例えばこんなオーバーロード (ちゃんどらー)
しおりを挟む

別離は突然に

 西暦2138年の現代世界はとても人間が暮らせる世界として成り立っていなかった。

 留まることのない環境汚染。ロボットの燃料と同義のような生きる為だけの栄養食。当然、自然などというモノは残されておらず……透き通った青空や真月、星々など目に映るはずもない。

 濁った太陽光に濁った空気だけでなく、管理されつくした社会情勢や貧富の格差。もはや人は生きているのか死んでいるのかも分からなかったのではなかろうか。

 

 そんな世界で生まれた一つのゲームは、まさに現代に生きていた人々の理想だったのではなかろうか。

 仮想世界の魅力に憑りつかれた人々は後を絶たず、現代の生活をギリギリまで削ってでもその世界に入り浸った。

 

 DMMORPG「ユグドラシル」

 体感型大規模大人数オンラインロールプレイングゲームとして異例の大ヒットを博したそのゲームも終わりの時が来た。

 日本中でその名を知らぬモノのいないゲームであっても、一コンテンツである限り時代や流行の移り変わりに逆らえるはずもなく……あと僅かな時間で栄光の歴史に幕を下ろす。

 築いた栄光も、創り上げた理想(ゆめ)も、育んだ絆も……全てが。

 

 

 

 †

 

 

 

 “アインズ・ウール・ゴウン”というギルドがあった。

 異形種のメンバーのみで構成されたそのギルドは、かつて1500人のプレイヤーの侵攻すら跳ねのけた上位ギルドだった。

 しかし、栄光の道を進んでいたそのギルドであってもその他のギルドの例に漏れず、メンバーの引退は避けられぬ現実であり、今や残るメンバーは数人だけ。

 一人、また一人と辞めていったその先に残った数人であっても、ここ数年でログインし続けたのはたった一人。

 

 拠点であるナザリック地下大墳墓の最下層の玉座の間には、ギルド長であるモモンガが玉座にゆったりと腰かけていた。

 

「……やっぱり来ない、か」

 

 寂寥を含んだ声音は広い部屋の中に静かに響く。

 サービス終了を少しでも華々しく飾ろうと思い、ギルドメンバーに送った招待のメールは数名を除いて空振りに終わった。

 ほんの数十分前に来てくれたギルドメンバーである“ヘロヘロ”も、明日の仕事があるからと簡易な挨拶だけを行いすぐに帰ってしまった。

 

 嬉しさはあった。何せ数年ぶりに話すことができたのだ。

 ギルドを維持する為にたった一人で来る日も来る日も効率を求めて金貨を稼ぐ日々。誰が戻って来てもいいようにと守り続けた大切な場所。

 突きつけられたサービス終了の絶望であっても、こうしてメンバーと言葉が交わせたのだから幸せをくれたと言ってもいいのかもしれない。

 

 ただ……モモンガの心には寂しい風が吹いていた。

 死の支配者・オーバーロードであるモモンガは玉座に肩肘を立てて頬杖を突いた。髑髏の赤い目は不敵を移さずただ無機質な色を輝かせるだけ。

 静寂の中で控える目の前のNPC達を見つめながら彼は膝に置いた片手を握りしめる。

 

(どうしてそんな簡単に捨てられる……っ)

 

――ギルドの皆は生きる為にリアルを選んだのだ。現実で人間として生きるには、いつまでも理想に囚われていてはいけない。

 

 頭では分かっていても、孤独と寂寥に支配された彼の心は悲鳴を上げて泣いていた。

 しかし口に出すことすら出来ず、彼は震える拳を握るだけ。

 

 あと十数分で終わるゲーム。他の誰かがモモンガを見ればたかがゲームにと嗤うかもしれない。

 しかし家族も友達もいないモモンガにとっては大切な大切な絆だったのだ。

 一つ一つ楽しかった時間を思い出していく度に、彼の拳は握られる。

 悪のギルドでは異端の正義を進んだ男、誰よりも悪に拘った悪魔、千変万化の声で癒してくれたピンクの粘体、ムードメーカーであった変態鳥人、失われた自然を創り上げようとした蒼い星、設定とギャップに情熱を注いだ錬金術師、動けば悪戯しかしないトラブルメイカー……

 

 異形種狩りに苦しんでいた自分を助けてくれたのは誰であったか。回顧の末に辿り着いた始まりのきっかけに、彼はハッと息を呑む。

 自分から彼らに繋がった40の絆のイトは切れても、思い出を切り離すことは出来なかった。

 

 孤独に震えるモモンガであったが、握りしめていた拳をゆっくりと解いていく。

 

(このまま終わるのは……嫌だな)

 

 ギルドメンバーがいなければ自分はここにはいない……否、ギルドメンバーが居たからこそ楽しかったのだと、思い出を反芻していく内に思えた。

 今でも心に残る大切な思い出は宝物。旅立った彼らに対して怨嗟を向けることは、昔の彼らとの時間を否定しているように感じた。

 

(最後なんだ。誰も居なくても、誰も見てなくても、俺はモモンガとして……アインズ・ウール・ゴウンのギルドマスターとしてやりきろう)

 

 残り時間は十数分。

 ゆらりと立ち上がった彼は、最後に連れてきたNPC達を見下ろした。さながら魔王のように。

 プレアデスと呼ばれる戦闘メイド達、まとめ役である執事のセバス・チャン、守護者統括のアルベド。控えさせたのはそれだけだ。

 此処にナザリック全てのNPCを集めても良かったかと考えるも、今更そんな時間はない。

 

「面を上げよ」

 

 静かな、それでいて重量感のある声が零れ落ちる。

 支配者としてのロールを演じることは、ギルドメンバーが居る頃から慣れている。目の前にいるのはただのNPCであるが、モモンガはNPC達に向けて仲間たちに語り掛けるように言葉を紡ぐ。

 

「盟友達の帰還は未だ叶わず、理を覆すには我らは余りに矮小過ぎた。

 我らがアインズ・ウール・ゴウンの栄光は不滅なれど、運命の歯車は止められぬ。我ら41人の力をもってしても……この世界を拾い上げることは出来なかった」

 

 演じる自分は魔王。魔王は世界を救ってはならない。魔王はあくまでも尊大に、横暴に。

 しかれども魔王は世界を知るモノでもあれと願った。今のモモンガが思い描く魔王は、世界に挑み、世界に負けたモノ。

 仲間たちはきっと魔王の盟友。共に世界に挑んだ最高の戦友。彼らの力をもってしても、やはり世界には敵わない。

 

「聞け、愛しきアインズ・ウール・ゴウンの子らよ。

 時は来た。今宵、我が求めた愛しき世界は泡沫へと消え去ることとなる」

 

 間。

 一寸の間は部下達が息を呑むようにと。

 彼自身が思い描く部下達の姿を脳髄に移しながら、彼は震える喉を叱咤して言の葉を続けた。

 

「唯々……無念だ。

 誇らしきナザリック地下大墳墓、そしてこの愛しき世界ユグドラシルは、このモモンガや盟友達が欲するも手に入るモノではなかった。

 お前達には私が諦める姿を見せたくはないが……崩壊へと進んだ針は戻せない」

 

 憐憫を振りまいたその声音は彼の本音が強く出ていた。

 出来ることなら、ずっとユグドラシルで遊んでいたかった。そういった願望の発露。

 

「私たちの理想(ゆめ)は終わる。この私も、世界の選択によりこのユグドラシルから弾き出されることとなる。

 不甲斐ない主ですまない。俺は……ナザリックを守ることが出来なかった」

 

 真に迫る心の内だからこそ、彼の言葉には想いが宿る。

 

(どうせなら……ユグドラシルが現実ならよかったのに……)

 

 壊れ行くことが確定している現実世界よりも、自分たちが理想(ゆめ)を求めた仮想世界(ユグドラシル)が現実であったならば。

 到底叶うことのない願いを心の中だけで零して、モモンガは小さなため息を吐き出した。

 

(サーバーがダウンして全てが無に帰すとしても、俺達が過ごしたこのナザリックが宇宙の何処か遠い所で存在していたなら……NPC達はどうやって暮らしていくんだろうな)

 

 自分が消えるということは、NPC達に自分自身の、モモンガと同じ痛みを与えるということだ。

 帰ってこない仲間たちを待ち続けて、そうして、彼らは永遠を過ごしていくことになるだろう。

 くだらないもしもの話だ。絶対にありえないと思うもしもの話。

 最後に言うことは、きっと叶うことがないだろう願い。

 

「……しかしもし……もしもお前達だけは消えずにいられるというのなら、これからはお前達の思うように生きて、お前達の思うように未来を掴み取れ。

 ただ一つだけ、どうか私たちの理想(ゆめ)を心に留めておいて欲しい。私たちがこのナザリックに生きていたことを覚えておいて欲しいのだ」

 

 これは我がままだろう、とモモンガは思う。言うべきではないのだろう。しかし止まらない、止められない。

 

「私たちが笑いあったこの場所を、私たちとお前達の大切な家を、どうか……よろしく頼む」

 

 これ以上続けていたら泣き出しそうだったから、モモンガは強引に終わらせる。

 NPC達の表情は変わらない。何も、何もかもが変わらない。

 

 急激な虚しさと寂しさが心を支配して、モモンガは彼らを見ていられなくなって背を向けた。

 

「では……さらばだ。愛しきナザリックの子らよ」

 

 最後の刻まで後数分。

 行く場所はもう決めていた。

 

「アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ!」

 

 声を高らかに上げて示したるは過去の栄光。そして理想との決別。

 装備していたリング・オブ・アインズウールゴウンを発動させて、彼は玉座の間を後にした。

 

 

 

 

 カチ……カチ……とデジタル表示が刻を進める。

 それを見ることが出来るモノはもはやこの部屋にはいない。

 静寂だけが支配する玉座の間に取り残された者達は、主の命を待つだけしか出来ない。

 

 カチ……カチ……と刻が進む。

 永遠に続くと思われたその時間は、とある時刻を以ってがらりと様変わりすることとなる。

 

 

 

 23:59:58

 

 

 23:59:59

 

 

 00:00:00

 

 

 

 

 ポタリ、と何かが落ちる音がした。

 荘厳な空気と静寂が支配する玉座の間に、その音は幾重も重なって広がっていく。

 

「……っ……ぅ……」

「……ぅぁ」

「ふ……ぅ…」

 

 押し殺すような声が幾つもあった。その数は八つ。

 主の命令はまだ来ていない。

 動いてしまえば、声を出してしまえば“これ”が現実のこととなってしまいそうだから、彼らは声を押し殺していた。

 

 小さな水音だけだったはずが、幾重も幾重も重なっていく。

 衣擦れの音も、次第に増えていく。耐えなければならない。耐えなければ“これ”が現実となってしまう。

 

 きっとたちの悪い冗談なのだ。

 今にもきっと、戻ってきてくださる。

 いつだって優しい主は自分たちの所に戻ってきてくれたのだ。

 だから今回だってそう。あんな……あんなことを皆の前で言っていても、それはきっと冗談に過ぎないのだ。

 

 自分たちは忠実な僕であるのだ。不甲斐ない姿を見せてはならない。

 だから、だから……

 けれども彼らにはもう、抑えることなど出来なかった。

 

「モモ……ンガ……さ、ま」

 

 誰かが零した。何れは誰かが口にしたであろう。

 誰かが耐えきれなくなって零した御方の名前を耳に入れてしまった全員が大きく息を呑み――

 

――上げていた面を地に伏して叫んだ。

 

 

「―――――――――っ!」

 

 慟哭が世界を包み込む。

 

 主の望んだ生が与えられたことを彼らは知らない。

 

 彼らにとって、命の始まりの刻は残酷に過ぎた。




気が向いたら書いていこうと思うお話。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

始まりは終わりと共に

 

 玉座の間を後にしたモモンガは静寂に支配された場所で、下を向きながらポツンと立ち尽くしていた。

 一瞬だけ……ほんの一瞬だけ、振り向く前にNPC達の表情が変わった気がしていた。

 くだらない妄想だ、と彼は思う。所詮はデータでしかないNPC達が、自分たちが命じたコマンド以外を行うとは思えない。

 

――もしも自分が言った言葉を命あるモノが聞いたのなら、悲しみに暮れてくれるだろうか。

 

 きっとそんな感情から己の目は幻想を映してしまったのだ……モモンガはそう考えた。

 

(女々しいなぁ……俺は)

 

 無意識のうちにため息が零れ落ちる。

 それだけこのゲームにのめり込んでいたことの証明でもあるし、未だに終わることなど信じられない。

 しかし、これが誰かが作ったゲームであるのなら、終わりはいつか来るものだと理解してしまう自分もいる。

 

「……アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ、か」

 

 無に帰してしまう栄光に価値はあるのかないのか。

 せめてここに誰か別のギルドメンバーでも居てくれたなら違ったのだろう。

 楽しかった思い出を胸に抱きながら、いつかきっとまた遊ぼうと約束でもして、新たに現れる別のゲームにのめり込めたのかもしれない。

 孤独からくる寂寥の風がまた心の中を吹き抜けて、モモンガは震える拳を握りしめた。

 

――唯々……寂しかった。

 

 だから彼は此処に来た。

 最後の刻を独りで過ごす自分に一番相応しく、そして自分が最も多く脚を運んだこの場所――宝物殿へと。

 

 仲間達との冒険の証は今も尚輝きを失わず煌めいている。入り口に積まれている宝の山など、ここ数年は放り投げるようにして置いていっただけだった。

 改めて見ると自分達が残した財産の輝きが誇らしく感じた。

 

「……立ち止まってちゃダメだ。もう、時間がない」

 

 表示されているデジタル時計は後数分。

 せめて最後だけは……と思い立った場所に行くために、モモンガはフライの魔法を唱えて宝の山を越えていった。

 

「えっと……なんだっけ……」

 

 焦りからか、久しぶりだからか、彼は目的地にたどり着く為のパスワードを思い出せない。

 時間がない、と逸る心を押さえつけて、彼はナザリックのほぼすべての場合に使用できるパスワードを口にする。

 

『アインズ・ウール・ゴウンに栄光あれ』

 

 何度目かの言葉を呟くと、漆黒の扉にはパスワードに従って文字が浮かび上がった。

 また彼の心に虚しさと寂しさが吹き荒れるが、歯を噛みしめてそれを耐える。ゲームの世界だからよかった。きっとモモンガはこれが現実であったなら泣いてしまっているだろうから。

 

「……かくて汝、全世界の栄光を我がものとし……暗きものは全て、汝より離れ去るだろう……」

 

 遥か昔に決めたパスワードの言葉は、彼の望みを叶えてくれるかのように聞こえた。

 開かれた扉を潜れば、昔のような楽しく幸せな時間が戻ってくる……そうであればどれだけ良かっただろうか。

 

――この心に立ち込める寂寥の暗雲を吹き飛ばしてくれ

 

 心の奥底に潜む願いは叶わない。これは所詮ゲームなのだから。現実を受け入れつつある、割り切ってしまう頭が今はただ憎かった。

 

 少し速足で歩く彼は、通り過ぎる武器や防具、アイテムの数々に含まれた思い出を頭に浮かべながら進む。

 立ち止まるわけにはいかないと、一つ一つ思い出を確認したい衝動を抑えながら進み続ける。

 もっと早く此処に来ればよかったと少しばかり後悔した。

 

「みんなで集めた思い出。みんなで創った思い出。みんなで遊んだ思い出。みんなで語った思い出。みんなで……」

 

 ゆるりと流れ出る声は空虚に響くだけ。過去のモノは全て戻ってくることはない。だが、確かに此処に存在していることを認める為に、彼は呟くことを辞めなかった。

 速足で抜けてしまった思い出の博物館を振り返りそうになりながらも、抜け出した広い空間で彼は立ち止まった。

 

 ゆらゆらと揺れる影が見えた。

 山羊の頭に人の身体、自身のギルドで最強の魔法詠唱者の姿が其処にあった。

 本来ならばモモンガは嬉しさで駆けだしていただろう。本当にソレがギルドメンバーである……ウルベルト・アレイン・オードルであったなら。

 また、モモンガは大きくため息を吐き出した。

 

「……戻れ、パンドラズ・アクター」

 

 下した命令からソレはカタチを変えていった。目と口の部分に穴があるだけの丸顔、びしっと着こなした軍服は皺一つない。

 自分自身で創り上げたNPCであるパンドラズ・アクターが其処に立っていた。

 

 最後に来たのはいつだったか。もう長いことそのNPCと会っていなかった。

 仲間達の姿を思い出させてくれるパンドラズ・アクターに初めは頻繁に会いに行っていたが、次第にマガイモノの仲間を見ることに耐えられなくなって此処に寄り付かなくなってしまったのだ。

 この場所の奥にはモモンガが制作していたゴーレムアヴァターラがある。仲間達の装備を付けた仲間達のゴーレムも、途中でやめてしまったから数体足りない。

 

「すまないな、パンドラズ・アクター。ずっと長いことお前のことを放置してしまって」

 

 投げ出してしまった作業の続きをする時間はもうない。

 残された時間はあと僅か。この場所で最後を過ごそうと決めたモモンガは、せめてと自身のNPCへと話しかける。

 ただのデータであるNPCに話しかけても何もならないと知っている。けれども彼は、胸に溢れる想いを零さずにいられなかった。

 

「なぁ、パンドラズ・アクター。

 もうすぐユグドラシルが……この世界が終わるよ。俺達が楽しく過ごしたこの世界が終わってしまう」

 

 支配者のように話そうかとも思った。しかし自分のNPCの前でだけは、何故かそうしたいとは思わなかった。

 自分自身の、作られたアバターの自分ではなく……鈴木悟としての自分で語ろうと思った。

 

「このギルドの始まりはPKに悩まされる異形種達の救済だったんだ。今では悪の代名詞のようなギルドになってるけどな。

 俺も最初は何度も何度もPKされてた。楽しく過ごせるはずのユグドラシルで、他と違う“自分”を選んだだけで弾かれる毎日だったよ」

 

 懐かしそうに語る彼の声に怒りはない。過ぎ去った今となってはそれも楽しい初心者の頃の思い出の一つだ。

 

「楽しかったなぁ……本当に、楽しかったんだ。

 始まりの九人で居た頃も、今のカタチになって強くなっていった時も、みんなで何かをやって何かを手に入れて、新しいモノを探して新しいことをして、そんな毎日が本当に楽しかった」

 

 苦笑を零しつつ思い出を振り返る。衝突もあった、悔しいこともあった、つらいこともあった。だが圧倒的に楽しかったことの方が多すぎた。

 一人、また一人と去っていった時の悲しみは此処では出したくなかった。

 憂いを帯びた感情を表してすすり泣くよりも、輝かしい栄光を語って聞かせたかった。

 

「なぁ、パンドラズ・アクター。

 ユグドラシルは終わるんだ。俺達が過ごした理想(ゆめ)の時間はもうすぐ終わる。

 だけどさ、俺達が楽しかった思い出は消えることはないんだよ」

 

 また、一つ一つ思い出が胸に溢れてくる。

 何も言葉を返すことのないNPCに向かって零し続ける声は、少しずつ震え始めた。

 割り切る為に、と口に出しては見たモノの……やはり寂寥と悲哀は埋められない。

 

「……なぁ、パンドラズ・アクター。

 俺達は此処に、居たよな? 俺達は、此処で絆を、繋いでたよな? 俺達は、此処で……生きてたん、だよな?」

 

 返ってくる言葉など無いと分かっていても、彼はもう抑えることが出来そうになかった。

 

「……っなぁ、俺達は、俺達の理想(ゆめ)は……なんで……」

 

 詰まったのは思い出。詰まらせたのは想い。喘ぐように言葉を絞り出そうとしても、溢れる悲しみが言葉を紡がせてくれなかった。

 静寂は耳に痛すぎた。孤独は心に重く圧し掛かる。哀しみは胸を掻き乱す。

 

「俺は……っ。

 俺はもっと……みんなと一緒に居たかった……っ!

 あんな世界は嫌だ! 俺には何もない! 俺にはユグドラシルしかないんだ!

 みんなで過ごしたこの世界だけが俺の世界だったんだ!

 みんなが戻ってくるならなんだってするさ! あの時間に戻れるならどんなことだってやってやる!

 俺はもう――――」

 

――――独りは嫌だ……っ

 

 鈴木悟としての孤独の感情は、墳墓の最奥で静寂に溶けて消え行く。

 自分でもかっこ悪いと理解しながらも、最後の時に零さずにはいられなかった。

 

 置いて行った仲間達へ吐き出したい想いはある。しかし悪感情よりも思い出の輝きが勝ってしまった。

 行き場のない悲しみだけが残ってしまった心を、他の仲間達のNPCではなく、自分自身が創り上げたNPCに伝えることしかできなかった。

 

 誰か一人でも彼の傍に居れば吐き出せただろう。しかしもう、時計の針は戻らない。

 

 

 

 最後の刻は間近に迫る。

 残す時間はもう、後一分を切っていた。

 

 

 視界を閉ざしても消え去ることのないデジタル表示が憎かった。

 無常にも現実へ引き戻そうとするその存在を感じながら、モモンガは大きく、大きく息を吐き出した。

 

「……ごめんな。俺は本当は弱い存在なんだ。

 最後だっていうのに、笑って終われなくてごめん」

 

 泣き笑いのような声を出してモモンガは言葉を零す。誇らしく見送って欲しくて彼は己の心を叱咤した。

 

「敬礼してくれ、パンドラズ・アクター」

 

 命令ではなく願いのカタチで告げる。

 普段なら即座にビシリと決められる敬礼のはずが、何故かゆるりと、モモンガの悲しみに同調するようにパンドラズ・アクターは敬礼を行った。

 

 その仕草が可笑しくて、モモンガは噴き出す。まるで自分を想ってくれるようなNPCの行動に嬉しくなった。

 

「くくっ……最後くらいビシッと決めろよ! まぁ、俺のNPCだし仕方ないかぁ」

 

 最後の最後に良い気分だった。もう一度、彼のNPCの設定や素晴らしさを確認したくなったが時間はもうない。

 

「名残惜しそうなお前に免じて自分からログアウトはしないよ。あのクソ運営のことだから、もしかしたらちょっとだけでもロスタイムがあるかもしれないし。

 世界が俺を拒むまで、俺はお前と共にいようかな」

 

 

 23:59:40

 

 

「最後にお前に会えてよかった。此処に来てよかった」

 

 カチ、カチと刻が進む。

 

 23:59:45

 

 

「俺はお前のことを誇りに思う」

 

 穏やかな心は声に乗せて。

 

 23:59:50

 

 

「お前は最高のNPC……ううん、最高の息子だよ」

 

 カチ、カチと刻が進む。ゆっくりと閉じた視界は闇のみがあった。

 

 23:59:55

 

 

「じゃあな、パンドラズ・アクター」

 

 別れを告げて、もう二度と戻れないことを哀しみながらも彼は笑った。

 

 

 

 23:59:58

 

 

 23:59:59

 

 

 00:00:00

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お待ちくださいっ! んんんモモンガ様ぁぁぁぁぁぁああああああああ!」

 

「は?」

 

 

 それはきっと奇跡と呼んでいい。

 

 孤独に終わるはずだったモモンガの世界は、何の因果か新たな始まりの刻を刻み始めたのだから。

 

 其処には彼の求めた出会いがあるかもしれない。

 

 其処には彼の求めた理想(ゆめ)はないかもしれない。

 

 管理されることのなくなった誰にも、未来を覗くことは出来ない。

 

 大きな苦難や、困難が待ち受けているやもしれないが、きっと希望もあることだろう。

 

 しかし、彼の持つ一つの指輪の光がふっと消えたことに、戸惑うモモンガはまだ気づくことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 

 ユグドラシルという一つの理想(ゆめ)が終わりを告げた日。早朝の現実世界は、慌ただしい喧噪に包まれていた。

 そこかしこで語られる会話も、テレビやネットで映されるニュースも、たった一つの話題で持ち切りだった。

 

“DMMORPG ユグドラシルのサービス終了時にアクセスしていたプレイヤー達は未だに意識が戻らず。確かにサービスは終了しサーバーは落ちているのに戻ってこない”

 

 しばらく後……一人の男は、そのゲームの中の友人への負い目からとある決断を行った。

 

 もう一人の男は、そのゲームの中の友人への負い目からとある実験へと参加する。

 

 因果のイトは複雑に絡み合い、今は遠き所で慌てふためく彼を巻き込むことになるだろう。

 

 彼が喜悦に綻ぶのか、悲哀に暮れるのかはまだ誰も分からない。




続きました。

寂しがりやなモモンガ様を描けていたら幸いです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

災厄への誘い

捏造過多につき注意


 

 いつしか忘れていた。

 自分達の理想を詰め込んだその世界のことを。

 腐れきった現実世界よりも、その世界はあまりに魅力的過ぎたのだ。

 忙殺した上で忘却の彼方に封じてしまわなければ、いつまでも“自分自身”はこの世界に甘えてしまうと思った。

 

 荒廃した世界において、ゲームにのめり込み過ぎて帰らぬモノとなったモノは多い。

 過酷な労働体制を強いられる現実から逃げるように、はたまた決して自分達の暮らしが上位には上がれぬと理解しているが故に。

 生きる、というのは現代の人間にとっては拷問にも等しかったのかもしれない。

 

 何の為に生きているのか。何の為に生まれてきたのか。

 

 今より遥か昔ならば誰もが一笑に伏してしまえるような問いかけは、現代に生きる人間たちにとって決して考えたくはない最悪の問いかけとなっていたのかもしれない。

 人工肺に縋らなければ生きていけないような下層の人間の男は、自分達が誰かに生かされているようにも感じた。

 大きな暗黒の機械に組み込まれた歯車の一つとして、ギシリ、ギシリと一日一日を悲鳴を上げながら生きているのだろう。

 しかも、その歯車が一つ二つ欠けた所でその機械は止まることはなく、何事もなかったかのように動き続けるのだ。

 

 男はそんな世界が嫌いだった。

 男はそんな世界が憎かった。

 男はそんな世界を壊したかった。

 

 決して悪くはない頭脳を持ちながらも知識を与えられることはなく、しかし己の人生を諦観に沈めてしまうような楽天家でもなく……男はただ、抗う力を求めていた。

 唯々考えることしか出来ず、歯車として汗を流すだけの己を呪いながら。

 

 正義のヒーローは現実にはいない。

 世界には、甘い蜜を暗がりで吸い続ける腐乱した生き物が蠢いているだけで、ソレらの指先一つの命令によって、正義を掲げたモノ達は闇に葬られていく。

 

 だからかもしれない。

 男はそのゲームの中で誰よりも悪に拘った。

 現実世界に蔓延る浅ましい魑魅魍魎などではなく、ソレらを掌の上で転がしながら弄べるような巨悪を望んだ。

 誰かからは悪だと言われながらも、誰かからは慕われる……誇り高き覇王のような巨悪を求めた。

 下賤を容赦なく叩き潰し、弱きモノには庇護を与え、甘ったれた理想を掲げるヒーローを下してしまえるような巨悪を。

 

 災厄、と男はそのゲームの中で呼ばれていた。

 

 

 

 全ては過去のこと。

 理想の世界に災厄を振りまく巨悪であっても、現実の世界では暗黒の機械の歯車でしかない。

 

 ギシリ、と歯ぎしりを一つして、男はモニターから流れてくるニュースを睨んでいた。

 

『DMMORPG ユグドラシルの最終日にログインしていたプレイヤーの意識は未だ戻りません。

 日付が変わる前にログアウトしていたプレイヤーに異常はありませんが、日付が変わった時までログインしていたプレイヤーのみ、この被害にあっているようです。

 制作会社の社員並びに制作のスタッフ達は原因究明の為に――――』

 

 二日経った今も変化のない情報に男は小さく舌打ちを放った。

 それもこれも、彼が久方ぶりに過去のメールボックスを開いてしまったことが理由であった。

 

 この大事件のニュースが流れた日の夜、仕事から帰った男は昔の思い出を懐かしんでいた。

 自分が情熱を傾けたゲームのことは、忙殺することでやっと忘れられた。そうしなければ、自分は現実の世界でまともに生きようとできなくなっていたから。

 過去のこと、と思える程に割り切れたからこそ、男はメールボックスを開けたのだ。

 

 久しぶりにログインするアカウントには大量の未読メールがあった。

 昔を辿っていくと週毎に、年数を重ねていくと月毎に、二ヵ月、三ヵ月とメールの間隔が空いて行き……最後の一通を男は開いてしまった。

 

〈お久しぶりです! お元気ですか!〉

 

 そんなありきたりな冒頭から始まった文章は、自分の為だけに送られたのだと分かる内容が連なっていた。

 楽しかった思い出や、笑いあった出来事を綴ったソレは、男が封じ込めた思い出を容易く呼び起こすモノだった。

 こんなメールを送る人物など一人しかいない。

 いつでも皆の調整役として苦労していたギルドマスター、モモンガしかいない。

 

 読み進めていくだけで唇が震えていた。

 モモンガは男を決して詰ることなく、昔と変わらない想いを伝えてきていた。

 込みあがってくる罪悪感から、男はメールを閉じてしまおうかと思った程に、モモンガが送ったメールは男の心を揺さぶった。

 

 嗚呼、と声が漏れる。

 決して頭の悪くない男は、“他のメンバーと共に何かをしたこと”が書かれていない文章を読んで、モモンガがどういう状況であるかを知ってしまった。

 たった一人でギルドを維持し、たった一人で皆の帰りを待ち、たった一人で自分達が帰る場所を守り続けていた、と。

 最後まで読み進めてみると、それは招待のメールだと分かった。

 

 ユグドラシルの最終日に、アインズ・ウール・ゴウンの栄光を再び。

 

 それはきっとモモンガの願いで……モモンガが皆に伝えたかった悲痛な叫びだった。

 

 しかしもう、理想(ゆめ)の時間は終わった。モモンガの想いに男は応える事が出来ない。

 

 天井を仰いだ男はニュースを思い出す。

 今も尚、プレイヤー達の意識は戻らないという。

 

――孤独に過ごしていたギルドマスターも、もしかしたらゲームの世界に囚われたままかもしれない。

 

 考えた瞬間に男はギシリと歯を噛みしめた。

 心に沸いたのは圧倒的な罪悪感。しかし……ほんの少しだけ安堵が沸いてしまった。

 もしも、自分が同じようにログインしていたのなら……自分はこうして生きていない。

 

 その浅はかさに、その人間としての希薄さに、男は煮えたぎるような憎悪を持った。

 自分自身が保身だけを考えている薄汚い魑魅魍魎の同類であるということが、唯々許せなかった。

 

 哀しいことに、男は力を持たない。

 大事件に巻き込まれた仲間を救う力を男は持っていない。

 希望的観測だが、もしかしたらモモンガは普通に生きているかもしれない。

 しかしすぐに頭を振って否定する。

 自分達のギルドマスターがどんな男であるかなど、誰よりも知っているのだ。

 引退した、中途半端な自分達一人一人にメールを送ってくるようなモモンガが、理想(ゆめ)の場所で待つことを辞めるはずがないのだ。

 最後の最後までその世界に居たいと望み、最後の最後まで自分達を待つだろうことなど予想に容易い。

 しかし……男はモモンガを救う力など持たない。

 

 外を見ると星など映るはずもない濁った夜空が広がっていた。

 明日もまた、自分には歯車としての日々が待っている。

 

 男は少しだけ、理想(ゆめ)の世界に居続けられるモモンガを羨ましく思った。

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 夜更けに届いたのは一通のメール。

 持ち帰りの作業をしていた男は、急に届いたメールを不思議に思った。

 仕事の仲間ならば携帯端末にメールを送ってくるし、ネットの仲間ならば他のアカウントにメールを送る。

 届いたボックスは……ユグドラシルをプレイしていた時のメールアカウント。

 

 知っているのはギルドメンバーでも限られた数人だけなのだ。

 男はメールをクリックして目を大きく見開いた。

 

 

〈急なご連絡、申し訳ございません。わたくしはユグドラシル運営局です。

 ユグドラシル登録メールアドレスを辿り、こちらのメールは運営から送付しております。

 ユグドラシルのログイン不可問題はご存知でしょうか。実は貴方様が所属されていたギルド:アインズ・ウール・ゴウンからも一人被害者が出ております。

 原因究明と人命救助の為に尽力しておりますが、状況は難しく打開策は未だ出ておりません。

 サーバーを再起動させたモノの、負荷の影響もあってか一部のギルド拠点などのデータが喪失されており、貴方様の所属ギルドも場所ごと喪失しております。

 外側からは勿論のこと、再起動させたユグドラシルにも捜査員が潜り捜索を続けておりますが、未だに被害者の一人も発見出来ていないのが現状です。

 メディアには内密ではありますが、政府の協力の元、喪失したギルドのメンバーにこうしてメールを送り、被害者の捜索のご助力を願っております。

 ギルド拠点をリスタート地点に設定されているプレイヤーであれば、喪失したギルドへと赴くことが出来るのではないか、そしてそのデータの動きを辿れば、多くの被害者を救うことが出来るのではないか、というのが政府の見解です。

 ご協力を頂けた暁には、貴方様には特別控除と特別給付金が与えられることとなります。

 これは強制ではありません。このメールの内容を漏らすことがない限り、貴方様はこれまで通りの生活を送ることができます。

 しかし政府が関わっている以上、このメールを他言した場合は、ある程度の誓約を順守した上でその後の生活を送って貰わなければなりません。

 そして、喪失したギルド拠点へのログインがどのような影響を貴方様に与えるかも、何も予測は立っておりません。

 ここ数日で何名かのプレイヤー様に同等のメールを送付しましたが、命の保証のある依頼ではありませんので、世迷い言と切り捨ててこのメールを見なかったことにして変わらない生活を送る方だけでございます。

 危険な依頼ではございますが、人命救助の為に、どうかご助力を頂けたらと思います。

 控除の詳細、給付金の内容については添付のデータを参考ししてください。

 

 大変身勝手なご依頼ではございますが、よりよいお返事をお待ちしております〉

 

 

 

 読み通した男は歯ぎしりを一つ。憎々しげにメールを睨んだまま動かない。

 男の頭は悪くない。

 社会の歯車でしかない自分にまで依頼してきたのには理由があるのだろうと予測を立てている。

 例えば、他に参加者はいないと言ってはいても、実は参加者は多数いる可能性。

 言うなればモルモット。被検体の数は多ければ多いほどいいのだから。

 強硬策に出ないのはあくまで初期段階だからであろう。例えば誰かが行方不明になって、疑問に思ったモノが立ち上がれば反乱がおこるのは世の常。小さな火種から起こるクーデターを鎮める為にも金が掛かる。

 十数年も続いたゲームだ。プレイヤーの数は計り知れないし、プレイヤーの知人・友人などそれこそ星の数ほどいるだろう。

 だからあくまで“穏便な手段で協力者を募っている”。

 

 反吐が出るような社会のシステムはいつでも変わらない。

 男にとって、餌さえ与えれば食いついてくるだろうというその考えが気に食わない。

 

 昔の思い出に浸ったからか、余計に男の胸には怒りが沸いていた。

 ただ……思うところがないと言えば嘘になる。

 

 男はこれよりも大切なメールを読んでしまった。

 被害者からの、孤独な悲鳴を聞いてしまった。

 

 粗い記憶を思い浮かべてみれば、その姿は容易に想像することが出来て、男は無意識のうちに拳を握った。

 

 

 誰にも話しかけられることなく、

 

 誰にも感情を向けられることなく、

 

 誰とも触れ合うこともない。

 

 たった一人で玉座に座り、

 

 たった独りで墳墓を護り、

 

 たったひとりで、何も分からないままその命の灯を吹き消される。

 

 

 それはあまりに……あまりに残酷ではないか、と。

 

――置いてきたのは俺達だ。だから俺達の誰かが、迎えに行かなきゃいけない。

 

 独りぼっちの辛さを男は知っている。

 もしかしたら、あの時無理やりにユグドラシルを去っていなければ、自分もモモンガのようになっていたかもしれない。

 男には家族は居ない。友人など希薄な関係だけで、仕事に生き甲斐を感じてもいない。

 ただ生きているだけ。死にたくないから生きているだけ。まるで人形のようなこの人生に意味はあるのかないのか。

 

 男は力など持っていない。

 世界を動かすことなど出来ないちっぽけな歯車に過ぎない。

 されども頭を回すことは出来て、現実の世界が大嫌いだった。

 

――それに、せめて自分に出来る全てでこの世界に反逆してみるのも面白い。

 

 モモンガに対する懺悔の感情はあるだろう。しかし罪悪感を和らげたいだけの浅はかなモノかもしれない。モモンガを理由にして、自分の欲望を満たしたいだけなのかもしれない。 

 これは富裕層に生まれて満たされた暮らしをしている“大嫌いなあの男”のような感情ではない。

 

 これもまた一興、と男は思った。

 嘗ての……いや、自分が創り上げた理想(ゆめ)の“災厄”ならば、優雅に優美に、友を迎えに行くことだろう。

 死んでいるように生き続けるくらいなら、せめて少しくらいかっこつけて死にたいと思った。

 

 ただで使い捨てられるつもりなど毛頭ない。

 帰ってきたなら、“自分が辿るかもしれなかったもう一人の自分”と共に、世界に中指を立てて嘲笑ってやろうと思った。

 

 知らぬ間に笑みを浮かべていた男はゆっくりと指を動かし始める。

 返信のメールを打つ彼の心に少しだけ恐怖はある。

 それは死の恐怖ではなく、独りぼっちにしてしまった仲間に拒絶されることへの恐れ。

 わずかな恐怖を振り払い、自身の美学を心に宿す。

 

 

「許してくれなくていい。怒ってくれていい。憎んでくれていい。

 俺は悪だから、悪者は悪者らしく、自分勝手に掬い上げるだけだ」

 

 だけど、と続けた。

 

「喧嘩の一つでも出来たなら……こっちに帰ってきた時に酒でも飲もうぜ、モモンガさん。

 俺達の思い出でも肴にしながら、他の奴らも誘ってさ」

 

 にやりと笑った顔はどこか誇らしげに。やりたいことを一つ見つけた災厄が嗤う。

 

「俺もあんたも……いいや……ウルベルト・アレイン・オードルとモモンガはさ……欲張りだもんな」

 

 




読んでいただき感謝を。
独自設定のオンパレードはお許しを。

今回は災厄のお話。
モモンガさんが転移した後の現実世界の対応はどんな感じなのか、という妄想。
ウルベルトさんがあの世界にインするようです。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

貫きたい正義のカタチ

また捏造過多


 

 柔らかな人工太陽の光が降り注ぐテラスの一席。並べられたティーセットを家族で囲む穏やかな休日の午後のこと。

 しばらくぶりの休日だからと家族団欒を提案したのは一人の男。

 精悍な顔つき、柔らかな動きを約束するほど良い筋肉、二枚目な甘いマスクは街を歩けばご婦人方を振り向かせるほど。

 しかしその男は現在、暖かい団欒の場に相応しくない表情でじっと何かを考え込んでいた。

 

「また仕事のこと考えてるのー?」

 

 甘えた声音は不足を表す。彼の妻を幼くしたような容姿の娘は頬を膨らませて目を細めていた。

 いつもこうなのだ。休日であってもふとした瞬間に男は己の仕事へと想いを馳せる、馳せてしまう。

 生真面目な性格なのは妻も娘も知っているが、やはりこうした団欒の場では自分達を優先してほしいと願うのは、普通の家族ならば当たり前のことだろう。

 クスクスと可愛らしい声を漏らして笑う妻は、仕方がない人ね、というように眉を寄せつつ空いたティーカップに紅茶を注いでいく。

 

 荒廃した現実世界では紅茶は遥かに高級なモノだ。そもそも生きていく為に莫大な金銭が必要な社会であるのだから、一定以上裕福でなければ休日にティータイムなどと洒落込むことは出来やしない。

 この一時の時間は金銭に換算すればどれだけの人を救うことが出来るだろう……過去の男であればこんな時間を過ごそうとは思わなかった。

 しかし彼も親である。裕福な家庭である以上はそれ相応のナニカを行わなければならない。男や妻子が望もうと、周りはそれを許さない。

 男一人だけなら問題はなくとも、妻や娘にとって、こういった時間を過ごすことには意味があるのだ。

 

 貧困層と富裕層に大きな隔たりがあるこの時代、富裕層にとって大切なのは如何にしてコミュニティでの立場を確立するか、だ。

 中世ヨーロッパの貴族社会にも似た人間関係が構築されており、腹の内を探り合うご近所付き合いの荒波を強かに乗りこなし、女同士の冷ややかな関係を継続させなければならない。

 

 出る杭は打たれる――と昔の格言にもあるように、富裕層に於いては見合った暮らしをしつつ他と同調することが求められる。

 それは男にとって、非常に窮屈で不快な世界だった。

 幸いなことに妻と娘はそんな男の心情を理解してくれているし、男の前では女同士の賢しい貶め合いの話題など一つも出すことはない。

 この時代では本当に稀有な“理想的な家庭”であった。

 

 よくできた妻子に感謝しつつも、生真面目な性格の男は己の責任ある仕事の思考から逃れることは出来ない。

 

「……すまない。ちょっと大きな事件に関わっててね」

「むぅー。分かってるけどさぁ」

 

 娘もそれ以上は言わない。優しく頭を撫でてくれる父の暖かさを感じながら、怒っているふりをしているだけ。拗ねてみればこうして甘やかしてくれることを娘は知っているのだ。

 

「最近の大きな事件って言えば……例のゲームの?」

 

 あまり仕事のことに切り込むことはしない妻だが、少しでも夫の心が安らげるようにと話題を振る。同僚に相談するような支え方ではない。男が疲れても、帰って来ても吐き出せる場所はあるのだと安心させる為に。

 

「ああ、ユグドラシルに囚われたプレイヤー達の救出には警察も動いてる。ユグドラシルをしていた人が優先的に交代で復帰させたゲームにログインして捜索してるんだけど……」

 

 其処まで言って黙り込んだ男は静かに目を伏せる。不安げに眉根を寄せた妻と娘は続きを待った。

 妻も娘も知っている。男が嘗てそのゲームにのめり込んでいたことを。家族サービスの時間を削ってまで熱中し、喧嘩になったことも少なくない。

 今では笑い話として語れる過去の出来事であるし、妻と娘の為にと引退したことも理解している。現実の幸せとゲームの幸せを天秤にかけるまでもなく……男は現実世界を選んだのだ。

 思えばあれから男は家族サービスに対して真摯になったと言える。男の趣味を奪ってしまったことに罪悪感を覚えていた妻であったが、変わらぬ笑顔を浮かべてくれる夫に報いるように彼女も楽しい時間を創り上げてきたのだ。

 男に後悔はない。ゲーム内の友人との連絡もゲームを辞めた時点で断っており、メールアドレスも変えてしまった。

 ただ、データを初期化することだけはせず、思い出だからと残してはいた。

 

 男は己の職務としてログイン出来ると知った時に僅かに歓喜した。それに対して感じた妻への負い目もまた、今の会話で途切れがちになってしまう理由の一つである。

 しかし、一番の理由は違った。

 口に出してしまえば自身の浅はかな欲を悟られると分かってはいたが、意を決して言葉を流した。

 

「……俺には、許可が下りないんだ。

 上位ギルドに所属して、プレイヤーの中でも上から数えたほうが早かった俺なら細かい所まで捜索出来るはずなんだけど……上が許してくれない」

 

 誇張なく告げる事実。妻はそのゲームで彼がどういったプレイヤーだったのかをよく知っている。彼が楽しそうに語っていたゲームの話を何度も聞いていたし、ゲームに対して嫉妬すらしていたのだから。

 上位プレイヤーとは即ちそのゲームをやり込んだという証明でもある。

 運営がバックアップしているとはいえ、プレイヤー視点からの捜索という点では上位プレイヤーの助力はこの上なく有意義なはずなのだ。

 それなのに許可が下りない。そのことに男は歯痒さを感じていた。

 

「へー! パパって強かったんだ!」

「ん? そうだなぁ……ママに怒られるくらい嵌ってたんだけど、そのゲームで十本の指に入るくらいには強かったぞ」

 

 目をキラキラさせて話に耳を傾ける娘に微笑む。輝かしい栄光の思い出を誇らしげに語る男は少年のよう。

 落ち込んでいた心を娘に掬いあげられた男はゆっくりとティーカップを手にとって紅茶を傾ける。

 

「上位ギルドってことは他の人達も強かったんでしょ?」

「ふふ、そりゃあもう強かったさ。ワールドエネミーっていう凄く強いボスを当然のように倒して、1500人ものプレイヤーの攻撃を跳ね除け、俺達の名前を知らないやつらはいないってくらいに」

 

 すごいすごい! とはしゃぐ娘に苦笑を零しながら、妻はまた紅茶を継ぎ足していく。

 

「見てくれ! 俺達アインズ・ウール・ゴウンに不可能はないんだ! なんて子供みたいにはしゃぎながら私に自慢してきたわよね? 買い物の約束すっぽかして」

「よしてくれよ……あの時は悪かったって」

「いいわよ。ちゃんと埋め合わせしてくれたから」

 

 肩を竦める妻はペロリと舌を出しておどけて見せる。やれやれと首を振った男はわざとらしくため息を吐き出した。

 

「ママとパパだけずるい……私の知らないこと話さないでよー」

「はは、ごめんごめん。そうだな……もうこの話は終わりにしよう。仲間はずれはよくない」

 

 ポンポンと娘の頭を優しくたたけば、むくれていた娘の機嫌も少しは治ったようだ。

 後に、男は娘に気づかれないように妻に目を向ける。穏やかな笑みを浮かべた口元とは違い、目には真剣な色を浮かべていた。

 何も言わず、妻はコクリと頷いた。幼馴染でもあった二人は長い時間共に歩んできたのだ。僅かなやり取りだけである程度何かを把握しあえる。

 

 穏やかな午後の陽だまりは変わらない。

 貧困に喘ぐモノ達には申し訳なく思いつつも……その家族は幸福の只中に居た。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 娘が寝静まった夜半時、ダイニングテーブルに座る夫婦は静かに対面していた。昼間のやり取りの本題を話し合う為に。

 

「……昼間、俺には許可が下りないって言ったよな」

 

 低い声は重く、これから悪いことを話す時にしか出されないモノだった。

 妻は哀しげな色を表情に出しながらも何も言わない。

 夫が警察という仕事をしている以上、ある程度の覚悟は必要だ。現に夫は過去にも何度か命の危険のある現場に携わっていた。

 彼女は静かに耳を傾ける。夫の性格上、彼女に出来ることは話を聞くことのみ。

 

「正確に言えば許可が下りないではなく悪意を以って外されている。

 娯楽文化への大きな打撃である今回の大事件の解決に関して……政府、企業側が先に何かしらの手柄を立てなければ後々に“貧困層からの搾取”に対して致命的な損失を生む、ということだ」

 

 吐き捨てるように紡がれた言葉は苛立ちをこれでもかと含んでいた。

 

 貧困層と富裕層で二極化されてしまったこの社会にとって、娯楽文化は搾取の手段として大きな働きを見せている。

 荒廃した世界では生きる理由を失うモノなどざらにいる。人間は機械のようにできていない。ナニカがなければ人間は生きてはいけないのだ。

 それは目標であったり、夢であったり、恐怖であったり、妄執であったり、憎しみであったりする。

 物理的な栄養だけではなく、心理的な栄養をも得ることで人は明日を生きる力を持てるのだ。

 

 その点で言えば、ゲーム等の娯楽は苦しい毎日を生きる人間にとって最高の栄養となるだろう。

 厳しい現実世界の出来事を全て忘れ、箱庭の中だけだとしても自分の欲望を叶えられる……現実世界での不可能を可能に出来るのだから、それはどれだけ魅力的なことであろうか。

 毎日あくせく働いて、その働いた金銭を娯楽文化に継ぎ込む。サイクル化される金銭の流れは経済の滞りを少なくしより大きな利益を生み出す。

 そして政府や企業にとっては都合のいいことに、反発心を抑え込ませてストレスを発散させる――いわばガス抜きのツールとしても役立つ。歯車を歯車として機能させ続ける娯楽文化は、富裕層にとって大きな利潤を齎すファクターの一つなのだ。

 

 そういった政府の考えに否定的な男は、富裕層には珍しくゲームに魅せられた一人である。

 男は警察官という仕事に誇りを持っていた。この腐り落ちそうな世界であっても、正義はあるのだと証明したかった。

 しかし現実というモノは非常である。なまじ能力があるからこそ上に上がっていき……社会の裏側を知ることとなった。

 末端の警察官であればきっと男にとっての理想の正義を貫けたであろう。目の前の人を助け、罪を犯したモノを正道に導き、暗い世界の一筋の希望の光として生きていけたのではなかろうか。

 警察という組織は、男の望んだモノではなかった。弱きを助け、強きを挫く……そんな理想は幻想として儚く消える。

 利益への渇望、名誉への固執、保身への執着、見て見ぬふりは当たり前、犬のように企業にしっぽを振り……黒を平気で白とする。

 

 それでも今まで警察をやってこれたのは一重に家族あってこそだろう。

 守るべきモノがあるからこそ、男は自分の理想を曲げてまで今の仕事を続けているのだ。

 

――きっと、あの大災厄の魔ならば哀れな道化や偽善者と言って嘲笑うことだろう。

 

 嘗ての仲間を思い出しながら、男は自嘲気味に苦笑を零す。

 対立することの多かった仲間は、男のそういった部分が嫌いだったのではなかろうか。

 

 古き昔に放送されていた正義の味方のようには、男はなれない。

 だから男はユグドラシルの世界で、正義というモノに誰よりも拘った。ゲームの中でだけなら、彼は己の思い描いた正義になることができたから。

 今でも彼はユグドラシルを“所詮はゲーム”などと言わない。自分が叶えた理想(ゆめ)を貶めることはしない。

 

「……多分、被害者が知らない誰かばかりだったなら……俺もここまで悩まずに納得して他の仕事にシフトできたと思う」

 

 力なく発された言葉は宙に消える。反して握りしめた拳は何かを耐えるかのよう。

 

「最近になってさ、やっと被害者のリストを見せて貰えたんだ。富裕層の人間も被害者に含まれていたことでプライバシーを護る為に公には秘匿されてるけど……古い記憶でもいいから何か切片はないかと上は企業のご機嫌取り用にってことで俺に情報を求めた。被害者との関係をわざわざ確かめた後で。

 被害者のプレイヤーの中でも圧倒的多数を占める貧困層のプレイヤー達は満足な栄養摂取も受けられない。一月もすれば初めての犠牲者が出るだろう」

 

 昏い瞳は怪しく輝いていた。自分の不甲斐なさに対してか、それとも腐った世界に対してか。

 

「復活されたユグドラシルに探索を行った企業の報告によると……被害者はギルド拠点と共に喪失しているプレイヤーだけらしい。サーバーへの負荷からかどうかわからないけど、ギルド拠点が幾つか消えていて、其処には何もない空間がぽっかりとだけあるって」

 

 静かに妻は聞き続ける。夫の性格も、繋がりを大切にする在り方も知っていたから。

 

「被害者のリストには……あったんだよ。一人の名前があった。プレイヤー名だけが表示されたそのリストには、俺の知ってる名前があった。

 そして俺の……俺達の……俺達が創り上げた最高の理想(ゆめ)が……ユグドラシルの悪の華、アインズ・ウール・ゴウンの名前が」

 

 ギシリ……と握りしめた拳が軋みを上げた。

 

「あの人を置き去りにしたのは俺だ。依存してるのは知ってた。生い立ちも知ってた。人間性も知ってた。縋ってるのも知ってた。初めの頃からずっと一緒にやってきた俺は、あの人のことを他のみんなよりもよく知ってたんだよ。

 一人で、独りぼっちであの人はあの場所にいるんだ。誰かがあの人を迎えに行かなきゃならない。それはきっと、仲間に誘った俺がしなきゃならない……いいや、自分勝手な責任を掲げるのはヤメだ……これは俺が……正義の味方“たっち・みー”として貫きたい正義なんだ」

 

 そっと、妻は男の拳を包み込んだ。男が何を望んでいるか、男が何をしたいか……何か大きなモノに挑む時はいつでも、こうして送り出してきた。

 しかし続けられた話は妻の予想を超えていた。

 

「……喪失したギルドの所属者がログインした場合は何が起こるか分からない。俺も被害者達と同じように意識不明になってしまう可能性はある。つまり――」

 

――死ぬかもしれない

 

 危険な仕事に送り出す時、いつもは死の可能性について語ることはなかった。

 それが今回は違う。明確に何か理由があって、その可能性が大きいのだ。偶発的な事故ではなく、自ら勝算の薄い賭けに飛び込むようなもの。実力ではなく運否天賦に委ねられるということ。

 いつもであれば背中を推した。しかし今回はさすがに……妻も迷った。

 じっと瞳を合わせること数瞬、男の瞳の奥に燃える炎の煌めきと、優しい輝きを覗いてしまった。

 それは少年の時に理想(ゆめ)を語った彼の煌めきであり、妻と娘の為にいつも向けている彼の輝きだった。

 

――きっと私が止めれば止まる。その時にこの人は……私の好きな彼じゃなくなるだろう。

 

 迷っている、ということは決めているということ。その背をそっと押してやるのが自分の役目。

 損な役回りだ、と彼女は思った。しかし待つことしか出来ない自分の無力さを呪うよりも、彼の背中を推せる自分を誇ることにした。

 

「……深くは聞かないわよ。きっと警察としてやっちゃいけない事をするって分かってるから。

 あなたは長期の有給休暇を取って私達と一緒に明日から実家に帰る。理由は私の体調不良。それでいいでしょ?」

 

 ニッと笑った顔は唯々美しかった。歳を重ねても変わらない妻の笑顔に、彼はふっと微笑みを漏らす。

 

「ごめんな。こんな男で」

「何いってるの? 私が友達を見殺しにするような男に惚れるわけないでしょ?」

 

 あきれた、と言わんばかりに肩を竦めてまた笑う。

 

「私達の為だけの正義の味方なんていらない。あの子と私にとってのあなたはね、世界で一番カッコイイ正義の味方じゃないとダメなの。

 友達一人助けられない人なんて願い下げよ。友達も助けて、私達を笑顔にして、それでこそ私の好きなあなたなんだから」

 

 見惚れるような笑顔を呆然と眺めていた彼は、バシッと肩を叩かれて苦笑を一つ。

 

「ははっ、敵わないなぁ」

「私に勝とうなんて十年早い! いつまででも待っててあげるから、パパッと行ってパパッと終わらせてきなさい!」

 

 男は爽やかに笑う。妻もたおやかに笑った。

 二人が思うことは一つ。

 

 

――共に歩める伴侶がこの人で良かった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数奇な巡り合わせによってか、悪の華に於いて最も対極な二人が同じ目的の為に同じ決断をした日の数日後のこと。

 

 二人の男はそれぞれ別々の場所にて失われた理想の世界への扉を開く。

 

 しかし事態は彼らの考えたモノよりも遥かに深刻であったことを……彼らは身を以って知ることとなる。




どうも

今回はたっちさんのお話。
富裕層であり警察のたっちさんには運営からのメールは来てません。
ウルベルトさんとたっちさんはお互いにモモンガさんを助ける為にログインするのは自分だけだと思ってます。
似たもの同士だからね、仕方ないね


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

大災厄の始まり

遅れてしまい申し訳ありません


 

 白というよりはグレーというべき色合いが目立っていた。おざなりで簡素な壁紙は所々が剥がれ、天井板は至る所に穴が開き、とても清潔と呼べる空間ではない。

 ただ、剥がれた壁紙にも、穴が開いた天井にも、見慣れた汚染空気遮断の特殊フィルター繊維が覗いている。人間が生活できる最低限の空気循環設備は整えてあるのか機材の音が大きく唸っていた。

 中央に据えられている、部屋の主人と呼んでもいいベッドのシーツだけは真新しいらしく、そこが訪れた男の不快感をより煽った。

 ベッドの傍にある機材の数々には、見慣れたモノは二つだけ。そのゲームを行う為に必要なパソコンと……そのゲームの世界に入り込む為に必要な……

 

 ジジッ……と部屋の天井角に据えられているスピーカーから音が鳴る。男は気にせずにゆっくりとベッドへと歩み寄って腰かけた。

 

『よく来てくれた。勇気ある参加にまず感謝しよう』

 

 中年男性のモノと思われる声が流れ、男は気怠げにスピーカーをチラと見るもすぐにゲームの為の機材へと視線を落とす。

 まるで興味がないと言わんばかりに。

 

『本名は勿論知っているが……此処では君のことはゲーム内でのハンドルネームで呼ばせて貰おう。

 ユグドラシルギルドランキング第9位、ユグドラシルの悪の華――“アインズ・ウール・ゴウン”所属、ウルベルト・アレイン・オードル君』

 

 は……と嘲笑のような声を男は漏らした。

 目を細め、三日月型に開かれた口は心底楽しいと言わんばかり。

 

『通常ならばこのような場所ではなく適切な施設にて君の経過と成果を観察・管理する所なんだが、今回は状況が悪くてね。

 警察や他の企業も今回の事態に対して成果を出そうと躍起になってる。恥ずべきことではあるが、我々にも派閥があるんだ。表立った施設などで大々的に行ってしまうと思わぬ邪魔などが入って少しばかりまずいのだよ。そこは……すまないが飲み込んで欲しい』

 

 真摯に語り掛ける声は子供に接する父のような声音で。

 しかし男には、腐りきった大人が必死に言い訳をしているようにしか聞こえなかった。

 

『あくまで非公式である為にこの件はメディアにも秘匿されていると前に伝えたと思う。この廃病院は私達の派閥の所有物だから関係者以外の誰かが出入りすることもない。

 栄養剤の点滴、人工心肺機能の確保、非常時の処置、終わってからの仕事先の斡旋などなど、心配しなくてもいい。君が潜った後に……しっかりとこちらで責任を持とう。

 君に依頼することだが、ギルド:アインズ・ウール・ゴウンに取り残されているであろうプレイヤー:モモンガの現実世界への保護だ。こちらの予測ではログインと同時に君がギルド拠点内に入っていれば上出来、それ以外のユグドラシルの世界であっても上々、その場合君は君のギルド拠点を捜索し、ギルドマスターを連れ帰って来てくれたまえ。

 君のギルドはデジタルの海で何処かに消失してしまっている。場所が分からない状態だからこそ、君というギルドメンバーの存在は私達にとっても非常に重要な存在だ。

 消失したギルドは他にもあるが、他ギルドのメンバーを私達とは別の派閥が探し当てて同じようなことをしているかもしれない……すまないが別派閥の動きについてはこちらから教えることが出来ない。ただ……君たちよりも上位のギルドは喪失の事態に合ってはいない……とだけ伝えておこう。

 ここまでで一先ず、何か質問はあるかね?』

 

 区切られた説明にも男は対して興味を示さず。

 

「くくっ」

 

 声が、漏れた。抑えきれないというように。待ちきれないというように。

 

「ああ、それでいい。どうせこんなこったろうと思ってたんだ」

 

 スピーカーから流れる声に対しての回答とは思えない返事を口に出す。

 

「別におキレイで上等な環境を望んだわけじゃないさ。ただ……そうだよなぁ……そりゃそうだぁ」

 

 それは自分への哂いであり、世界への嗤いであった。

 

「責任者の顔も分からねぇ。どこの企業かも分からねぇ。呼び出されたのは潰れてるはずの廃病院で、並んでるのはテレビなんかで見たことある生命維持の為に必要な機械ばかり」

 

 男はそれほど頭が悪いわけではなく、唯々、生まれてきた時代が悪かった。

 貧しい生活に膝を折らずに研鑽してきた頭脳を回せば……この状況が何を意味しているかを理解するなど容易だった。

 

『……』

「つまり……俺はお前らのモルモットってわけだな?」

 

 返答はなく沈黙するスピーカーを見ながら楽しそうに笑う男が一人。

 

 命の保証もなく、生命の有無が世に知れ渡る保険もなく、己の存在の可否を証明できる術すらない。

 得体のしれないメールから呼び出されて、こんな曖昧な“実験”に参加するモノなど普通はいるはずもない。

 当然、男は自分が無事に帰れるなどという甘い妄想はしていない。通常の危機感を持つモノならば、メールが来て指定された場所を知覚した時点で断っているはずなのだ。否、ゲームで知り合っただけの赤の他人の為に命の危険のある実験に参加しようとするモノなど、普通はいるわけがない。

 

 甘いやり方、とは男は考えない。これは企業側からした篩いなのだ。世の中に不必要な、変えの利く代替品の部品を見つけるための、自分達にとって都合のいい歯車を探すための。

 反対した場合は無理やり縛り付けてでも実験にさらされることであろう。その為の施設で、その為の状況で、その為の人選なのだ。

 だからこそ、男にとっては愉快だった。

 

「まあ、どうでもいいか。個室ってことは、俺の“心配”はほぼ杞憂だったんだろう……」

 

――俺一人が、最後にお前らに中指立ててやれればそれでいい

 

 ほっと胸をなで下ろすため息に、スピーカーから感じられるのは疑問のような空気。どう答えるべきか迷っているのだろう。

 男はそんな相手のことなどお構いなしに、かちゃりと機材を手に取った。

 

「勘違いすんなよ。お前らの計画には喜んで参加するよ。モルモットだろうがなんだろうが、俺はお前らがくれたこの機会に感謝してるんだ。

 だが、確認の為に一つだけ質問がある。心配だったのはたった一つだ。前にお前らにメールで問いかけたたった一つだけだ」

 

 楽しそうに、懐かしそうに機材を見つめながら綺麗に笑った男の口から……驚くほど冷たい声が流れ出る。

 

「こんなクソみてぇな実験に、俺の……ウルベルト・アレイン・オードルの、アインズ・ウール・ゴウンの仲間達は誰も参加してねぇだろうな?」

 

 生来の目つきの悪さもあってか男の放つ雰囲気はまるで殺し屋のようであった。

 沈黙を貫くスピーカーからは何も返答がない。

 

「命を賭けるのは俺みたいな使い捨ての歯車だけで十分だ。そうだろうがよ」

 

 男は……ウルベルトは嘗ての仲間をこの実験に参加させるつもりはなかった。彼とてこの実験に参加するような愚か者がいるとはあまり考えていない。

 ウルベルトとモモンガ以外、現実の世界に繋がりの多いモノ達ばかりなのだ。家族であったり、仕事であったり、友人であったり……それがウルベルトには眩しくて、羨ましいモノなのだが。

 故にもし、万が一誰かが居たなら止めるつもりだったのだ。命の危険のある実験に参加するモノなど、この世界になんの未練も持っていない自分だけでいいのだから、と。

 優しい誰かなら、もしかしたら責任感からモモンガ救出に参加するかもしれない……そんな予想は少しだけあった。しかし――

 

『……質問に答えよう。

 君たちアインズ・ウール・ゴウンのメンバーでこの実験に参加するモノは……君だけだ』

 

 現実は、ウルベルトの予測から出ることはなかった。

 優し気な笑みをこぼしながら彼は視線を落とす。クルクルと手に持った機材を回し、スピーカーからの続きを待った。

 

『ほぼ全員に送りはしたが、返答はたった一通を覗いてNOだった。家族、恋人、友人、仕事……理由も様々だったが、ネットでの友人の為に命を賭けるモノは君だけだった』

 

「……そうかい」

 

 少しだけ、ほんの少しだけだが彼は寂しそうにため息を吐いた。

 所詮はゲームだ、という言葉が頭を巡る。スピーカーの相手からのそういった感情が容易に読み取れて、仲間の誰かはきっと、それと同じことを言うだろうと思ったから。

 

(あのくそったれな正義の味方なら……どうしたろうなぁ)

 

 一人だけ絶対にソレを言いそうにない男を知っているが……彼はふるふると頭を振って考えることを辞めた。

 

『薄情な仲間、とは思わないのかね?』

「はっ……もう何年経ってると思ってんだよ。俺みたいにいつまでも進んでないバカじゃなくて、みんなそれぞれ大切なモン出来てるだろ。引退の理由なんてほとんどがリアルの優先だ。リアルの優先ってのは……“自分自身の優先”だ。俺みたいな選択をする方がオカシイ奴だろうよ」

 

 自分自身にあきれたと言わんばかりに肩を竦めた彼は、コキコキと首を鳴らした。

 

「もう十分だ、運営さんよ。ビジネスの話といこう。報酬は確認した、条件も確認した、状況も把握した、説明も拝聴した。死ぬかもしれない事でも俺はもうやるって決めたからやる。俺がどうなるかはあんたらに任せよう。最低限の契約ってやつを守ってくれることを願ってるぜ。

 他の仲間が巻き込まれることがない以上、余計な詮索はあんたらにとっても苛立たしいことだろうからしない。俺はただ……もう一度あの場所であの人に会えるならそれでいい」

 

 少し寂しいが……と小さく呟き彼は機材を頭から被った。

 

――もし、この企業の人間のいう別派閥が、嘗てのメンバーを無理やりに実験に参加させていたなら……

 

 ふとそんな予測が頭によぎった。ありえない話ではない。比較的温和な対応をしている自分の相手とは違い、誰かしら無理やりに連れ去られていてもおかしくはないだろう。

 彼はそこまで考えて小さく首を振る。

 

――それならそれで、俺のやることが増えるだけ

 

 これ以上は考えても仕方ない。ゴロリ、と大の字にベッドで横たわる。

 

『聞き分けのいい協力者でとても助かるよ』

「騙して悪いが……なんて言わないでくれると助かるがな」

 

 軽口に対しての返答はなかった。

 多くの機材が動き出す音が聞こえる。彼は気にせずに目を瞑った。ヘッドギアにある一つのボタンに手を伸ばす。もう何年も前からしていないログインの為の動作。

 

 少しだけ、ウルベルトはワクワクしていた。確かに死ぬかもしれないことへの恐怖はあるが、未知の事態に挑戦する自分のその行い自体にワクワクしてしまっていた。

 非常識だろう、なんて言葉は受け付けない。彼は相応の覚悟を以っているのだから。

 

『では――――よい理想(ゆめ)を――――古き大災厄、ウルベルト・アレイン・オードル』

 

 最後に聞こえたのはそんな言葉だった。

 何処か期待を込められたその声を聞いて……深く、深く堕ちていく。

 

(待ってろよ……モモンガさ……ん)

 

 思考が

 

 視界が

 

 感覚が

 

 心情が

 

 脳髄が

 

 彼の全てが闇の中へ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 涼やかな風が頬を撫でる。静かであたたかな木漏れ日がチラリチラリと閉じた瞼を刺激して、彼は落ちていた眠りから優しく起こされる。

 ゆっくりと開いた目。吐き出した吐息は小さく、ぼんやりとした脳内はまだはっきりと整理されていない。

 小鳥達の囀りが耳に優しく響き、身体の上に乗った小動物が不思議そうに彼の顔を覗き込んできて―――

 

「うぉっ!」

 

 跳ね起こした上半身から転げ落ち逃げていく小動物を目で追いながら、呆然と、彼は大きく息を吸う。

 昔とは違う始まり方。本来ならばいるべきはずの場所に居ない自分と始まりの場所。現状把握を……と考える暇もなく、聡い彼はあることに気づく。

 

「なんだよ……」

 

 脈打つ鼓動は不安から。速くなる呼吸は焦りから。額をつたう汗は恐れから。

 自然と顔に持って行った手は……“山羊の頭”をしっかりと掴んだ。

 

「なんなんだよ……これは……」

 

 慣れていたはずの理想(ゆめ)の世界とは違う場所であると気づいて、彼は混乱の渦に飲み込まれる。

 冷静であれ、と心がけていたさしもの彼でさえ落ち着いてなどいられない。なにせ―――

 

「感覚が……」

 

 デジタルにはあるはずのない五感の全てを感じられることが、異常事態以外の何物でもないのだから。

 静かに恐怖する彼はまだ気づかない。世界が変わったのならば、自分も変わっているのだということに。

 混乱に落ちている彼はまだ気づかない。己の望んだ……理想が叶えられるほどの強大な力を得ていることに。

 

 乖離した人の自分と今の自分、違和感を全く感じないその異常にも、まだ気づかない。

 

 カサリ、と音がした。小さく大地に何かが落ちる音もした。

 混乱していた彼は人の気配に気づけなかった。

 この異常から抜け出す為に、せめて何か……と手がかりやきっかけを求めてしまうのは詮無きこと。そして彼はその気配に近づいて行き――

 

 

 

 

 

「――おげぇぇぇぇぇ!」

「うぉっ! きたねっ!」

 

 いきなり口から神秘の液体を吐き出す少女と出会った。

 

 




ほんとはたっちさんの始まりも合わせて書きたかったんや……
たっちさんは後まわし
次はモモンガ様のお話


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

災厄の魔女

 

 その日、アルシェ・イーブ・リイル・フルトはいつも通りに不幸だった。

 帝国に数多存在するワーカーチームの中で、“フォーサイト”のメンバーである彼女は割りのいい仕事を受けるはずだったが、実際に聞いてみるとその内容があまりよくなく、仕方なしにモンスター退治を一つだけ受けていた所だった

 今回の依頼は付近の森に生息するモンスターの中でも比較的容易に討伐出来るモノであった為、フォーサイトの他のメンバーとは別に一人で依頼を受けていた。彼女はこうして、チーム内で認められた時は一人で依頼を受けることもあった。

 彼女はとある理由によってどうしても金が必要だったのだ。未来有望であった魔法学院を自主退学してまでワーカーという仕事についているのは、彼女にとって大切なモノを護る為。人間の清濁を常に見せつけられる仕事ではあるが、彼女はそれでもたまに大きな稼ぎを得られるこの仕事に満足していた。

 

 そんな彼女は、依頼されたモンスターの討伐を終えて帰路につく途中に少し欲が出た。

 少しでも多く金が欲しい彼女は、依頼内容とは別に小遣い程度にでもなるモンスターを狩ろうとしたのだ。

 モンスターは部位によっては高く買い取ってくれるモノもある。このあたりのモンスターは危険度が低く、魔法詠唱者である彼女は〈フライ/飛行〉の魔法も使える。命の危険は限りなく少ないからこそ、今回の依頼を一人で受けている。

 さらに言えば、彼女自身は大きな金を手に入れる為に今以上に強くなりたいとも思っており、こうして個人的な実践経験を積むことも必要だとは常に思っていた。

 ワーカーのチームとして連携を鍛えるのはいいことだ。だがしかし、己自身の実力は上げておいて損はない。むしろ得しかない。彼女としてはずっとフォーサイトとして活動していければいいと思っているが、ワーカーという仕事上、いつ何があってもおかしくないと考えている。だからこそ、こうした一人での仕事もたまに受けているのだ。

 

 彼女が一人で仕事を熟すことに抵抗がないのは、彼女の持つ、とある一つの能力も関係している。

 アルシェには“タレント”と呼ばれる、生まれた時から持っている特殊能力があるのだ。稀にタレントを持っている人間が生まれるこの世界で、彼女の能力はかなり有用なモノである。

 彼女の目は、相対するモノの魔法的強さを見極めることが出来る。相手の身体にオーラのようなモノが見えて、それで第何位階までの魔法を使えるか分かるのだ。

 例えば魔法を一切使ってこないと思われる敵が急に魔法を発してきたなら、それは脅威になりえるだろう。しかしアルシェが居ればそれは起きない。なにせ相手がどの程度の魔法を使えるか分かるのだから。

 彼女自身、魔法学院に通っていた経験から魔法的強さをよく知っているので、自分が扱える第三位階未満を使用する魔物としか戦うことはない。接敵の時点で圧倒的なアドバンテージを持てる彼女は、こうした野良の魔物狩りや盗賊狩りなどには重宝する存在であると言えよう。

 

 だがそれも……彼女の理解の範疇を出ない相手としか遭遇しない……そんな状況であればこそ。

 

 声が聞こえたのだ。モンスター狩りの為に神経を研ぎ澄ましていたからだろう。彼女は森の中で、声を聞いてしまった。

 ワーカーになって現実的なことを考えるようになった彼女といえど、まだ人としての善性を無くしてはいない。故に彼女は、無意識のうちに声のする方へと向かってしまった。

 

――もし……森で迷ってしまった不幸な人がいるのなら……

 

 もしかしたら罠かもしれない。もしかしたら悪人かもしれない。

 だが……もしかしたら、不幸な人かもしれない。

 

 彼女はまだ若く、そして優しい。

 アルシェ自身を不幸足らしめている存在のことさえ、未だに切り捨てられないくらいに“優しい”のだ。

 優しい彼女は、僅かに声が聞こえたその場所に向かってしまった。そして――

 

「……ぅ……っ……」

 

 後悔すると同時に、必死に手で口に蓋をした。

 アルシェは自分のタレントを呪った。他者の力量を見れるこの能力を生まれて初めて呪った。益しか齎さなかったこの能力が、如何に役立たずであるかを知り、それによって自分が危機にさらされている現実を呪った。

 見えなければよかった。見えなければ……彼女はこの、胃の底から逆流してくるモノを押さえつけなくてもよいのだ。

 

 彼女の目の前には、禍々しく、悪辣で、破滅的な魔力の奔流が溢れていた。

 人の声がしたはずなのに、そこには見たこともない異形が……本能的に拒否してしまうような魔力を揺蕩わせてそこに居るのだ。

 咄嗟に口を蓋しなければ、すぐにでも吐瀉物をまき散らしていたであろう程に、彼女の目の前にいる存在の魔力は異常だった。

 

 学院の時のアルシェの師は、この世界でも最強と呼ばれる魔法詠唱者。だからこそ、彼女はこれまでどんな敵であっても魔法力の上限を見極めることが出来たのだ。

 しかしそれを軽く凌駕するこの存在はなんだ。師の魔力が虫けらにも思わせるほどのこの存在は……

 

――逃げ、なきゃ……はやく……速く……っ

 

 戦慄し、恐怖し、焦燥し、困惑した思考をどうにか回す。

 今にも吐瀉物をまき散らしてしまいそうになる胃を叱咤しつつ、彼女は呼吸を殺して動こうとした。

 しかし……彼女はやはり不幸だった。

 

 偶々、大きめの枯れ葉が下にあった。

 偶々、彼女の足がそれを踏んづけた。

 偶々、今日という日はからりと晴れていた。

 

 だから偶々……アルシェにとっては最悪のタイミングで……カサリ、と音が鳴った。

 

 身体が凍り付く。一歩も動くことが出来ない。恐怖から文字通りに戦慄し、彼女はその存在に目を向ける、向けてしまった。

 近づいてきたソレは、もう目の前に居た。

 

 そして彼女は……もはや心の底から込み上げる恐怖と、腹の奥底から込み上げる不快感に抗うことなど出来ず――

 

「おげぇぇぇぇぇぇ!」

 

 盛大に吐いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 

 目の前には胃の中のモノを吐き出した少女がいた。嘔吐したからか、はたまた別の理由か、少女は目に涙を浮かべて震えていた。

 胃液特有の酸っぱい匂いが立ち込める中、ウルベルトは普通にショックを受けていた。

 

――顔見ただけで吐くとか失礼過ぎない……?

 

 苛立ちはない。怒りはない。ただショックだった。初対面の相手に対して、話しかける前に吐かれたのだ。彼のショックは計り知れない。

 普通に考えてほしい。何処かに旅行に出かけた時に、街行く人に道を聞こうとしたら目の前で嘔吐される……通常の感覚を持つ人ならば誰であってもショックを受けるだろう。

 混乱の極みにいたウルベルトだが、目の前で嘔吐されるという異質な事態に落ち着きを取り戻してしまった。目の前の少女にどう接するべきかと考え、無意識のうちに己の“山羊の頭”をぽりぽりとかいて……自分の身体が変わっていることに気づくほどに。

 

――ゲームの感覚じゃねぇ。俺の頭が確かに此処にあるし温度も感じる。何よりも表情が動いてるし、匂いも味もある。

 

 金色の瞳を細めて思考に潜りながら、彼は一つ、一つと確認していく。

 

――それに吐くなんて動作はAIになかったはずだ。見たところ装備も貧弱だし、なんとなくだけど強さを全く感じない……クソ企業の話の通りならギルド拠点も持ってない初心者は被害にあってもないはずだ。

 それならこいつはNPCか? もしくは雑魚敵? ギルド新規参加の初心者? 分からないことだらけだ。とりあえずなんか話してみて反応が返ってくるか確認を……

 

 心は決まった、とばかりにうんうんと頷き、ウルベルトは山羊頭ながらも柔和と思える笑みを浮かべた。

 

「すみませんがお嬢さん、質問よろしいですか?」

 

 出来るだけ丁寧に。紳士とはこういうモノではないかという思い込みだけで言葉を流す。

 彼は悪魔だ。だが悪魔としてのロールプレイでは、彼は上品な仕草や言葉遣いに拘っていた。

 ウルベルトの創り上げた一体のNPCは、言葉遣いも仕草も気品に溢れている。自分自身の最高傑作であるそのNPCは、自分の理想を詰め込んだモノなのだ。故に悪魔ロールをする時の彼は、彼自身もそうあれと心がけていた。

 

 対して、少女はビクリと身体を跳ねさせただけで顔を上げることはなく、返事もない。また僅かにショックを受けたウルベルトは小さくため息を吐きつつ己の顎鬚を触った。

 そこで彼は、初めて自分の感覚がズレていることに気づく。

 

――あ、そうか。この子は人間だけど……今の俺、悪魔じゃん。

 五感がある。ユグドラシルでも知らない場所にわけのわからん状況。今の現状は二つに一つ……とりあえずやってみたいことが一つ。

 

 この五感があるという事態がウルベルトの考えている通りなら、異形種というだけで恐れられることになる。そう考えた彼は少し切り口を変えてみることにした。

 沈黙は幾瞬。その間に自らの状態を確認し、少女に聞こえないように、口の中だけでぽつりとある一つの言葉を呟いた。

 

「〈センス・エネミー/敵感知〉」

 

 淡く、彼の身体が光る。

 自分の予測が正しいことを確認し、彼は口を歪めて微笑んだ。

 

「……お答え頂けない。それならこちらにも……いや、俺にも考えがあるが」

 

 瞬間、少女は顔を上げる。砕けた口調で話す彼に目を向け、再び恐怖によるものか込み上げるナニカをこらえるように口に手を当てていた。

 懇願するような目。恐怖に支配されている目。溢れる涙は彼女の絶望をこれでもかと表し……ウルベルトは心の底が歓喜に疼いた。

 

 予測を試すならば今しかない。ウルベルトは今から自分が行うことを考えても、なんら忌避感を持っていないことに驚きつつ、自身の歓喜を抑えながら唱えた。

 

「……〈ドミネート/支配〉」

 

 ウルベルトの呟きが木々の間に消える。

 目の前の少女の瞳から光が消えうせた。絶望の中にも生きようという意思がそこにあったはずなのに、今の彼女にはそれはない。

 表情すら無表情に変わり、すっと、口を抑えていた手を下ろす。

 成功したことにほっと安堵したウルベルトは胸をなで下ろす。とりあえず時間は出来た。せっかくに情報源を逃すことこそ愚かだと彼は判断した。だからこそ、彼は一つの魔法を選んだ。

 彼が唱えた魔法は他者を支配する魔法。対策をしていれば、というかユグドラシルのプレイヤーならほぼ百パーセント対策をしているはずの魔法である。それが効いたということは、彼女がプレイヤーである可能性は極めて薄い。あとはウルベルトが質問していけばいいだけ。

 

「さて、俺の質問には全て答えて貰う」

「……はい」

 

 生気のない声と表情。人形のような少女を見てもウルベルトはなんら心が痛まなかった。

 普通ならば罪悪感などが湧き出るはずの自分に違和感を覚えたが、今は考える時ではないと切って捨てる。

 

「此処はどこだ?」

「……バハルス帝国南西の森です」

 

 何処だよ、と心の中で毒づくも顔には出さない。

 

「お前の名前は?」

「アルシェ・イーブ・リイル・フルトです」

「お前の他に誰かこの森に来ているか?」

「いえ、私だけです」

「お前の強さは?」

「第三位階の魔法を使える魔法詠唱者です」

 

 その程度か、と呟いて彼は考える。

 

――こいつは脅威にはなりえない。色々と聞きたいことはあるが、魔法の効果時間がどれだけか分からない以上、早めに重要なことを聞いておくか。

 

「此処は……ユグドラシルの何処だ?」

「……ユグドラシル、というモノが何かわかりません」

「なんだと?」

 

 全く予想外の答えに彼の思考は真っ白になった。

 

「他のユグドラシルプレイヤーはどうした? 俺以外にもログインした人間はいるはずだ。そいつらは……」

「ユグドラシルプレイヤー、というものを存じ上げておりません」

 

 感情の籠っていない無機質な返答に、ウルベルトはギシリと歯を噛み鳴らす。

 

――つまりなんだ? 此処はユグドラシルの中じゃなくて、全くの別世界ってことか? なんだそりゃ……どんなライトノベル展開だよ……

 

 異世界に転移したという予測に至り、彼の目的であるモモンガの捜索は大きく難しくなったと見ていい。

 この少女は知らなくとも、他にユグドラシルプレイヤーが来ている可能性はあるのだ。

 ゲームのアバターが現実になったということは、彼は、ウルベルト・アレイン・オードルは、そしてアインズ・ウール・ゴウンは……他のプレイヤーから恐れられる可能性がある。

 そこまで考えて舌打ちを一つ。

 

「……ああ、めんどくせぇ。異世界転移とかペロロンチーノさんにやらせてやれ……俺の柄じゃねぇ。

 とりあえず聞ける限り聞いていくか」

 

 今はもう会うこともなくなった友人ならば、嬉々として今の状態を楽しんだのではなかろうかと一人ごちる。

 現状の把握と状況の打開。一つ一つ熟して、少しずつでもいいから手がかりを集めることが、何より優先であろう。

 

「……モモンガさんを探すには……拠点の確保と情報網が必要だわな。このガキにちょっと世話になることにするか」

 

 盛大にため息を吐き出して、彼は再び思考を巡らせる。

 大災厄の受難はこうして始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の帳が落ちた頃、肌寒い空気を感じてアルシェは目を覚ました。バッと起き上がって自分が気を失っていたことに初めて気づく。

 

「うそ……生きて、る……」

 

 意識を失う前に居た異形の化け物はどこにもいない。自分のタレントで見た、禍々しい魔力の奔流もどこにもなかった。

 疲れて幻覚を見ていたのではないか。そうだ、きっとそうに違いない。

 アルシェはほっと安堵のため息を吐き出して項垂れた。しかし――

 

「よぉ……アルシェ・イーブ・リイル・フルト。お目覚めかよ」

「ひっ」

 

 背後からかかった声に振り向くと……幻覚だと思っていた存在が其処にいた。

 ただ、先ほど感じた魔力を今は感じず、もう込み上げる吐き気に苛まれることはない。それならと、彼女の瞳に敵意が溢れる。

 

「またゲロ吐かれたら困るから認識阻害の指輪付けてるだけだぞ。俺はお前みたいな人間なんざ一発で吹き飛ばせる存在ってことを理解しろ」

 

 思考を先読みされたことに目を見開いた彼女は、目の前の山羊頭の怪物が手に持っているモノに驚く。

 

「弱い杖だ。こんなビギナーでも使いそうにない杖でよく戦ってられるな?」

 

 くつくつと喉を鳴らす怪物は、黄金の瞳を細めて笑う。

 会話が出来る。それだけが彼女にとって唯一の生きる道。意識を失う前に見た魔力が怪物の実力ならば、到底彼女が敵うモノではない。

 警戒する彼女に対して、怪物は杖を弄びながら穏やかに声を流した。

 

「寝てる間にお前の心の中を覗かせて貰った、アルシェ・イーブ・リイル・フルト」

「……どういうこと」

「そのまんまさ。鮮血帝によって没落させられた貴族、妹が二人、両親はクズでお前が家族を養う為にワーカーとして働いている。

 借金はいくら返しても減ることはなく、せめて妹二人だけでも連れて逃げ出したい。今はその為の資金繰り中。お前は妹たちが助かるなら自分はどうなってもいいと考えるようなお人よし、しかし両親を殺すことすら出来ない臆病者、だろ?」

 

 ゾクリと、彼女の背筋が凍り付く。

 彼女の現状を言い当てられて、この怪物に全ての弱みを握られたことを理解した。

 言葉も出ない。最悪の状況だ。彼女は正しく、絶望に落ちる。

 しかし目の前の怪物は口を歪めながら、驚くべきことを口にした。

 

「俺と契約しろ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。俺ならお前の望みを叶えてやれるぞ」

「え……」

 

 黄金の瞳が怪しく輝いていた。

 

「両親を殺すことも、莫大な金銭を手に入れることも、今以上の力を手に入れることも、妹二人に幸せな人生をくれてやることも……俺なら出来る。

 お前が望むなら両親を殺さずに無力化することもしよう。お前が望むなら国一つだって落としてやろう。お前が望むならこの世界で最強の魔法詠唱者にしてやろう。お前が望むなら妹達が何不自由なく暮らし幸せを掴み取れる人生ってやつを創り上げてやろう」

 

 甘い甘い誘惑の言葉。

 怪物の言葉は荒唐無稽であろう。それは成された時にこそ分かるモノなのだから、何も起こっていない今この時に理解できるモノではない。

 

「ただ、契約しないってんならそれでもいい。その代わり、この俺の存在を知っちまったんだ……お前には消えて貰うだけだ」

 

 ざわざわと森が騒めく。生ぬるい空気がアルシェの肌に纏わりつく。そうして見回して……彼女はその言葉の意味を理解し恐怖した。

 森の木々の隙間を所狭しと異形が埋め尽くしてこちらを見ていた。

 彼女はその存在を文献だけでしか知らない。埋め尽くすほどの異形、その全てが……悪魔だった。それも彼女のタレントで読み取れるのは……世界最強であるはずの師と同等かそれ以上の存在ばかり。

 

「な……なんで……私なの……」

 

 危険だ、と思った。目の前の存在はこの世界にとってあまりに危険だった。

 どうにか絞り出したのは疑問。自分が選ばれる意味が純粋に分からなかった。

 

「別にお前じゃなくたっていいんだ。誰でもいい。ただお前が都合よく此処にいて、俺と出会った。ただそれだけのこと」

 

 なんでもない一言に彼女の息が詰まる。その黄金の瞳は、彼女のことを道端のゴミでも見るように見ていた。間違いなくアルシェのことなどどうでもいいと思っているに違いなかった。

 

「勘違いするなよ? 俺は別にこの世界を支配したいわけじゃない。世界を支配する魔王なんてのは俺には似合わない。俺はただ、会いたい人がいるだけだ。その為に俺はお前というこの世界での協力者が必要なだけ」

 

 クルクルと杖を回して楽しそうに話す怪物は、アルシェの瞳を覗き込む。

 

「お前の最大の不幸は俺という大災厄に出会ったことであり……お前の最大の幸運は俺という大災厄に選ばれたことだ。

 選べよ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。悪魔の手を取り魔女となって幸福を掴むか、ニンゲンとしての誇りを優先して大切な宝物を壊すか。お前はどちらがいい?」

 

 悪辣な笑みは愉悦に溢れていた。まるで彼女の苦悩を餌としているように。

 もはや彼女の命は目の前の悪魔の掌の上。彼女にとって……選択肢は一つしか残されていなかった。

 

 差し出された掌に、彼女はそっと己の掌を乗せる。

 

「私は……ここで死ねない」

 

 力強い光りを携えて、彼女の瞳は悪魔の黄金を穿ち抜く。きっと悪魔にとって彼女の存在など虫けら以下なのだろう。それでも彼女にはその悪魔の言葉を信じるしか生きる道はない。心だけは奪われないとでもいうように、彼女は悪魔を睨みつけた。

 

「契約成立、だな?

 喜べ、アルシェ・イーブ・リイル・フルト。この大災厄の魔……“ウル”が、世界に奪われたお前の幸福というモノを奪い返してやろう」

 

 

 

 

 

 誰も知らぬ森の中。一人の少女は大災厄と出会い、災厄の魔女となった。

 この世界にとって最悪の存在と契約した少女は、己の不幸を唯々呪った。

 空に輝く半月は、嗤っているように見えた。

 




中途半端だったのでウルベルトさんの話の続き。

上品で紳士な悪魔ロールをするつもりだったのにアルシェちゃんが吐きそうだったから断念したウルベルトさん。

今度こそモモンガ様の話を。


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

道化の願い

 人は理解できない事態に遭遇すると、慌てふためくモノと、冷静に思考を回し始めるモノの二通りに分かれる。

 彼――鈴木悟はどちらかと言うと冷静に物事を判断し始める性質なのだが……今回はあまりにもその衝撃が大きすぎた。

 今現在の状況が理解出来ない。穏やかに、己が愛したゲームの世界を去り行くはずであったのに、これではまるで茶番劇ではないか……見るモノによってはそう考えるのではなかろうか。

 

 足元に縋りつく一人……いや、一体と言うべき存在を見下ろしながら、モモンガは混乱する頭をどうにか回そうとするも思考が追い付かない。

 彼自身が手掛けたNPCであるパンドラズ・アクターが、ユグドラシルの終焉の時間が来た瞬間に叫び声を上げて彼の足元に縋りついたのだ。

 AIにそんな機能はない。自立して動くようにNPCは出来ていない。ましてや……声を上げるなどという事などあり得るはずがないのだ。

 しかし現実はどうだ。彼の創り上げたNPCは、おいおいと声を上げて泣いている。硬い石畳に落ちる滴はパンドラズ・アクターの種族からか、涙ではなく赤い赤い血の雫であった。

 叫び声と泣き声以外に声を上げることはせず、唯々、パンドラズ・アクターは泣きじゃくるだけ。

 

――ど……どないせぇと……

 

 モモンガにとって、自分が使うはずのない関西弁で困り果てるくらい、本当にわけの分からない状況だった。

 いきなり動き出したNPCにどう接していいのか分からず、とりあえず、と彼が行ったのは現状の確認。

 

――視界にデジタルの表示がない。コンソール……出ない。GMコールは……使えない……だと?

 

 やっと彼は自身を襲っている異常事態を理解する。NPCが動くだけならば――よくはないが――まだいい。しかし彼自身に何かしら被害があるのなら大問題である。

 一つ、一つと確認作業を行っていく。運営との緊急連絡も、強制ログアウトも、居るはずのないギルドメンバーや交流のあったプレイヤーやゲーム内ログへの簡易チャット送信も……全てが効かなかった。

 

――サプライズのアップデート? 有りえない……こんな大型のアプデにメンテナンスもなしで取り掛かれるほど運営が使えるはずがない。

 バグによる機能不全? それなら運営から何かしらのアクションがないわけがないし強制ログアウトさせることだってできるはずだ。

 

 考えても答えなど出るはずがない。彼はただの営業職のしがないサラリーマンで、平々凡々とした男でしかないのだから。

 まずは情報を……そう考えたモモンガは、自分の脚に縋りつくNPCにゆっくりと語り掛けた。

 

「あー……パンドラズ・アクター?」

「……ぅっ……うぅ……モモンガさまぁ……私ならば……どこへなりとも……ついて行きますからぁ……世界が敵だ、というのなら……私も立ち向かいますからぁ……」

 

 帰ってきたのは独りごとだけ。

 ダメだ聞いちゃいねぇ、とモモンガはげんなりと肩を落とす。そんな彼の何処か他人事な心の内など気づかずに、パンドラズ・アクターは喉を引くつかせたような声を紡いでいった。

 

「私の無力が原因だと、分かって、おります……至高の御方々の贋作で、しかない私では……貴方様の御心は、癒すに足りなかったのだと……至高の御方々が居なくなって……孤独な貴方様を癒せな、かった私に価値は……無い……存在する価値などないの、です……」

 

 完全に自分の世界に入りきっているパンドラズ・アクターの懺悔を聞きながら、彼の心はジクリと痛む。

 

「お一人きりで宝物殿にいらして、私の道化を眺める瞳の寂しい光を……私が演じる道化に呆れて哀しく零される御心も……私は何一つ……打ち消すことが出来なかった……っ。

 たっち・みー様のように貴方様の心を奮い立たせる存在になれたらよかった! ウルベルト様のように貴方様を焦がれさせる悪になれればよかった! ペロロンチーノ様のように貴方様の心に太陽の光のような明るい輝きを与えられたらよかった!」

 

 次第に零される懺悔は叫びとなり。

 まるで今までたった一人でギルドを維持して来た自分を見てきたかのような言葉は彼の胸を突き刺す。その独白が真に迫る感情を発しているからこそ、モモンガの心に悲哀が沸き立つ。

 

「……私は……貴方様に何も、返せていないっ……創造して頂いた恩に……忠義を……感謝を……愛を……ち、父上に、なにもっ」

 

 全くわけのわからない異常事態であるが、彼はこの短い時間で分かったことが一つだけあった。

 

――こいつは……パンドラズ・アクターは……俺のことを想ってくれてるらしい。

 

 じわりと心に暖かい灯がともった気がした。

 孤独に過ごしてきた数年間の日々が、全く無駄ではなかったと、モモンガにはそう思えた。誰かが見てくれていた、というのが……己の寂寥を理解してくれることが、彼にとってなにより暖かい。

 運営のミスだろうと他のナニカであろうとどうでもよくなった。もし運営がパンドラズ・アクターを操っていたのなら、などという野暮なことは考えない。彼には自身の創造したNPCが生きているとしか思えなくなった。

 優しく、穏やかな吐息を吐き出して、モモンガはパンドラズ・アクターの肩に手を置いた。

 漸く上げた顔は、赤い雫でべちゃべちゃだった。一種のホラー映画のようだが彼は気にしない。

 

「も……モモン、ガさま……?」

「泣くな、パンドラズ・アクター。どうやら世界はまだ俺を此処にいさせてくれるらしい」

 

 ぶわぁっとまた溢れだした赤い雫。泣き声は嗚咽に変わる。しかしその涙の意味は、悲哀から歓喜へと。

 感極まって俯いて震えだしたパンドラズ・アクターの背中を優しく擦りながら、モモンガは愛しいNPCが落ち着く時を待つことにした。

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 ひとしきり泣いたパンドラズ・アクターは、軍服のポケットから取り出したハンカチで盛大に鼻をかんでいた。

 赤い雫がまだ残る目元を気にせず帽子を整えて……ビシリと敬礼を一つ。

 

「お見苦しい姿をお見せしてしまい申し訳ございませんでした! 至高の御身に泣き縋るという被創造物にあるまじき不敬、あらゆる罰をもってしても贖えるモノではございません! 即刻、自らの命をもってして謝罪を――」

「おいちょっと待て! そういうのいいから!」

 

 自決する、と言い出したパンドラに驚き、モモンガは慌てて止める。

 

「し、しかし……」

「せっかく話が出来るんだからさ、もっとこう……楽しい話をしような?」

 

 先ほどまでユグドラシルの終焉に沈んでいた気持ちなど霧散してしまった。モモンガはただ、誰かと共に在れることが嬉しいのだ。

 苦悩に震えているパンドラズ・アクターを微笑まし気に見つつ思考に潜る。

 

――運営が俺個人に対して、ギルドメンバーの特徴を伝えつつNPCの感情を表現するなんてまずありえないから……こいつという存在が自発的に意思を以って話してるってことだろう。ログアウトも出来ない異常事態ではあるけれど……“俺はその方が嬉しい”

 

 今更、仕事が早いやら睡眠時間がどうこうやらと考えることはやめた。

 これが泡沫の夢であっても何であっても、彼にとっては今感じていることが全てなのだ。

 

「なにがいいかな……そうだ! せっかくお前が俺に話してくれるようになったんだから、お前の気持ちを色々と知りたいんだがいいか?」

「はっ。モモンガ様が望まれるのならばなんなりと」

 

 ビシリと大仰に敬礼を行う己のNPCを見やってうんうんと頷く。

 

「そうだな……宝物殿にこもりっきりだったお前に聞くのは酷かもしれないけど聞きたい。お前は俺の仲間達の姿を全部知ってるわけだが……問おう、お前自身が一番カッコイイと思うギルドメンバーは誰かな?」

 

 ニコニコと、と表情があればそう表されるような声で尋ねるモモンガは純粋な子供の如く。モモンガにとってギルドメンバーとの思い出は宝物。数年を孤独に、一人で過ごした彼は仲間との時間に飢えていた。ただの話題程度でもいい。唯々、モモンガは誰かと思い出を語らいたかった。

 NPCが話すようになった、というのは彼にとって大きな変化ではあるが……モモンガの中ではNPCはNPC。ギルドメンバーとは比べるべくもない。

 モモンガは自分の変化に気づかない。人間ならばきっと気遣い一つでもしてこんな話題を出さなかった。しかし今の彼は……妄執を内に抱く異形であった。

 

 パンドラズ・アクターの逡巡は一瞬。空洞でしかない目がなぜかギラリと輝いて、大仰な身振り手振りで動き始めた。

 

「不敬ながら! 一番にカッコイイ至高の御方というのは我が偉大なる創造主である――んんモモンガ様であると偽りなき本心でお答え致します!

 さらにぃ……っさ・ら・に! モモンガ様にとっては我らNPCの存在など気にして頂く必要もありませんが! 理由を一つ! 我ら被造物は……己の造物主様をこそ一番カッコイイと思っているのです! それを別としても全ての至高の御方様方を余すところなく見てきた私は、モモンガ様が一番であると言い切りましょう!

 他の至高の御方への不敬とお叱りになられても、偽りなき心をお求めになられるのであれば私の答えは一つしかございません! んんんんんんモモンガ様こそ! 栄光あるアインズ・ウール・ゴウンで一番CooooooooooLな存在でありましょう!」

 

 雷が轟くような効果音が聞こえそうな程、パンドラズ・アクターの動きは大き過ぎた。

 モモンガはあっけにとられたまま骨の顎が外れんばかりに口を開けてソレを見ていた。そして―――

 

――だ……だっさいわぁ! なんだよあの動き! なんだよあの話し方! おかしいだろお前ぇぇ!

 

 自分への賛辞の言葉など聞こえていない、認識していない。パンドラズ・アクターの身振り手振り、そして行動の全てを自分が考えたのだと思い出して、彼は羞恥に呑まれていた。

 その時はカッコイイと思って創り上げたのだ。誰にだってあることだ。中学生くらいの時、ネットでのハンドルネームに卍やら†やらを入れたがることとか、実は自分には隠された能力があって独りごとをふいに呟いてみたりとか……所謂黒歴史である。

 しかしモモンガにとって最悪なのは、その黒歴史が文字通りに動いて喋って存在していることだ。

 先ほどまではパンドラズ・アクターが自分を想ってくれていることに心を温めていたがそれはそれ、これはこれである。穴があったら入りたいとはまさにこのことであった。

 

 ただ……モモンガはここで己に訪れた変化を知る。

 すっと、心に溢れていた羞恥の心が急に消えていったのだ。あれほど恥ずかしくてたまらなかったというのに、普通ならば30分ほど悶えてもおかしくない程の羞恥であるのに、だ。

 

――なんだ、これは?

 

 感情が急に抑制されるなどという事は現実にはおきえない。

 今も目の前でパンドラズ・アクターが延々とモモンガの素晴らしさについて語っているが、それさえ冷めきった心で見つめてしまうほど。

 

 何かがおかしい……モモンガは考える。明らかにおかしい異常事態に、漸く思考を回し始めた。

 

――パンドラズ・アクターの存在でうやむやになってたけど、今の状態はおかし過ぎる。なんだこれ? わけが分からない。確認しないと……

 

 意を決した彼は、目の前で踊っているように見えるパンドラズ・アクターに厳しい目を向けた。

 

「……もういいぞ、パンドラズ・アクター」

「やはり! 私の造物主こそが至高にして最高の主だということが証明されて――はっ! これは重ねて失礼いたしました!」

 

 今度はちゃんと自分の世界に戻ってきたようで、話の途中でもパンドラズ・アクターはモモンガに敬礼して向き直った。

 

「お前の気持ちは受け取った。それよりも聞きたいことが出来たんだ」

「は、なんなりと」

「GMコールが効かないしログアウトも出来ないんだが、お前にはその理由が分かるか?」

 

 単純に、明快に。モモンガはプレイヤーとしての疑問をぶつける。対して――パンドラズ・アクターは一瞬の逡巡の後、モモンガに対して膝をついた。

 

「……モモンガ様。愚かな被造物である私は、貴方様の求めるお答えを、“じぃえむこぉる”なるモノも、“ろぐあうと”なるモノも存じ上げていないのです。ご期待に添えられないことを、死を以って謝罪を――」

「あー、だからそういうのはいいって」

 

 ふむ、と考え込む。NPCは言葉の意味さえ理解していない。それもまた、モモンガにとっては貴重な情報である。

 

――NPCであるこいつにはプレイヤーの言葉は理解できないってことか? まだ情報が足りない。

 

 すっと、彼は己のNPCに手を伸ばす。ピクリと僅かに動いたパンドラズ・アクターであったが、主のされるがままにするようで動く気配はない。

 骨の指先がパンドラズ・アクターの肩に置かれる。以外にがっしりとした肩から首へと白磁の指が動き出す。ごくり、と彼のNPCが生唾を飲み込む音がやけに大きく響いた。

 首筋に触れた指先、頸動脈のあたりでゆっくりと押し付けた。その指に触れる感触と、その指に伝わる温度を知りそのまま、くい……とパンドラズ・アクターの顎を持ち上げる。

 見られようによっては薔薇の花びらが舞い散りそうな絵柄ではあるが、モモンガの真剣な瞳を感じ取ったパンドラズ・アクターは何も言わない。

 

「……今のお前が発動しているスキルは?」

「モモンガ様の前でスキルを発動することなどありません。この身、この命、この魂は全てモモンガ様のモノ。主にスキルを放つなど、それすなわち万死に値すること」

 

 パンドラズ・アクターの返答にモモンガの思考がまた深く色づく。一つ顎に手を当てた。

 

「すまない……なら、お前は今、ダメージを受けているのだな?」

「モモンガ様に触れて頂けることは我が身にとって至極の悦び、この痛苦さえ、我が主が与えたもう愛なればなんのことやありましょう」

 

 モモンガのスキルにはネガティブタッチという触れているだけで継続ダメージを与えるスキルがある。

 拠点NPCにそれが発動しているということは――

 

――フレンドリーファイアが解禁されてる? しかも体温がある、だと? それに何かこう、宝物殿であるからか古風な匂いも感じる。そして俺の口が……動いてる。これはやはり……

 

 一つ、また一つと仮設を立てていくしかない。恐ろしさを感じたのか、はたまた他のナニカの大きな感情を抱いたのか、モモンガの身体が薄く光った。

 ゆるりと指を外し、モモンガはパンドラズ・アクターに背を向けた。

 

「……パンドラズ・アクター。お前は先ほど俺が語った最後の言葉を覚えているか?」

 

 息を呑む音。衣擦れの音がやけに大きく聞こえた気がした。モモンガは知らぬふりで反応を待つだけ。返されることばはなく、悲哀の空気が背中に突き刺さる。

 

「世界が終わり……世界からモモンガ様が拒まれる、と」

「そうだ。ユグドラシルが終わり、俺は世界から弾き出される。これは確定事項だ。遅かれ早かれ、必ず俺は世界から弾かれる」

 

――ゲームはいつか終わりが来る。終わらないコンテンツは有りえない。“ユグドラシルは終わった”……でも……

 

 もう受け止めているモモンガにとって、現実を語ることに忌避はない。残酷なまでの事実確認はパンドラズ・アクターを絶望の底に突き落とす。

 ただし、モモンガにとっては違う。思考を巡らせた結果、浮かんだ可能性を彼は希望を込めて考えていた。

 

「しかし、だ。俺はこうしてお前と共にいる。ほんの数十分前に終わるはずだった世界は終わらず、こうして世界は続いている。これはなぜか?」

 

 パンドラズ・アクターの設定は頭脳明晰。ナザリックでも最上位の頭脳の持ち主という設定だ。

 早々にモモンガの言に含まれた意味を読み解こうとし始めた。空気が変わったことに安堵したモモンガは振り返り、穏やかな空気を出して続ける。

 

「世界の終わりの時間と共に、“世界に対して”俺にしか分からない変化があった。それをお前は感じることが出来たか?」

「……不甲斐なく」

「いい、よいのだ、パンドラズ・アクター。これは仕方のないこと。何も、お前が気にすることはないとも」

 

 優しく語り掛ける彼はまるで父のように。落ち込む息子のことを励ますように。

 

――まだ推測の段階を出ない。だからこそ、確かめる必要がある。それも早急に、迅速に、確実に。まずは……

 

「とりあえず、此処を出ようか。玉座の間に守護者達を集め、あらゆる情報を集めよう。何よりも情報こそが大切なのだから」

 

 見上げてくるパンドラズ・アクターの視線を受けながら、彼はパンドラズ・アクターの肩に触れる。

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを発動すればギルド内であればどこへでも行ける。いつもしているのとは勝手が違うかもしれないが、と考えつつも彼は意識を集中し……

 

――……あれ?

 

 転移を行おうとして、どこへも飛ぶことが出来なかった。何度も、何度も念じたが、二人で転移すること叶わず。

 

「い、如何なさいましたか?」

 

 主の焦りを感じ取ったのだろう。掛けられる声にも若干の焦りが見えた。

 

「……リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが……使えん」

「なんとっ」

 

 勢いよくモモンガが差し出した指を見つめるパンドラズ・アクターは、はめられた指輪に二つの大きな漆黒を向ける。

 其処には、昔からの輝きはなく、鈍い金属的な輝きしか移さない指輪だけがあるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 直せるのか、予備の指輪は使えるのか、他の誰かなら使えるのかと、幾つか試してみたモノの指輪は沈黙を守ったまま。

 パンドラズ・アクターがどれだけ趣向を凝らしても転移機能を使うことは出来なかった。

 そしてもう一つ、モモンガは試したことがある。

 〈ゲート/異界門〉という魔法だ。目にした場所ならどこへでも行けるという魔法なのだが……なぜか発動することは無かった。

 他の魔法を使えるか試してからであったので、魔法が使えるというのは分かっていた。しかし〈ゲート/異界門〉だけが発動しない。

 

 ナザリックの宝物殿は隔離された別空間にある。リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンがなければ来れないからこそ、絶対の守備を誇っていたのだ。

 内側から転移出来ない即ち空間に取り残された、ということである。どうすることもできない。本当の意味で閉じ込められたモモンガには、もはや打つ手なしであった。

 

「クソ……せっかく、せっかくなのに!」

 

 パンドラズ・アクターと話せたということは他のNPCとも話せる可能性があるのだ。

 他のNPCは、いわば他のギルドメンバーの子供の等しい。もはやギルドメンバーに会えない彼は、いつ世界から弾き出されるか分からないからこそ、せめてそのNPC達と触れ合っておきたかったのだ。

 

 壁に手を打ち付けて落ち込むモモンガを見て、パンドラズ・アクターもまた落ち込む。

 主の役に立つことが出来ない。主が望んでいることがあるのに手助け出来ない。“また、主の願いを叶えられない”

 

――私は……私はどうすればいい……

 

 絶望は彼の心にある。主と語ることなど出来なかったはずが、語ることを許された。悲哀の底に居た主が浮かべてくれた穏やかな笑みをまた消してしまうのかと、彼の心は掻き乱される。

 何もできない無能な贋作。何も返せない無能な被造物。

 己に価値などやはりないのだと、パンドラズ・アクターはまた涙が零れそうになる。

 

――なにか、なにかあるはずだ! 私に出来ることが、私にしか出来ないことが、私だけが……今、モモンガ様をお支えすることが出来るのに……

 

 明晰な頭脳をフル回転させる。しかしなんら解決策は浮かんでこない。せめて、と彼は提案を一つ。

 

「も、モモンガ様。もしかしたら……宝物殿の内部にも何か異常があるやもしれません。これはナザリック未曾有の事態でございましょう。故にこの宝物殿も調べなければならないかと」

 

 言いながら、彼はそうだと思った。

 異常事態にモモンガを一人にすることなど出来ない。だがせめて何かは行動を起こすべき。

 

「万が一の侵入者を考えて貴方様をおひとりにするわけにはいきませんので……よろしければ――」

「そうか……確かにその通りだ」

 

 驚いた、と声からも分かるモモンガの感情に、パンドラズ・アクターはほっと胸をなで下ろす。

 

「まずは出来ることから、だよな? 敵がいてもここだと二人だけで、転移も使えないとなると逃げることさえ出来ない。蘇生アイテム、復活アイテムを出来る限り持ちつつ探索すべき、そうだろう?」

「はい。まずはこの宝物殿に異常がないかを確かめ、その上で此処を脱出する方法を考えるべきかと」

「うむ」

 

 モモンガの赤い目が喜びに輝く。続けて誇らしげな色さえ含む声で、モモンガはパンドラズ・アクターの思いもよらない言葉を口にした。

 

「さすがはパンドラズ・アクター。俺の自慢のNPCだ」

 

 瞬間、パンドラズ・アクターの胸にズクリと大きな感情が高鳴った。

 歓喜と端的に表現していいモノではない。心の奥底から震えあがるような悦びの感情。神からの啓示を受けた子羊の如く、パンドラズ・アクターは震えを押さえつけず、されども静かに頭を垂れた。

 

「身に余る光栄……」

「ふふ、そこまで畏まらなくてもいいだろう? 俺とお前はいわば運命共同体。共にこの異常事態を打破し、楽しい時間を手に入れようじゃないか」

 

 期待、と言っていい。モモンガはパンドラズ・アクターに期待しているのだ。

 パンドラズ・アクターは主が何に期待しているのか、その聡明な頭脳で瞬時に読み取る。

 

――モモンガ様の孤独は癒えていない。不出来で未熟な私にさえ期待を向けてしまう程に……。モモンガ様が求めているのはあくまで至高の御方々なのだ。孤独という毒がその御心を蝕み過ぎて……“誰かと共にナニカを行うこと”に飢えてしまわれている。

 

 心の中だけで行う瞑目は、唯々、主の心を慮って。

 

 動け、動けと願っても動かなかった自らの身体が動いたあの時、パンドラズ・アクターは主の本心を聞いてしまったのだ。寂しさに慟哭を上げる子供のような、哀しい主の姿を。

 故にパンドラズ・アクターは間違えない。求められているのは自分ではないのだと。

 そこに一筋の痛みを感じようとも、彼は被造物であるという事に誇りを持って応えるのみ。

 

「Wenn es meines Gottes Wille(我が神のお望みとあらば)」

 

 今はまだ、主の本当の望みを叶える為の雌伏の時だと、そして――

 

――必ずや……貴方様の孤独を取り払ってみせます。

 

 己が全うすべき使命がなんであるかを理解して。




読んでいただきありがたく。

今回はモモンガ様の状態を少し。

これもしかしてヒロインってモモンガ様なんじゃないだろうか……

感想返信はお仕事が落ち着いたらするのでお待ちを…


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

幕間~失いしモノは余りに大きく~

 玉座の間。

 頂く王……中央に荘厳と在るだけの玉座に座るべき主が永遠に来ることのないその部屋になんの意味があるのか。

 そう問いただすモノは誰も居ない。

 栄光たるナザリック地下大墳墓には、もはや住まう彼らが神として崇拝し、服従し、追従すべき主達は誰も帰ってくることはなくなった。

 

 何時間……いや、何日そこに居た彼女達は泣き叫んでいただろうか。

 本来涙を流すなどあり得ない種族なはずのプレアデスの一人――シズ・デルタでさえ、オイルのようなナニカを瞬きさえしない瞳から流し、無表情のまま声を張り上げていた。

 誰も止めるモノは居ない。誰も彼女達を止めるモノなどいないのだ。

 それぞれがそれぞれの持ち場にて、自身に与えられた仕事をこそ至高の使命としているナザリックの住人達は、この玉座の間で上げられている慟哭を知ることすらない。

 

 彼女達八人の思考はずっと一人の至高の主の最期の姿がループしている。

 偉大な主の声が悲哀に堕ち、崇高なる主の心が無念に沈み、最も愛しき主が……寂寞と寂寥と絶望をその背に乗せて去っていったその姿。

 

――唯々……無念だ。

 

 その一言。彼のそのたった一言が彼女達を絶望に落とす。

 

『何故、我らはこんなにも無力なのだ』

『何故、我らはこんなにも愚かなのだ』

『何故……我らはまだ存在している』

 

 主は最期、彼女達に言った。全ては自分達支配者の責任であると。

 本来ならば、従僕である自分達こそが至高の主達を悩ませる問題を悉く取り除くべきであるのに。

 彼らの存在理由は至高の主達にこそ集約される。彼らが生まれた意味は、彼らが動いていいのは、彼らがするべきことは、全て至高の主達の幸福の為にあるはずなのだ。

 

『なんだ……我らはなんなのだ……主達の苦悩を。主達の悲哀を。主達の寂寥を。主達の絶望を。何一つ晴らすことが出来なかった我らは……』

 

 役立たずな被造物に何の価値があるのかと、其処に居る皆が思っていた。

 互いへの憎悪などは無い。あるのは唯、己自身への比類なき憎悪のみ。

 出来ることなら己の頸を掻き切って主の前に差し出したい。出来ることなら己の愚劣さを主に謝罪し目の前でその命を差し出し贖いたい。

 しかしそれも、偉大なる主の最期の言葉によって封じ込められる。

 

――これからはお前達の思うように生きて、お前達の思うように未来を掴み取れ

 

 それは一種の呪いと言える。彼女達は考え、そして誰しもがそれを主が与えたもうた罰なのだと感じた。

 生きろと命じられたからには生きなければならない。彼女達の思考に“思うように生きる”というモノはないのだ。被造物である彼女達には、創造主の居ない世界での存在理由などありはしない。今あるのはただ、“生きる”という空っぽの目的だけ。

 彼女達には分からない。そう出来るように創られていない。否……“この時はまだ”彼女達は自由に思考することが出来なかった。

 故に、死ぬことすら許さず、殺し合うことすら封じ込め、苦悩と絶望を抱いたままに生きることこそが己達に与えられた罪で罰なのだと誰しもが信じた。

 

――私たちが笑いあったこの場所を、私たちとお前達の大切な家を、どうか……よろしく頼む

 

 最期に齎されたモノで一番重要な事はこの言葉だった。

 彼女達は思う。主が自分達に与えてくれた最期の使命であり、主が担っていた最大の重責を、彼女達が請け負うことになったのだ、と。

 

 其処には絶望しかない。

 何故なら主達は二度と帰ってくることは無い。

 

 其処には哀しみしかない。

 何故なら彼女達の存在理由が消えてしまった。

 

 其処には寂寥しかない。

 何故なら彼ら彼女らが求めるモノは……。

 

 

 

 

 

 幾日経った。

 慟哭はもう上がっておらず、其処には屍のような存在が八体あるだけだった。

 呆けて宙を眺める彼女達は、主から与えられた最期の使命があろうと、それでも動くことは出来なかった。不出来で無様な姿を探し続ける自分達を認識していても、喪失したモノが大きすぎて何をしようとも思えない。

 状態がより酷いのは、二人。アルベドとセバスであった。

 

 アルベドは、最後に書き換えられた設定であるモモンガへの愛情からその絶望は計り知ることが出来ない。

 セバスは、ナザリックの存在の中でも異端である高く持つ善性から、主への献身と存在理由を失った衝撃が大きすぎた。

 

 誰も話さない。誰も話せない。誰も動けない。誰も……

 

 しかし、しかしだ。彼らにとっては不幸なことに、ナザリック地下大墳墓は今も動いているのだ。

 数日も所定のモノ達が居なければ誰かが不思議に思う。哀しきかな、他の彼らであっても、もう命と思考を持ってしまった。

 

〈メッセージ/伝言〉の魔法が届いたのは、メイドを纏めているセバスの元である。

 深い悲しみと絶望と虚無に支配されているセバスはメイド長から、途方に暮れた声を耳に入れる。

 それは業務連絡だ。プレアデスが全て出払っている為それを代替していたが今後はどうすればいいのかという指示を仰ぐ連絡。

 呆然と、彼はしばらくその言葉を反芻していた。

 染み付いた思考回路は拭われることなく、プレアデスが居ない場合の代替シフトを考え始めた所で……彼はフッと短く息を漏らした。

 小さな自嘲の嗤いと共に、セバスの頬に枯れ果てたと思っていた一筋の涙が伝う。

 

「ああ……ペストーニャ、第9階層の掃除のシフトは貴女にお任せします。しかしそれよりも……やらなければならないことが……私達には出来たようですな」

 

 ピクリと、セバスの声を耳に入れた彼女達の身体が動く。

 

「我らは……我らナザリック地下大墳墓の皆は……生きなければ……ならない……生きて……やらなければ……ならないことが……」

 

 幾多もの視線が、セバスの身に突き刺さる。

 それは絶望であり、悲哀であり、己と同じモノに向ける憎悪であり、諦観だった。

 

『どういうことですか? ……わん』

 

 不思議そうな声を出して応答するペストーニャはセバスの言葉の続きを待っていた。

 セバスはゆっくりと首を動かした。

 絶望に堕ちた瞳でこちらを凝視しているアルベドと視線を合わせて……彼は嗤う。彼の涙は、血涙となっていた。

 

 下僕が口にしてはならないと知っていながらも、彼はその善性故に主からの使命を全うする為に、彼女達の心を更に引き裂く言葉を口にする。

 憎まれてもいいと思った。蔑まれてもいいと思った。殺されてもいいとさえ思った。

 彼に出来ることは皆を導くことではない。たった一つでいい、きっかけを与えなければ此処は壊れてしまうと感じたのだ。

 

――さらばだ、愛しきナザリックの子らよ

 

 その言葉だけが彼の頭には反芻されていた。

 至高の御方が愛したモノ全てを護る為に。セバスは自身の絶望し引き裂かれた心を奮い立たせて勇気を出した。

 

「……遂にモモンガ様までもが世界に“奪われた”。我らが愛しき主達は……もう誰一人居ない」

 

 八体の全てが己の体液を瞳から零しながら

 

 自らが口にせずとも同胞から突きつけられる絶望は脳髄の深くまで浸透し

 

 彼らはその事実を漸く受け取めた。

 

 しかしただ一人だけ、赤い紅い涙を零しながら、受け止めながらも現実を拒絶する為に首を振り続ける。何度も、何度も、その真黒い翼を揺らしながら。

 

 

 主を失う直前に、漸く主を愛することを許された唯一の下僕に届いたのは、小さな炎を灯す言葉だった。

 

「アルベド……我らの敵は……我らの愛しき御方々を奪い去っていった“世界”……そうでしょう?」

 




遅くなりまして申し訳ございません。

ぼちぼち更新再開していきます。
ナザリック内の誰かの心情が見たいとかあればそのうち幕間で描きます。

誰かはやくシズちゃんのオイルを拭って抱きしめてあげて


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正義の在り方

 エンリ・エモットという少女は、いつまでも時が止まったような小さな村で、そこそこ平穏無事な生涯を送る人生なのだと感じて過ごしていた。

 カルネ村という、リ・エスティーゼ王国に属する辺境にあるその村は、近隣にあるトブの大森林と農産物の恵みによって成り立つだけの貧し過ぎない一般的な田舎の集落である。

 その日エンリは、いつものように朝起きて、いつものようにカルネ村での自分の仕事を熟して、いつものように過ごすのだと思っていた。

 普遍的な毎日は彼女にとって当たり前の日常であり、両親と妹と共に大きく変わることのない毎日を過ごすことに小さな幸せを感じていた。

 

 ただ、絶望というのは誰にでも起こりうる不可測であり、そんな普通の村娘な彼女にさえ等しく降りかかることもある。

 

 いつものように井戸に水を汲みに行った彼女は、遠くで声が聞こえた気がした。絞められる鳥の最期の声のような、そんな声だった。

 

――悲鳴……?

 

 間違いなくそれは、動物の上げる声ではなかった。彼女にとって聞いたことのない声は、確かに人の声であったのだ。

 背を濡らす汗は不快感をじわりと彼女に与える。焦燥だろうか、困惑だろうか、未だに彼女に恐怖と呼ばれる感情は起こっていない。

 確かめよう、と漠然と思った時には自然とその方向に足が向いていた。否、当然のことだ。その方向は、彼女が生まれ育った家がある方角であったのだから。

 再び聞こえてくる声に速足になり、次第には駆けだしていた。スカートに脚が絡まないように慎重に、されども迅速に。

 馬の嘶きと人の悲鳴。次第に近くなっていく内に芽生えてくる一つの感情。焦燥と困惑を押しのけて大きくなるそれは……恐怖。

 

「ひっ」

 

 小さく漏れた悲鳴はその行いに対してか。はたまた無意識に喉から絞り出されただけなのか、彼女には分からない。

 かなり遠くに見えた白銀の煌めきの後に、赤い紅い飛沫が宙を彩る。また、悲鳴が一つ。

 

 見知らぬ人の居ない小さな村での非日常の出来事。よく知る知人が崩れ落ちる様を、彼女はスローモーションで視界に収めるだけ。

 そこで彼女は……胸の内に込み上げる恐怖と焦燥の原因をより深く理解する。

 

――お父さん……お母さん……ネム……っ

 

 家族が危ない。警鐘を鳴らしていた恐怖は、家族を失うことへの恐怖であったとやっと気づく。

 駆け出す脚はさらに早まり、彼女は唯々自らの家族の無事を祈って走った。

 

 漸くたどり着いたその場所では、父が必死に一人の騎士を身体で押し込めていた。

 

「お父さん!」

「エンリ! 無事だったか!」

 

 彼女の家に来た騎士は油断していたのだろう、エンリの父によって大地に捻じ伏せられるカタチで拘束されている。

 必死に逃げ出そうともがいているが逃げ出すこと叶わず、兜を外され、母の振り下ろしたフライパンによって抵抗は収まった。

 荒い息を吐く父は汗を光らせてエンリに笑いかける。娘の無事が嬉しかった。

 しかし事態は急を要する。たった一人を無力化したとはいえ、村全体に被害が出ているのだ。

 すぐさま真剣な表情に変わった父は妻に向けコクリと頷き、

 

「逃げるぞ。何も持たなくていい」

 

 それだけを告げてエンリの幼い妹であるネムを抱きかかえた。

 無言で頷いた彼女を見てか、父と母は森に向けて走り出した。

 遅れぬよう彼女もすぐに駆け出す。その胸にあるのは、唯々家族皆で生き残るという想いだけである。

 

 走る。走る。走る。走る。

 脚に絡みつくスカートがとてももどかしかった。胸に来る恐怖を押さえつけながら走るエモット一家は誰も言葉を発する余裕などない。

 逃げる一家を見て追いかけてくる騎士は居た。他の一家を殺して次の獲物を決めた獣達は、まるで狩りを楽しむかのようにエモット一家を追い立てる。

 

――嫌だ、いやだ、イヤダ、嫌だ……っ

 

 死ぬことに恐怖はある。どうして、という理不尽に対する苛立ちもあった。それよりもエンリには、家族を失うという恐怖の方が大きかった。

 必死で走る父と母を横目に見ながら、鎧の奏でる金属音に不快感を感じながら、彼女は走ることしか出来ない。

 

 ずっと平穏な日常が続くと思っていた。そこそこな生涯を送ると思っていた。

 いつも通りの井戸の水くみ、いつも通りの朝食、いつも通りの畑仕事、いつも通りの妹の世話、いつも通りの父と母との会話……

 あまりにあっけなく、エンリ・エモットの日常は崩壊していく。

 忌々しく恐ろしい金属音の重なりは、彼女の日常を非日常に変えていく最悪の音色。

 

 遠くに見えた森に逃げ込めば生き残れる確率は上がるだろう。

 少しだけ安心した矢先に……彼女の希望は一つ、叩き潰される。

 

「ぐぁ……っ」

 

 小さなうめき声と、誰かの倒れる音。

 それが父のモノであると理解した時にはもう遅い。

 つんのめった父の背に刺さった矢を彼女は見た。脚を止め振り返った彼女達の視線の先には倒れた父とネムが居た。

 騎士達はまだ遠い。その数はたった三人で、矢を放った一人は馬に乗っていた。

 

――逃げられない

 

 高機動の馬の脚から自分達が逃げられるはずなどないだろう。エンリはそう思った。

 彼女は正しくその時、絶望した。しかし、

 

「に、げろぉ!」

 

 振り絞った父の声で我に帰る。そうだ、逃げなければ。森ならば馬の脚を止められるのだから。

 咄嗟に倒れていたネムの手を取り彼女は立ち上がる。騎士達は小走りで近づいてくるだけでまだ本気で狩ろうとはしてきていない。

 震える脚で立ち上がった父はエンリ達に背を向けて騎士達へと向き直った。

 

「お父さん……」

「はやくいけぇ! お前達ぃ!」

 

 その背中は大きかった。今まで見てきた誰よりも。

 こみ上げる涙をぐっと堪えて振り返ったエンリは、ネムの手を取り走り始めた。

 驚くことに、母は走り出そうとはしなかった。

 

「生きてね……エンリ、ネム」

 

 通り過ぎざまに小さく聞こえた声はか細くも力強かった。

 なぜ、どうしてと思考するも脚を止めるわけにはいかない。

 父と共に時間稼ぎをしようと、彼女の母は思ったのだろう。怪我をした父では大した時間を稼げないと踏んで。

 一分でも、否、一秒でも時間を稼ごうとする両親の決意にエンリは涙が止まらない。

 ネムは歳の割に聡い子だった。泣き叫んで戻りたいはずであるのに、何も言わずに姉の引く手を頼りに彼女も大粒の涙を零しながら走っていた。

 咄嗟に妹が逃げることを選択したのは彼女にとって有り難いことだった。恐怖と絶望に支配された心は、幼い妹を置いて逃げてしまうという選択肢を選んでしまいそうだったから。

 

 絶叫が聞こえた。聞きなれた声だった。両親のそんな声に涙が止まらなくなりながらも、彼女達の脚は止まらなかった。

 逃げるのだ。自分達は生きて、生きて、生き延びるのだ。両親の願いの通りに。

 

 しかして、彼女達は理解していない。

 遠くに聞こえる蹄の音の間隔が短くなったことを。それが意味する所は……森に辿り着く前に、彼女達の命の灯火が消えるのだということを。

 

 更に不幸なことに彼女達は……森に近づくにつれて膝丈までの高さとなっていた雑草群を走り抜けている時に……

 

「あっ!」

 

 其処に偶然転がっていたとある物体によって転んでしまうこととなった。

 

 蹄の音、馬の嘶き、絶望はすぐそこに。もはやこのタイムロスは取り戻せない。

 

「なんで……っ!

 なんでこんなとこにこんなモノが……っ!」

 

 彼女は初めてナニカを憎んだ。それが加害者である騎士ではなく、雑草群に横たわっていたナニカであることは可笑しな話であったが。

 

 ガツン! と叩いたソレは、無機質な音を響かせる銀色の鎧であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 目を覚まして初めに目に映ったのは眩い光だった。

 見たこともない暖かさと明るさに目を細める。微睡とは違う自身の脳髄の状態を覚醒させようとしても、その光の優しさに再び瞼を閉じてしまいたくなる。

 

――もう少しだけ……このままで……

 

 そう思ったのも束の間、彼の身体にほんの些細な衝撃が走った。

 鈍い金属音を立てるモノの、彼に大したダメージは入ることはなかった。

 二つの衝撃は小さなモノで、気にすることはないかとぼやける思考をそのままに瞼を閉じようとした。

 しかし彼の身体にまた、小さい衝撃が与えられる。

 

 か弱い衝撃は彼にとって何の意味もなさない。レベルの低い相手からの攻撃など無効化してしまう彼の身体には。

 ただ、些か苛立ちを覚えるのも無理はない。こんなあたたかな世界を邪魔されるのは、温厚な彼にとっても苛立ちを覚えるモノである。

 

 ゆっくりと、ゆったりと身体を起こした。

 自らを害するモノはなんであるのかを把握する為に。

 そうして彼は――

 

「なんだ……ここは?」

 

 前を見渡して大きく首を捻った。

 

 意識が戻って何も思考が纏まっていない彼は、その初めての感覚に戸惑うばかり。

 手に感じるさわさわとした草の感触。包み込まれるような柔らかな大地の質感。天から齎される暖かな光。そよぐ風は少しばかりくすぐったくも爽やかで。

 五感に感じる全てが、彼にとって初めてのモノばかりであった。

 

 人工的なモノにしか触れたことのない彼は、初めての大自然に大きく戸惑っていた。

 ゆったりとまだ鈍い思考を纏めようとして、彼の目に二つの物体が目に止まった。

 

 怯える小さな女の子が、二人。土に汚れたその姿と、恐怖に彩られた瞳。

 仕事柄、彼はそういった子供達の視線を受けたこともある。

 怯えた子供達の視線を受けて、彼は己がなんであるかを漸く思い出し、今の状況も、自分の姿すらもそっちのけで彼女達に声を掛けた。

 

「……もう大丈夫。俺が来たからね」

 

 いつでも、そうやって被害にあった子供達に声を掛けてきたのが彼だった。

 警察官として現場に突入し、怯える子供達を救出して掛けてきたいつもの声は、哀しいことに彼女達を安心させることは出来なかった。

 

 しかし気にせず、彼の行動は早かった。

 ガシャリ、と鎧を鳴らして構えたのは警察官としての態勢で。周囲の状況把握を瞬時に行う為に再びあたりを見回した彼は、彼の左に現れた馬上の騎士を下から睨みつける。

 

「なんだぁ、お前?」

 

 困惑を以って上げられた声に答えることなく彼は思考を回す。

 

――そうだ……俺は“あの人”に協力を仰いでユグドラシルにログインしたはずだ。

 

 想像通りならばここはユグドラシルというゲームの中でギルド拠点にいるはずが、なぜか危機的状況の少女二人と不審な騎士が居た。

 わけが分からなかった。騎士からの問いにも答えられるはずがない。

 とりあえず現状の把握をと思っても、相手から向けられる殺気を感じてそんな暇はないと悟る。

 

「おい、答えろよ。お前はどこのヤツだ?」

 

 再度の問いかけにも答える事は出来ない。

 ひっ、と右側にいる少女二人が悲鳴を上げた。

 とりあえず分かることは二つ。目の前の騎士は生きている人間であるということと、少女達が怯えているのはこの騎士のせいだろうというだけだった。

 ゲームではない、と彼は思った。ユグドラシルではNPCは喋らないし、こんなに表情が豊かではないのだから。

 故に彼はすっくと立ちあがり、ただ普通に話しかける。

 

「日本のしがない警察官だが……分かるかな?」

「に、にほ……けさつかん? なんだそれ?」

 

 彼は失念していた。いや、現状把握できなかったのが悪かった。

 今の彼の姿は高価な装飾を施された銀色の鎧を纏った騎士にしか見えないのだが、己の姿を確認できない今の状況では気づけるはずもない。

 騎士からすれば一応何処かの所属の騎士やも分からぬから確認しただけだが、全く見当違いの答えが帰って来て混乱は深まるばかりである。

 その間に、彼は自分の身体から湧き上がる力に気づき、チラリと僅かに視線を落とし自らの下半身を確認して驚愕する。

 

――なんだ? この鎧は……まるでゲームがリアルになったみたいな……

 

 それぞれが首を捻る彼と騎士ではあるが、そんなことはどうでもいいと一人の少女が大声を上げた。

 

「た……たすけてっ!」

 

 少女の必死の懇願。声に反応した両者はどちらもが少女を見やった。

 騎士は下卑た笑いを浮かべ、彼は……青白く光る瞳を輝かせる。

 

「へっ、村の娘が助けを求めるってことは……リ・エスティーゼの騎士かよ」

「なるほど……この子が汚れてる理由はあなたか……」

 

 少女の目はあくまでも彼の方を向いていた。助けを求められているのはやはり自分。些か状況は分からないが……

 

――困っている人を助けるのは、当たり前だ。

 

 彼の信念であり、彼の生き様である。

 ゆっくりと首を向けた彼は、へらへらと笑っている騎士を睨む。

 背中に違和感を覚えるのはきっと装備品である剣を背負っているからだろう。現実世界でそんなモノを背負うことなどないのだから。

 ぐ、と拳を握る。湧き上がる力が、つい先ほどまでの“人間である”自分との相違を教えていた。

 

――わけが分からないが……とりあえず出来ることを……

 

 睨んだまま、少女達を背に回すように立ち位置をゆっくりと変える。

 

「あなたはこの少女達をどうするつもりなんだ?」

「軍事行動だ。お前も含めて生かしておくわけにはいかねぇな」

 

 明確な敵意を以って剣を構えた馬上の騎士に対して、彼も背から剣を抜き放つ。

 彼は今置かれている状況が何なのかまだ何も分からない。分からないが……自分に出来ることと、すべきことは間違えない。

 不意に、意思を確定した瞬間に、彼の脳髄には幾つもの技が思い浮かぶ。

 漠然としたモノだ。そして彼にとってそれは、とても懐かしいモノだった。

 

――スキルが使える? ならここは……ユグドラシルの……

 

「こんなガキ二人にこれ以上時間を取るわけにはいかないんでな……こんなとこに居た自分の不幸を呪って……」

 

 驚愕に支配された彼が思考に潜る暇もなく、

 

「死になぁ!」

 

 彼の頭上に凶刃が振り下ろされた。

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 唐突に振り下ろされた刃の音を耳に入れ、エンリ・エモットは再びの絶望に目を閉じる。

 優しい声音で、もう大丈夫、と言ってくれた騎士に望みを託したが、きっとダメだろうと諦観したのだ。

 派手な金属音に耳まで塞ぎたくなったが、彼女はせめてと妹の身体を抱きしめた。

 この後に殺されるのは自分達だ。何も考えず妹を抱きしめたのは殺されると分かっていても守ろうという気持ちから。

 

 しかし……後に聞こえてきたのは彼女にとって予想外の声だった。

 

「て、てめぇ……」

 

 カタカタと鎧の震える音に目を開けてみると、驚くべきことに銀色の騎士は騎士の剣を篭手で掴んでいたのだ。

 

「へぇ、この程度なら問題ないんだ。すごいな」

 

 少しだけ嬉しそうな声を出す銀色の騎士に不信を抱くこともできない。剣を掴む人間など、それほど彼女には衝撃的だったのだ。

 

「は、離しやがれっ!」

 

 押しても引いてもびくともしないらしく、騎士は剣を手放すこともできずに焦るだけ。

 

「やだね。だって俺がこの手を離したらお前はまた斬りかかってくるだろう?」

「あ、当たり前だろうが!」

「だから……こうしようか」

 

 バキン、と金属音が鳴り響く。エンリはまた目を疑った。

 銀色の騎士は、掴んでいた剣をなんとそのまま握って砕いたのだ。

 

「ひっ」

 

 今度は馬上の騎士が恐怖する番であった。

 剣を交えるでなく応対されただけでそのモノの異質さを思い知ったのだから当然のこと。

 誰が剣を篭手だけで握り込んで、さらには握って砕くなどという芸当が出来るというのか。

 瞬時に青褪めた馬上の騎士はそれ以上声を出すことも出来ない。

 

「まだやるかい?」

 

 なんでもないというように話される声も、一層に異質だった。

 早くこの場から立ち去りたい、こんな化け物とこれ以上相対していたくない。それがエンリにも伝わっていた。

 馬を少し下がらせる。ひきつった笑みをやっと浮かべて、馬上の騎士は口を開く。

 

「し……仕方ねぇから……み、見逃してやらぁ!」

 

 いうや踵を返して全速力で引き返していく姿に、エンリもネムもぽかんと口を開けることしか出来ない。

 あれほど恐ろしいと思っていた脅威が、驚くほど呆気なく去ってしまったのだから無理もない。

 しばしの沈黙。

 ばさり、とマントをはためかせて振り向いた彼は優しく目を輝かせて二人を見やった。

 

「もう大丈夫だよ、俺が来たから」

 

 二度目となるその言葉に、ほろりと、エンリの目から雫が落ちる。

 妹がいるのだ。彼女の前で泣くことなどしてはならない。姉なのだからと、必死に涙を抑えようと手で擦っても止まることはなかった。

 助かったという安心感。恐怖を耐えてきたことに対する疲労感。ほのぼのと暮らしてきただけの村娘としては、よく耐えたというべきであろう。

 気を失いそうになるも、しかし彼女にはまだやることが残っている。

 

「……お父さんとお母さんが、まだ……村の人たちも……」

 

 絶叫が聞こえたとしても、万に一つの確率で生きているかもしれない。

 希望を捨てることこそが愚かだ。それに大好きなカルネ村の人達だって危機に晒され続けている。

 

 縋るような眼差しをまっすぐに受け止めて、彼は優しい声を送る。

 

「分かった。俺に出来る限りのことはしよう。よく頑張ったね。今はもう……おやすみ」

 

 首元に僅かな衝撃があった。視界と思考が徐々にぼやけていく。

 安心と充足を齎した彼に、エンリは気を失う間際にふっと笑顔を浮かべた。

 

「ありが、とう……」

 

 銀色の鎧の騎士の輝く目は優しい色に揺れていたから、彼女は心地よい意識の喪失に身を委ねた。

 

 故に彼女と、続くように意識を失った妹のネムは、その先の言葉を聞くことは出来なかった。

 

「……これが夢とかゲームじゃないとすれば……俺は今から“人”を外れることに……なるんだな……」

 

 一人、彼は呆れたような笑みを浮かべる。

 己が憧れた存在の矛盾を理解しながらも、そうあれかしという矜持だけは曲げぬよう。

 仕事でもそうだった。いつだって矛盾に苦しんできた。世界は単純明快には出来ていない。

 自分にとって確かなモノは、己が心に掲げる“正義”を曲げぬことのみ。

 だからこそ彼は……救えるモノを救い、掬えるモノを掬う。

 

「俺はこの子達にとっての正義の味方にはなれても、敵にとっては大悪党にしかなれないからね」

 

 置き去りになど出来ない子供二人を宝物のようにその両腕に抱えて、闘志を燃やす一人の男は、未だ絶叫の上がる村へと歩みを進めていった。




読んでいただき感謝を。

今回はたっちさんのお話。
彼にはデスナイトを召還することが出来ず、エンリ達を護る魔法も唱えられないので単身殲滅に単純に向かうことも出来ない
なのでカルネ村は……


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

正義の所在

お久しぶりです。



 正義とは何か。

 大昔に愛しき伴侶に問われた言葉だ。

 意識を取り戻し、並べられた骸の中から父と母を見つけて慟哭を上げる少女を見つめながら、彼はそんな言葉を思い起こしていた。

 少女二人の命を救いはしたものの、多数で村を蹂躙する騎士達がいると聞いては彼女達を放置することなどできず、安全を確保した後に村の中枢に向かってももはや手遅れであった。

 

 彼が駆けつけたのは、家々に火を放ち終わった騎士達が整列しているその時。

 彼に出来たことは、何も言わずにその不埒者達を瞬く間に殺していくことだけ。

 彼を待っていたものは、称賛の声でも喜びの声でもなく、悲哀と絶望に打ちひしがれて叫ぶ少女の声。

 

 救えたのは二人。たった二人だ。

 これが彼の仲間で最も優れた魔法詠唱者ならば、手下の一つ二つを召還して瞬く間に征圧したことだろう。

 これが彼らのリーダーであっても、アンデッドを呼び出し即座に動くことが出来ただろう。

 これが彼の仲間のバードマンならば……上空からの連続射撃で騎士達をあっと言う間に無力化したに違いない。

 

 蘇生術も回復術も使えないため、瀕死の重傷のモノも死者も救うことは出来ない。

 単一として如何に強大な力を持っていようとも、彼――たっち・みーがゲームの世界で理想としていた自分は、少女達の願いを叶えることに対してあまりにも無力だった。

 

 正義とは何か。

 不思議と、心に懺悔はあれど現実世界でのような後悔に押しつぶされるような心の痛みはなかった。

 自分がまるで人じゃないような気味の悪い違和感を拭い去るように、彼は考える。

 正義とは……

 

 

 

 †

 

 

 

 唯一焼かれずに済ませた彼女達の家の中、たっち・みーは椅子に座り思考に耽っていた。

 少女達は泣き疲れと気疲れからかすでに二人とも床に就いている。

 ランタンの灯りが僅かに揺らめく。静かすぎる村の一軒家の中で彼は己の現状把握しようとしていた。

 

――ゲームじゃない。これは……ゲームじゃない。

 人々が生きている。データや仕組まれたことなんてのは有りえない。

 慟哭も、断末魔も、悲哀の叫びも、狂った犯罪者の笑みも、流れる赤い血も、人の焼ける匂いも……そして人を殴るあの感触は間違いなく……本物だ。

 

 ユグドラシルの中ではない、と彼は断定づける。

 昼間に殴った騎士達の感触は今も拳に残っているのだ。

 無論、レベルの高すぎる彼の拳が痛むことなどあり得ないのだが、感触というものは嫌でも感じてしまうものだ。

 

――ならここは、何処だ。

 ゲームの世界が現実になった? 別世界に飛んでしまった? 有りえるのかそんなことが……

 

 深く、深く思考に潜るが答えなど出るはずもない。

 ただ、彼は自身が此処に至る前に出あっていた人物からの言葉をふいに思い出した。

 

――事実は小説よりも奇なり、ですか。

 もしかしてあなたは、こんなことになっていると分かっていて送り出したってことはないですよね、教授?

 

 しかして思考は反する。

 自分をもう一度ログインさせてくれた仲間の一人は、観測者として自分を観察すると言った。

 この世界を覗いているのならば彼は何かしらアクションを起こしてくるはずで、それがないということは仲間にも手が付けられない状態、ということ。

 そこまで考えて協力者のことを考えるのはやめて別の思考に耽る。

 

――あくまで身体はゲームの俺が現実化したモノで、精神は俺そのもの。モモンガさんもこんな感じで何処かに飛ばされているのかもしれない。

 あの人の姿は人から怖がられるだろうし、厄介な他ギルドとPvPにでもなろうものならあの人単体だとそこまで対処しきれない。早いとこ探さないと。

 

 目的はあくまでギルドマスターの救出だ。村にあった悲劇も、それはあくまで彼が偶然遭遇してしまった哀しい絶望なだけ。

 人を大量に殺してしまった事実も、効率とこれからのことを考えるならばしなければいけないことだった。

 ぐ、と彼は身構えたが胸に痛みは走らない。人であったならば、必ずここで胸に後悔や懺悔の痛みが走るはずなのに、だ。

 

 それを彼は、少し哀しく思った。

 

――嗚呼……今の俺は……人間じゃないんだな……。

 

 人の痛みを知りなさい、と子供の頃に教えられる人はいるだろう。

 しかし今の彼は人の痛みというモノを全く分からない。

 真実、化け物となってしまった自分に内心恐怖が芽生えるが、鍛えてきた精神性からかすぐに落ち着いていく。

 

――俺は俺。正義は此処にある。

 

 トン、と胸を一つ叩く。迷った時はこうしろと、彼の最愛の伴侶が教えてくれたことだ。

 

――俺が望み、俺が願い、俺が祈り、俺がそうあれかしと貫くなら……それが“俺の正義”だ。

 

 心に決めた一つの芯を再確認して奮い立たせる。

 送り出してくれた家族を想って。

 

 二階で寝静まっている彼女達を起こさぬよう、彼は物音すら立てずに腰を上げる。

 まだ夜は始まったばかり。変化した彼の知覚はどうやら鋭すぎるようだ。

 遠くから、また鎧の音が聞こえてきた。彼はただ小さくため息を吐くと、音一つ立てることなくその家を後にした。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 カルネ村は端の方ではあるが一つの王国の領地とされている。

 トブの大森林に近しいこの村は、交通の不便さから発展の望みは当分あるはずがないのだ。

 

 しかしそんな村に近づく騎士団があった。

 王国最強の戦士と呼ばれるガゼフ・ストロノーフ率いる部隊である。

 ここ最近、辺境の村々が襲撃を受けているという話は聞いていた。辺境であるが故に駆け付けた頃には遅く、犯人を捕らえることもできずにいたのだ。

 今回は不信な一団を見つけたと報告があってからすぐさま出陣をしたのだが……やはり、彼らは間に合わなかった。

 

 遠目でも見える、まだ燻っている火災の跡。焦げた匂いは風に乗ってその一団の元に届いてくる。

 

「……っ。またか……またなのか」

「ガゼフ様……」

 

 噛みしめた唇の端からは血が流れ、厳つい顔は皺が深く刻まれる程に苦渋を表す。

 

「何故こうも、俺達の国が荒らされる。

 違法な薬物も出回っていると聞くし、上層部の貴族連中はことの重大さも理解せず遊びほうけだ。国王様は日々心労に苦しんでおられる」

 

 ギシリ、と歯が鳴った。くやしさから、不甲斐なさから、無力感から。

 遠目に見る村の残骸は彼の無力さを思い知らせているようで、押し寄せてくる無力感から彼は瞠目した。

 

「すまない……村人たちよ……。

 無力な俺を恨んでくれ。しかし必ず……」

 

 同じような犠牲の出ない世の中にして見せるから、と心の中で紡ぐ。

 彼と同じように、部下達も胸に手を当てて黙祷を捧げていく。

 しん、と静かな夜の闇は、痛々しさをより際立たせ、彼らの心に決意と覚悟を際立たせる。

 

 

「へぇ。昼間の騎士達とは違うのか」

 

 不意に掛かる声。

 ハッとしたのも束の間、気付けばガゼフの目の前まで来ていたソレは一瞬で剣の柄を抑えていた。

 そしてそっと、喉元に手刀を添えられる。

 

「動くな。声も出すな。質問をするのはこちらだ。部下の一人でも動けばこいつは地面から自分の身体を見上げることになるぞ」

 

 一寸で張り詰めた弓弦の如く緊迫した空気が場を支配した。

 銀色の鎧を着た騎士の動きは誰にも見ることが出来なかったのだ。そう、ガゼフでさえも、である。

 自分達ではどうすることも出来ない、と感じた騎士達は黙するほかない。

 ガゼフは先ほどから剣を動かそうとはしても、その騎士の力が強すぎて微動だにしない。

 

「ふむ……だいたい三割だからレベル30ってとこなのかな? まあいい」

 

 何かを確かめるような言葉を発した騎士は、ガゼフに兜の中の赤い瞳を向けた。

 

「この村は昼間、騎士の鎧を付けた一団に襲撃され壊滅した。生存者は俺が偶然助けた二人の村娘だけ。

 こちらからの要求は二つ。

 一つ目、二人の少女を今は休ませてやりたいからあの建物には近づかないでくれ。

 二つ目、昼間の騎士達をある程度捕らえてあるからそいつらに然るべき処罰を。

 以上だ」

 

 遠くでぽつりと、ほんの小さく灯りが揺れている建物を指さしながら、その騎士は語った。

 ガゼフと部下達はその語りに驚愕を隠せなかった。

 

「な……」

「まだ喋るな。聞きたいことはこうかな?

 何故騎士が襲撃を、とかどうやって捕らえた、とか。

 なんで襲撃したかは俺も知らない。捕らえたのは、村を壊滅させられた後にそれしかあの子達の役に立ちそうなことが出来なかったからだ」

 

 淡々と答える声には感情があまり見えない。

 事務仕事をつたえているような感覚を受けてガゼフは不気味に思った。

 

「あんた達が敵じゃないなら、明日の朝にでも少女達に事実確認をしてくれ。もちろん、その時は俺が護衛につくから」

 

 す、と騎士はガゼフの剣の柄から手を放す。

 言うべきことは言ったと、そういうように。

 カシャリ、カシャリと今度は音を立てて去っていこうとする騎士の背中に、

 

「……一つ、聞かせてくれ」

 

 落ち着くようにと大きく息をつき、ガゼフは言葉を絞り出す。

 騎士は立ち止まるもこちらを振り向かず。

 

「あんたは何者だ?」

 

 得体のしれない、しかし敵ではなさそうだ、そう結論付けたガゼフは単純に、明快に尋ねた。

 しばしの沈黙、怒気もなく、殺気もない。

 得体のしれないこの騎士に、ガゼフは勝てる気がしなかった。

 怒気もなくとも、殺気がなくとも、ガゼフはこの騎士に殺されることしか出来ないだろうと漠然と思った。

 長い沈黙の末……騎士はぽつりと、言葉を零す。

 

「捕らえた騎士は焼けた村の広場に縛ってあるよ」

 

 また、カシャリ、カシャリとゆったりとした足取りで騎士は歩みを始めていった。

 質問の答えはする気がないのか、と思いガゼフが村の広場の方へ向かおうとした時、風が騎士の言葉を運んできた。

 

「そうだな……正義の味方……になりたい男、かな」

 




短めですがお許しを
ガゼフさんとの邂逅
次回でたっちさんのお話はしばらくなし


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

人を外れた騎士

エンリちゃんの成長物語とかできそう


 鶏の声は聞こえずとも、カルネ村の少女エンリは生活習慣のせいからかいつもと同じ時間に目が覚めた。

 微睡に気怠い脳髄は未だ正常な判断を下せるはずもない。朝の陽ざしから眩しそうに目を擦り、身体を起こして伸びをした。

 隣で眠る妹のネムの頬に残るうっすらとした涙の跡を見て……彼女は漸く、昨日の惨劇を思い出す。

 

「……っ」

 

 声にならない声。跳ねそうになった身体をどうにか抱きしめることで押さえつけ、わなわなと震える唇にゆるりと指を持っていく。

 

――そうだ……私達は……昨日……

 

 逃げろと言った父と、生きてと願った母。

 その二人の骸に縋りついて泣いた夜が鮮明に思い出される。

 

 広場の地面に並んでいたのは死体、死体、死体の列。

 気前のいいお兄さんも、優しかった近所のおばさんも、働き者だった力持ちのおじさんも、村長でさえ……皆、物言わぬ骸となってしまっていたのだ。

 

「ぅくっ……ぅぇ……」

 

 吐き出しそうになった。胃の中は空っぽだったはずなのに、そのままシーツに中身のない液体をぶちまけてしまいそうになった。

 それほどのことだったのだ。彼女にとって昨日の出来事はあまりに悲惨で、凄惨に過ぎた。

 どうにか飲み下した胃酸に顔を顰めながら、荒くなっていた息を落ちつけようと胸に手を当てて呼吸を行う。

 隣で寝ている妹はまだ夢の中だ。哀しみの底の底でも、夢の中でだけはまだ幸せであってほしいと願った。

 

 一つ撫で、二つ撫でた。さらさらとした幼い妹の髪の毛は心地いい。不思議と彼女の心に安息を与えてくれる。

 それはきっと、一人ではないという安心感からかもしれない。

 

 しばらくして、彼女の耳に音が届く。

 カシャリ、カシャリと鳴る鎧の音だ。

 恐怖が思い出されると同時に、彼女はぐっと堪えた。

 この音は違う。これは大丈夫。だって、あの人は約束してくれたから、と。

 

「おはよう。朝から俺みたいな鎧男に声を掛けられて気分のいいモノではないかもしれないが、少し話がある」

 

 穏やかな声音は間違いなく自分達を救ってくれた人のモノ。

 得体のしれない相手ではあるが、彼の素性を聞く暇もない一日であったのだから仕方ない。

 助けてくれた、というその一点だけを信じるしか、少女エンリに残されている選択肢はない。

 生殺与奪の権利はあちらにある。自分はその強大すぎる相手に立ち向かうには非力だ。例え、自分達二人以外を救えなかったとしても彼を責められるはずもない。

 自分達は救われた、それがすべてだ。

 

 コクリと頷いた彼女は一寸だけ妹に目を向ける。

 その意図を察してか、彼は続けて声を流した。

 

「手短に言おう。

 夜に君たちを保護してくれる騎士の一団が来た。戦士長、と言っていたからそこそこに地位の高い人ではあると思う。

 焼けた村を見て悔いていたから、責任感の強いいい人だろう。

 その人と話をする時間をすこしばかり作って欲しいんだ。昨日の今日で酷だろうとは思うんだけど……」

 

 不甲斐なさがにじんでいるような声音だった。

 無機質な声ではない。幾度となく苦渋を呑みつつも現実を直視してきた……大人が子供を諭す時に似た声。

 

「ありがとう……ございます……」

 

 ぽつりと、エンリは礼を口にする。

 昨日のことに対してか、はたまたその情報に対してなのか、彼女は口に出してから疑問に思う。

 

「君と妹さんの命に対してのお礼なら、受け取ろう。

 そしてすまない……君の村を護ることが出来なくて」

 

 一つ頭を下げる彼の声はまっすぐにエンリに届く。

 死体の列を前にして、父と母の遺体に泣き縋る自分に一声も掛けなかった彼であったが、何も思う所がなかったわけではなかったのだとエンリは気づく。

 

「いえ……元から私のわがままでした……。

 あなたは……私達の命を優先してくれたんですね」

 

 たった一人の騎士が、いくら強大な力を持っていようと自分達を護りながら村を救うことなど出来はしないのだと、エンリは聡く気づいたのだ。

 もし、置き去りにされたまま彼が村の救出に向かっていたら、自分達は万が一でも何か悪意にさらされたかもしれない。

 もし、何処か建物の中に隠されたとしても、自分達が人質となったりすれば彼自身も危うかったかもしれない。

 もしもの出来事はあの状況なら現実に起こりえたこと。取捨選択の末に、彼は彼に出来る一番の最善を取ったのだろう。

 

 エンリの発言に彼は何も言わない。

 それを肯定することすら烏滸がましいとでも思っているのかもしれない。

 エンリとネムにとって、彼は救世主に違いないというのに。

 

「だから……もう一度。

 ありがとうございます。私とネムを、救ってくれて」

 

 哀しい、苦しい、つらい。家族も知り合いも妹を除いて居なくなってしまった。

 でも自分はまだ生きているのだ。救いを与えてくれたモノに感謝せずして、エンリは前に進めない。

 

 その声は優しく、華の綻ぶような笑顔で彼女は騎士に言葉を流す。

 

「自分を責めないで。私達はあなたの言う通りに、もう、大丈夫です」

 

 数瞬、ふっと彼から吐息が漏れる。

 強いな、と小さな呟きが聞こえた。

 

「ありがとう。申し遅れたが、俺の名前は……」

 

 言葉に詰まり、少しの逡巡をした後、彼は言葉を続けた。

 

「たっち・みー、それが俺の名前だ」

 

 不思議な名前だ、とエンリは思う。異国の人なのかもしれない、とも。

 

「悪いが、俺の名前はあまり人に広めたくなくてね。内緒にしておいてくれると助かる」

 

 悪戯っぽく口に指を当てる彼が少し子供に見えてエンリは微笑む。

 

「分かりました、たっちさん。騎士様、と他ではお呼びしますね」

「助かる。えっと……」

「エンリです。私の名前はエンリ・エモット」

「うん、ありがとう、エンリちゃん」

 

 ちゃん付けで呼ばれたことに少しばかりむず痒さを感じたエンリは眉を顰めた。

 

「エンリでいいですよ。もうそんな歳でもないので」

「……わかった、エンリ」

 

 微笑ましい、とでもいうようにエンリの頭を一つ撫でた彼は、カシャリと音を立てて振り返り窓の方へと進んでいった。

 

「戦士長との会合にはまだ時間がある。ここで少し折り入って頼みがあるんだが……少しこのあたりのことを教えてくれないか?

 いかんせん、俺はちょっと魔法使いの友人の不手際で全く分からない場所に飛ばされてしまってね、ここが何処かも、どんな国の支配下かもわからない状態なんだ」

 

 魔法使い、というおとぎ話に出てくるような言葉を聞いてエンリは少し首を捻るが、その声が真に迫っていた為に疑問を飲み込む。

 

「ええ、分かりました。

 では朝食を用意しますからその時にでも、でどうでしょう? あ、騎士様に出せるようないいモノは出せませんけど……」

 

 台所に目を向けながら声を流すエンリに、彼は振り向きながらふっと笑った。

 

「重ねて助かるよ。よろしく頼む」

 

 非日常の後というのに日常的な会話をしていることと、朗らかで何処か安心させてくれる彼の雰囲気から、エンリは昨日のことすら頭の隅に追いやって。

 よし、と腕まくりをして料理の準備に取り掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

「なんだと?」

 

 ガゼフはその報告を聞いて眉間の皺を深めることとなった。

 

「はい。正体不明の部隊がこの村に接近中、掲げているのは法国の紋章であることから、彼の国の特殊部隊、それも魔法詠唱者・神官が属するタイプかと思われます」

 

 再度の報告に舌打ちを一つ。

 次から次へと厄介事が舞い込んでくるので頭を抱えたかった。

 

「何故、法国の部隊がこんな辺境地まで来てるんだ。いや……まさかここ最近の村々の襲撃と関連しているのか?」

 

 帝国の軍が襲撃を繰り返していると話では聞いていた。これも戦争の小競り合いの一つだろうと楽観的に考えていたが、此処で法国なんぞが出てくると全く話が違ってくる。

 

 現状、彼の所属するリ・エスティーゼ王国は腐敗が進んでおり、近隣である帝国とは定期的に小競り合いを繰り返している最中だ。

 ガゼフの名は帝国にも法国にも響いており、前線に立つことでも有名だ。

 もし、帝国と法国に繋がりがあったとすれば……王国の最大戦力であるガゼフをどうにかしようと結託することも一つの策ではなかろうか。

 

 辺境地にのこのことやってきた所を叩き潰す……なかなかどうして、理に適っている。まっとうな戦争の常識とやらを考えなければ、であるが。

 

――クソっ……この状況で、今の兵力で法国の一個部隊とやりあうのはまずい。

 俺の装備が整っていればまだ守りながら勝てる見込みはあるが、魔法への対策もしてきてない今の部隊じゃ被害が大きくなりすぎる。

 

 これが兵士同士の戦いであればよかった。兵士同士であれば、指揮官としての采配と部隊の錬度と士気が生きてくる。

 しかし魔法詠唱者相手ではそれがまるで役に立たない。

 一つの魔法が大砲よりも高い火力を持つのだ。戦術兵器をぶっ放してくる相手に騎士が特攻してもいい的になるだけであろう。

 さらには召還という魔法もあるのだ。疑似生命体やアンデッド、果ては天使や悪魔など、騎士数人がかりで戦わなければならないモノを複数召還されては一瞬で劣勢になるのは目に見えている。

 

 魔法のない現代社会と比べて、魔法というモノは戦争の幅を広げすぎるのだ。

 一騎当千の武将が一人いれば優勢になるモノではない。ガゼフは、それをよく理解していた。

 

「……まだ、距離はあるんだな?」

「はい。不幸なことではありますが、村人の生存者が例の二名だけということなので逃避するのは我らの部隊のみ、即時退却すれば被害は最小限にエ・ランテルまで引けましょう」

「刻限は?」

「猶予は……二刻ほどかと」

 

 そうか、とガゼフは唸り考える。

 あまりに時間が惜しい。

 自分は部下の命を背負っているのだ。村には申し訳ないが、骸の整理や確認などは後日に回した方がいい。

 一つだけ、約束だけは守らねばならない。

 しばし考えたガゼフは部下に厳しい目を向けた。

 

「撤退の準備をはじめよう。一人は“あの家”に行って生存者を連れて来てくれ。俺が此処で話している間に撤退の準備を完了させ、話が終わり次第出発する」

 

 下された命令に否はない。御意、と答えた部下はそれぞれ与えられた仕事の為に動いて行った。

 

 ふぅ、と一息ついたガゼフは焼けただれた村長宅の焦げた天井を仰ぐ。

 

「あわただしいこった。これも神さんの計らいかね。

 昨日の騎士の旦那が話の出来る奴であれば御の字ってか。嬢ちゃん方だけは……責任を持って都市まで送らねぇとな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しばらく、村長の家跡に連れられたエンリとネムはガゼフの前に用意された二つの椅子に腰かけていた。

 彼は後ろ。二人の後ろで守護するように背筋を伸ばす。

 ピリピリと少し痛い緊張感は彼から送られる厳しい目線のせいだろう。

 大きなプレッシャーを前にも、ガゼフは柔らかな笑みを引き出してエンリとネムを交互に見た。

 

「リ・エスティーゼ王国戦士長、ガゼフ・ストロノーフという。この度は間に合わず、本当に申し訳なかった」

 

 開口一番、彼はエンリとネムに頭を下げた。

 通常は高い位にあるものはこんな簡単に頭を下げることはない。しかし、ガゼフはどうしても彼女達に謝罪したかった。

 自分が居れば、まだ救われた命はあったかもしれないのだ。もし、たら、れば、などコトが終わってからでは意味がない、それでも、である。

 ほお、とエンリの後ろの騎士は感嘆の吐息を漏らしていた。

 

 まっすぐにエンリと合わせられる瞳には邪な感情は見当たらない。ただ純粋に、謝罪の色が濃く浮かぶのみ。

 

「……」

 

 エンリは言葉を紡げない。そういわれても、彼女にはなんら返せる言葉がないのだ。

 昔の彼女であれば、その謙虚な性格から戦士長が頭を下げることなど、と言って恐縮していたと思う。

 しかし今の彼女は違う。妹以外の何もかもを失ったことで、どこかそういうところに冷めてしまった。

 

 怨嗟を返すのか? もっとはやく来てくれたら、と攻めればいいのか? なんで私たちが、と悲哀を叫べばいいのか?

 

 そのどれもが、彼女の中では否だった。

 今のエンリにとって、この王国戦士長はただ、近くに居た軍の人。ただそれだけなのだ。

 

「えと……父と母との別れは済ませました。まだ村のみんなは弔って上げれてないけれど。

 その……私はただの村娘です。難しいことはわかりません。でも、戦士長様は私達のことを想ってきてくれてた。

 村のみんなに変わって、間に合わなくても、私達のことを護ろうとしてくれたってこと、お礼を言います。ありがとうございます」

 

 ペコリ、と下げられた頭にガゼフは歯を食いしばる。

 普通の村娘が日常を奪われて、自分達に怨嗟を投げずに礼まで言う。そんなこと、ふつうは有りえない。

 頭を上げた少女の瞳は真っすぐにガゼフを射抜く。その中には、怨嗟も憎しみもこれっぽっちもなく、困ったような表情があるだけ。

 強いな、とガゼフは思う。この強い少女に、これ以上重荷を背負わせるわけにはいかないと、そう思う。

 

「……すまない、ありがとう。

 君たち二人は他の街に身寄りは?」

「……ありません」

「そうか……なら、一番近い都市のエ・ランテルの孤児院に行って貰うことになるだろう。身の回りのモノを整える為にも戦時被害の手当ても出るように融通する。もちろん、その場所までの護衛は私達がしっかりと受けもとう」

 

 話すのはこれからのこと。戦災孤児は今の時代だと割かし多い。そういう受け皿の孤児院も少なからず存在するのだ。

 彼女達はそうして、生まれた村を離れて暮らすしかない。二人で暮らしていくことは、もうカルネ村では出来ないのだから。

 

「ただ……荷物を纏める時間が……なくなってしまった」

 

 苦い顔をしてガゼフは目線を切った。

 

「法国の特殊部隊がこの村に接近してきている。現状、奴らの狙いはこの私だと思われる。王国と帝国の戦争に介入しているのだろう。すまない……面倒事に……巻き込んでしまって……」

 

 血を吐くような重さの言葉を聞きながら、エンリは呆然とそれを理解しようと努めていた。

 実はエンリはそこまで頭の回転は悪くない。大人たちの手伝いを長いことして賜物であろう。

 

――つまり、私達の村が攻められたのは戦士長様をおびき出す為で、今、その本命がこっちに来てるってこと?

 

 単純でも読み取ってしまったエンリは、なぁんだと頭の中でつぶやいた。

 

――そんなことの為に、私達の村はなくなっちゃったんだ……

 

 心の中には何もわかない。激情が沸いてもおかしくないはずなのに、彼女は呆然と宙を見る。

 上を見上げていって……前をじっと見つめている命の恩人に目が行った。

 

「ねぇ、騎士様。私はどうしたらいいかな? いつかは出てくしかないと思ってたけど……まだ、お父さんとお母さんのお墓もできてないんだよ?」

 

 唐突な疑問を振られても騎士は動かず。ただじっと、ガゼフを見つめたままで言葉を流した。

 

「これ以上君の父と母の眠る土地を荒らされるのが嫌かい?」

 

 それは静かな声だった。

 

「……やだ」

「ネムちゃんはどうだい?」

「……お父さんとお母さんに……まだ……お花……あげてない……」

 

 遅れて、そうか、と、張りのある声だけが場に響いた。

 次第に、ネムの瞳から涙が溢れてくる。

 嗚咽に変わり、思わず抱きしめたエンリの胸の中で、くぐもった泣き声が部屋に響きだした。

 

「……分かった。俺がなんとかしよう。ガゼフ殿、情報感謝する。

 ただ、まだ彼女達の心の整理がついてないみたいでね……孤児院への入居の話はしばらく後にしてもらえないかな」

 

 その言葉に驚愕したのはガゼフだけであった。

 

「ば、馬鹿な! 相手は法国の特殊部隊だぞ! 魔法詠唱者が何人いるかも分からず、しかも召還魔法もあると聞く! 一人で戦える相手ではない!」

 

 当然の論理を口にするガゼフに対して、騎士は指を一つだけ立てて息をついた。

 

「魔法、魔法ね。最高で第三位階の魔法を使ってくる相手が複数、召還もそれに準じたモノ……それなら、俺は問題ない。慣れてるからね」

 

 肩を竦めて笑う仕草は鎧越しでもひょうきんに見えた。

 何をばかな、と言うより先に騎士が声を上げる。

 

「ガゼフ戦士長。ワールドチャンピオン、という言葉を聞いたことはないですか?」

 

 突然の質問。まったく意図が分からないが、ガゼフに答えられるのは一つである。

 

「いや……ない」

「そうですか。なら、やはり問題ない。俺がいるからね」

 

 意味不明な回答、意味不明なやり取り、ガゼフは不信感に頭が痛くなった。

 

「ガゼフ戦士長。エンリとネムちゃんの護衛をよろしく頼みます。

 あなた方は戦闘に参加しないで欲しい。出来ることならこの村の被害者の埋葬を手伝ってあげていて欲しいです」

 

 カシャリ、と騎士は一人扉の方へと脚を向ける。

 その背に声を掛ける前に、エンリが掌をガゼフの前に出した。

 

「その……騎士様を、信じてください。

 あの人は多分、大丈夫ですから」

 

 その掌は、少し震えていた。

 ガゼフは今気づく。

 あの騎士に命じたのは彼女だ。彼女が願ったから、あの騎士は動いた。あの騎士は彼女の願いを叶える為に出来ることをやろうとしているのだ。

 故に、彼女は命じたモノとして待つことを選択した。心配があるのだろう。それでも送り出す選択をした。まるで、一国の姫君のように。

 一晩でどれほどの信頼を得たのだろうかと疑問が残るが、それほど、彼女はあの騎士を信頼しているのだ。

 

 ガゼフは大きく息をつく。

 そこまで言われては、彼も男として信じるしかない。

 

「だが、万が一のこともある。俺達国の兵士が任せっぱなしにすることも出来ない。

 少しくらいは……援護出来るよう準備してもいいか?」

 

 尋ねる戦士長の言葉に、エンリは悩んだのちにコクリと頷いた。

 

「……遠くで見て、無理だと思った時はいいかもです。

 ただ……あの人の昨日の話を聞いた後では、私は無駄だと思いますが……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 

 夕暮れの草原は美しい。

 彼――たっち・みーはその光景に感動していた。

 現実世界では決して見ることのできない澄んだ地平線、橙色に色づいて行く大地と雲、空。

 絵画でしか見たことのなかったモノが現実として目の前にあるのだ。感動せずにはいられない。

 

 ただ……一つの面倒事が目の前になければもっと浸れたはずであるが。

 

 静かに進んでくる部隊は幾つも使役した天使を頭上に浮かべている。

 異形種である彼は目がいい。それも昆虫系を選んでいる彼は殊更他の異形種に比べて遠視と動体視力に優れていた。

 

 初めはただ、一つの憧れたヒーローがバッタの改造人間だったからという理由だった。

 しかし彼にとって、この異形種を選んだことは後々ワールドチャンピオンになることを補助するための天啓であったと言えよう。

 

「下級の天使系が幾らか、魔法も使ってきそうだなぁ。でも……」

 

 ため息すら出るほどに彼はがっくりと肩を落としていた。

 

「昨日戦った兵士もそうだけど……あまりにレベルが低すぎる。王国戦士長でさえレベル30くらいっぽいし、魔法に至っては第三位階で上級って……」

 

 ぶつぶつと文句をいう彼は一つ二つと石を拾っていくだけ。

 拾っているのはただの小石だ。どこにでもある本当にただの。

 

「そもそも、あのへそ曲がりの山羊頭レベルじゃなきゃ喧嘩にもならないってのに、第三位階がいくら集まった所で俺の予備装備のカウンターマジックどころか、レベルカンストの魔法攻撃無効を貫通することすら出来ないじゃないか」

 

 いつしか拾っている石は小さく山を作り、彼の足元に積み上げられている。

 

「……口が開ければ魔法は唱えられる。出来るなら殺したくなんてないんだ。俺だって。でも、俺はもうこの世界に居る間は人を外れるって決めた。

 エンリとネムちゃんの心を救う為には、お前らは邪魔だ」

 

 それは覚悟を決めるような声音で。決意するような声だった。

 

「救ったのなら、責任を取らなければならない。

 俺は、あの子達のヒーローにならなければならない。

 あなたの言葉は昔から、よぉく分かってましたよ、ウルベルトさん」

 

 一つ、石を手に取った。

 彼はただ、それを投げるだけでいい。

 レベル100というこの世界では有りえない暴力を以って、敵を殲滅すればいいだけであった。

 

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 ビシュン、と異様な音が鳴った。嫌な音だった。誰も聞いたことのないような、嫌な。

 次いで上がるのは悲鳴。

 後列に居たモノはぶちまけられた血と脳漿を頭から被って半狂乱となった。

 

「な! 何が起こったというのだ!」

 

 分からない。法国の陽光聖典の部隊を率いるニグン・グリッド・ルーインには分からない。

 ガゼフ・ストロノーフ抹殺の為にその駐屯地へと向かっているはずが、突如として何物かの攻撃を受けて隊員一名が死亡したのだ。

 

 次いで、また音がする。

 ビシュン、ビシュンと二回した。

 それも寸分違わず、彼の部下二人の脳漿をぶちまけることとなった。

 

 混乱の極みにある隊。自分達が何をされているか分からない状況で、隊長であるニグンに出来るのは指揮することしかない。

 

「ええい! 恐れるな! 隊列を乱すのではないわ! 攻撃は前方からのようなのだからアーク・フレイムエンジェルを全面に盾として並べよ!」

 

 図らずも、その指揮は最善であったと言えよう。

 炎の天使達の盾によって投げられる石は燃えてしまうのだから。

 ただ、ニグンは疑問に思う。

 

――飛び道具無効化の加護を受けている隊員たちが狙撃されるなど……相手は何をしてきているのだ。

 

 ニグンには分からない。

 あまりにレベル差のある相手から、しかも投擲のスキルまで使われてしまうとこの世界の弱い加護などあってないようなモノだということを。

 ニグンは知らないのだ。

 この世界に舞い降りた、最悪が幾人かいることも。そしてそれらが、自分達が神と崇めていたモノ達と同等の力を持っていることも。

 

 故に防戦一方。通常ならば攻撃へと使うアーク・フレイムエンジェルを防御に回して様子見しか出来ない。

 そんな相手に、一つの世界を手中に収めるほどの単騎が、手を拱いているわけがなかった。

 

 ニグンは必至に天使達の隙間から敵を探そうとする。

 そして彼は見た。遠くで光る、一筋の光を。

 

――あれは……なんだ……

 

 丘の上で光る白銀の輝きは、ただ美しかった。

 まるで天使が下りてくる神聖な祈りの場のように。

 

 ただ、不幸なことに彼が覚えているのはそこまでだった。

 彼には見えておらず、むこうのアレにはニグンの顔まではっきりと見えていたのだ。

 

「……次元断層」

 

 その声が聞こえるはずはない。

 ただ一瞬光った。それだけが、ニグンに見えた最後で、ニグンが思考していられた最期であった。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 

 ボロボロと崩れていく剣を見ながら騎士はため息を一つ。

 

「次元断切じゃないし防御スキルなのになぁ……やっぱりそこらへんの騎士の剣じゃ耐えられないか。しかも防御スキルでもやっぱ攻撃できるようになってるじゃん」

 

 自分の技を一つ使ったのはこの世界でも試しておきたかったからだ。

 これから先、モモンガを探す上で自分の実力や技の精度などは強敵との遭遇時のことを想えば試しておいて損はない。

 

 たっちの心に人を殺した罪悪感は相変わらず来ない。

 違和感は理解している。もう、この身体は人ではなく、心も人から外れてしまっているのだと。

 それでも貫くべきモノだけは守る為に、彼は一つの選択をした。

 

 跳躍を一つ。ひとっ跳びでたどり着いた先は先ほどの部隊が居た場所であった。

 次元断層による破壊で部隊の半数はミンチになっていたが、どうにか残りは腰の抜けたままでとどまっていたようだ。

 

「やぁ、悪党諸君。俺は……そうだな、銀騎士、と名乗ろう。

 君たちの半分は逃がそう。もう半分は捕まってくれ。ガゼフ戦士長に捕まるのも逃げるのも、どちらもとりあえず命は助かる。

 歯向かってくるならさっきのをもう一回するけど、どうする?」

 

 その声に、全員が首を人形のように振りまくる。

 よろしい、と一言かけた彼はゆったりと其処を離れていきながら、空を見上げた。

 美しい夕焼け空を見上げながら、彼はぽつりとつぶやいた。

 

「俺は帰るまでに……人に戻れるんだろうか」

 




読んでいただきありがとうございます。
エンリちゃんの心情とかを重視したい為、ニグンさんのお仕事は少なくなってしまいました。
次元断層での攻撃はあくまでイメージです。
次は災厄さんとアルシェちゃんか我らがヒロイン様かナザリック勢……どれにしようか迷ってます。

ではまた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

魔女になるために

しばらくウルベルトさんが続くかと


 

 紅のドレスは見目麗しく。首元までで揺れる金髪は光り輝き、淡いサファイアの如き瞳が真っすぐに前を射抜く。

 彼女――アルシェ・イーブ・リイル・フルトの目の前に広がるのは豪華絢爛としか言いようがない食事の数々。

 しかしながら、彼女はそんな食事に目を輝かせることなく、猫のように鋭く細めた眼で睨みつけるのは対面に座る一人……いや、一体。

 

「……」

 

 声を発することもせず、彼女は目の前の“ソレ”を不機嫌さながらに見つめていた。

 並べられている食事に手を付けることさえしていない。彼女はただ、“ソレ”をずっと見続ける。無我夢中で食事を楽しんでいる“ソレ”を。

 

 彼女の目の前にいるのは悪魔だ。

 異質な角をはやした山羊の頭にモノクル、スーツをビシリと着こなして、胸ポケットに一輪の赤い薔薇を挿したその悪魔は、食事という人間の安らぎの時間に当たり前のようになじんでいた、

 そいつは彼女が知る限りおかしな悪魔であった。

 

 悪魔と言えば人間の苦しみに愉悦を覚え絶望と断末魔を子守歌にするようなモンスターであるはずなのだ。人間の大敵で、人間に害を及ぼすだけの存在。

 しかしながらその悪魔、ウルと名乗った彼は彼女との契約を交わしたのちに、誰一人として傷つけた者は居ない。

 今でも思い出す度に吐きそうになる魔力の奔流。彼女では到底敵うことのない大きな魔力を持つ危険な存在であるはずなのに……目の前にいる、料理に舌鼓を打ってご満悦の彼からは全く身の危険を感じることはできない。

 

 彼との出会いから十数日経つ。

 彼女が彼に望んだのは自らの命、そして妹達を護っていくことが出来るほどの力を手に入れること。そして妹達が幸せに暮らせる未来だった。

 森の中で結んだ契約通りに彼はアルシェの不幸の全てを変えた……否、壊した。

 貴族のプライドから抜け出せない愚かな両親を“優しく”諭し、彼女の妹達と彼女自身が没落貴族としてでも暮らせるように“紳士的に”金銭面の問題を解決し、アルシェ自身の能力を上げる為に自ら“誠実に”師事している。

 

 アルシェにとってこの十数日は夢と言われても納得してしまうほどの有りえないことの連続であった。

 まず、両親はもうこの帝国の屋敷には居ない。ウルが両親と話してくると言った次の日には、忘れさられていた離れ街の別荘へと両親の引っ越しが決まり、その日の夕方には出立してしまった。

 その際に両親から伝えられたことはこれらだ。

 

 一、借金返済関係の負担や他没落貴族との交流は全て両親が行う。

 一、婚約者等の話が来てもアルシェの了承がなければ顔合わせも行わない。

 一、パーティ等への出席はどうしても断れない相手からの誘いのみアルシェに連絡を行う。

 一、帝国魔法学院への復学、ワーカーの仕事は無理をしない程度に続けてもよい。

 

 アルシェとしては願ったりかなったりな内容であるが、その時の両親がアルシェに向ける怯え切った眼差しは一生忘れられないであろう。

 どんな魔法を使ったのか、と彼に聞くも軽く袖にされるだけである。

 

『豚が薄っぺらいプライド持って着飾ってるばかりじゃ腹は膨れねぇんだよ。それとな、ガキに道を教えることが出来ねぇならそれはもう親じゃねぇ』

 

 その一言は、憎しみが見え隠れする彼の放った言の葉は、アルシェの耳に深く残った。

 同時に、アルシェは彼の本質が悪魔としては外れていることに少し胸をなで下ろした。

 

 それ故、今の彼女の屋敷には両親の世話係以外の執事やメイド達と、妹達と、アルシェと、ウルがいる。

 メイドや執事達を雇う金銭はウルが独自に用意してきている、とのこと。

 どういった経緯で、何をしているのか、等の質問は事前にウルから禁止されている。

 

 曰く、何処の街にも救えない豚は居るモノで、冷たく眠っているだけの金など有効活用しなければ腐るだけだ。

 

 毎日ほど顔を合わせている彼の配下の、影に潜る悪魔――シャドウデーモンがこの国の情報収集と悪徳貴族からの“資金援助”を行っているようだ。

 アルシェとしては他人の金で暮らすことに忌避感はある。盗みなど本当は看過できない。

 ただ、悪徳貴族からの資金関係に関しては、彼のモノクルの奥の瞳に宿る炎があまりにドス黒過ぎて口を出そうと思えなかった。

 

 アルシェは思う。

 脆弱な人間である自分など片手間で殺せてしまう大悪魔が、何故、豚のような小悪党にこれほどの憎しみを持つのか。

 悪魔・ウルが、あまりに人間くさい悪魔に思えて仕方ない。

 

 そういった思考に陥るたびに、彼女はぶんぶんと首を左右に振って自分の思い違いだと言い聞かせる。

 相手は悪魔だ。信じてはならない。いつ、こういったことに飽きて自分達の生活が壊されるか分かったものではないのだから。

 今はまだ、悪魔の思惑通りに動くべき時なのだ。信じられるのは自分だけ。それはいつだって一緒だ。

 どれだけ……その悪魔がアルシェの幸せに貢献してくれていようとも……

 

 閑話休題。

 

 食事はまだ続いている。

 彼の食べ方に作法はない。一応、ナイフとフォークの使い方くらいは分かっているが、貴族社会の食事としては失格なレベル。

 ただ、彼は食事を本当に心の底から楽しんでいた。

 たった一切れのパンでさえ愛おしそうに味わい、スープの一滴さえいつでも残すことはないのだ。

 貴族社会での上品で優雅な食事風景を見てきたアルシェではあれど、これほど楽しそうに食事をする者は見たことがない。

 

「そう睨むな。食事は楽しくするもんだぞ」

 

 フォークの先を向けられての一言。モノクルの奥の目が細められる。

 

「マナーってやつは覚えようと思ってないが、お前が望むなら俺も鍛えよう。何せ、貴族様の礼儀作法ってやつにも慣れていかなきゃ、いつか使うかもしれんしな」

 

 ふふん、と鼻を鳴らしながらゆったりとワインを流し込む。

 

「それで? 小娘。

 今日も随分とノルマに時間が掛かったな? お姉さまと一緒にご飯食べたいって妹君達が泣いてたぜ?」

 

 くつくつと喉を鳴らして楽し気に。彼の黄金の瞳はアルシェに愉悦を映していた。

 嫌味である。こうした嫌がらせでこの悪魔はアルシェの反応を楽しんでいるのだ。

 だから、彼女はグッと唇を噛んで耐える。乗ったら負け。口でも実力でも、彼女は彼に勝てない。

 

「……れべる15、とやらの訓練は終わったわよ」

「まーだ足りない。はー……全然、全っ然ダメだ!」

 

 からかいを無視し報告した。

 しかし盛大にため息を吐かれての一言に彼女の肩がビクリと震える。

 

「その程度で足踏みしてもらっちゃあ困るんだよなぁ?

 プチプチプチプチとスライム潰して何日も何か月も掛けてレベリングしてちゃ間に合わない。

 だから俺が! 俺の部下が! お前が死ぬか生きるかぎりぎりの線を見極めてレベリングに付き合ってるんだ。

 俺が悪魔召還のスキル持ってなきゃお前をどっか魔物が沸くスポットに蹴り飛ばしてやってるとこだぜ。感謝しろよ?」

 

 また、グビリと彼はワインを口に含んだ。

 アルシェには彼が何を言っているか分からない。

 強くなりたい、と彼女が言った時に彼が提案してきた方法は二つであった。

 

 一つは、外に出てモンスターを狩りまくること。

 一つは、彼が召還した悪魔を毎日倒し続けること。

 

 選んだのは後者。

 本来ならアルシェなど足元にも及ばない実力の部下を召還出来る彼が、インプやレッサーデーモンなどの下位悪魔をわざわざ用意してアルシェと戦わせ、育てているのだ。

 死にかければイビルプリーストという悪魔の能力で治療を施され、また戦わされる。

 魔力がなくなれば、タンク用、と呼ばれる悪魔から魔力譲渡を受けて無理やり回復され戦わされる。

 正直、彼女にとってこの訓練は地獄である。

 体力がなくなろうと、大けがをしようと、魔力がなくなろうと、終わりなく敵と戦い続けなければならないのだ。

 不思議なことに、ウルはこの屋敷の地下に数日で訓練場を作ってしまった。

 召還した悪魔に結界をも張らせた特別性。しかもどれだけ壊れても土系統の魔法でもとに戻せるような部屋であった。

 延々と繰り返される悪魔との戦闘は、彼女にとって死にもの狂いのモノだ。

 ワーカーとして相対したのならば一対一では絶対に戦わず、皆との連携で安全に勝利を収めるはず。

 しかしウルから強いられた訓練は、自分より少しだけ魔力の低い悪魔を一対一で殺し続けること。

 初めの内は殺すことに抵抗があったが、知性の持たぬモノを用意してくれているからまだ続けていけてる。

 これが後々、彼が小間使いにしている知性ある悪魔との戦闘を強いられると思うとぞっとする。

 

「くそっ……コンソールがありゃ情報見れるんだがないしなぁ。

 レベリング出来てるかどうかもわからねぇ。此処じゃあパーティでのEXP振り分けだのなんだのってシステムがあるかもわからないから引き上げは出来ないし……ラストアタックだけで試しても実践経験がないとPvPなんざになると後衛のサポにすらならん置物でしかねぇ。

 俺自身の勘を取り戻しつつこの世界での戦闘にも鳴らさなきゃならんってのに……課題が多すぎる」

 

 ぶつぶつと一人の世界に入っていくウルを見ながら、アルシェはきゅっと片腕を握った。

 

(……強くなってるのは……分かる。魔力量も、体力も、魔力消費量も、何もかもが昔よりも数段上がって来てる。

 でも、こいつにはまだまだ、なんだ)

 

 たった数日で自分が強くなったのが分かったというのに、彼女は浮かばれない。

 目の前の悪魔はそんな些細な強さの変化、全く気にも留めていないのだ。

 彼が求めている水準がどの程度なのかは分からない。

 それに……自分がどれだけ強くなれるのかも、成長限界がどこで訪れてしまうのかも……それが彼女には不安だった。

 

「まあ、学院への復学までには間に合わせなきゃな……そうだろ?

 お前が学院に通ってくれなきゃ俺の目的は進まない。契約は守ってもらわないとな?」

 

 またため息を吐いた彼がアルシェに目を向ける。

 

「……うん。普通なら……多分、復学は許してもらえない。でも……」

 

 そこまでで彼は掌を前に出した。

 にやりと笑う山羊の口元。モノクルの中の黄金が楽しそうに揺れる。

 

「クク、しみったれた雑魚ばっかりのこの世界は第三位階が上級だといいやがる。

 しかしこの国の最高の魔法詠唱者は第六位階まで使えるってか。

 それなら……いきなり第四以上を使えるようになった魔法詠唱者、しかも嘗ての弟子が現れたら……そいつの目にはどう映るんだろうなぁ?」

 

 心の底から楽しそうに、彼は嗤っていた。

 

「ああ、あの人が一緒に居たら、もっと楽しくこういうこと考えれるのによ……。

 お前のこれからのランクだって相談できるし一緒に創り上げていけるんだ……。

 だけど、まあ、仕方ない」

 

 残念だ、と肩を竦めながら彼は首を振った。

 

「安心しろよ。成長限界ってのは俺らみたいなやつらのことを言うだけだ。

 お前にはまだまだ無限の可能性が残されてるんだぜ?

 ユグドラシルの醍醐味、キャラメイクをお前はまだ出来るんだ。ま、時間はかかるが……楽しもうぜ?」

 

 そういってまた、クピリと彼はワインを喉に流し込んだ。

 

 




読んでいただきありがとうございます。

まだ表立っては動けないので雌伏のとき
とりあえずアルシェちゃん育成計画。ウルベルトだけのアルシェちゃんを創り上げろ。

次もウルベルトさん回です。
ではまた


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

悪魔の細やかな安らぎ

 

 ギシリ、と椅子が小さな音を立てる。

 小さなランタンの灯りだけが光源として輝く薄暗い部屋の中、ウルベルトは組んだ脚を組み替えて、受け取った羊皮紙に目を向けながら顎に手を当てて思考に潜る。

 

「――以上がここ三日で収集した情報の全てとなります」

 

 目の前に控える黒い影の悪魔は恭しく頭を垂れたまま静かに言葉を切った。

 三日毎に報告を義務付けているシャドウデーモン達のうちの一人を横目で見つめつつも、彼はただ思考に潜る。

 毎日入れ替わり立ち代わり入ってくる情報に、正直ウルベルトは頭がパンクしそうな思いであった。

 いくらこの世界で圧倒的強者であると分かったといえど、彼はリアルの世界では学歴小卒なのだ。膨大な情報を一人で整理し、計算し、記憶していくことなど不可能に等しい。

 幸運なことに、悪魔という種族に変わったおかげか、いくらか思考能力が上がっているのは自覚していたが、それでも情報の多いこと多いこと。

 

(……昼間の時間まで情報の整理に追われて俺自身が全く動けてねぇ。せっかくの“綺麗な世界”を見て回ることすら出来ないってのは……少し寂しいな……)

 

 来る日も来る日もこの世界の常識から国の在り方や歴史、冒険者という職業の情報や城の内部事情までを一つ一つ吟味する作業に、彼の心的疲労も相当なようである。

 

「わかった。下がっていいぞ。引き続きよろしく頼む」

「はっ」

 

 返事をしてすぐに溶けるように消える悪魔を見送って、彼は一つ大きなため息を零す。

 

「まあ、この世界で敵になるようなもんが全然いないってことは、用心深いモモンガさんならしばらくは危険もないだろ。

 俺が焦って動いて万が一同じように転移してきた輩に見つかっちまうのだけは避けたいし、それが原因でアインズ・ウール・ゴウンのメンバー全員の迷惑になるのもごめんだ」

 

 一人ごちる。傍らに置いてあったワインを手に取り一口。

 彼としてはすぐにでも今身を置いている国以外にも手を伸ばしたいのだが、自分という異物と同じようなモノを警戒している為、慎重にならざるを得ない。

 リアルの世界でも最悪の場合を想定して動いてきたのが常な彼としては、今ぐらいのペースが最善と判断している。

 ただ、やはり未知を自分で切り開いていきたいと願う元ユグドラシルプレイヤーとしては、屋敷で情報を整理するだけというのは寂しいモノ。

 

 睡眠さえ必要としない為、つまらなさそうに今日の情報を整理しようと羊皮紙に集中しようとして……小さく部屋の扉がノックされた。

 

「どうぞ」

「……」

 

 キィ……と控えめな音を立てて開けられた扉の先には幼女が二人。

 

「どうした? 寝れないのか?」

 

 掛けた声は優しく、甘い響き。

 妹達とウルベルトが話している場面にいたことのないアルシェが耳にすれば目を見開いて驚きそうな声だが、彼としては小さな子供に普段の横暴な言葉遣いや声音を使うはずもない

 とてとてと彼女達は彼に近づいて行き、きゅっと左右に立ってそれぞれ裾を握って彼を見上げた。

 

「ウル……こわいゆめをね、みたの」

「わたしたちふたりでね、みたの」

 

 うるうるとつぶらな四つの目が彼を見上げてくる。

 ふむ、と彼は一息ついてワイングラスを机に置く。

 この屋敷に来てからというもの、初めは幻覚魔法を使って自分の顔を人間に見せて妹達と接していた。

 しかし今はもう違う。妹達には自分の本当の姿を見せるようにしていたのだった。

 怯えるかとも思ったが、無知というのは恐ろしいもので、彼だと分かれば彼女達もそれでいいらしい。

 親と離されてしまったことも原因の一つではあろうが、彼女達は必要以上に愛情に飢えており、抱き着かれたりするのはしょっちゅうであった為、顔のカタチがばれてしまう幻覚魔法では無理なのだ。

 兄妹のいない彼としても、こうして小さな子供から甘えられるのは新鮮で、そして彼自身も家族というモノに飢えていたのは確かだ。

 きっとまだ、彼は人間の心を残しているのだろう。歳の離れた妹が出来たような嬉しさから、彼はその二人には甘く接してしまっている。

 

 この小さな生き物達には、彼の悪魔の本質は向かわない。

 悲鳴を聞きたいと思わず、苦悶に歪めたいとも思えない。壊してしまうのは簡単だろうとは分かるが、まるで繊細なガラス細工のように彼女達を優しく扱うのだ。

 

「ほう……どんな夢をみたんだ?」

 

 少しだけ椅子を引き、彼女達の手を片方ずつ両手で持って、金色の目で二人を覗き込む。

 まだ涙の溜まっている二人の目は少しだけ安心の色を映して彼を見続けた。

 

「お姉さまがね、あぶないの」

「お姉さまがお友達とぼうけんしてるときにね、みんなつかまっちゃうの」

 

 ぎゅっと唇を引き結んで泣きそうなのを堪えている二人の頭を彼は優しく撫でた。

 

「捕まるのか」

「うん。それでおんなのひとが……っひっく……ぐちゃってなって……」

「ばーん!っておとこのひとが……うぅ……ばくはつしちゃって、こわかったの」

 

 彼は真剣に二人の話に耳を傾ける。

 

「それで? お前達のお姉さまはどうなった?」

「お姉さまは……逃げてって言われて……飛んで逃げたの」

「でもねでもね! ふりふりのドレスを着たお姉ちゃんが追いかけていってね、捕まっちゃうの!」

 

 まるで現実でその状況を見てきたような二人の発言に彼は首を捻る。

 

(……こいつらって小娘のワーカー仲間になんざ会ったことねぇはずだよな?)

 

 違和感。異質さが彼の思考に引っかかりを与える。

 

(そういやこの世界にはタレントってやつがあるらしいが……もしかしてこいつら……)

 

 うるうると見つめて来る目は何を訴えたいのか彼には分からない。もし、予想が当たっているのならば調べる必要が出てくる。

 しかしそれを確かめることを……彼は拒絶した。

 

 ふわりと、彼は椅子から下りて二人を抱きしめた。

 

「ばかだなぁ。そんなことは起こらないし、起こさせねぇよ。

 お前達のお姉さまには、このウルがついてるんだぞ」

 

 安心させるような優しい声音で、彼女達の背中をゆっくりとさする。

 

「人々が恐れる世界の大災厄、ウルがお前らの怖い夢を食ってやるよ」

 

 ポゥ、と彼の身体が僅かに光る。

 無詠唱で唱えた魔法。威力を抑えたマジックアローが部屋中にふよふよと浮き始める。

 小さな子供達は暗がりを照らし始めたその煌めきの群れを見て目を輝かせた。

 そのまま、その小さな光達は天井まで登っていき、満点の星空のように彩りを与えた。

 

 ストン、と彼は腰を床に下ろす。

 少女達は嬉しそうに彼の膝の上の座り込んだ。

 

「ほら、俺は夜空だって作れるんだぜ? 夜空を作れるような奴が誰かに負けると思うか?」

 

 楽しげに弾む声を聴いて、少女達はぶんぶんと首を横に振った。

 

「お前達の夢の中に俺は出てやれたらなぁ。夢の中のお姉さまを助けてやれたんだが……すまんな」

 

 苦笑しながらおどけていう彼に、少女達はまたしても首をぶんぶんと振った。

 

「「う、ウルのせいじゃない!」」

 

 声を合わせて否定を紡ぐ彼女達は、慰めるようにウルベルトの頬に二人で手を添える。

 

「クク、ありがとう。まあ、なんだ……夢の中にはさすがに入れはしないが、俺がついてる限り大丈夫さ」

 

 二人を交互に見ての言の葉は、少女達の胸にするりと届く。

 子供は他者の心の機微に聡い。例えそれが悪魔であろうと、自信と力強さを含むその声に彼女達は嬉しそうに頷いた。

 

「「うん!」」

 

 声に元気が戻った少女達を見て、彼は山羊頭でニッと笑う。

 

「だろう? お前らのお姉さまをいじめるこわーい奴らなんて、ぜんぶまとめてやっつけてやるさ。だから安心してろ」

 

 ぎゅうと彼の胸に抱かれ、少女達はその頬を愛らしく緩めた。

 

「さあ、もう夜も遅い。自分の部屋に戻りな」

「……ねむくない」

「ウルと一緒にねるー」

 

 抱き着く小さな腕に力が籠る。まだ離れたくないとごねる彼女達を無理やり引きはがすことも出来はするが、しない。

 仕方ないな、というように小さく吐息を落とした彼は、彼女達の背中に回した手から指を離し、魔法を紡ぐ。

 再び淡く光る彼に期待の眼差しを向ける少女二人。今度は何を見せてくれるのか、きっとすごいものなのだろうとわくわくが止まらない。

 

 ウルベルト・アレイン・オードルは魔法詠唱者だ。ギルドでも一番だと彼自身も自負するほどの。

 しかしながらそれはこと戦闘において、という場合に限る。

 これがモモンガならば、きっと厳選に厳選を重ねて覚えた数多の魔法の中から少女達を楽しませる最高のショーを繰り広げることが出来るだろう。

 対してウルベルトはそういった楽しみ方をあまりしてこなかったプレイヤーで、発想力等は同じ小卒であってもモモンガには届かない。

 ただ一つ誇れることがあるとすれば、彼はギルドでもモモンガよりも遥かにロールプレイに拘っていた人物でもあるということ。

 悪、というモノに誰よりも拘ったウルベルトは、一番得意なことは戦闘であっても、悪魔としての自分を作ることにも手を抜かなかった。

 

 彼が紡いだ魔法は一つ。しかしそれは直接目に見えるような効果が表れる魔法ではなかった。

 

「「……?」」

「よっと」

 

 何も起こらない様子に首を傾げる少女達を抱き上げた。悪戯っぽく笑った彼はドアの方……ではなく、壁の方へと歩き出す。

 ゆったりと歩く彼の腕に抱かれたまま、目の前にどんどん迫る壁に彼女達は目を見開く。

 驚きから声すらだせない、何をしているのかと聞くことすら彼女達には出来なかった。

 

 そうして、ぶつかる……と目をぎゅっと瞑った。

 瞬間、するりと彼と彼女達の身体が壁をすり抜けた。

 

 悪魔であれば壁くらい抜けるだろう。そんなことから覚えただけの魔法である。

 人間に見せる幻覚魔法もそう。彼は悪魔ならきっと出来るということに手を抜かない。

 

 目を開けると寝室に居た少女達は、まるで瞬間移動したかのように感じているであろう。

 幸いなことに彼女達の寝室が彼の部屋の隣にあっただけであるのだが。

 

「ほぇ……」

「はぅ……」

「ほら、ベッドに行くんだ」

 

 ふわりと、彼女達の身体が宙に浮く。優しく魔法で彼女達の身体を浮かせた彼は、ベッドに静かに下ろして布団だけは自分で掛けていった。

 二つのベッドの間にある椅子に腰を下ろし、ランタンに火を灯す。そして自身のアイテムボックスの中から一つの本を取り出した。

 

「此処にいてやるから。そうすりゃ怖い夢なんて追い払ってやれる。そうだろ?」

 

 そんなことを言いながら本に目を落とす彼は、彼女達の方をもう見ようとはしない。

 

「……うん」

「……ありがと」

 

 それでも彼のやさしさが伝わったのか、彼女達はふにゃりと笑った。

 

 静かな夜の一時。

 まだ彼が動くには早い。

 モモンガを探しに行きたいと焦る気持ちは確かにあるが、家族の愛情に飢えた自身の心を満たしてくれるこの場所に、ウルベルトはもう少し浸っていてもいいだろうと一人心の中でごちた。




読んでいただきありがとうございます。

幕間、のようなモノ。
悪魔にまだ残っている人間性のお話。


目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。