐に突剣の刃の根元を右のガントレット部分に当て目の前で交差させる。2匹めのスケリトル・ドラゴンが前脚を振り上げて攻撃体制に入っているが悠然と立ったままだ。

 

「バカめ!そのまま踏み潰されろ!」

 

 巨大な質量の塊がリカオンの頭に振り下ろされる。リカオンは避けようとも受けようともしない。ただ静かに微笑んでいる。

 

 

「…久しぶりにパーティーで戦う感じを思い出したよ。」

 

『スキル:焼山』

 

 スケリトル・ドラゴンの掌がリカオンに到達するかという時、リカオンは交差している腕に力を入れて、突剣をガントレットに擦り付けるように引き抜いた。ギャリリという音が鳴り、突剣が火を吹き上げる。そのままリカオンは紅い光を灯す刀身を迫る前脚に突き立てた。

 

 一瞬の内に炎が竜の全身を侵食し体全体が燃え上がる。体躯のあちこちでバキバキと乾いた薪が燃えるような音が聞こえて来る。スケリトル・ドラゴンは哀れにも部屋を照らす巨大なキャンプファイヤーに成り下がった。あとは燃え尽きるのをただ待つだけだ。竜は力無くゆらゆらとたたらを踏み、よろめきながら後退していく。

 

 その光景を見たローブの男は現実を受け入れられず、生気のない目で立ち昇る炎を見つめている。光に当てられて不健康な白い顔がいつも以上に際立って見えた。

 

「今の内にンフィーを!」

 

 男が意識を離したからか動死体(ゾンビ)達の統率が緩み、包囲が解け出している。盗賊は即座に自分の役目を理解し、部屋の奥に駆け出した。

 

「そうはさせんぞ!」

 

 敵は慌てて自分を守らせているスケリトル・ドラゴンを操り盗賊の進路を妨害しにかかった。尾の薙ぎ払いが迫り来る。

 

「おっと、俺を忘れてもらっては困るぜ。」

 

 復帰したガガーランがすかさず攻撃をブロックする。その隙に盗賊は一直線にンフィーレアに走っていく。

 

「クソッ!こんな奴らに儂の野望がぁ!」

 

 状況の不利を悟った男はなりふり構わず魔法を放とうとする。

 

「遅いよ。『スキル結合(リンク)突+突:焼山・郷照』」

 

 リカオンがスキルを発動させた瞬間、紅く煌めく突剣がその焔の勢いを増した。その強さは近くにいるだけで熱波に当てられ、灼けつき乾いてしまう程だ。リカオンは手に持つその一条の赤で空間を切り裂くように横に薙ぐと、剣先は鞭のように撓りながら弧を描いた。一拍遅れて剣先の軌跡から逆巻く炎が巻き起こり、辺りを火の海に変えた。

 

 始めに餌食になったのは男を守っていたスケリトル・ドラゴンだ。彼は不運にも剣の軌道上にいたために、内側から火に焼べられ、瞬く間に灰になった。しかしそれだけで炎は消えず、それどころか猛り狂って次から次へと敵に伝播していき、動死体(ゾンビ)達を跡形もなく焼き尽くしていった。

 

 橙色が視界を塗り潰していくその光景は圧倒的で恐ろしく、何より美しかった。そして後に残ったのは灰と炭化した死骸でモノクロの世界になった部屋。

 

「どうよ。」

 

 リカオンは大戦果に渾身のドヤ顔で振り向いた。

 

「バ…。」

 

「バ?」

 

「バカヤロー!!!こんな所でそんな事したら…。」

 

 褒められると思ったのに何故かガガーランにものすごく怒られてしまった。凄く気分が悪い。気分が悪すぎて頭が痛くなってきた。吐き気もするし、なんだか目眩が…あれ?

 

「酸欠になるだろうが!!」

 

 いつの間にか全員姿勢を低くして入り口の方にダッシュしている。ンフィーレアは無事に救出され、今は盗賊の背に担がれながら寝息を立てている。

 

「待ってようー。」

 

 リカオンは吐き気を我慢しつつ必死で階段を登った。

 

 

 

 




戦闘描写難しい。


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第6話 モぬけの殻






 エ・ランテルにある冒険者組合の軒先、ここには今ちょっとした人だかりが出来ている。殆んどは事件の匂いを嗅ぎつけた野次馬だ。

 

「本当にありがとうございました!」

 

 共同墓地での戦闘から1日経って、その顛末を聞いたンフィーレアが深々と頭を下げる。

 

「いやいや、護衛任務を受けておきながら依頼主を危険に晒してしまったんだ、むしろ謝らなければならない。」

 

 白金のプレートを下げた魔術師風の男が畏まって、依頼人である少年に頭を上げるように促した。

 

「ならば礼は私からさせてもらおう。ズーラーノーンの拠点を突き止め、その首魁を打ち倒した事、本当に感謝する。」

 

 そう言って会話に入ってきたのは歴戦の戦士の風格を備える壮年の男。エ・ランテル冒険者組合長プルトン・アインザックである。

 

「いえ、それも我々だけの力ではありません。というか寧ろあの方々の活躍有ってこその結果です。」

 

 そう言って魔術師はリカオン、クレマンティーヌ、ガガーランの3人を示す。実は霊廟地下でリカオン達が戦っている時、地表のメンバーもズーラーノーンの襲撃に遭っていた。信者達が霊廟を包囲したのだ。その際、クレマンティーヌが押し寄せる魔法の間を縫いながら跳び回り、信者達を次々に殺して回った。その場にはクレマンティーヌの動きを目で追える者は居らず、敵味方共殺戮ショーを漫然と受け入れることしかできなかった。

 

 アインザックとしては事件の当事者を何人か捕らえて尋問を行いたいと思っていたが、如何やら全員死んでしまったらしい。いや、ここは高望みすべきではない。街の脅威が1つ取り除かれたことを最大限評価すべきだ。まあ、実態としてはクレマンティーヌが口封じのために念入りに全員殺して回ったというのが正解なのだが。

 

「この度の素晴らしい活躍、既に聞き及んでいる。街を代表するものとして本当に感謝したい。」

 

 アインザックは3人に近づき恭しく言葉をかけた。先ず面識のあるガガーランに歩み寄り握手を交わす。その間もアインザックの視線はチラチラとリカオンとクレマンティーヌを気にするように忙しく動いた。話す機会を伺っているようだ。

 

「すまないが、彼女らを紹介してもらっても?」

 

「リカオンとクレマンティーヌ。今日会ったばかりでそれ以外は知らねえ。自分で聞いたらどうだ?」

 

「そうなのか?てっきり蒼の薔薇の知り合いかと思っていたが。」

 

 アインザックはくるりと向き直り、リカオンとクレマンティーヌの2人に正対する。

 

「私はプルトン・アインザック。こう見えてこの街の責任者の1人だ。差し支えなければ握手をしたいところなのだが。」

 

 そう言って右手を差し出した。残念ながらクレマンティーヌの興味を引くことはできず、そっぽを向かれてしまう。対して、リカオンは友人の愛想のなさを取り繕うように笑顔で握手に応じた。

 

「どうも、先程も紹介に預かりました。リカオンです。」

 

 握手をしてみてアインザックは驚く。一流の戦士は相手に触れただけでその力量が分かる。それは手の感触で剣の握り方や、腕の筋肉のつき方、体幹、動きの癖といったものが推し量れるからだ。しかしリカオンの手からは何も見えてこなかった。強いというのはなんとなく分かったが、アインザックの物差しではリカオンの強さを正確には測れなかった。

 

「あの…?」

 

 リカオンは自分の手に触れた瞬間、掴んで固まってしまったアインザックに心配そうに声をかけた。薬屋の2人といい、この街では初対面の人間の手を握りしめて離さない決まりでも有るのだろうか。今度から握手を求められた時は慎重になろうとリカオンは思った。

 

「ああ、いや、すまない。綺麗な手だったのでつい時間を忘れてしまったよ。はは、は。」

 

 アインザックがお茶を濁す。リカオンは眉を顰めて不思議そうな顔をした。

 

「おいおいオッサン浮気か?」

 

 ガガーランが面白そうに茶化す。アインザックはわざとらしく咳払いする。

 

「失礼した。ところで早速で悪いのだが、都市長が君たちに会って話をしたいと言っている。それにささやかだがお礼もしたいと。良かったら共に来ていただけないだろうか。」

 

「お礼って?」

 

 リカオンが図々しく訪ねた。アインザックはそれに嫌な顔1つせず丁寧に答えてくれる。

 

「都市の危難を退けたことに対して、都市長が栄誉賞を贈りたいと。」

 

「…ふーん。」

 

「街を救った英雄として機関紙に載せるとも。」

 

「……ふーん。」

 

「…後は超高級レストランのシェフに会食を用意させると。」

 

「行く!!!」

 

 アインザックは早くもリカオンの扱い方が分かった気がした。

 

 

 るんるん気分で前を歩いて行くリカオン。それに引き摺られる格好のクレマンティーヌ。後をついて行くガガーランとアインザック。アインザックは共にいた白金冒険者チームにも声をかけたのだが、彼らは元々のンフィーレアの依頼があると言って断った。謙虚な者達だ。

 

「ところで。」

 

 アインザックは前を歩く2人を見ながらガガーランに語りかける。

 

「彼女達、いや彼女だけか?私には途方もないくらいに強者に思えるのだが。君はどう見ているんだ?」

 

 アインザックの視線はリカオンにずっと向いている。ガガーランは自分が近くで見て判断したリカオンの強さを伝えた。

 

「俺の見立てではフルアーマーのガゼフのおっさんより強い。それに墓地ではまだ本気で戦ってない。」

 

 アインザックは信じられない言葉に息を飲んだ。ガゼフの強さを知っている身ではガゼフより強いとは到底認めたくはない。ただ墓地での彼女の戦績(スコア)はスケリトル・ドラゴン2体に動死体(ゾンビ)多数。それも一撃、二撃での話だ。そんな芸当はガゼフでも難しいのではないか。しかもその上まだ本気ではないと言うのか。言葉を疑うように視線をぶつけるが、ガガーランは至って真剣の面持ちで冗談を言っているようには思えない。

 

 アインザックはハッとなる。

 

「…では、先日彼女と門外で争ったアンデッドは我々が思っているよりも遥かに強大なのか。」

 

「ああ、もっと真剣に対策を考えたほうがいいぜ。」

 

 

 ーーー

 

 

 リカオン、クレマンティーヌ、ガガーランの3人は街の中心部にある建物で、都市長がいる応接間に通されていた。権力者らしい格式を整えつつ、くど過ぎて嫌味にならない程度に整えられた内装は見ていて気持ちがいい。ここの統治者のバランス感覚がとても優れていることを表している様だ。

 

「都市長ってどんな人なの?」

 

 リカオンは興味本位でガガーランとアインザックに聞いた。

 

「聡明で理知的な素晴らしい人だ。」

 

 アインザックが答え、ガガーランが頷きで同意した。ガガーランが頷くまで若干のタイムラグがあったのが少し気になったが、まあ置いておこう。リカオンはスラッとした長身でメガネをしている男性を想像した。

 

 リカオンは案内されるまま応接間に入り、そこで奇妙なものを目にした。調度品はエントランスや廊下と同じ様に美しく整えられている。その他にも歴代の権力者と思われる肖像画が並び、寄贈品らしい刀剣や盾も置かれている。その部屋の中、上座に座るおおよそこの場に似つかわしくない風体の人物。これ以上ないという程肥え太り、ぷひー、ぷひーと呼吸をしている人間。服の襟に首の肉が締め付けられてすごく苦しそうだ。額に付いた肉が垂れ下がり、目は窪んでしまってよく見えない。

 

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 リカオンは子供向け間違い探しゲームの問題を見る様な目で上座の男を見つめる。彼は客人がこの部屋に来たことを察知すると、おもむろに立ち上がった。

 

「よおこそ、このたびはきていただいてかんしゃする。わたしがぱなそれいだ。いちおうこのまちのとっぷということになっている。」

 

 ぷひー、と再び気の抜けた鼻息が漏れる。リカオンは軽く会釈した。男の喋り方に抑揚が無さ過ぎて上手く聞き取れなかったからだ。そして説明を求める様にアインザックに顔を向ける。何かの間違いではないかと訴える視線を添えて。しかしアインザックがパナソレイと名乗る肉塊と普通に会話しだしたのを見てその期待は打ち砕かれた。

 

 パナソレイはリカオン達に席に着くように指示する。恐る恐る椅子に座るが、やはり男の巨体が気になって落ち着かない。しかしそんなリカオンを余所に会話は進んでいく。

 

「さて、はなしはとおっているとおもうがわたしからもまちをすくってくれたことにかんしゃをもうしあげたい。ほんとうにありがとう。とくにががーらんくんにかんしてはほんらいならさきにほうしゅうをやくそくしてからいらいというかたちをとるのがすじなのだが、さきんじてうごいてもらってとてもありがたいことだ。」

 

「ああ、気にすんな。ズーラーノーンは何処でも厄介ごとの種だ。潰しておくに越したことはない。…でも俺たちをここに呼んだのは何も礼を言いたいだけじゃないんだろ?」

 

「きみにはおみとおしか。こんかいのけんにかんしてはちゃんとほうしゅうはじゅんびする。しかし、もっとじゅうようなことがあるのだ。とくにそこのおじょうさんがいちばんかぎになることだがね。」

 

「ふぇ、私?」

 

 いきなり話を振られて困惑するリカオン。パナソレイの言葉が聞き取りづらく全く頭に入ってこないのでまともに耳を傾けていなかった。さながら寝ている時に先生に当てられた学生の気分だ。

 

「門外のアンデッドの事ですな。」

 

「さよう。」

 

 アインザックが口を挟んだ途端に部屋の空気が変わる。パナソレイはそれに重々しく答え、ガガーランも興味津々だ。

 

「みっかまえにやつがもたらしたひがいはじんだいだ。あれがまちなかでおこなわれていたかもしれないとおもうと、いや、…こんな話し方はもう辞めだ。とにかく、奴に対する備えをしなければならないのだ。」

 

 パナソレイの雰囲気が変わった。話し方は理路整然となり、目つきも鋭いものに変わる。リカオンはいきなりの変化に目を丸くする。

 

「驚いたかい。アレをやっていると大体の人間がどんな性格か分かるのでね。君は性格も考えも顔に出てとても分かりやすいな。」

 

「す、すいません。」

 

「素直なところは美点だ。でも、自制を求められる事も多々ある。覚えておき給え。」

 

 パナソレイは小さく笑みを浮かべる。今の彼の風格はこの部屋のどの調度品よりも格式高く見えた。この姿を見れば誰もパナソレイが本当にこの部屋の主人なのかと疑う者はいないだろう。

 

 

「さて、君はあのアンデッドと唯一戦った人間だ。何か知っていることはあるかね。やはりズーラーノーンと何か関係が?」

 

(んー。あのアンデッドって多分モモンガさんだよね。)

 

「関係ないんじゃないのかな、多分。」

 

「なんと、やはり君は詳しいことを知っているんだな。奴はどれくらい強いんだ?君と何方が上なんだ?」

 

「メチャクチャ強いですよ。私より遥かに。」

 

 リカオンの断定に空気が静まった。クレマンティーヌは片目を開けて口を尖らせた。ガガーランは腕を組んで眉間にしわを寄せている。アインザックは驚愕に目を見開き、パナソレイは歯を食いしばって汗を額に浮かべている。

 

「街なんかその気になれば1時間と掛からず灰に出来ます。」

 

 リカオンの追撃にパナソレイは心を打ち砕かれそうになった。

 

「そんな、個体でそれだけ強いなど、対策のしようが無いではないか…。」

 

 相手が軍なら籠城でも何でもすればいい。ただ、1人で壁を打ち破る化け物に対してはパナソレイの持つ手札は脆弱すぎた。

 

「何か、何か打てる手はないのかね。」

 

 アインザックが藁にも縋る思いでリカオンに聞く。

 

「…消極的だけど、相手を刺激しないようにするしかないと思う。敵対しない者には割と寛容だった気がする。」

 

 リカオンはユグドラシル時代のアインズ・ウール・ゴウンの行動パターンを思い返す。彼らは悪質な愉快犯のPK集団だと噂されていたが、ターゲットは異業種に仇成す者と明確に決まっていた。

 

「そうか…。取り敢えず冒険者組合の方では全冒険者に御触を出そう。奇妙なスケルトンには絶対に手を出さないこと、戦闘になっても撤退を優先することだな。」

 

「後はこの門外のアンデッドの対策班を構成し直さなければ。撃退はできなくとも民の被害を抑えるように緊急時の連絡網の整備や避難誘導の手法を確立しなければ。この門外のアンデッドに…、ふむ、そろそろこいつに名前を付けようじゃないか。」

 

「奴の名か…。」

 

 その時、今まで黙っていたクレマンティーヌが唐突に喋り出した。

 

「門外…、もんがい…、モン…。ねえ、モンガっていうのはどう?」

 

 おしい。リカオンは思わず噴き出しそうになる。他3人もそれはちょっと、という顔をしていた。

 

「何か文句ある?」

 

「アリマセン。」

 

 クレマンティーヌは英雄級の威圧感で周りを納得させた。かくして、モンガ対策本部が本日より活動を始める。

 

 

 ーーー

 

 

「ヘックショイ!」

 

 アインズは呼吸器もないのに思いっきりくしゃみをした。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 アルベドが報告を中断し、心配そうに覗き込んだ。

 

「いや、何でもない。」

 

 アインズは鷹揚に手を動かし、アルベドに続きを促す。

 

「では。以前アインズ様の命令で動向を探らせていた女に関してなのですが。」

 

(ああ、そんな命令もしてたっけ。)

 

「女を見張っていたら面白い物がかかりました。我々と同じくあの女を尾行していたらしい不審なグループがいたので捕らえ、そのうちの1人を拷問(任意聴取)したところ法国の関係者だということがわかりました。」

 

「ほう。」

 

「所属は風花聖典、任務内容は裏切り者の捜索だと。」

 

 アインズは少し考える素振りを見せてから口を開く。

 

「ということはあの2人組は法国の者で、何らかの理由により亡命しているということか。」

 

「断定は出来ませんが、可能性はあるかと思います。」

 

「ふむ。」

 

 やはり法国に関してはまだ情報収集が必要だ。あのレベルの人間をまだ擁していると仮定すると、法国の保有戦力は他の国家より頭抜けている。このままこの世界で傍観者を気取っていても、いつ足を掬われるか分からない。我々も地盤固めを早急に行うべきだ。

 

「アルベド、王国の情報はどれほど集まっている?」

 

「はい。現在セバス、ソリュシャンの他、影の悪魔(シャドウデーモン)を80体投入し、王族や貴族の情報を中心に政治及び経済の状況を集めております。進捗としては97%程、情報整理は主にデミウルゴスが、補佐としてユリ・アルファが就いております。」

 

「そろそろ魔導師アインズ・ウール・ゴウンとして王国に接触すべきかな。」

 

「タイミングとしては適切な御判断だと思います。接触相手は誰を選びますか?やはり戦士長経由でランポッサ三世でしょうか。それとも有力貴族であるレエブン侯、若しくはボウロロープ侯になさいますか。」

 

 アルベドの質問にアインズは暫し考える。

 

「第一王子バルブロに取り入る。」

 

「…恐れながら、理由を伺ってもよろしいでしょうか。」

 

「まず、今回の目的はこの世界で情報収集を簡易に行う為の一定の地位を築きつつ、無用な闘争に巻き込まれないために外敵の目を眩ます隠れ蓑を探すことだ。」

 

 アインズは地図を広げながら答える。そしてナザリックの場所を指差しながら言葉を続ける。

 

「完全に情報が揃うまで潜伏しておくのもいいかと思っていたが、法国が何やら活発に動いていることを考えるとじっと構えて迎撃一辺倒では遅きに失することもあるかもしれない。」

 

 机に据え付けられた万年筆で法国の実働部隊が確認された地点に丸を付けていく。

 

「法国は他国の領土でも御構い無しに活動をしている。これは現状の勢力図を一変させようと企んでいる証拠だ。これに我々も巻き込まれる可能性は高い。」

 

 アインズは地図上で法国から引っ張って来た矢印をナザリックに突き刺す。

 

「ただ別にこれだけでは何の痛痒も感じないのだが、評議国の存在が厄介だ。我々が普通に迎撃しようとするとこいつらに目を付けられてしまうだろう。奴らは部外者を毛嫌いしている様だしな。奴らとはまだ事を構えたくないので、あまり派手に動くことはできない。」

 

 地図上の評議国がギザギザで囲まれていく。

 

「我々が今自然に取り入れるのは戦士長のコネがある王国だけだ。しかし王国は王族派と反王族派で内部分裂している。ここに我々が入る事でパワーバランスを崩壊させ、天秤を動かす事は現状避けたい。他国に付け入る隙を与えない為だ。」

 

「なるほど、そこで対外的には第一王子として国王に親しく、支持基盤としては反王族派のバルブロだと。あくまで中立をアピールする訳ですね。しかもバルブロなら傀儡としてうってつけの人材。」

 

「…そういう事だ。」

 

 本当は聡明な者に取り入ると自分のボロが出そうなので、阿呆そうな人間が良かったという事は口が裂けても言えない。裂けるどころか皮膚さえ無いのだが。

 

「取り敢えず、地盤が固まるまでは王国には今の勢力図を維持してもらわなければならない。地盤が固まった後は王国を足がかりに勢力を拡大するか、若しくは見限って他の国に行くか考えよう。独立してもいいかな。」

 

「左様でございますね。」

 

 アインズは説明が上手くいった事に安堵する。次の報告に移ろうと机に広げられた資料をめくろうとする。

 

「ただ、1つ障害になりそうな懸念材料が。」

 

「…何だ。」

 

「第三王女のラナーでございます。」

 

「デミウルゴスの資料にも上がっているが、そんなに留意すべき人物なのか?」

 

「はい。思考能力が人間のそれとはまるで違います。精神の畸形、いや異形と呼んでも差し支えないですね。」

 

 アインズは悩んだ。ラナーに直接接触するのは不自然だし、何より計画が露見する可能性があるのでそもそも避けたい。しかし、放置するわけにはいかない。

 

 

「…考えておく。」

 

 アインズは問題を先延ばしにした。

 

 その後、アルベドの報告が終わり、アインズは王国参入計画に取り掛かった。戦士長に貰った招待状を確認し、王族、貴族への手紙を用意する。後はこれを手に王城に赴くだけだ。アインズは大口企業との契約を取り付けて来いと上司から言われた時の事を思い出していた。

 

 少し気分が重い。気分転換にモモンでもう一騒動起そうかな。適度に冒険者でも襲うか。アインズはナーベラルに<伝言(メッセージ)>で声を掛け、準備をし始めた。

 

 

ーーー

 

 

ここは法国の政治中枢のとある一室。荘厳な雰囲気が漂う部屋の中では神官服に身を包んだ男女が険しい表情で会話している。

 

「陽光聖典に続いてクレマンティーヌを追っていた風花聖典も消息不明になるとは。」

 

「犯人は同一人物だと思うか?」

 

「土の巫女姫のこともある。やはり漆黒聖典を最大限投入して早急に情報を得るべきでは。」

 

「破滅の竜王に関してはどうする?」

 

「一連の事もそれが原因かも知れない。とにかく情報が必要だ。」

 

会議が喧々諤々と行われる。

 

「…良いだろう、"漆黒聖典"を呼べ。指令を出す。」

 

 

 

この三日後、リカオン、モモン、漆黒聖典はとある森の一角で一堂に会す事になる。

 

 

 

 

 

 







誤字報告ありがとうございます。適用させていただきました。


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第7話 Fight Fire With Fire

真面目回





「むふふ、美味しいー!」

 

 リカオン達はアインザックと約束した高級レストランの料理を味わっていた。彼女は喜色満面の顔で、肉を、魚を、野菜を頬張っている。リカオンの周りは既に空の皿が山のように積まれており、小突くと雪崩でも起きそうだ。因みにガガーランは報酬だけ貰えればいいと王都に帰ってしまった。アダマンタイト級冒険者は色々忙しいこともあるのだろう。

 

 幸せいっぱいの笑みを浮かべるリカオンに対してアインザックは料理の代金を想像して顔を青くしていた。ふと、隣のパナソレイを見るとやはりアインザックと同じ顔をしている。

 

「…これは公共政策なんだ。…私は今、経済波及効果を齎しているのだ。」

 

 パナソレイは目の焦点を空中に放り投げたまま何やら訳のわからない事を呟いていた。確かに家の一軒や二軒は建てられそうなぐらいお金を使っている。まさか財源をこのような形で使う事になるとは、モンガに壊された壁も直さなければいけないのに、予想外の出費だ。

 

 これはいけない。パナソレイの心労を和らげるためにアインザックは助け舟を出す事にした。

 

「リカオン君、クレマンティーヌ君、折り入って頼みたいことがあるのだが。」

 

「何ですか?」

 

 リカオンは新しく出された仔牛肉のセージ葉巻き(サルティンボッカ)に手を伸ばしながら聞き返す。

 

「冒険者にならないか。エ・ランテル冒険者組合は君達を快く歓迎するよ。いや、是非入ってくれ!」

 

「その話さっきも聞きましたけど、ご飯の後じゃダメですか?」

 

 リカオンはアインザックの方を一瞥もせずバッサリ切り捨てる。今は料理しか目に入らないとでも言いたげだ。クレマンティーヌに至っては完全にアインザックを無視して肉を口に運んでいる。彼女の方を見ると意外にも完璧なテーブルマナーで食事をしている。もしかすると名家の出なのかも知れない。

 

「いやいや、大事な話だ。まあ聞いてくれ。」

 

 めげずに食い下がる。アインザックとしてもパナソレイのためにも何とか食事の手を止めなければ。それに今の和やかな雰囲気の方が勧誘も上手く行くと打算的な意味もあった。アインザックは冒険者になることのメリットをこれでもかと並べる。

 

「君ほどの実力があれば直ぐにトップクラスの冒険者になれる。依頼も沢山来るだろうし、能力を最大限活かして富と名声を築くことができるぞ。王国の冒険者になれば身分証明も出来て、王国中の関所は通り放題だ。パーマネントツアーリストのままではバカ高い通行税を取られるぞ。それに冒険者組合は国同士の政治抗争から身を守られているから、下らない戦争に巻き込まれなくて済むんだ。それに…」

 

「ちょっと待った。」

 

 徐にリカオンがアインザックの言葉を遮る。顔をアインザックの方に向け、あんなに忙しかった食事の手を休めていた。

 

(お。いけるか?)

 

 アインザックは何がリカオンの琴線に触れたのか必死に頭を回転させていた。続くリカオンの言葉を待つ。

 

「冒険者になったら戦争とは無関係になるの?」

 

(それか。)

 

「あ、ああ!そうだ。いけ好かない貴族連中の命令を聞いて、一銭にもならない無駄な争いをする事なんてしなくていいんだ。」

 

「じゃあ止めとく。」

 

「だか…、え?何て…。」

 

 アインザックはどうして断られたのか理解できず固まってしまった。聞き間違いではないかと自分の耳を疑った程だ。思わずリカオンを凝視する。

 

「面白そうなイベントを逃すわけにはいかないからね。」

 

 リカオンはそう言った後、再び食事を開始した。場に変な沈黙が流れ、アインザックは狐につままれたようにポカンと口を開けていた。

 

「フフッ。」

 

 クレマンティーヌは笑いを堪えきれなかった。やっぱりこの女はイカれだ。何故か法国からの追っ手の気配が消えたし、行く当てもなかったが、もう少しこの女と行動を共にした方が面白いかも知れない。

 

「ま、待ってくれ。」

 

 嬉しそうなクレマンティーヌを他所にパナソレイ達は焦っていた。この街で冒険者にならないならばこの土地に縛り付けておく理由がなくなるのだ。貴重な人材を流出させる訳にはいかない。

 

「この街はモンガという脅威にさらされているのだ。何らかの対策を講じることが出来るまで協力してはくれないだろうか。勿論報酬は出す!」

 

 凄い剣幕で迫るパナソレイ。それに対してリカオンは簡単に答える。

 

「それはいいですよ。」

 

 ふう、と息を吐く都市長と組合長。この奇妙な女は扱いやすいのか扱いにくいのか全くわからない。

 

「そうか、ではさっそくで悪いのだが…。奴が潜んでいそうな所を調査して欲しいのだ。現状適任者はモンガと渡り合える君達しかいないのだ。」

 

「オッケです。」

 

「詳しい事は後日に回そう。今日のところはこの辺りで…。」

 

「すいませーん。これおかわり。」

 

「ごふっ。」

 

 リカオンは店の食材を食い尽くすまで料理を注文し、遂には店のオーナーが出てきて帰って下さいと懇願する事態に陥った。

 

 

 ーーー

 

 

 夕刻、リカオンらと別れたパナソレイとアインザックはトボトボと帰路についていた。2人の背中からはいつもの威厳が消え去って、疲れた仕事帰りの中年のそれであった。

 

「アインザック君。」

 

「都市長、今回のお代は組合からも捻出します。」

 

「そうではなくて。いや、それもありがたいのだが、あーと。…彼女は一体何者なのだろうな?」

 

「…黒髪黒目の見た目からは南方の出の者としか。後は装備品が凄まじく価値のある物である事から、高貴な出自である可能性が有りますね。」

 

 アインザックの言葉に頷くパナソレイ。そしてさらに質問をつづける。

 

「報告によれば、あの豪奢な造りのレイピアがスケリトル・ドラゴンを溶断せしめたらしいが、あのレイピアを使えば君も可能かね?」

 

「はっきり言ってそんな芸当ができるのは私の知る限りいません。王国戦士長でも無理でしょう。純粋に彼女の実力かと。」

 

 パナソレイは深く考えた後、さらに口を開く。

 

「もう1人の、クレマンティーヌ君の方も瞬く間に敵を皆殺しにしたというが、どれ程の実力なのかね?」

 

「死体を検分しましたが、鮮やかな手口です。スティレットを用いた戦いでは速さと技術共に随一の使い手だと思います。」

 

「君にそこまで言わせるとはね。ふはは。」

 

 突然に笑い出すパナソレイを見て、アインザックはどうしたのかと不思議に思い顔を覗き込む。

 

「いや、失礼。彼女らが冒険者にならないというのはある意味王国にとって好都合かもしれんぞ。」

 

「都市長、それは…。」

 

 ニヤリと笑うパナソレイ。その顔は既にこの都市の最高責任者の面影を取り戻していた。

 

「帝国との戦争であれ程の戦力が内に加われば勝ちの目が見えてくる。リカオン君も乗り気のようだしな。あの憎っくき皇帝に一泡吹かせてやりたいと常々思っていたんだ。」

 

「本当貴方はタダでは転ばないお方だ。流石、都市長をしているだけはある。後は彼女らをどう戦列に組み込むかを考えなければいけませんね。根回しをしていかなければ。」

 

 その夜、2人の男は今後のエ・ランテルについて語り合った。

 

 

 ーーー

 

 

 ここはナザリック守護者統括事務室。その中に山のように積まれた書類に囲まれて忙しなく仕事をしている影がある。この部屋の主、アルベドである。

 

「失礼します。」

 

 コンコンコン、とノックの音が三度響き、橙色のスリーピース・スーツのよく似合う悪魔が入室して来た。第七階層守護者デミウルゴスだ。

 

「ご苦労様、時間通りね。」

 

 アルベドは部下に対して労いの言葉をかける。アインズが王国と接触する段階に入ったため、デミウルゴスに王国の内情を調査し、内容を取りまとめた最終報告をする様に命じておいたのだ。アルベドは渡された書類に目を通していく。概ね中間報告と大差なく、計画に修正を加えなければならないといったことは無さそうだ。

 

「素晴らしい働きねデミウルゴス。先程伺ったのだけどアインズ様もお褒めになっていたわ。」

 

 にこりと笑うアルベド。優秀な同僚に対して素直な賞賛の意味を込めた表情であった。

 

「光栄です。」

 

「ただ…。」

 

 アルベドの表情が曇る。デミウルゴスは自分の報告に何か問題があったかと心配になった。

 

「ただどうしたのです?アルベド。」

 

「いえ、貴方には全く問題はないのだけれど、アインズ様が決められた行動計画で少し。」

 

 アルベドは歯切れ悪く、王国侵略についてのアインズの計画を説明し出した。曰く、法国や評議国を警戒している事、今の勢力図を維持しつつパワーバランスを壊さぬよう王国内部に取り入る事をである。

 

「…これは、いけませんね。」

 

 デミウルゴスは顔を顰める。その表情はアルベドも予想していたらしく、同様に神妙な顔つきになる。

 

 2人の印象からすれば、この様な回りくどい方法を取らずとも、もっと簡単な世界征服の手段があるのではないかと感じていた。ナザリックとこの世界の戦力差や情報収集能力の差ではそれ程の開きがある。何故アインズが直接的手段を取らないのか、その答えは。

 

「我々が気が付いていない要素が他にもある。若しくは、我々はアインズ様の信頼を勝ち得る程に至っていない。」

 

「その通りよ。」

 

 デミウルゴスは歯噛みする。前者であれば手段を限定すべき危険を発見できなかったという無能を晒している事になる。後者であれば本当は直接的手段を取りたいが、シモベたちがアインズの計画を遂行する事が出来るかどうかに不安があり、仕方なくリスクの少ない手段に頼らざるを得ないという事に他ならない。

 

 この計画でアインズは心優しき宮廷魔術師と邪悪なモンスターという二足の草鞋を履く。その中で関係性を疑われない様に偽装や情報操作などシモベのバックアップは必要不可欠となっているのだ。その体制の中に我々が気が付いていないリスク、又は不安要素があるという事か。

 

「アルベド、このままではまずい。なんとかアインズ様に我々の有用性を示す手段を考えなければ。」

 

 デミウルゴスは焦る。このままでは万が一にも他のプレイヤーと同じ様にアインズがシモベ達に失望し、ナザリックを去ってしまうという事態になりかねない。

 

「ええ、早急に手を打つべきね。そこで私から1つ提案があるのだけれど。」

 

 アルベドは一呼吸区切って、重大なことを言う時の様に短く息を吐き呼吸を整える。

 

 

「私達だけで計画を立てましょう。」

 

「…なんだと?いや、理由を聞きましょうか。」

 

 デミウルゴスから明確な敵愾心が漏れ出る。それもそのはず、今のアルベドの発言はアインズの計画を無視するという意味にとられても仕方がないものであるからだ。見ると尻尾が逆立ち、翼を広げて戦闘態勢に入りつつあった。返答次第では攻撃も辞さない構えだ。しかしアルベドはデミウルゴスの威嚇を気にも止めずに淡々と説明をする。

 

「勿論実行するのはアインズ様の御計画よ。それとは別に模擬的に計画を作成するの。そうして計画を成していくうちにアインズ様の御計画と自分達の計画とを比べ、反省点を自分達で見つけるの。そうした地道な作業が次の任務に繋がって行くと思うわ。」

 

「…。」

 

 デミウルゴスはアルベドの意見を聞き、納得した様子で敵意を収める。

 

「なるほどそう言う趣旨ですか。確かに自分達の現状を見つめ、前向きに努力する姿勢は必要だと思います。それにアインズ様の思考プロセスに触れ、より理解を深めることにも繋がるでしょう。…しかし、私は反対です。」

 

 デミウルゴスは毅然として答えた。アルベドは驚いた様子も見せず、静かに頷いてデミウルゴスの説明を待つ。デミウルゴスは人差し指を立て1を作る。

 

「1つ、アインズ様に我々の有用性を示す手段として些か間接的な事。時間が待ってくれるかどうかは分かりません。そしてもう1つ。」

 

 続けて中指を隣に添えて2を作った。

 

「自分達で別に計画を立てるとします。その場合もし任務中に行動の岐路に立たされた時、"自分ならばこうする"という観念に縛られてしまうでしょう。その様な精神状態ではアインズ様の御指示を満足に遂行する事が出来ません。アインズ様の期待を更に裏切る結果になり得ます。」

 

「ならば貴方はアインズ様の命令された事以外はしないということかしら?それならばアインズ様の御負担は一向に減らないままね。」

 

「論点がずれていますよアルベド。私は我々の裁量外の所まで私情を挟むべきでは無いと言っているのです。」

 

 2人の視線が交差する。じっと見つめ合い、互いに相手が折れるのを待っている。微動だにしない両者。今この空間で動いているのは柱に掛けられたアインズ型の振り子時計だけだ。

 

 

「…失礼、少し神経質になり過ぎていました。それに何か手を打たなければならないと言ったのは私の方、建設的な意見を出さず、反対ばかりでは面目が立ちませんね。」

 

 先に白旗を挙げたのはデミウルゴスだった。アルベドも直ぐにフォローを入れる。

 

「いえ、どう思っているか意見を交わすのは重要だわ。それに少なからず貴方の言うリスクが存在する事も承知しています。」

 

 両者とも派手に諍いが起きて、今後に軋轢を生まなかったことに安堵していた。

 

「もっと軽く考えても良いのよ。そう、例えば今後アインズ様に意見具申をする時のためのプランを練る練習とでも思えば良いのではないかしら。」

 

「ええ、そうですね。どのようにすれば?」

 

「現場にいて状況をいち早く確認できるのは貴方の方だから、現状を加味した草案を作って私に寄越して頂戴。それに私が修正を加える形にしましょう。指揮命令権を明確にするために最終決定は統括の私が行うわ。」

 

「了解しました。」

 

「さて、話も一段落したところで休憩しようかしら。お茶でも飲んで行きなさい。」

 

「ええ、頂きます。」

 

 アルベドは机の上を片し、立ち上がって戸棚の中からティーカップを2つ取り出す。金の縁取りがされたシンプルなデザインの来客用ティーカップだ。デミウルゴスはその戸棚の奥に夫婦湯呑らしきものがあるのを見た。いつか使われる時が来るのだろうか。

 

 デミウルゴスは客用のソファに腰掛け、アルベドが紅茶を淹れるのを優雅に待つ。本当は無限の魔法瓶(ポット・オブ・エンドレス・ティー)を使えば速いのだが、アルベドは風情を楽しむため全ての手順を自ら行う。

 

「ああ、そうそう。もう1つ貴方に頼みたい事があって。」

 

「今後、計画作成をする時の大まかな処理期間を算定するために、情報収集をする時の作業手順を作成する事、でしょう?」

 

「流石、話が早いわね。はい、お茶。」

 

 渡されたティーカップを持ち上げ、香りを嗜むデミウルゴス。仄かに柑橘系の匂いがした。

 

「私は紅茶にはあまり詳しくないのですが、これはセイロンティーですか?」

 

「正解よ。貴方、香りがきついものは苦手でしょう?クセの少ないものを淹れてみたの。」

 

「とても飲みやすくて良いですね。読書でもしたい気分です。」

 

 

 その後、悪魔達のささやかな茶会でナザリック内外の近況報告が行われた。施設の維持費の事、スクロールの代替資源の事、ナザリックを脅かす危険分子の事。

 

「おや、もうこんな時間ですか。そろそろ業務に取り掛からなければ支障が出てきてしまう。」

 

 デミウルゴスが入室してから既に時計の長針が一周してしまっていた。

 

「忙しいのに引き止めて悪かったわね。」

 

「いえ、お気になさらず。草案は20時間後辺りに提出します。」

 

「ええ、お願いね。」

 

 バタンと扉が閉まり悪魔が退出したのを確認すると、アルベドはティーカップを片付け、執務机に戻った。そして大きく溜息を吐く。

 

 

 

 

 

「…くふ、ふふふ。」

 

 アルベドはデミウルゴスが去った扉を眺めながら含み笑いをした。それは自分の計画が上手く進んでいる時に出る愉悦の笑みであった。

 

 

 ーーー

 

 

 王国領のとある森林地帯。既に日が落ちて、魔物が闊歩する時間帯となっている。そんな夜更けだというのにポツンと街道に停泊している馬車が1つ。普通の馬車であれば忽ち魔物か盗賊に襲われて2度と朝陽を拝めないだろう。

 

 しかしこの馬車には高度な不可知の魔法がかかっており、並大抵のものでは存在を感じることはできない。その上、この馬車の持ち主はここいらの魔物よりよっぽど恐ろしい化け物なのだ。今、馬車の中では3人分の声で何やら話し合いをしているのが聞こえる。

 

「…わたしに関しては当初の計画のままということでありんすね?」

 

「はい、シャルティア様。この世界固有の戦闘技術を有する人間の調査及び捕獲の任は続行です。」

 

 シャルティアと呼ばれたこの少女。ナザリック地下大墳墓第1階層から第3階層守護者である、真祖(トゥルー・ヴァンパイア)だ。

 

「おんしらはどうするんでありんすか?王国調査の件はデミウルゴスが引き継いだのでありんしょう?」

 

 シャルティアから問いを投げられた2人、執事然とした格好の老人セバスと毛先を丸めた金髪でメイド服を着たソリュシャンは恭しく答える。

 

「アインズ様の命によれば、シャルティア様の補佐をするようにと仰せつかっております。どうやらこの世界にも我々と対抗できる存在がいるらしく、常に2人以上での行動を心がけるように、との事です。」

 

「ふーん、強い奴ね。雑魚しかいなくてちょっと退屈していたところでありんす。早く会いたいでありんす。」

 

 今までにこの3人が狩った人間の数は62人。いずれも人気の無いところを根城にする盗賊や浮浪者だったが、ナザリックの役に立つようなめぼしいものは無かった。この調子が続けば収穫無しでアインズに報告をしなければならなくなる。それだけは絶対に避けたい。

 

「焦っても仕方ありません。デミウルゴス様からの情報ではこの森林周辺にいくつか盗賊の拠点があると伺っております。地道にやっていきましょう。」

 

 セバスが気のはやるシャルティアを諌める。デミウルゴス、と言う単語を発する時にやや棘のある言い方になっていたが、2人の関係性を考えれば仕方ない事だろう。彼自身、自分の仕事をデミウルゴスに取られて内心不満を募らせているのだ。シャルティアはセバスの心境を考えて、これ以上心労を増やさないために我儘な態度を自重する。

 

「貴方もわたしもアインズ様にお褒めいただけるよう頑張っていきんしょう。もちろんソリュシャンも。」

 

シャルティアの言葉に2人は深々と頭を下げる。NPCとしての立ち位置は対等なのだが、設定を反映してなのか彼らはずっと臣下の礼を取っている。シャルティアはこれが偶にむず痒く感じる。控えめな苦笑いが漏れた。

 

「さて、そうと決まれば仕事をしんしょうかえ。」

 

今宵も不運な盗賊達が毒牙にかかるのか。

それとも…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第8話 曇り時々甲冑





 モモンはナーベラルを伴って王国領の南に位置する森の上空を<飛行(フライ)>で移動していた。王国を脅かすモンスターとして、より強く印象を与えるため手頃な獲物を探しているのだ。

 

 夜の闇に紛れながら、<闇視(ダーク・ヴィジョン)>と<生命感知(センス・ライフ)>を併用し辺りを捜索する。願わくば野盗狩りをしている冒険者などを痛めつけて適度に情報を持たせて帰らせるのが良いのだが、なかなか条件に合いそうな獲物は見つからない。

 

「居ないものだな。デミウルゴスの報告ではよく盗賊の討伐隊が見廻りをするとのことだったが。」

 

 連綿と続く木々を飛び越えて行くが、見えるのは森の生物達がそれぞれの生の営みをしている姿だけだ。人の姿は何処にも見当たらない。今日は不漁かもしれないとモモンは諦めてナザリックに引き返そうと思い始めていた。

 

「モモン様。向こうで何やら争っている音が聞こえます。」

 

 その時、モモンの後ろを飛んでいるナーベラルが異変を告げた。<兎の耳(ラビッツ・イヤー)>で不審な音を捉えたらしい。因みにもう冒険者という身分を偽る必要もないのでナーベラルには様付けを許可している。

 

「何処だ?」

 

「進行方向から11時の方角、相手は西に移動しているようです。甲冑が立てる音や獣の唸る声が聞こえます。」

 

「ふむ、街道の方に出るな。先回りするぞ。」

 

「ハッ。」

 

 2人はスピードを上げ、音のする方角へ向かった。

 

 

 ーーー

 

 

 夜の森を厳かに移動する男女の集団がある。その数は12人。格好に統一感はなく、騎士鎧を身に纏う者やカラフルで奇抜な格好をしている者、チャイナドレスを着ている者までいる。この集団は先刻より何処からともなく現れた魔物の襲撃を受けていた。

 

「隊長、なんかおかしいぜ。こんな魔物この森にいたか?」

 

 斧を持った戦士が襲いくる狼を蹴散らしつつ、先頭を行く人物に話しかける。確かに彼らが先程から戦っている魔物は何処かおかしい。その魔物は狼のような見た目なのだが、生き物の気配はなく、倒すと立ち所に霧散してしまうのだ。

 

 獣達は真紅の瞳をギラつかせ、一心不乱に攻撃を仕掛けてくる。獣ならば不利を悟れば逃げ帰る筈なのに、こいつらはまるで誰かに命令されているかのように絶え間無く襲ってくる。それに森を進むにつれてだんだんその数を増していた。

 

「なあ、きりがないぜ。」

 

「作戦中だ。私語を慎め。」

 

 戦士は取り付く島もない隊長の叱責に肩をすくめる。その後ろから老婆が声を上げた。

 

「この襲撃には何者かの意志を感じる。このまま森の中を通るより、一度道に出て状況を確認した方が良いのではないか?」

 

「ほら、カイレ様もそう言ってるぜ。」

 

 戦士は老婆を味方に付けて得意になったのか、少し声が大きくなった。調子のいい態度に周りの人間からは苦笑が漏れる。

 

「進路を西に向け、速度を上げる、全員離れるな。」

 

 隊長は短く命令を伝えると街道に向かって走り出した。部隊は隊長の進路に一糸乱れぬ統率で追随する。格好こそバラバラだが、よく訓練されているらしい。

 

「この見慣れぬ魔物の原因は破滅の竜王かもしれん。皆気を抜くなよ。」

 

 老婆の忠告に隊長は小さく頷く。

 

 今回、国から受けた密命。神話の時代の化け物の痕跡を調査し、可能ならば討伐、又はケイ・セケ・コゥクによって手駒にする事。それと同時に陽光聖典と風花聖典失踪の原因を探る事。

 

 上層部は後者に関しても破滅の竜王の仕業であると睨んでいるが、果たしてどうなのだろうか。

 

 漆黒聖典隊長は手に持つ槍を硬く握り締めた。

 

 

 ーーー

 

 

「…っ。またでありんす。」

 

「どうかしましたか?シャルティア。」

 

「…偵察に出していた眷属が消滅した。」

 

 森の街道、隠蔽魔法が掛かった馬車の中でシャルティアがイラついたように臍を噛んだ。

 

「そこそこの強さの人間がいるという事ですか。獲物が張った網にかかりましたね。」

 

 機嫌の悪いシャルティアとは裏腹にセバスは明るい声だ。

 

 シャルティア達は人間を攫う時、先ず眷属達をけしかけて、ある程度戦える獲物に的を絞るという方法を取っていた。予め選別を済ませてからの方が効率的であるからだ。それにアインズからプレイヤーに注意するように言われており、いきなりの遭遇戦を警戒しての事であった。

 

「そうでありんすね。」

 

 セバスの言葉にシャルティアは早口で答える。幾らレベル7の雑魚とは言え、自分の眷属が殺されるのは面白くないようだ。そんなシャルティアの気を逸らすようにセバスは朗々と会話を続ける。

 

「して、獲物はどこですか?」

 

「東と北西に1つずつ。どちらも3kmってところでありんす。」

 

「ふむ、2グループですか、困りましたね。」

 

 セバスは顎髭を指で扱きながら、うーんと唸る。アインズには常に2人以上で行動するように命令を受けている。馬車の中にいるのは5人だが、吸血鬼の花嫁(ヴァンパイア・ブライド)2人は頭数に入れられないので、二手に別れる事は出来ない。

 

「こちらに追い立てるように吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)を配置してみてはいかがです。2つ同時に相手をしましょう。」

 

 とソリュシャン。

 

「既にしていんす。」

 

 シャルティアがぱたぱたと手を振った。北西のグループは街道沿いにこちらに来ているのでそのまま素通しだ。東のグループは森を突き抜けて北進しようとしているので北側と東側から眷属をぶつけて誘導する。速度的に北西のグループと先に接敵しそうだ。

 

「捕獲の準備をしましょうか。」

 

 こきり、とセバスが腕を鳴らした。ソリュシャンは慣れた手つきでナイフの数を確認している。

 

「卒なく、恙なく、滞りなく行きんしょう。」

 

 

 ーーー

 

 

 星明かりの街道を並んで歩く2人の女。リカオンとクレマンティーヌである。彼女らはアインザックに頼まれてモンガ生態調査として探索任務に就いていた。とはいうものの街道を歩いて安全確認をする程度なので暇で仕方がない。襲い来る獣の魔物を歯牙にも掛けず、2人はさっきからずっと雑談をしていた。

 

「さっきの奴吸血鬼の狼(ヴァンパイア・ウルフ)っぽかったけど、この辺りに吸血鬼っているの?」

 

「この辺りでは聞いたこともない。さっきの奴も初めて見た。」

 

 何匹か倒したが、構わず進んでいると襲撃はぱったりと止んでしまった。それ以来ただ平坦な道を進んでいるだけだ。

 

「本当に何もないね。こんな事ならンフィーについて行ってポーションの材料を収集する方が面白かったかも。」

 

 そばに転がる石を蹴っ飛ばしながら文句を垂れるリカオン。それを見ていたクレマンティーヌだが、ポーションという言葉で何か思い出したように口を開いた。

 

「そういえばリック。あのポーションってどうなったの?」

 

 クレマンティーヌが聞いたのは、リカオンがリィジー・バレアレに分け与えたポーションのことである。

 

「あんまり上手く行ってないみたいだよ。よく分からないけど、溶媒から違うっぽいって言ってた。代用品を模索中らしい。」

 

「…ふーん。」

 

 クレマンティーヌははたと気がついた。リィジー・バレアレはその道では名の知れた人物である。謂わばポーションのスペシャリストだ。そのリィジーが製法について心当たりが無いとなると…。

 

「あのポーション、どこで手に入れたの?…もしかしてリックってぷれい…。」

 

「ねえクレア、あれ何かな?」

 

 質問を遮られたクレマンティーヌは少し不機嫌そうにリカオンの指差す方を見る。しかし見えるのは代わり映えしない整備が不十分な道と鬱蒼とした森だけだ。

 

「何もないけど。」

 

 怒り気味でリカオンに向き直る。しかしリカオンはしつこく前を指差して、何かを訴えようとしている。

 

「いや、あの馬車みたいな奴だよ。」

 

「はぁ?だから何言ってんの?何もないじゃん。」

 

 リカオンもクレマンティーヌも互いを不思議そうな顔で見ている。

 

「えー?おかしいな。あ、そういう事か。」

 

「もう!さっきから何?」

 

「まあまあ、もう少し歩けば分かるよ。」

 

 1人で疑問を持って1人で解決して忙しい奴だ。いまいち納得出来ずにクレマンティーヌは頰を膨らませた。その間にもリカオンはつかつかと先に歩いて行く。

 

 200m程進み、リカオンは歩を止めた。

 

 リカオンが動きを止めた時、それに呼応するかのように森に凪が訪れた。虫の鳴き声、葉のさざめきも聞こえない。地上に光を落とす月も雲に翳り、まるで森全体が息を飲んでいる様だった。にわかに何かが起きる、そんな予感がした。

 

「隠れてる人、出てきたら?」

 

 唐突なリカオンの言葉にクレマンティーヌは驚く。ここにいる2人以外に気配は全くない。これで何者かが隠れているとすれば余程の隠密の達人か高度な隠蔽魔法の使い手かだ。

 

 暫しの沈黙が流れる。クレマンティーヌは感覚を研ぎ澄ませるが、全くと言っていいほど気配を感じ取れなかった。リカオンの取り越し苦労ではないかと声を掛けようとしたその刹那。

 

「クレア右!」

 

 リカオンが忠告を発するや否や、右の草陰から疾風の如く黒い影が飛び出した。襲撃者の手元でギラリと光る刃物が小さく軌跡を描いてクレマンティーヌの首を狙っている。

 

「<流水加速>」

 

 クレマンティーヌは武技を発動した。知覚される時間感覚が引き伸ばされ、景色がコマ送りのように感じられる。

 

 スローモーションの世界でクレマンティーヌは襲撃者を見た。暗い森に居るのが不釣り合いなメイド服を着た、金髪碧眼の女である。

 

 見た目にも驚いたが、もっと驚いた事に、この女かなり速い。武技を発動した自分に遜色ないスピードで動いている。咄嗟に身を捩るが、既にナイフの間合いに入ってしまった。このままでは躱しきれないだろう。

 

 そして更にマズイ事に気が付いた。刃先から液体が滴るのが見えている。毒か。

 

「ちぃ!<即応反射><能力向上><能力超向上>」

 

 無理矢理身を捩り、バランスを崩しかけた体勢から更に身を仰け反りブリッジをするように後ろに倒れ込む。明らかに物理法則を無視した重心移動に突然重力方向が変わったかのような錯覚さえ覚える。クレマンティーヌは上で空を切るナイフを見送りつつ、流れるような動作で懐からスティレットを逆手で抜き出した。そしてお返しとばかりに相手の無防備な下顎に向けて突き出す。

 

 ズブリと飲み込まれるスティレット。すかさず脳を掻き回して、あの世に送ってやった。

 

 と思ったのだが。

 

 スティレットが刺さっているのにも関わらず、女の目がぐるりと動き、クレマンティーヌを凝視した。目が合った瞬間、ゾワリと身の毛がよだつのを感じた。しかも気味の悪いことはこれだけでは終わらない。

 

 クレマンティーヌの目には女の顔が()()()()()()()()たように見えた。そしてそのまま知恵の輪を外すかの如くするりと抜けると、何事も無かったのようにすれ違い、道の反対側まで駆けていった。クレマンティーヌも地面に手を付き、バク転で受け身を取った。そしてスティレットを確認するが、血が一滴も付いていない。

 

「あなた、今のどうやって躱したの?」

 

 メイド服の女が小首を傾げながら尋ねてきた。可愛らしい仕草だったが、女の不気味さを拭い去る程ではない。

 

「それはこっちのセリフ。殺ったと思ったんだけど、何かの武技かな。それとも魔法?」

 

「あなたのは武技なのかしら。」

 

「…だとしたら?」

 

 警戒で自然と声音が低くなる。

 

「フフ、素晴らしいわ。」

 

 女がゾッとするような笑みを浮かべた。目や眉は動かないのに口だけ大きく裂けて口角が吊り上がったのだ。クレマンティーヌは思わずスティレットを順手に持ち替え、固く握り締めた。

 

「そちらの方もお強いのかしら?」

 

 メイド服の女は獲物を品定めする目でリカオンの方を見る。戦闘態勢に入っているクレマンティーヌを完全に視界から外す挑発行為だ。普段のクレマンティーヌなら一も二もなくキレて飛び掛かりそうだが、警戒心の方が優ったらしく、迎撃の構えを解かない。

 

 その間にもじっとりといやらしい視線が扇情的にリカオンを舐めてゆく。しかしそんなことも御構い無し、リカオンは2人の争いには興味がないと言いたげに全く別の方向を向いていた。

 

「あなた…。」

 

 女が眉を顰める。この軽戦士が見ているのは馬車がある方向だ。先程の自分の襲撃を察知したのは偶然だと思ったが、不可知化を看破しているのかもしれない。

 

「他の人も姿を見せたらどう?」

 

 リカオンが何もない(馬車のある)場所に向かって声を掛ける。メイド服の女は警戒レベルを一気に引き上げた。顔から笑みは消え、感情の無い暗い瞳がリカオンを冷徹に観察する。

 

 警戒で体を強張らせているクレマンティーヌも、リカオンの様子を固唾を飲んで見守っている。

 

 じっと目を凝らして見ていると、突然何もない空間がゆらりと波打った。そこから白魚のような美しい手が生えて、景色を左右に切り分けていく。

 

「お行儀の悪い覗き魔(ピーピング・トム)がいるようでありんすね。」

 

 暖簾をくぐるような仕草をしながら、突如現れたのは紫紺のボールガウンを身に纏った少女。銀の髪が星の光を浴びて妖しく輝いている。

 

「こそこそ隠れてるのに人の事言えないね。」

 

 物怖じしないリカオンに、少女はふん、と鼻を鳴らして、鋭く相手を睨み付ける。

 

「一応聞くでありんすけど、どうしてここに馬車があると?」

 

「スキル。」

 

 リカオンは歯に衣着せぬ物言いで言い放った。相手は少し面喰らう。正直に答えるとは思ってなかったようだ。

 

 リカオンのスキル『禅師峰』は所謂第六感を再現したものである。ゲームシステム上では何らかの方法で潜伏している相手を画面上やミニマップに表示するというものだ。かといって全く無効化しているわけではなく、相手が使っているスキルや魔法によってはたとえ見えていても照準固定(ロックオン)不可だったり、被攻撃時に不意打ちボーナス(クリティカル)を貰ったりする微妙なスキルだった。

 

 このスキルは合計レベルや技術値、幸運値が高い程効果が高まり、リカオンの場合、第九位階魔法程度の阻害要因なら相手を発見できた。これは世界級アイテムのような一部の事例を除き殆どの相手を見破られるので割と助けられる場面は多い。それに()()()()()()()()()()かなり現実的に処理されているらしく、何となく敵が居るんじゃないか?という霊感が強い人のような感じで危機を察知出来るようになっていた。

 

「それで、まだ居るでしょ?」

 

 リカオンの言葉に観念したように少女が両手を広げた。そして首だけで後ろを確認すると、右手人差し指をクイっと動かし出てくるように合図を送った。

 

 直ぐに後ろの空間から老執事と2人の女が現れた。誰も彼もが整った顔立ちをしている。この場にいるだけで貴族のパーティーにでも呼ばれた気分になりそうだ。

 

「シャルティア様、相手のペースに乗せられてはいけませんよ。後ろがつかえてます。手早く済ませてしまいましょう。」

 

 老執事が鋭い眼光でリカオンとクレマンティーヌを一瞥しながら、シャルティアと呼ばれた少女を窘める。

 

「それもそうでありんすね。」

 

 シャルティアが息を吐き、残念そうに言う。

 

「本当はじっくり遊びたいけど、手短にしんしょう。あなた、そこそこ強そうだから特別に私が飼ってあげてもいいでありんすよ?」

 

 リカオンの返事を待たずシャルティアは歩き出す。真紅の眼に空いた瞳孔は縦に細く狭まり、捕食者の顔になっている。最早、戦闘は避けられない。リカオンは突剣を抜き放ち、スキルによるバフをかける。

 

『スキル:金泉』

『スキル複合(コンビネーション)打&突:大寶・鶴林』

『スキル結合(リンク)突+突:鶴林・西林』

 

 手加減は一切しない。リカオンは経験則からシャルティアや老執事が強者である事を察知していた。

 

「ふふ、やる気満々でありんすね。」

 

 2体1の余裕からか、シャルティアは余裕の笑みを浮かべていた。リカオンの間合いに悠然と入ってくる。あと2歩、あと1歩。

 

 

 

「おや?」

 

「…どうしました?」

 

 シャルティアが徐に歩を止め、西の森の方へ視線を移す。

 

「後ろの客がせっかちな様で、もう着いてしまいんした。」

 

 そう言うと同時に、森から男女が複数人飛び出してくる。その集団の一番先頭の人物とリカオン達の目があった。

 

「全員止まれ!」

 

 一番先頭の人物が号令を掛け、遭遇者の様子を探る。男はこの森でこの時間に戦士、執事、メイド、ドレスの女という奇妙な組み合わせに怪訝な表情を見せる。

 

「何者だ。」

 

 男が誰何の声を掛けると同時に、場にいる全員が新しくやって来た集団に目を向ける。その中で心底度肝を抜かれた人物がいた。

 

「げぇ!漆黒聖典!?」

 

 大声を上げたクレマンティーヌに闖入者達は驚き、そしてその人物が誰だか分かると目を丸くした。

 

「お前、クレマンティーヌじゃねえか!何でこんなところに!?」

 

「…クレア、知り合いなの?」

 

「てめぇ、よくも裏切りやがったな!風花聖典を殺ったのもお前か!」

 

「はぁ?そんなん知らねぇよ!何でも私のせいにしてんじゃねえ!」

 

「───!」

 

「──、─!」

 

 

 

「何が起きていんしょうか?」

 

「分かりません。」

 

 シャルティアは折角のムードが台無しになって、やる気が削がれていた。

 

 

 ーーー

 

 

「モモン様。後120秒で目標と接触します。」

 

「ああ。」

 

 さて、冒険者狩りをするに当たって、何か口上でも考えるかな。モモンは死ぬ前に一度は言いたい台詞集個人的ベストから、格好イイ物をいくつかチョイスする。

 

 こう空からバッ、と現れて。

 

『御機嫌よう諸君、今宵の私は血に飢えていてね、悪いが君達でこの渇きを鎮めさせて貰おうか。』

 

 ひと暴れしてから。

 

『我が名はモモン・ザ・ダークウォーリアー。恐怖と共に我が名を魂に刻むが良い。』

 

「くさっ。」

 

「モモン様、何か仰いましたか?」

 

「い、いや、何でも無いぞ。」

 

 危ない危ない。中二病が過ぎて思わずツッコミが声に出てしまった。誤魔化すためにナーベラルに問いを投げかける。

 

「ナーベラル、音からターゲットの人数を割り出せるか?」

 

「10人前後かと。…少しお待ちください。街道に別の人間の話し声が聞こえます。」

 

「そうか、此処からでは木が死角を作ってよく見えんな。まあどうにかなるだろう。差し当たって、地面に降りたら相手が自分の姿を確認するのを待ってから2、3人殺して後は適当に逃がせ。魔法は第六位階から好きなものを使え。」

 

「ハッ、手筈通りに。」

 

 ナーベラルの打ち合わせにきっかり100秒。この時、モモンもといアインズは自分の計画に自信があった。実益も兼ねつつ、恐怖のモンスターロールプレイが出来る。殆ど後者のためにやっている事だが、ストレス発散の為だ、アルベドもデミウルゴスも許してくれるだろう。

 

 それにしても無意味に人を殺戮出来る事がこんなに()()()()()()()()()、無双ゲームの面白さはイマイチ分からなかったけど、今なら楽しめるかも知れない。

 

 そんな事を考えながら、意気揚々と地面に着地した。ドスンという音と共に土煙を上げる。周りからは突如空から降ってきた何者かに対して警戒や焦り、不安の声が聞こえてくる。膝立ちの状態からゆっくりと威圧的に身体を起こし、踏み反って周囲を睥睨する。

 

 

 

「あ。」

 

 そしてモモンは見つけてしまった。

 

 そこには今日の獲物なのであろう集団、ついでに驚愕の表情で固まるナザリックのNPC達、極め付けに要注意人物の女2人。

 

 モモンは意識外の状況に頭がついて行かず、数秒固まってしまった。周りの人間は派手に登場して踏ん反り返って場の注意を引いているにも関わらず、何もしない甲冑に怪訝な表情を浮かべている。

 

 場は静まり返っていた。モモンの恐怖に気圧されているのでは無い。明らかにスベっているのだ。

 

(どうしよう。この場をどう切り抜ければいい?)

 

 モモンの頭はフル回転する。奥に見える集団は、空から降って来た甲冑が敵なのか味方なのか分からず行動に移せないでいるらしい。リカオンとクレマンティーヌとかいう女は即座に此方を認識し警戒している。ナザリックのNPC達は、主人の訪問に完全にパニック状態だ。

 

 というか何でシャルティア達が此処に?あ、俺が任務を出していたからか。何で探知に引っかからなかった?あ、<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>の馬車で阻害されてたからか。与えていたのを忘れていた。何であの女2人と接触してるんだ?気をつけるように言っ…てないわ。シャルティア達には直接指令を出してなかった。デミウルゴス経由で情報が行ってると勝手に思い込んでたわ。

 

 大体俺のせいじゃねーか。

 

 あれ、という事は今の状況って、社員が出張先で仕事をしていたら有休取って旅行してた上司がいきなりちょっかい出してきたって感じか?うわー、マジでクソ上司だ。

 

 いかん、ナーベラルが不安そうな目でこっちを見てる。何か言わなければ。何か、NPC達に対する威厳を損なわず、この場を治められる言葉を。

 

「オホン。」

 

 モモンが咳払いが場の注目を集める。

 

 

 

「御機嫌よう諸君、今宵の私は血に飢えていてね、悪いが君達でこの渇きを鎮めさせて貰おうか。」

 

 

 

 モモンもといアインズこと鈴木悟。苦手なものはアドリブ。

 

 




モモン・ザ・ダークウォーリアーって、GUNG-HO-GUNSっぽい。


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第9話 言いまつがい








「御機嫌よう諸君、今宵の私は血に飢えていてね、悪いが君達でこの渇きを鎮めさせて貰おうか。」

 

 

 

「…。」

 

「…。」

 

「…。」

 

 

 

 

 

 やらかした。

 

 

 

 つい言葉に詰まって場違いな事を言ってしまった。20対の視線が鋭く刺さるのを感じる。授業中に先生をお母さんと呼んでしまった時ぐらい恥ずかしい。思わずNPC達に救いを求める眼差しを向けそうになったが、なんとか踏みとどまった。そんなみっともない事は恥を上塗りするだけだ。

 

 

「モ、モンガ?」

 

 クレマンティーヌが自信なさげに呟いた。

 

「知り合いなのか?クレマンティーヌ。ズーラーノーン関係者か?」

 

 身の丈程の大剣を持った男が尋ねると、それと同時に漆黒聖典の隊員達は一気に戦闘態勢に入った。いきなり現れた黒い全身鎧の男と魔術師風の女は雰囲気からして只者ではなく、クレマンティーヌと一緒にいる戦士風の女も十中八九ズーラーノーン関係者だ。もしかするとこいつらが噂に聞くズーラーノーン十二幹部なのかも知れない。

 

「隊長、どうしますか?」

 

 突剣を二本差しにした男がぼそりと言う。神官長から受けたこの任務は秘密裏に行わなければならず、目撃者は全て消すように指令を受けている。隊長はチラリとボールガウンの少女とその付き人達を見る。どうやらズーラーノーンの連中と対立していたようだが、このまま帰す訳には行かない。最悪の場合、同時に相手にすることになるだろう。

 

 戦う意思を見せた漆黒聖典に対していち早く反応したのはクレマンティーヌだ。大きく飛び退いて集団の動きを注視する。特に意識するのは隊長と呼ばれる男の事だ。

 

「へぇ、クレマンティーヌってば、私らとやり合うつもりなんだ。」

 

 眼鏡をかけた女がくすくすと笑った。

 

「なんだよ。大人しくしとけば見逃してくれんのか?」

 

「駄目だな。我々と一緒に来てもらおう、さもなければ死だ。」

 

 クレマンティーヌは軽口を叩くが隊長は容赦無く期待を切り捨てた。鋭い眼光が真っ直ぐとクレマンティーヌを見据え、瞬きすら許さない。

 

「チッ、やってやる!」

 

 クレマンティーヌはそう吐き捨てるとスティレットをもう1つ抜き取り二刀流の構えを見せた。

 

「あんたとは一度戦いたいと思ってたんだ。」

 

 腕に鎖を巻き付けた男が息巻いた。クレマンティーヌは知らない顔の男に目を細める。

 

「誰だァ?あー、私の後釜って奴か。弱そうなのが入ったもんだ。」

 

「ふん、俺の方が強いと思うがな。」

 

 両者の眼に殺意の炎が灯った。闘志が熱気を孕んでその身を膨らませる。

 

 

 

「静まりなさい!」

 

 

 

 一触即発の場で声を上げたのはソリュシャンだった。彼女はそのまま言葉を繋げる。

 

「無礼者共!こちらにいらっしゃるのは大商人ヴラド家の一人娘、シャルティア様なのですよ!」

 

 よく通る澄んだ声が森に響き渡った。

 

 

 ーーー

 

 

 時は少し巻き戻る。

 

 セバスは冷静に状況を整理していた。先程は任務中の主人の突然の訪問にたいそう驚いたが—といってもまだ完全に立ち直ってはいないが—今は自分のとるべき行動を模索していた。

 

 セバスは考える。アインズが降って来た時、セバスは反射的に臣下の礼を取ろうとした。しかしアインズの放った言葉は、今はモモンとして行動していると伝えていた。あの芝居掛かった台詞はわざわざ自分達にモモンの(ロール)をしているという事を教えるためのものであり、それを踏まえると衆人の目のある中で臣下的な振る舞いは拙い。

 

 セバスは一連の流れを思い起こす。アインズは地面に着地してから十分な間をとってから台詞を言った。つまり場にいる全員の注目を集めてから、全員に言い聞かせるように言ったのだ。アインズの計画はこの場にいるメンバー全てが関わっていると考えていい。ここにいる人間を問答無用で殺してしまうのは駄目だし、傷付けるのも避けた方がいい。

 

 セバスは観察する。言い争いをしているスティレットを持った女戦士と巨大な斧を持った男。完全不可知(パーフェクト・アンノウアブル)を看破した女。後から合流した集団達。その集団のリーダーと思しき男。隣で展開について行けずにきょとんとしているシャルティア。そして最後にソリュシャンを見た。

 

 ソリュシャンと目が合うと彼女は小さく頷いた。セバスは同じく頷きで返す。すると彼女は大きく息を吸い込み、発声する準備をした。といっても彼女はスライム種であり、人間の声帯とは構造が違うので本当は息を吸う必要は無い。擬態行動だ。

 

 

「静まりなさい!」

 

 

 一斉に周りの人間がソリュシャンの方を向く。

 

「無礼者共!こちらにいらっしゃるのは大商人ヴラド家の一人娘、シャルティア様なのですよ!」

 

 ソリュシャンの言葉と示し合わせたようにセバスはシャルティアの腕を引き自分の後ろに寄せた。

 

「シャルティア様、お下がりください。ここは我らに任せて脱出を。」

 

「ふぇ?」

 

 そう、今取るべき行動は自分の役割を自然にこなす事。ソリュシャンの機転で商人の一行となった我々は当たり障りなくモンスターに襲われた一般市民の演技をしなければならない。これならばアインズの考えている計画の邪魔をする事はないだろうし、もし間違っていてもその時は改めて目撃者を皆殺しにすれば済む話だ。

 

 気掛かりなのは一時でも主人の前で敬意の欠片もない態度を取らなければいけない事だ。執事である以上本来ならば許される事ではないが、アインズの計画を徒らに台無しにしてしまうよりよっぽどマシだろう。もしこの行動で主人の怒りを買ってしまったならば、その時は愚かな僕として甘んじて罰を受けよう。殺されても構わない。

 

 セバスはシャルティアを馬車のあるところまで下がらせ、自らは拳を握り胸の前まで上げて軽くファイティングポーズを作る。ソリュシャンが射線を遮るためにシャルティアと敵の間に飛び込んで来るのが見えた。

 

 その光景を見ながらアインズは感動していた。

 

(こいつら、もしかして俺の三文ロープレ芝居に付き合ってくれるつもりなのか?)

 

 セバス達が殉職も辞さないという覚悟をしている事とは裏腹に、アインズはシモベ達が健気にフォローしてくれていると思い不意に目頭が熱くなった気がした。涙腺があればうるっと来ていたに違いない。ただそんな感情もアンデッド特性ですぐに鎮静化される。

 

「ん?そういえば。」

 

 アインズは鎮静化されて冷静になった頭である事に気がつく。クレマンティーヌとかいう女、さっき俺の事を()()()()と呼んだような。この世界にその名で俺の事を呼ぶ奴はいない。やはり…。

 

 

「隊長、まずくないですか?」

 

 レイピアを持つ男が小声で隊長に話し掛ける。彼が言っているのは、名のある商人を手にかけたら大なり小なり足が着いてしまうだろうという事だ。始末しようが見逃そうが法国が秘密裏に動こうとしているのがバレてしまうという危惧をしているのだ。

 

 部下の心配に隊長の顔にも逡巡の色が見えたが、直ぐにいつもの涼しい顔に戻り隊員に命令を下す。

 

「いや、始末するのが得策だ。逃げられないよう注意を払っておけ。…どうした占星千里、顔が青いぞ。」

 

 隊長は後ろにいた隊員の異変に気が付いた。彼女は息を乱し歯をガチガチと鳴らしている。

 

「や、ヤバイです。ヤバイ…。」

 

「なんだ?商人をやっちまうのがそんなに心配か?大丈夫だろ。」

 

 斧を持った戦士が声を掛けると女は目を見開き、(かぶり)を振りながら喚き出した。

 

「違う!黒い奴!隊長並みに強い!破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だっ!それだけじゃない!周りのガッ

 

「えっ。」

 

 突然喚き出した女は言葉の全て吐き出す前に姿を消した。仲間が驚いて周囲を見渡すと、遥か後方にグレートソードが腹を貫通する形で木に打ち付けられているのが見えた。四肢は力無く垂れ下がり、目は夜の闇のように虚ろで瞬きをしていない。夥しい量の血が放射状に広がっており夏の日の打ち水を連想させた。

 

 即死だった。

 

 

 

「五月蝿いぞ。」

 

 アインズがぼそりと呟いた。

 

 漆黒聖典はなぜ仲間が死んでいるのか分からず狼狽し、後退りをした。ただ隊長だけが何が起きたのかを理解することができた。

 

 黒甲冑の奴が殺したのだ。それもただ単純に持っていた剣をもの凄い速さで放り投げただけで。油断していたとはいえ自分ですら目の端で捉えられたに過ぎず、他の隊員では風が通り過ぎたぐらいにしか知覚できなかっただろう。隊長の額から顎にかけて汗が伝う。

 

(ふう、危ない危ない。相手の強さを見切る能力持ちだったようだな。確かタレントだったかな。シャルティアやセバスの強さがバレたら先のやり取りが不自然に思われるところだった。)

 

 アインズはグレートソードを投擲した右手をほぐすように軽く振る。

 

「さて、ナーベラル。」

 

「ハッ。」

 

 アインズの合図と共にナーベラルの腕からバチバチという音と眩い閃光が放たれる。

 

「全員散れ!」

 

「<散弾光(ライトニング・バラージ)>」

 

「スキル:甲山」

 

 ナーベラルが掌を前に翳すと無数の電撃がリカオン達と漆黒聖典に襲い掛かった。リカオンはスキルを使ってガードし、漆黒聖典のメンバーは瞬時に回避行動を取った。ただ一人、両手に盾を持った男が老婆を守るために電撃の驟雨に立ち塞がる。

 

 魔法が男に着弾すると轟音が鳴り響き、焦げた肉の臭いが辺りに充満した。見れば周りの地面には穴が穿たれ、木々は薙ぎ倒されている。漆黒聖典の隊員達はその威力に自分が当たった時のことを想像して絶句するしかなかった。

 

「無事か!セドラン!」

 

 老婆が駆け寄ると男は辛うじて首を縦に振った。身体中の皮膚が焦げてめくれ上がり、あちこちから出血をしているが絶命は免れたようだ。

 

(ほう、ナーベラルの魔法に耐えるか。)

 

 放ったのは第6位階魔法とはいえ、ナーベラルの強さを考えると盾男は単純に50レベル程度はある事になる。若しくはあの盾の雷ダメージカット率が優秀なのか、はたまた地面に接地した盾がアースの役割を果たしたかだ。

 

(それよりも。)

 

 アインズはリカオンの方を見る。奴は何やらスキルを発動したと思うと右手で高くガッツポーズをした。そうするとまるで避雷針のように周りの電撃が拳に吸い寄せられていったのだ。仲間を庇ったのだろうか。いや、唯ターゲットを奪ったというよりは無効化したといった印象を受けた。やはりあの女達は要注意人物だ。

 

 

「あれが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)なのか?」

 

「使え!」

 

 隊長の発した使え、という語に漆黒聖典の隊員達の顔が引き締まる。無作為に散開していた個々人が老婆を中心とした方陣を組み、強固な守りの布陣と化した。

 

「何をする気だ?」

 

 アインズは圧倒的戦力差を見せ付けられながら敵がまだ戦意を喪失していない事に少々驚いた。そして敵の秘策の中心であろう老婆に目を凝らす。すると老婆の着ている服に入っている龍柄の刺繍が淡く光を放ち、生き物のように動き出した。

 

「む、止めろナーベラル。」

 

 アインズは直感的に刺繍の龍が何か恐ろしい力を持っている事を悟った。ナーベラルに吶喊を仕掛けさせ、自らも右手にグレートソードを握り後に続く。それに呼応するように漆黒聖典も迎撃の姿勢をとった。

 

「甲冑は俺が受け持つ。女は任せるぞ。」

 

 隊長は槍を両手に抱え、アインズ目掛けて跳躍した。矢の1射のように空を切り、目標までの距離を一足飛びに縮めて上空から渾身の一撃を放つ。アインズはグレートソードで正面から受け止めた。

 

 両者が激しくぶつかり合い、耳を劈く金属音が辺りに鳴り響く。この衝突の勝者は漆黒聖典隊長の方だった。アインズは衝撃に耐えきれず後ろに吹き飛ばされる。

 

「モモン様!」

 

 ナーベラルがつい、老婆から視線を外しアインズの方を見る。アインズは派手に吹っ飛んだものの、上手く両足で着地し続く攻撃を捌いていた。

 

「あんたの相手はこっちだぜ。」

 

 ナーベラルが気を取られた隙にいつの間にか突剣を持った男が目の前まで接近していた。すぐ後ろに鎖を持った男も見える。ナーベラルはやや右に進行方向を変えて攻撃を躱そうとするが男の素早い突きは容易くその動きに対応する。

 

 剣先が肩口に浅く入りローブを切り裂く。首元の留め金が外れ、ほつれた裾が垂れ下がって足に絡みついた。つんのめるようにバランスを崩したナーベラルに向かって鎖が蛇のように襲い掛かる。回避不可能なタイミングの攻撃にやむなく左手を防御に回した。鎖は二の腕に巻きついてその自由を奪う。

 

 ナーベラルは<次元転移(ディメンジョナル・ムーブ)>で鎖から抜け出そうとするが、何故か魔法が阻害されてしまった。この鎖の効果なのかもしれない。ぐいと引っ張るが男に繋がれた鎖は犯人を捕まえておく手錠のように解ける気配がない。

 

「チッ、この下等生物(ボウフラ)共め、大人しく殺されておけばいいものを。」

 

「もうあんたは逃げられない。このまま鎖に封じられて、これで貫かれて死ぬんだ。」

 

 突剣の男が大仰に剣を掲げた後、止めを刺そうと近づいてくる。ナーベラルは大きく溜息をついた。その様子に相手は得意げになる。

 

「どうした、諦めたか?」

 

「やはり下等生物(ワラジムシ)程度の頭しか持ち合わせていないのね。死ぬのはあなた達の方よ。」

 

 ナーベラルは自分の腕に巻きつき、男に向かって伸びている鎖を右手で掴んだ。

 

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)伝導する龍雷(シーク・ドラゴン・ライトニング)>」

 

 バチィ!

 

 ナーベラルが魔法を唱えると同時にけたたましい破裂音がした。音源らしき場所には直立姿勢の人型の消し炭があった。突剣の男は消し炭が立っている位置や装備の残骸からそれがさっきまで一緒に戦っていた仲間であることを理解した。

 

「貴様!」

 

 我を忘れて飛びかかってくる男。ナーベラルは男を注視しつつ、視界の端に老婆の姿を捉える。刺繍の龍は大きくうねり、今にも獲物を喰い殺さんとしていた。その視線の先はアインズに向けられている。今いる位置では効果の発動を止めることはできないだろう。ならば。

 

「<感知増幅(センサーブースト)><上級筋力増大(グレーター・ストレングス)>」

 

 ナーベラルは男の浅慮な突きを潜るように躱し、伸ばされた右腕を左手で掴むと手前に引き寄せ、すれ違い様に膝蹴りを喰らわした。そのまま膝をついて蹲る男の襟首を右手で掴むと、体を半回転させ一本背負いの要領で男を放り投げた。

 

「何!?拙い!」

 

 老婆は発射を止めようとしたが既に龍は解き放たれた。龍は真っ直ぐアインズに向かって突進するが、目標に到達する前に射線に入った男に阻まれてしまう。龍と男が衝突すると眩い閃光が夜の闇を照らし出す。その後男は地面に倒れ臥した。

 

「おや?」

 

 アインズはこの光景に違和感を覚えた。てっきり体が粉々に砕け散るぐらいの威力があるかと思っていたのだが、男は原型を留めているどころかこれといったダメージがないように見えた。しかし直ぐに頭を回転させ1つの結論に至る。

 

「ああ、精神支配系か。」

 

 その言葉に目の前で槍を構える男の顔に僅かに動揺が走ったのが見えた。どうやら正解のようだ。精神支配系ならそこまで脅威ではない。ワールドアイテムでもない限りはナザリックに害を与えはしないだろう。

 

 漆黒聖典隊長は周りの様子を見ながら状況判断をする。目の前の甲冑と一対一であればまだ勝機はある。しかし今はいつまでもこいつの相手をしているわけにはいかない。ケイセ・ケコゥクのクールタイム中に女がカイレを殺してしまうだろう。ここは任務を一時中断し、安全に宝具を持ち帰る事が最優先だろう。

 

「撤退だ!早くしろ!」

 

 隊長の指示に隊員達は反射的に動いていた。老婆を守りながら移動していく。

 

「セドランはどうする!」

 

「置いていけ。」

 

 退却していく漆黒聖典にナーベラルは追撃の魔法を繰り出そうとする。

 

「ナーベラル。やめておけ、あれだけ暴れたんだ。奴らはいい宣伝になってくれるだろう。」

 

 アインズの言葉に一礼し、ナーベラルは下がる。集団を見送るとアインズはリカオン達を探す。しかしその姿は何処にもない。

 

「あれ?どこ行った?」

 

 キョロキョロと見回していると、セバスが近づいてきた。

 

「恐れながら申し上げます。女の二人組ならばアインズ様が戦われている最中に逃走致しました。」

 

「え、そうなの—ゴホン、そうだったか。」

 

 アインズは周りに部外者がいない事を確認すると、甲冑を解いて豪奢なローブを着たオーバーロードの姿に戻る。それを皮切りにシモベ達が一斉に片膝をつき臣下の礼を取った。

 

「面を上げよ。シャルティア、セバス、ソリュシャン。邪魔をして悪かったな。」

 

「とんでもございません。あの法国の者達が御計画に必要だったのでしょう?私達の事など気にせずとも。」

 

「…法国?」

 

「はい。アインズ様が来られる前、2人組の女とあの集団が口論になっておりましてその時漆黒聖典であると。デミウルゴスからの伝達の中にはその名は法国の特殊部隊のものでした。違いましたか?」

 

「い、いや。」

 

 待てよ。さっきのは法国の部隊なのか。アインズの目的は王国の冒険者を半殺しにしてよりモモンの脅威を世に知らしめる事であった。つまりはその目的を果たせず、部下の邪魔をした上、自分で手を出しちゃいけないと言っていた法国にちょっかい掛けたということか。これでは朝令暮改の謗りを免れないぞ。

 

「どうかなさいましたか?」

 

 固まって動かないアインズをセバスが心配そうに覗き込む。

 

「いや、大丈夫だ。今は話せないが全て計画通りだ。うん、大丈夫だ。」

 

「流石はアインズ様。」

 

 今はなんとか取り繕ったが、この件はセバス経由でデミウルゴスに報告が行くだろう。そうなったら誤魔化せる気がしない。駄目だ、やる事なす事全てが裏目に出ている。泣きそう。泣けないけど。

 

「あの、アインズ様。それで私らはこれから何をすればいいでありんしょう?」

 

 シャルティアが恐る恐る尋ねてきた。彼女達からすれば未だこれといった成果を上げておらず、何かナザリックの、ひいてはアインズのために役に立ちたいといった功を焦る気持ちがあるのだろう。

 

 その言葉にセバスとソリュシャンは眉を顰める。確かに今言い渡されている武技を使える人間の捕獲という任務の遂行中であるにも関わらず、次の指示を仰ごうとするのは臣下としては少々みっともない行為である。シャルティアもそれを自覚しているらしく、バツが悪そうに上目遣いでアインズを見つめている。

 

 ただこのシャルティアの行動(おねだり)はなんとか話題を変えたかったアインズにとっても渡りに船であった。

 

「そうだな。よし、お前達の案を採用しよう。お前達はこれから交易に来た商人という設定で王国に潜入し、先に逃げた二人組と接触及び監視をするのだ。目下一番の要注意だからな。」

 

 アインズの命にシャルティア達はおお、と感嘆の声を上げる。やはりアインズ様はもとより我々がどう行動するのか予め分かっておられたのだ。それに功積で目立たないシモベに重要な任務を与えて下さる寛大な処置。流石はナザリック地下大墳墓の最高支配者、我らが認めた至高の御方である。

 

 シモベ達はいっそう深く頭を下げる。

 

 アインズはその姿に満足げに頷く。指令を出す度にシモベ達に畏まられるのはいい加減もう慣れた。俺も成長したなと、なんとなく皆を眺めていると、アインズはソリュシャンの顔色が優れないのに気が付いた。

 

「どうしたソリュシャン。何か不満があるのか?」

 

 アインズが声を掛けると、ソリュシャンはびくりと肩を震わせておずおずと顔を上げた。結構優しく言ったつもりだったのだが、そこまで怖がらなくても良いのに。アインズは少し傷付いた。

 

「滅相もないことでございます。ただ…。」

 

「ただ?」

 

 アインズが続きを促すとソリュシャンは絞り出すように言葉を綴った。

 

「先程我々はアインズ様に無礼を働きました。その罰を受けないままでは他のシモベ達、何よりアインズ様に顔向け出来ません。」

 

 ソリュシャンの言う無礼とは商人を騙る時にアインズに臣下の礼を取らなかったことである。ソリュシャンの横でシャルティアもセバスも苦悶の表情になっている。

 

「ん?なんのことだ?」

 

 シモベ達は一斉に顔を上げる。その表情は一様に驚きに染まっていた。

 

「私はお前の言う無礼を認知していない。よってそのようなことは無かった。いいな。」

 

 アインズは本当に分からないといった態度を取っていた。つまりは先の行動は仕方のないことであり、それについて咎める気は全くないということ。

 

 嗚呼、アインズ様。我らの行動を全て赦し、優しく諭して下さる心の広さ。それは子供の過ちを無条件に受け入れてくれる親の愛のような。

 

 シモベ達は皆涙を流していた。セバスとソリュシャンは静かに雫を落とし、シャルティアは顔をくしゃくしゃにしていた。傍のナーベラルでさえも涙を禁じえなかった。

 

 

「お父さ…あっ。」

 

 ソリュシャンは無意識に出た言葉に自分でも吃驚していた。慌てて口を両手で覆う。顔は耳まで真っ赤に染まっていた。何度も言うが彼女はスライム種であり当然血液は無く、顔に血が上って紅潮する事もない。体色変化による擬態行動だ。

 

「失礼致しました!」

 

 ソリュシャンはすくっと立ち上がり一礼して現場を撤収しに向かった。シャルティアとセバスも一礼して後に続く。アインズはソリュシャンのような有能美人でも先生をお母さんと言ってしまう現象があるのかと思いちょっとほっこりした。

 

 数分で2つの死体と1つの死体のなり損ないを回収し、シャルティア達を見送るとアインズは甲冑を纏いモモンの姿に戻った。

 

「さてと、我々もナザリックに戻るか。おっとまだ

<完璧なる戦士(パーフェクト・ウォーリアー)>が続いていたな。ナーベラル、

<集団飛行(マス・フライ)>を頼む。…ナーベラル?」

 

 いつもは打てば響くような返事をするナーベラルが何故か声を掛けても固まっている。見れば何かを訴える視線をアインズに向けていた。微かに顔が赤く染まっており、手をぎゅっと握りしめ僅かに震えている。

 

「どうした?」

 

「…あの、一度だけ、私もお父様と呼んでもよろしいでしょうか?」

 

「ええ…。」

 

 

 この後、ナザリックにいるアルベドがプレアデス親子プレイ事件を聞きつけて一悶着起こすのだが、それはまた別のお話。

 

 

 ーーー

 

 

「ハァハァハァ。」

 

 森の中を風のように駆けていく一団がある。皆息急き切って満身創痍の表情だ。行きには12人いた部隊も今は3人減って9人になってしまっている。隊長はギリリと歯を食いしばる。3人とも人類の未来を担うべく漆黒聖典に入った者達、決して失っていい人材では無かった。

 

 敵を侮り過ぎていたと言うことか。隊長は首を振り後悔を頭から振り払う。今は余計なことを考えている暇はない。一刻も早く本国に帰還し敵の情報を報告せねば。

 

 隊長は振り返り隊員達を見渡す。全員疲れた顔を隠せないでいる。あの戦闘の後だ仕方があるまい。

 

「ん?あれは。」

 

 隊長は右後方に何者かの影を捉えた。

 

「お前達、先に行け。」

 

 そう言うと1人進行方向を変え、人影に向かって一直線に迫る。相手は気付かれたと分かった途端、逃げるそぶりを見せたがこちらの方が速く、直ぐに追いついた。

 

「…何者だ。」

 

 隊長は油断なく相手を見る。先程戦った敵とは対照的に白金の鎧を身に纏っている。醸し出す雰囲気は歴戦の猛者のものだ。

 

「何者だ!」

 

 誰何に答えない相手に声を荒げる。先の敗戦で少々気が立っているようだ。

 

「あー。法国の人には会う気は無かったんだけどなあー。」

 

 相手は何処か気の抜けた声を出した。しかし俺の事を法国の人間だと分かってるということは。

 

「評議国の手の者か。」

 

「まあ、隠しても仕方ないか。提案があるんだけどここはお互い何も見なかったということで矛を収めないか?」

 

「それは貴様が何故ここにいるかを聞いてからだ。」

 

 隊長は槍を固く握り締めた。

 

 

 

 






いろいろ捏造し過ぎました。やや反省。




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第10話 それぞれの戦い


久しぶりの投稿の割には山もオチもない話です。





 朝日が山々の間から顔を覗かせた麗らかな日和の中、背の低い草が光を反射して自らの緑を一層瑞々しく見せている。

 

 そんな誰もが心洗われる風景におおよそ似つかわしくないような生気のない顔と覚束ない足取りで街道を漫ろ行く2人の人物がいた。

 

「コヒュー…コヒュー…。流石に徹夜でマラソンはキツイわ…。」

 

「後…ちょっとで…エ・ランテルに…。」

 

 毎度お馴染みリカオンとクレマンティーヌだ。2人は昨夜、モモンガ(モンガ)という理不尽な局地的災害に巻き込まれ一目散に逃げて来たのだ。奴は文字通り突然降って湧いて出て、一瞬で森の街道を殺戮ショーの舞台に変えてしまった。

 

「ちくしょー、なんだってんだ。まるでF.O.Eかきゅうきょくキマイラ…、LALのベヒーモス?」

 

 リカオンはいつかやった復刻ゲームに出て来るレベルデザイン無視の嫌がらせ(フィールドギミック)の名を口にしていた。彼女はユグドラシル時代のナザリック侵攻時に相当コテンパンにされており、それ故モモンガには過剰な警戒心を抱いていた。クレマンティーヌとしても漆黒聖典とは1秒でも同じ場所に居たくなかったので迷わず走り出したのだ。

 

 2人はフォレスト・ワーカーのような森の中を移動速度低下(ペナルティー)無しで行動できる職業は持っていなかったが、それでも全力の戦闘区域離脱はアンデッドと法国の2派の対立もあって、敵の追撃を容易に振り切った。

 

 しかし夜を徹して走っていたために2人の体力は底をつき始めている。リカオンなどは昨日にしこたま飯を食っていたので胃袋の中身がブレイクダンスを踊り食道を逆流しそうになっていた。目を剥き、口を大きくへの字に曲げ、美女がしてはいけない顔になっている。

 

「みっ、見えた! エ・ランテル!」

 

 クレマンティーヌの視界が城塞都市の第3外壁を捉えた。ここまで追っ手が無いということは逃げ切ったと考えても良いだろう。一先ず助かった。見ると都市の入り口にはまだ早朝だというのに入場待ちの人だかりがあった。

 

 関所に並ぶ行列を横目に見ながら、意気揚々と外門のアーチをくぐり抜ける。パナソレイとアインザックが便宜を図ってくれたので2人はほぼ自由に都市の内外を行き来出来た。一応の本人確認と幻術調査を済ませて、衛兵に別れの挨拶をする。

 

 街の中に目を移すと、人々が1日の生活を始めている様子が見てとれた。近隣のもの達で挨拶を交わし合い、子供達が無邪気に走り回っている。道路には青果市に並べる作物を荷車で引く人がいる。職人の炉に火が入ったのだろう、黒い煙を吐き出し始める煙突も見えた。そんな都市の日常風景の中に見覚えのある馬車があった。そして見覚えのある人物達も。

 

「あ。」

 

 そこには長身で筋肉質な、それでいて均整のとれた、ギリシャ彫刻を思わせるような壮年の男性と、それに並べても見劣りしない、これまた長身で気品と妖艶さを内包したヨーロッパ名画のような女性が立っていた。

 

 見紛うはずもない。昨夜に森で出会った者達だ。その美男美女は都市の商業区画の方を指差しながら何やら話し込んでいる。リカオンが様子を観察していると、男の方がこちらに気が付き目を合わせて来た。

 

「おやおや、奇遇ですね。」

 

 壮年の男、老紳士が親しみを込めた微笑みを見せて挨拶をしてくる。たったそれだけの小さな所作だったが、老紳士から溢れる優雅さが往来を行く女性達の心を掴むには十分だったようで少なくない黄色い歓声があちこちから聞こえた。

 

「セバスと申します。昨夜はどうも。実は私共、しがない商人をやっておりまして。この度王国で商いをさせて貰うようになります。顔馴染みのご両人には何卒よしなに。」

 

 セバスと名乗った老紳士は友人を家に迎えるような穏やかさで近づいて来た。そこには微塵の悪意も感じられない。

 

「いやいやいや、騙されんぞ。」

 

 クレマンティーヌが即座に食ってかかった。警戒のため半歩身を引いている。

 

「相手の命を狙っておいて、1日も経たないうちによくもそのテンションで話し掛けられたな。」

 

「一応日は跨いでおりますが。」

 

「そういう問題じゃない!」

 

 昨夜の剣呑な空気は無かったかのように暢気に振る舞うセバスにクレマンティーヌは少々毒気を抜かれてしまった。実際に刃を交えた金髪のメイドに困惑と抗議を込めた視線を送るが、涼しい顔で一礼された。

 

「それにあの舗装されていない道程を馬車で移動するには少なくとも半日はかかる。前を走っている私達をいつ抜いた?」

 

「私共も無我夢中でして、遮二無二馬を走らせたものですから。」

 

「ぐぬぬ。」

 

 クレマンティーヌの質問をセバスはのらりくらりと躱していく。態度とは裏腹にあまりこちらに友好的ではないようだ。痺れを切らしそうなクレマンティーヌを諌めながらリカオンは気になることを口にする。

 

「他の人たちは?女の子と御付きの人。」

 

「お嬢様は御疲れで馬車の中でお休みになられております。」

 

「ふーん。商人って言うけど何を売るの?」

 

「主に宝石類ですね。」

 

 リカオンは老紳士とメイドを見る。昨日の暗い闇の中と違って陽の当たるところで改めて見てみるとその清廉された佇まいは眼を見張るものがある。この者たちが宝石を売るところを想像してみると、成る程とても絵になる。後光効果というものなのだろうか、飛ぶように売れそうだ。

 

 老紳士の強靱さはまさにダイヤモンドといったところで、何者にも揺るがされない確かさを感じさせる。メイドの雰囲気は宝石というよりもそれをはめ込む(ゴールド)白金(プラチナ)の台座を思わせ、その価値を損なわないように支える機能をそのまま体現したかのようだ。

 

 そしてリカオンは昨晩会った「お嬢様」を思い出す。闇夜であってもなお輝きを放ち、見るものを吸い込んでしまいそうな深く紅い瞳。靡かせる銀色の髪も相まって鮮やかな辰砂(しんしゃ)のよう。魅了されて近づいた人間を毒で侵す、そんな印象の人物だった。

 

「へえ。宝石だったら王都で店を構えた方が良いんじゃない?金持ち相手の商売なんでしょう?」

 

 リカオンの言葉にセバスの目が少し細くなった。商売方針にケチをつけるつもりなのかと言いたげな鋭い目だ。ただ、細くなったのは一瞬で直ぐに優しい目に戻った。

 

「ゆくゆくは。まずは草の根活動からというわけで。それに私共の商品はただの装飾品ではないものも取り扱っております。魔法が宿ったものなど、冒険者の方にもご満足いただけるかと。どうです、一度来られてみては。」

 

「私達は冒険者じゃないよ。」

 

「そうなのですか?ああ、そういえばプレートをお持ちでは無いようですね。でもその武具は…、どなたかの私設兵なのでしょうか?」

 

「まあ、当たらずとも遠からじってとこかな。」

 

「是非その方には挨拶をしたいですね。」

 

 そんな他愛もない話をしていると、あたりに人だかりができていた。リカオンもクレマンティーヌも側から見れば美女に変わりない。見目麗しい4人が集まって話しているのを珍しがって野次馬たちが様子を伺っているのだ。

 

 周りの変化に気が付いたセバスが話を切り上げにかかる。

 

「長い間話し込んでしまいました。今日のところはこの辺りで。」

 

 セバスは別れを告げると馬車を先導するため手綱を握った。人混みの中を歩いて行くが、彼が近づくと人の波が面白いように左右に分かれて道を作った。

 

 歩を進めるセバスにソリュシャンがそっと近づいて付いて耳打ちする。

 

「怪しまれてますね。」

 

 ソリュシャンが言うのは先のリカオンの質問だ。かなり遠回しの会話だったが、明らかに探りを入れられていた。消す事が出来れば話が早いのだが、主人の命令上そういうわけにも行かない。

 

「ええ。昨日の一件があったので仕方がないでしょう。まあしかし、怪しまれているということは逆にいえば注目されているということ。我々が忠実に商人のフリをし続ければ次第に疑いも薄まるでしょう。」

 

 そう、セバス達の目的は監視である。能動的に何かアクションを起こさなければならないというわけでもない。目下の問題は販売ルートと人脈の確保という商人として当たり前の行動だけである。これ以上怪しまれるような事はないだろう。

 

「我々は任務を忠実にこなすのみです。」

 

「ハッ。」

 

 

 ーーー

 

 

 リカオン達は宝石商(仮)の馬車を見送って、パナソレイに昨日の顛末を報告するため大通りに向かって歩き出した。クレマンティーヌがリカオンの隣に並んで話し掛ける。

 

「ねえリック。さっきの奴らさ。」

 

「うん、分かるよ。楽しみだね。」

 

「…? 何が?」

 

 予想と違う、楽しみ、という返事にクレマンティーヌは首を傾げる。

 

「アクセサリー屋さん。いつオープンするのかな?絶対一緒に行こうね!」

 

 子供のように歯を見せて笑うリカオンを見て、クレマンティーヌは苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「…あのさ、阿呆なの?」

 

「何をぉ!?」

 

「夜道で人を襲うような奴がまともなワケ無いじゃん! 絶対商人じゃないって!」

 

「あんな優しそうな人が悪い事企んでるわけないよ。」

 

 駄目だコイツ。目が本気だもの。

 

「もういい、でも行くときは1人で行ってよね。」

 

「しゅーん。」

 

 そんないつもの調子の会話を終えると、2人は都市長の屋敷まで辿り着いた。2人は門のところでまたもや見覚えのある人物と遭遇する。筋骨隆々な独特のシルエット、ガガーランである。

 

「おお、ちょうど良いところで会ったな。」

 

「あれ、ガガーラン、王都に戻ったんじゃなかったの?」

 

「ちょっと都市長に頼まれてよ、またこっちに来たんだ。こんなところでもなんだ、さっさと中に入ろうぜ。」

 

 ガガーランは流石アダマンタイト級冒険者、門番に合図をしただけですんなり門を開けてもらえた。

 

「都市長に頼まれごとって?」

 

「ああ、お前らに関係ある事だよ。後で詳しく話す。」

 

 3人は応接室までスムーズに通されると、パナソレイが快く迎え入れてくれた。隣にはアインザックもいる。冒険者組合長はいつも暇なのだろうか。

 

「やあやあ、よく来てくれたガガーラン君。そちらの2人もご苦労だったね。」

 

 2人は柄にもなくにこにこしながらリカオン達に労いの言葉を掛ける。壮年の男がずっと目を細めて口角を上げて笑う姿は控え目に言っても気味が悪い。

 

「都市長。手紙のことなんだが。」

 

 ガガーランが単刀直入に言う。

 

 手紙とは都市長が青の薔薇宛て、また第3王女ラナー宛てに書いた手紙の事で、要約するとエ・ランテルに最近現れたアンデッドについて、王国を挙げて注意を払う事、その件に関して当事者であるリカオンらを参考人として王城に謁見させたい事、しかしアンデッドはエ・ランテル駐在兵が退散させたという処理になっており、あまり行政では話題になっていない事やリカオン達の身分が不明確な事を鑑みて正式なルートでは情報の伝達が正確になされない恐れがある事、ひいては青の薔薇経由でラナーに御目通り叶わないかという内容だった。

 

 表向きは。

 

 その実、これは王国の存亡をかけた計画の一端なのだ。つまりリカオン達が来るべき王国と帝国の戦争に向けてより良いポジションで軍団に参加出来るようにするためのコネクション作りなのである。聡明な第3王女ならば彼女らの投入すべきポイントを見誤る事はあるまい。上手く行けばラナーの私兵という事で王国軍に列を並べることができればいいのだが、それは高望みしすぎか。当の本人達には話を通してないのだ。

 

「王女さんにも話したんだか是非会いたいって。」

 

「おお! そうか!」

 

「なんか頭の上で勝手に話進められてる感じがするんだけど。」

 

「王女様に会えるんだって! クレア、行こうよ!」

 

 はしゃぐリカオンにクレマンティーヌはハァと溜息を吐く。そしてリカオンにそっと耳打ちした。

 

「…こういうのは自分を安売りしちゃ駄目だって。」

 

「…じゃあどうするの?」

 

「…例えばな、ごにょごにょ…」

 

 クレマンティーヌの耳打ちを聞いたリカオンはカッと目を見開く。そしてにへらと笑った。その姿にパナソレイは嫌な予感を覚える。

 

「あー、ゴホン。そういえば私達朝ご飯食べてなかったなー。それに走りずくめで疲れててお腹空いてるし、いきなり王都に行けって言われても判断できないなー。お腹さえ空いてなければなー。」

 

 そう言ってパナソレイとアインザックをちらりと見る。2人は表情こそ変えなかったものの、ひくひくと笑顔を引きつらせた。ガガーランは1人不思議そうな顔をする。

 

「なんだ、腹減ってんのか?あとで俺が奢ってやるよ。」

 

「ガガーラン君!」

 

 突然パナソレイとアインザックがガタガタと立ち上がった。そしてがっしりとガガーランの手を握る。

 

「おわわ、なんだよいきなり。」

 

「ありがとう…ありがとう!」

 

「?」

 

 2時間後、ガガーランはこの握手の意味を知ることになる。

 

 

「ああ、そういえば見廻りの方はどうだったのかね?モンガの気配はあったのか?」

 

アインザックが上機嫌でリカオン達に尋ねる。

 

「わりと近くに居たよ。会うなり攻撃されたから逃げて来た。もしかしたら近いうちにこっち来るかも。」

 

パナソレイとアインザックの顔が凍りつく。残念ながら笑顔を取り繕う事には失敗していた。そんな2人をよそに女性陣はいそいそと食事をしに出て言った。責任者達は2人部屋に取り残される。

 

 

「…なあ、リカオン君達を王都に送るのはやめたほうがいいんじゃないか?」

 

「もうなるようにしかならんでしょう。」

 

 

 ーーー

 

 

「なにっ! どういう事ですか!」

 

「声が大きいぞ、慎め。」

 

 ここはスレイン法国にある神殿の一つ、土の大神殿に備えられた懺悔室の中である。防音壁で囲まれたこの部屋の中は秘密裏に会話するのにもってこいの場所だ。ここにいるのは40代の男と20代後半の男。

 

「…失礼いたしました。しかし…何かの間違いでは?」

 

「こんな事で冗談は言わん。」

 

 先程声を荒げた若い男が平静を取り戻しつつ、再度相手に説明を求める。若い男の名前はクワイエッセ。漆黒聖典第五席次であり、クレマンティーヌの実の兄である男だ。陽光聖典が謎の失踪を遂げてから、法国の実働部隊の穴を埋めるため単身国境線の警邏、異種族への強襲等の任務に就き、一時帰国した折に目の前の男—土の神官長レイモン—に呼び出され、信じられない話を聞かされたのだ。

 

 レイモンが言うには、クワイエッセを除く漆黒聖典の全員とカイレが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の討伐に赴いたところ、目標と思しき黒い戦士に遭遇、三名を失い敗走したとのことだ。

 

「隊長がいながら何故そんなことに…、体長は今何処です?」

 

「あいつはまだ戻っておらん。」

 

「どういう事です。まさか…。」

 

「そう焦るな、部隊が帰ってきたのはつい先程なのだ。撤退途中に何者かに付けられていたのであいつだけ別行動の上、その何者かを排除してから戻る事にしたそうだ。」

 

「大丈夫なのですか?」

 

「あいつに限っては大丈夫だろう。破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)とも優勢に渡り合ったそうだしな。」

 

 その時、ガチャリと部屋の扉が開いた。噂をすればなんとやら、姿を見せたのは漆黒聖典隊長であった。よほど急ぎの用事でもあるのだろうか、帰国した後も戦仕度のままである。

 

「土の神官長、ここにおられましたか。それに一人師団、久しぶりだな。」

 

「おお、帰ったか。首尾は?」

 

「その事で緊急に耳に入れたいことが。他の神官長方にもお集まり頂いています。」

 

 隊長の身体には傷一つ無い。しかし顔は厳しかった。件の追跡者の事なのか、何か重大な話があるようだ。

 

「そうか。クワイエッセ、呼び出しておいて悪いが中座させて貰う。また後で来てくれ。」

 

 レイモンはクワイエッセに詫びを入れると、急いで立ち上がった。構わないと返事をするクワイエッセに対して、隊長が思い出したように去り際に口を開いた。

 

「ああ、そうそう。もしかしたらもう聞いているかもしれんが、俺たちが敵に遭遇した場所にお前の妹もいたぞ。」

 

「おい、その話は…。」

 

「何ですとぉ!クレマンティーヌちゃんが!」

 

 突然クワイエッセが人が変わったように甲高い声を上げた。興奮してコップに入っていた水を溢してしまっていても御構い無しだ。レイモンは片手で顔を覆っている。

 

「レイモン殿!何故それを言って下さらなかった!」

 

「…言うつもりだった。タイミングが悪かっただけだ。」

 

「嘘です!その顔は嘘をついている顔だ!」

 

 レイモンは両手で顔を覆う。指の隙間から隊長に向かって恨めしそうな視線がのぞいていた。

 

「私は王国に行きますよ!」

 

「駄目に決まっているだろうが! お前には別の任務がある。そのために呼び出したのだ!」

 

「兄妹が会うのに理由が要りますか!」

 

「あー! もー!」

 

「神官長、会議は20分後です。お急ぎを。」

 

 この事態を引き起こした張本人の隊長が1番穏やかなのが腑に落ちない。レイモンはなんとかクワイエッセを椅子に縛り付けて神殿を後にした。どうやら神官長の中で情報が来たのはレイモンが最後らしく、隊長も共に会議の場に向かうようだ。

 

「あいつはあれさえなければ優秀な奴なのだが。」

 

 クワイエッセは妹の事になると昔から良くも悪くも見境がなかった。クレマンティーヌが亡命してから静かだったのだが、その反動が来たみたいだ。

 

「ハハ、良いことではないですか。彼も兄としての責任を感じているのでしょう。罪人を捕らえようとあんなに意欲的になっているのです。良いことでしょう。」

 

「…それ、本気で言っているのか?」

 

 レイモンの問いに隊長は不思議そうな顔をした。隊長はいかんせん強過ぎるのか、時たま周りと感性がずれていることがある。クワイエッセの妹への異常な執着を仕事に対する意欲なのだと片付けているあたり相当だろう。レイモンは大きく溜息を吐いた。

 

「はぁ、どいつもこいつも。」

 

 レイモンは漆黒聖典OBとして今の組織が少し心配になった。

 

 

 ーーー

 

 

「ではアインズ様、計画を次のステップに進めるということでよろしいですか?」

 

「ああ、頃合だろう。」

 

 ナザリック地下大墳墓第10階層、アインズの執務室。アインズが腰掛ける椅子の対面にはアルベドとデミウルゴスがいる。

 

「明日には王国戦士長に約束を取って王城に行く。」

 

 これまでに予定外の事が起こりすぎて、アインズが生で直接現地の情報を得る機会が随分と後回しになってしまっていた。部下達にも情報収集をさせてはいるが、ナザリック至上主義や強者としての価値観から何か重要な情報を見落としている可能性も否定できない。この世界にどんな脅威があるかわからない中でこれ以上悠長な事をしてはいられず、やはりどこかでアインズが直に判断を下す材料を集める必要があるのだ。

 

 それに最近アルベドやデミウルゴスの視線が妙に鋭く感じられるのだ。言葉の端々、身じろぎ一つまで監視されているような気がしてならない。やはり勝手にモモンとして行動した時のミスが響いているのだろうか。モモンガの信頼にひびが入っているのではないか。ここらで信頼回復の一手を打たなければ。

 

 というかあのリカオンとかいう女に会う時に限って不測の事態が起こっている気がする。あの女が絡むとどうも上手くいかない。

 

「はぁ、もう会いたくないな…。」

 

アインズはない溜息を吐いた。

 

 

 






遅ればせながら、原作12巻読みました。
とても面白かったですね。
特にお気に入りのキャラはレメディオスです。正統性の暴力を体現したみたいな奴で、職場を思い出して胃がキュっとなりました。でも正義に対して真っ直ぐなところが好き。

後、挿絵のガガーランがイケメン過ぎる。


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第11話 胡椒か何かだ!

この話は時系列でいうと原作3巻と4巻の間ぐらいです。






 王国の首都、王都リ・エステリーゼは名実共に王国の中心地である。

 

 なんといっても人の数が多い。王国の人口900万のうち、およそ10分の1がこの王都圏に集中しているのだ。

 

 商人や冒険者の出入りが盛んで、車道や上下水道といった社会基盤(インフラストラクチャー)も王国の他の都市と比較すれば良く整備されている方だ。中央通りでは他の王国の都市にあるように馬車があぜ道に足を取られるということはなく、排水溝に汚物が溢れているということもない。

 

 ただしそれも雨が降らなければという条件付きではあるのだが。

 

 王都の通りは一度雨が降ると至るところで水が溜まり、泥濘のせいで歩くのもままならなくなってしまう。これは都市の構造が古い設計技術の上に成り立っているからで、水はけの悪さという面でその弊害が垣間見えているのだ。おまけにそんな設計技術のせいか街並みもどこか古臭く、見る者に寂寥感を覚えさせた。

 

 そういった時代に取り残されつつある景観をした王都の最奥、差し渡し500メートル程の敷地内に、王の住居であるロ・レンテ城が聳え立っている。古臭い都市の中にあれどその超然と城下を睥睨する姿は十分な威厳を備えていた。

 

「おおー、すげー。」

 

「やめなよみっともない。口開けて上を見上げて、おのぼりさん丸出しじゃん。」

 

 威風堂々たる城壁の側に7人の女性。そのうち2人は王国国境にある城塞都市エ・ランテルから来たリカオンとクレマンティーヌだ。リカオンは初めて見る王城の伝統的な威圧感に口を開けたり閉めたりしている。さながら水面で肺呼吸する金魚のようだ。

 

 いい歳した大人がする表情では無いが、或いは仕方のないことかもしれない。リカオンは石造りの城など歴史の授業教材の3D投射映像でしか見た事がなかった。実物として存在する城に触れる機会など人生で一回も無かったのだ。

 

 クレマンティーヌはリカオンの姿をなんだか恥ずかしく思い、服の裾を引いて窘める。

 

「フフ、ガガーランから凄腕の戦士だって聞いてたからもっと威厳のある人かと思っていたけど、とても愉快な人みたいね。」

 

「いやー、てへへ。」

 

 話しかけて来たのはラキュースという冒険者。王国の誇るアダマンタイト級冒険者蒼の薔薇のリーダーである。ここにはラキュースを始め、蒼の薔薇のそうそうたるメンバーが勢ぞろいしている。

 

 王国に2組しかないアダマンタイト級冒険者チームの1つ、蒼の薔薇は5人全て女性で構成されている。攻撃と回復を同時に担う神官戦士でチームの要であるラキュース、王国屈指の実力を持つ戦士で切り込み役のガガーラン、忍術で味方のサポートをする暗殺者ティアとティナ、謎多き仮面の土属性水晶系特化の魔力系魔法詠唱者(エレメンタリスト)イビルアイ。

 

 1人は顔が見えないが、皆それぞれ整った顔立をしている。特にラキュースなんかは貴族の出ということもあって、すれ違う人みんながみんな振り向きそうな美しい顔をしている。

 

 ラキュースとリカオン達が話していると、その隣からティナがひょっこりと顔を出し口を挟んできた。

 

「愉快といえば、さっきのは本当に面白かった。」

 

 ティナの言うさっきのとは、リカオン達と蒼の薔薇が待ち合わせた宿での一件だ。リカオンが高貴な者然としたラキュースの事をラナーだと勘違いして、「あなたがお姫さま(プリンセス)ね!」と宿中に響く声で言ったのだ。その行動は少しの間の沈黙と周りの客の失笑を買った。ティアとティナの2人だけは腹を抱えて笑い転げていたが。

 

「もてはやされてるのは慣れてるけど、流石に姫と呼ばれるのは恥ずかしかったわ…。」

 

 ラキュースは先のことを思い出して苦笑いをしている。

 

「今日から鬼リーダーは鬼姫リーダー…いたたたた! 折れるから! 折れるから!」

 

 茶化して来たティナに容赦無くアームロックをかけるラキュース。肩関節が完全にキマっている。

 

「お前達、いい加減にしろよ。こんなところで油を売れるほど暇じゃないだろう。」

 

 イビルアイがイライラしたように注意する。

 

「そうだったわ。面会出来る時間が限られてるんだった。」

 

 イビルアイの言葉にダブルリストロックから腕ひしぎ逆十字までを流れるようにキメていたラキュースも冷静になってティナを解放する。肘の靱帯は辛うじて助かっていた。

 

 そんな乱痴気騒ぎを起こしている一団に近づいてくる人がいる。王国兵統一デザインの甲冑に身を包んだ城の衛兵だ。

 

「あ…あのー、一応審査通りましたが…。」

 

 この衛兵はパナソレイから預かった親書の審査をしていた者だ。城の出入りは厳しく規制され、王侯貴族又は賓客以外の人間が入城するには城壁外周に一ヶ所だけあるこの検査場で審査を受けなければならない。

 

 親書は偽造防止のために公印と呼ばれる特別な封蝋がなされ、その審査に大半の時間が割かれる。予定に無いものなら尚更だ。それが漸く終わり衛兵が結果を伝えにきたのだ。

 

 仕事場を荒らされた衛兵は心底迷惑そうで、早くどこかへ行ってくれと言いたげな表情であった。

 

「ああすまんな、すぐ行く。」

 

 ガガーランが衛兵に詫びを入れる。ラキュース達は少し申し訳なく思ったのか、そそくさと衛兵の誘導に従った。

 

 一行が促されるまま中に入ると、道のすぐ脇に白い甲冑を着た若い兵士が直立不動で立っているのが見えた。着ている甲冑は先程の衛兵とうってかわって豪奢なつくりをしていて機能性と芸術性を兼ね備えたデザインである。

 

 若い兵士は蒼の薔薇一行を認めると、少し嗄れているが大きく気持ちのいい声で挨拶をしてきた。

 

「お待ちしておりました皆様! ラナー様から客人を居室まで案内するようにと仰せつかっております!」

 

 兵士は深く礼をした。その姿を見たラキュースはにこりと微笑んで、兵士の肩に手を置き頭を上げさせる。

 

「や、クライム君、元気してた? そんなに堅くならなくても大丈夫よ。」

 

「おっす久しぶり。」

 

「オッスオッス。」

 

「ふん、やかましいことだ。」

 

 蒼の薔薇のメンバーは代わる代わるクライムと呼ばれた兵士に声を掛ける。どうやら顔見知りのようだ。

 

「いえ、そういう訳には。して、失礼ですがそちらがこの度の?」

 

 クライムはリカオン達の方に向き直る。リカオンは小さく手をひらひらと振ってやった。

 

「本日はよくぞおいで下さいましたリカオン様、クレマンティーヌ様。主人が是非お会いしたいと話しておりました。」

 

 クライムが再度礼をする。

 

「おおー。なんか絵に描いたような姫を守る騎士って感じ。」

 

 リカオンが率直な感想を言うとその言葉が相当嬉しかったらしく、クライムは一瞬年相応の嬉しそうな照れ顔を見せた。しかしそれも一瞬のことで、すぐに顔を引き締めて、では、と短く応えるとくるりと向きを変え先導を始めた。クライムは窪地になっている中庭を大きく迂回し、正面に向かって右側の道に入る。

 

 その行き先を見てリカオンは気になることを尋ねた。

 

「正面に見えている建物じゃないの?」

 

 敷地内では正面に見える高さ25メートル程の塔部を備えた宮殿が1番大きい。王女なのだからてっきりそこにいるものだと思ったのだ。

 

「ああ、いいえ、ラナー様のお部屋は離宮にあります。」

 

 クライムはやや奥歯に物が挟まったように答えた。ラナーの居室は他の王族の部屋とは隔絶したところにあるとはっきり伝えてしまうと自分の主人が王宮内で弱い立場にあると明言する事に他ならず、主人が客人に侮られてしまうやもしれぬと思ったのだ。

 

 しかしそんな不安は杞憂だったらしく、リカオンはそういうものかと納得した顔をしていた。どうやら悪い人ではなさそうだとクライムは思った。

 

 兵士寮の裏側を通り、一団は和やかな雑談をしながら離宮を目指す。リカオンだけは落ち着きなくきょろきょろと辺りを見回している。傍目から見れば少し不審だ。

 

「今日は珍しいですね。チーム全員でお見えになるなんて。」

 

「ん、ちょっとね。」

 

 クライムがラキュースに話し掛けるが、ラキュースは声を落として含みのある声で曖昧に返事をする。場の和やかな雰囲気にうってかわって表情は険しい。

 

 蒼の薔薇が全員で来ている理由、1つはガガーランが認めたリカオンという実力者に会ってみたかったというのがある。しかしそれ以上に謎の二人組に対する監視という意味もある。ラナーは快く面会すると言ったのだが、出自の分からないこの二人を完全に信用することはまだ出来ない。

 

 もし二人が賊か何かで、国の宝である「黄金」に何かあっては一大事である。話によると相当な実力者らしく、少しでも敵に回る可能性を考えると蒼の薔薇全員が居た方が安心だと踏んだのだ。

 

 ラキュースはちらりとリカオンを見やるが、当の本人はまだ忙しなく辺りを気にしている。露骨に怪しい。

 

「おい、さっきから何をしている。」

 

 リカオンが警戒している姿を見て列の後ろで歩いていたイビルアイが痺れを切らしてリカオンを問い詰める。そのリカオンはぼそりと呟いた。

 

「…なんかチリチリするんだよね。敵意を感じるというか。」

 

 その言葉に蒼の薔薇のメンバーはびくりと身体を硬くした。自然体を装っていたが、自分たちの僅かな緊張が伝わってしまったか。

 

「ねえ、あれ何?」

 

 周りの焦りなどお構いなしにリカオンはある方向を指差す。どうやら警戒しているのは蒼の薔薇ではなかったようだ。指の先には一人の男と巨大な樽が見えた。

 

「あれは兵士寮用の水ですよ。あれがどうかしましたか?」

 

 クライムが然もありなんと答える。

 

「隣にいる人は?」

 

「あれは水質鑑定士(ウォーター・アプレイザー)だ。」

 

 イビルアイがそんなことも知らないのかとバカにしたように言った。

 

 水質鑑定士(ウォーター・アプレイザー)とは魔法を使って水の毒性を調べる職業のことだ。一般的には川や井戸といった公共の水場で人体に害のある物質が水に溶け込んでいないかを調査する為に雇われる。有力貴族なんかは一家に一人お抱えで雇ったりもする。

 

 王都では昔、原因不明の集団食中毒が発生し王族にも重篤者が出た経験がある。調査の結果、ある井戸の周辺に被害が集中していることが分かった。更に調べるとその井戸の中から腐って死んでいるモンスターが見つかり、それが食中毒の原因だろうと結論付けられた。

 

 モンスターが井戸に入った経緯は不明のまま終わったが、それ以来王国では主要な水場に水質鑑定士(ウォーター・アプレイザー)を定期的に巡回させるようになった。

 

 ロ・レンテ城内でも水質鑑定は特に念入りに行われている。王族が口にする酒類はもちろん、兵士寮の貯蔵水もそうだ。いざという時に兵士が水に中って動けないという事態は全く笑えないからだ。

 

 そしてその定期鑑定が今まさにリカオン達の前で行われているということである。

 

「…ふーん。」

 

 イビルアイの歴史知識披露(スノビズム)を聞き流しながら、リカオンは樽の横にいる男に近づいていく。

 

「ちょっと! リカオン様! 勝手に歩き回られては困ります!」

 

 クライムの制止も聞かず、リカオンはつかつかと男の隣まで歩き、大きな声で話し掛ける。

 

「こんにちは! お仕事ご苦労様です!」

 

「うわっ。えっ、こ、こんにちは。」

 

 男はやにわに現れたリカオンに驚き、目を白黒させている。どこか落ち着きがなく、心ここに在らずといった面持ちだ。

 

「ここの作業はもう終わったんですか?」

 

「は?」

 

「おにいさん水質鑑定士(ウォーター・アプレイザー)なんですよね?」

 

「あ、ああ、そうだよ。」

 

 リカオンの矢継ぎ早の質問にたじたじになる男。心なしか目が泳いでいる。リカオンは男の回答を聞くや否や、側にあった樽の栓を抜き、溢れる水を手で掬って飲み始めた。

 

「あっ!」

 

 突然の節操のない振る舞いに場にいる全員が驚いたが、中でも男が一番取り乱していた。態度が一変し、声を張り上げて騒ぎ出した。

 

「何をしているんだ! やめろ!」

 

 男はリカオンが水を飲むのをやめさせようと飛びかかる。しかし100レベル戦士に通用するはずがなく、片手で払うと軽くいなされてしまう。この時点でリカオンの圧倒的強さは伝わったはずだが、それでも驚くべきことに男は諦めず再度突進を試みようとした。

 

「落ち着いてください!」

 

 クライムが慌てて2人の間に入り男を抑える。クライムに邪魔されても男はリカオンを凝視したまま息を荒くしている。ただならぬ雰囲気に蒼の薔薇のメンバーも争いを止めようと間に割って入る。

 

「おいおい、いきなりどうしたってんだ? 水飲んだぐらいでそんなに怒ることはないじゃねぇか。リカオンも一応謝っとけ。」

 

 ガガーランが仲裁しても男は取り乱したまま、顔をまっ青にして、やめろ、やめろ、とうわ言のように繰り返している。明らかに常軌を逸した様子だ。リカオンは満足したのか水を飲むのをやめて、樽に栓をし直した。

 

「もう一度聞くけどおにいさん水質鑑定士(ウォーター・アプレイザー)なんですよね?」

 

「…。」

 

 やや力のこもった問いに男は答えない。リカオンは待たずに二の句を告げる。

 

「私体質(スキル)上毒効かないんですよね。抵抗(レジスト)したかどうかもわかるんですよ。私が言ってる意味わかりますか?」

 

 男はびくりと肩を震わせた。目は見開かれ、額を汗が伝っている。

 

「鑑定し終えていたのに何で毒だって言ってくれなかったんですか? 普通手が出るより先に口で言いますよね。それとも何か言えない理由があったんですか?」

 

 男は肩で息をしている。目が血走り、襟元は色が変わるほど汗を吸い込んでいた。

 

「ティア、そいつを抑えておけ。<毒探知(ディテクト・ポイズン)>。」

 

 男の狼狽に何かを察知したイビルアイが水樽に魔法を発動する。それを見た男がより一層焦り出した。

 

「やっ、やめっ。」

 

「動かないで。暴れたら折る。」

 

 ティアが目にも留まらぬ速さで男の背後に回り、後ろ手に男の利き腕である右手の自由を奪った。

 

「む。弱いが確かに毒性がある。<成分鑑定(アプレーザル・コンポーネント)>。」

 

 男がゴクリと息を飲んだ。そして祈るようにぎゅっと目を閉じる。

 

「…おいおい。まさか…。」

 

「どうしたのよイビルアイ。」

 

 神妙な声色になったイビルアイにラキュースが詰め寄る。

 

「どうしたもこうしたもない。水の中に麻薬、それもライラの粉末が混ざってる。」

 

 ライラの粉末。その言葉に蒼の薔薇とクライムは驚愕する。王都の裏で秘密裏に流通する麻薬であり、巨大犯罪組織八本指の資金源になっていると言われている。短時間で強烈な多幸感をもたらし、依存性が高いこの麻薬は市井のみならず、役人、貴族の間でも出回っており、多数の常用者が八本指に食い物にされている。

 

 事態を重く見たラナーが対策に乗り出し、蒼の薔薇にライラの粉末の流通ルートの捜索と生産拠点の殲滅を依頼しており、今まさに情報集めに奔走していた所だ。

 

 驚きなのは国王のお膝元であるこのロ・レンテ城で八本指が堂々と魔の手を伸ばしていることだ。全員の視線が男に集まる。

 

「知らない! 俺は何もしてなっアガアアァ!」

 

 ティアが容赦無く男の肩を外した。男の右腕が力無く垂れ下がる。次にティアは左腕を手に取った。

 

「暴れたら折る。」

 

 ティアの無慈悲な対応は容易く男の心の臓を鷲掴みにし、膝を屈させて地面に這いつくばらせるのに十分であった。男はもう動こうとしない。

 

「おいお前、何でこの樽に黒粉が入っているんだ?」

 

 イビルアイが痛みで蹲る男に尋ねる。男は苦痛に顔を歪めるばかりで何も答えない。

 

「答えなければ耳を落とす。」

 

 ティナが短刀を突きつけて、静かに冷酷に告げた。男は震え上がるがそれでも沈黙を守ったままだ。

 

「よし分かった。」

 

 ティナはひたと男の横顔に短刀を当てる。男は恐怖で顔を強張らせ、自分の命運を神に祈った。

 

「待ってください、城内で刃傷沙汰は困ります!」

 

 クライムが慌てて止めに入る。

 

「私には関係ない。」

 

 ティナは譲らない。

 

「ティナやめなさい。ここはクライム君の顔を立てましょう。あとでラナーに怒られるの私だし。」

 

 ラキュースが割って入った。クライムが付いていながら問題が起きたとなれば、ただでさえ悪い平民出のクライムの立場がもっと悪くなる。その原因が蒼の薔薇だというのならラナーはすごく機嫌を悪くするだろう。

 

「リーダー、それは命令?」

 

「そうよ。」

 

 ティナは仕方ないという風に両手を広げて男から離れる。

 

「ティアも放してやりなさい。」

 

「甘い事だ。もう少しで吐いてたぞこいつ。」

 

「イビルアイもそう言わない。さて、これからどうするか。」

 

 ラキュースは解放されて地面に転がる男を見下ろす。男は逃げる素振りもせず頭を抱えている。こいつは十中八九八本指の手先のものだろう。恐らく麻薬中毒者を増やすための工作の一環か何かだ。たまたま巻き込まれた不運な人かもしれないとも思ったが、先ほどまでの態度を見る限りはそういうこともなさそうだ。

 

 怯えているのは、ティアとティナの尋問にあったからか、はたまた将来起こるであろう組織からの口封じを恐れているのか。まあ悪の組織の手足となって働いていたのだ同情する余地はない。

 

「こいつはどうする? 衛兵に引き渡そうか?」

 

 ガガーランが尋ねてきた。ラキュースは逡巡した後口を開く。

 

「いや、蒼の薔薇で身柄を抑えた方が良いわ。私達にとってもこいつにとってもね。」

 

 想像したくないが王宮内のどこまで八本指の手が回っているかわからないのだ。いつ口封じが行われるか分からない。それに何より貴重な情報源であるし、出来るだけ手元に置いておきたい。

 

「だがいきなり手掛かりが見つかってラッキーだったな。これから忙しくなるぞ。」

 

「こいつが何処まで知ってるかにもよるけどな。」

 

 喧喧諤諤と議論をする蒼の薔薇。リカオンがその中にひょっこり顔を出す。

 

「解決した? じゃあ気を取り直して王女様のとこに行こー!」

 

「はぁ?」

 

 出会ってから度々思っていたがこいつは自由奔放というかマイペースおばけというか。状況を分かって物を言っているのか。こっちは要注意人物を連れているんだぞ。

 

「まあ、そうね。そうしましょうか。」

 

「まじかラキュース。」

 

「八本指の件の依頼主はラナーだし経過説明をしなきゃならないわ。パナソレイ都市長の頼みもついでにやっちゃいましょう。」

 

「そういうもんか…?」

 

「そういうもんよ。」

 

 予想外のハプニングはあったものの一行は再度当初の目的を遂行することにした。

 

「ほいじゃ、れっつごー!」

 

 リカオンが先ほど感じていたチリチリとした敵意は消えていた。この男の害意に反応していたのだろう。モンガと遭遇した森の件でも分かっていたが、不特定多数に向けられた敵意も感知するとは()()()()()()()()()()スキル『禅師峰』の効果はかなり変化しているようだ。特段に便利になっている。

 

 リカオンは上機嫌で第三王女の離宮を目指す。

 

 

 

 




アニメ二期楽しみですね。


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第12話 テーマパーティーのテーマ

「それでは、少々お待ちください。」

 

 クライムが王女の部屋の前で一行を待たせる。人払い等、客人を招き入れる準備をするためだ。待ち時間の間、ラキュースはリカオンに話し掛ける。

 

「そういえばさっきよく水に毒が入ってるって分かったわね。それにたとえ抵抗(レジスト)出来ると分かっていても飲んで確認するなんて中々豪胆なのね。」

 

「いや、分かってなかったよ?」

 

 きょとんとした顔でリカオンが答える。

 

「え?」

 

「単純に喉が渇いてたから飲んだんだけど、いきなり襲われてびっくりしたなあ。」

 

 しみじみと言うリカオンに対してラキュースはなんだかよく分からないが物凄く腑に落ちない気分を味わった。隣に居たクレマンティーヌがポンと肩に手を置き無言で頷く。その顔はじきに慣れるさと語っていた。

 

「お待たせしました。」

 

 程なくして、クライムが扉を開け一行を中に招き入れる。

 

「私は外で待っておくぞ。この男を中に入れるわけにはいかんし、どうせ私は飲み食い出来んしな。」

 

 イビルアイが仮面を指でコツコツ叩きながら言う。

 

「じゃあ俺も外にいるぜ。」

 

 とガガーラン。

 

「気を遣わなくてもいいぞ。」

 

「またまたー。俺と話ができて嬉しいくせに。」

 

「ふん。」

 

 イビルアイが鼻を鳴らしてそっぽを向くが、照れ隠しなのを誤魔化しきれていない。

 

「ふふ、じゃあ頼むわね。二人共。」

 

「…いいの? リーダー。」

 

 ティアが小声で聞いてくる。ティアが心配しているのは蒼の薔薇がここにいる本来の理由はリカオン達の監視であり、5人中2人がターゲットに目の届かぬところに離れてしまうのは拙いのではないかということだ。

 

「いいのよ。」

 

 イビルアイの判断は正しい。男を部屋に入れるわけにはいかないし、外での見張りが必要だ。その上、正体を知られたくないイビルアイは仮面を外すことができない。会の席で飲食しないのは不自然だ。よって見張りの適任である。

 

 そしてガガーランの判断も正しい。イビルアイ1人だけでは、見た目だけで勘違いした男が1人なら御せると踏んで脱出を図るかもしれないが、ガガーランがいればその心配も無い。外の騒ぎに乗じて何かしでかすかも知れないというのを先んじて防ごうというのだ。

 

 部屋の中の監視は万が一の時があっても初期動作の速いティアとティナがいれば充分だろう。2人は足止めと対象の護衛をこなさせたら右に出るものはいない。

 

 そしてラキュースはその万が一も起きないだろうと思っていた。今までのリカオン達を見ていると怪しい行動はなく…別の意味で怪しい動きはあったが、王女を狙っている素ぶりは露ほども感じなかった。

 

 イビルアイとガガーランを残し、ラキュース達は部屋に足を踏み入れる。リカオンが始めに思ったのは、王族の居室にしては意外に小さいということだ。調度品は立派なものが揃えられているが、大きさはパナソレイの部屋より少し小さいぐらいか。

 

「ようこそおいで下さいました。皆さん。」

 

 日の当たる南側の窓際、丸型のテーブルが置かれている方向から声がした。テーブルの傍らには1人の女性が立っている。まだ少しあどけなさが残っているが、美しい人だ。日の光を背にし、後光が差しているかの如く見えてなんとも神々しい。女性は好意的な笑みを浮かべ、まるで女神のような優しい眼差しでこちらを見つめている。

 

 例えこの女性を知らなかったとしても誰もが気がつくだろう。この人が「黄金」と称されるラナー王女その人なのだと。

 

「特に其方の御二方。ラナー・ティエール・シャルドルン・ライル・ヴァイセルフです。お会いできて光栄ですわ。」

 

 ラナーはドレスの裾を両手で摘んで礼(カーテシー)をする。

 

「リカオンでっす!」

 

「クレマンティーヌ。」

 

「うふふ、私の事はラナーと呼んで下さいまし。どうぞお座りになって下さい。」

 

 ラナーは一行を席に着くように促す。椅子の数は計ったように6つであった。

 

「では早速、パナソレイ都市長の手紙を見せて下さる?」

 

「ラナー、その前に言わなきゃいけない事が。」

 

 ラキュースがずいと身を乗り出す。

 

「何かしら。」

 

「さっきそこでリカオンが賊を捕まえたの。」

 

「まあすごい!」

 

 ラナーは胸の前で両手の指先を合わせ、驚いた様子を見せる。

 

「大事なのはここから。その賊、八本指の手先だったのよ。」

 

「…それから?」

 

 ラナーの声音が変わった。ラキュースは経緯をかい摘んで話す。ラナーは冷静に話を聞いていたが、リカオンに毒が効かないという話にかなり興味を持ったようだった。

 

「すごいですわ! それに毒の有無を確かめるために自ら飲むなんてとても勇気がおありなんですね。」

 

 ラナーが手放しでリカオンを褒める。それに対して周りの反応は芳しくない。ラナーは自分が何か変なことを言ったかという風に辺りを見渡した。

 

「いや、その下りさっきもやったんだけどね。」

 

 喉が渇いたので飲んだだけという説明を受けて、ラナーは先ほどのラキュースと同じようになんだか腑に落ちない顔をした。

 

「なんだかとても規格外な方なのですね。」

 

「いやー、それほどでも。」

 

「褒められてないよ。」

 

 照れるリカオンに対して冷静に突っ込むクレマンティーヌ。そろそろこの2人の関係性も定着しつつある。

 

 ラキュースは気を取り直し、リカオンとクレマンティーヌの2人組が来た本来の理由について話し出す。エ・ランテルに現れたモンガというアンデッドの早急な対策を打つべきという内容の文書も交え、ラナーの助成を求めた。

 

「本来であれば領内のいざこざはその領だけで解決すべき事、それが出来なければ為政者としての手腕を疑われかねない。都市長ほどの人がそれを分からない訳はないとすると、本気でモンガが国の危機になり得ると考え警告を発しているということね。」

 

 ラナーは瞑目し逡巡する。

 

「申し訳ありませんが、表立って動く事は出来ません。」

 

「まあ、仕方ないわね。現実的にそこまで被害が出てる訳じゃないし、情報が少ない今頭固い王国議会の奴らに理解が得られるとは思わないわ。」

 

「しばらくは水面下で対策を練るしかなさそうね。その代わりと言ってはなんだけど出来る限りの支援はしていくつもりです。そうだわ、リカオン様達と蒼の薔薇で一緒に行動してはどうかしら。八本指殲滅とモンガの情報収集同時並行でやるのはいかが?」

 

「ちょっと、簡単に言ってくれるわね。」

 

 ラナーの提案にラキュースは難色を示す。八本指だって手を焼いているのだ。これ以上面倒は背負い込みたくない。

 

「お願いよ。報酬は依頼2つ分出すから、ねっ? それに今回もリカオン様がいたお陰で八本指の手掛かりが掴めたんじゃない。」

 

「はぁ。分かったわよ。」

 

「こっちは異議無ーし。」

 

 リカオンもラナーの案に賛同する。

 

「表の男は私達で預かっても問題ないかしら。」

 

「ええ。」

 

 そこまで話が進んだところで壁際に待機していたクライムがおもむろにテーブルの側まで寄ってくる。

 

「お話し中のところ申し訳ありません。ラナー様、そろそろ時間です。」

 

「あら、そうなの?」

 

 気が付くと許可された面会時間を使い切ろうとしている。定刻までに門まで戻らないと次に入る時の審査が厳しくなってしまう。

 

「じゃあ今日はおいとまするわ。」

 

「よろしくね。」

 

 ラキュース達はラナーに別れを告げ、離宮を後にした。その際外に居た2人に今後蒼の薔薇とリカオン達が共に行動することになったと説明も行う。

 

「へえ、じゃあ今日はどっか食いに行こうぜ。リーダー、たまには奢ってくれよ。」

 

「んー。そうね、背中を預けることになるかもしれないし、親睦を深めるために私がとっておきの店を紹介してあげるわ。もちろん私の奢りでね。」

 

「やったー! 鬼姫リーダー大好き…いたたたた! 折れるから! 折れるから!」

 

 懲りないティナにアームロックを掛けるラキュース。ティナの肩はスクラップ寸前だ。

 

「お前ら、急がんと退場手続きに間に合わんぞ。」

 

 イビルアイが呆れたようにため息を吐く。もう怒る気も失せたようだ。そんな中クレマンティーヌがにやにやしながらガガーランにヒソヒソと話しかける。

 

「あんたも人が悪いね。」

 

「なに、俺もリーダーが青くなるところを見たいのさ。」

 

 

 ーーー

 

 

 客が居なくなった離宮。先程の賑やかさはすっかり消えてしまい。ラナーが1人窓辺に寄りかかっている。

 

「さて、と。」

 

 泳がせていた八本指の手先があっさり捕まってしまったので次の情報収集源に当たりをつけておかなければ。まあ、ちょっと予定が早まっただけで支障は無いか。

 

 それとパナソレイ都市長はあまり欲のない人間かと思っていたけど存外積極的に動いてきたわね。手紙の意図がバレバレだわ。あ、そうかアインザック冒険者組合長かラケシル魔術師組合長が一枚噛んでるのか。

 

 結構次の戦争の戦力確保に余念がないところを見るとエ・ランテルはよっぽど帝国にうんざりしているのね。でも私の手駒が増えてラッキーだったわ。

 

 ただ強力なのだけど、ああいう手合いは思い通りに動かすには少し工夫をしないとね。小さい方のお兄様みたく利己的で合理的な方であれば簡単なのに。

 

「んーしょ。」

 

 ラナーは大きく伸びをする。不安要素はない。今日も良く眠れそうだ。うとうととし出した時に扉を4度ノックする音が聞こえてきた。

 

「ラナー様、お休みのところ申し訳ありません。ラナー様にお会いしたいという方が。」

 

 クライムの声だ。本日の勤務は終わったというのにまだ働いているなんて、私の騎士はとても勤勉だ。そこにますます愛おしさを感じる。

 

「構いません。どなたかしら。」

 

「それが、ザナック様が。」

 

 あらあら、噂をすれば小さい方のお兄様。いったいどんな御用なのかしら。

 

「邪魔するぞ。」

 

 扉を無造作に開けて小太りで身なりの良い男が部屋に入ってくる。王国の第二王子ザナック・ヴァルレオン・イガナ・ライル・ヴァイゼルフである。

 

「邪魔だなんて。兄妹ですもの、いつでも歓迎ですわ。」

 

「ふん。いつも通りだが歯の浮くようなセリフを堂々と言えるものだ。」

 

 夜半に訪ねてきておいて礼儀の欠片もない態度のザナック。親しみに関しては微塵も感じない。クライムは気難しく眉根を寄せた。

 

「相変わらずねお兄様、お茶も要らないんでしょう? 用件だけ聞こうかしら。」

 

 ザナックは軽く頷くと、どこから話したものかと考え、持って回った言い方をする。

 

「今日、バルブロに来客があった。」

 

「それがどうかされました? 何か問題が?」

 

 ラナーは先を促す。ザナックがわざわざ嫌いなラナーのところまでやって来たのだ。何か重要なことがあるに違いない。それこそ王位継承争いに関係するような。ラナーに急かされたザナックは勿体ぶらずに続きを話し出す。

 

「客の名前はアインズ・ウール・ゴウン。ガゼフの知り合いらしい。なんでも命の恩人だとか。…何か知らないか?」

 

 ザナックは今宮廷でにわかに噂になっている人物の名前を出す。とは言っても謎の多い人物で何者かはまるで分からないのだが。

 

 ラナーは離宮に半軟禁状態で政治的情報からは遠ざけられている。普通ならば第一王子の客の事など知る由もないのだが、不思議なことにラナーはザナックが知りもしないことをいつも知っているのだ。

 

「アインズ・ウール・ゴウンなら知っています。」

 

 ザナックは瞠目する。確かにこの知恵を借りに来たのだが、いざそれを目の当たりにすると背筋が凍りつく。一体どこから情報を得ているのか、やはり化け物だ。

 

 ザナックの握った拳から汗が滲んで落ちる。まだ知らないと言われた方がマシだったであろう心の置き所を探す。

 

「旅の魔法詠唱者(マジックキャスター)で、戦士長が野党狩りをしていた折に逆に包囲され討ち取られようとした時に救われたとか。なんでも戦士長並の強さのアンデッドを使役するらしいわ。他にも…」

 

 そんなザナックの驚愕を余所にアインズ・ウール・ゴウンなる人物の説明をつらつらとしていくラナー。やはりザナックの知らない情報まで持っていた。ザナックは静かにそれを聞いている。

 

「…それが本当だとすると、そいつは何故バルブロに…? 売り込みか?」

 

「辺境から出てきたみたいだし、所縁のない土地だから後ろ盾が欲しいのかもね。」

 

 ザナックは口に手を当てて視線を落とす。暫くして納得したように顔を上げ、視線をラナーに戻した。

 

「売り込みにきた理由は分かった。だが何故親父でなくバルブロなんだ?」

 

「お父様はご高齢。世間一般に見て次の王に一番有力なのは誰かしら。」

 

 一般市民は内政状況に詳しくない。例え今見たく親王派と反王派に別れて熾烈な争いを繰り広げていようともそんな事は知らないのだ。人気が高いのはラナーだが、継承順位は低く即位は見込めない。他の者達の下馬評をまとめると順当に第一王子バルブロが次王に上がってくるというわけだ。

 

「はあ、現王は狙わず、ガードが甘いところに乗り込んで上手く取り入ろうって事か。」

 

 ラナーは言葉を発さず頷きだけで返す。ザナックは次に一番聞きたい事を質問する。

 

「アインズ・ウール・ゴウンは危険な人物だと思うか。」

 

「出自不明で、推薦が戦士長の時点で政治的発言力は少ないでしょう。しかし武力的カードとしては一級です。」

 

 ラナーの言葉にザナックは歯嚙みする。概ね自分の危惧している想定と同じ答えが返って来た。危機感を一層強める。

 

「…用件はそれだけだ。邪魔したな。」

 

 そう言い残すと扉を開けて早足に去っていく。大方レエブン侯にでも相談に行ったのだろう。側に控えていたクライムがゆっくり扉を閉め、礼をして帰って行く。去り際に手を振ってやった。

 

 ラナーは大きく溜め息を吐く。

 

「お兄様、40点ってところね。」

 

 お兄様も選民思想が強い。王侯貴族に傅くのは当たり前だという先入観があるから目が曇る。強大な魔術師ならどこの国でも引く手数多だ。他国より魔法詠唱者(マジックキャスター)の地位が低い王国にただ自分を売り込むだけなんておかしい事ぐらいちょっと考えたらわかるのに。

 

 つまりは他に理由がある。今のところ相手の意図が読みとれる行動として、接触してきたのが反王派を支持基盤に持つバルブロである事ぐらいか。

 

 …バルブロを裏で操って権力を手にする?アインズ・ウール・ゴウンは国盗りを狙っている…かも。

 

 そこまで考えてラナーは思考のギアを一段階上げる。エ・ランテルのアンデッドと強大なアンデッドを使役するアインズ・ウール・ゴウン。アンデッド関連で前例のない特筆すべき2つの事項。時期も近い。無関係なわけがなく、なんらかの企みがあるに違いない。

 

 私とクライムの安寧を脅かす存在は出来るだけ排除したい。しかし、それに躍起になって逆に立場を危うくしてしまうのは本末転倒だ。

 

 …エ・ランテルのアンデッドは宮廷内であまり表沙汰にしない方が良いわね。今はアインズ・ウール・ゴウンに対するカードを揃える時期。自由に泳がせておこう。入って来るモンガの情報は私で握りつぶす。

 

 こうなって来るとリカオンという駒が手に入った意味は凄く大きい。情報と戦力がいっぺんに揃った。

 

「ふわぁ。」

 

 そろそろ眠くなってきた。ベッドに潜り込む。

 

 アインズ・ウール・ゴウンがどこまでやるか分からないが、しばらくは退屈を忘れられそうだ。

 

 ラナーはそうひとりごちた。

 

 

 ーーー

 

 

 王国の隠れた名レストラン、ブルー・ペリリューシュでは凄惨な光景が繰り広げられていた。上客である蒼の薔薇が入店したところまでは良かったのだが、見慣れぬ御友人を連れていたのだ。

 

 始めはよく食べ、よく飲む客だという印象しかなかったが、1時間もすれば誰もがその異常さに気が付いた。

 

 食事を始めて既に3時間が経過しているのに口に物を運ぶペースが落ちない。

 

「おかしい。明らかに身体より食べたものの方が体積が大きい。」

 

「俺の時は本気じゃなかったのか…。」

 

 無限に続くかとも思える咀嚼音。リズミカルに響く音は店の在庫とラキュースの隠し財産(ヘソクリ)に対する絶命への足音(カウントダウン)のようだ。

 

「ふふふ、ははは、あっはっは!」

 

「リーダーがおかしくなった。」

 

 蒼の薔薇とリカオン達がこのレストランから出禁になるまで残り20分を切った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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第13話 修羅場ラバンバ

 クレマンティーヌの朝は遅い。満足がいくまでひとしきり寝たあとに眼を覚まし、軽く飲み物を口に入れたら、流れるように寝具とのネクストラウンド(二度寝)に突入する。

 

 再び眼を覚ます時は太陽が遥か上に南中してしまってからだ。そのときは睡眠の過剰摂取による偏頭痛と一緒に不機嫌な顔で起き上がる。

 

 彼女は起きがけに同室のリカオンに声をかけようと思い、辺りを見渡すが部屋には自分1人しかいない。

 

「あー、今日からあいつとは別行動か。」

 

 彼女は朝に自分が開けて放置していた、もう気の抜けてしまった炭酸飲料を一気に飲み干し、頭をクリアにする。

 

 確か八本指の麻薬畑が見つかったのでチームを3つに分けて同時襲撃をかける事になっているんだった。

 

 組分けはラキュース&ティナ、ガガーラン&イビルアイ&リカオン、そしてクレマンティーヌ&ティアである。どうやらリカオンはチームメイトと出かけてしまったようだ。

 

「ティアか…。」

 

 クレマンティーヌは自分のペアの名前を呟く。他人とあまり喋らず、つかみどころのない暗殺者。かと思えばいつの間にか側に立っていて話しかけてくる。

 

 好きか嫌いかで言えば…微妙だ。

 

 彼女は服を着替えて出かける準備をする。着るのは一般的な王国民の服だ。リカオンと行動を共にするようになってからあの自慢の一張羅には袖を通していない。荷物の奥底に眠らせてある。

 

 今日の昼御飯をどうするか考えながら部屋の扉を開けた。

 

「や。」

 

 部屋の前にはティアがいた。親しげに片手を振り、挨拶をしてくる。

 

「明後日の事なんだけど。一応確認しておこうと思って。」

 

 明後日の事、つまり襲撃の作戦の事だろう。

 

「ん。」

 

 寝起き、空腹、機嫌が悪い、という意味を込めて短く応対し、その上で続きを話すように促した。相手も意図を汲み取ったようで簡潔に用件を伝える。

 

「決行は見張りが交代する11時に三箇所同時、私たちが受け持つところで判明している敵の数は16人。作戦は…。」

 

「外側から片付けて、なるべく静かに、一人も逃すな。でしょ?」

 

「そういうこと。出入り口は2つ。私は表、あなたは裏。」

 

「はいはい…あのさ、1つ聞いていい?」

 

「何?」

 

「近くない?」

 

 ティアとクレマンティーヌは息のかかる距離まで接近している。その上ティアは腕をクレマンティーヌの腰に回し、指先で衣服の継ぎ目をなぞっていた。

 

「ただのスキンシップ。」

 

 ぐいと顔を寄せるティア、小柄なティアとクレマンティーヌの身長差は頭半個分有り、クレマンティーヌの鼻先をティアのまとめた髪の束が掠める。香水なのだろうかくらくらするような甘ったるい匂いが漂った。寝起のせいなのか意識が判然としないクレマンティーヌを余所に、ティアは鼻梁をクレマンティーヌの首筋になぞらせて匂いを嗅ぎ、腰の外周から内腿に手を這わせて…。

 

「おい。いい加減にしろよ。」

 

 ティアを突き飛ばすクレマンティーヌ。

 

「あん、いけず。」

 

「お前、そっち系か!」

 

「チガウヨ。ところでこれから一緒に御飯行かない?」

 

 見え透いた嘘と共にいけしゃあしゃあと下心しかない提案をするティア。

 

「絶対やだ!」

 

 クレマンティーヌは踵を返し、一目散に部屋に入って鍵をかける。

 

「鍵なんて私の前では意味無いよ。」

 

 盗賊系ジョブ持ちのティアにとって錠破りは朝飯前なのだ。

 

「入ってきたらコロス!」

 

 明後日の晩にあんな奴と二人きりなんて、なんてついていないんだ。クレマンティーヌは悪夢を振り払うようにベッドに潜り込み、寝具とのネクストラウンド(三度寝)に入った。

 

 一人部屋の前に取り残されたティア。

 

「忍法催艶香、失敗。残念。次はリカオンでやるか。」

 

 何やら不吉なことを呟く。標的を変えるようだ。

 

 だが彼女はリカオンに毒が効かないことを失念していたのであった。

 

 

 ーーー

 

 

「ここでお前が突入してだな…。おい、聞いてるのか?」

 

 王国の一角にある酒場で昼間から席を陣取る3人組がいる。イビルアイ、ガガーラン、そしてリカオンだ。

 

「うん。聞いてるよ。」

 

「じゃあ私が説明したこと1から全部言ってみろ。」

 

 リカオンはそっと目を逸らした。イビルアイは机に拳を振り下ろしそうになるがなんとか自制する。

 

「あのな、いいか? 私たちのターゲットは他2班の所より大規模な基地だ。ちまちまやってたら時間がかかりすぎて三箇所同時攻撃の意味が薄くなる。だから派手にやって混乱させ、出来るだけ多く討取ることにしたんだ。」

 

 イビルアイの説明に笑顔でうんうんと頷くリカオン。本当にわかってるかどうかは…微妙だ。

 

「そこで選ばれたのが単純火力の高い私たち3人、基地の大きさに対していささか寡勢だが、効果的に包囲することでそれをカバーする。」

 

 イビルアイはチラリとリカオンの顔を伺う。ずっと変わらない笑顔のままだ。

 

「出入り口は5つ。畑に火をかけた後、機動力のある私とお前で裏側にある2つを破壊し通行不可能にする。そして左右に回り込み逃走を図る者から始末していく。折を見て突入し建物に残る敵をガガーランが固める正面入り口まで押し上げ殲滅。ざっくりとした流れはこうだ。」

 

 いいな、と念押ししてイビルアイは説明を続ける。

 

「ここからが重要だ。派手にやる分、3人の連携は緻密に行わなければならない。混乱によって予期せぬ事態も起こりうる。行動のタイミングと咄嗟の合図は特に気を配って完璧にしなければ。」

 

 話し合いにより司令塔は戦場を一番良く見渡せるガガーランが担当することになった。連絡のホットラインはイビルアイが使用する<伝言(メッセージ)>のスクロールにより、リカオンとの中継もイビルアイが行う。その他、色付きの狼煙が配られ、その使用用途も事細かに説明された。

 

「そんなカリカリしなくても俺たちでフォローすればいいじゃねえか。付け焼き刃の連携はかえって邪魔になるぜ。」

 

 神経質にあれこれ指示するイビルアイをガガーランが諌める。

 

「それもそうか。じゃあ最後に私が使える魔法を教えておこう。仲間の能力を知るのも必要だろう。」

 

「ああ、それなら。」

 

 リカオンがおもむろに立ち上がって自分の目の前で両手の親指と人差し指を立て、それを組み合わせ四角形を作る。そしてイビルアイに狙いをつけてファインダーを覗き込むように目を(すが)めた。

 

「何をしているんだ?」

 

 訝しげにリカオンを見るイビルアイ。

 

「いいから…と、<水晶(クリスタル)>シリーズに<砂の領域(サンド・フィールド)>?、<石化(ペトリフィケーション)>、それから補助に<飛行(フライ)>、<損傷移行(トランスロケーション・ダメージ)>…。」

 

 リカオンは魔法の名前を並べていく、驚くべきことにその名前は全てイビルアイが習得しているものだ。

 

 リカオンのスキル「藤井」は相手の魔法構成を走査(スキャン)するという代物だ。所要時間は距離で反比例し、この距離では2秒ほどで完了する。魔法構成からイビルアイは土のエレメンタリストだということがわかる。

 

 土属性魔法は乱数によるダメージ変動が少ないので乱数を最高値に固定する<魔法最強化(マキシマイズマジック)>との相性は悪いが、逆に抵抗判定を有利にする<魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)>を併用すると安定したダメージが出る。瞬間火力は他属性に劣るが、燃費が良くて継戦能力が高い。土のエレメンタリストはユグドラシルでは慎重なプレイヤーが多い印象だ。

 

「へえ、面白いな。そんなこともできんのか。」

 

「ふん。どうせラキュースに聞いたんだろう?」

 

 リカオンの特技を珍しがるガガーランと信じていないイビルアイ。

 

「…それと<蟲殺し(ヴァーミン・ベイン)>?」

 

「なっ!?」

 

 イビルアイが机を叩き立ち上がった。今リカオンが口にしたのは自分が開発し、まだ誰にも見せていない魔法だ。

 

「何故それを知っている!」

 

 リカオンに詰め寄るイビルアイ。口調は詰問する時のそれだ。

 

「いや、だから今スキルで…。」

 

「どこまで見た! 私のどこまで知った!」

 

 イビルアイが突然鬼気迫った声を上げ、リカオンの襟首を掴む。

 

「魔法構成だけだよ〜。勝手にやったのは悪かった、ゆるして〜。」

 

「本当に?」

 

「ホント、ホント。」

 

「…そうか、悪かったな。」

 

 掴んだ手を放しイビルアイは席に戻る。リカオンもおずおずと席に着いた。

 

 どこかぎこちなく気まずい空気が流れる。

 

「あ、あの、私お花摘みに行ってくるね。」

 

 いたたまれなくなったリカオンがテーブルから離脱した。その姿を見届けてからガガーランがイビルアイに話しかける。

 

「別にあいつにバレてもいいじゃんか。」

 

「…。」

 

 イビルアイは実は人間ではない。イビルアイの先程の動揺はリカオンに自分の種族の事やタレントの事を知られてしまったのではないかという恐れから来たものだ。

 

「別に…別にあいつを信用していないって訳じゃないんだ。ただ私の事を知ってる人間はできるだけ増やしたくない。お前たちに話したのはもしお前たちから情報が漏れて私が危機に陥ったとしても構わないと私が判断したからであって、…リカオンにはそこまで気を許したわけではない。」

 

 平常心を保つ為かイビルアイはフーっと長く息を吐く。

 

「だが、さっきの行動は大人気なかった。あとで謝っておくよ。」

 

「ホント、子供大人め。」

 

「言ったな。」

 

 イビルアイはいつもの調子を取り戻す。後はリカオンを帰ってくるのを待つだけだ。

 

 しかしリカオンが戻る様子は無い。

 

「遅いな。15分ぐらい経ったんじゃないか?」

 

「あー、あのさ、化粧室って向こうだよな。」

 

 ガガーランが店の奥を指差す。

 

「ああ。」

 

「…あいつどっちに行ったっけ?」

 

「向こうだ。」

 

 イビルアイがガガーランが指した方向と逆向き、店の入り口の方を指差す。

 

 …。

 

「お花摘みって言ってたが、…どっちの意味だと思う?」

 

「賭けるか? 俺はマジの意味だと思う。」

 

「…私もだ。」

 

「おいおい、それじゃ賭けにならねえじゃねえか。」

 

 

 ーーー

 

 

 ナザリック地下大墳墓の廊下を足早に行くスーツの悪魔が1匹。目指すはナザリック守護者統括アルベドの執務室である。壁に控えるメイドに目もくれず悪魔は執務室の扉を乱暴に開け放つ。

 

「どうしたのデミウルゴス。ノックもしないで。」

 

 デミウルゴスは挨拶もしない。そのままアルベドのいる机の前に立って椅子に腰かけたアルベドを見下ろす。

 

「アインズ様の王都での顚末、聞きましたよ。」

 

 王都での顚末。つまりは王国戦士長に連れられて入った王宮での謁見と第一王子との会談の事だ。

 

「それがどうかして?」

 

 アルベドは机の書類を横に積み直しながら答えた。その気に留めない返事にデミウルゴスはぴくりと片眉を上げて、短く息を吸い込んだ。

 

「どうしたもこうしたもない!」

 

 檄を飛ばすデミウルゴス。その風圧が執務机を襲うが、アルベドが先んじて片しておいたので書類が撒き散らされるということはなかった。

 

「あの見下げ果てたクズの人間共がアインズ様を貶める発言をした…いや、奴らが愚かなのはこの際どうでもいい。問題なのはその報復をしていないという事だ!」

 

「落ち着いて。今アインズ様は一介の魔法詠唱者(マジックキャスター)という設定でしょう?」

 

「そんな事は関係ない! 例えどのような状態であっても、相手が誰であろうと至高の御方であらせられるアインズ様がこのような仕打ちを受けていいはずがない! 王国など即刻攻め滅ぼすべきだ!」

 

 ()()()()()ね…。ナザリックのものは自分の理想の崇拝対象に対して盲目的になり過ぎだわ。以前の私もそうだったのかしら。

 

「落ち着きなさい。これも()()()()()の計画のうちよ。我等は御心に従うまで。」

 

 アインズの計画という言葉にデミウルゴスは少し怯む。しかし気炎をすぐに取り戻し、アルベドに喰ってかかる。

 

「今の状況があるのは我々シモベが不甲斐ないせいだ。今こそ我々の有用性を示し、計画を変更なさるよう上申するのだ。アルベド、我々が独自に計画を練っているのはこんな時のためだろう?」

 

「それで、私からもアインズ様を説得するよう頼みに来たというわけね。」

 

「…。」

 

 肯定の沈黙。デミウルゴスは守護者統括の裁可を仰ぐ。

 

「計画に変更はありません。持ち場に戻りなさいデミウルゴス。」

 

「っ!」

 

 カッと目を見開くデミウルゴス。自分が耳にした言葉は何かの間違いではないかとアルベドを見据えるがアルベドは口を閉じたままだ。言うことは終わったということだろう。

 

「…デミウルゴス?」

 

 デミウルゴスは立ち去ろうとしない。歯を食いしばって拳をわなわなと震わせている。

 

「……承服しかねる…!」

 

「デミウルゴス、あなた…。」

 

「悪魔の諸相:大輪の血花!」

 

 瞬間、デミウルゴスの身体に縄のような血管が浮き上がった。そして見る見るうちに体全体が無軌道に膨れ上がり部屋を飲み込んでいく。その光景をアルベドはさして驚いた様子もなく成り行きを見守っている。

 

 一方、もはや原形をとどめない肉の塊と化したデミウルゴスがどんどん膨らんでいく。塊の表面には腕が、脚が、手が、足が、指が、無数に突き出してそれぞれ別の生き物のように蠢いていた。

 

「至高の御方が害されているのに動かないなど言語道断! 御心などという言葉は言い訳だ。停滞だぞ、アルベド!」

 

 喚き散らすような声を発し、際限なく大きくなるデミウルゴス。部屋の備品を飲み込んでいく。アルベドは一歩、また一歩と後退を余儀無くされる。

 

 そして肉の壁が部屋の隅にアルベドを追い詰めたと思うと、塊から一本の巨大な腕が、赤子が産道から出てくる時のように伸び出てアルベドを掴み上げる。アルベドは身じろぎしない。

 

「何故抵抗しない。」

 

 アルベドの態度を不審に思ったデミウルゴスが井戸の底から響いてくるようなくぐもった声で聞く。

 

「あなたがナザリックの仲間に手をあげるようなヒトでは無いと信じているからよ。」

 

「…。」

 

「デミウルゴス、あなた不安なんでしょう? アインズ様のお心がわからないのが。」

 

「…!」

 

 図星だ。デミウルゴスはアインズの行動の真意を捉えあぐねている。何故一気に王国を併呑せず、回りくどい方法をなさるのか。何故ご自分では評議国や法国に手を出すなと言っておきながら、法国の特殊部隊を襲ったのか。自分で計画を立てる作業をするようになってから余計に分からなくなった。

 

 大賢は愚なるが如しというが、やはりアインズ様はそれほどまでに隔絶した存在なのか。

 

「大丈夫よ。」

 

「は…?」

 

「アインズ様を信じなさい。このままアインズ様が現状に甘んじていると思う? きっと私たちの考えもつかないような結果をもたらしてくださるわ。」

 

 そうですよね、アインズ様。

 

 アルベドを持ち上げている腕が解け、部屋を埋め尽くしていた肉が萎んでいく。やがて元の悪魔の形に戻った。

 

「申し訳ありません、アルベド。」

 

「全くだわ、部屋が散らかってしまいました。」

 

 わざとらしく両手を広げるアルベド。

 

「それにしても魔法の服って凄いわね。あれほどの体積変化に耐え得るなんて。」

 

 アルベドは重ねて話を逸らす。これはデミウルゴスの行動に眼をつぶるという意味だろう。ナザリック内で同胞にスキルを使う事はアインズが最も嫌うことの1つだ。彼には恩を売っておく。

 

 デミウルゴスは何も言わず、礼をして部屋を後にした。

 

 アルベドは壁に掛けられたアインズ型の振り子時計を見る。モモンガ玉を模した赤い球が左右に揺れて時を刻んでいる。

 

「はぁ。」

 

 デミウルゴスの奴、本気だったわ。今回はなんとか諌めたけど、あれは目的のためなら強行的な手段も問わないという警告のつもりかしら。やはり至高の御方絡みの問題はデリケートに扱わないと。忠誠心が高すぎるというのも考えものね。

 

 次、デミウルゴスとこういった話をするときは誰か同席させようかしら。感情で動くタイプはデミウルゴスの思想に感化されやすい。シャルティア、双子はダメ。私の考えに近いのは…コキュートスあたりか。セバスはデミウルゴスには付かないでしょうけど、私に手放しで賛同する事は無いでしょうね。彼は結構自分の考えで動いたりするから。

 

 あまりやりたくないけど、デミウルゴスが完全に私と対立した時のために派閥を作っておいた方がいいかしら。あの調子だとまたいつ爆発するか分からないわ。このままだと私に守護者統括を降りろなどと言いかねない。

 

 つくづく下らないわ、至高の御方への忠誠なんて。今いらっしゃるのはアインズ様だけなのに、皆どこか幻影を追っている。

 

「アインズ様。本当に貴方を想えるのはナザリックに私しかおりませんわ。」

 

 アルベドは無残に散らばった書類の1つを拾いあげた。

 

 

 

 

 

 




大して描写する事もないだろうとアインズとバルブロの会談は書きませんでしたが、鼻を小指でほじりながら「まあ、せいぜい頑張れ」とハナクソのついた手で肩ポンされたぐらいだと思って下さい。


デミウルゴスのスキルは完全にAKIRAの鉄郎がモチーフ。


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第14話 激突前夜


アニメオーバーロードⅡ絶賛放送中!
みんなでリザードマンの活躍を見よう!


 王国の某所、部屋の中で円卓を囲んで席に着く数人の男女がいる。地下室なのか部屋に窓はなく、視界の頼りは机に置かれた2つの燭台の灯りだけ。そのせいで部屋は薄暗く、ややもすればお互いの顔すら見えない状況だ。

 

 並ぶ面々を見ると、やたらに目つきの鋭い者、顔に向こう傷のある者、威圧的な刺青を彫っている者等、悪人の見本市といった有様だ。それだけでもこれがまともな集団ではない事がわかる。

 

 場は沈黙が押し込め重苦しい雰囲気だ。皆険しい表情を浮かべて、周りを気にしている。誰が口火を切るか様子を伺っているのだ。

 

「予定時刻になったな、会議をはじめようじゃないか。」

 

 上座にいる男が声を上げる。この集団の中においては少し異質な、首に水神の聖印を下げる温和そうな男だ。その立ち振る舞いからこの集団のまとめ役のような存在なのだろう。

 

「さて、お互いのための情報交換と行きたいところだが、まずはあの話をしなくてはな。私達の縄張りと知って悪さをする奴がいるそうじゃないか。なあ、ヒルマ。」

 

 聖印の男は自分から見て左側の前から2番目に座る女に声を掛ける。ヒルマと呼ばれた女は恨めしそうに男を見返すが、自分が呼びかけられる事を予想していたらしく、すぐに諦めた。男の質問に答える形で話し出す。

 

「うちの畑がやられたの。6つね。」

 

 ヒルマが言うのは平凡な野菜畑の事ではない。王国で流通する麻薬、ライラの粉末の生産拠点のことだ。ヒルマは王国を裏で牛耳る犯罪組織八本指の麻薬部門の長である。ここにいる人間はそれぞれ八本指に属する部門の長達なのだ。

 

 周囲の人間の様子を見ると大した動揺はなく、その情報は既知のようだ。早く詳細を知りたくて身を乗り出す者もいる。

 

「6つとも大規模ないし中規模の畑で、生産のだいたい2分の1を担っていたんだけど、徹底的にやられてひどい有様だったわ。それに的確に搬送ルートの中継地を狙ってて流通網が混乱状態だし、残りの畑の警備を強化しようにもわざわざ偏在するよう残して戦力を集中させにくくしているの。やんなっちゃうわ。」

 

 見張りの64人も全滅だしねと付け加えるヒルマ。

 

 その言葉に動揺が走る。他の部門の事とはいえ、ここまで手酷くやられたのはハ本指史上初めての事だ。明日は我が身である。

 

「…やったのは十中八九蒼の薔薇だわ。」

 

 目撃者は全てやられているが、ヒルマは数々の状況証拠から下手人をそう判断した。自分達が支配しているシマで直接的な敵対行為をする者、巨大犯罪組織の警備をものともしない者、どちらも蒼の薔薇しか思い当たる節がなかった。聴く者達も同意の色を浮かべている。

 

「大方あの王女様の差し金でしょうね。」

 

 ヒルマは背もたれに体重を掛けながら深く息を吐いた。忌々しいあの女の顔が目に浮かぶ。今や王国においてハ本指の障害となるのは"黄金"と名高い麗しの第三王女様だけだ。

 

「それで、どうするんだ?」

 

 聖印の男がヒルマに尋ねてくる。ハ本指の稼ぎ頭である麻薬部門が抱える問題の対策に意欲的なようだ。八本指と言う組織は普段、他部門に介入することはなく、むしろ己の勢力を拡大しようと市場争いをしているのだが、ひとたび有事になれば速やかに情報を共有し組織的に問題に対処する。そのための会議である。

 

「相手が蒼の薔薇ならぁ、警備部門に応援を頼んだほうがいいんじゃない? これ以上拠点を潰されちゃう前にさあ。」

 

 ヒルマの向かい側に座る男がやけに間延びした声で言った。顔には挑戦的な笑みを浮かべている。それを見てヒルマは軽く舌打ちをした。

 

 声をあげたのはコッコドールという男で奴隷部門の長である。奴隷売買部門は最近王国内で規制が厳しくなり落ち目なのだが、力を付けていた麻薬部門がポカをやらかしたのが愉快でたまらないのだろう。

 

「順風満帆ってカンジだったのに残念ねえ。」

 

「些事よ。死にかけの奴隷部門と違って私の所は層が厚いもの。黒粉の在庫だって充分にあるし、すぐ立て直せるわ。」

 

「あら、人の忠告は素直に聞くべきよん。蒼の薔薇相手に麻薬部門だけで張り合えるつもりなのかしら。」

 

「…。」

 

 ヒルマはコッコドールから極力目を逸らしつつ、斜め右前に泰然と座る筋骨隆々の男を見た。全身に刺青をいれているスキンヘッドの男で名前はゼロという。警備部門の長で六腕という凄腕の部隊をまとめる存在だ。

 

 ヒルマから視線を向けられたゼロはおもむろに口を開く。

 

「仲間のよしみだ。2割引にしてやるぞ。」

 

 ゼロはそれだけ言うと瞑目し、再び岩のように動かなくなった。ヒルマとコッコドールの小競り合いに巻き込まれたくないのだろう。目の端でコッコドールが依然ニヤニヤしているのが見える。

 

 ヒルマは不意に背もたれから身を起こし、辺りを一瞥した。支配者が得意とする高圧的で傲慢な態度の演技。そのまま努めて態度を崩さず言った。

 

「分かったわ、六腕を全員雇う。」

 

「なんですって?」

 

 コッコドールが素っ頓狂な声を上げた。六腕は1人雇うだけでもアダマンタイト級冒険者に依頼をする程度の金が掛かる。全員を雇うのはそれこそ莫大な費用が必要となる。

 

「いいのか?」

 

 ゼロが片目を開けてヒルマを伺う。ヒルマは先の言葉が間違いでないことを首肯で念押しした。

 

「ただし、雇われている間は私の指示に従ってもらうわよ。」

 

「もちろん契約後は雇い主の意向を優先する。」

 

 両者のやり取りを残りのハ本指メンバーは驚いた様子で聞いていた。蒼の薔薇やそのバックにいるラナー王女はハ本指の他の部門にとっても1番の仮想敵であり、今回に関してはハ本指総出で対策に乗り出しても良い案件だ。それなのにヒルマは率先してリスクを背負い込んだのだ。

 

「あんた、本気なの?」

 

「ええ。」

 

 ヒルマ自身、コッコドールに乗せられた部分があって癪に触らないことも無いが、それよりも麻薬部門が健在であることをアピールする必要があった。組織内での地位の保全の為の出費、許容範囲だ。

 

 ついでにコッコドールの間抜け面も拝めた。体力のない奴隷部門ではできない芸当である。いい気味だ。

 

 話がひと段落した所で会議は休憩に入った。長達はそれぞれの付き人にいくつかの指示を出している。

 

 ゼロは残りの六腕メンバーに召集をかけているようだった。その後、ゼロは麻薬部門が襲撃を受けた時の状況を詳細に尋ねてきた。主に配置されていた戦力と地形、人的及び物的被害について。

 

「では、雇い主に意見、というより確認事項があるのだが。」

 

 ゼロが顎に手を当てながら発言する。

 

「敵は蒼の薔薇だけか? この短期間にこれだけの被害はどうも納得がいかん。少なくとも他にアダマンタイト冒険者級が2、3人いる気がする。」

 

 ヒルマは感心したようにゼロを見る。

 

「…私も襲撃者の数が合わないと思っていた。アダマンタイト級がまだいるってことは信じられないけど、あんたが言うならそうなんだろうね。」

 

「ちょっと! いるとしてもそいつらは何者なのよ! 朱の雫は国外にいるはずでしょ?」

 

 暇をしていたコッコドールが話に首を突っ込んでくる。もっともな疑問だ。突如浮上した誰も知らない複数の実力者は何者なのか。ヒルマは自分が知っている強者に該当する人物を頭の中で思い浮かべた。

 

「…念のために聞くけど。」

 

 ヒルマがゼロを正面から覗き込む。その顔は賭博師が勝負所を見定める様な、鋭い眼つきをしている。

 

「六腕の誰かって事はないわよね。」

 

「違う。」

 

 質問を予想していたかのような即答。ヒルマの目を覗き返す、獲物を狙う飢えた獣の如き目。

 

「我々には麻薬部門と敵対する利益がない。蒼の薔薇には我々を雇う為のコネクションがない。」

 

「…。」

 

「最後に、俺はそんなことを命じていない。もし、俺の知らない所で部下が勝手に動いたとしたら、俺がそいつをぶっ殺している。」

 

 ゼロは静かに淡々と説明をする。誰にも文句を言わせないという意思を刀のように全員に突き立てていた。

 

「それを聞いて安心したわ。」

 

 見合っていた両者が視線を切る。剣呑な空気が去り、全員が張り詰めた緊張の糸が緩むのを感じた。

 

「あまり仲違いをするようなことを言わんでくれよ、お前達。冷や冷やしたぞ。」

 

 と聖印の男。

 

「ごめんなさいね。たとえ小さい事でも懸念材料は見逃せない性質なの。」

 

 にっ、と笑うヒルマ。歳を重ねてはいるが十分魅力的に見えた。数々の男を食い物にしてきたオーラが衰えずその魔力を湛えている。

 

「あー、ちょっといいか? その麻薬畑を襲撃した人物達に心当たりがある。」

 

 沈黙を保っていた密輸部門の長が声を上げた。

 

「なーに? 何か知っているなら勿体ぶらずに早めに教えなさいよ。」

 

 コッコドールが大袈裟に目を剥いて仰け反った。このタイミングまで情報を出し惜しみした事を非難しているのだろう。

 

「確証がないので言わないつもりだったが、疑心暗鬼で内輪揉めするぐらいなら話そうと思ってな。」

 

「そんな事言って、情報を独り占めしておきたかっただけだろ?」

 

 金融部門の長が茶々を入れる。それに対して麻薬部門の長は、まあな、と悪びれずに宣った。

 

「多分、エ・ランテルに最近やってきた軽戦士風の女二人組だ。あそこにあったズーラーノーン拠点をぶっ潰してる。」

 

「へえ。そいつらだと思う理由は?」

 

「城門をくぐった奴のリストに記録があった。目的は第三王女に会うためで、蒼の薔薇同伴だった。」

 

「ほぼアタリだな。身辺調査はしたのか?」

 

 ゼロが密輸部門の長に聞く。

 

「ああ。」

 

「記録をくれ、警備の参考にする。」

 

「オーケー。仲間のよしみだ、情報料は2割引にしといてやる。」

 

 おどけてみせる密輸部門の長。

 

「それはヒルマに言ってくれ。」

 

 ゼロはそれを軽くいなす。

 

「だとよヒルマ。おい、そんなにニラむなって。わかったよ、今回に関してはタダで情報提供するから。」

 

 笑い合う八本指のメンバー。騒がしくなってきたところで聖印の男が二拍して、場を静止した。

 

「さて、問題にある程度目処がついたところで、今日はもう1つ話し合うことがある。先日、第一王子の所に客が来た。名をアインズ・ウール・ゴウンという。」

 

 八本指にとって第一王子のバルブロは良き取引相手の1人だ。メンバーの視線は聖印の男に集まる。

 

「この名前を知っているか?」

 

 男の問いに長達はもちろん、という顔をした。その名前は裏の世界では既に有名になっている。こいつのせいで王国貴族達が法国と共謀したとき、王国戦士長が死んだ時の準備をしていた者達は随分と損をした。金融部門の長はその1人だ。

 

「バルブロくんに取り入ろうとするとはね。初めからこのつもりだったのかな?」

 

「奴も政治権力と闇のパイプラインを狙ってるってこと?」

 

「ナメてんな、この市場に新規入場者の枠はもうねえよ。」

 

 口々に思った事を言うメンバー達。自分の庭に土足で入って来た闖入者が相当気に入らないようだ。聖印の男は再度場を鎮める。

 

「私は。」

 

 言い含めるような声。

 

「取り込めないかと考えている。そのアインズ・ウール・ゴウンという男を。ガゼフを助けていながら、バルブロに取り入る奴だ。面白いじゃないか。」

 

 男は不敵に笑った。

 

 

 ーーー

 

 

 夕暮れ時、人々が一仕事終えて家路につく時間帯。同時に飲食店に活気が出てくる時間帯でもある。王国の一角に店を構える酒場も人が入り始めた。そんな客の賑わいを押しのけるようにスイングドアを豪快に開ける者がいる。アダマンタイト級冒険者チームとその他2名、先頭はガガーランだ。

 

「親父、邪魔するぜ。いつものとこに7人。」

 

 ガガーランがカウンターにいる男に挨拶をすると、男は軽く会釈し蒼の薔薇を奥のテーブル席に通した。先頭のガガーランがどかりと椅子に座り、他のメンバーも続いて席に着く。

 

「やー、順調じゃねえか。ラナー王女様々ってとこだな。」

 

「ガガーラン、不用意な発言はよせ。せめて<静寂(サイレンス)>をかけてからにしてくれないか。」

 

「わりぃ、わりぃ。」

 

 蒼の薔薇はラナー王女の指示のもと、八本指の麻薬拠点を掃討して回っているところだ。ラナーが言うポイントを順番に襲撃する事で、尻尾をつかませず、かつ壊滅的な打撃を与えることに成功した。

 

「次はどこを狙うんだ? またチーム別に行動か?」

 

「いや、ラナーが言うには敵がそろそろ本腰を入れて守りに着く頃だって。あと1つを全員でやっちゃって、一先ず畑潰しは終了ね。」

 

「全員作戦、久しぶり。」

 

 7人は運ばれて来たエールビールを口にしつつ、それぞれのチームの状況報告(デブリーフィング)を行なった。特に話題になったのがリカオンの強さについてだ。

 

「ガガーランから聞いてはいたけど本当に強いのね。」

 

 リカオンの戦績を聞いたラキュースは感嘆の声を上げていた。もっとも同じ班のガガーランとイビルアイの作戦時の驚きはひとしおだったが。

 

 襲撃の時、リカオンは行動開始してものの200秒と掛からずに敵の9割を打ち倒し、畑とその付随する倉庫施設を占拠してしまったのだ。

 

「敵に逃げられないようにって言い始めた時は何事かと思ったが、まさか剣の一振りで入り口を瓦礫の山にするとは思わなかったぞ。」

 

 イビルアイが半分呆れたように言った。

 

「私、オブジェクト破壊にプラス補正つくからね。」

 

 得意顔でフフンと鼻を鳴らすリカオン。

 

「そういうことができるなら先に言え。綿密に計画を立てていた私がバカみたいじゃないか。」

 

「やーい、ばーか。」

 

「ばーか。」

 

 すかさず横槍を入れるティアとティナ。それにイビルアイが癇癪を起こすのもいつもの流れだ。ラキュースは3人をよそに話を続ける。

 

「スケリトル・ドラゴンを二体同時に倒した実力は本物ってとこね。」

 

「まだまだ本気じゃないよ。私の戦闘スタイルは自己強化(バフ)ありきのものだから、素の攻撃力は大したことないんだ。条件が整えば最大600%まで倍率かかるよ。」

 

「よくわからないけど、凄いことは伝わったわ。」

 

 意味不明な事を喋るリカオンに苦笑いを浮かべるラキュース。

 

「話してるとこ悪いけどよ、最後の襲撃目標はどこになるんだ?」

 

 ガガーランが王都周辺の地図を広げながら割り込んで来た。丸太のような上腕二頭筋に押しのけられたイビルアイがムギュッという声を上げてつぶれる。

 

「おい。」

 

 抗議の声を上げるイビルアイ。

 

「んーとね。ここかな。」

 

「おい。」

 

「ふむ。王都に近いな。そうなると…。」

 

 残念ながらイビルアイの2度に渡る陳情は聞き入れられなかったようだ。不貞腐れて机に突っ伏す。

 

「スルーなのか? 私こんな扱いのキャラだったか?」

 

 リカオンとクレマンティーヌが来てからどうも自分の立ち位置が変わっている気がする。以前はチームの最年長かつ最強として威厳に満ちたキャラだったはずだ。確かそうだった。

 

「イビルアイが小さすぎて見えていないのだ。」

 

「ぷぷぷ。」

 

「ぷぷぷ。」

 

「コラァ! そこ! 笑うな! ていうか1人厄介なのが増えてるじゃないか!」

 

 いつもどおりの軽口を叩くニンジャ2人と悪ノリをするクレマンティーヌ。ツッコミ役が過労死しかねない凶悪な組み合わせだ。イビルアイは一度反応してしまった事を後悔しつつ、流れを変えるために手頃な話題を探す。

 

「そういえば、そろそろ六腕が出てくるかもな。」

 

「六腕?」

 

 すぐさまラキュースが尋ねてくる。こういう話は聞こえるのな。都合の良い耳しているな、とイビルアイは心の中で毒づく。

 

「俺それ知ってるぜ。八本指の腕利きの奴らだろ?」

 

「ああ。詳しくは知らないが何でもアダマンタイト級の実力を持っているという話だ。」

 

「それは…用心した方がいいかもしれないわね。場合によっては襲撃をかけるのも打ち止めにした方がいいかしら。」

 

 うーん、と考え込むラキュース。

 

「まあ、自分で言っておいてなんだが、六腕自体が八本指が自分たちの脅威を誇張するためのでっち上げだという事もある。何せ名前だけ知られていて殆ど情報が無いんだからな。」

 

「よしんば本当だとしても、そんなに神経質になる必要ないんじゃねえか? 相手はどこを攻められるか分からない以上、守備人員をいろんなところに割かなきゃならねえ。俺たちが襲撃するところだけにたまたま戦力を最大投入はして来ないだろ。」

 

 ラキュースは真剣な面持ちでイビルアイとガガーランの話に耳を傾ける。

 

「確かに、今は八本指を徹底的に潰すチャンス。これをみすみす逃すわけにはいかないわね。それに六腕とやらがアダマンタイト級ならば、それは私達が倒すべき相手。…決まりね。」

 

 ラキュースはテーブルに着く全員の顔を見渡す。そして深く頷いた。

 

「明日決行する。各自用意して。」

 

 

 

 

 

 

 





最近バトル成分が足りないので次話で補充したいと思います。


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第15話 Eyesで合図

久々のバトル回です。
オリジナルのスキル、武技とかが登場します。ご注意をば




 王国領は都市部から外れると人の手の入っていない豊かな平野が広がる。日が落ちるとモンスターが出現し、旅人などを襲うのでこのような所で居を構える物好きは誰一人いない。しかしその平野の中のなだらかな丘の脇、馬車道から見えない位置にぽつねんと家屋が建っている。

 

 遠くからでは平凡な造りに見えるが、よくよく見ると壁や屋根が二重になっており外敵に備えた堅牢な作りをしている。塔部には監視用の穴が設けられ、ちょっとした砦といった様相だ。建物脇の柵に囲まれた畑には背の低い植物が所狭しと植わっていた。

 

 ここは八本指の麻薬畑、蒼の薔薇の作戦目標だ。今は建物から距離100メートル程の所に女ニンジャ2人が先行偵察に来ている。

 

「ふむふむ。」

 

 ティアは建物を一瞥し、位置関係を記した簡易な地図を作成した。そしてティナとハンドサインでやり取りをすると、相手を報告に戻らせて自分は見張りを続ける。

 

 時刻は午後11時から四半刻ほど過ぎている。辺りには月のない夜の、のっそりとした闇が立ち込めており、夜目のきかない者では足元もおぼつかないだろう。ティアは持ち前の視力とイビルアイに施してもらった<闇視(ダークビジョン)>のおかげで昼間と変わらないぐらいの精度で物を確認することができた。

 

 ティアは建物のまわりをぐるりと大回りして敵の有無を確認した。僅かな星明かりに照らされた建物からは少なくない人の気配がする。畑の方にも見張りが二人。横長の建物に平行するように位置する畑の対角に一人ずつ立っている。

 

「2か。」

 

 ゴブリンなど、草原のモンスターを警戒するには十分な数字。蒼の薔薇の襲撃に備えるにはいささか足りない数字。

 

 やはり他拠点が襲われているといっても一朝一夕では対策をし得ないのだろう。敵はこちらの攻撃目標を特定出来ておらず、通常の警備体制のままのようだ。

 

(プランA続行。)

 

 ティアは「影潜み」を使う。ティアの姿がじわりと夜の闇に溶け込む。そのまま足跡を残さないように「闇渡り」で少しずつ畑の方へ移動する。その光景はよほど目の優れた者でも黒い靄が濃くなったり薄くなったりしている程度にしか見えない。

 

 そしてティアは建物から遠い方の見張りの背後に立つと、そっと敵の頭を両手で挟み込み、そのまま270度回転させた。パキャリと音を立てて見張りは絶命する。ティアは崩折れる死体を支えながら、ちょっとした細工をした。

 

 懐からワイヤーを取り出し、それで死体を柵に括り付けた。これで見張りが柵にもたれかかって休んでいるように見せることができる。見通しのきかない夜であればしばらくはバレないだろう。顔の位置も忘れずに正面に戻す。途中でもげそうになったがワイヤーで縫合する。

 

 ついでに柵と死体の間に眠りガスのブービートラップも仕掛けた。異変に気がつき、身体を動かそうとすればピンが外れて作動する仕組み。ミイラ取りがミイラになるって寸法だ。ミイラというにはあまりに新鮮すぎるのだが。

 

 さて、これで準備は整った。後は二手に分かれて建物に突入し、敵を殲滅するだけだ。ティアはラキュースとティナと合流し裏手から、表はガガーラン、リカオン、クレマンティーヌの3人。イビルアイは<飛行(フライ)>を使い上空から監視、適宜スクロールを使い<伝言(メッセージ)>で指示を出しつつ、余裕があれば速やかに畑を焼いて撤退ルートを確保する役目だ。

 

 これがプランA。今までの拠点制圧の経験から、敵戦力を同程度と想定した場合の最適な計画。

 

 強大な戦力のイビルアイを監視という任に当たらせたのは、想定外の敵の反抗にあった時に即座に対応するためである。つまり六腕が出て来た時の保険ということだ。

 

 段取りを終え、ティアは辿って来た道筋を逆になぞる。途中でしゃがみ歩きで進むラキュースとティナに鉢合わせた。ハンドサインで無音の会話を交わすニンジャ2人。

 

[表は配置についた。合図の後、5秒ずらして突入する。カウントダウン89、88、87、86。カウント30になればイビルアイのガイド開始。]

 

[了解。表の見張りは?]

 

[クレアっちが始末した。]

 

[あちゃ、ブービートラップ意味なかったか。いや、こっちの話。]

 

[? あと、リカオンがなんか嫌な感じがするって。相手は相当ピリピリしてるかも。罠とかも一応注意したほうがいいかもしれない。]

 

 敵に気づかれないギリギリまで建物に接近する3人。その間も高速で手を動かすティアとティナ。ラキュースは傍でその光景を不思議そうに見ている。

 

(いつ見てもなんだか滑稽ね。ほんとにあれで伝わってるのかしら。)

 

 2人のやりとりをぼんやりと眺めるラキュース。そうしている間にイビルアイから魔法の接続が有るのを感じた。

 

「カウント30!」

 

 頭の中に直接イビルアイ声が響く。途端に3人の顔が引き締まった。剣の柄を握り、精神を高める。自分の中の闘争心を呼び起こす。

 

「20!」

 

 息を大きく吸い込む。同時にゆっくりとまばたき、薄く目を開く。息を吐きつつ目標に意識を集中させる。

 

「10!」

 

 ラキュースは頭の中でシミュレーションを行う。突入したらまずはクリアリング。先に突入するガガーラン達に気を取られた敵を背後から叩く。

 

「…4…3…2…1…突入!」

 

 建物の反対側で激烈な破壊音がした。表は作戦通り突入出来たようだ。ラキュースは心の中で5…4…3…とカウントダウンを始め、ティアとティナに目で合図をする。

 

 カウントゼロ。低い姿勢から地面を蹴り一直線に走る。ラキュース達は三本の矢になって目標を射抜かんとする。

 

 しかし、剣を構え扉を蹴破ろうとした刹那、扉が()()()()破られた。

 

 突然のことに驚きながらも、ラキュースの目が捉えたのは戸口に立つローブ姿の男、そしてその男の指先から放たれたオレンジ色の飛沫。

 

<火球(ファイヤーボール)>だ。

 

 ラキュースは咄嗟に口を固く閉じ、頭をかばう。火炎の玉はラキュースに着弾すると、辺り1メートルを丸ごと呑み込み派手に火柱を上げた。

 

 あまりの爆風でそのままラキュースは外に投げ出される。しかしすぐにゴロゴロと転がり、まとわりつく火を消しながら受け身を取った。ティアが駆け寄ってフォローに入る。

 

「リーダー、無事?」

 

「ええ。」

 

 もろに喰らった左腕には焼け付くような痛みが有るが、指は全部動く。目と耳も無事だ。戦闘を続けることに問題はない。ラキュースは自分に魔法を浴びせた相手をにらむ。フードを目深に被っていて顔は見えない。

 

 ラキュースは眉を顰める。一筋縄ではいかないかもしれないとは思っていた。高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)とは相手もそれなりの対策をして来ている。だが、突入のタイミングがばれて、待ち伏せまでされたのは何故なのか。

 

 ラキュースが思案を巡らせる暇もなくローブの男が再度<火球(ファイヤーボール)>を放つ構えを見せた。そうはさせじとティナがナイフを投擲する。男は身を翻し、戸口の影に身を隠した。ナイフは男がさっきまで居た地面に刺さる。

 

 男が遮蔽物から手だけを出して、牽制の<火球(ファイヤーボール)>を撃ってくる。かなり厄介な状況だ。このまま打開に時間を掛けてしまうとガガーラン達と挟撃した意味が薄れてしまう。

 

「問題無い。あれは仕込みナイフ。」

 

 ティナがにやりとする。見れば先程投げて地面に刺さったナイフの持ち手から白い煙が勢い良く噴き出して視界を遮っていた。始めから煙幕を張る目的で投げたのだ。

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)なんてシュッといってサクッと。」

 

 ティアが煙幕に乗じて突撃した。敵に動きを補足されないよう敢えて最短距離を行かず、ジグザグに近づく。

 

「むむ。」

 

 その間にも<火球(ファイヤーボール)>が2、3発飛来する。存外正確に狙ってくるがティアは全く意に介さず躱し、逆手に握った短刀で煙に巻かれている相手に斬りかかった。

 

 とった、とティアは思った。相手の首元を正確に刈ることができる軌道だった。

 

 しかしその軌道に割り込むものがあった。筋肉質の太い腕が横からぬっと現れ、手刀をくりだしたのだ。

 

 2つの刀が交差する瞬間、キンッという軽い金属音が鳴った。ティアはすぐさま跳びのき、距離を取る。右手を見ると短刀は根元から折られていた。

 

「ククク、本当に蒼の薔薇が来るとはな。ヒルマの戦略眼と勘は侮れんということか。伊達に長をしているわけではないな。」

 

 新たに乱入した敵が煙の中からゆっくりと姿を現した。スキンヘッドでベストを羽織る男。顔や腕から覗く肌には至る所に刺青が彫ってある。

 

「ゼロ、助かった。」

 

 後ろからついて来たローブの男がくぐもった声で言う。

 

「見かねたぞデイバーノック。今の攻撃はアンデッドのお前でも危なかったろう。」

 

 ゼロが呵々と笑う。敵を前にしても堂々とした余裕の態度だ。対して蒼の薔薇の3人は険しい表情をしている。

 

「アンデッド…、エルダーリッチ? 八本指はそんなものを飼っているの?」

 

 ラキュースは怪訝そうに呟いた。それを聞いたデイバーノックはグググと不気味な笑い声を上げる。

 

「飼われているのではない。共生関係だ。」

 

「ふうん? そういえば生あるものを憎むアンデッドも知性が高まれば人間と取引をする事もある、ってイビルアイが言ってたわね。」

 

 こと戦闘においてエルダーリッチはなんとも嫌な存在だ。魔法の達人であり疲労する事もない。おまけに知能が高いときた。ただ、さっきまでの疑問の謎は解けた。

 

 エルダーリッチ等アンデッドは生者に対しての感知能力が高いという。つまり視覚に頼らない索敵が可能という事だ。煙幕の中からでも相手を狙うことができる。それがさっきの正確な射撃の理由か。

 

 もっといえば奇襲がばれたのもこいつのせいだ。生きていれば気配を感じることができるとは、逆にいえば有った気配が消えたらそいつが死んだということ。畑に居た見張りは、単なる見張りではなく、殺されることによって敵が来たことを知らせるセンサーだったのだ。

 

 だから待ち伏せされた。なんと巧妙なシステム。これならば仮に捨て駒(センサー)が遠くから音もなく狙撃されたとしても攻撃されたことがわかる。

 

 嫌な流れだ。ラキュースの頬を汗が伝う。相手の策が功を奏しているときは、決まって苦戦を強いられる。精神的にすでに優位に立たれているからだ。今もそうだと、長年の戦闘経験から感じていた。

 

 ラキュースは武器を構え直す。そこに再度イビルアイから魔法の接続があった。

 

「ラキュース、状況を報告する。現在のお前たちの戦闘は確認している。ガガーラン達も別の敵と交戦に入った。ここまではいいか?」

 

 ラキュースは歯噛みする。やはり表も奇襲に備えていたか。しかし、努めて冷静さを失わないようにする。

 

「続けて。」

 

「建物から逃げる奴がいる。対応はどうする?」

 

「あなたは逃げる敵を追って。援軍を呼ばれるかもしれない。」

 

「…私が抜けて大丈夫か?」

 

「私達は平気。ガガーラン達は?」

 

「向こうは敵が4人だ。」

 

 4人。目の前の敵と足して6。なるほどこいつらが六腕とやらか。

 

「そう。じゃあイビルアイの取る行動は第一に逃げる敵の殲滅、第二に表の加勢。いい?」

 

「わかった。」

 

 魔法の接続が切れる。目の前の敵は律儀にその場で待っていた。余裕の現れか、精神的優位を見せつけているのか。

 

「おしゃべりは終わりか?」

 

 ゼロが聞いてくる。

 

「随分と紳士的なのね。見た目に似合わず。」

 

 皮肉を飛ばしてやる。すると相手はニヤリと口角を上げ笑った。

 

「俺は真っ向から相手を叩き潰すのが好きなんだ。行くぞ!」

 

 ゼロがラキュースに向かって跳躍する。サイの様な巨体に似合わないヒョウの様な速さ。蹴られた地面の土がめくれ上がる。

 

 向かって来るゼロに対してラキュースは六本全ての浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)を射出して応戦する。ゼロは身を低くして二本を躱す。そして右方向へ直角にステップ、すぐさま体を左に振り戻し三本やり過ごす。最後に左手甲で残りの一本をいなすと、右拳で渾身のストレートを放った。

 

 ラキュースは魔剣キリネイラムを盾にして防ぐ。ぶつかり合う両者。スピードに乗ったゼロの凄まじい拳圧に多少揺らぐが、負けじと押し返す。

 

「なかなかやるな。面白い。」

 

「どうも。」

 

 蒼の薔薇と六腕のリーダーが激しく火花を散らす。

 

 

 ーーー

 

 

「突撃ぃ〜!」

 

 玄関をぶっ壊して、建物の中へ一人鯨波(ひとりげいは)を上げて突っ込むリカオン。

 

「奇襲の意味とは。」

 

「まあ、こっちに注目を集めるのも作戦の内だし、多少はね?」

 

 ガガーランとクレマンティーヌがその後をのそのそとついて行く。リカオンの奇行にはもう慣れてしまった。

 

「おや?」

 

 先を行くリカオンがはたと立ち止まる。突然の敵の襲撃に相手はもっと慌てふためくかと思いきや意外と静まり返っている。リカオン達の行く手には3人の八本指の精鋭らしき者が待ち構えていた。

 

「どうやら俺達が来るのは始めから分かってたらしいな。」

 

 ガガーランは油断なく目の前の3人組を観察する。

 

 1人は全身を余すところなく黒いフルプレートで身を包む男、1人は金刺繍のチョッキを着るレイピアを佩いた男、1人は薄絹を纏う踊り子の様な姿の女。それと、リカオンだけは2階へ続く階段の影にもう1人いるのを感じた。

 

「ようこそ青の薔薇の皆さん。私はマルムヴィストという。」

 

 真ん中にいるレイピア男が客の来訪を待っていたかのように恭しく礼をする。こちらの返事を待たず、男は続けて喋り出す。

 

「私どもの雇い主はこれまでの君たちの蛮行に相当お怒りでね。では早速始めようか。」

 

 ハ本指の精鋭達は一斉に臨戦態勢に入る。リカオン達も呼応して得物を手に取った。

 

「一対一でいいな? 黒髪の嬢ちゃん、相手をしてもらおうか。」

 

「ペシュリアン、デカブツは任せたよ。私は弱っちそうな金髪ね。」

 

「…。」

 

 対戦相手は決まった。三組はそれぞれ散開する。リカオンとマルムヴィストは部屋の中心を陣取り、お互いレイピアを腰から抜きはなった。ガガーランとペシュリアンは扉を跨いで奥の部屋に移動する。窓際に跳んだクレマンティーヌは相手の女を睨みつけた。

 

「さっき聞き捨てならないセリフが聞こえたんだけどぉー。誰が弱いって?」

 

「フフ、怒ったの?」

 

 女の態度にクレマンティーヌは口をへの字に曲げて眉根を寄せる。

 

「どこの誰だか知らねーが、このクレマンティーヌ様にそんな口を聞いてタダで済むと思うなよ。」

 

 スティレットを抜き、切っ先で相手を狙うクレマンティーヌ。相手は身じろぎもせずクレマンティーヌに話しかける。

 

「エドストレームっていうの。よろしくね。」

 

「聞いてねえ、よっ!」

 

 クレマンティーヌは一足飛びで両者の間3メートルの距離を詰める。肩口を狙った刺突。エドストレームは全く動かない。

 

 動いていないにもかかわらず、そのベルトに吊り下げられた六本の三日月刀が()()()と躍り出て円陣を組んだ。<舞踊(ダンス)>の付与魔法(エンチャント)がなされた武器のようだ。

 

 しかし、そんなもので怯むクレマンティーヌではない。スピードを落とさず突っ込んで行く。エドストレームはクレマンティーヌの動きを目で追う以外の事はしない。

 

 にわかに三日月刀の一本が円陣から外れ、クレマンティーヌを袈裟斬りにしようと動く。

 

「<流水加速>。」

 

 クレマンティーヌのスピードがいきなり追い風を受けたように加速する。三日月刀はクレマンティーヌの後ろでむなしく空をなぞった。

 

 それを見てエドストレームは初めて体を動かした。三日月刀の一本を盾がわりに眼前に構え、後ろに跳んで距離を取ろうとする。そして残りの四本の刀を巧みに操りクレマンティーヌを襲わせる。

 

 一本は怯ませて勢いを削ぐために顔に向けて、一本はガードの難しい足元を、一本は回り込んで左の死角から、一本は大上段に構えて振り下ろす。四種類の同時攻撃、これを完全に防ぐのは不可能。

 

 内に入ればたちまち無惨に斬殺されてしまう剣の結界に対して、クレマンティーヌはこれを正面から対峙する事を避ける。

 

「<不落要塞>、<飛燕跳躍>。」

 

 左から飛んでくる三日月刀をスティレットでそっと受け止める。その三日月刀の勢いも利用しつつ、左足だけの踏み切りで右上空へ大きくジャンプした。

 

 天井ギリギリで身をひねり、壁に()()。続けて水平に三角飛び。プールに飛び込む水泳選手のような美しさ、しなやかで強靭な下肢のなせる技だ。

 

 落下点はエドストレームの背後。これで剣の結界から逃げ(おお)せつつ、相手をスティレットの射程圏に入れた。

 

 半身でガードの間に合っていないエドストレームに、今度こそ肩口を狙う刺突をくりだそうとした。

 

「何っ! ちぃ!」

 

 クレマンティーヌは目の端に三本の三日月刀が飛来するのを見つけて、すぐさまバックステップで距離を取った。ゆっくりと身を起こし、疑問を口にする。

 

「んー、おかしいな。いつの間に増えたのかな?」

 

 クレマンティーヌの疑問は当然。相手の一挙手一投足は全て捉えていたはずなのにいつの間にかエドストレームの操る三日月刀の数が九本になっている。

 

「フフ、さて、いつでしょうか。」

 

 エドストレームは挑戦的な目で笑った。その態度がクレマンティーヌの神経を逆撫でする。

 

「腹立つなあ、そんなチンケなモン何十本あろうが私には関係ないんだよ。久々にじっくり遊びたくなってきた。」

 

 クレマンティーヌの目にギラリと獰猛な光が宿る。

 

 

 ーーー

 

 

「おにーさん、レイピア使いなんだね。」

 

 リカオンとマルムヴィストは互いに剣を構えた状態で向き合っている。普通なら一瞬の隙が命取りになる状況でリカオンは世間話をするようにマルムヴィストに話しかけた。

 

 マルムヴィストは訝しんで返事をしない。リカオンはめげずに話しかけ続ける。

 

「ねー。」

 

 マルムヴィストはリカオンが戦術で話しかけてきている訳ではないことを理解する。まったく闘争心というものが感じられないのだ。

 

「…なんだ。怖気付いたか?」

 

 渋々口を開くマルムヴィスト。

 

「あっ、やっと喋ってくれた! この感じ、ぞくぞくするね。決闘(デュエル)の空気ってヤツ。」

 

 ふふんと鼻を鳴らすリカオン。顔はにこにこだ。

 

 決闘だと。マルムヴィストは心の中で嘲笑する。こんな一欠片の殺気さえ感じられない小娘が、決闘なんてセリフを言うとはな。マルムヴィストはニヒルに口元を歪めて笑った。

 

「俺をそこら辺の剣士と一緒にするなよ。嬢ちゃん。」

 

「私だって、元女子フェンシング『エペ』U20日本代表強化選考選手なんだから。」

 

 突然出てきた意味不明な言葉の羅列にマルムヴィストは目を白黒させた。

 

「………それ、すごいのか?」

 

「すごくすごい!」

 

「…そうか。」

 

 マルムヴィストは苦虫を噛み潰したような顔をした。これ以上こいつのテンションに付き合っているとどうにかなりそうだ。さっさと殺ってしまおう。

 

 マルムヴィストの武器、薔薇の棘(ローズ・ソーン)には恐ろしい効果がある。掠り傷さえ致命傷となるほどの毒である。ただ、今回はそんななまっちょろい殺し方はしない。急所を一突きで終わらせてやる。

 

 マルムヴィストは構えた状態から自分が1番得意な攻撃を放つ。身を少し屈め、右足を軽く踏み込み、腕を伸ばす。左腕は後ろに開いて重心を整える。これらの動作を一斉に、流れるように行う。何千、何万回と繰り返された動き。敵の正中線を狙った攻撃。

 

 いつも通りの会心の一突きであった。

 

 心の臓を寸分違わず貫いたつもりであった。

 

 でもそうはならなかった。リカオンはさっき構えていた位置から半歩左に立っている。マルムヴィストは相手が動いたことも認識出来ていなかった。

 

 まったく見えなかったが、リカオンは持っている剣で防ぐこともせずただ足運びだけでマルムヴィストの攻撃を避けたようだった。

 

「は、あ?」

 

 受け入れがたい現実に思考が停止してしまう。今のはなんだ? いや、理解はできる。見たままのことが起こったのだ。自分の攻撃は避けられてしまった。

 

「馬鹿な! ありえん!」

 

 マルムヴィストは二撃目を放つ。今度は手段を選ばずとにかく体のどこかに剣先を当てようとした。しかしそれも簡単に躱された。剣士としてのプライドが音を立てて崩れていく。

 

「くそ、くそ!」

 

 いよいよ錯乱して狂ったようにレイピアを振り回すマルムヴィスト。それでもリカオンに何故か当たらない。

 

「げ、幻術だな? そうだろう!」

 

 極限状態のマルムヴィストの頭はなんとか納得できる回答を弾き出した。目の前にいる女は実体のない幻に過ぎないのだと。

 

「ちがうよ。」

 

 リカオンはマルムヴィストの右大腿を切りつけた。

 

「うぐっ!?」

 

 攻撃が速すぎる。目で追うことすらできなかった。しかし、右脚の痛みと滴る血が攻撃されたことをありありと物語っていた。

 

「おにーさん、そんな腰の入ってない攻撃じゃダメージ与えられないよ? 当たったとしても傷になるだけで……。あ、そうか。」

 

 ぱちん、と指を鳴らすリカオン。

 

「な、何を…?」

 

「毒系のレイピアだね、それ。」

 

 マルムヴィストは背中に汗が伝うのを感じた。この女はヤバイ。喉がごくりと鳴った。部屋中に聞こえるのではないかというような音で。

 

「何で…わ、分かった?」

 

 自分でも馬鹿だと感じたが、思わず相手に聞いてしまった。

 

「昔、ワールドチャンピオン大会の2回戦で闘った毒使いの暗殺者(アサシン)が同じ攻撃モーションだった。ムカつくヒット&アウェイ戦法特有の重心が後ろに行きっぱなしの攻撃スタイル。」

 

 あなたの3倍ぐらい速かったけど、とリカオンは付け足した。

 

「そうか毒かー。おにーさん、残念だったね。私に毒は効かないんだよねー。」

 

 いたずらっ子っぽく目を細めて笑うリカオン。

 

「でもダイジョーブ! どっちみち、1ポイントもあげないつもりだったもん。」

 

 リカオンの残酷な眼差しに、マルムヴィストは戦意を喪失した。

 

 

 ーーー

 

 

 建物の裏では熾烈な攻防の駆け引きが行われていた。ティアとティナが息のあったコンビネーションでデイバーノックを追い詰めようとしている。

 

「<火球(ファイアーボール)>、<火球(ファイアーボール)>。」

 

 ぴょんぴょんと縦横無尽に地を駆けるティアとティナに、デイバーノックが立て続けに魔法を放つ。直接相手を狙うのではなく回避方向を限定し、機動力を削ぐための制圧射撃。

 

 ティアとティナは相手の意図を知りつつもデイバーノックに吶喊する。2人が縦に並んだ瞬間、デイバーノックは<電撃(ライトニング)>を唱えた。

 

「土遁の術。」

 

 前を走るティアが忍術を発動させると目前の地面が隆起して電撃を受け止めた。後ろを走るティナが土の壁を越え、()()()を持ってデイバーノックに飛びかかる。

 

 だが、横からゼロがインターセプトして()()()を拳で弾いた。さっきから何度も絶妙なタイミングで邪魔が入るのだ。

 

「ちょっと。鬼リーダー、あのハゲちゃんと抑えててよ。」

 

 ティナが口を尖らせてラキュースに文句を言う。

 

「とは言ってもねえ。」

 

 ゼロは強い。戦士としての強さはガガーランに匹敵するのではないかとラキュースは感じていた。それに対人戦、集団戦に物凄く長けている。こちらが数的有利だというのにずっと膠着状態が続いているのだ。

 

 デイバーノックを狙ってもゼロが巧みな位置取りでフォローに入ってくる。やはり全力でゼロから仕留めた方がいいか。

 

 ラキュースが六本の浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)をゼロに向かわせた。ゼロの目がそちらに集中する。しかしこれは囮。こっそりティアが後ろから近付いて急所を狙う。

 

 瞬間、ゼロが初めてスキルを使った。彼の職業(クラス)の一つにシャーマニック・アデプトというものがある。その職業(クラス)は動物を象った刺青の力を引き出し、一時的に身体能力を上昇させる能力を持つ。

 

 ゼロは胸の野牛(バッファロー)を起動させた。ドクン、と心臓が一つ強い鼓動を打ち、血が身体中を駆け巡って行く。抑えきれない熱が、口から白い息となって漏れ出している。

 

「ハァッ!」

 

 ゼロは拳を硬く握り締め、短く吠えた。そして、降りそそぐ浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)()()して、振り向きざまの裏拳(スピニング・バックナックル)をティアの頭めがけて放った。

 

 ゼロが気炎を上げている様子に警戒していたティアはなんとかその攻撃に反応する。すんでのところで上半身を反らせて直撃を免れた。だが、バランスを崩したのでゼロへ攻撃する事は(あた)わなかった。続くゼロの蹴りを辛くも回避して再び距離を取る。

 

「いっつつ。」

 

 ティアは自分の額を触る。拳が掠っただけで皮膚を抉られ、無視できない量の血が流れていた。もしまともに喰らっていたら、生卵を割るのと変わらないぐらいの容易さで頭を砕かれていただろう。

 

「クク、見分けがつくようになって良かったじゃないか。(マーク)ありと(マーク)無し。」

 

 ゼロが額をこつこつと親指で指しながら言った。

 

「腹立つハゲだ。」

 

 ティアはゼロを鋭く睨む。

 

「ティア! 大丈夫!?」

 

 ラキュースの問いかけに、ティアは手で小さく丸を作って返事をする。

 

 5人は互いに相手の様子を伺い、また膠着状態に入った。数瞬の後、今度先に動いたのは六腕側だった。

 

「デイバーノック。自分の面倒は自分でみな。」

 

「分かった、第三位階死者召喚(サモン・アンデッド・3rd)。」

 

 デイバーノックの前に体長2.5メートルはあろうかという大男が現れる。同時に鼻をつくような屍臭が辺りに立ち込めた。

 

血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)…。特殊効果は持たないけど、耐久力の高い動死体(ゾンビ)ね。」

 

 純粋な(タンク)役の出現。六腕側はこちらの手を見切って、勝負を仕掛けにきたのだろう。

 

「ハァアア!」

 

 ゼロが再び刺青の力を起動した。足の(パンサー)、腕の(ライノセラス)の力が引き出され、筋肉が目に見えて膨張した。筋肉に圧迫された骨がミシミシと音を立てる。

 

 ゼロが駆け出してラキュースに真っ直ぐ突っ込んできた。右腕を腰の横に据えて、正拳突きの構えを見せている。また、デイバーノックが盾の後ろから<火球(ファイアーボール)>を撃ってきているのが見える。1番のろいラキュースをさっさと仕留めてしまおうという算段か。

 

 ラキュースはティナの目を覗き込むように視線を合わせた。そしてくいっ、と鼻先でゼロを指し示す。ティナはそれでラキュースの指示を察したようだった。

 

「ひどい、鬼リーダー。」

 

「ごめんね! <鎧強化(リーンフォース・アーマー)>!」

 

 ラキュースはティナに強化(バフ)をかける。

 

「ティア!」

 

「あいあいさー。大瀑布の術!」

 

 ティアが術を発動させると何もない場所からティアの身体をすっぽりと覆ってしまう程の水柱が巻き起こった。水柱とデイバーノックの撃った<火球(ファイアーボール)>は干渉しあうと、ジュッという音を出して大量の蒸気を撒き散らした。一瞬にして視界が白で満たされる。

 

 白の煙幕から一番初めに飛び出したのはラキュースだ。ラキュースはデイバーノックに向けて全速力で走っている。

 

「逃すか!」

 

 ゼロがラキュースに追い縋ろうとする。そこをティナが横から飛び出してブロックしてきたが、ゼロは構わず拳を突き出した。

 

「小娘! お前の細腕で俺の拳が受けられるか!」

 

「私もそう思う。不動金剛盾の術!」

 

 ティナの目の前に七色に輝く巨大な六角形の盾が出現する。それでゼロの正拳突きを真正面から受け止めた。せめてもの抵抗としてインパクトの瞬間に盾を斜めに、力を逃す方向へ傾ける。

 

 ズガン、というまるで爆弾が炸裂したかのような音がした。衝撃でティナが空中に放り出される。盾は粉々に砕け散ってしまっていた。

 

 ゼロのパンチは物理攻撃に強い不動金剛盾に、<鎧強化(リーンフォース・アーマー)>の強化(バフ)の上からでも確実にダメージを与えてきた。生身の人間が受けたらミンチはおろか、血煙となってしまっていただろう。

 

「おりゃああ!」

 

 ティナの挺身でフリーになったラキュースがデイバーノックに向かって雄叫びを上げながらひた走る。

 

「愚かな。」

 

 デイバーノックも黙って見ているわけではない。ラキュースに<火球(ファイアーボール)>を浴びせかける。

 

「1発ぐらいは耐えられるって、さっき喰らった時に分かってるのよ!」

 

 ラキュースは左手を前に翳して、火の玉を受け止める。激痛と蛋白質の焼ける匂いがした。それでもラキュースは止まらない。

 

「行け! 血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)! あいつを止めろ!」

 

 ラキュースの鬼気迫る勢いにデイバーノックは怖気付き、消極的な方法を取る。ラキュースは浮遊する剣群(フローティング・ソーズ)を飛ばし、血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)の脚を地面に縫い付けた。血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)はつんのめって手を地面につく。

 

「<魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)>!」

 

 ラキュースが走りながら魔法を唱える。デイバーノックは射線に被っている自分の盾(ブラッドミート・ハルク)ごとラキュースに<電撃(ライトニング)>を放つかどうか迷い、機先を制されてしまう。

 

「<中傷治癒(ミドル・キュアウーンズ)>!」

 

 ラキュースは治癒魔法を唱える。範囲は自分、血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)、デイバーノックだ。

 

「オォオオォ!」

 

 血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)が苦しみの呻き声をあげる。アンデッドにとって治癒魔法は攻撃魔法と同義。それはデイバーノックにとってもそうだ。アンデッドなので痛みはそれほど感じないが、身体機能に影響が出ている。デイバーノックは足をもたつかせた。

 

「いっくぞぉおおおお!」

 

 ラキュースが右手と治癒したての左手でキリネイラムをむんずと握り締めデイバーノックに迫る。デイバーノックはよろめきながら、なんとか縫いとめられて動けない自分の盾の後ろに潜り込んだ。せめて体制を立て直す時間ぐらいは稼がなくては。

 しかし—

 

「超技!突式ィ!暗黒刃超弩級衝撃波(ダークブレードメガインパクト)ォオ!!」

 

 ラキュースは走ってきた勢いのまま、キリネイラムを血肉の大男(ブラッドミート・ハルク)の胴体に突き立てる。キリネイラムの刀身がにわかに膨れ上がったと思うと、鋒から魔力の奔流が溢れ出し、漆黒の爆発が二体のアンデッドを串刺しにしてバラバラに引き裂いた。

 

 ラキュースが残っていた魔力をありったけ込めて出した大技だ。威力は十分。

 

 土煙の中、ラキュースはひとりごつ。

 

「偽りの命よ、再び眠りにつきなさい。」

 

 デイバーノックは消滅した。

 

 

「まさか、デイバーノックがやられるとはな。」

 

 ゼロが言葉とは裏腹にさして驚いた風でもなく言った。

 

「どう? これで3対1よ。諦めて降参する気になった?」

 

 ラキュースが得意になってゼロに聞く。

 

「ハハハ、冗談だろう。お前は魔力が尽きてる。(マーク)無しはさっきの俺のパンチで両腕がイってる。(マーク)有りも手負いだ。俺一人でも全員殺せる。」

 

 ゼロの言っていることは強がりではなく冷静に判断されたものだ。蒼の薔薇はダメージを受け過ぎている。ラキュースの魔力が尽きてティアとティナの回復が難しい以上、継戦は危うい。

 

 どうするか。簡単に逃してくれる相手でもない。

 

「お前からだ。貴族の嬢ちゃん。」

 

 ゼロが先程と同じく右腕を腰に据えて正拳突きの構えを見せる。ラキュースは歯を食いしばって、キリネイラムを正眼に構える。

 

 

 

「そこまでだ。」

 

 空中から声がした。見ると赤い外套を着た仮面の魔法詠唱者(マジックキャスター)が宙に浮いている。

 

「イビルアイ! どうして? ガガーラン達は?」

 

 イビルアイはゼロとラキュースの間に降り立つと、ラキュースに背を向けたまま答える。

 

「逃げるやつらは全員始末した。戻ってきたらこっちの方が苦戦してたからな、飛んで来たというわけだ。お前達は休んでろ、こいつは私一人で相手してやる。」

 

 イビルアイの言葉にゼロが片眉を上げる。

 

魔法詠唱者(マジックキャスター)が前衛も無しに一人で俺と闘うだと?」

 

 自尊心が前面に出たゼロの物言い。それを聞いたイビルアイはフッ、と短く笑った。ゼロが嫌悪感を顕にする。

 

「何がおかしい。」

 

 ゼロの問いにイビルアイは一層笑い声を高くした。

 

「お前では闘いにならんよ。来い、遊んでやる。」

 

 

 

 




説明しよう!
突式暗黒刃超弩級衝撃波とは!
通常の暗黒刃超弩級衝撃波の爆発に指向性を持たせ、攻撃範囲を突方向に限定する事で威力を集中させる奥義である!
攻撃が縦に長く伸びるので<電撃>と同じ要領で使えるぞ!
無属性攻撃だ!


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第16話 悪には悪の友情(カマラデリー)

アニメ見るまでずっと六腕(ろくわん)だと思ってました。


※3/5、イビルアイVSゼロが少し気に入らなかったので加筆しました。


 マルムヴィストは初めて遭遇する種類の恐怖に戦慄していた。

 

 今まで、この世の人間の中で一番強いのは自分たちのリーダーだと思っていた。鋼の肉体を持ち、いつでも冷静沈着、一度闘いになれば鬼神のごとき力で相手を圧倒する。

 

 魔法などを除いて、彼と生身で戦って勝てる人間はいないだろうと、尊敬と畏怖の念を彼に抱いていた。

 

 だが、今俺の前にいる奴はなんだ?

 

 こいつは俺をいとも簡単に殺すことができる。ネズミで狩りの練習をする猫のような無邪気さと残酷さで。現にマルムヴィストが受けた傷はとうに20を超えているが、全て手加減されている。奴がを俺を殺すチャンスはゆうにその10倍はあったはずだ。

 

 ゼロの強さを数値や経験則に基づく相対的な強さとするならば、目の前の奴の強さは抗うことすら許されない、理不尽で絶対的な強さ。奴にとって俺は遊ぶためのおもちゃなのだ。ダーツの的であったり、絵を描く画板であったり、()()()()()のやられ役という記号でしかないのだ。

 

「ば、化け物…!」

 

 マルムヴィストは後退りする。そして思い出したように階段の影にいる仲間の名前を呼ぶ。

 

「サキュロント! 来い! 俺を援護しろ!」

 

 援護しろ、とは言ったものの目の前の化け物とまともに戦う気は無い。自分が逃げるための時間稼ぎをさせようと淡い期待で呼んだのだ。だがその期待も容易く打ち砕かれる。

 

「それってこいつのこと?」

 

 返事をするように背後から声がしたかと思うと、自分の足下に何かが投げ込まれたのを感じた。いびつな球形のようでゴロゴロと転がり、足に当たって止まった。

 

「ひゅっ…!」

 

 息が止まるかと思った。

 

 それはサキュロントの頭部だった。顔の皮の左半分は剥がされ、右目はくり抜かれている。明らかに戦闘痕ではなく、苦痛の中で死んでいったことが伺われた。かつて目のあった暗い空間が、無念さをこちらに訴えかけてくる。

 

「クレア! そっちは終わった? そいつ、どうしたの?」

 

「私の戦いの邪魔をしてきたから、女共々殺してやった。こいつのカスみたいな幻術で2分も余計に掛かったから、女の2倍楽しんじゃった。おかげでスッキリしたよー。」

 

 拷問(趣味)の時間を満喫し、恍惚の顔をするクレマンティーヌ。ぺろりと舌で唇を濡らす。

 

「前から言おうと思ってたけど、クレアって趣味悪いよね。」

 

「久し振りにとても満足した。」

 

 クレマンティーヌはにししと子供のように笑いながら、ふと、今のリカオンの言葉を自分の中で反芻する。以前ならば、趣味悪いよね、なんてことを言われた日にはそいつを切り刻んでやりたくなるぐらいムカついていたはずだ。

 

 今は不思議とそんな気は起きない。むしろ親しみと心地良さを感じた。私が変わったのか、それとも言った相手がこいつだからか。

 

 クレマンティーヌはなんだか自分が自分じゃない気がしてむず痒くなった。でも悪い気は、しない。

 

「ふふ。」

 

「ししし。」

 

 仲良く笑い合う2人。マルムヴィストはその光景にえも言われぬおぞましさを感じた。

 

「おかしいぞ、お前ら…。狂ってる…。」

 

 嬌声がぴたりと止んだ。

 

「ああ、おにーさん。まだいたんだ。」

 

 

 ーーー

 

 

 イビルアイは空中に静止したまま地上を睥睨している。視線の先にはゼロが拳をつくり、修羅の如き形相でファイティングポーズをとっている。

 

「どうした。でかい口を叩いた割には逃げ腰か? 降りてこい。」

 

 ゼロの見え透いた挑発。普通、修験者(モンク)相手であれば高低差という圧倒的優位を維持したまま戦うのがセオリーだ。それを崩すのが狙いである。

 

「いいだろう。」

 

 しかし、イビルアイはあえて地上に降り立った。今から戦ってやるぞ、という決意の表明みたいなものだ。空中に留まったまま戦えば封殺する事も可能だったが、相手が苦し紛れにラキュース達を狙う可能性もある。

 

「殊勝なことだな。そんなに仲間が心配か?」

 

修験者(モンク)ならべらべら喋ってないで拳で語ってみたらどうだ? つべこべ言わずに来い。」

 

「フン、可愛くないガキだ。」

 

 ゼロは足の(パンサー)を起動した。太腿から脹脛にかけて筋肉が膨れ上がる。そして強大な2本の足のバネを利用し、一気にイビルアイとの距離を詰める。再び宙に浮かれては対処手段もないことはないが、かなり厄介だ。ゼロは短期決戦を挑む。

 

 一歩、二歩とまるで月面を跳ねるような歩幅で地面を蹴るゼロ。イビルアイまで後5メートルとしたその時。

 

「<魔法抵抗力突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)水晶針釘(クリスタル・スティング)>。」

 

 イビルアイが魔法を唱えるとゼロの足下から長さ20センチ程の細長い紡錘形をした水晶が上に向かって無数に発射された。その半数は掠め、突き刺ささり、ゼロの減速を強いる。ゼロは痛みに少しだけ顔を歪ませた。

 

「ほう、なかなか鍛えられたアイアン・スキンだ。しかしこれで機動力は奪った。<水晶騎士槍(クリスタル・ランス)>。」

 

 イビルアイの目の前で巨大な槍が生成された。冷たく、透き通った歪みのない透明さが、槍の鋭さをいやというほど感じさせる。それがゼロを射抜かんと撃ち出された。

 

「ぐうっ! 舐めるな!」

 

 ゼロは背中の(ファルコン)、腕の(ライノセラス)、胸の野牛(バッファロー)を起動する。そして地面に両腕をついた、いや突き刺したというのが正しいか。

 

「むん!」

 

 ゼロは力を込め、腕の力だけでボウガンのように身体を飛ばす。空中で頭の獅子(ライオン)も起動した。スキルの使用回数はもう殆ど残っていないが、この魔法詠唱者(マジックキャスター)はここで確実に仕留めておきたい。

 

「かあぁぁあぁ!!」

 

 スキルの同時発動によって身体が悲鳴をあげる。迸るパワーをやっとの思いで抑え込み、ゼロは自身の最高の技を相手に叩き込もうとする。

 

 それはただの正拳突き。スキルや武技、能力をフル活用した単純明快なワンモーションの暴力行為、小細工無しの圧倒的な力による破壊である。空中で足の踏ん張りが利かず、かなり不恰好な形になったが、それでも相手が軟弱な魔法詠唱者(マジックキャスター)であればひとたまりもないだろう。

 

 ゼロは飛来した水晶の槍を左腕で受け止める。槍は能力によって強化された筋肉に阻まれ、少し刃先が沈んだだけで止まった。

 

「<重力増加(アクセラレート・グラビティ)>!」

 

 イビルアイは続けざまに魔法を唱える。その刹那、ゼロは見えない腕に上から押さえつけられるような感覚に襲われた。たまらず着地、足がずぶりと地面にめり込む。

 

「この程度で!この俺が止まるわけないだろう!」

 

 それでも、ゼロの進みは未だ力強さを失わない。あらゆる障壁を突破する、まさに人間戦車という言葉が相応しい歩み。ゼロの拳がイビルアイの直前に迫る。

 

 一瞬ゼロは時間が引き伸ばされた感覚に陥った。ゼロはその原理を知る由もないのだが、アドレナリンが全身に大量に分泌されることによる脅迫めいた一時的な全知感。

 

 全てがスローモーションになる。

 

 拳が、迫る。拳が、届く、届く。

 

「…!」

 

 やけに遅く動く景色の中で、ゼロは仮面で表情が見えないはずの相手が笑ったのを知覚した。突然、引き伸ばされた時間が圧縮され、普段の感覚が戻ってくる。

 

 ぐらりと世界が傾く。拳は左に舵をきり、相手を捉えることはなかった。自分の体が地に伏せ、流れ出た血に浸っているのを感じる。遅れて背に痛みが走った。そこで初めて攻撃されたのだと気がついた。

 

「何をした…、死角から…?」

 

 ゼロの背中には<水晶針釘(クリスタル・スティング)>が大量に突き刺さっていた。先ほど地面から上に撃ち出された残り半数の針が放物線を描いて落下し、再びゼロに襲いかかったのだった。

 

 イビルアイは横たわるゼロの傍らで腰を折り、耳元で囁く。

 

「<重力増加(アクセラレート・グラビティ)>で威力を上げたんだよ。それと、<水晶騎士槍(クリスタル・ランス)>は上への注意を逸らすためのものさ。その証拠に<魔法抵抗力突破最強化(ペネトレートマキシマイズマジック)>は使っていなかったろう? まぁ、戦いの年季が違うのだ。小僧。」

 

 ゼロはそこで意識を手放した。

 

 

 ーーー

 

 

「シィ!」

 

 ペシュリアンが腕を振るうと、まるで空間が裂けたようにキラリと閃光が放たれ、一拍遅れてテーブルが斜めに切断された。いまや床や壁には縦横無尽に切断跡が走っている

 

「こいつはなかなか厄介だぜ。」

 

 ガガーランはすげなく悪態をついた。さっきから防戦一方だ。切断されたテーブルの破片をペシュリアンに向かって蹴り飛ばすが、相手はそれも難なく撃墜する。

 

 ペシュリアンの愛用する武器、ウルミは柔軟に形を変える金属で出来た剣だ。それは剣でありながら鞭のようにしなり、半径3メートルの物体を根こそぎなぎ倒すことができる。薄く平たい刀身はそれだけで視認が難しい。

 

 恐るべきはその圧倒的リーチと攻撃速度だ。対処法を持たない者ならば為す術なく斬り捨てられて終わりだろう。ガガーランの動体視力と鎧の防御力があってこそ、この猛攻をなんとか凌げている。

 

 ガガーランは反撃の糸口を探る。一方、ペシュリアンも決定打の無い事に焦りを感じていた。ガガーランの持つ刺突戦鎚(ウォーピック)は一撃で戦況を覆しかねない威力を誇る。間違っても攻撃されないよう、常に障害物を盾にしつつ戦ってきたが、徐々に追い詰められてきている。

 

「ふう。」

 

 ガガーランは頭の中で想像(シミュレーション)する。ペシュリアンの攻撃を2回連続で躱すことが出来れば、その隙に懐に潜り込み、一撃を叩き込むことができるだろう。

 

 それは相手も心得たもので、大振りな攻撃の後にはフォローとして広範囲をカバーする横薙ぎを入れてくる。軌道が読める分ガードはしやすいが一向に近付くことが出来ない。

 

「相性が悪い気がするぜ。無理やり突破するか?」

 

 言うが早いか、ガガーランは武技<剛撃>を発動した。そして、刺突戦鎚(ウォーピック)を大きく振りかぶって、地面を掬い上げるようにぶん回した。床材が大小の破片となってペシュリアンに向って行く。

 

 ペシュリアンは動かずに武技<要塞>を発動した。ガガーランの行動がただの目くらましに過ぎないと看破したのだ。下手に動けば隙をつかれて相手に攻撃のチャンスを与えてしまう。ここはあくまでガガーランだけに注視し、保険に防御武技を発動しておくだけにする。

 

 ペシュリアンが思った通り、ガガーランが破片に紛れて接近してくる。刺突戦鎚(ウォーピック)を頭上高く上げ、叩き付けてくるつもりらしい。

 

 ペシュリアンはその隙だらけの胴を狙う。それを待っていたかのようにガガーランがにやりと笑う。

 

「武技! <流水加速>!」

 

 ガガーランの武器を振り下ろす速度が増す。

 

「その程度の浅知恵か。<加速>!<即応反射>!」

 

 横薙ぎをしようとしていたペシュリアンの体勢がにわかに引き戻され、再度攻撃の準備に入った。身を引きながら、ガガーランの手元に向けて一閃。

 

「ちぃっ!」

 

 ガガーランは筋力で無理やり刺突戦鎚(ウォーピック)を引き戻し、その柄で攻撃をガードする。再び距離をとる両者。

 

「見た目に似合わず繊細な攻撃をする奴だぜ。」

 

「…お前は見たまんま無茶苦茶だ。」

 

 お互い、相手への感想を述べると、そこからは沈黙の睨み合いに入った。

 

(良い感じだぜ。)

 

 命のやり取りをしているというのに驚くほど心は静かだ。戦士同士、力と技のぶつかり合い。たまらない。すこぶる気分がいい。

 

 ガガーランは戦いの空気に没入し、心を躍らせている。これほどの好敵手は久し振りだ。血が滾る、最高だ。

 

 

 あれさえなければ。

 

 

「ガガーラン、頑張れー!」

 

「黒鎧ー! 根性見せろー!」

 

 ガガーランは声のする方向をチラリと見た。そこにはいつの間にかギャラリーがいる。リカオンとクレマンティーヌだ。やたら気合が入った黄色い歓声を上げている。

 

 あいつら何してるんだ?普通、助太刀とか……、いや、いいんだけどさ。なんでクレマンティーヌは敵を応援してるんだ?あっ、さてはあの感じ、どっちが勝つかで賭けをしてるな。クレマンティーヌは後でとっちめっちゃる。

 

 同時にペシュリアンも困惑していた。何故あいつらがここにいるんだ。他の奴らはやられてしまったのか。今のところ戦闘に加わる気はないらしいが、目の前の男女を倒しても2体1では勝ち目が無い。かといって逃してもくれないだろう。ここはゼロが来るまで耐えるしか…。

 

「水を差されちまったが気を取り直していこうぜ。」

 

 ガガーランが再度<剛撃>を発動して、刺突戦鎚(ウォーピック)を大きく振りかぶった。重鎧がガチャリと重厚な音を立てる。

 

「また目くらましか、何度も同じ手を食うか。」

 

 ペシュリアンは床の状態を確認し、武技<要塞>を発動させてガガーランの突進に備える。

 

 それを見たガガーランは刺突戦鎚(ウォーピック)を大きく弧を描かせながら、力の限りぶん()()()

 

 刺突戦鎚(ウォーピック)は重く鋭い風切り音を上げて、ペシュリアンに迫る。

 

「なっ!?」

 

 予想外の攻撃に、ペシュリアンは咄嗟にウルミで防ごうとした。だが鞭のようにしなるウルミでは刺突戦鎚(ウォーピック)の質量を抑えることは出来ず、あえなく弾かれてしまう。

 

「そ、<即応反射>!」

 

 ペシュリアンは慌てて体勢を立て直そうとしたが、視界にぬっと黒い影がさす。ガガーランが目の前まで迫ってきていたのだ。ガガーランは逞しい両腕で、ペシュリアンの両肩をがしりと掴む。

 

「よう。俺の頭は刺突戦鎚(ウォーピック)より痛いぜ。」

 

 ガガーランの巨体が後ろに反り返る。ペシュリアンはこれから起こることを想像して、必死に抜け出そうとするが、単純な腕の力ではガガーランに及ばない。

 

 ガガーランは複数の攻撃武技を発動する。そして全体重をかけ、高いところから振り下ろす──バーバリーシープがやるような──頭突きをかました。

 

 ガガーランのサークレットとペシュリアンのヘルムが衝突し、耳を(つんざ)く打撃音が辺りに響き渡る。

 

 ガガーランが手を離すと、ペシュリアンは2、3歩たたらを踏んだ後、重力に逆らわずそのまま後ろに倒れた。僅かにピクピクと痙攣している。ヘルムは無残にひしゃげてしまっていた。

 

「もうその頭のやつは脱げねえかも知れないな。」

 

 ガガーランは静かに勝利宣言をした。

 

「キャー! ガガーラン、素敵!」

 

「あーあ、面白くないの。」

 

「うるせえぞ、そこ。」

 

 かくして、蒼の薔薇と六腕の対決は決着した。

 

 

 ーーー

 

 

 時間は少し進み、ここは王都。

 

 お昼時の高級宿泊施設街の一角、宮廷魔導師アインズ・ウール・ゴウンの部屋である。

 

 アインズは仮宿の中、1人で今後の事について考えていた。国王及び第一王子に謁見する事は、カルネ村での功績も働いて、意外とすんなりいった。そして第一王子に一応、辺境の魔術師アインズ・ウール・ゴウンの後ろ盾になってもらっているという形になっている。

 

 懸念材料として挙げられるのは、貴族の鼻につく態度にNPC達がかなり反発し、抑えるのに難儀したことか。特にいつも冷静なデミウルゴスまで興奮していた所を見ても、NPC達の中で、ギルドメンバーの至高の存在としての立ち位置は決して侵されてはならない領域に属するものなのだろう。

 

 そうした中で一番理解を示したのは、予想外にも、いつも暴走しがちなアルベドだった。彼女が他のNPCを諌めてくれなければいきなり王国と全面戦争に発展しかねない空気だったので、心の中でどれだけアルベドに感謝したことか。

 

 まあ、その後、「私だけはあなたの事分かってますよ。」視線が露骨に向けられてたのは別の意味でちょっと怖かった。

 

「はあー、やっぱり俺が作戦立案するの控えたほうがいいのかな〜。」

 

 アインズが自主的に動くと全部裏目に出ている気がする。エ・ランテル前で正体がバレたり、森で法国の特殊部隊と知らずにことを構えたり、今回はNPC達の猛反発だ。

 

 なんかリスク管理も俺が頭捻って考えるより、アルベドやデミウルゴスに丸投げしてもいい気がしてきた。でもなー、まだ他のプレイヤーがいる可能性を考えると、慎重になるべきなんだよな。

 

 1人リカオンとかいうそれっぽいのがいるからなー。他にもいるだろ。

 

 リカオンに関しては今までの行動を追ってみても、直ちにナザリックに害を及ぼす存在でないことが伺えた。危険な事には変わりないが、対処の優先順位は後回し。それよか派手に動き回ってもらって他のプレイヤーが釣れたら御の字だ。

 

 何が一番問題かというと、これからのバルブロ第一王子との付き合い方だろう。つまりアンダーカバーとしてどういった立ち位置を模索していくかだ。ひとつ言っておくと、軽く見られるのはアインズ自身ムカつくが、実はリアル世界で経験したことを思うと大した事は無い。

 

 その上、アインズとしては一種の腑に落ちた感覚さえあった。いつも無理して取り繕って、NPC達の前で支配者の体裁を保っているよりかは楽だった。やはり人はその人にあった待遇というものがあって、過分に不相応な扱いは精神の安寧にとてもよくない。王子が不遜な態度をとるのもアインズ的には別におかしいとは思わなかった。

 

 ただ、NPC達は我慢ならないようだ。下手に出過ぎるとNPC達がいつ爆発するかわからないのが心配である。

 

 もう一つ懸念材料は、王国を脅かすモンスター、モモンがあんまり知名度が上がってない事だ。

 

 王国内の地位向上を図るため、モモンを活用しようと思っていたのに、とんだ誤算だ。普通、領内でやばいモンスターが暴れてたらすぐ情報集めて対策打つだろ。この国の施政者はそんなにアホなのか。

 

 モモンについてはラナーが秘密裏に情報統制をしているのだが、そういった事情をつゆ知らず、アインズは毒づく。

 

 そんなことを考えていると、<伝言(メッセージ)>の接続があった。送り主はエ・ランテルにいるセバスだ。定時連絡の時間はまだ先なのに、どうしたのだろうか。

 

「私だ。どうした?」

 

『お忙しいところ失礼します。早急に御耳に入れておきたいことがありまして。』

 

「聞こう。」

 

 セバスは明朗な声で、エ・ランテル近郊に昨日出没した巨大樹について話し始めた。出現した地点から目立った動きはなく、未だ被害は出ていないが、大きさが大きさなだけに都市はてんやわんやの大騒ぎらしい。

 

 近く王都の冒険者にも依頼が出されるそうだ。

 

 ふーん、と思いながら聞いていたアインズだが、頭の中で一つのアイデアがひらめく。

 

「セバス。私はモモンとしてそちらに出向こうと思う。1時間後、お前の店内に<転移門(ゲート)>を開けるようにしておけ。」

 

『かしこまりました。』

 

<伝言(メッセージ)>をそこで終了させる。

 

「ふう。」

 

 モモンの知名度が王都で伸びないのでもう一仕事しよう。巨大樹はモモンによって呼び出されたという体で、欲を言えばそれをアインズ・ウール・ゴウンが解決出来れば最高だ。これがいいカンフル剤になることを期待する。

 

 まずは巨大樹を偵察し、ある程度の強さを把握。次は…、そういえば王都に巨大樹の討伐依頼が来るなら、モモンが出る前に王子からアインズに声がかかるかもしれない。この宿に影武者を置いておかねば。

 

 パンドラズ・アクター…いや、自分で召喚するか。70レベルくらいのグレーター・ドッペルゲンガーでいいや。

 

「よーし。それじゃ準備するぞ。って、俺、最近独り言多くなってない? 大丈夫かな…。あー、うん。あんまり考えないようにしよう。」

 

 アインズはいそいそとダークエルフの双子に連絡を取る。

 

 

 




ここ3話ぐらい全然話進んでなかったので、そろそろギア上げていこうかと思います



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第17話 都市長のおしごと

前回の女剣闘士見参!

蒼の薔薇大・勝・利


一方ナザリックは

セバス「なんか木が生えました」
アインズ「有効利用したろ」



 アゼルリシア山脈の麓に広がるトブの大森林。木々が密生して育つこの森はどこへ行っても同じ景色が広がり、立ち入る者の方向感覚を狂わせる。

 

 だが今は少し様子が違う。この厖大な面積を誇る天然の迷宮のど真ん中に高さ100メートルはあろうかという巨大な木が聳え立っていた。

 

「これはすごいな。似たようなモンスターなら見たことがあるが、ここまで大きいのは初めてだ。」

 

 ミニチュア模型の箱庭の中に実物大のものを投げ込んだみたいで、眺めていると遠近感がおかしくなりそうだ。そういえば昔、似たシチュエーションの童話を読んだ記憶がある。チャックとモミの木だったか。

 

(ていうか思ってたよりヤバイな。倒すのは容易だが、それを馬鹿正直にやったら目立ちすぎる。…良いことを思いついた。)

 

 甲冑姿のアインズ=モモンが巨大樹を見上げながら、共をさせているアウラとマーレ、ソリュシャンに話しかける。

 

「どれくらいあそこにいる?」

 

「存在が発覚してから4時間20分です。」

 

 ソリュシャンが少しの間も開けず答える。自分達も報告したかったアウラやマーレは頰を膨らませるなど、露骨に不機嫌な顔をした。

 

「なぜ移動しない? イビルツリーか何かの亜種なら動き回れるはずだ。」

 

「どうやらあの巨大樹は周囲の養分を吸収しているようです。十分に養分がある間は移動する必要がないのではないでしょうか。」

 

 アインズはソリュシャンの説明にふむふむと相槌を打つ。食い物があるうちはあくせく動く必要はないということか。行動原理は割と生物の本能によるところが大きいのかな。

 

 とはいっても巨大樹もただじっとしているわけではない。今しがた見ている限りでも、本体から伸びる触手が蠕動し、土煙を巻き上げている。触手の長さは300メートル。規模が規模であるので地形を変えてしまうほどの影響がある。その動きはなるほど周りの食糧を掻き集めているようにも見えた。

 

「ほう、興味深いな。ああするために本体の大きさに比べて遥かに長い触手が備わっているのか。…ということは、周りに養分が無くなればいずれ移動し始めるということか。」

 

 それは困るな。少なくとも宮廷魔導師アインズの準備が整わない間にどっかいかれたら計画が破綻する。いや、計画といってもついさっき思いついたやつなんだけど。何か手は、と。

 

「マーレ、あいつの足止めを行え。できるか?」

 

 アインズはマーレに指示を出す。森祭司(ドルイド)の力を使えば、あの巨大樹をコントロールできないかと思ったのだ。直接操ることはできなくても、無限に木を生み出し、供給し続けることでこの場に釘付けにするなど、いくつか方法はありそうだ。

 

「は、はい。え、ど、どうでしょう…。」

 

 マーレは口ごもった。曰く、あのペースで食事をする巨大樹を満足させるには大量の木々が必要で、足止めという目的に対して自然魔法の行使という手段は効率が悪く、MP切れが懸念されるとのこと。

 

 そうして、せめて期限を設けて貰わなければ、可能かどうかは分からないとした。

 

「ちょっとあんた!アインズ様の御勅命にそんな後ろ向きでどうするの!」

 

「でもぉ、お姉ちゃん…。」

 

「ハッキリしなさいよ!あんたはいっつも…。」

 

 踏ん切りがつかない弟を窘める姉。とても微笑ましいと感じたが、このままではマーレが少しかわいそうに思えたのでアインズは助け舟を出す。

 

「まあまあアウラ、そう怒るな。自分の限界を素直に報告するのは悪い事ではない。出来る出来ると豪語しておきながら結局失敗するよりそちらの方が断然良いではないか。よし、ではこうしよう。」

 

 そう言いながらアインズは懐から緑色の指輪を取り出す。全体が翡翠で出来ており、一つの原石から削り出して作られているようだ。

 

「これはMP自然回復(リジェネ)速度上昇を付与するアイテムだ。効果中は使用MP減少も同時に発動する。使い捨てだから耐久値には気をつけるように。」

 

「わぁ、いいんですか?あ、ありがとうございます!」

 

「勿論だとも。私が命じたんだ。必要物資はこちらで用意するさ。」

 

 はにかみながら恭しく両手で指輪を受け取るマーレ。至高の御方に物を下賜される事は望外の喜びである。ほくほく顔のマーレにまたしてもアウラの檄が飛ぶ。今度はアインズも標的だ。

 

「ちょっと!その程度で貴重な消耗品を…!。アインズ様もマーレに甘すぎです!」

 

 図らずも、ねだる子供に父親がおもちゃを買い与え、それを母親に注意されるシチュエーションに良く似た恰好になってしまった。そういえばたっちさんも妻に浪費を叱られたとよく愚痴っていたなあ。アインズはアウラが将来家庭を持って、細かく家計簿をつける様を連想した。

 

「アウラはいいお嫁さんになりそうだな。」

 

「!!!」

 

「えっ、それって…。」

 

 アインズのいきなりの発言にアウラは完全に固まってしまった。いついかなる時もポーカーフェイスを気取れるソリュシャンでさえも鳩が豆鉄砲を食らったような顔になっている。

 

 そうした中、自分の言った言葉の重大さをあまりよく理解していないアインズは続けて指示を出す。

 

「アウラは補佐を、他のモンスターが巨大樹を刺激しないように見張りを頼む。足止めの期間は…今はわからないが、なるべく頻繁に連絡を入れようと思う。」

 

「は、はい!アインズさま!」

 

 アウラは別世界へ飛んでいきそうになる意識を引き戻し、どうにか返事をする。守護者統括殿ではこうはいかないだろう。

 

「どうした?熱でもあるのか?」

 

 耳の先まで真っ赤に染まって、ゆでダコみたいになったアウラをアインズは心配そうに覗き込む。

 

「大丈夫です!私はいつでも大丈夫です!」

 

「そ、そうか?無理はするなよ?」

 

 なんか若干会話が噛み合ってない気もするが、強い口調で断定されたのでこれ以上の追求は控えておこう。ちょっとアレな時のアルベドやシャルティアと同じ様な気迫を感じて怖い。

 

「さて、私は王都に戻るが…。ああ、そうそう、これをやっておかなければな。」

 

 そう言って、アインズはあるマジックアイテムをソリュシャンに投げてよこす。手の平に収まるほどの、黒っぽい箱型の機械だ。

 

 

「良い感じにやってくれ。…この辺か? ハイチーズ。よし、ではさらばだ。」

 

 仕込みを終えたアインズはここでやる事は終えたとばかりに早々に<転移門(ゲート)>で王都に帰って行ってしまった。

 

「お嫁さん…。お嫁さん…。」

 

 残されたのはブツブツと同じ単語を繰り返し呟くアウラとポカンとしたマーレ、それに神妙な顔つきをしたソリュシャンだ。

 

「これはシャルティア様に報告しておいた方がいいかもしれないわね。」

 

 

 ーーー

 

 

 城塞都市エ・ランテル。国境近くの要所であるこの都市に有史以来最大の危機が迫ろうとしている。

 

 この都市の最高責任者パナソレイ都市長は、今が自分の人生で一番忙しい時期だろうなと顧慮していた。毎年行われる帝国との戦争にも頭を悩まされていたものだか、それが可愛く見えてしまうほどの未曾有の事態だ。

 

 2週間前、トブの大森林に巨大な樹のモンスターが現れたのだ。もはや神話の産物としか言いようのないそれが、もしこの都市に襲いかかって来るようなことでもあればと思うと気が気でない。

 

 幸い何故か巨大樹は出現位置から移動していないようだが、今まで森を縄張りにしていたモンスターが巨大樹から逃げ出すように平原に出没するようになった。その中にはナーガやトロールといった凶悪なモンスターも含まれているのだ。

 

 そういったモンスター達は行きがけに人の住む村を見かけると、例外なくそれを襲うのだが、普通の村人に対処する手段は当然なく、這う這うの体で逃げ出すのが精一杯であった。

 

 一週間前あたりから難民が都市に流入しだし、関所がごった返す人の波で一時混乱状態に陥った。状況把握に忙しいというのに、入()手続きに余計に時間を取られ、パナソレイは一昨日から一睡もしていない。

 

「流石に一度休息を入れるか。このままだと痩せてしまう。…それは良いのか。」

 

 パナソレイは柄にもなく1人冗談を言う。そうでもしなきゃやっていられない状況だ。業務量もそうなのだが、対応が全て後手にならざるを得ないことが心労を更に募らせる。

 

 直接の原因の追求として、森の詳細な情報を早急に集めたいところなのだが、場所が場所だけにおいそれと人を送り込めない。頼りのミスリル級冒険者チーム──この都市では最高ランク──も偵察依頼には皆一様に渋い顔をするばかりだ。

 

 この事態にやむなくパナソレイは非常事態宣言を発布し、都市の存続を第一目標とした公権力の執行を可能にした。主な目的は食料、武器、防具等の戦時特需品を万が一の時のために備えることである。

 

 これは都市にとって苦渋の選択である。もちろんパナソレイは際限無く民の財を奪うつもりはない。それどころか一定の上限は明示した形で行うのだ。しかし、一度前例を作ってしまうと、例え平時であっても公権力により財産を接収されるおそれが常に付き纏い、都市に金持ちや商人が寄り付かなくなるのは避けようもない。

 

 ただ、国境の要所であるエ・ランテルを維持する事は即ち、王国領土を直接保全する事。その重要性を鑑み、今後の税収が少なくなるリスクと天秤にかけた結果、宣言に踏み切ったのだった。

 

 パナソレイの予想通り、発布時点での民衆の反応は反抗的なものが多く、特に富裕層は苛烈に抗議した。その時、槍玉にあげられたのは財を接収される事ではなく、むしろ外敵にどう対処していくのかという事だった。

 

 非常事態宣言を出して準備をしたとしても、エ・ランテルの兵士では心許なく、身の安全が確保されない以上、都市を離れると言い出す者が出て来ていた。

 

 冒険者組合でも同様の問題が起こっていて、少なくない冒険者が遠方の依頼──逃げ出す金持ちの護衛など──を受け、都市から脱出を図っている。

 

 ただ同時に冒険者の中には正義感の強い者達もいて、誰の指示を受けるでもなく積極的に都市に近づくモンスターを狩ってくれている。時には都市に向かう難民の一団を保護したり、混乱に乗じて悪事を働こうとする者がいないか街を巡回したりと、大いに都市に貢献してくれている。

 

「石の松明に漆黒の剣だったか。」

 

 パナソレイは活躍のめぼしい冒険者チームの名前を(そら)んじる。前者はいつだったかンフィーレア・バレアレ氏が誘拐された時、リカオン達と奪還に参加した5人組白金級チームだ。後者は今はまだ銀級チームだが将来有望な新進気鋭の4人組である。

 

「この一件が落ち着いたら、彼らには何か褒賞を与えなければな。基本的に行政と冒険者組合は相互不干渉だが、それぐらいは許されるだろう。」

 

 冒険者以外にもありがたい存在はいる。パナソレイ都市長の人望あってか、いくつかの商店から非常事態宣言に基づいた物資の提供が快く行われた。

 

 都市長の協力依頼にいち早く応じてくれたのは老舗の薬屋、リィジー・バレアレの店。そして意外な事に、最近エ・ランテルにやって来たヴラド商会を名乗る宝石商である。

 

 ヴラド商会に関して、さらに驚いたのは高価なマジックアイテムの類を無償で貸し出してくれると言うのだ。

 

 多くは戦闘に関する付与魔法(エンチャント)が施されたもので、ざっと冒険者10チーム分ぐらいある。

 

 数もさることながら、効果のほどもお墨付きで、魔術師組合長テオ・ラケシルに鑑定してもらったところ、どれもこれも最上級のマジックアイテムであることが判明した。都市を守る冒険者に是非貸与したいところだ。

 

 ここで一つ問題が。そんな高価なマジックアイテムを貸し出すとのことであったが、もし紛失や持ち逃げがあったとき都市長ではとても責任を取りきれないのだ。

 

 自分の首だけでことが済めば良いのだが…と言うパナソレイにヴラド商会は「どのマジックアイテムについても探知することが出来る。そのような心配はない。破損させた場合も故意でなければ法外な請求はしない。」と回答した。

 

 破格の条件にパナソレイは一瞬訝しんだが、背に腹は変えられない。ヴラド商会の態度は特に悪意を感じられなかったので申し出を受ける事にした。

 

 今思えば、マジックアイテムの効果より、対象を探知できることの方がもの凄い事のように感じる。一体あの見目麗しい謎の集団は何者なのか。

 

「なんにせよ、ありがたい事だ…。」

 

 パナソレイはそうひとりごつと2日ぶりの微睡みに身を委ねた。

 

 

 ーーー

 

 

「都市長!」

 

 2時間の休息を取って、再度仕事に取り掛かろうとしたパナソレイの耳に飛び込んで来たのは、アインザックの焦った声であった。

 

「どうしたのかね、都市の側にトロールでも出たかね。」

 

「冗談を言っている場合ですか。王都から巨大樹に対抗すべく援軍が来ましたぞ。至急責任者とお会い下さい。」

 

 その報告にパナソレイは顔をほころばせた。今は猫の手も借りたい状況なのだ、人員が増えるのは嬉しい。

 

「蒼薔薇か。ダメ元で出した依頼がこんなに早く実を結ぶとは。」

 

 アインザックは渋い顔をする。

 

「いえ、援軍は王都軍です。それも第一王子直轄隊が。」

 

「は、まさか、嘘だろう?」

 

 普段王族や貴族は派閥争いに躍起になっている。誰かが私有兵を動かせば、やれ他人の領土を狙っているだの、何処かの資源を独り占めしようとしているだの、互いに牽制しあっていて、頼み込んでも来ないのに。どういう風の吹き回しか。

 

「本当です。それに、ガゼフ戦士長もおいでになられていますよ。」

 

「ストロノーフ殿が! それは心強い。」

 

「相手方は早急に対策会議をしたいと申し出ております。組合の会議室に控えてもらっていますが、こちらに呼びますか?」

 

「私が行こう。ここは散らかりすぎている。」

 

 パナソレイは早速準備に取り掛る。書類の山に埋もれている部下に一つ二つ指示を出すと、自分のしていた仕事を全て任せ、即座に館を後にした。すまんな、今月の私の給料の1割あげるから。

 

「リィジー・バレアレ殿とセバス・チャン殿も物資提供の件で組合に来ています。」

 

「そうか、どうせなら同席してもらおう。これから密に連携をしていかねばならん。それに、商人であれば顔を売っておくいい機会になるだろう。少しでも恩に報いねば。」

 

 パナソレイの館から冒険者組合までは歩いて10分ほどだ。

 

 パナソレイは冒険者組合の扉をくぐる。室内はいつもより活気が少ない気がした。その大きな理由は掲示板(クエストボード)の前にたむろしている低ランク冒険者が軒並みいなくなっているからだと思われた。

 

 今組合が斡旋する依頼は大抵が巨大樹関連のものだ。低ランク冒険者では少々荷が勝ちすぎる。よって、彼らのほとんどは職がない状況なのだ。これを放置するのはマズイだろう。非常事態宣言によって貧困層が増えたとあっては、ただでさえない行政の信用が地に堕ちてしまう。

 

 それに、彼らは金がないので都市から出ていったりはしない。そうした者が金欲しさにワーカーになったり、ひいては犯罪に手を染めることになれば都市の治安にも影響が出る。

 

 簡単な公共事業でも紹介するか。土木業者に仕事を依頼して、人足を冒険者から集めるようにすれば角も立つまい。

 

 そんなことを考えてる間も、受付嬢の案内に従って階段を登り、人を待たせている応接室に向かって行く。受付嬢は二階の廊下の突き当たりで止まり、右の扉をノックした。

 

「レッテンマイア様が御到着なされました。」

 

 部屋の中に声をかける受付嬢。どうぞ、と返事を受け、扉を開きパナソレイを部屋に招き入れた。

 

 応接室には見知った顔、ラケシル魔術組合長にガゼフ王国戦士長がいた。その他に上等な黒いローブを纏ういかにも怪しげな魔術師然とした仮面の人物がいた。その体格からして男だろう。

 

「おくれてもうしわけない。としちょうのぱなそれい・ぐるーぜ・でい・れってんまいあです。このたびはおあつまりいただき、かんしゃもうしあげる。」

 

 社交辞令から入るパナソレイ。見知らぬ人間がいるので外面(いつもの感じ)で話す。仮面の男を伺うが、これといったリアクションは無く、感情の機微は捉えられなかった。

 

(ふむ。彼が王子の兵の責任者か。見たところ魔法詠唱者(マジック・キャスター)のようだが、王国では魔法詠唱者(マジック・キャスター)の地位は高くない。ぽっと出の人物でコネがあるようには思えんから、余程の実績があるのだろうか。)

 

「お初にお目にかかる都市長殿。私はアインズ・ウール・ゴウンと申します。バルブロ王子の命で巨大樹の打倒のために参りました。大変失礼なこととは存じていますが、この仮面は並々ならぬ事情がある故外せませぬ。何卒ご容赦願いたい。」

 

 パナソレイは少しだけ目を見張って、アインズと名乗った男の仮面をまじまじと見つめる。その様子で怪しまれていると感じたのか、ガゼフが横からフォローを入れる。

 

「この御仁の人格と実力は私が保障しよう。この仮面はゴウン殿の使われる魔法の都合により常にかぶっておらねばならぬのだ。」

 

「すとろのーふどのがそこまでいうなら、わたしからもなにもいうまい。」

 

「ありがとうございます。」

 

 アインズとガゼフは揃って頭を下げる。そうして挨拶を終えると、アインザックが会議の進行役を買って出た。

 

「では状況の説明に入りたいが、その前に物資面で協力してくれる方々も呼びましょう。よろしいですかな。」

 

 全員の同意が得られると、隣室からリィジー・バレアレとセバスを呼び出した。リィジーは仮面の怪しい男を見て眉根を寄せたが、落ち着いた様子で席に着いた。セバスは畏れ多いと立ったままで会議に参加すると言い、座ることを丁寧に、されど固く断ったので本人の希望通りにさせる事にした。

 

「さて、我々はエ・ランテルの危機に集まったのだが、最終目標は当然巨大樹をなんとかする事だ。だが、直近の目標は森から出て来たモンスターの討伐だ。」

 

 アインザックがテキパキと会議を進め、次のことが示された。

 

 一つ、都市の周辺に出没する可能性のある危険なモンスターはトロールをリーダーとするオークやゴブリンの集団、これによる被害が一番大きい。それにナーガや森の賢王と呼ばれる魔物が確認されている。

 

 二つ、難民の流入は落ち着きを見せたものの、都市の許容できる人口を超えつつある。エ・ランテルの貿易は停滞しているので、今のような状態が続けば物資がやがて枯渇する。

 

 三つ、巨大樹に対抗する術を今のところ見いだせていない。

 

「ぶっしはもって1かげつだ。それいじょうはむりだな。」

 

「期限は1カ月か。」

 

 と、パナソレイとラケシルの言。場に重い空気が漂った。そこにリィジーの追い討ちがある。

 

「それは巨大樹がこのまま動かないという希望的観測があってのことじゃろう。奴が今すぐにでも南進してエ・ランテルを襲ったらそれで終わりなのじゃからな。」

 

 リィジーはなにも未来を悲観してそう言ったのではない。楽観論を許さない厳格な性格なのだ。最年長の重みのある言葉が皆の表情をますます険しいものにする。

 

 アインズが静かに手を挙げた。自然と目が集まる。

 

「巨大樹は私がなんとかしよう。」

 

 ガゼフがおお、と声を出し嬉しそうな顔をした。他の人間はとても信じられないといった顔だ。

 

「しゅだんはどうするのだ?」

 

「私は使役魔法に心得がありまして、巨大樹を誘導して別の場所に誘導します。」

 

 アインズは仮面を撫でながら答えた。内容はもちろん嘘だ。

 

「それはあの化け物を君の胸の内一つで意のままに操れるということかね。」

 

 ラケシルが鋭い目つきでアインズを見る。

 

「朝飯前に、とは行きませんね。莫大な魔力を消費しますし、出来ることも移動に指向性を持たせる程度のものです。あなたの危惧している事にはなりませんよ。」

 

「どこにいどうさせるのだ。」

 

「カッツェ平野です。アンデッド達と()ち合わせましょう。」

 

「出来る保証は、成功率はどれくらいあるんじゃ?」

 

「高くはないでしょう。しかしそれ以外に方法があるとは思えませんが。」

 

「よろしい。ひとまずそれでいこう。」

 

「よいのですか都市長。それが可能だとしても、カッツェ平野など…帝国や法国が黙っていないのでは?」

 

「むしろそれがねらいだろう、ごうんどの。きょだいじゅをはくじつのもとにさらし、かれらにたいじさせようというのだろ?」

 

「…私は危険を遠ざけようとしているだけですよ?」

 

 アインズは話をはぐらかすように宙を見上げる仕草をした。ここでアインズはセバスにこっそり目配せをする。

 

「少しよろしいですか。」

 

 直立不動を守っていたセバスが突如口を開いた。懐から手のひらに収まるほどの黒い箱型の機械を出す。

 

「我々が巨大樹について独自に調査したところ、衝撃的な事実がわかりました。」

 

 そう言いながらセバスはラケシルに向かって機械を掲げ上部にあるボタンを押した。カシャリと音がなり、箱の下側から紙がジジジとせり出してくる。

 

「これは景色を封じ込めるマジックアイテム『レトログッズNo.23』と言います。このように。」

 

「レ・トゥルグ・ズですか…?」

 

 セバスが紙を示すとそこにはラケシルの驚いた顔が写っていた。珍しい機械に一同はどよめく。その中で一人アインズはさっきの会話で引っかかった点に思考を巡らせる。

 

(ん?今発音がおかしかったような。特定の固有名詞は翻訳されないのだろうか。少し気をつけたほうがいいな。)

 

「ここからが本題です。こちらもこれを使い、紙に景色を封じ込めたものなのですが。」

 

 セバスが次に示された紙には巨大樹とその上に浮かぶ、赤マントを靡かせグレートソードを背負う黒い甲冑が映されていた。

 

「これは、モンガ!」

 

「はぁ?モンガ?」

 

「そ、そうだ。最近エ・ランテルに出没した厄介なモンスターだ。私も直接見たことはないが伝聞と一致する。まさかこんなところにいるとは。」

 

(そういうことを聞いたわけでは。あっ、そういえばモモンっていうのはナザリック内での呼称で、対外的な名称じゃなかった。それにしてもモンガて…、ややこしい名前がついたものだ。名付けたやつ誰だよネーミングセンスなさすぎだろ。)

 

「そのモモン…ゴホン、モンガがそこに写っているということは巨大樹は奴が使役しているということなのですか?」

 

 アインズはわざとらしくセバスに問いかけた。

 

「わかりません。ですが争いあっている様子もないことからその可能性も少なくないでしょう。」

 

「奴の支配下にあるとすれば奴をなんとかしない限り、巨大樹の誘導は無理ですね。」

 

「そんな! 都市の防衛だけで手一杯なのに、モンガ討伐隊も捻出しなければならんとは。集団指揮の取れるガゼフ殿は都市防衛に当てたいが…。くっ、ここにリカオン君とクレマンティーヌ君がいてくれれば。」

 

 アインザックの言葉にアインズはピクリと反応する。できれば会いたくない奴の名前が出た気が…。払拭するように話を切り出そうとする。

 

「大丈夫です。そちらの方も我々が…。」

 

「会議中すみません!」

 

 

 しかし、アインズの発言は応接間に響く受付嬢の声で掻き消された。受付嬢はとても興奮しているが、どことなく嬉しそうだ。

 

「皆さん!救援を要請していた蒼の薔薇御一行様が到着なされました!」

 

 同時にドカドカと入り込む7人の集団がある。

 

「待たせたわね!蒼の薔薇、推参!」

 

(げえ!)

 

 ラキュースが無駄に高いテンションでセンターを陣取り決めポーズを取った。他のメンバーもそれに追随する。さながらギニュー特戦隊のようだったがよく見るとラキュース以外にやる気のあるメンバーは一人だけだった。

 

「おお! 来てくれたのか!」

 

「水くさいですわアインザックさん。王国の危機とあらば即参上致します。おっと、ご挨拶遅れました、レッテンマイア様。」

 

 パナソレイは軽く手を挙げて返事をした。そのやりとりの横からリカオンがひょいと顔を出す。

 

「皆さんお久しです、元気してました? …て、あ。」

 

 リカオンは懸命に顔をそらす仮面の男に目を止めた。

 

「なんだ、しりあいなのかね。」

 

「いや、どこかで見たことある仮面だなと思って。」

 

「初対面、初対面です!」

 

「え、…でもどこかで。」

 

(<伝言(メッセージ)>!!)

 

『…聞こえますか…。今、あなたの頭の中に直接話しかけています…。』

 

『アイエッ!ナンデ!?』

 

『私とあなたは今日初めて会いました。互いに見覚えは無いし、私のことはこれからゴウンと呼んでください。いいね?』

 

『アッハイ。』

 

(神器級装備一式(いつもの)じゃなくてよかった。まだ辛うじてこっちはバレてないみたいだし、今後アインズと名乗るのは控えたほうがいいな。公式の場とかじゃどうしようもないけど、それはまた考えよう。)

 

 当事者2人以外は何故か変な間が出来たことに首を傾げたが、気を取り直して遅れて来た蒼の薔薇に状況説明が行われた。

 

「…と、いうわけで蒼の薔薇の諸君にはモンガ退治に出向いて欲しいのだ。」

 

「まっかせてください!いいでしょ?みんな。」

 

「おー。」

 

(あかん。)

 

 反論の余地が(ラキュースに)無いので、生返事をする一団。アインズは内心気が気でない。このままじゃモンガ(俺)が俺以外の奴に倒されてしまう。ただ、当のリカオンは乗り気じゃないようだ。

 

「いやー、厳しいんじゃないかなー。木の方だけなんとかしようよー。ほんとに。」

 

「何を言っているのかね。君がそんなことでどうする。」

 

 エ・ランテル側としてはここまでカードが揃っているのだから面倒ごとはまとめてケリをつけたい。

 

「こいつはやばい奴なんだって。世界を滅ぼす魔王なんだって。喧嘩売るのは絶対ダメだよー。」

 

「その言葉はリーダーに逆効果。」

 

「魔王をなんとする! 世界を救うのは私達だッ!」

 

「その意気だぞラキュース君!」

 

 始まった当初と打って変わって会議は盛り上がる。裏事情を知る2人だけは頭を抱えていた。

 

 

 

 




蒼の薔薇の芸人化が止まらない。誰か何とかして。


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第18話 げに悲しきは世襲カリスマ

前話の状況を補足するための裏で何が起こっていたかを描写する回。

多少の政治的会話が有りますが、にわか知識で書いてあるのでおかしい箇所を発見したら優しく教えてください。


「ゴウン殿!」

 

 会議を終え、冒険者組合から出たアインズに駆け寄ってきたのは王国戦士長ガゼフ・ストロノーフだった。

 

「やはりゴウン殿は凄まじいな。あんな魔樹さえ打開する方法をお持ちであるとは。」

 

「いや、私の得意分野がたまたま有効であっただけですよ。それにまだ成功すると決まったわけではありません。」

 

 腰低く謙遜してみせるアインズにガゼフはいつかカルネ村でやったようにその手をがっしりと握り、早口で賛辞を捲し立てる。

 

「とんでもない!帝国の化け物魔法詠唱者(マジック・キャスター)でもこんなことはできまい。あなたは紛れもなく最高の魔術師だ。」

 

 手を握ったままぶんぶんと上下に振るガゼフ。ひどく興奮しているようだ。

 

 …なんかすごく馴れ馴れしくないか?

 

 こんな人物だっただろうか。もっと大人の距離感を守るイメージがあったが。まさか自分がモモンとして活動し、王都を離れている間に何か心境の変化があったのか。

 

 

 ーーー

 

 

 アインズはつい2週間ほど前のことを思い出す。セバスから巨大樹の一報を受けたアインズは自分の影武者を置こうと新しくシモベを生み出した。わざわざ召喚アイテムを使って上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)を作ったのだが、ここで問題が起こった。

 

 ドッペルゲンガーは具体的な指令を与えていれば忠実にそれを実行するのだが"人が来たらなんか良い感じに対応して"というザックリとした命令は上手く処理できないようだった。

 

 試しに自由に行動させてみたら召喚者のカルマ値や人格に基づいた行動を取るらしいことがわかった。つまり"中身が超絶凶悪思想持ちの慎重派凡人(カルマ値−500の鈴木悟)のドッペルゲンガー"というよくわからないものが出来たのだ。

 

 どうやら"智者"等といった製作者の限界を超えた設定が反映されるのは手ずから作った拠点NPCに限られるようだ。念のため2回ほど別個体で試したが結果は変わらなかった。

 

 とても接客を任せられるものではなかったのでアインズは泣く泣く自分の黒歴史を呼びつけて、自分のいない間は代わりに留守を任せることにしたのだった。まだこっちの方がマシだろう。

 

 その3、4日後、エ・ランテルの騒ぎが王国まで到達した時点でアインズは行動を開始した。まず王子に会いに行き、巨大樹討伐を具申する。これだけはNPCの暴走が怖いので自分でやるしかない。

 

 こうして自ら王子に会いに行ったアインズ。説得の可否は計画の進行速度を直接に左右するので、アインズとしてはかなり緊張して臨んだのだが、寧ろ拍子抜けするぐらいの早さで成功裏に終わった。

 

「ここで巨大樹討伐に貢献したとなれば、王子の継承権争いの地位はより磐石になりますよ。」

 

 なんてテキトーな事を言ったらトントン拍子に話が進んで、討伐指令と兵が与えられたのだ。なんとも打算的というか直情径行というか。決断の早さだけは鮮血帝といい勝負だ。

 

 王子が首を縦に振るまで巨大樹騒ぎを継続させようと思っていたアインズにとっては勿怪の幸い、願ったり叶ったりの対応だった。

 

 これで名を上げる舞台が整った。

 

 そうして下準備をしていくと同時に、巨大樹をどう処理するか、合間合間にアウラやマーレと実験を行う。

 

 魔法による洗脳が可能であれば演出が途端に楽になるのだが、精神系魔法に耐性を持つ植物系モンスターにそれは叶わない相談だ。アウラのテイムや吐息も試してみたが、対象が大き過ぎて範囲指定がうまくいかず、不可能であると結論付けられた。

 

 結局、マーレの森祭司(ドルイド)能力による誘導作戦が一番有効だと思われた。道なりにエサとなる植物を生成して行く、題して馬の前にニンジン吊り下げ作戦が決行されることとなった。

 

 それに加えて、巨大樹は意外なことに視覚に依存した景色の認識をしているらしく、環境に依存する(カモフラージュ)タイプの幻術は一定の効果が認められた。そこで幻術が使えるシモベを総動員し、進行ルート外は枯れ地であるよう見せかける事で逸れる可能性を減らす。そして同時に幻術で対外的に恰もアインズが巨大樹を誘導しているように見せるのだ。

 

 そうした実験を行う中、アインズはマーレについて一つ気になったことあった。アインズが渡した指輪を()()()()()()()()()()()()左手薬指にはめていたのだ。そこにはいつもリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンをしているが、流石に外に持ち出せないので所在なさげにしていたところ代わりが見つかって上機嫌といった風だった。

 

 アイテムは装備しないと意味がないぞと老婆心で教えてやったのだがマーレは慌てた様子で首を左右へ振り、一生大事にしますと言ったのでアインズは頭上にクエスチョンマークを浮かべる他なかった。

 

 

 

 そんなこんなの2週間の準備の間にパンドラズ・アクターから何度か来客があったと報告を受けていた。計画に支障はないとのことだったのでスルーしたが、今思えば詳細を聞いておくべきだったとアインズは後悔する。もしやあの黒歴史がガゼフが訪問した時に良からぬことをしたのではあるまいか。

 

 アインズは1人やきもきしていた。

 

 

 ーーー

 

 

 ガゼフ・ストロノーフは興奮を隠せないでいた。やはりゴウン殿は王国の救世主となるお方だ。深謀遠慮で慈悲深く、そして国のために率先して行動をなさる。

 

「それにひきかえ自分はまだまだ至らぬ所が多いな。」

 

 ガゼフは自嘲気味に小さく笑みを浮かべると、先週の出来事を思い返す。

 

 自分はカルネ村の一件からアインズを召抱える事を王に強く進言していたので、はじめ、アインズが王国に手を貸してくれると聞いた時は飛び上がるほど喜んだ。比喩でもなく万の軍勢を得た気分であった。しかし、その期待はすぐに裏切られた。

 

 アインズは王に仕える気は無く、主君に選ぶのはバルブロ第一王子だというのだ。その事に酷くショックを受けたガゼフは暫くの間、蟠りを抱えていたが、先週ついに、いても立ってもいられず真意を問いただしにアインズのいる部屋へ踏み込んだのだった。

 

 ガゼフが扉を開けた時、アインズは何やら腕輪の形をしたマジックアイテムを磨いている途中だった。アインズは突然の来訪に怒ることもせず、腕輪を空間に開けた穴の中に仕舞うと、動じた様子もなく落ち着いた対応を見せる。そこにガゼフは一も二もなく単刀直入に話を切りだした。

 

「何故、第一王子なのだ。王に直接力を貸してはくださらぬのか。」

 

 その第一声でガゼフの意図を察したアインズは、ガゼフの気迫に一歩も引くことなく、むしろ堂々とした態度で口を開いた。

 

「貴方は王国の未来を考えた事はあるか。」

 

 普段であれば問いに問いで返された事に激昂し、声を荒立てようものなのだが、言葉を発したアインズのおよそ魔法詠唱者(マジック・キャスター)に似つかわしくない威圧感が、いつもの柔和な態度との差異と相まって、ガゼフを半ば萎縮させる形で会話の主導権を奪った。

 

 ガゼフは相手の問を飲み込み、その答えを紡ごうとする。そしていつも王が頭を悩ませている事を口にする。

 

「…確かに経済は苦しい。帝国との泥沼の戦争も終わりが見えない状態だ。だが…。」

 

 アインズは大仰に腕を上げ、話を遮った。ゆらりとガゼフに近づき、真っ直ぐに目を見据える。

 

「もっと具体的な、近々起こるであろう未来の事だ。」

 

「具体的な…。未来…。」

 

 アインズは言葉に窮するガゼフを尻目に、ガゼフの心を抉り、心胆を寒からしめる科白を吐く。

 

「王は高齢だ。これがどういう意味がわかるか?貴方は現王に剣の誓いを立てたのだろうが…。」

 

「…。」

 

「ハッキリ言おう、現王が崩御なされた後はどうするつもりなのだ。自分の職務は終わったと、今の立場を放棄するつもりか。自分の仕える者は居なくなったと、後はどうなろうが知った事ではないとするつもりか。」

 

「自分より先に…王が、お亡くなり、に…。」

 

 この問いはガゼフに対して余りにも残酷なものだ。全てを王に捧げ、王の剣として王の為に死ぬ事を誓った彼の人生を真っ向から否定しにかかるかのごとき所業。しかし、その可能性(主の不在)は目を背けられるものではなく、そしてその時が訪れたのならば自分が取るべき行動──周りから期待される役割──は限られてくる。

 

 ガゼフよ。お前が誓いを立てたのはランポッサIII世という()()なのか。それともリ・エステリーゼ王国の統治者である()なのか。ガゼフは問いをそのように解釈した。

 

 もちろん私兵ならば、あるいは一代限りの主従関係で許されたかもしれない。しかし自分は王国戦士長という分不相応な位を戴き、その職務を全うするよう期待されているのだ。他ならぬ我が王に。

 

 もし…、もし、その時が来たならば主はなんと言うだろうか。おそらくは少し申し訳なさそうに"国を頼む"と仰るだろう。その光景は想像に難くなかった。

 

 ガゼフは今の今までただ戦場で戦う事だけを思い生きて来た。その考え無しの行動のツケを支払う時が間近に迫っている事を気付かされたのだ。

 

「本当に王国のために、王のために尽くすのならば、次の世代に目を向けておかなければなるまい。そうだろう?」

 

 この段になってくるとガゼフの激情の炎は鎮火され、肩を怒らせながら部屋にやって来た時の剣幕はすっかり無くなっていた。

 

「ゴウン殿の仰りたい事は充分に理解した。それでは、…ラナー殿下はどうなのだ?」

 

 ガゼフはささやかな抵抗を試みる。言外にバルブロは王の器ではないと匂わせていた。ラナーならば民衆の支持も厚く、ガゼフ自身も叶う事ならばラナー()()の誕生を夢見ている。

 

「ダメだな。」

 

 アインズは完膚無きまでにぴしゃりと言ってのけた。ここまで明確な否定が返って来るとは思っていなかったガゼフは半歩下がってたじろぐ。

 

「な…何故だ。」

 

「正()性の問題だ。ラナー殿下がいかに優れた統治者であろうと、2人の王子を差し置いて王位を継承する理由にはならない。」

 

「そんなもの、国が抱える危機の前では下ら…。」

 

 ガゼフはそこまで言いかけてハッとなり、辺りを見回した。何処に聞き耳があるか分からないのだ。不用意な発言は控えた方が良いだろう。

 

「ははは、魔法で盗聴対策をしているから心配はしなくていい。それに、私の部屋にきている時点でよくない噂が立つ事は避けられまいよ。」

 

「それは、いろいろ面目無い。」

 

 ガゼフはすっかり縮こまってしまった。アインズは苦笑しながら話を元に戻す。

 

「国が危機に直面しているからこそ、制度は厳格に守られなければなるまい。ラナー殿下が即位するようなことがあれば、混乱のどさくさに紛れて王位を簒奪したなどという謗りを受けかねん。」

 

「それでも、バルブロ殿下よりは…。」

 

 ガゼフはアインズがバルブロに拘る理由が全く分からなかった。民のことを思えばこそ、王に相応しいのはラナーではないか。その疑問が口を衝いで出てくる。

 

「ガゼフ殿、統治に必要な要素はなんだと思う?」

 

 今日何度目かのアインズの問い。学生にでもなって、課題を出されている気分だ。ガゼフは少し上に目を泳がせて、どうにか考えを捻り出す。

 

「王に能力や信頼があること、だろうか。」

 

 アインズは満足そうに頷いた。生徒が自分の授業を理解した上で、会話のレールに乗ったのを見た教授のように。

 

「素晴らしく的を射た答えだ。統治が成り立つのは統治される側が、統治する側の支配を甘受出来る理由が存在する時であり、確かにそれらも要素の一つになる。しかし、一番優れた答えではないな。」

 

 続けてガゼフは模範的な生徒のように、知識、武力、機能的な行政といった意見を出すが、どれも満点は与えられなかった。

 

「答えは、特定の個人や時期に属さないものだ。つまるところ"伝統"だよ。」

 

 誰しもが多かれ少なかれ社会常識に縛られて生きていて、伝統は権威と強い結びつきがある。往々にして伝統は合理性の範疇を超えて存在するもので、統治を達成するための費用対効果(コストパフォーマンス)(すこぶ)るいい。

 

 それに、伝統を曲げることは王国の歴史そのものの否定であり、自我の寄る辺を失くしてしまうことに等しい。少なくとも宮廷内での王家の威信は地に堕ちてしまうだろう。ラナーの即位は民衆の心証は良いかもしれないが、貴族達との抗争の中で王権が瓦解する可能性がある。それは最も危惧すべきことだというのがアインズの説明だった。

 

「…ラナー殿下が即位するとすれば、高順位継承者が軒並み暗殺され(不自然死を遂げ)る時だな。そんなことはあるまい?」

 

 アインズは皮肉気味に語る。ガゼフは隣国の皇帝のやり方を思い浮かべたが、黄金の姫に鮮血の業はどうやってもイメージ出来なかった。そして、そうなることを一瞬でも考えたことを自戒して顔を歪める。

 

「だから私はバルブロ殿下にお仕えする。微力を尽くして次王の後見人を担うつもりだ。王子に近づく貴族(悪い虫)にも目を光らせられるしな。」

 

「そこまで深い考えをお持ちとは…。」

 

 ガゼフが納得したのを確認すると、アインズは態度を崩し、口調を一段柔らかいものに変える。

 

「今はガゼフ殿は王の側で力を振るえ。その間は私が王子を見守ろう。役割分担と行こうじゃないか。」

 

 ガゼフは生涯の友を得た気分であった。王国の未来を担う同志がいることがこんなに心強いとは。

 

「突然の訪問、真に失礼した。また相談に乗ってくれれば助かる。」

 

「いつでも。」

 

 アインズは芝居掛かった風に踵を揃え、一つ鳴らしてみせた。

 

 

 ーーー

 

 

 エ・ランテル第一城壁の外に混成の武装集団によるキャンプが設営されている。

 

 この集団の数は全部で400余り。多くはエ・ランテル衛兵隊で約8割を占める。残り2割は様々なランクの冒険者と第一王子直轄の一隊、そしてガゼフ・ストロノーフ率いる中隊規模の騎兵たち。平原のモンスターを討伐するために編成された部隊だ。

 

「我々の撃破目標は都市に近づくトロール集団及び数匹のナーガである!」

 

 ガゼフが先頭に立ち、整列する一団に対して号令を発する。話し合いの結果、隊の指揮者は満場一致で武力と肩書きを兼ね備えたガゼフに決定した。ガゼフとしてはアインズと共に対巨大樹選抜部隊に同行することを望んだのだが、大隊指揮が出来る者が他にいないので適材適所といったところだ。

 

「これより、索敵班の行動を開始する! 作戦中は各班、連絡を密にし…。」

 

 400人を前にしてもよく通る大きな声で、的確な指示が次々と下されていく。ガゼフの威厳を前にして、例え彼の部下ではない者だとしても今はだらけた姿を見せたりしない。

 

「やっぱりすごいな…。王国戦士長は。」

 

 そう発言したのは、ペテル・モークという青年。銀級冒険者チーム漆黒の剣のリーダーである。

 

「ああ。気迫がここまで伝わってきやがる。」

 

「もし兵士になるなら、あの様な将の下で戦いたいのである。」

 

 漆黒の剣のチームメンバー、野伏(レンジャー)のルクルットと森司祭(ドルイド)のダインも同意の声を上げた。彼らが私語を出来るのは、漆黒の剣が対巨大樹部隊に選ばれ、本隊から離れた場所にいるからだ。

 

「3人とも、遊びに来たんじゃないですよ。」

 

 魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のニニャが3人を窘める。銀級冒険者チームにすぎない彼らがこの大役に抜擢されたのは最初期の巨大樹騒ぎの時の働きが認められ、信頼できると組合から直々の推薦があったからだ。ここで気の抜けた態度を見せていては自分達の体裁を汚すばかりか、組合の面目も潰しかねない。

 

 それに今から向かうのは強大な魔樹が鎮座し、その上殺気立ったモンスターがうじゃうじゃいるトブの大森林。浮かれた気持ちでいられる筈もなかった。

 

「ああ、そうだな。」

 

 真面目なペテルはニニャの言葉でいつもの調子を取り戻し、キッと顔を引き締める。そこに背後から女性の野太い声が掛けられた。

 

「ガゼフに見とれちゃって、俺たちと一緒じゃ不満なのかぁ?」

 

 ペテルが振り返るとガガーランが目に入った。声音とは裏腹に顔には笑みを浮かべている。緊張している新人達を和ませようと、持ち前の面倒見の良さを発揮してからかったのだ。

 

「い、いえ!とんでもないです!」

 

「そんなに気負う必要はねぇぞ。お前らはサポートなんだから。荒事は先輩達に任せて置きゃあいい。」

 

 ペテルは辺りを見回す。ここには漆黒の剣の他にも、同じく組合の指名を受けた冒険者達がいる。白金級の石の松明、ミスリル級のクラルグラだ。彼らはペテルと目が合うと、笑顔を見せたり、手を振ったりと好意的な仕草をしてくれた。ただ1人、クラルグラのリーダーのイグヴァルジはそっぽを向いたまま不機嫌そうな顔を崩そうとはしなかったが。

 

「その、光栄です、憧れの先輩達と一緒に仕事ができて。その上、蒼の薔薇や…雀蜂の皆さんも。」

 

「すずめばち?」

 

 耳慣れぬチーム名にオウム返しをするリカオン。そのような冒険者がこの場に居ただろうか? その疑問への答えが横から飛んでくる。

 

「君達のことだ。」

 

 アインザックが本隊との連絡調整を終え、アインズとセバスを伴ってやって来た。彼らは支援物資の配分作業を行っていたのだ。

 

「私達のことぉ?」

 

「そうだ。黄髪と黒髪、刺突武器を得意とする2人組の女性。冒険者の間では君達のことをそう呼ぶ者が多い。」

 

「うえぇ、カワイくないよぅ。いつからそんな風に呼ばれてたの?」

 

 これ以上ないというぐらい顔をくしゃくしゃにした渋面を作りながら、両手を広げるリカオン。体全体で信じられないという感情を表したポーズだ。

 

 通り名が凶暴な昆虫など、可憐で儚い乙女(キュート&プリティーガール)である私達にはとても不本意なことだ。謂れなき誹謗中傷である。これはそのような名を広めた犯人を吊るし上げなければなるまい。

 

「墓地のズーラーノーン騒ぎの時からだ。ほら、レイピアとスティレットで暴れまわってたじゃないか。」

 

「あー、あれ?でも確かあの時一緒に居たのって。」

 

 リカオンは白金級冒険者の5人をロックオンした。ビコーンという効果音が聞こえてきそうだった。

 

「オマエラカ。」

 

 針で刺すような視線を向けられて、油のささっていないブリキ人形のようにギギギと首を回し、露骨に目をそらす石の松明のメンバー。

 

「怒らないから、正直に言お?怒らないから。」

 

 それ怒る人の常套句じゃねえか、とは口が裂けても言えず、ただじっとリカオンの視線に耐える石の松明のメンバー。釈明の言葉すら出ず、汗がジワリと滲んで喉の奥がうくっ、と変な音を鳴らした。

 

 これは選択肢を間違えるとヤられる奴だ。冒険者としての勘がそう告げていた。畜生、神にでも祈りたい気分だ。

 

 

「そういうとこだよ。ぴったりじゃねえか。」

 

 ガハハと豪快に笑うガガーラン。

 

「ぶー。笑い事じゃないよ。」

 

 ガガーランがヘイトを稼いだお陰でリカオンから解放される石の松明。流石アダマンタイト級の(タンク)。彼らは心の中でガガーランに感謝と賛辞を送った。

 

 

 ーーー

 

 

「なあ。」

 

「なんだ?」

 

 リカオン達の喧騒を眺めていた漆黒の剣のルクルットがペテルに話しかける。

 

「俺はなんだかんだ言って弁える時分は分かってる男だけどよ。」

 

「──ああ。」

 

 一瞬、そうでもないぞ、という意見が頭をよぎったが、ルクルットがいつになく真剣な表情を見せていたので話を合わせてやる。

 

「こんなに沢山美女がいて、アタックかけないのはむしろ不自然だよな。」

 

 やっぱりそうでもないじゃないか。

 

「お前ホントやめとけよ。色々ヤバイって。主に漆黒の剣の今後とか。」

 

「止めてくれるな。ここで行かなきゃ俺が俺で無くなっちまうんだ。」

 

「そんな傍迷惑なアイデンティティなんか無くなっちまえ!」

 

 彼らの話し声は隊の明るい雰囲気によって幾らか緊張が解され、自然と声も大きなものになっている。

 

「…煩いぞ。」

 

 ドスの効いた声がした。声の方向を恐る恐る振り返ると、イグヴァルジが明確な敵愾心を露わにしてこちらを睨んでいる。実力を示し、叩き上げでミスリル級冒険者になったイグヴァルジの威圧感は銀級の2人を黙らせるのに十分だ。

 

「お前らナメてんのか? 特に野伏(レンジャー)のガキ、こんな時にデレデレしてんじゃねえ。」

 

 トブの大森林ではフォレストストーカーであるイグヴァルジが先導する。責任重大な仕事を控え、多少ぴりぴりするのは仕方の無い事だろう。それにイグヴァルジは神経質な性格で知られており、ペテルとルクルットは彼の周りで巫山戯たことを自分達の落ち度として反省した。

 

 イグヴァルジは鼻を鳴らすと、再びそっぽを向いた。気まずい空気が流れる。他のクラルグラのメンバーは手の平を合わせるジェスチャーで粗暴の悪いリーダーの詫びを入れていた。

 

「イグヴァルジさん。ちょっといいかしら?」

 

 カツカツとサバトンの音を鳴らしてラキュースがイグヴァルジに近づく。

 

「なんだ。」

 

 イグヴァルジは不機嫌な顔をやめて、相手に向き直って返事をした。彼はいつかアダマンタイトに登りつめる事を夢見ている。先駆者であるラキュースには多少なりの敬意を払って接するつもりらしい。

 

「貴方のフォレストストーカーとしての手腕を直で観れる機会があるなんてとても嬉しいわ。期待してるわよ。」

 

「俺を知っているのか?」

 

 驚きを込めた口調。

 

「当然。王国のミスリル級以上の冒険者は全員把握してるわ。特に貴方みたいなのは。」

 

 貴方みたいなの、には複数の意味が込められていたが、イグヴァルジは好意的に捉えたようだった。必死に隠そうとしているが、雲の上の存在であるアダマンタイト級冒険者に名を知られていて欣喜雀躍とした表情をしている。ラキュースはイグヴァルジの死角でこっそりウィンクをした。

 

「出た。鬼姫リーダーの社交ジツ。あれで堕ちない男はホモしかいない。」

 

 すっかり機嫌が良くなったイグヴァルジにクラルグラのメンバーもほっと胸を撫で下ろしていた。

 

「ちぇ、イグヴァルジさんもデレデレしてるじゃないっすか。」

 

 そう悪態をついたルクルットに対し、漆黒の剣の3人は周りに見えないよう後ろ手で強めにルクルットを小突いた。

 

「お前ら、行動開始は本隊の偵察第一陣が帰って来て安全が確認されてからだ。それまで英気を養っておけよ。」

 

 締めるところは締める、組織の長アインザックの言。一行は了解の意を示すと、早めの昼食の準備にかかった。

 

 

 ーーー

 ーーー

 

 

 食事のあと。クレマンティーヌは1人離れたところで佇むリカオンを見つけて声をかける。

 

「今回はノリ悪いじゃん。どったの?」

 

 戦闘の前は大体テンションの高いリカオンだが、今回に限って沈んだ様子である。それほどモンガと戦うのが嫌なのだろうか。

 

「私はね、クレア。」

 

 不自然に長い沈黙。

 

「自殺行為は好きだけど、自殺は嫌いなの。」

 

 リカオンの脈絡のない言葉。

 

 クレマンティーヌはリカオンの態度に違和感を覚えた。それはまるでふわふわと上空を漂っていたものが、突然自分と同じ地面まで降りてきた感覚。クレマンティーヌは手を伸ばそうとした。

 

「なーんてね。」

 

 そう言って優しく微笑むリカオン。

 

 まただ。クレマンティーヌは尻尾を捕まえ損ね、相手は遥か上に行ってしまった。

 

 思えばクレマンティーヌはリカオンのことを殆ど何も知らない。あなたは何者なの。どこから来たの。何をするためにいるの。

 

 あなたはぷれいやーなの。

 

 リカオンがいつか夢まぼろしのごとく消え失せて、どこか遠い所へ行ってしまうような気がしてくる。

 

 クレマンティーヌは寒さに凍えるように、両腕で自分の身体を抱き寄せた。

 

 

 

 

 




話全然進んでないじゃないか(憤慨)
フラグを撒きまくると話が進まないの法則。あると思います。


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第19話 協調と凶兆

原作13巻めっっっちゃ面白かった。
ドッペルゲンガーの原作設定とか2体の中ボス悪魔とか考察しがいがあるネタがごろごろしてて最高だった。


6/4デミウルゴスとバンドラズ・アクターのシーン加筆しました。



 王都リ・エステリーゼの午前。この日は前夜からの悪天候を引きずって、どんよりとした曇り空が広がっている。雲は厚く、空一面をくまなく覆っているため、もうすぐ正午だというのに辺りは日が没したかのような暗さだった。

 

 街行く人々は皆、忙しなく走っている。昨日のように雨に降られてしまうと、せっかく落ち着いた地面がまたぬかるんで衣服を汚してしまう。そうならないために目的地までなるべく早く着こうとしているのだ。

 

 今にも崩れ落ちそうな空。その一部から闇色の何かが落ち込んで、宮廷魔導師アインズの居室がある建物へ染み込んでいった。

 

 街行く人々は皆、自分の事で頭がいっぱいで、それに気がつく者は1人もいなかった。

 

 

 闇色の何かは部屋の主人がエ・ランテルに行ってしまって、誰もいない筈の部屋に侵入する。

 

「これはこれは、デミウルゴス様。如何されました?」

 

 闇色の何かは、部屋の中に居た、これまた闇色の何かに呼び止められた。2つの闇は次第にそれぞれ寄り集まって、明確な輪郭を作り出していく。

 

「失礼するよ。パンドラズ・アクター。」

 

 部屋の中に三揃え(スリーピース・スーツ)の悪魔と軍服の人形(ヒトガタ)が現れた。

 

「デミウルゴス様の訪問は予定に有りましたかな。」

 

 パンドラズ・アクターはその長い指で頭をぽりぽりと掻く。

 

「いいや、こちらに来ていると聞いたので顔を見せておこうと思ってね。邪魔したかい?」

 

「いーえいえ。丁度暇を持て余して居たところです。ここでは管理できるアイテムの数が少ないので。」

 

 パンドラズ・アクターは普段、宝物殿の領域守護者として山と積まれたマジックアイテムの管理の仕事をしている。仕事といっても彼はマジックアイテムフェチなので、半分実益を兼ねた作業であるが。

 

「ふむ、では何か心配事があったのかな。」

 

「私が心配したのは多忙なデミウルゴス様が挨拶のために仕事を中断なさって来たのではないかと。ですが、デミウルゴス様の事ですから今日の仕事は終わらせてから来られたのでしょうね。」

 

「ははは、情報収集もスクロール生産も部下だけで回るようにしたからね。割と自由に動ける時間が増えたのだよ。」

 

 暫し、差し障りのない会話を楽しむ二人。ただ、デミウルゴスの方がしきりにアインズの近況について聞きたがった。例えば最近アインズに命令された内容であったり、今後の展望でアインズに教えれた事であったりだ。

 

 些か不自然さが目立ったのでパンドラズ・アクターはその真意を尋ねてみた。

 

「ここ最近のアインズ様の行動の理由が分からないんだ。私はいつでもこの世界をアインズ様に献上できるよう準備をしているのだが、このままでは私がした行動でアインズ様にかえって御迷惑をお掛けしてしまうのではないかと案じている。」

 

 デミウルゴスは沈んだ面持ちで答えた。最近は世界征服のための新しい命令が出されない。彼はそれをアインズが自分をはじめ、シモベ達の能力に疑問を持っているからだと思っている。

 

 実際はミスをしまくっているアインズがデミウルゴスを恐れて無意識に遠ざけているのが原因であるのだが。

 

「アルベドにも一度、あー、話、をしたのだが、彼女は何か知っているのか、問題ないの一点張りで…。正直に言うと、今日の目的は君に意見を聞きたくて来たんだ。アインズ様が何を考えているか。」

 

「ははあ、なるほど。」

 

 パンドラズ・アクターは卵頭に開いた3つの穴を横に潰して──それがどんな表情なのか推し量ることはできないが──答えた。

 

「質問に答える前にまず1つ、アインズ様はデミウルゴス様をとても頼りにされていますよ。」

 

「…実感が湧かないな。」

 

「自分のことは得てして自分では分からないものです。」

 

 デミウルゴスは少し口角を上げて笑う。同僚が、例えお世辞であっても自分に気を使ってくれたことが嬉しかったのだ。ささくれだった心が癒されたような気がした。

 

「話を元に戻しますと、残念ながら私もアインズ様が何を考えているのかは分かりません。ですが、何に基づいて行動しているかは何となく分かります。」

 

「ナザリックの利益を確保する事だろう?」

 

 パンドラズ・アクターの言葉に、当たり前の事を口にするような軽さでデミウルゴスは追随した。

 

「ええ、ええ、ですが一口にナザリックの利益と言っても、様々な含意が有ります。」

 

「ほう? 版図を広げることや名声を得ること以外に?」

 

 パンドラズ・アクターはこくりと頷く。

 

「我々の安全ですよ。アインズ様はそれが一番ナザリックの利益であると考えられています。アインズ様が頭を悩ませられるのも、心を砕かれるのも、全てはそれのためです。」

 

 デミウルゴスの不安を拭い去るように、諭すような口調で話すパンドラズ・アクター。

 

「…そう、だな。」

 

 デミウルゴスはナザリックが原因不明の転移に巻き込まれてからのこれまでのアインズの行動を思った。

 

 カルネ村、現地人との初めての接触。未知に対する警戒に加えて敵に魔法が通用するかの実験を行う。

 

 森での邂逅、この世界での最高戦力と目される漆黒聖典の威力偵察。それに、あの行動はシャルティア達が漆黒聖典に接触しそうになったため慌てて駆けつけたとも取れる。

 

 確かにアインズの行動はパンドラズ・アクターの言う理念に乗っ取れば合目的的と評価できそうだ。

 

 それでもデミウルゴスの顔は晴れない。

 

「もちろん、アインズ様の我らに対する慈悲の心は痛み入るし、天にも昇る心地になる。…それでも、守られていてばかりではこの身が擦り切れる思いだ。アインズ様のお役に立ちたい、我らの成果を、誠意を受け取って欲しいのだ。」

 

 もう1つ、デミウルゴスは口にはしないが、胸中ではある思いが渦巻いている。自分達がアインズの足枷になっているのではないか…、その不安が日に日に肥大化し、精神を蝕まんとしていた。

 

 

「それではこうしましょう。」

 

 暗い雰囲気を全く無視して、パンドラズ・アクターが暢気で間の抜けた声を出す。

 

「私が留守を預かるこの2週間の間に何回か客が来ました。王国戦士長や、八本指の使者とか。これらの存在は御存知ですよね。」

 

 デミウルゴスは王国の情報収集を任されている身であり、もちろん知っている。パンドラズ・アクターが伺うとデミウルゴスは首肯で返した。

 

「後者についてですが、王国の裏で既得権益を握るこいつらは邪魔でしかないと思いませんか。アインズ様が戻られる前に王国のゴミ掃除をしておきたいのですが、これをデミウルゴス様にお任せしましょう。」

 

「大丈夫かい? アインズ様の計画に支障をきたす事にはならないだろうか。ハ本指も後々利用するおつもりなのでは。」

 

「問題ありません。アインズ様に報告したところ"なんかいい感じに対応して"と仰せつかっております。想定済みであるかと。」

 

 デミウルゴスはふむ、と相槌を打つと2秒ほど思案した。

 

「であれば、"掃除"より、"活用"の方が良いのでは? よければこちらでドッペルゲンガーを7体ほど用意するが。」

 

「む? ああ、なるほど、そういう事ですか。流石はデミウルゴス様。確かにバルブロをより良く運用するためにはそうした方が宜しいでしょうな。」

 

 パンドラズ・アクターは演技がかった口調で答えた。実はパンドラズ・アクターはデミウルゴスの提案を始めから想定していたが、あえてデミウルゴスに言わせて、自信を取り戻させるため話を誘導したのだった。だがこれは、決してデミウルゴスを侮った訳ではなく、パンドラズ・アクターなりの仲間に対する気遣いであった。

 

 デミウルゴスの方もそれに気付いていて、しかしながら当然のようにこれを甘受した。先の会話は謂わばシモベ同士の親睦を確かめ合う儀式みたいなもので、彼はこの心地良いやりとりをしっかりと噛み締め、それから己の創造主と相手の創造主に心からの感謝を捧げた。

 

 余韻に浸るデミウルゴスに対し、パンドラズ・アクターはそれと、と言葉を付け加える。

 

「もしお叱りを受けたらパンドラズ・アクターに唆されたとでも言えば。私は留守中の全権を委任されてますゆえ。ああ、御安心を。手柄を横取りしようなどとは考えていませんよ。」

 

 その言葉にデミウルゴスはふぅ、と感嘆の息を漏らす。

 

「君はやはりアインズ様に似ているな。気配りが出来るというか、謙虚な姿勢が。」

 

「ナザリック随一の知恵者にお褒めの言葉を頂くとは。私もまだまだ捨てたものじゃありませんな。」

 

 パンドラズ・アクターが顔に開いた下の穴を横に潰した。多分、ニヒルに笑ったのだろう。

 

「今度一杯奢らせてくれたまえ。」

 

 デミウルゴスも精一杯カッコつけて笑った。同僚の気遣いに少しでも応えるために。

 

「フフ、是非に。と言いたいところですが、私はどうやら副料理長に快く思われていないようで。」

 

「そうなのかい? ピッキーは客を邪険に扱うような事はしない筈だが。」

 

 デミウルゴスが首をかしげると、パンドラズ・アクターはいきなり両手を組み、顔の横まで上げた。丁度、カクテルを混ぜる為のシェイカー持つ格好だ。

 

「彼が言うには"君は品位と風格と機知(エスプリ)は備えているが、バーに一番必要な静寂を愉しむ感性が欠けているな"と。」

 

 パンドラズ・アクターは副料理長のモノマネをしたらしかった。しかしそれはバーのマスターが絶対にしないであろう大仰で芝居掛かった動作だった。得意げにアメリカンジョークを言うカウボーイさながらに。

 

 その仕草にデミウルゴスはさきの疑問に対する得心がいきながら、それをおくびにも出さず愛想笑いをする。そして自分のこれからの仕事について、最後の確認を入れた。

 

「アインズ様はいつお戻りに?」

 

「残後処理も含めて10日後ぐらいでしょうか。」

 

「なるほど、それだけ時間があれば、秘密裏に八本指の頭を全部すげ替えるのも容易い…。どうもありがとう。とても有意義な時間だった。」

 

 闇色の何かは窓から出て行くと、再び空の雲の中にじわりと溶け込んでいく。その姿もまた、街行く人々に見られる事はなかった。

 

 

 ーーー

 

 

 トブの大森林を目指し、平野を行軍する対巨大樹班。大所帯の人数分の馬を用意することはできず、移動方法は徒歩が中心だ。馬に乗っているのはアインズのみである。

 

 一行の旅路はいつモンスターに襲われるか分からない状況にあり、常に緊張が付きまとっていた。トロール程度ならいざ知らず、モンガ(=モモン)が出てくる可能性もあるのだ。一瞬たりとも気が抜けない。

 

「降って来そうですね。雨除けを用意した方が良いのでは?」

 

 緊張の中、沈黙が続いていたが、アインズが空気に耐えきれず、馬上から当たり障りのない話を切り出した。

 

 一行はつられて上を見上げる。空は見渡す限りの曇天で、風が吹くと肌寒い。空気は重く湿った匂いを孕んでいる。

 

「大丈夫ですよ。辛うじて夜まで持つと思います。ただ、明日は朝から霧雨で所々靄がかかるでしょう。」

 

 アインズの横を歩いていた"石の松明"の盗賊(シーフ)テトラントが教えてくれた。自信満々な態度で、かなり具体的な予報をする彼にアインズは興味を持つ。

 

「こいつ異能(タレント)持ちで天気を7割ぐらいの確率で当てられるんすよ。その上、この辺りの気候にも詳しいんで、こいつの天気予報は百発百中なんす。」

 

「へえ。すごいですね。」

 

 同じチームの戦士クーリシュが仲間を自慢するように説明する。テトラントはエ・ランテルの中では割と有名人で"風見鶏"のテトラントと呼ばれているらしい。本人は少し顔をニヤけさせて得意げにしている。

 

(そういえばそんな異能(タレント)があるって聞いたな。いつだっけ?まあ、一応コレクション候補に入れとくか。)

 

 アインズがしげしげとテトラントを眺める。

 

「もし誰かが<雲操作(コントロール・クラウド)>を使ったら、それも予知できるんですか?」

 

「さ、さあ。そんな状況に遭遇したことが無いので分かりません。」

 

「そうですか…。」

 

「…。」

 

 辺りにビミョーな雰囲気が漂った。10秒ほど、この場の音は足音と馬の蹄の音だけになった。

 

(しまったぞ。相手が得意になっているのに、藪蛇な質問をしてテンションを下げてしまった。)

 

 チラリと周りを伺うが、こいつ全然空気読めないわーという視線を向けられている。…気がする。

 

「ゴウンさんは<雲操作(コントロール・クラウド)>使えるんですか?」

 

 後ろからリカオンが質問してきた。そのくだりを蒸し返すとか、こいつも空気読めない奴かよ。俺への追い討ちなの?

 

 ここで、「もちろん使えます。」などと言った日には、それが自慢したかっただけかよ、なんて思われるに違いない。ここは無難な回答をしておこう。

 

「いや、私も文献などで知っているだけで…。」

 

「文献、魔導書ですか。その話気になりますね。」

 

「私も興味あるぞ。」

 

 石の松明のリーダーで魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)のヴォールとイビルアイが会話に参加してきた。彼らのような人種は知識欲に忠実に生きているらしい。

 

(やばい。文献とか口から出まかせで、何も考えてなかった。どうする。魔法原理の話とかされても全くわからんぞ。かといって自分から話を振っておいてここで何も言わないのは不自然だ。)

 

「…文献には、…あれだ、補助第四位階魔法だとか。」

 

 アインズはユグドラシル時代の魔法職スキルツリーを必死に思い出しながら話す。<天候操作(コントロール・ウェザー)>は知っているが、その下位互換の<雲操作(コントロール・クラウド)>についてはうろ覚えだ。確か、魔力系で風と水の属性魔法を修めるか森司祭(ドルイド)でも取得できたような記憶がある。

 

「…複数の属性(エレメンタル)を自在に操ったり、…ああと、えー、高位の自然魔法を行使できる者が扱えるという。」

 

「ふむう、第四位階か、別分野のそれだけ高位な魔法にはさすがに明るくなくてな。」

 

「自然に影響を与える属性魔法なんて、私には想像もつきませんね。風属性も極めればその高みに到達できるのでしょうか。」

 

 この世界で現実に存在する魔法は第六位階が最高位と見なされている。ユグドラシルでは木端魔法でも、この世界で第四位階は相対的に高位の魔法だ。

 

「君は風のエレメンタリストなのか。」

 

「ええ──。」

 

(ふー。詳しい奴がいなくて助かった。おっといけない、そろそろ準備をしなくては。)

 

 アインズは魔法談義に花を咲かせ始めた周りをほっぽって、シモベ達に作戦の合図を送る。

 

 アインズの作戦では、トブの大森林に入ってすぐ、この一行をモモン・ドッペルに襲わせ、二手に分断させる予定だ。そして、大部分をモモン・ドッペルによって巨大樹から引き離している間に、巨大樹移動作戦を敢行する。

 

 モモン・ドッペルはパンドラズ・アクターではなく、先日アインズが召喚した傭兵モンスターの上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)に任せる。これは不慮の事故──主にリカオン──によりパンドラズ・アクターを失うことがないようにするためだ。

 

 欲を言えば、分断時にリカオンは巨大樹側にいれて、アインズの目の届く範囲に置いておきたい。

 

(大丈夫かなこの作戦。急に不安になってきた。)

 

 不確定要素が多すぎる。アインズは天に祈りたい気分になって空を見上げた。

 

「あれ…。」

 

 空を見上げると同時に、水滴が仮面に付いているのを感じた。何かと思えばポツポツと雫が降り始め、次第に玉散る村雨となった。テトラントは狐につままれたような表情をしている。

 

 

 

「天気予報は外れたようだな。」

 

 誰かが呟いた。

 

 

 ーーー

 

 

 霧にけむるスレイン法国。土の神官長レイモンは法国の秘宝が眠る聖域へと足を運んでいた。

 

 神々の装備を守護する漆黒聖典の一人、絶死絶命に会うためである。レイモンは彼女がいるであろう宝具の間の入り口に立ち、薄暗い室内に向かって声を掛ける。

 

「いるか?」

 

 十分な時間が経過するが、レイモンの声に返事はない。彼は少し苛立ちながら、再度尋ねようと口を開きかけた。

 

「はあい。」

 

 背後から声がした。振り返ると自分が歩いてきた廊下の柱に凭れながら、玩具(ルビクキュー)を弄る絶死絶命の姿があった。

 

「やめろ、心臓に悪い。」

 

「はあい。」

 

 彼女はルビクキューに目線を落としたまま、まるで感情のこもってない返事をする。普通は政治の最高決定機関である土の神官長に対し、この態度は許されないものであるが、彼女は法国が保有する最高戦力であるため態度を改められる者がいないのだ。毎度の事なのでレイモンもさほど気にしてはいない。

 

「で、なんで来たの?」

 

「王国で破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が出現した。」

 

「またぁ?」

 

「今度は正体不明の甲冑じゃなくて、巨大な木の化け物だそうだ。正真正銘の破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だと。」

 

「へえ。」

 

 彼女の目にほんの小さな程度に興味の色が宿った。しかし、それでも手の中にある小さな玩具への関心を引き剥がす事は出来ないようだった。

 

 こちらを見ようともしない絶死絶命に、レイモンは続けて話しかける。

 

「漆黒聖典が森で遭遇した白鎧も気になる。…国を取り巻く時代は大きく動こうとしている。お前の力を借りる時がすぐ近くに来ているのかもしれない。」

 

 レイモンの言う"漆黒聖典"は漆黒聖典の隊長個人を指す言葉だ。漆黒聖典は白鎧と二言三言会話した後、戦闘になり、これを撃破したと言っていたが、中身は空だったという。おそらく魔法で操られていたのだが、会話から察するに白鎧は評議国の使いだと報告を受けている。

 

「あいつは?」

 

「再度、カイレ様を伴って任務へ出た。今度こそ法国の手駒を増やすのだ。」

 

「ふうん。上手くいくといいけど。」

 

「今度は風花聖典もバックアップに入る。万全だ。」

 

「それでどうにかなるかなあ。」

 

 この間も彼女はルビクキューから目を離さない。彼女はそれをカシャカシャと擦り切れた音を出してリズミカルに回転させていた。彼女の指の動きは、目的を持ってそれを動かしているというよりかは、ギミック自体を楽しむように、無作為に回転させているようだった。

 

 あれでは一生、六面揃わないだろうな、とレイモンは思った。

 

「もし、あいつが任務に失敗して破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)が法国に危害を加えるような事があれば、処理を頼むかもしれん。」

 

「まあ、今まで暇してたし、思い切り暴れられるのは楽しみかも。」

 

「そうか。いつでも動けるよう準備はしておけよ。話は終わりだ。」

 

 そう言ってレイモンは絶死絶命の前を通り過ぎていく。レイモンはつい先ほど彼女のルビクキューに意識を向けたせいか、無意識に、ほんの手すさび程度に、彼女の出すカシャカシャというリズムに歩調をカツカツと合わせた。

 

「あっ。」

 

 絶死絶命が今日初めて感情のこもった声を上げる。珍しい出来事にレイモンは踵を返して彼女を見た。

 

「どうした?」

 

 

 

 

 

「二面揃った。」

 

 

 




残りの石の松明のメンバーの名前
戦士2→ソンボー
信仰系魔法詠唱者→フライマ
彼らの名前はある小説から拝借しています。


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第20話 悪魔的勢力実演(でーもんすとれーしょん)

今回はグロテスクな表現を一部含んでいます。
苦手な方はご注意ください。



 リカオン達──リカオンとクレマンティーヌ、蒼の薔薇、クラルグラ、石の松明、漆黒の剣、そしてアインズの20人余り──は悪天候により泥のような歩みを強いられていた。地面のぬかるみが、冷たい風雨が一行の体力を奪う。

 

「日を改めた方が良いのでは。この状態では碌に本隊との連携もとれんだろう。」

 

 石の松明のフライマが言った。投げかけた先は名目上、隊のリーダーであるアインズだ。そしてラキュース(一番頼りになる人)に目を滑らせて同意を求めるような視線を向ける。漆黒の剣のメンバーなど、幾人かの表情はフライマに同調するものだった。

 

「本隊との連携なんて始めから無いようなもんだ。それに都市には大規模作戦を延期できるだけの時間は残されてねえ。悠長な事をやってると干からびちまうよ。」

 

 先頭を行くイグヴァルジが吐き捨てるように言う。

 

 イグヴァルジの言うことはもっともだ。流通が止まっている状況でこれ以上問題を先延ばしにすれば、都市の食料は底をつき、都市を捨てるか、都市と心中するかの選択をしなければならなくなってしまうことだってあり得る。

 

「…そういうことだ。」

 

 アインズが重々しく決断を下すと、今の天気のように沈んだ雰囲気が一行を包んだ。皆、頭ではイグヴァルジの言うことを分かっていたが、この行軍はそれほどまでに身体的に負担がかかっているのだ。

 

「仕方あるまい。これを使うか。」

 

 アインズは懐から10センチほどの細長い円筒形のマジックアイテムを取り出すと、上面を親指で2回押し込んだ。するとカチカチというクリック音と共に、薄黄色をした半球状の膜がアインズを中心にして一行を包み込んだ。

 

<矢除けの天蓋(キャノピー・オブ・プロテクション)>だ。

 

 この魔法は一定時間の間、飛び道具を、低位のものなら跳ね返し、中位のものは威力を減退させるという汎用防御魔法である。アーチャー系職業(クラス)最上位である神箭手(メルゲン)の攻撃などはバスンと貫通し、消滅してしまうのはご愛嬌だ。

 

 この魔法の特筆すべき点は防ぐ対象を物理や魔法に限定しないところだ。単純な風雨も通さないようになっている。ユグドラシルでは天候:雨に弱い種族のプレイヤーキャラがよく傘がわりに使っていた。

 

「ゴウン殿、そのマジックアイテムは?」

 

 ラキュースが珍しいものを見たという顔で、アインズの手に持つ円筒形のアイテムを指差した。

 

「ヴラド商会から貸し受けたものだ。」

 

 という設定である。本当はアイテムボックスの底を浚って、今しがた探し当てたものだ。アインズは皆に見えるよう持っているアイテムを人差し指と親指で摘んで、鉛筆を曲がっているように見せる錯視の要領でユラユラと揺らした。ヴラド商会を売り込むチャンスと捉え、商品を見せびらかす意図だ。

 

「そんなモンがあるならさっさと使えってんだ。」

 

 イグヴァルジが隠そうともせず大きな声で言った。同時にクラルグラのメンバーの顔が引きつったが、アインズはさして気にしてもいないらしく、声のトーンを少しも変えずに答える。

 

「これは魔力充填型のアイテムだ。一度使うと込め直しが必要になる。本当は戦闘時に敵の魔法を防ぐために使いたかったのだが、目的地に着く前にへばってしまっては元も子もないと思ってな。」

 

 一行はアインズの口ぶりから、モンガと一緒に居たという、黒髪の魔力系魔法詠唱者(マジック・キャスター)を思い浮かべ、それに対抗するために用意されたマジックアイテムなのだと理解した。そして、アインズが一行の様子を見かねて、本来の使用用途と違う目的で使ったのだとも思った。どこからか短い舌打ちが聞こえた。

 

「そのマジックアイテム、少し見せてくれないか?」

 

 イビルアイが腕を伸ばしながら馬上のアインズに尋ねた。姿だけ見ると、イビルアイの外見のせいか、小さい子供が親に抱っこをねだる仕草によく似ていた。

 

「ええ。」

 

 アインズは姿勢を低くして渡そうとしたが届かず、結局それをイビルアイに投げてよこした。イビルアイはマジックアイテムを手中に入れるや否や、躊躇いもせずに鑑定魔法を掛けた。

 

「これは面白いな。さしずめ魔法の容れ物といったところか。」

 

 このマジックアイテム、名前は魔封じの円匣というもので、数ある"魔封じの〜"シリーズの1つだ。シリーズ最高ランクの魔封じの水晶に比べ、位階の低い魔法しか込められないが、何度でも使えるエコなシロモノである。

 

「発動している魔法を込めたのはあなたか?」

 

「いいや。もともと込められてあったものだ。」

 

「では、ヴラド商会の人間に高位の魔法詠唱者(マジック・キャスター)がいるということか。」

 

「詳しくは知らないが、商会のお嬢さんは魔法詠唱者(マジック・キャスター)らしいな。」

 

「そうなのか。ところで、これに私の<水晶防壁(クリスタル・ウォール)>を込めていいか?」

 

「ああ、君達で持っておくといい。」

 

 イビルアイは魔封じの円匣に、<時間延長化(エクステンド)>した<水晶防壁(クリスタル・ウォール)>を込めると、先頭を行くクラルグラにそれを渡していた。

 

「一度、休憩を挟もう。ついでにヴラド商会から預かったアイテムを分配しておこうか。」

 

 

 ーーー

 

 

<矢除けの天蓋(キャノピー・オブ・プロテクション)>の中で、一行は疲れを癒していた。火を起こし、濡れた体を乾かす。簡素に組まれた篝火の側で、アインズがヤードセールの店主めいて、取り囲む冒険者達にマジックアイテムを見せびらかしている。

 

「これは武器に火属性を付与するアイテムだ。」

 

 アインズは懐からブレスレットを取り出して言った。オレンジ色をした楕円球の宝石があしらわれた一品だ。

 

「手首に嵌め、アイテムの力を引き出せば、装備している武器が5分間、火炎の追加ダメージが入る魔法武器になる。」

 

 おお、とどよめきが起こる。

 

(リアルで営業していた時は、顧客がこんなに商品に興味を持ってくれた事は一度も無かった。ううっ、こんな時に嫌な記憶が。)

 

「威力はどれぐらいなんです?」

 

 クラルグラのウェッジが人懐っこい笑みを見せながら聞いてきた。

 

「ん、そうだな。ルクルット、これを付けて一発矢を射ってくれ。的はあれだ。」

 

 アインズは<矢除けの天蓋(キャノピー・オブ・プロテクション)>範囲ギリギリの15メートル程先にある岩を指差した。

 

「お、俺?」

 

 ルクルットが促されるままマジックアイテムを受け取った。おそらく漆黒の剣全員の装備より高価であろうブレスレットを恐る恐る左手に巻き付ける。どう見ても金属のブレスレットなのに、ルクルットが装備した途端、径が変わって手首にぴったりくっついた。

 

「すげえ…。付けただけで使い方が分かる。」

 

 ルクルットは弓を構え、右手で矢をつがえた。まるで以前から知っていたかのように腕輪の力を引き出す。オレンジ色の宝石の持つ温もりが、確かな熱を持った。ルクルットはその熱が手首から指先を伝い、弓に伝播していく感覚を覚えた。見れば鏃がぼんやりと赤く光っていた。

 

 無造作に撃つ。この距離なら目をつぶっていても当てられる。

 

 矢は岩の真ん中に当たった。当たって、岩を()()()()。矢が通った跡はどろりと溶融してオレンジ色に変色し、しゅうしゅうと白い煙を上げていた。不思議な事に、矢自体に損傷は無かった。

 

「すご…。」

 

「こんな感じだ。ルクルット、それは君が持っておけ。」

 

「え、いいんすか!」

 

 アインズの言葉に異を唱えるものはいなかった。その理由は、既にこの場にいる殆どの人間にマジックアイテムを配り終えているからだ。どのマジックアイテムもルクルットの付けている腕輪と遜色無い効果を持つものばかりだ。

 

「あと、行き届いてないのは…。」

 

 アインズは周りを伺う。そしてラキュースがまだだという事に気がついた。

 

「ラキュース嬢は自前のもので充分か?」

 

 アインズがそう聞いたのはラキュースには両手全ての指に嵌められたアーマーリングが有ったからだ。

 

「えっ。」

 

 マジックアイテムを貸してもらう気満々だったラキュースは戸惑いの声を上げる。

 

「その指のはマジックアイテムだろう?流石はアダマンタイト級冒険者だ。装備も充実している。」

 

「あ、ち、違います。」

 

 ラキュースは少し恥ずかしそうに答えた。アインズは小首を傾げる。

 

「マジックアイテムではないとしたら格闘用の装備なのか?」

 

 剣の握りを邪魔しないよう、ナックルダスターの代わりに、それぞれ指にリングを嵌めているのかと思ったのだ。

 

 ふるふると首を振るラキュース。なんだか様子がおかしい。

 

「どういうことだ?」

 

「え、えと。」

 

 いつもと違い、ラキュースの歯切れが悪い。落ち着きなく指を組んだり、リングの1つを外しては付けるを繰り返す。

 

「リーダーのそれは趣味だ。」

 

「ちょっ! ティナ!」

 

「えーと…ファッションってこと?」

 

「うぐっ。」

 

 どうやら当たりらしい。ラキュースは唇を思いっきり噛んでいた。怒りや苛立ちではなく、焦りと羞恥のためだ。

 

「カッコいいと思って付けてるだけ。」

 

 割と容赦無いティア。本人は淡々と説明しているだけで悪気はない。

 

「…。」

 

 ラキュースの顔が見る見る内に赤に染まっていく。

 

 これは、あれか。彼女も十字架を背負って生きているんだな。俺も経験者だから分かるよ。うん。これ以上傷口を広げないようにしよう。

 

「私も()()()()()にやってた。すぐ辞めたけど。」

 

 リカオン の おいうち! こうかは ばつぐんだ!

 

「ぐわぁあーー! もうやめてくれえぇーー!」

 

 奇声を発しながら地面をのたうちまわるラキュース。他人から冷静に突っ込まれると辛い。辛いよ。その憐憫の目をやめろ!私を見るな!

 

 一行は慌ててラキュースを取り押さえる。宥めすかして、なんとかティーンエイジャーだからギリギリセーフだよね、ということに落ち着いた。

 落ち着いたったら落ち着いた。

 

 

 ーーー

 

 

 一悶着の後、アインズは本隊と連絡を取ると言って一行から離れ、ナザリックからの通信を受けていた。

 

『アインズ様。』

 

『ソリュシャンか。』

 

『全員、配置に着きまして御座います。』

 

『そうか、ご苦労。』

 

 簡単な定期連絡であり、いつもならここで通信が切れるはずなのだが、ソリュシャンはなかなか<伝言(メッセージ)>を切ろうとしない。

 

『どうした?』

 

 幾らか逡巡する時間があり、その後、意を決したらしいソリュシャンは通信を続ける。

 

『僭越ながら、御質問したい事が。』

 

『言ってみろ。』

 

(うぇ、なんかヤバイことか? 俺なんか見落としてる?)

 

『リカオンという女、探知能力に優れています。潜伏しているシモベ達が気づかれてしまうのではないかと案じております。』

 

『え、ああ、そのことか。問題ないぞ。』

 

 アインズの確信的な回答。

 

『左様でございますか。』

 

 ソリュシャンの声音は、アインズの言うことだから間違いないのだろうという信頼と、それでもリカオンという強者に対する不安が()()ぜになったものだった。

 

 アインズはそのソリュシャンの心配を感じ取り、なぜ自分が確信しているか、説明をしてやる。

 

『あの女のビルドはグラディエイター系列(ルート)のアシュラだろう、ベンケイも入ってるかな。典型的な超近接物理アタッカーだ。レンジャー系の職業(クラス)も取っているかも知れないが、あっても低位のものに違いない。そういった手合いは探索スキルに乏しいのだ。』

 

 アシュラやベンケイといった上級近距離攻撃職業(クラス)とサーチャーといった上級探索職業(クラス)はスキルツリー上、前提となる職業(クラス)が違いすぎて両立する事が出来ないハズだ。

 

『以前、あの女が我らを発見出来たのはいかなる理由なのでしょうか。』

 

 ソリュシャンはシャルティアとセバスと共に行動していた時の事を聞いているようだ。

 

『あれは剣士系の()()スキルによるものだ。()()ではない。この違いは大きいぞ。前者が受動的な索敵で、後者が能動的な索敵だ。』

 

『なるほど。意図的に敵を探っているわけではないという事で御座いますか。こちらから手を出さなければ、相手も認識出来ない。』

 

 ソリュシャンは本当に聡い。

 

『そうだ。』

 

 感知は自分に対してターゲットが向いているものしか発見出来ない。つまり、敵に照準固定(ロックオン)されている、敵の攻撃の範囲に入っている等の状態でなければ相手を認知しない。"自分を囮にした逆探"というイメージが一番分かりやすいか。因みに不特定多数の敵を想定した(トラップ)も発見できる。

 

『答えて下さりありがとう御座いました。それに、出過ぎた真似を致しました。御無礼をお許し下さい。』

 

『いやいや、確認は大事な事だ。そうだな、念のため、あの女を幻術範囲に入れないようシモベ達に通達を出しておこう。細心の注意を払うようにと。』

 

『ハッ。』

 

 そろそろ休憩を終えて、進まなければならない頃合いだ。<矢除けの天蓋(キャノピー・オブ・プロテクション)>の効果時間も限界に近い。

 

『ソリュシャン、タイミングは大丈夫か?』

 

『モモン・ドッペル及びナーベラル・ドッペル、共に万全です。巨大樹を動かすのも予定通りそちらが森林地帯に差し掛かる直前で宜しいでしょうか。』

 

『ああ、頼んだぞ。それと、生かしておくリストは把握出来ているか?』

 

『はい。◯がなるべく殺すな、△が反撃なら可、×が制限無し、で御座いますね。』

 

『その通りだ。◯はあいつとあいつだ。あとは──。』

 

 アインズは最終確認を終えると、ソリュシャンから<伝言(メッセージ)>を切るのを待って、問題無く切られたのを確認すると、一行のいる方へ歩み出した。

 

 

 ーーー

 

 

「もう少しで森の入り口に着きますよ。」

 

 一行は山を囲むように広がるトブの大森林の南にせり出した部分を目前としていた。深い森の入り口はまるで怪物の顎のよう。彼らを呑み込んで胃の腑に入れてしまおうとしている。

 

 森の中からは巨大なものが引き摺られるようなズリズリという音が聞こえて来る。おそらく巨大樹の触手が地面を這っている音だろう。目標の巨大樹は森の深部にいる。森から突き抜けた巨体が既に遠目から見えていた。

 

「さあて、お前ら、気合い入れてけよ。」

 

 ガガーランは自らにも言い聞かせるように言葉を発した。全員が一度、自分の得物を固く握り締める。森に入ってしまうと一時巨大樹の姿が見えなくなる。より一層の注意が必要だ。

 

「待て、何か様子がおかしい。」

 

 イグヴァルジが鋭く言葉を発して、一行の進みを制する。彼の探知能力はアインズから渡されたマジックアイテムによって強化されており、人並外れた聴覚を獲得していた。

 

 イグヴァルジに倣って、息を潜めつつ耳を澄ませば、メキメキという木々がなぎ倒される音が聞こえてきた。森の奥まった場所から響き渡ってくる。

 

「ちょっと。なんかこっち来てない!?」

 

 音の正体はすぐに分かった。天を衝くほどの巨大な樹。それが木々を掻き分けて進んでいる。2週間の間、その場にとどまっていた巨大樹が今になって移動を開始していたのだ。

 

「ゴウンさん! もう魔法で動かしてるのか?」

 

 クラルグラのビッグスが慌てて聞いた。

 

「いや、私ではない。」

 

 巨大樹はこちらに向かって来る。動きは緩慢だが、巨体ゆえにかなりのスピードを持っている。一行との距離は離れているが、数分もしない内に平野に出て来るだろう。

 

「グオオオオオオオ!!」

 

 巨大樹は大音量で叫び声を上げた。人や獣が出すものとは違い、抑揚の無い無機質な叫び声だ。そしてそれは音というよりかは地鳴りに近かった。その振動が、触れている空気から、立っている地面から一行を襲った。

 

「──ッ!」

 

 体の内側からひっくり返るような揺れだった。側にいたら、それだけで内臓をぶち撒けて肉塊に成り果てるのが容易に想像出来た。

 

「どうにかなるのか…、あんなもの…。」

 

 一行の顔に絶望の翳りが差す。分かりきっていたことだが、巨大樹は人がどうにか出来るレベルを遥かに超えている。ほとんどの者が死を覚悟した。

 

「言っただろう。あいつは私がなんとかする。君達は他の敵に警戒してくれさえしてくれればいい。」

 

 アインズが<飛行(フライ)>を使って空中に踊り出た。威厳のある声と頼もしい背中。巨大樹を前にして全く動じないアインズに誰もが希望を見出した。視線がアインズに釘付けになる。

 

「ぼさっとしてんじゃねえ!何か来る!」

 

 イグヴァルジがマジックアイテムに底上げされた常人を超える感知能力で、一行の左側面から飛んで来る何かを捉えた。

 

 しかし、その警告は遅すぎた。

 

 ズドン、と重いものが墜落した。そして金属同士が重なって鳴らすガチャリという重低音。ゆらりと人型が立ち上がった。漆黒の甲冑姿に、赤いマントを纏う怪人。暴力を具現化した存在、モンガだ。

 

 その場の空気が凍りつき、誰もが固唾を飲んだ。

 

 見ればモンガは足元に大輪の赤い花を咲かせていた。赤と黒のコントラストは美しくすらあったが、皆がそれの正体に気がつくと、血の気が引く思いがした。

 

 花は生臭い匂いを漂わせていた。所々に鈍く光を反射する()()()()したピンク色のものが散らばっていた。その正体は血と臓物、クラルグラのメンバーの1人、ウェッジだったものだ。

 

 圧死したのだ。原形を留めずに。

 

 全員が呆気にとられていた。その周りに引き換え、悪夢は何事もなかったのように、散歩するような気軽さで徐に歩き出した。甲冑には魔法が掛かっているのか、つい先ほど人間を撒き散らしたにも関わらず、汚れひとつ付いていなかった。

 

「ひっ!」

 

 ニニャが思わず悲鳴を上げた。さっきまで隣で喋っていた人が、ひどく無惨に、呆気なく死んだ。その原因が近づいてくるだけで、身の毛もよだつ恐怖に襲われていた。

 

「<集団(マス)獅子ごとき心(ライオンズ・ハート)>!」

 

 ラキュースが魔法を飛ばす。闘争心が恐怖を塗り潰していき、辛うじて誰も逃げ出さず、パーティー壊走の危機は免れた。全員が迫り来るモンガに集中し、敵の攻撃に備えた。

 

 それがいけなかった。

 

 背後から<転移(テレポーテーション)>で現れた新手が、一行に向かって魔法を放ったのだ。モンガだけに気を取られていた一行は魔法に抵抗(レジスト)出来ない。

 

「<魔法抵抗難度強化(ペネトレートマジック)吹き飛ばしの風(ブロウオフ・ウインド)>。」

 

 瞬間、目を開けていられないような突風が吹きすさぶ。

 

「うわっ!」

 

「きゃっ!」

 

 何名かの短い悲鳴が聞こえた。風が止み、リカオンが目を開けて辺りを見回すと、自分とアインズだけがそこにいた。他のメンバーや敵の姿は忽然と消えてしまっていた。

 

 

 ーーー

 

 

「ダメージは無し。強制転移系の魔法か。」

 

 アインズが冷静に状況を分析する。

 

「術者よりレベルの低い相手を乱戦エリアから離脱させる類のやつだ。私達は効果を受けなかったみたいだな。敵は自ら転移したらしい。」

 

「それじゃあ、早くみんなを探さないと。モンガより先に──。」

 

「グオオオオオ!!」

 

 焦り出すリカオンを尻目に巨大樹が二度目の咆哮を上げる。振り返れば、今の間にかなり距離を詰めて来ていた。巨大樹に跳ね除けられた枝や葉がチラチラと降り注いできている。

 

「他のメンバーも心配だが、先ずはあれを何とかせねばなるまい。」

 

 アインズが空中で姿勢を制御し、魔法を唱える。とはいってもフリだけであるが、これは同時にシモベ達に対する作戦開始の合図となる。

 

(さて、上手いこと冒険者を分散させられたし、予定通り進めていくか。ん?)

 

 アインズが浮いている下をリカオンが通り、巨大樹に向かってスタスタと歩き出した。

 

『スキル:焼山』

 

 リカオンは肩幅に足を開き、突剣を抜き放った。そしてその突剣と右手の打撃武器を火打ち石の如く擦り合わせ、火を(おこ)した。刀身が輝く赤色に染まる。

 

「何をしている?」

 

 こちらを見上げて、にかっ、と歯を見せて笑うリカオン。

 

「別にあいつを倒してしまっても構わないんでしょ?」

 

 

 

 

 

 

「えっ。…やめて?」

 

 

 

 

 

 




<吹き飛ばしの風>
自分のいる乱戦エリア(半径20メートル)内の敵を、自分と敵を結んだ線分の延長線上に強制的に吹き飛ばす。吹き飛ばし距離は50メートル+(発動者のレベル−対象者のレベル)×20で計算。魔法抵抗されると吹き飛ばし距離は3分の1になる。
ダメージ判定無し。

主に、めんどくさい雑魚をすっ飛ばすニフラム的な利用や、ヘイトを集める敵の盾職などを乱戦エリアから離脱させ、戦闘を有利に進める目的で使われていた。

現在の状況
南東側からナーベラル・ドッペルが奇襲。
→北西側に吹っ飛ばされる。
イビルアイが300メートル先
他の青の薔薇+クレマンティーヌが700メートル先
クラルグラが900メートル先
石の松明が1キロメートル先
漆黒の剣が1.1キロメートル先
※イビルアイを除き、冒険者はグループ単位でレベルが一緒であると想定しています。
※全員森の中に突っ込んでますが、ギリギリザイトルクワエの触手範囲外です。イビルアイがちょっと掠るぐらい。

発動後、モモン・ドッペルとナーベラル・ドッペルは吹っ飛ばした奴らがアインズの方に来ないようにするため、転移で北西に追いかけて行ってます。


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第21話 みんながみんな崖っぷち

今までで1番中二病の回。
いろんな意味で閲覧注意だぞ!


「えっ。…やめて?」

 

 ぺかー。

 

 精神の沈静化が起こる。リカオンの行動と、それに対して自分が発してしまった不用意な発言がもたらした焦りが、閾値に達してしまったためだ。

 

 焦るアインズに対して、当のリカオンは巨大樹に向き直ると、再びスタスタと歩き出した。どうやら聞こえていなかったようだ。距離が離れていたことと、小声だったこと、それに相手が人の話を聞かないバカだったことが幸いした。

 

 いや、問題は解決していない。

 

 ここで巨大樹を倒されるとアインズの手柄にならない。計画が全部パァだ。こんなに大規模にシモベを動員しているにも関わらず、また失敗するのか。NPC達に何で説明すりゃいいんだ。特にデミウルゴスは無能過ぎる上司にそろそろブチギレるんじゃないか?

 

 やばい。喉が存在していたら、ごくりと生唾を飲む音が聞こえただろう。

 

(あばばば。いや、まだだ。まだあの女が巨大樹より弱い可能性が残っている!)

 

 アインズが通常の思考回路では到底考えられない希望的観測に一縷の望みを託している間にも、リカオンはどんどん巨大樹との距離を詰めていく。

 

 リカオンはスキルによってジェダイの剣(ライトセーバー)と化した突剣を手でくるくると弄びながら巨大樹に近づく。その足取りには警戒というものが微塵もなかった。

 

 突剣の光は闇で踊るサイリュームを思わせて綺麗ではあったが、同時に暴力的な熱量を湛えていた。雨に打たれてもその勢いは衰えず、むしろ水を蒸発させてヂヂヂと音を発している。

 

 リカオンの目の前で巨大樹から伸びる触手の一本が横薙ぎをする。半径300メートルの四半円上の木々が根こそぎ打ち倒され、破片が宙を舞う。大質量の物体が巻き起こす乱気流でそれらが千々と砕ける様は森を粉砕機にかけているかのようだった。

 

「とうっ!」

 

 あろうことかリカオンは巨大樹に向かって大きく跳躍した。目の前の光景など関係ないと言わんばかりに殺戮領域(キル・ゾーン)に飛び込んでいく。そして空中で落下しつつ、1番近くの触手に狙いを定めると剣を突き立てた。

 

 パキッ、と火に()べられた生木が爆ぜる音。木のくせに、触手が脊髄反射の如くビクリとのたうつ。

 

『スキル結合(リンク)突+突:焼山・郷照』

 

 リカオンがスキルを発動させると、突剣の光が揺らめいて大きくなった。上空に噴き上がった炎は次の瞬間、一気に収縮して触手の内部に潜り込む。

 

「くらえぇーい!」

 

 リカオンがいるところを中心にド派手な爆発。触手先端部分の20メートル余りがちぎれ飛んだ。

 

「グオオオオオ!」

 

 巨大樹が平坦な叫び声を上げる。しかしそこには苦痛という確かな感情があった。だが巨大樹の受難はまだ終わらない。突剣から流し込まれた炎が敵の一部だけでは飽き足らず、全てを焼き尽くさんと本体に向かって触手を駆け上がってきたのだ。暴れるように手を喰い荒らしていく炎に、巨大樹は再び苦痛の叫びを上げさせられた。

 

「グオオオオオ!!」

 

 このまま全てを焼き尽くしてしまうかと思われた炎は突然、進行を止められた。道が途中で途切れた──巨大樹が焼かれる触手を自切したのだ。

 

「おりょ?そういうことするんだ。」

 

 炎は本体から離れた触手を名残惜しそうにしばらくいたぶると、やがて雨に打たれ大人しくなった。

 

 巨大樹は歩みを止め、自分の肢体をもぎ取った相手を探す。それが地面を這う小さい動物だと分かると残る五本の腕を持ち上げ、先端を相手に向けた。蛇が鎌首を擡げる様によく似ているが、これが彼なりの怪訝と警戒の仕草だった。

 

 観察の後、巨大樹は小さい動物が持っている赤くて熱い枝が危険だと認識すると、彼は口──さっきから叫び声を発している、幹の途中にポッカリ空いた部分──をモゴモゴと噤んだ。

 

 次の瞬間、巨大樹から人間の頭ほどある弾が高速で吐き出された。その数、10や20では収まらない。

 

「うおっ。これはやばいかも。」

 

『スキル:甲山』

 

 リカオンは右手を高く掲げる。効果範囲内の飛び道具の目標(ターゲット)状態(ステート)を奪い、ダメージ判定を無効に……しなかった。弾がリカオンに直接着弾する前に炸裂したのだ。地面にクレーターが出来るほどの爆風が起きる。

 

「ぶべらっ!」

 

 スキルを使って吸い寄せたのが逆に仇となり、吐き出された殆どの弾がリカオンに集中した。スキル範囲が乱戦エリア全体であり、後方に飛んでいく弾も対象になったので、ほぼ全方位から攻撃をくらってしまった。

 

(おおっ!やった!)

 

 アインズは心の中でガッツポーズをする。このままそいつを亡き者にしておくれ!

 

「うぐぐ。」

 

 リカオンは剣を杖にして、なんとかよろよろと起き上がる。

 

「おのれ、よくもやってくれたな。ぜっっったいにゆるさん。」

 

 5割ぐらいは自分のせいなのだが、それは棚に上げて巨大樹を睨むリカオン。対する巨大樹は炸裂弾が有効と見るや再度発射姿勢に入っていた。

 

 リカオンはスキルを発動する。

 

『スキル:金泉』

『スキル:鶴林』

『スキル結合(リンク)突+突:鶴林・西林』

『スキル結合(リンク)突+突:西林・竹林』

 

 まずスキル効果を重複可能に。さらに突属性スキルのダメージ乱数とHit数を最大に固定する。そして攻撃判定持続時間延長を施した。

 

 リカオンは周囲の様子を一瞥。足を肩幅に開き半身にして、背筋を伸ばす。左足のつま先相手に向けて、右足は45度開いて膝を柔らかく曲げた。すう、と息を吸い、突剣を持つ腕の脇を締め、(きっさき)を敵に向けた。正面から迎え撃つつもりらしい。

 

 そこに、巨大樹から弾が吐き出される。おおよそさっきの2倍ぐらいの数の弾がリカオンに迫る。リカオンは足下にあった拳大の石を手首のスナップを使い剣先で巧みに掬い上げ、迫り来る弾に向けて弾き飛ばす。

 

 石は炸裂弾と衝突するが、残念ながらなんの変化も起こさなかった。

 

「なるほどね。」

 

 リカオンは敵の炸裂弾の特性を分析する。さっきの攻撃では殆どの弾がリカオンに集まったが、いくつかスキル範囲から漏れてるものもあった。辺りを見たとき、それらについても不発弾は無かった。

 

 つまり、弾は自分に反応して爆発した訳ではない。石をぶつけても何も変化しなかった事から、接触爆発もしない。

 

 では、時限で爆発するか、本体との距離が離れれば爆発するか。先の弾が全て同時に爆発したことから、前者の可能性が高いだろう。いずれにせよ。

 

「よいしょ。」

 

 リカオンは前に駆け出し、弾に肉薄する。至近距離でも弾の爆発はない。

 

『スキル:三角』

 

 リカオンは補助スキルを発動する。これは自分の攻撃判定にミサイル・パリィを付与するものだ。

 

「切断はじき返してェェェ!」

 

 左足を大きく踏み込み、リカオンは弾の1つに剣を振るう。鋒に弾が当たると、ミサイル・パリィの効果で進行方向をきっかり180度変えた。リカオンは続けて攻撃スキルを発動する。

 

「オラァ!」

 

『スキル:白峯』

 

 リカオンは突きを放った。迫る炸裂弾と同じ数。それは全て一瞬のうちに行われた。

 

 車軸を流すような剣閃の束。

 

 全ての弾が進む方向を真逆に変えられ、少し遅れてそれらが爆発した。激しい爆風で髪がなびくが、今度はダメージ無しだ。

 

「時限みたいね。」

 

 リカオンはギラリと獰猛に目を光らせ、突剣を得意げにくるりと回す。

 

「ググググ。」

 

 巨大樹は忌々しそうにリカオンを見下す。触手を左右に振って警戒の色を強めている。

 

(がんばれ、負けるな、イビルツリー(大)!)

 

 アインズはすっかり観戦モードに入っていた。

 

 

 ーーー

 

 

「ふむ、はぐれたか。強制的に移動させられたな。」

 

 1人森の中で佇むイビルアイ。周囲を見渡すが、自分以外に人影は見当たらない。ただ、木によって視界は通ってないが、あいも変わらず巨大樹だけが無駄に存在感を放っている。かなり近いところを通り過ぎているのが森の木々をなぎ倒す音でわかる。

 

「グオオオオ!!」

 

 大音量の叫び声に、咄嗟に耳を塞ぎ口を開ける。これだけ近ければ衝撃波だけで鼓膜が破裂してしまいそうだ。

 

「ゴウン殿は無事だろうか。アレに轢かれてたら任務失敗だな。」

 

 イビルアイはスクロールを取り出し、<伝言(メッセージ)>を発動する。一枚しかストックがないので迷ったが、相手はラキュースにする。問題なく繋がり、彼女はリーダーが生きている事にひとまず胸を撫で下ろした。

 

『ラキュースか。』

 

『イビルアイ!無事なのね!』

 

『ああ、何処にいる?1人か?』

 

『場所はわからない。蒼の薔薇のみんなとクレアさんは一緒。』

 

『そうか、こっちは1人だ。』

 

 ゴウン殿の生死がわからんな。他の冒険者も心配だ。リカオンは…、ほっといても死なないだろう。

 

『巨大樹は見えるか?』

 

『見えない…けど、いる方向は音でわかる。』

 

『方角はわかるか?』

 

『ごめんなさい。森の中に吹き飛ばされて、どっちを向いているのかわからないわ。』

 

『概ねわかった。取り敢えず巨大樹から離れるように移動しろ。』

 

『ええ、そうするわ。』

 

 そこで<伝言(メッセージ)>を終了させる。

 

 さて、自分はゴウン殿を探すか。自分が吹き飛ばされる前、確か彼は<飛行(フライ)>を使っていた。この状況では森の上にいる可能性が高い。自分も飛べば見つけられるかもしれない。

 

 そう思い立ち、<飛行(フライ)>を唱える。枝葉を縫うように飛び、開けた上空へと向かう。

 

「ぷはっ。」

 

 息の詰まる鬱蒼とした森から抜け出すと、冷たい風雨に晒される。そこでイビルアイは探すまでもなく、空中に浮かぶ人影を見つけた。しかし、その影はアインズではなかった。

 

「お前は、化け物の片割れか。さっきぶりだな。」

 

 茶色の外套と烏の濡れ羽色の長い髪。モンガの付き人の魔法詠唱者(マジック・キャスター)だ。

 

 雨に濡れ、水の滴る黒髪が、より一層女の白い顔を引き立てている。その美しさは人のものではなく、やはり妖魔のそれであった。女は何をするでもなく、イビルアイに敵意を灯した炯眼を向けている。

 

「どうした? 来ないのか?」

 

「あなたは△なのよね。」

 

 女の声はどこまでも冷たい、研ぎ澄まされた刃を思わせた。

 

「は?どういう意味だ?」

 

 イビルアイが聞いても、質問の答えは帰って来なかった。さっきの発言は自分に向けられたものではなく、ただの独り言だったらしい。イビルアイは路傍の石のように扱われたことに少し苛立ちを覚えた。

 

 イビルアイはすぐにでもアインズを探したいところだったが、目の前の女は無視して通り過ぎられる相手ではない。何より、女から向けられている殺意が尋常じゃない。進もうとすれば闘いになるのは必至だと思えた。

 

 そんな2人の緊張を煽るようにして、雨脚はどんどん強く、ついには横殴りとなり、視界を白く染めていった。もはやお互いしか見えないという状況が、頭の中の"戦う"以外の選択肢を塗り潰していく。

 

「どいてもらおうか。」

 

 イビルアイは<水晶の短剣(クリスタル・ダガー)>で威嚇射撃。イビルアイの手元で生成された透明の刃が弾丸のように撃ち出される。それは女の腕を掠め、服の一部を切り裂いた。

 

「次は容赦しない。」

 

 イビルアイの脅しも気に留めず、女は自分の腕に一筋ついた赤い跡をじっと見つめる。

 

()()()()()()()()()。」

 

 イビルアイに向き直った女の口元はゾッとする笑みを浮かべていた。

 

 

 ーーー

 

 

 暗い森の中でヴォールが直面しているのは紛れもない悪夢だった。

 

「くそっ!フライマ、ソンボー。くそっ、くそっ!」

 

 悲痛な声で、首から上がなくなってしまった仲間や、真ん中で縦に半分になってしまった仲間の名前を呼ぶ。

 

 ヴォールは魔法を敵に向かって何発も撃った。彼の得意とする風の魔法は黒い甲冑に届くどころか、全て手前でかき消されたが、お構い無しだった。

 

 モンガの横薙ぎで、クーリシュが真っ二つになった。"逃げろ"と叫ぼうとして、口を開いた表情のまま、永遠に動かなくなった。

 

「クソがぁああ!!!<風刃(エア・ブレイド)>!!」

 

 ヴォールの魔力は尽きていたが、生命力を魔力に変換して撃ち続けた。体中で鈍い痛みが走っている。骨や筋肉が軋んで、体を支えるのを放棄しようとしている。脳が酷い脱力感を訴えていた。

 

「ヴォール!もうやめろ!」

 

 テトラントが制止の声を上げる。ヴォールの身体はいたるところに血が滲み、とても見ていられるような状態ではなかった。

 

 それでもヴォールはやめなかった。やめない事でいつか相手を打ち倒す事ができると信じているようだった。事実、彼はこの時生まれて初めて第4位階の魔法を行使した。魔法の連続使用による技術の練磨と感情の昂りによって、マジックキャスターとしてより高みに到達したのだ。

 

「<暴風(ストーム)>!!」

 

 しかし、第4位階の魔法であろうと、結果は変わらなかった。魔法はかき消され、敵に傷を負わせる事は出来なかった。

 

「今だ。武技<迅速>。」

 

 仲間が暴走していてもテトラントは驚くほど冷静だった。巻き上がった風の魔法が相手の視界を塞いでいるうちに彼は持ち前の素早さで敵の背後に回り込んだ。なんとか攻撃の糸口を掴もうとしたのだ。

 

 メイスで甲冑の薄い部分を攻撃する。彼の得意武器は刺突短剣(ピアッシングダガー)であるが、相手がスケルトンでは効果が無いので仕方がない。狙うのは左の膝裏。相手の機動力を削げれば、こちらの攻撃の組み立てがしやすくなるし、いざという時に逃げることも出来る。

 

 テトラントは体勢を低くしながら、素早い足さばきでモンガに詰め寄り、最小の動作でメイスを振りかぶる。リスクを嫌う彼らしい、隙の少ない堅実な攻撃動作だった。

 

 しかし彼の行動が功を奏すことはなかった。2人が交錯する刹那、モンガがぐるりと振り向くと、回転した勢いのまま、右拳でテトラントの顎をしたたかに打ち抜いたのだ。

 

 殴られたテトラントの頭は首の上で3回転して、ぶちり、とちぎれて地面に転がる。下顎は明後日の方向に飛んでいってしまっていた。

 

 その瞬間、モンガはびくりと肩を震わせ、後悔したように右手で顔を覆う仕草をした。テトラントの頭を恨めしそうに睨みつけている。

 

 ヴォールにその意図はわからなかったが、もはやどうでもよかった。モンガの一挙手一投足が全て腹立たしかった。意味不明な声を喚き散らして、魔法を放つ。

 

 その声を聞いて、黒い悪夢は思い出したように彼に向き直り、めんどくさげにグレートソードを振り上げた。

 

 ヴォールは逃げなかった。それどころか相手に向かって足を踏み出していった。一歩も動けるような状態ではなかったが、彼の爆発的な感情がそれを可能にした。体を動かす度、血が噴き出し、皮膚を伝っていった。

 

 ヴォールは魔法を撃ち続けた。

 

 その自傷行為によってヴォールが絶命するのと、グレートソードの一閃が彼の頭を吹き飛すのはほぼ同時であった。

 

 

 ーーー

 

 

 アゼルリシア山脈の中腹。ここにはアウラを総大将とする、馬の前にニンジン吊り下げ作戦本部がある。設備として集眼の屍(アイボール・コープス)8体の同時中継により、現場の把握及び索敵を行っていた。

 

「ふんふーん。順調、順調♪」

 

 ここで把握した情報をもとに15ある実行班に指示を出す。現在、作戦は当初の筋書き通り、順調に進行している。これから先は出来の悪い弟がトチりさえしなければ大丈夫だろうとアウラは踏んでいた。

 

「森を嗅ぎ回っていた()()()()()()()()ってやつらもさっき殲滅したし、不確定要素の排除はかんりょーう。」

 

 上機嫌で集眼の屍(アイボール・コープス)の定期連絡をチェックしていくアウラ。

 

「ん?ちょっと、もう一回2-F地点の映像出して。」

 

 アウラの指示で集眼の屍(アイボール・コープス)の一体が目をしばたたかせ、空中に中継映像を投射した。

 

「あちゃー。○を1人()っちゃったか。でもこれで目標殺害人数の5人をクリアしたし、最悪死体でもなんとかなるよね。次、4-E出して。」

 

 チャンネル回しをして状況確認をしていくアウラ。全ての地点を見終えると、モニタリングされた映像を消し、巨大樹がいる方向に目を向ける。あの地点だけはリカオンとかいう女がいるため、目視での状況確認をしなければならない。下手に魔法で見てしまうと、逆に発見(ディテクト)される危険があるのだ。

 

「あれ?」

 

 巨大樹の進行が止まっている。

 

「どうしたんだろ?アインズ様もあそこにいるはずだよね。」

 

 主が居れば問題ないと思うが、少し不安になってしまう。アウラは巨大樹周辺にいる実行班に連絡をつけ、緊急事態の発生が無いか調べることにする。

 

 アウラが<伝言(メッセージ)>を発動しようとした時、集眼の屍(アイボール・コープス)の一体が異常を知らせた。また別の箇所で動きがあったようだ。

 

「映像出せ!」

 

 アウラが鋭く指示を出し集眼の屍(モニタ)を起動させる。そこには森の南側から接近する部隊があった。確か気をつけるように言われていた()()()()()()()()()とかいうやつらだ。

 

「次から次へと…。まったく、暇しなくていい!」

 

 軽く悪態をつくアウラに、<伝言(メッセージ)>が入る。差し出し人は山の頂で空中観測を行っている部隊だ。

 

「今度は何!?」

 

 素早く応答するアウラ。

 

「1.5キロメートル先からこちらに向けて高速で飛ぶ巨大な影がある?なんでもっと早く見つけられなかった!」

 

『──。』

 

「雲の中を来たから目視できず、魔法感知の網にかかるまで気がつかなかった?ちくしょう!」

 

 アウラは頭を必死に回転させる。今いる部隊は幻術を扱う補助系モンスターが中心で、当然殆どが戦闘には不向き。これらでは主の命令である"こちらの存在は秘匿したまま、巨大樹に近づく者を排除せよ"を実行するのは難しい。特に空から来る敵の対処は地対空手段が乏しいため隠密に行うのは不可能のように思えた。

 

「私のレインアローで撃ち落とす…?いや、それはまずい。」

 

 アウラの弓スキルは攻撃範囲や追加効果の関係でヘイト値が高めに設定されている上、射程距離はせいぜい500メートル。使用した場合、下手をするとスキルを見た巨大樹がこっちに向かって来る可能性もある。そうなれば今までの作戦が全部おじゃんになってしまう。

 

 もしこれがペロロンチーノであれば、スキル:鷹の目と超長距離狙撃で気づかれることなく上空の相手を倒せるのだろうが、アウラではそうも行かないだろう。

 

 指示を仰ぐか?

 

 この場を任されている以上、命令を忠実に行うことが至上命題である。これをこなせないと、そんなこともできないのか、と失望されてしまうかもしれない。だが、異常事態の報告を怠り、結果、計画が駄目になるようなことがあれば、それは言い逃れのしようのない失態である。

 

 少しの葛藤の後、アウラは決断する。

 

「アインズ様に知らせないと。」

 

 

 ーーー

 

 

「ほらほらほらほらぁ!」

 

 リカオンが際限無く打ち出される弾を真っ向から押し退けて、巨大樹への道をこじ開ける。リカオンの剣は、突けば直線に赤い閃光が走り、薙げば鞭のようにしなる赤い軌跡を作る。その全てが弾を反射させていた。

 

 剣の動きに追従する伸縮自在の真っ赤な炎が、まるで生き物のように縦横無尽に踊っている。戦いの場に不釣り合いなその優雅さは、まるで新体操のリボン種目をしているかのようだった。

 

 一方、相対する巨大樹は口からだけでなく、触手の先端からも針状の弾を無数に生成、発射して応戦している。6方向からの剣林弾雨は隙間のない必殺空間を作っていたが、リカオンはそれをものともせず本体への道を踏破しようとしていた。

 

「もう発射されてから爆発するまでの時間も完璧に把握しちゃったもんね!もうすぐ倒せるよー!」

 

 リカオンがアインズに向けてか、大きな声で言う。

 

(いやー!やめて!)

 

 アインズは声にならない悲鳴をあげてあたふたしている。

 

「ググ。」

 

 追い詰められた巨大樹は突然、炸裂弾を上空に打ち上げた。角度の大きな(ロフテッド)軌道を描く弾だ。それは再突入してから横一列に地上付近に達すると帯状に爆発し、地面を掘り起こして土煙の壁を作った。

 

 一瞬にして視界を奪うのと同時に、2本の触手で壁を大回りして挟み込むようにリカオンを攻撃する。岩をも磨り潰す一撃。

 

「小賢しい!」

 

『スキル:円明』

 

 リカオンは突剣を放り投げ、回転しながら三日月刀で居合斬り。360度の斬撃が触手も弾も土煙も全て吹き飛ばす。切り飛ばした触手を盾にして後続の弾をやり過ごし、素早く納刀。落ちてくる突剣を受け止めた。

 

 巨大樹が短くなった自分の腕を見て怯む。その間にリカオンは更に距離を詰めた。

 

(ああ、イビルツリー(大)が。俺の名声が。)

 

 いよいよ切羽詰まったアインズ。そこに<伝言(メッセージ)>が入った。アウラからだ。

 

「アインズ様、巨大樹に接近する強敵が複数!隠密か排除、どちらを優先しますか?」

 

 焦りの滲むアウラの報告。断りを入れないとは、かなり緊急事態のようだ。

 

(なんだって?いまそれどころじゃねぇんだよ!)

 

 巨大樹。モモン。計画。マーレ。名声。王国。強敵。誘導。リカオン。魔法。蒼の薔薇。排除。アインズ。失望。準備。第一王子。保身。モンガ。雨。カッツェ平野。デミウルゴス。立場。怒られる。

 

 頭の中を様々な言葉が途切れ途切れで去来する。必死で対処法を考えるが、降りしきる雨音がノイズとなって思考の邪魔をした。

 

 

 

 

 ぺかー。

 

 

 

 

「あーあ。もういいや。」

 

 

 

(殺すか。)

 

 

 

 アインズがそう思ってしまった瞬間。

 

 リカオンの首がこちらに回り、アインズと目があう。アインズは仮面の奥の奥、素顔にある眼窩まで覗かれたような気がした。

 

 じっとこちらを見据えるリカオンの視線は困惑と警戒を孕んでいた。一触即発の状況だったが、腹を据えたアインズの頭の働きは底抜けに怜悧だった。

 

(しまったな。今ので敵対意思になるのか。感知スキルに引っかかったか?もしそうなら…。今ここで俺がケリをつける。)

 

「どうした?」

 

 口ではそう言いながら、近接戦闘職との戦いの算段をつける。最初に防御魔法。そして、<心臓掌握(グラスプ・ハート)>で動きを止める。後はなんでもござれだ。

 

 アインズはリカオンの第一声を待って、対応を見極める。

 

ゴウンさん(、、、、、)いま(、、)──。」

 

 感知され(バレ)てる。

 

「<無限障──(インフィニティウォ──)>。」

 

 アインズが魔法を唱えようとした刹那にそれは現れた。

 

 

 

 

 

 まず、厚い雲に穴が空いた。

 

 そこから顔をのぞかせたものが、自らが持つ翼を羽ばたかせると、一瞬にして全空を覆う雨雲は跡形もなく退き、空は色を替えていった。既に日は傾いていて、橙色の空と朱色の太陽が姿を現した。

 

 太陽を背にして、超然と空に居座るそのシルエットは見まごうことなく竜のそれだった。

 

 逆光で濃い黒をしたシルエットの輪郭は、竜の本来の色なのだろう、白金の光を乱反射して燦然と輝いていた。

 

 その巨体から光の柱が落ちる。

 

 それは巨大樹を跡形もなく滅却した。

 

 

 

 

 




3話ぐらい前からずっと雨を降らせてたのはこの話のラストシーンをやりたかっただけ。







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第22話 素敵な世界大戦をしよう

前回の女剣闘士見参!


ツアー「きたよー(^^)」





 スレイン法国の特殊部隊である漆黒聖典は王国に現れた巨大樹を捕獲するため先日と同様に国境侵犯をしていた。雨の中ひた走るその歩調は焦りの色を帯びている。先に潜入し、情報を受け渡す役割を担っていた風花聖典から一切の連絡が途絶えたのだ。

 

 最後に連絡があったのは巨大樹を目視出来る配置についたという報告。そこから定期的に<伝言(メッセージ)>で状況を伝える手はずだったのだが一度も連絡を寄越さない。はっきり言って異常事態だ。

 

「どうしたのでしょう。我々が戦闘中の可能性を考えて気を使っているのでしょうか。」

 

 第4席次が思ったことを漏らす。いま、トブの大森林近くの平野は巨大樹出現の影響で殺気だったモンスター達が徘徊する危険地帯と化している。現に漆黒聖典も先程から何度かゴブリンやオーガを撃退していた。

 

「オーガの相手をする片手間に<伝言(メッセージ)>も受け取れない程度の連中だと思われてるってことですか? 心外ですね。」

 

 第5席次のクワイエッセが冗談めかして言う。この任務の間、他の漆黒聖典のメンバーが緊張した面持ちであるのに対し、彼だけは前回の森の敗走時に別行動をしており、黒甲冑との戦いという苦い経験をしていないために1人あっけらかんとしていた。

 

「いや、例えそうだったとしても、その様な理由で連絡を怠る連中ではあるまい。何かあったと考えるのが妥当じゃな。」

 

 チャイナ服の老婆、カイレがクワイエッセを叱責するように鋭く言った。さっきからクワイエッセは少々緊張感に欠けている。先の惨敗の経験がないというのもそうなのだが、クワイエッセが浮かれている理由はもう1つあった。老婆はその理由となっているものをチラリと横目で見る。

 

 そこには漆黒聖典と併走する白銀の四足獣の姿があった。一目で強大な魔獣とわかるそれは、人語を解し、鋼鉄も引き裂く鋭い爪と、刀剣を寄せ付けない硬い毛皮に、20メートルにも及ぶ長さを誇る大蛇の尻尾を持っていた。降りしきる雨に濡れそぼっていても迫力は欠片も損なわれてはいなかった。

 

 この魔獣はトブの大森林にいると言われた森の賢王に相違ない。巨大樹にナワバリを追われ、平野に出てきたところを漆黒聖典と遭遇し、戦闘となり隊長によってねじ伏せられたのだ。

 

 それ以来、隊長に忠誠を尽くすと言って付いてきている。隊長は面倒臭がったが、クワイエッセが欲しいと言ったので世話を任せることにした。戦力としても申し分なく、立て続けに近接戦闘員を失った漆黒聖典にとって渡りに舟といったところだ。

 

「おぬし、さっきから近いでござる。あんまりべたべたしないで欲しいでござる。」

 

 クワイエッセは森の賢王をかなり気に入ったらしく、執拗に毛を撫でている。森の賢王はそれを鬱陶しそうにクワイエッセが触れる度に身をよじってその手を躱そうとしている。

 

「いいじゃないかちょっとぐらい。」

 

「某が心を許したのは隊長殿だけでござるよ。あまりしつこいと爪の錆にするでござる。」

 

 森の賢王は前足に備えた鋭いつるはしを思わせる爪を見せてクワイエッセを威嚇するが、それを向けられた本人は素知らぬ顔。いっそ本当に殺してやろうかと思ったが、飼い主が目を光らせていて許してくれそうもない。

 

「そうだ!隊長、名前は何にするんです?」

 

「勝手にしろ。」

 

 1人だけテンションの高いクワイエッセとまるで興味がないというふうな隊長。森の賢王は2人のやりとりから、これ以降も粗雑な扱いが続くだろうという事を察して遣る瀬無く肩を落とした。

 

「クレマンティーヌ2号ってのはどうでしょう。」

 

 クワイエッセはとびきりの名案が浮かんだというふうに明るい笑顔を見せる。周りの人間は彼とは対象的に深くため息を吐いた。

 

「お前の妹がグレた理由がお前にある事をそろそろ認識したほうがいいぞ、クワイエッセ。」

 

「あのクソ人格破綻者も獣と同列にされるのはさすがに同情を禁じ得ないな。」

 

「…倒錯してる。」

 

 クワイエッセは不思議そうに首を傾げる。何人かはその姿を面白がって茶々を入れだした。

 

「クワイエッセの妹ロスがここまで深刻とは思ってなかった。」

 

「なんやかんや第九席次に収まりそうじゃん?。最近入れ替わり激しいし。」

 

「2つ名は?"聖銀獣王"とか?」

 

 けらけら笑う第七席次。彼女もこの獣を割と気に入っている方だ。隙あらばその背中に乗ってみたいとも考えていた。

 

「おい、どうやら無駄口を叩いている暇はないみたいだぜ。」

 

 隊はぴたりと歩みを止めた。漆黒聖典は強行軍の甲斐あって、なだらかな丘陵地帯を抜けてトブの大森林を正面から見据える位置にまで進行している。森の入り口にはすでに目的の巨大樹らしきものが平野に抜け出そうとしているのが見えた。

 

「おい、あれ、誰か戦ってるんじゃないか?」

 

 雨で視界が悪いため、目を窄めて見れば巨大樹の足元でチラチラと炎の魔法らしきものが光を放っている。濛々と土煙が上がっているため術者までは確認出来ないが、少なくとも巨大生物同士の戦闘ではなく、人間大の何者かが巨大樹の進行を食い止めている。漆黒聖典の隊員たちは神代の怪物と正面からやり合っている者がいる事に驚きを隠せない。

 

「どうしますか?」

 

 メンバーは一斉に隊長へ顔を向ける。指示を請われた隊長は呼吸を整え、一息に命令を下す。

 

「第二陣形で左側面を叩く。戦っている奴(アンノウン)は無視、対象の確保を最優先だ。急ぐぞ。」

 

 

 ーーー

 

 

 イビルアイを除く蒼の薔薇のメンバーとクレマンティーヌは安全な場所を探して蒼枯な森の中を移動している。5人はどこまで行っても似た様な木の群れが続く代わり映えしない景色に辟易していた。聴こえる音にしても、巨大樹が蠢く音と、その合間に際限なく繰り返される雨の雫が葉を叩く音だけ。森の移動は体力と精神力の双方に着実にダメージを与えていた。それでも針路を見失ったりせず、真っ直ぐに移動できるのは歴戦の冒険者ならではだろう。

 

 ティアを先頭に、ティナを最後尾に置いて警戒しつつ進むが、意外にもモンスターにあまり遭遇しない。森の生き物たちは巨大樹の影響で息を殺して潜んでいるか、もしくはすでに逃げ去ってしまったのだろうと思えた。

 

「何かいる。」

 

 ティアが動く影を見つけて皆に注意を促した。5人は警戒しつつも、その影に真っ直ぐ近づいていく。ニンジャの2人は目配せののち、左右に分かれて相手を半包囲する位置に移動していく。いつでも先制攻撃できる様にするためだ。

 

「待て、俺だ。」

 

 そう言葉を発した影は見知った者であった。クラルグラのイグヴァルジだ。彼の後ろにはクラルグラと漆黒の剣の面子が揃っている。

 

「無事だったのね。よかった。」

 

 ラキュースが前に出て声を掛ける。

 

「なんとかな。」

 

 イグヴァルジは疲れた顔でやっとの思いという風に力無く返事をした。彼以外の者たちも満身創痍といった表情だ。

 

「他の、石の松明の人達は何処か知らない?」

 

 ラキュースがそう問うと、イグヴァルジは苦々しく口を歪めながら目を伏せる。

 

「何かあったのね?」

 

 イグヴァルジは小さく頷くと、敵に魔法で移動させられてから起こった出来事をかいつまんで喋り出した。

 

「俺たちは始め、森を出るために西に向かっていた。俺はフォレストストーカーだからな、出口がどっちにあるか分かるんだ。それで途中、石の松明の奴らとそこにいる漆黒の剣を見つけて、一緒に行動していた。」

 

 イグヴァルジはそこで一旦説明をやめ、再び俯いた。怯えているのか、浅くて早い呼吸を繰り返している。その目は血走っていた。

 

「そしたらあいつに襲われた。モンガに。」

 

 その敵の名前に蒼の薔薇は息をのんだ。自分達は逃がされたわけではなく、転移させられた後も敵は追撃を加えていたのだ。依然としてモンガが近くにいるかもしれないという緊張が辺りを包んだ。

 

「初撃はこいつのおかげでなんとか防げた。」

 

 イグヴァルジはヴラド商会に貸し出された索敵能力を上げる指環とイビルアイの<水晶障壁(クリスタル・ウォール)>が込められていた魔封じの円匣を握りしめて言った。モンガに急襲された時、彼はいち早く気が付いてその進路上に水晶の壁を出現させたのだった。

 

「俺は全員に逃げろって叫んだんだ。絶対勝てる相手じゃないって思ったからな。その間にも、奴が水晶の壁を崩して乗り越えてきていたのが見えた。そしたら石の松明の奴ら、なんて言ったと思う? "しんがりが必要だろう"って5人全員残ったんだぜ。頭イカれてると思ったね。」

 

 イグヴァルジの呼吸はどんどん速くなる。ハッ、ハッ、と口の横から空気を漏らして苦しそうに息つぎを繰り返した。

 

「それで、彼らを置いて来たのね。」

 

「当たり前だろう!」

 

 淡々と話を聞いていたラキュースが口を挟むと、イグヴァルジは突然むきになり、眉間に皺を寄せて語気を荒げた。

 

「別にあなたを責めているわけじゃないわ。」

 

 ラキュースはイグヴァルジを宥めるように努めて優しく言った。

 

 イグヴァルジが逃走を選んだのはむしろ当然のことだ。彼我の実力差を理解出来ず無闇に命を落とすようなマネは愚の骨頂といえる。それでもイグヴァルジが感情を露わにしたのは、本来、敵を受け持つのはその場で1番実力のあるクラルグラであるべきだったのを他人に任せ、おめおめと無策に逃げてきたことを咎められたような気がしたのだ。

 

 本当にラキュースには責める気持ちは無かったが、人一倍自尊心の高いイグヴァルジは過剰に反応し、反射的に自分を正当化しようとしたのだ。それに少なからず自分を許せない気持ちもあった。格下であるはずの石の松明が敵に立ち向かえたのに対し、恐怖に支配され、たまらず逃げ出したことがひどく矮小に思えたのだ。また、自分が冷静であれば、もっと上手く撤退戦が出来たかもしれない。そういった思いがラキュースの言葉に投射され、自身を責めたのだった。

 

「オイ、モンガに会ったのはどっちだ?」

 

 ガガーランがずいと身を乗り出してイグヴァルジに迫った。

 

「向こうだ。」

 

 イグヴァルジは半ば捨鉢になって、自分の左側を顎でしゃくって指し示した。

 

「そんなことを聞いてどうする?」

 

「決まってる。ヴォール達と合流する。」

 

 ガガーランは毅然とした態度で言った。彼女はすでに歩き出しており、背中越しの回答だった。

 

「無駄だと思うよ。」

 

 ティアが冷徹な言葉をガガーランに浴びせる。ガガーランはぴたりと足を止めた。踏み出そうとした左足を戻して足を揃え、話を聞く姿勢だけ作る。相手の出方を伺うように自分からは何も言わなかった。

 

「とっくに死んでる。それに蘇生が可能な状態で死体が残ってるとも思えない。巨大樹もいるのに、わざわざ危険なとこに行くなんて阿呆のする事。」

 

「言う通りだ。時間が経ち過ぎてる。撤退した方がいい。」

 

 非情な分析をするティアに、イグヴァルジが少し躊躇いがちに繋げた。内容は人情的には顰蹙ものではあったが2人とも全くの正論を言っている自信があった。

 

「あのな。」

 

 ガガーランが怒気の孕んだ声で言った。

 

「あいつらはオレのダチだ。助けを待ってるダチがいるなら行かなきゃならねえ。それに、たとえ手遅れだとしても…、弔うには死体が必要なんだよ。」

 

 彼女の声は普段に比べて静かなものだったが、普段以上に確固たる意思を持って発せられていた。一連のやりとりの間も彼女は一切振り向くことはなく、それだけ意思が固いことを態度で示していた。それを見たイグヴァルジはだんまりを決め、ティアも小さく両肩をすくめてイグヴァルジに倣った。

 

 自分の言葉に反論がない事を確認したガガーランはくだらない時間を過ごしたと言わんばかりにふんと鼻を鳴らして、一度は引っ込めた左足を再度踏み出した。

 

「俺たちも行かせてください!」

 

 黙っていたペテルが身を乗り出して、上ずった声で言った。予想外の提案に漆黒の剣以外の人間は少しばかり面食らって、一斉にペテルを見た。顔を向けた者の中にはガガーランも含まれていた。

 

「本気か?」

 

 ガガーランがペテルの真意を確かめるように、場にいる全員を代弁して聞いた。

 

「石の松明の皆さんは簡単にやられる人達じゃありません。これだけ遅れてるのはきっと怪我をしているからです。怪我人を運ぶためには人数が必要な筈です。」

 

 ペテルがそう言うと、残りの漆黒の剣の3人も力強く頷いた。その表情は先の石の松明の犠牲的英雄行為にあてられて、捨てがまりになりにいく決意をしたようなものではなく、全員で生きて帰るという強い希望に満ちたものだった。

 

「へへっ、そうかい。」

 

 ガガーランはニヤリと笑うと鷹揚に4人を手招きした。

 

「リーダー、いいの?」

 

 ティナがラキュースに尋ねる。ガガーランの独断を許すのかという意味だ。

 

「いいんじゃない。私たちは退路を確保するわよ。さて、イグヴァルジさん。出口まで先導してもらって良いかしら?その前になにか回復魔法が必要?」

 

「いや、いい。」

 

 そうして一行は二手に分かれた。

 

 

 

 その後すぐにガガーラン達の行く手に光の柱が落ちた。

 

 

 

 ーーー

 

 

 アインズは目の前の光景に息を飲んでいた。

 

 視界の殆どが白で満たされた瞬間、特段の音も無く、景色が一変した。巨大樹が消えてしまったのだ。

 

 何が行われたのか詳しいことは全く分からなかったが、誰が何をしたのかは前後の流れから察することができた。空より現れた竜が落とした光の柱が巨大樹を消滅させたのだ。

 

 光の柱は、それがもたらした破壊の結果とは裏腹に力が及ぼした範囲はごく限られたもので、直径300メートルばかりの地面を正円状に深さ15メートルほどくり抜いて、その外側にはさしたる変化を起こさなかった。

 

 アインズはその痕跡から先の攻撃は、とてつもない量のエネルギー──ユグドラシル的な魔法や、ましてや物理的な手段ではない何か純粋な力──の塊が円柱状に圧縮されて地面に押し付けられたものだと咄嗟に理解した。未知の力だと。

 

 人間の体であれば身震いしていたに違いないだろう。しかしアインズは持って生まれた獲得形質(種族設定)による冷静さで、すかさず竜のパラメータを魔法で解析していた。

 

「…MP欄が()()()()?測定不能ではなく?どういうことだ。」

 

 はじめての現象であった。ユグドラシルでは<虚偽情報(フォールスデータ)>などを使ってパラメータをいじっても、データを参照されれば何かしらの数字か測定不能の文字が表示されたはずで、何も出ないなどということはなかった。その事実がアインズの警戒心を益々引き上げた。

 

 そうこうしている間にも、アインズの目は竜の口が開かれるのを捉え、すわ再度攻撃が飛んでくるものと杖を掲げて臨戦態勢に入った。

 

「こんにちは。」

 

「あ、どうも。」

 

 竜の第一声はアインズが想定したものとはおよそかけ離れたものだった。ご近所に挨拶をするときのような投句がアインズの緊張を多少なりと削ぎ取って、彼に気の抜けた返事をさせた。

 

「会話が出来る相手で良かった。君の格好では中身に何が入っているか分からなかったから。」

 

 竜は冗談めかして言った。穏やかな口調は敵意が無いというよりむしろ自分が絶対的強者であるがゆえの余裕の現れのようだった。

 

「邪魔したね。悪かったよ。」

 

「え、あ、はい。」

 

 巨大樹との戦闘に横から入ってきたのを言っているのだろう。アインズと竜の間には結構な距離があったが、何か能力を使っているのか竜の言葉はすぐ近くで話しかけられているように鮮明に聞こえた。こちらの返事が聞こえているかどうかは怪しかったが、おそらくは聞こえていなかったとしても竜は気にしていないだろうと感じた。

 

「君は王国の人だよね。ちょうど良かった、そこで待ってて貰えるかな。」

 

 竜は爬虫類特有の瞳孔の細長い目を窄めてアインズを見た後、首を回して周囲を一瞥した。

 

「隠れてる人達も出ておいで。」

 

 竜がそう言うと、アインズの後方から十数人の男女の集団が現れた。集団がいる事はアインズもアウラの報告から気が付いていたし、姿を見て知っている者達であると分かった。法国の漆黒聖典だった。

 

 竜はぞろぞろと出てきた人間達が並ぶと満足そうに1つ頷いた。

 

「やあやあ、私はアークランド評議国のツァインドルクス=ヴァイシオンという。この世界の秩序を守る者であると自負している。」

 

 竜が名乗ると漆黒聖典のメンバーは目に見えて緊張をした。彼らの所属する法国は評議国を1番の仮想敵としているが、ツァインドルクス=ヴァイシオンはその国の名実共のトップである。この竜の言葉は国の関係性を左右しかねない多大な影響力を持っていた。

 

「早速だが、1つ昔話をしよう。」

 

 人の緊張を他所に、竜は演説めいた口調で朗々と話を続ける。

 

「私が幼かった頃、世界は純粋な理に包まれていた。花は歌い、木々は踊り、森羅万象は正しい循環をしていた。ところがだ。」

 

 突然、竜が発する雰囲気が敵意を露わにしたものに変わる。

 

「ある時を境に世界は淀みを持ち始めた。"ゆらぎ"の時からだ。我々は始め寛容な態度で淀みと接した。歯向かうの者共と争いはしたものの、その存在は許容したのだ。どうせこの淀みは一過性のもので、嵐が過ぎ去るようにいつかは消えて無くなるだろうと思ったからだ。」

 

 竜は"淀み"と言葉を発すると共に一際強い敵意も発し、彼が心底それを嫌っているのを感じた。つまりユグドラシル由来の魔法やぷれいやー、そしてぷれいやーの血を引くと言われる神人のことを。

 

「しかしそれは間違いだった。淀みはこの世界で日に日に力を増し、特に人間の集団の中で集積した。本来の摂理を侵してしまうほどに。」

 

 竜を見上げる者達はこの竜が何を言いたいのか大方察したようだった。それが彼らにとって良くないことなのだろうということも。

 

「そこで、我々評議国は世界の自浄作用の申し子として、力ずくにでも淀みの温床である人の国を解体する事にした。」

 

 断頭台の刃のように下された宣言に漆黒聖典の隊員達は戦慄を覚えた。その中で唯一隊長だけが竜に意見を唱えることができた。

 

「私どもにはあなたの言うことは判断しかねる。宣戦布告であれば国の上層部を通してもらわねば…。」

 

「人間の集団の中で誰が偉いかなどは私にはあまり関係のないことだ。」

 

 竜が間髪入れずに返した。そこにはひどく価値観の違う生き物同士であるかのように、会話の余地が無いのだという思いが込められていた。

 

「とはいっても今日は木偶の坊を処理しに来ただけだ。私だけで君たちと張り合うのはその老婆の術を考えると少し怖い。1ヶ月後、我々は王国の国境を越える。その時が人の国が没する時だ。」

 

 竜は一方的に会話を打ち切ると、踵を返す。

 

「ああそれと、君にはあの時の鎧の礼もしなければならん。とても楽しみだ。」

 

 竜は背中越しに首だけを後ろに回して、好戦的な目で隊長を見ていた。隊長はそこで初めてこの前森で会った鎧の()()がツァインドルクスである事を知った。そして歯ぎしりをしながらその背を見送った。

 

 人類国家の存亡をかけた戦いか始まろうとしていた。漆黒聖典達は世紀の瞬間に居合わせてしまったのだ。隊長は深く瞑目し、ひとしきり考えた後、傍にいる仮面の魔導師に声をかけた。

 

「もし、少しよろしいか。」

 

 突然声をかけられたことに仮面の魔導師は驚いたようで、何も返事はしなかったが隊長は構わず話を続けた。

 

「このような状況になってしまっては王国も法国も関係ありますまい。今日はお互いここで出会ったことは内密にして置くのがいいでしょう。貴方も王国の臣なら、人間同士の諍いをしている暇はないとわかるはず。後日、使者を送るゆえ、その時は篤厚の対応をお願いしたい。」

 

 遠回しに無断で領土に進入した罪を見逃せと言っている。何とも横柄なことだ。

 

「…むう、ああ、考えておこう。」

 

「ありがとうございます。この礼は必ず。」

 

 漆黒聖典はアインズの曖昧に濁した言葉を肯定と捉えて、アインズを1人残し足早に去って行った。

 

 

 

 

 

 

 

「どうしよう。でかいハムスターに気を取られて全然話聞いてなかった。」

 

 いろんなことが起こりすぎて割といっぱいいっぱいだったアインズは考えるのをやめてとりあえず街に戻る事にした。

 

 

 ーーー

 

 

 巨大樹が居なくなり、平穏を取り戻した森の中。竜が穿ったクレーターから這い出すものがいる。

 

「い、痛ぇ…、しぬぅ。ガクッ。」

 

 人知れず光の柱に巻き込まれていたリカオンは数時間後ガガーランと漆黒の剣に発見されて無事回収された。

 

 

 

 

 

 



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第23話 盲目の智者達

14話越しのフラグを回収する狂気の回。


前回の女剣闘士見参!

ツアー「くらえー(^ ^)」

ザイトルクワなんとかさん「ぐわー!」

アインズ・漆黒聖典「えっ。」

ハムスケ(就職先間違えた)

主人公「もう少しで歴史の闇に葬り去られるところだった。」






 漆黒聖典が急ぎ足で平野を駆ける。彼らは王国に入った時よりも速度を上げて、法国へととんぼ返りをしている最中である。

 

「なんだか王国に入る度にすぐさま追い返されてるよなぁ俺達。いや、普通はそうなんだけどさ。」

 

「次は不法侵入でなく正式なルートで入る事になりそうだな。あの仮面の男が我々の事を上に報告せず、かつ協力的であればの話だが。」

 

 隊員達は口々に今後の展望について話し合う。彼らは愚痴でも言っていなければ不安で押しつぶされてしまいそうになっていた。最近は強者としての自負を叩き潰されるようなイベントが立て続けに起こっている。

 

「よろしかったのですか?あの男、血を覚醒させた者だったのでは。…もしやするとぷれいやーなのでは?」

 

 クワイエッセが隊長に向かって話しかけた。クワイエッセはすぐにでも仮面の魔導師を法国にスカウトするべきだと考えていた。

 

「ああ、そうだな。ただ今は一刻を争う状況だ。あの場を穏便に済ませられただけで重畳だろう。対立だけは避けたかったからな。」

 

 隊長はクワイエッセと同じ考えを持っていたようだが、慎重に事を進めるべきだと判断したらしい。下手に勧誘して拗れてはまずいことになる。あの魔導師の力は来るべき竜達との戦いに必要不可欠だからだ。

 

「ていうかあの人だれ?」

 

 第七席次が小首を傾げて尋ねた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンでしょう。この前の会議の資料を読まなかったんですか?」

 

 第二席次が呆れた風に両手を広げて言った。第七席次は優等生ぶる彼の嫌味に、んべぇ、と舌を出して応戦する。割といつもの光景だ。周りはそういった小競り合いを余所に会話を続ける。

 

「ガゼフ暗殺計画を阻止した張本人とこんなところで会うとはね。うちの仕業だってバレてなきゃいいけど。」

 

 ガゼフ暗殺計画はあの時、内通していた貴族派閥の連中から実は法国が画策したものだと情報が漏れていてもおかしくは無かったし、もしそうであれば、法国は裏切ると思われていても不思議ではない。

 

「あの男は陽光聖典の失踪に関わってる疑いがあるんでしょう?ニグンとあの男が戦ってたら、法国は敵だと認識されてるんじゃないかしら?」

 

「どうだろうな。それでも法国と組みするのを避けるとは思えん。王国だけではあの竜どもに対抗するすべがないのだから。」

 

「法国もうかうかしてられんぞ。評議国と戦うには各地に派遣している部隊を集結させねばならん。」

 

 隊員たちの言葉に隊長は深くため息を吐く。

 

「それより問題は上を通さずに勝手な約束をしてしまったことだ。主戦場が王国と評議国の国境線になり、共同戦線を張るのだから当然物資の援助をするという話になる。いったいどれだけになるのやら。交渉ごとを押し付ける形になった。」

 

「王国への使者の件ですか。まあ状況が状況ですし、事後承諾もやむなしでしょう。上も動いてくれますよ。」

 

「レイモン様にまた借り1つだ。」

 

 隊長に対するクワイエッセの慰めも、ここではむなしく響いた。

 

 

 ーーー

 

 

 ナザリック地下大墳墓、その中にある守護者統括のために用意された執務室。そこではアルベドが粛々と日々の業務をこなしている最中である。この日の作業は既に大詰めを迎えており、机の上にある書類は概ね"雑件"と"アインズ様稟伺"に仕分けされていた。仕分けが終わればその書類を自らアインズの元へ持って行けるので、彼女は上機嫌であった。

 

 本来、そのような雑事はメイドなりに任せれば良いのだが、アルベドが誰にも咎められることなくアインズに近づける機会を手放すはずがなく、何かと理由をつけてアインズの私室に出入りしていた。

 

 アルベドがこの後行われるであろうアインズとの書面を見ながらの今後のナザリック運用計画(愛の共同作業)を思い描きながら、気持ち悪い笑みを浮かべていると、不意に執務室のドアが開かれた。妄想を邪魔されたアルベドは少し不機嫌になって、いきなり入ってきた不届者を見ると、それはデミウルゴスだった。

 

 彼は息を切らせながら膝に両手をつき、とても興奮した様子だった。何もかも投げ出して、一も二もなく全力でここまで来たといった有様で、事実その通りであった。

 

「何かしら。」

 

 アルベドは冷たく聞こえないぎりぎりの平坦な声で疑問符を投げた。それは彼女がデミウルゴスの用件について予想がついていたからで、丁度、彼女も()()について彼と話し合いたいと思っており、彼が突然執務室のドアを開けたことも不問にしていた。

 

 アルベドに会話を促されたデミウルゴスは呼吸を整えることもせず興奮冷めやらぬままに話し出す。

 

「今、トブの大森林で、進行中の、アインズ様の計画が、いや、計画の、話なのですが。」

 

「ええ、評議国の竜が来て巨大樹を消滅させ、そして一ヶ月後に人の国を占領すると言ったそうね。」

 

 まだ考えが纏まっていないのか、ぶつ切りの言葉を発するデミウルゴス。アルベドは要点を示して会話に指向性を持たせてやる。アルベドにたしなめられる形になったデミウルゴスは気恥ずかしさから苦笑いを漏らした。

 

「失礼、少し取り乱しているようです。」

 

「わかるわ。私も報告を聞いた時そうだったもの。」

 

 デミウルゴスは一つ大げさに咳払いをする。

 

「気を取り直して。これで元々の計画だった巨大樹を移動させて、アインズ様の王国内での地位向上を図ること及び巨大樹を法国と戦わせ、保有武力の威力偵察をすることは出来なくなった。」

 

「そして評議国と国境を接する王国は否応にでも戦火に巻き込まれる事になったわ。」

 

 2人はお互いの理解を確かめるように一つずつ現状確認をしていく。

 

「現在、ナザリックとして優先して行うべきなのは竜が大墳墓近くまで来た時に備えて最適な編成を組むこと。これはデミウルゴス、あなたに近々正式な指令が下るわ。私の権限で第二警戒体制発令文書を作成中よ。」

 

 デミウルゴスは防衛時におけるNPC指揮官を務める。外敵がナザリック地下大墳墓に侵入してきた場合は警戒レベルに基づき、1から7階層の防衛線を管理監督する立場にあるのだ。

 

「第二ですか。それで今はアウラから上がっている敵の情報を精査中というところですね?」

 

 アルベドはデミウルゴスの言葉に首肯で答える。2人の表情は深刻そのもの。デミウルゴスはゴクリと唾を飲み込んでアルベドを見る。

 

「それにしても、何というか、アインズ様は…。」

 

「ええ、そうね…。」

 

 

 

 

 

「「本当に素晴らしい!」わ!」

 

 

 

 

 彼らは揃えて声を上げる。歓喜のあまり声は少しばかり上ずって震えていた。

 

「まさかこんな形で世界征服を考えられていたとは。本当に素晴らしい!」

 

 アルベド達が考えた展望はこうだ。

 

 王国と評議国で戦端が開かれるが、戦争の主役は評議国と法国。現在判明しているこの世界での強者達が潰し合う形になる。周りの有象無象の国も戦火に巻き込まれどんどん疲弊していくだろう。

 

 王国はもちろん、地理的に次に狙われる帝国も黙って見ているはずがない。人間陣営側で参戦するはずだ。ナザリックにとって脅威になりそうな国や地理的に隣接している国は軒並み被害を受ける。

 

 後は弱ったところをまとめて征服する。仮想敵に囲まれた地理的不利をものともしない完璧な戦略である。特に素晴らしいのはナザリックにほとんど危険が及ばないことだ。ナザリックの存在を隠匿したまま、相手が弱るのをただ待つだけでどんどん有利になる。

 

「アインズ様はいつから考えてらっしゃったのだろうね。まったく、人が悪いというか。」

 

 やはりパンドラズ・アクターの言ったとおりだった。慈悲深いアインズ様はシモベ達を危機から遠ざけ、最も安全でコストのかからない世界征服を実現させようとしている。

 

 我々に何の被害を及ぼさないようなところで、邪魔者の排除を行う。何と効率的な方法だろうか。これだけの事をお一人だけの力で達成してしまうとは。

 

「ねえデミウルゴス。これは私もさっき聞いたのだけれど、竜は去り際に漆黒聖典の槍持ちに対して、"あの時の礼をしなければならん"と言ったそうよ。ふ、ふふ。」

 

「それがどうかしたのですか。」

 

 口元がにやけそうになるのを我慢するように話すアルベド。話の見えないデミウルゴスは不機嫌を滲ませた疑問を口に出す。

 

「竜の言う"あの時"っていうのはアインズ様がいきなりモモンに扮して出かけた時のことよ。ほら、シャルティア達と漆黒聖典が鉢合わせになった時があったでしょ?実はあの森に竜も居たのよ。そして槍持ちと戦闘になった。」

 

 デミウルゴスに電流走る。

 

 アインズ様は一番初めから世界大戦を起こす機会を伺っていたに違いない。少し前にモモンとして王国内に侵入していた漆黒聖典と接触したのも各国の緊張を高めるためにしたものだ。しかも、その時漆黒聖典とツァインドルクスが小競り合いをしていたというのだ。

 

 これが偶然なわけがない。紛れもなくアインズ様が誘導している。

 

 あの時アインズ様が突然、モモンとして外に出られたと聞いた時は首を傾げたものだ。たとえシモベを守るためにといってもシャルティア達と漆黒聖典の間にいきなり割って入るのは短慮に過ぎると思っていたのだ。アインズ様が安易にそんなことをするとは到底考えられず不思議に思っていたがやっと謎が解けた。

 

「モモンとして活動していたのも全てはこのためだったのか。いや、アインズ様のことだから別の意味もあるに違いない。」

 

 どの陣営にも所属していないモモンは戦況のバランサーを担うことが出来る。戦争が始まった後、竜か人の優勢な方を襲うことによって戦争の長期化を狙える。既にこの状況を見越して初めからモモンというモンスター像を作っていたのだ。

 

「私達の考えていた計画も修正が必要ね。」

 

 今回の作戦は戦争を引き起こす決め手となった。巨大樹はいわば強者達をおびき寄せるための餌だった。巨大樹移動作戦は戦争開始までのタイムリミットを格段に縮めさせて、世界征服完了までの所要ステップを三段階は飛ばしてハイペースで進行している。デミウルゴスとアルベドが考えていた計画も大幅に()()修正が必要だ。

 

 それにしても意外なのは竜があれほどの力を保有していた事だ。あれと前情報なしで正面からやり合えば、負けはせずとも無視できない被害があっただろう。しかしアインズ様はその竜の力でさえも予見していた。

 

 それは建前の巨大樹移動作戦の動員を見れば納得できる。大量の集眼の屍(アイボール・コープス)や幻術に長けた者を用意していたのは竜をおびき寄せ、能力値を正確に測るためだ。

 

 アインズ様はいつ竜の力を知ったのだろうか。いや、知ったのではない。この世界の情勢から読み取ったのだ。

 

 王国という斜陽の国があり、隆盛する帝国、法国があり、聖王国、竜王国、それに異形種国家の評議国がある中で、その立地、行動の一端から世界のパワーバランスを読み取った。そうでなければ説明がつかない。

 

 少し考えれば、人間至上主義を掲げる法国が周辺国家に比べて武力的に圧倒的優位に立っているにもかかわらず、あえて評議国を放置している事は不自然だったのだ。同じ人間国家の王国に気を使っているのかと思っても見たが、その実、単純に評議国が強かっただけの事。王国はつまるところ緩衝材で、直接評議国との戦端が開かれるのを避けるための意味合いに過ぎなかったのだ。

 

 アインズ様は漆黒聖典の強さを見て、評議国にもそれと同等かあるいはそれ以上の力を持った何者かがいる事を看破したのか。ということはモモンとして森に行ったのは直接漆黒聖典の強さを測る目的もあったのかもしれない。

 

「本当に素晴らしい、それしか言葉が見つからない。アインズ様の真なる叡智も、それに触れる事が出来る幸運も。」

 

 いつの間にかアルベドも興奮のあまり立ち上がって、口々にアインズを礼賛する言葉を唱える。2人でサルサでも踊り出しそうな勢いだった。無論、アインズに命令でもされない限り彼らはそのような事はしないが。

 

「全く、アインズ様には事象がどう見えているのだろうか。我々には想像もつかない環世界を持っているのでしょうね。」

 

環世界(ウンヴェルト)?ああ、ユクスキュル。そうねぇ、アインズ様の聡明さはただ思慮深いであったり、演算が速いといった次元の話ではないわ。私達には見えないものが見えているのだとしたら納得がいくわね。もしかすると思考のプロセスそのものが私達と違うのかも。」

 

「確かにそうです。脳で考えていないのですから。いや、そもそも考える器官を必要としていないのか。」

 

「きっと魔法で物事を知覚しているのではないかしら。」

 

「いつか機会があればその神秘について尋ねてみたいものです。」

 

 早口で話していたアルベド達はここでようやく一息つくことにした。デミウルゴスは<伝言(メッセージ)>を使って突然飛び出してきた本来の持ち場にいる部下に向かって連絡を取る。アルベドは書類作業を手早く済ませた。そこでアルベドは書類の山から一つの束を取り出してデミウルゴスに渡す。

 

「これ、アウラから上がってきた竜の能力値の第一報よ。先に貴方に渡して置くわ。」

 

 デミウルゴスは2秒ほど書面を眺め、思案する。

 

「ふむ、中々厄介ですね。ここのMP欄が空欄なのは?」

 

「判明しなかったらしいわ。原因究明中よ。」

 

「そうですか。私はそろそろ今の持ち場に戻らせてもらいます。今から忙しくなりますからいつでも後任に引き継げる準備をしておかないと。」

 

「デミウルゴス、あなたのする事は分かっているわね?」

 

「はい、八本指の情報ネットワークを使い、今回の巨大樹騒ぎを解決したのはアインズ様であり、評議国はアインズ様の力に恐れをなして宣戦布告したという噂を流します。」

 

 いずれ法国からアインズ様宛に使者が来る。王国内で対評議国作戦の中心になる宮廷魔術師アインズの地位は否応無く上がる。アインズ様を抱える第一王子派の勢力は増し、そしてそのパワーバランスをアインズ様に依存している以上、アインズ様の発言力が絶大なものとなる。当初からの目的だった傀儡化が更に進むのだ。

 

「よろしい。」

 

「では。」

 

 恭しく礼をするデミウルゴス。アルベドはいつものように口元に薄い笑みを浮かべて、彼を送り出した。

 

 足早にアルベドの執務室を出たデミウルゴスは頭の中でこれから仕事の手順を繰り返しシミュレートする。今の今までアインズ様に任せきりだったのだ。命令に先んじて行動できるように考えを巡らせておかねばならない。それにここまでお膳立てして頂いた後は我々シモベだけでもやれる。そろそろ自分にお声が掛かってもいい頃だ。

 

 そんなことを考えていると<伝言(メッセージ)>が入った。送り主はアインズだった。

 

『あ、デミウルゴスか?ち、ちょっと今後のことについて話したいことがあるんだが、』

 

『はっ!すぐに参ります!』

 

『い、いや、す、すまん。時間と場所はこちらから後で指定する。とりあえず仕事を続けてくれ。』

 

『承知いたしました!』

 

 デミウルゴスの気合の入った返事の後、アインズはすぐ<伝言(メッセージ)>を切った。主は心なしかいつもの威厳のある口調ではなく、何やら気圧されたような、焦った口調だった。

 

 今までは緻密な計画を遂行するためにどうしてもアインズ様主導で行わなければならなかった。それは我々が力不足である故の致し方ない事であるのに、我々が仕事を欲しているにも関わらず、与えられない事に負い目を感じていらっしゃったのかもしれない。なんとお優しい方だろう。

 

 しかしそれも昔の話、今からある話とは十中八九、我々に働く機会を与える為の打ち合わせだろう。示し合わせたかのような<伝言(メッセージ)>のタイミングに、デミウルゴスは自分と主の考えがシンクロしたかのような気分を覚えて無性に嬉しくなった。

 

「面白くなってきましたね。」

 

 感情の高ぶりに、つい思った事を口に出してしまう。デミウルゴスは来たる世界大戦で繰り広げられるであろう地獄絵図を想像し、愉悦に口を歪めた。

 

 

 ーーー

 

 

 アインズは漆黒聖典達と別れた後、エ・ランテルへと馬でとぼとぼと来た道を引き返していた。飛んで帰れば早いのだが、いろいろ1人で考える時間も欲しかったし、帰れば厄介ごとが大量にあるのが目に見えていたので出来るだけ時間をかけて帰っていた。現実逃避というやつだ。

 

「全然計画通りに行かない。もう俺主導でやるよりデミウルゴス達に任せてもいい気がして来た。」

 

 なんか俺が行動する度に法国とか強そうな竜とかがヤブヘビ的に出てくるし、巨大樹移動作戦の顚末の説明とかどうすればいいか全然わからん。このままじゃ王子に宮廷から追い出されるかもしれない。

 

 さっさと出来る人に任せる。これが丸投げの構図です。

 

 そうと決まれば、デミウルゴスに相談しよう。いや、その前にごめんなさいしよう。流石にここまでめちゃくちゃに荒らされた案件をそのままぽんと渡されたら聖人でもブチギレるだろう。その上相手は聖人ではなくカルマ値極悪の悪魔なのだ。

 

 そそくさとデミウルゴスに<伝言(メッセージ)>を送ると、びっくりするほどすぐに繋がった。

 

『あ、デミウルゴスか?ち、ちょっと今後のことについて話したいことがあるんだが。』

 

 緊張のせいか、声がどもってしまう。

 

『はっ!すぐに参ります!』

 

(あっ、これすごい怒ってるわ。すごく語気が荒いもの。)

 

 アインズの脳内ではデミウルゴスの言葉は「ハッ!(嘲笑)すぐに参ります(から首を洗ってまってろ)」と翻訳されていた。

 

『い、いや、すみま、すまん。時間と場所はこちらから後で指定する。とりあえず仕事を続けてくれ。』

 

 思わず敬語で謝りそうになるのをなけなしの見栄でなんとか堪えて、一旦形勢を立て直すために逃げ口上を唱える。

 

『承知いたしました!』

 

 アインズはデミウルゴスの皮肉めいた謙譲語に気圧されつつ、<伝言(メッセージ)>を切った。

 

「…。」

 

 

(流石デミウルゴス。計画が上手く行かなくて泣きついて来たって一瞬でバレた。)

 

 ひょっとするとアウラから既に巨大樹移動作戦の一部始終の報告があったのかも知れないな。ともすれば今俺が置かれているのは糾弾待った無しの状況なのでは。俺の威厳が光の速さで失墜する一歩手前なのでは?

 

 

  <第10位階査問会召喚(サモン・さもんかい・10th)>!

 

 被告人アインズ!検察側デミウルゴス!

 

 開廷!有罪!閉廷!

 

 待って!誤解だ!いや誤解じゃないけど待って!

 うわー!

 

 ……

 

 

 一瞬、脳裏でアインズの異端審問が繰り広げられた。いや、バカな事を考えている暇ではない。このままNPC達に失望されてはギルドメンバーに申し訳が立たない。それにアウラやマーレにゴミを見るような目で見られたら立ち直れる気がしない。シャルティアにそんな目を向けられたら、…そういうプレイかな?

 

「はぁー。」

 

 アインズは大きくうなだれてため息をつく真似事をする。これは鈴木悟がうまく行かなかった時、気持ちを切り替えるための癖で、つまりは人間時代の名残だ。

 

 こうなってしまっては俺も腹を括らねばならん。元はと言えばここまで無能がバレなかったことの方が不思議だったのだ。ここは潔く謝って、後はNPC達の判断に任せよう。

 

 アインズは来たるデミウルゴスの吊るし上げにより繰り広げられるであろう地獄絵図に気が滅入りそうになった。表情アイコンがあれば、口をへの字に曲げた顔が浮かんでいただろう。

 

「アルベドやパンドラズ・アクターは味方してくれるかな…。」

 

 ガクリと肩を落とすアインズ。そんなアインズに同情するように動物の像(スタチュー・オブ・アニマル:)戦闘馬(ウォー・ホース)がヒヒンと鳴いた。

 

 

 

 

 




よくわかるこれからの世界情勢

評議国「お前ら最近調子乗りすぎちゃう?文明とか捨てて一緒に原始時代に戻ろうや」

法国「なんだァ?てめェ…。おい、王国!帝国!こいつやっちまうぞ!」

王国「うちの庭で喧嘩すんのマジやめて」

帝国「えっ、俺も戦うの?」

ナザリック「漁夫の利クルー!?」

竜王国(ひっそりと息を引き取る)


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第24話 ここに塔を建てよう







 目を覚ませば見知らぬ天井があった。一生懸命に記憶を手繰ってみるが、なぜこんな状況になっているのか思い当たる節がない。諦めて現状確認から始めることにする。

 

 どうやら自分はベッドで寝ているらしく、体の上に布団がかけられているのを感じる。意識は何だかぼんやりしていて、うまく体を動かせない。

 

 身を起こそうと、手足に感覚を集中させる。力を込めた指先が微かに触覚を取り戻し、辺りをまさぐって自分の状況を徐々に知らせる。布団の重さ、背中の熱、顔にかかる前髪のうっとおしさ、順番に外の情報を獲得していく。そして意識はだんだん覚醒に近づいていき──

 

 

 ──全身に激痛が走った。

 

 

 

 

 

「いたたたたたたたた!」

 

「あっ、起きた。」

 

「何これ?何でこんな痛いの?いたたた!全身がこむら返りの5倍ぐらいの痛さ!」

 

 目を覚ますなり大声で喚くリカオン。近くで看病していたクレマンティーヌは呆れたようにその様子を見る。リカオンはここに運ばれた時には簡単な止血を施されただけの瀕死の重傷だったのだが、どうやら元気そうだ。

 

 リカオンはもんどりうってベッドの上を転げ回りシーツをぐちゃぐちゃにした。かと思うと枕を抱え込んでじっと動かなくなり、変な呼吸音を上げ出す。

 

「うぅぅ、ぶふぅー。ぐぅ、ふぅぅ。」

 

「おーい、大丈夫?」

 

「…まぢむり。」

 

 かなりマジの悶絶を見せるリカオン。クレマンティーヌは少し哀れに思ったか、リカオンが蹲るベッドに近寄る。

 

「おーい?」

 

「…。」

 

 返事がない。ただのしかばねのようだ。クレマンティーヌは日課のスティレット磨きを再開しようと椅子に戻ろうとする。

 

「…まぢむり。」

 

 クレマンティーヌは溜息をついた。この感じはリカオンが構ってほしい時の奴だ。2回目はわざわざちょっと大きい声で言ってるし。めんどくさい。

 

「いま神官(ヒーラー)呼んできてやるから。なんか欲しいものある?」

 

「甘いものが食べたい。」

 

 起きた途端それか。相変わらず食い意地張ってんな。らしいっちゃらしいけど。

 

「はいはい。大人しくしててね。」

 

 クレマンティーヌが部屋を後にする。リカオンは何か考えていなければ激痛でどうにかなってしまいそうだったので、何とか痛みから気をそらすため、自分が何故このような状況になっているのかを思い出す。

 

 確か、自分は巨大樹を討伐するためトブの大森林に向かっていた。雨の中くそ寒い思いをしながら3時間ぐらい歩いて、ようやく森の入り口にさしかかかった時、巨大樹がこっちに向かって動き出したのだ。

 

 臨戦態勢に入って、それから…、うーん、判然としない。

 

 巨大樹にやられてから蘇生された?違うな。それならばHPは全開してるはずだし、レベルダウンしてる感じはない。

 

 頭をひねっていると、部屋のドアががちゃりと開いて3人の男女が入って来た。

 

「おー、ほんとに起きてる。3日振り。」

 

 声を上げたのはティア。その後ろにはイビルアイとアインザックがいる。クレマンティーヌが呼んだのだろう。3人はベッドの上で唸り声を上げているリカオンと目が合う。

 

「意識が戻ったか。…大丈夫か?」

 

 リカオンの様子を見てイビルアイが心配そうに尋ねる。リカオンは蹲った姿勢から3人の方向に首だけ回している。それも歯茎を見せるほどとびきりの苦悶の表情で。なんだか猿が唇をめくり上げて威嚇をしているみたいだ。

 

「そっちも相当大変だったんだな。私もほら、この通りだ。」

 

 イビルアイは右腕で左肩をさする。外套で隠していてよく見えないが、左腕が無いようだった。

 

「お互いWIA(パープルハート)だな。」

 

 イビルアイは軽い口調で言った。腕の欠損はかなりの大怪我のはずだが、魔法ですぐ治るからなのか、それとも無くても支障が無いからか。単純に怪我に慣れているからかも知れなかった。

 

「辛そうだから、ティア。」

 

「ほいほーい。」

 

 ティアがベッドに近寄る。続けてリカオンの背中を優しくさすって(どさくさに紛れて胸と腰の辺りも堪能して)ゆっくりとリカオンの体を転がし、仰向けにさせる。そして自分の腰元に手を回してウエストポーチから小瓶を取り出した。

 

神官(リーダー)は忙しい。その代わりに水薬(ポーション)持ってきた。」

 

 ティアは小瓶のコルク栓を親指だけできゅぽんと器用に開けた。そしてずいと身を乗り出してベッドに乗り込む。

 

「口移しで飲ませてあげる。」

 

「結構です。ふりかけて下さい。」

 

 ぴしゃりと拒否されたティアはちぇ、とわざとらしく口を尖らせると、小瓶の中の液体をリカオンにかけた。生活魔法である<麻酔(アナスシージャ)>が込められた水薬(ポーション)

 

 液体に込められた魔法が発動し、リカオンに効果を及ぼした。ダメージを受けている事による不快なだるさは残っているが、痛みは嘘のように引いていく。

 

「おおー。」

 

 魔法とは便利なもので、リアルの全身麻酔などとは違って身体機能も十全に、痛みだけがすっかり取り除かれた。意識もしっかりしている。今まで痛みで気にならなかった切れた口内の血の味なども感じるようになった。

 

「ところで、なんでアインザックさんもいるの?」

 

「随分な言い草だな。ここが冒険者組合の救護室で、私がその責任者だからだ。依頼(クエスト)の状況報告をして貰おうか。」

 

「ああ、そういうこと。」

 

 アインザックは疲れた表情をしているが、出撃前にあった悲壮感は無くなっている。平野のモンスター掃討も含めて、作戦は成功したのだろう。そして組合長が怪我人の見舞いに来られる程度には状況も落ち着いたということか。

 

「巨大樹はどうなったの?」

 

「こっちが聞きたいぐらいだ。君が何かしたんじゃないのか?」

 

 リカオンは腕を組み首をひねる。

 

「うーん、覚えてない。」

 

 アインザックは力無くがくりと肩を落とした。これではわざわざ足を運んだ意味がない。

 

「では話を聞けるのはゴウン殿だけか。まったく、巨大樹が倒されたことや天気が一瞬で変わったこともにわかに信じられん。全て悪い夢であれば良いのだが。」

 

 アインザックはここ3週間、事態の収拾に働きずくめであった。積もり積もった疲労のせいでその姿は幽鬼もかくやといったありさま、こういった愚痴も出ようというものだ。

 

「巨大樹倒したんだったら、ミッションクリアじゃん。やったね。」

 

 うなだれるアインザックをよそに、能天気なリカオンが名案を思いついたとばかりにぽんと柏手(かしわで)を打つ。

 

「じゃあさ。みんなでお祝いしよ!クラルグラも石の松明も漆黒の剣も呼んで!」

 

 リカオンの言葉を聞いて皆顔を伏せた。不自然な沈黙が流れ、リカオンは変な事を言ったかと周りをキョロキョロ見回した。

 

「どしたの?」

 

 しきりに首をひねるリカオンに対し、イビルアイが重く口を開く。

 

「冒険者パーティー石の松明は壊滅した。4人が死亡し、1人は行方不明だ。」

 

 巨大樹が倒された時とほぼ同時刻にガガーランと漆黒の剣による生存者の捜索が行われたが、イグヴァルジ達が襲われた辺りの開けた一角──おそらくモンガによって木々が薙ぎ払われた場所──で虐殺の跡が見つかったのだ。

 

「遺体の衣服や冒険者プレートで石の松明のメンバーだと確定している。遺体が確認出来なかったテトラントも生存は絶望的だ。」

 

 テトラントが行方不明というのはかなりぼかした言い方だ。現場は凄惨を極めていて、()()()()4()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という方が正しい。状況的に時間をかけるわけもいかず、すぐ捜索は打ち切られた。ただ、そのおかげでリカオンの早期発見につながったのだが。

 

「蘇生は?」

 

 イビルアイは首を左右に振る。死体は損傷が激しく、蘇生は不可能だったのだ。それに万が一可能であっても、彼らを蘇生をする費用など誰も用意できなかっただろうが。ラキュースが蘇生を行うにしても神殿勢力との兼ね合いでそれなりの費用を動かさなければならない。パーティ外の人間に魔法を無償で行使するのは御法度である。

 

 医療行為の特許(パテント)は神殿勢力が保持しており、神殿勢力外への利益誘導とみなされる行為はたとえアダマンタイト級冒険者だとしても立場を悪くしかねない。そういった権力闘争に反発する冒険者も居ないではないが、彼らのほとんどは冒険者を続けられなくなってしまう。

 

「そうか、パーティー消失(ロスト)しちゃったのか。」

 

 ぽつりと呟くリカオン。

 

 イビルアイはリカオンの口振りに違和感を感じた。その口振りは一見、他人に冷たいだとか他人に厳しい、などという印象を受けるかもしれない。自分もそういった面はあるし、ティアやティナはより顕著だ。このご時世、他人に入れ込みすぎるとロクなことがないのだ。

 

 だが、リカオンの態度は根本から違うように思えた。まるで人を人だと思ってない様な…。

 

 

「おーい。食いもん持ってきてやったぞー、と。」

 

 クレマンティーヌが盆を片手に部屋にやって来た。盆の上にはカットされたリンゴが並べられている。リカオンは待ってましたと言わんばかりに、ベッドから跳ね起きた。

 

「ねえ、クレア。あーんして。」

 

 語尾にハートがついていそうな甘ったるい猫なで声でおねだりをする。

 

「はぁ?ったく、仕方ないなあ。」

 

 ベッドに腰かけたクレマンティーヌは渋々要求に応える。8分の1にカットされたリンゴを更にフォークの横腹で割り、一口サイズにしてリカオンの口へ運ぶ。

 

「おいしー!」

 

 リカオンは無邪気な笑顔でリンゴを頬張った。

 

「ぐぬぬ。何故クレアは良くて私はダメなのか。私も女子とスキンシップしたい。」

 

「胸に聞いてみろ。」

 

「どれどれ…。つるつるぺたぺたしている。」

 

 ティアはほぼノータイムでイビルアイの胸をまさぐった。

 

「自分のだ。それ以上やると殴る。」

 

 病室とは思えないほど賑やかな女性陣達。アインザックは目の前の無駄に姦しいやりとり──1人はおっさん臭かったが──にげっそりとした顔でため息を吐いた。

 

「うっ、いたたたた。」

 

 リカオンが突然手で頰を抑える。どうやら麻酔が切れてきたようだ。頭が体の異常を知らせるため、痛みを取り戻そうとしていた。リンゴの果汁が口の傷口に染みる。

 

「あのー、早いとこ治癒魔法欲しいんですが…。」

 

「大隊の方も被害が出ていて、動ける回復要員は全て出払っている。君は命に別状が無さそうだから後回しだ。」

 

「そんなー。」

 

「しばらく安静にしておくことだな。」

 

 アインザックはこの空間から逃げ出すべく、つかつかと早歩きで医務室を後にした。

 

 

 ーーー

 

 

 地下深くにあって、豊かな自然と満天の星空が堪能できる場所。黒くてしっとりとした肥沃な大地の上を植物系モンスターが闊歩し、枝葉を伸ばし、その生の結晶である果実を動物達に与えている。

 

 ここはナザリック地下大墳墓の第六階層。双子のダークエルフが守護する要害堅固なナザリック防衛の要所である。このエリアはフィールドコンセプト上、迷宮(ダンジョン)とは違った探索スキルを必要とし、第五階層までを突破した侵入者を更に振るいにかける為に作られた、製作者の底意地の悪い捻じ曲がった根性が透けて見えるようなエリアである。

 

 その中で階層守護者の片割れであるアウラが円形劇場(アンフィテアトルム)の外縁で膝を抱えて蹲っていた。いつもならば所狭しと森の中を走り回っているのだが今日は様子が違う。古代ローマ風の建築様式で作られた石造りの外壁に背中を預け、所在なさげに顔を膝に埋めている。

 

 そこに近づくボールガウン姿の少女。服と同色である紫紺の傘と盛り上がった胸部を揺らしながら歩いてくる。シャルティアだ。

 

「いきなり呼び出してどうしたでありんすか?こちとら休暇のマッサージを堪能していたところでありんしたのに。」

 

 シャルティアがアウラの傍まで来て、顔を覗き込む。

 

「ねぇ、おちび?聞いてるでありんすか?」

 

 アウラは蹲ったまま、まるで返事をしない。シャルティアの顔は視界に入っているはずだが、視線は斜め下の床をじっと見ている。

 

「お…、アウラ?どうしたの?」

 

 覇気のないアウラを見て流石に心配になったシャルティアが手を伸ばすと、突然アウラが跳ね起きてシャルティアの胸に雪崩れ込んだ。

 

「あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ーー!!どうじようぅー!シャルティアぁーー!」

 

「ちょっ、ちょっと、いきなりなんなのよ!」

 

 力の限りに抱きついてくるアウラを、前衛ガチビルドの腕力で引き剥がす。

 

「落ち着いて!」

 

「だって、だってぇ。」

 

 アウラの顔は涙でぐしょぐしょになっていた。

 

「ほら、ハンカチ貸してあげるから、顔拭いて。鼻チーンてしなさい。チーンて。」

 

 シャルティアは廓言葉モドキからすっかりオカン口調になってハンカチをアウラの顔に押し当てる。アウラは促されるまま、ずびびびぃー、と派手な音を立てて一息つくと、やっと落ち着いたのだった。

 

「それで、どうしたってのよ。」

 

 アウラを宥めすかして劇場の観客席に座らせた後、シャルティアが改まって聞くとアウラは罪人が神の前で懺悔するかのように話し出した。

 

「作戦が計画通りいかなかった。アインズ様はきっと失望していらっしゃる。それに、これが原因でアインズ様が僕に愛想を尽かされたらみんなにも何てお詫びすればいいか。」

 

 アウラの吐露を神妙な顔つきでうんうんと話を聞いていたシャルティアだが、徐に片眉を釣り上げた。

 

「ん?作戦は大成功だったって聞いたけど。」

 

「えっ。」

 

 顔を見合わせる2人。

 

「アルベドも上機嫌だったでありんす。」

 

「でも、竜の乱入を許したし…、その時<伝言(メッセージ)>でご報告差し上げたのだけど、"あーあ、もういいや"と仰られてすぐ切られたの。」

 

「聞き間違えじゃないの?アインズ様は竜が来る事も想定済みだったってデミウルゴスが言ってたでありんす。」

 

「そんな!アインズ様の御言葉を聞き間違えるなんて!」

 

「焦ってるときの記憶はあまり信用できるものじゃありんせん。悪い想像とごっちゃになってるのでありんしょう。」

 

「そうかな…。」

 

 しばしの沈黙。アウラの表情は晴れておらず、納得しきれていないようだ。

 

「過去の心配するより、今後の事を考えるでありんす。」

 

 シャルティアは話題を変えるためにおどけて明るい声を作った。

 

「作戦の折に特殊な死体を回収したらしいじゃない?」

 

「この世界にしかない技能を持った人間の事?」

 

 アウラが食いついた事を確認してシャルティアは呵成に喋り出す。

 

「そうそう。それでね、たれんと?が不死者になっても継承されるかどうかの実験をするから、それについて死体の専門家として意見を聞きたいって言われてたんだけど。」

 

「へえ。」

 

「死体活用のアイデアをアウラが出したって事にするようアルベドにお願いしんしょう。次の集会の時に意欲をアピールするの。それにアインズ様に直接話せば誤解もきっと解けるでありんす。」

 

 そこまで言われたアウラは怪訝な表情を向ける。

 

「何でそんな手柄を手放すようなマネを?」

 

 シャルティアがポイント稼ぎの機会を黙って見過ごした挙句、さらには他人のためにライバル(アルベド)に頭を下げる提案をするのは怪しいと感じたようだ。

 

 シャルティアは懐疑の視線を躱すようにすくっと立ち上がって、

 

「まあ、今回一番頑張ったのはあんただし、それぐらいの報酬はあっても良いと思ってね。それに…。」

 

 にやりと口元に笑みを浮かべた。

 

「他ならぬ妹分を助けるためでありんすからね。」

 

 それを聞いたアウラはきょとんと鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしてシャルティアを見上げる。その後、シャルティアと同じような笑みを浮かべて、

 

「はいはい。ありがと、おねーちゃん。」

 

「うぇ、今日は素直でありんすね。不気味。」

 

「何をぅー!せっかく人が感謝してるのに!」

 

 立ち上がったアウラの拳が頭上に振り上げられシャルティアを狙う。しかしそれが落ちることはなく、シャルティアの手が優しく絡め取った。

 

「そんなに眉間に皺を寄せていたら肩が凝るでありんす。おんしもマッサージを受けなんし。さ、行くでありんす。」

 

 シャルティアは繋いだ手をぐい、と引っ張る。

 

「ちょっと、そんなに強く引かないでよ。もう、ちゃんとついて行くからさぁ。」

 

「折角だから第九階層のスパの方に行くでありんす。」

 

「あ、じゃあさ。マーレのやつも連れて行ってやってもいい?あいつもヘコんで引きこもっちゃったのよね。」

 

「はいはい。妹も弟もまとめて面倒見てやるでありんすよ。」

 

 すっかり機嫌の直ったアウラはとびきりの笑顔を見せた。

 

 その後、寝ているところを急襲され、布団を剥ぎ取られたマーレの悲鳴が森の一角で聞かれたという。

 

 

 

 

 






魔法の言葉「デミウルゴスが言ってた」




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第25話 世界の中心

 バハルス帝国の首都アーウィンタール、人の街で最も活気のある場所といっても過言ではない都市。放射状に建築物が置かれたその街並みの中心、代々の皇帝が住まう城。その一室。

 

 目を引くのは金と赤で統一された調度品たち。遮光のレースカーテンで心地よく調整された陽ざしが室内をやわらかく照らしている。バルコニーの無い窓から見える景色は街並みを展望するようになっており、ここが高所になっていることがわかる。

 

 出入り口は窓と反対側の扉が1つだけ、丈夫そうな閂が見えている。家の主人が大切な客をもてなすために設えた部屋、そんな印象を受ける。あるいは密会をする部屋かもしれない。

 

 その中に4人の人物がいる。対面に座る2人と、それぞれの側に立つ2人。

 

「そろそろ、ここに来た理由を申し上げたい。」

 

 今しがた、椅子から身を乗り出して熱心に話しているのは、格式高い神官服に身を包む妙齢の女性。肌を露出させない衣装と薄い化粧は厳粛さを絵に描いたようだ。その立ち振る舞いは彼女がとても地位の高い人物であることを感じさせる。

 

 そばに控えるのは立派な体躯を持つ壮年の男性。背負うのは抜き身のバスタードソード。儀礼用に装飾された柄と銀引きされた刀身は、それが本来の武装ではないことを物語っている。彼の武器以外の出で立ちは法国六色聖典の1つ、火滅聖典のものだ。

 

「単刀直入に言うと、3週間後にある評議国との戦いに帝国も協力していただきたい。」

 

 女性の視線の先には皇帝ジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクスがいる。年若いこの皇帝は歴代でも随一の才覚を持っていると言われ、その辣腕で帝国を目覚ましい速さで発展させている。一方、政敵を徹底的に排除する彼のやり方は鮮血帝とあだ名されるほど苛烈だ。大衆の支持は厚いが、反発するものも多い。

 

「そうは言うが。」

 

 ジルクニフは困ったように隣に立っている騎士、ニンブルに目配せをする。

 

「評議国が王国に戦争を仕掛けるなど、寝耳に水だ。」

 

 彼は椅子に深く腰掛けながら言った。だがこれは嘘だ。本当は独自のルートから評議国が宣戦布告した情報を得ている。簡単には手の内を見せないのが外交のコツなのだ。彼は有能な為政者であり、勝負師であった。

 

「火の神官長殿が直々にいらしているのだ、疑うつもりはないが。」

 

 ジルクニフはそう言って揺さぶりを掛ける。相手が何を考えているのか少しでも言葉の端から掴もうと試みた。しかし、火の神官長と呼ばれた女性は表情を変えず、笑みを浮かべたままだ。YESかNOの返事しか受け付けないつもりだろう。

 

「ふむ、具体的には何をすれば?」

 

 白々しく演技を続けるつもりだったジルクニフだが、動かない相手を見てカードを切る。

 

「戦力と物資の捻出。今の時期はちょうど、郊外に備蓄していらっしゃるでしょう?」

 

 帝国は王国との国境付近の丘陵地帯に駐屯地を設営しており、秋口になるとそこに大量の戦闘糧食を運び込んでいる。火の神官長はそのことを言っているのだろう。

 

「貴殿も知ってのとおり帝国と王国は戦争状態にある。我が軍は秋の終わり頃、例年通りカッツェ平野で布陣する予定だ。あれはそのためのものだ。」

 

 帝国が飽きもせず王国に戦争を仕掛けるのは、王国の経済基盤にダメージを与えるためだ。大部分を民兵で構成する王国軍は組織するだけでも莫大な労力がかかる。しかも作物の収穫時期に重ねることで労働力を失った村落は更に疲弊する。

 

 当然、軍の士気は低く、戦いは散々な結果に終わる。戦利品を得られず、ただただ徒労を積み重ねるだけ。そんな中、貴族たちは戦争の費用を補填するために無計画に税を増やして領民を苦しめるのだ。

 

「中止してもらいたいですね。人類の危機なのです、内輪揉めしてる場合ではない。」

 

 火の神官長は言葉こそ畏まっているが、態度は妙にフレンドリーで押しが強い。厄介なタイプだな、とジルクニフは感じた。しかし、それでこそ相手の鼻を明かしてやりたくなる。

 

「…嫌だと言ったら?」

 

 この毎年の嫌がらせによって、すでに王国はあと一押しで国が成り立たないほどにまで弱っていた。ここで手を緩める理由は無い。そもそも、法国だって両国が戦争するように仕向けていたのだ。ジルクニフは確かな情報筋から法国が王国戦士長を暗殺しようとした事を知っている。

 

「今年も法国から書状が来ますよ。何なら王国の味方をしてもいい。」

 

 火の神官長は悪びれもせず宣った。

 

 毎年の戦争の折、帝国は王国に対して書状で宣戦布告をしているのだが、同じように法国も両国に対して書状を送っている。曰く、エ・ランテル近郊は以前から法国の領土であり、王国は領土を不法に占拠している。帝国についても領有権を認めるものではなく、2国が争うのは遺憾である、と。

 

 とは言っても、例年、成り行きを見守るばかりで手出しをすることは無く、口だけの行為だと思われている。とりわけ、ジルクニフは将来的に法国が他国に宣戦布告する為の理由作りの一環であると見なしていた。

 

 しかし、ここに至って火の神官長は武力介入を示唆した。そして書状の内容も変えてくるつもりなのだ。おそらく、人や文化財の保護を名目に戦争の仲介をする、などと言うつもりだろう。

 

「なるほど、つまり、今年は我らの領土を保全する戦いをしてくれるな、そう言いたいのだな。」

 

 冷え切ったジルクニフの声。出したカードは伏せられているが、脅しの言葉が書かれている。

 

「それは法国の総意だと考えてもいいのか。()()個人のたわごとではないと?」

 

 ジルクニフは火の神官長を睨む。燃えたぎるような赤を湛える鮮血帝の目。鋭い眼光に当てられて、火の神官長の側に控える男が身構えた。ニンブルは剣の柄に手を添えている。皇帝が目の前の人間を切り捨てろと言った時に備えるためだ。

 

「我々は帝国の、王国に対する侵略行為を止めたい訳ではありません。」

 

 火の神官長は心底心外そうに笑顔のまま答えた。城に入ってから一度も崩れてはいない。まるで笑顔が張り付いているかのようだ。

 

 ジルクニフは殺気立つニンブルを手で押さえる。

 

「侵略行為とは物騒だな。心当たりが全くない。だが、()殿()の話はもう少し耳を傾ける価値がありそうだ。」

 

 ジルクニフは顎で指して話の続きを促した。顔の険は嘘のように消えている。相手が能面だとすればこちらは百面相だ。

 

「この戦いに勝ったとして、最も被害を受けるのは王国でしょう。それこそ政治能力を十分に残さないほどに。誰かが代わりに国を統治しなければ。そうは思いませんか?」

 

「しかし、誰が行う。王国の民も何処ぞの馬の骨ともつかぬ輩を頭には置くまい。」

 

 ふふん、と鼻を鳴らすジルクニフ。その先の答えを目の前の女から引き出したいのだ。

 

「戦争の中、過去の遺恨を水に流し王国と共に手を取って竜と戦った心優しい隣国の皇帝なら?力もあって知識もある。これ以上の人材が?」

 

「旧勢力は何とする。王国貴族達は認めまい。」

 

「悲しい事に戦争では多くの王国民の命が失われるでしょう。その責任は誰にあるか。その者達を排除する理由は枚挙にいとまがない。」

 

 ジルクニフはわざとらしく息を漏らした。悔しいが、相手の巧みな交渉術に舌を巻くばかりだ。

 

「ははあ、わかったぞ。普段我々が行なっている戦争の費用を評議国が肩代わりしてくれるということだな。」

 

「何のことやら。」

 

 口ではそう(うそぶ)いていても、両者には確かな合意があった。

 

「しかし、統治とはそう上手く行くようなものではない。後ろ盾は必要だ。王国の外からも内からも。」

 

「外からはもちろん法国が。そして我らは王国内に足掛かりを作っています。王族や貴族と繋がりのない有力者。」

 

「当ててやろうか。アインズ・ウール・ゴウンだろう。」

 

「御名答。お望みであればいつでも取りなしますよ。」

 

「それは──。」

 

「私個人のたわごとでは無く、法国の総意です。」

 

 ここで皇帝は勝負を放棄(ドロップ)する。

 

「ならば、手を貸そう。もう素面で話すことも無いだろう。楽にするといい。」

 

 彼は背もたれから身を起こし、テーブルの上にあった果実酒の杯に手を伸ばした。2つ用意された杯はまだどちらも口をつけられてはいなかった。

 

 ジルクニフの言葉を聞いて、火の神官長は満足そうに杯を手に取った。そしてより一層笑みを深めて言う。

 

「では我らの友情と人類の繁栄を祈念して。」

 

 2人は杯を鳴らし合わせた。咳をする様に乾いた、チン、という音が静謐な空間を満たす。そしてその音がそのまま密約の署名の代わりとなった。

 

 

 ーーー

 

 

 客の帰った部屋の中、ジルクニフは杯を揺らしながら思案する。眉間に皺を寄せ、いかにも不機嫌そうだ。

 

「信用できるのですか。」

 

「あれが本心ではないだろうな。」

 

 ニンブルの問いにジルクニフは即答する。

 

「だが、アインズ・ウール・ゴウンの話を引き出せたのだ。手を取り合う意思はあるように思うぞ。…今はな。」

 

 法国はいずれ打倒すべき相手。もし評議国という足枷が外れたならば法国は一気に勢力を拡大させ、帝国をも取り込みにかかるだろう。

 

 戦力差は如何ともしがたいのが現状だ。武力ではおそらく太刀打ちできない。

 

 しかし、相手がこちらを上手く丸め込んだと思っている今がチャンスだ。アインズ・ウール・ゴウンを先にこちらに引き込む。いつまでも高みで踏ん反り返っていられると思うなよ、法国め。

 

 かぐわしい血の皇帝は眼の中に野望の火をくゆらせる。物心がついてからというもの彼の人生は闘争の連続であった。今もまだ道半ばである。彼は覇道の下に積み重なる数多の屍を幻視して、スン、と鼻を鳴らした。死肉の饐えた臭いを取り込むように。

 

「嫌な客人でしたね。あんなに顔が変わらない人は初めてですよ。」

 

 物思いにふけるジルクニフにニンブルが声をかける。我に帰ったジルクニフは苦笑いを漏らした。

 

「全くだ、表情筋を固定する魔法でもかかっているのかと思ったよ。今度フールーダに聞いてみようか。」

 

 彼は冗談めかした後、杯を空にする。続けて一杯、二杯とついでは口に流し込む。とろみのある液体で満足のいくまで乾いた喉を潤すと、立ち上がって小さく伸びをした。

 

「あまり飲みすぎると公務に支障が出ますよ。」

 

「柄にも無く緊張していたようだ。喉がからからだったよ。奴らに唾を飲む音を聞かれないで良かった。──そう言えばニンブル。」

 

「何ですか?」

 

「さっきの2人、戦いになったら勝てたか?」

 

「私1人なら難なく。ジルクニフ様をお守りしながらだと五分といったところでしょうか。…何をお考えで?」

 

「斬れと言ったら面白かったかもしれないな。くくく。」

 

「冗談でもやめて下さい。」

 

 ジルクニフはカーテンの隙間から城下をちらりと覗く。そこには皇城を出て行く2人の使者の背中が見えた。

 

 

 ーーー

 

 

「本当なのですか。」

 

 アーウィンタールの防壁をくぐって、しばらく道なりに進んだ辺りで、男が声をかけた。火の神官長はいっとき足を止めて男を見る。

 

「何がです。」

 

「バハルス皇帝に王国を統治させるというのは。」

 

「ええそうよ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。嘘は言ってないでしょう。」

 

 男は短いあご髭をさすりながら、はあ、と生返事をした。開いた眉にはちょっとばかしの非難の色が浮かんでいる。

 

「嘘を言ってなければいいってもんじゃないでしょう。」

 

 火の神官長はそっぽを向いて早足で歩き始めた。どうやら癇に障ったらしい。男は慌てて後を追う。

 

「皇帝の能力を腐らせるのは勿体ないし、有効活用よ。皇帝だって実質的に今までの立場と変わらないし、法国がバックにつくのよ。まんざらでもないでしょう。」

 

「首輪を嵌められるってのに今までと同じ立場はないでしょうに。野心と求心力のある人物をそんなポストに置くのは危険では?」

 

 男は早足で歩く火の神官長の歩幅に合わせつつ、話を将来的なリスクに水を向ける。

 

「皇帝ほど賢明なら、彼我の戦力差を弁えているでしょう。表立って反抗するとは思えないし、武力蜂起など尚更よ。」

 

 火の神官長は判事が規約を読み上げるように言った。そんな事は会議で散々話し合われて意見が出尽くした結果なのだと察するべきでしょう、と顔に書いてある。

 

「ご丁寧にエサまで付けて。アインズ・ウール・ゴウンと引き合わせるのも問題無いと神官長様達はお考えで?」

 

「それについてはまた別の意図。アインズ・ウール・ゴウンが王国以外の他者に靡くのかどうかが知りたい。」

 

「アインズ・ウール・ゴウンはぷれいやーかもしれないんでしょう。いずれは法国に引き入れたい人物ときいていますが、先に帝国と交渉させるのは危険では。」

 

「利益を求めて鞍替えするような人物で、まともに考える知性があるならば法国と帝国のどちらに与するのが良いかはすぐ分かる。アプローチをかけるのは遅くても速くてもダメ。タイミングを見極めなければ。」

 

「そうですか。」

 

 男は訝しげに口をへの字に曲げる。対応が中途半端過ぎる。アインズ・ウール・ゴウンが情に(ほだ)されるような人物だったらどうするんだ。

 

 そこまで考えて、男は火の神官長の表情を見て気付く。彼女はやはり不機嫌そうな顔で、口の端を歪ませていた。

 

 ああ、なるほど。自分が聞いたことは、火の神官長は全て分かっているのだ。会議の場でも同じような疑問を呈したに違いない。大方、マクシミリアンのジジイあたりに反対されたのだろう。そして意見がまとまらず、事無かれの折衷案になったと言ったところか。

 

 大きな問題を先送りにするのは合議制の悪いところだなぁ。意見がまとまらないとすぐこれだ。と、彼はぼんやり考えていた。ただし、火の神官長の前ではそんな事は口が裂けても言えなかったが。

 

「あなたの言いたい事は分かるわ。でもね、土の巫女姫、占星千里、風花聖典を失って、法国の情報的優位は以前より揺らいでいるの。および腰になるのも仕方なし…。はぁ、喋りすぎたわ。愚痴っぽくなってしまったわね。」

 

「御苦労様です。今までの話は聞かなかった事にしておきますよ。…少し休憩しましょうか。警戒は私がします。」

 

「悪いわね。」

 

 2人は木陰で迎えの馬車を待つ事にした。大きめの石に腰掛ける彼らの頬を風が撫でる。妙に冷たい草原の風はなんだか不吉な未来を呼び寄せている気がして、ひどく胸をざわつかせた。

 

 

 ーーー

 

 

 暗い部屋の中、何者かが会話をしている。姿は見えず、音だけの会話。もっとも、魔法による認識阻害によって当人達以外にその内容を聞くすべは無い。

 

「八本指の情報ルートが早速役に立ったね。帝国も()()()戦争の準備に入ってくれた。」

 

「ブルムラシュー候は期待通りの男でしたな。」

 

 声の主達は成果を確かめるようにカラカラと笑い合う。

 

「さて、これで後は機を待つばかりとなったが、君の影武者としての仕事もそろそろ終わりかな?」

 

「ええ、早く宝物殿に戻って仕事の続きをしたいですな。」

 

「逸る気持ちは分かるが、アインズ様の戻りは明日だ。そこで引き継ぎと予定の確認をしてからだな。」

 

「失敬、そうでした。時に、随分嬉しそうですな。」

 

「ああ、3週間後が待ちきれないよ。きっと素晴らしい景色が見られるだろう。」

 

 気分が高擁して自然と声が大きくなる。上ずった会話の声を囃すように、突風が窓を叩いてガタガタと音を鳴らした。悪魔が嗤っているみたいだった。

 

「じゃあ、また明日。」

 

「はい。また明日。」

 

 その言葉を皮切りに本当の静寂が戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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