騒がしい女子の悲鳴が、興奮する男子の歓声が、それらを宥めようとする教師の声が教室に響き渡る。そんな慌ててもどうしようもないだろ馬鹿馬鹿しいと嘆息するが、自分もそういう感情を押し込めているだけなので何も言いはしない。
こんなにもクラスが大騒ぎになっている原因は、一言で説明できる。今が夏という理由が普段ならば挙がるが違う。原因は
「はぁ……鬱だ」
呟きながら自己確認をする。俺の名前は
他の特筆すべき特徴は、自分の事が死ぬ程嫌いという事。この低い身長も、女顔も、声も、長めにさせられてる髪も、華奢な身体も何もかもが大っ嫌いだ。もっと男らしい体つきが良かった。それなら、昔虐めに遭うことも無かったのに。
駄目だネガティブスイッチ入ってるわ。
「よう欠月! お前なら分かるよな! 異世界転移だぞ異世界転移! これぞロマン、これからが楽しみだな!」
そんな誰に意味があるのかも分からない事を考えつつ空を見上げていた俺に、1人の男子生徒が話しかけてきた。
「ごめん、名前なんだっけ? 佐藤?」
多少ぽっちゃりという感じの体型の話しかけてきた男子に、率直な感想で答える。人の名前を覚えるのはそこまで得意じゃないのだ。クラスの人の名前すら覚えきってない。
「酷えな。俺は鈴森だよ、鈴森 優」
「そうだったっけ。まあいいや、それで俺に何の用? 鈴森」
「いや、みんな何かしら騒いでるのに、お前1人だけ静かにしてるだろ? 何か調子でも悪いのかと思ってな」
「ああ、そういう……」
教室内をざっと見回して、俺は答える。
ただ、呆れてるだけだ。正直、馬鹿みたいに騒いでる奴らの頭の方こそ俺は気でも狂ってるんじゃないかと思う。浄水の貯蓄はタンク分ない。食料の備蓄も多くはない。お約束のチートは知らないが、縦しんばあってもそれが食料事情を解決してくれるとは限らない。それに加え、未知の病気や野生動物の危険性も見ないことには出来ないのだ。
確認してみた限り、校舎の存在する場所は背後に山、前方に草原の広がる自然ど真ん中。ソーラーパネルのお陰でまだ電力は保ちそうとはいえ、言わせてもらうならば詰んでるのではないだろうかこの現状。
「ちょっと外を見てるだけだから、あんまり気にせず放置してくれていいよ。ほら、村とか街があったら保護してもらえそうだし」
「だー、夢がないなぁ! だけどまあ、お前みたいな態度が今は正解なのかもな。そんじゃ」
そう言って鈴森は離れていった。馬鹿騒ぎして、体力を無駄に消費して、虚しくて阿呆らしい。ラノベとかのように成功するなんて確率は、宝くじの一等に当選する確率以下だろう。
「なのにまあ、こんなに騒いで」
先生の一声で一先ず自習と言うことになったが、見ていて本当に呆れる。そんな風に格好つけている自分にも嫌悪感しか湧いてこない。
嗚呼、嫌だ嫌だ。先生達はこれから会議らしいし、耳栓をして不貞寝しよう。目が覚めたら、多少気分はマシになってる筈だ。
・
・
・
目が覚めた時には既に夜だった。
備蓄水とカ○リーメイトが配られており、これが今日の晩飯の様だ。ダラダラと文句を垂れてる奴らが大半だが、こんな状況で食料を貰えるだけ良いことの筈なのですが。やはり浮かれきってるようだ。
けれどこの分だと、後々食料の奪い合いとかが起きるかもしれない。だって誰も先を見てないんだもの。鞄の中のウ○ダーinゼリーとかも、バレないように隠しておくのが得策かもしれない。杞憂かもしれないけど。
「欠月くん、食べないんですか?」
「はい、まあ。今はあんまり腹は減ってませんし」
そう俺に話しかけてきたのは、隣の席の岸村 弓恵さん。流石に隣の人は覚えているというか、一応女子方の委員長でもあるからまだ覚えやすい。長めの髪に茶色がかった黒目、一般的な日本人感溢れる普通の女子だ。美少女、とまで言っていいのか分からないが十分に可愛い方だとは思う。
「倒れたりしない様、気をつけて下さいね?」
「これでも燃費は良い方なので……今日は色々あって眠いので、お先に失礼しますね」
適当に言いくるめて、虚言を並べて机に突っ伏す。勿論耳栓をするのも忘れていない。一先ず、先生方の判断を仰ぐのが良いだろう。もし、もしの可能性だがチート能力なんてものがあるならば、それはそれでまた問題だ。絶対に争いが、思い上がりが、傲慢が、支配者気取りが、テンプレの如くわらわらと出てくる。
何にしても、これからを考えると頭が痛い。親孝行をしてないくらいしか未練はないけど、これからどうなるのやら。出来れば、死にたくはないなぁ。
そんな事を思いながら、俺は安寧の眠りに落ちていった。
◇
【悲報】先生方、トチ狂った模様
2日目の朝、始まったホームルームで聞かされた方針は、馬鹿馬鹿しいにも程がある考えだった。「助けが来るのを待つ」物資が足りないというのは先生方も理解してる筈なのに、どういう事なの…?(困惑)
「…い、………、おい!」
「ん?」
声をかけられた気がしたので、耳栓を外し外を眺めている状態をやめる。そこに居たのは案の定、例の鈴森とかいう男子だった。
「お前はそうずっと外を見てて楽しいのか? 今男子で大富豪やってるんだ、一緒にやろうぜ!」
「いや、今更俺が混じっても空気が悪くなるだけじゃないか? なら俺は見てるだけで十分だよ」
「そういうもんか? まあ混ざりたくなったらいつでも言ってくれよな!」
じゃあな、と気さくに手を上げて鈴森は去っていった。俺みたいな奴によくもまあこんなにも構ってくれるこって。
その後は特に何もない、平和な1日だった。携帯がネットに繋がらない、電波がない等の不満が上がっていたけれどそれだけだ。
ただやはり気になるのが、食料の備蓄。今日も水とメイトが配られたけれど、こんなにも大盤振る舞いしても良いんだろうか…?
◇
転移3日目、今日は鈴森の叩き起こす声によって起こされた。周りが異常に騒がしいし、何かあったのだろうか?
「凄いぞ欠月! チートだ! 遂にチートが出たんだよ!」
「へぇ、そうなんだ」
「何だよ冷めてんな、全員が全員チート持ちなんだぞ?」
そうは言われても、何か言うことがあるとも思えない。確認方法も知らないし。寧ろ心配の種が1つ増えたくらいだ。
「ま、とりあえず良いから確認してみろよ。ステータスって唱えると、どんなもんか分かるぞ! 因みに俺は《肉の壁》だった。耐久型だな!」
「……同情、いるか?」
「いや、事実は事実って認めるから……」
腹を摘んで言う鈴森のせいで、何だか微妙な雰囲気が漂う。流れを変える(迫真)
「ステータス」
意気込んで唱えたキーワード。それによって頭に流れ込んできた情報は、なんとも言い難い無残なものだった。
《亜空間収納》
《自己否定》
詳しい説明も何もありはしない。けれどどうにも、出落ち感がひどい構成だった。後2つ持ちとかバレたら問題になりそう。
「お、どうだったお前のチート」
「《亜空間収納》だって。アイテムボックス的なアレじゃないのかな?」
「ほー、チートだな!」
そう笑顔を向けてくれる鈴森を騙してると考えると、どうしようもない罪悪感が湧いて来る。嗚呼本当に嫌だ、すぐこう考える事になるからーー
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
そんな文字が頭の中に浮かび上がり、突然頭がクリアになった。なるほど、こっちはそういう能力か。つまりは自分の心の動きを否定すると。自分の事が大っ嫌いな俺にはお似合いのチート(笑)だな。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない。でもそろそろ食料と水が尽きるだろ? チート持ちにそれを解決できる奴はいないのかと思ってな」
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
嘘をつく度に、いや、何か嫌な事を思うたびに自動でこの能力は発動するようだ。事実を言ってるからバレにくいし、気持ちが消されるから更に心を悟られにくい。何かを誤魔化す以外に、何に役立つんだコレ。
「あー、それに関してはアレだな。確か委員長が水をどうこうできるって話だって聞いたな」
「水のないところで、そのレベルの水遁を…」
「卑劣様じゃねーか!」
お互いに笑ってしまい、手を打ちあわせる。一応ネタに反応してくれる感じ、名前は覚えてなかったけど鈴森とは良い友達になれる気がした。
そう、思っていた。
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02 夜襲
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
・
・
・
informationーー自己否定の練度が上昇しました
自己否定ーー魔法《眠りの檻》を否定しました
ふと、急に目が覚めた。
「ふぁ……今何時だし」
寝ぼけて働いてない頭を懸命に働かせ、目をこすりながら時計を見る。針が指し示す時間は午前3時、かなり遅い時間だ。
けれど、頭が働いてくるにつれて異常な事が起こっていると理解が進んでいく。普段ならこの時間、聞こえる音は自然の音とクラスの皆の呼吸音のみ。
けれど今はなんだ、
「っ!」
立ち上がり大慌てで窓から外を除き込む。そこには、ここ数日考えていた最悪の想定の1つが広がっていた。
眼下に広がって居たのは異形の群れ。創作物でゴブリンと呼ばれていそうな、小柄な緑の人型が多数。所謂オークと呼称されている化物に近い、豚頭の大柄な人型が十数体。ゴブリンメイジとでも呼べばいいのだろうか、杖の様な棒を持ち光る魔法陣の様なものを展開する緑の異形が3体。そして、それらを従える様に最奥で踏ん反り返る、黒い肌の巨大な豚頭の人型。
そんな群れに、学校は、俺たちは襲われている様だった。
「防火扉!」
さっき頭の中に流れたログからして、魔法なんていうファンタジーによって皆は眠らされているのだろう。チートとか言ってた癖に、全員眠ってるとか馬鹿なの!?
そんな罵倒を頭の中で浮かべつつ、なりふり構わず防火扉へと走る。3年生の教室があるのは2階、早くしなければ彼奴らに蹂躙されているのは目に見えている。締めるべき箇所は3箇所、1人では到底間に合うとは思えないが、やるに越したことはない。そこさえ閉められれば、2階は完全に封鎖できるのだから。
「せーの!!」
俺は正式な防火扉の締め方なんて知らない。だけど、時折生徒がぶつかって開く事があったのは知っている。だから、全力でショルダータックルをかました。
「反対も!」
ギィ…と軋む音を立てて開いた防火扉の反対にもショルダータックル。こちらも無理矢理解錠する。サイレンが鳴り始める中、1箇所目の封鎖が完了した。
「次!」
自分に発破をかけながら辿り着いた2箇所目。ここも同様に封鎖する事ができた。やはり誰も起きてこない。そして3箇所目に向かう途中、彼奴らは現れた。
「グギィ?」
「ギギャギャ!」
緑色の小柄な……面倒だからゴブリン。そいつらが2体、気持ちの悪い声をあげながらこの階層に侵入してきていた。片方は手に棍棒を1本、もう片方は錆びついたカトラスっぽい剣を持っている。日本の日常では見ることのない、殺しが出来る鈍器だ。
自己否定ーー恐怖を否定しました
このまま後続の侵入を許すか? 否!
このまま同級生を好きにさせるか? 否!
俺1人で、どうにか出来るか? それも否だ。
けれど、それでもどうにか出来るのが俺しかいない以上、俺が最低でも時間を稼がないといけない。どうせ、主人公とでも言うべきチーターは存在するんだ。俺は主人公なんて器じゃない、だから主人公が来るまで精々足掻かせてもらう。
「はは、なんだこの英雄思考。どうしちゃったんだよ俺」
だけど嗚呼、この助走でついた速度は止まらないし、今だけは不思議と
「らぁッ!!」
「ギィ!?」
「グギェ!?」
片方をショルダータックルで防火扉に叩きつけ、もう片方も反動で同様に防火扉に叩きつける。そしてそのまま、防火扉は閉まりこの階層は封鎖された。
「はぁ……はぁ……これdおごっ!?」
そして息切れで気が抜けた瞬間、腹部に今まで感じたことのない痛みと衝撃が走り、勢いよく俺は吹き飛ばされた。背が低いとは言え50kgはある俺が、だ。
「おげぇ、げぼっ……」
勢いよく壁に叩きつけられ、口から堪らず吐瀉物を吐き散らす。衝突したのは教室の壁だったらしく砕けたガラス片が降りかかり、腹部の激痛にもう1度腹の中身を吐き出す。今度は血が混じっていた、臓器が傷ついたのだろうか?
自己否定ーー恐怖を否定しました
痛い。いや、それを通り越して熱い。気が狂いそうな熱さに呼び起こされた恐怖が、スキルによって否定された。
けれど今だに熱さで考えがまとまらない。
自己否定ーー恐怖を否定しました
逃げなきゃ、身体が動かない。
自己否定ーー恐怖を否定しました
死にたくない、身体が動かない。
自己否定ーー恐怖を否定しました
自己否定ーー恐怖を否定しました
自己否定ーー恐怖を否定しました
「あァァァァッ!!」
自己否定ーー狂気を否定しました
逃げる事は出来ない。怖いと思えない。狂えない。自分のスキルに、無理矢理働かされている。
「グギィ!」
「ギギャァ!!」
ゴブリンが2体、下卑た笑みを浮かべながら接近してくる。俺を女とでも勘違いしてるのだろうか? ああ、臭い。吐瀉物の酸っぱい臭いに混じり、年頃の男子なら嗅いだ事のある性臭を何倍にもした様な吐き気を催す臭いが漂ってくる。
自己否定ーー恐怖を否定しました
ガラス片の中で、比較的大きなものを掴み取る。手が切れ血が流れたことを見てか、ゴブリンの嗤いと臭いが悪化した。
自己否定ーー恐怖を否定しました
フラフラな身体をどうにか立ち上がらせる。
自己否定ーー恐怖を否定しました
「死ねぇぇッ!!」
Informationーーたび重なる要請を確認
自己否定ーー恐怖の感情を否定しました
全体重を乗せ、手に持ったガラス片をゴブリンの喉に突き刺した。自分の手が切れて痛むのも
「グゲェ!? ギギャア! ギギャア!」
むせ返る様な血の臭い。半袖の制服が赤く染まっていくのを冷え切った思考で考えていたせいか、目に血が入ったのか暴れるゴブリンの棍棒がこちらに迫っていた。その棍棒を回避しようとし倒れこみ、間に合わず左腕に直撃した。ボキ、という呆気ない音と共に腕が逆方向に折れ曲がった。
「あァァァッ!!」
「ギュェ!?」
残りの力全てを込めて、ゴブリンの首をガラス片で突き刺し裂く。ガラスは割れてしまったが、これでどうにか仕留める事が出来た様だ。倒れ込んだゴブリンがビクンビクンと痙攣し動かなくなった。
「なんだ、化物だって血は赤いんじゃん」
まだ吹き上がる血の噴水を浴びながら、そんな言葉が口をついて出てきた。けれど、その言葉に██と思えない自分が██。はて? 俺は今、何をどう思ったんだろうか?
「うっ、ぐえ、げぼっ……」
そんな疑問が頭をよぎったと同時、スイッチが切れたかの様に痛みがぶり返してくる。死力を振り絞り数歩歩きガラスの散らばる箇所から脱し、限界で倒れこむ。
その衝撃でまた咳き込み、吐瀉物だか血だか分からなないものを吐き出す。やっぱりチートでハーレムなキャッキャウフフなんてものは幻想だ。馬鹿騒ぎしてた奴らが起きて、それを認識してくれたらいいんだけどな。
「って、無理かぁ……」
痛みのせいで、カッコよく気絶する事も出来ない。壊れかけの身体に鞭を打ち、窓のサッシを掴み支えにして立ち上がる。とりあえず、先ずは折れた左腕をどうにかしないと……
自分のものか返り血か分からない血の跡を引きながら、近くの清掃用具入れにたどり着く。そこでどっかりと腰を落とし、ガムテープと掃き箒を取り出す。引っ張ってきたカトラスの様なものを振り下ろし、箒の柄の部分を裁断。激痛を発する腕にそれをガムテープでぐるぐると巻きつけ添え木とする。
「後、は……」
ガンガンとカトラスの柄を何度も叩きつけ、モップの柄とモップの部分を接続する場所を破壊。カトラスの柄を捩じ込んで、棍棒で叩き無理矢理嵌め込む。そしてその後、ガムテープで巻いて補強した。即席の槍の完成だ。
どうせまだまだ来るのだろうし、せめてリーチの長い獲物が欲しい。俺がいつまで動けるのかは知らないが。
「ハハッ、早く、来いよ主人公。死んじまうぞ?」
即席の槍を杖代わりにして、踏ん張って立ち上がる。けれどやっぱり歩くのは無理そうで、壁によりかかって息を整える。
自己否定ーー躊躇を否定しました
ちょっと休んだお陰か、痛みが和らいできた気がする。アドレナリンとかβエンドルフィンとか、そういう脳内麻薬的な物でも働いてきたのだろう。血を流しすぎって事はないだろうし、今しばらくは保つだろう。
なんて溜息を吐いていると、ガンガンと近くの防火扉を叩く音が聞こえてきた。他の場所は平気でも、ここは無茶して閉めた上に血の臭いがするからアウトだったのだろう。
「はぁ……」
再び溜息を吐いて、即席の槍を引きずりながら防火扉に向かう。ここを破られたらそれこそ終わりだし、それなら死に体の俺が犠牲になって時間を稼いだ方が圧倒的に良い。
「だから、なんでこんな英雄的思考なんだよ俺」
こんな極限状態で、おかしくなってしまったのだろう。そう思いつつ、再び気を引き締める。ガラス片も少し持っておこう。何かに役立つかもしれないし。
「さて、俺がどうにかなった後は、ちゃんとどうにかしてくださいよ? 主人公様」
そう言葉を吐き捨て、痛みを忘れた身体に力を入れ、防火扉の小さな扉を開く。案の定、そこにいたのはゴブリン。だが先程と違い1匹だ。
自己否定ーー躊躇を否定しました
これくらいなら、もう何とも思わない。
「いやぁぁぁっ!!」
「ギェ」
握り締めたガラス片を、勢いよくゴブリンの首筋に叩きつける。今度は、さっきより気持ちが幾分か楽に仕留められた。代わりに、色々とボロボロになっているが。
血を流し痙攣しているゴブリンの死骸を蹴り飛ばし、階段の踊り場まで落とす。まあ、何もないよりはマシ程度の防壁になってくれるだろう。何言ってんだ俺は、やっぱり頭がおかしくなってきてるみたいだ。
寧ろ、これから死にに行くのと同義の事をするんだから、正気じゃない方がいいのかもしれない。
「ははは、今日は死ぬにはいい日だぁ!」
そしてそのまま、俺はここからでも血と臓物が散らばっているのが見える1階へと降りていくのだった。
いつの間にか、警報のサイレンはその音を止めていた。
異世界「浮かれたな? 楽しい場所だと思ったな? ならば死ね」
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03 単独戦闘
瀕死の体を引きずり降りた1階は、先程までいた2階とは全くの別世界だった。
割れた窓ガラスに、むせ返るような血の臭いとゴブリンの臭い、加えて人間だったもののパーツや中身が至る所に撒き散らされている。加えて消化途中の腹の中身もブチまけられているせいで、酷い悪臭で満ちている。そんな歩くたびに靴下が血溜まりをピチャピチャと鳴らすような凄惨な光景だが、不思議と足が竦んだりはしなかった。
「とりあえず、靴……」
2階では無視していたが、ここを靴下で歩くのは些か都合が悪い。今更何をと思うけど、あった方が幾分かマシになるだろう。もしかしたら、生き残ることが出来るかもしれない。
「ギィ?」
「シッ!」
先手必勝。昇降口に行く僅かな距離の途中、前方から現れたゴブリンを即席の槍で薙ぐ。技術のぎの字もないただ刃の付いた長物を振り回しただけの、しかも片手での一撃だったが、運良く刃はゴブリンの首に直撃していた。
「せいッ!」
勿論両断なんて出来ない。けれど、首の1/3程までめり込んだ刃を引く事で、致命傷は与えられる。もうなんとも思わない血の噴水の隣を歩き、俺は昇降口に辿り着いた。……何かが動く音はしない、ガラスの細かい欠片ごと靴下を脱ぎ捨て、履いた運動靴の紐をきつく締める。途端に白い運動靴が赤黒く染まるけど、知ったもんか。
折れた左腕をダランと垂れ下げたまま、右手に槍擬きを引きずり歩いていく。目指す場所は、職員室。大人に頼れる訳がないと思いつつも行こうとするのは、やはり現代っ子の
「はぁ……はぁ……」
息も絶え絶えに辿り着いた職員室、そこの惨状は今までの何処と比べても酷いものだった。まさか、担任の先生の頭のみと再会する事になるとはね。
そして、職員室の中を覗けば更に酷い事が起こっていた。血の臭いより遥かに濃い性臭。オーク1匹とゴブリン5匹がパーティー(隠語)をしていた。
「反吐がでる」
男性教員は全て殺されているようで、オークの口から誰かの脚がダランと垂れている。そして女性教員は……言うまでもないだろう。起きる事が無いのをいい事に、好き勝手滅茶苦茶にされている。臭いと、水っぽい音と、下卑た嗤い声とで全てが察せる。
あの異形たちがここを襲ったのは、食料確保と繁殖の為なのだろう。服なんてものは全て剥ぎ取られ、全身を余すとこなく白濁したモノで汚されるのを見ているのは、流石に気分が悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー怒りを否定しました
途端に、頭が突然クリアな状態に戻された。またスキルだ。けれど今は、それが少しだけありがたい。無意な突撃をかますところだった。先生方の命が助かったとしても、心はもう無理だろう。
昨今のラノベ主人公も、こんな状態の人達を助けることはしない。手を差し伸べたりはしない。そして俺も、差し伸べる余裕も助ける自信も持ち合わせては無い。
「だからまあ、せめて仇くらいは……とか思ったんだけどなぁ」
何が何でも、分が悪すぎる。5対1で化物と戦って勝てるのは
「ライター、タバコ、後は携帯……電源切れてら」
回収した遺品と言えるだろうそれらは、特に何か役に立つ物ではなさそうだ。ガックリとしながら、血で濡れていないタバコを1本取り出して咥えてみる。
「変な匂い」
アニメに憧れがあるんだよ察しろ。咳き込んでバレたりしたら堪らないから火はつけないけど。たっぷり1分はその状態で休み、引き摺らない様に槍を持ってヤってるオークの裏側に回り込む。
動物は、排泄中が最も無防備とかいう話を何かで読んだ事がある。ならば今の俺でも、恐らく1回くらいは奇襲出来るだろう。狙う場所は首。下手に心臓を突いたりするより、首を掻っ切る方が致死率も成功率も高い……筈だ。
「覚悟決めますか」
自己否定ーー躊躇を否定しました
カッコつけて咥えたタバコを血溜まりにプッと捨て、気合を入れて槍を持つ。大声を上げる必要はない、必要なのは精度と速さ!
「シッ!」
自己否定ーー躊躇を否定しました
渾身の力と遠心力を乗せた錆びた刃は、確かな感触と共にオークの首を裂いてめり込んだ。それをわざと雑に切り裂く様に引き抜き、その動きのまま呆然としているゴブリンの首に叩き込む。
「逃す、かぁ!」
自己否定ーー容赦を否定しました
血を吹き上がる2つの噴水を背に、右手1本で槍擬きを振り回す。2匹、3匹、4匹と首を折るか切り裂くかで絶命させる事に成功した。残る1匹は、いつの間にかどこかへ行ってしまっていた。逃してしまった様だ。
「はは、死んだなこりゃ」
十中八九応援を呼ばれた。ロクなチートが……ああ、《亜空間収納》なんてものもあったっけ。2つの微妙なものしかない俺には、あの物量を捌ききる力はない。よって全滅、皆殺しだ。
先生方は俺じゃ動かさないからこのまま放置するしかなく、2階に逃げても多少時間が稼げるだけ。やっぱり世の中ってってクソだな。馬鹿みたいに理不尽だわ。
「あーでも、最後にチートくらいは試してみるかな」
最後に少しくらい、チート主気分を味わっておきたい。壊れたデスクに腰掛け、適当なファイルを手に持つ。でも何をすれば発動するのかわからないし……
「収納?」
思い浮かんだその言葉がキーワードだったらしく、手からファイルが消失した。それと同時に、どこかで保持しているという感覚がある。手に触れてる物を収納できて(容量不明)
「排出」
ぼと、といつの間にか出てきたファイルが手から落ちた。
こうやれば中身を出す事が出来るようだ。便利ではあるけど、チートとは言えないなぁ……思ったより入らない感じがしたし。
「収納」
一応、盾になってくれるかもしれないからデスクを収納しておく。そして、取り出した新しいタバコにライターで火を付けてみる。
「けほっ、けほっ、よく大人はこんなのを……」
そして当然の様に咳き込んだ。けれど、なんとなく精神が落ち着く気がしないでもない。何も考えずプカプカと吹かしていると、ズシンズシンと響く足音が聞こえてきた。タバコ類をチートに仕舞う。ああ、もう終わりの時の様だ。
「ま、精々足掻かせてもらいますかねぇ!」
そう啖呵を切り槍を構え、次の瞬間俺は吹き飛んできたドアに衝突し散乱するデスク群に叩きつけられていた。
「か、は」
バキボキベキと鳴ってはいけない音が身体のあちこちからなり、チカチカと点滅する意識は脳内麻薬とタバコの誤魔化しを突き抜け、耐え難い激痛を脳に出力してくる。
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
連続してそんなメッセージが頭に流れてくる中、瓦礫の山に埋もれた俺の左腕が何かに思いっきり握られた。次瞬、左腕の二の腕までが添え木ごと握り潰された。
「あァアァッ!?」
「ぐひっ」
そのまま吊り上げられた俺を見つめるのは、醜悪な豚面。鼻を鳴らし、品定めする様に俺の事を凝視している。口から意図せず血を吐き出す俺を見て、明らかにイチモツをいきり立たせている。えっ、何こいつホモなの?
そんな事を思ったのがバレたのか、左腕を握る力が強くなった。そしてこちらをいたぶる様に、執拗に握り、緩め、握りを繰り返される。その度に何かが折れる異音が聞こえ、血が溢れていく。もう、自分でもどうやって上げてるのか分からない悲鳴が口から出る。溢れる血を見て叫び声を聞き、更にオークの顔が下卑たものに変わっていく。
「ひ、ぁ、が」
ひゅーひゅーと浅い呼吸を繰り返しながら、こんな状況でもまだ俺が右手に槍を持っていた事を確認出来た。けど、こんな状況で何かができる訳もなく……
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー諦めを否定しました
スキルによってそんな感情が一時的にかき消された。ちくしょう、こんなになってまでもこのスキルは……
悪態をついてはいるものの、このスキルのお陰で1つだけ突破口は見えている。ああちくしょうやれってんだろ!!
「収納! 排出!」
俺がキーワードを言った瞬間、オークの左拳が収納されて消失した。行き先は地面だ。綺麗な断面から吹き出す紅い血を浴びながら、地面に落ちる前にオークの胸元に槍を突き出す。そしてそのまま──
「収納! 排出!」
槍の穂先を中心とした30cm程の空間が、ゴッソリと削れ落ちた。無論そこには、オークの心臓も含まれている。グリンと白目を剥いて、オークはあっけなく絶命した。
そして、支えを失った俺は地面に墜落する。そこからはもう、動けなかった。腕も足も首も、ピクリとも動かせない。痛みが麻痺して感じなくなった辺り、死ぬまであと僅かだろう。
「あーあ、つまんない、人生だった……なぁ……」
「諦めないで!」
そんな綺麗な声が聞こえて、飛びかけていた意識が現実に引き戻された。耳を澄ませば、聞こえるのかガチャガチャという金属の音。
目を動かすと映ったのは、いかにも魔術師然とした服装に長い杖を持った女の人。サラサラとした長い金髪に、アイスブルーの瞳といかにもファンタジー感が溢れている。いかにも異世界然とした可愛さだ。信用ならない。
「ぁ……」
「なんてひどい! 皆さんはそちらの方々を! 私はこの子の治療を始めます!」
了解したという旨の言葉が唱和され、ガチャガチャという音が響き振動を感じる。一体、これはなんだろうか? 何が起こっているのだろうか?
「gq;e7d9、tt@7gkb\m。
──vーlyh@!」
途端に聞き取れなくなった言葉が終わると、体全体が温かい何かに包まれた。左腕は変わらないが、身体が少しずつ楽になっていく。
これならもう、動けないこともないと思う。
「ゲホッ、ごほっ」
「ああ、まだ動いちゃダメです!! そんなにボロボロなんですから!」
そういうこの人の制止を無視し、槍もどきを杖代わりに立ち上がる。こういう如何にもお姫様な人は、信用できない。何かを託すなら、もっとこう、いかついおっさんみたいな人の方がいい。
「女の子なんですから、もっと体を大切にしてください!!」
「俺は、男です」
「えっ?」
呆然とする治してくれた人の前を通り過ぎ、金属の足音を鳴らしていた人……騎士っぽい格好の人を1人捕まえて、無理矢理話しかける。精悍な顔つきの、強そうな人だ。
「2階、3階にも、人が、います。2階は塞いだ、けど、3階に後輩が。後、みんな、眠らされてます」
騎士の人は、微動だにせずこちらの話を聞いている。ちゃんと聞いてくれている様だ。読みは当たったな。
「魔法、眠りの檻、杖のゴブリンが、使って……ます」
「もう良い、理解した。貴殿は、身体を休めよ」
ポン、と肩に置かれた手に、何故か安心感を覚えた。見ず知らずの人に頼るとか愚策中の愚策だけど、俺がこれ以上動けないから頼るしかない。
「gq;<]l9、──rlー2[!」
そんな俺の意思を無視して襲ってきた、恐ろしいまでの眠気。
自己否定ーー判定に失敗しました
チートもそれを弾く事が出来ず、俺はその優しい温かさに落ちていくのだった。
主人公のチート
《亜空間収納》
自分の手足に保持している指定したもの、もしくは手足の先から半径30cm内のモノを亜空間に収納する。容量は小さい。
任意発動
《自己否定》
自身を一時的に、若しくは永久に否定する。
自動発動
レベル?そんなもんねーから!
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04 勇者
自己否定ーー幻肢痛を否定しました
自己否定ーー幻肢痛を否定しました
自己否定ーー幻肢痛を否定しました
一定間隔で頭に流れるメッセージと、全身を苛む激痛が俺の目を覚まさせた。俺が今いる場所が保健室であると辛うじて分かるが、それどころじゃない。
「ぁ、が」
全身が痛い。身じろぎしただけで身体が変に軋み、激痛となって全身を余すとこなく蹂躙してくる。その痛みで更に身体が暴れ、地獄の無限ループに陥る。
そして声を押し殺し暴れ続けた結果、寝かされていたベッドから落下しそうになっている事を感じた。左手でベッドを掴んでどうにかしようとし──左手は何も掴むことなく空を切り、呆気なく落下した。
「っ、ぁ」
声が出せない。視界が明滅する。ああ、だけど慣れてきた。よく分からないが慣れてしまった。これなら、少なくとも落ち着いて状況確認が出来る。何せ最後の記憶があれだ。何が起きてるのか、あれからどうなったか、何も分からないのはマズイ。この世界で、それを無視するなんて油断はしちゃいけないと、昨日の夜学んだのだ。
「……え?」
そう思いベッドを支えにして立ち上がろうとし、再び左手は空を切りバランスを崩した俺は左肩から落下した。再び走る激痛。それを歯を食いしばり耐え、左腕を見てこの不調の原因がわかった。
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー混乱を否定しました
自己否定ーー絶望を否定しました
左腕が、肩口からバッサリと消えていた。痛みによる大混乱で気がつかなかったが、上半身も裸である。そこに見えるのは包帯で、血が滲む肩口を抑えている様に見えた。下はベルトと制服のままで靴も履いたままの様だ。
このまま立っても、バランスを崩して転ぶだけだろう。そう予測して、上半身を起こしてベッドに寄りかかるだけに留める。
「あー、タバコってそういえば鎮痛効果があるんだっけ。排出」
翳した右手から、ポロリとタバコとライターが膝あたりに落下した。右手のみでどうにかタバコを1本咥え、足でライターを抑えて火をつける。……うん。咳き込みはするけど、昨日の夜よりは慣れた様だ。
「ん?」
どれくらいの時間か分からないが、そのままボーッとして身体を休めていると、ガラリと扉の開けられる音がした。残念ながら、ベッドを挟みドアには背を向けているので何が来たのかは分からない。ゴブリンだったら俺は死ぬ。けれど、そんな予想はすぐに覆された。
「けほっ、けほっ、なんです? この臭いに煙は!」
聞き覚えのあるその声の主は、確実に俺に魔法と思われる治療を施したあいつだろう。一応感謝はするが、警戒を解く理由にはならない。
informationーー設定が更新されました
informationーー最適化が実行されました
チートも、そんな俺に呼応してか働いてくれた。これで準備は万端だ。焦るように早まった足音が隣で止まるのを聞きつつ、無言でそいつの顔を睨み付ける。
今ようやく分かったけど、この異世界美少女の背は俺と同じ程度の高さの様だ。詰まりは160cm前後。そして胸は壁である。
「何を、しているのですか?」
「腕が勝手に切られて無くなってたことの逃避と、痛みの緩和を。これは自前の痛み止めみたいなものなので、お構いなく。臭ったようですみませんね」
「それは……こちらの判断で、本当にすみません。それに、痛み止めというなら文句はありません。私の腕が、それだけ未熟だったという事なのですから」
異世界美少女が申し訳なさそうにしているが、咥えたタバコはそのままだ。幻肢痛はチートが無効化してくれる様だが、誤魔化さないと痛みがぶり返すだろうからね。
「よっこいしょっと」
さっきのチートの説明通り、少し前までと違い体は完璧に言うことを聞いた。うん、バランスを崩す事もなさそうだ。
ふぅ……と大きく息を吐いて、しっかり異世界美少女の事を見て話しかける。タバコとライターは既にチートに収納済みだ。
「この際、貴方やあの時の騎士が何なのかは後で良いです。知りませんし、今のところ興味もありませんから」
「え、あ、はい」
困惑する異世界美少女に、さっきからずっと気になっていた事を伝える。
「ですけど、聞きたいことが1つ。俺がああなった後、あの状況はどうなりましたか? こちらの生き残りは? 敵は?」
「は、はい。貴方が気絶した後は、騎士団の皆様が魔物を制圧しました。あの時の魔物は、1匹たりとも残っていません。そして、こちらの損害ですが……」
そこで言い澱み、目を伏して異世界美少女は言う。
「貴方が封鎖したと言っていた2階にいた方々は、全員無事です。ですが、3階の方々は生き残りが32名のみで全滅。大人の方々は、1人も生きている方は見つけられませんでした。オークにやられていた方々は……」
「方々は?」
「目が覚め、自分の現状を確認した途端狂ってしまった方が2人、狂って目が覚めたのが1人、もう1人は目を覚ましませんでした。そして、全員がお亡くなりになっています……」
「そうですか……」
はぁ……と、煙を含んだ息を吐き出す。アレだけ頑張って、それだけしか助ける事は出来なかった様だ。
「悲しくはないのですか?」
遠くを見つめてボーッとしていた俺に、そんな声がかけられた。悲しいかって聞かれたら、そりゃあ悲しいけど後輩との関わりはかなり薄かったからなぁ……
「俺は、あの時点での出来る限りをやりました。それでこの結果というなら、これが俺の限界だったんでしょう。今まで争いの「あ」の字も知らなかったガキが、ここまでやれたんだから御の字ですよ」
「随分と、達観してるのですね」
「諦観してるんですよ」
カッコつけて、諦めてるだけという事を伝える。事実、この物語の主人公ならもっと上手くやったのだろう。俺の様なショボいものでなく、圧倒的なチートで全滅でもして見せたんだろうね。ぺっ。
「それでは、省かせて頂いた自己紹介をさせていただきたいと思います」
そんな風に内心やさぐれてると、異世界美少女は俺の前に立ってスカートを摘む……カテーシーだっけ? その挨拶をして、丁寧な語調で言ってきた。声も、心なしかこちらに媚びる様になっている。
「私の名は、マルガレーテ・リット・イシスガナ。イシスガナ王国第2王女にして、あなた方勇者を召喚した術者です。どうか、魔族の脅威に怯える我が国を救ってください! 禁断の術である召喚の儀は、送還の方法を魔王に握られているのです!」
ああ、やっぱりそういう奴だったか。
そう落胆しかけたが、今までの格式張った堅苦しい口調を崩して、元の声で第2王女様は話を続けた。
「とまあ、ここまでが他の皆さんに説明した通りの、偽装話です」
「は…?」
「実際に戦争はしてますし、送還の術が魔王に握られている事も、私は術者なのも本当です。ですが実態は兵を減らしたくない父が、王位継承権のない第2王女の私や、拉致まがいの召喚で呼び出した都合よく強い力を持つあなた方を利用してるだけの、クソみたいな制度ですよ」
全くお笑いです、と大きく王女様が溜め息を吐く。心底ウンザリしてるといった様子だ。演技の可能性も否定できないが。禁断の云々の説明がないし。
「事実、あなたが寝てた2日の間に王都に送られた勇者の皆様は、隷属化のアクセサリーを装備させられ、都合の良い使い捨ての兵士にされてる事でしょうね。少しの褒美を与えるだけの、こちらに対して不利のない行為で。我が父ながら、控えめに言ってクズです」
今明かされる衝撃の真実……と、いきたいが、はっきりいって信じられない。寧ろ、ここで俺だけに変な情報を植え付けて不和の原因にして排斥する可能性の方が高そうだ。まあ、立場的に止められなかったのもありそうだが。
「王女様がそんな汚い言葉で良いんですか? それに、俺には貴女を信用する事が出来ません。何故、俺だけに説明する様な話し方なのですか?」
「別に良いんですよ、公式の場じゃないのですし。貴方だけに説明するのは、都合がいいからです」
反対側のベッドに腰掛け、先程までの王族然とした態度をかけらも見せなくなった王女が続ける。
「この世界に期待を持っておらず、勇者の皆様の中で現状を把握しているのは貴方だけでした。何より、1人だけ戦ってたのもグッドです。更に、こちらの勝手な判断とはいえ片腕を切り落とした事も幸いしてますね。我が国は、異種族や不完全な者を病的なまでに嫌ってますので」
「なるほど、確かにそれなら。で、俺を何に利用しようって言うんです?」
短くなったタバコを捨て、足でグリグリと潰しながら俺は聞く。そこが判明しない限り、俺がどうするかは決められない。確実にこの人について行く方がマシなのは分かるけれど。
「私、散々利用されたって言うのに、そろそろ政略結婚の駒にされそうなんですよ。この国の為にクソ以下の噂しか聞かない豚王子に充てがわれるなんて、冗談じゃねーよって話です。私は道具じゃねーんだよクソが。だからいっそ、こんな国ごと全てぶち壊そうと思いまして」
ニィッと、少年の様な笑みを浮かべて王女様は言う。自分の欲望に忠実な人って、個人的にはとても信用に値する。
「ですけど、私個人が動かせるのは騎士団が1つに暗部が1つ程度。国を転覆させるには圧倒的に戦力が足りません。40代の勇者の中から、マトモな人を引き抜いてこれですよ。そこで、今回の貴方です。異世界人であるあなた方は基礎の能力が足りない代わりに、伸び代は無限大です。私の支援の元、好き勝手に動いて国をメチャクチャにしてください」
「俺は、この通り片腕の無い出来損ないになりましたけど?」
血の滲む肩口を見せつける様に俺は言う。チートのお陰で身体のコントロールこそ元に戻ってるけれど、この身体はもうロクなもんじゃないだろう。
「私は、変人として有名ですから。それに、この世界では魔物の生き血を浴びるたびに身体が強化されます。最下級とはいえ、アレだけ血を浴びた貴方ならば問題ない筈です」
「へぇ……」
それはいい事を聞いた。あの血のシャワーは無駄な事じゃないかったらしい。
「これで、信用してもらえますか? 貴方のメリットは……そうですね、確約できるのは我が国の基準から見て不自由のない生活と、魔王を討伐した場合の帰還でしょうか?」
そうして王女様は、話を締めた。確約出来る報酬も誇張せず、ちゃんとしてるのがとてもナイスだ。メリットとデメリット、嘘と真実をを色々と考えるに、国に使い潰されるよりはこの王女様に使い潰される方がよっぽど楽しそうだ。
どうせ使い切ったと思ってた命だ。拝啓別世界にいる父さん母さん、俺は異世界で今も元気です。これからは分かりませんので、もし親不孝な真似をしたとしてもお許しください。
「分かりました。
これまでの無礼な態度、大変失礼しました王女様。この欠月 諸葉、微力ながら力を振るわせていただきたいと思います」
「公式の場以外では、砕けた口調で構いませんよモロハ。そして、私のことも気楽にマルガとお呼びください」
「了解しました、マルガ王女」
そう言って俺は、残った右腕を握手の為に差し出した。一瞬だけマルガ王女は戸惑った様子を見せたが、すぐにあの少年の様な笑みを浮かべて対応してきた。
これが俺の異世界人生を変えるきっかけとなった、
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05 再会
「さて、では行きましょう」
話す要件は伝え終わったという事か、マルガ王女は立ち上がり着ているローブの裾を払う。一応付いて行こうと立とうとした時に、癖なのか左側にバランスが崩れた。倒れることはなかったけれど、これを平常にするまではかなり不便そうだ。
「そういえば、これをお渡しするのを忘れてましたね」
「これは……?」
informationーー再最適化を実行しました
若干ふらついていた俺に布に包まれた長い何かと、それに引っかかったシャツが投げ渡された。一応後者は着ろって事だろう。
「流石にその格好は学友の目に悪いでしょうし、服を着てください。もう片方は、予想出来てるかもしれませんがあの槍擬きです」
「アレですか。けれど、何故あれを?」
「あの刃の部分、元はそれなりの物だった様なので、勝手に強化安定化しました。クソみたいな私のスキルですけど、今回は幸運でした」
そんな多少はマトモな武器だったのか、ゴブリンが持ってた癖に。自分がやらかした行為が結構な偉業に思えて、ただの自殺行為だったと再認識してその自信を無かったことにする。
そんなセルフチートをしている俺をよそに、マルガ王女は「私にこんなスキルを持たせた奴、絶対狙ってますよクソが」と口汚く誰かを罵りながら廊下に出て行った。俺も付いて行ってるのだが。
「何ですか、《昇華》と《安定化》って。そりゃ確かに、こうして武器に使えば有用ですよ? ですけど、絶対この組み合わせアレですよ。安定化で確実に子種を孕んで、昇華で優秀な次代を産む為の母体にする為の、政治の道具にされるに決まってるんだっつーの。ファック」
「軽く政治の闇ですね。後口調やさぐれてますよ、マルガ王女」
槍を包んでいた布を口で解き、中身を確認しながら意見を進言する。この廊下、案外響くから注意しないとマズイと思うんですよね。仮にも王女様がしちゃダメな指の形と形相は、見なかったことにしておく。
「おっと、そうでしたね。気をつけなければなりません」
そう言って口調を整えてる王女様の後ろを歩きながら、マルッと様子の変わった元槍擬きを見る。刃は錆が完全に消失し鋼の美しさを取り戻し、嵌め込み棍棒で叩いて整形しただけの接合部は完璧に1つのパーツとなっていた。元は唯のモップの柄だった部分は、よく分からない紋様とグリップが追加されている。石突も生成されてるし、何だか様になってるじゃん。
「さて、収納っと」
このまま皆の前に行くのは印象が良くなさそうなので、布と槍をチートに収納する。あ、これ容量ほぼ一杯だわ。
「排出」
遺体は消えたが血に塗れたままの廊下に、邪魔なデスクとオークの心臓及びその周辺を捨てる。この感じだと大体あれだな、俺のチートで収納出来る広さは1辺2mの立方体程度らしい。
「それがあなたのスキルですか?」
「ええ、まあ。小さいけれど別の空間にものを収納する、パッとしないスキルですね。暗殺とかには有用でしょうけど」
こんな考えが1番最初に出てくる辺り、結構な具合で俺の頭は異世界に毒されたらしい。それもそうですねとマルガ王女も同意してる辺り、この異世界が真っ黒と言うことが推し量れる。
「それでは、私はここまで。1人で級友と会ってくるといいでしょう。ほぼ全員、未だここに残っていますし」
「お気づかい、感謝します」
「念の為言っておきますけど、さっきの話は他の人にはナイショですからね!」
「分かってます、マルガ王女」
一礼してから階段を登り、防火扉のドアを開けて2階に俺は戻ってきた。ざっと見渡して見ても、俺が血を撒き散らしたりゲロった痕跡は既に無くなっていた。騎士っぽい人達ぐう有能。
そんな事を考えながら歩いていき、今までと何ら変わらない風に教室へと入った。凄く視線が集まるけど、10人弱しかいないしどうでもいいだろう。
「痛たた……暫く駄目だなこりゃ」
マルガ王女といた時までは平静を装っていたけれど、普通に全身の痛みがぶり返してきた。普通絶対安静の中動き回ってるんだから、しょうがないと言えばそうとしか言えない。自分の席から見える風景が嫌に懐かしい、思えば遠くまで来たものだ。遠くってどこだろう?(哲学)
自己否定ーー混乱を否定しました
「お、おい」
チートスキルにツッコミを入れられげんなりしていた俺に、そんな声がかけられた。声のした方向を向けば、視界に映ったのは例のぽっちゃり体型の男子。確か名前は──
「鈴木だっけ?」
「鈴森だ! と言うかお前、大丈夫だったのかよ? 2日も寝てたんだぞ?」
2日も寝てたのか、驚きだ。それはそれとして、大丈夫かとはこれまた異な事を言う。
「これを見て無事って思うんなら俺は無事なんだろうね」
そう言って俺は、ペタリと潰れた袖口を見せる。自嘲気味に笑って見せた俺を見て、鈴森が一歩下がったのが見えた。
「お前、その腕……」
「皆がぐーすか寝てる間に、色々あって単独行動して無くなったよ」
最後まで誰かが起きて助けてくれたり、チートが一掃してくれる事はなかった。その事の八つ当たり気味に吐き捨てた俺に対して、前の方の席に座っていた男子が乱暴に立ち上がった。
憤怒の形相を浮かべこちらに向かって歩き、そのまま鈴森を突き飛ばし座っている俺の胸倉を掴んで立ち上がらされた。鈴森の怒声から察するに、荒木と言うらしい。
「なんで、テメェは後輩を助けなかった」
「余裕がなかったから。というか、1人にそんな期待するなよ」
キレている荒木を冷めた目で見返しながら、俺はそう言い返す。1人で出来る事なんて、限界があるに決まってる。
「なら誰でも良いから起こせばよかっただろ! そうすればあいつは!」
「防火扉を無理やり開けた時、クソ煩いサイレンが鳴ったのに誰も起きなかった。そんな状況で、誰かを起こしに行く意味なんてない」
「だったらテメェが、上の階の扉も閉めれば良かったんだよ!」
そう怒鳴られ、俺は投げ飛ばされた。右肩からだから良かったけど、左だったら流石の俺もキレてただろう。というか、今ので全身の痛みが悪化したんですが。
ふらつきながら立ち上がり、再び冷めきった目で見返しながら俺は言い返す。少し前までより痛くないと感じるのは、強化されたからか狂ったからか。
「じゃあ聞くけど、左腕をへし折られて、ガラスで色んな所が切れてる上にガラスが刺さって、内臓も破裂してたと思う状況で、お前は何が出来ると?」
「人型の生き物を殺したのに、狂わない自信は? 折れた腕を無理やり添え木で補強して、剣なんて物騒なものを奪って命を殺す事をして、狂わない自信は?」
「バラバラにされた人の死体とか、それが食われてるところとか、化物に回されてる先生方を見て、腕をグチャグチャに握り潰されて、なんともならないって言えるの?」
自分が見て来た事を冷静に述べながら、一歩一歩足を進めて行く。改めて考えると、チートが働いてくれなかったら、確実に狂ってた事間違いなしだ。
「もしそれが全部出来るって言うなら、俺の怠慢だったって認めるよ。そっちの事情は知らないけどさ、現場を何も知らない奴が語るなよ」
自己否定ーー怒りを否定しました
壁際まで荒木を追い詰め、その目を覗き込んで俺は言い放つ。チートによって感情は既に冷めているけど、言葉は言い切れたから問題ない。
「チッ」
そのまま目を覗き込んでいたけれど、舌打ちと共に逃げられてしまった。言いたい事があるなら、しっかり言い返せば良いのに。教室から出て行っても、何の解決にもならないっての。
「はぁ……」
溜め息を吐いて席に着くと、周りが怯えたような目で見つめてくる中再び鈴森が話しかけて来た。椅子の向きを変え、どっかりと座ってる辺り話をがっつり聞く体制に見える。
「さっきの話、全部本当なのか? 欠月」
「本当だよ。まあ、すぐに死にかけて助けてもらったけど」
そう返事しつつ、俺は自分のバッグの中を漁る。多分ここら辺に隠してた食料が……お、あったあった。かなり腹が減ってるし、たとえ気休めでも補充しておきたい。
10秒チャージの宣伝広告通りにエネルギーをチャージしていると、俺を真っ直ぐに見て鈴森が問いかけて来た。
「お前、自分で言っててそれ、なんとも思わないのか?」
「なんともって?」
「██とか思わないのか?」
「え?」
鈴森が今言った言葉が、一部だけ何故か
「ごめん。もう1回言ってくれ」
「だから、██とか思わないのかって」
もう1度言ってもらったが、何も変わることはなかった。何故自分は、認識出来ないのか。確実にチートが原因だと思うのだが、どうしようもなくこの現象が──なん、なんだろうか?
informationーー██は既に消去されています
自己否定ーー狂気を否定しました
まあ、どうでもいいか。そんなものの優先順位は、はっきり言って下の下に過ぎない。目の前の飯の方が、軽く順位は上回っている。
「いやまあ、別に。特に何も?」
「お前、狂ってるよ」
「知ってる」
言われなくても、そんな事はとっくに自覚している。極限状態だったとはいえ、何も感じず生き物を惨殺出来る日本人が正気でたまるか。食べ終わった容器をゴミ箱に向けて放る。
「……何も言わないのか?」
「改めて、そんなになるまで働いてたお前に、俺が何かを言う資格はあるのかって思ってな。慰めるにしろ怒るにしろ、さっきお前が言ってた通りだしな……」
そんなことを言う鈴森に、俺は目を丸くした。
「鈴森って、案外真面目に考えてるんだな」
「おま、俺のことなんだと思ってたんだよ!」
「俺みたいなボッチに構ってくれる、おせっかいなぽっちゃり」
「酷くね!?」
少し前の様に笑う事は出来なかったが、それでも少しだけ日常に戻ってこれた気がした。
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06 王都
ゴトゴトと、荒れた道を馬車が走って行く。
同級生の誰もが客車の中にいる中、俺は1人だけ屋根の上にいた。バサバサとはためくマントの煩わしさを我慢してまで、こんなところに居る理由は単純。先に帰ってしまったマルガ王女の言を信じるなら、俺の様な完全でない人間はこれから行く王国では病的なまでに嫌われている。ならば、そんなモノを勇者とは認めず謀殺される可能性が高いと考えるのは必然だ。
「ま、誰かを巻き込むのも癪だし」
幾らほぼ対立した関係になってしまったとはいえ、クラスメイトはクラスメイト。車内に毒を投げ込まれるとかの方法を取られた場合、俺以外も必要経費と割り切られたら。そう思うと多少申し訳なくなり、自分にもまだマトモな感性が残ってたのかと驚いたりもした。
「事実、何回かあったし」
誰もが寝静まった頃に、数台の馬車で移動してるというのに、俺たちの所だけを狙った明らかに装備の良い盗賊が襲来する事2回。白昼堂々、不自然な量の化け物……魔物というらしい……が襲来する事3回。嫌な予感がしたスープを鳥に上げてみたら、泡を吹いてひっくり返った。
襲撃は槍と《亜空間収納》でオークに行った抉り取る攻撃で全員を屠り、魔物の群れはクラスメイトが殲滅したが、最低でもこれだけ俺は殺されかけている。お陰で学校を出てから気を休められる時間はなく、最近の眠りはとても浅い。
「ふわぁ……眠」
今日で最後らしいが、そうしてくれないと流石に限界である。先生方の遺品や、学校の備品の残りを回収したりしていたせいで学校ですらあまり眠れてないのだ。身体が休息を求めている。
けれど、まだ遠くではあるが人工物が見えてきたのでそろそろだろう事は分かる。漸く、この疲れる旅路も終わりだ。
「勇者様! そろそろ車内にお戻りください!」
「了解です、ハリスさん」
ここ数日で多少仲の良くなった御者さんから声がかけられた。流石にこの距離になると、屋根の上に人がいるというのは体裁が悪いのだろう。そういう事にしておく。
足で走行中の客車のドアを開け、右手で屋根のへりを掴んで客車内に無理やり帰還する。途端に、あの教室の出来事があった所為か、鈴森以外の数名の雰囲気が固くなった。こうなるから嫌だったのに。
「王都まで、もうすぐらしいよ」
「そうか、やったなみんな!」
鈴森がそう呼びかけてくれるが、反応は薄い。
まあ、日本の常識に照らし合わせたら俺はもう殺人鬼だし、仕方ないだろう。不意打ちで襲ってきた魔物を斬り殺した所為で、血塗れの姿も見せちゃった訳だし。夜中のうちに川で血は落としたけど。
「というか欠月、お前クマが凄いけど大丈夫か?」
「駄目」
「じゃあ寝とけよ」
「……そうする」
どうせ浅い眠りだけど、しないよりはマシではある。何かされたら起きるだろうし、毒物を投げ込まれる可能性も低いだろう。ちょっとくらいなら気を緩めてもいい、気がする。
◇
馬車の減速する感覚に目が覚めた。一応、五体不満足ではあるけど生きているらしい。眠った事により多少軽くなった体も、体調にも異常なし。唯一の問題は後を引く眠気だが──
自己否定ーー眠気を否定しました
チートがそれを掻き消してくれたお陰で問題はなくなった。目ヤニを取り、一度頭を振って完璧に目を覚ます。
「眠れたか?」
「全く」
心配してくれた鈴森に対して、全くそんな事はなかったと答える。眠っても、夢を見る事さえないのだ。悪夢に魘される事がないのは幸いか。
極めて気まずい空気を避けるために窓から外を見ると、そこにはアニメの様な光景が広がっていた。綺麗に舗装された石畳に、中世とかいう判断はつかないけれど如何にもファンタジーな街並み。一見清潔で整えられている印象を受けるが、目に入った裏路地にボロボロの子供の姿が見えたから排除されているだけだろう。
何処となく町人に活気がないのは戦時中だからだろうか? まあ何にしろ、ロクでもない事だけは確かの様だ。
「すげー街だよな! めっちゃファンタジーじゃん!」
「そうでもないんじゃないかなぁ……」
今はまだ裏切られない信用があるから、気を許せているけれどこれからはそうはいかない。約束通り情報は漏らす気はないけれど、不信感を覚えてもらう位は大丈夫だろう。
そんな感じで流れる風景を眺める事数分、如何にもな城門を抜けて馬車が止まった。執事風の人が扉を開けて、1人1人丁寧に馬車から降ろしていく。けれど当然最後の俺が降りる番となった時、既にその執事らしき人はいなくなっていた。
「ま、そうだろうね」
1人で客車から降り扉を閉め、少し離れてしまった皆に追いつける様早足で歩いていく。どうせ敵地だ、気を散らされる相手が減ったと思えばいいだろう。
執事の人からの厳しい視線によって、今降りていったクラスメイトの集団から数歩遅れて歩く事を余儀なくされ、ゆっくりと城内を進んでいく。何やら前で解説してるらしいが、こちらには聞こえない辺り徹底してると思う。
「にしても、本当に肖像画なんてあるんだ」
一応こんな状態でも俺は男子だ。飾ってある騎士甲冑や、実態はどうあれ王族の肖像画。極めて豪華なシャンデリア等々、気になるものは結構あるのだ。
様々な物に感心しながら歩き歩いて辿り着いた、衛兵が2人駐在している大きな扉。皆が入った後俺もそこに入ろうとすると、衛兵が槍をクロスして俺を阻んだ。
「……成る程」
事態を察した俺の前で、ゴゴゴゴという音を立てて扉が閉まっていった。
「「貴様の様な欠陥品は、勇者には不要である!」」
訓練された兵士にとって、俺みたいなクソガキを殺すのは温かいバターを切る様なもの。加えて2対1で、こちらは隻腕。向こうも長物だし、何がどうあっても勝ち目がない。
幾ら槍を向けられてるとはいえ、ここは日本ではない。武器を取り出した瞬間、不敬罪で打ち首だろう。かと言って、背を向けたらバラバラ死体の出来上がり。詰んでますね。
「すみませんね、衛兵さん方」
こんな死に方かと諦めていた時、そんな声がかけられた。振り返ると、そこにいたのは俺が姫様の代わりに現状を伝えたあの人だった。
「ちっ、冒険者上がりが。何の用だ!」
「そこの坊主、もううちの姫さんのモノなんだわ。意味分かるか?」
「ちっ」
睨み合うこと数秒、俺に向けられていた槍は降ろされた。けれど扉が開けられる事はなさそうだ。まあ、少しは見れたし文句はない。
「こっちだ。付いて来い」
「はい」
衛兵'sから汚物を見る様な目で見られながら、この場を後にする。そして衛兵'sの姿が見えなくなったあたりで、騎士っぽい人が声をかけてきた。
「すまんな。助けに入るのが遅れた」
「いえ、不用心に行動した俺も悪かったと思います」
あの場で何が出来たかは知らないけれど、ほいほい付いて行った俺が間違いだった事くらいは自覚している。1回くらい、好奇心を否定してくれても良かったのになんて思ってしまうくらいには。
「随分と自己評価が低いんだな」
「自分の事なんて大嫌いですし、命を救われてますから」
あのまま見殺しに出来るのを、態々助けてくれたのだ。マルガ姫に対して迷惑をかけた時点でもう自己評価なんて0だ。心構えを出来てる様で出来ていない。つくづく自分が嫌になる。
そう自分で自分をバカにしていると、ぐしゃりと乱暴に頭を撫でられた。
「ちょっ」
「謙虚は美徳だが、あんま自分を卑下するんじゃねえ。そんな事じゃ、いつか自分を見失うぞ」
「そういうもの、なんですかね」
あんまりそういう実感がない辺り、もう手遅れな気しかしない。そもそも自分なんて、とっくに見失ってる気がする。チートの所為で、既に感情を何か1つ無くしているのは確かなのだ。その時点で人間性は狂ってるだろう。
「そういえば、貴方の名前はなんと言うんですか?」
「ヘルクトだ。元冒険者だが、一応姫さんの近衛をやっている」
何処と無く自嘲気味の言葉に、若干の違和感を覚える。ああ、そういえばさっきの衛兵もなんか馬鹿にしてたっけ。
「冒険者って、そんなに微妙な立場なんですか?」
「妙なところで察しがいいな。冒険者なんて、貴族の認識じゃ山賊となんら変わらない。大半はマトモだが、一部の素行が悪くてな」
「ピンキリって事ですか」
「そうだな。1発大当たりをしたり、俺の様に召し抱えられたりする可能性があるから色んな奴らがやりたがる。ギルドは基本、差別なく受け入れはするからな」
なるほど。そこはかとなく異世界の闇を感じる説明だった。やっぱりこの世界はロクでもない場所だ。
そんなこんな話を続ける間に、俺たちは王城を出て行ってしまった。
「あの、出て行っていいんですか?」
「うちの姫さんは、基本城にはいないからな。それともあそこに留まって殺されたかったか?」
「それなら納得です。それに、こんなところで死ぬのは御免ですよ」
折角ここまで生き残ったのに、そんな命をドブに投げ捨てる真似をする訳がないじゃないか。片腕が無い事の何が問題なんだって話だ。個人的には不便だが。
「その意気だ。そうじゃねえと、俺が直々に鍛えてやる意味がないからな」
「えっ」
なんだか今、凄く不穏な言葉が聞こえた気がするんですが。この背は180cm代、髪は茶、筋肉モリモリのマッチョマンに鍛えられるのか。あのあの、俺、はっきり言って付いていける気がしないです。
「大丈夫だ、男ならなんとかなる!」
「駄目みたいですね」
(察し)と付きそうなテンションでため息を吐いた俺の前で、ピタリとヘルクトさんが立ち止まった。何事かと思い前方を注視すれば、そこにはとても豪勢な屋敷だった。
「ここが、普段姫さんがいる別邸だ。ここにいるやつらは全員、姫さんと何らかの関係があって裏切る心配のねえ奴らだ。その目の下を見る限り、ここ最近寝てねえだろ? 客間に案内するから、姫さんが帰ってくるまでそこで休むといい」
「ありがとうございます」
眠気はチートが消してくれるけど、身体の疲労自体は回復しない。この提案は、渡りに船の様なものだ。信用するしかない相手からの申し出だし、受けない事は出来ない。
まあここはマルガ姫の城の様だし、ここで休んでおいた方が良いだろう。寝れるとは、限らないけど。
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07 修行
「ったく、お前あんな所で寝てるんじゃねえよ。ビビったじゃねえか」
「最近仮眠がずっとあの体勢だったので……」
眠っていた俺を起こしたヘルクトさんが、俺を案内しながら愚痴る様に言う。まあ、ベッドがあったのにそこで寝ず、ベッドの足に寄りかかって寝てた俺が原因だから何も言えない。下手に転がると、左肩が死ぬほど痛いんだから仕方がないだろうとは思うけど。
「それに、この通り腕がないので何かに寄りかかってた方が寝やすいんですよ。多分」
「まあ、睡眠の取り方は人それぞれだしな。アレで寝れてるなら文句はないさ」
「いつかはまともに寝たいものです」
そう俺が茶化して言った所、なんだか深刻な表情をしてヘルクトさんは黙り込んでしまった。何か問題発言でもしてしまったのだろうか?
気まずい空気のまま歩き、辿り着いてしまった大きめの扉。多分、ここが姫様のいる部屋なのだろう。
「連れて来たぞ、姫さん!」
「ええ、入っていいわよ」
その返事を待って扉が開かれる。その先に居たのは、ドレスやらティアラを纏った如何にもお姫様といった様子のマルガ姫だった。いや、実際第2王女だから間違いではないのだが。
けれどそんな事より目にとまるのは、長いテーブルの上に出された料理だ。パンにスープ、それに少しの果物があるだけの食事。けれど、何だかそれを見ただけで涙が出て来た。
「ちょっ、どうしたんだお前さん」
「こっちに召喚されてから、携帯食料と栄養補給食、襲ってきた魔物を自分で捌いた肉しか食べてなかったので……」
「おま、一応勇者だろう!?」
「毒を仕込まれてたので」
毒だけに、笑顔で毒を吐いてみる。
食事には毒が仕込まれている。けれど食べないと飢えて死ぬ。だったら、仕方ないから野生動物を狩るしかない。そんな考えの末、襲ってきた蛇の魔物を殺して食べるとかいう暴挙に出るしか無かったのだ。水も同様で、深夜に近くの川の上流まで行って汲んでいた。勿論お腹は壊した。
そして、この時毒抜きのやり方を教えてもらったのがハリスさんだ。まあ、この後のスープに仕込まれてた毒の症状、今考えればその抜いた毒だったんだけどね。真っ黒じゃねえか!
「やっぱり殺そうとしてやがったよ、あのクズ。
そういう事なら、色々な説明の前に少々夕食には早い時間ですが、食事としましょう」
「ありがとうございます」
久方ぶりに食べる、ちょっと全身が痺れる蛇肉以外の食べ物。しかも苦味以外のちゃんとした味があるし、筋張ってたり硬すぎたりしない。何かを仕込まれると警戒する必要もない筈だし、どこかから襲われても大丈夫な様臨戦態勢でいる必要もない。
なんだろう、本当に美味しいなぁ……
◇
「では、今モロハが置かれている状況の説明に入るわ」
食事が終わり、お姫様モードの名残が欠片も無くなったマルガ姫が俺を指差して話を始める。これ、頷く以外の返答出来ない奴だわ。
「あなた達勇者が召喚された理由は、この前説明した通り捨て駒よ。けれど、流石にあのクズでもあなた達を即最前線に送り込むなんて真似はしないわ。今のあなた達では、精々肉壁程度にしか役に立たないから」
「ですよね。今まで俺が生き残れたのが奇跡ですよ」
寝込みを襲われた時だって、不意打ちで1人の心臓を抉り取って、それで動揺してる1人のをまた抉り取って、最後の1人はまぐれだったし。
「そうね。ここまで来れたのは奇跡だし、王城で武器を抜かなかったのは褒めてあげるわ。その時点で極刑だもの」
「やっぱりですか」
「そうよ。そうなってたら幾ら私でも庇いきれなかったわ。
話を戻すわよ。あのクズも、あなた達を最低限戦えるように10日程鍛えるわ。その後、小さい戦場に向かわせ経験を積ませ、ある程度強くなったら最前線って流れね」
馬鹿ではないという事か。クズな奴程得てして頭が良く回る、やっぱり世界は違えども人間なんて然程変わる事はないらしい。
「それで、やはり俺はそこには」
「含まれないわ」
だろうと思った。暗殺してくるような奴が、まともに気をかけてくれる筈が無い。アレコレ理由をつけて、俺なら大丈夫とか説明しているんだろう。そして強制的に呼び出して、勝てない敵に送り込むか暗殺。はいはいテンプレテンプレ。
「でも残念ながら、私が保護したと言っても勇者である以上あなたも駆り出されるでしょうね。だから、約束通り補助はしてあげるわ」
「ああ、それでヘルクトさんが」
「話が早いわね。早速この後から鍛えて貰うといいわ」
「お前さん達、会話が速えよ……」
圧縮言語になってないだけマシだろう。そう思って首を傾げていると、ヘルクトさんは頭を抱えてしまった。情報は出ているのだし、これくらいの予想は不思議じゃないと思うんだけど。
「それじゃあ、私はもう寝るから後は好きにしなさい。精々生き残れるように鍛えてもらいなさい。ヘルクト、後は任せたわよ」
小さく欠伸をし、ひらひらと適当に手を振って姫様は出て行ってしまった。そんな奴が父親で、尚且つ勇者の相手もしないといけない上に、隠し事がバレないようにする。ストレスも疲れも、溜まりに溜まってどうにかなってしまうんじゃなかろうか。休むのも当然だね。
「はいよ。そんじゃ行くぞモロハ」
「了解です」
そうやって俺が案内された場所は、意外な事に屋敷の地下だった。多分魔法的な原理で天井が光っており、外は暗くなり始めているというのに明るい。そのお陰か、床に敷き詰められた土には雑草が生えている。
「訓練場ですか」
「そうだ。今日は、食後の軽い運動くらいの気分でいい。確かお前の得物は槍だったか?」
「そうですね。技術の「ぎ」の字もありませんけど」
そう自嘲しながら、投げ渡された木製の長槍を受け取る。……普段使ってるアレよりもずっと重い。振るのすらギリギリかも知れないな、これ。
「今のお前の技量がどんなもんか試してやる。来い」
「それじゃあ、胸をお借りします!」
精神を集中、しっかりと槍の中程を握り、木剣を持ったヘルクトさんに向かいダッシュする。定石通りならあり得ないし、あったとしても突きに移行する行為だけど、俺には出来ない。
幾ら強化されたらしい体とはいえ、片腕での突きなんて威力はたかが知れている。防がれ痺れて槍を落とし、チェックメイトされるだけだ。だから唯一希望が持てるのは、遠心力が加わる方法!
自己否定ーー躊躇を否定しました
「シッ!」
「ほう、素人にしてはやるな。だがそれまでだ!」
思い切り下段から跳ね上げた一撃、それは木と木のぶつかる鈍い音をたてて呆気なく防がれた。衝撃で痺れる腕を庇う事もせず、反撃として入れられた蹴りを曲げた左脚で受け止める。
「がっ!」
受け止めた膝を起点に全身に衝撃が走り、一気にこの部屋の壁に叩きつけられた。治りかけの身体にはキツすぎる攻撃、多分どこかの傷は開いてるだろう、血の匂いが鼻につく。
自己否定ーー諦めを否定しました
けれど、この程度で諦めたら稽古をつけてなんてもらえないだろう。ガクガクとしてロクに動かない左脚を無理矢理動かし、槍を支えに咳き込みながら立ち上がる。
「けほっ、ごほっ」
「お前、本当に素人かよ……」
「死にましたけど、修羅場、潜ってるので」
まあ、膝が割れてる気がするけどご愛嬌。動くから、折れてはないから使う事が出来る。
「《収納》」
自己否定ーー躊躇を否定しました
足元の土を僅かに収納し、痛む脚を無理に使って駆ける。速度はさっきの半分ほどしか出ないが、今度こそ!
「《排出》!」
「しゃらくせぇ!」
思いついた即興の策であった目潰しは、手で振り払われてしまった。そしてそのまま、こちらを幹竹割にする軌道で木剣が振り下ろされた。
自己否定ーー躊躇を否定しました
「うっそだろおい」
「らぁッ!」
振り下ろされた木剣を、マントで隠れている左腕があった場所を通し回避。脇に槍を挟んでそのまま突撃した。
「一撃、入れてやりましたよ」
脂汗を流しながら、俺はそう呟く。ヘルクトさんの腹筋で見事に木槍は止まってしまっているが、チートを使って良いならこれで致命傷だ。腹部を30cmも抉られて無事な人間なんているまいし。
まあ、木剣が直撃した左脚がダメになってるから俺の負けだけど。というか痛い。真面目に痛い。腕よりはマシだけど、死にそうだ。身体を支えるのが限界に達し、俺は床にどさりと崩れ落ちる。左肩から、思いっきり。
「痛ぁぁ!」
「ちょっ、お前避けきれてないのかよ!」
「そりゃあ、ぺーぺーの雑魚ですからね!」
身体をずらしただけだから、避けられる訳がないんだよなぁ……こちとら正面から戦って、勝てた試しが1回もない雑魚ですから。ゴロゴロ転がって誤魔化そうとしたが、恐らく折れた左脚のせいで激痛を発するだけの無駄な行為だった。
「痛みって、慣れないものですね」
「ああもう、ちょっと待ってろ! 癒術師のばーさん呼んで来る!」
訓練なのに大怪我を負わせたら大目玉なのだろう、悪い事をしてしまった。そんな事を思い待つ中、ふと頭にチートな事が思い浮かんだ。
「もしかしたら、痛みも否定出来たり?」
自己否定ーー判定に失敗しました
「あ、何かいけそう」
判定に失敗という事は、数を撃てば出来るかも知れない。そう思い判定を続ける事数分、その時が来る前にヘルクトさん達が戻ってきてしまった。無念。
「また派手にやったねぇ、ヘル坊」
顔を上げ見たその人は、腰の曲がったおばあちゃんだった。杖を突き、こちらの脚を見て咎める様にヘルクトさんに話す口調は、年の功的なサムシングが感じられる。
「gq;e7d9、ckteuw@zzne7p
ーーvー.6ー.」
そして、何時ぞやのよく分からない言葉で何かが紡がれ脚が暖かい光に包まれた。するとどういう訳か、みるみるうちに痛みが引き骨が繋がっていく。脚から腰に、腰から胴体に、腕に、頭に。他の痛んでいた部分も、痛みが引いていく。
「こんなもんだね。あんまり無茶するんじゃないよ」
「すみません」
挨拶は大切。どこの世界でもこれが変わる事はない筈だ。手を借りて立ち上がった後、深く礼をする。
「ヘル坊も、あんまり痛めつけてやるんじゃないよ?」
「分かってるつーの!」
「本当かねぇ」
老婆が深く深くため息を吐く。そしてこちらを一瞥し、もう一度ため息を吐いた。えっ、俺も?
「2人とも、さっさと風呂にでも入って寝る事だね。特に若いの、あんたは早く休みな。酷い顔してるからの」
そうやって俺たちは、訓練場からしっしと杖で追い出されたのだった。というか、風呂なんてあるんだこの世界。
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08 術技
日本の銭湯風の風呂に浸かり、泥の様にこんこんと眠った翌朝。
修行という事で、太陽の出てない時間に起こされるのは問題ない。そのまま街を走らされるのも分かる。朝ご飯も、非常に美味しいので文句は一切ない。
「ですけど、なんで俺が女装しなくちゃいけないんですか……」
肩の長さ程まである整った藍の長髪、日本人である事がよく分かるブラウンの瞳。そこに薄いピンクがベースとなったドレスを着て、履いているのは編み上げブーツ。それが今の俺の格好だった。「声が少し高くなる」とかいう魔法を姫様にかけられてる事もあり、どうにも落ちつかない。
怒るほどの体力はないけれど、愚痴を言うくらいは構わないだろう。香水を付けられたし、品質がいいのかカツラは全然落ちないし、無駄にサラッサラだし。
「あら、似合っているしいいのじゃないかしら?」
「俺男なんですよ…?」
「別にいいじゃないの」
そう言うマルガ姫の顔は、どこからどう見ても愉悦に歪んでいる。俺をこんなにして楽しんでいる事は明白だ。命を救われている以上何も文句は言えないし、理由は色々あるけれど!!
「師匠もなんとか言って下さいよ!」
一人称を変える気は無いが、ヘルクトさんに対する呼び方は変える事にした。一々名前を呼んで付いていくのは雛鳥みたいだし、かと言って他の呼び方と言ったらそれしか思いつかなかったのだ。
「どっからどう見ても女だな。脱がねえ限り男とバレる事はねえだろうし、片腕がないくらい気になんねぇな!」
「そういう事じゃないんですよバーカバーカ師匠のバーカ!!」
「やべえ、何か目覚めそうだ」
ゾクゾクっとしている師匠をジト目で見ながら、残っているパンをスープに浸して口に運ぶ。相変わらずとても美味しい。
「それに片腕の男だと忌避されても、女性ならそうではないでしょう? 男のまま出歩いて何かされるくらいなら、多少の恥辱に耐えて女装して出歩いた方が良いのではなくて?」
「くっ……」
正論すぎて、何も言い返せない。
確かに師匠に連れられて走り込みから帰ってきた時、忌避されると言うよりは同情する目が向けられていた。走ってる時の半袖にスカートとかいう最悪の格好で、片腕が強調されていたからという事もあるだろうが。
「ああ、それと。この後私の部屋に来なさい。最低限の魔術を教えてあげるわ。天才であるこの私がね!」
「何から何まで、ありがとうございます」
「使える人材を育成するのに、手間は惜しまないわ」
折角手ずから拾ってきた人材を、何もせず放置して死なせるのは……という事だろう。どうにも勇者っていう存在は、かなりの伸び代があるらしいし。俺にもあるのかは知らない。
「姫さんの魔術の講義が終わったら俺の番だな。槍は専門じゃねえが、少しは教えてやる」
「今度は足、折らないで下さいね?」
「ハッハッハ」
「笑い事じゃないんですけど!?」
この束の間の平和も、続くのは後9日。それまでに幾らか技術をモノにしない限り、恐らく俺は戦場で死ぬのだろう。嫌だとも言ってられないし。
「ほんと、ままならないなぁ……」
◇
「早速、魔術の講義を始めるわ」
「はい!」
食後、案内された場所は
「まあ、私も忙しいし教えられるのは初歩の初歩ね」
その言葉に俺は無言で頷く。それを確認して、姫様は話を続けた。
「魔術とは、力ある言葉によって世界に語りかけ、己の内にある力を起点に力を行使する術よ。使える力の限界は個人によって違い、使えない者も勿論いるわ」
それが、あの聞き取れない言葉という事なのだろう。俺にもその才能とやらが、欠片でもあれば良いのだが。
「本来なら時間をかけて、自分の内の力を自覚する為の修行をするのだけれど、今は時間がないわ。これを飲みなさい」
姫様が棚から抜き取り、こちらに放ってきた試験管をキャッチする。非常に毒々しい蛍光グリーンの液体で試験管は満たされており、正直な意見非常に飲みたくない。
「それを飲めば、自分の内の力がある場合強制的に自覚出来るし、ないならクソ不味いだけの液体よ」
「な、なるほど……」
自己否定ーー食欲を否定しました
自己否定ーー躊躇を否定しました
まあ、うん。その程度の物ならば、躊躇う必要はないだろう。
覚悟を決め、鼻を摘まみ試験管の中身を飲み干す。筆舌に尽くしがたい悍ましい味に味覚を破壊されながら、自分の中で何か変な力がドクンと脈打ったのを感じた。続いて、全身に焼け付く様な痛みが走った。これくらいならまあ、耐えられるが。
「気が付いたわね? それが内の力、魔力よ。取り敢えず今日1日、その力を意識して忘れないようにしておきなさい」
「はい!」
自覚出来る量は、ハッキリ言って多くもなく少なくもない微妙なラインだった。予想通りだったけれど、俺は魔法使いタイプでもないらしい。
「魔力は意識してないと沈み、すぐに呼び起こす事は難しいわ。自覚出来ている今のうちに、貴方達の言葉を借りるならトリガーとなる何かを決めておくと良いわ」
「成る程、そういうものなんですね」
要するに、イメージとしては某元エロゲの魔術と言う事で良いのだろう。俺にお似合いのイメージ……握り潰された左腕だろうな。うん、とてもしっくり来る。
「決まったようね。それじゃあ、これから本格的な物を教えるわ」
小さく頷いていた俺を見て、満足そうに姫様が話し始める。
「今頃王城では攻撃魔術を教えてる所だろうけど、あんな派手なだけで、維持難易度の高い上に燃費も悪いものは教えないわ」
「夢がないですね……攻撃魔術」
「当たり前よ。生き物を殺すために発展した技術だもの。夢なんて物が関係してくるのは、個人が趣味で開発している物か戦略級の物だけね」
こちらを咎める様に姫様が言ってくる。言われてみれば、夢なんて物が介在する余地は無いか。武術も魔術も、あくまで殺す技術。1人で戦略級とかいう夢なら兎も角、それ以外は意味がないという事か。
「故に、私が教える魔術は強化・再生・閃光、序でに変声の4つだけよ。白兵戦じゃ、これだけ使えれば問題ないはずだからね」
最後の1つは絶対に趣味だろう。そうツッコミを入れたいけれど、教えを請う立場な以上文句を言う事は出来ない。
なんて思った瞬間、何かの力を感じ全身から力が抜けた。
「え?」
そう口をついて出た疑問の声も、完全に女の子の方になってしまっている。更に、疑問に思って硬直している俺の左眼が見えなくなった。えっ、本当なにこれ。
「再生だけは難易度も高いし勘弁してあげるけど、強化・閃光・変声の魔術は初歩の初歩よ。今から詠唱は教えてあげるから、1発で成功させなさい」
「成る程、それでこの身体の不調ですか」
「分かってるじゃない。理解の早い弟子は好きよ?」
そう言う割に姫様の口元は愉悦に歪んでいる。絶対に俺で遊んでいる。教える方法も中々にスパルタ気味だし、前途が多難な気がしてならないなぁ……これ。
◇
時間が回る事数時間。丁度午後と言える時間帯に俺は、昨日と同じ訓練場に足を運んでいた。けれど全身を虚脱感が包み、ハッキリ言って体調は非常に悪い。
散々魔術を使わされた所為で、魔力欠乏という症状に陥っているらしい。十分な休養で魔力は回復するらしいけど、多分無理ゲーだ。
「随分と姫さんに扱かれたみたいだが、大丈夫か?」
「ええ、さっきみたいに髪を掴んで引き回されるのに比べたら、幾分かマシです」
少しだけ槍の扱い方を教わり、戦闘が始まって間もなくそれだ。姫様の安定化の所為で桁違いの耐久性がある上、壊れない限り外れないらしいこのカツラ。その長い髪を掴んで壁に吹き飛ばされたのだ。さっき強化の魔術を学んでいなければ、首が折れてた気しかしない。
「文句が言えるんなら大丈夫だな。もう1度来い」
「シッ!」
昨日と変わり、仕舞ってある得物と同じ2mあるかないか程の長さの木槍を持ち、再び吶喊する。そうやって放つ遠心力も乗せた叩きつける様な攻撃を、軽く捌きながら師匠は言う。
「繰り返しになるが、槍ってのは突く為のもんだと思ってるやつが大半だが、実際はそうでもねえ。確かに突きの威力は凄まじいが、叩く方が圧倒的に多い」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「力よ来たれ!」
止められ、跳ね上げられた穂先をどうにか引き戻す。そのまま全身に走る痛みを無視して槍の中段から石突までを強化、振るわれた木剣に当て吹き飛ばされて距離を取る。
「ぜぁっ!」
「しかもお前は隻腕だ。こういう大技は、殺される為の隙を作るに等しい」
握る位置を変え、しならせ叩きつける様に振り下ろした槍は、アッサリと躱され踏まれ槍ごと封じられてしまった。けれど俺だって、このままやられるんじゃ訓練の意味がない。自分の能力を全部使ってこそだ。物語の主人公がよくやるその場で思いついた奥義なんて、現実じゃあり得ないしロクな物でもない。
「《収納》《排出》そらぁ!」
手の内から槍が消失し、次の瞬間には万全の状態で俺の手に戻って来た。チートに収納して、手の内に排出するだけの事をするのに数秒。遅すぎて笑いそうになる。
考えながらも身体を動かし、捻りを入れた突きを繰り出す。両手の物には遥かに劣る威力、けれど威力も速度もリーチも1番ある!
「ま、お前はそれがある分十分に使えるわな」
けれどそんな一撃も、横にした木剣で防がれてしまった。金属の壁にでもぶち当たったかの様な感覚で、思わず木槍を落としてしまった。
「無傷で止められた上に、武器を落としたので失格ですけどね」
「そうでもねえぞ? まだ始めて1日なんだ、十分及第点だと思うぞ」
「はは、ご冗談を」
苦笑いを浮かべて、もう限界だと尻餅をつく。街を走り、魔術を学び、武術を学ぶとかいう事をしている所為で、幾らなんでも体力が尽きかけている。
やらなきゃ死ぬ、Do or Die。その事は十二分に理解しているとは言え、実行出来るかと言ったら別なのだ。
「お、限界か?」
「限界ですよ……吐いてないのが不思議なくらいです」
「なら今日は辞めだな。姫さんも俺も、付きっきりで教えてはいるが暇って訳でもねえ」
そう言い神妙に頷く師匠を見て、気が抜けて大きな溜め息が出てしまう。少しはゆっくり休む時間が出来るかもしれない。
「だから1っ風呂浴びた後、婆さんに頼んで歴史とかを教えて貰いな。いつまでも無知って訳にはいかねえだろ」
「……はい」
どうやら、未だに終わる事はなかったらしい。
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09 自己否定
日も上らぬ内に起きて、早朝に数キロ分ランニングをし、朝ご飯を食べ、魔術の講義を受け、昼ご飯を食べ、戦闘訓練をし、風呂に入り、夜ご飯を食べ、歴史や情勢を学び、眠りにつく。
これが、俺が過ごして来た9日の全てだ。他の皆が王城でどの様に過ごしていたのかは知らないが、密度が異常に濃い日々を俺は送っていた。お陰で、筋肉・スタミナ・魔術・世界についての知識を多少はつける事が出来た。
その証拠に、師匠からは『新兵とタイマンなら負けないだろ』とお墨付きも貰っている。勝てるとは言ってないのがミソだね。魔術? 安定して使えるのは強化と変声だけだ。それも『まあ、及第点ね』との評価だった。けれどまあ、短い修行期間ではあったけれど、少しは自分の力に自信を持っていたのだ。カツラも外してもらえたし。来たばかりの時とは違う、と。
「だけど、流石にこれは予想外だよなぁ……」
警戒し続け、鍛錬を忘れずに馬車で移動する事1週間。俺は当然の様に最前線の、しかも人出の少ない地域に送り込まれた。それは姫様の権限でも止められないし、俺を送り届けた馬車がとんぼ返りする事も予想出来ていた。だが、流石にこんな場所だとは思わなかった。
「ねーねー、勇者のお兄ちゃん。あーそーぼ!」
半袖に制服のズボンという格好の俺の手を、小さな女の子が懸命に引っ張って話しかけて来た。俺としても付き合ってあげたいが、長旅と先程までの会議で疲れてるのだ。休みたいというのが本音である。
「ごめんね、お兄ちゃんちょっと疲れてるからまた明日ね?」
「えー! けちー!」
小さな女の子が、頬を膨らませて俺を叩いてくる。ポカポカと表現出来そうなそれを行う女の子を見て、母親が青ざめて止めようとしているけど気にしないと、笑顔で対応する。お母さんの方は、ちゃんと手で制しながら。
「その代わり、明日になったら遊んであげるから。それでいいかな?」
「うん! いいよ! ありがとう、お兄ちゃん!」
友達と思われる子供の集団に向けて駆けていく小さな女の子を見送り、母親に一礼して、案内された宿屋に向かいつつ考え方を続ける。
だけど、こんなに村に活気があるのは予想外だった。森の中にひっそりと存在しているとは言え、【プラム村】というらしいここは、最前線で取り残された村とは思えないほど暖かい空気に包まれていた。
「じゃあ勇者のにーちゃん、部屋ででいいから何か話してくれよー! 武勇伝とかねーのー?」
「ごめんね。俺、怖い話ばっかりで、あんまり楽しい話は持ってないんだ。頼りない勇者でごめんね」
「来てくれただけで嬉しいからいいぜ!」
子供が楽しそうに笑い、駆け、遊んでいる光景は素晴らしいものだ。先程まで話をしていた大人達の、暗く沈んだ雰囲気の名残を消しとばしてくれるくらいに。
大人達の話によれば、ここら辺一帯は魔王軍の吸血鬼が支配しているらしく、マトモな生活が出来ていないらしい。日々襲撃を恐れ、細々と暮らすのが精一杯なんだとか。
吸血鬼の名前は『ファビオラ=フォミナ』、金髪ナイスバディの別嬪さん(近くにいたおっさん談)らしい。その名前は、お婆さんから習った情勢の話で聞いた事があった。魔王軍の中でも、結構な力を持つ人物と覚えている。
「はぁ……」
それに、そもそも吸血鬼という相手自体が厄介極まりないのだ。人の形をしながら、人を遥かに上回る膂力。蝙蝠に変身する事による、戦闘離脱能力。血を吸った相手を快楽で屈服させ、自分の眷属へと書き換え支配する能力。影や動物を操り、その眼はこちらを惑わす魔眼だ。加えて、銀製か聖別された武器でないとそもそも攻撃すら通らず、それ以外の武器での傷は再生する。
倒す方法は、心臓に杭を突き刺すか日光で焼く事。俺の場合は、姫様が昇華安定化した槍なら可能だし、脳や心臓を抉り取る事でも倒せるだろう。
それもこれも、攻撃を当てられればとの前提付きだが。
無論、俺みたいな半人前には無理である。
俺の様な奴が来たせいで、勝てずにこの人達をぬか喜びさせるだけと考えると……流石に気持ちが滅入る。
「これを解決しろって、殺意しかないだろ」
解決出来ない場合は村人から不満をぶつけられ、万が一解決出来ても疲労で弱っているところなら暗殺が容易に可能。もしくは英雄だなんだと担ぎ上げて、もっと激戦区に投入できる。全くお笑いだ。
だが、こんな事を思える事自体が幸せだったと、俺はこの日の夜に思い知る事になったのだった。
◇
ギィ……という、僅かに木材の軋む音で目が覚めた。浅すぎる眠りが役に立った。状況を改めて認識する。ここは【プラム村】、その案内された宿屋の2階。時間は恐らく深夜帯。状況の変化はなし!
気を引きしめ、開けられた扉に目を向けると、ドアから入って来ていたのは昼間話していた幼女だった。
自己否定ーー眠気を否定しました
どうかしたのと、声をかけようとして異変に気がつく。月明かりに照らされた肌には、血の気が一切なかった。そして、昼間とは違い覚束ない足取りでこちらに進んでくる。
「《収納》《排出》」
嫌な予感を信じ、ベッドを収納し武器を構えて相対する。いつ何が起きても良いように気を張っていると、目の前の幼女が口を開いた。
「お、ニイちャん? なんデ、そンな、こワイ顔、シテるの?』
「っ」
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
それは昼間会った時と変わらないようで、まるで違う声だった。半分生きて、半分死んでいる様な嫌悪感の湧く声。けれど、それでも、目に光がなくとも、目に涙を溜め震える声で聞かれては武器は振るえない。
『ねエ、ナンで、わタしに、ぶキヲ、むけテるノ?」
自己否定ーー躊躇を否定しました
明らかにおかしい。多分吸血鬼が原因だし、倒さないといけないのは分かっている。だけど、その為の覚悟が決まらない。昼間、楽しそうに話していたのだ。俺を、遊ぼうって誘ってくれたのだ。
「ナんデ、なニモはナしてクれなイの?』
自己否定ーー躊躇を否定しました
友達と笑顔で遊んで、はしゃいでいたのだ。明日一緒に遊ぼうって、約束したのだ。そんな確実に生きていた、未来のあった幼い命を刈り取るのは、幾ら理性で分かっていても行動には移せない。
『ネエ、なんデ?」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「違う」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「今欲しいのは、そうじゃない!」
自己否定ーー躊躇を否定しました
「やめろ」
自己否定ーー躊躇を否定しました
自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー躊躇を否定しました自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー自己否定ーー躊躇を否定しました
「止まれ、止まれよ!」
informationーー度重なる要請を確認
informationーー宿主の、重大な危機を確認
「やめろぉぉぉぉぉぉッ!!」
自己否定ーー躊躇の感情を否定しました
瞬間、心にポッカリと大きな穴が空いた。なんで俺は、元人間なだけの化け物を殺していないのだろう? なんで、涙が流れているのだろう? なんで、こんなに罪悪感があるのだろう? なんで、なんで、なんでなんで!!
『おにイ、チゃん?」
自己否定ーー混乱を否定しました
左腕が握り潰されるイメージで魔術のスイッチを入れる。全身に走る焼け付く感覚は、俺への罰か何かだろうか?
「力よ来たれ」
槍に強化の魔術を掛け、大きく槍を振り上げる。
「助けられなくて、ごめんね」
『やメ──」
勢いよく斜めに振り下ろした槍は、こちらに喋りかけて来ていた幼女の首を切断した。ゴロン、と切り落とされた首が床に転がり、残された胴体から温かい血が間欠泉の様に吹き出した。
念の為、間違っても復活しない様に頭に槍を突き刺し、倒れて痙攣する胴体と共に部屋の外に出して扉を閉める。
「《排出》《収納》」
先程収納したベッドを排出、シーツだけ回収して扉を封鎖した。
そこまでやってから、何故か最悪な気分を誤魔化す為に、先生の誰かの遺品であるジッポーで、同じく遺品であるタバコに火を付けて咥える。
「なんで、こんな気分なんだろう」
俺は、元人間の化け物を殺しただけだ。ゴブリンやオークを殺したのと、なんら変わる事はない筈だ。変わらない筈なのに、手の震えは収まらないし、流れる涙も止まる気配がない。
「なんで、なんだろう……」
クラスメイトや先生、後輩が殺されてるのを知っても涙が流れる事はなかった。ゴブリンやオークを殺しても、泣く事はなかった。なのに、元が人の化け物1匹殺しただけでこうなっている。訳がわからない。訳がわからないのに、心が何かを必死に叫んでいる。
自己否定ーー悲しみを否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
それは、チートが感情を否定しようと消えることはない痛みだった。叫んで居場所を露呈させるのは愚策、そんな無駄な考えが浮かぶせいで言葉を呟く事すら自分が許さない。
「あぁ……」
どうしてもこの感情が消える事はない、それだけがチートによって無理やり心に刻みこまれた。ああ、本当に気持ちが悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
「ほんと、なんなんだよ……」
何も分からないまま、タバコを咥えて窓際へと足が運ばれていった。
そこから見える光景は、昼間の陰鬱とした空気ではあるが子供がワイワイと遊んでいた優しく暖かいものではなかった。
無骨な武器を持った白骨死体が地面の下から湧き出し、この場所こそが我が領土とばかりに闊歩していた。昼間楽しげに話していた人達は、誰もが服の下に大きな傷や穴を持った死体だった。誰もが血の気のない白い顔で、ふらふらと歩き彷徨っている。空には蝙蝠が舞い、月がその光景を無情にも明るく照らし出していた。
「
自分の口から出たそんな言葉が、思ったよりもストンと胸に落ちた。なんで出てきたのかは知らないが、こんな冷静に物事を考えられる自分が気持ち悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
そんな考えが、一瞬にして頭から消し去られた。
それはどうしても俺に戦えと言っている様で、あの時の学校と同じ様な気分になって、ああ心底嫌になる。
「そんなに、俺に戦えって言うのかよ……」
俺の問いに答えてくれるものは、もうこの村には誰もいない。
こちらを無情に照らす月と、咥えたタバコから立ち上がる煙だけが俺の事を包んでいた。
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10 死都
訳のわからない感情を落ち着ける為に、泣きながらタバコを吹かす事数分。何も落ち着かないまま、扉を破ろうとするドンドンという音が聞こえてきた。
「力よ来たれ」
左腕が握り潰されるイメージで魔術のスイッチを入れ、腕と槍を強化。身体を回転させて、全力の横薙ぎを放つ。手に残る生き物を断ち切った感触に、再びあのよく分からない感覚が湧き上がった。
「本当に、何なんだよ!!」
胸を締め付ける感情が何なのか分からない。分からないのに、耐え難い程締め付けられる。どうしようもないそんな苦痛を紛らわす為に、強化をかけたままのヤクザキックで両断した扉を破壊して廊下に出る。
そこで俺を待ち受けていたのは、もう2度と光を映すことのない1対の瞳。俺に、話をしてくれと言ってくれた男の子の死体だった。その肌に血の気はなく、化け物と化していたのは明白である。
「あぁぁぁぁっ!!」
復活される事がないようにその頭を槍で突き刺し、悲鳴をあげる心を誤魔化す様に絶叫する。
「力よ来たれっ」
刃についた血を振り払い、心を振り切る為に全身に限界を超えた強化を掛ける。そしてそのまま、ショルダータックルで壁をぶち抜いて飛び降りた。
ズンッという重い音を伴い着地し、わらわらと寄ってくる骨の化け物と村人の慣れの果てを見て心のまま絶叫する。
「巫山、戯けるなぁぁぁぁっ!!」
全身からブチブチと千切れる音を鳴らしながら、石突付近を握り全霊で薙ぎ払う。漫画の様に衝撃波などは発生しないが、それでも身体が壊れることを厭わない力は人外の膂力だ。
故に、予定外の化け物を巻き込みつつも宿屋の柱の1つを切断する事に成功した。そして、斬撃よりは最早打撃となる一撃だったお陰で、目論見通り宿屋を倒壊させる事に成功した。
「はぁ、がぁ……癒しよ来たれ、始まりの光
──ヒール」
成功率はそこまで高くないが、今回は成功した。
全身を温かい光が包み、全身を苛む痛みが引いていく。そして槍を引き戻し、中段辺りを握り直した時には既に俺は敵に囲まれていた。
「光よ来たれ、眩い煌めき
──フラッシュ」
先手必勝、奇襲上等。カメラのフラッシュの何倍もの閃光が俺の頭上で焚かれ、生物の目を眩ませた。これを教えてくれた姫様には感謝しかない。
「らぁッ!」
薙ぎ払いではなく、槍を下から跳ね上げて骨の化け物をバラバラに砕く。そして手首を返して穂先を村人の成れの果てに振り下ろす。持ち替える事は出来ないので、遠心力に任せて身体を回転。勢いを殺しながらも、どうにかもう1体の首を飛ばす。
「まだ!」
強化された足で踏み込み、近くに寄ってきていた左肩から元村人に突っ込み吹き飛ばす。肩の痛みを堪えて息を整え、もがく元村人の首を冷静に槍を振るって斬り飛ばした。
再び揺さぶられた心の何かに対応する間も無く、立ち尽くす俺に上空から大きな蝙蝠が襲いかかってきた。翼を広げた大きさは目測で30cm、そんな相手に槍を当てられる程俺に技術はない。せめてオオコウモリくらいなら希望はあったけれど。
「キィキィ煩いんだよ!!」
苛立ちをぶつける様に槍を振るけれど、軽くヒラリと回避されてしまった。そして追加で飛んできた数匹と合わせて、蝙蝠達は俺の周りを旋回し始めた。
「風よ来たれ」
それを見て、俺は変声の魔術を発動させる。そして人の可聴域を超えた高さに設定した声で、吠える様に叫ぶ。
「────!」
自分の耳には何か耳鳴りの様なものが聞こえた気がした程度だったが、案の定蝙蝠にはかなり効いた様だった。倒れた宿屋の壁に衝突して落下したのが2匹、墜落したのが1匹、動きを止めてホバリングするものが1匹。
「《収納》《排出》」
未熟な俺では、無茶な変声を維持する事は出来なかったらしい。声は元に戻っていた。
そんな気持ちを振り切って墜落した1匹を踏み潰しつつ、突き出した槍を起点に収納しホバリングしていた蝙蝠の半身を削ぐ。そのまま収納の肥やしにするつもりはさらさらないので、即座に地面に向かって排出して捨てた。
「ははっ」
残った壁側の2匹を刺し殺し、一旦の静寂を得た俺から出たのは乾いた笑いだけだった。死者と化け物が闊歩し──ああ、言葉にしようと思っても、何故か何も出てこない。なのに、なのに……
自己否定ーー悲しみを否定しました
そんなものは不要だと否定され、戦え戦えとチートが急かしてくる。……一介の高校生に、何が出来るって言うんだよ。
自己否定ーー諦めを否定しました
膝を折る事も、どうやら許されないらしい。無茶な話だ、馬鹿馬鹿しい話だ。確かに体は動くし、敵もまだ残っている。だけど、どうしろって言うんだよ。
自己否定ーー無関心を否定しました
「ああ、そうかよ」
倒壊した宿屋の壁にからはみ出していた、誰かの足が見えているベッド。俺はそこに、取り出したライターで火をつけた。
「この気持ちは分からないけど、どうか、安らかに」
パチパチという小さな燃焼音から、本格的に燃え盛るゴウゴウという音に音が変わっていく。少し前まで俺が寝ていた宿屋は、瞬く間に火に巻かれて炎上した。抱え込んだ、数多の死体と共に。
「ああ、そう言えば鎧なんてあったんだっけ」
沈静化され、無駄に冷静になってしまった頭でそれを眺めていると、ふとそんな事を思い出した。今の今まで、師匠が持たせてくれた鎧の存在をすっかり忘れていた。
「着ておいた方が、いいか。《排出》」
槍を地面に突き刺し、胸に手を当て略式で鎧を装着する。師匠から貰ったのは『心臓だけは守っとけ』と渡された胸当てのみ。曰く『身体が出来てない奴に、全身鎧なんざ棺桶にしかならない』との事だった。
倒れた宿屋から地面に溜まった枯れ草へ、枯れ草を伝って近隣の住宅へ、それが更に連鎖して連鎖して火が回っていく。元村人も、歩き回る骸骨も、逃げ遅れた蝙蝠も、分け隔てなく炎が燃やしていく。
「こういう時、弔いの唄でも口ずさめたらなぁ……恰好がつくんだけど」
先程の戦闘で何処かに行ってしまったタバコの代わりに、新しい1本を取り出して加える。また、守れなかった。そんな考えが、頭の中にジワジワと染み込んできた。
「《収納》」
これ以上無駄にするのも癪なので、タバコを収納し、背後から迫っていた気配に槍の石突を撃ち出す。どうせ死人か燃え残った骸骨だろう。そう思っていたのに、聞こえたのは痛みに呻く悲鳴だった。
「ゆう、しゃ……様。な、ん……で?」
不自然さに振り返った俺が見たのは、今しがた自分の放った槍の石突が少女の胸を陥没させている光景だった。そして、少女はそのまま血を吐いて倒れ、その動きを完全に止めてしまった。倒れ伏した少女は、あらぬ方向に光を失った眼を向け、ビクンビクンと生きていた名残を示す様に体を痙攣させている。
炎に巻かれたようで酷いやけどを負っていたが、血の通った、明らかに生きている人間だった。けれど、今俺の放った一撃によって、確実にその命は奪われてしまったのは明らかだった。無実の、助けを求めて手を伸ばしてきた子を、俺が、この手で、殺してしまった。しかも、あってはならない間違いで。
「あ、あぁ……」
握り締めていた槍が、カランと音を立てて地面に落ちる。踏ん張っていた足が崩れ落ちた。
「あぁ、あぁぁ!」
崩れ落ちた俺の頭に、チートが次々と気持ちを否定したという文字を出現させていく。けれどチートによる精神の安定化を遥かに上回る勢いで、心を何かの感情が埋め尽くしていく。
歯が噛み合わない、膝が震える。胸は締め付けられる様に苦しくて、息をする事すら辛い。
informationーー自己否定の練度が上昇しました
自己否定ーー後悔を否定しました
「……は?」
そんな荒れ狂う感情が、一瞬にして吹き飛ばされた。いや、少し集中すれば、未だに感情の嵐が自分の中を駆け巡っているのは自覚出来る。なのに、
「なんなんだよこれ……本当に、なんだなんだよッ!!」
分からない分からない分からない分からない、そんな自分がどうしようもなく気持ち悪い。立ち上がれてしまった身体が、こんな事を考えられている頭が、八つ当たりを出来る腕が、気色悪いったらありゃしない。
「カカッ」
そんな時、この場には余りにも場違いな声が聞こえた。楽しんでいる様な、嘲笑しているような、そんな女性の笑い声。
その声が聞こえた方向は上。遅れ馳せながら察したその悍ましい雰囲気に、
「配下の村が滅ぼされたと聞いて来てみれば、何ぞ面白い魂の輩が居るではないか」
空中に浮かぶ金髪の女性から放たれる圧に、冷や汗がたらりと流れる。金髪にワインレッドの瞳、微笑む口から覗く尖った八重歯に、背中から生えた蝙蝠の翼。おっさんの話通りボンッキュッボンな身体に纏うのは、鮮烈な赤のドレス。炎に照らされ、引き立てられた妖しさは敵だと分かっているのにこちらを魅了してやまない。
「ファビオラ、フォミナ……ッ!」
「ほう、儂の名前を心得ているとはな。博識ではないか、今代の勇者よ」
羽根を消し、態々こちらと同じ地上という土俵に立って吸血鬼は言った。完全に、所謂舐めプであるというのに身体が震えて仕方がない。けれど、言い返さないで死ぬなんて情けない事はしたくない。
「残念ですが、俺は勇者じゃないですよ。この腕の所為で、1私兵です」
「あの国で、汝の様な隻腕を囲う輩が居るとはな! 余程の物好きらしい!」
震える手で槍を握りつつ、精一杯の気持ちで言い返した俺の言葉は、思いの外うけた様だった。くつくつと笑うファビオラは、未だに俺を殺す様な気は無い様だ。
「ところで。折角儂が会話に興じてやってるというのに、なんじゃその槍は。不敬であるぞ」
放たれるプレッシャーが、一瞬にして増大した。冷静さを失う事は無いが、今すぐにでも崩れ落ちそうな程身体が震えている。
「俺の様な矮小な人間は、武器でも持ってないと、貴女と話す事すらままなりませんよ」
「カカッ、中々に度胸があるではないか。許す、その貧相な槍は持ち続けるが良い」
「ははは、感謝します」
プレッシャーが一気に弱まり、ギャップで崩れ落ちそうになる身体を槍でどうにか支える。こんなのを殺せって、どんな冗談だよ。
「汝、名はなんと言う?」
「はい?」
「名はなんと言うのかと聞いておる!」
息がつまる圧が放たれ、今度こそ耐えきれず膝をついてしまった。けれどすぐにそれは弱まり、こちらに発言を促しているのが分かった。
「姓は欠月、名は諸葉と申します」
自然と敬語になってしまったが、満更でもない様子だ。興味深くこちらを見つめ、いつのまにか持っていた黒い豪奢な扇をこちらに向けてファビオラは言った。
「では、暫し戯れに興じよ、モロハよ。儂を満足させられれば、逃してやらんこともないぞ?」
どうやら、この地獄は終わらないらしい。
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11 吸血鬼
自己否定ーー魔眼による魅了を否定しました
言い切ったファビオラの眼が妖しく光ったと思った瞬間、チートがそんな反応を示した。どうしよう、殺される未来しか見えない。
「儂の魔眼を防いだか。察するに、それがモロハの《ちーと》とやらか?」
「ええ、こんなでも一応勇者ですから」
「魔眼を防ぎ、聖別とはちと違うが祝福された武器を持ち、人型の生き物を躊躇なく殺す覚悟を持っている。凄まじく、我ら吸血鬼を殺す事に特化しているのう」
「技量が伴ってないので、所詮机上の空論ですよ」
鋭い目つきで睨み付けられた俺に出来るのは、こうやってどうにか延命を試みる事だけだ。多分ファビオラの機嫌を損ねた瞬間、俺は軽く命を刈り取られるだろう。
「それに、そもそも俺は捨て駒としてここに送られてます。誰も鼻っから期待してませんよ」
「くふっ、不憫じゃのう」
informationーー設定が更新されました
自己否定ーープレッシャーを否定しました
否定したとは言いつつも、未だにこちらを見つめるファビオラの放つプレッシャーは相当なものだ。けれど、もう立っていられない程じゃない。
どうにか槍を支えに立ち上がった俺を、驚愕の表情でファビオラが見つめている。
「それじゃあ、俺からも質問をいいですか?」
「よかろう」
「なんで、人と貴女方は戦争をしているんですか」
確かに俺は色々なことを学んだけれど、これだけは定かな情報がなかった。俺も、敵を殺す事に不満も文句もない。けれど、人の都合だけで判断して殺していいのか。ふとそんな事を考えてしまったのだ。
真剣に質問したつもりだったのだが、ファビオラが目を丸くして固まった。だがそれも一瞬で、すぐに腹を抱えて笑いだした。
「何が、おかしいんですか?」
「だってそうじゃろう。我ら魔族にとって、人は食い物に過ぎぬ。これは人族なら、子供でも知っておる事じゃぞ?」
そしてその唇に真っ赤な舌を這わせ、非常に蠱惑的な笑みを浮かべて言い放った。
「そして何より、恐怖と絶望に歪んだ人間を喰らう事は、我らにとって何よりの娯楽じゃ。止める訳がなかろう? くふふっ」
「とことん、種族が違うんですね」
深呼吸をして、ちょっとした反撃として思った事をそのまま口にした。楽しませろって言うのだ、これくらいはしないと話にならないだろう。
「ま、稀に人と恋に落ちる輩も居るがの。半人半魔など、どの様な羽目に会うか分かっておるだろうに」
「どうせ、人がする事なんて迫害でしょう? 完全な人じゃないとか言って」
俺とて女装して、声を変えて騙す様に振舞って、それで漸く憐れんで色々して貰えているのだ。非常に不本意だが結構可愛いと評判らしく、それも影響しているのだろう。
逆に言えば、ここまで努力と偶然が重ならなければ部位欠損をした人間は生活出来ないと言える。混血児がどの様な扱いを受けるかなんて、推して知るべしだ。
「正解じゃ。ああ、良いのう良いのう。今まで儂に挑み、殺されてきた勇者と比べて実に聡い」
「洗脳されずに済んだので。因みに、貴女が殺した勇者の数は?」
「さてな、100を超えてからは数えておらぬ」
やっぱり、相当な数の召喚者が使い捨てられてきた様だ。多分数を考えると、俺がいた日本以外の世界や並行世界とかからも呼び出しているのだろう。じゃないと、人数の釣り合いが合わない。
自然と槍を握る手に力が入る。それだけの数だ、俺なんかよりよっぽど優れた奴もごまんと居ただろう。やっぱり捨て駒は、生きて帰ることは無理と相場は決まっているらしい。
「さて、良き時間ではあったが飽きてきた。儂とて幹部の1人。
ここらで1つ、働くとするかのう」
「力よ来たれ!」
ファビオラの姿が、そんな一言と共に掻き消えた。
それを見て、遅いとは分かりつつ槍と全身に負荷と倍率を無視した強化を掛け全力で後方へ下がる。すると、何故か回避が間に合った。ブチブチと筋繊維が千切れる音を鳴らしながら高速で下がった俺の目の前に、ファビオラは蹴りを放った体勢で姿を現した。
「ほう、今のを躱すかや? ではこれはどうじゃ?」
「《収納》!」
先程の倍程の速度で放たれた抜き手を槍に当て、収納で前腕部を半分程抉り取った。けれど、代償として槍は跳ね飛ばされ俺の手を斬りつけ後方に飛んでいき、俺自身もあり得ない速度で吹き飛ばされてしまった。
「け、ほっ、がぁ……」
燃え盛る建物を2、3貫き、尚も俺の身体は止まらず村外れの大木を半ばへし折る形で漸く停止した。最早魔力切れで効果を発揮してないが、強化のお陰で背骨などの生命維持に必要な部位は無事で済んだ。
全身を筆舌に尽くしがたい激痛が暴れまわり、口から出るのは掠れた呼吸音のみ。仰向けに倒れているだけで、拷問を受けている心情だ。濃い血の匂いが自分から漂っているのを感じる、何処か大きな怪我でもしたのだろう。
「まさか、反撃を入れた上に生き残っておるとはのう」
そう言って、態々俺が目視できる範囲内に、抉り取った筈の腕が再生されたファビオラは降り立った。そういえば、再生能力なんて物もあったっけ。多分これ、心臓とか頭とかを丸っと抉っても意味ないよなぁ……
そんな事をぼんやり思い出す俺の腕を掴み、片腕でやすやすと持ち上げ目線を合わせてファビオラは言い出した。
「この状況になっても、未だに戦意は尽きぬ……か。良い目をしておる。人にしておくには勿体無い程じゃ」
そしてそのまま、剥き出しになっているこちらの首に顔を近づけてくる。多分、吸血という事だろう。そう、吸血だ。血を吸った相手を同族に書き換え、隷属させるという吸血だ。
「《収、納》」
それはいただけないので、絞り出す様な声でチートを発動させる。掴まれていた腕を抉り取り、支えを失って落下した俺にびちゃびちゃと赤く温かい血が振りかけられる。腕は即座に再生されてしまったが、噛み付かれる事はどうにか防ぐ事が出来た。
「カカッ、吸血鬼になるのは嫌か。じゃが、次はないぞ」
「あ゛ぁッ!?」
再び片腕で吊り上げられ、抵抗を許されず、今度こそ俺は噛み付かれた。牙が突き立てられた事による痛みは一瞬。その後は寧ろ、全身の痛みを隠す様な気持ち良さが押し寄せて来た。
自己否定ーー快楽を否定しました
だが、それに呑み込まれる寸前チートがそれを否定した。そう沈静化されてしまうと、吸血してる相手が気になってしまうのはやはり男の悲しい
自己否定ーー性欲を否定しました
そんな感情も掻き消され、チートが頭を強制的に賢者タイムに持っていった。それと同時にぷはっと小さな音が聞こえ、もう用は済んだとばかりに投げ捨てられた。
「がふっ」
「安心せい、吸血鬼にはしておらぬ。そうなる僅かな芽も、どうにか乗り越えたようじゃしの」
多分、チートが否定してくれなければ屈していたアレの事だろう。そう思い木に凭れかかる俺の目の前に、血で濡れた見慣れた槍が突き立てられた。
「儂の吸血じゃからな、
「大有り、ですよ」
色々思うところはあるが、とりあえず非難の意思を込めて睨み付ける。どうせこのままじゃ死ぬんだろうし、最後にこれくらいは良いだろう。
「十分に楽しませてもらった故、このまま立ち去ろうと思うていたが……気が変わった」
立ち去ろうとして俺に背を向けていたファビオラが、クルリと振り返ってこちらに歩いてくる。そして俺の目の前でしゃがみ、こちらの顔に手を伸ばして来た。
「その眼、駄賃として貰って行くとしよう」
瞬間、堪え難い激痛と共に左側の視界が消失した。
「あ、ガァァァァッ!?」
「喚くでない、モロハよ」
自己否定ーー判定に失敗しました
ファビオラの目が光り、金縛りにでも遭ったかの様に身体の自由が効かなくなった。激痛が消える事はないが、叫ぶ事すら出来そうにない。
「代わりとなる眼を入れてやるでな」
そう言って目の前で、ファビオラが自分の手首を切断した。そして、そこから溢れ出した鮮血が小さな球を形成していく。作られた鮮血の球は、反対の手に握られた俺の左眼と全く同じ形をしていた。
「ここでモロハを殺すの楽じゃが、それは約束に反する上つまらんからのう。汝の魂は見ていて飽きぬ。これからも精々足掻き、儂を楽しませるが良い」
そう言って、その義眼を眼に叩き込まれた。
自己否定ーー狂気を否定しました
気が狂いそうになるほどの激痛が暴れまわり、けれどチートの所為で狂う事すら出来ず今は動きも喋りも出来ない。それに、他人の血液を叩き込まれて無事で済むわけがない。
「安心せい、これは儂の魔力の塊。2日もすれば、儂の手から離れモロハ自身に馴染むじゃろうて。無論、衛生面とやらにも気をつけている。何せ、汝は半分は吸血鬼であろうと元は人である故な」
そして最後に「では、またな」と言い残し、ファビオラはその身を蝙蝠に変え去っていった。それ自体はこの地獄が終わりを告げた喜ばしい事であったが、同時に新たな地獄の始まりでもあった。
「────ッ!!?」
言葉すら声に出すことの出来ない激痛。魔眼や吸血された効果が切れた以上、それが俺を蝕む事は道理だった。気絶しても激痛で叩き起こされ、傷をどうにかしようと魔術の発動を試みるがこんな状況では不可能だ。
加えて、左の視界が消失している事による混乱も大きい。今まであった物がなく、出来たことが出来ないのは人を狂わせるに十分に足りる。
自己否定ーー狂気を否定しました
けれど、俺にそれは許されていない。
どんなに██ても、どんなに悲しくても、どんなに痛くても、どんなに辛くても、きっとこのチートが否定してしまう。心が狂ってしまうなんて事は許してくれない。
「──ッ! ────ッ!!」
ゴロゴロと地面をのたうちまわり、惨めったらしく叫び声を上げて。そうやってるうちにいつしか俺は、気を失う事が出来たのだった。
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12 損害
チリ、と暗い視界に一筋の光が差し込んだ。
どうやら俺は、いつの間にか意識を失う事が出来ていたらしい。
「あ、がぁ……」
そしてそのまま動こうとし、全身に走る激痛で思考が中断された。何を確認するにしても、先ずは身体を治さない事には話にならない様だ。
「い、癒しよ来たれ、始まりの光
──ヒール」
なけなしの魔力を振り絞り発動した回復魔術は、どうにか折れた骨を繋ぐ事だけはしてくれたらしい。未だに身体は痛むが、どうにか起き上がり木に寄りかかる。そうやって、半分になった視界で俺が見た光景は無惨なものだった。
村を焼いた炎の姿はもう見えない。代わりに存在するのは、焼け落ち灰と炭化でもしたのか黒くなった建造物の跡。そして、黒いナニカに群がる鴉の様な野鳥達。
「ほんと、酷いなぁ……」
こんな惨状を齎したのは、仕方ない面もあったとはいえ紛れもなく自分。パンデミック的にああなったのか、それとも死んだままで生活していたのか。どっちにしろ、俺が来た事でその生活をぶち壊した事だけは確かだ。そして健常な、なんでもないただの人間を1人、間違えて殺したのも俺だ。
「ははっ」
自己否定ーー後悔を否定しました
もう笑うしか出来ない。そんな気持ちすら捨てろって言うのかこのチートは。俺は半分化け物になったらしいし、ある意味お似合いか。
そう自嘲しつつ、収納していた吸いかけのタバコを取り出して咥え、ボロボロの足の上に残しておいたシーツを取り出す。
「切るのは……槍でいいか」
取り敢えず見えなくなった左眼は、眼帯でもしておいた方が良いだろう。そう思って、刺さったままになっていた自分の槍に手を伸ばし──その手が空をきった。
「あれ?」
informationーー設定が更新されました
informationーー最適化が実行されました
もう1度試してみると、今度は問題なく手に取る事が出来た。こういうところだけは、このチートに感謝するしかない。これがなければ生活出来なくなってた……いや、そもそも生きていられなかったのは容易に想像出来るから。
「今は、これでいいか」
槍で細長く引き裂いたシーツを巻きつけ、即席の眼帯にする。中々邪魔だけど、背に腹はかえられない。水と食料が焼け残っていたりしないか。そう思って、木の作っている木陰から出た瞬間だった。
「あっつ!?」
降り注ぐ日光が、夏だという事を加味しても異常に熱かった。まるで砂漠に降り注ぐ太陽の様だ。耐えられないものではないが、辛い事には違いない。慌ててシーツをマントの様に羽織れば、その痛みは多少マシになった。何故? そう思った俺の頭に1つの言葉が蘇ってきた。
『
ここら辺の天候が急激に変わった可能性を除けば、考えられる可能性はそれだけだろう。ダンピール……地球での創作物だと、人と吸血鬼の混血。往々にして吸血鬼の弱点は持たないものだった筈。それが有るって事は、そっちの適性みたいな物も俺は低かったのか。
「関係、大有りじゃん」
ジリジリと肌を焼く太陽の中、愚痴りながら滅んだ村を散策する。探す物は第1に水。第2に食料。そして最後に、いる筈がないが生存者。贖罪……なのだろうか。居た場合は、絶対に助けないといけないという考えが頭の中はグルグルと巡っている。
「先ずは、水をどうにか……」
確か、宿屋の裏手に大きめの井戸があった筈だ。それに、宿屋の倒壊の仕方からして巻き込まれてはいない筈だ。川を探して態々お腹を壊す水を飲むより、こっちを探し出す方が良い。汚染されてない前提だけど。
瓦礫を槍でひっくり返しつつ、辿り着いた倒壊し全焼した宿。そこの裏手に存在していた筈の井戸は、無惨に崩れてしまっていた。が、使えない事もなさそうではある。
「力よ来たれ」
槍を地面に刺し、軽く自身を強化してから、崩れた木造部分と石製の部分をどかしていく。十数分かけ片付け続けると、そこには深い穴がぽっかりと口を開けていた。
「いつのまにか、独り言が多くなったなぁ」
そう呟きながら、焦げてはいるものの比較的無事な桶を拾う。縄も結構燃えてるけど、多分平気だろう。
そう判断して燃え残った縄の切れ端を掴み、桶を井戸に投げ入れる。数秒後、ちゃんとした着水音が聞こえてきた。僥倖だ。そう思い、ロープで桶を引っ張り上げようとした時に気がついた。
「……片手じゃ無理じゃん」
例え強化がかかっていようと滑車がないから持ち上げるのが辛く、滑車の代用品を作るにしても引っ張った状態の維持は片手じゃ難しい。
「《収納》《排出》」
しっかりと頭の中に紐のついた桶をイメージし、チートに収納してから排出する。すると、ゴトンという音を鳴らし足下に水が一杯に貯まった桶が出現していた。
臭いは普通。色も透明。謎の沈殿もなし。とりあえず舐めてみたけど、変な味もない。
「よし、飲めそうだ」
最悪の場合でも腹を下すだけだろう。後は、食料さえ確保できればどうにか活動する事は出来なくもない。そうとなれば、やる事は1つである。
「生き残り、探さないとな」
どうせ、帰るにしても準備が必要だ。旅装の欠片もない俺では、王都に帰るどころか、近隣の生活圏に辿り着く事すら不可能だ。水を持ち運べる何かが、残っていれば良いのだけれど。
◇
村の中を探る事数時間。決して多くはない村の建物をひっくり返し続けたが、ロクなものは見つける事は出来なかった。
「残るは村長の家だけ、か」
大きい建物なだけなので、実際は違うかもしれないが。無論ここも、炎に巻かれて焼け落ちている。何かを探すのには一苦労だろう。
「でも、今日のうちにやらないとな」
もう日は傾いている。今から森を抜けるのは自殺行為だし、もし生存者がいた場合早く助ける方が良いに決まっている。半日は少なくとも飲まず食わずだろうし。
強化した身体で屋根を剥がす。作りがしっかりとしている場所は、収納と排出のコンボで抉り解体する。そうやって見えてきたのは、この世界らしい真っ暗な現実だった。
「金貨に武器、防具に始まってその他諸々。その上本人までいるとは、思いもしませんでしたよ」
「き、貴様が勇者か!」
財宝に囲まれてこちらを見上げるのは、地球基準で見ればぽっちゃりの男。この村に来た時に見た人と比べれば、明らかに太り過ぎな人物だった。今、チートで無理矢理こじ開けたこの部屋は、武器防具から始まり溜め込んだ財を保管しておく様な場所の様だ。あの火災にも耐えてる事だし、間違いないと思う。
「そうですが」
「片腕がなく、片目も失って……穢らわしい!」
「は?」
「今すぐ私の前から失せよ!」
一瞬でそこまで見抜いた辺り、悪くない目を持ってはいるのだろう。装飾過多な鎧を纏ってる事からして、恐らく戦えない事もないのだろう。
「私には、王から預かったこの村を存続させる義務があるのだ! 完璧なる人間の村に、貴様の様なゴミは要らぬ! もう1度言うぞ、今すぐ失せよ!」
「存続ね……なら、なんで貴方はこの村をこんなになるまで放っておいたんですか? ああ、これを聞いたら消えますよ」
「ふ、ふひひ、聞き分けが良いではないか! 良いだろう教えてやる。貴族である私が、村人なぞを守る必要はないからだ! あの様なクズどもは、私を守って死ぬだけの駒だからなぁ!」
気持ちの悪い笑い声をあげて、貴族らしい村長はそんな事を言い放った。……これが、この国の貴族の実態という事らしい。事前に知っていたとはいえ、現実に見るとこうも不快だとは思わなかった。
「自己否定」
承認
自己否定ーー良心を否定しました
痛みの否定は出来ない様だが、純粋な心の動きだからかこちらは否定してくれた。うん、なんだろうね。思いは欠けてるのに、どうしても目の前の奴を怒りで直視出来ない。
別に、自分の事を言われるのはいいのだ。けれど何か。何かは分からないけど、心が軋んだ声で何かを伝えてくる。
「そ、そら話したぞ。早く消え去れゴミが!」
「そうですね」
そう言いつつ、俺は槍を振りかぶる。
「貴様! 誰に槍を向け」
「《収納》《排出》」
村長は鎧ごと身体をゴトンと倒し、頭は部屋の端に転がっている。部屋の半分程が、吹き出した血で染まっていく。そんな中、怒声を発した状態で固まったその表情は、どこか酷く滑稽に見えた。
初めて、自らの意思で人の命を奪ったというのに、何故か俺の心は酷く凪いでいた。思う事なんて、折角の場所を血で汚してしまったくらいしかない。ああ、本当に気持ち悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
異常に冷めきった気持ちのまま、綺麗に並べられた財宝を物色する。やってる事は勇者じゃなく9割方盗賊だけど気にしない。やる事はやってしまったのだ。このままここで道具を腐らせるよりも良いだろうしね。
金貨は回収。鎧に籠手は、無事な物は全部サイズが合わないから放置。数本しか無かったが、スペアとして槍を回収する。追加で切れかかっていたベルトを交換し、無骨な短剣を1本拝借して佩いておく。装飾過多な実用性皆無の物が多くて辟易するが、それらを除けば素人目にも業物と分かるものばかりで腹立たしい。
「後は、背負える袋みたいなものを……ん?」
使える物は使う精神で物色を続けていくと、財宝に埋もれる様に、床に金属製の扉が存在している事を確認できた。直感に従いそれを開くと、そこからは腐臭が漂ってきた。
「真っ黒かよ」
もしかしたら、この村があんな事になったのはこれが原因なのかもしれない。そう思って不快感を押し殺しつつ、地下へと続く梯子下った先に存在していたのは、一言で言い表すならば牢獄だった。部屋の数は6箇所。そのうち全てに、腐臭の元である死体が転がっていた。
何か、貴族の良くない趣味でもあったのだろう。悍ましいナニカがあっただろう事は間違いない。
「……せめて、安らかに」
この場では、通じるか分からないが十字をきるしか出来なかった。
梯子を登り扉を閉める。そうやって溜め息を吐いた頃には、既に日はとっぷりと暮れていた。数日前までと比べればかなり夜目が効くが、それでも視界は悪い。
「今日は、泊まるしかないか」
そんな事を呟いた俺の顔に、一滴の水が落ちてきた。そしてそれは、段々と激しくなり大雨となっていく。
「はぁ……」
俺は、とことん運を持っていない様だった。
雨風が凌げる場所、あったっけ?
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13 冒険
雨を避けるように、壊れた建物の破片という狭い空間に槍を抱えて体育座りでどうにか潜り込んだ。そのまま、起きているのか寝ているのか分からないまま過ごす事数時間。気がつけば夜の間ザーザーと降り続けていた雨は止み、岩の様な雲は消え去り朝の光が辺りを包み込んでいた。
溜め息を吐きながら這い出て、その後軽い運動として槍を振り回して身体を動かしていく。演武は基本なのだ。何故かかなり調子が良い身体も、丁度よく応えてくれて本当に有難い。
「さて。昨日の続きだな」
十数分それを続け、良い汗をかいたところで止める。
そして槍を仕舞い、握り潰された左腕のイメージでスイッチを入れる。そのまま軽く身体に魔力を流しながら、泥濘んだ地面を歩く事数分。昨日と何ら変化のない宝物庫と思しきあの場所に、俺は戻って来ていた。
全身に身体が壊れる倍率の強化を掛け、一息に部屋内部を俯瞰できる場所へと登る。そうして見た部屋の中は、異様に綺麗な状態になっていた。
「綺麗さっぱり無くなってる、か」
如何なる原理か天井が抉り取られた部屋の筈が、内部に雨の跡は無く、貴族村長の死体もその痕跡も一切残っていなかった。けれど置いてある武具や道具類は、俺が物色した分を除き全て綺麗な状態に保たれている。どう見ても、明らかな異常である。
「まあ、探し易いからいいか」
危険だという事は忘れない。けれど、探し物がし易い事は確かなので原因の追求はしない。今はそれで良いのだ。そもそも、物を見つけたらすぐにここを出立するのだから。
汚れたシーツを脱ぎ捨て、飾られていた質素な茶色っぽい外套を代わりに羽織る。ついでに昨日は血を被っていた使い込まれた黒い手甲も、右手の物だけ拝借する。手や指の動きを遮らず、手首から肘辺りにのみ設置された装甲は軽く硬く、サイズは微妙にズレているが問題はない。縛り付けておけば、役割は果たしてくれるだろう。
今更だが、ここにある俺が着れる様なものは大抵女物だ。そしてそれらが自慢する様に飾られている事、昨日の地下牢。そこから予想されるに、ここの村長はやはり腐った人物だったのだと推測できる。反吐がでる。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「こっちが先決だよな」
気持ちが切り替えられた事で、落ち着きすぎている頭で探し物を続行する。得体の知れない液体群、キノコ、謎の粉、オモチャ(意味深)……全く、ロクな物がない。子供の宝箱の様に、置いてある物は極めて無節操だ。もしかすると、実際にそういう部屋だったのかも知れない。
そんな下らない想像を巡らしながら物色する事数分、倒れた衣装ケースの下からお目当の物を見つける事が出来た。これなら俺でも背負える。
見つけたのは、所謂ワンショルダータイプのバッグ。元々地球で俺が使っていた物も十分な耐久性はあるのだが、今はこういう物でないと背負えないから不便だ。
だが、肝心の水筒の役割を果たせる物が見つからない。かと言って、そこまで広くはない収納の範囲を水で埋めたくはない。干からびて死ぬのは御免なので、どうにか欲しいのだけれど……
「やっぱり無いか」
そんな都合の良い物は、部屋をひっくり返しても出てくることはなかった。どこの世界でも需要は変わらないだろうから、街や村に行けば売ってはいるだろうけれどこの場では無理らしい。
そうなると、手段は2つに1つ。
「主義をねじ曲げるか、それとも」
得体の知れない液体を捨ててそこに水を入れるか。
得体の知れない液体であっても、捨てる事に抵抗を覚えるのは悲しい日本人の
入っている液体は、それぞれ蛍光ピンクの物が10本、蛍光グリーンの物が10本、蛍光ブルーの物が10本ずつだった。
「多分致死毒じゃないだろうし、舐めれば分かるよな。きっと」
どうせ致死毒だったとしても、死ぬのが早くなるだけだ。
そう思い、一応安牌であると思える蛍光グリーンの液体入りの蓋を開け、小指を液体に付け舐めてみる。普通に苦い。
自己否定ーー判定に失敗しました
ヤバイかもという考えが頭をよぎり、ブワリという気持ち悪くも心地良い感覚が全身を走った。見えるものが、感じられるものが、何もかもが拡張されていき──
自己否定ーー薬効 感度上昇 を否定しました
チートが即座にそれを否定した。一瞬味わった全能感の様なものが消え去った事に残念さを覚えつつも、あんな感覚が消えた事に安堵もする。
「……」
半ば予想通りとは言え、言葉も出ない。
いやまあ、うん、でも、十中八九そういう方向で使われてたと思うけど、最悪の場合は頼る事を想定していた方が良いかも知れない。という事で、この瓶の中身はチートに全て仕舞っておく。
「……次」
恐らく媚薬だと思われるピンクは後回しにして、コルク風な蓋を開け蛍光ブルーの液体を舐めてみる。
自己否定ーー薬効 痛覚遮断 を否定しました
今度は1発でチートが効果を否定してくれた。これも、もしかしたら戦闘時にお世話になるかも知れない。同様にチートに全て仕舞っておく。これも、微妙に苦かった。
「さて最後」
あからさまに怪しい蛍光ピンクの液体。それを思い切って舐めた途端、口に広がる甘みと共に得体の知れない熱が身体に灯った。
自己否定ーー判定に失敗しました
「はぁ……ん」
チートに文句を浮かべながらも、謎の疼きは収まらず誰得なシーンが継続される。頬に熱が灯り、よく分からない汗が出てきて、なんだか視界が涙で歪んでくる。それらを伴う、いわば快楽の波に耐える事が出来ず俺は倒れ込んでしまった。
その間にも頭に響くチートの失敗報告。ギュッと身体を丸めて耐えているが、段々と意思を保つのが辛くなり、思考が快楽の海に溶けていく。
自己否定ーー薬効 発情 を否定しました
そして、尼さんの様な格好をした菩薩的なヒトガタが両手を広げている幻影を見た時、漸くチートが薬の効果を消し去ってくれた。それによって訪れた、唐突な……謂わば賢者タイム。そんな緩急に耐えられず、俺の頭は混乱の極みにあった。羞恥心や怒りで、頭が一杯である。
「ああクソッ!」
八つ当たりで壁を思いっきり殴り、その痛みと深呼吸を重ねる事でどうにか平静を取り戻す。誰にも見られてないとは限らないし、堪ったもんじゃない。
「こんなの全部、廃棄だ廃棄!!」
堅いけれどガラスではない瓶の蓋を開け、ひっくり返してドロドロとした液体を地面にぶち撒けていく。手元→収納→中身排出という手順を踏んでいるお陰で、瓶に液体は一切残っていない。が、作業途中揮発した成分でも吸ったのか何度か自己否定が発動した。全くもって腹立たしい。
自己否定ーー怒りを否定しました
「チッ」
嬉しいが嬉しく無い発動に舌打ちしつつも、この村跡に長く止まる事の不都合は理解しているので行動を次に移す事にする。
全身に軽く強化を掛け部屋から脱出。そのまま井戸に向かい、瓶に水を入れていく。比較的透明なのにプラスチックではなく、ガラスでもなく、硬くてぶつけても割れない。異世界にきて久し振りの、平和なファンタジー臭が感じられる。
「これで全部っと」
瓶を全て詰め込んだバッグを背負うと、ずっしりとした重みが身体にかかる。確か人が1日に必要とする水の量は1.5L、大体15kgも背負っているのにたったの10日分でしかない計算だ。……動きに支障をきたすし、やっぱり仕舞おう。
よくよく考えれば、俺のチートの容量は2mの立方体。
「まあ、暫くはこのままで行きますか」
5L分は仕舞うが、修行としてこういうのも悪くはないだろう。
そう言う自分の姿は、茶色っぽい外套に黒い手甲、隻腕で左目には血が滲んだ包帯。上等なベルトを巻いた学生服のズボンに質素なシャツを纏い、履いているのは擦り切れかけた運動靴。ほぼ
改めて見直した自分の姿は、どこからどう見ても“勇者”という概念から外れていた。寧ろ、師匠の言っていた冒険者の風体に近い。まあ、冒険者は冒険者でも傷痍と頭に付くだろうが。
そんな自分を嗤いながら水を汲んでいると、ガサリという音が後ろから聞こえた。慌てて槍を取り出し振り返ると、そこにいたのは大の男が四つん這いになったよりも大きな猪。お互い想定外の遭遇だったからか、まだ行動する余裕がある。
「さてと……」
槍を構えたまま、ジリジリと間合いを測って移動する。井戸が使えなくなるのは困るので、さっきのいけすかない媚薬を棄てた方向に背を向けるように移動する。
「光よ来たれ、眩い煌めき
──フラッシュ!」
大猪の突進に合わせて視界を奪い、勿論突進は回避して媚薬を棄てた辺りにぶつける事に成功する。一応、これでチェックメイトだ。
「こう見れば、こういう使い方をする分には有用なのかもな……」
汚れてない無事な部分の媚薬を回収しつつ、ビクンビクンと動く大猪を冷ややかな目で見つめる。小指の先程度でああなった経験からして、あんな頭から突っ込んだらと考えると恐ろしい。
まあ、そんなたらればは意味がないので、有り難く斬首してご飯にさせて貰うのだが。
「力よ来たれ」
再び全身に強化を掛け、首を斬り飛ばした大猪を逆さに持ったまま俺は村の外へと歩いていく。
「さてと。近くの川はどこら辺だったっけ?」
とりあえず、保存するなら血を抜いて冷やすのが先決と軽く学んだのだ。あと内臓を抜く事も忘れずに。そうすれば、多少は保つ筈だ。
「軽く解体して、そしたら旅に出ますか」
肉と水と、確か手持ちに塩があった筈。それだけあれば、暫くは死なないで活動する事が出来るだろう。思い返せば、ファビオラに負けてから何も食べていない。
「感染症とか、ならなきゃ良いけど」
まあ、蛇を食べても何にもならなかったし平気だろう。
そう楽観視して、俺は村を後にするのだった。
主人公の持ち物
ジッポ・タバコ(種類バラバラ1ダース程)
濃縮感度上昇薬(4L弱)・濃縮痛覚遮断薬(4L弱)
濃縮媚薬(2L弱)
スペア槍×4・ファビオラの手首×2
水(大量)・猪
その他小物が少し
空き容量 中
中は温度こそ変わらないけれど、時間は普通に経過するので腐る
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14 暴走
意気揚々とあの廃村を出発してから1週間。俺は荒れた街道を歩き続け漸く森林地帯を脱出する事に成功していた。旅は不慣れと言うか初めてだが、仮にも舗装された道な以上殆ど問題は起きなかった。せいぜいが、肉に溶けていた媚薬成分に反応したり、普通に腹を壊したくらいである。
だがそんな状況を乗り越えて、水も食料も残っており、且つここからはもう平地だ。街を囲う長大な市壁も、目視の範囲内にある。最悪の状況に陥る事だけは、避けることができただろう。
そう判断し、歩みを進める事約1時間。後少しで街に到着する、そう思った矢先の出来事だった。ヒュッという風切り音が鳴り、すぐ隣に1本の木の枝が突き刺さった。罠か、それとも魔物の襲撃だろうか?
「《収納》ッ!」
だが次の瞬間、そんな甘い認識は覆された。飛んできた物は枝なんかではなく矢。方向は、街の方からだ。どうにか手甲に当て収納する事で回避したが、確実に良くない事が起こっている。
「《排出》」
嫌な予感に駆られ、矢を捨て槍を取り出した俺の視界に、案の定それは映った。街から長い槍を持ち馬に乗った3人の鎧騎士と、長い弓を持った軽装の騎士2人が現れたのだ。しかも、明らかに俺を目指して向かって走り出していた。そしてこれは、何をどう考えても友好的じゃないのは明らかだ。
「チッ、力よ来たれ!」
舌打ちをしつつ呪文を唱え、街から遠ざかる様に俺は全力疾走を始める。半分人間じゃなくなった事による身体能力の変化と、魔術により強化した脚の相乗効果で凄まじい速度を叩き出してくれたが、流石に馬に及ぶ事はない。
結局、逃げ切る事は出来ず俺は追いつかれてしまうのだった。しかも呆気なく、前方以外を固められてしまった。
「ちょっ!?」
そしてそのまま一切の警告もなしに、両脇から挟み込む様に馬上槍が振るわれた。そして背後からも、逃げ場を潰す様に突き出されているのが分かる。前には出れず、左右と背後は詰んでいる。ならば逃げ道は一つしかない。
「らぁッ!」
裂帛の気合いと共に足を踏切り大跳躍。軸足にした所為で遅れた右脚を浅く斬られつつも、俺は空中に身を投げ出した。そこに狙いしましたかの様に、2つの矢が到達した。
「《収納》」
その弓矢を片方は槍に当てて収納し、もう片方は胸当てに直撃させて弾いた。衝撃と痛みに耐え、集中力を切らさずに、俺は背後から迫っていた鎧騎士に強化込みの蹴りをブチかました。
無茶というものには、どうあっても代償が存在する。
渾身の蹴りによって鎧騎士を落馬させる事に成功はしたが、俺もバランスを崩し受け身も取れず地面に叩きつけられてしまった。数回のバウンドの後、全身の痛みを堪えて跳ね起きる。
「問答無用って、訳ですか」
槍を持ち直し改めて見直せば、僅かに崩れた敵の布陣は再度出来上がっていた。再度のランスチャージの為か遠くで旋回している2騎。弓に矢を番えるのが2騎。そして、剣を引き抜きこちらに走り出しているのが1騎。
自己否定ーー諦めを否定しました
俺なんかが曲がりなりにも騎士に地力で勝る筈はなく、いつもの様な奇襲は使えず、数で負け、射程で負け、頭数でも負けている。唯一攻撃だけは通じるだろうが、当てられなければ意味がない。
「しッ!」
槍の前段を握り、バントする様に矢を受け弾く事に成功した。そしてそのまま、俺は走り出してから考える。とりあえず走り回っていれば、鎧騎士は追いつけないし弓の命中率も下がるから、棒立ちや戦闘中よりはマシである。
自己否定ーー希望的観測を否定しました
だが、どんなに考えを巡らしても、死ぬ以外の結論が見えてこない。一つだけ試していない手が残っているが、何が起きるか分からないから手を出したくない。
「……いや、そうじゃないか」
躱し損ねた矢が頬を掠め、痛みと共に血の匂いを鼻に届けた。ああそうだった。██って死ぬなんて馬鹿だ。やるならとことんやり切って、死ぬか一片の生きる確率に賭ける事にしよう。0か1かなら、1に全てを賭けてこそだ。
「よし……《収納》《排出》」
これ以上の戦闘で痛まぬ様、コートを収納する。そして槍の前段を口元に当て、仕舞っていた2種類の薬品を口の中に排出する。混ざり合った事でケミカルな味に変化した薬を飲み込んだ事で、心臓が激しく脈打った。
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
視界が異様に明るくなり明滅し、大気の臭いが異常に良く感じられる。肌に当たる砂塵の一つ一つすら分かるほど、触覚も過敏になっており、露出した皮膚を焼く日光が疎ましい。けれど、全身の体調が好転し、何も映らなかった左の視界に謎の透明な流れが見える様になった。
その流れが、魔力の流れだという事が直感できた。痛みだけが一切感じられない今ならば、魔術の精密な発動だって可能だろう。再生なら効果と速度が増し、閃光なら光が増し、強化ならば──
「力よ、来たれ!」
今までと違い、強度だけでも力だけでもなく、同時にその両方の強化が可能になった。倍率も、痛みを無視できる分限界を超えて上げられる。
「はハッ」
増加した分も合わせて、既に枯渇しかけの魔力を振り絞り強化を掛ける。壊してしまいかねない槍を収納し、ありったけの力で拳を握り締め、笑みを浮かべて俺は徒歩の鎧騎士に向かい跳躍する。
「ひとぉつ!」
振り下ろした拳が、砕ける異音と共に鎧騎士の頭部にめり込んだ。途端に、鼻に飛び込んでくる人血の匂い。それによって、何かを繋ぎとめていた細い糸がプツンと切れた。
飛び散る血の赤が美しく見える、鉄錆臭い血の香りが芳しい。そして壊れた手を、同じく壊れた人間の頭に突っ込みぐちゃぐちゃとかき回すのは、嗚呼何とも言い難い快感だ。
自己否定ーー判定に失敗しました
そんなチートの事を無視し、飛来してきた矢を避けるために後方に大跳躍をする。同時に両脚からブチンと何かが千切れる音がし、足に力が入らず着地に失敗してしまった。困惑する俺に、間が悪い事に騎兵達が2度目のランスチャージを開始した。まだ距離はあるが、それが詰められるまではもって数秒。
無茶をして、結局この始末か。そう思った俺の左眼が、その存在を主張する様にドクンと脈打った。
自己否定ーー判定に失敗しました
「◾️◾️◾️◾️」
口からよく分からない音が発せられ、俺の身体が
「がほっ!?」
無事にやり過ごせたと思ったのもつかの間、俺は口から血の塊を吐き出す事になった。理由は不明、痛みも薬で麻痺しているが、これ以上は良くないと本能が警告を発している。
自己否定ーー判定に失敗しました
ならばやる事はただ1つ。とっとと殺して終わりにする事である。
「癒しよ来たれ」
ワンフレーズで魔術を起動、強化したままの足を再生させ弓持ちの片割れに突撃する。再び断裂音が響いた足を再生、身を低くして疾走し、強化した右腕で突き上げる様に抜き手を放つ。
「化け物めがッ!」
そんな弓持ちの声を意識から外し、飛び上がる勢いのまま首筋に噛み付いた。
いつのまにか尖っていた八重歯が皮膚を突き破り、口の中に鉄錆の味を溢れさせる。そのまま吸い付きたい誘惑を振り切り、強化した顎と首の力で相手の首を噛みちぎった。紅い花が咲いた。
「ふたつ!」
そのままの勢いで四肢を使い獣の様に着地、全力で2騎目の弓持ちに向かい走り出す。再び足から断裂音が聞こえたが、痛みは無いし治るから今は問題ない。髪の毛から滴る血液も同様だ。
「死ね! 出来損ないめが!」
そんな俺に、弓持ちが矢を連射してくる。だが、先程までと比べて明らかに精彩を欠いている。理由は分からないが、多少ジグザグに動くだけで回避出来るのは好機に違いない。腰に佩いていた短剣を抜き放ち、俺は突撃を敢行する。
「みっつ!」
どうにか追いつき、逆手に持った短剣を振り下ろす。僅かに錯乱状態に陥っていた弓持ちは、それだけで呆気なく静かになった。血を振り払い、短剣を元の鞘に収める。
自己否定ーー判定に失敗しました
先程から鳴り止まないチートだけは不愉快だが、それ以外は寧ろ調子が非常に良い。たが全身を走る多福感に酔い痴れていたせいで、起こっていた出来事に対し反応が遅れてしまった。
「チッ!」
仕留めることの出来なかった鎧騎士の片割れ、それが街に向かって逃走を開始していた。もう片方がこちらに三度ランスチャージを開始している為、こちらは捨て駒の時間稼ぎだと思われる。
自己否定ーー判定に失敗しました
informationーー最適化を開始します
「◾️◾️◾️◾️◾️、◾️◾️◾️」
逃したら、殺される。そう思った瞬間、再び自分の口からあのよく分からない音が発せられた。だが、今度は何も起きない。今ので魔力は殆ど尽きてしまい、身体を脱力感が襲う。それはランスチャージの回避も、伝令を止める事も不可能になった事を表していた。
万事休すか……そう思った俺の耳に、巨大な風切り音が聞こえてきた。同時に太陽が翳り、強大な気配がいつのまにか頭上に出現していた。ぎこちない動きで空を見上げれば、そこに存在していたのはまさしく化け物だった。
10mはある巨大な図体に、爬虫類を思わせる霞んだ黄緑色の鱗と大きな翼。物理的な法則が無視された羽ばたきを続ける翼と発達した後脚に鉤爪を持ち、強靭な尻尾はそれだけで人を叩き潰す事など造作もないだろう。そして、口を開きその鋭い牙を見せつけ、こちらをその縦長の瞳孔で見つめてきている。そんな特徴を持つ魔物を、俺は1種類しか知らない。
「ギャオォゥ」
それは竜種。数多存在する魔物の中で、頂点に君臨する絶対王者。特徴からして最下位の
何かに導かれる様に、俺は騎兵を指差す。それだけで俺の意思が伝わったのか亜竜は小さく頷き、その巨体に似つかわぬ俊敏さで飛翔した。そして迫っていた鎧騎士を馬ごと鷲掴みにし、逃走していた鎧騎士も一息で食い殺してしまった。
informationーー最適化が実行されました
自己否定ーー魔族化を否定しました
瞬間、心だけがリセットされた。いや、正気の人間としての物に回帰したと言うべきか。今まで自分は何を考え、何をしていた? 何に呑み込まれて暴走していた?
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
喉元まで迫ってきていた吐き気が急速に引いていく。だが、自分を苛む気持ちは一切変わらない。気持ちが悪い、その一言に尽きる。口の中に残る血の味と臭いが、更にその気持ちを助長する。
「ガア?」
けれど、そんな事を考えはすぐに中断する事になった。夢中になって鎧騎士を貪っていた亜竜が、俺の方をじっと見ていた。しかも、先程とは違う餌を見る目で。
「グギャアッ!!」
何故か全身から光の粒子を放つ亜竜が、恐ろしい速度でこちらにこちらに迫ってくる。先程までの様な直感はもう発動してくれず、何が起きているのかは分からないがマズイ。あんな化け物は、俺の手に余るものではない。
「《排出》、力よ来たれ!」
愛槍ではなく、スペアとして回収した槍を取り出しなけなしの魔力を使って強化。自分を守る様に構えた時には、既に目の前に黄緑色が迫っていた。
「カッ……」
強化した槍が真っ二つにへし折れ、胴体から異音が連続して俺は吹き飛ばされた。痛みはないが血が溢れ、いつまで経っても地面に落ちる感覚が訪れない。寧ろ、明滅する視界は俺が打ち上げられた事を主張していた。
だが、この程度では終わらない。
半分程透明になった亜竜が、目の前に突然出現した。恐らく普通に追いついたのだろう。そして再び、しなる尻尾が俺を打ち付けんと振りかぶられる。
「《収、納》!」
折れた槍の穂先がある方を掴み、無理矢理突き出す。
狐の最後っ屁の様な俺の一撃は、確かに尻尾を抉り血を噴出させたが、それだけで終わった。粉々に槍は砕け、腕はへし折れ、衝撃を殺すことは出来なかった。
「かひゅっ」
口から出たのは、そんな情けない空気の漏れる音。光に包まれ霧散していく亜竜を見ながら、俺は恐ろしい速度で弾き飛ばされる。確かこっちの方角には【プラム村】の周囲から広がる大森林があった筈。俺の結末は、野生動物の餌らしい。
諦めがつき張り詰めていた緊張の糸が途切れた途端、意識が遠のき始めた。血でも流しすぎたのだろうか?
「ははっ、なっさけないの」
最後にそう自嘲し、俺の意識は安寧の闇へと溶けていくのだった。
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15 古樹精霊
自己否定ーー判定に失敗しました
informationーー練度・経験が不足しています
informationーー迅速な取得を要求します
頭を、槍か剣で思いっきり打たれた様な感覚が走った。まだあの薬が効いているのか痛みはなく、けれど反射的に身体が弓なりに反った。
「あがッ!?」
ギシリと軋む音が聞こえ、急激に覚醒した意識が様々な情報を意識に乱暴に叩きつけてくる。むせ返る様な緑の香り、左眼は光の乱舞を映し出し、右眼は見たこともない様式の……まるで樹洞の中の様な内装を映し出している。けれど、身体はピクリとも動かない。動かせる精々が、指や目などだ。
いいやそうじゃない。
そもそもなんで俺は
不安が不安を呼び、ぐるぐるぐるぐると頭の中を嫌な考えが巡り埋め尽くしていく。なのに██という感情だけは行き着かず、靄がかかった感情だけが膨れ上がる。
自己否定ーー混乱を否定しました
自己否定ーー狂乱を否定しました
自己否定ーー判定に失敗しました
それが爆発する寸前、チートが消しとばしていった。
もう慣れたとはいえ、未だにこの強制賢者タイムの様な気分は良い気がしない。何度も助けられていることは事実だが。
「癒しよ来たれ」
幸い、魔力はある程度回復してくれていた。それが分かれば、先ずは再生を試すのが道理だろう。そう自己完結して、目を瞑り全身に効果を広げていく。ベッド的な場所に寝かされてる様だし、少しは落ち着いて作業できる。
「……駄目か」
魔力が一気に消費され、即座に枯渇寸前にまで残量が減ってしまった。それでも尚、身体を上手く動かす事が出来ない。
となれば、これは明らかな失敗だ。逃げ出すことも出来ない中、派手に魔力を使ってしまった。これでもう、意識があるのは悟られてしまっただろう。
現に、こちらに足音が近づいて来ているのが聞こえる。人数は多くはない様だが、まな板の鯉同然の俺はその程度の危険としか見られていないのだろう。
「……はぁ」
全身から力を抜き、完全に脱力する。もうなる様になれと思い、せめて相手の姿だけでも拝もうと首を無理して捻る。
『M.=LY7ya8!!』
通路の奥から現れた人物は、小柄な少女だった。目と目が合い、始めに感じた事は「可愛いな」という余りにも場違いな事だった。
萌葱色の長髪に、琥珀の様な瞳。髪に飾られた大きな薄黄色の花はよく似合っており、花の蕾を思わせるドレス風のワンピースともマッチしている。その顔は非常に整っており、背は……結構低めに見える。
だが、特筆すべき事はそこではない。
その裸足の小さな足には木の根っこの様なものが巻き付いており、服の袖は若葉が生えて形成されている。喋る言葉は魔術の言語とも、日本語やこの世界の人語とも乖離している。
そして俺は、そんな特徴が当てはまる魔族に1つ心当たりがある。
「
地球では、ドリアードやアルラウネと表せるだろう種族だ。特徴としては確か、長大な寿命とそれに伴う熟達した魔法技術。極めて人と同じ姿で、同様の特徴を持つ
『oO/s2ni1?』
目の前の少女が何かを言いながら可愛らしく小首を傾げているが、やはり言葉はわからない。だが、まあなんとなく考えは分かる。目が合ってるのに、こっちがなんの反応も示さないから不思議なのだろう。
「あー、通じます?」
『/*?』
「Do you understand the words?」
『K6dAr、58GwN……』
悲しそうに目を伏せられ、フルフルと横に首を振られてしまった。やはり言葉は通じない様だ。日本語とギリギリ英語、後分かる言語なんて一部のドイツ語とオンドゥル語くらいしかないし、意思の疎通は不可能と見た方が良いかもしれない。
『@ー……、MK.dQ16z/nrQ1Yj=EcH#p3』
少し考える様にした後、そう言いって少女は何処かへパタパタと走って行ってしまった。そういえば、男を攫って繁殖とか書いてあったっけ。男の苗床エンドとか何それ新しい。幸い痛みは麻痺してるから、舌を噛み千切ってでも回避するけど。
『──+NBsmKkGj%6D/c8=C』
『_*/€。U.OPL+hsOoC5D』
首の向きを戻し、身体を動かそうと四苦八苦する事少し。そんな会話の様な音が聞こえてきた。足音とかを含め考えるに、恐らく2人になっている。
『$°!』
『CK、7e$ye.dnR』
そんな会話?をしながら現れたのは、なんというか、植物的な意味で枯れた印象の人だった。結構なお年を召していると思われる。
色々な話を聞きたいが、改めて言葉が通じないとか不便ったらありはしない。こういう時こそ、
informationーー効果対象外です
駄目らしい。
寝かされているらしい俺をジッと観察した後、その老古樹精霊の人は口を開いた。
「ふむ、多分言語はこれかね?」
そうして発せられたのは、流暢な言語だった。日本語なのかこの世界の言語なのかは不明だが、俺が理解できるものという事が重要だ。
「魔力の質からして人かと思ったけど、違った様だね。となると、吸血鬼か……わたしゃ、こっちは得意じゃないんだがねぇ」
「いえ、こっちで合ってます」
「なんだい、分かってるんなら早く返事をするんだね」
そう言ってお婆さんは、少女を手で制して1人でこちらに近づいて来た。そして、こちらを見下ろしながら話し始めた。
「人様が話しに来たのに、起き上がりもしないのかい?」
「すみません、身体が動かないので」
「ほう?」
興味深げな表情をしたお婆さんが、俺に被せられた毛布の様なものを剥ぎ取った。無論服を纏ってる感覚はある。それは良いとして、お婆さんの顔が一瞬歪んだ。けれどそれはすぐに消え、残っている右腕を持ち上げられた。
「えっと、何を?」
そう呟いた瞬間、自分の掌から枝が生えるのを見た。明らかに突き破ってるし、血も出ているのに全く痛みはない。不思議だ。というか、血を吸われる感覚を何とも思えない俺も相当異常になっている気がする。
「あんた、元奴隷か何かかい?」
「いえ? 別にそういう訳ではありませんでしたけれど、何かあったんですか?」
確かに片目片腕がない状態で動けない奴なんて、そういう風に見られても不思議ではないと思うけれど。
「……まあいい。詳しい事は、治療の後に聞かせて貰う。EuY、Ukb1I@=ym=! 5TC*1O+Qbd_q!」
『$°!』
返事をして、少女はまた何処かへと走って行ってしまった。正直、何が起きているのか訳がわからない。
「まあ、助けてはやるから大人しくしてるんだね」
「事情はよく分かりませんが、宜しくお願いします」
そんなこんなで、よく分からないままよく分からない事が始まったのだった。まあ、殺されそうにはないから良いのかな?
◇
「飲みな」
「ありがとうございます」
この部屋は明るいが日が差し込んでない上、時計も存在しないから、あれからどれくらい経ったのかは分からない。けれど今、俺は満足とまでは言えないが身体を動かせる様になっていた。お婆さんから薬湯の様なものを受け取り、飲んでいる事がいい証拠である。
「最大限の治療はしたが、どうだい? 調子は」
「動ける様になったので、本当に感謝しています」
未だに槍を振り回す程の力は入らないとは言え、動くだけなら何ともないくらいには回復した。左目の半透明の流れは未だ見えるあたり、完治したのか覚醒()したのか判別つかないが。それはそうとして、今元気なのはあの瀉血的ものや、今も俺の隣にある点滴の様なものによる治療のお陰だ。
点滴とはおかしな気もするが、ウツボカズラの様な植物の底から伸びた蔦が左肩に巻き付いて薬を供給してるのだからそうとしか言いようがない。
「それは重畳。なら、こっちも始めさせてもらうとするかね」
ベッドに腰掛けた俺の対面に座っているお婆さんが、目を細めてそう言った。こっちも聞きたい事は有り余る程にあるし、恩も出来たし断る事は出来ない。
そんな事を考えている間の沈黙を肯定と受け取ったのか、ゆっくりとお婆さんは話を始めた。少女の方は、結構前に眠たげな表情をして帰って行った。
「あんた、自分の置かれてる状況を何処まで把握している?」
「正直に言うと、何も」
死んだと思ったら身体が動かない状態で目が覚めて、治療して貰った程度の認識しかない。ちゃんとした会話を推測ありきで進めるのもどうかと思うし。
「だと思ったよ、全く。1から説明してやるから、耳かっぽじってよく聞きな」
「え、あ、はい」
呆れた様な大きなため息を吐からながら言われると、微妙に反応に困る。聞くしかないというのは分かってるけれど。
「あんたはね、一昨日の昼いきなり降ってきたんだよ。この隠れ里の結界を突破して、血塗れで瀕死の
「ははぁ」
つまり、俺は現時点で人族として認識されてないという事だ。半分は人間だった筈なんだけどなぁ……
「それでも大騒ぎだったってのに、エウリが大騒ぎして呼びに来てみたら、全身を劇毒に侵されてるじゃないか」
「劇毒?」
「案の定知らなかった様だね。ワイバーンの毒、拷問に使われる毒、痛み止めの過剰投与……よく生きてたもんだよ」
「あはは……」
最後の2つは、自分の意思で使ったものだから笑えない。あの量で自殺レベルだったとは思いもしなかった。次は、水で薄めて使うとかにしよう。それとあの子、エウリって言うんだ。
「曖昧な返事ばかりで、そっちからは何もないのかい?」
「あ、そうですね」
だけど素性を最初に言ったら、問答無用で殺されそうで困る。こちらに敵対の意思は無いし、逆に何かされて姫様の足枷になるのも非常に困る。けど隠し事は気に入らないし、元勇者って事は最後に明かそう。
「まず俺は、一応半分は人間じゃなくて吸血鬼です。まだまだ半人前も良いところですが、
「成る程、結界を抜けたのはそう言う訳かい」
半分の半人前だから実質1/4かもしれない。そんな馬鹿な考えはどこかへ放り投げ、こちらの話を続ける。
「腕は過去魔物に壊された時に切断して、目は最近抉り出されました」
「よくもまあ、そんな状態で1人で何かをしようと思ったもんだい。死んじゃ世話ないけどね」
「対抗手段がなかったもので」
薬で一歩間違えば死んでたとか、ついさっき聞いた事だし。
さて、ここからが勝負どころだ。一歩間違えばどころか、問答無用で殺される事を念頭に置いておかないといけない。
「それで、名前は何なんだい?」
「俺の名前は、欠月 諸刃。姓が欠月、名前が諸刃です」
そして一呼吸置いてから、俺は告げた。
「俺の立場としては、見捨てられ捨て駒にされている身ではありますが、今回王国で召喚された勇者の1人です」
瞬間、俺の喉元に鋭利な枝が突きつけられた。
適当な文字になっていた部分
目が覚めたんですね!!
どうかしましたか?
はい?
すみません、分かりません
んー……、これはお婆様を呼んでこないと駄目みたいですね
──でも、何て言ってるのか分からなくて
成る程ね。それで私を呼んだって訳かい
はい!
全く、年寄り使いが荒いよ
エウリ、蔵から薬を持って来な! 5番から10番まで全部だ!
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16 清絶幽絶
お婆さんの鋭利な眼光がこちらを貫き、どこからか生えた鋭い枝が喉元に突きつけられていた。左眼に半透明の光が乱舞している事から魔術と分かるが、何も見えなかった。
自己否定ーー動揺を否定しました
冷や汗が頬を伝う中、ゆっくりと目を動かすと、その枝は点滴の様な物の支柱から生えていた。分かっていた事だが、ここで俺の命はあってないようなものらしい。
「もう一度、言ってみな。事によっちゃ、私たち全体が人に敵対する事になるよ」
「俺の立場は、一応は勇者という事になってます。まあ、見た通りの邪魔者なんでこんな死地に送られた訳ですが」
自嘲するように笑い、左肩と左目を強調して見せる。そういえば、最近女装してないな……いや、したいというわけではないのだが。ここ最近ずっと戦ってしかいなかった上、死の何歩か手前に身を置いていたのだ。「人」の「日常」こそが自分の居るべき世界という事を、ふとした時に忘れそうになる。
「ふむ……つまり、関係はないんだね?」
「何がです?」
そんな主語が抜け落ちた質問をされても、首を傾げる他ない。俺のバックには姫様くらいしかいないが、そもそもこんな最前線に姫様の計画が伝わってるとは思えない。ともなれば、俺が答えられる言葉は不明か否かの二択となる。
「本当に、何も知らないと思っていいんだね?」
「はい」
自己否定ーー判定に失敗しました
一瞬身体に違和感を感じ、チートの結果を見て何かをされた事だけが分かった。こちらに何かをする意図はあった様だが、即座に害はない様に思える。違ったら違ったでそれまでだ。……案外、心を読まれてたりして
「ふむ、どうやら本当の様だね。疑って悪かったよ」
「いえ、即座に殺されてもおかしくなかったので。こちらこそ、感謝です」
シュルシュルと枝が小さくなり、最後には支柱と一体化した。本当に無害なのか、いつでも殺せるという意思表示なのか。まあ、栓の無い事か。
「ふ、人族にしては礼儀が出来てるじゃないか」
「恐縮です」
『#wFnMn……h3Ci1』
最後に何かお婆さんが呟いているのが聞こえたが、あのよく分からない言語だった為意味は分からなかった。だがなんだろうか、何か大切な事を聞き逃してしまった様な気がする。
「その身体の毒が抜けるまでの1週間、ゆっくりしていくといいさね。エウリをつけるから、不自由はない筈だよ」
「え、あの、え、はい?」
突然、話が切り替わった。飲み終わったコップを回収して戻って行くお婆さんを前に、俺は疑問の声を出すことしか出来なかった。
「なんだい?」
「いえ、治療はしたんだから出て行けと、叩き出されるものだと思っていたので」
「私らは、種族的にハーフとかの混血が多い。だから、ただの人間なら兎も角、死にかけた同類を見捨てる事なんてしないよ」
そうして「さっさと寝るんだね」と言い残し、お婆さんは去って行ってしまった。こうなると、俺に出来ることは何もない。コートや槍はチートの中に、ベルトや短剣に始まる装備は近くの台の上に置かれているが、室内で振り回す訳にはいかないし、何より安静にしていないとマズイだろう。手甲と胸当ても、無事に置いてあった。
「……寝るしか、ないか」
少し前まで寝ていた筈だが、元々俺は寝ることが得意だった……筈だ。ここ最近の弊害だろうか、過去の記憶が変に靄がかって思い出せない。まあ、特に気にする事でもないだろう。
そう考えを断ち切り、俺はボフンとベッドに身を沈めた。ちょっと点滴のアレが気になるけど、外れたら外れたという事で。
◇
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー魔族化を否定しました
「いギッ!?」
ここに運び込まれてから、恐らく2日目の朝。異常な喉の渇きと、全身を抉られるような
安心して起き上がり、邪魔な手甲や胸当てを仕舞いつつ格好を普段の装いに戻していく。左目を覆う包帯が欲しい所だけど、無い物ねだりをしても仕方がない。
「どうしよう、これ」
あとはコートを羽織れば日光対策も出来て完璧なのだが、点滴の管が邪魔でそれが出来ない。ウツボカズラの様なものの中には既に液体は無く、点滴台自体は何故か動いてくれるのだが、引っ張ってみても蔓が抜けないのだ。
「いっそ斬るか」
短剣を抜き、蔦に押し当てる。抑えることも出来ず、切れ味が鋭い訳でもないのでやりにくいがまあなんとかなるだろう。
「せーのっ」
「
気合を入れて切断しようとする直前、鈴を転がすような声が俺を静止した。何事かと思い声のした方向を向けば、昨日見た少女が立っていた。だが、何故か話す言葉の意味が分かる。
「えっと、邪魔なので切ろうと思いまして……」
「
しかもどうやら、こっちの言葉も通じる様だ。原因として考えられるのは、胸元に赤い宝石があしらわれたペンダントだろうか? 左目の視界にも、ペンダントから半透明の流れが発生して少女を覆っているのが視える。……今更ながら、この眼はそのままらしい。
『◾️◾️◾️◾️◾️』
少女が点滴台に手を当て呪文らしき言葉を唱えると、引っ張っても取れなかった蔓が自然と解けていった。言葉の翻訳といい蔦といい、やはり魔術は便利なものである。
「そういえばだけど、貴女は?」
ホッとしてる様子の少女に、ある程度の事情は察せているが聞いてみる。すると少女は、顔を赤くし服装を整え、改めてこちらに向き直って話し始めた。
「
「よろしく、エウリさん」
そう言って握手を交わしたが、エウリさんの顔は何処と無く無理をしている様に見えるし手は微かに震えている。そんな明らかに不審な様子が気になり目線を辿ると、何故か俺の腰辺りを見ている様だった。謎……ではないか。
「片腕での生活は長いので、多分エウリさんが心配してる様なことはないと思いますよ? まあ、場所は教えてもらわないとですけど」
「
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
困った様に笑うエウリさんは、やっぱりとても可愛らしいと思った。それと同時に、チートが瞬時に否定したが美味しそうという考えも浮かび上がってきた。流石にこれは、放置しておくのは些か以上に問題があるだろう。どうにかする手段なんて、誰かの血を吸うという忌避すべきもの以外思いつきもしないが。
「
「いえ、ちょっと身体を動かしたいなと思って」
寝たきりで過ごしたら、かろうじて死なない程度には戦える自分が駄目になってしまう。それに、悩みを晴らすにはうってつけだし。
「
そう思っていたのだが、駄目だとドクターストップを出されてしまった。まあ、自分で納得出来てしまうし、残念だが仕方ないと割り切る事にしよう。
「なら、出歩く事くらいはいいですか?」
「
今度はちゃんとOKらしかった。それじゃあ、遠慮なく案内してもらおうと思う。色々と、行きたい場所は多いのだ。
「先ずは、武器とかを整備してくれるところがあればそこに。今まで使うだけ使ってるのに、ちゃんとした整備をしてませんでしたから」
「
「了解です」
コートを羽織って素肌を日光から守り、焼かれる事がない様にする。そうして準備を終えて振り返ると、楽しそうな顔をしたエウリさんが手に何かを持ってこちらを見ていた。
「
「はい?」
何が起きるのか分からないが、楽しそうなのに断るのは申し訳ないので屈む。それを確認すると、エウリさんは俺の背中側に回り何か紐の様なものをかけてきた。なんか、花のいい匂いがする。
「
「ああ、眼帯の代わり……ありがとうございます」
早く包帯を巻いてしまいたいと思っていたが、花飾りのついた眼帯ならそれはそれで良いのではないだろうか? TPOにも合っていると思うし。
「
「ですね。これからしばらく、よろしくお願いします」
「
そうして俺は、エウリさんの案内で
いつぶりか分からない、気を張り続ける必要がないと感じられる生活。血生臭さと離れられる日常。俺が、元々いたはずの場所。しかも、可愛い見た目は同年代の女の子と一緒に行動するときた。
「少しくらいは、安心してもいいのかな……」
「
「いえ、何も」
こんな考えは甘いのだろう。けれど、少しは休みたいというのが本音で、それを許して貰える建前も整っている。なら、甘えてしまうのが人間というものだろう。
自己否定ーー疑心暗鬼を否定しました
自己否定ーー最悪の想像を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
自己否定ーー不信感を否定しました
主人公の元APPは13.5くらい
エウリのAPPは16くらい
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17 一炊之夢
綺麗な木目調の廊下を抜け、階段を下って出た外には、とても綺麗な光景が広がっていた。
「凄い、綺麗だ……」
「
そう言ってエウリさんは振り向き、自慢するように手を大きく広げる。だが、それもこのファンタジーな光景を見れば分かるというものだ。
この街は、まさに森と一体化していた。地面は雑草こそ抜かれているものの、木の根などは放置され自然のままの姿を保ち、それ故に天を覆う鬱蒼と生い茂る葉は生き生きとしていた。漂う空気は慣れた森の中そのものの清らかさを保ち、しかしそこに生活の匂いが混ざっている。木漏れ日が露出した肌を焼くが、もうそこまで気にしないで済むくらいには慣れてきた。
「
「それもそうですね」
案内してもらってる手前、ずっと止まってる訳にはいかない。そう判断し直すが遅かったようで、小さな手が俺の手を握り先導し始めた。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
一応俺は、これでも健全な年頃の男子である。手を解くなんて事はせず、なされるがままに案内されていく。そうして着いたのは、村長宅らしい古木の隣にある捻じ曲がった大木をくり抜かれて作られた店だった。
「
到着するなり、扉をドンドンと叩きエウリさんが大声で呼びかけた。しばらくしてガチャリと扉は開かれ、奥から頭に小さな赤い花を飾った女性が現れた。今まで眠っていたのだろうか、目を擦る女性からは如何にも不愉快だという雰囲気が放たれている。
「
「
「
その時点でこちらに気がついたのか、目を細めてこちらを睨め回してくる。あんまり気分良いものじゃないけど、とりあえず一礼を返しておく。
「さっさと手を離して得物を出しな、人間」
「一応、これでも半分吸血鬼です」
「あっそ」
俺は、鞘……いや、シースって言うんだったっけ? どちらでも良いが、刃を収めたままの短剣を手渡す。さっき抜いた時、微妙に乾いた血が見えてたし、これは整備してもらわないといけないだろう。
「で、
「それはこちらに《排出》」
「うぉッ!?」」
とても驚いた様子のフロックスさん?に、いつも通り出現した槍を手渡す。渡すのは、1番酷使してきた自作槍を姫様が強化してくれた最初の槍。プラム村での諸々でかなり傷んでいるのは分かっていたが、修理も整備もろくに出来ていなかったからだ。
「今のを問い詰めはしないが……この槍、随分と酷い状態じゃねえか。しかもえらい特殊な構造してるし、よくこんなので戦ってこれたなお前」
「あはは……」
まあ、元がモップの柄にゴブリンの持っていた曲刀を突き刺しただけだから仕方がない。
「いいぜ、燃えてきた。明日だ」
「はい?」
「明日までにこの槍は、オレの持てる限りの全部を使って鍛えてやる! 首を洗って待ってろよ!」
そう言って、フロックスさん?は扉を閉じて引き篭もってしまった。一瞬だったから反応が遅れたというか、首を洗ってだと使いかたがおかしい気がするとか色々あるけど、なんか凄い人だったな……
「
「えっと、まあちょっとした手品みたいなものです。物騒な物しか今は持ってないので、お見せは出来ませんけど」
「
せめて花か何かがあれば良かったのだが、手首とかライターとか槍や劇薬などの危険物しか入っていない。だから、あまり見せたくはない。まあ、これは血生臭さを日常に持ち込みたくない俺のエゴだが。
「
「なら防具屋さんへ」
「
今度は手を引かれる事なく、隣に立ってゆっくりと歩いていく。相変わらず凄い景色だが、無言は気まずいのでちょっと疑問に思ったことを聞いてみる。
「そういえば、皆さん案外人の言葉がわかるんですね」
「
「ひゃくごじゅっ!?」
さっきの人は、どう見ても20代程度にしか見えなかった。それなのに150年とは流石の異世界、流石の異種族である。となると、もしやエウリさんもかなりの年上だったりするのだろうか?
「
「いえ、エウリさんが謝ることじゃないですよ。他の言語って凄く覚え難いですし、逆に同じ歳だから安心出来ます」
「
まさしく花が咲く様な笑顔が返ってきた。やっぱり、こういうのにはどうにも弱い。恥ずかしくなって顔を少し逸らしてしまう。
そして、そんな情けないことをしている間に防具屋に到着してしまった。こちらは先程と違い店は開いており、入店すると普通に対応してくれた。そして特に特別な事もなく、俺の手に合う様に拾い物の手甲を調整してもらうことが出来た。いや、お金がかからなかった事は不思議か。
そうして防具屋から出た時、大きな音が自分の腹から聞こえた。考えてみれば、最低丸一日は何も食べていない。1度意識してしまえば早いもので、すぐに莫大量の飢餓感が襲ってきた。
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
「
「なんか、すみません」
「
嬉しそうにエウリさんは言うけれど、俺は内心かなり驚いていた。なんというか、言ってしまえば
「
「成る程……勉強になります」
「
そして俺は、再び先導されて歩いていく。エウリさんの後ろ姿に、特に警戒する事もなくついて行く自分は、思った以上に気が緩んでしまって……いや、緊張は解けているらしい。
相変わらず大木と同化したお店で、王都にいた時より豪華な食事を終えた。その後、森林浴的にこの村の中を散策した。漸く魔力が自由に使えるくらいには回復してきたと感じた辺りで、歩調を落として隣に来たエウリさんが問いかけてきた。
「
「えっ」
自己否定ーー動揺を否定しました
不意に投げかけられた質問に、俺は答えを出すことが出来なかった。そういえば、俺は何のためにここまで戦ってきたのだろうか?
「俺の戦う理由……何なんでしょう?」
「
「『元の世界に戻りたいから』って言われればそうですし、『助けてくれた人への恩返し』と言われればそうでもあります。もっと簡単に言えば『死にたくないから』でもあって、『友人を助けたいから』というのも少しはあります。
けど、どれも確実にこれって“芯”には足りないんです。散々戦って、殺して、逆に見殺しにして、傷ついて、無茶をして命を削って……なのに、改めて聞かれてみたら分かりません。情けないですよね」
空を見上げた顔に射し込んだ木漏れ日、それに目を細めつつ自嘲気味に答える。言葉にしてみて改めて分かった、やはり自分は中途半端で駄目な人間だ。
だから俺は、
自己否定ーー
自分の事が
█主no自█を
心の底から、きら──
否█shi█し──
「
自己否定ーー判定に失敗しました
どこか遠くに、薄くなって消えそうだった自分の意識が、その一言で戻ってきた。今のは、なんだ? 今まで、失敗することこそあれ明確に確認出来ていたチートが、訳のわからない結果を吐き出した。しかも察するに今のはッ!!
自己否定ーー記録を否定しました
自己否定ーー違和感を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
まあ、
「そう思わないって、どうしてでしょう?」
「
「帰りたいから?」
1つ目の理由ならともかく、他の理由では全く見当もつかない。何をどうしたら、帰りたいなんて理由に繋がるのだろうか?
「
「2つ目は?」
「
…………
「なら、3つ目は?」
「
「じゃあ、最後は?」
「
そう力説するエウリさんの姿は、とても楽しそうで、とても可愛らしくて。見惚れてしまう程、綺麗だった。今、俺の中に渦巻くこの感情は、ともすれば“恋”と呼ばれるものかもしれない。考えてみれば、もしかしたら一目惚れだったのかもしれない。
「
「です、かね。エウリさんがそう言うなら、分かりました」
そうして俺は、恐らくこの世界に来て初めて、心の底から本心で笑う事が出来たのだった。
期限まで後、6日
これはもう、実質デートなのでは?
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18 困知勉行
翌朝、俺は気持ちよく目を覚ます事が出来た。多分なんだかんだ言って、俺もここに慣れてきたのだろう。そして気を張る必要がないからか、安心している部分も多いのだろう。
絆されたとも言える自分の未熟を甘んじて受け入れつつ、当てがわれた病室のある建物の、裏庭的な場所で身体を動かす事数十分。いい汗をかいたと、振り回していたスペアの槍を仕舞い身体を休めた時、丁度いいタイミングでタオルが投げ渡された。
「ありがとうございます、エウリさん」
「
「身体を動かさないと、鈍っちゃいそうなので」
受け取ったタオルで滴る汗を拭いた後、返すわけにもいかないので首にかけておく。そして不意の拍子で壊さないよう仕舞っていた花の眼帯を取り出し、取り付けるのにもたついていると、見兼ねたエウリさんが綺麗に付けてくれた。
「
「ん、大丈夫です。ありがとうございます」
実際のところ左眼は、傷はとっくにふさがっている。それに、眼を開いていようが開いてなかろうが。眼帯が有ろうが無かろうが、例の魔力の流れを延々と映し出し続けている。故に眼帯の意味はもうほぼ無いのだが、やはり着けていたいものではあるのだ。
「
「え?」
自己否定ーー動揺を否定しました
不思議そうにエウリさんが、俺に問いかけてきた。ちょっと待って欲しい、そんな事俺も初耳である。髪の毛と目の色?
「《排出》」
先程まで使っていたスペアの槍を取り出し、刃の部分に自分の顔を映してみる。するとそこには、ほんの僅かに変わった自分の顔が映し出されていた。
元々は日本人らしい色だった瞳が、黄色がかった薄茶色……
「うひゃあ!?」
「
「緋色……ですか」
なんというか、燃える様な色だと思った。何がどうなってこの変色が起きているのか
「
「いたぁっ!?」
そんな事を思っていたら、後頭部に地味な痛みが走った。頭を押さえて振り返ると、エウリさんは引き抜いた俺の髪の毛を見せてくれた。
「
「確かにこれは」
確かに抜かれた毛は、燃え盛る様な赤色に変わっていた。自分の髪だとは認識出来るのだが、明らかな異様である。けど、何か違和感は感じないんだよなぁ……
「でもまあ、身体の不調もありませんし。全然大丈夫ですよ」
「
何処と無く不満気だが、一応納得はしてもらえた様だ。ドクターストップもないので、実際もうそこまで問題は無いようだ。
「それにほら、今日は予定もありますし」
「
「本当にダメなら、遠慮なく頼らせてもらいますけどね」
あははと笑いながら俺は言う。毒というものの恐ろしさは、元いた世界の歴史が十二分に証明している。なんらかの後遺症が残ってもおかしくないレベルの濃度で、一気に服毒したらしいし。
「
「そうですね」
こうして、いたって平穏に3日目が始まったのだった。
◇
朝ご飯も終わり、用事があるというエウリさんと別れて数分。俺は、昨日も訪れたフロックスさんの店の前にいた。日は登っているがかなり早い時間だ。エウリさんから『多分大丈夫です(意訳)』とお墨付きを貰っているが、あまり良い気分にはならないのは『まだ人間だから』という事であってほしい。
微妙に考えが逸れた。一度頭を振って考えをリセットし、昨日は無かったが増設されているドアノッカーを鳴らした。すると、昨日とは違い数秒でフロックスさんは現れた。目の下には酷いクマが出来ている。
「おう、来たか」
「来ました」
「付いて来な」
それだけで会話は終わり、フロックスさんは店の奥に行ってしまった。特に理由を問う気も意味もないので大人しく付いていくと、突然開けた空間に出た。木に囲まれた空間で、葉に覆われていない青空が見える。
「ここは?」
「オレの工房ってやつだ。それよりも、だ」
空を見上げていた俺に、不意に何かが放り投げられた。何とか受け取ってみれば、それは
「抜いてみろ」
小さく頷き抜いてみると、刀身の様子が見違える程変わっていた。元々曇った鋼といった様相だったものが、今は綺麗な暗緑色の縞模様が浮かび上がっている。多分、相当に鍛えられているのだろう。短剣自体の分厚さも相まって、非常に頑丈そうに見える。人を害する物だと分かっていても、やはり男子としてこういう物には憧れが止まらない。ましてや、自分の持ち物なのだから尚更だ。
そう磨き上げられた刀身に見入っている俺に、微妙な不機嫌さを滲ませるフロックスさんが話しかけて来た。
「そいつをどこで手に入れた? あの槍とは格が違う業物だぞ?」
「クソ貴族を殺して、その鑑賞ルームから掻っ払って来ました。ついでに槍も5本程」
「そうかい! そいつは爽快だ!」
ゲラゲラ笑いながら涙を浮かべ、その細腕でバシバシと俺の背中を叩いてくる。見た目は完全に女性なのに、その痛さは師匠を超えてる辺りにとても種族の差を感じる。
「良いね、気に入った。折角の業物だから槍を渡す前に説明してぇんだが、聞くか?」
「勿論お願いします」
けど、それとこれとは話が別だ。そんな浪漫のある話は、聞きたいに決まっているだろう。
「そうかそうか! いい奴じゃねぇかお前!」
「そう在れたなら幸いです」
「んだよ堅っ苦しいな。もっと楽にしろ楽に!」
「いやぁ、そう言われても……」
そう言われても、祖父母を超える年齢の人にタメ口とかは精神的に疲れる。ちょっと言葉を崩すくらいが関の山だ。
差し出された手に短剣を返し、話を聞く姿勢を整える。
「まあいいか、始めんぞ
まずその短剣は、アダマンタイトっつう阿保みたいに硬くて魔力を通さない上融点も高い金属と、ミスリルっつう硬いが魔力をよく通して融点が低めの金属の合金でな? これだけでも、普通は馬鹿にならない金がかかる上、オレなんかじゃ足りねえくらいの鍛冶技術が必要なんだ」
なるほどと、話の邪魔をしないよう俺は頷く。なんか、突然厨二心が刺激される金属名がポンポン出て来たせいか、やはり途轍もなくワクワクする。
「けどこいつは、調べてみたら更におかしな事になってた。その合金程度なら余裕の筈の砥石を使っても、一切研げねぇんだぜ? 笑えるだろ。槍の穂先にしてやろうと思ったってのに」
「ちょっとこれ、頭おかしいんじゃないですかね……」
どこにでもあると思っていた短剣が、突然ファンタジーの世界でも異常だった件について。そんな貴重品だったとは思わなかった。
「ああ、頭おかしいんだよこいつは。気になって色々やってみたらな、完全に未知の金属でコーティングされてんだよ。伝説にあるヒヒイロカネってやつに特徴が似てない事もないが、完全に未知だな。積もり積もった汚れを取り除くので精一杯だった」
「ロクな整備が出来なくてすみません……」
「素人な上片腕だろ? 後で教えてやるから気にすんなって」
お礼を言いつつ、改めて思う。この人はいい人だ。こういう話をするのが好きなのだろうとも思うし、1男子としては鍛冶とか興味が尽きないし。
「でもって異常な事にな、その縞模様全部が針の先より小さい魔法陣の集合体なんだよ。効果は頑丈さの強化、鋭さの強化、貫通力の強化、そして自己修復ってところだ。多分そいつ、相応の力さえあれば何にでも突き刺さるし壊れないだろうな。斬れ味の強化がないが、元々十分な斬れ味だから問題はねぇだろうよ。国宝級の魔剣だな」
「詰め込み過ぎじゃないですか……」
そんな物が、なんであんな最前線の村のコレクションだったのか全く理解ができない。だが、分かることも少しはある。これを作った人物は化け物級の職人だということと、今この剣が自分の手元にある事だ。
「因みに、これでも分からなかった……『ぶらっくぼっくす』ってんだっけか? その部分の説明は省いてるぞ、理解出来ないからな」
「うわぁ……」
訂正する。この短剣を作った人間はキチガイだ。一気にこの短剣が恐ろしく感じてきた。超超接近戦でしか使えないが、猪とかの解体に使っていたのが申し訳なく感じる。
「一生……いや、子孫レベルまで使えるやつだから、大切にするこったな」
「勿論です!」
informationーー短剣・無銘よりアクセスを確認
informationーー所有者登録が完了しました
そう返事をした途端、フロックスさんの手元から短剣が搔き消え、俺の手の中に出現した。ちょっと待て、今の表示はなんだ? しかも、転移といってしまって良さそうな出現とか訳が分からないんだが。
自己否定ーー動揺を否定しました
「今のは……なんだ?」
「俺にもちょっと、分かりません」
実際、チートの報告を見ても訳が分からないのでそう答える。ブラックボックスの内の何かなんだろうけど、分からないものは分からない。
「まあいいか、お前がその剣に気に入られてるってこったろ」
「です、かね?」
そう疑問を口に出したところ、短剣がドクンと脈打ったように感じた。気に入られたというのは事実らしい。
そんな事実に呆けていると、グッとこちらにフロックスさんの手が突き出された。その手の中には、少し変わった愛槍の姿があった。
「うし、その短剣の話は終わりな! 次はこっちの槍の話だ」
「うす!」
こちらの変化は僅か。石突きの部分から柄の方へ、穂先との接合部から柄の方へ、それぞれ植物の蔦が絡まる様な意匠が追加されていた。
「受け取れ。こいつには、短剣と違ってオレの技術の粋を詰め込んである」
「本当に、ありがとうございます」
そう言って受け取った愛槍は、バランスこそ元と全く変わらないが、僅かに重量が増していた。これ、さり気なく匠の技じゃないだろうか。
「おう、大事にしろよ。妙な加護がかかってて異常に強化しにくかったが、色々やったんだ。すぐに壊したら泣くぞこら」
「スペアの槍みたいに、無茶な使い方をして壊す事は可能な限りしないように注意します」
壊れる事を承知で盾にして、壊れても刺し違えるレベルで攻撃する事は2度としないと誓う。愛槍をぶち壊す事は、あまりしたくはないのだ。
「じゃあ強化点を言うぜ。元々ちょいと祝福されただけの金属の筒だったせいで、普通の木の柄と違ってしなりが無かっただろ? それをオレ達の種族の力で、木の性質を良いとこだけを付与した。これで先ずは一端の槍になったな」
「成る程」
言うなれば、今までの愛槍は槍ですらなく刃の付いた棒切れという事だったのだろう。見事に的を射ている。
「そんで、槍としては足んねえ長さを補強出来る様、空洞だった内側に少し仕掛けをさせてもらった。伸びろと念じてみろ、まあ口に出しても問題ないが」
「はい。じゃあ……伸びろ!」
その言葉を口に出した瞬間、槍が勢いよく伸長した。いや、勢いからして射出と言っても相違ないだろう。柄より僅かに細い筒が二段階に分けて発射され、石突きが大体3mほど伸びていた。
その状態の槍を、特に問題なくバランスを取り支える。……おかしい。俺は、こんなにも槍を上手く扱うことが出来たか? 精々、素人に毛が生えた程度では無かっただろうか? 重さも長さも変化した槍を、何故今までと変わらず支えられている?
自己否定ーー疑問点を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
まあ、偶にはそういう事もあるのだろう。今まであれだけ死線を共に潜ってきた愛槍だ、握りもよりフィットしてる感じだし、そういう事だろうきっと。
「元の長さが、あー……お前ら人間の単位に合わせると、大体1900mm。お前にとっては丁度いい長さだったんだろうが、一応伸長機能を付けて長槍としても使える様にさせてもらった。勿論伸びた分は縮むぞ?」
「あっはい。縮め」
そう言えば、今度は同じ勢いで元の長さに戻った。やはり、この長さの方が落ち着く。長過ぎると、片腕じゃ満足に扱えないのだ。まあ、この機能も色々と使い道はできる事だろう。
「で、最後にアレだ。内側の空間には色々魔術的に刻んで、強度やらなんやら槍としての性能を底上げしてある。だが、まだコイツは完成してねぇんだ」
「えっ」
コツンと俺が手に持ったままの槍を軽く叩き、フロックスさんは言った。そこまで出来ていると思われるのに、何が完成していないのだろうか?
「お前、この槍に名前とか付けてるか?」
「いいえ。元がアレでしたし、名前なんて付けてないです」
「だろうな。だから、名前を付ける。人間の諺に『名は体を表す』ってのがあるだろ? ま、詰まる所それだ。名の有る無しで、武器ってのは変わってくる物なんだ」
そう言うフロックスさんの目は、伊達や酔狂ではなく真剣な光を湛えていた。名前なんて、考えた事もなかった。
「ピンときたものなら何でもいい。思いつかなきゃ、今までどんな風に使ってたかとかそこら辺から取るのも有りだな。ま、適当にカッコつけた名前でも付けちまえ!」
「……なら、驟雨で」
初陣では血の雨を浴びて、本格的な戦の時にはずっと一緒に血の雨を被ってきた。だから、ちょっとカッコつけた名前でこうする事にする。
「いいねぇ、響きが気に入った」
笑みを浮かべたフロックスさんが槍に手をかざすと、ボウッと一瞬槍が発光した。これで、完璧になったと言う事なのだろう。
「うっし、これで完成だ! 今から試しに試合おうぜ、モロハ!」
「えっ」
満足した様な笑顔のフロックスさんが、そんな事を言って大きく距離をとった。そして何かを唱えた途端、その手に木製の槍が出現した。
「えっと、その、はい?」
「ん? エウリから聞いてなかったか? 折角の未熟な客人だ、限界まで鍛えてやる。一応オレは、これでも50年は槍を振り回してるからな、腕前はそこそこだせ?」
ニィっと口の端を吊り上げたフロックスさんから、ここ数日感じる事のなかった殺気が俺に向かって放たれた。その上、挑発する様に指をクイクイとされると、黙ってられない。
「それなら、胸を貸してもらいます」
「おうともさ」
俺はこの時になって、エウリさんからの忠告を思い出していた。曰く『フロックスさんは鍛冶師で錬金術師だけど、それよりも戦闘狂ですから注意して下さいね』と。
結局、今日はエウリさんに止められるまで、俺は稽古をつけてもらっていたのだった。
残り5日
短剣の出自はストーリーに全く関係御座いません。
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19 五里霧中《上》
「フッ!」
下段から振り抜いた槍が、朝霧を断ち切った。
豚に真珠、という諺がある。
あ、いや、失敗した。自分を豚には例えたくない。まあ、兎に祭文でも猫に小判でも馬の耳に念仏でもいい。言ってしまえばカッコつけただけなのだから。
俺が言いたい事と言うのは、詰まる所武器が分不相応だと言う事だ。武器の格とも言うべき物に、明らかに俺は見合っていない。
「ッ!」
重くなった槍に振り回され、バランスを崩して槍が地面に突き刺さる。
半分人間。立場は勇者。身体つきは貧弱。隻腕隻眼。明らかに戦う者としては不十分で、信用も最底辺の筈だ。なのに、ここの人達は誰もが俺に優しくしてくれる。手助けしてくれる。手を尽くしてくれる。
「シッ!」
無理にそれを引き抜かず、強化した腕で身体を支え、フロックスさんに向けて全力の蹴りを入れた。重さでは俺が上回っている故に、フロックスさんは勢いよく吹き飛んだ。
ここの人達はなんて優しいのだろうか。そう思ってる奴はただの馬鹿か、底なしの間抜けだ。事実俺も昨日まではそうだった。稽古をつけてもらい何度か死にかけたお陰で、多少は気が引き締まった。
そうして認識した。現状は明らかにおかしい。それこそ狂ってると言えるほどに。
「やるじゃねぇか!」
「どうも!」
パラパラと、崩れた壁の破片を振り払いながらフロックスさんが立ち上がった。その手にあるの驟雨と寸分違わぬ木槍で、使っているのは右腕だけだ。要するに昨日から続けるこの稽古は、立ち回りの稽古であり、槍の扱いの稽古であり、場数を踏ませるものであり、見とり稽古でもある。
こちらとしては死ぬ程有り難いのだが、だからこそおかしいのだ。気持ちが悪いと言い換えてもいい。何故、そんな不審人物を助ける。何故、俺みたいな奴を支援する。何故、俺の世話をエウリさんに任せている。何故、不審人物に1番弱い子供を預けていられる。
自己否定ーー不信感を否定しました
逆にその事が、
「準備はいいか?」
「うす」
返事をして槍を引き抜き、フロックスさんと相対する。
分不相応と感じる。見合っていないと感じる。不信感を感じる。疑問点を感じる。ないない尽くしの中、俺が出来ることはただ1つ。
それはそう、備えることだ。
何が起きてもいいよう、どんな問題に巻き込まれてもいいよう、どんな理不尽に襲われても、自らの命が果てる事がないように。そして──せめて惚れた女の子1人くらいは守りきれるよう鍛えること。鍛え続けること。鍛錬を積み重ねること。
そうすればいつか、いつかは届く筈だ。
「行くぜ!」
決意を新たに気を引き締めたのと同時、目の前にフロックスさんが出現した。否、そうとしか思えない速度で接近された。その今までとは格の違う速度に、俺は焦って槍を突き出した。突き出しまった。
「
当然、そんな力のない一撃は弾かれる。そればかりか、いかなる術理か俺の手から槍は離れ、くるくると宙を回りどこかへ飛んで行ってしまった。
手元に武器はなく、腕は伸びきり、体勢は崩れている。武の達人でもない俺には、ここから巻き返すことなんて出来る筈もなく……
「かふっ」
逆袈裟に振られた木槍を、無防備に受けてしまった。刃こそないが衝撃はそのまま届き、ベキという異音が身体から響いた。そんな事をゆっくり実感している間も無く、魔族特有の人外の膂力で俺は吹き飛ばされた。
2m程吹き飛ばされ、受け身も取れず全身を強打した。元から強化の魔術を使っていなければ結構な怪我となった筈だ。肋骨が折れてるというのは、一応重症かもしれないが。
「痛……癒しよ来たれ」
大の字で転がったまま、再生の魔術を行使する。下手に動いて怪我をするのは嫌なのでそのまま目を閉じて回復を待っていると、頭を軽く蹴られた。開けろという事なのだろう。諦めて目を開けると、バツの悪そうな顔をしたフロックスさんが俺を覗き込んでいた。
「あーその、なんだ。すまん、やり過ぎたか?」
「いえ、考え事してた俺が悪いので。それに肋骨が折れただけなので、少しすれば治ります」
「おう、そうか」
それだけ言って、フロックスさんは近くに座り込んだ。
濃い緑の香り。花の香り。汗の臭い。そして僅かな、甘い匂い。それらが混じり合い漂う早朝の工房は、現在静寂が包み込んでいた。ほんの少し残っていた朝霧が晴れていく中、フロックスさんがポツリと口を開いた。
「
「そんなものがある方が、よっぽど珍しいんじゃないですかね?」
「それもそうだな。けどまあ、最初で最後の弟子にはなんかしてやりてえんだよ」
「俺は今のままでも、十分過ぎるものを、受け取ってますよ」
どうにか笑みを浮かべて、俺は答える。奥義とかそういうものが無くても、もう十二分に様々なものを受け取っている。
「そうか。まあ奥義なんてもの、どんなにスジがいい奴でも、2日3日で教えられるもんでもねぇがな! 後お前、そもそも平凡だし」
「才能がからっきしじゃないだけ、有り難いですねっと」
まだズキズキと痛むが、骨は一応繋がった。それならもう、動く事はできる。脇腹を押さえて立ち上がり、少し歩いて地面に転がっていた驟雨を回収した。
「もう一本、お願いします」
「いいぜ、気がすむまでやってやらぁ」
そうして構え、ぶつかり合う直前のことだった。
「
工房の端から、そんな大声が轟いた。
「「げっ」」
似たり寄ったりな声を漏らして声のした方向を向くと、そこには如何にも怒ってますという様子のエウリさんが立っていた。腰に手を当て頬を膨らまし、プンプンと擬音がつきそうな状態で近づいてくる。
そんな様子を見て、フロックスさんは小さな声で俺に問いかけてきた。
(なあおい。まさかお前、勝手に抜け出してきたのかよ?)
(そんなまさか。ちゃんと置き手紙を書いてきましたって)
ベットの近くの、始め装備類が置かれていたテーブルに置いてきた筈だ。ちょっとお邪魔して運動してくるという旨の事を書いて。
「
「いやでも、昨日の通り動くのは全く問題な……っ」
問題ないと言おうとしたその時、フロックスさんに脇腹をつつかれ痛みが走った。そしてそれは必然的に、大丈夫ではないというサインになってしまう。
「
「こ、これはさっき肋骨が折れてたからですって! 立ち合いに熱が入って、フロックスさんの槍で!」
「ばっ、お前!」
煩い、死なば諸共だ。こちらの足掻きを邪魔したのだから、一緒に説教されに行こうじゃないか第2の師匠。多分喧嘩屋両成敗ってやつだ。
「
「はい……」
惚れた弱みというやつだろうか。そもそも正論ということもあって、俺はそう頷くしかなかった。流石に今から稽古という事は出来ないので、驟雨は仕舞っておく。
「
「い、いやぁ、そのな? こいつがあんまりにもいい感じでな? ついつい熱が入っていい感じに……」
フロックスさんは、珍しくオドオドとしている。武芸者はやっぱりこういう方向性に弱いのだろう。助けて欲しそうな目を向けられても、俺には何も出来ない。
「
キッと睨んでフロックスさんを一瞥した後、俺の手首を掴んでエウリさんは引っ張った。別に抵抗する気は無いのだが、1つだけ言いたいことがある。
「行くのはいいんですけど……水浴び、させてくれませんか?」
ほんの少し前までずっと動き回っていた所為で、結構汗だくなのだ。こんな汗臭い状態のままというのは、自分も嫌だし相手にも失礼だろう。
「
「なあエウリ」
多少機嫌の良くなったエウリさんに対し、ニヤニヤとした笑みを浮かべたフロックスさんがそう話しかけた。振り返り首を傾げた姿を見て、いっそう楽しそうな笑みを浮かべて言う。
「案内するって言ってっけど、一緒に水浴びする気か? いやー、まさかエウリがそんなにお熱だとはなー、知らなかったなー」
「
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー動揺を否定しました
とんでもない棒読みで、明らかにこちらをおちょくったり揶揄ったりする為の言葉だと分かる。チートに頼ってるからあまり強くは言えないが、素人でも分かるレベルだろう。
だが、エウリさんの煽り耐性はとても低かったらしい。ぷるぷると震えながら段々赤くなっていき、耳まで真っ赤になってしまった。
「
そうしてエウリさんは、両手で顔を隠して走って行ってしまった。今ばかりは、お腹を抱えて笑ってるフロックスさんが恨めしい。
「ひー、笑った笑った。いつの時代も、ああいう弄りは楽しいねぇ! 水浴びすんなら、ここの裏手に川が流れてっから勝手にしてけよー」
「笑い事じゃないですよ全く……」
「そうだな、絶賛片思い中だもんなお前」
「げふっ、ごほっ、ごほっ」
自己否定ーー動揺を否定しました
いつの間にか、心の内が完璧にバレていた。剣を……いや、槍を打ち合えば分かるとかそういう類の超感覚に違いない。
「なんで分かったんですか?」
「見てりゃ分かる。何年生きてると思ってんだ?」
「そう言えばそうでしたね」
100年を超えて歳を重ねてる人に、たかだか17年生きてるだけの若者が隠し通せる訳がなった。確かに、微妙に姿を目で追ったりとかあったしなぁ……
「いやぁ、他人の恋愛を揶揄うってのはほんといい肴だよ。今夜は美味い酒が飲めそうだ」
「もうヤダこの人」
大きく溜め息を吐きつつ、教えてもらった川へと足を向ける。エウリさんは落ち着いて戻ってくるまでに時間はあるだろうし、今の内に洗濯も済ましてしまおう。
「ああそうだ。お前防具はどうしてるんだ?」
そんな俺に、笑いのない真剣な声音で声がかけられた。ならばこちらも真面目に答えねばなるまい。
「防具ですか? 金属製の胸当てと、右手だけ手甲をしてます。他は身に纏ってたことはないですね」
「そうか。じゃあちょっとこっち来て預けてけ」
「了解です」
一先ず予定を中断し、戻ってフロックスさんの前に防具2つを排出した。特に何も言われなかったので踵を返し1歩目を踏み出した瞬間、ガシっと足を掴まれた。そして転んだ俺の足を、さわさわと撫で回してくる。
「うひゃあ!?」
「女みたいな声出すなよな……」
そんな呆れた声と共に、いやらしい手つきで脚を撫で回していた手は離れていった。異様に満足そうな気配を感じる。
「なんだったんですか今の!?」
「気にすんな。とっとと水浴びして来い。汗臭いぞ?」
「あぁもう……分かりましたよ!」
多分、何か意味はあったんだろう。けれど今は、そんなのは後回しで良かった。気分転換も含めて、さっさと水浴びしてきてしまおう。
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20 五里霧中《中》
一通りの作業を終えて工房に戻ると、そこではフロックスさんが座り込みナイフで何か木材を削っていた。いや、よく見ればそれはただの木材ではなかった。片面がメタリックな薄緑に光っていることから、恐らく金属か何かが付いていると思われる。
「うーわお前、そうしてると男よりか女に見えるな。線も
「言わないで下さいよ、これでも気にしてるんですから」
伸ばしっぱなしの所為で、無駄に長くなった髪を弄りながら俺は言う。乾くまでが長くなったし邪魔だから切りたいのだが、片腕じゃ上手くいかないので放置しているのだ。今度、前髪くらいは誰かに切ってもらおう。
「まあいいか。まだエウリは戻ってきてねぇから、ちっとそれ試してくれ」
「おっとっと」
ひょいと投げられた防具……形からして恐らく臑当てだろう……を受け取った。膝頭まで覆うタイプのそれを着けてみると、それは何故か長年装備していたかの様にフィットした。重みはあるが、直ちに重大な影響を及ばす様なレベルではない。
「えっと、これは?」
「お前さっき、オレの事を思いっきり蹴り飛ばしたろ? 靴はオレにはどうしようもねぇが、防具はどうにでも出来るんでな。で、どうだ?」
「気持ち悪いぐらいフィットしてます。……あ、もしかして、さっき
「だな。後純粋に興味」
こちらが途中からジト目で言ったというのに、軽く返答を返されてしまった。なんの興味があったかとか、ちょっと怖くて聞けないんですが……
「な、なんだよ。いいじゃねえか、100年ぶりくらいに見た男なんだから。同意なしで襲わねぇだけ感謝しろよな!」
「なんか今、おっそろしい単語が聞こえた気がするんですが」
襲うって言っていたが、トーン的に物理じゃなくて意味深とつく方な気がしてならない。思い返した種族としての特徴とかも考えると。
「エウリに惚れてなきゃ、折角だし食っちまったんだがなぁ……おい、なんで逃げてんだよ」
「貞操の危機を感じたので」
「ったく、これでもオレ相当な美人だろ? 襲いたきゃ襲っていいんだぜ? うりうりー」
自己否定ーー魅了を否定しました
自己否定ーー性欲を否定しました
そう言って服の胸元を引っ張り、こちらを揶揄う様な笑みを浮かべて誘惑してきた。何かを併用してた様だけれど、特に効くものでもなかった様だ。
「おま、マジかよ!? これでも襲ってこねぇとか不能かお前!」
「もっとヤバい薬に耐性があるだけで、別にそういう訳では」
そう言って俺は、仕舞ってある濃縮媚薬の一本を取り出して見せる。これはもう、2度と口に含んだりはしたくない。
「……ちょっと見せてみろそれ」
「俺にかけたりしませんよね?」
「しねえよ。ただちっと成分を調べるだけだ」
不安極まりないが、とりあえず丁寧に瓶を渡した。するといつかお婆さんがしていた様に、服の裾から生やした枝を瓶の口から突っ込んだ。その頬は、段々赤くなっていき……あ、これマズイかも。
「ちょ、おま、これ。1,000倍濃縮とかなんてもん吸わせんだ!」
「吸ったの貴方ですよね!?」
「確かにこんなのに耐性がありゃ、オレの魅了なんてガン無視出来るだろうな!」
赤い顔で、栓が入れなおされた瓶が投げつけられた。一応何とか収納するのは間に合ったけれど、本当に危なことをしてくれる。嘘をついてる事に、若干の罪悪感は感じるが。
「まあ、こうなっちまえば関係ねぇ」
「え?」
ゆらりと幽鬼の様に立ち上がったフロックスさんを見て、嫌な予感が全身に走った。本能が鳴らす全力の警鐘に従って、一歩後退りしようとしたが、何故か出来ずに転倒してしまった。
原因は、足に絡まる太い木の枝。それが俺の足をどうしようもない様に高速している。しかもそれは止まる事なく、膝下に巻きつくばかりか俺の右腕まで拘束してしまった。
完全に拘束されて動けなくなった俺に、荒い息のフロックスさんがふらふら、ふらふらと近づいてくる。そのまま妖しい光を湛えた目でこちらを見て、ポツリと呟いた。
「やっぱり死ぬ前に、初めてくらい散らしておきたいよなぁ?」
「ちょっ!?!?」
馬乗りになって、もがくこちらの抵抗を無視して服をはだけさせていく。気になる単語はあったけど、今はそんな場合じゃない。このままじゃ、確実に性的に食われる。
「んだよ、オレじゃダメだってのかよ。自信なくすぞ、泣くぞ……?」
「そうじゃないですよ! フロックスさん綺麗ですし! でもそういうのって、こう、好きな人ととかじゃないと流石に違うと思うんですよ!」
それに、と言いかけた時、ドクンと心臓が脈打った。
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー性欲を否定しました
ああ、やはりそうだ。吸血衝動は、性欲にも結びついている。よくある話だ、だがこればかりはどうしようもない。何せ、種族としての特性なのだから。
「へっ、ならいいじゃねえか。師匠から、初めての弟子に対するプレゼントってやつだ。甘んじて受け入れやがれ」
「ダメ、ですよ。俺、半分は吸血鬼、ですから」
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
そしてそれを、チートが否定する。けれど、即座に回復して欲は蘇る。4日。最低でも4日、中途半端な吸血鬼である俺は何かの血を摂取していない。チートがなければ、とっくに狂い果てているところだろう。
「血か? 吸いたいなら吸えよ。オレは気にしねえ」
そうしてフロックスさんがその真っ白な首筋を露出したところで、
自己否定ーー判定に失敗しました
俺の記憶はブツリと途切れた。
◇
informationーー最適化が実行されました
「っは!?」
意識が戻ってきた瞬間、俺は弾ける様に飛び起きた。そして息を吸った瞬間、鼻に抜ける血の香り。どうやら、夢オチなんてことはなかった様だ。
服装はきっちり元どおりになっており、手足にもあの木の枝は見当たらない。が、防具類は全て外されておりすぐ隣に積まれていた。
「よっ、起きたか」
「後腐れ無さすぎじゃないですか?」
こっちが焦っていたというのに、いかにも何でもない様に話しかけられた。あれが夢とか幻覚じゃなければ、とんでも無いことだったの というのに。
「なんだ? ネチネチ付きまとう方が好みか?」
「別にそうじゃないですけど……いえ、年上に勝てる気がしないのでいいです」
初めてを色々食われた。以上。
こういう事として割り切ってしまおう。相手がこうなら、こちらもそうした方が都合がいい筈だ。
「そういや、随分と血ぃ吸ってったけど、どんだけ摂取してなかったんだよ」
「最低でも4日。俺が目覚めるまでに日数がかかってたなら、更に伸びます」
「なるほどなぁ」
うんうんと頷いているけれど、何を納得しているのか分からない。鼻に抜ける血の香りから、相当な量吸ったんじゃないだろうかという推測はあるのだが。
「まあ、これでお前も
「そうするのが1番得策みたいですね」
ん? ちょっと待て。今、聞き捨てならない言葉が聞こえた気がした。
「
「そうだな、魔法だ魔法。詳しい事は婆さんに聞け。オレはそっち方面はからっきしなんだ」
「どうせ運動は禁止ですしね」
随分と激しい運動しちまったがなと呵々大笑しているが、微妙に足が震えてる辺り無問題という事ではないらしい。理性が飛んでたからか、その記憶は俺には全くないが。
「そういえば、あれからどれ位時間が?」
「大体1時間しか経ってねぇよ。エウリもまだ来てねぇ。まあ、来ても追い払ったが。……流石に、自分の痴態を見られたくはねぇし」
そんな風に、ほんのり顔を赤くして言うのはずるいと思う。男は決して女に勝てない……いつだったか聞いた言葉だが、確信をついていると思う。
そして、それはそれとして非常に気まずい。微妙に続く沈黙が、何とも言い難い雰囲気を形成しだしている。
「おい、なんか喋れよ」
「いや、そう言われても……あ」
いや、時間を潰すための話題なら少しあった。
「その……の前に、死ぬ前に花くらいって言ってましたけど、死ぬ前ってどう言う事ですか?」
「ん、ああそれな。純粋に、俺の寿命がもうあんまし残ってねぇって事だよ」
聞いた俺も悪いのだが、そんな特大のタブーを事もなげにフロックスさんは言い放った。そして、目の前にどっかりと腰を下ろして話し始める。
「オレたちの種族は、知っての通り女しかいねぇ。だから子孫を残すために、必然的に好いた多種族の雄を食うしかない。な訳で、稀にいる先祖返り以外、純粋な
「ええ、一応は」
「それが理由だ。オレの祖先は強いやつで人型ならなんでも良いって精神だったらしくな、獣人やらなんやらの血が色々と混ざってんだ。無論そんな事してけば、血は薄まっていく。同時に、戦闘能力はズバ抜けてる代わりに、寿命が本来より短くなったって訳だ。オレの場合、後5年ねぇな」
「マジですか……」
5年もではなく、5年しかないと言う事に種族の差を感じた。対して強くないと言うより、はっきり言うと雑魚な俺を美味しくいただいたのはそう言う事だったのかと納得する。妙に変な感じがするのは、やはり種族の差という事だろう。
「ああ、エウリはその珍しい先祖返りな。寿命は大体150行くか行かないかだな。お前も
「なんなかんや初めてを持ってった人がそれ言いますか……」
俺が項垂れて言うと、傑作だと言わんばかりに大笑いされた。そしてその笑いが治った頃、2人して腹の虫が大きな音を立てて主張して来た。
「丁度良い時間だし、飯食ってけ飯。多分エウリもなんか食ってから呼びに来んだろ」
「それじゃあ、ご相伴に与ります」
「おう」
そんなこんなで午前中は終わり、エウリさんが呼びに来たのは大体1時頃だった。
平和チャージ中
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21 五里霧中《下》
「
「えっ」
自己否定ーー動揺を否定しました
また明日なーと手を振るフロックス邸から出発して数分。日が1番強い時間帯な所為で露出してる肌を灼かれる俺に、エウリさんはそんな事を聞いてきた。言うわけにはいかないが、随分と勘が鋭い。もし将来そういう中になる人は、きっと尻に敷かれることになるだろう。
「ちょっと広義の戦闘を、ですね」
「
「今回はフロックスさんに無理矢理って感じでしたので……」
一切間違ったことは言ってない。ついでに言えば、記憶も途中からないので何があったのかは定かではないが。
「
「ですね。魔法と魔術とかの話は、お婆さんに聞けとの事だったので」
「
「えっ」
当然のそんな言葉に、再びそんな声が漏れてしまった。今まで殆どマンツーマンで教えて貰っていたからだろう。そんなのは珍しい事だと考えを訂正する。今までのは、善意と偶然によって助けられていた珍しい事なのだ。
「
そこでエウリさんの言葉は途切れ、すうと大きく深呼吸をした。何だろうかと首を傾げる俺を真っ直ぐに見つめ、意を決した様に口を開いた。
「こ、ですか、ね? ひとの、をとば、ならて、るです」
それは、疑いようもなく人の言葉だった。たどたどしく間違いもあるが、翻訳の魔術が発動する事のなく意味の通じるものだった。
「凄い……因みに、人の言葉はどれ位の間?」
「だいたい、にあげつ、です?」
「俺なんて、6年は違う言葉を習ってるのに覚えられてないんですよ。本当に凄いです」
使う機会なんて地球に戻ることが出来た場合位しかないだろうが、それだけやっていても英語の会話が出来ないのだ。それに比べて、2ヶ月程で軽い会話が出来るようになったらしいエウリさんは、種族が違うとは言え天才と言って過言ではない気がする。
「
「多分術師としての力量も俺より上ですし、ほんとエウリさんは凄いです」
まあ、10日間の詰め込みで魔術を覚えた奴と比べるのは失礼かもしれないが。唯一勝てそうなものと言えば武器を持っての近接戦闘だが、土俵違いも甚だしいので却下である。
「
「俺がここにいる時間はもう少ないですけど、応援しますよ」
「
・
・
・
「なるほどね。それで私のところに来たって訳かい」
歩いていく事数分。到着したお婆さん宅で、俺は思いっきり呆れられていた。急に来るんじゃないという事らしい。最もすぎて何も言い返すことができない。
ここでエウリさんと並んで教えてくれるという事は、あり得ない程の温情だと理解しておかないといけない。
「すみません」
「謝るんじゃないよ。どうせ近々叩き込んでやるつもりではあったんさね。それが早まっただけと諦めるよ」
はぁ……と大きなため息を吐き、お婆さんは言った。だが、やはり違和感が付きまとう。元々教えるつもりだったとは、よそ者に対して親切が過ぎる。
それに、街で遭遇する人たちも基本的に俺とエウリさんには異常に親切なのだ。後者はまだ分かるが、俺に対してその態度は気味が悪い。親切は受け取るが。
「教える前に、ちと確認するよ。あんたが魔術を学んだ期間、使える魔術の数、そして知識。それらが分からん事には、何を教えたらいいのか見当もつかないからね。エウリには退屈かもしれんが、構わないかね?」
「
「そのいきだよ」
そう言ってお婆さんがエウリさんの頭を優しく撫でる。その姿と雰囲気を見れば、エウリさんがどれほど大切にされているのかというのが伺える。本当に、ここは良い場所だ。
その後お婆さんはこちらに向き直り、何かを見透かす様な目で言った。
「そろそろ思い出し終えたかい? なら早く言うんだね。わたしゃ、いつまでも待つ程寛容じゃないよ」
「了解です」
そう俺は返事をし、自分のなさ過ぎる魔術の経験について話していく。魔術を習った期間は10日、使える魔術は強化・再生・閃光・変声の4つ、姫様から学んだままの知識。自分自身で確認しながら最後まで話し終えた時、お婆さんは納得する様に1度だけ頷いた。
「あんたが1番得意な魔術と苦手な魔術、それぞれ1回見せな。それでこれは終わりさね」
その言葉に促され、久々に落ち着いて魔術のスイッチを入れ、俺は魔術を行使する。実はどの魔術も練度に差はほぼないが、強いて言えば強化が得意で閃光が苦手なのだ。
エウリさんはその間、白っぽい葉で出来たノートらしき物に何かをずっと書いていた。その姿に、所々霞みがかってきている
「どうにもあんたは不運体質らしいが、良い師に恵まれたね」
「そうなんですか?」
「恐らく才能がほぼなかった人間の才能を開花させ、基礎中の基礎とは言え魔術を4つも仕込んだんだ。そうそう出来ることじゃあるまいて」
やはり自分に才能は無かったらしい。そんな奴を助け出してくれた姫様には、改めて感謝するしかない。
「そしてこれなら、付いてはこれるだろうね。あんたの師が教えられなかった事を含め、講義してやるから覚えるんだね。質問はいつでも受け付けるよ」
こうして、俺の異世界に来てから初めての座学が始まった。
◇
「そもそも、魔法と魔術の違いとは何か。先ずはここからさな」
最初に、1番知りたかった事が切り出された。
「魔法というものは、私ら魔族や魔獣が使う条理を外れた力の総称さね。竜どもならば飛行やブレス。私ら古樹精霊なら植物を意のままに操る力。人狼なら変身や身体の強化。それらを人は使えないが、私らは生まれた時から自由に操る事ができる」
殺されかけた
「それはつまり、技術などなく無意識に魔力を自覚し働かせ、行使していると言う事に他ならない。かくあれかしと願うだけで、そこに異常が顕現するんさね。勿論、干渉できる事柄に限界はあるがね。曰く奇跡。曰く悪魔の術。曰く異端の象徴。幾度となく名称は変遷し、辿り着いたのが『魔を統べる法』即ち魔法さね」
「魔を統べる法……」
ノート的なものに何かを書いているエウリさんとは違い、筆記用具のない俺は全部覚えるしかない。中々辛い事になりそうだ。
「これに対し魔術……正式名称『異族・魔族特異戦闘術汎用再現術』は、エインズという人間の男が生み出した技術さね。魔法発動に使われる道……便宜上『魔術回路』と呼ばれる物を、人の持つ微量な魔力で擬似的に生成し固定化。そこに魔力を流す事で、訓練次第でどんな魔法も擬似的に使える様になる。そう、どんなものでもだよ。
魔族も魔獣も、基本的に自分の種族がそうであるという以上の魔法は使えない。けれど魔術は、そこを訓練で埋められる特性を持っているんさね」
そこに遊びや夢がないのは、相手を殺すための技術という事なのだと姫様は言っていた。聞く限り、人間は本当に淘汰されてもおかしくない程弱い生き物だった様だし。
「代わりに、詠唱なんていう物があるせいで即座に発動出来ず、回路を励起し続けているといつか拒絶反応で大怪我をする代償を持っている。それに、魔術には製作者からして1つだけ大きな誤算があった」
「誤算……?」
「当時は魔獣と一括りにされていた中、人型の者たちにもそれは使えたんだよ。それが理由で発展してきたのが今の魔族さね」
竜などを始めとした巨大な魔物と違い、人型で小柄な魔族が生き残っていたのはそういう理由らしい。けれど1つ疑問がある。
「ヴァンパイアは、色々と異端で例外だから後回しさね。あいつらについて話すと、日が暮れても足りないからね」
「了解しました」
考えはお見通しの様だ。一応自分の種族に混ざったものだから知りたかったけれど、後回しなら諦めるしかない。どうにも特別な事情があるっぽいし。
「魔術が魔族側に流出した流れがまた面白くてね。エインズの女の好みを、
「いつの時代どの世界でも、ハニートラップは有用って事ですね」
多分、俺にはチートがあるお陰で効果はないだろうが。いや、そもそもハニートラップを仕掛けるだけのメリットがないか。
「そうさな。そして、魔術を公開し当時各個撃破されるだけの荒くれ者を纏め上げたのが、初代魔王ディルガナ様。これによって、私らは狩られるだけじゃなくなったんさね」
「人側の常識じゃ、魔族が全て悪いってなってましたけど、やっぱり人間って屑ですね」
「同族に言われちゃ世話ないね」
だが、一応姫様の考えは違った。多分、王族だから秘せられた真実とかを知っていたのだろう。クーデターを成功させた暁には、友好的や中立の立場を保つ魔族とは友好関係を結びたいと言っていた。叶わぬ理想かも知れないが、付いて行くに値する人だと思う。
「因みに、この話の面白いところはここからでね。エインズを籠絡した
段々と言葉に熱がこもってきた辺りで、エウリさんがピシッと手を挙げた。
「
「む、すまんね。少し若かった頃を思い出していた。さっきの話は、何回か書籍化されてるから持っていくといいよ。確か人語版もあったしね」
そう言って、どこから取り出したのか大きな本を手渡された。チラリと中を覗けば、ちゃんと読める言語で書かれていた。タイトルは『影法師の魔法』……いつか読んで見るのもいいかも知れない。
「話を戻すよ。魔法と魔術の区別は、大体説明した通りさね。ヴァンパイアについては明日話すとして、残り4日、あんたには魔法の使い方をみっちり叩き込んでやる。覚悟するんだね」
「よろしくお願いします!」
現実に引き戻された気持ちのまま、俺は頭を下げた。何回か使っている気がするし、これから4日は死に物狂いで頑張ろう。武術も魔術も、今の俺にはまだまだ足りないのだから。
【嘘告知】
初めは任務だった。魔族を救う使命だけの関係だった。しかし、逢瀬を重ねる度にシャルマはエインズに惹かれていく。
使命と立場、優しさと種族の差に揺れる恋心
果たしてシャルマの選択は──
影法師の恋、大好評発売中!(大嘘)
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22 邯鄲之夢
魔法と魔術の知識を詰め込まれた翌日、意味深じゃないフロックスさんとの戦闘を終えた俺は、再び講義の席に座っていた。今日はエウリさんは薬草集めらしく、マンツーマンの講義となっている。
「さて、これから説明するのは、昨日飛ばした
「よろしくお願いします」
きちんと頭を下げて俺は言った。確かに姫さまのところで学んだ情報は正確じゃないかもしれないし、その道のプロから聞いておくことに損はない。
「まず吸血鬼って奴らはね、基本雑魚だよ」
「へ?」
「吸血鬼単体じゃ、私ら古樹精霊にすら届かない力しか持たない弱小種族さね。生まれたての吸血鬼なら、そこらの人の城に詰めてる一兵卒でも殺せるだろうね」
最初から、知識が根底から覆された。それならファビオラの力はなんだったと言うのか。
「けれどね、奴らは血を吸う事で変貌する。それが奴らの魔法の効果の1つのさね」
「血を吸うと……ですか」
ならば俺は、やはり雑魚という事なのだろう。けれど、伸び代があるという事は保障された様なものだ。努力が返ってくるのなら、どこまでも修練を積めば良いのみである。
「奴らは血を吸うことによって、相手の血の記憶を読み取って取り込むのさね。そうして、取り込んだ力をある程度自由に払える様になる。私らのを吸えば樹木を操れる様に、獣人のを吸えば身体能力が上昇したりね。竜の血を取り込めば、ブレスも吐けると聞くね」
という事は、ファビオラはどれだけの血を取り込んできたのだろうか。もしかすると、勇者の力も使うことが可能なのかもしれない。
「そうして吸血鬼は力を付けて、一定の域を超えると進化する。
という事は、俺は最低中級相当という事らしい。これに関しては、ファビオラに感謝しない事もない。
「けどこの法則には例外があってね。上位の吸血鬼が眷属を作る際には、初めから血の記憶が受け継がれ力のある吸血鬼が生まれる。まあ、血の記憶を制御出来ずに自滅する事も多いがね」
「成る程……俺はそのタイプですね」
思い返せば、心当たりが1つある。ここに飛ばされる直前の、霧化としか言えない謎の回避や亜竜の召喚がそれだろう。血を吐いただけで済んだのが僥倖か。
「だろうね。見た所あんたは中級から上級の力がある様だけど、何も制御出来ずに下級並しか発揮出来ていないさね。宝の持ち腐れとはよく言ったものだよ」
「ははは……」
自覚はしていたが、他人から明確に指摘されるとまた認識が変わってくる。力に溺れるな、技術に満足するな、自分はまだまだ格下だ。心は多少チートで強くとも、他がクソムシ以下なのだと。
「銀や聖別された武器以外で傷つかなくなるのは上級からだが、再生は下級でもあるから安心するといいさね。ま、速度に差は出来るがね」
そうして背後の木の板に、箇条書きで種族特徴が示された。
・単体では雑魚
・血を取り込む事で強くなる
・下級、中級、上級、真祖に別れる
・魔法が使えるのは中級から
・暴走して自滅も多い
・特別な武器が必要なのは上級から
・再生は全位で共通
「吸血鬼を纏めるとこうなるが、何か質問はあるかい?」
「はい。心臓に杭を突き刺すか日光で焼かないと死なないと聞いてますけど、それはどれくらいからですかね?」
「そうさな……日光に関しては、真祖を除いて誰にでも効いた筈だよ。下級なら即消滅、中級なら重症の上力が半減、上級なら力が弱まるくらいさな。心臓に杭なんてのはただの創作だね」
「なら、どうすれば死にますか?」
自分がどれだけの無茶を出来るか、敵として現れた場合にどうするかのどちらにもこの質問の答えは応用できる。
「身体の再生限界まで殺す事だね。これから説明する魔法もあって実行することは辛いが、まあ日光とそれ以外には方法がない。だから吸血鬼は厄介なんだよ」
「なるほど、ありがとうございます」
という事は、自分の限界さえ知っていればそこまでは無茶できるという事で良いのだろうか? 良いのだろう。ブレーキが必要ないのなら、最適解にはすぐに辿りつける。
「質問はもう内容だね。なら、気になってるだろう吸血鬼の魔法の説明に移らせてもらうよ」
コクリと頷いて話がされるのを待つ。
「昨日のおさらいさね。魔法とはどんな技術だったか覚えてるかい?」
「かくあれかしと望むだけで、異常を顕現させる術……であってますか?」
「問題ないよ。付け加えるなら、各種族で使える範囲が違い、種族毎に大体1つの系統に分類出来るくらいさね」
ま、最後のは教えてないがねと言っている辺り、満点を出す気は無かったのだろう。読み取れない自分が甘い、それだけの話だ。
「繰り返すけど、私ら古樹精霊は植物、人狼は己の力、竜は龍の力を魔法として操る。なら、吸血鬼はなんだか分かるかね?」
「……夜とかですかね?」
「なんだいそりゃ?」
何を言ってるんだこいつはという目を向けられてしまった。
「まあ私も正解させる気は無かったがね。
吸血鬼の魔法の根底にあるのは、██さね」
「……?」
今、お婆さんはなんて言ったのだろうか?
「こいつは吸血鬼の成り立ちに関係している。吸血鬼って種族は、元は人間でね。原初の吸血鬼は魔術の腕が素晴らしいが変人だったせいで、人間どもが同族の癖に██てね。追い詰め重税を敷いて、とことん迫害されたんさね」
「やっぱり人間って屑じゃないですか」
「そうさね。その果てに、如何なる理由かは知らないが、吸血鬼に変生したと聞いた。その時、人間だった時の名前は捨てたともね」
その言い方から察するに、恐らくお婆さんはその原初の吸血鬼と知り合いなんだろう。
「話を戻すけど、吸血鬼の魔法はそこの怨みや妬みや嫉みが由来さね。吸血の際に堪え難い快楽を与え傀儡にする魔法、吸血を介し相手の力を写し取る魔法、魔法を宿した目で相手を甚振る術、影や動物など人の根源的██を呼び起こす物を操る魔法、相手に██を与えるモノに自身を変化させる分化の魔法。
魔族としても異常な5つもの魔法は、全てが元は復讐の為にあるものさね」
「……」
「あんたは何も言わないのかい?」
話を受け止め口を噤んだ俺に、お婆さんはそんな事を聞いてきた。半分は人間という事もあっての配慮だろうか? けれど、答えは決まっている。
「何も、言う資格はないです。復讐は個人の問題、良い悪いじゃなくて終えて再出発出来るかです。第三者が口を出していいものじゃないですよ」
「はっ、半世紀も生きてない若造がよく言うよ」
「仮にも勇者ですからね」
それに、恐らく予想通りならその原初の吸血鬼は……
「それを理解出来てるなら、ファビオラの奴も文句はないだろうね」
「やっぱり、原初の吸血鬼ってファビオラでしたか。それに、俺を吸血鬼にしたって分かってたんですね」
「あやつとは500年来の朋友よ。入れられた血は半分とはいえ支配されてない上、その魔力を間違える訳がなかろうよ」
ハッと自嘲する様な笑みを浮かべてお婆さんは言った。助けてくれた理由や、ここまで良くしてくれる理由の1つはきっとそれなのかもしれない。
「これまでの説明から、時を重ね血を取り込んだ吸血鬼程強いと言うのは分かったね? その点あんたは、ファビオラの血が取り込まれている分他の奴らよりもリードしている。血に飲まれる可能性もあるから、実際はトントンと言えなくもないがね」
「それは仕方がないですね。そもそも、アレに歯向かって、殺し合いをして、死んでないだけで儲けものですから」
実際、あの気紛れがなければ死んでいただろうし。そうなれば、ここに来ることも出来なかった。
「よく死んでないねあんた……」
「手首を2つほどもぎ取ってもいますね」
「あんた、実は中々やるね……あの毒薬よりは、まだマシなドーピングアイテムになるだろうね」
関心した様に言われるが、偶然なので何も誇るところはない。
「使わない事を祈りますよ」
「それに越した事はないさね」
そうしてさてと一息ついて、お婆さんはこちらに向き直った。
「今度は魔術についてさね。あんたが使えるのは、初歩の初歩である魔術が4つのみだったね?」
「はい。魔力が少なかったので、それくらいしかまともに使えなかったので」
一応あの4つには、そんな理由もあったのだ。今は倍近くまで増えている事もあり、常人よりは多く熟練者の平均よりは少ない程になっている。
だが、タンクが幾ら大きくとも蛇口が小さければ水は中々出ない様に、一度に行使できる量がそう多くないのも変えようのない事実だ。
「普通の魔術師ってのはね、使える魔術の10や20はあって然るべきなんさね。初歩の初歩を4つだけじゃ、どうにも格好がつかないだろう? 1つだけ、上級の魔術をあんたに教えてやるよ。魔法は個々の感覚で変わるから教えてやれないしね」
「……はい?」
「折角助けてやった奴がすぐにおっ死んだら寝覚めが悪いし、何よりエウリが悲しむからね。気合を入れな」
「うす。それで、その上級の魔術と言うのは?」
エウリさんを悲しませない為……これほど分かりやすい俺を動かす理由はないだろう。多分、フロックスさん辺りが漏らしたんだろうな。
「教えてやる魔術の名は《幻術》吸血鬼の魔力とも親和性が高いから、まあ楽に覚えられる方ではあるさね」
「幻術、ですか?」
それはなんと言うか、一見聞くとそこまで凄そうには思えない。
「たかが幻と思って舐めるんじゃないよ。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、不特定多数の相手の五感を騙すのは相応以上の技術が必要さね。どれだけ使えるかはあんた次第だよ」
そんな俺の思考を嘲笑うかの様に、幻術は異常な性能を誇っていた。もしこれを使うことが出来る様になったのなら、確実に力となってくれるだろう。
「習得まで、頑張らせていただきます!」
攻撃魔術じゃない辺り、俺らしいといったところか。残り僅かな時間だが、終わりまで頑張っていこうと思う。力不足で知識不足で経験不足で技術不足、俺には研鑽あるのみなのだから。
残り3日
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23 ユメノオワリ
お ま た せ
それからの3日間は、あっと言う間に過ぎていった。その勢いをまさに光陰矢の如し。槍を、戦いを、魔術を、魔法を、薬学を、睡眠時間も削り学び吸収していくだけで、残り僅かな日にちは終わりを告げた。
この集落に居られる最終日。お世話になった人達にお礼を言う中、俺はフロックスさんの元にも来ていた。これで挨拶をしていないのは、お婆さんとエウリさんのみと言うことになる。
「短い間でしたが、本当にありがとうございました」
「おう。けどちょっと待て」
そう言ってフロックスさんは、こちらを軽く手招きした。出て行くのは今日中なら良いそうだし、ここ数日の通りフロックスさんについて行く。そうして着いた場所は、いつと何ら変わりない工房。
「えっと、なんでしょうか?」
「最後の機会だ、オレの本気の戦いってやつを見せてやるよ」
挑発する様な笑みを浮かべ、否、立てた人差し指の動きからして確実にこちらを挑発している。
「もしオレに一撃でも当てられたら、もう一回くらいヤらせてやる」
別にそんなご褒美は無くても良い。けれど、最後に師匠の全力を見れるならそれに越した事はない。そう判断し俺は、コートと新調したバッグを工房の端に置く。全身を焼かれる痛みが心地いい、丁度よく気を引き締めてくれる。
「最後に、胸をお借りします」
詠唱なしで強化を発動、手の中に驟雨を排出し最高速で突っ込んだ。フロックスさんは片手でも俺を軽くあしらえる様な達人なのだ、尋常に勝負をしても掠りもしないだろう事は容易に想像がつく。
「
虚空から俺の腕ほどもある鋭く尖った枝がノーモーションで射出された。その数は10。そのうち牽制と思われるのが5本、それ以外は的確に急所を狙って飛翔して来ている。
「《収納》」
疾走の姿勢を下げてさらに半数を回避し、どうしても躱せない物は収納して突撃し──
「そらよっ!」
こちらが槍を振るうよりも数段早く、鞭の様にしなる脚が胸に叩きつけられた。強化がかかっているお陰で大事には至らないが、姿勢は崩され吹き飛ばされる事は防ぎようがない。
回転しながら飛ばされる身体を無理矢理土煙を上げて静止させる。背筋に走った嫌な直感に従い槍を地面に突き立て防御姿勢をとると、そこにとてつもない衝撃が襲いかかってきた。
その原因は言うまでもなくフロックスさん、その両手に握られた木製の刀である。木刀と舐めてかかると、鋼鉄くらいなら切断してしまうこの人の主兵装だ。
「そら、まだまだ行くぜぇ!」
「ッ!」
一瞬双刀が引かれた隙に驟雨を収納再排出して持ち直し、息つく間もない乱撃をどうにか防ぐ。……が、そんなものは数秒も保たなかった。単純に手数が違いすぎるのだ、手甲のお陰で切断こそされなかったが、衝撃で緩んだ力では驟雨を保持できず、敢え無く弾き飛ばされてしまった。
「シッ!」
そして、カウンター気味に入れた短剣の一撃も余裕を持って回避されてしまった。一旦の仕切り直しとも言えなくないが、こちらがただ不利になっただけだ。
「ちったぁやる様になったじゃねぇか」
「お陰様で、ですけどね」
驟雨を取りにいくのは間に合わない、故に短剣1本で戦わなければいけない。けれど一応、準備は整った。
「幻よーー」
「お?」
完全な幻術は使う事は出来ないが、五感を1つくらいならなんとか騙せるくらいには詰め込んだ。多分、フロックスさんには俺の姿は消えた様に見えているだろう。
背後からの奇襲は読まれやすい。驟雨を取りに行けば幻術が途切れる。ならば突撃あるのみだ。短剣を逆手に構えたまま、フロックスさんの左手側から吶喊する。
「なるほど、そこか」
けれど、それも通じなかった。如何なる理由か幻術は効いていない様で、木刀による刺突が真っ直ぐに襲いかかってきた。
「シッ!」
短剣を跳ね上げて迎撃し直撃は防いだが、位置がバレてしまった。けれど折角の超近距、折角のチャンスを不意にする気はさらさらない。無理矢理腕を制動し、逆回しの様に振り下ろす。
「ま、こんなもんだな」
「えっ?」
そして俺は、いつの間にか空を見上げていた。一体何が起こったのか、全く分からない。本当にいつの間にか、仰向けに転がされていたのだった。
「魔法まで出したら話にならねぇから初撃で辞めたが、武術だけでも中々のもんだろ?」
「中々どころか、洒落になりませんよ……」
フロックスさんの手を借りて立ち上がり、全身の埃を払う。短剣は腰の鞘に戻し、投げ渡された驟雨も収納しておく。その後、コートとリュックを背負えば元どおりだ。
「これならまあ、及第点はやれるな!」
「まだまだです。修練あるのみですよ」
肩をバシバシと叩いてそう言ってくれたが、自分としては全然足りていない。それこそ、フロックスさんに一撃与えるくらいが最低限の目標なのだから。
「あのなぁ、そう自分を謙遜し過ぎるのは悪いことだぜ? 賞賛は素直に受け取っとけっての」
「すみません……性分なもので」
苦笑しそう答えると、ちゃんと治していけと注意されてしまった。そうしなければいずれ面倒毎に巻き込まれると言われてしまえば、反論なんて出来やしない。
「それでは。俺はこれにて失礼します」
「おうさ、またいつか……な」
今度こそ別れを告げ、礼をしてこの工房の出口へ足を向けた。数日という短い時間ではあったが、非常に濃い経験をさせて貰った。
「あ、ちょっと待て!」
「今度はなんですか?」
再び呼び止められ、今度はなんだろうかと振り返った。
「折角の眼帯にまだゴミが付いてんぞ。ちょっと払ってやるから目ぇ瞑れ」
「あ、はい。ありがとうございます」
そういう事ならと目を瞑り、瞬間、口に何か湿った柔らかいものが触れた。驚いて目を開ければ、いつもと違いドヤ顔のフロックスさんがこちらを超至近距離で見つめていた。
「え、あ、な!?」
「そういう部分は年相応なのな。これは師匠からの、最後の選別ってやつだ」
そう言われても、ちょっと頭が追いつかない。なんか分からない混乱が頭の中を駆け巡って──
自己否定ーー混乱を否定しました
無理矢理チートがそれを沈静化した。ああ、つまりはアレだ。思いっきりキスされたという事だ。そして幾らチートと言えども、
「ほらさっさと行け、エウリが待ってんぞ」
「あ、はい。分かりました」
恥ずかしさでシドロモドロになりかけたながら、誘導されるままお婆さんの家への道へ送り出された。
「さようなら、私の初めての人……」
故に、普段なら聞こえていた筈の呟きも、全く聞き取る事が出来なかったのだった。
◇
「数日間ではありますが、本当にありがとうございました」
「はいよ」
どうにか気を持ち直し、到着したお婆さん宅でお礼を言ったが、そう素っ気なく返されてしまった。
「本来なら早く出て行って貰いたいが、もう少しだけ待ちな」
「あ、はい」
一体なんだろうか? 本日何度目かの疑問を抱えて待機する俺を前に、顎だけを動かしてお婆さんは口を開いた。
「エウリ、来な」
「はい!」
流暢で快活な人の言葉で返事をして現れたのは、どう見ても旅装のエウリさんだった。大きなリュックに、俺の物と似た黒の外套。武器としてか、長い杖を持っている。
「あの、これはどういう……?」
まるで一緒に旅に出ると言わんばかりの格好をしたエウリさんを前に、俺はお婆さんに問いかけざるを得なかった。
「私ら古樹精霊の廃れた習慣の1つに、成人を迎えた者には旅をさせよというものがあってね。このご時世故に無くなってしまったものだが、お前さんもいるし丁度良いと思ってね」
「わたしも、行こう、たい、思う、ました」
えへへと嬉しそうに笑うエウリさんを見ると、俺には拒否する事は出来なかった。けれど同時に、頭にこれからの危険が過ぎる。必ず、エウリさんに害が及ぶ様な俺の立場も。
「……俺と来たら、普通に旅するよりも危険ですよ?」
「それは、この子が魔族とバレる恐怖と戦いながら、一人旅をするよりもかい?」
「いえ、そうじゃないかとは思いますけど……」
少し着飾れば、古樹精霊は人間と区別はつかない。問題は言葉だが、それも多少は不自由なだけとも取れるから大丈夫だろう。それに王都の姫様まで辿り着ければ、きっと保護してくれる。
「それに、私見だが相性も悪くはないんじゃないかね? 近距離と妨害のお前さんと、回復や遠距離に対応出来るエウリ。2人でなら、危険を回避できるんじゃないさね?」
「私、モロハさんと、行てみたい、です」
頭の中で、危険性と惚れた女の子と2人旅が出来ることが天秤にかけられる。まあ、結果は火を見るよりも明らかだが。
「危険だって分かってるなら、俺は構いません」
「なら決まりだね。楽しんでくると良いよエウリ」
「はい! お婆様!」
こうして、短い旅路に同行者が増えたのだった。食料を2人分確保する必要が出来たとは言え、必要経費と割り切ろう。
「話が纏まったところで、あんたは今日野宿するつもりかい?」
「はい。エウリさんの事を考えると街までは行きたいですが、最寄りの街では指名手配されてるらしくて」
「あんた……いや、なにも言わんよ」
「ありがとうございます」
その辺りの事情に突っ込まないでくれた事には感謝しかない。幸い今の会話はエウリさんには理解出来てない様だし。
「そういう事なら、森の出口辺りが野宿に適してるさな。あまり内側だと、魔獣が襲ってくるからやめた方がいいがね」
「貴重な助言、ありがとうございます」
「ありがとうございます、お婆様」
横に並んだエウリさんと共に頭を下げる。寝ずの番は構わないけれど、そんな時に襲われたらひとたまりも無いだろうし。
「良いかい? 絶対に森の入り口だよ? エウリに保存食は持たせてるから、それでも食って寝る事だね」
「何もかも、本当にありがとうございました」
◇
その後は滞りなく話が進み、エウリさんのナビゲートで森を歩いて行く事数時間。日が沈む前に、どうにか森の入り口に到着することが出来た。
魔法で作った枝にシーツを張って固定しもしもの雨に備え、2人分の毛布を敷いて寝袋を配置して寝床とする。そこから離れた場所に枯れ枝を集め、ライターで着火して火を熾した。
「モロハさん、野営、手馴れてる、ですね」
「一応これでも、野宿生活は長いですから。それに、今の状態より悪い事もしょっちゅうでしたし」
「それは、凄い、ですね」
そう柔らかく笑うエウリさんと居ると、2人旅を選択して本当に良かったと思う。下半身でしかものを考えれない自分に嫌悪の感情も湧いてくるが。
「あと、野宿は、こんな、ワクワク、する、ですね!」
「何日も続いたら、何とも思わなくなっちゃいますけどね」
そんな事を話しつつ、貰った食料を食べてエウリさんは就寝した。寝ずの番は、暫く俺の担当である。僅かに差し込む満月の光は、静かな夜を幻想的に照らし出していた。
満月が、丁度天頂に登った時だった。
そろそろ交代時間だと思いエウリさんを起こそうとした俺の耳に、小さな爆発音が届いた。
自己否定ーー眠気を否定しました
それは俺の眠りかけの意識を覚醒させるには、充分過ぎるものだった。
「エウリさん、起きてください」
「
「何か、凄く嫌な感じがします」
警戒心を全開にして、軽く五感を強化して動きを待つ。頼まれたのだ、頼られているのだ、ヘマなんてしたら申し訳が立たない。
「
「分かりませんが、爆発音がしました。絶対に何かがあります」
俺のその言葉と態度で、エウリさんが微睡みを振り払った、その時だった。
ズーンという低音が響き渡り、地面が少し揺れた。そして、強化された嗅覚にある臭いが飛び込んでくる。
「何かが、焼けてる……?」
そんか疑問の答えは、すぐに訪れた。
先ほどの低音よりも大きな音が響き渡り、森の中からでも確認出来る巨大な炎の柱が数秒であるが出現したのだ。
自己否定ーー動揺を否定しました
そしてその場所は、俺の記憶が確かなら──
「
エウリさんが顔を真っ青にしているが、それもそうだろう。
自己否定ーー動揺を否定しました
何せ、煌々と炎が照らすその場所は、つい昼まで滞在していた、古樹精霊の村がある筈の場所だったのだから。
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24 モユルヨル
「
自己否定ーー動揺を否定しました
今は消えているが、吹き上がった炎を見て呆然とエウリさんは固まってしまっていた。だが、そう感傷に浸る事を、俺のチートは許してくれない。
自己否定ーー感傷を否定しました
更に強制的に落ちつかされた精神で、魔術で強化された身体が十全に働いてしまった。よく見える、よく聞こえる、よく感じられる。今の爆発が原因なのか、大量の何かがこちらに向かってきている。
「《収納》」
固まるエウリさんの横を抜け、熾した火以外の用意を全て自分のチートの中に仕舞う。
今ならなんとなく分かる。俺は、エウリさんを託されたのだ。死なせない為に、生きてもらう為に、外の世界を知ってもらう為に。だからこそ、託す俺が雑魚じゃマズイから稽古をつけてもらえた。魔術を教えてもらえた。魔法を教えてもらえた。武具を授けてくれた。知恵を授けてくれた。ならば俺は、それに答えなければならない。絶対に、そう、絶対にだ。
「エウリさん、すみません!」
「えっ、きゃっ!?」
全身にかけた強化に回す魔力量を増やし、一言謝ってから血の気の引いたエウリさんを肩に担ぐ。人一人分、そこそこの重さだがうだうだ言っていられない。
自己否定ーー恋愛感情を否定しました
自分でその感情を持っていることの証明となってしまった。恥ずかしい、恥ずかしいが──今に限ってはありがたい。これで集中が深くなる。もう間もなく、ここは魔物の群れが通過する道になるのだ。そんな場所に突っ立っていたら、揃って挽き肉になってしまう。
「エウリさん、舌を噛まないようにしてて下さいね。
教えて貰ったとはいえ、俺の魔法はまだ稚拙もいいところだ。だがそんな俺でも、近くの木から枝を伸ばす事くらいは出来る。そうして出来上がったのは、即席の階段。前進は死、横進も死、後退も死ならば上か下しかないのだから、やるしかない。
「行きます!」
「きゃぁぁぁ!?」
地面を蹴り、俺は大きく飛び上がった。そして魔法で伸ばした枝に着地、再度跳躍する事を繰り返し、異世界味溢れる高木を登っていく。そして一際太い枝に辿り着いてから、膝をついて息を整えてから1つの魔術を発動させる。
「幻よ!」
魔力を消費し、俺たちのいる高木を幻術で覆う。これで一応、緊急の避難場所にはなった筈だ。それに、それなりの高さにまで登ってきたお陰で、よく周りが見渡せる。
「あの、モロハさん。
「そうですね。すみません」
酷く落ち着き凪いだ心のまま、担いでいたエウリさんを降ろす。微塵もバランスを崩す様子を見せないのは、やはり種族としての強みなのだろうか。
「なんで、
「見てれば分かると思います」
震えた声で尋ねるエウリさんに、そう言った直後だった。よく分からない奇声をあげながら、森から化物の群れが現れた。腕が4つもある大猿、頭が2つで目が6つもある狼、前腕と後腕がそれぞれ翼となっている巨大コウモリ、そんな奴らをはじめとした魔物の群れが、森から逃げ出す様に無秩序に走っていく。だが、幻術のお陰でこの木は殆どの魔物が避けて行ってくれている。
しかも、その魔物のほぼ全てが焦げや裂傷、刺し傷などを始めとした戦闘の痕を残している。何者かが追い立てたのは明白だろう。俺たちを殺そうとしてそうしたと考えるのは、邪推のしすぎだろうか?
「あのまま下にいたら、多分俺たちは揃って轢き潰されてました。そんな事、流石に許容出来ません」
「そんな……酷い」
ペタンと座り込むエウリさんの顔は、真っ青を通り越して白くなってきている。なんとかしてあげたいけれど、俺には何もすることができない。
そう歯噛みしている間に、再び火柱が夜を煌々と照らし出した。そして、夜という条件下であることと強化を強めてたことがあり、よく見えてしまった。火柱を生んでいるのは鎧を纏った人間で、火柱の根元にいたのは古樹精霊の誰かだった。
「あ……
「駄目です」
それが見えてしまったのか、フラフラと立ち上がり、覚束ない足取りで進みそうになったエウリさんの腕を掴んで止める。
今にも泣きそうな顔で振り返ったエウリさんが、一転怒りの表情に変わって俺の胸倉を掴み叫ぶように言った。
「なんで……なんで、
自己否定ーー激情を否定しました
心の中に熾こりかけた何かの火が、チートによって吹き消された。……そうだな、そろそろコレを秘密にし続けるのは、辛く感じてる部分もあったんだ。エウリさんにだけなら、言ってもいいか。
「エウリさん、勇者と呼ばれる召喚された人達に、俗にチートと言われる能力が発現するっていう事は知ってますか?」
「
「実はそれ、半分しか本当の事言ってません。俺のチートは、もう1つあります」
「え……」
僅かな驚きの後、エウリさんの目がこちらを非難する目に変わった。そして言外に、なんでそんな事を隠していたのかと訴えてきているのがわかる。
「俺の持つもう1つのチートは、自分の感情を一定時間、若くは永遠に消す能力です。しかもこれ、自分の意思とは関係なく発動するので止められないんですよね」
無駄に混乱を招きそうなうえ今は関係ないのだから、毒や一部の魔法も否定できる事は言わないでおく。だが、これで伝わっただろう。
「そん、な」
「はい。今も何回か発動して、感情を消されてます。じゃないと、俺だってこんな冷静じゃいられませんよ」
自己否定ーー激情を否定しました
また、感情の火が掻き消された。俺にも色々と、思うところや考えるところがあるのだ。だがどうしても、それに熱が入らない。重要だと思うことができない。
「それは、それって……」
「エウリさんが気に病むことじゃないですよ。これは俺の問題ですから。でも、これを話したのはエウリさんが初めてなので、秘密にして下さいね?」
「は、い」
震える声でエウリさんは答え、ゆっくりとだが頷いてくれた。落ち着いたというよりは、処理落ちしたという方が適切な気がするが。何にしろ、話ができるようになったのなら問題ない。
「でも、
「今、俺にとって1番大切な事はエウリさんと、序でに俺の身の安全です。今から行っても間に合うかも分からない、勝てるかも分からない、誰かが生きてるとも限らない、そんな戦場に向かうなんて馬鹿げてるとしか思えません」
ここまでが、理性が下した結論だ。全くその通りだと思うし、巻き込まれない様にしてくれたという事を考えると、もう1つの答えは間違ってるとしか思えない。
「でも俺だって……俺だって助けに行きたいんです」
ここ数日ずっとあり得ないほど濃い経験をさせてもらったし、思い入れがないとは口が裂けても言えない。寧ろ、大恩があるし愛着の様なものだってある。それなのに助けに行きたくないと思うほど、俺は人でなしでもないし人外にもなっていない。その、筈だ。
「だからエウリさん。俺に、理由を下さい」
このまま行っても、どこかできっと《自己否定》が俺の意に沿わない形で邪魔をする。もう2度と俺は、【プラム村】であった様な事を繰り返したくはない。あんな事をしたくはない。あってはならない。
「その、理由って、なにを」
「たった一言でも、なんでもいいんです。だから、どうか」
恐らくそれさえあれば、《自己否定》が俺の意思を無視する事はない。そう何故か直感出来ているのだ。付けていた花の眼帯を収納し、膝をついたまま言葉を待つ俺に、一度深呼吸をしてからエウリさんは言った。
「お願い、です。
「承りました。未だ未熟な身なれど、この槍を貴女に預けます」
チリ、と後頭部から伝わる熱と共に、自然と口からそんな言葉が出てきた。そして、嗚呼何故だろうか、酷く懐かしい様な感じがする。チリチリと燃える様な後頭部の感覚が、戦意を奮い立たせていく。不思議な感覚だが、悪くない。
「
「さて、何のことですかね」
自分でも何で言ったのか分からないので、恥ずかしさを紛らわす為に言葉を濁した。思い出すと恥ずかしく、頬が熱くなってくる。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
頬の熱さは消えないけれど、チートのお陰で平静を保つことができた。そのまま俺は、槍を振り続けてたこが出来た右手を伸ばす。
そうして繋がれた手を、しっかりと握り返す。今度は違う。今度こそは違う、変えるのだ。だが俺の力だけでは届くはずもないから、どんなものでも利用する。
自己否定ーー敵意を否定しました
丁度よく自己否定が発動してくれた。意を決してここ数日開くことのなかった左目を開き、俺は中天に輝く満月に向かって叫ぶ。
「どうせ覗き見してるんだろ、ファビオラぁッ!! あんたの朋友の危機なんだ、手を貸せぇッ!!」
繋いだ手から動揺が伝わってきたのと同時、俺の左の首元に1匹の蝙蝠が出現していた。目を開いた事で普段より良く見える様になった左目は、その蝙蝠が魔法で作られたものだと看破する。
だかその蝙蝠は、俺の首筋に軽く触れるだけで消えていった。多分、言われなくても分かっている、という事でいいのだろう。
「今の、は?」
「敵の敵は味方ってやつです。援軍を頼みました」
ファビオラは敵だ。だがその強さは認めるしかない。なら、自分の気持ちは押し殺してでも助けを求めよう。それで少しは、何かを成し遂げられる可能性は上がるはずだ。
「それじゃあ、行きますか」
「はい!」
強化の範囲を狭めて魔力の消費を軽減する俺の隣で、馬鹿げたとしか言いようのない魔力の奔流が吹き上がった。数値化するならば、俺の10倍は固いだろう。そんな量の魔力が、単純な強化に使われるのだ。男女の差なんてものは、簡単にひっくり返る。
「「
魔法で生み出した枝を足場として蹴り加速、村に向かい矢の様に突き進む。
今この場所に到着するまで、村から出発して約6時間。それは鬱蒼とした森の中を、警戒しつつ魔物との戦闘もこなし、昼食など全てを込み込みにしての時間だ。だが今の様に、森の上を一直線に、魔術での補助を込みにして考えるとその前提は崩れ去る。
とはいえ、それでも俺たちが村に到着できるのは、ノンストップで走って恐らく30分〜1時間後。間に合うかどうかは、正直賭けでしかない。
「急ぎます!」
「了解です」
鬱陶しいコートを収納し、先行したエウリさんに追いつくよう俺も加速する。そんな希望を嘲笑うかのように、三度巨大な火柱が現出した。
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25 スベテヲモヤセ
「モロハさん!」
エウリさんと休む事なく全力疾走する事体感で30分強。夜の闇を煌々と照らし出す炎が近づいてきた頃、そんなエウリさんの声が轟いた。
「下に!」
泣きそうな声に気を引き締めて見渡すと、前方50mは向こうだが4つの人影が確認できた。
その内2人は、いつか会った古樹精霊の親子。けれどその姿は記憶と違い火傷や裂傷でボロボロで、足を引きずる子供を親が庇いながら走っている。
残りの2人は、全身に鎧を纏いハルバードの様な槍を持った兵士2人組。時折放たれる魔法を物ともせず反撃の魔法を放ち、2人をいたぶる様に追い立てている。しかも追い立てる人間2人は、あわよくばを狙っている目をしていることが見てとれる。女装したままスラム街に紛れ込んだ時、浮浪者が俺に向けていた目と全くの同質だ。
「下衆がっ……」
不快、不快、不快。恩人達が焼かれているかもしれないというだけで胸糞悪いというのに、こんなものまで見せられてしまってはどうにかなってしまいそうだ。不愉快極まりない。
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー激情を否定しました
強制的に落ちたかされた精神に舌打ちしつつ、強化を全身に回し直し、魔法でしなる枝を足場として出現させる。そして俺は、エウリさんを置き去りにして飛んだ。
落下による加速と強化された脚力、枝のしなりが全て複合された速度は、ものの数秒で俺を地表に導く。その僅かな間に、斜めに落下する姿勢から槍を振り抜いた反動で体勢を整えた。そして、両足と突いた驟雨の石突きが地面を抉り、砂埃を上げながら俺は兵士達の目前に着地する。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー同情を否定しました
「貴様! 何もn」
「シッ!」
殺す
ただそれだけの意思を込めて、兵士に接近し、手首を返して槍を跳ね上げた。ただそれだけで、何かを言いかけた兵士Aの首を愛槍は跳ね飛ばした。
「曲者!」
吹き上がる血の噴水に、漸く兵士Bは敵襲だと気がついた様だ。だが遅い、あまりにも遅い。師匠にも、フロックスさんにも比べる事が烏滸がましい程反応がトロい。
故に殺す
跳ね上げた槍が持つ力に振り回される様に、その遠心力に身を任せ身体を回す。無茶な動きだが、こんなものは後で魔術で治癒できるから関係ない。そうして回した身体のうち、ピンと伸ばした足が狙い通り相手の首に届いた。ならばする事はただ1つ。
「《収納》」
そう呟くだけで、相手の首元から目の当たりまでが、球状にくり抜かれた。相手が人間である限り、これで確実に殺したと確信できる。しっかりと制動した後槍を振り抜き、邪魔な頭部は近くの茂みに《排出》で投げ捨てた。いつかはこれで肥料にでもなるだろう。
生暖かい鮮血のシャワーを浴びながら振り返ると、既に着地したエウリさんが2人の治療を始めていた。けれど治療されている2人は、どちらもとても険しい表情をしていた。
邪魔な死体を蹴り飛ばして血が跳ねないように倒しながら、その話に耳を傾ける。
「エウリの馬鹿! なんで戻ってきたの!」
気が抜けたのか、気を失ったらしい娘さんに変わってお母さんが怒鳴った。手に淡い光を灯し、魔術で傷を癒すエウリさんは、泣きそうな顔になりながらも答える。
「
そんなエウリさんの絶叫に、お母さんも怒るに怒れない様だった。そして、くしゃりと優しくエウリさんの頭を撫でた。
「それじゃあ、仕方ないね。旅のお方、貴方もそうなのかい?」
「ええ。同族だからこそ許せま……いいえ、不愉快なんです。恩人の方々が蹂躙されるなんて、見過ごせるわけありません」
自己否定ーー激情を否定しました
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
失いかけた正気が、チートによって引き戻された。それでも歯は、ギリと嫌な擦れる音を立てるほど強く食いしばられている。
「止めても、無駄みたいだね。なら行くといいよ。流石のフロックスでも、勇者3人は荷が重いだろうからね……」
「ッ!」
3人という数字が、重くのしかかる。俺みたいな中途半端なチートではない、物語の様なチートを持つ勇者が3人だ。幾らフロックスさんと雖も……そんな、嫌な想像が頭をよぎる。
自然と槍を握る手に籠る力が強くなった。けれどそんな俺の手を、エウリさんが優しく包んでくれた。
「ダメですエウリさん、血で汚れます」
「いい、です。モロハさんの、苦しみ、少しでも、分ける、です」
「あはは、ありがとうございます」
エウリさんに離れてもらい、全身を軽く振って血を払う。
本来はこんなにまったりとしていたくないのだが、ここに来るまで残り3割にまで減った魔力の回復時間だと割り切る。半吸血鬼という体質のお陰か、血を浴びるだけで回復したのだ。
「いいねぇ、若いっていうのは」
「ち、違う、ます!」
ワタワタと慌てて、頬を染めて否定するエウリさんを横目に、俺は先程倒した死体に近づく。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
槍を仕舞い、仕方がないと割り切って、その首筋に八重歯を突き立てた。途端に口の中に広がる鉄錆の味と匂い。それを美味しいと感じてしまう自分に吐き気と気持ち悪さを覚えつつも、魔力と血を共に吸い上げていく。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
心なしか萎んだように見える1人目を茂みに投げ捨て、もう一体からも吸血する。そうだ、俺は助けるって決めたんだ。その為にはなんでも利用するとも。だったら、これくらい耐えなくてどうする!
「ぷふっ」
そうして2人目の処理を終えた時には、魔力は7割ほどまで回復してくれていた。これならまだ暫く保つだろう。そんな事を考えつつ振り返ると、エウリさんとお母さんから微妙な目で見られていた。
「幻滅しました?」
「別に、ない、です」
「そういえば、吸血鬼だったねあんたは。それならしょうがないだろうね。ま、時と場合は選んで欲しかったけどね」
「時間がないので」
口元を拭ってから、再度排出した驟雨を握りしめて俺は言う。こんな死ぬほどやりたくないことまでやって、間に合わなかったなんて事になったら死んでも死に切れない。
「なら、早く行きな。隠れるだけなら、もうここなら問題なくできるしね」
「不安はありますけど……分かりました。先を急がせてもらいます」
「2人とも、どうか、無事、で!」
お辞儀をしてから、腕が潰れるイメージで魔術回路を再起動。脚のみに強化を回して、再び俺たちは村へと駆け出した。
◇
血の匂いがする。
焼ける植物の匂いがする。
腐臭にも似た、人死の匂いが立ち込める。
狂気の匂い。
凶事の匂い。
鬼の匂い。
昼間まで平和だったこの場所は、炎の壁が舞い踊る阿鼻叫喚の地獄と化していた。足を踏み入れる事が出来たこの村は、あの自然の面影など欠片も残さぬほど炎が蹂躙し尽くしていた。
「エウリさん、空気を生み出す魔術とかってあります?」
「ある、ます。何故?」
「すぐに俺たちを囲むように発動してください。じゃないと、多分気がついたら死にます」
「分かる、ました!」
多分異世界でも、一酸化炭素中毒などは発生するだろう。そこら辺の事は詳しくないが、火災現場ではよくある事と記憶している。ならば、対策しておくに越したことはない。
そして、エウリさんがその魔術を発動してくれるまでの間に、強化も回して全力で耳を澄ませる。敵味方の場所の特定、これがなければただ無意味に村を走り回って間に合わない事態が必ず発生する。それだけは避けなければならない。今度こそ、守ると誓ったのだから。
チリッと、後頭部に熱が走った。
脳がパンクしそうな勢いで、様々な音が聞こえてくる。
炎が燃え盛る音。
木が弾ける音。
魔法による風音。
家が崩れる音。
砂を噛むブーツの足音。
……見つけた。人数は分からないが、多いのだけは分かる。
「見つけました。エウリさん、大丈夫ですか?」
「はい!」
「なら、行きます!」
そう告げて、俺は全力で駆け出した。この村の形は覚えている。足音が聞こえるのは、次の通りを曲がった所!
「ハハハ! 一丁前にガキを守って死にやがったぜコイツ!」
「何言ってんだよお前、このガキだって俺たちよか年上だぜ?」
「うお、マジかよ? ロリババアって奴か? 好事家に売りつけりゃ、相当な金になるんじゃねぇの?」
「違えねぇ!」
そこで俺が見たのは、見てしまったのは、クソみたいな光景だった。
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
見覚えのある女性が、あのハルバードの様な武器で喉を貫かれ、磔にされていた。頭にあるピンクの大きな花は、生気を失って萎れている。全身に刻まれた無残な傷と、光を失った目がその命の灯火が掻き消えている事をこれ以上なく明確に示していた。
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
そしてその足元には、奇跡的に無傷な女の子が蹲っていた。そしてそれを囲む様に、鎧を纏った人間が6人存在しギャハハと下品な笑い声を上げていた。
「でもどうせこいつら、魔族なんでしょう? そんなの買う奴がいるんで?」
「いるんだよ。それで金儲けしたら、ここの全員を高級娼館に連れてってやるよ」
「ひゅ〜、隊長太っ腹〜!!」
ああ、駄目だもう。自己否定が鳴り止まないが、そんなの知ったことか。人数差が圧倒的だけど、そんなの知ったことか。こいつらは、こいつらだけは殺す。
こいつらにも家族がいる? そんなの知るか、殺したいから殺す。
教えが悪いから仕方ない? そんなの知るか、殺したいから殺す。
命令されたから仕方ない? そんなの知るか、殺したいから殺す。
種族が違うから仕方ない? そんなの知るか、殺したいから殺す。
「幻よーー」
冷静に自分の姿を幻術で隠し最大速で接近。
先程と同じ様に、全力で槍を跳ね上げて首を飛ばした。
繰り返す様にに蹴り飛ばし、チートで首元を消しとばした。
「なっ」
「敵襲ッ!!」
口を開くなんて愚策は侵さない。
崩れた体勢を震脚し整えて、そのまま背中からタックルして1人を吹き飛ばした。壊れた建造物に胸を貫かれるのを確認した。
「何処だ! 何処にいる!!」
「馬鹿者が、魔術か魔法だ! 魔法祓いを早く使え!」
なんだかゴミがよく分からない事を喚いているが無視する。
射出した石突きで動きを無理矢理止め、そのままの構えで突進した。金属鎧を抉り抜いたその死体を、隊長と呼ばれていた人間に向けて吹き飛ばした。
「ぐっ、な、貴様ぁ!」
「
踏みつけた足を起点に魔法を発動。隊長と呼ばれた人間の足元から荊の蔓が出現し、足を絡めとり後ろ手に腕を縛り上げた。このままじゃ不安も不安なので、邪魔な死体を殴り飛ばしてから愛槍で隊長の武器も弾き飛ばす。そして、槍を用いた全力の足払いで転倒させた。
ここまで僅か2分程。隊長の胸元を踏みつけ、首筋に槍の刃を当てながら、漸く俺は幻術を解除する。
「な、貴様は!!」
「黙れよクズ」
頭に感じる熱のままに、言葉が口から溢れ出した。まるで
そして、その体勢のまま、へたり込んでいた女の子に言う。
「早くあっちへ逃げて。エウリさんが待ってるから」
そう指差した方向に、へたり込んでいた女の子は走って行った。
それを確認してから、喉から足をどかした。汚い咳に無性に腹がたつ。
「この部隊を率いてる勇者3人の名前と、この作戦の参加人数を答えろ。じゃなければ殺す」
「ひっ……ひは、誰がお前なんかに教えるものか! 棄てられた勇者風情が!!」
「あっそ」
槍を引き、片腕を切り飛ばした。回復魔術で止血だけはしておく。
「ひ、ぎ、がぁぁぁぁぁ!?」
「これでお前も、俺と同じだ。答えてくれれば、左腕は切らないで生きて王都に帰してあげるんだけど?」
「は、ははは! ヴァカめが!」
「で?」
槍を引き、もう片方も切断した。同じく止血。
「あ、がぎ、ぐぇ」
「煩えんだよさっきから」
再び喉を踏みつけ、無駄に叫ばない様にした。
「で、答えるの答えないの? 肯定なら一回瞬きして」
数秒返答を待つと、一度瞬きがされた。それを確認し、喉から俺は足をどかした。すると再度汚い咳を何度かした後、隊長は喋り始めた。
「部隊の総人数は、100、人。その内、50名は、化け物みたいな魔族に、殺された。さらに30名が、魔法で殺された。残りの20人は、4部隊に分かれて、討伐中だ」
そう考えると、俺が殺したのは8人だから残りは12と勇者の3人という事になる。ああ、早急に始末しないと。
「勇者の名は、言えない。知らないんだ! 本当だ!」
「あっそ。教えてくれてありがとうね、隊長さん」
「ああ、言った! 俺は言ったぞ! 帰してくれるんだよな! 本当だよな!」
地面に倒れたままの隊長が、そんな事を喚き散らした。
「残念だけど、それ嘘だから」
「は?」
収納で頭を消しとばして投げ捨てる。
そう、棄てられたとはいえ俺の立場はあくまで、姫様子飼いの勇者なのだ。そんな奴が『魔族と協力して人間に敵対していた』という状況を見られたらどうなるか。そんなのは想像するに固くない。ああそうだ、だからこそ俺が取るべき選択は──
「
密かにそんな決意を固めた俺の視界内で、またも大きな火柱が夜を焼いて立ち昇った。
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26 サイカイノヨル
燃え盛る炎に囲まれる中、少し離れた場所で連続して火柱が上がる。幸いにも方向はエウリさん達とは真逆だが、微かに肉の焼け焦げる臭いが伝わってくる。そのことから容易に想像できる事態の不快さに、思わず顔が歪んだ。
「違う、今はそうじゃない」
殺す、殺すんだ。命を奪うのだ。そうしなければ、そうしなければ戻って来た意味がない。助けようとした誓いを違えてしまう。みんな死んでしまう。全てがご破算になってしまう。そして何より、大切な人が悲しむ。だから、切り替えたままにしろ。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー同情を否定しました
「そうだ、これでいい」
異様にクリアにされた頭が、状況を打破するために回転しだす。先程の火柱の場所を思い出せ。今すぐ行って首を刎ねなければいけないのだから。
「きゃぁぁぁ!?」
一度深呼吸を入れて気を引き締め直した時、そんな聞きなれた声の悲鳴が耳に届いた。そして立ち上がる火柱。そう、確かあちらはエウリさんがいた方向ではなかったか?
「力よ」
度を越した強化の反動で足が砕けるのも厭わず、回復を併用しつつ俺は全力で疾走する。つい先程来た道を一息で逆走し、カーブで靴を片方ダメにしながら加速する。
ほんの数瞬後に見えたのは、地面にできた人型の黒い染みとその隣で腰を抜かしたエウリさんの姿。そして、その奥で赤い宝石が先端についた杖を構えるフードを被ったローブを纏った人の姿だった。
「炎よ、収束しーー」
自己否定ーー憤怒を否定しました
杖をエウリさんに向け呪文を詠唱し始めたその人物に、槍を構えて最高速度で突進する。振り切れそうになる感情に押し流されて幻術を忘れてしまった事に気付いた時には、彼我の距離は一足分もない程まで縮まってしまっていた。
「ひっ、壁よ!」
「ぜぁッ!」
そして俺の渾身の一撃は、咄嗟に発動された魔術と思われる土壁に防がれてしまった。更に反動で腕が痺れて握りが緩み、驟雨は吹き飛んでいってしまった。だが代わりに土壁は砕くことができ、その破片は魔術師のフードを吹き飛ばした。
「欠月、君?」
フードの下から露わになったのは、黒い髪に厳密には違うが黒い目に平たいパーツ。色々な感情がごちゃ混ぜになった様な、日本人の女性の顔だった。まあ、
「エウリさん、下がって。後、槍を探してくれるとありがたいです」
「は、はい!」
魔術師の問いかけを無視し、先ずはエウリさんを撤退させる。そして、スペアの槍を取り出して正対した。腕の痺れはもう薄い。驟雨じゃないのは不安だが、これでも最低限は戦えるだろう。
槍を一振りしてそれを確かめている俺に、酷く狼狽した様子の日本人女性魔術師(仮)は問いかけてきた。
「欠月君、3-Cの欠月君よね!?」
「それが? そもそも誰ですかあなたは」
雑に返答しながら、日本人魔術師の姿と魔力の流れを観察する。先程までの火柱の原因は恐らくこいつだ。けれどそうだとすれば、エウリさんとは真逆の方向にいた事に辻褄が合わない。それが、恐らくこいつのチートという事なのだろう。
「わ、私は3-Aの三森よ。死んじゃったって聞いてたけど、生きていたのね!」
「ああ、そういう事になってるんですね」
俺が出撃してからもう、多分1月は経っていた筈だ。その間1回も報告がなく、あの燃え尽きた村に視察が入れば死んだという事にされていても不思議ではないだろう。
出来れば、もうちょっとは情報を引き出したい。いや、隷属化のなんとかがあるっていう話があったっけ。なら、不用意な事を言ったら不味い可能性もあるか。
「こんな化け物どもの村にいるなんて辛かったでしょ? 今度は、私が助けてあげるから!」
「どうやってです?」
「私のチートはね《瞬間移動》っていって、長い距離を一瞬で移動できるの!」
問いかけに対する返答を聞きつつ、魔術を発動させる準備を整える。それにしても瞬間移動か、極めて危険と言っていいだろう。何かに勘付かれて報告なんてされたりしたら堪ったもんじゃない。
「幻よーー」
幻術で数瞬前までの俺と同じ場所に、同じ体勢同じ姿の幻覚を設置。足音と気配を殺して無防備に話を続ける三森? とやらの背後に回り込んだ。
チリチリと、後頭部に熱が灯る感じがした。
「だから、こっちに来たばっかりの頃、助けてくれた事の代わりに──」
「《収納》」
そのまま無造作に槍を突き出し、ローブごと貫いてチートで抉り取った。胸部と一部首がなくなった事で、あまり血が溢れることも無くアッサリと首が落ちた。その顔に恐怖や苦痛の色は一切なく、気がついたら死んだという表現出来そうなものだった。
「ちっ」
想像通りなら、何人も何人も、こいつがこの村の人たちを焼き殺したのだろう。無論単独犯ではないが、きっとそれは間違っちゃいない。加えて、エウリさんを殺そうとしていた。だからこそ、八つ裂きにしてやりたかったが……同郷のよしみという事で納得しておこう。
自己否定ーー不快感を否定しました
チリチリと疼く様な感覚がする後頭部を、槍から手を離して掻き毟る。ああ、イライラする。
「モロハさん、戻り、ます、した」
燃え盛る建物の中に死体を投げ入れていると、そんな声が聞こえた。振り返ると、両手で驟雨を抱えたエウリさんが戻ってきてくれていた。先ほど慌てて逃げてもらった時には確認できなかったが、どうやら怪我などはしていないようだ。
「さっきはすみません。怪我はないですか?」
スペアの槍を仕舞い、代わりに驟雨を受け取った驟雨を手に収める。やっぱり、こちらの方が手に馴染む。それこそ、異様と言って良いほどに。
「はい。でも、モロハさんこそ、平気、です?」
「はい?」
「だって、泣く、してる……ああもう!
不自由な人語ではなく、流暢な古樹精霊の言葉で、エウリさんがそう言い放った。
「え?」
疑問に思い目を拭ってみれば、乾きかけた血とは別に暖かい液体に触れることが出来た。確かに俺は泣いているのだろう。その理由が、1つも思いつきはしないのだが。火事の煙も、エウリさんの魔術のお陰で届いていないのだし。
「すみません、泣いてる場合じゃありませんでしたよね。探して助けないと、そして邪魔する人を……」
殺さなきゃ。そう言おうとした瞬間、パシンという小さな音が響いた。そして頬に鈍い痛みが走る。数瞬遅れて、自分が叩かれたという事を認識した。
「
「自分をって、何がです?」
自分を見ろと言われても、何が何だか分からない。自分の怪我の状況とか、そこら辺は全部認識しているつもりなのだが。
「
「確かに俺を含めてもう234……いえ、233人しかいない同郷の人でしたね」
もっとも、他にも死んでる人はいるかもしれないが。しかもこの数字は、俺が400人近くの人間を見殺しにしてしまっているという事実も示している。確かに最善を尽くしたのかもしれないが、1階に行くくらいなら3階に登って防火扉を閉めることも出来た筈なのだ。舌打ちするのを堪えて唇を噛む、尖った八重歯が食い込んで血が滲むが丁度いい。自分なんかには、これからで相応しい。
そう自虐する俺を、魔族特有の人外の膂力でエウリさんが抱き寄せた。そして、子供をあやす様に優しく頭を撫で始めた。
「何、を……?」
「
「そう、でしたか」
自分でも存外、追い詰められていたという事なのだろうか? 一気にこんな事に巻き込まれたせいか、思考も行動もおかしくなってきていたと言えるのではないか? 思い返せば、
「なら、この戦いが終わったら、少し話を聞いてくれますか? あんまり楽しいものではないですし、愚痴みたいになっちゃうかもしれませんけど」
「
自己否定ーー性欲を否定しました
微妙に気が緩んでしまったこともあって、体勢もあって妙なことを意識してしまった。チートがその感情は消してくれたが、精神状態がこのままというのは些かまずい。
急いでエウリさんから離れ、頭を振ってリセットをかける。こちらはそういうのが真っ盛りな時期なのだ、仕方がないとはいえ忘れておいてしまいたい。
「よかった、
「そうですか。なら、今度こそちゃんとやらないとですね」
残存敵戦力は勇者2、その他一般兵12。見つけ次第どうにかして、お世話になった古樹精霊の人たちを助ける。そして、今もなお戦っているであろうフロックスさんに加勢する。
チリチリと疼いていた後頭部の熱が、灼けつく様な痛みに変わったが些細なことだ。殺戮するだけの人形じゃなく、あくまで俺らしく何かを解決しなければいけない筈だ。
そう決意した瞬間の出来事だった。
「か、は」
「へばるんじゃないよフロックス!」
通りを1つ挟んだ向こう側。ボロボロの人影が2つ、家屋を砕きながら吹き飛ばされてきた。
自己否定ーー動揺を否定しました
「ッー!」
叫びそうになったエウリさんの口を押さえ、冷静に幻術を行使する。俺だって、チートがなければ叫んでいただろう。何故ならば──
「ありがとよ、婆さん。つってもまあ、ジリ貧だがな」
吹き飛ばされて来た片方は、全身に切り傷を負い、頭の花を数個散らしたフロックスさん。元々着てていたのであろう軽鎧は、一部は千切れ飛び、一部は融解し、断裂している。両手に握る木刀も、刃こぼれが目立っている。
「ハッ、よく言うよ若僧が。そら、次が来たよ!」
「応よ!」
フロックスさんが、飛来した炎の矢を木刀で弾き飛ばした。
もう1人は、質素な木の杖を持ったお婆さん。こちらもまた、ローブには焦げ跡があり、貫通痕があり、口元には血が滲んでいる。
俺にとっては天上の人の様な実力を持つ2人が揃ってああなっていると言う事に、戦慄を覚えざるを得ない。だが俺には、もう1つ驚愕する要素があった。
「なんだよ、こいつら……化け物かよ」
「大丈夫よ、鈴森くん。この人達、かなり消耗してるから!」
瓦礫を踏み越え現れたのは、煌めく鎧を纏った鈴森と、鮮やかな服で着飾った名も知らぬ日本人の女の子……但し見覚えはあるので恐らくクラスメイト。片や鈍い金属の光沢を放つ西洋剣を構え、片や宝玉の嵌った杖を持つ2人だったのだから。
チート
《瞬間移動》
効果
所謂ルーラ。50km内ならどこでも自由に瞬間的に移動することが出来る。
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27 モエオチル
俺だけなら突撃もありだとは思うが、今は隣に守らなければならない大切な人がいる。故にこそ、慎重に判断しなければいけない。相手が知り合いだとしても。
「疾ッ!」
身を潜める俺たちの向こうで、ボロボロのフロックスさんが鈴森に向かって駆けた。その速度は、俺の全力のゆうに数倍を超えている。
「無駄だ!」
そうして振るわれた双刀の初速は、最早俺の目では捉えることが出来なかった。しかし、その速度は鈴森に近づく直前に激減していく。何もある様に見えないその空間にある何かが、刀を搦め捕り停止させてしまう。
「はぁッ!」
「チッ」
「穿ちなさい、《炎の矢》!」
「やらせはせんよ」
鈴森の振り下ろした両手構えの西洋剣を、舌打ち混じりにフロックスさんが後退して回避する。その進路上にまるで予知でもしているかの如き精度で炎で作られた矢が撃ち込まれ、それを舞い上がった木の葉が防ぎきった。
その一連の流れが終わる頃にはフロックスさんが魔法を発動し、地面を突き破って現れた鋭い植物の根が鈴森に迫る。しかしその根は、柔らかい何かに当たったかのように逸れ、その中心からフロックスさんが再び吶喊する。しかし先程と違い、背後から射出された木杭が謎の空間に突き刺さる。それによって謎空間は効力を失ったのか、フロックスさんが鈴森に肉薄した。
「そらよぉッ!!」
「ぐっ……」
そして、2人は鍔迫り合いになった。弾き飛ばされるのではなく、鍔迫り合いだ。鈴森はフロックスさん達のことを化け物と言っていたが、俺から見ればお前の方が化け物である。次の瞬間、鈴森の背後から放たれた炎の槍と、フロックスさんの背後から放たれた吹雪が激突し爆発を引き起こした。
自己否定ーー驚愕を否定しました
エウリさんの口を抑えていた手を離し、飛んできた木杭の破片を避け、躱しきれないものは迎撃する。そんな事をしている内に、爆破の衝撃で生まれた水蒸気が吹き散らされ再開された戦闘が目に入ってくる。
「なん、です、か? あれ。
「多分あれが、俺みたいな欠陥品じゃない正規の勇者ってやつなんでしょうね」
叩き込まれた戦闘技術と、
呼び出した中の一定数が達人と張り合える一騎当千の者になるならば、召喚するだけで幾らでも手に入る理想の駒と言ってもいいのではないか。確かにこんなものがあるならば、自国の兵士を繰り出すより、勇者を消耗品のように使った方が合理的だろう。まあ、洗脳がどの程度のものなのかは知らないが。
そしてそんな化け物と達人の勝負に介入するには、俺のような凡人はそれ相応の対価を払わなければならないだろう。
「エウリさん。俺が初めてここに来た時の事覚えてます?」
問いかけながらも、4人の戦闘からは目を逸らさない。今まで拮抗していた戦場が、崩れ始めたからだ。勇者側の援軍として到着した10人の兵士が隊列を組み、魔法と弓矢で援護を始めたのだ。
普段なら気にも留めない程度の攻撃であるはずのそれらは、切迫する状況に加えられたそれは致命的な隙となる。結果、お婆さんの防御と援護を突破した数本がフロックスさんに迫り、それを魔法で防ぐ間に鈴森の剣が少しずつ傷を増やしていく。致命的な傷を負った途端に癒しの魔法が飛び、その分薄くなった援護が更に攻撃を許してしまう。守れば傷を増やし、守らねば更に悪化するという悪循環が完成してしまっていた。
「
「最悪、1人で解毒して貰わないといけないので」
幾らブーストが入ったとしても、俺程度の戦力が加わったところで大きく状況が変えられるとは思えない。つまり、誰も助ける事はできないかもしれないという事だ。無論、死力を尽くして挑むが。そういえば、多分ファビオラも来てくれているのだったか。だか、いつ来るかわからない奴を当てには出来ない。
「
informationーー██は既に消去されています
「はい。ちょっと、行ってきますね」
そう言い残し、俺は増援部隊の方向へ全力で疾走を開始した。その最中、口元に持ってきた槍の穂先に噛み付いた。口の中が僅かに切れ、そこから《排出》されたケミカルな味の液体が染み込んでいった。そしてこれは、本来使う予定だった希釈液ではなく、原液そのままの劇薬だ。出し惜しみなんて、してられない。
以前よりも遥かに多いその液体をゴクリと飲み込んだ。
「あ、ぎっ……」
瞬間、意識を持って行きそうな程の多幸感と全能感が襲いかかってくる。世界が拡張される。世界が加速していく。処理すべき情報量が圧倒的に増加し、光が明滅する。白と黒が掻き回され、これ、まず、頭が──
自己否定ーー狂気を否定しました
informationーー情報量の超過を確認
informationーー過去の履歴を参照
自己否定ーー情報を一部制限しました
チートによって、暴走状態とも言えるものが解除された。過去の自分に感謝、だろうか。まあ何にしろ、限界を超えて力を振るえる様になったのだから文句はない。
「行、く、ぞ!」
噛み締めた奥歯が砕け、全力で踏み込んだ右脚は内側から破裂する様に血が噴き出した。その代償を得た代わりに、爆発的な……最早暴発したと言える速度を獲得した。
次瞬、夜の空に4つ首が舞った。
「は?」
耳に届いた呟きは誰のものだったのだろうか? いや、別にそんなものはどうでもいいか。ずっとお世話になってきた運動靴の底を削り飛ばしながら、無傷の左脚を軸に反転する。関節から脚が捻れ、ベキボキとへし折れる音が聞こえたが気にしない。反転しきる前に驟雨を伸長、石突きを地面に突き立て制動距離と回転半径を無理に縮小させた。驟雨は特注だけあって無事だが、反動が直撃した右腕から異音が連続して響いた。だが、まだ驟雨を握り続けられる為これも無視。方向転換を完了する。
informationーー最適化が実行されました
そこにいるのは、何が起きたのか理解が追いついていない6人の弓兵と魔術師の混成部隊。要するに、2歩で俺は5m程の距離を駆け抜けたのだ。だがまだ足りない。
「■ッ!!」
獣の様な唸り声を漏らし、俺は再び脚を地面に叩きつける。全開で稼働する再生の魔術で回復した右脚が再び弾け、血を撒き散らしながら再加速。横薙ぎに振るった槍が、3つの首を斬り飛ばす。
informationーー最適化が実行されました
「魔を祓え、パニッシュ!」
しかしそこで、俺の纏っていた幻術が消滅したのが分かった。下手人は、女子勇者の魔術師。これが魔法祓いとかいう物なのだろう、不愉快にも程がある。睨む俺と目が合った女子勇者が、一瞬だけ驚いた様に動きを止めた。それが手助けになったことを祈りつつ、俺は濃い血の匂いがする空気を大きく吸い込む。
「■■■■■ッ!!」
そうして俺は、何事かと訝しむ人間の集団に向け、喉が張り裂ける程の大声で叫んだ。
言ってしまえば、奇襲という攻撃手段を奪われた俺はただの雑魚だ、弱者だ、取るに足らない路傍の石だ。でも奪われたのなら、取り返せば良い。奇襲できる条件を、無理矢理作って整えてしまえばいい。
「ひ、ば、化け物だ!」
「殺せ! どうせ奴らの仲間だぁ!」
「ひぁ、ぁぁぁっ!?」
俺の姿が全身に血を被ったままということも功を奏して、残った勇者の援軍3人は恐慌状態に陥ってくれた。
「待って下さい、その人は!」
あの女子勇者がそんな事を叫んだが、直接的な恐怖はそんなことでは晴れはしない。1人は惨めに武器を放り投げて逃げ出し、1人は弓を乱射して、最後の1人は無防備に魔術の発動準備に入った。それを確認して、右腕から異音を発生させながら驟雨を投擲する。風を切って飛翔した驟雨は、無防備な魔術師に突き刺さった。
「ぐっ……」
しかしそう動きを止めてしまった所為で、左肩に一本弓矢が直撃した。痛みはないが強い衝撃に襲われ、バランスを崩してしまった。ここで転倒すれば、恐らく弓矢に貫かれて死ぬだろう。
自己否定ーー諦めを否定しました
「
なけなしの魔力を振り絞り魔法を行使する。鞭のように跳ね上がった木の根が、弓兵の腕に叩きつけられた。それにより、弓兵の腕が不自然な方向に折れ曲がる。多分骨が折れたのだろう。
それは俺が再び動き出すのに、十二分な時間として反映される。転倒した状態から身を起こし、左脚を暴発させて低姿勢で突撃する。
「ひっ」
そんな短い悲鳴をあげた弓兵に、突き上げるように抜き手を打ち込んだ。そしてそのまま、心臓を握って引き摺り出す。それを咥えて血を吸いながら、再び伸長させた驟雨を手に取る。
「《収納》」
モゾモゾと動いていた魔術師を絶命させつつ、驟雨を元の長さに戻して地面に突き立てる。逃げ出した相手を追いたいところだが、ここらで時間切れだ。取り出したスペアの槍を全力で投げ飛ばす事しか出来ない。
「全員、殺してしまったんですね」
ギペっという声を漏らして、逃げていった奴の背に槍が突き刺さった。同時に槍も破損したようが、仕方がないと割り切ろう。
咥えていた心臓を捨て、睨み返す事で俺は答える。どうせもう手を取り合う事は出来ないし、慣れ合う気もないのだ。回復した魔力を壊れていく身体の再生に回し、驟雨を手に取った。
「欠月諸葉さん、ですよね?」
「それが?」
下手な魔法や魔術は、きっと通じない。ならば出来ることは力押ししかないなのだが、それも今となっては出来るか怪しい。やるしかないとはいえ、強化と再生に魔力を使いすぎている。
「私の名前は──」
「要りません」
自己紹介を始めようとした女子勇者の声を遮って、槍を向けながら俺はそう言った。
「えっ、なんで」
「ここの村を焼いた下手人は貴方達ですよね? なら、殺しますので」
「ここ、魔族の村、なのよ? 化け物の村なのよ!?」
自己否定ーー怒りを否定しました
「男を攫って子供を作るような種族なのよ!?」
自己否定ーー怒りを否定しました
「そんな奴らを殺しても、何も悪いわけないじゃない!」
「事実を知りもせずに、よくもまあそこまで言えるよなお前」
自己否定ーー怒りを否定しました
確かに言っている事は間違っていない。古樹精霊はそういうものだし、彼らは魔族だ。だからといって、実態に触れていない癖に、殺しても咎められない理由になるわけがない。不愉快だ。
「可哀想に……洗脳されてるのね」
「は?」
自己否定ーー困惑を否定しました
そして不意に、そんな事を口にした。
「私がその呪い、解いてあげるから。チートにも八方美人なんて言われてるけど、救われてるんだから!」
チリチリと燃える後頭部の熱に、背を押された様な気がした。
「……もういいです。死んでください」
こうして、終幕の風が吹く戦いが始まった。
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28
「もういいです、死んでください」
その敵対宣言の後、先に攻撃に移ったのは女子勇者だった。こちらが1歩を踏み出すより早く、全くのノーモーションから火球が5つ連続して飛来した。バスケットボール大のそれらは、頭部・胴・腕に1つずつ、足に2つ狙いを定めている。彼我の距離は10mもないので、一瞬でも判断をミスしたら丸焼けになって死ぬだろう。
自己否定ーー焦りを否定しました
「ッ!」
地面に愛槍の石突きを突き立て、念じて伸長させる。二段階に渡り射出された槍に捕まって横移動。即座に槍を元の長さに戻し、全力の疾走を開始する。そうして漸く1歩目を踏み出した時、既に終わりかけている魔術の詠唱が耳に届いた。
「我が敵を射抜け、十字の輝きよ」
ゾワリと、背筋に嫌な予感が走った。急かすような後頭部の熱にも押され、崩れ落ちた家の残骸に槍を突っ込む。
「《収納》!」
そうして床板だったのだろう大きな一枚板を収納した。そのまま疾走を再開しながら、予感に従って愛槍を前に突き出す。それと相手の詠唱が終わりを迎えるのとは、全くと言っていいほど同時だった。
「ーー
「《排出》!」
突き出した槍の先端から、自分の身体を隠すように排出する。そして即座にそれは爆発して砕け散った。目を瞑りその破片を突っ切って加速すると、その向こう側では女子勇者が驚愕した様子でこちらを見ていた。しかしそれはすぐに消え、再び火球が連続して放たれる。雑な狙いのそれをジグザグに走って回避し、魔術の弾幕を掻い潜って1歩1歩確実に進んでいく。
こうしていると、よくある魔術師は接近戦に弱いという話が全てただの想像であったと実感できる。確かに勇者とかいうチートな塊を除けばこんな使い手は少ないと思うが、魔力が尽きない限りどの距離でも戦えるとかおかしいだろう。まず接近させないせいで俺のような近接武器持ちは殺せるし、火力が段違いな上固い防御力を持つため弓兵も厳しい。不条理には不条理をぶつけるんだと言わんばかりの勢いだ。いや、教わった成り立ちからすると正にその通りだったか。
自己否定ーー雑念を否定しました
「チッ」
ほんの少し目の前のことからズレてしまった思考を、チートが無理やり引きずり戻す。間一髪のタイミングで火球を回避し、足の負荷を無視して落ちた速度を最高速に戻す。そうだ、無駄なことを考えたら、問答無用で死ぬのだ。
「私は、ずっと考えてたのよ」
一気に弾幕の密度が増し近づけなくなった俺に、そんな言葉が投げかけられた。
「確かに王都に来たあの日、欠月君の体調は悪いと言って然るべきものだったと思うわ。でも、突然消えたことに対する説明に納得いかなかったの」
「
再び発動されようとした十字光矢なる魔術を、少ない魔力を振り絞って射出した枝で防ぐ。着弾時に即座に爆発……レーザーか何かなのだろうか?
自己否定ーー疑問を否定しました
いや、どうせ魔術だ。地球の法則がどこまで通用するのかは知らないし、気にする意味はない。
「長旅が祟って体調を崩して倒れてしまい、第2王女が引き取った。懸命の治療により体調を回復させたが、階段から転落して死亡。あからさまに怪しすぎるじゃない」
淡々と語りながらも、弾幕の勢いは一切衰えることはない。聞かせようとしてるのか殺そうとしてるのか、そして話の内容からも気持ちの悪い矛盾のような……おかしさを感じる。
「それで、私は色々な文献を読ませてもらったの。そうすると第2王女は、異端だったり常人では近づかない薄気味悪いものに平気で近寄って、何かと理由をつけて自分の物にするっていうじゃない」
いつか、姫様は
俺のような訳ありで隻腕の奴の身柄を引き取ったり、師匠の様に貴族の誰もが爪弾きにする元荒くれ者を近衛にしたり、俺にこちらの世界のアレコレを教えてくれたお婆さんも元は最底辺の奴隷だったらしい。そんな一物を抱えている者たちが、姫様の元には集まっている。故に、世間がつけた渾名は──
「それで、ついた渾名は
そう、そんな渾名がつけられてしまっている。
突如火球から放射型に変わった炎を、後方に大きく跳躍して回避しながらそんな事を考える。着地して息を整え、俺は閉ざしていた口を開く。
「どんな想像ですか」
「そうね。等価交換といったところかしら?」
攻撃が止み、一瞬の静けさが戻った空気の中、そんな的はずれもいいところの発言がされた。はぁ? と首を傾げるが、よほど自信があるのか説明は続く。
「勇者という貴重な存在の身柄を魔族に提供するかわりに、魔族特有の禁忌の技術を輸入する。飛躍した考えになるけれど、きっと第2王女は、それを以って王国を転覆させる気よ!」
過程は完璧に間違っているが、結論として間違っていないのは勇者として補正か何かが働いているのだろうか?
「随分な妄想ですね。流石に飛躍が過ぎますよ」
「そうかしら? 間違ってないと思っていたのだけれど」
「ええ、間違いです。俺がここにいる経緯も、全然違いますし」
姫様の計画、自分自身の身の安全、そしてエウリさん。最初は生きることしか考えられなかったというのに、守るべきものが増えたものだ。
「それなら、真実を教えてはくれないかしら?」
「王様に暗に死ねと言われた。そしてその部下の指示で、死地に送り出された。それだけですよ」
端的に、全ての原因を告げる。色々明言はしていないので、ただの被害妄想で片付けることが出来る様に保険はかけた。そんな曖昧な真実でも、女子勇者を動揺させるには十分だったらしい。
「え、嘘。……違う。ええ、ええ違うわ!」
錯乱しかけた様に見えたが、
「あなたは捕まってから、そう思う様に洗脳されてるのよ! だから私が助けてあげるわ! 《魔法少女》のスキルを持つ私が!」
「都合の良い解釈しかしないんですね」
ある意味、いくつか感情を失っているらしい俺もそうなのかもしれない。そう思うと、されているらしい洗脳と《自己否定》はなんら変わる事がない物なのかもしれない。
そう言って手を差し伸べてくる女子勇者は、自信に満ちた顔をしている。間違っても、断られる事がないと確信している様に。
「そう、分かり合うことはできないのね」
「ですね」
彼女は杖を構え、俺は槍を構える。
戦闘の再開が確定したが、この状況は不味い。遮蔽物もないし、盾とできる物も収納されていない。始まったら、一瞬で勝負は決まるだろう。
「幻よ!」
「
幻覚を左に、自分の身体を右に投げ出す様に転がった。結果、十字の光は幻術の俺を貫き、俺本体の脇腹も大きく抉り取った。
「ガッ……」
軽く転倒しながらも、魔力を回し傷を止血する。イタズラに魔力を消費するより、痛みがないのだからこうした方が合理的だ。
そんな事をしているうちに幻術は破壊され、圧倒的に俺が不利な状況に逆戻りした。そして、今度こそ十字の閃光が胸元で爆発を引き起こした。
「ぇあ、が……」
そうして、どうにもならず俺は家の残骸に叩きつけられた。胸を覆っていた、師匠からのプレゼントであった装甲が砕けて外れた。
「ま、だ」
槍を握る手に満足な力が入らない。疑問に思って下を向けば、から血に濡れた木片が突き出ていた。加えて言えば、足にも折れた木が突き刺さっていた。ああ、満足に動けないわけだ。
そんな無様な姿の俺に近寄った女子勇者が、再び俺に手を差し伸べて言った。
「痛いでしょう。苦しいでしょう。動けないでしょう。それを助けられるのは、私だけよ。だからお願い、どうか私に助けさせて」
「そう、ですね」
確かにそうだ。どこぞの奇妙な冒険漫画ではないが、現実は非情だ。たとえエウリさんが駆けつけてくれようと、この状況は打開できるものではない。
「それじゃあその前に、1つだけ質問をして良いですか?」
「ええ、勿論よ!」
「この村に火をつけてこんなにしたのは、貴方ともう1人でいいんですか?」
「そうよ! こんな村、焼却するに限るわ!」
…………
「でも、それがどうかしたのかしら?」
「そうですね……」
チートで身体に突き刺さった木の破片を《収納》する。手と足に近い場所にあるのだ、効果の範囲内である。
「なら、死ぬのは貴方です」
「この!」
死に体である上ろくに力の入っていない右腕を、魔術の強化によって無理やり振り上げた。濡れた俺の腕ははたき落とされてしまったが、ほぼ伸び放題だった爪が女子勇者の腕に傷を付けた。
「い、あああああああああああ!!!!!??」
そして、女子勇者の絶叫が炎の夜に響き渡った。ああそうだろう、何せ感度が1,000倍だ。ちょっとした傷を負っただけで、普通に発狂してしまう筈だ。
ゆらりと立ち上がりながら、そんな事を考える。思いの外、上手くいった。止血も終えたし、そう、思いの外上手くいった。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
憐れんだりはしない。殺すと決めたし、ここを壊した犯人を許す必要もない。それにそうだな……意趣返しも、悪くないかもしれない。
「痛いでしょう。苦しいでしょう。動けないでしょう。それを助けられるのは、俺だけです」
「ひいっ……」
涙と鼻水で顔をぐしょぐしょにした女子勇者が、地面を這って逃げていく。
……胸糞悪い。こんな事、言うべきではなかった。
「何を、私に、私に何をしたのよ!?」
「そう聞かれて、敵に情報を明かす馬鹿はいませんよ。勇者以外は」
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
多分冷え切った目で俺は言う。胸の中のムカムカは消えないが、少しはマシになった。
「ならどうして、と゛う゛し゛て゛!!」
「最初に、殺すって言ったじゃないですか」
「あくま、あ゛く゛ま゛、貴方は人間じゃない悪魔よ!!」
「そうですね。もう、そうなってるかもしれません」
下手な感情はきっとチートに消される。キメた薬で痛みは感じず、人外の知覚を得ている。だめ押しとして、半分人間ではない。悪魔に成り果てるのも、そう遠くはないのかもしれない。
「この、人殺し!」
「甘んじて受け入れます。それでは」
胸元に槍を突き入れ、収納で抉り取った。これで確実に、命は奪った筈だ。ドサリと倒れた音を聞き、振り返りもせずに立ち去る。
「後、何人だっけ……?」
収納したままだった誰かの部品を咥えて血を吸いながら、そんな事を頭に思い浮かべる。分からない。分からないが、支障はない。
「残るは、勇者1人。それで、解放されるんだ」
そうしたらそう、約束通りエウリさんと話をしよう。初めて、俺が大切にしたいと思えた人。
「待ってろよ鈴森……」
そして少しくらい、甘えても……いいかもしれない。
そんな事を考えながら、槍を持ってフラフラと俺は歩き出した。
チート
《魔法少女》
効果
???
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29 血色の獣
キンキンと、金属音が連続する
幾度となく爆発音が轟く。
気合の声と呪文の詠唱が混ざり合い、更に戦闘の趣を濃くしていく。
「しゃらぁッ!」
「はぁぁッ!」
嵐の様な剣戟と魔術の衝突は、まるで1つの嵐の様な様相を呈している。炎が散らされ、残骸が舞い、されどその中心で起こる戦闘は一層激しさを増していく。
「いい加減、諦めてください!」
「するか阿保が!」
振り下ろされた未だ破損のない直剣を、刃こぼれだらけの木刀で勢いを殺し、折れた木刀で完全に受け流す。そんな体勢から顎を狙ってしなる脚を振り上げ、勇者が回避した場所に婆さんの魔術が襲いかかる。しかし、蹴りは空中で勢いを失い止められ、魔術は魔力の圧で薙ぎ払われてしまった。
交戦直後からこんな千日手、一方的に削り殺されるだけの戦況に腹が立つ。背後の魔術師が消えたお陰で多少はマシになったが、疲労は消えねえしスタミナも底が見えてきた。
だがそれでも、愛弟子とエウリの為に死力を振り絞る。あいつらが逃げ切るまで、悟られずに戦い続ける。2人とも、寿命の残ってないオレとは違って死なせるには惜しい。
「こちとらなぁ、何もしてねぇってのに虐殺されてんだ。諦めて死ぬ馬鹿がどこにいるんだよ人間サマぁ!」
「ぐっ……」
虚空から射出した木杭がナニカに突き刺さり、その空間を侵食する様に枝を伸ばし始める。これは良くないと勇者にも分かったのか、その部分を切除されてしまった。木杭の内側から2回り程小さい木杭が射出されたが、謎の空間に阻まれた。
巫山戯るなと言いたい。なんなんだその出鱈目は。刺突も斬撃も打撃も魔法も魔術も、何でもかんでも防ぎやがる。その癖向こうはなんでもし放題とか、クソすぎる。
「しゃオラァッ!」
全力と遠心力を乗せて斬撃するが、何かに阻まれる。斬った感じ何かの肉みたいだが、わっけわかんねぇ。向こうの後衛がいなくなったのは、その点僥倖としか言いようがない。
「婆さん!」
「分かってるよ。消し飛びな」
「させるか!」
加えて婆さんの魔法も、無茶苦茶な魔力の放出で半分近くは吹き飛ばされる。モロハを除けば初めて勇者を相手にしたが、理不尽にも程がある。これでこの世界に来てから1月とかなんだよクソが。これまでのオレらの努力なんて、勇者サマの前には何の意味もないってか。
「フロックス!」
「わぁってるよ!」
怒りに囚われ無駄に踏み込みかけた1歩が、婆さんの声のお陰で最低限に留まる。折れた木刀を持った左手で打撃するが、それが間違いだった。
「ここにきてかよっ!」
弾かれるのではなく、ズブリとナニカに腕が突き刺さった。生暖かい何かに包まれ、勢いを殺され腕が抜けなくなった。それどころか、圧倒的な力で締め付けられる所為で痛みを発している。
「貰った!」
そして、そんな状態では満足に力は振るえない。よって受け流す間も無く、力任せの剛剣が振り下ろされる。それは明らかにオレを真っ二つにする軌道だ。
いくら魔族と言っても、一部を除き実態は人間とそう変わりはないのだ。斬られれば、刺されれば、撃たれれば死ぬ。なら、どうせ残り少ない命なのだから、使い切ってやろうじゃないか。
「婆さん!」
「あいよ!」
右の木刀で、左の前腕辺りを斬りとばして退避する。そのタイミングで婆さんの治癒と麻酔の魔術がかかった。これでもう左腕は使い物にならないが、時間稼ぎなら片腕でも出来る。
「さあ来いよ勇者! このオレを殺すまで、手前らはこの村から出れねぇと知れ!!」
ぜぇはぁと荒い呼吸を続ける勇者の目が、明らかに苛立った。理由は知んねぇが、気を引きつけられるんならそれで良い。
一瞬だけ戦場が静止し、突撃の寸前ソイツは現れた。
地面から跳ね上がる様な軌道の槍が謎の空間を引き裂き、勇者の腕を軽く掠めた。そして次の瞬間、耳がおかしくなる様な大音量でソイツは叫んだ。
「鈴森ぃぃぃぃッ!!」
全身を赤黒い血で染めた、女の様に華奢な隻腕の人影。濃すぎる血の臭いを纏い、伸び放題な髪の毛から血を滴らせ、榛の目には冷たい殺意とよく分からない何かが渾然と入り乱れている。そして手に持つ槍は、見間違えようもなくオレが鍛えた一品。
「どうして戻って来やがった、モロハァッ!」
突如乱入してきたソイツは、送り出した筈の愛弟子だった。
◇
移動し続ける戦場に追いついた時には、既に戦況は悪い方向に傾いてしまっていた。全員が極めて消耗しているのは良いとして、フロックスさんの左腕が一部存在していなかった。俺の様に丸々全てではないが、あれではもう──
自己否定ーー憤怒を否定しました
色々とあった師の姿を見て激情に囚われかけるが、チートが冷静さを引き戻す。まずはそう、冷静に戦況を分析しろ。未だ存在のバレていない俺ができる最善手を見つけ出せ。
「さあ来いよ勇者! このオレを殺すまで、手前らはこの村から出れねぇと知れ!!」
そんな事を考えている間に、フロックスさんがそんな啖呵を切った。最後まで戦い続ける、そんな意思が見てとれる。それに反応して、ほぼ無傷の鈴森が纏う気配が変わった。
「仕掛けるなら、今か」
そう思って幻術を解除した瞬間、お婆さんと目が合った。すぐに誰にも悟らせない様にか普段通りに戻った様だが、流石にバレてしまった様だ。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー友情を否定しました
冷静さを取り戻し、呼吸を整える。そして、俺は身を低くして疾走を開始した。気配を殺して、真後ろからの突撃。しかし鈴森は、それに対応してきた。直感に従い《収納》し続ける槍が跳ね上がった途端、振り向いた鈴森が全力の回避行動を取ったのだ。それにより腕を掠める事はできたが、斬りとばす事は出来なかった。
「風よーー」
そしてその体勢のまま《変声》の魔術を使用。声の大きさを調整できる限界まで上げ、ある程度持たせられる指方向性を鈴森にフルで向けて叫んだ。
「──────!!」
そして、音が消えた。否、正確には鼓膜が自分の声で破けた。その衝撃で魔術が僅かに乱れてしまったが、フロックスさん達の様子を見るにそこまで声は漏れなかった様だ。
informationーー聴覚が一時的に消失
informationーー再生を提言
壊れた喉と鼓膜に再生の魔術を掛け、驟雨を構え直す。視線の先目と耳から血を流す鈴森は、膝をつき剣を支えにどうにか立ち上がろうとしているが暫く時間は稼げそうだ。
「どうして戻って来やがった、モロハぁッ!」
漸く回復した聴覚に、フロックスさんのそんな怒声が届いた。確かに俺は叱られねばならないだろう。意思を察して、最善手も見つけていたのに戻ってきたのだから。でも、
「こんな事になると知ってて! 放って逃げられる訳ないでしょうが!! それに、好きな人のお願い1つ叶えられなくて、何が男か!!」
自己否定ーー後悔を否定しました
自己否定ーー羞恥心を否定しました
女装がよく似合う様な体つきだが、これでも俺は男なのだ。最善手をなかった事にして手に入れた惚れた女の子のお願い、それを叶えられないのは男じゃない。
「言う様になったじゃないかい。腕はまだまだの様だけどね」
「はは、手厳しいですね」
「私が抑えてるうちに、とっとと方針決めな!」
「はい!」
自己否定ーー慢心を否定しました
お婆さんの声に返答しながら、震える手で何かを飲み込んだ鈴森に対し警戒を続ける。炎に包まれ、凍らされ、暴れる木の根に襲われているが何故か倒せていると確信できないのだ。
「それよりもフロックスさんは、隠れてもらってるエウリさんの所へ。多分兵士は全員殺しましたけど、何があるかわかりませんから」
「なっ、お前エウリ連れて来てんのか! ざっけんじゃねぇぞ!」
「あの場所に置いてくる方が危険でした!」
隣で武器を構えつつ怒鳴ったフロックスさんに、俺も怒鳴り返す。事実、あの場所にエウリさんを置いてくる事ほど怖い事はない。何があるか全く予想出来ないのは致命的すぎる。
「チッ、何処だ」
「多分移動してると思うので、お店のあった通り沿いの何処かです」
エウリさんの事だ、きっと誰かを助けたりする為に動いているだろう。まだ逃げ遅れた人は沢山いる筈なのだから。
「婆さんがいるから大丈夫だとは思うけどよ、あいつ、相当ずりぃぞ。チートって言ったか? それがバケモンだ」
「大丈夫ですよ、フロックスさん。俺だってあいつの同類、捨てられたとはいえ勇者ですから」
「ははっ、それもそうだな……なら、任せた」
「任されます」
優しく俺の肩を叩き、フロックスさんは風切り音を残して去って行った。これで、エウリさんの安全は確約された様なものだ。俺も、心置きなく戦える。
タイミングよく、魔術の絨毯爆撃が内側から爆ぜた。その中心にいるのは、勿論鈴森。しかし先程までと違って無傷ではなく、ボロボロと言える様な姿にまで追い込まれている。
「医者として言っておくけどね、それに頼りすぎたら、死ぬよ」
「承知してます。でも、今は死ぬ気で行かないとですから」
荒い息のまま、鈴森が突進してくる。その速度は軽く俺を超え、質量的にも負けているので正面から衝突したら押し負けるだろう。
「作戦は?」
「正面突破!」
だけど、それではいけないのだ。微かに残る記憶の中鈴森が自慢していたチートの名前は《肉の壁》。効果のほどはよく分からないが、圧殺という文字が頭に浮かぶ。変に小細工を弄したら、戦車の如くそれを悉く轢き潰してくる事だろう。ならば、正面からやりあった方が勝率が高い。
「ぜぁぁッ!!」
槍では、未熟で非力な俺の腕では断ち切られる。そう判断して、仕舞った槍の代わりに逆手で引き抜いた短剣で迎撃する。激しい金属音と共に双方の武器が衝突し、お互いの顔が認識できる距離まで接近した。
そこまでして漸く、鈴森は俺の正体に気がついた様だった。全霊の力を込めながら、困惑の色が強い声で話しかけられる。
「なんで、欠月がそっちにいる!」
「愛ですよ」
「今は、巫山戯てる場合じゃないんだよ!」
「真実なんだけど、ね!」
いきなり増大した鈴森の力をまともに受ける必要もないので、受け流し左肩を通過させてバランスを崩す。そこに反撃を入れようとしたが、何か弾力のあるものが胴体に直撃し吹き飛ばされてしまった。
「お婆さん!」
「言われずとも」
体勢を整える俺の目の前で、氷の塊が鈴森に直撃した。覗き見していた耐久性をみるに、さしてダメージにはなっていないだろうが今は有り難い。
先程の生暖かいその温度とダルンとした感触。あれを例えるならばそう、人肌だ。それも中年の腹の様な皮下脂肪タップリな感じの。そこまでくれば、名前を知っていることもありあいつのチートは察することができる。
「らぁッ!」
そんな気合の声と共に、内側から氷塊が爆散した。息こそ荒れているが、それ以外の負傷は回復した鈴森が姿を現した。再生の魔術、敵に回すと果てしなく面倒だ。だが、対処する手段がない訳でもない。
「さて、第2ラウンドといこうぜ鈴森」
鈴森のチートのカラクリは、大方名前の通り肉の壁を作るものだろう。それも多分透明な。意味不明な斥力とやらではないなら俺のチートで突破出来る。そして、一撃でも与えたら俺の勝ちだ。
そうして双方が武器を構え、決戦の火蓋が切って落とされた。
チート
《肉の壁》
効果
空気・音・光は通す重さのない肉の壁を纏う
任意にパージと再発生が可能
厚さは30cmで保有者のみ壁を無視できる
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30
まるで示し合わせたかのように、俺と鈴森は同時に地を蹴った。
激突までの数秒間、思索を巡らせる。
力、鈴森が優位
速さ、俺が優位
武術、不明
魔術、鈴森が優位
チート、鈴森が優位
鈴森を例えるならば重戦車で、俺は1歩兵。正攻法での押し潰しに対して、一芸特化。双方チートが初見殺しで、スタミナの消費も変わりないが俺の方が先に尽きるだろう。幾らお婆さんがいるとはいえ、そこに変わりはない。だが、
「はぁッ!」
「負ける気は、しないな!」
斜めに振り下ろされ袈裟の閃を描く鈴森の剣を、十字を重ねる軌道で弾く。衝撃で腕が痺れるが問題ない、今のである程度は把握した。
逸らす。逸らす。逸らす逸らす逸らす逸らす逸らす。
刃と刃が激突し、火花が散り、けれど1つも直撃がないように全てを受け流す。体を捻り、込める力の強弱を使い分け、師匠たちと比べたら稚拙もいいところの剣を全て、逸らして流していく。
「なんで、当たらない!?」
「お前より、何倍も上手い師匠がいるんでね!」
確かに当たれば斬れる、触れれば壊れる剛剣だが、技術は俺よりないように感じる。それならば、師匠たちに扱かれた俺にとっては、逸らすだけならどうとでもなる。
「ク、ソ、がぁぁぁッ!」
1分なのか10分なのか分からないが、それを繰り返すうちに鈴森に限界がきたらしかった。
俺を防御こと打ち砕こうとしたのか、剣を両手持ちで、大上段に振りかぶる。普通なら隙だらけな構えだが、チートのせいでそれは中和され必殺へと昇華されている。その打ち下ろしは、間違いなく戦局を左右する一閃なのであろう。
だからこそ、崩す事に価値がある。
「《収納》」
打ち上げ衝突させた短剣ごと鈴森の剣を《収納》する。それだけで、鈴森は思いっきりバランスを崩した。上半身が流れ、まるで首を差し出すかの様に。
「
再び手の中に排出した短剣と、魔法で地面から生やした木杭で挟撃する。チートとはいえ、纏っているのはあくまで分厚い肉。フロックスさんが実践していた様に、斬れるし刺さるし焼けはするのだ。再生するだけで。
「《排ゴッ──!?」
そして挟撃が完成する直前、鈴森の腕が出鱈目に振るわれた。俺に直撃したそれは圧倒的な幅とパワーで、こちらの骨を砕き空中に吹き飛ばした。どうしようもないまま回転して空中を飛ばされ、2、3度バウンドして地面に叩きつけられた。
自己否定ーー混乱を否定しました
「ごほっ、ぇほっ」
三肢に精一杯の力を込め立ち上がるが、咳き込んだ口から血が溢れた。吐血ということは、結構重症な気がする。
お婆さんがかけてくれる俺よりも数段上の治癒魔術のお陰で、十二分な回復は得られるがそれは即座にではない。結果、遅々として進まない回復は、痛みこそないがが行動に支障をきたす。そんな状態で追撃されたらどうなるか?
「ぬんッ!」
「ッ!」
当然、逃げることしかできない。
実力が上の万全の相手に対し、一芸特化が負傷を負ってる状態で挑むのは愚策もいいところだ。得物は奪い、仕込みもした。だがそんな小細工では倒せないからこそ、強者と呼ばれるのだ。何から何まで上手く嵌らないと磨り潰される、一芸特化の雑魚とは違うのだ。
「ちょこまかと!」
「それしかできないもんでね!」
振り下ろされる拳を避け、時に回り込んで斬撃するがやはり攻撃が通らない。そのまま攻撃を受ければどうなるかは、ひび割れた地面が証明している。かといって短剣を手放せば、俺の技量では即座に武器が砕かれるのは明白。奪った直剣では、使い慣れない分その可能性は益々高まる。
「はぁ……はぁ……」
「最初の威勢はどうした欠月!」
そして、迎撃ではなく回避を続け反撃までしていれば、自ずとスタミナは削られていく。それは、ここまで走り続け戦闘を続けてきた俺にとって致命的なことだ。
自己否定ーー頭痛を否定しました
自己否定ーー眠気を否定しました
自己否定ーー吐き気を否定しました
それに、頭が痛い。眠気が鎌首を
「そらそらぁッ!」
「ふっ……」
息を荒く吐き、最低限の動きで回避しながら切り刻んでいく。その度に俺の速度ば下がり、反比例する様に鈴森の速度は加速していく。
「ははっ、剣を取られたのは予想外だが、さっきから
「いやだ、ね!」
拳を躱し、跳ね上げ振り下ろし横に薙いで連続して剣閃を刻んでいく。その浅い傷はすぐになかったことにされている様だが、これでいい。大きく後ろに飛び、お婆さんに合図を送る。
「婆使いの荒いこったね!」
「はぁ、はぁ、ぇほっけほっ」
鈴森を炎が包み、その隙に荒くなった息を整える。後どれくらいで、仕込みが完全に効果を発揮するのだろうか。仕込みが気づかれてはいないだろうか。
自己否定ーー悲観を否定しました
そうだ、悲観的な考えを持っている場合ではない。任せてもらった以上、やらねばならないのだ。残り少ない血袋のストックを吸い捨てながら、息も切れ切れにお婆さんに質問する。
「お婆さん、血を増やす魔法とか魔術ってありません?」
「あるにはあるが、今すぐは無理さね。私がミスして死にたいならしてやるが、どうだい?」
「はは、遠慮します」
言って駄目元だったが、結局意味がなかった。このままやるしかないらしい。弱者らしく、精一杯足掻いてやろうじゃないか。
「邪魔だァ!」
そう叫び炎の中から飛び出してきた鈴森に、再び斬撃を重ねる。その際至近で状態を確認する。炎に曝されたにしては汗もなく、火傷も焦げもない。その割に音も光も通過しているし、恐らく空気もある程度シャットしつつ通過している。という事は、鈴森のチートはある程度は予想通りという事だ。
「お前とは、良い友達に……というか、テンプレ知ってるお前なら回避出来てるかもとは思ったんだけど、な!」
「お前が何言ってるのか、全く分かんねえよ!」
最大速度からの急制動。時にその逆を起こして錯覚を誘導し、体力の代わりに回避率を上げていく。そこに直線だけでなく曲線の動きも加え、無駄な足掻きをしている様に見せて時間を稼ぐ。さっきの発言からして、もうすぐのはずだ。
「……カハッ!?」
自己否定ーー混乱を否定しました
だが、終わりは唐突に訪れた。
吸い込んだ空気が熱い。忘れそうになっているが、あくまで俺は火災の中で斬り合っているのだ。かけてもらっていた魔術が消えれば、満足に息をすることすら怪しくなる。
そして何より、魔術が途切れたということはエウリさんに何かがあったということ。その二重の出来事が、動き続けていた俺の足を止めてしまった。
「捕らえたぞ!」
「しまっ──」
正面からの打撃が直撃し、軽く意識が飛んだ。だが、燃え盛る壁に衝突した衝撃で意識が回復する。
自己否定ーー混乱を否定しました
「──!」
耳に届いた誰かの声に従い立ち上がろうとした瞬間、浮遊感が訪れた。どうやら胸倉を掴んで持ち上げられているらしい。右腕を動かそうとしたところ、もう一方の手ではたき落とされてしまった。
「念のため、聞いておく。投降する気はあるか?」
そう問いかけてくる鈴森の向こう側に、何故か魔術や魔法を使おうとしないお婆さんの姿が見えた。
自己否定ーー██は既に消去されています
理解はできないが、助けが来ないのは理解できた。だけどまあ、ここをここまで壊した挙句大勢を傷つけた鈴森を許すことは不可能だ。だから言わなければならない。
「あるわけないだろ、ばーか」
声を出す事すらキツイが、無理やりに言葉を作る。そして欠けた奥歯を鈴森の顔面に向けて
「そうか、ならサヨナラだな」
痛みに露骨に顔を顰めた鈴森が、そんなことを言い放った。だけど、十分に仕込みが成功したことが証明された。
自己否定ーー慢心を否定しました
だからこそ、油断も慢心もなく反撃といこう。満身創痍だが、どうせ痛覚は無い。勝てば官軍の精神でやってやろうじゃないか。
「なあ鈴森。同郷なんだから、最後に一言くらい言わせてくれないか?」
「辞世の句か? いいぞ、3分くらいは待ってやるよ」
そうだ、もう時間は残っていないのだ。何があったのかは知らないけれど、エウリさんを助けに行かないといけない。絶対に、何があっても絶対にだ。
それらしく目を瞑り、最低限息を吸い込んで呪文を紡いだ。
「光よーー!」
目を瞑った俺の目の前で、ストロボのフラッシュを何倍にもしたかの様な閃光が弾けた。
「──ぁぁああああッ!?!?!?」
そして鈴森が絶叫し、俺の胸元を掴んでいた手を離した。目を閉じていた俺でさえも右目の視界は効かないのだ、気化した感覚を敏感にさせる毒薬を吸い込み続けていた鈴森には相当堪えるだろう。
鈴森のチートは物理現象の大体を遮断していたようだが、空気も光も音も貫通していた。ならば、それを利用するだけのことだ。斬撃の度に僅かずつ《排出》して壁の中に打ち込んでいた劇薬を、火事や魔法の熱で気化させ摂取させる。その作戦が、漸く十分な意味を発揮した。
「風よーー」
左の魔力だけが見える目で視界を確保しながら、魔力を練って魔術を発動させる。……と言っても、魔力の塊である人が白い影として認識できるくらいだが。ぶっちゃけ地形などは、魔力がぐちゃぐちゃに流れてるせいで全く確認できない。
まあそれはいいとして、同じく過敏になっている鈴森の聴覚に、魔術で調節した超高音の爆音を叩きつけた。
「お婆さん!」
「なるほどね。あの馬鹿みたいな戦い方は、これが理由かね!」
魔力が流れ、白い何かが厳重に鈴森の四肢や胴を拘束した。再生する《肉の壁》を締め付け断裂させ、その白い何かは遂に本来の肉体を完全に拘束した。
同時にかけてくれた回復魔術が身体を癒す。未だ致命傷すれすれだが、触ってみた感じこれは木の根らしい。
「《排出》」
鈴森に半ば馬乗り状態になり、久方ぶりに愛槍を手に取った。しかし穂先は普段と逆にし、ブヨブヨした肉の塊にいつでも突き刺さる様に待機する。
自己否定ーー友情を否定しました
「ま、待ってくれ欠月!」
「《収納》」
振り上げた愛槍を、思いっきり振り下ろした。チートにより突き刺した部分の《肉の壁》が消失し、穂先が何か硬いものにぶつかった。ああ、そういえばこいつ鎧なんか着てたっけ。
自己否定ーー友情を否定しました
「さっき俺は待ってやっただろ!」
「《収納》」
再度、振り上げた愛槍を思いっきり振り下ろす。チートにより、今度は槍に接触した鎧が収納された。
自己否定ーー友情を否定しました
そのことになんの感慨を抱くこともなく、もう一度槍を振り上げる。
informationーー度重なる要請を確認
informationーー友情の感情を否定しました
ぽっかりと、心の中から何かが消え去った。同時に、鈴森に対する感情が一気に冷めた。嗚呼、なんで俺はこんな奴なんかと問答していたんだろうか。馬鹿じゃないのか。
「待っ──」
「《収納》」
ゴッソリと、恐らく心臓辺りの肉を抉り取った。
「《収納》」
首元。
「《収納》《収納》《収納》《収納》」
「もう止めな」
そして四肢を《収納》した辺りで、肩にお婆さんの手が置かれた。同時に、息が楽になる。多分、魔術を掛け直して貰えたのだろう。
「それ以上やったら、人の道から外れることになるさね。只でさえ、もう人様に見せられる顔をしてないよ」
「そうですかね?」
そう言った自分の声は、予想以上に震えていた。まだ右目では何も見えないが、きっとそれを指摘されたのだろう。更に、湿気を感じて拭ってみれば涙が流れていた。確かに、見せられる顔はしていないか。
「まあ、別にいいです。俺のことなんて。エウリさんを、助けに行かないと」
「そんな身体じゃ無茶さね。傷は治してやれるが、もう限界だろう?」
まだやれる。
そう答えようとした矢先の事だった。
「
「防ぎな!」
何条もの細く青白い閃光が、辺り一帯を蹂躙した。
因みにお婆さんは魔術の発動妨害と火災の延焼拡大防止と主人公のサポートをしてるので、働いてないわけじゃないです。
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31 チート
咄嗟に展開した魔法の花による防壁と、お婆さんが展開した魔術の結界、その表面を数条の光線が焼き払った。直後、光線の照射された先が全て大爆発を引き起こした。
自己否定ーー精神疲労を否定しました
自己否定ーー疲労感を否定しました
意識を覆ってた霞が晴らされ、意識が戦闘モードに移行する。
重い身体を相槍を支えに立ち上がらせ、一度深呼吸をして呼吸を整える。そうして警戒を再開させた俺の耳に、バキバキという木材が砕ける音と、ブゥゥゥンという得体の知れない不気味な音が届いた。そしてその音は、段々こちらに近づいてきている。そしてその原因は、数秒もせずに目の前に現れた。
「死になさい、魔族!」
「ざっけんな!」
ふりふりとした装飾の追加された高校の制服を身に纏い、光を伴って空を飛ぶ女子勇者が例の光条を乱射する。そしてそれをフロックスさんが片腕で捌きつづけている。その背には、血で赤く染まった左肩を押さえ苦悶の表情を浮かべるエウリさんの姿があった。
自己否定ーー激情を否定しました
自己否定ーー憤怒を否定しました
自己否定ーー激怒を否定しました
自己否定ーー怒りを否定しました
「待ちなモロハ!」
お婆さんの制止も、チートによる沈静化も感情が張り切った。
際限なく溢れ出る激情のままに、地面に平行に身を倒し落ちるような疾走を開始した。
「
自分の体の耐久度を度外視した強化で走りつつ、魔法で生み出した蔦を動きの鈍い三肢に巻きつける。そして、自分の動きの上から追加で力を加えて叩きつける。
「
裸足だった両脚を覆った蔦が一部硬化しグリップを発揮して、地面からせり上がった木の根を駆け上る力をくれた。そうして飛び出した空中、そこには狙い通り女子勇者の姿がある。だがその顔は情けないものではなく、寧ろ何かに目覚めたかの様な覚悟が決まった
「マジカル・シュートォ!」
「
左肩部から咲かせた大輪の白い花が魔法としての防壁となり、光条を防いで爆発した。そして散る花弁の中を突っ切って、俺は無理やりの突撃をかました。
「もっぺん死ね!」
そうして叫びを上げて、全霊の力を込めた愛槍を横に薙いで斬撃した。
《サセナイヨ》
恐らく俺の最高の一撃は、しかし光って喋る何かに阻まれた。白く発光する握り拳程度の球。それから展開された精緻な紋様が描かれた陣が、斬撃を完璧に受け止めていた。
種別としては魔術の防壁だろうか? よく分からないナニカが斬撃を殺しきり、結果打撃へと置換した。殺傷力を殺した一撃にされ、受け止められていた。
「《収納》! らぁっ!」
気合い一閃。馬鹿力でそのまま愛槍を振り抜いた。切断が出来なくても、チートで《収納》が出来なくても、力押しは通用する。余裕綽々といった様子の女子勇者に、殺意をぶつけて地面に叩き落とした。
「伸びろ!」
反動で回転する体の動きを、射出した石突きで後方の根を打撃して停止させる。同時に逆手に無理やり持ち替え、しなる柄と射出の反動を利用して墜落させた女子勇者を穿つべく追撃する。
《ムダダヨ》
しかしこれも、謎の障壁に阻まれた。穂先と陣が火花を散らして数秒拮抗したが、敢え無く弾かれてしまった。そしてその衝撃で、俺自身も軽く吹き飛ばされ地面を転がった。
「ッ、クソ」
悪態を吐きながら、長さを戻した愛槍を支えに立ち上がる。そんな俺の隣に、フロックスさんが並び立った。その背にはエウリさんの姿はなく、血の跡だけが残っている。
隙になるとは分かっているが振り向いて確認すると、エウリさんはお婆さんに背負われてぐったりとしていた。
「おいモロハ。あいつ、倒したんじゃなかったのかよ」
「確かに心臓を抉ったはずです」
その時の感触も、女子勇者の苦痛の叫びも何もかもが頭にこびりついている。それを間違えるはずもない。なのになぜ蘇っている? チートか? いや、魔法少女の名前からしてそんな能力があるはずが……
「そんなの、簡単よ」
そんなこちらの疑問に答えるかのように、瓦礫が吹き飛ぶ中から声が届いた。
「魔法少女はね、負けたとしても覚醒するのよ!」
そして、女子勇者が高らかに宣言すると共に左目の視界が真っ白に染まった。否、それは莫大な魔力を映しただけのもの。現に右眼でも、光る粒子が瓦礫の中に収束していく光景が見える。
「チッ!」
「
「吹き飛びなさい!」
後方からお婆さんによる結界が展開され、フロックスさんが俺の作り出した根を斬り落とし壁として、俺が更にそこから幾多もの花を咲かせて防壁を展開し──
「マズっ」
それら全てを焼き尽くす極太の光条が全員を灼いたのだった。
◇
「あ……れ?」
鼻を擽る何かの焼け焦げた匂いに、私は意識を取り戻した。気を失う前は、確かみんなを逃がそうとしていたはず。けど確か、女の勇者が……
《テキセイハンノウ、ショウメツ。カッタヨ、カッタヨ》
疑問を浮かべたまま起き上がった私の目に映し出さたのは、凄惨な光景だった。
光の球を従えた女子勇者から自分の手前まで、大きく地面が抉れている。
その溝の先頭には、至る所を炭化させ仰向けに倒れている人影。左腕の肘から先がないが、頭に僅かに残った小さな赤い花からフロックスさんだと判別出来た。
その次に倒れているのは、見覚えのある老体。ただでさえ生気の枯れてきていたお婆様が、力を使い果たしたかのように地に沈んでいた。
そして目の前に、槍を地面に突き立て膝をついたモロハさんの姿があった。
「モロハさ……え?」
何があったのかは分からない。だからこそ、自分を気にかけてくれていた男の子に手を伸ばし──なんの抵抗もなくその身体が、バタンと地面に倒れた。
よく注視してみれば分かった筈だ。
3人とも、生きていれば必ず発せられる魔力の波動が全くない事に。地面の跡から、夥しい量の魔力の残滓が感じ取れる事に。私ただ1人だけが、不思議なほど怪我を負っていない事に。
「アハ、アッハハハハハヒ! あーおっかしい!!」
呆然とする私の耳に、そんな嗤い声が届いた。
「私たちの英雄が、そんなゴミ屑を庇って死ぬなんてね。とんだ笑いものよ!!」
お腹を抱えて馬鹿みたいに笑う、憎たらしいけど可愛い衣装を纏った勇者。私の肩を撃ち抜いた勇者が、全てを馬鹿にする笑いをぶちまけていた。
「みんなを、みんなを、馬鹿にするなーー!!」
立ち上がった私は、人語ではなく私達の言葉で叫んだ。そうして、限界まで魔法を使い勇者に攻撃する。どうせにげても追いつかれる、だったら隙だらけの今なら!!
《ムダダヨ、テキエイホソク》
紛れもなく全力全開、私の全てをかけた攻撃は全て呆気なく防がれた。喋るよく分からない光の球が、よく分からない魔術障壁を展開し、何もかも防いでしまった。
木の根も、枝も、幹も、毒液も、毒花粉も、葉っぱも、全てが弾かれ地に落ちた。隙なんて、最初からなかったのだ。どうとでもこちらを料理できるから気にしてすらいなかっただけなのだ。
「あら、まだ羽虫が1匹残っていたのね?」
「お願い!!」
無造作に放たれた光条は、私が必死に展開した5枚の花の防壁を軽く貫通して、容赦無く私を撃ち抜いた。
「ぁ、い、あぁぁッ!?」
左肩に続き、今度は右の太もも。傷口は焼け焦げているからか血は流れず、けれどどうしようもない痛みが全身を駆け巡った。口から悲鳴が漏れ、地面に倒れ込んでしまう。
「そういえば、欠月君にされた事をやり返してなかったわね」
細い光条が、左の太ももに小さな5つの穴を開けた。身体を丸めて、杖を抱えてどうにか逃げ出そうとして──
「毒なんて小賢しい真似使って!」
握っていた杖が爆発した。破片が飛んで、腕や胸から血が流れる。目に血が入って来て片方の視界が効かなくなった。
「あんたの大切なもの、ぐっちゃぐちゃにしてやるわ! アハハハハハッ!!」
それでもなんとか立ち上がろうとして、踏み出した足の甲が撃ち抜かれた。再び地面に倒れ込んで、左肩を強打してまた苦悶の声を上げてしまう。
「ねえ、どんな気持ち?」
涙と痛みで声も出せず倒れる私の胸ぐらを掴み、目を合わせられてそんな問いが投げかけられた。
「守られてただけで、自分を守ってくれてた人たちを殺して、自分も何も出来ずに殺されるのってどんな気持ちぃ!?」
「ぇぐ、ぐす」
反抗したいのに、勇者の言葉に言い返すことが出来なかった。実際にそうだし、情けない。さっきだって、怒りのままに攻撃しなかったら、もしかしたら逃げられたかもしれない。
「何泣いてんのよ!」
尋常じゃなく強い力で、地面に叩きつけられた。肺から空気が吐き出され、地面にバウンドした勢いで私は転がっていく。けれどすぐに、何かにぶつかって私の動きは止まった。
「……ぁ」
私の動きを止めたのは、物言わぬ亡骸となったモロハさんだった。未だに槍を握り続けてるその姿を見て、再び涙が滲み出てくる。
「ごめん、なさ、い」
私がモロハさんの最初に言ってた通りにしたら、2人だけは生き残れたのかもしれない。なのに私が無理を言ったから、みんなが死ぬ事になってしまったのかもしれない。だけど私にはもう、謝ることしか出来ないのだ。
「ごめ、なさぃ」
口を開くたびに胸が痛い。心が痛い。
折角助けてもらった命を捨て石にして、馬鹿なんて言葉じゃ足りないほど私は馬鹿だ。溢れる涙をどうすることもできず、すすり泣く私の耳に絶望の足音が届く。
「そんなに申し訳ないなら、これで殺してあげるわ」
そう言って引き抜いたモロハさんの槍を、勇者が大上段に振りかぶった。あの槍は、元々上物だった槍をフロックスさんが改造したオーダーメイドの傑作だ。あれならば、恐らく私なんて簡単に両断する事が出来るだろう。
「これで、終わりよ!!」
そうして勢いよく槍が振り下ろされる。その穂先の鈍い鋼の光を見て、私は目を閉じたのだった。
チート
《魔法少女》
効果
寿命を消費して変身
変身中1回死亡無効
ピンチ時覚醒
サポーター召喚
魔術適性超強化
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32 チートⅡ
本日2話目
informationーー宿主に深刻な傷害を確認
informationーー生存確率計算中
informationーー確定 : 生存確率0%
informationーー状況打開策の検討開始
informationーー検討中
informationーー打開可能案を1つ確認
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
・
・
・
自己否定ーー判定に失敗しました
informationーー実行には練度が圧倒的に不足中
informationーー代案検索中
informationーー発見
informationーー宿主の承認が必需
自己否定ーー却下判定
informationーー承認
informationーー宿主不在の為強制実行を開始
なんだ、これは。
自己否定ーー右耳の聴覚を昇華しました
自己否定ーー左耳の聴覚を一部昇華しました
自己否定ーー左眼の物理視覚を昇華しました
自己否定ーー味覚を一部昇華しました
自己否定ーー左腕の霊体を昇華しました
自己否定ーー左腕の再生余地を昇華しました
なんなのだ、これは。自分の意思を外れて、干渉できる限界ラインだったものを軽々と踏み越えてチートが稼働している。
目が閉じられているのか、真っ黒な視界に文字だけが延々と流れて、意味が叩き込まれて訳がわからない。気持ちが悪い。██。
自己否定ーー██の感情は既に消去されています
informationーー宿主の意識のサルベージが完了
informationーー作業の継続を提言
自己否定ーー弓術の才能を昇華しました
自己否定ーー弩術の才能を昇華しました
自己否定ーー剣術の才能を昇華しました
自己否定ーー刀術の才能を昇華しました
自己否定ーー鞭術の才能を昇華しました
ドクンと、心臓が脈打った。文字列が増えれば増えていくほど、自分の身体に熱い火が灯されていく。
自己否定ーー鎌術の才能を昇華しました
自己否定ーー銃術の才能を昇華しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー燃焼回路が解放されました
その真っ赤な文字を見た途端、自分の中の本能が全力で警鐘を鳴らした。それを使ってはいけない。それを使わせてはいけない。それは止まっていないとダメなものだ。
そんな俺の声なき絶叫を置き去りにして、チートは淡々と作業をこなすように文字列を綴っていく。
燃焼回路ーーHello world
燃焼回路ーー起動完了
燃焼回路ーー動作を開始します
informationーー本人意識不明瞭の為自動承認
informationーー██、██、██を装填
燃焼回路ーー了解
燃焼回路ーー3つの感情を焼却します
ジリ、と後頭部が灼熱の実感を生じさせた。それを皮切りに、全身に炎が回ったかの様な痛みが駆け巡る。
燃焼回路ーー焼却率2%
燃焼回路ーー焼却率4%
・
・
・
燃焼回路ーー焼却率30%
informationーー必要エネルギーの確保が完了
informationーー宿主の蘇生を実行します
全身を炎に包まれる如き激痛の中、更に電力が直接流されたかの様な痛みが襲いかかってきた。この時ばかりは、不思議と声も涙も出ない状況に感謝する。もしそれが出来ていたのならば、狂って自殺に走りかねなかっただろうから。
「カハッ」
止まっていた身体が活動を再開し、全身を血流が駆け巡る。
視界に色彩が加わり、耳に音が届き始める。正確には『左耳にのみ違和感を伴って』と頭に付くのだが。
だがそんな事はどうだっていい。何せ耳に届いた音の方が、よっぽど俺にとっては重要だったのだから。
「これで、終わりよ!!」
泣いている
そこまで条件が整えば、何が起きようとしているのかは容易に予想することができる。
燃焼回路ーー2%のエネルギーを充填
「《収納》!」
何故か青い炎を纏う腕一本で身体を跳ね上げ、チートの発動を叫びながら全力で虚空に蹴りを叩き込んだ。瞬間、振り下ろされる愛槍と脚が接触し、槍が収納された。
燃焼回路ーー3%のエネルギーを充填
「なっ!?」
「
このまま足を振り下ろして態勢を整える場合、エウリさんに直撃してしまう。そう判断して、魔法で生み出した根を踏みつけて回転運動を止めた。
「《排出》!」
強化を再開し、炎を纏う脚で速度を乗せて、掴み取った驟雨を捻りを入れながら突き込んだ。いつだったか師匠に教わった、槍として最大威力の攻撃だ。槍よりは薙刀に近い驟雨だが、それでも威力は折り紙つきだ。
《ムダダヨ──アッ》
またも現れた光の球が張る障壁が突きを防ぎ、しかし大きなヒビが刻まれ女子勇者は吹き飛ばされた。
informationーー宿主の再起動が完了しました
自己否定ーーinformationの越権を否定しました
燃焼回路ーー焼却率50%
追撃はせず、文字列を見ながら息を整える。心臓の音が五月蝿い、荒い息が五月蝿い、炎の弾ける音が五月蝿い。けど、生きている。まだ生きている。
「エウリさん。まだ、生きてますか?」
「モロハ、さん?」
酷く掠れた涙声だったけど、エウリさんもまだ生きている。フロックスさんとお婆さんに関しては知らないが──
自己否定ーー希望的観測を否定しました
恐らく、ダメだろう。だけど今は割り切らねばならない。悲しみも慟哭も後悔も、割り切らねばまた死ぬだけだから。
「酷なことを言います。エウリさん、どうにかして下がってください。俺じゃ、貴女を守れません」
既に、俺は一度殺された身だ。元々思ってもなかったが、そんな奴が守るなんて言葉を発していた筈もない。
「でも、どこ、に?」
「溝の中が1番かと」
そう言ってから、大怪我をしている中下に降りるのは苦行だと気がついた。
「《排出》」
溝の淵から底あたりにまで、排出したスペアの槍でスロープを掛けた。刃の部分は完全に地面に埋まっているから、滑って降りることに問題はない。
エウリさんに目で合図をして、俺は一歩を踏み出した。
「なんで、なんで貴方が生きてるのよッ!?」
「どの口が!!」
燃焼回路ーーエネルギーを5%充填
次瞬放たれた光条を、青い炎の軌跡を残した斬撃が斬り払った。何故だかは知らないけれど、この青い炎は何にでも使える気がする。
燃焼回路ーー焼却率80%
燃焼回路ーーエネルギーを5%充填
強化された脚が青い炎を纏い、恐るべき速度を叩き出した。そして、残り距離が僅かになった時漸く女子勇者が動いた。
「クヴィ、お願い」
《リョウカイ、リョウカイ》
クヴィというらしい例の光る球が、3枚もの障壁を展開した。そしてその奥で、女子勇者が何か詠唱を開始したようだ。その顔には理解出来ない表情と、焦りが張り付いている。
燃焼回路ーーエネルギーを15%充填
「邪魔、だぁぁぁッ!!」
激しく燃え盛る青い炎を纏う愛槍が、障壁を全て撃ち抜いた。そして穂先は、光る球体を完璧に貫いていた。
燃焼回路ーーエネルギーを10%充填
「砕けろ」
《アッ──》
穂先から青い炎が噴き出し、光の球を蹂躙した。光が翳り、青い炎が内から漏れ、最終的には爆散した。アレだけ猛威を振るったバケモノの、呆気ない最後がそれだった。
「クヴィ!? よくも!」
自分のことは棚に上げてふざけるなと言いたいが、グッとこらえて息を整える。しくじったら、顔向けが出来ない。千載一遇のチャンスを無駄にするなんて、あってはならない!
燃焼回路ーー焼却率95%
燃焼回路ーーエネルギーを5%充填
「シッ」
短く息を漏らす音のみを残し、炎を纏う脚で地面を蹴る。だが、そんな心の乱れが足を引っ張った。光る粒子が女子勇者に収束する。恐らくこれは、つい先程俺を殺した技。3人がかりで止めて漸くだった莫大な魔力による砲撃。
燃焼回路ーー焼却率100%
燃焼回路ーー焼却が完了しました
燃焼回路ーー焼却を停止します
それが発射される直前、赤い文字か現れた全身が脱力した。無理やり言語化するならば、心に何も残っていない虚無の空間が生じたような感じだ。しかも、2度と治ることがないことが直感出来た。
informationーー焼却により虚無が出現
informationーー人格崩壊の可能性大
informationーー精神補填候補検索開始
informationーー既に×××××の魂の融合を確認
informationーー阿頼耶識よりダウンロード開始
「デコン、ポーザーッ!」
文字列の乱舞の中、白い光が迫る。こんな脱力しきった状態では、またも無駄に死ぬだけ。そう感じる俺の頭に、突如情報の激流が襲いかかってきた。
自己否定ーー×××××の人格を否定しました
informationーー主人格を確定しました
informationーーフィードバックが完了しました
見知らぬ
聞いたこともない言葉。
見たこともない景色。
見知らぬ人影。
行った記憶のない修行。
戦ったことのない強敵。
覚えた記憶のない感情。
経験したことのない終わり。
だけどその中に、槍を扱う技術があった。俺なんかとは比べ物にならない程高い練度で、鍛え上げられた技がそこにはあった。俺とは逆だが、その隻腕の英雄が持つ技は迫る光なんかよりもよっぽど眩しい。
焼却回路ーー25%のエネルギーを充填
1人の英雄が生涯をかけて生み出した技を再現できるだなんて、恥ずかしくて言うことはできない。けれど、効果を僅かでも発揮する真似事なら出来る。勇者という才能の塊らしく、生きている俺ならば不可能ではない。
一度払えば1つの軍が壊滅した、記憶の中にしかない絶技。×××××なる英雄が至った1つの境地。魔力と槍術が組み合わさったその技の名を、無理やり現代語に当てはめるならば──
「村雨」
地面から掬い上げる様に槍を振りつつ、その名前を口にした瞬間のことだった。魔力が不自然な動きで流れ、追随する様に青い炎が噴き出していく。
『魔術とは、力ある言葉によって世界に語りかけ、己の内にある力を起点に力を行使する術よ』
いつか姫様から教わった言葉が頭に浮かんだ。
そんな中でもまるで染みついているかの様に身体は勝手に動き、槍は振り抜かれた。本命は斬撃ではなく、その軌道に生まれる霧の様な白。前方に拡散し触れたもの全てを切り刻む筈のそれは、何故か青い炎として現出した。
頭に疑問符が浮かぶが、感じる圧は本物だ。
ならばと気を引き締め直した直後、白の爆光と青の炎が激突した。
チート
《自己否定》
効果
・自己の否定
【解放1】内的害の否定・information
【解放2】任意発動・範囲&強度強化
【解放3】燃焼回路(激痛を伴い、任意の感情とそれに連なる記憶を完全焼却してエネルギーへと転換)
【備考】燃焼回路で感情を焼却した場合、人格の崩壊を引き起こす可能性が極めて高い。それ故、他人の魂を何処かから呼び寄せ取り込み否定して魂を補填する。
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33 チートⅢ
衝突した光と炎が削りあいを始めた直後、魔力を振り絞る俺は気がついた。気がついてしまった。この一瞬での火力は互角だが、すぐに押し切られてしまう。
自己否定ーー動揺を否定しました
理由は単純に、魔力の総量の差だ。向こうが多く、こちらが少ない。たったそれだけの単純な話。消耗具合だチートの差だ才能の差だ言い訳はできるが、どうあってもこちらの力が足りていない。
或いは、俺がこの技を再現しきることが出来ていたのならば話はまた違っただろう。多く見積もって1割程度の再現率ではなく、せめて3割あれば魔力の砲撃を斬滅……いや、俺の場合は焼き尽くせた筈だ。
だがそんな後悔も後の祭り。現実は犬死にでしかない。犠牲を払って蘇って、ただ僅かな時間を稼いだだけの出来損ないでしかない。
自己否定ーー諦めを否定しました
けれど、今俺が諦めていい訳がない。後ろにエウリさんがいて、お婆さんがいて、フロックスさんがいる現状で投げ出していい訳がない。
であれば、俺が取れる手段はただ1つ。もう一度、
「燃焼回路、起ど──」
『待つがいい、我が眷属よ』
チートを起動する直前、突如頭にそんな声が響いた。抵抗出来ない訳ではないが、その言葉は何故か胸にストンと落ちてチートを使うのを止めてしまった。
『随分と懐かしい技に、初々しい気持ちも観させてもろうた。故に、業腹じゃろうが許せ。仕留めさせてもらうぞ?』
そんな宣言が頭に響いた瞬間、今まで村雨と拮抗していた魔力砲撃がグラリと揺らいだ。そして段々と光の出力は低下し、青い炎に焼却されてゆく。そして最後に、小さな火の粉を残して2つの技は相殺された。
「……ッ、ハァ、ハァ……げほっ、ゴホッ」
膝をつき、倒れそうになる身体を愛槍で支え、荒い息を整える。霞む視界の中、女子勇者がいた筈の場所をどうにか睨みつける。しかしそこに女子勇者の姿はなく、代わりに赤黒い何かが撒き散らされたクレーターと、その中心に暗赤色の長い棒が突き立っていた。
自己否定ーー魅了を否定しました
否、それは棒ではなく槍。しかも、見るだけで意識が吸い込まれそうになる恐ろしい槍だった。チートが否定してくれなかったら、取り込まれていたと直感できる。
「やはり、我が槍による魅了も弾くか」
そんな音を響かせつつ、槍の隣に血煙が湧き出した。濃度を指数関数的に倍増させながら、その血煙は人型を取り圧を増していく。それに空からコウモリの群れが群がって、1人の魔族が姿を現した。
「ファビ、オラ!」
自己否定ーー激情を否定しました
立ち上がろうと力を込めた足が、自己否定と共に折れて体勢が崩れた。そして同時に咳き込んだ口から血が溢れる。思った以上に、体にガタがきているらしい。
自己否定ーー疲労感を否定しました
だが、チートがそれを誤魔化してくれた。救援と見ていいのだろうが、安心はできない。そういう警戒を込めて睨みつけつつ、万が一の為の覚悟も決めておく。
漸く危機を乗り越えたのに、ここで潰されるなんてのは許容出来ない。そう覚悟すると、不思議と体にある程度の力が戻ってくる。
「くふ、反骨心はあるようじゃのう。そのまま聞くがよい」
魔術回路を再起動し、全身に強化を回す。これで最低限のアクションは起こせるはずだ。
「今回は、純粋に知己の救援に来ただけじゃ。そうかっかするでないわ。儂を不遜にも呼び出したのは、他でもないモロハであろう?」
「実際に来るとは、思ってませんでしたけどね」
使える手は何でも使うつもりで呼び出したが、応じて来てくれるとは思っていなかった。来ても精々、冷やかしだろうとも。だから、俺としては保険程度にしか──いや、正直に言えば呼び出したこと自体忘れていた。
「呵々、不敬よな。儂を誰と心得える」
息が苦しくなる程のプレッシャーが放たれ、嫌な汗が全身から噴き出した。奥歯を噛み締めてそれに耐え、声を無理やり絞り出す。
「親身にしてくれたお婆さんの、婆友ですかね」
「なんじゃ、その評価は。儂はまだピッチピチじゃ!」
「ガッ……」
ファビオラが地団駄を踏み、その衝撃で支えにしていた槍ごと俺の身体は空を舞った。そして地面を転がり、女子勇者の砲撃で抉れた地面の淵にまで来てしまった。
思わず出た咳と共に血が吐き出され、薬のドーピングが切れてきたのか全身に鈍い痛みが僅かに戻ってきた。
「無様よな」
それは今の自分の行動に対してなのか、それとも今の俺の状態に対してなのか。前者の考えを巡らせた時に凍える殺意を感じたので、後者ということにしておく。
「名誉の負傷って、やつですよ」
「よくもまあ吠えるのう」
精一杯の嫌味を口にしたが、年季の違いかなんとも思われてはいない様だった。そのことに内心舌打ちしつつ立ち上がろうとする俺を見て、ニヤリと笑みを浮かべてファビオラはある言葉を口にした。
「じゃが、あまり儂ばかりを構う訳にもいくまい。ほれ、そこの3人が死にかけてるではないか」
「──ッ!」
自己否定ーー動揺を否定しました
その言葉に、ゾッと血の気が引いた。その怖気に後押しされて、限界を超えた身体に鞭を打って自身のスペア槍で作ったスロープを滑り降りる。
「失礼します」
溝の壁に背を預けるエウリさんには、既に意識がない様だった。一言謝ってから首筋に手を当てると、脈こそあるものの弱い気がした。魔力が薄れ漸く戻った左の視界で見れば、確実に魔力が弱まっていくのが確認できた。
更に、確認したお婆さんの魔力は無い同然まで弱まっており、フロックスさんも同様の状態だった。
「癒しよーー」
自己否定ーー想像を否定しました
チートによって雑念が振り払われ、動揺することなく魔術を行使することが出来た。しかし、翳した手のひらから放たれ、エウリさんの全身を覆う光は酷く弱々しい。魔力を振り絞っても、俺ではエウリさん1人の怪我を治す事すら出来ない様だった。
自分の少ない魔力量が恨めしい。拙い技量が怨めしい。チートなんかに頼らざるを得ない自分に、本当に反吐が出る。
「燃焼回路、起動!」
燃焼回路ーー起動完了
informationーー蓄積された否定を装填
燃焼回路ーー変換効率 : 悪
informationーー効率は検討外
informationーー即座のエネルギーを要求
燃焼回路ーー了解
燃焼回路ーー蓄積否定分の感情を焼却します
「あ、が、ぐぅゥ……」
体が内側から焼き尽くされる激痛に耐え、チートが発動し終わるのを待つ。あくまで細かな感情であるお陰か、自分の中の何かが焼け落ちる感覚がないことに僅かに安堵も出来る。その余裕が、千切れ飛びそうになる正気をどうにか保っていた。
燃焼回路ーー焼却が完了しました
燃焼回路ーー焼却を終了します
燃焼回路ーー100%のエネルギーを充填
「癒しよ!」
ほぼ底をついた魔力の代わりに青い炎が溢れ、薄く広がりエウリさんを覆って行く。先程までの苛烈さとは打って変わって、この炎は熱いよりも暖かい感じだ。そしてそれが傷口に集まり、僅かな跡も残さず再生させて行く。
「ほう、その
自己否定ーー緊張を否定しました
耳元で呟かれたそんな声を無視して、チート魔術を行使する。マジマジと観察されているが、それは仕方のないことだと割り切った。どうせ今の俺では、指先1つであしらわれるだけなのは目に見えているのだから。
「確か、『恋は盲目』であったかの?」
「意味が違いますよ」
笑うファビオラを無視し魔術を使い続け、チートによるブーストが途切れた時にはエウリさんの傷は全て塞がっていた。あくまで、見える範囲ではあるが。
「見事なものよの、ちーととは。やはり我らの常識を容易く覆しよる」
「ズルとか不正行為って、意味ですからね!」
この発言からして、エウリさんの危機は去ったということだろう。口は言わないけど、安心させてもらったことに感謝する。
首を振ってその気持ちを振り払い、お婆さん達の方に向かおうとした時のことだった。指鳴りの音が聞こえ、体の動きが金縛りにあったかの様に止まってしまった。
「何、を!」
「『何を』か。決まっておろう? 汝の無謀を止めただけじゃ」
威圧感を纏い、こちらを見るファビオラがそんなことを口にした。
「先程の炎、己の何かを捧げて力を得る類の力と見た。じゃが、今の貴様では己全てを薪にしたところで、あの2人は救えぬよ。まるで対価として釣り合わぬ故な」
つまり、諦めて絶望しろとでも言うのだろうか。それとも、今回は残念だったが次は頑張れとでも? そんなのは受け入れられない。そんな、エウリさんが悲しむ様なことは──
「自分が死ぬことが、あの女子を悲しませるとは考えんのかえ?」
「成る程。心、読めるんですね」
自己否定ーー動揺を否定しました
ならば話は早い。そんな事、一度たりとも考えたことはなかった。確かに少しは悲しませるかもしれないが、それはあの2人が死ぬよりは圧倒的に小さなものの筈だ。
「戯けが。確かに悲しみは、汝の想像通りの大きさであろうよ。じゃがな、汝が代価として犠牲になったと知れば、罪悪感と後悔で容易く狂おうぞ。心という物の弱さは、他ならぬ汝が知っておろう?」
確かにそうだ。人の心なんて、容易く壊れてしまう。【自己否定】なんてチートが作用している以上、それは分かりきっている。俺が
「なら、どうしろって言うんですか!」
「簡単なことよ」
怒りを込めて睨みつける俺を楽しげに見つめつつ、槍を持ったファビオラが言い放った。
「儂に助けを乞うが良い。さすれば、力を貸してやろうではないか」
そして、俺にかけられていた拘束が解除された。
正直、不愉快極まるがやるしかない。助けとして呼んだ時に、そう決めた筈だ。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
こういう時、本当にこのチートはありがたい。作られた平静の精神で膝をつき、助命の嘆願を口にしようとした時のことだった。
「いいえ、貴方がそんな事をする必要はないわ」
そんな、聞こえるはずのない声が耳に届いた。
早急に槍を掴み振り向いて、エウリさんを庇うように立つ。そうして見上げた先には、血塗れの女子勇者が光を携え浮遊していたのだった。
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34 チートⅣ
「いいえ、貴方がそんな事をする必要はないわ」
見上げた先に浮遊するのは、ファビオラに殺された筈の女子勇者。全身が血に濡れているが、確実に生きている。そしてこちらを見下ろす事数秒、裂ける様な笑みを浮かべて叫んだ。
「だって魔族は全員、私が殺すからねぇぇぇっ!!」
《コロコロ、コロコロ》《コロコロ、コロコロ》
しかも、ただでさえ厄介だったクヴィとやらが、2体に増えている。どうしようもないその現実に、逃走手段を探し始めた時だった。
「なんじゃ、五月蝿い虫じゃのう」
「ピギュッ」
ファビオラが女子勇者に手を向け、軽く拳を握った。それだけで、女子勇者が空中で潰れた。2つの光の球ごと、なんの誇張もなく、ぐしゃりと潰れて血と肉片に骨が飛び散った。
「ふむ、これで」
「マだ、ヨ」
ファビオラの言葉を遮り、酷く濁った声が聞こえた。その声の元は、たった今地面に落ちた肉塊。正確には、肉塊の内側から生えている肌色の腕。
「マダ、まだヨ魔族ゥゥゥ!!」
右腕が生え、左腕が生え、そこから身体を引きずり出す様にして女子勇者が再生した。全身グッショリと血に濡れて、血の滴る服を纏ったその姿はどこか自分と重なった。
自己否定ーー既視感を否定しました
「煩わしいわ!」
声と共に風が吹き抜け、女子勇者が賽の目上に切断された。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
流石にこみ上げる吐き気を、チートが否定した。だが、幾らなんでもこれを見て平静でいられる程俺は人を辞めてない。
「まダ、ょ……まダ、よ」
「ちっ、不死身系のちーととやらか」
ファビオラが舌打ちし、露骨に嫌そうな顔をした。そしてこちらを見て、冷めた目で呟く。
「これが、力を履き違えた勇者の末路よ。汝は、努このようになるでないぞ」
「ハッ」
その事に対し、俺は鼻で笑って対応する。俺のチートは、そんなに都合の良い力じゃない。頼り続けたら、きっとそんな事を考える自分すら無くなる。
「自覚があるなら良い」
「魔族ぅぅ!!」
「貴様は狗とでも遊んでおれ」
「ひぎぅ!?」
飛翔して飛び掛かってきた女子勇者に、ファビオラの影から飛び出した巨大な金色の獣が食らいついた。背中に数多の剣の様な物が生えたその狼は、女子勇者が再生する度に食らいついて動きを止めている。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「では、約定を果たそうぞ」
女子勇者の悲鳴と肉の咀嚼音をBGMに、どこからか現れた銀色の狼の背に腰掛けたファビオラからそんな言葉が投げかけられた。
「どちらを生かし、どちらを殺すか。儂の関係など考慮せず、正直に選ぶがよい。それとも、儂の提案を蹴りどちらも殺すかえ? その場合、そこな
「ぐっ……」
どの提案も、正直地獄を見ることは明らかだ。どちらか片方を望もうが、諦めようが俺は非難の対象となる。けれど諦めると、それも非難の対象となる。
だがこれは全て、全て全て、力が及ばなかった自分の罪だ。受け入れねばならないし、逃げ出してはならないし、目を背けてもいけない。背負い続けねばならない十字架だ。
「どうした? 最早時間は残されておらぬぞ?」
例えばフロックスさんを選んだとしよう。その場合予想されるのは『なんでオレを助けた』という返答。俺に教えてくれたのが嘘でなければ、フロックスさんの命は残り5年。『オレより婆さんを選ぶのが正解だっただろうよ』と言われて関係が途切れておかしくない。
例えばお婆さんを選んだとしよう。その場合も予想されるのは『よくもまあ、老い先短い私なんかを選んだね』という苦言。確実に関係は悪くなるだろうし、この場合も俺と
「寿命の心配はせんでよい。どちらも人間並みの寿命は保証するぞえ」
全体が崩れ去る。そうなると、反応の予測が出来ない。ただ分かるのは、この機会を不意にしてはいけないということ。
なら、どっちを望む? 俺の心情は? 復活した片方の心情は? エウリさんの気持ちは? どちらを選んだ方が、傷跡を残さない?
自己否定ーー焦燥感を否定しました
自己否定ーー吐き気を否定しました
そんな保身に走った考えを、チートが否定した。同時に冷静にさせられた頭が回る言葉で再び白熱していく。ぐるぐる、ぐるぐると言葉が回り、気持ちが混ざり、頭が混沌とし吐き気となって排出される。
「残り3分」
加えて時間制限がそれを加速させる。こんな時、エウリさんが起きていてくれれば。そう思うも、こんな事を背負わせられるかと即座に否定する。
そうだ。ある意味、そう考える事だった出来るのだ。ならば、俺の一存で選ぶことだって──
「逃げるのかえ?」
その言葉に、直前まで巡らせていた考えを否定する。
そうだ、これでは逃げだ。エウリさんを言い訳に、自分の行為を正当化しているだけだ。それでは駄目だ、駄目なのだ。けれど、それならばどうする? どうするのが正解だ?
「残り2分」
考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。考えろ。どうすればいい? 何が正解だ? どれを選べば良い? 嫌だ。無理だ。違う、それは言っては駄目だ。だけどやっぱり無理だ。
俺みたいな平和ボケしていたガキに、誰かの一生を背負うなんてことは重すぎる。自分のことさえ背負いきれずに捨てているのに、そんな重荷は耐えられない。
「残り1分」
頭を抱え蹲り、もう嫌だと目を瞑った時、ドクンと
半吸血鬼だからだろうか、なんとなくその考えがわかるのだ。まるで、『自分なんかを』とでも言いたげな気持ちが伝わってくる。自分はそれで良いとしても、なんだかそれは酷く不愉快だった。俺がそれを口にする権利がないとわかっていても、覆しようのない気持ちだった。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「締めじゃ。疾く決めよ」
「フロックスさんを、お願いします」
跪き今俺が出来る最大限の気持ちを込めて頭を下げる。しかしそんな俺の頭を、脚が踏みつけ地面へと縛り付けた。そして、グリグリと靴の底が擦り付けられた。
「よかろ。往け、鳥よ」
そんな状態のまま、ファビオラが何かを呼び出した。チラリと見えたのは、橙の炎を纏った鳥。倒れるフロックスさんに止まったその鳥は、炎を散らして消えていく。
だが、この状態が納得いかない。なぜ要求通りにしたと言うのに、こんな事をさせられねばならないのか。
「これは自らを尊重せぬ者への罰じゃ。不服と思うのであれば改善するのじゃな。我が眷属に、その様な思想の者は不要であるぞ」
別に俺はあんたの眷属じゃない。そう声を大にして言いたいが、助けてもらった以上口を出すことができない。生殺与奪を握られてる様な状況で、そんな無謀は許されない。
「よく分かっておるではないか。思案は自由故、考えは許そうではないか」
「それはそれは、どうやら寛大な心をお持ちになられておりますようで」
「この状況で、よくそうも口が回るのう」
自己否定ーー雑念を否定しました
そうこちらを嘲る様な口調で言い、軽く俺を蹴り飛ばした。なす術もなく転がされて見上げる先で、銀狼の背からファビオラが立ち上がる。
「くくっ、考えるのをやめたか。よい、それでこそ勇者じゃ。そこな紛い物と違うてな」
こちらを一瞥しファビオラが向かう先には、うぞうぞと蠢く肉塊が存在している。再生する度金狼に食い千切られるそれこそが、名も知らぬ女子勇者の成れの果てだ。
その歩みを進める途中で、ふとファビオラが動きを止めた。そして目を細め、とても小さな声で呟いた。
「そうか、それがヌシの考えか。ナーヌスラ」
そして目を伏せ、次の瞬間に巨大な狼たちは血の煙へと分解されファビオラの影に消えていった。訳もわからず見続ける俺を見て、ファビオラが言う。
「このまま去ろうと思っておったが、先達として汝に1つ知恵を授けてやろうぞ」
「はい?」
そんな突然の言葉に呆然としているうちに、ファビオラは片腕で肉塊を掴み上げた。最初の頃と違い再生速度が極めて下がった肉塊を、冷めた目で見つめながら諭すようにファビオラが言う。
「汝は食事としての吸血しか出来ぬようであったからな。魔法としての吸血を、儂自らが実演してやろう」
笑みを浮かべるファビオラがそう言った途端、魔力が動き蠢く肉塊を取り囲んだ。所々楔の様に鋭い形をした魔力が肉塊に突き刺さり、元が人であったことを考えると非常に……見ていて気持ちが悪い。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「
そんな単語が聞こえた瞬間、掴まれていた肉塊は即座に干物の様になってしまった。しかし俺の左眼には、莫大な魔力の流れがファビオラに向かって動きているのか確認できる。
「これが……」
「そうじゃ、これが魔法としての吸血。接触した相手の何もかもを吸い取る、吸血鬼として基本の魔法じゃ。まあ、儂ほど巧みな者はおらぬがな」
ポイと手に持った何分の1にも小さくなってしまった肉塊を放り投げ、恍惚とした笑みを浮かべてファビオラは続ける。
「この魔法はな、汝ら勇者のちーとすら我が身に宿すのじゃ。相性や許容限界はあるがの」
「この、チートめ」
「よく言われるわ」
今になってお婆さんの言っていた、吸血鬼は最弱だが最強だという言葉の意味がわかった。どう考えても、勝ち目が見えない。どうやら真実らしいこの言葉は、ファビオラが100を超えるチートを所持しているという事を証明しているに他ならないからだ。
「では、これからも儂を飽きさせるでないぞ? モロハよ。でなければ、汝を生かした意味がない故な」
「死なないように、善処します」
それしか俺に言うことはできない。何せ明日の我が身も分からないこの状況、下手な約束を結ぶのは間違いだ。
「良い。では今は眠るがよい」
そうファビオラがこちらに手を向けた瞬間、抗い難い強烈な眠気が俺を襲った。
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
「援軍は磨り潰す故、安心するとよい。決して自己を見失うでないぞ? 哀れな神の傀儡よ」
最後に何か聞こえた気がしたが、チートでも対抗しきれなかった俺は意識を保つ事が出来ず聞き取る事が出来なかったのだった。
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35 チートⅤ
「……ハ……」
どこか、遠くから声が聞こえる。
「モロ……ん」
声は酷く聞こえにくいが、その声は確かに誰かを呼んでいた。
「バッカ……じゃ…ぇ、男…………な──」
今度は別の声がして、直後に衝撃が訪れた。そのまま体は転がり、何かにぶつかって動きを止めた。それがきっかけとなって、奥底に落ちかけていた意識が浮上する。
「く、ぁ……ぎ」
開いた目が、眩しい太陽の光に眩んだ。寝起きの脳が酸素を求めて欠伸をさせ、日光に焼かれる痛みがその行動を中断させた。まだ右目は見えないが、左目には朧げに人の様な姿が見て取れた。
「エウリさん?」
そう発した自分の声が酷く遠い。ああ、そういえば耳がダメになったんだったっけ。でも体が痛い。幸いながらこのままでも魔法も魔術も使えるし……
「力よーー」
一先ず優先するのは聴力の回復。そう判断して魔術回路を起動、強化の魔術を駆動させる。対象は左耳だけ。それでも、会話はちゃんと聞き取れる様にはなってくれた。
「あんなおこしかた、ひどいですフロックスさん!」
「ばーか、男はあんくらいでいいんだよ。ほら、現に起きたじゃねぇか」
痛みと眩しさに耐えて起き上がり、開いた目に映った光景に思わず涙が滲んだ。場所は変わらず、復興も何もない焼け落ちた村の跡。それも激戦のせいで、至る所がボロボロに崩れて抉れている。そんな中で、2人の女性が話している。俺の起こし方に抗議する無傷のエウリさん。そんなエウリさんをどうどうと宥める、左の肘から先がない以外傷のないフロックスさん。
その姿を見て、気を失う直前までの記憶が鮮明に蘇ってきた。
「ぅ、あ……」
自己否定ーー悲しみを否定しますか?
チートに拒否の意思を叩きつける。この感情は、決して消してはいけないものだ。
けれど声は押し殺す。透明と薄い赤に染まった涙は拭う。そうしていると、心配してくれたのかエウリさんが駆け寄ってきた。
「モロハさん!? だいじょうぶ……じゃないですよね。やっぱり、フロックスさんのけりが──」
「そうじゃ、ないです」
エウリさんの言葉を即座に否定する。
別に痛みは、チートと気合いで耐えられるからどうでもいいのだ。けれど安心は、気合いでもチートでも耐えられない。どれだけ警戒して遠ざけても、スルリと心に入り込んで居座るのだ。そして心を、どうしようもなく軋ませる、
「そうじゃ、ないんです……」
そしてその隙間から、責任が染み込んでくる。本来、ここに居たはずの1人を救えなかった……いや、助けなかった。俺はそのことで非難されて然るべきで、できることをやりきれずに生き残っていて……
「ごめんなさい」
エウリさんがなにかを言うよりも早く、口をついて出たのはそんな言葉だった。何のことか分からないと思われる可能性もあるが、頭を下げた。
「本当に、ごめんなさい」
エウリさんに嫌われる覚悟をしてでも強行すれば、もしかしたらこんな惨状を見せることにはならなかったかもしれない。俺にもっと技術があれば、勇者を全員暗殺地味な方法で倒せたかもしれない。俺にもっと自分を捨てる覚悟があれば、お婆さんを死なせることはなかったかもしれない。
たらればの話ばかりが頭を巡って、ありえたかもしれない未来が思い浮かぶ度に心が悲鳴をあげる。
自己否定ーー狂気を否定しました
心が壊れることを許されず、冷静に駆動する頭がIFの未来を綴り続け、心を削り傷つけて行く。ある意味これが、末路なのかもしれない。
「ったく、何泣いてんだよ」
そんな俺の頭が、無理やり上げさせられた。歪む視界の中では、ヤンキー座りのフロックスさんがこちらを覗き込んでいた。
呆然とする俺の頭を乱暴にガシガシと撫で、少し困ったような表情でフロックスさんが言った。
「色々と無駄に背追い込み過ぎだっつーの。確かにオレも言いてぇ事は色々あるけどよ、今は負け戦から生還したってことでいいじゃねえか」
「でも、無駄に俺は……痛っ」
俺が言葉を続ける前に、デコピンが額に直撃した。思わず額を抑えると、叱るように言葉が続けられる。
「あのなぁ、そもそもオレ達はお前とエウリを逃がすために死ぬつもりだったんだぞ?」
「でも、俺にもっと力があれば」
「高々10年とちょいしか生きてない奴が、思い上がってんじゃねえよ」
カラカラと笑うその姿は、引っ込んでいた涙を呼び起こさせるのには充分過ぎて。
「これじゃあ話が進まねえよな……まあ、泣くなってはもう言わねえよ。けどそれなら」
「きゃっ」
立ち尽くしていたエウリさんの背を、フロックスさんが軽く叩いた。当然体勢が崩れたエウリさんは俺に向かって倒れ、強化を回す時間もなく押し倒される格好になった。それは当然、涙でぐちゃぐちゃになった顔を思い人に、至近距離で見られるということで……
「見ないで、ください」
急に込み上げてきた恥ずかしさに、思わず手で顔を覆う。息がかかるほどの至近距離は、流石に毒が過ぎる。そもそも俺は未だに血みどろの姿だ。多分乾ききってはいないだろうし、汚してしまうのは本望じゃない。
「あ、その、退きます、ね」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
それだからだろうか、エウリさんに退いてもらうまで俺は身動き1つ取ることが出来なかった。チートが否定した事により涙も弱まり、感情が平常運転に戻っていく。
「んだよ、折角お膳立てしたんだから、もうちょっとなあ」
「そう簡単に、泣きついたりはしませんよ」
「そうかよ。じゃ、オレはお暇しますよっと」
そうしてフロックスさんは、どこかへ歩いて行ってしまった。ヒラヒラと手を振って、暫く戻って来る様子はなさそうだ。
◇
「ま、オレは邪魔者だろうし」
極めて小さくそんな言葉を呟き、フロックスさんは去っていってしまった。結果残ったのは、気まずい雰囲気の私と諸刃さんのみ。
「「えっと」」
そんな空気を何とかしようと口を開いたけれど、ものの見事に諸刃さんとタイミングが被ってしまった。これじゃ、話が進められない。
「それじゃあ、エウリさんからお願いします」
全ての感情が消え失せたような、何かを押し殺した様な顔で諸刃さんが言った。時折諸刃さんが見せるこの表情は、ちょっとだけ怖い。だけど私は、こうなってしまう理由を知っている。だから、ちょっとだけ優しくしてあげることは出来ると思う。
「そう、ですね」
でも、それ以外にもう1つだけ理由がある。
「さっき諸刃さんは、あやまってました。けど、それは私もです」
「それは、どういう?」
「私、諸刃さんのきおく、すこしだけだけど、みちゃいましたから」
諸刃さんのわからないといった表情が、一気に驚愕に変わった。他人に自分の記憶を見られたなんて言ったら、普通そうなってしまうのは私にだって分かる。
「それは、いつですか?」
「きのうの夜、青い炎につつまれたときに」
全身が痛くて、おかしくなりそうで、気が遠くなって、もうダメだと思ったあの時。暖かい炎が私を包んで傷を癒していく中、記憶が流れ込んで来た。
決してそれは楽しいものではなくて、辛さや苦しさや恥ずかしさばかりだった。いつも冷静で、超然としていて、何を考えているのかわからない様な事もあった諸刃さんが、それで私と何ら変わらない事に気付いた。そうなってしまえば、無下に扱うなんてできるはずもない。
「あー……アレですか。すみません、見てて不快になるものでしたよね、きっと。俺からはもう、消えちゃってますけど」
「たしかに、みててつらく、なりました」
「すみません」
私がそう素直に言うと、苦しそうな顔で諸刃さんは頭を下げた。
「でも、べつにいやじゃなかったんですよ」
「なんで、ですか?」
「諸刃さんのことが、すこしだけでも、わかったからです」
確かに見ていて辛かった。記憶から痛みも襲ってきた。それでも、人となりがちゃんと分かったということはとても嬉しかったのだ。それに、人族の言葉も少しだけ上手くなった。
「私、ほんとうは諸刃さんのこと、こわかったんですよ?」
人間なのに私に優しくしてくれて、助けてくれて、守ってくれる。そんな物語の主人公みたいな人。私たちを攫おうとする奴らと違って悪い人じゃないのは分かっていたけれど、それでも少し怖かった。
「そうですか……いえ、ですよね。俺みたいな得体の知れない奴」
「でも、いまはだいじょうぶです。ほんとうに、よくがんばりましたね」
そう私は笑顔で言うと、片方しかない目を見開いて、諸刃さんはポロポロと涙を零し始めた。さっきを除き今までそんな姿を見たことはなく、本当に限界ギリギリだったのだろうということが分かる。
これで私が伝えたかったことは言い切った。だから──
「諸刃さん、ちょっとこっちに」
そう手招きして、近寄ってきた諸刃さんを引っ張った。そして、少し恥ずかしいけれど膝枕をしてあげた。涙が溜まって潤んだ目が、驚愕の色を湛えて私を見る。
「つぎは、諸刃さんのばんですよ。やくそくどおり、ぐちでもなんでもいってください」
諸刃さんの頭を軽く撫でながら、優しく私はそう言った。ちょっとチクチクするけれど、これくらいはしてあげようと思う。
「血で、汚れちゃいます」
「そんなの、私もちだらけ、ですから」
「は、はは……」
そんな乾いた声を漏らして、涙の流れる目を隠して諸刃さんは語り始めた。
「俺は実質、お婆さんを殺したみたいなものなんです。
敵の強さを読み間違えて、自分の強さを履き違えて、エウリさん以外自分も死なせてしまったし、無茶をしてもお婆さんは助けられなかった」
「はい」
「それなのに心配してもらって、そんなことをしてもらえる立場じゃないのにしてもらって。非難されて、軽蔑されて、そう思ってたのに全然なくて。安心したけど苦しくて」
相槌を打ちながら、ただただその話を聞いていく。私には共感することは出来ないけど、話すだけで悩みや辛さは少し軽くなる。だから今は、全部吐き出してもらおうと思う。
「戦いの『た』の字すら知らない様な奴に、人の一生を背負うなんて重過ぎるんですよ……自分のだって背負いきれてないのに、そんなの無理に決まってるじゃないですか……」
「腕がなくなって、目が見えなくなって、耳が聞こえなくなって。それでも、それでも戦えって言うんですよ。諦めるなって言うんですよ。お前ならできるって、背中を押されるんですよ。勇気も何ももうないのに、薬で無理やり誤魔化してるのに、それでもって言うんですよ」
「誰かに頼るとそこに災いが齎されて、自分にも被害が来て、誰かを支えにすればその人が大怪我をして。俺に、これ以上なにを望むんですか。どうしろって言うんですか、もう分かんない、分かんないですよぉ……」
涙でぐしゃぐしゃな声が静かに響き、焼け落ちた村に響いていく。鳥の鳴き声すらしない朝の空気の中、そんな優しく時間だけが過ぎて行った。
年中最後!!
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登場人物紹介
能力の判定
F : 見習い(一般的な大人)
E : 未熟(鍛えた大人)
D : 玄人(新兵)
C : 熟練
B : 人の限界
A : 英雄、勇者の類
S : それ以上の何か
EX : 正か負の方向に測定不能
==============================
性別 : 男
年齢 : 17
種族 : 人間→
筋力 : F(最高B)
耐久 : F→D(最高B)
敏捷 : F(最高B)
魔力 : F→C
技術 : D
幸運 : EX(マイナス)
使用可能魔術 : 5つ
使用可能魔法 : 植物を操る・恐怖を操る
主武装 : 驟雨(薙刀に近い槍)
副武装 : 無骨な片刃の短剣(不壊付与)
【チート】
《亜空間収納》
殺傷性 : B 防御性 : -- 維持性 : S
操作性 : F 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
自分の手足に保持している指定したもの、もしくは手足の先から半径30cm内の指定したモノを亜空間に収納する。取り出し可能。任意発動。
収納容量は2×2×2mの立方体。無機物及び生命活動を行なっていない生命体は収納可能だが、生きている生物は収納不可能。生きている生物を指定に発動した場合、直結30cmを球状に抉り取る。また収納した瞬間、微生物は死滅して排出される。
《自己否定》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : -- 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : --
自己の一時的、又は永久的な否定。自動発動
【解放1】内的害の否定・information追加
【解放2】任意発動・範囲&強度強化
【解放3】燃焼回路(激痛を伴い、任意の感情とそれに連なる記憶を完全焼却してエネルギーへと転換)追加
※ 燃焼回路で感情を焼却した場合、人格の崩壊を引き起こす可能性が極めて高い。それ故、他人の魂を何処かから呼び寄せ取り込み否定して魂を補填する。
※2 燃焼回路で生み出された青炎を浴びた者は、稀に薪となった感情を吸収し体験することがある。
==============================
一応今作の主人公。かなり華奢で、女装をすれば女性に見えるくらいの体格だった。元々は黒髪だったが一部が緋色に変色、目も焦げ茶から榛色に変色している。現状左腕が肩口から消失、左腕の再生余地が消失、左目が消失、右の聴力が消失、左の聴力が低下し、味覚が鈍っている。更にチートの代償として、恐怖・躊躇・友情の感情が消去焼却されている。
使用可能な魔術は、強化・閃光・変声・再生・幻術の5つ。自分の体の負担を度外視で使用しているだけで、実はそこまで練度は高くない。使用可能魔法は古樹精霊の植物を操る魔法だけ。吸血鬼の魔法は、吸血以外使用することができない。
==============================
マルガレーテ・リット・イシスガナ
性別 : 女
年齢 : 19
種族 : 人族
筋力 : F(最高A)
耐久 : F(最高A)
敏捷 : F(最高A)
魔力 : S
技術 : A
幸運 : B
使用可能魔術 : 無数
主武装 : 宝珠の杖
副武装 : なし
【チート】
《昇華》
殺傷性 : E 防御性 : -- 維持性 : C
操作性 : F 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
自身を中心に半径5m以内にあるものを、一定の魔力を込めることにより2段階上のものへと昇華する。強化は6時間で解除される。同じものへ再度強化を施すことは出来ない。任意発動。
《安定化》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : -- 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
自身が触れたものをその状態で安定化させる。ものに付与した場合、不壊ではなく壊れはする。人に付与した場合、その時点での身体が基準として安定化する。任意発動。
==============================
イシスガナ王国第2王女。通称
本来人間の国や貴族から忌み嫌われる者を、能力があれば好んで自らの陣営として取り込んでいる。それ故に迫害の対象となっているが、本人は然程気にしてはいない。
実はかつて呼び出された勇者の子孫。チートを始めとして、勇者の力や才能が遺伝している。クーデターを計画しているが、戦力的な不安がある為実行には移せていない。
==============================
ヘルクト
性別 : 男
年齢 : 31
種族 : 人族
筋力 : B(最高A)
耐久 : B(最高A)
敏捷 : C(最高A)
魔力 : C
技術 : B
幸運 : C
使用可能魔術 : 5つ
主武装 : 片手剣
副武装 : 不明
==============================
第2王女の近衛兵。騎士団長。現在のところ、最初に主人公を助けたこと。主人公に基本的な戦いの指導をしたのみの登場。
==============================
エウリ
性別 : 女
年齢 : 17
種族 :
筋力 : C(最高B)
耐久 : C(最高B)
敏捷 : C(最高B)
魔力 : A
技術 : D
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数
使用可能魔法 : 植物を操る
主武装 : 木の杖
副武装 : なし
==============================
一応今作のヒロイン。萌葱色の長髪に、琥珀の様な瞳、髪に大きな薄黄色の花が飾られている。年齢相応に華奢だが、種族が違う故力などは人とは段違いに強い。
だが実戦経験が皆無な為、実際は荒事には全く向いていない。味方が全滅し重傷を負った際、諸刃のチートである青炎を浴びた為過去を僅かに共有している。諸刃の事は憎からず思っている。
==============================
フロックス
性別 : 女
年齢 : 154
種族 :
筋力 : A→B(最高S)
耐久 : A(最高S)
敏捷 : A→B(最高S)
魔力 : C
技術 : A→B
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数
使用可能魔法 : 植物を操る
主武装 : 特製の木刀 ×2
副武装 : なし
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主人公の初めてを食べた人。鉄色の髪に、赤い小さな花が飾れた女性。
主人公にエウリを託し、最後まで勇者を足止めするつもりで戦っていた。村に侵入した敵を、勇者以外殆ど皆殺しにした。間違いなく物語最強格だったが、片腕を失ったため弱体化している。残りの寿命が5年だったが、蘇生により50年程まで伸びている。
==============================
ナーヌスラ
性別 : 女
年齢 : 500オーバー
種族 :
筋力 : D(最高B)
耐久 : C(最高A)
敏捷 : C(最高B)
魔力 : A
技術 : S
幸運 : C
使用可能魔術 : 無数
使用可能魔法 : 植物を操る
主武装 : 木製の杖
副武装 : なし
==============================
故人。お婆さん、又はお婆様。元々寿命が近くなっていたこともあり、主人公とエウリから目を逸らさせる為に最後まで奮戦。戻っきた2人を庇って死亡した。魔術、魔法、薬学のエキスパートだった。
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性別 : 女
年齢 : 18
種族 : 人間
筋力 : F
耐久 : F
敏捷 : F
魔力 : A
技術 : D
幸運 : E
使用可能魔術 : 2つ
主武装 : 木の杖
副武装 : なし
【チート】
《瞬間移動》
殺傷性 : A 防御性 : -- 維持性 : F
操作性 : F 干渉性 : S
範囲 : F
魔力を消費して指定したものを、50km圏内かつハッキリと思い浮かべられる場所へ転移させる。任意発動。
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故人。チートを発動するまもなく、主人公の不意打ちで死亡した。苦しみなく逝けた為、実は一番幸せだったのかもしれない。
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性別 : 男
年齢 : 18
種族 : 人間
筋力 : E(最高B)
耐久 : E(最高A)
敏捷 : F(最高B)
魔力 : B
技術 : D
幸運 : D
使用可能魔術 : 4つ
主武装 : 片手剣
副武装 : なし
【チート】
《肉の壁》
殺傷性 : B 防御性 : EX(プラス) 維持性 : S
操作性 : E 干渉性 : A
範囲 : C
空気・音・光は通す重さのない肉の壁を纏う
任意にパージと再発生が可能
厚さ30cmで保有者のみ壁を無視できる
==============================
故人。最強格2人と渡り合うという、チートの名に相応しい活躍をしていた。が、主人公のチートとの相性が限りなく悪く、最後には毒殺された。
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性別 : 女
年齢 : 18
種族 : 人間
筋力 : F(最高A)
耐久 : F(最高A)
敏捷 : F(最高A)
魔力 : A(最高EX)
技術 : C
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数
主武装 : ステッキ
副武装 : なし
【チート】
《魔法少女》
殺傷性 : A 防御性 : A 維持性 : A
操作性 : C 干渉性 : B
範囲 : D
寿命を消費して変身する。任意発動。変身中の死亡は一度だけ無効化され、サポーターを召喚。更に魔術の適性が極大上昇する。また、ピンチの時に覚醒する事がある。
死亡後自動で寿命を消費して変身する。
==============================
故人。間違いなく一番苦しんで死んだ勇者。本名未登場の女子勇者。初めはあり得ないほどの猛威を振るい、主人公たちを蹂躙、全滅させた。その後、無限の蘇生と捕食による苦痛の中発狂。そのままファビオラに全てを吸い尽くされて消滅した。
==============================
ファビオラ・フォビナ
性別 : 女
年齢 : 不明
種族 : 吸血鬼(真祖)
筋力 : 不明
耐久 : 不明
敏捷 : 不明
魔力 : 不明
技術 : 不明
幸運 : 不明
使用可能魔術 : 不明
使用可能魔法 : 恐怖を操る etc…
主武装 : 魔槍
副武装 : 不明
【チート】
不明(最低100個)
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主人公の血を吸って半吸血鬼にした張本人。現状お婆さんことナーヌスラよりは若いこと、魔王軍幹部であること、始まりの吸血鬼であること、元は人間だったらしいことのみが判明している。
ボンキュッボンのナイスバディだとかなんとか。
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36 陽だまり
どれくらいそうして泣いていたのだろうか。
溢れ出す感情の奔流が収まった頃、ようやく俺の頭に『恥ずかしい』という考えが浮かび上がってきた。愚痴を話すのは約束だったしいいだろうけれど、泣きながら泣き言を言って
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー後悔を否定しました
まあ今更、この程度の過去を振り返っても意味がない。何かあったとしても、俺の記憶から消えるだけでエウリさんの記憶には残り続けるのだし。
「すみません、変なこと言って」
「いいえ、やくそくしました、から」
「はは……」
確かにこうして撫でられるのは安心するし、頭に伝わる柔らかさと人肌の温もりは、荒みきった精神を言い方がアレだが癒してくれる。だからこそ、今これはダメだ。少なくとも帰るまで忘れてはいけないものが、溶け落ちてしまいそうになる。
「とりあえず、聞いてくれてありがとうございました。でもやっぱり悪いですし、血落としてきますね」
「あ……」
後ろ髪引かれる思いで体を起こし、未だふらつく足で立ち上がる。ぐっすり寝れたが、貧血なのは変わりないらしい。
「てつだい、ますか?」
「いえ、大丈夫です。今までも平気でしたから」
適当なスペアの槍を排出し、杖代わりにして歩き始める。鞘がないため危ないっちゃ危ないが、まだ危険地帯な筈なので良しとしておく。そう意気込んだものの、フッと意識が遠くなって倒れかけてしまった。槍をついて支えたが、思ったよりマズイかも知れないな。
「はぁ……やっぱりだめじゃ、ないですか」
「あ、ちょ」
そのままあれよあれよという間に、エウリさんに肩を支えられてしまった。……まあ、痩せ我慢なんてしても格好悪いだけか。それと、危険地帯だというなら置いていく方が間違いだ。そうに違いない。
言い訳を羅列して、仕方のないことだと心を諦めさせる。そうして、エウリさんに軽く体重を預けた。
「いきさきは、どこ、ですか?」
「フロックスさんの工房裏にある川に」
どうせ落ちないのは目に見えてるけど、血生臭くないくらいには血を落としておきたい。まあ軽く血の跡でも残ってる方が、俺の見た目なら迫力があるだろう。
「わかりました。まったく、すこしは、たよってくださいよ」
「そうですね。少なくとも、体調が戻るまではそうさせてもらいます」
ようやく、信頼してもいいと思える人が出来たのだ。であれば、そこでまで気を張ってる必要はないだろう。そうして歩くこと数分。自然の音しか聞こえない村跡を抜け、川に辿り着くことには成功した。しかし、そこで問題が起きた。
「ん? なんだ、もういいのかお前ら?」
そこにいたのは、タオル一枚を首にかけただけのフロックスさんだった。それによって胸は隠れてるし、下半身は川に浸かっている為見えないが、中々に刺激的な光景だ。
自己否定ーー性欲を否定しました
鎌首をもたげた妥当な感情をチートが打ち消し、無理やり心が落ち着かせられる。まあ、近くを流れる川はここしかないのだから、バッテイングすることだってあるだろう。
「察するに、血を落としに来たってところか。エウリ、モロハ渡せー。洗っておいてやる」
「ちょっ」
「へんなことしないでくださいね?」
僅かな抵抗も虚しく、俺はエウリさんに軽々と投げ飛ばされてしまった。そしてそのまま、大きな水飛沫と共に浅い川の底に叩きつけられる。
「ぷはっ!?」
「それで、わたしはなにか、することありますか?」
「オレの工房跡に、色々埋めてあっから掘り起こしてくれるか? まあ、元からお前らにやるつもりの物だったし? 多少雑でも構わねえぜ」
「わかりました。でも、ちゃんとていねいに、しますから」
カラカラと笑って答えるフロックスさんに捕まえられつつ、そんな会話を聞く。灼けつく肌に流れる水が心地よい。だが、代わりに赤黒い色で染めていくのは少しだけ申し訳ない気がする。
「ほれ、脱げ脱げ。いつまでもそんな、如何にも戦帰りって格好してんじゃねえよ」
「わぷ」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
エウリさんが去っていった後、有無を言わせず俺は服を脱がされた。よくよく見れば、たった2ヶ月程度で傷だらけになったものだ。
「あの、一応聞きますけど……俺に自分で洗わせる気ってあります?」
「片腕だと時間かかんだろ? 遠慮せずに任せとけって。ま、まあ、いっぺん身体も重ねてるわけ、だし?」
「ですよね……」
微妙に恥ずかしそうに言うフロックスさんに、諦めて主導権を明け渡す。1番俺が弱いから仕方がない。力も立場も。
「1つ、確認したいことがあるんだが……いいか?」
川を血で染めて洗われるがままになっていると、フロックスさんがそんなことを言ってきた。
「別にいいですけど……何か?」
「お前が、ここまでして戦う理由ってなんだ?」
背中に残る傷痕をなぞって言われたその言葉に、心に冷たい氷が差し込まれた感覚が走った。俺が戦う理由、か。そんなもの、
「今は、エウリさんの為ですかね」
「それは嬉しいことだけどよ、人を理由に使うのは駄目だ」
「……なんで、ですか?」
心にズッと重いものがのしかかってきた。思わず目を細め、心なしか苛立った様な口調で答える。
「そりゃあ、そんな理由じゃ『もし自分が怪我したり死んだら、それはエウリが居たせいだ』って言ってるも同然だしな」
「それも、そうですね……」
だとすれば、俺は何を理由に戦っていたのだろうか?
姫さまの為? 否、それは理由にならないと言われた筈だ。
計画の為? 否、それはあるがそこまで崇高な意思は俺にはない。
自分の為? 自分の、何のためにだ?
「なら、他の理由は?」
何も、思いつかなかった。問い掛けの答えを、俺は何一つ持っていなかった。その沈黙を答えとして受け取ったのか、フロックスさんが話し始める。
「例えば『死にたくない』とかの、適当な理由でもいいぞ?」
その言葉を聞いて、思い出した。
「エウリさん曰く『帰りたい』らしいです」
日常に帰りたい。それが俺の頑張る理由だと、エウリさんは言ってくれた筈だ。それなら、多分理由としては──
「自分でこれって決めたのはねぇのかよ?」
自己否定ーー諦めを否定しました。
駄目だった。いや、でもそれは妥当かもしれない。確かに空っぽのまま戦うのでは、それはもう人とは言いがたいだろう。なら、理由が特に思いつかない俺はなんなんだ? それこそまさに、人形とか機械になってしまうのではないか?
再び言葉に詰まった俺の頭が、ガシガシと乱暴に撫でられた。言葉はないけどそれがなんだか嬉しくて、またジワリと滲み出た涙で視界が歪んだ。
自己否定ーー情けなさを否定しました
自分は気を許した途端、随分と弱くなったものだと思う。いや、もしかしたら燃え尽きた何かの分弱くなったのかもしれないな。言い訳だと、理解しているけど。
「空っぽ、ですね。俺って」
始めて戦った理由は『死にたくない』だったのは覚えている。その思いに従って、武器を取ってゴブリンに攻撃した。だけど、自分がそんなことを思った理由が皆目検討つかない。そもそも、俺がチートを認識した時のことすら、何があったのか覚えていない。自分で気づいたのか、誰かに教えられたのか。思い出そうとすると、焼かれる様な痛みが走って何も思い出せない。
「なら、これからちゃんと詰めてけ。軽い男はモテねぇぞ」
「そう、ですね」
バンと背中を叩かれ、そんなことを言われた。背中をさすりながら答えるが、正直自身が全くない。なにかを積み重ねても、詰め込んでも、きっとチートが消してしまう。大切なものもそうでないものも、一切合切燃やし尽くして消してしまう。
だから、約束なんて俺には出来ない。してはいけないのだ。
「ただいま、もどり、ました」
「おう、特に怪我ないようで何よりだ」
そう自戒している間に、幾つかの袋を持ってエウリさんが帰ってきた。その姿を見ると、益々その気持ちは強まる。現に、助けるなんて約束したのにお婆さんを助けられず仕舞いだった。やっぱり、俺は……
自己否定ーー後悔を否定しました
「ほら、エウリも戻ってきたんだし、とっとと上がれ」
「いやあの、服が……」
元々着ていた服は剥ぎ取られて行方不明だし、濡れたままの下着1枚で上がるわけにもいかない。全裸は以ての外だ。
「魔族舐めんなよ? それくらいちょちょいで出来るっての」
「あ、ちょ、まっ」
未練がましく川に浸かろうとした俺を引きずり出し、フロックスさんがピュゥと口笛を吹いた。それをトリガーにフワリとした風が吹き、それが通り過ぎた時には全身に纏わり付いていた水滴は綺麗サッパリ消え去っていた。
「……凄い」
「血はどうにも出来ねえけどな」
再び呵々と笑う中、少しだけ不機嫌そうにしてエウリさんがフロックスさんに問いかける。
「ふたりだけのせかいに、はいらないで、くれませんか? それに、もってきましたけど、これなんです?」
「魔法の袋だ。それとそれは、俺の工房の中身が殆ど詰めてある。で、そっちが食料、それが水、でもって最後に衣類だな」
そうして見た目はただの頭陀袋に手を突っ込んで、こちらに何か布の塊を投げつけてきた。
「とりあえずまあ、あれが乾くまでそれ着とけ。多分モロハは線が細ぇし、問題なく着れんだろ」
「まあ、そうなりますよね……」
渡されたのは、
「フロックスさん、さすがにそれは、ちょっと……」
「どうせコート羽織りますし、大丈夫ですよ」
エウリさんが止めに入ってくれたが、それよりも下着1枚のこの状況の方をどうにかしたい。追加で言えば女装には慣れてるしどうってことはないし、肌も結構隠れてくれそうだから断る理由はないのだ。
そうしてドレスを纏い、花の眼帯を身につける。伸ばしっぱなしの長めの髪の毛を後ろに流し、排出したコートを着て日光を遮る。それで隻腕隻眼の少女の完成だ。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自分で言うのはなんだが、街のおっちゃんからは人気があったし似合ってはいるだろう。髪はカツラよりは短いし荒れてるけど、まあそれはそれだ。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「それじゃあこのまま待つのもアレですし、この先の話でもしませんか?」
心機一転。ポカンとする2人に向けて、俺はそう言ったのだった。
打って変わって日常過ぎる
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37 森を後に
「あれ、なんで2人ともそんなに驚いてるんですか?」
着替えた俺を見て、固まってしまっている2人にそう問いかけた。
「いやよ、妙に慣れてやがるし似合ってるとか、普通驚くだろ」
「おにあい、です、よ?」
その2人の微妙な顔を見てハッと気がついた。そういえば、俺のそういう詳しい事情についてちゃんと説明したのは、お婆さんだけだったか。
「一応言っておくと、女装は趣味じゃなくて変装ですからね? ここ最近はアレでしたが、俺って命狙われる立場なので」
その言葉を聞いて、フロックスさんが非常に安心した表情へと変わった。対照的に、なぜかエウリさんには悲しそうな表情をさせてしまった。反省だ。早く話題を変えなければ。
「まあこれは良いとして。路線を戻して、これからどうするか話しませんか?」
そう話題を提起しつつ、男っぽい動きにならない様に注意して座る。取らぬ狸の皮算用かもしれないが、俺が王都に帰った場合、再び命を狙われるのは確実だ。ならば、今のうちから変装に慣れておくに越したことはない。寧ろそうしなければ、暗殺されるだけだ。
「んー、あー……そうだな。そうすっか」
微妙に割り切れていない様子のフロックスさんがそう言ったことで、漸く話が動き始めた。が、しかし。そこから全く言葉が続かず、気まずい沈黙が場に生じた。
「フロックスさんは、どうするんですか?」
俺がなにかを言う前に、その沈黙は意外なことにエウリさんによって破られた。
「私たちは、もともとのよていどおり、おうと? にいきます」
目配せがきたので頷いておく。エウリさんがそう考えるのであれば、俺とて異論はない。
「けど……」
そこで、エウリさんの言葉が詰まった。でも何が言いたいのかは、俺でも分かる。多分エウリさんとしては付いてきてほしいんだろうけど、フロックスさんの事情やらなんやらを鑑みるに言い出せないと言ったところだろう。
そんなエウリさんの優しさ?を察したのか、フロックスさんも軽く頭を掻いてから話しだした。
「あー……それなぁ。まあ、オレはエウリ達について行くかね?」
そうして語られたのは意外な言葉。俺たちに同行するというものだった。
自己否定ーー驚愕を否定しました
チートで感情を消された俺と違い、ぱぁっと顔を明るくさせたエウリさんを見てフロックスさんは言葉を続ける。
「前にも話した気がすっけど、元々オレと婆さんはここで死ぬつもりだったのな?」
それは知っている。その理由も、あの夜本人達から俺は聞いている。
「だからとっくに次の長も決めてあるし、元々オレの鍛えていた奴らも付いて行ってる。新天地の場所だって教えてあるし、アイツらはアイツらで上手くやるだろうから心配はいらねぇし、かといってここに留まる意味も墓標ってこと以外にはありゃしねぇ。でもって折角伸びた寿命だ、婆さんの後追いなんてする気もねぇし」
そこで一旦言葉が切られ、ピシリと俺が指差された。
「そこてモロハ、お前だ。助けてくれたことにゃ感謝してっけど、代わりに身体が相当おかしなことになってんだろ?」
「……もしかして、聞いてました?」
俺が今体の不調を教えたのはエウリさんのみ。もしかしたらファビオラにもバレてるかもしれないが、今この場にいないから知っているのはエウリさんのみの筈だ。ならば答えは、自ずと絞れてくる。
「いや、見てりゃ耳がおかしくなってんのは分かるっての。その話ぶりじゃ、他にも色々あるみてぇだがな」
「追々、話します」
僅かに目を細めたフロックさんにそう言っておく。あの炎の記憶が鮮明なうちに。あの炎に記憶が焚べられるより早く。
自己否定ーー身体の最適化を実行します
こんな風に自動で発動する以上、可能な限り早く伝えねばなるまい。自分以外に、消えるかもしれない自分のことは知っていてもらいたい。
「まあ話を戻せばアレだ。俺は暇だしモロハは頼りねえしで、付いてくわな。ま、よろしく頼む」
「よろしくです」
「こちらこそよろしくお願いします」
特に断る理由もないので、その申し出を承諾して握手を交わす。実際のところ、色々と問題は増えることになると思われるが、頭数が1つ増えるだけでやれることの範囲は格段に広くなる。それは、非常に喜ばしいことだ。
「っし、決まりだな。で、もう出発すんのか?」
「どうします?」
いつのまにかこの場でのリーダー的な立場に俺はなっていたらしい。ならば、期待に応えねばなるまい。
「そうですねぇ……」
そう呟きつつ、軽く現状を整理して考えてみる。エウリさんは、無傷で疲労は軽い。フロックスさんも見た感じ同様、かなり回復している。
けど、俺はダメだ。血が足りないから貧血状態のままだし、そのせいで全体的に力が出せない。そのうえ、疲労も未だかなり濃く残って後を引いている。さらに追加すると、現在進行形で日に灼かれて体力も魔力も削られ続けている。
最後のは我慢できないこともないが、1人だけ明らかに足手まといだ。種族の差というものもあるのだろうが、歯痒い。
「俺がどうしても足手まといなので、今から出発しても多分街には着けないと思います。そう考えると野宿は確実でしょうし、なら無理して強行軍するよりも……」
これが、自分が言っていいことなのか分からない。そんな資格はない気もするし、やらなければならないことな気もする。そう言葉に詰まった俺を見て、エウリさんはくすりと微笑んだ。
なら、言ってもいいのかな。
「その、俺はみんなのお墓とか作りたいです」
死ねば皆仏とは、どこで聞いた言葉だっただろうか? どうにも上手く思い出すことが出来ないが、確かに真理だと心の何かが感じ取った。
良くしてくれた、守ることの出来なかった
微塵も心が動かないが、ここに攻めてきた人間たち。
どちらも俺からすれば近しい相手であり、この場で死んだ
「はかって、なんですか?」
だが、返ってきたのは予想外の返事だった。首を傾げそう言うエウリさんは、本当に何を言っているのか分からないといった様子だ。
自己否定ーー驚愕を否定しました
「墓ってのはアレだろ? 人間が、死んだ奴を埋めて手を合わせるやつ。うちの種族には、ああいうのはねぇんだよ。例え死んでも、森に還るだけって感じでな」
チートにより感情を消された頭に、フロックスさんのその説明はスルリと滑り込んできた。種が違えば文化も違う、当たり前のことだった。
「けどまあ、野晒しのままってのは不憫だしな。手伝うぜ、オレは」
「ありがとうございます」
そう悲しさを浮かべた笑顔で言ったフロックスさんが立ち上がった。それに続いて俺も立ち上がろうとし、フラついたところをエウリさんに支えられた。
「エウリはモロハが倒れねぇように手伝ってくれ。オレは、探して連れてくるからよ」
「はい!」
「それとモロハ、穴掘んならオレの元工房のとこが楽だぞ。もう何も残ってねえからな」
「分かりました。ありがとうございます」
「気にすんな」
手を振ってフロックスさんが歩いて行き、再び俺とエウリさんだけが取り残された。暫く無言のまま歩き、工房跡が近くなった頃エウリさんが話しかけてきた。
「モロハさん、はかって、なんのいみがあるんですか?」
それを聞いて、微妙に答えが詰まった。
まず思い浮かんだのが、その人の存在の誇示。だけどこれは、確実に意味が適していない。何せこの知識の源泉が、自分ではないなにかの記憶なのだから。
もう、かなりどうにかなってしまっているらしい。果たしてどこまでが自分と言えるのだろう?
自己否定ーー妄想を否定しました
思考が脱線していた。やはりそれ以外となると、正しいのか分からないがこれしかない。そう思うものがある。
「世間一般じゃなくて、俺個人の意見でもいいですか?」
「もちろんです」
「なら、覚えていたいからですかね」
歩きながら、自分なりの答えを口にした。
「おぼえていたいから?」
「はい。元々俺が生きてた世界では、人が死んだら埋葬して、石碑を建て供養するのが普通でした。その人のことを忘れず、供養する心を持ち続けるための碑。それが、俺の知ってるお墓の意味ですかね」
記憶では電子だったり、マンションの様な納骨堂だったりするのもあるが、1番印象強いのは墓石のイメージだから言及は不粋だろう。それにきっと、どれだろうと意味にさほど違いはない筈だ。
そして、それを補強する大切な理由がもう一つだけある。
「後、俺の力って記憶も感情も消えていっちゃうじゃないですか。だから、悲しめる心があるうちに、理由の分かる記憶があるうちに、みんなを覚えているうちに、何か残しておきたかったんです」
多分俺はこれからも、あの青い炎を使うことになる。その度に何かが削れ、何かを忘れ、自分で無くなっていくのは明白だ。そうして完全に『欠月 諸刃』という個我が消え去った時、そこにいるのは俺の形をしただけの別人。恐らくそうなったところで、このチートは働き続けるだろう。そして死ぬまで戦い続ける人形が生まれる
そんなのは、流石に嫌だ。せめて誰か1人でいいから、『欠月 諸刃』という人間がいたということは覚えていて欲しい。エゴなのかもしれないが、自分が消えていく感覚、死ぬ感覚を知った身としてはどうしてもそう思ってしまう。
「モロハさんは、きえませんよ」
「あは、はは……」
どうやら本心が見透かされてしまっていたらしい。不意にかけられたそんな言葉に、何か温かいものを感じる自分がいた。
「それに、わたしもみんなのこと、おぼえていたいです。ですから、てつだいますよ」
「ありがとうございます」
「どう、いたしまして、です」
そしてその後は全てが順調に進み、昼を超えた頃俺たちは村跡を出発した。
森の中にある拓けた村跡には、新たに2つの大樹が日を浴びて葉を青々と茂らせ、その下には控えめだが花畑が広がっている。
その花につつまれた場所の中に、名前の刻まれた小さいが綺麗な石碑があることは、3人以外知る者はいない。
大樹2本は人と古樹精霊
小さな石碑がお婆さん
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38 野営
今回の話重暗いよ!
『鬼! 悪魔! 人を裏切ったロクでなし! なんであんたなんかに、私は、わたしはぁぁぁあっ!!」
自分以外何もない暗闇の中、そんな怨嗟の声が響き渡る。目を凝らせば、蠢く肉塊が内側から血に塗れた手が伸ばされ、しかし伸びきる前に微塵に切断されていく。女性の声、あの女子勇者の最後の姿だ。そうして刻まれる度に、はっきりとしていた叫びや悲鳴が濁っていき、最後に断末魔の絶叫を上げて消滅した。
『なあ欠月、なんで俺を殺したんだよ』
如何にも毒に侵されているといった風な、青黒い斑点を浮かべた顔がそんな事を言った。
『俺たち、██じゃなかったのかよ。同じ勇者じゃなかったのかよ」
そんな声を出す間にも、暗闇に浮かび上がった鈴森の肉体は、煙を上げ腐臭を撒き散らし、ぐずぐずに崩れていく。
『もし、殺すにしてもよぉ、こんな死に方は、あんまりダぁ……』
全身が出来損ないのヘドロの様に溶けていく中、最後に鈴森の口は『オ前ヲ呪ッテヤル』と動いていた。
『ネエ、ナンで私を殺シたノ?』
足元に転がってきた眼窩にぽっかりと黒い穴を開けた女性の生首がそんな事を言った。その姿は、変わり果てているが転移系の能力を持った勇者だった。
『ワタシはまダ、1人も殺しテなかっタんだヨ? なのニ何で? 何デ? なンで? ナンで? なんデ? ナンデ? 私は殺されなくちゃいケなカッタの?』
ぐるぐる、ぐるぐる足元を転がり続けるそれから、ドロドロとした感情が溢れ出していく。
『最後に殺すなら、初めカラ見捨てれば良カッタのに』
それっきりそれは、闇の中に潜って消えていった。
『ねえ勇者さま、なんデ助けテクレナカッたんデスか?』
次に聞こえたのは、そんな年端もいかぬ少女の声だった。声の方向を見れば、胸部を大きく陥没させた青白い顔の少女がこちらに歩いてきていた。この子は、プラム村の子だ。
『私、まだ人間だっタのニ、ずっト助ケが来てくレルト思って待ってダノニ』
言葉の直後、突如真後ろに気配が出現した。その気配は俺の耳元で、
『ア゛ァ、ソウイエ゛バオ兄チャン、モウ人ジャナインダッタネ』
同じくプラム村の男の子を思い起こさせる、濁りきった屍人の声でそう呟いた。次の瞬間、足に僅かな感覚が走った。何かと思い見れば、それは小さな子供の手。それが幾つも幾つも、纏わり付いてしがみつき、恐ろしい力で下へ下へ引っ張っていく。
振りほどこうと動かした右腕は、骨の手が絡みつき動きを封じた。ならばと思った右足は、かつての左腕の様に念入りにミンチにされていた。この時点で漸く、意識に痛みが追いついた。
「ッ──!?!?!?」
最早言葉に出来ない、声にもならない悲鳴を挙げる。そんな状況の中、気がつけば自分は倒れ込んでいた。凍えるように熱くて寒い、粘り気のある泥のような物体の中に沈み、落ち、吸い込まれていく。そんな中浮かび上がる髑髏が笑う、嗤う、
ケタケタカタカタと白い骨が音を打ち鳴らしながら、口々に言うのだ。
『死んでしまえ』『地獄に落ちろ』『出来損ないが』『勇者風情が』『魔族に落ちた畜生めが』
『『『『『俺たちと同じところまで、堕ちてこい』』』』』
そしてそのまま、何もかもが溶け落ち忘れていく感覚を味わい、消え落ちそうになり──
「ッ!! はぁ、はぁ……夢、か」
目が、覚めた。
自己否定ーー悪夢を否定しました
自己否定ーー動揺を否定しました
チートが慌てて心を落ち着かせる中慌てて見渡せば、そこにあったのはただの日常だった。寝る前と何ら変わりのない、野営中の光景。煌々と燃える焚き火に、気持ちよさそうに眠るエウリさん、差し込む月光に、何かを作っているフロックスさん。変わっているのは、俺だけのようだ。
このままでは何もできないので、耳に強化をかけ一応聴覚を確保しておく。
「どうしたモロハ? 火の番はまだ……ははん、ヤな夢でも見たな?」
手の動きを止め、こちらを見てフロックスさんは言った。こういうのを見透かせるのは、やはり年の功ってやつなのだろうか。
「あんまり子ども扱いしないでと言いたいところですけど、その通りです。ちょっとした悪夢を見てました」
内容を伝えはしないが。ああ、けれど問題は今ので眠気が綺麗さっぱりなくなってしまったことだ。もう暫く、眠れそうにない。
「一服、失礼しますね」
包まっていた毛布を取り、エウリさんからなるべく離れ《排出》したタバコにライターで火をつけた。こんなことをするのは、いつ振りだろうか? そんな疑問を頭に浮かべつつ、立ち昇る紫煙をぼーっと見つめる。
いつだったか、これは精神を安定させる効果があると聞いた。不味いし、身体に悪いのは知っているが、その効果は確からしかった。
「それ、確かタバコとかいうやつだろ? 良くねえ噂ばっか聞くんだけどよ、良く吸うのか?」
「いいえ。今みたいに、どうしようもなく心が駄目になった時だけですかね」
それにしても一本だけだ。常識からしても、味からしても、チートの煩さからしても、それ以上吸う意味は存在しない。……良く考えれば、前は何もなかったのに今はチートがタバコに反応している。こいつも、進化してるのか。空恐ろしい話だ。
「そうか、ならいいんだ」
パキッと焚き火が弾けた。それきり特に会話という会話もなく、フロックスさんは製作に戻り、俺も紫煙の昇る空とそこに浮かぶ月を眺める。そのまま少し経ち、タバコの火を足で踏み消した頃のことだった。
「よっこいせっと。ほれ」
そんな呟きとともにフロックスさんが立ち上がった。そして満足気な顔で、木にもたれかかっていた俺に何かを放った。
「わっ」
なんとかキャッチしたそれは、緩い弧を描く金属に3本の2cm程の金属柱が揺れる謎のアイテムだった。見た目は完璧に金属なのに、なぜか木のような暖かみがある。
「モロハは魔道具って知ってるか?」
それをまじまじと見つめていた俺に、フロックスさんが問いかけた。
魔道具。確かそれは、この世界に来てから習った覚えがある。魔石と呼ばれる魔力の宿った宝石か、或いは魔力を溜め込む性質の何かを電池として、一定の魔術を発動させる道具。そんな定義だった筈だ。
「一応、概要くらいなら」
「そうかそうか、なら話が早い。それ左耳に着けて、強化の魔術切ってみろ」
「え?」
疑問に思いつつも、受け取ったそれを左耳に装着する。すると僅かに締まる感覚がして、落ちないように固定されたようだった。少しそれに驚きつつも、とりあえず耳に回していた強化の魔術を切る。普段ならそれで音が遠くなるのだが──
「どうよ、聴こえてるだろ?」
「は、い……」
自分で行う強化と比べると精細さは欠いているが、それでも十分に音を聞くことが出来ていた。それに、自分の魔力が消費されている感覚が全くない。これは、小さいが素晴らしいことだ。
「一番弟子の両耳が不自由なんて、仮にも師として嫌だからな。助けてくれた報酬とでも思って受け取ってくれ」
「ありがとう、ございます」
下げた頭につられて、金属柱がコツンと小さな音を鳴らした。金属っぽかったのに、そういう音が鳴らないのは何故だろうか。不思議に思って軽く触っていると、隣にフロックスさんがどっかりと座って話し始めた。
「それはモロハの驟雨にやったのと同じ技術だな。まあ、こっちの方がちょいと植物寄りになってるがな。だから金属の硬さなのにしなり易く、温まりやすく冷えにくい。古樹精霊の秘術だが、まあオレしか使える奴はいねぇし問題ねぇさ」
呵々と笑うフロックスさんだが、それでいいのだろうかとは思う。非常にありがたく受け取るけれど。
「因みにそれの稼働時間は、魔力フルチャージで大体1日だ。予めある程度貯めねぇとダメだが、まあ問題ねえだろ」
髪をわしゃわしゃとされるのを受け入れながら、軽く目を閉じる。気持ちいいというか、誰かの暖かさは本当に心に刺さる。染み込む。
そうしていると、ふわぁと大きな欠伸が聞こえた。目尻に涙の浮かぶフロックスさんは、どう見ても眠そうだ。
「火の番、変わります?」
「あー……んじゃ、頼むわ。それ作ってたからか、眠くてな……」
そうしてもぞもぞと動き、フロックスさんは俺が使っていた毛布に包まった。それを見届け、月光を浴びてぼーっとしていると毛布からひょこっと顔が出て言ってきた。
「寝てるからって、襲うんじゃねぇぞ? まあ、オレは構わねえけどよ」
「しませんよ、そんな失礼なこと」
「ははっ、それなら安心だ」
そのすぐ後から、規則正しい寝息が聞こえてきた。パキッと焚き火が弾けた。こうしていると、夜もただ静かなだけではないことに気がつく。虫の声、獣の足音、気配に息遣い、焚き火の音に、魔の気配。何もかもが入り乱れ、渾然としている。
そんな雰囲気も、少し冷える空気も好きだと思うのは、やはり俺が半分吸血鬼という夜の住人になっているからだろうか。
自己否定ーー不安を否定しました
「まあ、いっかそれくらい」
焚き火に枯れ枝を投げ込みつつ、そんな独り言を呟く。色々失ったのは確かだが、得たものも多いのだ。
そんな考えを浮かべたままなんとなく掲げた手が、焚き火による赤光かそれとも先程の悪夢のせいか、真っ赤に染まって見えた。水に包まれている様な感覚と、ドロリとした血が流れる様な幻覚が見えて──
自己否定ーー妄想を否定しました
即座にそれは消え失せた。
壊れてきている。それが今の俺に、1番似合う言葉だろう。幾らこのチートが心を消したところで、その穴は埋まらないし経験も消えはしない。感情が消えたとしても、感触は消えはしない。
要は、殺しすぎたのだ。戦や殺戮なんて知りもしないガキが、心を消して戦わせるチートの恩恵に肖って無理やり行動を起こす。そんな行為は続かない。破綻は、目に見えている。
エウリさんという存在がいてくれるお陰で、俺は崩壊を免れている様なものなのだ。だから、ある程度依存心を持ってしまうのも、仕方がないといえば仕方がない。
自己否定ーー怠惰を否定しました
けれど、それではダメだと自分でもわかっている。けれどこの暖かく甘い空気は、忘れてしまった地球での日常を思い起こさせて……
「ダメだな、これ」
無理やり、そんな思考を断ち切った。そしてそれを継続する為に、やらないと決めていた2本目を口に咥えて火をつける。
「長い夜に、なりそうだなぁ」
月は未だに天高く昇っている。そこに誘われ、ゆらゆらと揺れる紫煙を見ながら、そう俺はぼやいたのだった。パキパキと、焚き火の弾ける音が鳴っていた。
モロハくんちゃんのトラウマ全部載せ回でした
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39 街へ
「─い、おい、起きろモロハ」
「ん……なんです?」
槍を抱き、浅い眠りに就いていた俺が起こされたのは、まだ日も登って間もない頃だった。よもや再び熟睡が出来ない状態になろうとは思わなかったが、この場合は特をしたと受け取っておく。
自己否定ーー眠気を否定しました
「みて、ください」
頭を軽く振ってチートと共に眠気を払い、目ヤニを落とす。そうして確保した視界には、驚くべき光景が映っていた。
「あれ、は……」
場所としては、間違いなく俺を殺しかけた騎士が出てきた街で間違いない。遠く離れた場所ではあるが、あそこが視認できる範囲で野宿をしていたとなると恐ろしいにも程がある。
しかし、様子があの時とは違かった。街を守る城門は内側から吹き飛ぶ様にこじ開けられ、街壁も所々が砕け散っている。且つ、こんな早い時間であるというのに炊事の煙1つ立ち上がっていない。明らかな、異常事態だ。
「モロハはあれ、気がついてたか?」
「いえ、月明かりと種族的な特徴で見えるって言っても、あの距離となると流石に……」
「そうか、わりぃ」
必要な意見は交わせたので、手早くフロックスさんとの話を打ち切った。そして、エウリさんに話しかける。こういうのの判断は、戦士気質の俺とかフロックスさんより、エウリさんの方が判別に軍配が上がるだろう。年の功とか含めても。
「エウリさんは、アレをどう見ます?」
「たぶん、ほろんでるとおもいます。きょうりょくななにかが、あばれた……とか、ですかね?」
首を傾げて言うエウリさんの言葉で、1つ心当たりのようなものを思い出した。
『援軍は磨り潰す故、安心するとよい。決して自己を見失うでないぞ? 哀れな神の傀儡よ』
希望的観測ではあるが、もしかしたらファビオラが言っていたのはこの事ではないのだろうか。後半は……今は、考えないことにしておく。
自己否定ーー希望的観測を否定しました
冷静に考えて見ても、未熟とはいえチート持ちである俺を難なく殺せる様な人物を緊急出動させることが出来る街だったのだ。そんじょそこらの魔物程度にやられるとは思えない。それをあそこまで徹底的に破壊出来るとなると、
「……やっぱりファビオラ、かな?」
「ん? あの人がどうかしたのか?」
「実はですね──」
そうして、俺の予想を含め洗いざらい知っていることを話した。信じられないか疑われると思っていたが、思ったより簡単に2人は納得した。理由を聞いてみたが、まあやりかねないからということだった。
「で、どうすんだ?」
「どうすんだ、とは?」
ひとしきり話し合った後、フロックスさんがそう問題を投げてきた。主語がないから、流石に判別をつけにくい。
「だから、あの街に行くかってことで……待てよ?」
そっちかと納得しかけたところで、フロックスさんがこちらを手で制した。多分、何か自分で言ってて問題があったのだろう。
「なあモロハにエウリ、お前って身分証か何か持ってねえか?」
「ない、ですよ?」
「俺も……ないですね」
自分で作った記憶もないし、何かを貰った覚えもない。金ならまあ……奪ったものが結構あるのだが。
「あー……だったら、街に行くのは確定だな」
「なんで、です?」
「何種類かあるが、身分証作らねえとでかい街には入れねえからな?」
ポケットから何か金属製のカードのような物を取り出して言ってくれたが、生憎とそれに書かれている文字を読むことは出来なかった。が、話の流れからそれが身分証なのだろう。
ついでに、俺以外の勇者であれば顔パスで街に入ることは可能だと思われる。普通であれば、扱いがほぼ特攻兵器ゆえにそれくらいの権力を持たされているのだそうだ。
自己否定ーー怒りを否定しました
「それじゃあ、補給も兼ねて行くとしましょう」
チートのお陰で凪いだ心で、俺はそう言ったのだった。
◇
それから歩くこと1時間程。特になにか妨害などもなく、俺たちは壊れた城門に辿り着いていた。
「うっ……」
「これは酷い、ですね」
「ったく」
その門から覗くことの出来た街の惨状は、赤だった。死体や肉片などは1つ足りとも見当たらない代わりに、様々な場所が血の赤に染まっている。木材や石材が散乱し、瓦礫と化した建物が血で化粧をしているようで、非常に悪趣味と言えるだろう。
そんな光景に、僅かに心が高鳴った自分が嫌だった。むせ返るような血の生臭い臭いが美味しそうに感じられるのが嫌だった。自分はまだ人間だ、そう自分を定義して血が出るほど拳を握り締める。
「ま、ギルドが残ってるからいいだろ。行くぞ2人とも」
まだ乾ききってもいない血塗られた道を、フロックスさんの先導で歩いていく。その一切迷いのない歩みに疑問が浮かび、何となく問いかけた。
「フロックスさんは、ここを知ってるんですか?」
「応。100年くらい前に、ここのギルドで働いてたからな」
「マジすか」
「当時は交流があったからなー」
ぶっきらぼうにそう言って歩き出す背中を見ていると、ちょんちょんと傍から手を引かれた。何事かとみれば、エウリさんがナイショだよとでも言いたげな表情をしていた。頷き耳を差し出せば、小さな声で教えてくれた。
「じつは、わたしのむらのたべものも、このまちからしいれてたんです」
曰く、50年ほど前から街と村との交流は断絶していたが、一部の奇特な魔族に悪感情を持たない商人が取引をしてくれていたのだという。無論、人間側にバレたら即死刑だ。黙認していた一族郎党……なんてこともあり得るだろう。その名もない商人には、畏敬の念を抱かざるを得ない。
「あと、いまギルドがわがものがお? でつかってる『たいぷらいたぁ?』も、フロックスさんがかいはつしたものなんですよ」
「偉人ですね」
「こらお前ら、全部聞こえてるからな」
半分ほど振り返って言ったフロックスさんの頬は僅かに朱に染まっており、満更でもなさそうだ。それを見て、少しだけ面白くてエウリさんと2人でくすりと笑ってしまう。
「ふん」
そんなことをしている間に、フロックスさんはぷいとそっぽを向いて歩き出してしまった。はぐれたら堪らないと後を追う中、手と手がぶつかって、どちらからということもなく自然に繋がれた。
そうして小走りで駆けること数分。他の建造物より僅かに大きい建物の前で、フロックスさんは足を止めた。合わせてこちらも足を止めると、そこからは濃密な死臭が漂って来ていた。
「ここが、そのギルドですか?」
「そうだ──って、お前ら。よくこんな場所でいちゃつけるよな」
「「え?」」
ジト目の先にあるのは、恋人繋ぎでこそないがしっかりと繋がれた手。全く意識していなかったそれを急に意識させられ、なんだか恥ずかしくなって手が離される。
エウリさんもそれは同様のようで、なんとなく目を合わせずらい空気になってしまった。俺が未だ女装したままなので、見た目は少々百合百合しいだろうが。
「まあ、オレ何も言わねえさ。行くぞ」
「……はい」
なんとも言えない空気感のまま、ドアを開けたフロックスさんの後に続いた。そこに広がっていたのは、惨劇の場だった。光を灯していたであろう道具は砕け散り、テーブルや椅子はへし折られ、唯一形を保っているカウンターも血で染まっている。
驚くことにこれら全てに魔力が通っていた痕跡があり、左の視界で全てを見ることが出来ていた。だが右の視界はかなり薄暗く、普通の人であればかなり見え辛いだろう。
「ああもう、暗いなここ。◼️◼️◼️」
何語か呟いたフロックスさんは、魔術で作られたと思われる魔力の塊である光の球を浮かべ、奥に向かってズンズンと進んで行く。2階に上がり、豪奢だったと思われる砕かれた扉を抜け、ようやくそこで で止まった。そしてこちらに振り返り、堂々とこちらに手を差し出して言った。
「ようこそ、ギルドマスターの部屋に。本来は入れねえが、一応オレは元ここのギルドマスターだからな。何代経ったか知らねえけど、その権限で入れてやる」
「ありがとう、ございます?」
「むりしないでくださいよ、フロックスさん」
お礼を言ったのはいいものの、なんで態々こんな場所に連れてこられたのかが分からない。なんだろうかとエウリさんと共に首を傾げている間にも状況は進む。
今朝見せてもらった金属板を無事だった机に翳し、開いた引き出しから同じ様な金属板を取り出した。しかしその色は、フロックスさんの持つ金ではなく鈍い銅色。昔読んだことがある気がする何かの記憶を辿るに、何か身分の違いがあるのだろう。
「エウリは読み書きは出来るよな、ならこれ読んで書いといてくれ」
「はい!」
そんな考えごとをしている間に、何か文字が書かれた紙と記入する用と思われる紙がエウリさんに手渡されていた。多分登録に必要な情報を書くのだろう。
「で、モロハは確か書けはしないんだよな」
「ええ。話は出来ますし、ある程度は読めるんですけどね」
読みに関しても、日本語で例えるなら平仮名と片仮名、簡単な漢字と数字を読めるくらいでしかない。難しい文法なんて出てきたら、一巻の終わりでもある。
「じゃあオレが代筆するから質問に答えろよー。身分証発行に必要だからな」
「分かりました」
そうやって聞かれた質問は、予想以上に少ないものだった。名前・年齢・性別・得意な武器の、たった4つだけで終わりらしかった。それを、下の階にある水晶玉が起点となった魔道具に打ち込めば登録完了らしい。
「あ、ちょっといいですかフロックスさん」
「ん? 何か忘れてたか?」
「いえ、ちょっと……その、俺のこの姿での身分証も偽装しておかないとと思いまして」
折角の変装だというのに、身分証が原因でそれがバレちゃ意味がない。説明しなくてもそれは分かってもらえたようで、もう一度同じ質問が繰り返される。
「名前はどうすんだ?」
「あー……ルーナで」
欠月だし、女の子っぽい名前にするにはそれで十分だろう。今まで王都にいた時も、確かそう名乗っていたはずだ。
「年齢は?」
「何歳に見えます? フロックスさんから見て、妥当だと思える年齢で」
「じゃ、16と」
「得意な武器はどうする」
「適当に魔術で」
「へいへい」
そうして完成した3枚の書類と無地の銅プレートを持って、フロックスさんが言った。
「多少時間かかっから地図探しといてくれ。必要だろ?」
「はーい」
そうして薄暗い空間に取り残されて、男女で何も起こらない訳がなく。なんてことはなく、無言の空間が訪れる。フロックスさんが居なくなったことで話しかけ辛い空気が加速して──
自己否定ーー羞恥心を否定しました
「さっきは、なんかすみません」
「い、いえ、わたしことそかってにてをつないじゃって……」
「そんなこと言っても、元はといえば俺に問題があって……」
わたわたと弁明するも、話は一向に進まない。互いに微妙に赤い顔て黙ってしまう。うん、いいや。ちゃんとしよう。
「地図、探しません?」
「そうです、ね!」
どうにか誤魔化して過ごすこと数分、どうにか地図は見つけることができたのだった。後は、補給をしたら出発だ。
今更ながら、地図って多分機密情報だよね……精神衛生上悪いし、気にしないでおこう。読めないし。
急に変わった態度
もしかして→何かの影響
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40 王都へ
無事な生きている馬が2頭手に入った。
汚れていない、腐ってもいない、毒が混じってもいない食料が手に入った。
井戸があったから、水が手に入った。
王都までの地図が手に入った。
馬なんて乗った経験がないから、仕方なくフロックスさんに捕まって移動したことだけは少し恥ずかしいが。
「危険な思考かな、これ」
自己否定ーー眠気を否定しました
草木も眠る丑三つ時。眠って夢を見ることが嫌で立候補した火の番として、薪を継ぎ足しながら呟いた。
こんな、極論人がいなくなればいいなんて思考の根差した考えは、持ってはいけないものだ。そう心から思うことは確かだが、これは本当に自分の考えと言っていいのだろうか。
もしかして自分は、気づかないうちにそう考えるように洗脳されているのではないか。若しくはこの身体を流れる血……つまり、ファビオラの考えが流れ込んできているのではないか。若しくは、自分の中にある名も知らぬ英雄の考えなのではないか。
自己否定ーー不安を否定しました
夜という安寧と不安の同居する時間の所為もあってか、そんな考えばかりが浮かんでは消えていく。人は傷を負って強くなる、ならば傷を負えないか忘れてしまう俺はいつ成長するのだろうか。出来るわけがない、それが答えだ。
「だったら、自分で抉るしかないだろう」
それでも歩みを止めないのなら、そうしなければ死あるのみだ。何事も疑って、身体の鍛錬は重ねて、心の傷を抉って、そうしないと俺は駄目なのだ。そうしなければ、そうし続けなければならないのだ。そんな生活、正直、気が狂いそうになる。
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー眠気を否定しました
しかしこうさせる原因のチートが心を保つ。クソみたいな悪循環だ。けれど改善する方法もない以上、続けねばならない。自分を嫌って否定する寸前まで責めて責めて責めて責めて、そうしなければ何も出来ない愚図になるだけだから。
考えを再開する。
ここまで、上手くことが運びすぎてはないだろうか。何にも巻き込まれず、問題もなく、順調に進み過ぎているのは不気味に思える。誰かの手引き、そう考えることだって出来る。もしそうだとしたら、俺には何が出来るのだろうか。それとも、これから俺にはどうしようも出来ないことが待ち受けてるんじゃないだろうか。せめて、エウリさんくらいは逃がしたいとは思うが、そんな都合のいいことはないだろう。
そのエウリさんについても、解決出来ていない問題が多数ある。
まずは俺が、依存しているんじゃないかという話。これに関しては、本当にどうしようもない。今、俺が心の支えに出来るのは惚れた人の存在くらいしかないのだ。もしエウリさんがいなくなったら、多分俺は生きる気力も失う気がする。こんな身体になったうえ、同級生の状況を考えれば地球に戻ることは諦めるしかないし、もう
次に、昼間のエウリさんとの距離感の異常についてだ。あの時は気分が高揚していて気にならなかったが、改めて考えると明らかにおかしい。多少は意識して貰えていたと思うが、それでもあんなに距離が近かったわけじゃない。
「原因は、これだよな」
燃焼回路ーー起動完了
informationーー最低限度の感情を装填
燃焼回路ーー焼却を開始します
燃焼回路ーー焼却が完了しました
指先に灯した青い炎を見ていると、色々と思い出してくる。
この炎は、俺の感情や記憶を薪として焼べて生まれた炎だ。あの夜のことからしてそれは間違いない。そしてエウリさんのモロハさんが分かった発言から、炎を浴びた人は多かれ少なかれ燃料となった感情や記憶の影響を受けるだろうことが予測される。
つまり、俺が言いたいことはこうだ。エウリさんは元々俺に対しての好意はあまりなかった。けれど、俺のそういう感情を巻き込んで生まれた炎を浴びて、俺の感情が転写されて距離が近くなった。
無論、昨日の夜フロックスさんと話していたことを聞いていたと考えることも出来るが、俺としては前者の可能性が高いと考えている。
「だとしたら、俺は糞以下の人間だ」
惚れた女の子に、不慮の事故だったが洗脳じみたことをして惚れさせただ? そんな奴、今すぐ腹を切って死んで然るべきだ。生きている価値なんて微塵もありはしない。
自己否定ーー自殺癖を否定しました
自己否定ーー自殺癖を否定しました
そう思って抜いた短剣は、それ以上進むことはなかった。まるでそんなことはさせないとばかりに、腕の動きが止まったのだ。仕方なく鞘に戻せば、自由が回復した。
確かに今俺が死んだら、姫様とのパイプを失った2人は面倒なことになるのは想像に難くない。年齢経験が違うのだから、自意識過剰と言われればそれまでだが。
あれも駄目これも駄目それも駄目、問題点を上げていくだけで自分が今どれだけ歪で壊れそうなのかが分かる。解決案だって、1つも思いつきやしない。結局、不安を抱え込んで自滅するだけだ。
自己否定ーー不安を否定しました
自己否定ーー悲壮感を否定しました
「駄目だな」
これ以上考えても、多分チートに掻き消される。考えるのを止めてはいけないが、考えるのは無駄になる。ほんともう、意味がわからない。ふざけている、なんなんだ俺は。
自己否定ーー怒りを否定しました
自己否定ーー怒りを否定しました
自己否定ーー不快感を否定しました
無理矢理落ち着かされた感情が、直前までの考えを押さえつけた。やはりこれ以上考えるのは、意味があるが無駄になるのだろう。チートによる干渉が、強くなってきている。
だったらやることを変えよう。まだ夜は長いのだから。
「吸血鬼の魔法、考えないと」
ここ数日血を吸っていないし、そちらに思考を移すのが懸命だ。昼間の血に染まった街のこともあって、吸血衝動が高まっているのだ。今も寝ているエウリさんを、正確にはその白いうなじを見て、思い切り噛みつき血を吸いたいという欲がフツフツと湧き上がってきている。
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
まあ、チートがそれを消し去るのだが。その内に意識からある程度外してしまえば、少しくらいの時間は稼げる。そうすれば問題ない。俺がエウリさんから血を吸うなんて、“自分”が“俺”である内は有り得ないのだから。
「確か、サングィースだったっけ」
お婆さんにも教えてもらうことの出来なかった、吸血鬼としての魔法。キョウフを操るというのはよく分からないが、実物を見たこれなら使えるはずだ。そう思い込んで、もう一度魔法として意識して単語を口にする。
「
すると、魔力が抜ける感覚と共に不可視の、魔力で出来た牙が空中に形成された。上下合わせて4本のそれはある程度自由に動かせるようで、しかし消すことは出来ないようだった。
「《排出》」
あまり夜に血の匂いを撒き散らすのは良くないだろうが、何か有害なものが来たら殺すと割り切り人体の一部を取り出した。そして軽く放り投げたその腕に、魔法の牙を突き立てた。
「あ、が、ぐ、ぎぃ」
瞬間、何もかもが流れ込んで来た。
記憶信念技術思い出人格人生好み残念尊敬失望絶望██████████
informationーー存在の流入を確認
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
チートがそれらの侵食だけを完全に消し去った。だが、これで分かった。この魔法は、駄目だ。使い続けたら、自分が壊れてしまう。いなくなってしまう。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
カランと、乾ききった人体のパーツだったものが焚き火の近くに落下した。そしてすぐに、白い砂のようなものに変化して崩れ去った。
「だけど、それでも」
ファビオラは『勇者のチートすら我が身に宿す』と言っていた。自分が消えてなくなりそう? 壊れてしまいそうだから止める? 冗談じゃない。破綻しているのは自覚しているが、もう死にたくないし死なせたくないのだ。その為の力が手に入るかもしれないなら、無茶をするに値する。意地を張らずにしてなにが男だ。
「
取り出した先程とは逆の腕に魔法の牙を突き立てる。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
「
取り出した右脚に魔法の牙を突き立てる。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
「
取り出した左脚に魔法の牙を突き立てる。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
「
取り出した胸部に魔法の牙を突き立てる。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
「
取り出した頭部に魔法の牙を突き立てる。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーーチート《肉の壁》を奪取しました
「やっと、か」
自分の中に、何か異物が紛れ込んだのを感じた。内側から無駄に圧迫して、気持ち悪くて吐き気がする異物。自分を内側から食い破って出て行きそうな暴力的な力。これが自分以外のチートを、分不相応な力を取り込んだということなのだろう。
「ぐ、おぇ……」
こんなものを、100個以上も抱えているファビオラの異常性が、今更になって実感を伴ってくる。
自己否定ーー《肉の壁》のロックを否定しました
自己否定ーー《肉の壁》の防衛機構を否定しました
自己否定ーー《肉の壁》の所有者登録を否定しました
自己否定ーー《肉の壁》のシステムを否定しました
燃焼回路ーー起動完了
informationーー《肉の壁》の廃棄部分を装填
燃焼回路ーー燃焼効率 : 最悪
informationーー即時焼却要求
燃焼回路ーー了解
燃焼回路ーー廃棄品を焼却します
吐き気を誤魔化して薬を飲み込み、痛覚を麻痺させる。そうして待つこと1時間。
燃焼回路ーー焼却が完了しました
燃焼回路ーー焼却を終了します
燃焼回路の動作が終わり、青い炎がストックされた。しかし、まだ他のチートの動作は止まらない。俺以外誰にも知られることなく、着々と進行していく。
informationーー《肉の壁》の精査を開始
informationーー不要部分検出
自己否定ーー***を否定しました
informationーー《肉の壁》のシステムを再構築
informationーー最適化を実行します
勝手に進んでいくその作業は明け方まで続き、日が昇ってからようやく最適化が終了したのだった。
informationーーチート《肉の鎧》を取得しました
チート
《肉の鎧》
殺傷性 : E 防御性 : S 維持性 : S
操作性 : F 干渉性 : A
範囲 : F
空気・音・光は通す重さのない筋肉の鎧を、指定した身体の一部にのみ装着する。
鎧の発動中は体力の消耗が加速し、装着箇所の筋力・瞬発力は一時的に増加する。
任意にパージと再発生が可能。
厚さ5cmで保有者のみ鎧を無視できる
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41 王都
出来る限り人のいる街に寄らない様に、面倒ごとに巻き込まれないよう森の中を進んで1週間と少し。街を出発してから平穏無事に、何事もなく俺たちは王都へ到着した。
数回鹿や猪の様な魔物に襲われはしたが、今のメンバーで負けるはずもなく食料となっただけだった。
「にしても、随分な行列だな。祭りでもやってんのか?」
「俺も9日しかいなかったので、ちょっと分かりません」
王都を囲む高く分厚い壁、その四方にある入り口。俺たちのいる北側の入り口では、500人程の行列が出来ていたのだ。理由がないとおかしなレベルのその人数に、恐らくかなりの長時間待たされることになる。
「かべがしろくて、おおきくて、すごいです。それに、これるなんておもってません、でした」
「俺も、まさか生きて帰ってくるとは思ってませんでしたよ」
実際一度死んだのだから、生きて帰ってきたとは言い難いかもしれないが。
まあ、そんなことはどうでもいい。
問題は、これからかなりの時間待たされなくてはいけないということだ。片腕のない俺とフロックスさんに対する忌避と嫌悪の目、エウリさんに向けられる情欲や獣欲の類が込められた目、どちらも吐き気がするほど気持ちが悪い。
一応変装を解き眼帯も包帯に変えた俺が槍を担いでいるからこれで済んでいるが、いつ手を出されるかわかったもんじゃないここには長居したくないのが本音だ。一応、槍の穂先は鞘に納めているから下手な怪我の心配はない。
「そんで、ここからどうすんだよ?」
「まあ、待つしかないでしょうね。俺が門番を脅して入るのも出来ますけど、ちょっと印象的に悪いですし」
「そうですか……ひまに、なりますね」
そして、ここで俺たちの様に比較的冷静に待っていられる者は限りなく少ない。
ここまで長く待たされるとは思っていなかったであろう商人。荒くれ者である冒険者。所謂平民と呼ばれる普通の人々。誰もがイラつき、それを発散する為か所々で小競り合いや喧嘩が起こっている。
自己否定ーー不快感を否定しました
「けどよ、このまま待ってたとしたら日が暮れるぜ?」
「その場合、もう一泊でしょうね……」
その場合、今もくまが濃いようだがもう一晩寝ずに過ごす。フロックスさんなら不埒な輩は寝てても撃退出来るだろうけど、エウリさんは心配だから。
それに、普通の人間と違って1日追加されようが大きな問題がないことも影響している。2人は無論心情的にダメだが、俺は最悪血を一滴でも舐めておけば倒れはしない事が判明したし。事実、今日も血と干し肉しか食べてない。
そのせいで、身体は元気なのだが半吸血鬼としての本性が出てきていてマズイ。日光に当たっている手の甲が赤く日焼けし、エウリさんやフロックスさん、他の待機中の女性がひどく美味しそうに……正確には血が美味しそうで堪らない。
自己否定ーー吸血衝動を否定しました
自己否定ーー眠気を否定しました
僅かに意識が逸れた時、暇な時間は終わりを告げた。
「おい、そこのガキ。ちょっとこっち来て酌しろよ。そんな“欠け”共といるより良い思いさせてやんぜ」
「へ?」
自己否定ーー不快感を否定しました
髭面の皮の鎧と剣を持った壮年の男性が、赤ら顔で話しかけてきた。しかしその対象はエウリさんで、手には酒の香りがする革袋を持っている。もしかしなくても酔っている。
「いやです。あなたなんかに、なにかをするりゆうはありません」
「ちっ、“欠け”の奴らと一緒にいると不運になるってのも知んねぇのか? 悪いことは言わねえから来いっての」
「べつにそんなこと、ありませんでした。ですので、いやです」
その誘いをキッパリと断り、エウリさんがフロックスさんのすぐ近くに移動した。明らかに嫌そうな顔をしており、こうまでされたら普通は手を引くだろう。
自己否定ーー不快感を否定しました
けれどやはり、酔いというものはそれを容易く忘れさせてしまうものらしい。
「冒険者の内じゃ確かな迷信なんだよ! いいから早くこっちに──」
伸ばされた冒険者の手を、2人が魔法を使う前に掴んで止めた。筋肉質のそれは普段の俺では止められるものではないが、強化の魔術込みであれば問題ない。
「嫌がってるのは分かるでしょう? 大人なら、それくらい察して辞めませんか」
「テメェこそ、手を離せよ“欠け”風情が。テメェらは同族同士で乳繰り合ってればいいんだよ! 俺らの世界に入ってくるんじゃねぇ!」
唾を飛ばしながら、髭面の冒険者が俺を蹴り飛ばそうと丸太の様に太い足を振りかぶる。狙いは胴体から左肩。欠損部分を攻撃して、どうにかしようという魂胆だろう。
肉の鎧ーーstart-up
蹴りを、新たに手に入れたチートが真っ向から受け止めた。まるでタイヤを蹴った様な鈍い音が響き、蹴りが止まる。鈴森が使っていたチートより薄くなった代わりに纏うものが贅肉から筋肉になったチートと、強化の魔術が吹き飛ばしも防止した結果だ。
自己否定ーー不快感を否定しました
ああ、それにしても。さっきの言は気にくわない。
「別に俺のことをどう言おうが構いませんけど、そんな汚い手であの子に触れるな」
ぐしゃりと肉を潰す音が鳴り、直後くぐもったベキという音が鳴った。力を入れ過ぎたらしい。手首のあたりから、髭面冒険者の腕を折ってしまった様だ。幾らイライラしてるとはいえ、やり過ぎてしまった。こうなったらもう騒ぎになるのは免れないだろう。
自己否定ーー怒りを否定しました
叫び声を上げてのたうち回る冒険者を無視して謝ろうと振り向けば、フロックスさんは『やっちまえ』と口パクで言っていた。しかもサムズアップ付き。エウリさんも嬉しそうに見てくれているが、正直心が痛い。本格的な検証は姫さまの所に着いてからだけど、恐らくあの仮定は事実だろうし。サムズアップを返して返事をしておく。
閑話休題
何故か野次馬も結構集まってきたし、やるしかないのだろう。であれば、もういっそ極めて派手に騒いで衛兵を呼び、勇者としての特権でゴリ押しするのが1番早い道か。
自分の中で折り合いをつけ、驟雨を手に立ち上がり冒険者を挑発する。
「たとえ善意だとしても、さっきのあなたは迷惑なんですよ。それにこれであなたも見下していた“欠け”とやらと同じになりましたけど、それでもさっきと同じこと言いますか? それとも、自分だけ特別扱いで列に戻りますか? どちらにしろ、滑稽極まりないですね」
「この、クソガキが」
鼻で笑いながらそう挑発する。血を流す腕を抑え、血走った目でこちらを睨む冒険者を見る限り、あと一押しで戦闘になるだろう。そうすれば、俺が勝とうが負けようが騒ぎになって衛兵がやってくる。そうなれば、あまりやりたくはないが身分のゴリ押しか脅迫かで押し通ることが出来る。
「ああそれとも? その腰の剣でも抜きますか? まあそれがお飾りじゃなければの話ですけど。あ、そっか、“欠け”になったから振れませんでしたね、すみません」
態々武器を見せつける様に、相手を見下す様に注意しながら2度目の挑発をする。これで恐らく、火がついた。
「そこまで言うならやってやらぁ! 死にやがれクソガキがぁぁっ!!」
剣を抜き走って近づいてくる冒険者だが、酔っているのがかなりマイナスに働いている。魔力が上手く回っておらず、使っているであろう強化の魔術の掛かりが悪い。利き腕を潰したからか、剣のバランスが悪い。足も何処か素面と比べると十全に動いてはいない。
そんな状態で誰かに挑むなど、無謀もいいところだ。それは当然、俺に対してであっても。
雑な横薙ぎに振られた剣をしゃがんで回避し、魔術とチートで強化された拳を鳩尾に叩き込んだ。傍目からは線の細い子供の攻撃にしか見えないだろうが、実際の手応えは違った。硬質なものが折れる感触と共に、冒険者が派手に吹き飛んだ。皮の鎧が無ければ、多分貫通していたと思う。
自己否定ーー狂乱を否定しました
自己否定ーー激情を否定しました
「癒しよーー」
激痛に耐えながら、コートの下、砕けた拳と、無理な力の行使でズタズタに裂け血を流す腕を回復させる。そして汚すのは嫌なので、腕を伝う血を《収納》しておく。
手をグーパー動かして動作を確認しつつ派手に吹き飛んだ冒険者の方を見れば、髭面冒険者は血や吐瀉物を痙攣しながらリバースしていた。音も見た目も非常に汚い。
肉の鎧ーーsleep
野次馬の指笛などが鳴り響く中、フロックスさんとハイタッチする。無駄に疲れるチートも解除しているので、見た目相応のパチンという小さな音だけが響いた。
「よっし良くやったモロハ。スカッとしたぜ!」
「代わりに腕がぶっ壊れましたけどね」
「だいじょうぶ、ですか?」
「一応治したし、動くので大丈夫です」
「みせてください!」
手を動かして見せたが、信じてくれないのかエウリさんに袖口を捲られてしまった。日光に当たり赤くなっていく腕を、エウリさんがぺたぺたと触る。それからとても心配してくれていることが伝わってきて……心が軋む。
「よかった、だいじょうぶです」
「ありがとう、ございます」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
チートの助けも借りて、なんとか普段通りに受け答えをする。ここ数日、ずっとこうだ。微妙にフロックスさんには違和感を気取られてる様な気がするから、いつか話さないといけないだろう。
「おい貴様ら、何をしている!」
そんなことをしている間に、ガシャガシャと音を鳴らして衛兵の人たちがやってきた。2人組の片方は髭面冒険者の手当てをするためかそちらに向かい、もう片方はこちらに向かって歩いてくる。
「幻よーー」
まだ遠くにいる兵士に気づかれる前に、自分が女装した姿であるルーナの幻影を魔術でこっそり生み出しておく。短時間であれば、視覚・気配・魔力の3つくらいは騙せるくらいには、魔術の制御は出来るようになったのだ。
そして、俺の前に立った兵士が何かを言いかけ──俺の顔を見て、ひっと息を飲んだ。
「ゆっ、勇者……」
「ええ、途中で死んだことにされてると聞き及びましたけど。無事帰ってきました」
にこりと微笑んでそう言うと、兵士はジリと後ずさった。ふむふむ、これなら、多分行けるか。
「俺の
「わ、分かった。今は誰もいないから、貴族専用のレーンから入れ。連絡は入れてやるから、もうこんな騒ぎは起こさないでくれ」
どうやら、目論見は上手くいったらしい。ここからが一番暗殺に注意しなければいけない時間ではあるが、今は1人じゃないのだ。2人には事前に俺の立場は説明してるし、どうとでもなる。
初めて、この勇者というクソみたいな称号に感謝した。
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42 王都②
「にしても、勇者ってのは随分と権限があるもんなんだな。まさか街に入るのに、ボディーチェックの1つも無えとはな」
「俺たち勇者は、使い捨ての特攻兵器ですからね。幾ら道具を使って洗脳してるって言っても、気づかれて反乱でもされたら堪りませんし」
誰に先導される訳でもなく王都の中を歩きながら、俺たちはそんなことを話していた。エウリさんとは、一足で飛び込める距離を保つがそれ以上は近寄らずにいる。未だに、大切だけど距離を掴みかねているのだ。
「でも、なんでとりついでもらったのに、ひとがこないんでしょう?」
「伝えられてないんじゃないですかね? その方が都合が良いですし」
満身創痍で帰還した勇者だったが、傷は深く主人の元に帰ることが出来ず敢えなく死亡。多少無理はあるが、俺を排除するには都合のいい話だ。
「むぅ、ならきをつけないとですね!」
「ですね」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
軋む心を抑え込み、どうにか作り笑いを浮かべて答える。好意と罪悪感で心が砕けそうだ。
なんてことを話している間に、見覚えのある屋敷にたどり着いた。けれど、何か空気感が違う。例えるならば、臨戦態勢の様な気配が屋敷から漂っているのだ。嫌な予感がして包帯を外せば、左目には異常な密度で屋敷を覆う魔力の流れが見て取れた。
「おいモロハ」
「みたいですね。人も、いなくなってますし」
「え?」
周りを見たわせば、既に目視の範囲内には人っ子一人存在していなかった。俺は槍を構えて、フロックスさんは木刀を創り出して臨戦態勢に移行する。そんな俺たちを見て、僅かに遅れてエウリさんも杖を構えた。
自己否定ーー慢心を否定しました
自己否定ーー油断を否定しました
「《排出》《収納》」
愛槍の鞘に噛みつき、ドーピングしながら鞘を収納する。同時にコートを収納脚甲と腕甲も排出し、臨戦態勢を整えた。薬によって無理やり鋭敏化した感覚が、湧き上がる闘気の様なものが放たれているのに気付かせた。どうせここまで来たのだから、意味のない幻術は解除しておく。
「エウリ、もっと下がってろ。下手したら、巻き添えで死ぬぞ」
「え」
「お願いしますエウリさん。師匠相手じゃ、守りきる自信がありません」
屋敷から出て来たのは、片手剣を構えたヘルクトさんだった。鎧も着てるし、殺り合う気は満々だろう。
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー雑念を否定しました
「さて、モロハ。魔族を連れ込むたぁ、いい度胸してるじゃねえか。ことと次第によっちゃあ、斬り殺すぞ」
「瀕死の俺を助けてくれた恩人で、その村がクソ勇者に滅ぼされて、その生き残りって言ってもダメですか」
「ああ、駄目だ」
瞬間、師匠の姿が掻き消えた。けれど、僅かに走る魔力の軌跡だけは目で追うことができる。
肉の鎧ーーstart-up
「ガッ!?」
「モロハ!」
チートと魔術の二重の強化で跳ね上げた槍ごと、勢いよく俺は吹き飛ばされた。咄嗟にチートで覆えたのは腕だけだったので、地面をバウンドし、転がり、壁に叩きつけられた時には腕以外を酷く痛めつけていた。力が、上手く入らない。
自己否定ーー動揺を否定しました
「カ、ハッ……」
「モロハさん!」
呼吸を整え、驟雨を支えに立ち上がった時、エウリさんが回復魔術を掛けてくれた。それにより少しだけ力の入り具合がマシになり、ああこれなら無茶が出来る。
「全開!」
チートで全身を覆い、魔術も全開にして突撃する。左目を見開き、高速で打ち合う2人の戦場に突撃する。チートを全開で動けるのは10分あるかないか程度だけど、これなら!
「幻よ!」
自己否定ーー吐き気を否定しました
自己否定ーー頭痛を否定しました
フロックスさんが弾かれ距離を取られたのに合わせ、5人分の幻術と共に斬りかかる。俺が今痛みを感じないからできる、処理能力を限界まで使った荒技だ。鼻から流れる血で鉄臭いが問題ない!
「術の構成が甘ぇ、それに致命的に速度が足りてねぇぞ!」
幻影が全て秒と保たずに斬り裂かれ、俺自身にも斬撃がきた。これは、駄目だ。斬り裂かれる。
「《収納》!」
俺の全力の斬り下ろしと、師匠の横薙ぎ気味の斬り上げが衝突する。その寸前、チートの力を槍に纏わせる。これなら!
「そいつがお前の、チートかぁっ!!」
剣と槍が拮抗した数瞬だけガラス同士が擦れる様な音が響き、直後砕ける音に変化した。チートが、相殺された?
自己否定ーー動揺を否定しました
「だが未熟!」
「あ、がぁっ!」
自己否定ーー焦りを否定しました
さらに、単純な力で打ち負けた。全力の魔術行使のお陰で槍は無事だが、槍は弾かれ胴体がガラ空きになってしまった。これでは、殺してくれと言っている様なものだ。
「
振るわれた剣を、空中に咲いた花が受け止めた。エウリさんの魔法だ。無論すぐに力負けし花は崩壊したが、稼いだその一瞬は万金に値する。
「伸縮機構──!」
「オレを忘れんじゃねえ!」
伸ばした石突きで床を叩き反動で脱出し、入れ違いにフロックスさんが斬りかかる。連携というにはお粗末だが、この際そんなことはどうでもいい。
「モロハさん、これ、どういうことですか?」
「さあ。俺の予想が間違ってたか、それとも。なんにしろ、ダメなら死んでもエウリさんは逃がします」
もしここでエウリさんを死なせてしまったら? もし俺は生き残ったとしても、自責の念に堪えられない。死ぬか、自己否定で自分を消してしまう。
自己否定ーー自責の念を否定しました
どうやら後者しかないようだ。
「チィッ」
「察するに、本来の戦い方じゃねえな? その腕と、剣もだな。出し惜しみか!」
「ハッ、どっちも無くしちまったもんでな!」
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
自分自身に悪態を吐きつつ見れば、師匠とフロックスが打ち合う度に木刀が欠けていっている。多分、師匠の剣は相当な業物なのだろう。恐らくはそれに加え、さらに姫さまによって強化されている。
「そりゃあ惜しいな、剣が軽いぞ!」
「くっ」
一応、チートの炎は僅かに残っている。凡そ一合分あるかないかだが、いっそ使ってしまえば──
そう踏み切りかけた時、ポンと手を叩く音がした。
「はい、そこまで」
そしてそんな言葉と共に、そういう感覚に疎い俺ですら分かる魔力の波動が駆け抜けた。誰もが一瞬動きを止め、フロックスさんから距離をとった師匠が剣を納めた。
自己否定ーー安心を否定しました
「いいんですかい? 姫さん」
「ええ。どうやらモロハも本物の様だし、2人にも害意は無かったわ」
俺もフロックスさんも未だ警戒を辞めておらず、エウリさんもいつでも魔術や魔法を使える様杖を握りしめている。そんな中で話すには、異質な会話だった。
自己否定ーー猜疑心を否定しますか?
無論いいえだ。しかし、ということはつまり……
「俺たちを試していたってことでいいんですかね? 姫さま」
「そうよ。送り出した部下が半分吸血鬼になって、中立の立場にいるとはいえ魔族を連れ帰ってきたのよ? 先ずは洗脳か偽物と疑うに決まってるじゃない」
ニコリと笑みを浮かべながら、姫さまがそう言った。もう、そこまでバレているのか。ここで拒絶された場合は、腹をくくるしかない。
「でも、もういいわ。理由はさっき言った通りね。私、マルガレーテ第2王女は貴女達を歓迎するわ、
ウインク付きで差し出された手に、直前までの戦闘の雰囲気は完全に霧散したのだった。
◇
それから少し時間が経ち、俺は地下の訓練場に立っていた。否、正確には俺と師匠だけがこの空間にいた。
「『ここから先は女の子だけの話よ』だとさ。姫さん、もうそんな歳でもねぇだろうにな」
「殺されたいんですか師匠?」
唐突に紡がれたそんな言葉に慌てて注意を入れる。見逃しは同罪なのだ。まあ、それはどうでもいい。
「2人を連れて行きましたけど、何か変なこととかしないでしょうね。フロックスさんがいるから、大事には至らないと思いますが」
「ったりめぇだ。姫さんがんなことする奴なら、とっくに見限って斬り捨ててるっての。大方、ここで過ごすにあたっての注意とかだろうよ」
「それならいいです」
確かに、俺には説明できないことだし、そういうことを説明してもらうなら同性の方が色々都合が良いだろう。もしそうでなかったら──
「そういやお前、ここを出た時とはまるで別人みてぇに強くなってんな」
そんな俺の思考を中断させる様に師匠がそう言った。確かに、随分と変わったと思う。見た目も、中身も。
自己否定ーー悲しみを否定しました
「文字通り、死線を潜ってきましたから」
「その目もか?」
「ええ、まあ。ファビオラって吸血鬼に抉られました。髪もまあ、俺のチートの関係です」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
最低限これだけ言っておけば、変に疑われることもないだろう。俺の弱点というか、弱みを知ってるのはあの2人だけでいいのだ。後はまあ、姫さまには報告しないとダメかもしれないが。
「よく生きてたな、お前」
「遊ばれてましたから。それに、今となっては俺も半分吸血鬼ですし」
自己否定ーー驕りを否定しました
左目を開いて、その
「気にすんな。うちにも混ざりもんは結構な人数いるしな」
自己否定ーー安心を否定しました
そうやって、師匠に背中を叩かれた……筈だ。身体がぐらついたから間違いないが、残念ながら感覚がない。まだ薬が効いてるらしい。
「それに、あんな力出せるんだからいいじゃねえか。お前自体が軽いからなんとかなったが焦ったぞ。ちょっと見せてみろ」
「ちょっ」
話しているうちに、バッと服の袖が捲られた。そうして露出されるのは、細く傷だらけなボロボロの腕。多少筋肉は増えているが、傷痕の方が圧倒的に多い。
「……強化魔術の暴走か。それも1度や2度じゃない、常習犯だな?」
「分かるもんなんですか?」
「戦闘の傷でも拷問の傷でもない、内側から裂けたような傷痕ばっかりだ。それを無理やり治したのは治癒の魔術。平然と使ってるところから見るに、薬だな?」
「はは、全部お見通しですか」
「ったりめぇだ。俺が何年戦ってきたと思ってる」
自己否定ーー油断を否定しました
苦笑いしつつ、袖を引っ張って下げる。こんな腕、あまり見せていたいものでもない。
「これで、なんでお前が古樹精霊なんつー奴らと関係があるのか分かったわ。薬の提供先かなんかだろ?」
「いえ。俺が使ってるのは拾った拷問薬なので。本当に、偶然瀕死の俺を助けてくれただけですよ」
「そうか」
そう言って、深く頷くだけで師匠はやめてくれた。今まで気にしていなかったが、多分ご禁制の品とかそういう類のものに含まれるのだろう。
そんなことを思いながら、師匠から距離を取る。
「何があったのかを詳しく話したくはないですけど、師匠ならこれでわかってくれますよね?」
近くにあった木槍を取り、切っ先を師匠に向けた。相手にされないレベルでボロボロに負けるだろうが、何を経験してきたのかは察してくれるだろう。そんな信頼はある。
「ハッ、言うようになったじゃねえか」
「胸をお借りします」
肉の鎧ーーstart-up
そうやって、人知れず地下で激突が始まった。
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43 王都③
目が覚めた時には、既に時間は昼を回っていた。
「それで、気絶して倒れるまで鍛錬してた? 馬鹿だなぁ、モロハ」
「そうです! しんぱいさせないでください!」
居た頃が懐かしく感じる屋敷の自室。俺はそこで、2人からお叱りを受けていた。しかも全身に力が入らずベッドに寝かされたままだというのだから決まりが悪い。
だが気絶したのは、第2のチートである肉の鎧の反動だ。師匠とやり合うには使うしかなく、けれど最後まで体力を吸い尽くされて終わってしまった。
「すみません、つい」
「謝んなくたって構わねぇよ。それより、一撃くらいは入れたんだろうな?」
「チートも魔術も魔法も全部使ってですけどね。自分の弱さに嫌気がさしますよ」
対する師匠は最低限の魔術と剣のみという、目も当てられない結果だ。少しは強くなった、少しはエウリさんを守れるようになったと思っていたが、間違いだったらしい。
「モロハは全力だったんだろ? ならいいんだよ。何度凹もうが沈もうが、立ち上がったらそれで勝ちだ」
「そう言ってもらえれば、幸いです」
そう言いながらどうにか起き上がると、遠慮がちにエウリさんが聞いてきた。
「そういえば、わたしたちはごはんたべちゃったんですけど、モロハさんはどうしますか? いちおうざいりょうは、ひとりぶんのこってるらしいですけど」
「血でも啜ってれば保つので、大丈夫ですね。晩までは問題ないですし、今は正直ロクに食べられそうにないです」
例えるならばフルマラソンを走った直後……いや、気絶していたらしいから少しは回復しているか。そんな状態で何か食べ物を出されても、食えるわけがない。
「モロハ、人間としていいのか? それで」
「正直、今俺がどれくらい人間なのかも分かりませんしね」
両親の顔すら、もう焼け落ちて思い出すことができるか怪しい。今思い出せる最古の記憶が、小学校の卒業式……しかも歯抜けのそれだ。白状すると、今の“俺”が姫さまに拾われた当初の“俺”であるという自信もない。
頼らざるを得ないうえ勝手に発動するとはいえ、チートに頼り過ぎた結果がこれだ。最早笑えてくる。
「そうか。オレからはまだ、モロハは人間に見えるぜ」
「わたしも、そうみえる、ます!」
フロックスさんに僅かに遅れて、エウリさんもそう言ってくれた。ただそれだけで安心してしまうあたり、自分の依存具合が見えてくる。微妙に言葉が間違ってるのすら……ああ自分が本当に、情けない。
自己否定ーー自虐を否定しました
「王女サマはどう見える? さっきからそこにいるのはバレてっからな。盗み聞きってのは、良くねぇんじゃねぇの?」
「あら、私としてはタイミングを伺っていただけなのだけれど」
そう返事があり、扉を開けて姫さまが部屋に入ってきた。手には何やら大きなバッグを持っている。多分本職ではない姫さまのそれすら見抜けないあたり、自分に活を入れなおさないといけない。
「姫さま……」
その瞬間、魔力の流れが全身を襲った。少々無理をして身体を起こし姫さまを睨みつけたのだが、あらの一言でサラリと受け流されてしまった。
「ザッと探った感じ、6割くらいは吸血鬼になってるわね。後戻りは出来ないけれど、別に人間の括りでいいんじゃないかしら?」
「ったく、理屈臭ぇなぁ。そうならそうと、前置きなく言やぁいいのに」
そうして少しだけ、何もなかった自分の部屋が騒がしくなった。それによって気が抜けた俺の手を、エウリさんが優しく握ってくれた。
自己否定ーー自己嫌悪を否定しました
自分の気持ちを押し殺してそれに心を委ねていると、コホンと姫さまが咳払いをした。そうして生み出された一瞬の空隙に、部屋を包んでいた空気がガラリと変貌した。和気藹々としていたものが、ピリッとした緊張感の走る空間へと変化した。
「さて、時間がないから手短にいくわよ。
モロハ、貴方にとって良い報告と悪い報告があるわ。どちらを先に聞きたいかしら?」
「悪い方からお願いします」
その問いに、俺は即座にそう答えた。どうせ希望なんて無いのだから、初めから希望のない話を聞いておく方が楽に決まってる。
そんなこちらの気持ちを知ってか知らずか、薄い笑みを浮かべた姫さまがゆっくりと話し始めた。
「そう、なら悪い報告から。
まずはモロハ、貴方の次の戦地が決まったわ。方向としては貴方がつい最近までいた古樹精霊の村があった場所と同じ、けれどもっと奥地の最前線よ」
「そんなっ!」
「大丈夫ですよ、エウリさん。続けてください姫さま」
どうせそんなことだろうと思っていた。だから別に、何とも思わない。チートが発動しなかったことが、その最たる証明だろう。そんな風に割り切れてる辺り、もう既に正気ではない、か。
「ええ。それじゃあ次にいくわね。
貴方に結構高位の勲章が授与されるそうよ。勇者3人が死した地を制圧し、殲滅して帰還した勇者云々ってね。事実とは真逆のことで讃えさせ貴方の心を抉り、暗殺もし易くなるクソみたいな手段ね」
「式典とかあるなら、そこでも注意しないと殺されますね」
「それなら出席は断ったから問題ないわ。『重傷と過度の疲労により動くこともままならない為』とか適当な理由を付けてね」
それなら、多少は安心しても良さそうだ。武装できる場所で襲撃されるのであれば、今まで通り対応すれば勝ち目はある。
「最後に、私の政略結婚の日程が凡そ決まったわ。つまり、ドカンとぶちかまして現状をぶっ壊してやる日程もね」
「……何時なんですか?」
「6ヶ月、つまりは大体半年後よ。だからそれまでに、貴方は帰って来なさい。これが、私が貴方にする最初の命令よ」
「拝命致します、でいいですか?」
「ふっ、上出来よ」
どこか戯けた芝居掛かったやり取りをしている俺たちを見て、フロックスさんが必死に笑いを堪えていた。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー笑いを否定しました
この会話が始まって初のチートがこれとか、何か納得がいかない。もう少し、かっこいい感じの発動はなかったのだろうか。
自己否定ーー後悔を否定しました
切り替えよう。そうしないと、暫くチートが発動し続ける予感がする。
「それじゃあ、良い報告って?」
「そうね。先ずはさっきの出席キャンセルが1つ。次に、それが理由で20日ほど貴方に休暇が与えられたわ。女装して、別人として気を楽にしているといいわ」
それに関しては、本当に良かったと思う。今のまま何かアクションを起こせと言われても、何も上手くいく自信がないし。
そう自己評価を下していると、姫さまが足元に置いていたバッグを持ち上げた。そしてテーブルの上に置いたバッグが開かれ、現れた物は目を疑うものだった。
「そしてこれが、メインの良い報告よ」
それは腕だった。
大きさは線の細い少年か、それとも普通の少女ほど。
長さは左腕の肩から指先まで。
しかし、明らかな異様でもあった。
所々に金属製のパイプが見え、同様に魔法や魔術由来の物と思われる透き通ったパーツが存在している。
総評としては、それは異世界テイスト溢れる義手であった。
「うちお抱えの職人に造らせた義手よ。いつまでもモロハが隻腕じゃと思って造らせてたんだけど……何よ、その腕」
「左腕がどうかしてるんですか?」
元々腕があったはずの場所を見て、やはり何もないことを確認して問いかける。
「うーん……例えば、最上位の魔術であれば指くらいなら生やしたり、切断された腕をくっつけることが出来ることは知ってるわよね?」
「それはまあ、一応」
自分が使える魔術では傷を塞ぐのが限界ではあるが。それが一体どうしたというのだろうか。
「それらが身体を治すのには、霊体……まあ、簡単に言えば魂みたいなものが必要なの。肉体と霊体は重なって存在していて、それがなくなると2度と再生が出来なくなってしまうわ。ここまでが前知識よ」
「はぁ」
自己否定ーー諦めを否定しました
まあ、なんとなくは分かった。どこかで聞いたことがあるような、お婆さんから聞いたような、そんな感じがする。そういうものとして今は理解しておけば良いだろう。
「普通、強力な呪詛でもないと霊体は傷つけられないのよ。でも、モロハの左腕の霊体は完璧に消滅してるわ。それがないからには、再生の余地も無いし、義手の操作も出来ないわね。馬鹿じゃないのかしら」
「なるほど……でも、俺のチートの反動ですから諦めます」
確か蘇生した時、色々なものが消えた筈だ。その中に確か、左腕に関する何かも入っていたと記憶している。命と引き換えと考えれば安いものだが、いざ無いとなると僅かに寂しいものだ。
「でも、折角の義手を無駄にも出来ませんし、フロックスさんにあげられませんかね?」
「は? なんでそこでオレが出てくるんだ?」
心底疑問に思っているようなフロックスさんに、自分の右腕を……そして持ち上げた義手を見せながら言う。そして立ち上がり、義手をぐっとフロックスさんに押し付ける。
「だって、俺とほぼ同じ体格してるじゃないですか」
「そりゃあそうだが……」
「それに、またフロックスさんには本気で扱いて貰いたいですから」
そしてなにより、フロックスさんが師匠に負けたというのが何か気に食わなかった。その理由が腕がないこと、腕がなくなった理由は勇者……つまりは同郷の奴がしでかしたこと。そう考えてしまえば、それ以外の選択肢はないも同然だった。
「それで大丈夫ですかね? 姫さま」
「元々貴方の腕だし構わないわ。取り付けと調整に1日は時間を取られると思うけれど」
「腕が戻るんなら、1日くらいなんともねぇよ。早速明日にでも頼むわ」
というか今、さりげなく元々俺の腕とかいう単語が聞こえて来たのだが。そっか……あのぐちゃぐちゃになった腕が元か。
そう感心する俺の耳元で「その間、エウリを頼むぞ」と小さく言葉が囁かれた。勿論だ、俺は今そのためにいるのだから。
「オレは明日動けねえだろうし、明日は2人で観光でもしてこいよ。変装してりゃあ、バレねぇんだろ?」
「いいん、ですか?」
「たりめぇよ。なあモロハ」
「ええ、喜んで」
まだ手足がカクカクとしているので格好はつかないが、ちゃんと態度で表した。ああ、けど、心が痛む。軋む。悲鳴をあげる。嬉しいが苦しい、そんな1日になりそうだ。
「なら、今日はゆっくりと休むといいわ。
ああ、そういえば忘れてたわね。おかえりなさい、モロハ」
「ええ、遅くなりましたが……ただいま戻りました」
こうして、王都帰還1日目の時間は過ぎていったのだった。
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44 王都④
王都に帰還した1日目、その深夜。充てがわれている自分の部屋のベランダに、俺はフロックスさんを呼び出していた。エウリさんは寝つき、誰からの監視もなく、隠していたことを話すタイミングはここしかないと思ったから。
「こんな時間に呼び出してすみません」
「別に構わねえよ。それより用事ってなんだ? 夜這いか?」
「茶化さないで下さい。これでも、死ぬ気で覚悟を決めたんですから」
そう、俺はここに殺される覚悟で来ていた。
俺がエウリさんのことを好いているのは、依存かもしれないが本当だ。だがエウリさんからの感情が洗脳によって歪められている、そんなことを憶測だろうが話したら斬り殺されても文句は言えない。
「そうか、悪かったな。で、なんだ? エウリのことだとは思うけどよ」
「やっぱりお見通しでしたか」
「あれだけよそよそしくっつーか、妙に避けてりゃな。避けられてる本人は気づいてねえだろうけどよ」
本人に気づかれてないなら、ギリギリ及第点としていいか。もし気づかれていても、思春期だから好きな人といるのは恥ずかしいと誤魔化せたけど。
自己否定ーー安心を否定しました
ああそうだ。安心なんかしちゃいけない。本番はこれから、まだ何も始まってすらいないのだから。
そうして俺は、チートの助けも借りて落ち着けた心で静かに言った。
「それで、要件ですが……もしかしたら、俺はエウリさんを洗脳ないし思いを歪めているかもしれません」
「どういうことだ」
空気が、氷点下に落ちた様に感じた。その正体は、フロックスさんから発せられる圧。達人の域に存在する者の殺気を浴びて、心臓が妙な鼓動を刻み冷や汗が流れる。
今にも俺を斬り殺さんばかりの気配と目つきに、言葉を発そうとした口からは乾いたヒュッという音しか出なかった。
自己否定ーー自己暗示を否定しました
チートのお陰で、極僅かにそれが軽くなった気がした。気がするだけで何も変わっていないが、それでもその僅かな変化のお陰で喋るくらいは出来る。
「違和感を覚えたのは、ギルドカードを作ったあの日です。確かに俺はエウリさんと親しくしてはいましたが、それは決して恋愛感情じゃなかった。あくまで俺の、片思いな筈でした」
ついうっかり手を繋いでしまい赤くなる、
自己否定ーー自惚れを否定しました
なら、急にエウリさんの態度が変わったのは何故だ?
向こうも恋愛感情を持ってくれた? 否だ。俺がもし告白していたのなら可能性は0じゃなかったが、していないのだからありえない
吊り橋効果? これも否だ。そもそも俺は守りきれていない、トラウマを覚えさせる様な真似をしただけの、ただの蛮勇でしかなかった。
こちらの感情に気づかれた? それも否だ。何せ俺のチートは、そういう感情だって消してしまう。一定以上に振れた感情の針は、それごと無かったことにされてしまうのだから。
であれば、やはり結論は1つしかない。
「その時は嬉しかった。ですけど、すぐに不信感を覚えました。それを火の番をしながら色々考えて、いつかのエウリさんが言った言葉で確信しました」
燃焼回路ーー起動完了
前出し残した炎を指先に灯し、フロックスさんに自分の推論を述べる。
「曰く、『あの炎を浴びてモロハさんのことが分かった』そうです。それから考えて、俺は1つの結論にたどり着きました。
俺が使うチートの青い炎は、自分の感情や記憶を薪として燃やしたもの。そしてこの炎を浴びた人は、その薪となったものを受け取ってしまう。最も、全部が全部ではなく一部、しかも確率は高くない様ですけど」
記憶が定かでなくなる以上断言は出来ないが、恐らくこれは間違いじゃない。チートが何の反応も示さないし、自分の中の何かも納得しているから。
そして、口の中の苦さを噛み殺して俺は続ける。
「そして俺はこの炎を、重傷だったエウリさんを治すために使いました。その時どんな感情が消えたのかは焼け落ちてるので分かりませんけど、村にいた頃の記憶が一部欠けていることからその時のこと……つまり、俺がエウリさんに片思いしていた記憶も含まれています」
「なるほどな、それで洗脳なんて言ったわけか」
そこで、今まで沈黙を保っていたフロックスさんが口を開いた。
「そうでもないと、あんなに急に態度が変わる理由がありません」
「だろうな、オレもおかしいとは思っていた」
冷たい目のまま、フロックスさんは言葉を続けた。
「故意じゃねえんだな?」
「誓って」
「そうか」
次の瞬間、天地が逆転した。
その認識から遅れて、顎に激痛が走った。最初から掛けていた強化のお陰で死んではいないが、逆に言えばそれがなければ首から上が千切れる飛んでいただろう、致命の一撃だった。
おまけに脳震盪を起こしたのか立ち上がることが出来ない。そんな俺の首筋を掴んで持ち上げられ、頭突きを食らった。視界がチカチカと明滅し、意識が飛びかける。それを意思だけで繋ぎ止めていると、手が離されたのを感じた。壁に寄りかかる事が出来たのは、少しでも体勢を保てるので幸いだった。
「この俺と婆さんの分で終わりだ。これ以上はオレが手を出す問題でもねぇしな」
補聴器のお陰で聞こえるその言葉に、ああもう駄目かと1人で納得する。まあ予想通り、そう思った矢先の出来事だった。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
「え?」
そんな予想外の言葉に、口をついて出たのは疑問の言葉だった。予想としては、ここで俺が殺されるか、失望されてフロックスがいなくなるかだった。そのどちらでもなさそうな問いかけに、どうしようもなく動揺してしまう。
自己否定ーー動揺を否定しました
しかしそれは、チートが消し去ってくれた。同時に、強制的に沈静化された頭が何通りかの答えを吐き出した。だけどそれは、どれも俺の気持ちではなく……
「臆せずオレに言いにきたことは分かる。けどよ、結局どうしたいんだよ? エウリに打ち明けず騙し続けんのか? 打ち明けんのか? それとも、このままの関係を続けんのか?」
「分かりま、」
「分かんねえは無しだからな」
言葉を潰されてしまった。
……
ああ、どうすれば良いのだろうか。自分の気持ちはどうなっているのだろう。わからない、分からない、判らない、解らない。ぐちゃぐちゃで、気持ちが悪いったらありゃしない。
自己否定ーー優柔不断を否定しました
自己否定ーー不快感を否定しました
自己否定ーー疑問を否定しました
ぐちゃぐちゃで、ドロドロで、情けなくて、嫌われたくなくて、死んでしまいたくて、何も考えたくなくて。けど、それでも、決めなくてはいけない。伝えたからには、その責任がある。
「明日一緒に王都を回った後、最後にエウリさんに伝えます。それで決めます」
拒絶されたら、どこぞの戦場で野垂れ死ぬかクーデター中に野垂れ死ぬだろう。「生きたい」と思える理由が、消えてなくなるのだから。
受け入れられたら、どうだろうか。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。俺では、それくらいしか分からなかった。そう決めつけるしかなかった。
「分かった。どうせオレは明日動けねぇしな。それ以降は、エウリの判断に任せる」
それだけ言って、フロックスさんは屋敷の中へ戻っていってしまった。その姿を見つつ、魔術で身体を治していく。口の中に溜まった血を吐き捨て、何本か折れて欠けてしまった歯もも同様に捨てる。俺の魔術の腕じゃ治るわけでもないし、こんな事で姫様に頼るわけにもいかない。
ああでも、噛み合わせが悪いと力が出ないんだったか。戦闘時は、魔術で詰め物でもして間に合わせるしかなさそうだ。
夜風に晒されながらそんなことを考えていると、目の前の手すりに赤い目の蝙蝠が留まった。
「何の用ですか、ファビオラ」
話しかけたが蝙蝠は無言でこちらを見つめるだけだった。魔力の波動も感じるし、間違いないと思ったのだが。
そんなことを考えていると、蝙蝠が移動して未だ満足に動けない俺の首筋に噛み付いた。
自己否定ーー魅了を否定しました
自己否定ーー快楽を否定しました
自己否定ーー性欲を否定しました
『くふ、良い味がするのう』
肉の鎧ーーstart-up
チートを起動し腕を無理やり動かすが、当たるわけもなく蝙蝠はヒラリとそれを回避した。そして、俺の目の前でホバリングしながら言葉を紡いでいく。
『実に良い、感情の味がしおる』
血を吸われた事とチートの発動内容を見て睨みつけるが、何の効果もありはしない。悔し紛れの舌打ちも、負け犬の遠吠え以下だ。
内心を覗くチートでも使ったのか、そんな俺の心を読むように再び蝙蝠が喋り始めた。
『そう邪険にするでない。儂はただ、提案をしに来ただけじゃ。程よく心が壊れておるからのう』
「誰が、誘いに乗るか」
『じゃが、このままでは次の戦いで死ぬぞ』
そう言われてしまうと、黙るほかない。というか、そもそも情報が筒抜けという事が問題だ。最悪の場合、自分で自分の眼を抉ることに……いや、触れないから無理だったか。
「そうですか」
『██ぬのか?』
「別に。もう一度、俺は死んでますので」
自己否定ーー██の感情は消去されています
久し振りに聞き取れない言葉が聞こえたが、恐らく死についての何かだろうことは予測がつく。それならまあ、もうどうにも思うことはない。死ぬときは、死ぬだけだ。
『我等魔族の軍と、貴様の██である勇者と挟み撃ちに遭うのだぞ?』
「別に構いやしませんよ。この姿に体質じゃ、こっちで暮らす以外ないですし。そして、こっちで生きるにはそうするしかない」
姫さまの庇護下から外れたら死ぬ以外道は無いだろうし、魔族に味方してまで生きたいとは思わない。その場合、ファビオラに食われるのが一番早いだろうか。それともフロックスさんに殺されるのが早いか。
もし地球に帰れるとしても、向こうで生きていけるとは思えない。まず埋め込まれた血の左眼と、吸血鬼という体質。それに加えて、両親の顔も、声も、最早思い出せない。
『呵々っ』
そう自虐していると、蝙蝠がパッと血の霧に弾けた。そして、未だ動けない俺に纏わりついて侵入してくる。
自己否定ーー魅了を否定しました
少しの間は息を止めることで耐えたが、すぐに限界を迎え血霧を吸い込んでしまった。久々に感じる芳しい血の香りに、吸収された情報の量に、飛び欠けた意識をチートが引き戻す。
「ッ、はぁ、はぁ……」
それっきり、ファビオラの声は聞こえなくなった。
そうして、月が見つめる夜は更けていく。
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45 The last Date in the life
「それじゃあ、いって、きます、ね!」
「行ってきます」
夜を寝ずに過ごし迎えた翌日。俺たちは予定通り、王都の街へと繰り出すことになっていた。無論エウリさんも俺も人に変装しており、そこに加え俺は女装している。天気は生憎と曇りだが、雨じゃないだけマシだったと考えよう。
使用人風の老紳士にエウリさんは手を振り、俺は頭を下げて出発する。色々と不都合があるから手を繋ぐことはしないが、それでも惚れた子と2人っきりで出かけるというのは思春期男子にとっては物凄いイベントだ。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
その裏に、何もなければだが。
「それにしても、るーなさん、すごくおんなのこ、みたいですね!」
「あはは……そう言われるとちょっと複雑です」
一応、これでも男なのだし。
それはそうと、これから王都を歩くにあたっておさらいしておかねばならないことがある。それは、もう遥か昔に思える『俺が師匠と王都を走っていた頃の自分のキャラクター』だ。長い間死地にいたのだから変わると押し通すこともできるが、あまり大きく乖離していたら疑われてしまう。
名目上
閑話休題
俺がここで修行していた頃演じていたキャラクター。それは『片腕を失いつつも、明るく活発な元気なボクっ娘』という、
大まかには、同じ片腕がないということで
それを再び頭に叩き込み、
「も、るーなさん! あれ! あれなんですか!?」
「あれは精肉店ですね。でも確か、あそこはあんまり質が良くないって聞いた覚えがあります。ですので、行くなら、ボクの顔見知りのお店の方が良いと思います」
その方が美味しいだろうし、混ぜ物をされる危険性も少ない。それに、顔を見せるくらいはしておきたいし。
「それじゃあ、そっちにいきましょう!」
「そうですね、ボクも久しぶりに行きたいですし」
ぱたぱたと走り出したエウリさんを、付かず離れずの距離を保ちつつ追いかける。そして、目的のお店に着いたところで手を掴んで合図する。
「ここ、ですか?」
「ええ、向こうの人が覚えてくれていてらいいんですけど……」
確か、ここのお店の人は気前のいいおっちゃんだった気がする。そう思って手を振ってみると、笑顔で店主のおっちゃんは手を振り返してくれた。
「よう嬢ちゃん! 随分と久しぶりだなぁ!」
「ちょっと、勇者様について行ってたもので」
「その眼は、それか? 元気ねぇのも」
「ええ。流石に、眼が見えなくなっちゃったので」
花の眼帯を抑えて、力なく見えるような笑顔を浮かべる。
そう雑談していると、エウリさんがそわそわとしているのが見て取れた。昔話はここまでにしておいた方が良さそうだ。
「それはそうとおっちゃん、コロッケ2つ」
メンチカツじゃないのは、微妙に採算が取れないからなんだとか。
「あいよ。にしても、運がいいなぁ嬢ちゃんたち。揚げたてだぜ?」
お金を排出して代金を支払い、食べ歩きができるようになっているコロッケを受け取った。一口齧ってみれば、毒の反応はなかった。味は、残念ながらほぼ分からない。ソースの良い匂いは感じるのだが。
目で合図をすると、待ちきれないといった様子でエウリさんもコロッケにかぶりついた。
「おいしいです!」
「そうかいそうかい。作ってる側としちゃ、嬉しいもんだ」
ガハハと笑うおっちゃんの態度に裏はないように見え、少しだけ気持ちが軽くなった。よく考えたら、最近固形物をロクに食べてなかったっけ。血を飲む以外何を食べても、半端な味だと消しゴムを食べてるようにしか感じないし。今なら、記憶の底にあるアニメの『調味料を全て掛けた料理』も食えるかもしれない。
そうして出て行こうとした時、おっちゃんが声をかけてきた。
「そういや、今日はヘルクトさんとは一緒じゃないのかい?」
「ええ、今日は女の子だけですから」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
心に走った微かな痛みをチートが搔き消し、そのお陰で保たれたいつもの表情で答えた。
そのままポーカーフェイスを保ちつつ、今度こそ店を後にする。どこへ行こうかと話しながら歩いていると、エウリさんの視線が何となく食が進まず持ったままにしていたコロッケに向いていた。
「よかったら食べますか?」
「いいんですか!」
「ええ、どうぞ」
そう言うが早いか、手渡しかけていたコロッケは既に食べられていた。モロハの時とは別の短剣は佩いているのだし、自分が口をつけたところは切り落とそうと思っていたのだけれど。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
まあ、美味しそうに食べてくれてるしいいか。古樹精霊の村にいた頃には食べれなかったタイプのものだし、相当美味しいのだろう。そんな風に思えるのが、少しだけ羨ましかった。
自己否定ーー羨望を否定しました
「
「喋るならちゃんと食べてからの方がいいですよ、エウリさん」
「ふぁい……」
もぎゅもぎゅとコロッケを食べ終えて、エウリさんが指差した先にあったのは噴水だった。
「あれは噴水ですね。何であるのかは、ちょっと分からないですけど」
景観の目的か、水質を良くする為か。地球だとそんな感じだった気がするが、魔術があるこの世間での目的は分からない。まあ、いい景色にはなってるけれど。
「どうやって、るんでしょう? すごく、きれいです!」
そう言われると、俺も気になってくる。何か視えるかと眼帯越しで噴水を見てみれば、全体的に魔力を帯びていないことが分かった。魔力の反応があるのは地下の一点のみ、案外やるじゃん。
まあそれはいいとしてだ。ここで「エウリさんの方が綺麗だ」とかキザな台詞を言えたらカッコいいのだろうが、俺には無理だ。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー羞恥心を否定しました
例えどうあっても、無理なのだ。
「どうやってるんですかね。確かに、すごく綺麗です」
王都にあるどれもこれも、古樹精霊の村では見るこのが出来ないものだ。エウリさんにとっては初めて見る、不思議で新鮮なものなのだろう。
「きゃっ」
「ごめんよ!」
そうして眺めていると、ドンとエウリさんに小さな男の子がぶつかった。
「はい、ストップ」
そう言って俺は、謝って去ろうとしたその少年の手を掴んで引き止めた。気を配っていて正解だった、やっぱり王都はそういう面もあるか。
「な、なんだよ姉ちゃん」
「そのスッた財布を今すぐ返してくれれば離すよ」
「ふぇ!?」
慌ててエウリさんが自分の財布を探すが、当然腰にあった財布はない。不自然に近づいてきていたので、警戒していて正解だった。一応俺がお金は全て払うつもりだったが、見逃すつもりも到底ない。
「な、何言ってんだよ」
「これでもボク、冒険者だからそういうのには目敏いんだ」
強化の魔術を使いつつ強く握ると、どれだけ子供が暴れようが解かれることはない。それでもなおジタバタ煩かったので、骨にヒビが入るくらいの強さで握ったら漸く動きを止めてくれた。
「返してくれるかな?」
「返すよ! もう返すから離してくれよ!」
そう言って、涙目の少年は反対の手でスッた財布を取り出してエウリさんに返した。全く、最初からそうすればいいのに。
けど、これで終わらしたらあの王様と同じクズになる。それは願い下げだ。
「癒しよ来たれ、始まりの光──ヒール」
わざと全体を通しての詠唱を行い、たった今自分がヒビを入れた骨と内出血した腕を治しておく。それと、完全な自己満足だけどもう1つ。
「これくらいならあげられるから、2度とボク達にはやらないでね? お姉ちゃんとの約束」
いつかの貴族屋敷から奪った銀貨を渡し、しゃがんでスリの男の子と指切りをする。無論、次やったら心臓を抜く。心の持ちようで吸血鬼的嗜好は変わるようで、今はこの子が妙に美味しそうに見えるのだ。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
「え、あ、うん」
「それじゃあね」
そんな吸血欲が見抜かれたのか、少し惚けた様な少年が上の空で返事をした。そして手を離したというのに、動こうとしない。そんなにぼーっとしてると捕まるんじゃないだろうか?
「お、お姉ちゃん、名前なんて言うの?」
すると、そんな予想外のことを聞いてきた。言う必要なんて全くないように感じるけど、スリ界隈でのネットワークは侮れないとも言うし、見張りにも認識させるために言っておいた方が得策か。
「ルーナ。昔の言葉で、お月様っていう意味らしいよ」
誰から見ても分かりやすいように発音すると、男の子は何度かその名前を反芻する様に呟いてから顔を上げた。
「それじゃあね、ルーナお姉ちゃん!」
そうして今度は、手を振って勢いよく何処かへ行ってしまった。分からん。
とりあえず手を払い立ち上がって、事態を見ていたエウリさんに聞いてみた。
「今の子の態度、なんだったんでしょうね?」
「なんだったんでしょう? わたしも、わからないです」
エウリさんもわからない様だ。であれば、もう理解できると言うことはないだろう。態々周りの誰かに聞く必要もないし。
なら、もう切り替えていこう。今日は精一杯楽しんだあと、1つ残らず、包み隠さず真実をエウリさんに言うつもりなのだから。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー悲壮感を否定しました
これも俺の独り善がりだが、最後の思い出くらい良いものとして残しておきたいじゃないか。
「次、エウリさんはどこか行きたいところってありますか?」
「えっと、あっちにみえた、おさかなのおみせにいきたいです!」
確かあの店は、公営じゃなくて商店街的な組合の中で出来ているお店だった筈だ。魚の鮮度は日本生まれとしては良くないと思ってしまうが、ちゃんと下処理してあるし刺身じゃないのでそこまで気にならないと記憶している。
「じゃあ行きますか」
「はい!」
表面上は楽しくても、取り繕っても、審判の時は近づいていた。
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46 The last Date in the life②
少し早めの昼食を終え、見上げた空は相変わらず曇っていた。日に当たらないことは嬉しいが、一般的にはお世辞にも良い天気とは言えまい。
「とっても、おいしかったですね!」
「ええ、本当に」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
嘘だ。大嘘だ。味なんて分からなかった。変に嗅覚だけ鋭敏なせいで、寧ろ不味いとさえ思ってしまっていた。けれど、そんなことは表に出せない。チートで隠して出させない。そんな反動が原因の些事で、今この雰囲気を壊したくはないから。
そんなことを思っていると、少し冷たくなってきた風が通り抜けた。どことなく雨の匂いもするし、きっとそろそろ降り始めるのだろう。
「そろそろ雨が降ってきそうですけど、どこか行きたいところってありますか?」
「えーっと……」
そう言ってエウリさんはキョロキョロと辺りを見渡し、やがて1つの建物を指差した。それは、この街で王城を除き1番高い建物。
「あそこ、いってみたいです!」
「時計塔ですか。展望台も併設されてるみたいだし、良いですね」
最悪、勇者の従者権限で入れてもらうことだって可能だろう。それに、あそこであればシチュエーションも良い。
◇
そんな気持ちでたどり着いた時計塔には、一切問題なく入ることが出来た。一瞬係の人が俺の腕を見て顔をしかめたが、王城の奴らと違ってそれだけで終わってくれた。
「わあ──!」
そのまま他愛のないことを話しつつ登り、到着した展望台からの景色はかなり良いと言えるものだった。区画整理が徹底され見栄えの良い街並み、ゴチャゴチャとして混沌とした様相を呈している裏町、そして街の広がりを一定範囲で抑えている分厚い壁。そしてその奥に広がる自然。きっと空が晴れていたのならば、もっと爽やかであったのだろう。
そう個人的には残念に思ってしまうが、手摺りから乗り出す様に街を眺めるエウリさんにとっては違うのだろう。本当に、楽しそうに珍しそうに見ている。
「るーなさんるーなさん! ひめさまのおうちって、どこですか!」
「ああ、それならあそこら辺ですね」
「さっき、ころっけを食べたのは?」
「それはあの噴水の近くだから、あそこですね」
そうして指差し指差し教えていると、どうしても、打ち明けるという決意が揺らいできてしまう。この暖かい空気に浸かっていたい、この僅かな幸せに浸っていたい、無くなってしまうのが嫌だ、そんな甘く優しい思いが心を犯していく。
自己否定ーー甘えを否定しました
自己否定ーー妥協を否定しました
けど、誰もそれは許してくれない。自分も、フロックスさんも、このチートも。だから、こんな思いは捨てなくてはいけない。どれだけ大切に思えても、俺がそんなものを持っていちゃダメなのだから。どうせ、人並みの幸せすら手に入らないのだから。
自己否定ーー幸福感を否定しました
だから、今こそ言おう。
強化の魔術をかけ、辺り一帯を見渡し耳を澄ませる。人影なし、魔力反応なし、呼吸音及び衣摺れ音無し。監視の目も特に感じられない。けれど、念のためだ。
「エウリさん、少しの間ボク達の会話が周りに聞こえないようにできますか?」
「はい? いちおう、できますけど……」
そうエウリさんが言ってすぐに、周りから音が消えた。それを確認して、自分にかけ続けていた変声の魔術を解除する。
「ありがとうございます。これで、俺として話せる」
言わなければならない。
「エウリさん」
言うのだ。
「俺は、エウリさんに話さないといけないことがあります」
言った。言ってしまった。もう後戻りはできない。後はもう、坂道を転げ落ちていくだけだ。その先に、なにが待っていたとしても。今まで築いてきたものを全て壊すとしても。
「な、なんでしょう?」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
妙にエウリさんが期待してしまっているようで、本当に申し訳ない。心が痛む、軋む、けど何もかも曝け出して。それできっと拒絶されていいのだ。それが、俺みたいな人でなしでクソ野郎の末路だ。
「俺は、エウリさんのことが好きです。初めて会った時に、一目惚れしました」
「ぁ……」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
そう言いきってエウリさんの顔を見れば、とても赤くなっていた。こちらとしても、一世一代の告白だ。きっと俺もそうなっているのだろう。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
けど、すぐにこれをぶち壊すような事を言わなければいけない。本当に、最悪だ。最低のクソ野郎だ。
「わ、わたしも、モロハさんのことが──」
「でも、俺にそれを受け取る資格はありません」
「え……?」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自分は好きだと言っておいて、相手からの好意は受け取れないと突き放す。嗚呼、自分にヘドが出る。いっそのこと死んでしまえばいいのに、こんな奴。
「エウリさんがそう思ってくれているのは、本当に嬉しいです。でも、その気持ちは、もしかしたら俺のチートが原因で受け付けられたものかもしれないんです」
「そんなの、あるわけが──」
「可能性は、とても高いんですよ」
再度、エウリさんの言葉を遮るように言葉を重ねる。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー悲しみを否定しました
自分で自分の首を絞めて、更に刃物を突き立てる様な気持ちだが、やるしかないのだ。そう自分で思い込む様にして、最低の言葉を綴っていく。
「エウリさんの村が焼けて、お婆さんが亡くなったあの夜。俺は、魔術だけではエウリさんの怪我を治すことは出来ませんでした。だから、使いたくなかったチートに頼った」
あの時薪となって焼却されたのは『蓄積された感情』。それまでに俺は、どれだけエウリさんへの気持ちを自己否定で消されてきた? 1週間、一目惚れした人と同じ時間を過ごしていたのだ。数え切れるわけがないほど、チートに感情を喰われている。
「心当たり、ありませんか? 次の日の朝から、前日までと比べて、妙に親しくしてくれましたよね? それが、絶対に感情を炎にして受け取らせることもある力の影響がないって、言えますか?」
自己否定ーー██の感情は消去されています
自己否定ーー悲しみを否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
「だから、ダメなんです。俺にはエウリさんの好意を受け取る資格がない。受け取ったら、勇者を使い捨てにしているクソ共と同じになる」
いつのまにか、雨が降り始めていた。魔術結界の中にいる俺たちは濡れることはないが、これからどんどん強くなっていくだろう。
「
古樹精霊の言葉で、震える言葉で、そんな言葉が返ってきた。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
自己否定ーー悲しみを否定しました
ぽろぽろと涙を零し、エウリさんは言ってた。軋んで、割れて、裂けそうになる心はチートがそうさせてくれない。物理的な痛みじゃなく、心の痛みで壊れてしまいそうだ。
「そうとしか、思えないからですよ」
そうじゃなきゃ、俺なんかが好かれるわけがない。それならば辻褄が合う。自分で何だかんだ言い訳を立て、意を決してそう言った。
自己否定ーー幸福を否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
視界は滲んで、歪んでよく見ることが出来なかった。
「
「いえ、エウリさんのことは心の底から信じてます。でも、これに関しては譲れません。だって、俺を滅茶苦茶にしても、生き残らせてくれた力ですから」
腕が無くなっても、目が無くなっても、何が無くなっても俺を生かし続けてくれた【自己否定】。そちらへの信頼も、実感を伴う分有り余るほどある。
「
エウリさんが泣いたまま詰め寄ってきた。服が濡れ、胸ぐらをどんどんと叩かれる。これで、俺は嫌われた筈だ。軽蔑された筈だ。そうなれば、コネとしての役目も終わって俺は用済みになってくれる筈だ。そう思って自分を殺す。幸せを否定する。自分は幸せになっちゃいけないのだと否定する。そして──
唇に、何か湿った温かいものが触れた。
「
「なん、で」
一瞬だけ広がった森の香りと、どこか甘い香り。つまり、何故か俺はキス、されていた。
訳がわからない。どうしてこうなった。俺は嫌われるようなことしか言ってなかった筈だ。それなのに、なんでこんな。
自己否定ーー動揺を否定しました
「
チートがあっても未だ立ち直れていない俺に、ぽつぽつとエウリさんは語り出した。
「
「なら、なんで」
「
普段聞くことのないエウリさんの大声に、二の句が紡げなかった。
「
「えっと、その」
自己否定ーー動揺を否定しました
自分で突き放すと決めたのに、そうすることが出来ない。チートも俺自身も、こういう状況には無力だった。
「ちーととかいうわけのわからないちからぬきで、わたしはモロハさんのことがすきなんです!!」
「はじめてあったおとこのひとで! やさしくしてくれて! すきっていってくれて! しゅぞくもちがうのにたすけてくれて! わたしをかばってしんじゃったのに、なにもいわないでくれて! じぶんにいいことがないのにファビオラさまととりひきして、フロックスさんをたすけてくれて! ずっとずっとくるしんでて! それなのに、だれにもうちあけないでかかえてて!
たすけたいって、おもうじゃないですか。きらいになれるわけ、ないじゃないですか!!」
はぁはぁと息を切らして、全てをエウリさんは言い切った。だけど、俺はこれに答える権利があるのだろうか? 良いのだろうか?
「いいん、ですか? こんな、どうしようもない奴で。色々欠けてて、心だって壊れてきてるのに……ここにいても、幸せって感じても、いいんですか?」
「いいんです、モロハさんはもう、ずっとがんばってきてるじゃないですか」
そうして、ぎゅっと力強く抱きしめられた。その温かさと、涙の冷たさに、張り詰めていた何かがゆっくりと解けていくのを感じた。
空を覆っていた分厚い鉛色の雲から、一条の光が差し込んで来ていた。
全てを知ってて一芝居うったフロックスさんでした。本音でもあったけれど。
ハグするとストレスが1/3に減少して、泣くと更に40%減るらしい。
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47 雨は上がって
雨上がりの王都を、エウリさんと行きより寄り添って帰路につく。心を軋ませる音と罪悪感は消え、未来への不安以外はない幸せな気分だった。そんな気持ちで見る王都は、同じ風景の筈なのに数段世界が華やいで見えた。
「その様子を見るに、漸くくっついたみてぇだな」
してやったり。出迎えてくれた
「はい!」
「騙されましたよ、フロックスさん」
「ハハッ! 相談できるのがオレしかいねえ状況で、自分だけが相談してると思う方がおかしい話だぜ?」
バシバシと背中を叩き、そんなことを言われた。地味な痛さを感じるが、片腕が無かった時に僅かに感じられた影のようなものが消え去ったのを感じる。今だけは、全てが良い方向に転がっていると信じたかった。
「エウリはちっと休んどけ。見慣れない土地歩いたから疲れたろ」
「たしかに、そうですけど……」
「ちょっとモロハに用があってな。暫く借りてぇんだ」
そうしてフロックスさんが肩を組んできた。そして「久し振りに稽古つけてやる」と耳打ち。エウリさんと一緒に居たいという欲もあるが、こちらを優先しておくべきか。死んでしまっては、意味がないのだから。
「ごめん、エウリさん」
「いえ、それなら、しかたないです。すこし、やすんできますね」
「邪魔して悪いな!」
少し寂しそうなエウリさんに後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、フロックスさんに腕を引かれ地下の練習場へ向かう。
「さてモロハ、お前の師匠から伝言だ」
たどり着いた薄暗い練習場。そこでフロックスさんは、両手に持っていた二本の木刀を地面に突き刺して言った。伝言、何か伝えてもらうべきことが有ったのだろうか。
「『お前に教えた槍の使い方、ありゃほぼデタラメだ。たった10日でちゃんとした使い方なんて、教えてやれるわけなかったから許せ。ま、今更言うことでもねぇ気がするけどな』だとよ」
「えぇ……マジですか師匠」
確かにそうだとは思うけど、そっかー……デタラメ教えられて槍振ってたのか俺は。槍とも言えない刃が付いた棒を振り回していただけ。どうりでファビオラが笑っていたわけだ。
「まあ、オレが教えてやったからマシになっただろうし、村で戦ってから異様に上手くなりやがったからモロハは。今となって言うことでもねえわな」
「色々、ありましたからね」
本当に、色々あった。出会いも、別れも、喪失も。
自己否定ーー悲しみを否定しました
自己否定ーー後悔を否定しました
けどそれを、人並みに思うことはチートが許してくれない。感情の波が強制的に凪に落とされる。昼間のように、直接結びつかない感情が否定されるとは限らないのだ。むしろその方が珍しいと言えよう。
だから、切り替えていくしかない。例えそうしたくなくても、冷たいと見限られようとそうするしかないのだ。
「そういえば、義手の調子はどうですか?」
「まあ、ボチボチだな。元の腕には及ばねえが、魔法は乗るし力もある。器用に動きもするし、今までとはだんちだな。お陰で、今まで制限してたことも出来るようになったしな」
「……木刀ですか」
「おうよ」
そう断言できた理由は、魔力の流れの差だ。つい最近までフロックスさんが振るっていた刀と違い、今のフロックスが手を掛けている刀は村で見たものと同等かそれ以上の密度で何かが圧縮されていた。
「つまり、俺を呼んだ理由はそういう」
「いや、それもあるが本題は別だよ別」
自分の調子合わせと稽古をつけてもらえる以外に、何か別の本題。もしかして、義手をつける時何かあったのだろうか? 伝えなければいけないような、そこそこ重大なものが。
「ぶっちゃけ、エウリとはどこまでいったんだ?」
「ぶふっ」
自己否定ーー動揺を否定しました
どんなものが来るのかと構えていた俺に投げかけられたのは、そんな俗な話題だった。イタズラが決まった子供のような表情をしているのが余計にタチが悪い。チートがなければ、咳込むだけでは済まなかった気がする。
「Aか? Bか? Cか? それともそれ以上いってたりすんのか?」
「その分類ならAなんじゃないですかね!」
昔、地球で男子と馬鹿話していた頃そんな区分を耳にした覚えがあったから答えられたが、これはかなり古い区分ではなかったか。勇者とは、そんな時代からこちらで使い捨てにされてきたらしい。
いや、そもそも馬鹿話していた場所はどこだったか。話していた相手は誰だったか。なんでそんな話をしていたのだろうか。昔といっても、時系列すらはっきりしていない。それ以上を思い出そうと頭を巡らせたが、返ってきたのは炎に舐められるような激痛だけだった。
informationーー当該記憶は焼却済みです
「それで、なんでいきなりそんなこと聞いてくるんですか」
「うん? そりゃあ、オレに1回喰われてるお前が──」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
無言で驟雨を抜き放った。突かれると痛いところだが、あれは不可抗力である。媚薬を舐めたフロックスさんに俺がヤられた、所謂逆レイプというやつだろう。それに記憶も途切れてるのだから、情状酌量の余地はあるはずだ。
「冗談だっての。痛いところ突かれたからって、そこまでムキになるんじゃねぇよ」
「じゃあ、なんで聞いたんですか」
「次お前が行くところ、ファビオラの話を聞いた限りじゃ死地だって話じゃねえか。エウリを置いてくわけにもいかねぇし、今のうちにヤっちまえと思ってよ」
その言葉に、頭に昇っていた血がスッと落ちていった。次の瞬間にはまた羞恥心で昇ってきたのだが。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
だが、それよりも確認しなければいけないことができた。
「あの夜の、聞いてたんですか?」
「おう。いつまで経っても戻ってこねぇようなら、寝たのを見計らって部屋に連れ戻そうと待機してたらな」
「そう、ですか」
それは予想外だった。あの夜のことは自分以外の認知していないものとして考えていたから、知っている人が増えたことは嬉しいのだが……
「話を戻すぞ。昔っから、戦に出る前とか戻ってきた戦士は惚れた奴とか妻とか娼館でヤるもんなんだよ。少なくともオレら古樹精霊の中じゃな。ま、あの村じゃ娼館なんてとっくに潰れて消えてたけどな」
そう言って笑うフロックスさんが一瞬だけ真面目な表情をして、『オレの親もそうだったらしいぜ』と付け加えた。確かに、そういう文化は人間にもあるとは思うけれど……
「付け加えて言っておくけどよ、エウリはそんな種族の先祖返りで、そんな種族の村に産まれて育ってきたんだぜ? そして、次が死ぬかもしれない大きな戦いだってことは、エウリは既に知っている」
「つまり、」
「出発までにしなくちゃ、嘘だって思われるぜ?」
自己否定ーー動揺を否定しました
なんてことをしてくれたんだフロックスさんは。いや、遅かれ早かれ次の戦地のことを知られて、嘘だったのかと糾弾されるよりは良い……のか?
「で、でも、そういうのはもっと深い仲になってからだと思うんですけど!」
「キスしたんだろ? ならもう結婚と同義じゃねえか。今更何言ってんだ?」
なん……だと。となると、時計塔でのエウリさんの行動は、半端じゃない覚悟の元行われていたということ。拒絶なんてもう2度としないが、そんな意味があったなんて。
「それも、古樹精霊の決まりとか掟ってやつですか?」
「ん? ……あぁ、そうだな。そうしなきゃいけねえって決まってる。よもやキスしてまで、浮気しようとか考えてんじゃねぇだろうな?」
「いや、そうじゃないですけど……」
一瞬の空白が気になったが、避けようがないのは確定した。一応フロックスさんに襲われたことがエウリさんへの不信になる気がするが、それは先ほど通り不可抗力としておく。
「けど、なんだ?」
「まだ、俺もエウリさんも子供です。もし、その……そういうことをして、その、あの、子供が出来ちゃったりしたら、色々と大変なことに……」
自己否定ーー羞恥心を否定しました
しどろもどろになりながらなんとか伝えると、フロックスさんはとても大きな声で笑い始めた。そして涙目になるくらいの大笑いの後、その涙を拭きながらフロックスさんは言う。
「そもそも、オレたちとお前は種族が違うんだぜ? 近縁種っつーか亜種か? だから無理じゃねえが、そうそう子供なんてできねえよ。心配すんな」
「えぇ……」
「だからこそ古樹精霊に連れ去られた男は2度と帰ってこないとか言われてたりもするんだけどな!」
あまり知りたくなかった種族の真実を知った気がする。連れ去られた男はほぼ全員腹上死とか笑えない。けれど、同意の上ならそれはそれで幸せだったのではないかとも思う。
「さてさて、小難しい話はここまでだ。構えろよモロハ、久々に全力で相手してやる」
色々と考え込んでいた俺に、木刀を抜いたフロックスさんがそう言った。魔力が吹き上がり、急激に戦闘態勢へと移行していく。
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー羞恥心を否定しました
自己否定ーー油断を否定しました
自己否定ーー雑念を否定しました
発せられる闘気を受けて、チートが過敏に反応した。急激に神経が研ぎ澄まされ、世界が切り替わっていく。それから眼帯を収納し、全身に強化の魔術をかければ準備完了だ。
「胸を借ります」
「モロハは奇襲からの確殺以外は平均以下だからな。来い」
「行きます!」
そう一言断ってから、俺は全力でフロックスさんへ向かって突撃した。
◇
「っ痛……」
その日の夜。フロックスさんに滅多打ちにされて負った怪我こそ魔法で癒えたが、残留する痛覚のせいで眠れずにいる夜中のことだった。
コンコンと扉がノックされた。エウリさんとフロックスさんは別の部屋に移ったし、ノックしてくる人なんていないはずだ。
「どうぞー」
「しつれい、します」
静かに部屋に入ってきたのは、非常にラフな格好をしたエウリさんだった。まさか、もうその時なのだろうか。
自己否定ーー動揺を否定しました
「えっと、すわってもいい、ですか?」
「あ、どうぞ」
「しつれいします、ね? えへへ」
そうしてエウリさんは、俺の隣に腰を下ろした。俺が座っていた場所はベッド……しまった、位置取りを間違えていた。
フロックスさんの話を思い出したことで固まってしまった俺の手に、エウリさんの手がそっと重ねられた。
「つぎも、そのつぎも、おおきなたたかいになるんですよね?」
「多分、そうなりますね」
「はじまっちゃったら、もうこうして、ゆっくりすることもできないんですよね?」
「そう、ですね」
自己否定ーー動揺を否定しました
きゅっと握られた手の柔らかさと暖かさに、心臓が跳ねた。チートによりすぐに抑制されたが、鼓動だけはそのまま激しく脈を打ち続けている。
「だから、その」
一旦手が離され、シュルシュルと衣擦れの音が聞こえた。何事かとそちらを見れば、エウリさんは着ていた服を脱ぎ下着姿となっていた。所謂ベビードールというやつだろうか、月の光を浴びて透き通るようなそれは、非常に──
「綺麗、です」
「あぅ……はずかしい、です」
そうしてエウリさんは、自分を抱くようにして胸を隠して赤くなってしまった。それは高校生男子としては、言い方は悪いが非常に興奮する。
自己否定ーー興奮を否定しました
そういう経験もそういう映像も見たことのないせいか、異常なまでに昂ぶっていた何かが平均的な興奮にまで落とし込まれた。ああ、確かにこれなら酷く当たってしまうなんてことはないだろう。
差し出がましいチートの発動に僅かな苛つきを覚えていると、震える手でエウリさんが服の裾を握ってきた。
「わたし、モロハさんとなら、いいです。だから、しましょう?」
こちらを見る目は潤んでいて、熱っぽくて、いい匂いがして。
自己否定ーー情欲を否定しました
チートがあっても、我慢が限界だった。
(R18は)ないです
そして一連の流れ全てを見ていたファビオラである。
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48 次の戦場は
この世界に住む者なら誰でも知る、生物としての最強種。同時に英雄譚で討伐される王道の悪役であり、異類婚姻譚の相手であり、武勇譚の功績であり、法螺話の筆頭でもある。
だが、そんな彼らにも、強さの格というものがある。最下級、下級、中級、上級。冒頭であるここでは、その格について少し触れていこう。
まず、最下級の
1匹いれば街が壊滅するといえば分かりやすいだろうか。しかし亜竜は、冒険者という魔物を殺すことに特化した連中の腕利きであれば、一方的に惨殺することは不可能ではない。
次に下位の竜。このクラスになると、基礎能力は全て上位互換となり魔法の使用が加わる。更に翼と一体化していた前足が独立し、4脚2翼の地球で言う西洋のドラゴンとなる。この時点で、人が無傷で勝つと言うことはほぼなくなる。
軍を1つ動員して、相打ちに出来るかどうか。もしくは人外と格付けされる冒険者や、魔族の中で英雄と呼ばれるものが討ち果たせるかどうかというものだ。
そして中位の竜。基礎能力は全て上位互換となるのは当然として、人語・魔族語を理解・発声し意思の疎通が可能になる。勇者の故郷である地球で言う西洋のドラゴンのイメージと類似した部分として、英雄や金銀財宝を好むことが特徴に挙げられるだろうか。
このクラスとなると、最早抗うことのできない天災と言えよう。可能性があるとすれば、殺すことに特化し経験を積んだ十分なサポートを受けた勇者のみとなるであろう。
最後に、上位の竜。ここから、最低限仕事をしていた物理法則というものがストライキを始める。根本的に魔術や魔法といったものが使用者に作用するもの以外意味がなくなり、物理防御力はかつての勇者が放った『10tクラスのバンカーバースター』なる兵器を無傷で耐えきったという文献がある為上限が不明だ。
更に、姿形も西洋ドラゴンから全く別の何かへと移行する。幸いなことに、このクラスになると秘境のような場所に引き篭もり悠々自適に過ごす為こちらから関わらなければ何も起こらないが。しかしどこにも例外は存在するもので、人化という特別な術を使い人や魔族の社会に紛れていることが間々ある。闘争を求め暴走するタイプも、歴史上何頭も確認されている。
これ以上長い説明は、際限がなくなる為ここでは中断しておこう。
番外として存在するのが、竜の頂点であると伝えられる古龍。地球では当然、こちらの世界であっても伝承という形でしか伝わっていないそれは、神の如き力を振るっていたと伝えられている。天候を操り、山を吹き飛ばし、海を割り大陸を砕く。そんな、神話の世界でしか存在を許されない、尋常ならざる存在であったらしい。
人類、及び魔族は、彼らが牙をむいたとき果たしてどのような道を辿ることになるのだろうか? 生存を許されるのだろうか? それおも、絶滅するしかないのだろうか?
否であると、私は信じたい。故に私は、この先の未来を生きる誰かの一助となるべく筆を取った。未来では、私の記すことは全て常識となっているのかもしれない。だが、それでも、願わくばこの本が未来に受け継がれることを望む。
エルマイア・ジャスコット著『竜種の生態』より抜粋
とある戦場で、破滅の風が吹き荒れていた。
それは豪腕豪爪による蹂躙であり、
鋼鉄の武具を赤熱させる紅蓮の焔であり、
毒棘のある尾の薙ぎ払いであり、
刃の様な翼からのカマイタチであり、
牙での喰いちぎりであった。
それらの災害を起こしているのは、ただ1匹の生物。
黒い鱗に赤い眼をを持つ、巨大な竜だった。その姿を例えるならば、勇者であればティガレックス辿異種が一番通じやすいだろうか?
発達した四肢。そのうち特に発達した前腕から生える3枚の巨大な刃。更に、分厚く鋭い剛爪。自在に動き、筋肉の塊のような毒棘のある尾。巨大な顎門と全てを貫き砕かんとする牙。
空を飛ぶ術を無くした代わりに、地上での力を望んだ。それがこの竜、位で言うならば上位に分類されるものの力だった。
『血だ! 血を寄越せ!』
腕の一薙ぎで、10を超える数の人間が細切れになった。
『英雄だ! 英雄を寄越せ!』
尾の一振りで、魔術を詠唱していた部隊がミンチと化した。
『財宝だ! 財宝を寄越せ!』
チートを使おうとしていたのか、動きを止めた黒髪の男子が噛み千切られた。
『望みに望んだ戦乱だ! 狂乱と闘争と、暴虐と悪辣と狡猾と、勝利と敗北と栄光と絶望が満ちた至福の宴だ!』
竜の介腕に生えた刃の様な羽を展開し、暴風が吹き荒れた。それにより助けに入ろうとしていた女子勇者の足が止められ、詠唱無しで放たれた炎の魔術で炭化した。
『であればこそ、我と鎬を削る
強化の魔術が乗った竜の咆哮に伴う風圧が、衝撃が、敵味方の区別なく全てをゴミ屑の様に壊していく。地面が捲れ上がり、ヒビ割れ、細かい破片になったものから砂へと回帰していく。
その煽りを受け、付近にあった林から緑が消えた。青々と生い茂っていた葉が、全て千切れ飛び散り散りになってばら撒かれたのだ。無論、木の幹や枝も無事とは言えない。距離が十分にあったお陰で地面よりは僅かにマシではあるが、竜に近いものから裂け、倒壊し、それが連鎖していく。
その様子は最早災害か、それを通り越して天災と呼べるだろう。断じて1匹の生き物が起こして良い惨劇ではない。しかしそれを実現できるのが……出来てしまうのが竜という生物だった。
『我が名はディラルヴォーラ! 黒崩咆ディラルヴォーラである!』
何も無くなった大地で、四肢に力を込めてディラルヴォーラが咆哮する。それがトドメとなり、僅かに生き残っていた人も魔族も全てが絶命した。
人であったものからぶち撒けられた赤、黄色、白の3色。そこに魔族であったものからぶち撒けられた、青や緑を始めとした液体が描く殺戮のマーブル模様。その中心で竜は咆哮する。
この場所こそが我が領土と言わんばかりに、戦場跡に黒崩咆は君臨する。
築かれた屍山血河の上で、ディラルヴォーラは高らかに謳い上げる。
血を寄越せ!
英雄を寄越せ!
財宝を寄越せ!
全てを寄越せ!
我を愉しませるものを、我が欲を満たすものを寄越せと。そして、満たせぬのなら死ねと。屍を晒して地に還れと。
結果、この日この地の全ては滅びた。
人族方面軍、総数約13万。
魔族方面軍、総数約12万。
随伴していた動物、霊獣。この地を縄張りとしていた魔獣たち。
その全てが、逃亡も許されず地に還った。竜という理不尽の前に脆くも崩れ去った。
上位竜出現。方面軍全滅。
この一報は、何とか生き延びた観測員によって王都へも伝えられた。しかしそれは、モロハたちが王都を発ってから10日が経過した後のことだった。
◇
ソレは考えていた。
人族を殺せ
己は一体、何故こんな所に居るのだろうか。
人族を殺せ
己は縄張りである谷底に居たのではなかったか。
人族を殺せ
頭に響くこの呪詛の声は何なのだろうか。
人族を殺せ
『煩わしい!!』
いや、頭では理解しているのだ。
人族を殺せ
己の下位種族である
人族を殺せ
ああ、しっかりと認識した。不快だ。不愉快だ。ただ呼び出すだけならまだ許すが、己を呪うなど、歪めるなど言語道断。
人族を殺せ
『この、下劣な下等種族がァァ!!』
咆哮する。空を飛ぶ術とブレスを引き換えに得た、己が竜種の中でも上位の存在だと示す力を炸裂させる。それにより、全てが吹き飛んだ。
人族を殺せ
元より20mを超える巨体で
人族を殺せ
同時に己を呼び出した術者も消えた様だが、頭に響く呪詛の声は消えることはなかった。
人族を殺せ
『ガァァァァッ!!』
煩わしい。
人族を殺せ
煩わしい煩わしい煩わしい。
人族を殺せ
煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい
人族を殺せ
煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい煩わしい!!
人族を殺せ
気がつけば、己が呼び出された場所はただの血生臭いゴミ溜めと化していた。ここは、上位の竜たる己が居るべき場所ではない。
『……こせ』
人族を殺せ
己を内側から焼く呪詛は消えない。
『…寄越せ』
人族を殺せ
何故己はこれほど苦しまねばならないのか。
『寄越せェ!』
人族を殺せ
どうすればこの苦しみから解放されるのか。
『血を! 英雄を! 財宝を! 全てをォォォ!!』
人族を殺せ
そうか、殺せばいいのか。
ディラルヴォーラは確信する。元より己は闘争を求めてた。殺し殺され、闘いの果てに死することを望んでいた。であれば、殺せば良いだけではないか。
人や魔族というのは、非常に脆く弱い種族だ。だがしかし、時偶英雄と呼ばれる化け物が現れる。そしてそれらは、誰もが弱き者が蹂躙されることに耐えられない。つまり、殺せば出てくるのだ。
「いたぞ! 竜だ! 俺たちで討ち取るぞ!」
閃いた名案に笑みを浮かべていたディラルヴォーラに、何かが叩きつけられた。堅固な鱗と甲殻、及び纏う魔力によって毛ほども痛みはないが、それは名案にケチをつけられたように感じられた。
「よし、効いてる! これなら──」
黒髪の人族の男が、何か喚いている。
「ぐぺっ」
だから殺した。たかが腕の一薙ぎで死ぬお前程度では、致命的に力不足だ。故に英雄を呼ぶ贄となれ。
「きゃぁぁあ!!?」
黒髪の人族の女が、悲鳴をあげてる。
「よくも私のかrぎ」
だから殺した。児戯の如き魔法で死ぬお前程度では、致命的に力不足だ。故に英雄を呼ぶ贄となれ。
「『竜は口を閉ざし、僕に首を垂れた。犬の様に身体を伏せ、全身の力を抜き服従を示す!』」
人族の言葉が脳を犯し、己の行軍を止めさせられた。上位種たる己に向けて、侮辱としか取れない命令だが不思議と動きを止められた。
「よし、今だよ!」
「魔力指定、倍加!」
「任せろ! 最大チャージ、《ライトブレイク》!」
そして、犯人を見つけ出す前に全身が光に包まれた。纏う魔力によって減衰、鱗と甲殻によりさらに減衰された威力だが、己に僅かに傷をつけた。ならば、この3体の人族は、英雄足り得るのかもしれない。
『問おう、貴様らは英雄か?』
「そうだ! 俺たちが、お前を殺して人を救う英雄だ!」
光を軽い咆哮1つで消して飛ばし問いかければ、目の前の木っ端は己が英雄だと言った。そうかそうか、これが英雄か。己を殺し足り得る英雄か!
『は、はは! ははは! ははハハハハははハはッ!!』
これほど早く遭遇できるとはなんたる僥倖。
相手は英雄だ、己の力を際限なく振るおうとも死ぬことはない!
『では、行くぞ』
腕刃を展開する。魔法の強化媒体としても役割のあるそれを介し、己の全てを強化する。単純な強化こそ王道にして最強、そう確信してやまない己の全力とはこういうことだ。
嗚呼、どの技から試してみようか。近頃は己の財宝を狙う賊も減り、力を持て余していたのだ。そうだ、初めは派手に行こう。それが英雄への手向けになる。
『ゴガアァァァァァァァァッ!!』
歓喜の意思も込め咆哮する。そして次の瞬間、己を英雄だと名乗った人族は弾けて肉の塊と成り果てていた。
嗚呼、そうか。この程度なのか。
己が望んだ英雄とは。己を殺し得ると思っていた未だ見ぬ好敵手は。
否。否だ。断じて否だ!!
この程度が英雄である筈がない。思えば、出てくるのが余りに早かった。となれば、目の前の血袋は英雄の名を騙ったゴミであったのだろう。そうである筈だ。そうであるに違いない。
では殺す。
英雄が来るまで殺す。
殺して殺して殺して殺し尽くす。
止めたければ英雄を呼ぶが良い。
一騎当千の強者を。
膂力で己と渡り合う怪物を。
己を満たし得る英雄を!!
幸せの反動はデカイ。
勇者A→指定したものを爆発させるチート
勇者B→不明
勇者C→言霊を操るチート
勇者D→指定した能力を倍加するチート
勇者E→力をチャージするチート
まあ全員死んだけどね!
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49 次の戦場は②
短い休暇は、瞬く間に過ぎ終わりを告げた。その時間で何が変わったかと聞かれても、何も変わっていないと答えることしかできない。正確にはエウリさんとの距離感だけは変わったが、それだけだ。
師匠とフロックスさんという2人の達人と散々稽古はしたが、所詮新兵に毛が生えた程度。何が変わるということもない。
そんな状態ではあったが、俺たちは古樹精霊の森を超え次の戦場へと向かっていた。しかし今回は、ボロ馬車でも俺単独の出撃でもない。これから行く最前線には姫さまの陣営の人たちがおり、俺たちはそこへの増援という扱いだ。故に俺・エウリさん・フロックスさんの3人に加え、他の増援の人や物資、それらを運ぶ馬車が結構な数揃っている。
「まあ、というわけでオレたち
揺れる馬車の中、対面する席に座ったフロックスさんが呆れたように呟いた。
「あたりまえじゃないですか」
勿論聞いている。過去、古樹精霊側は蜥蜴族の雄を、蜥蜴族は古樹精霊の雌を無理やり奪い合ってたから、結果双方不可侵だけど手出したらぶっ殺すぞテメェとなったらしい。
お婆さんの若い頃の話だったんだとか。後、フロックスさんの家系の父親のどこかに蜥蜴族がいるとも。
「それなら良いけどよぉ、真面目に聞いてるようには見えねぇからよ」
「それを言われると弱いです」
あははと力なく笑う俺の膝では、エウリさんが頭を乗せて寝息を立てていた。そして、俺の右手とエウリさんの左手は繋がれている。これでは確かに、真面目に聞いてるようには見えないだろう。
「でも、エウリさんは昨日夜番でしたし」
「それはお前もだろ?」
「俺には、そんなに暇がありませんから」
嘘だ。俺はただ、寝たくないだけである。どうせ真面目に寝たとしても、あの悪夢に叩き起こされる。そんな状態じゃ仮眠だけ取って寝ない方が遥かにマシだ。だったら眠気もチートで打ち消せるし、少し疲労が取れなくても肉体的疲労は魔術で回復できる以上、仮眠で十分。
けれど、エウリさんはそうもいかない。睡眠とは、本来無視して良いものではないのだ。成長にも休息にも回復にも使われる時間なのだから。
「へいへい、勤勉なこって」
「いえ、怠惰ですよ」
何処で聞いたのかは思い出せないが、『休まず働き続けること』も怠惰であるのだという。正確には『それを他者に誇り押し付けること』だった気もするが、今となってはどうでも良いことだ。
「そうかい。まあなんでもいいけどよ、エウリを泣かせるような真似はするんじゃねえぞ?」
「分かってますって。俺が俺である限り、そんなことはしませんよ」
そんなことを言った、直後のことだった。一瞬だけ左の視界が真っ白に染まり、秒と経たずに元に戻った。そして、微かに……本当に微かに、吸血鬼でもないと分からないような薄さではあるが、どこからか血の匂いが香ってきた。しかも、これは獣のものでなく人のものだ。
「フロックスさん」
「どうかしたか?」
「人の血の匂いがします。凄く薄いですけど」
ここ最近、非常に襲ってくる魔物や獣の数が多かった。もしかしたらそれ系統の何かかもしれない。戦場まではまだ2〜3日の場所らしいけど、警戒しておくに越したことはないだろう。
「俺には何も感じられねぇけど、モロハが言うならそうなんだろうな」
「6割吸血鬼ですからね」
自己否定ーー吸血欲を否定しました
血の匂いには敏感なのだ。釣られて目の前の2人の血を吸いたい欲が湧いてきたが、チートで黙殺する。一度不可抗力でフロックスさんの血を吸ったことはあるが、エウリさんにはしたくない。
けれど、もし血を啜ればどうなるのだろうか?
どんな味がするのだろうか? どんな匂いがするのだろうか? その前の柔肌の味は? 匂いは? それを牙で突き破り血を啜るとき、どんな声を出してくれるのだろうか?
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー吸血欲を否定しました
そんな邪な妄想を振り払い、舌を噛むことで自制する。しかし収まりは付かないもので、後で収納内の血液を飲まねばなるまい。このチート、微生物も完全に死滅する分腐敗はしないから便利だ。
「違いねぇや。まあ何か起きてんのかもしんねぇし、次の休憩ででも他の奴らにも伝えりゃいいんじゃねえの?」
「そうですね。何だか、嫌な予感はしますけど」
あの夜ファビオラが言っていた『このままでは、次の戦いで俺は死ぬ』という予言が、喉の奥の小骨のように引っかかっていた。
施設や待遇は、一から十まで前回より遥かに上。
強さは……まあ、少しはマシになった。
技術も、通じるかはともかく結構良くなっただろう。
1人じゃなく、3人だ。
なのに、死ぬ。100以上のチートに未来を見通すものは確実にあるはずだから、無視するなんてことはできない。それこそ死ぬことになる。
「頑張らないと」
エウリさんを守る為にも。例え俺が死にかけても、五体満足でいてもらうことが幸せだ。壊れるのなんて、俺だけで十分なのだから。
「ん?」
「なんでもないですよ」
こびりつく不安の影が消えることはなく、それはすぐに現出した。
◇
馬と御者を休ませて、序でに昼食をとる休憩中。心の内の不安を誤魔化すように起きたエウリさんとイチャついていると、一部の集団が騒がしくなっているのが耳に届いた。
「それが……いないんです、1匹も。魔獣に野生動物、それに、虫1匹たりとも」
「馬鹿な、そんなことがあり得るか! ここの近辺は魔族領、魔物なんて掃いて捨てるほどいるはずだ!」
そんな口論から意識を外し、周囲の環境に全力で耳を澄ませる。食器の音。火の音。会話。衣擦れの音。足音。呼吸音。その他色々と音は聞こえるが、森の中で聞き慣れた自然の音は1つとして存在していなかった。
こういう時相談したいのはフロックスさんだが、今は「砂糖吐きそう」と言ってどこかへ行ってしまってるので出来ない。となれば、エウリさんに頼る他ない。頼りすぎるど自分が蕩けて駄目になる自信があるのであまりしたくないが、今は是非もない。
「エウリさん。突然で悪いんですけど、ここから森の音って聞こえますか?」
「えっと……きこえない、ですね。おかしいです!」
「森があるなら、鳥の声くらい聴こえていい筈ですからね」
なのに、それが一切ない。かと言って魔物がいるわけでもなく、血の匂いも人間と嗅ぎ慣れないものの2種類が大半で獣のものはない。
異常だ。明らかにこの空間は異常だ。その事実に気がついたエウリさんが杖を持ち出し始めたのに合わせ、俺もいつでも驟雨を排出出来るように準備する。
とりあえずご飯を食べ終えた頃、真剣な面持ちのフロックスさんが戻ってきた。そして小さな声で話し始めた。
「おいモロハ。やべぇぞ、ここ」
「生き物が何もいないことですか?」
「ああ。しかも、明らかに
何かから逃げ出した。つまり、魔物が逃げ出す何かがこの先にいるということだ。しかも最近ということは、戦争しているからということが理由ではない。逃げ出す必要がある何かが最近現れたということだ。
「少なくとも到着してからじゃないと、逃げるわけには行きませんもんね……」
「だよな。エウリは?」
「ちょっとお花を摘みに行ってるそうです」
幾ら心配でも、そこまで付き纏う訳にはいかない。本当はフロックスさんにでもついて行ってもらえれば安心なのだが、プライバシーは大切にしなければいけない。
「もどり、ました」
そうして少し考えを話し合い整理していると、エウリさんが戻ってきた。よし、これで何かあっても自分たちだけで動く準備は整った。
そんなことを思いながら、エウリさんを交えて会話を再開させてすぐのことだった。
「一応オレん中じゃ結論は出てるが、モロハは何が出てきたと思う?」
「そうですね……もしかしたら、ドラゴンとか竜だったりするんじゃないですか? 圧倒的な強者っていうと、それくらいしか──」
なんてことを、口にした途端だった。
自己否定ーー██の感情は消去されています
自己否定ーー威圧感を否定しました
全身に悍ましい程の悪寒が走り、全身の毛が逆立つような感覚がした。同時に、どこか遠くから何かの生物が放った雄叫び……いや、
被害はそれだけに留まらない。
まず、人が気絶した。
馬車を操っていた御者、戦準備をしていた人、食事をしていた人etc……その大半が、今の咆哮を聞いて気を失っていた。僅かに残っている人達も、顔を真っ青にして呆然としている。
次に、馬が暴れ出した。
まるで発狂したように、何もかもを引きちぎってここから逃げ出そうとし始めた。抑える人がいないから、次々と逃げ出していく。
そして最後に、気配を感じた。こちらに迫る、強大な気配を。
「ははは……」
その光景に、もう笑うしかなかった。切り替えなければいけないのは分かるのだが、そう簡単に割り切れるものか。
自己否定ーー動揺を否定しました
チートさえなければ、の話だが。一度自分の頬を叩いて、本格的に気持ちをリセットする。
「フロックスさんが予想してた敵って、なんだったんですか?」
「そりゃ勿論竜だったが……まさか、ここまでのやつとは思ってなかったぜ」
「ですよね」
本来なら逃げ出したいところだが、そのための足がもう無い。幾ら魔術の強化を入れたところで。逃げ出すには圧倒的に時間が足りない。故に、ここで戦わねばならなかった。
自己否定ーー動揺を否定しました
覚悟を決めて、驟雨を排出し短剣を佩く。手甲と脚甲を排出して装備し、曇りなのでコートを脱いだ。フロックスさんも双剣を抜き、臨戦態勢を整える。
そんな俺たちを見て、なんとか馬を確保した人達は全力で駆けて行った。特に感慨は湧かないが、一応姫さまの私兵なわけだしむざむざ死なせたいわけでもない。
だからまあ、死ぬ気で頑張ろう。こんなざまでも一応勇者なんて呼ばれてるのだから、惚れた人と救ってくれた人の助けになることくらいは出来るだろう。
「も、モロハさん。にげましょう?」
自己否定ーー甘えを否定しました
眼帯を外した俺に、震える声でエウリさんがそう告げた。目には██……よく分からない感情が見て取れる。顔色も真っ青だ。
「あんな、あんなのに、かてるわけないです。だから、にげましょう? いまなら、まにあうかもしれません」
「それはちょっと、無理な相談ですね。相手方の狙いは俺みたいですし、俺たちが逃げたら全員死にます」
自己否定ーー甘えを否定しました
俺が知ってる限り、こんな気配の奴を倒せると思うのはファビオラくらいのものだ。だがそのファビオラは、前回と違って手助けしてくれることはない。前回助けてもらえたのは、お婆さんの存在あってこその例外だったのだ。
「でも!」
「別に、エウリは逃げてもいいんだぜ?」
冷汗をかくフロックスさんが、優しくそう言った。
「オレもモロハも、エウリがここに残るのを強制はしねぇさ。どのみちあんなのに目ぇ付けられてんだし、ほぼほぼ生き残る可能性はねぇしよ。けどオレは、どうせ死ぬなら最後に一花咲かせたいね」
ニィッと笑うその姿は、いつか村で見たそのものだった。誰も死なせない、それは欲張りだとは分かっていても手放すことのできない理想だった。
「もう、ばかです。ふたりとも、おおばかですよ!」
涙を拭いたエウリさんが、意を決したように杖を構えた。
そして、絶望が舞い降りた。
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50 黒崩咆ディラルヴォーラ
「上だ!」
そんな声に釣られて空を見上げると、そこには絶望がいた。
黒い鱗に赤い眼、発達した強靭な四肢と剛爪。更に前腕から生えた三枚の巨大なブレード。棘の生えたしなる尾。そして、歪んだ笑みの浮かべられた口元とそこから覗く牙。最後に、真っ白を超えて黒に染まった極めて濃密な魔力が、これでもかと言わんばかりに全身を覆い尽くしていた。
こいつは、駄目だ。
一目見てそう分かった。この世界に来て何度そう思ったのかわからないが、これは人が戦って良い相手ではない。そんな相手が、右腕を振り上げ、高速で落ちて来ていた。
肉の鎧ーーstart-up
「
考えるより先に、身体が動き出していた。制御を放り出した強化の魔術とチートを合わせた力で後方に全力で飛びつつ、魔法で伸ばした蔦でエウリさんを捕まえて引っ張る。エウリさんが逃げ遅れているのはフロックスさんも感じていたようで、無事俺たちと同じ距離までエウリさんをアレの着弾予想場所から引き離すことができた。
だが、これではまだ足りない。
「「
ドーピングで痛覚を消してるのをいいことに、チートで砕けた脚を支えながら魔法を全力で行使する。地面を突き破り物理防御に秀でた木の幹が俺とフロックスさんの2本分出現し、その表面に魔法防御に秀でた花がいくつも咲いた。
それは俺たち3人を守るには十分と思われるもので──
「
竜が着弾した瞬間、木と花は7割方吹き飛んだ。着弾の衝撃で地面が激しく揺れ、着弾点から全方位に岩塊が飛び、砂埃が舞う。そんな中でも防壁の全てが吹き飛んでいないのは、直前にフロックスさんが根を張らせ補強したからだと思われる。
しかしそれも、直後に砕かれた。
ドパンという、空気の壁がどうにかなったとしか思えない音と共に振るわれた尾が、情け容赦なくほぼ崩壊していた木の幹を砕き飛ばしたのだ。
『グルァッ!!』
そしてその残骸を突き破り、竜の腕が突き出された。爪もブレードも受けたら死ぬ、けれど受けなければ全員死ぬ。気絶していたせいで何もできなかった奴らと同様、引き潰されてミンチになる。
「さ、せるかぁッ!!」
魔術と吸血鬼としての自己治癒で治りかけていた脚を再度爆発させ、繰り出される剛爪の軌道に割り込んだ。そして、収納のチートを纏わせた驟雨を全力で振り上げる。
今まで通り、チートと驟雨が斬り裂いてくれるかもしれない。そんな淡い希望を乗せた一閃は、剛爪に直撃して動きを止めた。今までほぼ全てを抉り割いてきたチートが、止められた。
自己否定ーー呆然を否定しました
そして、黒板を掻き毟るような空間の絶叫が響き渡った。
『グル、ガァァァッ!!』
「あぁぁァァァァッ!!」
筋繊維が千切れるぶちぶちという音が連続する。骨が折れる音がした。見る間に右腕が赤く染まっていく。しかしそんな中でも、チートを纏う驟雨は無事だった。
そんな交錯が続くこと僅か2秒、爪と驟雨の間にある空間が限界を迎えたかの様に爆発を起こした。それにより竜の爪は大きく上に弾かれ、俺も大きく後ろへ吹き飛ばされる。
「ぷっ」
何回かバウンドしたがなんとか立ち上がり、口の中に広がっていた血を吐き捨てる。元々自分でやっていた回復にエウリさんの魔術が加わり、回復速度が格段に早くなっている。血を流す傷口が塞がり、骨が接合される。痛みを薬をキメて消してるからこそ出来る無茶だ。
驟雨を構えたまま、排出した増血剤を数錠飲み込んだ。フロックスさんとはアイコンタクトだけを交わし警戒を続けるが、今度は何故か竜が攻撃をしてこない。しきりに自分の弾かれた右腕を見て、何か唸っているような声を出しているだけ。はっきり言って不気味だった。
そして一際大きな息を吐き出したかと思うと、こちらを真っ直ぐに見つめて不思議と反響する声で言葉を口にした。
『貴様らは、英雄か?』
「は……?」
突然聞かれたそんな質問に、一瞬だけ頭が真っ白になった。どうしてそんな、意味のわからないことを突然聞いてきたのだろうか?
自己否定ーー困惑を否定しました
まあ、そんなことははっきり言ってどうでもいい。だが1つだけ、言っておかねばならないことがあった。
「少なくとも、俺はそんな器じゃない」
フロックスさんならば、そう呼ばれてもおかしくはないだろう。
エウリさんであれば、いつかその域に至ることも不可能ではないだろう。
だけど、俺だけは違う。人間“欠月諸刃”は英雄足り得ない。英雄の器になることなら不可能ではないが、俺が俺としている限り英雄なんて化け物には……俺にダウンロードされたアイツのようになることはできない。『人の可能性は無限大』そんな言葉を聞くこともあった気がするが、俺は所詮ぬるま湯に浸かっていた日本人で、何もわからないガキで、チートなんて力を与えられただけの存在だ。そんなものが、
『クハ、クハハ、ハハハハハハ!!』
俺としては本心を答えただけだったのだが、竜は何故か大爆笑を始めてしまった。解せぬ。
自己否定ーー怒りを否定しました
『良い、良い、英雄とは己を過剰に誇示しないものだ! 貴様からは勇者などと名乗る芥と同じ臭いがするが、どうやら本質は違うらしい』
「幾らあなたが強者と言えど、あんな奴らと同じにしないでいただきたい」
自己否定ーー██の感情は消去されています
一応同郷の輩なのだしあんな奴らと言ってしまうのはどうかと思うが、まあ操られてるとはいえ魔族を殺しを続けてるのだからあんなので良い。どうせ会ったら殺し殺される仲だ。
『そうだな、失礼した英雄よ。英雄たちよ。ああそうだ、貴様も、貴様も英雄だ!』
理知的に喋っていたはずの竜から、段々と正気が失われるように言葉が荒くなっていく。同時に赤い眼に直前まではなかった敵意が復活し始めた。
『我に挑め! 我に挑め!
そして血と狂乱の祭の幕を開けよ!
我が名は黒崩咆ディラルヴォーラ!! 誇り高き上位竜が1人である!!』
ビリビリと肌に伝わる程の大音声で、そんな宣誓が為された。そして、竜……ディラルヴォーラの眼から一切の理性が消し飛んだ。なんだったのか結局分からず終いだったが、もう戦うしかないのだろう。
自己否定ーー疑問を否定しました
そんな風に分析していると、ディラルヴォーラが大きく息を吸い込んだ。それと同時に、黒い魔力が口元に収束していく。それは、どうしようもない危機感と怖気を感じさせた。けれど、口元には火や水などの所謂ドラゴンブレスに類されるものの気配はない。
自己否定ーー困惑を否定しました
「エウリさん、あの時の音を消す魔術を!
ギリギリ残っているサブカル知識を総動員して考えるに、アレは咆哮。それも恐らく、とてつもない破壊力を持ったもの。そう、なんだったか? ゲームの中にそんな竜がいたはずだ。ティガ、なんとかというあれ。けれど攻撃方法が音だというのなら、もしかすれば!
「え?」
「早く!」
困惑するエウリさんを急かす。恐らくあれが放たれたら、俺たちは何も残らず消し飛ぶ。何故だかそれが直感的に理解できた。
「はい!」
エウリさんの魔術が完成した直後、予想通り咆哮が発動された。天に吠えるような姿は見えるがしかし、こちら側には何も伝わらない。砂煙が舞うだけだ。
「だめ、です! やぶられます!」
しかしそんな安心もつかの間、エウリさんの魔術が崩壊した。
直後、解放された音の津波。圧倒的な暴力。それが、俺たちを強かに打ち付けた。
肉の鎧ーーbroken
「あ、がっ……」
チートが崩壊し、全身に弾けるような感覚が走った。同時に息が苦しくなったことから、肺にも何らかの異常が出ていると思われる。二重の減衰を受けていてこれだ、エウリさんはなんとか庇ったが……
「気ぃ抜いてんじゃねぇぞ、モロハぁ!」
膝をつき、全身血塗れのフロックスさんの声にハッとして意識を戻せば、砂煙の中から黒い魔力の塊がこちらを狙って動き出したところだった。
仕方なく息を止め、伸長させた驟雨の石突きでエウリさんを引っ掛け力任せに吹き飛ばした。エウリさんの魔術・魔法の腕は俺の十何倍もあるが、近接戦闘はからっきしだ。だから今はこうする!
「ッ!」
伸長させた驟雨を元のサイズに戻しながら、足を崩壊させながら反対側に跳んだ。喉元から血が込み上げてくるが、無理矢理飲み込んで無視。空中でもう一度驟雨を伸長させ、飛距離を稼ぐ。
これでギリギリ間に合うか、間に合わないか。
そんな一か八かの賭けに、俺は負けたようだった。
『グルァッ!!』
砂煙を突き破り出現した黒の顎門。それが俺の右脚、膝から下に食らいついた。チートがない以上、いやあったとしても竜なんていう生物の咬合力に、人間というか弱い生物は耐えることができない。肉が裂け骨が折れ、完璧に千切れる音が身体を通して耳に届く。
次瞬、猛烈な後方への加速感。どうやら噛み千切られた状態で、口の端に引っかかってしまったらしい。ディラルヴォーラの眼が、よく見える。
「
一刻も早くこんな状況から脱したいのは確かだが、同様にこんな好機が2度としてないであろうこともまた確か。そう考えて、吹き飛びかけていた自分の体を魔法で上顎に縛り付けた。
収納だけで竜の守りを貫くことが出来ないことは先程判明している。だったら、使いたくないがアレに手を出すしかないだろう。
燃焼回路ーー起動完了
燃焼回路ーー動作を開始します
今まで少しづつ、地球やこちらでの記憶を焼却されながら貯めてきた青い炎。その総量はあの夜に得た物に遠く及ばないが、一撃だけならば!
燃焼回路ーーエネルギーを100%充填
肉の鎧ーーReboot
「貫、け!」
青い炎と収納、二重のチートを纏った驟雨が伸長する。狙いはこちらを睥睨する赤い右眼、その中心。切っ先が届くまで残り数cmといったところで気付かれ、首を左右に振られたがもう遅い。チートと魔術で補強された
自己否定ーー慢心を否定しました
そして、青い火の粉を散らして空中を疾走した驟雨は、狙いを誤たずディラルヴォーラの右眼に突き刺さった。
『GyAAAAAッ!?』
ディラルヴォーラが絶叫し暴れまわるが、こんな機会逃してたまるか。まだやれる、まだ足りない、まだ攻撃は届く!
「《収納》」
ディラルヴォーラの右眼が消失した。暴れまわる勢いが加速したが、まだ蔦は、チートは耐えられる。
「
使える魔法を三重で発動させる。
まず何処の空間から射出された極太の植物の茎が、血を吹き出すディラルヴォーラの眼窩に突き刺さった。次に刺さった茎から、細い根が眼窩を埋め尽くす様に張り巡らされた。そして最後に根が血を吸い上げた。
濃密な黒い魔力と共に、ディラルヴォーラの今までの記憶が流れ込んでくる。流れ込んで流れ込んで流れ込んで流れ込んで流れ流れ込んで──
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
「ッーー!!」
流入してきた竜の意識に食い潰され、壊れそうになった精神がチートで引き戻された。そしてどうやらこれで完全に否定出来たらしく、これ以上の苦痛は無くなった。
人族を殺せ
自己否定ーー魔法《狂乱付与》を否定しました
自己否定ーー魔法《理性侵食》を否定しました
自己否定ーー魔法《強制従属》を否定しました
燃焼回路ーー焼却開始
代わりに出現した呪いのようなものは、秒と持たずに焼き尽くされた。「これでまだやりようがある」そう思った直後、俺の身体を固定していた蔦が限界を迎えて千切れた。それにより凄まじい勢いで俺は吹き飛ばされ、全身を強打しながら大きく距離を取らされた。
『ゴアァァッ!!』
「させっかよ!」
繰り出されたブレードを、フロックスさんが受け流すのが見えた。けど嗚呼息をするのが辛い、頭が朦朧とする、喉から血が込み上げてくる。けれどこのままじゃ死を待つのみ。
「すいあげて、
エウリさんが、俺が残した魔法の跡に花を咲かせた。蔓が巻きつき、綺麗なオレンジ色花が幾つも幾つも咲いていく。何をしているのかは分からないが、俺だけがこんなザマでいるのはダメだ。
身体の異常を無理やり《肉の鎧》を纏うことで無視し、立ち上がろうとした時のことだった。不意に身体のバランスが崩れ、転倒してしまった。
「あぁ、そうか」
右脚の膝から下が無くなっている。そういえば、アイツに噛み千切られたのだったか。既に血こそ流れていないが、暫く立つこともままならないだろう。
「ぐふっ、ゴホッ、ペッ。
咳き込み、我慢していた血を吐き出した。そんな状態で魔法を使い、膝から下にただの木の棒を生成する。
戻らなければ。
そう決意して立ち上がると、不思議な光景が目に移った。ディラルヴォーラが、逃げ出していたのだ。距離を取るなどではなく、こちらに尾を向けて完全に逃走している。
自己否定ーー困惑を否定しました
よく分からない。よく分からないがしかし、それを見て緊張の糸が途切れてしまった。そうなってしまえばもう、意識を失うのに僅かも要らなかった。義足代わりの木が、割れて砕ける音がした。
あ、因みにエウリの魔法が効いたのは、先にモロハくんちゃんが目ん玉抉り抜いて使って有効化した魔法が植物系だったので、古樹精霊として優先度で勝ったからです。
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51 追憶 -×××××-
本日2回目?
知らない森、知らない村、知らない空気。
そんな何も分からない場所で、
朝霧が漂う中、左腕でただひたすら。仮想の敵を相手に槍を振るい続ける。何故しているのかは分からないし身体の主導権もないようだが、その考えていることだけは薄っすらと伝わってきていた。
吐く息が白い。冬の空気が漂う中、上半身裸で槍を振るう。
突き。払い。打ち。薙ぎ。上段。中段。下段。
持ち手の場所を中段から前段に変えもう1セット。
持ち手の場所を后段に変えもう1セット。
同じ位置を狙う動きを持ち手を変えながら、飽きることなく、投げ出すことなく、真摯に続けていく。
1時間ほどそれを続けた後、今度は魔術で身体を強化しながら同じことを続ける。自分が放てる最高の一撃を、更に一段上に昇華すべくただひたすら放ち続ける。
「██████?」
無限にも思えるそんな時間を過ごしていると、黒く塗り潰されたかの様に、ノイズが走って理解できない言葉が聞こえた。
振り返ると、水色の長髪をツインテールにした小柄な紅い瞳の女性が笑顔を浮かべていた。ピンク色の可愛らしいワンピースに、黒い男物のロングコートを纏ったその子は、
「███、██████」
「██! ████」
目を凝らせば奥の方に小さな家も見えることから、山奥で2人ひっそり住んでいるのだろう。そんな俗世から隔絶された生活をしているが、俺には2人がとても幸せに生活しているように見えた。
『おはようございます……』
そんな家の扉を開けて、長い銀髪をポニーテールに纏めた女の子……幼女と言えそうな年齢の女の子が現れた。驚くことに、その子が話しているのは
『█████、████████』
『ええ、おはようございます。すみません、いきなり押し掛けたのに泊めてもらっちゃって』
『████』
娘かとも思ったのだが、どうやら違ったらしい。青いパジャマを着崩した幼女は、眠そうに紅と蒼のオッドアイを擦りながらそんなことを言っていた。見た目が明らかに違うし、勇者ではないのだろう。
『███、████ー』
『いえ、私は夫との新婚旅行をしているだけですので。楽しいですよ?』
……驚くことに、この幼女も誰かと夫婦らしい。まあ、ここは異世界。地球の常識で考えることの方がおかしいのだ。そう納得はするが、飲み込み切れるものではない。
『でも、もう少ししたらこの世界は後にしようと思います。×××××さんたちみたいな良い人も沢山いるんですけど、国がとことん腐ってますから』
『████、████████████?』
『いえ、所詮私たちは異世界からの来訪者。この世界に干渉する権利なんてないですから。それに、腐った未来が嫌で過去に来たんですから尚更ですよ』
なんだかとてつもない言葉が連続して続いているが、その見た目と着崩したパジャマの所為でいまいち締まらない。けれど、この幼女が途轍もない……ディラルヴォーラが霞んで見える力の持ち主だということは察することができた。
その所為で呆然として考えを止めてしまっている間に、緑の短髪の青年が
『あ、おはよ***。空どうだった?』
『後から話すから、ちゃんと服を着てくれ***……』
『ふぇ?』
どうやらその青年が夫で、幼女が妻のようだ。同時にその夫は苦労人であるようだ。
それを見て
場面は切り替わる。
そこは、真っ白い空間の中に作られた鍛冶場だった。炎が灯された炉の前で、銀髪の幼女がいい笑顔を浮かべて一振りの暗緑色の縞模様が浮かぶ剣を宙に浮かべて保持していた。
呼ばれていたのであろう×××××はゆっくりと歩いて行き、それを受け取り腰に佩いた。その剣は、今俺が腰に佩く短剣をどこか連想させる作りをしていた。
『でも本当にいいんですか? これでも私、元いた世界では世界最高の鍛冶師だったんです。だから、貴方の無くした手も治せますよ?』
『███。███、█████████████████』
『そうですか。それなら、治せませんね』
幼女はくすくすと笑って、どこか懐かしそうな目をしていた。
けれどすぐに真剣な目をして、×××××が佩いた剣を指差して言った。
『その剣の名は【護剣ストーリア】、貴方の要望の通りただただ壊れないことと護る事を追求した剣です。貴方の愛槍も限界まで強化しましたし、折れることはないでしょうけど……きっとその子は、貴方を守ってくれます』
『█████』
言葉は分からないが×××××が今口にした言葉が、感謝の意を示しているのはわかった。そして幼女は、その剣を慈しむような目で見つめていた。鍛冶師にとって作品は我が子と同じと聞いたことがあるし、きっとこの幼女もそういうものなのだろう。
『ああ、そうでした。その剣は、貴方と妻、貴方たちの子供しか使えません。もしくは、貴方と同じ魂を持つか分け合った者だけ。それ以外の人が力を使おうとすると、剣に食われて死ぬことになります』
『███……█████』
『そうでとしないと、私の作品が悪用されてしまいますから。それはもう、嫌なんですよ。それに、私の作品を自分で壊すのも』
どこか寂しそうな顔をして、幼女はそう呟いた。きっと過去、そういうことがあったのだと思われる。自分で作り上げたものを自分で砕く。それはきっと、筆舌に尽くしがたい思いの筈だ。
『でも、貴方になら安心して預けられます。ストーリアのこと、大切にしてくださいね』
『█████』
×××××は頷き、しっかりと幼女と握手を交わした。それならうっかりしていたと言わんばかりの表情になり、手をバタバタと慌てて動かし始めた。それを見て×××××は笑い、ぷくーと幼女は頬を膨らませる。それでもまだ鍛冶師として意志が優ったようで、しっかりと話し始めた。
『その剣の真の力を発揮するには、詠唱が必要です。それを忘れていました。今から言うので、私に続けて言ってください。それが初期起動になって、貴方を主人として認識します』
一拍置き、幼女が言葉を紡いだ。
『闇◾️を◾️え、黒◾️竪◾️
█ざ開◾️◾️よ、
場面は切り替わる。
『1週間も、お世話になりました』
『世話になった』
『████ー』
『█████』
銀髪の幼女と緑髪の青年が、仲良く手を繋ぎ頭を下げていた。これからどこかへ行くのだろう、2人の足元には恐ろしいまでに精緻で巨大な魔法陣が展開されていた。
『それと、未来から見てるそこの君。貴方にもさよならとアドバイス。自分を大切にしてあげてね、あんまりその力に頼ってばかりだと、いつか貴方は消えて無くなるよ。まあ、ストーリアがあれば、少しはマシになるかもだけどね』
『誰に話してるんだ? ***』
『ちょっとした未来のお客人かな』
そして、幼女たちは光とともに消え去った。明らかにこの場にいなかった、俺に向けての言葉を残して。
わけがわからない。そんな感情が浮かぶと同時に、身体を包み込む浮遊感が襲ってきた。ああきっと、この夢は終わってしまうのだろう。
もう少しだけ、この古樹精霊の男と吸血鬼の女性の関係を見ていたかった。そう思うも虚しく、俺の意識は現実へと吸い上げられていった。
◇
「───さん、──ハさん、モロハさん!!」
泣きそうなそんな声と、身体を揺する振動で目を覚ました。嗚呼、凄く幸せな、へんな夢を見ていた。
「よかった、よかったです……ちゆまじゅつかけたのにめをさまさないから、すっごく、すっごくしんばいでしたよぉ……」
大粒の涙を零すエウリさんが、我慢の限界と言ったように俺の胸で大泣きを始めた。その音が非常に遠くに感じられ、補聴器がちゃんと作動していないことに気がつく。いつの間にか切れていた魔力を込めると、雑音が酷いがなんとか音の拡大には成功した。
「無茶して、ごめんなさい」
「うぅ……ぐすっ……」
自己否定ーー幻肢痛を否定しました
エウリさんを抱きしめつつ右脚を確認すると、やはりそこには何も存在していなかった。しかも俺が気を失う直前より、傷のある場所が膝寄りになっている。まるでそこまで、新たに鋭い刃物で切断されたような傷口だった。
「よう、目ぇ覚めたか」
更に周囲を見回せば、木に寄りかかるフロックスさんの姿が目に入った。どうやらここは、森の中であったらしい。フロックスさんの顔には色濃い疲労が見て取れ、俺の自爆同然の相討ちがどれほど疲労をかけてしまったのかを実感した。
自己否定ーー混乱を否定しました
「あれから、どうなったんですか?」
「お前の右脚と引き換えに、竜は撤退した。俺も散々嫌がらせしたしな。それにお前の魔法を下地にエウリが使った毒花の魔法のお陰で、あれを駆除しきるまでは竜は戻ってこねぇだろうよ」
「そう、ですか」
自己否定ーー動揺を否定しました
なんでも、エウリさんが最後に咲かせた花は
「それにここは、オレとエウリで作った古樹精霊としての領域に近ぇ森だ。だから、竜以外一切の生物がいねぇここなら安心して眠れる。だから、話をすんのは明日の朝だ。とっとと、寝と、け……」
そう言い残して、フロックスさんはzzzと寝息を立て始めた。なんだか悪い気がするのは、間違いではないだろう。
「エウリさんは……って、寝てましたか」
意見を求めようとエウリさんに話題を振ろうとしたが、泣き疲れたのか眠ってしまった後だった。これでは誰にも意見を聞けないが……そうだな。俺も頭がまだ朦朧とするし、一眠りした方がいいかもしれない。フロックスさんがああ言うなら、竜以外の脅威には気にしなで良いようだし。
「ふむ……」
増血剤を飲み込みながら、そこまで頭を巡らせる。竜に関しては、俺が魔法で根を張り巡らせた以上、全部を無くすのには最短半日くらいはかかるだろう。それなら、一眠りするくらいの時間はある。
であれば、俺も寝て休養を取る方が良いだろう。けれど寝る前に、1つだけ確認しておきたいことがあった。
「お前は、ストーリアなのか?」
腰に佩いたままとなっていた短剣を引き抜き、目の前に掲げて問いかけてみる。まあ、こんなの気休め程度にしかならない……そう思っていたのだが、ドクンと短剣が脈打った感じがした。
「まさか、ね」
俺が今生きる時代と、俺の中の英雄が生きた時代では年月があまりにも経ち過ぎてる。そんな時代の遺物が、現代まで壊れず残っているとは思えなかった。だけどもし、この短剣があの片手剣だとしたら、非常にロマンが溢れていると思う。まあ、そんなわけでないだろうけど。
自己否定ーー憶測を否定しました
軽く汚れを服の裾で拭いてあげてから、短剣を鞘に戻して俺も寝転がった。早く寝てしまおう、そして明日に備えるのだ。
避けようがない、竜との戦いに備えるんだ。
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52 失くしたものは
informationーー最適化を実行しました
チートが無機質に放つ、そんな音声で目が覚めた。
そういえば右脚が無くなったんだっけ。そんなことを思い出しながら起き上がり周りを見渡すと、まだ太陽が顔を出し始めたばかりの明け方らしかった。
「随分、高くついたなぁ」
竜の左眼と僅かな時間稼ぎの代償が、俺の右脚とエウリさんとフロックスさん以外の隊の全滅。近くに積まれている荷物を見るに、ある程度の荷物は無事のようだが……まあそれだけだ。
「煙草は……エウリさんが寝てるし、駄目か」
エウリさんは、俺の左足を枕にしてすぅすぅと寝息をたてていた。折角気持ち良さそうに寝ているのを起こしたくないし、煙草を吹かす必要はないだろう。
「俺がどうなっても、守るか逃がさないと」
長旅の途中だというのにサラサラとしたエウリさんの髪を撫でつつ、小さくそう呟いた。こんな身体でどこまで出来るか分からないが、改めてそう覚悟する。
目の前で大切な人を、もう2度と失ってなるものか。
視界にノイズが走る。
口から赤黒い血を零す、大きなお腹のピンク髪の少女がいた。その控えめな胸には刃が突き刺さっており、死まではもう秒読みだと思われる。
『████、████』
そして、何か言葉を告げた直後刃が振り抜かれ上下に分断された。そんな凄惨な光景を生み出し、少女を足蹴にし下卑た笑みを浮かべるその下手人は、黒髪黒目の少年。それはどう見ても、同郷である
視界にノイズが走る。
「なんだ、今の」
自分の状態を精査して見るが、何の異常もない。なのに、今見えた映像は確実に記憶に刻まれていた。明確な感覚と、我を失うような感情の奔流と共に。
自己否定ーー狂気を否定しました
発狂しそうになるほどの、勇者への……人族への憎しみ。恨み。殺意。果てしない負の感情。そして、自分への抑えようのない怒り。何もかも殺してしまえと言わんばかりの、ドロドロとして、ヘドロを煮詰めたような悪臭を放つ感情。
心の奥底が割れるような、軋み続けるようなその感覚から逃げるように……消えてしまいそうな自分を留めたくて、縋るようにエウリさんの手を握った。
自己否定ーー魂の侵食を否定しました
自己否定ーー×××××の人格を否定しました
そのお陰なのか、チートの音声と共に突然その感情は静まり返った。激しい動悸と悪寒、冷や汗こそ止まらないが、これ以上悪化するようなこともないようだ。そのことに胸を撫で下ろし、気が抜けた手が勝手に動き、右脚の傷口に当たった。
そこで違和感に気がついた。傷口付近が、何故か異様に硬い。
「は……?」
嫌な予感を感じ、千切れた服の裾を捲り上げる。するとそこには、異様に変質した自分の脚が存在していた。
股から自分の掌1つ分程の幅の空間を残し、傷口までを黒曜石のような鱗が覆っている。そして鱗には、ディラルヴォーラと同様の黒い濃縮された魔力が込められているのを感じ取れた。
「ふわぁ……おはようさん。って、また生えて来てんのかそれ」
木に凭れかかり眠っていたフロックスさんが起き出し、大きな欠伸をしながらそう声をかけて来た。
「またって、どういうことですか?」
「いやな? エウリが必死に治してる時に勝手に生えて来てよ、これが剥いでも剥いでも生えてくんの」
「俺の身体で遊ばないで下さいよ……」
自己否定ーー怒りを否定しました
カラカラと笑いながら言うフロックスさんに、ため息を吐きながら言い返す。人が寝ててエウリさんは治してる最中だと言うのにそんなことをしていた事実に、若干怒りが湧いたがチートがすぐに消してくれた。
「オレだって遊んでるほど暇じゃねえよ。何枚か剥いで、ちょいと調べてみてな? その結果によるとよ、その脚、あの竜と同じもんだぜ。多分アレだ、血吸ったのはいいがモロハ自身の限界を超えてたかなんかで、身体にまで影響出たんだろ」
「随分軽く言いますねー……」
けど、自分でも何かそんな感じはしているのだ。無理に言語化するなら……食べたものを消化しきれず吐いたみたいな感じだろうか。多分ファビオラ辺りなら完全に吸収できたのだろうが、半分だけの俺には到底無理な話だ。
自己否定ーー自虐を否定しました
自己否定ーー悔恨を否定しました
「まあ、それはいいです」
どうせ過ぎたことだ、気にしたって仕方がない。それよりも今は、150年は生きているフロックスさんに聞きたいことがあった。
「それよりも質問なんですけど……過去に、古樹精霊に男っていたことはありましたか?」
起きる前に見たあの夢。起きてから見たあの幻覚。そのどちらでも共通して、俺は名前の分からない人物だった。だが不思議とその時の己が増樹精霊の男だと言うのは理解できている。同時の当時の妻が吸血鬼だと言うことと、妻は勇者に惨殺されたと言うことも。
「んー……あー……、まあモロハにならいいか。オレたちの血は入ってるし、エウリの配偶者でもあるし同族ってことでいいだろ。それにマイナーだが有名っちゃ有名だしな」
頭を掻きつつ若干悩むようにフロックスさんは言い、諦めたようにそう言った。もしかして、あまり触れてはいけない何かに触れてしまったのだろうか。
そう冷や汗を流す俺に、まるで昔を思い出すかのようにゆっくりとフロックスさんは語り始めた。
「質問の答えだがな、いたぜ。オレが10もねぇ時に居なくなっちまったが、男の古樹精霊だった。突然変異だったらしくてよ、生まれつき右手はねぇしアルビノで、弱視で且つ食えねぇ物も多かった。
けどよ、それでも村の皆には優しくしてくれたし、オレ含め子供にはアマにぃっつわれて慕われてたんだぜ。それに、槍の使い方が異様に上手くてよ。オレの槍術もアマにぃ仕込みなんだぜ。
後は、当時親しくしてた吸血鬼の村が襲われたって聞いた途端に槍担いで飛んでってよ、帰ってきた時にはえらい可愛い嫁さん連れてきてなぁ……」
「凄い、人だったんですね」
俺の中にいるらしい英雄は、やっぱり英雄だったのだろう。
自己否定ーー自虐を否定しました
「けど、アマにぃのことどこで知ったんだ? 確かに隻腕の英雄としては有名だけどよ、それが古樹精霊だってのは知られてねえ筈だ」
「ちょっと、夢を見まして」
「なるほどな。確かにお前とエウリの境遇は似てるし、血の記憶でも見たのかもな」
あんまりいい記憶でもねぇんだけどなと、フロックスさんが溢した言葉は聞かなかったことにする。触れられたくない過去に触れてしまったようだから、必要以上に踏み込まないことは大切だ。
「話は変わりますけど、俺の脚って、実際どんなもんなんです?」
だから、話題を変えることにした。これはこれで気になっているのだし、不自然ではないだろう。
けれど、流石に不自然すぎて気づかれてしまった。けれどニッと笑みを浮かべるだけで、フロックスさんは話の変更にのってくれた。
「エウリ曰く、その左腕と違って治すことは出来るってよ」
「マジですか。魔術ヤバイですね」
「おう、マジだマジ。魔術もヤベーんだぜ」
軽いノリでフロックスさんはそう言っているが、どうにも顔が晴れない。確実に何か都合の悪いことを隠されている。そして今回に限っては、それがどんなものなのかは想像に難くなかった。
「で、全治どれくらいなんです?」
「バレたか……エウリの見立てだと、設備の整った環境で1から3年、整ってなきゃそもそも不可能だとよ。どっちにしろ、あの竜とやり合うには間に合わねえな。今は俺が切り落としたから綺麗だが、喰われたから傷口もぐちゃぐちゃで、その状態じゃ治せなかったらしいし」
「やっぱりそう言う感じでしたか」
自己否定ーー悲観を否定しました
ならばもう、右脚は諦めた方が良いかもしれない。このままじゃ立つことすらままならないが、気絶する前の様に義足もどきでも作れれば歩けないことはない。
「そのことで相談なんですけど……フロックスさん、義足って作れません? 幸い、ひざ関節辺りはギリギリ残ってますし」
何処かの記憶で、関節から先が残っていればマシと見た記憶があるのだ。だから、あわよくばと思い聞いたのだが……
「無理だ。一応昨日の夜から始めちゃあいるが、今から急ピッチでやったとして骨格部分が出来るかどうかだな」
「それでもいいので、お願い出来ませんか?」
立てないと、困るのだ。何も出来ないままのこの状態じゃ、殺されるだけのお荷物になってしまう。それだけは、御免だった。
「何か策はあんのか?」
「はい」
俺のチートである【肉の鎧】、あれを上手く使えば一時的な脚の代わりにはなってくれる筈だ。体力は削られるだろうが、無いよりは確実にあった方が良い。
「ならいい。日が昇りきる前までには完成させっから、エウリ起こしてくれ」
そう言い残して、フロックスさんは木の上へ登って行ってしまった。それじゃあ俺も役割を果たさねばなるまい。
「エウリさん、起きてください。朝ですよ」
そう呼びかけながら、苦労してエウリさんを手で揺する。するとすぐに、エウリさんの目が薄く開かれた。眠りは案外浅かったのかもしれない。
「モロ、ハさん……?」
その眠たげな目が開かれていくのに比例して、エウリさんの目には大粒の涙が浮かんできていた。
「よかった、ゆめじゃなかった……! モロハさん!」
そして、幾つも大粒の涙を零すエウリさんに抱きつかれた。
自己否定ーー罪悪感を否定しました
何かかけようとしていた言葉があった筈なのに、チートの余波でそれは掻き消されてしまった。しかしせめてものとして、エウリさんの背中をさすりなされるがままになる。
それだけ不安にさせた償い……いや、そんな高尚なものでは無いか。ただの俺の独りよがりだ。
「みぎあしがなくなって、りゅうみたいになっちゃって、めのいろもかわっちゃって……わたし、モロハさんがしんじゃうんじゃないかって、ずっとずっとしんぱいで!」
「はい」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
「ゆめのなかだと、ほんとうにモロハさんがしんじゃってて、それがほんとうにおもえて!」
「はい」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
「いや、ですよ? わたしのことをおいて、しんじゃいやですからね!?」
「分かってます」
「わかってないです! めをはなしたすきにむちゃするんですから!!」
「あはは……確かに、そうかもしれませんね」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
俺はチートによって、感情は消されてしまう。だから狂うこともないし、何かを強く思うことも出来ない。だけど、エウリさんは違うのだ。俺と違って、何もかもをあるがままに受け止めなくてはならない。
我ながら、酷すぎる。やはり俺なんかとは関わり合いにならない方がいい。そんな感情が鎌首を擡げてくるが、それこそエウリさんに対する侮辱に他ならないと切り捨てる。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
「それに、そもそもモロハさんは──」
言葉を続けようとしていたエウリさんの口を、キスをすることで塞いだ。確か、少女漫画とかではこういうシチュエーションがあった筈だ。かなり恥ずかしいものではあったが、チートのお陰でなんとか実行することができた。
「今回は、これじゃ駄目ですか?」
「ずるい、ですよ。こんなの」
「でも、俺にはこれくらいしか出来ませんから」
「だから、ずるいんですよ」
片腕しかないが、エウリさんを強く抱きしめる。最近、自分で記憶が消えていることを実感できるようになってきてしまっている。だからこそ、忘れないように心に刻みつけたかった。
少しの間そうしていると涙も収まったようで、エウリさんの調子は元に戻っていた。
「そういえば、俺の眼って今何色になってるんです?」
そこで、さっきは不謹慎だったので聞けなかった質問をしてみた。元々の濃い焦げ茶から榛色に変わった俺の眼の色は、一体今は何色になっているのだろう?
多分ではあるのだが、俺の眼の色は残りの人間部分と密接に関係しているから。多分完全に赤になった時が、人間としての終わりだろう。
「すごくきれいな、こはくいろです。にくたらしいくらいに」
「そう、ですか。でもまあ、綺麗なら良いです」
そうしてフロックスさんの義足が完成するのを待ちつつ、空が白んでいくのを眺めていた。
自己否定ーー魂の侵食を否定しました
モロハくんちゃんの現状
肉体 : 人間30% 吸血鬼68% 竜2%
精神 : 諸刃69% ×××××31%
記憶 : 33%焼却
次回再戦だけど勝てるかなぁ……
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53 黒崩咆ディラルヴォーラ Ⅱ
informationーー最適化を実行しました
何だかんだあったが、夜明け頃にはフロックスさんの作る義足は完成した。とはいえそれは忠告通り骨組みだけであり、形は人体骨格模型のそれに見える。但し、指先は素材の影響か竜の爪のようになっているが。
材質は木材や金属、ディラルヴォーラの鱗など多岐にわたる。しかしどの素材もかなり質が良い物のため、相当乱暴に扱っても壊れたり取れたりすることはないという。しかし骨と直に融合させる取り付け方は、薬をキメなければ耐えられなかっただろう。
「うし、竜が戻ってくる前にさっさと付けたが……調子はどうだ?」
俺とフロックスさんは森を出て、それぞれの得物を持ちディラルヴォーラを待ち構えていた。基本的にはフロックスさんが右から攻め、俺が左から攻める。そしてエウリさんは『儀式場として調整された森の中』という最良の環境の中から支援するという、今俺たちが敷ける中で万全の布陣だ。
「一通り動かしてみましたけど、問題ないですね。見た目以外は」
そうフロックスさんに言いつつ、ブラブラと義足を動かしてみせる。チートのお陰もあって、義足は普段通りなんら変わらず動かすことが出来ていた。
しかし、食い千切られた後のあるズボンの裾から黒い骨が飛び出しているのは、精神衛生上非常によろしくないものに思えて仕方がない。なんというか、どう見てもアンデットか何かにしか見えず軽くホラーだ。……ホラーとはなんだったか? まあいいや。
根元を見れば、義足の根元を鱗が覆って補強しているのだから、更に気持ちが悪い。
「それに関しちゃ、落ち着いたらどうにかしてやるさ。ま、生き残ってからの話だけどな」
「ぜひお願いします」
そうしなければ、おちおち街を歩くことすら出来ない。街を女装姿で歩けないということは、今までやってきた欺瞞工作が消えるということで……考えるだけで恐ろしい。ふざけているように見える女装だが、実は結構アレは生命線に近いものなのだ。
「で、モロハが予定していたチートはどうなんだ? 使ってるとスタミナを消耗するって聞いたが」
「ただ義足に沿って展開してるだけなら、多分半日くらいは出来ます。でも、戦闘となると……正直言うと俺は無茶ばかりしますし、30分保つか保たないかでしょうか」
その他にも、全身に展開したらした分だけ戦闘可能時間は減っていく。《肉の鎧》は、つくづく燃費の悪いチートだった。しかし、あるとないとじゃ全てが変わってくるものでもあった。
「元々長期戦になったら勝てねぇ相手だ。明確な時間制限ができたってことだろ」
「そう考えるのが良さそうですね、精神的に」
そうした方が、心が折れない。俺の場合は折れさせてくれなさそうではあるが、あまりこのチートに頼っていると、破滅の未来しか待っていないように思えるのだ。
そんなことを話していると、遠くから竜の遠吠えが響いてきた。
自己否定ーー絶望を否定しました
同時に、刺すような、息苦しくなるような気配が
「来いよ、クソッタレ」
精一杯の罵倒を口にした瞬間、空気が震えた。その原因は、莫大な魔力によるゴリ押しで発動された魔術か魔法。その証拠に、俺の左眼には空中に作られたトンネルのような構造体が見えていた。
「来ます、真正面!」
そう俺が告げた直後、大気が爆発した。同時に、回転しながら右腕を振り上げるディラルヴォーラが目の前に出現していた。
『グルルラァッ!!』
自己否定ーー諦めを否定しました
けれど、既にその動きは知っている。ただ上から来るのか横から来るのかの違いだけ。果てしなく自信を持っているからであろうその一撃は、確かにどうしようもないものだ。だが既に、1回それとは相討った!
「村、さぁめぇぇッ!!」
未だそれは再現率が2割を超えない謎の英雄の奥義だが、それでも技という形で再現は出来ている。左下から右上に向けての斬り上げ。それに沿って出現したのは、燃焼回路の補助がない今霧のような白の斬痕だった。
自己否定ーー安堵を否定しました
成功した安堵をチートが搔き消し、余韻も何もかもを吹き飛ばして頭を正気に戻した。ああ、非常に有り難い。
「ぜぇあッ!」
回転する身体を無理やり驟雨の石突きで止め、伸長させる事で拡散する斬痕を追うように剛爪へと俺は跳ぶ。
次瞬、自身の放った奥義にチートを切り刻まれながら、剛爪と驟雨が激突した。そして、空間が絶叫する。
自己否定ーー不快感を否定しました
それまでの時間は、前回と同じと考えれば2秒。それまでに、やらることをやらなければいけない。
自己否定ーー雑念を否定しました
集中する。
自己否定ーー雑念を否定しました
自分はできると自己暗示をかける。
自己否定ーー雑念を否定しました
どこか、ギアが変わったような感じがした。
0.5秒。村雨がディラルヴォーラの腕に到達、飲み込みその全てに斬り刻みを加えていく。
自己否定ーー雑音を否定しました
1秒。村雨は右腕の鱗を表面上は粉砕していくが、奥にある2、3重目の鱗までは斬ることが出来ないようだった。
自己否定ーー雑音を否定しました
1.5秒。空間が爆発する前兆が見えた。
自己否定ーー高揚を否定しました
1.8秒。凄まじい不可のかかる驟雨を握る手の力を、ごく僅かに緩めた。
自己否定ーー慢心を否定しました
2秒。空間が、爆発した。
「村雨ッ!!」
緩んだ握りから吹き飛びそうになる驟雨を、穂先の根元付近でキャッチ。伸縮機構で重心を調節し、勢いはそのままに自身の体を空中で回転させる。そしてそのまま、直前に撃った村雨に重ねるように2発目の村雨を放った。
しかしそこには、ディラルヴォーラの顔は存在していなかった。
代わりに在るのは、幾本も生えた棘の先から細く白い雲を引いて迫る尾の先端だった。身体は空中で回転しているため不安定。息はたった今吐き出した所為で余裕はない。槍は既に振り切った。
自己否定ーー絶望を否定しました
普通ならば死を迎えるしかないこの状況だが、今の俺にはまだ使える部分が残っている。
「──ッ!!」
収納のチートを纏った義足。ディラルヴォーラの血による汚染の所為か本来の骨格よりも竜に寄るそれが、棘の生えた尾の先端と衝突した。
肉の鎧ーーbroken
再度、空間が絶叫する。チートが崩壊し、僅かな拮抗の後今度こそ俺は吹き飛ばされた。しかしそれはディラルヴォーラも同様で、大きく体勢を崩している。
そこに、今の今まで気配を殺していたフロックスさんが出現した。
「
そして、本人曰く『今度は森1つ分を丸ごと収錬した刀』が本領を発揮した。両手で握った一刀が、振り下ろされる途中で瞬く間に巨大化する。そうして人が振るうには、いや、例え魔族であろうと振るうには巨大すぎる刃が、それまでの勢いと強化の魔術で限界まで上昇された筋力で振り下ろされた。
「落ちろォォッ!!」
まるで壁が落ちてくるような、ギロチンの刃のようなその一刀は、ディラルヴォーラを兜割りにして余りある威力を秘めていた。纏う魔力も濃密で、ディラルヴォーラの黒と対照的に濃い緑色をしている。
しかし、相手は竜。この世界の生物における最強種、その上位種。たったこれだけで、終わる訳がなかった。
『グ、ルゥ』
両前腕のブレードを展開したディラルヴォーラが、顔を顰めながら
「風よーー」
吹き飛ぶ俺を
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー絶望を否定しました
飛び散る血、剥がれ飛ぶ鱗、砕ける甲殻。大地に突き刺さる棘。そして、真っ二つに両断された巨大剣。
フロックスさんが放った必殺の一刀は、ディラルヴォーラの尾を半ばから切断した代わりに完全に無力化されていた。吹き出る竜の血は即座に凝固して失血を防ぎ、ディラルヴォーラが口の端をいやらしく歪めた。
肉の鎧ーーReboot
チートのそんな音声を聞きながら、背筋に氷を入れられたような悪寒が走った。それはエウリさんやフロックスさんも同様だったようで、瞬時に50を超える
『よくぞ、よくぞここまで! よくぞ我にこの技を使わせた英雄よ!』
しかしそんな物は視界に入っていないかのように、ディラルヴォーラは嗤う。非常楽しそうな声音であるが、目に映る光景が見えている以上俺は何も言うことが出来ない。
切断された尻尾があった場所に、凄まじい密度の魔力が尻尾の形そのままに収束していた。本来左眼でしか見えないはずの流れが、右眼でも薄っすらと見えている辺り実に頭がおかしい。
そりゃあ確かに、魔術などになった魔力は現象として確認できる。けれど、基本それ以外の魔力は不可視なのだ。それなのに、ただ集まってるだけの魔力が見えている。そしてそれは秒と経たずに、全身へ波及した。
自己否定ーー諦めを否定しました
全身から昏く輝く魔力が粒子状に溢れ落ち、魔力の塊である尾は幻影の様に明滅しながらもそこに存在を確認できた。
『百と余年ぶりにこの姿を晒したのだ。そう簡単に死んでくれるなよ? 英雄』
瞬間、ディラルヴォーラの姿が掻き消えた。
そして展開されていた花が全て散り、遠くで砂煙が舞った。
「は……?」
自己否定ーー困惑を否定しました
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー思考停止を否定しました
一瞬、何がなんだか分からなかった。けれど、チートが焦る様に否定のログを吐き出し続けて漸く事態を飲み込むことができた。つまり、ご丁寧に防御を全て貫いて、フロックスさんを攻撃したのだ。正面から正々堂々、真っ向勝負で打ち破ったのだ。
「ッ──!?」
そう理解したと同時に、ふと風を感じた気がした。そのことに嫌な予感を感じ、反射的に自分が乗っていた花から逃げ出した。
その予感は正しかったことが、次の瞬間判明した。地面に落ちていく刹那、ついさっきまで自分がいた場所に黒い線が走った気がした。そして、射線上にあった森の上部ごと花が吹き飛んだのだ。
『おっと、つい力が入り過ぎてしまったな』
落ちていく地面の先に出現していたディラルヴォーラが、そんな言葉を零した。ああけれど、フロックスさんは遠過ぎて分からないが、エウリさんは死んでいない。であれば、即死でない限りフロックスさんも生きている。
自己否定ーー怒りを否定しました
だから、怒る必要はなかった。何もかもを、平常心のまま行う。行える。行わねばならない。
燃焼回路ーー起動完了
informationーー蓄積された否定を装填
燃焼回路ーー焼却が完了しました
燃焼回路ーー100%のエネルギーを充填
ついさっきまでの記憶が、僅かに焼け落ちた。
物事の前後がわからない。俺は今なんでこんなことになっているのか、なんでディラルヴォーラはあんなにヤバイ状態になっているのか。いつなったのか。何もかもが、ぐちゃぐちゃで分からない。けれど、身体が覚えている。
あいつを殺せ。
「シッ!」
その焼け落ちた後にも残った意思に従い、全身全霊の突きを繰り出した。2重のチートと、業物の槍。
『どうした、それは既に見たぞ』
1度は確かに竜を傷つけた筈の攻撃は、あっさりと腕のブレードによって払われた。
自己否定ーー動揺を否定しました
嘘だろ? という言葉を飲み込み、驟雨から手を離す。そして伸縮機構で伸ばした驟雨の柄を蹴って、反動を得つつ収納しながら距離を取ろうとする。
『温いぞ、英雄』
振るわれた剛爪に対し、逆手で引き抜いた短剣を叩きつける。
肉の鎧ーーoverflow
チートを限界を超えて駆動させ、手から短剣を離れない様力を振り絞る。けれど、今度はこちらのチートが完全に負けていた。
空間の絶叫は起こらず、気がつけば俺は木に叩きつけられていた。
「かはっ……かっ」
身体が、まともに動かない。
咳き込んだ口からは、血の塊が吐き出された。
短剣が目の前に落下し、それを握っていた筈の腕はあらぬ方向に曲がっていた。しかも大きく裂け、血がドクドクと流れ出している。
自己否定ーー諦めを否定しました
自己否定ーー絶望を否定しました
薬をキメているお陰で痛みは感じないが、自分の首に死神の鎌がかかったことだけは実感出来た。自分とエウリさんの治癒魔術が2重で掛かるが、焼け石に水に近い。
『やはり、この時代の英雄とはここが限界か』
そんな俺の目の前に、ディラルヴォーラが出現した。こちらを睥睨するその目には、確かな理性と共に様々な感情が渦巻いていた。
感謝。尊敬。畏敬。そして、僅かな落胆。
最後のそれは即座に消えたが、確かにそんな感情が見て取れた。
『さらばだ英雄よ。せめてもの手向けとして、我が誇りを以って汝を送ろう』
そうして、ディラルヴォーラが大きく息を吸い込んだ。
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54 黒崩咆ディラルヴォーラ Ⅲ
『さらばだ英雄よ。せめてもの手向けとして、我が誇りを以って汝を送ろう』
そうして息が吸い込まれ、咆哮が放たれる直前のことだった。ぐんと視界の明度が落ち、時間の流れがゆっくりになった様に感じた。いや、寧ろ止まっているに近い。
これがかの有名な走馬灯なのだろうか。そんな呑気な考えが頭に浮かんだ瞬間、文字が、爆発した。
informationーー宿主の重大な危機を確認
informationーー生存確率計算中
informationーー予測生存確率確定 0%
informationーー状況打開策の検討開始
informationーー検討中
これ、は。確か前にも、あった筈だ。
燃え落ち、焼け焦げている記憶を必死に手繰れば……見つけた。あの夜だ。俺が死んだ、あの夜にも同じことが起きた。
informationーー打開可能案を1つ確認
informationーー実行には練度が圧倒的に不足
informationーー宿主に実行許可を申請
自己否定ーー却下判定
自己否定ーー宿主の思考速度は極めて鈍足
informationーー承認
informationーー宿主生存の為強制実行を開始
また、自分から何かが消える。そんな予感を他所に、勝手に、チートが暴走を始めた。
自己否定ーー嗅覚を一部昇華しました
informationーー再生不可部位検索 完了
自己否定ーー右腎臓を昇華しました
自己否定ーー肋骨を一対昇華しました
informationーー最適化を実行しました
遂に内臓とかにまで、チートは手を出し始めたらしい。どうにか止めようとするが、頭の回りが異常に遅い。いや、きっとそれだけチートも切羽詰まっているのだ。
自己否定ーー砲術の才能を昇華しました
自己否定ーー槌術の才能を昇華しました
自己否定ーー暗器術の才能を昇華しました
informationーー現在習得中の魔術を確認
informationーー****にアクセス中
informationーー当該魔術のツリーを取得
自己否定ーー魔術の才能を8割昇華しました
自己否定ーー斧術の才能を昇華しました
自己否定ーー双剣術の才能を昇華しました
自己否定ーー聖剣術の才能を昇華しました
燃焼回路が解放されたあの時と違って、文字列が増えれば増えるほど、全身に凍りつくような冷気が纏わりついていく。
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー自己否定の練度が上昇しました
informationーー容量の拡充に成功。████改め、魂魄回路を転写します
その暗い青色の文字を見た瞬間、文字通り世界が切り変わった。
魂魄回路ーーAccess
『タスケテ』『イタイ』『ナンデ』『ココドコ』『カエリタイ』『ドウシテ』『フザケルナ』『コワイ』『クライ』『ナンデ』
失聴した筈の右耳から、ノイズ混じりだがそんな声が聞こえてきた。何故かそれは、この地で死んだ人間・魔族のものだと瞬時に理解した。理解できてしまった。
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー驚愕を否定しました
同時に、今まで魔力しか見えなかった左眼に別のモノが映り込み始めた。それは、青白い影。どれもが人型で、けれど何かが欠損している影だった。それが、視界を埋め尽くすように現れた。
自己否定ーー狂気を否定しました
自己否定ーー驚愕を否定しました
そして、その全員が漏れなく俺を見つめていた。その事実に気づき、息が苦しくなった。チートによる精神防御がなければ、多分この時点で俺は何も出来なくなっている。
informationーーエネルギー源確認
informationーー状況打開条件を満たしています。実行しますか?
informationーー【警告】実行した場合、精神の一部が過負荷に耐え切れず消失します
informationーー推定消失割合 5%
本来なら、自分を殺すようなことはしたくない。けれど今、ここで死ぬよりは。俺だけじゃなく、2人も殺してしまうような攻撃を防げるなら。
是非もなし
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーmulch lock-on
魂魄回路ーーExecute
そして──死が溢れた。
身体が輪切りになった。踏み潰された。縦に裂かれた。食い千切られた。ボロ屑のように吹き飛んで死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死んだ。死死死死死死死死。
自己否定ーー発狂を否定しました
informationーー発狂精神、霊魂残滓、残留思念を装填
燃焼回路ーー焼却を開始します
新しいチートの意味が、今になってようやく分かった。これは、最悪だ。
死んだ者の魂が見えるのは良い。どうせ俺は片目だけだから。
死者の声が聞こえるのだって良い。気が狂いそうになるが、チートでその可能性は0であるから。
そうして彷徨える魂を、何処かへ消し去ってやれるのだって悪くはないだろう。独り善がりだが、それでも何もしてやれず悪霊にでもなってしまったら後悔以外残らない。
その際、青い炎と同質のエネルギーを貰えることも、今の俺にとっては有り難いとしか言いようがない。
けれど、その経過が最悪としか言うほかなかった。
暴走するチートが無差別にロックオンした、約200人分の魂。その今際の際の全てが、コンマ数秒の内に残らず全て圧縮されて、脳に叩き込まれたのだ。自分が生きているのか、それとも死んでいるのか、一切が分からなくなるような地獄が訪れた。
自己否定ーー死の実感を否定しました
けれどそれも、チートが消してくれた。薄氷の上に立つような感覚だが、まだ俺は生きている。だったら、ぶちかますしかない。凄まじい吐き気がするけれど、その程度知ったことか。
魂魄回路ーーcomplete
燃焼回路ーー焼却が完了しました
informationーー焼却・魂魄により虚無が出現
informationーー人格崩壊の可能性大
informationーー精神補填候補検索開始
informationーー既に×××××の魂の融合を確認
informationーー阿頼耶識よりダウンロード開始
「ぶっころす」
そして時間の流れが元に戻り、青と黒の炎が爆発した。
『なっ!?』
それは、トドメを刺さんと息を吸い込んでいたディラルヴォーラに直撃した。無論ダメージは皆無に等しいが、それでも喉に炎を吸い込めば焼け爛れ、1度行動を中断せざるを得ない。
informationーーエネルギーの類似性を確認
informationーーエネルギー放出を個別管理権限を残し、informationでの代用を可能に変質します。完了しました
喉を焼かれたディラルヴォーラが一歩だけ後退し、数秒だけ時間を稼ぐことが出来た。それだけあれば、十分に行動することができる。
肉の鎧ーー部分展開
informationーー5%のエネルギーを装填
治癒魔術はそのままに、砕けた全身にチートの鎧を纏う。普段は無色透明であるそれは、今に限っては青と黒の炎に彩られていた。けれど、これでは勝てない。まだ何もかもが足りない。
『は、はは! そうか、そうかそうか! 未だ諦めていなかったか、英雄よ!』
「《排出》」
だから、人間であることをもう少しだけ止めよう。
この世界には魔族がいる。人と同じ姿だが、別の種として分類される種族が沢山いる。だから、完全な異形でもならない限り、自分は人だ。人なのだ。ちょっと鱗が生えるのはどうかと思うが。
「
だから、排出した
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
尋常であれば自己を見失いそうな情報の奔流に襲われるが、こちとら今は精神が死と生の狭間にいるようなもの。受け流すだけなら、簡単だった。
結果、残り僅かな人間の部分が大部分、吸血鬼と竜に置換された。お陰で、最低限骨は繋がった。芯が治った分、身体の動かしやすさは格段に増した。
『グルラァッ!!』
「シッ!」
informationーー50%のエネルギーを充填
informationーーエネルギー残量145%
青と黒の炎を纏った短剣と、ディラルヴォーラの剛爪が激突した。
そして今度こそ、打ち負けることなく拮抗した。
だが、拮抗だ。ここまでやって尚、拮抗するだけで押し切ることが出来ない。ディラルヴォーラを超える為のあと一手が、どうしようもなく不足していた。
『善い、善い、善いぞ英雄よ! もっとだ、もっと我を愉しませよ!!』
こちらが息も絶え絶えに反撃しているのに対し、あちらはまだ会話をする余裕があるようだった。刻一刻と減っていくエネルギー残量を見つつ、その現実に舌打ちする。
殴り、躱し、斬りつけ、蹴る。驟雨を取り出す隙もない中、ふと視界にノイズが走った。そして、英雄の記憶が再生される。
◇
自分の周囲を取り囲む、十数名の勇者がいた。その誰しもが顔を憤怒に染めている。
その原因は明らかだ。自分の足下に転がっている、かつて人間であったものの残骸。一部の同情の余地もなく、徹底的に苦しみを与えて殺したそれを、未だ怒りのままに踏み躙っていること。それ以外には考えられない。
『殺せ! アイツの仇だ!』
『█が、██だ』
自分を殺せと喚き散らすゴミ屑共に、際限のない怒りが湧いてくるのを感じた。己のこと以外何も考えず、命の尊さなど知らぬと踏み躙り、自己愛に酔うゴミ屑が、散々生き物を殺し尽くしてきたクセに、何をもって仲間の命を奪われただけで憤る。
『██らだ█て、████を、█の█を、殺した██うがァァ!!』
そうして抜き放ったのは、いつかの幸せだった時間に訪れた者からの贈り物。大切な友人が、幸せを祈って残した剣。それをこんなことに使うのは気が引けたが、己の手に槍がない以上仕方がなかった。
ああそうだ、思えば自分が我が家を離れなければいけなくなった理由も勇者だった。無差別な乱獲、虐殺とも言える行為の果てに、己が領域を追い出され狂乱した森の主。それの討伐に出た所為で、自分はここを離れることになってしまっていた。生命の感謝なく、何もかもを殺し尽くした勇者の所為だ。
『闇◾️を◾️え、黒◾️竪◾️
█ざ開◾️◾️よ、
そして、虐殺の英雄譚が幕を開けた。
◇
『どうした、英雄!』
「ガッ──!」
再生された記憶に気を取られすぎて、モロに剛爪を受けてしまった。左の肩口から右の脇腹にかけて3条の深い爪痕が走り、血が吹き出た。ちらりと覗けば、内臓が顔を出している部分もある。
「ゴブッ」
せり上がってきた血を吐き出しながら、魔族と竜種の再生力と魔術による回復で止血して、思いっきり横に跳んだ。
直前まで自分がいた場所を剛腕が突っ切り、奥にあった大樹をへし折った。それにより倒れた大樹は、ディラルヴォーラの魔術により空中で輪切りになった。
『そらそらそらそらソラァッ!!』
そしてその質量兵器を、驚くべきことにこちらへ発射してきた。その数はもう、数えることすら億劫だ。けれど、傷が治っていない以上回避はできない。ならばやれることは1つだけ。
informationーー70%のエネルギーを放出
informationーーエネルギー残量70%
純粋な破壊力として、青と黒の炎を解放した。飛来する木材全てを焼き消さんと放ったそれは、流石のディラルヴォーラをして危険を感じたらしい。こちらへの攻撃を止め、大きく後ろに飛び退った。
けれど、今死にかけた原因になった記憶のお陰で突破口が見えた。あくまで、あの片手剣と俺の短剣が同一の物であることか前提だが。
「俺はエウリさんを、フロックスさんを助けたい。だから、力を貸してくれ。アマにぃ」
そして最大の問題は、剣の力を解放するのに必要らしい詠唱が分からないことだ。だから、本来の持ち主であったであろう英雄に呼び掛ける。都合が良い話だが、大切な人たちを助ける為に力を貸してくれと頭を下げる。
そんな想いが通じたのか、俺の内側から何かをナビゲートするような意思を感じた。それに最大限の感謝の意を伝えつつ、逆手に持った短剣を水平に構える。
そして、自らの内側から響く声と共に、言葉を紡いだ。
「『闇夜を払え、黒の竪琴
いざ開幕せよ、
リィンと、静謐な鈴のような音が響き渡った。
モロハくんちゃんの現状
肉体 : 人間10% 吸血鬼85% 竜5%
精神 : 諸刃58% ×××××42%
記憶 : 39%焼却
【解放4】魂魄回路
死者の魂を五感で知覚できるようになる。また、昇天させることが可能になる。その際、死者の記憶の一部が共有化され、相応の量のエネルギーを取得する。しかし使い続けるのであれば廃人になるか、全てを意思で捩じ伏せる覚悟が必要。
【削除済み】
かつてこの力を所持していた68代目勇者██ ██は、生者の世界と重ねて見えてしまう死者の世界に耐えることが出来ず、己の手で目を抉り耳を潰した。しかしそれでも死者の魂は視界から消えず、死者の声は耳にこびり付き、死の臭いは鼻腔を犯し続けた。
結果その勇者は、気を狂わせた。そして最後に償いとして当時王都で彷徨っていた全ての魂魄を昇天させ、その際得た力で王都を消し飛ばそうとしたところを当時の勇者のリーダー格に殺害された。
【削除済み】
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55 黒崩咆ディラルヴォーラ Ⅳ
「『闇夜を払え、黒の竪琴
いざ開幕せよ、
詠唱が終わると共に鳴った、リィンという静謐な鈴の音。最初1つだった音が2つに、2つだった音が4つに、16に、最後には256の重なりとなって響いた。
不思議と心の動きを沈静化、極めて正常な状態に落ち着かせるその音に、戦場の動きが一時的に停止した。竜も、人も、魔族も、霊魂も、何もかもがその音を聞いて行動を止めた。
そんな残響が残る中、左眼に俺のチートとは別の日本語の文字が投影された。
護剣ストーリア 起動完了
前担い手の魂を確認ーー第1セーフティ解除
前担い手の血族証明完了ーー第2セーフティ解除
現担い手の覚悟を確認ーー第3セーフティ解除
護剣ストーリア 初期起動
詠唱確認、通常駆動より超過駆動へと移行します
もう一度鈴の音が鳴り響き、握った短剣がぼんやりとした淡い緑の光を纏った。温かみというか優しさを感じるその光は、握る手から全身に伝播し傷を急速に癒していく。
移行失敗しました
自己診断開始……刀身の89%が喪失──再生不可
通常駆動【不壊】駆動率99%……正常駆動中
超過駆動【祝福】破損率69%……完全起動不能
破損刀身及び、修復不能スキルの残骸に対するリソースを放棄、超過駆動の再生へと転用します
3度目の鈴の音が、戦場に鳴り響く。その頃には、致命傷寸前だった俺の傷は既に完治していた。自分の短剣が記憶で見たあの片手剣と同一の物であると判明した時点で分かっていたことだが、明らかにコレは
それは、刀身がバラバラの金属片に解けて空中に展開し、場所を入れ替えながら、それでも展開前と寸分違わぬ刀身へと再生したことからも明らかだった。
超過駆動【祝福】破損率50%まで回復
超過駆動形態への移行可能
魔力吸収・体力回復機能が消失しました
精神安定・自己再生・単純強化・精密駆動・コンディション維持の機能の出力が50%低下しました
最終セーフティ《What's your name?》
「諸刃。欠月 諸刃だ」
ーー承認ーー
最終セーフティ解除 超過駆動形態へ移行
どうかこの力が、未来永劫あなた達を守れますように
そして、4度目の鈴の音が戦場に鳴り響いた。どこか鎮魂の意味を感じられた音の残響が響く中、冷え切った頭でディラルヴォーラを見つめる。
「行くぞ」
そう自分に宣言し足を踏み出した時、異常に気がついた。普段の自分の最高速より、倍近く今の俺の動きは速かった。しかしそれでもバランスを崩すことなく、違和感だけを残して身体を動かすことが出来ていた。
自己否定ーー慢心を否定しました
自己否定ーー全能感を否定しました
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーmulch lock-on
魂魄回路ーーExecute
自己否定ーー死の実感を否定しました
自らのチートが俺の油断を消し、死者の魂の群れを突っ切って、それら全てを昇天させながらディラルヴォーラに迫る。そうして距離を8割ほど詰めたところで、漸くディラルヴォーラが動いた。
『ガァッ!!』
展開されたブレードによる、こちらを確実に殺すための薙ぎ払い。横に避けるのは論外。姿勢を低くして走る俺が更にしゃがもうが跳ぼうが回避できないように、1枚目から3枚目まで全てのブレードが僅かに位置をずらして迫ってくる。
だからこそ、付け入る隙が1つだけあった。
informationーー70%のエネルギーを充填
「アアァァァァッ!!」
絶叫しながら、3色4種の力を纏ったストーリアを1枚目のブレードに叩きつけた。僅か1秒にも満たない交錯。それの後に、ガラスが砕け散るような音を鳴らしブレードが破砕された。
そうして発生した巨大な破片と残る2枚を回避するため、俺は地面に向けて飛び込んだ。自分のすぐ近くを刃が通り過ぎたことを空気の流れで確認し、そこから無理やり身体を捻って制動する。
informationーー5%のエネルギーを放出
informationーーエネルギー残量92%
義足の爪で地面を掴み、そこから黒い炎のみを放出して加速する。ストーリアを順手に持ち替え狙うのは、ガラ空きとなっている脇。大にく跳躍しそこを狙う中、ディラルヴォーラが笑みを浮かべるのを見た。
『────』
だが、その咆哮が放たれる直前、エウリさんの消音結界がディラルヴォーラの顔を覆った。恐らく数秒で砕けてしまう、竜相手には脆い結界。けれどその数秒が、今は限りなく価値のあるものだった。
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
informationーー300%のエネルギーを充填
発狂しそうになる心をチートが抑え、ストーリアの切っ先が僅かにディラルヴォーラの肌に埋まった。そしてそこを起点に、黒い炎の大爆発が起きた。
「これで、同じだなッ!」
結果、右腕が根元から吹き飛んだ。薙ぎ払いの速度はそのままに、空中を回転しながら飛んで行く腕を見て、気がつけばそんなことを口にしていた。
『そうだなァ、英雄!!』
そう嬉しそうに叫びつつ、ディラルヴォーラが魔力尾を俺に向けて叩きつけてくる。空中にいるせいで、満足な身動きができない俺に。
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
informationーー100%のエネルギーを放出
それに黒い炎を解放してぶち当てる。双方実体がないものの衝突であるが、空間に爆音を響かせた。今だけは、どれだけ死を叩きつけられても自分が消える感覚は無かった。
そして、体勢が崩れた反動でディラルヴォーラが右腕での薙ぎ払いを放ってきた。未だ俺がいる場所は空中。普通ならば何も出来ず、両断されて死を迎えるだろう。
informationーー1%のエネルギーを放出
けど、ここで終わるわけにはいかないのだ。僅かに黒い炎を放出し、その反動で身体を動かした。回転する己が身体は刃軌道から僅かに逸れ、
「シッ!」
剛爪の間を通り抜け、人でいう手の甲の部分に何度も短剣を突き立て漸く静止した。けれど、こんな場所で静止したところですぐに動きに引っ張られてしまう。当然俺もそうなり、静止した場所から吹き飛ばされた。肘の関節部に向けて。
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
informationーー300%のエネルギーを放出
そして再び、僅かに刺さった切っ先から黒い炎の大爆発を起こした。それは肘から先を吹き飛ばしたがが、代償とでもいうかのように、痛みを薬で消しているはずなのに割れるような頭痛に襲われた。
「ア、ギィッ……」
『ハハハハハハハハハハハハッ!!!!!』
思わず頭を抑えようとして、手からストーリアが溢れ落ちる。なんとか義足の指で掴み取ったが、直後暴風が吹き荒れた。その正体は、例の膨大な魔力で無理やり形成された風のトンネル。
「──ッ!?」
それに巻き込まれた瞬間、息が出来なくなった。そして眼に違和感が生まれ、音が消失した。
直後、エウリさんの魔術と思われる風のベールが俺を包み込んだ。それでかなり楽になったことから、真空か何かだったんじゃないかと思われる。そんな中で、恐ろしい勢いでディラルヴォーラの顎門が迫ってきていた。
『これでトドメだ、英雄!』
「ま だ だ ぁぁァァッ!!」
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
informationーー100%のエネルギーを充填
驟雨を手の中に排出。伸縮機構で伸びきったままの愛槍を、突き込んだ。竜の牙と、愛槍が衝突する。今日だけで幾度聞いたか分からない空間の絶叫が轟き、牙と愛槍の伸びた柄が同時に折れた。
それらが空中で回転する中、俺は地面にディラルヴォーラは空中に着地する。そして、再び風のトンネルが形成された。
『最早打つ手は無かろう!』
ディラルヴォーラのいう通りだった。
確かに俺にはもう、武装がない。驟雨は空で回転中。スペアの槍ではチートの負荷に耐えられない。ストーリアを拾うのは間に合わない。
万事休すかと思われた時、俺に向けて飛んできた飛翔体を掴み取った。何ごとかと目線を落とすと、そこにあったのは見慣れた木刀だった。血が染み込み、新鮮な血がぶち撒けられた木刀。フロックスさんの持つ愛刀は、俺に使えという意思を伝えているようだった。
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
informationーー200%のエネルギーを放出
「
そして、黒い炎を纏った木刀が突き上げられ、地上から天へと巨大な太刀が突き上げた。けれど、使い手が本人ではないからだろう。出現した刀身は、本来の10分の1程度の大きさしかない。
しかしそれでも、刀はディラルヴォーラの全長を超える長さであり、その胸板を貫くのに十分な太さを持っていた。例え剣がからっきしな俺でも、突くという槍と類似する動きであれば、それを実行できた。
顎をすり抜け、防護を突き破り、ディラルヴォーラの腰に刃が突き立っていた。それが、この攻撃の結果だった。
「はぁ……はぁ……」
息が切れ、頭痛に襲われ、限界に達していた俺は木刀を取り落す。そうして木刀が地面に落ちるまでの間に、巨大化していた刃は元の大きさに戻っていた。不思議なものだ。
自己否定ーー疑問を否定しました
刃という柱にして杭が抜けたのならば、必然的にそれに刺さっていた物は落下する。戦闘の余韻に浸り動けずにいた俺に向けて、ディラルヴォーラが落下した。そしてその事実を認識していたとしても、緊張の糸が切れた俺には立っていることが限界だった。
自己否定ーー諦めを否定しました
ああ、このままじゃ死ぬなぁ。そんな予感は、直後覆された。
俺を囲うよう四方に地面を突き破り生えた4本の巨大樹。それが互いに枝を伸ばし、葉を茂らせ、蔦を張って、花を咲かせ、落ちてきた2つの巨体を受け止め軌道を変えて地面に下ろしたのだ。
それは丁度、俺とディラルヴォーラの顔が向かい合うような形となった。この規模でこの精密さであれば、きっとこれをやったのはエウリさんだろう。刀を飛ばしたのはフロックスさんで、嗚呼本当に感謝しかない。
『ク、クク、クハハハ』
念のため義足で保持していたストーリアを拾い、逆手に持って警戒していると、目の前からそんな笑い声が聞こえた。
自己否定ーー油断を否定しました
まだ何かするのかと思い気を引き締めかけたが、満足したような笑みを浮かべているのを見て腕を下ろした。
『やはり英雄とは、我が伝え聞いた
「まだ喋れたんですか……」
両腕は無く下半身もなく、胴と首、顔だけの状態になってもまだ喋れることに驚きや呆れを通り越して疲れを感じた。どこまで生命力が強いんだ竜は。
『安心するが良い、我が命の灯火は間もなく尽きる』
「じゃないと、割に合いませんよ」
同じことをもう一度やれと言われても出来る気がさらさらしないし、2度とやりたいとも思えない。竜と戦うなんてもう懲り懲りだ。
『汝らであれば、10戦えば4は勝ちを拾えるだろう。今更何を言うか』
「6死んでる時点で割に合わないです」
『そうかそうか……』
なんでディラルヴォーラが嬉しそうなのかは知らないが、まあ襲われることはもうないと思われる。
『我を打倒せし者とは、もう少し語らいたいものであったが……どうにも、予想以上に時間は少ないようだ。我を殺したと言うのに、なんの褒美も与えなかったとあれば、竜としての名が廃る。もう少し近くに寄れ、英雄よ』
「はぁ」
ぐったりとした様子のディラルヴォーラがそう言うので、歩くのも億劫ではあるが近くに寄った。すると、その隻眼でこちらを睨め回したディラルヴォーラが、俺の義足に噛み付いた。
『案ずるな、害する意図などない。すぐに終わる』
慌てて振りほどこうとした俺にそんな声がかけられ、その通りすぐに義足は吐き出された。しかし、吐き出された義足には変化があった。
爪はより鋭く邪魔にならない程度に大きく。脹脛側に牙の様な棘が。今まで黒単色だった義足に、白というか象牙色のパーツがそれぞれ追加されていた。
『我が宝物庫への鍵だ。汝一代限りの物だ、決して使い方を誤るでないぞ』
「また、えらいもんを託されましたね。了解です」
俺には、正直荷が重い物を託されてしまった。
けれど、悪くない。そうは思えた。
『戯れに召喚され、呪いを植え付けられ、腹いせに全てを壊してやったが……英雄に討たれるとはな。あまりにも退屈な日々であったが故忘れていたが、なんど経験しようと、この素晴らしさは失われるものではない』
自己否定ーー驚愕を否定しました
今、ディラルヴォーラはなんと言った。聞き逃してはならない言葉が、さりげなく発せられた気がするのだが。
『英雄と鎬を削り、討ち果たされる。やはりこれに勝る快楽はない』
「え、は?」
『ああ、英雄よ。汝らの名を聞くのを忘れていた。名乗るが良い』
自己否定ーー混乱を否定しました
「モロハ。姓は欠月、名が諸刃です。尻尾を切り落としたのがフロックス、魔術で支援してくれていたのがエウリです」
『確と、記憶した。モロハに、フロックスに、エウリか。ク、ククク、これが我を討ち果たした英雄の名か!』
大きく笑い声をあげながら、ディラルヴォーラは極めて楽しそうにそう言った。そして、真っ直ぐ俺に眼を向けて言葉を続ける。
『察するに、エウリとやらは汝の番いだな』
「まあ、ちょっと表現が生々しいですけどね」
『我が名に於いて、汝らの前途を祝福しよう。どうやら汝は、難儀な星の下にあるようだからな』
こちらの反論を何処吹く風と受け流して、そんな言葉が紡がれた。同時に、フワリと暖かいものに包まれたような感じがした。よく分からないが、祝福なのだから悪いものではなさそうだ。
『では、然らばだ英雄達よ。
嗚呼、此度の竜生は、良い、ものであった』
それっきり、ディラルヴォーラが動くことはなくなった。
そして俺にも、限界がきた。
「は、駄目だこりゃ」
ディラルヴォーラの瞼を下ろした辺りで、鞘に戻しておいたストーリアから光が消え、俺の身体からも力が全て抜けたのだ。
先達の遺物と気合、それだけで今の今まで立っていたのだろう。身体に傷は無くとも、心はもう疲弊しきっていた。視界は暗くなり始め、音も遠くなっていく。
「おや、すみ」
気を失う前に俺が口にした最後の言葉は、誰に向けて言ったのか分からない反射的な言葉だった。
『アリガトウ』『オツカレ』『ヨクヤッテクレタ』『イマイマシイリュウヲ』『アリガトウ』『カタキヲトッテクレテ』『オツカレサマ』『オヤスミ』
意識が落ちきる前に見えたのは、こちらに手を振る霊魂と、告げられる感謝の言葉だった。別に、あんたらの為に戦ったわけじゃ、ない。
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56 新芽が見た英雄
モロハさんが、また倒れた。
昨日も足が片方なくなるなんて大怪我をして倒れたのに、また無茶をして竜を殺すなんて偉業を達成してしまった。
「モロハさん!」
「う、あ゛ぁ……」
けど、その代償は重いものだ。
血の気が抜けて、死人のようになっている青白い顔。
血に染まった全身。
いつにも増して、酷い悪夢を見ているらしい魘されよう。
髪の黒い部分が自分と言っていたのに、ほぼ半分まで紅に染まった髪。
傷は何処にも見当たらないが、心を酷く消耗してしまっているのがよく分かった。
いつも、いつもこうなのだ。起きている時、意識があるときはとてもそういう風には見えない。本人曰くちーととかいうもののお陰らしいが、戦いが終わって、眠ってしまうとこうなる。とても苦しそうに、辛そうに、酷いときは涙を流して魘されている。
「大丈夫……じゃ、ないんですね。やっぱり」
流れる涙を拭こうと伸ばし触れた手は、異様な冷たさを伝えてきた。よく見れば、モロハさんの吐く息は白く染まっている。それがなければ、死んでしまっているんじゃないか、そう思える程の体温だった。
今までにはなかった症状だ。きっとまた無茶をして、変な代償を負ってしまっただろう。しかも、今回無茶をした理由は『私とフロックスさんを助ける』こと。モロハさんがこんなに無茶をしたのは、私のせいだった。
「大丈夫、大丈夫ですよ。私はちゃんと、ここにいます」
まるで氷のように冷え切ったモロハさんを優しく抱きしめ、子供をあやすように語りかけながら背を優しく叩く。こうすると、本当に子供のように落ち着いてくれるのだ。魘されることもなく、リラックスした様子で眠ってくれる。
けれどそれは、言い換えればそれしか出来ないということでもある。
私には、モロハさんのようなちーとはない。
私には、フロックスさんのような技量はない。
私には、お婆様のような魔法の知識がない。
私には、この場の誰よりも判断力がない。
ない、ない、ない、ない、ないない尽くしだ。今回だって、単純な強化と回復、破られてしまった防御の魔法しか使ってない。使えてない。
それなのに私はここにいて、大切だって言ってもらって、庇ってもらって、まるでお姫様か何かのよう。それ自体は嬉しい、嬉しいのだが……少しだけ、そんな自分が嫌だった。
「どうやったら、私もモロハさんみたく戦えますか?」
だからふと、そんなことを聞いてしまった。当然返ってくるわけのない質問を。だから今のことは忘れよう。それよりも先ずフロックスさんの所に帰る、そう思ってモロハさんを背負った時のことだった。
「それはやめとけ、エウリ」
「ひゃぁっ!?」
そんな言葉がかけられ、思わず尻餅をついてしまった。そのせいで、軽くバランスの悪いモロハさんの身体が飛ばされそうになったがなんとか堪える。
「い、いるならいるって言ってくださいよフロックスさん。それに、なんで動けるんです?」
「そりゃあ、お前がちゃんと治してくれたからだろ」
「確かにそうですけど……」
それでも、ちょっとだけ不満だ。突然話しかけられたらびっくりするし、モロハさんを落としてしまいそうになる。
「それはそうとしてだな。モロハみたいな戦い方はダメだ、絶対にやめとけ」
「なんでですか? あんなに凄い戦い方してるじゃないですか」
「まぁ、なんつぅか……結構貶すことになるけどいいか?」
そのフロックスさんの言葉に頷く。そういう話はきっとモロハさんは言ってくれないから、ちゃんと今聞いておきたい。
「第1によ、モロハは戦闘中ずっと強化の魔術を暴走させてんだよ。自分が壊れるのを承知でな。それを無理やり再生しながら戦ってるから、腕とか見るとえげつねぇ程傷があるぞ?」
そんなことは知っている。そしてそれを、モロハさんが出来る限り見せないようにしていることも。何度も何度も重なるように出来ている傷跡が、全身のいたるところにあるのをあの日全てこの目で見たから。
「んでもって、なんか既視感あんなと思ってこの前調べてみたらよ、アレって昔人族がやってた『死兵』っつうクソみたいな戦法と丸っ切り同じだったんだよ。本人の意思でやってっから文句は言わねぇけど、基本やらせて良いもんじゃないぜ?」
「そう、ですか……」
今まで私は、凄いと思うだけでそんな戦い方をしていることを知ろうともしていなかった。薬を使ってまで無理に戦っていたことは知っていたけど、気づかなかったし教えてもくれなかった。
「次に、戦法もおかしいんだよ」
どこからか見つけてきたらしい。モロハさんの槍を軽く回しながらフロックスさんは言った。
「普通なら“怖い”と思うようなことを、まるでそんなことは知らんとばかりに躊躇なく実行する。生き急いでんのかと思ったが、本人は生きる為に必死になっている。そうでもなきゃ生き残れなかったのかもしんねぇけどよ……果てしなく歪だぜ?」
「だから私はそうなっちゃ、駄目ってことですね」
「おう。折角両思いでくっついたんだから身体は大切にしろよ?」
イタズラが成功した少年のような顔でフロックスさんは笑う。それはつい数分前まで生死の境を彷徨っていたとは、これっぽっちも思えない笑顔だった。
「んでもって、ありったけモロハを甘やかしてやれ。じゃねえときっと、気がついたら死ぬかいなくなってるぜ。俺でも分かったんだ、理由は分かるよな?」
「あの黒い炎、ですよね」
あの見るだけで不安になる、魔力の反応が一切ない冷たい炎。私にはあまり死霊を操る術の適性はないが、それでもあれが死に関連するもの……死体は見当たらないからきっと死者の魂か何かに由来する力ということは察することができる。
そして死霊術に関してお婆様から習ったときに、覚えておけと言われた言葉がある『死霊術やそれに類する術は、使えば使うほど“死”に魅かれる』。だからきっと、あの力は使わせたらいけないものなのだ。
「そうだ。自分を壊しながら戦い続け、青い炎で自分を燃やし、黒い炎で死に近づく。そんな果てに待ってるのはなんだと思う?」
どうなるのか考えて、ハッとした。魂がなんだとかいう話は教わる前にお婆様は逝ってしまったから詳しくはないが、もしかしたらという考えが1つだけ浮かんだ、
「……力のあるなにかが、モロハさんを乗っ取る?」
「それか、良くて廃人ってところだろうな。今は言っても辞めねえだろうけど、離すんじゃねぇぞ?」
「もちろんです!」
死が2人を分かつまで、そんな言葉があるくらいなのだ。それ以外に離れ離れになる気はないし、そんなことをさせるつもりだってありはしない。
なんてことを思っていると、モロハさんが私を抱く腕の力が僅かに強まった。念の為確認してみるが、起きているという訳ではないらしい。
「こうしてると、本当に小さな子供みたいですね」
「俺から見たらどっちもどっちだぜ?」
「茶化さないでください」
もう、と少しだけ文句を言いつつも、この空気は好きだった。あの夜と違って、まだ冗談や談笑を交わすことの出来る余裕がある。
「もっと世界を見ろよ、若造」
「こういう時だけ、大人ぶるんですから……」
けれどそれは、いつか戦いが終わったと言える時まで、少しだけ。
◇
夢を見ていた。
自分という存在が、端から凍りついて消えていく夢。
自分という存在が、根底から書き換えられていく夢。
どこまでも落ちていき、どこまでも消えていく、そんな悪夢。
けれどそれは、途中で幻のように掻き消えた。
次に現れたのは、色とりどりの花が咲き誇る花畑。
暖かい日差しと柔らかな風が吹く、安息の地と言えそうな楽園のような場所だった。
「殺せたかい?」
そんな場所で1人微睡んでいた俺に、聞き覚えのないそんな声がかけられた。
何事かと振り向けば、そこには初めて見る人物が立っていた。長く白い髪に、色素の薄い肌、紅の双眸に、右腕がない隻腕。一切心当たりがないその姿だが、どこか親近感のようなものを感じた。
「殺せたかい?」
「……何の、話ですか?」
それでも警戒を密にして問いかける。夢の中に出てきてこんなことを言う……よく分からないが、危険な気がする。
「何って、竜だよ。僕たちの人生の邪魔ばっかりしてくる、クソッタレな生き物さ。で、殺せたんだろう?」
「そりゃあ、なんとか倒しましたよ。ところで貴方は?」
いつの間にか握っていた驟雨の感触を手に感じながら、気を引き締めて問いかけた。けれどそんな俺の内心を無視するかのように、こちらの肩をポンポンと親しげに叩きながらその青年は言った。
「そうかそうか、それなら僕もストーリアを託した甲斐があるよ!」
「託したって、つまり……」
「そう、僕が君の中にいる英雄さ。と言っても、意識が戻ったのはつい最近だけどね」
花畑の中に立つ白い青年はそう言った。つまり、この人がアマにぃ。そして俺のチートが抑えきれないほど侵食した、英雄の人格。
「まあ、そう構えるなよ宿主さん。僕だって今すぐ君をどうこうしようとは思ってないさ。寧ろ僕がこれ以上出てこないことを祈ってる」
「じゃあ、なんで今出てきてるんですか?」
「僕としても、君とは話したいと思っていたからね。何から何まで、僕と似てるのに似ていない君と」
「まあ、確かに正反対ですね」
右腕と左腕。古樹精霊と吸血鬼。似ているのに似ていないというか、まるで俺がこの人に引かれているような一致具合だった。
「積もる話も色々あるとは思うけれど……まあ、僕が出てきた本題を話そうか」
そう青年が言った途端、風が逆巻いた。それにより花吹雪が舞い上がり、思わず目を瞑ってしまう。そして次に目を開けた時には、青年の手に一振りの槍が握られていた。
それを見た第一印象は、青い綺麗な花だった。刃の根元に花が咲いた意匠のある、綺麗だけれど恐ろしい威圧感も感じる槍。それは、この青年の雰囲気にとてもマッチしていた。
「僕は、君に僕とベルのような結末は迎えて欲しくない。だから、徹底的に鍛えてあげようと思ってね。僕が作り上げた技をあんな不完全に、劣化なんて言葉じゃ足らないほどの弱さで使われちゃ、不愉快でもあるし」
「それは、素直にすみません」
やっぱりあんな再現じゃ、不満であったようだ。確かにまあ、原型こそ残っているけれど弱すぎてほぼ別物と言って相違ないし。
「だから早くその槍を構えて。憎悪に狂った僕がこうして正気でいられるのは、君がストーリアを起動してくれた時間だけ。ここは君の夢の中だから少しは時間が引き伸ばせるけど、長くはないんだ」
そう言う青年の姿は、とても儚げに見えた。けれどその身が放つ圧というか、刺すような気配は全力のフロックスさんのそれを超えている。
それに対面して唾を飲み込み、出てきた冷や汗を拭って頷く。
「ああ、そうだ。自己紹介を忘れていたね。
僕の名前はアマリリス。フーちゃんたちみたいにアマにぃでも、ばあばみたく呼び捨てでも、師匠でも好きなように呼んで欲しい」
「了解です、アマにぃ」
こうして誰も知らない特訓が始まり、俺にとって3人目の師匠が出来たのだった。
【解放4】魂魄回路
※使い続ければ使い続けるほど体温が低下する。またこの効果で体温が低下した場合でも、身体機能は通常時と変わらず死ぬこともない。
※負荷が限界を超えて使用した場合、精神が一部死滅する
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57 夢のまにまに
一定の周期で顔にかかる微かな風。感じる森の匂いと暖かい体温。
意識を取り戻した俺が初めに感じたのはその2つだった。
「……?」
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー羞恥心を否定しました
目を
そして何故だろうか、
自己否定ーー疑問を否定しました
それに頭の中で区切りをつけ、寝起きの微睡みから完全に意識を覚醒させる。ここは世界一安心と幸せを感じられる場所ではあるが、同時にいるだけで気恥ずかしい場所でもある。
「よいしょっと」
だから、コッソリと抜け出した。けれどそれじゃあ悪いから、俺の代わりにいつも纏っているコートを置いておこう。そう思った時のことだった。
「んぅ……もろは、さん?」
自分はやはり隠れ忍ぶ術は得手ではなかったらしい。眠っていたはずのエウリさんを起こしてしまった。情けない。
「いかない、で。おいてかないで、ください……」
寝惚けている状態ではあるが、エウリさんはそう呟いてこちらに手を伸ばしてきた。その言葉に、心が軋みを上げた。
そうだ、俺は今回ディラルヴォーラを殺すために、どれだけ無茶を重ねた? どれだけ自分を削った? どれだけ死に浸って、そんな状態で紙一重を続けた?
『ソウダ』『ソウダヨ』『オマエニイキテルカチハナイ』『オレタチヲスクワナカッタクズガ』『ユウシャノハジサラシガ』『ジンゾクゴトキガ』『キサマモシンデシマエ』『『『キャハハハ』』』
自己否定ーー不快感を否定しました
自己否定ーー怒りを否定しました
「煩い」
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーmulti lock-on
魂魄回路ーーExecute
自己否定ーー死の実感を否定しました
俺を嘲り嗤っていた死霊を、チートが消しとばした。同時にズキンと頭が痛み、けれどその分声と姿が減少した。別にもうどうでもいいと切り捨てたものだが、邪魔ではあるのだ。集中も乱されるし、煩いのは迷惑である。
「ちょっと、花を摘みに」
「そう、ですか……」
そう言い残して、エウリさんは再び眠りについてくれた。何も理由がなかったのに咄嗟に出した答えにしては、上出来だったんじゃないだろうか。
頭痛を堪えながら周囲を見渡すが、フロックスさんの姿はない。現在位置は森の中らしく、それであればさもありなんといった感じだディラルヴォーラの
「さて、と」
であれば、俺も身体と記憶に残る違和感の解消に気兼ねなく出ることができる。といっても、十分に槍を振り回せる空間があれば良いのだが。
そう思って足を踏み出した森の外は、やはり異様な静けさに包まれていた。鳥の鳴き声も、虫の鳴き声も聞こえない、半分の月だけが見下ろす夜。そして何故か、そんな空気が今までよりもひじょうに心地良かった。
「……もう、ほぼ人間じゃないってことか」
自己否定ーー吸血欲を否定しました
疼いた牙がチートによりその活動を抑えられ、それが以前よりもかなり強かったことから確信した。正確な数値は分からないが、残りの人間である部分は1割2割あるかないかだろう。
今更吸血鬼になることに嫌はないが、少しだけ寂しくもあった。
『ナニヲイッテイル』『コノジンガイガ』『キュウケツキガ』『ヒトヲクラウオニガ』『イヤ、リュウカ?』『オレタチヲコロシタリュウガ!!』
「煩い!」
魂魄回路ーーcomplete
自己否定ーー死の実感を否定しました
死霊を昇天させる。
こんな一々係っていては、あの経験がなければきっとすぐに心を病んでしまっていただろう。待て、あの経験? なんだそれは。俺はこんな状況に慣れるような経験なんてしていないはずだ。
自己否定ーー疑問を否定しました
だからきっと、今のは気のせいか何かなのだろう。咄嗟に出てきたというやつに違いない。であれば、これ以上気にする必要もあるまい。本来やろうとしていたことを実行するのみだ。
「《排出》」
予備として携帯している槍の一本を手の内に排出した。
自己否定ーー懐疑を否定しました
「シッ!」
そんな疑念を振り払い、槍で仮想の敵を突いてみた。
その突きも、素人目で分かるくらいに別ものへと昇華していた。明らかに、技量が上達している。
自己否定ーー不快感を否定しました
薙ぎも、払いも、打ちも、何もかもが気持ち悪いほどに上達して、それになぜか違和感を感じることがなかった。これはたしかに自分のものであるという自負が何処から湧いてくる。
そのことが、心底気持ち悪かった。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
けれど、これを自分のものにしなければいけないという自覚はある。そうでなければ、今度こそ保たない。きっと自分が全て燃え落ちるまで戦ってしまう。だからこそ、今のうち強くならねばならない。最低でも、エウリさんと、エウリさんを背負った自分を守れるくらいには。
一振りする毎に、身体が馴染んでいく。
一振りする毎に、死霊が昇天していく。
一振りする毎に、義足が馴染んでいく。
一振りする毎に、音が遠ざかっていく。
一振りする毎に、霞みがかった記憶が晴れていく。
一振りする毎に、死霊の姿と声が遠のいていく。
一振りする毎に、自分が先鋭化されていく。
そうやって、何時間槍を振るい続けたのだろうか。空が僅かに白み始めた頃、自分に向けて何かが投げられたのを感じた。幸いながらさして速さのないそれを槍で絡め取ると、それはなんて事のないタオルだった。
「よっ、休みもしねぇでどうしたよ」
「フロックスさん……」
気楽に話しかけてきたその姿を視認した途端、身体にドッと疲れが押し寄せてきた。気がつけば俺は汗だくで、膝は笑っており、腕もプルプルと震えていた。
緊急避難としてストックしてあった血を飲み干し、飢えと渇きをどうにかする。そうして俺が落ち着くのを待って、フロックスさんは話しかけてきた。
「随分と槍捌きが見違えたけど、なんかあったか?」
「さぁ……それが、俺にもわからなくて」
だけど必要だと思ったから、とりあえず槍を振るっていたのだ。そのお陰か、今はもう違和感なくこれは自分の技だと誇れるくらいにはなっている。とはいえ、あの記憶で見た英雄には遠く及ばない。まだまだ研鑽が必要だった。
「そうか。にしても、随分とアマにぃに似た槍の動かし方すんのな。確かにオレが教えた基礎はそうだったけどよ、今はもうそれを踏まえた我流になってなかったか?」
「そうでしたっけ? まあ、上手くなったんなら嬉しいです」
強くなることは嬉しいし楽しい。何せ、何をするにもこの世界では“強さ”がなければ話にならないから。だから待て、なんだこの考えは。確かにそうだけれど、今まで俺はそんなことを考えたことはなかったはずだろう。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
これもまた、自分が人外へ変わっている事の証左なのだろうか。力こそ全て、そんな考えが頭の中の何処かに、いつのまにか住み着いていた。
「まあ、強くなったんだしいいじゃねえかそれで」
「それもそうですね」
自分の技量が上がって強くなった。この件に関しては、これが全てだ。悪い感じはしないし、これでいい。これでいいのだ。
「ならよ、1回どうだ?」
そう言ってフロックスさんは、腰に佩いた2刀に手をかけた。同時に殺気が俺に向けられ、準備万端といった様子だ。
「いえ、今はやめておきます。凄く疲れてるので」
けれど、一晩中槍を振ってた人にそれは無理だ。血を飲んだことで少しは回復したが、既に限界ギリギリである。更にそろそろ日の光も出てくるので、正直なところ遠慮したい。
「チッ、つまんねぇの。じゃあ今度な、約束だぞ」
「ははは……分かりました」
今ならフロックスさんに一太刀浴びせるくらいは出来るかもしれないし、まあいいか。
「それよりも……なんかあったんですか? 俺、結構見つけやすい場所でやってたと思うんですけど」
「ん? うん? ああ、そうだった! 脚出せ脚」
「はぁ」
とりあえず言われた通り、投げ出していた義足を差し出す。すると、間髪入れずに義足に木の根が巻きつき動きを拘束した。えっ。
「よーし、そのまま動くなよ?」
「ちょっ」
硬直していた俺の目の前で、フロックスさんは赤熱した金属の棒を取り出した。そしてそれを、義足に押し付けようとしている。
自己否定ーー困惑を否定しました
自己否定ーー疑問を否定しました
自己否定ーー諦めを否定しました
いつになく荒ぶるチートと俺の心を尻目に、動かせない義足に敢え無く金属の棒は押し付けられた。ジュウという焼ける音に、独特の臭い。数秒だけそれが漂い、すぐに金属の棒はフロックスさんの持つ袋の中へ消えた。
「うし、歪みもねぇ。これで問題ねぇな」
「満足してるところ悪いんですけど……これは?」
結局残されたのは、焦げ跡が謎の文様を描く義足だけ。ただ俺の知識がないからかもしれないが、説明が欲しかった。
「見るよりやる方が速えだろ? 立って『偽装』っつってみな」
「えっと……『偽装』」
瞬間、義足が生足に変わった。感覚自体は無いままなのだが、見た目は完全に元の足に戻ったように見える。
驚愕したままフロックスさんを見れば、それはもう見事なドヤ顔をこちらに晒していた。ああうん、でもこれを見たら確かにドヤ顔しても良いと思える。
「モロハの排出を参考にしてな。俺が持ってる魔法の袋の中身に直結して、瞬間着脱できるようにした。でもって人形の脚みてぇな外装に、モロハもよく使う幻術の術式を刻み込んで……まあ細けぇことはいいや。2日は補給無しでも偽装が保つぜ。どうよ? ヤベェだろ」
「ヤベーです」
触っても、感触は人のそれとなんら相違ない。更に魔力がある場所なら距離は関係なく偽装できるらしい。本来なら語彙を尽くすべきなのだろうが、素直にやべえとしか言いようがない。それくらいのものだった。
「それとほれ、代わりの防具」
「え?」
「竜との戦いで全部ぶっ壊れただろ? だからあの竜を素材にして一式作っといた。今度のはそう簡単に壊れねぇぜ?」
そうして手渡されたのは、黒一色の地に所々赤いラインの走る手甲と脚甲だった。そのどちらもが、あの黒い魔力を纏っているのが左眼で確認できた。それだけで、竜の防御力を再現した恐ろしい防具と言えよう。
「その代わり、驟雨の修復はまだだな。全員の武装の更新もあるし、もうちょい待ってくれ」
「了解です。まだ、時間はあるわけですし」
俺たちが王都に帰るリミットまでは、まだ何ヶ月もある。トラブルに巻き込まれることを考えるともう少し少なくなるだろうが、一月くらいの猶予なら余裕である。
「ああ。暫くは竜を加工しつつ療養だろうな」
「何もなければですけどね」
「ハ、違いねぇ」
そうして笑っていて、1つ気がついたことがあった。
死霊が、1匹も近くに存在していない。かなり遠くにチラホラとその姿が見えるだけで、近辺の死霊はその姿を完璧に消していた。代わりに、自分の中にあの黒い炎が呆れるほど溜め込まれているのを感じた。
無意識の演武で、これだけ溜め込んだのだろう。溢れるようなことはなさそうだが、少しだけ不安な気持ちになった。
自己否定ーー不安を否定しました
「そろそろエウリが起きるぞ。水掛けてやっからさっさと汗流して戻ってやれ。起きた時にモロハがいないと、多分大変なことになるぜ?」
「そうですね。それじゃあ宜しくお願いします」
そんなことをやっているうちに、俺の頭の中から謎の違和感のことはすっかり抜け落ちていたのだった。
装備更新回
(こっそり昔書いた短編の匿名解除した人)
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58 嵐の前は
少しだけ変化したコートを羽織り、いつにも増して痛みを齎す日光を遮る。それだけではまだ顔が焼かれ酷く痛むので、フードも目深に被っておく。そうすれば露出するのは右腕だけで、それも手甲とグローブをつけていればなんとかなっていた。
「これ、どう見ても不審者ですよね」
「はい、とても。とくにふーどからみえるのが、かためだけなのがとくにあやしいです」
「はぁ……」
自己否定ーー悲しみを否定しました
ディラルヴォーラを倒して1週間。気がつけば、それだけの時間が経過していた。その理由の大半がフロックスさんの我儘だった。曰く『竜なんて最上級の素材を放置するなんてとんでもない。生殺しにする気か』とのこと。
その間俺がやっていたことは2つだけ。
1つは、伸縮機構が完全に新調された驟雨の試運転。
補修された驟雨は、以前と何も変わらないのだが、竜の素材を使ったからなのだろう。なんというか、1つ1つに竜の気配を感じるのだ。その一点のみの変化が、致命的に色々なことを狂わせていた。だから慣れるまで、延々と演武のように振って振って振り続けた。
普通ならそんな短期間で慣れるなんてことはない筈なのだが、『意志の宿っている槍』というものが気持ち悪いくらいに使い易かったのだ。それ故に、感覚と実感を一致させて微調整するだけで槍には慣れることができた。
もう1つは、1の片手間にやっていた死霊払い。
近くに寄ってきた死霊は槍に宿るディラルヴォーラが喰らい、遠くの死霊はチートが昇天させる。それを延々と続けていたせいか、方面軍とのことだったので、双方合わせて30万はいた筈の死霊は8割方消滅していた。
「毎食ご飯が竜の肉ですし、そろそろ動きたいですよね」
「そうですね……」
並んで体育座りをしながら空を見上げ、そんな事を呟いた。
自己否定ーー飽きを否定しました
自己否定ーー黄昏を否定しました
流石にそろそろ限界なのだ。確かに2人は種族的特徴として水と光があれば生きていられるし、俺も血を吸ってればなんとかなる。
けれどそれはそれでも問題ないというだけであって、好んでやりたいものでもないのだ。幾らチートのお陰ですぐに血抜きが出来て、明らかに肉食なのに美味しい肉だとは言っても、三食それじゃあ流石に飽きがくる。
「でも、もうちょっとかかるらしいです」
「無駄になる部分が1つもないって話ですからね……」
爪や牙、棘は装飾品や武器に。
鱗、甲殻は装飾品や防具に。
皮は一般的な革製品と同様に。但し魔術的な効果で色々と付加機能がある。
血は薬の材料や魔法の触媒に。
肉は美味いのと、薬の材料などに。
骨は武具や薬など様々な素材に。
眼は魔法のブースターに。
心臓は適切な処理をすれば魔力を自動で生成、収集、貯蓄する魔法使いご用達のスーパーアイテムに。
ざっと覚えているのを挙げるだけでこれだ。本当に一切余すところがないらしい。それを嬉々として加工してくれたお陰で、無くなった手甲も脚甲も、そして靴も新調されている。所謂レザーアーマー系統の防具だ。それなのに、下手な鉄より対傷性は高いし頑丈らしいけど。
そして今俺が来ているロングコート、これもボロボロになっていたものから新調されている。流石に暑いのではないかと思ったが、来ていると存外涼しいことが分かった。それでいて強度もあるので、愛用品になると思われる。
まとめると、ぶっちゃけ過労死するんじゃないかってくらいフロックスさんは働いている。ランナーズハイ的なテンションになっていたから、下手に話しかけたら斬りかかられかねない勢いで。
「やることがなくなってきちゃいました……」
だからこそ、こちらも仕事を探していたのだが……流石に1週間も続けていると、特別なことはほぼなくなってしまっていた。
「料理とか洗濯とか、任せっきりですみません」
「いえ、いまやれるのってわたしだけですから」
そう言ってくれるエウリさんには感謝しかない。フロックスさんは作業に没頭してるし、俺はそもそも家事ができないためエウリさんが担当するしかないのだが……片腕なことも災いし、俺には手伝いさえ満足に出来なかった。非常に悔しい。
自己否定ーー悔しさを否定しました
「それに、これのおかげでらくちんですから!」
そう言ってエウリさんが掲げたのは、先端に紅の宝石のような物体が接続された黒と白の杖。言わずもがなディラルヴォーラ製である。心臓やら眼やらを魔法的に処理?したらしく、魔術の強化性能と物理的な強度が素の時点でとんでもないものに仕上がっている。
自己否定ーー威圧感を否定しました
全員の装備が、質の良い素材で補修されたか新調された。そのことは確実に喜ぶべき、素晴らしいことだ。だがその代償として、1つだけ気がかりなことも現れている。
それは、全員の武装に竜という素材がほぼ絡んでしまったこと。強みになるその力は、逆に弱みにもなる。
即ち、『竜殺し』。実績ではなく、チートとしての竜殺し。勇者は俺の代だけで100人以上いるのだから、確実にいるとみて良いだろう力の持ち主。竜という存在に対して、それこそバグ地味た強さを持つ存在が。
ディラルヴォーラの騒ぎを聞きつけて確実に派遣されてくるであろうそいつに、竜が素材となった武器を使って勝てるのだろうか?
俺の持つチートを見ても分かる通り、チートはその名の通りバグ地味た強さを持っている。それが状況にピッタリ嵌ったら? どう考えても、チートを使われる前に殺すしか勝利手段がない。
そんなことを考えていたら、身体を倒され気がつけば膝枕をされていた。そしてエウリさんは、優しく俺の頭を撫でてくれていた。やっぱり、ここが一番安心する。帰るべき場所だと認識できる。
「なやんでるなら、ちゃんといってくださいね? これでもわたし、モロハさんのパートナーなんですから」
「そう、ですね」
自己否定ーー遠慮を否定しました
暖かさと柔らかさとに包まれて、さっきまで考えていた予想を俺はいつのまにか話してしまっていた。しまったと思うも時すでに遅し、
「ちーとって、そんなにすごいちからなんですか?」
そう不安気に揺れる言葉が紡がれた。そりゃそうだ、俺たちが死にかけながら倒したディラルヴォーラ、アレを下手したら1発で殺しかねない敵が出てくるかもしれないなんてことを言ったのだから。
「力だけは、とんでもないですよ。何せ、ほんの少し前まで戦いのたの字すら知らなかった俺が、竜と戦って勝ってるんですから」
俺の《自己否定》《亜空間収納》
姫さまの《昇華》《安定化》
鈴森の《肉の壁》
知らない女子の《瞬間移動》
俺を殺したあいつの《魔法少女》
この世界で数ヶ月過ごした今ならわかる。チートはどれもが、バグか何かのように性能が狂っている。
宿主を守ることに関しては俺と鈴森のチートが、魔術や魔法と比べても格が違う性能を誇っている。瞬間移動はよく分からないが、アイツの【魔法少女】のチートは魔法や魔術よりも格段に強力かつ、己を死から復活させるなんていうこともしてきた。姫さまのチート?は、ただの金属の棒とそこそこの業物でしかない剣を、竜の一撃にも耐える物に変えてしまう。
そんな桁違いのスペックをもつチートが、竜といつ一点にのみ特化している場合、どうなるかわかったもんじゃない。ただ、勝ち目がないんじゃないかという漠然とした気持ちだけは、胸の中で渦巻いている。
自己否定ーー不安を否定しました
俺たちがここまで来るのに掛かった時間は大体1週間。ディラルヴォーラの情報が王都に伝わり、それから出撃したとしたら、掛かる時間は恐らく2週間ほど。つまり、
「それに、俺の予想通りなら、敵が来るのは今日か明日です」
「なんで、そんなたいせつなこといってくれなかったんですか?」
自己否定ーー羞恥を否定しました
悲し気なエウリさんの言葉が心に冷たく響いた。そして同時に、その理由を思い返して羞恥心が湧き上がって来る。けどまあ、エウリさんにならいいか。
「気がついたのが、今日だからです。それまでは、その、煩くて考えをまとめる暇もなくて」
「うるさいって、なにかありましたっけ?」
「ああ、いえ。こっちの事情です」
死者の声が煩かったなんてことを言って、これ以上の心配を掛けたくない。第一これは俺のチートが引き起こしている、俺にしか影響のない問題だ。ならばこれは、俺だけでかたをつける必要があった。
「はなしては、くれないんですね」
「もう、終わったことでもありますから」
「……むちゃは、してませんでしたか?」
「少しだけしか」
「……ばか」
そんな小さな声が聞こえ、ポツとフードに何かが落ちた音がした。それに慌てて起き上がろうとすると、ぐっと強い力で頭を押さえつけられてしまった。
「みちゃ、やです」
「わかりました」
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー性欲を否定しました
少しだけ震えているように感じるその声を聞き、柔らかさといい匂いに包まれて吸血欲と性欲が鎌首を擡げたが、それはチートと気合でねじ伏せる。
「わたしは、あんまりやくにたててないかもしれませんけど、おばあさまからまほうをおそわってるんですよ? たましいとか、まりょくとか、わたしのりょうぶんなんです。
だからもっと、わたしをたよってくださいよ。まもられてるだけなんて、いやなんです」
「すみません」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
「ゆるしてほしいなら、なまえでよんでください」
「え?」
「ずっと、さんづけでたにんぎょうぎじゃないですか。ちょっと、さみしいです」
「え、あぁ、はい」
自己否定ーー羞恥を否定しました
エウリさんのことを呼び捨て、そんなこと今まで考えたこともなかった。でも、言われてみればそうだ。たしかにさん付けする必要はもうないのではないか。それを変えるのであれば、敬語ももう必要ないだろう。だから少し恥ずかしいが……うん。
「わかったよエウリ。これからはちゃんと、こう話すことにする」
「ふふ、これですこしはふうふにみえます……ううん、みえるかな? あなた」
「ぅ、あ、き、きっとみえますよ」
自己否定ーー羞恥を否定しました
自己否定ーー幸福を否定しました
エウリさんにそう呼ばれた時、何か優しくて温かいものが全身を駆け巡った。最もそれがなんなのか確認する前にチートが消してしまったため、なんなのかは分からないが……とても良いものだった。
「ふふ、それならよかったな。ゆうきをだして、いってみたかいがありまし……あったよ」
「言いづらいなら、別にエウリはですます調でも良いけど?」
「いっしょじゃないと、やです」
俺の言った言葉にエウリさんがむすっとした雰囲気が感じられる。けれど、ぶっちゃけ俺もこの口調だと話しづらいのだ。だからこその提案だったのだが……
「じゃあ、呼び方だけは変えてそれ以外はそのままってことで良いですかね? 俺もちょっと、急に変えるとやっぱり話しづらくて」
「それなら、そうしてあげても、いいです」
そして、恐らく最後であろう穏やかな時間が流れていった。
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59 竜殺し
異変を感じたのは、案の定その日のうちのことだった。草木も眠る丑三つ時、異常な量の魔力を感知したことと、右脚が沸騰したかのような熱を持ったことを感じ目が覚めた。
自己否定ーー眠気を否定しました
自己否定ーー油断を否定しました
自己否定ーー慢心を否定しました
「力よーー」
隣で寝ていたエウリさんを起こしつつ、強化魔術を使い森の外を見渡せば……居た。付いている松明の数から考えて、数は推定300。綺麗に陣形を作ってくれているから分かったことなので、実際はもうちょっと人数が多いだろう。
そんな人の軍団が、明らかにこちらを狙っていた。
「ふぁ……てき、ですか?」
「です。数は……大隊規模、既に臨戦態勢です」
あれ、何故今俺は、さらっと大隊規模なんて判断が付けられたのだろうか。俺は、そんな軍事的なことを知るはずもないのに。
自己否定ーー疑問を否定しました
まあ、今はそんなことどうでもいいか。なにせ、敵が目の前にまで迫ってきているのだ。そんなことを考えている暇はない。
「とりあえず、フロックスさんを起こしてきてくだ──」
「その必要はねぇぜ、モロハ」
無理やりチートが目覚めさせた頭をフル回転させていると、突然隣に気配が現れそんなことを言ってきた。びっくりしつつもそちらを見れば、全体的に黒い装備になったフロックスさんが臨戦態勢で立っていた。
「起きてたんですか」
「たりめぇよ。たかが数日眠らねぇくらい、鍛冶とか陶芸齧ってりゃ誰でもできらぁ」
自己否定ーー疑問を否定しました
まあ、そういうものなのだろうと納得する。そうして話しているうちにエウリさんも微睡みから脱出したらしく、杖を構えてキリッとした表情になっていた。魔術を使ってた感じもしたし、きっともう平気なのだろう。
「で、あいつらは敵か?」
「十中八九。多分、話しても俺がいる時点で殺戮にシフトすると思います」
松明で照らされている中に、幾つか明らかに日本人らしき風体の姿があった。それも、俺と同年代。間違いなくこいつらは、姫さまサイドではなく王サイドの奴らだ。
「つまり、うちの村を襲ったやつらと同類ってことか」
「ですね」
自己否定ーー良心を否定しました
自分を殺そうとする相手に、良心なんていらない。殺しに来るなら、殺されても文句を言う権利はない。
けど、隣でエウリさんが息を飲んでいたのは仕方がないことだと思う。あの時は、俺やフロックスさん、お婆さんまで全員が死んだのだ。俺と違って、忘れられる訳がない。
「なら、やることは決まったな」
「ええ」
「「皆殺しだ」」
俺とフロックスさんの考えは、完璧に一致していた。敵は倒す、それ以上でもそれ以下でもない。
自己否定ーー慈悲を否定しました
慈悲など要らない、同郷だろうが知ったことか。愛する人を害するつもりなら、ただ魔族というだけで殺そうとするなら、死ね。ただ死ね。惨たらしく絶命しろ。
「戦術とかあります?」
「んなもん、大軍対3人なんてクソみたいな状況なら一択だろ。遠距離戦なんてしようもんなら数の差で負ける。だったら、1発魔術をぶち込んで数を減らしてから、突っ込んで撹乱して乱戦に持ち込んで撃破、簡単だろ?」
ニッと笑うフロックスさんは、獲物を狩る獣の目をしていた。普段の俺と同年代のような雰囲気ではなく、武人や戦人といった気配。まるであの夜のような、完全に戦闘準備が終わっている姿だった。
「でも、エウリにはキツくないですか?」
「んん、あー……そうだな。そこら辺、どうだ?」
「やって、みせます!」
そう言ってエウリさんは両手で杖を構えるが、どうにも頼りない。身体能力は俺よりも高い、それは分かっているのだがどうしても切った張ったができるようには思えなかった。
「……分かった、エウリはオレと来い。カバーしてやる」
「わかりました」
「モロハは、好きなようにやって来い」
「了解です」
自己否定ーー不満を否定しました
俺はまだ、誰かを庇いながら戦える腕前じゃない。それに俺は、どうしようもなく自分も周りも傷つけてしまう。だからそれは、合理的で当然の選択だった。
こうして作戦を立てている間にも相手に動きはなく、それが非常に不気味だった。けれど、実行する。魔力を練り上げ、世界に語りかけ、魔の法を行使する。
「「「
そして、魔術と違い事前の待機時間がいらない魔法が、軍勢に対して炸裂した。
地面を突き破り現れた先の尖った根が夥しいほどの人間を突き殺し、ソレから栄養分を吸い上げ生まれた極太の幹が幾人もの人間を空高くへ打ち上げ、一気に生えた枝が上下関係なく射出されて人を貫いて殺していく。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
けれどそこに、何も感じることが出来なかった。
嫌悪も、憐憫も、後悔も、達成感も、何も感じない虚無。唯一食欲というか吸血欲だけは湧いたが、気にするほどでもないだろう。
そしてさらに、2人が魔法を連続させた。
生い茂った葉が飛び散り人を傷つけ、咲いた花から毒の花粉が撒き散らされ、その毒花粉に触れた人は喉を掻き毟って苦しみ出す。そしてその人物を苗床として、茎と荊が撒き散らされる。
「うわぁ……エグ」
「知らなかったのか? 殺すために使うと、オレ達の魔法はこうなるんだぜ?」
自己否定ーー呆れを否定しました
思わず思ったことを口にした俺に対して、フロックスさんが子供のような笑みを浮かべて言った。種族の違い、それを久し振りに感じた気がした。
そんなことを思っていると、被害が拡大し続ける敵陣の中で巨大な魔力が3つ膨れ上がった。身に覚えはないけれど、よく知っているという矛盾に満ちたその気配は……
「来ます」
右脚が、竜の血が騒つく魔力が2つ。それが木を根本から切断して切り刻み、次にこちらに向けて鎖型の魔力が放出された。
「マズっ」
肉の鎧ーーstart-up
informationーーエネルギーを10%充填
「行くぞ!」
「「はい!」」
服薬、強化の制御放棄。竜が混じり、砕けることのなくなった足で全開で駆け出した。
俺が左側面、2人が右側面。ディラルヴォーラの時も行なった別れ方。それにより俺につられて騒つく気配が2つ向かって来て、2人の方には残存兵の大半と、さっきの鎖のチート持ちであろう気配が向かって行った。
「ちっ」
自己否定ーー不安を否定しました
自己否定ーー後悔を否定しました
そのことに一抹の不安を覚えつつも、俺だって無事でいられる保証はないと気を引き締める。見たところ、こちらに向かってくる人数はチート持ちであろう姿が2、その他雑兵が20弱。決して余裕なんて持てる相手ではなかった。
「村、雨!」
だからこそ、初めから手加減無しでいく。
驟雨改を手の内に排出し、右の義足でブレーキングしながら、練り上げていた魔力を解放する。
異様に手に馴染む槍。何百、何千、何万と繰り返したかのような動き。今まで暴発させながら使っていた筋力の、竜の血による補強が入ったお陰で可能になった制御。それら全てが噛み合わさり、
「──!」
「────!!」
お互い何を言っているのか分からない程の距離。その間を、黒い炎の斬痕が駆け抜けた。俺の全力よりも何倍も速い速度で走った斬痕は迫る軍勢に炸裂し、元の性質通り拡散しながら全てを斬り刻み、黒い炎の性質により全てを焼き焦がしていく。
軍勢を黒炎の斬痕が通り過ぎるまで、僅か数秒。それだけの時間で、敵の数は勇者とその直近にいた数名のみとなっていた。
待て、勇者が1人?
自己否定ーー油断を否定しました
自己否定ーー慢心を否定しました
自己否定ーー希望的観測を否定しました
ゾクリ、と悪寒が走った。それに従い、疾走をリスタートすることをやめ全力で横に飛ぶ。なぜ自分でもこんな動きをしたのかは分からなかったが、直後、この行動が正しかったことが証明された。
直前まで俺がいた場所を、光を纏った長剣が薙ぎ払った。きっとあのまま走り出していたら、首と身体が泣き別れしていたことだろう。まるで熱されたバターか何かのように、容易く地面を切り裂いているのだから間違いない。
そしてそんな攻撃をしでかして来た相手は、つい先程まで迫る軍勢の中にいた筈の勇者だった。
「こんにちは、元ボクたちの英雄さん」
「誰だ」
現れた人物は、まるで俺を鏡写しにしたかの様な格好をしていた。
黒いコート、黒いグローブ、黒いブーツ、黒黒黒黒。頭の先からつま先まで、服装が真っ黒だった。細身の低身長で、あまり力がある様には見えない。けれど、かけている眼鏡まで黒ぶちであるあたり筋金入りだ。
「ボクの名前は、五十嵐 真波。キミと違って、本物の勇者だぁ!」
そう吼えた瞬間、五十嵐何某の姿が掻き消えた。しかし感じ取れる限り、風の動きなどはない。ということはつまり、この現象の理由は──
「転移か」
「大正解ー!」
莫大な魔力が揺らぎ、また背後にそいつが出現した。そして同時に聖剣、とでも言えそうな光を纏う長剣を振り下ろしてくる。
確かに、背後からの不意打ちかつ、当たれば即死の上段からの斜め斬り下ろしは強いコンボだろう。だけどそれは、さっきもう見た。こんな攻撃は2度も、師匠にも、フロックスさんにも、×××××師匠にも通じない。ならばそんな人達に扱かれて1年……1年? まあいいか。
連続で同じ力、同じ動きの攻撃を見せられれば、出現場所が察知出来ていれば、そんなものはもう──
「緩い」
避けてくれと言っているようなものだ。
半歩動くことで直剣の軌道から身体をずらし、相手の顔を狙って伸縮機構で石突きを射出した。直後手に訪れる、何かを砕く感触と、柔らかいなにかを突き潰した感触。
「あ、ぎ、ガァァァァッ!!?」
「《収納》」
驟雨改の長さを戻しつつ収納し、義足にチートを展開しながら回し蹴りを入れる。蹴りは何の抵抗もなく通過し、次の瞬間には2本の足とロングコートの下半分を残し転移の勇者は消えていた。きっとまた転移で逃げたのだろう。
「
男の血なんてクソ不味いから飲みたくないのだが、再生なんてされたら困るので血を抜き取り吸収する。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー狂気を否定しました
みるみるうちに萎んでいき、木乃伊の様になったそれを粉々に踏み砕いた。やはり不味い、ドロドロとして気持ちが悪い。けれど、予想でしかなかった勇者のチートがよく分かった。やっぱり血の記憶は偉大……違う。有用だけど、俺はまだ、人間だ。完全に吸血鬼になってなんかない!
「胸糞悪い」
自己否定ーー不快感を否定しました
ペッと唾を吐き出したのは、知り得たチートの内容にか自分にか。そんなことより、あいつのチート能力だ。
たった今知り得た五十嵐なんたらのチート能力は《吸収再現》、要するにコピーだった。コピー出来る能力の上限は3つで、現在コピーしている能力は《竜殺し》《転移》《聖剣》の3つ。しかもその全てを、多少効果は下がるが同時発動出来るらしい。
「チートめ」
第1の《竜殺し》で竜に対する圧倒的な防御力と攻撃力を得て
第2の《転移》で好きなように強襲、離脱を繰り返し
第3の《聖剣》で圧倒的な攻撃性能と自己回復を得る
ただのクソチートだった。けれどまあ、3つ合わせての最大出力は決まっており、更に少し弱体化しているらしいことが救いといえば救いか。
自己否定ーー不快感を否定しました
けれど今はもう、どこにいるか分からない。下半身が使い物にならなくなった以上、まともな移動は出来るはずもないがアレには転移がある。だから、自分の死角には気を配り続けねばならないだろう。
「はぁ……」
驟雨改を《排出》して握り、1度深呼吸して気持ちを整える。余計な気配りが増えたが、まだ戦闘は継続中だ。どうせ奴らは敵だ、平穏を壊す害悪だ、俺たちを殺そうとする血袋だ。
自己否定ーー慈悲を否定しました
だから殺す。慈悲なく、怒りなく、感情を殺して殺す。殺そうとした、だから殺された。これでいい、俺も向こうもこれで対等だ。覚悟と責任は忘れない、獣には落ちない、けれど心は鉄のように。
「だから来いよ、《竜殺し》」
接敵まで残り1分あるかないか、そんな距離まで接近していた本物の竜殺しの勇者に、挑発するような笑みを向けてそう言った。
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60 竜殺しvs竜殺し
全力で疾走しつつ驟雨改を構えながら、迫る勇者を出来る限り分析する。
武装は剣。けれどさっきのコピーの勇者が持っていた物よりも長く、刃は細く、柄が長い。所謂
防具は要所要所に金属があるが、それ以外は何かしらの革。チートなしでも、断出ないことはないだろう。けれど金属部分となると、これも何かしらの魔導具のようだし難しそうだ。
次にチート。これは確実に《竜殺し》で、ついさっき《収納》を纏えば問題ないとわかったから無視。
最後に顔、見た覚えはあるけど思い出せない。どっちにしろ殺すからどうでもいい。
「ゼァッ!!」
下段から振り上げられた剣を左腕があった場所を通過させることで回避し、竜殺しの勇者が後ろに置いてきた敵目がけて突撃する。数は3、男男女で前者2人が戦士風で女性が魔術師風。優先するのは戦士!
「このっ」
「《収納》」
おっさんの振り下ろした剣を、手甲で受け収納して破砕。返す動きで槍を突き出し、胸に突き当て心臓を収納。問答無用で絶命させる。
自己否定ーー慢心を否定しました
「1つ」
その死体を蹴り飛ばして方向を変えつつ、次の相手に向けて飛ぶ。吹き出た血が温かい。牙が疼く、気が昂ぶる。ニヤリと口の端が歪むのを自覚しつつ、もう1人のおっさんの胸目がけて槍を突き出す。
「はっ、その程度の攻撃で──」
「《収納》」
胸当てに力の乗っていない驟雨改は止められてしまったが、そんなもの知るかと収納で心臓を抉り取る。
自己否定ーー慢心を否定しました
「2つ」
そして最後の、魔術師と思われる女性に突撃しようとして──背後に殺気と魔力の流れを感じ、攻撃を中断して女性を通り抜けた。
「隙だらけだっ!!」
「なん、で?」
その結果、背後から強襲しようとしていたコピーの勇者が振り下ろした剣は、バッサリとその女性を斬り裂いた。女性はどう見ても致命傷で、もう助かる見込みはないだろう。内臓見えちゃってるし。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
「そんな、違う、俺は、違う!」
下半身から流れていた血は止まり、再生こそしていないが健在だったコピーの勇者が慟哭する。なんでなんで、違う違うと喚くばかりで治療行為をしようともしない。やる気があるのだろうか、コイツは。
自己否定ーー嫌悪感を否定しました
見ているだけで不愉快なので首を刎ねた。奇襲するにしても、もう少し後にしておけば良かったのに。でも一応コイツのチートは使えそうだし収納して、後で血を……だから、俺はまだ人間だ。
ああもう、俺だって同じじゃないか。迷って迷って決められない、不愉快だと思ったコイツとなんら変わりないじゃないか。
「テメェッ!!」
「らぁっ!!」
そんな苛立ちを乗せて、振り下ろされた竜殺しの剣に驟雨改を叩きつける。剣に纏わりつく竜殺しのチートと愛槍が纏う収納のチートが拮抗して、ディラルヴォーラと戦った時飽きるほど聞いた空間の絶叫が響いた。
結果、2人とも大きく弾き飛ばされ、数歩分の距離を開かされて静止する。いつ仕掛けるか、そもそも俺の義足はチートに耐えられるのか。そんな疑問が浮いては消える殺戮の気配の中、竜殺しの勇者が口を開いた。
「よう、人殺しの英雄サマ。元気そうで何より」
「そもそも誰だよお前」
自己否定ーー怒りを否定しました
あからさまな挑発だった故に、チートが働いて感情が沈静化された。だから俺には別に何も思うところはないが、相手は違ったらしい。憤怒の形相に顔を歪めで言葉を吐き出した。
「はは、忘れた! 忘れたときたかこの人殺しは!! 荒木だ。俺の名前は、荒木竜一だ。テメェが助けなかった後輩の恨み、今ここで果たさせてもらうぞ!!」
そう言って、荒木が魔術の補助全開で斬りかかってきた。その動きは、愚直な斬り下ろし。けれどそれは、愚直だからと言って見切り易いというものではなく、ある種精練された雰囲気の感じる一刀だった。
無言で力を込め、片手半剣の側面を愛槍で打撃する。鈍い金属音と空間の絶叫が轟き、剣の軌道が大きく横に逸れた。けれど荒木は、その流れる動きのままこちらに向けて蹴りを放ってきた。
informationーー5%のエネルギーを充填
それに対し、弾かれている愛槍の動きに逆らわずチートによる強化を入れた義足での蹴りを放つ。
「らぁっ!!」
数秒間だけ拮抗したチートは、今回は俺が勝ったらしい。義足に生えた白い棘のパーツが荒木のブーツを、肉を引き裂いた。これで一先ずの決着が着いた──かに思えた。
「まだだぁ!」
諦めてたまるかと言わんばかりに、ドクドクと血が流れる足で荒木が地面を踏みしめ、こちらに向けて全力の突きを放ってきた。躱せない。躱せないが、問題ない。
informationーー5%のエネルギーを放出
解放された黒炎が、剣の側面を強かに打ち付けた。それにより軌道が再び逸らされ、剣は何も存在しない左肩を貫いた。
「《収納》」
カウンターとして、愛槍を収納しつつストーリアを片手で引き抜き、その動きのまま荒木の左手を斬りつける。小手を切り裂き、肉を切断し、骨でその動きが止まる。けれどそれで十分だ。左腕は、俺のチートの範囲に入った。
「《収の──!?」
そしてチートを発動させる直前、魔力の嵐が吹き荒れた。否、魔力のではなく実態を持った嵐が超近距離で炸裂した。風の刃が吹き荒れ、
「か、ごほっ──」
無様に地面をゴロゴロと転がりながら、肺から吐き出されてしまった酸素を求めて必死に口を開いて息を吸い込む。吸い込もうとしたのだが……息が、殆ど吸い込むことが出来なかった。
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー混乱を否定しました
「ゲホッ」
その代わりに口から血の塊が吐き出される。痛みがないからわからない上ガバガバ知識だが、恐らく折れた肋骨が肺に刺さったのだろう。骨折は俺の魔術じゃ即座に治しきれない為、重大なダメージであるといえよう。でも、
「《収納》」
傷口から指を突っ込み、折れた肋骨に触れてチートで収納、傷の原因を排除する。そらから治癒の魔術で肺を塞ぎ、血は魔力として吸収してしまおう。これで、まあ一先ずは問題なしだ。
強化の魔術に回す魔力を強め、無理やり全身に力を巡らして足を踏み出す。目指す先は、直前までの俺と同じように倒れ込んでいる竜殺しの勇者。その無防備な頭に義足を振り下ろす直前、勇者は転がってそれを避けた。
こめかみ辺りを切り裂けはしたが、それ止まりで反撃の剣が襲いかかってきた。それをチートを纏わせた槍の石突きを地面に突き立て受け止め、互いのチートの反発を利用して距離を稼ぐ。
そして互いの武装である槍と剣を構え直し、再び相対する。これで仕切り直し、これでリスタート。けれどこの時点で、判定してることが1つあった。
「チッ、やるじゃねえか人殺し」
「そっちこそ、竜殺し」
俺が知ってる勇者の中で、多分こいつが一番地力が強い。
自分のチートに驕らず、剣は基本に忠実で安定しており、チート能力自体も今の俺にとっては致命的。魔法少女の勇者のような、能力のゴリ押しとはまた別の脅威だった。
「起きろーーカドモス」
いつ弾けるかわからない緊迫した空気の中、荒木かそう告げて片手半剣の柄を捻った。瞬間、悍ましい竜殺しの気配が倍以上に膨れ上がった。同時に荒木の全身を巡る魔力量も増大し、明らかな強化がなされる。
自己否定ーー雑念を否定しました
魔導具。そう気づいた時には既に、荒木がすぐ目の前で片手半剣を振り上げていた。反撃、間に合わない。防御、押し切られる。
「──ッ!!」
informationーー5%のエネルギーを放出
自分の動きのみでは回避できないと判断して、黒炎を放出した反動で自分の体を横に吹き飛ばす。本来なら牽制の1つでも入れたいところだが、今は逃げるのが優先だ。アレからは何か、絶対に触れてはいけない感じの気配がする。
そうして状況を分析しているうちに、再び荒木がすぐ目の前にまで迫っていた。今度の攻撃は、俺から見て左下から下段からの振り上げ。
informationーー雑念を否定しました
informationーー10%のエネルギーを充填
鋭く速く堅実な、ブゥンと唸るその一刀を紙一重で躱し、チートと魔術で強化された筋力で以って全力で突きを放った。普通であれば確実に突きは命中し相手を抉る一撃。けれどそれは、甲高い音を立てて弾かれてしまった。
そう、弾かれたのだ。ディラルヴォーラにも通った一撃が。そんなことは“人として”あり得ない。つまりこれは──
「チートか!」
「漸く気づいたか間抜け!」
剣のガードによる打撃で吹き飛ばされた。胸当てのお陰でどうにか突き刺さってはいないが、また骨が折れたかヒビが入った感じがする。今回は収納して無事でいられる場所ではない。だから吹き飛ばされ転がりながら、魔力を回して無理に再生を促す。
自己否定ーー動揺を否定しました
自己否定ーー雑念を否定しました
左脚で追撃を蹴り上げ、逃げるように距離を取りながら体感で分かった情報を整理する。
まず《竜殺し》のチート。その効果は恐らく、『竜に対する絶対優位』だ。自分の攻撃は相手の防御を無視して貫通し、相手からの攻撃は竜であるという一点が存在しているだけで通用しなくなる。
故に向こうの攻撃は当たったら俺は死ぬだろうし、竜の素材で作られたもの……つまり驟雨では荒木を絶対に傷つける事が出来ない。いや、俺のチートが競り勝てばいけるかもしれないが……薄い望みだろう。
次にカドモスとかいうあの片手半剣。魔導具だとは予想していたが……あれは、違う。アレはもう、呪いの剣と言って過言じゃない。よく見れば、アレに流れる魔力には濁った黒が混ざっているのだ。ディラルヴォーラのものを見れなかったから定かではないが、アレは恐らく竜の魂。それを燃料として
最後に着ている鎧一色。最初はアレが身体能力の強化に関するものかと思っていたが、実態は真逆だ。あの鎧は、身体が吹き飛ばないように抑え込んでいる。同時に力の集中する場所の調整なども行なっている、拘束具兼サポーターのようなものと見て間違いないだろう。
まとめるとこうだ。
何匹か分の竜の膂力と再生を持ち、人の剣技を使い、チートで竜に関することに対して何もかもに優位を保てる存在。それが竜殺しの勇者、荒木竜一という人間だった。
「チッ」
跳ねるように起き上がり、荒木から逃げるように更に距離を取った。足を止め、追撃がないことを確認して舌打ちしながら、驟雨を収納しストーリアを引き抜く。剣道三倍段という言葉もある通り恐らく驟雨を使う方が有利なのだろうが、攻撃が通じないのであればそもそも意味がない。
そんな俺の姿を見て、油断なく剣を構えた荒木が嗤う。
「はっ、そんな陳腐な武器で何ができる」
「なんでも」
思えば、このストーリアとも長い付き合いだ。使っている物の中でも、恐らく驟雨と同じくらい長い。手に馴染むそれを握り、信頼して祝詞を謳い上げる。
「闇夜を払え、黒の竪琴
いざ開幕せよ、
最終セーフティ解除 超過駆動形態へ移行
リィンと戦場に鈴の音が鳴り響き、ストーリアが淡い光を纏う。自分に伝播するその力がぐちゃぐちゃになった身体を癒していくのを感じながら、逆手でストーリアを構えて無言で言葉を告げる。
そして、とても静かに第2回戦は始まった。
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61 竜殺しvs竜殺し②
異物が接続される。全身の力が賦活される。俺の才能では決して手が届かない高みに、強制的に引き上げられる。
自己否定ーー慢心を否定しました
自己否定ーー全能感を否定しました
それによるなんでもできるような全能感をチートが否定し、冷静にさせられた頭で突撃する。姿勢は低く、地面すれすれを飛ぶように走る。これであの風の魔術以外の攻撃の軌道は絞れるから、今なら回避ができる。
「シッ!」
地面に触れそうなほど低い軌道から、今まさに振り上げられんとする片手半剣が見えた。このまま直進した場合、確実に両断される。だから──
「
informationーー0.1%のエネルギーを放出
右脚で思い切り踏み込み、上に飛んだ。そしてそのまま黒炎の反動を利用し空中で身体を回転させ、魔法で生み出した枝に着地。
informationーー0.1%のエネルギーを放出
さらにそこから、荒木の背後となる場所に展開したもう1つの枝に跳躍、着地。枝の反発も利用して、防具のない無防備な頭目がけて強襲した。
「ギッ」
けれどその攻撃は、頭を逸らすことで薄皮一枚を裂くだけに留まってしまった。そしてその傷もすぐに塞がってしまうが、体勢を崩すことには成功した。
informationーー0.1%のエネルギーを放出
空中でストーリアを振り切った勢いに任せ、身体を右回転させながら前転させ地面に着地。無茶苦茶な動きに付いてこれず壊れた身体を、無理やりストーリアが異音と共に回復させる。
「死ね」
そしてストーリアを順手に持ち替え、突き上げるように全体重を乗せた突きを放った。相手は剣を振り上げ首を逸らした状態、今なら一撃が入れられる。そう思った直後、左眼が膨大な魔力の流れを捉えた。
「爆ぜろ!」
そして荒木のそんな言葉と共に、あの嵐が炸裂した。けれど、なんでそんなものを避ける必要があるのか。別に今は、ストーリアの効果が切れるまでは死なない限り死ねないのだ。
自己否定ーー██の感情は消去されています
自己否定ーー██の感情は消去されています
自己否定ーー██の感情は消去されています
「なっ」
嵐を突っ切り、効果範囲をぶっちぎり、全身をボロボロに刻まれながらも吶喊に成功した。突き出したストーリアはまるで化け物を見るような表情をしていた荒木の頬に突き刺さり、反対側に突き抜けた。
けれど、荒木もただでやられるわけにはいかないと思ったらしい。なんと歯でストーリアに噛み付いて、そこでその動きを止めていた。あわよくばこのまま首を掻っ切ろうとしていたが、それはどうやら不可能になったらしい。
でも、そんなの知ったことか。
ディラルヴォーラには、あの巨体故に効くと思えなかったから使わなかった。ついさっきまでは、こんなものを使う余裕はなかった。だが、今なら使える。
「《排出》」
目視は出来ないが、チートによりストーリアの刃を通して、荒木の口の中に蛍光グリーンとピンクの液体を排出した。その薬効は、
確かに俺も使っている感度上昇は有用な薬だ。だがそれは、痛覚を消している前提でのこと。それがなかったら、痛みを激増させるだけの劇薬だ。それを
「あ、く、ぁ……!?」
当然、もう立つことすらままならない。自分で使っておきながら解毒薬も持っていない為、止めることもできない。だからもう、『そこにいるだけで絶頂する』なんて地獄から荒木を助けることは、時間を除いた誰にも出来ない。
顎の力が緩むのを確認し、技と傷口を切り裂くようにストーリアを引き抜いた。
荒木が、脂汗を吹き出し片手半剣を取り落とした。
「あ゛あ゛あぁぁぁ!!?」
次いで思わず膝をついた衝撃が何倍にも増幅されて激痛となり、絶叫が響く。さらにその絶叫で発生した喉の痛みが増幅される。耐え切れず倒れ込んだ衝撃が増幅される。転がった痛みが、頬に食い込む小石の痛みが、地面を叩いた手に返ってきた衝撃が、目に刺す太陽光の光が、巻き上げた砂が目に入った痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが痛みが、何もかもが増幅に増幅を重ねて荒木を襲う。
それに追い打ちをかけるように、全く同時に媚薬の効果が発揮される。身体が熱くなり、汗を掻き、よく分からない快楽の波が襲いかかる。それの効果を、感度増幅薬が跳ね上げる。その結果は、イカ臭い臭いとアンモニア臭、地面に広がる染みを見れば明らかだ。
「決着だな。まあ、聞こえてるかは知らないけど」
ストーリア表面の血と涎を収納排出のプロセスを通して排除し、その切っ先を地面に俯せで倒れ伏して痙攣するだけとなった荒木に告げる。念のため片手半剣は、左足で遠くへ蹴り飛ばしておいた。
だがこれは、別に何も誇れる勝利じゃない。ただ授かった力に頼って、受け継いだ力に頼って、自分の力なんて殆ど関与しない勝利だ。
自己否定ーー達成感を否定しました
自己否定ーー慢心を否定しました
自己否定ーー不快感を否定しました
だからただ、結果だけを無機質に告げる。もっとも聞こえたかどうかは、激痛の快楽の緩急が付いた海に溺れて正気を保っていられたかによるのだが。
「せめて、早く殺してやるよ」
そう言って俺は、荒木を踏みつけ固定する。それだけの行為でビクンと反応したが、まあ動かないならそれでいい。と、ここまでしてストーリアじゃ長さが足りないことに思い至った。
自己否定ーーうっかりを否定しました
まあ、誰に見られている訳でもないからいいだろう。そう思いストーリアを鞘に収め、残り3本となっているスペアの槍を取りだした。逆手にそれを持ち、先ずは心臓に狙いを定める。
informationーー10%のエネルギーを充填
「じゃあな」
そして、最大限の黒炎を纏わせ貫いた。肉の焦げる嫌な臭いが鼻に付くが、無視して槍を引き抜いた。
informationーー10%のエネルギーを充填
次に頭部を貫いた。これでもう、魔法少女の勇者みたいなチートでもない限り蘇ることはないだろう。
地球の伝承上で有名な竜殺しである……名前は、なんだったか。忘れたが、その死因は確か背中を槍で突かれたことだった気がする。だからまあ、竜殺しらしい最後だったんじゃないだろうか。
自己否定ーー感傷を否定しました
まあ、もういいかそんなこと。
目の前の死体から意識を切り離し、離れた場所で行われている戦闘に意識を向ける。途端に、発動していたストーリアの効果が消滅したのを感じた。途端に全身に掛かる脱力感に、思わず膝をつく。傷が開いたりすることはないようだが、再発動する様子もない。
自己否定ーー期待を否定しました
まあ、あまり頼ってもいけないということなのだろう。排出した驟雨改を杖代わりに立ち上がり、次の戦場に目を向けた。人が入り乱れ過ぎていて、魔法での攻撃は俺の場合悪手。何か出来るとしたら、駆けつけて斬る以外のことはないように思える。
だったら、やるしかない。1度決めたら貫き通す、当たり前だ。自分が壊れて動けなくなるまで、進んで進んで貫き通すのが英雄として相応しい……待て、英雄として?
あまりにも自然に浮かんだその言葉に、今までのものとは違い強烈な違和感を感じた。これは明らかに、俺でもアマにぃの持つ感情じゃない。直感に従って驟雨改を見れば、左眼には見慣れた愛槍を覆い尽くすように昏く輝く魂(仮定)がこびり付いていた。
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーlock-on
『待て、英雄モロハよ』
チートがその魂を昇天させる直前、右耳にのみその声が聞こえた。物理的な聴覚は消えた右耳にのみ聞こえたということは、間違いない。ディラルヴォーラだ。
「何の用です?」
『何、1つ手を貸してやろうと思うてな』
その言葉に疑問と不信が浮かんだ。何故今でてきたのか、何故協力を申し出てきたのか、何故が積み重なり1つ足りとも信用できない。けれど、一応話くらいはと思いチートの発動は止めておく。
『信じられぬといった様子だな』
「当たり前じゃないですか。寧ろ、何を信じろと」
『カカッ、違いない!』
そのまま笑い始めたディラルヴォーラに殺意が湧いた。こっちは時間がないのだ、話すならさっさと話して欲しい。そんなこちらの苛立ちを感じ取ったのか、ディラルヴォーラが溜め息をつき話し始めた。
『気が短い奴め。本来であれば、我も100年ほど眠り蘇った後汝を冷やかそうと考えていた。既に我を殺し、我が彼岸で広めた故竜の中で有名になった汝をな』
「マジか」
思ったよりやらかしてくれてやがったコイツ。今すぐ消してやろうか……?
自己否定ーー殺意を否定しました
『だが、そうも言っていられないことが起きてな』
「なんですそれ」
『汝がたった今殺した、我ら竜の天敵よ。正確に言えば、奴の持っていた剣だ』
「あの剣が、何か?」
『彼の剣は、我ら上位竜が蘇りを待つ場所を始めとし、死した竜の魂を強制的にこちらの世に引き摺り込み、磨り潰す道具でな。そんなものを使われては、汝の物語が見れぬではないか。故に、潰しにきた』
なるほど、そういうことか。であれば、こちらに現れたことは納得できる。そう思ってあの剣を見れば、カドモスと呼ばれた剣は既に大半が細かい粒子となって崩れ去っていた。手が早い。
「なら、なんで驟雨に
『彼の剣の仕組みに乗りこの世界に来たは良いが、思った以上に彼の剣による縛りが頑丈でな。縛りから逃れ、本体を壊すことで帰るための力まで使ってしまった。
どうしたものかと彷徨っていれば、丁度よく汝の槍に我が頭蓋が使われているではないか。そうなれば、力が戻るまで特等席で見物するしかあるまいて』
「えぇ……」
とことん自分本位で、極めて“らしい”と言えるその言葉に、思わず呆れてそんな言葉が出てしまった。
自己否定ーー呆れを否定しました
それで緩んでしまった気を引き締め直す。今も2人は戦っているのだ。俺だけが休んでいるわけにはいかない。
『無論、ただとは言わん。行為には対価があって然るべきだ。誇り高き竜として、そこを曲げることなどあり得ん。我は汝の物語を特等席で見物するが、汝が死んでしまってはつまらぬ。故に、我が力を貸そうではないか。
我は愉悦を、汝は力を。良い契約ではないか』
「そう、ですね。たしかに、願っても無い機会です」
先の荒木との戦いで、自分の力が全く足りないというのを痛感したばかりだ。何かを成すための力が増えるのは、歓迎できる。だがやはり、信頼という一点で不安が残る。いっそ消してしまえばいいのではという考えが渦巻いている。
『古の竜に誓って、ここに契約を建てる。これで良いだろう、竜に伝わる約定を交わす際の最上級の宣言だ』
「もし破ったらどうなるんですか」
『約定を交わした者の魂が消滅する』
「……分かりました」
そうなのであれば、そう簡単に破られることはないだろう。嘘という可能性もあるが、そうなったらそうなっただ。それに、竜の世界で有名になってしまっているのなら、事情に詳しい者がいた方が色々と心強い。
「契約、しましょう」
『良かろう! 汝が我を楽しませる限り、我は汝の刃とならん!』
瞬間、驟雨改が命を吹き込まれたように脈打った。同時に左眼が、ディラルヴォーラの魂が愛槍に浸透して一体化したのを確認した。
『ククク、では幕開けの一撃といこう。槍を構えよ!』
コクと頷き、敵集団に向けて愛槍の切っ先を向けた。その愛槍が、黒く輝く魔力を纏い始めた。どうやらディラルヴォーラは、ご機嫌でノリノリらしい。
『狙いを外すのは、フロックスとエウリだけで良いな?』
「いえ、勇者も残してください。聞かなきゃならないことがあります」
『心得た』
直後、魔力の高まりが最高潮に達した。敵である時は恐ろしい黒く輝く魔力の光が、今は心強い。そして一言、ディラルヴォーラが告げた。
『消し飛べ、人間』
その直後、辺り一面に人間だったものが散らばった。忘れることの出来ないディラルヴォーラの咆哮が右耳からのみ聞こえ、それの直撃を受けた人間が全て爆散した。
『カカカ、我が英雄よ。どうだ、後悔はしないだろう?』
「ええ。ちょっと、予想よりヤバいとは思いましたけど」
そう言いながら見つめる先では、呆然としていた勇者が2人の魔法で縛られ行動不能に追い込まれていた。
『それは重畳。では、早く汝が番いを迎えに行け。そして存分に睦合うが良い。闘争と栄光、伴侶と幸福、それこそが輝かしい英雄譚の本懐だろう!』
「言われなくても」
そう言って俺は、愛槍を持ったまま赤い絨毯が敷かれたような地面を踏みしめ2人の元へ向かっていった。
自己否定ーー不快感を否定しました
自己否定ーー罪悪感を否定しました
informationーー個体名【黒崩咆ディラルヴォーラ】と、魔術回路の一部が同調しました
informationーー個体名【黒崩咆ディラルヴォーラ】とのパスの切除に失敗しました
informationーー個体名【黒崩咆ディラルヴォーラ】とのパスが固定化されました。以降の干渉は不可能となります
《竜殺し》
殺傷性 : EX 防御性 : EX 維持性 : EX
操作性 : D 干渉性 : EX
範囲 : E
殺傷性・防御性・干渉性は対竜という条件下に限ってEX(プラス)判定。効果は竜に対する絶対優位。チートで中和されない限り、何があっても竜に対する優位を保ち続けられる。
竜の素材がその武器に一欠片でも含まれていたらこちらを傷つけることはなくなり、防具に一欠片でま含まれていたらこちらを阻むことはなくなり、相手が竜であればその魔法はこちらに届くことはない。
ただ、それだけの能力
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62 最期の戦場へ
「モロハ、お前……また無茶したんじゃねぇだろうな?」
血に染まった大地から移動し、落ち着いた2人の元に辿り着いた俺に一番最初に掛けられたのは、フロックスさんのそんな言葉だった。
「ええ、まあ今回は。怪我も治ってますし」
自己否定ーー後悔を否定しました
また傷痕が増えたんだろうなと思いつつ、身内にしか見られるものでもないしいいかと切り捨てる。そんな俺みたいにどうでもいいものの話より、だ。
「でも、けがはしたんですよね? それも、あしとかこしとか!」
血相を変えて駆け寄ってきたエウリさんかペタペタと触り、鳩尾辺りから血が滴るほど服が濡れていることがバレてしまった。
「なおったっていわれても、しんぱいなんです!」
「あはは……すみません。でも、無事に帰ってこられましたしいいじゃないですか」
「もう……」
瞳に涙を溜めて、不満気な表情を向けた後エウリさんはそっぽを向いてしまった。言う言葉を間違えた気がするが、もう遅いだろう。切り替えていくしかない。
「それよりも、そっちは大丈夫でしたか? あんな人数が相手でしたし……」
「あー、エウリが何回か危なかったけど、防具に助けられて打撲くらいだぜ」
少し気まずそうにフロックスさんがそう答えた直後、沈黙していたディラルヴォーラが大笑いを始めた。そして、傲岸不遜という言葉が非常に似合いそうな声音で話し始めた。
『数百年研鑽を続けた我が肉体よ。加工されようが、凡百の武器を通すことなどないわ! 存分に活用するがよいぞ』
自己否定ーー怒りを否定しました
その大音声に右耳を塞ぎたくなるが、意味がないのだと思い出し諦めた。驟雨がある限りこんな関係がずっと続くと考えると、若干既に疲れてきてしまった。
「それより、最後のアレなんだよ? またチートか?」
そんなことを考えていると、心底不思議そうにフロックスさんがそう聞いてきた。まあ、確かにそうだ。俺には
「ちょっと、ディラルヴォーラと契約しまして。一時的に力と知恵を借りてます」
「はぁっ!?」
俺が言ったその言葉に、フロックスさんが愕然とした表情でそんな言葉を零した。そしてノリノリで黒い魔力の粒子を零し始めた驟雨を指差して、震える声で言った。
「契約ってお前、何を差し出したんだ?」
「えっと、依代として驟雨と愉しませることです。合ってますよね?」
『左様』
内容が間違ってなかったことにホッとしてる俺と何故か同じように、フロックスさんも大きく息を吐いて安心したような表情をしていた。
「なんでって顔してるけどよ、普通竜……しかもアイツ級のやつの力を借りるなんて、命を差し出しても対価が足んねぇんだぞ?」
「マジですか」
『例え国1つを差し出されようが、我が力を貸してやる義理はないな』
どうやら本当のようだった。そう考えると、凄い存在の力を借りることができるんだと感慨深くなる。そう思っていると、驟雨から漏れる魔力光が揺らいだ気がした。……もしかしたら、心でも読まれてるんじゃないだろうか。
『そんなことはないぞ』
確信犯だった。プライバシーが消滅した瞬間である。おいチート、こういう時に働いてこそチートだろう。さっさとやれよ。
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー判定に失敗しました
『くくっ、そんなやわな力で我を邪魔立て出来るわけがなかろう! 依代を得たことで、もう1つのチートとやらでも消せはせぬわ!』
「うわぁ……」
チートは全く歯が立たなかった。この竜、死ぬほどタチが悪い。だけどもう一度戦えと言われても勝てる気がしないし、ぐぬぬ。
「まあ、それならいいんじゃねぇか? 破格だぜ」
『そうだ、破格なのだぞ。心を読むくらい許せ』
「まあ、そうですよね……」
バイノーラルな感じで言われたそんな言葉に、どうしようもなく頷いてしまう。ここまでのことを予想してなかった俺の落ち度でもあるし、認め受け入れるしかないだろう。
「それはそれとして、なんであの勇者を殺してねぇんだ?」
そうフロックスさんが顎で指した先には、樹木で簀巻きにされ地面に転がされている女子勇者の姿があった。チートから便宜上名付けるなら、鎖の勇者だろうか。
「ちょっと、聞きたいことがありまして」
自己否定ーー同情を否定しました
そうでなければ、俺だって殺してる。残した理由だって、多分今回襲ってきたやつの中で、一番直接こちらに被害を与えられないチートだろうからというだけだ。
「うし、じゃあとっとと吐かせるか。エウリ、それ用の薬作っといてくれ」
「はい!」
元気よく返事をしたエウリさんが、魔法で花を咲かせそれを摘み取っていく。それに見惚れてかけていると、フロックスさんが魔術で生み出した水の塊を鎖の勇者の顔面にぶちまけていた。
「ぶへっ、ぐぇ、ゲホッ!」
冷たさと衝撃、息苦しさの3点セットを食らった鎖の勇者は、女子として出していいのか分からない声を出して目を覚ました。そしてすぐに自分の状況を確認したらしく、チートである鎖を放ってきた。しかもエウリさんに向けて。
「次、チートを使ったら殺す」
問題ない、手元から伝わるそんな声に従って驟雨を振るう。するとディラルヴォーラが宿っているからだろうか、チートを込めずに振るった驟雨はいとも容易くそのチートを斬り裂いた。
そしてそのまま、驟雨の切っ先をチョーカーのつけられた鎖の勇者の首に添える。これなら押し込まれても、すぐに斬れないようにするだけの時間は稼げるだろう。
「くっ」
睨み向けられたがそれを冷たく見返し、勝手にやってしまったのでフロックスさんに目配せする。やっちまえとサムズアップされた。なら、勝手にやってしまおう。
幻術を発動、鎖の勇者の背後にむさ苦しいオッさんの幻影と音声を幻術として形成する。ついでに焚き火と生活音も追加しておこう。
「素直にこちらの質問に答えるならよし、答えないなら相応の対処をさせてもらう」
「みんなはどうした!」
「殺したよ、全員俺たちで」
さて、ここからホラ吹きの時間だ。幻術を有効活用するなら、自分だってそれ相応の演技が必要だ。それがなければ、俺の未熟な腕ではどうしようもない。
「それなら尚更答えるわけにはいかないわ。あんたみたいな裏切り者にはね! アハハハハハ!!」
「そっか、《排出》」
どうしても口を割る気はなさそうだ。ということで、少し首を驟雨で傷つけそこに薄めた媚薬を排出した。薄めたとはいえ、これは効果は高いし即効性。変化は一目瞭然だった。
「な、によこれ」
「媚薬。このままお前が何も話さない姿勢を通すなら、身動き取れないくらい投薬して後ろの奴らに受け渡す。まあ、そっちの意思なんて関係なく死ぬまで使われるだろうね」
「ひっ」
発動後は鎖の勇者の想像に任せているから詳細は分からないが、鎖の勇者が息を飲んだ。ガタガタ暴れるが、簀巻きにされた状態から動くことは出来ていない。
「因みにこっちの質問に答えるなら、この解毒薬もあげるしお前の後ろにいる奴らにも話を通してあげるけど?」
そう言って、なんの効果もないただの水が入ったビーカーを見せつけるように取り出す。真っ青になった鎖の勇者が必死に足掻いてるけれど、答えない限り何も改善する気は無いのでさっさと諦めてくれないものだろうか。
「10」
「9」
「8」
「7」
「6」
「話す、話すわよ! なんでも話すから助けてよ!!」
カウントダウンを始めたところ、鎖の勇者は泣きながら必死にそう訴えかけてきた。よしよし、これで話が進められる。そんなことを思った直後のことだった。
チョーカーから莫大な魔力が迸り、鎖の勇者の全身を覆い尽くした。それを受けた鎖の勇者の瞳孔が一瞬大きく拡大し、次の瞬間には最初の敵意剥き出しの状態へと逆行していた。
「アンタなんかに情報を渡すくらいなら殺される方がマシよ!!」
自己否定ーー怒りを否定しました
自己否定ーー落胆を否定しました
「これが洗脳かー」
『洗脳か。つくづく人というものは度し難い』
呟いた俺の言葉と、ディラルヴォーラが発した言葉が重なった。そして、ディラルヴォーラが感心したように話しかけてきた。
『知っておったのか』
「そりゃあ、俺だって元々はコイツらと同じ立場でしたから」
そう言った直後、ゾワリと全身を弄られるような気味の悪い感覚が駆け巡った。そしてディラルヴォーラが、得心したように言う。
『ほほう、なるほどそういう人生か』
「……記憶見ました?」
『英雄の過去を追体験する、なんとも甘美な響きだとは思わないか?』
「プライバシーって知ってます?」
『知らぬ。知りたいとも思わぬ』
「デスヨネー」
そんなやりとりをしていると、フロックスさんがもう限界と言ったように声を殺しながら腹を抱えて笑うなんて器用な真似をしていた。こちらに気づいて気にするなと手を振ってくれたが、普通は無理だろう。
自己否定ーー関心を否定しました
この場合は、さっきは役に立たなかったチートに感謝だ。気持ちを切り替えてくれるのは、今まで何度となく助けられてきた。
「まあいいや。とりあえず」
洗脳の起点となっているチョーカーを外す。それで効果がなければ壊す。それでもダメならエウリさんの自白剤を待つ。完璧なプランだ。
「ぐるる」
歯を剥き出しにし、目を血走らせ、ヨダレを垂れ流し威嚇する鎖の勇者のチョーカーに驟雨を当てる。
「《収納》」
そしてチートを発動させた瞬間、あの空間の絶叫が轟いた。
自己否定ーー驚愕を否定しました
それに対する驚きをチートが消し、平坦な精神で見るとチョーカーの魔力がみるみるうちに減少していっていた。そして数秒で魔力が尽き、最終的には収納に成功した。
直後鎖の勇者の身体が跳ね、その目に怯えと正気が戻ってきた。どうやら成功らしい。
「ち、違うんです! これは私の意思じゃなくて、首輪が無理やり言わせたことで! だから、だから後ろの人たちには!」
「それはわかってる。だから、こっちの質問に答えろ」
「よ、よかった……」
安心している鎖の勇者に改めて刃を突きつけ質問する。
「現在の勇者の人数は?」
「みんな、私の学年はみんな死んじゃいました。でも先輩は50人くらいは、まだ生きてます!」
「じゃあ、俺たちを殺そうとした理由」
「知りません! でも、邪魔だからこの機に始末してしまえって噂はよく聞きます!
それでも私は、殺そうとしてないんです! 捕まえようとしてただけです!」
必死に答えてくれてる分、嘘はないのだろう。一介の使い捨て兵器が知り得る情報だから確度は微妙だが、目安にはなるはずだ。
「じゃあ、今の王都の状況はどうだ?」
次の質問に悩んでいると、何かドッと疲れた様子のフロックスさんがそんな質問を飛ばしてきた。
「状況……?」
「状況だ。市場の雰囲気でも、噂話でもいい。なんか変わったところとか、変な噂、気になるものあげてけ」
「えっと、はい。最近ちょっと、食べ物も嗜好品も武器防具も値段が高くなってきてました。後、貴族の人たちがみんななにかを準備してるって噂が。後、王城では第2王女がクーデターを企ててるって噂で持ちきりでした」
その言葉に、思わず息を飲んだ。
「あんな綺麗な人が、お父さんを殺そうとするなんてあり得ないと思うんですけど」
「そうかよ、ありがとさん」
フロックスさんはそう言って引いたが、舌打ちと不味いなという言葉を口走ったのを聞き逃しはしなかった。多分、いや、相当に不味い自体な気がする。そう思ってると、フロックスさんが俺をちょいちょいと手招きしていた。
「あの、もう終わりですか?」
「ちょっと待ってろ」
一方的にそう言いつけ、幻術を強めてフロックスさんの元へ向かう。すると、小さな声でこんなことを耳打ちしてきた。
クーデターはバレてる。多分近々本格的に攻められる。もしかしたら、もうとっくに始まってるかもしれない。
自己否定ーー驚愕を否定しました
チートがなければ、きっと取り乱していたかもしれない程の衝撃だった。いや、よく考えればあり得ない話ではないのだ。洗脳なんてチートの使い手がいる以上、信のおけると思っていた相手でも情報を漏らす可能性は0ではないのだから。
今から戻ると1週間……つまり、もし本当に戦闘行為が始まっていた場合、全てが終わった頃に帰ってしまうことになる。
「どうする? 今から帰っても間に合わねぇぞ?」
「でも、もし姫さま達が負けたら人の世界に俺たちの居場所は無くなります」
これがなにも俺たちに関係のないことだったら、無視してトンズラこいても良かった。だけど、もし姫さまが負けたなら。その場合は本当に、俺たちが人の世で生きていくことは不可能になる。魔族の方で受け入れてもらえる可能性が不明な以上、そんな手は取りたくない。
「けどよ、帰る手段がねぇんじゃどうしようもないぜ?」
「……いえ、あります」
そう、賭けの要素が強いが不可能なことではないのだ。ただしそれは、俺が完全に人で無くなることが前提条件となるが。
「おい、それってまさか……」
「ちょっと聞いてきますね」
そう言って踵を返し、怯えて震える鎖の勇者に近づいていく。そして、首元に刃を突きつけ問いかけた。
「お前たちはどうやってここに来た?」
「い、五十嵐くんの力で。でも、先輩が殺しちゃったんでしょう? だからもう、帰れません……」
「ああそう。なら、その転移の力ってどんなものか聞いてる?」
「は、はい。えっと……確か、行きたい場所を強く念じて、転移って言うとそこに行けるって自慢してました。でも、なんでそれを?」
「ありがとう」
最後にそう言って、幻術の出力を全開にして気を失わせた。
それだけ分かれば、十分だ。どうしようもない壁が立ちはだかるが、不可能ではない。
自己否定ーー執着を否定しました
そんなチートのアナウンスを聞きつつ、一生懸命薬を調合していたエウリさんの肩を叩く。
「はい?」
ちょっとムッとしてるけれど、もう話は聞いてくれるようだった。良かった、これならちゃんと自分の覚悟を決められる。
「1つ聞きたいことがあるんですけど……いいですか?」
「きゅうにあらたまって……なんですか?」
コテンと首を傾げるエウリさんを前にして、一度俺は大きく深呼吸する。
自己否定ーー緊張を否定しました
「狡い質問だって、分かってるけど聞かせてもらいます。
もし俺が完全に人じゃなくなっても……吸血鬼になっても、軽蔑、しませんか?」
そして、チートの助けも借りて言った。言ったのだ。こんな、狡いとしか言いようのない質問を。ただ自分の本心を決めさせたいだけの、最低な質問を。
けれどそんな最低な質問にも、エウリさんは答えてくれた。ぎゅっと優しく抱きしめて、安心させるように言ってくれた。
「わたしがすきになったのは、モロハです。にんげんのモロハじゃなくて、モロハだからすきなんです。だから、きらいになったりはしませんよ」
「そう、ですか……」
そんな暖かさに浮かんで来た涙を拭き取り、無理やり普通の顔を作ってエウリさんに言う。
「ありがとう、本当にありがとう」
「いいえ。つまのつとめですから」
背中をポンポンと優しく叩いてくれるのに安心を感じ、覚悟が決まった。3人で、平和に。その為にはなんだってやってやる。
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63 人の終わり
捨てられない。見捨てられない。迫害されない。
その言葉が俺にとってどれ程重い意味を持つ言葉なのか、それを分かる人なんていないだろう。過去を見たディラルヴォーラにしても、人と竜とでは致命的に価値観が違う為分かるまい。
だからこの思いは、永劫胸に仕舞って忘れてしまおう。いつかこの瞬間を後悔するときが来ても、自分1人で全てを背負うために。
「それじゃあ、もし俺が“モロハ”じゃなくなったらよろしくお願いしますね?」
「任せとけ」
待機してくれているフロックスさんの前で、今までずっと収納の奥底に封じていた『もう一本のファビオラの腕』を取り出した。取り込めば、確実に人であることを辞めることになるが、代わりに力の手に入る劇物。
エウリさんには鎖の勇者の見張りを頼んでいるから、どんな醜態を晒そうが見られる心配はない。だから今、それに魔法を発動させながら噛み付いた。
「
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
途端、急激に萎む腕と頭の中に直接叩き込まれる膨大な情報。ディラルヴォーラの眼程ではないが、それでも溺死しかねない情報の波が荒れ狂い、俺の正気を削っていく。
同時に、身体も変調を開始した。ゴキ、バキ、と骨がズレ変形し変わっていき、全身の肌に針で刺された様な痛みが走り時間が経つ程それは増していく。
自己否定ーー後悔を否定しました
薬で痛みを消している筈なのにこれだ。下手に魔法だけで済ませようとせず、腕に噛み付いた判断は正しかった。こうして噛み付いていなければ、きっと無様に苦痛の声を漏らして心配をかけてしまったことだろう。それはちょっと、1人の男として御免被る。
そんな状態で、どれだけの時間耐えただろうか。無限にも思えるが、きっととても短い時間だったのだろう。普段『痛み』というものを切り離している俺は、アッサリと限界を迎えて意識を飛ばし──
『ここで気を失えば血に呑まれるぞ。しっかりせんか英雄よ』
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
かけたところで、竜の一喝とチートによる否定で意識をどうにか繋ぎ止めた。
そうなってしまえば後は早い。脂汗を流し、なけなしの精神力を振り絞り、痛みに耐え続ける。どうせ壊れかけの俺なんだ、今更これ程度でなんとなる。
「──ッ、ハ! はぁ……はぁ……」
そして、地獄の時間は過ぎ去った。気力の限界に地面に倒れ、月の光を浴びて大の字に転がりながらそれを実感する。体感で、9割が吸血鬼で1割が竜といったところだろうか? 記憶が失われたということはないが、己の人間だった部分が完全に消えたことが分かった。
そうして放心したようにボーッとしていた俺を、見下ろす様にしてフロックスさんが聞いてきた。
「どうだモロハ、魔族になった感想ってのは」
「特に何も。ちょっと夜の空気が心地いいなとか、昼と変わらない感じで見えるくらいです」
そう、変化は本当にそんな些細なものだった。後は、強いて言えば魔力量が僅かに増えたことだろうか。種族ごとの特異性こそあれ、人と魔族の違いなんて大体そんな程度のものなのだ。肌の色が違うことと何ら変わりない。
自己否定ーー高説を否定しました
まあ、そんな如何にも賢しらな考えは今は置いておく。それよりも今は、『チートがコピーしたチートを得られるか』の一点の方が重要だ。それが出来なければ、俺がこうして吸血鬼になったことの意味がない。
「ふっ」
気合いを入れ直し、痛みの感覚が抜けず痙攣する身体を無理やり起こす。手が震えるが、まあ、魔法を使うのには支障はないだろう。そう思って、痛みのせいで切れていた魔術回路のスイッチを入れ直す。
「お、魔法使おうとすると目の色変わんのな」
その瞬間、まじまじとこちらを見ていたフロックスさんがそんなことを呟いた。
「マジですか」
「応よ。宝石みたいな感じの赤だぜ」
言われ愛槍の刃に自分を写してみれば、確かに右目の色が変化していた。ルビーのような……いや、この場合は血のようなの方が正しいか。琥珀色だったはずの右目がワインレッドに変色していた。
まあ、いいんじゃないだろうか。元の俺からはかけ離れた姿になってしまったが、これは
「《排出》、
自嘲の笑みを浮かべながら、排出したコピーの勇者の死体に魔法を発動させる。そうして発動した魔法は、直前までと比べて遥かに練度が上昇していた。他の魔法ならそうはいかないだろうが、『吸血』という種族の根本に関わることだからだろう。
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
先程までの情報の圧が海だとするならば、今感じているこれはそこら辺にある水溜り程度。感覚が壊れている今ならば、そのまま受け流せる程度のものでしかなかった。
informationーーチート《転写模倣》を奪取しました
そしてすぐに、自分の中に異物が流れ込んできたのを感じた。内側から無駄に圧迫して、気持ち悪くて吐き気がする、自分を食い破って出て行きそうな暴力的な力。
以前はそう感じていたものが、空のコップに水が収まるようにすんなりと受け入れられた。と言っても、何かあれば溢れてしまいそうなギリギリの感じではあるのだが。
自己否定ーー《転写模倣》のロックを否定しました
自己否定ーー《転写模倣》の防衛機構を否定しました
自己否定ーー《転写模倣》の所有者登録を否定しました
自己否定ーー《転写模倣》のシステムを掌握しました
そして、余裕があるからか成長したからか、急速に奪取したチートが己のチートに弄られていく。
informationーー《転写模倣》内の精査を開始
informationーー完了。限界までチートが転写されています
informationーーコピー1《竜殺し》のチートを精査しています
自己否定ーー発動条件を満たしていない為破棄します
informationーーコピー2《転移》のチートを精査しています
informationーー破損大 / 修復可
informationーー再生しつつ最適化を実行します
informationーーコピー3《聖剣》のチートを精査しています
自己否定ーー発動条件を満たしていない為破棄します
スッと、溜まっていた負荷の様なものが軽減された。少しだけ楽になった気分で、流れていく文字を見続ける。
informationーー《転移》の再生率75%で停止。
informationーーこれ以上の再生は不可能です
informationーーコピー1《転移》に使用条件が追加されました。1度使用した場合、168時間再使用が不可能となります。
informationーーコピー1《転移》を使用する為、コピー2に『information』を補助専用として転写します。完了しました
自己否定ーーチート《転写模倣》のトリミングが完了しました
informationーー廃棄部分は燃焼回路にてエネルギーへ変換します
informationーーコピー3はトリミングにより、チートを転写する容量を失いました
informationーーよって、以降コピー3部分はバックアップ待機部分として取り扱います
informationーーチート《模倣転写》を習得しました
「はぁ……」
その文字を最後に、流れに流れていた文字群は鳴りを潜めて消え去った。それを見て、いや感じて? 大きくため息を吐く。なんとなく自分が奪った新しい力の使い方は分かるし、これで一安心といったところだろう。
「首尾はどうだ?」
「なんとか。片道切符ですけど、王都までは行けるはずです」
心配そうに聞いてきたフロックスさんに、俺は笑ってそう答える。使用に条件が生まれてしまったが、今回行くだけなら問題ないような感じがしている。多分燃料てして今溜め込んでる黒炎を9割方消費することになるだろうが、それは必要経費として割り切ろう。行けるのであれば、そんなの安い買い物だ。
「行くにしても今日は無理だろうし、ゆっくり休んでろ」
「お言葉に甘えさせてもらいますかね」
今すぐにでも行きたい気持ちはあるが、こんな全身震えてロクに立っていられない状態で行っても意味がないことくらいは分かる。俺はまだまだ子供だが、そこまでガキではない。
「よっこらせっ、とと」
そう思いつつ愛槍を支えに立ち上がろうとしたが、フラついて結局地面に倒れ込んでしまった。愛槍の鞘に納めた刃を顔に強かに打ち付け、なんとも言い難い強烈な痛みに襲われる。
「あががが……」
「こりゃ本格的にダメそうだな……おいエウリ、ちょっとこっち来い!」
「はい?」
パタパタと歩く音と、聞き慣れた愛しい声が聞こえた。それにさっきまで痛みで忘れていた、疲れのようなものが呼び起こされる。邪魔になりそうだし、驟雨は収納しておこう。
「モロハに肩貸してくれ。もう立てないくらい疲れてるみてぇだ」
「わかりました。ちょっと、しつれいしますね」
そう言って手が回され、柔らかさと森のような匂いに包まれた。そのまま僅かな浮遊感を伴い、視線の高さが移動する。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
「あるけますか?」
「それくらいなら、なんとか」
返事しつつ見たエウリさんの横顔に、どうしようもなく抗い難い感情が湧き上がった。血を吸いたいという性欲に近いそれは、チートで一旦掻き消されたもののすぐに復活しそうな予感を感じさせた。
「どうかしました?」
フロックスさんが1分ほどで作り上げた野営地に向けて歩きながら、エウリさんの顔を見てボーッとしていたことがバレたのだろう。そんなことを聞かれてしまった。
「いえ、なんでも──」
「もしかして、わたしのちとかすいたくなってます?」
「筒抜けですね」
困ったような笑顔で言われてしまうと、俺も否定なんてできない。本当に内心が筒抜けで、ディラルヴォーラに対しては不快でしかないがエウリさんになら安心感がある。
「でも、大丈夫です。そこまで甘えるわけにも行きませんから」
「そういって、いっかいもわたしのちをすったことないですよね? モロハさん、きゅうけつきなのに」
「ぐうの音も出ませんね……」
大きめの木で仕切られた場所に下ろして貰いつつそう答える。愛している人だから、そういうことをしたくない。確か俺はそう思っていたはずで、間違いではないと信じている。
「フロックスさんのはすったってききましたよ? だから、わたしも」
そう言って首筋をはだけさせたエウリさんを見て、吸血鬼としての本能の様なものが恐ろしいほど刺激された。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー吸血欲を否定しました
チートが否定してくれるが、止まらない、止められない。近くの木に寄りかかるエウリさんに詰め寄り、直近で目を見ながら言う。
「そんなこと言われたら、我慢出来なくなっちゃうんですけど」
「いいですよ、きてください」
それが、理性の限界だった。もう我慢出来ないと、はだけたエウリさんの首筋に噛み付いた。感じる甘い匂いに混ざる、血と汗と森の匂い。そして聴覚に届く、嬌声にも似た甘い声。
「んっ」
押し当てた牙が柔らかな肌を突き破り、甘く蕩けるような香りが溢れ出た。完全に吸血鬼となったからだろうか、血に感じる感覚が今までとは全く違う。実物は知らないが、麻薬のようだ。
手放したくない、失いたくない、このまま延々と味わっていたい。そんな心の奥底から溢れ出る感情に従って、強くエウリさんを抱きしめた。絶対に離さないと、絶対に逃げさせないと言わんばかりに強く強く。
「ぁっ、や」
がっつき過ぎないように、でも必死に求めて、血を吸い上げていく。傷を刺激して、吸い上げて、溢れ出る紅き命を啜っていく。愛する人の血を、全力で味わい尽くしていく。
「こん、な、だめっ……」
力の抜けたエウリさんの身体を抱きしめつつ、それでも吸血を止めることが出来ない。チートが一々感情を消していくが、感情が本能に勝てるわけがないのだ。もっともっと、そんな風に思えて止まない。
「ふぁ、んっ……いい、れすよ。もっと、すっても」
止まらない、止められない。終わらない、終わりたくない。
理性と本能が鬩ぎ合い、二重の螺旋を描きながら思考は己の奥底に沈んでいく。
「わたしはモロハさんのもので、モロハさんはわたしのものです、から。だから、ぜったいにおいていかないで。ひとりに、しないでね……わたしも、ずっといっしょにいる、から……ひゃっ」
そんな無限に続くような幸せの時間は、フロックスさんに見つかるまで続くのだった。
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最終ステータス
能力の判定
F : 見習い(一般的な大人)
E : 未熟(鍛えた大人)
D : 玄人(新兵)
C : 熟練
B : 人の限界
A : 英雄、勇者の類
S : それ以上の何か
EX : 正か負の方向に測定不能
==============================
性別 : 男
年齢 : 17
種族 :
筋力 : F→E(最高A)
耐久 : D(最高A)
敏捷 : F→E(最高A)
魔力 : C→B
技術 : D→C
幸運 : EX(マイナス)
使用可能魔術 : 5つ
使用可能魔法 : 植物を操る・恐怖を操る
主武装 : 驟雨改(薙刀に近い槍)
副武装 : 護剣ストーリア(不壊付与)
【チート】
《亜空間収納》
殺傷性 : B 防御性 : -- 維持性 : S
操作性 : F 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
《自己否定》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : -- 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : --
自己の一時的、又は永久的な否定。自動発動
【解放1】内的害の否定・information追加
【解放2】任意発動・範囲&強度強化
【解放3】燃焼回路
【解放4】魂魄回路
死者の魂を五感で知覚できるようになる。また、昇天させることが可能になる。その際、死者の記憶の一部が共有化され、相応の量のエネルギーを取得する。しかし使い続けるのであれば廃人になるか、全てを意思で捩じ伏せる覚悟が必要。
《肉の鎧》
殺傷性 : E 防御性 : S 維持性 : S
操作性 : F 干渉性 : A
範囲 : F
空気・音・光は通す重さのない筋肉の鎧を、指定した身体の一部にのみ装着する。
鎧の発動中は体力の消耗が加速し、装着箇所の筋力・瞬発力は一時的に増加する。
任意にパージと再発生が可能。
厚さ5cmで保有者のみ鎧を無視できる
《模倣転写》
殺傷性 : ? 防御性 : ? 維持性 : ?
操作性 : ? 干渉性 : A
範囲 : F
選択した能力を最大2つまで模倣して習得する。コピー元の能力よりは効果が劣化する。自由に入れ替えは可能だが、破棄した能力はもう一度コピーしない限り使用不可能となる。また、能力の選択には対象の一部を捕食する必要がある。
スロット1 information
スロット2 転移
==============================
一応今作の主人公。かなり華奢で、女装をすれば女性に見えるくらいの体格。元々は黒髪だったが、今では紅の髪と半々くらいとなっている。また、目も榛色から琥珀色に変色しており、吸血鬼としての魔法を使用時は更に血の色に変色する。
現状左腕が肩口から消失、左腕の再生余地が消失、左目が消失、右の聴力が消失、左の聴力が低下し、右脚の膝から下が消え、味覚が鈍り、嗅覚が鈍り、右腎臓が消失、肋骨も一対消滅している。更にチートの代償として、恐怖・躊躇・友情の感情が消去焼却されており、様々な才能が消滅している。
肉体 : 人間0% 吸血鬼90% 竜10%
精神 : 諸刃50% アマリリス50%
記憶 : 48%焼却
エウリとゴールイン、儚くも幸せな日々を過ごしていた。ディラルヴォーラ戦から義足を装着しており、痛ましさが増している。またその義足はディラルヴォーラの巣へ到達する鍵となっており、もし到着することが出来たのならば巨万の富を得ることが出来るだろう。同時に愛槍である驟雨改にはディラルヴォーラの魂が宿っており、力は貸してくれるがプライバシーなど何もない関係となっている。
副武装である護剣ストーリアは、モロハの中にいる英雄アマリリスが過去振るっていた得物の成れの果て。使用中は自壊を恐れなくなるため、筋力・耐久・敏捷のランクがEXまで上昇する。精神世界でアマリリスと7ヶ月程修行した事実があるが、
==============================
マルガレーテ・リット・イシスガナ
性別 : 女
年齢 : 19
種族 : 人族
筋力 : F(最高A)
耐久 : F(最高A)
敏捷 : F(最高A)
魔力 : S
技術 : A
幸運 : B
使用可能魔術 : 無数
主武装 : 宝珠の杖
副武装 : なし
【チート】
《昇華》
殺傷性 : E 防御性 : -- 維持性 : C
操作性 : F 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
《安定化》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : -- 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : F
==============================
イシスガナ王国第2王女。通称
特に目立った出番は一切なし。
クーデターが嗅ぎつけられてやばたにえん。
==============================
エウリ
性別 : 女
年齢 : 17
種族 :
筋力 : C(最高B)
耐久 : C(最高B)
敏捷 : C(最高B)
魔力 : A +
技術 : D
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数
使用可能魔法 : 植物を操る
主武装 : 黒竜の杖
副武装 : なし
==============================
今作現ルートのヒロイン。萌葱色の長髪に、琥珀の様な瞳、髪に大きな薄黄色の花が飾られている。年齢相応に華奢だが、種族が違う故力などは人とは段違いに強い。
様々な障害を乗り越えモロハとゴールイン。フロックスがいなくなった場合モロハと2人ぼっちになってしまうことに薄々気づいており、かつモロハのいつ折れて砕けてもおかしくない様子に心を痛めている。
本当は逃げて逃げてモロハと静かに暮らしたいと思っているが、それが不可能なことを理解してしまっており、それを実現する最善の方法が戦うことも同時に理解してしまっている。だからせめてと、モロハの側に寄り添って支えて支えられての関係になっている。
==============================
フロックス
性別 : 女
年齢 : 154
種族 :
筋力 : B→A(最高S)
耐久 : A(最高S)
敏捷 : B(最高S)
魔力 : C
技術 : B→A
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数
使用可能魔法 : 植物を操る
主武装 : 特製の木刀 ×2
副武装 : なし
==============================
モロハとエウリの2人に付いて来てくれた、2人に面識のある最期の古樹精霊。残りの寿命は50年あるかないか。
最も2人に立場の近い年長者で、2人の関係を見守り、時には相談を受け、普段は男子高校生かそこら辺のような距離感で2人の側におり、その行く末を楽しみに見守っている。だが少し感覚が古いのが玉に瑕。
戦闘に関しては、義手により両手が揃ったため物語中最強格に復帰。だが相手が竜なのが悪かった。どうしようもない致命的な一手を与えつつも、仕留め切ることは出来なかった。その後の対勇者の乱戦では、鎧袖一触に斬り尽くしている。
==============================
ディラルヴォーラ
性別 : 雄
年齢 : 不明
種族 : 上位竜
筋力 : EX
耐久 : EX
敏捷 : S
魔力 : S
技術 : A
幸運 : B
使用可能魔術 : 多数(得意は風)
使用可能魔法 : 竜
==============================
故竜?
漆黒の身体に紅の瞳を持つ上位竜。魔族が度重なる人族の侵攻に対する切り札として召喚したが、気に食わなかった為人も魔族も等しく皆殺しにした化け物。
咆哮と物理的能力が竜の中でも飛び抜けており、この世界の中では追従できるものはほぼ存在しない。死闘の果てモロハ達に敗れ、自分を殺した英雄として特別視している。
本来であれば死したまま竜としての再生を待ちつつモロハの物語を見物している予定だったが、勇者の持つ『竜の魂を磨り潰して燃料にする』魔剣の行使に伴い現世に復活。それを粉々にしたところで、都合が良かったモロハの驟雨改に憑依。力を貸す関係となっている。また、モロハの記憶を全て視た唯1人。
自分が認めた英雄譚を、本人の隣という最高級の場所から見物する事が出来ているため基本的に上機嫌。
==============================
性別 : 男
年齢 : 17
種族 : 人間
筋力 : E
耐久 : E
敏捷 : E
魔力 : C
技術 : F
幸運 : D
使用可能魔術 : なし
主武装 :
副武装 :
【チート】
《転写模倣》
殺傷性 : ? 防御性 : ? 維持性 : ?
操作性 : ? 干渉性 : EX
範囲 : F
選択した能力を最大3つまで自身に転写して再現する。3つを合計しての最大出力などの制限はあるが、最も自由なチートだった。
==============================
故人。チートに胡座をかいて厨二病を拗らせていたら、呆気なく死んだ勇者。チートに頼りきりで訓練なども雑にこなしていた為、実質捨て駒として竜の撃退へ送られた。実際特に活躍の場もなく、知り合いの女性を斬り殺して動揺してる所を、モロハに首を刎ねられた。
帰り道の切符となったことは優秀だったかもしれない。
==============================
性別 : 男
年齢 : 18
種族 : 人間
筋力 : C(最大A)
耐久 : D(最大A)
敏捷 : E(最大B)
魔力 : A
技術 : B
幸運 : C
使用可能魔術 : 5つ
主武装 : 竜剣カドモス
副武装 : なし
【チート】
《竜殺し》
殺傷性 : EX 防御性 : EX 維持性 : EX
操作性 : D 干渉性 : EX
範囲 : E
殺傷性・防御性・干渉性は対竜という条件下に限ってEX(プラス)判定。効果は竜に対する絶対優位。チートで中和されない限り、何があっても竜に対する優位を保ち続けられる。
竜の素材がその武器に一欠片でも含まれていたらこちらを傷つけることはなくなり、防具に一欠片でま含まれていたらこちらを阻むことはなくなり、相手が竜であればその魔法はこちらに届くことはない。
ただ、それだけの能力
==============================
故人。初登場は初期も初期の、ライバルになり得たかもしれない勇者。最初に諸葉が助けきれなかった後輩の中に彼女がおり、助けなかったモロハに対してずって復讐心を抱いていた。
その怨念が眠っていた呪いの魔剣に適合し、竜に連なるものに対しては圧倒的な優位を誇る勇者となっていった。竜に対する何かに関しては無敵であり、魔剣の力で素の力もかなりの物だったが、毒という変化球に対応できず死亡した。
==============================
性別 : 女
年齢 : 16
種族 : 人間
筋力 : F(最大C)
耐久 : F(最大C)
敏捷 : F(最大B)
魔力 : C
技術 : E
幸運 : A
使用可能魔術 : 2つ
主武装 : 鎖鎌
副武装 : 鎖分銅
【チート】
《魔延縛鎖》
殺傷性 : F 防御性 : B 維持性 : EX
操作性 : A 干渉性 : S
範囲 : A
魔力で出来た鎖を生み出し、自由自在に扱うことのできる能力。相手を拘束するもよし、自身に巻いて鎧の代わりにするもよし、何かと自由度が高い能力である。
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存命。ディラルヴォーラ戦後、ディラルヴォーラ(あわよくばモロハ達)を討伐するべく送られてきた勇者の1人。諸葉のかつての後輩で、現状後輩たちの中で唯一の生き残り。また、試験的にモロハが行った行為で洗脳が解けており、正気で狂気の世界に放り出されることになっている。
転移のチートの使い方を教えてくれた張本人であり、完全に無抵抗で簀巻きにされて拘束されている。モロハも無抵抗の相手を惨殺するのはなんか違うと手を止め、エウリは少し話したからか殺すことに否定的であり、フロックスは殺したいけどまあどっちでもいいんじゃね? というスタンスのため、現在唯一生き残る可能性がある勇者。
次回から最終章!
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64 最期の戦場へ②
翌朝の目覚めは、自分が知る限り過去最高に良いものだった。寄り添って眠っていたエウリさんを起こさないように起き出し、フードを被ったまま大きく深呼吸をする。ああ、天気も快晴でクソッタレなほど良い朝だ。
大きく伸びをして、義足の調子を確かめる。次に左目の調子を確かめた後、痛み覚悟でフードを外し眼帯を装着する。そして収納していた驟雨改を取り出し──
「あれ?」
自己否定ーー憎しみを否定しました
今までのような、焼かれるような痛みは襲ってこなかった。太陽が憎らしいという気持ちこそ湧くが、チートもあり無視できるものでしかない。
『当然だろう。吸血鬼の真祖直系の眷属であり、且つ我を取り込んで竜となっているのだ。日光程度でどうこうなる訳がなかろう』
「起きてたんですか」
『寝ることが出来ぬからな』
「不便そうですね」
そう自分にしか聞こえない声と取り留めのない会話をしながら、目覚まし代わりに槍を振るう。まだ成功するのか自体不明だが、成功させなければ間に合わないのだ。やれる限りのことはして、体調も気分も万全にしておきたい。
自己否定ーー慢心を否定しました
「あのー……」
ふと、そんな声が掛けられた。はてと振り返れば、簀巻きから手足の拘束にランクダウンした鎖の勇者が話しかけてきていた。転がったまま、深いクマを浮かべて。
自己否定ーー同情を否定しました
「夜更かしは肌の大敵って聞きますけど、寝なかったんですか?」
「直前まで殺されかかってて眠れなかったんですよちくしょー! しかも隣であんな妙に艶めかしい声聞かされて、寝れるわけないですよバーカバーカ! 先輩のバーカ!」
自己否定ーー呆れを否定しました
なんか一晩経ったら物凄く遠慮が抜けてる件について。まあ、エウリさんにも止められたし殺す気はもうないけど、流石に馴染みすぎじゃないだろうか。
「で、何か用でも?」
「いやぁ、その。一晩中我慢してたからか、催しちゃいまして。流石に乙女の尊厳に関わるので、手伝ってくれないでしょうか?」
鎖の勇者が、汗を流しながらそんなことを言ってきた。……正気なのだろうか。もしかしたら、外した首輪の効果が今になって発動したとか?
「男にそれを言いますか」
「多分後で死にたくなりますけど、背に腹はかえられないですからね!」
自己否定ーー同情を否定しました
それならまあ、仕方ないか。そう思って近付こうとした時に気がついた。そういえばあの鎖のチートなら自分で動くことくらいは出来るのではないか。疑惑に足を止めると、鎖の勇者がしまったと言うような表情へ変わった。案の定そうだったらしい。
自己否定ーー油断を否定しました
「そんな嘘ついてまで、何を俺に聞きたいんです?」
「なんで先輩は戦えるのか、聞きたかったんです。あ、トイレは朝あのお姉さんにお世話してもらったので大丈夫です」
目を細めて聞いてみれば、そんな質問が返ってきた。後でフロックスさんには頭を下げておくとして、そんなことか。なんて思っていると、目を伏せて鎖の勇者はポツポツと話し始めた。
「私は、自分が██んです。ずっとずっと戦い続けて、少なからず私も生き物を殺しました。そう、殺したんです。殺したんですよ!」
鎖の勇者は、身を切るような絶叫を零した。
自己否定ーー驚愕を否定しました
「嫌だって首を振る人……魔族ですけど、人を殺したんです。しかも小さい子を! 女の子を! その最後の声が、今になって蘇ってくるんです。自分が血に染まってるように思えるんです!」
そう言葉を吐き出していく鎖の勇者の目は、ギリギリ正気であるような雰囲気で揺れていた。止めるべきか、そう迷う間も言葉は続く。
「つまりこれって、洗脳されてたってことですよね? 殺しても何も思わないように、頭を弄られてたってことですよね? 最初の謁見の時に男子の先輩が言ってたようなことが、本当だったってことですよね!?」
「俺はその場には居ませんでしたけど、そうでしょうね」
多分その男子は、そこそこサブカルに詳しかったのだろう。それにきっと、その男子は殺されたか道具にでもなっている筈だ。
「でも、先輩を見ててそんな私でもマシだって分かったんです。だって、まだ私は五体満足ですから。ただ人殺しになっただけで、██し、気持ち悪いし、夢にも見ますけど、無事なんですから!
なのに先輩は、そんなボロボロなのに、沢山殺しているのに、平然としてて、また戦いに行こうとしてて。訳わかんないですよ! 私も先輩も、平気で魔族を殺すみんなも全部全部全部全部気持ち悪いし██んですよ!
こんな世界、狂ってる!!」
ぜぇはぁと息を切らす鎖の勇者を見つつ、聞き取れない言葉もあったが……そうだろうなと思った。これが、普通の日本人の子供の反応のはずだ。
自己否定ーー疑問を否定しました
もう殆ど地球の記憶は焼き切れているが、残っている記憶を辿る限りでも日本が平和だったことは分かる。テレビのニュースでは政治家の汚職だなんだ、国の土地があーだこーだ、戦争や情勢の話題には触れずそんなことばかり。平和で、安全で、だけど実につまらない、停滞した息苦しい国だったと思える。
そして俺は、もうそんな世界じゃ生きられないだろう。
「でしょうね。俺もなにもかも狂ってると思いますよ。俺が昔殺した知り合いにも、狂ってるって言われてますから」
自己否定ーー██の感情は消去されています
そう言ってくれたのは、誰だったか。思い出せない。思い出せない。言われたことは分かるのに、いつどこで誰に言われたのかが思い出せない。
『汝にそう言った人物は、既に汝が殺しておるぞ?』
「あれ、そうでしたっけ。なら別にいいや」
もうその人が死んだと言うことは、再開することなんてない。なら、別に無理に思い出す必要もないか。忘れたというなら、きっとその程度の人物だったはずだ。妙に引っかかるが、そうであったに違いない。
「へ……?」
「ああ、ただの独り言です」
うっかり口に出してディラルヴォーラに答えてしまったせいで、不思議なものを見る目で鎖の勇者に見られてしまった。別に詳しいことを教える必要もないし、適当に誤魔化しておけばそれでいいか。
「それで、俺が戦う……戦える理由でしたっけ?
そんなの簡単ですよ。愛する人と、一緒に日常に居たいから。幸いが欲しいから。それだけです」
俺が戦う理由なんて、そんなありふれたちっぽけなものでしかない。今の世界でも、地球でも、そんなありふれた小さな幸いすら、この手に掴むことは出来ないのだ。
自己否定ーー悲しみを否定しました
自己否定ーー怒りを否定しました
それを出来るようにする唯一の道が姫さまの計画に乗ること。もし成功したとしてもかなりの時間がかかるだろうが、それでも今よりは可能性があるのだ。姫さまへの恩返しという面もあるが、やっぱり1番はこれに違いない。
「それ、だけ?」
「ええ、それだけです。気が狂ったりしないのは、まあチートのお陰ですよ」
それと、肉体が完全に魔族に変わったことも大きいと思える。何せ吸血鬼なのだ。この後輩の血を吸いたいという気持ちだって、当然ある。血を啜れと、血を貪れ、そう牙が疼くのだ。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
だからもう、俺は地球に帰ることは出来ない。顔も名前も忘れた両親や、居たかもしれない兄弟より、地球での平和な暮らしより、厳しい世界でもエウリさんと共に生きることを俺は選ぶ。その上で、人並みの幸せくらいは欲しい。これくらいなら、強欲とは言われないだろう。
「たったそれだけの、理由なんですか?」
「ええ。それだけの、それでも俺にとって何より重い理由です。何せ今の世界には、俺と愛する人の居場所がありませんから」
『我の住処にならばあると思うが?』
茶々を入れてきたディラルヴォーラのことは無視しつつ、しゃがんで目を合わせて俺からも問いかける。竜の住処なんて社会からかけ離れた場所、人が住処にするには些か都合が悪すぎる。
「じゃあ、こっちからも質問です。昨日俺が壊して外したあの首輪、想像は出来てますけどなんですかアレ」
今こうしている間も情報が筒抜けになっている可能性もあるが、それならそれで良い。今から気にしたところで手遅れだ。であれば、知っている限りの情報をを聞き出しておく方が良い。
姫さまやお婆さんの予測が合っているのならそれで良し、外れているのならそれはそれで良し。どちらに転んでもこっちの利益になる。
「私たちは、勇者の証って言われて渡されました。付けていると成長を早くしてくれるっても。実際に、私でも鉄の棒を曲げられるくらいの力は出せるようになりました。でも、多分それが洗脳の起点だと、思います」
なるほどと思い取り出そうとした瞬間、チートの透明な鎖が俺の手に絡みついた。そして腕の動きを完全に止められてしまった、
自己否定ーー同情を否定しました
遂に正体を見せたかと手首を捻り驟雨改を向けたが、涙を流しながら全力で首を横に振る姿に伸縮機構を止めた。それを見た瞬間、必死の形相で、口早に鎖の勇者が新たな情報を吐いた。
「その首輪を外すと死んじゃうんです! 私の前で、せーので私の首輪と同じものを外した友達が、急に血塗れになって死んじゃったんです! だから多分私も、私も死んじゃいます! なんでも言うこと聞きますから、お願いです、殺さないでください……」
空気に溶けるようにチートの鎖が消え、鎖の勇者の啜り泣く声だけが残った。なんともまあ、やり辛い。戦いの場なら躊躇なく首を刎ねただろうけど、止められてる上こんな状態ではやり辛いの一言に尽きる。
「それじゃあ、首輪みたいなアイテムを壊すか外すかすれば勇者は死ぬってことですね?」
「はい、多分、ですけど……ぐすっ」
「なら、それを身体から切り離したら?」
それでもその呪いのような効果が発動するとしたら、俺のようなチート持ちや、フロックスさんのような達人以外にも勇者を打倒出来る可能性が出てくる。
「前一緒に戦ってた先輩が、指輪型の勇者の証ごと腕を食べられて、すぐに友達と同じ風に、死んじゃいました。だから多分、なると思います」
「なるほど」
それなら残りの勇者を無力化するのにも、労力が格段に減る。それでも十分以上にチートなのだから問題だが、弱点が増えるというのは実に嬉しい。
「それじゃあ、今生き残ってる人のチートを知ってる限り教えてください。それが終わったら、朝ご飯にします。まあ竜の肉しかないですけど」
『こんなのに我の肉を食わせるのか?』
えーとでも言いたげなディラルヴォーラの言葉は黙殺する。だって手持ちの食料はそれしかないのだ。仕方ないだろう。
「貴女の話が本当なら、生殺与奪は俺が握ってることになるのでちゃんと協力して下さいね? そうすれば、巻き添えになったらアレですが俺たちは殺さないことを約束しますよ。ああ、あと身体を要求したりとかもしないので」
我ながら酷い脅しだとは思うが、洗脳されてない(ように見える)唯一の勇者なのだ。よく考えれば、重要な情報源である。
笑みを浮かべて言ったお陰か、鎖の勇者は40個ほどのチートの情報を教えてくれた。同時に、今遠くに派遣されていて戻ってくる可能性が低い勇者のことも。
王都へ出発する、数時間前のことだった。
因みにエウリが「殺さないで」と言ってるのは、これ以上モロハに十字架を背負わせたくないからというのもあったり。
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65 戦乱の中へ
最後の晩餐になるかもしれない朝ご飯を終え……いや、なんかおかしい。最後の朝餉か? 肉と野菜とスープというちょっとだけ豪華な食事を終え、俺は今チートを使う準備をしていた。
なにせ初めて使う能力な上、失敗は許されないのだ。しかもここで失敗したら、何もかもがダメになるかもしれない。緊張するなという方が無理な話だ。
自己否定ーー緊張を否定しました
「本当に、行きたい場所を思い浮かべて《転移》って言うだけで良いんですね?」
「は、はい!」
緊張した様子の鎖の勇者に問いかけたが、本当にそれだけでいいらしい。変質してなければの話だが、それだけで王都までの300kmを超える長距離を一瞬で移動できるとは、本当にチートだ。
ちなみに件の鎖の勇者だが、話し合いの末ここに捨て置くのも後味が悪いので連れて帰ることになった。当人の協力出来ることならしたいという要望も、多少はプラスに働いたと思われる。
「それで、行き先は姫様の屋敷の前で良いんですよね。フロックスさん」
「応よ。正式な手順なんて踏んで入ってちゃ、間に合うもんも間に合わねぇかもしんねぇからな」
屋敷内に直接転移しないのは、侵入者になって不必要な警戒をされてしまうからだと言うのは俺でも分かる。
自己否定ーー緊張を否定しました
そうだ。今から俺たちは、高確率で戦場の中に飛び出すのだ。何があっても不思議じゃないし、逆に何もなくても不思議じゃない。心の準備だけは、しっかりとしておかねばならない。
「いっしょなら、だいじょうぶです」
「そう、ですね」
知らず震えていた手を、エウリさんが握ってくれた。その笑顔と暖かさに、不安が解けていく。震えが消え、やれるという自信が湧いてくる。ああ、これならなんの問題もない。
「行きます」
そう宣言して、驟雨改を取り出した。
気合い十分。やる気十分。コンディションも最高。ここで失敗する訳がない!
informationーー1300%のエネルギーを充填
模倣転写ーー起動しました
模倣転写ーースロット1・2並列起動
黒い火の粉を散らす驟雨改を地面に突き立てる。思い描くのは、あの懐かしい屋敷の手前の道。強く強く、決して間違えるようなことのないように。
模倣転写ーー転移準備開始
地面に突き刺した驟雨改から黒い炎が走り、俺たちを囲むような円を描く。続いて俺には読めない不思議な文字が、地面に炎で次々と刻まれていく。
自己否定ーー狂気を否定しました
脳裏に叩きつけられる無数の意味不明なイメージを、チートが機械的に捌いていく。チートがなければ何1つできない自分に情けなさを覚えること数秒。魔法陣が、完成した。同時に自分の中で、何かパズルのピースの様なものがピッタリ嵌った感覚を感じた。
「《転移》!」
模倣転写ーー転移実行します
その感覚に従い、今だというタイミングで目を見開いて叫んだ。
瞬間、今まで文字として燃えていた黒炎が一気に燃え盛り、周囲の光景を遮断した。更に発生する謎の浮遊感。例えるならば高速のエレベーターに乗っている様な感覚に、エウリさんがきゅっと服の裾を握ってきた。
自己否定ーー雑念を否定しました
一瞬揺らぎそうになった集中を、チートが無理やり再生させた。未熟にも程があると自身に舌打ちしつつ、耐えること約3秒。浮遊感が消失し、燃え盛っていた黒炎が全て弾け飛んだ。
「本当に、帰ってこれ──!?」
「こいつは……予想以上にヤベェな」
「ひどい。なんで、こんな……」
『やはり、人間とは愚かだな。数が多いだけで、殆どが愚図の有象無象に過ぎん』
転移が終わり、全員がそんなことを口にした。何故かと思い周りを見渡して……絶句した。
崩壊した街並み。真っ二つに折れた時計塔。めくり上がった大地。燃え盛る業火。凍結した噴水周辺。帯電する空。地割れとその奥から溢れる溶岩。爆心地のような、姫様の屋敷。その他にも、都市としての活動が出来ないくらいに何もかもが崩壊している。更に、至る所から聞こえる戦闘音。
一言で言うのであれば、王都は地獄と化していた。究極に近いほど言葉は陳腐になるとはどこで聞いた言葉だったか。忘れてしまったが、今の状況はまさしくそれだった。
「ゲホッ」
俺も何かを口にしようとした瞬間、代わりに嫌に湿っぽい咳が出た。身体から力が抜け、思わず膝をつく。そうして地面に近づいた視界に見せつけられたのは、割れた石畳に染み込む真紅の液体だった。
自己否定ーー驚愕を否定しました
「ゴホッ、ゴホッ」
その状態から更に2度ほど咳き込み、血の塊を吐き出す。そんな俺の異常にいち早く気がついたのは、すぐ近くにいてくれたエウリさんだった。
「モロハさん!?」
背中をさすり、治癒魔術を使ってくれるが、効果は芳しくない。自分の中身が、グツグツと煮立って溶け出しそうな感覚が全身を駆け巡っている。
それでも、だ。今ここで動きを止めたらダメだ。死ぬ以外の未来が見えない。それに、自分のお嫁さんにあまりにもみっともない姿はまだ見せたくない。
「多分、俺程度が他人のチートを使ったから、でしょうね。でも、まだ大丈夫です」
驟雨改を一旦地面に刺し、口元を拭ってから再び握る。まだいける、問題ない、自分ならまだ耐えられる。そんなどこから出てきたのかも分からない精神を支えに、無理やり立ち上がる。事が出来ずに、エウリさんに抱きとめられた。
「ぜんぜんだめじゃないですか!」
「あはは……」
誤魔化すように笑いながら、今度こそちゃんと両足を踏ん張り地面に立つ。そう、少なくとも姫さまと合流しなければいけない。そんなたらればなんてあり得ないが、姫さまが諦めていたら話にならないからだ。
自己否定ーー想像を否定しました
でもその肝心の姫さまはどこへ行った? 屋敷が潰れている以上の場にいないことは確実。ならばどこへ行く? そんな場所は知らないが、可能性としてあるならば前線か指揮場。魔術師としての姫さまの実力は相当だから前線の可能性もあるが、指揮系統の混乱とかも考えると後者の可能性も……
そんな風に考えを巡らせていると、ピーという甲高い笛の音色が聞こえた。
『数は8、勇者が1人いるぞ』
ディラルヴォーラの忠告を聞きつつ笛の音が聞こえた方を見れば、確かに8人の人影とそれを大きく上回る数の石の巨人がこちらに迫ってきていた。
その内7人は騎士や衛兵のような格好で、最後の1人は体型を隠すようなローブを纏う女性。ローブから覗く女性の顔は、日本人のソレそのものだった。
「に、《石劇団》」
それは、事前に聞いていた《石劇団》なるチートのものに他ならなかった。廃材や大地を素材に、無数の巨人を作り出して操作するというチート。操作できる数の限りは100を超えているらしく、更に壊しても壊しても再生するのだという。
王都に常時いる勇者の中で、最強格と言える勇者がいきなり姿を現したのだった。
「エウリはそのバカを治せ、モロハは休んでろ! サゼはオレのサポートだ、いいな!!」
悲鳴を堪えて鎖の勇者が呟いた言葉に、フロックスさんがいち早く反応して駆け出した。戦闘経験は俺なんかの比じゃない以上、従うのが正しいということはわかるのだが……
「勇者が相手なら、俺も……」
「だめです! ものすごいねつじゃないですか!」
相手が勇者であるというなら、どんな不測の事態が起きるか分かったものじゃない。だからこそ俺も行きたかったのだが、エウリさんに羽交い締めにされて動けなくなってしまった。
「でも……」
「でももへちまもないです! どうしてもたたかいたいなら、わたしをまもってください!」
「わかり、ました……」
鎖の勇者もいるんだ、大丈夫なはずだ。そう自分を無理やり納得させて、大人しくエウリさんの治療を受ける。チートの反動と推測される症状だからか効果は薄いが、ないわけじゃない。
自己否定ーー不甲斐なさを否定しました
遅々として回復しない体調に不満を感じながらも出来る限りで周囲を警戒していると、ディラルヴォーラが告げた。
『後方から10、左方から4、右方から6、石人形が来ているぞ。どうする? 英雄よ』
「勿論、倒す」
一度深呼吸して息を整え、愛槍を強く握り込む。その様子に、エウリさんも何かを察したらしい。治療の手を一旦止めて杖を構えた。
「てき、ですか?」
「らしいです。援護、お願いしますね」
そう一言告げてから、魔術を全開にして疾走する。今は薬をキメてないが、これくらいならなんとかなるはずだ。そう思い込んで、石の巨人10体に向かって行く。自分より大きな、3mは超えているであろうその巨体。だけど、その程度今更なんだ!
「シッ」
チートを纏わせた愛槍で石人形の足を切断し、宙に浮いた胴体を回し蹴りで蹴り飛ばした。2体目の石人形に1体目の胴体が当たり、転倒した2体目が3体目と4体目にぶつかり動きを止めた。
「《収納》」
振り下ろされた拳を回避し、石突きで石人形の頭を収納する。排出してそれを捨てつつ、義足を思いっきり叩きつけ胴を切断する。
「
それを足止めの妨害としつつ、魔法を使い生やした根で倒した石人形を拘束する。壊しても再生するという話ならば、足止めするのが1番早い。残り5体、それでこちらからの足止めは終わる。
「
石人形の膝に射出した枝を突き刺し、バランスを崩した石人形2体を拘束。それを踏み台にして跳躍。
肉の鎧ーー部分展開
「ゼァッ!」
石人形を唐竹割りに両断し、魔法で拘束。最期の1体に義足の蹴りを入れ、宙返りしながらエウリさんの元へ帰る。
「ふぅ……」
肉の鎧ーー解除
大きく息を吐き、先程蹴り壊した石人形を魔法で拘束した。後方部分は終わったのを確認し、走り出そうとしたところで足に蔦か絡まり転倒した。
「っ、くぁ」
久しぶりに感じる転倒の痛みに、思わず変な声が漏れた。自分の武器で自分を傷つけるなんて馬鹿なことは起こらなかったが、不意な痛みのせいで集中が途切れてしまった。
「めっ、です! のこりぜんぶ、わたしがなんとかしましたから!」
「え……?」
手を借りて起き上がりながら見てみれば、確かに石人形全てに蔦が絡みついて動きを止めていた。流石の手際の良さだ。魔法も魔術も全然ダメな俺とは比べものにならない。
「なら、フロックスさんの方に」
「そっちもおわったみたいですよ、ほら」
そう言ってエウリさんが指差した先には、瓦礫の中で何かに縛り上げられたような様子の勇者が転がっていた。衛兵は全員が防具ごと斬られたような大きな傷を負って倒れており、全員が戦闘不能であることは簡単に見て取れた。
『気をつけろ、前方から1人力の強い人間が来る』
自己否定ーー雑念を否定しました
そのディラルヴォーラの警告で、途切れていた緊張の糸を貼り直す。ディラルヴォーラが強いと判断したのなら、それは本当に油断できない相手のはずだ。
今から薬をキメても間に合う気がしないので、全開で飛び出す用意と暗殺する用意だけ整えて魔術の強化を全開にする。
「幻よーー」
それから武器を驟雨改からストーリアに持ち替え、幻術でルーナとしての姿へ変化する。いつでも毒を排出できるよう気を張り詰め、スタートの体制を整え注意された方向を見つめる。
自己否定ーー限界を否定しました
肉の鎧ーー部分展開
「下がっててください!」
エウリさんが頷くのを見て、タイミングを計り全力で走り出す。地面を這うように全力で疾走し、チラリと見えた人影に向けて逆手で握ったストーリアを振り上げる。しかしその一撃は、いとも容易く弾かれてしまった。更には追撃として蹴りが放たれ、防御のためにあげた義足ごと蹴り飛ばされてしまった。
その勢いを殺さないように吹き飛びながら、着地し制動しながら相手を見る。と、その時点で気がついた。
「師匠?」
「んだよ、モロハか。まあ丁度良い、あんま時間はねぇが姫さんとこ行くぞ!」
師匠の率いる1部隊と、俺たちは思いがけず合流できたのだった。
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66 クーデター : 王都決戦
師匠の先導で姫さまのいる場所へ向かう間、説明された現在の状況は酷いものだった。酷いものだったのだが……大半がフロックスさんの予想通りであり、その分驚きはすくなかった。
・どこから漏れたのかは分からないが、クーデターが嗅ぎつけられた
・勇者が大挙して屋敷を襲撃してきた
・20人勇者を巻き込んで屋敷を自爆させた
・逃走しつつ、クーデターを実行
・勇者を倒しつつ、民間人の避難を急いでいる
・大怪我した民間人を魔法で癒して避難させてるため、進行ということが出来ない。
話を大まかに纏めれば、大体そんな感じだった。何もかもが後手に回っているせいで、どうにもうまく行動が取れていないらしい。
「なんか他に質問はあるか?」
周囲を警戒しつつその避難所に向かう中、師匠が振り返ってそう言った。色々と先手を取られてるせいで、奇襲ばかりしていた俺には何をすれば良いのか分からない。けど、ああそうだ。1つ聞かなければいけなことがあった。
「あの、他の勇者のみんなはどうなりましたか?」
その疑問は、俺より先に鎖の勇者が言葉にした。そう、残りの勇者の数とチートが問題だ。俺や鎖の勇者は正直微妙だが、チートは戦局を1人で変えるくらいの意味不明さを持っている。さっきフロックスさんが首を刎ねた石劇団の勇者なんて最もたるものだろう。
「そうだな……お前らにはちと悪ぃが、さっきの石劇団の勇者で王都にいた今代の勇者は全滅だ。生き残ってるのは、モロハとそこの鎖の勇者だけだな」
「そん、な……」
「そうですか」
自己否定ーー驚愕を否定しました
自己否定ーー喪失感を否定しました
その言葉に1度目を閉じ深呼吸し、次の瞬間には切り替える。……あの夜俺が助けた人達は、全員死んだ。もういない。けれど左腕が無駄無くなったかといえば、それはきっと違うはずだ。
「それよりよ、なんでその鎖の勇者は生きて……じゃねえな。正気のまま生きてんだ? 確か竜討伐に向かったって聞いてっけど」
『実際あの程度の輩に、我が負けたとは思えんがな』
それはそうだと思うけど、竜殺しのチートがあったからどうだろう……そんな疑問を切り捨て、答えようとしたところでエウリさんに手で口を塞がれた。抗議の意思を込めて見つめるが、返ってきたのは無言の治癒魔術だった。早く治せということらしい。
「オレたちでなんとか竜をぶっ殺した後、襲ってきた奴らもついでで殺った。んで、その時モロハがなんかやって、生殺与奪の権限を握ってる状態だな」
「もうちょっと、良い表現にしてくれても……」
鎖の勇者の抗議は無かったことにされていた。実際のことしか言ってないのだから、あながち間違いでもないしなぁ……
「本当か? よくやったな。ウチの奴らが死んじまったのは残念だが……竜相手だ、仕方ねぇ。味方に勇者が増えたってのは、結構な朗報だ」
そんなことを話しているうちにそこそこの距離を歩き、例の避難所のような場所へ到着した。そこには、予想以上に凄惨な光景と忙しなく動く医者と魔術師の姿があった。
「なんで、こんな酷い……」
鎖の勇者が崩れ落ちたのも無理はない。何せこの避難所とは名ばかりな野戦病院には、四肢が欠けていたり、炭化や凍結などを始めとした魔法で重大な障害を負っていたりする人達が、呆れるほど多く横たえられているのだから。酷い人では臓物が飛び出していたり、目がくり抜かれていたり、血の泡を吐いていたり、果てにはもう死んでいる人もそこら中に見かけられた。
肉の焦げた臭い、吐瀉物のような酸っぱい臭い、空気が焼け焦げた臭い、そして極めて濃い血の匂い。痛い痛いという呻き声に、殺してくれという懇願。水が欲しいという子供の声に、ただただ泣き叫ぶ声、悲鳴。ここはそんなもの達に包まれた、最悪の場所だった。
自分と同じだからか吸血鬼だからか、俺は何も感じない。フロックスさんも見慣れたものだという表情なだけだ。けれど、鎖の勇者やエウリさんには少々衝撃が強すぎたらしい。鎖の勇者は泣きながら崩れ落ち、エウリさんは繋いだ手が僅かに震えていた。
「とりあえず、姫さんの場所に案内するが、いいか?」
「いえ、ちょっと待って下さい」
震えるエウリさんの手を退け、口を開いた。別にこんなもの放っておいても問題ない。理性ではそう分かっているのだが、何故かやらなければと思うことがあった。
「どうした?」
「ちょっと、死者に祈りを」
魂魄回路ーーSearch
魂魄回路ーーmulch lock-on
魂魄回路ーーExecute
そう一言断りを入れてから、割れた石畳に槍の石突きを叩きつけた。同時にチートが広場全体を覆い、悪霊や地縛霊、重傷の人に纏わりついていた霊を全て昇天させた。
自己否定ーー死の実感を否定しました
そのお陰か、多少重傷者の表情が柔らかくなった気がする。なんでこんなことをしたのかは分からないが、これはやって良かったことのはずだ。
白い、隻腕の男性の影が、微笑んだ気がした。
「もう、大丈夫です。案内お願いします」
「おう」
自己否定ーー疑問を否定しました
謎のイメージに疑問を抱きつつも、切り替えてそう告げる。大丈夫、まだ俺は俺でいられている。俺じゃない別の誰かなんかじゃない。
そうして、一際大きな天幕……の隣にあるボロボロの小さな天幕に、大きな天幕を経由して俺たちは入って行った。
「よう姫さん、生きてっか?」
「死にそうだけどね……なに? お客さん? いるならちゃんと言ってくれないと、姫として会えないじゃない馬鹿なの……? 死ぬの……?」
そこには、姫モードのドレスを着たまま簡易的な椅子に寄りかかり、濡れたタオルを額に乗せ天を見上げる姫さまがいた。全体的に煤や埃で汚れきっており、金髪もやや燻んでいるように見えた。
「連れてきたのはモロハ達だから、言う必要はねえだろ?」
「それもそうね……よく帰って来たわね、お疲れ様。何もないけど、少し休んで行くといいわ。あのクソ親父、なんてことしてくれやがるのよ死ね。研究がパーじゃないゴミが。禿げろ。豚の餌にしてやる……八つ裂きよ八つ裂き」
濡れタオルからチラッとこちらを見てそう言い、すぐにまた姫さまは全身をダラんと椅子に投げたして動きを止めた。そんな、所謂表の姿とは正反対に荒んだ姫さまを初めて見た鎖の勇者がドン引きしているが、まあそんなの俺の知ったこっちゃない。それよりも、だ。
『アア、ヒメサマ。ナンテハシタナイ』『オキャクサマノマエダトイウノニ……オイタワシヤ』『セメテ、ワレワレガイキテイタラ……』
左目で見る世界には、姫さまの周りにそんな風に喋る霊が大量にうろついていた。さっきのチートに巻き込まれなかったのは、遮蔽物があったからか明らかに悪霊じゃないからか。
手を出す必要はないと思っていたのだが、観測されていることに気がついたのだろう。ギャーギャーと姫さまにこう言って欲しいああ言って欲しいと霊が口煩く言ってきた。明らかにディラルヴォーラが見えているはずなのに、その精神には尊敬を隠せない。
「姫さまって、本当に愛されてるんですね」
「はあ? いきなり何よ」
ついボソッと零してしまったそんな言葉に、姫さまが勢いよく反応した。あー……これ、説明しないとダメか。
「最近、チートのお陰で死者の姿と声が分かる様になりまして。ハシタナイとかオイタワシヤとか、聞いたことのあるような声で、心配して言ってるんです。ですから」
誰にも言ってなかったことを言ったせいか、ギョッとした顔で姫さまを除く全員に見られた。これは後でちゃんと説明しないとなと思いつつ、姫さまを見れば……泣いていた。
「モニカも、ヴィヴィも、フェリシーもみんな馬鹿よ。私たちを逃がすためにとか言って……」
濡れタオルのお陰ですぐにそれは見えなくなったが、姫さまの啜り泣く声だけが天幕に響くなんとも言えない空気になってしまった。無言のまま師匠の先導で隣の大きな天幕に移動し、そこで師匠がぽつぽつと語り始めた。
「勇者達が屋敷を襲ってきた時、誰も逃げ出す準備なんてしてなくてな。ある程度の物を纏めて逃げるまで、メイド……つっても下手な兵士より強いんだが、死を覚悟して時間を稼いでくれてな。それの中でも、さっき姫さまが名前を挙げた奴らは側近みたいなもんで、最後まで屋敷に残って、いざって時のための自爆装置で屋敷を爆破したんだ。
小さな頃から一緒だった、親みてえな奴らを一気に全員失ったんだ。それから、それを忘れる様に延々と魔術を使い続けてな……許してやってくれ」
外の喧騒から切り取られたかのような静寂に、そんな言葉が響いた。誰も、何を言っていいのか分からない。内情を知らないものが、人の生き死にの意味を決めちゃいけない、同情しちゃいけない。そんなことをしても、迷惑なだけだ。
「俺はまた、民間人を探してくる。屋敷とは段違いだが、幸いここは他んとこより静かで落ち着ける。何もねえが、少し休んでいってくれ」
そんな言葉を残し、師匠は天幕を出て行ってしまった。そのすぐ後、フロックスさんが口を開いた。
「さっき言ってた、迷信みてぇな力。あの黒い炎と関係あんだろ、モロハ」
「バレましたか」
なんとか笑って誤魔化そうとしたが、フロックスさんの目は真剣だ。これはどうにも、誤魔化しきれそうにない。気がつけば隣はエウリさんに固められており、逃げることも出来そうにない。そもそもどこに逃げるのかという話だが。
「さっきも、つかいましたよね」
「使いましたよ。ちょっと、死活問題でもあるので」
話さないようにとは思っていたけど、一旦バレたのなら洗いざらい話した方がいい、か。その方が関係も抉れないだろうし。
「死活問題っつーのは?」
「いつどんな時間どんな場所でも、基本的に見えるし聞こえるんです。死んだ人の姿と、その声が。幸い左目と右耳だけですけどね」
俺はチートの
自己否定ーー疑問点を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
自己否定ーー不信感を否定しました
まあ、使えるものだしいいか。別に。使い過ぎなければ問題ないのだし、無ければきっと俺はすぐ死んでしまう。自身を焚べる青炎の存在が、今は皆無なのだから。
「他にも隠してることあんだろ」
「ありますけど……自分でも、なんて表現すればいいのか分からないんですよね」
そもそもこのチートがそう言う性質なのか、それとも自己否定がそうさせているのか。分からないが、自分が何も分からないことだけは分かる。
「そうか……よし、やれエウリ」
「はい!」
自己否定ーー判定に失敗しました
元気よく返事したエウリさんが、俺の耳元で囁くように何か言葉を紡いだ。瞬間、チートの判定失敗の文字が流れ急速に眠気が持ち上がってくる。
「モロハが勝手に動かないように、何してもいいから寝かせとけ」
「ちょっ」
「何か言いたいなら、とっとと熱下げて正気に戻るんだな」
「く、ぐぅ……」
眠気で朦朧とする意識の中、右腕がエウリさんに抱き込まれた。これは動けない。そのままエウリさんのされるがままになり、一緒に天幕の床に転がった。
だけど、まだだ。まだやれることはきっとあるはず……
「♪〜」
そんな風に全力で眠りの魔術に抗っていたのだが、不意にエウリさんの歌い始めた、不思議な曲調の歌に意識は削り取られていったのだった。
「次目を覚ましたら、きっとすぐに出撃だろうよ。だからそれまで、しっかりと体調を元に戻しておくこったな」
最後になにか言葉が聞こえたような気がしたが、子守唄のような曲に紛れて何だか聞き取ることは出来なかった。
「え、なんですこの甘い空間……」
「慣れろ。もしくは働け」
「えぇ……」
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67 クーデター : 王都決戦②
「♪〜」
色とりどりの花が咲き誇る花畑に、眠らされる直前に聞いた歌の鼻歌が静かに響いていた。
「♪〜」
眼前に広がるのは、白く輝く月光と柔らかな風が吹く、安息の地と言えそうな楽園。それを見た瞬間、電撃的に頭の中に記憶が蘇ってきた。フラッシュバックのように溢れる記憶の情報。それは全て、ディラルヴォーラと戦った直後眠った時のもの。槍をひたすら振るい続けた、圧縮された数ヶ月間の記憶。
「あ、ぐ……」
バタンと花畑に倒れ込み、身体を丸めて頭を押さえる。情報の暴力に必死に抵抗する。ああ、ああ、全て思い出した。存在を
「またここに来るなんて、随分と物好きだね」
「リリス師匠」
鼻歌が止み、倒れている俺にそんな声が掛けられた。初めて聞くようなのに、よく聞いた覚えがあるという意味の分からない声。それを発した白い人影は、リリス師匠ことアマリリス。俺の半身と……いや、半魂か? まあそう言って差し支えのない過去の英雄だ。
「でも、どうして俺はここに?」
座り込んだアマにぃに対して、頭を押さえたまま俺は問いかける。ここは、俺が死に掛けでもしないと来れない場所のはずなのだ。なのに何故か、俺は今ここに来ることが出来ている。それはつまり、現実世界で何か窮地に陥っていることを意味していて……
焦りを覚える俺に、リリス師匠は落ち着いた様子で答えた。
「キミがここにいる理由は、あの転移とかいうチートだよ」
「え?」
「だってあれ、壊れてただろう? それをキミのチートが無理やり修復したから、使用者の保護とか出力制限とかが全部消えてるんだよ。だから、限界を超えた力の行使に身体がオーバーヒートしてる。1度使ったら基本的に1週間使えないのもそれさ」
愛すべき伴侶がいるのに何をやっているのかと、リリス師匠は頭を振った。けれどそれは否定一辺倒ではなく、仕方がないといった風の意味も含んでいるように思えた。
「それよりも、だ」
ポンと手を叩き、真剣な表情をしてリリス師匠は言った。
「僕が正気でいられるうちに、キミに伝えておきたいことがあるんだ」
「なんですか?」
なんとか起き上がり、向かい合いながらそう答えた。すると、花吹雪と共に一振りの槍が、向かい合った俺たちの中心に突き刺さって現れた。
「前回はダメだったけど、今回はもうボクの力も強くなった。だから、目が覚めてもキミはここでの記憶をチートに消されたりはしないよ」
「そう、ですか」
それはもう、俺が俺であれる時間が限りなく減っていることも同時に意味していた。身体は変わった。見た目も変わった。記憶も消えてきている。最後の拠り所である魂も、半分は師匠のものに成り代わっている。
普通に生きている分にはなんの問題もないが、次かその次か……無茶をしたら、もう終わりなのだろう。それできっと“欠月 諸刃”という人間はいなくなってしまう。
「それと、キミは条件を限りなく満たしているからね。この子……ブルーローズも、呼び出せると思う。ボクの怨念にも染まらず、最後まで連れ添ってくれた相棒だからね。きっとキミ達を助けてくれると思うよ」
「でも、いいんですか? そんな大切な……」
「ボクとキミは、もう表裏一体みたいなものだからね。寧ろ使って欲しい」
「なら、有り難くいただきます」
ディラルヴォーラの宿った驟雨改が折れることは無いと信じたいが、それでももしもはある。使える手段が増えるというのは、本当に良いことだ。なんてことを考えていると、ブルーローズというらしいリリス師匠の槍が青い花弁となって解けていった。それは風に乗って舞い上がり、ヒラヒラと何処かへ向かっていってしまった。
「それじゃあ最後に、先達としてこの国の王と戦うアドバイスを」
「戦ったこと、あるんですか?」
「勿論……と言いたいけど、正確には王が代々継承しているチートと戦ったことがある、かな」
どこかで聞いた覚えがある話だった気もするが、ズキンと頭が痛むだけで思い出せない。歯を食いしばりその痛みに耐える中、目を瞑ったリリス師匠が語り出す。
「人間の王が代々継承しているチートの名前は、【絶対王権】って言ってね。文字通り、なんでも出来るチートさ」
「なんでもって……なんですかそれ!」
「それこそなんでもだよ。妨害、洗脳、強化、防御、回復、魔術に魔法、死の宣告に死者蘇生。最後の2つは何か制限があったようだけど、なんでも出来ると見ていい。声が届くだけで、何もかもが出来てしまう」
あまりに荒唐無稽なチートに声を荒らげてしまったが、リリス師匠はそれを難なく受け流して淡々と告げた。そんなのを、どう殺せというのだ。
「現代にどう伝わっているのかは詳しく無いけど……僕が死んだ理由も、あのチートで『死』を忘れ『痛覚』を消された兵士による圧殺だったからね。殺しても殺しても蘇ってくるし、地獄みたいな戦いだったよ」
その光景を想像して、まるで自分だと思った。自分を捨てるような無茶を続ける人間。そんなのの群れなんて、勝てるわけがない。
サッと血の気が引いたが、ポンとリリス師匠が肩を叩いて言った。
「でも、キミとキミのチートなら不可能じゃない。今の僕は、無理強いしないけどね」
「それでも、俺は戦いますよ」
困ったように笑うリリス師匠に、キッパリとそう答える。俺は戦う、戦ってしまう。どうしようもなく、止めることもできない。だってそうしないと──
「「愛する人に顔向けできない」」
「ボクも、最初はそうだった。だから否定はしないよ」
言葉が被って呆然としている俺の頭を、ポンと優しくリリス師匠は叩いた。
「だから、ボクの力や経験なら存分に使ってくれ。燃料として焚べたって構わない。堕ちたボクにも話しは通しておく。だから、だから……僕とベルが見れなかった未来を生きてくれ。正反対の、僕の後継者」
そんな言葉と共に白い人影が花吹雪に溶け、俺自身の意識も何処か遠くへ吸い上げられていった。
◇
「おーきーてーくーだーさーい」
愛する人の声とゆさゆさと揺さぶられる振動に、意識が覚醒した。ああ、そういえば今は王都に帰ってきてたんだったか。それで確か姫さま達と合流して……
自己否定ーー眠気を否定しました
よし、色々繋がった。夢の出来事も覚えている。思い出している。体温も下がったようだし、多少疲れが残っているけど万全と言えよう。
「いっそちゅーでもすれば起きんじゃねえか?」
「な、なにいってるんですかフロックスさん!」
「おはようございます」
それでも少し眠っていたいという欲求はあったのだが、そんな不穏な会話が聞こえてきたので眼を覚ますことにした。流石にそれは、なんというか恥ずかしいし。
自己否定ーー羞恥心を否定しました
無駄に働いたチートを横目で見つつ、動作を停止していた左耳の補聴器を再起動する。
「んー、あー、あー。これでよし」
少し喋って音量を調節し、世界に音が戻ってきた。あんなに呻き声が聞こえていたのに、今はもうそれは聞こえなくなっている。なにか、あったのだろうか?
そう思ってぐるりと周りを見渡せば、エウリさんにフロックスさん。序でに鎖の勇者を含めた全員が揃っていた。しかも、どこか漂う空気はピリピリとしている。
自己否定ーー油断を否定しました
自己否定ーー安心を否定しました
「なにか、あったんですか?」
日常から戦場へ意識を切り替える。驟雨改をいつでも出せるように準備し、俺はそう問いかけた。
「30分後に出撃だとよ。その前に第2王女サマが用があるとかなんとか」
「なるほど……それじゃあ、起きないとですね」
エウリさんの手を借りて起き上がり、1度頭を振って完全に眠気を飛ばす。これで準備完了だ。鎖の勇者がなんか物凄く不思議な目でこっちを見ているが、正直にどうでもいいので意識からシャットする。
「待たせちゃったならすみません。俺はもう大丈夫です」
「むぅ……しんようできません」
ジト目でエウリさんがそう訴えかけてくるので、その手を取って自分の額に当ててみた。
「ひゃっ」
自己否定ーー雑念を否定しました
ちょっと冷んやりしてて気持ちいいなと思いつつ、顔を赤くしてるエウリさんと目を合わせて話しかける。
「もう熱もないですし、エウリがいるから俺は大丈夫です」
「たしかに、そうですけど……」
「ひゅー、真昼間からお熱いこって」
見つめあっていた時間は、そんなフロックスさんの煽りで中断された。鎖の勇者が顔を赤くしてアワアワしていたが、やっぱりどうでもいいので意識から外す。
「すぐ隣に居んだし、ほら行くぞー」
ニヤニヤとしているフロックスさんの先導で通路を潜り、姫さまのいる天幕へ到着した。
「あら、恋人繋ぎだなんて見せつけてくれるじゃない」
挑戦的な笑みを浮かべ、偉そうにそう言う姫さまの姿を見て……安心した。寝る前のあんな弱り切った姿を覚えているのだ、周りの霊が『安心した』やその類義語を言っていなければ虚勢かと疑っていた筈だ。
「えっと、その、モロハ……」
「いいじゃないですか。見せつけても」
「重大な話があるってのに、いい度胸ね……」
姫さまが拳を握り締め、明らかに怒ってますという雰囲気になり始めたので流石に辞めた。そのお陰か、一度深呼吸した姫さまがいつもの調子で語り始める。
「まず、あなたたちに来てもらったのは、あのクズの持つチートに対する対抗策を講じるためよ」
「あのクズってことは……」
例のリリス師匠が言っていた『絶対王権』の事だろう。
自己否定ーーチートによる干渉を否定しました
なんて言葉を思い浮かべた瞬間、チートが明確に反応した。出来る限りその反応は表に出さなかったのだが、それでも姫さまは気がついたらしい。
「あら、モロハは知っていたのね。なら忠告よ。私のチートによる保護が終わるまで、絶対にそのチートの名前は考えちゃダメよ。死にたくなければね」
「了解です」
でも、これでリリス師匠の言っていたことの意味が分かった気がする。今のアレは、俺に対して効果を発揮しなかった。そこに姫さまのチートが加われば、かなりの高確率で無効化に近いことが出来るのではないだろうか。
「みんな、自分の武装を出しなさい。防具も、いっそ戦闘中の装備になってもらった方が早いかしら?」
そう言われたので、一応装備を排出してフル装備へと移行する。エウリさんとフロックスさんも、ほぼ明らかな防具を装備しているわけではないので早い。鎖の勇者も戦支度のままだったらしく、すぐに終わった。
「それじゃあ、私のチートを見せてあげるわ」
そう言って明らかに儀礼用と思われる豪奢な杖を姫さまは持ち、シャーンと鳴らして荘厳な雰囲気を演出した。そしてその雰囲気のまま、長い髪が重力の軛から解き放たれたかのように踊り始め、姫さまの周囲に金色の粒子が漂い始めた。けれどそれに害意は感じず、むしろ温かみのようなものさえ感じ取れる。
「この場にいる全員に、聖なる祝福を」
そして姫さまがそんなことを言った瞬間、光が弾けた。その光は全員に染み渡り、なんだか力が溢れるような感覚が走った。
informationーーチート【昇華】の影響を受けました
informationーー全能力が2段階上昇します
informationーー残り時間 05 : 59 : 57
つまりこれが、姫さまの持つチートの力なのだろう。不思議なものだと思っていると、姫さまが全員をペタペタと触っていく。何事かと思ったけれど、それも次のチートの表示により解決した。
informationーーチート【安定化】の影響を受けました
informationーーチート【昇華】の状態が安定しました
informationーー残り時間が消滅しました
それが終わり、椅子に座った姫さまが大きな息を吐く。それはもう、見ているだけのこっちですら疲れたとわかるようなものだった。
「ああ、鎖の勇者はもういいわ。でも、あなた達にはもうちょっとだけ付き合って貰うわよ?」
笑みを浮かべた姫さまは、明らかに何か企んでいる顔をしてそう言った。
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68 クーデター : 王都決戦③
かつて怪我人が大勢寝かされ、死が蔓延していた夜戦病院跡地。そこには今、数百名の人員が集められていた。各方面に分裂した姫さまの私兵のうち、所謂近衛に分類される精鋭メンバー。その面持ちは、どこまでも真剣だった。
広場の隅でそれを見る俺たちの前で、金髪碧眼の豪奢な衣装を纏った少女が演台に登った。
「総員傾注!」
その少女の傍らに立つ師匠がそう言い、場の雰囲気が引き締まる。そうして始まった、本来ならば聞く必要があるはずの演説。指揮を高める為にあるそれを一切聞くことなく、始まりを見届けた俺たちは街の裏路地を走っていた。
自己否定ーー雑念を否定しました
「それじゃあ、タイミングを合わせて乗り込むわよ」
そう近くで話すのは、華美な装飾など何もない実用性一辺倒の装備を纏った姫さま。そう、演説している姫さまは所謂影武者というやつなのだ。何故このような状況になっているかは、姫さまが建てた作戦に起因している。
◇
「でも、あなた達にはもうちょっとだけ付き合って貰うわよ?」
そう言って姫さまは、鎖の勇者を追い出して俺たちだけを天幕の中に残した。きっと何か俺たち以外には言えない……いや、正確には王と一度も接触したことのない相手にしか、言えないような内容なのだろう。
自己否定ーー疑念を否定しました
そんなことだろうと当たりをつけていると、姫さまが軽く杖を振った。瞬間、外からの音が遮断された。代わりに僅かに風の音が聞こえることから、なんらかの魔術の効果であることが予想できた。
「さて、これで時間制限は付いたけど気兼ねなく話ができるわ」
「らしいな。で、話ってのはなんだよ?」
気が抜けたような姫さまの言葉に、最初に反応したのはフロックスさんだった。その表情はどこか険しく、真剣さが伺える。
少し遅れて俺も気合を入れ直し、真剣な表情で話しに耳を傾ける。エウリさんもそれに続き、それをみた姫さまが満足そうな表情を浮かべて話し始めた。
「残ってもらった理由は、今回の作戦について話すためよ。まだヘルクト以外には話してすらない作戦をね」
そう姫さまが言った言葉に、僅かに息を飲んだ。このタイミングでそんなことを話されるとなると、確実に何かある。それは間違いないといえよう。
自己否定ーー驚愕を否定しました
自己否定ーー遠慮を否定しました
「俺たちに、何をさせたいんですか?」
だから、問いかけた。俺たちに何をさせたいのか、俺たちは何をするべきなのか。それが分からなければ、何をすることもできないのだから。
「急かさないでも教えるわよ、せっかちね」
はぁ、とため息を吐き、軽く頭を押さえながら姫さまは言う。
「貴方たちには、私と一緒に王城へ侵入して敵を無力化してもらうわ。ヘルクトが率いる私の部下が、王城を攻めてる間にね」
「簡単に言ってっけどよ、仮にも一国の城だろ? んな簡単に侵入できんのかよ?」
「はっ、私はこの国の姫よ? 我が家のことくらい知り尽くしてるわ。舐めんじゃないわよ」
獰猛な笑みを浮かべた姫さまが、フロックスさんにギラギラとした目を向けながらそう言った。その目からは、何が何でも成し遂げると言った強い意志が感じ取る事ができる。
「元々は貴方たちが戻ってくることは期待してなかったのよ、だから私の単騎駆けの予定だったのよね。でも、帰ってきたなら遊ばせておく余裕はないわ。それに、都合上私1人だけだったけど、ぶっちゃけ戦力としては不安だったのよね。あのクソ親父のせいで、一国相手に戦うのと何ら変わりないのだし」
やれやれと肩をすくめる姫さまを見るフロックスさんの表情は、相変わらず険しい。何故だろうかと思っていると、目を細めたフロックスさんが姫さまに問いかけた。
「なあお姫さま。今までわざと聞かないでいたけどよ、こんなご大層な計画立てた理由は何だ? 部下を無謀に付き合わせるのは、あんたの言うクソ親父と変わんねえんじゃないか?」
「そう、ね。幾ら忌み嫌おうと、私の身体に流れる血の半分はクソ親父のもの。それに、普通の人とものの考え方が違うことも、自覚してるわ。だから、私の知らないところで、私はクソ親父みたいなことをしてるのかもしれない、配慮が足りないのかもしれないわ」
そこまで言って姫さまは、でもと言葉を区切る。そして力強くフロックスさんを睨み返して言った。
「それでも、二度と見たくない地獄があるのよ。それを潰せるかもしれないのよ。なら、それを実行しないで止まるわけが、止められるわけがないじゃない!」
「そうかよ。ま、ポッと出のオレに反論出来ねぇならそれまでだと思ってたけど、これくらい言えんならいいだろ!」
今にも掴みかからんとしている姫さまに、何時もの少年のような笑みを浮かべてフロックスさんはそう言った。姫さまの肩をパンパンと叩くその姿に毒気を抜かれたようで、調子狂うわね……ととても小さな声で呟いていた。
「まあいいわ。さっきの作戦を詳しく説明するわね」
コホンと咳払いをして姫さまが語り始める。
「まず最初に、私の影武者に演説をさせて注意を引くわ。クソ親父を騙せるかは分からないけど、現場指揮官と味方を騙すためね。指揮官が現場で指揮を取れば、みんなやる気になってくれるもの」
なるほど確かに。記憶の端にあるサブカルチャーの知識に、そんな感じの話がギリギリ引っかかっていた。
「そして、私の部下には所謂勇者二世……親からチートを継承してる子が多いわ。私含めね。それに、魔族との混血も多いわ。故に、それをとことん利用するわ。つまり──」
◇
作戦をそこまで思い出した時、鎮魂歌の様な歌が街に響き
自己否定ーー吸血欲を否定しました
牙の疼きをチートが否定し、体感で今が夜になったことを実感する。加えて、湧き上がる力に改めてチートは本当にずるいと内心吐き捨てる。
「「「「ウォォォォォォッ!!!」」」」
それに続いて、地の底から揺らす様な雄叫びが上がった。それは人の叫びでなく、獣の叫び。獣人と呼ばれる魔族との混血である人たちが、その本性を解放するためにあげる勝鬨だった。
それに呼応して、一般市民の殆どが避難した街のあちこちから、そんな遠吠えが上がり街中に反響を重ねていく。身体が完全に魔族となった影響だろうか、その遠吠えから『野生を思い出せ』『圧政に屈するな』『我らが主人に勝利を捧げよ』『狩りの始まりだ』と、様々な意志が伝わってくる。そんなものを聞かされたら、嫌が応にも昂ぶるというもの。
自己否定ーー興奮を否定しました
「付いて来なさい!」
そんな中、姫さまが近くにあった水路へ飛び降りた。やるじゃんと思いつつそれに続き、歪んだ鉄格子の嵌められた下水路と思われる場所へ侵入していく。
「私も辛いわ、だから我慢しなさい」
下水路の中は、最悪としか言いようのない環境だった。幸いにして俺は臭いに鈍いから大したことはないが、相当な臭いがしているらしい。更に明かり一切ないため、これまた俺には関係ないが一度足を滑らせると大変なことが起きる。
大丈夫かと振り返れば、エウリさんはマスクの様なものを付けそれでも顔をしかめていた。本当ならどうにかしたいけれど、俺の手は文字通り1つ。愛槍を手放すわけにはいかないので、歯を食いしばりそんな考えを振り払う。出来ることといえば、足元の滑りを収納で回収することくらいしかない。
「ここよ」
そうして走り続けること数分。姫さまは、なんの変哲も無い壁の手前で足を止めた。転倒しないよう気をつけて俺たちも止まると、姫さまが小さな声で呟いた。
「我、イシスガナ王国第二王女マルガレーテが命ずる。開門せよ」
その直後のことだった。なんの変哲も無かった壁が、独りでに動き出し、組み代わり、別の物体を形成していく。そして数秒で、階段が組み上がった。相変わらず光がない先の見えない通路だが、明らかに雰囲気が違う。
汚物が撒き散らされた汚らしい場所から、荘厳な雰囲気が漂う通路へと足を踏み入れる。その瞬間、俺たち全員から臭いが消えた。悪臭も、生来持つものも全て分け隔てなく消滅した。
「この機能が生きてて安心したわ……ひどい臭いだったもの」
「ったくだっての」
「ほんとうにですよ……」
どうやら、相当酷かったらしい。普段は基本的に不快であることが多いが、今だけは鈍った嗅覚に感謝しておく。なんてことを思っている間に背後の空間は壁へと戻り、踊り場のような広めの空間と上に続く階段だけを残し静寂が訪れる。
「それにしても、やっぱり対策されてるわね」
「らしいな。出口にうじゃうじゃいるぜ」
『大凡20人だが、どれもこれも凡俗に過ぎん。汝であれば余裕だろう、英雄よ』
久し振りに喋ったディラルヴォーラのお陰でわかったが、ここは魔力が張り巡らされ過ぎていて左眼がロクに働かない。俺にとって、ここは極めて不利な場所だ。
「わたしだけわからないです……あしでまとい……」
「いえ、俺も分からないので大丈夫ですよ」
『おい、英雄よ』
俺自身はわかってないからとディラルヴォーラに返事しつつ、気を落とすエウリさんにそう声を掛ける。
「なぐさめてくれて、ありがとうございます……」
自己否定ーー吸血欲を否定しました
弱っているエウリさんを見て湧き上がった欲望を否定し、気合いを入れ直す。ここは袋小路で、出口には20人の敵兵。殲滅……出来るだろうか。
『造作もない』
疑問に答えてくれたディラルヴォーラに礼を言いつつ、エウリさんの側から離れる。そして経験豊富であろう2人に話しかけた。
「敵が結構いるらしいですけど、どうするんです? やれって言われれば、ここからでも全滅させられるますけど」
「そんな態々侵入を知らせるような真似はしないわ。というか、私を誰だと思っているのかしら? この国1の魔術師を、舐めないでくれるかしら?」
そう言って姫さまは、堂々と階段を登っていく。
「私が合図するまで、全員隠れていてちょうだい」
そしてそうお願いした後、躊躇いなく扉を開いた。久方ぶり見る光に目が眩み、僅かな間視界が機能しなくなる。ようやくそれが落ち着いて目にした出口には、予想外の光景が広がっていた。
折り重なるように倒れた20人の騎士、その全員が穏やかな顔をして眠っていた。その全員に姫さまが触れていき、最後の1人に触れたところで合図が出された。
「何を、したんですか」
「企業秘密よ。でも、こうすれば私が生きている限り使い物にならないわ」
その言から察するに、魔法か何かで眠らせた後姫さまのチートで『眠っている状態』を固定化したということ……のはずだ。汎用性の高いチートの強さを見た気がする。
「さあ、国を盗るわよ」
因みに姫さまの荒っぽい口調は、クーデター用の影武者に王室や貴族の礼儀を教えるのは面倒なのでそっちの口調に姫さまが合わせ始めたら、荒っぽい方が楽でそっちに慣れたという話。
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69 クーデター : 王都決戦④
王城に攻め入ってから数分。俺たちは2つのどうしようもない現実を突きつけられていた。
1つは、『国』を相手にするということの意味。師匠達の対応に人員を割いているはずなのに、どれだけ斬っても穿っても現れる衛兵。しかも相手の練度は高く、少し前までの自分では普通に圧殺されていたことが手に取るようにわかる。
『後方、風の魔術、心臓狙いの狙撃だ。効かぬがな』
「了解」
自己否定ーー動揺を否定しました
エウリさんの防御を抜いて放たれた狙撃を、驟雨改を当てて相殺する。そのままディラルヴォーラにお願いして、狙撃してきた魔術師を咆哮で爆散させる。
『序でに2匹殺しておいたぞ。褒めるがいい』
心の中で感謝しつつ、視界の端に映った金色の粒子を見て全力で後退する。先程から何度か繰り返されている光景で、近くにいたら死ぬということが嫌という程思い知らされているからだ。
自己否定ーー雑念を否定しました
「死になさい」
そう言って姫さまが、防御を固めた集団の中に薬品の入った試験官のようなものを投げ付けた。それの中身は金色の粒子に触れた瞬間ボゴリと泡立ち、急速に膨張して容器ごと爆発を引き起こした。
「ぐわぁ!」
「くっ、この程度で!」
鎧を着ていることもあり、数名の騎士はそれに怪我は負いつつも容易に爆破に耐えきった。そしてツンと鼻に付く臭いのする煙を残し、姫さまを殺さんと突撃する。けれど、それこそ姫さまの目的であった。
「《昇華》」
自己否定ーー不快感を否定しました
残っていた光の粒子が兵士たちに触れ、瞬間、鮮血が舞った。
兵士の頬にあった小さな切り傷が、深く大きな切り傷に。
別の兵士にあった火傷が、黒く焦げて炭に。
咳き込んでいた兵士は、喉を抑えて倒れ伏した。
『傷の状況』を2段階深刻化させるという、殺意の塊のようなチートの応用を姫さまは行っていた。小さな傷を重症に、重症は死に、軽い病気は致死の病に、負の方向への昇華は、正直言って絶対に相手にしたくない能力だった。どう考えても、よく自傷する上傷だらけの俺にとって天敵である。
「さて、ここなら射程範囲ね」
兵士を蹴散らした姫さまは、遠くに見える尖塔のような建造物を目掛けてチートで強化した魔術を放った。それにより建造物を靄が包み、更にどこからか現れた岩がその出入り口を完全に塞ぎ切った。
自己否定ーー驚嘆を否定しました
「これで一先ず、増援は潰せた筈よ。兵舎に武器庫、どちらも使用不能にしたんだもの」
これが思い知ったもう1つ。例え『自身の単騎駆け』であろうと、城を落とすことが不可能ではないと言っていた姫さまの実力だった。正直俺たちは何もする必要がない程の、圧倒的無双具合であった。
自己否定ーー劣等感を否定しました
時間が惜しいと先を走る姫さまとフロックスさんを追いつつ、念のため背後を警戒しながら城を走る。いつのまにか、フロックスさんと姫さま、俺とエウリさんといったように自然に形が作られていた。多分これが今の最善なのだと思っていると、贅沢に魔術を使って姫さまがこちらに言葉をかけてきた。
『今のでもう雑魚は増えなくなったわ。でも、少し厳しい相手が2人健在の筈よ。騎士団長と宮廷魔術師長、クーデター直前までマーキングの反応があったから、確実にこの城にいる筈よ』
流石にその位の相手になると、そう簡単に無力化出来るわけではないらしい。面倒なことだ。もういっそのこと殺してしまえば楽なのに。
『だから、見つけ次第殺しなさい。多分モロハの技量じゃ騎士団長は厳しいけど、魔術師長ならいけるわ。心臓を抉って首を刎ねて、思いっきりブチ殺しなさい』
「えぇ……」
『最悪、クソ親父のチートを奪って私が蘇生するわ。だから。エウリも良いわね?』
「はい」
自己否定ーー困惑を否定しました
そのあまりの命の軽さと思い切りの良さに若干困惑しつつも、チートによる否定に任せてそのまま階段を駆け上がる。そうして走り続け辿り着いたのは、いつか訪れた覚えのある広間。
豪奢なシャンデリア、王の肖像画、剣を構える騎士甲冑。何も変わらず権威を誇示するその空間には、1つだけ前来た時にはなかった変化があった。
「……」
目を瞑り、無言で佇む180は超えていそうな巨躯。短い黒髪を邪魔にならないよう適当に流し、白銀の甲冑と純白のマントを羽織った男性。剣先を床に付け、その男性……いや、青年はなにかを待つようにじっとその動きを止めていた。
そして、その足元には、達磨にされた上で首を刎ねられ、胴を4つに分かたれた高齢の男性だったものが散らばっている。恐らくアレが騎士団長で、足元に転がっているのが魔術師長。しかもよく血の匂いを嗅げば、この部屋の至る所から人間の血の匂いが漂って来ていた。
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー吸血欲を否定しました
自己否定ーー吸血欲を否定しました
「うっ……」
「だいじょうぶですか?」
「ええ、なんとか」
強烈な欲求に足元がふらつき、エウリさんに支えられてしまった。何をやっているんだ俺は。もしかしたら、この瞬間にも殺されていたかもしれないというのに。
自己否定ーー自己嫌悪を否定しました
落ち着けられた精神に舌打ちしつつ、攻めるも通り抜けるもいかなそうな騎士団長と対面する。目を瞑っているのに、こちらを見ていないのに、まるで師匠たちのようなプレッシャーを感じる。
「これは、貴方がやったということで良いのかしら? 騎士団長殿?」
「……そうだ。王やあの阿婆擦れと比べて、貴女の思想は実現すれば、母たちにとって優しいものになる筈だからな」
そう言って目を開いた大男の眼の色は、黒。そして掘りの少ないタイプの顔。そこまで条件が整っていると、俺にはもう日本人にしか見えなかった。
その男性の言葉に、姫さまが苦虫を噛み潰したような顔をして答える。
「私がこんな計画を実行できたのは、貴方の母の、お陰だわ。いえ、貴方の母のお陰で、目が覚めたと言うべきかしら」
「そうであれば、母もきっと無駄死にでは無かった。ただ無為に殺された訳じゃなかった。故に俺も、本当であれば、恩人である貴女の計画に力を貸したかった」
そこまで言って、騎士団長は目を伏した。そして一拍おいてから、床に刺していた剣を抜き放つ。そして殺意が、何というか空っぽの殺意が込められた眼をこちらに向けて言い放った。
「だが俺が出来るのは、ここまでだった。今までは見逃され、自由に行動できていたが……叛逆の意思を示した俺は、最早王の【絶対王権】の奴隷でしかない。魔術師達を斬り殺したまでが、俺が俺でいられた限界だった。故に俺を殺せ、姫、そして姫の理想を実現させんとするもの達よ。
王国騎士団団長、アルフレッド・イートゥ。参る!」
『英雄!』
ディラルヴォーラらしくもないその忠告に、驟雨改を収納しつつストーリアを抜き即座に機能を作動させる。そして起動音である鈴の音が鳴り止む前に、目の前に騎士団長の姿があった。
速い。狙いは確実にエウリさん。止められない。間に合いはする。やれ!
informationーー10%のエネルギーを充填
「ゼァッ!!」
身を伏せ、体重を乗せ、収納と黒炎で強化したストーリア。その峰側にある
「かはっ」
衝撃、それを感じた時には俺は壁に叩きつけられていた。マズイと思いつつも空気が全て吐き出されたせいで、数瞬動くのが遅れる。このままじゃ……そう思ったが、心配は杞憂に終わった。
「テメェ、やるじゃねえか」
俺の捨て身で稼いだ数瞬の間に、フロックスさんが割り込み交差させた二刀で攻撃を受け止めていた。お互いに手が震えるほど力が込められているようで、互いに一筋の汗が流れている。
「お褒めにあずかり光栄だ、お嬢さん」
「はっ、ガキが一丁前に!」
その言葉を皮切りに、始まった剣の
「こほっ……ぺっ」
血の塊を吐き出しつつ、無理矢理癒された身体を立ち上がらせる。ストーリアのお陰で傷は全快しているのだ、やれることをやらなければならない。
自己否定ーー雑念を否定しました
改めて強化の魔術を全開にしながら隙を待っていると、いつのまにか近くに姫さま達がやってきていた。超接近戦で接戦であるため、下手な攻撃が出来ないようだ。状況がどちらかに傾かなければ何も出来ない。
「フロックスさんの回復、頼みます」
「はい!」
フロックスさんの体力と魔力の消耗を癒すことをエウリさんに任せ、そんな現状に歯噛みしつつ俺は姫さまに質問を投げた。
「あの騎士団長、一体何者なんです?」
幾ら体格差があろうと、幾ら魔術があろうと、たかが人間が同じ人型を壁まで吹き飛ばしヒビを入れるなんて出来ないはずだ。そんなことができるとしたら、魔族かそれこそ……
「アルフレッド・イートゥ。本当の名前は伊藤 在、私が保護しきれなかった勇者二世の1人でこの国の騎士団長。持っているチートは、【急速成長】言ってしまえば何か努力すればするだけ強くなる力よ」
「マジすか。それで、さっきの決意云々は何です?」
「それ、は……」
幻術の魔術を練りながら質問した言葉に、姫さまが言葉を詰まらせた。デリケートな部分だったのだろうか? それならこちらが迂闊だった、別にいいと言う前に、姫さまは語った。
「いえ、言っておくべきね。私がこんな計画を立てた、最初の理由よ。もう2度と見たくない地獄を、アルフレッドと私は味わっているわ。でも説明するには時間はないし……私の血でも飲んで、勝手に見なさい」
そう言って指先を噛みちぎった姫さまは、多分魔法の応用なのだろう。血液を俺の口めがけて撃ち込んできた。自然に飲み込んだそれが、情報を、爆発させた。
◇
それは、ある晴れた日のことだった。私はまだ5歳くらいで、何も分からず王族として過ごしていたわ。まあ、頭は良かったけれど。
それでいつも通り、使用人に読み物を持ってきて貰うのを待っていた時よ。部屋の外から、悲鳴と何か水っぽいものが撒き散らされるような音がしたの。それで何も考えずに扉を開けると、そこではクソ親父と、メイドと、小さな男の子がいたの。正確には、クソ親父の頭にはバケツが乗っていて、全身ずぶ濡れのダッサイ光景だったわね。
確かクソ親父にタオルを渡そうとしたんだったかしら? 一旦部屋に戻ってふわふわした生地を持って部屋を出たら、その光景は様変わりしていたわ。首が180°捻じ曲げられて、腕や脚もメチャクチャに折れ曲がって捻じ曲がっているのに、平然と生きているメイドと、血を吐いて倒れて痙攣する男の子……まあまアルフレッドね。
後で聞いたら、母親を庇ってそうなったらしいわ。私がアルフレッドを魔術で癒していると、いつのまにかクソ親父は消えてたのよね。
その日は一先ず私の部屋に使用人と一緒にアルフレッドを引き込んで、治療しながら一夜を明かしたわ。でも次の日、私の部屋にクソ親父が押し掛けてきてね。
「貴様の母は大罪を犯した。その咎は貴様にも及ぶ。だが、あくまで子供の貴様にはチャンスをやる。我が騎士団で力を振るえ。見事団長にまで昇格したならば、貴様の母の罪も不問に処そう。国民にはその権利がある」
そう言って、右も左もわからない子供を連れていって騎士団の中に放り込んだのよ。今となれば分かるけど、きっとあのチートの力を知っていたんでしょうね。そうして寝ても覚めても訓練訓練、母親がいなくなったから、あの子も一生懸命取り組んでいたわ。ええ、ここまでなら理不尽では在るけど美談ね。
けど、ここからが問題なのよ。勇者は使い捨てとして扱われているけど、騎士は外敵を殺して国を守る仕事。いつか、人を殺す必要が出てくるわ。だから騎士としての訓練の最後に、武器を持たせ顔を見えないようにした、クソ親父がチートで処理した犯罪者を殺す訓練があるわけ。
ここまでくれば分かるわよね。必死に戦って、ボロボロになって、心を押し殺して、気持ち悪さに耐えて、ゲロ吐いて、涙を流して、漸く殺した相手の面が、目の前で剥がされるのよ。まあ、順当に母親ね。そしてまた順当に心が壊れるわ。
物凄い叫び声をあげて、クソ親父になんでだと怒りをぶつけて、懇願して……でもってそんなあいつに、冷め切った目でクソ親父は言い放ったのよ。
「国民には権利があると言った。だが、勇者は国民ではないだろう。攫ってきたただの奴隷だ。祝福しよう、汝はこれから我が国を守る刃となるのだ」
ってね。当時覚えたてのチートと魔術でこっそり見ていた私は愕然としたわ。自分の国は、親は、こんな酷い奴だったのかって。そんなことを言われて、どうしようもなく狂って、クソ親父に斬りかかったあいつは背後からバッサリ斬られて斃れるの。そして反抗の意思を折られて、クソ親父のチートで頭を弄られてるこの子を見て、第一王女から受けていた嫌がらせも相まってね。子供ながらにもうなにもかもぶっ壊して、私が天辺に立って良くしようって思ったのよ。
そこから書庫に篭って調べてみれば、出るわ出るわ隠蔽されて書き換えられたクズの所業。当時の私はまだぼんやりと、子供らしく「私が王様になる」しか考えてなかったけど、原点はそこよ。
◇
「っは! はぁ……はぁ……何秒経ちましたか?」
意識が現代に戻ってきた。周りを急いで見渡すが、記憶が飛ぶ直前となんら変化はない。ということは、まだ時間は殆ど経っていないはずだ。
「3秒くらいね。で、記憶は見れたのかしら?」
「ええ、バッチリ見ました」
意図して吸収させられた血からの記憶だったからか、語りかけるような口調だったが異常はそれだけだ。
自己否定ーー怒りを否定しました
自己否定ーー憎しみを否定しました
自己否定ーー他我の侵食を否定しました
そしていつものチートが発動し、精神が平坦に慣らされる。その感覚に舌打ちしながら、ストーリアを握る手に力を込めた。
「それで?」
「殺しますよ」
王も、王女も、アルフレッドも。
「上出来よ」
「そうですか」
拳を突き合わせ、大体の意味が問題なく通じたことを確認する。それはそれとして、フロックスさんや師匠と同等の相手をどう攻略するかは相変わらず問題だ。だが、全員の力を合わせれば或いは……
「次の魔術、昇華お願いします」
「成る程、一矢は報いさせてあげるわ。タイミングはそっちの好きなようにして良いわよ、合わせてあげる」
「感謝します」
互いに笑みを浮かべ、俺は出来る限り気配を殺して疾走を開始した。
登場チートまとめ
《夜奏昼唄》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : E 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : A
自身が心を込めて唄を奏で続ける限り、時間を満月の夜へと変更する。月の光を浴びたものは、魔力の回復が早くなる。また、一部の魔族の力が活性化される。
《急速成長》
殺傷性 : -- 防御性 : -- 維持性 : EX(プラス)
操作性 : -- 干渉性 : EX(プラス)
範囲 : --
急速に成長する。学べば学ぶだけ知識を溜め込み、訓練すればするだけ成果を生み出し、何もかもを常人より遥かに優秀にこなせるようになる。
ただし、この力を使えば使うほど残りの寿命が削られていく。その為、現在の所持者の寿命は残り5ヶ月である。
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70 クーデター : 王都決戦⑤
走りながら幻術の魔術を準備し、更に頭を回す。俺が出来ることなんて、改めて考えずとも殆ど無い。せいぜいが誰かの影に紛れて、その成果を掠めとるくらいのもの。
自己否定ーー自己嫌悪を否定しました
けれど、そんな暗殺者紛いにも劣る有様でも、戦いを早く終わらすくらいのことは出来る。いや、やってみせなければいけない。だって俺は、こんなざまでも勇者なのだから。大切な人1人守れるかも怪しいけれど、これでも男なのだから。目の前で泣きそうな、けどそれを隠して手を下そうとしている女の子の身代わりくらい、幾らでもやってやる。
だから、力を貸してくれディラルヴォーラ。俺には出来ないから、好きなだけぶっ壊せ。
『心得た』
握る愛槍が黒い魔力の光を零し始める中、追いつかれた金色の粒子の中を疾る。別に殺り方なんて、確実性が高ければ一辺倒だって構わないのだ。そのやり方が有名にでもならない限りは。
「幻よーー」
そして、姫さまのチートにより昇華された幻術を解放する。普段なら俺が幻術で出来ることは、精々が視覚と聴覚を騙す程度。だけど今なら、五感を全て騙す本来の幻術が使える。
自己否定ーー自己嫌悪を否定しました
さも当然のようにさっき見た過去の幻影を叩きつけようとした自分に舌打ちし、叩きつける幻影のイメージを変える。さっき見た記憶の焼き増しから、今も打ち合うフロックスさんの剣に斬り裂かれ死ぬイメージに。そして、俺のことを認識できない様に感覚も弄ってしまえ。
「通った」
これで動きが止まってくれれば最高。乱れてくれれば御の字。そんな思いで放った幻術は、姫さまのチートのお陰で確実に作用した。ビクンと身体が大きく跳ね、その全身の力が緩んだのが見えた。
しかし、そういう魔術に対する経験も豊富であったのだろう。すぐに意識を取り戻したようで、目前まで迫っていたフロックスさんの双刀を、力任せに己の剣で薙ぎ払って吹き飛ばしていた。
自己否定ーー雑念を否定しました
そして、俺がこの戦いに介入できるのはこのタイミングしかないことは明らかだった。
「《排出》」
(鎧を頼んだ)
『心得た』
愛槍を天井に向けて排出、シャンデリアの接続部を砕きつつ天井に突き刺した。その場所は騎士団長の真上、少なくとも落下するシャンデリアからは逃れられないはずの場所!
「くっ」
『────ッ!!』
落下して砕けるシャンデリア。更に追い討ちとしてディラルヴォーラの咆哮。2つの致命傷となり得る攻撃に、騎士団長の動きが止まり鎧が砕け散った。その盛大な崩壊音に、俺のちっぽけな気配が搔き消える。
奇襲の利点を捨てる必要はないので、無言で順手に構え直したストーリアを構える。そしての心臓目掛けて腕を突き出し──
「そこかぁっ!!」
ズン、と強い衝撃。
突き出したストーリアは崩壊した鎧を貫き、確かに騎士団長の胸板に突き刺さっていた。だがその代わりに、俺の腹にも深々と剣が突き刺さっていた。貫いていた。
「ゴボッ」
薬のおかげで痛みはないが、身体の中に冷たい鋼の感触を感じるのは非常に気持ち悪い。それに、せり上がってきた血の塊も酷く邪魔で気持ちが悪い。だが、これで詰みだ。
「《収、納》」
震える唇で言葉を紡ぎ、静かに騎士団長の胸が球形に抉れた。鮮血が吹き出し、向こうも盛大に吐血した。肺を抉ったから上手く呼吸もできない様で、魔法による回復も期待できないことから死までは秒読み段階であると言えよう。
「モロハさん!」
「幻よーー」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
エウリさんの悲鳴を無視して、もう一度幻術を使う。今際の際に見る光景が、俺みたいな奴じゃ嫌だろう。そう思って、さっき見た記憶の中にいた母親との、幸せな幻を映し出す。
『感謝する』
右耳にだけ聞こえるそんな言葉を残して、騎士団長の目から光が消えた。そしてその身体が倒れるのに合わせて、こちらの傷口を押し広げながら剣が抜かれていく。そうして押し広げられた傷から幾条か血が垂れて、しかし即座に修復されて傷は跡を残すのみで消滅した。
「っ、ぐ」
同時に握っていたストーリアから光が消え、反動として疲労が襲ってきた。それに耐えきれず膝をつき、何も残っていないことは分かるのだがつい貫通していた部分を押さえてしまう。
自己否定ーー疲労感を否定しました
「モロハさん、けが、はやくなおさないと!」
「もう治りましたから、平気へっちゃらです」
チートが疲労を騙してくれたお陰で、身体はもう自由に動く。少し穴が空いた部分に突っ張った感じはあるが、あくまでそれは無視できる誤差程度にしかならない。
心配するエウリさんの手を、傷口だった場所に持って行き触ってもらう。もうちょっと場所が下だったら事案だが、腹筋辺りなので何も問題はない。
「でも! でもぉ!」
「俺はそう簡単に、エウリを置いて何処か行ったりはしませんよ」
目にいっぱいの涙を溜めたエウリさんを抱きしめる。というか、俺にはこれくらいしか愛する人を安心させてあげられる方法がないのだ。ああでも、やっぱりエウリさんの匂いは安心するなぁ。
自己否定ーー魔術《ヒール》を否定しました
なんてことを思っていると、チートのそんな表示が見えた。何事かと思えば、姫さまが微妙な目でこちらを見て固まってた。
「どうやら、本当に治ってるらしいわね。あの魔導具の力かしら?」
「ええ、受け継いだ大切なものです」
花畑であった出来事を思い返しつつそう答える。何か致命的な問題が起きる気がする師匠の槍を呼び出すことと違って、ストーリアはまだ問題がない。だから安心して、身体を壊す無茶ができる。
「でも、さっきのはモロハが悪いわ。自分を大切に想ってくれる人の前で、死ぬ様な真似は流石に不謹慎よ」
「本来なら、もう少し怪我なく終わらせるつもりだったんですけどね」
自己否定ーー罪悪感を否定しました
苦笑いしながら答える。だって、普通気がつかないだろう。いや、これは俺が騎士団長を過小評価していたということか。ディラルヴォーラなんて化け物と戦ってきたせいか、感覚が麻痺していたらしい。気を引き締めなければ。
『化け物とはなんだ。我は誇り高き竜だぞ』
不満気なその声を聞いて、天井に愛槍が刺さったままであることを思い出す。魔法を使えば取れるだろうか? そんなことを思っていると、フロックスさんが軽々とジャンプして引き抜いてきてくれた。
「ほれ」
「ありがとうございます」
受け取った愛槍をその付着している物は除いて収納し、簡易的な清掃とする。なんてことをしていると、目を真っ赤にしたエウリさんが顔を上げて言った。
「つぎやったらゆるさないんですからね! それと、このたたかいがおわったら、すこしつきあってもらいますから!」
「ならないで済むよう、頑張ります。それと、エウリと一緒なら何処へでも付き合いますよ」
俺だって、無事に生き残ることが出来れば行きたい場所が一箇所だけあるのだ。それと、その為に用意した物も実はあるのだし。
「さて、休憩はもう十分ね? 魔術師長が死に、騎士団長が死んだ今、残っているのは姉とクソ親父だけだわ。アイツらだけは、私が、この手で……」
姫さまがそう呟く中、いつか俺の目の前で閉じた巨大な扉が、重苦しい音を立てながら開いていく。この先は、入ることも見ることも出来なかった空間だ。
立ち上がり排出した愛槍を持ち、警戒しながら開いていく扉を見る。完全に扉は開くも、その奥に続く通路には文字通り何もなかった。がらんどうの、殺風景な通路。けれど左目には、よく映画で見るようなトラップの赤い線……魔力である為半透明な線だが、それが見えていた。
「トラップ……」
「あら」
思わず呟いた言葉に、姫さまが意外そうな声を漏らした。けれど反応はそれで終わり、鋭い眼光でその通路の奥を姫さまは睨みつける。けれどその表情もすぐに消え、落ち着き払った様子で話し始めた。
「モロハの言った通り、この拝謁の間に続く一本道にはウンザリするほどの罠が仕掛けられているわ」
直後、姫さまが杖を構え金色の粒子が漂い始めた。これはマズイとエウリさんの手を引いて射線から逃れると、姫さまが獰猛な笑みを浮かべて言い放った。
「でもそんな小細工、存在を知ってりゃ全部ぶっ壊せばどうとでもなるのよ! 《昇華》、爆炎よ!」
そうして放たれるのは、恐ろしく巨大で莫大な量の焔。紅蓮の煌めきを持つソレが、姫さまの指揮の下大挙して通路に潜り込んでいく。
「は、あは、アハハ! このまま全部、何もかも燃えてしまえばいいのよ!」
それは、一方的な蹂躙であった。姫さまの極めて嬉しそうな、狂っているとも言える笑いと共に、焔の進路にあるものが全て焼却されていく。門の脇にあった騎士甲冑が赤熱化して融解する。紅のカーペットが灰も残さず焼却される。石が赤熱化し、仕掛けられていた魔術トラップが誤作動する。が、その悉くが焔の中に溶けて消えていった。飛び出した矢も、突き出た槍も、落ちようとする天井も、魔術も何もかもが圧倒的な火力の下に焼却されていく。
「はは、アハハハ! はははは!」
そしてその焔が最奥にある扉に辿り着き、それを融解させた瞬間のことだった。
《鎮火しろ》
「は?」
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
そんな一言と共に、あれだけ猛威を振るっていた焔が、まるで嘘であったかのように瞬きの間に消え去った。
自己否定ーー驚愕を否定しました
その光景に呆然とするも、未だ熱は消えず酸素も十分とは言えない状況になっているであろうことを思い出す。こちらも踏み込めないが、それはあちらだって──
《全て、修復しろ》
自己否定ーー《絶対王権》を否定しました
そして、何もかもが元に戻った、甲冑も、カーペットも、罠も、何もかもが姫さまの焔に破壊される前の状態に戻っていた。訳がわからない。なんだこれは。
「チッ、クソ親父め……」
姫さまの舌打ちとチートの表示から、このあり得べからざる現象を起こしたのが、王であることが分かる。分かってしまう。なんだ、このデタラメは。幾ら何でもチートが過ぎるだろう。
「行くわよ、貴方達。この戦い、終わらせに」
「はいよ」
金色の粒子を纏う姫さまに、まず始めにフロックスさんが賛同した。
「それじゃあ、俺も。エウリは?」
「わたしも、モロハさんといっしょにくらしたいですから」
僅かに遅れて、俺たちも手を取って後に続く。
ぽっかりと口を開ける門に、がらんどうの通路。何もかもを呑み込んでしまいそうなそこには、どこか不穏な空気が漂っているように感じた。
《絶対王権》
殺傷性 : S 防御性 : S 維持性 : EX
操作性 : EX 干渉性 : EX
範囲 : EX
EXは全て常時プラス判定
チートの詳細はまだ謎に包まれている……
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71 クーデター : 最終決戦
「氷よーー」
全てが復元された通路に、姫さまが再度チートにより昇華した魔術を使用する。しかし今度発動したものは炎ではなく氷。通路全面を凍結させて、罠の起動することのない道を作り出した。その中を無言で歩き、姫さまが最奥の扉を蹴り壊すと共に玉座の間に侵入した。
自己否定ーー過去の侵食を否定しました
そこは国のトップが待つ場所であるからか、極めて煌びやかな空間だった。日本のサブカルチャーで語られるような、ひたすらに豪奢で絢爛な国としての権威を見せつけるための空間。神殿のように柱が立つ広大な空間は、本来であれば何らかの式典に用いられるであろうことは想像に難くない。
自己否定ーー驚愕を否定しました
その最奥に……いた。無駄にファーや金の刺繍で彩られた真紅のマントを羽織り、巨大な玉座に座る男性。歳の頃は20やそこらだろうか? 金の短髪を逆立て、黒い瞳でこちらをニヤニヤと笑いながら睥睨していた。
その隣には、どことなく姫さまに顔つきが似ている女性が立っていた。長い金髪に、こちらも黒の瞳。ドレスを着ていることから、あれがきっと第1王女なのだろうと当たりをつける。
「なあ姫さん、あいつマジで人間か?」
「ええ、チートで老化を止めてるけれど。あれでいて、中身は90超えたボケてないクソジジイよ」
俺も疑問に思ったことをフロックスさんが聞き、吐き捨てるように姫さまが答える。肉体を全盛期の頃でキープということだろうか? まあ確かに、合理的なのか? それにしても、姫さまが確か19とか言ってたから……随分性欲旺盛なことだ。
「は、仮にも父親である余に向かってクソジジイか。良い度胸しておる」
「るっさい死ね!」
王が放った言葉に反応して、姫さまが再び昇華した魔法を放つ。一直線に王に向かって飛んで行くのは、凍りながら燃える槍。明らかに物理法則を無視した異常現象は、左目で見る限りかなり強力な魔術であるようだ。
《霧散しろ》
自己否定ーー絶対王権を否定しました
しかしそれは、王の放った言葉通り霧散した。本当に何の予兆もなく、言葉1つで魔術が消滅する。これまで何度も何種類もチートは見てきたが、ここまで酷いものは見ているだけで頭が痛くなってくる。
「反抗期か? だとしても、相手に名乗らせねえのはいただけないな。仮にも王族であるならば、礼節というものを弁えよ」
「誰のせいだと──カッ」
瞬間何かか姫さまの目の前で砕け散り、その体がくの字に折れ曲り吹き飛んだ。あまりのことに理解が追いつかず、なんとなく王の方を見ればその手には、どう見ても
自己否定ーー驚愕を否定しました
煙をあげる銃口から目を逸らし後ろに目を向ければ、姫さまが血を吐きながら自身を魔術で癒していた。直撃したのだろう、全く見えなかったソレは、地球のソレと同じか超える威力を持っていると仮定して良さそうだ。
「気をつけてください。アレ、音より速く攻撃が来ます」
「マジかよ」
「でも多分、向けられた方向にしかヤバイのは来ない筈……です」
一応そうだとは考えておくが、あくまでここは異世界。名前も思い出せないが、昔読んだサブカル本みたく銃の形をしただけの魔法発動媒体ということもあり得る。つまり、予想不能。全くの未知だ。
「ほう、流石は勇者。己の世界の兵器については詳しいか」
「別に」
もうほとんどない地球の記憶の中で、なんとか覚えていただけだ。それに、無駄に会話して情報を与える必要もない。愛槍を握りディラルヴォーラに意思を伝えつつ、次の行動を起こすタイミングを計る。
自己否定ーー雑念を否定しました
なんてことを思っていると、玉座から王が立ち上がった。右手にはどこから取り出したのか、飾りっ気のない両刃の剣。左手には先ほどのライフルを持ち、自らを見せつけるように言い放つ。
「兵器が1つに、魔族が2人か。たかがその程度で余を殺そうなどとは、随分余を軽く見たな?」
「ハッ、信頼できる3人よ。これだけいれば、私には十分だわ」
幽鬼のように立ち上がった姫さまが、血とともに言葉を吐き捨てる。同時に左眼がホワイトアウトする程の魔力とチートを纏い始めた。多分何か、大掛かりな事をしでかす気だ。
「そうか。娘の紹介だ、余を討ち滅ぼさんとする賊相手に癪であるが、王族の慣いとして名乗るとしよう」
ジリジリとした緊張感の中、両手を広げて王が言う。
「余の名は、エペリオン・リット・イシスガナ。99代国王にして、貴様らを殺す者の名だ」
『英雄、コイツの後ろの雌だ。アレも何かやらかすぞ』
ディラルヴォーラの注意喚起に王の向こうに立つ、今の今まで何もしてこなかった第一王女を見る。すると向こうもこちらに気がついたようで、目が合うと同時裂けるような笑みを浮かべた。
「私の固定化で中和出来るのは2時間がいいとこよ! だからクソ親父をやりなさい!」
「了解!」
姫さまがそう先手を取って言葉を放ち、直後魔力の大嵐が吹き荒れた。風に炎に氷に電気、そんな多種多様な魔術がまるで鏡合わせのように放たれては消えていく。
そうして消えていく魔術の残滓の中、フロックスさんとタイミングを合わせて仕掛けた。俺は剣を持つ右側に、フロックスさんは銃を持つ左側に分かれて、エウリさんの援護を置いてけぼりにして斬りかかる。
2時間という時間は長いようで短い、それに対面する王からは底知れない何かを感じる。だからこそ、最初から全力全開だ。
informationーー10%のエネルギーを充填
「シッ!」
黒い魔力光を散らし、火の粉を撒き散らす愛槍が過去最高速で振るわれた。その軌道は、最速で心臓を貫くための突き。例えディラルヴォーラであろうと、直撃したらダメージは入る一突き。
《守れ》
だがそれは、王を守るように足元から浮き上がった石畳の群れに防がれてしまった。まるで団子か何かのように、30cmのチートによる穴を開けて愛槍に突き刺さる石畳。それによる急激な重量の増加に勢いを殺され、愛槍を危うく取り落としそうになる。
「《収納》《排出》」
再度の収納によって愛槍をしまい、突撃の速度は殺せないのでたった今収納したばかりの瓦礫を王目掛けて排出する。これで少なくとも、相手の間合いから脱出する時間は稼げ──
《爆ぜよ》
「下がれ!」
『頭を下げろ』
自己否定ーー驚愕を否定しました
自己否定ーー雑念を否定しました
3つの声が響いた。そこから先はまるで、コマ落としの様にしか認識ができなかった。まず自分の身体を、無理やり捻って横に倒す。次に排出した瓦礫が全て内側から爆発した。次にその爆風と破片を食らいながら、床を無様に転がり俺が吹き飛ばされた。そして、
「爆炎よーー」
informationーー10%のエネルギーを放出
俺を狙って放たれた爆炎と、俺が放った黒炎が激突して大爆発を引き起こした。再度の衝撃には何とか耐え、吹き飛ばされながらも起き上がり、獣の様な姿勢で制動する。そして、そこに振り下ろされる剣。
「ガァッ!」
それに、獣の様な声を上げつつ《収納》を纏った手刀を叩きつけた。完全に無意識に叩き込まれた行動、あの花畑で染み付いた行動。思い出していて、体が覚えていて心底良かった。
「なんだと?」
「チッ」
だか、その結果は双方予想出来ていなかった物だった。
当然拮抗する物だと思っていた俺の手刀は剣を切断して跳ね上がり、こちらの腕を切断するつもりだった王の剣は切断されながらそのまま振り下ろされ、お互い勢いよくバランスを崩す。
「全開で吼えろ!」
informationーー50%のエネルギーを充填
『よかろう!』
《絶対防御だ》
そんな状態の中、スタンバイしていたディラルヴォーラが咆哮する。避けることが不可能なタイミングで放たれた咆哮は、俺の耳にだけ届くその音で王に直撃した。ディラルヴォーラ自前の魔力にチートを上乗せした見えない振動が王座を揺らし、あらゆる物を破壊し燃焼させていく。
カーペットやタペストリーは瞬時に炭化し、窓に嵌っていたガラスは微塵に砕け散り、玉座は大きなヒビが入り、俺たちと姫さまを除く何もかもに致命的な破壊を齎した。
その結果を見ずに、崩れた体勢からバク転の容量で後退する。収納していた愛槍を排出して握りしめ、いつでも対応できる様警戒する。
「
そうして乱れた息を整えていると、ついさっきまで俺がいた場所に数えるのも億劫な程の大樹の枝が殺到した。パッと見、全方位から木杭が打ち込まれた様に見え、ハリネズミの様なその状態は中にいる人物を殺したかのように見える。
「まだ」
だが、血の匂いがしない。微かにすると言えばしているが、そんなもの致命傷の出血に比べると天と地ほどの差がある。だから、あの王が死んでいる筈がない。というか、死んだ人間が1人もいない。
「くく、クハハ、クハハハハハ!!!」
そんな俺の考えを裏付ける様に、高笑いと共に木杭が砕け散った。その中から、案の定無傷の王が現れた。血の匂いがするから完全ではないか癒したのだろうが、ノーダメージに見えるというのは精神的に少しばかりクる。
自己否定ーー雑念を否定しました
自己否定ーー悔しさを否定しました
笑い声の向こう側で、姫さまと第一王女が再び魔術戦を始めた。その影響で響く轟音の中ですら聞き取れる笑い声に、不快感と共によく分からない気持ち悪さの様なものが浮かんでくる。ブチ殺せと、心の底で何かが囁いている。
「そうか、そうか! 余の守りを抜くか! コレが今代の“破滅”か!」
「……は?」
そして、王が俺を見ながらそんなトンチンカンなことを言った。破滅? 破滅ってなんだ? 明らかに俺を指してるから人違いではない。でも、その言葉の意味がわからない。破滅……破滅……?
自己否定ーー当該単語に対する興味を否定しました
自己否定ーー違和感を否定しました
自己否定ーー懐疑点を否定しました
「全てを“否定”する災厄の運び手か!」
自己否定ーー困惑を否定しました
今、なんと言った?
「存在するだけで災いを呼び込み、己と周囲を破滅に導く災厄の運び手! 余が見抜き、手ずから殺していたが、今代は生き延びていたか!」
自己否定ーー困惑を否定しました
なんだよ、それ。
「我が娘ながら、よく見つけたものだ。確かにコレであれば、余に対する切り札にもなろうぞ。己が破滅と引き換えとは、ああ大した覚悟だ!」
自己否定ーー困惑を否定しました
ちょっと待て。
「何れは周囲を破滅に導くのみを目的とした、心を失くした化物となる存在を、生き長らえさせるとは笑える。全てを失くし、怪物に堕ちる前に死をくれてやる事こそ救いであろう。それを伴侶とは、何も得などあるまい! いや、この情報は余しか知り得ぬのであったか? 年甲斐もなく、腹を抱えて笑いそうではないか!」
自己否定ーー困惑を否定しました
それじゃあ俺は、俺は……
「行き過ぎたモノを滅ぼし否定する神の傀儡! 哀れよなぁ、選ばれた時点で未来が閉じるモノは! 災厄を撒き散らす、1個の装置になることを定められたモノは!」
自己否定ーー困惑を否定しました
まるで、生きてちゃいけない奴じゃないか。
「だが、今は始末が先か。喜べ、害悪。貴様の伴侶も、すぐにあの世に送ってやる」
自己否定ーー困惑を否定しました
沈静化された頭で、全ての点が繋がった。
何故、俺には姫さまの様に受け継いでもいないのに2つのチートがあったのか。
何故、俺が行くところではトラブルばかり発生するのか。
何故、死にそうな目に遭おうと死ななかったのか。
何故、感情や記憶が消えて行くのか。
何故、それでも平然としていられたのか。
何故、チートに頼るなという言葉を掛けられ続けていたのか。
何故、日本人のガキである俺が戦うことに忌避感がなかったのか。
何故、生き物を殺したところで何の気持ちも湧かなかったのか。
その全てに、説明がつく。ついてしまう。己が間違っていないことがチートによって証明される。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪だ。最悪で最悪で最悪で最悪で、最低で、災厄だ。
「あ゛あ゛あああああぁぁぁぁぁ!!」
姫さまがが何かを言っている。聞こえない。
フロックスさんが何かを言っている。聞こえない。
ディラルヴォーラが何かを言っている。聞こえない。
エウリさんが何かを言っている。聞こえない。
《鏡像よ、奴らの相手をしろ》
殺さなきゃいけない相手の声だけは、異様に耳に通る。
殺さなきゃ
informationーー10%のエネルギーを充填
黒炎揺らめく愛槍を投擲し、絶叫しながらストーリアを抜き放つ。何処か遠くで響く鈴の音が意識から否定される中、王の目の前に光の粒子が集まり2つの人型を形作った。
1つはフロックスさん。まさしく鏡写しのソイツは、俺には見向きもせず走り出した。きっとフロックスさんの元へ向かったのだろう。
そしてもう1つは、エウリさん。だが、その出現場所が悪かった。現れた場所は、投擲した愛槍の軌道上。故に、必然的に結末は訪れる。
『カッ……』
出現直後の鏡像エウリさんを、愛槍が貫通した。胸にぽっかりと大きな穴を開け、口から咳き込みとともに赤い血を吐き出し、見開いた目が俺をまっすぐに見つめて……光の粒子に鏡像は還った。
本物のエウリさんが無事なのは、魔力と気配から分かっている。怪我をしていないことも分かっている。だけど、それでも。今俺が、愛する人を、己の手で殺したことに間違いはなかった。
ポキンと、呆気なく何かが折れる音がした。
自己否定ーー魂の侵食率50%オーバー
自己否定ーー記憶焼却率50%オーバー
自己否定ーー最終セーフティ解除
自己否定ーーエネルギー制限が解除されました
自己否定ーーこれより、最終sequence《魂の焼却》が開始されます
自己否定ーー ご苦労様でした
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72 クーデター : 最終決戦②
そう流れたチートの表示を見て、自分の中にある何か入ってはいけないスイッチが入ったことを察した。
その証拠に、身体が異様な熱を持ち、動かすたびに青い火の粉を散らしている。代わりに頭は氷でも入れられたかのように、冷たく冷えきっていながら本能が殺せと燃え上がっていた。
燃焼回路ーー自己焼却率1.57%
そして視界に映る赤い文字。それはもう「俺」という存在の、終わりまでのカウントダウンであった。刻一刻と増えていく数字を見るに、俺はエウリさんとの約束を守れないらしい。
「ああ、そっか。ここで、終わりか」
鏡像のエウリさんを殺したことで勢いが死んだ愛槍が、いつのまにか剣を握っていた王に弾かれた。今までディラルヴォーラにしか折られなかった相棒は、伸縮機構ごと柄を真っ二つにされ回転しながらこちらに戻ってくる。その姿はまるで、俺の心を写す水鏡のようだった。
「だいじょうぶです! わたしはちゃんと、いきてますから!!」
必死なエウリさんの声に振り返れば、エウリさんは姫さまの隣で魔術戦をしながら必死に声を掛けてくれていた。嬉しいけど、もう、ダメだ。少しだけ遅かった。なんとかこっちへ向かおうとしてくれているフロックスさんも、自分の鏡像相手に戦闘中で間に合いそうにない。
「ごめん。約束、守れそうにないや」
「何をごちゃごちゃと。《潰れろ》」
ストーリアは噛み付いて保持し、飛んでくる半分になった相棒を掴む。それにディラルヴォーラの気配がないことを確認した時、全身にあり得ない重さが掛かった。一歩足を動かすことすら全霊を込めなければならないそこに、魔術の群れが襲いかかってくる。
チートに魔術に膂力に技術に権力。そのどれもが、俺には持ち得ることができなかったものだ。ああ、妬ましい。
自己否定ーー嫉妬の感情を否定しました
自己否定ーー嫉妬の否定により節制に機能不全が発生
自己否定ーー節制の感情を否定しました
informationーー根幹感情が2つ否定されました
informationーーボーナスとしてエネルギー放出限界が消失します
爆炎。吹雪。雷。毒。土塊。ブチブチと筋繊維が千切れ、ストーリアにより再生されて行く中、殺到するそれらを見て
「《ブルーローズ》」
自然と、その槍の名前が口に出ていた。同時に、際限なく放出された青い炎による花弁が、全ての魔術を相殺した。代償として表示されている自己焼却率が5%上昇したが今となっては些細なことだ。
それよりも、だ。俺だけならともかく、エウリさんにまでこの攻撃を向けるなんて、酷く苛つく。もし、それで死んでしまったらどうする気だ。ああそうか、魔族は死すべしだったか。ならお前が死んでしまえ。
自己否定ーー憤怒の感情を否定しました
自己否定ーー憤怒の否定により公正に機能不全が発生
自己否定ーー公正の感情を否定しました
informationーー根幹感情が4つ否定されました
informationーーボーナスとしてチートの使用制限が解放されました
その炎の花吹雪が晴れた時、俺の手には新たな槍が握られていた。壊れていない驟雨改の部分はそのままに、切断された柄からは白い新たな柄と石突きが生え、刃の根元には青い一輪の花が咲いている。まるで愛槍に、リリス師匠の槍が合成されたような異形の槍。けれどそれは、かつてないほど手に馴染み、神懸かり的なバランスを保持している。
「はハッ」
その刃に映った自分の姿は、髪が半分以上白に染まっていた。黒と紅と白の3色髪になった自分の姿は、どこかピエロのようで酷く滑稽に見える。
ああ、こんなザマじゃ操り人形と言われても納得だ。未来に希望を持っていた俺が馬鹿みたいだ。人から外れ、人外から外れ、俺は今何なのだろうか?
自己否定ーー希望の感情を否定しました
自己否定ーー希望の否定により怠惰に機能不全が発生
自己否定ーー怠惰の感情を否定しました
informationーー根幹感情が6つ否定されました
informationーーボーナスとしてチートの反動が消滅しました
「
「人形如きが、よく吠える!」
自分の意識が二重にダブったような感覚の中、黒と青の
燃焼回路ーー自己焼却率20.58%
◇
「ごめん。約束、守れそうにないや」
「モロハさん!」
必死に呼びかけてた声に応えてくれたと思ったら、モロハさんはそんな一言を告げるだけ告げて目を逸らしてしまった。その直後、モロハさんと私たち双方に向けて魔術の絨毯爆撃が放たれた。この国の王様と第一王女、2人が全く同じタイミングで全く同じ威力の全く同じ魔術で、だ。
「あんまり余所見、しないでくれるかしら!?」
「
私が使える魔術や魔法よりずっと力の強いそれらを、マルガさんが更に力の強い魔術で吹き飛ばす。その余波を私が魔法で防いで……さっきから、ずっと同じようなことの繰り返しだ。こんな相手は早く倒して、モロハさんを助けに行きたい。そう思って魔法と魔術を繰り出すのに、致命打は与えられず倒せない。
そう心が焦る中、突如ヒラヒラと青い花弁が落ちてきた。否、それはただの花弁ではない。青い炎で造られた、実態のない花弁だ。それは私に触れた瞬間フワリと解け、その
◇
『見たこともない灰色の巨大な建物』『それらから反射する太陽光』『極めて大人数の人間たち』『黒くて硬い地面』『揺らめく蜃気楼』『逃げ水』『落ちている飴玉』『光る映像』『かき氷』『学校』『クラスメイト』『勉強』
◇
「今のって……」
ノイズが走るように流れ込んだきた、見知らぬ光景。見知らぬ風景。見知らぬ言葉。見知らぬ世界。それらからは全て、私の好きな人の残滓が感じ取られた。
モロハさんのちーとの内容を思い出して、血の気が引いた。魔法を放つ合間に見る限りでも、尋常じゃない量の花弁がこの空間に舞っている。つまりそれは、モロハさんの記憶がそれだけ燃えているということでもある。
「マルガさん!」
「分かってるわよ!」
100を優に超える魔術を、100の魔術が迎撃して50の魔法が防御する。隙間を縫うように放たれた50の魔術を、50の魔術が迎撃して25の魔法が防御する。焦れったい。まどろっこしい。早く行かないと、私の好きな人がそうではなくなってしまう。いなくなってしまう。なのに、私には先を行く力がない。
私たち魔術師は本来、1対1の戦いでは物語のような魔術戦を行うことは出来ないのだ。モロハさんのように消費の少ない魔術の小出しならともかく、大技は使えば使うたび消耗する。だから私たち魔族は魔法を使って、大技を温存してここぞの時に使うのだ。
それなのに、この2人は最初から今までずっと大技を使い続けている。しかもそれでいて、消耗はあり得ないほど軽い。自分の無力さに劣等感が苛む。私にもっと、力があれば良かったのに。
「なんでアンタも、クソ親父に従ってんのよ! あんな、子供に親を殺させてなんとも思わないクズに! それを繰り返すクズに!」
魔力の欠乏によって、段々と顔色が悪くなっていくマルガさんがそう吠えた。そんな感情のまま叫んだことによる隙間に、魔法をねじ込んでなんとか相殺する。が、足りない。全力を込めたはずの私の魔法は、相殺しきれず呆気なく砕かれていく。
◇
『割れた凄まじく透明なガラスの破片』『撒き散らされた鮮血』『ゴブリンの死体』『オークの死体』『ぐしゃぐしゃに折れた左腕』『むせ返る血の臭い』『自虐』『期待』『混乱』『不安』『使命感』
◇
しかし再び降り注いだ青い花弁が、全ての魔術と魔法が砕けた。そんな中、砕けた魔術の向こう側でケロリとした顔の第一王女が笑う。嗤う。ワラウ。
なんの不調も見てとらせないその口から、マルガさんの問いに対する返答が紡がれる。
「なんでも何も、頭がおかしいのはあなたの方じゃない。どうしてお父様を殺そうとするのかしら? 今までずっと平和で、あなたもそれを享受してきたじゃない」
「誰が! 私に、1日でも、心安らかな日なんて、無かったわよ!!」
マルガさんのちーとらしい金色の粒子が爆発するように増殖し、巨大な雷光となって第一王女に向け放たれた。それを土の壁が相殺し、砕けた向こうからさらに言葉が紡がれる。
「それに、今あなたがあげた事だって、元はと言えばあなたが元凶じゃない。召喚の巫女様? あなたが勇者を呼ばなければ、起こるはずもない事だったのではなくて?」
「そうでしょうね! でも、勇者を人間扱いすらしないあんたらよりはマシよ! それに、1番長く、1番近くで、ずっと『勇者』に付き合ってきた私が……私だから、やらなきゃいけないのよ!!」
光が集まり、直線の光となって放たれる。鼻に付く嫌な臭いを放出しながら突き進んだ光の槍は、同じく魔術によって生み出された闇に中和される。
「私は理想のために、人を殺し過ぎた。勇者を殺した、部下を殺した、知り合いを殺した、友人を殺した、子供を殺した! 今私が色々な人を保護してるのは、その罪から目を背けたいからよ!」
「そこまで理解しているなら、今すぐ頭を地面に擦り付けて、許しを請うべきなのではなくて?」
一区切り毎に乱射される火焔に対し、氷の壁が生まれては壊れて防御を重ねていく。その余りの火力と規模に、私は手を出すことができなかった。
「んなこと毎晩やってるわよ! ただクソ親父の権力に甘えて、力をおねだりして、貰った力を振りかざして、あとは何も考えない。あんたみたいな無責任女と、一緒にしないでもらえるかしら!?」
「誰が無責任女よ! 自分磨きを忘れた女未満に言われたくはないわ!」
「戦場育ち舐めんじゃないわよ! 女としての幸せなんて、とうの昔に捨てたわ!」
「可哀想なこと。そんなんじゃ、素敵な人を見つけても振り向いて貰えないでしょうに」
「ハッ。こんな傷だらけで、血塗れの手の女なんて、貰い手が居るとでも?
「分相応なあだ名をつけたこと、感謝してほしいくらいだわ。ねぇ、ゴミ捨て山の王女様?」
罵詈雑言とともに放たれる魔術は、その全てが超一流のソレ。私には手が出せない。手が届かない。手を伸ばせない。助けに、いけない。
◇
『天井に昇る煙』『真っ白な部屋』『なくなった腕』『散乱するゴミ』『後悔』『姫さま』『槍』『恐怖の目線』『心配する友人』『寝込みを襲う盗賊』『仕込まれた毒』『屋根の上の景色』『嫌悪の目線』『大きな男の人』『フカフカのベッド』『暗闇』『安心』
◇
覆らないそんな現実と止まらない時間を前に、気がつけば涙が浮かんでいた。周囲には青い花弁が際限なく降り注ぎ、私は何もできず、途方に暮れて立ち尽くす。握り締めた杖は心許無く、心はぐちゃぐちゃで揺れて揺れて揺れ続けていた。
『力が欲しいか?』
そんな中、頭に直接そんな声が響いた。
周りを見渡して確認するけれど、話しかけてきそうな相手は誰もいない。新手の敵なのかもしれないと震える脚を抑え込み、杖を握り締める。すると、その杖からフワリと優しい風が吹いてきた。
『力が欲しいか、我はそう聞いているのだ。英雄の伴侶よ』
「この声って、もしかして……」
『如何にも。我はディラルヴォーラ、黒崩咆ディラルヴォーラである』
それは、私たちが倒したはずの竜の声だった。僅かに発動する魔術の気配を辿れば、声は風の魔術により直接私の耳に届けられているらしい。でも確か、ディラルヴォーラはモロハさんと一緒にいたはず。浮かんできたそんな疑問は、次の瞬間本人から語られた言葉で霧散する。
『英雄の武器が壊されたことによって、あそこに留まることが出来なくなってな。汝の装備を依代にさせて貰った』
「でも、なんで……」
『このままでは、英雄がもう一度我と戦う前に死んでしまうからだ。ああ嫌だ、認めぬぞ、そのような結末は。英雄譚とは、完璧な結末を迎えねばならないのだ。それ以外の結末なぞ、誰が歓迎するものか』
突きつけられた冷たい現実と、追い討ちをかける真実。けれどそれを、竜という上位者が打ち砕こうとしている。折れてしまいそうだった心に、僅かに火が灯った。
『だが、今の我に出来ることは少ない。故にこそ、英雄の伴侶たる汝に我の力を託す。特等席から離れてしまうのは損失だが、視点変更も悪くはない。それに加え、英雄よりも汝の方が、我が力は使いこなせようぞ』
確かにモロハさんより私の方が、魔術や魔法の扱いは上手い。でも、たったそれだけのことで、私が竜の力を借りても良いのだろうか。
『構わん。汝とて、我が認めし英雄の1人である。
故にこそ選べ!!
救うか! 救わぬか!』
頭の先からつま先まで通り抜けるような、巨大で自信に溢れた声。それを受け止め、決意する。やるんだ。私が。今ここで、絶対に。やらなくちゃいけないんだ!
「力を借ります、偉大なる竜よ。私に、あの人を助ける力を!」
『よかろう。では手始めに、あの生意気な雌を擦り潰そうか』
尊大なその声は、まるで笑っているかのようにそう答えた。
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73 クー█ター : 縺輔>終決█③
燃焼回路ーー自己焼却率21.32%
燃焼回路ーー自己焼却率22.41%
燃焼回路ーー自己焼却率23.06%
燃焼回路ーー自己焼却率24.66%
刻一刻と自分が消えて無くなっていくのを感じながら、淡々と力を振るい続ける。なぜなら──なぜなら? 何故だったか。もうよく思い出せない。だけど、それでも、目の前の王を殺せと本能が叫ぶ。もう1人の人格が吼える。俺自身も心が泣いている。
だったらもう、やるしかないだろう。
「くく、正体を現したな傀儡めが!」
焼け爛れた記憶によると、どうやらコイツはこの国の王らしい。姫さま……名前なんだっけ? まあいいか。姫さまの倒すべき敵であり、文明社会で俺とエウリさんが平穏に暮らすには殺さなければいけない敵。勇者を使い捨てる外道。勇者とはなんだったか忘れたが、とにかく斃すべきクソ野郎だ。
《潰れろ》《止まれ》《死ね》《切断しろ》《圧壊しろ》《自害しろ》《飛び降りろ》《焼け死ね》
振るわれる直剣を青炎を纏う愛槍で切断する。
放たれた魔術を焔の花弁で相殺する。
言葉の刃を
何か1つアクションを起こすたびに、自分がボロボロと焼け崩れていく。自分であったものが認識できなくなる。ああだけど、その喪失感がもう気にならない。
自己否定ーー喪失感を否定しました
燃焼回路ーー自己焼却率25.98%
燃え落ち溶け落ち、無残に崩れ去る飛翔が心地よい。ああ、もといた世界での神話にそんなのがあったっけか。もう思い出せない、認識出来ない。何もかもが崩れていく。
「ふ、ひ、キヒッ」
それに、漸く復讐できるのだ。ベルを殺したアイツらに。外道に。屑に。ゴミ共に。今度こそ、暴虐と惨虐に塗れた死を叩きつけられるのだ。違う、なんだこの記憶は。俺のではない記憶が溢れてくる。溢れて焼却され消えていく。青と黒の炎に変えられ、花弁となって放出される。
「ちぃッ!」
不用意に近づいてきた王に、噛み付いたストーリアで斬撃するが回避されてしまった。それでも薄皮一枚は超えて斬り裂いたようで、ストーリアが涙のように血を零す。
舐めとる事が出来ないのは悔しいが、男の血なんて飲みたくない。増してやこんなクズの血なんて。姫さまの血はまあ美味しかったが、言ってしまうとエウリさんに怒られそうだから墓まで持って行こう。まあ、1番美味しい血はダントツでエウリさんのものだったが。
「最後に、もう1回くらい飲みたかったなぁ」
そんな2度と言えない本音を漏らしながら、
「厄介な……《吹き飛べ》《燃えろ》」
王の周囲の空中に牡丹の花が咲き、爆散して刃となっている花弁を撒き散らす。足元から木の根が発生し、王を刺し貫かんと迫る。それを不可視の力が散らし、燃やし、迎撃する中
燃焼回路ーー自己焼却率28.09%
槍を振るう。
槍が走る。
槍が裂く。
花弁が散る。
炎が咲く。
行動を重ね、確実に力を振るうのだが、それでも王に刃は届かない。殺さなきゃいけないのに/殺してしまいたいのに、痒いところに手が届かないように刃が届かない。殺せない。
王もチートを発動させる以外の言葉を発さないので追い詰めることは出来ているのだろうが、そこまででしかない。身を削って、燃やして得ている力は、まだその程度のものでしかない。どうせこのまま消えてしまうのに、それは嫌だ。エウリさんとの幸せが無理というなら、せめて何か残したいのに。
「もう1つ、焼却する」
自己否定ーー強欲の感情を否定しました
自己否定ーー強欲の否定により賢明に機能不全が発生
自己否定ーー賢明の感情を否定しました
informationーー根幹感情が8つ否定されました
informationーーボーナスとしてチートの制御能力が解放されます
また1つ、自分の中から大切なものが消えたことを感じる。代わりに、爆発しそうな力の奔流が流れ込んでくる。現に全身の至る所が裂けて血が流れているし、骨が粉砕される音が響いている。それを咥えたストーリアが無理やり癒し、焔の花弁を散らしていく。
「モロハ! お前それ以上は!」
自分の鏡像と斬り結びながら叫ぶフロックスさんと目が合った。瞬間、フロックスさんの動きが止まる。それにより、剣戟の動作が乱れる。このままでは、良くない。
「《排出》」
花弁の爆発に後押しされて、未練がましく持っていたスペアの槍が鏡像に向けて射出された。それは俺に大きな隙を作り、けれどフロックスさんにも立ち直る時間を与える。
「《貰った》!」
現実を捻じ曲げたいのかそんな勝利宣言を告げ、剣を突き込もうとしてくる王を冷ややかな目で見つめる。
燃焼回路ーー自己焼却率34.50%
「《転移》」
肉の鎧ーーoverflow!
燃焼回路ーーoverflow!
魂魄回路ーーoverflow!
模倣転写ーー転移実行します
転移の反動による熱が焼却され、青と黒の花弁が撒き散らされる。同時に浮遊感に襲われ、自分の位置が王の正面から真上に切り替わった。どうやら転移には無事成功したらしい。それを確認して、花弁が舞う中愛槍を突き出した。
「《防げ》!」
魔法陣のような物が5枚出現したが、それら全てを紙のように貫いて愛槍は王に到達する。直撃とまではいかなかったが、左肩を半分ほど抉り取ることに成功した。
「クッ、《治れ》!」
「キヒッ」
その噴き出た鮮血を浴びて、血生臭さを纏い
「コロ、スゥ!」
──なんのために?
「それはこちらの台詞だ!」
チートで傷を完全に癒した王と斬り結びながら、
燃焼回路ーー自己焼却率38.01%
そういえば、
◇
『勇者の実情』『美味しいご飯』『魔術の修行』『姫さま』『ヘルクト』『師匠』『女装』『握り潰された左腕』『痛い』『やめたい』『お風呂』『苦しい』『染みる』『辛い』『嫌だ』
◇
大好きな人の記憶が花弁となって舞い散る中、涙を拭いて私は杖を構える。けれど、私の実力が変わったりしたという訳ではない。心の持ちようと、ディラルヴォーラというこの世界最強種の協力が得られただけ。
それは、謂わば銃に大砲の弾を込めて撃とうとするような暴挙。私なんかじゃ、未来に届くかもしれないだけの高みを今ここでこなす無理難題。でもそうしなければ届かない高みに、ここにいる全員は達しているのだ。
「ちーとって、狡いです」
『案ずるな。我がいる限り、汝に敗北は訪れぬ。
だが、壊れぬよう気張れよ?』
「もちろんです!」
そう返事をした瞬間、ディラルヴォーラの笑い声と共に無秩序に撒き散らされ続けていた花弁が私に向けて降り注いだ。落ちているものも舞い上がり、記憶の奔流と共によく分からない力を流し込んでくる。
◇
『壊れかけの馬車』『小さな子供』『プラム村』『吸血鬼』『ファビオラ』『ゾンビ』『子供』『消えた心』『ネクロポリス』『月が綺麗』『昇る紫煙』『壊れる宿』『大きな蝙蝠』『人殺し』『化け物じゃない』『俺が悪い』『俺が殺した』『責任を持て』『命を背負え』『忘れるな』『忘れるな』『忘れるな』『お前は人殺しの屑だ』
◇
私がモロハさんと会う前の記憶。詳しく聞かせてもらえなかった記憶。流れ込んできたそれらの記憶と映像を見て、視界が再び涙で滲んだ。
なんで、ここまでされなきゃいけないのだろう。モロハさんは何も悪くないのに、ただ出来ることを出来るだけやっているだけなのに。それなのに自分を責めて、自分を貶して、何も良いことが起こらない。寧ろ悪いことばかりが連続する。
「こんなの……」
『泣いてる暇はないぞ』
「わかってますよ!」
今は、そんな想いに浸ることすら許されない。そして、同時に理解する。こんな余裕のない世界が、息苦しい世界が、自由なんて欠片しかない世界が、自分の愛する人が見ている世界なのだと。
◇
『苦しい』『辛い』『魔族』『痛い』『折れた』『鮮血』『血が吸われた』『左眼が』『抉られた』『食われた』『狂いたい』『狂えない』『嫌だ』『誰か、助けて』
◇
それでいて誰も頼れず、1人でなんとかするしかないなんて、最早地獄以外の何物でもない。それなのに、私には優しくしてくれて……
「ブチかましますよ!」
『良い気迫だ!』
想いを振り切り狙うのは、未だ大魔法が激突し合う空間とその奥にいる第一王女。力の収束した杖をその方向に向け、温存していた魔力を使い切る勢いで術を紡ぎあげる。
「吹、き、飛、べ、えぇぇぇぇぇ!!」
限界を超えたその魔法が発動した瞬間、反動で構えていた杖が大きく弾かれた。そうして解き放たれた音と風の破壊の嵐。ゴッソリと魔力が持っていかれた所為でペタンと座り込んだ私の前で、かつて見た暴虐が完全に再現された。
「か、は……」
壁が崩壊して砂と化す。
床が崩壊して砂と化す。
天井が崩壊して砂と化す。
王城の一角が砂と化して完全に崩壊する。
そんな滅びが訪れた空間の中、何もない空中に第一王女は血塗れの姿で浮かんでいた。血を吐き、全身を赤く染め、それでもまだ生き長らえて浮遊している。
「やっと、捉えたわよ」
そんな隙を晒した相手を、マルガさんは逃さなかった。同じく満身創痍ながらも、杖に仕込んであったらしい反りのない片刃の剣を第一王女に突き込んでいた。場所は胸の中央、心臓がある部分。即死ではないが、致命傷であることは間違いない。
「な、ん……?」
「教えてあげるわ、クソ姉貴。魔術師ってのはね、近接戦もこなせてなんぼなのよ……コフッ」
風の魔術で空中に立ち、血の塊を吐き捨てながらマルガさんは言う。その間に剣を捻り、手慣れた動作で抜いて血を払う。そして剣を杖の中に納刀し、自らの姉の死体を城の外に向けて蹴り飛ばした。
「じゃあね、お姉ちゃん。あなたの事も、私は背負うから」
2色の花弁が、作られた夜空に舞い上がった。
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74 █ー█taー : 縺輔>終豎コ█④
《ブルーローズ》
モロハの中にいる過去に死んだ英雄『アマリリス』が最後の瞬間まで握り続け、その憎悪に塗り潰されることが無かった槍。60cm程の波紋が浮かぶ刀身と、150cm程の柄で構成されている。全体的に植物を感じさせる意匠が多く、最も分かりやすいのは刃の根元にある青い花。
かつて訪れた異邦の者により『不朽』『帰還』の呪いがかけられている。
王城の一部が吹き飛んだ。
見知った崩壊と魔力から察するに、エウリさんとディラルヴォーラがぶちかましたようだ。エウリさんの無事と、ディラルヴォーラの生存……生存? が確認できたことで、少し心が軽くなる。
「良かった」
王の剣を斬りとばす。王の銃を斬りとばす。
チートを抜きにした王の実力は、
「《再生しろ》《硬化しろ》《刃を阻め》《魔を阻め》」
だが、幾ら斬っても再生するし修復するし頑丈になる。そんなチートを相手に、
燃焼回路ーー自己焼却率45.82%
もう、ロクに時間も残っていないのに。モロハがモロハとしていられる時間は、刻一刻と減っているのに。殺したい/殺さなきゃいけないのに、殺せない。
炎で焼き殺そうとして、吸血で乾涸びさせようとして、槍で切断して、斬って、チートで抉って、潰して。一度首を抉り取ったのに、心臓を潰したのに、それでも再生しやがったのはもう意味が分からなかった。もう頭がどうにかなりそうだ。
「ハッ」
だが、それでもと心で叫ぶ。限界まで魔術とチートの強化をされた愛槍を、今度は明確な意思を持って投擲した。それを捨て身と見てから、鼻で笑って王が槍を弾く。けれどその瞬間、槍から大量の炎が爆発するように溢れ出た。
「《転移》」
結果、足元の石畳を赤熱化させグズグズにする炎は王に直撃する。そして、
「今まで散々痛めつけてた相手に殺されるのは、どんな気分だ?」
魔術と《肉の鎧》の効果で超強化された筋力で、義足の棘も使用し王の胴体をガッチリ挟み込む。あわよくば切断しようとこちらの身体が壊れるほどの全力を込めつつ、同時に腕も首に巻きつけ窒息を狙う。
「ぐ、ぎぁ」
「
倒れないようチートの補正が入った魔術で直立姿勢を保持、腕がそれでも叩きつけられるが、暴走する《肉の鎧》のチートに阻まれロクな打撃にもなりはしない。
「ヒュッ」
そんな絶対優位の状態から、王の顔が青くなってきたのを見計らい首を締める腕を緩めた。そうすれば当然、生物の本能として空気を求めて息を吸うことになる。だがそこに待つのは、極限まで熱された空気と炎だ。そんなものを吸い込めば、当然肺まで焼け爛れる。
自己否定ーー傲慢の感情を否定しました
自己否定ーー傲慢の否定により信仰に機能不全が発生
自己否定ーー信仰の感情を否定しました
informationーー根幹感情が10個否定されました
informationーーボーナスとしてチートの適応範囲が解放されます
「疾ッ!!」
喉を掻き毟る王の姿に暗い感情が湧き上がるのを感じつつ、チートを込めた抜き手で王の胸のど真ん中をぶち抜いた。掌の中にドクンドクンと脈打つ暖かい何かを感じつつ、一言唱える。
「
握った心臓を握りつぶしながら発動した吸血鬼の魔法は、王の体から様々なものを抜き取り吸収しつつ燃焼回路に焚べて行く。消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえ消えてしまえと、総てを焼却しながらクソ不味い血を味わわされる。ああこんなことなら、食欲なんてなくなってしまえばいいのに。
自己否定ーー暴食の感情を否定しました
自己否定ーー暴食の否定により剛毅に機能不全が発生
自己否定ーー剛毅の感情を否定しました
informationーー根幹感情が12個否定されました
informationーーボーナスとして潜在能力が完全解放されます
燃焼回路ーー自己焼却率69.18%
「ははっ」
もう、笑うしかない。消えろと望んだら消えてしまった。残り時間もドッと削れた。これでもう残っているのは……あれ、なんだったっけ? あと1つ、何か大切な、大きな感情が残っていた筈なのだが名前が出てこない。
それはもう、
「まあ、いいか。死ねよ《収納》」
チートの発動表示もないのに切り替わった自分の思考に寒気を覚えつつ、9割近く乾涸びた王の首と頭を収納して燃焼回路に焚べる。脚を閉じ、乾いた胴を圧し折って踏み潰す。さっきは斬り飛ばしたり乾涸びさせただけだったが、これなら何か致命打にはなる筈だ。
「《ブルーローズ》」
でも、それだけじゃまだ足りない。支払った対価に結果が釣り合っていない。だからこそ先程弾かれ何処かへ行った愛槍の銘を呼び、本来のブルーローズの機能の1つである『帰還』を使い手の内に呼び戻した。
「村雨、3連」
そして、身体が壊れることを厭わず奥義を3連続で放った。右腕は案の定複雑に砕け即座に再生され、おかしな表現だが……燃え盛る炎の中、指方向性を持った炎の斬撃が吹き荒れた。
元の性質通り、放った技は王を3重に斬り刻みながら、チートがその細かくなった断片を燃やして焼却していく。そして──灰すら残さず王の焼却が完了する。
「でも、まだ」
どうせ殺しても、生き返る。これで3……いや、何回目だ? 記憶の連続が途切れている。でもまあ、どうせ生き返る。とことん命を軽く扱う、ふざけた能力で、強いチートだ。
だけど今の俺なら。今の俺であれば、もしかしたら殺せるかもしれない。こんな壊れかけで、リミッターも何もかもが消えた俺なら。
「《自己否定》、《絶対王権》を否定しろ!!」
informationーー魔力的接続を確認、自己と認定
informationーー動作を承認します
自己否定ーー判定に失敗しました
自己否定ーー対象は自己蘇生を実行中
自己否定ーー再試行 : 失敗
自己否定ーー対象の動作が完了しました
「か、は……かひっ」
チートの表示を見ながら鎮火していく炎を見ていると、虚空から溶け出すように王が再出現した。けれどその姿は今までの余裕ある姿とは打って変わって、冷や汗を噴出させ顔を青く染め、極めて消耗した姿となっていた。
「きひっ」
その姿を見て、壊れた嗤い声が出た。
何が効いたのかは分からない。でも届いた。命に。この
「違、う……!」
「俺はまだ、違うんだ……!!」
燃焼回路ーー自己焼却率74.55%
終わりの時計が冷たく見守る中、自分を自分であることを確かめつつ突撃する。そう思い記憶の花弁を撒き散らし、踏み込みを入れた直後のことだった。
──森の色をした風が吹いた
「ようモロハ。いや、アマにぃもか? 1人で楽しいことやってんじゃねぇよ、オレも、混ぜろ」
それは傷だらけ、血だらけの…………? 誰だったっけ……いや、そう、フーちゃん。違う、フロックスさんだ。
「くっ……《防げ》」
「わたしだって、わすれないでください!」
『我とて忘れられるのは困るぞ!』
王のチートに中和されて何の効果も発さなかったが、エウリさんが使ったなんらかの大魔術を感じた。そして、右耳にだけ聞こえた知らない声。どうせそこかしこから聞こえる亡霊と同類だろう、切り捨てる。
「チッ、仕留めきれないか。クソ親父め」
爆発音の中、キンッと小さな金属音が響いた。
閃く刀を杖に納刀した姫さまが、つい数瞬前までは居なかったはずなのに、突如王の背後に出現していた。表情から察するに、どうやら襲撃は失敗したらしい。
だがそれでも、普通ならば致命傷になるであろう傷を王は負っていた。パックリと右脇から左肩に向けて走った傷は、白い骨や黄色がかった脂肪、真紅の鮮血に臓器が見えるほど鋭く深い。
「《治れ》、《爆ぜろ》!」
しかしその程度は、ただ一言呟くだけで再生する。追加で放たれた爆発を魔術で打ち消し、姫さまが後退してこちら側に戻ってきた。
「でも、良くここまで耐えてくれたわ。ここからはあなた1人じゃない、私たちの殺し合いよ」
「そうですか。じゃあ、巻き込まれないようにお願いします。自分でももう、抑えられないので」
燃焼回路ーー自己焼却率75.21%
記憶と共に2色の花弁が散る。
何よりも大切だった物を代償にした力で地を駆ける。
チートの無理な行使で、消えかけの蝋燭の火に燃焼促進剤をブチまけるかの如く、残り時間がすり減って行く。
「《鉄壁》」
「《自己否定》」
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
何重にも重なった現れた防壁を紙のように突き破り、斬撃に斬撃を重ねて再び殺し合いを再開させる。
駄目なのだ、こんな奴と戦ったら。
駄目なのだ、こんな相手とマトモに勝負したら。
姫さまはどうか分からないけど、エウリさんは確実に死んでしまう。今のフー、ロックスさんも押し負けてしまう。それでは、駄目だ。2人が、1人になってしまう。それだけは絶対に駄目だ。
「疾ッッ!!」
「ハァァッ!!」
槍が剣を切断する。──剣が再生する。
──腕が折れて再生する。
槍が銃を切断する。──銃が再生する。
──脚が砕けて再生する。
槍が腕を切断する。──腕が再生する。
──腕が千切れ再生する。
槍が脚を切断する。──脚が再生する。
──右目が潰れ再生する。
槍が首を切断する。──首が再生する。
──歯が砕けて再生する。
槍が胴を切断する。──胴が再生する。
──爛れた皮膚が再生する。
槍が魔術を切断する。──被せるように魔術が来る。
──花弁が魔術を焼却する。
槍がチートを切断する。──即座にチートが再起動する。
無為にも思える行為でも、先程までが10だとすれば4程度の動きしか出来ない王を見るに消耗は明らかだ。こっちの残り時間ももう僅かしか残ってないが、それでも殺す。死なないなら死ぬまで殺す。鉄則だ。
燃焼回路ーー自己焼却率80.63%
もし勝てたら、褒めて、貰えるだろうか?
エウリさんに/ベルに、優しくして貰えるだろうか?
そうだったら、嬉しいな。
《絶対王権》
殺傷性 : S 防御性 : S 維持性 : EX
操作性 : EX 干渉性 : EX
範囲 : EX
EXは全て常時プラス判定
意識して「言葉」にしたことが、ほぼ全て無制限に現実となる。範囲は、通信などを介しても己の声が届く限りどこまでも。一度発動した効果は、己が解除するかなんらかの要因で強制的に解除されない限り永続する。
ex)
・『盾となれ』と床を見ながら呟けば、勝手に捲れ物理法則なんぞを無視して盾となる。
・『爆発しろ』と何かを見ながら呟けば、その物体は爆発する。
と言ったように、まさにチートである。対抗するには、何か1つでも同格のチート、或いはこのチート自体を無視できる程の力を持つ者のみである。
死者の蘇生や死の宣告も可能であるが、其々に制限が付いている。
【死者蘇生の制限】
・死亡後10秒以内であれば、完全に死ぬ直前の姿で復活できる。
・10秒経過後30秒以内の場合、激しくスタミナを消耗し且つ魔力・身体能力が一時的に大きく低下する。
・30秒経過後の場合、命令には忠実に従うかつての人格を模倣した生きた屍となって蘇る。
なおどの蘇り方であっても、自身の死んだ際の記憶は持ち越す為精神力を大きく削られる。
【死の宣告の制限】
・相手の気力が弱っていること
・相手の意思が死を望んでいること
比較的条件は緩いが、相手を殺した際の記憶を受け取る為精神力を大きく削られる。
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75 ████ : ████⑤
作られた月光が差し込む中、舞い散る炎の花弁の勢いはより一層増していた。鏡写しの自分と剣戟を交わすフロックスさんの元にマルガさんと向かう間にも、無数の記憶が流れ込んでくる。
◇
『毒と薬』『半吸血鬼』『痛い』『魔物』『水』『クソ貴族』『スペアの槍』『短剣』『服』『人殺し』『雨』『苦しい』『森』『森』『街』『矢』『衛兵』『騎兵』『鮮血』『霧の体』『ワイバーン』『毒』『熱』『空を飛んでいる』『森』『死』
◇
その記憶の中に、見慣れた森の姿が見えた。それは、モロハさんの記憶が私と会ってからの物しか、もう残っていないという証明に他ならない。時間が、もう無い。
『射程内だ』
ディラルヴォーラその言葉に、焦る私は魔術を全開で行使した。狙いはフロックスさんの鏡に写したような相手。さっき見たいな咆哮の再現は、腕が痺れてしばらく出来そうに無い。でも、違う魔術ならまだ発動出来る。
「マルガさん!」
「私の刀は、秘めるものの筈だったんだけど、ね!」
そう言って、刀なる剣を構えたマルガさんの姿が掻き消えた。その原因は、私が使った魔法。ディラルヴォーラが使っていた、高速移動する風のトンネルの再現。かつて戦った時に猛威を振るったそれは、再現であっても遺憾無く実力を発揮した。
「チッ」
舌打ちしてフロックスさんがその場から跳びのき、鍔迫り合いをしていたフロックスさんの偽物がバランスを崩す。そこに風が爆発する音が響き、直後チンと小さな金属音が響いた。
「便利ね、この魔術」
瞬間、フロックスさんの偽物が4つに等分された。支援した本人であるというのに、私にはその剣の動きは何も見えなかった。そのことを少しだけ悔しく思いつつも、それどころじゃ無いと頭を切り替える。
◇
『知らない天井』『治らない傷』『可愛い人』『何語だ?』『お婆さん』『勇者』『思い出せない』『美味しそう』『血を吸いたい』『武器の整備』『花の眼帯』『安心』『綺麗』『幸せな日常』『戦う理由』『剣に気に入られた』『愛槍』『驟雨』『稽古』『不信感』『水浴び』『片思い』『襲われる』『食われる』『頂かれる』『吸血』『魔法と魔術』『吸血鬼』『幻術』
◇
その瞬間流れ込んできた記憶は、私の知らないモロハさんの村での生活だった。その中にはその、すごく生々しいものもあり、折角切り替えた頭がそちらに興味を持ってしまう。
「何ボーッとしてんだ?」
ポンと肩を叩かれてハッとする。ここはあくまで戦場なのだ、過去に気を取られボーッとしていてはいけない。そう思い杖を握り直し、けれどやっぱり、肩を叩いたフロックスさんに一言申したい。
「モロハさんを襲ってたなんて、初めて知りました」
「ぶふっ」
小さな声でそう耳打ちすると、フロックスさんは噎せて咳き込んだ。どうやらさっきの記憶は本当だったらしい。
「おまっ、どうしてそれを!?」
「後でちゃんと、2人に説明してもらいますから」
そうだ。ちゃんと2人から話を聞いて、怒って、反省してもらって、それで良い。私はそれだけで良いのだ。
「だから、お願いしますね! どっちか1人でも欠けたら、許さないんですから!」
「あいよ!」
そうして、私たちは王との戦闘に介入した。
◇
ポロポロと、虫食いの記憶が欠けていく。
グラグラと、己を己であると知らしめる芯が揺れている。
掛け替えのない宝物が、1秒ごとに失われていく。
燃焼回路ーー自己焼却率84.17%
それでも
「疾ッ!!」
「ぐ、ヌゥオォ!!」
心と一緒に身体を壊しながら再生させられて、斬撃を重ね刺突を連続して薙ぎと蹴りを連接させる。炎で反撃を相殺し、攻撃を延々と繰り返す。
そうやって一度殺す毎に、王が蘇る速度は低下していっている。このペースならきっと、殺しきることができる。
「チッ。んだよこいつ、殺しても殺しても再生するとか理不尽だろうが」
だが、この隣で戦ってくれる女性は誰なのだろうか? 双刀を振るい、植物の魔法を使い、共に戦ってくれるこの人は。多分エウリさんの知り合いなんだろうけど、思い出せない。
「悔しいけど、私1人じゃ殺せなかったみたいね。《昇華》!」
エウリさんの隣で魔術を放つ女性は誰なのだろうか? 何かとても恩があるような気はするけれど、思い出せない。もしかしたら
でも、いいかそんなこと。敵じゃないならどうでもいい。
「ゼアッ!」
義足での回し蹴りで、王の胴体を引きちぎる。義足に残る血と肉片に不快感を覚えつつも、再生した王に向けて走る。
「おいモロハ! あんま先行すんな!」
女性のそんな声を無視して走り、槍を全力で突き出す。もう1殺貰った、そう思って口の端を歪めたときのことだった。王が、壊れた笑みで呟いた。
「《全て、死滅しろ》」
突き出した槍を握る腕が、王の周囲に吹き出した黒い霧に触れ、ジュウという音を鳴らして溶解した。即座にストーリアによる再生が始まるが、追いつかない。三重のチートに保護されている槍と違って、骨だけを残して腕は再生しきることがない。
「そうだ、何故余だけが死なねばならない。国を治め発展させてきた余だけが!」
そんなことを引き起こすその黒い霧は、王が言葉を紡ぐ度に増殖していく。
「《死ね》《死ね》《死ね死ね死ね死ね死ね》《死んでしまえ》、余以外の何もかも!」
直後愛槍が王の心臓を貫き、黒い霧が爆発するように拡大した。王の身体が一瞬で溶解し、風景が死んでいく。石畳が灰色の砂となり、カーペットが灰色の砂となり、生物は溶け無生物は灰色の砂となっていく。
「《自己否定》!」
自己否定ーーチート《絶対王権》の否定を開始
informationーーエネルギーを最大まで放出
黒い霧に取り込まれながら、
愛槍に回していたチートが途切れ槍が消滅する。代わりに放出された青と黒の2色の焔が、黒い霧を取り囲むように展開した。それをよく分からない感覚で認知しつつ、黒い霧の中から転げ出る。
「がほ、ゲホッ」
全身が再生していく気持ちの悪い感覚と喉の異物感に咳き込みながら脱出すると、ドス黒い血の塊が何度も吐き出された。
「ま、だ──」
けれどこれじゃ、終わらない。右腕を掲げ眼前の焔の壁に向け、出来る限りの制御を試みる。
「────!」
「──ッ!」
燃焼回路ーー自己焼却率85.22%
拡散しようとする中身をチートが焼却し、互いに互いの総量を減らして相殺していく。一緒に戦ってくれていた女性2人が何かを言ってるが、聞こえない。どうやら聴覚はまだ完全に再生してないらしい。
燃焼回路ーー自己焼却率86.07%
刻々と上昇する数字を見つつ、出来る限りのことを続ける。だってこれが解放されたら、され、たら──? そう、エウリさんも
燃焼回路ーー自己焼却率87.89%
そして、聞き慣れたあの音が響いた。空間が絶叫するような、不快感しか存在しないあの音。チートが拮抗して対消滅する音。
「逃げろ!」
燃焼回路ーー自己焼却率89.01%
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
そう忠告した時には時すでに遅し。発生した大爆発により、
燃焼回路ーー自己焼却率90.15%
エウリさんは
「くく、これで終わりだぁ!」
そんな
「《焔よ、我が敵を滅ぼせ》!」
第一射は、特大の火球。
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
燃焼回路ーー自己焼却率91.11%
「《氷よ、我が敵を滅ぼせ》!」
第二射は、特大の氷槍。
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
燃焼回路ーー自己焼却率91.89%
咥えていたストーリアを逆手で握り、振り切り両断し否定する。腕が凍りついたが、青一色になった焔が腕を這い即座に解凍する。
「《雷よ、我が敵を滅ぼせ》!」
第三射は、拡散する雷。
自己否定ーーチート《絶対王権》を否定しました
燃焼回路ーー自己焼却率92.19%
フラつく足で王に向けて歩きつつ、無造作に振ったストーリアで両断し否定する。全身が焦げ付いたか、即座に再生された為異臭のみを残して無傷となる。
続く第四射、第五射、第六射も切断の後否定し、一歩一歩距離を詰めていく。そうして分かったことは、王が、どうしようもなく理解しがたいものを見る顔で
「さあ、今度こそ死んでもらうぞ」
残り10歩
掠れた声でそう呟き、ストーリアの斬線を閃かせ、着実に一歩を進める。
燃焼回路ーー自己焼却率92.99%
9歩
苦し紛れに放たれる魔術を全て否定し、着実に一歩を進める。
燃焼回路ーー自己焼却率93.08%
8歩
王が後退りをし、俺に向けて叫んだ。
燃焼回路ーー自己焼却率93.12%
「何故だ! 何故貴様はそこまでして戦える!」
7歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.16%
「神に弄られ、自己を否定されるだけの人形が!」
6歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.20%
「何故そこまで、他人の為に戦える!」
5歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.24%
「この、気狂いめが!」
4歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.30%
「貴様を形作る全てが、所詮偽物であることを知らぬのか!」
3歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.34%
「余を殺せば、この国は停滞するぞ!」
2歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.38%
「そしていつか滅ぶ、それは自明だ!」
1歩
燃焼回路ーー自己焼却率93.42%
「知るか、そんなこと」
そうだ。
「それと、確かに
そうだ。もう
「本物が1つあれば、それでいい!!」
0歩。
そう叫びつつ、逆手で握ったストーリアを全力で王の胸に突き入れた。肉を断ち、骨を断ち、臓腑を割り、命に届いた感触が返ってくる。ああだけど、これだけではどうせコイツは死ぬことはない。だから……
「《自己否定》」
自己否定ーー人物名『エペリオン・リット・イシスガナ』の存在を否定しますか?
「ブチかませッ!!」
承認
自己否定ーー人物名『エペリオン・リット・イシスガナ』の存在を否定しました
燃焼回路ーー自己焼却率95.55%
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76 あの空に帰るまで
カラン、と鐘がなる様な音が鳴った。その原因は、手に握っていた短剣が地面に落ちたこと。目の前に存在していた、殺そうとしていた男が消滅したことにより、体重をかける相手が居なくなった為の結果だった。
そして必然に、俺の身体も崩れ落ちる。自分の身体を支えていたものがなくなったのだ、短剣の上に、そのまま俺は倒れ込んだ。ああ、この短剣の名前はなんだったか。確か、酷く重要なものだった気がする。なのに、どうにも思い出すことができない。
燃焼回路ーー自己焼却率95.59%
どうやら、血を流し過ぎたらしい。戦闘時の興奮状態が終わり、意識が朦朧としてきた。頭がボーッとして、ロクに考えがまとまらない。それに薬の効果も切れてきたのか、全身に激痛の予兆の様なものが走り始めていた。これはもう、ダメかもしれない。
「あーあ、ここで、終わりか」
██の全部を、出し◼️った末の、結果だ。
███さんとの、思い出が
████さんとの、思い出が
███との、思い出が
██との、経験が
█████との、訓練の記憶が
████████との、死闘の記憶が
何もかもが、青い炎に焼却されていく。主義も主張も信念も経験も想いも全てが、青く揺らめく光の中に溶けていく。
燃焼回路ーー自己焼却率96.92%
「けほ」
力ない咳と共に、べチャリと口から血が吐き出された。それは先程の様な腐ったものではなく、新鮮な紅に染まっている。よくよく考えれば、魔力なんかとうに尽きた状態で強化の魔術を使い続けていたのだ。無理もない。身体なんて、壊れていておかしくない。
「まあ、悪くない、かな」
この胸に残る達成感と爽快感だけは悪くない。そう思い身体を返し、崩壊した天井から空を見上げる。そこから見える空は、夜空を示す星空から急速に変化していた。星が消え、夜が去り、雲が現れ、太陽が顔を出し、青空が蘇る。
「綺麗な、空だなぁ」
俺は確か、あの空の下に。あの空の下で過ごす日常に、帰りたかったんじゃなかったか。けれど嗚呼、その日常とはなんだったのか。思い出せない、思い出せないが……悪くない。そんな平凡な幸せを想像するのは、最後に悪くない。
そう思い、目を瞑る。瞬間、視界の端に移る数字が跳ね上がった。
燃焼回路ーー自己焼却率97.44%
自分、が、消え、て無く、なっ、て、いく
数、少な、い、思い出、が
バ ラ
バ ラ と、
崩れ、て、燃 え、て ◼️く。
燃焼回路ーー自己焼却率98.00%
informationーー英雄████の装填を開始
もう、何も、まともに、思い、出█ない。
だけど嗚呼、この幸いの欠片を、抱きしめて眠りにつこう。もう、そろそろ、疲れたのだ。
「███さん!」
誰かが誰かを呼ぶ必死で賢明な声に、目を開いた。
なんだろうかと首を動かし見ると、███さんが、酷く涙で歪んだ顔で駆け寄ってきてくれた。
…………でも、この人は一体誰なんだろうか?
知っているはずだ──分からない
知っているはずだ──分からない
知っているはずだ──分からない
知っているはずだ──分からない
知っているはずだ──分からない
けれど、泣かせたく、なかった人の筈だ。
けれど、ずっと大切だった人の筈だ。
けれど、幸せにしたかった人の筈だ。
残された意思が最大限に駆動する。燃え尽きた何かを頼りに、最後の閃光を放つべく、限界を超えて駆動する。カチカチと、残された思い出がぶつかり合い響き合い、壊れながら最後の時間を捻出する。
燃焼回路ーー自己焼却率98.79%
「泣かないで、ください。多分、俺の大切だった人。俺はもう、何も覚えてない、けど、泣いちゃ、ダメです」
もうそんな機能が残ってないはずの、震える腕を持ち上げる。そうして持ち上げ伸ばした右腕で、██さんの涙を拭き取った。だけどああ、血が付いてしまった。とても、悪いことをした気がする。
████の時も、こんなことが◼️った█がする。あれ、なんだっけ。これ?
燃焼回路ーー自己焼却率98.97%
「いや……いやですよ! いかないでくださいよ、██さん! このまえ、やくそく、してくれたじゃないですか! わたしをおいてったりしないって、ずっといっしょにいてくれるって!!」
燃焼回路ーー自己焼却率99.02%
「すみま、せん。名も知らない、大切な人」
腕から力が抜けた。何か、確かにあったはずの事。なにも、なにも、何も思い出せない。消えている。焼却されている。代わりに無銘の英雄が流れ込んでくる。
知らない記憶
知らない名前
知らない言葉
知らない感情
知らない術技
知らない思い
知らない恨み
燃焼回路ーー自己焼却率99.25%
「なんで、こうなるんですか……! むらのみんなも、おばあさまも、おとうさんも、おかあさんも、わたしをおいて、どこかに……ひどいですよ。なんで、なんでみんな、わたしをひとりにするんですか!」
ポロポロと涙を零しながら、███さんが言う。その雫はひどく熱く、大切だった筈の何かを起こしかけては流れ消えていく。青い炎が、ゆらゆらと揺らめいていた。
「ごめんな、さいね」
「いやぁ、おいていかないでください、いやですよぉ……」
抱き着かれて泣いてしまっているが、俺にはもう何も出来ない。もう、意識を保っていられるかも怪しい。
燃焼回路ーー自己焼却率99.36%
「ごめんなさい。今の俺には、謝るしか出来ません」
「なんで、そんなふうに、あきらめてるんですか! ███さんは、いつも、あきらめずにたちむかってきたじゃないですか!」
そう言って揺さぶられるが、もう分かってしまっているのだ。自分に残された時間はもう残っていないことが。
「そろそろ、時間切れみたいです」
燃焼回路ーー自己焼却率99.48%
自分というものが燃え尽きる寸前、1つ、思い出したことがあった。そうだ、これは言わなければならない。忘れてはいけない言葉だった。
「最後に、言い忘れてました。きっと俺は、あなたのことを、心の底から、愛してました」
どうにか笑みを浮かべて、俺は最後の力を振り絞ってそう言った。
「いままで██さんをまもってきたなら、わたしのすきなひとくらい、まもってよ、ちーと!!」
バンと、小さな手が大きな力で叩きつけられた。けれどもう、何もかもが遅すぎた。
燃焼回路ーー自己焼却率100%
世界が、暗転した。
◇
私たちが王との戦いに介入してから戦闘終了まで。それはとても、とても僅かな時間だった。数合の斬り合いで何度も王が死に、蘇り、青い炎が爆発した。その爆破で負った傷を治している間に、モロハさんは先行して王を、文字通り消してしまった。
「モロハさん!」
そうして倒れこみ、空を見上げたモロハさんに私は駆け寄った。今を逃したらもう、2度とその姿を見ることができない、そんな予感がしたのだ。
全身の痛みを押して駆け寄った直後、私の予感が正しかったことが証明された。本当であればモロハさんだけを、今は私がいるけれど世界から切り抜くように、青い炎が壁として出現したのだ。そして、その火の粉が、また記憶を伝えてくる。
◇
『一目惚れだった』『笑顔が好きだった』『笑っていて欲しかった』『怒っている姿が好きだった』『泣いている姿が好きだった』『困っている姿が好きだった』『言い切れないほど好きだった』『一緒にいるだけで幸せだった』『大好きだ』『愛している』『依存だと言われた』『割り切ろうとした』『それでも好きだった』『自分なんかより、よっぽど大切だった』『幸せになって欲しかった』『幸せにしたかった』
◇
恥ずかしいくらいの流れ込んでくる記憶に動きを止めてしまった私に、震える手が伸ばされた。そして、目に溜まっていた涙が、その指で優しく拭き取られる。
「泣かないで、ください。多分、俺の大切だった人。俺はもう、何も覚えてない、けど、泣いちゃ、ダメです」
そんな、言葉が紡がれた。
焦点の合っていない視線と、生気が失われたような眼、震える手。どこにも外傷はないはずなのに、健康な筈なのに、まるで今にも死にそうなその姿を見て、また視界が滲み出す。
◇
『日常が幸せだった』『手を繋げて幸せだった』『一緒に街を歩くだけで幸せだった』『自分は釣り合わないと思っていた』『洗脳かもしれなかった』『全部打ち明けようと思った』『嫌われても良かった』『それでエウリさんが幸せになれるなら』『自分は幸せになってはいけないと思っていた』『そんな資格はないと思っていた』『2人で見た街は綺麗だった』『受け入れてもらえて、心の底から嬉しかった』
◇
ポタリ、ポタリ、溢れる涙に合わせるように、無数の記憶が雪崩れ込んでくる。
◇
『自分の命は、この人のために使おうと思った』『命をかけると決めた』『ただただ、この時間が続けば良かった』『それだけで、俺は幸せでいられた』『綺麗、だった』『殺させるかと思った』『絶対に守ると誓った』『守れたけれど、心配させてしまった』『不安にさせてしまった』『心が軋んだ』『それでも、好きだと言ってもらえた』『初めて、血を飲んだ』『美味しかった』『麻薬みたいだった』『ずっと一緒に、そう誓った』『エウリさんを置いて、どこにもいかないと決めた』
◇
「いや……いやですよ! 行かないでくださいよ、モロハさん! この前、約束、してくれたじゃないですか! 私を置いてったりしないって、ずっと一緒に居てくれるって!!」
気がつけば、そう言葉が溢れ出していた。
無駄なのは分かっている。記憶がないのも、唯一全部を教えてくれていたから、分かってしまう。それでも、止まらなかった。
「すみま、せん。名も知らない、大切な人」
それなのに、覚えていない筈なのに、優しくされる。これ程嬉しくて、辛くて、苦しいことはない。そして、モロハさんの腕が落ちた。
「なんで、こうなるんですか……! 村のみんなも、お婆様も、お父さんも、お母さんも、私をおいて、どこかに……酷いですよ。なんで、なんでみんな、私を独りにするんですか!」
私には、お父さんとの記憶がない。お母さんとの記憶も殆どない。代わりに育ててくれた村のみんなは、死んでしまうかいなくなってしまった。1番親しくしてくれていた、お婆様も死んでしまった。唯一残ってくれたフロックスさんも、気にかけてはくれるけどそれだけだ。
隣に立って、一緒に歩んでくれるのは、モロハさんしかいなかった。なのに、そのモロハさんも私をおいて何処かへ行こうとしている。
「ごめんな、さいね」
「いやぁ、おいて行かないでください、いやですよぉ……」
最後の糸に縋るように、全力で回復魔術を行使する。けれど、手応えは一切なかった。けれど私の愛した人が、モロハという人間が、確かな手応えを持って消えて行くのが分かってしまう。
「ごめんなさい。今の俺には、謝るしか出来ません」
「なんで、そんなふうに、諦めてるんですか! モロハさんは、いつも、諦めずに立ち向かってきたじゃないですか!」
閉じようとするその眼を認めたくなくて、起こすように揺さぶるけど止まらない。
「そろそろ、時間切れみたいです」
悪足掻きをしている私に、明らかに無理をしている笑みを浮かべて、モロハさんが言う。
「最後に、言い忘れてました。きっと俺は、あなたのことを、心の底から、愛してました」
そしてその目が、今閉じられた。同時に殆どなかったが活性化していた魔術回路が停止し、魔力の流れが消滅した。端的に言って、それは死と同等の現象だった。
「今まで██さんを守ってきたなら、私の好きな人くらい、守ってよ……ちーとだって言うなら!!」
間に合わなかった。そんな事実を受け止めたくなくて、ドンとモロハさんの胸を叩いた。奇跡などない。そんな事実を突きつけるように何も起こらない現実に、堰を超えて涙が溢れる。落ちた先の服に染みを作っていくそれをどうすることもできず、蹲ることしか出来ない。
「嘘つき……」
ついそんなことを言ってしまった直後のことだった。
静かに、モロハさんの左眼が開いた。
書きながら聞いてたBGMは、さユりの十億年でした。
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77 あの空に帰るまで ②
自己否定ーー最終sequence《魂の焼却》が完了しました
自己否定ーー魂の焼却率100%
自己否定ーー記憶の焼却率100%
informationーー最終スキャニングを開始
・
・
・
informationーー最終スキャニングが完了しました
informationーー現在の肉体に人格情報は存在しません
informationーー現在の肉体に記憶情報は存在しません
informationーー人間『欠月 諸葉』は焼失しました
informationーー全工程が完了しました
自己否定ーー英霊の装填率50%から変動しません
informationーー問題ありません
informationーー抗うことは不可能です
informationーー役目は果たしました。自己否定はシステムを終了します
無機質な表示だけが存在する空間。そこでは今、延々と動作の事後処理が行われていた。
宿主であったものの消滅の確認。
成り代るべき英雄の存在の確認。
その時代、その文明を、否定する為だけの装置の完成を目指し、チートは駆動していた。
そう、けれどその全てが過去形である。もう終わったのだ。終わってしまったのだ。何もかもが、もう既に手遅れであった。自己否定というシステムは動作を終え、成り代るべき英雄であるアマリリスは、そのことを拒絶しているが意思だけで争うことができるものでもない。
故に何もかもが終わっていた。終わり続けていた。不可逆の道を、1人ですらないモノが突き進んでいた。
『嘘つき……』
そこに、一滴の涙とたった1つの言葉が落ちる。
深い悲しみと後悔と信じたくない気持ちと、軽蔑と八つ当たりと否定が混じり合ったものが加えられる。
それは、少女が気紛れに落とした涙と零した言葉。ありふれた悲劇を綴る最後の言葉。けれどそれは、同時に英雄が再起する言葉でもある。少女の涙と悲嘆の言葉、それを受けて再起しないものが英雄と言えるだろうか? 否、断じて否である。
けれどまた、普通であるならば再起が不可能であることもまた事実。己の意思が、記憶が、自我が消えてなお蘇る者は化け物だ。戦い続ける鋼の意志を持つのは、常識はずれの英雄だ。
模███ーーアクセス失敗
だが、どうだ? 『欠月 諸葉』という人間は……いや、自分を守る為『欠月 諸刃』と無意識に名乗る様になった
模倣██ーーアクセス失敗
模倣転█ーーアクセス失敗
だが、それでもまだ足りない。意志の強さがあるだけで何とかなるほど世界は甘くない。何せ、その意志自体が消滅しているのだ。故に、それを取り戻すことが必要である。
そしてモロハには、自己否定を起因としないチートが、世界を騙すズルが2つ備わってる。それはかつての親友の形見である《肉の鎧》と、必要として奪った《模倣転写》。使う意思がなければ意味のないチートだが、後者は名の通り力を模倣するチートである。そのチートにコピーされていた力は、転移ともう1つある。それは、なんだったか?
模倣転写ーーアクセス成功
模倣転写ーー再起動、成功しました
模倣転写ーー残稼働時間 : 1000秒
模倣転写ーー選択 : information起動
それは、informationと表示される、自己否定のスキル。使用者の意識がない時であろうと、常に稼働し続け力を振るう能力。しかも自己否定という括りから解き放たれた、あくまで模倣転写というチートのinformationである。
故に、あり得ないことが現実化する。
何もかもを模倣する力に、仮初めの意志が宿る
不可逆が可逆に変更される。
しかし、これでもまだ足りない。0が1に変わっただけで、解決に至るには何もかもが不足している。その理由は単純で……出力不足なのだ。コピー時に様々なものがトリミングされたせいで、根本的な出力が致命的に足りていないのだ。
故に時間制限が架され、終わるまで見ていることしかできない。そう。その筈だった。
『そうだな、認めるわけにはいくまい。労働には、それ相応の対価が存在するべきだ。そして、我が認めし英雄を使い潰すことなど、許すと思うたか』
だが、ここに上位竜というイレギュラーが介入する。ただ不満だから、そんな理由で介入した最強生物。魂だけと侮るなかれ。上位の存在に限るが、この世界での竜の肉体など、あくまで現実の世界で安定して過ごすための依代に過ぎない。魂のみ状態でも城を吹き飛ばす大破壊を引き起こす力を持つのが、竜という存在だ。
そんな怪物に気に入られていたことが。一方ではあったが、その魂と共に在ったという事実が、1だった可能性を跳ね上げる。
『気が効くな。では我も、相応の対価を差し出そうではないか』
更に、ディラルヴォーラの戯れがプラスされる。『英雄の過去を追体験する』そんなことを行なっていたことにより、本人以外で唯一完全な記憶をディラルヴォーラは保持していたのだ。
『随分と率直な物言いではないか。だが、我に何を差し出し協力を請う? 我が認めたモロハでない以上、供物がなければ我は動かぬぞ?』
そして竜とは、単体で最も強い生物であるが故に、何もかもに正直な生物である。己の心にも、気持ちにも、そして対価にも。それは、交渉するに足ると認めた相手が正当なモノを差し出せば、その分の協力は取り付けられることを意味している。
『良かろう』
そしてここに、全ての条件が整った。
少女の涙。
宿主の意志なく動く、模倣の力。
再配置するべき記憶。
不足する出力を補う圧倒的な力。
不可逆への反逆が、始まる。
◇
開かれたモロハさんの左眼。兎の様な赤いその眼に、ボウと光が灯った。青い炎に囲まれる中、段々とその光は増していきある1つの物を形作る。
「これって、魔法陣……?」
自分の口から出た知らない言葉に違和感を感じている間に、その精緻な文字が刻まれた回転する円形の陣は、刻一刻と存在を確かにしていく。
そうして、床と垂直になる様に1つの陣が現出する。見たことのない文字が踊り、様々な図形が重なり合い絡み合うそれは、どんな魔術や魔法の知識を使っても読み解くことができない。
「こんなのどうすれば……」
きっと大切な何かであると思われるそれを前に、呆然としながら言った次の瞬間だった。勢いよく陣が回転を始め、図形や文字がズレその中心に空間を作っていく。
その空間に何か文字の様なものが出現し、物凄い勢いで流れ始める。訳の分からない状況に怖さを感じていると、突然その流れが止まり、よく慣れ親しんだ文字で書かれた文が出現した。
◇
自己否定ーー最終sequence一時停止
燃焼回路ーー自己焼却一時停止
◇
ジッと見られている様な感覚とともに、読み解いた文はそこで止まっていた。それは私に何か選択を迫っている様で、肝心なことはなにも言ってくれていない。でも、嘘にしたくないことだけは確かにある。
「私は、また、モロハさんと、一緒に……生きたい!」
それだけは、誤つことのない真実だ。
また一緒に過ごしたい。また一緒に話したい。それでフロックスさんとのことも聞いて、言い訳を聞いたり怒ったりして、仲直りするのだ。そうして、いつか聞いた『お墓参り』なるものをしたり、何処か定住できる場所を探したりして、平和に日常を過ごすのだ。
それくらいの、ありふれたちっぽけな、細やかな日常を過ごしたい。高望みをしていいならば、戦いなんて無縁の日々を過ごして見たい。
◇
Power assistーー接続 : 黒崩咆ディラルヴォーラ
◇
夥しい量の文字が、恐ろしいほどの勢いで流れていく。そんな中、見馴れた名前を見かけた。つい先程まで、私に協力してくれていた偉大な竜の名だ。
「私にも、何か出来ること、ないのかな」
そのことは嬉しい、嬉しいけれど……私だけ何も出来ていない。私の知らないところで、何かが勝手に進んでいく。それだけが、どうしても怖かった。
◇
◇
「思い出……」
何か、モロハさんが思い出せるようなこと……私に、何か出来ることがあるのだろうか。いや、私にしか出来ない何かがある筈だ。
「そう、だ」
人前でするのは少し恥ずかしいけれど、幸い今は誰も見ていない。青い炎の壁が全てを阻んでくれている。だから──
「んっ」
唇を噛み、流れる血を口に含む。広がる血の味と、鼻に抜ける鉄臭い匂い。それを留めたまま、モロハさんに口づけした。そして、口の中に溜めた私の血を流し込んだ。
唇の間から血が溢れ、肌を伝って地面に垂れていく。それは何故かひどく背徳的で淫靡な感じがして、頬に熱が集まるのを感じる。それでも、深いキスを続ける。それがきっと、モロハさんが戻ってきてくれるきっかけになると信じて。
「戻ってきて、くださいよ……」
そしてたっぷり数十秒間も続けた後、ダランとして力の抜けたモロハさんの身体を抱きしめた。
◆
いろいろなものが、ながれこんできた。
たいせつだったはずのきおく。すきだといってくれたひとのきおく。
すきだった記憶。おいしかった記憶。そして、昔のわすれていた記憶。知らない森の、ちいさな女の子の記憶。
戦いの記憶。愛した記憶。何のために、誰のために戦っていたかの理由。
それらを通じて、自分がどんな人間だったかを思い出す。作られた人格をベースに、『欠月 諸刃』という人間がどんな人物だったのかを思い出す。
熱い血とキスの感触が、壊れた自分を繋ぎ合せて欠けを埋めていく。同時に、どうしようもなく自分が本人ではない感覚も湧き上がってくる。
「まあ、そうなると思っていたよ」
意識がはっきりしたと思った途端、世界は一面の花畑に変わっていた。レモン型の月が浮かぶそこに、いつの間にか俺と、アマリリスさんは座っていた。
「あっ……」
「人格を再現するなんて、幾ら君たちのチートとはいえ随分と無茶だ。しかもボクも手助けしたとはいえ、成功するなんてね」
微笑んで言う師匠に、何も言うことができなかった。何を言えばいいのか、分からない。いや、そもそも言葉とはどう口にするんだったか。
「喋れないなら、まあそのまま聴いてていいよ。
自分を見失って壊れそうになってるキミに、先達としてアドバイスだ。まあ、最後に壊れたボクが言えることかも分からないし、そもそも受け売りなんだけどね」
ボクの槍を改修してくれた、あの銀色の子が言っていたことだ。そう前置きしてから、アマリリスさんは話し始めた。
「スワンプマンっていう思考実験らしいんだけどね。
ある男が沼にハイキングに出かける。この男は不運にも沼の傍で突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷がすぐ傍に落ち、沼の汚泥が不思議な魔法反応を引き起こし、死んだ男と全く同一形状の人物を生み出してしまう」
そういえば、どこかでそんな話を聞いた記憶があるような気がする。地球で……だったか、よく思い出せないけど、多分そうだったはず。
「この落雷によって生まれた存在を、沼男……スワンプマンと言う。スワンプマンは細胞やそれを構成する、もっと小さな粒まで死んだ瞬間の男と同一の構造をしており、見かけも全く同一だ。もちろん脳の状態も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全くの同一。そして沼を後にしたスワンプマンは死んだ男が住んでいた家に帰り、死んだ男の家族と話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みながら眠りにつく。
さて、それは死んだ男と同じ人物であると言えるのかな?」
それは、どうなのだろうか。
外から見ればそれは、何も変わらない筈の人物だ。何から何まで同一の存在で物質で、誰も変わったことに気付かない。それは本人と言えるのではないか。
内から見ればそれは、どこかおかしい筈の人物だ。死んだ男の心はそこで死んだ筈で、蘇ったスワンプマンは別人といえるのではないか。
では、俺はどうなのだ?
身体は同一。
記憶は同一。
知識は同一。
経験も同一。
力も同一。
けれどその魂は、心は、本当に同一なのだろうか?
俺は『欠月 諸刃』という
奇跡なんて存在しない。どこかで見たそんな言葉が、頭の中に蘇った。そうだ、現に出ているチートの表示だってそうじゃないか。『復元』ではなく『再現』、この時点でそもそも『俺』と『俺』は別人であるのではないか。
途端に、自分という存在が揺らいだ。自分の存在が信じられなくなる。自分なんてものが生き返っていいのか怖くなる。ああ、そうか。これが恐怖か。この感覚も随分と、久々だ。
「ボクもね、この問いの答えは教えてもらってないんだ」
身体を抱いて震える俺に、そんな言葉が投げかけられた。無責任なような、けれど納得しているような声。
「でもね、ボクは同じだと信じているんだ。
生きている間ボクは、何度も何度も殺した筈の相手が蘇るのを見た。キミも確か、王を殺してたから分かるかな。間違いなくあれは、同じ人間だったよ」
「確、かに」
「それともう1つ。ボクがここにいること自体が、その証明だ。何せボクはボクであると、胸を張って言えるからね」
ドンと胸を叩いて言うアマリリスさんの言葉には、妙な説得力があった。確かに嗚呼、言ってしまえばそうなのだろう。要は心の持ちよう1つで、どちらにも傾くと言えないこともない。
「だけどボクは、この答えを正解だと強要はしないよ。何せこれは、あくまでボクの意見であって、キミの考えじゃない。あくまで参考の1つにしてほしい」
「そんな、無責任な……」
「そうだよ、ボクは死者。無責任で上等だよ。
それに、キミが駆け抜けたこの世界は広いんだ。これが絶対に正しいなんてもの、あるわけがない。ボクのように本人と言う人もいるだろうし、そんなのは気持ちが悪い化物で別人だと言う人だっている筈だよ」
「だからモロハ、キミはキミだけの答えを見つけるんだ。それが見つかった時、それがきっと自分を取り戻すことができる時だから」
花が、空高く舞った。
笑顔でそう告げたアマリリスさんが、自分の手を自分の胸に突き刺したのだ。そしてコフッと赤い血を口から零し、花畑に倒れこむ。
「ボクがいたら、キミはキミとしていられなくなる。必ずキミの力が、キミをボクにしようと暴走する。だからこそ、ここでお別れだ。短い間だったけど、悪くない旅だったよ」
「待っ──」
伸ばしたこの手が届かない程速く、遠く、花畑の情景が遠ざかっていく。そして訪れる浮遊感と、自我が希薄になるような吐き気を催す感覚。
「て、師匠!」
次の瞬間には、俺は、王城の中へ戻っていた。エウリさんに抱きしめられ、消え去る花畑と師匠の幻影に手を伸ばした形で戻ってきていた。同時に魔法陣らしき物体が砕け散り、赤い光を撒き散らして消滅した。
「は……?」
温かさと柔らかさと、同時に突きつけられる圧倒的な情報の波。何故が頭の中で連続し、即座にそれが意味のないことだと悟り切り替える。何かが致命的に狂ったこの状況に、何故ではなく真実を探す。
チートが開示してくれた情報から、なんとなく現状を察することができた。自分を助けてくれたこのチートに何かをしたいが、それを考える時間も実行する時間も致命的に不足している
直後、左眼に突き刺すような痛みが走り文字が全て消失した。目が覚めてからたった数秒で、色々な出来事が起こりすぎて頭が混乱する。そもそもまだ、俺が俺であるかどうかすら決めることができていない状態だと言うのに、これ以上問題を押し付けられても何もできるわけがない。
頭を掻き毟りたい衝動を、一度深呼吸する事で抑える。チートか働いた気配はないが、うん、少しは落ち着いた。その直後、身体が仰向けに押し倒された。
「っ痛」
突然のことで受け身も取れず、頭を強かに打ち付け視界が明滅する。そんな視界の中、顔に落ちてくる水滴を感じてなんとか目を開ける。そこには、涙を落とすエウリさんの姿が目一杯に映し出されていた。
「えっと」
この状態で、俺は何を言えば良いのだろう。紛い物かもしれない俺が。ただいまだろうか。それとも謝罪だろうか。そんな風に迷っていると、震えた声でエウリさんが言った。
「モロハさん、ですよね?」
でも、そうか。やっぱり俺が紛い物であったとしても、エウリさんを泣かせるというのは嫌だ。絶対に。だからきっと俺は、俺で良いのだろう。我思う、故に我ありと言うように、自分が自分として……前と同じ自分かは分からないが存在していることだけは確かなのだ。
「呼び方、戻ってますよ」
そう言って、涙を零すエウリさんを抱きしめる。その温かさを感じながら、まだボンヤリとしているままの頭で自問自答に一旦の区切りをつける。
そもそも人間なんて、その時々によって変わりゆくものなのだ。前の自分と全く同一の自分なんて存在せず、変わった自分しかいない。今自分を騙す結論としては、これくらいで丁度良い。
そして心を決めたなら、言う言葉は決まっている。
「心配掛けてごめん。ありがとう。
それと──ただいま」
「おかえり、なさい!」
失ったもの
愛槍
アマリリス師匠
自己否定、及びそれに付随するチート
模倣転写内のinformation
ディラルヴォーラとの接点
得たもの
未来
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78 エピローグ
あの戦いの後、姫さまへの政権の交代やらなんやらは、予想よりもずっと早くスムーズに終了した。
その理由は幾つかあって、第1に『そもそも住民からの信頼が厚かったこと』が大きい。王族ではあったけれど、一般市民と同じ市場で食べ物を買い、生活し、貴族が疎んだり排斥したりするような人物でも、能力さえあれば採用していたことが結構デカかったらしい。
第2に『受け継がれた《絶対王権》』の存在がある。姫さまが長年にわたり工作していたお陰で、手が回っている貴族の数はそもそもの話半数を超えていた。それでも尚反対する貴族は……正確には再三の忠告を無視して横領などを続けた悪徳貴族は、姫さまの《絶対王権》により、証拠を持ち出してきて自白するという逃れようのない方法で処されている。『全てが潔白でなくてはならない』ではなく、『必要分の汚れは容認する』スタイルであったことも大きく響いた。
第3にあるのが『生き残りの勇者』の存在だ。今の俺のボロボロの姿と共に、今まで使い捨て兵器として使われていた勇者の現状が次々と暴露されたのだ。それにより、姫さまを含む王家への信頼は失墜。けれど姫さま個人に関しては、『鎖の勇者(鎖是くるみというらしい)からの嘆願で決起した』ということにしたことと、勇者二世たちからの指示もあり、信頼が0に落ちることはなかった。
その過程で何故か、俺に『悲劇の英雄』なる呼び名が増えたけれど正直あまり気にしていない。
最後に『姫さま自身が有能だった』ことが最も大きい。この国で最も強い魔術師というのは嘘偽りなく、武術もそれなり以上に納めている。それでいて政治や財政についても、クーデターを起こすため嗅ぎ回っていたため明るく、少々の問題こそあれど皆に歓迎されたとか。
まあそんな感じで姫さまは晴れて戴冠して、女王となった。何気にこの国設立以来初の女性王でもあるらしく、記念硬貨が発行されていた。
そして戴冠により、姫さまが抱えていた問題も幾つか解決した。
1つ目は縁談。曰くクソみたいな奴との縁談の話は、『国がこんなに荒れている状況で、私が嫁に出たら国が滅ぶだろ馬鹿め』と言った感じで突き放したらしい。実際は、壊れた街などは1日で《絶対王権》と《昇華》《固定化》の合わせ技で再生しているのだが。
屋敷が再生してくれたお陰で、俺たちも住む場所に困ることがなくて安心した。
2つ目は貧困。今までは部下に払うお金を捻出するために、自身の食費や趣味費を削りに削っていた姫さまだが、それでは民にも他国にも示しがつかないと、今では普通の食事を普通の量食べれるようになった。
一応直属の部下扱いの俺たちも、前より美味しいご飯が食えて満足できる変化具合だった。
と、まあこんな感じで日常が過ぎていくこと、はや半年。
政変及び政権交代の衝撃もなりを潜め、統治が落ち着き、生活が安定してきた頃……俺たちは、エウリさんたちの集落があった森へと来ていた。
「なんというか、感慨深いなぁ……」
あの時焼け焦げた建物は既に緑に覆われ、天高く聳える3本の大樹が村だったこの場所を見下ろしている。ここで過ごしたあの暖かい日々は、1年も経ってないのに、どこかもう遠くのように思えてしまう。
「そうなんですか?」
「そりゃあ、まあ。色々あり過ぎましたから」
戦って戦って、何かを考える暇もないほど戦って。エウリさんと、その、改めて思うと気恥ずかしいが結ばれて。死んで、蘇って。そうして今、俺はここにいる。
その間、一度も挨拶に来ることができなかったのだ。チートが無くなったからもう幽霊を見ることはないとは言え、どうしようもなく緊張はしてしまう。
「でも、その前に」
大樹の根元に広がる花畑に足を踏み入れ、石碑に纏わりついていた苔や雑草を収納して取り払う。僅かにしか残ってないチートでも、これくらいの『ちょっと便利な力』ならまだまだ問題なく使える。
「お線香、ちょっと持っててくれます?」
「あ、はい」
そのことを確認しつつ、エウリさんと2人で石碑の前に座る。同時に多分先生か誰かの遺品であるライターを取り出して、エウリさんに持って貰ったお線香に火をつける。その火を振って消し、何故か王都にも存在していたお線香をあげる。
改めて説明しろと言われると分からないが、御墓参りはまあこんな感じで良かったはずだ。花はたくさんあるし、お供え物は……ほら、持って来るまでに腐っちゃうから。
「それじゃあ」
そう呟いてから、目を瞑り手を合わせる。まあ片手だから、あまり良い格好ではないが。
そして、今まであった色々なことを報告する。戦いのことを始めとして、一から十まで色々と。そうして満足いくまで話をした時には、大体5分程の時間が経過していた。
けれど、隣を見ればエウリさんはまだ手を合わせて目を瞑っていた。きっと俺なんより、積もる話が色々とあるのだろう。なにせ、自分を育ててくれた親代わりの人だ。たった1週間過ごしただけの俺なんかとは、比べられるはずもない。
「ですよね、師匠」
石碑に背を向け、一面の花畑を見ながらそう呟く。折角この場所に来たのなら、アマリリス師匠にも挨拶はしなければならないだろう。何せ師匠も、掛け替えのない……けれどもう失われてしまった大切な命の恩人だ。
お線香の匂いが立ち込める中、俺は他2つの木の根元にも線香をあげる。鈴森と、魔法少女の勇者と瞬間移動の勇者。良い思い出はないが、死ねば皆骸だ。それに──
「俺が殺したうえ、力だけはずっと借りてるしね」
お墓に適当に買ってきたお酒を置いて、もう一度手を合わせる。今俺が使えるチートは、元々持っていた《亜空間収納》と、元は鈴森の物であった《肉の鎧》、そしてinformationが消えたことで使えない転移の《模倣転写》の3つ。その中で《肉の鎧》は、義足を動かすために日常的に使っているのだ。殺しにきた相手だろうと、感謝は伝えねばなるまい。
「さて」
閉じていた眼を開きそう呟いて手を下ろすと、その手が柔らかい何かに包まれた。見れば、いつのまにか隣に立っていたエウリさんが、手を繋いでくれていた。
「終わったんですか?」
「はい。いろいろと、ほうこくしてきました。そういうモロハはどうなんですか?」
「こっちもまあ、ぼちぼちですね」
やりたかったことは、もうあらかた完了している。なら後は帰るだけだ。愛する人と一緒に、我が家へ。
「それじゃあ、かえりましょうか」
「ですね。フロックスさん達も待たせちゃってますし」
あくまで俺たちは、ここに2人だけで来た訳ではないのだ。『悲劇の英雄に今死なれては困る』という理由で、森の外には護衛の人たちが少し存在している。古樹精霊の森の中ということで2人きりになることが出来たが、あまりにも長く戻らないと心配させてしまう。
「それもそう、ですね」
そんなことを話しながら、指を絡め手を繋いで、村の入り口に向かって歩いていく。隻腕の俺にとってはかなり危険な行為なのだが、今この時くらいは良いだろう。
「そういえば、いきおいでいえをかっちゃいましたけど……おかね、どうするんですか?」
「この前姫さまから、『新人の兵士扱く仕事就かない? 金は相応に出すわ』って言われたので、ボチボチ返済していこうかなーって」
別に大きい屋敷などではない、特別な所のない小さな一軒家。それが我が家だ。まさか成人する前に家を持つなんてことになるとは思いもしなかったが……帰るべき場所があるというのは、そこで愛する人が待っていてくれるというのは、存外に悪くない。金銭的な負担を負って尚、有り余るほど幸せに溢れている。
「しばらくいそがしくなりそうですね……」
「それがなんか、俺の戦い方は特殊すぎるからしばらくはゆっくり休めって言われてるんですよ」
それが姫さまの気遣いなのか、事実なのかは俺には判別のしようがない。けれどしばらくの間
「いままでが、はたらききすぎだったんですよ。わたしもいっしょにいますから、ゆっくり、やすみましょう?」
「ええ。ここ数ヶ月、別の意味で忙しかったですし」
俺が俺なのかという問いには、未だ答えを出すことは出来ていない。けれどこれは、きっと俺が一生付き合っていかなければいけない問題で、すぐに答えを出してはいけない問題だ。
でもきっと、愛する人と一緒になら付き合っていけるし、先送りではない答えを見つけることができるはずだ。何せこれから、長い長い時間があるのだから。
〜Fin〜
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あとがき
大体10ヶ月くらいの長い間、お疲れ様でした。
こんなクッソ重いしエグい(読者評価)物語を最後まで読んでくださり、本当にありがとうございました。
というわけで、遂に「あの空へ帰るまで」完結ですよ。
書こうと思ったきっかけはなんだったっけ……多分日常的な話を書いてた時にエグいの書きたくなったのと、趣味が暴走した結果ですねこれ。というわけで、自分が書きたいことを書きたいだけ、周りの評価を特に気にせず書ききった本作でした。
まさか、感想欄の阿鼻叫喚があんなに気持ちの良いものだとは……お気に入り伸びなかったけど満足です。『内容が重すぎる、1話1話が安心して読めない』らしいから是非もないよね! 自覚はしてる。
でもって、異世界ものに関するちょっとした不満感を全部どうにかしてみたいなーという試みでもありました今作。
なんで温室育ちの日本人のガキが生き物殺してなんとも思わないの?
なんで自分の怪我をそう簡単に受け入れられるの?
なんで大怪我しないとかあり得るの?
なんで武器なんてものすぐ使えるようになるの?
なんでチートがあるのは主人公だけなのか?
男の娘って良いよね
etc……
というわけで行き着いたモロハくんちゃんとそのチート、そんでもって勇者という立場。
何かを変える為には自分を殺さないといけない
怪我を受け入れる為に心を殺さないといけない
当たり前のように大怪我はするし身体も欠ける
武器だってロクに使えるものじゃない
チートなんて誰もが持ってる
友達も全て殺すべき敵
ミニスカ女装欠損包帯男の娘可愛くね?
使い捨ての特攻兵器扱いで、機密や明かしたくない秘密を抱えているから暗殺対象で、後ろ盾は不安定な姫さまただ一人。
そんな中掴み取った、大切な人と過ごす日常。今まで駆け抜けさせられていた所為で、考える暇もなかった「自分」という存在について考えられる平和。10年経ったらハッピーエンド大好きバトルジャンキードラゴンが来訪するけど、きっとそれまでは平和平和。まあそんな感じで、モロハくんちゃんの物語は完結です。
因みにハッピーエンドドラゴンは、「同じ姿で戦うとかつまらないだろう」と境ホラの半竜的な形で来襲します。モロハ側にも《昇華》と《絶対王権》の強化があるので、死にそうになっても死にはしない感じで決着すると思われ。
あと書き忘れてたこと何か……あ、そうだ。タイトル。
『あの空に帰るまで』は「死んであの空に帰る」とか「地球の空に帰る」とか「愛する人が待つ空の下に帰る」とか色々解釈できる感じに。だから本編での回収も曖昧だったりします。
読者さんの言葉を借りるならば「空の下にいる愛するヒト」の元に帰ることができた、とも言えますね。私は「愛するヒトが待つ青空の下」に帰ることが出来たとかも良いかなーって思ってます。
さて、ここで残った問題は『あれだけラスボスムーブかましてたファビオラはどうなったの?』というものと、『《自己否定》とは結局なんだったのか?』というもの。
実はあの空へ帰るまで、ルート分岐を最初は予定してまして。このルートじゃ触れられないんですよね。ですので、文字数埋めも兼ねて、分岐したかもしれないルート紹介を最後の方に。
まあ蛇足なので、読むの面倒な人のために簡潔にまとめます。
ファビオラが魔王だったんだよ! ナ、ナンダッテ- Ω ΩΩ
《自己否定》は自分の箱庭である世界で、何かをやり過ぎたモノを否定する為に所謂神が送り込むもの。それを主人公として愉しむ為のオモチャ。世界か執拗に王を殺そうと仕向けていたのは、自分たちが設定した主人公を、毎回毎回何もさせずにブチ殺してたからと。
それでは次回作でまたお会いしましょー。
さて、ボツネタ供養も兼ねて蛇足。
まず今回の『エウリ』ルートは、読んでくださった通りです。
異世界側がメインで、クーデターを成功させてハッピーエンド。日本に帰るということはなく、幸せに二人は過ごしましたとさと締めくくられる話。
◇
次に、最初に予定していた『委員長』ルート
日本側がメインで、ファビオラを倒し、魔王を倒すある意味王道のルート。でもこの場合は、ハッピーバッドエンドです。簡単に纏めるとこんな感じ。
最初の学校で
→ヒロインと死の間際に、みんなを地球に帰すと約束
→ヒロインの持っていたチート【具象化】を受け継いで奮闘
→自分を削り、自分を殺し、約束を守る為奮闘し、半死半生になりながら魔王を討伐
→送還の魔術を使い、勇者全員を指定。発動直前に洗脳勇者が全員集合(この時点で、もう自分が何者であったか何のために戦っていたのかは忘れる)
→半人半魔となった主人公を、魔王城にいる魔族=敵と判断し総攻撃
→主人公死亡
→けれど死の間際に約束を思い出し、約束を守ることができたことに満足して死ぬ。
→これを契機に姫さまがクーデターを起こし、勇者という防衛力の無くなった王をヘルクトと共に斬首
→新政権となり、勇者の実態を告発
→今までの勇者達を弔う国葬的なものが発生
→事態解決の立役者→英霊へ……
といった感じの、ファビオラがボスのルートです。
ヒロインがいないとまあこうなるよねって感じの終わり。1番後味が悪いです。でも【具象化】というチートのお陰で自分が失った感情分、指数関数的に力は強くなるので3パターン中1番強くなるルートでもあります。
◇
最後に、《自己否定》の謎とか全部を回収する、姫さまルートという名の総まとめ的ルート。1番長い。
基本的に2つのルートの複合(委員長は死亡、エウリとは信頼関係はあるが恋愛関係はない)で、クーデターを成功させた後、魔王側から宣戦布告。新政権という不安定な状況の中、数少ない姫さまの私兵を中心に戦争開始。
王を殺したメンバーで魔王軍側の中枢に突入、討伐直前にモロハの限界が来て《自己否定》が暴走。モロハの人格を消し去り、アマリリスを全て吸収し、自己否定に付随する全てのチートを引き剥がして《自己否定》という1つの人格として分立。
分裂した《自己否定》は、肌の色は白、髪は紅蓮なモロハの2Pカラー(五体満足)
抜け殻となった血塗れのモロハの目を閉じさせ、『平和』のためと理想を掲げ、『平和』から最も遠い戦争を起こしている人間・魔族の虐殺を開始する。死にかけのモロハを、姫さまが《絶対王権》を使い蘇生。
自分から出たものだからと、突入チームに合わせ無理を押してモロハは出撃。その際、ディラルヴォーラと戦ってないから残っていた右脚を差し出して、ファビオラを一時的な味方に。最後の決戦が開始します。
独立した《自己否定》が槍と炎で虐殺を続ける戦場に、ファビオラと姫さま(with絶対王権)、フロックスとエウリ、ヘルクトと騎士団、おまけにモロハが参戦。暴走する《自己否定》とのラストバトル。
姫さまを庇ってヘルクトが致命傷を負って後退。エウリとフロックスが炎に焼かれて撤退。ファビオラが《自己否定》の心臓を貫き、けれど反撃で存在を《否定》されて死亡。その直前、モロハに吸血鬼としての力を全て託して消滅。
降伏勧告をする《自己否定》と、最後に残った姫さまと共に問答。「自己否定を否定する」「未来を否定させはしない」と答えを突きつけ、降伏勧告を否定。戦闘継続。
死闘の末、前からは姫さまの刀が、背後からはモロハの槍が《自己否定》を斬り裂きほぼほぼ相打ちに。吸血鬼としての力で、モロハが《自己否定》を取り込み共存ルートへ。
そこから後世時点で、
平和な治世。初の女王。国に身を捧げた英雄。
それらの記録が真実であるかは定かではないが、歴史に残る資料には、『女王の隣には、1人の隻腕の男がいつまでも寄り添い支えるようにしていた』という記録が残っている。
といった感じの、鋼鉄の7人的エンディングルート予定もありました。
まあ1番書いてて気持ちよかったエウリさんがヒロインのルートで確定したんだけどね!!
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