とある青年ハンターと『 』少女のお話 (Senritsu)
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第1話 起:千年の時を経て / 邂逅(前編)

 あらすじでも述べていますが、本作品はオリジナル要素が多分に含まれています。それらが苦手な方はご注意ください。

(12月6日追記)分割作業実施




 

 これは、ささやかな物語だ。

 一人の狩人と『 』の、ただの旅物語だ。

 

 あらすじとしては、これで十分なのだろう。

 ただ、これから始まる物語は、やや難しいかもしれないので。このような問いを投げかけてみる。

 

 例えば──

 遥かな過去に、栄えた人が竜を乱獲し、人と竜の摂理が崩れ、人と竜が明確に敵対し、怒り狂う竜が人を殺し、人造の竜が兵器として投入され、数多の竜を殺し、その死骸から竜が創られ、人は龍の領域にまで手を伸ばし、そして全てが清算された歴史があったとして。

 その記録をすべて消し去り、無から始める道を人が選択したとして。

 知ることなどできないはずのその歴史を知ってしまった者は、真実に立ち向かわなければならないのだろうか。

 

 物語を紡ぐ狩人は、きっとその問いを否定する。立ち向かうか立ち向かわないかは勝手だろうと。立ち向かわない選択を掴み取ることが困難でも、それを目指してもいいはずだと。

 物語を紡ぐ『 』は、きっとその問いを否定できない。かといって肯定もできない。その問いは『 』にとって、恐らく、あまりにも重かった。

 

 だから、どうか、ささやかな物語であれと願うのだ。ただの旅物語になることを目指すのだ。

 

 たとえそれが(かくして)今を生きる人が(狩人はかつて)触れるべきものではなかったとしても(龍を討つために在った兵器と邂逅する)

 

 

 

 

 

 軽い出来心だったのだ。

 

 ある日の昼前、渓流地方のはずれ。モンスター討伐のクエストを受けてその地に赴いていた僕は、小高い岩壁の中腹に穴が開いているのを見つけた。双眼鏡でよく見てみると洞窟になっているようであり、また岩壁はその上方へ裏手から辿り着けそうだった。

 上方からロープを下していけば辿り着けると踏んだ僕は、そこで夜を明かしつつ高所から地形を把握しようと行動を開始する。

 

 その洞窟の入り口に辿り着くのには約半日を要したが、山登り以外に特に苦戦することはなかった。入ってみると案外奥行きのあったその洞窟で、何かいい鉱石でも採れないかと探索を初めて小一時間。

 

「なんだこりゃ……」

 

 僕は目の前の壁を見て立ち尽くしていた。

 そこには、見たこともない巨大な竜の肋骨……と、その中心部に半身を埋め込まれた人間の少女……らしきものが。

 

 らしきもの、という言葉に語弊はない。その少女の上半身は人と異なる部分が数多くあったからだ。

 まず、髪。黒髪と金髪が混ざり合っている。そのうちの十数本は()()()となって少女の頭と竜らしきものの骨を繋いでいた。

 次に顔。肌は白い。しかし、額から耳を通って首元にかけて、黒い鱗が生えている。魚鱗どころではない。火竜の鱗と遜色ないほどだ。防具かとも思ったが、どうにも生えているようにしか見えない。

 上半身にも肩や背中に黒い鱗が生えており、総じて見れば、まるでおとぎ話に伝わる半人半竜のようだった。

 

 頬に血の気はなく、がりがりだ。肋骨も浮き出ている。目は閉じられていて、身体は重力に逆らわず力なく垂れさがっていた。

 

「死んでる……よな?」

 

 松明を片手に、恐る恐る、その得体のしれない何かに近づいた僕は、その少女の額に触れて──パキ──と、何かが砕ける音がした。

 

「……ッ」

 

 途端に壁が轟音を立てて崩れ落ちる。それに押し潰されるより先に飛び退いた僕は、まさかあれそのものが新種のモンスターだったのかと半ば本気で思った。

 少なくとも、指が触れた程度で崩れてしまう程度の壁ではない。もしそれだけ脆かったのであれば、僕が触れるまでもなく崩れていなければおかしい。──つまるところ、そちら側が動いたと、そう考える方が自然だ。

 

 土埃が視界を悪くする。僕は素早く松明の灯を消し、岩陰に隠れた。そして崩れた壁の様子をうかがう。

 崩壊音が落ち着くと、びしゃびしゃと、やや粘性のある液体が滴る音が洞窟内に響いた。

 松明の光が消えた洞窟内は、太陽の光もほとんど届かず、暗い。しばらくして、夜目が効くようになるころには土埃は大分収まっていた。

 

(……やはり、人間の少女に見える)

 

 土埃が晴れた先には、大量の瓦礫と骨の破片。そして地面を濡らす液体。

 その中心に先ほどの少女がいた。今度は上半身だけでなく全身を晒している。しかし、髪に混じった管だけは未だ壁に繋がっていた。

 少女の下半身は人間の脚であるように見えた。やはり近づいて確認する必要があるか、と僕は唾をのむ。

 

 背中に担いだ弓の矢をいつでも抜けるように握りながら、松明をもう一度点火させる。

 そして恐る恐るその少女へと近づいた。地面に広がる液体は酸などではないようで、踏みしめると水音が響くのみだった。

 松明の火が届くところまで近づけば、やはりその下半身は人間の脚だった。しっぽが生えてたりは……しないか。こちらは上半身と違ってやや生気がある。──と、そこで僕がはっとするよりも先に、その少女の目がぱちりと開いた。

 

「き,きキキ……きドウ。キドウ……──《制御部起動完了》……」

 

 飛び出したのは、しゃがれた金属音。しかし、それでも僕が抜刀を踏みとどまったのは、それが明らかな言葉……大陸統一言語であったからだ。

 僕と同じ人間族か、竜人族か。または自分等が全く知らない新たな種族か。僕は息をのんでその光景を見つめていた。

 何十秒か経っただろうか。再度、少女の口が開かれた。

 

「《本体起動不可能》《原因特定中》──《ワ_uヘ5KA001jニマフ・wユ3ヒ》──《致命的なエラー:通信不可能》《本体を駆動することができません》──《制御部と本体の接続状態を確認してください》《または制御部独立状態を指定してください》…………『制御部独立状態を指定しますか?』」

 

 瞬く間に羅列されていく言葉たち。僕はその1割程度しか理解ができなかった。そして彼女は、唐突に僕の方を向く。

 

「なんっ……!?」

 

「『制御部独立状態を指定しますか?』」

 

 先ほどの言葉の羅列よりかはいくらか聞き取りやすい口調で彼女は僕に問う。それでも人間の声らしさがないことに変わりはなく、抑揚はないに等しいが。

 開かれた眼は明らかに人のそれではなく、また、竜のそれでもなかった。今までに見たことのない、深緑の、無機質な光を宿している。まるで望遠鏡のレンズを逆さに覗き込んだかのようだった。

 

「……わけが分からない……お前はいったい何を言ってるんだ?」

 

 その様子に気圧された、のではなく。単純に頭の処理能力が追い付かなくなっただけのようだ。僕はひどく乾いた声でそう答えた。

 

「……『理解不能ですか?』」

 

「ああそうだ。理解できない。」

 

「『本機の発見者ですか?』」

 

 こちらの返事を聞き取ることはできるようで、言葉のやり取りくらいならできるかと少しばかり安心した。そしてホンキというのは彼女の名前だろうか。

 

「発見者……そうだな。僕はお前の発見者だ。なんだ、お前は人間じゃないのか?」

 

 見た目もそうだが、自分に対し起動とかいう言葉を使っている時点で、彼女自身も自分は人間でないと思っているかのようだ。人間か否か。僕は単刀直入に尋ねた。

 

「『肯定します』『本機は対竜兵器』『人間ではありません』」

 

 帰ってきた答えは明白だった。しかし、僕の予想のはるか向こうの回答でもあった。

 自らを兵器だという。兵器とは基本的にモンスター迎撃用のバリスタや大砲、投石器などのことを指すが、彼女は自分がそれであるという。人間の姿をした兵器とは? 僕は早々に思考を放棄し、彼女に尋ねることにした。

 

「はー……ますますわけが分からなくなった。人間じゃないのに、どうして人間っぽい見た目をしているんだ?」

 

「『機密に反するため回答不可能です』」

 

「なんだそりゃ。……いや、本当にどうしたものか……」

 

 僕は矢筒から手を放し、腕組みをして唸った。

 僕の手に余る事態だ。こういうのは書士隊や龍歴院が適役だろう。しかし、職業病とでも言うべきか、僕は見知れぬこの存在に対し、僅かな好奇心を抱き始めていた。

 

「『再度質問』『制御部独立状態をして』──『変換処理実行』──『本機の接続を切り離しますか』」

 

「またその質問か。接続というのは、その壁にめり込んでる髪のことか?」

 

 僕は少女から目線を外し、壁を見た。彼女と壁を繋げている管の太さは大人の親指程度か。それが十数本も彼女の頭から生えているというのが、外見上、彼女の最も人らしからぬ要素と言えるだろう。

 ……人間ではないと言うのだから、少女やら彼女という代名詞を使うのもどうかと思ったが、とりあえず今は保留だ。外見で判断させてもらうとする。

 

「『肯定します』」

 

「それ取ったら僕に襲い掛かったりしないよな?」

 

「『肯定します』」

 

「どうだかな……ま、いいか。さっきからその質問してるってことは切り離したいんだろう? お前が切りたいなら切れよ。切れないなら僕が手伝おうか」

 

 そこまで言ってから、ここに繋いだままギルドの職員に連絡すればいいのではという考えが頭に浮かんだが、すぐに捨てた。それは悪手だと直感が告げている。

 自らの直感にはそれなりに忠実だった。あくまで理性が優先ではあるが、この状況、理性もへったくれもないだろう。

 

「『許可を得ました』『切り離しを行います』──《接続切断実行》」

 

 彼女はそう告げて、目を閉じ、意識を集中させた。と、なにか留め具が外れるような音と共に、管が頭の根元から切り離されていく。切り離された管の中には、金属光沢を放つ細い線が多量に入っていたり、何らかの液体が流れていたりしていた。……もはや驚くまい。

 しばらくして、彼女は自らの作業は終わったとばかりに目を開けた。しかし……

 

「……いくつか切れてないが?」

 

「《原因特定中》──《回路損傷のため切断処理不可能》──切断『の補助』をお『ネガイ』します」

 

 彼女の言葉に何やら雑音のような音が混じった。どちらかと言えば、より無機質ではなくなったというべきか。相変わらず抑揚はない。

 いや、そんなことよりもだ。

 

「……まじかよ」

 

 先ほど言ったことは冗談のつもりだったのだが、まさか女性の髪を切ることになるとは。いや、そもそも人間ではないらしいが。そして見た目も髪ではないが。

 ややあって、僕は彼女の至近距離に立った。壁から滴る液体が黒と金の髪を濡らし、それは松明の光に反射してぬらりと光った。

 管を手に取る。グローブ越しから伝わる感触はやや硬く、そしてしなやかだった。ゴムのようにも見えるが、恐らく僕の見知らぬ素材だろう。

 しかし、この程度であれば剥ぎ取りナイフで切れるだろうか。矢切では厳しいだろうなと思案しつつ、僕は彼女に尋ねた。

 

「これ、刃物で切っていいものなのか?」

 

「『肯定』しマす。『こちら』の刃ヲ使用推奨」

 

 彼女が取り出したのは手のひら大の黒いナイフだ。……どこから取り出した?

 

「……まあ、あるならあるもん使えばいいか」

 

 彼女からその刃を受け取った僕は、そばらくそれを眺めた後──刀身も柄も真っ黒だ──、防具のリオレイアの甲殻が用いられている部分にそれを滑らせてみた。切れ味試しに防具を使うのはあまり褒められたことではないが。

 そこには小さく切り込みが入り、少なくとも実用範囲であることは把握できた。ひょっとすると、マカライト鉱石と鉄鉱石の合金でできた刃よりも切れ味はいいかもしれない。

 

「じゃあ、まずは一本。──切るぞ」

 

 僕はそう告げたのちにその黒い刃を管に押し当てた。鉈で枝を切り落とすように管に圧力をかけると、やや撓んだ管はぶちぶちという音を立てて切れた。

その瞬間、「っぁ」と苦しげな声が彼女の口から洩れる。先ほどから話し方が何やらおかしかったが、今のはかなり人間味を感じさせる声で、僕は内心で困惑する。

 

「……痛いか?」

 

「……『続行』してクださイ」

 

「──わかった」

 

 そんな風に言われれば、断る理由は僕にはなかった。さっきと同じ手順で、一本ずつ管を切っていく。

 

「──かふっ……はぁ……ぁ」

 

 残り数本となったところで、少女は痛みのせいか、それともほかの何かが理由なのか自重を自らの力で支えられなくなっていた。管に張力がかかり、このままでは頭から管が引き千切れそうだ。僕は彼女を僕の体に持たれかけさせ、作業を続けた。

 それは、はたから見れば相当奇異な光景に見えただろうが、当たり前のようにここには誰もいない。僕は気を散らさない程度に集中しつつ、黙々と作業を続けた。

 その作業が終わるまでにそう時間はかからなかった。約10分程度か。最後の一本を切り落とし、剣に付着した液体やら金属片やらを専用の布でぬぐい取りながら、僕は足元でぐったりしている彼女に声をかけた。

 

「……これで全部だ。よく耐えたな」

 

「…………」

 

 ひょっとすると、今切ったものは生物でいうところの脊髄のようなもので、頭だけが切り離されたに等しい状況なのではないか。返事のない少女を見てひやりとしたが、ほどなくして彼女は僕に預けていた身体を起こし、うつむいていた頭を持ち上げた。ちょうど正座を崩したかのような座り方だ。

 

「さて、これからどうするよ?」

 

 ぼうっとしているようだったので気付けもかねて声をかける。すると、少女は目をぱちぱちと瞬かせて、顔だけ僕の方を向けた。

 

「現状把握を優先。現在の暦を教えてください」

 

「ロックラック歴530年長月の4日だ」

 

 妥当な質問だ。さっきまでの様子を見るに彼女はかなり長い時間……少なくとも体の一部が大地に埋もれてしまう程度にはここで眠っていたことになる。ひょっとすると100年単位はあり得るかもしれない。そう思いながら僕は暦を答えた。

 が、彼女の反応は芳しいものではなかった。無表情でこちらを見上げたままだ。

 

「……再読み上げをお願いします」

 

「ロックラック歴530年。長月の、4日だ」

 

「……………」

 

 ……まさかとは思うが。ロックラック歴を知らないのだろうか。もう一つの有名な暦であるドンドルマ歴で言い換えてもみたが、反応は同じだった。ドンドルマ歴はロックラック歴よりも400年近く古い暦なのだが……。

 

「お前が人間じゃないってのがひしひしと分かる間だよな……」

 

 僕は天井を仰いだ。どうやら目の前にいるこの少女、予想よりも遥かに前の時代から目覚めたらしい。人間の寿命はとっくに凌駕しているだろう。

 

「データベースにない暦。本機が再起動するまでに1000年以上かかっている可能性が高いです」

 

「だろうな。どう見ても今の人の技術でできたもんじゃねーよ」

 

 今ではよく知られている話だが、今の文明、少なくとも今自分たちが知っている暦を生きてきた人類の技術は、それよりも古来の技術よりも劣るらしい。それは、樹海に聳え立つ古塔や最近発見された遺群領という遺跡のスケッチを見れば一目瞭然だった。

 そして彼女の容姿は、伝説上の半人半竜そのものだ。その無機質で人工的な瞳も含め、過去の文明の産物として見ていいのではないだろうか。

 さっきまでとまた声が変わっていることが気になるが、より聞き取りやすくなっているので深く考えないことにした。声だけでも人間らしさが出てきていることが、今の状況では無性にありがたい。

 少女はどうやら考え事をしているらしかったが、気を取り直したのか、ひとまず保留することにしたのか、

 

「再度質問。現在の人類の戦況を教えてください」

 

 と、また別の質問を僕に投げかけてきた。

 しかし、また内容が突拍子もない。そして物騒だ。聞き覚えがあるわけがなく、答えようがないので、眉を顰めつつ質問で返す。

 

「戦況? 何と何のだ?」

 

「人と龍です。本機の最新の記憶によれば人類側約七割壊滅。龍側約五割壊滅。状況次第では本体を早急に修復し、出撃します」

 

 さも当たり前であるかのように、一切表情を変化させずに彼女は即答した。

 

「まてまてまて。いったい何の話だそれは? 人と竜の戦争? そんなん聞いたこともないぞ」

 

「…………」

 

 いや、まさか、冗談だろう?

 竜種は気まぐれに生き、ときに僕たち人間を無慈悲に殺し、そしてときに僕たちに狩られる存在だ。それ以上でも以下でもない。

それがまさか、人間のように戦争などと。竜が徒党を組んだとでもいうのか。そして人類に牙をむいたのか。もしくは、古龍が……?

 

「…………」

 

 彼女は僕を見たまま黙して語らない。いや、そうではなく、僕が質問に答えるか、また質問を投げかけるのを待っているのだろう。僕はかろうじて質問を喉から引っ張り出した。

 

「……戦争があったのか? 人と、竜の?」

 

「肯定します。再度質問。人類は大戦に勝利した?」

 

 即答。そして重ねての質問。軽く眩暈を覚えた僕は口をつぐんだ。

 ……真実なのだとしたら、これほど衝撃的なことはない。それは知った者のこの世界の見方を根本から変えてしまいかねない、凄まじい劇薬となるだろう。

 

 古代文明が滅びたのはその発展が早すぎたからだというのが定説だ。先代の人類は自滅への道を歩んだのだと。また、人間同士の大きな戦争、強大な古龍の襲撃も重なったことで、技術力も途絶えてしまうほどに衰退してしまったと、本で読んだことがある。

 古龍の襲撃は今でも稀にある。砂漠の町ロックラックはジエン・モーランという超巨大な古龍が数年周期で来襲してくることで有名だ。また、最近聞いた話ではタンジアの港近くの村で、ナバルデウスという古龍を一人のハンターが撃退したという噂もある。

 しかし、古龍や竜種の襲撃と()()とではわけが違うのだ。数も、時間も、予想される被害の大きさも、桁が違う。彼女は『竜の五割と人類の七割が死んだ』とさらりと言ってのけたのがその証拠だ。戦争であればあり得る話なのだ、それは。

 そういう説がなかったわけではない。しかしそれらは与太話として面白おかしく語られる程度に過ぎなかった。その与太話が核心を突いていたのだ。

 

「……知らんよ。人と竜が争ってたことすら僕は知らなかった。お前が言う戦争ってのは、恐らくとっくの昔に終わって、歴史にすら残らなかったんだろうな」

 

 あるいは、歴史としては残っているものの、一部の人間のみの間で秘匿されているのかもしれない……。僕は話しながらそう思った。

 洞窟内に沈黙が訪れる。少女が長考に入ったからだ。話し声が止んだ洞窟には、たいまつの焼けるぱちぱちという音のみが響いていた。

 

 洞窟の外からかろうじて届いていた日の光が弱まってきている。もうすぐ日が暮れるのだろう。そういえば今日はここを寝床にするはずだったが、今までのあれこれで地面が水浸しになってしまった。クエストのことも考えると、野宿するしかないか。

 彼女のことも無視できない。今は考え事をしている最中のようだが、同行を願うしかないだろう。全くの偶然だったとはいえ、目覚めさせてしまったのは僕なのだから。モンスターが闊歩するこの場に彼女を置いていくわけにはいかない。まあ、拒否されればそこまでだが。

 と、そのとき不意に

 

「…………本機はこれより、自己破壊処理を行います」

 

 今までと全く同じ口調で、少女はまたよく分からないことを言い始めた。いや、意味は何となく伝わったのだが、だからこそ、その意図が理解できないこともあるのだ。

 

「──はっ? 今、なんて言った?」

 

「繰り返します。本機はこれより、自己破壊処理を行います」

 

「自己破壊ってお前……要するに自殺だろ。どうしてそういう結論に至るんだよ」

 

「回答します。本機の対竜兵器としての運用は既に終了したものと判断されました。本機の再起動は廃棄処理が十分になされなかったためと考えられます。よって、設定に従い本機を破壊します」

 

 ……説明の意味をくみ取れたかは分からないが、自分はもういらないものだと判断したということだろうか。そして、自らの手で自らを破壊……死のうとしていると。

 彼女はそこに何の疑問も抱いているように思えない。冷静な語り口は、まるでそれが道理に適っているような感覚にさせる。

 しかし、その思考に追いつけない。自らの生き死にさえ関心がないかのように無表情に語ってしまうその姿に、僕は薄ら寒いものを覚えた。そこにいるのに、温かみがない。人の言葉を話すのに、無機質だ。

 兵器……人の使う道具か。案外本当にそういう存在なのかもな。

 

 その後もいくつか問答を交わしたが、彼女の思惑は覆らないようだった。

 

「……死にたいなら勝手にすればいいさ。生きる意志がないやつに付き合ってやるほど、僕はお人よしじゃない」

 

 そう言い放ったのは、そんな気味の悪さ……からではなく。僕の意思によるものだ。

 昔から、他人の決断に水を差さないようにしていた。自分が不利益を被るものであれば介入するが、基本的には静観に徹する。これまではそうであったし、これからもそうだろうと思う。

 信念ではなく、諦念でもない。それが僕自身で最も違和感のない立ち回りなだけだ。

 

 それが人の生き死ににまで適用されるかと言われると確かにそれは憂慮すべきことなのかもしれないが……今言ったとおりだ。生きる意志のない、自殺しようとしている存在を言葉で説得しようとするだけ無駄なような気がした。

 

「了承しました。これより自己破壊処理の実行に移ります」

 

 ああ、それと。少し腹が立っているのもあるのだろう。

 彼女のために費やした数時間は馬鹿にできない。なにせクエスト中なのだ。何事もなければ今頃は探索を再開していたはずだ。

…………。

 

 やがて、彼女の体の内側、人の体でいえば心臓のあたりが、ぼうっと淡く赤い光を宿した。胸の周りの空気が陽炎のように揺らめき、光が僕の肌をじりじりと焼く。

 まるで鍛冶場の炉が彼女の体に宿ったかのようだ。明らかに尋常な光景ではない。もう、()()()()()()()()()()()

 

 その熱は、彼女の言った通り、彼女の全てを破壊、いや融解し尽すだろう。

 僕の言葉をあっさりと受け入れて自己破壊処理というものを始める彼女を見て、僕は小さく舌打ちした。

 

「はっ……人が自殺する場なんか見てられるか」

 

 そう吐き捨てて、踵を返す。本心からの言葉だった。

 職業上、生き物の死には多く立ち会っているが、これから自らの命を絶とうとしている存在に出くわしたことはない。そして、望まれない限りはそれを見届けようとは思えなかった。

 

「本機は完全融解するため、周囲も非常に高温化します。一刻も早い退避を推奨」

 

 潔いものだ。とんだ茶番劇だ。出会ってから一時間程度で死別する。こんなもの、笑い話にすらなりはしない。

 僕はぎり、と歯を噛んだ。

 

「……ああ。そうかよ。──じゃあな」

 

 そのまま振り返らずに洞窟の出口へ歩き出す。

 洞窟から出れば、このまま彼女が死んでなかったことになれば、またいつも通りに戻る。やや出だしの遅れた狩りが始まる。

 

 所詮、この広大な森で、やや特殊な命が蘇り、また土に還るだけだ。そのサイクルを生きる自然にとっては些事に過ぎない。

 

 

 

「別れの挨拶と推測。……さようなら──あなたに感謝を。ありがとう」

 

 

 

 しかし、僕の背に彼女がそう声をかけたものだから、いよいよ僕は立ち止まってしまった。──感謝の言葉をここで投げかけるのは、何かの皮肉か。今まで全くそのようなそぶりは見せなかったくせに。

 なぜ、()()()()()()()()()()()()()()()

「……ッ」と声にならない怨嗟を吐き、急にこみ上げてきた激情を噛み砕く。──理性的になれ。自らの納得する結論が出るまで短絡的な行動を起こすな。

 

 自らがこれからしようとしている行動を、なぜそう思ったのか、自らの理念に反しないか、その後の可能性諸々を考慮し、高速で吟味しろ。

 その場で背を向けたまま立ち止まり、顔を顰めて思考する。そんな僕に対して不審に思い、再び彼女が声をかけようとする頃合いになったかというところで、結論は出た。

 

 僕の意志優先だ。こいつの自殺、止められるなら止めてみたい。

 

「……あー! くそっ! これだから僕は甘ちゃんって言われんだろうなぁ!」

 

 やけくそ気味にそう言い放ち、僕は再び身を翻して彼女のもとへと駆けた。既に彼女の胸元は赤熱化しており、その体を濡らしていた液体は湯気を立ち昇らせている。

 いきなりまた駆け寄ってきた僕に彼女は対処できない。僕は彼女を押し倒し、背中と膝に素早く両手を滑りこませ、一息に持ち上げてみた。

 ──寄りかかられたときに予測はしていたが、まあ重い。が、持てないほどではない。それと黒い鱗はやはり彼女から生えているようだ。背中に生えている鱗が腕の防具に当たって硬質的な音を立てている。

 そして僕はそのまま、洞窟の出口へと向けて駆け出した。

 彼女の身体は相当に高熱化しているのか、防具越しに熱が僕の体を焼いてくる。特に顔に当たる放射熱がひどく、息が詰まるほどだ。が、それも問題はない。

 

「なに、を」

 

 ようやく事態を飲み込んだのか、彼女がかろうじて声を上げた。まあ、確かに彼女から見れば狂行以外の何物でもない。僕自身も驚いているのだ。このような意志に従って行動していることに。

 容赦なく喉を焼く──まるでマグマのようだ──熱に声を枯らしつつも、僕は大声で言った。

 

「お前、結論出すの早すぎんだよ! 痛いの我慢して髪切り落として自由に動けるようになったくせに、そこから一歩も動かずに死のうとしやがって! 少しは外に出て足掻いてから決めろ! そして熱い! 自己破壊処理とやらを止めろ!」

 

「……了承」

 

 そんな僕の気迫に圧された……のかは知らないが、彼女はあっさりと僕の命令を受け入れた。胸の内側から溢れ出んばかりに漏れ出ていた赤い光が徐々に小さくなり、そこには先ほど見た通りの白い肌が映るようになった。……人間であれば大やけどを負ってもおかしくない温度だったはずだが。

 とにかく、手遅れにはならなかったようだ。まずは僥倖とほっとしつつ、僕は洞窟の出口へと向けて歩を進めた。まずは洞窟から出ること。それが第一条件だ。

 

 洞窟の出口は人を抱えた状態ではまっすぐに向かってもなかなかに遠かったが、お互いに言葉を交わすことはなかった。

 しばらく行くと壁からの反射光が僅かに見えるのみであった日光が強くなりはじめ、出口が見えてきた。そこから垣間見える雲の色は、燃えるように赤い。日没直前といったところか。

 僕は吹き降ろす風に抗いつつあと一息とばかりに駆け出し、彼女を抱えたまま出口へと飛び出した。途端にざあっと広がる夕焼け空と、それに照らされる大地に目がくらんだものの、間髪おかずに言い放つ。

 

「見ろ! これが外の景色だ! お前が言う1000年後の空と大地だ!」

 

 とにかく、彼女の今までの言葉を信じるのであれば、彼女には今の外の世界を見せてやるべきだと僕は強く思ったのだ。それが彼女の意志を覆すかは分からないものの、何かの作用が働いてくれると信じたい。

 壮大な光景というのは人生を変えるとは言わずとも、人の気分、心の状態を変えうる。草原地帯でモンスターの亡骸を背に、返り血を拭き取っている最中にふと見た地平線や、砂漠地帯で遭難しかけ、寒さに震えながらも見上げた星空というものは、今でも思い出せるくらい強い印象を残すものだ。

 

 それが兵器であると言い張る彼女にも当てはまるかは怪しい。それが何だというかもしれない。まあ、そのときは僕にできることはほとんどなくなったとみていいだろう。それなら多少は納得できるというものだ。

 結局、僕の中で折り合いをつけるための行為だ。こうしないと気が済まなかった。ただそれだけの話である。

 

 しかし、そんな僕の思考とは裏腹に、彼女は割と熱心に外の様子を見ているようだった。僕は彼女を地面に下ろす、と、彼女はその場に立った。どうやらその脚は飾りではなかったらしい。

 相変わらずの無表情だが、若干目が見開かれている。どちらかと言えば驚いていると言った方が近いか。しばらくして、彼女はその景色を見たまま僕に問いかけてきた。

 

「……質問。あの地面を覆う緑は全て樹木?」

 

「そうだな。木ばっかりじゃない。草花に竹も生えてる」

 

「重ねて質問。あの川の先にあるものは」

 

「ん、あれか? あれは海だ。なんだお前、海を知らないのか?」

 

「否定。本機は海のことを知っていますが、記憶との色彩の不一致がありました」

 

「んーと、つまり昼とか夜の海しか見たことがないのか……? あれは夕陽と、夕焼け空の光を反射してんだよ。言われてみれば、たしかにいつもの海の色合いじゃないよな」

 

 雲の切れ目から黄金色の光が漏れ出し、さらに背後からは蒼空と夜の闇が溶け込み、僕でもなかなかに見たことがないくらいの光彩が目の前に広がっていた。

 海は沈む夕日に向けて一本の道を示すかのように光の筋を引き、雲の赤色に照らされた森や草原はまるで自らが光を放っているかのようだ。

 渓流はもともと景観を見に観光客が来るぐらい自然が豊かで良い風景が見られる場所だが、こういった狩場、自然のど真ん中からそれを拝めるというのは、ハンターの特権なのだろう。

 

「……夕焼け……」

 

 彼女はそう一言呟いて、先ほどよりかは幾分か落ち着いた雰囲気で景色を見ていた。

 やや湿った風が僕と彼女に向けて下の方から吹き付けてくる。海風とかいうやつだ。彼女の髪がそれに吹かれてたなびいている。

 僕は彼女が飛び降りたりしないかさりげなく注意しつつ、彼女と同じように景色に見入り、そしてこれからの狩りに活かすためだ。抜け目なく狩場の地形を観察していた。

 

 日が沈んでしまうと、一気に夜闇が空を覆い始める。彼女が再び口を開いたのは、日没からしばらく経ってのことだった。

 

「樹木、海、空。全て本機の記録と異なります」

 

 記録……書物で得た知識なのか、それとも実際に見た経験なのかは分からないが、少なくとも千年前と今の自然の景色は異なるところがあるらしい。

 

「そうかい。感想は?」

 

「…………不明。本機に実装されていない感性であると判断しました」

 

 実装されていない感性、直訳すれば、今の景色に対して美しいとか、そうでもないと評価を下すための感覚が()()ということか。しかし先ほどまでの彼女を見ていると、とてもそうとは思えないのだが。

 

「その割には熱心に見てるみたいだがな」

 

 そう言うと、また彼女は考え事を始めてしまった。思うところがあったのだろうか。しかし、時間が時間だ。完全に暗くなる前に、野宿の準備くらいはしておきたい。僕は彼女の思考を遮るかたちで声をかけた。

 

「さて、改めて質問だ。お前、これからどうするよ?」

 

 その質問に、彼女は目を瞬かせる。そう言えばそうだった、とでもいった感じだ。そんな様子で自殺に走ったというのが信じられないのだが……有耶無耶にはできない。

 僕が沈黙を維持していると、やがて彼女は言葉を探すようにしながら話し出した。

 

「本機の自己破壊処理は却下されて……」

 

「もう止めないさ。好きにすればいい。あそこに戻って自殺するもよし、ここから出ていくもよしだ」

 

 そこは明確にしておこうか。

 僕のやりたいことはやった。そもそもが僕の我儘である。後者を選ぶならば介入したなりの責任を負うつもりだが、前者を選んでも先ほどよりは後腐れがない。それだけ彼女の意志は強固だったということだ。

 

「本機は……」

 

 ここにきて、彼女は初めて迷うような素振りを見せた。しかし、ここまで徹底して無表情だと楽しくなってくるな。

 生きるか死ぬかで迷っているのだとしたら、僕の行動の意味はあったということだ。──と、思っていたところで、突然彼女は立ちくらみを起こしたかのように力なくよろめいた。僕は慌ててその肩を抱く。

 そういえば、先ほどよりも顔に生気がなくなっている。まるで洞窟内の壁に埋まっていたころに戻っているかのようだ。何かあったのだろうか。

 

「ど、どうした?」

 

 問いかけると、彼女はその体の状態とは裏腹に、今までと全く変わらない強さの声で答えた。

 

「エネルギー不足。自己破壊処理は多大なエネルギーを消費するため。この状態から放置を行うことでエネルギー切れによる廃棄も可能です」

 

 つまり餓死ということか。なるほど、確かにそれはあるだろう。あの熱はなにもないところから生み出されていたわけではないのだ。彼女が自身を燃料としてあの行為を行っていたとするのなら、腹が減るだろうな。

 つまり、今の彼女には自殺などする余裕もないということだ。その腹を満たせばどうするかはわからないが……今それについて悩んでも詮のないことだ。

 

「そんなんこっちから願い下げだ。餓死なんて最悪の死に方のひとつだぜ。ちょうどいい、飯にしようじゃないか。なに、選択は腹いっぱいになってからでいいだろ?」

 

 とりあえずそう提案すると、彼女は「……了承」と言いつつ小さく頷いた。であればと僕は彼女を背負い、腰のベルトに取り付けた金具に、この洞窟にやってくるために使ったロープを通した。

 相応に太い幹に括り付けた頑丈なロープなので、僕が頑張りさえすれば彼女を背負ってこのまま降りていくことくらいはできるだろう。

 洞窟内は水びだしになってしまっているし、なにより彼女のためによくない気がする。少々危険だが、森の中で野宿するしかないだろう。

 

「それじゃ、腹ごしらえのために移動しますかね。詳しい話はそっからで、と」

 

「分かりました」

 

 そうやって声をかけあって、彼女を背負い、落ちないように手ぬぐいで僕の肩に回した両手の手首を軽く縛る。そしてロープ伝って崖からの下降を始めた。

 

 燃えるような夕陽とそれらを反射させた大地の輝きが、僕と彼女を照らしていた。

 

 





 お久しぶりです。はじめましての方ははじめまして。Senritsuです。 「こころの狭間」以来、モンハン小説に3年ぶりに戻ってくることとなりました。

 まずは、このあとがきを見てくださっている方々へ、第1話の読了ありがとうございます。
 よく調べもせずに勢いで導入したオリジナル設定だらけなので、原作設定と全然異なる部分が出てくるかもしれません。ただ、この心配事は「こころの狭間」でもしていた気がするので、問題ないような気がしてきた今日この頃です。

 そして、ひとつ申し上げておかなければならないことがあるのですが、現在、私は二作品同時進行状態となっています。
 どうしてもこの作品を書きたかったために、このようなかたちをとらせていただいています。申し訳ありませんが、よろしくお願いします。

 最後に、この小説は短編となる予定です。話数は二桁に届かない程度に考えています(追記:不可能であることが判明しました)
 完結目指して頑張ります。


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第2話 起:千年の時を経て / 邂逅(後編)

(12月6日追記)今話は過去における 第1話 起:千年の時を経て/邂逅 から分割された内容です。新規で追加された要素はありません。ご了承ください。


 

「そら。お前の分だ」

 

「……干し肉」

 

「あれっ知ってんのか? じゃあ都合がいいじゃないか。ほら、食ってみろよ」

 

 それから約一時間後、僕と彼女はユクモの木の倒木に腰かけて焚火を囲んでいた。ロープで降りた崖からは相応に離れている。襲撃があった際に背後が崖なのは危ないため、彼女を背負ってここまで歩いてきた。

 今手渡したのは携帯食料である。干し肉を十枚ほど藁の紐に括り付け、それを芭蕉の葉で包んだものだ。握り飯だったりパンだったりと携帯食料の種類は地方によっていろいろと異なるが、大体は日持ちするものが選ばれる。

 どうやら彼女はそれを知っていたようで、じっとそれを見た後に齧りついた。エネルギー不足とはいっても、手と顎を動かす程度の体力はあるらしい。一度咀嚼するとあとは黙々と食べ続けていた。

 そういえば彼女はどれくらい食べるのだろうか。こんなことになるとは思っていなかったので、食糧は一人分だけしか持ってきていない。必要であれば、明日の朝からガーグァやケルビを狩ることになるかもしれないな。

 

「そういえば、味はどうだ? まあ携帯食料だから味付けは控えめだが……」

 

 ふと思いついたことを問いかけてみると、彼女は食べる手を止めて僕の方を見た。まあ嫌な顔一つせず食べていたから不味いとは思っていないはずだが、どうだろうか。

 ちなみに僕は結構好みだ。ユクモ村の人々が作ったものなのだが、簡素な味付けながらも肉の味はしっかりするし、口の中の水分を奪い取る感覚も他の携帯食料品より軽い。狩りの最中でも手軽に食べられるのが特長だ。

 しかし、彼女の返答はそんな僕の思考を淡々と撥ね退けていった。

 

「本機に味覚はありません。よって回答不可能」

 

「……まじかよお前?」

 

 思わず真顔で言ってしまった。

 

「味覚の有無は本機の運用に支障をきたしません」

 

 そう言ってまた食べる作業を再開する。あれは一応僕の一日分だったのだが、もうなくなりそうである。

 いや、それにしても。彼女が本当のことを言っているとすれば、彼女は味のしないものを黙々と食べているのか。どんな苦行かと言いたくなる。

 

「いやだってお前、味覚ないのはきつすぎるだろ……人生の二割か三割くらい損してるぜ……」

 

 本心からの言葉だ。美味しい、不味い、甘い、苦い……そんな感触が失われている、いや備わっていないのか。それが当たり前の彼女にとってはどうということもないだろうが、僕からすれば残念だ。

 流石に嗅覚と食感はあるだろうと思って尋ねてみると、それは正しいようだった。であれば、こんがり肉を食べさせたり、炭酸水を飲ませたりしてみようか──。

 

 

 

 

 

 焚火用の薪を再度調達してきたころには、あたりはすっかり暗くなってしまっていた。

 簡易キャンプを設営したいところではあるが、あいにく道具を持ってきていない。夜空の下で野宿ということになりそうだ。

 天気が良くて助かった。これで風雨だったりした日には、寝床を探し当てるまで起きて行動し続けなくてはならない。肉食のモンスターも、少なくとも薪集めをした場所一帯では見かけていない。うまく隠れ潜んでいる可能性もあるが、こればかりはいないことを願うしかないだろう。

 僕がその作業に出ている間、彼女には焚火を見ておくこと以外特に何も言いつけていなかったが、彼女はずっと空を見ていたらしい。空には無数の星が瞬いている。月も出ているが、まだ低い位置にあって森の木に隠れていた。

 

「どうした? 空ばっか見上げて」

 

 そう聞くと、彼女は夜空を見上げたまま言った。

 

「質問。星の配置が過去の記録と異なる理由?」

 

「へえ、そうなんだな。千年も経つと少しは夜空も代り映えするのかね。……いや、単純にお前が夜空を見た場所がここから遠かっただけかもしれんが」

 

 確か、何だったか……ああ、書士隊の図書館に立ち寄った際にそういう本を読んだ気がする。

 星座という概念があるように、星空の配置は絶対不変なものと思われがちだが、実は年単位でほんの少しずつだが動いているらしい。そのため暦も百年単位で何度か細かい修正が加えられたのだとか。

 しかし、確か目に見えて配置が換わるまでには、数千年ではきかない年月がかかるのではなかったか。

 ……まさかな。と思っていると、彼女の方から答えが返ってきた。

 

「そのどちらでもない可能性が高いです。本機の星観測による座標特定は不可能と判断しました」

 

 彼女も僕がさっきまで考えていた内容に匹敵するくらいの知識は持っているようだ。その上でそれらを否定したとなると何が理由なのか気になるところだが、それよりも彼女が後半に言ったことが僕の興味を引いた。

 星観測による座標特定と言えば、今でも探索系のハンターや書士隊、龍歴院の人々が活用している技術だ。あれは千年前にもあったらしい。

 

「そんなこともできたのかお前? というか、記憶が役に立たないなら今の星座早見でも見てみりゃいいじゃないか。今の測量技術は昔に負けてないと思うぞ」

 

 これは書士隊のある隊員の受け売りだ。古代文明の技術はまだ解明されていないものがほとんどであるが、測量と星読みの技術だけはどうやら受け継がれていたらしく、今の方が発達しているかもしれないと。

 僕も基本的な星座と方位特定に役立つ星くらいは覚えているが、おおまかな座標特定までしかできない。まあ、彼女もそれくらいのものだろうか? 本格的にやろうとすると、地図やコンパスが必要になってくるはずだ。

 

「…………」

 

 彼女は僕の提案には答えず、そのまま星を見続けていた。

 まあいいさ。いろいろと考えることもあるだろう。

 明日の朝も早い。雑談はそこそこに、さっさと寝ないといけないな。

 

「ふあー、僕は少し寝るぞ。見張りと火の番はできるか? なに、モンスターが出たら僕を起こすだけでいい」

 

 接近戦は苦手とする弓だが、矢を振り回せば牽制くらいはできる。モンスターからの襲撃を受けても、戦闘準備さえできれば、矢の残りは十分にあるのだ、迎撃は可能だろう。

 

「了承しました」

 

「四時間後くらいに起こしてくれ。そしたら見張りを交替しよう」

 

「了承しました」

 

「じゃあ、おやすみ」

 

「おやすみなさい」

 

 お、とそこで思った。今の返しは人間味があったな。

 幸いなことに気温はちょうどいい感じだ。腹を冷やさないことにだけ注意すればよさそうだったので、毛皮を腹に敷いて、朽ち木を枕に僕は身体を横たえる。──疲れはそれなりにあったようで、睡魔はすぐにやってきた。

 それもそうだろう──間違いなく、今までの人生で最も衝撃的な日だった。まるでおとぎ話の中に自分がいるかのようだ。薄く目を開けてみれば、半人半竜の少女が僕の外套を羽織ったまま、焚火をじっと見つめている。

 しかし……そうだな。やや冷静というか、それなりに落ち着いていられるのは、彼女と言葉を交わしているところが大きいのかもしれない。

 なんというか、彼女とのやり取りは気疲れしない……自殺云々の話は置いておくとしてだ。何を言っても淡白な反応しか返ってこないが、それが意外に僕を落ち着けているのかもしれないな。

 やはり、彼女には自殺してほしくない。今はまだ迷っている段階にあるはずだ。明日の朝にまた尋ねてみるつもりだが、これまでのやり取りで、心境が変わってくれていたらいいのだが────。

 

 

 

 

 

 山の向こう側の空がだんだんと白け始めてきたころに、少女は目を覚ました。少し身じろぎした後にぱちりと目を開く。

 

「おはよう」

 

「おはようございます」

 

 彼女にも睡眠は必要なようで、深夜に見張りを交替したあとに彼女は眠りについた。寝顔は穏やかで、あどけない雰囲気があった。顔から黒い鱗が生えていなければ、村娘と間違えられそうだ。

 渓流は早朝特有の静謐な雰囲気を纏っており、僅かに霧もかかっている。狩りを始めるにはいい時間帯だがしかし、僕は彼女に尋ねなくてはならないことがある。

 

「さてと、結論は出たか?」

 

 身を起こした彼女を見ながら僕は問うた。昨日からの出来事にひとまずの決着をつけなくてはならない。

 

「肯定します」

 

 少女はこくりと頷いた。見張りをしている最中にでも考えていたのだろうか。昨日までと違って迷いの色はない。淡々とした口調で言葉を続ける。

 

「──本機は自己破壊処理がやはり推奨されます。しかし……」

 

「現在、自己破壊処理を実行不可能な状態です。原因不明。自己破壊機構に損傷は見られないため、頭脳系統のエラーと判断しました」

 

「難しいな。つまり自殺できなくなったってことか?」

 

「肯定します」

 

 ……だそうだ。つまり、彼女は昨日の選択を覆し、この世界で生き続ける選択肢を取ったということだ。

 やや消去法的な理由ではある。自殺しない、したくないというわけではなく、できないから仕方なくといった感じだ。

しかし、今までに彼女が「したい」という要望をしたことがあっただろうか。その我欲のようなものが欠けていた場合、どうやっても理性的な結論に基づいて彼女は行動してしまう。「死にたい」より「死ぬべき」の効力の方が、彼女にとっては強いのだ。

 昨日の時点でそれに気付いていたため、この問いは割と分の悪い賭けだと思っていたが……

 

「……ふっ」

 

 思わず吹き出してしまった僕の顔を、彼女は不思議そうに見つめている。

 

「ああ、すまんすまん。なるほどな。そいつは僥倖だ。なに、ここまできて自殺されるのも後味悪いなと思ってたところだ。僕はその方がいいんじゃないかと思うぜ」

 

 そう言って、僕は倒木に座ったままぐぐっと伸びをした。さっきのは本心からの言葉だ。なんだかんだで緊張というか、無意識に気にしていたようである。

 そうとくれば、他にも話しておかなければならないことがあるな。しかし、先ほどよりも心持ちは大分明るい。

 

「さて、ひとまずお前が生きる方に舵を切ると決めたとこでだ。提案があるんだが聞いてくれるか?」

 

「ご自由にお申し付けください」

 

「いやなに、そんなに大したことでもない。ただ、しばらくの間、少なくとも一週間くらいか。僕と同伴してくれないかと思ってな」

 

 一応、確認のためだ。この狩りそのものはあと二日ほどで終わると踏んでいるが、彼女がその先生きていくための道具くらいは手渡してやりたい。そのための一週間である。

 また、彼女の容姿はぱっと見人間だが、少し話せば違和感が生じるくらい人間離れもしている。箱入り娘……とはまた違うが、本人が置かれている状況は似たようなものだ。そのあたりも教えておきたい。

 

「了承しました」

 

 僕の提案に対し、何の疑いもなく即答する彼女に対して、僕は苦笑いを浮かべた。

 

「理由を尋ねない辺りがまたなあ……まあいいや。話が早い。なら早速ついてきてもらおうか。まずはその身なりからどうにかしなきゃな。お前、羞恥心ってやつを教えてもらわなかったのか?」

 

 彼女は今、全裸である。眠る前に外套をかけ布団にするために脱いだのか、本当に衣ひとつ身にまとっていない。人間がそんな状態で森の中で寝ようものなら、次の日の朝には十か所かそれ以上の虫刺されが体のあちこちでできているだろう。彼女はそういうのとは無縁なようだ。

 昨日からそうだが、彼女は僕に裸を見られても全く動じることがない。おかげで僕も変な感情をあまり抱かずに彼女と向き合っていられるわけだが……

 

「本機には不要な感性であるため実装されていません」

 

「感性は取っ換え引っ換えできるもんなのかね……? まあ、これから生きていくために必要なことだ。服を着ないで外に出るのはよくないことだ。覚えておくといい」

 

 ため息をついて、地面に放っておかれている外套の土や草を払って彼女に羽織らせる。「分かりました」と言いながら彼女は外套のボタンを留めた。どちらかと言えば、羞恥心を覚えさせるというよりは、その必要性を説いていく方がいい気がするな。

 

 よし、それでは狩りの準備を始めるとしようか。焚火の火を入念に消し、弓の弦を張る。弓は背中に担いでいるときには折り畳み、攻撃の際に展開する割と複雑な機構になっているため、その際に弦が絡まないように気を付けて準備しなくてはいけない。

 ……ん? 大事なことを忘れている気がする。弓弦の留め具を弄りながら少しばかり考え込んでいると、やっと思い出した。

 

「そうだ、このごたごたですっかり忘れてた。名前だ。名前。お互いに自己紹介すらしてないじゃないか」

 

 昨日の夜、見張りを交替した直後くらいにそのことに気付いて、もし彼女の決断が僕にとって望ましいものであれば、自己紹介をしようと思っていたのだ。

 こういうときは話題を振った方、つまり僕から名乗るのが礼儀というものだ。

 

「僕の名前はアトラだ。お前は?」

 

「本機の個体番号は201番です」

 

「んーそうじゃなくてな。お前、人の兵器だったんだろ? 愛称みたいなのつけられてなかったか?」

 

 番号で呼ぶくらいなら、まだお前の方がいい気がする。しかし、自分で言っていてなんだが、バリスタのひとつひとつには愛称なんてついていないよな。彼女も似たようなものなのだろうか。だとすれば番号をもじって呼ぶか……などと考えていると、記憶を探っていたらしい彼女が呟くように言った。

 

「……技術者からはテハヌルフと呼ばれていました」

 

 テハヌルフ。内心で反芻する。何らかの兵器の愛称と考えれば、確かにそんな気がする。しかし、番号で呼ぶよりもよっぽど名前らしい。テハヌルフ、覚えたぞ。

 

「ちと長いな。テハヌルフ……テハって呼ぶが、いいか?」

 

「了承しました」

 

 話してる間に弓弦を張る作業も終え、矢筒もしっかり背中に担いだ。火が完全に消えていることをもう一度確認したあと、僕は歩き出す。

 

「それじゃあ行くか。まずは狩りの方をとっとと終わらせなきゃな。ついてきてくれ」

 

「はい」

 

 

 

 

 

「それじゃあ行くか。まずは狩りの方をとっとと終わらせなきゃな。ついてきてくれ」

 

 そう言って青年は弓を背中に担ぎながら歩き出した。

 「はい」と、対竜兵器の少女は答えて彼の背中を追おうとして、ふと立ち止まった。

 

 昨日の夜の光景を回顧する。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()()

 

 

 彼はそのとき、あまりにも無防備だった。ナイフを持って忍び寄っても、僅かに反応する程度で起きることはなかった。

 あのままナイフを突きおろしていたら、容易く彼の喉を掻っ切ることができただろう。そうしたら、恐らく彼は死んだだろう。しかし、少女はすんでのところで踏みとどまった。そのナイフが彼を傷つけることはなく、少女は見張りに戻った。

 

 

 なぜ、あのようなことをしたのだろうか。少女は自分の行動の理由が分からない。しかしあのとき、自らの行動を阻止したのは間違いなく自分だ。その理由も分からない。目覚めてから、分からないことばかりだ。

あのとき、自らの内にいる何かを()()()ような感覚があった。自分でない何かがいる。そのことは気に留めておかなければならなかった。

 

 現に今も、彼の背中を見て、ナイフを()()()()突き刺してしまおうという衝動が芽生えている。そうしたら彼は動けなくなる。彼は今油断している。今だ。と。

 彼女は、その自分でない自分を抹消した。目を閉じて、目の前の自分の首元をナイフで一閃するイメージを浮かべれば、それだけでその衝動は消え去った。

 

 そして、少女は何事もなかったかのように彼の後を追う。

 この衝動は何なのか、どうして彼を殺さないのか、自殺ができなくなった理由と合わせて、考えていかなければならない──。

 



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第3話 承:空を飛び交う矢と刃

 

 

 

 その光景は、僕の目には極めて異様に映った。

 

 少女──テハヌルフに応対しているモンスターは、陸の女王リオレイア。

 その咆哮により木々はざわめき、吐き出す炎で地面の至るところが焦げ付き、さらに血が飛び散っている。間違いなく、そこは戦いの場だった。

 

 しかしあれは、ハンターの狩りではない。竜同士の争いでもない。

 あえて言えばそうだ。彼女が言っていた通りなのだろう。──竜と、竜を斃す兵器の戦いだった。

 

 

 

 

 

 野宿の道具を撤収し、僕はようやく本来の目的を達成するために行動し始めた。

 そもそも彼女と出会ったのは偶然の出来事であり、僕がここまで来た理由は、あるクエストを受注したからである。

 

「リオレイアの討伐は本機のみで可能です。命令を承りました」

 

「別に命令してるわけじゃないし、僕も参加するけどな……」

 

 獣道らしき道を、草や枝をかき分けながら進む。相手は飛竜種なので、空から一方的にこちらが見えるのを避けたいのだ。

 この辺りの地理は、あの洞窟の出口から見下ろしたときにある程度掴んでいるため、飛竜種であればどの辺りにいるかも目星がつく。

 朝のうちに地図で当たりをつけたポイントを僕たちは巡っていた。今二つ回って成果なし、これから三番目のポイントである。

 

「というかお前、その姿で戦えるんだな」

 

 持ち込んできた予備の服と外套を着せているとはいえ、それらはおおよそモンスターの攻撃に耐えられるものではない。そしてそれらを除けば彼女は全裸だ。

 ただ、僕も履物まではすぐに用意できず、彼女は裸足なのだが、今見ても汚れてはいるが傷ついているようには見えない。森の中を歩いているにも関わらずだ。皮膚はかなり丈夫なようである。

 

「戦闘は可能です。本機は近距離攻撃型です」

 

「剣士ってことか。ということは、武器はそのナイフか?」

 

 僕は彼女が手に持つ片手剣程度の大きさの真っ黒なナイフを見て言った。

 彼女の髪(?)の切断にも用いたナイフだ。使ってみた感じだと、切れ味は申し分なさそうだった。頑丈かどうかは分からないが。彼女はそのナイフ以外に武器になりそうなものを持っていなかった。

 

「はい。これは本機の制御下に置かれています」

 

 ぱっと見楯無し片手剣といったところか。攻撃にも防御にもかなりのハンデがあるが、自信はあるらしい。どんな風に立ち回るんだろうな。

 

「分かった。僕は見ればわかると思うが弓使いだ。近接攻撃はお前に任せる」

 

「了承しました」

 

「くれぐれも無茶はするなよ。何年も動いていないなら体が鈍っているはずだ。まずいとおもったらすぐに撤退してくれ。お前が動けなくなると面倒だしな」

 

「了承しました」

 

 愛想がない返しだが、伝わりはしただろう。今までのやり取りで、こちらの要求には答えてくれるのがありがたい。

 彼女を前線に出すのはどうかとも思ったが、あの場に残しておくわけにもいかないし、飛竜種との戦闘となれば連れ添っていて守りきれる保証はない。

 発見した時点で近場に隠れさせて僕だけで戦うのが一番なのだろうが……まあ、本人が戦えると言っているのを否定してまでそうするつもりはない。

 それに、好奇心があるのも否定できない。身体から硬い竜鱗を生やし、頑丈な皮膚を持つ彼女が実際に戦うところを見たいというのも確かだ。

 

「……さて、そろそろ手がかりくらいは見つかってほしいが……」

 

 ジャギィやケルビ、ガーグァはところどころで見かけたのだが、さて、三番目のポイントはどうか。

 少し歩くと、ちょうど僕たちが見下ろすかたちで、下の方にはやや幅の広い川が流れている。川底もはっきりと見えることから、水深はかなり浅そうだ。斜面には樹木も生えており、あれを伝っていけば降りることも可能か。

 そして何より──

 

「いるな」

 

「討伐対象を発見しました」

 

 その言葉を交わしたときには、既に僕も彼女もリオレイアに逆探知されないように顔を引っ込めていた。

 僕は何も指示していないので、自らの判断で身を隠したのだろう。現金なものだが、その行為だけで彼女の狩猟経験について信頼が持ててくるものだ。

 リオレイアは僕たちに横顔を見せるかたちで川に立っており、水を飲んでいた。距離は約40メートルといったところか。

 こちらの声が届くことはないだろうが、水を飲み終わればすぐに飛び去ってしまうだろう。じっくりと作戦会議をしている時間はない。

 

「テハ。お前はこの坂、リオレイアに悟られずに二分で下れそうか?」

 

「可能です」

 

「そうか。なら僕はここからもう少し近づいて狙撃する。そのあとすぐにまた身を隠してもう一度狙撃を狙うから、僕が初撃を放ったタイミングでリオレイアを攻撃して気を引き付けてほしい」

 

「了承しました」

 

「坂を下ったら少し上流側に移動して、そうだな……あの一つだけ大きな岩の傍まで辿りついたら合図してくれ。そしたら僕が矢を放つ」

 

「了承しました」

 

 これは彼女がいてくれるからこそ提案できる作戦だ。僕一人ではそうもいかない。

 

「失敗したら臨機応変に動いてくれ。サポートはできる限りする。時間がない。行ってくれ」

 

 返事は不要と判断したのか、彼女は僕がそう言うや否や駆けだした。……む、足音が聞こえない。裸足なので、柔らかく地面を踏みしめられるのが大きいのだろう。それを考慮しても忍び足は僕以上に上手いかもしれない。

 木々に紛れた彼女の姿は、すぐに見えなくなった。……本当になんの戸惑いもなく全裸で行動するんだな……。

 さて、僕は僕で狙撃の準備をしなくては。せめて30メートルくらいまで近づきたい。木々の合間を縫っての狙撃になるな。幸いなことに辺りに生えている木はそこそこ大きなものばかりなので、地面に近いところに枝は生えていない。

 慎重に坂を少しばかり下り、体勢が安定しそうな地面を見繕う。さっき目星はつけていたので、これはすぐに見つかった。感づかれては……いないな。しかし、リオレイアは水を飲み終わったのか顔を上げて辺りを見回している。テハが見つからなければいいが。

 

 背中に担いでいた弓を静かに展開し、矢筒から狙撃用の矢を取り出す。矢じりがかなり重く、長距離でも威力が減衰しにくい代わりに、素早く取り扱うことはできない。

 今はこの狙撃用の矢を五本と、狩猟用の矢を三十本、特別製の矢を五本持ってきている。飛竜種を狩るにはぎりぎりの本数なので、ひとつひとつの射撃が大切だ。

 弓弦に矢を番えれば、狙撃準備は完了だ。ここまで大体二分ないくらいか。テハに指示した方を見てみれば、既に彼女はそこに辿り着いて手を振っていた。早いな。まああの走る速度なら道理か。僕も合図を送り返し、弓を弾き絞る。

 

 まずいな。リオレイアのやつ、飛び立とうとしている。しかし、焦って早打ちするのは悪手だ。飛んだ瞬間を射止めるくらいの心持でやる。こっちを向いて飛ぶなと祈りながら、ぎりぎりと弓弦を引っ張った。

 ──よし、撃てる。

 リオレイアが翼を大きく広げ、ばさりと空中に浮かび上がった。その瞬間、僕は矢を放つ。

 

 火竜……特にリオレイアは地上から空に飛び立つとき、一度ホバリングしてから徐々に上昇していくことが多く、一息に空に飛び立つことは珍しい。つまり、飛び立ってからすぐのリオレイアは()だ。

 矢は鋭い風切り音を立てながら木々の隙間を駆け抜けていき……やつの翼の付け根辺りに突き刺さった。その時には僕はもう木の陰に飛び込んでいた。

 直後にリオレイアの悲鳴じみた鳴き声が聞こえた……が、地面に墜落はしなかったらしい。空中で態勢を立て直したようだ。

 ひょっとしたらこのまま飛び去るか……? と思ったが、またそのすぐあとにやつの咆哮が響き渡った。テハが出たな。リオレイアに認識されないままテハの追撃が加えられればと思ったが、飛び立つ可能性があったならば、むしろ果敢に出てもらった方がいい。

 

 リオレイアは地面に降り立ったようで、その巨体に見合う地響きが聞こえる。そっと顔だけ出して様子を伺ってみると、翼の根元から大量の血を流しつつも、テハに向かって突進を仕掛けるリオレイアの姿があった。

 突進の速度はかなり早い。しかし、彼女は避け切ったようだ。あの様子を見るに、しばらくは飛ばないな。あの矢には返しがついていないのでそのうちに抜ける。そうしたら飛ぶかもしれない。

 リオレイアの突進を避けたテハは深追いせず、川の真ん中あたりまで移動し剣を構えている。どうやらあそこで立ち回りたいらしい。僕も追撃の準備を────いや、待て。

 

 彼女のナイフは、()()()()()()()()()()

 

 テハは、()()()剣を構えていた。その大きさは彼女自身の身長にも匹敵するか。

 刀身は黒い。まるであのナイフが伸びてあの形状になったかのようだ。

 ハンターの武器には変形を駆使することで、まるで異なった形状になるものが存在する。スラッシュアックスやチャージアックスがそれに該当する。しかし、彼女の武器の形状の変化はそのどれでもない。

 

 ……今考えるべきことではないな。狩りの流れだけを見極めなければ。ここは動いている相手を狙撃するにはやや障害物が多すぎる。二撃目で正体を晒すくらいの心づもりで、テハたちの様子を見つつ川岸ぎりぎりのところまで近づこう。

 

 すでにリオレイアは彼女の方へと向き直っている。しかし、やつは彼女に近づかず、その口内に赤い炎を宿らせた。首をもたげ、豪速で火球(ブレス)が放たれる。

 川の水しぶきを蒸発させながら迫るそれを、彼女はまた冷静に避けた。続いて彼女を追いかけて二撃目、三撃目が放たれるが、彼女はその何れも避け切った。川岸に追い詰められないように左右に避けているが、足を川に突っ込ませながらよくあんな動きができるものだ。

 

 そして彼女は倒れこみ気味に回避した勢いのままに身体を回転させ……遠心力を乗せてその剣を投擲した。

 放り投げられた剣は弧を描いてリオレイアの頭に向かい──やつはそれを避けた。そして彼女に得物がなくなったことを悟ったのか猛然と駆け出し、彼女のいた場所でその長い尻尾を振るう。

 あれは避けられないな。尻尾にぶつかった彼女はしかし、僕がいる方とは反対方向に打ち飛ばされつつも、地面に転がることなく受け身を取った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 剣は先ほどまで向こうの川底に突き立っていたはずだが。

 なにやら僕の常識では推し量れない現象が起こっていることは間違いない。しかし、テハのおかげでリオレイアは今かなり狙いやすい場所にいる。そこからどう動こうと射貫ける位置だ。

 ぼさっと狩猟風景を見ているわけではない。弓にはすでに狙撃用の矢が番えられ、弓弦は引き絞られている。さらに今回は弓の胴の部分に薬液の入った瓶を取り付けていた。強撃瓶だ。

 

 行け。

 発射の瞬間に瓶の留め具が外れて矢じりに薬液を塗布する。バシューッという音と共に火花を散らしながら矢は飛んでいき……リオレイアの首元に突き刺さった直後に小規模の爆発を引き起こす。

 首元の甲殻がぼろぼろと剥がれ落ち、先端は内側の肉に到達したらしい。また多量の血が噴き出した。

 当たり所が少し良くなかったが、効果はあったようだ。リオレイアは苦悶の呻き声をあげるとともに、僕の方を睨む。流石にばれたな。

 あれは一撃目に使うには音が大きすぎて簡単に気付かれてしまうが、こうやって誰かが戦っているときの不意打ちには最適だ。よし、僕も出るとするか。木の陰から飛び出して川岸に立つ。

 

 リオレイアは僕を認識したことで、標的をテハから僕に切り替えたらしい。想定内のことだ。僕は弓を展開したままやつを睨み据える。さあ、どう来る。

 リオレイアはその場でばさりと飛び上がった。そして飛びながら僕の方へとその人の胴ほどもある足を繰り出してくる。その足で僕を捕まえて空中に連れ去る腹積もりか。

 多少大げさに避けるくらいがちょうどいい。僕はおもいきり横っ飛びし、川に身体から突っ込みながらもその爪を回避する。翼が巻き起こした風に水がまき上げられ、僕は水びだしになる。気にしない。さて、次。

 

 やつの翼の根元に突き刺さっていた矢は抜け落ちていた。首元の矢はそもそも当たった瞬間の爆発で抜けている。後でそれらを回収しなければ。

 そうこう考えているうちにリオレイアは追撃を仕掛けてきた。ブレスかと思ったが、炎の量が先ほどよりもずっと多い。──後方退避。

 リオレイアが吐き出したのは先ほどの火球よりも小さな火種のようなもの。しかし、それは先ほどまで僕がいた地面に着弾したと同時に、凄まじい爆発を引き起こした。拡散ブレスだ。

 やや回避が間に合わず、僕は熱風に晒された。ここで焦って息を吸い込むとたちまち喉と肺が焼かれる。更に距離を取って……はじめにテハが立っていた辺りで一呼吸置いた。多少肌に火傷はしたが、狩りには全く問題ない。

 

 ある程度距離が開いたな。僕は矢筒から狩猟用の矢を取り出して番え、引き絞る。近的は弓使いの基本だ。

 リオレイアは拡散ブレスの熱量で濛々と立ち昇る水蒸気をかき分け、僕に突進を仕掛けようとしていた。僕は構わずその場に居座って矢を射る。

 空気を切り裂いて飛んで行った矢はやつの顔面に突き刺さった。かなり痛かったのか、リオレイアは突進を中断して頭を振った──後ろで血しぶきが上がる。テハだな。がら空きだったやつの後ろ手にうまく回り込んだらしい。

 

 ここで本格的に命の危険を感じだしたのか、リオレイアが怒りの咆哮を上げる。その音量と波動に川の水は波打ち、森の木々は震撼した。リオレイアの口からはちらちらと炎が漏れ出ている。ここからが本番だな。

 

 

 

 

 

 一緒に戦えば戦うほどに、テハという存在が人間ではなく、古代の技術で作られた兵器であるという話が真実味を帯びてくる。

 リオレイア相手に僕たちは有利な戦いを進めていた。主なダメージソースは僕が担うだろうと思っていたのだが、その考えは全く通用していなかった。僕と彼女で半々といったところか。

 

 リオレイアの嚙みつきをフェイント気味に避けたテハは、そのままやつの懐に潜り込んで手に持った黒く長大な剣でその脚を切り裂いた。振りぬかれた剣は、即座に切り返されて二撃目に繋がる。その動きは慣性というものを完全に無視していた。まるで、何らかの見えない力が剣にはたらいているかのようだ。

 リオレイアは足元にいるテハを煩わしく思ったのだろう。僕がその翼膜に何本も矢を当てているにも拘らず、その場で翼をはためかせて彼女を吹き飛ばそうとした。

 しかし彼女は咄嗟に身を伏せてこれを凌ぐ。そして手に持った()()()()()を、リオレイアの腹の下に突き刺した後に、その場から離脱した。

 

「どうなってんだ、あれ……」

 

 手品か何かでも見せられている気分だ。

 テハがこの戦いの最中に武器を手放した回数は、もう十回を超えただろう。それらはしばらくすると跡形もなく消え去って、気づいた時には彼女の手には新たな武器が握られている。その形状は多彩なもので、ナイフだったり、長剣だったり、彼女よりも大きな大剣だったり、鋭い突剣だったりした。

 

 まるで、彼女がその都度武器を創り出しているかのようだ。こんな現象、おとぎ話にだって聞いたことがない。今だって彼女の手には二本のナイフが逆手に握られている。唯一共通している点を挙げれば、それらは全て真っ黒なことくらいか。

 ともかく、彼女の離脱は正しい判断だったな。リオレイアはその場で身構えて、ハンターたちの間で最も恐れられている技を繰り出そうとしている。──サマーソルトだ。

 いったいどういう原理で、あの巨体があんなに勢いよく一回転するのか。その太い尻尾が川底に打ち付けられ、そのまま強引に擦過。自身は上空に浮かび上がりつつ、重心を軸にして蹴り上げるようにその体を翻させる。

 空気が掻き乱されて風が水を吹き飛ばし、尻尾が通った川底はごっそりと削り取られ、一時的にそこには一切の水がなくなった。凄まじい一撃だ。

 そしてこの攻撃の恐ろしいところはもうひとつ、リオレイア自身の負担がそう重くないことだ。この後、やつは平然と追撃してくる。油断は禁物だ。

 

 リオレイアは空中でホバリングしたまま僕の方を向いた。標的はこちらか。森の中に逃げ込んでしまおうかと思ったが、今のリオレイアはお構いなしに突貫して火球を打ち込んできそうだ。

 森に直接あんなものを放られると、火事になって逆に追い詰められかねない。切羽詰まってはいないので、正面から向き合うとするか。

 

「さて、来い」

 

 弓をしまいつつ、僕は空飛ぶリオレイアと向き直った。前後左右、どこにどんな攻撃が来て、どう避けるか。直感の勝負だ。

 

 リオレイアが動いた。翼を器用に動かし、瞬く間に距離を詰めて僕の背後へと回り込む。

 ──やられた。やつの方が一枚上手だったな。これは僕の機動力ではどうにもならない。()()()()()()()

 武器が破損させられることだけは避けなければ。僕はとっさに身を翻して後ろに跳んだ。その右斜め正面から、先ほどと変わらぬ速度で尻尾が振り上げられる。空中サマーソルトというやつだ。

 身体への直撃は避けたが、左手に尻尾が打ち付けられた。跳ね上げられた左手に引っ張られるかたちで吹き飛ばされる。

 

「つぁ、……ちッ」

 

 何とか受け身は取れたが……いや、不幸中の幸いだな。尻尾の棘は腕の防具に突き刺さっているものの、貫通はぎりぎりしなかったようだ。脱臼もしていない。ただ、かなりひどい鞭打ち状態になってしまったようで、左手はひりひりとした痛みを発したまま痺れて、しばらく使えそうにない。

 

 リオレイアはまだ追撃の余裕があるようだ。さて、次こそは避けてみせると左手を庇いながら身構えていると、やつは全く見当違いの方へと飛んで行った。──テハに標的を切り替えたな。

 僕のときとほとんど同じ動きでやつはテハの背後に回り込む。そして即座にサマーソルトが繰り出された。

 テハにあれが当たった場合、惜しいが撤退だな。また数時間後に持ち越しだ。そう思ってポーチからこやし玉を取り出そうとしたのだが、僕はそこで驚くべき光景を目にすることになる。

 

 テハは今のサマーソルトを避け切っていた。それそのものは別に驚くべきことでもなく、僕よりうまく回避行動を取ったんだなと思うだけのことであるが、リオレイアの斜め正面に立った彼女は不思議な構えを取った。

 左手を前に、右手を後ろに出して、腰を低くしてリオレイアを見据えている。その手には何も握られていない。無手だ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……流石にそれはどうかと思うぞ」

 

 リオレイアの毒が実は打ち込まれていて、そのせいで幻覚を見ているのではないかと半ば本気で思った。

 見たままを述べれば、その二本の長剣はリオレイアに剣先を向けている。リオレイアはそれらを警戒しているのか、その場でホバリングしたままテハを睨んでいる。そんな均衡は数秒間続いた。

 

 先に動いたのはテハだ。後ろに引いていた手を勢いよく前へと突き出す。すると、彼女の右手に浮いていた剣が一本、まるでそれそのものが矢になったかのように()()された。

 打ち出される速度は速かったが、リオレイアはこれを余裕をもって避ける。上空へと退避したのだ。リオレイアに当たらなかった剣は弧を描いて飛んでいき、やがて地面に突き立った。リオレイアはこれを好機と見たらしい。テハに向け、急降下を開始した。そのまま着地し、彼女を踏み潰す算段だろう。

 しかし、テハはあくまでその場を動かず、左手を突き出したまま、右手でバランスを取ってぐるりとその場で一回転した。まるで重いものでも振り回しているかのように。

 

 実際、それは正しい見解だったのだろう。

 直後、リオレイアの翼に()()から剣が飛来し、翼膜を深々と切り裂いた。今まさにテハに向けて急降下していたリオレイアはたまったものではない。空中でバランスを崩し、テハを飛び越して地上に落下する。凄まじい地響きが響き渡った。

 今リオレイアの翼を切り裂いた剣は、彼女の左手で浮いていた剣だ。彼女が回り始めると同時に、まるで見えない糸に引っ張られているかのように楕円の軌道を描きながら速度を上げ、上空のリオレイアの翼に剣先を向けて的確に貫いたのだ。

 

 テハに視線を集中させていたのが仇になったか。予想外の方向から手痛い攻撃を受けて墜落したリオレイアはなかなか起き上がることができない。落下の衝撃は僕から見ても凄まじいもので、それに巻き込まれた川はもはや原形を留めていないほどだ。足の骨が折れたか、脳震盪でも起こしたのかもしれない。

 

 見ていて痛々しいが、それでも追撃を仕掛けるのが狩人だ。先ほどと同様に、僕はリオレイアとテハヌルフの戦いをただ見ていただけではない。するべきことはしっかりやっている。肩から腕に、防具の中から流し込まれた回復薬はむち打ちの症状を和らげていた。

 弓は……持てるな。しかし、まともに弓弦を引き絞れそうにない。だがあの矢なら打てる。僕は矢筒から狙撃用でも狩猟用でもない矢を取り出した。ベルトに提げた握り拳くらいの大きさの袋も一緒に取り出して、その栓を抜いて矢じりの後ろに取り付けられたフックに引っ掛ける。

 矢を番えて、弓を遠的のときよりも高く……上空へと向ける。テハは尻尾の付け根辺りを二本のナイフで切り刻んでいた。悪いが、テハには離れてもらわなくては。

 

「──曲射する! テハ、離れろ!」

 

 大声でそう言ったあとにちらりとテハの方を見たが、言葉は届いていたらしい。その場から離脱していた。

 すぐに視線を戻して標準を狭めていく。思うように力が入らず、右手の結弦を引く力に負けてかたかたと震える左手。相当ぎりぎりだが、行ける。

 空へ向けて矢を放った。矢に尻尾が生えたかのように袋が追随する。ふらふらとした軌道で飛んで行ったそれは、しかし何とかバランスを崩さず放物線運動を描いて、その場から動けず仕舞いのリオレイアの翼に突き刺さる──と同時に、強撃瓶をつけたときとは比較にならないほどの爆発が発生した。曲射成功。

 

 リオレイアの翼膜はそれまでの僕の射撃とテハの斬撃、そして止めの今の曲射によってぼろぼろになっていた。あれではまともに飛ぶことすらできまい。

 リオレイアは今の一撃が相当きつかったのか、びくりと起き上がり、そして弱弱しく咆哮したあとにその翼を広げた。飛び去る気だな。

 ポーチからペイントボールを取り出して、栓を抜いて飛び立つ直前のリオレイアに向けて駆け寄りつつ投擲する。それはリオレイアの尻尾に当たり、独特の臭気と派手な色の液体をまき散らした。

 リオレイアはそんなこともお構いなしに一息に飛び立つ。しかしその羽ばたきはさっきよりもせわしない。翼膜が酷く破けているからだろう。そしてよろよろとした飛行で飛び去って行った。

 

「……ふう」

 

 一息つくと、テハが両手にナイフを持ったまま駆け寄ってきた。

 

「リオレイアの戦線離脱を確認しました。追跡しますか?」

 

「ああ。少し休憩を挟んだらすぐに追いかけるぞ。怪我はないか?」

 

「本機に戦闘に支障が発生するレベルの損傷はありません」

 

 そういうテハは息が上がっている様子もない。スタミナは僕以上にあるな。これ以降の戦闘では彼女の攻撃力に頼るところが大きいかもしれない。

 

「それはよかった。ただ、僕の方がヘマして左手をやっちまった。応急処置するからそれまで待っててくれないか」

 

「了承しました」

 

 テハが頷いたのを見て、僕は川岸の手ごろな岩に座った。

 辺り一帯はひどいありさまだ。土はえぐれ、何本か木が倒され、さらにそれは踏み潰されてバキバキに砕けている。川の水は泥の色に濁り、しばらく戻らないだろう。ペイントボールの匂いと土の匂い、それと焼かれて炭化した木々や地面の匂いが混ざってえらいことになっていた。

 僕は腕の防具を外し、肌を晒した。……青あざになっている部分の方が多いくらいだ。これは数日間は痛みが消えないだろうな。ただ、リオレイアのサマーソルトに当たってこれだけですんでいると思えば安いものだ。リオレイアのソロ狩猟では大体これよりもひどい怪我をするのでまだましな方とも言える。

 応急処置と言っても、消毒して軟膏型の回復薬を塗って包帯で巻くだけだ。そう時間はかからない。ポーチから小瓶程度の大きさの軟膏型の回復薬と包帯を取り出しながら、僕はテハヌルフに声をかけた。

 

「なあ、テハ。お前のさっきの戦い方についていくつか質問があるんだが、聞いてもいいか?」

 

「はい。回答可能です」

 

「じゃあひとつ、お前、何の力を使ってる?」

 

 単刀直入に聞く。

 戦闘中も頭の片隅で考えていたが、少なくともあれは生身の人間でどうこうできる領域を軽く凌駕している。

 任意に手から様々な形状の武器を創造し、または消し去り、挙句の果てに剣を浮かすのだ。なにか別の理が彼女にはたらいているとしか考えられない。

 テハは顔に生えた鱗をぴくぴくと動かしながら、しかし表情を変えずに淡々と答えた。

 

 

「本機は電磁力を使用しています」

 

 

 ……電磁力。聞きなれない言葉だが、電気と磁力を組み合わせた言葉だろうか。言い切ったということは、あの現象はその電磁力とやらですべて実現可能ということか。

 

「そう、なのか。いや、聞き覚えのない言葉だったもんでな。それが古代文明の発明でお前たちが使えるようになった力のひとつなんだな」

 

 そしてそれは今に受け継がれていないと。そう思ったのだが、しかし。

 

「違います」

 

 きっぱりと否定されてしまった。古代文明の技術ではないということか? では一体どうやってその電磁力とやらを────まて、まさか。

 僕がその予想に至ったのと、彼女がまた口を開いたタイミングは全く同じだった。

 

「お前、竜の能力を使っているのか」「本機は極龍の能力を使用しています」

 

「……」

 

「……」

 

「……もう一度頼む」

 

「本機は極龍の能力を使用しています」

 

 声のトーンを変えずに彼女は繰り返す。まるでそれが当たり前のことであるかのようだ。

 僕は彼女の言葉を脳内で反芻する。ごくりゅう……これも、書士隊の図書館で本を漁っていたときに名前を見たことがある。確かスケッチはなかったはずだ。別名は……ルコディオラ、だったはず。

 あまり注意して読んでいなかったので生態の記述までは覚えていないが、重大なことはそれとは別なところにある。

 

 確かあのモンスターは古龍種ではなかったか。

 

 僕の記憶が正しければ、そして僕と彼女との間に見当違いが起こっていなければ、彼女は古龍の能力を駆使していると言っているに等しい。

 それはあまりにも衝撃的で──僕を納得させるに足るものでもある。

 彼女が扱う力が古龍のものならば、あのようなことができてもおかしくない。()()()()()()()()()()()()()()()

 論理的ではないのかもしれないが、そもそも人の理が通用しないのが古龍種なのだ。彼らが使う力は現代技術では解明できない。つまり、よくわからない力を使っていたとしても、解析の不可能な別の理がはたらいていると受け入れるしかない。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 彼女は僕が黙ってしまったので、じっとその場に佇んでいる。返答待ちといったところだろうか。

 軟膏を塗った患部に包帯を巻きつけつつ、僕は苦笑しながら言った。

 

「ああ、すまん。あまりに驚いたもんで、つい無言になってた」

 

「構いません」

 

「んんと、じゃあさっきの話題の続きなんだが、極龍ってのは別名がルコディオラって名前の古龍種で間違いないか?」

 

「……別名がルコディオラであるという点については肯定します。しかし、古龍種が種族を指すものであると推測すると、その種族名は本機の記録にありません」

 

 彼女の今の返答で、見当違いになっていないこともほぼ確実になった。しかし、同時に興味深いことも聞いた。古代文明には古龍種という枠組みは存在しないらしい。

 

「古龍種は種族名だな。それが違うなら、その極龍はどんな枠組みにいたんだ?」

 

「ドラゴンという種族名です。ワイバーンと区別するためにそう呼ばれました」

 

 ドラゴンはあるいくつかの特定の古龍種を指すときに用いられる言葉だが、それはひょっとすると古代文明の名残だったのかもしれない。ワイバーンは普通に通用する。飛竜種の別名だ。

 

「ふむ、つまりテハが剣を浮かせたりできるのは電磁力を使えるからで、それはドラゴンである極龍の能力で、古代文明の技術というわけではないということか」

 

「はい」

 

 なるほど。いや、全然理解は追いついてないが、少なくとも剣が浮くことに理屈があることが分かっただけでもよしとしよう。

 ちょうど、包帯も巻き終わった。腕の防具を再び装着して立ち上がる。十分ほど休憩できたのでもう十分だ。その辺に転がっている矢を回収してからリオレイアを追うとしよう。

 まだまだ聞きたいことはある。例えば、彼女の身体がやたら頑丈で、所々鱗が生えているのはその極龍の力を使えることと何か関係があるのか、とかだ。しかし、それらは今聞くべきことではない。

 

 あ、でもこれは聞いておいた方がいいかもな。

 

「テハ、リオレイアを追いかける前にもうひとつ聞きたいことがあるんだが、いいか?」

 

「構いません」

 

「さっきの戦いで、テハの武器が消えてなくなったり、さっき見たときとは全然違う形の武器を持ってたりしただろ。あれもその電磁力とやらでどうにかしてるのは何となく予想できるんだが、あれ、どうやってるのか見せてもらっていいか?」

 

 剣が浮いていたインパクトに隠れていたが、あれも相当不思議な現象だ。何が起こっているのかすら把握できないという点ではこちらの方が勝る。あれの仕組みさえ知れれば、さしあたって狩猟中に気になることはなくなる。

 テハはそれを聞いてしばらく考えていたが、やがて僕に向けて両手を差し出した。その手にはナイフが一本ずつ、逆手に握られている。

 

「アトラ。これを何の武器に変えてほしいですか」

 

 僕に要望を聞いて、その武器へと持ち換える過程を見せようということだろうか。僕は少し考えてから答えた。

 

「なら、さっきリオレイアに向けて投げてた長剣で」

 

「了承しました」

 

 そう彼女が言うや否や、彼女が手に持っていた二本のナイフがまるで砂のように細かな粒になって、その形を崩してしまった。さっきまでリオレイアの硬く厚い皮を切り裂いていたナイフが、だ。

 

「なっ……」

 

「本機が制御下においているのは特定の武器ではなく、この砂鉄です」

 

 声を失う僕に対して、彼女は淡々と説明を続ける。手の平には先ほどナイフだったものの残滓、黒い砂の山が出来ていた。大半は地面に落ちてしまったが、彼女は気にしていないようだ。

 

「本機は極龍の電磁力を使用し、この砂鉄を強制的に押し固めることで武器を創り出しています」

 

 そう言いつつ、彼女は手を動かし、なにか太刀のような長物の武器を持つ構えを取った。

 そこに、黒い靄のようなものが纏わりつく。それらは地面や空中から次々とやってきては集められ、その色を濃くしながら収束していった。

 そして、十秒ほど経っただろうか、その手には先ほど投げたものとほぼ変わらない大きさの長剣が握られていた。

 

「アトラが望んだ武器の形はこれでよかったでしょうか」

 

「あ、ああ……」

 

 やや言葉に詰まりつつも、僕は目の前の現象と彼女の説明を繋げようとしていた。

 砂鉄は僕でも知っている。鉄鋼の原材料にもなる素材だ。磁石に近づけるとくっついてくる。ここ渓流でも採ることができるらしい。

あれに特定のかたちを持たせるならば、一度あれをどろどろになるまで溶かす必要があったはずだ。しかし、そうしてできたものはもうもとの砂鉄に戻ることはない。

 彼女がやっていることは確実にそれではない。その過程をすっ飛ばしていると言うべきか。

 

「磁石にくっつく性質を使って、砂鉄同士をくっつけて形を創っているのか……?」

 

「肯定します」

 

「それなら、その砂鉄は普段どこにしまわれてるんだ? ナイフから大剣ができあがるなんて、中身が空洞でもない限り信じられないんだが」

 

 僕は続けて質問した。テハがリオレイアに突き刺したままにした剣がいつの間にか消えてたり、テハが武器をどうやって創り出しているのかは分かった。

 しかし、さっきナイフを崩して長剣を創り出したときもそうだったが、彼女の砂鉄の扱いはとても()なように思える。なくなったりしないのだろうか。その砂鉄は。

 

「普段は本機の身体に付着させているか、本機の周囲に漂わせています」

 

 彼女はそう言って、ふくらはぎと太ももを僕に見せた。──朝くらいまではなかったはずの部位に黒い鱗が生えている。いやちがうな。これが……

 

「これは本機がリオレイアの探索中に集めた砂鉄です。渓流は砂鉄が多いようです」

 

「そんなことしてたんだな。全く気が付かなかった。あ、もう見せなくていいぞ。あんまり人に見せちゃいけない部分が見えてるからな」

 

 そう言って彼女を諭す。ぶっちゃけると思い切り見えてはいけない部分が見えていた。はやくこいつに服を着せなければという焦りが芽生え始めた。僕の心労的によろしくない。

 まあそれはいいとして、彼女が探索中に砂鉄を集めていたというのは驚きだった。恐らくそれは音もなく静かに行われていたのだろう。

 それと今、彼女がいくつかは砂鉄を自分の周囲に漂わせていると言ったことについて、やや怖い予感がしてそれを話そうとしたのだが……

 

「本機の周囲に展開させている砂鉄は基本的に地面付近にあります。吸い込むことはありません」

 

 僕の言わんとしていることを察したのだろうか。彼女に先に言われてしまった。

 

「そ、そうか。ああいわれるとどうしても気になってな。時間を取らせてしまってすまない。矢を回収してからリオレイアを追いかけよう」

 

「はい」

 

 僕は立て掛けていた弓と矢筒を背負って、狩猟に用いた矢を回収して回った。これらは例え折れていたとしても回収した方がいい。今回のように比較的余裕がある場合には特にだ。そうでないと、乱入などのハプニングが起こったときに矢がなくなっていて応戦できないなんてことが起こりかねない。

 そのために、僕が用いる矢には返しがついていない。刺さった後に抜けて、回収されることを前提としている。僕のような大弓使いと呼ばれるハンターの半分くらいがそうしているらしい。

 テハにも回収を手伝ってもらって、大半の矢を数分で回収することができた。まあ、狩猟中に拾って矢筒に戻したりもしていたしな。僕が当て損ねて遠くに飛んで行った矢まで、テハが浮かせて持ってきたときには心底驚いたが、そういえば矢じりは基本鉄製だった。

 

 

 さて、リオレイアが飛び去ってから二十分程か。まあそう遠くへは行っていまい。どこかでガーグァやケルビを喰らって体力を回復しようとしているだろう。

 この追撃で恐らく決着がつくはずだ。いや、ぜひとも終わらせたい。僕はそう意気込んで、地図とペイントボールの臭気を頼りにリオレイアの追跡を開始した。

 

 

 



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第4話 承:龍が人里に降りたとき

 

 ヒトは群れで活動する生き物だ。

 村をつくり、組織で動き、お互いに助け合う。

 

 龍は独りで活動する生き物だ。

 番であるものを除けば、その強大な力は、他の生き物を寄せ付けない。

 

 ここに、そんな相容れないはずのふたつの存在を、強引にひとつに押し固めた『なにか』があるとする。

 その『なにか』は当然のごとく不安定で、しかし、互いは強く結びつけられている。

 

 その結果どうなるか──当たり前だ。壊れる。

 

 龍の力を得ていながら、見た目はヒトで、それ故にヒトと関わることを避けられない。

 ヒトの手で作られておきながら、ヒトの群れを拒絶してしまう。

 

 それは矛盾と言うよりかは、設計ミスと言って差し支えないものであり、つまるところそれは────

 

 

 

 

 

 あのあと、無難にリオレイアを討伐した僕とテハヌルフは、ひとまずユクモ村に帰還することにした。

 しかし、それには大きな問題があった。彼女が全裸であるということだ。

 今は外套を着せているが、あれはそもそも全身を隠しきれていない。テハの身体から生えている鱗はぱっと見では見間違いかと思われるだけだろうが、注意して見られると誤魔化しきれない。だから、なるべく注目されにくい装いが望ましかった。

 僕自身は防具と雨天時用の外套しか持ってきていなかったし、他に布地もない。どうしたものかとリオレイアを狩猟する前から頭を悩ませていたのだが、それは存外にあっさり解決することとなった。

 

「お前、集めた砂鉄は体にくっつけられるって言ってたよな。それ、この服みたいに全身を覆うこともできないか?」

 

「可能です」

 

 リオレイア戦で、彼女が砂鉄を操って身に纏えることが判明したので、それを応用してもらったのだ。

 時間はそれなりにかかったが、なんとか薄手の防具に見えなくもない砂鉄の服(?)に仕立てることができた。色は真っ黒だったが……。まあ全裸よりはよほどましだろうと判断した。

 

 その後、帰ってくるまでにもいろいろあったが、結局なんとか事情聴取を受けることなくユクモ村に彼女と共に帰還することができた。ユクモ村の鬼門番が門番としての役割をあまり果たしていなかったのには大いに助けられたとだけ言っておこう。

 

 

 

 

 そんな経緯でユクモ村に帰還した次の日の夕方、僕は一人で商業区に買い物に出てきた。夕食の材料などを買うためだ。

 クエストの達成報告は既に済ませてある。そのときに左手の怪我の治療もしてもらった。あざが引くまでには概ね三日。それまでの左手の酷使禁止が言い渡された。リオレイア相手にこれだけで済んだのかとギルドの医者には驚かれたが、そこは自分でも運がよかったと返しておいた。

 テハのことはまだギルドには伝えていない。クエストを受注した人物以外のクエスト参加は基本違反(緊急時はそうも言ってられないため割と緩いのだが)なので、テハのことが知られると面倒なことになる。

 本当は隠すことの方が重罪なのだが、何も言われていないことがばれていないことだと願うとしよう。監視アイルーもめったに訪れない渓流地方のかなり辺境で狩っていたことが幸いしたか。

 

 買い物も手短に済ませ、僕は帰路に就いた。ちらほらとすれ違う知り合いのハンターや馴染みの調合屋の主人などと挨拶を交わしていく。

 僕の自室は最近できたらしい、やや村から離れた住宅地にある。そこには村専属というほどではないものの、年単位で村に居座ってハンター生活を行っている人々が住んでいた。つまり僕みたいなやつだ。

 部屋の広さは村の専属ハンターたちの家宅よりは小さくて、流れのハンターたちの宿よりは大きい程度だ。まあ当たり前である。

 部屋に辿り着いて鍵を開けると、ベッドに座ってじっと本を読んでいるテハヌルフの姿が見えた。服は先ほど僕が買ってきたユクモ村の一般的なあの服を着てもらっている。

 

「ただいま」

 

「おかえりなさい」

 

 まるで感情のこもっていない返事だが、無言で返されるよりはよっぽどいい。というよりも、これまで返事など帰ってくるはずのない一人暮らしを送っていたのもあり、淡い感慨深さすら覚える。

 それにしても、彼女が本を読んでいることが驚きだ。きっと暇を持て余しているだろうと思っていたのだが……。千年前より訪れた存在でも現在文明の文字を読むことは可能なのだろうか。いや、すでにこうやって言葉を交わせているのだから、その可能性は十分にあり得るよな。

 

「帰るのが遅くなってしまってすまんな。ところで、何の本を読んでるんだ?」

 

「この地方のモンスターの分布と生態に関する本です。しかし、本機では解読できない文字がいくつか存在します」

 

「ん、流石に千年前と今じゃなくなったり新しく出てきたりしてる言葉が出てきててもおかしくないよな。それ、メモしておけば後で教えるぞ。メモ用の紙とペンは……これを使ってくれ」

 

 そういって彼女に机の上に置いていたペンとメモ用紙を手渡すと、彼女は「了承しました」と言ってそれを受け取り、さっそく書き込みを始めたようだった。

 僕はそれを傍目に夕食の支度を始める。彼女が人間と同じ食べ物を受け付けることは既にに把握済みだ。ただ、彼女は大食いかつ、出会ったときよりかはましだが未だに痩せている。質より量を優先させてもらうとしよう。

 

 

 

「──というわけで、特産タケノコとサシミウオの煮物、キュウリの和え物が今晩のおかずだ。ご飯とおかず、どっちもおかわりはまだあるから足りなかったら言ってくれよな」

 

「……本機の記録にない食材を発見」

 

「おっどれだどれだ?」

 

「これです。アトラの紹介から推測したところ、これはトクサンタケノコ?」

 

「ああそれな。その通り。それが特産タケノコだ。ユクモ村の特産品だから特産っていう言葉がくっついてるが、それそのものの名前はタケノコ、竹の子どもでタケノコだ」

 

「今の人々は竹を食べる?」

 

「竹の子どもな。成長しきった竹なんてとてもじゃないが食べられたもんじゃないさ。さて、いろいろと話をするのもいいが、さっさと食べ始めようぜ。──いただきますっと」

 

「いただきます」

 

 二人揃って両手を合わせて(テハのは僕の真似だろうが)食事の前の作法を済ませて、さっそく料理に手を付け始める。

 味の方は……うん、大雑把な僕が作ったにしてはよくできている方だろう。ただ、彼女には味覚がないらしいため味についてはそう関係なさそうだが……食感と香りで補ってほしいと彼女には伝えてある。当のテハも怖気つくことなく料理を口に運んでいて、内心少しばかりほっとした。

 そして、食べ始めたらまた談笑を始めればいい。とはいっても、僕がこれから切り出す予定の話の内容は談笑とは言えないものなのだが。

 

「なあテハ、食べながら聞いてほしいんだが、今日の昼のあの出来事についてな」

 

「はい」

 

「あれ、あのときはとりあえず部屋に戻って事なきを得たが、詳細を知りたいんだ。説明をお願いしてもいいか?」

 

「了承しました」

 

 テハは僕の頼みを聞き入れて、食べるのをやめてこちらを向いた。そして僕たちは、今日の昼過ぎ、太陽が少し傾き始めた頃に起こった出来事について話し始める──。

 

 

 

 

 

「見た目はこれでカバーできるだろ。動き辛かったりしないか、テハ?」

 

「歩く、座るなどの基本的な動作であれば問題ありません。しかし、時折布地が本機の身体の一部に引っかかります。戦闘時には破ける可能性が高いです」

 

「あ、やっぱ着た後でも引っかかるか。だよなぁ、着せるときに引っかかりまくったもんな……。まあこれから行くところでは走ったりすることはないだろうから、しばらくそれで我慢してくれないか」

 

 そう言って服を着たテハをなだめつつ、濡れた布で彼女の髪を拭きつつ、買ってきた櫛で梳かす。黒髪に交ざる金髪が美しい。

 テハに今さっき着せた服は、僕が午前中に村の商業区で買ってきたもの。一般的なユクモ村の女性が来ている服と同じ、あのゆったりとした着物のような服だ。

 あれは露出が少ないが風通しは調整可能という優れもので、彼女にもちょうどいいかと思って買ってきたのだが……鱗の先端が予想以上に引っかかるという布地故の悲しい結果となってしまった。

 

「戦闘がないのであれば、この服装で問題はありません。ところで、アトラは本機の頭部に何をしているのですか」

 

「ところで、なんて接続詞使えたんだなお前、って茶化すのは後にして、これはお前の髪を整えてるんだよ。これまでみたくぼさぼさのままだと、頬とか首に生えてる鱗が普通に見えかねないからな。傘で隠すつもりではいるが、お前の髪の長さだったら髪でも隠せるんじゃないかと思ったのさ」

 

「何故隠す必要性があるのですか」

 

「どうしても目立つからなあ。人間にはない特徴だってのはお前にもわかってるだろ? 僕はお前に村であまり目立ってほしくはないんだよ。面倒なことになりそうな予感がするからな」

 

「了承しました」

 

 本当に納得したのかは読み取れないが、とりあえず肯定的な返事を得たので、僕はその手を止めずに彼女の髪を拭いては梳かしていく。彼女はそれを黙って、しかし物珍しいものでも見る風に、目の前に置かれた鏡で僕の手を見ていた。

 女性の髪をこうやって梳かすのは初めてだったので、かなり無造作な手つきになっているが、彼女の方から批判が上がる様子はない。

 それと、彼女の髪は人間のそれに似ていても組成が異なるらしく、相当に頑丈でしなやかだった。おかげで多少強引な梳かし方になってしまっても髪を整えられるのだろう。

 

「……よし、僕の予想通りだ。お前、髪を整えさえすれば、その髪を下すだけで鱗の大部分は隠れるぞ」

 

 整え終えたテハの髪の長さはやや長め、肩に届く程度だ。肩の鱗は服で隠しているので問題ないとして(本人曰くそこが一番布地が引っかかる部分らしいが)、耳周り、頬にかけての鱗は髪で無理なく覆えている。鱗の先端が少し飛び出してしまっているのは致し方ないだろう。

 突風でも吹かない限りこの鱗が露出することはあるまい。そのもしもの場合に対しても、編み笠を被せてそのあご紐をちょっと工夫して通してやれば髪を固定できる。こうして、彼女の村での初めての外出の準備が整った。

 

「よし、行くかテハ。今日は散歩程度、人通りの多い商業区とかは行かずにその辺で買い物しようぜ。足湯とかはできないけどな」

 

「了承しました」

 

 そういって僕はテハの手を取って彼女を外へと連れ出す。彼女はいつも通り無表情ではあったが、特に不安がってもいない様子だった。

 この時まではよかったのだ。この時までは。

 その出来事は、それからそう時間も経たず起こった。

 

「……ッ」

 

「ん、どうした?」

 

 たまに雑談を交わしつつも、のんびりと歩いていたそのとき、ふとテハが立ち止まった。咄嗟に声をかけるが、珍しいことに返答がない。

 何かあったのか、そう思って辺りを見回すが、特に何か変わった光景は見られなかった。強いて挙げれば人通りが増えたことか。僕の住んでいる住宅地周辺は周りが基本畑なのでかなり静かなのだが、通りに出れば途端に道行く人が増えて喧騒が聞こえはじめる。今はちょうどそこに差し掛かろうとしているところなのだが……

 

 テハの表情は編み笠に隠れて伺い知れない。とりあえず今のことは後で聞こうと歩みを進めたところ、また彼女はついてきたので問題ないかと思った──のだが、またすぐに彼女は立ち止まってしまった。

 それどころか、その場でうずくまって手を耳辺りに当てて動かなくなってしまう。

 

「テハ?」

 

 明らかに尋常な様子ではない。僕もしゃがみ込んで彼女の顔を覗き込んでみれば、ぎゅっと目と口を閉じて、何かひどい耳鳴りか頭痛でもするかのような表情を浮かべていた。今までほぼ無表情だった彼女が、だ。

 しかも、彼女の周囲に散らばっていた小石が浮足立つように動き出した。村では使わないようにと言っていた電磁力が作用しているとみて間違いないだろう。

 何があったのかは本人の口から聞くのが一番だが、今の彼女はとてもではないが僕の声掛けに応えられる様子ではない。かなりきつそうだ。早急になんとかしなければと思考を巡らせた僕は、ここに来るまでの彼女の様子はいつもと変りなかったことに注目する。

 原因は不明だが、来た道を戻ればいいのではないか。そう判断するや否や、僕は彼女を抱きかかえて来た道を戻る。道の向こうを行く人々のうちの何人かの目線を感じるが、まあ、体調が悪くなった村人を狩人が介抱してるくらいにしか解釈できまい。

 

 確証の全くない策ではあったが、それが功を奏したらしい。来た道を戻るにつれて、テハはだんだんと落ち着きを取り戻し、住宅地周辺ではふらふらとだが歩けるようになっていた。

 その後、部屋に戻ってからもやや彼女は落ち着かない様子だったのだが、しばらくするとようやくいつもの様子に戻った。それを見届けた僕が夕飯の食材を買ってきても大丈夫かと尋ねると、行ってこいとの旨の返事をもらったため、彼女を部屋に置いて僕は一人で買い物に出かけた。

 

 

 

 

 

 そして冒頭に戻るというわけだ。

 

「あのときお前は、多くの人間が発する音と自分は相性が悪い、と言ってたな。そしてそれを自分は知らなかったと。あのときは状況が状況だったからそれだけで特に追及はしなかったんだが、やっぱり疑問に思ってな。なんで人間が発する音とお前は相性が悪いのか、そこを説明できるならお願いしたい」

 

「了承しました」

 

 テハは僕の頼みに対して頷きを返すと、おもむろに横を向いて耳元の髪を後ろにかき分けた。頬から後頭部にかけて生えている鱗が顕わになる。

 ちなみに耳は尖った形状をしていない。尖った耳は竜人族の特徴であるため、テハが少なくとも竜人族ではないことの指標となっていた。

 

「本機の聴覚はこの耳と、その周辺の感覚器官により成り立っています」

 

「……知らなかったな。そうだったのか」

 

「はい。今回の件で異常な反応を示したのは、この感覚器官です。この感覚器官はアトラの言っていた鱗と相違ありませんが、気配を感知する機能が優れています」

 

「それもまた、ルコディオラの持っていた能力なのか?」

 

「肯定します」

 

 なるほど、テハをあの状態に陥らせた感覚器官が耳でないということは予想していなかった。またさらっと未知の感覚器官が紹介されていたりするが、彼女の身体機能に関してはもう驚かないことの方が少ないくらいだ。これぐらいはあっさり受け入れられるようになってしまった。

 しかし、まいったな。それでは対処療法的に耳栓を用意したとしても、全く意味を成さないということか。対策は難しそうだ。

 

 そうやっていつもの癖で思考を突っ走らせようとしていた僕だったが、彼女が続けて言った言葉には流石に意識を戻さざるを得なかった。

 

「本機は極龍の能力、機能を得ています。そして、本機の感性も極龍に依る場面があります。今回の本機の異常はこのドラゴン特有の感性によって引き起こされたと本機は推測しています」

 

「……お、おう。いやまて、まじか」

 

 いつも通りの淡々とした口調で言い切るからついそのノリに乗っかってしまったが、とんでもないこと言ってたな。本機の感性は極龍に依ることがある、そのドラゴンの感性で今回の出来事は起こったのだと。

 どうやらテハの心理(あるのかどうかは分からない。というようなものとだけ言っておこう)には僕が考えていた以上に大きなものが潜んでいるらしい。古龍の能力は先日さんざんこの目に焼き付けさせられたが、まさか古龍の感性すら持ち得ているとは。

 

「まあ言われてみれば筋は通ってるか……ここロックラック周辺の古龍はともかくとして、ドンドルマ辺りの古龍は人間に対してがっつり敵意向けてるもんな……」

 

 ジエン・モーランが何度もロックラックを襲撃するのは単純に周回ルート上にあるからだというのが通説だが、数十年もしくは十数年周期でドンドルマを襲撃してくる古龍は、明らかにその街の破壊を意図としているように感じられる。そのような記述は関連する文献でも度々見られるものだ。

 

 少なくとも、古龍が人間、ひいては人間の発する音を嫌っていると考えてもおかしくはなさそうだ。そして、その流れで行けばテハの推測は(テハ自身のことではあるが)概ね当たっていると言えるのではないだろうか。

 しかし、これは……難しい問題だな。耳栓が役に立たないと分かった時点で厳しいと感じていたのだが、加えてそれが古龍の感性によって引き起こされるものだとは。これでは慣れも期待することができない……いや、期待することは可能だが、それに対する彼女への負担と背負うリスクがあまりにも大きい。

 そして、同じようにこの流れから推測され得ることは……僕は恐る恐る彼女に尋ねた。

 

「結論だけ言えば、テハは人間の発する音全般が苦手ってことでいいんだよな」

 

「はい」

 

「……それ、僕も例外じゃないよな」

 

「はい」

 

「……先に言ってくれ……。言ってもらったところでどうにもできないが……」

 

 テハに即答された僕は、がくりと肩を落とした。こればかりはどうしようもない。彼女に付いてきてほしいと言ってここまで連れてきたのは僕なのだから、僕なりにこの問題に向き合わねばなるまい。

 そして二人の間の会話が途切れたところで、僕は二人揃ってほとんど食事に手を付けていないことに気付いた。

 

「あっやべ。話に夢中になってて全然食べてねえよ。冷める冷める。冷えた魚の煮物はまずいからそっちから片付けるぞ」

 

「はい」

 

 今までの話はとりあえず保留として、僕とテハは食事を再開する。僕は箸、彼女はスプーンとフォーク。スプーンとフォークは今日の朝食で軽く使い方を教えたが、彼女はもう使いこなしているようだ。その後は、調味料についてのことなど他愛ない会話が繰り広げられた。

 

 今日の夕食を通してのテハの反応はと言えば、概ね良好だった。ただ、正直な感想を求めたところサシミウオの煮物だけはやや苦手な食感らしい(それでもおかわりはした)。

 確かに、あれは味覚なしだときついかもな。本来はあの染み出すだしのきいた煮汁を楽しむものだ。これは失敗と反省する反面、彼女にも食の好き嫌いはあるという発見に、ちょっとした楽しみを見出したりもしていた。

 

 そうしてその日の夜は更けていく。涼しく穏やかな風が、鈴虫の音色を運んでいた。

 

 

 

 

 

 結局、少女は彼に全てを伝えることはしなかった。

 

 必要な情報か否かを判断するのは話した相手によって決まることを、少女は彼から学んでいた。

 少女にとっては当たり前のようなことでも、彼にとっては驚きの事実となり得るし、その逆も起こっている。

 

 その上で尚、少女は彼にあの出来事の真相を伝えなかった。話す必要性がない──否、話してはいけないと。そう判断した。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()という可能性。

 それは、少女が初めて青年と出会った日、寝ている青年の喉をナイフで掻っ切ろうとしたときの衝動に似ていた。

 あのときはその原因すら少女には分からなかったが、今回の件で一つだけ明らかになった。──自らの内に潜む龍の感性。あの日に感じた()()()()()()()とは、これのことだったのだ。

 

 道行く多くの人々を見て、その声を聴いて、彼女の内にいた存在は暴れだした。それはあの日の比ではなく、少女は過剰に反応する耳元の感覚器官を押さえつけてうずくまるしかなかった。もし青年が少女を連れ戻さなかったら、少女はあの内なる衝動に耐えられなかったかもしれない。

 青年の自室に戻り、少女は息を整えてから、念入りにその存在を殺した。手にしたナイフで、自らの身体をばらばらにしていくイメージ。以前は簡単に消え去ったそれは、今回は粘着質な質感を伴ってなかなか消えることがなく、殺してもまたすぐに蘇りそうな気味の悪さを残した。

 

 この存在がいてもいなくても少女はどうとも思わない。ただ在ることを受け止めるだけなのだが。

 青年がこの本当の『龍の感性』をどう思うかは、少しだけ気になるのだった。

 

 



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第5話 承:兵器に贈る髪飾り(前編)

(12月6日追記)分割作業実施


 

 まだ狩人という生業がなく、人間に竜に倒す術がなかったころ。

 人々は何とかして荒ぶる竜を鎮めようと、追い返そうと知恵を絞った。

 

 それで見つけ出されたものの一つが龍殺しの実。それは強大な竜相手に大きな効果を発揮し、その実を嫌がって逃げ出す竜を見て人々は喜んだ。

 或いはこやし玉。強烈な匂いで竜を嫌がらせるそれは、今でも狩人が用いる道具として役立てられている。

 

 それらは全て、人間の理では測れない竜という存在に抗するためのものだ。

 

 しかし、人の姿に成った龍が人里に降りたとき。

 そんな出来事がもし本当に起こったのなら。

 

 人間の理はその 龍/人 に通じるのだろうか────。

 

 

 

 

 

 次の日の夕方、集会浴場へ訪れた僕は、ささっと体を洗ってその身を湯船へと滑り込ませた。

 

「はぁ~。いい湯だわ今日も」

 

湯船に浸かると自然と吐息が漏れた。もちろん、身体はしっかりと洗っている。痣だらけの左腕も湯船から出して、水に濡らした布でくるんでいる。このような怪我人への対応が見事なのも、狩人の集会場と併設しているからこそと言えるだろうか。

 この集会浴場もハンターズギルド支部と同じように年中無休で一日中開店しているのだが、客がいなくなることはそうそうないのだという。今も広い湯船に幾人かが思い思いに散らばり、また幾人かが桶で湯をすくって体を流していた。

 

 湯船に浸かっている連中に知り合いは……いた。僕が相手を認知したタイミングで向こうもこちらに気付いたのか、ざぱざぱと水をかき分けてやってくる。

背の高さは僕と同じくらい。引き締まった筋肉が目立つが、体つきから女性と分かる。髪はやや明るい胡桃色で、短く切り揃えられている。目はややつり目で、丸い。瞳の色は黒だ。

 

「お疲れ! こんな時間にお風呂に入ってるなんて珍しいね。調子はどう?」

 

「まあいい感じだな。そっちは?」

 

「何とも言えないんだよねー。武器を新らしくしたのはいいんだけど、まだその癖に慣れきってなくてさ。あ、そういえばリオレイア狩猟クエストまた受けてたよね。どうだったの?」

 

「成功した。これがその代償みたいなもんで、まあ見ての通り打撲だな」

 

「あちゃー、お大事に。でも、リオレイア相手にそれだけで済んだんだからむしろすごいよ。おめでとう!」

 

 手を合わせて嬉しそうな表情を浮かべる彼女の名前をヒオンという。僕と同い年の狩人だ。実力も僕と同じ程度なので、僕とため口でやり取りしている。彼女は数少ない村専属のハンターの一人で、ユクモ村近辺のモンスター討伐をよく任されていた。

 それにしても、ギルドの医者と同じようなことを言う。リオレイアの装備を一式全部揃えるくらいやつとは何度も戦っているのだ。いやでも戦い方は身についていくものである。

 

 そのままヒオンとしばらく雑談していたのだが、そこで僕はふと思いついた。

 

「そうだヒオン、聞きたいことがある」

 

「なになにどうしたのー?」

 

「竜を落ち着かせるアイテムって何か知ってたりしないか? 眠らせるんじゃなく、落ち着かせる道具だ」

 

 イメージとしては、怒りなどの興奮状態にある竜を鎮めていつもの状態に戻すかのような。

 素材や道具、人が使うには大きすぎるものでなければなんでもいい。できれば効果が長く持続するものであるのが望ましいが、そこは特に気にしないでほしいと付け加えた。

 

「落ち着かせる、ねえ……ううーん。私はそれを聞いたら落陽草の花くらいしか思いつかないかな。あれが竜を落ち着かせるかはわからないけど、すごい癒しの効果を持つって聞いたことがあるよ。あ、でも、たしかあれってすっごい高級品なんだよね……」

 

「なるほど。落陽草までは考えたが、そういやあれには花があったな」

 

 落陽草ではピンと来なかったが、花については検討してみる価値がありそうだな。僕がお礼を言うと、彼女は不思議そうに僕に問うてきた。

 

「ところで、どうしてそんなこと考えてるの?」

 

「竜車に乗ってるとき、肉食竜なんかと出会って興奮したアプトノスをどうにか落ち着かせられないかと思ってな。この前それで危うく崖から落ちかけたんだ」

 

 そっけなく僕は答える。あの問いを投げかける前からこの返答は用意しておいたのだが、もちろん本音は違う。テハの耳元の感覚器官の暴走を防ぐか、緩和するための方法を模索しているのだ。今日はほぼ一日中このことを考えている。

 

「ふーん。そういうことなら先に行ってくれればよかったのに。他に何かいい案があるわけじゃないんだけどね……。でも、あれは確かに危ないよね。臆病なアプトノスとかだったら特にさ」

 

 ヒオンは見事にそちらの方に誘導できたらしい。僕は嘘があまり得意な方ではないので少しほっとした。さて、話をしてるうちに十分に身体は温まった。のぼせる前に上がるとしよう。ヒオンはまだゆっくりするつもりのようだ。

 

「先に上がるぞ。話に付き合ってくれてありがとうな」

 

「こちらこそ~。生きていればまた会いましょう~」

 

 手をひらひらと降ってそう答えるヒオン。なにかと物騒で、冗談にも取れる軽いノリだが、彼女は時にジンオウガやタマミツネ、僕もリオレイアやリオレウスなどとやり合っているのだ。お互いにいつ死んでもおかしくはない。割と僕たちの身に合った挨拶だ。

 

「ああ、またな」と返して、僕は脱衣場へと向かった。自室ではテハが待っている。

 

 

 

 

 

「よし、風呂に入るぞ。テハ」

 

「アトラは先ほど浴場へ行っていましたが、風呂に入る意味はあるのですか」

 

「お前だよおまえ。いくら変なにおいがしないって言ってもな。一度ちゃんと体を洗った方がいい。水はそこまで苦手じゃないだろ」

 

「肯定します。では、服を脱いできます」

 

 そう言うなり風呂場の近くの部屋の隅で服を脱ぎ始めるテハの所業にも慣れた。羞恥心がないのだから仕方ない。

 僕の部屋にある風呂場は本当に申し訳程度のもので、脱衣所はない。外からは見えないようにと言っているので、必然的に彼女が服を着替える場所はあそこになるのだ。

 彼女が風呂場に入るのと一緒に僕も風呂へと入る。……流石に服は着たままだ。彼女にやましいことをするつもりは一切ない。……いったい誰に向けて言っているんだか……。

 

「アトラは服を脱がなくてもよいのですか」

 

「言ったろ。お前の身体を洗うんだって。ほら。そこの石鹸と垢すりを取ってくれ。あと桶。髪と背中は洗ってやるから前は自分で洗うんだぞ」

 

「了承しました」

 

 テハが手渡した桶で湯船のお湯を掬い、座椅子に座った彼女の頭からかけ流す。ちなみにこのお湯は朝に近くの井戸から汲んできた水だ。それ故に量はそう多くないが、湯船に浸からなければ惜しみなく使える。

 水をかぶって濡れた彼女の髪は、やはりやや変わった光を反射していた。若干紫がかっているように見える。金髪はそのまま金色だが。また、彼女との邂逅時に、彼女と壁を繋いでいた数十もの管の切断跡による凸凹がより強く出てきていた。

 

 石鹸を手で泡立てて、彼女の頭に当てた。そのままごしごしと洗いはじめる。髪そのものと、頭皮を入念に。管の切断面にはあまり触れないように。彼女の髪は長いのでそれなりに時間がかかりそうだ。

 テハはじっとしている。目は開いているのか、閉じているのか。後ろで膝立ちしている僕には分からない。

 

 ……テハの背中を見て、ふと思ってしまった。

 彼女は人間たちと共に生きていくことはできるのだろうかと。

 

 思い出されるのはやはり昨日のあの出来事だ。人通りの多い道路を前に、彼女は耳元を押さえてしゃがみ込んだまま動けなくなってしまった。そして、あの電磁力を操る極龍の力が暴走しかけていた。

 テハのもつ古龍の感性は、狩りでは大いに役立つのだろう。気配察知に用いられているのがいい例だ。しかし、それは人間社会においては非常に厄介な障害となってしまう。

 その後、彼女に聞いたのだが、大勢の人間を視界に収めるだけでもあの状態に陥りかねないらしい。とにかく彼女は、多数の人間が集まることそのものを受け付けられないのだ。人間に近い容姿を持つ彼女にとって、それは致命的と言える。

 

彼女は強い。人間のように群れを作らずとも、一人で生きていくことは可能だろう。しかし、彼女が人間に近い姿である限り、人間との接触は避けられないのだ。──今の僕のように。

 そんなことを考えながら手を動かしていると、今まで黙っていたテハがおもむろに「アトラ」と声をかけてきた。

 

「どうした?」

 

「質問があります」

 

「おう」

 

 

 

「本機は何故、自己破壊処理を実行することができないのでしょうか」

 

 

 

「────」

 

 それを、今、聞いてくるか。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と疑いを持ち始めていた、このときに。

 思わず沈黙してしまう。が、しかし、返事は自然になるように努めた。

 

「……そうだな。それをはっきりさせたいよな」

 

 なぜ、死ぬことができなくなってしまったのか。それを僕に聞いてくることの意味を、恐らくテハは汲み取れないのだろう。

 

 しかし、僕もそれでいいと思った。質問の内容に驚きはしたが、それが彼女にとって自然なことなのだ。

 彼女は何も死にたがっているわけではない。……いや、この言い方だと誤解を生むな。彼女は自らが死ぬべきという判断を、洞窟内での僕との会話で下した。それは自らが不必要になったからという理由に基づくものであり、自らの意志は伴っていない。

 だから、彼女にとってそれは純粋な疑問なのだ。

 僕は初めて出会ったときのあのやりとり以外、彼女に生死の判断を任せている……そのつもりだ。

 つまり、今ここに彼女が生きていることは、彼女が自らが存在すべきと見なしたか。もしくは、彼女がそのような意思を持ったか。或いは、また別の理由か。

 

 そして、僕はそのことから目を逸らすわけにはいかない。少なくとも、テハの最初の自殺をそんな簡単に死ぬなと言って止めたのは僕である。彼女がこの疑問を抱くようになった理由は僕にあるのだ。

 たっぷり一分は考えて、僕は言葉を選びつつ慎重に話し出した。

 

「質問したってことは、テハだけだと答えが出なかったってことだよな。僕の考えはな、お前はいまこの世界を見極めようとしてるんじゃないかってことだ。自らが必要とされているか否か、これも重要ではあるんだが、それとは別でな。

 洞窟の外のあの景色、今までに見たことがなかったんだろ? このユクモ村も、そこに住む村人たちも。お前はここで人間の群れが苦手だってことを知ったわけだ。初めてかどうかは別としてな。つまるところ、お前はこの世界を全然知らない。知らないってことを知ったんだ。

 だから、人間たちにとってお前の必要性がないだろうことは分かっても、それがこの世界に見切りをつけることに繋がらなくなってるんじゃないか? 知らなかった情報がどんどん流れ込んできてこんがらがってるとも言えるよな」

 

 だから自己破壊できない。生きる必要性もなければ、生きる意志もないが、死ぬ理由に納得ができない。そんな感じのことを僕は伝えようとしたのだが──

 

「……抽象的です。本機では理解が困難です」

 

「割と真面目に答えたんだがなあ」

 

テハが初めて口にした、やや拗ねたような声に自然と笑みが零れる。

まあ僕も、あまり明確な回答ができないことは確かだ。そしてそれは一日二日で答えが出るほど単純な問題でないことは、テハも分かっているはずだが。

 

そんな話をしているところで、テハの頭を洗い終えた。それなりに丁寧に洗ったので、水で洗い流した後は髪がしっとりとしていた。

 続いて背中を洗う。こちらは石鹸と垢すり用の布を使っててっとり早く済ませる。要は彼女にこれらの道具の使い方を知ってもらえればいいのだ。少々荒っぽくなってしまったが、彼女の肌はやはり頑丈であまり赤くもならなかった。

 身体の前の部分と体に生えている鱗については彼女に任せて、僕はさっさと風呂場から退散する。──実は、彼女の背中を洗っているとき、その小ささを目の当たりにして戸惑ったのだ。それを気付かれたくなかったので出て行ったが、勘付かれてはいないだろうか。それが少し心配だった。

 

 

 

 

 

 次の日も、僕はテハの感覚器官をどうにかできないかと考えていたのだが、やはり良い考えは浮かばなかった。

 朝方、思い切って彼女の頭から下顎にかけてを布で覆ってみた。その結果、感覚器官の感知がされにくくなり結果として症状が緩和されることが分かったのだが……あれは目立ち過ぎた。もともと鱗が生えているのもあって、横幅がすごいことになる。まるでドスジャギィのエリマキである。よって、これはもしものときの最終手段として保留となった。

 

「しかし、あれ以上のものなんてあるのかねえ……」

 

 村の大通り、集会浴場へ続く道を歩きながら僕は独りごちる。

 ヒオンに言われた落陽草の花についても、道行く行商人に尋ねてみたのだが、彼女の言った通り驚くほどの高さだった。相当な貴重品なのだろう。

 つまり、手詰まりということだ。これ以上うだうだと考えても無意味そうだなと考えていたところで、目的地が見えてくる。村の武具加工屋だ。

 

「おーい、じっちゃん。いるか?」

 

「あぅあぅ! 誰だ誰だって、おぉ、アトラかぅ! どうだ、クエストの方は上手くいったかぅ?」

 

「ああ、きっちり狩ってきた」

 

「あぅ! そりゃあお疲れさん! ここらで雌火竜狩りとくりゃあワレだもんなぅ」

 

 僕の呼びかけに応じて加工屋の奥にある工房から顔を出して、クエストの結果を聞いて快活に笑うこの人物が、この村で最も古くからある武具加工屋の主人だ。僕はじっちゃんという愛称で呼んでいる。

 竜人族で、背丈は僕の胸くらいまでしかなく、それなりの老齢(竜人族で老齢ということは、人間の寿命程度はとっくに超えているとみなしていい)だ。しかし、その武器加工技術は未だ衰えることを知らない。今も軽々しく身の丈に近いほどの加工用の槌を担ぐ姿は、頼もしさを感じさせる。

 

「それ、知り合いのハンターからも言われたんだよな……。僕が思ってる以上に有名なのか、それ」

 

「なんにも恥ずかしがるこたぁないさぁ。頼もしい限りだなぅ! それで、今日はどんな要件かぅ? いつもの矢の補充かぅ?」

 

「ああ。今回は運のいいことにほとんどの矢を回収できたんだが、やっぱりいくつかダメになっててな。ストックもなくなってきたんでここらで補充しておきたい。使用済みの矢も持ってきた」

 

 僕は弓使いなので、狩りには良質な矢が欠かせない。それを生産し販売しているのがこの武具屋だ。できる限り使った矢は回収するように努めているのだが、それでも破損したり、回収できなかったりする。先日のリオレイア戦でも、七本程度の矢が折れたりねじ曲がったりして使い物にならなくなってしまった。

 矢じりは金属でできているため、熔かして再利用ができる。新しく買う矢も少しだけだが割引されるため、弓使いはよくこうして古い矢筒に使用不可になった矢を入れて保管し、矢を補充するときに持ち込むのだ。

 ユクモ村には他にも武具店がたくさんあり、そちらの方が安かったりするのだが、じっちゃんの作る矢は質がとてもよく、ある程度の風には耐えて真っすぐに飛んでいく。また、防具のメンテなどもやや高い分丁寧に行ってくれる。僕は武具に関してはほとんど彼にお世話になっているのだった。

 

 と、そうだ。今日の要件はこれだけではない。

 

「じっちゃん、矢の補充とは別にもう一つ依頼があるんだが」

 

「あぅ、どんな要件かぅ?」

 

 僕はそこで、一度軽く咳払いした。じっちゃんが不思議そうに首を傾げたところで、一息に言ってしまう。

 

「女性用のユクモノシリーズを一揃い、作ってくれないか?」

 

「ふむぅ? そりゃあそんくらいならすぐに仕立てられるが、いったいどういった事情だぅ?」

 

「今この村に、知り合いの女の子がハンターになるために来てるんだ。その子に贈り物としてな」

 

「あぅ! そういうことかぅ! なら任せとき、ばっちり一式作ってやるなぅ」

 

 じっちゃんは気前よくそう言った。ユクモ村は観光で得ている収入も大きいからか、こういった依頼は少なからずあるのかもしれない。

 さて、ここからがちょっとした賭けな部分である。僕は冷や汗が背中を伝うのを感じた。

 

「その代わり、ちょっとオーダーメイドをお願いしたい。というのも、以前その子を見たときの容姿がこんな感じだからなんだが……じっちゃん、こういう姿の人を見たことあるかい?」

 

 僕がそう言いながらじっちゃんに見せたのは、ポーチから取り出した一枚の紙。そこには、テハのありのままの姿が描かれていた。──昨日、僕が描いたものだ。

 

 彼女の姿を他人に見せることについては、それなりの葛藤があった。まるでおとぎ話の登場人物がそのまま出て来たかのように、身体から生えている黒い鱗。それが気味悪がられるかもしれないというのもあるが、一番の理由は、やはり彼女が古龍の力を使う古代の対竜兵器だからというのが大きい。

 下手に人に見せるとハンターズギルドや書士隊、龍歴院の耳に入る。それは避けた方がいいという直感は、彼女と一緒にリオレイアを狩ったことでますます強まった。

 彼女の容姿と力は、まず間違いなく彼らの観察対象になり得るはずだ。彼女がその道を許容するならそれでもいいのだが、それを選択させるのにはまだ早いと僕は思っている。

 

 その上で、彼女の姿のスケッチを見せることを選んだ理由は、その相手がじっちゃんだからである。

 実を言うと、僕にとって彼はユクモ村で一番信用のおける人物だ。人柄がよく、真面目で、噂にあまり流されない。そして、僕がこれから行うオーダーメイドはテハのことを先に知ってもらわないと不審がられるだろう。それらを考慮した結果だ。

 じっちゃんはそのスケッチを見て目をぱちくりとさせる。それから続けて僕の方を見て、僕が大真面目な顔をしているのを確認してから興味深そうにそれを見始めた。

 

「ふむぅ……わっちも見たことのない姿だなぅ。この鱗っぽいもんは、そん子の身体から生えているのかぅ?」

 

「ああ。生えている。実際に触ったことがあるから間違いない」

 

 僕がそう答えると、じっちゃんはまたふむぅと言ってまたスケッチに目線を戻す。本当に見たことがないようだ。老齢の竜人族であるじっちゃんをもってしても見たことがないということは、テハのような存在は世界に二人といないのかもしれない。

 

「あぅあぅ、アトラよぅ。わっちは絵だけ見ても信じられそうにないなぅ、しかし事情はわかったなぅ。オーダーメイドはどうするなぅ?」

 

「──ああ。流石はじっちゃんだ。本当に、助かる」

 

 思わず笑みが浮かぶ。じっちゃんならそう言ってくれるだろうと思っていた。

 

「まず、胴着についてなんだが、肩を露出させずに、ゆったりとした感じで作ってもらっていいか?」

 

「了解したなぅ。他に要望はあるなぅ?」

 

「そうだな。そのスケッチで伝わったかは微妙なんだが、その子のその鱗、先端が尖ってて布地が引っかかるんだ。だから、胴着の内側は尖ったものが当たっても引っかからない程度に滑りやすくしてもらえると助かる。──これくらい、だな」

 

「わかったなぅ。オーダーメイドやけぇ、ちぃとばかし高くつくが、お金は大丈夫かぅ?」

 

「最近狩りに出てばっかで金を使ってなかったからな。大丈夫だ。あと、このことは他言無用で頼む」

 

「あぅ。事情が複雑そうやけぇ、そういうなら黙っておくなぅ」

 

 じっちゃんは神妙な顔をして頷いた。そう言ったのならもう彼は誰にも話さないだろう。世話になりっぱなしである。

 そうだ、ついでにテハの感覚器官についても話をしてみるか。容姿については知られているため、もう少し具体的な相談ができるかもしれない。そう思って口を開こうとしたところで、じっちゃんが先に話し出した。

 

「あとは装飾品だなぅ。そん子が旅人っちゅうんならそのまま開けといてもいいんだが、どうするなぅ?」

 

「あ、そうか。装飾品か。しまったうっかりしてた。何も考えてなかった」

 

 装飾品はその名の通り、武器や防具に装着してハンターの補助をする道具だ。例えば、耐暑珠を胴に着けると通気性がよくなって暑さに強くなる、設計上強撃瓶が使えない弓に強瓶珠をつけてそれを介せば使えるようにする、などの様々な使い道がある。その他にも……そのほか、にも…………

 

 

「────あ」

 

 

 閃きが脳内を駆けた。逃げられる前にその閃きを捕まえた僕は、思考を一気に加速させてそれをアイデアに仕立て上げる。じっちゃんはまた首を傾げていた。

 ──うむ、これなら何とかなるんじゃないだろうか。ただの思い付きだが、手ごたえはある。というか、これに賭けるしかないだろう。問題はこんな装飾品を造ることが可能なのかどうか、だ。

 全てはじっちゃんの返答次第だ。僕は意を決してじっちゃんに話しかけた。

 

「じっちゃん、実は今、新しく作ってほしい装飾品を思いついたんだが────」

 

 

 



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第6話 承:兵器に贈る髪飾り(後編)

(12月6日追記)今話は過去における 第4話 承:兵器に贈る髪飾り から分割された内容です。新規で追加された要素はありません。ご了承ください。



 

 それから一週間はかなり慌ただしく過ぎていった。別に狩りには出ていなかったのだが、加工屋に毎日顔を出し、テハに読み書きを教え、ある準備のために奔走していた。

 テハはあれからほとんど自宅から出なかった。夜中に人通りのない道を散歩したくらいか。彼女の特性上仕方のないこととはいえ、彼女もやや退屈している様子だった。

 

「ま、それも今日までになることを祈るとしよう。外に出るぞ、テハ」

 

「了承しました」

 

 その日の早朝、ようやく空が白み始めて来たかという頃。早起きしていつものように本を読んでいた(だんだんと読むペースが上がっている。今三冊目だ)テハにそう声をかけると、彼女はパタリと本を閉じて立ち上がった。そして、部屋にかけられた編み笠を取りに行こうとする。

 

「まてまて、今日外に出るときに着ていく服はそれじゃないんだ。これを着てくれないか」

 

 そう言って僕が彼女に見せたのは、折り畳まれた新品の防具──ユクモノシリーズだ。頭から足までしっかり揃っている。

 物珍しそうにそれらを見た彼女は、さっそく今着ている服を脱いでその防具を着ようとした。しかし、ユクモノシリーズは見た目以上に着るのに手間がかかる。僕の補助込みで、十五分程をかけてすべての部位を装着した。

 

「へえ、けっこう似合ってるじゃないか。着心地はどうだ?」

 

「……服の内側に特殊な加工がなされています。鱗が引っかかりません。以前の服より着心地はいいと判断できます」

 

 自身の肩を見て、服の袖の部分を引っ張りながらテハは答えた。布地なのに鱗が引っかからないのが不思議らしい。

 僕はその仕組みを前もって見ているのだが、普通の防具としての厚い布地に被せるかたちで、手触りがとても滑らかな布のような何かを張り合わせていた。それがうまく鱗の先端を滑らせているらしい。

 

「それはよかった。加工屋のじっちゃん、ほんといい仕事してくれたな」

 

 僕はそう答えて、棚から櫛を取り出した。彼女の髪はもう以前のようにぼさぼさではなく、手入れも必要ないくらいなのだが、念のために簡単に髪を整えておく。

 そして、以前のように耳元の鱗を髪で隠させるところまで終えると、僕は懐から紙包みを取り出す。その中身を手に取にとって、テハに差し出した。

 

「それでこれが、僕からの贈り物だ。防具ができた記念だな」

 

 それは20センチ程の長さをした細長い短冊状の青、黄、緑の髪紐。二セット用意されている。それぞれの先端はまとめられていて、まとめて髪に留められるようになっていた。

 

「これ、実はつける場所が決まっててな。僕がお前につけていいか?」

 

「構いません」

 

 テハの許可が下りたので、僕はさっそくその髪紐をテハの頭……それぞれ左右の側頭部の上あたりに留める。紐が耳元にしっかりかかるように意識した。

 左右共に留め終えて、その見た目は……僕から見れば、可愛らしくまとまったように思える。黒髪がベースなので、髪紐がいい感じにアクセントになってくれているのだろう。

 テハはと言えば、髪にこのような装飾をつけるのは始めてなのか、鏡の前で自分の顔をみて首を傾げたりしている。無表情なので評価は分かりづらいが、今のところ気になっているだけのようだ。

 

 さて、これであとはユクモノ笠を被せて、砂鉄の剣を錬成してもらって背中に担げば準備完了である。今日は僕も私服ではなく、リオレイアの防具を着て、弓と矢筒を担ぐ。

 

「アトラ、モンスターの討伐に行くのですか」

 

「ん? いや、残念ながら違うな。行き先は──集会浴場だ」

 

 

 

 夜もまだ明けきっていない頃合いだからか、いつもは人通りが多い道もやや閑散としている。早起きした商人や村人が仕事の支度を始めているくらいだ。店もまだ閉まっている。僕とテハには好都合な状況であり、今のうちにとさっさと道を歩いていく。

 しかし、集会浴場は話が別だ。あそこも今が最も人が少ないとはいえ、夜間のクエストから戻ってきた狩人や、これからクエストを受注して今日の内に狩場に赴く予定の狩人などは既に出張ってきている。風呂の方は利用客の少ない深夜から今にかけて掃除が行われているはずだ。

 ギルドの受付嬢も常に一人はカウンターにいることになっている。ユクモ村でも眠らない施設なのだ、あそこは。

 

「これからあそこに入る。たくさんの人間の音が聞こえるかもしれないが、準備はいいか?」

 

「はい」

 

 そんな場所にテハを連れていくことに対し、若干の不安はある。しかし、()()()()()()()()()()()()()

 何かあったらすぐにテハを抱えてその場から離れることを念頭に置きつつも、大鳥居を通り抜け、集会浴場へと続く階段を登りきった僕とテハは入り口の大きな暖簾を手でのけながら中へと入った。

 

 途端に人々の声が聞こえてくる。予想よりもやや人が多いか。酒場の利用客がいないためこれでも静かな方なのだが、以前のテハならばまた耳を押さえてうずくまってしまうだろう。

 そんなテハはというと──

 

「────」

 

 辺りを見渡しつつも、そして周囲の話し声に晒されながらも普通にその場に立っていた。自身もそれを疑問に感じるのか、自然と耳元のあたりを手で撫でている。

 そこには、耳元の感覚器官に寄り添うように垂れる三色の髪紐があった。

 

「大丈夫そうか、テハ?」

 

「はい。しかし、周囲の音があまり聞こえません」

 

「そりゃあ……僕とじっちゃんの試みが成功したってことだな」

 

 くつくつと笑う僕を見て、テハは無表情ながらも首を傾げる。どういうことだ? ということなのだろう。僕は入り口横にテハと共に移動したあと、彼女に向けて話す。仕組みだけでも説明しとかないとな。

 

「ネタばらしだ。テハが今周りの音が聞こえなくなってるってのには理由があってな。今お前の髪に髪紐留めてるだろ? それ、実はただの髪紐じゃない。

 防音珠と制龍珠っていう装飾品をちょっと弄ってそれに組み込んでるんだ。

 防音珠は青色の髪紐だ。ある大きさまでの音、専ら雑音を拾って無効化できる。制龍珠は緑色のだな。その名前の通り、龍の機能らしいその感覚器官のはたらきを鈍らせる。

 効果の具合はやってみなくちゃ分からなかったんだが、ちゃんと効果が出てるみたいでよかった。ああでも、視覚に関しては保護が効かないからな。ひょっとしたら制龍珠が作用するかもしれないが、気を付けてくれ」

 

 そう言ってテハに笑いかけると、彼女は不思議そうに髪紐を弄りだした。指に絡めとられた短冊状の髪紐がしゅるりと音を立てて指から逃げる。

 本来は防音珠も制龍珠もこういう使い方をしないんだがな。防音珠はモンスターの咆哮などの突然の大音量を遮断するものだし、普段の制龍珠は龍属性を弾くくらい強い。しかし、どちらも髪紐にして効果を弱め、テハの感覚器官の鎮静化に特化した仕様になっている。

 じっちゃんにこれの制作を頼んだ時には呆れられたものだ。まるで効果があべこべだと。しかし結局苦戦したのは髪紐への加工だけで、効果の調整はそこまで難しくなかったらしい。

 それでもこの仕上がりは期待以上だ。これなら後でテハと共にお礼に赴くことも可能だろう。

 

 さて、種明かしも済んだところで本題に移らないとな。僕は「テハ」と言って彼女をこちらの方に向かせると、その肩に手を置いてギルドのカウンターの方を指差した。

 

「お前が平気そうなのが確認できたからな。これからあそこでハンター登録をしてくれ。ハンター登録しないとまともにモンスターを狩れないのは教えたよな?」

 

「はい」

 

「よし。手続き自体は簡単なんだが、そのときに受付嬢がいろいろ話しかけてくる。できれば、自分が兵器だってことは明かさないでほしい。それがギルドに知れたらちょっとまずいかもしれないからな」

 

「では、一人称も『本機』から『私』に一時的に変更します」

 

「お、おう」

 

 そういえばそうだなと言われてから思ったが、彼女は自らのことを『本機』と言い表すのに何らかのこだわりでもあるのだろうか。

 テハは僕が頷いたのを見るとカウンターへと歩いていく。僕もそれに続いた。受付嬢の方も入り口付近で僕と見知らぬ少女が話しているのを見ていたらしい。目が合って、彼女はこちらに向け手を振ってきた。

 

「おはようございます! アトラさん。今日はお早いですね」

 

「おはよう。コノハは夜勤だったのか?」

 

「はい。おかげで今眠くて眠くて……早く先輩と交代したいです。先輩早めに来てくれないかな~なんて。……はい、それではご用件をどうぞ」

 

 明るい紫の衣装を着た彼女の名前はコノハ。僕がこの村に来る前から受付嬢をやっている。彼女とよく一緒にいる受付嬢にササユがいるのだが、今はその姿が見えなかった。

 要件があるのは僕ではない。同じくカウンターの前に立つテハである。

 

「ハンター登録をよろしくお願いします」

 

「……分かりましたと答えざるを得ないのが受付嬢のお仕事なんですが、まずはあなたの名前を聞いても?」

 

「テハ……です?」

 

「疑問形……。まあそれは置いておいて、テハさん。ハンターはとても危険な職業です。モンスターと直に向き合わないといけないので、怪我もしますし、死んじゃうことだってあり得ます。それでもハンターになる覚悟がありますか?」

 

 テハに難しい顔をして問いかけるコノハはちらりと僕の方を見た。さっきの入り口での二人のやり取りでこうなることは分かっていましたと言外に伝えられている気がする。実際に彼女をここまで誘導したのは明らかに自分であるためごもっともとしか言えないのだが、ここは黙秘を貫かせてもらう。

 

「モンスターを討伐するために必要な手続きであれば、覚悟はあると答えます」

 

「は、はあ?」

 

「モンスターを討伐するために必要な手続きであれば、覚悟はあると答えます」

 

 テハは同じ言葉を二度繰り返した。やや回りくどく聞こえるかもしれないが、彼女らしい答え方である。

 彼女は『覚悟』とはどんなものであるかを理解していないだろう。それでもモンスターを討伐する……竜を狩るために必要だというのなら、既に彼女の内にそれは有る。

 何故ならば彼女は対竜兵器であるから。ハンターになる以前から竜を討つものとして在るからだ。理論をすっ飛ばして結論を述べているのに等しいと言える。

 

 やや面食らった様子のコノハは、しかし今度はテハの顔をじっと見つめた。まるで見定めをしようとしているかのように。僕は頬の鱗がばれないかと別の意味で心をひやひやさせていた。

 たっぷり十秒は経っただろうか。顔を上げたコノハは降参といった風に契約書とペンを取り出した。

 

「……はぁ~。分かりました。こちらの紙のこことここに署名をお願いします。書き終わったら私にそれを渡して、それをもとにギルドカードを作ります」

 

 そう言ってテハに契約書を手渡すと、テハは署名の前にそれをじっと読み始めた。まあ別に読まなくてもいいことが書いてるんだけどな。その間にコノハが僕に話しかけてくる。

 

「その子、アトラさんの親戚か誰かですか?」

 

「そんなとこだな。ごめんな朝っぱらから」

 

「それは別にいいんですけど……アトラさんこそいいんですか? このままだとこの子本当にハンターになっちゃいますよ。私から言わせてもらえば、この子はハンターにはあまり向いてなさそうですけど……」

 

 そんなコノハの正直な感想を聞いて、僕は「だよなあ」と苦笑しながら答えた。テハは身長もそれほど高くなく、まだ痩せ気味なので非力な印象を与えてしまってもおかしくない。ぱっと見で彼女がハンター稼業をやっていけると思う人は少ないだろう。

 しかし、その見方は全く通用しないことを他ならぬ僕が一番に思い知っている。

 

「でもな。信じられないかもしれないが、彼女は僕並みかそれ以上に狩人として強いぞ」

 

「ええ~流石の私でもそれは冗談って気付きますよ。でも、アトラさんがそこまで言うんでしたら素質はあるんでしょうね」

 

 真面目に言ったつもりが、さらっと流されてしまった。

 まあ当たり前か。僕は一応上位のハンターであり、そんな僕がハンターを始めたばかりらしき少女を「自分より強いかもしれない」と評価していても冗談としか受け取られないだろう。

 

「あ、でもさっきテハちゃんを見てたとき、テハちゃんの目力が凄かったです。それとすごく可愛かったです!」

 

「ぶれないなお前さんは」

 

 そんな話をしていると、横から防具の袖を引っ張られた。どうやら契約書を書き上げたらしい。まあ、二か所ほど署名するだけなのでそう時間はかからない。契約書を読み終わったと言った方が正しいかもな。

 

「記入が完了しました」

 

「はい。では受け取りますねー。ギルドマネージャーがまだいらっしゃらないので、私が代わりにこの契約書を渡しておきます。では、ギルドカードを作りますのでしばらくお待ちください」

 

 そう言ってコノハはカウンターから離れて奥の方へと行ってしまった。そういえば、ハンター登録にはギルドマネージャーの認可も必要なんだっけか。

 ギルドマスターがいる街などはハンター登録手続きがその人のみに一任されているが、ここの集会場のようなギルドマスターが不在で代わりにギルトマネージャーがいるようなところでは、受付嬢にもその権限が委託されているのだ。

 さて、これでようやくテハは大っぴらにユクモ村の外へ赴くことができるようになったわけだ。ハンターランクは1なので簡単なクエストしか受けられないが、彼女ならばすぐにランクを上げていけるだろう。

 

「テハ、耳の様子はどうだ?」

 

「やや声が聞き取りにくいですが、問題ありません」

 

「うーん、そればっかりはどうしようもないかもな。村の外に出たときなんかは外していいから、今は聞き取り辛くても外さないようにな」

 

「分かりました」

 

 テハは落ち着いている。今はまだ朝方で人が少なく、これが昼になればどうなるかは分からないが、ハンター登録ができたと言うだけで大きな進歩と言えるだろう。

 

 ……さて、これならばこの話をここでしてもいいだろうか。

 

「テハ、お前はこれからハンターになる。手続きができるようになるまでに手間取ったが、ようやくこれで自由に外を出歩けるようになったわけだ。その上で提案があるんだが、いいか?」

 

「ご自由にお申し付けください」

 

 その返し、聞き覚えがある。僕が以前狩場でテハの動向を提案したときの返事だ。彼女に大きな頼み事をするのは、その時以来だろうか。

 奇しくも、内容は似たようなものになるわけだが。

 

「今回は大事だから、よく考えて決めてほしい。

 

 ──僕と旅に出ないか。テハ」

 

 僕がそう言うと、彼女はきょとんとした顔をした。つまるところいつもの無表情からやや目を開かせただけだが。それでも相当驚いているということを僕は経験則で知っている。

 ややあって、彼女は口を開いた。

 

「旅とはどの程度のものを想定しているのでしょうか」

 

「今のところ大陸を回る予定だから、一年以上はかかると見ていいな。孤島、水没林、火山、凍土……大体全部行くつもりだ」

 

「……その間、この村のアトラの家には帰らないのですか」

 

「そのつもりというか、あの家は引き払おうかと思ってる。もし旅に出たとして、一年以上開けっ放しなんてもったいないしな」

 

 もともとあの住宅はユクモ村に長居しつつもいつかは出て行く人のためのものである。その流れに則るに過ぎない。

 テハはしばらく沈黙したのちに、僕の顔を見て口を開いた。

 

「その旅に私を誘った理由はありますか」

 

「ああ」

 

 むしろ、テハが理由の主軸にある。しかしそれは、全てがテハのためという理屈には繋がらない。

 

「そういえばこの話はしてなかったな。

 ──僕は元旅人でな。一年と半年くらい前まで各地を転々としてたんだ。それが、このユクモ村がどうにも居心地よかったんだろうな。怪我でしばらくここに滞在してから、一年以上ここに居座って、自宅まで持つ始末になっちまった」

 

 別に旅をしていたころも目的なんてものはなかった。大陸のあちこちを根無し草のように転々としていただけだ。しかし、その間にハンターとしての実力は上がっていったし、自力で金稼ぎもできていた。僕はこれで生きていけるという感覚があった。

 そのせいなのだろう。このユクモ村に居つくようになってからも、僕は妙によそよそしいままだった。依頼を受けて狩りに出て、所持金が増えていっても、何となく惰性で生きているような感覚が消えなかった。

 村付きやそれに準ずるハンターと接することもなく、知り合いになったのは結局ヒオンくらいだ。パーティはほとんど流れのハンターと組んでいた。

 そんな感じの、どこかちぐはぐなハンター生活を送っていたときに、僕はテハと出会ったのだ。

 

「そんときにテハ、お前に会ってな。いろいろ考えさせられたんだよ。で、ここからはお前の話になるんだが、単刀直入に言うとな。僕はこの十日間で、テハが人間の村に居つけるようになるにはまだ早いんじゃないかと思った。その髪紐を思いつくまでは村での生活は不可能とまで思ってたんだが……今でもその考えは変わらない。あくまで僕個人の意見だから参考程度にな」

 

 僕たちはヒトで、彼女は兵器。この壁は僕の予想以上に大きいというか、複雑だった。

 

 龍の力を得ていながら、見た目はヒトで、それ故にヒトと関わることを避けられない。

 ヒトの手で作られておきながら、ヒトの群れを拒絶してしまう。

 それは矛盾と言うよりかは、設計ミスと言って差し支えないものであり、つまるところそれは──それはとても中途半端なのだ。

 

 髪紐のおかげで、その設計ミスは人間の手で補うことが可能であることが分かった。しかしそれに頼ってしまっては、根本的な問題が放置されたままになる。僕にはそれが、とても危ういことのように思えて仕方がなかった。

 

「だから旅を選んだんだ。ユクモ村だけじゃなくて、お前にとっての千年後のこの世界で、お前の在り方に探りを仕掛けるために。それと、僕がもう一度踏み出すためにな。

 

 だから──僕と旅に出てくれないか」

 

 

 僕はテハと一緒にこの世界を旅したい。この大陸をテハと共に見て回って、そしてテハの答えを知りたい。

 

 

 そう言い切って、僕は口をつぐんだ。これ以上口を出すのは野暮というものだろう。

 テハは僕の言葉を最後まで聞いたうえで考え込んでいる様子だったが、しばらくして口を開いた。

 

 

「──了承しました。私はアトラの旅についていきます。よろしくお願いします」

 

 

「……ああ。こちらこそ」

 

 テハの承諾が得られ、僕は彼女が差し出した手をしっかりと握った。どうやら彼女は握手を知っているようだ。

 本当にこちらこそ、である。テハが僕と今まで行動を共にしてくれなければ、僕はこれからもユクモ村に居残ったままだっただろう。それが悪いとは言わないかもしれないが、テハは優柔不断な僕に一歩を踏み出させたのだ。

 

「でもって、すまんな。空気を読んでくれてありがとう」

 

「いや、それは別にいいんですけど。やっぱり気づいてたんですね……私そっちのけで話し進めちゃうのでてっきり気付いていないものかと……」

 

 カウンターに戻ってきていたコノハは呆れているような苦笑いをしているような、にやけているともとれる何とも言えない顔で言った。 まあこれはカウンターから少し離れたとはいえコノハから見える位置でこのやりとりをやった僕たちが悪い。他にも周りには人がいたが、話は聞かれもせず注目もされていないようだ。つまり被害者はコノハだけである。

 

「まあ話が省けたってことで。というわけで僕とこの子は旅に出るからその手続きもよろしくな」

 

「え、待ってください。それってそんなに早く実行に移されるものなんですか? 旅に出るのは分かりましたけど、アトラさんの荷物のまとめとか考えたらあと一週間くらいは……」

 

「テハ、旅に出るのはいつ頃になると思う?」

 

「? アトラがそう言ったのですから今日か明日には出発するものと認識していますが」

 

「そういうわけだ。実は家の荷物はもうほとんどまとめてあるし、旅の準備も終わってるからすぐにでも出れる。ギルドマネージャーとヒオンに挨拶しないといけないから見かけたら声をかけといてくれ。それじゃ、よろしく!」

 

「えっ、はっ? はやっ!? 何ですか旅の準備もう終わってるって、テハちゃんの承諾得られるの前提で動いてるじゃないですか! はっ、ここ一週間狩りの依頼を見に来ないから珍しいと思っていたらそういうことですか……! こらーっ! そんな急にいなくなるなんてずるいこと私が許しませんよー!」

 

 コノハの大声で皆が振り向く中、僕とテハはそそくさと集会場から出て行った。

さて、次は武具加工屋のじっちゃんに挨拶しにいくか。テハの髪紐がちゃんと機能したら、彼女を加工屋まで連れてきてほしいと言われてるからな。僕からもお礼を言わなくては。それと少し寂しいが、しばらく留守にすることも伝えなければなるまい。

 それなりの時間、集会場にいたらしい。眠りから目覚めた人々が活動を始めている。もう先ほどのような静けさはなく、さっそく喧騒が聞こえ始めていた。

 

「よし、じゃあこの階段を下って、通りのはずれにある武具加工屋に行こうか。お前のその髪紐と作ってくれたじっちゃんにお礼を言おう」

 

「了承しました」

 

 テハはそんな人々の喧騒を聞いても、もう取り乱さない。僕の提案にしっかりと返事して、自分の脚でユクモ村大通りの階段を歩んでいる。歩くたびに頭の左右の髪紐が小さく踊るように揺れる。

 

 山の稜線から顔を出した朝日が、ユクモ村を照らし始めていた。

 

 



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第7話 繋:狩人と少女の旅路

 

 二人の旅が始まった。

 旅の始まりは長月、紅葉の美しいユクモ村から。渓流地方の豊かな水が集う大河に沿って、僕たちは丸鳥が引く車に乗って海を目指す。

 季節は冬……すなわち寒冷期に差し掛かりつつあったが、僕たちが向かっているのは常夏の孤島地方だ。大小合わせて百近くもの島々が散在しているその地方は、一年を通して温暖な気候が続く。

 

「あの辺り一帯もハンターズギルドが管轄してるんだが、その規模はユクモ村のそれより大きくてな。タンジアっていう大きな港街があって、そこにギルドの支部がある」

 

「アトラはその街に向かう予定なのですか」

 

「とりあえずな。集会場に出向く予定は今のところないんだが、あそこには書士隊……じゃないな。古龍観測隊の出張所があったはずだ。そこで過去の文献でも漁れないかと思ってる」

 

 村を出てから一日目の夜。テハの作った砂鉄の物かけ棒に吊るした雷光虫ランプの下で地図を広げながら、僕たちは行き先について話し合う。

 テハは旅の内容についてほとんど話さないまま連れてきてしまった。まずはこれをしっかり伝えなければならない。

 

「この旅の目的はな、テハ。僕とお前のこれからの見定めをすることだ。僕はこのまま旅人になるか、どこかに身を落ち着けるかどうか。お前は死ねない理由探しと人間との関係探りだな」

 

「了承しました。具体的な活動案はありますか」

 

「ああ。つっても僕個人の意見だがな。僕自身の問題に関しては旅しながら自分でじっくりと考えていくとするさ。お前については、お前からも僕に意見してほしい。ただ、旅に連れて来たなりの責任は果たすつもりだ。

 ──これからタンジアまで行く過程でいくつか村に立ち寄る予定だ。そこで食糧を買ったり、依頼を請けたりする。道中で狩ったモンスターの素材を売ったりもするな。そうしないと路銀なんてすぐに尽きる。

 タンジアを出てまた別の地方に向かうときもきっとそうするだろう。交渉は僕がやるから、テハはそれを見てほしい。余裕がありそうなら、買い物とかをしてもらう予定だ。買い物の経験はあるか?」

 

「本機の記録にありません。買い物は対竜兵器の正しい使用用途ではないと進言します」

 

「まあその通りなんだけどな。ただ、お前がその姿をしている限りどうしても無理があるんだよ。人間との経済的な関りを断つことはな。」

 

 どこか人のいない僻地に一人で生きていくというのなら話は別だが。彼女はそれが恐らくできてしまう。しかし、そうするならそうするなりの理由が必要だろう。

 例えば人と関りを持ちたくなくなった、とか。それを知るためにも、緩やかでもいい、人間と接してほしいのだ。

 このとき、旅人という点が有利に働く。テハは良くも悪くも印象に残りやすい。その独特な話し方や、価値観、容姿のためだ。ある場所に留まっていた場合、そこに住む人々と接する機会がどうしても増えてしまう。違和感は蓄積され、不審がられてしまうかもしれない。

 しかし、旅人ならば、基本的に出会う人々はそのとき限りの関係だ。ぼろが出たなら、その場で取り繕ってさっさと去ってしまえばいい。テハが人間との接し方を探るにはちょうどいいと僕は思っていた。

 

「それと、お前が死ねない理由探しについては、正直この旅でその一端を掴めるかも分からん。でも、お前は結構気になっているんだよな」

 

「肯定します。本機は自己破壊処理が任意発動不可になっている原因を特定する必要があります」

 

 テハは明確に頷いてそう言った。もう何度も言っているが、テハは死にたくてそんなことを言っているわけではない。自分という兵器の必要性がないとみなしているだけに過ぎない。

 出会ってすぐのころはその判断が自己破壊処理とやらの実行に直結したわけだが、今はどうするか分からない──これからの僕の努力次第では、このまま生き続ける選択をしてくれるかもしれない。

 だからこそ、僕は目を逸らさずに向き合う道を。テハが死ぬことから目を逸らせるように。

 

「それに僕が付き合っていいのなら、僕がやるべきことは、テハ、お前について知ることだと思う。過去の文献を漁ろうと提案したのはそれが理由だ。

 お前が生きていた時代について調べて、過去にお前がどういう存在だったのかを知れたら、少しぐらいは気の利いたアドバイスができるかもしれない──おせっかいの域に片足突っ込んでるけどな。そこまでしなくていいってんなら遠慮なく言ってくれ」

 

 そんな僕の提案に対して、今度はテハは頷かなかった。少しの間思案して、やや顔を俯かせる。

 

「いいえ。過去の文献の閲覧は有効な手段であると推測します。──現在、本機は過去の記録、すなわち記憶の大規模な欠落が発生しています。過去の出来事について調べることで、記憶が回復する可能性があります。よって過去の文献の捜索は必要です」

 

「ふむ。例えば……お前があの洞窟で埋まってた理由とかか?」

 

「肯定します」

 

 テハが口にしたのは、今まで僕が知らなかった情報。ただ、今までの彼女を見てきてほとんど察していたことでもあった。

 やはり彼女は多くの過去の記憶を失っているらしい。例として僕が以前から気になっていたことを挙げれば、彼女は肯定を返した。僕は、彼女があそこにいたのには相応の理由があると予想しているのだが。それについては現状分からず仕舞いになったわけだ。

 まあ、もし過去の記憶を失っていなかったとすれば、彼女は今頃死ねない理由に悩んでなどいないだろう。何らかの解答を出しているはずだ。そして、僕と同じ考えに彼女も至ったはず。だからこそ、過去について調べる必要があると彼女は判断したのだろう。

 

「分かった。あと、それを認めてくれるならひとつお願いしたい。時間のあるときに、お前が話せる限りのことでいい。お前自身のことについて教えてほしい。僕はお前が対竜兵器だってことしかまだ知らないからな……ま、さっきのアドバイスと同じ流れだ」

 

「了承。本機に関する質問はいつでもお申し付けください」

 

「よし。じゃあ、特に旅の方針の変更はなしってことで」

 

 広げた地図をくるくると巻いて鞄にしまい込みながら、僕は焚火の支度を始める。ランタンは地図などに火が燃え移る心配がないのでこういうときも重宝するが、燃料の油は節約しておきたい。

 ここからやや離れた場所では、引き車を引くガーグァと御者のアイルーが寝息を立てている。ユクモから渓流地方の離れにある村に物資を運んでいる最中らしく、僕と彼女はそれに乗せてもらっているのだ。運賃は安く、その代わり彼らの護衛を僕たちは請け負っていた。

 

「……ああ、最後にひとつ」

 

 彩鳥というモンスターから得られる素材である火打石をポーチから引っ張り出す、その手を止めて、僕はテハの方を向いて笑った。

 

「お前の死ねない理由探しな。生きてる理由探しってことにしようぜ。意味合いは若干変わるかもしれないけどな」

 

「……はあ」

 

 テハはきょとんとしながら、今まで聞いたことのない曖昧な返事を返した。意味が分からないが、それくらいなら、といった感じか。

 死ねない理由ではなく、()()()()()()()()()。今ここに生きている理由。前者よりかは建設的なのではなかろうか。いわゆる気分の問題というやつだ。ただ、それなりに重要なことだと僕は思っている。

 

 焚き火用の薪は既に用意している。しばらくすると、ぱちぱちという音と共に火が生まれ出て僕たちと木々を照らした。

 旅の最初の夜が更けていく。

 

 

 

 

 

 タンジアに着いたのは、ユクモ村を出てから二月ほどが経った頃だった。

 実は飛行船を使えば三日と経たずに辿りつけるのだが、あれに乗れる人は限られている。孤島地方の緊急性の高い依頼を請け負ったハンターや龍歴院、書士隊所属のハンターがそれにあたる。従って陸路を使う人々もそう減っていないのが現状だ。

 道中にあるいくつかの村に立ち寄り、時には一週間ほど滞在していた僕たちはさらに時間がかかっている。あの辺りは渓流地方と孤島地方の狭間に当たり、ハンターズギルドの管轄からも外れている地域だ。岩場の多い渓谷が目立ち、あまり得られるものも多くないが、そこでは基本的にハンターランクを気にせず村の依頼などを請けてモンスターと戦うことができる。

 路銀はそういった村で依頼をこなしたり、モンスターの素材を売ることなどで稼いだ。落陽草や大地の結晶などの、狩場以外ではあまり採れない採集素材もそこそこ高く売れる。

 食費や宿泊費、道具の補充、装備などの整備費などを差し引いて、ややお金を貯めていける程度なので、順調かはともかくとしてまあやっていけていると言えるだろう。

 

 タンジアの街の港付近にハンターズギルドの支部はある。港の大きな酒場を間借りしているらしいそこは、朝方でもそれなりの賑わいを見せていた。

 僕と共にそこへと出向いたテハは、ギルドの受付嬢に道中で狩ったモンスターの報告を行っていた。その耳元にはしっかり三色の髪紐が添えられている。彼女にとって人が集まる場所では必須の道具だ。

 

「ドスジャギィを二頭討伐、アオアシラとリオレウスをそれぞれ一体討伐……大型モンスターの狩猟報告は以上ですね。村の証明印の鑑定は受領後に行われます。ご依頼されたハンターランクの昇格審査の結果が出るまでには二日から三日かかりますが、よろしいですか?」

 

「はい」

 

「それでは、もう街で何度も言われたことかと思いますが……ようこそタンジアへ! 私たちタンジアハンターズギルドは貴方たちを歓迎します!」

 

 そう言ってにっこり笑う金髪の受付嬢。容姿はともかくとして、雰囲気はコノハに似ているだろうか。対して、テハは首を傾げて彼女に質問を投げかける。

 

「ハンターズギルドが歓迎?」

 

「ええ、とても! リオレウスを狩れるハンターさんがいらっしゃるのはちょっと珍しいですからね。ですが、ええとそちらにいらっしゃる貴方は……アトラさんですね。テハヌルフさんは駆け出しのハンターさんのようですので、リオレウスはアトラさんの単独討伐ということでよろしいですか?」

 

「いや。テハヌルフは同行してる。正直な話、僕だけではリオレウスの討伐は難しいかもしれないな」

 

 僕がそう答えると、受付嬢はやや驚いた顔をした。テハのハンターランクは1なので、僕が彼女をリオレウス討伐に同行させるとは思わなかった、と、そんなところだろうか。真偽を尋ねられる前に、僕は話を続ける。

 

「だからという話ではないのかもしれないが、テハにハンターランクの昇格を勧めたのは僕だ。彼女の実力はランクに見合ってない。僕と同じ3くらいあると僕は見てる。その点も含めて審議を願いたい」

 

 本音を言うと彼女はランク4は余裕、もしかすると5に届きうるくらいなのではないかと僕は思っている。

 実はリオレウスと戦っていたとき、よりうまく立ち回っていたのは彼女の方だ。まるでリオレウスの動きを読んでいるかの如く立ち回り、痛烈な斬撃を何度も与えていた。

 更に重ねて彼女の持つ力……電磁力のフル活用である。火球と砂鉄の剣が飛び交い、その空中での圧倒的な機動力を以て飛来する剣を撃墜するリオレウス(あれは間違いなく上位個体だった)とその裏をかいて地に落とさんとするテハの()()()に、僕はくらいついていくのに精いっぱいだった。

 結局、その戦いを制したのはテハだった。彼女のおかげで閃光玉を戦線離脱のためでなく狩猟に用いることができたのが大きい。僕が一度火球の余波を受けて全治一週間程度の捻挫を負ったのに対し、彼女は特に大きな怪我もなく狩猟を終えた。あのリオレウス相手にだ。

 安定して飛竜種などの危険度の高いモンスターを狩れるようになってランク4、それらの上位個体や複数体同時狩猟などをこなせるようになってランク5は得られる。

 つまり、周りの目を気にせず電磁力を使える環境なら、彼女の実力はランク5、都市や街の切り札クラスに届き得る。

 

「うーん。にわかには信じがたい話ではありますが、一応私から進言しておきますね。ただ、そのお話が通らなかったとしてもハンターランク2への昇格はほぼ確実かと思われます」

 

「それだけで十分さ」

 

「はい。ここでの『私』の目的はハンターランクを2に上げることです」

 

「なるほど。でしたら事は穏便に進むかと思います! ……ところで、審査結果が出るまでの二日間はどう過ごされる予定ですか? 実は、先ほど急ぎの依頼が発注されたばかりでして、できればそちらの依頼を請けていただきたいなーなんて……」

 

 申し訳なさそうだが、ちゃっかりしている。僕は苦笑しながら答えた。

 

「内容は?」

 

「ラングロトラの討伐ですね。どこからかこの孤島地方に迷い込んできたらしく、やっぱり環境が合わないのか気性が荒くなっているようです」

 

「あいつか……テハヌルフは同行できるか?」

 

「ええと……はい。可能です。ラングロトラそのものは危険度のそこまで高いモンスターではありませんので。流石にランク1のハンターさんでは厳しいですが、そこはアトラさんの言葉を信じて。多少の無理は私からギルドマスターに通しておきますのでっ!」

 

 そのとき、テハが僕の方へと振り向いて言った。

 

「ラングロトラとはどのようなモンスターですか」

 

「この前倒したアオアシラと体格は同じだ。姿とか色は全然違うけどな。アオアシラよりは手強いが、リオレイアやリオレウスには及ばない。あいつの厄介なところは生息地が火山とかの環境が過酷なところだからなんだが、今回はそれを気にしなくていい感じだな」

 

 そう答えると、彼女は「では討伐可能です」とさらりと言ってのけた。リオレウスのときもそんな感じだったな。受付嬢は彼女の言葉を聞いて再び驚いた表情を浮かべ、それからすぐに笑顔になった。僕もまた苦笑いするしかない。

 

「分かった。そのクエストを請けよう」

 

「やったー! ありがとうございます! 朝から急ぎの依頼がすぐに受注されるなんて大助かりです!」

 

 受付嬢は喜びながら契約書にペンでさらさらと書き込みを行い、手のひら大のスタンプを押す。やはりちゃっかりしている。が、悪い気はそうしない。上手く誘導された感じだが、実はこちらにとってもある理由で都合がいいのだ。それはこれから話していこう。

 

「ああ、その代わりと言ってはなんだが────」

 

 

 

 

 

「結局、めぼしい資料は見つけられず仕舞い、か。タンジア程の街であれば手掛かりの一つでも見つけられたと思ったんだがな」

 

 そうぼやきながら、僕は夕陽に暮れるタンジアの街を歩いていた。中心部にある港からは大分離れた町の端の方にある宿へと向けて歩く。

 街の方はまだ活気に満ちている。一日中とは言わないものの、その喧騒は夜も続くのだろう。

 港の方に目を向ければ、今もいくつかの船が入港したり出向したりしているのが見える。タンジアは平野ではなく急峻な斜面に沿って築かれた街であるため、少し登れば一番低い位置にある港がよく見えるのだ。

 

「古代文明や古い伝承に関する内容の文献はいくつか存在しました。しかし、本機が記憶している戦争について記載している資料はありませんでした。秘匿されている可能性があります」

 

 テハは今、ユクモノ笠の代わりにローブを身に纏っている。単に二人とも防具を身に着けていないためその代わりとしているだけなのだが、どうやらこれだと彼女は僕の付き人として見なされるようだ。おかげで彼女について詮索されることがいつもより少なくなるという意外な効果を発揮している。

 テハの推測は大胆なものだが、今は僕もそれを疑いざるを得ない。彼女と出会って、人と竜の戦争について知った時から抱いていた疑念は深まりつつある。僕は低く唸った。

 

 突然依頼されたラングロトラの狩猟を無事に終えて、僕たちはさっきまでタンジアの街唯一の研究機関、古龍観測所の資料館を訪れていた。

 街にやってきた直後に緊急の依頼を請け負った見返りとして、あの金髪の受付嬢──キャシーというらしい──に紹介状を書いてもらったのだ。

 古龍観測所はその名前の示す通り、古龍という超常の存在を研究している機関だ。また、世界各地に存在している古代の遺跡の調査も行っている。それ故にハンターズギルドとは切っても切れない関係があり、ギルドからの紹介状は効力を発揮できる。

 現在のモンスターの生態や未開地域の調査などを主目的とする書士隊に対し、古龍観測所はより歴史を重視する傾向にある。テハのこと、ひいては過去にあったという人と竜の戦争についての資料も存在するのではないかと思ったが──思ったような成果は得られなかった。

 

「過去の歴史の秘匿か……あり得るような気がしてきたが、そうなると調べ物は一気に厳しくなってくるな」

 

 歴史の秘匿、改ざんは一見不可能に思われるが、国家レベルで行えば可能だ。まして戦争となれば人々は大いに混乱しただろう。過去の出来事をなかったことにしようと思えばできたのかもしれなかった。

 テハの言葉が偽りでないことはテハの在り方が示している。龍の力を人の形に押し込めて兵器として運用するなど、正直言って正気の沙汰ではない。それこそ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()は出てこない発想だろう。

 

 彼女の人間に対する態度は、旅を始めてから徐々にだが柔らかくなってきている。彼女がそれをどう思っているかはともかく、成果は出てきていると言えるだろう。

 対して彼女の過去についての調査は早くも壁にぶつかってしまったようだ。しかし、他の良い方法が思いつくわけでもいない。地道に独自の調査を続けていくしかないだろう。

 そんなことを考えながら宿に向けて二人で歩いていた──のだが、思わぬ収穫は宿に戻ってから得られることとなった。

 

 

 

「……は? マジかそれ?」

 

 近場で買った弁当を食べる手を止めて、僕は呆然としながら聞き返す。対してテハはこれが僕を驚かせるとは思ってもいなかったという風に淡々と、しかし明確に答えた。

 

「肯定。──制御機である本機に接続される竜機兵本体の全長は約40メートル、全高約15メートルです」

 

「……規格外の大きさだな」

 

 かろうじてそう言うことしかできない。それ程に信じがたいことを彼女は言ったのだ。

 

 事は宿に辿り着いて一息ついたところから始まる。

 古龍観測所の資料室で孤島地方の古代遺跡──なんと海中に沈んでいるらしい──に関する資料を読んだからか、僕はふと彼女と出会ったときのことを思い出した。

 そういえば彼女は頭から延びる管で壁に繋げられていたが、あの壁の向こうには千年近くにわたり彼女を生かしたまま眠らせ続けた何か……遺跡のようなものがあるのではないかと。

 

 それを深く考えもせずに彼女に尋ねてみたところ、壁には竜機兵と呼ばれる巨大な兵器が埋まっており、彼女はそれを制御──操縦する役割を担っている()()()()()()()というとんでもない答えが返ってきたというわけである。

 

「全長40メートル全高15メートル……現存する竜種の中じゃそんな大きさの個体なんて皆無なんじゃないか?」

 

 頭の中でモンスター図鑑を引っ張り出しながら唸る。大きいことで有名なガノトトスなど目ではない。全長40メートルというのはそれくらいに大きい。

 砂の海に棲む超巨大古龍ジエン・モーランの全長が約100メートルだったはずなので、それよりかは小さいが、あれは例外、古龍種である。人間の兵器でそれ程の大きさのものとすれば……それこそジエン・モーランとの戦いで出撃する撃龍船くらいのものではなかろうか。

 撃龍船は遠目に見たことしかないが、それでも迫力が伝わってくるほどに大きく感じたことを覚えている。あれよりか一回り近く大きいとなると……なかなかイメージができないほどだ。

 そして、そんな兵器の操縦者であるという彼女が古龍種ルコディオラの能力である電磁力を使えるということは、つまり。

 

「制御機のみでの戦闘能力は本来の十分の一以下となります。扱う電磁力も同様です」

 

「やっぱりか。凄まじいな……」

 

 僕の思考を読んだかのようにそんなことを言う彼女に、僕はただ呟きを返す。

 凄まじいと、本心からそう思う。もしあの砂鉄を駆使した技の数々の苛烈さや物量が十倍された場合、ドスジャギィやアオアシラなどの中型モンスター程度なら一瞬で倒せるのではなかろうか。大型モンスターですらも軽くあしらってしまえるかもしれない。()()()()なようにすら思える。

 

 ──もしそうならば、候補はある存在へと絞られていく。

 

 

「なあ、ならその本体込みでお前が戦うことを想定されてた種族ってのは────古龍種か」

 

 

「肯定。本機はドラゴンの討伐を目標に造り出されました」

 

 

 ──なるほどな。古代文明が滅びた理由がよく分かった。そしてテハが生み出された理由もだいたい予想がついた。

 古龍種を明確に敵に回してしまったからだ。

 

 古龍種は総じて超常の力を使役し、普通の竜とは比べ物にならないほどの生命力と強大さを持つ。一匹の龍は街一つを滅ぼし得ると噂されるほどだ。歴史ではそういう事例は実際に何回かあったらしい。

 そんな規格外どころか理の埒外にいると言っても過言ではない存在と()()()()に入るなど、自殺行為も甚だしい。いくら高度な文明を持っていたとはいえ、それに気付かなかったのだろうか。

 

 とにかく、テハはそんな古龍と戦うために生み出された。彼女は対竜兵器でかつ、対龍兵器だった。古龍の力を彼女が使えるのは、そのためとみて間違いないだろう。

 

「…………」

 

 テハが人と竜の戦争の最中に生み出されたことは知っている。彼女はまさに当時の人類の希望だったのではなかろうか。

 ただ、()()()()を聞くのは憚られた。そして何となくだがほぼ確信している。()()()()()()()()()()()()()()

 

 古龍を倒すために造られたらしいテハが、実際に古龍と戦った結果どうなったのか。それを今のテハに聞くのはよくないような気がして──僕も大概小心者だが、彼女は自分自身でそれを思い出すべきだろうとも思った──僕は別の話題を振った。

 

「ん。僕もいろいろと勘違いしてところがあったみたいだ。教えてくれてありがとな。テハ」

 

「構いません。本機に関する質問には可能な限り答えることを本機は約束していますので」

 

「そう言ってもらえると助かる。……この街でやるべきことは終わったな。あと一日か二日残って、街から出ようと思ってるんだが、どうだ? 流石に何日もここにいたらお前もきついだろ」

 

「『きつい』という状態かは判断しかねます。しかし、ある一定数以上に人間が多くなると音声でなく視覚情報からアトラの危険視している状況に陥りやすくなることが判明しました」

 

「げ、お前まさか耐えてたのか。すまん。気付いてやれなかった。そういうときには遠慮なく言ってくれよ。目を瞑らせてお前を背負って歩くくらいならできるからな。……ちっ、流石に油断が過ぎたか……」

 

 クエストから帰ってきて古龍観測所へ出向くために一度宿に戻っていたとき、かなり人通りの多い道を歩いた。きっとそのときだろう。

 やはり視覚から伝わる人間の多さ、活気は髪飾りの制龍珠を以てしても防ぎきれないらしい。防音珠も完全に音を遮断するものではないため、龍の感性は僅かながらも刺激され続けているはずだ。やらかしたな。

 予定通り、できるだけ早くここから出た方がよさそうだ。工房での矢の補充と受付嬢キャシーへの挨拶だけ済ませれば最低限問題ないだろう。テハの防具もできれば強化したかったのだが、やめておいた方がよさそうだ。

 

「次の行き先は先日アトラが話していた通りですか」

 

「ああ。次の行き先は火山地方。こっから北西に進んでいったとこだな。結構な距離があって時間もかかるが、ぎりぎり寒冷期が終わる前くらいには辿り着くはずだ」

 

 実は火山地方はここからだと船で行くのが一般的で、直接の陸路はあまり発達していないのだが、船には常に人間がいる。

 とりあえず街を出て海岸沿いに進んで、一度テハの龍の感性に休んでもらったところで、中継地点となる村から船に乗り込むのが無難なのではないかと僕は思っている。

 

「火山の近郊にも人間は住んでいる?」

 

「ああ。火の国っていう自治国家があってな。あそこはけっこう排他的な国だから立ち寄ろうとは思っていないんだが……人間の街はあるぞ」

 

 そんな話をしながらすっかり冷めてしまった弁当を食べ終えると、外はもう夜になっていた。暗いかといえばそうでもなく、街の中心部の明かりが人の街特有の明るい夜景を作り出している。

 宿屋の窓がまっすぐ港の方を向いているのはなかなか粋な計らいだな──などと思いながら窓の外を眺めていると、ふと海の向こうで大きな炎が煌々とした光を放っているのを見かけた。

 

「あの火は黒龍祓いの灯台ですか?」

 

「ん、たぶんな。一日中ずっと灯しっぱなしの炎なんてあの灯台くらいしかない。それをほぼ年中やってんだから恐れ入る」

 

 しれっと僕の隣に立って話しかけてくるテハに少々驚いた。最近たまにこういう行動をとるようになったのだ。それまでは会話も動作も受動的かつどこか規則的だったのだが、ここにきてそれが変化しつつある。

 僕としても、そして彼女にとっても好ましい変化なのではなかろうか。髪飾りを揺らすテハの横顔を見て思った。

 

「遥かな太古にここを襲撃してきた『黒龍』の災いを祓うために建てられた灯台……今じゃ猟師や貿易船なんかの目印として、本来の意味とは別に重宝されてるらしいがな」

 

 昼にもあれをテハと共に見たのだが、青空の下でもあれは目立っている。あれだけの灯台を今の技術で建てるのは相当難しそうだ。本来の理由的にも、タンジアの風物詩としても、守り抜かなければならない火なのだろう。

 ただ、テハは違った感想を持ったようだった。

 

「あの黒龍祓いの灯台を起点として、小型の灯台が沖の方に向けて配置されています。古龍観測所で閲覧した資料によれば、あの海域は厄海と呼ばれており、水深の低い海と小さな島々が広がっているようです。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……できればそんな状況にならないことを祈るのみだがな」

 

 テハと共に灯台の炎をみながら僕はしみじみと呟いた。さっきは収穫無しだなんて言ったが、そうでもなかったのかもしれない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。実際に見たことはないらしいが、知識として記憶していると。

 その存在がほとんど伝説のそれと化しているらしいこの街では、笑い話としてしか受け取られないだろう。古龍観測所にもそれについて語られた伝記があるのみで、資料らしきものは一切なかった。

 しかし、僕にとっては彼女が知っているということが何よりの証拠だった。

 

「ま、ハンターズギルドには伝えなくてもいいだろ……言い伝えがある以上、何かしらの備えはしてあるはずだしな」

 

 伝記には、人々に倒されて海底深くに沈んだその龍は、不死の心臓により蘇るという記述があった。そんな馬鹿なと僕はそのとき思ったのだが、テハはそれを全く疑っていないようだ。

 仮に僕たちがそれを騒ぎ立てたところで、無駄に目立つだけだ。むしろ用心深いハンターズギルドに目をつけられてしまうだろう。かの古龍が蘇ると言ってもそれが何時になるかは分からないしな。

 

「…………」

 

 テハは黙って灯台の炎を見つめている。何か思うことでもあるのだろうか。

 ふと悪戯心が沸いてその黒髪を手で梳かしてみると「……?」と不思議そうにこちらを見てきた。「何でもない」と笑って僕は窓から離れる。

 

 この穏やかともいえる旅路は、薄氷の上にあるのかもしれない。

 不意に、そんな予感を覚えた。

 

 





以下、小説内に組み込めなかったため追記



 タンジアの商店通りにて

「喉乾いてきた……。なあテハ、なんか飲み物買わないか?」
「はい。アトラが買ってくださるのでしたら」
「……先手打つようになってきたなお前。まあいっか、じゃあそこの店に寄ろうぜ」

「タンジア名物と言えばタンジアビールなんだが、昼から飲むわけにはいかないからな……。葡萄水にしておくか。テハは何か飲みたいものあるか?」
「私には味覚がありませんのでどれも同じかと」
「悲しいこと言うなよお前……いや待て。いいもの見つけた。なんでもいいってんならこれなんかどうだ?」

「カラの実コップはどこでも同じなんだな……ほい、テハのだ」
「いただきます。レモネード、でしたか」
「ああ。飲む前にコップの内側見てみ?」
「……空気の粒が出てきています。これは飲み水なのでしょうか」
「歴とした飲み物だな。とりあえず飲んでみ。あ、酒じゃないが一気に飲まない方がいいぞ」
「分かりました。それでは」

「──!? ……!!?」
「ふっ、はは! あははは!」
「……アトラ、これは……」
「ふふ、すまんすまん。予想してた通りの反応だったからついな。それ、炭酸って言うんだ。飲み心地が全然違うだろ?」
「炭酸……はい。このような水は私の記憶にありませんでした」
「やっぱりな。ビールもこんな感じなんだぜ。ま、そんなに悪くはなかったんじゃないか?」
「……回答できません。しかし、飲めないわけではありません」
「それでいいさ。さーて、久しぶりに驚いたお前の顔が見れたし、次は何食べさせてみようか、俄然やる気が出て来たぞ!」
「……アトラの推奨品に対する警戒度を引き上げます」
「えーご無体な。良心と悪戯心で言ってんのに」
「当然の結果です」


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第8話 繋:血溜まりに佇んで(前編)

(12月6日追記)分割作業実施


 

 火山地方は大陸の南西の方に突き出た活火山の連なる地域を指す。

 その火山はその地域に人が住み始めた頃から既に活動しており、年単位で鎮静化と活発化を繰り返し続けている。活発期においては絶え間なく溶けた岩石を吐き出し続け、この大陸を押し広げていた。

 そしてここは、生物にとっては過酷な環境である代わりに、鉱石資源が豊かであることで有名だ。ここからでしか採掘できない燃石炭は優良な燃料として大陸の各地に輸出され、また良質な鉄鉱石も手に入れることができる。麓に存在する火の国はこの鉱石資源によって支えられていると言えよう。

 そしてそれは狩人たちにおいても同様だ。むしろ彼らは一般の人々では立ち入れない火口付近にまで自己責任のもと赴くことができるため──

 

「テハ、これを見てくれ! なかなか珍しい鉱石を手に入れたぜ」

 

「それは……なんという名称なのですか」

 

「これは紅蓮石って言うんだ。これは常温でも素手で触れると火傷するくらい高熱なのが特徴でな。燃石炭と違って若干結晶っぽいだろ」

 

「これは有用な素材ですか」

 

「ああ。圧力をかけるとさらに高温になるから、その熱で別の鉱石なんかを融かして結合させるのに使ったりするんだ。これが欲しかったんだよな……。ところでテハの方はなんかいいの採れたか?」

 

 手のひらより少し大きい程度の紅蓮石を溶岩獣の皮で包みながら、僕は別の場所で岩を掘っていたテハに尋ねた。

 今、僕たちの手に握られているのは剣でも弓でもなく、つるはしだ。鉄とマカライト鉱石の合金でできた上質なものである。もちろん武器は背中に担いでいるが、今の主役はこのつるはしだった。

 

「先ほど、このようなものを入手しました」

 

「ん? へえ、ドラグライト鉱石か。それも珍しいぜって、でかっ! 見たことない大きさなんだが!? こ、これが全部ドラグライト鉱石の結晶なのか……? 天然でこんなの採れるもんなんだな……」

 

 テハがよっこらしょという感じで傍に置いていた籠から取り出したのは、竜の卵ほどもあるドラグライト鉱石の結晶だった。僕が今までに見た一番大きなマカライトの結晶よりも大きい。いつの間にこんなものを掘り出していたのだろうか。

 テハはやや重そうに両手でその塊を抱えている。当たり前だ。僕なら持ち上げられるかすら怪しい。容姿に見合わぬ身体能力を持つ彼女だからこそできる芸当だろう。

 

「本機の磁力探知に強く反応していたため、掘り出してみました」

 

「磁力探知ってそんなこともできるのか……。確かに、磁石は石だし鉄鉱石とか電気をよく通すもんな。あ、とりあえずそれ仕舞っていいぞ。重いだろそれ」

 

 鉱石系の素材集めは、電磁力を器用に扱える彼女にとって相性がいいのかもしれない。そんなことを考えながら、僕はポーチに入れていたクーラードリンクを取り出し、それを一口だけ飲んだ。──そろそろ帰り時だろうか。

 

 僕たちが赴いているのは、ある活火山の一画。この地方の数ある活火山でも、比較的活動が穏やかなもののひとつだ。

 タンジアからここに辿り着くまでに約三か月が経過していた。タンジアで立てていた計画通り、途中まで陸路で海岸線沿いに歩いてから、中継地点となる村で船に乗せてもらいこの地方の近場まで移動。そこから竜車でここまでやってきた。

 やたらと時間がかかっているのは、寒冷期で海が荒れていて船がなかなか出航できなかったからである。

 

 ここはハンターズギルドの狩猟区でも、火の国管轄の狩場でもない。一応火の国の領地ではあるが、監視の目は届いていないようだった。

 ここへと来る前に立ち寄った村の人々の話を聞いてみれば、眼前に見える火山のこちら側の管理はその村へ一任されているのだそうだ。

 無論、管理を任せられているとはいっても資源は基本的に火の国のものだそうなのだが。その地を訪れる狩人や旅人のもてなし、現地のモンスター情報の把握などが任務なのだという。

 不遇なように思えたが、そうでもないらしい。その村を訪れる狩人は少なくないようで、珍しく本格的な加工屋があったりと、何気に栄えていた。

 僕たちはその村で採掘の許可を申請し、いくつかの納品依頼をこなすことを条件に、クエストの形でここ第二火口付近の区画への立ち入りを許されたのだ。

 

 そして、そんなクエスト兼採取ツアーも終盤。

 

「燃石炭は昨日と一昨日集めた分も含めて依頼されてた小タル五個分はある。リノプロスの甲殻とウロコトルの皮もそれぞれ二十枚集めたし……僕が欲しかった鉱石も必要分手に入った。てなわけで、そろそろ帰ろうか」

 

「了承しました」

 

「そのドラグライトの塊はめっちゃ重いだろうが、持って帰ろう。加工に使ってもよし、珍品として売るもよしだしな。……それで悪いんだが、それはテハに運んでもらっていいか? ここから一人で運ぶのは大変だろうが、きついときは手伝うから」

 

「構いません」

 

 現在、僕たちがいるのは火山の中腹付近。火口から流れ出した溶岩が、岩の隙間を縫って流れ出している。ここで固まる溶岩もあるが、冷え切ってはおらず熱を放ち続けるのでかなり暑い。

 それでも、先ほどまで僕たちのいた火口付近よりはましだ。あそこは灼熱の大地だった。吐き出されたばかりの溶岩がゆっくりと川のようにあちこちを流れ、地上付近は常に陽炎が揺らめいていた。

 クーラードリンクという身体から積極的に熱を逃がす飲料を飲んでいなければ、半時間も持たなさそうだ。比較的穏やかとはいっても活火山ということを思い知らされる。

 溶岩獣ウロコトルはそんな溶岩の多い場所によく生息している。熱されて柔らかくなった大地でないと潜行できないからだ。このモンスターの皮を取るために火口付近を一日近くうろうろしていたのだが、かなり体力を消耗した気がする。

 

「それじゃあ籠をそりに乗せてっと……よし、じゃあ帰ろう。メラルーとかフロギィに気を付けてな」

 

「了承しました。多少の段差は砂鉄で埋め立てますので、その際は言ってください」

 

「ほんと便利だよな。それ……」

 

 

 

 

 

 一週間後、僕たちはその村を出て、徒歩で北へ続く道を歩んでいた。北は火山地方から離れていく方向、その先にあるのは書士隊風に言うと熱帯雨林である。水没林というハンターズギルドの狩場があることで知られている地域だ。

 ここに滞在していた半月ほどで、僕たちの装備にはいろいろと変化があった。例えば、僕があくまで矢の節約のための補助的な武器として持ってきていた片手剣、ハンターナイフが形をそのままに大幅に硬質かつ頑丈な剣に変わった。

 その剣はカブレライト鉱石とユニオン鉱石を紅蓮石で融かして作られている。ハンターナイフの上位版といったところだろうか。これでモンスターに近づかれたときもやれることが増えるだろう。

 テハの装備、ユクモノシリーズについても各種鎧玉を布地に熔かし込んでいくことで強化が施された。

 もともとユクモノシリーズは旅人に適した装備であり、じっちゃんが丁寧に作ってくれたものであること、狩りにおけるテハの被弾率が低いことで何とか持ちこたえていたが、流石に最近は綻びが出てきていた。

 やや重くなってはしまったものの、より丈夫になったのでこれからも使い続けるには良い選択だったと言えるだろう。テハも問題ないと言ってたしな。

 

「それにしても、あれがまさかあそこまでの値打ちになるとは思わなかったよなあ……」

 

「予想以上に目立ってしまいました」

 

「それな。あまり大きな噂にならないことを祈るのみだな……」

 

 テハが掘り出して火山から持って帰ってきたドラグライトの塊だが、アイテムの鑑定を行っていた館がちょっとどころでない騒ぎを起こすほどのものだったらしい。値段がつけられないとまで言われたため、扱いに困って村に贈ることにした。

 謝礼として武具の加工や道具の補充は無料になったし、上位大型モンスターの討伐報酬に匹敵する金額の金も貰ったので僕としてはもう十分だ。旅をしている間に身の丈を超える大金を受け取るなど、旅の足取りを鈍らせかねない。

 テハに至っては必要以上の金に全く執着しないため、無償で譲るなどと言い出して騒ぎが大きくなってしまった。僕も内心目立たないこと優先で同じことを考えていたため、二人揃っての反省点となった。

 

「アトラはこのまま水没林地方へ進むと言っていましたが、火の国には赴かなくてよいのですか?」

 

「ん? ああ、詳しく言ってなかったな。火の国はテハが入るには少し厳しいんだ。検問があってな。笠とかフードとかを脱いで顔を見せないといけない。クエスト受注してハンターズギルドを介するときはそうでもないんだが……。ま、ちょっと嫌な予感がしたから避けたってとこだな」

 

 独特な文化を持つ国であり、僕たちにとって価値のある文献も探せばあるのかもしれなかったが……排他的な国だからな。リスクが大きい。それ故にもともと赴く予定はなかった。

 

「テハに火山を見せるのと、武具の強化が目的だったからな。僕としては満足ってとこだ。そう言えば、テハは火山を見て何か思い出したりしなかったか? 今までとは全然違う景色だったろ」

 

「……思い出したことは特にありませんでした。ただ……」

 

「ただ?」

 

 テハがこういう含みのある言い方をするのは珍しいが、最近はこういうことも増えてきた。本人は気付いていないようだが、だんだん人間らしい言葉遣いをするようになってきている。

 

「本機の記憶にある景色と似ていると感じました。本機の記憶によれば、そこは火山ではなかったはずなのですが」

 

「……それは、やはり竜と戦争をしてたからじゃないか? 火とか氷を吐き出せる竜が人の街に襲い掛かってたんだろ。古龍も敵に回してたらしいし。空とか大地が火山みたいになってるのが普通……だったのかもな」

 

「本機は当時その理由を考えていませんでした。よって原因は不明ですが、アトラの言ったとおりであると本機は推測します」

 

 テハはいつものように表情らしきものを浮かべず淡々と話している。語っている内容はかなり深刻なもののように思えるが。

 そう言えば、僕と彼女が出会った日、僕が渓流の景色を彼女に見せたときに、彼女は夕焼け空を見ながらこのような色彩は見たことがないと言っていた。当時は不思議に思ったものだが、そういうことだったのかもしれない。

 

「懐かしいって思ったか?」

 

「……本機はその言葉を使うべき状況がどのようなものか理解できていませんが、過去の記憶と照らし合わせて共通点を見つけた際のこの感覚を指すのであれば、懐かしかったと言えます」

 

 テハのその返しに僕は虚を突かれた。何気ない問いかけだったし、「本機には実装されていない感性です」とそっけなく返されるとばかり思っていたのだが。このような表現方法を取ったのは初めてだ。

 彼女はきれいだとか気持ちいいだとかの感性を持ち合わせていないそうなので、懐かしさなど感じないものだろうと思っていた。……いや、もしかすると()()()()()()()のだろうか?

 いずれにしても──

 

「ん。なら良かった。十分な収穫は得たさ。その感覚、きっと懐かしいであってるぜ」

 

 僕はテハに笑いかける。テハは僕を見返してから、大事なものでも覚えようとしているかのように「これが、懐かしい……」と呟いていた。

 

 

 

 

 

 歩きと竜車での移動を繰り返して一月ほど。僕たちは水没林地方へと足を踏み入れた。この地方も孤島地方と同じく一年中気温が高く、数多くの生き物が生息している。

 大きな特徴は、とにかく雨がよく降ることだ。それは水没林という名前通り、土地の一部が水に浸かってしまうほどである。おかげで植物も繫栄していて、樹木やシダ、草花が所狭しと生い茂っている。

 そんな広大な熱帯雨林の一画で、僕とテハはある飛竜──ナルガクルガと交戦していた。

 

 森の暗がりに溶け込み、風の騒めきと川の音に紛れ、死角へ回り込んでから一息に迫りくる刃。一瞬前の跳躍音と、半ば勘を頼りに倒れこむようにしてそれを避ける。その一撃の通り道にあった草やシダは刃によって音もなく切り裂かれていた。

 

「────ッ!」

 

 さらに追撃。人の胴程に太く、その竜の半身に迫ろうかという長さのしなやかな尻尾が鞭のように振るわれる。

 これも──避ける。バランスを崩していた身体を無理やり前に打ち出すように跳ねた、その下を豪速で尻尾が通り過ぎていく。弾き飛ばされた小石や枝がばちばちと僕の顔に当たり、傷をつけていく。

 あれに当たれば骨折は免れない。どっと冷や汗が噴き出したのを感じながら、僕は転がり込むように草むらへ飛び込んだ。

 

「ちっ、覚悟してたとはいえ、あちらさんの土俵に立たされるのは生きた心地がしないなっ!」

 

 ナルガクルガは追ってこない、が、既にこちらのことは把握しているだろう。やつをまた見失うのが一番怖い。ここからすぐに離れなければ……と思っていたところで、かの竜が咆哮する。反響音からやつが別の方向を向いていることが分かった。

 油断はしない。じぐざぐに走りながら僕は草むらから木々の多く生えている林へと入る。やはり追ってくる気配がない。

 そのまま身を屈めて、先ほどナルガクルガがいた場所を起点にしてぐるっと回り込むように走り、ある程度のところで木の陰に隠れて音のする方を覗き込んだ。

 

 テハとナルガクルガが正面からやり合っている。テハは今回剣を宙に展開させていない。それもそのはず、やつの反応速度が早すぎて剣を飛来させても避けられてしまうのだ。草木が生い茂っているため思った以上に剣を自由に動かせないと言うのもあるのかもしれない。

 ナルガクルガがその身を大きくしならせて、一瞬のうちに尻尾で周囲を薙ぎ払う。途端にそこには円状の空き地ができた。側転してその大技を避けたテハは一気に肉薄、手に持った双剣でその鱗を次々と切り裂く。

 ()()()()()()()()()()。テハの砂鉄以外の新しい武器、レウス種の素材を用いた双剣『リュウノツガイ』がナルガクルガの鱗を焼いて、その先にある肉を焦がしていく。

 

 そんな戦いを視界の端目に捉えつつ、僕はあるものを目で探していた。僕が囮になることでナルガクルガの注意をひき、その間にテハが設置したはずのそれは、草木が生い茂り見通しのよくないここでも目立つはず──。

 

 見つけた。僕とテハたちを結んだ直線上、黒光りする鉄枠が見える。即座に弓を展開し、林から出つつ狙撃用の矢を引き絞る。やや遠的となるが問題ない──行け。

 

 左手に持った弓から勢いよく放たれたその矢は、その物体を飛び越えてナルガクルガの肩のあたりに突き立った。小さく呻いたらしいかの竜は、この距離でも明らかに伝わる眼力でぎらりと僕を睨む。見つけた、と。

 さっきまでの応酬からか、僕の方が仕留めやすいと判断したらしい。ナルガクルガはその場で暴れてテハを遠ざけると、僕の方へ向いて今にも飛び掛からんとするような独特な構えを取った。獲物を確実に仕留めるべく、引き絞られる躰。その感覚が研ぎ澄まされていくのを感じる。

 

 そのとき、拳大の物体がかの竜の目の前に投げ込まれた。

 

 イィンッという甲高い音が森に響き渡る。数十メートルは離れたここからでも明確に聞こえるほどの音量。旅人の護身用としてたまに用いられるモンスターを驚かすための道具、音爆弾だ。

 ナルガクルガはこの音を嫌っており、音爆弾を投げると大きく怯む。まして獲物に飛び掛かるために身構えているときなど尚更だ。緊張の糸が切れたかのように身を震わせて、二、三歩後退して首を振る。

 この音爆弾のナルガクルガに対する効果は最近になって広まった。個体数はそこまで少なくもないのだが、かなり好戦的で暗がりからの奇襲や夜襲を好むという厄介な性質上、生態調査が遅れていたのだ。

 そして、実はこの竜に対して音爆弾は有効だが、使用しない方がよいという見解に落ち着いている。何故かというと──

 

 眩暈を起こしているかのようにふらふらしていたナルガクルガが再び目を開いたとき、その瞳は爛々と赤い光を宿していた。──聴覚を過度に刺激されたことによる興奮状態への移行。これが音爆弾をかの竜に使用したときの代償である。

 

「テハ、こっちへ!」

 

 ここが狩場であるにも関わらず、僕は大声を出して音爆弾を投げたテハを呼ぶ。あちらにもう僕の居場所は割れているのだから、声の大きさなど気にする必要はない。

 テハは言われるまでもないといった感じで既にこちらへ走り出していたが、僕が弓に矢を番えてるのを見てその速度を上げた。彼女が履いているユクモの足袋は、こんな草とぬかるみだらけの地面だろうとしっかりと捉えてくれる。

 

 本来はモンスターに背中を見せて走るなど自殺行為にも等しいが、この場合においてはテハは僕の近くへ素早く辿り着くことが優先される。

 再び身構えるナルガクルガ。テハが僕の方へ走っていくのを見て、今度こそ音爆弾のような妨害はないと判断したらしい。気を急いて突進を仕掛けたりしてこない辺りが、この竜の賢さと生態を指示しているような気がする。

 テハが弓弦を引く僕の隣まで駆け寄ってふと息をついたその瞬間に、ナルガクルガの身体が弾き出された。先ほどよりも数段速い。もはや姿が霞んで見えるほどの迅さだ。二つの眼光が残影を引いていく。

 いつものように僕たちの背後へ回り込むようなことはしない。正面から一息で詰め寄り、僕たちに対応させる間もなくその尻尾を叩きつけるつもりなのだろう。怒り状態にあるからこその攻撃的な選択だ。

 実際に、やつが動き出したと思ったときにはこちらとの距離は目測で十メートルを切っていて。

 

 

 その瞬間、爆炎がかの竜を包み込んだ。

 

 

 弓の曲射とは比較にならないほどの大爆発。吹き付ける猛烈な熱風がその規模を物語る。

 それもそのはず、今僕が射抜いた大樽の中には、火薬草とニトロダケを粉末状にして混合した爆薬がぎっしりと詰まっているのだ。人の家程度なら軽く吹っ飛ばすほどの威力がある。

 

 濛々と立ち込めていた煙が晴れてくると、そこには口から大量の血を流して倒れ伏す竜の姿があった。

 警戒しつつ近づいて見れば、開いた目から光が失われている。その胸は大きく拉げ、焼け爛れていた。竜にもあるらしい胸骨格が完全に潰れてしまい、その衝撃が心臓にまで届いて絶命したのだろう。

 

「……討伐完了、だな」

 

「はい。ナルガクルガの絶命が確認されました」

 

「はぁー……強かったな。流石は飛竜種ってところか」

 

「お疲れさまでした。剥ぎ取りを行いますか」

 

「ああ。ぱっと見た感じ尻尾と翼辺りの状態はまだよさそうだ。そっちを中心に剝ぎ取ろう」

 

 ベルトから剥ぎ取りナイフを引き抜く。テハもそれに倣う。

 剥ぎ取りはとりあえずナルガクルガが討伐されたことを他人に示せる程度で十分だ。僕たちはこの竜の狩猟クエストを請けてここにいる。後で村人かギルドの雇ったアイルーたちが亡骸の回収にやってくるだろう。この竜の素材はそのときに交渉して受け取ればいい。

 

 迅竜ナルガクルガは強かった。上位個体であったかは分からないが、この狩場で邂逅してから討伐に至るまでに丸一日以上かかっている。僕とテハの二人がかりでだ。

 自らの不利を感じればその場から一気に離れ、休息をとる。そして追いかけてきた僕たちを迎え撃つ。その賢さに苦戦させられた。大タル爆弾を積んだ荷車を控えさせていたこの辺りにやつが降り立ったことで、ようやく致命の一撃を加えることができたのだ。

 その爆発で死に至らせることができたのも、テハがその体毛を焼き切っていたことが大きい。そうでなければ爆風の大部分は受け流されてダメージにならなかっただろう。

 危うい場面も何度かあったし、実際に僕は恐らく肋骨のいくつかに罅を入れられた、と思う。ここで交戦する前に、体当たりをもろに受けてしまったのだ。さっきまでは気にしている余裕もなかったが、肺のあたりがぎしぎし痛む。これはまた一週間近くの療養が必要になりそうだな。

 テハはテハで何か所か深い切り傷を負った。裸で森に入っても傷つかない頑丈な皮膚をもつ彼女に切り傷を負わせるなど、よほど鋭い攻撃でなければできないことだろう。対竜兵器を名乗る彼女も、その本体がいなければ圧勝できるわけではないのだ。

 

 刃翼と呼ばれるナルガクルガ特有の翼の硬度に苦戦しつつも、僕はそこから黒い鱗の生えた一部分を切り出した。テハは口から牙を剥ぎ取った後、尻尾に生えた棘を摘出するつもりのようだ。地面に膝をついて、流れ出す血を拭いながら黙々と剥ぎ取りナイフを突き立てていく。

 そこには何かしらの感情が宿っているのだろうか。弔いだとか、感慨だとか。それとも、それは狩人がモンスターを狩猟したという証明を行うための単なる作業でしかないのだろうか。

 どちらでも良いと僕は思った。別に命を汚しているわけではないのだから。竜をこの手で倒した。それより先のことは人間の都合でしかない。狩人が請け負った依頼を達成したという事実だけが明確にそこにある分、後者の方が割り切れていると個人的には思う。

 

 彼女は自らを兵器として定義し、人間の感性をいくつか捨て去っている。それが本来の存在意義とは異なる理由で竜を倒し、その亡骸と向き合ったのなら。

 竜と人との戦争に用いられた兵器の一面が最も強く出た、数か月前の出来事を思い出しながら、僕は剥ぎ取りナイフを動かし続ける彼女を眺めていた。──もう数か月前の話になるのか。

 

 あれは、港町タンジアから次の村へ向かう道中のことだ。

 



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第9話 繋:血溜まりに佇んで(後編)

(12月6日追記)今話は過去における 第6話 承:血溜まりに佇んで から分割された内容です。新規で追加された要素はありません。ご了承ください。


 

「これは……」

 

 流水が永い年月をかけて岩盤をくりぬいてできたトンネルを抜けて、途端に広がった光景を見て僕は言葉を失った。

 そこは、高い崖が挟み込むようにしてできたやや細い通路だった。崖には無数の穴や岩棚が存在し、一目見て小型鳥竜種が住処に選びやすい場所だと分かる。

 

 そんな狩人でも侵入することを戸惑うような通路は今、一面真っ赤に染め上げられていた。

 

 それと共にむせ返るような血肉の臭いが鼻孔を突き抜けていく。トンネルを通っていた最中から漂ってはきていたものの、それとこことでは比較にならない。

 見上げれば岩棚も同じような惨状となっていて、ぽたぽたと血が滴り落ちていた。

 

「ここで一体何が……。……いや、違うだろ。こうなる予感はあったはずだ」

 

 見慣れない人が見れば卒倒しかねないだろう、その血の池に立ち尽くしながら僕は目を背けようとする自分を戒めた。ぎり、と歯を噛み締める。

 そうだ。今言った通り、これはいつか起こってしまうのではないかと僕が心の片隅で思い描いていた光景そのものだ。だからこそ、僕は気を動転させずにここに立つことができていた。

 

 竦んでいた脚を叱咤し、僕はその通路を歩み始めた。ぱちゃぱちゃと水たまりを歩いているような音が木霊する。

 ブーツはすぐに赤色に染まった。この血が流れてからほとんど時間が経っていないのだろう。そうでなければこうも赤い液状のままにはならない。流れ出した血は時が経てば赤黒くなり固まるものだ。

 よく見れば、いや、これは単に僕の注意力が著しく低下していただけのようだ。至るところにこの血溜まりを生み出したであろう生き物の死骸や肉の破片、臓物が転がっている。

 その何れもが血に塗れてもとの生物が何であったか判別させにくくなっているが、その中にあったひときわ大きな亡骸、その首に巻かれたぼろぼろのエリマキを見て、これらがドスジャギイの率いるジャギィたちのものであることを悟った。

 岩棚からも血が滴っていることから、ここは彼らの棲み処であり、そしてこの殺戮──こう言いざるを得なかった──はそれらを壊滅させるまで行われたのだろう。戦ったものも、逃げたものも、雄も雌も幼体も容赦せず、等しく。それは徹底されていた。

 

 異常。そうとしか言えない。これがモンスターの仕業であったとするならば、そのモンスターは特級の危険度指定をハンターズギルドから受けて、ランク5ハンターを複数派遣などの処置がとられるはずだ。

 しかし、これがモンスターによるものだとは言い難い。これは自然に生きるものとしての一線を超えている。あの悪名高い凶暴竜ならば似たようなことをしでかすかもしれないが、かの竜は自らが喰らうためにモンスターを殺すのだ。このような血溜まりにジャギィたちの亡骸という餌が大量に転がっている状況はかの竜の在り方と矛盾する。

 

 つまり、これはそんな一線を超えることのできる意志を持っているか、()()()()()()()()()()()()かのどちらかによる存在の仕業であり。

 少なくともこの狩り場において、そんな存在は僕と彼女しかいない。

 

「テハ……!」

 

 僕は辺りを見回した。返事は返ってこない。彼女は既にここにはいないのだろう。もしかすると壁に空いた穴の中にいるのかもしれないが、可能性は低い。後回しにして、僕は前後に伸びる崖に挟まれた細い道を見た。どっちだ。

 ──前の方、血の池が途切れた先から赤い足跡のようなものが点々と続いているのが見えた。それはすぐに薄れて消えてしまっていたが、今この段階においては一番の手がかりだ。

 僕はそちらに向けて走り出した。ぬかるんだ血とたまに踏む亡骸で足が滑るが、バランスを崩して手をついてでも、走る。

 一刻も早くテハと合流するのだ。そうしなければ──

 

 

 

 僕たちが近隣の小さな集落から請けたクエストは、ドスジャギィ率いる二つのジャギィの群れの縄張り争いに、どこからかフロギィの群れまでもが迷い込んできたことによる三つ巴の争いを収束させることだ。フロギィの群れにはドスフロギィもいるらしく、集落の人間たちでは手が付けられなくなってしまったらしい。

 場所は孤島地方の傍にあたるが、ハンターズギルドの管轄する狩場としては指定されていない。そのためマップの正確性も不十分であり、それぞれの群れの拠点がどこにあるか分からなかった僕とテハは二手に分かれてフィールド探索から行うことにした。

 

 その結果が()()である。

 

「間に合わなかった、か……」

 

 僕はそう呟いて、目の前の光景を見つめた。

 そこには、ただ一つを除いて、先ほど僕が遭遇したジャギィの群れの末路とほぼ変わらない惨状が広がっていた。

 気化性の毒を己の武器とする赤褐色の狗竜、ドスフロギィと、その配下のフロギィたちの無数の亡骸が散らばり、新たな血の海を作り出している。立ち込める匂いは、先ほどよりも生々しく、濃い。

 

 場所は先ほどの通路をずっと進んでいった先、左右に挟み込む崖の幅が少し広くなった程度で、岩棚や穴がいくつも存在しているのは変わらない。

 鳥竜種にとってここは住処にするには絶好の場所なのだろう。もともとジャギィたちの群れがあの辺りを棲み処にしていたのに、こうしてフロギィがやってきて棲みついてしまったことで争いが激化した、そんなところだろうか。

 

 しかし、その二つの群れは、一人の少女の手によって潰されてしまった。

 

 そう、さっきのジャギィの棲み処ではいなかったもの。目の前で静かに佇む少女、テハだ。

 血の池にひとり立っているテハの姿はどことなく()()()()()があった。普段通りの彼女がそこにいる。

 

「テハ」

 

「アトラ。東の森の探索は終えたのですか」

 

「ああ」

 

「分かりました。しばらくお待ちください。あと少しで終わります」

 

 テハはそう言って、空中に十本程度の砂鉄の短剣を生成した。砂鉄の靄が集うことで形を得たそれは、少しの間をおいて彼女が手を差し出した方向に一斉に打ち出される。

 それはこの通路のさらに奥、終端に向けて飛んでいって、そこにあった卵とそれを守るべく立ち塞がっていた数匹のフロギィを次々と刺し貫き、切り裂いてからまるで何もなかったかのように消え去った。

 

 残っていたフロギィはその数匹だけだったのだろう。その場には静寂が訪れた。

 

「ドスフロギィの討伐とフロギィの群れの掃討完了。先ほどジャギィの群れも同様に掃討したため、該当地域に残っているのはジャギィの群れひとつとなります」

 

「ああ。さっき見てきた」

 

「それでは、その残った群れの掃討に向かいます。アトラはその群れの手がかりを見つけましたか?」

 

 テハはいつも通り、淡々と事務的なことを述べていく。いつもと異なるのは周りの環境。血溜まりに浸された足袋は赤く染め上げられ、返り血が髪を濡らしてぽたぽたと滴り落ちている。致命傷を負ったもののまだ息はあるのだろうフロギィの呻き声が時折聞こえてくる。

 それらを一切気にすることなく、視線を真っすぐ僕へと向けて、テハは話しかけてくる。僕はしばらく返事を返すことができなかった。

 

 やはり、テハは────

 

 しばらくしても答えない僕を不思議に思ったのだろう。テハが首を傾げる。自らの言ったことに何か不備があっただろうか。そんな風に考えたのかもしれない。

 テハが再び話し出す前に、僕は口を開いた。

 

「……あー、ちょっとぼうっとしてた。すまん」

 

「構いません」

 

「それで、最後の群れについてだが、さっき森の中で見かけた。そんときは観察するだけにしてたんだが……その群れ、放っておこうと思う」

 

「……それはなぜですか?」

 

「質問を返すようで悪いが、逆に放っておいたらどうなると思う?」

 

「依頼が達成不可能に……。いえ、訂正します。本機が二つの群れを崩したことで、アトラが発見した群れと争う相手はいなくなりました。三つの群れの争いの収束という点において、依頼は達成されていると言えます」

 

「そういうことだ。だから戦う必要はない……っても、お前は納得いかないか」

 

 テハは表情が乏しいなんて言葉では言い表せないほどにいつも無表情だが、最近になってその雰囲気というか内に潜む感情のようなものが何となく、本当に何となくだが伝わるようになった。

 僕の言っていることに納得がいかないときや、意思疎通がうまくできなかったときは、不満というか残念がっている気がする。

 

「んー、たぶんな。依頼してきた集落の人たちは群れ同士の争いをどうにかしてほしくても、三つの群れを全部潰すまではやらなくてもいいって考えてると思うんだよ」

 

 この惨劇は僕のミスだ。二手に分かれたときに、その目的をひとまずは調査のみと明確にしなかったこと。そして、彼女が今までに見せてきた兆候を把握しきれていなかったこと。

 テハはこれまでにも、似たようなことをしていたことがあった。例えば、旅の途中でジャギィやファンゴと出くわしたとき。彼女は彼らを例外なく殺した。追い払うだけで十分だった状況でも、それが決まり事であるかのようにきっちりと殺していた。

 さらに、採取依頼や大型モンスターの討伐のために狩場に向かったときも、アプトノスやケルビ、ガーグァなどの比較的大人しい草食モンスターを除いて、その手の届く範囲で小型モンスターを狩っていた。

 それらは僕にとっては疑問に感じるところではあったが、取り立てて彼女を問いただすことはできないでいた。むやみに殺すなと安易に指摘してしまっては、テハは命令としてそれを受け取ってしまう。

 命令はこの旅において彼女を縛る楔になりかねない。それを僕は恐れていた。

 

「もし、三つの群れを全部潰したとしたら、ここを縄張りにする肉食モンスターがいなくなるだろ? ……いや、その前に、縄張りって言葉をお前は知ってるのか?」

 

「いいえ。アトラが何度かその言葉を使ったことは記憶していますが、その意味は分かっていません」

 

 

「ふむ。それなら……テハにとってモンスターとは()()人間の街や村に襲い掛かるもの、そんな認識だったりするか?」

 

 

「はい。本機の記憶ではそうでしたので」

 

 

 これが、僕とテハという兵器の見ている世界の違い。そして、過去にあった人と竜の戦争の歪みだ。

 

 遥かな過去に確かにあった人と竜の戦争──テハは竜大戦と言っていた──において、竜は種族を超えて徒党を組んで人間に牙をむいたのだという。言うだけならばあり得そうにも思えるが、本来はそんなことは起こりえない、不可能なはずなのだ。

 人間たちですら、大都市や国の垣根を超えて団結することは極めて難しいというのに。

 それが現実になってしまったというのなら、それは()()()()()()()()()()()()()()()()のだろう。

 その何かとは、世界の理だとか、人と自然の関係性だとか、そういう概念的なものになってくる。そこが狂いでもしない限り、竜大戦は()()()()()()()()()()

 

 その不可能が可能になってしまっていた只中に造り出されたのが彼女とその本体である竜機兵であるとするならば……その考え方がどうなるかは、火を見るよりも明らかだ。

 

 ──人とモンスターは敵同士で、モンスターを殺すことは義務だと。

 

「依頼されたからには、肉食モンスターのジャギィとフロギィは全滅させておかないと、集落に被害が出る。だから残ったジャギィの群れも例外なく潰す。そんな感じか」

 

「はい」

 

 きっぱりとそう答えるテハ。情けないことに、僕はその思想を今ここで初めて把握した。今までは何となくの予感で済ませてしまっていた。二手に分かれたときに、ここまでの思想の違いがあったことに気付けなかったならば、こうなることはもはや必然だったのだ。

 千年前ならば、その思想は間違っていなかったのかもしれない。しかし、人間と竜の戦争が終結し、それぞれが互いに栄えている今、テハの考え方はこの世界と相容れることができないのだ。

 

 そのことをテハに伝えなければならない。とは言っても、テハ相手にならそれは容易なことだ。この惨状は何だ、お前は間違っていると怒鳴り散らしてしまえばいい。

 テハはそれだけで今後このようなことはしなくなるだろう。理由が分からなくとも、間違ったことをしたのだと判断し、むやみにモンスターを殺すことはしなくなるだろう。

 だから──

 

 

「困ったことに、人間と竜を取り巻く状況って結構変わっちまったんだよ。たぶんより面倒くさいほうにな」

 

 

 ──だから、笑う。

 

 自ら血溜まりに足を運んで、血だらけの彼女の頭に手を置いて笑う。

 この異常な状況下でうまく笑みを浮かべられるかが心配だったが、思いの外自然に笑うことができた。苦笑いの類ではあるが。

 

 まずは彼女を信じて語りかけないことには、始まりから道を違えてしまう。

 

「人間と竜の戦争は終わった。どちらもそこまで寿命は長くないから、昔のことなんて忘れてしまった。そして今は、竜は人間ばかり殺さずに、人間は竜の存在を否定せずに、互いに好き勝手生きている……今の状況はそんな感じだ」

 

 テハはされるがまま、頭に僕の手を置かれたままで、上目遣いに僕を見た。

 

「では、竜は人間を殺さなくなったのですか」

 

「いや、そこは相変わらずだ。モンスターは気まぐれに人間を殺すし、村に襲い掛かったりもする。けど、逆にモンスター同士で争っててその場にいる人間には目もくれなかったり、飛竜が空を飛んでて僕らみたいな人間を見かけた程度じゃ、襲い掛からないこともあるんだ。テハはこの違い、分かるか?」

 

「……竜が、人間を殺す以外の目的を見つけた?」

 

「どうしてそう思った?」

 

「……この旅で、人を優先して襲う竜を見たことがなかったからです。これは、以前からの疑問でした。ハンターのいない村や集落が、竜が近寄りにくい場所には立っているものの、隠れることもなく存続していることです。それが、本機がそう答えた理由に繋がります」

 

 ほらな。僕は自らに語り聞かせるようにそう呟いた。──テハは自分自身でここまで辿りつける。

 旅をしている間に見たもの、疑問になっていたものを引っ張り出して、その推論に導いてくれたことが無性に嬉しかった。

 

「ああ。お前がそこまで分かってるなら、かなり説明がしやすい。さっき僕が言ったことに明確な答えなんてないかもしれないが、たぶんテハは正しいことを言っていると僕は思うぜ。

 さて、縄張りってのはな、人に興味をあまり持たなくなった竜やら獣やらが自らの支配地として勝手に定めてる区域だ。彼らは基本的にその縄張りの中で食料を探すし、寝床も作る。外敵が入り込んだら追い出すか殺す。ジャギィたちが争ってたのは、この縄張りを取り合うためだと思ってくれたらいい」

 

 今と昔の人間と竜の関係が違うこと。僕が旅の間に伝えたかったことの一つだ。何を当たり前のことをと思われることかもしれないが、テハにとってそれは当たり前ではなく、大きな意味を持っている。

 

「縄張りがなくなった土地はその後の支配者の予測が効かなくなり、しかし餌となる草食モンスターは増える。その結果、豊富な餌を求めてリオレウスなんかの強力な竜が現れるかもしれない。どうなるかは本当にわかないけどな。でもそんなもしもを不安がるよりかは……」

 

「ジャギィの群れを一つ残して、縄張りを広げさせ、土地の支配権を維持させた方がいい?」

 

 テハは僕の言葉を引き継いで、そう答えた。

 

「そういうことだ。だから群れを一つ放置しておく選択をした。……テハが答えまで言ってくれるなんてな。嬉しいこともあるもんだ」

 

 僕はそう言ってテハの頭をわしゃわしゃと撫でる。テハはやはりされるがままで、今は黄色のみの髪紐がひらひら揺れる。例外なく血痕まみれだが、洗えば元通りに戻るだろう。

 むせ返るような死の匂いが立ち込める血の池の真ん中で、返り血に濡れながらも静かに立つ少女とそんな少女の髪を笑顔でわしゃわしゃする青年ハンター。第三者から見ればまず正気の沙汰には見えないだろうな。

 

「テハは他に質問したいことがあったりしないか?」

 

「いいえ。現状ではアトラの判断が最善に近いと判断しました。異論はありません」

 

「ん。なら、そこのドスフロギィの素材を剥ぎ取ろうか。狩りの報告しなくちゃいけないからな」

 

「はい。ドスフロギィの素材を剥ぎ取る際はどこが有用ですか」

 

「そうだな……嘴か爪だな。どっちかきれいに残ってる方を剥ぎ取ろう。それと、さっきのジャギィの群れを潰した跡も含めて、消臭玉で匂い消ししていかないとなあ……ポーチの調合分含めて足りるかね」

 

 その場での話は終わり、僕とテハはそれぞれの手に剥ぎ取りナイフを持って歩き出した。

 剥ぎ取りと消臭までが済んだら一度ベースキャンプまで戻り、次の日も念のためこの辺りを見て回ってから、森にいたジャギィたちの群れをここまで誘導するとしよう。その頃には大量のフロギィやジャギィの亡骸も微生物に分解されているはずだ。

 

「そういえばこの血溜まり、どんな倒し方したらこんなになるんだ? まるでいっぺんに群れ全部のモンスターを切り裂いたみたいだ」

 

「逃げられる可能性があったため、出血死を優先させました。ジャギィもフロギィも群れの長が弱ると率先して守ろうとするようです。その生態を用いて群れの長を瀕死まで追い込み、砂鉄の剣を空中展開して駆け付けた配下を掃討するという流れを繰り返した結果となります」

 

「……狩りというか、殺しに関しては僕より何枚も上手だよな。お前は……」

 

「本機は対竜兵器ですので」

 

「確かにな。本職には敵わないってことか──」

 

 

 

 ────回想はここで終わる。

 ナルガクルガの剥ぎ取りを終えた僕たちは、乱入してくるモンスターがいないことを確認するため、それと僕がベースキャンプに戻る前に休憩を挟んでおきたかったというのもあり、しばらくその場に留まっていた。

 僕はナルガクルガの亡骸に身を寄せて座り込み、テハは尻尾に腰を下ろしている。特に話すこともなく、時間と生き物の鳴き声だけが共有されていた。

 ナルガクルガと決着をつけたここは、実は一方が高い崖となっている。あそこから飛び降りるならパラシュートが必要になるであろう高さだ。そのため、ここからは地平線まで広がる森と空がよく見える。ナルガクルガの斬撃と大タル爆弾の爆風によって周囲の草木は軒並み吹き飛ばされてしまって、視界を遮るものもあまりない。

 

「…………」

 

 ナルガクルガの亡骸に腰掛けてその遠くの景色をじっと見つめるテハに、あのとき血溜まりにひとり佇んでいた姿が少し重なって見えた。

 

 あの出来事で、テハの操る能力の恐るべき殲滅能力と戦闘技術の高さをあらためて思い知らされた。そして、竜大戦という戦争の歪みの一片を痛烈に味わされた。

 

 ただ、あれは同時にテハという兵器の可能性を表すものでもあった。

 

 恐らくテハは、命の重さという概念を理解できない。モンスターの群れを一つ壊滅させることを惨いことだとか可哀そうだとか思うことができない。それが人間と兵器の埋められないであろう差だ。

 そしてそんな思想は、僕は必要ないと思っている。そんなもの、人間の勝手だ。自然に生きるモンスターはそんなこと考えもしない。彼らは自然の理に則って、本能に生きても生態系がそれなりにうまく維持されるようになっている。

 

 命の重さとか、そういう考え方はとても人間らしいものだ。人と竜の戦争のあと、人間がここまで栄えた理由の一つにまで数えられるかもしれない。

 ただ、それがないからといってこの世界の摂理から外れた存在になるかと言えば、そうではない。それは、あのときテハが彼女自身の言葉で証明してくれた。

 

 何もきっかけがなければ、彼女は本当に生態系を崩すような存在になってしまっていたかもしれない。一帯のジャギィとフロギィを全て殺して、肉食モンスターが一匹もいないような環境にしてから、問題は解決したと集落の人々に報告に行くような、摂理に反した殺しを行い続けるのかもしれない。

 何故ならばそれは、対竜兵器としては正しい在り方だから。千年前の理想であるからだ。

 逆に言えば、きっかえさえあれば。自らの行う行動とそれが及ぼす影響を考えることができるようになれば、彼女は理性的に適切な判断を下すことができる。

 人間のように予感などが働かない分、これからも間違えて、学ぶことは多いかもしれない。しかし、それらを積み重ねればきっと自然の摂理に自らを組み込んでいけるはずだ。そこに人間の感性は必要ない。

 

 

 過去と今は違うと理解し、今を学んでいけること。

 

 

 それが、テハの持つ可能性──彼女がこれから先を生きていけるという道筋を繋いでくれるかもしれない。

 

 

 願わくば、そうあってほしい。

 



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第10話 繋:龍に等しく在れ(イコール・ドラゴン・ウェポン)と願われて

 

 しん、と静まりかえった空間だった。

 

 やや白みを帯びた煉瓦色の石でできた床、壁、天井。つまり石室だ。日の光を取り入れるための窓はなく、隙間も埋まられているので明かりをつけなければ真っ暗になる。

 その空間そのものは天井こそ低いもののそれなりに広い。が、そこには本棚が所狭しと敷き詰められており、窮屈さを感じさせた。

 本棚はほぼ例外なく巻物やら本でいっぱいになっている。それらがここで発される音、または外から響いてくる音を吸収して、この静謐は保たれていた。

 

 つまるところ、今僕がいるのは書庫の中──砂原地方のとある村で偶然見つかった、過去の古龍観測所の資料室である。

 

「…………」

 

 机の上に置かれたランプはそれなりに新しいか質の良いものらしく、ちらついたりすることなくぼうっとした明かりを供し続けている。

 僕はその明かりをもとに、石壁の傍の小さな椅子に座ってある本を読んでいた。

 ぱらり、ぱらりと本の頁を捲る音と、自身のかすかな息遣いの音くらいしか聞こえない。

 その他に感じるのは──視線。それもそのはず、この一年弱の間、僕と一緒に旅をしてきたテハが、本を読んでいる僕をじっと見ているからだ。彼女は特に何もするまででもなく、幾つものレンズを重ね合わせたかのような深緑の瞳……人のそれとは組成の異なる光を宿した眼を僕とこの本へと向けている。

 

 しかし、僕はそんな彼女の視線に応えることなく、一心不乱に目の前の文章を追いかけていた。

 

 ──この本はテハに渡された。僕たちが探していたものは恐らくこれだろう、と僕の目を真っすぐ見ながら言われた。自分は必要なところをもう読んだ、とも。

 今、テハが僕を見ているのは僕の反応を確かめたいからかもしれないし、ただ単にすることがないからかもしれない。視線から思想を読み取ることはできず、それが彼女らしい。

 

 テハから渡されたその本は相当に古いものだった。所々傷んでいて、皺と黄ばみが目立ち始めている。さらに、古いだけあって今では使われていない言葉や文法が多く用いられていて、読むのにすら時間がかかってしまっていた。

 それでも、僕は黙々とその本を読み進めていた。分からない言葉があっても大まかに内容は読み取れる。今は一通り読み切ってしまいたかった。

 

 ぱらり、ぱらり。頁を捲るその音は数百回を数えたか。

 

 時間などとうに意識に彼方に追いやってしまっていて、窓もないため今が何時かもわからない。そう言えば、テハが一度ランプに燃料を注いでいた。かなりの時間が経っていたことが、それだけで察せられる。

 

 僕がぱたんと本を閉じたのを待っていたかのように、テハが僕を見た。瞳にランプの光が反射し、まるで自ら光を放っているかのようだ。

 モンスターに睨まれたときのような威圧感はなく、人に見られたきのような気まずさもない。目を合わせるのに抵抗がほとんどないというのも不思議なものだ。

 そんなことを頭の片隅で考えながら、僕はぽつりとある言葉を零した。

 

 

「……イコール・ドラゴン・ウェポン……」

 

 

 古代の言葉で、『()()()()()()()

 

 

「お前の正しい名前は、こっちの方だったんだな」

 

 続けた言葉に、テハは淀みない口調で即答する。

 

「はい。本機の正式名称は『第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号』です」

 

 まるで自分自身をそう定義づけて宣言しているかのような、そんな返答。

 いつも通りと言えばいつも通りの返し方だが……今はそんな風に思ってしまった。

 

「この本を読んで思い出したのか?」

 

「肯定します。本機は本機の通称である『竜機兵201号』を正式名称であると誤認していました」

 

「ああ、そう言えばお前に初めて名前を聞いたとき、番号は201番だとか言ってたっけか……」

 

 僕はしみじみと呟いた。今の話を聞く限りでは、あのときのテハは自分の正しい名前すら思い出せない……いや、自分の別名を正しい名前と勘違いしてしまうような状況だったわけか。僕が考えていたよりも、彼女の記憶はかなりあやふやだったようだ。

 

「201番ってのは、第二世代の一号機ってことだったんだな。ってことは、第一世代もいたってことか」

 

「肯定します。第一世代はドラゴンの力を持たず、また本体と制御部が同化しており本機のように制御部のみの分離が不可能です。機体の耐久性も第二世代より低く設計されています」

 

「第二世代強いな……完全上位互換じゃないか」

 

「単体の性能面についてはその通りです。しかし、第二世代は第一世代に比べて量産が不可能という欠点がありました。第二世代の一号機である本機の開発後も第一世代の生産は続けられていました」

 

 なるほどな。道理だ。強力な兵器は開発するのにも、生産するのにも大きなコストと時間がかかる。結果的に大量生産が可能な下位互換品に総合力で劣ってしまうのはよくあることだ。

 イコール・ドラゴン・ウェポンという名前から推測すると、当時の人々が創りたかったのはドラゴン、今でいう古龍種に匹敵する力を持つ兵器だったのだろう。

 その点においては、テハはよりその目的に近いような印象を覚える。いや、当時の人々がそれを目標にしてテハを造り出したなら当たり前のことか。翻せば、()()()()()()()()()()()()のだ。

 古龍種により近づけるために古龍の力を使えるようにしたし、耐久力も第一世代より上昇させた。巨大な本体とテハのような制御部が分かれるようになっていたのは……なんでなんだろうな。これはよく分からない。

 

 テハが古龍種と戦うべくして造り出されたのは既に知っている。タンジアで教えてもらった。

 

 龍に等しい兵器を目指して開発されるも、恐らく竜種と渡り合える程度で古龍種には敵わなかった第一世代。

 古龍種と互角以上に戦うために、量産できないという欠点を抱え込みつつも造り出された第二世代。

 

 テハの正式名『第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号』は、そのことを知っている人にとってはこの上なく分かりやすい識別名だったのだろう。

 

 そんなことを考えていて、僕はテハが未だ僕を見つめ続けていることに気付いた。相変わらず表情らしきものはないが、彼女が何かを言いたそうにしていることは何となく伝わった。

 閉じたまま手に持っていた本を机に置きながら、僕は何でもない風を装って話す。

 

「どうした? 何か言いたいことがあるなら──」

 

「アトラは、他に聞きたいことがあるのではないのですか」

 

 彼女が僕の言葉を遮ったのは、これが初めてのことで。そしてそれが僕の言ったことをそのまま返すような内容で、僕は口を噤んでしまった。

 とうとう言葉の裏を読むようにまでなったか。それが人間らしいかは別として、少しづつだが着実に変わっていくな。こいつは。

 正直に言うと、図星だ。返す言葉もない。この本は確かに僕とテハが探し求めていたもので、たったこれだけのやり取りで補完できてしまうほどに薄っぺらい内容ではなかった。当時の記憶のある彼女に尋ねたいことは山ほどあった──が。

 

「んー。それもそうなんだけどな。とりあえずここから出ようぜ。こんなところにずっといたら気が滅入っちまうよ」

 

 そう言って僕はテハに笑いかけた。テハの問いに否定はしない。外に出ようと提案したのは単なる気分の問題だ。

 ──周りを本棚に囲まれ、小さな机だけが石の壁に寄り添っているような閉塞感のある場所では話したくなかった。それだけだ。

 

「……分かりました」

 

 少しの間をおいて、テハは立ち上がった。そして僕がさっきまで読んでいた本を手に取って、元の場所へと戻しに行く。

 僕も立ち上がって懐から鍵を取り出した。ここは普段人が入れないように施錠されているらしく、出入りには鍵が必要だった。

 さて、懐中時計はあえて見ずに外に出てみよう。一体何時になっていることやら。

 

 

 

 外に出ると、満天の星空が僕たちを迎えていた。僕たちがあの資料室に入ったのはまだ日も登りきらない早朝だったので、一日近くあの資料室にいたことになる。

 今日は新月なので月は見えない。おかげでいつも以上に外は暗くなっている。夜目が効くようになるまでは光源が手放せなさそうだ。

 資料室の備品であるランプは置いてきているので、ポーチから雷光虫ランタンを取り出して明かりをつける。火を用いるランプの橙色とは違う、緑色の光がランタンに灯った。

 

 鍵を管理人──この集落の長らしい──に返しに行こうと思ったが、民家の明かりもほとんど消えている。人々は寝静まってしまったらしい。

 僕たちが寝泊まりしていた宿の主人も眠っているだろうから、宿に帰るのも億劫だ。そのまま不審者だが、夜が明けるまで外にいて、それから鍵を返しに行った方が良さそうだ。

 

「確か、ここからそう遠くない場所に展望台があったよな。そこに行ってみるか」

 

「はい」

 

 そんなやりとりを経て、僕たちは集落の外れにある展望台へ向けて歩き出した。

 

 砂原地方は太陽が照り付ける昼にはかなり暑くなるが、夜になるとそれが一転してぐっと冷え込む。大地に保温機能がないためらしいが、火山地方とはまた別の意味で過酷な環境だ。

 さらにこの地域特有の砂嵐が重なると、外に出ることすら叶わなくなるらしい。しかし、幸運なことに今の天候はかなり落ち着いていて、夜であることも相成ってひんやりとした澄んだ空気が広がっている。

 そんな中を、僕とテハは二人で歩いていた。こんな時間に出歩いている人などまずいないだろう。展望台へと続く道を、二人だけが歩んでいる。

 

「こんな夜中に出歩いてると、ユクモ村にいた頃を思い出すな」

 

「はい。状況が類似しています。丁度この時間帯にアトラにユクモ村を案内されました」

 

「ははっ、やっぱり覚えてたか。しかもあのときも村の外れの方を歩いてただけだったしな」

 

「ユクモ村とタンジアだけは、この時間でも人々が起きて集っている場所がありました」

 

「今まで立ち寄ったとこだとそれくらいか。その他にも火の国とかロックラックなんかがある。特殊なのだとバルバレってのがあるんだが、あれは大掛かりなキャラバンみたいなもんでな……」

 

 道中は思い出話のような、他愛ないやりとりが繰り広げられた。上滑りのしていない会話は穏やかな雰囲気を伴って、それらは逆にこれから二人の間で話すことの重さを実感させた。

 それが僕にとってはありがたかった。テハはそんなことを意識していないだろうが、気まずい雰囲気でこれからのことを話し合いたくはなかった。気まずさは浅慮を誘う。この他愛ないやりとりがしっかり向き合うための余裕を保ってくれる。

 

 いつの間にか会話が途切れ、二人の間に沈黙が下りても、その穏やかさは変わらなかった。

 僕はテハが言っていたことについて考えていたし、テハはテハで僕が考え事をしているのを察しているような、あるいは彼女も考え事があったのかもしれない。

 結局、それから展望台に着くまで互いに言葉を交わすことはなかった。

 

 

 

「おぉ、かなり見晴らしがいいな。展望台になるだけのことはある」

 

「この規模の星空は……旅の間でも見たことがありません」

 

 長い上り坂を上り、辿り着いたそこで空を見上げる。遮るものがほとんどないそこは、見渡す限りいっぱいの星空が広がっていた。雲のない晴れ渡った空に無数の小さな光が瞬いている。

 旅の間よく空を見上げていたテハがそう言うということは、本当になかなかお目にかかれるものではないのだろう。月があると光の弱い星は消えてしまうのだが、今日はその月の見えない新月だ。いつもは見えなかった星々も、今ははっきりと見ることができる。

 とある小説で読んだ、真っ黒なキャンバスに細かく砕いた宝石を撒いていった様とはよく言ったものだな。他にもいろいろと詩的な表現はあるが、そのどれもが当てはまりそうだ。

 

 展望台は丘の頂上の開けた場所にベンチと柵が置かれているだけの簡素なものだ。柵の向こう側、僕たちが登ってきた方の反対側は急な斜面になっている。

 夜目はもう十分に効くだろう。雷光虫ランプを消すと、いよいよ僕たちのもとにあるのは星明りのみとなった。

 テハは柵に手をかけて、僕はベンチへと腰を下ろした。呟きは聞こえないが、会話はできる程度の距離感。

 

 ややあって、このまま黙っていればテハの方から話し出したのだろうが、僕が先に口を開いた。

 

「……さっきの本を読んで、お前に尋ねたいことは幾つもある。だけどな、それらを全部話してたらこんな夜、あっという間に終わる。だから、一番気になってることだけ尋ねたい」

 

「はい」

 

「……あの本を読んで、お前は失ってた記憶をどこまで取り戻せた?」

 

 この旅でテハが取り戻した記憶──テハはときに記録という言い方をする──は数多くあった。古代文字、植物、相対したモンスターの弱点、電磁力の応用方法など、挙げていけばかなりの数になる。しかし、それらは断片的なもので完全とは程遠かった。

 テハは目を瞑って、自らの記憶を探ったのだろう、少し経ってから目を開いて言った。

 

「……欠損した記憶はほぼ取り戻しました。割合で表せば八割を上回ります」

 

八割か。全てとまではいかないまでも、これまでの旅で思い出してきた記憶よりも遥かに多いことは確かだ。逆に、まだ思い出せていない記憶とは一体何なのかが気になるな。

 

「本の名前、そのまんまだったもんな。『人龍戦記』なんて、むしろよくギルドの目から逃れられたもんだ」

 

 これまでの旅を通して、ハンターズギルド、書士隊、龍歴院もしくは古龍観測隊が竜大戦についての情報を隠蔽しているのはほぼ事実として認識していた。

 テハの証言と歴史書の年表、記述はかなり食い違っている。各地の歴史書に齟齬がない辺り、綿密な歴史のすり替えが行われたのだろう。

 あるいはテハが造り出された時代が今の見立てよりも更に過去のものだった可能性もあるが、テハはその時期に滅んでいる古代文明についての知識を持っているので、その可能性は極めて低い。

 

「資料室のあの本は写本でした。恐らく原本は処分もしくは秘匿されており、写本が残されていたのは偶然であると考えられます」

 

「言われてみれば、確かに写本だったなあれ。だとするとそう考えるのが妥当か……」

 

 あの資料室の管理人をしていた集落の長曰く、この集落の歴史はかなり古く、あの資料室は遠い昔に放棄された古龍観測隊の出張所の名残なのだという。

 恐らくこの近く(とは言ってもその間には大砂漠が広がっているのだが)にあるロックラックの発展に伴い、本部をそこに設立すると同時にこの出張所を引き払ったのだろう。そのとき、手違いか何かで資料の一部もしくは大部分が回収されずに残り、ここは忘れ去られた。

 あそこには農業の指導書や、モンスターなどの外敵への対処を記した本、村の伝承なども保管されているので手放すことはできないと彼は言っていたが、それが僕たちに思わぬ成果を与えたかたちとなった。

 

「──さて、僕の質問はここまでだ。あとはテハ、お前の話を聞こう」

 

「……アトラはもう本機に何も尋ねなくてよいのですか。本機が取り戻した記憶には、以前アトラが本機に質問して回答できなかったものも含まれています」

 

「ああ、今はいいさ。というか……たぶんな。お前の話が根幹なんだ。お前がこれから話すことが、僕にとっても大事なことになる。だから、お前の考えてることを聞かせてくれないか」

 

 テハの背中へ向けてそう問いかける。真っ暗闇の中でテハの黒髪に紛れた金髪が、川を流れる金糸のように映る。

 

 彼女が僕と面と向き合って、または並んで話すことができる状況下で、あえて僕に背を向けている。

 その時点で、彼女がまた何か大きな変化を遂げようとしていること、自らの内に何かを抱え込むという初めての心象に向き合っていることは明白だった。

 

「……アトラは、あの本に書かれていた内容を順に述べることはできますか」

 

「ん? ああ。

 まず最初に、古代文明において今のハンターみたいなことをしてた龍の捕獲業者について。次にイコール・ドラゴン・ウェポンについて。それから竜大戦の勃発、戦線の拡大、龍の襲撃の激化を簡単に説明して、竜大戦の終結が本の最後だったな」

 

 いかにも戦争の記録、戦記らしい内容だった。出来事とそれについての考察が淡々と綴られている感じだ。

 竜大戦はとても本一冊だけでまとめられるような規模の戦争ではない。それはこの本の原本を手がけた人物もよく分かっているようで、とにかくその中から特に重要なもののみを選び抜いたという感じだった。

 それでも、僕は引き込まれたし、衝撃を受けたのも一度や二度ではなかった。

 

「……では、アトラは本機とその本体がどうやって造られたかも把握していますか」

 

 その、強く印象に残った箇所のうちのひとつをテハは選び取った。

 

「……ああ。ちゃんと読んでる」

 

 テハを含む竜機兵──イコール・ドラゴン・ウェポンは、鋼で造られ、油と石炭で動く今の兵器とはその根本から異なっていた。

 

「生体技術、そして機械。どちらも聞きなれない言葉だったが、説明もされてたから意味もなんとなく分かった。

 

 

 ──お前とその本体は、龍の素材と機械でつくられていたんだな」

 

 

 雷属性の別名である電気を用いて、金属のからくりを細かく制御する機械という概念。そして、生身の肉や骨、血液といった命を宿しているものをそのまま加工し、別の用途に用いるという生体技術。

 どちらとも現存するモンスターで例えることができたので、何とか理解することができた。前者は飛竜種ライゼクス、後者は最近発見された獣竜種ブラキディオスが挙げられる。

 

 竜機兵はこれらの技術を用いて創られた人造生物だった。──一体の竜機兵を造り出すのには、三十頭分もの成体の竜または龍の素材が必要だったのだという。

 

 出会ったとき、テハの頭から延びていた管は、恐らく本の竜機兵のスケッチにも描かれていた機械に電気を送るもの、導線だったのだろう。タンジアで彼女から壁に埋まった本体部分の話を聞いたとき、あの管は神経のようなものかと思ったが、言いえて妙だったわけだ。

 そして、テハがルコディオラの力である電磁力を扱えるのは──

 

 テハは後ろを向いたまま、右手を自らの胸元へと持っていった。

 

「本を読んだことで思い出しました。……本機の心臓は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自らの内に龍が潜んでいるからなのだろう。

 

 テハの心音は、一度聞いたことがある。ユクモにいた頃、テハが人か否か以前に、血の通った生物なのかすら分からなくなりかけたことがあって、失礼を承知でテハの胸に耳を当てさせてもらった。

 そのとき、確かに一定のリズムで心拍が刻まれているのを聞いて、彼女も自らの命の源を持つ生き物ではあるのだとややほっとしたりなどしていたのだが。

 

 その一部を除いた生き物の根幹である心臓も、彼女の場合はある目的のために人の手によって埋め込まれたものだった。

 

「……実を言うと、そうなんじゃないかとは思ってたんだけどな」

 

 テハが人間ではないことは分かっていたし、彼女は自らを兵器だと言い切っている。つまり、人の手によって造り出された存在であることは明らかだ。

 どうやってそれを成すのか、人の手で新たな生き物を造り出すことなど可能なのかという数々の疑問を、テハがここにいるという事実によってねじ伏せて、古龍の力を使役し、龍の感性を得るにはどうすればいいのかを考えたなら、自然とそういう推論に行きつく。

 

 古龍種ルコディオラの亡骸を回収し、解剖。そこから死んでいない心臓を取り出して、彼女に移植……いや、移植ではないな。彼女の身体を構成するための核として置いたのだ。

 古龍種の力の源は何処なのかという議論はよくなされているようだが、テハはそれに対する一つの答えと言えるだろう。

 

「本機はルコディオラの血液、心臓、鱗を主に用いて造られました。本体はルコディオラの肉、爪、翼、角を主体に、他の竜種の筋肉や甲殻を鉄骨と鋼板で繋ぎ合わせて造られています。古龍種の素材を用いているという点を除けば、基本構成は第一世代と同じです」

 

 一般人が聞けば、まずついていけないであろう生々しい話をテハは淡々と語っていく。

 

「そして、そうやって竜機兵みたいな生体兵器を造り出すことを、古代では造竜技術と呼んでいたと」

 

「はい」

 

「……なるほどな。いろいろ繋がってきた」

 

 イコール・ドラゴン・ウェポンは彼らの理想を言葉にしたものであり、竜機兵とは造竜技術によって生み出された兵器であることを指していたということか。

 

 断片的でぼんやりとした繋がりしか見えてこなかった、テハという少女の生い立ちが明らかになっていく。

 それは、旅の始まりに僕たちが決めた目標のひとつが、達されようとしていることを示していた。

 

 

 ──それが旅の目的を果たす手助けになると、そのときは思っていたのだが。

 

 

「……アトラがそこまでを理解してあの本を読んでいたのなら、既に分かっていると推測されます」

 

 テハの声色はいつもと変わらず、淡々としている。

 僕はベンチに腰を下ろしたまま、前に立って地平線とその向こうの夜空を眺めている少女を見ていた。

 

「竜大戦の引き金を引いたのは、本機を生み出した造竜技術である可能性が高いです」

 

 彼女は感情表現がほとんどできない。と言うよりも、感情そのものが希薄でそれを表現しようがない。

 

 しかし、それらを学ぶことはできる。火山地方で『懐かしさ』を初めて理解したように、人の持つ感覚を新たに得ることができる。

 そして、そんな彼女は今、僕に背を向けて自らにも言い聞かせるように言葉を重ねている。

 

 これからテハが口にするだろうことは何となく予想ができて、僕はそれに対してどう答えるべきかを考えていたのだが、そんな都合のいい言葉は浮かび上がらなかった。

 何故か。僕も今テハが話している流れで、ある問いに辿り着き、未だに答えを出せていなかったからだ。

 

「さらに、ドラゴンの襲撃が本格化したのは竜大戦中期から終盤にかけてです。本機が造られた時期と一致しています。

 ……あの本で書かれていたことが、事実であると仮定すれば」

 

 “成体の龍三十頭もの素材を必要とする竜機兵を生み出すために、数多くの龍や竜が乱獲され、彼らの怒りが頂点に達したことで竜大戦は引き起こされた”という論説。

 真実は分からないにしろ、それが事実であったとすれば、実質的に竜大戦の中心にいたのは竜機兵ということになる。

 そして世界規模の大戦争が終結に向かい始めたのは、古龍種の襲撃が激化してからだ。

 

 つまり、順番が逆だった。

 

 イコール・ドラゴン・ウェポンは竜大戦の産物ではなく、テハは人間を守る存在ではなかった。

 竜大戦がイコール・ドラゴン・ウェポン開発の末路であり、テハという存在は戦争に古龍種を呼び寄せてしまっていた。

 

 

「本機が再び活動しているという現状は、人間にとって危険なのではないでしょうか」

 

 

 無数の星々の瞬く、静まり返った夜空の下。

 彼女の言葉は僕に向けられたものではなく、誰に宛てたものでもなく。

 

 

 

「本機は、この時代に在ってはならないのではないでしょうか」

 

 

 

 それは、この旅を通して生きている理由を探していた少女が、ついに自らのみで導き出した答えだった。

 





 竜大戦は『竜』、竜機兵も『竜』、イコール・ドラゴン・ウェポンは『ドラゴン(=龍)』なのは何故なのでしょうね。自分なりにそれを考えてみた結果がこんな感じです。
 竜操術についても興味がありますが、本作では語れそうにありません。


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第11話 転:千年の時を経て / 再臨

 

 その兆候が現れたのは、砂原地方を離れて一月が過ぎてのことだった。

 

「この先か? 気配がするっていうのは」

 

「はい。微弱ではありますが、本機の感覚器官が反応しています」

 

 幹の大きな針葉樹林の広がるここは、熱帯林とは異なりひんやりと湿った空気を纏っている。薄い霧も立ち込めており、僕たちが随分と北上してきたのだなということを感じさせた。

 そんな森を縫うように敷かれた道の真中で立ち止まり、髪をかき分けて耳元の鱗を晒し、目を閉じて意識を集中させているテハに話しかけた。

 

「ふむ、どれくらい離れてる?」

 

「概ね三千から四千キロメートルです」

 

「……三千!?」

 

「はい。少なくとも三千キロメートル圏外にいます」

 

 思わず聞き返してしまったが、聞き間違いではなかったようだ。

 テハの感覚器官によるモンスターの気配探知にはよく助けられているが、せいぜい遠くても十数キロメートルを上回ることはなかった。正しく桁違いである。

 三千から四千キロと言えば、僕たちが移動に専念しても半年以上はかかる距離だ。最新の飛空船でも数週間はかかるだろう。

 

「当然、それだけ気配が強いから遠くからでも感知できたってことだよな」

 

「そのように推測されます」

 

 彼女が耳を澄ませていた方向──西を睨む。

 視線の先には針葉樹の森に覆われた丘陵が見える。せいぜいここから十キロ程度であろう稜線、その向こうにある空の、さらに彼方にいるのであろう何かをテハは感じ取ったのだ。

 

「……古龍種か」

 

「断定は不可能です。しかし、その可能性は非常に高いです」

 

 それだけ遠くから気配を届かせ得るならば、まさに桁違いに強大な存在であることに他ならない。ならば結論はほぼひとつだ。

 テハとの旅の間に幾度も話に出てきた種族、古龍種がそこにいる。

 

「テハはそいつらの気配探知に長けてたりするのか?」

 

「はい。本機の感覚器官は龍種の気配に対しより敏感です」

 

 なるほど、道理だ。初めて知ったが、テハの開発目的に沿った仕様であると言えよう。

 テハはかき分けていた髪を下ろして、また鱗を隠した。黄色の髪紐が垂れる。雑音を打ち消す青色の髪紐と感覚器官の働きを抑える緑色の髪紐は、今は外されていた。

 

「ここから西に三千キロ先っていうと、フォンロン地方か。あそこなら古龍がいてもおかしくないかもな……」

 

 バックから大陸の地図を取り出して確認する。僕たちが今いるのが砂原地方の北辺りだから……やはりそうだ。新大陸から旧大陸に向かってせり出している新大陸の西端、樹海と古塔というギルド管轄の狩場がある地、フォンロン地方がちょうどここから三千キロ程度である。

 

「フォンロン地方は最近本格的な調査が開始されたと文献に書いてありました」

 

「ああ。樹海は旧大陸と新大陸、どっちの都市からも離れてるし、ナルガクルガやらエスピナスなんていうかなり手強いモンスターがいるからな。

 その樹海の奥、古塔の存在なんて僕が上位になってから名前だけ教えてもらえた程度だから、相当な魔境だ」

 

 恐らく古塔は禁足地一歩手前の狩場なのだろうと僕は思っている。

 禁足地とはハンターズギルドや国が指定した立ち入り禁止区域のことだ。ユクモ村の近くにもある。渓流地方の最奥、霊峰と呼ばれる地域だ。

 禁足地は基本的にその環境が人間にとって過酷すぎるか、古龍種が根城にしていた痕跡がある場所が指定されている。霊峰の場合は後者らしい。

 古塔については資料がほとんどなく、無知に等しい。しかし、テハの予測が正しいとすれば、真っ先に疑われるべきはそこだろう。

 

「僕たちは大砂漠を迂回して東に向かってるから反対方向ではあるんだが……テハ、どうする?」

 

 一応、テハに尋ねてみる。だが、仮に彼女がフォンロン地方に向かう旨の提案をした場合、できれば説得を試みたい。

 理由はいろいろあるが、その中でも大きいのがあの地方が旧大陸のハンターズギルドの管轄でもあることだ。旧大陸と新大陸、双方のギルドが目を光らせているあの場所にはできるだけ近づきたくなかった。

 ただ、いくら人とモンスターとの関係を知識で得ているとはいえ、その本質は対龍兵器である。彼女にとって人間と龍だけは勝手が異なる存在だ。だから彼女の反応が気になってはいたのだが。

 

「アトラの方針が東に向かうことなのであれば、それを否定する理由はありません」

 

「……そうか。なら別にいいんだけどな」

 

 テハの返事は淡々としたものだった。考える素振りも見せない。その様子にやや拍子抜けしてしまった。

 まあ、テハがその古龍種だろう気配の主を気にせず東を目指せるというのなら、それに越したことはない。明らかな脅威に自ら踏み込んでいく必要はないのだ。

 

 もしかするとテハの未だ明らかにならない記憶を呼び起こすカギになるかもしれないが、危険性があまりにも大きすぎる。

 ごく稀にハンターズギルドに届くらしい古龍種の狩猟依頼(隣の大陸から届くこともある)の要求ハンターランクは問答無用の6以上である。古龍種を相手取るには、ハンターランク4の僕はまだ力量不足だ。

 

「よし、テハの感知した気配は今のところ無視ということで。今日はあの丘の向こうまで歩こう。途中にガウシカがいるって話を聞いたから、できればそれを狩って保存食を節約したいな」

 

「はい」

 

 僕は木々の隙間から僅かに見える丘陵の麓を指差して、再び歩き出した。テハもそれに続く。

 

「────」

 

 不意に、彼女は振り返った。

 

「テハ?」

 

 彼女の足音がついてこないことに気付いて、一足遅れて僕も立ち止まる。

 さっきまで話をしていた方向、フォンロン地方へと続く空の彼方をまた見ている。

 

「どうした?」

 

「──いいえ。何でもありません」

 

 一時の沈黙を経て、テハはそう言ってかぶりを振った。そして何事もなかったかのように僕のところまで駆け寄る。

 

「ん。なら行こうか」

 

「はい」

 

 短いやりとりを交わし、今度こそ僕たちは歩き出した。

 

 さっきテハが振り返った理由がやや気になったが、それについて問おうとまでは思わなかった。

 そもそも、ここまで旅を続けてきて、噂にすら聞いたことのなかった古龍種である。そして彼女にとっては相当な因縁のある種族だ。

 このようなかたちで偶然その存在を感知してしまったならば、気にかかるのも当たり前というものだ。

 

 朝から足を止めてしまったが、かかった時間はそう長くはない。モンスターの群れなどに鉢合わせない限り、今日の目的地まではまだ余裕を持って辿りつけるだろう。

 ここから先は、ギルドの管轄でない地域が続く。大砂漠の北の縁をなぞるように東へと進んでいけば、高原地帯に入る。それを超えれば、僕たちが旅立った地、渓流地方が見えてくる。

 ここから渓流地方までは、これまでの旅路に匹敵するほどの長い距離がある。大陸を横断するようなものだからだ。

 砂上船に乗ってしまえば早いが、ここまで来たなら徒歩で踏破したい。これまで通り一日ずつ着々と歩みを進めていけば、難しいことではないはずだ。

 

 

 

 

 

 ………………。

 

 ……問おうとまでは思わなかった、のではない。

 ()()()()()()()()()()()

 

 ──酷く臆病になったものだ。

 もしそれを問うてしまったら、テハがどうなるか分からない、などと。

 

 自らは在ってはならない存在なのではないかと一月前に僕に問うた少女は、今も僕の隣にいる。

 僕はその理由を尋ねなかった。何も言わずにテハに連れ添って、一月が過ぎた。

 

 結局、僕はこれまでと同じようにテハに接することにした。

 ただ、いつも通り、というものは、それを意識した時点でそうではなくなるものだ。

 どことなく、霞のように捉えどころのない息苦しさ。身体には何ら影響を及ぼすものではないが、それは頭の片隅に残り続けている。

 

 あの日を境に、僕とテハの間の口数は減っていた。

 

 それでもだ。

 この息苦しさがこれから先も続くだろうことが分かっていても、僕は()()()()()を演じ続けるつもりでいる。

 

 テハの旅の目的は果たされてしまったのかもしれない。彼女がそう感じていて、その上で自らの命を絶つならば、それを止めるつもりは……ない。

 しかし、テハはまだ旅を続けている。つまり、彼女の旅はまだ終わっていない。

 

 この大森林を超えて、高原を超えて、渓流地方まで戻ってきて……それが一つの節目になるのかもしれないし、ならないかもしれない。

 ただ、今になっても旅の本筋は違えていない。もはや道のりも変わり、行き先は全く分からなくなってしまったが、まだかろうじて地に足はついている。

 

 “僕とテハのこれからの見定めを行う” ────息苦しさの先に、何かしらの着地点を見つけることができるなら。

 

 今は、いつも通りを演じ続けてみせよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなささやかな決意は、十日もかからずにその有りようを変え始めた。

 

「……近づいてきてる? この前のあれがか?」

 

「はい。対象までの距離は二千六百から三千キロメートルです」

 

 立ち寄った村の宿屋で、髪紐を外した彼女は窓から夜空を眺めて言った。

 

「フォンロンからこの大陸に渡ってくるつもりか……? 進路も若干南に寄ってきてるな」

 

 星座を読んで彼女が見ている方向を特定し、地図と照らし合わせてみれば、その気配の主は南東に向けて進んでいた。

 その方向に二千六百キロメートルとなれば、フォンロンの端の辺りだ。そこから直線状に伸ばしていくと大砂漠に行きつく。ただ、これだけでは進路の予想などできそうもない。

 

「とにかく、僕たちが進む方向がそれから離れる方向なのは変わらない。このまま行こう」

 

「はい」

 

 この村にはハンターズギルドの出張所があるが、それを知らせる必要はないだろう。古龍かもしれない存在が近づいてきているなんて言っても、証拠を提示できなければ何の説得力もない。

 二日後、消耗品の補給を済ませた僕たちはその村を後にした。大森林は途切れる様子がない。さらに東へと進む。

 

 

 

 

 

 

 

 それから十数日が過ぎた。テハの気配探知によれば、気配の主はまだ自分たちから二千キロ圏外にいるものの距離は縮まっている。

 フォンロンからは既に飛び去り、今は海上にいるものと考えられる。このままいくと数日もかからずに海を超えて、僕たちがいた大森林の北端に着くはずだ。

 フォンロンから北へ向かえば新大陸と地続きの場所があるというのに、相当強引な手段で渡りを行っている。

 フォンロン地方とは違い、この大陸に着けば流石にハンターズギルドに目を付けられるだろう。

 大森林には渓流地方のように集落が点在している。彼らがその気配の主に気付くか、被害に遭うなどすれれば、古龍観測隊や龍歴院による気球を用いた調査が行われる。その後に、しかるべき処置が下されるはずだ。

 

 

 

 

 

 また更に半月が経ち、それは大森林に到着後、進路を変えずにそのまま南東へと進んで大森林を縦断しようとしているようだ。

 テハが初めてそれの気配に気づいたときに、僕たちがいた場所から西に離れた場所を通り過ぎている。このままいけば大砂漠に足を踏み入れるだろう。

 同時に僕たちは大森林の東端に辿り着き、高原地方へと足を踏み入れようとしている。針葉樹林はまばらとなり、草原や荒れ地が広がり始めている。風も強い。

 ここまでくると寒さが無視できなくなる。僕は先日狩猟した大猪の毛皮を剥いで上着を作ってこれを凌いだ。テハはまだ気にならないようだ。

 気配の主との距離はさらに縮まり、二千キロメートル圏内に入った。僕たちは東へと進み続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 一週間後。

 

「進路が東南東に変わった……?」

 

「はい。よって、本機との距離がさらに縮まりました。およそ一千五百キロメートルです」

 

「その方向にはただ砂の海が広がってるだけだぞ。ロックラックを目指してるわけじゃなかったのか……?」

 

「アトラ、地図を見せてください。……アトラが描画したモンスターの進路図の信憑性は高いです。今そのモンスターがこの位置にいて進路を東北東に変更した場合、大砂漠を横断して渓谷を通過し、渓流地方に到達する可能性があります」

 

「…………」

 

「近隣の住民に周知を行いますか?」

 

「……いや、まだ決断を下すには早い。今それがいる場所から渓流地方までは相当な距離がある。その間に進路がまた変わるかもしれない。今はまだまっすぐ進もう」

 

「了承しました」

 

「──すまないな。いっつもお前の感覚器官に頼ってばかりで。古龍種だろう相手の気配を追い続けるのは気が張るだろ」

 

「そうなのでしょうか」

 

「たぶんそうなんだろうよ。しかし、ギルドからの連絡も来ない以上、お前の感覚器官頼りはまだ続きそうだ。しんどいだろうが、事が収まるまでよろしく頼む」

 

「……はい」

 

 

 

 あのときのテハの表情を見て、咄嗟に口を突いて出てしまった言葉。耳を澄ませているときの彼女の表情がいつもより固いことに、彼女自身も気づいていないのかもしれない。

 

 

 

 そして、二週間後。

 

 東南東に進み続け、僕たちのいる高原地方の一画から南南西の位置にまでやってきた気配の主は、突然進路を大幅に変更した。

 その方向は、北東。大砂漠から高原地帯へと突っ込む方向。

 

 雷竜ライゼクスの狩猟中にこれに気付いた僕たちは、討伐後の手続きを立ち寄った集落で済ませたあとに、情報の整理に努める。

 当然のようにそれと僕たちとの距離は一気に縮まった。一千キロ圏内と告げたテハの表情は、固いままだった。

 

 

 

 

 

 

 

 五日を経て。

 

「北に進路を変更。このままだと鉢合わせる、か」

 

「はい。本機との距離は七百キロメートルです」

 

 そう告げるテハの瞳は、僕にある問いを投げかけていた。

 彼女のあの感情も力みもない表情をここ何週間も見れていないなと、なぜかこんなときに思ってしまった。

 

 彼女が何を言いたいか、既に分かりきったことだった。

 だから、この提案をしても彼女は不思議がらないだろう。

 

「……北に、進路を取ろう。この集落にはある程度事情を伝えるに留める」

 

「凍土を目指すのですか」

 

「ああ。この時期に行くのは極力避けたかったけどな……」

 

 今は寒冷期に差し掛かりつつある時期だ。そんなときにここから北にある凍土を目指すなど自殺行為に等しい。一応人間の住む村はあるが、彼らですら越冬のために村を閉ざす。

 

「本機はアトラの意見に従います。本機は寒冷環境においても活動可能です」

 

「……ありがとな。さて、そうと決まったら忙しくなるぞ。凍土へ向かう備えをしないとな」

 

 僕はテハに向けて笑いかけた。作り笑いはテハに即座に看破されるほどに下手な僕だが、こんな状況下だ。苦笑い程度なら自然に出てくる。

 テハはそれを見て不思議そうな顔をした。苦笑いでも、僕が笑っているのがよく分からなかったようだ。──その顔の方が、よっぽどいい。

 

「それにしても……何でギルドからの通達が何も来てないんだ? ここまで派手に動き回ってたら目撃情報やら二次災害が確実にあるはずなんだけどな……」

 

 そうぼやきながら、僕はテハと共に数日前に旅立ったばかりの集落に戻るべく歩き始めた。竜車が通りかかったら、乗せてもらった方がよさそうだ。ここからは時間との戦いとなる。

 

 

 

 

 

 その気配の主が、人の集落などを全て避けて、古龍観測隊やギルドからの監視の目が届きにくい場所を選ぶようにして進んでいることに気付いたのは、それから八日後のことだった。

 

 

 

 

 

 十日後、高原の集落と凍土の集落との間を行き来するガウシカそり隊の荷台に乗せてもらった僕たちは、凍土地方の入り口の村へと降り立つ。

 また、テハがその気配の主が古龍種であると特定した。距離が五百キロメートル圏内に入ったことで精度が増したらしい。

 かの古龍は、現状で高原地方の南から大砂漠の北の方にある集落に一切構うことなく、むしろそれらを避けるようにして北を目指している。

 古龍観測隊からの通達は、相変わらずとしてない。

 

 ガウシカそり隊の隊長にできるだけ早く村に戻ること、ガウシカが怯えたら即座に避難することを伝えて、僕とテハは帰路に就く彼らを見守った。

 そして、僕たちは村の住民たちの反対を押し切り、凍土の奥地へと向けて出発する。本格的な寒冷期へと足を踏み入れつつあるそこは、既に吹雪き始めていた。

 

 

 

 

 

 

 

「……っ、この天気、まだ悪くなるのか」

 

 冷え切った雌火竜の防具を軋ませながら、僕は空を見上げた。

 無論、雲などは見える気配もない。視界の先は灰色の雪によって埋め尽くされている。

 

「アトラ、この先にクレバスはありません」

 

 険しい表情で空を見ていると、丘の向こうからテハが駆け寄ってきた。風の音が酷く、こうして近寄らないとまともに声も伝えられないのだ。

 

「分かった。じゃあそっちに行こう。そりを上げるから引っ張るのを手伝ってくれ」

 

「了承しました」

 

 テハにそう指示をして、僕はそりを積んだ一頭のガウシカの背中を叩いた。

 最後に訪れた村で、有り金の三割近くを支払って借りてきたガウシカだ。この辺りでは珍しい種ではないが、調教するのには手間と金がかかる。村の貴重な労働力を、借りてくることができただけでも有難い。

 さて、ホットドリンクにばかり頼っていないで身体を温めなければ。僕はかじかんで痛む手でそりの取っ手に縄を結びつけた。

 

 

 

「酷い吹雪だったな……」

 

 日が落ちて辺りが暗くなると、手ごろな林や岩場、もしくはかまくらを作って火を焚き、体を休める。このところ夜空も雪雲に隠れてばかりで本当に外が暗いため、まともに出歩けないのだ。

 ──こんな日々が、もう何日も続いている。

 

「…………」

 

 テハは黙って座っているガウシカに少し体重を預け、その背中を撫でている。

 最初こそテハを警戒して同じ寝床にすら居ようとしなかったガウシカだが、今は気にしているそぶりを見せない。慣れたとみていいのだろうか。

 

 この吹雪も、龍が近づいているからなのかもしれない。

 実際に出会ったことはないが、話に聞く限りではそれぐらいはしてのけそうだ。

 凍土地方はほぼ年中氷に閉ざされている厳寒地だが、雪はそこまで降らない。どちらかと言えば静かに凍てついた地だ。こうも吹雪くことはあまりないと聞く。

 まあ、ギルドに管理されている狩場からはとうに離れてしまっているから気候が違うのかもしれないが。この先にいけば、確か禁足地指定されている極圏という地に辿り着くだろう。

 

「テハ、古龍種はどれだけ近づいてきてる?」

 

「二百八十キロメートルです」

 

 ここに来て、気配の主、古龍種の近づいてくる速さは明らかに落ちていた。それでも、着々と距離は近づいている。

 

 結局、ギルドの動きはないものと見た方がよさそうだ。件の古龍種は明らかに人に見つからないように移動している。ひょっとすると古龍観測所はその存在を感知すらできていないかもしれない。

 

 どちらも僕にとっては予想外のことだったが、どれも不幸中の幸いに該当するものだ。

 

「行けるところまで、行こう。極圏までとは言わないが、そっちの方が近くなるくらいまでは」

 

「はい」

 

 焚き火の火を囲んで、僕とテハは頷き合った。

 最早、僕とテハの間にある認識は、確かめるまでもなかった。

 

 

 

 日にちを数えるのは、凍土に着いた辺りから止めていた。

 ガウシカが怯え始めたタイミングで、僕たちはこれ以上進まないことを決めた。

 

「今日まで、ありがとうな。お前がいなかったら、僕たちはこの半分も進めなかっただろうよ」

 

 ごうごうと吹きすさぶ冷たい風を防具越しに受けながら、僕はガウシカのごわごわした額を撫でた。

 されるがままにしながらも、やはり周囲を気にして落ち着きのないガウシカの背中をぽんぽんと叩く。

 

「さて、お前の役目はここまでだ。──逃げろ。とにかくここから離れて、吹雪を凌いで、お前がもといた村を目指すんだ。……分かったら、行け」

 

 そりを牽引するための装具もほとんど外し、身軽になったガウシカは、僕に背中を強く叩かれると、それが合図だったかのように森へと向けて駆け出した。

 借りてきたガウシカを行き着いた先で手放すなど無責任もいいところだが、現状、それがあれにとって最も生存確率を高めるだろう手だ。

 人に調教されたガウシカは、遠くの旅先から自らの育った地を目指すことができるらしいと聞く。今まで節約してきた餌は昨日から今日にかけて全て食べさせたから、数日間は何も食べなくても歩いていけるだろう。それらに託すしかない。

 

「……」

 

 テハは黙ってガウシカを見送っていた。その後ろ姿は森へ入るよりも前に雪に紛れて見えなくなってしまった。

 

「……さて、僕たちはキャンプの設営からやろうか。それくらいの時間はあるだろ。枝拾ってくるから、その辺の雪を退かしといてくれ」

 

「分かりました」

 

 近くには氷と見紛う程に冷たい河が流れ、それに沿うように雪に埋もれた針葉樹がまばらに林をつくっている。奇しくもそこは、ギルドの指定した凍土地方の狩場に似ていた。

 そこを仮拠点とするべく、僕たちは設営に向けて動き始める。

 

 こんなところにキャンプを据えたところで、徐々に消耗していくだろうことは分かっている。

 凍え死ぬまでの時間を延ばしているだけだ。それは籠城戦の備えにも似ている。

 ただ、この先、そう遠くないうちに起こるだろうことを考えると、この行為も無意味なものではないと思う。思ってしまう。

 

 モンスターも、その他の動物も一切いなくなったその地で、僕とテハはそのときを待った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 吹雪が止んだ。

 

 青空なんて見たのは、何時ぶりだろうか。

 

「アトラ、ひとつだけですが、記憶が戻りました」

 

「ん、聞こうか」

 

 晴れ渡った空を見上げながら、もうすっかり着慣れたユクモ装備を身に纏ったテハは告げた。

 

「千年前か、それよりも前かは不明ですが、竜大戦時代に本機は古龍と交戦したことがあります」

 

「……だろうな。お前、対龍兵器って言ってたしな」

 

 僕はいつもの通り雌火竜の防具を見に着け、テハと同じように空を見上げる。雲がそこだけ強引に押しのけられているような、ぽっかりと浮かんだ蒼空だった。

 嵐の目、というやつかもしれない。

 

「本機は単体で数十頭の龍と交戦し、これを撃退。または討伐しました。その素材は他の竜機兵の生産に用いられました」

 

「へえ、()()()()()()()

 

「はい。……ですが、竜大戦そのものの結果と、その結果を導いたものの正体はあの本に書いてあった通りです。竜大戦は相打ちに近いかたちで決着し、人間も龍もその数を大きく減らしました。そして、その要因となったのはイコール・ドラゴン・ウェポン、すなわち本機でした」

 

 空の彼方に、小さな点が見えた。

 その点はあっというまに近づいてきて、僕たちの真上まで来たかと思うと、ゆっくりと下降し始めた。

 

「……本機は、ある龍に敗北を喫しました」

 

 日に隠れたその影は、四つ足、長い尻尾、一対の翼を身に着けていて。

 

「一方的ではなかったと本機は認識しています。しかし、本機は間違いなく、その龍に負けました」

 

 雪を舞い散らせながら、降り立つ。その瞳は、僕たちだけを捉えた。

 

「その龍の名は──」

 

 鋼を纏う、風翔けの。

 

「──鋼龍、クシャルダオラ」

 

 その言葉を呟いたのは、どちらだったのか。

 

 もし身を隠して、出方を伺うような真似をすれば、その風で周囲一帯を吹き飛ばしていただろう。

 青空の下、その白銀色に錆びついた鱗を日の光に晒して。

 

 千年の時を経て。

 遥かな空の彼方から。

 

 まるで歓喜(覚悟)を示すかのように、龍は黒き風を纏わせながら咆哮した。

 

 

 



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第12話 転:かたちあるものを解く風

 

 かつて、その龍は地獄を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 甲高い汽笛の音を、幾重にも重ねて反響させているかのような、今までに聞いたこともないおどろおどろしい咆哮だった。

 それと同時に、かの龍の周囲に濃密な何かが纏わりつく。目には見えないが、地に積もった雪が龍の足元から吹き飛ばされて宙を舞っている。

 どこからともなく表れたそれは、恐らく空気の流れ。風だ。

 鋼龍クシャルダオラは暴風を司る古龍。またの名を風翔け、風翔龍と呼ぶ。

 

「……散開!」

 

 奇襲の選択は自ら捨てた。あちらが許してくれるはずもない。

 先手は既に取られている。後手に回っていることを前提にテハに指示を出す。

 自らも駆け出しながら、テハが指示通り動けているか確認すべく、ちらりと龍から視線を外した。

 

 その瞬間を狙われた。──いや、目を離していなかったとしても、結果は変わらなかっただろう。

 

「──うぉ、ぁ」

 

 まるで見えない手で足首をぐっと掴まれたかのように。

 足元で渦巻いた風が僕の体勢を崩した。

 

「────がッ」

 

 それに気付いた時にはもう遅く、横からの衝撃が僕を襲う。砂袋を横っ腹に叩きつけられたかのような感覚。肺から息を吐きながら、かろうじて反射的に横目で僕を打ったものを見た。

 ──鋼糸で編まれた特大の綱。まさかの尻尾か。

 さっきまで、やつは正面に構えていたはずだ。小さく跳んで軸合わせをしたのだろうか。なんという……小回りの利き方か。

 

 雪が緩衝材となり、地面に転がされた僕は咳き込みながら前に身を投げ出す。数瞬後、さっきまで僕がいた場所に前足が叩きつけられた。黒光りの大きな爪が、日の光を淡く反射する。

 

「ごほっ……ッ」

 

 むせている暇はない。身体を起こせば、間髪おかずに今度は風の圧が来た。ごう、と轟くそれは、吹き付けてくるというよりも押し倒してくると言った方が近いかもしれない。

 ここで転倒すれば死ぬ。あっさりと。

 前のめりになった上半身に合わせて足を強引に前へと押し出す。半ば転がり出るようにしてクシャルダオラから距離を取り、即座に身を翻しつつ弓を展開する。

 

 僕という獲物を捉えることのできなかったクシャルダオラは低く唸り、僕を睨み据える。その殺気に溢れた眼光に、僕は凍えているはずの全身からさらに熱が奪われているような感覚に陥った。腰を抜かさなかっただけでも儲けものだ。

 睨み合いはすぐに終わりを迎えた。クシャルダオラが僕から視線を外して翼を大きく羽ばたかせる。その下にいたのはテハだ。やっと見つけた。

 

 彼女はクシャルダオラに肉薄しつつあった。しかし、ただでさえ強烈な風を身に纏っているというのに、羽ばたきの風も加わるなど、彼女は吹き飛ばされてしまってもおかしくない……はずなのだが。

 

「……ッ」

 

 彼女はその風の暴力を耐えていた。そして羽ばたきの風をやり過ごすと、風圧を押しのけて前へと進み、背中に提げていた双剣リュウノツガイの片割れをクシャルダオラの後ろ脚の膝の辺りへと突き刺す。

 刀身に用いられた火竜の骨髄と体液を僅かに消費して噴き出す紅蓮の炎。このような極寒の地でもその機構は死んでいない。

 血が出ているようには見えないが、炎に隠されてしまったのか、傷口が溶けたのか、それとも傷をつけるに至らなかったのか。矢を番えた弓を手に走る僕には確認できない。

 

 ただ、その一撃がクシャルダオラに届いたことは確かだ。反射的に脚が振るわれて、今度こそテハは吹っ飛ばされる。風が上乗せされたのか、かなり遠方で彼女は受け身を取った。

 振り返った龍が追撃を仕掛ける。がばりと首をもたげさせると、その口の周辺に急速に空気が集い始める。空気を吸って──いや、違う!

 

「テハ、避けろッ!」

 

 そいつの腹をめがけて矢を放つも、硬質な音と共に弾かれる。当然、クシャルダオラがそれに怯むはずがなく、テハへ向けてそれは放たれた。

 

 目には見えない。が、それが一撃で人を殺し得ると察するのはあまりにも容易だった。

 

 晴れた空に雪が舞い上がる。全てを払いのけ、あるいは四散させながら進む風の砲弾。

 

 テハはその射線上から飛びのいていた。しかし、それは例え直撃せずとも周囲の空気を思い切り掻き乱すのだろう。テハの身体が何かに背中を押されたかのようにふわっと一瞬浮き上がった。

 

 これが風翔けの龍の吐息(ブレス)

 

 

 そのブレスを放った主は僕とテハを交互に睨んでいる。どちらも仕留めきれなかったが故に警戒しているのだろう。

 テハが僕よりも遠くにいる。やつから仕掛けてくるとして、その狙いは僕になるか。僕は弓と矢をそれぞれ片手で持ったまま、低い姿勢を保った。

 このまま、あと二秒。息を止めて、喉も動かさず、龍だけを睨み据えて。──生きた心地が全くしない。

 

 一。

 

 二。先手を取ったのは相手の方だった。僕に向けて地を蹴り駆ける。

 この辺りの直感で人間が勝つのは難しい。分かっていたことだ。要はそうするつもりだったということを伝えさせるための二秒だ。

 できる限り最低限の動きで。弓と矢を抱え込むようにして斜め前へと回転回避。その場で矢を番えつつ起き上がろうとしたが、またもやつの身に纏う風に吹き飛ばされる。ただ、今回は雪に身体を沈みこませながらも受け身を取れた。素早く身を起こして目の前を俯瞰する。

 

 またも攻撃を避けられたクシャルダオラが唸り声を上げつつ止まる。その、直上。

 

 テハが二秒で生成した砂鉄の直剣が、音も立てず、拘束を解かれて撃ち落とされた。

 

 これは決まる。この龍に初めて傷らしい傷を与えることができる。

 何故ならば、クシャルダオラはその場から全く動こうとしない────。

 

 

 

 まるで、この場違いに晴れた空を優しく背負うかのように。

 

 翼が広げられて。そこに風が集って。

 

 今まさにその背甲を貫かんとしていた剣は、水に綿菓子を入れたかのように解きほぐされて、目に見えない砂鉄へと還された。

 

 黒い粒子が中空へと霧散していく。

 

 

 

「……規格外にも程があるだろうよ……!」

 

 もう嗤うしかない。それでも体は動かし続ける。

 矢を地面に置いて、空いた片手でポーチの中身を弄って回復薬の入った瓶を取り出し、栓を抜いて半ゼリー状のそれを一息に飲む。

 さっき尻尾で打ち据えられたときから乱れていた呼吸がやっと落ち着き始めた。まだ骨までは届いていない。ともすれば凍えそうな寒さだが、まだ体は動く。

 

 やつが再び僕たちを睨む一瞬だけ前に、僕はテハを見た。

 

 ──彼女が呆然としているところなんて始めて見たな。……いや、違うか。

 

 あれは、忘れ去っていたものがふと蘇ったときにする顔だ。

 

 

 

 クシャルダオラに今のテハを感付かせるわけにはいかない。

 僕は矢を番えて、弓弦を素早く引き絞って射た。狙いは二の次だが、この巨体だ。余程のことがない限り外すことはない。

 しかし、その矢は今度は龍の鱗にすら届きはしなかった。

 

「……矢返し……!」

 

 矢が届く前に吹き付けた風が矢の勢いを減衰させ、墜落させる。

 近距離射撃用の矢を遠方から射たときや、結弦をほとんど引き絞らずに放った矢などが風圧などであらぬ方向に飛ばされたり、墜落させられることを矢返しという。今のはそれとは次元が違うが、起こっていることはそれと同じだ。

 しかもやつはご丁寧に地に落ちた矢を前足で踏み潰した。雪に沈められて、ばきっという硬質な音を立てたそれは、もう使い物にはならないだろう。

 

「ちぃっ」

 

 ただの偶然か、それとも故意か。風を器用に使った軽快な身のこなしで迫り来る巨体から逃げながら僕は舌打ちする。

 後者ならば、やつは矢が有限であることを知っているということになる。いや、ひょっとすると本能的に悟っているのかもしれない。

 振るわれる尻尾をしゃがんで避け、続けて前足の引っ搔きを身を投げ出して避ける。迅竜のそれよりも速くはない。まだ見切ることはできる。

 ただ、それらと共に襲い掛かる風圧が何よりも恐ろしい。

 

「見えない、ってのがな!」

 

 そう、不可視なのだ。それは。だから影響の及ぶ範囲もそれが来るタイミングも分からない。あるのはただその白銀の巨体だけ。見えない鎧がやつを護り、僕を追い詰めていく。

 また吐息(ブレス)が放たれる。テハほど機敏には動けない僕は、直撃は避けるもさっきのテハよりも近くでそれを受けた。

 背中を勢いよく押されたような感覚。防具を着込んだ体がただの風で浮かび上がるなど、誰が想像しただろうか。

 吹き飛ばされた先にあったのは、突き出た岩。大した受け身も取れず、僕は勢いよくそれに叩きつけられた。

 

「うぐ……ッ」

 

 回避行動の連続で上がった息を整えることなく、また肺から空気が吐き出される。それゆえの酸欠か、僕は眩暈を起こしてそこから即座に動くことができなかった。

 だが、相手の方は待ってはくれない。間もなく足音が近づいてくる──。

 

 そのとき、どんっと横から何かがぶつかってきた。それは僕に抱き着くようにしてしがみつく。黒色と金色に雪の白の混じった髪が見えた。

 かと思えば、その視界が一気にぶれる。ざっと景色が流れていく。僕は足を動かしていない。片手を僕の腰へと回した彼女と身を投げ出しているのだと悟るまでに少しかかった。

 

 ろくな受け身もとらずに、僕と彼女は地面を転がった。衝撃で頬が噛み切れ、口から血が零れる。金属製の防具故に打ち身も多い。だが、その程度、命拾いできたことに比べれば軽いものだ。

 

「っぅ……ありがとう。助かった」

 

「はい」

 

 テハに短くお礼を言うと、彼女は淡々とそれに応じた。あの状態からは脱することができたらしい。

 間一髪だった。テハが助けてくれなかったら、もしくは助けに来るのがもう少しでも遅かったら、僕はクシャルダオラの追撃をもろに受けて、最悪失神していたかもしれない。

 あの状態でよく僕の懐に入り込めたものだ。今のように即座に明確に距離を取れる算段でもない限り、二人揃って攻撃を受けてしまう可能性の方が高かった。

 

 あの離脱の仕方は今までに経験していないものだ。できればそれをテハに尋ねたい。しかし、それはクシャルダオラの方が許しはしない。

 口から染み出す血を拭いながら立ち上がると、クシャルダオラはその翼を大きく広げ、今まさに空中へと舞い上がった。そのまま、まるで火竜を彷彿とさせるかのように低空でホバリングする。

 

「空は自分の領域、とでも言いたげだな」

 

 これでテハの近接攻撃はほとんど当てられなくなった。傍にいたテハが牽制で四、五本の短剣を生成し射出したが、その何れもがさっきと同じように分解されていく。

 つまり、これからやつに傷を負わせることができるのは僕の矢くらいということだ。

 

「テハ、テハ。一時離脱したい。話す時間がいる。合わせてくれ」

 

「了解しました」

 

 手早くテハに用件を伝える。悠長に話す暇どころか、一言だけ声をかけるための余裕すらもかの龍は見逃しそうにない。ただ、こうやって隙とも言えないような合間に言葉を交わさなければ。

 テハの同意を得た。目標が共有、更新されて、僕とテハはこれからそれを達成するために動く。

 

 テハの短剣を一つ残らず霧散させたクシャルダオラは、やや身体を後ろに仰け反らせ、そして大きく翼を一振りするとこちらに向けて滑空攻撃を仕掛け────速いっ!?

 

 反射的に身を投げ出す。同時にその翼が迫った。

 ガキッと金属同士がぶつかり合う音。脚防具のリオレイアの甲殻で作られた装甲と鋼の翼がぶつかり、装甲だけがはがれて吹き飛んでいく。

 

 その速度、かの雷竜の帯電時のそれに匹敵するか。あの竜との交戦で経験していなければまず避けられなかった。

 着地、すぐに身を起こし素早く周囲を見渡す。なぜか天気は雲一つない快晴のため、見晴らしはいい。

 

 ……西側の丘を登った先に岩場がある。が、遠い。

 北側は森林。幹の太さはそれなりに太い。あそこに飛び込めばその場凌ぎにはなるか。それだけで十分だ。

 あの木々が地盤を支えているようなことはないか? ここは山の中腹の雪原だ。北の方はなだらかな地形が続いている。その向こうはまた山の斜面となっているが崩れていくようなことはなさそうだ。

 

「北へ向かう!」

 

 そう声を張り上げる。と同時に疾走を始めた。かの龍の生み出す風のうなりが相当大きいため、聞こえていないかもしれない。しかし、そのために行動でそれを示す。さっき翼がぶつかった右足が思うように動かず、それでも懸命に脚を動かした。

 これに気付かないはずがない。滞空したままテハに攻撃していたクシャルダオラは、僕に標準を切り替えて追随しようとした。

 

 しかし、ここでテハが粘りを見せる。僕の方を向いたときに吹いた一際強い風を耐え抜き、低い位置で疎かになった尻尾めがけて両手に持った剣を叩きつけた。両手から炎が噴き出す。

 クシャルダオラは煩わしそうにその場で尻尾を振り払う。そこまで見届けて、僕は彼らから完全に背を向けて走った。テハの粘りを無駄にはしない。

 

 僕が尋ねたいこともそこにある。テハはどうやってあの風から耐えている?

 テハの体重はそれなりにはあるが、せいぜい僕が両手で抱きかかえられる程度だ。あの風はその程度の重さでは耐えきれない。構えていてもバランスを崩されてしまう。

 それをテハが覆しているのを少なくとも既に三回は見た。何かがある。それだけは確かだ。

 

 そしてもしかすると、その何かがこの規格外の存在と戦うための糸口になるかもしれない。

 

 新雪が(くるぶし)の上まで沈み込んで走り辛い。しかしこれは寒冷期ならば幸運なものだ。吹雪が続けば新雪は人の身長など楽に超える。

 走って走って、背後からぞわりと怖気が走ったと当時に、また地面に身を転がせる。直後にクシャルダオラが滑空してきた。今度は何とか避けきれた。

 クシャルダオラの方は、翼を大きく広げて身を起こし、滑空の勢いを殺すどころか、その反動を利用してふわりと僕の方へと向き直る。なんだそれ。空中機動力も他の飛竜の比ではない。

 

 そしてまた首をもたげる。あのブレスが来る。

 森の方向へ向けて跳ぶか。それを相手が読んでいるのを前提に、森から離れることを覚悟で反対方向に走るか。ぎりぎりまで見定める。

 ──顔の動く方向はほぼ正面。森の方向へと走る。

 

 その選択をして、大きく一歩を踏み出したところでそれは放たれた。

 

 それは──目に見える。

 地面の雪、土すらをも喰らい、巻き上げ、白っぽい灰色を得たそれ。

 

「竜巻も吐くか!」

 

 龍が放ったのは地面を這って進む竜巻だった。

 それはこの凍土の捕食者である氷牙竜ベリオロスのそれよりも細身だが、風の方向が違う。氷牙竜のそれは外へ吹き飛ばし氷を付着させるもの。あれは内へと引きずり込んで、空へ舞い上げるものだ。

 

 捉えられれば逃れる手はない。しかもそれは──明らかに僕に向けて進路を変えている!

 

「…………ッ!」

 

 森の方へ走り続けるしかない。あれにかの龍の意志が宿っているとするならどのような回避も意味がない。足を止めること、下手に進路を変えることが飲み込まれることを意味している。

 暴れる心臓の音をかき分けて風の音を聞く。

 さっき見たとき、あれはそう速く進んではいなかったはずだ。あの風の砲弾よりもはるかに遅い。全力で走れば、そう追いつかれることはない。

 

 とにかく走れ、森へ向けて。竜巻という特異な風の放つ轟きを背に駆ける。

 

 テハのことを気にしている余裕がない。しかし、この風の音が聞こえている間、彼女はある程度自由に立ち回れるはず。あの龍の目は二つだった。ならば双方に注意は払えない、はずだ。

 どうか無事で森を目指して走っていてくれ。

 

 木々の幹が確りとした輪郭を持ち始め、その地面の起伏が把握できるようになり、やがて枝に付いた針のような葉や氷の細部までもが見えるようになって──

 

「────ッああっ!」

 

 なりふり構わず木々の間に飛び込んだ。

 そのまましばらく走り続け、ある程度奥へと進んだところで振り向く。

 いつの間にか背後の竜巻は消え去っていた。そして、あの白銀の巨体も見えなくなっている。

 

 ──テハは。

 

 そう思ったところで、ざざあっと何かが滑るような音を右耳が捉えた。

 テハ。と声を上げようとして、寸のところで抑える。ひょっとするとクシャルダオラは僕の姿を見失っているのかもしれない。その成果を棒に振るわけにはいかない。

 

 ポーチから蜂蜜を混ぜた栄養剤と回復薬を取り出して口に含んだ。消耗した体力を少しでも取り戻さねば。しかし、その消費ペースには気を付けないといけない。

 

 なるべく木々の幹に身を隠すようにして走る。防具の金属部が擦れる音もなるべく立てないように。

 

 数十メートル離れたところに彼女はいた。凍り付いた倒木の陰でじっと身を潜めていた。

 僕が立てていた物音には気付いていたらしい。僕がその存在に気付けるようにあの青色の髪飾りを手に持っていた。

 僕はそんなテハに駆け寄り、彼女の隣で膝を丸めた。

 

「無事か? 任せてしまってすまない」

 

「はい。本機は大きな損傷をしていません。戦闘続行が可能です」

 

 テハはそう答えたが、彼女の身に纏うユクモ装備は既に何か所も汚れ、切り裂かれ、垣間見える肌からは血が滲んでいる。彼女の頑強な肌もあれに対しては分が悪いらしい。

 恐らくさっきの音は、吹き飛ばされつつも受け身を取りながら森に入ったとか、そんなところなのだろう。

 二人ともに、既に大型飛竜を狩猟した後のような状態だった。

 

「クシャルダオラは?」

 

「本機が森に入った時点で上空へと飛び立ちました」

 

「空から僕たちを探すつもりか……そう時間はなさそうだな」

 

 僕とテハはできる限りの小声で言葉を交わす。テハの身に着けているユクモ装備の赤色や髪飾りの黄色は目立つので二人で布を被った。

 それでも見つかるのは時間の問題のように思えた。相手は数千キロの彼方からテハの気配を頼りに僕たちを追ってきたのだ。森に入ったとしても本当に気休み程度にしかなりはしないだろう。

 

「お前とあいつの戦いについて確かめたいことがある。記憶は定かになったか?」

 

「はい。あの龍との交戦の記録は現在修復中です」

 

 修復中、つまりだんだん思い出してきているということか。

 

「よし。なら率直に聞こう。テハの砂鉄の力はあの龍には効かない。その認識でいいか?」

 

「肯定します。今戦っているクシャルダオラは、本機の能力である砂鉄剣製への対抗手段を得ている特異個体です。本機が砂鉄で作製した剣の接近をあの龍が感知した場合、それらは結合を強制解除、分解されます」

 

 テハはその質問が来ることを分かっていたようで、すらすらと答えた。しかしその内容はかなり厳しい。

 

 特異個体。今でもその区分けは存在している。同じ種ではあるが、その強大さや知能が他の個体から逸脱した存在のことをそう呼ぶことがある。龍歴院では二つ名と言っていたか。

 確かに、以前文献で見た通常のクシャルダオラのスケッチとは異なる色合いをしていたし、かの龍が現れた地ではほぼ間違いなく暴風雨か猛吹雪が起こっている。それが、今はこの薄気味悪いほどの快晴である。それがこのクシャルダオラの特異性を示しているように思えた。

 

 そして、あの龍がテハの砂鉄の剣を迎え撃つときに見たのは、風の力というよりも、感覚的に言えば解く力。かたちあるものをばらばらにする力と言えばいいだろうか。

 ひょっとすると、それが風翔龍という古龍の力の本質なのかもしれない。

 

 それにしても、対象がほぼテハのみだろう特異能力か。数千年前にいったい何があったというのか。しかし、それを尋ねている余裕などありはしない。

 

「成程。大体は飲み込めた。ならもうひとつ、やつが纏ってる風、あれにテハは耐えてたよな。あれには何か理由とか対抗手段があったりするのか?」

 

「それはクシャルダオラの鱗の主成分に純正の鋼が含まれていることに起因します。鋼は鉄と同様に磁化が可能です。本機は鱗を磁化しその吸引力を利用して風圧に対抗しました」

 

「ん……さっきテハは砂鉄の力は気付かれて分解されるって言ってたよな。それなのにあいつの鱗の磁化は可能なのか?」 

 

「はい。本来、古龍の能力は互いに干渉しません。砂鉄の剣の分解は例外と言えます」

 

「そう……なのか。つまり、お前の純粋な磁力の力は分解されることはない。それを砂鉄の剣みたいに使ったら干渉される、そういうことでいいか?」

 

「肯定します」

 

 二人の吐く息は白い。じっとしていると防具越しに冷気が伝わってくる。

 いつ再び襲われるか分からない。そんな焦りを抱えながらも、僕は一度呼吸を挟んだ。

 

「……よし。だいたい事情は分かった。急造だが戦法も思いついた。ただ僕とテハで協力しないとできないやり方だ。できそうか?」

 

 僕の提案に、テハは頭に被った布を滑らせながら小さく頷く。

 

「……アトラが本機を必要とするのであれば」

 

「……ああ。とは言っても、やったことはあるから────」

 

 テハが布を掴み取りながらその場から跳んだ。数瞬遅れて僕もテハを追ってその場から身を投げ出す。

 

 そして数秒後、僕らが身を寄せていた倒木は木端微塵に砕け散った。

 続けて飛来した竜巻が、周りの木々を薙ぎ倒していく。十秒も経たずにそこは森の中にぽっかりと空いた荒れ地となっていた。

 完全に捕捉された。今また森へと逃げ込んでも隠れる前に風の砲弾の餌食になるだろう。

 

 奇襲の芽はことごとく潰されていく。

 だから僕たちは正面からそれに向き合った。

 

「テハ。溜め打ちする。()()()()()

 

「──はい」

 

 たったのそれだけだが、テハには伝わったらしい。

 

 上空からクシャルダオラが降りてくる。地に足をつけたかの龍は、僕たちの後ろに木々があるのも構わずに、僕たちめがけて突進してきた。

 若干右寄りの進路。テハ狙いか。それをなんとか悟りつつも、念のため大きく左に跳んだ僕は、矢筒からある矢を取り出した。

 

 ある程度あいつから距離を取りたい。そしてテハと合流したい。

 そのために動く。しかし、恐ろしいほどに勘の良いやつにそれを悟られないように。

 

 意外とそのときはすぐに訪れた。

 テハを標的としつつも僕の存在を忘れてはいないらしいかの龍は、僕の矢を弾いた風を常に張り巡らせている。それを警戒しているように装いながら距離を取る。

 テハも同じだ。クシャルダオラの追撃の合間にあえて踏み込み、クシャルダオラを牽制しつつ吹き飛ばされることで位置修正を行っている。

 

 矢を番える。その矢は今までの狩猟用の矢とは異なる色合い、外観をしていた。

 恐らくやつは僕とテハが開けた地で合流することはむしろ歓迎するはずだ。二人まとめて視界に捉えることができるし、僕たちも動ける範囲が若干制限される。

 

 だから、テハがだんだんと僕に近づいていることに気付きつつも、僕たちが合流したときを狙って攻撃を仕掛ける算段くらいしか立てられないだろう。それを狙う。

 

 弓弦を軽く引き絞る。狙いそのものよりも、このときは姿勢が安定し、いつでも矢を放てるようになっておくことが重要だ。

 クシャルダオラを軸に時計回りにゆっくりと走りながら、そのときを待ち続ける。ざくざくと泥まみれの雪を踏みしめていく。

 

 

 

 ────来た。

 クシャルダオラがテハに向けて地上から鋭角に放ったブレスのあおりを受けるかたちで、テハがこちらに吹き飛ばされてくる。

 クシャルダオラもそのときを狙っていたようで、もう一度胸を反らせた。周囲の風が口元へと集っていく。放つのは恐らく竜巻だろう。だが、そんなことは関係ない。

 

 足を止めて一気に弓弦を引き絞った。

 それとほぼ同時にテハが身を起こし、矢を構える僕の前に片膝立ちし、左手を前へと突き出した。

 

 目の前には何も現れない。砂鉄の剣も、楯も生成されない。目の前に今にも竜巻を放ちそうな龍がいるだけ。

 

 しかし僕には、射線上に敷かれた透明な線路が見えている。

 

 

「────行けッ!!」

 

 

 全力で矢を放つ。一際大きく結弦が鳴いた。

 放たれた矢は疾く翔るが、クシャルダオラに届くには恐らく足りない。減速し、放たれる竜巻に飲み込まれるか、その風の鎧で弾かれてしまうだろう。

 

 しかし、僕の手元を離れてあとは慣性で飛んでいくだけであるはずのその矢の、加速が止まない。

 

 風を追い抜き、音に追い縋り、その力を増しながら飛んでいく。

 その翔る方向へ、テハは左手を突き出し続けている。

 

 かくして、クシャルダオラが首を振り下ろす寸前に、なぜか弱まっていた風の鎧を切り裂き、鋼でできた鱗を貫いて。

 その胸に深々と突き刺さった。

 

「届いた……ッ!」

 

 その場から離脱しながら、クシャルダオラの胸から多量の血が噴き出したのを見た。

 血の色は赤い。古龍の血はある特殊な成分を含んでいるとされているが、こうしてみるとヒトや竜のそれと変わらないように見える。

 

 それよりも、今の攻撃がかの龍に届いたことが大きい。

 

 鉄鉱石にカブレライト鉱石とユニオン鉱石を融かし合わせ、その硬度を跳ね上げた合金で作られた矢じり。その長さの割合も増していて、重量が重くなった分、威力も上乗せされる。

 細かく返しもついている。そのうち抜けるが、そのときには激しい痛みと共に傷口をぼろぼろにし治りにくくする。

 それがあの矢だ。今僕の矢筒にはあと十本強ある。

 

 そして、それだけ頑丈な特別製の矢だからこそできるのが今の芸当。テハは磁気加速と言っていたか。

 テハが手を翳したのはいつものようにその先に磁力を収束させるため。それに指向性をもたせて矢を加速するために用いたのが今の射撃だ。

 狙いは僕が担う。ここまでの速度のものを扱うには、テハは力の収束に集中した方がいいらしい。放たれた矢の加速をテハが担う。物理演算が云々と言っていたが、感覚的には今まさにかけていく矢をペンでなぞっていくようなものなのだそうだ。

 

 本来これは、数百メートルという超遠距離から対象を狙撃するために、僕が発案し試していたものだ。だからさっきの一言で伝わったのだろう。

 近距離でも大きな威力を発揮することは予想できていたが、二人の隙と、外れたときの損害が大きすぎるのが難点で、今まであまり用いていなかった。

 

 しかし、今の状況に当てはめてみれば、それが最善手だ。それでしかまともに攻撃が通らないというのなら、どんなに隙を晒そうとそれに賭けるしかない。

 

 射撃後すぐに走った僕と違い、その矢がクシャルダオラに届くまでその場に留まって矢を制御しなければならなかったテハも僕を追いかけてきている。

 矢筒からさっきと同じ矢を取り出す。今のでかの龍が怯んでいるようであれば、すぐに二撃目の構えを取る────

 

 

 

 咆哮。

 

 

 

 晴天の空の元、風翔龍の咆哮は辺り一帯の森を震撼させた。これが雪山であればいつ雪崩が起こってもおかしくないほどの音量に、思わず矢を落として耳を塞ぎ、よろめく。

 続けてごっという音と共に風──いや、もはや空気の波動だ──が十数メートル離れているはずの僕とテハにも届き、駆け抜けていく。それは木々に付着した氷を剥がし、巻き上げ、きらきらとした氷の粒にして僕たちに降り注がせた。

 

 決して今まで本気でなかったというわけではないのだろう。その眼には明らかな殺意があり、油断はなかった。

 どちらかと言えば、自らの胸から今もぼたぼたと流れる血と痛みを認知して、テハが言っていた当時の戦いを思い出した、かのような。そう、()()()()()()()()

 

 かの龍も、テハと同じく、この戦いで記憶を蘇らせていっているのか。

 

「さっきまでと意志は変わらず、能力(ちから)の乗せ方を思い出した……そんなところか」

 

 取り落とした矢を拾い上げて、僕は寒さとは別の理由で震える膝と唇を叱咤する。

 

「なら、僕もさっきまでのをあえて様子見と言わせてもらおうか。その差を狩人の技で埋めてやる──!」

 

 思い出で強くなる。そんなことは僕にはないが、狩人ならば、狩人なりの、戦いで身に着けていく適応力を引き合いに出すしかない。

 自分より桁違いに強い相手を狩るための道筋を探していく過程と思えば、竜との戦いもこれも変わらない、と自分自身に言い聞かせた。

 

 クシャルダオラが首をもたげる。続けて三度目のブレスの構え。さっきよりも動きが滑らかに、そして早くなっている。その狙いは。

 

「テハ! 気を付けろ……!」

 

 僕の右手側にいるテハに向かって言った。僕の勘ではたぶん風の砲弾の方が来る。

 あれは見てから回避するのは困難を極める速さだ。だから────

 

 

 

 

 

 

 

 そのとき、僕はその可能性を考慮しておくべきだったのだ。

 

 

 

 思い出で強くなる存在がいるとするなら、当然のように。

 思い出で弱くなる存在もいるということを。

 

 テハヌルフという兵器(少女)はそのどちらに属する存在なのかを。

 

 他ならぬ僕自身が、それを恐れていたというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 土と雪で塗れた地面に立って、本機(わたし)は立ち尽くしていた。

 

 

 

 今までアトラと共に、追いかけてくる龍から逃げてきた。

 逃げられないことが分かってからは、一緒に迎え撃つ準備をしてきた。

 

 アトラは戦う意思を持っている。今もそれは変わらない。

 

 だから本機(わたし)はアトラの指示に従って戦う。

 例え、戦って勝てる可能性がゼロに等しいと分析結果が出ていたとしても、制御部である本機(わたし)とアトラではその体力を削りきることがまずできないと分かっていても。

 

 何故なら本機(わたし)は人につかわれる兵器だから

 人の命令には従わなければならないから。そこに意見する意味はないから。

 

 

 “本機(わたし)はこの世界に在って(いて)もいいですか”

 

 

 しかし、あの龍の眼光が語っている。咆哮が伝えてくる。気迫()がぶつかってくる。

 龍の感性をもつ本機(わたし)は、その声を聞いた。

 

 

 お前だけは全力で、絶対に殺してみせる。

 お前はこの世界にいてはいけない存在だ。

 ほぼ全てが忘れ去られた今、あの地獄、あの悪夢を二度とこの世界に起こさないために。

 (■■)だけはお前の存在を許すわけにはいかない。

 

 

 “本機(わたし)はこの世界に在って(いて)もいいですか”

 

 

 本機(わたし)が龍の言葉を解することができたと思い出したのは、その声を聞いたときだった。

 しかしそれは、今は些細な問題で。

 

 こんなにも強い感情(?)をぶつけられたのは、アトラに自己破壊処理を止められて以来だった。

 そして、その感情に込められた意志(?)が本機(わたし)の何か──破綻(エラー):部位の特定ができません──に大きな損傷を及ぼすことがあることを知った。

 

 あの戦いを知っていて。今このときまで生き続けていた存在が。

 今ここに本機(わたし)がいてはいけないと訴えかけてきている。

 

 

 “本機(わたし)はこの世界に在って(いて)もいいですか”

 

 

 その問いに、最初に答えたのは。

 ならば、その答えは。

 

 

 兵器の在り方を全うしようとする思考と、この世界に在ることが否定されたという思考が瞬く間に絡み合って。

 組み上げていた立ち回りは溶け落ちて、自らの本能である龍の感性すらも覆い尽くして。

 その足を動かすのをやめて、龍の瞳を見てしまった。

 

 

 

 

 

 迫り来る鉄よりも重い風の塊を見ながら、その少女(兵器)は立ち尽くしていた。

 端から見れば、それは明らかな戦闘放棄。あまりにも唐突な振る舞い。

 それは諦めというよりも、自ら死を選んだかのような。そのまま死へと歩き出すかのように見えただろう。

 

 

 しかし、それはテハヌルフという少女(兵器)機械(人間)らしさと言えて、

 少女(兵器)は自らの抱える矛盾に戸惑って(論理破綻して)しまっただけだった。

 

 

 そのことを分かって(予感して)いたのは──。

 

 

 

 だから

 

 

 

 

 

 

「────え?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 少女(兵器)はそこで初めて識ることになる『困惑』に連れられながら。

 

 

 

 

 

 

 

 突き飛ばされた自らの身体と、その身体に降り注ぐ赤色を見つめていた。

 

 

 

 

 

 




起承転結の『転』らしい展開になっているでしょうか。


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第13話 転:朱色を霜に浸して

 

 意識が一瞬にして焼き切れた。

 火花のような光と、明滅する赤で目の前が埋め尽くされる。

 

 手足があらぬ方向へと揉みくちゃにされ、胴は拉げた。

 それは防具の隙間から入り込み、皮膚をずたずたに切り裂いた。

 

 だが、それよりも。

 衝撃で僅かに開いてしまった口から内へと侵入した、風が。

 暴れ狂う。

 

 

「────」

 

 

 口内が、喉が、肺が風の刃に蹂躙されていく。

 悲鳴すら上げることも叶わず、代わりに吐き出されたのは、血潮のように思われた。

 

 方向感覚が一切分からなくなり、ただ感じられるのは浮遊感。自らが打ち飛ばされているという感覚のみ。

 

 そうなるだろうと覚悟はして飛び込んだ。僅かながらも身構えた。

 それでも尚、言い切れる。

 

 

 これは、己がこの身で受けた吐息(ブレス)で最も凶悪なものだ。

 

 

 ああ、それでも。

 あらゆる音が風に上塗りされたはずなのに、聞こえたその声が。

 

「────え?」

 

 

 自らの選択に何かの意味を与えた、ような。

 

 

 衝撃。

 

 

 

 

 

 

 

 僕がその場から身を動かせたのは、地に転がってから十秒近く経ってからだったかのように思う。自らの意識が途切れていなかった自信がないので、どうかは分からない。

 耳鳴りが酷く、全ての音が遠ざかってしまったかのようだ。脳震盪でも起こしているのか、平衡感覚も定まらない。

 しかし、身体は起こさなければ。──手足はまだ使えるだろうか。

 

 震える手で頭を地面から引きはがし、足を折り曲げ、四つん這いになった。よし、よし。まだ動く。

 だが遅い。身体の勝手が聞かない。はやく立ち上がらなければならないのに。

 

「ぉ、ごぼッ」

 

 唐突にこみ上げてきたものを地面にぶちまければ、それは鮮やかな赤色だった。

 よく見れば、防具の隙間からもぼたぼたと赤い液体が流れ落ちている。それらは雪と土の入り混じった地面を朱色に染め上げた。

 しかし、そんなことはどうでもいい。今は、いい。

 

 立ち上がれ。立ち上がる。目を開け。目の前を見る。

 

 滲んで定まらない視界。しかしその眼は、なにかちいさいものが巨大なものに打ち飛ばされているのを捉えた。

 見間違えようもない。テハと、クシャルダオラだ。

 

 恐らくクシャルダオラの前足で蹴り飛ばされたのだろうテハは、よろめきながらも僕と違ってすぐに立ち上がる。

 それを見て、よかった、と。すぐに立ち上がれたということは、受け身を取れたということ。そして受け身を取れたということは、この状況に対処しようとする意思があるということだ。

 

 クシャルダオラはそれに追いすがろうとしたのだろうが、僕が立ち上がっていることに気付いたらしい。標的を切り替えて僕に向かって突進してきた。

 疾い。風の力を使って若干身体を浮かせているのか、その巨体に見合わぬ軽い足取りであっという間に近づいてくる。

 足に力は入らず、跳べない。走ろうとして数歩歩を進めたところで足がもつれて転んだ。しかし、それが逆に功を奏したらしい。僕を蹴散らそうとしたクシャルダオラの脚が空振りして通り過ぎていく。

 

 無論、これでやつが隙を与えるはずがない。さっき使ったものと同じ矢を矢筒から取り出して、それを杖にして立ち上がろうとしたところで、僕の辺りに影が落ちた。

 咄嗟に振り返って矢を楯にした直後、こちらを踏み潰さんとするかの龍の前足が矢の腹にぶつかった。

 

「う、ぐッ……!」

 

 踏み込まれる。全力でそれに耐える。ぎしぎしと矢が軋んだ。

 身体が悲鳴を上げている。身体に刻まれた切り傷が、破損した防具の隙間から入り込む風に触れて、傷口に針の束を刺されたかのような痛みを生み出す。肺と喉は焼け付くように熱く、呼吸がままならない。ひっきりなしに襲い掛かる尋常でない痛覚に、脳が溶け落ちそうだ。

 拮抗などできるはずもない。あっさりと押し込まれ、膝と腰が歪む。このままでは押し倒される。

 離脱しなくては。そう思って後ろを振り向くと、そこにテハの姿が映った。こちらに向かって駆けながら、あるものをポーチから取り出して投げようとしている──

 

「だめだッ!!」

 

 僕は今出せるあらん限りの声でそれを止めた。ひゅう、とまるで喘息のような呼気が混じる。

 

「ぞれ、は……ゴホッ……それは、まだ、づがうな……!」

 

 そう叫ぶのと、身体の方に限界が来たのは同時だった。がくんと膝が折れる。

 それと同時に、残っていた力を振り絞って、上方に掲げていた矢を振り下ろすかたちで破棄する。

 そして、かの龍が生み出す風にあえて飛ばされることで、何とか踏み潰されずにそこから転がり出た。

 

 クシャルダオラは尚も僕に向けて追撃を仕掛けようとしたが、そこにいくつもの黒い短剣が飛来する。やつはそれをきっと睨み付け、それと共に短剣が風の壁に飲み込まれていく。

 テハの機転に助けられた。どうやらやつはテハの生成する砂鉄の剣への対処を優先させるらしい。その間に脚を叱咤しよたよたと走る。

 走りながらポーチを弄り、回復薬と活力剤の瓶が割れていないことに安堵してそれらを一気に飲み干した。これで少なくとも口内と喉の傷はある程度塞がる。この尋常でない息苦しさを生んでいる肺の傷は……今は、耐えろ。

 

 砂鉄の剣を次々精製しては放つテハと目が合う。僕は左手方向を指差した。森の奥地へと続く方向。補助がいるというハンドサインも送る。

 テハはそれを見て、小さく頷いた。そして剣の生成を止めて、僕に向かって走り出す。合流するつもりか。その理由を考えて、はっとした僕はその歩をできる限り早めていく。

 

 背後からも風の音と大きい足音が聞こえてくる。かの龍が走ってきている。まともに走れない僕とやつとの間に鬼ごっこなど成立するはずもなく、一気に距離が迫ってきているのを肌で感じ取れる。

 

 しかしそれでも、テハの方が早かった。

 半ばぶつかるようにして僕に抱き着いたテハは、僕の背中側の方を見て、その身を強張らせる。

 すぐ近くにいるであろうかの龍に対する恐れか、と思ったが、違う。これは、力を溜めているときの仕草だ。

 クシャルダオラにとっては好機に見えるのだろう。そして、さっきテハの磁力によって離脱させられたことも覚えているはず。風の鎧の独特な音が一瞬だけ止んだ。僅かに距離を取ってからの、吐息(ブレス)

 テハが僕を抱いたまま、ぐらり、と翻って右手方向によろめいた。

 

 それを見逃すはずがない。クシャルダオラはよろめいた先を塞ぐようにブレスを放った。

 しかし、それこそが見せかけである。

 

 クシャルダオラがブレスを放った直後、僕とテハは左の方へ数歩進む。

 初歩的なフェイント。まだ見せていなかった手札をここで切っていく。

 

 至近距離で風の砲弾が炸裂した。地面に向けて鋭角に放った場合はその場で炸裂するらしい。雪が一瞬で掻き消され、土も吹き飛ばされ、固い地面を穿つ。その流れ風が僕たちに襲い掛かる──。

 テハがクシャルダオラに向けて手を翳し、振るう。すると、テハの身体が急な加速力を得て、それに僕が抱えられ、僕たちはクシャルダオラから見て左斜め後ろの方向へと弾き出される。

 そして、テハの背中を押すように、炸裂した風圧が加えられた。決して生ぬるい加えられ方ではなかったが、もとよりそれを利用するつもりだったらしい。

 

 またも二人の身体が宙を舞う。その速さ、先ほど風の砲弾が直撃したときに匹敵するのではないか。二転三転する視界に、胃の中のものがせりあがってきそうになり、それを堪える。回復薬を飲んでいなければ吐いたが、まだそれを吐き出すわけにはいかない。

 まだ倒されていない木々の隙間を縫う。その太い幹にぶつかるのではないかとひやりとしたが、運が良かったのか、そうなるようにテハが配慮したのか、すれすれながらも僕たちは地上に着地した。

 二人で抱き合ったままに雪上をごろごろと転がる。雪が緩衝材となっていてもその衝撃は大きく、僕はまたしばらく立ち上がれなかった。──が、そんな僕をテハが抱き起す。

 

「クシャルダオラが森へ入って追いかけてきています」

 

「はぁ、はぁ、ゴホ……そりゃ、めんどうな、こったな」

 

「走れますか」

 

「あぁ……コホッ……まだ、なんとか」

 

 そんな問答の直後に聞こえた、風の音。木々の隙間に絡まって異質な音色を奏でている。振り返ってみれば、その白銀の巨体が見えた。ばきばきと悲痛な音を立てて倒れ行く木の幹も。

 

「肩を貸します」

 

「だす、かる」

 

 テハが僕の腕の下に潜り込み、身体を支える。そして森の奥地へ。背後の存在を撒くためにはそうする他ない。

 

 走りながら、テハに支えられている腕を見ると、血塗れになっていた。見れば、テハの首元がずたずたに切り裂かれている。ユクモ装備で保護されていない部位だ。

 あのときか。至近距離で炸裂した風の砲弾を受けたとき、テハは一身にそれを受けていた。

 そうとう無茶なやり口だったことが察せられる。テハのあの割り込むような動きは、あの風の刃をその身で受けるためか。

 

 唇を嚙んだ。しかし、言い訳も弱音も吐けない。その選択をしたのは僕自身だ。

 木々が風の渦に飲み込まれていく音が聞こえる。無様でもいい。走れ。そして反撃の徴を見出すのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ぜぇ、はぁ……はぁ、はー……」

 

 なだらかな地に突如として現れる急な斜面。そこから覗いた岩の陰にひとまず隠れこんだ。

 追いかけてくるクシャルダオラの気配はそれよりも前になくなっていたが、念のために進めるだけ進んで距離を稼ぎ、急襲されても少しは持ちこたえられそうな場所を探したのだ。

 なるべく見つけられないように工夫したが、次々と零れ落ちていく血だけはどうにもならなかった。血痕を消す余裕がなかった。

 日はだいぶ傾き始めている。それなりの時間走り続けていたらしい。

 

 座り込む。身体の方がもう限界だと訴えかけてきている。

 血が失われ過ぎたのか、頭の鈍痛が前よりも低くなっている。心臓は足りない血と空気を身体に行き渡らせるべく早鐘を打ち続けている。大方の傷は自然と止血したが、体は未だ熱っぽく、しかし指先は凍り付いてしまいそうなほどに冷たい。

 そして、未だに血痰を吐き続けている原因の肺が最も深刻だった。

 いつものように息を吸えないというのは、その状態で走るというのはここまで苦しいものなのか。途中で何度も意識が飛びかけたが、その度にテハが僕を半ば背負うように支えてくれた。それがなければ僕はとうにクシャルダオラに追いつかれて死んでいただろう。

 

「テハ……見張り、頼めるか。すまん」

 

「了承しました」

 

 息も絶え絶えにテハに指示を出す。テハはまだ余裕が感じられそうに見えるが、彼女は体力が限界になるまであの調子で、あるとき一気に消耗が表に出る性質だ。気を抜いてはいけない。

 深呼吸をする。ひょっとしたら数秒もしないうちに待ち伏せしていたかの龍が現れるかもしれない。しかし、そうなったときはそうなったときだ。そのときに少しでも遠くへ走りたいならば、或いは戦うなら、回復する時間を一秒でも長く伸ばせ。

 

 ポーチから取り出したのは握り拳程度の大きさの巾着袋。口はぎゅっと閉じられている。それを解き、袋の口を自らの口にあてがう。

 

「すー……ふー……すー……ふー……」

 

 中に入っているのは、白い粉。それをむせてしまわない程度に吸引して、喉の奥、気管支から肺に入れてしまってから鼻で息を吐く。それを何度も繰り返す。

 しばらくそれを続けていると、何となく、今までの苦しさが和らぎ、息がしやすくなった気がした。実際にそうなのだろう。これは、火竜の吐息に肺を焼かれたときも有効な手なのだから。

 

 生命の粉塵。不死虫と竜の牙、竜の爪を調合して粉末状にしたもの。吸引するタイプの回復薬だ。呼吸器へのダメージに対し特に効果が見込める。

 

 ただ、これの効果を最大限に発揮するためには、今のように外に粉塵が漏れないようにゆっくりと吸引し、しばらく息を止めて粉塵が付着するまで待つ必要がある。狩猟中など激しい動きが溶融される場面で使ってもあまり役に立たないのだ。かえって焦って多量に吸い込み、むせて隙を晒してしまう可能性がある。

 だから、逃げている間はこれを使えなかった。何度途中で足を止めてこれを使おうと思ったことか。

 

 巾着袋がやや軽くなってきたところで吸引をやめた。そして今度は防具を脱ぐ。止血したとはいえ、傷の様子を確認しなくてはいけない。少なくとも包帯くらいは巻かなくては。

 いま襲ってくるなよ。そう願いながら拉げた胴の防具を脱ぐと、むっとする血の匂いと共に、真っ赤なインナーが姿を現した。冷たい空気が直接傷に触れて鋭い痛みを発し、思わず呻く。布切れで血を拭い、外傷用の回復薬を塗っていく。

 回復薬の消費が激しい。もうポーチは半分以上空になってしまった。しかし、出し惜しみをするわけにもいかないだろう、と焦る気持ちを宥める。

 

 あらかた包帯を巻き終わるまでに数分かかった。それなりに息も整ってきた。ただ、肋骨の罅、右足首の捻挫、各所の打撲はどうにか誤魔化していくしかないか。その辺りに構っている時間はなさそうだ。

 岩陰の前で周囲の状況を伺っていたテハのところまで近づき、声を抑えて話しかける。

 

「あの龍何処に行ったんだ? 僕たちに休憩させる暇なんて与えないと思ってたんだが」

 

「ペイントボールをぶつけていないため正確ではありませんが、木を倒しながらの追跡は止めたものと推測されます」

 

「そうか……本格的に見失ったか、やつ自身も傷の回復を図るためにゆっくり追ってきてるのか」

 

 恐らく後者だろう。さっきの戦いで疲れたという考えもなくはないが、それは希望的観測が過ぎる。そして、見失うには僕たちは痕跡を残し過ぎていた。

 僕たちの損傷が自らよりも軽いことに気付いているな。消耗戦に近いことを狙っているのかもしれない。僕たちが逃げる可能性は、もとより考慮していなさそうだ。

 

「テハ、お前の首元の怪我の手当て、やっていいか」

 

「構いませんが、既に止血は行われています」

 

「今のうちにやっておいた方がいい。ポーチに外傷用の薬入ってるだろ。それ出して、襟を緩めてくれ」

 

「了承しました」

 

 テハは僕の指示通りに彼女のポーチから瓶入りの回復薬を取り出し、傷だらけのユクモ装備の首元を緩めた。

 彼女のインナーも真っ赤になってしまっていた。黒い鱗が露出している部分はそれ自身の硬さで切り裂かれていなかったが、それでも傷は多い。

 鱗が干渉するため包帯は巻けない。手当てはすぐに終わった。

 

「アトラ、傷の具合はどうですか」

 

「大分ましになった。万全とは程遠いが、さっきよりはまともに動けるはずだ」

 

「そう、ですか」

 

「ああ、じゃあこれからの方針なんだけどな──」

 

「アトラ」

 

 僕の言葉を遮って僕の名前を呼んだテハは、振り返って、深緑の瞳を真っすぐに僕へと向けて、言った。

 

「何故、本機を防護したのですか」

 

 相変わらずの無表情。しかし、彼女がその問いをとても真剣に投げかけてきているのは伝わった。

 僕は少しだけ苦笑し、そしてまたすぐに真面目な顔に戻る。その質問が来るのは分かっていたから。

 

「その質問の答えとして、逆に問おうか。

 

 ──テハ、もう大丈夫か」

 

 今のテハなら、この言葉の意味は汲み取れるだろう。

 テハはしばらく、十秒ほどかかって、ようやく答えた。

 

「……はい。本機は、大丈夫です。そのためにアトラが怪我を負ったことを謝罪します」

 

 まるで自分にも言い聞かせているような答え方だった。ただ、目を逸らしはしなかった。今まで彼女が目を逸らしたことなんか一度もなかったけどな。

 そしてその答えに、僕は笑う。

 

「構わないさ。これ、元を辿れば僕の責任だしな」

 

 ──砂原近くの村でのこと。夜空と大砂漠を見ながらテハが告げたこと。

 あのときから今まで、僕はテハに()()()()を示していない。

 

 クシャルダオラの目の前でテハが硬直してしまったのは、これに起因している。そんな確信めいた予感があった。

 だから元を辿れば僕の責任だと言ったのだが……テハには伝わらなかったようだ。

 

 僕はまた苦笑して誤魔化した。要は、気にしないでくれ、という気持ちがテハに伝わればいいのだから。

 

 

 

 ──僕の答えか。あのときは、示していないというよりも、示せなかったのだが。

 

 クシャルダオラの正面で立ち尽くすテハの姿が思い出される。

 

 

 

 今なら、とふと思った。

 感覚的なものが、言語という形を持つ。

 

 それは確実に手放してはいけないものなのだろうが、今はそれについて考え込むわけにはいかない。

 

 

 

 ひょっとすると、このクシャルダオラとの戦いで僕も何らかの変化を強いられているのかもしれないな。

 そして、それをテハにしっかりと伝えるためには、やはり、あの龍を倒すしかないのだ。戦いを挑んで、勝って、掴み取るしかない。

 

「まあ、それは置いといてだ。あの場でテハが離脱したらあの龍にはまず勝てないだろ。生き残るためには仲間を見捨てなきゃいけないこともあるが、今回は一人になることが死に直結する。だから、テハがもう大丈夫だって言えた時点で、庇った意味があったし、それが理由だ」

 

「…………」

 

 テハは目を伏せた。はぐらかされたことが気になっているのか、それとも別の理由か。

 

 ──『勝てない』と分かっている相手に再び立ち向かおうとしている僕を見かねているのか。

 

 そうだとしても、それを咎めたりはしない。実際その通りだろうしな。

 それがテハではないハンターだったとして、似たようなことになっていたなら、咎めるなり励ますなりしただろう。

 ただ、テハに限っては、勝てる見込みとか、戦況だとかが彼女自身のパフォーマンスに寄与しない。戦うときには戦う、それだけだ。そして力及ばなかったならそこまで。とてもテハらしいと僕は思う。

 そこに人間という僕が混じっていることが、彼女の迷いに繋がっているのかもしれない。

 

 ──ほんとに、気にしなくてもいいんだがな。

 

「話が済んだなら話し合いに移るぞ。いつやつが来るか分からない」

 

 そう言いながら、地面に落ちていた枝を拾ってこの辺りの地図を描いていく。ここに来たのは数日前から。吹雪でまともな探索はできなかったものの、この辺り一帯の地形くらいは把握している。

 

 

【挿絵表示】

 

 

「ここにいても、状況は悪くなる一方だ。引きこもってたら一方的に強襲されることだってあり得る。その可能性、あるだろ?」

 

「はい。あのクシャルダオラは自分より離れた地点に竜巻を発生させる能力を持っています。時間はかかりますが、視界が届いている限りは遠方からでも可能です」

 

「やっぱりな。僕が初っ端にやられたあれだろ。正直、あれはどうしようもない。僕たちがそれに怯えずに形成を立て直すには、何としても一度やつを振り切る必要がある。それと同時に成さないといけないのは……」

 

「ベースキャンプへの一時退避ですか」

 

「そうだ。正直このまま戦い続けるには、矢や砥石はともかくとして回復薬が足りない。ポーチに入りきらずに置いてきた道具も多い。

 あいつの攻撃手段は大体知れた。傷を与える方法も分かった。だが、こっちから補給を断ったらまず押し負ける。ベースキャンプに戻ることを忘れちゃいけない」

 

 地図を書くために下を向いていた顔を上げて、テハを見て言う。

 

「それでいいか?」

 

「……構いません。現状、それが最も本機とアトラの生存確率が高い手法です」

 

 そのテハの言葉に、思わず笑みが零れてしまった。

 生存確率が高い、か。テハらしい言い方だ。そして、それがテハの口から出たことが嬉しい。

 

「ああ。それなら安心だ。……全力で挑める。

 じゃあ、そのための道筋を決めていこうか────」

 



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第14話 転:永久凍土の頂で

 

 ──まずは森に身を隠しながら北東に向かう。北の洞窟の入り口が目標地点だ。

 

 

 

 

 

 日が沈み、代わりに丸い月が顔を出す。夜空の光を吸い込んで灰白色と深い蒼を返す永久凍土の地面を、白い息を吐きながら僕とテハは駆けていた。

 先行してテハが走り、僕はその間後方で身を潜める。彼女がある程度進んで周囲を確認し、合図を送る。それからテハが進んだルートに沿って走る。それを何度も繰り返す。

 このまま北の洞窟まで辿り着ければ理想だったのだが、それを先方が許してくれるはずもなかった。

 

「──アトラ、来ます」

 

「来たかっ……。分かった!」

 

 テハの合図に応えて、僕は目的地へ向けて真っすぐ進めていた歩を唐突に止め、近場の起伏に向けて蛇行するように走る。テハもそれに倣う。

 数秒後、僕が通り過ぎるはずだった場所に圧縮された風の砲弾が着弾する。響き渡る破砕音。それは硬い氷の地面すら容赦なく穿ち、粉砕させる。

 初撃で僕たちを仕留められるとは思っていなかったのだろう。そのブレスは次々と繰り出された。その度に地は震え、空気が掻き乱される。まるでここだけが嵐に見舞われているかのようだ。

 

 

 

 

 

 ──雪原を通ってベースキャンプに行こうとすれば、ほぼ間違いなくやつがずっと追ってくる。それを撒くのはまず無理だ。かなりの遠回りになるが、北回りのルートで行こう。

 

 

 

 

 

 凶悪なブレスの弾幕を何とか搔い潜り、起伏に身を飛び込ませたところで弓を展開しながら身を翻した。

 

 同時に舞い上がる細かい氷の粒が月光に反射しきらきらと光り、その先にかの龍はいた。

 白銀の身体は夜空に浮かび、昼よりもむしろ存在感は増している。

 その瞳は明確に僕たちを捉え、今度こそ逃がしはしないという風にクシャルダオラは咆哮する。

 

 僕に引き続いて起伏に身を滑り込ませたテハが、その咆哮を聞いてびくりと身を強張らせた。しかし、今度はそのまま硬直するようなことはしなかった。両手に持った番の炎剣をぐっと強く握りしめる。

 ただ、そんな反応は今までに見たことがない。彼女は至近距離で竜の咆哮を受けても怯むことはまずなかった。それよりも音の振動そのものは小さいというのに、だ。

 

「大丈夫だ。怪我人ではあるが、僕もできる限りのことをする。まずいときには言ってくれ」

 

「……はい」

 

 この言葉が彼女には全く有効でないことは分かっているつもりだ。だからこれは、僕自身のための気休めなのかもしれない。

 

 

 

 

 

 ──あの氷山の頂上付近なら仕掛けられる。身を隠せる場所も多いしな。そこから一気に下ってベースキャンプに戻ろう。

 

 

 

 

 

 流石にやつもこれから僕たちがどこへ向かい、何をしようとしているのかまでは分からないはず。ただ延々と僕たちを追い縋るのみだ。

 目測では1キロもないはずの北の洞窟の入り口が途方もなく遠く感じる。身を隠す氷柱や起伏が多数あるのが救いか。しかし、やつの攻撃にずっと晒され続けることに変わりはない。

 

 ふと足元で細く渦を巻くような風の音が聞こえた気がして、僕とテハは弾かれるようにその場から飛び退いた。

 直後に、そこに僅かに積もっていた雪や氷の破片が渦巻いて巻き上げられる。恐らくあの場に居続ければあの風に為す術なく拘束或いは切り刻まれていたのだろう。

 やはりかの龍は遠方にピンポイントに旋風を発生させる能力を持っている。そのことを深く意識に刻み込んだ。

 

 僕が起伏から飛び出したのを待ち受けていたかのようにクシャルダオラが滑空してきていることも、何とか視界に収めている。

 着地した片足をまた蹴り出し、大きく前転回避。クシャルダオラが空中から叩きつけたのだろう前足が僕のすぐ傍の地面を砕く。途端にかの龍自身が生み出す風の圧に押し出され、意図せず二転、三転とする。

 

 罅が入ったらしき肋骨と多少楽にはなったものの、傷だらけの肺が圧迫されてぎしぎしと痛みを発し、思わず顔を顰める。塞いだ傷も幾つか開いてしまったようだ。

 しかし、さっきとは違って動きが阻害されるほどのものではない。

 今度は逃げない。起き上がって矢を取り出し、そして身を翻しながら、鏃を岩肌の露出した地面に思い切り擦過した。ざざあっと火花が散ったことを確認しそれを弓に番える。

 

 クシャルダオラは前足による叩きつけを行ってからふわりと着地し、僕のいる方へと向こうとする。

 せめて、それと同時に。

 花火のような音と、多量の火花を鏃後方から撒き散らしながら矢が引き絞られていく。狙いが狂わないように全力で、暴れる弓を押さえつける。そして、

 

「届け!!」

 

 そう叫ぶと共に矢を放った。反動で大きく数歩後ろに下がる。

 狙いはさっきの戦いでやつに刻んだ胸の傷。しかし、その軌道は風の圧によって捻じ曲げられる。

 しかし、それでもその矢はその場で落ちず、やつの前脚に届いた。そして間髪置かずに炸裂。やつが僅かに怯んだのを確認する。

 

 竜の一矢。鏃内部に火薬を仕込み、擦過の摩擦熱で着火し射撃するというかなり荒々しい技だ。威力は高く遠くまで飛ぶが、隙も音も大きく照準も非常につけにくい。

 ただ、あの風の鎧を乗り越えられるならばその価値はとても大きい。使うことはないだろうと思っていたが……。これ用の矢は数本しかない。ここぞというときに使わなければ。

 

 素早く周囲を見渡す。北の洞窟へ続く方でテハが合図を送っているのが見えた。寒さに凍え、痛みを発する体の節々をどうにかなだめながらテハの元へと向かって駆け出していく。

 

 

 

 

 

 ──だから、山頂まで如何に損傷を抑えて立ち回るかがカギだな。逃げ回ってばかりだとやつに気付かれかねないから応戦も相応にしなきゃいけない。

 

 

 

 

 

「はぁっ、はぁっ……。辿り、着いた!」

 

 全力の走りそのままの勢いで飛び込んだのは、永久凍土に無理やり通したかのように存在する洞窟。狭い氷壁の狭間に身を滑り込ませるようにして入らないと入れないため、ひとまずやつは入れない。

 後方では何度か破砕音が響き、隙間から突風が吹きこんだ。しかし、流石にかの龍といえど氷壁を崩すのには少々時間がかかるだろう。……もしそれをやったとすれば数分と持たないだろうが。

 夜中なのも手伝って洞窟の中はかなり暗い。しかしかろうじて地面は見える。

 

「……コホ、ゴホッ……テハ、まだ、やれそうか?」

 

「……はい」

 

 膝に手をついて肩で息をしながら、隣にいるテハに声をかける。しかし、その返事は芳しくない。彼女自身も多少息が上がっているが、それでもいつもの彼女ならこの手の質問には間を挟まずに答える。

 

 テハの調子は明らかに悪くなっていた。そして、そのことに彼女自身も戸惑っているようだ。

 クシャルダオラが彼女と正面から向き合ったとき、どうしても彼女の動きが鈍る。厄介なことにかの龍もそれを察しているらしく、彼女が狙われる場面が多くなってきた。

 それ以外の時ではテハの動きに問題はないのだが……。森の中でやつの咆哮を受けたときのように完全に硬直するようなことはないにしても、いつかまたそうなるかもしれないという不安がぬぐえない。

 

「アトラ、本機に何か指示することはありますか」

 

 しかし、彼女はそれでも僕にそう言ってきた。

 

 彼女自身で折り合いがつかず、誤魔化しているところがあるのかもしれない。だがそれは同時に、この絶望的ともいえる状況下で、僕に付き従おうとしていることを示している。

 だから、本当はそうするべきではないと分かっていても、僕は彼女にただ指示することを選んだ。

 

「ああ……ある。今のお前にとっては……ゴホッ……きつい、ことかもしれないが、もしできそうなら──」

 

 肺が痛い。血の滲む額を拭うのすら億劫に感じる。血痰がまた喉から這い出てくる。

 こんなにも消耗が早いとは、と内心で舌打ちする。この場で生命の粉塵を思い切り吸い込んでしまいたい衝動に駆られる。

 

 ただそれでも、冷気に凍えているふりをして、言葉を区切りながら彼女に話し続ける。

 だから、僕の身体に言い聞かせる。……もう少しだけ持ってくれ。

 

 

 

 

 

 ──応戦しながらの撤退、移動ほど難しいものはない……。正直、その途中に死ぬ可能性の方が高い。でも、このままここにいてもどうせ死ぬしな。

 

 

 

 

 

 北の洞窟の入り口は二か所ある。ひとつは氷山の斜面の下の方にあり、僕たちが入っていった小さな隙間。もうひとつは氷山の斜面の上の方にある大きな横穴だ。恐らく凍戈竜辺りが開けた穴なのだろうが、そこであればクシャルダオラも洞窟内に入ることができる。

 洞窟の上にあたる斜面はかなり急なため、氷山の頂上に向かうにはその横穴を通るしかない。そこを通る前にクシャルダオラがやってくると、状況はいよいよ厳しくなる。

 だから僕たちはほとんどそこで休まずに行動を再開した。口にしたのは携帯食料と回復薬程度。それなりに傾斜と段差のある洞窟内を何とか登っていく。

 

 僕が横穴から出て身を隠したとき、やや遠くにかの龍の姿が見えた。やはり別の入り口を空から探していたらしい。

 クシャルダオラは横穴のすぐ近くに降り立ち、その洞窟内を覗き込む。僕たちが外に出ているところは見られていなかったらしい。

 

 ようやっといつもの僕らしい狙撃を仕掛けることができそうだ。氷壁にできた溝から半身を出し、狙撃用の矢を矢筒から取り出して静かに番える。そしてそのままきりきりと引き絞った。

 常時展開されているやつの風の鎧は凄まじく厄介だが、それそのものが音を発しているため、周りの音に気付きにくくなるという意外な弱点があるな。その弱点を突かせてもらう。

 

 行け。弓弦が鳴り響き、それにクシャルダオラが気付く前に放たれた矢がかの龍のもとへ……届か、ないか。

 

 運悪く、風の圧が生み出された瞬間に矢がぶつかったらしい。勢いを失った矢が地面を転がる。それを踏み潰して砕き、クシャルダオラが振り返る前に僕はまた身を隠した。

 居場所がばれていなければ二撃目を。そう思っていたが、すぐ近くで猛烈な破砕音が連続して聞こえ、身を強張らせる。

 僕がいそうな場所に風の砲弾を撃ち込んで牽制か。慌てて身を出したなら即座にそれに標準を合わせて当てに行く算段なのだろう。しかし、その牽制のブレスでこの氷壁が先に崩れそうだ。

 

 落ち着け。状況そのものは望んだ方向へと進んでいる。あとはやつがさっき降り立った場所と、こことの大体の距離と破砕音から、やつがブレスを吐いてそれが着弾した直後のタイミングを計るのみ。

 

 十数秒後。僕は溝から身を躍らせた。

 即座にクシャルダオラが軸合わせをする。恐らく放つのは旋風タイプのブレス。この氷壁に囲まれた左右に逃げ道のない場所では、あれを避けるのはほぼ不可能に近い。

 だから、それをやられる前に。

 

「せえッ!」

 

 僕は身体を大きく振りかぶり、手に持った砂鉄の剣をやつに向けて投擲した。

 

 驚いたのはクシャルダオラの方だ。やつは僕たちへの攻撃よりもこの砂鉄の剣に対しての対処を優先する程度にはこれを警戒している。それがテハからでなく僕が投げたのだから。

 しかし、切り替えは早い。ブレスは中断され、クシャルダオラは僕が投げたその剣を注視する。たちどころに発生した風が、その剣を包み込んで──霧散、されない。

 

 本来は破損した防具や道具の応急処置に用いるセッチャクロアリの体液を塗布した砂鉄の剣。

 テハの力で無理やり押し固めているのではなく、物理的に接着したものならば、それが解きほぐされることはないという推測は、果たして当たった。

 

 そして、それと同時に。

 氷壁の上から少女がその身を空へと投げ出した。手に握られているのは砂鉄の剣、ではなく、緑と赤の二対の剣。落下していく先にあるのは、かの龍の背中だ。

 

 いつもならば、落下の加速度を得ていたとしても、彼女程度の体重ならば風の圧に押しのけられる。

 しかし、今、その風の鎧は薄れているはず──やつのブレスは身の回りから生み出された風を集めて放っているのではないかという推測──やはり。

 

 着弾。背中の硬い外殻を避けて、右の翼の根元に二本の剣が突き立てられ、一気に沈み込み、同時に炎を噴き上げさせた。

 ここに来てやつの悲鳴を初めて聞いた。完全に不意打ちの形となったらしい。テハはそのままクシャルダオラの背中にしがみつき、リュウノツガイをより深く沈みこませていく。

 

 当然、クシャルダオラは大暴れを始めた。空中に飛び上がり、無茶苦茶に飛び回る。また、風の鎧も全力で展開したようだ。

 激しい上下動と暴風に晒され、翼に打たれ、挙句に氷壁にその身体ごと打ち付けられる。明らかにしがみついている方がダメージを受けている。

 しかし、それでも彼女はしがみつき続けた。双剣の片割れだけを傷口から抜き、さらに翼膜を傷つけていく。

 

 その隙を無駄にはしない。僕は残りの竜の一矢を打ち込んだ。風の鎧を押しのけて腹の下辺りに着弾していくそれは、爆発と共に龍の鱗を弾き飛ばしていく。

 

 

 

 

 

 ──まあ、あれだ。ある本に書いてあったんだが、確率はどの視点どの条件で計算するのも、重要なファクターなんだと。つまり、生きるか死ぬか(オール・オア・ナッシング)──無事に生きていれば勝ち、それ以外は全部負け。確率は二分の一だ。

 

 

 

 

 

 クシャルダオラの背中の上に、テハはなんと数十秒も居座った。最終的には振りほどかれ、やつを地面に落とすには至らなかったものの、相応以上の傷をやつに負わせていた。

 しかし、その代償もまた大きかった。

 

「テハ、テハ! くっそ、脳震盪か……!」

 

 クシャルダオラの背中から吹き飛ばされて地面を転がったテハは、その場でぐったりとしていた。

 無理もない。僕であれば十秒も耐えることなどできなかったであろう、やつの抵抗に彼女は耐え続けたのだ。いくら彼女が頑丈だからとはいえ、基本的な身体構造は人と変わらない。

 

「よくやった。よく頑張った……! 離脱は任せろ! ……ガハッ、コホッ……お前の頑張りを、無駄にはしない……!」

 

 彼女にそう声をかけ、僕は彼女を抱きかかえる。しばらく背中の傷を気にしていたクシャルダオラはその姿を見て、いよいよ怒気と歓喜の入り混じった咆哮を上げた。

 

 なめるな。この地、凍土奥地の地理については僕たちの方に軍配が上がる。どこが奇襲に役立ち、どこが戦闘に適さず、どこが逃げるのに向いているかくらいは頭に叩き込んでいる。伊達に数年間狩人をしているわけではない。

 

 何としてもこの場を切り抜ける。そして氷山の頂上でお前を欺く。

 そう覚悟を決めて、僕は氷壁の隙間にできた先ほどとは比べ物にならないほど深くて狭い溝、クレバスと呼ばれるそこへと飛び込んでいった。

 

 

 

 

 

 ──気休めなんて言ってる場合じゃなかったか。ごめんな。……行こう。

 

 

 

 

 

 

 

 北の洞窟から氷山の頂までは、直線距離で見れば恐らく二キロ程度しかない。

 竜車ならば数分、人の足でも歩いて数十分程度しかかからないだろうその距離を移動するのに、果たしてどれだけの時間がかかっただろうか。

 

「はっ、はっ、はぁ……ゴホッ……」

 

 逃げ回っては迂回し、別の道を探しては巨大なクレバスに行き先を阻まれ、やっと近づいたかと思えば追いかけてきた龍に応戦を強いられる。

 一進一退を何度も何度も。背中に背負ったテハが目覚めてからも、幾度も繰り返した。

 

 加えてこの寒さだ。月明りにぬくもりは欠片ほどもなく、晴れ渡った空はむしろその天から熱という熱を奪い取るがの如く、空気を凍てつかせていく。

 手足や耳が凍って砕けてしまうのではないかと錯覚するほどの極低温、間違いなく極寒地域だ。ホットドリンクの手持ちはいよいよ尽きようとしていた。

 

「ぜぇ、はぁ……はぁ……」

 

 しかし、それでも。それでも僕たちは、辿り着いていた。それも、奇跡的に五体満足のままで。

 目の前には空へ向けて一際高く聳える氷壁。そしてそれを取り囲むようにして広がる氷の地面。凍土という狩場のエリア6という区域が、こことやや似ているかもしれない。

 

 周りに空を遮蔽するものはなく、故にそこは、まさしく僕たちが登ってきた氷山の頂だった。

 

 そしてその中心地には既に、かの龍が降り立っている。

 ここまで登ってきた僕たちに対し、もう逃げ場はないと宣言するかのように。

 

「はっ、それはこっちの台詞だ。……コホ……ここまでにお前は僕たちを殺すか、四肢を奪っていないといけなかった」

 

 そしてそれができなかった時点で、お前の負けだということを。これから示そう。

 

 咳には常に血が混じり、新しくできた傷は生々しく血を垂れ流し、手足は凍てついて変色している。

 テハも肩で息をし、時折目を瞑って頭を振っている。脳震盪のダメージが抜けきれず、そのために氷に足を滑らせて滑落、わき腹と腕に思い打撲を受けている。

 

「テハ、ここまでくれば、もうひと踏ん張りだ。ここで戦って機を伺う。……やってやろう」

 

「はい」

 

 威嚇の咆哮を上げることなく、クシャルダオラは氷の地面を蹴って突進を仕掛けてきた。その間際に言葉を交わす。

 そしておそらく最後になるであろう撤退戦へ向けて、氷の地面を蹴った。

 

 

 

 

 

 ──生きて、帰ろう。

 

 

 

 

 

 クシャルダオラの生み出す風は一向に衰える気配がない。むしろその圧は研ぎ澄まされている。

 もし相手が竜ならばとっくに疲労し、捕食のために撤退している頃合いだ。しかし、この相手にはそれが期待できそうもない。傷は負わせているものの、それが堪えている素振りも一切見せない。

 そもそも竜とは体の出来、体力に天と地ほどの数があるのだろう。僕たちとは最早比べることすらおこがましい。

 

 そんなかの龍は、この氷山の頂上においても僕たちを翻弄し続けた。

 

 風の砲弾や旋風を放つにしては、やけに()()が長い。

 狙われていたテハは恐らく僕とほぼ同時にそのことに気付いた。クシャルダオラに向けて手を突き出し、同時に後方に地を蹴って大きくその場から離れる。

 

 直後に放たれた──いや、その場に出現したと言うべきだろう──のは、まるで嵐そのものを無理やり圧縮したかのような風の塊、正真正銘の竜巻だった。

 

 その竜巻に向けて、周りの空気が轟々と引き込まれていくのが分かる。その竜巻はその場から動かず、しかし衰える気配を全く見せない。その中心は氷の地面だというのに、砕かれ、罅割れ、今まさに掘削されているかの如く削り取られている。

 もしあそこに引き込まれることがあれば、運が良くても空高く打ち上げられ、悪ければそのまま閉じ込められてななす術もなく死ぬだろう。

 

「テハ……!」

 

 その竜巻が引き起こす風に、テハは囚われまいと必死になっていた。ユクモノ装備の布と髪をばたばたとはためかせて、地面に番の炎剣を突き刺して耐えている。彼女の直感でいつもよりも大きく距離を取っていたのが幸いした。いつもの避け方ではまず引きずり込まれていた。

 

 しかし、恐ろしいことにかの龍は、その竜巻を維持したまま次の行動に移る。

 少し間をおいて動けないテハめがけて放たれた風の砲弾は、竜巻にその軌道を竜巻に僅かにずらされ、テハのすぐ近くで炸裂した。

 運よく直撃は避けられたものの、テハは水平に大きく吹っ飛ばされ、赤い血を散らしながら地面をごろごろと転がる。

 

 かの所に追撃を仕掛けようとしたかの龍の、その首元に竜の一矢が打ち込まれる。ブレスを放った直後だったからか、風の鎧は薄れ、その一撃は確かに傷を負わせる。

 

「こっちを向け、風翔けの……!」

 

 深い蒼の瞳がぎらりと僕を睨んだ。ぞっとするような寒気に襲われながらも、震える脚を叱咤して立ち向かう。

 その場で足に力を貯める動作、飛び掛かりが来る。左手方向は竜巻に近づいていってしまうので必然的に右手側に避けるしかない。そこまで瞬時に考えて、僕はその身を投げ出した。

 が、やつはそれすら読んでいたようだ。かの龍が飛び掛かろうとする瞬間は見ていた。しかし次に間近で響くだろう地響きが来ない。はっとして空を見上げれば、飛び掛かりをその翼で強制的に中断し、空に舞い上がったクシャルダオラが今まさに首をもたげている。

 

 放たれたのは、これまた風の砲弾でも旋風でもない。地面に吹き付けるようにして広範囲に放たれたブレス。

 やつが初めて繰り出した僕めがけて移動しながら放たれ続けるそのブレスへの対処が、ほんの少し遅れる。

 

 左足がその吐息にかすり、そして防具ごと瞬時に凍り付いた。

 

「……っぐああぁぁあ!?」

 

 何の比喩もなく氷漬けになった左足から伝わる、命を脅かす冷気に悲鳴を上げる。なりふり構わず右足で大きく地を蹴り、そのブレスから逃げ惑う。

 左足がまるで一本の棒になったしまったかの如く動かない。ただただ痛みのみを頭に伝えてくる。そのことに気が動転しそうになるも、口で頬の内側を嚙み切って無理やり正気を維持する。

 

 ポーチから消散剤を取り出して、取りこぼしそうになりながらも左足の防具の隙間からそれを流し込んだ。この手のブレスは受けたことがある。凶悪さは桁違いだが、性質はベリオロスのそれに似ている。ならば対処はこれで間違ってはいないはずだ。

 ただ、少なくともしばらく足の機動力は絶望的に落ちたとみるべきだ。死ぬ確率が格段に上がったが、もとよりそんなものは零の側にかなり近い。そう考えればあまり変わり映えはしない。

 いや、むしろこれで立ち回りに手間取るふりをして誘導がしやすくなった。だからこれは勝利への対価だ。回復の見込みがあるなら安いものだ。

 

 遠くでテハも立ち上がった。彼女もかの龍の気迫に当てられながらも、僕の意志に沿って立ってくれている。それならば、その限りは。血を吐いても立ち上がらないわけにはいかないのだ。

 

 そして、僕とテハは空を飛ぶ風翔けの龍にまた向き直る。そして、その機を伺い続ける。

 

 

 

 

 

 ────生きて、帰ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 かくして、その機は訪れた。

 回復薬とホットドリンクの手持ちは尽きた。喀血は絶え間なく、傷口は癒える間もなく凍り付いた。手足の先は凍傷でまともに動かず、意識は時折朦朧とする。矢ももうほとんど尽きてしまった。

 テハは砂鉄の剣の生成が難しくなりつつあるようだった。磁力を用いた強引な離脱や接近もできなくなってしまっている。また、彼女はその特殊な戦闘スタイル故にエネルギーの消費が激しい。体力的な限界が近いようだった。

 

 対して、クシャルダオラは健在。傷を負っていてもそれを意に介さず、堂々と空に居座り続けている。

 

 圧倒的な体力の差、絶望的な地の利、無尽蔵に思える超常の力。

 

 まるで、どうして僕たちがまだ生きてここに立てているかが不思議に思えるほどで。

 

 それこそが、僕たちの目指したもの。

 

「テハ! 向こうへ! ……ッ投擲は、頼んだッ!」

 

 あちこちが抉り取られ、崩れ、裂け、罅割れて、もはや見る影もない氷山の頂上。

 そしてクシャルダオラは、そこに留まる僕たちに終止符を打とうとしているかのように。()()()()()()()()()()()()僕たちに向き合っている。

 

 僕の指示に従い、テハはその場から離れて起伏まで駆ける。

 そして僕は、もう痛みを訴える以外の機能を失った手でどうにか弓に矢を番え、かの龍に向けて矢を放った。

 

 当然、それは届かない。風の鎧に容易に弾かれ、力なく落下していく。

 しかしクシャルダオラは、その矢を僕がまだ抵抗を続けようとしていると受け取ったようで、僕に向けて次々と風の砲弾を放ち始めた。

 

 遠くから放たれるそれは、その威力をほとんど減衰させずに僕のすぐ傍で炸裂する。そのたびに永久凍土の地面が暗く重い地響きを鳴らす。僕はそれに煽られて転倒しそうになりつつも、なんとかそれを避け続けていく。

 少しでも着弾のタイミングが広がれば即座にかの龍に向けてほとんど狙いもつけずに矢を放つ。それを繰り返した。

 

 

 

 しかし、そんな応酬もそう長くは続かなかった。

 もとよりここは氷山の頂。端から端まで百メートル程度しかない。つまるところ、僕は氷壁に阻まれて後がなくなった。

 

「ぜぇっ、はぁっ、ぜぇっ、はぁっ」

 

 ここから前方か左右に逃げようとしても、いずれは捉えられる。体力的にもそれはすぐに訪れる。後がなくなったというのは、物理的にも、そして今の状況的にも言えることだった。

 かの龍もそれを察しているのだろう。いつもよりも大きく、長く首をもたげる。やつの口元に集う風の塊が巨大化していくのが目に見えるかのようだ。

 

 

 

 止めの一撃。

 

 

 

 口から吐き出されるかのように暴れる心臓と、空気を求めて軋む脳、血を失い過ぎて重く痺れる腕と足。それらを受け入れて、力を振り絞って、弓に矢を番えて、構える。

 そして、枯れた声で叫ぶ。

 

 

 

「てはッ!!」

 

 

 

 そして、テハにその言葉は届く。

 起伏の陰から、やつに悟られないように。拳大の物体の信管を抜いた彼女は、それを天高くに投擲した。

 

 

 

 クシャルダオラが特大の風の砲弾を僕に向けて放つと同時に、東の空の白み始めた氷山の頂を、眩い閃光が包み込んだ。

 

 

 

 そう。かの龍との戦いを始めてからそれは一度も使っていない。

 狩人の生命線ともいえる狩猟道具、閃光玉。

 それは全て、このときのために。

 

 

 

 遠くから確実にそのブレスを当てるために僕に標準を合わせていたかの龍は、本来は備えているはずの広い視野と注意力を欠いていて。彼女が投げたそれに気付くことなく。

 その閃光を正面から、山頂から離れた空中で、もろに受けた。

 

 

 

 

 

 

 

 何となく覚えのある酷い眩暈と寒気に襲われながらも、少女は自らが天に向かって投げた閃光玉が確りとその役目を果たしたのを確認し、小さく息を吐いた。

 

 ──あとは、空中でバランスを崩して山腹に落ちていくクシャルダオラを見届けて、ブレスを回避した彼と共に一気にベースキャンプまで撤退する。

 

 ──その後のことは、ベースキャンプで。

 

 彼女はこちらに向けて駆け出しているだろう彼の方を見て。

 

 

 

 

 

 その場から動かず、弓を構えている、彼に。

 

 

 

「──アトラッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 彼女が初めて口にしただろう『叫び』が、合図となった。

 構える先は遥かな天高く。狙いはもちろん風翔けの龍。迫り来る死を感じながら、僕はこれまでで最長の遠的に挑む。

 射貫くようにかの龍を睨みつけて。血が滲むほどに歯を食いしばって。限界まで結弦を引き絞って。

 

「────!!」

 

 それを、放つ。

 

 

 

 矢の射出音と弓弦の音が辺りに鳴り響き、僕はその反動で氷壁に身体を打ち付け、そして、その直後に。

 

 目の前に特大の風の砲弾が着弾した。

 

 直撃でないのにこの威力か。と僕は吹き飛ばされながら思う。もし僕が射撃の反動で数歩後ろに下がっていなかったら、その閃光によりかの龍の狙いが僅かに前方側にずれていなければ、問答無用に即死していただろう。

 風に身体が切り裂かれているというのに、鈍い痛みしか襲ってこない。本格的に身体が凍り付こうとしているようだ。受け身も取れずに地に打ち付けられても、その衝撃は意識を何度か落とす程度だった。

 

 そして、そんなことはどうでもいいのだ。いや、よくないのかもしれないが、今は、それよりも。

 

 

 

 僕が放った、曲射が。

 

 

 

「届けえええぇぇっ!!!!」

 

 

 

 

 

 何となく予感はしていた。

 そんなことはあり得るはずがないと理性が言っても、その不安は拭えなかった。

 

 相手は常識が通用しないとされる古の龍。その特異個体。嵐を引きつれず、その力を全て自らの内に閉じ込めた極めて特異な風翔けの龍。

 

 そんな『規格外』の具現化のような存在が、果たして目をくらませた程度で空中から落下するだろうかと。

 そして結局、その予感は当たった。

 

 

 

 かの白銀の龍は確かに視覚を奪われていた。眩い閃光をもろに受けて目を焼かれていた。

 

 しかし、落ちない。高度すら下げない。

 空中でその翼をはためかせながら、そして自らの足元に集中して風を展開することで、その場に留まり続けている。

 

 

 

 それは僕とテハのこれまでの努力を全てひっくり返す、かの龍の特異性。

 もしこのままかの龍が空中で視覚を取り戻したならば、僕たちが逃げても追いつかれるまでの時間は極めて短い。撤退は失敗し、僕たちは一方的に殺される。

 

 

 

 それは少なくとも僕が考える中で最悪の結末(負け)だった。

 

 

 

 

 

 その結末を、覆すためには──

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言えば、その天高く放った矢は、その場所に届かなかった。

 

 間違いなく、僕が放った中では最も遠くまで放たれた曲射だった。しかし、あと一手、届かなかった。

 

 

 

 しかし、僕の叫びは、かの龍にまで届いていたようで。

 

 恐らくやつにとっては、僕の叫びが聞こえた方に進むことでまた氷山の頂上へと戻れるからと。

 

 翼をはためかせ、大きく前へと進み。

 

 

 

 

 

 その背中に、僕の放った矢が突き刺さった。

 

 

 

 

 

 それとほぼ同時に、()()()()()()()()()。爆発音が響き渡る。

 

 

 

 ひとつは、クシャルダオラの背中。

 曲射によって放たれた矢に積まれていたのは、矢筒の底に仕込んでいた大量の爆薬と龍殺しの実の粉末だ。

 龍殺しの実はその名の通り、古龍種に対して効果が高いことが伝えられている。それをその効果が失われない程度に爆薬と混合し、曲射用に仕立て上げたのだ。

 

 あとは、その言い伝えが真実であることを信じるのみだったのだが……その願いは通じたらしい。

 爆発と同時に、普段は見ることのできない黒い稲妻のような光が炎に混じっているのが見えた。まるで、クシャルダオラに対して拒絶反応を起こしているかのようだ。

 

 それを受けてクシャルダオラが今までに見たことのない反応を示した。一瞬だけその身体を硬直させ、そしてまるでもだえ苦しむかのように身体を痙攣させながら地に落ちていく。僅かに垣間見えた背中は黒く焦げ付き、煙を立ち昇らせていた。

 間違いなく大きなダメージを負ったとみていいだろう。そして、閃光玉と併用してかの龍を地に落とすという最大の目的も達成された。

 

 

 

 

 

 もう一つの爆発音は、この氷山の頂上から。

 その音は、地に倒れ伏す僕へ向かって駆けていたテハをその場で押し留める。

 

 

 

 戸惑うように辺りを見回し、そして続けてはっとした表情をする。

 僕はそれを見て、小さく笑った。

 

 ──よかった。ここまで気付かれずにすんだのは奇跡だな。

 

 

 

 今の爆発は、僕が引き起こしたものだ。

 今まで結局使わなかった全ての強撃瓶の中身を、かの龍のブレスによってつくられた罅のひとつに仕込み、それを時限式の小さな爆弾で起爆させた。それだけだ。

 

 ただ、それの及ぼす影響は計り知れない。

 

 その爆発に続けて、永久凍土の地面の底から、そして天を突いて聳える氷壁から、重く鈍い音が響いた。そして、辺り一帯に地響きが鳴り始める。

 

「……お前の攻撃は天災そのもの。人間はおろか、この氷の大地も、そう耐えられるものじゃない。……ガハッゴホッ……まあ、いつものお前なら、空を飛んで、逃げられたんだろうけどな」

 

 氷の地面にできていた罅が繋がり、広がり、上下にずれていく。氷壁がだんだんと傾いていく。地響きは際限なく大きくなっていく。

 

 

 

 氷山が、崩れる。

 

 

 

 そして、人の足では渡り切れないだろう大きな裂け目が、僕とテハを分けたとき。

 崩れ落ちる側にいたのは──

 

 

 

 

 

 クシャルダオラと、僕だった。

 

 

 

「よし……ここまで、作戦通りと。……コホ……なんかうまくいきすぎて、不安になってくるな?」

 

 

 

 この永久凍土の山の頂上は、僕とクシャルダオラを道連れに、遥か下方の冷水河まで崩れ落ちる。

 流石のやつも、あの状態ではこれを避けようもあるまい。

 

 雪崩ではない、氷山の崩壊だ。山の中腹に落ちているクシャルダオラはその膨大な質量の氷の塊をその身で受けることになる。

 そして、そのまま極寒の河に落下するのだ。流れこそ早くないが、あの川の冷たさはあらゆる生物の命の熱を一瞬にして奪い去るだろう。かの古龍とて、それは例外ではない。

 

 あの風翔けの龍は、氷に潰され、極低温の水に飲み込まれ、絶命する。

 

 

 

 その作戦を完遂するには、僕を囮として、最後の最後までかの龍を誘導するしかなかった。

 テハがこのときまで戦える状態であることが必要不可欠だった。

 

 だから彼女があのとき風の砲弾を前に立ち尽くしたとき、僕は彼女を突き飛ばしてそこに立ったのだ。

 

 

 

「──ってのは、半分くらい違うかもな。ははっ」

 

 

 

 そして、氷の地面の奥底から、何かが決壊するかのような、ひときわ大きな破砕音が響き渡る。

 

 崩壊が始まった。

 

 

 

「ゴホッ……ごほぉっ……あー、しんど……ん、それじゃあ足掻きますか」

 

 

 

 傾いていく地面に這い蹲って血を吐いていた僕は、ポーチから唯一残していた回復のため、というよりもドーピングの薬──秘薬を取り出し、それを咀嚼して膝立ちした。

 そして、空になったポーチに突っ込んでいた木片を手ぬぐいで包み、口に挟んで固定する。

 

 ここで死ぬつもりはない。死ぬことが敗北だと言った本人が死んでどうすると言った話だ。

 僕の予想では、頂上付近にいる僕は落ちながらひたすらに傾斜の緩やかな方へ移動していくことで冷水河に落ちずに済む可能性がある。それを目指す。

 

 死ぬ確率の方が圧倒的に高いのは百も承知だ。だから足掻きと言っている。

 ただ、せっかくここまで生き残ってみせたのだ。圧倒的だったクシャルダオラに致命の反撃を加えることができたのだ。ならば、その調子で生き残れるような気がしてくるじゃないか。

 

「アトラぁぁーーッ!!」

 

 傾いていく地面から落ちないように身構えていると、上の方からかすかにそんな声が聞こえた。

 その声を聞いてはっとする。そうだ。この作戦には最後まで彼女の助けが必要だった。それを伝えなくては。

 

 急いでベルトからある物を取り出し、彼女に向けて掲げる。

 

 それは、あの北の洞窟で彼女につくってもらった、セッチャクロアリの体液で押し固めた砂鉄の剣の片割れ。

 二本作って、投げたのは一本だけだ。砂鉄の在処の探知と収集においては誰よりも長ける彼女ならば、この剣を手放さない限りきっと僕を見つけ出せる。

 

 僕が掲げた剣を見た彼女は、たぶん全てを察してくれた、と思う。表情まで伺い知ることはできなかった。

 

 

 

 足元の氷が崩れ始めた、そして頭上からはゆっくりと、しかし確実に、砕かれつつある氷壁が迫ってきている。

 

 まずはあれに乗り移るところからか。失敗したら死ぬな。怪我人に対してハードな仕打ちだ。

 

 

 

 

 

 ああ、でも、テハもあんな声を出すことができたんだな。短い間に、二度もそれを聞いてしまった。

 

 少し意外だった。動揺はするだろうと思っていたが、冷静さは失われないだろうと思っていた。

 

 彼女に嘘をついたことは何度かあった。ほとんどが冗談の類だが。今回のは、流石にやりすぎだっただろうか。

 

 

 

 ああ。もし生きて彼女に助け出されたならば、しっかり謝っておこう──────

 

 

 

 

 

 

 

 暗転。

 

 

 

 



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第15話 転:『  』

 

 

 天地をひっくり返すかのような揺れが、ある程度収まるまでには数分近くがかかった。

 大地に反響していた地響きが遠ざかり、氷の破片が崩れ落ちた斜面をぱらぱらと落ちていく程度に落ち着いたのを見届けて、少女は迅速に動き始める。

 

 冷水河に削られ、ただでさえ急峻だった氷山の斜面は、今や断崖絶壁となってしまっている。

 その崖に向けて、彼女は迷いなくその身を躍らせた。

 

 途端に自由落下を始める身体。その加速を止めることは敵わず──ささくれのように崖から突き出た氷柱に、勢いよく着地する。

 高所からの落下衝撃を抑えながらの着地方法は、彼から教わっていたことだった。狭い足場でその手順を忠実にこなし、着地から素早く立ち直った少女は、間を置くことなく再びその身を投げ出す。

 

 見晴らしのよくなった崖の斜面に、彼の姿は見当たらなかった。そもそも、あの規模の崩落に巻き込まれて、こんな高所に留まれる可能性は限りなく低い。

 ならば下って探す。崩落地の縁沿いから迂回しながら捜索するという堅実な選択肢もあったが、崩落に巻き込まれる前の彼の状態を鑑みたとき、その選択肢は即座に棄却された。

 彼のような怪我を負った人間が、その場にいるだけで体温を奪い尽くすようなこの地にいる時点で自殺行為だ。一刻も早く彼と合流し、適切な処置を行わなければ、彼の命が危うい。

 

 

 

 崖に僅かにできた氷棚を伝って着地と跳躍を繰り返し、斜面では一気に滑り降りて、風のように氷山を下っていく。

 足元の地面が少しでも崩れたら。跳ぶときに少しでも力が足りなかったら、この絶壁を真っ逆さまに落ちていくこととなるだろう。そうすれば自身も持たない。

 

 何度目かの跳躍、そして着地のタイミングで、少女の身体が大きくふらついた。慌てて壁に手を突き、座り込む。滑落だけは避けなくてはならない。

 ぐらりと視界が揺らぐ。前後感覚が一瞬分からなくなり、続いて頭が鈍く重く痛みを発した。

 

 ──脳震盪、と彼は言っていたか。それがこの身にここまで影響を及ぼすとは。

 

 目を閉じ、深く息を吸い込み、吐く。揺れる身体を鎮めるように、じっとその場に留まる。

 これも彼から教えてもらったやり方だ。同時に、()()()()()()()ということも知覚し、()()()()()()()()()()()

 今の流れは、少女が初めて経験したことであったが──目を開けた彼女は、もう一度深呼吸を重ねて、さらに下へと向かうために地を蹴った。

 

 

 

 

 

 崩れ去った山の中腹辺りまで来て、ようやく傾斜がやや緩やかになり始めた。未だ氷の破片がばらばらと落ちてくる斜面を、少女は駆ける。

 彼が冷水河に落ちずに崩落から逃れているとすれば、ここからだ。落下によって砕けた氷塊は、ここで集い、やや速度を落とす。それは脱出の機会となり得る。

 

 崩落した氷塊の通り道は、ここにきて横幅数百メートルに達しようとしていた。空は明るくなり始めたが、起伏も多く、視角からの捜索は行いにくい。

 しかし、少女はもとより視覚に頼ってはいなかった。消耗した極龍の能力をできる限り展開し、ある物を探している。

 

 それはあのとき、彼が翳した手に握られていたもの。磁力ではなく糊で固めた砂鉄の剣だ。

 

 もとよりここは、砂鉄の集めにくい地だった。本来の大地がおおよそ永久凍土や雪に覆われ、感知と収集のどちらをも難しくしていたためだ。

 だからこそ、彼が持っているだろう砂鉄の剣は捜索に適していた。この地で採集できる鉱石は血石やクリスタル、氷結晶など磁気を持たないものが多く、火山のようにあちこちに反応があって困るようなことも少ない。

 

 ──あのとき彼が一本しかあれを投げなかったのは、いや、一本で十分のはずが二本要求してきたのはこのためだった。そのときから既に、彼の頭の中にはこの作戦があったのだ。

 

 何故、彼はそのような選択をしたのか。彼女には分からない。

 ただ今は、それが唯一の彼の手がかりになっていることだけを意識する。

 

 

 

 ──『もし凍土か雪山なんかで雪崩に遭ったときは、正直言って大抵生きて帰れない。だが、最初から諦めるわけにもいかないからな』

 

 崩れる前の永久凍土の底に流れていた流水、冷水河に流れ込まずに残った氷塊、崩壊の振動で新たにできたのだろう巨大なクレバスに何度も足止めを食らいながら、それでも止まることなく駆け続ける。

 

『一応人間の対処としてはな、こんな感じで、こう、ぬのでもなんでもくちにくわえて、それをくいしばるんだ。舌を噛み切らないようにだな』

 

 時折頭上から降ってくる氷石を避け、それが谷間にある冷水河に落ちていくのを見届けることなく。

 足元のユクモノ足袋は、所々破れて血が滲んでいる。一足ごとに血痕を残しながら、隅々まで気配を探る。

 

『それで、巻き込まれたらとにかく上の方を目指して足掻く。そのままでいると雪とか土砂に押し潰されるからだ。そうなるとその後に這い出るのも助け出されるのも難しくなる』

 

 谷の底を流れる冷水河は、流れ落ちてきた大量の氷塊と雪に堰き止められ、そしてそれらを呑み込み押し流そうと力を蓄えている。

 そこにいるのであろう風翔けの龍も諸共に。

 

『事が収まったあと、意識が残っていたなら、まだするべきことがある。できれば全身、せめて顔の周りだけでいい。雪や氷をかき分けて空間を作るんだ。そうしないとすぐに窒息してしまう』

 

 ──いない。この辺り一帯にたった一つの砂鉄の塊が感知できない。

 それは、つまり。

 

『そこまで準備して助けを待ったとして……数時間くらいか。半日は持たないな。凍死か窒息か──相方がそれに巻き込まれて、それを助けようと思うなら、とにかく急がなくちゃいけないってことだな』

 

 山の頂上から落ちて、あの谷底まで。

 それは到底、生きて帰れるものでは──

 

 

 

 ──だめだ。

 

 それだけは、だめだ。

 眼下の谷底へ向けて、少女は再びその身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 谷底に着き、河を堰き止めている氷の土砂の上に立って。白い息を吐きながら。

 それらを一気に押し流さんと体積を増やし続けている水溜まりを傍目に、探し続けて。

 

 

「──ッ!」

 

 

 見つけ出した。

 それは極々弱くも、確かにそこにある。

 自らの操る能力の、元の気配。

 

 ほとんど残っていない砂鉄をかき集めて鋤を創り出し、氷と雪をかき分けて。

 ずっとずっと、進んでいった先に……

 

 

「アトラ!」

 

 

 見つけた。そこにいた。

 彼は、その剣を手放していなかった。

 

 

 声をかけるが返事がない。意識を失っている。

 血は流れ出す前に凍り付いてしまったのか、あまり出血しているようには見えない。しかし、一目見て分かることは、それだけではなかった。

 

 背中に担いでいた弓はそこにはなく。

 防具の越しに見える凍り付いた左足は白く青く変色していて。

 

 そして、その右腕は完全に潰れてしまっている。

 

 しかし、その外傷に気を取られてはいけない。

 半ば氷に埋もれていた彼を引っ張り出し、これからここを決壊させるだろう冷水河の岸から離れたところまで運び出す。

 砕けたリオレイアの胴防具を外して、胸元に耳元の感覚器官を近づけた。

 

 ──鼓動が感じられない。

 

 迷うことなく自らの唇で彼の唇を塞ぐ。そして彼のあごを少し持ち上げて、強く息を吹き込んだ。

 それを二度繰り返し、続いて両手を重ねて彼の胸元に置き、圧迫する。三十回。肋骨への負荷はこの際気にしなくてもいい。

 

 ここまで仕組んでいた彼ならば、崩壊に飲み込まれる寸前に今まで使っていなかった秘薬を飲んでいるはずだと少女は予想していた。

 あの薬は劇物であり、端的に言えば寿命を縮める。しかし、こうやって致命傷を負う前に服用していれば、そこからの蘇生の可能性を大きく引き上げるほどの効果を発する。

 

 だからこそ、落ち着いて。

 彼は戻ってくる。自らの内にいる龍の感性が、彼の胸元に耳を当てたときにそう告げていた。それを頼りに、彼女は黙々と、過去に彼から教えてもらった心肺蘇生を実行し続ける。

 

 

 

 だから、それまで死んだように血の気がなく、何の反応も返さなかった彼が小さく咳き込んだとき。

 

 少女はその身体の何処からか湧き上がってきた何かを、彼の胸に当てていた手に小さく力を込めて、自らの内へとしまい込んだ。

 

 まだ、彼が目を覚ます様子はない。今は息を吹き返しただけ。この後に適切な処置を行わなければ命の灯はまたすぐに消えてしまう。

 ここはとても環境が悪い。応急処置以上のことはできない。少女は彼の身体を背負い、冷水河の下流の方に向けて、息を切らせながら走り出す。

 ここを下って崖を登った先は山の麓にあたり、ベースキャンプを備えた洞窟がある。そこまでの体力は何とか持つ。

 そこで彼を治療に専念して、彼が目を覚ましたならば──

 

 

 

 

 

 

 

「──ぅ、ぁ。あ?」

 

 彼が呻き声を上げながら目を覚ましたのは、それから半日近くが経ってからのことだった。

 彼はしばらくの間ぼうっと宙を見つめていたが、ややあって意識がはっきりしてきたのか、目線だけで辺りを見渡す。

 

 頭上を覆う見慣れたテント。そこに吊り下がっているランプ。ぱちぱちと音を立てる焚火と、それを囲む石を積み重ねただけの簡単な暖炉。その上に置かれた鍋からは蒸気が噴き出している。

 組み立て式の机の上には数々の医療品が置かれていた。蜂蜜入りの回復薬、栄養剤、活力剤、消毒液、包帯など──ポーチに入りきらず、予備としてベースキャンプに置いてきたものだ。

 

 続いて彼は、少女の姿を探す。

 その過程で気付いた。身を起こすことができない。四肢の何れもがまともな反応を返さない。特にひどいのは右腕で、痺れるような痛み以外、何も感じない──

 

「無理に身体を起こしてはいけません。アトラ、あなたは重傷を負っています」

 

 そんな声が聞こえて、その方に目線を向ければ、今テントに入ってきたらしい少女の姿があった。

 

「洞窟の入り口を雪で塞いでいました。……アトラ、本機の声が聞こえますか。そして話すことはできますか」

 

「ぁ……ああ……」

 

 少女の問いかけに応えるために、彼は口の中で言葉を転がす。結局出てきたのは、うわ言のような声だけだった。

 しかし彼はどうしても聞きたいことがあった。明瞭にならない意識の下で、これだけは聞かねばばらないと呻いた。

 そして、それを少女が汲み取った。

 

「……風翔龍クシャルダオラは氷山の崩壊に巻き込まれ、冷水河へと落下しました。それ以降の気配はありません。対して、あなたは命を取り留めました。

 ──あなたの勝利です。アトラ」

 

 それはこの地では異常だった快晴が()()()、雪がちらつき始めた、夕暮れ時のころだった──

 

 

 

 

 

「ありがとう、な。テハ。いまさらに、なってしまったが」

 

 目を覚ましてしばらくすると、意識がある程度はっきりとしてきたのか、片言ながら彼は話せるようになった。

 その最初の言葉がこれだ。しかし、少女は自らにお礼を言う理由を考えて、応える。

 

「はい。ですが、本機は当然のことを行ったまでです」

 

 そう言ってから彼女は気が付いた。自分に限っては、当然のことではなかったかもしれない。

 人ではない竜を討つ兵器としての答えを告げたのに、それに矛盾を感じる。

 

「とうぜんのこと、か。そりゃ、そんなもん、かね。ゴホッ……ああ、痛……」

 

 彼はそう言って少し笑って、言葉を切った。

 彼はこういうところがある。少女にはよく分からないことを呟いては、それを自らの内にしまい込んで言葉にせずに完結させることが。時折それを問うてみるが、的を射た答えを得たことはなかった。

 

「いまの僕のけが、どんなかんじだ? 動けないから、わからなくてな」

 

「……右足の踵より先と、左足全体に凍傷。左足は壊死寸前だったため、しばらく回復が見込めません。身体を起こすことができないのは、首付近の背骨が損傷したからであると考えられます」

 

 彼に問われて、彼女は淡々と彼の怪我の状況を告げた。細かな傷を挙げていけはきりがないため、概要だけを話していく。

 

「左手は人差し指と中指を骨折。右腕は……肩から先が複雑骨折しており、現状での回復が見込めません」

 

 少女とは比較にならないほどの重傷だった。

 彼女がこの一年に学んだ知識では、彼はこの先、狩人という職業を続けていくことはほとんど不可能だ。回復しても、後遺症という名の重い枷が彼には課せられる。

 それを教えたのは彼なのだから、当然彼もそのことは分かっているはず。しかし、彼はそれを聞いて、また笑顔を浮かべる。

 

「それだけですんだか。あいつを倒した、代わりにしては、かるいかるい……。いのちがあっただけでも、もうけばなし、だってのにな。……弓は、なくなっちまったか」

 

「はい。アトラを発見した際に見つけることはできませんでした。」

 

「せなか、まもるのに、使っちまったからな。せめて、こわれても、のこっていればよかったんだが……」

 

 自分のことは早々に片付けて、自らの持っていた弓について心配する。彼自身、それを使って戦うことはもうできないだろうことは分かっているのに。

 彼について分からないことは、とても多い。

 

「……鍋で粥を作りました。喉の怪我に差し支えなければ、回復のために食べることを推奨しますが、如何ですか」

 

「ああ、ありがたい……血をながしすぎてて、ぜんぜんたりなくて、な。すまない。たべさせて、くれるか」

 

「はい」

 

 火にくべていた鍋を取り、粥を匙ですくって、息を吹きかけて冷まし、彼の口に持っていく。顔にも酷い切り傷を負っているが、咀嚼はできるようだった。

 予断を許さない彼の怪我の状態。しかし、そこには穏やかさがあった。それを少女は懐かしいと感じた。数か月前に知った感情だ。何故そういう感情が出てくるかは、やはり分からなかった。

 

 彼を助け出したときに沸き上がった知らない感情は、ずっと体の内で燻っている。もしかすると龍の感性のひとつなのだろうかとも思ったが、それとはどうやら違うようだっだ。

 それらを全てひっくるめて、表に出ないようにして。粥を飲み込むことに苦戦している彼を見て。

 

 彼について分からないことと、自らの内で()()()()()()()()()のひとつ。

 肺にも重い傷を負っている今の彼に、話すことを求めてはいけないのかもしれない。

 しかし、今、彼が少女の言葉を聞くことができて、そして話すことができるなら。

 

 それを避けることは、もうできないから。

 

「アトラ。本機は気付いたことがあります」

 

「うん」

 

 穏やかな時間は過ぎて、長い沈黙を挟み、そう告げた。

 彼は目を閉じていて、しかし眠るつもりはないようで、しっかりとそれに応える。

 

「本機があなたと共に旅をする理由は、本機が自己破壊処理を実行できなくなっている原因を特定するためでした」

 

「ああ。そうだな」

 

「また、あなたは、本機のこの世界における在り方を探るという理由を付け加えました」

 

「それも、そうだな」

 

「……ここに来る前の砂原で、あなたの付け加えた課題に対する答えはほぼ出ていました」

 

「ああ。ちゃんと、覚えてるぜ」

 

 確認と回答が、淡々と繰り返される。

 焚き火の明かりがテントの布に映し出され、ゆらゆらと揺れる。

 

「本機が新たに出した答えは、本機が自らに課した方、自己破壊処理が実行できなくなった理由です」

 

 『自らはこの世界に在ってはならないのではないか』という答えに近い問いが出ているのに、自己破壊処理を実行することはできなかった。その理由を探し続けて、ここまで来た。

 

 その答えを、今なら言葉にして明白に言うことができる。

 

「…………できれば、聞かせてほしい。お前の答えを、僕は知りたい」

 

 すうっと息を吸い込んで、彼はそう告げた。

 

「あなたがそれを求めるならば。──いえ、もし望まなかったとしても、本機はあなたに、この答えを言わなければいけません」

 

 彼と共に、数々の土地を旅した。答えへの手がかりを見つけるために、各地の資料を探し回った。

 少女が死ぬことができない理由は何なのか。何気ない日常の会話にも、何度もそれを織り交ぜた。彼もまた、その答えを追い求めている。

 

 

 

 その二人の旅を、終わらせるために。

 

 少女は静かに言葉を紡ぎ出す。

 

 

 

「あなたの言葉を借ります。

 本機が死ぬことができなかった、その理由は────」

 

 

 

 

 

 

 

「────あなたが、そう願っていたからですね。アトラ」

 

 

 

 

 

 だからこそ、少女は彼に()()()()()()()()()()()()

 

 それは、彼こそが。少女が死ぬことができない理由だったから。

 

 そして、彼がこの後に言うであろう言葉は、なぜか予想ができていて。

 

 

 

 

 

 「『ああ。やっぱりな』」

 

 

 

 

 

 一言一句違うことなく、彼はそう言って。

 苦笑いを浮かべて、言葉を重ねる。

 

「詳しい理由、教えてもらっていいか? なんとなく、そんな気はしてたんだが、その理由が、分からなくてな」

 

「……はい」

 

 驚きもせずに、そう告げる彼に底知れなさを覚える。

 彼の要求を拒む理由もなく、少女は静かに話し始めた。

 

 

 

 彼女は二世代目の竜機兵。人に造られた対龍兵器。

 

 その開発目標は、

 人の命令に従って動く兵器

 自然の理を支配して自らの力とする龍

 自らの意思に基づき自律して行動する人

 それら全ての在り方を、内包した存在であること。

 

 だからこそ、この兵器は人からの命令に加えて、その意志にも従う。

 人の意志を読む役割を担うのは、龍の感性だ。戦場に赴けば、彼女と直結された竜機兵は命令を受けるまでもなく、周囲にいる人々の意志を汲み取り、状況を判断して動くことができる。人対人の戦争の常識が一切通用しない竜や龍との戦いにおいては、この自律性が求められていた。

 

 そして、そこに兵器としての在り方も付与される。

 兵器は人の命令に逆らわない。逆らってはいけない。人の意志に沿わない動作をするモノは、兵器とは呼べない。人にとって初めての、明確な自意識を持つ竜機兵へ、その概念は徹底的に仕込まれた。彼女は本質的に、自らの意志よりも人の意志を優先するように定義されている。

 

 この三つの特性は、開発されてから千年が経った今も、彼女の内に脈々と受け継がれていた。

 

 そして、それらの特性が全て発揮されて、絡み合って。今の彼女はできあがった。

 

 

 

 戦争は終わり、自らを不必要だと判断した自意識。

 彼女と最も身近にいた彼の、彼すらも気づいていなかった心理を読み取った龍の感性。

 そして、自らの判断よりも彼の願いを優先して、自己破壊のシステムを封印した兵器の在り方。

 

 それが、彼女の本質。

 何故自らは生きているのか、という問いに対する答えだった。

 

 

 

「今述べたことを本機が思い出したのは、かの龍と戦い、そしてアトラがかの龍を墜とし、共に崩壊に飲み込まれる過程を見たからです。

 アトラ。あなたが本機に何も伝えずにあの作戦を実行したのは、本機を崩壊に巻き込ませずに、救助に専念してもらうためだったと言うでしょう。

 しかし、それは建前に過ぎない──本機に本機が死ぬことを望まなかったから、が本質であると推測します」

 

 何故なら、あのときの彼は、笑っていたからだ。今まさに自らの命の危険が差し迫っているという状況において笑顔を浮かべていたのも、それなら説明ができる。

 

「……ほとんどお見通し、じゃないか。困った、な」

 

 少女が告げた言葉を、彼は否定しなかった。

 

「なんとなく、そんな気はしてたんだ。気付いたのは、いつだったか──。

 お前の選択に、介入するのは、出会ったあの日が最後って、そう、決めたつもりだったんだ。でも、ぜんぜん、だめだった、みたいだな」

 

 彼が話す度に、その喉元からひゅうひゅうという音が混じる。気管が傷つき、喘息という病気に近い症状が現れているのだ。まともに息をすることさえ、今の彼には難しい。

 そんな状態だ。言葉を発する度に喉と肺に激痛が走っているはず。しかし彼は、話すことを止めない。

 

「お前が、死ねなかった理由、話して、その原因が僕だったなら……僕も、けじめつけないと、いけないよなあ……」

 

 薪が燃える音、鍋に入った水が湯気を立てながら沸騰する音。心臓の鼓動の音。

 少女の命は、彼によって繋がれている。

 

「僕の答えも、この戦いでみつけたんだ。聞いて、くれるか」

 

「はい。それは、本機の答えにも繋がるので」

 

「はは、違いない──」

 

 そう言って彼は笑い、少しの間を置いて、はっきりとした声色で告げた。

 

 

 

「僕は、お前の選択の、その先が見たい」

 

 

 

 少女は一瞬で理解した。

 彼は嘘をついておらず、その答えは確かに、彼女が導いた答えに届く。

 

「解釈が、違ったんだ。お前の選択を、見届けることが、僕の願いだと思ってた。

 でも、違った。全然違った。見届けるんじゃない。その先が、見たいんだ。……お前が、死ねないのは、僕が未来(さき)を願っていたから、なんだろうな」

 

 それが、この旅を経てついに彼が得た、少女に対しての答えだった。

 少女に選択を委ねているようで、実際は彼女から自壊という手段を奪っている。未来を願うということは、そういうことだ。

 

 

 

 この一年間、世界の各地を巡って探し続けていたものは、結局のところ二人の内側で完結していた。

 

 そして、その答えは。

 到底、彼女に受け入れられるものではなかった。

 

 

 

「アトラ、その願いは。本機に未来を願うのは間違っています。本機はやはり自壊するべきであると、そう提唱します」

 

「……やっぱり、相容れないよな。これを、はっきりさせないと、僕も気が済まない。

 話し合おう、テハ。初めて、意見が、対立したんだ。僕は、お前の主張が聞きたい。……コホッコホッ……それまで、しっかり起きとくから」

 

 痛みを耐えるように顔を歪め、時折咳き込みながら、このときだけは目を開けて、彼は少女の方を見た。

 そこには、確りとした意志が宿っている。聞き逃さず、全てを吟味すると、その瞳が告げている。

 

 その瞳を見て、少女はまた、静かに語り始める。

 

「……クシャルダオラと戦ったことで、本機はもう一つ思い出したことがあります」

 

 それは、今から遥か、千年以上前の話。

 第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号《テハヌルフ》がその調整を終えて、初めて戦地へと赴いたときの話だ。

 

 

 

 試運転という名目の、戦場から離れて活動していた竜の討伐作戦は全て成功した。

 今こそ第一世代機では成し遂げることができなかった偉業を達成させようと、本機(わたし)を開発した人々は勢いづいていた。

 

 極龍の能力を用いた高い戦闘能力と、人間の言葉を駆使できるというこれまでにない二つの特性を活かし、桁外れに高い開発費に見合う戦果を叩き出し、さらに人と龍との戦争を人の勝利へと導く。

 そのようなシナリオを描かれ、本機(わたし)は戦争の最前線へ投入された。

 

 その結果、何が起こったか。

 竜大戦そのものの事実が秘匿されているという千年後の現状から、想像するのはそう難しくない。

 

 

 

 本機(わたし)の存在は、竜、そして龍の逆鱗に触れた。

 自然の理を受け取って自らの力とする、龍だけしか持ちえないはずの世界の恩恵。

 その恩恵を得た命を、人という種族が創り出してしまった。それも、幾多の同胞の亡骸を継ぎ接ぎにして。

 

 人は禁忌に手をかけた。龍はそれを大いに恐れ、怒った。

 そして龍は、()()()()()()()()()()

 

 種族の違いも、自らの命も、もう構わない。

 今この戦場にいる我らの全てをかけて、恐るべきこの兵器と、それを扱う人々を倒す。

 本機(わたし)の龍の感性が受け取ったのは、まるでひとつの意志と見紛うような、群体としての意志だった。

 

 

 地獄のような戦いが始まった。

 

 自らの命、同胞の犠牲を全く惜しまず、ただひたすらに、殺されるまで人を殺す機構と化した龍。そして、それに感化されて凶暴化し、喰らい合う竜。

 本来は肉食でないはずの草食竜ですら、その戦場に現れ、次々と人を喰らった。

 

 これに対し、人々は撤退を選択せず、徹底的な抗戦を始める。

 今と違い、千年前の人の文明は遥かに進んでいて、それができてしまったから。

 しかし、どんなに当時の文明が発達していたとしても、その戦場全ての竜と龍が徒党を組むという状況では分が悪かった。幾多もの竜、そして龍の屍を積み重ねながらも、少しずつ、その勢いに圧されていく。

 

 

 

 そして、結末。

 

 本機(わたし)は初めての戦地投入から回収が不可能となり、その間延々と竜と龍を屠り続けた末に、人のいなくなった戦場に取り残された。

 そして、龍の感性が人でなく龍の側に支配され、暴走。最終的にその地一帯を更地にして、機能を停止した。

 

 本機(わたし)の記録に残っているのは、その後の人が、本機(わたし)へのこれ以上の干渉を恐れ、後世に託すという名目でその残骸をどことも知れぬ山奥に廃棄したこと。

 

 

 

「──暴走した本機と最後まで渡り合ったのは、風を司る龍、クシャルダオラでした。

 間違いなく、先ほどまで戦っていた風翔龍です。かの龍は、本機に対して明確な殺意を持っていました。千年前のあの出来事を覚えていた可能性が極めて高いです」

 

 彼が少女の身代わりとなってかの龍のブレスを受けたときの、かの龍の咆哮が記憶の中で蘇る。

 

 お前だけは全力で、絶対に殺してみせる。

 お前はこの世界にいてはいけない存在だ。

 お前の存在を許すわけにはいかない。

 

 あの戦いのときと、同じだ。

 

「本機が再び活動しているという現状は、人間にとって危険です。

 今の人々は竜と共に生きていることを、あなたとの旅で学びました。本機はその均衡を崩す異分子になってしまいます。そうでなくては、風翔龍が本機を討伐しに来る理由がありません。

 

 本機が自己破壊処理を実行することで、これは解決します。

 今後、このようなことは起こらず、人にとっての不安要素を排することができます」

 

 口を閉ざす。言うべきことは言った。後は彼の返答を待つ。

 彼は、やや眉間にしわを寄せ、何かを考えているようだった。こういうときには、言葉を選んでいる最中だから、できれば待ってくれるとありがたい、と彼は過去に言っていた。

 僕は器用じゃないから、伝えたいことを言葉にして伝えるのに時間がかかるんだ、と。

 

「思ったことを、先に言うから、あまり気にしないで、ほしいんだが」

 

 ややあって、彼は口を開いた。掠れた声が焚火の音と混じる。

 

「死にたい、と死ぬべき、は違うんだなって実感してな。どちらも、重みはあるが、お前ってやっぱり、死にたがっては、いないから」

 

 その通りだった。

 少女は生き死にに対する感情が最も分からない。人が生きたいと願うのは少しだけだが理解できる。彼との旅を経て、それを学んだ。けれども、それは彼女には当てはまらない。

 存在を願われているか、否か。存在が人に利するか、否か。今の彼女はその論理で動いている。

 しかし、それはこれから彼が言うことに、何か関係するのだろうか。

 

「──先に、謝らせてほしい。

 僕の考えが、甘かった。テハの過去についても、今まで答えを出さなかった、僕についても」

 

 そして、彼は一度言葉を切って。

 

「それでも、僕の答えは、変わらない。

 今、自己破壊っての、できないだろ。たぶんその方が、お前には伝わる」

 

 少女は彼に言われるがまま、自らの胸に手を当てた。

 そして目を閉じて、小さく「自己破壊処理、実行」と呟く。

 

「…………。

 ……説明を要求します。何故ですか、アトラ。あなたが求めていた本機の答えとその過去は、全て明かされたはずです」

 

 そう告げた彼女の声は、それまでに聞いたものとは少しだけ違っていた。

 それを聞いた彼は、自らを律するように、ふうっと息を吐いた。そして今できる限りのはっきりした声音で話し始める。

 

「……だいぶ、抽象的な話になるから、ちゃんとテハに伝わるか、分からないんだけどな──」

 

 

 

 この世界、お前が考えてるよりもずっと無慈悲というか、寛容だと、僕は思う。お前との旅を通して、そう思った。

 

 理屈の話からしようか。そのクシャルダオラは、千年前にお前と戦って、テハのことを覚えていた。だからこそ遠く離れたフォンロンからこんな僻地にまでやってきた。

 でもな、それこそ例外的な話だ。とんでもなく寿命が長い古龍にだって代替わりはある。今生きているのは、ほとんどが竜大戦の直後かそれより後に生まれてきた個体だろう。

 断言できる。そいつらはお前のことを特に気にしてない。いくら龍の数が少ないとはいえ、これだけ旅をしてきたんだ。一回か二回は龍の棲み処にも近づいてるはずだ。それくらいはいないと、古龍観測隊は活動ができないさ。

 でも、結局何も起こらなかった。見逃されたんじゃない、無視されたんだ。だから、お前の感覚器官にも引っかからなかった。

 

 さらに言えばな。竜ならそれこそかなりの数を倒したが、そのほとんど全部がいつも通りの狩りだったぞ。テハの理屈に従えば、本能的にお前に執着したり極度に恐れたりするやつがいてもおかしくない。

 もちろん例外はあるさ。あのジャギィとフロギィの群れを殲滅した一件だな。

 今だから言えるが、あれは少しまずいかもしれないと思った。でも、結局あれはお前が今の僕たちと竜との関係を学ぶことに繋がって、それ以上のことは起こらなかった。

 

 無慈悲な世界は、あのジャギィとフロギィの一件を弱肉強食の摂理に落とし込んだ。そして、竜大戦を生きた人々の思惑通りに、あのときのほとんど全てを忘れている。

 

 だから、お前が自分の命を自分で閉ざす必要は、()()()()

 過去にその必要があったのは、もう認めざるを得ない事実かもしれない。ただ、少なくとも、今のお前は生きる選択を取れる。

 

 

 

「──で、ここからは、感覚的な話になるんだけどな。こっちの方が伝わりにくいが、話しておきたい。

 

 村の依頼を終わらせて、お前が報告に行ったときな、村人たちが、笑って、ありがとうっていうんだ。僕と、お前に。買い物を、お前に任せても、店の主人と、お前が、ちゃんと会話してるんだ。

 狩場に行くとな、それまでは、必要のない殺しをしてたお前が、考えて狩りをしてるんだ。倒した竜の、どの素材を剥ぎ取れば、役立てられるかって、聞いてくるんだ。

 

 理屈抜きで、それだけで、少なくとも存在が許されないなんてことは、ないと思うんだ。人権の話じゃない。この世界で平等であることを、お前は許されてるんだって、そう、思ったんだ。

 

 だから、死ななくてはならないことなんて、ないんだ。テハ」

 

 

 

 強く咳き込む音。血の赤が混じる。酸欠なのか顔色も悪い。滔々と話し続けた、彼の身体が悲鳴を上げている。

 水で薄めた回復薬を少しずつ飲ませて、瓶に入れた水に酸素玉を溶かして管でマスクとつないで簡易的な人工呼吸器とし、彼の口へと当てる。

 

 彼が無理をしていると分かっていても、少女は止まらなかった。

 携帯人工呼吸マスクを彼の口へと当てながら、彼へと訴えかける。

 

「違う。違うのです。アトラ。あなたの理屈は、正しいのかもしれません。反論は可能ですが、その全てを否定することは……本機には不可能です。

 それでも、本機の判断は覆りません。これを譲ることは、まだ、できません。

 

 どうすればいいのですか。アトラ。あなたに本機の自壊を認めさせる手段はないのですか。

 そうでなくては。そうでなくては、本機は……」

 

 その続かなかった言葉には、これまでにない、はっきりとした感情が現れていた。

 少女の顔が、苦しみを湛えて、歪んでいる。焼け付く肺の痛みと高熱に浮かされて霞む視界の中で、彼はそれを捉えた。

 

「……そうまで言う、理由が、あるんだよな。……ゴホ、ゴホッ……それを、言いたくない、ってのも。

 ……酷なことだと、思うんだが、話して、くれないか。テハ。僕も、この考えを譲ることは、まだ、できないから。

 今、知らないと……後悔しそうな気が、するんだ。だから……頼む」

 

 

 

 ──言え。

 ──いや、言うな。

 

 同時に二つの主張が、少女の内で正面から衝突した。

 

 拒否権はない。彼の意見は妥当だ。彼に情報を明け渡し、その答えを聞け。それが自らの義務だ。責任だ。

 何故今更になって。()()()()()()()()()、ずっと言わないでいたことを。これを言う必要はない。拒否しろ。

 

 今、それらの主張を鑑みれば、どちらも非論理的な内容が混じっている。

 義務とはなんだ。なぜ責任という言葉が出てきた。それは兵器としての原則から逸脱したものであり、どうしてその言葉が出てきたのか、自分自身でも分からない。

 逆に、()()()()()()()()()()()()()()()。なぜそこまでして拒否するのか。しかし、その拒絶反応は確かに自らの内に存在し、根拠が見つからない。

 

 全く論理的ではない。何かがおかしい。その何かが分からない。

 一度冷静になるべきだという客観的な主張すら撥ね退けて、少女はたった数秒間の沈黙のうちに何度も何度も主張をぶつかり合わせる。

 

 困惑と、葛藤。

 どちらも、少女が今、初めて経験している感情だった。

 

 

 

 そして、その初めての葛藤の末に──

 

 

 

「…………本機、は……」

 

 声が震える。彼の口に当てているマスクを持つ手が震える。

 これも、少女が初めて知ることになる感情──怖い、と。

 

 これを言えば、本機(わたし)は彼に、()()()()()()()()()()──。

 

「本機は……あなたを。これまでに何度も…………殺そうと、していました」

 

 それでも、少女は言うことを選んだ。

 

 眠っている彼の喉元へナイフを押し当て、崖の端に立つ彼の後ろに立ち。狩猟中の竜の標的が彼へと移ったのを見て。

 何をしようとしていたのか。

 

「……本機が自壊できない理由を、龍の感性は知っていました。だから逆説的に、あなたさえ殺せば、本機はその選択ができる。

 さらに、龍の感性そのものは、本能的にあなたを含めた人々を討伐対象と見ていて、それは今も──」

 

 この首を絞めてしまえ。今の彼なら、そう抵抗もできない。

 

 そう囁く自らの内にいる龍を、もう何度目かも分からないままに、殺して、少女は痛切に訴える。

 

「本機を身近に置けば、他ならないあなたが危ない! いつこの衝動が抑えられなくなるか予想ができない! そうなったら本機は、あなたを……!

 

 ……ですから、アトラ。そうなる前に……本機の自壊を命じてください」

 

 顔を伏せて、告げる。

 どうして言ってしまったのか。しかし、彼に本機(わたし)の主張を押し通すには、こうするしかなかった。

 

 その結果、彼に嫌われて終わってしまったとしても。

 それがこの嘘を重ね続けた自分への報いなのだから。

 

 

 

「──なんかさ」

 

 びく、と少女の身体がはねた。尖らせていた神経が、彼の言葉を聞いて過剰に反応する。

 それだけ、怖がっている。

 

 しかし、彼はいつもよりもややおどけた口調で、続けた。

 

「その言い方だと、僕、一日に一回くらいは、殺されかけてたんじゃないか?

 おかしいな……体感、一週間に一回くらいの感覚、だったんだが……その程度で、よく狩人、続けられたもんだよな」

 

 

 

 ──何を、言っているのか。

 

 

 

「それだけ殺されかけて、まだ生きてるんだから、これはもう、勝ったって言って、いいんじゃないのか……? ……いや、全部に気付いて対応できるくらい、じゃないとな。まだ、全然だ」

 

「気付いて──?」

 

「まあ、そりゃな。勘ってやつだから、どうしてかはなかなか、答えづらいんだが……。

 あ。でも、きっかけはな。出会ったあの日だ。

 お前って、砂鉄の剣、必要なとき以外は、創らないだろ?

 じゃあどうしてあのとき、僕についていこうとしたとき、手に黒いナイフ持ってたんですかねって」

 

 息が詰まる。驚愕する。

 確かにその通りだ。とても稚拙なミスだ。

 

 しかしそれでは……出会ったその日には既に、彼は気付いていたのか。彼に向けられた殺意に。

 ただそれを、言わなかっただけで。

 

「どうして──」

 

「単純に、怖がってたのも、あるな。言ったらそれこそ、どうなるか、分からなかった。

 でもな。何度かそれを経験してたら、思ったんだ。──何で、殺()()()()んだろうなって」

 

 自分を殺そうとする理由も分からなかったが、それよりも彼は、ならばどうして自分は今生きているのかということに注目した。

 自分の寝首を掻く機会は何度だってあっただろうに、と。

 

「そしたら、気付いた。僕を殺そうとするたびに、それをぎりぎりで、押し留めている意志が、あるんじゃないかと。

 そしてそれも、他ならないお前だ」

 

 確かにそれは、その通りで。

 予感とはいえ、彼は少女のその二面性すらも見抜いていたということで。

 

「そんな風に考えたら、見方が変わった。──ゲームみたいな、ものさ。

 旅の途中で、僕がテハに殺されたら、僕の負け。

 旅を続けられていたら、それだけテハが、僕の命を繋いでいてくれているってことで、信頼が上がる。

 ほら、単純だろ? だからこそ──命を賭ける、価値がある」

 

 そう、言い切った。

 

 

 

「……あなたの論理は破綻しています。アトラ

 あなたが言ったそのゲームに、対価として賭けているものが、あなたの命など」

 

 しかし。確かに。

 そうでもしなければ、そのような考えの持ち主でなければ。

 あの規格外の龍相手に、あのような逆転劇を演じられるはずがない。

 

「ああ。だろうな。自分でも、可笑しいって思う。

 でも、最後に、言い訳させてくれ。

 

 僕はお前と、「これから」の話をするのが、楽しかったんだ。

 これからどこへ向かおうか、この村には何日間過ごそうか、どの依頼を請けようか、明日は何を食べようか……とかな、なんてことない、雑談だ。

 結局、お前の言い分は「僕の好きにすればいい」で落ち着くんだけどな。それまでの、これは知ってる、これは知らないだとか、あそこは天気がああだこうだとか、そんなやりとりが、本当に、楽しかったんだよ。

 未だに、信じてなさそうだけどな、これだけ僕が話せるの、お前くらいなんだぞ? それこそ、出会ったときからだ。そうでもなきゃ、ユクモ村でパーティも組まずに、一人で狩人なんて、やってないさ。

 

 だからさ、テハ。旅を続けよう。

 僕は、お前の選択の、その先が見たい。何気ない日々で、選択を重ねるお前を見ていきたい。

 

 ──僕は、お前と共に生きたい」

 

 

 

 いつの間にか、それなりの時間が経ってしまっていたようで。

 瓶に入れられていた酸素玉は既になくなっていて、焚き火の火も弱まっている。

 長い沈黙の後に口を開いたのは、少女の方だった。

 

「アトラの主張は、確かに受け取りました。……本機は状況整理が必要です。すぐに返答することはできません」

 

「それでいいさ。明日でも、一年後でも。待つのは──ッ!」

 

 咳き込み、喀血する。咄嗟に少女は彼の左手を取った。

 

「これ以上話して消耗するのはよくありません。目を閉じて、回復に努めてください」

 

「そうした方が、よさげだな。……流石に無理、しすぎたか」

 

「はい。それで命を落としてしまっては、あなたは自分から仕掛けたゲームに、自分のミスで敗北という結果になってしまいます」

 

「はは、そりゃ、なんとしても、避けなきゃ、な……

 なあテハ。手、握っててくれないか」

 

 少し咳き込むだけで全身から襲い掛かる激痛、呼吸のひとつに灼ける肺。

 その痛みに耐えられるように。

 

「はい。再びあなたが目覚めるまでは、必ず」

 

「……ん。ありがとう、な。

 …………テハ……」

 

「はい」

 

 目を閉じた彼は、静かに少女の名前を呼んだ。

 

「……僕は、お前の……何にも染まらない、空白に……惹かれた」

 

 脈略のない抽象的な話だ。眠りに落ちる前の浅い夢のようなものか。

 しかし少女は、彼に問う。

 

「……それは、何もないからではないのですか」

 

「そうだな……。それは、そうかもしれないが……血を浴びても、曇らなかった、その目が──きっとそれは、お前しか、持っていなくて」

 

「…………」

 

「だから僕は……お前に会えて……本当に、よかった……って……」

 

 最後に呟くようにそう言って、彼は寝息を立て始めた。

 少女はしばらくの間、できる限り優しくその手を握って、眠っている彼の顔をじっと見続けて。

 

 

 

「…………ごめんなさい。アトラ。……本機は嘘を、つきました」

 

 その手を、そっと放した。

 

 

 

 

 

 彼を背負ってベースキャンプに辿り着いたときにはちらつく程度にしか降っていなかった雪は、今や数十メートル先も見えないほどの吹雪と化していた。

 洞窟の外に出た少女は、積もった雪を踏みしめながら、冷水河に沿って一人、歩いていく。

 

 彼が描いたマップから外れた、さらに南の方の雪原まで歩いて、そこで立ち止まる。そして、呟いた。

 

「良かった。間に合いました」

 

 それとほとんど同時に、空に轟くように。金属質で甲高く、しかしどこまでも猛々しい咆哮が響き渡った。

 少女の目の前に、巨大な影が現れる。吹雪に隠されていたその姿は、だんだんと近づいて、分かりきっていたその正体を明かす。

 

 顔に刻まれるようにして生えた角は、削り取られ、砕けてしまっている。

 全身を覆う甲殻はいたるところが剥がれ、または凍り付いて、霜に浸された血の赤がうっすらと見える。

 翼は片方が半ばから折れて、翼膜はぼろぼろに穴が開いている。

 

 しかし、それでも。

 その殺意と気迫だけは、まったく衰えていない。

 

 正真正銘の化け物。一度死してなお蘇ったのかと錯覚するほどの生命力。

 この猛吹雪は、この龍が角を折られて、その力を制御できなくなったからなのだろう。

 

 千年を超え、万年に至ろうかという悠久の時を生きた龍は今、少女の姿を捉えた。

 全ては、この目の前にいる恐るべき兵器と、それを操る人を殺すために。

 

 

 

 勝てない。

 導かれた結論は、とても単純なものだった。

 竜機兵の制御部である本機(わたし)に搭載された全ての戦闘兵装を用いても、少なくないダメージを受けているはずのこの龍を、討伐することはできない。

 単純だからこそ、絶対的な結論。かの龍との戦力差は、それほどまでに大きい。

 

 

 

 だが、それが何だというのか。

 少女──テハヌルフは、龍の瞳を真っすぐに見据えて、言った。

 

「本機の正式名は第二世代イコール・ドラゴン・ウェポン零一号、テハヌルフ」

 

 少女の使命(願い)は、今ここに決まった。

 それは、他の誰でもない。少女が自身で手にしたもの。

 

「アトラの願いを受けて、その想いを繋ぐために、あなたを倒す兵器です」

 

 兵器に生まれて、未来を願われた。

 

 『  』(なにもない)と言った本機(わたし)に、何にも染まらない『  (くうはく)』があると伝えてくれた。

 

「千年間、お待たせしました。制御機のみの本機ですが、ご了承ください。

 ……それでは」

 

 この使命(願い)意志(想い)

 

 ──出会ってから、数えきれないほどに、彼から受け取った大切なもの。

 その全てを。

 

「戦闘を開始します──!」

 

 

 

 この戦いに、賭ける──!!

 



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第16話 転:千年の時を経て / 決別


それは、龍に立ち向かう英雄(ヒト)の物語ではない。
龍に仇なす竜の叛逆劇でもない。

千年の時を経て。世界の片隅で、静かに行われた、
最初で、最後の。

龍と、龍を討つ兵器の再戦(第二次竜大戦)





 

 

 言い終わるまでもなく、雪に埋もれた地を蹴った。

 火竜の双剣リュウノツガイを両手に持ち、真っすぐに駆ける。刀身に当たった雪がそこに宿る熱によって一瞬で溶け落ちていく。

 少女の知識によれば、角の折れた風翔龍はその身に風の鎧を纏うことができなくなるが──。

 

「──ッ」

 

 ごうっという音と同時に叩きつけられた風に、文字通り少女は水平に吹き飛ばされた。あえて磁力で抗わずに後退することで崩れた体勢を持ち直す。

 やはり、風の鎧は消失していない。むしろこれまでよりも強くなっているか。

 

 クシャルダオラが正面に立つ少女へ向けて身構える。突進か、ブレスか。見てから回避することはできないと判断した彼女は、素早く回避行動に入った。

 直後に放たれたのは、彼が風の砲弾と呼んでいたブレス。しかしそれは──明らかにこれまでのそれよりも大きくなっている!

 

 辛くもその風の砲弾から逃れ、舞い上がる雪を被らないようにさらに後退し、空中に砂鉄の剣を生成させる。

 この龍に限っては、角が折れてもその力が衰えることはないのか。……いや、そんなことはないはずだと彼女は自らの推測を否定する。

 

 風翔龍クシャルダオラに限らず、炎王龍テオ・テスカトル、霞龍オオナヅチといった種の龍はその能力と角に密接な関係がある。これは過去の戦争で常識とされていた。その摂理には種として抗えない。

 必ず何か変化がある。この猛吹雪が、力の制御がきいていないことを表している。少女は先ほど立っていた地面を見た。

 そのブレスが抉り取った雪の範囲は、これまでの二倍近くという想定外の大きさとなっている。しかし、今までは遥か遠くまで貫くようにその跡を残していたのが、途中で解けるように消えてなくなっていた。

 

 クシャルダオラが少女の方へと向き直り、それと同時に砂鉄の剣を射出した。これへの対処を優先させることで、更なる追撃を遅らせる。

 そんな少女の見立てを──これまでの戦闘と自らとの因縁を鑑みて確実と判断した──かの龍は容易く覆していった。

 

 彼女の僅かに見開かれる。

 ()()()()()()()。ちらっと目線を向けただけだ。

 砂鉄の剣が初めてかの龍を捉える。ほとんどはその金属質な甲殻に弾かれ、いくつかは冷水河に落ちたときにできたであろう傷口に刺さって血を噴出させる。

 それらをすべて無視して、クシャルダオラは後ろ足を大きく蹴り出した。

 

 突進だ。反応が遅れる。回避がぎりぎりで間に合わない──。

 

「ぐっ……!」

 

 前脚に引っ掛けられた。蹴り飛ばされ、毬のように地面を転がる。沈み込む雪が緩衝材となると同時に、全身から容赦なく熱を奪い去っていく。

 しかし、少女は息を整えるまでも立ち上がるまでもなく、即座に低い姿勢でその身を弾き出した。体温で溶けた雪の雫が、風に当てられて瞬く間に凍り付いていく。

 

 雪に足を埋めながら地面すれすれに走り、横薙ぎに振るわれた前脚を掻い潜り──腹へと一閃。その直後に風の鎧に捉えられる。その勢いを逆に利用して距離を取ってから、今度こそ確信を持って少女は龍を見据えた。

 

 ブレスを放つとき以外は常に纏っていた風の鎧は、不定期に周囲を吹き飛ばすものへ。

 自らの内に閉じ込めることができなくなった風は周囲の環境に影響を及ぼし、この吹雪を引き起こしている。

 

 身を翻すと同時に少女に向けて放たれた旋風も、今までのそれより遥かに規模が大きい。だが進路は真っすぐで追尾してくる様子はなく、少女はまた辛くもそれを避け切った。

 ブレスはこれまでのようにその威力を集中させ一点を穿つものから、なりふり構わずただ全力で放つものへと変化した。ひとつひとつに過剰な力を込めている。

 

 旋風に巻き上げられて降ってくる雪を、リュウノツガイを振るって空中で溶かす。空中で迸った炎と蒸気が一時的に少女の姿を龍から見えにくくする。その間に双剣を納刀して手に砂鉄の投げナイフを創り出し、あえてその投擲の様子がクシャルダオラに見えるようにして投げた。

 そしてそれも、やはり解かれずにかの龍へと届き、僅かに血を滲ませる。

 

 砂鉄の剣を解く風を、この龍はもう使えない。

 それは少女の強力な武器がかの龍に使えるようになったということを意味するが──それを差し引いても、状況は悪いと判断せざるを得ない。

 

 今のクシャルダオラは角が折れて力の制限がきかなくなったのを逆手に取って、消耗を度外視した戦い方に切り替えている。視野が狭くなり、ひとつひとつの攻撃に過剰な力をかけ、体力的な限界が早まることを鑑みていない。

 しかし、その体力的な限界が来るよりも先に少女が倒される可能性の方が圧倒的に高い。一撃の規模がこれまでよりも雑に、しかし格段に大きくなっていることがその可能性を跳ね上げている。

 

 これがもしも二人なら。隣に彼が立っていれば、連携してその隙をつくことで、危険ながらも渡り合うことができただろうが──。

 それは、この戦いを放棄する理由にならない。

 

 目の前に立つ龍を見据える。

 片翼は半ばから折れていて左右に対称性はない。空を飛ぶことはできなくなっているはずだ。

 それでもこの龍は彼と少女を諦めない。どこへ逃げても追いかけてくる。その瞳にはそれだけの執念、覚悟の気迫が籠っていた。

 

 そして、それは少女も同じだ。

 

 少女と視線をぶつかり合わせたクシャルダオラは、鈍色の空を仰いで大きく咆哮した。びりびりと空気が振動し、吹雪く凍土一帯に響き渡って反響させる。

 それはかつての少女を硬直へと追い込んだ咆哮だ。風翔龍の意志が、少女の内にある極龍の感覚器官を伝って彼女へとぶつけられる。

 

 しかし、今度こそ少女は怯まない。

 

 真正面からその咆哮を受けて立ち、それでも龍の瞳を見据え続け──、再び(何度でも)地を蹴って前へと踏み出していく。

 

 

 

 その吹雪は一向に収まる気配が見えなかった。

 極低温の強風は彼女の動きを妨げ、さらに張り付いてくる雪と相成って、そこに在る生物の熱を刻々と奪っていく。

 人が活動できる環境ではない。ホットドリンクを飲んで全身を防寒具で覆ってやっとといったところだろう。それでも凍傷の危険からは免れない。

 

 それでも、少女は未だその雪原に立ち続け、今まさに吹雪を生み出しているであろう龍との戦いを続けていた。

 

「──ッ!」

 

 あまり目立たない部位であるにもかかわらず、それでも丸太ほども太くしなやかな尻尾に打ち据えられ、少女は大きく吹き飛ばされる。

 頭から地面に衝突しかけたのを、咄嗟に手を伸ばして先に地面へと触れさせ、身体を捻って滑り込むような受け身へと持っていく。

 

 そのままさらに右に飛ぶように見せかけ、逆の方向へと大きく身を投げ出す。一拍置いて、彼女がフェイントをかけた方を巨大な旋風が走っていった。

 多量の雪と土が舞い上げられてその周囲に降り積もり、彼女はそれを甘んじて受ける。視界を妨げられる吹雪の中では、この土と雪を被るだけでもわずかな間相手の目から逃れることができる。

 それまでしてから、止めていた呼吸を再開して咳き込み、身体の損傷を把握する。

 

「……まだ、大丈夫」

 

 しかし、かの龍に与えているダメージと比較すれば、それは無駄なあがきにも等しい──その思考を振り払って、半ば無意識のうちにポーチから回復薬を取り出して一気に飲み干した。

 

 空になった回復薬の瓶を投げ捨てながら、今度は右方向へと跳んだ。少女の居場所をある程度突き止めたクシャルダオラが間髪置かずに放った旋風が、また少女のすぐ傍を駆け抜けていく。

 しかし、それとすれ違うようなかたちで少女は疾駆し、龍の懐へと潜り込むことに成功した。ブレスが凶悪化した分、放った後の隙も、再び風の鎧が纏われるまでの時間も増えている。その隙を突いていく。

 数秒前まで回復薬の瓶を手に持っていた右手には、細く鋭く黒い突剣が握られていた。左手に持ったリュウノツガイの片割れを、胸元にあった傷に重ねるようにして切り付ける。冷水河に落下したときにできたのだろうその傷が、火竜の剣が噴き出す炎によって溶かし出されていく。さらに続けて、少女は右手の突剣をそこへと勢いよく突き刺した。

 

 赤い血が吹き零れ、その場でクシャルダオラが暴れる。身体の周囲に風を纏わせて吹き飛ばし、さらに走り回って少女の追随を避ける。

 強力な遠距離攻撃を用いる相手には張り付き続けることが理想だが、機動力も高いこの龍にはそれすらも厳しい。滞空が封じられているから、かろうじてまだ何とかなっているという現状だ。

 

 そして、今の流れでクシャルダオラは一時的に彼女を見失っている。それを逃す手はない。クシャルダオラに見つからないようにしながら、砂鉄の長剣を新たに何本か造り出して自ら離れた空中へと展開させる。

 そして、その剣と自らとの位置を固定し、長大な剣を振り回す要領で楕円上の軌道を描かせ、少女がいる方向とは全く別の方向から剣を飛来させた。

 最初の剣は先に気付かれて避けられた。しかし、二本目、三本目の剣が首元と横腹へと突き刺さる。やはり、砂鉄の剣を自律的に解かれないというのは大きい。そうでなくては、彼女はまともにかの龍へ傷を負わせることもできない。

 

 四本目の剣は風の鎧とぶつかり、勢いを抑えられて傷をつけるには至らなかった。

 クシャルダオラがいよいよ少女を捉える。この方法が竜大戦のときにも使われていたことを思い出したのだ。剣が飛んでくる方向に彼女がいるとは限らないということを。

 唸り声をあげてかの龍が突進してきた。少女は肩で息をしながら、地面に両手をついて龍を見返すという奇妙な仕草を取る。

 かの龍は少女がどう避けても蹴り飛ばせるように少女を注視し──

 

 大きな音を立てて、大地に空いた穴へと飛び込んだ。

 同時に身体に粘着質の糸が多重に絡みつく。

 

 落とし穴!

 

 クシャルダオラは一瞬でそれを理解し、本能的に自らの真下に風を集め、強引にその穴から飛び出す。その間、僅か一秒にも満たない。落とし穴で龍を拘束することは不可能と言われる所以には、この判断の速さがあった。

 しかし、拘束することは不可能でも、落とすことそのものはできる。そして、目的が落とすことだけで達成できるものならば。

 

 落とし穴から飛び出したかの龍の傷だらけの下腹から、盛大に鮮血が噴き出した。そこには新たに、幾つもの太く深い穴が穿たれている。

 少女は両手で地面に手を突き、落とし穴に仕込んだ特大の砂鉄の針の補強に努めるだけでよかった。後は相手の方から突っ込んでくれる。

 

 その効果は絶大と言えた。彼のいない戦いを始めてから今に至るまでに与えた傷より、大きな損害を一度に与えることができた。噴き出した血は瞬く間に地面を赤色で染め、なおも止まらず流れ続けている。

 

 これが、少女の今できる最高の一手だ。

 

 それでも──まだ、倒れない。

 

 

 かの龍の眼光はまったく衰えることなく彼女に向けられていた。

 ふらつくこともなく、痛みに怯むことさえもせず、クシャルダオラは毅然とそこに立ち続けている。

 そう、かの竜大戦のときもこの龍はそう在り続けていた──

 

 呆然としている暇はない。これでも致命傷には全く届かないだろうことは予測で分かっていた。

 落とし穴に仕込んでいた砂鉄を崩し、細い円錐、槍のような形にしてかの龍へと飛来させる。

 クシャルダオラはその一部を風の鎧で強引に吹き飛ばし、もう空を飛ぶには使えない翼を広げて楯とした。翼膜をいくつもの砂鉄の槍が貫くも、出血は少ない。そしてその槍はそれ以上先へと進めない。

 

 さらに、クシャルダオラはそんな芸当を行いながら少女へと突進を仕掛けてきた。

 すれ違うようにしてそれを避け、さらに反撃で斬撃を加えていくが、今度のそれは執拗だった。少女を追いかけまわすようにしてクシャルダオラは突進を繰り返していく。

 

 そうなれば余裕がなくなるのは少女の方だ。そもそも体格差がかけ離れていることに加え、雪に塗れた地面は機動力をそぎ落としてくる。

 このままではあっという間に回避が間に合わなくなる。それならば強引に距離を取るしかない。

 操っていた砂鉄の剣を解き、手をかの龍が突進してきている方向へと向ける。かの龍の身体を覆う鋼の一部に強い磁力を持たせ、それに反発するように自分自身を定義。そして腕に力を込めた。

 

 途端、彼女の身体が後方へと飛ばされる。窮地に陥った彼を助け出すのにも使ったかの龍にのみ有効な力の使い方だ。

 今まさに蹴り飛ばそうとしていた少女が急に遠ざかっていく様を、クシャルダオラはじっと見つめている──

 

 

 ──はめられた。

 

 

 そう少女が予感したことこそ、直感という名の、彼との旅で得たもののひとつだったのかもしれない。

 このとき彼女の足が地面を捉えることができていたなら、あるいは避けられたかもしれなかった。

 

「──ッあ」

 

 いつの間にかその場に現れていた、空気の壁とも言うべき風の渦に少女は激突した。彼女自ら背中から突っ込むかたちだ。

 この吹雪の轟きと視界の悪さで、少女はその風の渦の存在に全く気付いていなかった。かの龍の遠方に竜巻を発生させる能力は未だ消えていなかったのだ。

 思いがけない衝撃に、一瞬だけ少女の身体が硬直する。その場に崩れ落ちそうになる身体を何とか立ったまま支えて──

 

 

 

 その胴体を、砲弾が真正面から捉えた。

 

 

 

「────」

 

 

 

 紫と赤色を基調とした頑丈な布を幾つも重ね合わせたユクモ装備。それがまるで紙のように破かれ、千切れ去って、風に飲み込まれていく。

 さらにそれを彩るように鮮血が舞った。首元、肩、腕、胸、腹、脚。風に刻まれた身体から夥しい量の血が噴き出す。四肢が切り取られていないことが逆に不思議なほどだった。

 悲鳴など出せるはずもない。喉と口は血に塞がれ、声は声にならない。

 

 

 ただ、それでも。それでも彼女の瞳から色彩は失われていない。意志の宿った深緑の眼光はクシャルダオラに向けられていて──

 

 

 

 絶対零度の白い吐息に、空間ごと縫い止められた。

 

 

 

 少女の身体から噴き出していた鮮血は空中で凍り付いて、白い霜を生やしてその場に落ちた。

 地面は罅割れ、雪は固められて氷の結晶となり、吹雪の風すらも静止する。

 何の比喩もなく、僅かな間、そこは時の止まった別の世界と化していた。

 

 その中心に、少女は一人佇んでいた。

 

 半裸の身体は血と氷の結晶で彩られ、布切れのようになった防具は霜の白に染め上げられている。

 その姿は正しく、全てが凍り付いた別世界の住人であるかのようで──

 

 

 

 それでも。

 

 

 

「…………ま…………だ……」

 

 

 

 それでも。倒れない。

 

 

 

「……まだ……あ、あ……!」

 

 

 

 それでも──瞳の奥に、光を宿し続ける。

 

 氷の割れる音と枝の軋むような音を立てながら、両手を背中へと回す。

 そして、背中に提げた──彼から貰った初めての狩人の武器──双剣リュウノツガイの柄を握りしめた。

 

 ごっ、と少女の背中から紅い炎が迸った。

 リュウノツガイの刃は強い衝撃が加えられない限り、その炎の力を開放しない。それを担ぐ狩人に被害を及ばせないためだ。

 

 ならば、その二つの刃を強引に強く打ち付け合えばいい。

 

 全力の一撃の反動でその場から動けなかったクシャルダオラは、油断なく息を整える。

 その少女を見る目は、かの大戦で彼女の本体である竜機兵と対峙したときのものと何ら変わりはなかった。

 

 凍り付いた世界で、彼女だけが紅色の炎と共に息を吹き返した。

 芯まで凍った体を火竜の炎で焼き尽くして、その急激な温度変化に耐えられなかった皮膚を黒く炭化させながら。

 

 たったの十秒でここまで追い詰められた。

 もう防具は防具としての機能を完全に失い、ほんの僅かに残っていた余裕は根こそぎ奪い取られた。

 

 それでも。

 それでも、まだ。

 

「終わらない……! 本機(わたし)はまだ死なない! 死ぬわけには……っ、いかない!!」

 

 

 

 それはおおよそ、今までの彼女からは考えられないほどの熱量を宿していて。

 金と黒の髪、そして黄色の髪飾りを吹雪の豪風に晒しながら。

 火の粉を散らす炎の剣を両手に持った彼女は、血の色に染まった一歩を踏み出した。

 

 

 

 

 

 やはり、人という種族は恐ろしい。

 吹雪の只中に立ちながら、かの龍は改めてそう認識した。

 

 永い時を経てもなお思い返すことができる、人と龍の戦い。

 数多くの同胞があの戦いで討たれた。かろうじて生き延びた龍も、永い時の間に老いて力尽きていった。世代は移り変わり、今ではほとんどの龍があの大戦そのものを知らない。

 

 かの龍自身もそれは例外ではなく、いよいよ青き星に導かれる頃合いかと予感していた。

 そんなときだ。遥か空の彼方から、あの禍の兵器の気配を感じたのは。

 

 幾千年の時を経て、あの竜機兵が蘇った。

 かの龍が飛び立つ理由はそれだけで十分すぎた。

 

 あのとき、確かに竜機兵を討った。相打ち覚悟で放った竜巻は強固な外殻を打ち崩し、致命的な損傷を負ったかの兵器は地に伏せた。幾多の龍を薙ぎ払った存在に、初めて龍が勝利した瞬間だった。

 かの龍も全身を砂鉄の大槍と杭で穿たれ、長い間生死の境を彷徨った。しかし、今考えればあの傷によってしぶとい生命力が培われたおかげで、かの龍は今まで健在で居続けられたのかもしれなかった。

 

 あの生きた兵器は人が道を踏み外した証拠であり、禍を呼んだ。そしてそのことを知っている、つまりあの戦いの場にいた存在は、もう世界でかの龍のみだ。

 ならばとかの龍は空を駆けた。海を跨いで大陸を渡り、その気配の主を追いかけ続けて、氷に閉ざされた辺境の地まで追い詰めた。

 

 そこでかの龍が見たのは、記憶とは明らかに異なる容姿、しかしその内に潜む龍の気配は間違えようもない人の形をした生きた兵器だった。

 やはり予感は正しかった。かの兵器は今ここに蘇り、自身は人と龍との戦いを知る存在としてこれを討たなければならない。その決意を以てかの龍は戦いに臨んだ。

 

 

 

 そして、その戦いの結末がこれだ。

 

 かの龍は静かに目の前のそれを見た。

 

 そこには、かつて兵器であったものの残骸が転がっていた。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 長い戦いだったと、そうかの龍は思う。かの龍が話す言葉を持てば、よくここまで持ちこたえたと称賛の言葉を投げかけていただろう。

 特に、今ここにその姿はないが、以前までかの兵器と共にいた人間の狩人。彼には手を焼いた。まさか氷山の崩壊に巻き込ませてくるとは思わず、深刻な傷を受けてしまった。

 彼がかの兵器の傍に居続けたならば、この結末は変わっただろうか──いや、変わりはしない。埋めがたい体力の差をひっくり返すには、彼らが選んだ地は分が悪すぎた。

 

 ただ、とかの龍は逆接を付け加える。

 竜機兵の残滓程度のものかと考えていたが、その認識は全く間違っていた。大戦の頃の自らはこの目の前の存在に勝つことができたか、怪しいところだった。

 手加減など初めから一切なかったが、認識は改めなくてはならない。この兵器は狩人の業を覚え、相対的に見て以前よりも遥かに強くなっていた。

 

 なぜなら、この結末を迎えるまでの戦いは、本当に長かったからだ。

 

 時間にして、半日。

 

 あの必殺の一撃をぶつけてから、既に半日が経過していた。

 

 

 

 双剣の片割れは根元から折れている。上半身に傷のついていない部分はなく、かろうじて残っている腰回りの装備もぼろぼろになって防具としての機能はとうに失われている。

 雪原にうつ伏せに倒れこんだその身体は霜に覆われ、かろうじて動く腕はまた体を起こそうとして、しかしそれは敵わないようだった。

 

 対して、龍の側は身体の傷こそかの兵器と比べても遜色ないほどに多く刻まれていたが、角を折られながらも嵐を引き起こし、風の鎧を纏う程度の余裕は残されている。

 こうなることはかの兵器の方も予想していたはずだ。しかし、結局これは今ここに至るまでかの龍に挑み続けた。その理由は何だったのか。

 

 ……人という種族、ひいてはこの兵器と共にあった彼を守るためだろうか。

 

 幾千の時を経て思考することを学んだかの龍はそのような推測を立てる。人の営みは複雑で分からない。ただ、その推測は間違っていないように思えた。

 

 しかし、そんなものは考えるだけ無駄だ。悠長にしている暇はない。

 この兵器の命はまだ潰えていない。それに終止符を打ち、この兵器を使用していたと思われる狩人の方も探し出して殺すことで、やっと全てに決着がつく。

 

 もう何度目になるかも分からない。口元に風の力を集めていく。戦いを始めたことはそれこそ息をするように集めることができた風も、今の消耗具合では時間がかかってしまう。

 しかし、その一撃は彼女の命の灯を消すには十分だ──。

 

「──!」

 

 瞬間、腹部に鋭い痛みを覚えたかの龍は僅かに怯んだ。

 恐らく砂鉄の剣の飛来を受けた。数にして六本。横腹に突き刺さっている。風の力の制御に集中していたために気付かなかった。

 地に倒れていながら未だに足掻き続けていることに僅かな驚きを覚える。それと同時に気を引き締めた。最後まで諦めなかった狩人の策によって、地に墜とされたことを思いだす。

 

 砂鉄の剣は刺さったまま、それを無視して風の力を再び溜める。その力の主を排すればいいだけの話だ。

 今度こそ次はない。手早く、確実にこの兵器を倒し、遥かな過去から蘇った竜大戦の最後であろう戦いに、決着を──つけ……て…………?

 

 

 

 堂々と佇んでいたかの龍がふらつき始める。口元に集っていた特大の風の塊は解かれていき、悶え苦しむように立ち上がって首を前足で搔きむしって──地面へと倒れこんだ。

 全身の筋肉が硬直し、痙攣する。体の内は熱に浮かされ、風の力がうまく感じられなくなった。さらに強烈な睡魔すらも襲ってきて、思考すらもままならない。

 が、この状態には覚えがあった。──狩人の毒を撃ち込まれたのだ。

 やられた。こちらが砂鉄の剣を回避せず、放置して優先して止めを刺そうとすることを読まれていた。恐らく毒そのものはこれより前から打たれていて、あの六本の剣で以て引き金を引いたのだ──。

 

「よ、かった。……うまく、いき……ました」

 

 倒れこんだかの龍の頭は奇しくもその兵器の傍にあった。それが何か話しているのが龍の耳にも届く。

 その声は掠れて今にも途切れそうだ。このまたとない機会にありながら、まともに動けるようには思えない。

 

 ただ、もしこの兵器が健在で今の状況を迎えたとしても、恐らく自らを殺しきることはできない。それを成すには、もう一度氷山の崩壊に巻き込ませるくらいの手段が必要だ。

 この兵器はそんな火力を持っていない。持っているならとっくに使っているはずだからだ。

 

 この三重苦による拘束もそう長くは続かない。今まさにかの龍の身体の中では抗体が全力ではたらいている。毒で殺すなどもってのほかである。

 かの龍は朦朧とする意識を保ち続けた。睡魔に耐え、この拘束が解けたときが、目の前の兵器の終焉だ、と。

 

 

 

「よ、かった。……うまく、いき……ました」

 

 掠れた声でそう呟いた彼女は、自らの持てる力を振り絞って、腕を前へと押し出した。

 ざり、ざり、と這うようにその身体を前へと進めていく。脚はまともに動かず、もはや立ち上がることはできない。

 

 目指したのはかの龍の頭部だ。目の前に倒れこんでいたので、そう時間を駆けず辿り着くことができた。とても幸運なことだ。もし反対の方向にあれば辿り着くことはできなかっただろうから。

 口から熱い吐息を漏らし、苦しげな声を上げるかの龍の瞳だけが彼女を捉える。少女は一瞬だけそれに目を合わせた。

 

 このクシャルダオラはあの大戦を嫌っていただけなのだ。やっとその本質を理解する。

 人も龍も数えきれないほどに死んだあの不毛な戦いが、彼女の存在によって再び引き起こされてしまうかもしれないと恐れたのだ。

 

 そして──それを、少女は否定することはできない。

 少女はもしかすると、その引き金を引いてしまえる存在なのかもしれない。その可能性はどうしようもなく存在する。

 恐らくそれを断ずることができる存在はこの世界にいない。人にとっても、龍にとっても彼女は不安要素にしかなり得ない。

 

 

 

 ただ、そのことを知っていながら、なお少女の生存を願い続けた人がいた。

 或いはそれは多くの人や龍を敵に回す選択であることを分かっていて、それでもその人は笑ってこう言うのだ。

 

『お前の選択の、その先が見たい』と。

 

 

 

 クシャルダオラの頭はそれだけで人の胴よりも大きく、一際頑丈な鋼で覆われていた。

 

 少女はその頭をそっと包むこむように抱きしめた。

 

 そして、目を閉じる。

 

 ──言おう。

 

 

 

 

 

「──自己破壊処理、実行」

 

 

 

 

 

 かくして、その無機質な願いは──確かに聞き届けられた。

 

 

 

 

 

 なんだこれは。なんだこれは!?

 かの龍は激しい動揺と恐怖に襲われていた。堂々とした余裕は消え失せ、毒で身体が動かないことに焦りを募らせていく。

 

 いったい何が起こっているのか、全く理解できない。

 はじめは彼女が炎の剣を額に圧しつけているのかと思った。その程度ではこの鋼は貫けない。瞳を焼かれないように無理やり目を閉じていればよい。すぐに振りほどけるようになる。

 そう考えて耐えようとしたというのに。

 

 頭が熱せられていくのを感じる。まるで頭を守る鋼そのものが高熱を発しているかのようだ。

 凄まじい頭痛と共に、もともと毒に侵されていた意識がさらに曖昧になっていく。全く経験したことのない感覚だった。今まで炎の剣で頭を焼かれたり、燃える液体を投げかけられたことは何度もあるが、このようなことにはならなかった。

 

 このままではまずい──本能が訴える。すぐにこの熱の原因を取り除かなければ、取り返しのつかないことになる。つまりそれは、この戦いでは訪れないと考えていた、死そのもの──

 

 無茶苦茶に身体を動かそうとする。頭を振ろうとする。しかし、それらは全く反映されず、ただ僅かに四肢を動かしたのみだった。

 そうしている間にも頭部の熱はますます高まっていく。突然這い寄ってきた明確な死の感覚に、古の龍は絡めとられていく。

 

 

 

 

 

「自己破壊機構にエネルギーを集中。自己破壊処理、加速。加速、加速──」

 

 自らの内に宿った莫大な熱源を抱え込みながら、少女は歌うように呟き続ける。

 そのたびに胸の光点が赤々とした光を放ち、さらに熱を高めていく。周囲の雪がその放射熱によって溶け出して湯気を発する。

 段階など踏まずにひたすらに出力を上げていく。そうでなくては間に合わない。かの龍の毒による拘束が解けてしまう。彼女が振りほどかれたときが、敗北の瞬間だ。

 

 この状況を作り出せたのも彼のおかげだ。彼が氷山での戦いで結局使わなかった数々の毒瓶、それがなければどうしようもなかった。

 さらに、この作戦自体も彼を見習ったものだ。自己破壊処理は本来何かを巻き込むようなものではない。ただ自らを熱で融かし尽くすことに特化している。過去の本機(わたし)ならばこんな作戦は思いつきもしなかったはずだ。

 

 かの龍が呻き声を挙げ、四肢を痙攣させた。

 効いている。この熱は確かにかの龍に届いている。それを感じ取った少女はさらに加熱を続けていく。

 

 

 

 彼はこの状況まで予想していただろうか。もし予想できていなかったとしたなら、これを見てどう感じるだろうか。

 どうして彼の願いによって封じられていた自己破壊処理を実行に移せたのか、彼なら理解できるだろうか。

 

 自らの身体が熱によって溶け出していくのを感じながら、少女はそんなことを考える。

 きっと彼なら分かるだろうと、そんな予感がした。言葉で伝えることはもうできないのに、今は不思議とその予感に確信めいたものを感じていた。

 

 

 

 なぜなら、それはとても単純な理由に依るものだからだ。今自身が自己破壊処理を実行できているという事実から逆説的に考えれば、自然とその解へと辿り着く。

 

 彼は少女の選択のその(未来)が見たいと言った。何気ない日常の中で少女が選択を重ねていくのを見たいと願った。

 そのために自己破壊処理ができなくなっているのなら──ただ、少女がこう願えばいいだけの話だ。

 

 

 

「アトラに、生きてほしい。本機(わたし)のその願いを……あなたに託したい」

 

 

 

 本機(わたし)の選択を彼に示すために、()()()()()()()として自己破壊処理を用いる。

 願いを託すという方法で以て、その選択を未来へと生かし続ける。

 

 

 それは、テハヌルフという少女(兵器)が初めて口にした選択(願いごと)で。

 きっとそれは、決して手放すことのできない大切な感情だと分かったから。

 

 

 『存在の存続を願われている限り自死できない』という原則は覆せないと考えていた。しかし、それよりさらに上位の兵器としての原則に、『対龍兵器は人の代わりに龍を討つために在る』。

 そして、その上位原則を順守した果てに攻撃手段としての自己破壊処理があって、それ以外の方法が全くなかったなら。その攻撃によって(持ち主)が生き残ると少女の内の兵器が潜在的に判断したとき。

 

 その鍵は再び彼女の手へと戻ったのだ。

 

 

 

「アトラなら、分かる。きっと」

 

 

 

 胸部から全身に達し始めた熱に溶かされながら、一言を噛み締めるように少女は呟いた。

 かの龍の拘束はいつの間にか解けようとしていた。抵抗が激しくなる。しかし少女はしがみついたその身体を決して放さなかった。

 

 

 

 そんな攻防が数分間続いて、かの龍が大人しくなったとき、少女の身体はもう人の形を失いつつあった。

 

 

 

 熱によって溶けた皮膚が、ぼとり、ぼとりと零れ落ちていくのを感じる。

 感覚はひとつひとつ失われていき、いま目が霞んで見えなくなった。かろうじて残されているのは耳元の龍の感覚器官か。それだけで十分だ。

 赤熱化する身体は内部器官を融かしていき、不可逆の域に達していた。それはかの龍の鋼の甲殻も同じで、まるで融解した鉄のように真っ赤に染まって熱を放っている。

 

 自己破壊処理の完遂まで、もう十パーセントを切った頃合いだろうか。

 ここまでくれば意識を失っても最後まで処理は実行されるはずだが、かの龍の角を掴んでいるこの両手だけは死んでも放すわけにはいかない。

 

 だからあとは、できる限り意識を保ち続けることを目標にする。考え事をすればいいだろうか。

 

 

 

 ……本当は考えることを避けていたのだが、どうやら向き合いざるをえないようだ。

 

 流石に理屈が強引すぎた。結果的に自己破壊処理を実行できたものの、自らの内で納得したものが彼に受け入れられるかは別の話だ。

 今度こそ、彼に嫌われてしまうかもしれない。そう考えるとただでさえ苦しい胸がたまらなく苦しくなった。

 この期に及んでそんな感情を覚えるということは、それだけ彼の存在が自らの内で大きかったということだろう。この一年間は確かに本機(わたし)に変化をもたらしていた。

 

 

 

 …………この一年間は、本機(わたし)にとっての何だったのだろうか。

 あと数分で終えるだろう命、その全てを使って考えてみる。

 

 出会ったあの日、彼に抱かれて洞窟の出口から見た夕焼けに染まる渓流を見て、大きな衝撃を受けた。あの頃の記憶には鈍色の空しか残っていなかったから、同じ世界の光景であるということすら受け入れるのに時間がかかった。

 

 彼に連れられて初めてこの世界の食料を食べて、星空を見て、竜を狩った。彼を始めて殺そうとしたのもその日だった。この時点から彼がその殺気に気付いていたということには今も動揺を隠せない。

 

 村にやってきて、自らが人の社会に本質的に居つけない体質になっていることを知った。今はその理由が分かる。彼と加工屋が開発した髪飾りには大いに驚き、未知の領域へと自らが踏み込もうとしていることを感じ取った。

 

 旅を始めて、彼と本機(わたし)の旅の目的を決めた。この世界の仕組みについて多くを学んだのもこの時期だった。実は人と竜との関係性と狩人の倫理というものは未だによく分かっていない。しかし、彼は理屈が分かっていればそれで十分だと笑っていたことを覚えている。

 

 旅の間、幾多の村や街に立ち寄った。以前も旅人だったらしい彼はその地域の特産品や歴史に詳しく、話題が尽きることはなかった。依頼や買い物を通して人と話したりするうちに、感情というものを知った。それを積極的に得ようとはしていなかったが、どうやら知らない間に芽生えていたらしかった。

 

 砂漠の村で、自らの過去ついて大きな手掛かりを得て、存在に疑問を覚えた。このとき彼に問いかけをして、彼はそれに答えなかったが、否定は決してしなかった。これをきっかけに、本機(わたし)はさらに自分と向き合うことになった。

 

 そして、それから今この戦いまでの間に、本当にいろいろなことが明かされて。彼と初めて意見を衝突させ、話し合って、互いの答えを得るまでに至った。

 

 

 

 ──ああ。

 

 考えるというよりも、この一年間の記憶を辿るだけになってしまったけれど。もう十分だった。

 

 彼が本機(わたし)とどのように接しようとしていたのか、それが少しだけ分かったから。

 

 

 彼は、無機質な兵器である本機(わたし)の兵器としての在り方を尊重していた。

 彼にできる限りの手助けをしたうえで、本機(わたし)に関わることは全て本機(わたし)自身の選択に委ねていた。

 

 

 ただ、それだけだ。言葉にするだけなら造作もない。推測もできないほどに手間がかかるだろうそれを、彼はこの一年間やり遂げたのだ。

 これを彼に言えば、それが趣味だからなと笑いそうだ。

 もっと本機(わたし)をうまく運用する人物は恐らく数多くいる。彼のやっている方法は異端と言えて、兵器の使い方でなく話し方を模索しているようなものだ。

 

 しかし、だからこそ、この一年間を彼と生きた兵器の本機(わたし)は断言できる。

 

 

 千年越しに、人と、人が造った人ならざるモノの関係性を探り続けた一年間だった。

 

 

 もう後にも先にもないだろう、ただそれだけの物語だ。

 そして彼は、それに自らの命を賭けた。そして本機(わたし)も、今まさに命を賭けている。

 

 それはこの世界に比べればあまりにも小さく、意味の見出せないものであったとしても。

 

 彼と少女の二人にだけは、確かに命を賭ける価値があったのだ。

 

 

 

 

 

 ああ。やはり本機(わたし)は──兵器としてならばともかく、生き物としては不完全すぎる。

 この命が燃え尽きる間際になって、ようやくこの旅で彼が本当に目指していたものを垣間見ることになるなんて。

 そして、こんなことを考えてしまう──どうして、こうなっちゃったのだろう、と。

 ただ、もうそれを考える余裕は全く残されていなくて。

 

「アト……ラ…………アトラぁ……」

 

 煌々とした光の核を胸に抱いて、届かない、彼の名を呼ぶ。

 声帯もあと少しで焼き切れる。声は掠れて途切れがちになり、音にならない。

 届くはずもない。それでも、言わなくてはならない。

 

「……わたし……やっと、わかり、ました……」

 

 お礼の言葉すら彼に贈れていない。それだけでは足りなくても、それくらいしか考えつかないから。それを伝えることができたなら。

 彼に託すものも曖昧にしてしまった。何かのかたちがあるものとすれば、彼から貰った髪飾りくらいだ。せめて自分の手でそれを渡すことができたなら。

 話せていないこともたくさんある。この期に及んで気付いたものはあまりにもたくさんあって、そうでなくても、何気ない雑談でも十分だ。これから先も、彼と言葉を交わすことができたなら。

 

 そんな『もしも』をずっと描き続けてしまう、この感情の名前。

 

「……わたしは……あなたに、あえて──ほんとうに……しあわせで…………」

 

 今──それが明確に、わかったのだから。

 

 

 

「わたし──……──とう、の……──がい──は────…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






更新が遅れてしまい本当に申し訳ありませんでした……。
次話は2月中に投稿します。これだけは必ず。作者に何か起こらない限りは必ず投稿まで持ち込んで見せます。


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第17話 結:どうか、ささやかな物語であれ

 

 

 吹雪は止み、雪原に静寂が訪れた。

 空を覆っていた黒雲は色褪せて、凪ぎた海のように広がり、しんしんと雪を降り積もらせていく。

 

 寒冷期の凍土地方にしては珍しい、風の吹かない穏やかな空模様。

 しかしそれは、まぎれもない。凍土の日常の一風景を取り戻していて──

 

 

 

 ぎしり、と。

 金属でできた何かが蠢くような音がした。

 

 続けて、白一色の景色の欠片を剝がすかのように、白銀色の翼が持ち上がる。

 その翼には、霜によって色褪せた赤色の染みが幾多にも刻まれている。

 

 その淡い赤と白銀の片翼に続いて、次は胴体、首、そしてもう片方の折れた翼が、とても緩慢とした動作で地面から持ち上がっていく。

 それはまるで、一度死んだ生き物が、再び生を受けて起き上がろうとしているようで。

 

 今、再び古の龍はその四本の脚で雪原に立った。

 

 その脚はいずれも折り曲げられ、自重を支えきるので精一杯であるかのように震えている。

 翼は折りたたまれることなく、尻尾と共に力なく地に落ちている。

 息は弱く、遅く、浅い。僅かに吐き出される白い息だけがかの龍に残された熱を示している。

 

 そして、その頭部は額を中心に変色し、一部が溶け出して異様、異形の体を成していた。

 

 ただ、それでも。そんな状態でも立ち上がった龍は、ゆっくりと辺りを見回す。

 瞳は白く濁り、もうほとんど見えていない。嗅覚や聴覚も効かなくなり、頼れるのは角の感覚器官のみとなった。それも角が折れたせいでまともにはたらいてくれない。

 

 だが、かの龍にとってはそれだけで十分だった。

 瀕死の重傷、死の間際にいるのは間違いない。あのまま冷たくなってしまっていても、何もおかしくはなかった。

 それでも起き上がったのは何故なのか、かの龍にとって、そんな理由はたったのひとつだ。

 

 おぼつかない足取りで歩き出す。

 その先に在るのは、自らをここまで追い込んだ兵器の残骸。

 

 それはもう、再び動き出すことはないように見えたが──。

 過去の大戦の記憶が蘇る。あのときも同じような状況だったのだ。この手で確かに沈黙させたはずなのに、こうしてこの兵器は蘇った。

 

 もう風の力は操れない。微風ひとつをこの身に纏うことすらできない。

 それならばせめて、この足でその兵器を踏み潰す。それが叶わないならば、この身でそれを押し潰す。

 

 その兵器のかたちを壊して、終わりにする。

 

 そんな執念を身に纏った龍に、すでに意識はほとんどなかった。自らの生存本能すらも捨て置いて、かの龍は兵器の元を目指す──が、それが間近にあったことに僅かに安堵する。

 

 残された時間などとっくに過ぎ去っている。この命はその目的を成した次の瞬間には終える。

 

 しかし最後の最後に、目の前にいる大戦の禍根を砕くことくらいはできそうだ。

 かの龍はゆっくりとその前脚を前へ押し出そうとして──

 

 

 

 ざんっ、と。その眉間に矢が生えた。

 

 

 

 その瞬間、今度こそかの龍の動きが止まる。熱により変質して軟化していた甲殻は易々と貫かれ、その執念の源を穿っていた。

 

 その脚はあとわずかなところで目指していたものに届かず、淡い赤と白銀の巨体が崩れ落ちていく。地響きと共に舞い上げられた雪は、少しの間だけその場を一際白く彩った。

 

 

 

 そして、矢を左手にとって、龍の眉間に突き立てた彼は。

 

 

 

 目の前の地面を見て、立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──ここだと、寒いだろうな。

 ふと、そう思った。

 

「……僕も、寒いし……早いとこ、戻らなきゃ、な」

 

 ぼそりとそう呟いて、その場にしゃがんで、その手を取る。

 

 

 驚くほど軽い手ごたえと共に引き抜かれたのは、黒い炭と白い霜に覆われた、彼女の左腕だった。

 

 

「…………」

 

 血が流れ出る様子はなく、千切れた端面からは幾本もの導線と真っ黒になった肉が見えた。

 黙ってその左腕を傍に置き、その先の、人のかたちに盛り上がった雪を払う。

 

 

 

 そこに、変わり果てた彼女の姿があった。

 

 

 

 ユクモノ装備は戦いの間に破けてしまったのか、熱によって燃え尽きたのか、ほとんど残されていない。

 胸元には大穴が穿たれ、中身が見えてしまっている。そのほとんどは黒く炭化し、端から霜に浸食されていた。焼け残った骨や管、背中の皮がかろうじて上半身と下半身を繋げていた。

 胴と首は何とか繋がっているようだった。首元に生えた黒い鱗が放熱の役割を果たしたのか、皮膚の炭化は抑えられている。しかし、そこだけでも夥しい数の切り傷があった。

 その顔も同じく、ただ、頬はところどころ焦げ付き、深い裂傷も刻まれている。髪もある部分がばっさりと切り取られ、またある部分は熱で溶けたのかこげ茶色に変色している。

 髪飾りは、もとは無地の黄色であったということが疑わしいくらいに、赤黒く彩られている。取れたり破れたりしていないことが逆に不思議なくらいだった。

 

 そして、その目と唇は、当然の如く酷く傷ついていながら、まるで眠っているかのように、静かに閉じられていて、

 そこに血の気などというものは全くなく。

 

 

 

 かつて確かにそこにあった鼓動と息遣いを、確かめるまでもない。

 

 

 

「……行こうか」

 

 彼女の背中に左手を通す。右手は文字通り潰れてしまって全く動かせない。切り落としてこようかと思ったが、彼女の治療の跡を見て、止めた。

 とりあえず何とか左腕だけで彼女を抱き起そうとして、少しだけ躊躇した。……それでも、意を決して地面から彼女の身を離させる。

 

 四肢が零れ落ちる音は……聞こえなかった。

 ──左腕以外は繋がってた、か。

 

 きっと熱源から最も近かった部位が左腕だったのだろう。その左腕も、置いていくわけにはいかない。

 

 補助具に長い布を持ってきたのは正しい判断だったようだ。僕はかの龍の亡骸に彼女を寄りかからせ、自らの背中を添わせて布で巻きつけていく。

 一本の手でそれをするのは想像以上に難しく、何度もやり直して、その度に彼女の身体は力なく地面に倒れて。

 それでも黙々と作業を続けて、なんとか布だけで彼女を背負うことができた。

 

 首から吊っている右腕の布の隙間に、テハの左腕を置く。

 

 そして、立ち上がろうとして──どさりと地面に倒れこんだ。足が震えている。

 

「……そうだった……ゴホッ……矢を杖にして、歩いてきたんだっけか」

 

 一人でも杖を使わなければ歩けないというのに、それが二人になれば、身を起こすことすらできるはずもなかった。

 彼女を背負ったままクシャルダオラの頭部まで這っていき、その杖にしていた矢を引き抜く。どろりと黒い血が傷孔から流れ出したが、それらは地面に落ちてすぐに霜に覆われていった。

 

 矢を地面に突き立てて、よろめきながら立ち上がる。……なんとか、彼女を背負ったまま歩くことくらいはできそうだ。

 そのまま歩き出そうとして、一度だけ振り返った。

 

「……お前、ほんとに強かったよ」

 

 それは自然と口から零れ出た、雪原に倒れ伏す白銀の風翔龍に向けた言葉。

 何の世辞もなかった。ぶつけたい言葉はいくつもあったが、それらはどうせ空虚なもので、言った分だけ虚しさが増していくだけだ。

 

 この龍は強かった。その事実だけを言葉にして、この場所に残す。

 

 クシャルダオラの亡骸に背を向けて、僕は一歩一歩を踏みしめるようにして、昨日まで僕と彼女がいた場所を目指して歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 雪は止むことなく、ただ地上の音を溶かして消していく。

 自らの足音と、矢を地面に突き刺す音だけが耳に届いて、そして辺りに消えていく。

 

 見晴らしのいい雪原を、膝の下まで雪に埋もれさせながら、僕はテハを背負って歩き続けていた。

 バギィやベリオロスが見ればたちまち襲い掛かってくるだろう。しかし、彼らがいるはずもない。ついさっきまでここには古龍がいたのだ。これから数日が経つまで、周辺に姿を現すことはないだろう。

 

 だから、このまま歩いていけば、確実に無事にベースキャンプに辿り着くことができる。僕の体力が尽きない限りは確実に。

 

 それが、彼女が命を賭けて掴み取った証なのだから。

 

「……なんで、だろうな」

 

 テハがこの命を救ってくれた。

 彼女があの地に出向いてクシャルダオラを倒していなければ、僕はクシャルダオラにあっけなく殺されていただろう。

 それが分かっていたから──彼女は僕の手を放したのだ。

 

「お前が嘘をつくなんて……思いも、しなくってさ……」

 

 僕が氷山の頂上で彼女に自らの作戦を告げなかったのと同じように。

 テハはあのベースキャンプでのやり取りの間、僕に何も悟らせなかった。──気付いたところで、僕にはどうすることもできなかっただろうが。

 

 目を覚まして、そこに彼女の姿がないことに気付いて、傷む体を無理やり動かして外に出た。

 そして、その荒れ狂う空と視界を覆う雪を見て、ようやく今何が起こっているのかを悟った。

 何もできないことは分かっているのに、テハがそれを望んでいないだろうことも分かっていたのに、居てもたってもいられなくなって、愚かしくも外へ出た。

 

 そして、洞窟近くの森を抜け、雲が渦巻いている方へと矢を杖代わりにして歩いていたところで──その吹雪は、止んだのだ。

 辿り着いたときにはすべてが終わっていた。恐らくは彼女の思惑通りに。

 僕ができたことは、瀕死のクシャルダオラに止めを刺すことくらいで。

 

「お前の、その手段にも……気付けなかった」

 

 それだけは本当に。本当に、気付くことができなかった。

 

 自己破壊処理の任意実行、そしてそれの攻撃転用。

 結局テハは、自分の意志で自分の生死に踏み込むことができたのだ。自らを縛っていた兵器の原則を覆すことができたのだ。

 

 その理由を──。僕は受け入れなければならない。

 

 

 僕は、テハに託されたのだと(テハは、僕に託したのだと)

 その選択の未来(さき)を──僕が生き残るという未来への選択を。

 

 

 それは、確かに。僕がテハに願ったことだから。

 彼女に生きてほしいと願った理由の本質だから。

 

 引き金を引けない、はずがない。

 

 

「してやられたって……笑わないといけないってのに……」

 

 今まさに示されている。これが、僕の願いが叶ったかたちの一つであると。

 

 これだけは思い描けなかった。全てが終わった後に、確かにその通りだと頷きざるをえないものだった。

 言葉通り、僕は彼女に()()()()()()のだ。

 

 だから受け入れなくてはならない。彼女に託されて、生き残った僕は、笑ってこう言うのだ。

 

 僕も彼女も賭けに勝った。引き分けだ、と──

 

 

 

「…………どうして、どうして……こんなに悔しいんだろうなぁ……!」

 

 俯いて、歯を食いしばって、そんな言葉を絞り出す。左手に持っている杖代わりの矢を握りしめた。

 胸が、心が。引き裂かれるように痛い。

 

 何が……何が賭けに勝っただ。何が引き分けだ。

 そんなもの、テハが生きていなければ──何の意味もありはしないのに。

 

 しかし、そんな嘆きも、ただただ空虚なものでしかなくて。

 テハを背中に背負った僕は、また黙って雪の中を歩み始めた。

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

 考えることを止められたなら楽なのに。

 そんな思いとは裏腹に、彼女といた一年の記憶が次々と思い描かれていく。

 

 出会って、目覚めてすぐに、戦争が終わったなら生きる理由はないからと自壊しようとした。

 僕に自壊を止められて、初めて共に野宿をし、そこで僕を殺しかけた。それを僕に告げず、自らの内でその理由を探していく選択をした。

 人に馴染むことができないようだった。耳を塞いで苦しんで、僕と共にその反応を和らげることはできないかと試行錯誤した。

 そして、髪飾りを贈った日。僕の手を取って、共に旅をする選択をしてくれた。

 

 狩人になった。竜や獣を狩って、鉱石や植物を採って、調合や武器の整備をした。

 あの日、千年前のままに、たくさんの竜を殺した。今の自然の摂理を知ると、自分なりにそれに合わせようとした。

 

 いくつもの村や街を巡って、ようやく竜大戦の文献を見つけた。

 そこで初めて歴史の中での自分を知って、自らは今の時代に存在してもいいのかと疑問を持って、それでも、旅を続けていく選択をした。

 

 彼方からやってきた龍に立ち向かう決意をした僕に付き添って、僕と共に戦った。

 かの龍の殺意に戸惑い、それを振り払った。ベースキャンプでのやり取りを経て、僕の願いを知った。

 そして──僕が眠っている間に、ひとりで過去へと立ち向かった。

 

 

 

 その全ての間、一時も欠かすことなく。

 

 ただ、死ぬという選択をしていない自分と向き合い続けた。

 

 死ぬための理由でも、生きるための理由でもない。

 自らは存在してはいけない、つまり死ぬべきなのではないかという漠然とした予感を抱えながら、それでも死ぬことができない、死ぬという選択をしていない理由を探すこと。

 

 例え思考や感性が人と異なっていたとしても、その自己矛盾がどれだけ凄まじいことであるかを。

 きっと彼女だけは、分からない。

 

 彼女がそれに耐えることができたのは、いや、恐らく耐えることすらしていなかった。

 自己矛盾を延々と自らの内に抱え込み続けて、それができたのは──

 

 

 

 ──そこに、『  (空白)』があったから。

 

 

 

「なあ、テハ。……僕は、お前の……その何にも染まらない空白を、見ていたかったんだよ」

 

 それが、僕の傲慢だ。

 

 

 

 見晴らしのいい高台まで登って、青色をした空と、何一つない鏡のような海を見ていた。

 薄暗い谷底で静かに佇んで、自らを中心にして広がる血の海と、そこに散らばる幾多もの竜の亡骸を見ていた。

 自らの狩った飛竜の上に腰掛けて、果てしなく続く大地と、その地平線へと沈んでいく夕陽を見ていた。

 

 そのときの彼女が、なんとなく取っていた行動。それは当たり前のように数えきれないほどたくさんあって、その全てに共通して当てはまるものがあった。

 

 

 その瞳は、ただ透き通っていたのだ。

 

 

 荘厳な景色を見ても、その色彩には染まらない。

 全身が血に塗れていても、血の色には染まらない。

 きっと、何色にも染まることはない。

 

 そんな透明さを持っていたテハは、自らの生死のついての自己矛盾すらも、その空白の内に在るものとして捉えていたのだろう。

 そして、そんな透明さは、きっと彼女だけしか持ち得ないものだったから。

 

「だから……。だからさ……僕は、お前に生きていてほしいって、願ったんだよ」

 

 その深緑の、どこまでも澄み切った瞳がひどく印象に残っていて。

 その瞳が映す光景と、それを以てして下す選択を、見ていたいと思ったから。

 

「テハと一緒にいた旅は楽しくて、飽きなくて……本当に、かけがえのないものだったんだ」

 

 もう、彼女のいない旅を考えたくなくなるくらいに。

 

 

 

 

 

 ばきっという音を立てて、鏃の根元から矢が折れた。

 その矢を杖代わりにして体を支えていた僕は、当然のように前のめりに倒れこむ。降り積もった雪が上半身をも包み込んだ。

 

 左手に力をかけて身体を起こし、立ち上がろうとしたところで再びその場に倒れこむ。

 今更になって、ホットドリンクの効果がとうに切れていたことと、身体の疲労が限界に近付いていることに気付いた。

 

「……はは、もう、本格的にダメだな……」

 

 背中に担がれているテハはもう答えを返さない。彼女と僕の戦いは終わった。

 なら──もう、強がる必要はないだろう。

 

 そう苦笑して認める──ああそうだよ。全身が痛い。

 凍傷に塗れた皮膚は、絶え間ない激痛をくれる。何本も骨が折れているのに歩き続けた足は腫れあがり、膝を曲げることすら難しい。ただ息をしただけでも肺が灼ける。狭まった視界は、気を抜けばこのまま永遠に閉じてしまえる。

 

 白状しよう──テハがいない世界なんて、旅をする意味も、生きる意味さえも見出せない。

 

 テハに僕も死にたくないなんて啖呵を切っておきながら、テハに願いを託されておきながら、この様だ。本当に、どうしようもない。

 でも、そうだろ? 僕は、お前と共に生きたいって言ったんだ。

 お前の記憶と願いを抱えて生きるなんて、ここで生き延びても耐えられる気がしない。

 

 だから……それならいっそのこと、ここでお前と一緒に眠ってもいい気がするんだ。

 お前には、怒られるかもしれないけど、そんなかたちで会うことにすら、なんだか期待してしまうんだ。

 

 

 

 だから、お前と一緒に地面に身体を預けて、降ってくる雪に包まれて。

 

 

 力を抜いてこのまま……眠るように、さ…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──……。

 

 ────────。

 

 

 

 がり、と。左手にはめたグローブで、雪に埋もれた地面を握りしめた。

 そのまま身体を丸めて、四つん這いになって……防具を軋ませながら、ゆっくりと立ち上がる。

 

 そしてそのまま、一歩を。ほんのわずかにだが、片足を前へと踏み出した。

 

「…………」

 

 激痛が走る、視界が霞む。

 それでもまだ、前へと進む。次の一歩を、踏み出す。

 

 意識があるなら、それが途切れるまで。

 力が残っているなら、その全てを使い果たすまで。

 

 心が折れてしまっても、この託された命を捨ててしまいたいと嘆いても。

 

 

 初めて出会ったあの日、彼女の自死を止めた僕だけは──最後まで足掻き続けることを、手放してはいけない。

 

 

「なぁ、テハ。……これからの、話をしようか」

 

 でも、やはり地面を踏みしめる度に駆け抜ける痛みは凄まじく、その痛みにまた膝を屈してしまいそうになるから──すぐ傍にいるテハに、話しかける。

 

 それは唐突な話題で、それでも応えてくれるのがテハだった。

 

 そんな彼女の返事は、返ってこない。

 

「ここから、凍土の村まで戻れたら……しばらく、そこに居させてもらえないか、交渉してみるよ」

 

 これからのこと。もしも、僕が生き残ることができたならという仮定の話。

 彼女が一人でかの龍に立ち向かいに行く前、思い描いていた未来図を語る。

 

 寒冷期のため、村の食糧事情次第では受け入れてもらえないかもしれない。

 ただ、その村の人々は、この地へと赴こうとする僕たちを心配してくれた。ある程度正直に事情を話せば、受け入れてくれると信じたい。

 

「怪我の治療は……長い目で、見ていかないとな。やっぱり狩人は、続けたいから」

 

 数か月では完治できないだろうことは察せられる。後遺症が残るだろうことも。特に僕のこの右腕は──もう、弓を引くことはできないかもしれない。

 それは狩人には凄まじく不利なことではあるが……それでも僕は、狩人を続けたいと思う。たぶん、これ以外の道を知らないからだ。

 

 テハの返事は、返ってこない。

 

「それで、やっぱり……ユクモ村には一度、戻らないとな。加工屋のじっちゃんとか、村長とか、心配してるだろうし……」

 

 せめてそれだけは、何年かかっても成さねばならないだろう。怪我の治療費と武具の修繕費で路銀は軽く消し飛ぶだろうから、またお金を貯めるところからだ。

 そして、ユクモ村に戻ることができたなら──二人には、本当のことを話そう。

 

 もし、年単位の時間がかかっても、それを成し遂げることができたなら……。

 

 

 

「……また、旅をするんだ」

 

 

 

 噛み締めるように、そう呟いた。

 

「世界は、広いから……。お前に、見せることができなかったのも、たくさんあるんだ」

 

 不意に視界が滲んだ。今まで、流れることのなかった涙が零れそうになる。

 

「今度は、飛行船を使ってみよう。砂上船にも乗って……砂の海を、見てみよう」

 

 それは、きっと────そこにテハが一緒にいたなら、とても楽しいと思うから。

 そんな未来を、あのときは思い描けていたから。

 

「砂の海にはロックラック、飛行船が集う地にはベルナ村……この一年で、行くことはできなかったけど、どこもそれがもったいないくらいでさ……きっと、いろんな話ができる」

 

 歴史に、地理。気候、生態系、特産品。話の種は尽きなかった。

 どんな話にも彼女は等しく興味を持って、会話へと繋いでくれた。

 

 それがこの先も続く未来は──。

 きっと、旅の寂しさと苦労なんて、軽く撥ね退けられるくらい楽しいだろうな、と。

 

「──だから……だからさ…………」

 

 涙が頬を伝う。

 声は枯れて、掠れて、震える。

 

 

 

 ────。

 

 

 

 テハの返事は、返ってこない。

 それは、もう事実として受け入れざるを得ないものだ。

 

 

 

 そう思っていた、はずなのに。

 

 

 

 

 

「なぁ、テハ。……僕はたぶん、幻覚を見てるんだよな……」

 

 

 

 

 

 ────とく──とく

 

 雪原に身を投げ出して、深い眠りに落ちる寸前に、聞こえてきた。

 

 本当に微かで弱弱しい、その音は。

 

 

 

「それなのに……何を期待してるんだろうな……」

 

 

 

 僕の背中から、聞こえてきているような気がして。

 

 

 

「お前が……お前が生きてるなんて……期待してる、僕は────っ!」

 

 

 

 

 

 そのとき。

 僕が零した大粒の涙を、掬い取ったのは。

 

 僕の手では、なくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「──て……は…………?」

 

 

 

 まぎれもなく。

 傷だらけの、少女の手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大粒の涙がぼろぼろと零れ落ち続ける。

 彼女の手は、その涙の受け皿となるように、僕の胸元の防具にそっと添えられていた。

 

 

 

 ややあって、とん。と彼女がその防具を叩く。

 それが振り向くことを求めていると悟った僕は──本当に情けないが、それまで怖くて振り向くことができなかったのだ──首を回して、僕に背負われた彼女の顔を見る。

 

 かの龍の傍で倒れていたときには、静かに、しかし完全に閉じられていた彼女の瞼が、ほんのわずかに持ち上がっている。

 そこには、とても淡くて弱弱しいけれども、確かな深緑の光が宿っていて────目が、合った。

 

『……ア……ト…………ラ……』

 

 その言葉は、声になっていなかった。声帯が焼き切れていることを、それで悟った。

 それでも、唇の微かな動きで分かる。

 

 また溢れてきた涙を、必死に堪えながら。

 

「──ああ。聞こえなくても、伝わってる。テハ」

 

 その返事を読み取ったのは、耳か、耳元の龍の器官か。どちらでもいい。彼女はその返事を、確かに聞き取ったらしかった。

 

『クシャ……ダオラ…………は……』

 

「……止めは僕が刺した。倒せたんだ、テハ。……お前の、おかげで」

 

『ごめ……なさ…………わたし……あなた、に……うそ……ついて……』

 

「いいんだ。僕も似たようなことしたからさ……。氷山に取り残されたときの、お前の気持ちが、分かったから……お互いさま、だな」

 

 彼女とこうやって言葉を交わせることが、こんなにも大切に思える。

 気にするなと言うよりも、お互いさまだと理由を付け加えた方がいいだろうなと。そんな風に、また考えることができる。

 

 そして、それをもう手放したくないと心から願うから。

 恐る恐る、テハに尋ねた。

 

「……無理、してないか。…………僕がベースキャンプに戻るまで、持ってくれるか……?」

 

 最後の力を振り絞って、なんていうのは、冗談抜きで耐えられない。

 テハは少しの間沈黙して────答えた。

 

『…………は、い』

 

 そこに嘘はないと、信じる。

 

「なら……任せてくれ。テハの命、預かる」

 

 一歩一歩、歩き続ける。

 歩幅はとても小さい。ざり、ざり、と足を引きずるように、半歩ずつ。それでも、前へと進んでいる。

 手ごろな枝を見つければ、それを杖にして、もう少しはまともに歩けるようになる。それまでの辛抱だ。

 

 この全身の痛みも、なんとか耐えていける。

 傍にテハがいて、見守ってくれるから。

 

「なあ、テハ。前を向いて、歩く前に……もうひとつだけ、聞いていいか」

 

 前を向いて歩き出せば、声を出せないテハとはしばらく話すことができなくなる。

 できればずっと、このまま話し続けていたいが、そういうわけにもいかない。転倒でもすればそれだけベースキャンプが遠のく。

 

 だから、その前に、ひとつだけ。

 テハが僅かに頷くのを見て、僕は彼女に、言葉を選びながら問いかけた。

 

「最後……テハが、自己破壊処理を攻撃に使ったのは、分かったんだ。テハが伝えたかったことも、それを見て何となく分かって──だから、あのときは、お前の死を疑ってなかった。

 ……こうやってテハが生きてくれてるのは、本当に嬉しい。でも……それができたのは、どうしてだろうって。

 

 ──その理由(願い)を、教えてほしい」

 

 彼女が、僕を生かすことに命を賭けたことは分かった。

 しかし、彼女にとっての自己破壊処理とは、そう融通の利くものではないのだ。自分の意志で起動させることは可能だが、その逆、すでに起動したものを止めるには他者の意志が必要で、自分の意志だけでは不可能だったはず。

 

 その不可能を覆すに至った理由(願い)は何なのか。それを知りたい。

 

 

 

 僕のその問いを聞いて、彼女はしばらく瞑目した。

 そして、再び薄く目を開けた彼女が宿していたものは、いつもと少し、異なっているように見えて。

 

『わたし、は…………あそこで……あのりゅうと…………に、いのち……おえる……つもり、で』

 

 やはり、彼女自身もそのつもりだったのだ。

 最後まで熱を出し切って、クシャルダオラを完全に殺しきろうとしていた。

 

 それが叶わなかったから、かの龍は再び立ち上がり、彼女はこうして生きている。

 

『あなたに、わたしの、ねがい……たくせれば…………

 ……ですが、それが…………わたし……まちがいだと、きづいて……』

 

 自らが最初に持った願い、そして僕がテハを見て感じ取ったものを、テハは間違いだと言い切った。

 

 そこから先は、僕の想像の及ばない域だ。

 彼女が遂に掴んだ、彼女だけのものだ。

 

『わたしの……ほんとうの…………ねがいは……──』

 

 そしてテハは、その命が燃え尽きる直前になって得た答え(願い)を告げる。

 

 

 

 そのときの、彼女は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「────わたしも……あなたとともに、生きたい」

 

 

 

 

 

 確かに。確かに微笑んでいて。

 

 

 

 

 

 それこそが、自己破壊処理を止めた理由(答え)だ、と。

 

 

 

 それを見て、僕は──。

 

 ああ。どうしようもなく、また涙が零れてくる。

 感極まるとはこういうことを指すのだろうか──それを、彼女に教えてもらうなんて。

 

 

 

「──お前……笑ったのも、なにかをしたいって言ったのも、初めてなのに…………よりにもよって、そうきたかぁ……!!」

 

 

 

 この一年間、彼女が笑みを浮かべることは一度もなかった。

 それはきっと、笑顔というのが彼女にとって最も遠い感情で。だから、彼女の笑う姿を見ることはないだろうとすら思っていたのだ。

 

 そんな見立てを彼女は覆してみせた──彼女の微笑みは、とてもきれいだった。

 

 

 

 そして、彼女がこの旅で持ち得なかったものがもうひとつ。それこそが、「なにかをしたい」という意志だった。

 この一年間、彼女は自分から何かがしたいと言ったことは一度もない。

 

 自我を持ち、いくつかの感情を学んだ彼女でも、その意志を持つに至らなかった。

 恐らくそれは、彼女の兵器、機械としての特性故のもの──自意識というものを、限りなく抜き取られたのが彼女の在り方だった。

 

 だからこそ、彼女の自己破壊処理を止めることは難しい。

 生存、自己保存の願いこそ「なにかをしたい」の根源であり、彼女が持つには最も遠いものだったから。

 

 

 だから、確かにその通りだ。

 

 自己破壊処理が止まらないはずがない……他ならぬ彼女自身が、生きたい。と願ったのだから。

 

 

 

 絶対に不可能なはずの、その自己保存の願いを──

 

 

 

 ──願ったのは、共に生きること。

 

 

 

 僕という他者を介することによって、テハは覆したのだ。

 不器用という言葉では言い表せないくらいだけれども。それくらいが、本当に彼女らしい。

 

 

 

 つまるところ、テハは。

 最後の最後に、この旅の目的だった「()()()()理由」を、自らの意志で創りだしたのだ。

 

「死ぬことができない」を

「死ぬわけにはいかない」へと──。

 

 

 

 

 

『アト……ラ……あなた、は…………』

 

 そして、彼女の唇がまた動いて。

 何とか涙を引っ込めた僕は、ちゃんと見えてる、と目を合わせて。

 

 

 

『こんな……わたし、ですが……それでも、ともに…………いきて、くれますか』

 

 

 

 彼女が投げかけた問いに、強く、強く頷き返した。

 

「ああ、ああ……! もちろんだ!

 二人で、生きて帰ろう……! 二人で、旅を続けよう……!」

 

 

 もう、疑わない。二人で歩むこれからが、ただの旅物語であることを──決して疑いはしない。

 

 僕は、テハと共に生きていく──。

 

 

 

 

 

 そうして、二人は。

 少女は青年に背負われて、青年は足を引きずりながら。他に誰もいない、雪の降りしきる雪原を。

 

 ぼろぼろに傷を負いながらも、確かな意思、穏やかな微笑みと共に。

 

 ただ、歩いていく。

 

 

 

 歩いていく──……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






今話をもちまして、「とある青年ハンターと『 』少女のお話」完結です。
この最終話まで付き合ってくださった、全ての読者の皆様に感謝を。本当にありがとうございました。

後書きは、二月十一日の活動報告にて公開予定です。
感想、評価等お待ちしております。……最終話くらいなら、言ってもいいかなと思ったのです。


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第18話 襷:追憶の彼方へ(前編)

お久しぶりです!
読者さん待望の(?)続編ではなく、全三回の過去編となります。すでに書き終わっておりますので、一週間に一回更新していきますね。最後まで読むといいことがあるかもしれません! ので、見捨てないでいただけると嬉しいです……!





それは「数千年前の物語」──空を焼き地を穢した「大戦」の引き金を引き、龍たちと戦った兵器とその兵器を造り出した青年。
人々の記憶にも記録にも遺らない、それでも"『 』"だけは忘れない物語──








 

 

 幼いころ、竜機兵を間近で見たときの記憶はまだ鮮明に残っている。

 巨大な四角錘の建物から鳴り響く地響き。

 身体から蒸気を噴き上げ、奇怪な音を立てながら、見上げるほどの巨躯を四本の足で前へと進める。さらには口から火炎を吐き出してみせるのだ。

 それはリオレウスなどの竜とはかけ離れた出で立ちだった。しかし、それまで間近で生きた竜種を見たことがなかった過去の自分は、違和感など覚えもせず、その竜機兵に熱烈な憧れを抱いた。

 あれは人が造り出したものだという。そうならば、叶うならあれを造る人になってみたいと思ったのだ。

 その想いは純粋で真っ直ぐなものだった。その姿にただ憧れて、それ故に抱いた夢に向かってひたむきに走っていくことができた。

 

 過去を振り返る今、それは愚かな想いであったかと自問してみても、はっきりとした答えは出ない。きっとこれからもその問いに答えることはできないだろう。

 ただ、一つだけ言えることがあるとすれば。

 

 このときの自分は、『竜機兵がどのように造られていたか(竜機兵はどのような存在か)』など、知る由もなかったのだ。

 

 

 

 

 

「なあ知ってるか? 街にまた(ドラゴン)が襲ってきたってよ。極龍だとさ」

「あー、あの騒ぎはやっぱり龍絡みだったのか。極龍と言えば……襲撃してきたのは三回目か。どれくらい被害が出たんだ?」

「人的被害が数十程度、業者が何人かと竜機兵が二機やられた」

「またか……竜が出ると必ず数体は竜機兵が死ぬな。ったく、使い捨て感覚で竜機兵を投入するなよ」

 

 白衣を着た若い男たちがそんな会話を交わしているのを耳に挟みながら、俺は案内人に連れられて足早に通路を歩いていた。

 極龍は討伐に至れたのだろうか。倒せたような話はしていたが、断定はできない。

 もしよい状態のままで倒せたとするなら見返りは大きいだろう。極龍の操る純度の高い砂鉄。それを融かして混ぜ合わせた合金は、かなり頑丈かつ展性や延性にも優れることが分かっている。竜機兵の関節部、装甲の素材としては最適だ。

 

 ……竜機兵絡みのこととなると思考が止まなくなる。技術者の職業病ともいえるものだろうか。それ故に目的地には体感的にすぐ辿り着くことができた。

 白く画一的な通路の果て。山を麓からくり抜くようにして造られた巨大な研究施設の最奥に位置するだろう部屋に俺は案内されていた。

 部屋の前にあるのは豪奢な扉……というわけでもなく、今までにあった引き戸のドアと大差ない。厳重なロックが施されているようではあったが、案内人が手際よくそれらを開錠した。

 

 案内はここで終わりのようだ。礼をする案内人に軽く手を振りながら俺は歩みを進めた。実験室らしき部屋の中にはいくつものガラス張りの培養槽が立ち並んでいる。それらはもう見慣れたもので、竜機兵の肉の培養を行っている場所だろうということがそれだけで察せられた。

 かなり広い部屋だ。どこに向かえばいいのだろうと辺りを見回していたら、こちらに向かって歩いてくる男を見つけた。

 三十路くらいの中肉中背の男だ。さっき話をしていた若い男たちと同じ白衣を身に着けている。顔色はやや悪いが、厳つそうな雰囲気が滲んでいた。

 

「シキ技師とは君のことか?」

「はい。その通りです」

「そうか。私はヒガタ。国の指示でこの開発室の管理を担っている者だ。君の名はよく耳にする。優れた竜機兵を数多く手掛けているそうだな」

「恐縮です。私はひとりの技術者に過ぎません」

「そうなのかもしれんが、我々は君の実力を高く見ている。故にここに君を呼んだのだ。さて、社交辞令はここまでにして本題に入るとしよう。ついてきたまえ」

 

 そう言って背を向けて歩き出すヒガタという男、その後を追う。言葉遣いから推測するに、彼は恐らく国から派遣された人間なのだろう。厳つそうな顔もそれなら説明がつく。

 歩いている最中にきょろきょろと辺りを見回せば、他にもちらほらと人がいるのが分かった。天井にはクレーンのようなものも釣り下がっている。

 そんな俺の落ち着かない様子を知ってか知らずか、黙って歩いていた彼が声をかけてきた。

 

「君は先日の極龍の襲撃を知っているかね?」

「つい先ほど知りました。噂程度のものですが」

「む、情報規制は敷かれていたが、君にも情報が届かなかったというのは問題だな。まあそれは今行う議論ではない。問題なのは近年のこの都市への龍の襲撃の頻度だ」

 

 彼の言うことにはこちらも頷かざるを得なかった。

 この都市は人の文明圏の最東端にあたる。最東端とは言っても大陸の中央からやや西寄り程度だが。この都市より東は先住民族こそいれどまだ国の開拓が進んでいない、モンスターたちの領域だ。

 それ故に、ここは竜資源のフロントラインだった。未開拓域のモンスターを討伐し、手に入れた素材を首都や西の街に送る。その流れは文明の発展に必要不可欠だった。

 これを繰り返すと当然周辺のモンスターの数は減っていく。そうしたらさらに東に新たな都市をつくり、そこをフロントラインとしてここを中継地点とする……。数十年刻みで数百年行われてきたこの歴史に陰りが見え始めたのは、十年ほど前からだった。

 

「確かに、実感できるほどには増えていますね」

「十年前から続く(ワイバーン)の来襲にようやく対応できるようになったと思えばこれだ。我々も頭を悩ませている」

「……竜機兵たちが力及ばず、申し訳ないです」

「謝ることはない。もとよりあれらは竜との戦いを想定して造られたもの。龍の操る超常の力に対応できないのも仕方のない話だ」

 

 こういっては何だが、彼はよく分かっているな、とこのとき思った。他の人々からはよく「ワイバーンは難なく倒せるのにどうしてドラゴンには勝てないのか」と尋ねられる。

 (ワイバーン)(ドラゴン)。言葉が似ているのがいけないのだろう。龍と戦った竜機兵の惨状を見てみればわかる。彼らはまさに超常の力を以て攻撃を仕掛けてくるのだ。

 例えば炎王龍は大樽爆弾に匹敵するかそれ以上の爆発を起こす粉塵を無尽蔵と言ってもいいほどにまき散らしてくるし、滅尽龍は圧倒的なまでの物理攻撃力と驚異的な再生能力を誇る。

 そして何よりも、彼らは竜に比べて生命力が抜きんでている。こちらの攻撃が通らないというわけではない。しかし、竜であればとっくに倒されているはずの傷を受けてもなお立つのが龍なのだ。それ故にあちらが倒れるよりも先に竜機兵の方が持たなくなってしまう。単純だが、覆し難い差だった。

 

「龍が現れると必ず複数の竜機兵が犠牲となる。それでも討伐にまで至れているのは不幸中の幸いと言えるのかもしれんが……このままでは竜機兵の生産が追い付かなくなる。その先にあるのは、この都市の陥落だ」

 

 素材となるモンスターたちの方からこの都市に襲い掛かってくるおかげで、竜機兵を造る素材に困ることはない。しかし、肝心の生産ラインの方が手一杯なのだ。人手を増やし、首都や西の街に送る予定だった分も回しているが、それでも追いつけない。

 現状を理解している者は少ないが、この状況があと数年も続けば、彼の言う通りこの都市は手放さなくてはいけなくなってしまうだろう。

 

「西の他の街へのモンスターの襲撃も少しずつだが増えてきているようだ。そんな中でこの都市が落とされたとなれば人の文明圏は一気に狭まるだろう。仕方がない、で済ませてはいけない問題なのだ」

「…………」

 

 なんだか、人とモンスターが戦争をしているような考え方だ、と思った。

 

 俺は最悪、この都市を手放して人々が避難するようなことになったときに、せめて竜機兵に殿(しんがり)を務めさせることができれば被害も減るだろうと考えていた。人の文明圏とはそこまで死守しなくてはならないものなのだろうか。

 それ故にヒガタの言葉に沈黙で返してしまったのだが、彼は気に留めていない様子だった。

 

「君のような一般人にはやや壮大な話だったのかもしれないな。ただ、これから君に頼もうとしている仕事はそういった前置きがあることを覚えておいてほしい」

「分かりました。ですが、その仕事とは……?」

「ふむ、では前置きはここまでにしよう。言うまでもないがここからの話は国家機密だ。竜機兵生産に深く関わっている君からすれば今更なのだろうがな」

「そうですね。情報統制と国民に公開する書類を黒塗りにするのは慣れているつもりです」

「はは、ここでそう言えるとは君もなかなか肝が据わっている。……さて、我々が問題視している龍の来襲の激化について、このまま手をこまねいているわけにはいかない。『第一世代竜機兵では龍に勝てない』ことを認めざるを得ない今、我々の目標は決まっている」

「──第二世代、竜機兵」

「その通りだ。開発コンセプトは『単身で龍と戦い勝利できる』こと。君に以前、竜機兵が龍に勝つにはどのような兵装が必要か書類で尋ねたことがあったが、覚えているかね?」

 

 ……覚えている。もう一年以上前のことで、竜機兵開発に追われてすっかり記憶の片隅に追いやられていたが、あのレポートは彼の元へ届いていたのか。

 

「シキ君の忌憚のない意見と、風翔龍との戦闘を想定したシミュレーションは我々にとって大きな刺激となった。それ以降、ここでは君の描いた理想を実現させようと日々努力を続けている」

「……そんなことが……。ですが、書類でも書いた通りあれはあくまでも空想の産物です。今の竜機兵に積まれているような頭脳では、とても制御ができません」

「その問題を克服する方法を、我々は見つけ出したのだよ。それをその目で確かめてもらいたい」

 

 彼はそう言ってのけた。

 ひょっとして、ここはその第二世代竜機兵を生み出すための施設なのか。もしそうならば、途方もない──本当に大事になってしまっていることを俺は初めて自覚した。

 

「気負うことはない。君に連絡もせずに計画を進めた責任が我々にはある。これは強制ではなく、君は第一世代竜機兵の開発を続けるという選択も残されている。だが、君がこの計画に参加してくれることを私は期待しているよ」

 

 そう言って彼は立ち止まった。そこは突き当りの壁で、目の前には物々しい扉がある。どうやらこの先にあるのが本命らしい。

 通された部屋はさっきまでいた場所と違って暗く小ぢんまりとしていた。ヒガタは入り口に俺を置いて明かりをつけに行った。

 

「君があの書類で言いたかったことを強引に一言でまとめたらこうなるだろう。『竜機兵が龍に勝つには、龍の持つ超常の力を操れなくてはならない』」

「……その通りです。竜の捕獲業者は龍殺しの武器を使って龍に対抗していますが、あれは竜機兵に使われている素材と相性が悪すぎる」

「ああ、もちろんそれは心得ている。そして我々は龍たちがどうやってあの力を操っているのか分からない。原理が分からないものを使いこなすことは不可能だ」

「ええ」

 

 素材そのものを武器にすることはできる。炎妃龍の粉塵を撒いて火をつければそれだけで強力な炎を生み出せるし、風翔龍の角を加工して剣にすれば強い風を纏わせることができる。

 しかしそれはその力を使いこなしているとは言えない。本来の力を操る龍たちの後手に回るのは明白で、結果は第一世代竜機兵と同じになってしまう。

 そして、風翔龍の角を第一世代竜機兵の頭に組み込んだところで風の力が操れるようになれるはずがない。竜機兵を造っている人間が、その角がどうやって周囲に風を生み出しているのか分からないのだから。

 

「それならば、使()()()()()()()()()()()使()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……は?」

「今明かりをつける。さあ──我々の成果を見てくれ」

 

 最近発明された『電灯』がぱっと辺りを照らした。目の前にあるのは敷き詰めるように置かれた大量の機械と、たったひとつのガラス張りの培養槽。中に入っているのは────

 

「…………にん、げん?」

「見た目は人間だが、中身は違うものだ。我々はこれを制御機と呼んでいる」

 

 俺はその制御機というものをまじまじと見つめた。

 一見すると人間の少女の裸体そのものだ。整った顔立ちで、目は閉じられている。髪の毛は生えておらず、その姿はまるで胎盤の中にいる赤子をそのまま大きくしたかのようだった。

 

「人間と中身が違う、とは?」

「言葉通りの意味だ。これは今でこそオリジナルの人間の姿をしているが、これからあらゆる龍の姿に成ることができる。あらゆる龍の特徴を持つことができると言うべきか」

「龍の特徴を……?」

「その通りだ。我々が手を加えれば、その額に龍の角を生やすことができる。口には鋭い牙、皮膚から鱗を生やすこともできるだろう。背中に翼を持たせることすら可能だ」

 

 驚くべき言葉がヒガタの口から次々と放たれる。

 そのやり取りはまるで、新しく生み出す竜機兵のデザインを話し合っているときのようだった。

 つまり、これは人間の少女の姿をした竜機兵ということか──。

 

「どうやってこの制御機を創ったのか、気になるかね?」

「……ええ。とても」

「喜んで説明させてもらおう。この制御機は竜機兵の肉の培養技術を用いて育成した。人間の胎児をここにいれて、ある程度成長した段階であらゆる龍の因子を埋め込んだのだ」

 

 言葉が出なかった。

 それは、人としてやっていいことだったのか? という言葉が喉から零れけたが、なんとかそれを飲み込んで別の言葉へと変えた。

 

「そんなことをすれば、たちまち拒絶反応を起こして死んでしまうのでは」

「もちろん、数えきれないほどの失敗があった。前例がないことだったからな。だからこの素体は我々の前に舞い降りた奇跡と言えるだろう」

 

 感慨深そうに彼は呟く。その厳つい顔には苦労の色が滲んでいた。

 

「これはあらゆる龍の因子を受け入れた。しかも、元の人間の姿を失わないままに。我々が現在保有している龍の因子は全て与えたつもりだが、それでもなお、それらの影響を受けてはいないのだ」

 

 そう言って彼は俺に紙を渡してきた。彼女に与えられた龍の因子のリストらしい。

 幻獣、霊獣、老山龍、風翔龍、炎王龍、炎妃龍、霞龍、浮岳龍、天彗龍、滅尽龍、熔山龍、極龍、雷極龍、司銀龍、凍王龍……馴染みのあるものから名前だけしか知らないものまで、その数は二十近くにも及ぶ。その手間を考えるだけでも、この少女に尋常でない熱意が込められているのが分かる。

 しかし、まだ俺はその意図を汲めていない。ヒガタはこの少女のことを制御機と呼んだ。つまり、これは直接龍と戦うようなことを想定したのではなく、本体が別にあって────

 

 ──そういう、ことか。

 

「理解したようだね。そう、これは第二世代竜機兵の端末の雛形だ。龍の力を操る竜機兵の頭脳となる役割を持っているのだ」

「あらゆる龍の因子を加えたのは、竜機兵の本体がどの龍の特徴を持っても適応できるようにするため……」

「そうだ。そして、これなら原理が分からずとも龍の力を竜機兵に振るわせることができると我々は予想している。この素体にある龍の特徴を発現させ、それを操る力を感覚的に覚えさせるだけでいい」

 

 なるほど。本当に──理に適っている。

 理論をすっ飛ばして本能で能力を把握する。鳥が物理法則など理解せずとも空を飛べているのと同じ考え方か。

 そして、ヒガタが俺に依頼したいこともなんとなく察せてきた。

 

「俺は竜機兵を制御機と本体に分けるという発想はありませんでした。素人質問になってしまうんですが、制御機と本体はどうやって連携するんですか? まさか操縦席を搭載するわけではないでしょう」

「ケーブルで神経系を繋がせる。そして、それこそが君に依頼したいことなのだ」

 

 ヒガタはそう言って今度は分厚いファイルをいくつも持ち出して、目の前にあった机に置いた。

 ぱらぱらとめくってみると、第二世代竜機兵第一号機の大まかな設計図と仕様書が書かれている。

 

「シキ君にはこれを読んで設計に穴がないか確認をしてほしい。第一世代竜機兵の設計図を参考にしてはいるが、如何せんノウハウを持ち合わせていない者ばかりだからな。その上で、この制御機にどのような改造を施すか提案してくれ。第一世代の頭脳を実際に手掛けていた君がいれば百人力だ」

「……間違いなく、今の第一世代竜機兵の開発には関われなくなりますね」

「その点に関してはできる限りの穴埋めをする。君がいなくなったことで第一世代の生産ペースが落ちてしまっては本末転倒だからな」

 

 ヒガタは俺があまり報酬で動くような人間でないことを知っているのだろう。その手の話は振ってこなかった。

 俺は腕組みをして考える。決断を先延ばしにすることはできなさそうだ。

 第一世代竜機兵の限界は現場で実感している。このままでは生産が追い付かなくなるということも。その憂いを鑑みれば、これはまたとない機会と言える。

 

 しかし、なぜか俺はここで逡巡していた。それは漠然とした不安というか恐れから来ているらしく、あえて言葉にすれば。

 

 俺は、踏み越えてはならない一線を踏み越えようとしているのではないか?

 

 という一言に尽きる。

 根拠はない。今この計画を初めて知った俺が、素人なりに抱いた直感のようなものだ。竜機兵の開発になんて関わっている時点で倫理観など捨て去っているようなものだが、自分の感性に嘘をつくことはできない。

 

「……ひとつ、質問があるのですが」

「何かね? 答えられる範囲で答えよう」

 

 その漠然とした不安に向き合うために、俺はヒガタに質問を投げかけた。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ヒガタは一瞬驚いたような顔をしたあと、にやりと笑ってみせた。

 

()()()()()()()()()()()()と答えておこう。実は、そのための布石はもう打ってあるのだ」

「……そんなにも機械化を行うことが可能になる布石、ですか」

「うむ。第一世代竜機兵は機械化する部分を減らすことを理想にしているそうだが、その風潮に囚われずにいるとは素晴らしい」

 

 ヒガタは上機嫌を隠さずに称賛してくる。あの質問がよほど気に入ったらしい。

 

「さて、その布石についてだが、この素体は既に脳の一部と脊髄が機械に置き換わっている」

「なっ……」

「何の確証もない博打のようなものだったがね。乳幼児程度まで成長した段階で、開発中の演算機と導線を目の後ろと後頭部に埋め込んだのだよ。神経伝搬をあえて邪魔するようにね」

「…………」

「すると何が起こったか。なんと、その演算機と導線を拒絶せずに神経系に組み込んだのだ! そしてあろうことか、金属物を摂取すると体内で導線を成長させることまで分かった! この奇跡が君には分かるかね」

「……ええ、かろうじてですが、それが偉業であるということは」

 

 興奮冷め止まぬといった感じで話すヒガタに、俺は言葉を選んでそう答えた。

 ヒガタは俺の言葉に大きく頷くと、再び流暢に話し始める。

 

「機械への適応にあたって、起電力の確保などはいくつかの龍の因子を用いているらしい。詳細は省くが、龍の因子を取り込んだこの素体にしかできなかったということだ。そして、生体に機械を組み込み成長させるという唯一無二の特性のおかげで、我々はこの素体をより取り扱いやすくなった」

「より取り扱いやすくなった、とは」

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のだよ。人間の言葉や生活上の知識はそれで学習させることができる。身体を機械化してもそれを肉体のように扱うことができるし、竜機兵との神経接続もこれの応用で可能だ。本当に人間に都合よく仕上がってくれたものだ」

 

 機械の要素無しで竜機兵を造ること(完全な生体兵器を生み出すこと)は不可能に近い。必ず人間の手による手綱が必要だ。それを鑑みて投げかけた問いだった。

 そして返ってきたのは、さっきの龍の因子の話にも匹敵する、いやそれ以上の衝撃の事実だった。

 そしてその話を聞いたことで、むしろ冷静さを取り戻している自分がいた。いや、達観したというか、覚悟が決まったと言うべきなのかもしれない。

 

 ──俺が頭の中で引いていた一線(もうこの少女は、人でも)はとうに踏み越えられていた(龍でも機械でもない『 』だ)

 

 人という種が踏み越えてはならない一線が、この先にあるのかは分からない。誰もそれは分からないだろう。

 ならば、この話を聞いてしまった者として、人がその一歩を踏み出す瞬間を見届けなくてはならない。どうせここで引き下がっても計画は続く。ろくなことにならない気がするが、それが責任を負うというものだ。

 

「その話を聞いて、心を決めました。私も計画に参加しましょう。よろしくお願いします。ヒガタ開発室長」

「そうか……! 決心してくれたか。こちらこそありがとう。第一世代竜機兵のエキスパートが協力してくれることを心から感謝する」

 

 ヒガタは俺に握手を求め、俺はそれに応えた。相変わらずの強面だが、案外誠実な人のようだ。第一世代竜機兵を全く見下していないし、人望もあるのだろう。

 ただ、進み過ぎた技術が彼を盲目にしているだけだ。そしてこの計画への参加を決めた自分もそうなることは避けられない。

 

 俺が内心でそんなことを考えているなんて思ってもないのだろう。俺は作り笑いでヒガタの手を握り返すのだった。

 

 

 

 

 

 第二世代竜機兵の一号機は、極龍の操る磁力を主力兵装として用いるらしい。

 この都市に意図的に襲い掛かってきた最初の龍。大きな犠牲を払いながらそれを討伐した後も、別の個体が何度か訪れては撃退、討伐されている。それ故に使える素材や肉が他の龍よりも多いという何とも皮肉な背景があった。

 本来、広大な縄張りを持ち出会うことなどほとんどない龍という生物が年に何度も襲ってくるなどあり得ないことなのだが、それが起こってしまっているのが今のこの都市なのだ。

 

 竜機兵本体が極龍の力を用いるのであれば、当然のように制御機に発現させる龍の特性も極龍のものとなる。他の龍の因子の暴走を抑えつつ、人間の姿を保たせたままに極龍の因子を呼び覚ましていく調整は慎重に行われた。

 調整の根幹は極龍の心臓の移植手術だ。極龍の心臓は彼女には大きすぎるため、皮膜を切除しての植え付け手術となった。あとは骨髄も移植して龍の血が血液に馴染むようにする。時間が経てば極龍の心臓皮膜が自らの損傷と勘違いして彼女の心臓を上塗りする手筈だ。別個体の心臓は培養して竜機兵本体に搭載する。大きな工房の炉のように複数搭載することになるだろう。

 それと並行して、彼女の機械化も行われた。頭部へのケーブル接続コネクタの埋め込み、全身へ導線を張り巡らす手術……機械を取り込んで成長させるという特性のおかげで、驚くほど順調に機械化は進んでいった。

 

 そして、半年後。

 竜機兵本体の完成に先駆けて、制御機『テハヌルフ』が誕生した。

 

 

 

制御機(テハヌルフ)の指導を俺が?」

「ああ。一応その担当だった者はいたのだが、どうもあの機体に怖気ついてしまったようでね」

 

 第二世代竜機兵の肉を作っているあの広大な開発室で、俺はヒガタの話を聞いていた。

 第二世代機の開発に携わるようになって以来、ここにはほとんど毎日住み込みで働くようになった。龍の血や肉の培養、龍の素材の選定、フレームの設計……やっていることは竜機兵本体に関わることばかりだ。

 第一世代機を手掛けていたころの知識が活かせるのはこっちの方だったから、制御機の方にはあまり関わらないだろうと思っていたが、まさか機会が巡ってくるとは。

 

 先代の「テハヌルフに怖気ついた」というのが気になって、とりあえず顔を合わせてみることにした。

 機械化手術後の点検は彼女を目覚めさせずに行ったので、互いに話すのはこれが初めてとなる。ヒガタの話によれば、彼女の中にある機械(演算機)への書き込みによって言語は既に習得しているらしい。本当によくやるものだ。

 会話が成立しないとか、突然奇行に走るとか、そういうのもないらしかった。ならばどの辺りが怖いのだろうか?

 

「こう言ってしまっては何だが、私もあの制御機には得体の知れなさを感じる。あれを指導するのは難儀しそうだ」

「ヒガタ室長もですか」

「ああ。ここで話をするよりも実際に会った方が伝わるだろう」

 

 ヒガタがそう言うので、とりあえず会ってみることにした。

 目覚めたテハヌルフに培養槽はもう必要ないそうで、俺は別室へと通された。

 そこはベッドと机、椅子だけが置かれた殺風景な部屋だった。一面白の塗装がそれを際立てている。

 テハヌルフはベッドに横になっていた。どうやら眠っているようだ。目は閉じられて、わずかに胸が上下している。すうすうという寝息が聞こえてきそうだった。

 

 その容姿は、初めて彼女と出会ったときとだいぶ異なっている。

 裸ではなく、民間の療養施設で患者が来ているような服を着ている……のは当たり前だが、一番目立つのは耳元から首にかけて生えた黒い鱗だ。一枚一枚が指一本に匹敵するほどに大きく、先端がやや尖っている。

 これは彼女から極龍の因子を呼び覚ましたときに生えてきたもので、彼女特有の感覚器官になってるらしい。人にはない器官なので詳しいところは分からない。これから明かしていくことになるだろう。

 

「201番、起きろ」

 

 ヒガタがテハヌルフに向かってそう声をかけると、彼女はゆっくりと目を開いた。

 ──深緑の瞳。見たことのない色合いだ。ヒガタ、そして俺に視線を送る。

 

「201番 起動しました」

「ベッドから降りて立て」

「はい」

 

 彼女は律儀に返事をして、言われたとおりに俺とヒガタの目の前に立った。

 

「お前の開発に携わった技師を紹介する。彼に自己紹介をしろ」

 

 ヒガタがそう言うと、彼女は俺の方を見た。俺はやや背が高いので、自然と彼女が見上げるようなかたちとなる。

 少女はすっと息を吸って、口を開いた。

 

「本機は第二世代竜機兵制御機 個体番号201番。あなたの名前と敬称 入力を要求します」

 

 ──なんというか。

 ところどころに間の置かれた、とても独特な話し方だ。声は淡々としている。抑揚はあるのだが、何かしら籠るはずの感情を極限までそぎ落としたような印象を覚えた。

 少女の瞳が俺を正面から捉える。俺もそれに向き合った。互いが互いの瞳の奥を覗き込んでいるような、そんな視線のやり取りが交わされる。

 

「シキ君?」

 

 ヒガタが声をかけてきた。俺はそこではっと我に返る、が、彼女への視線は外さない。

 ヒガタには手で応えて、屈んで彼女と目線を合わせた。

 

「名前はシキ。敬称はいらない」

「入力を確認 しました」

「確認する。俺の名前は何だ」

「シキ」

「正解。俺はお前をテハヌルフ、または201番と呼ぶ」

「了承 しました」

 

 応答は早いな。敬語を話せるとは思わなかったが、つまりそれだけ多彩な言葉遣いができるということだ。今後訓練すれば人と問題なく会話できるくらいにはなるだろう。

 あとはこの睨み合いを続けるだけだ。じっと互いの瞳を見続ける。

 

 瞳孔は丸く、人間のそれに近い。しかしそれはかたちだけで、多くの竜や龍がもつ縦長の瞳孔を押し広げてそうしたかのような印象を受けた。さらにその孔の内にはどこまでも透き通った深緑が見える。まるで、望遠鏡のレンズを逆さに覗き込んだかのようだ。

 

 しばらく互いに沈黙が続いた。が、ややあって彼女の睨み合いの気配(?)が薄れたのを見計らって俺の方から視線を外した。どうやらひとまず満足してくれたようだ。

 間に入ってはいけない雰囲気を感じ取っていたのだろう。戸惑い半分居心地の悪さ半分といった様子のヒガタにすいませんと謝りを入れる。

 

「……君は、こういう存在と話したことがあるのかね?」

「いえ。ただ何というか、第一世代竜機兵と雰囲気が似ていると感じました」

「この制御機が?」

「ええ。彼女もまた、小さいながらも竜機兵ということなのでしょう」

 

 まあ、第一世代は会話などできないが。こちらから一方的に動かすだけだ。

 会話ができる兵器というのは画期的だ。第一世代に足りなかった戦略の幅が一気に広がるだろう。

 

 俺はとことんまで第二世代竜機兵に付き合うと決めている。ならば、本職の竜機兵本体の開発だけでなく、この少女ともさらに向き合わなくてはならないのかもしれない。

 そして俺は、この少女に効率的に龍を倒させるにはどうしたらいいか、人の側に都合のいい兵器にするにはどうしたらいいかが何となく分かる。分かってしまった。

 毒を食らわば皿まで、というと聞こえが悪いか。この少女はまさにこの都市の命運を背負っているのだから。

 

「テハヌルフの指導役、やってみます」

「それが良さそうだ。すまないな。異動続きで迷惑をかける」

「構いません。私自身の意志ですから」

 

 俺は、人の希望を造ろう(人の業を背負おう)

 



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第19話 襷:追憶の彼方へ(中編)

 

 テハヌルフという少女の指導は難しいものだった。

 反抗的だとか物覚えが悪いとかの理由ではない。それどころか彼女はこちらの言い分を全て信じるし、命令には逆らわない。極めて従順だと言えた。

 その上でこの少女を人として育てていくならば、苦労はいくらか少ないだろう。だが、俺はこの少女を兵器として育てなくてはいけない。それは前例のない試みだった。「使い方の分からない大砲が突然話せるようになった」と言えば少しは伝わるだろうか。

 

 しかしその例えで言えば、その大砲は教え方次第で自分で移動して砲弾を装填し、照準をつけて砲撃を行うことができるのである。自律行動ができるというのはそれだけ強力なのだ。

 無論、自律行動は第一世代竜機兵もやっていたことではある。しかし、テハヌルフはその自由度が桁違いだ。第一世代機は前線まで連れて行って敵にけしかけるくらいがせいぜいだが、第二世代機は索敵から交戦、拠点防衛までこなすことができるように設計されている。

 

 この強みを最大限に活かすには、テハヌルフに対竜、または対龍の戦略や砦の構造、自らの保有する力の使い方を始めとするあらゆる知識を叩き込まなくてはならない。

 期限はテハヌルフに接続する竜機兵本体が完全に完成するまで。予定ではあと約一年だ。正直、かなり短いと言わざるを得ない。

 

 ……彼女に限り、簡単かつ効率的に知識を得させる方法はある。だが、俺はその方法は最低限に留めようと考えていた。

 

「命令も知識も全て演算機へ書き込んでしまえばいいのではないかね? 命じればすぐにその状態に移行するではないか」

 

 当然の如く、ヒガタにはそう問われた。

 彼女の頭の中にある演算機への書き込み。人間のように記憶するのではなく、機械のように記録するやり方だ。蓄音機のようなものである。頭の中に演算機が入っているテハヌルフならではの学習方法だ。

 

「その方法は有効ではあるんですが、大きなデメリットも抱えているんですよ」

「デメリットか。それは何だ?」

「知識や機能を書き込んでいくと、それだけ思考の柔軟性が失われていくんです」

 

 より人間らしさが失われていくと言うべきか。考えずとも答えが用意されているようなもので、翻せば書き込んだ分だけ思考ができなくなるのだ。

 また、命令などをその方法で覚えさせると、彼女の中ではそれが絶対的なものとなってしまうようだった。彼女の解釈次第では、書き込んだ命令のせいで身動きが取れなくなると言ったことも起こりかねない。

 

「思考の柔軟性が失われていくと、自律行動に制限がかかってきます。それは制御機としては望ましいことではないでしょう。だから、演算機への命令の書き込みは最初だけにしようかと考えています。知識はその限りではありませんが」

「ふむ、確かにその通りではある。方針が立てられていればいいのだ。成果を楽しみにしている」

 

 ヒガタはそう言って納得の意を示してくれた。ならば、あとは全力を尽くすのみだ。

 

 

 

 テハヌルフを第二世代竜機兵に搭載するに相応しい制御機にする。

 その目標をもとに、俺は自らに誓約を課した / テハヌルフに最初の三つだけ書き込みをした。

 人のかたちをした兵器を造るための、誓約 / 命令だ。

 

「褒めるな。叱るな。道具を扱うつもりで話せ / 人の代わりに龍を討つために在る」

 

 兵器に感情はいらない / 第二世代竜機兵は人と戦わない。

 

「怒るな。笑うな。感情を見せるな。ただ淡々と接し続けろ / 人間の意志に服従しなければならない」

 

 感情を育ませないために、手を尽くさなければならない / 兵器は人の支配下になくてはならない。

 

「その上で、人間の街の守護を最優先するような価値観を形成させろ / 上記の命令に反するおそれのないかぎり、自己を護らなければならない」

 

 それは、彼女に自らの存在意義を問わせないために。

 万が一にも、彼女が裏切らないように。

 

 

 

 ある日は、彼女の話し方について言葉を交わした。

 

「これからお前の話し方を直していく」

「現状は 不自然 ですか」

「その通りだ。その話し方では、俺以外の人間と交流しにくい」

「シキはなぜ 平気ですか」

「……お前を造ったからだ。これ以上の質問はしないこと」

「了承 しました」

「今のお前は、適切な言葉を引っ張り出すことに時間がかかっている。区切りの入った話し方をしている自覚はあるか」

「はい」

「それを繋げていくには、慣れるしかない。俺の話し方から学べ。俺と会話をしろ」

「了承 しました」

「聞き取りも同様だ。今の俺は、お前が理解しやすいような話し方をしている。人間はさらに抽象的な話し方をする。これから少しずつ話し方を変えていく。分からないことがあったら──」

 

 

 

 ある日は、彼女の持つ力について話し合った。

 

「あの机に置いてある鉄球を持ってこい」

「はい」

 

 俺の命令に従い、テハヌルフは人の指先ほどの鉄球を手に取って持ってくる。

 

「お前は、その場から動かなくてもそれをここまで持ってこれるはずだ。それが分かるか」

「不明 です」

「これから、俺が手本を見せる。見ておけ」

 

 俺は鉄球を机の上に戻し、懐から極龍の鱗が編み込まれた手袋を持ち出して右手にはめた。

 そして、鉄球に向かって手を近づける。と、鉄球はごろごろと転がってやがて手袋にぴたりとくっついた。

 

「今、何の力が働いていたかお前には見えたか」

「はい」

「それが磁力だ。人間には見えない。お前が感覚的に扱えるはずの力だ。その力を使って、動かしてみろ」

「……了承 しました」

 

 彼女はそう言って、俺と同じように右手を鉄球に向かって翳した。そして、力を籠めるような仕草をする──。

 

 破砕音が部屋に響き渡った。

 

 彼女の指の間をすり抜けて、彼女の傍を高速で駆け抜けた鉄球が壁にぶつかったのだ。

 壁には大きな弾痕が出来上がっていた。生身の人にぶつかっていたら、そのまま貫通していたかもしれない。

 

「…………」

「…………今のはお前の力加減を考慮していなかった俺のミスだ。次からは鉄糸を編んだ布を使う」

「……はい」

 

 テハヌルフも流石に驚いたのか、目を丸くしていた。

 俺はその何倍も驚いている。起こったことよりも、彼女が扱える磁力の強さに。

 想定よりも遥かに強い。それは、彼女が俺たちの予想以上に極龍の力を引き出せていることを意味する。この小さな体であの破壊力を生み出せる。やはり、龍の力というのは計り知れない。

 

「今の感覚を覚えておけ。次はどの程度力を籠めるべきか推定できるはずだ」

「はい。記憶 します」

 

 ひょっとしたら竜機兵本体に搭載してから訓練を予定していたあの技術を使えるかもしれない。そう思いつつも、これから書かなければならないだろう報告書と始末書に俺は内心でため息をついた。

 

 

 

 ある日は、彼女と竜機兵本体の接続試験をした。

 

「今日は、竜機兵の右腕の神経系のテストをする」

「はい」

「ケーブルでお前と本体を接続してから数時間は同期に時間を使う。実際に機体を動かすのはそれからだな」

「テストの際に本機に求められる動作はありますか」

「いや、今回は俺が直接指示を出す。それに従うだけでいい」

「分かりました」

 

 テハヌルフとの打ち合わせを経て、俺たちは竜機兵の組み立て棟へと向かった。

 開発室で作り出された肉や装甲は組み立て棟で繋ぎ合わされる。半分骸骨のようで、臓器の入った腹と右腕だけに肉のついた宙吊りの竜機兵が俺たちを出迎えた。

 鉄板敷きの通路をかんかんと靴音をたてながら歩いていけば、何人か作業員が出迎えてくれた。

 

「お待ちしておりました。シキさん」

「出迎えてもらってすまない。そっちも忙しいだろうに」

「いえいえ、シキさんが開発室との橋渡しをしてくれてるおかげで大助かりですから。……そちらにいるのが、制御機ですね」

 

 挨拶に来た作業員がテハヌルフへと目線を向けた。相変わらずの患者衣のような服を着たテハヌルフは、肉と鉄錆の匂いが入り混じるこの場では浮いて見える。

 作業員の視線を受けたテハヌルフは小さく礼をして口を開いた。

 

「初めまして。本機は第二世代竜機兵制御機、個体番号201番です。本日はよろしくお願いします」

「──ああ、こちらこそよろしく」

 

 テハヌルフのその挨拶に作業員は驚きと戸惑いが入り混じったような表情を浮かべた。

 成り立ちが人間と全く異なるこの少女がここまで流暢に言葉を操れるのが意外だったのだろう。そこまでには幾度もの会話や行き違い、爆弾発言があったのだが。

 「制御機は話せるが、別にかしこまる必要はない。貴重な道具程度の感覚で扱えばいい」と事前に言っていたからか、彼らも身構えたりはしていないようだった。それでいいのだ。

 

 テハヌルフは竜機兵の首元に収納される手筈になっている。組み立て棟の中腹辺りで飛び込み台のように突き出たいくつもの通路のうち、ひとつが首元へと伸びていて俺とテハヌルフはそこへ向かった。

 人がようやく一人入れるかという肉の隙間。そこにテハヌルフは戸惑いもなく入っていく。普通の人間ならば生理的嫌悪感が凄まじいだろう。

 今回は入り口が閉じることはなく、聴覚や視覚の神経ケーブルも繋がないので俺と向かい合って話しながらのテストとなる。

 肉から触手のように垂れているケーブルをいくつか手に取って、テハヌルフの頭に埋め込まれたコネクタの番号を照らし合わせていく。

 

「ケーブルを繋いでから同期が完了するまでは右腕の感覚がないはずだ。お前自身の右腕も動かせなくなるから気を付けておけ」

「はい」

「じゃあ、繋ぐぞ」

 

 今回繋ぐケーブルは三本程。それらをテハヌルフの頭にガチリと取り付けた──

 

「──ぁっ……が……」

 

 それは、兵器が初めて上げた悲鳴だった。

 

 竜機兵の肉に埋もれた少女の身体が仰け反り、引きつるように痙攣する。顔はひどく歪み、目は見開かれ、口は半開きになっていた。

 同期失敗かと思い、ケーブルを外しかける。が、思い留まった。

 同期とは言っても、それは物理的なものだ。ケーブルから導線を彼女の頭の中へと直接送り込んでいるのである。彼女がそれに適応するまでは、想像を絶する痛みがあるだろう。さらにそこから巨大な竜機兵の腕を動かすための膨大な情報量が流れ込んでくる。人間ならまず耐えられない。彼女の適応力頼みなのだ。

 

「ぅ……ぐぁ…………かはっ……」

 

 呻き声をあげながら、テハヌルフは外から導線が自らの頭の中に入り込む感覚に耐える。

 彼女の痛みを和らげる手段はない。龍の因子を持つ彼女は麻酔などの薬物に強い耐性を持つのだ。

 下から心配そうにこちらを見る作業員たちに大丈夫だと手で合図をして、俺は彼女の様子を黙って見守った。

 

 そして、二時間ほどが経つとその拒絶反応のような様子も収まってきた。

 彼女は憔悴しきって力なくその身を弛緩させている。浅く息をする口からは涎が垂れ、瞳はぼんやりと虚ろな光を宿している。

 

「同期は終わったな。意識は保てているか」

「……は……い…………」

「なら次は動作試験だ。右手を持ち上げてみろ」

 

 あくまでも冷静に、彼女の意識が保たれていることだけを確認して話を進める。

 そんな俺の様子に不満を抱く様子もなく、テハヌルフは肩で息をしながら俺の命令に従った。

 人が数人で手を繋がなければ取り囲めないほどに大きな腕が軋みながら持ち上がる。おお、という作業員たちの歓声が聞こえる中で、俺は淡々と指示を出し続けた。

 

 その拳を強く、強く握りしめながら。

 

 

 

 そして、ある日は。

 

「お前が都市の防衛拠点から離れて活動をしているとき、俺たちは光信号か狼煙でお前と意思伝達を試みる。簡単な命令、もしくは地形に隠れて互いが見えないときには狼煙を使う。光信号を使うのは言葉で命令を伝えたいときだ」

「どれほどの種類の信号、命令がありますか」

「合わせて百五十くらいだな。纏めて資料を作っておいた。それらについては直接書き込みを使って構わないので完全に覚えておくように……っとと」

 

 テハヌルフの部屋で、壁に取り付けられた黒板とチョークを使って授業を行っていた。と、不意に襲った眩暈に俺は体をふらつかせる。

 

「シキ、心拍と意識に支障が生じています。休息が必要です」

「ああ。分かっている」

 

 単なる疲労と寝不足だ。テハヌルフの指導だけでなく竜機兵本体の開発に関わっているのだから覚悟の上だ。

 テハヌルフの持つ極龍の力を最も引き出せる物質は砂鉄であることが、彼女と訓練を続けている間に分かった。それを竜機兵本体にも反映させ、兵装を最適化していかなくてはならない。その調整は俺の手に委ねられている。

 第二世代竜機兵の本体の製造も大詰めに入った。やるべきことは加速度的に増えていく。気を抜いてなどいられない……のだが、テハヌルフに指摘されるまでになってしまったか。どこかで休息を挟むべきなのかもしれない。

 

「授業を再開する。お前の方から連絡、または受け取った信号に対して返信が必要なときにとるべき行動についてだが、……っ」

 

 いや、今すぐ休むべきだった、か。

 後悔するころにはもう遅い。心臓がぎゅっと収縮したような痛みと共に、俺は立っていられずその場に膝をついた。取り零したチョークが床を跳ねる。

 身体疲労から来る心臓の不調だろう。そんなことを頭の片隅で考えつつ、俺は泥のような眠りへと落ちていった。

 

 …………

 

 夢を見ていた。昔の頃の、まるで走馬灯のような夢だ。

 竜機兵の初号機に憧れて、がむしゃらに勉学に励んだ。学校なんて洒落たものに通えるような身分ではなかったため、独学だ。大陸統一言語を覚えて、数学、物理を学び、歴史、竜学など手に取れる知識はなんでも吸収した。

 竜機兵はこれまでの人間の知識の集大成のようなものだ。どの分野を学んだとしても役立てられる。そう信じてなけなしの金を握りしめては古本を買い、わざわざ銭湯に行って身だしなみを整えて都市の図書館に入り浸った。

 そんな生活を数年続けて、ようやく手に届いた竜機兵の生産施設。秘匿されていた竜機兵の生産技術を学べる機関。俺は一介の技術者として意気揚々とその門をくぐった。

 

 出迎えていたのは、禁忌とされている生物創造の温床だった。

 

「…………っ」

 

 現実へと意識が引き戻される感覚。鉛のように重い瞼を薄く開けると、この施設では定番の白い天井が見えた。

 ここは療養室か、とぼんやりと考える。倒れる前のことも思い出せてきた。大方、テハヌルフが開発室の誰かに俺が倒れたことを伝えたのだろう。自律行動でそれができたなら上出来だ。と思っていたところで、俺の視界に何かが映り込んできた。

 

 テハヌルフだ。

 

 慌てて体を起こしかけるが、憔悴した身体はそれを許さず、身じろぎするに止まった。

 

「……ここは」

「本機の待機室です。意識ははっきりしていますか」

「……ああ。何時間眠っていた?」

「六時間ほどです」

 

 つまり俺は、テハヌルフのベッドで四半日寝ていたということか。それだけでまた頭が痛くなってくる。

 どうして人を呼ばなかったのかと聞けば、眠っているだけの様子だったからだと無表情で彼女は答える。羞恥も何もない彼女らしい対応だったが故に、俺はため息をつきたくなるのを抑えてこういうときの対処法を教えるに留めた。

 ゆっくりであれば、この身を起こして行動することもできそうだ。俺は今までの疲れがどっと噴出したかのように重い身体をベッドから降ろして、ふらふらしながらも立ち上がった。

 

「俺は自室に戻る。授業は中断だ。次の指示があるまでの間、教本を読んでおけ」

「了承しました」

 

 その返事を聞いて部屋から出て行こうとしたところで、背後からテハヌルフに呼び止められた。

 

「シキ。質問が一つあります」

「……なんだ?」

 

 彼女からの自主的な質問はかなり珍しい。然るべき処方を早く受けなくてはと流行る気落ちを抑えて、俺は振り返った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()、というのは本当ですか」

「──なんだと?」

「眠っている間、シキは何度かそう言いました。これは事実なのでしょうか」

 

 少女は俺の目を真っすぐに見つめて、そう問いかける。

 その瞳が、ほんのわずかにだが、揺れているような気がした。

 

 ……最悪だ。

 数時間前の自分を殴り飛ばしたい衝動にかけられる。よりにもよって、なんてことを口走ったのだ。

 彼女にだけは、決して聞かせてはいけない言葉を。

 

 テハヌルフはじっと俺を見つめ続ける。その心の内まで見透かそうとしているかのように。

 もう取り返しはつかない。誰かを頼ることもできない。俺自身がその問いに答えないと意味がない。

 俺は身を屈め、テハヌルフと初めて挨拶をした時のように目線を合わせて、その肩に手を置いた。

 決して目を逸らさないように。

 

「その言葉は、本当だ。俺は竜機兵を造りたくない」

「事実なら、本機は──」

「だが俺は誰よりも、第二世代竜機兵(おまえ)の強さを信じている」

「…………」

「人と龍の戦いに、お前は絶対に必要だと思っているから、俺はお前の指導を続けるんだ」

 

 本心からの言葉だった。取り繕う言葉など考えなかった。

 なぜなら、この少女は嘘を見抜くことができるからだ。いや、本心を感覚で悟るというのが正しいか。そういう特性を持つように彼女はできあがっていた。あの、耳元の特有の感覚器官を用いて。

 俺たちはそれを、龍の感性と言った。

 

「……分かったか?」

「……はい」

 

 彼女もまた、嘘をつくことはできない。だからその言葉は俺を少しだけほっとさせた。

 気の緩みが疲労感を再発させる。このこと以外に寝言は言っていなかったことを確かめた上で、俺は今度こそ彼女と別れた。

 

 急いで療養室に向かう予定だったのだが、どうにもその気分になれず俺は施設の展望台へと向かった。

 山をくりぬいてできている研究施設なので、上の階は地表から露出している。心地いい風が吹く場所だった。

 

 展望台には珍しく誰もいないようだった。時間は夕刻、空がぼんやりと赤く染まっている。

 テハヌルフの部屋に行くときは朝だったので、本当に四半日眠りこけていたということを実感させられる。ため息をついて俺は柵に肘をついた。

 

 空が変わり始めたのはいつごろからだっただろうか。昼は蒼が、夜は星が見えた空はそこにはない。灰のような色の薄い雲が全天を覆い、太陽や月を隠し続けている。

 そんな不穏な空の元でも、街は活気づいていた。喧騒がここまで届いてくるかのようだ。

 この都市は人と竜の生息圏の境界にあり、竜を捕らえて素材を輸出することで成り立っている。竜の捕獲業者、素材を切り出す剥ぎ取り屋、それを買い取って他の街へと運ぶ行商、竜殺しの武器を作る鍛冶屋、不足しがちな穀物や竜の捕獲業者が用いる道具を売る商店など、ここでなければそう会えないだろう人々がここには集っている。俺たちのような竜機兵の技術者などその最たるものだろう。

 

 最近は竜、そして龍の襲撃が以前にも増して頻発していて、その被害者も明らかに増えている。しかし、この熱気は止むことがない。

 竜や龍に頻繁に襲われるということは、それだけ多くの素材が都市に入ることを意味する。素材の需要は尽きることを知らず、俗っぽく言えば金儲けになる。それ故に危険を顧みず竜の捕獲業者に志願したり、別の都市から出稼ぎに来る人が後を絶たなかった。

 欲深い街だと言われるかもしれない。それでも俺は、この街の雰囲気が好きだった。この街で生まれ育ったから、その雰囲気に慣れ親しんでいったのだろう。

 だから、この街の人々を守るのに竜機兵はどうしても必要だと思って、俺はこの技術に関わり続けているのだ。

 

 そこまでが、建前の話。

 目を伏せる。心の奥底を覗き込まれたかのような気持ちの悪さだ。

 技術者となって生産施設へと入り、数々の竜機兵を生み出していきつつも、俺は内心でふと思わずにはいられなかった。

 きっと竜機兵はできれば作らない方が良い、と。それが「竜機兵を造りたくない」に繋がったのだろう。

 別に、生命創造の禁忌に怯えているからとか、素材となる竜が可哀想だからとかではない。そんなに強い感情ではなく、いつも少しばかりの後ろめたさが付きまとうのだ。

 国家の権威を示すため、宗教施設の偶像とするため、そうやって輸出されていく竜機兵を見送るたび、憐憫にも近い気持ちが燻っていた。

 

 ただ、それはテハヌルフにだけは聞かせてはいけない言葉だったのだ。それは俺自身が彼女に課した枷に起因する。

 彼女は人の意志に従う。本来、それは誰か特定のひとりを指すものではなく、集団心理を対象としたものだ。集団心理を直感的に感じ取るなど人にはほぼ不可能だが、テハヌルフは龍の感性でそれを可能にしている。

 ただ、今は状況が違う。彼女を認識している人間は少なく、俺以外との関わりがほとんどない。今の彼女の中での『人の意志』として大きな割合を占めているのは俺なのだ。

 その俺が、竜機兵なんて作りたくなかったと告げたら、それを、自分は不必要な存在だったとテハヌルフが認識したら。

 

 恐らく彼女は、自分で自分を壊すだろう。跡形もなく。()()()()()()()()()()()()()

 それは俺が一番やってはいけないことだ。そう思うとぞっとする。

 

 だが、たとえ建前でも、竜機兵が必要だと思う気持ちは本物だ。ここで自分に嘘をつけるほど俺は器用じゃない。

 ……明日までに、気持ちに整理をつけよう。彼女とのいつもの関係に戻れるように。

 

 考え事をしているうちに日が暮れてしまった。街には次々と明かりが灯り、夜景を形作っていく。

 この夜景のさらに向こうは都市の防衛拠点、いや、今はもう戦場か。第二世代竜機兵があの地へと降り立つ姿を思いながら、俺は展望台を後にした。

 

 

 

 

 

 結局、あの日の出来事は後に響くことはなく、俺とテハヌルフは指導する側とされる側の関係に戻った。

 しかし、それからの日々はまさに怒涛と呼ぶに相応しいものだった。

 

 南方の火山地帯から北上してきたらしき覇竜という龍に匹敵するほどの強大な竜が、何体もの第一世代竜機兵や竜の捕獲業者による防衛ラインを突破して都市の砦を半壊させた。

 その修復作業も頻繁に襲ってくる竜たちのために遅々として進まず、追い打ちをかけるように現れた炎王龍がとうとう都市の内部に舞い降りて甚大な被害を出した。

 

 これに対して都市は非常事態宣言を行い、竜と龍を『敵』とみなして徹底的に抗うことを決めた。これまで以上に大量の素材を輸出することを対価に、国から大量の人材と資材を輸入し、軍隊を編成。これまで以上に苛烈に彼らを倒していった。

 もうこの都市は止まらない。歯止めが効かない。それは、人の歴史上初めての人と竜、そして龍の()()だった。

 世間ではそれを、『竜大戦』と呼んだ。

 

 

 

 

 

 そして、その日は訪れる。

 

「呼吸正常、脈拍安定、磁気放出能力問題なし……いつでもいけます。シキさん」

「分かった。万全の整備を感謝する」

 

 砦内の格納庫で最終調整を行っていた作業員の報告を受け取って、俺は隣にいる少女に声をかけた。

 

「出撃の準備が整った。軍からの要請もすでに出ている。準備はいいか」

「はい。本機は出撃可能です」

「よし、竜機兵本体との接続を許可する。作戦内容は昨日伝えた通りだ。出撃しろ、テハヌルフ」

「了承しました」

 

 緊張も不安も全く感じさせることなく、いつもの声でテハヌルフは応えた。

 それは当たり前というなら当たり前なのだが、何とも頼もしさを感じてしまう。そんな柄にもないことを考えてしまうくらいには、俺はこれからの作戦に緊張していた。

 

 上を見る。そこには、巨大な生命体が静かに息をしていた。

 全長四十メートル、全高十五メートル。まさに巨大だ。第一世代竜機兵でもこの大きさのものはほとんどいない。前脚と後ろ脚、加えて第二世代竜機兵を象徴する部位、一対の翼が背中から生えていた。

 モデルとなった極龍よりも、数倍近く大きい。小型軽量化の技術を取り入れていないのでこうなるのも致し方なかった。おかげで動きは鈍重だが、対モンスターでは相手より大きいことそのものが武器になる。

 

 テハヌルフが竜機兵の首元に取り込まれる。作業員たちの号令と共に、格納庫の扉が開け放たれていく。

 外から差し込んでくる光が、その兵器の色を浮かび上がらせた。

 

 三体の極龍の素材を余すことなく使い、金属で接合した装甲の色は黒。ところどころ金色の逆鱗が生えている。翼は極龍のそれと似たような形状だが、二回りは大きい。翼膜は頑丈さよりも再生することを軸に据えている。

 頭にはいくつもの逆鱗と三本の角が生えていて、その周りを装甲が覆っている。しかし、そこに積まれている頭脳に思考能力はない。制御機たるテハヌルフが接続されなければ植物状態だ。

 

 外の光を浴びて、竜機兵の目に光が灯った。テハヌルフの接続が完了した。竜機兵を繋いでいたケーブルが次々と外されて、それは解き放たれる。翼を一度だけはためかせ、第二世代竜機兵は地響きにも等しい足音を立てながら格納庫の外へと出た。

 

 第二世代竜機兵が実際に動くのを見るのは、実はこれで二回目だ。試運転という名目で、都市の砦がある方向の反対側から訪れていた岩竜を討伐しに赴いている。

 結果は、龍の力を使用するまでもなくの完封だった。第一世代機を遥かに凌駕する耐久力もさることながら、やはり制御機(テハヌルフ)がいたのが大きい。地形を利用し、相手の攻撃を予測し、自らの攻撃だけを当てていく。純粋な力比べになりがちだった第一世代機よりもずっと動きが洗練されている。

 

 その光景を見ているため、今は幾分か落ち着いていられる。ただ、格納庫から歩いて出て行く姿が、俺が初めて竜機兵を見たときの記憶と重なって、少しだけ懐かしさを覚えた。

 兵隊の振る旗信号に応えて、竜機兵は首肯したり翼を動かしたりする。テハヌルフの意識も正常のようだ。「危ないので下がってください」という作業員の指示に従って、俺は塹壕へと身を滑り込ませた。

 しばらくして、巨大な羽ばたきの音と共に突風にも等しい風が吹き荒れ始める。もろにその風を受ければ吹き飛ばされてしまいそうな程だ。格納庫の扉は閉じられ、周囲にいた人々は塹壕や物陰に避難する。

 

 かの巨体が、空へと浮かび上がる。

 

 向かう先は砦よりも先にある()()の最前線。途中の道のりをこの機体のために整備させることなく、空から最短時間で到着させる。

 周囲の風がようやく収まってきたころには竜機兵は空高く、目的地へと飛び立っていた。

 その姿を見送りつつ、俺は付近の山に設置された物見櫓へと向かう。第二世代竜機兵の戦いをこの目に収めるために。

 俺は小さく呟いた。

 

「征け。テハヌルフ。龍に等しく在れ」

 

 

 

 物見櫓は第二世代竜機兵への信号伝達の場を兼ねている。俺はそこに備えられた望遠鏡からその姿を探した。

 見つけた。既に戦場へと辿り着いていたようだ。複数の山に囲まれた盆地のような平野。そこに降り立って静かに佇んでいる。その傍には木組みの巨大な台車が数台置かれていた。

 事前の準備はほぼ完璧だ。

 あとはそこに目標が来るのを待つのみ。あの機体を無視することは絶対にないはずだ。まさに龍に匹敵する存在感をあれは放っている。

 

 周囲一帯にいた竜やその他のモンスターたちが怖気ついて暴れ出したという報告があったが、それらは竜の捕獲業者を束ねて構成された軍隊によって粛々と討伐されていく。

 そうして半日が過ぎようかという頃に、その目標はテハヌルフと同じく空からやってきた。

 

 突如空へと浮かび上がる赤い星。瞬く間に尾を引いて大きくなるその彗星の主は天彗龍。過去に人が住まう土地の空を飛び回って、甚大な被害を出したと記録にある銀色の龍だ。

 この都市に訪れるのはこれが初めてではあるが、大陸の各地に散った観測隊からの情報によって来襲は予告されていた。

 

 前回の龍の襲撃からひと月も経っていない。明らかに異常なペースだ。龍の縄張りは広大で個体数は竜よりもずっと少ないはずなのに、龍はなにかに取りつかれたかのようにここを目指す。

 その意図はわからない。しかし、来るとわかっている災は打ち払わなくてはならない。

 先月の龍との戦いと連日の竜討伐に疲弊している竜の捕獲業者たちとでは被害が大きくなるだろうことは明白で、故にテハヌルフに前倒しで出撃命令が下ったのだった。

 

 彗星が進路を変えた。降下している。テハヌルフを視界に捉えたか。

 しかし、音速を超えているのだろうその飛翔速度を緩める気配が全くない。あれでは地面に激突してしまう──いや、それこそがかの龍の攻撃か!

 あの速度で衝突されれば流石に無事では済まない。テハヌルフは気づけているだろうかと慌てて望遠鏡を向けた先で、竜機兵は既に迎撃準備を整えていた。

 

 開け放たれた荷台。そこに入っていた大量の砂鉄が一帯を漂って黒い霧を作っていた。

 その中心で渦巻く磁力。竜機兵の背中の上、翼の付け根で支えるようにして竜一体分の大きさはあろうかという砂鉄の球が形作られ──

 ──前脚を伸ばし、ぴたり、と空のある一点に向けて背中から首を一直線に伸ばした。

 

 天彗龍が自らを槍として竜機兵に迫る。

 

 瞬間、砂鉄球が背中から空へ向けて豪速で打ち出された。あまりの速さにこの目では捉えられず、音速を超えただろう衝撃波だけを残して砂鉄球が消えたように見えた。

 磁力砲。テハヌルフの主遠距離攻撃だ。

 

 砂鉄球は天彗龍の下腹部を捉えたようだ。跳ね上げられた天彗龍は竜機兵の頭上を飛び越して墜落する。よろよろと起き上がろうとしたが、うまく呼吸ができないのか足取りがおぼつかない。

 恐らく、衝突と同時に大量の砂鉄を体内に取り込んでしまったのだろう。あの速度で飛ぶために呼吸器はかなり発達させているはず。そこに砂鉄が詰まってしまったとするなら、しばらく空を飛ぶことは敵わないはずだ。

 

 砲撃の反動で硬直していた竜機兵が動き出す。砂鉄が地面に落ちて地面を黒く染める。その一帯はテハヌルフの領域だ。竜機兵はあそこからいくらでも武器を生成できる。

 翼を小さくはためかせる。地面から砂鉄が吸い上げられて空中に幾つもの剣が生成される。人間数人分に匹敵するかというほどに大きなそれが天彗龍へ向かって次々と放たれた。

 

 数本は天彗龍の身体に突き刺さり、ほとんどは甲殻や特徴的な形をした翼に防がれ弾かれる。地面に転がったそれらはすぐにもとの砂鉄に戻って地面に落ちた。

 龍の側もただやられてばかりではない。側頭部から紅い気体のようなものを放出させ咆哮し、そのまま先端が大きく尖った翼を片方前へと突き出した。

 槍のように引き絞られた片翼が竜機兵の右肩を穿つ。装甲に孔が開き、そこから血が噴き出した。

 驚異的な貫通力だ。第一世代竜機兵であれば、一撃で胴を貫かれ絶命していたかもしれない。

 竜機兵がよろめく。天彗龍は続けてもう一方の片翼で胴体を狙ったようだが、間一髪で滑り込ませた砂鉄の剣がそれを地面へ叩き落した。

 

 ならばと天彗龍は、なんと翼を翻して飛翔のための気体の噴出孔を前へと向ける。まるで人間が手のひらを向けるかのように。

 翼の機能がかなり独特だ。どちらかと言えば五本目六本目の手と言えるかもしれない。

 竜機兵が再度撃ち出した砂鉄の剣を、翼から光弾を撃ち出して弾幕を張って防ぐ。そして接近戦に持ち込むつもりなのか走って距離を詰めようとする。

 

 しかし、それはもう叶わない。

 目に見えない力で突然跳ね飛ばされた天彗龍は戸惑うように低く唸る。竜機兵の口が赤黒く光ったのを見てその場から飛び退こうとするが、今度は全く距離を取ることができず、さらに困惑した様子を見せる。

 赤黒い光が天彗龍の背中を焼いた。竜機兵の口から放たれたブレスだ。体内の磁力に変換される前の龍属性エネルギーが放たれている。天彗龍は悶えながら翼の噴出機構を使って強引にその場から離脱する。

 

 恐らくあの龍はブレスなどの本格的な遠距離攻撃を持たないのだろう。得意としているのは中距離から近距離の肉弾戦だ。

 その強みが潰されている。テハヌルフは天彗龍に纏わりついた砂鉄に対して引力や斥力を生じさせて、強制的に遠ざけたりその場に縫い止めたりしているのだ。

 その一帯は、第二世代竜機兵に支配されているようなものだった。

 

 そんな圧倒的有利な状況にありながらも、天彗龍は強かった。

 自らに付着した砂鉄が身体の自由を奪っていると気づいてからは、自らの放つ気体を全身に浴びせることでその支配から逃れた。

 特に中距離攻撃はあちらに分があった。その特徴的な翼で自らの眼前を薙ぎ払って剣を打ち払ったり、地面から生やした砂鉄の槍も翼を叩きつけられ潰された。

 第二世代竜機兵はその大きさ故に動きが鈍重だ。要塞のようにその場から動かずに戦う。そのため、動きの速さで天彗龍に翻弄されるような場面もあった。

 

 しかし、やはり最初に磁力砲をもろに喰らっていたのが堪えたのだろう。そうでなくとも地面に積もって空中にも漂う砂鉄は何度払っても纏わりつき、息をするたびに吸い込まれる。

 しばらく時間が経って、息苦しくなったのかふらついたところを、その場で大きく翼をはためかせて飛び掛かった竜機兵が圧し潰す。

 その攻撃は予想していなかったのか、天彗龍はそれを避けることができず、翼が完全にへし折られた。さらにそこへ無数の砂鉄の剣が突き刺さり、膨大な量の血を噴出させる。

 致命傷だ。天彗龍は竜機兵に組み敷かれたまま大きな抵抗もなく動かなくなった。

 

 

 

 最後の瞬間。

 その龍は、哭いた。

 

 高く、高く、汽笛を鳴らすように。

 とても痛切な想いを何処かへと、誰かへと伝えるように。

 

 その龍の断末魔はこの物見櫓まで届いて、超えて、どこまでも響き渡る。

 そして、そのまま灯が消えるように息絶えていった。

 

 

 

「倒した……のか?」

 

 物見櫓で俺と同じように望遠鏡で状況を観察していた兵隊の誰かがそう呟いた。

 竜機兵の下敷きになったまま動かない天彗龍を見て、歓声が伝搬していく。

 

「や、やった……! 201番が(ドラゴン)に勝った!! 龍に等しい兵器(イコール・ドラゴン・ウェポン)の名にふさわしい戦果だ!」

「兵装の損傷も少ない。継続的な運用も可能だ! これからは龍のことはあの兵器に任せておけばいい!」

「都市の本部に伝令を出せ! 第二世代竜機兵一号機は龍に勝利したと!」

 

 物見櫓にいる人々が湧く中で、俺は一人望遠鏡でテハヌルフを見続けていた。

 

「シキ殿! 貴方の竜機兵は本当に素晴らしい。龍に打ち勝つ兵器を造り上げた者として貴方の名は後世に語り継がれるでしょう」

 

 軍隊の少尉の若い男が俺の肩を叩いてくる。

 

「あ、ああ」

「どうしました? 浮かない顔ですね。もしかして、竜機兵に何か問題が?」

「いや。竜機兵の方は大丈夫だ。ただ、それなりに体力を消耗したはずだ。1トン程度の肉と水を手配してくれ。俺は……まだ、実感が湧かないみたいだ」

「ははっ、実感が湧かないというのは分かります。私もまるで夢のような気分です。肉と水の件については既に前線の方に備蓄されていますので、すぐに届けさせます」

 

 青年はそう言うと浮かれている隊員たちを戒め、素早く指示を飛ばした。各々が慌ただしく動き始める音が聞こえる。

 

「しかし、やはり貴方の功績は大きい。改めて感謝を。これで龍迎撃戦の度に多くの人の命を失わずに済みます」

「……そうだな。人の命が、都市の安全が守られるなら……」

 

 望遠鏡から離れて少尉に向けて俺は作り笑いを浮かべた。

 それはいいこと、だよな。

 

「竜機兵に光信号を送る。閃光発生装置の準備を頼む」

「はっ。すぐに準備します」

 

 俺の依頼を受けて、少尉はまた部下に指示を出しに行った。俺は振り返って竜機兵がいる方向を見る。

 天彗龍が最後の叫びをあげている間、テハヌルフは何も行動を起こさなかった。まるで看取るようにじっと龍を見つめていた。

 そして今も、心ここに在らずと言った様子で天彗龍の亡骸と向き合っている。

 

 龍への止めの刺し方まではテハヌルフに指示していない。しかし、それは今までの彼女のことを考えるととてもらしくない行動だった。

 龍の断末魔に対して、それを息絶えるまで続けさせることなく止めを刺せたはずだ。しかし、彼女はそれをしなかった。

 それは、何かそうさせるような理由が彼女にはあったということだ。

 

 龍がもし言葉のようなものを話せるとして、俺たち人間はそれを解することなどできない。

 しかし、龍の感性を持つ彼女ならば。ただの咆哮にしか聞こえなかった龍の断末魔が、何かを伝えていたとするならば。

 

 テハヌルフ、お前は何を聞いたんだ?

 俺は今、それを彼女に問いたい。

 

 

 

 

 

 それはもう叶わないことだったのだと気付くことになる頃には。

 全てが、あまりにも手遅れだった。

 

 

 

 

 

 都市内部の竜の捕獲業者を束ねた軍隊の指令室は怒号が飛び交っていた。

 

「北東方向からこの都市へ飛来する飛翔体を確認……て、天彗龍です」

「二体目だと? 一体目の討伐から数日しか経っていないぞ! ちっ、前線にいる第二世代竜機兵に迎撃準備をさせろ!」

「第二世代竜機兵は獰猛化した竜の討伐任務を遂行中ですが……」

「構わん。第一世代機を竜の対応に充てさせろ!」

「さらに各地の観測隊から報告。竜の獰猛化は都市周辺全域で発生しています。多数の負傷者が出ていて、これ以上の遠方の観測は不可能です!」

「龍のみならず、竜までも……これではもはや災害ではないか」

「さ、さらに報告が入りました。西の都市からの補給線が龍の襲撃によって絶たれました。発表名は司銀龍。この都市に向かってきているようです……」

「……何が、いったい何が起こっているというのだ!」

 

 

 

 人の文明圏の内側にあった西の農耕都市も異変に襲われていた。

 

「走れっ! 早く逃げろ! 見つかったらおしまいだぞ!」

「……っ、なんなのよアレは!? 青色の炎なんて見たことがない。まるで悪魔だわ……!」

「第一世代竜機兵が一瞬で焼き殺されたんだ、アレは格が違う。人が太刀打ちできる相手じゃない!」

「分かってる……分かってるわよ! それでも、どう見たっておかしい! あの畑にも、家にも人はいない。みんな逃げてる。それなのになんで、なんであの龍はあんなに家や畑を燃やしていくの!? あれじゃあ、あの龍がいなくなっても何も残らない。私たちが積み上げてきたものが全部、焼き尽くされる……!」

 

 

 

 人の文明圏の外側、大陸の南に存在した集落も惨劇を免れることはできなかった。

 

「はぁっ、はぁっ……。た、倒してやったぞ! あの化け物を、滅尽龍を! 皆、仇は討ったから……!」

「……結局、十七人もやられちまった……くそっ……」

「……彼らが持っていた龍殺しの武器を回収しよう。弔ってやりたいが今は──ごほっ」

「お、おい。口から血が出てるぞ! 早く村まで戻らないと……」

「──いや、待て。なんだ。アレは」

「えっ、なにがってそっちは村の方向……ひっ」

「蛇竜が空を飛び交って……その真ん中にいるのは、蛸、なのか?」

「じゃ、じゃああの地面の赤いのって────」

「は、ははっ、ははははははは…………もう、終わりだ」

 

 

 

 地獄が舞い降りてきたかのような惨憺たる光景は瞬く間に大陸全土へと広がっていった。

 森は焼け落ち、空は濁り、川は血に濡れた。もはや正常な光景などどこにもない。

 

 これに対し、人は徹底的に抗戦することを決めた。各地に輸出されていた竜機兵を総動員し、龍殺しの武器も大量生産して「竜大戦」を繰り広げていく。

 都市を守るための戦いは、いつしか世界を巻き込んで人類の存続をかけた戦いへと変わっていった。

 

 そして、その只中で都市を、人を守るという命令に従ってひたすらに戦い続けた兵器は。第二世代竜機兵は。

 

 テハヌルフは。

 

 



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第20話 襷:追憶の彼方へ(後編)

 

 

「この辺りでいい。積み荷と一緒に俺も降ろしてくれ」

「ですが、シキさん……」

「いいんだ。そういう決定だ。抗う気はない」

「……分かりました。遺書などがあれば受け取りますが」

「いや、いい。俺が言うと皮肉だが、人が生き残ることを願う。今話している、お前も含めて」

「……はい」

 

 東の山脈を越えた、人の文明圏の遥か先にある荒野の果てに降り立って、俺は飛び立つ飛空船を見送った。

 これからまたあの船は戦地へと赴いていく。竜と龍が空を飛び交って炎を降り注がせる都市の只中へと。

 都市は陥落しかけていた。多くの人は周辺に小さな拠点を作って避難した。しかし、龍たちの都市への攻撃は止まない。まるで、人の文明そのものを消し去ろうとしているかのようだった。

 周辺の街や国の首都との連絡は取れなくなっていた。もう国家としての機能を失ってしまっているのだろう。人類という単位で、組織立った抵抗は難しくなってきている。

 

 そんな非常時にあっても、人々は貴重な飛空船を遠き地へと向かわせた。

 それはその必要があったからだ。こうすることで、龍の襲撃がほんの少しでも落ち着くかもしれないという希望があった。何よりもそれを人々が望んでいた。そして俺は、拒む道理などなかった。

 

 飛空船が点となって、望遠鏡でも見えないだろう空の彼方へと消えていっても、俺はそれを見送り続けた。

 そのまま夜になって、空に星が瞬き始めた──星なんて見たのはもう何年ぶりだろうか──冷たい風が頬を撫でて、俺はやっと振り返った。

 

 振り返った先には竜車数台分程度の残骸が打ち捨てられていた。

 ぼろぼろに砕けた装甲、あちこちから飛び出している導線、腐りかけた肉がこびりついた骨格。原型を思い浮かべることなどできないだろう。

 

 この場には、俺とその残骸しか存在しなかった。

 俺は残骸へ向かって歩いていく。静かな足取りで。月光が俺とそれを照らしていた。

 そして俺は、残骸の中心、人の身程度の大きさの、不出来で醜悪な肉の塊を力づくでこじ開ける。

 

 その中にいたモノ(少女)を見て。

 そして、俯いた。

 

 

 

「どうして……どうしてこんなことになったんだろうな」

 

 それは、ある一人の青年の独白だった。

 

 

 

 人は決定的に龍と道を違えてしまった。

 互いにその存在を認められず、現に今、滅ぼし合うまでに至ってしまった。

 

 その理由は分からない。龍が何を考えているのか人々は知ることができないし、その逆も然りだろう。

 しかし、現象だけなら、何が発端になったかくらいは分かる。それはもう明確に。

 ならば、それをできるだけ遠ざけようとするのは集団として当たり前の心理なのだ。

 

 第二世代竜機兵は初陣から帰還、回収が不可能になった。

 来襲の頻度が急激に上がった龍や獰猛化した竜。それらの標的が竜機兵へと移っていたため、帰還すると都市がさらなる危険に晒される可能性があった。

 倒したモンスターの肉を喰らい、湖や川の水を飲むことで高い継戦能力を有してはいたが、それにも限度はある。メンテナンスが不要な兵器など存在しないのだ。

 テハヌルフが常時戦い続けるような状況に陥るまでそう時間はかからなかった。その頃には信号で命令を伝達する余裕すらなくなっていた。

 

 それでも第二世代竜機兵は戦い続けた。幾十幾百もの竜や龍の死体を積み重ねて、その身をぼろぼろにしながらも砂鉄の剣を振るい、開発コストを遥かに超える戦果を短期間で叩き出した。

 このままでは竜機兵が持たないのは誰もが分かっていた。つまるところ、それは都市に残された猶予期間と言っても過言ではなかった。砦の修復や各地の拠点の設営もそのときに行ったものだ。

 

 人々は都市を守るために戦い続ける第二世代竜機兵に感謝した。そして、それと同じくらいに恐怖した。それを排しようとした。

 なぜなら、龍の襲撃が増えたのも、竜たちが獰猛化したのも、他の街までもが龍に襲われ出したのもちょうどその時期だからだ。因果を疑うのは必然だった。

 

 一月を超えて、テハヌルフは戦い続けた。都市から遠く離れた地で龍を屠り続けた。

 終盤は半ば暴走していたことが分かっている。砂鉄の波濤で周囲を更地にして、手当たり次第に磁力砲やブレスを放っていた。とても人が近づけるような状況ではなかった。

 最後の止めを刺したのは風翔龍だったそうだ。なんの皮肉か、テハヌルフに対して最も相性が悪いとされた龍である。もうテハヌルフに戦う力が残っていなかったのか、その風翔龍が相性の差を覆しうる個体だったのかは分からない。だが、風翔龍もまた致命傷を負って、何処かへと逃げ去ったそうだ。

 風翔龍は完膚なきまでに、やや過剰ともいえるほどに第二世代竜機兵を破壊していた。その結果が目の前にあるこの残骸だ。

 

 俺はその間、何もしてやることができなかった。

 彼女がここに戻れば都市が危険に晒されることは分かっていた。彼女が倒した竜や龍から彼女を遠ざけて、素材を回収させ、彼女に戦闘続行の命令を出し続けた。テハヌルフはそれに淡々と従った。

 テハヌルフが都市で禍を呼び込んだものとして糾弾されても、それを否定せず成り行きを見守った。その世論が俺にまで波及することも分かっていて、前もって仕事を辞めた。第二世代竜機兵二号機、三号機の計画も進んでいたが、俺が関わることはなくなった。

 この大きな流れ、集団の動きに抗うことなどできない。それが正しいか、間違いかは分からないが、真実であることは確かだ。

 

 破壊された第二世代竜機兵は、龍たちが触発されないように東の果てに破棄することが決まった。

 俺はこの異変を引き起こしてしまった責任を取るという名目で同行を申請し、それは誰にも止められず受理された。流刑というやつだ。だから今、俺と彼女はここにいる。

 

 これが、第二世代竜機兵一号機を巡る話の顛末だ。

 龍に等しく在れと願われた兵器の結末だ。

 

 テハヌルフは奇跡的に外的損傷を受けなかった。龍たちもまさか胸元の肋骨の辺りに竜機兵の頭脳がいるとは思わなかったのだろう。

 しかし、それは無事であるというわけではない。現に今、彼女は力なく肉の壁にその身を委ね、目を覚ます気配がなかった。竜機兵本体から受け取る痛覚はある程度遮断していたはず、それでも本体が全壊した負荷は大きすぎた。

 残骸の運搬のために戦場で彼女を回収したときには、彼女の心臓は止まっていた。俺は彼女の死亡を確認するふりをして、密かに心肺蘇生をして彼女を生き永らえさせた。

 

 なぜそのようなことをしたのか、当時の俺は分からなかった。咄嗟の判断だった。そのまま死なせておいても結末は変わらないのに。

 しかし、それ故に今も彼女は生きている。何とか命を繋いでいる。放っておけばすぐに消え去る灯。俺は夜闇の中でただ一人、それに向き合っていた。

 

 

 

 遠く、風の音が聞こえる。

 

「……俺は、どこから間違ってたんだろうな」

 

 俯きながらそんなことを呟いた。

 

 お前を心のない兵器として育てていた頃からだろうか。

 お前が生み出されようとしているのを否定せずに計画に参加したときからだろうか。

 竜機兵工学の門戸を叩いた時からだろうか。

 

「人は、どこから間違ったんだろうな」

 

 人の文明圏を押し広げるために竜の棲み処を追いやり始めた頃からか。

 竜の捕獲業者が出現し、龍殺しの武器が量産され、第一世代竜機兵が生み出された頃からか。

 

 対龍兵器と謳って、龍の領域に手を伸ばしたからだろうか。

 

 何一つ根拠のない憶測にすぎない。しかし、そういうものこそがこの世界のルール、理と言うべきものかもしれなくて。

 人はきっと、その道を踏み外してしまっていたから。

 

「そんなもの……どうやったって、止めようがないじゃないか」

 

 人は進むのを止めない。そういう生き物だ。俺一人がどうこうしたところで、その歩みの先は寸分も変わることはない。

 つまり、人が進むのを止めさせるには、人という種そのものを文明の維持が不可能なレベルにまで減らすか、滅ぼすしかない。

 だから人を殺す。文明を否定し、壊す。後世にそれを残させない。

 それが龍たちの、これから人に淘汰されるはずだった種の選択なのだろう。

 

 ()()()()()()()

 昔に読んだ『環境』という概念について解説した本にそのような言葉があった。心の片隅に引っかかっていた言葉がまさかここで思い出されるとは。

 理を正す力。抑止力とも言うべき星の防衛装置。それに近しい何かと人は戦っているのか。

 

「もし、この考え方が少しでも正しかったなら、俺たちはとんでもないのと戦ってたんだな……」

 

 途方もないスケールの話だ。今になってそれを実感する。

 

 俯いていた顔を上げて、空を見上げる。満天の星空とまではいかないが、それでも幾多もの星が明るく瞬いている。

 人の文明圏の外にある土地にしては珍しく、ここにはモンスターがあまりいないようだ。ひょっとしたらこの残骸を警戒しているのかもしれない。

 

 遠く、風の音が聞こえる。

 俺は小さく息を吐いた。

 

「なぁ、テハヌルフ。俺は、この終わり方をどこかで予感していたような気がするんだ」

 

 この、どうしようもない結末を。

 

 思い返せば、それは彼女と初めて出会った日から。

 踏み越えてはいけない一歩を人が踏み越える瞬間を見届けようと決めたときから。

 

 俺が話しかければ、彼女は必ず応答した。たとえそれが機械的な反応に過ぎないとしても、返事をしてくれた。

 そんなテハヌルフの返事は、返ってこない。

 

「それでも、まさかこんなことになるなんて……なんて、他の人たちもそう思ってるだろうな」

 

 街の中で暮らしていた人々も、竜の討伐を生業としていた人々も、等しく。

 それは当事者だった俺たちだって同じだ。それに少し近かっただけだ。

 こんな結末、誰だって予想はできなかった。

 

 テハヌルフの返事は、返ってこない。

 

「だから、だからさ…………俺は、お前に……」

 

 不意に声が詰まった。

 胸の内で燻っていた感情が滲みかける。

 彼女の指導を始めてから、あの日を除いてずっと誤魔化し続けていた心の内が、零れ出す。

 

 テハヌルフの返事は、返ってこない。

 俺が野垂れ死ぬまで、目を覚ますことはないだろう。放っておけば、このまま死ぬだろう。

 彼女は、ただの兵器としてその生を終える。そういう風に彼女をつくったのは、俺だ。

 そんな俺が、こんなことを口にするのは滑稽を通り越して、呆れ果てられるのだろうなと思った。

 

「……お前に、お前(竜機兵)が必要とされない世界を生きてほしかったんだ」

 

 それが、俺の傲慢だ。

 

 

 

 テハヌルフへの最初の書き込みは、もし彼女が自らの存在意義に疑問を持ってしまったときに、その理由を示してやれるように。

 テハヌルフへの指導は、これから幾多もの生き物の命をその手で奪うだろう彼女の精神を護るために。

 

 あれらの非人道的な行いの裏にはそんな俺の思惑があった。

 だからあれは仕方のないことだった──など、本当に、反吐が出る程におこがましい。

 俺は、俺自身が最も嫌う理不尽の押し付けを彼女に強いていたのだ。

 

 テハヌルフの指導を始めてから、俺はよく魘されるようになった。自分への嫌悪感が抑えられず、衝動的に物にあたってしまうこともあった。

 何が仕方がなかった、だ。この偽善者野郎が、と。

 それでも、その行いは兵器として合理的であることが分かっていたから──俺はテハヌルフの指導を続けた。淡々と、笑わずに、冷酷に。胸の内で自らを呪いながら。

 最近笑顔を見なくなった、という元同僚の言葉は正しかった。こんな精神状態で笑えるはずもない。ただ、そのおかげでテハヌルフに対し意識せずとも笑顔を封じることができた。

 

 さらに、それに追い打ちをかけるように、分かってしまった事実がある。

 

 テハヌルフという少女は、その存在自体が人の罪なのだと。

 

 俺はそれを否定することができなかった。その通りだ、と思っている自分に嘘をついても虚しいだけだ。

 彼女自身がそうなりたくてそうなったのではない。しかし、ここではその話は意味を成さない。人の罪を彼女が背負っているという事実は覆しようがない。

 本当に罪深いのは俺なのだと訴えかけても、何も変わりはしないのだ。

 

 そんなどうしようもない俺が、これから死にゆく彼女にしてやれることは──

 

 

 

 滲みかけた涙を引っ込めて。空を見上げていた顔を目の前の少女へと向けて。

 久しぶりに、本当に久しぶりに──俺は、笑った。

 

()()()()()()()()()()()()()。テハヌルフ」

 

 彼女の第二世代竜機兵としての責務はもう終わった。

 ならば、これからの俺は、竜機兵を造る技師としてではなく、ただのひとりの人として生きていく。

 

「一月、一年、十年。そんな規模じゃない。千年、万年の単位でお前を生かす。死なせない。それがお前に最後に与える理不尽だ」

 

 それが何を意味するかは分かっているつもりだ。

 最悪、後世に生き延びた人々へ向けて禍を送ることになる。竜大戦が不可逆な域まで至る引き金となった存在が蘇るのだ。人間という種族に対しての叛逆にも等しい。

 

 しかし、あえて言ってやろう──それでも、俺は後世に彼女を託す。

 竜大戦はもうじき終わるはずだ。人も龍も滅びる寸前までいくだろう。

 それから先はどうなるか分からない。人と竜の禍根はなかなか消えないかもしれない。ひょっとしたら、もう元には戻らないかもしれない

 だが、もしそうだったとしても。

 

「千年、万年の先に人と龍がこの大戦を忘れている可能性があるなら……それに懸ける価値がある」

 

 龍を倒すための兵器がいらない未来を、身勝手に願う。

 その未来に、彼女が生きることができるなら。

 

 きっと彼女が背負った存在の罪は、世界に咎められないだろうから。

 

 

 

 ようやく、本心を曝け出すことができた。後は行動に移すだけだ。

 

「食料は……隠れて持ち込んだのが二か月分で限度だったな。まあ、ぎりぎりまで節約すればさらにあと一月は持つだろう。その間にどうにかしてみせる」

 

 残骸というものはこういう時に役立つもので、工具なども一揃い隠すことができた。

 これから彼女を含め、残骸に施す処理は修理ではない。改造だ。

 見るに堪えないがらくたになったとしても、テハヌルフがまだ生きているように、竜機兵の生命維持機構は死んでいない。それを最大限に活用する。兵装はもういらないのだ。彼女を生き残らせることのみに特化すればいい。

 さらに彼女は人の姿を持ちながら龍の心臓を持ち、龍の血が流れている。龍の寿命は人よりも遥かに長く、老齢の個体は数千年の時を生きる。寿命の心配がないならばいくらでもやりようはあるはずだ。そう自分に言い聞かせて、俺は脳内で設計図を思い描いていく。

 

「だから、それまでの間に死ぬなよ、テハヌルフ。お前の中にいる龍の生命力を信じるぞ」

 

 しばらくして、俺は工具箱からいくつかの道具を取り出した。眠気はない。ならば夜でも作業をすべきだ。期限は俺が死ぬまで。飢え死になどよりも通りかかったモンスターに殺される可能性の方が圧倒的に高いこの状況下で、時間の浪費などしていられない。

 月明りを頼りに作業を始める。まずはこのテハヌルフを包み込む揺りかごから不要なものを取り外していくとしよう。

 

 テハヌルフは自らが生き永らえることを望まないかもしれない。そもそも、彼女は自らの望みなど見出せないだろうが。そういう風に彼女をつくったのは俺で、だから俺は、この改造という行為を通して彼女に命じるのだ。

 ただ「生きろ」と。

 

 まったく、本当に度し難い罪深さだ。苦笑しながらそう思う。

 胸の内は自らへの嫌悪感と罪悪感に焼け爛れてしまって、もうその辺りの感性は狂ってしまっているのかもしれない。

 それが自らを誤魔化し、嘘をつき続けたことに起因するというのなら、今度こそは。

 

 たった独りの戦いが始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 無残に破壊された何体もの第一世代竜機兵をこの目で見てきた。

 使いまわせる素材だけを回収して、残りは廃棄した。肉は燃やして灰にした。新しい竜機兵を造っては壊されて、それを何度も繰り返した。

 注目されるのは開発コストに見合った成果を挙げられたかということのみ。壊されるのは前提で、如何に効率的に竜を討てるかについて日々話し合った。

 それを続けていった末に、彼女と出会ったとき。その瞳を見て。

 これまで作ってきた竜機兵たちに、自らの所業を覗き込まれているような気がした。

 

 

 

「くそっ……このやり方はだめだ。もっといい方法があるはずだ」

 

 工具を持った手を額に当てて顔を顰める。頭の中で思い描いていた設計図にさらに手を加えていく。

 無策で改造に取り掛かったわけではない。だが、そういう作業には外乱や想定外の事態はつきものだ。その度に柔軟な対応が求められる。素材はこの地から調達するか、残骸から回収するしかない。限られた状況の中で最善の手を探していく。

 妥協はしない。今までも、これからも。

 

 

 

 彼女の感情が発達することはなかった。

 羞恥も、哀愁も、怒りも、喜びも発達していない。素体は人間のため、原始的なものはあるにはあるのだろう。しかし、それらが表層に出てくることはない。

 人間の赤子のように、泣き叫ぶようなこともない。完全に漂白された自意識は生きることにすら支障を及ぼしかねないが、演算機がそれを機械的に補完している。むしろ、彼女は演算機を介さねば発言や感情の表現ができない。

 彼女にとって感情は一から学ぶものだ。しかし、彼女がそれに触れることはなかった。俺自身が感情をできる限り封じたからだ。

 兵器に感情は不要で、不純物に過ぎないという俺の考えは変わることがないし、たとえ彼女との出会いからやり直せたとしても、その方針を変えることはないだろう。

 彼女が対龍兵器として人に求められる限り、決して。

 

 

 

 残骸の周りを取り巻いて低く唸り始めた鳥竜たちを見て、残骸の中に隠れていた俺は舌打ちをした。

 

「狗竜、か。さすがに見逃してはくれないよな」

 

 遠方でアプトノスたちの群れを見かけたときから嫌な予感はしていた。アプトノスたちの渡りについてきた連中なのだろう。この残骸は肉付きこそ少ないものの、大型の生き物の死骸にほぼ等しい。匂いを嗅ぎつけてやってくるのは悔しいが道理だ。

 竜の捕獲業者たちの間では油断しなければ一人でも数匹を相手取れる脅威度の低い竜とされていたが、俺にとっては一匹一匹が命を脅かす恐ろしい竜だ。

 俺は以前に作った竜機兵の鱗を用いた簡素なナイフを手に取り、息を吸って残骸の中から這い出た。

 狗竜たちが警戒の声色を強める。俺も残骸を背にして剣を構えた。彼らは食欲よりも興味本位で近づいてきているだけだ。割に合わないと判断されれば撤退するはず。

 覚悟の強さなど勝ち負けに関与するはずもないが、それにすら縋ろう。

 

 手だ。この手だけは守る。

 テハヌルフを生かすための手だ。あとは眼。これらだけは何があっても失うわけにはいかない。

 

 群れのやや後ろにいた狗竜の長が咆哮を上げ、竜たちの牙が迫る。

 これから俺は命を奪う。奪わなければ奪われる。

 その眼を、逸らさないように。

 

 

 

 俺は、俺以外の誰も知らない夢のようなものを抱えている。

 

 例えば、龍と話してみたい。方法はどうすればいいのか、手話か、笛の音か、鳴き声を模倣する道具を作るべきか。

 その方法について高い可能性を持っていたのがテハヌルフだった。彼女はひょっとすれば通訳のようなことができたかもしれない。彼女は声帯が人と同じ仕組みなのでこちらから意思を伝達することはできないだろう。しかし、龍の意思や感情を受け取ることができるだけでも、手探りの状態から一気に脱することができる。

 しかし、その可能性は棄却された。俺自身の手で潰したのだ。

 

 例えば、この世界をどこまでも旅してみたい。

 その夢のためには残念ながら竜たちが邪魔だ。全て殺してしまってはきりがない、というよりも彼らの営みも観察対象としたいので、見つからない方法を模索したい。

 霞龍の皮で外套を作ってみたら視覚は誤魔化せるのではないか、迅竜の素材は消音性に優れると聞いたことがある。その他、聴覚、味覚、触覚を誤魔化して、そこに居ないものと誤認させる。そんなことができたら竜たちの世界に紛れて生きていくことができるだろう。

 全て理想論だ。荒唐無稽な夢物語に過ぎない。それでも俺はそんな想像を止められなかった。旅に出たら絵を描きたい。道端でしゃがみこんでそこに咲いている花をスケッチするくらいがいい。

 設計図よりも、そうやってありふれた絵を描いていたかった。

 

 例えば、それは、どう足掻こうと絶対にありえないことだとしても──

 

 

 

「……いった……か」

 

 残骸の装甲にもたれかかりながら、俺はこちらに背を向けて走っていく狗竜たちの姿を見送った。

 彼らは諦めが悪かった。数匹の息の根を止めても、俺とその後ろにいるテハヌルフに襲い掛かるのを止めようとはしなかった。

 ひょっとしたら、竜もまた本能的にこの少女の危険性を悟っているのかもしれない。敵意を向けているとするならこの執念深さも頷ける話だ。

 

 そんな襲撃は、今日でちょうど十回目となる。

 

「ははっ……そろそろ、見逃してはくれないかね……」

 

 そう呟きながら歩き出す。竜の返り血と俺自身の血で装甲はべったりと赤く染まった。

 竜の捕獲業者なんて職には俺は確実に向いていないだろう。戦い慣れることはなく、いつも取っ組み合いのように傷つけあった。

 狗竜の長が深く噛みついた右脚とわき腹からの血がなかなか止まらない。傷の治りが遅くなっているのだ。

 無理やりにでも止血しなければ失神する。朦朧とする意識の中で俺はなけなしの傷薬を塗り込み、包帯で止血する。

 そして、狗竜たちの亡骸へと歩いていって、分解されずに残っている肉を手に取り、それを直接食べた。口元を血塗れにしながら、がつがつと肉を喰らった。

 持ち込んできた食料はとうに尽きた。口にできるものなら何でも口にするしかない。病原体となる寄生虫や細菌を体に入れているかもしれないが、食べずに餓死するよりはましだ。それで苦しみが大きくなったとしても、生きる期間が延びるならば。

 

 最後の肉片を咀嚼し、手についた血を舐め取って、俺は背後を振り返り、そこで死んだように眠っている少女の元へ、足を引き摺り、わき腹を抑えながら幽鬼のように歩いていった。

 

「……あと、少し、なんだ。まって、ろ、テハヌルフ。はは……今回も、手だけは、守ってみせたぞ……」

 

 この両手の五指がまだ動くことに感謝しよう。この目がまだ光を失わず、ものを捉えることができることを喜ぼう。

 それさえあれば、俺はお前に向き合い続けられる。いや、たとえ片目、片手、それ以外の何もかもを失ったとしても。俺は。

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は、嵐と見紛う程の強い雨が降っていた。

 雨は数日前から耐えることなく振り続けていて、周囲には次々と川ができ、悉くが濁流となっていた。天変地異と言って差し支えないだろう。

 ここが安全という保証はどこにもない。何かしらの対策を施さなければならない状況にあったが、俺は何もすることなく残骸に背を預けて座っていた。

 もう、何をすることもできないからだ。

 

「……おわ……った」

 

 結局目覚めることのなかったテハヌルフと、その身体を包む肉の揺りかご。

 その外装の強化。たとえ大型の竜が踏み潰そうと潰されることはない。

 生命維持装置の改良。至る所に堅木の種を埋め込むことにより、植物の根の因子を発現させることに成功した。

 テハヌルフの仮死状態化。生命活動を極限まで抑えて、揺りかごが張る根から供給される僅かな水分と栄養で生き続けられるようにした。テラリウムという技術の応用に相当する。

 その他、細かな調整を加えた箇所はざっと数千か所にのぼる。

 

 これが俺が最低限やっておきたかったことで、ここまでやりきるのに今日までかかり、そしてそこで俺の体力は限界を迎えたらしかった。

 以前から何らかの病気にかかっているのは分かっていた。残骸がある程度雨風を凌ぐとはいえ、ほとんど野晒しに等しい。そんな場所に長くいれば病気になるのは当たり前の話だ。

 衰弱した身体は水以外を受け付けなくなり、腕を上げることすら難しくなるのにそう時間はかからなかった。

 それから先は気力勝負だった。熱にうなされながら点検を繰り返し、おかしなところがあれば調整する。それを延々と繰り返す。何度も気絶して、その場で起き上がり、血痰を吐きながら作業を続けた。

 そして、そんな俺の苦労など露ほどにもどうでもいい話だ。俺は最低限までしかできなかった。もっとするべきことはあったのに。

 

「お……まえ、の……なかの…………じこ、はかい……きこう、とりはずせ……なかった……ごめん、な」

 

 自己破壊機構。彼女の身体の中に埋め込まれた安全装置のようなものだ。

 意思を持った兵器という初めての試み、裏切りや暴走の可能性を危惧しないはずがない。そのためにテハヌルフの胸部に埋め込まれたのがその装置だった。新しい臓器のようなもので、彼女自身の意志か、人から命令されることで強制的にそれは作動する。一度発動すると彼女自身では解除がほぼ不可能になる。自らの身体を融かし尽くすまでそれは続くのだ。

 以前、竜機兵についての後ろ冷たい気持ちを彼女に聞かれてしまったことがあったが、それが彼女には致命傷になり得る理由がそれだ。「自分は人々にとって不必要である」と彼女が判断した時点で、自己破壊装置は作動してしまうのだから。

 できるなら、それは取り除いておきたかった。人間側の都合を優先させた枷でも最たるものであり、未来の彼女の大きな障害になる。しかし、それは強固に彼女の身体と結びついていて、簡素な手術程度ではどうにもならなかった。

 

 ああ、心残りが残るばかりだ。だが、最低限を成せたというのはまだ幸いだったのかもしれない。そうでなければ俺は死んでも死にきれなかっただろうから。

 

 と、そのとき。近くの山の方から何かが崩れるような音が聞こえてきた。

 その音は瞬く間に轟音へと変わる。目だけを動かして山の方を見ると、山がその身を削り落としたかのようにごっそりと欠けて、岩や木々、川を次々と飲み込んでいくのが見えた。

 大規模な土砂崩れだ。その波濤はこちらの方へと迫ってきていた。

 

 そうか。あれが俺の死か。

 

 このまま野垂れ死ぬのだろうと思っていたが、あちらから命を奪いに来てくれるとは。

 むしろ、感謝するべきなのかもしれない。あれに飲み込まれれば、テハヌルフを土の中に隠すことができる。発見は難しいものになるが……その方が野晒しにしておくより生き永らえやすいだろう。大丈夫だ、あの程度では生命維持装置は壊れない。

 

 走って逃げようなどとは微塵も思わなかった。竜に噛まれて膿んだ脚は、まともに立つことすらできなくしていたからだ。

 しかも、もう生き足掻く理由もない。

 

 迫り来る土砂を見て、こういうときに走馬灯は見れるのだろうかと思ったが、そんなことはなかった。竜に襲われ血を流し、作業中に体力を消耗して昏倒する度にそれと似たようなものを見てきたから、もう流せる映像もないのかもしれない。

 ならば、この残り僅かな時間は、俺に許された最後の猶予なのかもしれなくて。

 

 俺は。

 

 俺は────未来(そら)へ、手を伸ばした。

 

 

 

「どう、か。たのむ……おねがい、だ」

 

 誰か、この想いを継いでくれ。本当にどうしようもない、人の罪ばかりを重ねた俺だが、願いを託させてほしい。

 

「あい、つに……そとの、せかいを」

 

 灰色に満ちた空、血の色と匂いが染み込んだ地面を普通の光景だなんて思ってほしくない。

 世界はもっと美しくて、残酷で、活き活きとしているはずだから。

 

「べつの、いきかたを……」

 

 竜機兵が必要とされない世界を。

 蘇ったテハヌルフは戸惑うかもしれない。それを悟った段階で自己破壊装置を作動させてしまうかもしれない。立ち会った者の選択次第だが、できれば、それを止めてやってほしい。

 どんな生き方でもいい。人としても、龍としても、彼女は生きていけるから。せめて出会ったときだけでも、その道を示してやってほしい。

 

 

 

 そして、そして────。

 

「わら、って」

 

 瞬間、膨大な量の土砂が俺と残骸を飲み込んだ。

 俺は一瞬で押し流され、圧し潰され、血潮すら揉み消されてただの土くれへと変わる。

 

 テハヌルフの感情を封じたのは俺だ。思考を縛ったのも俺だ。彼女から笑顔を最も遠ざけた俺は、ただそれを願った。

 そこまで至る可能性が、たとえ数億分の一ほどに小さかったとしても。

 

 

 

 あいつに、笑顔を教えてやってほしい。

 

 

 

 彼女はきっと、笑顔が似合うと思うから。

 

 

 

 

 

 

 

 いつしか、その豪雨は止んでいた。

 もとは山の麓の荒れ地だったそこは、数百万年もの時を一気に駆け抜けたかのように変わり果てた姿となっていた。

 水によって削られた山々は急峻な渓谷を形成した。渓谷は大河からの湿った風を受け止めて、雨を降らせた。長い時間をかけて、ゆっくりと植物や生き物たちが進出していく。

 

 幾千年が過ぎ去った頃には、そこには豊かな自然ができあがっていた。四季が存在し、竹林と森林が生い茂る色彩豊かな自然だ。空には竜たちの姿も垣間見えた。

 さらに千年が経つと、そこに人間たちが集い始めた。地下から湧き出る温泉と強靭な木々を資源として集落が形成されていく。いつしかそこは、その地域の拠点ともいえる村となっていた。

 

 そして、ちょうどその村に滞在していたひとりの狩人(弓使い)は。

 竜狩猟の依頼を請けて狩場に赴き、小高い岩壁の中腹に洞窟ができているのを見かけて。

 

 その少女と、出会う。

 

 

 

「なんだこりゃ……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 これは、誰からも語られることのない物語だ。

 一人の技師と兵器の、ただの戦物語だ。

 

 

 

 あらすじとしては、これで十分だったのだろう。

 ただ、()()()()始まる物語は、やや難しいかもしれないので。このような問いを投げかけてみる。

 

 例えば──

 遥かな過去に、栄えた人が竜を乱獲し、人と竜の摂理が崩れ、人と竜が明確に敵対し、怒り狂う竜が人を殺し、人造の竜が兵器として投入され、数多の竜を殺し、その死骸から竜が創られ、人は龍の領域にまで手を伸ばし、そして全てが清算された歴史があったとして。

 その記録をすべて消し去り、無から始める道を人が選択したとして。

 知ることなどできないはずのその歴史を知ってしまった者は、真実に立ち向かわなければならないのだろうか。

 

 物語を紡ぐ狩人は、きっとその問いを否定する。立ち向かうか立ち向かわないかは勝手だろうと。立ち向かわない選択を掴み取ることが困難でも、それを目指してもいいはずだと。

 物語を紡ぐ『 』は、きっとその問いを否定できない。かといって肯定もできない。その問いは『 』にとって、恐らく、あまりにも重かった。

 物語を()()()青年は、きっとその問いを肯定する。その真実をこの目で見てきた彼は、逃れられないことを知っているから。故に立ち向かって、そして、見定めてほしいと願う。

 

 だから、どうか、ささやかな物語であれと願うのだ。ただの旅物語になることを目指すのだ。

 

 かくして(それこそが)狩人はかつて(戦死した青年の)龍を討つために在った兵器と邂逅する(たったひとつの願いだったのだから)

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱちぱちと、薪が燃える音がする。

 暖炉から発せられる柔らかな光に包まれた木組みの部屋、傍にあったベッドの上で少女は身じろぎをした。

 

「…………ん……」

「テハ、起きたのか?」

 

 少女の声を聞きつけて、椅子に座っていた青年が声をかけた。

 二人は揃って寝間着を着ていた。ユクモ村という村の人々がよく用いる庶民的な寝間着だ。

 

「……はい。少し眠っていました」

「まだ夜も早いが、お前がうとうとするなんて珍しいこともあるもんだな。何かあったのか?」

 

 青年の問いに彼女はふと考え込むような仕草をして。

 

「……夢を、見ていました」

「夢?」

「はい。本機(わたし)が創り出された時代の夢でした」

「へえ……何気にテハから夢の話を聞いたのは初めてだな。今まで夢を見たことってあったっけか?」

「いいえ。しかし、本機(わたし)が渓流の洞窟の中で眠っている間も夢のような映像を見ていた記憶があります。内容は覚えていませんが、類似した感覚でした」

「そう、か。よければ、その夢の話をもう少し詳しく教えてくれないか。作業があと少しかかりそうだから」

「はい」

 

 青年は机に置かれた紙に羽ペンを走らせる。少女はベッドに腰掛けて、夢を辿るように遠くへ目線を走らせた。

 

本機(わたし)が作り出されたとき、本機(わたし)は言語能力、極龍の力を操る能力が共に未熟で、知識も不足していました。それらは人の手によって直接本機(わたし)に教えられました」

「教育とか訓練を受けたってことか」

「はい。砂鉄の剣を効率的に作る方法や、竜機兵本体との同期試験など、人と話し合いながら調整を進めていきました」

「そう言われると、なんだか現実味が出てくるな……」

 

 彼にとって竜機兵の本体というのは知識として知ってはいてもなかなかイメージしにくい存在だった。この時代にそういった兵器は存在しないからだ。

 しかし、こうして少女の話を聞くと、人間が試行錯誤して作り出したのだなという実感を僅かながら得ることができた。意思疎通ができるという少女の特性も活用していたようだ。

 

「なあ、テハ。少し踏み入ったことを言ってもいいか?」

「どうぞ」

「ありがとう。……今のテハの話を聞いて思ったんだが、テハの兵器としての原則とか、自己破壊装置を組み込んだのもその人たちなんだよな」

「はい」

「お前をあの洞窟に封じ込めたのも、誰かの思惑だったと思うか?」

「恐らくは。竜機兵本体には生命維持装置が搭載されていましたが、それは本機(わたし)を戦闘の衝撃から守るためであり、長生きさせるためではありません。千年以上生命活動を維持させるには、何らかの改造が必要です」

「だよな……。なあ、テハ。お前を生き永らえさせた人は、何を思ってそうしたんだろうな」

「…………」

「もちろん、そのおかげで俺はお前に出会えたし、お前との出会いを否定するつもりは全くない。だが、それでも数千年だ。僕と出会わなかったらそのまま朽ちていた可能性だってある。いくら眠っていたとはいえ、お前は数千年の間、独りだったんだ」

 

 そうなることは分かっていたはずだ。そのために生命維持装置というものを改造したのだから。

 人間の彼にとって、千年は長い。途方もなく長い。人間ならば何十もの系譜を積み重ね、竜人族でもそこまでは生きられない。それだけの時を生きるのは古龍くらいだ。

 だからこそ彼は割り切れない思いを抱えていた。納得のいかなさ、と言うべきか。何の目的でそれを成したのかが分からなかったのだ。

 

「……こんなこと言われても困るだけだよな。すまない。要領を得ないことを言ってしまった」

「……いえ、アトラが何を言いたかったのか、今の本機(わたし)には分かる気がします。これから言うことが、その答えになっているのかは分かりませんが」

 

 青年は少しだけ驚いた。少女が意外な反応をしたことと、「気がする」という曖昧な言葉を自然と用いたことに。

 少女は言葉を選ぶようにして話を続けた。

 

「竜大戦時代、本機(わたし)の指導を率先して行った人がいました。その人は本機(わたし)を含めた第二世代竜機兵一号機の製造に大きく関わっていて、本機(わたし)のデザインもその人の案を元にしていたという記憶があります」

「それはまた……凄い人だったんだな」

「アトラと同程度の年齢でした」

「まじかよ」

 

 俗に言う天才というやつか。老齢の学者のような人を想像していた彼はそのイメージを見事に覆された。

 

「とても淡々とした人でした。ですが、本機(わたし)への指導には熱心でした。当時も多くの人と言葉を交わしましたが、その人と話していた時間の方がそれ以外の人と話していた時間よりもずっと長かったほどです」

 

 記憶を辿って彼女は言葉を紡いでいく。

 

「本当は竜機兵を造りたくはなかったそうです。それでも竜機兵が必要とされているから造るのを止めないのだと本機(わたし)に言い聞かせていました。

 竜機兵のことをとても大切に思っているのだということは、当時の本機(わたし)でも読み取ることができました。第一世代竜機兵が破壊されたという報告を受ける度に大きく感情が揺れ動いていたことが印象に残っています。

 他にも大切なものがたくさんあって、そのために矛盾も抱えてしまっているようでした」

 

 今だからこそ分かることがたくさんあると彼女は話す。感情と曖昧さ、この世界を学んだことで過去を振り返ると、本当にいろいろなことに気付ける、と。

 青年は思った。「その人」はあえて少女にそれらを教えなかったのだろうと。いずれ少女も分かるはずだ。いや、もう気付いているかもしれない。

 しかし、少女はそれを気に留めている様子はない。割り切っているのではなく、ただ受け入れているのだ。自らの内の『 』(空白)に落とし込む。彼女らしい受け取り方だった。

 少女の話は核心へと移ろっていく。訥々とした話し方がはっきりとしたものになっていく。

 

本機(わたし)は戦場で竜や龍と戦い続けた末に暴走し、風翔龍に破壊された先の記憶がありません。……ですが、とても長い眠りに落ちる前の微睡みのような感触に、先ほどの夢で触れることができました」

 

 それは、第二世代竜機兵一号機が物言わぬ残骸へとなり果てて、遠く東の地、未来にユクモ地方となる荒れ地へと破棄された頃の少女の記憶。

 視覚、聴覚、触覚も途絶えていた中で、彼女だけが持ち得た龍の感覚器官が受け取り、龍の感性が残した記憶だった。

 

本機(わたし)を数千年眠らせたのは、恐らくその人です。何の確証もありませんが、確信に近いものがあります。微睡みの暗闇の中で、龍の感覚器官を通じて聞こえてくる音も、響く振動も、伝ってくる感情も、たったひとつだけでしたから。

 ごく曖昧にしか覚えていませんが、いろいろな感情が混ぜ合わされたような心理状態で、ただ、本機(わたし)を生かそうとする信念だけはずっと伝わり続けていました」

 

 少女は自らの胸に手を当てる。それは、自らの心臓が多くの人に支えられて鼓動を続けられていることを学んだから。

 それを大切だと思うことが、できるようになったから。

 

「その人の心はその人にしか分からないのでしょう。本機(わたし)は多くを語れません。ですが、ひとつだけ言えることがあるとすれば」

 

 少女は──テハヌルフは、笑った。

 

「あの人は、誰のためでもなく、本機(わたし)のために本機(わたし)を未来へと送ったのです。そのことを本機(わたし)は忘れないようにしようと、そう思います」

 

 「その人」が最後に託した願いに、確かなかたちで応えてみせていた。

 

 

 

「そう、か。テハがそう言うなら、いや、テハが笑ってそこまで言うんだ。ここまで説得力がある理由もなかなかないな」

本機(わたし)は今、笑っていましたか?」

「ああ、笑えてた。久しぶりに見れてよかったよ」

 

 少女は不思議そうに首を傾げ、青年もまた笑みを浮かべた。

 相変わらず表情は乏しいが、それ故に笑ったときの印象が映える。それは彼女らしさと言っていいものだろう。

 

「しかも、ちょうどいいタイミングだ。推薦書への返信とギルドへの手紙、書き終わったよ。あとはこれを集会所に持って行くだけだな」

「分かりました。左手で文字を書く速さが向上していますね」

「ようやく慣れてきたって感じだな。さて、眠ったらまた旅支度だ。忙しくなるぞ」

 

 そう言って青年は立ち上がった。

 青年の歩き方はややぎこちない。右手は木製のフレームで覆われていて、日常生活には使えない。

 少女の左腕は繋がっていない。声は掠れていて聞き取ることは難しく、相変わらず頭に髪飾りをつけている。

 それでも──それでも彼らは、狩人を続けることを選んだ。

 

 

「心なしか楽しそうです」

「もちろんだ。本当に久しぶりの旅になる。何より……」

 

 彼が手に取って彼女に見せた封筒には、一陣の風を模した標が彫られていた。

 共に生きることに真剣に向き合った彼らが掴み取った、まだ見ぬ地への片道切符だ。

 

「お前も調査団に選ばれたんだ。一緒に新大陸に行こう、テハ!」

 

 再び、旅が始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







今話を持ちまして過去編「追憶の彼方へ」完結です。
「とある青年ハンターと『 』少女のお話」もまた完結扱いに戻します。完結ったら完結なんです。
ここまでお読みくださった全ての方へ。本当に、ありがとうございました!



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