紫色の酒宴 (dokkakuhei)
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紫色の酒宴

デミウルゴスとコキュートスが好きすぎて書いた。後悔はない。






 地下深くの一室。酔いの香りが漂うこの部屋のインテリアはシンプルで格式高い黒壇のカウンターと、それに見合ったこれまた黒壇の椅子。そして手元が見える程度に光が絞られた照明。

 

 ここは異形達の桃源郷(シャングリラ)、ナザリック地下大墳墓の中にあるバー。趣を楽しむ大人の空間である。

 

 席についているのは臙脂色のスーツに身を包み、髪を後ろにかき上げた形で整えた悪魔。そして(いかめ)しい錆御納戸色の外皮に覆われた、冬を纏う甲虫。

 

 異形の二匹は隣の席に座りながらも、もうずっと黙して酒を煽っている。外見の全く違う二匹だが、不思議とこの空間の雰囲気にピタリと当てはまり、絵になっている。

 

「…突然の誘いに応じてくれてありがとう。嬉しいよ、誰かと飲みたい気分だったからね。」

 

 静寂を破ったのは悪魔の方、甲虫もそれに答える。

 

「イヤ、気ニスルコトハナイ。オ前ガ誘ワナケレバ私ガ誘ッテイタ。誰カト飲ミタイ気分ダッタカラナ。」

 

「ふふふ。」

 

「ハハハ。」

 

 二匹は気の置けない友人同士の様だ。声からの親しみの感情が手に取るようにわかる。

 

 

 

「タダ、コノママ時ヲ過ゴスノモ悪クナイガ、ソロソロ話ヲ聴カセテモイイ頃合ジャナイカ?」

 

 甲虫は自らの得物の様に真直ぐな問い掛けをする。

 

「そうだね。…実は君に相談があるんだ。」

 

 悪魔は視線を火の吹くような強い酒の入ったグラスに固定したまま言った。その後、じっと口を噤んだ。何か言い難いことでもあるのだろうか。甲虫はチラリと相手を伺うが話の先を促したりはしない。相手が口を開くまでずっと待つつもりだ。

 

 悪魔の迷いは長い。幾ら親しい友人でも躊躇われる話らしい。だが、相手の懐の深い態度に再度口を開く。

 

「パンドラズ・アクターのことさ。」

 

 パンドラズ・アクター。ナザリックを支える最高知能の一角で、同時に宝物殿の番人。定まった形を持たないドッペルゲンガー。そして、我らが仕えるべき主人に直接創造された存在。

 

 甲虫は、悪魔の言わんとすることを察した。羨ましいのだ。その境遇が。彼はシモベの中で唯一の、本当に幸運の存在だ。シモベ達は主人に仕えられることこそが最高の喜びである。しかし直接の創造主を身近に感じられることも何物にも代えがたい喜びだ。

 

「この数年はアインズ様に仕えられることが本当に最上級の喜びであると思って日々生きてきた。だが彼の存在を知ってから、もしこの場にウルベルト様がいて下さったらと思うことはなかったと言えば嘘になる。」

 

「…。」

 

 この発言はややもすると主人に対する忠誠心の欠落とも思われかねない。守護者統括殿がいれば激しく叱責を受けただろう。しかし、甲虫は悪魔の言葉に深く耳を傾け、静かに聴いている。

 

 この葛藤はナザリックにいるものなら大なり小なり抱える悩みの1つだ。皆そこから意識的に目を逸らしてきた。それがパンドラズ・アクターの出現で現実を突きつけられてしまったのだ。今迄は皆同じ境遇であったから耐えられた。しかし、はっきりと格差を叩きつけられてしまったのだ

 

 だからと言ってパンドラズ・アクターに妬み嫉みを向けるナザリックのメンバーでは無い。この不幸は自分自身に向けられるのだ。お前が余りにも惨めで矮小だから、創造主はお前を見捨ててしまったのだと。

 

 特に1人でいる時は自己嫌悪が忽ちその影を伸ばして心を鷲掴みにする。だから異形達はこの様に身を寄せ合い互いを慰める。どうにもならない憤懣を酒で洗い流し、気の合う仲間で励まし合うのだ。

 

我が神(エリ・)我が神(エリ・)なぜ私をお見捨てになったのか(ラマ・サバクタニ)…か。」

 

 悪魔が言うには皮肉の効きすぎる言葉だ。

 

 

 

「ナア、デミウルゴス。」

 

 じっと黙って話を聞いていた甲虫が口を開く。

 

「オ前ノ創造主ハ、イツモオ前ヲ褒メテイタナ。」

 

 その言葉に悪魔はハッとして相手を見る。突然何を言い出すのかと愬える悪魔の凝視も気にせず甲虫は言葉を繋げる。

 

「マサニ自分ノ理想(イデア)ヲ詰メ込ンダ存在ダト。」

 

 悪魔は相手のしたい事に気がついた。なんてことは無い、この親友は自分を励まそうとしてくれているのだ。とても不器用な彼なりに。悪魔は相手の優しさに目頭が熱くなった。

 

「君の方こそ、創造主が一番大事にしていた武器を持たされたじゃないか。」

 

 悪魔が反撃(返礼)をする。2人は顔を見合わせた。

 

 

 

「ふふふ。」

 

「ハハハ。」

 

 

 

 ああ、そうだった。思い出した。自分達は捨てられたのではない、今の至高の主人に託されたのだ。我が創造主は一度たりとも自分を蔑ろにしたことなどなかった。いつも誇りに思ってくれていた。少しばかり会えないぐらいで打ち拉がれている場合ではない。其れこそ失望を買いかねないのだ。

 

 悩んでいる暇があれば今の主人の為に務めを果たすのが一番いい。

 

 

「じゃあ。」

 

「ソウダナ。」

 

「「2人の主人に乾杯(フタリノシュジンニカンパイ)。」」

 

 

 

 

 紫色の酒宴は始まったばかりだ。

 

 

 

 

 



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深緑色の茶会

 ミニチュア人工太陽の光が辺りを明るく照らす。機械的に調整された草花の匂いが鼻腔をくすぐる。風になびく葉のさらさらとした環境音、そしてプロジェクションマッピングによって投影された風景が時間を追うごとに四季折々の様相を見せる。

 

 ここはナザリック地下大墳墓第9階層に設けられたリラクゼーション施設の一つ、日和見のテラスだ。

 

 この十八畳間の空間は29台のプロジェクターによって、かつて地球上にあった人の手の入っていないありのままの自然を、時間、時季、気候を問わず完璧に再現することができる。

 

 その中にはどんな景色にも溶け込むよう、飾らない意匠の一本脚の机があり、それと同じデザインの椅子が二脚、向かい合わせに置かれている。どれも白塗りの木製である。

 

 今ここに2人の訪問者がいる。細部に違いがあるものの同じコンセプトであろうメイド衣装を着た女達。片方は艶めく長い黒髪をポニーテールにしていて、もう片方は燦めく金髪を左右の肩口で螺旋状に巻いている。プレアデスのナーベラル・ガンマとソリュシャン・イプシロンだ。

 

「久し振りね、2人揃っての休日は。みんなと一緒のお茶会は定期的にしているけれど。」

 

 ソリュシャンが率先して会話を投げかける。ナーベラルはそれに、ええ、とか、そうね、と軽く相槌を打ちながらしずしずとついてくる形になっている。浮かない顔をして、何か悩みがあるようだ。

 

 2人が部屋に入ると日が少し傾き、空が淡く橙色に変化して、澄んだ空気の匂いとどこからともなく金木犀(キンモクセイ)の香りが漂った。

 

 この施設を製作した者は匂いを感じることのできる環境には居なかったはずなのだが、それでもきっちり匂いのプログラムが組まれていて、視覚情報に合致したそれが適正に機能している。製作者の並々ならぬこだわりなのだろう。

 

「まあ、取りあえず座りましょう。」

 

 そう言いながら、ソリュシャンが壁に埋め込まれているコンソール ──景観を壊さないよう目立たないように設置してある──を操作した。

 

 慣れた手つきでキーパッドを2、3回押す。すると、猿や兎といった動物たちが紅茶とお菓子とを持ってきてくれて、机に置いた後、こくりと一礼し、出てきた草陰に帰って行った。本当は全て機械のマニプレータが行なっているのだが映像処理上そうなっている。

 

「このスノーボールクッキー、美味しいわよ。あなたもどう?」

 

 席に着いたソリュシャンがお菓子の一つを親指と人差し指で摘んで口に放り込む。そして粉砂糖で白くなった指をフレンチキスの仕草で綺麗にした。男が見たら、いや例え女が見ても見惚れてしまうほど完璧に訓練された動きだった。彼女はそれを生来のものとして獲得していた。

 

 同じく席に着いたナーベラルは視線をお菓子の方へ移すが、それを口にすることはせず、どこか物憂げな表情を浮かべている。美人というのはどのような表情をしていても絵になるもので、街中でこんな姿を見かけたら誰もが思わず声をかけてしまいそうになるだろう。

 

 ただ、ナザリック以外の者で、彼女を知っている人間であれば話しかけた後にどのような災難が待ち受けているかを想像して安易な事を慎むに違いない。

 

 外の世界でナーベラルは冒険者ナーベとして墳墓の主と行動を共にしているのだが、ナザリックの者はナザリック外の全てを下に見る傾向が強い。例に漏れずナーベラルもその1人で、人間に対するナーベラルの言動は無慈悲かつ凄惨としか言いようのないものであった。

 

 そうした言動がある度にアインズに叱責されるのだが、彼女はどうも感情を取り繕うのが苦手なようで、人間相手に適当な言葉を探したり、無視したり、器用に立ち回れないのだ。

 

 それこそナーベラルが思い悩んでいる原因だった。

 

「それで、私に相談事ってなあに?」

 

 ソリュシャンは黙りこくってしまったナーベラルに気を使って、優しい口調で目線を合わせながら話しかける。

 

「…私は外でアインズ様のお供をしているでしょう?」

 

 ソリュシャンはうんうんと頷く。そんなことは確認するまでもなく周知の事実だ。アインズの側に一番長くいるナーベラルはナザリック一の果報者として他のシモベ達から羨望の眼差しを向けられている。

 

「アインズ様からは人前では人間を蔑視する言動は控えろとご命令されたのだけれど、どうしても演技が出来ないの。魔導国が出来てからはそういう機会は減ったけど…。」

 

 ソリュシャンは内心、ああ、あれはわざとやってたわけじゃないんだ、と姉に対し少し失礼な事を思った。表情に漏れたが、幸いナーベラルは気づいていないようだった。

 

「アインズ様はお優しいから言葉にこそ出さなかったけれども、内心落胆なさっていたはずだわ。」

 

 同じミスを注意される自分が心底情けなくて、と悲痛な顔を見せるナーベラル。黒真珠のような美しい目が潤んで、雫が溢れ出しそうになっている。ソリュシャンは慌てて話を進めた。

 

「それで同じように人間社会で任務をしていた私に相談してるって訳ね。」

 

 こくこくと首を上下に動かすナーベラル。割と切羽詰まった表情をしている。このなんでも器用にこなす妹に何かコツを伝授してもらえないだろうか。今後、ナーベとしてかどうかに関わらず、同じことが要求される場面が来るかもしれない。アドバイスが欲しいのだ。

 

「そうねえ。」

 

 ソリュシャンは顎に人差し指を当ててうーん、と唸る。

 

 2人が話している間に空には夜の帳が下りていた。人工太陽の(みち)は閉ざされたが、机がツキヨタケめいてぼんやりと薄緑の光を放ったため視界は確保されたままだ。そこかしこで月下香(チューベローズ)が妖しく首をもたげた。

 

「あなた、もし人間に道を尋ねられたらどう答える?」

 

「黙れ下等生物(マイマイカブリ)。地獄に案内されたいの?」

 

 ナーベラルは即答した。

 

「もし人間があなたの落し物を拾ってくれたら?」

 

「今すぐ私の持ち物から汚い手を離せ下等生物(コメツキムシ)。地面に落ちていた方が100倍マシよ。」

 

 ナーベラルはまたしても即答した。

 

「もし人間が…。」

 

下等生物(ヒトスジシマカ)。」

 

 ソリュシャンは深い深い溜息を吐いた。処置無しである。逆によくもまあそんなすらすらと罵詈雑言が出てくるものだ。無視するより難しくないか、それ。

 

「御免なさい。場面(シチュエーション)を想像するとどうしても出ちゃうの。」

 

 ソリュシャンは大袈裟に足を組み直しながら左手で天を仰いだ。そしてとびきりの低い声で姉に対し苦言を呈す。

 

「私の質問の趣旨が理解出来てないの? ほんとポンコツね。」

 

「なっ、うぐっ。」

 

 ナーベラルは言葉をぐっと飲み込む。ソリュシャンの言っていることは事実なのだ。それに対して子供のような癇癪を起こしていては、人間に対して感情的な言葉を口にしてしまった時から全く成長出来ていないことを吐露するばかりか、アドバイスを受ける機会も逸してしまう。

 

「それよ、それ。」

 

「何が?」

 

 うなだれた姿勢から顔だけ上げて、意味がわからないという風に片眉を上げるナーベラル。

 

「今、感情を理性で押し込めたでしょう?人間相手でもそれをすれば良いじゃない。」

 

 ナーベラルは困った顔をして、言葉を濁しながら反駁する。

 

「今のは…、相手があなただからよ。」

 

「あなたは自分の意識や感情を他者との立ち位置でしか決定できないの?」

 

「はあ?批難するならわかりやすく言ってもらえる?」

 

 ナーベラルは少しだけ語気を荒くする。確かにこちらは相談に乗って貰っている側だけれども、そんな禅問答みたいな言い草ってないんじゃないの。

 

 地平線から照明が放たれ、風景を黄金色で染めていく。夜の天体が空から逃げ出し、鳥達が朝の到来を謳歌する。ナーベラルの後ろで一房の蘭蕉(ランショウ)が芽吹いた。

 

「あなた、アインズ様の前では畏れ多いと思いながらも冒険者ナーベをやれたでしょ? それはあなたが理性で感情を押し込めて真の忠義がどういうことか考えた結果じゃない?」

 

「あれはアインズ様の命令があればこそ…。」

 

「あら、人間と仲良くするのもアインズ様の命令でなくて?」

 

「…。」

 

 言葉に窮するナーベラル。しばらく沈黙が続く。ソリュシャンはこれ以上無理に質問を重ねず、相手の言葉を待つ。

 

「…やっぱり私に演技はできないわ。」

 

「どうして?」

 

「ドッペルゲンガーなのにこの姿にしかなれないんですもの。もちろんそうあれかしと、私を創造してくださったあの方にはこれっぽちの不満もないわ。ただ…。」

 

 いつの間にか人工太陽が再び照りつけて、雲ひとつない突き抜けるような青空を作った。風になびく葡萄風信子(ムスカリ)が自分の名前を誇るように空気に匂いを付けていく。

 

「あなたの抱えるコンプレックスがネガティヴな発想を生み出しているのね。それとこれとは一切関係ないわ。断言できる。第一、姿を変えられなくても演技が上手い人はいるでしょう?」

 

「それは…、そうだけど。」

 

 ソリュシャンは強い励ましの言葉を使う。それでもナーベラルの殻を破ることは出来ないようだ。ナーベラルの中で技術的な部分とは別に思い悩む原因があるのだとソリュシャンは思った。おそらく、人間の存在自体が生理的に受け付けないのだろう。

 

 演技の上手い下手というより、対象が人間であるから起こっている問題なのだ。ソリュシャンは相手の意を汲んで話の方向性を変えてみる。

 

「でもそうね、私は人間を"愚か"だとは思うけど、あなたの"嫌い"とは違うかもね。それは何か根幹部分で違うもの、アイデンティティー…いや、むしろ主観的体験といった方が正しいかしら。」

 

 ソリュシャンは腕を組み、視線を落として考える。

 

「さっきの言葉と矛盾するようだけど、別にすぐに出来ないなら出来ないで良いんじゃない? もちろん、努力をすることは大事だけど。」

 

「いや、でも、出来ないことを自分の個性のせいにしたくない。」

 

 自分を変えたい一心が空回りして、なかなか思考が前に進まないナーベラル。ソリュシャンは最後の一押しをする。

 

「そんなあなたをアインズ様はお見捨てにならなかったでしょう? それはアインズ様がお優しいのと同時に、あなたの頑張りをアインズ様が認めて下さっているからよ。」

 

「……。」

 

 そうだ、主は我々の全てを認め、許容し、ナザリックに君臨して下さる。それに甘んじて怠けることは決して許されないが、もう少し盲目的に生きてもいいのかもしれない。

 

 導く主がいることはなんと幸せなのだろう。2人の足元では霞草(カスミソウ)がにわかに花をつけた。

 

「やっぱりあなたに相談にのってもらって正解だったわ。」

 

 ナーベラルは憑き物が落ちたようにぱあっと明るい顔になって、今までの遅れを取り戻そうと机の上のクッキーをぱくぱく食べ始めた。我が姉ながら、なんとも可愛らしい。

 

 2人はしばらく紅茶の味を愉しんだ。そして思い出したようにナーベラルが口を開く。

 

「ついでにこの悩みも聞いてもらおうかしら。」

 

「なあに?」

 

「アルベド様のことなんだけど。」

 

「…その話は聞きたくないわね。私を巻き込まないでちょうだい。」

 

 紅茶を啜るソリュシャンの後ろには石楠花(シャクナゲ)が咲き誇っていた。

 

 



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白練座敷

 ナザリック地下大墳墓の9階層。そこにはひっそりと構えられたバーがある。常連は数えるほどしかおらず、店内はいつも静かだ。日々の喧騒に疲れた者達が逃げ込む隠れ家的な雰囲気を醸し出している。

 

 古今東西の酒がずらりと並ぶ棚が聳えるそのカウンターの中にはフォーマルスーツに身を包んだ人影が立っていた。ただし、人影といっても明らかに人ではなく、膨らんだ白い頭部に、血のような赤い斑点をいくつも付けた、ちょうどキノコの仲間のHydnellum_peckii(ヒドネルム・パッキー)を巨大化させた様な生き物だ。

 

 彼はナザリックの副料理長であり、ここは副料理長──彼と仲の良いものは彼の外見に因んでピッキーとあだ名する──が半分趣味で経営しているバーなのだ。

 

 このこぢんまりしたショットバー形式の店内では自分の世界に没入出来るよう、手元だけに搾られた照明が、8つしかない客席を静かに照らしている。

 

 すっかり夜が更けって丑三つ時も過ぎた頃、店の奥から2番目の席で女性が一人ラスティ・ネイルを飲んでいた。

 

 彼女もまた人ではない。有角有翼の異形、ナザリック地下大墳墓において各階層守護者を統括する、シモベ達の頂点。アルベドである。

 

 彼女はごくたまに閉店間近の誰もいない時間帯を見計いやって来ては、二杯のカクテルを飲んで帰っていく。注文の時以外にはあまり言葉を発しない。

 

 ピッキーは心情的にバーはダンディな男が利用するものだと常日頃から考えており、女性の来店はあまり歓迎したものではないと思っているのだが、アルベドに関しては特別忌避感を抱いてはいない。むしろ好意的な感情を持っていた。

 

 ピッキーはラックに並ぶグラスをせっせと磨きながらアルベドが酒を飲む姿をぼんやり眺めている。

 

(酒と美女。これは絵になるな。)

 

 アルベド嬢はナザリックでも指折りの美女である。ナザリックの美女には様々な種類があるが、アルベド嬢に関しては長く美しい髪や成熟した体型、落ち着いた佇まい、(かかあ)的な役職を見ても、とりわけ男性が思う女性の理想を突き詰めた姿を体現しているといっても過言ではないと思う。

 

 長く美しい黒髪といえば、アルベド嬢の他にもナーベラル嬢が思い浮かぶが、両者の備える性質は少し違う。ナーベラル嬢の髪が健康的な濡羽色とするなら、アルベド嬢の髪は檳榔子黒(びんろうじぐろ)。艶やかさと気品を備えている。

 

 そう言えばアインズ様はナザリックにいるときはアルベド嬢を侍らせ、外に出るときはナーベラル嬢を侍らせているが、もしかすると主は長い黒髪の女性が好みなのかもしれない。

 

 そんな事を考えているとアルベドと目があった。

 

「おかわりいいかしら。」

 

 アルベドの手元を見ると既にグラスが空になっていた。彼女は次を急かすようにグラスに入った丸い氷をカラカラと鳴らしている。

 

 ピッキーはしまった、と心の中で舌打ちする。物思いにふけっていて客のペースを見誤った。本来ならこちらから"お次は何にいたしましょう"と声をかけねばならなかったのに、とんだ失態だ。

 

「かしこまりました。」

 

 しかしそんな悔恨はおくびにも出さず、ピッキーは慣れた手つきで注文の酒を混ぜ合わせる。そして、今日の二杯目をアルベドに差し出した。

 

 ピッキーは横目でアルベドを見る。彼女は背筋をしゃんと伸ばし、カクテルを口に運んでいる。ラスティ・ネイルは甘い酒だが、度数はそれなりに高めだ。それを顔色一つ変えず早いペースで呷る姿は大人の色香を漂わせている。

 

(これぞ淑女といった佇まいだ。)

 

 いつだったか、シャルティア嬢が大ジョッキを片手に呑んだくれのように管を巻いていたのとは大違いだ。あれで酔っていないのだからよほどタチが悪い。

 

 ピッキーは昔あった苦い経験を思い出しつつ、内ポケットの懐中時計をチラリと覗くと、店じまいに取りかかる。そこにアルベドから再度声がかかった。

 

「注文良いかしら。」

 

 おや、三杯目とは珍しい。

 

「何にいたしましょう。」

 

「そうねえ。私にぴったりのカクテルを頂戴。」

 

 謎かけじみた、少々クサイ注文に少し面喰らうが、ピッキーはアルベドの表情を見て彼女の意図を理解した。これはバーテンダーに対する挑戦状だ。ピッキーは先程の失態を取り返すチャンスだと内心奮励して(躍起になって)カクテルをシェイクする。

 

「ホワイト・レディです。」

 

 アルベドは出されたグラスを愛おしそうに僅かに傾けて、中の液体がゆらゆらと揺れる様子を楽しんだ後にそれを口にした。

 

「流石ね。」

 

 どうやら課題はクリアしたようだ。直球勝負で正解だった。

 

「貴方の出すカクテルは最高だわ。何度も飲んだ味なのに、まるで初恋みたいに新鮮な気分になる。」

 

「お褒めに預かり光栄です。」

 

 ピッキーはちらりとアルベドを見た。ここまで喋るアルベドは本当に珍しい。三杯目も偶然ではないだろう。勘を働かせ、アルベドが考えている事を読み取ろうとする。

 

 いつもと違う行動をするのは他人の気を引きたいからだろうか。それともただの気まぐれか。

 

 アルベドは先の二杯とは打って変わって酒を飲むペースを緩め、半透明の液面をじっと見つめている。その姿はピッキーの言葉を待っているようだった。ピッキーは意を決して言葉をかける。

 

「何か悩み事でもあるのですか?」

 

 そう尋ねるとアルベドは困ったように、にこりと笑って小さく頷いた。

 

「悩みと言うか、望み、かしら。」

 

 アルベドは少し言いづらそうに言葉を続ける。

 

「ここでアインズ様と御一緒に食事がしたい。いや、食事といわず、お酒を嗜む程度でいいのよ。そして貴方の出すお酒ならきっと最高の時間を過ごすことができると思う。」

 

「身に余る評価でございます。」

 

「でも、叶わないわ。」

 

 アルベドはため息をつき、残りの酒を一気に飲み干す。

 

「アインズ様は消化器官がございませんので、物を食べられたり、飲まれたりすることか出来ないし、そもそも必要ない。だから、共に喫食することは出来ないということですか。」

 

「ええ。」

 

 アルベドはあまり抑揚のない声で返事をした。

 

「思い人と同じ事をする。これがどれだけ素敵なことか、貴方には分かるでしょう?最高の人と、最高の場所で、最高のものを味わう。そんな光景を夢見ているの。」

 

 アルベドは寂しそうな表情でショートカクテルグラスの底を見下ろしている。逆円錐形を通して見える歪んだ眺めに、実現しない夢の景色を見出して遠く想いを馳せているのか。

 

「守護者統括殿は案外ロマンチストなのですね。」

 

「ふふ、本当はいとしの人と二股のストローを使って同じグラスを飲みたいと思ったりするの。子供っぽいかしら。」

 

「いえ、とても魅力的ですよ。応援したいと思う程には。」

 

「ありがとう。」

 

 アルベドはいつもの薄い笑みを浮かべてピッキーに礼を告げた。 先の困ったようなはにかみは鳴りを潜めている。

 

「話に付き合わせて悪かったわね。今日はこの辺りにしておくわ。」

 

 アルベドはカウンターに指をつき、席を立とうとした。

 

「お待ち下さい。私の夢の話も聞いて行って下さいますか?」

 

 引き止められるとは思っていなかったアルベドは目を丸くして、ピッキーを見た。ピッキーは何か言いたげなアルベドを手で制して、構わず喋り出す。

 

「私は前々からアインズ様に何か娯楽を提供したいと考えておりました。ですが難儀しておりましてね。ほら、私の取り柄はこれしかありませんから。」

 

 そう言って彼は何も入っていないシェイカーを胸の前で二往復ばかりさせる。

 

 ピッキーは至高の御方に食事をもてなすために生み出された。しかし唯一残った主は料理や嗜好品の類を一切口にしない。()()()()になってしまうからだ。

 

 それゆえ、彼は自分の有用性の証明をするべく日々頭を悩ませていた。

 

「私も料理人の端くれ、何とか食の喜びを味わって頂く方法はないかと思案しておりました。するとあることに気がつきました。アインズ様は消化器官をお持ちでないから食事をなされない。しかし、それは生物由来の受容器がないというだけの話で、味覚や嗅覚はあるはずなんです。」

 

 アルベドは考える。ナザリックが丘陵地帯に転移して、アインズ様が自分の腕を初めて握ってくださったあの夜、あの方は私の匂いを嗅ぎ、手首の脈を計った。つまり嗅覚や触覚が何らかの形であるということ。骨の体であればそれらは普通無いのが道理。逆に言えばそれらがあるという事は味蕾(みらい)が無くても味覚が存在していておかしくはない。アインズ様独自の感覚が。

 

「そこで思いつきました。これです。」

 

 ピッキーはシェイカーをわざとらしくカウンターにカツンと鳴らして置いてから、下の棚にあった一つの器具を取り出す。

 

「これは…!」

 

 アルベドはピッキーが持つそれを見て息をのむ。

 

「2人で夢を叶えませんか?」

 

 

 ーーー

 

 

 ナザリックの副料理長が経営するバー。黒を基調とする格式高い調度品(インテリア)で構成された細長いフロア。シンプルな空間に副料理長のサイケデリックな見た目がいいアクセントになっている。日が没し、夕餉の時刻も過ぎた頃、至高の41人を統べる御方とナザリックのシモベ達を統括する方の来店がある。

 

「アインズ様、今日は私のお誘いに応じて頂きありがとうございます。」

 

「ああ。構わないとも。」

 

 二人は仲睦まじく連れ添って歩く。アルベドはかいがいしく自分の腕をアインズのそれと絡め、アインズはそれを容赦している。

 

「いらっしゃいませ。」

 

 副料理長が最大限の敬意を込めて礼をした。客に対してするには大仰な45度の礼。頭を垂れた姿勢は一寸の乱れもなく、時が止まったかのような錯覚(クロノスタシス)を覚えるほどに訓練された所作だった。

 

「お招きにあずかり参上した。わざわざ招待状までもらえるとはな。」

 

 アインズは意匠を凝らした封筒を取り出す。副料理長からアインズあてに届いたものだ。副料理長とアルベドの連名のバーへお誘いの手紙。

 

「雰囲気作りの一環でございます。それと足もと暗いのでお気をつけてお進み下さい。」

 

 副料理長は深々と下げた頭を戻しながら答えた。茸生物(マイコニド)ゆえ表情はわからないが、きっと晴れがましそうな顔をしているのだろう。至高の御方を迎えるのはシモベにとってこれ以上とない名誉な事である。

 

 アインズ達は副料理長の前に陣取って席に着いた。8つ横に並んだ席の中央2つに、アインズが店の入り口から見て奥側、アルベドが手前側に座る。椅子がひとりでに高さを変えて、肘がちょうどカウンターに置ける場所に落ち着いた。

 

「なんて呼んだらいいのかな。副料理長か、それともバーテンダーやマスターの方がいいか。」

 

「お好きなように。希望を言えば副料理長の方が嬉しいですね。至高の御方に定められた役職でありますので。」

 

「そうか。では副料理長、何か私に振舞ってくれるそうじゃないか。想像もつかないが、さっそくお願いできるかな?」

 

「かしこまりました。」

 

 副料理長は待ってましたと言わんばかりにカウンター下の棚から大きさ70センチぐらいの、丸フラスコを縦に引き伸ばしたような形の器具を持ち出してアインズの目の前に置いた。

 

 かなりの大きさでカウンターに置けばアインズの座高を超える。重量も大きさに見合った程度はあるらしく、置く時にごとりと音を立てた。中は空洞のようだが容器の半分ぐらいまで液体が入れられているらしかった。

 

「これは?」

 

水タバコ(シーシャ)でございます。」

 

 アインズはシーシャの実物を見るのは初めてだった。リアルの鈴木悟はタバコと名の付くものは全てやらなかったし、そもそもそういったものは到底手の出ない奢侈品だった。比較的安価で主流になっていた合成タバコやヘッドギアを通して吸う仮想電子タバコについてもあまり興味は無かった。

 

「ほう。」

 

 アインズは眼前に置かれたシーシャをまじまじと見つめる。それは青い色ガラスで作られていて、五角六十面体にカットされた球状の本体から伸びる垂直の管の上にタバコを入れる受け皿が置かれ、その途中から煙を吸引するホースが2本伸びている。本体の底に光源が仕込まれているらしく、カット面や中にある液体の境界が光を反射屈折させ、複雑な光の芸術を見せていた。

 

「単純な喫煙具としての機能だけでなく、美術品としての良さもあるな。」

 

 アインズは目の前のガラス細工に評を入れつつ、内心は全く縁のなかった喫煙具に対してどう接していいか捉えあぐねていた。しかしせっかく用意してくれたのだから、試してみるのも悪くないと思いホースの1つを持ってみる。

 

「ここから吸うのか?」

 

「その通りでございます。今回は初心者でも楽しめるよう、フレーバーは甘い果物系を入れ、そしてバーらしく、シーシャに水ではなく酒を入れています。」

 

 入れたカクテルは薄めたゴッド・ファーザー。副料理長はアインズには(アルコール)が無効なのはもちろん承知していたが、彼はその無駄を愉しむ事が一番の贅沢になるのだというこだわりによって、敢えてそうしたのだった。

 

「では失礼して。」

 

 副料理長は<永続熱源(コンティニュアル・ヒート)>でクレイトップに火を灯す。そして異常のないことを確認するとアインズに指示を与える。

 

「本来シーシャは自分で煙を吸引するものですが、アインズ様のホースは特別製です。マウスピースにあるスイッチを入れてみて下さい。」

 

「む、これか?」

 

 アインズが促されるままスイッチを押すと、ぽこぽことシーシャの液面が泡立つのが見えた。マウスピースから煙が漏れ出てくる。

 

 これは呼吸器系を持たないアインズのために特別に作られた機構で、排煙孔の開閉と、ポンプによるタバコの受け皿の加圧で、煙を送り出す仕組みになっているのだ。

 

「ふむ。中々風情があるな。」

 

 こうやって静かに揺れる液面を眺めるだけでもリラクゼーション効果がありそうだ。そして液面が揺れることにより光の芸術がまた違った(かお)を見せる。アインズは3Dの万華鏡があったらきっとこういうのだろうなと、なんとなく思った。

 

「スイッチを強めに入れればその分多めに煙が出ます。」

 

 アインズは言われた通りにスイッチを強く押し込む。すると泡がぶくぶくと液面を激しく波立たせた。面白がってしばらく眺めていると、マウスピースからどんどん煙が漏れでて香りが辺りに充満していく。

 

「どうぞ、御賞味下さい。」

 

 アインズは煙の噴流を口の中に放り込んでみる。

 

「ふーむ。」

 

 当然だが煙を直で吸う分、さっきより芳醇な香りがする。それともう1つ感じたのは、煙が予想に反してひんやりしていることだ。自分がイメージしていたタバコのイメージとだいぶ違う。

 

 揺蕩う煙は刻々と形を変えてうねるように広がり、空気と同化していく。

 

 オシャレな趣味だなこれは。ハマりそうだ。

 

 アインズはマウスピースを咥えたまま、煙の強弱をランダムにいじってみる。傍から見れば顎関節の隙間や眼窩や首元から煙が漏れ出る奇怪な骸骨が拝めるだろう。

 

 鈴木悟がタバコをやらなかった理由の1つに匂いがある。お世辞にも衣食住が満足に揃っているとは言えなかった彼は仕事着に匂いが移ることを嫌ったのだ。今着ている魔法の服はそんな心配は要らない。

 

 ああ、クリーニング代が浮いていいや、などと庶民的な発想をしてしまった自分に苦笑しつつ、ふとアルベドを見ると、彼女は空いている方のホースを持ってこちらを見ていた。

 

「私もご一緒してもよろしいでしょうか。」

 

「ああ、構わんぞ。」

 

 アインズは随分長い間ひとりだけで愉しんでいた事に気が付き、少しばつが悪そうに答えた。そしてアルベドが嬉しそうに微笑んだのを見て安堵した。

 

 アインズは何気なくアルベドの手つきを見た。細く長い指が巧みに動いてホースを口元に運ぶ様はまるで紡績機が糸を撚りあわているようだった。そして口の隙間にマウスピースが押し込まれ、唇の肉が僅かに上下に盛り上がる。その動きはアインズが忘れていたあの感情を思い起こさせた。それはシーシャの液面に現れる水泡のように心の中で次々に弾けて広がっていった。

 

「どうかされたのですか?」

 

 アルベドがアインズの視線に気が付いた。上目遣いで小首を傾げるアルベドの姿にアインズは心奪わた。金の双眸に吸い込まれそうだった。

 

「つい、お前の唇に見とれてしまってな。」

 

 アルベドに見惚れていたせいか、はたまたバーの雰囲気に呑まれたせいか、アインズは率直な言葉を告げた。

 

 アルベドは目をぱちくりさせて、頬を茜色に染める。

 

「アインズ様、もっと近くで見られても構わないんですよ?」

 

 そう言ってアルベドはアインズに体を向ける。続けて彼女が右手で髪を後ろに流すと、普段は見えない形の整った耳が現れた。アインズは思わずアルベドの白いうなじに目がいってしまう。その隙をついて、アルベドが両腕をアインズの首の後ろに回し、顔を寄せる。

 

 アインズは反射的に首を引いたが、後頭部をアルベドの腕に抱きとめられた。その拍子にシーシャのホースをとり落す。口が自由になったアインズが何かを言おうとする前にアルベドはそっと口を重ねた。

 

 さっきまで吸っていた水タバコの馥郁とした香りとアルベドの吐き出す息の混ざったものがアインズの中に入っていく。

 

 アルベドは歯と歯がぶつかって耳障りな音を立てないように唇の位置を調整した後、舌を押し込み半ば強引に口を開けさせた。そのままアルベドは舌をアインズの歯の形を一つ一つ調べるようにゆっくりと表面を滑らせていった。

 

 アルベドの金色の目は情欲に潤んでいた。彼女は前のめりになって、完全に自分の体重をアインズに預けた。アインズはアルベドを落とさないように慌てて抱きとめる。

 

 そのはずみに指が胸のあたりの柔らかな肉に沈んだ。

 

「あっ。」

 

 尖った骨の指が与える刺激にアルベドは悲鳴とも嬌声ともつかない音を漏らす。

 

「アインズ様…。」

 

 

 ーーー

 

 

 副料理長はカウンターから出ると店の扉を少し開けて、外にあったメニューボードを仕舞い込み、それからドアノブに貸切のプレートを掛けた。

 

 

 

 

 






※書いてる人は酒もタバコもやりません。おかしい箇所があるかもしれませんが、ご容赦下さい。


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