弱体モモンガさん (のぶ八)
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王国編
骨違い


12巻が待ち遠しすぎて書いてしまいました


「じゃ、そろそろ睡魔がやばいので…アウトします。最後にお会い出来て嬉しかったです。お疲れ様です」

 

 そう発したのは黒色のどろどろとした塊。コールタールを思わせるそれの表面はブルブルと動き、一秒として同じ姿を保っていない。それは古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)。スライム種では最強に近い酸能力を有する種族だ。

 

「こちらもお会い出来て嬉しかったです。お疲れさまでした」

 

 そう答えたのは皮も肉も付いていない骸骨。金と紫で縁取られた、豪奢な漆黒のアカデミックマントを羽織っている。ぽっかりと開いた空虚な眼窩には赤黒い光が灯っており、頭の後ろには黒い後光のようなものが輝いていた。それは死の支配者(オーバーロード)魔法詠唱者(マジックキャスター)が究極の魔法を求めアンデッドとなった存在だ。

 

 だが別に彼等は本当のモンスターと言う訳ではない。

 ユグドラシルというDMMO―RPG。そのオンラインゲームのプレイヤーだ。この姿はゲーム内のアバターに過ぎない。

 

「またどこかで会いましょう」

 

 その言葉と共に古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)の身体が消える。ゲームからログアウトしたのだ。

 それを見ながら一人残された死の支配者(オーバーロード)は最後に言おうとしていた言葉をポツリと呟いた。

 

「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解できますが、せっかくですから最後まで残っていかれませんか――」

 

 無論返ってくる言葉はない。すでに古き漆黒の粘体(エルダーブラックウーズ)は現実に帰還しているのだから。

 

「どこかで会いましょう…か」

 

 そういった言葉は幾たびも聞いた。だがそれが実際に起こる事はほとんどなかった。誰もユグドラシルには戻ってこなかった。

 それを思い出し死の支配者(オーバーロード)、もといモモンガはキレた。

 

「――ふざけるな! ここは皆で作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! 最後くらい一緒にいてくれたって…! 顔を出してくれたっていいじゃないか!」

 

 怒号と共にモモンガの両手が目の前のテーブルに叩きつけられた。

 ユグドラシルの最終日である今日、ここを訪れてくれたギルドメンバーはわずか3人。全盛期にいたメンバー41人中37人はすでに引退してしまっている。今日来てくれた3人とて引退こそしていなかったものの、以前にここに来たのがどれだけ前だったか思い出せない程だ。

 だがモモンガはそんな引退したメンバーから譲り受けた装備や、残していってくれた金貨は全てそのまま取ってある。いつでも彼らが戻って来れるようにと。現実はそうはならなかったが。

 

 

「ヘロヘロさんは激務で疲れてるんでしょう…、たっちさんは家庭があるし…、やまいこさんや茶釜さんだってきっと仕事が忙しいに違いない…。でもちょっとぐらいいいじゃないか…! ウルベルトさんやタブラさんからは返事が無いし…! ペロロンさんは来てくれるって言ったのに時間になっても来ないし…! ブルー・プラネットさんやホワイトブリムさんだってギミックやNPCをあんなにこだわって作ってたじゃないか…! どうしてこんなに簡単に棄てる事が出来るんだ!」

 

 激しい怒りのまま仲間への愚痴を吐露する。だが後に来たのは寂寥感。

 

「違う、簡単に棄てたんじゃないよな。現実と空想。どちらを取るかという選択肢を突きつけられただけだよな。仕方無い事だし、誰も裏切ってなんかいない。皆も苦渋の選択だったんだよな…」

 

 モモンガは己に言い聞かせるように呟き、席から立ち上がる。

 目の前にあるのは黒曜石の巨大な円卓と41の豪華な椅子だ。

 寂しさと共に少しの希望を託して、それぞれの席の前に一つずつリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを置いていく。ギルドメンバーしか持つことが出来ない大事な指輪だ。だがもうユグドラシルは終わる。モモンガがその全てを持っていてもしょうがない。

可能性は低いと思うがもしかしたら誰か来てくれるかもしれないと願い、ナザリック内を自由に移動できるこの指輪を残すことにした。

 それらを置き終えると壁に飾っている一本の杖に手を伸ばす。それは各ギルドが一つしか所持できないギルド武器と呼ばれるものであり、アインズ・ウール・ゴウンの象徴とも言えるものである。

 

「最後は一人か…」

 

 ギルド武器を手に取り、モモンガは部屋を後にする。

しばらく廊下を進み、巨大な階段を降りていく。降りた先は広間になっておりそこに複数の人影があった。

 先頭にいるのは執事服を着た屈強な老人。その後ろに影のように付き従うのは6人のメイド達だ。彼等はナザリックのNPCであり、仲間が作った存在だ。

 

「ふむ」

 

 普段は指輪の転移によって移動しているので、この辺りに来る事は滅多に無かった。その為、執事たちの外見には懐かしさすら覚えていた。

 モモンガはコンソールへ指を伸ばし、執事たちの頭上に名前を表示させる。

 

「そんな名前だったか」

 

 彼等の名前を忘れていたことに苦笑するモモンガ。先ほどは仲間達への愚痴を口にしたものの、自分とて忘れていた事があるのだと思い知らされたからだ。

 ずっとログインしていた自分でさえ忘れていた。仲間と共に作り上げた大事なナザリック地下大墳墓の一部である彼等を。ならば仲間達とて――

 

「付き従え」

 

 執事とメイド達が頭を下げ、命令を受諾した事を示す。

 侵入者をここで迎撃する為に作られた彼等だが、結局ここまで攻め込んできたプレイヤーはいなかった。彼等はずっとここで待っていたのだ。誰からの命令も受ける事なく、この場所でいつか来るだろう敵を。

 最後くらい彼等を働かせてやろう、そうモモンガは思った。

 NPCを哀れに思うなんてバカなことだ。所詮はデータでしかない。もし感情があるように思えたなら、それはAIを組んでいた人間が優れていたということだ。

 だが、そうは理解していてもモモンガは少しだけ彼等に自分を重ねてしまったのだ。彼等を見て少しだけ胸が締め付けられた。

 

 そして玉座の間へとモモンガは向かう。

 そこは広く、高い部屋。見上げるような高さにある天井。壁の基調は白で、金を基本とした細工が施されている。

 天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。

 壁にはそれぞれ違った文様を描いた大きな旗が、天井から床まで計41枚垂れ下がっている。

 金と銀をふんだんに使った部屋の最奥には十数段の低い階段があり、その頂には巨大な水晶から切り出されたような、背もたれが天を衝くような高い玉座が据えられていた。

 背後の壁にはギルドサインが施された深紅の巨大な布がかけられている。

 

 その広大な部屋へと踏み出し、玉座の横に立つ女性のNPCを見た。

 純白のドレスを纏った女神のような非の打ち所の無い絶世の美女。だが頭から生えている山羊を思わせる角と、腰から生えている黒い翼が彼女を悪魔だと雄弁に語っている。

 彼女の名前はモモンガも覚えていた。このナザリックのNPCの頂点に立つ、守護者統括アルベド。

 

「そこで待機しろ」

 

 後ろをついてきていた執事とメイド達を玉座の階段の下へと待機させる。

 次にアルベドにはどういう設定をしていたかとコンソールを操作し設定を閲覧する。

 するとそこにあったのは一大叙事詩のごとき長大な文章。あまりにも長いので一気にスクロールしていく。長い文章を飛ばし、ようやく辿り着いた設定の最後にはこう記されていた。『ちなみにビッチである』と。

 

「…え、何これ…?」

 

 アルベドの創造主であるタブラはギャップ萌えを愛していたが、そのあまりに酷い設定に頭を抱えるモモンガ。

 仲間がそうあれと創ったとはいえ、これではあまりに救われない。もうユグドラシル最終日ということもあり、モモンガは結論を出す。

 

「変更するか」

 

 本来であればクリエイトツールが無ければ操作できない設定に、ギルド長権限を行使してアクセスする。コンソールの操作で『ちなみにビッチである』という文字を消す。

 それからモモンガは少し考え、アルベドの設定の空いた隙間を埋めていく。

 

『アルベドさんマジ天使』

 

「うわ、俺何書いちゃってんの恥ずかしい」

 

 モモンガの頭ではこれ以上の言葉を入れる自信が無かった。とはいえ文字数ちょうどでもあるしギリギリ及第点であろうと信じる。

 

「しかしサービス終了までは…、まだ少し時間があるか…。そうだな…、最後くらい俺も楽しんでいいよな…?」

 

 ここで最後の時を過ごそうかとも思ったが、まだ時間もある。仲間が誰も来ないまま孤独に終わるというのも少し寂しい。

 きっと外では今頃ひっきりなしにGMの呼びかけがあったり、花火が打ち上げられたりしているのだろう。

 ここでモモンガに一つの考えが浮かぶ。

 最後なのだ。どうせなら死ぬほど超位魔法を使って終わってやろう、そう思った。

 

 ギルド武器を玉座に置き、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使用しナザリックの外へと出る。周囲には夥しい毒の沼が広がっている。この近くには他のプレイヤーの姿は無いようだ。

 それもそうかと苦笑しつつ、どうせなら町にまで行って超位魔法を放つかと考えるが、最後の最後でPKされても嫌なのでこの近くでストレス発散の為だけに超位魔法を撃つ事にする。

 

「皆の馬鹿野郎ーっ! 顔ぐらい見せろーっ! 連絡ぐらいくれーっ!」

 

 内なる感情を叫びながら超位魔法を放つモモンガ。

 クールタイムがあるので使用後はしばらく待つ事になるが、いつもよりそのクールタイムが早い事に気付く。

 遮断していたGMの呼びかけを確認してみるとどうやら最終日という事で色々と制限が緩くなっているらしい。クールタイムは短縮され、本来なら一日に4回しか使えない超位魔法も今日は無制限で使用可能とのこと。

 

「はは…。まぁ最後だしな…。せっかくだし俺も使えるだけ使ってみるか!」

 

 そうして何度も超位魔法を放つモモンガ。レベルが下がる事には抵抗があるがどうせ最終日なのだ。いくら下がろうともう関係ないのだから。

 滅多に使わない超位魔法を躊躇なく放つことによりわずかな快感と高揚に包まれるも、やがてサービス終了の時間が迫ってくる。

 時間を確認し、残り時間が少ない事を知ると再び悲しさと寂しさに満たされた。

 このギルドは、アインス・ウール・ゴウンは自分と友人達との輝かしい時間の結晶なのだ。沢山の思い出が詰まっており、何物にも代えがたい宝物。

 それが今、失われる。

 なんと悔しく、不快なことか。

 だが単なる一般人であるモモンガにはどうすることも出来ない。終わりの時をただ黙って受け入れるユーザーの一人に過ぎないのだ。

 もう時間は無い。空想の世界は終わり、現実の毎日が来る。

 当たり前だ。人は空想の世界では生きられない。だから皆去っていった。

 明日からモモンガはユグドラシルという心の支えを失って生きていかねばならない。

 それが酷く憂鬱で、泣きたくなる程に悲しかった。

 せめて静かに最後を迎える為にと、再びGMの呼びかけを遮断する。

 

23:59:30、31、32…

 

 明日は四時起きだ。サーバーが落ちたらすぐに就寝しないと仕事に差し支える。

 

23:59:45、46、47…

 

 モモンガは目を閉じる。最後の瞬間を受け入れ、幻想の終わりを迎える。

 

23:59:57、58、59…

 

 ブラックアウトし‐

 

00:00:00、01、02…

 

「ん?」

 

 サーバーが落ちる様子が無い。訝しんだモモンガは目を開ける。

 すると目の前に広がっていたのは――

 

 

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国。

 その王都において最上級の宿屋。腕に自信があり、高額の滞在費を払える冒険者達のみが集まる場所だ。

 一階部分を丸ごと使った広い酒場兼食堂にはその広さからすると少なすぎる数の冒険者しかいなかった。それだけ上位の冒険者とは少ない。

 その店の一番奥にある丸テーブルに3人の女性達が座っていた。

 彼女達は『蒼の薔薇』のメンバー。

 ランク分けされる冒険者の中でアダマンタイト級という最上位の位を持つ冒険者達だ。王国最強との呼び声も高い。

 ここにいるのは魔力系魔法詠唱者(マジックキャスター)のイビルアイ。戦士であるガガーラン。そしてチームのリーダーであるラキュース。

 

「それで、八本指が動くかもしれないというのは本当なのか?」

 

 口を開いたのは最も小柄なイビルアイ。漆黒のローブを身に纏い、異様な仮面でその顔を完全に覆い隠している。

 

「そうだ。どうやら黒粉の取引があるみてぇだな。そこに六腕の誰かも護衛で立ち会うだろうから気ぃ引き締めていかねーとな!」

 

 次に口を開いたのは圧倒的な体躯を誇る大柄なガガーラン。その全身は鍛え上げられており、男性顔負けの筋肉を誇る。腕っぷしだけを見ても彼女に勝てる者はそうはいない。

 

「今はティアとティナが偵察に行っている。確認が取れ次第、現場に向かうわ。それで取引があれば――」

 

「その場でやっちまうってことだな?」

 

「その通りよ」

 

 ガガーランの言葉に答えたのはラキュース。信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)兼神官戦士であり、王国貴族アインドラ家の令嬢でもある。

 若くして第5位階の魔法を行使し、伝説に謳われる13英雄の一人が残した魔剣キリネイラムを所持している。その実力は人類の頂点とも言える英雄級にまで達してなお成長の余地があると言われている。

 この世界において、揺るぎない強者の一人である。

 

 蒼の薔薇を構成するメンバーは5人。

 ここにいない残りの2人は元暗殺者である忍者のティアとティナ。

 隠密や潜入を得意とする為、今日のように偵察に出る事が多い。

 

「む…? 外が騒がしいな…」

 

 イビルアイが外の様子がおかしいことに気付く。夜であるにも関わらずどこかから大勢の人が叫ぶような声が聞こえてくる。

 

「なんだぁ? 八本指の連中が騒ぎでも起こした訳じゃあるまいに」

 

「ちょっと! 縁起でもない事言わないで!」

 

「おーおー、怖ぇリーダーだぜ…。冗談だっての」

 

 快活に笑うガガーランとそれを窘めるラキュース。だが彼女達のそんな微笑ましい時間は一瞬で終わりを告げる。

 宿屋のドアが勢いよく開け放たれ、一人の女性が飛び込んでくる。

 

「た、大変リーダー! 六腕が! 六腕の奴が街の中に姿を現したっ!」

 

「なっ!?」

 

 入ってきたのはティア。彼女の言葉に3人は反射的に椅子から立ち上がる。

 

「ど、どういうことティア! ティナはどうしたの!?」

 

「ティナはそいつを見張りに…! 私は慌てて皆を呼びに…!」

 

「待て待て、どういうこった? いくら奴らが姿を現したとは言っても現場を抑えなきゃ意味ねぇぞ…。それに街ん中で戦いを仕掛ける訳にも…」

 

「違う! そうじゃない!」

 

 ガガーランの言葉に被せ気味でティアが叫ぶ。

 

「落ち着けティア。奴らが姿を現したというなら好機でもある。ちゃんと説明してくれ」

 

 イビルアイがティアへ静かに語り掛ける。だがそれでもティアは落ち着きを取り戻せない。

 

「デイバーノック…!」

 

「なに?」

 

「この王都の中心に突然死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が現れた…! おかげで周囲は混乱に包まれてる! だが野良の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が突然こんな所に姿を現すとは思えない…!」

 

「なるほど…。じゃあ考えられるのは六腕に所属しているという例の不死王とやらか…。奴が突如姿を現したっつうことか…?」

 

「だが待て、意味がわからん…。こんな街中でその姿を晒すのに何の意味がある…? アンデッドの存在が露見するのは八本指とて避けたいはずだ…」

 

 誰もが頭に疑問符を浮かべる中、ラキュースが恐ろしい予想を口にする。

 

「まさか…陽動…!?」

 

 全員がラキュースへ視線を向け、息を呑む。

 

「可能性はあるな…。デイバーノックが騒ぎを起こし、その隙に何かやらかす気か…!」

 

「まずいんじゃねぇのか…? ここまでデカイ騒ぎにするってことは…」

 

「それ相応の事件を起こす気かもしれない…!」

 

 彼女達全員の顔が蒼褪めるが、イビルアイが冷静さを保ちながら口を開く。

 

「とはいえ現状では何の手がかりも無い。騒ぎを起こしたデイバーノックを捕まえ口を割らせるしかないな」

 

 4人は顔を合わせ頷くと宿屋から飛び出す。ティアの案内の元、その死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の元へと蒼の薔薇は駆けていく。

 この先にかつてない不穏な空気を感じながら王国最強の冒険者チームが動く。

 

 

 

 

 

 

「ボ、ボス大変だ! デイバーノックの野郎が街ん中で騒ぎを起こしやがった!」

 

 王都に巣食う犯罪組織、八本指の一つである六腕の隠れ家に一人の男が慌てて飛び込んでくる。

 

「騒がしいぞサキュロント…!」

 

 その男の叫びに答えたのは禿げ上がった頭と鍛え上げられた肉体を持つ巌の武人。誰よりも威圧感を放ち、その様相は殺気に満ち溢れている。

 彼は闘鬼ゼロ。修験者(モンク)であり己の身体を武器とする彼はガガーラン以上の体躯と筋力を誇る。

 八本指最強の戦闘部隊であり、暴力を生業とする組織『六腕』のリーダーを務める。自身もその肩書に相応しい強さを持ち、アダマンタイト級の冒険者にすら匹敵する。

 

「で、でもよボス…」

 

 サキュロントと呼ばれた男はゼロの迫力に委縮するも必死に言葉を紡ごうとする。

 彼は六腕最弱ではあるが、幻術師(イリュージョナリスト)としての力を駆使すればアダマンタイト級にも届きうる可能性は秘めている。

 

「ふん、何があったかは知らんがデイバーノックならそこにいるぞ」

 

 ゼロが後ろをクイと指差す。

 確かにそこには一人の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が佇んでいた。裾が炎のような真紅に縫い上げられた漆黒のローブを身に纏う彼こそが不死王デイバーノック。

 アンデッドでありながら、さらなる魔法の力を求め人間社会に身を置いている稀有な存在だ。

 

「な、あぁ…!? じゃ、じゃあアレは誰だ…! 今街ん中じゃ突如現れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)のせいで大騒ぎになってんだ! お、俺はてっきりデイバーノックだと…」

 

 その言葉にデイバーノックの眼窩に宿る光が静かに揺らめいた。人間社会に突如現れたその死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が一体何者なのか、同類である彼が気にならない筈が無い。

 慌てふためきながらサキュロントは必死に街で起きた事を説明する。それを聞き終えたゼロがデイバーノックに告げる。

 

「デイバーノックよ…、変な気を起こすなよ…? お前がもし六腕を裏切る気なら…」

 

「…。勧誘してはどうだ…?」

 

 墓穴の底から聞こえてくるほど虚ろなデイバーノックの声が響く。

 

「何?」

 

「雑魚ならば捨て置けばいい…。だが強者ならば別だ…。強き者が味方になるのを拒む理由はあるまい…?」

 

 ゼロに向かってそう言い放つデイバーノック。

 しばらく沈黙するゼロ。やがて決心したのか重い腰を上げる。

 

「サキュロント、六腕を集めろ。取引に向わせているのも全員だ。その死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とやらを見に行くぞ」

 

「げぇっ! マ、マジかよボス! 絶対冒険者共も集まってくるぜ!」

 

「ふん、このままではそいつが冒険者共に狩られるのは確実だろう…。もし話が通じそうなら恩を売って六腕に引き込んでもいい…。その価値があればだがな…。それにこの際だ、必要とあらば目障りな冒険者共を蹴散らしてくれるわ…!」

 

「で、でもよ全員呼んじまったら今夜の取引の護衛はどうするんだ…?」

 

「馬鹿か貴様は。そんな騒ぎがあったのでは中止に決まっているだろう。麻薬部門の奴等とてこんな時に事を起こすほど馬鹿ではあるまい」

 

 号を飛ばしながらも、冒険者達を捻り潰す事を想像しゼロの顔が歪む。

 デイバーノックも共に魔道を歩めるかもしれない存在の到来に喜びを隠せずにいる。

 対してサキュロントは大変な事になっちまったと思いながら他の六腕を呼びに走る。

 彼等の行く末に何が待ち受けているか知りもせずに。

 

 

 

 

 

 

「だ、駄目です! 行ってはなりません!」

 

 王宮の一室で女性の悲痛な叫びが響く。その女性はラナー・ティエール・シャルドロン・ライル・ヴァイセルフ。リ・エスティーゼ王国の第三王女である。

 金の髪に象徴される美貌を持ち、人々からは『黄金』の二つ名で呼ばれる程に美しい女性。民衆からの支持も厚く人望に溢れている彼女ではあるが、実際は人間を超越した頭脳を持つ恐ろしい性格破綻者である。

 だがそんな彼女にも大事な物が一つだけあった。

 

「お許しくださいラナー様…! しかし民達に被害が出る前に止めないと…!」

 

 ラナーの制止を振り切り、部屋を出て行こうとするのはラナーに直接仕える側付きの兵士であるクライム。

 少年のような面影を残しつつも、兵士として鍛えられた屈強な体を持っている。特別な才能は何も持たないが、ひたすら積み重ねた努力によって一般の兵士を上回る程度の強さは身につけている。

 

「お、お願いクライム、行かないで…! い、今は戦士長殿もいないのですよ…!?」

 

「だからこそです! 王国戦士長が不在の今、私が代わりを果たさなければなりません! 警備の者だけでは足りないでしょう! それに貴族派の者達がすぐに動くとは思えません! 兵士達もその多くは王宮を離れる訳にはいかないでしょうし…。今すぐに動けるのはごく少数なのです。だからこそ私も兵士として民の為に動かなければ!」

 

 クライムの真っすぐで純粋な瞳がラナーを射抜く。

 

(あぁ…クライム、クライム…! 私の…、私だけのクライム…!)

 

 ラナーの背筋をゾクゾクとしたものが這いあがり身を震わせる。その歓喜からくる震えを両手で必死に押さえつけ抗おうとするラナー。

 性格は歪み切り、実際は人の命などなんとも思っていない彼女だがクライムにだけは異常な程の愛情を注いでいる。クライムこそ彼女の全てであり、かろうじて彼女を人たらしめる唯一の存在。

 

「貴方の元を僅かとはいえ離れる事をお許しくださいラナー様。しかし私も戦士長や貴方のように人々の役に立ちたいのです。それに困っている者達がいるのなら捨て置くなど出来ません!」

 

「で、ですが上がってきている報告では恐ろしいアンデッドだと…。すぐに冒険者達が動くはずです! だから貴方は…」

 

 部屋を出て行こうとするクライムを止める為に抱き着くラナー。クライムを思う言動だけは本物だ。

 

「申し訳ありませんラナー様…、貴方の騎士でありながらその命に背くことをお許しください…! でも私にはどうしても人々を見捨てる事が出来ません…! 失礼します!」

 

「あぁっ…!」

 

 ラナーを振りほどきクライムが走って部屋を出ていく。部屋にはラナーだけが残された。

 

「な、なんてこと…! くそ…! こんな時に限って戦士長は…! もしこのせいでクライムに何かあったら戦士長を辺境の任務に飛ばした貴族共全員殺してやるわ…!」

 

 美しい顔をグシャグシャに歪め、貴族達への恨みを吐くラナー。だがここで指を咥えている訳にはいかない。

 最悪クライムが死亡したとしても友人である蒼の薔薇のラキュースが蘇生魔法を行使できる為、それ自体は何とかなるかもしれない。だがラナーは考える。

 この王都に突如として現れた恐ろしい死者の大魔法使い(エルダーリッチ)。強さやそういったものには疎いラナーだがその存在がどれほど危険かくらいは承知している。

 単身現れ王都を混乱に導いたアンデッド。とはいえ、もしかしたら容易く討伐されるかもしれない。だがもし複数いたら? あるいは破格の強さを持つ強者だったら? 倒した者をアンデッドにしてしまう魔法を使えたら?

 そうすればアウトだ。

 これは相手が悪い。可能性としては低いかもしれないが取返しの付かない事態になる事も考えられる。

 

(しかし一体何者…? 六腕に飼われているという死者の大魔法使い(エルダーリッチ)…? いや、こんな事を許す程あいつらも馬鹿じゃない…。こんな事があれば王都で動きづらくなるのは自分達なのだから…。じゃあ野良のアンデッド…? そんな事があり得るの…? 警備の者は何を…? そもそも目的は? なぜ王都でその存在を誇示するように現れたの?)

 

 ラナーは考えを巡らすが答えは出ない。現状ではあまりに情報が足りないのだ。それに今までラナーの情報網に一切引っかからなかった謎の闖入者。

 組織や政治的な方面には強いが、個人としての強者は専門外だ。魔法にも疎い。そういった方面の常識が通用しない独自の価値観を持つ者ならばラナーにも予測は難しい。情報が集まれば別だが、今は欠片程の情報すらない。

 

「誰か! 誰かいますか!」

 

 すぐに意識を切り替え、部屋の外に向かって声を上げるラナー。すると一人の王宮付きのメイドが入室してくる。

 

「な、何かございましたかラナー様」

 

「レエブン侯を呼んで頂戴」

 

「え…? レエブン侯…ですか? その、今から?」

 

「そうよ! 早く馬を飛ばして! 時間が無いの!」

 

 ラナーの初めて見る剣幕にメイドが慌てて部屋を出ていく。

 今から馬を飛ばして間に合うのかはわからない。だが可能性があるならば少しでも賭けるべきだと考える。幸い、今は所要で王都に来ているはずだ。もう夜遅いが聡明なレエブン侯ならばラナーからの申し出に答えてくれるだろう。場合によってはいくら借りを作ってもいい。

 

 だってクライムはラナーの全てなのだから。

 

 

 

 

 

 

 王都の中心。

 数々の店が立ち並び、その裏にはいくつもの民家がひしめいている。ここは多くの人々が集まり商売や生活をしているまさに王都の心臓だ。夜であっても普段は活気に包まれている場所。

 最も平和が維持されていなければならない場所でありながら今は違った。

 喧噪が飛び交い、多くの人々が逃げ惑い、この場所は混乱の極みにある。逃げ遅れた子供が泣きわめき、巡回の兵士やたまたま居合わせた冒険者達が必死に人々を誘導しているがそれもままならない。

 通路は押し寄せた人々で通行が難しくなり、至る所で渋滞が起きていた。それが混乱に拍車をかける。やがて誰もが我先にと目の前の人間を押しのけて逃げようとする。女子供や力の弱い老人などは押し倒され怪我をしてしまう者までいた。

 誰もが自分が助かる為に他者を省みず犠牲にする状況。

 貴族達ならば自身の私兵を動員すればこの場を収めることは可能かもしれなかった。だが貴族達は誰もそんなことはしない。民衆の為に労力を割くなど、自分の力が削がれる可能性があることなどする筈がないのだから。

 救いはないまま混乱は伝播し、それは王都中を巻き込む事態となる。

 それも仕方ない。

 危険とは縁遠い場所で生きてきた者達のすぐ横に突如として危険が現れたのだから。一般市民にとってモンスターとは恐怖の対象である。容易く人間を屠り、食い散らかすのだから。

 だがそれよりも恐ろしい存在がいる。アンデッドだ。生者を憎み、生きる者を殺す為だけの存在。彼等は人類の天敵と呼んでもいい。無力な一般市民はただ黙って殺されるだけだろう。

 

「ち、違うんです! き、聞いて下さい!」

 

 突如、王都の中心に現れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は大きな声でそう叫ぶ。だが誰も耳など貸さない。大勢の人間がその姿を見て泣き叫び逃げ惑う。

 誰もが着の身着のまま外へと飛び出し、少しでも遠くへと必死に逃げる。

 アンデッドというだけでも恐ろしいのに、そのアンデッドが身に付ける衣服は常軌を逸していた。誰も見た事が無い程に豪奢で煌びやか、あるいは禍々しく人々の目に映った。物の価値が分からない民衆といえどそれが破格のものだということくらい分かる。

 そんな物を身に付けているアンデッド。人々がただならぬ恐怖と、謎の威圧感と危険な香りを感じたとしても不思議ではない。間違いなくこれから虐殺が始まると誰もが予感した。人々が逃げ出し、町が混乱に包まれるのは必然ともいえた。

 

「な、なんなんだよもう! さっきからずっとコンソールは使えないし! GMコールもきかない! サーバーダウンは!? そもそもここはどこなんだ! 沼地は!? ナザリックは!? それにここは人間の町!? 異形種である俺はペナルティで入れないんじゃないのか! 事情を聞こうとしてもなぜか皆逃げていくし!」

 

 自分の身に起きた事を理解できず嘆くモモンガ。

 混乱の原因が自分だとはまだ気づいていない。もしかすると周囲の者達は皆、自分と同様にユグドラシルが終了しない事に慌てているのかもしれないと考える。仮にそうだとしても騒ぎすぎな気もするが。

 

「し、仕方ない…。どこか違う所で話の分かりそうな人を探すしか…」

 

 ここで誰かに話を聞くことを諦め、他の場所に行こうと決めるモモンガ。だがその時、後ろから声がかかった。

 

「六腕のデイバーノックだな! 何が目的だ! なぜこんなことをする!?」

 

「ん?」

 

 その声に釣られ後ろを振り向くモモンガ。そこには4人の女性がいた。

 叫んだのは仮面を被った小柄な女性。彼女達を見た人々が次々に希望を口にする。

 

「蒼の薔薇だ…! 蒼の薔薇が来てくれたぞ…!」

 

「アダマンタイト級冒険者が来てくれればもう安心だ!」

 

「やった…! 助かったんだ!」

 

 有名人らしいがモモンガは知らない。それにデイバーノックとか叫んでいたから自分は関係ないだろうと思い再び前を向きその場を立ち去ろうとするモモンガ。

 

「逃げる気か貴様っ!」

 

「うわぁっ!」

 

 突如モモンガに向けて魔法を放つ仮面の女。反射的に避けてしまう。

 

「ちょ、ちょっとなんですか急に! 今はそんな事してる場合じゃないでしょ!」

 

 初対面でありながらいきなり攻撃してくる女に怒るモモンガ。だがその女たちはモモンガに向けて強い殺気を放っている。

 

「ふん、ここまでの騒ぎを起こしておいてシラを切るつもりか…? ならば仕方ないな、力づくで話して貰おう!」

 

 そうして仮面の女、イビルアイがモモンガへ向かって距離を詰める。それに合わせガガーランも同様に距離を詰め、後ろではティアが遠距離攻撃を、ラキュースが補助魔法を唱えている。

 

「わっ! こ、こんな時にまでPKを仕掛けてくるなんて…! なんて人たちだ!」

 

 ユグドラシルに何らかの異変が起きているというのにこんな時までPKを仕掛けてくるプレイヤーに流石のモモンガも度肝を抜かれる。いくらなんでも異形種を目の仇にしすぎだろうと。

 しかも今は何度も超位魔法を使った為にレベルダウンしまくっているのだ。プレイヤーとまともに勝負などしてられない。

 《フライ/飛行》を使用し飛び上がり、そのまま飛んで逃げようとするが――

 

「行かせない! 爆炎陣!」

 

 飛び上がったモモンガに向かって横の建物の屋根から一つの影が現れスキルを放つ。それは巨大な爆発を起こしモモンガを巻き込んだ。それはティナ。少し前から単身でモモンガを見張っていた蒼の薔薇のメンバーだ。

 

「よくやったぞティナ!」

 

 逃げようとしたモモンガの足止めに成功した仲間へイビルアイが声をかける。

 やがて爆発の煙が流れ、その中からモモンガが姿を現す。

 

「うわ、もうビックリした! てあれ、特に何もないぞ…? フェイントか?」

 

 その姿を見た蒼の薔薇の面々が目を見開く。

 

「バ、バカな…! ティナの忍術を喰らってピンピンしてやがる…!」

 

「臆するなガガーラン! 炎耐性のある装備なのかもしれん! だが所詮は死者の大魔法使い(エルダーリッチ)! 私が援護する! お前の刺突戦鎚(ウォーピック)で砕いてやれ!」

 

 イビルアイの言葉を合図に巨大な刺突戦鎚(ウォーピック)を振りかぶりモモンガ目掛けて突進するガガーラン。だがモモンガは《フライ/飛行》を使ったまま空中に待機している。重量級である彼女の攻撃が通るとは思えない。しかし。

 ガガーランが力強く踏み込みジャンプすると装備している飛翔の靴(ウイングブーツ)の効果が発動し、信じられないほど空高く飛び上がる。

 

「うおぉっ!」

 

 だがモモンガにとっては対処出来ない動きではない。とりあえず魔法で迎撃しようと構えるが――

 

「不動金剛盾の術!」

 

「不動金縛りの術!」

 

 ティアがガガーランの前に盾を、ティナがモモンガの動きを止めるスキルを放つ。だがそのいずれもモモンガに対しては有効打とならない。

 

浮遊する剣群(フローティングソーズ)!」

 

 しかし僅かに動きの鈍ったモモンガの隙を突くように、後ろに控えていたラキュースが自身の背後に浮かぶ6本の黄金の剣を射出する。動きを制限し牽制にもなるそれを捌くのに意識を取られ、正面からのガガーランの攻撃に対して無防備になるモモンガ。

 咄嗟に後方へと大きく飛び退くことで回避を試みるが。

 

「いいぞ皆! 喰らえ《ドラゴン・ライトニング/龍雷》!」

 

 モモンガが後方へと飛び退くのを読み、そこへイビルアイが魔法を唱えていた。白い雷撃を腕に生じさせた後、モモンガに向かって放出する。

 第5位階に属するこの魔法はこの世界でも行使できる者は少ない強力な魔法である。他にいくつか特化型の魔法は使えるものの、どんな場面でも使えるこの魔法はイビルアイの切り札の一つである。

 動きを読み、完全に隙を突いて放たれた雷撃はモモンガを滅ぼすかと思われた。

 

(《ドラゴン・ライトニング/龍雷》? くそ、人数差があるからって…! わかったぞ…、ナメプってやつだな…! とはいえ今のレベルだと直撃したらダメージは免れないかも…、こうなったら…!)

 

 レベルダウンの為、高位の魔法は使えないモモンガ。下手に防御するよりは相殺して仕切り直しにした方がいいと判断し魔法を放つ。

 

「《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》!」

 

「なっ…!? あぁぁあああぁっ!」

 

 モモンガの両手からそれぞれ一本ずつ、のたうつ龍のごとき雷撃が打ち出される。それはイビルアイの《ドラゴン・ライトニング/龍雷》を容易く飲み込み周囲に稲光を迸らせながらイビルアイの身体に直撃した。

 絶叫を上げるイビルアイ。その身体から焦げ臭い匂いと煙が立ち込め、力なくその場に倒れ込む。

 

「あ、あれ? ダメージを受けてる…? こ、この人たちも最後だからって超位魔法でも撃ちまくってたのか…?」

 

 自分の魔法が通った事をそう解釈するモモンガ。もし相手が100レベルなら今のモモンガの攻撃など話にならない筈だからだ。

 

「イ、イビルアイッ!?」

 

「な、なんだ今の魔法はっ!」

 

 突然の事にラキュースとガガーランの動きが止まる。

 

「イビルアイの」

 

「仇っ!」

 

 だがティアとティナは即座にモモンガへ追撃のスキルを放つ。

 

「「多重・大瀑布の術!」」

 

 大量の水を吹きだすこのスキル。二人で同時に行使することでより高い威力を出すことが出来る。

 

(ま、まずいっ! よく見たらこの二人忍者じゃないか!? てことは最低60レベルはある筈…! 仮にその最低だとしても今の俺とさほど変わらないじゃないか! そもそもこの人たち五人組だし…! こ、ここは逃げるしかないっ!)

 

 相手との戦力比を読み、勝率が皆無だと判断するモモンガ。ナメプをされている今の内に逃げるしかないと考える。

 

「《エクスプロード/破裂》!」

 

 第8位階魔法。現在モモンガが使える最高の位階であり、これはその中の魔法の一つ。

 周囲の塀や壁を対象に発動したその魔法により、吹き飛ばされたそれらは瓦礫の山となり崩れ落ちる。

 

「くっ!」

 

 その大量の瓦礫によって大瀑布の術を防ぎつつ、道も塞ぐ。その隙にモモンガは一目散に逃げ出していく。あっという間にその姿は見えなくなった。

 

「ま、待てっ!」

 

 だが忍者であるティアとティナにとって瓦礫の山など何の障害にもならない。即座に追おうとするが――

 

「い、行くなっ…!」

 

 虫の息であるイビルアイが二人を呼び止める。

 

「イビルアイッ!」

 

「生きてた!」

 

「あ、あれぐらいで死ぬ程ヤワじゃない…! それに《ドラゴン・ライトニング/龍雷》で多少威力を弱められていたからな…」

 

 起き上がろうとするイビルアイをガガーランが支える。

 

「で、でもよ、さっきの魔法は何なんだ…? あんな魔法見た事も聞いたこともねーぞ…」

 

「わ、私も知らないわ…! 二つとも、知らない魔法だった…!」

 

 ガガーランも、そしてこの世界有数の第5位階の信仰魔法を使えるラキュースですら知らない。

 そしてこの世界で規格外の強さを誇るイビルアイとてそれは例外ではなかった。

 

「私も知らん…。第6位階までにあのような魔法は無かった…。つまりあれは…」

 

 イビルアイの言おうとしている言葉を誰もが察する。この世界で最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)と言われる逸脱者でさえ行使できる最高が第6位階。それが個人の限界であり、伝説の域だ。

 一般には第7位階以上は存在すると言われているものの、英雄譚や神話でその存在が確認されているだけに過ぎない。大儀式等を行使すれば第7位階の魔法を発動する事は出来るのだが、多くの者はそれすらも知らない。どちらにせよ個人で行使できる者は世界広しといえど表向き存在しないのだ。

 

「う、嘘だろ…?」

 

「だ、第7位階…? あれが…」

 

「それで済めばいいがな…」

 

 最後に発したイビルアイの言葉に誰もが恐怖に染まる。そう、第7位階より上が存在する以上、どこまで使えるかは彼女達には推し量れないのだ。あの化け物がそれ以上を扱う可能性もある。

 

「…作戦を変えましょう。討伐は不可能、まさか六腕があんな化け物を飼っているなんて…」

 

「いや、違う…」

 

 ラキュースの発言をイビルアイが止める。

 

「恐らくあれは…、デイバーノックじゃない…。もし奴がそんな実力を持っているなら六腕なんて下らん組織に身を置く理由などないだろう…」

 

「じゃ、じゃあ何だっつうんだよ…! あんな化け物がその辺にゴロゴロいるっつうのか…!?」

 

 ガガーランの言葉に誰もが同意する。突如、あんな訳の分からない化け物が出て来てはたまったものではない。

 

「一人、可能性のある奴がいるだろう…」

 

イビルアイの言葉に誰もが唾を飲む。

 

「私も詳しくは知らんが…、幹部たる十二高弟全員がアダマンタイト級の強さを誇る秘密結社。その頂点に立つ者ならばもしかして…」

 

「め、盟主…ズーラーノーン…!」

 

「あ、あれがそうだって言うのか…!」

 

 ズーラーノーンとは、盟主ズーラーノーンに従う十二人の高弟と、それに従う弟子たちによって構成される秘密結社。死霊術士(ネクロマンサー)やアンデッドを利用する魔法詠唱者(マジックキャスター)を中心に構成されており、世界で数々の悲劇を引き起こしてきた邪悪な魔術結社として各国で敵視されている組織だ。

 その長たる盟主はアンデッドだと言われている。

 

「分からん…。だが、もしそうなら…! あれだけの強さを持つのも頷ける…! ここまでとは思っていなかったが…」

 

「そ、それよりも問題はなぜその盟主とやらが王都に姿を現したのかだぜ…」

 

「前代…」

 

「未聞…!」

 

「これはもう王国だけの問題ではないわ…。世界を揺るがす一大事件よ…!」

 

 蒼の薔薇の面々に緊張が走る。

 第7位階以上の魔法を行使し、何よりもイビルアイを力でねじ伏せたのだ。それだけで世界規模の災厄だと断言できる。

 なぜならイビルアイの正体はかつて一国を滅ぼした伝説の吸血鬼『国堕とし』。

 外見こそ12歳相当だが、伝説と謳われる200年前の十三英雄と肩を並べて魔神と戦った歴史の生き証人。

 蒼の薔薇として名を連ねてはいるが彼女の実力だけは他の4人とは比べ物にならないほど抜きん出ている。人類最高峰の強さを持つアダマンタイト級すら子供扱いできる強さを持つイビルアイ。

 その彼女をもってして危険と言わしめる存在。

 

 間違いなく世界に未曾有の危機が迫っていると彼女達は考える。

 

 

 

 

 

 

 遠くから死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と蒼の薔薇の戦いを見ていた六腕の面々。

 そこにいた誰もが言葉を発せず立ち尽くすしか出来なかった。

 

「ボ、ボス、なんなんだよアイツは…! 訳わかんねぇ魔法使うし一人であの蒼の薔薇と渡り合うなんて普通じゃねぇよ!」

 

「うるせぇ黙れ!」

 

 弱音を吐くサキュロントを怒鳴りつけるゼロ。

 ゼロとて分かっている。魔法に関しては詳しくはないがアレは危険すぎる存在だと直感が告げていた。とてもではないが自分達の手に負える相手ではない。

 だが王国で事を起こすなら黙って見ている訳にはいかない。ここは八本指のシマなのだ。ここで好き勝手やられてしまっては自分達の面目は丸つぶれである。恐れを為して逃げるなど以ての外。何より今後の仕事に影響が出る。面子にかけても奴を放っておくことなど出来ない。

 

「今は退くぞ…、八本指の奴等とも話を付けねばならん…。それから…ん?」

 

 周囲を見渡すゼロ。そこには自分の部下である六腕が揃っているはずだ。

 この男サキュロントと、エドストレーム、ペシュリアン、マルムヴィスト。だが一人、数が足りない事に気付く。いないのはデイバーノック。

 

「デ、デイバーノックはどこだ!? どこにいった!」

 

「そ、そういえば…」

 

「いねぇな…」

 

「いないわね…」

 

 それぞれが周囲を見渡すがデイバーノックの姿はどこにもなかった。

 

「あ、あの野郎っ…! 探せっ! すぐにデイバーノックを探すんだ!」

 

 ゼロの叫びに慌てて4人が探しに走る。

 一人残ったゼロは静かな怒りを滾らせていた。

 

「くそ…! 今になって裏切るつもりかデイバーノック…。数々の恩を忘れたとは言わせんぞ…!」

 

 この状況で六腕の1人であるデイバーノックが抜けるのは痛い。ただでさえ戦力が足りないと思われる状況になった今、組織を抜けるなど許せるはずがない。

 何より魔法に焦がれているデイバーノック。己より優れた魔法詠唱者(マジックキャスター)がいれば六腕に見切りをつける事は想定していた。もう少し慎重に動くべきではあった。だが例のアンデッドがここまでとは思っていなかったのだ。

 あれは説得出来るような存在じゃない。全てを滅ぼす異次元の存在。

 

「くそがぁっ! ここは俺らのシマだぞ…? 好き勝手やらせてたまるか…! 殺してやるっ…! 誰だろうと邪魔者は殺すっ! 何が死者の大魔法使い(エルダーリッチ)! 魔法こそ強力であろうが接近してしまえばこちらものだ…! 六腕全員で挑めば勝機はある…! いや、俺ならやれる…!」

 

 自分の力に絶対の自信を持つゼロ。

 その拳は死の王にさえ届くと自負している。

 

 

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ…! 遠くで凄い音が…! お、遅かったか…!」

 

 裏路地を走っていくクライム。

 街の中心から雷が落ちるような轟音と何かが爆発するような音が聞こえた。遅かったかと苦悶するが、音のした周囲にまだ逃げ遅れた人達がいるかもしれない。少しでも多くの人を救う為にクライムは走る。

 だがそんなクライムの足に何かが当たった。

 立ち止まり足に当たった物へと視線を向ける。そこにあったのは大きな布袋。ゴミか何かかと思い、再び走り出そうとするクライムだがその布袋から出た細い枝のような手に気付く。

 慌てて近寄りその袋の口を大きく開ける。そこから出てきたのは見るに堪えない状態の女性。

 青い瞳は力なくどんよりと濁り切っている。肩まであるぼさぼさの髪は栄養失調の為かボロボロになっていた。顔は殴打によって醜く膨らみ、ひび割れた皮膚には爪くらいの大きさの淡紅色の斑点が無数にできていた。

 がりがりに痩せ切った体には生気の欠片も残っていなかった。もはや死体と見まごう程に酷い状態である。

 

 目の前の女性がどういう扱いを受けたのかすぐに思い当たるクライム。

 それと同時に激しい怒りが沸きあがった。奴隷として扱われ、性の捌け口にされた跡がいくつも残っていたからだ。

 ラナーの布令により、奴隷は解放されたはずだった。だが違った。現状は何も変わっていなかった。目の届かない所で、未だにそれは続いている。

 結局は法律で奴隷の売買を禁止しようともいくらでも抜け道があるのだろう。

 ラナーが民衆の為に必死で制定した法。それが無碍に扱われ、嘲笑われているようでクライムの胸が締め付けられる。

 だが今はすぐに例の現場へ行って民衆を避難させなければなるまい。かといって目の前の女性を放っておくこともできない。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)という生者を憎む恐ろしきアンデッドが今ここで人間に牙を剥いているというのに、影では同じ人間にここまで傷つけられている者もいる。

 それが酷く悲しくて、なんとも言えない無情感にクライムは支配される。

 何が正しくて、何が間違っているのか。

 誰が敵で、誰が味方なのか。

 クライムにはもう分からなくなってきていた。

 

 蛇足ではあるが、こうして酷い状態になった女性たちは裏路地に捨て置かれる。そして組織の下っ端達が深夜に回収し神殿等へと連れて行き、最低限の治療を受けさせる。八本指と繋がりのある聖職者に袖の下と共に治療させる為、公式な記録は一切残らない。

 ちなみに治療不可、あるいはかなりの費用がかかる場合は廃棄処分となる。今回がどうなったかは知りようがないが、この混乱の中では回収する者達も来るはずがない。必然的にこの女性はただここに捨て置かれるままとなっていた。

 

 次第にクライムの腕に抱かれていたその女性の息が弱くなっていく。

 放っておけば死ぬ。そう確信したクライムは必至に声をかける。

 

「ダメだ、死んじゃダメだ! す、すぐに神殿に連れて行きますから…!」

 

 だが言って気付く。

 深夜でも緊急の場合には神殿は対応してくれる。だが今のこの状況で神殿がまともに機能しているとは思えない。しかし腕に抱いている女性は今も刻一刻と死に近づいている。少しの猶予も無い。そもそも連れていく時間があるかさえ疑わしい。

 

「し、死ぬなっ! 死なないでくれっ!」

 

 罪の無い人が死ぬなんて耐えられない。だが無理だ。きっとこの女性は死ぬ。助ける手段など何もない。弱く無力なクライムにはただそれを見ていることしか出来ないのだ。

 そうしてクライムが絶望の底に沈んだ瞬間、突如背後に強烈な気配を感じた。

 

 生きとし生ける者全てを憎むかのような禍々しい気配。

 そこにいるだけで魂が吸われるのではないかと錯覚する程の恐怖。

 

 咄嗟にクライムは後ろを振り向く。

 

 そこにあったのは絶対的な死。

 神々しくも恐ろしい、この世の美を結集させたようなローブを身に纏っている。

 白骨化した頭蓋骨の空虚な眼窩には、濁った炎のような赤い煌めきがあった。

 

「あ…、あぁぁぁ…!」

 

 この世全てを滅ぼし奪うもの。それが目の前にいた。もしかして彼女を迎えに来たのだろうか?

 だがそれは彼女だけでなく、あらゆる者を死に導くように感じられた。朧げに自分の未来を察してその場にへたり込むクライム。抗える筈が無い。生命である以上、誰もそれからは逃れられないのだから。

 まるで異界から闇と共に生まれ落ちたような濃密な悪意を撒き散らしながらそれがクライムを見下ろす。

 何と形容していいか分からない。だがただ一つ、それを表すに相応しい言葉があるとすれば――

 

 

 死の神、そう呼ぶべきだろう。

 

 

 その骨だけの手がクライムへと伸ばされ――

 

 

 




デイバーノック「六腕なんかにいる場合じゃねぇ!」

前作を書いていた時から書きたかった話にやっと手がつきました。
やっぱり大好きモモンガさん!
とはいえ今回は前作より更新頻度が落ちると思います…。
ど、どうかお許しを…! ビクビク


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不死の王

前回のあらすじ

ユグドラシル最終日に超位魔法を連発してレベルダウンし異世界転移するモモンガさん。
転移した先は人間の王国! だがアンデッドである彼が元で大混乱が起き…!?


00:00:00、01、02…

 

「ん?」

 

 サーバーが落ちる様子が無い。訝しんだモモンガは目を開ける。

 すると目の前に広がっていたのは――

 

 光り輝く夜の街。

 

 壮観、そう呼ぶ程に贅沢な街並みでは無いが、庶民の生活や活気が感じられるような場所だ。詳しい時間は分からないものの、深い夜でありながら人通りはそこそこある。道には数々の店が立ち並び、いくつか夜店のようなものも営業している。

 

「な、なんだこれ…。俺は沼地に、ナザリックの近くにいたはず…。一体ここは…!?」

 

 何か不具合がユグドラシルに起きたのかもしれない。もしそうならGMが何かを発表している可能性がある。モモンガは慌てて遮断していた回線を再度繋ぎなおそうと試みるが――

 コンソールが浮かび上がらない。

 

 モモンガは焦燥と困惑を感じながら他の機能を呼び出そうとする。どれも一切の感触が無い。まるで完全にシステムから除外されたかのように。

 

「ど、どういうことだ…?」

 

 今日は最終日。全ての締めとなる日にこんな事態とはユーザーを馬鹿にしているとしか思えない。ログアウトも出来なければ、不具合かバグの影響なのかどこかに飛ばされ現在地の確認さえ出来ない。

 仕方なく周囲を歩く人々を見る。最初はNPCかとも思ったのだがどうもそんな感じがしない。

 

(皆プレイヤーか? 慌てていない所を見ると不具合が起きたのは自分だけ…? 皆は現在の状況を把握しているということか…? それに見た事も無い装備ばかりだな…。モブっぽい服ではあるが種類が多すぎる…。新しいバージョンが来てもやり込んでいなかったしそれ系か…。というか今は一般人のロールプレイが流行っているのか?)

 

 どう考えてもそんな筈はないのだが、あまりにあり得ない光景にモモンガの理解が追い付かない。

 

(わ、分からない…。もろもろ含めてその辺の人に事情を聞くしかないか…。あー、実はユグドラシル2が始まってるとか新しいアプデが来てるとかで自分だけ知らないみたいなオチだったら恥ずかしいな…)

 

 呑気にそう考えながらモモンガは近くの店の前で談笑している二人組の男に話しかけることにする。

 

「すいません、ちょっといいですか? 実は私、現在の状況が把握できていないんですがサーバーダウンは延期になったのでしょうか?」

 

「え……!?」

 

「あ……!?」

 

 モモンガの顔を見た二人の男の顔色が見る見るうちに変わっていく。少し待っても返事が返ってこないのでモモンガが再度問いかける。

 

「コンソールが開かないんですが私だけですか? それとも皆さんそうなのでしょうか? もしそうだとするならばGMコール等はどうやって行えばいいんでしょうか?」

 

「……!」

 

「……!」

 

 二人の男は口をパクパクとさせている。あまりに違和感のあるリアクションに流石のモモンガも少しおかしいと感じる。

 

「あれ? やっぱりここは異形種が入っては駄目な場所だったりするんですか? 確かに周囲には人間種しかいなそうな…。てことはやっぱり不具合なのか…? まいったなぁ…」

 

 頭をポリポリと掻くモモンガ。この二人のリアクションからすると自分だけ何かおかしい事態になっているのではと推測するが――

 

「ア、アンデッドだ! アンデッドが出たぞ!」

 

「た、助けてくれ! 何か訳の分からない魔法をかけられた! い、嫌だ、死にたくない!」

 

 そう叫び出した男達は喚き散らしながら逃げていく。

 

「え、ちょ、ちょっと…」

 

 モモンガの制止を振り切りあっという間に逃げ出す男達。もちろん周囲にいた他の者達の視線はその原因となったモモンガへと突き刺さる。次の瞬間、街に震えるような絶叫が響いた。

 

「うわぁあぁあぁぁぁぁ!」

 

「なんでこんな所にアンデッドが!」

 

「ぼ、冒険者、冒険者を呼んで!」

 

「し、知ってるぞ、あれは死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ! 皆すぐに離れろ! 魔法を撃たれるぞ!」

 

「ま、魔法だって!?」

 

「な…! さ、さっきの男達が魔法をかけられたと言っていたぞ!」

 

「おい、聞いたか!? 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が魔法を撃ってるらしいぞ!」

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が人を襲ってるらしい!」

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が人間を殺してまわっているらしいぞ!」

 

 一瞬にして街は混乱の極みに達し、尾ひれが付いてその話は爆発的に広がっていく。それがより大きなパニックを引き起こし、あっという間に恐怖は王都中に伝播していく。

 実際に本物の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が王都の中に現れていてもこうなっていただろう。それ程に人々にとって死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは危険な存在なのだ。

 

 冒険者を基準に考えれば白金(プラチナ)級では厳しく、ミスリル級ならば勝算ありというもの。

 冒険者のランクは一番下の(カッパー)から順番に、(アイアン)(シルバー)(ゴールド)白金(プラチナ)、ミスリル、オリハルコン、最高位のアダマンタイトと8種類が存在する。

 下から二番目である(アイアン)の時点で専業の兵士に匹敵する強さを持つと言えばその強さが分かるだろうか。(シルバー)であれば人よりも遥かに強い亜人種とすら渡り合える。

 (ゴールド)白金(プラチナ)を経て、ミスリルとなればもはや一流の冒険者だ。オリハルコンなどはその上の超一流であり、冒険者として語り継がれる域なのだ。

 そしてアダマンタイトはもはや英雄。ほんの僅か一握りの者のみに許された頂点中の頂点だ。その名は世界中に轟く。なにせアダマンタイト級は一つの国に1~3パーティ程しかいない。都市の数、人口の多さを考慮すればそれがいかに少ないかは理解できるだろう。

 オリハルコンと言えどせいぜいその倍か少し多いくらいしかいない。都市単位でいえばオリハルコン以上の冒険者がいないことも珍しくない。オリハルコンでさえ、それ程に希少な存在。彼等は特殊な任務に就くことも多く、一般的な依頼を受ける事は少ない。

 

 故に、その次に位置するミスリル級こそが融通の利く冒険者として基本的な最高水準の者達である。その数は一つの都市に最低でも1パーティはいる程度には浸透している。

 そのミスリル級で勝算ありならばさほど死者の大魔法使い(エルダーリッチ)を恐ろしいと感じないかもしれない。だが先ほど述べたようにミスリル級とは一流の冒険者。その彼らがパーティを組んで倒せるというレベルなのだ。

 死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はミスリル級の個人に匹敵する強さを持つ。だが人間と違い魔法を連射できるという点や、耐性の違いから同程度の力量であれば人間はまず勝てない。

 一流の冒険者であるミスリル級のチームで勝算が出る相手、それが死者の大魔法使い(エルダーリッチ)なのだ。

 さらに外であるならばともかく、街の中であれば人々を守りながら戦わなければならないだろう。逃げる者達も誘導しなければならない。その状態でまともに死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦えるだろうか。

 つまり倒すだけならばともかく、街や人々に被害を出さずに倒すとなれば、個人で強さを上回るオリハルコン級以上でなければ苦しいだろう。ハッキリ言うならば、そのランクの者達が動かなければ街への被害は食い止められないということだ。

 だがここまでの話は全て、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)として最低限の強さだった場合の話だ。

 ほとんどの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)はこの評価前後の強さで間違いないだろう。だが絶対ではない。中にはそれらを遥かに凌駕するアンデッドさえ存在するのだ。

 そうなった場合、アダマンタイト級ですら無事に事態を収められるという保証はない。人間の都市に単身現れるアンデッド、それが並のアンデッドの筈はないのだから。

 

 さらに文字通り王都は王の直轄地でもあり、誰もここが中から襲われるなど想定していない。王都を囲む塀は頑強で巨大だが外からの攻撃に備えるものだ。当然、中からの攻撃を防ぐ事など出来ない。

 都市内を巡回している兵士もいるが夜であればその数は多くない。冒険者達とてこの都市内でアンデッドと即座に戦えるような準備を整えている者は少ない。

 

 そして引き起こされたこの大混乱。

 あまりの事態に兵士も冒険者も一先ず目の前の民達の避難を誘導せざるを得ない。現場に行く以前に、押し寄せる人々や通れなくなった通路の為、その場所を特定することも難しい。何が起きたのか多くの冒険者が正確に把握できないまま、現状の処理に追われてしまうことになる。

 結果。王都に突如として現れた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)に対して冒険者達の多くが後手にまわってしまった。それを少しの時間であれど野放しにしてしまったのだから。

 

 一歩間違えればこれは歴史に名を残す大惨事になる。

 

「な、なんで皆逃げるんですか!? ちょ、ちょっと話を聞いて下さいよ! 本当に困ってるんです!」

 

 モモンガが逃げ惑う人々を追いかけながら声を張り上げる。

 追われる身となった人々は泣き叫び、喚き、中には糞尿を漏らしてしまう者まで出た。

 平穏な日常が一変し、気がつけば生者を憎むアンデッドに追われる人々。そんな彼等の恐怖は察するに余りある。すでに寝静まっていた者達さえ飛び起き、事態を飲み込むと誰もが着の身着のまま外に飛び出していく。深夜でありながら王都中の人々の叫びが木霊する。

 

 だが人々の恐怖はここで終わりではなかった。

 

「な、なんなんだよもう! さっきからずっとコンソールは使えないし! GMコールもきかない! サーバーダウンは!? そもそもここはどこなんだ! 沼地は!? ナザリックは!? それにここは人間の町!? 異形種である俺はペナルティで入れないんじゃないのか! 事情を聞こうとしてもなぜか皆逃げていくし!」

 

 自分の身に起きた事を理解できず嘆くモモンガ。

 やがてその目の前に王国最強の冒険者チーム、アダマンタイト級の『蒼の薔薇』が姿を現す。

 それを見た人々の心に光が差した。

 

「蒼の薔薇だ…! 蒼の薔薇が来てくれたぞ…!」

 

「アダマンタイト級冒険者が来てくれればもう安心だ!」

 

「やった…! 助かったんだ!」

 

 誰もが助かったと胸を撫で下ろし、蒼の薔薇の英雄譚を直接目にできると胸が高鳴る。

 だが。

 

「《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》!」

 

「なっ…!? あぁぁあああぁっ!」

 

「イ、イビルアイッ!?」

 

 現実はその逆だった。

 戦いの末、彼女達の猛攻を難なく退けたアンデッドが放った魔法により蒼の薔薇の1人が倒れる。

 その後アンデッドは周囲の塀や壁を破壊し姿を眩ますが蒼の薔薇はそれを追える状況ではなく、肝心のアンデッドの消息は未だに掴めていない。

 なにより、人々の希望である蒼の薔薇。王国最強のアダマンタイト級冒険者である彼女達をもってして取り逃す相手、つまり彼女達の手にすら余る化け物。それが人々が目の当たりにした現実だ。

 

 それを理解した瞬間、人々の叫びはさらに大きくなり王都を震わせる。

 この日、王都の誰もが絶望のドン底に叩き落されたのだ。

 

 

 

 

 リ・エスティーゼ王国では王派閥と貴族派閥が対立し様々な弊害が出ている。一言で言うなら王国の腐敗の原因と言ってもいい。

 王派閥はまだまともではあるが対立する貴族派閥の力が大きすぎるのだ。上級貴族の多くは選民意識が強く領民を大事にしていない。さらには八本指などの裏社会と結託し私腹を肥やしている者までいる。

 それが王国の現状だ。

 

 その王国において最も大きな力を持つ貴族『六大貴族』の一人で、王派閥と貴族派閥のどちらにも擦り寄るように立ち位置を変え飛び回る姿から『蝙蝠』と揶揄されている貴族、エリアス・ブラント・デイル・レエブン侯。

 彼は今、決断を迫られていた。

 

「う、ぐぅぅ…!」

 

 一枚の手紙の前で彼は頭をかきむしる。

 この深夜に早馬で届けられた手紙の送り主はラナー王女。早い話が部下を使ってクライムを助けてくれという内容だ。

 それは不可能ではない。不可能でないのだが。

 

「ラナー王女…! 彼女に恩を売り繋がりを持つのは非常に大きなメリット…! だがしかし…!」

 

 レエブン侯が部下に持つ元オリハルコン級冒険者達を使えばそれは難しくないだろう。

 だが今、この王都で起きている問題は当然レエブン侯の耳にも入っている。『蝙蝠』と揶揄されるくらいに多くの者からは愛国心の欠片も無い人物だと思われているがその実、誰よりも国の現状を憂い、国の為に働いている数少ない真の忠臣なのだ。

 そんな彼にとっても一つだけ譲れないものがあった。

 5歳になる我が子である。

 

 現在、王都を訪れるにあたって王都内の親戚の家に嫁と一緒に預けているのだが。

 

「くそっ…! 私はどうすれば…!」

 

 この騒ぎのせいで連絡が途絶えているのだ。

 我が子の安全の為に即座に元オリハルコン級冒険者達を送り出そうとした矢先、ラナー王女からこの手紙が届いた。

 文面を見る限り、ラナー王女の側付きの兵士であるクライムは現場へと向かったらしい。ならば間違いなくその身に危険が降りかかるだろう。王国戦士長が不在の今となってはこの王都内で動ける兵士は少ない。いても末端の者ばかりだろう。戦力になるとは思えない。

 その反面、あくまでレエブン侯の子供は連絡が付かなくなっているだけでその身は危険かどうかは不明だ。親戚の者達もいるし恐らくはこの混乱で連絡が途絶えているだけでその身に危険は迫っていないと信じたいが絶対ではない。

 

「国を取るか、我が子を取るか…!」

 

 ここでラナーに恩を売れれば王派閥とさらなる繋がりができ、今後の国の為に出来ることが多くなる。そうすれば王国をより良い方へ導きやすくなるだろう。それは間違いなく国の為になると断言できる。

 それに対して、危険が迫っているか不明な我が子の為に戦力を割くか否か。だが父親として、何より愛する我が子の為には保険などいくらかけても惜しくはない。

 だが今は二者択一のような状況になってしまっている。

 確実に恩を売れ国の為になる方に張るか、あくまで保険の為に我が子を守らせるか。

 部下の元オリハルコン級冒険者を二手に分けるというのも考えたがそもそも盗賊系であるロックマイアーがいなければ人探しすらままならない。さらに王都を襲っているアンデッドが予想を上回る強者であった場合、戦力を分けることにより最悪の可能性すら出てくる。

 両方を得ようとして両方を失う。それはレエブン侯にとって最悪の結果だ。両方を取れる可能性もあるが、最悪の場合の被害が大きすぎる。ここはどちらか一方に張るしかない。

 とはいえ事が起きたと思われる現場、そして親戚の家の場所を考慮すれば必然的に見えてくる。

 

 そしてレエブン侯が出した結論は――

 

 

 

 

 深夜の街を一匹の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が疾走していく。

 深々とマントを被る事でその顔を隠しているがそれだけだ。ちゃんと見ればアンデッドであるとすぐに看破されるだろう。今は身をしっかりと隠す準備をしていなかったのだ。だが彼にとってそんなことは問題ではない。今は何よりも優先しなければいけないことがあるのだから。

 とはいえ表の通りは人間達でごった返しており近寄ることは出来ない。辛うじて人通りの少ない裏路地を選んでいく。偉大なる死の神の魔力の残滓を追いながらデイバーノックは必死に駆けていた。

 街の混乱もそうであるが、より暗い裏路地である事も相まって多少のすれ違う人間達にはバレずにデイバーノックはやり過ごせていた。

 しかしそれも長くは続かない。

 

「ま、待て貴様!」

 

 突如、デイバーノックへと声がかかる。渋々と振り向いてみればそこには年老いた五人組の男達がいた。戦闘準備は万全と言わんばかりの冒険者達だ。そして年老いたと言っても決して弱者ではない。侮ってはいけない相手だとデイバーノックは考える。

 

「ど、どうしたんだよロックマイアー。今はこんな奴に関わっている場合じゃ…」

 

「こいつだ…!」

 

「なん、だと…!?」

 

「足音が違う…! 気配が違う…! こいつ…、人間じゃないっ…!」

 

 ロックマイアーと呼ばれた男が仲間の言葉にそう答える。それを聞いた仲間の四人がすぐに武器を抜き放つ。

 即座に正体を看破されたデイバーノックは戦いを避けられないと判断し身構える。

 

「フフフ、よくぞ見抜いたな人間…! だが今は急ぎの用事があるのでな…。追わないと約束するなら見逃してやるが…、どうだ…?」

 

 墓の底から響くような、生ある者全てを飲み込むような低い声が響く。同時にフードの下から骸骨だけの白い顔が垣間見える。すぐにこの五人組はこいつこそが今回の事件の元凶だと判断する。

 

「呑むと思うかアンデッドが!」

 

「まさかこんなとこで会うとはな…!」

 

「おい、任務はクライムとかいうガキを助ける事だろ? 放っておいていいのか?」

 

「バカ、目の前に元凶がいるんだからここで叩けば終わりだ」

 

「どちらにせよここで足止めしないと他に被害が出る、やるぞ」

 

 レエブン侯の指示の元で動いていた元オリハルコン級冒険者達はデイバーノックへと襲い掛かる。

 だがデイバーノックとて顔を合わせた瞬間、戦いになる事は察していた。すでに周囲の環境、そして相手の武器や装備から誰がどういう役職なのかも見抜いている。

 戦いには備えていたものの、咄嗟に戦わなければならなくなった者達と最初から不意の事態を想定していたデイバーノックとの差はすぐに出た。

 彼等が動いた瞬間、前衛である戦士職の男へと向かってデイバーノックが魔法を放つ。

 

「《ファイヤーボール/火球》!」

 

 細い路地裏では満足に避けることは出来ない。すぐに物陰に隠れやり過ごそうとするが――

 

「馬鹿が、所詮は人間よ…」

 

 デイバーノックは間髪入れずに次の《ファイヤーボール/火球》を放つ。次は物陰に隠れた男の頭上に位置する二階の窓付近目掛けたそれは近くの花が生けられたプランターへと直撃する。周囲の崩れたレンガと共にいくつものプランターが男目掛けて落下してくる。

 

「く、くそっ!」

 

 アンデッドであり夜目が利くデイバーノックと人間では周囲への観察力が違う。盗賊職であるロックマイアーだけは違うが他の四人はそうではない。前に出た戦士職の男が頭上から降り注ぐモノに注意を向ける間、魔法詠唱者(マジックキャスター)であるデイバーノックが逆に距離を詰めてくる。

 

「なっ…!?」

 

「馬鹿なっ!」

 

 セオリー通りでないデイバーノックの動きに誰もが虚を突かれる。一番驚いたのは裏に回ろうと動いていたロックマイアー。距離を取らねばならない魔法詠唱者(マジックキャスター)がまさか単身にも拘らず詰めてくるなど想定の範囲外だったのだ。その為に仲間への援護が遅れた。

 

 最初に炎に包まれたのは前衛の男。物陰には隠れたものの頭上から落ちてくるレンガやプランターに気を取られている内に一気に距離を詰めてきたデイバーノックに至近距離で魔法を放たれ戦闘続行は不可能な状態に陥る。

 次に打撃武器を持つ男が殴りかかるがそれを見越していたデイバーノックが同時に《ライトニング/雷撃》を放つ。防ぐ手段の無い打撃の一撃は喰らってしまうがそれは甘んじて受けるしかない。ここで下手に引いたりするほうが悪手だと考えるデイバーノック。

 一直線に貫通する雷撃が後ろの男もろとも巻き込み一気に二人を倒すことに成功する。

 

「ぐ、むぅぅ…」

 

 肩あたりに直撃した一撃で相応のダメージは負ったものの、引き換えに二人を倒したのだから悪くないと判断するデイバーノック。

 人数差とは戦いにおいて決定的だ。時としてそれは格下が格上さえも飲み込む事を可能としてしまう程、戦いにおける最高のアドバンテージとなる。ダメージと引き換えにそれを潰せるなら安いものなのだ。

 そして斜め前に位置している魔法詠唱者(マジックキャスター)の男が慌てて《ファイヤーボール/火球》を放つが炎に対して耐性を持つマントを装備しているデイバーノックには致命傷にならない。デイバーノックも同様に《ファイヤーボール/火球》を放つ。

 それを防ごうと構える魔法詠唱者(マジックキャスター)の男へと一気に駆け寄り持っている杖で殴りかかる。放たれる魔法と共に距離を詰めるデイバーノックに驚き杖の一撃をまともに受ける。当たり所が悪かったのか、魔法は防いだもののその一撃で魔法詠唱者(マジックキャスター)の男は意識を失ってしまう。

 あっという間に残りの一人となったロックマイアーの額に汗が流れる。

 野良の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は討伐経験があった。故に今回も恐るべき敵だが後れは取らないと判断していた。

 だがそうではなかった。

 目の前にいる死者の大魔法使い(エルダーリッチ)は過去ロックマイアーが遭遇したどのアンデッドよりも遥かに強かった。自分の強さを、弱点を把握しており、尚且つ目的の為に危険を冒すことさえ厭わない。

 人間の動きすら熟知しており、何をすればいいのか、何をされてはいけないのかを理解しているように思えた。こういう相手は強い。ハッキリ言って最悪と言い換えてもいい。生来持つ強さに溺れずに冷静に判断する知性を持っている。

 

 だがそれも当然であろう。

 人間社会で生きてきたデイバーノックは野良の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)とは違う。多くを学習し、人間という種をより理解している。脆弱であると思う反面、人間の強さへの理解もある。

 何より魔法に焦がれているデイバーノック。危険と隣り合わせの人間社会に潜み、ひた向きに魔法を習得する為に動いてきたのだ。中には自分よりも魔力の弱い人間に魔法を請う事もあった。

 だがそれでいい。強さ等は彼の求める最終地点ではない。より多くの魔法を、ゆくゆくはその深遠を覗きたいと考えている。強さなどはその付加価値に過ぎない。

 その甲斐もあり、今やアダマンタイト級に匹敵する強さを持つまでに至ったデイバーノック。驕らず、ただひたすら貪欲に。それが今の彼を作った。

 野良の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)がミスリル級の強さを持つ事を考えれば、これがどれだけ凄いかが理解できるだろう。

 六腕最強のゼロでさえ、デイバーノックがこのまま魔道を極めていけばいつかは全ての生命を滅ぼす存在になり得る可能性を秘めていると考える程なのだ。

 

 不死王デイバーノック。

 

 王国広しと言えども表の世界で彼を止められるのはアダマンタイト級の冒険者、あるいは戦士として王国最強と名高い王国戦士長くらいか。

 だがアダマンタイト級である蒼の薔薇はすでに別の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と遭遇し返り討ちに、そして王国戦士長は現在辺境の任務に飛ばされている。

 この状況で一体誰が彼を止められるというのか。

 

「うぅぅう…!」

 

 一人残され目の前の敵に為す術もなくなったロックマイアーは唸るしか出来ない。

 しかし戦闘の音が響いたのだろう。人の気配が近づいてくるのを感じるロックマイアー。

 

「ふん…、他の冒険者共か…? フフ、運が良かったな…」

 

 それに気が付いたのはデイバーノックも同様。夜の闇に溶け込むように姿を消すそれをロックマイアーはただ見ているしか出来なかった。やがてデイバーノックの気配が消えた後、慌てて倒れている仲間達に駆け寄る。

 年老いたとはいえ腐っても元オリハルコン級冒険者。幸い、ギリギリの所で致命傷は避けており、4人とも命は失っていなかった。その事にロックマイアーは安堵するも、レエブン侯の任務は続行不能だと判断する。

 

 王都を襲った混乱はまだまだ続くだろう。

 なぜなら元オリハルコン級冒険者チームすら個人で壊滅しうる恐るべき死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が街に潜んでいるのだから。

 

 

 

 

「あ…、あぁぁぁ…!」

 

 裏路地で瀕死の女性を抱えたままへたり込むクライム。

 目の前にいる絶対的な死が、死の神とも形容すべきアンデッドがクライムへと手を伸ばしたからだ。

 間違いなく命を奪われる、そう確信したクライムだったが――

 

「な…、ちょ…! だ、大丈夫ですか!? その女性瀕死じゃないですか! そこまで酷い状態初めて見ましたよ! アプデか何か知りませんがリアルすぎでしょ!」

 

「え…?」

 

 訳の分からない事を呟くアンデッド。もちろんクライムには何を言っているか判断できないが予想していたものと違う声の感じに戸惑う。

 慌てた様子で懐から何かを取り出すアンデッド。それは意匠の施された高価そうな小瓶だった。中には血を思わせる真っ赤な液体が満ちている。

 

「もしかしてユグドラシル初心者の方ですか? とりあえずこれどうぞ。死んじゃうとせっかくの装備とかドロップしちゃいますしね。あとこの辺PKする人がいるから気を付けた方がいいですよ。私もさっきそこで襲われました」

 

 死にそうな状態にも拘らず回復せず途方に暮れている感じから多分ユグドラシル最終日だからと遊びにきたエンジョイ勢なのだと判断するモモンガ。魔法でHP量を見てみると、残りHPだけでなく最大HPがあまりに少なかったからだ。女性だけでなく男性の方も高くない。

 

「え…? えぇ…!?」

 

 差し出された小瓶とモモンガの顔を交互に見ながらクライムの頭は混乱に包まれる。何が起きているのか全く判断が付かない。命を取られるどころか何かを差し出しているアンデッドの姿に理解が追い付かない。話の節々の理解できる部分だけを繋ぎ合わせると助けてくれそうな感じにさえ受け取れる。

 だがそんな筈はない。相手は生者を憎むアンデッドなのだ。この禍々しい色をした液体で何らかの実験をするつもりなのだろう。もしかしたら人をアンデッドにしてしまう薬か何かなのかとクライムは訝しむ。

 対していつまで経ってもそれを受け取らないクライムにモモンガはやっと合点がいったように頷く。

 

「ああそうか、すみません。もしかしてポーションを知らないんですか? これは減った体力を回復するモノなんですよ。私がやるから見てて下さい、ほらこんな感じに」

 

 小瓶の口を開け、瀕死の女性へと中身をふり掛けるモモンガ。すぐにそれを阻止しようとクライムは考えるがあまりの恐怖に体が動かなかった。そして見す見すモモンガの凶行を許してしまう。その事に恥じ入りつつも慌てて謎の液体をふり掛けられた女性を見やるクライム。

 すると。

 

「そ、そんな…!」

 

 信じられない光景だった。

 まるで高位の魔法か何かのように瞬時に女性の傷が癒えていく。

 ぼさぼさだった髪はツヤを取り戻し滑らかに。殴打によって醜く膨らんだ顔は瞬く間に小さくなっていく。ひび割れた皮膚と爪くらいの大きさの無数にあった淡紅色の斑点があっという間に消えていく。

 やせ細った体はそのままだが、死体と見まごう程に酷い状態であったのが嘘のように綺麗になっていく。

 ここにきてやっと年齢が判別できるようになった。恐らくは十代後半だろう。外見的には美人というより愛嬌があるという言葉が似合いそうな女性だ。だが地獄であったろう日々がその顔に影を落としているようにも思える。

 瞬時に様々な思いが去来するクライム。

 喜ばしいと思う反面、謎の劇薬によって齎されたこの結果に一抹の不安を隠せない。

 

「こ、これは…、ふ、副作用とか…、そういったものはないのでしょうか…?」

 

「え、副作用? ないですけど。ただのポーションですし…」

 

 ただのポーションな筈がない。ポーションの色は青だ、赤など聞いたことがない。それを口に出そうと思ったがここでそれを否定してもどうにもなるまい。問題は目の前のアンデッドが何を思ってこれを為したか、だ。

 

「あ、悪魔は…」

 

「?」

 

「悪魔は人の魂を対価にどんな願いも叶えるといいます…、ま、まさか貴方は悪魔なのですか?」

 

 恐る恐るそう口にするクライム。噂程度に囁かれる類の話だが今はそうとしか思えない。この女性の魂を、あるいは命を対価に何かを要求するつもりなのかもしれない。クライムはそう考える。

 

「悪魔? 何言ってるんですか、私の種族はアンデッドですよ? やだなー、もう」

 

 そう答えるモモンガの顔は骸骨なので判断は付かないが笑っているようにクライムには思えた。

 心の中で「いや知ってるしそうなんだけど言いたいことは違う!」と突っ込みたいがそんな度胸は無い。

 

「も、目的は…、目的は何ですか…? な、何が望みでこんなことを…?」

 

 とはいえこのままでいる訳にもいかない。これを聞いておかなければ後でどんな無理難題を言われるか分かったものではないのだ。だがそんなクライムの不安を吹き飛ばす信じられない事を目の前のアンデッドは口にした。

 

「困っている人がいたら助けるのは当たり前、ですよ」

 

「……!」

 

 人からの受け売りですけど、と続けるアンデッド。だがクライムは頭を鈍器で殴られたような衝撃を覚えた。そんな理想論をアンデッドが口にするとは想像もしていなかったからだ。

 思い返してみると最初からこのアンデッドは物腰が柔らかかった。それに、騙されているかもしれないという前提付きではあるが目の前のアンデッドが嘘を言っているようには思えなかった。本当にこちらの事を心配しているような、そんな素振りさえ感じたのだから。

 そもそもこの女性を酷い目に遭わせたのは人間だ。王国は腐敗し、一部の人間が他の人間を喰い物にしている。王国戦士長のような素晴らしい人間もいれば特定の貴族のように腐り切った人間もいる。

 そこで僅かな、あり得ない可能性にクライムは思い至る。

 アンデッドの中には高い知能を持ち、人間と取引する者もいるという。もしかしたら、もしかしたらだが。人を襲わないアンデッド、そういった存在がいてもおかしくないのかもしれない。

 

「というよりどうしたんですかこの女性。モンスターにやられたような傷には見えませんでしたけど」

 

 アンデッドの問いに思わずクライムは目の前の女性が受けていただろう仕打ちを口にしてしまう。

 酷い労働環境、あるいは口に出せないような仕事等について。そして王国の現状ではどうしようも無い事など。気のせいかそれを話していくうちに目の前のアンデッドが異様な気配に包まれていくように感じるクライム。

 次にクライムが耳にしたのは正真正銘、アンデッドに相応しい世界を呪い殺すかのような恐ろしい響きだった。

 

「ゲームの中でまでそんな事をしている奴がいるのか…!? しかもよく分かっていない初心者を狙って…! これじゃまるで現実世界(リアル)のブラック会社と同じじゃないか…! いや、それよりも酷い…! ここは楽しい幻想を味わう場所だろ! GMは、運営は何をやっているんだ!」

 

 モモンガの骨だけの手が拳を作り、わなわなと震えている。

 それがどれだけ前から行われていたのかは知らないが、現在このような不具合を発生させる運営だ。管理もズサンだったのかもしれないと考える。

 途中から目の前の男の話をよく聞いていなかったがどうやら無理やり働かせているらしいということは分かった。しかも言う事を聞かなかったり、あるいは仕事の最中に遊びで殴られたりするらしい。

 酷すぎる。

 こんなのは人間のやる事じゃない。

 だが昔からネットの中でも、いやネットの中だからこそ内なる人間の悪意が渦巻いていた。モモンガが知らなかっただけでユグドラシルでもそういった悪意が渦巻いていたのかもしれない。

 激しい怒りに支配されるモモンガだがなぜか急にその怒りが抑制されるのを感じる。キレすぎて冷静になっちゃうやつだな、とか思って納得する。その証拠にじわじわとした怒りは未だモモンガの中で燃えているのだから。

 

 冷静さを失っているモモンガがここが現実だと気づくのは今しばらく後の事になる。今は自分の楽しんでいたこの世界を汚されたような感覚に支配されてそれどころではないのだ。

 

「どこにでも人を弄ぶ連中ってのはいるんですね…。すいません、その人達はどこにいるんですか?」

 

「え…? あ、いや、分からないです…。あ、怪しい場所くらいなら思い当たりますが…」

 

「ちょっと私が説教してきます。案内してもらえませんか?」

 

「せっきょう…? え!? 説教!? ど、どういうことですか!?」

 

「大丈夫です、貴方に迷惑はかけませんから。案内だけしてもらえればいいです。まぁ相手はカンストしてるでしょうから戦いになったら殺されると思いますがそれでも文句の一つくらいは言いたいです。私もこの世界長い事やってますし…、1ユーザーとしてそういった人たちを見過ごせませんよ! 別にもうデスペナとかも怖くないですしね」

 

「デ、デスペ…? え!?」

 

 何を言っているのか理解できないクライムだが目の前のアンデッドが本気なのだということだけは理解できた。見ず知らずの女性を助けただけでなく、今度はその元凶に文句を言いにいくという。

 何が起きているのかどうしてこうなったのか、そもそもこのアンデッドの目的は何なのか。いずれもクライムの経験からかけ離れ過ぎていた為にクライムの頭は回答を導き出すことが出来ずにいた。

 そして深夜の街中を女性を抱えたままアンデッドと行動するというよく分からない事態にクライムは陥る。

 何かもう自分の価値感全てが崩れ去りそうな状態であった。

 しかも話によると長い時を過ごしているアンデッドらしい。不死であるアンデッドが長いというから相当なのだろう。まだ年若いクライムに推し量れなくても当然かもしれない。かろうじてそう自分に言い聞かせ自我を保つクライムであった。

 

 

 

 

 八本指のアジト。

 緊急事態でありながらも現在ここには8部門全ての長が顔を出していた。彼等はテーブルを囲み誰もが神妙な顔つきをしている。

 

「ね、それ本当なの? そんなヤバイ奴なら逃げないとマズイじゃない」

 

 奴隷売買を仕切るコッコドールが声を上げる。ここにいる誰もがゼロの報告を受け同じ事を考えていた。

 

「アホか貴様は。そんな事をしてみろ、ヤバくなったら逃げだす連中と後ろ指を指されることになるぞ。せっかく築いたこの地位も崩れかねん。貴族にはナメられるし、真面目な王族の連中や冒険者にはこれ幸いと手入れをされるぞ」

 

 額に血管を走らせながらゼロが睨みつける。

 

「そうは言ってもしょうがないんじゃない? 王国最強の冒険者である蒼の薔薇を返り討ちにする相手となんて戦争できないわ。そんなのアンタたちの手にも負えないでしょ」

 

 次に口を開いたのは麻薬取引を仕切るヒルマ。やる気なさげに腕をプラプラと振っている。

 

「見くびるなよ…! 蒼の薔薇や王国戦士長とて機会さえあれば潰してみせるわ!」

 

 憤怒に支配された表情をヒルマに向けるゼロ。肝心のヒルマはやれやれとばかりにため息を吐いている。

 

「しかしそうは言っても恐るべき強者であるのは事実なのだろう? やれるのかね?」

 

「ゼロ、君の強さは信じているし信頼もしている。倒してくれるのならば私達とて何の文句もない」

 

「一時的とはいえ王都から離れるのは不都合があるし、貴族達に何らかの被害が出ても困る」

 

 他の部門の長達も口々にゼロに問いかける。

 

「まぁまぁ落ち着き給え皆。ゼロ、我々を招集したということは何か要求があるのだろう?」

 

 八本指のまとめ役を務めている男の言葉にゼロが頷く。

 

「口惜しいが正直に言わせて貰う。力を貸してくれ。暗殺部門の連中と密輸部門や窃盗部門がため込んでいるマジック・アイテムを貸してもらいたい。他の部門の長達には戦いの事後処理とお偉いさん方を説得して貰いたい。冒険者や兵士にも圧力をかけてくれ」

 

 ゼロの言葉に誰もが文句を言いそうになるがまとめ役である男が手を上げそれを制止する。

 

「そうすれば勝てるのかね? もちろん手助けをした後は相応の見返りがあるのだろう?」

 

「ああ、勝てる、いや勝ってみせる。見返りももちろんだ。しばらく警備の金は受け取らないし、必要とあれば他の部門の仕事も手伝おう」

 

「決定だ。いいな皆、ここはゼロに協力しようじゃないか」

 

 まとめ役である男の言葉に誰もが頷く。

 こうしてゼロ率いる六腕の戦闘準備は万全、そう思えた瞬間。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 外から、それも遠くからであろう何らかの叫びが室内であるここまで響いてきた。全員が何事かと一斉に席を立ちあがる。すぐに外で見張りをしていた者が部屋の中へと飛び込んでくる。ガクガクと震え、その目には溢れんばかりの涙が浮かんでいた。

 

「何があった!?」

 

 ゼロに怒号を浴びせられた男が怯えながらも口を開く。

 

「お、終わりです! もう王都は終わりです! 逃げるしかないですぜ! あんなの誰も勝てっこねぇ!」

 

「な、なんだ! 何を言っている!? 例の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が現れたのか!?」

 

「ち、違います! そんなんじゃねぇ! それどころじゃねぇんです! お、俺、聞いたことありますぜ! あ、あれは! あれは伝説のアンデッドだ!」

 

「で、伝説のアンデッド…だと…?」

 

「それも一体じゃねぇんです! 何体もいるんですぜ! もう終わりです! 皆殺される!」

 

 見張りの男の叫びに誰もが顔を見合わせる。この見張りの男とて本部の守りを任されるだけあり、六腕に匹敵するとまではいかないものの、かなりの強さを持つ。その男が子供のように喚いている様はまるで冗談か何かのようだった。

 ここに集う八本指の長達は何が起きたか理解できないが、ここまで聞こえてくる叫びに恐るべき危険が迫っていると判断する。

 

「ほ、ほら逃げるわよ! 早く!」

 

 コッコドールが連れの男達を連れて一目散に逃げていく。他の長達も同様に。だがもう手遅れだ。誰も逃げられない。

 部屋に残ったゼロが六腕のメンバーと共にそのアンデッドを見に行く為に外へ出る。そして思い知るのだ。例の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)の登場などほんの始まりだったことに。

 

 そこには本当の絶望が広がっていた。

 

 

 

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 世界を切り裂くような叫びに冒険者組合の一室に集まっていた冒険者達は震えあがった。

 数多の冒険者と共に死者の大魔法使い(エルダーリッチ)討伐隊を編制していた蒼の薔薇だったがただ事ではないその叫びに作業を一度中断する。

 それと同時に外にいた冒険者達が慌てて部屋に走り込んでくる。

 

「た、大変です!」

 

「おいおい! 今度は何だってんだ!?」

 

 ガガーランが入ってきた冒険者へと声をかける。その冒険者は息を切らしながらも必死で現状を伝えようとする。

 

「あ、新手のアンデッドです! それも多数! おかげで市民が再びパニック状態に陥って現場は大混乱です! もう制御できません! 各地と連絡が途絶え、どこで何が起きているかの把握すら不可能! もう守り切れない…! 王都は落ちます! 間違いなく! 城門を開きましょう! 後は各自に任せてそれぞれ逃げて貰うしかない! 我々とてここにいて出来る事などありません! もう逃げましょう!」

 

「な、何を言っている!? そ、そんなこと出来るわけがないだろう! ええい私が出る! この命に代えてでも止めてみせる!」

 

「何言ってやがるイビルアイ! まだ怪我が治ってねーんだから安静にしてろ!」

 

「そんな訳にいくか! あのアンデッドが暴れてるのだろう!? 今度こそ私の命に代えてもなんとかしてみせる!」

 

「待ちなさいイビルアイ! 一人で行かせる訳ないでしょ! 私も行くわ!」

 

「同じく」

 

「右に同じ」

 

「もちろん俺も行くぞ」

 

「お前達…! バカ共が…、相手はあの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だ…。今度こそ死ぬぞ…?」

 

「はは、最悪リーダーだけには逃げて貰うよ。それでいいだろ?」

 

「王国のピンチ」

 

「見過ごせない」

 

「皆の言う通りよ。悔しいけれど最悪の場合にはなんとか私だけでも逃げ切るわ。皆の為にもね…!」

 

 ラキュースとてそんな事はしたくないし言いたくないだろう。だが蘇生魔法を使える自分だけは何があっても死ぬ訳にはいかない。それを理解している。

 何よりこんな絶望的な状況であろうとも国の為、いや民衆の為に立ち上がろうとする仲間の言葉にイビルアイは泣きそうになる。こいつらといて良かった。心からそう思えたからだ。

 

「蒼の薔薇だけに良い恰好させねぇぞ!」

 

「俺たちも行く!」

 

「壁や囮ぐらいにはなれんだろ!」

 

「皆で束になれば有象無象のアンデッドぐらいなんとかなるって!」

 

 周囲にいた冒険者達も口々に声を上げる。蒼の薔薇というカリスマの元、多くの冒険者達の心が一つに纏まり挫けかけていた気持ちが再び燃え上がる。

 そして勢いよく外に飛び出していく冒険者達。

 だが外に出た瞬間、彼等の奮い立った固い決意は簡単に砕けた。

 

 なぜならそこにいたのは伝説に謳われるアンデッド。

 一体で都市を滅ぼすことさえ可能と囁かれる程に比類なき強大な最悪のアンデッドだ。

 

 それは死の騎士(デスナイト)

 殺した相手を従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)へと変える能力を持ち、さらにその従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)が殺した相手は動死体(ゾンビ)となる。この負の連鎖は間違いなく都市を壊滅へと追い込む。

 もちろん自身も戦士として破格の強さを有する。アダマンタイト級の冒険者チームでさえ討伐が怪しまれるレベルだ。しかもここには多数の逃げ惑う人々がいる。彼らが従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)動死体(ゾンビ)となってしまえばアダマンタイト級の冒険者チームですら後れを取りかねない。規格外の強さを持つイビルアイとてそうなってしまえば止める手段を持たないのだ。

 だが最も絶望的なのは、その悪夢のようなアンデッドが一体ではないということ。

 

「う、嘘…! ま、街の至る所から咆哮が聞こえる…!」

 

「クソが! 目の前にいる奴だけじゃねぇのか! おいティア! ティナ! どれだけいるか判断できるか!?」

 

「ここからじゃ声と気配からでしか判断できないから正確じゃないけど…」

 

「おそらく10体以上いる…!」

 

 その言葉に誰もが驚きを隠せない。言葉も出ない。一瞬で冒険者達の顔に絶望が広がっていく。それと同時に悟るのだ。

 間違いなく王都は今夜で滅ぶと。

 この未曾有の危機に抗える術などない。もはや国堕としであるイビルアイが万全だとて倒しきれないであろう数。それどころか同時に戦えばイビルアイすら敗北する。もう王国の人々には欠片程の希望も無い。誰もが目の前の光景に打ちひしがれ、膝を折る。

 

 もはや王都は蹂躙されるしかない。

 腐敗しきった王国とはいえ、こんな最後を迎えるなど誰も予想していなかった。

 

 

 

 

 数分前。

 

 とある建物から出てくるモモンガ。外ではクライムが女性を抱えたまま待っていた。

 

「ど、どうでしたか…?」

 

「誰もいませんでした。室内の様子からなんか慌てて出て行ったような形跡はありましたが…。何かあったんでしょうか?」

 

「……」

 

 クライムは答えない。いや、答えられない。原因は多分貴方ですよ、なんて言える筈が無い。

 

「しかし怪しい場所を一つ一つ確認してたらそれだけで時間掛かっちゃいますね、後は自分一人でやるんでクライムさんは帰って貰っていいですよ。その女性も安静にしてあげないといけないし」

 

「えっ」

 

「ああ、大丈夫ですよ。すぐにはやられませんって。レベルが下がっても嫌がらせくらいはできますし。それにこの不具合もいつまで続くかわからないので丁度いい時間潰しです」

 

「あ、いや、その…」

 

「よしスキル、と。あれ不具合の影響かな? なんかちょっといつもと違うな…。コンソール無しで出せる気がする…。こうかな?」

 

 そうしてモモンガは自らのスキルを解放する。

――中位アンデッド作成 死の騎士(デスナイト)――

 モモンガの持つ特殊能力の一つ。これで生み出した死の騎士(デスナイト)はレベル35と弱く、役立たずのアンデッドである。だがこの死の騎士(デスナイト)をモモンガはずっと愛用してきた。

 理由はその特殊能力の為だ。

 一つは敵の攻撃を完全に引き付けてくれるというもの。もう一つはどんな攻撃を受けても一度のみHP1で耐えるというものだ。盾としては最高といえる特殊能力だ。

 今回もその壁として自分を守る為に呼び出したに過ぎない。中位アンデッド作成のスキルで創造可能な12体をフルに呼び出す。モモンガの前に現れた12体の死の騎士(デスナイト)。モモンガから見てもそれは壮観だった。

 横をチラリと見てみるとクライムが唖然としてこちらを見ている。見た事ないスキルに驚いているのだなと思い気分を良くしたモモンガはカッコつけて余計な一言を口に出す。

 

死の騎士(デスナイト)よ! 私と共にこの都市に巣食う八本指とかいう連中を探し出すのだ! 誰も殺してはならんぞ! 私が直々に説教するのだからな!」

 

 と、いい声で言い放つ。最後になーんちゃってと続けるがそれを打ち消すかのように死の騎士(デスナイト)が咆哮を上げた。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 この世に生まれ落ち命令を受けた瞬間、耳をつんざくような咆哮を上げる死の騎士(デスナイト)達。

 彼等は即座に四方へと駆けだしていく。その動きはまさに疾風。

 対してモモンガは瞬く間に小さくなっていく死の騎士(デスナイト)達の姿に驚きを隠せない。

 

「い、いなくなっちゃった…。なんで? 盾が守るべき者を置いていってどうするよ…。こんな仕様変更なんて聞いてない…」

 

 走っていった死の騎士(デスナイト)達は至る所で咆哮を上げている。仕方ないのでモモンガも後を追う事にする。自分が生み出したアンデッドだ。放っておくことも出来ない。

 

「まいったなぁ…。とりあえず後をついていくか…。ちゃんと命令は聞くんだろうか…。はぁ、なんでこんな事に…」

 

 そう一人ごちながら走っていくモモンガの背を見つめたまま、クライムは茫然と立ち尽くしていた。

 

 

 

 

 誰も聞いた事のない恐ろしい咆哮が夜の王都に響き渡る。

 聞く者の肌が泡立つような叫び声。殺気が撒き散らされ、ビリビリと空気が振動する。命ある者全てを刈り取るような、まるで生きとし生ける者の終わりを告げる凶報のように。

 

「おぉ…、おぉぉぉぉ…! なんという力…! なんという魔力…! あ、あの伝説に謳われるアンデッドをこの目にできる時が来ようとは…! たった一体でさえこの私を凌駕するおぞましい強さ…! それ程の存在をいとも容易く、しかもこれだけ同時に…! あぁこれが貴方様の御業なのですか…!? 素晴らしい…! そうか…! 私は今、真理に触れ、深遠を垣間見ている…!」

 

 高台から街を見下ろすデイバーノックには目の前の光景が何よりも甘美なものに映った。

 知識でしか知らないが古い文献にそれは載っていた。死の騎士(デスナイト)。伝説であり、また最上のアンデッドとも呼ばれている。今自分が見ているアンデッドが完璧にそうだと断言できる材料は十分ではないが、この比類なき強大さは他のアンデッドではありえない。恐らく間違いないだろう。

 悪意、憎悪、怨念…。どんな言葉を並べてもまだ足りない。それほどに圧倒的で、絶望的。形容すべき言葉を見つけられない自分の無知を恥じると共に、この歴史的な瞬間に立ち会えた事を心の底から感謝する。

 確証はないが、デイバーノックは悟っていた。これは、この悪夢のような光景を作り上げた張本人は例の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)だと。いや、おそらく死者の大魔法使い(エルダーリッチ)などではない。自分のような者と同列に語るなど驕りも甚だしい。

 今更になって自分の二つ名が恥ずかしくなる。いつから誰に言われるようになったかは覚えていないが、正直まんざらでもなかったのだ。自分は他者よりも優れた存在だと思っていたから。だが違った。デイバーノックはこの瞬間、身の程を理解し、また遥かな高みを知ったのだ。

 伝説のアンデッドの咆哮に呼応するように人々の叫びが混ざり合う。死者と生者が織りなす極上の狂想曲。それはまるでさながらオーケストラのように。地の底からこの世へ奏でる鎮魂歌(レクイエム)だ。

 味わった事の無い愉悦にただ身を任せるデイバーノック。

 

 この御方だ。

 この御方こそが、我らアンデッドを統べる不死の王だ。

 

 自分が祀り上げるべき、仕えるべき至上の御方に巡り会えた幸運に喜びを隠せない。モノクロのように朧げだった人生が色を帯び鮮やかに染め上げられるように。意識が覚醒し新たな感覚に目覚めるように。存在しない筈の胸の鼓動が高鳴ると錯覚する程に。

 デイバーノックはこの日、感情を手にした。

 そして自らの存在する意義を、この世に生まれ落ちた意味を知ったのだ。

 

 

 この死の騎士(デスナイト)達の登場で王都の混乱はさらに大きいものとなる。

 やがてこの事件が世界中に轟き、その中心人物であるモモンガが世界中から危険視されるようになる事など、今のモモンガには知る由もないだろう。

 

 

 

 

 アーグランド評議国。

 リ・エスティーゼ王国の北西に存在する山に囲まれ、複数の種族の亜人によって構成されている都市国家である。

 

 予感とも言うべき感覚によって眠りから意識を取り戻した一匹のドラゴンがいた。

 それは白金の竜王(プラチナムドラゴンロード)の二つ名を持つツァインドルクス=ヴァイシオン、通称ツアー。

 この世界において最強と呼ぶべき存在だ。

 

「そろそろか…。今回は彼のように世界に協力する者だといいけれど…」

 

 かつて肩を並べて共に戦った十三英雄、そのリーダーを思い出しツアーは悲しみに暮れる。やはりあの死は早すぎた。共に歩んだ仲間(ぷれいやー)を殺し、傷ついた彼は自らの蘇生を拒絶した。そのせいで彼の持つ多くの知識が埋もれてしまった。今となっては悔やんでも仕方ないが。

 約百年周期でこの世界には異世界からの訪問者が訪れる。なぜかは分からない。しかもその存在は様々だ。ツアーは今回も彼のように世界に協力する者が訪れる事を心から願う。だが。

 

「もしそうでなければ…」

 

 ツアーは考える。再び世界を汚す力が動き出したとしても、他の竜王達は誰も力を貸さないだろう。だがぷれいやーと呼ばれる存在のほとんどは恐ろしく強大であり立ち向かえる者はこの世界にほとんどいない。自分だけでは限界がある。

 だが一人、心当たりのある者がいる。

 

「夢見るままに待ちいたり…だったか」

 

 彼が言っていた海上都市の最下層で眠る女性。彼女ならば起こして協力を要請すれば知恵を貸してくれるかもしれない。本当に深刻な事態になったらそうするべきだろうとツアーは考える。

 だが色々と不明な点も多くある。例えば――

 

「そもそも…、彼女は一体誰を待っているのだろうね…」

 

 小さく呟いたツアーの言葉は誰の耳に入る事もなく、ただ静かに掻き消えた。

 

 

 




レエブン「ラナー王女に恩を売る方に賭ける!」
ロックマイアー達「壊滅しちゃった」
モモンガ「ブラックとかマジ許せん…」
デイバーノック「あれ王だわ」

お盆休みに結構手を付けていたので割と早めに更新できました。
ただ次は…、うん…。
連休いつ取れるかなぁ…(白目)


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殺戮

前回のあらすじ

モモンガさん人助けをする!
そして12体のデスナイトが王都へと放たれ…!?



 不死の王が生み出した12体の死の騎士(デスナイト)達が王都中を駆け回る。

 

 一体ですら手に負えない伝説のアンデッド。それが何体もいるという考えられない光景。王都内を疾走する彼等の存在は人間という弱き種族からすればそれは滅亡への呼び声にも等しい。その姿はまさにこの世の終わりを思わせるものだった。

 そんな規格外の悪夢に王都は何もかもが完全に機能しなくなっていた。

 元々の混乱で統制が取れていなかった所にダメ押しのように次いで今回の事が起きた。もはや王都内の混乱は誰にも制御できない。死者が出ていないという摩訶不思議な状況を鑑みればこのような規模の集団パニックは史上初と言える。民達への直接の被害や実害も無く、恐怖のみで国を崩壊させた例は歴史上、存在しない。

 その証拠に冒険者や兵士達すらその多くは混乱のあまり動けず、中には民を見捨てて逃げ出してしまう者達まで出る始末なのだ。王族とて指揮系統が混乱していてはまともに対処も出来ない。

 だが何より酷いのは王国において強い権力を持つ貴族や役人達だ。助けを求める民を何の躊躇もなく見捨て、保身の為に我先にと国外へと逃げ出そうとしていた。

 その姿は高貴なるものの義務(ノブレス・オブリージュ)など嘘のように浅ましく、また醜くかった。だが彼等は正しい。

 権力を誇示し、既得権益に溺れ、今回のような国の危機においては我先にと他者を犠牲にし逃げ出す。悲しいかな、現実は非情だ。手段を選ばない彼等ならば、いや彼等だからこそ切り抜ける事が出来ただろう。この腐った王国で弱者を嘲笑ってきた時のようにずる賢く、したたかに彼等は最善の選択を取っていた。

 

 だがこの時に限り、王都から出るのはよくなかった。

 

 決して頭が良いとは言えない死の騎士(デスナイト)達だが、人を探すという命令をより確実に遂行する為に逃げ出す者達を優先的にロックオンしていた。

 それもそうだろう。もし逃げた者達の中に探し人がいた場合、近くにいる者から探していくなどという愚を犯している内に逃がしてしまう事になる。そうすれば取返しは付かない。

 主の命令は絶対だ。決して違える訳にはいかない。逃げていない者、動けない者などは後回しでいいのだ。

 

 故に逃げ出す者達、さらに言うならばより遠くへ。つまりこの王都から外へと出ようとする者達、それが最初に死の騎士(デスナイト)達に選ばれたターゲットだった。

 死の騎士(デスナイト)達は速い。馬車ではとてもではないが逃げ切れない。アンデッド特有の感知能力で生ある者を感じ取り、死の騎士(デスナイト)達はあっという間に逃げ出した者達へと追い付く。

 弱者を虐げ、民の悲鳴や嘆きを肴に暴利を貪ってきた貴族や役人達。

 

 今度は彼等の悲鳴が響き渡る。

 

 

 

 

 王都の巡回使であるスタッファン・ヘーウィッシュは子飼いの部下を連れ全力で国外へ向け馬車を走らせていた。

 

「くそっ! なんでこんな事に…! せっかく楽しんでいる最中だったというのに!」

 

 スタッファンは馬車の中で怒りを隠そうともせずそう叫ぶ。この男は弱い女性をいたぶることで快感を得るという特殊な性癖を持っていた。奴隷禁止の法が定められて以降、己の欲求を大っぴらに満たすことが出来なくなったことから八本指と癒着し便宜を図る事で私腹を肥やし、己の性癖をも満たしていた。

 今日もスタッファンは八本指の経営する店で女性を殴り楽しんでいたのだ。興が乗り行き過ぎてしまうと殴り殺してしまう事もあり、流石にその際は補填金を支払わなければならずスタッファンにとっても決して手軽な趣味とは言えなかった。

 だがやめられない。彼にとってはこれこそが己の欲望を満たす唯一の方法なのだ。

 その大事な時間を塗り潰すような大混乱が突如、王都で巻き起こった。身の危険を感じた彼は即座に王都を離れる事を決意した。卑劣な男ではあるが決して無能ではない。状況を完全に把握していなかったとはいえその嗅覚は評価に値するものだろう。これまでも違法な事に手を染めながら生き抜いてきただけの事はあるのだ。

 

「ふん…、まさか王都内にアンデッドが出現するとはな…。しかもあの蒼の薔薇が返り討ちに遭う程とは…。市民などいくら死んでも構わないが、我が家が被害に遭わぬ事を祈るばかりだな…。ま、仕事を放棄し王都を離れたとてあの混乱ならば後でいくらでも言い訳できるだろう。今は無事に生き残る事を考えねば…。後はボウロロープ侯にでも助けを求めればなんとかなるだろう」

 

 もちろんスタッファンとてただ逃げ出した訳ではない。危険地帯からは逃げつつも、後でその事が言及された時の為にボウロロープ侯に救援を求めに行くという体でいた。幸い王都は混乱で情報の錯綜と共に統制が取れておらず、現場判断で自らが助けを求める使者となったとでも言えばどうにかなるだろうと高を括っていた。

 反国王派閥の中心であるボウロロープ侯が兵を派遣し王都を救ったとなれば、王国内のバランスが現状よりさらに大きく崩れる事も考えられるがスタッファンにとってはそんな事は関係ない。

 むしろこれを機にボウロロープ侯に取り入るのも悪くないなと考えていた。国王側の醜聞でも提供すれば十分に可能であろう。それに醜聞など無ければ作れば良いだけなのだから。

 そう考え、もはや自分に危険など迫っていないと信じていたスタッファンだが王都の中心から響く突然の咆哮に体を震わせる事になる。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

距離はかなりあると思われるが空気を切り裂くようなそれはスタッファンの耳まで届いた。

 

「ひっ…! な、なんだ…!? れ、例のアンデッドなのか!? お、おい! 早く逃げろ! もっと馬を早く走らせるんだ!」

 

「は、はいっ!」

 

 そう御者に命令し急がせるスタッファン。もう王都の中心からは十分に離れているし大丈夫であると判断しているが実際にその咆哮を耳にすると恐怖が襲い掛かってくる。生物としての本能が告げているのだ。これはマズイと。

 そしてすぐに気付く事になる。その咆哮が次第に近づいてきているという事に。その何者かが後ろから迫って来ているという事を証明するように大地が軋み、震える。

 

 しかしスタッファンがその恐怖に支配される前に、視界がぐるりと回転した。何が起きたか分からず茫然とするが次の瞬間、全身に鈍い痛みが走った。しばらくして、馬車が転倒したのだと気付く。

 

「ぎゃああ! な、何をしている馬鹿が! は、早くなんとかしろ! これでは逃げられんではないか!」

 

 そう叫ぶスタッファンに御者は答えない。いや、答えられないというべきだろう。すでに彼の目の前には伝説のアンデッドが立っていたのだから。

 周囲にはスタッファンの部下を乗せた馬車が共に走っていたがいずれも同様に転倒させられていた。それらの馬車から慌てて飛び出した部下達は目の前に聳え立つ死の騎士(デスナイト)を見るなり腰を抜かしてしまう。この時スタッファンも馬車の隙間からそれを見ていた。

 近くにいるだけで呪い殺されてしまいそうな程の殺気を撒き散らす死の騎士(デスナイト)に誰もが息を呑まざるをえない。やがてそれはスタッファンの部下へと近づき、両手の指を彼等の目の前へと突き出す。

 片手は完全に開き、もう片方の手は二本の指を折り三本の指を立てていた。

 

 両手合わせて八本の指。

 

 それが何を示すか王国に生きる者ならば分からない筈がないだろう。犯罪組織である『八本指』。なぜかは知らないがこのアンデッドは自分達に問うているのだとすぐに理解した。八本指はどこだ、と。

 

「し、知らない! 私は知らない! 彼等と親しくしていたのはスタッファン様だけだ! 私達は雇われただけだ!」

 

「そ、そうだ! 我々は何も知らない! 助けてくれ!」

 

 スタッファンの部下は簡単に彼を売り、命乞いを始めた。

 

「なっ! き、貴様等ぁっ!」

 

 怒りのあまり馬車の中から怒声を上げるスタッファン。それと同時に死の騎士(デスナイト)の視線が彼の乗る馬車へと移動する。すぐに己の失態に気付くがもう遅い。

 死の騎士(デスナイト)はスタッファンの乗る馬車へと近づき扉へ手をかける。頑丈な木で作られ金属で加工されているその扉は生半可な武器では壊すのに時間を要するだろう。それだけ作りのしっかりした馬車だ。

 だが死の騎士(デスナイト)はまるで風化し脆くなった動物の骨を砕くかのようにあっさりと馬車の扉を捻じ曲げ粉砕する。破壊された扉の隙間から手を伸ばし、中に隠れていたスタッファンを引き摺り出す。

 

「ひっ! や、やめろ! やめてくれぇっ!」

 

 スタッファンが悲鳴を上げると同時に彼の部下達がその場から逃げ出す。主が捕まっている間に逃げようとしたのだろう。だが死の騎士(デスナイト)はそれを許さない。

 スタッファンをその場に放り捨てると疾風のような速さで逃げ出した者達に追い付き、彼等の両足を叩き折っていく。あっという間に誰もが苦痛に歪んだ悲鳴を上げその場に倒れ込んだ。命を取る事は許可されてはいないが傷を負わせてはいけないと言われていない。逃げ出そうとするならば攻撃をする事に何の躊躇も無い。

 

「あ…、あぁぁ…」

 

 地面にヘタレ込み失禁するスタッファン。死の騎士(デスナイト)は逃げ出した者達の足を叩き折った後、彼等を掴みスタッファンの元まで引き摺ってくる。言葉は一つも無かったがその姿は悠然に語っていた。逃げ出せばこうする、と。

 再度、死の騎士(デスナイト)がスタッファンに八本の指を突きつける。

 

「は、八本指を探しているのか…!? わ、私は何も知ら…!」

 

 白を切ろうとするスタッファンだがすぐにそんな場合では無いと悟る。下手をすればここで命を落とす、そう感じた。八本指とは持ちつ持たれつの関係であったが命には代えられない。国に仕える者として己の罪が露見しようとも、あるいは強大な組織である八本指と敵対しかねないとしても助かるためならば喜んで売ろうと判断する。今はこの場を切り抜ける事が最優先なのだから。

 

「わ、分かった! 私が知っている事ならなんでも話す! だ、だから命だけは…!」

 

 そしてスタッファンは自分の知る事を洗いざらい吐く。己と八本指の関係も何もかも。

 それを聞き終えた死の騎士(デスナイト)は彼の身体を鷲掴みにし王都の中心へと走り出す。

 

「ひっ…! ま、待て、知ってる事は全て話した…! だ、だから…!」

 

 だがスタッファンのそんな言葉など死の騎士(デスナイト)は聞き入れない。当然だろう。八本指の情報を入手したとてそれが真実がどうかなど死の騎士(デスナイト)には判断が付かない。その真偽を確かめるまでこの男を手放す訳にはいかないのだ。

 スタッファンの悪夢はまだ終わらない。

 

 

 

 

 スタッファンに死の騎士(デスナイト)の魔の手が迫ったのとほぼ同時刻、王都に居を構える国王派に属する貴族であるイズエルク伯の館に爆音が響いた。

 

「な、何事だっ!?」

 

 イズエルク伯が声を上げる。だが使用人も誰も何が起きたかなど分かる筈がない。ただその爆音が館を破壊した音だとすぐに気付くことになる。玄関が吹き飛び、周囲の壁が崩れていたからだ。

 そこから巨大な体躯で巨大な剣と盾を持つアンデッドがのそりと入ってくる。

 生ある者全てを屠らんとする禍々しい気配を撒き散らすそのアンデッドに腰を抜かす使用人達。誰もが己の心臓が鷲掴みにされたと錯覚する程の威圧感。頭が真っ白になり、使用人の誰もが自分の呼吸と心臓の鼓動音がうるさく感じられていた。

 奥からイズエルク伯の私兵が慌てて姿を現すが死の騎士(デスナイト)の姿を見た途端、彼等もまた戦意を喪失し立ち尽くす。一目見ただけでそれが抗えない存在だと理解したからだ。中にはその場から逃げ出そうとした者達もいたがスタッファンの部下同様、すぐに追い付かれ足を叩き折られる。

 死の騎士(デスナイト)は視界に入った者達へ順番に八本の指を突きつけていく。誰もが首を横に振る中、次々と問うていき最後にイズエルク伯の番が来た。

 彼は八本指と繋がっていた。八本指と共に商売をし、娼館を派閥の強化や寝返り工作等に使用していたのだ。国王派である彼が八本指に力を貸す理由は反国王派の貴族の弱みを握り味方に引き込む為であり、ひいては国の為であるとも言えるが死の騎士(デスナイト)にとってはそんなこと関係ない。

 例え悪人だろうと善人だろうと何の意味もなさない。等しく下等であるのだから。

 それに主の命令よりも優先されるものなど存在しないのだ。躊躇など欠片程も存在しない。

 眼前に迫る死の騎士(デスナイト)の迫力に死を悟ったイズエルク伯はやがて全てを洗いざらい話してしまう。誰も彼を責める事は出来ない。この恐怖に打ち勝てる人間などいないのだから。獰猛な野獣が野放しで目の前にいるよりも恐ろしい。死が目の前にあると悟れば誰もが簡単に口を開く。

 

 とはいえ死の騎士(デスナイト)には命を奪う許可が無い為、彼等が想像する程に酷い事にはならないのだがそれに気づける筈もない。暴力が形を成したような死の騎士(デスナイト)、その殺気だけは本物だからだ。

 スタッファン同様、何もかもを白状したイズエルク伯だったがその後は死の騎士(デスナイト)に引き摺られ、王都の中心へと連れ去られていく。

 いくら王国の為とはいえ、八本指という犯罪組織と手を結んだ代償は余りにも大きなものとなった。

 

 この他にも八本指と繋がりのある貴族や役人達はそのほとんどが死の騎士(デスナイト)達によって炙り出されていく。誰かが喋れば後は芋づる式に容易に関係者を辿っていく事が出来た。

 それに加え直接的には八本指とは繋がりが無かった者達でさえ、八本指を意図的に見逃していた者、あるいは民が彼等に脅かされても知らない振りをしていた者達にまで死の騎士(デスナイト)達の魔の手は伸びていく。

 結果として、王都内の腐った貴族、汚職に手を染める役人のほとんどが命欲しさに自らの罪を自供する事となってしまった。国を腐敗させるような者たちだ。死がそこに迫っていると悟れば売れるものはなんでも売る。そのことで八本指との癒着だけでなく、六大貴族やそれに連なる貴族、国内における様々な暗部さえも露見する事になってしまう。

 この後、リ・エスティーゼ王国の貴族達は急速に力を失う。既存の権力者達は軒並み失墜し、法も何もかもが機能しなくなる。いくら腐っていたとはいえ、彼等がいなくなっては国は成り立たない。

 だがそうなるのは全て夜が明けた後の話だ。悪夢はまだ続いている。

 

 なぜならまだ夜は明けていないのだから。

 

 

 

 

「早くしなさいよ! 早く王都から出るのよ! ホラ! 積めるだけ積みなさい!」

 

 甲高い男の声が響く。それは八本指において奴隷売買を仕切るコッコドールの声だった。国外へ逃げ出す為に金目の物をなるべく持って行こうと部下に指示を出していた。

 だがそんな事をしている時間など無かった。ただ、何も持たず全力で逃げたとしても逃げ切れなかっただろうが。

 

「コ、コッコドール様っ…!」

 

 突如、荷を積んでいた部下が悲鳴のような情けない声を上げた。

 

「何よ! 今はモタモタしてる暇…なんて……」

 

 それを窘めようと振り向いたコッコドールの視界に一体の巨大なアンデッドが映る。そしてすぐに理解した。こいつがアジトから逃げる前に八本指の見張りの者が言っていた存在だと。伝説のアンデッド。その手元にはよく見知った肥満の男が抱えられていた。

 

「こ、ここが私の知っている八本指のアジトです! ほ、ほら、い、言った通りでしょう!? も、もう私に用は無いですよね!? だ、だから命だけは…!」

 

 涙や鼻水を垂れ流しながらスタッファンが死の騎士(デスナイト)に請う。それを見たコッコドールは経緯は分からないものの、スタッファンが自分を売ったのだとすぐに察する。

 

「あ、貴方っ! わ、私を売ったのね!? い、今までずっと良い思いさせてあげてたっていうのに! ただじゃすまないわよ! わかってるの!?」

 

「う、うるさい! お前達が動きやすいように多少なりとも便宜を図ってやっただろう! そ、それにこうなったのは全部お前達のせいだ! お前達さえいなければ! せ、責任を取れ!」

 

「な、何ですって!? あ、あれだけ楽しんでおいてよくもそんな…!」

 

 両者の醜い言い争いが始まる。だがそれを大人しく聞いている死の騎士(デスナイト)ではない。喚き散らすスタッファンの顎へ手を伸ばし、砕いた。

 

「あぎゃぁぁががあがあっ!」

 

 あまりの痛みに悲鳴を上げるスタッファン。だがそれを見かねた死の騎士(デスナイト)が黙れと口に指を当てる。その意味が分かったのであろうスタッファンは口内から大量の血を流しながらも必至に悲鳴を押し殺す。

 とりあえずは用済みとばかりに死の騎士(デスナイト)がスタッファンを地面に放る。念のため逃げないように足を踏み砕いておく。

 ただそれは本当に念のためだったのか、アンデッド特有の生者を憎む心と相手を痛めつける事に喜びを見出す死の騎士(デスナイト)の残虐性によるものかは判断は付かない。その証拠に、再度スタッファンが悲鳴を上げ、もがき苦しんでいる姿を楽しそうに眺めているからだ。

 そして黙れと言っていたのに再び悲鳴を上げたスタッファンを罰するように無造作にその腕を掴む死の騎士(デスナイト)

 

「ひぃっ…! や、やめろっ…! や、やめて下さいっ! もう、やめっ…!」

 

 そして腕の関節を逆方向へとねじり上げる。幸いというべきか、この痛みでスタッファンは気絶し静かになった。それに満足したのか死の騎士(デスナイト)は視線をコッコドールへと移す。

 

「あ、あぁ…! いや…! いやぁ…!」

 

 自分が何をされるか理解したのだろう。抗えない暴力の匂いと死の気配にコッコドールは嗚咽をあげるしかできなかった。

 そして死の騎士(デスナイト)の聞き取り、と言っていいかは分からないがその行為によってついに八本指の全容を掴む事に成功する。目の前には血に染まり、四肢が粉砕されたコッコドールが横たわっていた。

 死の騎士(デスナイト)が大気を震わせるような咆哮を王都へと響かせる。

 今度はただの咆哮ではない。それは他の死の騎士(デスナイト)への合図であった。そこからどうやって様々な意図をくみ取るのかは不明だが死の騎士(デスナイト)同士では通じ合うことが出来るらしい。

 その咆哮に呼応するように各地に散っていた死の騎士(デスナイト)達も同様に咆哮を上げる。それぞれの情報を共有し、誰が何をするべきか、どこに行くべきかを再認識する。

 すでに逃げ出していた貴族や役人からは情報を聞き出し、王都内の邸宅への訪問もほとんどが済んでいる。権力者からの情報は十分に入手したと判断して死の騎士(デスナイト)達は聞きだした八本指のアジトへの訪問を決定する。

 貴族達同様、逃げ出していた八本指の何人かはすでに拘束しているが死の騎士(デスナイト)達の調べによると八本指は巨大な組織であり、多くの人間が所属しているらしい。

 その全てを炙り出すまで、死の騎士(デスナイト)達の仕事は終わらないのだ。

 

 王都に生きる者達は今夜の事を後に語る。

 深夜に巨大なアンデッドが貴族や役人達を何人も引き摺りながら王都内を練り歩く様子は質の悪い冗談か何かのようであったと。

 

 

 

 

 12体いる死の騎士(デスナイト)のほとんどは八本指を炙り出す為に各地に散っていたが、その内の3体のみはここで戦闘行為に及んでいた。

 相手は蒼の薔薇と大勢の冒険者達。

 最初は蒼の薔薇と対峙した1体のみが戦闘になっていたが即座に分が悪いと判断し、もう2体を呼び寄せていた。本来は全員で八本指を探さねばならずここで時間を潰している暇などは無いのだがその命令を実行するにあたってこの者達が障害になると死の騎士(デスナイト)は判断した。よって彼女らを抑え込めるだけの戦力を割いたのだ。

 そして3体という数は絶妙であった。1体のみでは蒼の薔薇に後れを取っていただろうが2体であれば互角に渡り合える。3体いればその他大勢の冒険者がいたとしても問題はない。イビルアイが万全の状態であればまた話は変わったかもしれないが現在の状況では十分と言えよう。しかも集団戦という特性上、必然的にイビルアイは狙われる他者を守りながら戦わざるをえなくなりその力を十全に振るえないでいた。

 死の騎士(デスナイト)

 そのレベルは35とこの世界においては英雄級以上の力を誇る。だが攻撃力に関してはレベル25相当しかない。しかしその代わり防御力が40相当あるという規格外の固さだ。その特殊能力を抜きに考えても単体でアダマンタイト級の冒険者チームに匹敵する強さを持つ。

 

 だがそれはあくまで野生の死の騎士(デスナイト)であった場合の話だ。

 

 この死の騎士(デスナイト)はモモンガのスキルによって通常のものよりも強化されている。つまり、王都にいる12体の死の騎士(デスナイト)全てがアダマンタイト級の冒険者チームを凌駕する強さを持っている事になる。

 イビルアイがいなければたった1体の死の騎士(デスナイト)で王国内の全冒険者を相手取る事も可能であっただろう。特殊能力を発揮すれば王国内に存在する2つのアダマンタイト級冒険者すら全滅しかねない程だ。

 

「マズイわね…! このままじゃジリ貧よ…!」

 

「ちくしょう! なんとかなんねぇのかよイビルアイ! お前なら1体に集中すればやれるんじゃねぇのか!?」

 

「そうしたいのだがな…! だがそうすればその間に他の者達がやられてしまう…! お前達とて私がいなければ一体を抑え込むのが精一杯だろう…!」

 

「悔しいがそうだな…! 攻撃はまだなんとか捌けるが防御が固すぎる…! 俺らだけじゃ崩せそうにねぇ…!」

 

「堅牢…」

 

「堅固…」

 

「一歩間違えれば抑え込むどころかやられてしまいそうだけど…」

 

 3体の死の騎士(デスナイト)と完全に膠着状態に入っていた蒼の薔薇は焦っていた。いくら善戦出来ているとはいえ、このままではジリ貧でやられてしまう結末しか見えない。

 とはいえ先ほど彼女達が述べたようにイビルアイが1体に集中すれば他が瓦解してしまう。最悪、ラキュースが死んでしまえば取返しの付かない事になる。

 現状、蒼の薔薇含む冒険者達が3体の死の騎士(デスナイト)と戦えているのは言わずもがなイビルアイの力によるものだ。彼女だけが 死の騎士(デスナイト)とまともに戦える。

 とはいえ、この死の騎士(デスナイト)達は誰も殺すなという命令を受けている為、本気ではない。もし本気であったならばとっくの昔に全滅していただろう。

 仮にイビルアイが万全だったとしても王都にはまだ残り9体もの死の騎士(デスナイト)がいるのだ。どう転んでいたとしてもこの戦いに最初から勝ち目など無い。今は自分達が戦っている間に少しでも多くの人が逃げられるようにと、彼女達には祈る事しか出来ない。

 だがやがてその膠着状態にも終わりは訪れる。

 蒼の薔薇と共に戦っていた冒険者達が次々と倒れ周囲に転がっていく。死者はいないが誰もが戦闘続行は不可能な程、重症であった。

 最後に残ったのはボロボロになった蒼の薔薇だけ。

 

「ちくしょう…! ここまで、かよ…!」

 

「残念…」

 

「無念…」

 

「あれだけいた冒険者達も皆倒れてしまった…。もう…」

 

 眼前に立つ死の騎士(デスナイト)の剣が妖しく光る。

 死を覚悟した蒼の薔薇の面々だったがその時遠くから他の死の騎士(デスナイト)達の咆哮が響き渡る。それはコッコドールを確保した死の騎士(デスナイト)によるものだった。

 それを聞いた3体の死の騎士(デスナイト)の手が止まる。もはや蒼の薔薇は虫の息であるしこれ以上の戦闘は不要と判断した為もあるだろう。命を奪う許可は与えられていないのだから殺してしまう訳にもいかない。自分達も他の死の騎士(デスナイト)同様、八本指の残党を確保しに動こうとこの場を去ろうとする。

 だが。

 

「待て…! どこへ行く…? 私は…、まだ戦えるぞ…!」

 

 立ち去ろうとする死の騎士(デスナイト)の前に傷だらけのイビルアイが立ちはだかる。そんな彼女に続きガガーラン、ラキュース、ティア、ティナも同様に立ちはだかった。

 しかしもう彼女達に戦う力は残されていない。にもかかわらず、必死に武器を振り死の騎士(デスナイト)達に攻撃を仕掛ける。

 弱者でありながら、必死に抗おうとするその姿を愉快そうに見つめる死の騎士(デスナイト)達。もはや刃が当たったとて死の騎士(デスナイト)を傷付ける力は無い。

 やがて死の騎士(デスナイト)達は彼女達が何度立ち上がれるのかを試す様に盾で弾き飛ばしていく。それでも何度も向かってくる蒼の薔薇を再度吹き飛ばす。殺さないように、だが確実に痛めつけながら。

 どれだけ続いただろう。しばらくして蒼の薔薇の息も絶え絶えになって来た頃、3体の死の騎士(デスナイト)達が突如、ビクリと体を震わせた。

 

 先ほどまで蒼の薔薇を痛めつけ楽しんでいたような様子から一変し、明らかに緊張した気配を纏わせる。顔が骸骨である為、表情などない筈の死の騎士(デスナイト)だがその顔が強張ったように感じられる程に。それはまるで何かに恐怖しているように見えた。

 

(な、何だ…? 何が起きたんだ…?)

 

 地に伏し、朦朧とした意識の中でイビルアイは疑問に思う。これだけの強さを持つ強大無比なアンデッドが恐怖するなどとてもではないが考えられない。だがすぐに思い至る。恐らくこのアンデッド達を呼び出した、あの死者の大魔法使い(エルダーリッチ)なら…。

 

(い、一体…、奴は何を…)

 

 だがイビルアイが答えに辿り着くことは無い。それに誰も知りようが無いだろう。

 この時、全ての死の騎士(デスナイト)達へメッセージの魔法が繋げられたのだが、その送り主であるモモンガが激昂の極みにいたことなど。

 怒りの対象が自分達ではないとしても絶対的な主の怒りを直接感じ取った死の騎士(デスナイト)達は委縮せざるをえない。他者を痛めつけ楽しんでいる場合などではないのだ。

 主から告げられた新たな命令を遂行する為に死の騎士(デスナイト)達はすぐに動き、その場を後にする。王都を駆け回った時と同様に疾風のような速さで、しかし焦燥感に駆られながら。

 絶対にして至高なるナザリックの王。

 その言葉は全てに優先されるのだ。

 

 走り去る死の騎士(デスナイト)達の背を前に蒼の薔薇は何も出来ず、倒れたままただ見つめる事しか出来なかった。この夜、この時を以って全ての冒険者はこの戦いから脱落した。

 

 

 

 

 時は少し戻り、死の騎士(デスナイト)の一体を追ってきたモモンガ。

 その死の騎士(デスナイト)はスタッファンを確保し、コッコドールへ拷問という名の聞きこみをしていた所だった。周囲には複数の男達も転がっている。

 

「うわっ! エグい!」

 

 血に染まり、手足がおかしな方向へ捻じれているコッコドールを見てモモンガは思わず呟く。

 

「クライムさんの連れてた女性もそうだけど…、グロ表現キツくない? これ色んな所から苦情が来るんじゃ…」

 

 あまりの凄惨さに目を疑うモモンガ。アプデか何かだとしてもここまでゲーム性が変わってしまうと利用規約にも影響が出そうであり、一体どうなっているのかと頭をヒネる。というか完全に法規制されそうなレベルである。

 

「本当にバグか何かなのかなぁ…、え? 何々? ここが八本指のアジトだって?」

 

 目の前の景色に驚いていたモモンガへ死の騎士(デスナイト)が現状を報告する。

 

「もう見つけたのか! 凄いじゃないか!」

 

 感心したようにモモンガが朗らかに言う。外から見た様子では分からないがこの時死の騎士(デスナイト)は主からの労いの言葉に幸福の絶頂にいた。

 

「ふーん、こいつがここの責任者? まぁいい、とりあえず入るか。中に他の八本指の奴らがいたら説教してやるぞ!」

 

 ちょっとした正義感から他のプレイヤーに酷い事をしているらしい八本指を探す事にしたモモンガ。倒れているコッコドールを後回しにし、今は目の前のアジトへと死の騎士(デスナイト)と共に踏み込む。

 戦闘になった場合、レベルダウンしているモモンガでは勝てないだろうが説教の一つぐらいは出来るだろうと考えていた。最悪、説教が通じなくても嫌がらせの一つくらいは出来る。とはいえ結果を考えればどう足掻いても自分の方が痛い目に遭うのは間違いないのだがただ傍観する気にもなれない。

 やらない後悔よりやる後悔とか誰かが言ってた気がする等と考えながらモモンガはアジトの中を進んでいく。

 

 プレイヤーの使っている拠点とは思えない程、こだわりも何も無い質素な場所であった。プレイヤーのいる気配は無く、拠点を守るNPC的な何かを配置している様子も無い。不思議に思いながらもモモンガは進んでいく。

 

「うーん、外れか…?」

 

 建物内をあらかた捜索した後、地下への階段を見つけるモモンガ。何も無いだろうなと思いながらも下室への扉を開けた時、モモンガはそれを目にした。

 

「なんだ…、これは……」

 

 目の前の光景に絶句する。

 そこには裸で鎖に繋がれた女性が何人もいた。服を着ている者もいるがどれも薄汚れたものばかりだ。

 匂いも酷い。汚れも目立ち、怪我をしている女性も多数見受けられるが治療している様子も無い。

 それは牢獄を思わせる景色だった。

 恐らく、想像できうる限りの最悪という言葉を詰め込んだような場所。

 

「な、なんなんだ…、彼女達は一体…。それに裸は18禁に触れる…。こんな事は絶対に出来ない筈だ…。それがどうして…」

 

 現状を理解出来ないモモンガ。だが奥で一人の女性と男が重なっている影が見えた。床に伏している女性へ必死に腰を打ち付ける男。それに対して女性の反応は無い。死んだように無表情でされるがままであった。

 

「おい…! 少しは良い声で鳴けよ…! へへっ、皆ビビって逃げちまったがどうせこんな所まで来るわけねぇんだ…! せっかくだ、俺は好きにやらせてもらうぜ…!」

 

 それを遠くから見るモモンガ。言うまでも無い。男側からの一方的な行為ではあったがそこでは紛うことなき男女の行為が行われていた。

 裸どころではない。

 行為そのものなど風営法に引っかかるどころの話では無いのだ。完全なるアウト。こんなものが露見すればサービスは終了、運営どころか会社そのものが責任を問われる事になる。

 

 モモンガの中にあったいくつかの仮説がここで否定された。

 

 いくら致命的なバグや不具合だったとしても18禁が再現されるとは考えられない。

 新しいDMMO―RPGの可能性も考えていた。つまりユグドラシルが終了と同時にユグドラシル2とも言うべきゲームが始まった可能性。だがそれもこの18禁の前では考えられない。

 ちゃんと運営が管理、監視をしているならばこのような行為を確実に止める筈だからだ。

 

 だがそうだとするならば現状は何だ?

 

 そもそもDMMO―RPGにおける基本法律、電脳法において相手の同意無くゲームに強制参加させる事は営利誘拐とされている。無理にテストプレイヤーとして参加させる事はすぐに摘発される行為だ。

 特に強制終了が出来ないなんて監禁と取られてもおかしくない。

 その場合、専用コンソールで一週間分の記録を取るように法律で義務付けられている為、摘発自体は簡単に進む。

 いつまでログアウト出来ないか不明だがこのままであればモモンガは会社に出社できない。そうすればすぐに誰かが連絡、及び様子を見に来るだろうし警察が記録を調べれば問題は解決だ。

 

 しかしそのようなすぐに摘発される犯罪行為を組織ぐるみで犯す企業があるだろうか。新しいゲームの先行体験ですとか、追加プログラムを当てただけですと言えばグレーかもしれないがそんな危険な事をするメリットが制作会社にあるとは思えない。

 ならばこの事態には制作会社の意図は無く、別の何かが発生していると考えるより他に無い。

 考え方を根本的に切り替えなければ足を掬われる事になるだろう。

 ここまで考えた上で新たな一つの仮説がモモンガの中に浮かび上がる。

 それは今まで信じてきた常識を真っ向から否定する信じ難いもの。

 

 仮想現実が現実になったという可能性。

 

 あり得ない。モモンガは即座に否定する。そんな無茶苦茶な理不尽な事が起こる筈がないと。だがその反面、それこそが正しいのではないかと時間が経過するごとに強くなっていく。

 今までの事を思い返してみる。いくら混乱していたとはいえ何故気が付かなかったのだろう。違和感は最初から感じていた。その正体を今になってやっと理解する。

 この世界に来てから最も変化があったのは表情だ。口元が動いて、声が聞こえる。それはDMMO―RPGの常識から考えればあり得ない事だ。外装の表情は固定され動かないのが基本。だからこそ感情(エモーション)アイコンが作られたのだ。

 匂いもそうだ。この部屋に入った時に感じたむせ返るようなあの匂い。そもそも感じた瞬間にその異常に気が付くべきだったのだ。電脳法において嗅覚と味覚は禁止されている為、完全に削除されている筈なのだ。

 そもそも今まで見聞きしたものを考えればデータ容量的にあり得ない。

 考えれば考える程、今まで長い時間をかけて構築されてきた自らの常識がバラバラと壊れていくのをモモンガは感じていた。

 もう疑いようがない。

 ここはゲームの中ではない。

 つまり、現実。

 

「……」

 

 自分がなぜ、どうして、他の人は、リアルはどうなっているのかと疑問は尽きない。だが現状において、この世界を現実と理解した上で一つ、モモンガの心を最もかき乱すものがあった。

 目の前の光景だ。

 ゲームだと思ったからこそ動じはしなかった。だが現実と理解した瞬間、モモンガの心に言い様の無いモノが沸き立つ。

 

死の騎士(デスナイト)よ、八本指について把握した事を全て説明しろ…」

 

 横にいる死の騎士(デスナイト)へと問いかける。問われた死の騎士(デスナイト)はモモンガへと入手した情報の全てを説明する。

 モモンガが来る直前、死の騎士(デスナイト)は他の死の騎士(デスナイト)との情報の共有は済んでいたのでモモンガはここで12体の死の騎士(デスナイト)が入手した情報を全て手に入れる事が出来た。

 

「……」

 

 聞き終えたモモンガの思考が停止する。

 しばらくして去来したのは、憤怒。

 

 

「これが人間のやることかぁぁぁああぁぁあぁぁっっ!!!」

 

 

 建物を震わす程の絶叫。

 死の騎士(デスナイト)はもちろん、この場にいた女性とモモンガに気付かずに奥で性行為に励んでいた男も突然の事に戦慄する。

 

「奴隷売買、暗殺、密輸、窃盗、麻薬取引、違法賭博…。考えうる限りの犯罪行為だ…! そんな、そんな事をする奴がいるから…!」

 

 悲しむ人が出るのだ。

 

「どうしてだ…? どうして人に優しくする事が出来ないんだ…? 他者を貶め、甘い汁を啜る…。そうして真面目な人ばかりが損をする…。利を得るのはいつだって富める者や卑怯な奴等ばかりだ…、だから…」

 

 大事なギルドメンバーであるヘロヘロも体を壊しそうになってまで働いていた。それはリアルでは決して異常な事ではなく、よくある事だった。犯罪ではなかったかもしれないが貧困層は皆、奴隷のように働かされていたのだ。他に選択肢なんてなかった。

 だからこそ、そんな中でも少しでも子供の為にと努力したモモンガの両親は、過労で死んだ。

 この世界とリアルは違う。そんな事はモモンガとて理解している。だが目の前の衝撃的な光景が、奴隷のように扱われる女性達が、リアルで味わった理不尽な怒りを思い起こさせる。

 頭をかき乱すような怒りが何もかもをぐちゃぐちゃにし無理やりリアルの記憶に重ね合わせてしまう。

 それに人間として真っ当な感覚を持っているからこそ、モモンガは犯罪行為に純粋な嫌悪を覚えた。

 

 だがその天を衝く程のおぞましい怒りはすぐに収まる。

 何故かはわからないがモモンガの精神は落ち着きを取り戻していく。だが冷静にはなれない。沸騰するような怒りは消えても、体を焦がすようなジワジワとした怒りは未だモモンガを支配しているのだから。

 

「不快…、だな…」

 

 ここが異世界だとするならモモンガの常識がどこまで通用するのか分からない。だがなぜかモモンガの姿はユグドラシルのアバターのままだ。魔法も使える。

 

『全ての死の騎士(デスナイト)に告げる』

 

 12体全ての死の騎士(デスナイト)へメッセージの魔法を繋げ、驚くほど低く冷淡な声でモモンガは次の命令を下した。

 

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 王都の各地で耳をつんざくような叫びが木霊する。

 その様相はまさに阿鼻叫喚の地獄絵図。

 今までの混乱とは訳が違う。正真正銘の悪夢だ。

 

「やめて! 助けて!」

 

「嫌だぁ! 死にたくないっ!」

 

「ひぎゃあ! 痛い離してっ!」

 

 肉が裂け、血が飛び散り、四肢は吹き飛び、頭部は潰される。

 建物内だけではない。屋外でもその蛮行は繰り広げられる。王都の道や壁には潰れた人間の残骸がいくつもこびり付いている。その景色はまるで赤いペンキをブチ撒けたように赤一色。

 

 死の騎士(デスナイト)達はモモンガから下された命令を即座に実行に移していた。

 確保して引きずり回していた八本指の人間達を次々と殺していく。ただ、殺すにあたってモモンガから一つだけ条件が付けられていた。

 それは直接その手で殺さない事。

 モモンガは死の騎士(デスナイト)の特殊能力を忘れていなかった。死の騎士(デスナイト)が殺した相手は従者の動死体(スクワイアゾンビ)へと変わり、さらに従者の動死体(スクワイアゾンビ)が殺した相手は動死体(ゾンビ)へと変わる。

 そうなってしまっては被害は八本指以外にも広がる。それはモモンガの望む所でない。故に直接その手で殺すなという条件が付けられた。

 最初にモモンガは目の前で女性を犯していた男で実験をした。死の騎士(デスナイト)が壁に投げつけ殺した相手が従者の動死体(スクワイアゾンビ)となるのかどうか。

 答えはならない、だった。あくまで直接の死因は壁に激突した衝撃であり、その時にはすでに死の騎士(デスナイト)の手を離れている為、直接殺したという判定にはならなかったようだ。

 故にモモンガのその命令を遂行する為に死の騎士(デスナイト)達は各地で捕まえた八本指の人間を壁や地面に叩きつけ殺していったのだ。

 その理由は従者の動死体(スクワイアゾンビ)を生み他に被害を出さない為という良心的なものであるが景色はそうは映らない。潰れたトマトのように、骨や肉、脳や臓腑を血と共にブチ撒け、通りを赤く染めるその様相は残虐などという言葉では済まないものだ。恐らく剣で斬り殺していた方が視覚的にはまだマシであったろう。

 事情を知らない者からすればこれ以上ない恐怖であり、狂気だ。

 

 八本指の8部門のうち、警備部門を除く7部門はすぐに壊滅した。

 死の騎士(デスナイト)の前ではいくら巨大な犯罪組織の長達とて逃げる事は出来ず、全員が容易く叩き殺された。もはや潰れた顔からは誰だったのか判別がつかない。その他の有象無象同様、等しくミンチだ。彼等だったと証明するのは身に付けていた高価な物だけだ。血に染まり、肉片がこびり付いた今、もはや価値など無いが。

 

 その虐殺を目にしてしまった一般人はもちろんだが、最も恐怖したのはそれを目の前で見た貴族や役人達だろう。彼等は八本指の情報を吐いた後も死の騎士(デスナイト)に引き摺られ連れ回されていた。

 殺害対象は八本指だけなのだが当の貴族や役人達がそれを知る筈も無い。突如、何の脈絡も無く行われた大虐殺の前に震えるしか出来ない。次は自分達が殺されるのだと誰も信じて疑わなかった。

 

「許して…! 許して下さい…!」

 

「お、お願いします! お、お金なら…お金ならいくらでも払いますから…!」

 

「ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 殺害されていく八本指の者達を前に貴族と役人達の絶叫が響く。

 誰もが泣きながら頭を地面に擦り付け糞尿を垂れ流す。これ以上ないのではないかという程、みっともなく命乞いをする。人としての尊厳などかなぐり捨てひたすら望めない慈悲に縋ろうとする。

 だがモモンガの命令の中に彼等の殺害は入っていない。このまま時間が経てばこの恐怖から彼等は解放されるだろう。しかしそうはならない。

 全てが終わった後、彼等の前に不死の王がその姿を晒す事になるからだ。

 

 

 

 

 各地の死の騎士(デスナイト)達が順調に命令を遂行していく中、1体の死の騎士(デスナイト)だけは手古摺っていた。

 それは八本指の中で警備部門を担当する六腕の元へ向かった死の騎士(デスナイト)

 六腕の拠点の場所は他の八本指の者から入手できたので見つけ出すのは難しくなかったのだが、アダマンタイト級冒険者に匹敵すると言われる六腕が五人も揃っていては流石の死の騎士(デスナイト)とは言え1体では厳しいものがあった。しかも直接殺してはいけないという条件付きなのだ。下手すれば返り討ちに遭う可能性すらあった。

 そう死の騎士(デスナイト)からの報告を受けたモモンガ。すぐ他の死の騎士(デスナイト)を応援に向わせようかと考える、が。

 

「いや…、俺が直接行くか…。どれだけ腐った連中なのかこの目で確かめさせてもらおう…」

 

 

 

 

「ちくしょう! なんなんだよコイツは!」

 

「固すぎて刃が通らねぇ…!」

 

「ボスどうにかして! 私達の攻撃じゃ厳しいわ!」

 

 突然、アジトに侵入してきた死の騎士(デスナイト)を前に弱音を吐く3人の者達。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 咆哮と共に死の騎士(デスナイト)が拳を振り、盾を振り回す。だが本気ではないその攻撃でも彼等には十分脅威だった。

 それに彼等の攻撃はいずれも有効打にならない。

 

 “空間斬”ペシュリアン。

 1メートル程度の鞘から抜き放った一閃で3メートル近く離れた相手を両断する魔技を使う事により名づけられた二つ名。

 だが実際に空間を裂いている訳では無い。その正体はウルミと呼ばれる刀身の柔らかい剣。よく曲がりよくくねる。彼が持つのはそれを極限の細さにまで削った、いわば斬糸剣ともいうべき武器。金属で出来た細い鞭のようなものだ。

 振るった際に鞭の先端部分の速度が桁外れである為、光の反射しか残さず相手を切り捨てる事が出来るのだ。

 だがそれは相手が生身であるからこそ。

 例え、その斬撃が体に当たったとて深刻なダメージを受けない死の騎士(デスナイト)の前ではただのトリックにも等しい。

 

 “千殺”マルムヴィスト。

 彼の持つ薔薇の棘(ローズソーン)と呼ばれるレイピアには二つのおぞましい魔法付与(エンチャントメント)がされている。

 一つは肉軋み(フレッシュグラインディング)。突き刺さった瞬間、周りの肉を捩じりながら中へと食い込んでいく力だ。これによって周囲の肉を引き千切る事が出来る。

 もう一つは暗殺の達人(アサシネイトマスター)。傷口を開くことで掠り傷でも深手となる魔法の力である。

 この二つの魔法付与(エンチャントメント)に加え、薔薇の棘(ローズソーン)にはもう一つ恐るべき特徴があった。

 その先端には致死の猛毒が塗られているのだ。対策が講じられていなければ人類最強級の戦士でさえ倒す事が可能な武器である。

 だが死の騎士(デスナイト)には肉が存在しない。さらにアンデッドであるその身体には毒も効かない。さらに加えて言うならば刺突武器は相性が悪かった。

 結果として、マルムヴィストの攻撃は死の騎士(デスナイト)に何の痛痒も感じさせない。

 

 “踊る三日月刀(シミター)”エドストレーム。

 舞踊(ダンス)と呼ばれる魔法付与(エンチャントメント)が存在する。名前の通り、武器が踊るように動きだし自動で攻撃するというものだ。

 ただしこの舞踊(ダンス)は単調な動きしか出来ない為に主武器として使用するのには適していない。使用者の思考力に応じて動きが左右されるのだが人間の認識能力には限界がある。

 だが彼女は違った。生まれつき常人とはかけ離れた脳を持って生まれてきた。脳が二つあると形容してもよい程の異常な能力。それこそが平凡な魔法付与(エンチャントメント)である舞踊(ダンス)を人類最高の高みまで引き上げた。

 彼女の周りに浮かぶ何本もの剣はまるで結界。侵入者の命を確実に奪う檻だ。

 ただ、死の騎士(デスナイト)には奪うべき命など存在しないのだが。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 咆哮と共に死の騎士(デスナイト)の追撃が襲い掛かる。

 ペシュリアンは押しつぶされ、マルムヴィストは吹き飛ばされ、エドストレームの結界は粉砕された。

 三人とも辛うじて命は失っていないものの、すでに満身創痍だ。現在、すでに地に伏しているサキュロントと同じ運命を辿る事になるのは時間の問題だろう。

 

 “幻魔”サキュロント。

 彼の能力は幻術師(イリュージョナリスト)として全身や体の一部の幻を魔法で作りながら戦うというものだが戦士としての能力は高くない。あくまで幻で相手を幻惑しながら戦うというスタイルが主であり、純粋な戦闘能力では他の六腕のメンバーには格段に劣る。

 その証拠に彼はすでに事切れて地に伏している。

 ただそれは死の騎士(デスナイト)に幻が通用しなかったのか、あるいは幻ごと叩きのめされたのか今となってはもう誰にも分からない。

 

「クソが…!」

 

 倒れた六腕を横目にゼロが舌打ちをする。

 

 “闘鬼”ゼロ。

 八本指最強の戦闘部隊『六腕』のリーダーである彼の実力は本物だ。裏の世界では最強を自負しているが、実際に周辺国家最強とも謳われる戦士とですら勝敗の分からぬ勝負を出来る男である。

 

「ナメるなよ…、アンデッドが…! 確かに貴様は強い…! だが今までの戦いを見た限り、俺の方が強いぞ…!」

 

 修行僧(モンク)を極めた彼の武器は己の拳である。打撃を中心とする彼の攻撃はアンデッドに対して非常に相性が良い。格上である死の騎士(デスナイト)にさえその攻撃は通用するだろう。しかも剣による攻撃が出来ない現在の死の騎士(デスナイト)であれば勝利することも不可能ではない。

 

「かぁぁぁあぁああ!!!」

 

 ゼロがそう叫ぶと同時に身体が膨れ上がり、爆発的な力が溢れ出す。

 シャーマニック・アデプトというクラスがある。1日の使用回数に制限こそあるものの、体に描かれた動物の刺青から動物の魂を憑依させ爆発的な身体能力を得る事が出来るというものだ。

 ゼロはそれを全身に入れている。

 足の(パンサー)、背中の(ファルコン)、腕の(ライノセラス)、胸の野牛(バッファロー)、頭の獅子(ライオン)

 それら全て同時に起動したゼロの身体能力は人間の域を超える。この状態であれば、彼に勝る身体能力を持つ人間は存在しない。それほどの高み。

 

「フン!」

 

 体内で燃え上がる熱を煙のように口から吐き出し、踏み出す。

 ゼロの最大の攻撃。それは正面からの拳による単純な一撃、正拳突きだ。

 何の駆け引きも捻りも存在しない一撃であるがそこに込められた力は想像を絶する。人間の視認速度を超えるが故、ゼロ自身にも制御が難しい。その破壊力は想像を絶する。

 ありとあらゆるものを置きざりにするような感覚でゼロが歩を進める。瞬き一度程の時間で死の騎士(デスナイト)の前に到達し、全身全霊を込めた触れるもの何もかもを打ち砕く究極の一撃を放つ。

 その拳が死の騎士(デスナイト)の身体に突き刺さると爆発するような力が吹き荒れる。死の騎士(デスナイト)の巨体が容易く宙に浮きそのまま大きく後ろに吹き飛ぶ。

 鎧が凹み、内部の骨にまでダメージを与えたその一撃は、吹き飛んだ先で死の騎士(デスナイト)が壁に激突しても勢いは衰えない。建物の壁をいくつも破壊してやっと、死の騎士(デスナイト)の身体が止まった。

 

「す、すげぇ…!」

 

「流石ボス…!」

 

 倒れていたペシュリアンとマルムヴィストが感嘆の声を上げる。しかし。

 

「オォォォォオオオ…!」

 

 崩れた壁や瓦礫を押しのけながら死の騎士(デスナイト)が立ち上がる。ゼロと相性が悪く、さらに全力の攻撃が出来ないとはいえモモンガのスキルにより強化された死の騎士(デスナイト)はゼロのレベルを凌駕している。

 ゼロの攻撃がいくらダメージを与える事が出来ても、そんな相手を一撃で屠りさる事など出来る筈が無い。

 

「化け物が…!」

 

 己の最強の一撃を受け、なおも立ち上がる死の騎士(デスナイト)に冷や汗をかくゼロ。まさか自分の一撃を受けて立ち上がれる者がいる等、考えた事も無かったのだ。実際それを目の当たりにした衝撃は計り知れない。

 だが現在の死の騎士(デスナイト)ではゼロを殺しきるのは難しいだろう。戦いは長引くだろうが、恐らくゼロが勝利する。しかし。

 

「そこまでだ死の騎士(デスナイト)

 

 不意に声がした。

 だがこのアジトには六腕と死の騎士(デスナイト)しかいない。先ほどまではそうだった。しかしいつの間にかこの空間に1体のアンデッドが存在していた。

 その姿を確認した瞬間、六腕の面々に緊張が走る。それは今回の事件の元凶である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)

 たった1体で赤子の手を捻るように蒼の薔薇を撃退した怪物。ゼロとて八本指の他の長達の協力を必要とせざるを得ない程の相手。

 その身体から溢れるただならぬオーラに誰もが恐怖し震える。まるでこの空間の温度が急激に下がったかのような違和感。体が自分のものでないと錯覚する程に鈍く重い。まるで色の付いたような濃密な死の気配にアゴがガチガチとうるさいくらいに音を鳴らす。

 誰もが本能的に理解したのだ。

 今、自らの眼前にあらがえぬ死が迫っているのだと。

 

「た、助けて…」

 

 それはペシュリアンだったのか、あるいはマルムヴィスト、エドストレームなのか。誰のとも判断のつかぬ程か細く情けない声がどこからか漏れた。

 それを聞いた死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が怪訝そうに口を開く。

 

「ふむ、純粋な疑問なんだが…」

 

 アゴに手を当て、心底不思議そうに。

 

「お前たちは命乞いを聞き入れた事があるのか?」

 

 

 

 

 王都を蹂躙していた1体の死の騎士(デスナイト)の前にデイバーノックがその姿を現す。

 

「不死の王に仕える偉大なる騎士よ! どうか私を王の元まで連れていってくれないか? 私の忠誠をかの御方に捧げたいのだ!」

 

 膝を付き、敬意を払って懇願するデイバーノック。

 死の騎士(デスナイト)が振り返りその姿を確認する。死の騎士(デスナイト)はデイバーノックを知っていた。入手した情報の中にいたアンデッド。

 ()()()()()()()()()()

 

「オォォオォオオオ…!」

 

 死の騎士(デスナイト)の手がデイバーノックへと伸びる。

 デイバーノックにはそれが友好の証でない事がすぐに理解できた。

 

「ま、待ってくれ…、わ、私は…! 私は…!」

 

 デイバーノックの呟きが虚しく響く。

 死の騎士(デスナイト)は何も答えない。答える必要も無い。

 

 

 至高なる御方の命令は絶対。

 死の騎士(デスナイト)はただ従うだけだ。

 

 

 




モモンガ「八本指殺すべし」
八本指「アイエエ!?」

めちゃめちゃ期間が開いてしまいました…。
いやホント休みなかったんです許して欲しい…。
このままいけば第二のヘロヘロさんを狙える可能性もワンチャン…?

とはいえ次の話はなるべく早く投稿したいと思っています。
前作からの悪い癖が再び、本当は次の話までで1話の予定だったのですが入り切らず…。
貴族の話をかなり削ったつもりでしたがまだ長かったかな…?
個人的には微妙なトコで切ってる感じなので次話急ぎたいです…!

PS
時間なさすぎてまだ新刊読んでません…
おかしいな12巻が待ち遠しくてこれを書いたはずなのに読んでる暇が…うっ…


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王都崩壊

前回のあらすじ

モモンガさんマジ切れ!
命令を受けたデスナイト達が八本指を血祭りに上げる!



 血に染まった王都をクライムが走っていく。

 見渡す限りの赤、紅、朱。

 夥しい死が振り撒かれた王都は吐き気を催す臭気とは裏腹に、退廃的な美しさすら感じられた。

 とはいえその惨状を見たクライムが胸に抱いたのは、なぜ、という疑問だった。

 

「どうしてこんな事に…? 嘘だったんですかモモンガさん…! 誰も殺してはいけないって、そう言って、そう指示していたのに…!」

 

 泣きそうになりながらもクライムは足を止めない。必至に姿を消したモモンガを探して走り回っている。

 

「あの女性を助けた時の貴方はあんなに優しそうだったのに…! 貴方の言葉に心が奮わせられたのに…! だから私は貴方を…! どこに行ったんですかモモンガさん…!」

 

 この惨状を前にして改めてクライムは気付いたのだ。

 出会ってたった一瞬だったのにも拘らず、これだけ信頼し、また尊敬していたのだと。

 

「違うって言って下さいモモンガさん…、これは何かの間違いなんでしょう…?」

 

 淡い期待を抱きながらクライムは必死に自分に言い聞かせる。

 信じられないものを目にして、信じられない言葉を聞いた。信じられない事ばかりだったがそこにはクライムの望む何かがあった。

 

『困っている人がいたら助けるのは当たり前、ですよ』

 

 なんてことないそれだけの言葉だがクライムの心は激しく揺り動かされた。裏も無く、打算も無く、ただ純粋な善意からの言葉。それが本当に嬉しくて、感動した。

 しかもそれを実行できるだけの力をモモンガは持っていたのだ。だからこそ憧れた。

 

 だがこの現状はクライムの想いを否定する。

 

 どこもかしこも死体、死体、死体…。戦争でさえ生温く感じる程の狂気。人の形を為していないそれは死体と言うよりも肉片と呼ぶべきかもしれないが。

 

「モモンガさん…!」

 

 クライムはモモンガに会わなければならない。そう思っていた。

 モモンガが何を思い、何を為したのか。もしかしたら自分は騙されていたのかもしれない。会いに行けば殺されるかもしれない。だがそれでも。

 

『まぁ相手はカンストしてるでしょうから戦いになったら殺されると思いますがそれでも文句の一つくらいは言いたいです』

 

 モモンガが八本指を探しに行く前に言った言葉だ。カンストという意味は分からないが勝てないと分かっていても向かっていくという姿勢はクライムを震わせるには十分だった。

 シンプルであるがそれを実行できる者は少ない。

 誰だって殺されるのは怖い。仮に王国内の立場に置き換えて考えた場合、貴族に対して意見をするような事をすれば立場が悪くなるどころか国を追われることになる。逆らう事も出来ない。

 だからあの高潔な王国戦士長とて貴族共の言いなりにならざるを得ない時もあった。

 もちろん王国戦士長の肩には王の立場や民達の安全がかかっている。下手な事など出来る筈がない。クライムとてそうだ。自分が何かをすればラナー王女の立場を悪くする。

 だから、そんな事をすると言ったモモンガが輝いて見えたのだ。

 

 しかし現在クライムの前には残酷な景色が広がっている。逃げ惑い恐怖に怯える人々、アンデッドの被害には遭っていなくとも二次的な被害に遭っている者達は沢山いる。

 

「動くな、じっとしてろ…! すぐに神官様を探してくるから!」

 

「だ、誰か私の娘を見ませんでしたか!?」

 

「お兄ちゃん…! お兄ちゃんはどこ…!」

 

「誰かこの瓦礫を動かすのを手伝ってくれ!」

 

「向こうで私の母が怪我をしてるんだ! 誰か助けてくれ!」

 

「婆さん…、わしはいいからお前だけでも逃げるんじゃ…」

 

 混乱は沢山の問題を生む。

 皆がアンデッドから逃げようと無秩序に動き、統制を失い、情報が錯綜した。逃げ惑う人々が通りに殺到し、押し合いになる。それが何百人、何千人の規模になれば悲惨な事になる。

 子供や老人等、単純な押し合いで怪我をする者も出てくる。人混みの中で足を取られ転倒し、大勢に踏まれる者も出てくるだろう。人の波に押され、親と子供は引き離される。

 怪我人を助ける余裕など誰にも無い。普段なら何てことない怪我でさえ、取返しの付かない事になる可能性を秘めている。大規模な混乱が起きた場合、直接の被害が無くとも死傷者が0で済むという事は少ないのだ。

 

 王都の至る所から聞こえる悲鳴にクライムは頭を抱える。何も出来ない無力な自分を恥じる。今の自分には誰も助ける事が出来ない。

 ならばこそ、この元凶となったモモンガに会いに行く事。それが今、クライムに出来るただ一つの事だ。

 

 

 

 

「嘘だ…! 嘘だと言ってくれ! こんなの嘘だ…!」

 

 レエブン侯は泣きながら頭を地に擦り付けていた。目の前の現実が受け入れられない。己の判断を心から悔やむ。

 

「お願いだから目を開けてくれ! 頼む! 目を開けてくれ!」

 

 彼の前には小さな子供が倒れていた。幼子と呼ぶべき小さな子供。レエブン侯の愛息子だ。

 まだ死んではいないがほとんど虫の息。ヒューヒューというか細い呼吸音だけが喉から漏れ出ている。

 現実は驚くほどあっけなく、非情だった。

 

 王都を巻き込む大混乱によりレエブン侯の妻は息子と共に外へと逃げ出した。もちろん護衛の者達付きで。

 暴徒等が襲ってきても問題は無かっただろう。しかし彼等を襲ったのはそれではない。

 逃げ惑う人々の波だ。

 大勢の人間が通りを埋め尽くし、その膨大な数は多大な圧力となり人々へと襲い掛かる。それは逃げようとしたレエブン侯の妻や子供も例外ではない。

 彼等は単純に、圧し潰されたのだ。

 大勢の押し合う圧力というのは馬鹿に出来ない。それが生死のかかっている場面ならばなおさら激しくなる。こうなっては貴族も何も関係ない。誰も彼もが平等だ。クライムが見た人々同様、彼等も同じ目に遭っていた。

 

 レエブン侯の息子は人の波の圧力に耐えきれず多数の骨を折り、運が悪い事にそれらの数本が内臓に突き刺さってしまった。すぐに治療しないと命に関わる問題だ。

 レエブン侯の妻も息子を必死に守ろうと盾になろうとしたが抗える筈もない。息子は救えず、自分は手足の骨を折ってしまいその場から動けなくなってしまう。護衛の者達も助けを呼びに行ったが未だ戻っていない。

 

 レエブン侯がそんな事態に気づいたのはそれからしばらくしての事だ。

 彼の送り出した元オリハルコン級冒険者達と連絡が取れなくなった後、嫌な予感がして妻と息子を探しに出たのだ。そして、人の波が引いた大通りですぐに息子達を見つける事が出来たが結果は言うまでもない。

 

「いやだ…! いやだ…!」 

 

 神殿はもう機能していない。神官達とてどこにいるか分からない。それに息子はあまりに危険な状態の為、この場から安易に動かす訳にもいかない。

 絶望的な状況でレエブン侯はただただ嘆き己の判断を何度も何度も悔やむ。

 

 なぜ自分はラナー王女の、王国の為に自分の持つ最大戦力を投じてしまったのかと。

 元オリハルコン級冒険者達を妻と息子の護衛に付ければこうはならなかっただろう。彼等ならばこんな状況でも乗り越えてくれた可能性が高い。

 直接の被害に遭いはしないだろうと判断したレエブン侯の判断は間違っていなかった。むしろ正しかったと言っていい。

 だが身にかかる危険はそれだけでは無かったのだ。逃げ惑う人々に圧し潰されるなど想定していなかった。いや、聡明であるレエブン侯ならばそこまで想定しなければならなかっただろう。何よりも妻と子供を優先するならばどんな小さな危険性すら排除するべきだったのだ。

 

 レエブン侯は自分の愚かさを呪う。

 もう王国がどうなるかなどどうでも良い。国が滅びるならば滅びればいいのだ。

 王国の将来の為など考えなければ良かった。

 五歳になる我が子、それが何よりも優先されるものだ。

 この世に生まれ落ちた小さな命。ゆっくりと成長していくさま。病気にかかったことだってある。その時はどれだけ大騒ぎをしたか。呆れた妻を見て、半狂乱で叫んだ姿は今思い起こせば大恥だ。

 あのぷにぷにした手に薔薇のような頬。成長したら、王国で話題を集める青年になるだろう。

 自分より優れた才能を持つと確信する我が子。親の欲目と妻は言うがそんな事は決してない。

 そうだ。この子は自分の全てなのだ。

 それが失われるなど認める訳にはいかない。

 

 レエブン侯であれば王都の混乱を多少なりとも抑える事が出来ただろう。

 だが絶望の淵にいる彼にはもはや不可能だ。

 結果として、王都の混乱を抑えられる可能性のある者は現状としてほぼ皆無に近い。

 

 

 

 

「ふむ、純粋な疑問なんだが…」

 

 アゴに手を当て、心底不思議そうにモモンガが問う。

 

「お前たちは命乞いを聞き入れた事があるのか?」

 

 その問いは死刑宣告に等しい。命乞いなど聞かないという意思表示に他ならないからだ。

 

「ひっ…! やだ…! やだぁ…!」

 

「許して…許して下さい! もうしませんから…!」

 

「嫌…、嫌…! こんな所で死にたくない…!」

 

 アダマンタイト級冒険者にも匹敵すると言われるペシュリアンとマルムヴィスト、エドストレームから耳を疑うような情けない声が発せられる。

 ただモモンガ的には脅し文句のつもりはなく、単純に他者の命乞いを聞かないような者達がなぜ自分の命乞いは通用すると思うのかという疑問だったのだが彼等にはそう聞こえなかったようだ。

 

「お、俺、あります! 命乞いをした奴を助けた事あります!」

 

 マルムヴィストが必死の作り笑顔でそう叫ぶ。

 

「だ、だから…! だからお願いします…! へへ…!」

 

 どう贔屓目に見ても嘘と分かるような態度だった。とはいえそれが嘘だと断言は出来ないが八本指としての情報を得ていたモモンガは彼等がそんな事はしないだろうと理解していた。

 脅し文句や金銭を引っ張る為にそういう状況に追い込む事はあるだろうが、本当の命乞いをしなければならないような相手を犯罪組織が許す筈などないからだ。

 

「マ、マルヴィスト貴様っ…!」

 

「ず、ずるいわよアンタだけっ…!」

 

「うるせぇ! お、俺はお前らと違うんだ! お、俺は命を大切にする奴なんだぜ! へへっ…!」

 

 妙に勝ち誇ったような顔でそう口にするマルムヴィスト。

 

「ね、ねぇアンデッドの旦那…! お、俺は役に立ちますぜ…? な、何でも言う事…」

 

「少し黙れ《エクスプロード/破裂》」

 

 マルムヴィストに手を向け魔法を放つ。次の瞬間、マルムヴィストの身体が爆散する。後には何も残らない。

 モモンガはこの男から得られるものは何も無いと判断した。

 

「さて、君たちも何か言いたいことがあるかな?」

 

 ペシュリアンもエドストレームも何も答えられない。その容赦のなさに絶句し身を強張らせる。

 

「調子に乗るなよ、死者の大魔法使い(エルダーリッチ)風情が…」

 

 だがここでモモンガに対してゼロだけが未だ威厳を保っていた。圧倒的な死を前に自分を見失わずにいれるゼロは本物の強者であるのだろう。

 感覚を研ぎ澄ませ、殺気を滾らせモモンガを睨みつける。

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と同列に語られるのは癪だが…、まぁいい。お前が八本指を構成する8つの組織の内の一つ、六腕のリーダーだな? 色々と聞きたいことが…」

 

「かぁぁぁあぁああ!!!」

 

 モモンガの言葉を待たずゼロは攻撃を仕掛ける。死の騎士(デスナイト)を吹き飛ばした時と同様の一撃をモモンガへ加えようと踏み出す。

 シャーマニック・アデプトの効果はまだ切れていない。再び最強の一撃を放つことが出来る。

 ゼロの読みでは死の騎士(デスナイト)よりモモンガの方が強いのであろうが、防御力に関してはそうでないと踏んでいた。

 その根拠は魔法詠唱者(マジックキャスター)である死者の大魔法使い(エルダーリッチ)と戦士である死の騎士(デスナイト)、どちらが固いかという単純なものだったが間違ってはいない。

 実際に現在のモモンガより防御特化の死の騎士(デスナイト)の方が防御力は高いからだ。ゼロの一撃が当たればモモンガとてダメージを受けるだろう。

 

「《デス/死》」

 

 しかしゼロの拳が届く前にモモンガの魔法が唱えられる。

 何も起きていないように誰の目にも映ったが次の瞬間、力なくゼロがその場に倒れる。糸の切れた人形のように崩れ落ちたゼロはもうピクリとも動かなかった。

 

「ボ、ボスッ…!」

 

「ひぃっ…」

 

 ただ一つ付け加えておくと、あくまでゼロの攻撃がモモンガにダメージを与えられるというのはモモンガの素のステータスに対してという意味だ。

 現在のようにユグドラシルでの最高クラスの神器級(ゴッズ)アイテムで身を包んでいるモモンガにはゼロ程度の打撃など通用しない。

 どちらにせよ中位物理無効化Ⅲというスキルがある為、仮に裸でも30レベル程度までの物理攻撃はモモンガには意味を成さないのだが。

 

「しまった、つい反射的に魔法を撃ってしまった…。色々聞こうと思っていたのに…」

 

 PVPの癖か攻撃を仕掛けられると思わず反応してしまう。やれやれと一人ごちながら残ったペシュリアンとエドストレームを見つめるモモンガ。

 

「はぁ、しかしそもそもが弱すぎるぞ…。お前達は人類最高峰の強さを持つアダマンタイト級冒険者とかいう奴等と同格なのだろう? この程度の魔法で死ぬとは思えないんだが…。今の俺程度に瞬殺されてどうするよ…」

 

 ペシュリアンとエドストレームの口からはもう悲鳴すら漏れない。想像を絶する恐怖の前にただただ戦慄する。自分達が最強と疑っていなかったゼロがあっさりと、信じられない程あっさりとやられた。

 冗談か何かのようだった。現実味が無い。出来の悪い喜劇か何かを見ているようだ。自分達を騙す為にゼロが悪ふざけをしているのではないかとすら思える。

 だが倒れているゼロの顔色は生きている者のそれではない。本当に死んでいる。

 

「あぁぁああぁぁあっ!! 嫌だっ!! 死にたくない死にたくないっ! なんでっ! なんでこんなことに! 嫌だぁ! 助けて助けて! あぁぁぁああぁあ!!」

 

 恐怖に耐えかねペシュリアンが発狂する。子供のように喚き散らし倒れたままジタバタと暴れる。

 

「見苦しい…。こいつらに何か聞くのは無理か…。《チェイン・ドラゴン・ライトニング/連鎖する龍雷》」

 

 モモンガが両手からそれぞれ一本ずつ、のたうつ龍のごとき雷撃を打ち出す。

 それは蒼の薔薇に対して放った魔法だ。

 

「ひぎぇ…」

 

 叫び声を上げたペシュリアンがあっという間に消し炭になる。

 

「ふむ…。あのアダマンタイト級だという蒼の薔薇はこの魔法でも死ななかったしな…。こいつらがアダマンタイト級だというのはハッタリか何かか…」

 

 死の騎士(デスナイト)が入手した情報の中で八本指と因縁の関係にある蒼の薔薇の話が出て来ていた。それがこの世界に来てモモンガが遭遇した女性達だというのはその時に知ったのだ。

 

「やはり逃げておいてよかったな…。あれがこの国最強の冒険者とやらだったとは。忍者は見間違いではなかったか…」

 

 モモンガはそう納得する。ナメプをされている内に逃げ出せたのは僥倖だった。

 

「さて残りは一人か…」

 

 モモンガがエドストレームへと近づく。

 

「ひっ…」

 

「何をそんなに怯えているんだ…? さんざん人を貶め甘い汁を吸ってきたのだろう? 大勢殺してきた筈だ…。今度は自分の番が来ただけじゃないか。その覚悟があってこういう道に進んだんじゃないのか?」

 

「わ、私っ…、私は…!」

 

「?」

 

「私はこれでも、か、体に自信があって…、よ、容姿だって悪くないと思うし…、その…」

 

 エドストレームは必死に生き延びる術を考えていた。他の六腕が皆殺された今、何か彼等と違うものを売りにしないと生き残れないと踏んだのだ。

 戦闘能力という点に至ってはもはや意味を成さない。自分よりも強いゼロでさえ瞬殺されたのだ。

 彼等と自分の違う点は一つのみ。女性であるという事。

 

「だ、男性を喜ばすのは、た、多分、いや、結構、出来ると、思う、思います…!」

 

 エドストレームの言葉を聞いてモモンガは唖然とする。その後、声を上げて笑った。

 

「はははははっ! もしかして私に色仕掛けか何かをするつもりかっ!」

 

 モモンガとて人並に女性に興味はあった。目の前にいるこの女性を美しいと感じる程度の感性もある。だがアンデッドの身体のせいなのか性欲のようなものは一切感じない。むしろエドストレームの提案に新たな疑問が湧く。

 

「しかし、だ…。アンデッドの私に色仕掛けをするということは…。通用するということか? つまり、この世界のアンデッドは性欲があるのか? そうなるとこの世界のアンデッドは俺の知っているものと状態異常への耐性が違う可能性が…、いや他も違う可能性…?」

 

 ブツブツと独り言を繰り返すモモンガを前にエドストレームは自分の提案が失敗した事を悟った。エドストレームとてアンデッドに色仕掛けが通用する等と思っていない。切羽詰まった状況で自分を売り込む要素が他になくてつい口走ってしまっただけだ。

 目の前の死者の大魔法使い(エルダーリッチ)が自分に対して何の価値も感じていないのを理解すると共にエドストレームは全てを諦めた。

 

「まぁこの世界のアンデッドの事はおいておいてだ…。俺に色仕掛けは通用しないぞ?」

 

「ですよねー…」

 

 それがエドストレームの最後の言葉となった。

 

 

 

 

 六腕を片づけた後、建物から出たモモンガの視界に王都の街並みが映る。

 赤く染まり、至る所に人間であっただろう欠片が飛び散っている。

 

「これは…、そうか俺がやらせたのか…」

 

 激昂していた為、六腕の拠点に来るまでは気付かなかった。少し冷静になって改めて自分のした事が理解できた。

 

「人を…、殺してしまったんだな俺は…」

 

 死の騎士(デスナイト)に命令しただけで直接手を下した訳ではないとはいえこれはモモンガがやったに等しい。いや、モモンガがやったのだ。

 だからこそモモンガはとてつもないショックを受けていた。あまりの衝撃に自分の精神が崩壊するような錯覚さえ覚える程に。

 

 人を殺してしまったからではない。

 これだけの人を殺し、悲惨な現状を見てなお、()()()()()()()()()()()

 

 死を前にして憐憫も憤怒も焦燥も完全に欠落していた。

 テレビでの動物、もしくは昆虫を見るのにも等しい感情。

 罪悪感も恐怖も混乱も、一切生まれない静かな湖面の如き心。それは何故か。

 

「肉体だけでなく…、心まで人間をやめてしまったということか…」

 

 自嘲気味にフフッと笑うモモンガ。悪人だけとはいえ、一つの街を血で赤く染めて何も思わないなど、もはや人間ではない。

 もしかしたら突発的な怒りに駆られ、八本指を皆殺しにする命令を下せたのもアンデッドだったからなのかもしれない。

 

 これからどうしたらいいのだろうか。

 人間でなく、アンデッドとなってしまった事を理解した瞬間、モモンガは孤独感に襲われた。

 

「異世界で…、知り合いも誰もいない…。一人ぼっちか…」

 

 そう口にして、気付いてしまった。それは気付かない方が良かったかもしれない真実。

 

「ははは…、現実世界(リアル)と何も変わらないじゃないか…。親も友達も彼女も誰もいない…。俺にとってここと現実世界(リアル)と一体何の違いがあるって言うんだ…」

 

 心の拠り所だったユグドラシルも終了してしまった。

 現実世界(リアル)に帰れたとして死ぬまで働き続けるだけの日々しか存在しない。果たしてそんな場所に戻る価値があるのだろうか。それならばいっそ…。

 

「ふふ、そういう意味ではこのアンデッドの身体だけがあの栄光の日々の残滓か…」

 

 友との思い出が残るこの体だけが今のモモンガが唯一誇れるものだ。

 

「とはいえ…、こんな事をしてしまったらもうここにはいられないな…」

 

 罪悪感は無いとはいえ、自分の引き起こした事の重大さは認識している。このままこの都市に留まる訳にはいかない。

 モモンガはアイテムボックスから目立たないローブを取り出しそれに着替え、マスクを取り出す。アンデッドである事がバレるとそれだけで大騒ぎになるらしいと理解したからだ。

 

「そういえば空腹や疲れを感じない…。これはアンデッドの特性が生きているということなのか…?」

 

 そうであるならば好都合だ。

 食費等の生活費を稼ぐ必要も無い。

 

「自由に…、のんびりと世界を周るのも悪くないか…」

 

 本当にアンデッドなのだとしたら寿命すら存在しない筈だ。時間すら問題とならない。

 

「ただ…」

 

 まだモモンガの気は済んでいない。

 死の騎士(デスナイト)から八本指の報告を受ける過程でこの国の貴族や役人が彼等とズブズブだった事を聞いている。

 ある意味では真の元凶はそいつらとも言えるだろう。放っておくことなど出来ない。

 

 モモンガは死の騎士(デスナイト)へ新たな命令を下す。

 恐らく時間的にこれが最後の命令になるだろう。

 

死の騎士(デスナイト)達よ、八本指と関係のあった者達を全て集めろ』

 

 

 

 

 横で死の騎士(デスナイト)によって八本指の人間が次々と殺されていく中、捕まっていた貴族と役人達はただただ慈悲を乞うていた。

 いつ自分が殺されるのかという不安を抱えたまま必死に命乞いをしていた。

 やがて八本指の者達が全員殺されると次は自分達の番かと恐怖に身を竦ませるがしばらく待っても自分の番は来なかった。

 助かった、きっと誰もがそう思っただろう。

 しかし、わずかな空白の時間をおいて死の騎士(デスナイト)達は再び貴族と役人達を掴み、引き摺り歩き出す。

 

 主から新たな命令が下されたからだ。

 この愚かな下等生物を差し出す為に各地の死の騎士(デスナイト)達は主の元へ向かう。

 

 

 

 

 しばらくして死の騎士(デスナイト)達がモモンガの前に何人もの貴族や役人を引き連れてくる。

 予想よりも多い人数にモモンガは驚く。中には重症の為か気を失っている者がチラホラと見受けられる。一体死の騎士(デスナイト)達は何をやってたのだろう。

 何十人、いや何百人もの人間が次々とモモンガの前に放り出される。八本指との関係性はそれぞれであろうがこの都市だけでここまでいるとは思っていなかった。

 

(え、これだけ汚職に手を染めてる人間がいるの? ここの都市内だけでって事だよね? この国終わってない? それとも国って実際はこんなもんなの?)

 

 こういうものには疎い為、これが普通なのか異常なのかモモンガには計り知れない。

 だが、これだけの人間が手を汚しているという事実に再びモモンガの心に怒りの火が灯る。

 

「さて…、君たちは皆八本指との繋がりがあった者達らしいが…」

 

 とりあえずモモンガがそう切り出すと。

 

「助けて下さい! き、金貨ならいくらでも支払います!」

 

「わ、私だって払いますとも! 最高の絵画や彫刻だって!」

 

「い、命を助けてくれるなら何でも差し出します!」

 

「何でも準備致しますから! 女ですか!? 子供ですか!?」

 

「と、土地や権利だって出しますぞ!」

 

「も、もしこの国をお望みでしたら私どもが全力でバックアップ致しますとも!」

 

「う、うむ! わ、私も協力しますぞ! 貴方こそ王に相応しい!」

 

 貴族達が口々にモモンガへと媚びを売り始める。それは伝播していき、騒音となってモモンガに襲いかかる。それに耐えかね、モモンガが冷徹な声で告げる。

 

「騒々しい…、次に許可なく喋った奴は殺す…」

 

 嘘のようにピタッと声が止んだ。ここにいる者達のほとんどは馬鹿ではないし、実際に殺された者達を飽きる程見ている。だからこそ、その言葉が脅しではないと理解しているのだ。

 

「よし、静かになったな。それでは質問を始めようか…。あぁ、本音で頼むぞ。嘘はもちろん、適当に取り繕おうとした者も殺す。でだ、どうして君たちは八本指を野放しにするんだ…? それどころか手を結ぶ始末…。そんな事をすれば多くの民衆が苦しむと理解している筈だ…。なぜそんなことが出来る…?」

 

 だがその質問に対して貴族達は質問をよく理解していないのか、周囲の者と顔を見合わせている。

 八本指を野放しにする、そこまでは誰もが理解できていた。犯罪を生業とする彼等を良く思わない者達は当たり前だが多い。だが問題は民衆が苦しむという部分だ。

 

「あ、あの質問してもよろしいでしょうか…?」

 

 一人の貴族が手を挙げる。

 

「許可しよう」

 

 なぜか無意識的に大仰に振舞ってしまうモモンガ。恥ずかしくなるが今はそれどころではないので冷静なフリをする。

 

「は、八本指が犯罪組織だというのは理解しております…。しかしながら、その、や、やり過ぎた部分は確かにあったかもしれませんが彼等の存在は必要悪であったとも言えます…。わ、我々は日々、国の為に働いております…。我々がいなければ国は成り立ちません、下等な民衆の生活を保障し国を維持しているのは我々です…。そ、そんな我々に対して、この国の対価は見合ってない、と考えます…。だ、だからこそ、息抜きや正当な対価を貰うべく、民衆から徴収していたに過ぎません…。そ、そもそも彼等はもっと我々に感謝し、我々の為に働くべきだと思うのですが…」

 

 全員ではないだろうが、ここにいる者の多くがその言葉に同意するような顔をしている。

 

「……」

 

 自覚していない。そう思った。

 彼等はモモンガがイメージする腐った貴族というテンプレ中のテンプレだった。

 そもそもが自分達と一般市民を同列に考えていないのだ。同じ人間でありながら、自分達は選ばれ、優秀で、偉大で、国を為す崇高な人間。自分達によって生かされている愚かで無力な民達は、頭が悪く、努力も足りず、言われた事しか出来ない無能な人間なのだと。

 

 反吐が出る。

 

 自分達が潤うようにするのはいい。それを求めるのは当たり前の事だ。だが彼らが本当に優秀な人間であるのなら、下々の者達も笑って生きられる国を作るべきではないのか。

 誰かを犠牲に、足蹴にして得る利益を何の疑念も抱かず享受できるなど腐っているとしか形容できない。

 彼等の反応や口ぶりからすると、市民達を物か何かのように考えている気がする。取り換えの効くパーツか何かのような。

 

 とはいえ、実際に彼等は本当に国の為に働いているのかもしれない。もしかしたら彼等の言う通り、多少の犯罪も必要な事かもしれない。綺麗事だけでは物事を回らないのだから。

 

 だが、それでも。

 自分達は偉いからお前達はこき使われて当然だというような空気は容認できない。

 そうするのが正しいからとかそういう正義漢染みた事を言うつもりはモモンガにはない。

 ただ単純に、それが不快だからだ。

 

 使われる側の苦悩は十分過ぎる程に理解している。現実世界(リアル)でも貧困層だったモモンガはどれだけ努力してもそれが一定以上実らないのは知っている。企業の経営陣に逆らえば生きていけない。どれだけ酷い扱いを受けようと文句を言わず働き続けるしかない。

 利益のほとんどは富裕層が吸い上げる。

 貧困層に生まれた時点で、奴隷のように生きねばならない現実は変えようがないのだ。親のおかげで貧困層の中ではマシだったとはいえ、その現実から逃げる為にモモンガはユグドラシルに逃避した。作り物であったとしても、あそこにはモモンガの望む物が、冒険が、夢が、大事な友人達がいた。生きる希望をくれたのだ。

 

 ユグドラシルがなければ今のモモンガはいなかった。雲の上から貧困層を見下す者達をただただ呪って生きるだけだったかもしれない。死ぬまでずっと。

 

 目の前にいる者達はモモンガのいた世界の富裕層ではないし、この世界では彼らの理論こそが正しいのかもしれない。

 だがやはり、人間だった自分からは逃げられないという事だろうか。そこにかつての負の感情をどうしても重ね合わせてしまう。心が吹き荒れる。

 モモンガは社会の仕組みも、国としての在り方も本当の意味では理解していないただの一般人に過ぎない。表向きの情報しか知らず、真実など手にとれる筈もない。

 だからこそ綺麗事を夢想し、理想論に憧れ、それこそが正しいのではないかと信じた。叶わぬ願いだと知りながら。

 

 ここにいる貴族や役人達にとってはとばっちりだっただろう。

 そんなモモンガの身勝手で独善的な価値観によって断ぜられる事になるなど。

 

 ただ、誰が正しくて誰が間違っているのか。

 それは一体、誰が決めるのだろうか。

 

 

 

 

 全てが終わった後、モモンガは歩き出す。

 すでに捕まえた貴族や役人達はここから逃げ去った後である。有り体に言えば説教しまくったのだ。もちろん脅し込みで。とりあえず「次なんかやったら死を告げに行くから」と言ったら皆、卒倒しそうになってたなと思い出し笑う。

 彼等は犯罪を生業にする八本指とは違うので流石に殺しはしなかったし、その処分は国にこそ任せるべきだろうと考えた。そこまではモモンガが首を突っ込むべきではないと判断したのもある。

 

「殺しても良かったけどそれで国が崩壊したら本末転倒だしなぁ…」

 

 今回の事件は本質的には自分の為であるのだが、一応市民の為という側面もある。だからモモンガの行為によって国が滅んでしまえば苦しむ人々が出てくるだろう。民衆を苦しめるのはモモンガの本意ではない。

 

「さてどこに向かおうか…」

 

 当ても無く、適当な方向へと足を進めるモモンガ。

 

「蒼の薔薇だっけ? 彼女達に見つかる前に都市を出ないとなぁ…」

 

 蒼の薔薇――人類最高峰の強さを持つという冒険者達だ。

 戦った感じではカンスト級ではない気がするが、実際に最低60レベルは必要な忍者が2人もいることから決してレベルは低くないと想定できる。現在のモモンガにとっては十分過ぎる程に脅威なのだ。色々とやらかしてしまったのでモモンガを探しに来るかもしれない。なんとしてでも見つかる前に逃げるべきだろう。

 もし死の騎士(デスナイト)に蒼の薔薇について訊ねる機会があればボコボコにしましたという報告を受ける事が出来たのだろうがそうはならなかった。死の騎士(デスナイト)とて八本指殺害の命令が下されてからはそれに夢中で取るに足らない蒼の薔薇のその後については報告しようとは考えなかったのだ。

 結果、モモンガは蒼の薔薇の影に怯えたまま、そそくさとその場を後にする事にした。

 

 時間制限の関係かすでに死の騎士(デスナイト)達は消えている。

 だからモモンガはもう一人だ。

 その筈だったのだが。

 先ほどの説教後、なぜか同行者が一人増えてしまった。

 彼もモモンガ同様行く当てがないらしいし、モモンガも一人よりは寂しくないかと判断したのだが…。

 

「なんでそんなへりくだるかなぁ…、普通に接してくれればいいのに…」

 

 逆にこの状況で普通に接して貰えると思っているモモンガの方がどうかしていた。

 

 

 

 

 レエブン侯はたった数時間で死人のようにやつれていた。 

 元々、日光にあまり当たらないため肌は不健康な白色で実際の年齢よりも老けて見えるのだが、それを差し引いても酷かった。知っている人が見れば別人であると見間違う程に。

 

「うぅ…! うぅぅううう…!」

 

 五歳の息子に寄り添いレエブン侯は嗚咽を漏らす。

 刻一刻と死に近づく息子を前に彼はただ涙を流し、歯を食いしばるだけだ。

 もちろん考えられるだけの努力はした。

 何度も声を上げ助けを求めたし、近くにある助けを求められそうな施設まで足を走らせた。だが全てが徒労だった。

 息子を抱え上げようとすると、少し動かすだけで口から大量の血を吐いてしまうので動かせない。

 遠くまで助けを求めにいくべきかもしれないが安全を確保できない状態で怪我をした妻と瀕死の息子を置いていく事など出来ない。

 故に八方塞がりの状態でレエブン侯はここで唸るしか出来ない。

 息子の体温が徐々に下がっていく。呼吸音も小さく、少なくなっていく。

 命が、零れ落ちていくのを感じる。

 

「駄目だ…! 逝かないでくれ…! お願いだ…!」

 

 もうじき命の灯が消える。

 この小さな命が散る。

 それはレエブン侯の終わりと同義だ。

 彼の全てであるその命が消えればレエブン侯の存在意義も消える。

 レエブン侯の何もかもが崩れ去る。

 

 その終焉が訪れる刹那。

 

「こんな所でうずくまってどうしたんですか?」

 

 声をかけられた。

 どんな声だったのか覚えていない。

 ただ、反射的に声のする方へ振り向いた。

 仮面を被った奇妙な男だった。

 その仮面の男はレエブン侯の振りむいた隙間から倒れている子供の姿を見た。

 

「! た、大変だ…! 酷い怪我じゃないですか…!」

 

 その反応で初めて自分の危機を察してくれる人物が登場したと気づいたレエブン侯は喜びを隠せない。だが、全てはもう遅い。すでに信仰系魔法を使用したとして手遅れの段階だろう。

 だがレエブン侯はわずかな可能性に縋る。0に限りなく近かろうと、何もしなければ0なのだ。ここで労力を割くことに何の躊躇があろうか。

 

「ど、どなたか知りませんが助けて下さい…! 息子が…! 大事な息子なんです…! 何でも支払います! どんな要求でも構いません! 我が家の全財産を払ってもいい…! お願いします…! 我が名に誓って必ず…」

 

「いりませんよ」

 

「え…?」

 

 仮面の男はレエブン侯を制止しつつ、懐から一つの小瓶を出す。レエブン侯から見ても素晴らしい意匠の施された高価そうな品だった。その中には血のような赤い液体が詰まっている。

 だがレエブン侯は仮面の男の小瓶を持つ手に目がいく。

 骨の手だった。

 即座に血の気が引く。目の前にいる存在が何者なのか瞬時に理解した。

 

「あ…、あぁ…!」

 

 恐れおののくレエブン侯を落ち着かせるように仮面の男は優しく囁く。

 

「大丈夫です、これで助かりますよ」

 

 それは悪魔の誘いだったのかもしれない。恐らくこの王都を恐怖のどん底に叩き落した張本人、あるいはそれに連なる者。これはレエブン侯を陥れる為の罠かもしれない。

 だがそれが何だというのだろう。

 このままではレエブン侯の全てが終わるのだ。例え、悪魔、いや死者に魂を捧げたって惜しくはない。仮面の男の行動をただ黙って見守る事にするレエブン侯。

 

 仮面の男の持つ小瓶が開けられ、そこから血のような雫が流れ落ちた。

 その雫がレエブン侯の息子に注がれた瞬間、奇跡が起きた。

 

 まるで高位の魔法か何かのように瞬時に息子の傷が癒えていく。血色は良くなり、体温が戻っていく。あれだけか細かった呼吸音が嘘だったかのように今は力強く感じられる。

 レエブン侯の理解を超える何かがこの場で起きたのだ。

 

「あぁ…! あぁぁぁ!」

 

 言葉にならない。

 失われたと思った命が、レエブン侯の全てがこの手に戻ってきた。

 思わず息子を抱きかかえる。確かに感じる。幻ではない。息子は助かったのだ。

 

「……パパ?」

 

「っ!! うあぁあぁぁぁぁ…!!」

 

 息子の目が開き、寝起きのような気だるげな声でレエブン侯を呼ぶ。それが信じられないほど嬉しくて、感情が爆発する。人生でこれほど泣いた事がないだろうという程に嗚咽し体を震わせる。まだダダをこねる幼子のほうがマシであるぐらいみっともない姿だったが誰もそれを責める事は出来ないだろう。

 

「ありがとうございます! ありがとうございます!」

 

 レエブン侯が顔中から液体を垂れ流し仮面の男へと感謝を告げる。

 この男が何者でも構わない。本物の悪魔でも死者でも何でもいい。この男だけがレエブン侯を救ってくれたのだ。例え何を要求されようともレエブン侯は躊躇なくそれを叶えようとするだろう。

 

「必ず…! この命に代えてでも必ずお礼を…!」

 

「いらないって言ったでしょう?」

 

 仮面の男が優しく言葉を呟く。

 

「困っている人がいたら助けるのは当たり前、ですからね」

 

 レエブン侯の頭が真っ白になる。

 今までの既成概念が固定観念が、何もかもが崩れ出す。

 これは本当にレエブン侯の想定した人物だったのだろうか。本当に王都を陥れた張本人なのだろうか。もしそうだとするならば何か別の狙いがあったとは考えられないだろうか。

 何か思い違いをしているのかもしれない。

 目の前の男はアンデッドなどではなく…。

 

「あ、貴方は…」

 

 レエブン侯がそう言いかけるが仮面の男の方が先に口を開いた。

 

「そうだ、もしお願いを聞いてくれると言うのならこれで皆を助けてあげて下さい。どうやら怪我人が沢山出てしまっているようなので…」

 

 仮面の男が先ほどの小瓶を大量に取り出す。どこにしまっていたのだろう。何百本という人の腰の高さまでありそうな小瓶の山をその場に作った。

 

「こ、これは…?」

 

「今使った物と同じです。ただのポーションですよ」

 

 ポーション?

 だがそれはレエブン侯の知る物とかけ離れている。

 ポーションの色は青。それは揺るがぬ事実だ。

 だが広い知識を持つレエブン侯は聞いた事があった。

 

 ―真のポーションは神の血を示す―

 

 御伽噺の類だ。薬師達の間でも神の血は青いのだ、という冗談が交わされるほど。

 だが本当にそうなのだろうか。

 レエブン侯は先ほど、奇跡を目にしている。

 高位の魔法ですら助からないのではないかという死の間際にいたのにも拘らず嘘のように息子は回復した。

 疑いようが無い、本物だ。

 一本ですら値段の付けられない幻のポーションが目の前にこれだけ存在する。

 レエブン侯の口から渇いた笑いが漏れる。

 我が家の全財産を支払ってもいい? なんと愚かな。

 たかだか一貴族の財産など比べ物にならない破格の価値がここにあるのだ。はした金など求める筈がない。

 何より驚くべきはそれだけの価値の物を容易く投げ出した事だ。

 

「ま、まさか…、まさか貴方は…」

 

 なぜ真のポーションは神の血を示すと語られたのだろう。

 色だけで判断するなら血の色を示すという言葉だけで充分な筈だ。

 その効果を表現する為に神という比喩を使っただけなのかもしれない。

 しかし、もしそうではなかったら?

 その存在を証明するように、神の血を示していたとしたら。

 

 レエブン侯の消え入りそうな声は届かなかったのだろう。言葉を返す事なく仮面の男はその場を後にした。

 未だに何が起きたのかレエブン侯には全容を把握できていない。

 しかしどんな願いでも聞くと懇願した相手に頼まれたのだ。今は応えなければなるまい。

 

 レエブン侯はさっそく妻の怪我を治すと息子を預け、王都の怪我人を救うために単身走り始めた。

 

 

 

 

 夜が明け、王都を襲ったアンデッド達が姿を消した後、多くの貴族や役人が城に助けを求めにきた。

 誰も彼もが必死に自分の罪を白状し、保護してくれと懇願した。まるでそうしなければ誰かに殺されると確信しているように思えるほど焦燥感に包まれていた。

 そうして貴族や役人達の口からは数々の信じられない事が語られた。

 八本指と繋がっている者はもちろん、汚職に手を染めた者、違法な取引をしている者、国の存続に関わる暗部まで。

 いずれも証拠は出揃い、それが真実だと疑いのようのない事態になった。誰も言い逃れの出来ない状況。

 そこまで徹底出来たのは自首してきた貴族の力によるものが大きい。誰も彼もが罪を告白すると共に、完璧な証拠を提出したのだ。

 おかしな話だ。

 自分の罪を肯定する為に証拠を揃えるなど前代未聞であろう。

 しかもどこから漏れたのかその内容は瞬く間に民衆に伝わり、一晩にして王都だけでなく国中の貴族達の権威が地に落ちた。王族も例外ではなく、そういった貴族達を野放しにしてきた責を問われる事になった。

 もう国の維持など出来ない。

 本来ならばここからでも持ち直す事は出来ただろうが、謎のアンデッドの影に怯えながらではそれは不可能だ。誰も自分の力を誇示しようなどとは思わない。

 やがて何もかもが機能しなくなり、王国の全てが崩れ去る。

 

 そうしてリ・エスティーゼ王国は一晩にして、崩壊した。

 

 

 

 

 王城の自室から都市を見下ろすラナー。

 もはや形骸化した城で、しかも王女という肩書すら意味を成さなくなったのにも拘らずその表情は穏やかだ。

 城から追い出されようと、国を追われる事になろうともそんな事は問題ではないのだ。

 クライムが無事に帰ってきた。

 それだけが彼女の全てであり、他に求めるものなどない。今は事後処理に追われ忙しく走り回っているがそんなもの全て放ってずっと横に居てほしいと願う。クライムの信じるラナーを演じる為にも今は我慢しているが。

 

 王国はじきに帝国に併合されるだろう。

 現在、各地の不満を抑える為に貴族達から土地や財産を没収し、多くの民衆や、不当に扱ってきた者達への補填に当てているがそれも時間の問題だ。

 国として機能しなくなった以上、すぐに新たな問題が起きる。

 治安の悪化、起きる暴動。

 もうそれらを止める力は王国にはない。

 

 ただ唯一の救いは、王国がアンデッドに襲われ崩壊した哀れな国という図式になっていることだ。

 帝国からすればこのタイミングで手を差し伸べなければ、将来的に併合しようとしても反発が起きるだろう。人道的な面から見ても慈悲深い帝国を演出しなければならない。攻め入るなど以ての外だ。

 本来の狙いであった属国にしようにも王国としては破綻しているので帝国が直接統治しなければならず、慈悲深い帝国としては、王国民にも同様の権利を与えざるを得なくなる。帝国民として迎え入れなければならない。というより、そこまで出来なければ帝国を支配する鮮血帝のカリスマ性は失われる。

 弱った国を取り込み、良いように使ったとあっては周辺国家からも非難されかねない。

 邪魔者や無能な貴族をどれだけ処刑してきたとしても、弱った民草を無碍に扱って許される道理などないのだ。

 

 ラナーはふふっと厭らしく顔を歪める。

 鮮血帝にとって突然王国全土を支配しなければいけなくなるのは相当の負担であろう。もちろん将来的に考えれば王国を併合できるメリットは莫大だが今はそうではない。

 王族、貴族の権威が失墜した為、彼等に統治を任せる訳にはいかない。必然的に帝国内の人間を派遣しなければいけなくなる。大量の人材を派遣してしまえば当然、帝国内の統治が滞る。

 これから帝国は大変だろう。仕事は山積みなのに、それを帝国の人間だけで処理しなければならない。王国の貴族達を正式に断罪するのも彼等の役目になる。罪人を入れる牢屋も足りなくなるだろう。何もかもが追い付かない。

 何より、未知のアンデッドの被害にあった都市。その統治は繊細さが要求されるだろう。もしかしたら再び姿を現す可能性すらあるのだから。警戒も十分にしなければならない。

 数年は地獄だろうな、そう考えるとラナーは愉快な気持ちになるのだ。

 

「失礼します」

 

「どうぞ」

 

 ラナーの返事を聞くとクライムが入室する。

 

「おかえりクライム。それで被害の程は?」

 

「はい。王都内で死亡した者達はその全てが八本指に所属していた者達のようです。死体からは判別がつかなかったのですが生き残った者達に確認した所、民衆には大きな被害が無いであろうとの事です」

 

「そう…。凄いわね…」

 

 ラナーが感心したように小さく呟く。

 それは本音だった。

 

「クライムは聞いている? レエブン侯からの報告によるとどうやら民衆における怪我人すら現状でほぼ0、という事になっているようね」

 

「えっ、ど、どういうことですか!?」

 

 初耳とばかりにクライムが身を乗り出す。その言葉は信じ難かった。実際にクライムは見ているのだ。二次的被害に巻き込まれ怪我した多くの民衆を。

 

「聞いていないの? レエブン侯がどこかからか神の血と呼ばれる大量のポーションを持ち込み怪我をしている者達を治していったのよ。血を思わせる真っ赤なポーション…、瀕死の者ですら嘘のように回復したとか…」

 

「……!」

 

 ラナーの言葉にクライムの顔が驚きに包まれる。それはレエブン侯が大量のポーションを持ち込んだ事ではない。そのポーションに覚えがあったからだ。

 

「あら…、何か知っているというような顔ね? 教えてくれないかしら?」

 

「じ、実は…」

 

 そうしてクライムは語る。自分が見聞きしたもの全てを。

 

「そう…、そんなことが…」

 

「し、信じられないと思いますが…」

 

「信じるわ」

 

 クライムの言葉をあっさりと信じると口にするラナー。流石にクライムも驚きを隠せない。

 

「それに貴方の話でやっと話が繋がった。なるほどね…。ねぇ、クライム。レエブン侯に真っ赤なポーションを渡した人物がいるらしいのだけれどその人物が何と言って渡したか分かる?」

 

「い、いえ…」

 

「『困っている人がいたら助けるのは当たり前』、そう言ったらしいわ」

 

「な…!!」

 

「貴方が出会ったという人物と同じ台詞ね」

 

 ニコリとラナーが微笑む。

 

「貴方の言う通り、その人物がアンデッドだとすると…同一人物でしょう。とても信じがたい話ではあるのだけれど彼は王国を救ってくれた救世主と言えるわ」

 

「王国を…救った…?」

 

「ええ。一晩にして王国の膿を取り除き、あらゆる理不尽から民衆を救った…。もちろん強引なやり方ではあったでしょうけれど他にこの膿を取り出す手段なんて無かったわ…。それに二次的な被害を受けた民衆へのアフターケアもしてくれたようだし…。結果として善良な者の被害は0。国としては存続できないかもしれないけれど帝国に併合されれば以前よりも真っ当な国として蘇る事が出来る…」

 

「……!!」

 

「元々は私達王族が無能だったのがいけないのです…。そういう意味では私達の手を離れた方が民衆は幸せに暮らせるでしょう」

 

「そ、そんなラナー様は…」

 

「いいのよクライム。それに、今は感謝しましょう。民衆を救ってくれたその偉大なる不死者に…」

 

 結局クライムはモモンガを探し出すことは出来なかった。それからずっと心に黒いものが渦巻いていたが、ラナーの言葉によってクライムがモモンガに抱いていた疑念は全て氷解した。

 やはり間違っていなかった。

 僅かでも疑った自分をクライムは心から恥じる。あの方は偉大で、慈悲に溢れ、理想を形に出来る力を持っている。

 そう感じたクライムは確かに間違っていなかったのだ。自分の望む正義を体現してくれる人物がいる事に喜びを隠せない。感動の余り、ラナーの前でありながらクライムは涙を流した。

 

「あらあら…、しょうがないですねクライムは」

 

「ラ、ラナー様っ…!?」

 

 ラナーがクライムを優しく抱き寄せる。

 

「私が王女でなくなるのも時間の問題…。何も気にする事などないわ…。ねぇ、クライム、一つ聞いてもいいかしら」

 

「は、はい、ラナー様」

 

「私が王女でなくなっても…、貴方はずっと私の騎士でいてくれますか…?」

 

「!! と、当然です! 何があろうと私がラナー様を一生お守りします!」

 

「そう、ありがとうクライム」

 

 クライムの瞳の外でラナーが悪魔のように顔を歪める。

 王女という肩書などラナーにとっては邪魔なだけだ。自分とクライムの仲を切り裂く忌むべきもの。それが取り除かれる。その一点に関してだけは例のアンデッドに感謝してもいいだろう。

 クライムが助けたという女などは本当ならどんな手を使ってでも殺している所だがそのアンデッドが手ずから救った者だ。さすがに手を出すのは危険であろう。それに今はあのレエブン侯の所でメイドとして働いている。

 問題はレエブン侯なのだ。

 彼がいれば帝国併合後にも色々と動いて貰えただろうが今はもう不可能だ。

 

 レエブン侯はすでにあのアンデッドに()()()()()()

 

 民衆を直接救った事で多大な支持を受けている彼は今回の事件で数少ない無事な貴族の一人だ。帝国併合後も国の為に尽力してくれるだろう。しかしあの狡猾で計算高いレエブン侯はどこかへ消えた。人が変わったようなその姿は狂信者を思わせる。

 あれが魔に魅入られた者の末路か、とラナーは思う。

 今のレエブン侯はもうラナーにはコントロール出来ない。王国内で味方になり得る数少ない優秀な人物を失ってしまった事は素直に痛手である。

 そして例のアンデッドのしたたかさを痛感するラナー。何を目的に王国へ訪れたかは不明だが今回の事件の手際は見事と言う他ない。恐怖だけであそこまで人を動かせるのかと素直に驚いた。

 見方を変えるだけで善にも悪にもなりそうな二面性を孕んだ恐ろしい存在。上がってくる情報だけではとてもではないが全容を把握できない。

 レエブン侯という優秀な傀儡を手に入れた手腕も素晴らしい。将来を見据え、この国に何らかの種を蒔いたということだろうか。

 

 とはいえ、今は自分の行く末を考えねばならないが多少は運を天に任せるしかあるまい。

 それに心配せずとも鮮血帝ならば自分を無碍には扱わないだろうという確信もある。役に立つ情報を提供できる限りは。

 だから今はただ抱き寄せたクライムの温度をこの肌に感じるだけだ。

 

 あぁ、クライム、クライム。私の、私だけのクライム。

 首輪を着けて一生飼い殺しにしたいほど、狂おしいほど愛している。

 誰にも渡しはしない。神だろうと悪魔だろうと、あの不死者にだろうと。

 クライムは私のもの。

 

 私の、全て。

 

 

 

 

 王国の片田舎、草原が広がる場所で彼等は先行部隊の報を待つ。

 だが彼等の耳に入ったものは望んだ報では無かった。

 

「た、隊長! ニグン隊長!」

 

「どうした? 獲物が檻に入ったか?」

 

「ち、違いますっ! 本国からです! お、王国が滅びたとの事! 陽光聖典は即座に任務を中断し本国に撤退せよとの事です!」

 

「な、なんだと!? ど、どういうことだ!?」

 

「な、謎のアンデッドがどこからか突如現れたようです…! あ、蒼の薔薇でさえ返り討ちに遭ったとか…。 もはやガゼフ・ストロノーフなどに構っている事態ではないようで…! 上層部の話ではもしかすると復活を予言されていた破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)ではないかとも…!」

 

 ニグンと呼ばれた隊長を含め、周囲にいる隊員達はその報告に絶句する。

 突然、王国が滅びたと言われても誰も受け入れる事が出来ないだろう。

 そして、破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の復活。

 もしそうならば国の存続どころではない。最悪、人類の存亡がかかっている。

 

「た、隊長…?」

 

「す、すぐに撤退する…。確かにガゼフどころの話ではないようだな…。しかし、なんということだ…。おぉ、神よ、どうか我らを救いたまえ…」

 

 ニグンは先行部隊を呼び戻し本国への撤退を開始する。

 想定外の事態に唖然としながらも、蒼の薔薇が返り討ちに遭ったという一文だけは彼の心に一時の清涼感をもたらした。

 

 

 

 

 王国の端に位置するカルネ村。

 そこには王国戦士長をはじめとする直属の部下達がいた。

 

「ガゼフ戦士長、どうやらこの村は無事のようです…!」

 

「うむ、間に合ったか。良かった…」

 

 ガゼフと呼ばれた男はホッと胸を撫で下ろす。自分達が生きて帰れるかは不明だが、少なくとも村の者達が虐殺されるのは防げると思ったからだ。

 だが遠くから早馬で駆けてくる王国の使者が姿を現した。

 

「戦士長ーっ!」

 

 ガゼフ達の姿を確認するとその使者が必死に腕を振る。ガゼフの元に着いた時にはその姿から何日も休み無しで飛ばしてきたのだろう気配が窺えた。

 

「どうした? 何かあったのか?」

 

「そ、それが…! それが! お、王都が! 王都にアンデッドが現れて…!」

 

 使者の言葉を最後まで聞いていく内にガゼフとその部下達の表情が色を失なっていく。

 

「そ、そんな…! そんなことが…!」

 

 自分が不在の間に王都に危機が訪れていた事に絶望し歯噛みするガゼフ。

 その場にいた誰もが帰るべき国が無くなった事実を受け入れる事が出来ず、ただただその場に立ち尽くしていた。

 

 

 

 

「ちわー、カジっちゃんいるー?」

 

「その挨拶はやめないか、誇りあるズーラーノーンの名が泣くわ」

 

 王国のエ・ランテルという都市の墓地、その奥にある霊廟の中。

 そこには秘密結社ズーラーノーンの十二高弟の一人であるカジットが居を構えていた。彼はエ・ランテルを死の都にする為に何年もかけここで儀式の準備をしていたのだ。

 そこに軽口を叩きながら軽薄そうな女が入ってくる。

 

「しかしクレマンティーヌよ。こんな時にわざわざ何の用だ? お前なら法国側に付くと思っていたのだがな…」

 

「?? 何言ってるかわかんないけどさ、ホラ、これ持ってきてあげたんだよー」

 

 そう言って懐からサークレットを取り出すクレマンティーヌ。

 

「それは! 巫女姫の証! 叡者の額冠! スレイン法国の最秘宝の一つではないか!」

 

「そうだよー」

 

 ケラケラと笑うクレマンティーヌ。しかしそれを見るカジットが妙だ。驚いているには驚いているがそれはスレイン法国の最秘宝がここにあるからではない。別の理由だ。

 

「ん? どしたの? せっかくこれでカジっちゃんの儀式の手伝いしてあげようと思ったのにー。でっかいイベント起こしてる間に私はとんずら、って、あ、もしかして使えないとか思ってる? この街には素晴らしい生まれながらの異能(タレント)持ちがいるんでしょー? そいつなら…、ってカジっちゃん聞いてるー?」

 

 やれやれと頭に手を当てるカジットに向ってクレマンティーヌが心外とばかりにプンスカという感じで文句を言う。

 

「馬鹿だ馬鹿だと思っていたがここまでとはな…」

 

「はぁ?」

 

「まさか知らないのか…? いや知らないからこそこんな真似をしたのか…。だとするなら恐ろしいほど間が悪いな…」

 

「さっきから何なのー。…殺すよ?」

 

 今にも爆発しそうな殺気をカジットに向けるクレマンティーヌ。だが当のカジットは冷静だ。

 

「ふん、そんな脅し文句よりも自分の身を案じろ。お前の今の立場は想像以上にマズいぞ」

 

「だから何なんだってぇの!」

 

 怒気を孕み、睨みつけるクレマンティーヌを尻目に一呼吸おいてカジットが口を開く。

 

「先日、謎のアンデッドが突如として現れ王都を血の海に沈めたらしい。八本指は全滅。繋がりのあった貴族共はその罪の全てが露見し、王国は一晩で崩壊したのだ。ここエ・ランテルでもそんな貴族共への不満が爆発し統制が取れなくなっておる。もう権威は失われ、無秩序状態に近い。今は冒険者共が必死に抑え込んでおるよ」

 

「え…? は…?」

 

「信じられんか? だがその謎のアンデッドはたった一体であの蒼の薔薇を返り討ちにし、伝説のアンデッドを10体以上も召喚したと聞いている…。ハッキリいって世界規模の災厄だ。当然、法国が放っておくわけあるまい。最悪の場合、国を挙げての総力戦になるだろう。まさかそんな時に法国を裏切る真似をするとはな…」

 

 その言葉を聞いてクレマンティーヌの顔色が悪くなっていく。

 

「聖王国あたりにでも逃げるつもりだったか? まぁそれもよかろう。ただズーラーノーンの追っ手にも気を付けるんだな」

 

「な、なんでっ…」

 

「ククク、ついに盟主が動くのだ。お主は逃亡中で聞いておらんかったようだが全十二高弟への招集もかかっているぞ。当たり前だろう。そんな規格外のアンデッド、我々としても放っておくわけにはいくまいよ。引き入れに動くのは当然、決裂したら戦争だ。こんな時に姿を眩ましていたら組織から反感を買うぞ? 法国の後ろ盾が無い今のお主が組織に睨まれるわけにいくまい」

 

「っ……!」

 

 口をパクパクとさせるクレマンティーヌ。

 やらかした――その言葉がクレマンティーヌの脳裏を駆け巡る。

 

「法国と我々両方の追っ手から逃げるなどいくらお主でも厳しかろうよ。正直、これ程の未知数の相手では法国に身をおいておいた方が色々と都合が良かったと思うがな。まぁ過去を悔やんでもしょうがあるまい。なぁに、お主も十二高弟の一人なのだ。仲良くやろうではないか」

 

 ニヤニヤとカジットが笑う。

 

 最悪のタイミングだった。ズーラーノーンが組織を挙げて動くならほとぼりが冷めるまで姿を眩ましている訳にもいかない。法国の追っ手から逃げなければならないのにそれが出来ないのだ。

 なにより法国を裏切り、立場の弱くなった今のクレマンティーヌをズーラーノーンが利用しない手はない。無理難題を吹っ掛けても文句の言えない良い手駒が手に入ったのだから。

 

 ハッキリ言えば、捨て駒に使われる可能性すらある。

 

 法国とカチ合う可能性のある前線に送り出されるかもしれないし、その例のアンデッドへの最初の使者にでもされるかもしれない。だがそんな危険な場所へ送り出されたとしても、あるいは奴隷のように扱われたとしてもクレマンティーヌには文句の一つも言えない。

 ここでズーラーノーンと敵対すれば全てが終わってしまうのだから。

 

「うぐぅ…、な、なんで…、なんでこんな事に…、そんな…」

 

 頭を抱えその場に膝を突くクレマンティーヌ。

 前には粛清しようとする法国、後ろには利用しようとするズーラーノーン。そして未知なる危険なアンデッドの到来。王都を血の海に沈めるような者とまともな交渉など出来る筈がない。

 自分の周囲に限りない闇が広がっている事を理解したクレマンティーヌ。

 どう足掻いてもその未来には絶望しかない。

 

 

 

 

 太陽が照り、川のせせらぎが優しげに響く。

 草木はそよぎ、気持ちの良い風が辺りを吹き抜ける。

 

「あー、いい天気ですねー」

 

 王国を滅ぼした当事者とは思えない呑気な声を出すモモンガ。本人は滅ぼしたつもりなど1ミリも無いので仕方ない事ではあるが。

 そんなモモンガの後ろを従者のように一つの影が付き従う。

 モモンガ同様ローブに身を包み、その顔を仮面で隠している。

 

「……」

 

 彼は自然の景色に感動しているような様子のモモンガを不思議そうに眺めていた。

 

「ん、どうしたんですか? デイバーノックさん」

 

 モモンガが振り返り、その名を呼ぶ。

 デイバーノックはあの夜の事を思い出す。

 なんと恐ろしく、なんと衝撃的で、何よりも甘く蠱惑的なあの夜の事を。

 

 

 

 

「不死の王に仕える偉大なる騎士よ! どうか私を王の元まで連れていってくれないか? 私の忠誠をかの御方に捧げたいのだ!」

 

 だがデイバーノックの言葉に死の騎士(デスナイト)は何も答えない。

 

「オォォオォオオオ…!」

 

 それどころか、殺気に満ちた死の騎士(デスナイト)の手がデイバーノックへと伸ばされた。その手はデイバーノックの喉をガッチリと掴み、身体を持ち上げる。

 

「ま、待ってくれ…、わ、私は…! 私は…!」

 

 デイバーノックの嘆きに死の騎士(デスナイト)は答えない。

 それが何を意味するのか察して、自分の望みが叶わぬ事を悟って失意の底に沈むデイバーノック。

 これから自分は滅ぼされるのだと覚悟した。

 

 だが実際はそうではなかった。

 死の騎士(デスナイト)は困惑していたのだ。己の判断で対処できないこの事態に。

 

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 それが至高なる御方の命令だった。

 しかし今、死の騎士(デスナイト)がその手に捕まえている存在は。

 

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 滅ぼせ、という命令ならば悩む事は無かっただろう。だが殺せという命令ではアンデッドに対してどう対処してよいのか答えを導き出すことは出来ない。

 命令の対象外として捨て置くべきだろうか。しかし至高なる御方が敵と見做した八本指という組織に所属する者だ。独自の判断で滅ぼすべきだろうか。

 死の騎士(デスナイト)は必死に考えを巡らす。

 だが何よりも偉大で至高なる御方がわざわざ殺せ、という言葉を使ったのだ。その意思を尊重するべきであろう。至高なる御方の命令は絶対なのだ。

 そうして死の騎士(デスナイト)は他の貴族や役人達と一緒にこのアンデッドをモモンガの前に差し出すという選択を選ぶ。

 それならば偉大なる主の命令を違える事にもならないし、もし滅ぼす必要があればその際に命令を下してくれるだろうという判断だった。

 そして死の騎士(デスナイト)は貴族や役人達と共にデイバーノックを連れ、引き摺り歩き出す。

 

 

 

 

 貴族や役人達を集めて開かれた講習会はデイバーノックにとっては衝撃だった。

 全てが己の常識と異なるものだったからだ。

 全てが理解できた訳ではなかったが、不死の王は既存の権威や地位を否定し、価値観を否定していた。強者の為ではなく、弱者の為にこそ力を使うべきだという言葉はデイバーノックの理解の外だった。

 考えた事も無かった。

 弱き者は奪われるだけの存在だ。強者の餌でしかない。

 ずっとそう思っていた。だが違ったのだ。

 デイバーノックはしばらくしてやっと不死の王の真意に触れた気がした。

 

 偽りの生を受けてからデイバーノックはずっと魔法に焦がれてきた。戦えば自分より弱いであろう人間でも自分の知らない知識や魔法を知っていれば師事したこともあった。

 その事を思い出した時、全てが繋がったのだ。そして理解した。

 

 魔法の下に全ての存在は平等なのだと。

 

 例えば、逸脱者と呼ばれる帝国の主席宮廷魔法使いはこの世界における最高峰の魔法詠唱者(マジックキャスター)の一人であろう。

 だが彼は生まれた時からそうだったのか? 否。断じて否である。

 才能があり、早熟だったとしても、赤子の時にその身に凶刃が振り下ろされれば容易く命を失うだろう。当然の事だ。最初から強さも知識も得ている存在などいない。

 だからなのだ。

 現在、弱いから、身分が低いからと不当な扱いを受けている者も10年後、あるいは20年後にとてつもない才を発揮するかもしれない。

 だがその環境を与えられなければ、命が消え去ってしまえばその全てが失われる。

 知識とは、魔法とは、長い歴史の中で少しずつ積み重ねていくものだ。

 自分だってそうだ。いくつかは生来のものや独自に辿り着いたものもあるが、多くの知識や魔法は他者から教えられ、与えられたものだ。

 魔術の深淵に達する為には一人では無理だ。

 この世に存在する全ての魔法を自分が扱う事が出来るようになるか? 答えはノーだ。いくら修練を積もうと一部の信仰系魔法などアンデッドの身ではどう転んでも習得する事は出来ないだろう。

 だがそういった知識もまた、魔術の深淵への大事な道しるべなのだ。

 自分だけでなく、あらゆる者が紡ぎ、作り上げる道こそが深淵へと導いてくれるのだ。

 例えば、戦士の場合いくら強かろうと、優秀な鍛冶師がいなければその実力を十全に発揮できないだろう。ポーションを作る者がいなければ傷一つが致命傷になりかねない。全てがそうなのだ。繋がっている。

 その事が、やっと理解できた。

 

 この世に失われていい命などない。

 不当に扱われていい者達などいないのだ。

 魔法の下には誰もが平等。

 貴賤など存在せず、この世に存在する全ての者が魔法の礎となり得るのだ。

 全てが宝物で、全てが掛け替えのない大事なものだったのだ。

  

 だからこそ、他者を貶め、堕落させ、貪る八本指は断罪されたのだ。

 多くの命を粗末に扱う彼等は魔道の敵に他ならない。

 いくら強く才能があろうと、無尽蔵に弱者を摘んでしまう者は将来的に考えればマイナスとなる。だからそういった者達は間引かねばならない。

 強さとは時間がもたらす差異の一つであり、価値観の相違に他ならない。その事を理解せず、胡坐をかく者こそ罪人なのだ。

 そこに至らず、狭い視野でしか物事を判断できなかった自分が許せない。

 目先の利益に釣られ、八本指に協力していたことで自ら魔術の深淵への道を遠ざけていたのだ。

 なんと愚かで、滑稽なことか。

 

 ここでこの身が滅ぼされようと文句の一つも出ようはずがない。

 自分には命乞いをする価値すら無いのだ。

 不死の王によって終わりを迎えられることに感謝すべきだろう。

 それが罪深き自分に与えられた唯一の慈悲であり僥倖だ。

 

 説教が終わりを迎えると、貴族や役人達は慌てて逃げ出した。モモンガが怪我人も連れていくよう命じたのでこの場には生ある者は誰一人として残っていない。

 

「ん?」

 

 だが一人、いや一体だけ残ったアンデッドがモモンガの視界に入った。

 

(なんだ、誰だこれ? 貴族にアンデッドがいたのか? んなわけないか…)

 

 デイバーノックの存在に頭をひねるモモンガ。すぐに死の騎士(デスナイト)がデイバーノックの事を伝える。

 

「ふむ。八本指にアンデッドが所属していたのか」

 

 王国ではアンデッドが敵視されているらしいのでその中にいたという事に素直に驚くモモンガ。

 

「しかしどうして八本指に?」

 

 単純な疑問だ。巨大な組織の中に一体だけいるアンデッド。どうしてそうなったのか。

 

「わ、私は…。偽りの生を受けてから…、ずっと魔法に焦がれてきました…。新たな魔法を習得したいと…、多くの魔法に出会いたいという一心のみが私を突き動かす衝動でした…」

 

 デイバーノックのその言葉にモモンガはうんうんと頷く。

 

(わかるなー。俺もユグドラシルを始めた時は新しい魔法を早く覚えたくて睡眠時間を削ってまでレベリングしたりしたしなー)

 

「ですが…、アンデッドである私は人の世に受け入れられませんでした…。冒険者に討伐されかけた事もあります…。傭兵団に入った事もありましたがすぐに正体がバレて追い出されました…。そして途方に暮れていた時、八本指と出会ったのです…。六腕の一員として仕事をする代わりに…、対価として魔法を教えてくれる人間との仲介を約束してくれると…」

 

「えっ?」

 

「え?」

 

「あ、いや、仲介って…。仕事させられて対価がそれだけ…?」

 

「は、はい。私はアンデッドですから…、食も色も興味は無いので…。金品や芸術品にも…。魔法に関するアイテムやスクロールがあった時は優遇してもらうこともありましたが…」

 

「うーん…」

 

 この世界の価値や事情など何も知らないので断言が出来ないが、モモンガが素直に思ったのは「安く使われすぎじゃね?」というものだった。

 

(まぁアンデッドだから人特有の欲求とか無いもんなぁ、今の俺もだけど。魔法関係のアイテムとかスクロールは優遇してもらってたって言ってたけどあくまで優遇で確実に手に入る訳でも無いのか…)

 

 モモンガの目にはブラック企業でいい様に使われてる会社員の姿が重なって見えた。

 

「しかし、だ。八本指に所属してたという事はそれなりに悪事にも手を染めたのだろう?」

 

「…はい。とはいえ、私はあまり表に姿を出せない事情もあって、基本的には、その、組織が取引を行う際に冒険者から護衛するものがほとんどでしたが…」

 

「ふむ…。人を殺したことは?」

 

「…あ、あります。八本指に所属してからはもちろん…、それ以前にも…」

 

「……」

 

「わ、私が許されない事をしてきたのは承知しています…。命乞いをするつもりもありません…。ですがどうかお願いです…。せめて貴方様の手でこの身を滅ぼして下さいませんか…?」

 

「えっ!?」

 

 突然の要求に変な声が出るモモンガ。流石に滅ぼしてくれと言われるのは予想していなかった。

 それにモモンガから見るデイバーノックはまるで小動物か何かのようだった。

 骨である為、表情など無いはずなのだがその姿からは怯えと後悔と諦念が透けて見えた。それはモモンガの見た八本指の人間や、貴族、役人のどれとも違ったものだった。

 反省し、罪を受け入れている者…。それがモモンガの抱いた印象だった。

 

「デイバーノック、さんでしたっけ? 命を奪った事を反省していますか?」

 

 柔らかい口調でモモンガが語り掛ける。

 

「は、はい…。もちろんです…。昔の私は愚かでした…。魔道の真実に気付かず疑問にも思っていませんでした…」

 

「?? まぁ、反省してるっていうのならそれを行動で示してはどうでしょうか?」

 

「え…?」

 

「デイバーノックさんは人の世に受け入れられず、他に選択肢が無かったようにも思えます。それに望んでそうしたわけではないのでしょう? 情状酌量の余地ありってやつです。だからこれから罪を償えばいいんです」

 

「罪を…償う…?」

 

「はい。もし、不本意とはいえ命を奪ってしまったのなら今後その倍、いや何十倍も助けちゃいましょう。そうすれば少しは罪を償えるんじゃないでしょうか? そうしたらいつかデイバーノックさんにも自分を許せる日が来るかもしれませんね」

 

「…!!!」

 

 すでにモモンガが八本指の者達を殺し、貴族や役人達に説教をした後というのも良かったのだろう。ぶっちゃけちょっとスッキリしていたのだ。それに同じアンデッドという同族への親しみもあったのかもしれない。デイバーノックが苦悩し、他に選択肢が無かったことも理由の一つであろう。

 モモンガにはデイバーノックを滅ぼすつもりは無かった。それは酷く独善的で身勝手なものかもしれない。だが、理想を語ったとしてもモモンガは正義ではないのだ。恣意的な判断も当然してしまう。

 何より、その台詞は自分自身に言い聞かせた言葉かもしれない。

 犯罪者といえどモモンガも人を殺してしまったのだから。

 

「私が、許される…? 再び魔術の深淵へと至る道を目指してよいということでしょうか…? 私にもその礎となる価値がまだあると…?」

 

「……」

 

 やばい、何言ってるかわかんない。それがモモンガの感想だった。

 しかしここでそんな事を言えばこの良い感じの空気が壊れる気がしたのでとりあえず無言で頷いておく。

 

「…おぉ! なんと…! 私に道を示して下さった貴方の慈悲に多大なる感謝を…! わかりました…! 私はこれから贖罪の為にこの身を捧げます…! そしていつか再び、魔術の深淵へと…!」

 

 よし、なんか解決したっぽい。そうモモンガは判断し、この場を後にしようとするが。

 

「どうか私もお連れ下さい不死の王よ! 私には行く当てがありません…! 孤独なこの身では愚かにも満足に贖罪を行う事も出来ないのです…! ですからお願いです…! 貴方に絶対の忠誠を誓う事をお許し下さい! 貴方の側で忠誠と共に贖罪に身を捧げたいのです!」

 

「え…?」

 

 

 

 

 あの日、デイバーノックは本当の意味で救われたのだ。

 不死の王の力を目にし、この世に生まれ落ちた意味を知った。

 それと同時に自分の愚かさと罪深さも知ったのだ。

 しかし、あの御方はそんな自分を許し、そして道を示してくれた。

 信じられないほど甘美で、何物にも代えがたい濃密な夜だった。

 

 闇を従え、伝説を率い、混沌と死を撒き散らす慈悲深き王。

 この世の真理を理解し、己の強さに溺れる事も驕る事も無い。

 それはきっと数え切れないだけの長い年月を数多の命に捧げてきた結果に他ならないのだろう。故に辿り着いた境地。だからこそ偉大で、眩しいのだ。

 あの夜も多くの市民を助ける為に破格のポーションを惜しげもなく差し出した。それは命一つがあらゆる金銀財宝より価値があるからなのだろう。

 

「モモンガ様、これからどちらへ向かわれるのですか?」

 

「だから様はやめてって言ったじゃないですか! 最初はずっと王とか呼んでたし…。普通に呼んで下さいよ」

 

「し、しかし…! い、いえ、それがご命令とあらば…。モモンガさ――ん」

 

「なんか固いですね…、まぁいいでしょう…。てか命令とかじゃないし…」

 

 なぜかやたらへりくだるデイバーノックの態度にモモンガは疑問を隠せない。なんでこんな崇めるような態度なんだろうと。ただ、悪いことしたら償わなきゃダメですよって言っただけなのに。

 

「あと行先は特に決めてません。こういうのは自由気ままに行くのが楽しいんですよ。この先に何があるんだろうかと想像しながらね」

 

「なるほど…」

 

「あ、そういえば聞きましたよ。六腕の人たちってみんな何か二つ名あったらしいですね。デイバーノックさんの教えて下さいよ」

 

「っ!! そ、それは…!」

 

 この上なく不敬で、不遜な二つ名。忌むべき過去だ。

 

「別に恥ずかしがらなくていいですって。そういうのってノリとかもあるでしょうし。笑いませんから、ね?」

 

 ニコニコとした様子でモモンガが言う。絶対なる王に求められればデイバーノックとて言わない訳にもいかない。

 

「…。…王。不死王…、不死王デイバーノックです…」

 

「え? プチ王? プチ王デイバーノック? ははは! 可愛い二つ名ですね! いいじゃないですか! あ、すいません、笑っちゃいました」 

 

「…!!」

 

 不死王が可愛い。その発言にモモンガのスケールの大きさを感じるデイバーノック。そうか、と思う。

 不死王という言葉はこの御方にこそ相応しいと考えていたがそれでは足りないのだと理解する。この御方を表す言葉はもっと高く、尊いものでなければならないのだろう。この御方を不死の王と表現したことこそが不遜なのだと理解し、反省する。

 今のデイバーノックにはモモンガを表現する言葉が思いつかない。この偉大さを欠片も表現できる気がしないのだ。やはりデイバーノックはまだまだ足りない。少しでも高みへと昇る為により一層の精進が必要だと改めて認識する。

 

「あ、痛いっ!」

 

 笑って歩いていた為か足をとられ転ぶモモンガ。別にダメージはないのだが反射的にそう言ってしまったのは人間の時の癖だろう。

 

「あぁっ! お、お気をつけ下さい! モモンガさ――ん」

 

「えへへ、すいません…」

 

 即座に駆け寄り手を貸すデイバーノック。

 モモンガは気恥ずかしそうにその手を取り立ち上がる。

 朗らかな空気と共に彼等は再び歩き出す。

 それぞれ未知への好奇心と深遠への探求心を胸に抱きながら。

 二人旅ならぬ二骨旅。

 

 その行く末に何が待っているのか、この時の彼等には知る由もない。

 

 

 




六腕「ぐぇーやられたー」
クライム「やはりモモンガさん正義」
ラナー「あいつハゲるわ」
レエブン「なんだ、神か」
クレマン「私終わった」
プチ王「イヤッホォォォ!!!」
モモンガ「旅楽しみ」

なんとか早めに投稿できました…。
書き終えて気付きましたが、長いし詰め込み過ぎ…?
これならもう少し丁寧に書いて二話に分けた方が良かったかも…。
ていうかプロット段階では前話と合わせて1話で考えてましたがいざ見直すとそんな分量でないという…。
うーん、やはりお話を書くのは難しいです…。

そして聖者デイバーノック爆誕、多分今この世で一番優しい(錯乱)

PS
12巻見ました! 面白い! でも13巻早く見たいー!


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幕間:周辺諸国

前回のあらすじ

モモンガさんデイバーノック愉快な二骨旅!
王国は滅びました



 スレイン法国の特殊部隊である六色聖典の一つ、陽光聖典。

 入隊には最低でも信仰系の第3位階魔法を使える必要があるなどエリート中のエリート集団である。その部隊の隊長であるニグン・グリッド・ルーインは帰国後早々、新たな任務の為にすぐ国を離れる事となった。

 

「ニグン隊長、任務を中断してまで帰還させられたというのに我々は例のアンデッド絡みではないのですね」

 

「全くです。これなら急いで帰還する必要は無かったのでは?」

 

 ニグンの部下達が口々に言葉をかける。それにはニグンも多少なりとも思う所があった。

 法国において、総戦力という意味では最大の力を持つ陽光聖典。殲滅戦を得意とする彼等は六色聖典の中でも最も戦闘行為が多い。

 隊員数は予備兵を合わせても百名に届かない程しかいないがその層の厚さは他の追随を許さない。同数での勝負ならば亜人種や異形種にさえ後れを取らないだろう。間違いなく、世界でも有数の戦力を有する集団である。

 そんな隊員達を率いるニグンもまた当然の如く優秀。リーダーとしての資質はもちろん、個としての能力は人類の中でも上位と言える。

 

「言うな。王国が滅びた以上、ガゼフ抹殺もまた意味を成さなくなった。しかし国として腐り落ちる前にアンデッドに滅ぼされる事になるとはな…。いや、これも度重なる腐敗を重ねてしまった王国ゆえか…。まぁ帝国が併合に乗り出したようだし人類的には良かったのかもしれんな…」

 

 部下達を窘めながらニグンは足を進める。

 スレイン法国の掲げる理念は人類の救済だ。この世界において人類は圧倒的弱者である。

 しかし、かつて絶滅の危機に瀕していた人類を救済し、スレイン法国の基礎を築いたとされる六大神と呼ばれる者達がいた。スレイン法国は彼等を神と崇め、信仰し、600年もの間その意思を継いできた。

 六大神の血を引く者達を筆頭に、国を挙げて強者を作る事に全力を注いだ。特に信仰系魔法の育成は他国よりも非常に進んでいる。

 ニグンは法国有数の実力者であり、法国を支えているという自負もあるが今回はあまりの事の大きさから漆黒聖典が動く事が決定された。

 陽光聖典同様、六色聖典の内の一つである漆黒聖典。しかしその存在は秘匿されており国内でも彼等を知る者は多くない。ニグンは地位も高く、漆黒聖典の事情を知り得ている。しかしだからこそ納得せざるを得ない。

 人類でも上位に位置するニグンでさえ漆黒聖典の隊員達を格が違うと評するレベルなのだ。

 漆黒聖典の構成員はわずか11人と言われているがその実態はハッキリしていない。しかし彼等の多くは六大神の子孫であり、中にはその血を覚醒させた神人と呼ばれている者も在籍している。

 今回、国の最重要任務に携わることが出来ないのは素直に悔しいが、彼らが動くとなればニグンの出る幕は無い。

 

「我々は命じられた任務を忠実にこなそう。今回も今までと同じく竜王国への出兵だが、今回ばかりは少々事情が違うようだ。竜王国を襲うビーストマン達の勢いは例年よりも激しい上、例のアンデッド騒ぎで上層部はそちらに戦力の多くを割く事を考えているようだ。恐らく援軍は期待できない」

 

 ニグンの言葉に部下達の顔に焦りの色が見える。

 

「なっ…! わ、我々だけで例年よりも激しいビーストマンの群れを退けろと上層部は仰るのですか!?」

 

「馬鹿な! ま、毎年何人の仲間の命があそこで失われていると…!」

 

 いくら陽光聖典が世界でも有数の戦力を持つとはいえ、圧倒的数で勝るビーストマンを相手に戦うのはかなり厳しいと言わざるを得ない。竜王国自体はすでに疲弊しきっており、法国の助けがなければすでに滅んでいてもおかしくない程なのだ。

 陽光聖典も竜王国には何度も出兵しているがいずれも容易い戦いではなく、何人もの隊員をその度に失ってきた。にも拘らず、例年よりも激しい侵攻に加え援軍も無いとなれば部下達の焦燥も当然だろう。

 

「みなまで言うな、私とて分かっているさ。だが仕方あるまい、竜王国が落ちれば一気に人類の勢力圏内へ亜人種共の侵入を許す事になってしまう。人類の為にも竜王国に滅んでもらう訳にはいかないのだ」

 

「し、しかし隊長…!」

 

「これでは我々に死ねと言っているのと変わりません…!」

 

 部下達の言葉がニグンの胸に突き刺さる。

 なぜなら部下の懸念は正しい。それを誰よりもニグンが理解していた。上層部は彼等に死ねと言っているのだ。

 謎のアンデッドが王国を蹂躙し、次はどこで騒ぎが起きるか分からない。最悪の場合、法国を挙げての戦争になるだろう。そんな時に竜王国が落ち、南からの侵攻にも脅かされるなどあってはならないのだ。

 その為、謎のアンデッドへの対処が終わるまで竜王国を死守するのがニグン達の役目なのだ。部下達はそこまで把握していないし、ニグンも上層部に直接そこまで言われたわけではない。しかし状況から考え、無事に生還できると思うのは楽観的すぎる。援軍が無い時点で国には何も期待できないのだ。

 

「皆の不安は承知している…。だが我々はなんだ? 我々は、我々こそが人類の守り手だ…! 各員の利益ではなく、全体の利益の為に協調して動く存在だ…! 人類を滅びから救い、人類を導く誇り高き集団だ…! 最後まで貫こうじゃないか…。我々こそが六大神の代行者なのだと世界に示す為に…!」

 

「た、隊長…」

 

「ニグン隊長…」

 

「さぁ行こう…、人類を救済する為に…!」

 

 気高く誇り高いニグンの姿に部下達の不安が次第に消えていく。そして自分達の役目を思い出し誰もが奮起する。

 しかし言葉とは裏腹にニグンの手は震えていた。

 ニグンは確かに強い。だがやはり彼はただの一人の人間なのだ。死が恐ろしく、不安は頭から拭えない。しかし部隊の隊長としてそれを表に出す訳にはいかない。必死に自分を殺し、恐怖を忘れようとしている。

 もしかすると命の危機に直面したら情けなく命乞いをしてしまうかもしれない。命惜しさに全てを投げ出してしまうかもしれない。

 だが彼はそうありたいとは思っていないし、そうなりたいとも思っていない。

 人類至上主義で他種族を見下しはするものの、悪意によって他者を貶めようなどと考えた事は無いし、本当に強く気高い存在でありたいと願っている。

 良くも悪くもニグンは人間なのだ。

 強くもあり、弱くもある。だが彼は間違いなく必死に努力し、己の人生を捧げ人類の為にずっと働いてきたのだ。

 一体誰が彼を責められるというのだろう。

 仮に死を目前に取り乱す事があったとしても、それこそが人間なのだから。

 

 

 

 

 一人の青年が黒色の長髪を靡かせながらため息を吐く。

 彼の背後の会議室では今もまだ同じ議題が続いているだろう。しかしあの部屋での彼の役目は終わりだ。だからこそ退室したのだから。

 彼は王都で起きた事件に関しての意見を求められ呼び出された。

 問われた事は多くない。

 彼の所属する漆黒聖典の中で、王国最強の冒険者チームである蒼の薔薇を単独で撃破できる者はいるのかという問いだ。答えはイエス。ただ人類最強の存在であり、人類の守り手である番外席次を除けばそれが可能なのは漆黒聖典隊長たる彼しか存在しないが。

 

 王都での事件は彼も聞いている。

 謎のアンデッドが突如として出現し、王都を血の海に沈め多くの命を奪ったという。その際に蒼の薔薇と交戦し単独で撃退しているらしい。しかもその後に伝説のアンデッドたる死の騎士(デスナイト)を10体以上も召喚したとか。

 とてもではないが考えられない。

 ゆえに法国が信奉する六大神の一人であるスルシャーナの再臨、あるいはそれに類する神の降臨だと騒ぐ者達も多い。

 しかし、漆黒聖典が誇る占星千里が破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の復活を予言していた時期とも一致しているのだ。無関係とは簡単に判断できない。

 だからこそ会議は荒れているのだ。何日も不毛な討論が繰り広げられている。

 

 何より神の降臨支持派は、風花聖典が王都から持ち帰ったという赤いポーションなるものを引き合いに出している。それはかつて六大神も使用していたと伝えられている神の血と呼ばれるポーションに類似しているらしい。

 その為か、神であるという意見はほとんど間違いないと目されているがそれが人類の味方かどうかはまだ判断が付かない。

 伝説に謳われる八欲王の如く、世界に災厄を齎す悪神の可能性すらあるのだ。

 

「しかし、いつになったら結論が出るのだろうね」

 

 神官長会議――スレイン法国における最高会議からの解放感から彼は少し肩を回した。その際にかちゃかちゃという音に引っ張られるように視線が動く。

 その先には壁に持たれかかるように一人の少女が立っていた。左右で色の違う髪、同様に瞳の色も左右で違う。まだ少女とも言える幼い外見だが、実年齢とは大きく異なっている。

 血と血の混じり合いとあり得ない確率で生まれた彼女こそ漆黒聖典最強の番外席次、絶死絶命。法国の聖域である、五柱の神の装備が眠るこの場所の守護役を務める存在である。

 音の発生源は彼女がその手元で弄んでいるルビクキューと呼ばれる六大神が広めたとされる玩具だ。

 

「一面なら簡単なんだけど二面を揃えるのって難しいよね」

 

 彼からすれば大して難しくないがもちろん口にはしない。苦笑で答える。

 

「一体、何があったの? 毎日毎日、神官長達が集まって」

 

「報告書は既に届いていると思いますが?」

 

「読んでない」

 

 すっぱりと彼女は答える。

 

「それより事情を知っている人に聞いた方が楽だからね。占星千里の占いはどうなったの? 復活するかもしれない破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配下に置く為に貴方達が出撃するって聞いていたけど…」

 

 話す最中、彼女と目が合う事は一度も無い。その視線はずっと玩具に向けられたままだ。

 

「それは一旦見送りです。先日、謎のアンデッドによって王国が一夜にして滅びました。その際に蒼の薔薇と交戦し、単独で退けたという情報についての見解を求める為に私は呼ばれたのです」

 

「へぇ…。蒼の薔薇って一応王国最強の冒険者でしょ? それを単独で…。貴方の見立てはどうなの?」

 

「漆黒聖典の中でも彼女達を単独で撃破が可能なのは貴方と私ぐらいです。他の者ではとても…。神官長達の間ではそのアンデッドが神かそうでないかで意見が対立しています」

 

 その言葉で初めて彼女の顔が上がり、彼の顔を見つめる。

 

「神…! そのぐらい強いってこと…!?」

 

 その口元が喜悦に歪んでいる。

 

「分かりません…。ただ私とカイレ様はそのアンデッドこそが破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)だと睨んでいますが…」

 

「ふふ、ふふふ…。破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)…! ならばやはり予言は正しかったという事…!? もし本当に世界を滅ぼせる存在だとしたら…、その強さはどのくらいなんだろう…!?」

 

 彼女の悪い癖が始まった。彼は窘めようと言葉を紡ぐ。

 

「もしそうであれば我々はカイレ様と共に支配下に置く為に即座に動きますよ、貴方の出番はありません」

 

「相変わらずつまらない事を言うんだね…。残念だよ、敗北を知れると思ったのに…。せっかくだし一度くらい戦わせてくれてもいいと思うんだけど…」

 

「もしあなたが敗北したら人類の終わりです。何より評議国との盟約がある以上、上層部が出撃を許してくれる事はありませんよ」

 

「別に知ったこっちゃないよ。どっちにしろ攻め込まれたら戦わないわけにはいかないでしょ? 私はね、それが神でも破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)でも何でもいいの…。私に勝てる存在であれば何でも構わない…! どれだけ不細工で性格が捻じ曲がっていても…! どんな種族だって…! だって私に勝てる存在なんですもの…。そんな存在がいたら…!」

 

 下腹部に手を当てた彼女が今日初めて満面の笑みを見せた。

 

「アンデッドが子を生せるとは思いませんが…」

 

「あら、神かもしれないんでしょ? そうであれば子の一つぐらい作れると思うけど」

 

「不敬ですよ。聞かなかった事にしておきます」

 

「固いなぁ…。本当につまらない」

 

 ムスっとした彼女をみながら彼は思う。

 もし破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配下に置けなかった場合、人類はどうなるのだろう。そして彼女はどう動くのだろう。最悪の場合…。

 一抹の不安が頭をよぎったが彼はそれ以上考えない事にした。

 

 

 

 

「行くのか、イビルアイ…」

 

 都市を出ようとするイビルアイを呼び止めるようにガガーランが声をかける。

 

「すまんな。だが私には奴を見過ごす事など出来ないよ…」

 

 そんなイビルアイの言葉にティアとティナが涙ぐむ。

 

「孤影…」

 

「悄然…」

 

 ラキュースは全てを悟っていたように悲しげな表情を見せていた。

 

「正直言うと、私はイビルアイに行って欲しくない…。でも、分かるわ…。私達も貴方と同じくらい強かったらきっとあのアンデッドを追っていたでしょう…」

 

 歯を食いしばり、強く拳を握るラキュース。

 

「でも…、悔しいけれど…! 私達は何の役にも立てなかった…! あのアンデッドが召喚した騎士にさえ…! イビルアイ一人だったら倒せたかもしれない…! でも、私達がいたから…!」

 

 アダマンタイト級の冒険者。その蒼の薔薇のリーダーでありながらラキュースは自分の無力さを嘆くしか出来なかった。

 自分達は強いと思っていた。このチームならば倒せない敵などいないのではないかと思った時さえあった。

 でも違った。

 真の強者の前には自分達がどれだけ無力で、か弱いのか知ってしまった。

 

「イビルアイは反対するかもしれねぇが本当言うとよ、俺はお前に着いていきたいんだ。でもよ、誰よりも自分が分かってる。どう足掻いてもイビルアイの足手まといにしかならねぇって…」

 

 ガガーランのいつもの大きな態度はどこかへと消え去っておりすっかりしおらしくなっていた。

 

「私はお前達の事を足手まといだと思った事など…!」

 

「言うなよ。イビルアイの気持ちは分かってる。でもよ、これはれっきとした事実だ。アダマンタイトの任務に(ゴールド)白金(プラチナ)を連れていく事は出来ねぇだろ。そんなん援護だって迷惑なレベルだ」

 

 その例えは的を得ていた。イビルアイと他のメンバーではそのくらい強さに開きがあるのだ。

 

「ガガーラン…」

 

「お前が気にする事じゃねぇよ。俺達が悪いんだ、お前の強さに着いていけない俺達がな…」

 

 ここにいる誰もがガガーランと同意見だった。誰もイビルアイを責めてはいない。イビルアイに着いていけない自分達を責めているのだ。

 

「でも…、ここで奴を見逃すのは蒼の薔薇じゃない…!」

 

「悪人は絶対退治するべき…!」

 

 ティアとティナが声を絞り出す。

 悪を見過ごせない彼女達だからこそこの結論に至ったのだ。自分達より敵が強いからと言って尻尾を巻くような彼女達では無いのだ。

 とはいえ現実問題としてイビルアイに着いていけば足を引っ張る事しか出来ない。誰もが悔しさを滲ませながら耐えているのだ。

 

「イビルアイ、困った事があったらいつでも言ってね。助けが必要ならすぐに飛んでいくわ」

 

「おうともよ! 俺達だって逃げる訳じゃねぇ! 例のアンデッドに有効な手が無いか探してみるぜ!」

 

「他国とも交渉する」

 

「対抗できそうな手段考える」

 

 仲間の応援を受け、イビルアイは一歩前へ足を進める。

 

「絶対帰って来いよ、お前は蒼の薔薇の一員なんだからよ。勝手に死んだら許さねぇぞ」

 

「国の事は任せて。帝国に併合されたとはいえ、細かい問題も多いの。まだまだ問題は山積みよ」

 

「ガゼフも大変そうにしてた」

 

「クライムも」

 

 手を振る仲間達へイビルアイも手を振り返す。

 

「ああ、分かってるよ。必ず帰ってくるさ。あのアンデッドを仕留めてな!」

 

 イビルアイはあの時の屈辱を忘れてはいない。

 あのアンデッドのたった一撃の魔法で沈んでしまったことを。

 自分より明らかに強い存在など竜王達のように数える程しかいなかった。だからこそ驕っていたのかもしれない。もう一度、自分よりも強い存在に挑むという気持ちを持って戦いに臨まねばならないだろう。

 確かにあのアンデッドは強かった。

 しかしイビルアイからすれば絶対に手の届かない強者という訳では無い。

 地の力では勝てなくとも有利不利の関係を取れればそれも覆せる。作戦を練り、弱点を突けば可能性は十分にある筈だ。自分もかつて格下と呼んでも差し支えない人間に負けた事がある。絶対などないのだ。

 とはいえ自分一人で事を為そうと思う程うぬぼれてはいない。必要に応じて助けを求める必要も出てくるだろう。例えば、かつての仲間である竜王や死者使いなど。

 そう心に刻み込みイビルアイは歩み始める。

 一時的とはいえ仲間との離別は悲しいし寂しい。

 だがあのアンデッドの無法を放っておく事も出来ない。

 

「お前の凶行、必ず私が止めて見せるぞ…。待ってろ…」

 

 確固たる意志とアダマンタイトの矜持を胸に、イビルアイは王国を滅ぼしたアンデッドを単身追いかける。

 

 

 

 

 絢爛豪華という言葉を体現する部屋があった。

 窓や扉はこれ以上ないという程に細かな装飾が施され、置かれている調度品の数々も全てが逸品だと思わせる。

 床に敷き詰められた真紅の絨毯は柔らかく、その毛並みから最上の物であると容易く判断できる。

 そんな室内に置かれた上質の天然木で作られた長椅子に一人の男性がすらりと伸びた長い脚を放り出し深々とかけていた。

 その容姿は目にする者の心を引き付ける程に美しい。

 眉目秀麗という言葉に相応しい輝きを持つ男性だが、それ以上に容姿とは無関係にその身に纏う雰囲気、生まれながらに絶対的上位に立つ者だけが漂わせるオーラを感じさせる。

 その様はまさに、支配者。

 

 彼こそジルクニフ・ルーン・ファーロード・エル=ニクス。

 齢22にしてバハルス帝国現皇帝であり、歴代最高と称される皇帝である。そしてまた多くの貴族達を粛清したことから鮮血帝の異名で畏れられる人物だ。

 周囲には従者たる男達の姿があるがいずれも直立不動のまま彫刻と見紛う程に動かない。

 ジルクニフはしばらくの間眺めていた数枚の用紙から目を離し、視線を宙に向ける。

 

「全く…。王国の貴族共はどこまで使えないんだ…。現状で統治を任せられる者などほとんどいない上、ろくな支配をして来なかったと見える…。王国を一から作り直すのは結構な骨だぞ…。やれやれ…、粛清をする前の帝国でさえ王国に比べればマトモだったな…」

 

 ただでさえ多忙な日々に、突如多くの仕事が舞い込んできて死にそうであった。

 

「王国を支配できるのは良いが…、これでは本末転倒だ…。雷光と激風を送り出したのは失敗だったか…? しかし奴等を派遣しなければ色々と面倒が…。くそ、とはいえ帝都の戦力を減らしてしまったのは純粋に痛いな…」

 

 ブツブツと文句を口にするジルクニフ。

 その時、ノックもしないで無遠慮にドアが開かれる。

 あまりに無礼な態度に従者たちが剣に手を伸ばし、敵意ある目を一斉にドアへと向ける。だが入室者を確認した従者たちは警戒の構えを解いた。

 入ってきたのは自らの身長の半分程の白髭をたたえた老人だ。髪も雪のように白いが薄くはない。

 顔には生きてきた年齢が皺となって現れ、鋭い瞳には歴然たる叡智の輝きが宿る。

 この老人こそ帝国史上最高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)にして主席宮廷魔法使いである大賢者三重魔法詠唱者(トライアッド)フールーダ・パラダインだ。

 

「魔術の残滓を探し、調査しましたが発見は不可能でした」

 

 だがその言葉とは裏腹に今にも零れそうな笑みを浮かべている。

 

「つまり?」

 

「王都を襲ったという謎のアンデッドはかなりのマジック・アイテムを保有している、もしくは己の力で防いだのだとすれば私と同等…、あるいはそれ以上の魔法を行使する者かと」

 

 ジルクニフとフールーダを除き、室内に緊張が走る。かのフールーダ・パラダインに匹敵するという言葉に耳を疑っているのだ。

 

「なるほどな、だから嬉しそうなのか。爺」

 

「当然です。私と同等、もしくはそれ以上の力を保有する魔法詠唱者(マジックキャスター)とは二百年以上会った事がありませぬ」

 

「二百年前は会ったのか?」

 

「そうですな、御伽噺の十三英雄。そのうちの一人、死者使いのリグリット・ベルスー・カウラウ。かの御仁一人ですな」

 

 その言葉に再び室内に緊張が走る。この場に居合わせた従者達はその言葉をとてもではないが信じることが出来ない。例の王都を襲ったというアンデッドが御伽噺に出てくる英雄に匹敵する存在などと。

 

「しかし例のアンデッドはそれ以上かもしれませんな…。私はもちろん、かの御仁でさえ死の騎士(デスナイト)を使役したという記録はございませぬ。もしかすると死者使いの名に相応しく使役出来ていた可能性も否定はできませんが十体以上となると流石に…」

 

 その言葉だけで王国を襲ったというアンデッドがいかに規格外かという事が理解できる。

 何より帝国史上最高位の魔法詠唱者(マジックキャスター)であるフールーダでさえ、一体の死の騎士(デスナイト)を使役する事すら出来ないのだ。十体以上ともなると規模が違う。

 

「これは是非とも会って魔術について討論したい御仁ですな。死の騎士(デスナイト)の使役も何かコツがあるのか、それとも私のやり方が間違っているのか…。もしかすると術者がアンデッドであれば使役できるという可能性も…。いや、それよりやはり単純に魔術の腕が…」

 

 自分の世界に入り考え込むフールーダだが、すぐにジルクニフが声をかけ戻って来させる。

 

「しかし爺よ、そんな単純な問題ではあるまい。相手はアンデッドだぞ? しかも王都を襲った所から見て人間に敵意を持っている可能性が高い。帝都が襲われたらどうする」

 

「確かにその可能性は否めませんな…。そうであればそれ程悲しい事はございませぬ…。ですがかのアンデッドが襲ったのは腐り切った王国…。永い時を生きたアンデッドは高い知性を持つ事があります。これほどの力を持つならば尚更でしょう。単純な人間への憎しみだけで動くとは思えませぬ。何か理由があるのやも…。ここは万が一の可能性に賭け友好的に接するべきだと考えますが…」

 

 フールーダの言葉には明らかな下心が見えていたがジルクニフは否定しない。

 どう足掻いても敵対するような者であればどこかで必ずぶつかるしかないのだ。ならばそれこそ万が一の可能性に賭け友好的に接するというのは悪い手ではない。

 これ程の力を持つアンデッドだ。少なくともバカではないだろうし、流石にいくら強いとしても無闇に帝国を敵に回すことは無いだろうと判断できる。

 アンデッドであるという事に目を瞑り接すればフールーダの言う通り友好的な関係を築ける可能性も0ではない。

 仮に友好的ではなくとも敵対しなければそれでいいのだ。

 

「悪くはないな…。もし制御が利くようなら帝国に迎え入れてもいい。いざとなればアンデッドである事などどうとでもなる。それ以上の価値がありそうだしな」

 

「おぉ…! 非情に素晴らしいと思いますぞ! 魔術の深淵を覗こうとするには様々な智者が必要。種族が違う事によって得られる事もあるかもしれませぬ! かの御仁が私よりも先の道を切り開いた者であればこれ程喜ばしい事は無いのですが…」

 

 声には渇望があった。

 ジルクニフは知っている、フールーダの夢を。

 フールーダは魔術の深淵を覗きたいのだ。その為に自分の先に立つ者に師事を請いたいのだ。

 常に魔導の先頭を歩んできたフールーダは、暗中模索する為に無駄の多い道を辿ってきた。もし無駄なく生きてこれればより強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)になれたという自負があった。

 才能にも限界はある。

 フールーダはそれを解するからこそ、自分を導いてくれる者を求めていた。これ以上無駄な時間など過ごしたくないのだ。

 自分を超える人物、あるいは匹敵する人物でもいい。それを望み、後進の育成にも力を注いだ。願いが叶ったためしはないが。

 それだけ焦がれた人物がついに現れたかもしれないのだ。フールーダの気持ちは察して余りある。

 年甲斐も無くはしゃぐフールーダを見てジルクニフは可能であればそのアンデッドを手中に収めたいと思う。もちろんそうすれば戦力的に心強いというのはある。他国に渡らせるのを阻止したいとも。

 だがもっと単純に、フールーダの願いを叶えてやりたいと素直に思うのだ。それはどれだけ権力があっても、金があっても叶わぬ願いなのだ。

 この多忙の中、兵士を使う余裕は無いがワーカーでも雇って例のアンデッドを探させようかと考える。フールーダの魔法で探せないものをただのワーカーが探せるとは思えないがやらないよりはマシだろうとジルクニフは思う。

 

 だが奇しくもすぐにその必要は無くなる。

 それは彼等の願う形とは違ったものになるかもしれないが。

 

 

 

 

 深い闇の中から意識が覚醒する。

 目覚めと共に彼は己の存在を再び認識する。偽りの生とは言え、長い時を生きる事に倦み始めた彼は定期的に意識を閉ざし多くの時を過ごしていた。

 本格的に目覚めるのは何十年振りだろうか。

 組織を運営する為に定期的に目覚めるだけの作業が彼の日常だった。しかし少し前にそれが変わった。

 王国を滅ぼしたというアンデッドの存在はすぐに部下を通して彼の耳に入った。すぐに各地に散った部下達を招集し、それに合わせ自分を完全に覚醒させる準備に入った。

 そして今、意識を完全に取り戻す。次に自分が寝ている間の情報を部下から仕入れる。どうやら招集した十二高弟達はすでに集まっているようだ。

 やがて彼は椅子からゆっくりと立ち上がり、杖を手に取る。

 かつて失われた力は未だに戻らない。恐らく完全に戻る事はもうないだろう。しかしそこは重要な事ではない。問題は自分の目的を叶えられるか否かという点だけだからだ。

 自分に力が無ければ、力を束ねれば良い。

 

 自分の眠っていた部屋を出て、長い廊下を歩いていく。

 暗く冷たい空気と石壁に囲われたそこは墳墓を思わせる。あるいは牢獄へ至る道だろうか。

 しばらくすると廊下の先に重々しい扉が見える。

 彼が姿を見せると待機していた部下が扉を開けた。

 静かに入室し、彼は部屋の中を一瞥する。

 

 暗い部屋の中。

 そこには円卓の机を囲むように13の席が並んでいる。

 すでに12の席は埋まっており、最も豪華な席だけが空いていた。

 彼はそこへと歩みより、着席する。

 

「待たせたな…」

 

 それは死者に相応しき生者を引き摺り込むような悍ましき声。

 

「いえいえ、とんでもありません」

 

「そうですとも。こうして盟主様に拝謁できるとは感激の極み」

 

「そうじゃのう、久しぶりじゃ盟主よ…」

 

 各々が盟主と呼ばれた男へ向かって声をかける。それはアンデッドのものであったり、老人のものであったり様々だ。そのいずれもが盟主同様に負のオーラを撒き散らしている。

 しかしその中で一人だけ異彩を放っている人物がいた。

 それはネクロマンサーやアンデッドを利用する魔法詠唱者(マジックキャスター)が中心に構成されている組織の中で戦士職という珍しい存在。

 だが異彩を放っている理由はそれではない。

 盟主を前に誰もが歓喜の色を浮かべる中、一人だけ下を向き子犬のように怯えていたからだ。

 

「どうした…? クレマンティーヌ、だったか? このタイミングだ、お前には法国の動きを教えて貰いたいのだが…」

 

「ひっ…」

 

 盟主の言葉と共にクレマンティーヌの身体が強張る。

 それと同時に円卓を囲む他の者達から笑いが漏れる。

 

「盟主様、それは叶わぬ願いです。クレマンティーヌは愚かにもこのタイミングで法国を裏切ったのです」

 

「そうじゃ。法国の情報を持ち帰るどころか追っ手から逃げ惑う始末」

 

「下手をすれば組織にも影響が出かねませんね。漆黒聖典等が出張ってきたらこちらとしても相応の対応をせざるを得ませんから」

 

「全く、厄介な時に厄介な事を引き起こす女よ」

 

 誰もが口々にクレマンティーヌを非難する。だが本心から怒っている者など誰もいない。元々、組織に所属していながら勝手きままに動くクレマンティーヌを疎んでいた者は多い。しかしその実力は高く、クレマンティーヌと戦って勝てるといえる存在は組織内に3名程しかいない。故に誰もが憎々しく思いながらも黙認していたのだ。

 だが最悪とも言えるタイミングで失態を犯したクレマンティーヌは彼等からすれば良い見世物のようだった。表立って非難しても本人に反論する余裕などある筈が無く、いつも顔に張り付いていた人を馬鹿にしたような笑みは剥がれ落ちている。

 誰もがクレマンティーヌを嘲笑い、馬鹿にしていた。

 

「ふん…」

 

 だがその中でカジットだけは呆れたようにそれを見ていた。クレマンティーヌに情が湧いたとか、正義感とかでは決してない。ただ単にそれが不毛で時間の無駄に過ぎないからだ。

 

「ほう…。それはまだ聞いていなかったな。誰か詳しく教えてくれないか…?」

 

 盟主の問いに何人かが率先して事情を説明する。笑いと侮蔑を込めながら。その間クレマンティーヌは文句も言わず震えながら聞いていた。

 事情を聞き終えた後、再び盟主が口を開く。

 

「なるほど…。クレマンティーヌの存在価値は漆黒聖典に所属している事だと思っていたが致し方あるまい…」

 

 その言葉にクレマンティーヌの身体がビクッと跳ねる。

 自分はその実力を買われていたと判断していたが、盟主の言葉から自分の価値はそこではなかった事を思い知らされたからだ。

 

「さて、で例のアンデッドだがまだ消息は掴めていないのか…?」

 

「残念ながら…」

 

「現場に居合わせた者はおらず、魔力の痕跡を辿ろうとしましたがそれも…」

 

 誰もが申し訳なさそうに首を振る。

 

「なるほど…。まぁ情報通りの実力者であるならば簡単には追えまい…。別の手を考えよう…」

 

「別の手とは? 盟主様には何かお考えが…?」

 

「そうだな…」

 

 考え込むように盟主が空を仰ぐ。

 しばらくして視線を戻し、再び口を開いた。

 

「例のアンデッドへ向けてこちらもその存在をアピールすることにしよう。運が良ければ向こうから接触してきてくれるかもしれん…」

 

「しかしどうやって?」

 

「確か帝国に邪神を崇める邪教組織を作っていただろう? それを使う事にしよう。帝国は今王国を併合する為に人材を派遣しているようだがそのおかげで帝国内の統治が甘くなってしまっており戦力も分散している…、そうだな?」

 

「はい、その通りです」

 

「良い機会だ…。我々の力を以てして帝都アーウィンタールを血の海に沈めよう…。王国を滅ぼすような存在だ、きっと我々の行動に共感してくれるだろう…。例のアンデッドが血を望むなら血を…。死を望むなら死を…。求めるものが同じであるならばきっと同志となってくれるだろう…」

 

「おぉ…!」

 

「確かに…!」

 

 周囲から驚きと感嘆の声が上がる。

 

「その為には帝国に犠牲になってもらおうじゃないか…。私を含め、十二高弟全員で乗り込む。とはいえ、何の準備も無しという訳にはいかない。終わった後に全ての責任をその邪教組織に所属する貴族共に擦り付けねばいけないからな…。まずはその邪教集団の教義に従って生贄に出来る子供でも集めておけ。従来の十倍程度集めればいいだろう。それに伴う儀式の規模もそのくらいで考えておけ。派手に事を起こしたいが何より奴らが何らかの儀式をしたという建前が必要だ。最初からいきなり我々全員で乗り込むわけにもいくまい。我々は儀式の後、帝都の混乱に便乗し乗り込もう。まずは誰かにその下準備を行ってもらいたいのだが…」

 

 盟主の視線が他の者達へと向けられる。

 

「それならばクレマンティーヌが適任では?」

 

「そうですな、魔法は使えないのだし儀式の準備くらいはしてもらわないと…」

 

 そうして場の全員の視線がクレマンティーヌへと向けられる。

 

「へっ、わ、私…、ですか…?」

 

「ふむ…。悪くないかもしれないな…。統治が甘くなったとはいえ鮮血帝の支配する帝都は未だ盤石だ…。だからこそ血の海に沈める価値があるのだがな…。とりあえずだ、私を含めアンデッドの者が忍び込むのは流石にリスクが高い。その点で言えばクレマンティーヌは適任だな…。よし、下準備はお前に一任しよう」

 

「ちょ、ちょっと待って下さい、わ、私だけですか…?」

 

「何か不満なのか…? せっかくお前の新たなる価値を皆に示せる機会だと言うのに何か文句でも…?」

 

「うっ…、あ、い、いや…、な、ないです…」

 

 盟主の迫力に気圧され、了承してしまうクレマンティーヌ。

 いくらクレマンティーヌとはいえ警備の厳しい帝都で動き回るのは簡単ではない。もちろん、今まで邪教組織がやってきたように細々と動くならば何の問題も無い。

 だが要求されたのは少なくとも十倍の規模だ。鮮血帝も馬鹿ではない。それだけ派手に動けば流石に隠し通せないだろう。

 クレマンティーヌは薄々ながらも察していた。

 これは帝国の軍をおびき出す為の罠だ。だからクレマンティーヌの立てる細かい事前計画などどうでもいいのだ。ただ派手に動けばそれでいい。核となるのは、動いた軍を叩き潰す盟主達のほうだ。だが囮になるクレマンティーヌはどうなるのだろう。危機一髪のタイミングで彼らが助けに来てくれるとは思えない。

 組織にとってクレマンティーヌの生き死には計画に入っていないのだと理解した。

 だからといってここで反論など出来よう筈もない。すでに法国から命を狙われているクレマンティーヌがここで組織の反感を買う訳にはいかないのだから。

 

「しかし盟主様、帝都を血の海に沈めれば法国が動くのではないでしょうか?」

 

「うむ、間違いなく動くだろう…。恐らく漆黒聖典も例のアンデッドに接触したいと思っている筈だろうし、釣られてやってくるかもな…」

 

 断言する盟主の言葉に誰もが緊張感を抱く。

 

「もしもの時はそのまま漆黒聖典と一戦交えてもいい…。儀式を行い、大量のアンデッドを召喚している状態ならば漆黒聖典が全員揃っていたとしても負けはしないだろう…。ふふふ、ここで目障りな奴等を駆逐しておくのも手かもな…」

 

 漆黒聖典と一戦交える。その言葉に十二高弟の誰もが瞬時に真剣味を帯びる。それだけの相手なのだ。一歩間違えれば盟主共々全滅する。

 それを聞いていたクレマンティーヌはそうなった場合、どちらに勝利が転ぶのか結論が出せなかった。

 十二高弟達は強いとはいえ、個々の能力で言えば漆黒聖典に軍配が上がるような気がする。しかしアンデッド召喚や、それぞれ弟子達もいる事を考えれば総戦力では組織の方が上だろう。

 さらに盟主は恐ろしい程に強大だが、クレマンティーヌの見立てでは神人たる漆黒聖典隊長には敵わないと見ている。

 一対一で戦えば間違いなく隊長が勝つだろう。

 だがなぜだろうか。

 実際に二人が戦ったと仮定した場合、クレマンティーヌにはどうしても盟主が負けるという姿が想像出来ないのだ。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)としての底知れなさを盟主は持っている。まるでこの世の何もかもを知り尽くしているかのような全能感。

 その未知なる部分こそが恐ろしくもあり、また不気味なのだ。

 

 ただ、どちらにせよクレマンティーヌの先には闇しか広がっていない。

 肩を震わせたまま、その場で嗚咽をかみ殺す。

 

「では動こうじゃないか…。新たなる同志の為に…、そして世界に死を齎す為に…!」

 

 高らかに宣言する盟主が破顔したように他の者達には見えた。

 アンデッドであり、骨だけの顔に表情などある筈が無いのに。 

 

 ここで一つ補足するなら、占星千里の占いは正しい。

 ただモモンガという異分子が入り込んだ影響は世界中に及んだ。

 その影響を受け、長年の沈黙を破り動き出した盟主。

 彼女が予言したという破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)は一体誰を指しているのか。

 誰か気付くべきだったのかもしれない。

 占星千里は出現ではなく、復活を予言したのだ。

 だが直に分かる時が来るだろう。 

 

 その名の通り、世界を破滅に導く者こそが破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)なのだから。 

 

 

 

 

 鼻先で突如生じた、ふわりとした空気の流れの変化に気付いたツアーを支配したのは驚きという感情。

 ドラゴンの鋭敏な知覚能力は人間を遥かに凌ぐ。相手が不可視化を使っていようと、幻術で騙していようと、驚くほど遠距離の気配すら即座に感じ取る。

 だが竜王たる彼の知覚はそんな一般的なドラゴンとは比較にならない。それだけで彼の側まで迫れる者の能力の高さを証明していると言えるだろう。

 長い時を生きてきた彼でさえ、それほどの能力を持つ者は数える程しか知らない。

 同格の竜王か、すでにこの世にいないが十三英雄の一人で暗殺者。次に思い描いた人物の気配を感じ、ツアーは口元を歪める。

 感じた気配の先に立っていたのは人間の老婆だ。ドラゴンの鋭敏な知覚に気付かれずここまで来たという無邪気な笑みが皺だらけの顔に広がっていた。

 

「久方ぶりじゃな」

 

 返事をせずにツアーは老婆を眺める。

 白一色に染まった髪は生きてきた時間の長さを表している。老いは彼女を細く、弱くしたが心までは変えられなかった。

 

「なんじゃ? わしの友は挨拶すら忘れてしまったのか?」

 

「すまないねリグリット。かつての友に会えて感動に身を震わせていたんだ。そのため、言葉にできなくてね」

 

 ドラゴンである巨体から想像も出来ない朗らかな声を上げるツアー。

 それに対してリグリットと呼ばれた老婆は皮肉で返そうとするが今はそれどころではない事を思い出す。

 

「いきなりじゃが、お主は聞いたか?」

 

「何の話だい?」

 

「その様子じゃまだ耳に入っていないようじゃな…。ま、評議国の連中からすれば大した事だと思っていないのかもしれんが…」

 

 深刻な様子のリグリットにツアーが目を細める。

 

「何か問題が?」

 

「ああ、大問題じゃ。わしの読みが間違っていなければ、な」

 

 言葉を切り、一呼吸ついて再びリグリットが口を開く。

 

「世界を汚す力が再び動き出したかもしれん」

 

「なんだって! やはり百年の揺り返しが…! その様子だと今回はリーダーのように世界に協力する者では無かったようだね…」

 

「確証は無いがな…。とはいえ姿を現した早々、王都を血の海に沈めるような奴じゃ。楽観視はできまい。その影響で王国は滅んだのだしの」

 

 リグリットの言葉にツアーは驚愕する。

 

「な、なんてことだ…。確か君は冒険者をやっていたよね? もしかしてここに来たのは仕事か何かかい? ただ挨拶に来てくれたという事じゃないんだろう?」

 

「冒険者なんてとっくに引退しておる。わしの役目は泣き虫に譲ったよ」

 

「泣き虫? もしかして彼女のことかい?」

 

「そうさ、インベルンの嬢ちゃんさ」

 

「あー、彼女を嬢ちゃんと言えるのは君くらいだね。でも、よくあの娘が冒険者をやることに納得したね? どんなトリックを使ったのかな?」

 

「はん。あの泣き虫がぐちぐち言っておるから、わしが勝ったら言う事聞けと言ってぼこってやったわ!」

 

 カカカとリグリットは心底楽しそうな笑い声を上げる。

 

「あの娘に勝てる人間は君くらいだよ…」

 

「まぁ、仲間達も協力してくれたしの。地の力では勝てんとしても有利不利の関係もあればそれを覆せるわい。泣き虫が強いと言ってもより強き者はおる。例えばお主のようにの…」

 

 その視線に妙なものが含まれているのを察してツアーは問う。

 

「しかし君の代わりに冒険者をやっているということは彼女は王国にいるのかい? 事件の時、彼女はどうしていたんだい? もしかして王都を離れていたとか?」

 

 その言葉にリグリットの表情が曇る。

 

「いいや、戦闘になったらしい。相手は単独のアンデッド。対して泣き虫は他の仲間達がいたにも拘らず手も足も出なかったとか…」

 

 再びツアーの顔に驚愕の色が広がる。

 

「単独で彼女を…? それほどの強者がその辺に転がっていたとは思えないね…」

 

「そうじゃろ? 間違いなくぷれいやーじゃ。強さの程度は分からんが泣き虫を一蹴出来るような奴じゃ。雑魚ではあるまい」

 

 黙り込んだツアーを前にリグリットが続ける。

 

「わしは最悪を想定して動くよ。あの忌まわしき八欲王の再来となるかもしれんしの。これから海上都市へ向かい最下層で眠る彼女の助けを借りるつもりじゃ」

 

 リグリットの言葉にツアーは同意する。彼女の力を借りるという手段はツアーも考えてはいた。世界を汚す力が動き出した可能性が高い以上、躊躇している暇などない。

 

「一人で向かうのかい?」

 

「ああ。今日はお主にそれを伝えに来たんじゃ」

 

「そうか、でも少し心配だね」

 

「まぁの。わしとて不安はあるわい。でも今はリーダーの残した言葉に縋るしかあるまい。少なくとも邪悪な存在ではなかろうよ」

 

 そうしてリグリットはツアーに背を向け歩き出す。

 

「無事に帰って来てよ、君にはまだお願いしたい事があるんだ」

 

「カカカ、年寄り使いが荒いのう! 全く、こんな婆を働かせるのは勘弁して欲しいものじゃ!」

 

 そう言いながらもその言葉には友人に頼られて悪い気はしていないリグリットの心情が透けて見えた。

 

「じゃあ、またの」

 

「うん、また」

 

 そうして彼等は別れの挨拶を交わす。

 いつかまた会えると信じて。

 

 

 

 

 大陸の東に位置する海上都市。

 文字通り海の上に存在する都市でかつてのプレイヤーが残したものだ。

 その最下層に位置する場所では一人の女性が眠っている。

 巨大な水槽のようなものの中で、赤子のように体を丸め揺蕩っている。

 どれだけ永い間そうしているのだろう。

 彼女はただ静かに水に揺られ眠り続けている。

 

 夢見るままに待ちいたり。

 

 いつか目覚める日を夢見ながらずっと待っているのだ。

 何百年も前に友と交わした約束を守る為に。

 もしかすると彼女はもう叶わないと悟っているのかもしれない。

 だからこそ眠りにつき、都合の良い夢を見ようと願った。

 その真実を知るのは今や彼女のみだ。

 そんな彼女の手元には大事そうに抱えられた一つのアイテムがあった。

 それこそが彼女の希望で、彼女の全て。

 

 ユグドラシル時代、二十と呼ばれ恐れられたものの一つだ。

 

 

 

 

 トブの大森林。

 バハルス帝国とリ・エスティーゼ王国に挟まれるように存在するアゼルリシア山脈の南端の麓を取り囲むように広がる森林である。

 探検する者は少なく詳しい地形はあまり判明していない。国家による本格的な調査などは歴史上一度たりともなされていないという謎の多い場所でもある。

 元々、東側の森は帝国側の領土であり、帝国魔法学院の昇級試験などに使われた事もあったが王国が併合された今となってはその全てが帝国の領土と言っても過言ではない。

 深くまで足を踏み入れなければ危険度の少ない森なのだが、最近は事情が違った。

 帝国は王国を併合する為に多くの兵士を派遣する事になった。その為、森周辺の警備をしていた兵士達は内地へと招集された。

 それがしばらく続いた頃だろうか、森にいる魔物達が警備が薄いのを理解したのか森を出て近くの村を襲うという事件が起きるようになった。帝国としてもそれは理解していたが満足に動かせる兵の余裕は無かった。

 故にワーカーへと依頼が出されたのだ。

 トブの大森林にいる魔物達の討伐。

 報酬は破格だった。おおよそ平時の三倍以上の討伐報酬が付けられた。森は広くその被害も多岐に渡り範囲を絞れない為、多くのワーカー達の力が必要とされたのだ。

 トブの大森林だけではない。帝国では突如の人材不足に合わせ、冒険者やワーカー達の仕事が爆発的に増えた。しかも単価は以前よりも良いのだ。特にワーカー達にとってはこれ以上ないという働き時だった。

 

 それを喜び依頼に飛びついたワーカーチームがここに一つある。

 名をフォーサイト。

 いつもより稼げるというだけで誰もが乗り気であったが最も乗り気であったのは魔法詠唱者(マジックキャスター)である彼女だろう。

 アルシェ・イーブ・リイル・フルト。

 元は貴族であったが鮮血帝によって取り潰され、家族ともども路頭に迷う事になった。

 魔法の才能があったアルシェは唯一の稼ぎ頭として夢を捨てワーカーとなった。

 しかし両親は貴族で無くなったという現実を直視できず、以前のような放蕩生活を続け借金を作るばかりであった。ワーカーとしての稼ぎのほとんどは両親の借金返済に充てられていたが借金は無くならない。

 そこに渡りに船と言わんばかりに今回の依頼があった。

 喉から手が出る程、金が欲しいアルシェは依頼へと飛びついた。仲間達も金を稼げるならと同意してくれた。

 これはアルシェの所属するフォーサイトだけでなく、多くのワーカーへの同時依頼だった。

 つまりは早い者勝ちで沢山魔物を狩れば狩る程稼げるという美味しい話だったのだ。しかも難度は高くなく、その多くがゴブリン、いてオーガ程度なのだ。受けない理由など無かった。いつもと同様に魔物を狩るだけで三倍以上の報酬が彼等を待っているのだから。

 その筈だったのだ。

 

「ハァッ、ハァッ…!」

 

 アルシェは一人、森の中を疾走する。

 その身体は傷だらけでとても楽な依頼をこなしに来た姿に見えなかった。それもその筈。アルシェ達フォーサイトは出会ってはいけない者に出会ってしまったのだ。

 東の巨人。

 トブの大森林を支配するとされる強大な三体の魔物の内の一体だ。

 アルシェ達フォーサイトは獲物を求めて森に深く入り過ぎてしまったのだ。森の浅い場所には他のワーカー達も多くいた為、警戒心が緩んでしまったのも原因かもしれない。

 深く入り過ぎたと気づいた時には遅かった。すぐにイミーナが危険を察知したが東の巨人の配下であろうゴブリンやオーガに退路を断たれてしまったのだ。

 交戦状態になるも東の巨人は強く、フォーサイトの手には負えなかった。その強さはアダマンタイト級を思わせるレベル。勝ち目など欠片も無かった。

 なんとか逃げようとしたものの東の巨人の配下が逃がすまいと彼等を追い立て逃げる事は叶わなかった。ならばなぜアルシェだけがここにいるのか。

 アルシェは仲間の言葉を思い出し涙する。

 

『アルシェ逃げなさい!』

 

『そうです! 近くにはきっと他のワーカー達がいる筈です! 助けを呼んで来て下さい!』

 

『早くしろ! 俺らだって無限には戦えない!』 

 

 最初は抵抗したものの、仲間達の言葉を受け逃亡を決意するアルシェ。仲間達の言う通りここには他のワーカー達もいるのだ。すぐに助けを呼べるだろう、そう考えていた。

 だが森の深い場所で方向感覚は狂い、また《フライ/飛行》を使用しても入り組んだ枝や葉がアルシェの道を塞ぐ。もたついているとゴブリン達の攻撃で撃ち落とされてしまう為、開けた場所に出るまで安易に《フライ/飛行》も使えない。

 絶望的な状況で必死に走るアルシェだが希望とは裏腹に他のワーカー達は見つからない。多数のゴブリン達に追い付かれ、殺されるのも時間の問題だと思えたその瞬間。

 目の前に人影が見た。

 色の濃いローブを身に纏い、仮面で顔を隠している奇妙な二人組。ワーカーかとも思ったがその姿に見覚えは無い。

 だがすぐにアルシェは驚愕する事になる。

 

 自身の持つ生まれながらの異能(タレント)で見てしまったのだ。

 看破の魔眼とも言うべきアルシェの生まれながらの異能(タレント)は、相手の魔力をオーラのように見ることによって使う位階を知ることが出来るというものだ。

 だからこそ信じられなかった。なぜ、こんな所にこれ程の使い手がいるのかと。

 アルシェの前に見えた二人組。その内の一人は全くオーラが見えないものの、もう一人の魔力量が尋常ではなかったのだ。

 その魔力量は第五位階の使い手だとアルシェに示していた。

 第三位階を使えれば一流と言われる世界だ。第四位階であれば希代の天才、第五位階などこの世界において数える程しか到達している者はいない。

 アルシェの師であったかのフールーダ・パラダインは第六位階まで習得しているとはいえあれは例外と言える。むしろフールーダを抜かせば帝国で最高の魔法詠唱者(マジックキャスター)は第四位階を習得している者が数名いる程度なのだ。

 はっきり言えば第五位階の使い手など英雄中の英雄だ。

 世界中にその名が轟いていなければおかしい。それほどの存在がなぜこんな所にいるのか。

 いや、今はそんな事は問題ではない。

 アルシェは涙を流しながら、その足元に跪き慈悲を請う。何も返せないと理解していてもひたすら懇願しかできない。頭を地面に擦り付け何度も何度も慈悲を願う。

 それだけが仲間を救うただ一つの方法だと思ったからだ。

 これだけの大英雄がちっぽけな少女の願いを叶えてくれるのだろうか。

 だがアルシェの不安は一瞬で吹き飛ぶ事になる。

 驚く程あっけなく、また信じられない程優しい言葉が返ってきた。

 アルシェはこの時の事を忘れないだろう。

 彼女は初めて出会ったのだ。

 強さだけでなく、御伽噺に聞くような誰もが望む弱き者を見捨てない高潔な英雄に。

 

「もちろん。困っている人を助けるのは当たり前ですから」

 

 墓穴の底から聞こえてくるほど虚ろな声がなぜか今のアルシェには心地よく響いた。

 

 

 

 

 ほんの少し前。

 色の濃いローブを身に纏い、仮面で顔を隠している奇妙な二人組は途方に暮れていた。

 

「おかしいなぁ…」

 

 一人が小さく呟く。

 

「あの、もしかしてですが…、迷ったんですか…?」

 

「えっ!?」

 

 その問いに素っ頓狂な声を上げる。

 

「べ、別に迷ってないですって! い、言ったでしょ! この先に何があるのかと期待しながら自由きままに行くって…」

 

「でもずっと森の中ですよね? 王都から逃げる為に森に逃げ込んだはいいですがそれから何十日もずっと森の中です。迷ったのであれば何か魔法を使用して抜け出した方がいいと思うのですが…」

 

「だ、だから迷ってないですって! もう安心して全て任せておいて下さいよ!」

 

「なるほど…、わかりました」

 

 変に見栄を張る者と、疑う事もせずその言葉を受け入れる者。

 このままいけば誰も得をしない悲惨な状態になってしまうだろう。

 しかし不意に遠くから助けを求め走ってくる少女の姿が見えた。

 その時、彼は全てを理解したのだ。

 

「な、なんという…! ま、まさか最初からここまで見通して…!?」

 

 彼は再度認識する。

 自分の目の前にいる御方は遥か先まで見通す聡明さを持つ。

 まさに端倪すべからざるという言葉が相応しい御方なのだと。

 

「流石です! モモンガさ―ん」

 

「…何が?」

 




ニグン「竜王国行きなう」
番外席次「敗北を知りたい」
漆黒隊長「もうダメかもわからん」
イビルアイ「チャオズは置いてきた。この戦いについてこれそうにないからな」
フールーダ「わくわくなんだ!」
ジルクニフ「爺の願い叶えてやりてぇ」
盟主「帝都を血祭り」
クレマン「死ぬ未来しか見えない」
ツアー「世界を汚す力が動き出してつれーわ」
リグリット「彼女に助けを求めに行くか」
海上都市の女性「ZZZ」
アルシェ「助かりそう」

ちょっと登場人物が多くなり過ぎましたね…。
最後に少し出てきちゃいましたがあくまで幕間なのでモモンガさんたちの冒険は次話にご期待下さい。
それと本文で説明できる箇所が無かったのでここに明記しますがプチ王さんはモモンガさんの教えや魔法を目にした事により新しい力に目覚めてます。
詳しい説明は次話でする予定なので「ふーん第五位階使えるようになったんか」程度に思ってて貰えると幸いです。


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帝国編
異形なる者


前回のあらすじ

各国が王国崩壊に揺らぐ!
だが肝心のモモンガさんはトブの大森林で迷子中


 それは筆舌に尽くし難い程の魅惑的な日々だった。

 寿命など無く、これから悠久の時を過ごすであろうデイバーノック。そんな彼にとってたった何十日という短い時間ではあったがこれ程に掛け替えのない時間が再び訪れる事は無いのではないか、そう思わせる程に有益で得難く比肩するものが考えつかない程に至福の瞬間だった。

 

 王都から逃げる為にモモンガとデイバーノックはトブの大森林へと入った。

 もちろんデイバーノックは逃げる必要など無い事を知っている。王国にはモモンガの敵になるような存在はいないからだ。

 しかしそれと同時にデイバーノックは行動の真意を理解もしているのだ。

 なぜあえてモモンガが王都から逃げるという選択を取ったのか。邪魔者など薙ぎ払えばすむのにどうしてそれをしないのか。

 八本指とその関係者を断罪したものの、王都の惨状を見て多くの人間は恐れ逃げ惑っていた。彼等の多くはモモンガが魔導の敵を排除した事など理解できていないだろう。あのままモモンガが王都に残れば混乱は続き、現地の者達との不要な衝突も起きるだろう。

 刈り取らなくてよい命を無闇に刈り取らなければならない事態になる事を避ける為。一つでも多くの命を危険に晒さない為、つまりは失わない為。

 その為であれば自らが手間を取り、引くことも厭わないのだと。そうデイバーノックは理解している。

 

(なんと尊き御方なのか…)

 

 だがデイバーノックがそんな事を考えている時、モモンガは違う事を考えていた。

 

(こ、ここまで来れば大丈夫だよな…? 蒼の薔薇…、怖いなぁ、会いたくないなぁ…)

 

 自らを害せるであろう実力を持つ蒼の薔薇の影に怯え続け、不安を抱えながらもトブの大森林の奥へと足を踏み込む事にしたモモンガ。

 とはいえ最初の2、3日は良かった。

 当初の不安とは裏腹に見た事の無い景色、新たなる発見。そんな新鮮な体験にモモンガはウキウキを抑えきれず、いつの間にか逃亡していたことなど忘れこの時を楽しんでいた。

 だがどこまで進んでもここはずっと森。見渡す限りの木や草ばかりだ。三度の飯よりも自然が好きな人物ならそれでも問題無かっただろうがモモンガはそうではない。

 有り体に言うと代わり映えしない景色に、ちょっと飽きてきたのだ。

 人間と違い疲労も無ければ睡眠も必要ない。同じ2、3日でもアンデッドであるモモンガの体感時間はそれよりも長い。かといって蒼の薔薇から逃げる為には王国側の方へ戻る訳にもいかない。とりあえず適当に歩を進めるが道に迷っているせいもあり抜け出す事は叶わなかった。

 そうした事情に苦悩していた時、デイバーノックの一言が世界を変えた。

 

「モモンガさん、可能であればなのですが…、その、何か魔法をご教授して頂けたり、しないでしょうか…?」

 

 浅ましいとは思いつつも欲望を抑えきれずにデイバーノックはそれを口にしてしまう。どんな事でも、たとえほんのわずかでも師事して学びたいのだ。そんな己の気持ちを抑えきれなかった。

 なぜなら目の前には自分よりも遥かな高みに座す先達者がいるのだから。

 魔術の知識は決して安いものではない。それどころかそのほとんどは手に入る場所にすらない。選ばれた者だけが選ばれた知識を継承できるのだ。だからこそデイバーノックも八本指に所属し、知識を得る為だけに多くの仕事を引き受けたのだ。対価として得た知識はあまりにも少なかったが。

 要は魔法の知識とはそれだけ価値のあるものなのだ。低位のものはともかくとして、位階が高ければ下手な金銀財宝よりも貴重であり他者に軽々と教えられるものではない。だからデイバーノックの望みがここで断られたとしても当然の事なのだ。

 

「え? いいですよ」

 

「そうですよね、そんな簡単に…、えっ!? い、今なんと…?」

 

「え? だからいいですよ」

 

「えっ!?」

 

「え?」

 

 お互いに良く状況が分からないまま、そんなやり取りが何度か続いた。しばらくして落ち着きを取り戻したデイバーノックは魔法の指導を得られるのだという事を遅れながら理解した。

 途端に感動が押し寄せ、天にも昇りそうになっているデイバーノックを他所にこの瞬間モモンガは気付いてしまった。魔法を教える事はいい。そういった気持ちは何より自分が理解しているし力になりたいとも思っていたからだ。

 だがモモンガは最大の問題に直面してしまった。

 

(ま、まずい…。そもそも…、魔法ってどうやって教えるんだ…?)

 

 多くの魔法を使えるモモンガとはいえ、それらはユグドラシル時代に得たものだ。レベルアップをして、あるいはアイテムを使用して、もしくは特殊な条件を満たして。

 だがそのいずれもゲーム的な習得方法である。元を辿ればこの異世界において自分がどうやって魔法を使用しているかすら分からないのだ。ただ、自然と使えるから使える。どういうメカニズムなのか、どういった手段を取ればこの世界で新たに魔法を習得できるのか。不明な事ばかりだ。

 故に他者に魔法を習得させる理論的な方法など思いも付かない。

 

(や、やっぱりレベルが上がれば覚えるんだろうか…? でもそれなら特に悩む必要とかないよな…。むしろ現実的に考えたら、ある瞬間急に新しい知りもしない魔法が使えるようになるとも思えないし…。やはりその魔法についての知識や何かが必要なんだろうか…)

 

 真面目に考えれば考える程、魔法を教えるという事は物凄い難しい事なんじゃないかという気がしてきた。

 

(二つ返事で受けてしまったけどこれはまずいぞ…。)

 

 根本的にこの世界の人々はどういう手段で魔法を習得しているのか、それを知らない事には対処しようがない。

 

「ゴ、ゴホン。デ、デイバーノックさんは今までどうやって魔法を習得してきたんですか…? それと新しい魔法を習得した時はどういう感じで…? あ、いやあくまで参考にですよ? 今後、教える参考としてね?」

 

 薄っぺらな何かを守る為、必死に取り繕うモモンガ。後になってなんで正直に言わなかったんだろうと後悔する事になるのだが。

 

「そうですね…。例えば《ファイヤーボール/火球》等は己の存在を認識した時から使用できました」

 

「ほう! つまり特に知識が無くても魔法が使えるという事ですか?」

 

「いえ、知識はありました。《ファイヤーボール/火球》という術式がどう組まれているのか。構成する要素。詠唱する際の魔力の流れ。どうすれば効率よく魔力を炎に還元できるのか。魔力の消費量、自分の出力の限界値。更に…」

 

「あ、もういいです」

 

 これ以上聞くとドツボに嵌まりそうなのでやめておく。とりあえず習得する魔法については色々とメカニズムについて知っていなければならないと判断するべきだろう。

 

(やばい…。よく分からないけど魔法の仕組みを理解していないとダメっぽいぞ…。え!? 何それ!? そんなの何にもわかんないけど!?)

 

 頭を抱え地面に突っ伏したくなる気持ちを抑え平静を保つモモンガ。

 

「モ、モモンガさん! どんな魔法でも良いのです! 一度説明して頂ければどんな術式でも頭に入れる自信はあります! 実践や反復練習などは自分でやりますのでどうか知識のご教授を!」

 

「……」

 

 モモンガの頭が真っ白になる。必死に考える。何かこの場を打開する手段は無いのかと。知識として教えられる事など彼にはほとんどないのだ。

 ふとデイバーノックに背を向け、静かに語り出すモモンガ。

 

「デイバーノックさん」

 

「はいっ!」

 

「貴方は確か魔術の深淵へ至りたいとか何とか言っていましたよね…? それはつまりあらゆる魔法を知りたいということでしょうか…?」

 

「そ、その通りです! 私もモモンガさんのように…!」

 

「なるほど。しかしその道は険しく遠いですよ? 私だって使えない魔法は星の数ほどあるのですから」

 

「な、なんと…。そ、それほど魔術の深淵とは遠いものなのですか…!? し、しかし覚悟は出来ています! どれだけ厳しく険しい道であろうと…!」

 

「感心しませんね…」

 

「っ!?」

 

「あらゆる魔法を習得したいという欲求。それは良い事だと思います。俺も習得できるならしてみたいですし。でもですね、世界には未だ誰も辿り着いた事のない魔法や、知りもしない魔法があるのではないですか?」

 

「お、仰る通りだと思います!」

 

「俺が知ってる魔法をデイバーノックさんに教えるのは簡単です。でもそれでいいのでしょうか? 例えば子供の教育であってもただ答えを教えれば良いという訳ではありません。どうやって解答に行き着くか、どうやって答えを導き出すのか。そういった方法や手段こそを教えるべきだと思いませんか? ただ答えだけを知っていてもそれでは意味を成しません。自らの頭で考え、昇華できる力こそが最も大事な事なのではないでしょうか?」

 

 頭を鈍器で叩かれたような衝撃を覚えるデイバーノック。

 

「た、確かに…! これから魔導を進み未知を既知としていく者として、謎を解き明かす探求心やそこへ至る手段こそが最も重要視すべき事だということですね…!」

 

「!? そ、そうです。俺はデイバーノックさんにはただ答えを教えられて知った気になって欲しくないんです。それでは新たな状況に置かれた場合、打開できないかもしれないですからね。自らの力でたどり着き、掴みとって欲しい。誰かのコピーではなく、唯一無二の存在になって欲しい。そう願っているんです…」

 

「お、おぉ…! ま、まさか私の事をそこまで…!?」

 

 自分の事を親身に考えていてくれたモモンガに対して感動を覚えるデイバーノック。

 それと同時にただ知識を貪ろうとしていただけの自分を戒める。誰も到達していない場所へ昇る為には、自らの力で答えを導き出す力を養わなければならないのだと。

 

「とはいえ何もしないって訳じゃないですよ。いくつか魔法を見せましょう。そこに何を見出し、何を掴み取るかはデイバーノックさん次第ですから」

 

「は、はいっ! あ、ありがとうございますモモンガさ―ん!」

 

「いいんですよ、さぁ始めましょうか」

 

 この時モモンガは心の中でかつての仲間に感謝を告げていた。

 

(やまいこさんありがとう! やまいこさんの教育論?が役に立ったよ! 半分適当だけどなんか納得してくれたし!)

 

 かつての仲間と冒険していた時に聞いた、教育者として教え子に何を教えるべきなのかみたいな話を必死に思い出してそれっぽく言ったモモンガ。すぐに答えを教えるのではなく、自らに考えさせ思考力を育む事こそ大事とか言ってた気がする。現実はそう上手くいかなかったらしいが。

 それにもしここにやまいこがいたらモモンガのエセ教育に対して女教師怒りの鉄拳が飛んで来ただろう。

 なにはともあれこうしてモモンガの適当レッスンが始まった。

 

 

 

 

 モモンガ達がトブの大森林から長時間出られなかった理由は迷っていたという理由だけではない。デイバーノックに魔法を教えたり、スキルで召喚したアンデッドと模擬試合をさせたりしていたからだ。

 その合間合間でモモンガがこの世界の事を色々とデイバーノックに尋ねたりもしていたことも関係あるかもしれない。

 

 モモンガのレッスンだが、幸いにもデイバーノックには才能があった為モモンガの適当な教えからでも十分に答えを導き出す事が出来た。同じアンデッドであり、種族的にもほぼ同じという事も良かったのかもしれない。性質的に近いモモンガの影響を良い意味で受ける事が出来たデイバーノック。

 渇いたスポンジのように吸収し、新たな魔法を次々と習得していった。もちろん己のレベルを無視して新たなる位階魔法へはたどり着けないのでその多くは第三位階までのものだ。

 しかし訓練を続ける中でデイバーノックはすぐに第四位階へと到達した。元々時間の問題であったのだろう。そこへ至るだけの下地は十分にあった。少しのきっかけと知識だけが彼に必要な物だったのだ。

 そうして数日さらに訓練を繰り返した後、自身のレベルが上がった為もあるだろうがついにデイバーノックは第五位階へと到達した。

 だが最初に習得した第五位階の魔法はモモンガすら知らぬものだった。

 デイバーノックが己の贖罪と渇望の元に、己の力で導き出した答え。

 彼だけのオリジナル魔法。

 どこにも存在しなかった唯一無二の魔法を手に入れたと理解した瞬間デイバーノックは心から歓喜した。そして悟るのだ。これこそが目の前の御方の言わんとしていた事だったのだと。

 

(全く同一の者など存在しえない…。魔法の礎となる為には…、深遠へと至る為には皆がそれぞれ異なる何かを持ち寄る事こそが必須…。しかし、やはりというべきか。だからこそ命は掛け替えのないものなのだ。たとえどれだけ弱く矮小であろうとも、唯一無二の者達を無碍に扱うべきではない。改めてそれを認識した。どんな者達にも無限の可能性が秘められているのだから…)

 

 モモンガの教えが再びデイバーノックの脳裏に蘇る。

 そしてこれから自分の為すべき事を心に刻みつけるのだ。

 罪を雪ぎ、知識をもって、魔法の下に、世界に調和をもたらす。

 きっとその先にこそ深遠が待っているのだ。

 王都崩壊のあの日、デイバーノックはその真理に気付かされた。

 そして今日、デイバーノックは己の真の使命を知ったのだ。

 それこそが贖罪であり、救済なのだと。

 

「ありがとうございます、モモンガさん…! これが貴方の仰りたかった事なのですね…!」

 

「え、あ、うん。そ、そうです。き、気付いてくれたなら良かったです」

 

「はいっ!」

 

 そうして新たなる境地に目覚めたデイバーノック。

 これは彼等が、助けを求める一人の少女に出会う前日の出来事である。

 

 

 

 

 目の前へと傷だらけの少女が走り寄りデイバーノックに助けを求める。それに対してデイバーノックがどういう行動に出るかなどもはや語るまでも無い。

 熱を帯びた視線をモモンガへと向け口を開く。

 

「モモンガさん、私は彼等を助けたい…! ここで無為にその命を散らせたくない…!」

 

「デイバーノックさん…」

 

「どうか勝手な真似をお許し下さい…! ですがこれこそが私の贖罪に…」

 

「皆まで言わなくていいですって。困っている人を助けるのは当たり前ですからね。もちろん俺も付いていきますよ」

 

「モ、モモンガさん…! ありがとうございます!」

 

 そうしてデイバーノックは少女に案内を促し駆けていく。この時その姿を見てモモンガは少しテンションが上がっていた。

 

(熱い…! 熱いよデイバーノックさん…! こんなに正義感に溢れた人だったなんて…! もっと心の弱い人だと思ってたのに内側にこんな熱意を秘めていたなんて…! すごい、俺も見習わないと…!)

 

 かつての友を思い起こすような姿にモモンガは素直に感動を覚えていた。

 そうして清々しい気持ちのまま、軽やかな足取りでモモンガはデイバーノックの後を追うのであった。

 

 

 

 

 モモンガとデイバーノックを引き連れ、アルシェは走ってきた道を戻っていく。必死に来た道を思い返そうとするが無我夢中で逃げていた為、正確に覚えてはいない。しかしながら勘に頼りながらなんとか走って来た方向へと引き返していく。

 しかし少し歩いた所でアルシェを追ってきたであろうオーガやゴブリンの姿が視界に入る。

 

「女、イタ!」

 

 すぐにゴブリンがアルシェに気付き声を上げて襲い掛かってくる。

 

「くっ…!」

 

 アルシェも咄嗟に杖を振りかざし応戦しようとするが。

 

「待ちなさい。ここは私に」

 

 そう言ってデイバーノックが前に出る。

 

「ナンダ? 仮面? オ前モ冒険者カ!?」

 

「殺セ! 侵入者ハ全員殺セ!」

 

 デイバーノックを見てゴブリンやオーガが騒ぎ始める。

 しかしそれとは裏腹に冷静な声でデイバーノックが語り掛ける。

 

「この少女から話は聞いた。どうやらお前達は森周辺の村々を襲っていたようだな。森の中だけでは満足できなかったのか? それとも食べ物が足りなくなったのか? それならば…」

 

「黙レ! 人間ハ殺ス!」

 

 一匹のオーガが手に持っているこん棒でデイバーノックへと殴りかかる。

 

「やれやれ。話は最後まで聞くべきだ。《ファイヤーボール/火球》」

 

 デイバーノックの杖の先から巨大な炎の塊が迸りオーガへと襲い掛かる。

 

「ギャアアアァァ!!」

 

 あっという間に全身を焼かれ痛みにのたうち回るオーガ。周囲にいたオーガやゴブリン達がその様子を見てたじろぐ。

 

「コ、コイツ普通ノ人間ジャナイ!」

 

「強イゾ!」

 

 だが周囲の声には反応せず、全身が焼かれたオーガへとデイバーノックは語り掛ける。

 

「弱めに撃った。死にはしないはずだ。さて、まだ私の質問に答えてくれていなかったな。どうしてお前達は…」

 

 話している最中のデイバーノックの背後へと一匹のゴブリンが静かに忍び寄る。器用に音も立てずに近づくと手に持った武器を振りかぶる、が。

 

「《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》」

 

 一瞬にして姿を消すデイバーノック。それにより死角から振りかぶったゴブリンの武器は虚しく空を切る。

 

「ナッ!? ドコイッタ!?」

 

「ここにいるよ」

 

 いつの間にか襲ってきたゴブリンの背後に立っているデイバーノック。ゴブリンはそれに気づくと同時に振り返り、武器を全力で振るう。

 

「すぐに手が出るのはお前達の悪い癖だ」

 

 だがその一撃もデイバーノックは容易く避ける。手に持っている杖を返す勢いでゴブリンの肘へと強く叩きつける。

 

「ギャッ!」

 

 関節の可動域の反対側から殴られた事によりゴブリンの肘は容易く砕ける。咄嗟の激痛にプラプラと揺れる腕を抑えるゴブリン。

 

「これで少しは話を聞いてくれる気になったかな? どうしてお前達は…、あ」

 

 再び話を始めようとしたデイバーノックを気にも留めずにオーガとゴブリン達が背を向け逃げ始める。

 

「逃ゲロ! 仲間ヲ呼ベ!」

 

「頭ニ知ラセルンダ!」

 

 あっという間に姿が見えなくなるオーガとゴブリン達。呆気に取られていたデイバーノックだがすぐに失態に気付く。

 

「し、しまった…。捕まえて案内をさせるべきだった…。まさか話も聞かずに逃げ出すとは…」

 

 微妙に落ち込んでるデイバーノックへとアルシェから声がかかる。

 

「す、凄いです! わ、私も第三位階の魔法は習得していますがここまで上手く使いこなせる自信は…! しかもあれで全力でないなんて…!」

 

「いや私など…。私よりもモモンガさんのほうが遥かに…」

 

「ふ、二人とも、今は先を急ぎませんか? 怪我人がいるならば無駄話をしている暇もないでしょうし」

 

「た、確かに! も、申し訳ありませんモモンガさん!」

 

「そ、そうですね。ごめんなさい…!」

 

 モモンガの厳しい言葉にアルシェもデイバーノックもしゅんと頭を下げる。しかしモモンガはというと別に正義感とかではなく単純に魔法の話を振られるのが嫌だったからだ。

 

(この少女も魔法詠唱者(マジックキャスター)みたいだし、考えすぎかもしれないけどもし魔法の事を聞かれたら答えられる自信無いしなぁ…。なんかわかんないけどデイバーノックさんに懐いてるみたいだしその辺はデイバーノックさんに任せてしまおう)

 

 等と浅ましい事を考えていよう等とは二人が知る由も無い。

 

 そんな掛け合いの後、オーガやゴブリン達が逃げていった方へと三人は駆けていく。しばらくして彼等は難なく捕らわれたワーカー達を発見した。

 

 

 

 

 チーム・フォーサイトのリーダーであるヘッケランはボコボコに膨れ上がり視界の狭くなった顔を横へと傾ける。

 そこには仲間であるロバーデイクとイミーナの姿があった。二人ともヘッケラン同様見るに堪えない大怪我をしているが死んではいない。とはいえそうなるのも時間の問題であろう。

 

「ナンダ? 目ガ覚メタカ? ダガ安心シロ、アジトニ着クマデ、オ前達ハ喰ワズニオイテヤル」

 

 オーガに足を掴まれ引き摺られている三人。周囲には自分達同様オーガやゴブリンに捕まっている者達が多数いるがその多くはすでに死んでいる。

 中にはすでに体が原形を留めていない者もいる。手足は引き千切られ、周囲のオーガやゴブリン達が美味そうに口へと運んでいるからだ。

 

「……っ!」

 

 吐き気を催す惨状だが今のヘッケランにはどうにも出来ない。満身創痍で武器も手元には無い。

 何より、このオーガやゴブリンはともかくとしてフォーサイトを襲ったのは妖巨人(トロール)の群れ。そして彼等を統率しているであろうリーダーの妖巨人(トロール)が信じられない程に強かった。

 傷を負わせても妖巨人(トロール)特有の再生能力であっという間に回復してしまう。そんな相手にフォーサイトは為す術も無かった。きっと周囲にいるワーカー達も同様にやられたのであろう。

 ここで死ぬという悔しさがヘッケランの脳裏を掠め、悔しい思いが溢れ出るがもうどうにもならない。ここから助かる等という奇跡など起きようはずもないのだから。

 今はただ仲間の一人であるアルシェが無事に逃げ切っている事を祈るだけだ。

 しかし。

 

「……! あ、な、なんで…!」

 

 地を引き摺られている為、視界は反転しているがそれでも見間違える筈はない。

 ヘッケランの視界の先には逃げた筈の仲間の姿が見えた。もしかして彼女も捕まったのだろうかと考えるが周囲にオーガやゴブリンの姿は無く捕らわれているようにも見えない。ならば導き出せる答えは一つ。愚かにも自分達を助けに来たのだとヘッケランは理解する。

 

「皆! 助けに来たよ!」

 

 ヘッケランの疑問に答えるようにアルシェの高い声が周囲に響く。フォーサイトの面々はもちろん、オーガやゴブリン達もすぐに声のした方へと顔を向ける。

 

「ば、ばかやろう…! せ、せっかく…」

 

 だがヘッケランの叫びは誰の耳にも入る事は無かった。

 なぜなら次の瞬間、辺りを魔法の弾幕が覆ったからだ。

 炎や雷、閃光のような何か。その他諸々が突如としてオーガやゴブリン達へと襲いかかった。

 視界を覆う程の魔法の数々に何がなんだかわからず瞠目するフォーサイトの面々。その一部はアルシェの魔法であり、見覚えのあるものだったがそうではないものも沢山あった。

 気付けばフォーサイトを含めワーカー達を捕まえていたオーガやゴブリン達は地に伏していた。

 

「な、なにが…」

 

 ヘッケランの疑問が解けない内にアルシェが三人へと駆け寄る。

 

「皆!」

 

「嘘…、アルシェ…、アルシェなの…? この、馬鹿…!」

 

 イミーナが弱々しくアルシェへと語り掛ける。それはアルシェの無事を喜ぶのが半分、自分達を助ける為に危険を冒した事への怒りが半分といった声だった。

 

「違うの…! ちゃんと助けを呼んできたんだよ…! 凄く強い人なの…!」

 

 アルシェの言葉でようやくその後ろにいる人影に気付く。だが今はそれどころではない。イミーナはすぐにロバーデイクの事を伝える。

 

「わ、私とヘッケランはまだいいの…。で、でもロバーデイクが…!」

 

 その声を受けロバーデイクを見やる。遠くからでは気付かなかったがその姿に息を呑むアルシェ。

 ロバーデイクの鎧は砕け、腹部の肉が飛散し内臓が見えていた。アルシェはあまりの状態に絶句せざるを得ない。回復魔法であろうともう助からない傷。今現在生きている事が不思議な程の怪我である。

 

「あ、あぁ…アルシェ…ですか…。ぶ、無事だったみたいですね…、さ、最期に会えて…良かった…」

 

「嫌! 嫌だよロバー! お願い目を開けて! 死んじゃダメだよ!」

 

 だがアルシェの言葉も虚しくロバーの身体から力が抜けていく。

 ロバーデイクが死ぬであろうその間際、どこからかその身体に赤い液体が垂らされた。

 

「えっ…」

 

 アルシェが見上げるとそこにいたのはモモンガ。

 

「これで多分大丈夫だと思います。さぁ他の方もどうぞ」

 

 この場において呑気とも言えるモモンガの声。懐から出したポーションを次はヘッケランとイミーナにも振り掛けていく。

 

「……!? な、何が…!」

 

「そ、そんな…! 信じられない…!」

 

 体を動かせない程に重症だったヘッケランとイミーナの傷が嘘のように消えていく。それに驚きつつも二人は瀕死であったロバーデイクを見てさらに驚愕する。

 

「嘘…! こんなことって…!」

 

「マジかよ…! ロバー!」

 

「ヘッケラン、イミーナ…! 私は…! な、なぜ…!」

 

 飛散した腹部など嘘だったかのように綺麗な腹部がそこにはあった。顔色も元に戻っており、大怪我をしていたなどとはとても信じられない状態だった。

 

「す、凄い…! こ、こんなポーション聞いた事ない…! お、お二人とも何から何まで本当にありがとうございます!」

 

 仲間を助けられたアルシェがモモンガとデイバーノックに深々と頭を下げる。

 

「いいんですって。あ、もうそんな頭下げないで下さいよ、ねぇデイバーノックさんからも言ってあげて下さい」

 

「はい。困っている方々を助けるのは当然です。それを気にする必要などありません」

 

 当たり前のように言うモモンガとデイバーノックに誰もが感動を隠せない。

 英雄の域であろう魔法の数々。さらには値段の付けようがないのではないかという強力なポーションを惜しげも無く使いながら恩を着せる様子すらないのだ。

 だが少しして冷静になったヘッケランが慌てたように口を開く。

 

「そ、そうだ! あの妖巨人(トロール)達が帰ってこない内に逃げないと…!」

 

妖巨人(トロール)?」

 

「そ、そうです! この森には妖巨人(トロール)の群れがいたんです! 特にそのリーダーであろう妖巨人(トロール)が恐ろしい程に強いのです…! きっとあれが噂されていた東の巨人に間違いない…! すぐに逃げましょう! あいつが来たらまずいです! ここにいるワーカー達も皆あいつにやられたんです! きっと今は他のワーカー達を襲いに行ってるんだと思います…!」

 

 ヘッケランの訴えにイミーナもロバーデイクも同意するように激しく首を動かしている。

 

妖巨人(トロール)か…。そんなに強い種族では無いと思うけど…。もしかして上位種か何かか? でも現地の人たち弱すぎるからなぁ…。そう考えると並の妖巨人(トロール)と考えるべきか…)

 

 とモモンガが黙考しているとデイバーノックが声をかける。

 

「モモンガさん。ここは私に任せてもらえませんか?」

 

「えっ?」

 

「どうやら話によるとまだ他に襲われている人々がいる様子…。このまま捨て置く事は出来ないでしょう。とはいえまだ他に怪我人もいますし彼等も無事に逃がさなければいけません。モモンガさんにお願いするのは心苦しいのですが彼等を安全な所まで逃がして頂けませんか? その妖巨人(トロール)達は私が対処しますので」

 

「いやいやいや。彼等を安全な所まで逃がすのはいいですけどデイバーノックさん一人じゃ危険ですよ」

 

「そうかもしれません。ですが他の襲われている方を助けるのも、ここにいる彼等を安全な場所まで逃がすのも同様に大切な事です。順番にやっていてはどちらかが手遅れになってしまうかもしれません」

 

「じゃ、じゃあ俺が妖巨人(トロール)の方に行きますよ。その方が…」

 

「確かにその方が良いかもしれません。しかし彼等を確実に守る為にはモモンガさんに同行してもらった方がいいと思うのです。仮に私では彼等を逃がしている途中に妖巨人(トロール)の群れが襲ってきたら全員を守り切れる自信はありません」

 

「で、でも、うーん…」

 

「お願いします。何かあれば私がそこまでだったという事でしょう。何より、可能であればこの手で多くの者達を助けたいのです。私もかつて道を踏み外しました。そんな私だからこそ困っている方達に手を差し伸べるべきであると考えます。苦難は承知の上です。私の贖罪の為にもどうか…」

 

「う、うーん、うーん…」

 

 段々デイバーノックの勢いに反論できなくなっていくモモンガ。危険だからと止めたい気持ちはあるのだが否定するための明確な理由が見つからないのだ。

 最終的にやけっぱちな気持ちでモモンガが声を張り上げる。

 

「わ、分かりましたよ! その代わり約束して下さい! 危なくなったらすぐにメッセージの魔法を送ると! 必ずですよ!? 下らない見栄とか張ってたら許しませんからね!」

 

「はい、わかりました」

 

「ホントにもう! 今回だけですからね!?」

 

「ありがとうございますモモンガさん」

 

 そう言ってデイバーノックが倒れているオーガやゴブリンを杖でつつく。どうやらどれも辛うじて死んでいないようだがその顔は恐怖に染まっていた。そんな彼等を無理やり叩き起こし先導させ、デイバーノックは森の奥へと消えていく。

 

「あ、あの…、モモンガさんと仰るんですよね? その、いいのですか? 先ほどのオーガ達も瀕死とはいえ仲間と合流したら牙を剥くのでは…」

 

 不安気な様子でモモンガに語り掛けるアルシェ。

 

「そうかもしれませんね…」

 

「だ、だとしたらマズイのでは!?」

 

「まぁオーガとゴブリン程度なら大丈夫でしょう」

 

「し、しかし妖巨人(トロール)の群れだけでも危ないというのに…!」

 

「まぁ俺達は自分達の事を考えましょうか。とりあえず息のある人を探して下さい。助けられる人は助けたいですしね。それから森の外へと逃げましょう」

 

「で、ですが…」

 

「心配なのは分かりますけど今はデイバーノックさんを信じましょう。それに本当に危なそうだったら俺が行きますから」

 

「は、はぁ…」

 

 その言葉に疑問を覚えるアルシェ。装備からモモンガが戦士でないのは明白。その姿から魔法詠唱者(マジックキャスター)のようにも思えたが魔力を持っていないのでそれも違うだろう。

 恐らくデイバーノックの従者か何かなのだろうとアルシェは判断しているのでモモンガの言葉の意味が良く分からない。

 

(あれ…、でもそういえばさっきヘッケラン達を助ける時に一緒に魔法を撃ってたような…? いや魔力が無いんだからそんなはずないか…。きっとスクロールか何かを使ったんだろう。なるほど、何か強力なマジックアイテムでも持っているのかもしれない…)

 

 モモンガの余裕そうな雰囲気にそう納得するアルシェ。

 そうしてモモンガと共にフォーサイトは他のワーカー達を助けつつ、森の外へと向かう。

 

 

 

 

 ゴブリンとオーガに案内をさせた先でデイバーノックは大地に裂けたような大きな亀裂を発見した。

 案内させていた者達がここだと暗に示す。

 その亀裂へと近づき覗き込むデイバーノック。中は傾斜は浅く、奥まで広がっており天井は高い。かなりの広さを持つであろうこの洞窟ならば体の大きいオーガや妖巨人(トロール)も不自由なく生活できるだろうなと判断する。

 しかし奥から漂ってくる臭気を感じるデイバーノック。人間のように吐き気を催したり、激しい嫌悪感等は無いが匂いを感じる事は出来る。

 罠や何かかと考えを巡らすが、単純に清潔でない為に悪臭が発生しているだけなのだろうと判断する。

 そんな事を考えながらデイバーノックは洞窟の中の傾斜を降りていく。

 傾斜を降りきった先には二匹のオーガが何かを引き裂き口へと運んでいる。近寄るとそれがワーカーの死体であると判別できた。

 

「……。そこのオーガ、聞きたい事がある」

 

 デイバーノックの言葉に反応し二匹のオーガが顔を上げ、デイバーノックの姿を目にすると咆哮を上げた。

 洞窟の反響が凄まじく正確な位置は掴めないが内部から同様の咆哮が帰ってきた。恐らく中の仲間への知らせと、聞こえたという合図なのだろう。

 

「スケルトン! スケルトン! テキ!」

 

 咆哮を上げたオーガが持っていたこん棒をデイバーノックへと叩きつける。しかしデイバーノックはそれを冷静に避ける。

 

「私は対話を望んでいる。もしそれに答えられないというなら…」

 

 そう言ってデイバーノックが杖をオーガへと突きつける。次第に魔力が集まり、杖の先に炎の塊が出現する。

 

「ヒッ…! オ、オマエ、スケルトンチガウ…!」

 

「まさかスケルトン呼ばわりされるとは思っていなかったな。まあいい。お前達のボスに会いに来た。呼んできてくれないか?」

 

 二匹のオーガが顔を見合わせる。そして困ったように口を開いた。

 

「ボス、マダ帰ッテキテナイ…。侵入者狩ッタラ帰ッテクル…」

 

「ふむ、そうか…。アジトに来るより森の中を探した方が良かったか…。とはいえ入れ違いになっても困るな…。少しここで待たせてもらおう」

 

 困惑するオーガを押しやり内部へと侵入するデイバーノック。しかしその瞬間、後ろから声がかかる。

 

「何をしにきたスケルトン!」

 

 洞窟の入り口には複数の巨大な影があった。

 それらは妖巨人(トロール)。身長は二メートル後半。オーガを超える力を持ち驚くほど強い再生能力を持つ。それらが六体いた。

 だがデイバーノックが注目したのは声を発した先頭に立つ妖巨人(トロール)

 他の妖巨人(トロール)よりも武装が良く、体格面で優れている事もそうだが、王者としての自信がその気配にはっきりと表れている。

 間違いなくこれが妖巨人(トロール)のリーダーであり、このトブの大森林で東の巨人と恐れられた存在だとデイバーノックは判断した。

 

「ここへ侵入してただで帰れると思うな!」

 

 東の巨人の怒りに満ちた叫び。だがデイバーノックは少しも動じない。

 

「まず一つ言っておきたい。私はスケルトンでは無い」

 

「スケルトンではないから何だというのか! 東の地を統べるグに名乗る事を許してやる!」

 

「ふむ、グか。私はデイバーノックだ」

 

 デイバーノックが名乗った瞬間、洞窟全体に笑い声が響いた。

 

「ふぁふぁふぁ! 臆病者とまでは言わぬが弱き者の名だ! 俺のような力強き者の名ではない! 情けない名前だな!」

 

 その言葉に反応して、他の妖巨人(トロール)達や中にいたであろうオーガ達の笑い声が上がる。

 

「それで弱き者は何をしに来た! 食われたくて来たのか! 骨をバリバリと噛み砕くのも美味いからな! 頭から食ってやるぞ!」

 

「私はお前達と交渉しに来たんだ」

 

「交渉? 頼み事か? 命乞いなら聞かんぞ!」

 

「そうじゃない。お前達が森の近くの村を襲っていると聞いた。なぜだ? 森の中だけでは食料が不足しているのか?」

 

「ふぁふぁふぁ! 別に食い物に困ってるわけじゃない! なぜか少し前に森の近くを警備していた邪魔者がいなくなったからな! おかげで自由に森の外で狩りが出来る!」

 

「なるほど…。しかし森の外に手を出せばお前達も無事では済まんぞ。今回森に入ってきた者達は村を襲ったお前達を討伐する為に派遣された者達だ」

 

「ふん! それがどうした! 弱い者は狩られて当然だ! むしろ俺達からすれば餌が増えて万々歳よ! 襲いに行かなくても向こうから来てくれるのだからな!」

 

「愚かだな。彼らが帰らなければ次は軍が出てくる可能性があるぞ。いくらお前達が強かろうと軍が出て来てはどうにもなるまい」

 

「軍だと? 臆病者共がいくら集まったところでこのグの敵ではないわ!」

 

「やれやれ…。話が進まないな…。まあいい。私がお前達に求めるのは、今後森の近くの村を襲わない事と、現在捕えている人間で生きている者がいるなら全て引き渡して欲しいという事だ」

 

 再び洞窟全体に笑い声が響いた。

 

「ふぁふぁふぁ! なぜそんな事を聞き入れなければならんのだ! 良い餌場があれば狩りに行くのは当然! それにせっかく手に入れた戦利品をなぜ手放さなければならん!?」

 

「君の身を守る為だ」

 

 一瞬、ほんの一瞬だけだが洞窟に静寂が訪れた。

 しかしすぐにグの叫びが静寂をかき消す。

 

「守る!? 守るだと!? このグを!? 意味がわからん! グは何も恐れない! グは何よりも強い! なによりなぜそんな事をお前に言われなければならん!」

 

「命は何よりも尊い。私はそれを無駄に散らせたくない。人間だけでなく君たちも同様だ。全ての命は魔法の下に平等なのだから」

 

 淡々とデイバーノックは言葉を発するが、その言葉が、その態度が、全てがグの神経を逆なでする。

 圧倒的強者であるグの前では何者も頭を垂れる。

 グは今まで数々の強者をねじ伏せてきた。弱者はグを恐れ、戦う事なく慈悲を請うた。

 それがグの生きてきた世界だ。

 この森でグと覇権を争う強者が二体いるがそれすらも正面から戦えば負けるつもりはない。

 誰もグには敵わない。

 そんなグを前に飄々とした態度を取る者は今までいなかった。それが信じられなく、また許容できなかった。

 

「不快だ! お前は弱いだけでなく愚か者だったか! 話を聞く価値すら無かった! このグを前にしてそんな態度を取った事を後悔させてやる!」

 

 怒りに支配されたグがデイバーノック目掛けて突進する。

 

「どうして理解してくれないのだ…。理解し、反省すれば贖罪への道も開けるというのに…。かつて私も無為に命を刈り取ってしまった事があった…。君は私と同じだ。知らなかっただけなのだ。今ならまだ間に合う。もうこれ以上、罪を重ねないでくれ…」

 

「ぬぅん!」

 

 デイバーノック目掛けて大上段から剣が振り下ろされた。グの持つ3メートルはあろうかという巨大なグレートソードだ。

 だがそこにデイバーノックはいない。いつの間にかグの背後にデイバーノックは移動しており、グの一撃は空を斬り大地を割った。

 

「弱肉強食の世界で生きてきた者ゆえ仕方ない事か…。力を示せば君も私の言葉に耳を傾けてくれるか?」

 

 そう口にしてデイバーノックはグへ杖を向ける。

 

「《ツインマジック/魔法二重化》《ファイヤーボール/火球》」

 

 一度に二つの大火球がグを襲う。

 その威力は先ほどオーガやゴブリンに放ったものの比ではない。全てを焼き尽くすような業火。並のオーガならば一撃で消し炭になるであろう一撃だ。それが二発。

 

「があぁぁぁあああ!!!」

 

 響き渡るグの絶叫。体を焦がし蝕む火。

 妖巨人(トロール)は強い再生力を持つが炎や酸による攻撃は例外だ。焼け爛れた肉体は簡単には治らない。

 

「ほう、素晴らしい耐久力だ…! 以前よりも強力になった私の一撃を受けてまだ生きているとは…! まさにトブの大森林に君臨する王に相応しい強さ…!」

 

 素直にグの力に感動するデイバーノック。

 その一撃は大地を割り、デイバーノックの本気の魔法の一撃にすら耐える。

 失うには惜しい逸材。

 

「き、貴様ぁぁあああ!!」

 

「やはり私は君を助けたい。すでに多くの人間を手にかけてしまったかもしれないが反省すれば許されるのだ。これからは共に多くの命を救うと誓ってくれ。そうすれば私が君の命を至高の御方に嘆願しよう」

 

「なんだ…? 何を言っている…! グを、このグを助ける…? 馬鹿な…、そんな馬鹿な事があるかぁ!」

 

 強者として生きてきたグはデイバーノックの言葉の意味が理解できず、また受け入れる事が出来なかった。頭を垂れるのはいつだってグ以外の誰かだった。グが頭を垂れる事などあってはならないのだ。

 

「死ね! 死ね! 死ね! 一撃さえ…、この一撃さえ当たれば貴様など…!」

 

 グが恐るべき膂力でグレートソードを無茶苦茶に振り回す。

 それは壁を削り、地面を抉った。時としてそれは仲間の妖巨人(トロール)の身さえ傷つけた。

 だが冷静なデイバーノックはグから十分に距離を取り、その凶刃に触れないように立ち回る。射程外から魔法を放てるデイバーノックにグは一方的にやられるしかない。

 

「この卑怯者がぁ! 遠くからチクチクと…! 魔法など使う者は全て卑怯者だ! 正々堂々と戦う事が出来ない臆病者だぁぁ!」

 

「見解の相違だな。魔法も力だよ。少なくとも私はそう思う」

 

「黙れスケルトンがぁぁ!」

 

 憤怒の形相を浮かべるグ。

 そのまま何度も何度もデイバーノックへと攻撃を仕掛けるがいずれも届かない。あと一歩の所まで間合いを詰める事に成功してもデイバーノックは《ディメンジョナル・ムーブ/次元の移動》で十分に距離を取れるのだ。

 グの一撃がデイバーノックに届くことは決してない。

 

「そろそろ理解してくれたか? 君より私の方が強い。だから私の言葉に耳を傾けて…」

 

「認めん! 認めない! 当たりさえ、当たりさえすればグが勝つ! 本当に強いのはグの方だ!」

 

 自分の中の価値観で自分の強さを必死に肯定するグ。

 だが実際にグの一撃が当たれば戦況はひっくり返るだろう。それは間違っていない。だがその距離を詰める、あるいは相手を捕まえるという事も含めて強さというのだ。

 単独でこの状況を覆せないのならば、デイバーノックの方が強者であると言うべきだろう。

 きっとグも本能では理解しているのだ。

 だがグの感情がそれを認めない。認めるわけにはいかないのだ。

 なんとしても。

 

「お、お前たち! こいつを捕まえろ! この卑怯者の動きを止めるんだ!」

 

 グが手下達に命令を出す。

 命令を受けた手下達が慌ててデイバーノックへと襲い掛かる。

 広いとはいえ、洞窟の中という空間の中で多数と対峙すればいくらデイバーノックとて逃げ切る事は出来ないだろう。このまま戦えばデイバーノックの敗北は必至。

 

「まさか部下を使うとは…。王が聞いて呆れる…、あまり私をガッカリさせないで欲しい…」

 

「黙れこの卑怯者が! さっきまでの威勢はどうした!? 恐ろしくなったのか! 手下を持つグにとって手下は力だ! 貴様が魔法を使うならば、グとて手下を使う!」

 

「なるほど…。あながち間違いではないか…。確かにそれも力だ。認めるよ」

 

 襲いかかる多数のゴブリンやオーガ、そして妖巨人(トロール)

 もはやデイバーノックに逃げ道は無い。

 全てを諦めたかのように項垂れるデイバーノック。だが再び顔を上げて叫ぶ。

 

「最後にもう一度問おう! 今後無益な殺生はしないと誓ってくれ! そうすれば私が君たちの安全を保障する!」 

 

 高らかに宣言するデイバーノックだがそれは誰が見ても負け犬の遠吠えにしか聞こえない。

 

「ふぁふぁふぁ! 命乞いをするならもっとマシな命乞いをしろ!」 

 

 けしかけた手下の奥でグが高らかに笑う。

 しかしデイバーノックの言葉はまだ終わらない。

 

「グの配下である君達にも問おう! 無益な殺生をしないと誓うなら命は保証する! どうか私の言葉を聞き入れてくれ!」

 

 だがそんなデイバーノックの悲痛な叫びなど聞き入れられる筈が無い。誰もが笑ってデイバーノックに襲いかかる。デイバーノックがここへ案内をさせたゴブリンやオーガも仕返しだとばかりに襲いかかっている。

 

「そうか…。それが君たちの選択か…」

 

 ここがデイバーノックの限界だった。

 ここがデイバーノックが譲れる最後の瞬間だったのだ。

 グはもちろん、その手下達を誰も助けられない事にデイバーノックは心から嘆いた。

 そして理解するのだ。

 彼等は絶対に説得に応じないのだと。

 死を目前にすれば応じるかもしれないがそれでは意味が無い。

 故に、ここでグとその一派を説得する事は不可能。

 真の意味で悔い改めなければ未来は無いのだ。

 

「悲しい…、私は今とてつもなく悲しい…。きっと君たちにも夢があった筈だ…。焦がれた思いが、手にしたい望みが…。あぁ、でもそれはもう叶わない。君たちは深遠へ至る道から外れてしまった…。悲しい、本当に悲しい。違う出会いがあれば君たちを失わなくて済んだかもしれないのに。共に深遠へと至る盟友になれたかもしれないのに。この世はなんと無慈悲なのか。何にも代えがたく尊い命を刈り取らなければいけないとは。なんという悲しみだ…。これこそが罰なのか…? 愚かだった私自身が為すべき贖罪なのか…? あぁ、あの御方ならこうはならなかったのだろうか…。私はなんと無力なのか…」

 

 グの手下達がデイバーノックの眼前に迫り、蹂躙されるその直前。

 

「《マス・ターゲティング/集団標的》《スケアー/恐慌》」

 

 デイバーノックが魔法を放った。魔法に対してさほど抵抗力を持たない彼等はその全てが一瞬にして恐怖に支配された。突然の事に誰もが動けなくなる。

 それはグとて例外ではない。とはいえ他の者とは違い、まだ十分に戦闘行為は可能なレベルだ。

 

「グ、グは負けない…! だ、誰よりも強い…!」

 

 自分の強さを拠り所に抗うグ。だがそれを見るデイバーノックの目は冷ややかだ。

 

「方向性は違えどもその精神性は昔の自分を見ているようだ。傲慢で、自分こそが何よりも優れた存在なのだと信じていた。認識している世界がどれだけ矮小であるのかも知らずに。こうして目の当たりにすることで改めて思う。滑稽すら通り越して哀れだよ、喜劇に踊る愚者のようだ。道化師にさえなり得ない…」

 

 デイバーノックが新たな魔法を唱える準備に入る。

 

「さぁ君達の命を天秤にかけよう。もし君達の罪が軽ければ助かるかもしれないな…」

 

「なんだ…、何を言っている…! お前ら早くやれ! こいつを殺せ!」

 

 だがグの言葉に手下たちは応えない。誰もが恐怖に固まり動けずにいる。

 

「この役立たず共がぁっ! もういい! 貴様はこのグが直々に手を下してやるっ!」

 

 そう叫ぶとグは気力を振り絞りデイバーノックへと飛び掛かる。

 グは確かに強かった。

 今のデイバーノックを相手に、その魔法で滅ぼされず、その精神系魔法にすら抗った。

 その強さは英雄の域に達している。

 

 だがそれでは敵わない。

 

 モモンガとの修行を経てデイバーノックは以前とは比べ物にならない程に強大になった。

 その強さは英雄の域を超え、逸脱者の領域にまで足を踏み入れている。

 もはや死者の大魔法使い(エルダーリッチ)ですらない。

 新たな強さの次元に達した彼をユグドラシルの基準で解釈するならこう呼ぶべきだろう。

 

 異形なる大魔法使い(デミリッチ)と。

 

 

「これは慈悲であり、慈愛である。闇は深く、その先に果ては無い。故に全てを受け入れ赦してくれる」

 

「死ねぇぇええ!」

 

 鬼気迫るグに対してデイバーノックは優しく言葉をかける。

 

「安心したまえ。死は何よりも甘く、優しい。愛しい伴侶のようにずっと君たちの傍らに寄り添ってくれるだろう、永遠に。恐れる事など何もない、ただ委ねるのだ。全てを…」

 

 そうしてデイバーノックの魔法が発動する。

 彼が辿り着いたオリジナル魔法。その一つ。

 

「《アンデッド・ナイトメア/死者の再訪》」

 

 その魔法が発動した瞬間、グを含めここにいる全ての者の視界が闇に閉ざされた。

 周囲には誰もいない。

 それぞれが孤独に、別の闇の中にいた。

 

 これは精神系魔法。

 

 実害は無く、幻覚に晒されるだけだ。

 魔法に対する抵抗力が無い者でも、最後まで耐えられれば生き残れるだろう。

 

 暗闇の中でグは混乱していた。

 上も下も右も左も何も分からない。あらゆる感覚が機能していないのではないかと思う程の闇。時間さえ曖昧でどれだけここにいるのか、一瞬とも思えるし、永遠とも思える。何もかもが朧げに感じる闇の世界。

 しかし、ふと気づくと遠くに何者かの影が見える。

 暗闇の中でありながらその姿はハッキリと認識できた。

 見覚えがあるその姿。どこで見たのか何者だったのかすら思い出せない。

 やがてその何者かがグの元へと近づいてくる。

 目前に迫った時、やっとグは気付いた。

 それは初めてグが殺した相手だった。

 呪詛を口にしながらグへと手を伸ばしてくる。

 

「やめろ近寄るなぁっ!」

 

 手を振り上げ必死に振りほどくグ。だがその相手は諦めない。グは拳を叩きつける。だが倒れない。なぜか倒せない。

 ふと気づくと周囲にまたいくつかの影があった。

 どれもグは知っている。

 かつて殺した同族の仲間。他にはグに従わなかったゴブリンやオーガ、もっと他種族の者達。餌として狩り殺した人間の数々。

 気が付けばそれらは無数に集まり波のようにグへと押し寄せた。

 生きるために多くの者を殺してきたグ。その数は数え切れない程だ。

 そんなグに殺された者達が呪いの言葉を吐きながらグへと迫る。

 いくらグが抵抗しても彼等を引き剥がす事は出来ず、やがて彼等の魔の手がグに届いた。

 その手に掴まれるとグの皮が剥げ、肉が裂かれ、骨がむき出しになる。

 

「あがぁぁああぁあ! 離せ離せぇぇええ!」

 

 内臓が飛び出てそれを外へと引き摺り出される。手はもぎ取られ、足は千切られる。

 不思議な事に妖巨人(トロール)の特性は発動せず傷は塞がらない。耐えがたい痛みは消えずにグを苛む。

 

「いでぇ…! やめろ…! やめてくれぇ…!」

 

 誰にもグの言葉は届かない。彼等は手を止めずそのままグを解体していく。

 そうした地獄のような苦しみの中で長い時間をかけ、グは死んだ。

 

「はっ!」

 

 だが再びグの意識が覚醒する。

 慌てて自分の身体を見やると以前のままの何不自由ない体だった。

 

「な、なんだ…。夢…? だがあれはまるで…」

 

 自分の身に何が起きたか理解できないグ。

 しかし気付くと先ほどのように遠くに再び何者かの影が見えた。

 再び近づいてきたそれは先ほどグを襲った者と同一の者だった。

 

「ひっ…」

 

 再びどこからか無数の者達がワラワラとグの元へと集まり出す。そして先ほどと同様にグを襲う。

 

「やめろぉっ! やめてくれぇぇえええ!」

 

 だがグの抵抗は意味を成さず、同じように解体されていく。

 そして同じように長い時間をかけ、再びグは死んだ。

 

「はっ!」

 

 しかし再びグの意識が覚醒する。

 解体された身体は再び元に戻っていた。

 何が起きたかグには理解できない。理解できないが。

 

「あ、あぁぁぁ…!」

 

 また遠くに何者かの影が見えた。

 先ほどと同じ、かつてグが殺した者達。

 それが再び近づいてくる。

 もうグには何が起こるか予想が付いた。

 もう一度グは殺されるのだ。

 あの苦しみをまた味わう事になるのだと。

 それは正しい。

 この後、グは気の遠くなるほど殺されるのだ。

 何度も何度も。

 

 これこそが《アンデッド・ナイトメア/死者の再訪》。

 

 デイバーノックが辿り着いた一つの答え。

 この魔法を受けた者は精神世界で、かつて殺した者達に殺される事になるのだ。

 その回数は殺した者の人数分。

 対象者の記憶から引き出され、死者が構成される。

 これには可哀そうだが虫や動物は含まれない。あくまで対話の可能なレベルの者以上に限られてしまう。

 

 とはいえグはどれだけ殺したのだろう。

 何十、何百…。

 グの記憶から導きだされた数に匹敵する死亡体験は確実にグの精神を侵していった。

 やがて何度目かの死を迎えた頃、グの心は死んだ。

 生きる事を放棄したのだ。

 それは現実世界にも影響する。

 現実世界ではその身に何も起きてはいないが、グの心臓は静かに鼓動を止めた。

 グだけではない。

 その手下の者達も一人残らず、全員が息絶えた。

 

 洞窟の中を恐ろしい程の静寂が襲う。

 もうここに生きている者は誰もいない。デイバーノックの周囲には死体だけが転がっている。

 全てが終わったように思えるがそうではない。

 

「大丈夫、君達の死は無駄にはしない。魂は無くとも君たちの肉体はその身を贖罪に捧げられるのだ。さぁ共に行こう。残った罪人を断頭台へ送る時間だ」

 

 そして新たに魔法を唱える。

 これもデイバーノックが辿り着いた魔法の一つ。

 

「《ソウルレス・リバイバル/魂無き帰還》」

 

 死んだグやその手下達が再び動き出す。

 既存の《アニメイト・デッド/死体操作》や《クリエイト・アンデッド/不死者創造》とよく似た魔法ではあるがその根本が違う。

 死者としての生は持たず、ただ目的の為に動くだけの存在。

 一定時間が過ぎると再びただの死体に戻るがその最大の特徴は、生前の時の能力をそのまま何の劣化も無く使用できるという点だ。

 

「この森に残っている君達の仲間を連れていけ、もう二度と無益な殺生をしなくて済む場所に…」

 

 デイバーノックの命令を受け、グ達が動き出す。

 彼等は洞窟から出て森の中へと出ていく。しばらくすると森の至る所から悲鳴が木霊した。

 やがてその叫び声が聞こえなくなった頃、デイバーノックが静かに呟く。

 

「君たちの罪は、赦された」

 

 こうしてトブの大森林において東の地を支配していたグの一派は全滅した。

 

 

 

 

 モモンガ達は森の外まで避難する事に成功していた。

 

「あの御方は大丈夫でしょうか…?」

 

 アルシェが不安げな様子でモモンガへと訊ねる。

 

「多分大丈夫ですよ。私達は信じて待ちましょう」

 

「し、しかし相手は多数…! や、やはり今からでも助けに向かった方が良いのでは…!」

 

 ヘッケランがそう口にすると周囲にいたワーカー達も同様に頷く。

 それをどうにか窘めようとモモンガが思った時、森の奥から人影が見えた。

 

「お待たせしました…」

 

 そこにいたのは落ち込んだ様子のデイバーノック。

 

「デイバーノックさん!」

 

 だがモモンガは相反するような嬉しそうな声を上げ駆け寄る。

 

「もう! 心配したんですよ! いつまで経っても帰ってこないから!」

 

「申し訳ありません…。殺された方々を埋葬していたので…、それと新たに生存者は見つかりませんでした…。そればかりか彼等の説得すら私には…」

 

「説得?」

 

 そうしてモモンガはデイバーノックから事の一部始終を聞いた。

 その優しさに胸を打たれるモモンガ。素直に凄いと思う反面、それが叶わなく悲しそうなデイバーノックを可哀そうにも思う。

 

「そうですか、デイバーノックさんは彼等も救おうとしたんですね…」

 

「結局は何も出来ませんでしたが…。もし私ではなくモモンガさんならば…」

 

 自分を責めるような様子のデイバーノックをモモンガが必死に励ます。

 

「デイバーノックさんはよくやりましたよ! あと俺だったら救えるとか買いかぶりですって。多分俺ならそんな相手はすぐに殺してただろうし。何より今はここにいる人たちを助けられた事を喜びましょう。ほら、見て下さいよ!」

 

 モモンガが後ろに待機しているワーカー達の方を指差す。

 そこにはフォーサイトを含め、十数人のワーカー達がいた。今回の件で生き残った者達であり、モモンガとデイバーノックが救った者達だ。

 その誰もが生き残れた喜びを噛み締めていた。戻ってきたデイバーノックに誰もが感謝の言葉を告げる。

 

「ほらね。反省する事なんて何もありませんよ、デイバーノックさんは自分のやった事を誇っていいんです」

 

 全員は救えなかったが確実に救った人は存在するのだ。

 だから悲しむ必要などないとモモンガはデイバーノックに伝えたかった。

 

「モ、モモンガさん…」

 

 デイバーノックもその意図が理解できたのか感極まったような声を上げた。

 

「ところで相談なんですが、彼等に付いていきませんか? 彼等はこれから帝国に帰るらしいんですが、もしこちらの都合が合えば都市を案内してくれるって言うんです。ちょっと興味あるしお世話になろうかなって」

 

「帝国ですか…、しかし私達は…。いえ、モモンガさんが言うならそうしましょう」

 

「決まりですね!」

 

 子供のような声を上げるモモンガ。

 しかしデイバーノックはアンデッドの身である自分達が人間の都市に堂々と入っていいのかと疑問に思うがモモンガが言うならば間違いが無いのだろうと判断する。

 自分がアンデッドである事などすっかり忘れているモモンガは新たな国を観光できることを楽しみにノリノリで歩を進めていく。

 その先で何に巻き込まれる事になるかなど考えもせずに。

 

 

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

 その都市内に人知れず人ならざる者が侵入していた。

 漆黒のローブを身に纏い、異様な仮面でその顔を完全に覆い隠している小柄な女性。

 蒼の薔薇のイビルアイ。

 正規の手続きで入国する事も出来たが現在は蒼の薔薇を離れている事も含め、例のアンデッドを秘密裏に追跡したいという事情もあり可能な限り痕跡を残したくなかったのだ。

 それにイビルアイ一人なら都市に侵入するなど何の苦にもならない。

 

「ちっ、やつの痕跡はどこにも無いな…」

 

 だが当てが外れたのか例のアンデッドが潜んでいるような痕跡は発見されなかった。

 例のアンデッドが王国を離れてトブの大森林方面へ向かったという情報だけは入手したのだ。

 その際、奴がどこに向かうのかイビルアイは考えた。

 再びどこかに死を撒き散らすつもりならば大きな都市を狙うかもしれない。

 候補としては評議国、帝国、法国、聖王国、竜王国。

 しかし評議国はドラゴンが治める国で強大。法国は自身の事情から向かう訳にはいかない。聖王国も同様であろう。しかしそういった事情を加味しなくともトブの大森林方面の延長で考えると帝国に向かったと考えるのが自然だ。

 そうしてイビルアイが帝国を訪れてから数日が経つが何の進展も得られなかった。

 

「奴が王都を離れてからもう何十日にもなる…。まさか南下して竜王国へ向かったのか…? ならばすぐに向かうべき、いやしかし…」

 

 他の可能性を想定するイビルアイだがそれでも帝国を離れるという選択肢は選べなかった。

 冒険者としての勘としか言いようがないが、何か帝国内で良からぬ事が起きるような予感がするのだ。

 

「そういえばいくつかの貴族の間で子供が攫われているという話があったな…。しかし鮮血帝の目がある中でそのような無法が行えるものなのか…? ま、まさか奴と何か関係が…? いや、王国の統治に人を割いた弊害と考えるのが自然だろう…。だが何か腑に落ちんな…」

 

 しばらく考えに没頭するイビルアイ。

 

「どうせ何の手がかりも無いのならその件を追ってみるか…。蒼の薔薇としてもそのような事が本当に行われているのなら見逃すわけにはいかんからな…」

 

 正義の心を胸に、イビルアイは帝都を駆ける。

 

 

 




随分と日が空いてしまいました…、皆内容覚えてるかな…?

今回はデイバーノック回になってしまいました。
本当はもう少し短くまとめて帝国導入まで書きたかったのですが相変わらず長くなるという病気に悩まされ…。これでも短くしたんですが…。
内容的には大筋に影響せずモモンガさんの出番も無いのに一話使ってしまって反省。
と、とはいえ次からちゃんと帝国編始まるのでよろしくです!

それと蛇足ですが、気づいたら今作が前作よりお気に入り数が増えてて驚きました。
こ、こんなに多くの人に見て貰えているとは…恐悦…!


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死者の軍勢

前回のあらすじ

デイバーノック強くなる!
モモンガさんフォーサイトを助け共に帝国へ!


 バハルス帝国。

 その帝都の中心たる皇城の直ぐ側の中央広場。

 右を見ても左を見ても、たくさんの露店が立ち並び様々なものが売りに出されている。見た事もないような装飾品や雑貨はもちろん、無数の屋台からは美味しげな匂いが漂い、威勢の良い声が通りがかる者に投げかけられる。

 多くの人が集まり祭りのように賑やかなその様子は帝国という国の活気を表していた。

 イモ洗い状態と揶揄される程に人が多く、ぶつからずに歩くのが困難な程に混みあっている。

 さらに広場の周りには作りのしっかりした店舗が立ち並んでおり、高級そうな店もあり人の流れは多い。

 帝国においていつもと変わらない景色がそこにあった。

 

 ただ、その中に怪しい二人組がいる事以外は。

 

「す、凄い…! み、見た事もないマジックアイテムばかりだ!」

 

「わ、私もこのような場所は初めてです! 帝国にこのような場所があったとは…!」

 

 息を荒げ、興奮しながらその怪しい二人組は広場の中を歩いていた。

 ただ二人がいる場所は中央広場ではなく、北市場と呼ばれる場所である。文字通り中央広場の北に位置する市場なのだが一般の客は少ない。その多くは冒険者やワーカー達である。

 この市場に並んでいる露店はみすぼらしいものが多い。

 大体が薄っぺらな板一枚の上に、たった一個だけアイテムが置かれている。それも新品は滅多に無く、どれもこれも中古品だ。

 店主のほとんどは冒険者かワーカーであり、かつて使用していたアイテムや冒険の最中に発見したが自分達には不要なアイテムを売っている。商人や魔術師組合に売るよりも自分達で直接売った方が利益になる為、ここで物を売る者達は多い。

 客として毎日掘り出し物を探しに来る物さえいる。

 そんな中で不思議なマジックアイテムをいくつか置いてある露店を発見するモモンガ。

 

「何々? 涼しい風が出てくる箱に、触れると暖かくなる石? 便利じゃないか!」

 

 だが実際に使用してみるとめちゃくちゃ微妙な効果に唖然とする。

 

「か、風が弱い! 石は凄くぬるいし! うーん、安いだけの理由はあるという事か…」

 

 そんな感じでモモンガは色々な露店を物色していく。その他には一時的にだが少しだけ視力が良くなる薬、ちょっとだけ匂いに敏感になるネックレス、虫が部屋に出ても動じなくなる指輪など様々だ。

 いずれもユグドラシルで見た事も無いようなアイテムの数々にモモンガのテンションは上がりっぱなしだった。デイバーノックもこういった場所を堂々と歩いたことなどなく、異様な昂ぶりを感じていた。

 とその時、急にデイバーノックが声を上げた。

 

「ひっ! モ、モモンガさんっ!」

 

 悲鳴のような声を上げるデイバーノックに慌てて走り寄るモモンガ。

 

「ど、どうしたんですがデイバーノックさん!?」

 

「み、見て下さい…! わ、訳ありとはいえスクロールがこんなにいっぱい…!」

 

「ほ、本当だ…! 凄い…!」

 

 そこの露店では多くのスクロールが売られていた。

 この世界の基準においては破格の値段が付けられたそれにモモンガもデイバーノックも驚きを隠せない。

 

「て、店主よ! な、なぜこんなに安いのだ!? こ、これなど第三位階の魔法が込められている物ではないか!」

 

 デイバーノックの問いに店主がニヤリと答える。

 

「へへ、旦那さん方魔法詠唱者(マジックキャスター)かい? たまに来る魔法詠唱者(マジックキャスター)さん達には好評ですぜ? ここにある物は損傷したりして使えなくなった物ばかりですがいずれも本物でさぁ。人に見せびらかすコレクションの水増しや財産を多く申告する際に使われるんですぜ」

 

「…」

 

「…」

 

「あっ! お客さん方どこ行くんです!? 今なら安くしときますって!」

 

「使えないなら意味はないですね」

 

「全くです。肝心の魔法が出ないスクロールに何の価値があるのか…」

 

 店主の制止を振り切り進むモモンガとデイバーノック。先ほどまでの興奮は嘘のように冷めきっている。

 だがすぐに違う店で先ほどのようにキャッキャッとはしゃぎ始める。

 

「お、お二人ともっ! こ、こんな所にいらっしゃったんですね!」

 

 その時、遠くから息を切らしてヘッケランが走ってきた。それを見たモモンガが訝し気に首を捻る。

 

「そんなに慌ててどうしたんですか? 今日は帝国に帰ってきたばかりだから案内は明日からという約束では?」

 

 モモンガ達はフォーサイトと共に今日、帝国に帰ってきた。

 モモンガとデイバーノックはアンデッドだから関係ないがフォーサイトの面々は人間だ。すでに夕方という事もあり、今日は疲れを癒す為に十分に休息を取るという話だったのだ。なので元々約束して貰っていた帝都の案内というのは明日からのはずだった。

 しかし疲れと無縁の二人は暇なので近くの広場の露店を見て回っていたのだ。

 だから今日はもうフォーサイトの面々と顔を合わせる予定は無い筈なのになぜヘッケランがこれほどまでに息を切らしながら二人を探していたのか。

 

「そ、それが…! その、お二人にこれ以上お世話になるのは大変失礼だと承知しているのですが…」

 

 ヘッケランの様子からただ事で無い事が窺える。

 

「何かあったんですね…? 話して下さい」

 

 そう告げるモモンガに申し訳なさそうにヘッケランが続ける。

 

「あ、ありがとうございます…! 実は…」

 

 続いてヘッケランの口から告げられた事に二人は驚きを隠せなかった。

 

「そ、そんな事が…!」

 

「ゆ、許せません…! 魔法の信徒としてそのような事、見過ごせる筈が無い!」

 

 驚くモモンガと怒りに震えるデイバーノック。ヘッケランから告げられた内容はそれほどのものだった。

 すぐに二人はヘッケランの案内の元、アルシェの待つ場所へと急ぐ。

 その道中、路地裏を通った際にモモンガは走ってきた一人の女とぶつかってしまった。

 

「わっ!」

 

「あっ! く、くそが! ちゃんと前見てろ!」

 

 ぶつかった衝撃で倒れた女はモモンガに罵声を浴びせた。それを聞いたデイバーノックが怒気を孕んだ声を上げる。

 

「な…! 貴様モモンガさんに向かって…!」

 

「い、いいんですデイバーノックさん。私も不注意でした。あの、すいませんでした。大丈夫ですか?」

 

 そう言ってモモンガは手を差し出すが倒れた女はモモンガの差し出した手を無遠慮に払い、一人で立ち上がる。

 その際、被っていたフードが脱げ顔が露わになり金髪の髪がなびく。猫のような目が特徴的な不思議な女だった。

 だが立ち上がるとモモンガの方を見向きもせずすぐに走り去ってしまった。

 しかし立ち去る瞬間、小さな声で呟いた独り言をモモンガとデイバーノックは聞いた。

 

「ちくしょう…! なんで私がこんな事…! 本当はこんな事したくないのにっ…!」

 

 悲壮感漂うその独り言がモモンガとデイバーノックの耳に残る。

 

「モモンガさん…、今のは…」

 

「ええ、どうやらここにも望まぬ仕事を強いられている人々がいるようですね…。ここも王国と同じだというのか…。ん…?」

 

 その時モモンガは足元に転がる金属片に気付いた。

 

「なんだこれ?」

 

「これは…、冒険者のプレートですね。恐らく先ほどの女性の物でしょう」

 

「なるほど。じゃあ後で返してあげないとですね」

 

 そんなやり取りをしていると先頭を走っていたヘッケランが振り返り二人を呼ぶ。

 

「あ、はい。すぐ行きます!」

 

 拾った冒険者のプレートを懐に入れ、モモンガはヘッケランの後を追う。

 

 

 

 

 『歌う林檎亭』。

 主に汚れ仕事を請け負うワーカー御用達の酒場兼宿屋である。年季の入った宿だが隙間風が入る事はなく、床もキレイに磨かれており、宿代もそれなりにする。何より飯が美味いと評判の店である。

 その奥の席でアルシェが絶望に染まった顔で席に座っていた。

 なぜこんな事になったのだろうとアルシェは思い返す。

 

 依頼でトブの大森林へと向かったアルシェ達だが、そこにいた強大な妖巨人(トロール)に叩きのめされ全滅する寸前までいった。

 だが偶然にも英雄級の魔法詠唱者(マジックキャスター)と遭遇し命を助けられた。

 その事にアルシェは心から感謝している。命の恩人だからという事はもちろんだが、何よりもう一度大事な妹達に会う事が出来るからだ。

 それが嬉しくて誰よりも足早に帰宅したのだ。

 しかしアルシェを待っていたのは妹達の笑顔では無かった。

 受け入れがたい現実。

 

 アルシェの何よりも大切な二人の妹は借金のカタに売られていた。

 

 元々アルシェの家は貴族であったが鮮血帝によって取り潰されてしまった。両親は現実を直視できず貴族への返り咲きを夢見て放蕩生活を続け、借金に借金を重ねる日々を送っていた。

 それ故アルシェは夢を捨て、金を稼ぐ為にワーカーとなった。

 だが両親は生活を変えず借金は膨らむ一方。そのためアルシェは近いうちに妹二人を連れて家を出るつもりでいた。

 しかし帰ってきてみるとその妹達の姿はどこにも無かった。

 父親は何も答えなかったが、アルシェの激しい詰問に母親が口を開いた。

 要約すると、なぜか今子供の価格が急騰しており、二人を売る事で全ての借金を返してなお釣りが来る程の金になったらしい。

 もちろんアルシェは二人を責めた。

 だが話を聞くうえで知らなかった多くの事実を知った。

 まず、アルシェがいないうちに借金はさらに増えていた事、しかも近日中に返済できなければ家を追い出される事になっていた事など。

 家を失わぬ為に二人を売ったのだと父親は言い放った。それが貴族の誇りなのだと。

 それを聞いた瞬間、気づけばアルシェは父親を殴っていた。

 殴られた事で激しく罵倒を始めた父親を無視し、アルシェは家を飛び出した。

 向かった先はフォーサイトの仲間達がいる『歌う林檎亭』。

 そこでアルシェは仲間に全てをブチ撒けた。

 ワーカーの間でプライベートな話題をする事は好まれない。

 だがそれでも、仲間達に迷惑がかかるとしてもアルシェは彼等に頼らざるを得なかった。彼ら以外に助けを求められる者など知らなかったから。

 その事を聞いた仲間達は驚いたがアルシェの力になると言ってくれた。

 アルシェに差し出せる物は何も無いのに力になってくれると。

 その事が嬉しく、アルシェは大粒の涙を流した。

 

 しかし仲間達に話しても事態が好転した訳ではない。

 まず帝国内で人間の売買は禁止されている。妹達が売られたという時点で非合法な組織に売られたと考えるべきだ。ただの奴隷として売られたならばまだいい。酷い目に遭ったとしても命を取られる事は無いだろう。

 だが最悪の事態が考えられる。

 噂程度だが邪神を崇める邪教集団がいると聞いた事がある。

 そこでは儀式の際に生贄を殺すのだと。

 もし妹達が生贄としてそこに売られたのだとすれば時間が無い。すぐに見つけなければ殺されてしまうかもしれないのだ。

 しかも妹達が売られたのは数日前。そうであれば一刻の猶予も無い。

 もちろん国に言えば動いてくれるかもしれない。

 だが肝心の両親が人身売買などしていないと否定するだろう。関係者がそう言えば捜査は行われない可能性すらある。少なくとも対応は遅れる。

 何より貴族ではなくなった家の訴えを国がどこまで聞いてくれるのだろうか。国からの信頼や信用などもう0のようなものなのだ。そう考えるとすぐに動いてくれるという事はないだろう。

 最悪の事態を想定した場合、国に頼る時間すら無いのだ。

 ならばワーカーへの依頼として妹達を探させてもいい。だがそんな緊急性の高い依頼をする程の金はどこにもない。

 故にアルシェは妹達を自力で探す他に手段は無いのだ。

 だからこそ仲間に頭を下げた。

 ワーカーとして良くない行為だと知ってなお、妹達を助けるために全て承知で頭を下げたのだ。完全な私用の為に命を張ってくれと。

 仲間達はそんなアルシェの無茶な要望に頷いてくれたのだ。

 だが彼等とて自分達だけで解決できる問題だと思っていない。

 そして彼等は決断した。

 命の恩人にもう一度助けを借りようと。

 

「アルシェ! 連れてきたぞ!」

 

 入口の扉を開けヘッケランが勢いよく入ってくる。その後ろにはモモンガとデイバーノックの姿があった。

 アルシェは自分の願いが厚かましい事は知っている。

 だがその代わりに一生かかってでも対価を払う覚悟であった。

 それだけの気持ちを持って再び助けを求めようとしたのだ。

 二人が入ってくるなり頭を深く下げ、彼等に願った。

 その代わり自分に出来る事ならば何でもすると誓った。

 天文学的な金銭でも、無茶な要求でも、何でも呑むと。

 そう言われたデイバーノックが答えた。

 

 それは数日前にアルシェが聞いた言葉と同じもの。

 聞いた瞬間、あの時のようにアルシェの身体が震えた。

 

「対価なんて何にもいりません。だって困っている人を助けるのは当たり前ですから」

 

 台詞の言い終わりを聞くと同時にアルシェはその場に泣き崩れた。

 

 

 

 

 帝国の墓場、その霊廟。

 そこへフードを被った女が周囲を窺いながら入っていく。

 女は霊廟内の奥に置かれた石の台座に近寄ると、石の台座の下の方にある意外に細かな彫刻を押し込んだ。

 壊れることなく、それは動くとガチンという何かが噛み合う音がした。そして一拍後、ゴリゴリと言う音を立て、ゆっくりと石の台座が動き出す。その下から姿を見せたのは地下へと続く階段。

 女はその階段を下りていく。

 途中で一度折れ曲がった階段を下りきると、そこは広い空洞が広がっていた。壁や床はむき出しの地面ではあったが、人の手が入っているために簡単に崩れたりしそうな雰囲気はない。

 ただ、ここは決して墓場の一部ではない。もっと邪悪な何かであった。

 壁には奇怪なタペストリーが垂れ下がり、その下には真っ赤な蝋燭が幾本も立てられ、ボンヤリとした明かりを放っている。踊るように揺れる灯りが、無数の陰影を作る。

 微かに漂うのは血の臭い。それはかつてこの場所でそういう事があったと証明するものだ。

 

「ちくしょう…、ちくしょう…! なんで私が…! なんでこんな事しなくちゃならないんだ…! 嫌だ、死にたくない…!」

 

 これから自分の行う事と、それにより自分に振りかかる事態をひたすら嘆く女。だが現実は何も変わらない。

 その時、奥から一つの人影が姿を現した。

 

「帰ってきたか」

 

「だ、誰!?」

 

 女が剣を抜き、声のしたほうへ慌てて向き直る。

 

「落ち着けクレマンティーヌ、儂だ」

 

「へ…? あ、カ、カジっちゃん!? な、なんで…?」

 

 その声の主の正体に気付き、呆けた声を上げるクレマンティーヌ。

 

「フン、組織から借り受けた魔法詠唱者(マジックキャスター)だけではせっかくの死体を有効活用できまい? どいつもこいつも死んでも惜しくない二流の者ばかりだからの。だから儂が力を貸してやる。儂と弟子達がいればもっと大規模な騒ぎを起こせるぞ…! どうした? 嬉しくないのか?」

 

 ニタリと笑うカジットとは裏腹に信じられないものを見るような表情を浮かべるクレマンティーヌ。

 クレマンティーヌからすれば帝都で騒ぎを起こす者達は助からない。だからこそなぜカジットが自らの意思でここにいるのか疑問でしょうがなかった。

 

「おっと、勘違いするなよクレマンティーヌ。おぬしと心中する気などこれっぽっちも無いわ。おぬしに同情した訳でもないぞ? これは儂の為だ。元々はエ・ランテルで行おうと考えていたのだがな…。これ以上ない機会だ。儂の為に利用させて貰おう…! 儂が行えばいくら帝国軍が動こうとも簡単には潰されん…。しばらく耐えれば盟主達が動く。そうすれば帝都が死の都になるのは時間の問題よ…。だからこそ儂はあらかじめ大量の負のエネルギーを手に入れる布石を打つ為に来たのだ…!」

 

 そう高らかに宣言するカジット。

 彼は彼の願いの為にアンデッドとなる事を望んでいる。それには大量の負のエネルギーが必要なのだ。何年もかけ、エ・ランテルを死の都にしようと準備していたカジットだが盟主の招集によってその計画は一時ストップとなってしまった。

 だがただでは起きない。

 せっかく帝都を死の都にするのならそれを利用しない手はないからだ。

 

「で、偽の儀式の方はどうなっているのだ? 生贄の準備は? 貴族共に話は通したのか?」

 

「う、うん。それは大丈夫…。儀式はいつでも出来るよ」

 

 それを聞いて嬉しそうに笑うカジット。

 

「そうかそうか。貴族達も哀れなことよ、偽の儀式で罪を擦り付けられるとも知らずに…。とはいえ帝都が死の都になるのなら罪を着せる為の貴族もいらぬ気がするが、まぁ何事も保険があるに越した事はあるまい」

 

「カ、カジっちゃん…」

 

「ん?」

 

「ありがと…」

 

 顔を伏せながら礼を言うクレマンティーヌを珍し気にカジットが見つめる。少しして噴き出す様にカジットが笑った。

 

「ふははは! おぬしが礼とはな! 想像もしていなかったぞ! だが先ほど言っただろう? お前の為ではない。全て儂の為だ」

 

「そ、それでも…。カジっちゃんがいてくれればもしかしたら…」

 

 生き残れるかもしれない。そうクレマンティーヌは思った。

 元々、クレマンティーヌと借り受けた魔法詠唱者(マジックキャスター)達だけではそこまで大規模な事は起こせない。故にクレマンティーヌ自らも直接死を振り撒きに行かなければならなかった。だがそうすれば駆け付けた帝国軍相手にやられるのは時間の問題だろう。

 クレマンティーヌであれば軍を相手にしても逃げ切る自信はあるのだが例の逸脱者が出てくれば話は別だ。あれが出て来てはクレマンティーヌとて勝ち目は薄い。逸脱者とはいえ、魔法詠唱者(マジックキャスター)と一対一ならばまだ勝機はあるかもしれないが兵士が多数いてはそれも厳しい。故にクレマンティーヌが生き残れる可能性は限りなく低かった。

 だがカジットがいれば話は変わってくる。

 弟子達も含め、多数のアンデッドを使役できるカジットがいれば帝都の被害をより大きく出来る。仮に自分達が帝国軍と交戦する事になってもカジット達がいれば盟主達が来るまで持ちこたえられるだろう。

 そう考え、わずかにクレマンティーヌの瞳に希望が宿る。

 

「さぁすぐに準備を始めろクレマンティーヌ。帝都を死の都に変えるのだ…!」

 

 カジットは思う。

 自分より格上の逸脱者がいようとも、魔法に絶対の耐性を持つスケリトル・ドラゴンを従える自分であれば戦える。

 帝国四騎士が出て来てもクレマンティーヌがいれば抑え込んでくれるだろう。

 そうすれば有象無象の兵士がいくらいようと後れを取るつもりはない。大量の兵士達がいようとも十分に混乱させることができれば後は盟主達が乗り込んできて帝都を死の都へと変えてくれるのだ。

 カジットの夢はもう、すぐそこまで迫っている。

 

 

 

 

 日が暮れ太陽が沈み始めた頃、エ・ランテルの近郊を抜け帝国領へと侵入する者達がいた。

 今となってはエ・ランテルも帝国領なので変な話だが、まだ元王国と帝国との国境線は機能しており、ここを他国の者が越えると国際問題に発展する。

 だがそんな事など構いもせずに密かに入り込んだ者達。

 それは法国が誇る特殊部隊、漆黒聖典の面々だ。

 漆黒聖典の隊長を筆頭に、"神聖呪歌"、"一人師団"、"巨盾万壁"、"神領縛鎖"、"人間最強"、"天上天下"。

 そして六大神の残した至宝の一つを持つ事を許された老婆。

 元々は復活を予言された破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の調査に向かう予定だったが、王国の崩壊と共に作戦を練り直し、メンバーを入れ替え再出撃となった。

 彼等の任務は、王国に降臨したのが神かあるいはそれに連なる従属神なのか、はたまた世界に災厄を齎す悪神なのか見極める事だ。

 当初の予定としては王国に向かう予定だったが"占星千里"が新たな予言をしたのだ。

 

 それは世界を滅ぼす災厄の渦。

 

 その始まりとして近い内に帝国周辺で何かが起きると占星千里は予言した。

 だが肝心の占星千里はそれを予言した後、気が狂い部屋に引きこもってしまった。

 話によると逃れえぬ世界の滅亡を見て、あるいは人間の理解を超えた悪夢の片鱗を見た事で正気を失ってしまったとか。

 どちらにせよ結果として、占星千里は使い物にならなくなってしまった。

 

「隊長、本当に帝国で何かが起こると思いますか?」

 

 一人師団が隊長へと訊ねる。

 

「分からない…。だが王国にはもう王都を滅ぼした者の足取りは無かった…。占星千里の予言が外れるとも思えない…。次は帝国で何かが起こる可能性は十分にある…」

 

 だが隊長は何か腑に落ちないものを感じていた。

 王都を滅ぼしたとされる存在、それこそが破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)だと隊長はにらんでいる。

 しかしそれならば、なぜ始まりが王都の事件でないのか。

 現に王国は滅び、多くの死者を出したと聞いている。

 占星千里が占った世界に降り注ぐ災厄の渦の始まりが帝国だというのならば王国での事は一体何だったのかと。

 

「ま、まさか王国の被害はあくまで復活の余波でしか無かったというのか…? つ、次に帝国で起こる何かこそが真の始まりだと…?」

 

 恐ろしい想像に身が震える隊長。

 自分の考え違いであって欲しいとただただ願う。

 

「何か仰いましたか隊長?」

 

「い、いやなんでもない…。さぁ先を急ごう…」

 

 隊長は言い様の無い不安を胸に押し込み、漆黒聖典達を率いて帝国領を進んでいく。

 

 そして目の当たりにするのだ。

 受け入れがたい現実というものを。

 

 

 

 

 帝都の中心たる皇城。

 夜遅く、己の執務室に呼んだ幾人かとジルクニフは言葉を交わしていた。

 一人は帝国主席宮廷魔法使いにして大賢者〝三重魔法詠唱者(トライアッド)〟フールーダ・パラダイン。

 そして横に立つのは帝国四騎士〝重爆〟レイナース・ロックブルズと〝激風〟ニンブル・アーク・デイル・アノック。

 他に控えている者はいない。

 現在帝国にいる上位4名がここに揃っている。

 

「…で、例の邪教集団の足取りは掴めたのか?」

 

 低い声でジルクニフが尋ねる。

 

「はっ…。現在調査を続けておりますがまだ確実なものは…」

 

 そう口にするニンブルの言葉に不機嫌そうにジルクニフが応える。

 

「鮮血帝もナメられたものだな…。王国の支配に人を割いている今なら好き勝手やってバレないとでも思っているのかそいつらは? だが何よりもそんな奴等の足取りを掴めていないという事に私は驚いているぞ」

 

 憤るジルクニフの前で委縮するニンブルと違い、レイナースは表情を崩さず口を開く。

 

「しかし以前と違い、奴等も大分派手に動き始めた様子。人身売買の経路はおおよそ見当がついています。陛下が泳がせていた貴族達も加担している可能性があります。そちらから辿れば行き着くのはそう難しくないかと…」

 

 レイナースの言葉に少し考え込むジルクニフ。

 

「ふむ…、ウィンブルグ公爵か…。利用価値があると思って生かしておいたが私の統治の下で未だ無法を働くというのなら刈り取らねばならんかもしれんな…。爺はどう思う?」

 

 ジルクニフのその言葉でニンブルとレイナースの視線もそちらへと向く。

 

「例の邪教集団ですか。以前は動物を贄としたおままごとのような事をやっていたと聞き及んでいましたが実際に人を使うとなれば話は別ですな…。しかも一人二人ではない…」

 

「それよりも問題は邪神を崇めている事では?」

 

 レイナースがフールーダに問う。

 

「そうじゃのう…、邪神などと馬鹿にしていたが王国の事件以来あながち馬鹿にできるような話でなくなったのも事実。その邪教集団と何らかの関係性があるとは思えぬが、もしかすると邪教集団はいち早くその存在を認知しており勝手に崇めていたのやもしれぬ…。無いとは思うが王都を滅ぼした何者かに接触する方法を知っている可能性も否定はできんしの…」

 

「ならばやはり邪教集団は潰さねばならんな…。しかしそうなると皆殺しという訳にもいかんか…?」

 

「そうですな。低いと言っても可能性がある以上は無闇に殺す訳にはいかないでしょう」

 

「ならばウィンブルグ公爵を呼び出し問い詰めるか? 恩赦を条件とすれば話すのではないか?」

 

「それも良いですがやはり現場を押さえた方がいいでしょうな…。そういった輩は変に心酔してると口を割らない可能性もあります。それで他の者達に隠れられても厄介です」

 

「まぁそうだろうな、結局は邪教集団の足取りを掴むしかないという事か…」

 

 やれやれと一人ごちるジルクニフだがバタバタとした足音が執務室の外から聞こえた。その次の瞬間、一人の兵士が勢いよく執務室に飛び込んできた。

 

「し、失礼します!」

 

「陛下の御前だ、騒がしいぞ」

 

 無遠慮に入ってきた兵士を窘めるニンブル。

 だがそんなニンブルを片手で制しジルクニフが続けるように言う。

 

「構わん。その様子では緊急の用なのだろう? 何だ?」

 

「は、はいっ…! そ、それが…。突如として墓場から大量のアンデッドが出現し、都市内への侵入を許してしまいました…! 現在カーベイン将軍が兵を率い対処に当たっていますがすでに一般市民への被害も出ておりまして…! このままでは被害は広まるばかりかと…!」

 

「な、なんだと!? なぜそんな事が!?」

 

 慌てるニンブル、だが横にいるレイナースは無表情のまま報告に来た兵士に問う。

 

「で、アンデッドの総数と強さは? カーベイン将軍が兵を率いてなお被害を抑えられないとはそれだけの規模ということ?」

 

「い、いえ現状ではなんとも…。偵察に出した者で戻ってきた者はまだおらず、今は兵士達が前線で抑え込んでいる状態です…! アンデッドの強さというよりは被害が広範囲に渡っている事が問題かと…」

 

「なるほど、私達もすぐに出ましょう。いいですね、陛下?」

 

「あぁ。頼む」

 

「さぁニンブル、行きますよ」

 

「りょ、了解です!」

 

 そうして執務室からレイナースとニンブルが出ていき、報告にきた兵士も下がる。

 部屋に残されたのはジルクニフとフールーダのみ。

 

「なぁ、爺。大量のアンデッド…、まさか奴か…?」

 

「……」

 

 フールーダは苦虫を噛み潰したような顔をしている。普通に考えれば王都を滅ぼした例のアンデッドが帝都を襲いにきたと考えるべきタイミングだ。それを認めたくないのか、必死で他の可能性に縋る。だが他に思いつく事などある筈もない。

 

「考えたくはないですが…、その可能性は高いと思われますな…」

 

 しばらくして苦しそうにフールーダが告げた。

 希望を持ってしまったからこそ、この現実がつらい。

 だがそれでも帝国主席宮廷魔法使いとしての矜持はある。敵意がなければまだしも、敵意を向けてきた相手に対して魔法を請う事など出来ないだろう。

 やがて覚悟を決めたのかフールーダが静かに口にする。

 

「もし、今回の犯人が例のアンデッドであるならば私が相手をします…。もしかしたらそこから少しでも何かを得られるかもしれませんからな…」

 

 殺気とも何とも形容し難い異様な気配を纏ったままフールーダも退室する。

 執務室に一人残されたジルクニフはもはや彼等を信じるしかない。

 帝都を王都の二の舞にする訳にはいかないのだから。

 しかしただ座して待つ訳にもいかない。

 彼には皇帝としての責任があるのだから。

 

「〝雷光〟と〝不動〟がいない時に…! いや、まさかそこを狙われたのか…?」

 

 すぐにジルクニフも動く。被害がさらに大きくなるならば軍の指揮も視野に入れねばならないからだ。

 

 こうして帝国の長い夜が始まった。

 

 

 

 

 帝都にアンデッドが出現する少し前。

 帝都の墓場にある霊廟、その地下。

 広い空洞の部屋の中では奇妙な光景が広がっている。

 二十人程の男女。

 顔は骸骨を思わせる覆面を被っており窺い知る事は出来ない。

 だが問題はその下だ。上半身、下半身共に裸なのである。

 その景色を前に吐き気を催すクレマンティーヌ。

 もしこれが若者のものであればまだ我慢出来たかもしれない。

 しかし――違う。

 中年というより老人の皺だらけのものであり、弛んだぶよぶよとした皮のものだ。老人で無ければ、あるのは中年のだらしない肉体は油の詰まった肉袋だ。

 男がそうなのだ、女だってそうだ。第一の感想は干し柿である。

 

(おえっ、こればっかりは何回やっても慣れないっつーの…。なんでこんな気持ち悪いもん見なくちゃいけないのよ…。しかも当の本人達は本気でやってるっぽいし…)

 

 すでに儀式は始まり、祭壇に向けて奇妙な祈りが捧げられている。その様子は狂気と言うしかない。

 その祈りがしばらく続いた後、先頭にいる纏め役が叫んだ。

 

「贄を! 邪神様に若き魂を!」

 

 それを合図に一番後ろに用意されていた皮の袋がバケツリレーの形式で前に持ってこられる。皮袋の口は紐で縛られているが、大きさとして子供が一人入るのに十分なサイズだ。

 それが十個程。

 要は十人程の子供が詰められているという事だ。

 この皮袋を持って前に回すと言うことは、邪神に捧げ物をする意志があると言うことであり、信仰心の表れであるとされている。だからこそ枯れ木のような老婆でもそれを必死に持とうとした。

 そうして全ての皮袋が祭壇の前まで運ばれる。

 次に全員が手に鋭い刃物を持ち前に進み出る。

 本来であれば順番で選ばれた者の仕事なのだが、今回は皮袋が十個もあるので全員で生贄を捧げる。

 これだけの規模の儀式は初めてだ。

 周囲には誰もが経験した事の無いサディスティックな熱気が満ちていく。

 きっと最高の儀式になるだろうと誰も疑わなかった。

 

 そして皮袋へ刃物が一斉に振り下ろされる。

 

 一瞬にして皮袋が赤く染まった。手には生々しい肉の感触。

 薬で眠らされているせいか、皮袋の中身が暴れる事は無い。

 誰もが興奮を抑えられなかった。

 邪神へと純真無垢な十個もの魂を捧げられる事に。

 それを冷ややかな目で見ていたクレマンティーヌが横に控えた男へと合図をする。儀式が完了した合図だ。

 合図を受けた男はすぐに部屋を出てカジットの元へと向かう。

 そして報告を受けたカジットは弟子達、ズーラーノーンに所属する幾人もの魔法詠唱者(マジックキャスター)と共に魔法を発動する。

 帝都へ死を届ける魔法。

 アンデッドを使役する魔法、召喚する魔法、様々な魔法が放たれる。

 それにより500体超のアンデッドが動き出す。

 その7割程はカジットと弟子達のものであり、彼等がいかに優秀なのかがわかる。

 帝都を死の都にするには足りないがそれでも混乱を巻き起こす事は十分に可能。

 500体超のアンデッドと共にカジットと弟子たち、幾人もの魔法詠唱者(マジックキャスター)は帝都へと乗り込む。アンデッドだけならばともかく、彼等がいては流石の帝国軍も苦戦するだろう。

 カジット達が作戦に加わった事により、クレマンティーヌはここに気付き攻め込んできた帝国軍から貴族達を守る事になった。帝国四騎士が現れ劣勢になりそうな場合はクレマンティーヌが出る予定だが、そうでなければここで護衛を続ける。

 

(頼むよカジっちゃん…! 盟主達が来るまでなんとか持ちこたえて…!)

 

 そう心から願う。霊廟の地下であるここに逃げ場は無く、攻め込まれたらクレマンティーヌでさえ逃げきれない。

 自身の命の為にもカジットの奮闘を期待するしかないのだ。

 

 

 

 

 帝都の郊外に11個の影とそれに付き従う者達が潜む。

 盟主ズーラーノーンと残りの十二高弟達、及びその弟子達だ。

 彼等はフールーダが姿を現すのを待っている。

 盟主を含め、十二高弟達もフールーダには十分に警戒している。

 盟主ならば正面から戦っても勝てると誰もが知っている。だが他はそうではない。

 逆に言えば盟主以外はフールーダに敗北する可能性があるのだ。

 しかもそれに加え帝国は人材が豊富だ。

 相手にフールーダがいる状態で帝国軍との物量戦になったら敗北する可能性は十分にある。

 というより盟主以外は生き残れないだろう。

 だからこその囮。

 クレマンティーヌという強力な捨て駒を用いてフールーダを誘き寄せるのだ。

 盟主とて自分の手足である十二高弟達を無闇に失いたくはない。それがクレマンティーヌ一人の犠牲で帝都を落とせるなら上々だ。カジットが自ら望んで飛び込んだが盟主はそこまで関知してはいない。失うのは惜しいが行きたいというのなら止めはしない。囮が二体いて困る事など無いのだから。

 そしてカジットやクレマンティーヌが戦い始めればフールーダ以外に止められるとは思えない。だからこそ必ずフールーダが出てくる。

 姿を確認したら盟主達で一気にそこを攻めるのだ。

 フールーダさえ落とせば盟主達からすれば帝国軍など後は烏合の衆だ。

 だだっ広い戦場ならまだしもここは一般人も多くいる帝都。

 場所も有利に働き、十二高弟達だけで十分に対処できるだろう。

 

「ふふふ、楽しみだぞ…! 帝都を血の海に沈められるのだ…! 今日を秘密結社ズーラーノーンの新たな門出としよう…! 例のアンデッドを仲間に引き入れ我々はさらに強くなるのだ…!」

 

 盟主の言葉に十二高弟達が呼応し声を上げる。

 だがその中で一人だけ別の何かを感じ取り、緊張を持って立ち尽くす者がいた。

 

「…どうした?」

 

 それに盟主が気付き問う。

 

「いえ、帝国領の国境付近に複数の探知魔法を仕掛けておいたのですが、そのいくつかが無力化されました」

 

「何…?」

 

 十二高弟達はこの世界において冒険者で言うアダマンタイト級もしくはそれ以上の者達だ。

 そんな者達の探知魔法が無力化されるとなると相手は同等以上の者しか考えられない。

 

「まさか漆黒聖典か…! ふん、奴等も動いたか…。相変わらず勘の鋭い奴等だ…!」

 

 十二高弟達には骨だけである盟主の顔が憎々しげに歪んだように見えた。

 

「どうされますか盟主様、まだ距離はあると思いますがこのままですと帝国軍との戦闘中に乱入される危険性が…」

 

「そうだな…」

 

 十二高弟の言葉に考え込む盟主。そして。

 

「そのうち事を構えるとは思っていたがこんなに早くなるとはな…。まぁいい…。先に潰してしまうか…! 前哨戦として人類の守護者等と声高に叫ぶ奴等の鼻っ柱を折ってやるのも悪くない…! 何が神人…! くだらぬ…! ここまで出張ってきた不運を嘆かせてやるぞ…!」

 

 盟主の言葉に十二高弟達の気持ちも高まっていく。

 自分達と同等の相手と殺し合う機会など中々ないのだ。

 

「漆黒聖典…! 殺したら死体は持ち帰ってもよろしいので…?」

 

「待たれよ…、死体ならば儂が持ち帰るぞ…」

 

「黙れ爺さん、俺だって欲しい。こういうのは早いもの勝ちだってぇの」

 

「ふぁっふぁ、お主ら我を出し抜くつもりか…?」

 

 十二高弟達が互いに言い争いを始める。

 

「待て待て。全員来てるがわからんが漆黒聖典も第十二席まであるのだ。ちゃんと仲良く分けろ」

 

 盟主の言葉に十二高弟達が一斉に頭を下げる。了承したという合図だ。

 その時、帝都に異変が起きた。

 郊外にいながら聞こえる人々の悲鳴。アンデッドの気配。

 

「始まったか…! よし、こちらも急ぐとしよう…! これから帝都を血の海に沈めなければならんのだからな…。とっとと漆黒聖典を始末するとしよう…!」

 

 帝都の混乱と同時に盟主達も動き出す。

 もはや漆黒聖典と遭遇するのは時間の問題だ。

 

 

 

 

 モモンガとデイバーノック、フォーサイト達は帝都を駆けずり回っていた。

 何の確証も証拠も無く、ただ無計画に走り回るだけで全てが徒労だった。

 当初は《ロケート・オブジェクト/物体発見》を使用しアルシェの妹達を探し当てようとしたが、持ち物のほとんどは既に売り払われておりそれは叶わなかった。

 そして肝心の借金取りは運悪く捕まらず、なぜか借金取りの家は荒らされていた。もしかすると同業者同士の争いでもあったのかもしれない。闇の社会に生きる者など、いつその命を失ってもおかしくないのだから。

 そういった連中と付き合いのありそうな場所もあらかた回っているのだが特に何の成果も無く彼等は途方に暮れるしかなかった。

 

「くっ…、ウレイリカ…、クーデリカ…、一体どこに…」

 

 悔しさに顔を歪め、口の端から血を垂らすアルシェ。

 

「アルシェ、大丈夫よ…。きっと妹さん達は無事だから…」

 

 イミーナが憔悴しきったアルシェに言葉をかける。それが慰めにも何にもならないと知っていてもそう口にするしかなかった。

 すぐにでもアルシェの妹達を探さなければならないという事態にも拘らず、彼等に訪れた不運はそれだけではなかった。

 

「きゃぁぁああぁぁ!」

 

「う、うわぁぁぁぁ! た、助けてくれぇーっ!」

 

 急に広場の方から叫び声が聞こえてきた。何事かと反射的にモモンガ達は声のした方へと走る。

 そして現場に到着した彼らが見たものは凄惨とも言えるものだった。

 都市内にアンデッドが跋扈し、人々を襲っていた。

 

「な、なんだこれはっ!?」

 

 想像もしない光景に唖然とするモモンガ。

 その時デイバーノックは誰よりも早く動いた。すぐに魔法を放ち、襲われている人々を助けていく。だがそれは襲われている人々のごく一部だ。アンデッドの数は多く、デイバーノック一人ではとてもではないが手が足りない。

 周囲にいた巡回の兵士達がすぐに異変に気付き飛んで来る。王国と違い、キチンと統制の取れている兵士たちは的確に陣を組みアンデッドに対処する。その傍らで人々を誘導し避難もさせていく。

 だが未だアンデッドは湧き出て来ているようで兵士達も苦戦せざるをえない。次第に倒れだす者達も出始めた。

 アンデッド自体はさほど強力ではなく、軍の本隊が出てくれば対処は可能だろうがそれまで巡回の兵士だけでは抑え込む事すら出来ない。

 

「ヘッケランさん…、帝国っていうのはアンデッドが自然発生する場所なんですか…?」

 

 急に低い声でモモンガがヘッケランへと訊ねる。

 

「い、いえ、そんな事は…。今まで帝国でこれほどのアンデッドが出現した事などありません…!」

 

「なるほど…、という事は人為的な可能性があるという事ですね…?」

 

 異様な気配のモモンガに戸惑いつつもヘッケランもその可能性に思い至る。これほどのアンデッドを使役できるとは考えにくい事だがそれが一番しっくりくると。

 モモンガはこれが自然発生の域を超えていると判断していた。この世界の事は分からないが帝国でこれほどのアンデッドが発生した前例が無いという事はそういう事だと。

 

「し、しかし誰が何の目的でこんな…、モ、モモンガさん…?」

 

 下を向き急に黙り込んだモモンガをヘッケランが心配したような様子で声をかける。が返ってきたのは怒声。

 

「どうしてだ!」

 

「えっ!?」

 

 急に大きな声を上げるモモンガ。驚いたヘッケランが呆けた声を上げてしまう。

 

「王国だけじゃなく、帝国でも人身売買があったと思ったら今度はアンデッドを使役して人々を襲わせるような奴がいるなんて…! 許せない…! どこもかしこも腐りきってる!」

 

「モ、モモンガさん…?」

 

 普段の温厚そうな様子とは真逆の気配にヘッケランは戸惑いを隠せない。他者を威圧するようなその気配に圧し潰れそうになる。

 

「困っている人を助けるのは当たり前…、そうですよねたっちさん…! だから彼等を見殺しにする訳にはいかない…」

 

 王都で感じたような憤怒の感情がモモンガを支配していく。

 それを見ていたヘッケラン達が怯えた様子でモモンガを見つめる。

 だがそれに気付かないモモンガは高らかに宣言するのだ。

 

「大丈夫です、私が皆を守りますから…!」

 

 

 

 

 まだ帝都にアンデッドが現れる前、夜の街を一つの影が疾走していた。

 その影は一つの家に忍び込むと家主が居ないうちに部屋の中を物色する。

 しばらくすると玄関が開き、家主が帰ってきた。

 

「あー、今回の取引は凄かったな…! まさかガキ共があんな値段で売れるとはな…! 買い取った奴には貴族の息もかかってるし密告する奴もいねぇだろ…!」

 

 その家の家主は手に持った大金を前にニタニタと笑っていた。

 彼は帝都で金貸しをやっている男である。フルト家からアルシェの妹を借金のカタに売り飛ばしたのもこの男である。相場の十倍以上の値段ともなれば仲介料だけでも相当な物だ。それが十人分。今回だけでかなりの稼ぎを叩き出した。

 

「随分と儲けたようだな」

 

 急にどこからか女の声が聞こえた。

 だがそんな筈は無い。この家には男しか住んでいないのだから他の人間がいる筈が無い。 

 それが気のせいでないと理解したのは頭を押さえつけられ、後ろから喉元に刃物を突きつけられたからだ。

 

「へ…、あ…? だ、誰だ…?」

 

「私が誰かなどどうでもいい。随分とアコギな商売をしているようだな…? 人身売買は帝国でも禁止されているだろう?」

 

「し、知らねぇな…、な、何のこ…、ぎゃああぁぁああ!」

 

 シラを切ろうとした男の指が数本折られる。

 

「とぼけるならそれでもいい。だが一つ忠告しておくぞ? 私はお前の命になど何の興味も無い」

 

 小柄ではあるがその女は男よりも腕力が強く暴れようとしてもビクともしない。

 そして金貸しというケチな仕事ではあるが、闇の社会に片足を突っ込んでいる男には目の前の女が只者ではないとすぐに理解した。

 

「な、何が望みだ…?」

 

「知れた事。お前が売った子供達の行方だ」

 

「い、言える訳ねぇだろ…」

 

 それは男としての矜持だ。この仕事をしている以上、客を売ったなどと噂が立てば仕事は無くなる。

 

「そうか。お前の命は軽いんだな」

 

 女はそう言うと男を捕まえたまま窓を蹴破り飛び出した。

 

「わぁっ! ひぃぃいいい!」

 

 そのまま窓から落とされると男は思ったがそうではなかった。

 女に捕まえられたまま、共に空高く上昇していく。

 

「お、お前魔法詠唱者(マジックキャスター)かっ!?」

 

「そういうことだ。このまま地面に叩き落してもいいが、魔法で体を消し炭にしてもいいぞ? それなら証拠も残らんしな。ちなみにお前の関係者はすでに吐いた、私がお前の家に現れたのがその証拠だ。何も言わんのならまぁいいさ。それならば私には生きていても死んでいても同じことだ」

 

「わ、分かった! い、言う! 言うから!」

 

 女の脅しに男は折れ、洗いざらい白状した。

 それを聞くと女はすぐにその現場へと向かう。

 全ては正義の為に。

 

 

 

 

 帝都で秘密裡に動き、一仕事終えたイビルアイ。

 攫われた貴族の子、さらには借金のカタに売り飛ばされた子等の元までたどり着く事に成功していた。

 非道を見過ごせない彼女は、この数日ティアやティナをお手本に様々な場所に忍び込み証拠を探した。本業でないこともあり確たる証拠を見つける事は出来なかったが、それでも怪しい金の流れというのは掴めた。

 後はそこから該当者を順番に脅していくだけだった。

 

(流石に王国じゃこれはできんな…。私個人が認知されていない帝国でなければ無理だったろう、それに次もこう上手くいくとは限らん…)

 

 偶然の要素もあり、その手段も褒められたものではない。だがそれでも罪なき子供達の命が救えるのなら構わないとイビルアイは思う。

 だがそれでも問題は残る。

 攫われた子供達はいい、親元に返せばそれで解決する。しかし売り飛ばされた子供達に帰る家はあるのだろうかと。

 あまりに無情な現実にイビルアイは頭を抱える。

 綺麗ごとで世の中は回っていない。そんな事は嫌というほど知っている。

 だがそれでも、親に捨てられる子供の気持ちを考えると痛いほど胸が締め付けられるのだ。

 

「こういう時、リーダーならばどうするのだろうか…」 

 

 イビルアイがそんな事を考えていると、突如として帝都の中心から人々の叫び声が響いた。

 悲鳴を聞いた瞬間、フラッシュバックのようにイビルアイの耐えがたい過去が脳裏をよぎる。

 それはほんの数十日前の出来事。

 王都が謎のアンデッドに襲われた時のものだ。

 すぐにイビルアイは直感する。

 

 来たか、と。

 

「やはり王都の次は帝都か…! 奴め、一体どれだけの人々を苦しめれば気が済むんだ…!」

 

 その時、イビルアイは近くにいた者達へすぐに隠れるように告げる。

 そしてすぐに声のした方へと急ぐ。

 辿り着いた先の広場には大量のアンデッドが出現していた。

 逃げ場を失い、泣き叫ぶ者達の声が響く。

 

「っ! 待ってろ! すぐに助ける!」

 

 反射的にイビルアイは動いた。

 視界に入ったアンデッドを次々と屠っていく。

 しばらくするとすぐに巡回の兵士が駆け付けてきた。アンデッド自体は低位のものなので彼等がいれば一般人は逃げ切れるだろう。

 一先ず安心かとイビルアイが思った刹那――

 

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 

 王都で聞いたあの耐え難い恐ろしい咆哮が響き渡った。

 その瞬間、イビルアイの身体に恐怖が蘇る。

 そして悟るのだ。

 再びあの悪夢が繰り広げられるのだと。

 竦んだ足を殴りつけ、イビルアイは恐怖にあらがう。

 今度こそは人々を救うと心に誓って。

 

 

 

 

 「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 空気を切り裂くような咆哮が夜の帝都を震わせる。

 ヘッケラン達は目の前で何が起きたのか理解できない。突如としてモモンガの周囲に12体の大きなアンデッドが出現した。

 それは万物の死であり、全ての終焉であり、例えようが無いほどの悪であった。

 僅かな動きで、おぞましき地獄の闇が現世に侵食してくるような気配が立ち込める。更には精神や魂を腐敗させる風が吹き付けてくるようだった。

 絶望の具現を前に、彼は吐き気をもよおす。

 その中心に座するモモンガこそが根源、邪悪なる元凶にすら思えた。

 

「モ、モモンガさん…、あ、貴方は一体…」

 

 だがヘッケランの声はもう届かない。

 モモンガが冷徹に命令を下す。

 

死の騎士(デスナイト)達よ」

 

 自身のスキルで生み出した12体の死の騎士(デスナイト)へ。

 

「帝都を襲うアンデッド共を全て駆逐しろ。人々に被害を出さないようにだ、分かったな?」

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 聞く者の肌が泡立つような叫び声。殺気が撒き散らされ、ビリビリと空気が振動する。

 大気を揺るがすような咆哮を上げた後、疾風のように周囲に散る死の騎士(デスナイト)達。

 

 誰もその恐怖から逃れられない。

 命ある者全てを刈り取るような、規格外の凶報に誰もが事態を受け入れられない。

 500体超のアンデッドなどこれに比べれば何でもないと思えるほどに。

 きっと誰もが肌で理解した。

 絶対的な死がそこに迫っているのだと。

 人々を襲った恐怖と混乱はさらに大きなうねりとなり帝都を飲み込む。

 混沌の渦はもう止められない。

 空気を伝い、死の予感が伝播する。

 人々の嘆きは連鎖し、大きくなっていく。

 

 王都の悪夢が、再現される。

 

 

 

 

 部下を率いアンデッドに対処していたニンブルとレイナースの耳にも咆哮が届く。

 その瞬間、目の前にいるアンデッドなどただの前哨戦に過ぎなかったのだと理解した。

 本当の敵はあれなのだと。

 咆哮を聞くだけで身が竦むおぞましさ、死の気配。

 これがもし王都を襲った者ならば、確かに一晩で王都を血の海にするだけの事はあると納得してしまう説得力がそこにあった。

 だが帝国が誇る四騎士として彼らが折れる訳にはいかない。

 そうニンブルは覚悟を決めていたが、レイナースは本当にどうしようもなくなったら逃げようと判断していた。

 彼女は自分を苛む呪いを解かずして死ぬ訳にはいかないのだ。

 

 しかしそんな四騎士とは対照的にフールーダはその力に酔いしれていた。

 帝国と敵対するならばと覚悟を決めはしたが、強大なアンデッドを複数操るその力はやはり魅力的だ。

 ここに来てフールーダの覚悟が揺らぐ。

 もし相手が自分の知らぬ魔法を知っていたら、自分よりも強大な魔法詠唱者(マシックキャスター)だったならば。

 抗いがたい誘惑が再びフールーダを支配する。

 仮に相手が邪悪な存在だとするならば、自分も染まれば教えを請えるだろうか。

 そんな考えがフールーダの中に生まれ始めていた。

 

 

 

 

 帝国領を進む漆黒聖典達。

 まだ帝都は遠いとはいえその咆哮はわずかながら彼等の耳まで届いた。

 邪悪なる気配が空気を通じて彼らまで届いていると錯覚するようなおぞましさ。

 その片鱗を彼等は感じていた。

 

「ま、まさか…」

 

「まだ帝都まで距離はあるというのに…! なんという咆哮…!」

 

 漆黒聖典の面々が互いに顔を見合わせる。

 だがその中で隊長だけが真っすぐに帝都の方角を見据えていた。

 

「これが…、これが…、占星千里の言う始まりなのか…!?」

 

 世界を滅ぼす災厄の渦。

 その始まりとも言うべき不穏な何かを隊長は確かに感じていた。

 

 

 

 

 帝都郊外。

 突如、帝都に現れた強大な死の気配を感じ盟主は振り返った。

 それが正しかったというように少し遅れて耳をつんざくような咆哮が郊外にまで響いた。

 

「なんという偶然…! まさか帝都にいたというのか…!? いや、それとも死の気配に引き寄せられ現れたのか…? はははは! 我々は惹かれ合う運命なのか…! いいぞ…! 共に死を積み重ねようではないか…! 世界に死を…! 人の世に終わりを…!」

 

 思わぬ邂逅と僥倖。

 死をもって呼び出そうとしていたが、それよりも早く現れた。

 まるで自分こそが死を振り撒くのだと主張するように。

 

「素晴らしい…! まさに私が望んだ理想の存在だ…! なんたる邪悪…! なんたる悪逆…!」

 

 実物を前にして盟主は興奮を抑えきれない。

 

 これで己の夢に、また一歩近づくのだから。

 

 

 




モモンガ「皆助けるお!」
隊長「さ、災厄の始まり…」
盟主「なんたる悪…!」
ジル「ハゲそう」

ちょっと場面転換が多くなってしまいました…。
読みづらかったら申し訳ない!
全体的にもっと丁寧に描写したかったのですがそうすると分量が倍以上になりそうだったので今回は勢いというか話の進行を重視しました。

個人的には帝国をエンジョイするモモンガさんをもっと書きたかった…。


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死者狩りの死者

前回のあらすじ

沢山のアンデッドに帝都は阿鼻叫喚!
そして再びデスナイトを召喚してしまうモモンガさん!


「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 地が割れ、建物が揺らぎ、空気が震える。

 人々の慟哭すらかき消すように死の騎士(デスナイト)が咆哮を響かせ、帝都を疾走する。

 その内の一体の死の騎士(デスナイト)の延長線上にいるのは無数のアンデッドに囲まれ、逃げ遅れた人々。

 たまたまその場に居合わせたイビルアイの背に冷たいものが走る。

 

(ま、まさか、逃げ遅れた人々を直接その手で嬲る気か…!)

 

 低位のアンデッドに人々を襲わせていながらも、この強大なアンデッド自らが狩りに来るという残忍さに恐怖と共に嫌悪感を覚えるイビルアイ。

 

(いや、王都と同じように帝都を血の海にするつもりなら当然か…! なるほど、低位のアンデッド共は人々を逃がさぬ為の壁…! な、なんという奴だ…! 王都での経験を確実に生かしている…! 王都は血の海に染まったものの、多くの民衆は逃げる事に成功した。だが、今度は王都のようにいかぬと…、帝都では人々を漏らさず殺すという事か…!)

 

 憎しみと共にかつて対峙したアンデッドを思い起こすイビルアイ。

 蒼の薔薇全員の総攻撃を受けてなお平然とし、たった一つの魔法で"国堕とし"たるイビルアイを戦闘不能にまで追い込んだ恐るべき魔法詠唱者(マジックキャスター)

 仕舞には、伝説とまで呼ばれ一体でアダマンタイト級冒険者チームにすら匹敵する強さのアンデッドを十体以上も使役するという馬鹿げた離れ業までやってみせた。

 

(やはり私だけでは無理か…)

 

 世界の危機とも呼ばれた200年前の戦い、十三英雄と轡を並べ魔神と戦った時でさえこのような絶望的な気持ちは抱かなかった。

 信頼できる強さを持つ仲間が複数いた事もあるだろうが、なにより魔神の一体を単体で倒す事にイビルアイは成功しているのだ。

 だが今度の相手はとてもではないが単体で勝てるビジョンが見えない。

 それは蒼の薔薇の仲間がいても変わらないだろう。

 だからこそ、仲間である彼女達を置いてまでイビルアイは単身で飛び出したのだ。

 

(魔神をも超える強大な存在…、竜王級の力を持つということか…!)

 

 イビルアイの知る中でも最強の存在である竜王達。強さに差はあれど、竜王と呼ばれる者達はいずれも強大な力を有している。アダマンタイト級の冒険者がいくら集まろうと手も足も出ないだろう。

 それほどの領域にあのアンデッドはいるのだ。

 イビルアイ一人ではどうにも出来ない。

 ならばどうする? 逃げるべきだろうか。

 否。

 相手がどれだけ強大であろうと悪から逃げる訳にはいかない。

 十三英雄の仲間達と旅をした時からその想いは変わらないままだ。

 もちろんただで死ぬつもりなど毛頭ない。

 一つだけイビルアイにも勝機はあると考えている。

 超接近戦に持ち込み、命と引き換えに肉弾戦で倒す。

 原始的で作戦もくそもない方法だが魔法詠唱者(マジックキャスター)である奴を倒すにはそれしかない。吸血鬼としての肉体能力を持つイビルアイならば可能性はある。

 だからこそ、ここでその眷属たる伝説のアンデッドと事を構え消耗する訳にはいかない。本来ならばここでの事は見なかった事にし、元凶たる例のアンデッドを探し出し叩くのがベストだ。

 なのだが。

 もしイビルアイがそれほどに利口であったなら、きっと今までも苦労はしなかっただろう。

 

「やめろ貴様ぁぁ!!」

 

 大地を蹴り、イビルアイが飛び出す。

 疾走する死の騎士(デスナイト)の前へ立ちはだかると、正面から全身でぶつかりその勢いを止める。

 魔法を撃つ時間が無かった為、このような形でしか方法が無かった。

 どこまでも愚かで、滑稽。

 分が悪いと知っていながら、その選択肢の先には未来が無いと理解していながら――

 

 目の前の人々を見殺しにする事などイビルアイには出来なかったのだ。

 

「オォォォオオオ!」

 

「ぐぅぅうう! い、行かせるかぁ…!」

 

 正面から組み合い、微動だにしない二者。

 イビルアイにとっては悪手も悪手。

 元凶を潰さねば解決はしないのに。

 仮にここで死の騎士(デスナイト)を倒し目の前の少人数を救えたとしても、そのせいで他が手遅れになるだろう。

 ならばやはり見殺しにするべきなのか。

 今すぐに元凶を探しに行くべきなのか。

 恐らくそれが最善なのだろう。

 だがそれはきっと正義じゃない。

 彼女の、蒼の薔薇の求める正義はそこにはない。

 イビルアイの背の向こうでは逃げ遅れた人々が絶望に染まり、悲しみに打ち震えている。

 それを見て何もしないなど出来る筈がない。

 これを放置する事が正義である筈がない。

 正義であっていい筈がないのだ。

 

 大局的に見れば愚かとしか言いようがない行為。

 だがもしそれが愚かと呼ばれるならば、正義の味方とは愚か者の代名詞なのだろう。

 ならば200年前からずっと変わっていない。

 今もイビルアイは愚か者のままだ。

 

「《クリスタルランス/水晶騎士槍》!」

 

 わずかな隙を見つけ魔法を詠唱するイビルアイ。

 その頭上に透き通った氷のような槍が形成される。

 大地系の宝石特化から、さらに水晶に限定して強化したという極端すぎる魔法。

 だがそれ故に魔法系魔力詠唱者(エレメンタリスト)として爆発的な攻撃力を有し、第五位階魔法でありながら上の位階に劣らぬほどに研ぎ澄まされている。

 強さならば英雄、逸脱者の領域をも超えるイビルアイの最大最高の一撃。

 

「喰らえ!」

 

 それが死の騎士(デスナイト)の身に突き刺さる。

 

「オォォォオオオオ!」

 

 死の騎士(デスナイト)が苦悶の表情を浮かべ、痛みに身をよじる。

 だがイビルアイの顔にあるのは焦燥。

 

(やはりか…! アンデッド、特に骨で構成されるスケルトン系には効果が薄い…!)

 

 体を貫通し風穴を空けたとしても生者と違いアンデッドに効果は薄い。しかも相手が骨であるならば余計にだ。

 効率で考えれば《ドラゴン・ライトニング/龍雷》を放つべき場面だが密着している状態では自分にも被害が出る為に撃つ事が出来ない。

 効果が薄いと判断しながらもここは物理的な《クリスタルランス/水晶騎士槍》を放つしかなかったのだ。

 

(くそ…! 効果が薄い以前にこいつ…、なんて固さだ…! 私の魔法を受けて数本の骨が折れるかヒビが入る程度だと…! 相性の悪さを考慮しても固すぎる…!)

 

 単純な攻撃力においてはイビルアイと同等に近い死の騎士(デスナイト)だが、その防御力はこの世界において破格。戦士系としてレベル40相当の防御力を誇る。それに加え、モモンガのスキルにより強化もされている。

 純粋なレベルで比べるならばイビルアイの方が上だが、戦士系である吸血鬼に加え魔法詠唱者(マジックキャスター)としてのレベルを重ねている為、レベル程の開きは両者には無い。

 とはいえ、一対一ならばイビルアイの方が強い。

 時間はかかるだろうが万全の状態でイビルアイが負ける事はないだろう。万全ならば。

 

「く、ぅうぅううぅぅ…!!!」

 

 ダメージを受けてなお死の騎士(デスナイト)はイビルアイには目もくれず、逃げ遅れた人々の元へと向かおうとしている。

 イビルアイは魔法詠唱者(マジックキャスター)として距離を取って戦いたい所だがこの状況がそうさせてくれない。密着している今ではイビルアイの魔法というアドバンテージは生かせないのだ。

 死の騎士(デスナイト)を押しとどめる為、この場で組み合ったままの膠着状態を崩せない。

 力は互角に近いが、体勢や質量はそうではない。

 次第にバランスの悪さや重さに負けイビルアイの身体が少しづつ押し込まれ後退していく。

 

「ぐっ、くそっ…! 逃げろ、早く逃げるんだっ!」

 

 背の向こうの人々へとイビルアイが叫ぶがそれは叶わない。彼等の周囲には有象無象のアンデッドが跋扈している。死の騎士(デスナイト)を止めれたとしても、このままではそのアンデッド達の魔の手にかかるだけだ。

 イビルアイを悲壮感が襲う。

 結局自分は何も出来なかった。

 目の前の人々を見殺しに出来ず、悪手と思える選択肢さえ取った。

 それでも誰も救えない。

 ふと絶望に染まるイビルアイの視界の端に新たに動く物が映った。

 それは絶望を超える絶望。

 

 もう一体の、死の騎士(デスナイト)

 

 一体でさえ強敵なのにも関わらず、それがもう一体。

 突如として現れイビルアイの後方にいる逃げ遅れた人々へと向かって疾走してくる。

 

「や、やめろ…、やめてくれ…!」

 

 イビルアイは現在、目の前の死の騎士(デスナイト)と組み合っている為動けない。そこへもう一体新たに死の騎士(デスナイト)が現れてしまえば、もうどうすることも出来ないのだ。

 これから巻き起こされる蹂躙に怯え、ただ叫ぶしかない。

 

「こ、殺される…! 皆殺されてしまう…! た、頼む、逃げてくれっ…! 逃げてくれぇぇええ!!!」

 

 それが無理な事は誰よりもイビルアイが知っている。

 無数のアンデッドに囲まれ泣き叫ぶ人々。

 逃げる事など出来る筈がない。

 だからこそ彼等を助けに間に入ったのだから。

 しかしもう彼等は助からない。

 それでもなお叫ばずにはいられない。

 死の騎士(デスナイト)どころか、もう無数のアンデッド達が彼等の目前へと迫っている。

 その人々の命が散った時、きっとイビルアイの心は折れるだろう。

 自分の無力を嘆き、悲観する。

 王都での蹂躙を許し、さらに帝都での蹂躙さえ許してしまえば自分の存在意義は何だったのだろうかと苦悩する事になるだろう。

 正義の心は打ち砕かれ、抗う意思さえ消え果て、死んだように茫然と人々の死を見届ける事しか出来ない。

 残酷な世の中を受け入れ、神を呪う。

 世界とはそういうものなのだと諦めるしかないのだ。

 もう無数のアンデッド達と人々との距離は無くなっている。

 その手が彼等に触れ、命を奪おうとした刹那――

 

 無数のアンデッド達が爆発したように吹き飛んだ。

 

 目の前の光景が理解出来なかった。

 だが、見たものは見たまま受け入れるしかない。

 駆け付けた死の騎士(デスナイト)の剣によるたった一薙ぎで数体ものアンデッド達が真横に両断されたのだ。断たれた片割れである上半身達は何が起きたのか理解できていない様子で宙を舞っている。

 次に死の騎士(デスナイト)はもう片方の手に持った盾による一撃で別のアンデッド数体を殴りつけ弾き飛ばす。するとアンデッド達は建物の三階から四階ほどの高さまで軽く跳ね上がる。そのまま地面に叩きつけられたアンデッド達は全身が砕け動きもしない。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 恐るべき悪意と暴力。

 さらに死の騎士(デスナイト)の剣が振り下ろされ、盾が振り回される度に無数のアンデッド達の偽りの生が次々と失われていく。

 あちらこちらにアンデッドの肉片や骨片が飛び散り、建物の壁には直撃したアンデッドの衝撃でヒビが入る。四肢が千切れてもなお地面を這っていたアンデッドは足で踏み砕かれ、その箇所は地割れでも起きたかのように蜘蛛の巣状に割れる。

 無数のアンデッドを蹂躙し、黒い残像を残しながら目にも止まらぬ速さで人々の間を駆け抜ける死の騎士(デスナイト)

 すでに人々とアンデッド達が入り乱れ始めているにも関わらず、人々には傷一つ付けずにアンデッドのみを正確かつ確実に次々と屠っていく。

 しかし何が起きているのかわからぬ人々は黒き暴風に怯え、一様に頭を押さえ地に伏し慈悲を請う。

 頭上を飛び交う轟音にただただ震えながら。

 

 少しの時間が経った後、不意に訪れた一時の静寂を訝しみ恐る恐る人々が顔を上げる。そして、視界に映る惨状を前に誰もが恐怖に耐えかね絶叫した。

 この場にいた無数のアンデッド達は全て動かぬ骸と化していた、しかし。

 むせ返る腐肉のただれた匂い。

 黒く腐った血に染まる街並み。

 その中心に君臨するは死を齎す絶対者。

 ここは本当に自分達の見慣れた帝都なのだろうかと誰もが疑問を抱く。

 それほどに凄惨で受け入れ難い景色だった。

 仮に地獄の入り口だと言われても誰も否定しないだろう。

 次にその絶対者によって自分達へ死の刃が振り下ろされるだと誰もが確信した。

 

 しかしそうはならなかった。

 

 肝心の死の騎士(デスナイト)はまるで興味を失ったように人々へ背を向け、別の場所へと疾走していった。

 イビルアイと組み合っていた死の騎士(デスナイト)も同様だ。もうここに用は無いとばかりにイビルアイを力尽くで振りほどくと別の場所へと駆けていく。

 残された人々が安堵の前に抱いたのは困惑と空虚。

 

「ま、まてっ……!」

 

 思わず手を伸ばし声を上げるイビルアイだが死の騎士(デスナイト)達の背はすぐに見えなくなる。

 一瞬の事で何が起きたのか理解出来ない。

 なぜアンデッドがアンデッドを狩っているのか。

 どうして自分には攻撃を仕掛けなかったのか。

 それどころか目的だと思われていた人々には手を出さず、まるで助けるように。

 

「な、何が…、何が起きているんだ…? お、お前の目的は何なんだ…? 一体何をしようとしているんだ…?」

 

 両膝を地に着き、放心したままイビルアイは虚空へと語り掛ける。

 王国を滅ぼしたあのアンデッドの目的がまるで見えない。

 やっている事がチグハグだ。

 だがそれでも一つ分かった事がある。

 

 今、この帝都で理解の及ばない何かが起きている事だけは確かだ。

 

 

 

 

「こ、これは…? 何が起きてるの…?」

 

「な、なんだ…。ま、まさかアンデッド同士で仲間割れ…?」

 

 皇城から飛び出したレイナースとニンブルが目撃したのは異様な光景だった。

 複数のアンデッドに民衆が襲われていると報告を受け外に出てきたものの、もう彼等の出番は無さそうだった。

 目の前の広場では強大なアンデッドが無数のアンデッドを刈り取っていた。

 人々に被害は出ていないようで、その隙に兵士達が順調に民衆を逃がしていた。

 

「そこのあなた! これは一体どういうことなの!?」

 

 近くにいた兵士にレイナースが詰め寄る。

 

「こ、これはレイナース様! それがわからないのです! た、ただあのアンデッドはなぜか我々には攻撃してこないのでその隙に民衆の避難をと…」

 

「訳が分からないわ…」

 

 困惑するレイナースに対してニンブルが嬉しそうに声を上げる。

 

「これはチャンスですよ! 敵同士が仲間割れしている間に兵を集め、あのアンデッドに総攻撃をかければ…!」

 

「やめておくんじゃな」

 

 後ろからニンブルを制止する声がかかる。

 

「あ、フ、フールーダ様!」

 

 そこにいたのはフールーダ。

 ニンブルの横まで来ると目の前で暴れるアンデッドを見ながら口を開く。その瞳には少年のような輝きがあった。

 

「あれは死の騎士(デスナイト)…。儂や弟子達で射程外からひたすら魔法を撃ってやっと無力化できるような化物じゃ…」

 

「デ、死の騎士(デスナイト)…! あれが…!」

 

「あの動き…、素晴らしい…。私が戦った野生の死の騎士(デスナイト)とは違う…。明確に何かを判断しているようだ…。それに先ほどからアンデッドしか狩っていないな…、目の前の人間には目もくれない…。どんな命令を受けているのか? しかしまさかここまで完璧に死の騎士(デスナイト)を使役出来るとは…。一体どうやって…? 王国での話は真実だったのか…、本当に何体もの死の騎士(デスナイト)を使役していると…? ならばもはや疑問の余地など無い…! かの御仁は確実に私より高みにいる魔法詠唱者(マジックキャスター)だ…! こうしてはおれん!」

 

 長い独り言を言い終えた後、急にフールーダがどこかへと駆けだしていく。

 

「ああっ! フールーダ様どちらに!? お待ちを!」

 

 すぐにニンブルがその後ろを追っていく。

 一人その場に残されたレイナースは静かに二人を見送る。

 広場の方へ再び目をやると広場にいた無数のアンデッド達はすでに死の騎士(デスナイト)によって駆逐されていた。

 その後は民衆に被害を出す事なくどこかへと走り去っていく。

 

「あれが死の騎士(デスナイト)…本当に凄いわ…。私、いや四騎士全員で一体を足止め出来るといったレベルかしら…」

 

 死の騎士(デスナイト)の強大さに恐れつつも、その矛先が民衆や自分達に向いていないならばレイナースは関わろうとは思わない。こちらを無視してくれるなら頭を低くして嵐が過ぎるのを待つのが賢明だと思うからだ。

 だがここで走り去る前のフールーダの言葉が脳内で反芻される。

 

『かの御仁は確実に私より高みにいる魔法詠唱者(マジックキャスター)だ…!』

 

 その言葉はレイナースの心を揺り動かすには十分だった。

 世界でも最高峰とも呼べる大賢者フールーダを超える魔法詠唱者(マジックキャスター)。そんな存在ならばもしかして…、そうレイナースの中の悪魔が囁く。

 しばらく熟考した後、誰にも聞こえぬほど小さな声でレイナースはポツリと呟いた。

 

「もし敵対することになったら申し訳ありませんわね、陛下」

 

 そしてレイナースは姿を消した。

 

 

 

 

 「カジット様! 大変です! 何者かにアンデッド達が襲われているようです! 他の弟子達とは次々と連絡が取れなくなっております…!」

 

 アンデッドの大群の最後尾にいるカジットの元へ弟子の1人が駆け寄る。

 

「な、なんだと! 何が起こってる!? 先ほどの咆哮と関係があるのか!?」

 

「わ、わかりません! しかし無関係とはとても…」

 

「くっ…!」

 

 自分の計画が崩れていくのを苦々しく思うカジット。

 大量のアンデッドを動員したにも関わらず一向に負のエネルギーが集まらない。つまりはこの帝都でほとんど誰も死んでいないという事を意味している。

 いくら帝国兵が善戦したとしても死者がこれだけ出ないというのはおかしい。

 

「まずいぞ…! 負のエネルギーが全く集まらないとは計算外だ…! このままでは盟主達が来るまでもたんぞ…!」

 

 500という数は帝都を襲うには少ない。

 帝都の兵に対して物量で遥かに劣るのでいつかは殲滅されるだろう。

 だがそれまでにいくらか死者が出れば話は変わる。アンデッドの数が減ろうとも負のエネルギーさえ集まれば、再び新たなアンデッドを使役できるようになるので長期戦に持ち込める。

 しかしこのままではそうはいかない。負のエネルギーが集まらなければ時間稼ぎすら危うくなってくる。

 

「仕方ない…! クレマンティーヌを呼び出し…、ん?」

 

 カジットの視界に巨大な影が映った。

 その影はカジットの前方にいる数十体のアンデッドを赤子のように蹴散らしていく。

 

「な、何者だ…?」

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 全てを切り裂くような咆哮を上げながら死の騎士(デスナイト)が次々とアンデッドを屠っていく。

 沢山いたアンデッドの大群が軽い木の棒か何かのように簡単に吹き飛び粉砕されていく。

 

「ま、まさか死の騎士(デスナイト)…! 咆哮の正体はこいつか! ど、どういう事だ…! ま、まさかここにいるのか…!? 王国を滅ぼしたあの謎のアンデッドが…!」

 

 何が起きているのかぼんやりだが理解が追いついたカジット。

 目の前の死の騎士(デスナイト)以外の咆哮も各地から聞こえている。

 間違いない、王都を襲ったあのアンデッドが今この瞬間、帝都を襲っているのだと。

 

「は、ははは…! まさか偶然にもタイミングが被ってしまったというのか…? だ、だがそれなら共に帝都を死の都へと変えようではないか…! 我々は味方だ! 攻撃をやめてくれ!」

 

 死の騎士(デスナイト)へ向かってカジットが大きな声で叫ぶ。

 だが死の騎士(デスナイト)は止まらない。

 ひたすら無数のアンデッドを黙々と屠っていく。

 

「くぅっ…! 術者がいなければ話が通じないか…! 何という事だ…! すぐに探し出し伝えねば…! 我々は味方だと!」

 

 しかしカジットの願いが叶う暇も無く、この場にいた無数のアンデッド達は瞬く間に全滅した。

 後に残されているのはカジット本人と一人の弟子、そして切り札のスケリトルドラゴンだけだ。

 

「オォォオオオオ…!」

 

 敵意を剥き出しにしながら死の騎士(デスナイト)がカジットへと歩み寄る。

 彼は今、創造主から先ほど下された新たな命令を遂行しようとしていた。

 

「うっ…」

 

 カジットは悟る。

 なぜかは分からないがこの死の騎士(デスナイト)は自分達を敵と認識していると。

 謎のアンデッドと話そうにもここを切り抜けねば未来は無い。

 死の騎士(デスナイト)がカジット達へ向かって踏み込む。

 

「構えろ! やるぞ!」

 

 弟子へと声をかけ戦闘態勢に入るカジット。

 即座に隠し玉である二体のスケリトルドラゴンを召喚し盾にすると魔法を詠唱する。

 

「やられはせん…! やられはせんぞ…! 儂はこんな所で…、こんな所でぇぇぇ!」

 

 召喚された二体のスケリトルドラゴンが死の騎士(デスナイト)へと襲いかかる。

 スケリトルドラゴン。

 レベルにして16程とこの世界においてもそこまで突出した強さではない。魔法の無効化という強力な特殊能力を持つものの、上位の冒険者であれば十分に対処が可能だ。

 とはいえこのスケリトルドラゴンはカジットの各種魔法によって強化、支援されており野生のものより強力である。カジットがこの二体のスケリトルドラゴンを率いて戦えばアダマンタイト級の冒険者チームすら壊滅させられるだろう。それ程の強さ。

 なのにも関わらず、目の前の死の騎士(デスナイト)一体に手も足も出ない。

 さらにはカジットと弟子が魔法を撃っても大きなダメージを受けていないのだ。何十、何百と撃たなければ倒すのは不可能だろう。

 であれば後はスケリトルドラゴンの奮闘に期待するしかないのだが。

 

「オオオォォォーー!!」

 

 死の騎士(デスナイト)が剣を捨て、一体のスケリトルドラゴンを殴りつける。

 するとその巨体がいとも簡単に吹き飛んだ。

 遅れて、ズスンと地面が揺れるような衝撃が広がった。

 周囲には砕けた骨の数々が散っており、その威力の高さを物語っている。

 次に死の騎士(デスナイト)は残ったスケリトルドラゴンの尻尾をおもむろに掴む。

 すると力任せに振り上げその巨体をぶん回す。

 

「な、なんだとっ…!」

 

 十メートルをゆうに超えるスケリトルドラゴンの巨体が簡単に宙に浮き振り回されているのは悪い冗談か何かのようだ。必死に抜け出そうともがくスケリトルドラゴンだが死の騎士(デスナイト)の手からは逃れられない。

 死の騎士(デスナイト)は振り上げたスケリトルドラゴンを周囲の塀や建物へとブチ当てていく。

 次々と壁が粉砕され巨大な土埃を上げる。

 それが何度か繰り返され周囲が瓦礫の山となった頃、手に持ったスケリトルドラゴンは粉々になっていた。

 次に最初に殴りつけたスケリトルドラゴンの元へと向かう死の騎士(デスナイト)

 未だダメージが残るのか、起き上がれないスケリトルドラゴンの前まで行くと再び拳を振り下ろす。

 何度も、何度も、何度も。

 叩きつけられた拳で小さなクレーターのような物が出来上がる頃にはそのスケリトルドラゴンは塵と化していた。

 

「ひっ、ひぃぃぃいっ!」

 

 カジットの弟子が恐怖に耐えかね逃げ出す。

 強化された状態のスケリトルドラゴン二体があっという間に屠られた。

 とてもではないが自分達の手に負える相手ではないと判断したのだ。

 だが弟子が逃げた先からもう一体の死の騎士(デスナイト)がぬぅっと姿を現した。

 

「あ、あわわわわわ!」

 

 それを見て弟子が腰を抜かしたのは逃げられなかったからではない。

 その死の騎士(デスナイト)は片手に他の弟子達を抱えていたからだ。

 他の死の騎士(デスナイト)も次々と姿を現す。

 いずれもがその手にカジットの弟子達を抱えていた。

 

「な…、あ…? ど、どういうことだ…?」

 

 何が起きているのか理解できないカジット。

 だが少なくとも、目の前の死の騎士(デスナイト)の目的が自分達であるというのはかろうじて理解できる。

 問題はなぜこうなっているかだが――

 

「よくやった死の騎士(デスナイト)よ。首謀者を見つけ出したようだな」

 

 集まった12体の死の騎士(デスナイト)の後ろには奇妙な仮面を被った者が二人立っていた。

 

 

 

 

 短時間で帝都のアンデッドを殲滅していく死の騎士(デスナイト)の手腕に驚きつつも、アンデッドを使役している人間を発見したと次々と報告を受けたモモンガ。

 当然、その者達を連れてこいと新たに命令を下した。

 そして最後の一体からはその首謀者らしき人物を発見したと報告を受け、モモンガはそこへと向かう事にした。

 その死の騎士(デスナイト)が最後に残ったアンデッドであるスケリトルドラゴン二体を屠る頃にちょうど現場に到着することが出来た。

 

「よくやった死の騎士(デスナイト)よ。首謀者を見つけ出したようだな」

 

 死の騎士(デスナイト)へと言葉をかけているその様からすぐにカジットはモモンガが王都を滅ぼしたアンデッドだとその正体に行き着く。

 

「お、お待ちください! な、なぜ我々を攻撃なさるのですか! わ、我々は貴方様の味方です! 貴方様同様この都市に死を齎そうと…」

 

「黙れ」

 

 一言で鼓動が止まるかと錯覚する程の威圧感。

 怒りを隠そうともしないモモンガのその気配にカジットの額から大量の汗が噴き出る。

 まるで直接心臓を握られているのではないかと感じる程の圧力がそこにあった。

 

「この都市に死を齎すだと…? よく臆面も無くそのような事が言えるな…! アンデッドに罪も無い人々を襲わせるなど言語道断…! 到底許せるものでは無い…!」

 

 憤怒に支配されたモモンガが呪いのような言葉を吐く。

 

「お前達のような奴がいるから…」

 

「ひぃっ…」

 

 その殺意を受け、初めてカジットが擦れた悲鳴のようなものを上げた。

 自分がどれだけ絶体絶命なのか理解したからだ。

 この局面に至って無意識に口から零れ出たのは紛う事無き本音。

 カジットを構成する全て。

 

「わ、儂はこんな所で死ぬ訳にはいかん…! 儂は自分の過ちを正す為…、その為だけに生きてきたのだ…! あらゆる欲望を捨てて、それだけの為に…! 何年も、何十年も…!」

 

 言葉と共に何度もカジットが魔法を放つ。

 だがその全てはモモンガにダメージを与えるには至らない。

 

「満足か…?」

 

「わ、儂はただ…! 儂はただお母さんに…!」

 

 カジットの魔法の嵐の中、モモンガがゆっくりと手を上げる。

 その手はカジットへと向けられていた。

 それを見て恐怖に竦み、立ち尽くすカジット。

 恐らくもう自分は助からないのだと理解する。

 

「お待ち下さいモモンガさん」

 

 後ろに控えていたデイバーノックが慌てて前まで出て来てモモンガを制止する。

 

「なぜ止めるんですかデイバーノックさん、こんな奴…」

 

「そうかもしれません。しかしまだ聞くべき事が残っています。なぜこんな事をしたのか、そして例の生贄を必要とする邪教集団と何か関係があるのか等…」

 

「なるほど…」

 

 デイバーノックの言葉を受け、冷静さを取り戻すモモンガ。

 

「ここは私にお任せください」

 

 そう言って立ち尽くすカジットの元へと歩み寄るデイバーノック。

 

「まず最初に聞いておこう。なぜこんな事を?」

 

 もはや嘘も何も通用しないと観念し、カジットは正直に吐露する。

 

「わ、儂は、儂はただお母さんを生き返らせる為に…。それを可能にする為には既存の蘇生魔法ではなく新たな魔法を開発する必要が…。だがその為には人の身ではとても足りない…。だからアンデッドとなり悠久の時を…。その為には膨大な死のエネルギーが必要で…」

 

 たどたどしく断片的に語るカジットだがデイバーノックは内容を理解しているようだった。

 

「ふむ…。幸いこの帝都でまだ死者は出ていない。事の次第ではお前の命をモモンガさんに嘆願してやってもいい。だから正直に答えろ。次に聞きたいのは帝都で行われていた人身売買だ。心当たりは? 金で子供を買い、生贄とする邪教集団とはお前達の事か…?」

 

 その事を問われカジットの背がビクンと跳ねた。

 

「当たりか」

 

 仮面の奥でデイバーノックの瞳の炎が揺れた。

 

「その子供達の中に私達の探している子がいる。意味は分かるな? どこにいる? まだ無事か?」

 

 その問いでカジットの顔面が蒼白になり全身が震える。

 すぐにデイバーノックはそれが何を意味しているのか察した。

 

「まさか、すでに…? な、なんということだ…!」

 

 途端にデイバーノックからもモモンガ同様強い殺気が放たれる。

 カジットは自分達が手を出してはいけない人物に手を出してしまっていたのだと思い知る事になる。

 誰が予想できようか。

 借金塗れの没落した貴族の子供が、世界を揺るがすような力を持つアンデッドと繋がりがある等と。

 

「場所を言え…! そこに子供達の死体があったら…」

 

 デイバーノックが強い怒気を孕み、カジットを威嚇する。

 それに怯えながらもカジットにはその場所を言う事が出来ない。

 なぜなら例の儀式はすでに完了している。

 つまり、子供達は全員死んでいるということだ。

 そこへ案内すれば自分に待っているのは終わりだけ。

 

「……」

 

「どうしたなぜ言わない」

 

 沈黙を続けるカジットに対してさらに問い詰めるデイバーノック。

 だが返答は無い。

 

「答えられないという事か、それとも知らないのか? ふむ、他に仲間は? お前がここにいるという事は他に儀式を取り仕切る者がいるのか? どうなんだ? まさかそれすらも知らないという事はあるまい?」

 

 その問いの間もデイバーノックの後ろにいるモモンガの殺気は見る見ると膨れ上がっていく。

 これ以上の沈黙は死を意味すると悟り、観念して口を開くカジット。

 

「ク、クレマンティーヌという仲間がおります…。金髪で猫のような目が特徴的な女です…。その者が儀式を取り仕切っております…。そ、その場所までは私は…」

 

 クレマンティーヌを売るような形になってしまったがこれしか道はない。

 少なくとも場所は知らないとシラを切る事でなんとか時間を稼ごうと考えるカジット。

 

「金髪で猫のような目…? モモンガさん! 帝都の広場でモモンガさんとぶつかった女では!?」

 

「あぁっ!」

 

 モモンガとぶつかり罵声を浴びせていった女。

 今日の昼間の事だ、忘れる筈が無い。

 

「し、しかしどうしましょうか…。人物は分かっても場所が分からなければ…」

 

 困ったというような声を上げるデイバーノックだがモモンガはそうではない。

 

「いいえ、朗報ですよデイバーノックさん。対象が分かり、その持ち物を持っていれば問題ありません」

 

 そう言ってモモンガが懐から出したのは冒険者のプレート。

 モモンガとぶつかった際にその女が落としていったものだ。

 

「まさかこれが役に立つときが来るとは…。親切心で拾っていた事に救われたな…。おい、そこのハゲ頭。帝都の地図はあるか? 持っているなら出せ」

 

「は、はいっ…!」

 

 促されるまま持っていた帝都の地図をモモンガへと差し出すカジット。

 それを受け取ると無造作に広げ、魔法の詠唱を始めるモモンガ。

 

「《フェイクカバー/偽りの情報》、《カウンター・ディテクト/探知対策》」

 

 その後もいくつもの魔法を唱えていくモモンガ。

 魔法を唱えながらも横にいるデイバーノックに講師のように魔法の効果、目的を教えていく。

 その説明に気付けば横にいたカジットも自然と聞き入っていた。

 

「以上です。本来ならばスキルによる強化や対策までするのが基本ですが今は時間が惜しいですからね。ここまでで十分でしょう」

 

「な、なるほど!」

 

 興奮を隠せない様子のデイバーノックを他所に、最後の魔法をモモンガが発動する。

 

「《ロケート・オブジェクト/物体発見》」

 

 そしてその指で地図の一点を指す。

 

「ここか、墓地ですね。うん? このすぐ奥じゃないか。おいハゲ頭、知らないというのは嘘か?」

 

 仮面越しにモモンガの鋭い視線がカジットへと突き刺さる。

 たまらず顔を伏せるカジット。

 

「まぁいい…。問題は子供達が生きているかどうかだ。もし死んでいたら…、貴様には絶対の死が待ち受けていると知れ…」

 

 目の前が真っ暗になるカジット。

 場所を漏らしはしなかったものの、あっという間にその場所が割れてしまった。

 自分はもちろん、クレマンティーヌも間違いなく殺されるだろう。

 

「お、お待ちを…。あの女は…、クレマンティーヌは命令を受け、仕方なく…!」

 

「命令を受け仕方なく、か…。知っているよ」

 

「へ…?」

 

 呆けるカジットの前でモモンガは思い出していた。

 昼間あの女は立ち去る間際ブツブツと小さく独り言をつぶやいていた。

 自分も会社にいた時に上司の無茶な命令を断れない辛さは知っており、その点では同情できる。

 とはいえそれにも限度がある。

 いくらなんでも人を殺しておいて命令でしたすみませんでは済まない。

 その女にも相応のものを支払って貰う必要がある。

 

「半分の死の騎士(デスナイト)はここでその男と捕まえてきた者達を見張っていろ。残りの者達は付き従え。さぁ行きましょうデイバーノックさん」

 

「はい!」

 

 

 

 

 帝都の墓場にある霊廟、その地下。

 広い空洞の部屋の中では二十人程の男女が儀式を行っている。

 純真無垢な十個もの魂を捧げ終わり、今はただひたすら邪神へと祈りを捧げている最中だ。

 それに変化が起きたのは魂を捧げてからしばらく経った時。

 地上から地下までをも震わす程の咆哮が轟いた時だ。

 

「な、なんだこれは!?」

 

「じゃ、邪神様じゃ! 邪神様が降臨なされたのじゃ!」

 

「我々の祈りが通じたのか!」

 

「あぁ邪神様! 邪神様!」

 

 あっという間にこの空間は異様な熱気で支配されていく。

 それを冷ややかに見ているのはクレマンティーヌただ一人。

 

(んなわけねぇだろバカ共が…。しかしこれはカジっちゃんが使役するアンデッドとも違うみたいだし盟主がやったのかな? なんだ、思ったより早いじゃん。心配する必要なんてなかったのかも…)

 

 そう考えホッと胸を撫で下ろすクレマンティーヌだが、それが間違っていたと知る事になる。

 信者共が熱狂している間、その恐ろしい咆哮は何度も続く。

 どれだけの時間続いただろう。

 短いと言えば短いが、長い間続いていたような気さえする。

 やがてその咆哮が止み、静寂が訪れたかと思った瞬間―― 

 

 轟音と共に激しく地下が揺れた。

 

「な、なんじゃ!?」

 

「何が起きた!?」

 

 膝立ちすら出来ないような揺れに信者の全員が地に伏す。

 祭壇の上の物が崩れ、壁にかけていたタペストリーなどは外れ地に落ちる。

 何が起きたのかと誰もが混乱する最中、何か巨大なものがこちらへと向かってくる足音が響く。

 先ほどの轟音はこの霊廟の地下への入り口を力尽くで開けたのだと誰もが理解した。

 恐ろしい何かがこちらへ向かって来ていると誰もが感じでいた。

 その足音が部屋の前まで来ると扉が粉砕され、一体のアンデッドが姿を現した。

 それは軽く人の身を超える巨大なアンデッド。

 漆黒の鎧に身を纏った死の体現者とも言うべき存在。

 その強大さに誰もがそれこそが邪神なのだと信じて疑わなかった。

 だがすぐに違うと理解する。

 同様のアンデッドが五体、続けて入室してきたからだ。

 その後に奇妙な仮面を付けた何者かが姿を現す。

 

死の騎士(デスナイト)よ、ご苦労だった」

 

 その何者かがそう漆黒の騎士へと声をかける。

 それだけで真の上位者が誰なのかは誰の目にも明らかだ。

 規格外のアンデッドを複数従え、その中心に座するこの御方こそ自分達の求めていたものなのだと。

 

「じゃ、邪神様……」

 

 誰かがポツリと呟いた。

 自然とその言葉は伝播し、ここにいた者達が次々と声を上げだす。

 

「邪神様! 邪神様!」

 

「我らの願いが届いたのですね!」

 

「偉大なる邪神様! いと尊き御身のお姿を私どもの前に現せて下さったことを深く感謝いたします!」

 

「私どもの絶対なる信仰をお受け取り下さい!」

 

 邪神を崇めるという憎き邪教集団。

 アルシェの妹達を買い、生贄にしようとしている事から怒りのまま入室したモモンガであったが、静かに仮面の下で瞳を閉ざす。骨しか無いのでそれは出来ないがあくまで気持ち的な話だ。

 なぜなら目の前に広がっているのは決して見たいものではなかった。

 もはやそれは精神的ブラクラでしかなかった。

 

(な、なんだ、これは……ヌ、ヌーディスト……ビーチではない。グレイブヤード? ヌーディスト・グレイブヤードなのか? ……なんでこんな事を? 場所を間違えたか…? いやヌーディストとかではなく……噂の乱交とかだったらどうする? それとも裸を愛する貴族達の集会とか言われたら、俺はどうすれば良いんだ!?)

 

 モモンガが仮面の下で精神抑制が追い付かない程激しく動揺していると、先頭に立つ男――当然、全裸である――が声を発する。

 

「邪神様! 仮面をお取り下さい! そしてその真なるお顔をお見せ下さい!」 

 

(なんだ、何を言っている…? 邪神とは誰だ…?)

 

 この異様な雰囲気を前に何が何だが理解できないモモンガ。

 

「邪神様! どうぞ、仮面をお取り下さい!」

 

 男が何度もその言葉を繰り返す。

 モモンガは嫌な予感を覚えつつ、目だけで周囲を見渡す。

 いない。

 邪神など何処にもいない。

 何処を見渡しても、それらしきおぞましき存在はいない。

 何処を見渡しても、それらしい絶対者はいない。

 ならば残る答えは一つである。

 それがどうやら自分へ向けての言葉だと朧げに理解出来てきたモモンガ。

 

(はぁ!? 何を間違えてるんだよ! 俺が邪神!? こいつら正気か!?)

 

 動揺が落ち着かないままアタフタしているとデイバーノックがモモンガの耳元で小さく呟く。

 

「どうやらこの邪教集団はモモンガさんを自分達が崇める邪神か何かだと勘違いしているようです」

 

「な、なんでそんな事に…」

 

 困惑するモモンガとは裏腹にデイバーノックは彼等の考えがあながち間違いではないのではと考えていた。

 ただ邪神とはいささか物騒である。

 神と形容すべき御方なのは間違いないのだが自分ならばこう呼ぶだろう。

 魔法を統べる不死の王。魔導王と。

 

「彼等の目的が見えません。少し彼等の話に付き合い邪神のフリをして下さい、その目的を探りつつ子供達を探しましょう」

 

「わ、わかりました…」

 

 デイバーノックの無茶ぶりにとりあえず頷くモモンガ。

 

「邪神様! どうか、どうか仮面を…! 我らにそのご尊顔をどうか…!」

 

 いい加減男の声が煩わしくなってきてしまい、半ばヤケに対応するモモンガ。

 

「そこまで求めるか…。ならば見るが良い、私の素顔を…」

 

 モモンガは仮面を外し、そのアンデッドの素顔を晒す。もうどうにでもなれだ。

 動揺が走った。

 だが、それはモモンガが想像していたものとは違い、マイナスではなくプラスの雰囲気を醸し出していた。

 一斉に変質者達はひれ伏す。そして声を合わせて、呼びかける。

 

「間違いない! この御方こそが邪神様だ! 邪神様のご光臨だ!」

 

 おお、という称賛の呻きが響く。

 信者達は誰もがトロンとした目でモモンガを見上げる。

 彼等の目には確かに見えていた。

 

 眼前に座する死の邪神。

 その感情を感じさせない瞳からは自分達に対して何を思っているのか窺い知ることが出来ない。

 弱者が強者に対してみせる姿勢として最も正しいのは、崇拝であり、服従であり、敬服だ。

 それ以外の行動──吐いたり、逃げたりは苛烈な怒りを受けるだろう。

 その場にいる弱者である誰もが、理解している。だからこそ、怯えていながらも誰一人として無様な姿を見せなかった。

 ハッキリ言ってその威圧感は尋常ではない。

 並みの者ならば対峙しただけで恐怖に竦むだろう。

 だが信者達は違う。

 その絶対なる信仰心こそが彼等を奮い立たせていた。

 口から出るのは邪神への賛美の言葉のみ。

 

「騒々しい、静かにせよ」

 

 信者達の声が一斉に止んだ。

 邪神の言葉は絶対だ。

 あまりの興奮から賛美の声を上げ過ぎたかと誰もが反省する。

 まかり間違っても欠片程の気分すら害してはいけない相手だ。

 細心の警戒が要求されるのだ。

 そして、しばしの沈黙が訪れる。

 信者達にとっては生きた心地のしない状況であっただろう。

 沈黙を破ったのは先頭の男。

 

「贄を! 邪神様に捧げた若き贄をここに持ってくるのだ!」

 

 信者の全員が感心したように声を上げる。

 邪神を呼び出す為に使用した十人の子供。

 それは邪神の為に用意したものであり、その邪神が姿を現した今その御前に捧げねばならないものだからだ。

 信者の何人かがすぐに十個の皮袋を運んでくる。

 その皮袋はすでに赤く染まり、黒く濁っていた。

 

「こ、これは…」

 

 モモンガが絶句する。

 ちょうど子供一人が入りそうな皮袋。

 それが刃物でも突き立てられたかのようないくつかの穴と共に、血に染まっている。

 もはや疑問の余地などない。

 買われた子供達はここで、贄とされ殺されたのだ。

 つまり、モモンガは間に合わなかった。

 

「……」

 

 放心状態になるモモンガ。

 その姿を見かね、たまらずデイバーノックが前に出る。

 

「お、お前達! こ、これは何だ!」

 

 デイバーノックの叫びに信者達が満面の笑みで答える。

 

「これは邪神様のお付きの御方。これらは邪神様に捧げる為の贄でございます。穢れの無い純真無垢な若き魂。どうでしょう? お気に召して頂けましたか?」

 

 信者の誰もが誇らし気に返事を待っている。

 邪神からの労いの言葉を待っているのだろう。

 だが邪神は黙して語らない。

 

「……。この者達はどこから入手した? この者達の出自が知りたい」

 

 冷静さを保ちながらデイバーノックが問う。

 すでにこの者達を許さないのは確定だが、肝心のアルシェの妹達がここにいるのかは不明だ。

 もしかしたらここにはいないかもしれない。

 そんな淡い期待を抱いたデイバーノックだが。

 

「はい。全てではありませんがいく人かは貴族の高潔な血を引いております。没落したとはいえ貴族は貴族。邪神様のお気に召す者だと良いのですが…。そうであったよなクレマンティーヌ?」

 

「は、はひっ!」

 

 先頭の男が部屋の隅にいる女へと声をかけた。

 上ずった返事を上げたのは金髪で猫のような目が特徴的な女。

 広場でモモンガとぶつかった女だ。

 

「お前か…。広場の時は…、いやいい。それよりもこの子供達の中にフルト家の者はいるのか?」

 

 没落した貴族という単語で、もはやリーチみたいなものだが少ない可能性に賭けて再度問うデイバーノック。

 

「そ、そうです…。フ、フルト家の…双子の…姉妹です…、そ、その今回の中じゃ一番の上玉で…、その…」

 

 モモンガだけでなくデイバーノックすらも言葉を失う。

 もう疑う余地などない。

 アルシェの妹達はすでに皮袋に詰められ、殺されていた。

 

 

「……死は私の支配するところ。いずれ来る命を私以外の者が、無下に奪うのは、不快だ……!」

 

 ここにきてモモンガが口を開いた。

 怒りを隠そうともせず、不快感を露わにするその様子に信者達が恐れおののく。

 魂を捧げ、邪神より褒め言葉をもらえると思っていたら真逆の言葉が返ってきたのだから、驚きもより大きかったのだろう。

 ただ、考えれば納得のいく答えだ。

 死を支配する存在からすれば、生きている者はすべて己のものであろう。

 そして死を絶対的強者として与えるのであれば、人間ごときに勝手に死を作り出されるのも不快ということだ。

 

「も、申し訳ありません! 申し訳ありません!」

 

 立ちどころに信者から謝罪の言葉が吹き荒れる。

 だがそれを物ともせずモモンガが続ける。

 

「しかもよりにもよってフルト家の双子の姉妹だと…? それは私の関係者の家族だ。知らなかったでは済まさんぞ…」

 

 そのたった一言で室内が恐慌に支配される。

 誰もが頭を垂れ、涙を流し糞尿を垂れる。

 邪神の怒りに触れた、それだけで気が触れる者まで出始める。

 泣き叫ぶ者、絶望する者、そして罪を擦り付け合う者達。

 

「ク、クレマンティーヌッ! き、貴様が準備した贄だろう! ど、どうしてくれるんだ! よ、よりによって邪神様の関係者だと…! 死ね! 死んで詫びろ! じゃ、邪神様! 私達は知らなかったのです! 全てはこのクレマンティーヌという女が準備したのです!」

 

 他の信者からもそうだそうだと声が上がる。

 

「そ、そんな…、だ、だって私は言われた通りに…、あ、あんた達が貴族の血が必要だって…」

 

 泣き言のようにクレマンティーヌが呟く。

 誰が知るだろう。

 この子供のように怯える女が人類の最強国家である法国最強の特殊部隊、漆黒聖典の出身である等と。

 だがそれ故に、この中で一番モモンガの脅威を理解している者こそクレマンティーヌだった。

 自分と同等級のアンデッドの騎士を六体も従え、脇には自分よりも強そうな魔法詠唱者(マジックキャスター)が控えている。

 肝心の邪神と呼ばれている存在の強さは読めないが、盟主と似た匂いを感じる。

 つまり、触れてはいけない何かなのだ。

 この者こそ盟主が求めていた王国を滅ぼしたというアンデッドなのだろう。

 邪神かどうかは分からないが自分よりも遥かに強大な存在である事だけは理解出来る。

 そんな者の怒りを買ってただで済む筈が無い。

 

「わ、私だって…、こ、こんな事やりたく…」

 

 クレマンティーヌが恐怖の中漏らした言葉はもちろん子供を贄とした事ではない。

 盟主に命じられてこんな危険な任務をやらされた事への言葉だ。

 だがここにいる誰もそんな事など知らないだろう。

 ただの言い訳としか映らない。

 

「うるさい黙れ! お前が責任を取れ! すぐに自害しろ!」

 

「そうだ! お前のせいで邪神様がお怒りだ!」

 

 口々にクレマンティーヌへ浴びせられる罵倒の数々。

 クレマンティーヌとしてはそんな言葉に何の痛痒も感じないが、今はただ目の前の邪神に怯えているだけだ。

 

(ふ、ふざけんなよっ! な、なんで帝国の没落貴族とこのアンデッドが関係者なんだよ! どう考えてもおかしいでしょ! 誰か突っ込めよ!)

 

 だが心の中では必死に彼等を罵倒している。

 

「騒々しい、静かにせよ!」

 

 ハッキリと怒気を孕んだ叫びを上げるモモンガ。

 その言葉で信じられない程の静寂が再び訪れる。

 

「貴様ら恥ずかしくないのか…? 事情は知らんが会話を聞いている限りその女はお前達の部下なのだろ? 部下の失態をカバーするどころか罵るとは…! 私が知る中でも最悪の上司に該当するぞ…!」

 

「そ、そんな邪神様…! わ、我々は…!」

 

「もう口を開くな。お前達の言葉は私を不快にさせるだけだ。死を以って償え」

 

 そして隅で震えているクレマンティーヌにも声をかけるモモンガ。

 だがそれは労わる言葉などではない。

 

「ダメな上司に付いた自分を呪え。いくら命令されたとはいえ流石にこれは看過できん」

 

「い、いや…、た、助け…」

 

「お前らは皆殺しだ」

 

 涙を浮かべるクレマンティーヌを侮蔑するように見やるモモンガ。

 そして信者達に向かって手を向け、魔法を撃とうとしたその刹那、皮袋がゴソリと動いた。

 

「「「!!!」」」

 

 誰もが驚く。

 その刃物で開けられた穴の数、そして血の量。

 まともな子供が生きている筈が無いのに。

 

「ま、まさかまだっ!?」

 

 信者の一人が淡い希望に縋り、皮袋へと駆け寄り紐を解く。

 他の信者達ももしかしたら助かるかもという希望を抱かざるを得ない。

 もし生きていれば殺されずに済む可能性があるからだ。

 だがようく見ていれば気付いた筈なのに。

 一つならばともかく、その全ての皮袋がわずかに動いているのだ。

 このような事態でなければ誰かが異変に気付いただろう。

 だが邪神の前では些事に過ぎない。

 それ故に、不用意に皮袋の口を開けてしまった。

 

「へ…?」

 

 中にいたのは子供では無かった。

 上半身しか無い大人の身体。それが蠢いている。

 皮袋から這いずり出て、袋を開けた男の首元へと噛みつく。

 そして首の肉を食い千切られた男は大量の血を吹き出し、死んだ。

 

「わ、わぁあぁぁぁ! な、なんだこれ!」

 

「ゾ、動死体(ゾンビ)だ! な、なんで!?」

 

 動きは緩慢とはいえ、年老いた人間達を襲うのには十分なのだろう。

 皮袋から這い出た動死体(ゾンビ)達は次々と信者達を襲っていく。

 

「モ、モモンガさん、こ、これは…」

 

 何が起きたか理解出来ずにデイバーノックはモモンガの名を呼ぶ。

 モモンガも何が起きたか理解出来ずにいた。

 生贄にされた子供はおらず、その中には代わりに動死体(ゾンビ)が入っていた。

 そしてこの皮袋を準備したのは上司の無茶に振り回され、命令を快く思っていなかったクレマンティーヌなのだ。

 そう考え、すぐにモモンガの中で一本の線が繋がる。

 

「そうか、お前がやったのか」

 

「え…?」

 

 そうして再びクレマンティーヌへと視線を移すモモンガ。

 だが肝心のクレマンティーヌは訳が分からない。

 クレマンティーヌからすれば、皮袋には間違いなく子供達を詰めたのだ。

 なぜその中から動死体(ゾンビ)が出てくるのか分からない。

 面倒臭くて皮袋の管理などしていなかったから自分の知らない間に何かが起きたのだろうが分かる筈もない。

 一番混乱しているのはクレマンティーヌ本人だろう。

 

「望まぬ仕事を強いられた者として必死の抵抗をしていたのだな…。いや、正義感ゆえか…? まぁいい。お前も殺そうとして悪かったな、私の早とちりだった」

 

「え、あ、え…?」

 

 状況を飲み込めないクレマンティーヌだが殺されずに済みそうな事だけは理解できた。

 

「だが肝心の子供達はどこへ行ったのだ?」

 

 モモンガの問いにクレマンティーヌは答える事が出来ない。

 とはいえ、ここで対応を間違えれば殺される可能性はまだ十分にある。

 決して間違えてはいけない。

 

「ご、ごめんなさい…、わ、分かりません…。あの、子供達を逃がすのに必死で…、それだけで…」

 

「ふむ…」

 

 詳細を聞かれれば答えられない。

 だからこそ、逃がしたという体を取る事にしたクレマンティーヌ。

 逃がすのに必死でそこから先は知らないと、そう語る事にした。

 話に無理も無く、先を尋ねられても答えようがない。

 恐らく現状ではかなりベターな回答だろう。

 

「しかし希望が見えましたねモモンガさん。子供探しは振り出しに戻ってしまいましたがまだ生きている可能性があるんですから」

 

「そうですね! まだ安心は出来ませんが最悪の状況は回避できましたね」

 

 モモンガとデイバーノックが穏やかな雰囲気で話している間も、横では今も信者が動死体(ゾンビ)に襲われている。

 

「じゃ、邪神様お助け下さい! どうか、どうか…!」

 

「何でも捧げます! い、命だけは…!」

 

 だが彼等の言葉など聞き入れる筈がない。

 

「お前達にはお似合いの末路だな。私が殺すまでもない。そのままここで無様に虫のように死んでいけ」

 

「そ、そんな…、じゃ、邪神様…! 邪神様ぁぁぁ!!」

 

 信者の助けを呼ぶ声は届かず、彼等を残しモモンガは立ち去る。

 どさくさに紛れてクレマンティーヌもその後ろを付いていく。

 そして彼らが部屋を出ていき、その扉が閉められる頃、この部屋に生きている人間は誰もいなくなった。

 

 

 

 

 それは数時間前。

 帝都で秘密裡に動き、借金取りや人身売買の連中を脅し渡り歩いていたイビルアイ。

 まだ帝都に死の騎士(デスナイト)の咆哮が鳴り響く前、そして無数のアンデッド達が姿を現す前。

 その時には人知れず、すでに事件は解決していた。

 

「大丈夫か、助けに来たぞ」

 

 墓地の霊廟を探し当て、その地下への侵入も成功させていたイビルアイ。

 入手した情報通り、十人の子供たちが眠らされ皮袋に詰められていた。

 幸い、警備の者はおらず簡単に助け出す事に成功していた。

 流石にそのままだとすぐにバレそうなので、外にあった半分になっている謎の遺体を代わりに皮袋の中に詰めておいた。少し動いた気がするが気のせいだろう。今はすぐにでもここから逃げる必要がある、細かい事は気にしてられない。

 そして起こした子供達を連れ脱出した。

 その後、無事に親元へと子供達を返しながら帝都を歩き回るイビルアイ。

 だが結局、親に売られたという双子だけは手元に残ったままだった。

 どう対処すべきか考えあぐねていたのだ。

 そうこうしている時に帝都内にアンデッドが出現した。

 突然の緊急事態につき、双子には近くに隠れるように言い聞かせ、アンデッドの掃討へと出たイビルアイ。

 しばらくしてあの咆哮が響き渡り、その後で死の騎士(デスナイト)と対峙した。

 そして信じがたい物を見る事になったのだ。

 

(一体何が起きているんだ…?)

 

 死の騎士(デスナイト)が立ち去った後、イビルアイは帝都の中を見て回った。

 あれだけいた無数のアンデッド達は倒されており、人々にも被害は無かった。

 もう帝都を襲うアンデッドはどこにもいない。

 死の騎士(デスナイト)の姿すらない。

 王都の時と同じように、帝都の所々が血に染まっているがそれは生きている人間のものではない。

 いすれもアンデッドのものだ。

 その為なのか、この状況にも関わらず王都の時のような悲壮感はどこにもなかった。

 中には死の騎士(デスナイト)を英雄のように語るような者まで出始めていた。

 

(バカな…! 相手はアンデッドだぞ! それに王都ではあれだけの人を…!)

 

 だがイビルアイも帝都で見ているのだ。

 あれはそう、どう見ても死の騎士(デスナイト)が人々を助けて回っていたようにしか見えなかった。

 ここでふと思い出す。

 助け出した双子をそのままにしておいた事を。

 

「い、いかん!」

 

 そしてイビルアイは双子を隠れさせていた場所へと走る。

 その場所ではまだ双子が震えて小さくなっていた。

 

「待たせたな、もう大丈夫だ」

 

 イビルアイの姿を見ると泣きながら双子が駆けよる。

 

「怖かったよぉ、おっきなアンデッドがいて…」

 

「でも言われた通りずっと隠れてたよ…」

 

「ああ、無事で良かった…」

 

 だがこれからどうすればいいのだろうとイビルアイは思う。

 親に売られたというこの二人を親元に返すべきなのか。

 そう逡巡している時、遠くから人の名を呼ぶ少女の声が聞こえた。

 

「クーデリカー! ウレイリカー! どこー! いたら返事をしてぇー!」

 

 泥まみれになりながら走り回っている少女がいた。

 それを見た双子が嬉しそうに声を上げる。

 

「姉さま! 姉さまだ!」

 

「探しに来てくれたんだ!」

 

 双子の様子を見てイビルアイは思う。

 親に売られた筈のこの子たちを探している姉がいる。

 それならばそれだけで十分なのではと。

 家庭の問題は家庭で解決するべきだし、何か問題があれば帝国が動くはずだ。

 そっとイビルアイが双子の背を押す。

 すると双子は飛び出す様に少女の元へと駆けていく。

 

「姉さまーっ!」

 

「ウレイリカ! クーデリカ! 良かった…!」

 

 走ってくる双子を見た少女が泣きながら彼女らを受け止め抱きしめる。

 それを見たイビルアイは思う。

 家庭の事情までは知らないが、少なくとも彼女らの姉は妹の為に泣いてくれる。

 ならばもう自分の出る幕ではないと。

 

「で、でもどうしたの? 二人ともどうやってここに…?」

 

「あのね、あそこのお姉ちゃんが助けてくれたの」

 

 そうして双子が自分の後ろを指差す。

 だがそこにはもう誰もいない。

 

「あれぇ? おかしいな、さっきまでいたんだよ」

 

 不思議そうに首を傾げる双子。

 助けてくれたという女性がどこに行ったのか少女にも見当が付かないが今はただ大事な妹達と出会えた事に感謝する。

 余りの嬉しさに少女は再び大粒の涙を流した。

 

 

 

 

 帝都郊外。

 漆黒聖典と事を構えようとしていた盟主と十二高弟達は戦慄していた。

 帝都で起こった事が理解出来なかったからだ。

 

「て、帝都内にあった無数のアンデッドの気配が消えました…。探知できる中で残っているのは複数の死の騎士(デスナイト)達だけかと…」

 

「民に被害も出ていない…、どういうことだ…?」

 

「カジットとクレマンティーヌはどうなったのだ? 殺されたのか?」

 

 現場を直接見ている訳ではなく、郊外から魔法で感知しているだけなので正確な事情を把握できない十二高弟達。

 だが言葉にせずとも誰もが理解していた。

 例のアンデッドはカジット達と敵対し、帝都の人々を守ったのだ。

 

「め、盟主様…、こ、これは一体…、例のアンデッドは我らの味方では無いのですか…?」

 

「盟主様、何が起きたのか説明して頂けませんか…」

 

「うるさい」

 

 盟主の冷たい一言で場が凍る。

 誰もが思わず口をつぐんだ。

 この時、盟主は自分の考えが間違っていた事を知る。

 魔法を使い、カウンターを喰らわない範囲から俯瞰で帝都を見下ろしていたがそれだけで十分事態は認識出来てきた。

 有り体に言えば盟主の予想は外れていた。

 それどころか真逆と言ってもいい。

 あれは人類に味方する側で自分達とは相容れない存在であると。

 

「……」

 

 それと同時に感心してもいた。

 盟主はアンデッドではあるが、少々特殊でアンデッド特有のスキルをあまり使えない。

 故にスキルによるアンデッドの創造などは出来ないのだが例のアンデッドはそれを行えるようだ。

 12体の死の騎士(デスナイト)

 それだけで自分が長年育ててきた十二高弟に匹敵する。

 

「欲しいな…」

 

「め、盟主様…、どうかお気を確かに…」

 

 十二高弟の一人が恐る恐る語り掛ける。

 おそらく予定が大幅に狂った事で激高している盟主をどうにか窘めようとしているのだろう。

 だが予想を裏切り、盟主から返って来たのは恐ろしく軽い返事。

 

「計画変更だ」

 

「え…?」

 

 誰もが困惑した。

 計画を変更する事ではない。

 盟主の声だ。

 声質は変わっていない。

 間違いなく以前と変わらぬ同じ声だ。

 だが何かおかしい。

 誰もが疑問に思う。

 盟主の声はこんなに若々しかっただろうかと。

 

「け、計画変更とはどのように…? 我々はどうすれば…」

 

 問われた盟主の顔が骸骨であるにも関わらず嗤ったように思えた。

 

「お前達は、()()()()()()

 

 近くにいた十二高弟の一人の身体が盟主の魔法によって一瞬で消し飛ぶ。

 後には消し炭すら残っていない。

 

「な、何を盟主様!」

 

「あぁ、しまったな…。肉片くらいは残しておいた方がそれっぽいか…」

 

 他の十二高弟の叫びに応えず淡々と一人ごちる盟主。

 

「ら、乱心したか…! 盟主よ!」

 

「お、落ち着いて下さい盟主様!」

 

「盟主様! 盟主ズーラーノーン様!」

 

 一人の言葉にピクリと反応する盟主。

 それは己が名前を呼ばれたからだ。

 

「ズーラーノーン…、ズーラーノーンか…。そんな奴もいたな…、二百年前に儀式を失敗した奴の名だ…。全く…成功させてくれていればこんな面倒をしなくても済んだものを…。それに貫禄のありそうな喋り方というのも疲れてきた所だしなぁ…」

 

 まるで別人のように己を語る盟主に誰もが背筋を冷たくする。

 

「な、何を言っているのです盟主様…! あ、貴方様は二百年前に死の螺旋によって強大なアンデッドへと生まれ変わったのですよ…! お、お忘れですか!?」

 

「死の螺旋か…。それはお前達が勝手にそう名付けたのだろう…。あれは本当は…。まぁいい。今更お前達に語っても詮無き事だ」

 

 そう言って再び盟主が魔法を唱える。

 法国最強の特殊部隊である漆黒聖典、それに匹敵する力を持つ秘密結社ズーラーノーン。

 この世界でも最高水準の強さを持つ者達だ。

 それが一瞬にして、たった一つの魔法で。

 あっけなく全滅した。

 

 

 

 

 帝国領を進む漆黒聖典達。

 彼等がやっと帝都を見渡せる郊外に着いた時、近くに強大な魔法の跡を発見する。

 

「た、隊長…! こ、これは…」

 

 それを見て驚愕する隊員と共に隊長が見たものは信じがたい現実。

 

「め、盟主及び、十二高弟達と思わしき者達の遺体と装備です…!」

 

 そこに転がっていたのは無数の遺体。

 装備から判断するに十二高弟及びその弟子達だろう。

 盟主のものと思わしき装備も転がっている。

 これが意味するのはただ一つ。

 何者かの手によって彼らが全滅したという事だ。

 

「ば、馬鹿な…! ズーラーノーンが全滅するなど…!」

 

 漆黒聖典の誰もが驚きを隠せない。

 彼等がここに揃っていた事もそうだが、それ以上に全滅しているという事実にただ震える。

 それも当然だ。

 彼等は知っている。

 法国の全てを。

 だからこそ、極秘扱いである二百年前の裏切り者も知っている。

 当時の神官長の一人。

 名をズーラーノーン。

 それが秘密結社を作り、世界に暗躍するようになった後は法国の歴史からその名は抹消された。

 故に法国にはそんな人物は最初から存在しなかったという事になった。

 今はズーラーノーンと言えば秘密結社を指す言葉である。

 それが一般の認識。

 だが彼等は違う。

 その真実を知っている。

 神人であり、第6位階魔法まで扱う希代の天才だった。

 そんな彼はある日、法国の在り方に疑問を抱き、その立場を捨て姿を消した。

 彼は強い。

 漆黒聖典のメンバーでも隊長以外は敗北する可能性があるだろう。

 しかしそれはかつての強さのズーラーノーンである。

 彼は二百年前、法国を裏切り死の螺旋を行い一つの都市を死の都へと変えた。

 そしてアンデッドの力を得てパワーアップしたのだ。

 そんなズーラーノーンは漆黒聖典に対抗し、十二高弟達を作り上げた。

 数も同じく、実力も同等。

 それ故、法国は今までずっと手出しが出来なかったのだ。

 だがそれが、法国の最高戦力と同等の組織が。

 ここで無様に全滅している。

 それの意味する所は漆黒聖典さえも全滅する可能性があるという事だ。

 

「これはマズイのう…」

 

 チャイナドレスを来た老婆が口を開く。

 ここで疑わしき人物は一人しかいない。

 王国を滅ぼし、帝都を襲った例のアンデッドだ。

 

「ま、まさか…! まさかここまでとは…!」

 

 焦燥する隊長。

 想像以上に規格外。

 仮に隊長が盟主を含め十二高弟全員と同時に戦った場合、勝てるだろうか。

 これは少し難しいと言わざるを得ない。

 勝てるかもしれないが、勝てない可能性も十分にある。

 伝え聞く話がどこまで正しいかという問題もあるが、要はそれぐらい見えない戦いなのだ。

 だがこれは、この跡は。

 

「わ、私ではここまで一方的に彼等を屠れない…」

 

 隊長の言葉で隊員の表情が固まる。

 帝都を襲ったアンデッドは隊長よりも格上かもしれないのだ。

 隊長は思う。

 占星千里の占いは間違っていなかった。

 奴こそが破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)だと。

 帝国で何をしていたのかは不明だが、これだけの力を持つ者を野放しにしてはおけない。

 

「どうする、儂のケイ・セケ・コゥクを使うしかない気がするが…」

 

「……」

 

 老婆の言葉に隊長は逡巡する。

 ケイ・セケ・コゥクが通ればよし、だが通らなければ…。

 しばらくして隊長が下した決断は――

 

 

 

 

 盟主。

 その真実は誰も知らない。

 彼がズーラーノーンではないと知っているのは彼だけ。

 

 二百年前、誰よりも正しき心を持つズーラーノーンは苦悩していた。

 もっと正しく、もっと強く人類を導きたいと考えていた。

 だが彼には力が足りない。

 神人としての力があろうとも信仰する神の足元にも及ばない。

 だから人類を救う為には多くの汚れ仕事もしなければならなかった。

 やがて彼は長年続いた欺瞞と偽善に耐えられなくなった。

 

 故にズーラーノーンは選択したのだ。

 最高の正義を行うために。

 だからこそ彼は二百年前に死の螺旋を起こした。

 しかしあれは失敗だった。

 生身の彼では儀式に耐えられなかったのだ。

 大勢の命、都市一つ分のエネルギーを引き換えに行う邪法。

 だがズーラーノーンの力不足により、いくらかのエネルギーが暴走し勝手にズーラーノーンの身体へと流れ込んでしまった。

 それによるアンデッド化。

 だが結果として人間の時の力を超え、土壇場で儀式を行うに足るギリギリの力を得た。

 死の螺旋と呼ばれたものはただの副産物に過ぎない。

 この後に起こった事こそ本物。

 真の狙い。

 もしこの儀式に名前を付けるとしたら――

 

 『神降ろし』、そう呼ぶべきだろう。

 

 己の身体を依り代に、肉体を失った神をこの世に顕現させるのだ。

 もちろん強大な力を持っていなければ神の依り代足り得ない。

 降ろした神の強さは依り代に大きく影響を受けるからだ。

 神人たるズーラーノーンがアンデッド化し、ようやく最低水準を満たせるというラインだったのだ。だがズーラーノーンがアンデッド化する為にいくらかのエネルギーをすでに割いてしまっていた為、その復活は完璧では無かったのだが。

 

 過程はともかくとして、ズーラーノーンの願い自体は叶った。

 彼は心の底から神の再臨を望んでいた。

 その身を捧げ、己が消えて無くなるとしても。

 かつての死の神。

 法国が崇める六大神にして最強の神。

 再び法国を、人類を導いて貰うために。

 

 

 だが彼がその身に降ろした神は――

 

 

 




モモンガ「民衆助けたった」
イビルアイ「あいつ何なん…」
クレマン「なぜか助かる」
カジット「儂は…?」
アルシェ「妹と再会やったー」
フルダ&レイナース「ドロン」
盟主「計画変更や」
隊長「ま、紛う事無き破滅の竜王…!」

今回もまた長くなってしまいました…。
文章量的には二分割とか三分割してもっと定期的に更新した方がいいのかもしれませんが1話である程度話を進めたいという願望がありこんな事に…。

あと解りにくかったかもしれませんが実は前話ですでにイビルアイが子供達を助けてると示唆しており、アンデッドが出現した時にも隠れるように指示してます。
ただ、うーん。自分的には伏線的というかそんな感じで書きたかったんですがあまり上手くないですね…。精進します!


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激突

前回のあらすじ

死の騎士が帝都を救う!そして知らない所で助かっていた双子!
さらには漆黒聖典が動き出す!?


 イビルアイは助け出した双子を送り届けた後、帝都の中を歩いていた。

 アンデッドの腐肉や濁った血で街並みは酷い事になっている。

 塀や家などは至る所で壊れており、まるで戦争の跡か何かのようだ。

 その様子は王都の惨状を思い起こさせる。

 だが決定的に違うのは、死者が出ていないという事だろう。

 

(アイツは何をしようとしていたんだ…?)

 

 混乱するイビルアイの脳内で、かつてのクライムの言葉が反芻される。

 

『だ、だから誤解なのです!』

 

『何言ってんだ童貞! 誤解もクソもあるか! ここまでやられて見過ごせって言うのか!』

 

 王国崩壊後、蒼の薔薇を前にクライムが必死に言葉を並べる。

 それを前にガガーランは憤怒の表情で反論していた事を思い出す。

 

『そ、そういう事ではありません! し、しかしあの方がいなければ…』

 

『あの方とか言ってる』

 

『洗脳されてる可能性』

 

 クライムの叫びにティアとティナが返す。

 

『でもクライムから何か魔法を掛けられたような痕跡は感じられないわ…。ただレエブン侯も様子がおかしいのは事実だし決して油断は出来ないけど…』

 

 冷静にラキュースはそう判断する。

 この時クライムは王都を襲ったあのアンデッドの行動を誤解だと言い放ったのだ。

 皆が見ている前であれだけ残酷に人を殺した相手を擁護するなど信じられなかった。

 誰もがクライムが狂ったと思った。

 もちろん大事になる前に蒼の薔薇がクライムに口止めをした。

 公にそんな事を言い出せば色々と問題がある。

 レエブン侯はもうしょうがないがクライムに悪評が付くと元王女であるラナーにも面倒がかかるだろう。

 そういった事もあり、最終的にクライムは大人しくなったが王国内で度々囁かれるあのアンデッドへの暴言を苦しそうに聞いていた。

 

(クライム…、もしかしてお前は何か知っていたのか…?)

 

 あの時クライムは何と弁明していただろう。

 誰もがクライムの話す内容を真面目に聞いていなかった。聞く価値があるとはとても思えなかったからだ。

 その言葉の断片を必死にイビルアイは思い出す。

 

『あの御方は皆を救ってくれたのです! 犠牲者も八本指の者達しか…! ああっ、皆さんお待ちください! あのポーションだって本当は…!』

 

 誰も耳を貸さなかった。

 色々とやる事も多く、そんな妄言に付き合っている暇はなかったからだ。

 それに最後まで発言を許してしまえば、それを聞いてしまえばクライムを処罰せねばならなくなると思っていたから。

 だがもしそうではなかったら?

 

(犠牲者は八本指しか…? そういえばあの事件で八本指が全滅したというのは聞いている。その証拠も発見され、関係者の多くも自白したとか…)

 

 王都はその惨状に比べ、確かに死者の数は思いのほか少なかった。

 クライムの言葉から推察すると犠牲者は八本指の者達だけだったという事なのだろうか。

 

(それにあのポーションがどうたらとも言っていたな。あれはレエブン侯が他国から密かに輸入していた品だと聞かされていたが…)

 

 イビルアイはそのポーションを見ていない。

 ただ、かなり性能の高い物で多くの人々を救ったとは聞いている。

 だが冷静に考えてみれば市場に出回っている以上の性能のポーションをなぜレエブン侯が大量に入手していたのかという疑問は尽きない。

 それにそれをいとも容易く提供するなど。

 

(そもそもそんなポーションが大量にあるという事実も妙だ…。そんなものを買うとなれば金がいくらあっても足りないし、他国だってその希少性から売りになど出さないだろう…)

 

 考えれば考えるほど、奇妙な違和感が拭えない。

 もしそれらにあのアンデッドが関わっていたとしたら?

 様々な違和感の断片を今回の帝都の事件と照らし合わせていくとどうだろう。

 一つの可能性が浮上してくる。

 それはイビルアイの想定と全く逆であり、考えもしなかった答え。

 

 あのアンデッドは人々を救おうとしていたのではないか、と。

 

 だがイビルアイの理性が、王都で感じたあの禍々しい気配がそれを否定する。

 しかしもしクライムの言う通り犠牲者が八本指の者だけだったとするならば、今回のように何らかの行動を起こした八本指から人々を救おうとしたのかもしれない。

 そしてあのポーションの出どころがあのアンデッドならば?

 そうするとクライムの言葉も繋がってくるし、今回の帝都での事件とそう矛盾しない。

 

「まさか私は…、いや私達はとんでもない勘違いをしていたのでは…?」

 

 その考えに驚愕し、焦燥するイビルアイ。

 アンデッドが生者を憎むのはこの世界の常識だ。

 だからこそ疑問にも思わなかったし、そんな事を考える事も無かった。

 しかしそれが全てでは無い事は自分の身体が証明している。

 

 アンデッドであるイビルアイが正義を為そうとしている以上、そんなアンデッドが他にいないと誰が断言できるだろう。

 

「……」

 

 思えば最初に遭遇した時もあのアンデッドは何かをずっと口にしていた。

 もしあの時イビルアイ達がそれに耳を貸せば違った未来があったのだろうか。

 

 そう逡巡し、ふと気づくとイビルアイは自分が街の中心から遠くまで歩いていた事に気付く。

 目の前には墓地が見える。

 確かこの辺りからアンデッドが出現したと兵士が叫んでいた気がする。

 だが今現在ここに兵士達の姿は無い。

 今は市民の避難の事もありこちらに人を回す余裕が無いのだろうが、すぐに確認の為に様子を見に来るだろう。

 そう考えたイビルアイはそれらに遭遇しないようにとこの場を離れようとする。

 しかし、その視線の先に一人の女性が跪いているのが見えた。

 何事だろうと気配を消してイビルアイが近づく。

 そして信じられぬものを見た。

 

「……!」

 

 その女性、甲冑を着ている所からこの国の兵士であろう。

 随分と身分が高そうな装備だ。

 それがまるで命乞いでもするかのように一人の男の足元に縋っている。

 痴話喧嘩、あるいは面倒事だとしてもイビルアイは介入するか悩んだろう。

 ここは王国ではなく帝国なのだ。

 生き死にが関わっている場合でない限り、王国の関係者である自分の身を晒す事は避けたかったのだ。

 だがそんな考えは全て吹き飛ぶ。

 その女性が縋っている男、いや正確には性別は分からない。

 顔には奇妙な仮面を付けていたのだから。

 しかしその魔法詠唱者(マジックキャスター)然とした気配には見覚えがある。

 あの時と違い、一目で分かる魔王のような禍々しく派手で豪奢なローブでは無いがこの異様な気配は忘れようがない。

 間違いない、とイビルアイは思う。

 あれは王国を滅ぼしたアンデッドだと。

 

(こ、こんな所に…! だがどうする…? 奴の目的がもし本当に人々を助ける事ならば話をすれば分かり合えるのだろうか…? し、しかし私はあの者に…)

 

 あのアンデッドの言い分も聞かずに一方的に攻撃したのは自分だ。

 恐らく自分は敵だと認識されているだろう。

 そう考え出ていくかどうか悩むイビルアイ。

 だがどちらにせよ話をせねば進展は無い。

 それにあのアンデッドが人々を助けたという事は希望的観測でしかないのだ。そうでない可能性も十分にある。

 

(どちらにせよ一度言葉を交わすしかないか…。もし全て私の思い過ごしで当初の想定通り悪であるならばこの身を犠牲にして倒すだけだ…。だがもしそうでなければ…)

 

 手を取り合えるかもしれない。

 そんな考えを抱きながらそのアンデッドへと近づくイビルアイ。

 しかし、現実はイビルアイの望んだものでは無かった。

 近づいていく事でようやくその女性とアンデッドの会話が聞こえてくる。

 

「……します! お願いします! どうか、どうか…!」

 

 何やら女性が必死に懇願している。

 傍からみればまさに命乞いか何かのようだ。

 それに対し、仮面を被っているあのアンデッドは煩わしそうにそれを見下ろしている。

 そして。

 おもむろにその女性に向け、手をかざした。

 嫌な予感がイビルアイに走る。

 なぜならその手からは強い魔力が感じられたのだから。

 

「っ!? ま、待て! 何をするつもりだ貴様っ! や、やめろっ!」

 

 思わず物陰から飛び出し、駆けだすイビルアイ。

 だがもう遅い。

 放たれる魔法を止める事は出来ない。

 

「《デス/死》」

 

 それは紛れもなくあのアンデッドの声だった。

 言葉と共にそのアンデッドの足元へと縋っていた女性が静かに崩れ落ちた。

 その魔法自体は知らないが、その言葉からどんな魔法なのかは想像がつく。

 地に倒れるその女性の顔の半分は長い布で覆われており、表情までは読み取れないがもはや生気は無い。

 一目で死んでいると理解出来た。

 美しい金髪が揺れ、体に遅れて地面へと触れる。

 まるで時が止まったかのようだった。

 イビルアイはそのアンデッドを信じてもいいと思い始めていた。

 むしろ、信じたいとさえ思った。

 自分のように人の心を持つアンデッドなのではないかと。

 

 だがそれは全て幻想で、間違いだった。

 このように命乞いをする女性をも殺す、無慈悲なるアンデッドだった。

 

「貴様ぁーーっ!」

 

 唐突な怒りと悲しみに支配され、イビルアイは吠えた。

 

 

 

 

 時は少し遡り、イビルアイが墓地に辿り着く前。

 モモンガはデイバーノックや死の騎士(デスナイト)達と共に霊廟の地下から出て来ていた。

 その後ろには気まずそうにしているクレマンティーヌがいる。

 

「あ、あのー……」

 

 外に出た所でモモンガに対して怯えながら声をかけるクレマンティーヌ。

 

「ん、どうした?」

 

「じ、実はですね…。あの…。わ、私のこと、死んだ事にしてもらえないかなーって…」

 

 クレマンティーヌの口から出てきた言葉に不思議そうにモモンガが頭を捻る。

 

「え? 死んだ事に? なんで?」

 

「あ、いやその…、子供達を逃がしたって組織にバレたら殺されるかもしれないので…」

 

 クレマンティーヌは一刻も早くこの場から去りたかった。

 このアンデッドに対して子供を逃がしたと話を合わせ嘘を吐いたがそれが露見すれば即座に殺されるだろう。

 何がどうしてそんな事が起き、そんな話になっているか分からないが、このままここにいてはいけないとクレマンティーヌの本能が告げている。

 そもそも目の前の謎のアンデッド達の目的も不明であるし、理由は分からないが今現在帝都をカジット達が襲っている様子も無く静かだ。

 もしかすると何かの間違いでカジットはこのアンデッド達と敵対したのかもしれない。

 少しすれば盟主達も来るだろうし、変に話が拗れれば自分の居場所などなくなると考えるクレマンティーヌ。

 揉め事が起きるより先にこの場から離脱するのが最善なのだ。

 

「組織にバレたら殺される…? ま、まさかそんな危険を冒してまで助けてくれていたのか…!? 君には頭が上がらないな…、本当に感謝する」

 

 クレマンティーヌの言葉にモモンガが深々と頭を下げる。

 むしろクレマンティーヌからすれば相手の対応が紳士であればある程、嘘が露見した時の恐怖が募るのでそんな事はやめて欲しいと願っているのだが。

 

「そ、そんな事しなくていいですから…! あ、頭を上げて下さい! 自分が勝手にやった事ですから…!」

 

「おお、君はとても優しい人なんだな…。最初は殺そうとして本当に済まなかった…。しかしお礼と言ってはなんだがそんなけしからん連中がいるなら俺が代わりにこらしめようか?」

 

 モモンガの提案にクレマンティーヌの身体が強張る。

 もしクレマンティーヌのせいでこのアンデッドが盟主達と敵対する事になれば地獄だ。

 かといって嘘がバレれば目の前のアンデッドに殺される。

 八方塞がり。

 

「わ、私の為にそんな事してくれなくていいですから! そ、それに組織の連中は凄く強いんです…! そ、その貴方も凄く強そうだけど奴等に勝てるかは分かりません! だからそんな事しなくて、いやしないで下さい!」

 

 もちろんモモンガの事を心配したクレマンティーヌではない。

 少しでも自分に余計な火の粉が飛んで来るのを心配しただけである。

 だが同時にこの言葉は本心でもあった。

 盟主とこのアンデッド。

 クレマンティーヌにはどちらが強いのか分からないのだ。

 

「う、うむ、そ、そうか…」

 

 クレマンティーヌの鬼気迫る説得にたじろぐモモンガ。

 生贄にされそうな子供達を助けただけでなく、見ず知らずの自分の事をこれだけ心配してくれるとはなんて優しい女性なのだろうと心の中で評価を上げる。

 とはいえこの女性の言うように相手が強者であるならばモモンガも無闇に戦うつもりはない。

 王都に続き、帝都でも義憤にかられ暴走してしまったがそれもいつまで続くか分からないだろう。

 

(困っている人を放ってはおけないけど…、今の俺じゃ限界がある…。流石に自分よりも強い者に喧嘩を仕掛けようとは思わないし…。やられてしまったら終わりだからな…)

 

 冷静になり自分の置かれた状況を考えるモモンガ。

 少なくともこれからはもう少し敵対する者について知る必要があるかもしれない。

 さんざんやらかしておいて今更そんな事を考える。

 

「力になれなくて申し訳ない…」

 

「いや! 全然! 全然大丈夫ですから! じゃ、じゃあ私はこれで…」

 

 そそくさとその場を離れようとするクレマンティーヌ。

 

「分かりました…。もし何か困った事があれば俺を訪ねて下さい。助けになりますよ。なんたって貴方は恩人ですから」

 

「ひっ…! い、いえお構いなく…! そ、それじゃあっ!」

 

 そうして猛ダッシュでこの場を離れていくクレマンティーヌ。

 その姿はすぐに小さくなり見えなくなった。

 

「あの女性は大分急がれていましたね」

 

「ええ…」

 

 横に控えていたデイバーノックがモモンガへと声をかける。

 

「あそこまで必死になるという事はそれだけ危険な奴らが相手という事でしょうか? モモンガさんに対抗できるような者がそうそういるとは思えませんが…」

 

「いや、デイバーノックさん油断は禁物です。世の中何があるか分かりませんからね。警戒するにこした事はありませんよ」

 

「なるほど、確かに…」

 

「ま、とりあえずは霊廟の外で捕まえたハゲに話を聞きに行きましょう」

 

「はい!」

 

 そうしてデイバーノックとモモンガは捕まえたカジットの元へと歩んでいく。

 ただ一人、これから起こる騒動に巻き込まれる事なく帝都からの離脱に成功したクレマンティーヌ。

 彼女の選択は正しく、そして幸運だった。

 だが彼女の苦難の日々はまだ始まったばかりに過ぎない。

 

 誰が知るだろう。

 

 近い将来、彼女がこの世で最も重要なカギの一つを握る人物になろうとは。

 クレマンティーヌを含め、その事実はまだ誰も知らない。

 その事に気付くのはまだ少しの時を要するのだ。

 誰かがそれに気づいた瞬間、きっと彼女の平穏は終わりを告げる。

 

 

 

 

 墓地内で死の騎士(デスナイト)に囲まれ震えているカジットとその弟子達。

 しばらくするとモモンガとデイバーノックがカジットの元へと帰ってきた。

 

「儀式をしていた連中は全員死んだぞ」

 

 開口一番モモンガがカジットへと告げる。

 カジットも馬鹿ではない、その言葉の意味する事を察する。

 恐らく子供達を生贄にした事で儀式をしていた貴族達は不興を買って殺されたのだと理解した。

 真実はそうではないのだがカジットにそれが分かる筈もない。

 

「……つ、次は我々…、そ、そういうことですか…?」

 

 分かり切っているであろう結末をカジットが尋ねる。

 この問いに意味が無いと思っているが問わずにはいられなかった。

 

「? いや、子供達は…」

 

「モモンガさん」

 

 口を開こうとしたモモンガをデイバーノックが制止する。

 子供達は無事だったからもうお前達に用は無い、そう言おうとしたがそれがマズイという事に気付く。

 ここに来るまでに子供達は無事だが消息が掴めないという情報をアルシェにメッセージの魔法で伝えたのだがその時にちょうど妹達と会えていたらしい。

 妹達は金髪の女の人が助けてくれたと言っているらしくクレマンティーヌと一致する。

 他の子供達も無事に親元に返されたのを見たと妹達が言っていたらしいのでそちらの心配も無い。

 だがどうするべきか?

 子供達は逃げたと目の前のハゲに正直に言うべきだろうか?

 しかしそうなると必然的にクレマンティーヌの行動も明らかになってくる。

 本人が死んだ事にしてくれとまで懇願したのだ。

 軽々しく口にするべきではない。

 クレマンティーヌの事を考え、色々と有耶無耶にする方がいいだろうと判断する。

 

「…子供を生贄にするという非人道的な行為、許せるものではない」

 

 肝心な事は曖昧にしつつとりあえず怒っている風を装う。

 子供達が無事だった時点でもう怒りは失せた。

 この都市を襲ったという事も上げられるが今回は死者も出ていないし、何より前回と同じ轍を踏む訳にはいかない。

 王国で人を殺すという事に何の忌避感も感じなかった事に驚いたがそれでも今後進んで殺そうとも思わない。

 詳しくは知らないが自分のせいで王国は混乱したようなので今回は自重する事にしたのだ。

 だが見逃す訳ではない。

 

「お前は人として許されない事をした。それは自覚しているな? ならば罪は償わなければならない」

 

「は、はい…」

 

 カジットが震えながら答える。

 

「だからお前をこの国の役人に突き出す」

 

「え…、はっ…?」

 

 殺されると思っていたカジットは唖然とする。

 弟子達も同様だ。

 誰もがそんな事になるとは想定もしていなかったという顔をしている。

 

「俺はこの国の法律も何も分からないからな。この国で起きた事件はこの国に任せる」

 

 そうしてモモンガは死の騎士(デスナイト)数体にカジット達を城まで連れていくように指示する。

 肝心の連れていかれるカジット達は最後までポカンとした表情を浮かべていた。

 

「ま、あのクレマンティーヌという女の心配もしてたようだし、殺す事もないだろ」

 

「流石はモモンガ様。確かにあの男は有能でした。反省さえすれば共に深遠へと至る盟友となれるかもしれないとお考えになったのですね?」

 

「えっ」

 

「それにあの男すらも何者かに踊らされていた可能性を考慮なされたのでしょう? その洞察力と慈悲深さ、このデイバーノック感服するばかりです」

 

「…う、うん」

 

 何を言っているのか分からない。

 モモンガとしては面倒くさくなってきたしこの国に丸投げしようとしただけなのだが、アンデッドのくせにデイバーノックが少年のような眼差しを向けるのでつい頷いてしまった。

 とりあえず面倒事は一段落したのでアルシェ達と合流しようと墓地を出ようとするモモンガ達。

 その前に一人の女性が立ちふさがった。

 

「はぁはぁ、さ、探しましたわ…。貴方がその強大なアンデッドを従える魔法詠唱者(マジックキャスター)でしょうか?」

 

 肩で息を切らした女性がモモンガへと声をかける。

 顔の半分を大きな布地で覆っている特徴的な女性だ。

 身なりからするとこの国の兵士か何かであろう。

 

「え、ええ、そうです。あ、迷惑でしたか? すいません、これそのうち消えるんで…」

 

「お願いがあります!」

 

 モモンガの声を遮るようにその女性、レイナースは叫んだ。

 本来ならばこんな危険な相手を前にするなど愚の骨頂。

 何が何でも逃げるべきだろう。

 だが四騎士よりも強大なアンデッドが複数という絶望的な状況で逃げてもさほど意味はない。

 どうせならばと一か八かの賭けに出たのだ。

 何よりこの強大なアンデッド達が市民に手を出していない事が気になった。

 それだけ明確な命令を下す、あるいは理由があるならばその主は話が通じるのではないかと考えたのだ。

 徒労に終わるかもしれない。

 無為に命を散らすかもしれない。

 だがレイナースはこの規格外の相手はそのリスクを負うだけの価値のある相手だと踏んだのだ。

 

「お、お願い…?」

 

「これです」

 

 そうしてレイナースは自身の顔半分を覆っている布をめくりあげた。

 中にあったのは醜く膿んだ顔の右半分。

 残りの左側が端正な顔立ちゆえその醜さがより引き立てられる。

 時折、膿が顔から垂れ落ちておりモモンガがアンデッドでなければ顔をしかめていただろう。

 

「これは…、呪い…?」

 

「…っ! そ、その通りです!」

 

 モモンガの他愛ない返答に喜色を浮かべ返事をするレイナース。

 

「で、これがどうしたと?」

 

「あ、貴方様ならばこれを解呪する方法をご存知なのではないかと思いまして…!」

 

「はぁ?」

 

 何を言ってるんだとモモンガは思う。

 

「いや、神官に頼んだらいいんじゃないですか? 俺は神官じゃないし解呪できないですよ」

 

 モモンガの返答に一気に顔を暗くするレイナース。

 しかし彼女は諦めず食い下がる。

 

「そ、そうなのですか…。し、しかしこの呪いは強力で解呪できる神官は国中を探してもいないのです…」

 

 その言葉に驚いたのはモモンガだ。

 この呪いは中位程度の呪いでしかない。

 解呪事態は難しくないしいくらでも方法はあるだろうと考える。

 この時モモンガはデイバーノックをチラリと見る。

 その視線の先で静かに頷くデイバーノック。

 これだけでレイナースの話が本当なのだとモモンガは判断した。

 だがどうしたものかと悩む。

 解呪自体は簡単だ。

 高位の神聖治癒魔法が込められたスクロールか解呪のアイテムでも使えばいい。

 ただモモンガは神聖系のクラスを取得していないのでその類のスクロールは使えない。

 仮に取得していたとしてもアンデッドの特性で治癒系の魔法は行使できない為どちらにせよ使用できない。

 さらに不運な事にモモンガはアンデッドであり、呪いとは無縁だった為に解呪のアイテムもさほど持っていない。あるにはあるがコレクター的な物ばかりである意味貴重なのだ。

 神聖魔法の込められたスクロールを上げてもいいが解呪のアイテムと同様の理由で数を持っていない。

 見ず知らずの人にタダで上げるのは少し惜しいと思う程度しかないのだ。

 

「うーん…」

 

 悩む素振りを見せるモモンガが何かを知っていると判断したのかレイナースは地面に膝を突きモモンガに懇願する。

 

「お、お願いします! 呪いが解けるならば何でもします! わ、私にできる事なら何でも…!」

 

(ペロロンチーノさんが聞いたら喜びそうなセリフだな…)

 

 そんな事を思いながらもモモンガは逡巡する。

 困っている人を助けるのは当たり前。

 とはいっても右も左も分からぬこの世界で貴重なアイテムを差し出す気にはならなかった。

 王都の時と違い、人の生き死にがかかっているわけではない。

 別に今すぐに呪いを解かなくても命に別状は無いのだ。

 それに高位の神官がいればアイテムも何も消費しなくて済む。

 

「残念ですけど俺には真っ当な方法じゃ解けませんよ。命に別状がある訳じゃないし気長に解呪の魔法を使える神官を探されては…」

 

「もう探しました! 何年も何年も…! 皇帝の力を借りても未だに叶わぬのです! 方法だけでも良いのです! もし知っているのならどんな些細な情報でも構いません! どうか…どうか…!」

 

 泣きながらモモンガの足元に突っ伏すレイナース。

 それを見ていて居た堪れなくなるモモンガ。

 そしてふと思う、なんでこんな事になったんだろうと。

 

「そ、そう言われてもですね…」

 

「先ほど貴方様は真っ当な方法では解けないと仰られました! それはつまり…、真っ当でない方法ならば呪いを解けるという事ではないのですか!?」

 

 モモンガの言葉尻をつかむようにレイナースが言う。

 揚げ足を取るような物言いだがあながち間違いではない。

 呪いを解く、という条件を満たすだけならばモモンガにも可能ではあるのだ。

 

「いやでもあんまりオススメは出来ないですよ…? 俺もこの世界に来たばかりで良く分からない事も多いし…」

 

「構いません! 呪いが解けるならば何が起きても…!」 

 

 レイナースの強い意志の前にこりゃ無理だなと諦めるモモンガ。

 

「本当にオススメ出来ませんし後で文句を言われても困るんですが…」

 

「決して文句は言いません! この呪いが解けるならばどんな事にだって耐えられます!」

 

 悪魔の取引のようにどれだけ法外なものを要求されてもレイナースは構わないと思っていた。

 彼女にとって人生の中でこれが最優先されるべき事なのだ。

 金銀財宝も、名誉さえ、呪いが解けるという事実の前には霞む。

 

「お願いします! お願いします! どうか、どうか…!」

 

 泣きながらモモンガの足元へと縋るレイナース。

 その姿を見てモモンガも気持ちが固まった。

 目の前の女性の事は知らないし事情も分からないがここまで呪いを解きたいというならば叶えてもいいだろう。

 モモンガにとっては造作も無い事だ。

 唯一モモンガができる解呪方法。

 

「分かりました、では目を瞑っていて下さい」

 

 モモンガの言葉にレイナースが目を閉じる。

 そしてモモンガは魔法を唱える。

 格下では絶対不可避の即死魔法を。

 

「《デス/死》」

 

 死とは状態異常の最上位である。

 毒も麻痺も混乱も睡眠も何もかも。

 死によって上書きされる。

 中には強力で死後、蘇生されても引き継ぐものもあるがそれは例外的なものであり、普通は死亡した段階で状態異常は全て上書きされるのだ。

 つまりは蘇生後にはほとんどの状態異常は消え去っている。

 とはいえ呪いは少し特殊で、魂と結びついてしまうと状態異常とカウントされず死後もずっと引き継いでしまうというものも存在する。

 レイナースにかかっている呪いがどれだったのかはもう分からない。

 なぜならモモンガの即死魔法は高位に位置するもので非常に強力なのだ。

 その肉体に結びついているものですら殺す。

 呪いでさえ例外ではない。

 位階において格下の呪いなど、死の魔法で上書きし無に帰せる。

 ただユグドラシルと同じようにこちらの世界でも死亡してしまえば復活できたとしてもデスペナルティがあるらしい。その辺りの細かい事情はデイバーノックから聞いていた。

 その痛みを誰よりも理解しているモモンガからすれば苦肉の策といったところだ。

 どうしてもと請われたから実行しただけであり本来ならば気持ち的にはやりたくなかった。だがここまで求められればしょうがない。デスペナルティは自己責任として受け入れて貰うしかない。

 後は蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)で蘇生すれば完了だ。

 このアイテムに関しては多くの数を持っているので使っても惜しくないと判断したのだ。実際にこの目でデスペナルティを確かめてみたいという欲求もあった。

 そして蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を使用しようとした刹那――

 

「貴様ぁーーっ!」

 

 唐突に叫び声が聞こえ、一つの影がモモンガへと襲いかかった。

 

 

 

 

 イビルアイは憤慨していた。

 僅かでも目の前のアンデッドに気を許しそうになっていた自分に。

 王都をあれだけの惨状に陥れたこのアンデッドが人を救うなどあり得ぬ事だったのだ。

 

「《クリスタルランス/水晶騎士槍》!」

 

 魔法を勢いよく放つイビルアイ。

 

「わっ、ちょ!」

 

 慌てながらも咄嗟に魔法で防御するモモンガ。

 

「クソ、やはり通じないか…」

 

「あ、貴方は王国で出会った冒険者…!?」

 

「久しぶりだ、あの時は世話になったな…!」

 

 困惑するモモンガを他所にイビルアイは距離を詰めていく。

 

「ちょ、ちょっと何なんですか! またですか! 俺が何をしたって言うんですか!」

 

「しらばっくれる気か貴様! 王国であれだけの被害を出しておいて…!」

 

「王国? ま、待って下さい! あれは…! 話せば分かりますって!」

 

「くどいっ!」

 

 言葉を並べながら距離を取るモモンガに対してイビルアイは容赦無しとばかりに距離を詰める。

 

「お前はどうしてそんな簡単に人を傷付ける事が出来るんだ! その女性がお前に何をした!? どうしてそんな簡単に命を奪う事が出来る!?」

 

「だから誤解ですって!」

 

「何が誤解なものか! 私はこの目で確かに見たぞ!」

 

 《フライ/飛行》で一気に上空へと退避したモモンガを追うようにイビルアイが《フライ/飛行》を放ち、続けて魔法を唱える。

 

「《リヴァース・グラビティ/重力反転》!」

 

 自身の重力を反転し、《フライ/飛行》を使ったまま上空へと落ちるように飛翔する。

 

「おわっ!」

 

 そして一気にモモンガまで距離を詰めると再び魔法を詠唱する。

 

「《シャード・バックショット/結晶散弾》!」

 

 細かい水晶の粒が爆発したようにモモンガを襲う。

 並みの者であれば肉体が削られ無事では済まないだろう。

 だがモモンガの魔法防御を突破する程ではない。

 

「うわ、ビックリしたなもう!」

 

「化け物め…!」

 

 イビルアイが唇を噛む。

 感情に任せて攻撃を仕掛けてしまったがやはり間違いだったかと考える。

 イビルアイの魔法は全く通じない。

 やはり魔法では勝負になどならない。

 

「ならばっ!」

 

 今度は《リヴァース・グラビティ/重力反転》をモモンガのいる方向へと発動し、突進する推進力へと変える。

 《フライ/飛行》も全力で発動し、その勢いの全てを拳にかける。

 この一撃を喰らえば純戦士であるガガーランさえ倒れるだろう。

 それだけの一撃。

 吸血鬼の力にものを言わせたマジ殴りだ。

 

「うぉぉおおおお!!!」

 

「そこまでです」

 

 下からイビルアイの斜線上に大量の火球が飛んで来る。

 炎に耐性のあるイビルアイだがこの中に突っ込めば多少のダメージを受けるし、拳の狙いも逸れるだろう。

 故に止まるしかなかった。

 

「だ、誰だっ…!」

 

 下を見ると死の騎士(デスナイト)達に紛れ仮面を付けたローブの男がいた。

 

「話も聞かずに暴れるなど…、真っ当な冒険者のする事ではありませんね」

 

「ぐっ…!」

 

 図星、というのもあるがイビルアイが動揺したのはもう一つある。

 先ほど放たれたのは恐らく《ファイヤーボール/火球》。

 それを一度にあれほどの数、しかも込められた魔力もかなりのものだった。

 純粋に魔法詠唱者(マジックキャスター)の腕だけで考えればイビルアイと互角、いやそれ以上かもしれない。

 そんな化け物が目の前のアンデッドの他にまだいた事にイビルアイは驚きを隠せなかったのだ。

 

(マズイぞ…、死の騎士(デスナイト)だけでなくこれだけの魔法詠唱者(マジックキャスター)が他にもいるのか! 死の騎士(デスナイト)だけなら空中戦に持ち込めば無視して奴と一対一で戦えると思ったがコイツがいてはそれも不可能…!)

 

 自分の目論見が簡単に破れた事を悟るイビルアイ。

 こうなれば万に一つの可能性もないだろう。

 だからイビルアイは覚悟を決める。

 玉砕覚悟でどちらか片方だけでも道連れにするのだと。

 しかし。

 

「デイバーノックさん逃げますよ!」

 

「あぁっ、モモンガさんお待ち下さいっ!」

 

 急に例のアンデッドが逃走を始めた。

 一瞬何が起きたのか分からずイビルアイはフリーズした。

 だがすぐに思考が戻る。

 

「デ、デイバーノックだとっ!?」

 

 この隙をチャンスと見て逃走するべきだったとイビルアイは思う。

 だがそんな事が出来る筈が無い。

 デイバーノック。

 それは王国で暗躍していた最悪の犯罪組織である八本指に所属する六腕の一人。

 八本指関係者は全て死ぬか捕まったと聞いていたがここに生き残りがいた。

 アンデッドである奴だけは消息が不明だったが、滅び身体もろとも消え去っていたのだと考えられていた。

 だが違った。奴はここにいて例のアンデッドと手を組んでいたのだ。

 

(デイバーノック…! まだ生きていたとは…! しかしあのアンデッドとはどんな関係なのだ…! ま、まさか奴がデイバーノックを操って八本指に潜入させていた…!? そして用済みとなった八本指を始末した…。そう考えれば辻褄が合う…!)

 

 そもそもアンデッドを生き残りと言っていいのかという疑問はおいておくとして、王国での事件をそう考える事でイビルアイの中で不完全ながらも線が繋がっていく。

 

(やはり私の見立てに狂いはなかった…! 間違いなく奴は悪…! その狙いこそ分からないものの、ここで見逃す訳にはいかん…!)

 

 少なくともここで向こうが逃走を開始するという事は何か都合の悪い事があるのだと判断する。

 危険な賭けではあるが、まともに戦えば勝率など皆無なのだ。

 もし弱みの一つでも握れるならば万々歳だとイビルアイは考える。

 

「モ、モモンガさんなぜ逃げるのですか!?」

 

「この人の蘇生もまだだし、あの人は何か勘違いしてるだけですよ! 無理に戦う必要は無いですって!」

 

「し、しかし…! いえ、分かりましたモモンガさんがそうおっしゃるのならば…」

 

 死の騎士(デスナイト)も引き連れ逃げるモモンガ。

 デイバーノックからの話も含め、蒼の薔薇の情報は耳に入っていた。

 多くの人々から支持される有名な冒険者チームなのだとか。

 モモンガとしてはそんな真っ当な彼女達と敵対したくないという気持ちがあった。王都でもいきなり攻撃を仕掛けられ困っていたが彼女達は自分と誰かを勘違いしていた様子もある。

 悪意を持って傷つけられたのならばともかく、正しい事をしようとしていたらしい彼女達の間違いに怒る気にはなれなかった。

 まぁ本音を言うと仲間の忍者が強いかもしれないので怖いというのもあるのだが。

 なにはともあれモモンガはイビルアイと敵対したくなかったのだ。

 故に逃走。

 ただ、デイバーノックと二人ならば簡単にイビルアイを撒けただろうが数体の死の騎士(デスナイト)を引き連れてはそれも叶わない。

 単純に目立ちすぎるのだ。

 しかも片手はレイナースの遺体を担いで塞がっている。

 

「待て貴様等ぁっ! 絶対に逃がさん!」

 

 イビルアイが叫びながら魔法を連発する。

 いくつもの結晶の塊が家や地面に突き刺さっていく。

 

「どうしますかモモンガさん。このままじゃ逃げ切れなそうですし、彼女もあれでは話は通じそうにないですよ」

 

「うーん、困りましたね…」

 

 逃げながら追ってくるイビルアイの様子を見るモモンガとデイバーノック。

 二人は上手く建物の影に身を隠せても死の騎士(デスナイト)の巨体のせいですぐに見つかってしまう。

 これは死の騎士(デスナイト)と別行動を取った方がいいかなとモモンガが考えていると、上空を飛んでいるイビルアイに突如どこからか魔法が飛んできて直撃した。

 

「がはっ…!」

 

 そのまま力なくイビルアイがひょろひょろと地面へと墜落していく。

 モモンガは見た。

 魔法が飛んできたその先にいた謎の集団を。

 

 

 

 

 帝都の郊外で盟主及び高弟達の遺体を発見した後、隊長へ決断を下した。

 幸いここには漆黒聖典の主力の多くが揃っている。

 戦うならば今を置いて他に無いと判断したのだ。

 

「これから帝都へと潜入。例のアンデッドらしき存在を捕捉し次第、交戦する」

 

 この場にいた漆黒の誰もが驚きの表情を浮かべた。

 ハッキリ言って敵は規格外。

 ここで撤退したとしても上層部は文句を言わないだろう。

 

「皆の気持ちは分かる…。だが今はカイレもおりケイ・セケ・コゥクもある。どちらにせよ破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配化に置くという計画だったのだ。当初の予定通り動くだけだ」

 

 隊長の言葉に皆が意を決したように頷く。

 そして漆黒聖典が帝都内部へと侵入する。

 幸い人々の多くはすでに避難しており無用にその姿を晒す必要は無さそうだった。

 そして魔力を辿り、例のアンデッドの元へと向かう。

 やがて魔力の出どころである墓地周辺まで進行した時にそれは起きた。

 叫び声と共に魔法が発動されるのを感じ取ったのだ。

 

「た、隊長! こ、これは…!」

 

「うむ! 皆行くぞ! 例のアンデッドの可能性が高い! 気を引き締めろ!」

 

 そして建物の屋根の上を走りながら追っていく。

 すると視界の先に都市の中を走る複数の死の騎士(デスナイト)、そして後方にはそれを扇動するように周囲へと魔法を放っている魔法詠唱者(マジックキャスター)の姿が見えた。

 

「あ、あれは…?」

 

「あれが例のアンデッドか!」

 

「確かに強そうではあるが…、人っぽいぞ」

 

「だがこれだけの魔法詠唱者(マジックキャスター)が他にいるか?」

 

「でもまぁそこまで絶望的って程じゃないな」

 

 その魔法詠唱者(マジックキャスター)を見て漆黒聖典の面々に余裕が戻る。

 もっと規格外の化け物を想像していた彼等は安堵の息を吐きそうになる。

 

「油断するな! あれだけの死の騎士(デスナイト)を使役しているのだ! 何か奥の手があるのかもしれん!」

 

 隊長は思う。

 あの魔法詠唱者(マジックキャスター)は確かに強い。

 自分以外の漆黒聖典では勝てないだろう。

 だが自分ならば勝てる。

 盟主達を倒した事を考えれば間違いなく奥の手がある。とすればアイテムか何かかもしれない。

 それにいざとなればこちらにはケイ・セケ・コゥクがあるのだ。

 負けはない、そう考える。

 幸か不幸か、この時漆黒聖典側からは建物の影に隠れ逃げ惑うモモンガとデイバーノックの姿は視界に入らなかった。

 故にイビルアイこそがその元凶だと早合点してしまった。

 これはイビルアイが強大な力を持っていたのも原因の一つであろう。

 傍から見れば死の騎士(デスナイト)を扇動し、魔法で街を荒らしているように見えるのもよくなかった。

 

「今だ! 魔法を放て! その間に我々が距離を詰める!」

 

 "神聖呪歌"にそう命令し、隊長は"巨盾万壁"、"神領縛鎖"、"人間最強"、“天上天下”を引き連れ一気に接近する。

 "一人師団"はカイレの護衛をしつつ共に彼等の後を追う。

 

 そして"神聖呪歌"の魔法がその魔法詠唱者(マジックキャスター)、イビルアイの身体を貫いた。

 

 

 

 

 帝都の遥か頭上。

 気配を消し闇夜に紛れそれはいた。

 高弟達を殺し、自分の死さえ偽装した男。

 ズーラーノーン。

 彼は見ていた。

 墓地の一角で例のアンデッドが即死魔法を一人の女性に使う所、そしてそれを見た謎の魔法詠唱者(マジックキャスター)が激昂し攻撃を仕掛けている所を。

 

「あっはっはっは! 面白い! 例のアンデッドをやっと肉眼で見つけたと思ったら変な事になってるな! このまま漆黒聖典とぶつかると思っていたが不思議な闖入者もいたものだ」

 

 愉快そうに、まるで盤上を眺めるように優雅にズーラーノーンは帝都を見下ろす。

 

「ふむ、ようやく漆黒聖典も来たか。しかし、やはりな…」

 

 ズーラーノーンが一人の老婆の姿を見て溜息を吐く。

 

「傾城傾国…。面倒な物を持って来やがって…。まぁいいさ、いざとなれば使われる前に殺すだけだ」

 

 ニヤリと笑うズーラーノーン。

 一歩間違えば自分が支配されると知っていながらもその余裕は崩れない。

 

「さてさて、あいつが傾城傾国にどう対処するのか見物だな…。プレイヤーならあれの恐ろしさを十分に理解している筈…。もしそうでないならそれはそれで構わない」

 

 心底楽しそうに、ズーラーノーンは歪んだ笑みを浮かべる。

 上手くいけば計画を大幅に前倒しに出来るだろう。

 

「漆黒聖典…、せいぜい派手に踊ってくれよ…?」

 

 

 

 

「がはっ…!」

 

 突如、後方から飛来した尖った岩の塊に体を貫かれるイビルアイ。

 全ての注意を前方のモモンガとデイバーノックに向けていた為、対応できなかった。

 そのまま力なく、地面へと墜落する。

 だが行動不能な程に深刻なダメージではない。

 吸血鬼たるイビルアイならば腹に風穴が開いても死にはしないのだ。

 

「ぐっ…!」

 

 すぐに立ち上がろうとしたイビルアイだが気付くと目の前には複数の男達が立ちふさがっていた。

 

「あの傷ですぐに立てるとは…! 一見するとただの人に見えますが…」

 

 そう言って先頭に立つ男、漆黒聖典の隊長は手に持った槍でイビルアイの仮面をはじいた。

 仮面が飛び、イビルアイの素顔が露わになる。

 

「しまっ…!」

 

 イビルアイが反射的に顔を押さえるがもう遅い。

 

「白い肌に真紅の瞳…! 口からわずかに覗かせる尖った牙…! ま、間違いありません! 吸血鬼です!」

 

 それを見た漆黒聖典の一人が叫ぶ。

 その声に合わせ、他の隊員達も一様に武器を構える。

 

「なるほど…、アンデッドと聞いていましたが吸血鬼だとは思っていませんでした…。どうやって気配を誤魔化しているかは知りませんが人類の敵はここで排除しなければいけません」

 

「ま、待て! わ、私は…!」

 

 続きを言おうとしてイビルアイは口ごもる。

 ここで正体が露見した自分が蒼の薔薇の一員だと口にすれば仲間達に迷惑がかかるだろう。

 その装備と気配からイビルアイには彼等の正体の予想がついた。

 

(法国か…! ま、まずいぞ…、ここで奴等と遭遇するとは…! しかし、そうか…。法国も例のアンデッドの為に秘密裏に動いていたのか…! なんてことだ…、こんな所で、しかも奴等に顔を見られるとは…)

 

 イビルアイは吸血鬼であるが、人としての心を持つ。

 アンデッドは生者を憎むというのがこの世界において不変と思われているがそうではない。彼女のような例外もいる。

 だが誰もそんな事は信じないだろう。

 だからこそ正体を隠していたのだ。

 イビルアイの正体を知りつつ彼女を信用しているのはかつての十三英雄の仲間と、その十三英雄の一人であるリグリットから紹介された蒼の薔薇だけなのだ。

 ローブル聖王国とスレイン法国。

 この二国は相手として最悪だ。それぞれアンデッドの敵視と人類至上主義を掲げており、イビルアイの正体が知れ渡ったら大変な事になると踏んでいた。

 そしてそれは現実となったのだ。

 

「わ、私は人間の敵じゃない…! 誰にも危害を加える気などない…!」

 

「その言葉を信用できると思いますか?」

 

 そう、アンデッドの言葉など信用出来ないのが当たり前なのだ。

 だからイビルアイ自身もモモンガの言葉を信用しなかった。

 目の前の男も同様だろう。

 隊長がイビルアイへと歩み寄る。

 一歩近付く毎にイビルアイの生存本能が刺激され、足の先まで怖気が走る。

 250年以上生きてきて様々な強者を目にしてきた。

 その中でもこの男はかなりの強者に属するオーラを放っている。

 これより強い存在は真なる竜王以外にはいないだろう。それほどの相手。

 後ろにいる他の者達はそうではないが、この男だけは伝説と呼ばれたイビルアイをもってして相手にならないと断言できる。

 

「人類の為、ここで死んで貰いましょう」

 

 言い終わると同時に隊長が踏み込み、イビルアイの身体へと槍を突き立てる。

 が、咄嗟に体を捻り回避するイビルアイ。全身全霊を掛けたその回避は成功し、マントだけが槍に貫かれ体から剥がれる。

 

「こ、ここでやられる訳にはっ…!」

 

 だがその攻撃は囮だった。

 逃れた先には筋骨隆々の大男が大斧を構え待ち構えていた。

 そしてイビルアイ目掛けてその大斧を振りかぶる。

 

「フンッ!」

 

 咄嗟に両腕で防御するイビルアイだが、両腕からミシミシと嫌な音が響く。

 勢いを殺せる筈もなくそのまま力任せに吹き飛ばされる。

 

「ぐっ!」

 

 空中を吹き飛ぶイビルアイに重なるように影が動く。

 顔を動かし後ろを見るとそこには防具を着ていながらも身軽そうな男がそこにいた。

 その男は空中で体を回し、カカト落としをイビルアイに叩きこむ。

 今度はその勢いで垂直に地面へと落下させられる。

 地面の石畳を砕き、土煙を上げながら起き上がったイビルアイの前には大盾を持った男が立ちはだかっていた。

 その男が起き上がったイビルアイを大盾で押さえつける。

 

「今だ!」

 

 その男がそう叫ぶと後方から魔法が飛んで来る。

 最初にイビルアイの身体を貫いた鋭い岩の塊だ。

 それが何本も飛来し、イビルアイの四肢を貫く。

 

「あがぁっっ!!」

 

 そして次の瞬間、崩れ落ちるイビルアイをそうさせぬとばかりにジャラリと鎖が現れ体を拘束する。

 連続して受けたダメージとその鎖の拘束によって身動きが取れなくなるイビルアイ。

 恐ろしい程のコンビネーションだった。

 攻撃を仕掛けた者達はいずれも単体で勝負すればイビルアイの敵では無い。

 そもそも最初に不意打ちで魔法を受けたという事もあるが、格上であるイビルアイをこうまで一方的に完封できるものかと驚愕せざるを得ない。

 

「使役しているアンデッドを呼ぶ前に始末するとしよう」

 

 何の事を言っているのかイビルアイには分からぬがもう逃げられない。

 ここでイビルアイは無名の吸血鬼としてその屍を晒す事になるだろう。

 

(すまん…。ラキュース、ガガーラン、ティア、ティナ…。私はここまでのようだ…。例のアンデッドを屠るどころか、正体が露見し人類の敵として断罪される事になるとは…。やはり一人で何かを成し遂げよう等と考えた私が愚かだったのだな…。もし、お前達がいれば…、一人ならばこうはならなかったのだろうか…)

 

 仲間の事を思い出し懺悔するイビルアイ。

 

(とはいえやはりお前達をこんな危険な目に遭わせる訳にはいかないからな…。この行動を後悔してはいない…。だが、こんな私を仲間だと言ってくれてありがとう…、そしてすまなかった…)

 

 自分のせいで仲間に迷惑がかからぬようにと、ただ祈りながら。

 

(リグリット、ツアー…)

 

 死を受け入れ、最後に古き友の名を呼ぶ。

 

(後は、任せた…)

 

 槍を持つ隊長がイビルアイへと近寄り、トドメを刺そうとしたその瞬間――

 

 何かがけたたましい音を立て、二人の間に落ちた。

 その衝撃で激しく土埃が舞い上がる。

 そこにいたのは着地の衝撃で身を屈めるようにしていた魔法詠唱者(マジックキャスター)

 隊長から突き出された槍は手に持っていた杖で軌道を逸らしている。

 漆黒の艶やかなローブは月光の光を飲み込み、魔性とも言うべき美しさに彩られていた。

 顔には、泣いているような怒っているような表情が派手に彫り込まれた不思議な仮面。相反する感情を一つにしたような矛盾を孕んでいるそれは、まるでアンデッドでありながら人としての側面を持つ主の心を反映したかのように。

 それは王都を滅ぼしたアンデッド。

 イビルアイが絶対悪と断じ、命を狙っていた者だ。

 

「あ…」

 

 なぜあのアンデッドが間に入ってきたのかイビルアイには理解できないし想像もできない。

 あのアンデッドからすれば法国とは敵対したくない筈だ。

 ここはイビルアイを囮にすれば逃げ切れたのに、そう考える。

 

「な、なんで私を…」

 

 敵対した自分を助けるように割って入ったアンデッドの目的がまるで見えない。

 再びイビルアイの頭は混乱の渦に巻き込まれる。

 だがなぜだろうか。

 あれだけ憎いと、敵だと思っていた相手なのに。

 隊長の前にイビルアイを庇うように立ちはだかった瞬間、イビルアイは大きな城壁が自分の前に生まれたような気分になった。

 心の底から安堵と安心感が沸き上がってくる。

 先ほど感じた恐怖など嘘のように消え去っていた。

 それと同時に、ふと思う。

 自分よりも強い男に身を挺して庇われたのは初めてかもしれない、と。

 

 隊長も突然の事に驚いているのか、目を見開き息を凝らしている。

 

「感心しないな…」

 

 夜空を切り裂くように、仮面の下から冷ややかな声が聞こえた。

 

「こんな小さな子供を相手に大人が寄ってたかって…、恥ずかしくないのか!?」

 

 誰もが唖然とする間抜けな言葉が周囲に響く。

 だがそれを笑い飛ばせる者など誰もいない。

 その声に合わせ、同様のマスクを被った魔法詠唱者(マジックキャスター)がもう一人現れる。

 さらにその後ろには戻ってきたであろう複数体の死の騎士(デスナイト)の姿があったからだ。

 

「た、隊長…、こ、これは…!」

 

 漆黒聖典の1人が後ずさりながら声を上げる。

 

「ああ、間違いない…! こいつが例のアンデッドだ!」

 

 それに答えた隊長の声を聞き、漆黒聖典達が改めて構えなおす。

 疑問の余地無く誰もが直感的にその言葉が正しいと悟った。

 なぜならその魔法詠唱者(マジックキャスター)はあまりに異質だった。

 気配、というだけなら強者たる貫禄を確かに持っている。

 だが妙なのだ。

 この魔法詠唱者(マジックキャスター)からは一切の魔力を感じない。

 もし魔力を感知する生まれつきの異能(タレント)を扱える者がいればより正確にどの位階まで扱えるなどの情報が入手できるだろう。そうでなくても魔法等でおおよその魔力量を計れたりする。

 それにそういった手段でなくとも歴戦の強者達は肌でその強さを僅かだが感じる事が出来る。戦士であっても数々の経験を得たものならば空気の揺れや密度から感覚的に推測できたりするのだ。

 それは当然生まれつきの異能(タレント)や魔法のように正確なものではないし、かなり大雑把な物なのだがそれでも漆黒聖典ならば相手の強さの各程度は見抜くことが出来る。

 だからこそ誰もが困惑したのだ。

 その存在感に反して、この魔法詠唱者(マジックキャスター)からは何も感じなかったのだから。

 風は爽やかで、淀みは無い。

 身を押しつぶすような圧力さえ感じない。

 だが死者特有とも言うべき、禍々しき気配だけは確かに存在する。

 そのアンバランスさが奇妙で、恐ろしい。

 間違いなく、その力を隠しているのだと誰もが疑わない。

 

 しかもその魔法詠唱者(マジックキャスター)が使役するアンデッド達を含めるとその数はこの場にいる漆黒聖典とほぼ同数。

 

「デ、死の騎士(デスナイト)…! にわかには信じられなかったが本当に本物なのか…! そ、それだけでなくこれだけ強大な吸血鬼すら従わせる主となれば…!」

 

「なるほど…、まさに破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)というわけか…」

 

 漆黒聖典の誰もが納得せざるを得ない。

 それだけ妙な説得力を目の前の魔法詠唱者(マジックキャスター)は放っていた。

 

「これの相手は私がやる…! お前達はもう一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)死の騎士(デスナイト)達をやれ!」

 

「おう!」

 

「了解!」

 

 そうしてここにいる全ての者が臨戦態勢へと入った。

 

 遥か上空ではそれを楽しそうに眺めている男がいる。

 

 誰もそれに気づかぬまま、戦いの火蓋が切られた。

 

 

 




隊長「いけるぞ、やれー!」
隊員達「うぉー!」ボコボコ
イビルアイ「ぎゃああ」
モモンガ「虐待反対!」
レイナース「まさかの放置プレイ」

更新が一か月過ぎてしまいました…、遅れてしまって申し訳ないです。
展開的にも次はあまり待たせないようにしたいと思っています。
少なくとも一か月以内には!
が、頑張ります…


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新たな旅立ち

前回のあらすじ

集団にボコられているイビルアイの助けに入るモモンガ!
そしてテンパる漆黒聖典達!


「がはっ…!」

 

 それは唐突に訪れた。

 意識の外から飛来したその魔法にイビルアイは反応出来なかったのだ。

 普段ならば反応できただろう。

 だが今はその意識の全てを前方に向けていた為、後方からの魔法に気付けなかった。

 結果、《フライ/飛行》で飛んでいたイビルアイは墜落し地面に叩きつけられた。

 その衝撃で一時的に思考が真っ白になる。

 何が起きたのか。

 そもそも自分は何をしようとしていたのかと。

 夜の帝都。

 一人の女性をモモンガが高位の魔法で殺す瞬間を目撃してしまったイビルアイ。

 彼女の倫理が、道徳が、正義感がそれを許しはしなかった。

 帝都を襲った奇妙な違和感から、もしかするとモモンガが悪人でないのではないかと考えたがそれはただの幻想でまやかしだった。

 相手は憎むべきアンデッド。

 だからモモンガを打ち倒すべくイビルアイはその背を追ったのだ。

 しかし彼女を襲ったのは第三者による後方からの攻撃。

 墜落後、すぐに立ち上がるイビルアイだがその前に複数の者達が立ちふさがった。

 直接は会った事がないものの、その容姿や装備のいくつかは友人から聞いた事があった。

 

(ほ、法国――!? な、なぜ奴らがここに…! いやそれどころではない! ま、まずいぞ、このままでは…)

 

 イビルアイのその不安はすぐに現実のものとなった。

 一人の男が槍でイビルアイの仮面をはじき飛ばし、その正体を暴く。

 アンデッド。

 吸血鬼たるイビルアイの素顔を前に彼等は武器を握りしめる。

 なぜならそれは人類至上主義を掲げる法国にとって相容れぬものであったからだ。

 そして、幾つもの凶刃がイビルアイを襲った。

 

 

 

 

 イビルアイが墜落した直後、それを目撃していたデイバーノックはすぐにモモンガへと声をかけた。

 

「モ、モモンガさん! 何が起きたか分かりませんが今の内に逃げましょう!」

 

「え、ええ!」

 

 同じく遠目に見ていたモモンガも正直な話、これ幸いと逃げようとした。だが。

 

「な、なにをやっているんだ奴等は…!」

 

 逃げる前にふと建物の影から覗いたモモンガの目に映ったのは地面に落ちた小さな女の子を大の大人が寄ってたかってボコボコにするという絵面。

 事情を知らないモモンガからすれば彼女はただの強い女の子という認識であり「この世界は実力があれば子供でも冒険者できるんだ、ふーん」という程度の認識だった。つまり深く考えてなかったのだ。

 それに冒険者と名乗る以上、こういう騒ぎも日常の一部なのだろうがそれでもこの世界の人間でないモモンガからすれば気分が悪いと思える状況だったのだ。

 そのボコボコにされている女の子はモモンガに問答無用で攻撃を仕掛けてきたりする気に食わない子供なのだが、デイバーノックから聞いた話によると彼女は冒険者として人々から多大な支持を得ているとの事で結構良い奴らしいのだ。モモンガからすれば全くもって信じられない話だが。

 と、そういう事情は知っているのだが、元の世界の感覚と常識に引っ張られ考えてしまった。

 いくらなんでも小さな女の子を複数の大人でボコボコにするのはマズイだろう、と。

 

「モ、モモンガさん…!? ど、どうなされたのですか…!?」

 

 逃げようとしていた足を止め、反対方向へと進みだすモモンガを驚いた様子でデイバーノックが止める。

 

「ごめんなさい、デイバーノックさん…。あの子は正直言うとムカつくまでありますけど、それでもあんな小さな子が大人たちにボコボコにされてるのは見逃せませんよ…」

 

「し、しかしモモンガさん…! 彼女は冒険者です! 色々なしがらみもあるでしょうし、恨みを買う事もあるでしょう! そこに我々が首を突っ込む必要はありません! それに何より、その…。し、失礼ですが、わ、私の勘違いでなければ相手は…」

 

 何かを言い淀むデイバーノック。

 それを見透かしたようにモモンガが告げる。

 

「分かってますよ、向こうの方が強いんじゃないかって言いたいんでしょう?」

 

 その返事を聞いてデイバーノックが押し黙る。

 そして沈黙のまま、なぜそれでも向かうのかという視線を向ける。

 

「一応勝機が無い事は無いんですよ。レベル、って言って伝わりますかね? まぁなんていうかその、肉体能力及び魔力量だけが戦力の決定的な差ではないって事です」

 

 知り合いの受け売りですけど、とモモンガが続ける。

 

「ただまぁ力の差は結構ありそうなんでデイバーノックさんは逃げて下さい、ここは俺だけで…うわっ!」

 

 いつの間にかモモンガの眼前にデイバーノックが迫っていた。

 

「お、御一人で行かせはしません! しませんとも! 何か勝機があるならば私がいればもっと上がるでしょう! ですから…!」

 

 デイバーノックの言葉にモモンガは心を打たれる。「そうか、デイバーノックさんも女の子がボコボコにされてるのは嫌なんだな」と思って。

 

「ありがとうございます。でも大丈夫です。どうしてもと言うならデイバーノックさんは隙を見てあの子を連れて逃げて下さい。間違っても相手と戦おうとは思わないで欲しいんです」

 

「は、はい。分かりましたが、それでモモンガさんは大丈夫なのでしょうか?」

 

「まぁやってみますよ。別に相手を全滅させるのが目的じゃないですから。それに無視できないアイテムが見えたものでそれの対策をと。対策って程じゃないんですが俺に使わざるを得ない状況に持ち込みます。多分デイバーノックさんが食らったらレジスト出来ないと思うので…」

 

「?? よ、よくわかりませんがわかりました」

 

 モモンガは絶対に無視出来ないアイテムに酷似した存在を目にした。

 ユグドラシル時代、どんな強者だろうと逃げ出すような代物だ。

 モモンガとてそれを見た瞬間すぐにでも逃げ出したくなる衝動に駆られたが、ふとクレマンティーヌの事を思い出したのだ。

 彼女は自分の命が危ないと知ってなお、囚われている子供達を逃がした。もしモモンガがあそこに行かなければ後々に子供を逃がした事が組織とやらにバレ、彼女はその組織の連中に殺されていたかもしれないのに、だ。

 そんな危険な状況にも関わらず幼い子供達を助けた。

 それだけの覚悟を持った彼女を見た直後だからだろうか。

 自分も感化されたのかもしれない。

 身の安全の為だけに逃げ出すよりも、危険な目に遭っている女の子を助けたいという気持ちが僅かに勝ってしまったのだ。

 愚かしい、と思う。

 格上相手に、しかも勝率の高くない勝負を挑もうなどとは。

 それにユグドラシルと違って自分がちゃんと蘇生出来るのかの保証は無い。

 とりあえずこの世界で蘇生の実験をと思っていたがその被験者たる女性は今自分が抱えている。悔しいが今は蘇生する時間はないので後回しにせざるを得ない。

 そもそもこの実験が自分にも同じかどうかの保証すら無いのだが。

 以上のように悩ましい点が多いものの、今は腹をくくるしかない。

 とは言ってもむざむざ死ぬ気はもちろん無い。

 それに勝負して彼等と決着を付けるのが目的ではない。モモンガは相手を倒さなくてもいいのだ。デイバーノックに告げた通り最終目標は敵の殲滅ではない。

 あの女の子を助け、逃げ延びる。

 それがモモンガにとっての勝利条件。

 ならば、勝機は十分にある。

 

「あくまで目的は戦闘の合間に彼女を拾って逃げる事です。回収したら死の騎士(デスナイト)をぶつけ、時間稼ぎして貰ってる間に俺達は逃げます。いいですね?」

 

「はい!」

 

 そうしてモモンガとデイバーノックが話し込んでいる内に、気付けばイビルアイにトドメの一撃が刺されそうになる。

 

「ま、まずい! 行きますよデイバーノックさん!」

 

 モモンガは一気に飛翔し、イビルアイの元へ全力で飛んで行く。

 その後、勢いよく隊長とイビルアイの間へと着地した。

 

(見ていて下さい、たっちさん…! 受けた恩は返します…!)

 

 そして、戦いが始まる。

 

 

 ただ一人、放置されたレイナースが遠くで寂しそうに横たわっているように見えるが多分気のせいだろう。

 

 

 

 

 突如、上空から飛来したモモンガに漆黒聖典の面々は戸惑いを隠せない。

 後方にはもう一体の魔法詠唱者(マジックキャスター)と複数の死の騎士(デスナイト)達。

 不穏な気配と強者の圧力が場を支配し、漆黒聖典全員の動きが止まる。

 だがその中で隊長が即座に声を張り上げた。

 

「これの相手は私がやる…! お前達はもう一人の魔法詠唱者(マジックキャスター)死の騎士(デスナイト)達をやれ!」

 

「「了解!」」

 

 それを合図にして他の漆黒聖典達も動き出す。

 だがモモンガはそれを許さない。

 即座にスキルによる絶望のオーラⅢを発動して足止めする。

 

「うっ…!」

 

「な、なんだ…!?」

 

 漆黒聖典達の動きが途端に鈍る。

 彼等の全身が例えようのない悪寒と恐怖に晒された為だ。

 唯一隊長だけはそれを前に動じずにいる事が出来たが、仲間の状況から自らも攻撃に移る事が出来ない。

 

「やっぱりⅢじゃこんなものか…」

 

 自身のレベルダウンの為、絶望のオーラⅤは発動出来ないモモンガ。

 だがⅢでも十分だと踏んでいた。

 なぜなら、すでにモモンガはこの場にいる者達のおおよその強さを把握していたのだから。

 

 この場に現れる前に物陰から、そして上空に飛び着地するまでの間、すでにいくつかの魔法を発動している。

 《シースルー/看破》で幻術及び、魔法による阻害を警戒。

 このレベルで扱える強化系魔法全般の発動。

 次に《ライフ・エッセンス/生命の精髄》と《マナ・エッセンス/魔力の精髄》で相手のHP、MPの総量及び残量を調べる。問題はこの二つの魔法で調べた際のHPとMPの総量だ。《フォールスデータ ライフ/虚偽情報 生命》等で残量を偽る事は出来るが総量を偽る事は出来ない。どうしても総量を隠したいとするならば、魔法によって探知自体を阻害せねばならない。

 だがそんな阻害など入る事なくモモンガは容易く情報を入手する事が出来た。

 次に考えるべきはそのHPとMPの量からこの者達のおおよそのレベルの計算。そしてその比率、装備から戦士系か魔術師系かを推測する。

 

(やはりレベル的に高いのは一人だけ…。他は35前後と言った所か? しかし杜撰だな…。最もレベルの高いこの者は戦士系だろうが、だからこそ魔法による攻撃を警戒するべきだろう…。アイテム等による対策を何も施していないとは…。しかも装備こそほとんどの者が伝説級(レジェンド)を着こんでいるがどうもちぐはぐな印象を受けるな…)

 

 まるでその者に合わせた装備というより、着れる中で最も防御力の高い物を着ました的な印象だ。

 

(プレイヤーを警戒していたが少なくともこの中にはいなそうだ。ならば彼等の仲間にプレイヤーは? いないとは断言出来ないが、もしプレイヤーがいるならばもう少しまともな采配をする筈だ。何より、魔法詠唱者(マジックキャスター)やレンジャー系に格下の集団を率いらせるならばともかく戦士系だと? 高位の罠や魔法にどう対処するつもりなんだ? そういった事に対処の難しい戦士系に率いらせるとは仲間をみすみす危険に晒すのと同義…。将軍的なクラスによる仲間へのバフがあるならまだしもそういったものも見られない。単純に人がいないのか? 他にチームを率る事が出来る者が存在しない?)

 

 モモンガの頭がフル稼働する。

 ユグドラシルにおいて考えられぬ非常識さに混乱するモモンガ。

 

(《センス・エネミー/敵感知》で他の敵は確認出来ないが、今の俺の魔法ではカンスト級の相手であればそれを認識するのは難しい…。この状況が格上の相手による偽りの情報という可能性は否定できない。しかし、だ…。そもそもそんな強者がいるなら俺のレベルすら見抜いている筈…。駆け引きなどする間も無く、こちらを蹂躙できる…。それなのにしないという事は、いないと考えるしかない…)

 

 モモンガの中で推測が確定事項として固まっていく。

 だが疑念は尽きない。

 

(何より最もおかしいのは、世界級(ワールド)アイテムをこの程度の者が持っているという点だ…。奪われたらどうする…? 発動する前に範囲攻撃を仕掛けられたらそれだけで全滅してしまうじゃないか…。わざとらしい程に怪しすぎる…。まさか偽物…? あれはプレイヤーを釣る為の精巧な偽物であるという可能性…。無くは、無いか…。《オール・アプレイザル・マジックアイテム/道具上位鑑定》が使えれば簡単に見抜けたんだがな…)

 

 今のモモンガは《アプレイザル・マジックアイテム/道具鑑定》までしか使えない。それでは世界級(ワールド)アイテムかどうかの判断は付かないのだ。とはいえ《アプレイザル・マジックアイテム/道具鑑定》で鑑定不可と出れば世界級(ワールド)アイテムの可能性もあるのだが、そこまで考え偽装している可能性もある。どちらにせよ距離が開いたままでは鑑定魔法は届かない。

 きっと蒼の薔薇と遭遇した際もこのくらい冷静であれば王都での事件は違った結末になっていただろうが本人のあずかり知る所ではない。

 

(やはり一度ぶつかるしかないか…)

 

 動けずにいる漆黒聖典達とそれを守るように立ちはだかる隊長。

 相手が動かないのを見てモモンガが手を空へ掲げ魔法を発動する。

 

「《ナパーム/焼夷》」

 

 モモンガがそう口にすると上空に魔法陣が描かれ、そこから漆黒聖典目掛けて無数の謎の塊が落とされた。

 それらは地面に触れると瞬間的に燃え上がり、高熱を発する炎となる。

 

「うわぁぁああっ!」

 

「な、なんだこれはっ!?」

 

 直撃させぬようにモモンガは魔法を放った。

 だがそれでも漆黒聖典達の周りはあっという間に火の海となった。

 舞い散る火の粉が体へと触れる度に爆炎を発生させ、彼等を囲む高温の炎は喉や肌を焼く。炎に囲まれた今、次第に酸素も足りなくなるだろう。

 直撃すればそれだけで隊長以外は全滅だったが、それでなくとも時間経過で全滅に近い状態にまで追い込めてしまう威力。それほどに強力で規格外。

 それを知らぬはモモンガただ一人。

 

(ば、馬鹿なっ…! なんで防御スキルを発動しない!? 仲間が死ぬだろ!? 攻撃スキルによる相殺だって出来た筈だ! 俺よりも上のレベルならばいくらでも対抗手段はあるだろうに! まさか、あれらは仲間じゃないのか…? 使い捨ての駒…、そう言う事か…!)

 

 自身の魔法を防がなかった理由に納得し、隊長を睨むモモンガ。

 隊長もまたモモンガを激しく睨む。

 

「ば、化け物め…!」

 

 隊長は手に持つ槍を握りしめる。

 敵は魔法詠唱者(マジックキャスター)。その魔法は強大でいずれも知らぬものばかり。今の一撃もいつでも仲間を殺せるぞという意思表示に他なるまい。事実、隊長にはどうしようもなかった。だがそれでも接近戦にさえ持ち込めれば隊長は勝てると踏んでいた。

 それは正しい。

 隊長とモモンガのレベル差は大きい。ユグドラシルであれば10以上離れると勝負にならないと言われている。それ以上に両者の差は大きいのだ。

 だがそれはスペックだけの話。

 この世界はユグドラシル程に効率的ではない。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)という存在を考えても個人で第8位階を扱える者など存在しない。それはレベルの高い低い以前に効率的に到達する術を知らないからだろう。法則が違うという根本的な問題もあるかもしれない。

 故にモモンガの扱う魔法を知る者などいないし、対策など出来る筈も無い。モモンガのスペックが隊長を下回るとしても、その魔法は隊長にとって十分に脅威なのだ。

 さらには戦士系のクラスがユグドラシルのようなスキルを有していない事も挙げられる。この世界特有の武技を使えはするものの、ユグドラシルにおけるスキルの方が強力なのは言うまでもない。

 あるいは魔法と同様にそのレベルに相応しいスキルを使用出来ないだけという事も考えられるが。

 

 なにはともあれ、防御手段に乏しい隊長に向かってモモンガは再び魔法を発動させようと手を掲げる。

 

「させるかっ!」

 

 だが今度は様子見などせず、モモンガの元へ一気に駆ける隊長。発動前に止めなければマズいと理解したからだ。仮に間に合わなくとも魔法の直撃と引き換えに一撃を入れる。

 しかしモモンガはそれを読んでいた。

 

「そうするしか、ないでしょうね」

 

 自身へ突っ込んでくる隊長を見てモモンガがボソリと呟く。

 それを無視し隊長は手に持つ槍を全力で突き出す。

 走った勢いも乗せた全身全霊の一撃。

 レベル差を考えればこの一撃でモモンガに十分なダメージを与える事が出来るだろう。

 だがそれは叶わない。

 

「《テレポーテーション/転移》」 

 

 隊長の槍は空を斬る。

 そこにいた筈のモモンガが一瞬にして消えた。

 

「なっ…」

 

 慌てて周囲を見回すもモモンガはどこにもいない。

 そして不意に顔を上げた隊長の目に映ったのは、上空に佇む魔王の姿だ。

 

「ば、馬鹿な…」

 

 隊長が驚くのは無理もない。

 モモンガが先ほどまで着ていた装備は上質ながらも外見だけなら普通のローブと変わらなかったからだ。

 だが今のモモンガは違う。

 《テレポーテーション/転移》で移動すると同時に装備を入れ替えたのだ。

 胸部を露出させた漆黒のローブ。

 両肩には真紅のオーブ、そこから骨のような角が生えていた。

 まさに魔王と形容すべき禍々しき姿。

 全身を神器級(ゴッズ)アイテムで固めたその姿は見る者を圧倒させる。

 あまりの制作難易度の高さに一つも持っていない100レベルプレイヤーも珍しくないと言われる神器級(ゴッズ)アイテム。

 さらには拠点制作に力を入れていたとされるギルド・アインズ・ウール・ゴウンでさえNPCには一つか二つしか持たせられなかったアイテムだ。

 それを全身フル装備。

 廃人であるモモンガだからこそできた極致である。

 

「……」

 

 誰もが息を呑んでいた。

 上空から漂う気配は勿論の事、その装備の荘厳さと上質さに誰もが目を奪われたのだ。

 神の遺産と称される漆黒聖典達の装備ですら届かぬ領域。厳密には法国の深部にいくつか保管されているがここに存在しない以上関係ない。

 今ならば隊長とモモンガの差はレベル程の開きは無いだろう。

 さらにこれは漆黒聖典の面々は知らぬことであるが、モモンガのこの装備はモモンガ用にカスタマイズされた装備であり、その性能を十分に引き出すことが出来る。

 漆黒聖典のように、与えられた装備を身に纏っているのとは意味が違うのだ。

 

「見ているだけか? ならばこちらから行くぞ? おっとその前に」

 

 《ナパーム/焼夷》による炎で漆黒聖典の隊員達が全滅しそうなので指をパチンと鳴らし解除しておく。

 それを見た隊長が反射的に叫ぶ。炎を消したのが敵の余裕からくるものであろうが、罠であっても構わない。一人の老婆が行動可能になった事に意味があるのだ。

 

「――使えっ!」

 

 その言葉を受け、漆黒聖典の隊員達に守られていた老婆が祈るように両手を合わせた。

 それと同時に老婆の体、いや着ているチャイナ服から光り輝く龍が天空へ飛翔する。

 傾城傾国。

 六大神が残した世界級(ワールド)アイテム。

 完全耐性を持つ相手すら洗脳する逸品。

 神器級(ゴッズ)すら超越し、ユグドラシルに存在する全アイテムの中でも頂点に位置するアイテム群。一つ一つがゲームバランスを崩壊させかねないほどの破格の効果を持つ。

 そんな回避不能の絶対攻撃がモモンガへと襲いかかる。

 

 老婆が傾城傾国を発動した瞬間、隊長を含め漆黒聖典の面々の顔にわずかな安堵がもたらされた。

 絶対なる神の力。

 それは何者をも支配する究極の力だからだ。

 これで破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配する。

 当初の予定通り。

 自分達を凌駕する相手であるとしても恐れる事はない。神の力で御すれば良いだけなのだから。

 

 傾城傾国から飛翔した龍は周囲を真っ白に染めながらモモンガの身体へと舞い落ちる。

 そうして神の力によりモモンガ、もとい破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を支配下におけたと誰もが信じて疑わなかった。

 しかし――

 

「驚いたな、本物か…!」

 

 飛来した光の龍はモモンガに触れると同時に弾け飛び、あっけなく霧散した。

 誰もが理解出来なかった。

 現実を受け入れられず、次第に顔からは表情が消え落ちる。

 ただ、傾城傾国の一撃を受けてなお平然とするモモンガの姿を眺めるしかできない。

 しばしの時間を置いてゆっくりと理解が広がっていく。

 絶対と信じていた神の力が届かなったという現実に。

 

「あぁぁぁっ…」

 

「う、嘘だ…、そんな筈ない…」

 

 漆黒聖典達の顔がこの世のものとは思えぬほど蒼白になっていく。

 自分達の切り札が、最強の一撃が通じなかったという事に絶望する。

 訪れるのは恐慌。

 誰もが叫び出しそうな状況の中、それを遮るよう隊長が声を上げた。

 

「落ち着けっ!」

 

 隊長の言葉で皆が我に返る。

 しかし気づくのだ、あの隊長の声でさえ震えているという事に。

 

「た、隊長…!」

 

「よ、予定変更だ…! 俺はここでこいつを抑える…! お前達はすぐにここから離脱しろっ…!」

 

「し、しかし隊長…!」

 

「口答えは許さん! この情報は何としても祖国に持ち帰らねばならない…! 行けっ! すぐにだ!」

 

 決死の表情を浮かべた隊長を見て、漆黒聖典の隊員達が苦しそうな表情を浮かべる。

 しかしすぐに意を決したようにこの場から撤退を始めた。自分達に出来る事など何一つないと理解しているからだ。

 それを見たモモンガは心の中でホッとしていた。

 

(当初の予定ではあの子を連れてこっちが逃げる予定だったけど…、まあ向こうが逃げてくれるんならそれでOKだよな。しかし傾城傾国か…。あれは間違いなく本物だった…。この世界に世界級(ワールド)アイテムまであるとするとマズイな…。いつどこで寝首をかかれるか分からないぞ…。ていうか傾城傾国欲しいなぁ…。この戦士の人さえいなければ奪っちゃうんだけど…)

 

 と考えるモモンガだが隊長がいるため傾城傾国は諦める事にする。

 モモンガと隊長はしばしの間、見つめ合う。少しするとモモンガが疑問を提示した。

 

「あの…、貴方は行かないんですか? 仲間の方達はもう行っちゃいましたけど…」

 

「私はこの命に代えてでもお前を止める…! 仲間達を追わせはしない!」

 

「え…? べ、別に追いませんけど…」

 

「ふん、そう言って後ろから我らを攻撃するつもりなのだろう? そうはいかない」

 

 何やらおかしな空気になったと感じるモモンガ。

 モモンガ的には相手の方が格上なので逃げてくれるなら逃げて欲しいのだがどうもそうはいかないらしい。そもそも追撃など考えてもいない。

 

「しかしこのような事が…。やはりかつてこの地に降臨された神と同等の存在という事か…。だがその神でさえ支配せしめるこの力が届かないとは、まるで始原の魔法(ワイルドマジック)を使う竜王のよう――、っ! そ、そうか…! 竜王に匹敵する力…! そういう意味だったか…! だからこその破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)!」

 

 全てが腑に落ちたという顔をして頷く隊長。

 

「カタス――、何?」

 

「世界を滅ぼさんとする邪悪な存在よ! この命に代えてでも貴様をここから先には行かせない! 私が滅んでも人類の守り手が必ずや貴様を滅ぼしてくれるだろう!」

 

 そう言って隊長は地面を蹴り、建物を駆け、宙に浮かぶモモンガへと迫る。

 隊長は自分ならば勝てるかもしれないと感じていた。

 仲間である漆黒聖典の隊員達がいなければ守る者もいない。十分に戦う事が出来る。

 とはいえ多くの知らない魔法、それも高位の魔法を使う相手。肉体能力だけならば勝機はありそうだがそれは希望的観測だろう。先ほどのように高位の魔法を放たれれば隊長とて後れを取りかねない。

 だからこそ隊長は祖国である法国と番外席次を信じ、この戦いに賭けた。自分が犠牲になっても部下がその情報を祖国に持ち帰れば決して無駄にはならないからだ。

 

「うわ、ちょ――!」

 

 慌てて後方へと飛び退くモモンガ。

 装備の差で力の差は埋まったものの、未だその絶対なるレベルの差を埋めるには至らない。

 この世界において高位の魔法を使えるモモンガだが、それでもこのレベル差を覆すのは少々厳しいと言わざるを得ない。

 隊長を瀕死まで追い込む事は出来るだろう。だがいずれの方法を取ってもモモンガが敗北するのは間違いない。

 それがモモンガの見立てだった。

 

(ま、まずい! この人本気でやる気だ! く、くそ! こうなるなら仲間の人達が逃げるのを放っておくんじゃなかった! 彼等がいれば人質とか出来たのに! ていうか一緒に逃げろよな!)

 

 段々とムカムカしてきたモモンガ。

 しかし現実が変わる訳ではない。

 冷静にどうするべきか考える。

 

(レベル差を考えるとデイバーノックさんに介入して貰うのは避けた方がいい…、一撃でやられる…。となると死の騎士(デスナイト)を使い潰すしかないな…) 

 

「デイバーノックさん! 今すぐその子を連れてこの場を離れて下さい!」

 

 むしろまだ逃げていなかったのかと文句を言いたくなったがモモンガが優勢にしか見えない状況も良くなかったのだろうと反省する。

 

「し、しかしモモンガさん!」

 

「この場にいたら邪魔なんです! 早く!」

 

「――っ! わ、分かりました!」

 

 そうしてデイバーノックがイビルアイの元へと駆け寄る。

 

「さぁお嬢さん逃げましょう!」

 

「ば、馬鹿言え! 私を助けてくれたあの人を置いていける訳ないだろ! それとお前デイバーノックだと!? 六腕の一人の! ここで会ったが百年目!」

 

「あ、乱暴はやめてっ! い、今はそれどころじゃないでしょう!?」

 

 相手の胸倉を強引に掴むイビルアイと必死に説得を試みるデイバーノック。 

 

「あの二人は何してんだよ、もう! って、わっ!」

 

 デイバーノック達の方を見ていたモモンガを隊長の槍が襲う。

 

「余所見とは余裕じゃないか!」

 

 慌てて躱すものの、わずかに体を槍が抉る。

 

(槍、刺突系だったのが幸いしたか…。しかし防具とは裏腹に武器はみすぼらしいな…。もしこの防具を残したのが昔転移したとプレイヤーだとするならば、防具とは違い武器はこの人が装備できる物が無かったという所か? まぁ防具に比べ武器の方が専門的にカスタマイズされる傾向にあるからな、そうだとしても不思議は無い)

 

 モモンガにとって隊長の装備が格落ちなのは幸運だったろう。

 もし隊長の武器及び装備が彼のレベルに相応しいものであったならその一撃は脅威どころの話ではないからだ。

 

「どうしてもやる気だというなら仕方ありませんね…! 《トリプレットマジック/魔法三重化》《コール・サンダー/雷の撃滅》!」

 

 モモンガが唱えると3本の落雷が隊長の身体を貫く。

 

「ぐぅぅうううう!」

 

 隊長は自身の命が大きく削られるのを感じた。

 だがこんなもので彼は止まらない。

 彼はもっと強い攻撃を、一撃で全てを刈り取られるような攻撃を知っている。

 

「はぁっ!」

 

 雷に体を貫かれながらも隊長は空高く飛び上がると槍を振りかぶり、その横っ腹でモモンガを殴打する。

 

「ぐはっ!」

 

 直撃したモモンガは勢いよく地面へと叩き落される。

 その衝撃で仮面が外れ、その素顔が露わになる。

 

(ま、まずい…! 俺の今の魔法じゃダメージは通ってもその動きを止めるには至らないか…! このままダメージ交換を続けてしまえば先に力尽きるのは俺だ…!)

 

 相手が魔法詠唱者(マジックキャスター)ならば多少の力の差があっても戦略と工夫次第で戦える自信があった。

 だが戦士はダメだ。

 単純明快な攻撃手段ゆえ、それを魔法のみで防ぐのは難しいのだ。何よりそのレベルによる単純なスペックの差が戦術の入り込む余地を無くす。

 

「<能力向上>、<能力超向上>!」

 

 僅かな隙を見つけ、この世界特有のスキルとも言うべき武技を発動する隊長。

 これにより隊長の身体能力が大きく向上する。

 見た事のないスキルに戸惑うも、モモンガはそれを魔法で迎撃しようと構える。

 

「《マキシマイズマジック/魔法最強化》《チェイン・ドラゴン――/連鎖する――》」

 

「<流水加速>!」

 

 次の魔法が放たれるより先に、動きが加速した隊長の一撃が地面に倒れた状態のモモンガの腹部へと突き刺さる。

 槍を腹部に刺し地面に縫い付けたまま、隊長はモモンガへと拳や足による無数の攻撃を叩きこむ。

 同時に倒れたモモンガが背にしている石畳が蜘蛛の巣のようにヒビ割れていく。

 

「かっ! く、くそっ!」

 

 手や杖から発動するタイプの魔法は隊長の猛攻の前に発動出来ない。

 故にこの状態からでも発動出来る数少ない魔法を放つ。

 

「《ネガティブバースト/負の爆裂》!」

 

 ズンと大気が震えた。

 光が反転したような、黒い光の波動がモモンガを中心に周辺を飲み込む。

 レベルに応じてその範囲と効果が広がるが、今のように至近距離の相手であれば関係無い。十分に範囲内だ。

 

「ぐぁあぁぁぁ!!!」

 

 隊長の身体を火傷のような、あるいは電気のような形容し難い痛みが走る。

 そしてその黒い光の波動に弾き飛ばされ、近くにあった家の壁へと激しく叩きつけられると口から血が零れた。

 

「がふっ…。な、なんという力…! こ、これ程の魔法を受けたのは…、初めてだ…!」

 

 奇しくも隊長を上回る神人たる番外席次も戦士系。

 故に隊長には強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)との戦闘経験が皆無だった。

 その経験の浅さもモモンガと隊長の力量差を埋める一因だったのだろう。追撃で放たれた次の魔法にも対応できなかった。

 隊長が吹き飛ぶと共に槍を腹から引き抜き、即座に立ち上がるモモンガ。

 

「《マキシマイズマジック/魔法最強化》《エクスプロード/破裂》!」

 

 モモンガのその魔法で隊長の左腕が弾け飛んだ。

 本能的に危険を察知し避けた為、モモンガの狙いである胴体が破裂する事は無かったが代償として左腕を失ってしまった。大きく肉が抉れ肘から先は無い。大量の血が傷口から零れ落ちる。

 

「うぐぅあ…! う、腕が…! こ、こんな魔法があるのか…!」

 

 《エクスプロード/破裂》は強烈な魔法故に発動には少しのタメを要する。レベルが上がればその時間を短縮できるものの、両者のレベル差からすればその動きは隊長が十分に認識できるものだ。

 吹き飛んだ隊長への追撃としては一応成功したがそれでも狙いは外された。さらには一度見せてしまった以上、もう二度とこの魔法は通用しないだろう。

 モモンガは考える。

 この敵の動きを止められる他の魔法はないか、と。

 一言で言えば、難しいと言わざるを得ない。

 局所的な威力だけならば現状のモモンガの中では《エクスプロード/破裂》が最高クラス。

 狙いは外れたとはいえそれでも格上の相手の腕一つを使えなくする威力だ。

 レベル差を考えれば十分すぎる一撃だが、それだけでは盤面は覆せない。

 ここからモモンガが打てる手は、最初と同様に魔法を放つと同時に攻撃を喰らうというダメージ交換のみだ。そして先に力尽きるのはモモンガ。

 

「デ、死の騎士(デスナイト)よ!」

 

 もうなりふり構っていられない。

 後方に待機させていた死の騎士(デスナイト)へと命令を下す。

 命令を受けた死の騎士(デスナイト)達がすぐに動き、隊長の前へと躍り出た。

 この隙にモモンガは逃走を計る。

 死の騎士(デスナイト)を壁にすれば逃げ切るのは可能であろう。

 最終手段としてこの逃走が出来るからこそモモンガはイビルアイの救助に入ったとも言える。腐ってもユグドラシルのPVPにおいて驚異的な勝率を誇るモモンガ。いくら他人に感化されたとはいえ、勝利の目も、追い詰められた時の策も無く飛び出す男ではない。

 しかし――

 

「だ、だから今はそれどころじゃないでしょう!?」

 

「ば、馬鹿言うな! 私に悪を見逃せと言うのか! そんなこと出来るか!」

 

 そこではまだイビルアイとデイバーノックが喧嘩していた。

 

「な、何してるんですか二人ともぉぉ!!」

 

「も、申し訳ありませんモモンガさん! こ、この方が中々言う事を聞いてくれなくて…! イタタタ! や、やめて下さい! 関節技を仕掛けないで下さい! 折れてしまいます!」

 

「う、五月蠅い! 蒼の薔薇のイビルアイの前に出てきたのが運の尽きだと知れ! 善人のような振りをしても私は騙されんぞ!」

 

 この状況にモモンガは頭を抱えた。

 チラリと後ろを振り返る。

 隊長の手によって死の騎士(デスナイト)達は鎧袖一触に滅ぼされていた。

 どんな攻撃を受けてもHPが1だけ残る特性のおかげで一体につき二手必要とさせる為、足止めや壁役として有能な死の騎士(デスナイト)。彼等を使ってこの場から離脱するのが最終手段だったのに。

 逃がすべき目の前の小さな女の子はなぜか逃げていなかった。

 

「もうバカ! 本当バカ! 何してるんですか!」

 

 モモンガの言葉にイビルアイがビクッと体を震わす。

 

「バ、バカってなんだよ…! ひ、酷い…! 酷すぎる! そこまで言う事ないだろ! わ、私はただ正義の為に…!」

 

 少し泣き声になるイビルアイ。

 彼女は自分でもなぜバカと言われただけでこんな悲しい気持ちになるのか理解出来なかった。暴言など今まで数え切れない程浴びてきたのに。

 ただなぜか、目の前のアンデッドにそう言われたのが無性に悲しかったのだ。

 

「っ! 下がって下さい!」

 

 そう逡巡しているイビルアイを急にモモンガが突き飛ばす。

 

「わっ! いくらなんでも手を上げる事ないじゃないか!」

 

 そう非難するイビルアイだが何が起きたのかすぐに理解した。

 目の前では胸部に槍の刺さったモモンガが立っていたからだ。

 

「お、お前まさか…、わ、私を庇って…?」

 

 死の騎士(デスナイト)を全て滅ぼした後、モモンガに向けて投げられた隊長の槍。

 モモンガはその一撃を避けようと思えば避ける事が出来たが斜線上にはイビルアイがいた。彼女を庇うようにモモンガはその攻撃を受けてしまったのだ。

 致命傷に近い一撃。

 モモンガは力なくその場へ膝から崩れ落ちる。

 

「な、なんで私を庇ったんだっ! お、お前なら避けられたんじゃないのかっ!?」

 

「な、なんででしょうね…? でもこんな小さい子を見殺しになんて…、俺には出来ませんよ」

 

「っ!?」

 

 突如イビルアイの背筋を電流のようなものが走り抜け、小さな体を震わせる。

 250年もの間、動いていない心臓が一つ跳ねた気がした。

 小さい子だなどと、どこぞの男に言われたら吹っ飛ばしている所だろう。

 だがそれを言ったのは自分よりも強い男だった。その身が傷つくことを厭わず自分を庇ってくれた初めての男。

 それにアンデッドでもある。

 もしかすると小さい子、というのは本当なのかもしれない。

 自分より永い時を過ごした強大なアンデッド。

 そのような存在であれば自分など子供のように映るのもしれないと。

 

「さ、さぁ早く行って下さい…、少しだけなら…、まだ足止め出来ますから…」

 

 その言葉にイビルアイの心が震えた。

 この状況で他人を思いやる事が出来るその寛大さに胸を打たれたのだ。

 

「わ、私だって…」

 

「?」

 

「私だってお前を見捨てない! 私を見殺しにしなかったお前を見捨てる事なんて出来るか! 今度は私がお前を守ってやる!」

 

 そう言って膝を付くモモンガの前に両手を広げイビルアイが立ち塞がる。迫る隊長からモモンガを守るように。

 一見すると感動的なシーンではあるのだがモモンガ的には迷惑であった。

 

(ちょっと何してるのこの子! 俺は死んでも即復活出来る指輪があるからいいんだよ! 相手の片腕使えなくしてるから復活して全回復すればギリギリで押し勝てそうだし! 実は死の騎士(デスナイト)を囮にしてる間にバレないように地雷の設置もしてるからそこへ誘導しながら戦えば十分に勝機はあるのに! いやまぁ蘇生が出来なかったら終わりだけどさ…)

 

 劣勢であろうとも抜け目の無いモモンガ、自分の死すら計算に入れている。

 死の騎士(デスナイト)を使って逃げ切るのが最終手段であれば、課金アイテムでゴリ押すのは切り札だ。といってもあくまでそれは当初の計算程、隊長が強くなかったからこそ切り札足り得るのだが。

 とはいえそんなモモンガの心の中などイビルアイに分かる筈も無い。

 

「お前だけ置いてなんて行けない…! もし死ぬと言うなら二人一緒に…! ふ、二人一緒!? わ、私は何を言ってるんだ!?」

 

 自分の発言に慌てふためくイビルアイ。

 横にいたデイバーノックが小さな声で「三人ですけど」と呟くが彼女の耳には入らない。

 その様子を隊長が怪訝そうに見つめていた。

 

「アンデッドの癖に人間のような真似をするのですね…、そんなもので私の心が動くとでも?」

 

 隊長からすれば自分を騙しこの場をやり過ごす為の三文芝居にしか見えなかった。

 何より破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を奇跡的に追い詰める事に成功したのだ。なぜ自分の身を犠牲にしてまで仲間を庇ったのかは知らないが、どんな事があってもここでその仲間もろとも滅ぼす。例え自分の命と引き換えだとしても。

 そう心に決め、再び足を進める。

 

「我々人類の為に貴方達はここで滅びて下さい!」

 

 そしてモモンガ達を滅ぼす為にトドメの一撃を繰り出そうとモモンガの目の前へと迫り、その胸に刺さっている槍へと手を伸ばす。

 自分を庇おうと立ちはだかるイビルアイを押しのけ前に出るモモンガ。横ではそんなモモンガを止めようとデイバーノックが手を伸ばしている。だが間に合わない。

 誰よりも早く隊長の手が槍に触れ、モモンガの身体を引き裂こうとしたその刹那。

 モモンガが乱入した時のような奇跡が再び起きた。

 

 何者かによって槍を掴もうとした隊長の手が止められたのだ。

 

 モモンガではない。

 イビルアイでもない。

 デイバーノックですらない。

 隊長を止めたのは土。突如として地面から突き出て腕を貫いた土の塊だ。モモンガやデイバーノックのリアクションが両者の仕業ではないと告げていた。

 気配を感じたのは背後。

 

「な、何者だっ!」

 

 隊長は咄嗟に後ろを振り返る。

 そこにいたのはモモンガとデイバーノックが被っていた仮面と同様の物を身に付けた男。

 泣いているような怒っているような表情が派手に彫り込まれた不思議な仮面。

 ユグドラシルにおいて嫉妬する者達のマスクと呼ばれる物だ。

 

「助けが間に合ったようで良かった」

 

 演じるように心配そうな仕草をする仮面の男。

 それは先ほどまで遥か上空でこの戦いを見守っていたズーラーノーンその人だった。

 

 

 

 

「助けに…、だと…?」

 

 突如現れた仮面の男に隊長が構える。

 仮面の男は隊長が先ほどまで戦っていたモモンガと同等以上の力を感じさせた。

 その台詞、モモンガ達と同様の仮面を付けている事からすぐに仲間だと判断した。

 隊長の中で警鐘が鳴り響く。

 モモンガ一体ですら厳しい戦いだったのだ。

 それと同等の存在が現れればもう隊長に勝機は無い。

 

「あぁ。我が仲間にしてアンデッドたる同胞。それを傷付けたお前は許し難い。ここでお前を滅ぼしてもいいが…、まぁこっちもこれ以上怪我をしたくないからな…。ここは手打ちという事でどうだろう?」

 

 仮面の奥から嘲るような声を上げるズーラーノーン。それと同時に指でパチンと音を立て隊長の腕を突き刺していた土の塊を消した。これは先ほどモモンガが炎を消した動作と同じもの。つまりは最初から全てを見ていたという事に他ならないが誰もそれには気づかない。

 ズーラーノーンの言葉を聞き、隊長は怒りを露わに声を上げる。

 

「ここでお前達を見逃せと…?」

 

「ああ。その方がお互いに得だと思うがね。それに見逃せというよりも、こちらが見逃す。そう言っているつもりだが? 応じないというのならお前の仲間も道連れにしても構わないんだぞ?」

 

「っ!」

 

 ズーラーノーンの脅し文句に反応する隊長。

 ここで応じなければそれを実行すると思わせる説得力が目の前の男にはあった。

 隊長の仲間の一人である老婆は六大神の残した至宝を持っている。何があってもあれだけは奪われる訳にはいかないのだ。それを考えるとここでモメる訳にはいかない。

 

「く…! 次は無いぞ…!」

 

 しばらく逡巡した隊長だが、やがて諦めたようにモモンガの胸から自らの槍を引き抜くとこの場を後にした。意地を張ってこの場に残っても無為に殺されるだけだと理解しているのだ。どちらにせよ選択肢は無い。

 一瞬にして建物の屋根までジャンプし、そのまま屋根の上を駆けていく。

 すぐに隊長の姿は見えなくなり、その気配が消えると共にズーラーノーンがゆっくりとモモンガの元へと歩み寄る。

 

「急に仲間だなどと口にして悪かった。あの場では仲間だと思わせた方が良いと思ってね。俺はズーラーノーン。ただの魔法詠唱者(マジックキャスター)だ」

 

 挨拶と共に仮面を取る。

 中にあったのは死者の証たる骸骨。モモンガ及びデイバーノックと同様のものだ。

 

「ズ、ズーラーノーンだと!? あ、あの秘密結社の!?」

 

 最初に反応したのはイビルアイ。

 

「知っているんですか?」

 

 それに対してモモンガが疑問を口にした。

 

「あ、あぁ…。永きに渡り様々な国で数々の悲劇を起こしてきた邪悪な魔術結社として各国で敵視されている危険な奴等だ…!」

 

 敵意のこもったイビルアイの視線をやれやれといった感じで受け流すズーラーノーン。

 

「全て誤解だ」

 

「ご、誤解だと!?」

 

「ああ。全て法国が俺達を陥れる為にやったことさ。俺達は世界の平和の為に働こうとしてきた。だがアンデッドというだけで迫害され、追いやられた。今回もこの国で法国が事件を起こすという情報を入手して助けに来たんだ。まぁ俺が偵察に出ている間に部下達は先程の者達に殺されてしまったのだがね…」

 

 つらつらと語るズーラーノーンを訝し気に見るイビルアイ。それを諭すようにズーラーノーンが続ける。

 

「急にこんな話をしても信じられないのは分かる。とはいえ今はそれを論じても仕方あるまい?」

 

 肩をすくませそう返答すると次はモモンガへと向き直る。

 

「それよりこの都市の墓地にアンデッドを使役していた男はいなかったか?」

 

「あぁ、いました。あのハゲ頭の事ですか?」

 

「そうだ。彼はあろうことか我ら秘密結社ズーラーノーンを名乗り悪事を働いていたのだ。法国の人間でありながらね。法国はそうやって自分達の悪事を全てズーラーノーンという組織に擦り付けてきた。表では人類の為だなどと口にしているが裏でやっている事は酷いもんだ。弁明出来る機会を持たない俺達はそうして陥れられるだけだったのさ」

 

 悲しそうに頭を振るズーラーノーン。

 それを同情した様子でモモンガが見つめる。

 

「そ、そんな事が…。辛かったでしょう…」

 

「いやいや。それより帝都が無事に済んでホッとしているんだ。やはり罪なき者達が酷い目に遭うのは心苦しいからね。で、その肝心のハゲ頭はどうなったのかな?」

 

 ズーラーノーンの仮面の奥で眼窩の光が揺れる。

 

「あの人なら帝国に突き出しちゃいました。ま、まずかったですか?」

 

「…いや問題ない。国に突き出したならば安心できる。きっとこの国の法によって裁かれるだろうし。それと他の者達は?」

 

「え? 他の人達? もしかして墓地の霊廟で儀式をしていた人たちですか? 彼等なら皆死んじゃいましたけど…」

 

「そうか。それならばいい。彼等とて法国と繋がり帝都を陥れようとした者達。許されるものではないからな。でもその中に金髪の女性がいなかったかな?」

 

「金髪の女性? ああ」

 

 モモンガはクレマンティーヌの事だなと思い至るが、どう言ったものかと悩む。

 彼女からは死んだ事にしてくれと頼まれているのだ。

 とはいえ目の前の男になら言っても大丈夫かなと考えていると先にデイバーノックが答えた。

 

「…殺しました。同情できる点はありましたが助ける必要性を感じなかったので」

 

「それは確かか…?」

 

「ええ、私がこの手で直接殺しましたから。蘇生も出来ない程グチャグチャに。で、私を責めますか?」

 

 それを聞いたズーラーノーンは悲しそうに答える。

 

「いやそんな事はないとも。しかし、そうか…。なんという悲劇…。まぁ彼女も法国の人間。先ほど戦っていた者達の仲間だ。彼女にも色々と事情があったのだろうが…、死んでしまったのなら仕方ない。死ぬだけの理由はある人間だったからな」

 

 そんなズーラーノーンの言葉にモモンガの中で線が繋がる。

 

(そうか、あいつら…。法国の奴等が命令をしてたのか…。やはりクレマンティーヌは利用されていただけ…。なるほど、その死を偽装してまで奴等から逃げたかったという事か…。それに先ほどの話を合わせると色々と腑に落ちる…。法国は帝都を襲おうとしていたが上手くいかなかったから先ほどの連中が様子を見に来たという所だな…。それに運悪く俺達が遭遇してしまったと…)

 

 ズーラーノーンの出まかせを信じるモモンガ。

 この世界の事情に詳しくなく、ましてや命の恩人とも言える者の言葉を疑う事など出来なかったのだ。

 

「お、おい。今の話を信じるのか!? 本当だという証拠などどこにもないぞ!?」

 

 イビルアイがモモンガの肩を掴み揺すりながら問う。

 

「ええ。でも俺達を助けてくれた人がわざわざ嘘を吐くとも思えないですし…。何より俺もアンデッドですから、この世界でどういう扱いを受けるかは知っているつもりです」

 

「うっ! そ、それは…」

 

 モモンガのその言葉に王都での事を思い出すイビルアイ。

 自分もかつてはモモンガを迫害した側なのだ。それを考えるとこれ以上何も言えなかった。

 

「ありがとうございます、ズーラーノーンさん。助けてくれて」

 

「いやいや、同じアンデッドだろう。困った時はお互い様さ」

 

 そうしてモモンガとズーラーノーンは握手をする。

 この空気を前にもはやイビルアイも口を挟む事を諦めた。

 

「名前を聞いても?」

 

「ああ、これは失礼。モモンガといいます」

 

 その名を聞いた瞬間、ズーラーノーンの身体が僅かに揺れた。

 誰も気が付かぬ程、僅かではあるが。

 

「で、他の方は?」

 

「私はイビルアイ」

 

「……デイバーノック」

 

 そうして自己紹介が終わると再びズーラーノーンが口を開く。

 

「俺はこれから法国の連中が本当に帝都から去ったか確認してくる。君達も法国にその存在が知られてしまったのなら早くここを立ち去った方がいい」

 

「ま、待って下さいズーラーノーンさん。彼等を追うんですか? 危険ですよ!」

 

「別に戦いを挑むわけじゃない。彼等がここを去ったかキチンと確認するだけだ。もしかしたら逃げたフリをしているだけかもしれないからな。まぁマズイと思ったらすぐに逃げる。それに一人の方が色々と楽なんだよ」

 

「し、しかし…。いや、分かりました。気を付けて下さい」

 

「ああ、勿論。それと一つお願いがあるんだが…」

 

「はい、何でしょう?」

 

「どうやら貴方達は旅をしている様子。良ければ俺もモモンガさんと共に行かせて貰えないだろうか? 先ほど言った通り気の良い部下達は法国に皆殺しにされてしまったのでね。天涯孤独というやつさ…。これから一人だと思うと…その、ね…」

 

 ズーラーノーンの言葉にモモンガは自分の胸を締め付けられたような痛みを覚えた。

 一人の辛さは知っている。孤独の寂しさにどれだけ悩まされてきたことか。

 だからこそ、ズーラーノーンの気持ちが分かるような気がした。

 

「も、もちろんです、是非!」

 

「おお、本当か。じゃあ夜明けに帝都の南門の外で待ち合わせしよう」

 

「はい!」

 

 そうして嬉しそうに約束を交わすズーラーノーンとモモンガ。

 モモンガも本当ならばズーラーノーンを一人にしないよう自分も付いて行きたかったが、その結果としてデイバーノック達を連れていく事になるかもしれないと思って口にしなかった。

 それに自分にはまだ一仕事残っている。

 置きっぱなしにした死体が一つそのままだったからだ。

 実はさっきまで忘れていたが今しがた思い出したのだ。

 

 

 

 

 優しい感触が全身を撫でる。

 深い水面から引き上げようとする誰かの手。

 思わずレイナースはそれを振り払いそうになる。

 その手の先にあるおぞましい感触に嫌な気配を感じたからだ。

 だがその気配に覚えがある。

 自分が呪いを解いてくれと懇願した強大な魔法詠唱者(マジックキャスター)のものだ。

 それに気づくと慌ててレイナースはその手を取った。

 すると一気に引き上げられ、視界が白く染まった。

 感じたのは異常な疲労感。

 その中でレイナースは重い瞼を必死に開けた。

 そこにいたのは――

 

「気が付いたようですね。ふむ、蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)による蘇生は可能、と」

 

「そ、そせい…? の、のろいは…?」

 

 少し拙い言葉でレイナースが問う。まだ状況を把握できていない。覚えているのは目の前の魔法詠唱者(マジックキャスター)に解呪を懇願していた所までだ。その後、急に意識を失った。

 

「確認しましたが解けてますよ」

 

 そう言われるや否や持っている手鏡を懐から出し自分の顔を見つめるレイナース。

 そこにあったのは染み一つない綺麗な顔だった。

 呪いの痕もなければ、呪いがあったような形跡すらない。

 数年振りに見る穢れの無い綺麗な自分の顔。

 最初は信じられないという感情だった。だが何度も手で触りそれが嘘ではないと理解すると次第に感情がこみ上げてくる。

 呪いを受け、婚約者に捨てられ家からも追放された。それと同時に死んだと思っていた心が、荒み切ったと思っていた心が熱く震えるのを感じた。

 涙が溢れ、嗚咽が止まらない。

 

「あ、ありがと…うござい…ます…! あり…がとう…ございます…!」

 

 何が起きたのか全容はまだ理解出来てはいないが、それでも地に伏しモモンガに対して何度も頭を下げるレイナース。

 当のモモンガはそれを気まずそうに見ていた。

 

「ほ、本当だったんだな…。呪いを解くために…。しかしいやまさかそんな信じられん…」

 

 その様子を見ていたイビルアイは心から驚いていた。

 

「だから説明したじゃないですか。呪いを解く為に一時的に即死魔法を撃っただけですぐに生き返すつもりだったんですよ。それを貴方が急に襲ってくるから…」

 

「い、いやでもあんな所を見たら普通は、な…? いや、いい。私の勘違いだった、すまなかった…」

 

 そう言ってモモンガに深く頭を下げるイビルアイ。

 

「や、やめて下さいよ。分かってもらえればそれでいいですって」

 

「とは言っても非常識すぎるぞ。もっとこう、なんというか他にやりようは無かったのか…」

 

 モモンガとイビルアイがそんなやり取りをしていると不意にデイバーノックが物陰に向かって声を張り上げた。

 

「誰だっ!」

 

 その声に当てられたのか物陰からよたよたと一人の老人が歩み出てきた。

 

「す、素晴らしい…。そ、そんなアイテムが…? ど、どうか私にも見せて下され…」

 

 目の焦点が合わず、足元もおぼつかない老人の登場に妙な空気が辺りを包む。

 しかしそれはレイナースの言葉で霧散した。

 

「パラダインさま? なぜここに?」

 

「な、なぜ? なぜとな!? あれだけ大規模な数多の魔法が発生したのだ! 確認せずにはいられなかろう!」 

 

 先ほどまでのよたよたとした様子は吹き飛び血走った目でレイナースを睨みつけるフールーダ。

 モモンガと隊長の戦いは遠くからでも確認できる程に派手だった。

 その魔法を目撃してフールーダがこの場に現れても何の不思議も無い。

 

「魔法? ああ、モモンガさんが放った魔法の事では?」

 

 デイバーノックの言葉にフールーダが反応し、その視線の先にいるモモンガを見やる。

 

「おおお…! あ、貴方様が使用された魔法なのですか!? わ、私は他者の使用できる位階を見る事が出来る生まれながらの異能(タレント)を持っているのですが貴方様だけは見る事が出来ません…。な、なぜでしょうか? もしや人の身ではその御力を覗き見る事すら出来ないという事なのでしょうか…? あ、貴方様が放ったであろう魔法は私の知らないものでした…。威力や規模から考えても第六位階以下では決してない。つ、つまりはそれ以上という事…! おお、私はついに師に巡り合えたのですね…」

 

 レイナース同様、大量の涙を流しながらモモンガへと近寄るフールーダ。だがその意味は少し違う。

 その様子はまさに狂信者そのもの。不穏な気配を醸していた。

 

「な、何ですか貴方は…。や、やめて下さい近づかないで…」

 

「ああ、どうか私に教えを…。私は貴方様の偉大な魔法の力に魅せられ、その強大な力を一端でも欲するものです。この全てを捧げる代わりに、貴方様の叡智、そして魔法の技を伝授していただければと思います! 何卒、お許しくださいますよう、お願い致します! 何卒、何卒、私を弟子にして下さい!」

 

「い、いやそんな事、急に言われても…」

 

「何でも致します! 何でも致しますから! 舐めろと言われれば足でも舐めます! ほらこのように! どうか! どうかぁぁああ!!!」

 

 そして命令されてもいないのに自らの意思でモモンガの足に縋り付き舌を這わせるフールーダ。

 突然の事に悲鳴を上げるモモンガとそれを止めに入るデイバーノックとイビルアイ。

 

「き、貴様! なんとうらやま…、けしからん事を! モモンガさんのおみ足は貴様のものではない!」

 

「そ、そうだ! これは私の…、いやなんでもない! というかジジイの癖に破廉恥だぞ! すけべだ!」

 

 怒り狂う両者によって無理やり引き剥がされるフールーダ。だがその目はまるで情欲に塗れているように妖しく輝いており、決してモモンガから目を逸らさない。

 モモンガは恐怖のあまり逃げ出す。しかし逃がさぬとばかりにフールーダはぬるりとデイバーノックとイビルアイの手から抜け出しモモンガの後を追う。

 

「ひ、ひぃ! 思ったより早い! レ、レイナースさん! その人知り合いなんでしょう!? お、俺に恩を感じてくれているならその人を止めて下さい! お願いします!」

 

 モモンガの命令が嬉しかったのだろう。レイナースは満面の笑みで答える。

 

「はい! どうかおまかせください!」

 

 呂律の廻っていない口で返事をするもその動きは淀みない。蘇生された直後というのが嘘と思える程あっという間にフールーダの手足を絡め取り、その場に突っ伏させる。

 

「なっ! レイナース離せ離さんか! 師が、師が行ってしまうではないか!」

 

「もうしわけありません、パラダインさま。おんじんのめいれいですので」

 

 蘇生の影響で弱体化しているにも関わらずフールーダを完璧に抑え込むレイナース。弱体化したとはいえ単純な肉体能力ならばまだレイナースの方が上なので仕方の無い事なのだ。

 小さくなるモモンガの背を眺めながらフールーダはただ泣き叫んだ。

 悲しみによるその魂の叫びは一昼夜続いたという。

 

 

 

 

 モモンガと別れたズーラーノーンは漆黒聖典を追って、はいなかった。 

 いたのは帝都アーウィンタールの中心たる皇城の牢屋。

 そこに捕らわれているのはカジットとその弟子達。

 衛兵に見つかる事なく、彼等の前に一つの影が姿を現した。

 

「誰だ…?」

 

 カジットの問いにその影は仮面を外した。

 その下にあったのは骸骨の顔。

 盟主ズーラーノーンのものだ。

 

「め、盟主様っ!? な、なぜここへ!? ま、まさか計画に失敗した我々を…」

 

 カジットのその言葉に弟子たちも絶望に顔を染める。

 計画に失敗した自分達を盟主が断罪しに来たのだと信じて。

 

「いや、そうじゃない」

 

 優しい声で答えるズーラーノーン。

 カジットは知らない。

 こんな声で話す盟主を一度も目にした事が無い。

 

「計画は変更、もう十二高弟は必要無くなった。それどころか今となっては邪魔ともいえる。お前達がいたら私のやった悪事がバレるだろ?」

 

 誰に?そう問おうとしたカジットだがやめた。

 この後に及んで何を問うても意味は無いと悟ったからだ。

 

「ここにいない者達は俺が殺した。アンデッドだった奴は滅びたし、人間だった奴も私に殺された時点で簡単に蘇生に応じる事はないだろう。それとクレマンティーヌも死んだらしい。つまり、残ってるのはお前達だけということだ」

 

 カジットとその弟子達に恐怖が伝播する。

 盟主の言っている事が何一つ理解出来ないからだ。

 

「安心しろ。苦痛は与えない。すぐに終わるさ」

 

「め、盟主様? な、何を…」

 

 そう口にしたカジットだったが何をされるかなど分かり切っている。

 自分はここで盟主に殺される。

 もう自分は母親を生き返す事は出来ないし、二度と会う事もできない。

 その事にただただ絶望し打ちひしがれる。

 

「おかぁ……」

 

 カジットが何かを言い終える前にズーラーノーンは魔法を発動させる。

 それにより、カジットとその弟子達はこの世から消え去った。

 

 

 

 

 謎の足舐めジジイからの逃亡に成功したモモンガ。

 彼はアルシェ達に挨拶をすると同時に帝都を去る事を告げた。

 アルシェには止められたが、法国の存在がある為モモンガに選択の余地は無かった。

 そうして日が昇る事、モモンガとデイバーノックはズーラーノーンと約束していた南門の外へと向かっていた。

 

「帝国も色々と後始末でバタバタしているみたいですね」

 

「そうでしょうね。人的被害こそ無かったものの、昨晩の戦いではかなり街を破壊してしまいましたから…」

 

 正直言ってすぐに帝都を出る決断をしたのには他の理由もある。あのまま残っていた場合、街を壊した犯人だとバレて損害賠償を請求されるのが怖かったというのもある。

 なにはともあれ二人並んで歩くモモンガとデイバーノック。だがイビルアイの姿は無い。

 それはアルシェとの別れを告げ、南門に向かおうとした途中。

 

『わ、私はまだ完全にお前の事を、し、信用した訳じゃないからなっ! そ、それに私には冒険者としての役目があるんだっ! お、お前と旅なんて出来る筈ないだろ! で、でも、どうしてもというなら、その、考えてやってもいいが…』

 

 とチラチラとモモンガを見ながら言うイビルアイ。

 空気の読める男であるモモンガはそんなイビルアイに決して無理強いなどしなかった。

 ていうかモモンガとしてはなんで自分を追ってきたであろうイビルアイが急に一緒に旅をするなんて事を言い出したのか分からないのだ。もしかしたらズーラーノーンとの会話もあり自分も旅に誘われたと勘違いしたのかもしれないなと思っていた。ここで女性の顔を潰すような事はしない。社会人的スキルを持つモモンガはキチンとイビルアイに話を合わせる。

 

『そうですか。イビルアイさんには冒険者としての仕事があるんですもんね。わかりました。じゃあここで別れましょう。体には気を付けて下さいね。無理しちゃ駄目ですよ』

 

『あ、ちょっと待っ…。え、本当に行くの? いやそのどうしてもっていうなら別に私は…、おーい…』

 

 そうしてイビルアイと別れたモモンガ。

 彼は決して人に無理強いなどしないのだ。

 

「やぁ待ってたぞモモンガさん」

 

 モモンガとデイバーノックの歩く先、道の横にある岩に腰かけた男がいた。

 それを見たモモンガが嬉しそうに走り寄る。何の問題も無く、こうしてズーラーノーンと無事に合流できたモモンガ達。

 他愛無い話をしながら彼等は歩いていく。

 三人旅ならぬ三骨旅。

 新たな門出を感じながらもモモンガはずっと聞きたかった疑問を口にした。

 

「ズーラーノーンさん」

 

「なんだ」

 

「ズーラーノーンさんもその仮面を持っているという事は、その、プレイヤーなんですか?」

 

 モモンガの質問にズーラーノーンは首を横に振る。

 

「いいや、違う。これはプレイヤーだった友人から貰ったものだ。で、これと同じものを持っているという事はモモンガさんもプレイヤーだろ?」

 

「はい、そうです」

 

「やはり。いや正直に言うとプレイヤーだと思ったから助けに入ったんだ。今は亡きその友人を思い出してしまってね…」

 

 仮面の奥で遠くを見つめるような仕草でズーラーノーンが呟く。それは様々な感情を有しているように思えた。

 

「聞きたいんだが、他に仲間はいるのか? あとモモンガさんはギルド拠点というものを持っているのか?」

 

「いいえ、仲間はいません…。それにギルド拠点…、向こうにはありましたがこちらの世界に来た時は一人だけでした…」

 

「そうか。まぁこの世界を訪れるプレイヤーというのもいくつかパターンがあるようだ。単身での転移は珍しくない。八欲王のように拠点ごと転移してくる奴等もいるがね。少なくとも俺が知る限り今の時代に他のプレイヤーは存在していないと思う」

 

「そう…、ですか」

 

 その言葉にモモンガの胸がズキリと痛む。期待はしていなかったがそれでも心のどこかで、もしかしたら仲間がいるかも、そう考えていたのだ。

 

「しかし、モモンガさんは単身でこの世界に来た。そしてこの世界には他に頼れるプレイヤーはいない。だからこそ一つ提案があるんだが聞いてもらえるか?」

 

「? ええ、構いませんよ」

 

 仮面の奥で骨の表情を歪ませズーラーノーンは言葉を紡ぐ。

 

「ここからずっと先にある南方の砂漠にはエリュエンティウと呼ばれる都市があり、その上空には浮遊した城がある」

 

「浮遊…した城?」

 

「ああ。さっき話した八欲王という500年程前に現れたプレイヤーのものだ。城には多くのマジックアイテム等が眠っていると聞く」

 

 浮遊した城と聞いてモモンガが思い浮かべるのはユグドラシル時代に存在したアースガルズの天空城だ。

 もしその浮遊した城がそれならば、八欲王とはアースガルズの天空城を保有したギルドの可能性が高い。だがモモンガには八欲王という言葉に聞き覚えは無かった。それにアースガルズの天空城を保有したギルドは――

 

「モモンガさんは知ってるか? 八欲王の話を」

 

「え、ええ。以前デイバーノックさんから概要だけは聞きました。その圧倒的な力でドラゴンとの争いに勝利し世界を支配したが、欲深く互いの物を欲して争ってしまい最後には皆死んでしまったという話ですよね?」

 

「そうだな…」

 

 仮面の奥でズーラーノーンの眼窩の灯が小さく揺れる。

 

「モモンガさんはどう思う? 彼等は欲望の為に争ったと思うか?」

 

 その問いに不思議な感情が込められているようにモモンガは感じた。

 

「わ、分かりません…。で、でも人の欲望に際限は無いとも言いますからね。異世界に来てタガが外れてしまったのかも…」

 

「俺はそうは思わないんだよ」

 

 力強くズーラーノーンが口を開く。

 

「もしそのプレイヤーと呼ばれる者たちが自分達の拠点と共にこの世界に来たとして、どうやってそれを維持したんだろうな?」

 

「あ…」

 

 その言葉でモモンガは一つの事に気付いた

 もしギルド拠点もこの世界に転移したのだとしたら、一体どうやってギルド拠点の維持費を稼げばいいのだろう。ユグドラシルではゲームの為、何千枚何億枚と金貨を取得できるがこの世界ではどうなのだろう。ギルド拠点が大きければ大きい程その維持費は大きくなる。この世界でどれ程の金貨を稼げるものなのか。

 モモンガとてユグドラシルの最後は一人でナザリックの維持費を稼いでいたがあくまでそれはゲームの中の話であり、さらには拠点の無駄な機能を全て切っていた。だがもし仮に、異世界故に危機対策の一環として防衛機能をフル活用し、なおかつ敵対者に拠点を破壊された場合の修理費等を考えるとどうだろう。さらに高レベルNPC等が殺されればそれだけで億の金貨が飛ぶ。

 さらにアースガルズの天空城。空に浮かぶという他には無い大きな利点から、ユグドラシルに数多く存在するギルド拠点の中でも破格の維持費を要求されると聞いた事がある。

 それが本当ならばこの世界においてどうやってそれだけの金貨を取得していたのだろうか。

 

「ドラゴンの素材は非常に価値が高いらしい。もしかすると彼等はその素材が欲しかった、とは考えられないだろうか? 世界を支配したのも、他のプレイヤーを殺したのも全てギルドを維持する為だったとしたら?」

 

 モモンガの中で一つ腑に落ちた。

 確かに異世界でその力を遺憾無く発揮し暴れたかっただけというのもありえるだろう。

 だが全員が全員本当にそんな事を望んだのだろうか。

 ゲームの中ならばともかく、この世界もまた一つの現実だ。

 いくらゲーム時代の身体を手に入れたとて、ただの一般人が欲望の為だけにそこまで殺し合いを出来るものだろうか。

 

「これは友人から聞いた話だが、八欲王は複合ギルドというものだったらしい。八人からなるギルド。その証としてギルド武器は8つに別たれたとか」

 

「……」

 

「彼等にはそれぞれNPCと呼ばれる従者がいたらしい。彼等はそれを自らの子供のように可愛がったとか…。拠点もそうだろうが、そんな自分の子供みたいな者達が殺され死んだとしたらどれだけ莫大な金貨が必要だとしても生き返らせたくなる、そう思わないか?」

 

 モモンガは何も言えなかった。

 もし自分が、ナザリック地下大墳墓がこの地にあってそのNPC達がいた場合、そのように思うのだろうか。

 思うかもしれない。

 自分にとっては仲間達が残してくれた忘れ形見のようなものだからだ。

 

「ドラゴン達との戦争で想定以上に被害を被った八欲王たち。分かり易く大赤字とでも言い換えるか。そうなった彼等は自分達の拠点やNPCの為にきっと多くの金貨が必要になっただろう。だがドラゴンを滅ぼし、世界を支配し、他のプレイヤーまで手にかけた後、大量の金貨なんてこの世界のどこにも残っていない。それに将来を見据えれば保険として少しでも多くの金貨を手に入れておきたいだろう。何せ金貨は減っていく一方なのだから。ではどうすればよいのか?」

 

 モモンガは思う。

 詳しい、詳しすぎる。

 まるでズーラーノーン本人がプレイヤーなのではと思う程に。

 

「やがて彼等は簡単な事に気付いたのさ。金貨ならば横にいる仲間達が大量に持っているじゃないか、とね。いつしか彼等は疑心暗鬼になり…」

 

 ここから先は語るまでもない。御伽噺と同じだ。

 

「まぁ結局は自分の為なのだから欲望の為に争ったという言い伝えもあながち間違いではない、か。ともかくそんな彼等の努力の甲斐あってか、むしろそんな仲間割れまでしたのに浮遊都市は健在。今もなお30人からなる都市守護者なる者達によって守られていると聞く。結果としてだが、彼等が守ろうとした拠点やNPCとやらは今も無事に残っているという訳だ」

 

 おしまいとでも言うように手を広げるズーラーノーン。

 

「長くなってしまったが俺が言いたいのは共にそのエリュエンティウへ行かないか?ということだ。かつて十三英雄と呼ばれた者達も魔神と戦う際にいくつかのマジックアイテムの持ち出しを許可されている。俺達も同様に力を借りればよいのではないかと思うんだ。法国と敵対した以上、このままでは滅ぼされてしまうだけだからな」

 

「い、いきなり話が飛びましたね。というかですよ、そもそもそんな簡単に貸し出してくれるのですか?」

 

「正直貸し出してくれるかは行ってみなければ分からないが…、いずれにせよ力を借りる必要性はあるだろう。再び法国の者達に襲われても今のままであれば後れを取る可能性がある。向こうはきっとこちらを殺す気で仕掛けてくるぞ。こちらにその気がなくとも向こうがやる気ならば備えなければなるまい。それに、法国にはもっと強い者も控えている。プレイヤー的に言うならカンスト級という程にね」

 

「なっ…!」

 

 絶句するモモンガ。

 100レベル級が出てくれば今の自分では相手になどならない。簡単に消し飛ばされるだろう。

 

「だから行こう。プレイヤーの遺産を借り受け、悪しき法国を打ち破るんだ。これは俺達の安全の為でもあり、世界の為でもある。どうか協力してくれ」

 

 モモンガは気楽に世界を旅して回りたいと思っていた。

 だがその法国とやらがいるとそれも出来ないのだろう。

 顔も割れている。

 故に今はズーラーノーンの言葉に従うしかないと考える。

 

「わ、分かりました…。どこまで出来るか分かりませんが俺に出来る範囲なら協力しますよ」

 

「ああ! 良かった! ありがとう! 共に世界を救おう!」

 

 そうしてズーラーノーンは嬉しそうにモモンガと肩を組む。

 彼の目的は八欲王の残した浮遊都市。

 今の身体は他人の物で、その力も全盛期に比べ大幅にダウンしている。この身体がこの世界のものであるというのも良くないのだろう。彼はモモンガのように多彩なアンデッドのスキルを使う事が出来ない。使えるのはあくまでその身体の持ち主であった本当のズーラーノーンが使えたものだけなのだ。

 故に彼だけでは目的を達成できない。目的の為には力がいる。

 その為の秘密結社、その為の十二高弟。

 だがもう全ていらない。

 当初の予定ではモモンガが無慈悲なアンデッドという情報だった為、そのまま接触しようとしたがどうやら情報に間違いがあったらしい。彼はこの世界に来た多くのプレイヤーのように人として真っ当な心を持つようだ。

 だがそれでも構わない。その為だけに秘密結社も十二高弟も全て切り捨てて構わない。

 なぜならたった一人でそれよりも強大なモモンガを味方に引き入れる事が出来たのだから。

 自らの取り繕った嘘など目的遂行まで持てば良いだけのもの、少しの間だけ誤魔化せればそれで充分といえる。

 上手くいったと仮面の下で愉悦に笑うズーラーノーン。近い将来、自分の目的が遂げられるであろう瞬間を想い描くとズーラーノーンはとても愉快な気持ちになるのだ。

 

 だがこの場において、デイバーノックだけが言い様の無い不安を覚えていた。

 嫉妬や欲望などというくだらない感情ではない。

 もっと人間の奥底に眠る悪しき感情の気配を感じているのだ。

 腐っても六腕という犯罪組織に所属していたデイバーノック。

 そういった者達は数多く見てきた。

 モモンガの放つ闇を絶対的で超越的と形容するならば、ズーラーノーンの放つ闇はまた違う。

 

(蠢き捻じ曲がり、揺らいでいる…!)

 

 確証など何も無い。

 ただ勘だけではあるがデイバーノックの中ではズーラーノーンという存在に警鐘を鳴らしていた。ズーラーノーンの語る内容もどこか腑に落ちない。八欲王に関する話はそうなのかもしれないが、それを話すズーラーノーンの言葉自体がどことなく作り物めいて聞こえるのだ。

 デイバーノックの中で疑念が渦巻いていく。

 

 そうした様々な感情を孕んだまま三体のアンデッドが並んで歩く。

 いずれもこの世界と乖離し始めているアンデッド達だ。

 彼等がこの世界に齎すのは、幸か不幸か。

 

「ところでモモンガさん、一つ気になっていたんだが…」

 

「なんですかズーラーノーンさん」

 

「ずっと後ろを付いて来てるの、なんだ?」

 

「え?」

 

 言われて後ろを振り返る。

 モモンガが振り返ると同時に木の後ろに隠れたのだろうがはみ出て見えている。それは。

 

「イ、イビルアイさん? ど、どうしたんですか?」

 

 モモンガに名を呼ばれイビルアイがもそもそと木の影から姿を現す。

 

「い、いやそのあれだ…。わ、私は冒険者としてお前を…、その、追うと仲間に約束したんだ…。だ、だからそのここで帰るとだな、いや別にお前が悪しきアンデッドではないのは分かっているのだが、それでも、な? それを証明する者がいなければなるまい? だから、その…私なら証明できると思うんだ。それに、あの、私も南に用事が無いわけでもないというかだな…」

 

 もじもじと両手の人差し指を体の前で合わせるイビルアイ。

 

「はぁ。よく分かりませんが目的地が一緒ならイビルアイさんも一緒に行きますか?」

 

 モモンガの言葉にイビルアイの表情がパァっと明るくなる。

 その顔は仮面に隠されていて見えないのだが。

 

「しょ、しょうがないな! ど、どうしてもっていうなら私もやぶさかではない! い、一緒に行ってやるぞ!」

 

 そうして三骨に加え、吸血鬼が仲間になった。

 奇妙なマスクを被った四体のアンデッド達。

 どう見ても不審者である彼等は足並みを揃えて南へと向かう。

 向かうは南方の砂漠に位置する首都エリュエンティウ。

 だが法国を避けて進むにはカッツェ平野を通り、竜王国を通らなければならない。

 エリュエンティウへの道のりはまだまだ遠い。

 

 

 

 

 一晩明けてなおクレマンティーヌは走り続けていた。

 一睡もしないまま泥だらけで、ただただ全力で遠くへ逃げるように。

 当初は聖王国へと逃げようと画策していたクレマンティーヌだが考えを改めた。

 盟主への恐怖と例のアンデッドの存在、さらには法国の追っ手。

 どこで何が起こるか分からぬ故、最も遠くの都市であるエリュエンティウへ向かう事にしたのだ。

 いくらなんでも南方の砂漠まで奴らが出張ってくる事はないだろうと踏んだのだ。

 そしてその遠くの地でやり直そうと誓った。

 

(慎ましく生きよう…! 目立たずひっそりと…! 法国のクレマンティーヌは死んで、新しい土地で新しい人生をやり直すんだ…! 休みの日には教会に祈りに行ってもいい…! 退屈な説教を聞いたっていいさ…! 人を殺すのも一か月に一人くらいで済ませよう…! 真面目な振りをして人の目を誤魔化しながら真っ当に生きていくんだ…!)

 

 希望を胸にクレマンティーヌは駆けていく。

 その先には自分の望む平穏があると信じて。

 

 だがクレマンティーヌは知らない。

 盟主ズーラーノーンの本性を知るのはもはやこの世に彼女ただ一人だという事を。

 ズーラーノーンの嘘と欺瞞を証明できるのは今や彼女しか存在しない。

 さらにはその向かう先もまるで運命に引き寄せられるように最悪を進んでいる。

 しかし今の彼女にはそんなこと知る由も無いのだ。

 最悪の時代は終わりを告げ、明るい未来へ向かっていると信じて疑わない。

 

 彼女の受難はこれから始まるというのに。

 

 




隊長「勝てなかったよ…」
モモンガ「仲間出来た」
ズラノン「世界を救う(嘘)」
デイバー「この骨裏切りそう」
イビルアイ「仕方なく同行してあげるんだからね!」
クレマン「疾風逃走」

今回も文字数が多くなってしまいました
なんでこんな毎回毎回長くなるんだろう…
とはいえ安易に分割するとキリが悪くなる気がして出来ないのです、ご容赦を…

そしてやっと本筋に入れたと思っています
この辺りからは原作で描写されてない箇所が多くなってくると思うので捏造度が上がっていくと思いますが、あまり皆さんの拒否反応が出ないように頑張って行きたいなぁと思っております
基本的にオリジナルキャラは登場しません。登場するのはあくまで原作でもその存在が確認及び示唆された人物だけです。ただ描写が無い者については捏造が入らざるを得ないので、それを踏まえて読んで頂けると幸いです
どうかよろしくお願いします


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幕間:クレマンの冒険 - 前編 -

前回のあらすじ

漆黒聖典を無事撃退したモモンガ達!
そしてなぜかズーラーノーンとイビルアイが仲間になってしまう!


 クレマンティーヌがモモンガと別れ、もとい逃げ出してから何日経っただろう。

 帝都を飛び出した後はそのまま南下しカッツェ平野へと入っていた。緑がほとんどなく赤茶けた地面が広がる荒涼たる大地。それに加え、常に薄い霧によって覆われており視界も悪い。さらにはアンデッドの多発地帯であり、強力な個体さえ出現する。とてもではないが人間が一人で生きられるような場所ではない。

 そんな場所へと何の準備も無く入ったクレマンティーヌが無事に過ごせる筈などなかった。

 歩を進める間は常にアンデッドの襲撃に怯え、休んでもアンデッドに寝首をかかれる心配をしなければならず満足に眠る事などできない。夜は常にアンデッドの味方だ。

 数日にも渡る慢性的な睡眠不足からクレマンティーヌの目の下には深いクマが出来ていた。水や食事等も満足に取れる筈はなく、肉は削げ落ち皮膚は割れ、口の中は乾燥している。その状態でありながらも足を動かし前に進まなければならないのだ。

 

「かぁっ、かぁっ、ち、ちくしょ…、また…、か…!」

 

 拾った木の枝を杖代わりに頼りない足取りで歩くクレマンティーヌ。その周囲にはいつのまにか数体のスケルトンがいた。いずれもここで生まれたばかりの個体でありそれほど強くない。国の一般兵や低級の冒険者でも殲滅できるような相手だ。とはいえ今の状態のクレマンティーヌは動くだけで体力を消耗する。

 カッツェ平野に入ってから何体のアンデッドを屠っただろうか。何十、いや百すら達しているかもしれない。悲しいかな、もしクレマンティーヌが冒険者であったのなら多くの褒賞やランクアップが保証される働きだろう。だがそんな評価などされない今の彼女にとっては徒労以外の何物でもない。

 フラフラと揺れるクレマンティーヌへとスケルトン達が一気に襲いかかる。

 だが腐っても英雄の領域に足を踏み入れた人外。どれほど衰弱していても低位のアンデッドに後れを取るなどありえない。

 突如として先ほどまでの緩慢な動きなど嘘のように身を翻しその勢いで懐から取り出したメイスを振りかぶるクレマンティーヌ。そのたった一振りで三体のスケルトンの頭部を破壊する事に成功する。

 今の攻撃で頭部を失った一体の身体を蹴り飛ばし、後ろにいる二体のアンデッドを巻き込み転倒させる。その間に新たに横から迫っていたアンデッドの肩を掴み至近距離へと引き寄せると強烈な膝蹴りで頭蓋を砕く。そして体の勢いをあえて殺さず、先ほど転倒させた二体のスケルトンへとそのまま倒れ込む。その際に手に持ったメイスの柄で一体の頭蓋を完全に粉砕する。

 最後に残ったスケルトンに対しては、息を整えゆっくりとメイスを振り下ろす。

 この一瞬とも言える時間で六体のアンデッドを流れるように倒す事に成功する。頭部を破壊しただけでは完全には滅ぼせないので入念に体を砕いておく事も忘れない。 

 それが終わると再び気だるそうに歩き始めるクレマンティーヌ。心底面倒くさそうに、だが死にたくないという葛藤が悲鳴を上げる彼女の体を突き動かす。

 少し前まであった腹が裂けるような空腹はもはや感じず、喉を刺すような渇きだけが彼女を支配する。すでにこの二日全く水分を取っていない。このような荒涼たる大地でそれは死活問題だ。

 そんな中それでも必死に足を進めていくと奇跡的に大きな岩の影に水溜まりを発見する。神は彼女を見捨ててはいなかったのだ。

 すぐにその水溜まりへと駆け寄ると顔を突っ込み一気に飲み込むクレマンティーヌ。その水がどれだけ濁っていてもどれだけ汚れていても関係ない。水分であるというだけで価値がある。例えそれがどれだけ生臭く、吐き気を催すような臭気を放っていたとしても。

 数十分で変化は起きた。数時間後には無視出来ぬほどの悪影響に襲われる。

 

「げぇっ、おえぇぇっ!」

 

 異常な腹痛と込み上げる吐瀉物。飯もろくに食べてないクレマンティーヌの口から吐き出されるのは先程大量に飲んだ汚れた水だけだ。この極限状態にありながら彼女の身体はこの水分を拒絶していた。

 

「おげぇっ…! あぎっ、あぅぅぅう…!」

 

 水は腐っていたのだ。あるいは小動物の糞尿でも混じっていたのかもしれない。

 あまりの苦痛に地面に突っ伏し身をよじるクレマンティーヌ。もう胃が空になったのではと思うほど吐き出しても一向に苦痛は収まらない。腹を握り潰されるような強烈な痛みと体を襲う悪寒と気だるさ。

 しかしこのままここに倒れている訳にはいかない。

 生者の気配と苦痛の声に呼ばれたのだろう。クレマンティーヌの元へとアンデッドの群れが近づいてくる。

 それに気づいたクレマンティーヌは必死に重い足を引き摺りながらもその場を後にする。この状態で真面目に戦闘などしていられない。アンデッドとの距離がある内になんとか逃げ切らねばならないのだ。

 

「かひゅっ…、かひゅっ…。うぁぁ…、あうう…」

 

 さらに数時間後、アンデッドの群れから逃げる事に成功したクレマンティーヌだがすでに周囲は暗闇に閉ざされていた。漆黒の闇が支配する夜、つまりアンデッドの時間だ。

 薄い霧と暗闇により視界が閉ざされまともに行動など出来ない。クレマンティーヌは周囲にあった岩の隙間へと体を滑り込ませそこで久しぶりの休息を取る。

 だがその休息は突如足を襲った鋭い痛みにより中断された。咄嗟にハネ起き、何事かと周囲を見渡す。視界の先で暗闇の中モゾモゾと蠢く物体を発見した。サソリである。だがクレマンティーヌは臆しはしない。微妙な影の動きを追い、手の感触を頼りにサソリを捕まえる。次にやる事は一つだ。

 捕食。何の躊躇も無く捕まえたサソリへと齧り付く。

 ペキペキパキパキと殻が割れる音が辺りに響く。久しぶりの食事にありつけたからかクレマンティーヌの体は忘れていた空腹を思い出す。

 

(足りない…、全然足りない…)

 

 飢餓感に支配されたクレマンティーヌは本能のまま暗闇の中を這いずり回る。極限まで研ぎ澄まされ常人離れした感覚が新たな獲物を発見した。

 3、4メートルはあろうかという蛇だ。大蛇と言うには物足りないがそれでも小型の蛇に比べればそこそこ長く太い部類。

 クレマンティーヌに気付き慌てて体を這わせ逃げようとする蛇。だからクレマンティーヌはそれを逃さない。完全な捕食者モードに入った彼女の瞳孔は限界まで絞られ、僅かな光でも視界を確保するに至る。肌は空気の僅かな震えを感じ、耳は大地の軋む音すらも聞き逃さない。

 素早い動きで物陰に潜み逃げようとする蛇を上回る速度で迫るクレマンティーヌ。そのまま容易く首根っこを捕まえ、腰に差したナイフで一気に蛇の身体を斬り裂く。零れ落ちる血を渇いた舌で掬い取り嘗め尽くす。一滴すら残さぬとばかりに吸い付き血を啜る。

 血が喉に張り付くような違和感とベタつきはあるものの、渇きを癒そうとする感覚の方が勝った。そうして流れ出る血を吸いつくすと蛇の解体を始める。専門的な解体など出来ないし、ここでは火を使う事も出来ない。生臭さに耐え、適当なサイズに斬った蛇を次々と口の中に放り込んでいく。

 ふと気付けばいつの間にか全て食べ尽くしていた。久々に感じる満腹感がクレマンティーヌの眠気を刺激する。心地よい気分で眠りにつける喜びを噛み締め瞳を閉じた。

 

「ぐぅぅぅう…! いぎぃぃぃ…! あぐぐ…!」

 

 だが翌朝訪れたのは快適な目覚めでは無かった。

 焼けるような高熱が体を襲う。頭蓋骨が殴られているのではないかと錯覚する程の頭痛。そして、昨日サソリに刺された足は赤く腫れあがり何の感覚も無かった。

 毒である。

 全身を巡っているのは刺された事によるサソリの毒なのか、あるいは毒を持つサソリや蛇を何の処理もせずに食べてしまったからなのかは分からない。ただ分かるのは朦朧とする意識と体を焼くような高熱、激しい頭痛。腫れあがった足は何の感覚も無く、棒か何かがそこに縫い付けられているような違和感があるという事だけ。

 そもそもこの毒が自然治癒するものなのか、あるいは致死性のものかさえクレマンティーヌには判断が付かない。対処も分からない。法国において座学をきちんと受けていればこうはならなかったかもしれないがサボっていたツケが回ってきたという事だろう。

 時折訪れる瞬間的な痛みに体がハネ上がり、限界まで背筋を逸らせる。体は痙攣し、目や口など体中の穴という穴からあらゆる体液が溢れ出す。それは下の方とて例外ではない。

 一向に収まらぬ地獄の苦しみ。

 体や頭に爪を立て掻き毟る。収まらない。

 地面や岩に何度も頭を打ち付ける。収まらない。

 手の甲にナイフを突き立てる。収まらない。

 もはや肉体と精神が乖離し、脊髄の反射だけで動き回る生き物と成り果てたクレマンティーヌ。見るも無残な姿である事に本人は気が付きようがない。

 

「びぇ…、げぅ…?」

 

 しばらくしてわずかに意識を取り戻した。

 どれだけの時間が経ったのか、自分が何をしていたのかすら覚えていない。どこにいるのかさえ分からない。だが周囲には転がる見覚えのない数多のアンデッドの骸が転がっている。それらは無意識でありながらも自分が戦っていたのだという事を知らせるだけだ。戦士としての本能が為した業なのかは知らないが命がある事に安堵するクレマンティーヌ。

 しかし体中は傷だらけ。皮膚は擦り切れ、無数の痣が残っている。肉は裂け、骨は鈍く痛む。内臓は外に剥き出しになっているのではないかと錯覚する程、動く度に言い様のない苦痛を齎す。

 しかしクレマンティーヌは立ち止まる訳にはいかない。

 ここはカッツェ平野。

 一つの場所に長時間居座る事は死を意味する。意識を取り戻した以上、ここを離れなければならない。すぐに新たなアンデッドが集まってくるだろう。

 気力だけで満身創痍の身体に鞭を打ち、感覚の無い脚を引き摺り、耐え難い痛みを噛み締め彼女は進む。

 もはや時間の感覚も無く、一瞬とも悠久とも思えるような時間の果てにクレマンティーヌはカッツェ平野の端へと辿り着いた。緊張が緩み、喜びでその場にへたり込みそうになるが必死で耐える。未だここはカッツェ平野。完全に抜けるまで安心など出来ないからだ。

 

「グルルルル…」

 

 その不安は的中した。杖代わりの木の枝に体の大部分の体重を預け、老人のように弱々しく歩くクレマンティーヌの前に野生の骨の竜(スケリトルドラゴン)が出現した。

 格下とも言える相手だがクレマンティーヌにとって相性の関係上最悪の相手。元々アンデッド自体が相性の悪い相手なのだがこの巨体ともなればその比ではない。

 やっとゴールが見えたと思ったのにそれを最悪の相手が遮っている。あまりにも運が悪すぎて笑えてきてしまう。今の満身創痍の体では逃げ出す事すら出来ない。

 

「はは…。よ、よりにもよって…。ふざけんな…っつーの…」

 

 そんな呟きを嘲笑うように骨の竜(スケリトルドラゴン)が吠え、その超巨体から繰り出される体重が乗せられた尻尾の一撃。直撃を受けたクレマンティーヌはゴミのように宙へ投げ出され大地を転がっていった。ゴロゴロと回転を続け、勢いが無くなった頃にはもうピクリとも動かない。

 骨の竜(スケリトルドラゴン)がトドメを刺そうと近づいて来ても反応できない。もはや動くことすら出来ないのだ。

 踏み潰す為に骨の竜(スケリトルドラゴン)の足が勢いよく振り上げられ、クレマンティーヌの体へと無慈悲な一撃が振り下ろされた。全身に信じがたい圧力がかかる。潰れたトマトのようになるのは時間の問題であろう。

 

「がっ………!」

 

 ズンと大地が揺れ、周囲の地面が蜘蛛の巣状に砕けていく。

 そんな状況でありながらクレマンティーヌの耳に聞こえたのは、圧し潰されミシミシと軋む自らの体の悲鳴だけだった。

 

 それはきっと、命が潰れる音。

 

 

 

 

 スレイン法国で「クインティアの片割れ」と呼ばれた女がいた。

 小さい頃から名前で呼ばれるよりもその通り名で呼ばれる事が多かった。常に優秀な兄に比べられ、劣等感の塊として生きてきた。名前を呼ばれぬという事は誰も彼女に興味が無いという事。彼女が何かを成し遂げても褒める者など誰もいない。いつも兄に比べ劣っていると蔑まれるだけだった。

 しかし彼女自体は優秀であった。

 とはいえ比較対象が悪すぎたのだ。彼女の兄は法国の歴史の中でも上位に数えられる程の優秀さを誇った。幼い頃からあらゆる才能を発揮し、神童の名を欲しいままにした。身体能力は勿論の事、座学では法国の大人顔負けの成績を誇る。それに加え希少なビーストテイマーとしての能力を開花させ、その価値をさらに引き上げた。人柄も良く、彼の駄目な所を探す方が難しいと言われる程だった。

 やがて彼女の妹という存在が周囲に認知される。皆が期待しただろう。あれだけ優秀な兄を持つのだ。きっと妹も優秀に違いないと誰もが信じていた。

 しかしなぜそうなったのか。

 血が繋がっていても優秀な者とそうでない者が存在するのは至極当たり前の事だ。誰でも知っている。ならばなぜ彼女に限って優秀な兄と比較され続ける事になったのか。

 これに関しては兄が悪いとも言える。なぜなら兄は妹の潜在能力、つまりは才能がある事を幼少の時から見抜いていた。彼は家族として本当に妹を愛しており、また妹の才能を誰よりも喜んでいた。だからこそ周りの大人に妹の事を喜々として語っていた。悪気は無く、良かれと思っての行動だった。

 

『僕の妹は本物の天才です。いつかは僕よりも優秀な成績を収めるでしょう。きっと国に大いなる貢献をしてくれる筈です』

 

 彼女の両親は勿論、国のあらゆる大人達が色めきだった。

 法国の歴史の中でも有数と言える神童が自らの妹はさらに優秀だと口にしたのだから。周囲からの妹への期待は否が応でも高まってしまう。皆が第二の神童の誕生を喜びその成長を待ち望んだ。

 そして妹が6つになる頃だろうか。彼女は軍事教育を受ける為に法国の特殊学院へと入学させられる。これは珍しい事ではなく、良い血筋を持つ者や才能を持つ者を小さい内から教育するという法国の方針によるものだ。

 兄と非常に良く似た顔をした妹。

 その入学は皆の心に兄の再来を思い起こさせ、お祭り騒ぎと言っていい程の賑わいを見せた。

 が、蓋を開けてみると彼女の成績はさほど目を引くものでは無かった。

 平均より上の水準を満たしてはいるものの、それでも兄と比べると酷いと言える程に落差があった。それほど兄は優秀だったのだ。最初はたまたまだと思われた。だが一年経っても二年経っても成績にそこまでの変化は訪れなかった。

 いつしか妹は大人達から失望するような目で見られるようになった。

 

『あれがクインティアの片割れか』

『似ているのは顔だけだな』

『兄がもっと幼い頃に出来ていた事がまだ出来ない』

『兄に匹敵する天才どころかただの落ちこぼれだな』

『とんだ期待外れだ』

『兄に比べ不出来な妹』

『同じ両親、同じ血とは思えん』

『真面目にやっていないんじゃないか?』

『兄はあれだけ真面目なのに』

『兄を見習え』

『兄は』

『兄』

『兄』

『兄』

 

 いつしか両親すらも妹に愛情を注がなくなっていた。国の役に立つのが生き甲斐ともいえる家系だった。だからこそ優秀で国の役に立つであろう兄だけが両親から愛された。愛されて、愛されて、愛され尽くした。

 外では勿論、いつしか妹は家の中ですら誰とも言葉を交わさず一人で過ごす様になっていた。

 誰も彼女に優しくない。

 誰も彼女に興味が無い。

 誰も彼女の名を呼ぶことは無い。

 しかし兄だけは違った。心から妹を愛し、本当の意味で理解していた。だがそんな兄の言葉が妹に届く事は無い。

 

『お前はやれば出来る』『本当に凄い才能を持っている』『自分に自信を持て』『僕はお前の事を信じている』『何があっても僕はお前の味方だ』『いつか皆が認めてくれる』『僕と違って早熟じゃないだけだよ』『お前は大器晩成型の人間なんだ』

 

 虫唾が走った。

 その優しさが気持ち悪かった。綺麗事で都合の良い言葉だけを並べているとしか妹には感じられなかったのだ。いつしか妹にとってそんな耳障りの良い言葉を口にする兄は憎しみの対象となっていってしまう。

 妹は兄を呪った。そもそもの原因として、兄のせいでこんな目に遭っているのだと信じて疑わなかった。

 次第に兄の言葉に反抗するようになった妹だが両親はそれを叱った。兄は妹の事を思ってくれているのにどうしてお前はそんな態度なんだと。きっと性根が腐ってるんだ。そう罵倒された。

 気が付けば家の中に妹の居場所は無くなっていた。兄だけが必死に妹を擁護していたが周囲からは出来の悪い妹を庇う心優しい兄としか映らなかっただろう。兄をみる両親の目は輝いており、本当に誇らしく思っているのだなと伝わってきた。それに対し、妹を見る両親の目はもはや汚物を見るようなものに感じられた。

 この時に妹は理解したのだ。

 両親は自分の味方ではないのだと。その瞬間、妹は家を見限った。

 

 次の週から妹は学院の寮に寝泊まりをするようになった。

 最初は学院の生徒から嫌がらせを受ける事が多かった。大人達が皆口を揃えて、期待外れだ落ちこぼれだと言っているからだ。それを知った子供達が茶化さない筈はない。そうして妹はバカにされ、後ろ指を指されながら生きるのが当たり前となっていた。

 この時から学院の中で同級生を半殺しにするなどの問題行動が目立つようになる。もちろん半殺しにされた者達が妹を馬鹿にしたせいなのだが学院はそう認識しなかった。素行の悪い妹が勝手気ままに暴れているのだと判断した。

 だがそれでも妹は人として腐る事は無かった。これだけの扱いを受けてなお、堕落せず努力し続けた。

 しかし長年張り続けられたレッテルとは恐ろしいものだ。妹は問題児で落ちこぼれ。そう誰もが決めつけ、信じるが故に現実まで捻じ曲げられ始めた。

 座学で良い成績をおさめても不正をしたと教師から疑われ糾弾された。授業で矛盾点を突かれ恥をかかされた教師は試験の点数を故意に引き下げた。

 落ちこぼれに負けるのが許せなかったであろう同級生からは実技で使う妹の持つ木剣や防具に細工がされることも多々あった。おかげで実力が十分に発揮できないまま実技の授業についていかなければならない妹。

 さらにはそこに付け込まれ一対一の訓練の筈なのに複数の同級生に打ち据えられた。しかしたまたま教師はそれを見ていなかった。なぜかそのたまたまは毎回続くので妹は教師に直訴した。だが妹は授業にケチをつけたと、生意気にも教師に口答えしたと断じられ、罰としてしこたま殴られた。

 いつしか妹は授業をサボるようになった。もはや学院の授業に価値を見出せなくなっていたのだ。とはいえ遊んでいた訳ではない。人目の付かぬ場所でひっそり訓練を積んでいたのだ。しかしそんな事を知らぬ教師からの評判は下がる一方であり、学院の外まで妹の悪評は轟くようになる。

 そんなある日、そんな妹にも一人だけ味方が出来た。

 それは学院でイジメを受けていた気弱な女の子だった。偶然現場に遭遇した妹は気まぐれからイジメっ子共をボコボコにしたのだが、それが縁で女の子と仲良くなった。彼女だけは妹を「クインティアの片割れ」とは呼ばなかった。

 ちなみに妹が凶悪だというのは学院中に知れ渡っていたので、必然的に女の子にちょっかいを出す者はいなくなっていた。こうして妹と仲良くなる事で女の子へのイジメも終わった。

 そうして妹に初めての友達が出来たのだ。

 

 それからの生活は妹にとって全く新しいものになった。他の誰に認められなくとも、心を許せる人間がいるというだけでこんなにも人生とは素晴らしいものになるのかと。

 そうして妹とその女の子が12になる頃、国から任務を命じられるようになった。

 主にそれは各国の要人の暗殺である。法国にとって都合よく他国を動かす為の汚れ仕事だ。もちろん子供でしか入れない場所や、子供である事で油断を誘う為の人選だ。もっと大がかりな場合はキチンと特殊部隊が動く。

 妹と女の子が暗殺という危険な任務を命じられたのはいくつか理由がある。

 一つは実技における成績が悪くなく任務を遂行できる水準を満たしていた事。

 加えて学院の中で爪弾き者であり、将来を期待されていなかった事。

 つまりは死んでもいいと思われていたという事だ。

 だが二人共そんな事は知らない。国から仕事を与えられたと、期待されていると感じて必死に任務を遂行した。

 そうして任務を遂行し始めて二年ほど経った頃、彼女達の人生が狂う事件が起きる。

 潜入先はバハルス帝国。

 この時はまだ鮮血帝ジルクニフが皇帝に就く前の話であり、王国程では無いが当時の帝国の一部は腐っていた。

 相手は違法な奴隷売買を斡旋する犯罪組織の幹部達。

 いつものように妹と女の子は屋敷に忍び込み、寝ている隙にターゲットを殺して逃げようとした。だが単純に相手が悪かった。相手は犯罪組織の幹部達。腕利きの傭兵を雇っており、妹と女の子はあっけなく捕まった。

 そこから始まったのは尋問だ。だが法国の教育により絶対に口に割る事は無い。それに捕まったとしても法国の特殊部隊が助けに来てくれる。そう聞いていたのだ。

 妹は拷問用の椅子に繋がれ、ありとあらゆる拷問を受けた。

 しかし女の子は拷問ではなかった。妹の目の前で大勢の男に犯され廻されたのだ。

 何日経っても法国からの助けは来なかった。

 永遠とも思える時間の中で続く地獄。

 痛みに何度泣き叫んでも、あるいは女の子の安全を懇願しても嘲笑われるだけだった。

 気が付けば妹は度重なる拷問の末、見るも無残な状態と成り果てていた。顔は原形を留めない程に腫れあがり、手足の指は全て潰され、体中には幾つもの刀傷、痣。様々な拷問器具による痕。さらには熱せられた洋梨によって体の内部すら無事な状態ではない。生きているのが奇跡と言える程。

 共にいた女の子は犯され続けたせいか何にも反応しなくなった。まるで意識無く横たわる人形のように。きっと精神が死んだのだろう。

 この時の帝国で流行っていた尋問方法の一つで、二人以上の侵入者を捕まえた場合、互いに見せつけながらそれぞれ違う目に遭わせ口を割らせるという方法があった。

 しかし妹も女の子も最後まで口を割る事は無かった。

 やがて犯罪組織の幹部達も二人に口を割らせる事は諦めた。もはや二人共衰弱しきり死ぬのは時間の問題だったからだ。そうして彼女達は手足を縛られ、死体を処分する為の場所へ運ばれる。

 二人の男により森の奥まで連れていかれ大きな穴の前に立たされた。その次の瞬間、妹の目の前で女の子の胸部に刃物が突き立てられた。即死である。女の子は何も言い残す事無く、ゴミのように殺された。

 その瞬間、妹の中の世界が崩れた。

 心の拠り所を失い、この世を呪い、己の人生に絶望した。

 制御できない初めての怒りに体のコントロールを失う。溢れ出るのは耳をつんざくような奇声。脳が沸騰したようだった、全身が焼けたように熱くなり、想像もしなかった力が出る。

 まずはここへ連れてきた男の一人へ体当たりをして穴の中へと落とした。次に残った男の首へと噛みつくも歯は拷問により全て無い。その勢いのまま地面に押し倒し、縛られた両手で男の頭を殴打した。腕が折れる程、何度も、何度も。男が静かになった頃には頭部は大きく陥没しており、中身が漏れ出ていた。

 一瞬の事だ。壮絶ともあっけないとも表現できる様相。

 自分のどこにこんな力があったのかと驚いた。穴に落ちた男は足の骨を折っていたのでトドメを刺すのは簡単だった。しかし手足を縛られた半死半生の子供に殺されるとは男達も思っていなかっただろう。

 こうして妹は生還する事が出来たのだ。

 ボロボロの体でありながらも妹は帝国に潜んでいる風花聖典と連絡を取る事に成功。そして無事に本国へと帰還する事になった。もちろん女の子の死体と共に。

 妹の体は治癒魔法で元通りになったが記憶はそうではない。あの拷問の日々は間違いなく妹の人格形成に影響を与えた。女の子が殺された事も同様だろう。

 とはいえ国に帰れば女の子を蘇生させてもらえる。そう信じていた。

 結論から言うと女の子が蘇生される事は無かった。

 蘇生には金貨が必要になる。簡単に言えば国は女の子にそれだけの金貨を払う価値が無いと判断したのだ。任務に失敗した妹と女の子は役立たずの烙印を押されていた。大事な国の金を僅かとはいえ無駄な事に使う訳にはいかないというのが上層部の判断だった。

 さらに女の子の実家から金貨が支払われる事も無かった。役立たずな上、輪姦された娘など嫁にも行けないからというのが理由だったようだ。妹は忘れもしない。凌辱され尽くした女の子の遺体を、嫌悪あるいは軽蔑したような目で見下ろす母親の姿を。

 なにはともあれ女の子は荼毘に付され、蘇生させる事は出来なくなってしまった。

 二人が捕まった際、法国から約束された救助は来なかった。どうやら他に優先順位の高い事件が発生したというのが理由だったらしいが真実かは分からない。

 恐らくだが、悪童として有名で国内で忌み嫌われる妹。その妹の家からは何があっても文句が出る事はない。両親は家の恥だと断じていたからだ。優秀な兄だけは違ったが、彼があまりに妹を庇うものだから妹がいない方が両親や国にとって都合が良かったのかもしれない。神童の周囲に余計な悪評はいらぬのだから。まかり間違って神童に悪影響でも出れば目も当てられない。

 そのせいなのか兄は妹の近況をこの時まで聞かされていなかった。 

 さらには妹はすでに国の暗部に関わる汚れ仕事の張本人だ。任務中に事故で死んだとして何の不思議があるだろう。

 つまり国は妹達をただの道具としか思っておらず、妹の大事な友人である女の子は国に見捨てられたのだ。蘇生すらさせてもらえないのがその証拠だろう。

 そうしてこの日、妹は国を見限った。

 

 再び一人になった妹は人が変わったように問題行動が目立たなくなった。何を言われても何をされても文句一つ言わないその姿があまりに奇妙で恐ろしく、いつしか誰も彼女に近寄らなくなった。

 その後は淡々と任務をこなし、異常ともいえる恐るべき速度で力を付けていった。

 数年後、法国の中でも上位に位置するほど強くなった妹は突如長期休暇を申請した。その理由は不明であり、誰にも明かされる事は無かった。

 その目的地はバハルス帝国。

 動機は復讐。

 妹は数年ぶりに自分を拷問した男達の元へと訪れた。今度はコソコソと忍び寄ることなく、正面から傭兵や護衛を叩き殺して。

 そうして妹は復讐を遂げる。自分のやられた拷問を全てやり返したのだ。もちろんそれだけではない。ここに来る前に大量のポーションを買い込み、治癒魔法の仕える魔法詠唱者(マジックキャスター)を引き連れていく。ちなみにこの時の魔法詠唱者(マジックキャスター)が秘密結社ズーラーノーンの関係者でここから妹は繋がりを持つようになるがそれはまた別の話。

 自分の味わった拷問の後は、考え着くありとあらゆる拷問を実行した。女の子の仇を取る為、男を雇って尻を掘らせたりもした。穴が裂けるまで。使い物にならなくなると回復してやり、もう一度最初から楽しんだ。

 妹の暗い感情は拷問を行う度に晴れていくように感じられた。拷問をすればするほど、拷問された痛みが癒えていくようだった。さらに男達の命乞いは至上の音色となって妹を心から愉しませた。妹の表情が愉悦に歪み、興奮が新たな嗜虐を求める。長年抑圧されてきた感情が解放され、残酷さがここに極まる。表と裏がひっくり返るように。奪われる者から、奪う者へ。

 やがて心から満足した妹は復讐を終わらせる。すると妹はこれまで感じられなかった極上の余韻に浸る事が出来た。頭は鮮明に覚醒し、心は生まれ変わったように高揚していた。

 これが妹にとって拷問を行うという原体験となったのだ。それは心地よいものなのだと彼女の脳は認識した。すでに妹は壊れてしまっていたのだろう。

 以降、彼女は拷問と人を殺すのが大好きになり、恋してしまい、愛するようになってしまった。

 

 この後、妹はその実力が国に認められ法国最強の特殊部隊たる漆黒聖典に入隊した。

 妹の戦闘能力が国に評価されたのだ。なぜならその戦闘能力においては兄を凌ぐ域にまで達していたからだ。殲滅戦では勝てないが単体の勝負ならば確実に兄を凌駕している。兄だけではない。戦士としては神の血を覚醒させた神人を除き、人類で最強という領域にまで到達していた。

 奇しくもそれは彼女の在り方そのものであった。

 正当な剣術や槍術とは違う。誰かを守る為の技ではなく、国や人類の為の技でもない。過去から受け継がれた伝統ある技とは一線を画した、彼女だけの物。

 極限まで無駄を削ぎ落し、命を奪う事のみを追求した殺す為だけの剣。故に生きている者で彼女に勝てる人間などまず存在しない。それ程の高み。

 兄の言う妹が天才だという言葉はここに証明されたのだ。

 いつしか妹は周囲から名前で呼ばれるようになり、誰もが彼女を認めるようになっていた。

 その事を誰よりも喜んでいたのは兄だったが、妹が兄と口をきく事は無かった。両親も妹の思わぬ出世に喜んだが、今の妹にとってもう両親など路傍の石にも等しい。両親から送られた手紙等は読まずに破り捨てた。

 妹の求めるモノはもうこの祖国には存在しないのだ。

 誰も妹を理解出来ず、誰も妹に寄り添えない。

 法国において最上級の躍進を果たしながら、子供の頃から変わらず妹は孤独のままだ。

 

 妹が漆黒聖典に入隊してからしばらくした時、法国で奇妙な事件が起きた。

 原因不明の行方不明者が相次いだのだ。

 しかしその情報が公開される事は無かった。彼等は全て妹と接点があった者達。表向きの筋書きはこうだ。

 かつて妹を陥れた学院の教師達は田舎へと転勤、妹の暗殺任務に関わっていた関係者は隠居する事になり、友人だった女の子の母親を不慮の事故が襲った、と。

 ある日示し合わせたようにこの国から姿を消した彼等に何があったのかは誰も知らない。なぜなら国の上層部はこの事件に関して追及をしなかったからだ。肝心の証拠が出なかったという事もあるだろう。

 だが問題の本質は別にある。

 要はそれらの人物よりも、現在の妹の方が価値が高いという事なのだろう。法国は現実主義であり、実力主義なのだ。本物の実力を持っていれば多少の問題は見逃される。だからこそ行方不明者などいなかった、事件は何も起きていないのだと法国は発表したのだ。

 それこそが人類至上主義を謳うスレイン法国という国の本質であり、それほどまでに人類という種がこの世界において脆弱なのだという証でもある。

 もし妹が国から脱走する際に、巫女姫から叡者の額冠を強奪していなければ今でも上層部は妹を引き戻そうと四苦八苦していたかもしれない。

 それはさておき、いずれにしろそうして妹の歪んだ人格形成に携わった多くの者達はこの世からいなくなった。

 だが、もう全ては手遅れだ。

 彼等が消えた所で妹が元に戻る筈も無い。

 もはや妹にとって価値のある物など残っていないのだ。

 大事な物は全て奪われてきた。

 親の愛も。

 周囲からの期待も。

 大事な友人も。

 祖国への信頼も。

 まともな感性も。

 何もかも奪われ手元には残っていない。

 残ったのはあらゆる痛みの記憶と、破綻した性格だけ。

 それが「クインティアの片割れ」と呼ばれた女の半生だ。

 

 

 

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)の足に踏み潰されながら自分の命が失われていくのを感じるクレマンティーヌ。走馬燈のように自分の人生を垣間見た。いずれも二度と見たくないものばかりであった。

 しかし、一つ気付いた事がある。

 残ったのは痛みの記憶と、破綻した性格以外にもう一つだけあった。

 強さだ。

 人間の頂点とも言うべき高みにまで昇った己の武力。

 それだけがクレマンティーヌの存在価値であり、それだけが彼女のよすがだ。

 その筈なのになぜ自分はこんな所で死にそうになっているのだろうかと自問する。

 相性が悪いとはいえ、遥か格下の骨の竜(スケリトルドラゴン)に殺されるなどあってはならない事だ。そんな事になれば己の全てが否定される。クレマンティーヌという存在が意味の無いものになる。そんな事を許していいのだろうか。

 否。

 決して許すわけにはいかない。許される筈が無い。

 強さだけが己の人生の中で唯一誇れるもので、それだけが心の支えなのだ。

 それが奪われれば、クレマンティーヌは本当に何もかもを失う。

 

「ぐぅぅ…。ふ、ふざけんなよ…! 強さも…、命も…! 私だけのものだ…! これ以上…、無くしてたまるか…!」

 

 尋常ならざる怒りと、極限まで肉体が追い込まれた事によりクレマンティーヌが覚醒する。脳のリミッターが外れ、あらゆる能力が限界を超える。それはかつて女の子が目の前で殺された時と同じだったかもしれない。だが今はあの時とは違う。

 英雄級の強さを持つクレマンティーヌ。故に比喩としての人外ではなく、正真正銘本物の人外へと達する。

 もしこの状態に名をつけるなら<脳力解放>と呼ぶべきだろう。一時的とは言え、数レベル分の上昇に相当する。昔と違い、今はこの力を完全に己のものとする事が出来た。

 

「ク、クソアンデッドがぁあぁ! 誰の体を踏んでやがるぅぅぅうう! テメェ如きがこの私をやれると思ってんのかぁぁあ!?」

 

 単純な腕力だけで動くクレマンティーヌ。その力に圧され骨の竜(スケリトルドラゴン)の巨大が傾き、踏まれたままの状態でありながらクレマンティーヌが立ち上がる。

 

「この! 人外――英雄の領域に足を踏み込んだクレマンティーヌ様がっ! 負けるはずがねぇんだよぉぉ!」

 

 すでに英雄の領域すらも抜け出しかけているのだが本人はまだ認識していない。

 

「うぉぉぉおぁぁあああ!!!」

 

 自分の体を踏んでいた骨の竜(スケリトルドラゴン)の足を掴み、無理やりに引き剥がす。掴んだ足を全力で引き、骨の竜(スケリトルドラゴン)の巨体を力づくで横転させる。

 

「グォォォオオ!?」

 

 地面に引き倒した骨の竜(スケリトルドラゴン)の足の骨を叩き折ると、それを武器にして他の手足も叩き折っていく。倒れもがく骨の竜(スケリトルドラゴン)を見下ろし、愉悦の表情を浮かべるクレマンティーヌ。

 なぜこんなにも他者を虐げるのは楽しいのか。拷問や、命を奪う事がどうしてここまで愛おしいのか。

 復讐は甘く、原体験から快楽が呼び起こされる。

 しかし本当にそれだけなのだろうか。これ程までに固執するという事は他の理由もあるのではないか。

 そして気付いた。

 他者から奪っている瞬間だけが、己が奪われる恐怖から解放されるのだと。

 彼女の半生は確かに彼女を蝕んでいた。

 もう何も失わぬように、奪われぬようにと。

 失う恐怖から逃れる事こそが彼女の最も深い欲求であり、あらゆる動機の根源。決して逃れえぬトラウマだ。

 その恐怖を忘れていられる時間こそが彼女にとっての救いであり、真の至福をもたらしてくれていたのだ。

 ただ恐れていただけだった。これ以上何かを失う事を。

 だからこそ軽薄でふざけた態度を仮面として己に貼り付けた。

 浅く軽い人間性、何にも頓着していないような、それでいて狂った人間を演じたのだ。

 それはもう誰も己の深層に触れないようにする為の自己防衛。

 

「…笑える」

 

 もう失うものなんて何も無いのに。

 奪われて困るものなんて存在しないのに。

 欲しかったものは全部、すでにこの手から零れ落ちている。

 

「強さだって…、私より強い奴なんてこの世界にいくらでもいるみたいだし…。そんなものに価値を感じて、それを誇ってどうなるっていうんだろうねー…?」

 

 骨の竜(スケリトルドラゴン)に語り掛けるように視線を落とすが、すでにその巨体はクレマンティーヌの猛攻により完全に粉砕され、アンデッドとしての偽りの生が消え失せている。

 

「自分より強い奴にビビって逃げ出すような奴がさ、偉そうに強さを誇ってたかと思うと…、ははは、情けなー…」

 

 渇いた笑いがクレマンティーヌから漏れ出る。

 神人や盟主のような存在は特殊で例外だと信じていたが、ポッと出のアンデッドにさえ自分より遥か格上の強者が存在したのだ。勝負にならない程の隔たり。

 散々偉ぶって生きてきたが、自分など真の強者の前ではただ怯える弱者にしか過ぎないと改めて思い知らされた。その辺の有象無象と何ら変わらぬちっぽけな存在。手に入れたと思った強ささえ二流品。どこにでもいる道化の一人に過ぎない。

 だが不思議な気持ちだった。己の分というものを理解し、わきまえたら、心が軽くなった。

 

「ま、良くやった方かな…。お山の大将くらいには威張れてたわけだし…。それよりさっさと行かなきゃ…。負け犬は負け犬らしくさっさと逃げるに限るよねー」

 

 クレマンティーヌの容姿から例えるなら負け猫の方が相応しいだろうがそれは重要ではない。

 彼女は自分の弱さを受け入れた。

 自分が情けなくて、価値が無くて、矮小な存在だと受け入れたのだ。

 

「エリュエンティウか…。楽しいトコだといいなー、アハハッ」

 

 再び軽薄でふざけた態度を演じる。

 もしかするとこれこそが彼女の本性なのかもしれない。

 クソッタレな人生の中で獲得した彼女だけの人間性。

 だがどちらでも構わない。

 クレマンティーヌは今まで経験した事のない晴れやかな気分を感じていたのだから。

 しかし。

 

「おぅっ…?」

 

 突如として異常な疲労感が彼女を襲い、膝から崩れる。

 <脳力解放>でリミッターを解除したせいだ。それが終われば疲労や筋繊維の断裂などの影響が出る。体の限界を超えた代償。しかも先ほどまで歩くのもやっとといった所で半死半生の状態だったのだ。つまりは満身創痍の体に逆戻り。とてもではないが動く事など出来る筈もない。戦闘のダメージも残っていれば、限界を超えた代償もある。

 

「や、やばっ…。な、なにこれっ…? し、死ぬ…、死んじゃうぅぅ…」

 

 パタリと地面に倒れ、泡を吹き虫のようにピクピクと痙攣するクレマンティーヌ。

 その様子は悲惨でありながらも、どこか喜劇じみていた。

 

 辺りに気持ちの良いさわやかな風が吹く。

 珍しく周囲の霧は限りなく薄く、見晴らしがいい。

 太陽は煌々と大地を照らしている。

 僅かに生えた雑草達も元気よく踊っているようだ。

 クレマンティーヌの異変などこの景色の前では些末な事に過ぎない。

 そう、世界はこんなにも美しい。

 

 

 彼女の受難はまだまだ終わらない。

 

 

 




話が長くなりそうだったので前後で分ける事にしました(幕間なのに…)
モモンガさん達の話は少しお待ちください

あと次の後編に映画風なタイトルを付けるなら
『クレマンティーヌ -アップライジング-』でしょうか…
アオリ文は「狂女は悔い改めない」とか「本性が変わりはしない」みたいな
ちなみにかっこよく言ってるだけで基本は受難です

クレマンさんの今後にご期待下さい!

PS
<脳力解放>は原作でクライムが習得した武技です
今作では代わりにクレマンが習得してしまいました、すまないクライム…


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幕間:クレマンの冒険 - 後編 -

前回のあらすじ

クレマンの可哀そうな境遇が明らかに!
でも騙されるな! 奴は本物のクズ! 同情してはいけない!


 一人の少女が茫然とした様子で虚空を見つめていた。

 周囲の家々は火に包まれ、多くの人々が亜人の群れに追われ逃げ惑っている。

 追い付かれた人々はあっけなく、そして無残に殺されていく。

 一体何が起きているのか彼女には分からない。

 どうしてこうなったのか。

 今までの日常が嘘のように思える程に劇的で、無慈悲。

 昨日まで普通に生きていた人々がそこに哀れな骸を晒している。

 

 だが、ただ生きるだけで精一杯だった彼女にとっては関係なかったかもしれない。

 どちらにせよ彼女には希望など無かった。

 昨日までの生活が続いたとしても緩やかに死んでいくだけだっただろう。

 彼女は孤児だった。

 国は貧しく、十分な仕事さえ見つけられないこの状況で生きる術など無かった。

 仲間の子供達と一緒にゴミを漁り、盗みを働き生きてきた。

 しかしそれももう限界だった。

 近年、この都市では続く亜人の襲撃に怯え逃げ出す住人が出てくるようになっていた。

 いつしか冒険者の数も減り、首都から物資の支援も滞るようになった。

 必然的に彼女の生活も苦しくなっていく。

 かといって彼女には都市を渡る為のお金も体力も何も無い。

 いつかこの都市が滅ぶのならそれが彼女の死ぬ時だ。

 

 きっとそれが今なのだろう。

 

 食べ物が無くなって飢え死にしたり、病気になって死ぬのだとばかり思っていたので驚いた。

 こんな死に方をするとは想像もしていなかったのだ。

 仲間の死は何度も見てきた。

 そのせいか生き死にには達観したようなつもりでいたが、その脅威が目の前に訪れると彼女は泣き叫んだ。恐怖に身を縛られ動くことが出来ない。頭がおかしくなりそうだった。

 死にたくない。

 彼女は何度も心の中で叫んだ。

 そんな願いが聞き入れられる筈などないのに。

 

 ふと小さい頃に聞いた英雄の話を思い出す。

 困っている人々を助けてくれる英雄。

 襲われている人々を守ってくれる英雄。

 心のどこかでずっと求めていた。

 いつかそんな誰かが自分を助けてくれるのではないかと。

 だがそんな存在に最後まで出会える事はなかった。

 やはり英雄譚などただの御伽噺で作り話なのだと彼女は理解した。

 やがて一体の亜人が彼女へと近づいてくる。

 その爪が喉元に迫り死を覚悟した瞬間、ふと彼女は視界の先にある違和感に気付いた。

 

 一人の人間が追われる様子も無く近くの物陰を走っていた。

 この周辺にいる人々はもう殺されたか、自分のように逃げ遅れた者だけの筈なのに。

 深くかぶったフードの隙間から見えるのは短く切り揃えられた金髪。

 そして、猫のような目が酷く印象的だった。

 その姿に少女は見覚えがある。なぜなら彼女は――

 

 

 

 

 ギリギリだった。

 まさに死の一歩手前。だがクレマンティーヌは見事それを乗り越えたのだ。

 

「ひぃっ…! あひっ…、ふぅ…ふぅ…」

 

 時はクレマンティーヌが骨の竜(スケリトルドラゴン)と戦った直後。

 新たに取得した<脳力解放>によるパワーアップで骨の竜(スケリトルドラゴン)を粉砕したクレマンティーヌだがその代償として極度の疲労と肉体損傷が彼女を襲った。

 それは弱り衰弱しきった彼女の体にダメ押しのように圧し掛かる。もしかすると先日の毒すらまだ抜けきっていないかもしれない。

 まともに動けなくなり、その場に倒れ伏すクレマンティーヌ。だが未だここはカッツェ平野。もたもたしている暇はない。このままでは新たなアンデッドに襲われるのは時間の問題であろう。

 

「くぅっ…、いひっ…、あうぅ…!」

 

 故に全身全霊を以って、地面を這いずりながらカッツェ平野の外へと向かう。

 腕や胸、腹の皮が擦り切れても決して諦めない。意識を手放さないように気持ちを強く持ち、あらがい難い痛みと疲労に耐える。亀のように少しづつだが、しかし確実に彼女は進んでいた。

 日が暮れ、夜になっても彼女は止まらない。やがて朝日が昇り、彼女を照らす。それだけの長い時間を掛けクレマンティーヌはカッツェ平野からの脱出に成功した。

 だがそれでもまだ安心出来る訳ではない。動きを止めず、体力の限界まで進んでいく。再び日が沈み、また昇る頃には木々が見え、川の音が聞こえてきた。それにより少しの時間であるが痛みと疲労を忘れ、残った力を振り絞り進む事が出来た。

 だが注意力が散漫になっていたクレマンティーヌは周囲の状況に気付く事が出来なかった。目の前が崖だと気づいたのは体の下の地面が崩れ、身が投げ出された瞬間だった。そのまま岩肌を転げ落ちていく。受け身も取れない状態で何度も頭を打ち、完全に気を失ってしまった。

 

 生きていたのは運が良かったとしか言えない。

 どれだけ時間が経ったのか分からないが、ふと目が覚めた。

 

「ぐっ…。やば…、気失ってた…?」

 

 咄嗟に視線を周囲に向ける。幸い、目に見えるような危険は迫っていなかった。

 それに気を失いながらもずっと倒れていたせいだろうか。少しではあるがクレマンティーヌの体力は回復していた。戦闘は無理だが、歩くくらいならば可能な程度には。

 

「まずいなー…、今どこなのか全っ然わかんない…。まぁあの状態でそんな遠くに来れてる筈は無いし…、少し歩けば街とか見えてくるでしょ…」

 

 そうしてゆっくりと起き上がるクレマンティーヌ。装備は失われておらず、スティレットは腰にささったままだ。武器を失っていなかった事に心から安堵する。

 歩き始めるとすぐに水辺を発見する事ができた。そこで十分に水分補給をし、さらに歩を進める。

 しばらくして林を抜け、森の中へと入っていく。その際には獲物にも困らず空腹に悩まされる事も無かった。夜は木の上に寝床を作り、ゆっくりと眠る。

 カッツェ平野の地獄が嘘のような環境にクレマンティーヌの傷は少しずつ癒え、体力は徐々に回復していった。今ならば魔物が出てきてもクレマンティーヌの敵ではないだろう。全て返り討ちに出来る程度には力を取り戻していた。

 

 そうして数日、森を抜け、丘を越えると塀に囲まれた都市が見えてきた。

 

 ここは竜王国。

 ビーストマンの侵略に悩まされる国であり、人間の生存圏における防波堤とも言うべき国である。

 

 

 

 

 ニグン・グリッド・ルーイン率いる陽光聖典は竜王国において戦いの最前線から退いていた。

 理由は至ってシンプル。例年とは比べ物にならないビーストマンの勢いを止める事が出来ず、軍や冒険者に竜王国から撤退の指示が出たからだ。もはや陽光聖典だけが残っても戦線を維持できずまともな戦いを続けられる状態ではないからだ。

 故に残されたのは都市に住む住人達と一部の農民兵だけ。

 現場は最前線である都市を見捨てると判断したのだが住人達に正直にそう伝える訳にはいかない。

 もちろん一部の有力者達にはすでに通達が出ておりこの都市から逃げ出している。残っているのは平民やそれ以下の身分の者達だけだ。

 これは竜王国の女王ドラウディロン・オーリウクルスすらあずかり知らぬ事。現場の情報を聞き、そう判断を下したのは宰相である。なぜ宰相は女王に伝えず、独断でこのような指示を現場へ出したのか。

 

 都市の人々を見殺しにするつもりだからだ。

 

 ドラウディロンが聞けば全力で反対していただろう。実際に反対して現場がどうなる訳ではないが少なくともドラウディロンはこの非情な判断を良しとはしない。だからこそ宰相が独断で動いたのだ。

 都市の人々を他の都市へ逃がすという手段も可能ではあった。だがそうすれば国全体の食料の備蓄が目減りするのは分かり切っているし、そもそも落とした都市に人々がいなければビーストマン達はすぐに次の都市へと攻めてくるだろう。

 そうせぬ為に、ビーストマン達を足止めする意味も含め、その都市の人々には犠牲になって貰うと決めたのだ。現場には援軍を送ると嘘を伝え、都市から人々が逃げないようにもしている。

 とはいえこの都市を犠牲にしたところで事態は好転しないだろう。滅びへの時間を先延ばしにするだけの行為かもしれない。

 しかしたとえ無駄になるかもしれなくとも国にとって最良の判断をするのが宰相の仕事だ。

 最終的に首都及び女王さえ守り切れば竜王国は持ち直せるのだ。そう信じている。

 それらを守る為ならば宰相は何でもするだろう、たとえ悪魔に魂を売る事になろうとも。

 

 いつか女王に全てが露見し糾弾されるその日まで。

 

 

 

 

 都市の入り口でひと悶着あったものの、クレマンティーヌは無事に中へと入る事が出来た。

 どうやら数十日前に近くの都市がビーストマンの軍により落とされたらしい。そして現在この都市にも軍が近づいてきているようだ。その証拠にここ数日ビーストマンの斥候部隊との小競り合いが続いているようで兵士達はかなりピリピリしているようだった。

 身元の証明が出来ず怪しまれたクレマンティーヌであったが、最終的には近くの村から逃げてきたのだろうと判断されたのか受け入れ拒否をされる事は無かった。

 結果論だが兵士達のこの判断は良かったと言える。

 もしここでクレマンティーヌの受け入れを断固として拒否していればいくつかの死体が出来上がり、この門周辺は無人になっていただろうから。

 

 都市へ入ると久しぶりの人のいる空間にクレマンティーヌの緊張が緩む。

 幸い金はあるので店で色々と食べ物を買う。

 品ぞろえは悪く、活気も無い。それに値段も高いような気がするが都市に入ったばかりで騒ぎを起こす気にもなれず素直に従う事にした。

 その後はそれとなく色々と話を聞いてみるとこの都市の現在の状況を知る事が出来た。

 

(えー…、竜王国やばいじゃん。いや前からやばいとは聞いてたけどここまで疲労してるとはね…。しかしまさかよりにもよってビーストマンとの交戦地区に来ちゃうとは私も運が悪いな…。しかも肝心の冒険者の姿はほぼ無いし。この国唯一のアダマンタイト級冒険者チーム「クリスタルティア」は装備を整える為に首都へと帰還中、か…)

 

 少し考え込み、結論を出すクレマンティーヌ。

 

(ビーストマンの交戦が始まった事を聞いて援軍が向かってきているとはいえそれまで持ちこたえられるのか…? ていうか陽光聖典は毎年こんな所に派遣されてたのかな、全く頭が下がるよねー。今年も派遣されてるのかな? 幸いまだこの都市にはいないみたいだから鉢合わせしなくて済んだけど…)

 

 どちらにせよクレマンティーヌにとってこの都市に長居する理由は無いに等しかった。

 陽光聖典と鉢合わせても面倒だし、ビーストマンとの戦闘が本格化してとばっちりを喰らっても困る。そうなる前にとっととこの都市を離れようと心に誓うのだった。

 

(まぁ今日は宿に泊まって十分に休むとして明日にでもなったら早々に出よう、てかこのパンまずいな)

 

 そう考えながら口にしていたパンを見やる。

 すると買ったパンのいくつかにカビが生えているのを発見する。

 

(あ、あんのクソ店員…! カビ生えてるやつ売りやがったな…! 何が貴重だ…! 次会ったら殺す…!)

 

 悲しいかな、その店員は嘘は吐いていない。

 現在食糧難のこの都市においてはカビの生えたパンすら貴重なのだ。少なくとも売り物になる程度には。

 しかしそんな事まで考えが至らないクレマンティーヌはカビの生えたパンの入った袋を近くの路地裏へと恨みを込めて投げ捨てる。

 

「…いたっ」

 

 するとその袋は路地裏の奥に蹲っていた一人の少女へとぶつかった。

 何事かと突如降ってきた袋へと視線を移す少女だがその中身を見て驚愕する。目をパチクリさせ何度も何度もクレマンティーヌを見る。

 その視線や行動が自分を非難していると判断したクレマンティーヌは少女へとガンを垂れ返し捨て台詞を吐く。完全に逆切れである。

 

「あぁん、何見てんだクソガキ、文句でもあんのか? 汚ねぇカッコしやがって…。ゴミにはゴミがお似合いだろーが」

 

 だがクレマンティーヌの言葉を理解していないのか少女は驚いた様子で何度もクレマンティーヌに頭を下げる。肝心のクレマンティーヌはビビって頭を下げていると思ったのかいくばくか溜飲が下がっていく。

 ちなみに自分の恰好も相当にゴミのように小汚くなっているのだがそれは気にしていない。

 

「ふん、最初っからそうしてればいいんだよー」

 

 そうして去っていくクレマンティーヌの背を見ている少女の瞳がキラキラと輝いていた事など彼女には知る由もない。

 

 

 

 

 一応この都市でランクの高いとされる宿に着いたクレマンティーヌ。

 だが客はほぼおらず、建物も管理が行き届いていないのか寂れたような印象を受ける。とはいえビーストマンが迫っている状況では営業しているだけマシなのだろう。文句を言わずクレマンティーヌは部屋へと案内を促す。 

 そして部屋へと入るなり、用意されたベッドに勢いよく身を埋める。すると体が布団に沈み込んだ。体を包み込む柔らかい感触に思わず顔がにやける。

 野外とは違い、どこも痛くならないし寒くもない。

 もはや懐かしさすら感じるこの幸せな感触を楽しむクレマンティーヌ。あまりの快適さに意識は一瞬で途切れそのまま眠りについてしまった。今までの慢性的な睡眠不足を取り返すかのように爆睡する。少しぐらいの音では起きる事も無いだろう。

 久しぶりの、本当に久しぶりの心地よく深い睡眠がクレマンティーヌを包んだ。

 

 だがすぐにその穏やかな時間は終わりを告げる事になる。

 

 

 

 

 深夜と思わしき時間。

 耳を衝くような喧噪でクレマンティーヌは目を覚ました。

 外から聞こえて来るのは人々の悲鳴と泣き叫ぶ声だ。

 跳ね起きたクレマンティーヌが窓から様子を見ると眠気が一瞬で覚める。

 大勢のビーストマン達により住民達が虐殺されていたからだ。

 

「な、なぁっ…!? なんで都市内に奴らが…! 昼間は全然大丈夫だったろうが…!」

 

 この都市がやばいというのは自覚していたがまさかこんな短時間で門が破られ侵入されてしまうなど想定もしていなかった。援軍が来る来ないの問題ではない。

 これは単純に都市の防衛につける人間が少なすぎてビーストマンの接近に直前まで気付かなったという事も含め、情報の伝達が上手くいかず発見してもそれを伝える前に狩られていた事にも起因する。

 

 それに普段のクレマンティーヌならば獣のような第六感で危険を感じ取る事も出来たろうが今日だけは違う。この心地よい睡眠のおかげでこの状態になるまで気付く事が出来なかった。

 別にビーストマン自体は怖くは無いが、相手の規模も分からない。とばっちりは御免だとすぐに逃げる準備を整えマントを羽織る。この都市がどうなろうがどうでも良い。ただ自分が助かればそれでいいのだ。

 

 宿の裏口から慌てて外へと出るクレマンティーヌだが至る所にビーストマンの姿が見える。完全にやり過ごすのは不可能と思える数。

 裏の路地から逃げるにしてもごく少数だがビーストマンが見える。

 

「ちっ…、やるしかないか…」

 

 腰からスティレットを抜き、隠れたまま近くビーストマンへと近づき脳天を串刺しにして茂みへと死体を隠す。

 それに気づき反応した二体をも叫び声を上げる間もなく瞬殺し、同様に路地の目立たぬ場所へと死体を引き摺っていく。

 そうして死角となった路地を進もうとしたクレマンティーヌだが背後に強者の気配を感じ立ち止まる。

 

「驚いたぞ…、こうも見事に兵達を屠れる者がまだ残っていたとは…」

 

 見つかったのは単純に運が悪かったとしか言えない。

 振り返ったクレマンティーヌの前にいたのは明らかに他の者より体格の大きなビーストマン。それだけで並のビーストマンでない事が理解できた。

 

「へぇ…、ビーストマンにはあまり突出した強さを持つ者はいないって聞いてたけど…。てことはアンタが隊長が何かって事かな?」

 

「そんなもんだ」

 

「ふーん、じゃ色々と忙しいんだねー」

 

 軽口を叩きながら周囲を窺うクレマンティーヌ。

 どうやら今はこの路地に他のビーストマンはいない。この一体だけのようだ。

 

「それがそうでもないのだ。どうやらこの都市にまともな人間共はいないようでな。戦いという戦いにもならずあっという間に都市を落とせてしまったのだ。全く、こんな事なら斥候部隊に穴など掘らせずに最初から全力で攻めるべきだったな…。警戒しすぎて無駄な時間を使った…」

 

 全くだ、と心の中でクレマンティーヌは思った。

 

(本当だよ…、落とすならさっさと落としといてよ…。そうしたらこんな都市寄りもしなかったのに…。ていうか穴堀りって…。まさかこの都市はそんなしょうもない工作で攻略されたのかよ…。警備の連中は本当に無能だねー)

 

 と心の中で愚痴るがそんな事を言っても今は仕方がない。

 そもそもこの都市の状況と既に国からも見捨てられ、慢性的な人手不足に陥ってる事などクレマンティーヌには知りようが無かったのだから。

 

「まぁ忙しいみたいだし私は行くねー」

 

「おいおい馬鹿か。見逃すわけないだろう?」

 

 ですよねー、と心の中で返事をするクレマンティーヌ。

 

「言っただろう? まともな人間がいなかったと…。手応えのある人間がおらず暇を持て余していたのだ。さあ、我と戦え。我の部下を瞬殺できる程の技量を持つのだ。人間とはいえせめて戦士らしく殺してやろう」

 

「一人で大丈夫ー? 部下は呼ばなくていいのかなー?」

 

「人間相手に部下を呼べと? ハッハッハ! 馬鹿を言うな。そんな事をしたらお前を部下に取られてしまうではないか。みな強者と戦いたくてウズウズしているというのに…!」

 

 そう言いながらクレマンティーヌへと歩み寄るビーストマン。

 

「なるほどねー、いやぁあんたが馬鹿で助かったよ」

 

「は?」

 

 会話中に複数の武技を発動し終え、一瞬の隙を突いてビーストマンへと飛び掛かりスティレットを突き刺す。

 

「がっ…!? き、貴様ぁっ! うぐっ!」

 

 すぐに反撃をしようとするビーストマンだがクレマンティーヌはそれを許さない。

 足を払い、体勢を崩した所を押し倒す。次に左手を口へと突っ込み声を出せなくし、後は右手に持ったスティレットで急所を何度も突き刺す。

 痛みに悶えるビーストマンの爪がクレマンティーヌの皮膚を切り裂くが躊躇はしない。口に突っ込んだ左手も牙が突き刺さり激痛が走るが仕方なく我慢する。マウントに近い状態ではいくら力で勝るビーストマンとはいえ簡単にクレマンティーヌを引き剥がせない。

 そうしてクレマンティーヌが十数回スティレットを突き刺す頃にはビーストマンは息絶えていた。

 短い時間で勝負はついたが今回は運が良かった。

 完全に隙を突けたことと、向こうがある程度クレマンティーヌを甘く見ていたからだ。

 ビーストマン側も陽光聖典やクリスタルティアの容姿は熟知している。故にこの場に彼等以上の戦士がいるなどと考えてもいなかったのだ。せいぜいが骨のありそうな奴だといった程度だろう。

 だからこの勝負の結果程にクレマンティーヌとこのビーストマンの力の差は無い。まともに勝負すればクレマンティーヌとて少しは手こずる程の相手だった。

 

「本当にあんたが馬鹿で助かったよー」

 

 ニヤリと笑い、捨て台詞を吐くとすぐにクレマンティーヌはその場を後にした。

 左腕には唾液、服やマントには大量の血液が付着しているがそれらを落とす時間も無い。

 今は一刻も早くこの都市から脱出せねばならないからだ。

 

 

 

 

 ビーストマンに追われ大勢の人々が逃げ惑う。

 皆、我先にとビーストマンが侵入した場所から反対の方へと走り逃げる。

 それをビーストマン達が笑いながら追っていく。すでに都市の主な門は別の部隊が外で抑えている。逃げ場などどこにも無いのだ。そうとも知らず醜く逃げる人間達を追い込むこの瞬間をビーストマン達は心から楽しんでいた。

 これは狩りだ。

 追い込み漁のようにわざと一方向から攻め立て、ジワジワと追い詰めていく。

 足が遅く逃げ遅れた者は順番に殺していく。なるべく残酷に、惨たらしく。

 それが残る人間達への最高のスパイスとなる。

 仲間が死ねば死ぬ程、人間達の叫び声は大きなる。それがどうしようもなく楽しく、ビーストマンとしての獣の本能が刺激され信じられぬほど高揚するのだ。

 全てが終わった後は人間達を吊るし、いつも通り順番に食べていく。

 その過程すらも愛おしい。

 味も良ければ、狩る過程や、調理の時でさえ人間達は楽しませてくれる。

 

 人間にとっては地獄絵図でも、彼等にとっては最高のパーティなのだ。

 

 だがそのパーティが崩れ去る知らせが一匹のビーストマンの耳へと届くことになる。

 

「な、なんだと!? お、弟が…、弟が殺されただと…!?」

 

 その知らせを聞きわなわなと震えるのはこの都市を攻めているビーストマン達の長。いくつかあるビーストマンの部族のうち一つの頂点に立つ者である。彼の上に立つのは全ビーストマンを統べる王ただ一人。

 

「そんな事が出来る奴がこの都市に残っていたのか…!? おお、なんという事だ…我が弟よ…! 生きていれば我を超える長となる事も出来たろうに…!」

 

 膝をつき涙を流しながら弟の死を嘆くビーストマンの長。

 しばらくするとムクリと立ち上がり低い声で命令を出す。

 

「狩りは一時中断だ…。門を押さえている以上、人間共はもはや逃げられん…。今は弟を殺した者を見つけ出す事が最優先だ…。絶対に逃がすな…! 何があってもそいつを捕まえろ! 何があってもだ…! 我の前に連れてこい! 可能なら殺しても構わん! 全員で探し出せ!」

 

 長は憎々し気に顔を歪めると小さく呟いた。

 

「絶対に殺してやるぞ…! 人間…!」

 

 

 

 

 人々が逃げる方向とは真逆にクレマンティーヌは逃げ続けていた。

 多くの人々と同じ方向に逃げなかったのは巻き込まれない為だ。人々がそちらに逃げるという事はビーストマンの多くがそちらへ追っていくという事。故に逆へと逃げれば大勢のビーストマンから追われることはない。

 多くの獲物がいる方と一匹しかいない方、追う側からすればどちらを追うかなど明白だ。

 もちろん逆へ逃げるのはそれはそれで十分に危険なのだがクレマンティーヌ一人ならばどうにでもなる。ビーストマンの本隊とさえカチ合わなければいくらでも捌ける自信があった。

 

 逃げる途中、クレマンティーヌは至る所で逃げ遅れた者達を目にした。家に閉じこもる者、井戸に身を隠す者、干し草の下に忍ぶ者など…。だが彼らが捕まるのも時間の問題であろう。

 ビーストマンは鼻が利く。匂いで居場所がバレてしまえばどうしようもない。すぐに周囲にある沢山の骸と同じ結末を辿る事になる。その証拠に周囲にいるビーストマン達には近くに隠れているのがバレているように思える。

 逃れたければクレマンティーヌのように高速で動き彼等を撒くか、複数の人々を囮にしている間に姿を眩ますかしかない。

 

 ふとその時、突如として遠くからビーストマンによる大きな遠吠えが響いた。都市全域に届くのではないかという巨大な咆哮。それが何を知らせる合図だったのかクレマンティーヌには分かる筈もない。

 周囲のビーストマンの動きが変わったのが理解できたが深く考える事なく逃走を続行した。

 路地の裏を隠れながら進むクレマンティーヌ。視界の端に一体のビーストマンを見つけるがこちらに背を向けており気付いている様子は無いので無視して進もうとしたその時――

 

「に、逃げて!」

 

 突如、そのビーストマンの向こうの物陰から小さな子供の声が聞こえた。

 それはクレマンティーヌへと投げられたものだったのだろう。声を上げた子供、もとい少女の瞳はしっかりとクレマンティーヌへと向けられていた。

 

(ちっ、あのガキ…! 言われずとも逃げるさ…。ていうかお前のせいでそのビーストマンが私に気付いたじゃねーか! クソが…! 黙って喰われてろよ…!)

 

 心の中で悪態をつくクレマンティーヌ。

 目の前のビーストマンがクンクンと鼻を鳴らす仕草を不思議に思うも、即殺する為にスティレットを引く抜く。だがクレマンティーヌが攻撃を仕掛ける前にビーストマンが突如としてその場で吠えた。

 威嚇でもなく、何かを伝えるような咆哮。

 

「な、なんだ!?」

 

 今までのビーストマンと違う動きに驚くクレマンティーヌだが気を取り直し目の前のビーストマンを瞬殺する。

 その様子を見ていた少女が目を輝かせながらクレマンティーヌを見やる。

 

「お、お姉ちゃん凄い…! も、もしかして私達を助けに…? み、皆! お姉ちゃんが()()助けてくれたよ!」

 

 その少女の奥にはまだ複数の子供達が隠れていた。そのいずれもが少女と同様に輝くような瞳でクレマンティーヌを見ている。やばい、とクレマンティーヌは直感的に思った。

 何を誤解しているのか知らないがこういう時は大抵面倒な事になるものだ。下手すると安全な所まで連れていってとか言い出すだろう。そして断れば泣き叫ぶ。だから子供は嫌いなのだ。

 どうしようか思案するクレメンティーヌ。

 てっとり早くこの子供達全員を殺す事にした。クレマンティーヌであればほんの一瞬で息の根を止める事が出来るだろう。それを実行しようとした刹那、先ほどの咆哮を聞きつけたのか複数のビーストマンが現れた。

 

「クソッ…! やっぱり仲間を呼んでたのか…? 仕方ねぇ…! おいガキ共よく聞け! お前達は向こうへ逃げろ! 死ぬ気で走れ!」

 

「そ、そんな無理だよ…。それにお姉ちゃんは!?」

 

「私は別方向に逃げて奴等を引き付ける! その間にお前達だけでも逃げるんだ、いいか全員で逃げろよ! 危なくなっても私を信じて走り続けるんだ! 絶対に私が助けてやる!」

 

 悪い顔で言うクレマンティーヌの薄っぺらな言葉に少女が感動したように頷く。

 

「わ、分かった…! お姉ちゃんを信じるよ…! 私達を助けてくれたのはお姉ちゃんだけだったから…! 昼間だって…」

 

「昼間…? ま、まあいい。ほらさっさと行け!」

 

 もちろん全て嘘である。

 クレマンティーヌにビーストマン達を引き付ける気などない。少女達を囮にして自分だけ逃げる算段をつけているだけだ。

 ビーストマンとて一人だけの人間と複数いる子供達、どちらを追うかなど火を見るより明らかだ。彼女達が喰われている間にクレマンティーヌは姿を消す。完璧だ。

 一匹か二匹はクレマンティーヌを追ってくるかもしれないがそのくらいはどうって事はない。

 クレマンティーヌの悪い笑みになど気付かず言葉通りに少女達は走り出す。子供の遅い足ではすぐにビーストマンに追い付かれてしまうだろう。だからこそここに隠れ続けていたのに。

 クレマンティーヌの言葉を信じて逃げだした少女達。

 きっとすぐにビーストマンに追い付かれ無残に殺されるだろう。

 だがしばらくしてもビーストマンが少女達を追ってくる事は無かった。しかしその時、少女達の正面から新たに数匹のビーストマンが走り寄ってきた。誰もがダメだと諦め膝から崩れたがビーストマン達は少女達を無視するように駆け抜けていった。

 何が起きたか分からず、不思議に思った少女達は後ろを振り向く。

 

 そこでは襲いかかってくるビーストマン達を次から次へと斬り伏せているクレマンティーヌの姿があった。

 

 どうやってビーストマンを引き寄せているのか分からない。なぜか姿を見せるビーストマン達は狂ったようにクレマンティーヌにだけ襲いかかっていく。少女達には目もくれずに。

 だが最も驚くべきはその強さだ。

 ビーストマンをものともしない人間離れした強さ。

 次々とビーストマンが倒れていくその様子は凄惨でありながらも流れるような一抹の美しさを感じさせた。

 

「英雄…」

 

 子供達の誰かがポツリと呟いた。

 誰もが小さい時に聞かされた英雄譚。

 困っている人々を助けてくれる英雄。

 襲われている人々を守ってくれる英雄。

 心のどこかでずっと求め、憧れていた存在。

 いつかそんな誰かが自分達を助けてくれるのではないかと誰もが妄想した。

 しかし英雄譚などただの御伽噺で作り話なのだと誰もが理解していた。

 

 だが違った。

 

 英雄は確かにいて彼女達を助けてくれたのだから。

 昼間にはパンを恵んでくれた。あれもただの偶然ではなかったのだ。

 英雄はいつだって困ってる人を助けてくれるのだから。

 空腹から救ってくれ、命までも救われた。

 

 これが英雄。

 なぜ英雄が人々の間で長い時を経ても語り継がれるのか少女はこの日、本当の意味で理解した。

 

 

 

 

「な、なんで全員こっちに来るんだよ! あっちに行けって! 旨そうなガキ共が沢山いんだろ!」

 

 計画が一瞬で狂った事でクレマンティーヌは慌てていた。

 なぜかビーストマン達が子供達には一切反応せずクレマンティーヌだけをしつこく狙ってくるのだ。

 建物の屋根を上ったり追いづらいように逃げているのに必死でビーストマン達が追ってくる。

 

「クソがぁっ!」

 

 仕方がないので逃げながらも次々と襲い掛かってくるビーストマンを斬り伏せていく。

 だがその数は減らない。

 むしろどんどん集まり増えていくのだ。

 それにどれだけ斬り殺しても全く臆する事なく向かってくる。

 一体何が起きているのかクレマンティーヌには全く理解できない。

 

 遠吠えによりビーストマンの長の弟が殺された事はすでに大多数のビーストマンに伝わっていた。

 詳細な命令が下された訳ではないが誰しもが本能的に察知したのだ。

 長に連なる者が殺される事は部族にとって一大事だ。部族の誇りを保つ為には絶対に血で償わせなければならない。それは狩りよりも優先される。

 さらに仲間の仇はもちろん、強者を倒したとあれば部族内での地位も上がる。狩りでハイになっている事も関係するだろう。仲間が倒れようとも必死で襲いかかる。故に現在、誰もがクレマンティーヌを狙う事態となっていたのだ。

 何よりビーストマンは鼻が利く。

 至ってシンプルな理由でクレマンティーヌの犯行だという事は彼等に露見していたのだ。腕からは唾液、マントには大量の血液。このタイミングで長の弟の匂いを撒き散らす人間がいれば他には考えられない。

 もちろん都市全体まで匂いが届くわけでは無いし、見つかってさえいなければどうにか逃げれただろう。匂いだけで0から探すには少々時間がかかるからだ。だがもう無理だ。

 一度見つかってしまい、遠吠えで大まかな位置を伝えられたらそこから逃げるのは不可能に近い。ある程度の位置を絞る事で嗅ぎつけれる射程範囲に入ってしまえば後は匂いの元を追っていくだけなのだから。

 

「クソッ…! こっちにもいやがる! どうなってる!?」

 

 クレマンティーヌがどれだけ姿を隠そうが、どれだけ距離を開こうが、どれだけ非常識な場所を通ろうとビーストマン達は迷う事なく追ってくる。むしろ逃げる先々で待ち構えている者も多く、次第に逃げ場所は失われていく。

 気が付けばクレマンティーヌは都市の小さな広場に追い込まれていた。

 

「ちくしょうがっ…!」

 

 周囲はアリの通る隙間が無い程、ビーストマン達の軍勢で囲まれていた。

 都市の中という事もあり視認出来る数は数百程だが、見えない場所にもそれ以上いるのが感じ取れる。

 ここに来るまでに何十体ものビーストマンを斬り伏せてきたがそれがごく一部に過ぎないと否応にも理解させられた。

 クレマンティーヌがどれだけ殺しても仲間の死体を踏みつけながらどんどんと迫ってくる。

 物量が違う。

 士気が違う。

 殺気が違う。

 常識が違う。

 感覚が違う。

 戦闘能力が違う。

 人間という種族よりも高いスペックを持った軍勢に追い込まれてはクレマンティーヌといえど打開など出来る筈が無い。格下といえど、この数に対しての平均能力が高すぎる。このまま戦い続けては最終的に押し潰され敗北するのは己だと理解できる。

 どうしたものかと心の中で試案していると、急に周囲のビーストマン達が静かになった。

 そして一カ所、まるで道を作るように大勢のビーストマン達が割れた。

 その先から歩いてくるのは一際巨大なビーストマン。

 クレマンティーヌが殺したあの一回り大きいビーストマンよりもさらに大きな体躯を持つ者。

 

「貴様か…。驚いたぞ、我が弟を下したばかりかこれだけの数の同胞をも屠る事の出来る人間がいたとはな…」

 

 部族を束ねる長。

 その実力はビーストマンの中でも三本の指に入るだろう。

 冒険者で言えば間違いなくアダマンタイト級以上。

 単純に戦闘能力を比べるならクレマンティーヌと同格かそれより上だ。

 

「はは…、こりゃ詰んだ…、かな…?」

 

 弱音を吐くクレマンティーヌを見て長が笑う。

 

「安心しろ人間。我が来た以上、部下達に手出しはさせん。我が相手をしてやろう」

 

「そりゃどーも…」

 

 同格とはいえ今はタイミングが悪い。 

 普段であれば互角の戦いが出来るかもしれないが、今は極度の疲労、さらに重傷ではないとはいえ多くの傷を負っている。まともに勝負など出来る筈が無い。

 仮に目の前の長と互角の勝負が出来たとしても周囲のビーストマン達をどう攻略すればいいのだろうか。

 どう転んでもクレマンティーヌに未来は無い。

 

「ていうかさぁ、一騎打ちって事は勝ったら見逃してくれんの…?」

 

「ハハハ! 勘違いするな! これは一騎打ちではない! 処刑だ! 愚かにも我らに仇なした人間への断罪! 我が弟の魂を鎮める為に貴様を殺す! 部族の誇りと弟の誇りを守る為に! それをここにいるビーストマン達に見せつけ証明する為だ! 弟に勝った事は素直に褒めてやるが人間風情が部族を束ねる長たる我に勝てる筈がない!」

 

 高らかに笑った後、長が静かに息を吐く。

 

「弟の無念、ここで晴らしてくれる…!」

 

 そう呟くと長は一気にクレマンティーヌへと距離を詰めた。

 

「っっ!」

 

「ほう! 反応するか人間!」

 

 長の踏み込みと同時に放たれた抜き手を間一髪で躱すクレマンティーヌ。だが攻撃はそれで終わらない。

 

「フン!」

 

 避けたクレマンティーヌへと追撃するように長の爪が襲う。

 

「くっ…!」

 

 避けられないと悟ってスティレットで受け流すが、爪による切り裂き攻撃が何度も浴びせられる。

 たまらず後ろに飛び距離を取るクレマンティーヌだが長はそれを逃さない。

 一瞬の隙を付き、長の手がクレマンティーヌへと伸び首を掴む。

 

「がっ…!」

 

 首根っこを掴まれ、宙に浮くクレマンティーヌ。

 バタバタともがくが逃げる事は叶わない。

 

「ハッハァ! 意外とあっけなかったな人間! 素早いと聞いていたがこんなものか!」

 

 即座に長がもう片方の手でクレマンティーヌの腹へ拳を打ち込む。

 

「ぐふっ!」

 

 その一撃でクレマンティーヌの口から血が零れる。体からは力が抜け、腕がダラリと落ちる。

 それを見た周囲のビーストマン達が高らかに吠える。

 長の勝利に。

 長の強さに。

 部族の誇りに。

 異常な熱気が辺りを包み、周囲のビーストマン達から殺せというコールが鳴り響く。

 

 それを聞いた長がクレマンティーヌの首を掴んだまま勢いよく地面へと叩きつけた。地面は砕け、その破片がクレマンティーヌの背中へと突き刺さる。

 そして再びクレマンティーヌを引き上げるとさらに地面へと叩きつける。

 長のそれはパフォーマンスなのだろう。

 その行動で周囲のビーストマン達の熱気がますます高まっていく。

 

 虚ろな目をしたクレマンティーヌを見下ろし長が口を開く。

 

「後悔しろ人間。我らビーストマンに手を出した事をな…。我らはやがて全ての亜人種の頂点に立つ存在だ…! 頂点にして至高…! 何人も我々の道を阻む事は叶わん…! 人間達の国も全て支配してやろう…! 全ての種族は我らに跪くべきなのだ…!」

 

 狂気にも似た笑いを顔に貼り付け長が叫ぶ。

 クレマンティーヌはそれを聞きながら己の中に形容し難い感情が沸いてくるのを感じていた。

 

 ()()()()()()()()()()()()()存在が身の程も知らず喚いている事に何の感情を抱いているのか理解が追い付かない。

 怒りとも違う、憐憫とも違う。

 愚かしいとは思うが何かが違う。

 自分の中の何が動かされたのだろうか。

 

「クズが! ゴミが! 多少強かろうと人間など所詮は我らがエサよ! 我々偉大なるビーストマンの糧となる事を喜ぶがいい! 反抗するなど百年早いわ!」

 

 長は反応しなくなったクレマンティーヌの顔を何度も殴打しながら狂ったように叫び続ける。

 力を誇示するように。また己が優れてるのだと確信して。

 この世の頂点に近く、いつかはその頂点さえ極められると信じて。

 

 瞼が腫れあがり、口が裂け、歯が折れ、鼻が潰れながらやっとクレマンティーヌは確信に至った。

 

 自分の中に沸いた感情、それは喜びだ。

 

 初めて拷問をした時と同じ感情が湧いてくるのを感じる。

 もちろん自分が殴られている事にではない。

 これから自分が行う事を想像して、だ。

 

 まずはここから抜け出そうと必死に長の腕を引き剥がそうとする。爪が剥がれる程ひっかき、顔を動かし噛みつこうとする。

 だが腕力で劣るクレマンティーヌが簡単にこの拘束から逃れる事は出来ない。それでも暴れる。息が苦しく視界が狭まろうと己の欲求を叶える為に全力で。

 どうせ死ぬなら、最後に楽しませて貰おうと。

 

「無様だな人間…。最後の足掻き、死の舞踊か…。それもいいだろう。貴様に相応しい最後だ」

 

 クレマンティーヌの頭部は見るも悲惨な事になっているがまだ体は無事だ。

 手は動くし、足も曲がる。 

 まだ、戦える。

 

(<能力向上>、<能力超向上>…!)

 

 静かに武技を発動し、己の身体能力を高める。

 だがそれでも足りない。

 この状況を打破するにはもう一歩必要だ。

 つい先日会得したばかりの彼女のオリジナルの武技。

 

(<脳力解放>!)

 

 これを使えばその後しばらくはまともに動けなくなるし、肉体も損傷するが後の事を考える必要は無い。

 どうせ死ぬなら、もう関係ないのだから。

 

「ん…? ぐぅあっ!」

 

 クレマンティーヌの手が長の腕をガシリを掴んだ。

 その握力は先程までの人間のものとは思えない。予想外の痛みに長の体がビクンと跳ねる。だがそれでも長を跳ねのける程ではない。

 まだ足りないのだ。

 

「ぐぅっ…! ま、まだこんな力が残っていたとはな…! いや流石は我が弟を殺した人間というべきか…! もう遊びは終わりだ…! 貴様はここで我が全力の一撃を以って屠るとしよう!」

 

 そうして長が力を込め、拳を振り上げたその時。

 クレマンティーヌの首を掴んでいた筈の長の手から奇妙な音がした。

 長はもちろん、周囲のビーストマン達も何が起きたのか理解できない。

 ただ一つ言えるのは、かつてクレマンティーヌの兄が評したように彼女は確かに天才だったのだ。

 

「<脳力超解放>ォォォオオオ!!!」

 

 この土壇場で彼女は以前習得した武技のさらに上へ辿り着いた。

 己の肉体の事など省みない、諸刃の武技。

 <能力向上><能力超向上>と<脳力解放>、さらにその上位版の重ね掛け。

 一時的とはいえその力は以前の力を遥かに凌駕する。

 肉体への負担は計り知れないが。

 

「あぎゃあぁぁあぁぁ!!!」

 

 長の叫びが辺りに轟いた。

 周囲のビーストマン達がその異常事態に気付いたのは長の肘から先が真逆に折れ曲がってからだった。

 苦痛に悶える長を蹴り飛ばし、クレマンティーヌが立ち上がる。

 その口からは蒸気のように白い息が漏れていた。

 肌も異常なほど血管が浮き出ており、皮膚は赤く染まり、全身からは湯気が立ち昇っている。

 体中の血液が高速で全身を廻り、筋肉は熱を帯びる。

 エンジンのように心臓音が大きく響く。

 あまりの負荷に血管が耐えきれないのか、至る所からピューピューと血が噴き出る。

 明らかに異質で異常。

 人間の限界を超え、人間を辞めた事による弊害。

 この瞬間だけならば、純粋な人間として恐らくこの世界で最強と呼んでも差し支えないだろう。

 

「好き放題やってくれやがって…! お前だけは泣かす…!」

 

 長を見下ろし吐き捨てるクレマンティーヌ。

 その言葉にプライドを刺激されたのだろう。怒りに支配された長が立ち上がり攻撃を仕掛ける。

 

「ナ、ナメるな人間がぁぁぁ! たかが一度のまぐれくらいでぇええ! 殺して…が…あぁぁ…」

 

 だが長の攻撃が届く前にクレマンティーヌのスティレットが長の首を貫いた。

 長の動体視力を以ってすら視認できない神速の一撃。

 

「かひゅっ…、かひゅっ…、な、何が…」

 

 状況を認識出来ていない長へ間髪入れず蹴りを入れるクレマンティーヌ。以前なら無理だったろうが今のクレマンティーヌの一撃は容易く長の丸太のような足を粉砕した。

 

「いぎゃあぁぁああぁ!!」

 

 その場へ横転し痛みに悶える長。

 その眼前にクレマンティーヌが再び立ちはだかり再度見下ろす。

 

「どうしたビーストマン…。私を処刑するんだろ…? やってみろよ…!」

 

「ひっ…!」

 

 初めて長の口から悲鳴が漏れた。

 それは己よりも強大な存在を前にした時に感じる本能であろう。

 野生で生きれば生きる程、その本能は正しく正確だ。

 長は理解したのだ。

 目の前にいるのは怪物だ。

 自分が全力を出してもなお届かぬ高みにいる魔物だと。

 だが認める訳にはいかない。

 そんな筈がないのだ。

 自分が人間などに負ける筈が無いのだから。

 

「お、お前達っ! や、やれっ! こいつを殺せぇぇえええ!」

 

 長の命令を受け、即座に複数のビーストマン達がクレマンティーヌへと襲いかかる。深く考えてはいない。長に命じられ、反射的に動いたのだ。

 だが次の一瞬でそのビーストマン達は変わり果てた姿へと変わる。

 

 一匹はクレマンティーヌの渾身の裏拳により腹部が爆散して即死した。

 次の一匹は蹴り上げられたアゴ先が消し飛び、首はへし折れ180度曲がり顔が真後ろを逆さで見ている状態になった。

 次の一匹は胸部に正面からの正拳突きを受け、砕けた骨や折れた骨が背を破って飛び出てしまった。

 次の一匹は腹から臓物を撒き散らし――

 次の一匹は脳がこぼれ――

 次の一匹は――

 

 そうして瞬く間に数十の無残なビーストマンの骸が辺りに転がった。

 その悲惨な様子に他のビーストマン達は足が竦み動けなくなっていた。

 単純な腕力だけでいえばまだ長の方がクレマンティーヌより高いかもしれない。

 だがこのような破壊を可能にしたのはクレマンティーヌの速度。

 元より圧倒的に優れた速度を持つ彼女だ。

 それが身体能力が跳ね上がる事によりさらに速度を増す。

 速度とは破壊力だ。

 そこに確かな腕力と技術が介入すれば信じられぬ結果を生み出す。

 

「ど、どうしたお前達! や、やれぇ! こいつをやれぇぇえ!!!」

 

 だがもう長の叫びは届かない。

 誰もが得体の知れない恐怖に囚われ動きは鈍い。どれほど愚かであろうとクレマンティーヌの異常さは感じ取れるし、目の前で嫌というほど見せつけられた為だ。

 再びクレマンティーヌが長へと向き直り、見下ろす。

 

「ひっ…」

 

「そう、その顔だ…! お前にはそれが相応しい…! ()()()()()()()()()…! 自分が強いと信じ、優れた存在だと誤解してる哀れな道化師だ…!」

 

 愉悦の表情を浮かべながらクレマンティーヌが続ける。

 

「身の程を知らず…、調子に乗り…、ただ吠えてるだけの愚か者…! それがお前だ…! お前は優れてなんかいない…! 強くなんてない…! この世にはな、もっと規格外のクソみたいな強者共がウヨウヨしてんだよ!」

 

 クレマンティーヌに詰め寄られ泣きそうな表情を浮かべる長。

 

「ああ、楽しいなぁ…。勘違いしてる奴の鼻っ柱を折り、身の程を知らしめ、絶望に叩き落すのは最高だ…! この世の理不尽を叩きつけられ! 自分が矮小な存在だと理解する! 奪われるだけの弱者だと! そう理解し、震える奴の表情がこんなに甘美だとは知らなかったよ…! なぁ、今どんな気分だ? 教えてくれよ、アンタの口から生の感想が聞きたいなぁ…!」

 

 崩れ落ちそうな理性を必死で保ち、長が震えながら口を開く。

 

「お、王が…、我らが王さえ来れば貴様など……」

 

「そういう事を聞いてんじゃねぇ!」

 

「あぐぁぁあああああ!!!」

 

 クレマンティーヌが長のまだ無事な方の足を踏み砕き、恫喝する。

 

「アンタの上の奴の話なんか聞いてねぇんだよ! テメェだよ! テメェがちっぽけでクソみたいな存在な事をどう思ってんのか聞いてんだよぉぉぉ!! 偉そうにお山の大将やってた奴が! それが全部偽りで! この世の真実に直面し! ここで無様に泣きながら突っ伏してる事実をどう思ってるのか聞いてんだよぉぉ!」

 

 再び砕けた足を何度も踏みつけ原型が無くなる程に踏み抜く。

 

「や、やめっ…! た、助けて…! 助けてくれぇ…! わ、我が悪かった…! だから頼む…! し、死にたくない…! 死ぬのは嫌だ…! 頼む…!」

 

「そうだ! 気の利いた事が言えねぇなら命乞いでもしてみろ! 私が助けたくなるような見事な命乞いをなぁ! ほらどうした! いいのか!? 次は残った腕だ! それが無くなったら頭を砕くぞ!」

 

「い、いや、やめて…! 何でも…、何でもするから…お願い…」

 

「駄目だぁ!! 全然普通だよ! 私が拷問してきた人間と何にも変わらねぇ! 命乞いまでクソだな! テメーみてぇなクソったれが身の程も知らずにデカイ口を叩いてたかと思うと吐き気がする!」

 

 クレマンティーヌは新しい性癖に目覚めていた。

 今までのようにただの弱者を嬲り痛ぶるのではなく、身の程を理解せず、()()()()()()()()()()()()()に現実を理解させる事だ。

 それが過去の自分を否定する事になるし、許される気分になるのだ。

 何より、図に乗った者の哀れな姿ほど絵になるものは無い。

 もう今はただの弱者になどに興味は湧かない。

 きっと次から殺すのは身の丈を勘違いしている愚か者だけだ。

 

「あははっはっははははっは!!!」

 

 いつしか長の口から命乞いは出なくなっていた。

 目玉が飛び出し、舌は引っこ抜かれ、腕や足は千切れ飛んでいる。

 その物体が長だとかろうじて認識出来る要素は彼が装備していた物の成れの果てだけだ。

 もはや長が死体とも呼べない状態になった時、一匹のビーストマンの口から悲鳴が漏れた。

 

「お、長が殺された…。お、長が…。う、うわぁああぁぁああ!」

 

 そうして悲鳴を上げ恐慌状態に陥った一匹のビーストマンが逃げ出した。

 それが引き金となったのだろう。

 周囲にいた何百ものビーストマン達が釣られて脱兎の如く逃げ出した。

 長はもちろん、自らの同胞がゴミのように殺される瞬間を見続けて正気を保てる者などいなかった。

 もう部族の誇りも何もない。全ては地に落ちた。

 皆が己の命の為だけに本能に従う。

 その叫びはこの都市内にいるビーストマンはもちろん、外で待機する者達にも届いた。

 自分達を支配する強大なる長。

 それが一方的に敗北したとなれば敗走するには十分だ。

 

 しかしその実クレマンティーヌは限界に近く、今や数で圧し潰せば大した犠牲も出ず簡単に殺せるのだが彼等にそんな事など分かる筈も無い。

 正体不明の化け物から逃げ出す事で精一杯だ。

 彼等の目に映ったのは絶大なる自らの長を、逸脱した圧倒的な暴力で蹂躙する怪物の姿だったからだ。

 

 気が付けばクレマンティーヌのいた広場には彼女と数え切れないビーストマンの死体だけが残った。

 

「あ、あれ…。みんないなくなっちゃった…。は、はは、ラッキー…。も、もう体の感覚が無くなってきててヤバイとこだったんだよねー…」

 

 九死に一生を得たクレマンティーヌはすぐに逃げる準備をする。

 少なくとも体が動く内にこの都市を出なければならない。

 

「逃げた奴らが仲間を連れて戻ってくるかもしれないしねー…。王とやらがどんだけ強いか知らないけどさっきの奴より強いなら勘弁して貰いたいしねー…、あーイタタ。やばい信じられないくらい痛い…。なんかイラついてきたな…」

 

 最後に腹いせで長の死体を蹴り飛ばすと外へと向かって歩き出すクレマンティーヌ。

 

 この後、無事に都市の外へと脱出する事は出来たのだが再び倒れ、数日間動けなくなってしまう。

 そしてまた空腹、水分不足、極度の疲労等のような地獄を再度味わう事になる。

 今度は前回以上の苦痛と共に。

 

 彼女の受難はまだ終わりそうにない。

 

 

 

 

「な、なんだ…? ビ、ビーストマンが…、ビーストマンが逃げ出したぞ…!」

 

「都市の外にいた奴等もいなくなってる…!」

 

「き、奇跡だ! 奇跡が起きたんだ!」

 

 ビーストマンが去った後、生き残った住人達は歓喜に沸いた。

 なぜビーストマン達がいなくなったのか誰にも分からない。

 だがそれでも自分達の命が助かった事は事実であり、誰もがこの僥倖を喜んだ。

 

 後に一人の少女が語る。

 この街を救った一人の英雄を。

 短く切りそろえられた金髪が印象的な美しい女性。

 手に持つスティレットの如く細い肢体を持ちながら、ビーストマンをも圧倒する強さを持つ。

 まるで御伽噺のように可憐で強大な力を持ちながらそれを誇示する事もせず人知れず姿を消したと。

 その少女の言葉が正しかった事は都市の広場にある無数のビーストマンの死体が証明していた。

 

 やがてその者はこの都市で語り継がれる事になる。

 金色の英雄として。

 

 そして英雄に相応しく慈愛にも溢れ、餓えた者には貴重な食料さえ笑って分け与えてくれる。

 だが少女曰く、照れ隠しでつく悪態がなんとも不釣り合いで可愛らしいとの事だ。

 

 

 だが危機は去ったわけでは無い。

 まだこの都市はビーストマンの脅威から逃れられた訳ではないのだから。

 

 

 

 

 元、竜王国の都市の一つであり現在はビーストマンの拠点。

 その中で一際大きな建物の中に一匹のビーストマンが勢いよく走り込んでいく。

 

「お、王っ! 王! た、大変でございます!」

 

「どうした騒がしい…」

 

 建物の中には机や椅子を寄せ集め、簡易的な玉座が作られていた。

 その玉座に鎮座するのはビーストマンの王。

 この種族の頂点に立つ存在である。

 

「は、はっ! そ、それが…ここより北の都市に向かった牙の部族なのですが…」

 

「ふむ、もう落としたか流石だな。牙の長はビーストマンの中でも儂に次ぐ実力者…。当然と言うべきか…」

 

「い、いえそれが…」

 

 だが報告をしようとしているビーストマンは王の前でなかなか言葉を紡げずにいる。

 

「どうした何かあるならさっさと言え、無駄な時間は好まんぞ…」

 

「は、はっ! 申し訳ありません! で、では率直に申し上げます! 牙の長及びその弟、数百の者達が戦死しました! 残った部族の者達は敗走しこの拠点へと逃げ帰ってきております!」

 

「なんだと!?」

 

 その報告に王は手にもっていたグラスを落とす。

 

「ば、馬鹿な…! 奴がやられたというのか…! まさかクリスタルティアか…? いやそれとも毎年顔を出すあの魔法詠唱者(マジックキャスター)集団か!? いや奴等は引き上げたと報告があった筈だぞ…。だが仮に奴等だとしても牙の長がそんな簡単に後れを取るとは…」

 

「ひ、一人だそうです…」

 

「何!?」

 

「どうやらクリスタルティアとも魔法詠唱者(マジックキャスター)の部隊とも違う、見た事の無い人間だったと…」

 

「ば、馬鹿な! 竜王国にはまだ隠し玉がいたというのか!? おのれ…、忌々しい人間どもめ…」

 

 怒りに顔を歪ませ王が呟く。

 

「全軍で出るぞ…」

 

「は、はっ?」

 

「儂が指揮する。牙の部族の生き残りは我が配下に組み込め。爪の部族や他の部族も全てここに呼び戻せ…。全軍をもって蹂躙してくれる…! もう手加減などせん…! そのまま竜王国の首都まで攻め込んでやろうぞ…!」

 

 王が立ち上がる。

 その体躯は牙の長よりも巨大であり、一般のビーストマンが小さく見える程。

 腕力もスピードも全てが牙の長に勝る。

 アダマンタイト級冒険者ですら勝算が薄い真の実力者だ。

 

「我がビーストマンが軍勢20万をもって滅ぼしてくれる…!」

 

 もう竜王国には彼等を止められる者など存在しない。

 クリスタルティアや陽光聖典ですらこの数を相手には何も出来ないだろう。

 金色の英雄と祭り上げられたクレマンティーヌさえ都市から逃げ出しすでにいない。それどころかすでに竜王国国境の湖を無事に南下しておりエリュエンティウへと確実に近づいている始末。

 

 もう竜王国の滅亡は時間の問題であるといえる。

 ビーストマンの軍勢が揃い、侵攻が開始されるのは数日後。

 

 

 

 ただこの時――

 奇妙な仮面を被った四体のアンデッドがひっそりと竜王国に入国していた事を除けば。

 

 

 

 

 大陸の東に位置する海上都市。

 そこにリグリット・ベルスー・カウラウは訪れていた。

 ツアーの協力で評議国のドラゴンの力を借り、近場まで運んで貰っていたのだ。

 そうでなければいくら魔法があろうと人一人では評議国からここまで途方もない時間がかかってしまう。

 

 そうしてリグリットは都市へと入り、最下層へと向かって下っていく。

 

 この世界の技術では考えられぬ透明な板が張り付けられた巨大な壁。そのおかげで水中に位置するこの下層では海の様子がハッキリと見て取れる。

 この世のものとは思えぬ幻想的な光景だ。

 

 だがリグリットはこの景色を楽しみに来たのではない。気を取り直し再び歩を進める。

 途中様々なギミックがあるがリーダーの残した言葉を頼りに進んでいく。

 やがて最下層に到着するとドアを開けその部屋へと入る。

 

 中央にあるのは巨大な水槽。

 その中で女性が裸のまま揺蕩っている。 

 リグリットも直接見るのは初めてだが実際に見るとリーダーから聞いていた以上に女性は美しい。

 まるで人間とは思えぬ程に。

 

 寝ている彼女を起こしてよいものだろうかとリグリットは思案する。

 リーダーからは基本的に害は無いとは聞いているが無礼を行って機嫌を損ねる訳にもいかない。

 とはいえここでずっと待っている訳にもいかない。

 意を決してリグリットは声をかける。

 

「寝ているところすまん。儂はリグリット、リーダーの友人じゃ。いきなりですまんが世界を救うためにどうか儂らに力を貸して貰えないじゃろうか?」

 

 少しして彼女の目がゆっくりと開かれた。

 リグリットの声が届いたのだろうか。

 あるいは、百年の揺り返しの時が来たからか――

 

 目が覚めた彼女は何を思い、何を為すのか。

 友との約束を守る為ならばきっと彼女は何でもするだろう。

 手元に抱えるのは彼女が持つたった一つの物。

 彼女の希望であり、彼女の全て。

 

 世界すらも改変しうる二十しか存在しないアイテムの一つ。

 それが彼女に呼応するように手元で妖しく輝いていた。

 

 

 

 

 スレイン法国。

 

 未だ占星千里は己の部屋から出てこようとせず引きこもったままでいた。

 漆黒聖典の者達が何度も説得に来るが占星千里が耳を貸す事は無い。

 

 彼女は己が予言した事で一つだけ国に伝えていない事があった。

 それこそが彼女が真に引きこもった原因であり恐怖の対象。

 国に伝えれば騒ぎになるだけの一大事。

 

 彼女の予言は世界を滅ぼす災厄の渦。

 帝国から始まり、やがてそれは世界へと広がるというもの。

 その予言の延長上、断片的にだが彼女は信じ難く、受け入れがたいものを見た。

 

 何と形容するべきだろうか。

 

 あれは()()()()()とも言うべき壮絶なものだ。

 人知の及ばぬ、規格外の戦い。

 人類最高峰と呼ばれる自分達漆黒聖典さえものの役に立たない。

 だが彼女の心をヘシ折った最大の要因は番外席次についてだ。

 

 法国最強であり、その強さだけならば神に匹敵するのではと言われる化け物の中の化け物。

 法国の切り札。

 

 それが、占星千里の見た未来では。

 何者かに敗れ倒されていた。

 

 人類最強の存在であり、人類の守り手である彼女が敗北するのだ。

 

 それは法国の敗北を意味し、また人類の終わりを意味する。

 もう何をしても無駄なのだ。

 番外席次の敗北は不可避。

 全てが、終わる。

 

 だからこそ占星千里は気が狂い部屋に閉じこもった。

 せめてわずかでもその恐怖から目を逸らすようにと。

 

 きっと今も終わりの時は少しずつ近づいてきている。

 刻々、刻々と。

 




帰ってきました。

そしてごめんなさい…!
自分でも信じがたい程の時間が空いてしまいました…、忙しくなるのは分かってたのでせめてこの後編まで書いておきたかったのですがこんな事になってしまい…、うぅ…
やはり時間が空くとダメですね、書いてた事も忘れるし書き方も忘れていました
自分で読み直さないと話の整合性が取れなくなるという事態がさらに投稿を延ばす結果に…
反省しなければ…

それと今話はあまり詳細にやるとまた分割になりそうだったのでかなり削って一話に収めたので少々窮屈かもしれません…。お許しを…

何はともあれ次回から再びモモンガさんパートになります
クレマンでかなり時間を使ってしまいましたがこの前フリが必要だったのでどうかご容赦下さい


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竜王国編
都市掃討戦


前回のあらすじ

竜王国で争いに巻き込まれ渋々ビーストマンを倒すクレマン!
民衆から金色の英雄と担ぎ上げられるもすぐにとんずら!
どうなる竜王国!?


「平和ですねぇ」

 

「確かに平和です」

 

「平和だな」

 

 4つの人影がカッツェ平野を歩いていた。

 緑がほとんど無く赤茶けた地面が広がる荒涼たる大地。薄い霧により視界も悪く、数多のアンデッドが闊歩する生者にとっては地獄のような場所である。

 

「しかしこう何も無いとつまらんな、ハプニングからのイチャイチャが出来んではないか…」

 

「ん? 何か言いましたかイビルアイさん」

 

「あう! な、何も言っていないぞ! ただこう何も無いと冒険者としては物足りんなと思っただけだ! 別にそれだけだ! 何かを期待しているとかそんなことでは断じてない! いや、お前がどうしてもというなら、その…」

 

「なるほど」

 

 イビルアイの返答にモモンガは静かに頷く。その言葉に多少なりとも同意できたからだ。カッツェ平野、別名・死の大地と呼ばれるほど危険な場所であるらしい。

 その証拠に少し前に英雄級のクレマンティーヌでさえここを通った時は死ぬほどの目に遭っていたが彼らには関係ない。4人全員がアンデッドだからだ。

 途中で大地を進む巨大な幽霊船とでも言うべきものに遭遇した時は驚いた。敵対するどころか丁寧に道を教えてくれたのだから。むしろ途中まで道が同じだからと船に乗せてくれた。おかげで迷わずに済んだモモンガは船長に深い感謝を告げる。降りた後も船員達はその姿が見えなくなるまで手を振ってくれていた。まだまだ世の中捨てたものではないなと思い晴れやかな気持ちになるモモンガであった。

 

「噂なんてアテになりませんね。酷い場所どころか親切な人ばかりじゃないですか」

 

「う、ううむ。確かに私も驚いたぞ…。カッツェ平野にあのような話が通じる者たちがいるとは…」

 

 イビルアイはアンデッド感知を無効化する指輪をつけているのだがあくまでアンデッド感知を無効化しているだけで特に生者としての気配を放っている訳ではない。故に生者の気配に反応するアンデッドからすればイビルアイもまた敵対すべき相手ではないのだ。

 まぁ仲間とも思われない訳でどちらかというと無関心と言うほうが近いのだが。

 ちなみにモモンガにおいては未だイビルアイが吸血鬼だとは気づいていない。

 

「あ、もうカッツェ平野を抜けそうですよ。船に乗せてもらったおかげで早かったですね」

 

「全くですモモンガさん。こんなに快適な旅は初めてでした!」

 

「確かに。機会があればまた来たいですね!」

 

「ええ、是非! その時はあの船長達にも何か手土産を持っていきましょう!」

 

 モモンガとデイバーノックが楽しそうにキャッキャっとはしゃいでいる。まるで普段忙しい自分へのご褒美と称して海外旅行へ行くOLが如く。

 人間の土地とは違い、何にも縛られない自由と解放感を味わったモモンガ達。それと別れを告げるのを惜しみながら彼らはカッツェ平野を抜けた。

 

 

 

 

「宰相! 宰相はおるか!」

 

 竜王国の王城、その一角を憤怒の形相で女王であるドラウディロンが歩いていく。やがて会議室にたどり着くと勢いよくその扉を開け放った。

 

「これは陛下。如何なされました?」

 

 冷静な様子で宰相がドラウディロンに問いかける。

 

「如何なされたではない! 前線の都市はどうなっておる!? 援軍は送ったのか!? なぜその前線で戦ってくれている筈のクリスタル・ティアが帰還しているのに民達が逃げたという報告が上がっていないのだ! 調べてみたら陽光聖典の者たちも消耗し前線から退いておるそうではないか!」

 

「おかしいですな、陽光聖典の方々はともかくクリスタル・ティアの方々は今も前線で戦ってくれている筈ですが…」

 

「嘘を申すな! 先ほどセラブレイトの奴が私の所に顔を出しに来たぞ! 麗しき女王のご尊顔をいち早く拝見したく馳せ参じましたとか気持ち悪い事をのたまいながらな!」

 

 ドラウディロンのその言葉に心の中で舌打ちをつく宰相。

 

(あのロリコンめ…! 陛下に顔を出すのは少し時間を置いてからと口を酸っぱくして言いつけておいたものを…! 全く性欲の一つもコントロール出来ないとは全くもって嘆かわしい…!)

 

 宰相は前線の都市を見捨てる判断をしていた。故にその場所で戦っているクリスタル・ティアの面々を早々に帰還させたのだ。後は都市が落ちた後にタイミングを合わせその後に帰還した風を装いドラウディロンにお目通りをさせるつもりでいた。

 最後まで戦いましたが守る事叶わず帰還したようですと報告すればドラウディロンも落ち込むだろうが納得はしてくれると踏んでいたのだ。だがそれをセラブレイトの性欲が台無しにした。

 

「何か言ったらどうだ宰相! 前線は…、現場はどうなっておるのだ!?」

 

「……」

 

「なぜ何も言わん! ま、まさか宰相お主…!」

 

 ドラウディロンも馬鹿ではない、むしろ統治者としては有能と言えるだろう。故に宰相の沈黙が何を意味するかすぐに理解した。

 

「…仕方が無かったのです陛下。あの都市の民達を逃がしたとてどこの都市で受け入れるというのです? それに収穫がなければビーストマン達はすぐに次の都市へと攻め入るでしょう。下手な事をして被害が拡大するのを防ぐのが最善です」

 

「何が最善か! 助けを求める民を見捨てる事の何が!」

 

「最も優先すべきは国です。多少の被害には目を瞑るしかありません。それだけ我が国は追い詰められているのです! 下手な同情心は国を傾けるだけ! 心を鬼にして非情な決断を下さねばならぬのです!」

 

「民を見捨てる国などあってたまるか! 戦いの末、守り切れなかったのならまだしも最初から守らぬと判断するなど王の所業ではない!」

 

「ならばどうされるおつもりか! 軍を投入し、軍もろともビーストマンに滅ぼされろと!? ならば次の前線はどうなります!? 疲弊し、準備も足りない兵たちでどこまでしのげると!? 今はあの都市に犠牲になってもらいその間に立て直す事が最も望ましいのです! そうでなくてはビーストマンの勢いを止められず国が滅びますぞ!」

 

「う、うぅぅう…!」

 

 ドラウディロンとて理解している。自分の言葉がどれだけ甘い理想論かなど。だがそれを踏まえた上でも、最初から民達を見捨てる判断は下せなかった。

 国とは民である。

 根幹として、民達の働きがその血税が国を動かしているのだ。その代償として国は王の名の元に民を庇護する。

 だからこそ民を庇護しない国に何の価値があるというのか。

 民に労働を強い、そして血税を搾り取っておいて身の安全を保障しないなどただの無法者と変わらない。

 

「な、なぜ私には力が無いのだ…! 曾祖父の数分の一でも力があれば…」

 

「陛下には始原の魔法(ワイルドマジック)があるではないですか」

 

「あんなもの何の役にも立たん! 民の命をすり潰してしか発動できん魔法に何の価値がある!」

 

「どうしようもなくなれば発動していただく事も視野にいれるべきかと」

 

「馬鹿を申すな! 百万もの命を犠牲にするなど…!」

 

「そうでなくては全員が死に、国が絶えます」

 

 宰相の言葉にドラウディロンが泣きそうな表情を浮かべる。

 

「き、貴様は私に非情な為政者になれというのか…。目的の為なら手段をも厭わぬ唾棄すべき為政者に!」

 

「無能よりマシです。最悪なのは国を滅ぼす愚かで弱き王です。国が残るだけ王としてまともかと」

 

「……もうよい、下がれ。私は、少し休む…」

 

 そう言ってドラウディロンは肩を落としながら姿を消した。

 

(お許しください陛下。もう我が竜王国は理想論など入り込む隙も無い程に追い詰められ疲弊しているのです。最後には私が全ての責任と汚名を受けましょう。貴方様は最後まで綺麗なままでいて下され、それが民の為であり国の為です。貴方は最後まで慈悲深き女王として君臨すればよろしい。全ての悪事は私だけのものです)

 

 ドラウディロン以上に国を思う宰相。その役割を誰よりも認識し、冷静に考えを巡らす。

 一つだけ言えるのは竜王国がこれまで維持できていたのはドラウディロンによるカリスマと宰相の力である事は間違いない。だが志虚しく、その灯もすでに消えようとしているのだが…。

 

 

 

 

 つい先日、ビーストマンの襲撃にあったこの都市ではその傷跡も癒えないまま復旧作業に追われていた。

 復旧作業といっても死体の処理や壊された塀や門の修理で手一杯で内部はそのままなのだが。

 

「な、なぁ…、いつになったら援軍が来るんだ…? あれから数日経つが一向に軍の姿は見えないままだ…」

 

「そ、それに都市を救ってくれたっていう英雄の姿もねぇ…。どこに行っちまったんだ…、このままじゃ…」

 

 残された民の間でも不安が広がっていく。

 どれだけ待っても国からの援軍は来ず、冒険者達の姿も見えない。金色と称され、単身でビーストマンの軍勢を押し返した英雄の姿も無い。都市の権力者達の多くはすでに都市におらず、民達を纏め上げる者すらいない。やがて民達の中にも少なからず気付く者が出始めていた。

 自分達は見捨てられたのだと。

 

「も、もう終わりだ…。俺たちは見捨てられたんだ…、援軍なんて来ねぇ…!」

 

「滅多な事言うな! そんな事ある筈ないだろう!」

 

「ならなんで来ないんだ! いくらなんでもおかしいだろ! 都市長もいないし役人の姿だって見えない! 俺たちを見捨てたに違いない!」

 

「黙らねぇか! 女王様がそんな事する筈ねぇ! 確かにまだ幼いが絶対に俺たちを見捨てないと言ってくれたんだぞ! 俺は女王様を信じる!」

 

「でもよ! 実際に援軍は来ないんだ! 物資だって届かねぇ! いくらなんでも数日あれば近くの都市からだって馬は来れるぞ!」

 

「じゃあ何か! 女王様が俺たちを騙したっつーのか!」

 

「そう考えるのが自然だろうが! 国の為に俺たちは切り捨てられたんだ!」

 

 ビーストマンが来るまでもなく、次第に都市の内部でも争いが起き始める。

 言い争いから始まり、数少ない物資を取り合い、秩序を失っていく。

 女子供は隅で小さく蹲り泣く事しかできない。

 混乱は渦巻き、怨嗟を呼ぶ。

 助け合わねばならぬ者同士が争い、敵も味方も判断できなくなる。

 そして。

 

「うわぁぁああ! ビーストマンだ! ビーストマンが来たぞぉーっ!」

 

 誰かの叫びが都市内に響いた。

 動ける何人かがすぐに高台に上り都市の外を眺める。

 そこにあったのは地平線を埋め尽くす程のビーストマンの数。もはや数え切れる量ではない。前回襲撃してきた数とは比べ物にならない。さらにその先行部隊は都市のすぐ側まで迫ってきている。

 

「誰か助けて…! 嫌だ…、嫌だぁぁ!」

 

「金色の英雄様…! ど、どうか我らをもう一度お救い下さい…、どうか…どうか…!」

 

「女王様どうして! どうして我らを助けて下さらないのですか!? 女王様ぁぁーっ!」

 

 人々の叫びが吹き荒れる。

 都市内の混乱など一瞬にして飲み込む程の悪意と暴力の気配。

 遠くからでもわかる程の獣臭。

 破壊が、凌辱が、死が、絶望が、そこに広がっていた。

 

 

 

 

 数キロ先の異変に最初に気づいたのはズーラーノーン。

 探知魔法を常時展開していた為だ。遠くなるほど精度が落ちるのだがそれでも分かる程の異常事態。

 

「あの都市か…」

 

 視界の先に小さく見える塀に囲まれた都市。目を凝らしてみればあちこちから火の手が上がっている様子が窺える。

 

「どうしたんですかズーラーノーンさん」

 

「気づかないのかモモンガさん。あの都市、襲われてるぞ」

 

「「っ!」」

 

 ズーラーノーンの言葉にデイバーノックとイビルアイが素早く反応した。両者はすぐに都市の方へ目を向ける。ズーラーノーンの言葉通りあちこちから煙が立ち上り何事かが起きているのは明白だった。

 

「た、大変ですモモンガさん! すぐに…」

 

「少し落ち着いて下さいデイバーノックさん」

 

 モモンガはデイバーノックを軽く制すると一つのアイテムを取り出した。

 それは遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)

 ユグドラシルでは城や街で人が混み合ってるかどうかを確認して買い物をしやすくする程度のアイテムであったがこの世界においては別の使い方ができるのではないかとモモンガは睨んでいた。

 

「まずは情報収集です。いきなり突っ込むのは下策中の下。相手の戦力を見てから判断します」

 

「な、何を言ってるんだモモンガ! 人々が襲われてるかもしれないのだぞ! すぐに助けにいくべきだ!」

 

 悠長とも言えるモモンガの言葉に真っ向から反論するイビルアイ。

 彼女としてはすぐに現場に駆け付けるべきだと考えていたからだ。

 

「相手も知らず、策も無く、戦場であるかもしれない場所へ向かう事は容認できません。もしかしたら我々が口を出すべきではない問題かもしれませんし。まず今我々が最も意識しなければならない事は冷静である事です。感情だけで動けば助けられるものも助けられなくなります。次に確認するのは助けを必要としているのか、そして相手の戦力は我々の手に負えるのか、です」

 

 王都や帝都で感情で動いた男とは思えないセリフである。

 

「う…、た、確かにそうかもしれないが…」

 

「なるほど! 流石はモモンガさんです! 常に最大効率を求め、より多くの者を魔法の礎とする為の妥協を許さないという事ですね!」

 

「……、少し静かにしてて貰えます?」

 

「はい!」

 

 すごくいい声で返事をするデイバーノック。全然静かにするつもりないなと思いながらもモモンガは作業に没頭する。モモンガの睨んだ通り遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)にて遠くを映し出す事は可能だった。

 最初の一手を魔法ではなくアイテムで行ったのはカウンター魔法に警戒してだ。魔法を飛ばす場合はカウンター魔法に警戒して防御魔法を展開しなければならないがアイテムならば破壊されるだけで終わる。もちろん範囲型のカウンターであればアイテム越しにダメージを受けるが魔法と違いあくまで発生の中心はアイテムになるため被害は抑えられる。モモンガなりに最短で済む方法を選択していたのだ。

 

「あれ…、おかしいな…。なかなか難しいぞ…」

 

 しかしゲーム内と勝手が違うのか思うように遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を操作できずにもたつくモモンガ。

 それを見ていたズーラーノーンがモモンガへ指示をする。

 

「あっ! 上手くいきました! ありがとうございます! でもズーラーノーンさんどうして使い方知ってたんですか?」

 

「……、今はそれどころじゃないだろう。都市内の様子を見ないと」

 

「そ、そうでした!」

 

 なぜズーラーノーンがユグドラシルのアイテムの操作方法を熟知していたか気になったが今はそれどころではないとすぐに遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)を覗き込むモモンガ。

 建物を人が出入りしていたり走り回っていたり慌ただしい。都市全体を俯瞰して見ていたが視点が高くまだ細かく見えないので少しづつ視点を下げていく。人の輪郭がハッキリ見える頃には何が起きているか理解できた。

 

 虐殺。

 一方的な光景だった。

 逃げ惑う人々を襲っているのは獅子の顔をした亜人。ここでモモンガはそれらがビーストマンと呼ばれている事を知る。

 そのビーストマンが腕を一振りする度に一人ずつ倒れていく。鋭利な爪に引き裂かれ一撃で絶命する。人々には対抗手段が無いのだろう。戦士風の者すら見えない事を考えるとこの都市にいるのはほとんどが一般人であろう。

 遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)から見るその景色にモモンガはもちろん、デイバーノックもイビルアイも絶句していた。ただ一人顔色を変えないのはズーラーノーンのみ。

 

「こ、こんな事が…! あぁ、やめろ…! 命が…、礎が消えていく…! 魔道が…、深淵が遠のいていく…!」

 

「竜王国の惨状は聞き及んでいたがここまでとは…! 一体国は何をしているんだ…! 兵はどこにいる!? なぜ民達を守らんのだ!」

 

 その景色に衝撃を受けたデイバーノックとイビルアイから悲鳴とも言える嘆きが漏れる。

 この時、最初に動いたのはモモンガだった。

 

「≪ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大化≫≪マキシマイズマジック/魔法最強化≫!」

 

 突如として魔法を発動するモモンガに驚く三人。が、それよりモモンガの次の行動の方が早かった。

 

「≪アストラル・スマイト/星幽界の一撃≫!」

 

 突如、大気が震えた。

 

 周囲に爆発とも太陽光ともつかない眩しさが満ちる。

 放たれた場所はモモンガ達の遥か頭上。

 その眩しさは数キロ先の都市からでも十分に視認できるだろう。

 誰かを狙った訳ではない。

 注意を引くためだ。

 その為だけに第八位階たるこの魔法を放った。

 

「俺が間違っていました…! いや戦略としては間違っていないと思います…、でも俺がこうしてる間に流れなくてもいい血が流れてしまった…! 危険を承知してでも即座に駆け付けるべきだった…!」

 

 わなわなと震えながらモモンガが叫ぶ。

 

「今の一撃でビーストマン達も慌てている。虐殺が再び始まる前に乗り込みましょう! 各自≪フライ/飛行≫で、いや≪グレーター・テレポーテーション/上位転移≫でこのまま全員で乗り込んだ方が…」

 

 モモンガの言葉を遮るようにズーラーノーンが口を開く。

 

「待ってくれ、全員で転移してど真ん中に行くのはリスクが高い。四方に注意を向けなければいけなくなる」

 

「しかしズーラーノーンさん!」

 

「落ち着いてくれ、遠隔視の鏡(ミラー・オブ・リモート・ビューイング)で見る限り向こうは相当慌てている。すぐに虐殺は始まらないだろう。完璧に準備を整えてから行くべきだ」

 

「つまり…?」

 

「モモンガさんは中位アンデッドを作成できるだろう? それを使ってほしい」

 

 そうしてモモンガ達は動き出す。

 

 

 

 

「なんだあれは!?」

 

「天変地異の前触れか!」

 

「あんな光見た事もないぞ!」

 

 都市内のビーストマン達が突然の事に騒ぎ立てる。

 数キロ先とはいえ突如起きた非現実的な光景。これには誰もが困惑せざるを得ない。

 それは都市内に攻め込んだビーストマンだけでなく、外で軍を待機させているビーストマンの王ですら驚愕に震えていた。

 

「な、なんだあの光は…! 何が起きた! 人間共の魔法か!?」

 

 狼狽し叫ぶ王を側近達が必死になだめる。

 

「お、王よ落ち着いて下さい! あのような巨大な光…、あれが魔法な筈ありません! あれだけ非常識な魔法など存在するはずがない!」

 

「そうです! 人間の中でも最高峰の魔法を扱うという例の集団ですらこのような事はしでかしませんでした!」

 

「ならばアレはなんだ! まさかアイテムか!? 神が残したとされる遺物…! わざわざそれを持ち出してきたか!」

 

 しかし少しして都市内へと送った兵士の一人が戻ってくる。

 

「報告せよ! 我が軍に被害はあるのか!? 何か異常事態は!?」

 

「はっ! 被害は0です! それにあの光は都市から離れた場所で起きたようです! 恐らくはただのハッタリでしょう! 我らには何の影響もございません!」

 

 兵士のその報告に王と側近達の間に笑みがこぼれる。

 

「聞きましたか王よ! 被害は0だそうですぞ!」

 

「フハハ! 人間共も考える…! 戦いでは敵わぬと見て我らの度肝を抜こうとしたという訳だな!」

 

「全くその通りでございます! 確かに私は度肝を抜かれましたぞ、一人の被害も出せないあれでこちらを驚かす気だったのですからな!」

 

 そうして王と側近達は高らかに笑う。

 今この瞬間、都市内で何が起こっているかも知らぬまま。

 

 

 

 

 謎の光が発生し、都市内の民衆たちもビーストマン達もしばらくは困惑し慌てていた。

 しかし時間が経っても何も起きぬと知るとビーストマンには余裕が戻っていき再び人々を虐殺しようと動き出す。

 

 その時、遠くから蹄の音が聞こえた。

 

 恐らくはたった数体の馬の駆ける音。だがおかしい。そのたった数体しかいない馬の蹄の音はどこから聞こえるのか。少なくとも都市内ではない。そもそもこれは本当に馬の蹄の音なのか。

 もっと重々しく、禍々しい何かを感じる。

 ここにいるビーストマンのほとんどが本能的な恐怖を感じ取った刹那。

 

「≪エクスプロード/破裂≫!」

 

 その詠唱と同時に轟音が響き渡り、都市の北門が派手に吹き飛んだ。

 そこから煙と共に乱入してきたのは馬に乗ったいくつかの人影。煙を抜け、恐るべき速度で駆けてくる。吹き飛んだ瓦礫を置いていくような、まるで流れてる時間が違うのではと思わせる程の速度と重量感。

 そしてその姿を確認するとビーストマン達は戦慄する事になる。

 馬に見えたのはただの馬ではなかった。

 

 馬などよりも巨大な体躯であり、骨の獣とも言うべき外見であった。

 その体に纏わりつくように(もや)が揺らめいており、黄色の膿のような輝くような緑色の何かが(もや)のあちらこちらで点滅している。

 まるでその(もや)は苦悶に満ちた魂か何かのようでもありひと時として同じ形をしていない。

 

 ビーストマン達は知っている。

 国家レベルで非常事態宣言をしなければならない程の存在。

 伝説上のアンデッド。

 ビーストマン達の天敵。

 

 魂喰らい(ソウルイーター)だ。

 

 

「イビルアイさんはこのまま空中に飛んで下さい! 空から都市全域を俯瞰しつつ我々にフォローと指示を!」

 

「分かった!」

 

 すぐにイビルアイが乗っていた魂喰らい(ソウルイーター)から飛び立ち上空へと飛翔する。

 

「デイバーノックさんは西の通りから抜けて南門を目指して下さい! ズーラーノーンさんは同様に東から!」

 

「分かりました!」

 

「了解した」

 

 そうしてデイバーノックとズーラーノーンは左右に分かれ道を進んでいく。

 

「イビルアイさんの乗っていた魂喰らい(ソウルイーター)はこのまま俺についてこい! 一緒に都市の中心を突っ切るぞ!」

 

 だがまだ終わりではない。

 4人が乗る4体の魂喰らい(ソウルイーター)以外にもまだいる。

 モモンガの後方に2体の魂喰らい(ソウルイーター)とそれぞれに跨る2体の死の騎士(デスナイト)

 

死の騎士(デスナイト)達はこの広場を制圧しろ! それと全魂喰らい(ソウルイーター)に告げる! 都市内では範囲攻撃を使うな! 民衆に被害が出る可能性がある! あくまで搭乗者のフォローとして撃ち漏らしを殲滅する事に専念しろ!」

 

 都市の大まかな立地はすでに頭に入っている。作戦も簡単とはいえ都市に突入するまでに立て終えている。

 そうしてモモンガ達4人と召喚したアンデッド8体による都市掃討戦が始まった。

 

 

 

 

 魂喰らい(ソウルイーター)は足が速い。騎乗モンスターとして扱われる事もあり、並みの馬はもちろん≪フライ/飛行≫等で移動するより遥かに速い。

 モモンガ達を乗せながらこの都市までの数キロの距離をあっという間に踏破した。

 死の騎士(デスナイト)も速いがそもそも騎乗モンスターとしての魂喰らい(ソウルイーター)とは比べ物にならない。

 それは都市内に進入した後も変わる事はない。曲がり角でも速度を落とさず最高速のまま正確無比に駆け抜ける。 

 故に搭乗者は目の前の敵のみに専念できるのだ。

 

 まずこの広場において魂喰らい(ソウルイーター)死の騎士(デスナイト)のコンビ2セットによる掃討劇は早かった。視界は開けており、見通しが良い。

 彼らがモモンガと共に広場へと踏み込み、命令を受けてわずか瞬き一つ後。

 イビルアイはまだ上空へと飛翔している途中、デイバーノック、ズーラーノーン、モモンガ達が3手に分かれた直後でありまだその背も十分に視認できる状態でありながらも。

 

 すでに2つ、ビーストマンの首が宙を舞っていた。

 

 その首が落ちる前に死の騎士(デスナイト)達の手により新たに2つの首が宙を舞う。最初の2つの首が地面に落ちるのと時を同じくしてまた新たに2つの首が飛んだ。

 合間に魂喰らい(ソウルイーター)に体や頭を踏み潰された数体のビーストマン達もいた。

 一瞬にして10を超える死体が出来上がり、その辺りでやっとビーストマン達の悲鳴が追いついた。

 誰もが理解出来ない。

 彼らからすれば門が爆発したと思った次の瞬間いくつもの命が刈り取られたのだから。

 魂喰らい(ソウルイーター)達とそれに跨る仮面を付けた4人、目前に迫るは同様に魂喰らい(ソウルイーター)に跨る2体の騎士。

 

「オオオァァァアアアアアアーーーッ!!!」

 

 ビーストマン達の悲鳴をかき消すように死の騎士(デスナイト)の咆哮が轟く。

 王都及び帝都を恐怖の底に突き落とした地獄からの叫びがこの地で再び響き渡る。もはや様式美と言っても良い悪意と暴力の合図だ。それを前にビーストマン達は恐怖で動けずにいる。

 

 だがそれだけでは終わらない。

 3方向に散ったモモンガ達は積極的にこの場にいる者を殺しはしなかった。なぜならここは死の騎士(デスナイト)達の持ち場だからだ。とはいえ一部の者達は別だ。

 進路上にいる邪魔は者は全て魔法で薙ぎ払われていく。

 ビーストマン達は逃げるどころか気付いた時には3人の魔法詠唱者(マジックキャスター)による波状攻撃によって消し炭か塵になっており、何が起きたのかも理解出来ないだろう。苦痛を味わう時間さえ無い。

 

 真の虐殺が始まった。

 

 

 

 

「やれやれ…、死の騎士(デスナイト)め…。敵の時は心底恐ろしいと思ったが味方だとこれほど心強いとはな…。どんどんビーストマン達を殲滅していくぞ…。凄いな…、あれが前衛を務めてくれるなら後衛としてこれほど心強い事はあるまい。というかあんなのが10体以上も王都で暴れていたのか…。八本指が一晩で全滅する筈だ…。全く…、呆れを通り越して笑えてくるよ…」

 

 上空でイビルアイが一人ごちる。

 まだイビルアイが上空で待機してから60秒も経っていないだろう。だがたったそれだけの時間で北門前の広場にいたビーストマン千体以上が命を落とした。広場の半分はすでに制圧したと言っても良いだろう。

 しかしイビルアイは途中である事に気づく。

 

「ん…? 死んだ筈のビーストマンが動き出して…、あっ!」

 

 突如としてビーストマンの死体が動き出し近くにいた民衆を襲いだした。

 

「な、なんだっ!? ≪クリスタルランス/水晶騎士槍≫!」

 

 慌てて上空から魔法を発動しビーストマンの死体を処理していくイビルアイ。

 すぐにメッセージの魔法をモモンガにつなぐ。

 

「大変だモモンガ!」

 

『イビルアイさん? 何かあったんですか!?』

 

「う、うむ。それが変なんだ…、死の騎士(デスナイト)達が殺した筈のビーストマンが突然動き出して民衆を襲いだしてる!」

 

『あっ…』

 

 妙な沈黙が二人の間に流れる。

 

「おいモモンガ、あってなんだ、あって。何か知ってるのか?」

 

『じ、実は…』

 

 そうしてモモンガはイビルアイに死の騎士(デスナイト)の特性を説明する。

 

「な、なんだと! 殺した相手を従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にする能力だと!?」

 

『す、すいません…。熱くなって忘れてました…、王都の時はちゃんと命令できてたのに今回は死の騎士(デスナイト)に普通に殺せって言っちゃいました…』

 

「ど、どうするんだこれ!?」

 

『すいません、俺から死の騎士(デスナイト)に命令出し直しておきます…、あとすいません被害が広がる前にイビルアイさんも協力してくれませんか…? 本当にすみません…』

 

「ま、全くしょうがない奴だな! これはおしおきものだぞ! だが、うん、そういうドジな所も可愛げがあって…あうっ、わ、私は何を!? て、ていうかこれは貸しだからな! 仕方なく手を貸してやるだけだぞ! 罪もない人が被害に遭うのが我慢できないだけでお前の為とかじゃないんだからな! 頼られて嬉しいとか欠片も思ってないんだからな!」

 

『わかってます、ごめんなさい…』

 

 そうしてモモンガとの通信を終えた後、なぜか一人で赤面するイビルアイ。

 

「ど、どうしよう…。モモンガに貸しが出来てしまったぞ…、ていうか勢いでおしおきするとか言ってしまった…! わ、私はどうしてしまったんだ…、お、おしおき…、一体何をすれば…。う、む、胸が苦しい…!」

 

 そんな事をしている間にビーストマンの従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)が次々と動き出していた。

 

「し、しまったっ…! すまん今行くぞ!」

 

 慌てて広場に降り立ち従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)を処理していくイビルアイ。幸い動死体(ゾンビ)は生まれておらず二次災害を防ぐことはできた。

 遠くで死の騎士(デスナイト)が申し訳なさそうに頭を下げている。

 その後はビーストマンを壁に叩きつけ殺し始める。どうやら直接死の騎士(デスナイト)がその手で殺さなければ従者の動死体(スクワイア・ゾンビ)にならないのだなとイビルアイも納得する。

 しかし一歩遅れて大変な事に気づく。

 

「っ!! や、やめろやめろ! そんな殺し方するな!」

 

 慌ててイビルアイが死の騎士(デスナイト)に駆け寄り事情を説明する。死の騎士(デスナイト)側からもモモンガに問い合わせたが最終的にイビルアイの言う通りにしろと命じられてしまった。なぜなら。

 

「だから王都であんな殺し方してたのか…! モモンガもモモンガだ…! あんな殺し方してたら誤解されるに決まってるだろ、血の海だぞ、血の海! わ、私がいないとダメだなもう! まぁ王都と違ってビーストマン相手だからいいけど…、いやでもこれは…」

 

 すでに数体潰れたトマトになったビーストマンを見てイビルアイは思う。

 

「体は四散し内臓も飛び出てる…、こんなの悪魔の所業にしか思えないぞ…。何より汚い…。やっぱりこれはやめた方がいいな、うん」

 

 そしてイビルアイは死の騎士(デスナイト)に命じる。

 後は逃げ遅れた人々を助けて回れと。広場を制圧するのはイビルアイと2体の魂喰らい(ソウルイーター)の仕事となった。イビルアイによる皆への指示とフォローは出来なくなったが問題は無い。念には念を押す保険のようなもので無くともモモンガ達が困る訳ではないのだから。

 至高の御方の命令を遂行しようとノリノリだった死の騎士(デスナイト)はがっくりと肩を落とし、力無く魂喰らい(ソウルイーター)から降りトボトボと歩いていく。

 

(何か知らんが凄く落ち込んでるように見える…、意外と感情豊かな奴なのか…?)

 

 何はともあれイビルアイのこの行動のおかげで後に都市の人々から必要以上に恐れらず済む事になるのだがそれは誰も気づかない。都市の外でどう騒がれるかはまた別の話なのだが。

 

 

 

 

 その頃、東側から都市を南下していたズーラーノーンは容赦なくビーストマンを確実に滅ぼしていく。

 特にズーラーノーンは探知系に特化しており隠れているビーストマンを余さず殺害していった。有無を言わさず処理していった為、4人の中では最も早く担当区域を制圧することができた。

 

(ふん…、人助けなどくだらんな…)

 

 心の中ではこんなどうでもいい事などせずにさっさとエリュエンティウに向かいたいと思っていたが決してそれを表には出す事は無い。エリュエンティウに着くまではどんなくだらない演技でも続けるだろう。それまでは決してモモンガの信頼を裏切る訳にはいかないのだ。

 モモンガさえいればズーラーノーンの目的に手が届くのだから。

 

 

 

 

 デイバーノックは隙があれば説得を試みようと思っていたがそのいずれも失敗。

 理由は躊躇している間に民衆に被害が出る可能性があったからだ。加えて魂喰らい(ソウルイーター)を見たビーストマン達が次々と恐慌状態に陥り何をしでかすか分からなかった事もある。

 逃げながらも民衆の生き残りを見つければ人質に取る可能性があったしこの恐慌状態では正常な判断もできない。もはや致し方なしとして道中のビーストマン達を倒していく。

 ここでは新たに覚えた≪ドラゴン・ライトニング/龍雷≫が役に立った。細い通路に並んでるビーストマン達をまとめて薙ぎ払えたからだ。カッツェ平野の道中でイビルアイに見せて貰ったのだがその一度でデイバーノックは習得に成功していた。それを見たイビルアイが心底驚いていた事をデイバーノックは知らない。

 

 さらに道中で見つけた人々への対応が最も紳士的であり、後に混乱が起きなかったのはデイバーノックのおかげと言っても過言ではないだろう。

 

 

 

 

 肝心のモモンガは2体の魂喰らい(ソウルイーター)と共に都市を真っすぐ南下していく。一番目立つ場所で最も多くのビーストマンを屠る事になった。

 モモンガの魔法一つで数体のビーストマンが消し炭になっていく。

 その通り道はまさに死屍累々。

 ここまでくれば都市内のビーストマン全てが異常事態に気づいておりもはや人間を襲うなどという状況ではなくなった。

 結果としてモモンガ達が都市に突入してから民衆の死者は0となった。

 

 モモンガが道を進んでいき都市の南門の前に到着する。そこに待ち構えていたのはビーストマン達の中でも強大な力を持つ爪の部族を束ねる長。

 モモンガも一目見て他のビーストマンと違うと理解できた。

 体は大きく、迫力も、戦意も何もかもが違ったからだ。

 戦闘能力だけならばクレマンティーヌが倒した牙の長に匹敵する。

 爪の長は魂喰らい(ソウルイーター)を見ても退かない。目の前の仲間達がどれだけ骸と化そうとも。

 それは己の力を信じているからだ。

 

「お前で最後のようだな」

 

 モモンガが魂喰らい(ソウルイーター)から降りながら語り掛ける。

 

「我が爪は決して折れぬ、かつて我らを追い詰めた伝説のアンデッドとて我らの勇者に滅ぼされたのだ。ならば我に滅ぼせぬ道理などない…! 伝説を喰らい、我が武勇を知らしめてやる!」

 

 そう叫び大地を蹴ると一瞬でモモンガまで間合いを詰める爪の長。

 強者と強者がぶつかる。

 ここに都市掃討戦における最終戦が始まった。

 

 

 

 

 モモンガ達が侵入してしばらく後、民衆は困惑し理解が追いつかなかった。

 ビーストマン達に追いやられ皆殺しにされると誰もが思ったとき、新たな乱入者が現れた。

 門を吹き飛ばし、轟音と共に疾風のように現れた数人の者。

 だが少数とはいえ問題は彼らが騎乗していたモンスターだ。

 骨の体に異様なオーラのようなものを纏った見た事も無いモンスター。さらに後方には明らかに人とは思えぬ巨体の騎士もいた。それがアンデッドだと気付いたのは彼らが近づいて来てからだ。

 前を走る4人の者は皆奇妙な仮面を付けており顔色は覗えない。

 彼らが何者であり、何が目的かは不明だがビーストマンへの攻撃が始まった。

 

 歓声が最初に上がったのはデイバーノックが担当した西の地区だ。彼の行動と言葉が民衆に自分達が助けられたのだと理解させた。

 

 次に歓声があがったのは北の広場。死の騎士(デスナイト)によるショッキング映像が流れたものの、一緒にいたイビルアイによって民衆は落ち着きを取り戻し安堵した。

 

 ズーラーノーンとモモンガにおいては一切民衆に声をかけていないのでそこにいた者たちは何が起きたかを把握するまでは時間がかかったが西や北から喜びの声が聞こえてくると次第に理解が追いつき助けられたのだと悟った。

 

「俺たち助かったのか…!」

 

「あの人達が助けてくれたんだ…!」

 

「一体誰が…?」

 

「援軍だ! 王都から援軍が来たんだ!」

 

「やっぱり女王様は俺たちを見捨ててなかったんだ!」

 

「女王様万歳! 女王様万歳!」

 

 そうして謎の女王様コールが始まる。

 

 

 

 

 都市の外に待機していたビーストマンの軍勢は何が起きたか理解できないでいた。

 

 突如、謎の光が遠くで輝いたかと思うと少しして都市のどこかで爆発音が轟いた。

 それと同時に都市内を駆けるいくつかの蹄の音。

 続いて地獄の底から聞こえてくるような咆哮が響いた。

 そこからは悪夢のようだった。

 ここからは何も見えない、見えないが。

 

 同胞のものであると思われる無数の叫びが次々と上がった。

 最初は遠く、恐らくは北の端まで侵入した者たちだろう。

 だが次第にその叫びは波のように近づいてくるのだ。

 逃げ惑っているわけではないだろう。

 何者かが都市を南下し同胞に悲鳴を上げさせているのだ。

 恐怖、苦痛、命乞い。

 考えられる限りの悲鳴が上がった。

 一体悲鳴を上げた同胞達はどうなったのだろうか。

 

 その悲鳴が南の端まで来ると一転して音が止んだ。

 きっともう悲鳴を上げられる者が残っていないのだろう。

 もはや生き残っている者などこの都市にはいないのではないかと思える程の深い静寂。

 

 門や塀を隔てても匂ってくる血の香りと死の気配。

 見ずとも感覚が、本能が告げている。

 都市に侵入したビーストマン達は全滅したのだと。

 

「な、何が起きた…? こ、この都市に何がいるのだ…?」

 

 王が漏らす言葉に側近達は何も言えないでいた。

 戦いが起きたのならそういう音がする筈なのだ。

 だが戦いの音どころか争いがあったような音も気配も感じない。

 時間だって爆発音がしてからさほど経っていない。

 なにもかもが理解の外なのだ。

 

 しばらくして都市内から人間の者と思える歓声が響いた。

 勝ち鬨でもなければ勝利を誇るようなものでもない。純粋な喜びの声。

 

「ど、どういうことだ…? 人間たちが生きている…? つまり…、爪の部族は人間共にやられたというのか…? このわずかな時間で…?」

 

「爪の部族はおよそ二万…、それだけの数が一刻も経たず全滅するなどありえません…!」

 

 王はもちろん、側近達や周囲の兵士も息を呑んでいた。

 屈強な2万ものビーストマンの軍勢がたかが一刻の間に全滅するなど考えられないからだ。

 きっと何かの間違いだ、誰もがそう信じていた。

 

「恐らく牙の長を倒した者達でしょう。なかなか…、いや、かなりやるようです。ですがこの軍勢の前では敵ではあるますまい」

 

「そうだな、所詮は人間。我が軍勢の前では障害になどならん…」

 

 側近と王が会話していると、彼らの前にある都市の南門がゆっくりと開いた。

 

 完全には開かず、人が一人通れる程の隙間。そこから現れたのは奇妙な仮面を身に着けた魔法詠唱者(マジックキャスター)然とした一人の男。

 手には爪の長の首があった。

 

「話をできる余裕も無かったのでね、通告も無く全滅させたが許してほしい」

 

 そう言って仮面の男は爪の長の首をポイッと投げてよこした。

 王の足元まで転がってきた爪の長の表情は恐怖に歪んでいた。 

 

「俺としてはあまり政治的な事が絡むなら深入りする気はないんだが…、どうやら戦争をしているようにも見えないし、何よりただの一般人を一方的に殺すのはちょっとね…。という訳で、なぜこの都市を攻めるのか聞いても?」

 

 仮面の男の問いに答える為にビーストマンの王が前に歩み出る。

 

「政治的? 何を言っているがわからんが我々が人間を襲うのは喰うためだ。それ以外の理由などない」

 

「喰うため? なるほど、生きる為に必要だというならば仕方が無いとも言えるか…。しかし普通に家畜を育てるのでは駄目なのか? 何か人間でなければいけない理由が?」

 

「肉は肉だろう。どんな生き物でも肉である事には変わらん。ならば育てる必要もなくここに大量に湧いている人間を喰うのは当然だろう?」

 

「なるほど、つまりは人間でなくともいい訳か。でもまぁそうだよな、特定の種族しか食えないなんて生物として欠陥だし…」

 

 急に考え込むようにブツブツと独り言を始める仮面の男。

 

「質問は終わりか? ならば次はこちらの質問に答えてもらおう。我が同胞をどうした? 先ほど全滅と言ったが爪の部族が正面から敗れる筈がない。どんな卑怯な手を使ったのだ?」

 

「卑怯? なぜそう決めつける?」

 

「人間如きが偉大なる我々ビーストマンに敵う筈ないからだ。我々は魔法には詳しくないがもしかすると大儀式とかいうやつでもやったのか? どうせ都市内に魔法陣でも仕掛けていたのだろう? ふん、人間らしい小賢しい手よ」

 

「少し何を言っているのか分からないな。なぜそういう結論に至ったのか聞きたい」

 

「ふふ、見破られたからといって強がるなよ人間…! 確かに貴様らは2万もの軍勢を全滅させたのかもしれない。それは褒めてやろう。だがこれを見ろ!」

 

 王が両手を広げ、自身の後ろに待機する軍勢を示す。

 そこには見渡す限りのビーストマンの兵士達。

 

「我が軍勢は未だ18万いる…! 誰がこれに勝てる…? 仮に貴様が我が部族の長を倒せるとてどうやってこれを攻略できるというのだ! 個人でいくら強かろうとこの数を打開できる筈などない!」

 

 王の顔には自信が溢れている。

 先ほどは同胞の悲鳴により困惑したがまだビーストマンの軍勢は18万もいるのだ。

 彼ら個人の戦闘能力を考えれば下手な国家など容易く滅ぼせる規模だ。

 そうだ、我々が負ける筈などない。その思いが王に確かな自信を取り戻させた。

 

「少し話がズレてきたな…。俺がしたいのはそんな話じゃなくて…、ああまどろっこしいな…。もういい、単刀直入に言おう。お前たちがここから引き下がるなら見逃してやる、それでどうだ?」

 

 仮面の男の言葉に場が沈黙する。

 王も目を丸くし唖然としていた。

 少し遅れて至る所から笑い声が漏れ始める。

 

「クハハハ…! 何を言うかと思えば…! 見逃す? 我らを見逃すだと…? 人間が…?」

 

 王も笑いを堪えながら必死に問いただす。

 

「そうだ。悪くないだろ? 別に俺だって弱い者イジメがしたい訳じゃないしお前たちだって無駄に死にたくない筈だ。それに…」

 

「黙れ人間がぁぁ!」

 

 仮面の男の言葉を遮り王が叫ぶ。

 

「最初は笑えるかとも思ったがそこまでいくと不快だぞ…? 弱い…? 我らが? 自分達の方が強いつもりでいるのか…? その態度は我慢ならんな…! 人間は人間らしく、弱者は弱者らしく小さくなって怯えていればいいのだ…! それがこの世の摂理! 弱き者は強き者の餌でしかない! 弱き者は何をされても文句は言えんのだ! すぐに思い知らせてやる…! 我が同胞を手にかけた事、後悔するがいい…!」

 

「やっぱり上手くいかなかったか…、デイバーノックさんに任せればよかったかな…」

 

「何をブツブツ言っておるのだ、命乞いならもう遅いぞ…?」

 

 仮面の男が残念そうに肩を落とす。

 

「えーと、つまりは交渉決裂って事でいいかな?」

 

「交渉? 貴様らなぞ最初から我らと交渉できる立場になぞ無いわ!」

 

「話にならないな…。ああ、こういう相手の時にやるべきだったのか。言う事を聞かせるのに一発殴るのは悪い手ではないってぷにっと萌えさんも言ってたしなぁ…。ん? でも最初に二万全滅させてるしそういう意味じゃ殴ってるよな? うーん、分からない…。この場合どう転んでも無理だったって事か?」

 

「さっきから何をゴチャゴチャと! ええい構わん! お前ら今すぐこいつを殺せ! 不愉快だ!」

 

 王がそう叫び兵を仮面の男へとけしかける。

 

「どうしても戦うしかないってことか…、仕方ない…」

 

 嘆息しながら仮面の男が着用している仮面に手をかける。

 仮面がズラされ、その下から出てきたのは骸骨の顔。

 

「な…! 貴様! アンデッ…!」

 

 その暗い眼窩に赤い炎が灯り、王を見据える。

 

「ならば戦争だ」

 

 その言葉と共に都市の門が再び開き始める。

 そこにいたのは同じように仮面を付けた3人の人間らしき影。

 ビーストマン達は知らないだろう。

 そのいずれもが単体で国を滅ぼせるような強者である事に。

 

 逸脱者の領域に踏み込んだデイバーノック。

 世界最悪の秘密結社の盟主ズーラーノーン。

 国堕としの異名を持つイビルアイ。

 

 加えてビーストマン以上に巨大な体躯を持つ騎士が2体。

 この世界において最高峰と謳われる伝説のアンデッドである死の騎士(デスナイト)

 

 そしてさらに後方に見えるのはビーストマンにとって悪夢の象徴。

 かつてビーストマンの都市にてたった3体で10万以上もの死者をだしたと伝えられる忌まわしきアンデッドである魂喰らい(ソウルイーター)

 

 それが、6体。

 

 

 

 

 スレイン法国。

 

 漆黒聖典隊長は帝都での報告を終え会議室から退室する。

 きっと今回の議論は朝まで続きそれでも終わらないだろう。そう確信している。なぜならもう解決策などただの一つとして存在しないのだから。

 

「負けたんだって?」

 

 部屋から出てくるのを待っていたのかドアの脇に番外席次が立っていた。

 

「貴方ですか…。別に負けた訳ではありません、トドメを刺すことは可能でしたがカイレ様が持つ神の遺産を万が一にも失わぬ為に撤退したのです」

 

「ふぅん、よく言うよね。腕を一本失って帰って来たくせにさ」

 

 番外席次が隊長を見ながらニヤニヤと顔を歪める。

 彼女は隊長の言葉を信じていない。だがそれも仕方のない事だ。

 今は魔法で元通りとはいえ隊長は腕を一本失い、他の隊員達はろくに戦う暇も無く戦闘不能。カイレが放った法国の切り札たるケイ・セケ・コゥクすら通用しなかった。

 そして肝心の目的を倒す事も出来ずに逃走してきたのだ。

 例のアンデッドだけでなく他にも強力なアンデッドが複数いたらしいがそれでも法国としては敗北と言わざるを得ないだろう。

 隊長及び多くの漆黒聖典の導入、神の遺産すら行使したにも拘らず作戦は失敗したのだ。

 故にもう法国に打てる手など一つも存在しない。

 

 たった一つの例外を除いて。

 

「凄いなぁ…。話に聞く真なる竜王以外じゃ隊長にすら勝てる奴なんてこの世界にはいないと思ってたのに…。しかも神の遺産すら効かないなんてどれだけデタラメなの…?」

 

 番外席次の顔がどんどん歪んでいく。

 

「凄い、本当に凄いよ…。会いたい、会いたいなぁ…、私も破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)に会いたい…。もうさ、隊長が負けて神の遺産が通用しなかった時点で法国に選択肢なんて存在しないよね…? こうなったらさ…」

 

「なっ! 何を考えてるんですか…、落ち着いて下さい…。あ、貴方の存在が露見すれば…!」

 

 だがもはや隊長の言葉は番外席次の耳には届かない。

 

「私がヤるしかないじゃない…!」

 

 体を震わせ、姿も知らぬ破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)を夢想する。

 まるで恋い焦がれる乙女のように。

 

 

 

 

 アーグランド評議国。

 

「リグリットはもう彼女に会えたかな…?」

 

 久方ぶりに訪れた友人を見送った後、ツアーはしばらく考え込んでいた。

 百年の揺り返しが起きたのならば世界にまた動乱が起きるだろう。その為、友人であるリグリットも彼女に助けを求める為に動いた。

 

「私も動くべきだろうね、少なくともその存在をこの目で確認しなければ結論は出せない」

 

 そうしてツアーは目の前にある白金の全身鎧へと魔力を送る。

 

「もしこの世界に仇なす者であったなら…、また世界が混沌に包まれるのだろうか…。リーダーのように協力的な者であれば…。いや、すぐに決めつけるのは早計か…。リーダーも最初は…」

 

 そうして何かを言い淀むツアー。

 リーダーと共に十三英雄の一人として旅をした事もあり、彼と共に魔神を倒して世界を守った。だが魔神討伐から帰ってきた十三英雄達はみな口を閉ざし多くを語る事は無かった。

 故にリーダーである彼の死の詳細も憶測だけが広がり真実は世に伝わっていない。

 

「語れる筈がない…、あれが世に出れば世界の歴史が覆る…」

 

 苦し気な表情を浮かべ歯を食いしばるツアー。その真実に仲間の誰もが言葉を失い茫然とした。裏切られたと叫ぶ者までいた。ツアーとて例外ではない、当時は立ち直るまで長い時間を要したのだから。

 リグリットも激しく困惑しただろう。己の信じていた物が崩れ去った時、何を思ったのか。

 

「君は本当に凄いよリグリット…、あれだけの事があり、これだけの時間がありながらもその心は変わらなかったのだからね。あぁ、また生きて君と会いたいなリグリット。可能であればインベルンの嬢ちゃんにも、ね」

 

 独白が終わるとツアーは静かに目を閉じる。

 それと同時に白金の全身鎧が動き出し、外へと駆けていく。

 一端とはいえ世界の真実を知るツアー。

 彼にとってこれから見る物は一体どう映るのだろうか。

 

 

 

 

 海上都市。

 そこでリグリットはついに彼女と出会った。

 最深部にある部屋の中央にあるのは巨大な水槽。

 その中で女性が裸のまま揺蕩っている。

 

「儂はリグリット、リーダーの友人じゃ。いきなりですまんが世界を救うためにどうか儂らに力を貸して貰えないじゃろうか?」

 

 リグリットの言葉に反応したのか、少しして彼女の目がゆっくりと開かれる。

 

「プレイヤー以外でここまで来るのは珍しいな…」

 

 凛とした声が響いた。

 不思議と水中にいながらもその声は掻き消える事なくリグリットの耳に届く。

 

「リーダーに教わっておったからな。仕掛けには引っかからんかったよ」

 

「リーダー? ああ、彼の事。まあここは別にダンジョンとしての難易度が高い訳ではないから攻略法さえ知っていれば来るのは難しくない、か…」

 

 一呼吸おいて彼女は一人ごちる。

 

「数十年、遅かったか…。いや、もっとか?」

 

「…? 何の話じゃ?」

 

 難しい表情をする彼女にリグリットが怪訝な様子で尋ねる。

 

「いや、なんでもないですよ。それよりも用事は何でした? 世界を救うとは?」

 

 先ほどまでの独り言とは違い、丁寧な語り口で彼女は話しかける。

 それに少し驚きつつもリグリットは彼女に事情を説明する、百年の揺り返しが起き世界を汚す力が動き出したかもしれないと。

 

「そうか、次が来たのか…」

 

 淡々と、恐ろしい程淡々と彼女は言葉を紡ぐ。

 

「リーダーからお主の存在を聞いておったからの。助けてくれないかと頼みに来たんじゃ」

 

「申し訳ありませんが協力できません」

 

 リグリットの懇願も虚しく彼女から返ってくるのは拒絶の言葉。

 

「ふむ…、いきなりでは仕方ないか…。まぁ無理強いできるような事でない事は分かっておるがそれでも聞いてよいか? そ奴らがここに攻めてきたらと考えないのか? 見た所ここにはそなたを守るような者どころか何者の気配も感じなかった。もし奴等と戦う事になったらどうするつもりじゃ?」

 

 その問いに彼女が肩を揺らし笑う。

 

「その心配は無用ですよ。ここには誰も…、いや、正確には幾人かの者が訪れた事はありましたけどね」

 

「しかしじゃ、今まで訪れた者が友好的だったとしてもこれからもそうとは限らんじゃろう? 今度の奴等はこの場所を奪いに来るかもしれんぞ」

 

「大丈夫。ここにはその価値がないですから」

 

 達観したような、まるで全てを諦めたような表情を浮かべる彼女。

 

「ここは終わった場所なんですよ。ギルド拠点の成れの果て。六大神や八欲王も、貴方達がリーダーと呼ぶ彼も、他の者でさえここには何の価値も見出しませんでした。ただその残骸だけが残る場所。かつてはルルイエなんて呼ばれていましたけど…」

 

「ルルイエ…?」

 

「クトゥルフが眠る場所です。ユグドラシルにおいてサービス終了の少し前にアップデートで追加された場所。目玉のコラボイベントとして新規を引き入れようとした運営の最後の足掻きだったみたいですよ。新規でも楽しめるように低難易度に抑えたイベントだったらしいですけど結局ユグドラシルが盛り返すには至りませんでした。まぁ下火になったユグドラシルに集客力なんてある訳ないですからね、盛り上がるどころかこのイベントすら知らない人も多かったでしょう」

 

 リグリットには理解出来ない。

 目の前の彼女の言っている事が何一つ。

 

「別に忘れていいですよ、もうボスであるクトゥルフは倒されましたしね。ギルド拠点になった後もやがてギルド武器は破壊されNPCやモンスター達は世界に解き放たれました。確か当時の竜王達が全て倒したって聞きましたよ。言い伝えでは複数の化け物が突如空間を切り裂いて現れたと伝えられているらしいですけど大げさですよね、ただの転移魔法なのに。時期は確か六大神が来るより前でした。それにこの世界に来たからでしょうか? ユグドラシルと違ってここがダンジョンとして復活する事はありませんでした。だから残骸。もはや何の価値も残っていません。ああ、ギミックだけはかろうじて残っていますけど。あと貴方達のリーダーが来た時に言ってた気がします。惑星ザイクロトルの支配者は滅ぼされずまだこの世界に残ってたって。もしかしたら他にもいるかもしれませんけど話は聞きませんね」

 

「ザイクロ…、なんじゃそれは?」

 

「ザイクロトルの死の植物と言った方がいいですか? あぁ、リーダーは何か固有名詞を付けてた筈ですけど忘れてしまいました。まぁ特殊NPCとはいえカンストしてなくても倒せるような強さだった筈ですから心配しなくていいと思いますけど」

 

「ま、待ってくれ…、理解が追い付かん…。そもそも、お主は何者じゃ…? なぜ六大神が来るより前の事を知っておる…? それより前にこの世界に訪れていたというのか…?」

 

 リグリットも彼女についてはリーダーから詳しくは聞いていない。

 ただ彼女がプレイヤーであるという点のみ。

 

「だから疲れたんですよ。待つのはつらいですから。それにここならいくらでも寝ていられます。邪魔者は滅多に来ないし、来ても構いません。仮に殺されたとしてもそれはそれでこの苦しみから解放されそうですし」

 

 一切の感情を感じさせずに彼女は言葉を紡ぐ。

 リグリットは思う。リーダーからは害は無いと聞いているが本当にそうなのかと。害が無いのではなく、ただ全てに興味が無いだけなのではないかと。

 

「話は戻りますけど、どんな理由、事情であれ協力する事は出来ません。でもまぁせっかくですし久しぶりに外に出てみるのもいいかもしれないですね。万が一という事もありますし…、どうせ無駄でしょうけど…」

 

 そう言って水面まで浮き上がり、巨大な水槽から外へと出る彼女。

 彼女は何も望まない。

 何も欲しない。

 何にも囚われず、何にも干渉する事はない。

 

 ただ一つの約束を除いて。

 

 いつしか心が枯れ、朽ち果て錆び付いた彼女の夢。

 しかしそれでもなお手元に輝く一つのアイテムだけは大事にしっかりと抱えている。

 それだけが彼女の証明であり、約束を叶えるうるただ一つの手段だからだ。

 その可能性がどれだけ低いとしても。

 

「最悪、ここらで終わりにするというのも悪くないかな…?」

 

 リグリットには聞こえない声で彼女が小さく呟く。

 手元にあるアイテムをじっと眺めながら。

 それは世界級(ワールド)アイテムの中でも使い切りの物で特に凶悪かつ強力な効果を持つ『二十』の一つ。

 

 運営に仕様の変更すら願える破格のアイテム。

 永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)

 

 

 だがそのアイテムを駆使してなお、彼女の夢には届かない。

 

 




モモンガ一行「我らアンデッドオールスターズ!」バァーン
ビーストマンの王「ひ、ひぇぇ……」

今回は半年かからず更新できました!やった!
やっと竜王国編に入りましたが今回は短くなると思います
というか内容的にはご察しの通り消化試合しかないので…、南無三

そもそも中位アンデッド召喚するだけで無双できてしまうのが悪い!
モモンガ自身も特定の強者に会わない限りレベルが60でも100でも変わらないですしねこれ

あと海上都市の彼女がクトゥルフ云々言ってますがそこは本編に関わらないので忘れて頂いて結構です、あくまで海上都市の成り立ちの説明であり本人の言う通りすでに終わっている話なので
加えて若干話がややこしくなってきましたが六大神、八欲王、十三英雄などに関わってくるので辛抱して頂けると助かります
原作で斬り込んでいない部分にグイグイ行く予定なので正直皆さんの反応が怖い…


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安寧の終わり

前回のあらすじ

モモンガさん一行とビーストマン達の戦いがついに始まる!
それとなんやかんやで色んな人達も動き始める!


「ならば戦争だ」

 

 モモンガの言葉と同時にまずズーラーノーンとデイバーノックが動いた。

 目の前に広がるはビーストマンの大軍18万。

 だが彼らは迷いを見せない、すでに最悪のケースは想定していたからだ。モモンガとビーストマンの王の交渉が潰えた時点でこうする事はすでに決定していたのだ。

 二人は≪フライ/飛行≫の魔法を使いそれぞれビーストマンの軍の西端と東端へと向かう。

 それを怪訝そうに見上げるビーストマン達。パッと見では敵前逃亡と見えなくもない。

 ビーストマンの王の周りで側近達が希望的観測で声を上げる。

 

「き、きっと逃げたのでしょう…! わ、我が軍を見て怖気づかない筈がありませんから…!」

 

「そ、それに魂喰らい(ソウルイーター)とて本物の筈がない! あれが誰かに使役されるなどそんな事あるものか! ハッタリだ! に、偽物に決まっている!」

 

 王も側近達のその言葉を信じたかった。

 だが目の前にいる一体のアンデッドから放たれる異様な気配が、鋭い眼光が、確固たる自信がそれを否定しているような気がしてならなかった。

 

「いいのか?」

 

「な、何がだ…?」

 

 モモンガの問いに疑問を返す王。それを見て呆れたようにモモンガが嘆息する。

 

「部下に命令を出さなくて、だ。その数では命令が末端まで届くには時間がかかるだろう? すでに宣戦布告はした。もう戦争は始まっているのだぞ?」

 

 その言葉と同時にビーストマンの軍の西端と東端から叫び声が上がる。

 何が起きたのかわからぬまま狼狽する王と側近達。

 もし彼らに少しでも他者の話に耳を傾けようという意思があったなら結果は変わっていただろう。

 だがもう遅い。

 すでに賽は投げられた、未来は決定したのだ。

 

 ビーストマンが敵対した者はかつて多くのプレイヤーを恐怖させた内の一人だ。

 ユグドラシル1のDQNギルドにして惡の華。

 数多くの非難と暴言を浴びた問題の多いギルド、アインズ・ウール・ゴウン。

 その長たるモモンガが甘い筈などない。

 とはいえ人としての甘さや月並みな正義感を持つただの一般人でもあるという矛盾を孕んでいるのだが。

 

 少なくとも、彼は敵対者には容赦しない。

 身も心もアンデッドに成り果てたという事と関係なく。

 

「どうしてそんな顔をする? 他者をあれだけ殺していたんだ。当然自分が殺される覚悟もしているのだろ?」

 

 

 

 

 戦いの狼煙とも言うべき一撃を放ったのは西端に向かったズーラーノーン。

 彼の一撃を戦いの合図として皆が行動を開始する手筈だった。

 ズーラーノーンはモモンガ達に「驚かせてやる」という言葉と共に一番槍を希望した。彼が自主的にそのような事を言うのは珍しかったのでモモンガは快く了承した。

 しかしその時、横でデイバーノックが嫉妬に塗れた視線を送っていた事をモモンガは知らない。

 

「悪く思うなよ、俺は別にお前らなどどうでもいいんだ。どれだけ人間を殺そうが戯言を吐こうが何の興味も無い。ただ、運が悪かったな」

 

 空中に待機しているズーラーノーンの眼窩に広がるは20万の軍勢の一端、その最西端。

 それは遥か遠くまで列を為し並んでおり、兵の質を考慮するなら一度に集合した数としてはこの世界においても上位と言えるだろう。だがズーラーノーンは怯まない。

 静かに詠唱を始め、魔法陣を展開させていく。

 ズーラーノーンが放つ魔法はユグドラシルの法則ではありえぬ魔法。

 

「≪ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大化≫≪ホーリースマイト/善なる極撃≫!」

 

 その言葉と共に空中に目が眩むほどの巨大な光が出現した。

 まるで神の意向を知らしめるような神々しい光。

 巨大なその光は柱となりビーストマン達へと振り下ろされた。

 神の裁きとでも形容すべき恐るべき一撃。

 それだけで千以上ものビーストマンが光に照らされ、消し飛んだ。

 アンデッドの身では決して使用できぬ筈の聖なる魔法。

 そして何より、属性が悪に偏った者に特効効果を持つ。故に自らをも滅ぼしかねない諸刃の剣。

 

 これは偏にズーラーノーンの研鑽の賜物。

 彼の肉体の本来の持ち主であるスレイン法国元神官長ズーラーノーン、彼は回復魔法や聖なる魔法を得意とする信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)であった。

 とは言っても元々彼が使えたのは第五位階程度まで。

 そしてズーラーノーンがその身を代償に神を降ろす儀式は不完全に終わっており、神は以前の力を取り戻す事も無くその肉体を依代に存在する事になってしまった。故に彼の習得していた魔法しか使えない。

 にも拘らずアンデッドとなってしまった後はその魔法のほとんどを使えなくなってしまった。

 ユグドラシルでは考えられぬ程の非効率ビルド、いや非効率と呼ぶのすら生ぬるい。

 なぜなら結果としてその多くが無駄になってしまったのだから。

 すでにレベル上限は近く、新たな魔法系統を習得するキャパシティなど存在しない。この世界においてレベルダウンを狙うにはリスクが高すぎて現実的ではない。

 頼みの綱の種族としてのアンデッドだが、転生したばかりでレベルも高くない為アンデッドとしての強力なスキルを習得するのは難しい。それにこの世界において上位の種族を取得するのは非常に困難と言えた。

 

 そしてズーラーノーンが辿り着いた結論は己の持っている信仰系魔法詠唱者(マジックキャスター)としての力を伸ばすことだった。

 どれだけ無謀でもそれしかなかった、力を保つにはそこに賭けるしか無かったのだ。限りなく不可能、むしろユグドラシルにおいては一欠片の希望も無いその選択肢に。

 

 だが彼は成し遂げた。

 

 多くの人体実験と研究の果てに、魔力をコントロールし捻じ曲げ変容させアンデッドの持つ負の魔力を生者の持つ生の魔力に偽装する事に成功した。

 ユグドラシル時代には存在せぬ技術。

 それはこの異世界の法則に左右されたのか不明だが、結果としてズーラーノーンは行きついた。そしてついに元神官長ズーラーノーンの力の全てをその身に宿したのだ。

 そして後はそれを限界まで引き上げる事。

 ユグドラシルほど効率的にレベリング出来ないせいなのか最終的にレベルに見合った位階にまでは辿り着かなかったがそれでも十分だった。

 彼はこの魔法により、他のアンデッドに対して恐ろしい程の優位性を持つ事が出来たのだから。

 

「所詮は獣だな、脆すぎる…」

 

 なぜ彼は秘密結社を作った際にその多くをアンデッドで構成したのか。

 もちろん自身がアンデッドだからというのもあるだろう。

 だが真の理由は違う。

 

 容易く切り捨てられる為だ。

 

 仮に自分を凌ぐほど強くなる者がいても相性の問題で圧倒できるだろう。

 まぁ実際には相性の問題抜きに彼に肉薄する者など現れなかったので杞憂だったが。 

 

 しかし正に今の状況こそがズーラーノーンの望むべきものだったのだ。

 ある意味では自分を凌駕する選択肢と手段を持つモモンガ。

 カンストであればまた話は違ってきたかもしれないが、あの強さは理想的だった。

 野望を叶える為に必要なギリギリの最低水準であり、またズーラーノーンが排除できうるギリギリの最高水準。

 モモンガを利用し、そして用が無くなれば排除できる。

 

 どちらが強いかという問題になった時、レベルはズーラーノーンの方が高いがモモンガの方が圧倒的に強いだろう。なぜならモモンガはユグドラシル由来のスキルや魔法をそのまま行使できるのだから。装備の質も考慮すればさらに差は開く。

 しかしズーラーノーンの扱う魔法との相性を考えればそれも戦い方次第で覆る。

 それほどに異端で非常識。

 それがズーラーノーンという存在だ。

 

「ぎゃあああああ!」

 

「な、なんだこれは!?」

 

「か、体が灼けるっ…!」

 

「た、助け…!」

 

 ズーラーノーンが連続して放った≪善なる極撃/ホーリースマイト≫によりビーストマンの軍の西端は崩壊していた。

 悪に偏った者に特効とはいえビーストマン程度の相手ならばその効果が発揮されなくても十分に殺しきれる。だがそもそもなぜ彼はここでその手の内を晒すような真似をしたのか。

 いつか後ろから刺すべきモモンガがこの場にいるのに。

 

 しかし肝心のそのモモンガはこの時この魔法の発動を前に打ち震えていた。

 

「馬鹿な…! アンデッドの筈なのになんで…! 凄い、なんて凄いんだズーラーノーンさん…! それともこの世界では聖属性の魔法を使えるアンデッドが普通に存在するのか!?」

 

 感動の言葉と共にユグドラシルではありえぬ事態に驚愕するモモンガ。

 少なくとも彼はこの時点でズーラーノーンの思惑にハマっていた。

 

 ユグドラシルで言えば他者に己の切り札を晒す事などあり得ない。

 せいぜいが同じギルド内でのパーティを組む仲間くらいのものだろう。ギルドの規模にもよるが同一のギルドに所属していても仲間に切り札を明かさない者もいた。せいぜいが連係やカバーの為に必要な情報を共有する程度。

 それほどに情報とは高い価値を持ち、何よりも重要であった。

 本当に信頼のおける一部の者にしかその全容を明かすことは少なくない。

 なぜなら絶対的な信頼関係がおける相手でなければ自殺行為だからだ。

 全盛期にはいくつかのギルド内にスパイが入り込む等という事件も発生していた。

 故にそういう可能性に至るモモンガとしてはズーラーノーンのこの行動はあり得なかった。

 ズーラーノーン程の力を持つならば低位の魔法でも十分にビーストマンを殲滅できた筈なのに。

 

 その非現実的、または矛盾によりズーラーノーンを疑うという選択肢がモモンガの脳裏から無意識下で消えていた。

 もしかしてプレイヤーなのではないかと僅かに想像していたが、こんな自分が損しかしない行動をする者がプレイヤーな筈がない。何よりユグドラシルプレイヤーでは有り得ぬビルド。

 なぜ切り札たり得る手段、少なくとも自分達と敵対する場合において超有効な手段を開示してしまったのか、逆に言えば自分達とは敵対するつもりがないとも取れる行動でもあり、何より自分達に開示するという事はそれだけ自分達を信頼してくれているとも解釈できる。

 そもそもこの世界においてはそれほど重要な情報ではないのかもしれない、とさえ思える程に。

 

 そんな都合の良い解釈がモモンガの頭をよぎるのは必然であろう。

 元々、仲間を失ったというズーラーノーンに同情寄りであったモモンガは疑いの目など向けていなかったがそれはここでさらに決定的なものになる。

 恐らくもうモモンガがズーラーノーンを疑う事はないだろう。

 それほどに信じられない行為だったのだ。

 

 様々な思惑が交錯するも、そうして戦争は始まりを告げた。

 

 

 

 

 ビーストマンの軍隊の西端で輝く光の柱を見てデイバーノックも驚愕していた。

 

「ば…、かな…! 聖なる光…? まさかあれは神の代弁者たるものにしか辿り着けぬという信仰系魔法の極致なのでは…! な、なぜ奴がそれを…、いやなぜアンデッドの身でその魔法を扱えるのだ!」

 

 その魔法の存在を知らなくとも、それがこの世界においてどれだけ偉大な魔法なのかは理解できるデイバーノック。しかし回復魔法のように聖なる属性を持つ魔法をアンデッドが使えるなどという事実は聞いた事が無い。

 しかしならば目の前の事実をどのように説明したらいいのか、彼には思いつかなかった。

 

「ズーラーノーン…、やはり危険すぎる…! しかしなぜここであのような魔法を使った? このような魔法を扱えるという事は私はおろかモモンガさんにまでその秘密が露見するだろうに…、はっ!」

 

 そこでデイバーノックはズーラーノーンの意図に気づく。

 根拠は無く、ほとんど勘とも言うべき淡いものだったが。

 

「いや、あえて切り札を見せる事で自分の手札を明かしたと見せるつもりか…! それをする意義…! 自分に疑惑の目が向かないようにするという事は、つまり何か後ろめたい思いがあるという事の裏返し…! ズーラーノーン、やはり貴様は黒か…! 絶対に何かを企んでいるな…! いや、そもそもこれ以上の切り札がある可能性も…」

 

 その意図に気づきデイバーノックは焦っていた。

 この状況でズーラーノーンが怪しいと騒いだところでモモンガは困惑するだけだろうと。それよりも下手をするとズーラーノーンはその懐疑の目をデイバーノックにこそ向くように仕向ける可能性もある。

 

(私が何か騒ぎ出すことなど当然予想しているだろう…。むしろこれを好機と見て私を陥れるつもりかもしれない…。仮にここで私がモモンガ様に疑われるような事態になれば目も当てられん…、どうしたら…)

 

 心の中で激しく葛藤するが答えは出ない。

 それよりも今は目の前のビーストマン達をどうにかするのが先決だと思い出す。

 

「不本意だが…、考えるのは後回しだな…。モタモタしてあの御方の信頼を裏切るような事があっては本末転倒だ…!」

 

 そうしてデイバーノックは気持ちを切り替え、ビーストマンの軍へ向き直る。

 先ほどまでの迷いなど嘘のように呪文を詠唱していく。

 

「≪ワイデンマジック/魔法効果範囲拡大≫≪アンデッド・ナイトメア/死者の再訪≫」

 

 彼の両手から闇の飛沫が迸りビーストマン達の視界を覆う。今や彼らからすれば見渡す限り闇一色。暗黒の世界だ。

 かつてトブの大森林でグの一派がこの魔法によって壊滅した。

 その悪夢が再び蘇る。

 本人たちの体感時間はともかくとして、現実の世界ではものの数秒で範囲内にいた何百体ものビーストマンの9割が絶命した。

 

「ふむ、思ったより生き残ったか…。見たところ若い個体も多い、そもそもあまり多く戦争や略奪を経験していないのかもしれないな、しかし…」

 

 そう、今この時のおいてこれはデイバーノックによる審判ではない。

 戦争だ。

 故に生き残った者に与えられる慈悲もない。

 

「≪ソウルレス・リバイバル/魂無き帰還≫」

 

 次なる魔法を放つデイバーノック。これにより先ほど死んだビーストマン達が一斉に起き上がる。

 

「な、なんだ…! 生きて…、うわぁあああぁ!」

 

「やめろっ! やめっ!」

 

「俺だ! 忘れちまったのか、なんで!」

 

「違う! 操られてるんだ! 死霊系魔法だ!」

 

 デイバーノックのその魔法によって一気に場が混乱する。

 最初の一撃で数百体中の9割がデイバーノックの兵となった。だがその程度であればすぐに鎮圧できただろう。周囲には何万もの兵がいるのだから。しかしデイバーノックは繰り返し魔法を唱え続ける。何度も、何度も。

 

「だ、だめだっ! ど、どんどん数が増え…!」

 

「ちくしょう止められねぇ! どうなってる!? 動死体(ゾンビ)の癖に強いぞ! それどころか普通に技まで…! これじゃ生身と変わらねぇぞ!」

 

 ≪ソウルレス・リバイバル/魂無き帰還≫による死体の使役は時間制限があるものの、代わりに生前の戦闘能力をそのまま行使する事が出来るというメリットがある。

 これは戦争において非常に有効な魔法である。

 最初にデイバーノックが魔法を数発撃って手勢を増やしたら、あとはその者たちが元仲間と互いに戦いだす。そうすると死体はいくらでも増え続ける。

 増えた死体に再度魔法を。その死体が戦いさらに死体を増やす、そしてまた魔法を。

 無限ループの完成だ。

 もちろんデイバーノック側の手勢も減っていくがこの場を見る限り増えていく死体の方が多かった。

 それもその筈。同じ強さの者同士が戦うという前提ならば、疲労やダメージを感じぬアンデッドの方が強いのは自明の理。

 

 そうして強大な魔法により殲滅された西端と違い、この東端は血と混乱と無秩序により崩壊した。

 

 

 

 

「な、何が起きたぁっ! ほ、報告しろっ!」

 

 突如、西端に出現したいくつもの光の柱、東端からは恐怖に喘ぐ同胞達の悲鳴。

 ビーストマンの王が声を張り上げ側近達に問うが側近達とて変わる筈が無い。

 

「驚いたな…。魔法やスキル、あるいはアイテム等による防御や障壁を展開する事を怠り、さらには迅速な意思疎通の手段すら確保していない…。それでよくこれだけの数を纏められたものだ」

 

 驚愕に震える王に向かって淡々とモモンガが呟く。

 

「き、貴様…、な、何をした…?」

 

「俺は何も? 何かをするのはこれからだからな」

 

「なっ…!」

 

 王の反応など無視するようにモモンガが背後のアンデッドへと指示を出す。

 

魂喰らい(ソウルイーター)達6体はここ正面から軍の最奥まで突破しろ。全てのスキルを解禁する、全力でやれ」

 

 モモンガの言葉を合図に魂喰らい(ソウルイーター)達が嘶きを響かせ突進していく。

 進路上にいる王こそは攻撃を受けなかったものの、周囲にいた側近達の何人かはすれ違い様に無残に轢き殺されていく。

 そして少しおいて王の背後から数多の悲鳴が上がる。

 

死の騎士(デスナイト)達は撃ち漏らしを狩っていけ。この場においては自身のスキルにおける影響を考慮せず気兼ねなくやっていい」

 

「オオオオオォォォアアアアーー!」

 

 咆哮を上げた死の騎士(デスナイト)魂喰らい(ソウルイーター)達を追って走っていく。

 その時、王の周囲にいた側近の生き残りの首を飛ばしながら。

 

「じゃあイビルアイさんは…」

 

「うむ、無いとは思うが万が一に備え都市に残り民衆を守ろう。第一私には強力な対多数用の魔法など無いしな…」

 

 少しいじけた様子で都市へと戻っていくイビルアイ。別にないこともないのだがズーラーノーンやデイバーノックの魔法と比べてしまっては比較にならないからだ。

 ふとモモンガが視線をビーストマン達へと戻すとそこでは魂喰らい(ソウルイーター)達が暴れている。

 

「な、なんだこれっ…!」

 

「嫌だっ、助けっ…!」

 

 魂喰らい(ソウルイーター)の骨の体を覆う揺らめくような(もや)が変化し辺り一帯へと広がり周囲の何十体ものビーストマン達に襲い掛かる。

 炎のようにそれは一瞬にしてビーストマン達の体を喰らい尽くす。その場に骨だけを残して。

 だが彼等を焼き尽くしたそれらは炎ではない、煙は出ず、肉の焼け焦げた匂いもしない。

 ただ、喰らい尽された後には空中に漂う不定形のオーラのようなものが残された。

 まさに魂とも呼ぶべき代物。

 魂喰らい(ソウルイーター)が大きく口を開けると自身の広がった(もや)と共にその魂のようなものが勢いよく吸い込まれていく。全てが魂喰らい(ソウルイーター)の口に吸い込まれると再び魂喰らい(ソウルイーター)の全身の(もや)が激しく揺らめきだす。

 先ほどよりも大きくなったそれはまるで魂を吸って巨大化したようにも見える。

 

 これは魂喰らい(ソウルイーター)による広範囲への攻撃スキルである。この能力で殺害に成功すると一時的にパワーアップする事が出来る。いわゆる強力なバフの一種だ。

 とはいえ効果時間は短く、また一体辺りから得られるパワーアップの数値も決して高くない。

 しかし、ことこの場においてはそれらは問題にならない。

 この攻撃スキルは連発できる為、効果が切れる前に再度バフをかけなおすことが出来るからだ。

 さらには敵の数も多く、魂喰らい(ソウルイーター)は上限一杯まで強化した力を維持する事が出来るようになる。

 結果、凶悪なまでに強化された魂喰らい(ソウルイーター)6体はバフが切れる事なく戦場を荒らしまわる事になる。

 

 単体での戦闘能力ならば死の騎士(デスナイト)の方が強いだろう。攻撃力だけは劣るがそれでも総合力で死の騎士(デスナイト)に軍配が上がる。さらにそのスキルにより対多数相手という能力においても負けてはおらず、よほどの雑魚狩りをするのでもなければ死の騎士(デスナイト)の下位互換とも言えるだろう。唯一利点があるとすれば騎乗モンスターとして使用出来る事か。

 しかしこの世界においてはそうではない。

 恐らくユグドラシル時代には上限まで強化された魂喰らい(ソウルイーター)など存在しなかったのではないだろうか。雑魚の部類であった魂喰らい(ソウルイーター)が大量殺戮など出来る筈がないからだ。

 

 現在、魂喰らい(ソウルイーター)達の強さはレベル70に迫る程にまで上昇している。元のレベルのおよそ倍。下手な上位アンデッドに迫る強さである。

 この瞬間の強さだけを見るならばステータスにおいて死の騎士(デスナイト)どころかモモンガすら凌駕する。

 そんな規格外の化け物が暴れ回り広範囲攻撃を連発しまくるのだ。

 助かる筈などない。

 

 ビーストマンがいなくなり、そのバフが切れるまで魂喰らい(ソウルイーター)の暴威は止まらない。

 

 

 

 

「凄いぞ…! 素晴らしい! まさかここまでパワーアップするとは…! ふふっ、恐らく召喚した魂喰らい(ソウルイーター)を上限いっぱいまで強化出来たのはユグドラシルでも俺だけじゃないか? しかもそれをこれだけ維持し続けられるとは…」

 

 感動した様子で魂喰らい(ソウルイーター)達を見ていたモモンガだがやがて王へと向き直る。

 

「っ…!」

 

 モモンガの視線を受け、王がビクッと反応する。それを気にする様子も無くモモンガが声をかける。

 

「すまんすまん、少々よそ見が過ぎたな。さて、俺たちも始めようか」

 

「は、始める…?」

 

「? 戦争なのだから当然だろう? お前も部下たちだけに戦わせるのは気が引けるだろ? 大将戦といこうじゃないか。どれだけ劣勢でも大将さえ討ち取れれば勝敗もひっくり返るかもしれんぞ?」

 

 王にとっては気休めにもならぬ一言。

 王も馬鹿ではない。遅かったとはいえすでに現状を理解し始めていた。

 西端に向かった謎の光の柱を出現させたアンデッド、東端にて恐怖に怯える同胞達の叫びを上げさせたアンデッド。

 加えて、話にだけは聞いた事がある伝説のアンデッド及び、かつてビーストマンを滅亡の危機に晒した忌むべきアンデッド。その存在は伝聞以上だ。もはやそれらが偽物などと疑うような間抜けでもない。

 

 さらにはそれらを統括する目の前のアンデッド。

 少なくともそれら以下ではないと判断して良いだろう。

 王は思う。

 どこで間違えたのか。

 何度も前兆はあった。

 牙の長の敗北から、今回都市に侵入した爪の部族の全滅。

 嫌な予感は確かに感じていたのに。

 自分達は強いのだから大丈夫だと、慢心したまま誤った判断をしてしまった。

 さらに最後には向こうは交渉にまで出てきた。

 最後の最後で切り抜けられた可能性すらあったのに。

 愚かにも自分は身の程も知らずそれを蹴り飛ばしたのだ。

 故にこれは必然。

 王が招いた結果であり、これがその栄光あるビーストマンの末路。

 

「あぁ…、ぁぁぁ…」

 

 頭を抱え膝から崩れ落ちる王。

 背後ではすでに何万もの同胞の命が刈り取られている。

 恐怖の叫びが、無念の嘆きが、救いを求める声が。

 全てが蹂躙され、掻き消されていく。

 地獄のような騒音と共に響いていた同胞達の悲鳴もいつしか聞こえなくなった。

 恐る恐る王が後ろを振り返ると。

 

「は、ははは…! 嘘だ…、こ、こんな事ある筈がない…! 我は、我等は栄光あるビーストマンだぞ…? 人間共を支配し、アベリオン丘陵の猛者共すらも従え、やがては南に広がる亜人の地すらをも統べる世界の覇者だ…、いつかは竜王さえ超える…! そうなる筈だったのだ…! え、選ばれた種族なのだ…! だから…、だから…! こんなのは嘘だ…!」

 

 20万もの軍が待機していた程の広い平地に広がるのは死体の山。

 地平線までそれは続いている。

 大地は血と灰に染まり、空さえも暗く濁って見えた。

 中には魔法で吹き飛ばされたのか大地がクレーター状に抉れており死体すら存在しない場所さえある。

 その地獄絵図の中で唯一動いているのは動死体(ゾンビ)となり変わり果てた同胞のみ。

 死体となった同胞の肉体を食いちぎり貪る。

 生きている者はおらず、ただ欲求を満たすだけの哀れな動死体(ゾンビ)がそこかしこに存在する。

 もう誰も生きてはいない。

 

「はっ、ははははははははは! そうだ! こんな筈ないのだ! こんなのはおかしい! 間違ってる! だからこれは夢で、全て幻なのだ! わ、我には世界を統べるという偉大な使命があるのだ…! こ、こんな所でモタついている暇などない! すぐに起きて行軍を再開しなければ…! わ、我は最強! 栄光あるビーストマンだ…!」

 

 瞳から大粒の涙を流しながら王が叫ぶ。

 現実を受け入れられず、幻想へと逃げながら。

 とはいえやがて目の前の現実に耐えられなくなったのか、爪を己の首へと突き立てる。

 

「は、ははは…! や、やはり夢だ…、ちっとも痛くないぞ…! はははははは! 我が軍が負ける筈などないのだ!」

 

 恐怖で感覚がマヒしているのか、首から血を吹き出しながらも王は笑い続ける。

 すぐに大量の血の喪失と共にその場へと倒れる王。

 

「ど、同胞達よ…。人間共を…、蹂躙するのだ…、もう、我々は奪われない…、今度は我らが奪う番だ…。憎き南の亜人共に裁きを…、奴らに報いを…。祖霊の無念を晴らし、誓いを果たす…のだ…。国に残してきた我らの子孫の為にも…。その為には…、人間を…、豊富な食糧が…必要…なのだ…。我は負けぬ…、我はくじけぬ…。だから、皆、我に続け…。我が、必ず、お前たちを守る…。必ずお前たちを導い……て…」

 

 涙と血で大地を濡らし、歪んだ笑顔のまま何かを呟きながらビーストマンの王は、死んだ。

 モモンガと戦うまでもなく、いともあっけなく。

 しかし最後には同胞の事を想って。

 

「……」

 

 複雑な感情を抱いたまま王の死体を見下ろすモモンガ。

 初めは正義感と同情心で動いた。

 王都や帝都の時もそうだったがあの時は不思議と後悔は無かった。

 だから今回もそうなるのだと思っていた。

 しかし。

 

「気にする必要はないぞ、モモンガ」

 

 都市へと戻っていた筈のイビルアイがいつの間にかモモンガの後ろに立っていた。

 もはや形勢は決し、都市の防衛も不要と判断したイビルアイがずっと動かぬモモンガを心配して駆け付けていた。

 気付けば王が死んでからかなりの時間が経過していたようだ。モモンガは自分がここで長時間呆けていた事を理解した。

 

「イビルアイさん…」

 

「何を言われたか知らんがお前が気に病む必要などない。大体は想像がつく。恐らくは自分達の敗北を受け入れられずに自害したといった所だろう? 他者から奪おうとするからには奪われる覚悟もしなければならない。今回はこいつらが弱かっただけの話だ。何より強さが奴等の掲げる正義だ、そこで負けるならば奴等に反論など出来ようはずも無い」

 

「でも彼らは仲間の為に…」

 

「一部の者を抜かせば、この世界に仲間の為に戦わない者達などいないさ。皆が皆、仲間の為に戦うんだ。その為に他者を犠牲にする。あらゆる種族それぞれに事情があるだろう。独自の価値観がある。互いに己を正義と主張し、互いに敵を悪と断じる。相手側の事情など考慮しない。それは人間も、亜人も変わらないよ」

 

「……」

 

「だからこそ私も自分の正義を信じ、それを貫こうと思うんだ。もちろん私とて誰かから見れば悪かもしれない。だがな、真面目な者が割をくい、弱者が虐げられる事が平然と行われる世界を私は見過ごせない。誰かがそんな世界を正義と主張しても私は全力で否定する。たとえそれがこの世の摂理だったとしても。それが私の正義だ。その為に誰かと争いになろうとも私は構わない。それが戦うという事だろう?」

 

 イビルアイの言葉がモモンガの琴線に触れた。

 

「そう、ですね…。そうかもしれません。確かに自分の正義を、自分の意思を貫くためには戦わなければいけませんね…。その為に他者の正義を否定し、捻じ曲げる。きっと俺も弱ければ彼等と同じになっていたでしょう…。否定され、奪われる。だからその為には力が…、何者にも侵されない力が必要なんだ…。そうか、力…。力が欲しい…、もっと力が…」

 

「モ、モモンガ…?」

 

 イビルアイの声に反応せず考え込むモモンガ。

 

(そうか…、だからズーラーノーンさんも力を…。確かに力が無ければ自分の正義など貫けない。それに帝都で襲ってきた法国の奴らがまた来たら次はやられてしまうかもしれない…。戦術が滅茶苦茶だったとはいえ彼は強かった…。それにレベルダウンした今の俺じゃ彼以上の存在が来たら容易くやられてしまうだろう。ユグドラシル最終日に調子に乗って超位魔法を連発したのが悔やまれるな…。この世界じゃ効率のいいパワーレベリングなんて出来そうにないし、そもそも時間が無い…)

 

 今になってズーラーノーンの共にエリュエンティウに行こうという誘いに応じて良かったと心底思うモモンガ。当初は旅を楽しむつもりで了承したが今は違う。今なら自分も力を手に入れる為にエリュエンティウに向かうと胸を張って言えるだろう。

 装備という点においてはモモンガにとってあまり旨みはないだろうが世界級(ワールド)アイテムがあれば話は別だ。仮にその一つでも手中に収める事が出来れば、物によってはレベル差さえも容易く覆せるからだ。

 モモンガもアインズ・ウール・ゴウンとしていくつかの世界級(ワールド)アイテムを所持していたがそれらはナザリック地下大墳墓に保管されたままで手元にはない。

 あるのはモモンガ個人が所有しているモモンガ玉のみ。

 これも十分に強力だが全力稼働した場合には相応のデメリットがつく。現在の状態では満足に使えるかも分からず不安は多い。正直なところ、切り札としても機能するか怪しいのだ。

 だからこそどれほどに可能性が低いとしてもこの世界にあるかもしれないならば世界級(ワールド)アイテムを探すという選択肢は十分に価値がある。

 少なくとも傾城傾国の存在が他の世界級(ワールド)アイテムの存在を証明しているのだ。

 そしてプレイヤーであろう者達が残したギルド拠点かもしれない浮遊都市エリュエンティウ。

 もはや行かない等と言う選択肢は欠片も無い。

 

「お、おい、急にボーッとして大丈夫か、おいモモンガ!」

 

 気づけば反応しなくなったモモンガを必死でイビルアイが揺すっていた。

 

「あ、ああ、すみませんイビルアイさん、少し考え事を…。それより決めましたよ俺」

 

「ん? 何をだ?」

 

「俺は必ず力を手に入れます。そしてイビルアイさんを守りますよ!」

 

「っ!!!」

 

 モモンガの言葉に驚いて固まるイビルアイ。その後に「デイバーノックさんも、他の皆も」と続いているのだが耳に入ってはいない。

 

「ま、まさか急にそんな大胆な事を言うとは驚いたぞ…。だ、だがまぁどうしてもというのなら仕方ないな…。ふ、不束者ですがよろ「モモンガさーん!」

 

 イビルアイのセリフに喰い気味でデイバーノックの声が聞こえた。

 

「こちらは終わりました! 周囲も見回しましたがもう生き残りもいないかと」

 

「あ、デイバーノックさん、お疲れです」

 

「いい所だったのに!」

 

 突如イビルアイがデイバーノックの元まで走っていってその足を蹴り上げる。

 

「ぐあっ! な、なぜ!?」

 

 突如イビルアイにこかされたデイバーノックがのたうち回っている間にズーラーノーンも帰還する。

 

「もう全部片付いたみたいだな。で、あいつらは何やってるんだ?」

 

「わかりません、はしゃいでるんでしょう。仲いいですよね」

 

 多くの命を散らし、いや蹂躙し、大虐殺とも呼べる事をしでかしておきながらその張本人達は不自然なほど和やかに会話を交わす。

 それは彼等がアンデッドだからなのか、それとも中身が一般人だからなのか、あるいは何かを割り切っているからか。そのいずれでもないか。

 

「終わったならもう行こうモモンガさん、下手にここに残ってると竜王国の奴らが出張ってきて面倒だ。別に悪いことにはならないだろうがビーストマンから国を救った英雄だなどと祀られるぞ。無駄に時間を取られるのは得策じゃないだろう? 何よりアンデッドである事が露見すれば別の問題も発生するしな」

 

 ズーラーノーンの言葉に頷くモモンガ。

 

「そうですね。ビーストマンを片づけた今、この国に迫っていた脅威は消え去ったわけですし。本来ならアフターケアをした方がいいのでしょうが今は都市を守ったという事で納得して貰いましょう。長居してあれやこれや聞かれても確かに面倒そうですし」

 

「決まりだな」

 

 そうしてモモンガは遠くで戯れているイビルアイとデイバーノックを仲裁し、再び四人でエリュエンティウへと歩を進める。

 アンデッドで疲れもなく飲食も不要な彼等にとっては多少の旅路など何の苦にも障害にもならない。

 カッツェ平野を踏破した時と同様、いとも容易くエリュエンティウへと到着するだろう。

 

 だからこそ彼らが笑っていられる時間はもう残り少ない。

 もうじき全てが変わる。

 偽りの関係が崩れ去り、世界に未曾有の危機が齎される。

 世界に広がる災禍の渦。

 帝国から始まったそれは、少しづつ誰も気づかぬ内に、しかし確実に進んでいる。

 八欲王の残した空中都市エリュエンティウ。

 災禍はそこで華開く。

 

 モモンガ達がそこに辿り着くまで、あと少し。

 

 

 

 

  ‐それから十数日後‐

 

 

 

 

「ど、どういうことだっ!?」

 

 竜王国の王城、その玉座の間でドラウディロンの声が響く。

 

「ですから何度も仰っております陛下。民からの報告を受け兵を派遣し調べさせたところ確かにビーストマンの軍勢は消え去っておりました。いえ、正確にはビーストマンだったであろう幾万もの死体は発見されておりますが…」

 

「馬鹿なっ!? なぜ奴らが全滅するのだ! 何が起きた! 20万規模の軍勢だったと報告が上がっているではないか! お前がお手上げだとして兵まで撤退させたというのに! ビーストマンとの最前線であった都市は未だ健在、都市を救ったという謎の英雄の話は上がっているがいくらその英雄が強かろうと単身で滅ぼせる数ではあるまい!?」

 

「仰る通りです陛下。都市内で見つかったビーストマンの死体と都市の外にあったビーストマンの死体の多くは素人目に見ても分かる程に全く違う殺され方をしていたそうです。都市内はともかくとして、その、都市の外の死体はこの世の物とは思えない程の、凄まじい…、いやおぞましいというべきでしょうか…。なんとも形容の難しい惨状だったようです。兵達の間では悪魔のような所業だと噂されております…」

 

「そ、そんなに酷いのか…」

 

 宰相の言葉にドラウディロンも息を呑む。

 結果として都市を襲われず自国民からも大きな被害が出なかった事は喜ばしいが事はそう単純ではない。

 

「そ、それよりもだ…。ビーストマン達が全滅したという事は…、その、それらを行った何者かがいるという事だろう?」

 

「仰る通りです」

 

「それは大丈夫なのか…? も、もしビーストマンの軍勢を滅ぼすような何者かに我が国が目を付けられたらどうなる…? それはビーストマン以上の脅威ではないのか…? 我が国は、いや、この世界は大丈夫なのか…!?」

 

「…それは分かりません陛下。しかし騒いだとてどうにもなりません。今は我が国が無事にビーストマンをやり過ごせた事を喜ぶしかありますまい。我が国としてはこの事は陽光聖典からスレイン法国へと伝えて貰いさらなる援助をお願いするしかありません…」

 

「結局は他国頼りか…」

 

 新たな問題にドラウディロンは嘆息し、また己の力の無さを心から憎む。

 

「私にはどうして力が無いのだ…、民の…己の民さえ守る力が…」

 

 俯き、ドラウディロンの喉からか弱い言葉が漏れる。

 しかしその時、玉座の間の扉が強く開け放たれ兵士が走り込んでくる。

 

「へ、陛下大変でございますっ!」

 

「何事か」

 

 疲れたような声でドラウディロンが返す。

 

「と、突如城の頭上に、な、なんと申し上げたらよいか…、暗闇…、そう暗闇のような何かが出現し…」

 

 だが兵士が言い終える前に城が揺れた。

 いや、正確には揺れてなどいない。

 しかしまるで城が、大気が揺れたように錯覚する程に強い衝撃をここにいる者全てが感じたのだ。

 側に仕えていた侍女などは耐えられなかったのかその場に伏してしまっている。兵達も動揺し何が起きているか理解できていない様子だ。

 この中で最もそれを敏感に感じ取れたのはドラウディロン女王ただ一人だっただろうか。

 それは竜の血がそうさせたのか、恐らく彼女ただ一人だけがこの状況の理解に最も近い場所にいた。

 

「こ、これはっ…!」

 

 玉座から飛び降り、近くの窓へと駆けるドラウディロン。

 空を見ると確かに報告にあったように漆黒の闇が浮いていた。

 ただ一つ、報告と違ったのはそこから何者かが這い出てきた事だけだ。

 

「――っ!」

 

 ドラウディロンは息を呑み、そして一瞬で全てを悟る。

 一目見ただけで理解できたのだ。

 あれ狂う程の殺意、そしてこれから起こる惨劇に。

 彼女の血が、祖父から受け継がれた竜の血が騒いでいるように思えた。

 あれはこの世界に仇名す者だ――と。

 

「み、皆すぐに逃げよ! はや――」

 

 しかし眩い程の閃光と衝撃と共にドウラウディロンの言葉はかき消された。

 誰にも何が起きたかなど分からない。

 理解するより先に事が起きたからだ。

 

 竜王国の王城の頭上に突如現れた暗闇から這い出た何者かは王城の一角を容易く吹き飛ばした。

 しかしそれでは終わらない。

 これは始まりだった。

 無慈悲な刃が竜王国へと何度も振り下ろされ、あっという間に竜王国は火の海へと沈み蹂躙される。

 民達の悲鳴がどこまでも木霊するその様相はこの世の終わりのようであった。

 

 

 

 

「お、お待ちください! 貴方を国外へ出す訳にはいきません!」

 

 スレイン法国の聖域、5柱の神の装備が眠る場所でそれは起きていた。

 

「うるさいなぁ…。あれから待った。話が終わるまで待った。会議が終わるまでまった。国の決定が下るまで待った。風花聖典の報告が上がるまで待った。巫女の儀式が終わるまで待った。じじい共の説教が終わるまで待った。で、自分の限界まで待った。もう終わりだよ、これでもかなり我慢したんだけどね。何度もお願いしたのに聞き入れなかったのはそっちでしょう?」

 

 そう言って番外席次は目の前の男へと詰め寄る。

 

「し、しかし貴方の存在はこの国の最高機密! 何より貴方には5柱の神の装備を守るという大事な任務が…」

 

 そう言ってなんとか番外席次を止めようと粘っているのは漆黒聖典の隊長。

 彼もかなりの強さを持つのだが番外席次の前ではそれも形無し。

 

「今までここに何者かが侵入してきた事があった? 誰が法国の結界を抜けてここまで侵入できる? 誰がこれだけの数の神官達を相手に戦える? 今までそんな事は一度も無かった。一度もね。でも私は我慢してきたよ、そう育てられてきたし竜王と戦争になるからって言われてね。特にやりたい事も無かったから大人しく従ってきたけどさぁ…、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)なんてもんが本当に出て来て…、漆黒聖典の連中が返り討ちにされて…、あげくには神の遺産まで効かないなんて…。そんな相手がどれだけいるっていうの? ねぇ?」

 

 番外席次の迫力に隊長は気圧されて何も言えない。

 

「やっとなんだよ、やっと…。やっと私に勝てる男が現れたのかもしれないの…」

 

 厭らしい笑みを浮かべながら番外席次が続ける。

 

「もうさ、国の都合なんて待ってられないんだよ。世界盟約なんてもんのせいでさぁ、外に出て行けば竜王共とは戦争になっちゃうわけじゃない? それに初めてなんだよ、竜王共以外に戦えるかもしれない相手なんてさぁ…」

 

「し、しかし…!」

 

「しかしもクソも無いよ。どっちにしろ下手したら世界の危機なんだから後手に回ってもしょうがないでしょう? 国や世界が滅んでから私が出ていっても遅いし。何より私よりも弱いなら私がブッ殺して終わり。もし私より強ければ…、まぁ自分と子作りした相手のいる国を無碍には扱わないんじゃない?」

 

 番外席次の論理にはそもそも相手が彼女と子供を作る気はあるのかという点が欠落しているが、それを差し置いても相手が番外席次より強い場合においては何も事態は好転しないのだ。

 故に隊長としては、いや国としては彼女を止めざるを得ない。

 最悪の場合として番外席次が負けた場合、相手側の言いなりになってしまう可能性とてあるのだから。

 

「分かったら早くどいて頂戴。また馬のオシッコで顔を洗いたくないでしょ? 私が優しいうちに…」

 

 番外席次が言い終える前に異様な空気が周囲一帯を包んだ、正確には国をだが。

 

「何が…?」

 

「こ、これは…?」

 

 番外席次も隊長も異変に気付くがすでに遅い。

 次の瞬間、大地が揺れ、建物が揺れた。

 すぐに建物が崩れるような轟音が轟き、人々の叫びが響いた。

 彼等が感じたのは圧倒的な強者の気配。

 まるで竜王に匹敵するような。

 

「あ、あは、ははははははははは!!! まさか破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)!? そっちから会いに来てくれるなんて! こんなに嬉しい事はないよ!」

 

 嬉しそうに狂喜する番外席次を他所に隊長は困惑していた。

 

「 カ、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)…? い、いやこれは…、あのアンデッドじゃない…?」

 

 隊長の言葉に番外席次が反応する。

 

「ふぅん、破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)じゃないの? でもまぁいいや。私よりも強いかもしれないならさぁ! 何者でも私は構わないんだよ!」

 

 完全武装の番外席次がバルディッシュを力強く握りしめ聖域から飛び出していく。

 もう隊長の制止など意味を為さない。

 欲望の赴くままに、番外席次は駆けていく。

 

 

 

 

「うぐぅあっっ!」

 

 空を飛翔していた白金の全身鎧を身に付けた人物は突如として何者かの奇襲を受け地面へと墜落していた。

 金属鎧の中身は空っぽでその正体は遠くの地から遠隔操作している真なる竜王の一人、ツアーである。

 自らも破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)の影を追う為、世界中を飛んでいる最中、突如として空に出現した暗闇から出てきた何者かに襲われたのだ。

 

「な、何の気配も無く突然現れるとは…! くっ、不覚…!」

 

 最初の一撃で胴体に大きな風穴を開けられたツアーだがもちろん遠隔操作の為ダメージなどない。しかし分が悪いと判断しすぐに撤退しようとするが。

 

「がっ! な、何…! 一人ではない…、だと…?」

 

 死角から現れた別の何者かに再び奇襲を受けた。再び大地に叩き落され、追撃を受ける。

 そのどちらも真なる竜王に匹敵する実力の持ち主だ。

 この身、この鎧は遠隔操作によりただでさえ素の自分よりも弱いのにも拘らず、二人の真なる竜王級となど戦える筈がない。

 激しい戦いの末、ツアーの鎧は砕け、弾けた。

 そしてその意識が本体へと戻る直前、ツアーは見た。

 

破滅の竜王(カタストロフ・ドラゴンロード)、その仲間達か…! いや、…お前達は…! そんな…!」

 

 何かを言いかけたツアーの言葉は白銀の全身鎧と共に消し飛んだ。

 

 

 

 

 この時、世界中に、あらゆる国の頭上に暗闇が出現し世界を混沌へと叩き落した。

 暗闇から這い出た者達は強く、全てを蹂躙した。

 かのアーグランド評議国の竜王達でさえ戦いにならなかった。

 それだけの強さと数。

 遠くからでも分かる程の破壊と荒れ狂う魔力の奔流。

 

 しかしここに恐らく世界で一人だけ、意に介していない者がいた。

 

「こ、これは一体何が起こっているというのじゃ! なぜこんなことが…!」

 

「少し静かにしてて貰えませんか?」

 

 狼狽するリグリットに対して海上都市の彼女は何でもないという風に淡々と言う。

 

「な、何を言っておる…! 何が起きているか分かるじゃろう!? これだけの異常な魔力の数! これだけ離れていても感じる程の強さ…! 近い場所などここからでもその光や爆発が肉眼で確認できる程じゃぞ!? 国が…、いや世界が滅ぼされてしまう!」

 

 だがそんなリグリットの叫びなど気にしていないように彼女は受け流す。

 

「聞いておるのか! た、頼む…! もしお主がどうにか出来るなら我らを…、いや世界を救う事に協力してくれ…! リーダーも認めたお主とツアー達竜王が協力すればもしや…」

 

「静かにして下さいと言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なんじゃと…?」

 

 そう言って彼女はリグリットなどそっちのけでただ一点を見つめ続ける。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「まさか…、信じられない…。本当にこんな事が…」

 

 それは夢にまで見た彼女の希望への一筋。

 そのほんの一欠片。

 

 しかし、彼女が己が全てを投げ出すに足る価値のあるもの。

 

「後はこれが答えてくれるかどうか、か…。怖いな…、あれだけ望んだのに…、もう何にも動じないと思っていたのに…。いざその時になってこんなに震えるなんて…」

 

 そう一人ごちる彼女の手元は震えていた。

 だがそれでもなお必死に手に力を込める。 

 

 胸に抱える世界級(ワールド)アイテムがその手から零れ落ちぬようにと。

 

 やがて落ち着きを取り戻した彼女はその世界級(ワールド)アイテムを頭上に掲げ、発動させる。

 

 何百年も待ち続けた彼女の願いは――

 

 

 

 

 気が付けば占星千里は部屋から外へと出ていた。

 とある建物の屋上からそれを眺めている。

 

 もう感覚が麻痺してしまったのか、恐怖は薄れ、涙は枯れた。

 

 後はただ彼女が予言した未来と同じ光景が再現されるだけだ。

 だからもう覚悟は出来ている。

 自分は死ぬ。

 国は滅ぶ。

 きっとそうなるのだろう。

 どこに逃げても無駄だ。

 ならばせめて最後までここでその全てを瞳に焼き付けようと。

 

 幸いにもこの建物は予言の中で最後まで破壊される事は無かった。

 だからここなら予言の先まで見る事が出来るかもしれない。

 建物から都市を見下ろすとそこはもう地獄だ。

 あらゆる建物が破壊され、燃え盛り、自分の見慣れた祖国などはもうどこにもなかった。

 

 暗闇から現れた者達、彼等をなんと形容するべきか占星千里には分からないがきっとあれらが神と呼ばれる者達なのだろうと漠然と理解していた。

 

 だからここからだ。

 ここまでが終わりで、ここからが始まり。

 もうじき占星千里が見た予言は終わる。

 あれらに戦いを挑んだ番外席次が敗れ、予言は終わる。

 そしてここから始まるのだ。

 占星千里も知り得ぬ未知が。

 

「あぁ…、始まる…」

 

 諦念の極みにいる占星千里の口から言葉が漏れた。

 だがあれだけ恐怖したのに、これだけ感覚が麻痺しているのに。

 最後に思った事は、知りたい、だった。

 

 彼女は思う。

 もう死んでもいい。しかしどうか願わくば、この行く末を見届けたい、と。

 

 やがて彼女が予言で見た景色は終わりを告げ、ここから始まる。

 

 ()()()()()が。

 

 

 

 

 時は巻き戻り、モモンガ達がビーストマン達を退けたその直後ほど。

 

 

 そこに広がるは荒涼たる広大な砂漠。

 しかしその砂漠の真ん中には一つの都市が存在する。

 一目で目を引くのは空中に浮遊する巨大な城。

 その城からは無限の水が都市へと流れ込んでいる。

 都市全域は高度な魔法結界に包まれており、砂漠の中にありながらも新緑から深緑、豊かな木々が都市を彩っている。

 砂漠の中のオアシスどころか、限りなく天国に近い場所といえよう。

 結界により砂漠から魔物は入り込む事はなく、広大な砂漠の為、亜人や国家による侵略をうける事もない。

 仮にそのような事があったとしても都市の住人は何の心配もしていないだろう。

 なぜならこの都市には神に匹敵するとまで謳われる30人の都市守護者なる者達によって守られているからだ。

 故に何者もの侵略を許さず、また浮遊した城からの恵みにより都市は単独で成り立つのだ。

 

 そこへ一人の見窄らしい浮浪者のような女が迷い込んだ。

 都市の入り口、そこで力尽き倒れてしまったのだ。

 

「ねぇ、神父様ー」

 

「うん、どうしたんだい?」

 

「あそこに誰か倒れてるよ」

 

 神父と呼ばれた初老の男性と、倒れた女を指差す小さな子供。

 彼等に見つけて貰えた事はきっと幸運だったのだろう。

 その女は紛れもなく死ぬ寸前であったのだから。

 あわてて初老の男性が駆け寄り、様子を見る。

 

「なんと…! まさかこの砂漠を一人で…! だがまだ息がある…、あぁ、これも神の思し召しか…」

 

 そうして初老の男性は行き倒れた女を抱きかかえ介抱する為に連れ帰る。

 その女が何者かなど知りもせずに。

 

 

 

 

 ここはカルネ村。

 王国の辺境にある小さな村である。

 

 この日は王国が滅び帝国に併合された後、新たな税や法律等を周知させる為に帝国から使者が訪れており、さらには王国内の地図の正確性を確かめる為の簡単な調査も行われていた。

 とはいってもこれは王国中の都市や村に対して行われており、本当にごく簡単なものであった。

 あくまで形式だけ、といった感じである。

 そしてカルネ村の村長も帝国の使者に村の周囲を案内する事になった。

 カルネ村においてはトブの大森林が近くにある為、他の村よりは多少念入りに周囲を見て回る事になった。

 何事も無く終わりそうだったのだが、カルネ村から少々離れた草原地帯で問題は起きた。

 

「ん? おい村長、あれは地図と違っているぞ」

 

「は、はい。どこでしょうか…? あ…! 確かに…! も、申し訳ありません…、あまり村からこちらへ来る事も多くなく把握していませんでした…」

 

「全く…。いやこれは村長ではなく国の責任だから気にしなくていい。しかし、こんな杜撰な管理をしているとは…。どうしたらあんなに巨大な物を見過ごすのか…。王国は本当に怠慢が酷かったようだ。やれやれ…、あれだけ立派だと報告を上げた後に捜索隊が組まれるかもな…。まぁ今は併合の件で忙しいからすぐとはいかないだろうが…」

 

 そうして使者はぶつぶつと言いながら見た事を書へしたためていく。

 使者達が踵を返し村へと戻る道中、村長だけは不思議そうに何度も振り返りそれを見直した。

 目の前に広がる大きな草原。

 その中心には巨大な建物が建っている。

 遠くからでも分かる程の存在感。

 だが村長は生まれてこの方、一度もそれを見た記憶が無い。

 いくらこちらにはそうそう来ないとは言っても最寄りの大都市であるエ・ランテルよりは遥かに近い。

 とてもそんな物を見逃すとは思えなかった。

 何より狩りや何やらでこの辺りまで来た事があったはずなのだ。

 それなのにその存在を全く知らなかった。

 

 まるで今まで存在しなかったのではないかと思う程に。

 

 

「おかしいなぁ…、こんな所に墳墓なんてあったか…?」

 

 

 




12月中に更新したかったのですが年明けになってしまいました…
明けましておめでとうございます!

最低でも毎月更新という目標をもってやってきたんですがまた仕事が忙しくなりそうで更新に時間がかかるようになると思います、お許しを…

あと後半紛らわしいですが時系列順ではありません(作中でも書いてますが…)
竜王国、法国、ツアー辺りは次の章の中盤あたりの話になります
というより竜王国編は今回で終わりです!(短い!)
2話しかないですが終わりです!幕間もなく次話から新章入ります!


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浮遊都市編
ギルド拠点


前回のあらすじ

モモンガさん達の手によりビーストマン死に絶える!
そして近い将来、世界中が大変な目に遭う!


 浮遊都市エリュエンティウ。

 

 かつて世界を支配したと伝えられる八欲王が作りし都市。

 元王国の都市エ・ランテルよりはるか南の砂漠の真ん中に位置する場所にそれはある。

 浮遊都市とも呼ばれているものの、厳密には都市とその上に浮遊した城を指しての総称としての名であり都市そのものが浮いている訳ではない。

 だがその都市は砂漠の真ん中にあるとは思えない程に豊かで発展している。

 砂漠の真ん中にありながらその都市だけ周囲から切り取ったかのように景色が違う。木々は茂り、大地だって枯れた砂ではなく、しっかり踏みしめる事の出来る大地になっている。

 他の都市のように周囲を何メートルもある大仰な塀が囲っているなどという事はなく、簡単な柵や土壁が都市の周囲を囲っている。外からの脅威を防ぐというよりも、ここまでが都市ですよと現しているだけのもの。

 頭上に浮かぶ天空城からは無限の水が流れ込み、都市の至る所が水路で満たされ景観を彩っている。昔の現実世界に詳しい物ならば「水の都ヴェネツィア」のようだと形容するだろう。

 

 そしてこの都市の頭上にある浮遊した城こそがかの八欲王のギルド拠点であり、その下に位置するエリュエンティウと呼ばれるこの都市は八欲王が世界を支配した際に首都とされた場所。

 八欲王亡き後もこの都市だけは侵略を受けず、また独立を保ったままである。

 その理由は都市全域を魔法結界が包んでおり、あらゆる外敵から都市を守っているからだ。

 付け加えて言うならば、今まで何者かの攻撃を受けた事が無い訳ではない。しかし前述のように侵略と言えるような脅威にさらされた事は一度も無い。あるいは戦いと呼べるステージに立てる者が存在しなかったというべきか。

 都市全域を包む魔法結界がこの世界においては非常に高度で、並大抵の者では打ち破れぬという事も要因の一つであろう。

 だがかつてその魔法結界に阻まれず侵入出来た猛者達も存在するが浮遊する城から放たれる魔法によって残らず殲滅されている。

 都市全域を包む強力な魔法結界、侵入者を殲滅する城からの攻撃。

 しかしそれらすらも霞む点が一つ存在する。

 

 それは30人からなる都市守護者と呼ばれる者達の存在である。

 

 この世界において桁違いとしか形容できぬ魔法の武具に身を包んだ都市守護者達。

 その強さはかの神達に並ぶとまで称されるがその真偽は不明である。なぜなら現在生きている者の中で彼等の戦いを知る者はいないからだ。その強さは八欲王同様、伝説に謳われるのみである。

 だが八欲王の伝承に詳しい者達は彼等の存在には謎が多いと語る。

 彼等はその全てが八欲王に忠誠を誓う者として伝えられているが、その忠誠を捧げる者は個々によって差異があるらしいという事だ。

 まるで八欲王の中で派閥が存在するように彼等は8人のいずれかへと忠誠を捧げているという。

 しかしならばなぜ彼等は八欲王が互いに争った時に誰も介入しなかったのか。

 もし彼らが介入していれば結末はまた違ったものになっていたかもしれないのに。

 一つの仮説としては彼等は都市を守護する為に存在する者達であり、それを優先したからという説が有力である。己が役目を全うする以外に彼等が動く事は無いのだと。

 だが本当にそうなのだろうか。

 事実として彼らがこの世界において戦ったという記録は存在しない。

 30人の都市守護者が存在すると語られる裏で、その存在についてもわずかながら懐疑的な意見が存在する。

 しかしそのどちらであろうとも関係ないだろう。

 歴史上、エリュエンティウの平和が脅かされた事など一度も無いのだから。

 また、仮にその気があったとしてもこの都市を脅かせる者などこの世界のどこにもには存在しない。

 いや厳密に言うならばこの世界の頂点に座する真なる竜王たちならば可能かもしれない。

 だが結果として八欲王に恨みを抱いている筈の彼等でさえエリュエンティウには一切干渉していない。

 それは八欲王本人達で無いから関係無しと判断しているのか、それとも彼等でさえ警戒するべき何かがあるからなのか…。

 いずれにしろこの平和が続く以上、都市守護者達の真偽について語る必要などどこにもない。

 ただ伝説として人々の拠り所であればそれで十分なのだ。

 真実など、誰も知る必要は無い。

 

 

 

 

「ここがエリュエンティウ…!」

 

 モモンガが感嘆の意を込め呟く。

 広大な砂漠を難なく踏破したモモンガ一行の前にあるのは砂漠の真ん中にポツンと存在する一つの都市。

 だがもっとも目を引くのはその都市の頭上に浮遊する巨大な城であろう。

 その城の下部から都市で最も大きいであろう建物、もはや塔とでも呼ぶべき建築物。それへと大量の水が流れ落ちているのが都市の外からでも目にする事が出来る。

 

「あそこから流れ出てる水が水路に流れ都市中へと送られている。都市の中を歩けば至る所に水路があり、その上へと橋がかけられている。生活のすぐ側にこれだけの水が溢れている都市など世界を探してもそうないだろう。知らない者が見れば海辺の都市と言われても信じる程だろうな」

 

 モモンガの呟きにそう答えたのはイビルアイ。

 彼女はかつてこの都市に来た事がある。それは二百年も昔の話、今では十三英雄と呼ばれる者達と共にだ。

 その時、十三英雄のリーダーは力を求め都市の上に浮く巨大な城へと足を踏み入れた。しかし城の中へと足を踏み入れたのはリーダーただ一人で他の者達は誰一人として入城していない。

 正確には入城しようとしたが城の警備の者達に止められたと言った方が正解であろう。

 城の入り口を守っていたのは強大な力を持つゴーレム達。会話も通じずリーダー以外が入城しようとすると敵対行動と見做され攻撃を受けた。

 しかしリーダーだけが例外だった。

 それはプレイヤーだからなのか、それとも何かしらの手段を講じていたからなのかは分からない。

 さらに言うならばイビルアイはリーダーの真相については多くを知らない。

 知るのはツアーやリグリット、その他の一部の仲間達だけだ。それはあまりに衝撃的であり、ツアーをもってしても受け入れがたい事実だった。だからこそ仲間達から泣き虫と可愛がられていたイビルアイには語られることは無かった。

 

「ここがエリュエンティウですか…! す、素晴らしい…! 都市を覆うほどの巨大な魔術結界…! これだけの魔力をどうやって維持しているのか…! どういう術式を組んだらこんな事が出来るのか全く想像が出来ません…!」

 

 デイバーノックはただただ目の前に広がる結界の素晴らしさに心を奪われ、貪欲にその結界を舐めるように目を走らせる。

 

「もう都市は目の前なんだ、さっさと行こう。敵対行動や都市内で魔法を使わなければ特に問題は無い。都市への入場も結界を通り抜けられるかどうかが全てだ。門番もいるが特に気にする必要はない」

 

 思いを馳せる三人を急かすようにズーラーノーンが言う。

 

「なんだ貴様、思ったより詳しいじゃないか。流石は秘密結社の長とでも言うべきか。もしかして来た事でもあるのか?」

 

 怪訝な様子でイビルアイがズーラーノーンへ問う。

 

「いいや、ただまあ長い時を過ごしていれば色んな情報が入ってくるからな…。お前の言う通り伊達に組織の長をやっていたわけではないという事だ。とりあえず行こうじゃないか。都市を前にして話し込むというのもおかしな話だ」

 

「そうですよ! ズーラーノーンさんの言う通りです! 行きましょう!」

 

「ああっ! お、お待ち下さいモモンガさ――ん!」

 

 ノリノリで歩を進めるモモンガに慌ててデイバーノックがついていく。

 それを見たイビルアイとズーラーノーンもやれやれといった様子で後ろに続いた。

 

 

 

 

 都市に入るのは驚くほど簡単だった。

 門番はいたものの、他の都市のように細かいチェックや身元確認等は一切無かった。ただ門番に促されるままに順番に門を通るだけだけだった。

 イビルアイ曰く、八欲王の残した都市を守る結界により一部の種族や敵対者は入れないようになっているらしい。

 モモンガはそれを聞いて驚いていたがそれでこの五百年、特に問題は起きていないらしいので誰も気にしていないのだという。

 大きな問題が起きると城からゴーレムが派遣されるようでそういった事も抑止力になっているのだろう。

 

「しかしやはりこういう場所でもアンデッドは肩身が狭いですねぇ」

 

「そりゃ、な。アンデッドを受け入れてくれる場所なんて中央大陸へ行ってもまずないだろう。俺も今までそんな場所は見た事が無い。だからこそ秘密結社なんて作る事になったんだからな」

 

 モモンガとズーラーノーンが苦笑しながら話す。

 モモンガ達は難なく都市へと入場したがアンデッドである彼等は本来であれば結界に弾かれ入る事は出来なかった。しかしそれはモモンガのアイテムにより偽装する事で解決できた。イビルアイだけは自前の装備で必要なかったが。

 

「少なくとも俺達は真っ当な方法で入ってる訳じゃないから目立つ事は出来ないが…、気にする必要もないだろう。この都市の奴等は結界を信じ切ってる。アンデッドが入っているなんて誰一人想像していないだろうよ」

 

「少し心は痛みますけどしょうがないですよね。別に悪い事する為に入ってる訳じゃないんですし」

 

「…そうだな、その通りだ」

 

 含みのある声でズーラーノーンが呟く。

 だがそれに気付かないモモンガは「アイテム借りる時にバレたらどうしましょう?」とオロオロしている。

 ズーラーノーンだけはその心配が無用な事を知っているがそれは口に出さない。

 

 モモンガの方はオロオロとしながらも頭の中は冷静そのものだった。

 このエリュエンティウの存在、そしてなぜこの世界においてプレイヤーと思しきリーダーだけがアイテムを借り受ける事が出来たのか。

 

(ずっと気になっていた…。なぜリーダーだけがアイテムを借りれた…? 他にも欲しがる者などいくらでもいるだろうに…。やはりプレイヤーだからか? しかし腑に落ちない。誰が貸し出す許可を出した、いや出せるんだ? もうこのギルドを支配していたプレイヤーはいないというのに…。そもそもだ、プレイヤーがいなくなったギルド拠点はどうやってそれを維持している? この都市を魔法結界で守る代わりに収入を得ているのか? まて、ユグドラシル金貨じゃなくてこの世界の硬貨を拠点運営の費用として使用できるのか? 物価の違いは? 恐らくあの城の防衛機能を動かすには莫大な金貨が必要だろう。貯えがある? いや、何百年もそれが続くものか。もし仮に物価の違いでギルド拠点の維持費が低コストとかいう状況でもない限り…)

 

 かつて自らの支配していたナザリック地下大墳墓を思い出すモモンガ。

 己一人の稼ぎで維持する為には様々な防衛機能をオフにしなければならなかった。ゲーム内の額としても決して安いものではない。いや、高いとさえ言えるだろう。ギルドの維持とは簡単なものではないのだ。仮に仲間の残した財産を投入したとしても何百年も持つだろうか。

 持たないだろう。

 それはナザリック地下大墳墓という拠点がユグドラシルでもトップクラスの拠点であり、また初見クリアや課金などでさらに上限が引き上げられているせいもある。

 なぜモモンガはエリュエンティウを見てナザリック地下大墳墓を引き合いに出したのか。

 それはエリュエンティウが、いや、その頭上に浮遊する城が心当たりのあるものだったからだ。

 もちろん確実とは言い切れない。なぜならモモンガはその実物を見た事も無ければ諍いを起こした事も無かったからだ。

 しかし考えれば考える程、そしてこれがプレイヤーのギルド拠点だったという事実を加味すると結論は一つしか導き出せないのだ。

 

(アースガルズの天空城…! まさか本当に拠点ごと…! だが、もしこれがそうならば八欲王とは…!)

 

 アースガルズの天空城。

 

 それはユグドラシルでも知らぬ者がいないほどに有名な拠点の一つだ。

 空高くに浮遊するという特性上、他の拠点とは一線を画す。基本的にゲーム内では空を飛べる高さの上限が決まっている為、この天空城より高く飛ぶことは出来ない。

 つまり防衛において一方的に頭上から攻撃できるというアドバンテージを有する。これが出来る拠点はモモンガの知る限り他に存在しない。ユグドラシルで最も堅牢な拠点の一つと言って差し支えないだろう。

 だがもちろん良い事づくめではない、一つだけ決定的なデメリットが存在する。

 

 圧倒的なコスパの悪さだ。

 

 防衛のオンオフなどとは別で、常に城を浮かせ続けねばならずその消費は強制なので最低額の維持費だけでもバカにならないとモモンガは伝え聞いた事がある。

 だがもしそうであるとするならば、この世界でどうやって維持費を捻出するのか。

 かつてズーラーノーンに聞かされた言葉が脳裏をよぎる。

 

『これは友人から聞いた話だが、八欲王は複合ギルドというものだったらしい。八人からなるギルド。その証としてギルド武器は8つに別たれたとか』

 

 ギルドを複数のチーム、あるいは個人で折半する機能だ。そういうシステムがユグドラシルには存在した。

 これのメリットとしては拠点の機能を最大限に使う事が出来るにも拘らず、出す費用はそのチームの数で割れるという事だ。シェアハウスのようなものだろう。

 デメリットとしてはギルド武器がそのチーム分、存在する事になってしまうという点だ。防衛の意味においては拠点崩壊の為のきっかけがいくつもあるようなもの。しかも玉座の間を除けば同一の部屋に保管できないという制限の為、各自がそれぞれ防衛の部屋を作るか持ち歩かなければならず非常に危ういと言えるだろう。

 他には乗っ取りや裏切りなど様々な問題を孕んだシステムであり、円満に最後を迎えた複合ギルドはそう多くない。

 とはいえ現状そのプレイヤー達が存在しない以上、維持費をシェア出来るかどうかなど関係無いわけでコスト問題は解決していない。

 

 そのように様々な考えがモモンガの頭を掠めるが最後に辿り着いたのは、一つの仮説。

 

(エリュエンティウは…、いやアースガルズの天空城の防衛機能は本当に今も生きているのか…? もちろん低レベルなトラップ等が生きている可能性は十分にある…、しかし…。十三英雄の…、プレイヤーだった彼だけが天空城へと入城できアイテムを貸し与えられた…、それがどうにも引っかかる)

 

 もはやそれはモモンガの中で確定と言ってもいい程に固まっていく。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()…!? いや、入るのが初めてだとしてもユグドラシルの拠点…、その多くの防衛機能が動いていないとすれば攻略は容易い…! 元ユグドラシルプレイヤーであれば拠点攻略のセオリーは十分承知しているだろう。それに上級レベルの警報が作動しなければ高レベルモンスターの感知も掻い潜れるだろう…。何よりこの都市全域を覆う魔法結界…、そもそもこれは低レベルモンスター等を排除する為の結界だ…。皆の手前アンデッド偽装のアイテムは渡したが恐らく一定以上のレベルがあればそもそも反応しないだろう。これが都市中の者から全幅の信頼を置かれていると聞いた時は驚きを隠せなかったな…。もしアースガルズの天空城が健在ならばもっと遥かに強力な結界を張る事だって可能だった筈だ…。恐らくだが天空城はこの都市から利益を集めるシステムを確立しているのだろう、その為に都市へと水を落とし結界で庇護する。納得のできる答えだ。しかしその実、生命線である都市を守る結界のレベルは決して高くない。つまりは…)

 

 すでにモモンガは確信していた。

 アースガルズの天城、それはもはやかつての力を有していない。

 レベルの下がった今の自分でも十分攻略出来るだろうと。

 恐らくアイテムを借り受けたというのは言葉の綾だ。十三英雄のリーダーも天空城を攻略してそのアイテムを掴み取ったのだ。ならばモモンガもそれに続いて何の問題があるのか。

 拠点を荒らす事になるのは申し訳ないとは思う。

 しかしその主はもうこの世界にいないのだ。

 

(敬意は払う。拠点を無駄に荒らす事もしない。だが、攻略をするなと言われる筋合いはないぞ…! 攻略をされてこその拠点! それを返り討ちにする事こそが拠点を持つ者の本懐だろう。俺とてそこで迎撃され、敗れるならば本望だ)

 

 その天空城は全盛の姿ではないがそれでもモモンガの心を躍らせるには十分だった。

 記憶が蘇る。

 拠点に攻め入った事も、また攻め入られた事も。

 しかし腐ってもユグドラシル最高峰の拠点の一つ。

 防衛が生きてなくとも何人のNPCがいるのかわからない、その強さも。

 

(100レベルNPC…。まぁいるだろうな…。普通に考えれば今の俺のレベルで拠点攻略など無謀の極み。しかし当時誰よりも弱かったとされる十三英雄のリーダーでさえ攻略出来たのなら、レベルの下がっている俺だって十分に攻略出来る筈だ…! 少なくともリーダーの存在はそれが可能なルートが存在している証明…! だが最大の心配事は…、もしそのリーダーがアイテムを全て持ち出していたら…、うん、流石にそこまではしてないと信じよう。仮にもし多くのアイテムを持ち出せているならこの世界のレベルを考えればもっと話題になっている筈…。話を信じるならば十三英雄のリーダーは魔神を倒すのに必要な程度のアイテムしか持ち出していないと推測できる…。しかしそれはそれで欲が無いな…。いや、それだけしか持ち出せなかったと考える方が自然か…)

 

 考えが巡る程に期待で胸を膨らますモモンガ。

 その瞳にはギルド、アインズ・ウール・ゴウンの長であった頃の輝きが確かに宿っていた。

 

 アーズガルズの天空城を支配したギルド。

 それは間違いなくユグドラシル最強のギルドであっただろう。

 なぜならそれは、たっち・みーを除いた8人のワールドチャンピオンからなる伝説のギルドだったからだ。

 ユグドラシル史上、最も有名なギルドであり、またあらゆるプレイヤーから最も羨望の眼差しを受けたギルドでもある。それはモモンガとて例外ではない。

 今は衰えたといえ、誰もが認める最強のギルド拠点を攻略するなどプレイヤー冥利に尽きるだろう。

 

 サービスが終了してからその機会が訪れるなど、誰が予想できようか。

 

 

 

 

 エリュエンティウの都市の端に一つの古ぼけた孤児院があった。

 端といっても都市全域に水は流れ緑の木々も元気に羽を揺らしており、決して居心地が悪い場所ではないのだ。それはこのエリュエンティウという都市がどれだけ恵まれ、また管理が行き届いているかの証明でもある。

 孤児院の子供達も餓えてなどいない。

 裕福な暮らしとは言えないが清潔な衣服に身を包み、腹を満たし、柔らかな布団で眠る事が出来るのだから。

 その中で今日も無邪気な子供達の声が響く。

 

「ねぇシスター、絵本呼んでよー」

 

「うるさいなー、私は今忙しいんだよ。あっちで勝手に遊んでろ」

 

「ぶー。シスター昨日もそう言って相手してくれなかったじゃん。たまには絵本呼んでよ」

 

「だから無理だって言ってんだろ、気持ち悪くて立てねぇんだよ」

 

「あーっ! 昼間からお酒飲んでるの!? ダメだよ! 神父様に注意してもらわなきゃ!」

 

「ばっ! や、やめろ! チクるんじゃねー!」

 

 そう言って走る女の子をシスターと呼ばれた金髪の女性が追いかけるが時すでに遅し。ドアを開けたそこにはすでに神父が立っていた。

 

「またお酒ですか、シスタークレマンティーヌ」

 

 やれやれといった様子で初老の男性が声をかける。

 

「べ、別に酒くらい飲んだっていいだろ! ていうかさ、やっぱ私無理だって。シスターとかガラじゃないし子供の相手もできねーよ」

 

 憮然とした態度で修道服に身を包んだクレマンティーヌが言う。

 

「行き倒れてた私を助けてくれたのは感謝するけどさー、シスターの真似事なんて性に合わないんだよ」

 

「貴方が目を覚ました時にも言ったでしょう。私も便宜上シスターと呼んでいますがそういった仕事はしなくてもいいと。ただ私一人では子供達に手が回らないのでそれを手伝ってもらいたいだけですよ」

 

「だから無理だって言ってんだろ! ガキのお守りなんてやった事ねぇーんだよ!」

 

 チンピラのような表情で凄むクレマンティーヌに飄々とした様子で神父は答える。

 

「何事にも最初というものはありますよ。それに私が見た所、子供達は大分あなたに懐いているように見えますが? 貴方が来てからまだ数日しか経っていないというのに」

 

「ハァ!? 馬鹿言えよ、なんで私に懐くんだよ。ここにきてからまともに面倒なんて見た事ねぇぞ。ただ知らない人間が来たから物珍しいだけだろ」

 

「フフ、そうかもしれませんがね。他の大人と違って本音で話してるのが子供には分かるんでしょう。貴方の態度は良くも悪くも一切の忖度が無い。何よりここにはあの子供達以外には私のような老人くらいしかいませんからね。やはり子供達からすれば新鮮なのでしょう。あまり個々に付き合ってあげられる時間も取れませんでしたし。貴方の言う通り年長の子供達は最初怯えていた様子もありましたが小さい子が貴方にじゃれつくのを見てそれも薄まってきていますしね。良い傾向です」

 

「何がだよ! 面倒事押し付けてんじゃねぇぞ!」

 

「少しくらい良いでしょう? 子供の面倒を見るだけで衣食住に困らないんですから。第一派手に仕事をする訳にもいかないのでしょう?」

 

 見透かしたような神父の言葉にクレマンティーヌの表情が硬くなる。

 

「な、なんでそれを…!」

 

「はっはっは! 様々な事情を抱えてこの都市に流れ着いて来る者はたまにいるんですよ。その傷、そしてその装備を見れば貴方がどういう人間か多少は分かるつもりです」

 

「ふーん…。そんな奴をこの孤児院においといていいのかな? その内子供を殺すかもしれないよ?」

 

「この都市で問題を起こす事はオススメしませんね。貴方もこの都市については耳にした事くらいあるんじゃないですか? 目立ちたくないならば大人しくしておくのが賢明です」

 

「チッ…!」

 

 結局クレマンティーヌは神父に口で勝つ事は出来なかった。

 なぜなら神父の言うようにこの都市で問題を起こす事は決して賢いとは言えないからだ。

 この治安と行き届いた管理により行方不明者等が出ればすぐに問題になる。なによりこの魔法結界によって悪事が露見する可能性もあるのだ。魔法には詳しくないがこの規格外の魔法で覆われた都市で問題を起こそう等とは流石のクレマンティーヌにも思えなかった。

 何より今はほとぼりが冷めるまで姿を隠す必要があるのだ。問題は絶対に起こせない。

 行き倒れて死ぬ前にこの孤児院の神父に拾われたのは本当に僥倖だった。

 子供の世話、クレマンティーヌは真面目にやっていないがそれをするだけで食べ物と住む所にありつけたのだから。最初は裏があるのかと疑ったがエリュエンティウの防衛力、治安や生活水準の高さを見れば怪訝とでも言うほどでは無い事がわかった。

 クソがつくほどのただのお人よし、偽善にも似たそれに反吐が出るが利用できるものは利用した方がよい。

 クレマンティーヌならば冒険者の真似事でもっと稼げるだろうが目立つわけにはいかないという現状良い手とは言えなかった。

 そういう意味でも労せず生活に困らなくなった現状は本当に運が良かったのだ。

 

「では夕ご飯までの間、子供達のお世話お願いしますね」

 

 そうしてクレマンティーヌの新たな苦難の日々が始まった。

 

 

 ――翌日――

 

 

「シスター、遊んでよー」

 

「遊んで遊んでー」

 

「だっこー」

 

 何人もの子供達がクレマンティーヌに纏わりつく。

 

「離れろガキどもっ!」

 

「やだー!」

 

「やだもんねー!」

 

 クレマンティーヌの恫喝になど怯まずキャッキャと子供達は笑う。

 

 

 ――翌日――

 

 

「シスター、今日は天気良いから散歩行こうよ」

 

「やったー! シスターと散歩だー!」

 

「私準備してくる!」

 

「お、おい! 私は行くなんていってねぇだろ!」

 

 その時クレマンティーヌの視界の端にいってらっしゃいというふうに手を振る神父の姿が見えた。

 

「あ、あのクソジジイ…!」

 

 

 ――翌日――

 

 

「「「シスター!」」」

 

「待て待て、どうせお前らの言う事は分かってるんだよ。ここは取引と行こうじゃないか?」

 

「取引?」

 

「あぁ。私が神父のジジイに言われてる買い物を代わりに行ってこい。そしたら遊んでやるよ」

 

「本当!? 約束だよシスター!」

 

「ああ、約束だ」

 

 

 ――翌日――

 

 

「「「ねぇシスター!」」」

 

「待て待て、遊んでやりたいのは山々なんだが洗濯が…」

 

「皆で手伝うよ! そうしたらすぐに終わるよ!」

 

 

 ――翌日――

 

 

「「「今日こそ遊ぼうシスター!」」」

 

「ぐぅ、ちくしょう…無理だ…。今すぐ甘い物食わねぇと動けねぇ…。何か作ってくれ…」

 

「クッキー焼いてあげる! 私得意なんだよ!」

 

 

 ――クレマンティーヌがこの都市に来てから十数日後――

 

 

 また子供達を良い様に使ってサボッているクレマンティーヌ。ふとその後ろに神父が歩み寄る。

 

「おかしいですね…、あれは貴方にお願いしたと思っていたのですが…」

 

「げっ! い、いや違うんだよ、ガキ共がどうしてもって言うからさー…」

 

「ふむ…」

 

 神父は考え込むような、しかし優し気な顔をして。

 

「まぁいいでしょう。子供達は楽しそうにしてますしね…。どうやらどうにかして貴方に遊んでもらえるように試行錯誤するのが面白いんでしょうか。なかなか子供心というのは分かりませんね…」

 

「な、なんだよ文句でも…」

 

「別にありませんよ…。過程はどうあれ子供達の世話をしてくれているようですしね。しかし意外と貴方にはシスターが似合うかもしれませんね」

 

「は、はぁ? 似合う訳ねーだろ、適当な事言ってんじゃ…!」

 

「「「シスター!」」」

 

「ほら子供達が呼んでますよ。今日の買い物は流石に荷物が多いのでね、貴方も着いて行ってくださいね」

 

「わぁーってるよ。流石にガキ共に重い荷物持てって言うのは酷だしな」

 

 そう言って渋々ながら引率するように子供達を連れて商店街へと向かうクレマンティーヌ。

 丁度この日、四体のアンデッドがエリュエンティウへ現れていた事など彼女には知る由もなかった。

 

 

 

 

 エリュエンティウの中心には都市を横断するように巨大な川が流れており、その両岸は店舗や出店で溢れている。さらにその巨大な川の真ん中にかかる橋は橋とは思えない程に広く、広場のようだと形容できる程に大きい。煌びやかな装飾で端々まで彩られており最も人々が賑わう場所の一つである。

 橋の欄干には数々の御伽噺の英雄達がモデルとされている像が立ち並んでおり、その中心には小振りな舞台が設置されている。本格的な劇場で演じられるものとは別に宣伝目的のものや出し物等が盛んでそれを楽しみに足を運ぶ者も少ない。

 もちろん両岸に立ち並ぶ様々な店舗を行き来するのに利用されるのが主で人の往来が途絶える事は無い。

 

「ねぇシスター、今日もあの出し物やってるよ。私あれ好きー」

 

「えー! 僕まだちゃんと見た事ないんだ、ちょっとくらい見てもいいでしょ?」

 

「疲れたー、おんぶー」

 

 人混みの中で大きな荷物を抱える一人のシスターが複数の子供にそのような言葉を浴びせられながらジャレつかれていた。

 

「ダ、ダメだ、ダメだ! こんなんいつでも見れるだろ! 私はとっとと買い物終わらせて帰りたいんだよ! ていうか勝手に乗っかるな! こっちは荷物だけで精一杯なんだよ!」

 

 そのシスターは必死に纏わりついていた子供達を振り払うが子供達はキャッキャッと楽しんでいるだけだ。

 

 大勢の人々による活気と賑わい、さらには天空城の守護の元にあるという安心感と治安の良さ。餓えも暴力も差別だってこの都市には存在しない。

 もはや楽園としか言いようがないその都市で彼女は悪夢に邂逅する。

 

「シスター! 孤児院までかけっこだよ!」

 

「あ、バカ! こんな人混みで走るんじゃ…!」

 

「きゃあっ!」

 

 シスターが注意している最中にそれは現実となった。

 子供の一人が深々とフードを被った一人の男とぶつかってしまったのだ。もちろん男が動じる筈など無く、倒れた子供へ困った様子で手を差し出していた。慌ててシスターはその子供へと駆け寄る。

 

「だから走るなって言ったろ! わりーな、アンタ。怪我…、は無いと思うが何か壊れたり汚れたりしてねーか?」

 

 仮にあっても弁償する気など欠片も無いが形式上だけでも聞いておこうとシスターが口を開く。

 しかしフードを被った男、その下には奇妙なマスクがあった。

 そのマスクの下、瞳がある部分だが影になっていて全く窺う事は出来ない、まるで存在しないのではないかという程に。

 だが不気味なその様子とは裏腹にマスクの下からは確かに驚愕という感情が伝わって来た。

 

「な、なんだよ…。私の顔に…」

 

「…クレマンティーヌ」

 

「っっ!!!」

 

 その一言で全身の肌が泡立ち、また背筋が凍るような恐怖を感じた。

 その声はシスター、いやクレマンティーヌにとってはよく知る声だったからだ。クレマンティーヌにしか聞こえない程に小さな声で呟かれた言葉だったがそれは死の宣告のように彼女の耳に張り付いていた。

 

「まさか生きていたとは…! 死んだと聞いていたがな…!」

 

「……!」

 

 声を発しようにも魚のようにパクパクと動くだけで喉から音は出ない。心臓は高鳴り、動揺で思考も纏まらない。血液は体内を逆流したように強く波打ち、吐気が奥からこみ上げてくる。

 ただ一つだけ脳内にあったのはなぜこいつが、その想いだけだった。

 

「め、盟主…」

 

 聞き間違える筈など無い。秘密結社ズーラーノーンの長にして、帝国を滅ぼすと同時にクレマンティーヌを使い潰そうとした憎き相手だからだ。

 しかしクレマンティーヌが動揺しているのと同時にズーラーノーンもその実、動揺を隠せないでいた。

 

(馬鹿な…! なぜここにこの女がいる…! モモンガの口から確かに殺したと聞いたぞ…。まさか、この俺に嘘を…、いや、クレマンティーヌが何かしらの手段で切り抜けたと見るべきか…。チッ、モモンガの間抜けめが。プレイヤーでありながら現地の者程度をみすみす逃がすなど…。しかし、どうする? モモンガ達と顔を合わせられたら面倒だ…。こいつが何か証言する事があれば俺の嘘が全てバレる…! ここで殺すか…?)

 

 殺気は出していないが、その佇まいからクレマンティーヌは身の危険を確かに感じていた。

 

「どうしたんですかズーラーノーンさん、子供がぶつかったようですが大丈夫ですか?」

 

 ズーラーノーンの後ろから優し気な声がかけられた。

 その声で再びクレマンティーヌの全身に緊張が走る。姿こそこの位置から見えないがその声も知っていたからだ。

 王都を滅ぼし、帝国をも恐怖に陥れた邪神。

 勘違いで有耶無耶のうちに逃げ出す事が出来たが一歩違えばあの邪教集団のようにクレマンティーヌも無残に殺されていただろう。

 

(な、なんでこいつも…! しかもズーラーノーンさんって…! ま、まさかあのアンデッド、盟主と手を組んだのか…! さ、最悪だ…! ま、まさか次はここエリュエンティウで事を起こすつもりか…!)

 

 クレマンティーヌの脳裏を最悪な想像が掠める。

 盟主の考えは分からないが盟主が当初の予定どおりこのアンデッドを手中に収める事が出来たのなら、間違いなく良からぬ事が起こる。

 

「なんでもないよモモンガさん。子供が転んでしまったから心配してただけだ、先に行っててくれ」

 

「? そうですか、わかりました」

 

 そう返事をしてモモンガ達はこの場を後にする。

 残ったのはズーラーノーンとクレマンティーヌ、あとは子供達だけ。

 

「に、逃げ出した私を殺しにきたのか…?」

 

 震える声でクレマンティーヌはズーラーノーンへと問いかける。

 しかしその解答が可笑しかったのかズーラーノーンの声に喜々とした色が見えた。

 

「ハハッ、お前を殺す為だけにここまで追ってきたと? 思い上がりも甚だしいな…。貴様など取るに足らないゴミの一つに過ぎん…。ここで会ったのはたまたまだよ…」

 

「……」

 

「ただまぁ…、お前が生きてるとちと面倒だ…。余計な事を喋る前に口を封じておきべきか…」

 

「わ、私は、と、取るに足らないゴミじゃなかったのか? そのゴミの為にここで問題を起こすなんてアンタらしくないな…」

 

「ふむ…」

 

 クレマンティーヌの言葉でズーラーノーンは逡巡する。

 

(私の裏の顔を知っているこいつは少し面倒だ…。モモンガや他の奴等と出会う事があれば私の本性が暴露されかねない…。しかしことこの期に及んでこの都市内で面倒事を起こしてまで排除する必要が本当にあるのか? 天空城はもう目の前だ…。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…。俺の正体や目的が露見しようが何ら差し支えない。精々があと数時間、クレマンティーヌとモモンガ達が出会わなければそれで済む話…)

 

 しばらくして再びズーラーノーンが口を開く。

 

「お前の言う通りかもなクレマンティーヌ。計画の完遂はもう目前、お前に構って面倒を増やすのは確かに得策ではない…。いいだろう、どこへなりと消えろ…。しかし次にその顔を見せる事があればどんな理由、場所であれ殺すぞ」

 

「……!」

 

「そうなりたくなければすぐにこの都市から逃げ出すんだな、逃げるのは得意だろう?」

 

 嘲笑するようにズーラーノーンが笑う。

 

「あんたが…、強いのは知ってる…、あのアンデッドも…。でもいくらアンタ達でもこの都市を落とせると思ってるのか? 竜王達でさえ手を出してこないこの地、かの八欲王が作り上げた都市だぞ…。あの天空城には桁外れの強さを持つ都市守護者って奴等がいるんだろ…、いくらアンタ達だって…」

 

「ハハハハハハハッ!」

 

 クレマンティーヌの言葉を遮るようにズーラーノーンの笑い声が突如響く。心底おかしいような、それでいて心底腹立たしいような。

 

「滑稽だな! 歪んで伝えられた歴史など何の価値も無いというのに! 己の信じたい物だけを信じ! 他の可能性など想像もしないのだろう! こんな場所で! 天空城の庇護などと有難がってる愚か者どもには似合いの末路よ!」

 

「な、何を言っている…?」

 

「もう一度忠告しようクレマンティーヌ。死にたくなければすぐにこの都市を出た方がいい。ああ、もちろん余計な事を騒ぎ立てるなよ。そうすればどんな目に遭うか説明する必要など無いだろう? まぁこの都市の愚か者共と心中したいと言うなら話は別だがな…」

 

 その目線、眼下には瞳こそないがそこからは強い意志と殺気が確かに放たれていた。

 それは雄弁に余計な事をすれば殺すという意思をクレマンティーヌに理解させた。クレマンティーヌも馬鹿ではない。ズーラーノーンがここで何をするのかもはや明らかだ。

 

「……っ!」

 

 クレマンティーヌは無言で立ち上がると荷物をその場に降ろし、足早に立ち去ろうとする。

 

「シスター! 待ってよ、この荷物どうするの?」

 

「…っ! わ、私は用事を思い出した! それはお前らでなんとか運べ!」

 

 投げやりにクレマンティーヌが叫ぶ。

 

「そ、そんなこんな沢山の荷物無理だよぅ…」

 

 しかしもう返事は無く、子供達の声など聞き入れずクレマンティーヌは姿を消した。

 恐らくそれが最も賢い選択だろう。

 やがてこのエリュエンティウは死の都市になる。ズーラーノーンが何をするかなど分からないがそれだけは理解できたからだ。

 

 しかしこの選択はクレマンティーヌだけでなくズーラーノーンの命運まで分ける事になる。

 もしズーラーノーンが後にこの時の選択をやり直せるとしたら間違いなくここでクレマンティーヌを殺していただろう、多少の面倒事があろうとも。

 だがこの時点ではそれを察する事など出来る筈もない。

 死の恐怖に怯えたままクレマンティーヌはこの都市を立ち去ろうとしていた。

 

 

 

 

 モモンガ達は天空城の真下でそれを見上げていた。

 目の前にあるのは流れ込んで来た無限の水を受け止める塔。横から内部へと入れるようになっており、その中心には移動の為の魔法陣が敷かれていて左右には二体のゴーレムがそれを守護するように佇んでいる。

 

「というかここからどうするんだ、正面から行くのか? 私はここから先に進んだ事はないからどうやって交渉すれば良いかなど知らないぞ? この結界は浮遊する城の正門前へと通じているらしいがリーダー以外はこのゴーレムに止められ入る事は出来なかったんだ」

 

 イビルアイの言葉を受けモモンガが口を開く。

 

「恐らく私の予想ですが、十三英雄のリーダーはアイテムを借り受けた訳では無いと思います」

 

「なっ! ど、どういう事だ! リーダーは確かに借り受けたと言っていた! 仮にそうでなければこのゴーレムはもちろん、城にいる者達にも止められるだろう!」

 

 驚きを隠さずに叫ぶイビルアイを落ち着かせながらモモンガが言葉を紡ぐ。

 

「恐らくですが…、私の予想ではゴーレムの知覚をすり抜けるアイテムか何かを持っていたのではないかと疑っています。恐らくそのアイテムは一人分しか無かったため十三英雄のリーダーは一人で向かったのでしょう」

 

「そ、そうなのか…? い、いや確かにリーダーが魔法陣へと足を踏み入れてもゴーレム達は反応していなかった…。私達は彼がぷれいやーだからこそ特別待遇を受けていたのではないかと思っていたのだが…。そうでは無かったというのか…?」

 

「それは分かりません。実際に特別扱いをされていた可能性は0ではありませんから。しかし城との行き来が出来るとされている場所は公式にここのみ…。そもそも他に天空城へアクセスする方法もなければ連絡を取れる手段も無い。そのリーダーが事前に許可を取るというのは少々考えにくいです」

 

 そうしてモモンガはイビルアイ達に自分の考えを述べる。

 十三英雄のリーダーがどうやってアイテムを持ち帰ったのか、その可能性と手段。

 そしてこれから自分達がしなければならない事はこの天空城を攻略する事なのだと。

 

「ほ、本気かモモンガ…! あ、あの城をどれだけの者達が守っているか誰も知らないんだぞ…!」

 

「私はモモンガさんを信じます。モモンガさんが出来るというならば出来るのでしょう」

 

「俺もモモンガさんに賛成だな。そもそもアイテムを簡単に借り受けたなんておかしい話だとは思ってたさ。だが肝心の攻略方法はどうするんだ? まさか真正面からこのゴーレムを粉砕して進むつもりじゃないだろう?」

 

「ええ、勿論です。そんな事はしません」

 

 もしモモンガに表情があればニタリと笑っていたに違いない。

 

(この魔法陣を守護しているゴーレムはアイアン・ゴーレムの一種。ゴーレムの中では中位程の強さか。今のレベルを考えればここで魔力を無駄に使いたくはないし下手に戦うと増援が呼ばれる可能性もある…。一か八かだが…)

 

 三人の顔を見渡しモモンガが再び口を開く。

 

「正々堂々、搦め手で侵入します」

 

 モモンガの指は空を指しており、それが何を意味するかイビルアイ達にはすぐに理解出来なかった。

 

 

 

 

「ま、まさかこんな方法で…!」

 

 驚きを口に出したのはデイバーノック。

 しかし今は互いにその姿を認識する事は出来ない。

 なぜならモモンガの魔法により四人とも不可視の魔法で姿を消しているからだ。

 

「こ、こんな方法で城まで飛んで行く気かモモンガ! 気付かれたら撃ち落とされるぞ!」

 

 イビルアイがそう叫ぶがモモンガはすでにスキルで召喚した骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)でその安全を確かめており、不可視の魔法なら城まで無事に行ける事を確認済みである。ちなみに召喚した骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)は到着した段階で消している。モモンガのいない時に骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)が何かの罠を作動させては目も当てられないからだ。

 

「ハッハッハ! こんな原始的な方法で行くとはな! と言ってもモモンガさんの魔法が無ければ成立しない作戦だが…」

 

 愉快というふうにズーラーノーンの笑い声だけが響く。

 《フライ/飛行》の魔法で空を飛び続ける彼ら四人の高度はどんどん上がっていき、やがて城が目の前という程に近づいてくるとその周囲を無数の何かが飛んでいるのか視界に入って来た。

 

矢の鷹(アローホーク)か、低位のモンスターなので不可視化状態である今ならば接触しなければ気付かれる事はありません」

 

「こ、このモンスターを知ってるのかモモンガ! は、初めて見たぞ!」

 

 モモンガの言葉にイビルアイが驚く。だがそれもしょうがない事だろう。ユグドラシル産のモンスターである彼等はこの世界においてこの場所にしか存在していなかったのだから。

 矢の鷹(アローホーク)

 しなやかな蛇のような胴体に長い首と尾を持つ。胴体の中央は丸く膨らんでおり、そこから黄色い羽毛の生えた上下二対の翼が生えている。頭部は黒く、ノコギリのようなギザギザした歯と四つの目がある。

 その特徴的な外見と共に腐肉漁りとも呼ばれるそれらは飛行する事に特化しており、生涯地上に降りることなく生きるとされている。

 噛みつきで攻撃するほか、尻尾からは電撃を放ち遠距離での攻撃手段も持つ彼等は初心者からすれば面倒くさい相手だろう。レベルにして10程だが対空手段の少ない内は苦戦を余技なくされる。

 

(天空城の周囲のみをひたすら飛んでいるな…。恐らく天空城における自動POPモンスターなのだろう。という事は矢の鷹(アローホーク)が飛んでいるこの場所からは空中ではあるが天空城のエリアという事だな…)

 

 さらにモモンガ達が城に近づくにつれ他のモンスターの姿が見えてきた。

 次にその姿を確認できたのは黒い煙(ベルカー)

 こちらは矢の鷹(アローホーク)よりも手ごわい。

 翼の生えたその黒い姿は魔物じみていて恐ろしげである。しかし体が半ガス状態であるため風が吹くたびにその姿は変わり続ける。その身体の性質とは裏腹に爪や牙を固体化して戦う。煙の体を駆使して相手を包み込み攻撃をする事も出来るがユグドラシル時代は取るに足らないものだった。

 

(懐かしいな…、たっちさんと会う前はこの手のモンスターも一人で戦って苦戦してたっけ)

 

 少し昔を思い出すモモンガだが今は思い出に浸っている場合ではない。

 城の周囲には低位のモンスターしかおらず、また城からの迎撃も無いとはいえ油断は出来ない。

 この城に降り立ち侵入してからが本番なのだから。

 

「デイバーノックさん、イビルアイさん、ズーラーノーンさん! 城の中心にある巨大な主塔の二つ手前にある建物のバルコニーから侵入します! 付いて来て下さい! すぐに探知魔法を使い安全を確保しますが何があるかわかりません! 十分に注意して下さい!」

 

 そうしてモモンガ達四人は無事侵入を果たした。

 

 アースガルズの天空城。

 それは白亜の宮殿と呼ぶほどに荘厳で美しかった。

 透き通るような白い壁と装飾、また大理石で作られた輝くような床が印象的である。

 浮遊しているとは思えぬほどに巨大なその城は何棟もの城が積み重なっているかのように巨大だ。

 どれだけの数の部屋、間があるのか外からは想像もつかない。

 地上にあるどんな建物すらも霞む程で、筆舌に尽くし難いその光景に()()は息を呑む。

 もしどうしても言葉にしろと問われればただ一言。

 

 『神の宮殿』。

 

 それ以外に形容する言葉など存在しないだろう。

 

 

 

 

「いつまで着いて来るんですか?」

 

 召喚した鳥のようなモンスターの背に仰向けに寝ながら海上都市の彼女が横を飛び続けるリグリットへ問いかける。

 

「協力してくれるまでじゃ! というよりお主はどこへ向かおうとしてるんじゃ…」

 

 長時間≪フライ/飛行≫の魔法で飛び続けるのはリグリットをしても一苦労だった。これがこのまま続けばやがて魔力が切れ置いていかれてしまうだろう。

 

「しつこい人ですね…、あれだけ協力は出来ないと言ったのに…。それに目的なんてありませんよ、ただ思うがままに飛び続ける。飽きるまでね」

 

 頑として譲らないリグリットに海上都市の彼女はやれやれと言った様子で答える。

 

「このままではお主も百年の揺り返しに巻き込まれるぞ! ぷれいやー達とて皆が仲間という訳ではあるまい!? 少なくとも儂の見立てではお主は悪人ではない…。儂等なら手を取り合える筈じゃ! もし協力してくれるならば儂がツアーに、いや竜王に話を通そう。生き残った竜王達がどう思うか分からんが儂の知り合いの竜王ならばお主を悪いようにはせん筈じゃ」

 

 説得とも懇願とも受け取れるリグリットの言葉を海上都市の彼女は一切受け取ろうとしない。

 

「竜王か…。あれは酷い奴等だった…、八欲王達の気持ちも分かるというものです」

 

「な、何を言うておる…? 八欲王が世界を汚したからこそ竜王達との闘いになったのだろう…?」

 

「ああ、歴史はそう伝えられているのでしたっけ? 酷いものです…。貴方も竜王と仲が良いなら聞いてみればいい。当時の生き残りであれば全てを知っている筈でしょう? まぁどこまで真実を教えてくれるかは分からないですが…」

 

 海上都市の彼女の言葉にリグリットがたじろぐ。

 確かに自分はどこまでツアーの事を知っているのだろうかと思う。

 十三英雄の仲間として共に旅をした時は気のおけない仲間だと思った。後にその正体が竜王だと判明した後もなんやかんやあったが上手くやれていると思った。

 何よりツアーは世界の事を誰よりも考えている。その秩序を守る為に力の多くを割いている、それは紛れもない事実なのだ。それに深く賛同したからこそまだ付き合いが続いていると言っても過言ではない。

 しかし八欲王との闘いに関して深く聞いた事は無かった。

 そもそも己の種族を殺し尽くした者達の事を聞いてよいのか、何より歴史に伝わる事が事実ならば改めて聞く必要などないと思っていたからだ。

 

「竜王が…、いやツアーが何か隠し事をしているとでも言うのか…!」

 

「ツアー…、ああ何か聞き覚えがあると思ったらもしかして竜帝の子か…。直接会った事は無いが…、そうか。まだ生きていたのか…。ならば彼も大変だな、親の尻ぬぐいとは…。同情は出来るが…」

 

 海上都市の彼女の言葉はどれを取ってもリグリットの心に棘を残す。

 この世界で人として長い時を生き、多くの事を知っていると自負している彼女でさえ理解が追い付かない。

 それどころか疑念と影を落としていくばかりだ。

 

「お主は何を…、いやどこまで知っているのだ…? 竜王達の事…、そしてぷれいやーなる者達の事も…。そもそもお主らは何なのだ…、何が目的でこの世界へと…」

 

「……」

 

 リグリットの言葉に考え込むように海上都市の彼女が黙る。

 しばらくして紡がれた言葉は――

 

「かつていた世界でもそうでした…。歴史の裏には壮大で深い事柄が隠れている等と誰もが思うけれど実際はそうじゃない。紐解いていけばいくほどそれは単純な問題へと帰結する。それはこの世界でも同じですよ…。全ては竜王達が…、いや竜帝が招いた事です。怒りや呆れこそすれ、力を貸すなんてとてもとても…。何より自分が…」

 

 怒りを通り越し、そうして諦念まで行き着いたような表情で彼女はただ淡々と語る。最後に何かを言いかけたその言葉は飲み込みながら。

 

「だから放っておいて下さい。もうこの世界には関わりたくないし、この世界がどうなろうと、いや、この身さえもどうなろうと構わない…。もう思い残す事など無い…、希望だって存在しないんです…。この願いだってきっと叶わない…。どれだけ眠り続けてもこのまま永遠に孤独のまま…。希望を追い求めて絶望に行き着くくらいなら…。それを味わう前に消えてなくなりたいんです」

 

 深い失望と淡い希望。

 だがそれが彼女をかろうじて人たらしめている。それこそが消え入るような彼女の精神に残る感情であり残滓。

 

「思い残す事は本当に無いのか…? かつてお主にも仲間がいたのじゃろう? ならばあの海上都市は! ギルド拠点とも呼ばれるあそこは仲間との思い出が詰まった大切な場所では無いのか! それが滅ぼされても…、それが無くなってもお主は本当になんとも思わないのか!?」

 

 もはや彼女に何を言っても無駄であろう。

 リグリットとてそれは理解している。しかしそれでも考えうる限り彼女の気を引こうと彼女の関心を買おうと思いつく限りの言葉を口にする。

 しかし次の言葉でリグリットは何一つ彼女を説得できる材料が無いと思い知るのだ。

 

「海上都市…か。あれは自分のギルド拠点じゃないですよ。ただそこにいただけで、あれは借り物。本当の持ち主たちはとっくの昔に死んでいるんですから」

 

 海上都市の彼女。

 己のギルド拠点でもない場所で永い間眠り続けていた。

 

『ルルイエの館にて死せるクトゥルフ、夢見るままに待ちいたり』

 

 この言葉は世界中のクトゥルフ教信者がクトゥルフの石像への礼拝時に捧げる誓言として用いられている。

 さらに墓碑銘ともなっているこんな一節がある。

『そは永久に横たわる死者にあらねど測り知れざる永劫のもとに死を超ゆるもの』

 簡単に言うならば、今眠っている古き神は死んでおらずいつか復活するのだという予言である。

 かつてこの海上都市を作ったギルドは熱心なラヴクラフト信者達だった。

 ロールプレイの一種であり、その夢や願望の為だけに様々な設備と共にこのギルド拠点は作られた。しかしそれらの役目は果たされる事もなく、また製作者である彼等もそれを果たす事なくあっけなく死んだ。

 ただ彼等が死んだその後、ギルド拠点とは一切関係の無い筈の彼女がまるで彼等の願望を満たす様にここで眠り続ける事になった。

 彼女がこの文言に詳しい筈も無く、ただ意味も分からず、眠る為に作られたこの場所を間借りしていたにすぎない。

 しかし何たる皮肉か。

 彼等の死後、それも何百年も後のこの世で、無関係の筈の彼女の存在によって彼等のロールプレイはここに完成をみたのだ。

 人の身でありながら彼女はルルイエの揺り籠により寿命を超越し、存在しえない筈の未来まで生き永らえた。

 (プレイヤー)たる彼女の復活により、ルルイエの館は役目を果たしたのだ。

 

 

 ただ一人リグリットを除き、彼女が眠りから醒めた事を知る者など世界中のどこにも存在しない。

 

 

 

 

 そこは広く、高い部屋。見上げるような高さにある天井。壁の基調は白で、金を基本とした細工が施されている。

 天井から吊り下げられた複数の豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを放っていた。

 壁にはそれぞれ違った文様を描いた大きな旗が、天井から床まで計41枚垂れ下がっている。

 金と銀をふんだんに使った部屋の最奥には十数段の低い階段があり、その頂には巨大な水晶から切り出されたような、背もたれが天を衝くような高い玉座が据えられていた。

 背後の壁にはギルドサインが施された深紅の巨大な布がかけられている。

 

 ここは玉座の間。

 ギルド、アインズ・ウール・ゴウンの拠点たるナザリック地下大墳墓の心臓部とも言える場所である。

 

 その玉座の間において、空の玉座の横に立つ一人の女性が唐突に足を踏み出した。

 

「アルベド、どこへ行くのです?」

 

 声をかけたのは玉座の階段の下で膝をつきながら待機していた屈強な老執事。その視線は僅かに怒りがこもっていた。後ろに待機しているメイド姿の女性達も無言のまま老執事と同様の視線を向ける。

 

「モモンガ様の帰りが遅すぎるわ。私の知る限りこれだけの期間モモンガ様がナザリックにご帰還為さらなかった事など一度も無いのよ」

 

 だがそんな視線など意にも介さずアルベドは凛としたまま歩みを進める。

 

「しかしこの場を動けと言う命令は下されておりません。勝手に動いては主人の反感を買いますよ」

 

「そうねセバス。でももしモモンガ様の身に不測の事態が起こっていたら? 私達に命令を下したくとも連絡出来ない何らかの理由があったら? リアルに帰られているだけならまだいいのだけれど…、今回はナザリックの外へと出て行ってから帰って来ていないのよ。これが何を意味するか分かる?」

 

「そ、それは…」

 

 アルベドの言葉にセバスは気圧される。

 不敬などという気持ち以前にその言葉の意味する事に恐怖したからだ。

 

「私とて勝手に動くのは承知の上。でもモモンガ様の安全の確認くらいはするべきでしょう? これから第五階層に向かい姉に探知魔法を使用してもらいます」

 

「ですがアルベド。至高の御方たるモモンガ様に我らの使う探知魔法が意味を為すのでしょうか?」

 

「その質問はもっともね…。確かにいくら姉が探知魔法に特化してるといってもモモンガ様の前では全て遮断されてしまうかもしれない。でもそれならそれで構わないわ、少なくともモモンガ様が健在なのは分かるのだから」

 

「なるほど…」

 

 アルベドの言葉にセバスは深く頷く。

 

「ただ同時に周囲への警戒も必要でしょうね…。もし外で何かが起こっているのならモモンガ様を救う為にナザリックの全力をもってお救いに出なければならない…」

 

「…!」

 

 その言葉でセバスと後ろに控えるメイド達に緊張が走る。

 

「余計なお世話であり、モモンガ様の不興を買うようならこの命を以って償いましょう。でももしモモンガ様の御身に危険が迫っているならどんな手を使ってでもその身をお救いするべきでしょう? 最も優先するべきはモモンガ様。仮に不敬と断じられてもシモベとして為すべき事を為しましょう。その時はセバス、貴方にも力を貸してもらうわよ」

 

「…もちろんです。もしモモンガ様の身に危険が及んでいるようであれば我らが命に代えてもその身をお守りしなくては!」

 

「そうよ、セバス。その為にも姉の探知魔法が必要なの」

 

 そうしてアルベドは玉座の間を出て第五階層へと向かう。

 アルベドの姉であるニグレド、彼女の探知魔法でモモンガの安否を確かめる為に。

 

 しかしこのニグレドの探知魔法によりナザリック中が震撼する事になる。

 アルベドはもちろん、その情報が齎されるとナザリック中が阿鼻叫喚で満たされた。

 それは彼等が発狂し暴走するに足る十分な理由であったのだ。

 

 なぜならこの時モモンガは――

 

 




モモンガ一行「拠点攻略だぜ!」
クレマン「やばそうなので逃げます」
海上都市の彼女「竜王たちはクソ」
アルベド「きちゃった…」

また更新に時間がかかり申し訳ないです…
GWでついに時間が取れました!
そしてやっと最終章です、本当はエリュエンティウの描写にもっと時間かけたかったんですが長くなると思ったのでバッサリカットしました(現状でも長いですが…)
そして海上都市のくだりはオバロ原作の「夢見るままに待ちいたり」の一文からです。唐突なクトゥルフ押しは決して趣味を出したのではなく原作で使用されたその文章から海上都市のコンセプトはこうなのではないか?と推測したものです
前にもありましたがクトゥルフ云々の話はストーリーには直接影響しないので軽く読み飛ばして貰えればと思います
今回はまだ最終章としての掴み程度ですが最後まで頑張っていきたいと思います!


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拠点攻略

前回のあらすじ

エリュエンティウに到着したモモンガさん達!
八欲王の残したギルド拠点の攻略を始め、ナザリックも動き出す!


 アースガルズの天空城。

 

 誰の手も届かぬ遥か上空に鎮座し、その最上階に至っては雲の上まで突き抜けている。

 美の粋を尽くしたといってもいい程の荘厳さと絢爛さを誇り、その外観は透き通るような白銀の壁や煉瓦で覆われ、まさに神の宮殿としか形容できない極上の域。

 ギルド拠点ではありながらも、いやだからこそさらにプレイヤーの趣味嗜好、願望が反映されていると言ってもよいだろう。

 舞踏会場、音楽堂、舞台劇場、美術館、接見室、図書館、遊技場、大浴場、礼拝堂等あらゆる設備が兼ね備えられている。客人をもてなす為の極上スイートルームとも呼ぶべき客室すら何部屋も存在する。

 さらに宮殿の外部、正面広場にある大庭園とも呼ぶべき場所の中心には巨大な記念碑が存在する。それはユグドラシル時代、フレーバーテキストの一種として存在しかつてこの城を支配していた神々の歴史とその名が連ねられている。

 もちろんそれは作られた物であり設定の一種なのだが、この世界において実体化した天空城を前にすればそれは事実であったのではないのかと錯覚させるには十分な説得力を持つだろう。

 とはいえその存在が皆無だったかといえばそうではない。

 事実、この城を支配していた天上の神々はレイドボスとして八欲王に敗れているのだから。

 

「確認できる範囲で動体反応は無し、モンスターの影はありませんね、非実体化してる者もいません」

 

 魔法とスキルで周囲を窺うモモンガ。現在その探知に反応する者はいないがだからといって確実に安全とは言い切れない。少なくともモモンガよりも上のレベルであれば看破は不可能なのだから。

 

(当然だがアンデッドの反応は無し、か…。この探知だけは多少のレベル差があろうと信頼できるが恐らくこの場所においては全くの無意味だろうな…)

 

 モモンガがそう断じたのも当然であろう。

 ここアースガルズはユグドラシルに存在した九つの世界の中でも最も人気を馳せた。

 なぜなら九つの世界の元となった北欧神話における最高神オーディンを長とする神々の王国であるとされているからである。

 神に死後認められ召されたような者達ではなく、死者つまりはアンデッドという括りに相応しい者はこの世界には存在しないだろう。

 そもそも異形種のホームグラウンドともいうべき世界は三つあり、それら以外では一部や例外を除き異形種が拠点等を支配しているというのはまずない。

 かつてモモンガが仲間達と共に手に入れた拠点、ナザリック地下大墳墓もその三つの内の一つであるヘルヘイムに存在していた。

 天上のアールガルズと地下のヘルヘイム。

 最も遠く、最も縁のないであろう二つの世界。それにも拘らずモモンガは妙な親近感を抱いていた。

 

(美の結晶ともいうべき豪華絢爛の城、宮殿。似ているな…。まるでナザリック地下大墳墓の第九階層ロイヤルスイートを見ている気分だ…)

 

 現在モモンガ達四人は天空城の中層とも呼ぶべき場所にいた。一際大きなバルコニーから侵入したその先は広大な回廊とも呼ぶべき場所に繋がっており、そこを抜け、巨大な扉を開け完全に城の中へとはいるとそこにあったのは先が見えぬ程に長い廊下。

 見上げるような高い天井にはシャンデリアが一定間隔で吊りさげられており、壁には美しい装飾の数々、広い通路の床は磨き上げられた大理石のように光り輝いている。

 全く同じという訳では無いがその建物の構成はモモンガの言う通り、白亜の城を彷彿とさせるナザリック地下大墳墓の第九階層と似ていた。

 

(いや、ここがナザリックに似ているというよりナザリックがここに似ていると言うべきなのか…。共にナザリックを作り上げた仲間達も、いや、ここを作った者達でさえ憧れた美の象徴、かつて現実の世界に存在した人類の叡智、その一端。感銘を受けた源流はきっと同じ。どこまで行っても結局は人、憧れや求める物は皆同じという事か…)

 

 そのような事を考えながらもモモンガは細心の注意を払いながら長い廊下をゆっくりと進んでいく。

 後ろにいるデイバーノック、イビルアイ、ズーラーノーンも無言で後に続く。

 恐ろしい程の静寂がいつまで続くのかと思われたその時、やがて視界の先に数十を超える多くの影が見えた。

 

「皆さん、止まって下さい。あれは…」

 

 複数の猪や山羊達。その姿は普通の個体よりも一回りか二回りは大きいものの、それだけである。特に何か恐ろしい特徴があるという事もなく、少し大きいだけの普通の猪や山羊達である。

 

「あれは…、猪と山羊? なぜ城の中に…」

 

 その姿を見たデイバーノックが怪訝そうに言葉を紡ぐがそれに答えるようにモモンガが口を開く。

 

「あれは煤けた海棲動物(セーフリームニル)蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)…、特別恐ろしい敵ではないですが敵を見つけると鳴き声を上げ仲間を呼ぶ為厄介です。本当なら見つからずに進みたいですがここに放置して進むよりかは殲滅しておいた方が安全かもしれませんね」

 

 煤けた海棲動物(セーフリームニル)

 レベルにして15程度の猪型モンスター。どれだけ食べられようがその肉は尽きる事なく、翌日には元に戻るというモンスターである。これは戦闘の為ではなく他の者達の食料として存在するモンスターである。

 蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)

 こちらはさらに弱くレベルにして8程度しかない山羊型モンスター。その身からは乳ではなく蜂蜜酒が流れるというこれまた飲まれる為だけに存在するモンスターである。

 

「ほ、本当にやるのかモモンガ…、手を出してしまえば本格的に天空城と敵対する事になるのではないか…?」

 

 イビルアイが不安気な様子でモモンガに尋ねる。

 イビルアイの疑問はもっともだろう、かつて十三英雄のリーダーと共にこの都市に訪れた時はこんな事は考えもしなかった。リーダーが一人で城に入り、アイテムを借り受けた。そんな友好的とも受け取れる対応をしてくれる相手に対して、200年越しとはいえ侵入してアイテムを奪うなど本当にして良い事なのだろうかと葛藤しているのだ。

 

「諦めろガキ、どちらにせよ侵入した時点でアウトだ。腹括れ、ビビってるなら今から逃げてもいいんだぞ」

 

「なっ! き、貴様! 私はビビってなど…、ただ皆の心配をしてだな…」

 

 横から口を出したズーラーノーンの言葉に食って掛かるイビルアイ。

 

「そもそもだ、そのリーダーとやらは()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「…っ! な、何を…」

 

「まぁここに返しに来たというのならそれでいいんだがな。そもそも攻略して入手したアイテムなら返す必要もないだろう。だがお前からの話を聞く限りではリーダーとやらはアイテムを借り受け、そして魔神を倒した後に命を絶ったのだろう? ならいつアイテムを返しにいったんだ? もしかしたら親切な他の仲間が返しに行ってくれたのか? 城にも入れないのに」

 

「……!」

 

 ズーラーノーンの言葉にイビルアイが固まる。

 考えた事など無かったのだ。200年前、仲間達と共に魔神と戦い、それに見事勝利し喜びを分かち合い、そしてリーダーの死に悲しんだ。そんな中で借り受けたアイテムのその後など頭の片隅にすら無かった。

 

「何はともあれ、だ。天空城を攻略してアイテムを入手するのは決定事項だ、そうだろ? モモンガさん」

 

「ええ…、イビルアイさんの気持ちも分かりますがどうかここは力を貸して下さい。もしまだ持ち主が健在であるなら謝罪しますし俺が全ての責任を負います」

 

「ばっ! べ、別にお前に全て押し付けようなんて考えてないぞ! も、もしその時は私も一緒にだな…!」

 

 声を荒らげるイビルアイの声が廊下に響く。

 その音に反応したのか煤けた海棲動物(セーフリームニル)蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)がこちらに気付き顔を向ける。

 

「あっ…!」

 

「ったくこれだからガキは…。どちらにせよやるつもりだったからいいけどよ」

 

「気にしないで下さいイビルアイさん! 全員で一気に蹴散らしましょう!」

 

 そう言ってモモンガが飛び出す。そして魔法を撃とうとしたその時。

 

「ブモォォォオオ!」

 

「メェェェェエエ!」

 

 猪と山羊の鳴き声が響いた。

 すると奥の扉から料理人のような姿をした、しかし手に持つ鉈は大きく禍々しい者達が現れた。

 

煤けた者の料理人(アンドフリームニル)…! こいつは少し面倒です! 確実にここで撃破しておく必要があります! デイバーノックさんは蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)達を! イビルアイさんは煤けた海棲動物(セーフリームニル)達を片づけて下さい! 私とズーラーノーンさんは煤けた者の料理人(アンドフリームニル)達の相手をします!」

 

 モモンガの指示で三人は一斉に動き出す。

 煤けた者の料理人(アンドフリームニル)、レベルにすれば28程度のモンスターだ。

 その名の通り、煤けた海棲動物(セーフリームニル)の肉を捌き、蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)から葡萄酒を絞るモンスター。戦闘力は同レベル帯でも高くは無いものの、煤けた海棲動物(セーフリームニル)の肉を捌き口にするごとにステータスにボーナスが加算されていく。蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)の葡萄酒も同様である。

 本来ならばさらに上位のモンスターと共に出現しそのスキルにより全員にバフを掛けていく面倒臭いモンスターだ。そういう意味では彼等のみとの戦闘になった事は非常に運がいいだろう。

 

 煤けた者の料理人(アンドフリームニル)が8体。

 煤けた海棲動物(セーフリームニル)が16体。

 蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)が24体。

 恐らくこの世界においてはこれだけで一国を滅ぼせる戦力であろう。

 まず何人かの煤けた者の料理人(アンドフリームニル)が近くの煤けた海棲動物(セーフリームニル)の肉を捌き口にする。これにより煤けた者の料理人(アンドフリームニル)は体力と力に大きなボーナスを得る。

 肉を捌かれた煤けた海棲動物(セーフリームニル)は戦闘不能になるかといえば決してそんな事はない。戦闘能力は落ちる事無く敵へと目掛け突進を繰り返す。

 次に蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)から蜂蜜酒を絞り煤けた者の料理人(アンドフリームニル)が口にする。これにより煤けた海棲動物(セーフリームニル)程ではないにしろステータス全般へのボーナスが加算される。

 次に再度バフを掛けられるまで時間経過が必要ではあるが最大でそのステータスの+100%までバフをかける事が可能だ。これは煤けた者の料理人(アンドフリームニル)本人のみが有効で、他者へのバフの数値はそのレベルに反比例し下がっていく。中位モンスターでは+50%程が上限で上位モンスターになれば+10%を切る。

 だがいずれにしろデメリット無しでバフを掛けられるこの能力は非常に強力である。

 

「<火球(ファイヤーボール)>!」

 

 最初に動いたのはデイバーノック。その<火球(ファイヤーボール)>により次々と蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)が倒れていく。一撃で沈める事が出来る為、数は多くとも殺しきるまで時間はかからないと思われた。しかし。

 

「くっ! 流石にただ仲間が殺されるのを放置してはくれないか…!」

 

 魔法を連発するデイバーノックの元へ一体の煤けた者の料理人(アンドフリームニル)が立ちはだかる。今のデイバーノックにとってはもはや敵とは言えない程に戦力差があるがバフがかかっていれば別だ。

 煤けた者の料理人(アンドフリームニル)の巨大な鉈による一撃は確実にデイバーノックにダメージを与えるだろう。

 

「<水晶の短剣(クリスタルダガー)>! <水晶騎士槍(クリスタルランス)>!」

 

 イビルアイは突進を交わしながら次々と煤けた海棲動物(セーフリームニル)の脳天に魔法を直撃させていく。『国堕とし』として恐れられた彼女にとってレベル15程度のモンスターなど敵にもならない。

 こちらにも一体の煤けた者の料理人(アンドフリームニル)が立ちはだかるがイビルアイの前では時間稼ぎ程度にしかならないだろう。

 

 モモンガに至ってはまず<連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>で二体の煤けた者の料理人(アンドフリームニル)を撃破。続き<獄炎(ヘルフレイム)>にてもう二体を撃破する。

 同時にズーラーノーンは<魔法最強化(マキシマイズマジック)>をかけた<龍雷(ドラゴン・ライトニング)>、<火球(ファイヤーボール)>を連射し二体を殺しきる。

 その後すぐにモモンガとズーラーノーンがデイバーノックとイビルアイの援護に回り残りを狩る。

 終わってみれば一分にも満たぬ時間のうちに敵を全て殲滅することが出来た。

 

「流石モモンガさんだな、最初に四体始末してくれたのは助かった。俺の主力である神聖系魔法はここの敵にはちと相性が悪いからな。あれ以上の数を受け持ってたらもう少し手間取ってた」

 

「いやいや、ズーラーノーンさんだって全然苦戦してなかったじゃないですか。デイバーノックさんとイビルアイさんもお疲れ様です。…! 皆さん! 新手です!」

 

 そう言って労うモモンガだがすぐに新たな何かが近づいて来る事を感知する。

 廊下の角を曲がって姿を現したのは屈強な戦士達。

 角のついた兜と毛皮のベスト、手には斧や剣などいくつもの武器を手にしてる。その外見はまさにヴァイキングといったものだ。

 

英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)…! こいつらは少々手ごわいです! 俺の召喚する死の騎士(デスナイト)より強い、皆さん気を付けて下さい!」

 

「な、なんだと…! ほ、本当かモモンガ…!」

 

「まさかあの死の騎士(デスナイト)より…!? そ、それが9体も…!」

 

 彼等の眼前に現れた9体の戦士。

 英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)、レベルにして43。

 攻撃に特化しており、防御特化の死の騎士(デスナイト)にさえ十分に攻撃が通る。

 そして少し遅れてその後ろから毛並みの違う戦士が一体顔を覗かせた。

 それは強き英霊(ヴァルハラスルーズル)、レベルは51。

 英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)達をまとめ上げる隊長のような存在で、彼が率いる事により集団戦闘を可能とする。

 

 そうして天空城に侵入し、モモンガ達は初めて脅威となる存在と戦う事になった。

 

 

◇ 

 

 

「ふう…、皆さん無事ですか?」

 

 疲れた声でモモンガが声をかける。

 

「俺は大丈夫だ」

 

「ええ、こちらもなんとか大丈夫です…」

 

「私も問題ない。しかしこんな奴等が次々と出てくるなら流石に厳しいぞ…」

 

 誰の犠牲も出す事なくモモンガ達は10体の戦士達に勝利した。

 しかしそれは辛勝といった感じで決して楽な戦いでは無かった。

 

「ええ、今ので俺も6体の死の騎士(デスナイト)を召喚して消費してしまいましたし、魔力的にもかなり消耗しました…。今後は可能な限り戦闘は控えましょう」

 

 厳密には6体も死の騎士(デスナイト)を召喚しなくとも勝つ事は出来ただろうが魔力の消費が多くなるのと余計なダメージを受けない為に召喚したのだ。先の見えぬこの場所においてスキルは極力使用したくないと考えていたモモンガだが温存しすぎて取返しの付かない事態に陥る方が最悪だ。

 リスクとリターンを考慮し、モモンガは一日12体までしか召喚できない中位アンデッドをここで6体も消費したのだ。

 

(少し楽観的過ぎたか…。十三英雄のリーダーが単身でクリアしたのだから大丈夫と高を括り過ぎていたかもしれない…。あのレベルのモンスターが今後も続くのでは俺達では少々厳しい…)

 

 とは思いながらも、ユグドラシル基準で考えれば防衛するモンスターのレベルは弱すぎると言わざるを得ない。もちろん低レベルのモンスターなどどこの拠点にでもいるのだがモモンガの見立てでは戦闘区域になりそうなこの場所に配置するには弱すぎると判断していたのだ。

 

(アースガルズの天空城にかつての力が無いのは確かだな…、しかしレベルダウンしている今の俺では決して油断出来ない…。最悪の場合は脱出できるように逃げ道も確保しておかないとな…)

 

 そうして周囲を調査、探索するモモンガ。その時、嫌な物を発見した。

 10体の戦士達が来た場所の先に向かうとあったのは少しひらけた空間であった。その正面には大きな扉。

 

(ボスエリアっぽいな…。なるほど、あの戦士達はここを守っていたのか…。可能であれば回避したいが普通はここが最短のルートになる筈…、ん?)

 

 モモンガは扉の横に鎮座する複数の像に気が付いた。

 その像の足元には石板がはめ込まれた石碑がある。まだ距離がある為、何が書かれているかわからないがモモンガは自身の熱意が失われていくような感覚に陥っていた。

 ユグドラシル時代、こういった作りのダンジョンは幾度となく見た事があったからだ。

 

(同時攻略系ダンジョン…! その名残か…! ギルド拠点となった後もその仕様を引き継いでいるとは…!)

 

 モモンガが頭を抱えたのは当然だろう。

 同時攻略系ダンジョンとは文字通り、同時に複数のチームを編制し攻略する事を要求されるダンジョンだ。さらにここが最高峰のギルド拠点である事を加味すれば恐らくは最難関の五チーム編成タイプであろう。攻略前のナザリック地下大墳墓と同様の鬼畜仕様である。

 もしそうであるならばモモンガ達だけでの攻略は絶望的だ。

 

(い、いやそうであるなら十三英雄のリーダーも攻略など不可能な筈…、何か抜け道が…)

 

 悩みながらもモモンガは鎮座する像へと近づき、その足元にある石碑を読もうとしたその時。

 

(……! ギミックが解除されている…! この石碑はすでに意味を成していない…! この謎は解かれたまま、リセットされる事なくそのままだ…!)

 

 もちろん攻略側に複数のチーム編成を強制させるこのギミックの防衛コストは高く、現状においては維持できないのであろうと簡単に予測がつく。

 

(そりゃそうだよな…、他の防衛システムが死んでてこれだけ生きてる筈はないだろうし…。良かった…。同時攻略系なんてもう二度とやりたくない…)

 

 そう心の中で愚痴りながら扉へと近づくモモンガ。可能であれば魔法で中を確認しどういった敵がいるのか探ろうとしたのだがここで新たに驚愕する事になる。

 

「ば、馬鹿なっ…!」

 

 突如、驚きのこもった悲鳴のような声を上げたモモンガにイビルアイとデイバーノックが駆け寄る。

 

「ど、どうしたんだモモンガっ!」

 

「何かあったのですかモモンガさん!」

 

 だが二人の声はモモンガの耳には入っていない。

 ナザリック地下大墳墓という大規模なギルド拠点を持っていたモモンガには分かる事がある。

 拠点には戦力を置くべき場所、または置いてもあまり意味を成さない場所が存在する。

 例えば広間などの大きな空間は防衛のギミックやモンスターを配置するのに適しており、そういった場所を攻略の際に必ず通らなければいけない場所として設定しておくのが普通だ。

 もちろんそういった場合でも抜け道や攻略法などは存在するが防衛側からすればこれがセオリーにして絶対だ。これを違える事にデメリットこそあれどメリットなど存在しないのだから。

 故に驚いた。

 この天空城の構造には詳しくないがこの目の前の扉の先、広間に繋がっているであろうこの場所が、隔離されているのだ。完全に侵入出来ないように隔離し、空間が断絶されている。拠点としては致命的とも言える処置だ。

 例えば、これと同様の事はナザリック地下大墳墓でも可能であり、第八階層などは転移門を閉じて誰も入れぬようにしていたりもした。

 だがおかしい。

 あくまでそれは侵入者が来ないであろうユグドラシルが斜陽の時期だったからこそ閉じていたのだ。実際にユグドラシル全盛の、1500人からなる大侵攻の時は第八階層への転移門は解放しそこで侵入者を迎え討ったのだから。

 仮にもしモモンガがギルド拠点を放置するのであれば確実に転移門は閉じたりはしない。いくら他の階層が充実しているとはいえ、攻略の為の道中をこちらから短くする必要などないからだ。

 

 ギルド拠点のシステムにアリアドネというものがある。

 ゲームとして成立するようにその入り口からギルドの中心地まで一本の線で繋がっていなければならないというものだ。入口を塞いで難攻不落の拠点を作ろうとするのは不可能なのだ。もしこれを守らなければペナルティが発動し、ギルド資産が一気に目減りしてしまう。

 

 だからなのだ。

 だからこそ防衛に向いている広間を隔離するのは理屈に合わないのだ。

 ここを隔離してしまえば、アリアドネにより必然的に他のなんでもない場所やただの廊下のような場所が必須の攻略ルートとして構成されてしまう。

 

(いや…、ここだけ何かを保管しておく場所として隔離しておいた可能性は0じゃない…。あるいは他のルートに何か罠が…? そもそも広間に当てる防衛戦力が存在していない? そこまで困窮していたのか…?)

 

 答えの出ない問題を必死に思案するモモンガ。

 だが理屈に合わないというのはどうにも気持ちが悪いのだ。理解が出来ない。資金が無く防衛力に不安が残るとしても、いやだからこそ少しでも防衛に向いている場所を活用する方が自然であり、戦力が少なくとも道中を引き延ばした方がいいと言える。

 決して解決しないその気持ち悪さを抱えたまま、モモンガは天空城の攻略へと戻る。

 だがこの気持ちの悪さは攻略が進む度に増していくばかりなのだ。

 

 

 

 

「こ、ここもだとっ!? ば、馬鹿なっ! そんな馬鹿な!」

 

 城の中層を抜け上層に入り、拠点の中枢である天守へも近づいてきたと思しき時、再びモモンガが叫ぶ。

 最初だけならたまたまだと納得する事も出来ただろう。しかしもう無理だ。防衛の要とも言えるような広間や兵舎、大階段等様々な場所を抜けたが難関と言えるような場所は一つとして存在しなかった。

 自動POPのモンスターはいたし、強き英霊(ヴァルハラスルーズル)英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)は至る所に配置されていたが戦闘を回避するのは容易であった。最初の戦いこそ不意の遭遇戦であったが、そうでなければ戦闘を回避する事は難しくないのだ。

 それが防衛に向いていない場所に配置されているならば尚更だ。懸念していた100レベルNPCに至ってはどこにもその存在を確認できずまともな戦力は皆無に等しかった。さらに言うならば難所になりそうな場所を通らずに済んだ為、攻略は容易かった。

 

「い、一体どうしたって言うんだモモンガ! さっきから少しおかしいぞ! 攻略は順調じゃないか! 何をそんなに驚く事があるんだ!」

 

 心配した様子でイビルアイがモモンガに声をかける。

 モモンガは道中で何度か説明したものの、ギルド拠点の本質やユグドラシルのルール等を知らないイビルアイやデイバーノックにはその真意が伝わらなかった。

 

「そうだ。少し心配が過ぎるんじゃないか? 確かにあの八欲王の拠点がこんなものかというのは理解できる。だがどんな思惑があれ、俺達に災難が降ってくる訳じゃない。楽に済んだ事を感謝し、さっさと攻略してしまおう」

 

 ズーラーノーンの言葉に虚ろに頷くモモンガ。

 

「そう、ですね。そうかもしれません…」

 

 そう返事をしてモモンガは城の天守へと向かう。恐らくそこには天空城の心臓部、玉座の間があるのであろう。拠点の最奥としてはそれが最も相応しい。

 そこへ至る最後の階段を一歩ずつゆっくりとモモンガは足を踏みしめる。

 

(確かに今考えるべき事ではない、か…。だがそれでもおかしい…、何度考えても納得出来ない…。防衛に向いてそうな間や階層はいくつかあった。しかしそのいずれもが隔離され、決して干渉できないようになっていた…。あれらは一体何なんだ…。なぜあれだけの場所を…、空間を隔離する必要が…? しかし一つ分かった事がある…、確かにこんな状況であるならば一人の攻略も不可能じゃない。十三英雄のリーダーが単独攻略出来ても何の不思議もないという事か…)

 

『八人からなるギルド。その証としてギルド武器は八つに別たれたとか』

 

 不意にかつてのズーラーノーンの言葉がフラッシュバックした。

 

(…! 待てよ…! 八人のギルド…! 彼等は仲間でありながら…、しかし欲深く互いの物を奪い合って最後には皆が死んでしまったと…! そうだ! もしそんな争いになったのならば…、()()()()()()()()()()()()()()()()()のは当然の帰結じゃないか! だが何を守ったんだ…、金銀財宝? 神器級(ゴッズ)アイテム、いや世界級(ワールド)アイテムか…? いずれにしろこの拠点は八欲王が死んだ時のまま…、そのまま何の手も加えられていない状況ではないのか…? そうであればこの惨状も納得できる、防衛どころではない…。ギミックや罠すらも役に立たない。なぜなら倒すべき敵は拠点内にいたのだから…!)

 

 実際ここに来るまでにモモンガが見つけた隔離された空間は六つ。この城の中層から侵入した為、もしかすると下層にもう二つ隔離された場所があったのかもしれない。

 そうであれば八つの隔離空間、そこが八欲王達の個人的な領域だったのではないか。

 

(もしそうなら十三英雄のリーダーはどうやってアイテムを入手した? 今回はまだ発見できていないが宝物庫がどこかに? いや、それともギルド武器を手に入れその権限を以て隔離されたどこかの部屋をこじ開けたのか…?)

 

 モモンガの中に新たに様々な疑念が湧いてくる。

 だがそうであるならばギルド武器の入手は必須だ、あるいは心臓部である玉座の間でギルドを落とす必要も出てくるかもしれない。

 

(いや今考えるべき事はそれじゃないな…。まずはこの天空城を攻略してから…。考えるのはその後でいい…!)

 

 そうしてモモンガは気を取り直し再び進む。

 しかし一つだけモモンガが決定的に間違えている事がある。

 十三英雄のリーダーは――

 

 

 

 

 最上階へと続く階段を上り切った四人の前にあるのは巨大な扉。

 それらにはレリーフとして様々な物が描かれていた。北欧神話にまつわる神々とその歴史。

 一大叙事詩のように連綿と続くそれらは周囲の壁や天井にまで及ぶ。

 神を讃えるように、またここは神の住処なのだと誇るようにそのレリーフや文様は光を放っていた。

 

 モモンガが扉に手を掛ける。

 重そうな音を響かせながら扉が開いていく。

 その先にあったのは、光の空間。

 

 見上げる程に高い天井にあるのは色とりどりのステンドグラス。

 名のある絵画のように美しく装飾され、また透けるように透明であった。ステンドグラスは外からの光で照らされ室内と共にその鮮やかを讃えている。

 この世の物とは思えない極上の世界。

 周囲の壁もガラスのように透明で外にある雲の水平線が見通せる。建物の内部にいる筈なのに無限に続く空が見渡せる景色。

 地表の景色など微塵も見えない。

 ここは雲の上。まるで下界と隔離されたような別世界、まさに天上の国、神の城。

 

 この神々しくも鮮やかな部屋の奥にあるのは玉座。

 八つの空になった玉座だ。

 その玉座の下にある階段の前で三人の人影が膝を突いて頭を垂れている。

 しかしモモンガ達に気付いたのだろう。

 彼等はゆっくりと立ち上がりこちらへと振り向いた。

 

「ここは神なる御方の座する場所。何人も立ち入る事は許されぬ」

 

 凛とした女性の声が響く。

 

「その無礼、死で贖え」

 

 剣と盾を携えた金髪碧眼の美しい女性であった。

 長い髪は後ろで大きな三つ編みに結わえられており、鳥の羽の装飾が印象的な兜を被っている。

 全身甲冑に身を包み、腰からはドレープの付いた布がスカートのように揺れている。

 人のような外見の女性だが背中から生える翼がそれを否定している。

 

戦乙女(ヴァルキュリア)かっ!」

 

 モモンガがその姿を確認し厳戒態勢に入る。

 すでに魔法で全員にありったけのバフをかけており準備は万全の状態で玉座の間へと入室した。それでもなお最大限の警戒が必要な相手。

 戦乙女(ヴァルキュリア)、レベルにして72。

 カルマは極善、神聖系の魔法やスキルを持つモンスターである。モモンガとの相性は最悪といえよう。

 戦闘力そのものはレベル程ではないがその特殊能力やスキルが厄介である。

 

「ウォォオォォオオ!!!」

 

 戦乙女(ヴァルキュリア)の横にいる二人の戦士がスキル<戦いの雄叫び(ウォークライ)>を発動しモモンガ達へと襲い掛かる。

 彼等は熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)狼の皮を被った者(ウールヴヘジン)、レベルは56と59。

 軍神オーディンの神通力を受け、熊や狼といった野獣のように戦う鬼神の如き戦士である。

 いずれもヴァイキングの戦士のような二本の角が印象的な兜を被っており、その身はチェインメイルで守られている。さらにその上からそれぞれ熊と狼の毛皮のマントを羽織っている。

 手に持つ大斧が特徴的で彼等の性質を体現しているといえる。

 戦士系ビルドとしての完成度が高く、ほぼ無駄の無い構成のおかげで同レベル帯の戦いにおいて彼等の勝率は非常に高い。相性次第では格上さえ打倒しうる。

 

「っ! ―中位アンデッド作成 死の騎士(デスナイト)―!」

 

 即座にモモンガは四体の死の騎士(デスナイト)を創造した。そして二体ずつ熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)狼の皮を被った者(ウールヴヘジン)へと当てる。

 

「あの二体の戦士は強いです! 近接戦闘になれば俺を含め誰も敵いません! 死の騎士(デスナイト)に壁になって貰ってる間に叩くしかない! デイバーノックさんとズーラーノーンさんは後ろから魔法で削って下さい! 魔法耐性は低いので十分にダメージは通る筈です!」

 

「わ、わかりました!」

 

「任せておけ」

 

 そうして死の騎士(デスナイト)が防御で耐えている間に二人が後ろから魔法を放つ準備を始める。

 

「イビルアイさんは俺と一緒にあの戦乙女(ヴァルキュリア)をお願いします! 申し訳ないんですが俺一人じゃかなり厳しいので…!」

 

「はっはっは! 気にするなモモンガ! 存分に頼ってくれていいぞ! 初の共同作業だな!」

 

 無駄に陽気な声でイビルアイが返事をする。

 

戦乙女(ヴァルキュリア)はいるだけで周囲の味方にバフを与えます。強化魔法やスキルが豊富なので常に注意を払って下さい!」

 

 そうしてモモンガは即座に<破裂(エクスプロード)>を戦乙女(ヴァルキュリア)目掛け発動する。

 

「<聖なる守護(ホーリーウォール)>」

 

 しかし戦乙女(ヴァルキュリア)が唱えた魔法で出現した白い結界のようなものに阻まれ<破裂(エクスプロード)>は届かない。

 

「ちっ! 今のレベルじゃ防御魔法で弾かれるか!」

 

 モモンガの叫びを余所に戦乙女(ヴァルキュリア)はスキルを発動する。

 

「<戦死者の選定(コール・オブ・エインヘリヤル)>」

 

 その声と共に周囲に三つの光が輝き出す、その光の中から現れたのは三人の英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)

 

「モ、モモンガッ! こ、こいつらっ!」

 

「分かってます! ―中位アンデッド作成 死の騎士(デスナイト)―!」

 

 モモンガも同時に死の騎士(デスナイト)を二体召喚する。これでスキルによる中位アンデッド創造は打ち止め、カードは出し切った。

 

「<第7位階天使召喚(サモン・エンジェル・7th)>」

 

 だがそれを嘲笑うかのように戦乙女(ヴァルキュリア)はさらに魔法を発動する。

 呼び出されたのは威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)

 それは光り輝く翼の集合体だ。王権の象徴である笏を手にしてはいるものの、それ以外の足や頭というものが一切存在しない異様な外見。そうでありながらもその神聖さは欠片も失われていない。

 

「なっ…! 次から次へと…! くそっ! ―下位アンデッド作成 骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)―!」

 

 モモンガが苦し紛れに骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)を八体創造する。もはや個体の強さでは敵わない、頭数とその手数で押し切るしかない。だが――

 

「<善なる極撃(ホーリー・スマイト)>」

 

 召喚された威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が即座に魔法を放つ。突如、光の柱が出現しモモンガと共に四体の骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)に強烈な光が浴びせられる。

 

「ぐぅぁあぁああ!」

 

 モモンガの全身に鋭い痛みが走る。レベルダウンさえしていなければほとんどダメージなど入らなかっただろう。だが今はそうではない。相性最悪のこの魔法でHPが削られていくのが理解できる。

 モモンガと同様、範囲内にいた四体の骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)はその一撃で灰になっていた。

 

「<女神の鼓舞(ゴッデス・インスパイア)>、<神の御旗の下に(アンダー・ディヴァイン・フラグ)>、<不死者忌避(アンデス・アヴォイダンス)>、<聖域加護(サンクチュアリプロテクション)>」

 

 再び間髪入れずに戦乙女(ヴァルキュリア)がスキルと魔法を発動し、味方全体へバフを与える。だがこれで終わりではない。そのまま立て続けに魔法を発動しようとするがモモンガがみすみす見逃す筈がない。

 

「<転移(テレポーテーション)>、<生気吸収(エナジードレイン)>!」

 

 転移し戦乙女(ヴァルキュリア)の背後に回ったモモンガが死霊系の接触型魔法を発動する。接触しなければならないという制約があるがその効果は絶大。相手のレベルを一時的にドレインし、相手には時間経過で消えないレベルダウンという特殊なデバフがかかる。

 

「な…!」

 

「厄介は厄介だが…、ユグドラシルと変わらずこういった対策は出来ていないようだな。今度はこちらから行かせてもらうぞ!」

 

 ユグドラシル内でも戦闘知識という点ではトップクラスに入るであろうモモンガ。プレイヤーならいざしらず、ユグドラシルの1エネミーであれば多少の不利やレベル差などいくらでも覆せる。

 

 

 

 

「ぐぅうぅ! <火球(ファイヤーボール)>! <電撃球(エレクトロ・スフィア)>!」

 

 二体の死の騎士(デスナイト)の後ろからデイバーノックが熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)へ魔法を浴びせる。ダメージが入っているのは分かるがそれでも死の騎士(デスナイト)の消耗が激しく、彼等が滅ぶ前に熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)を倒せるかは非常に危うい。

 

(くそっ…! なんて事だ…! モモンガ様から二体の死の騎士(デスナイト)を借り受けてまで、なお届かないのか…! 私は…、なんと弱い…!)

 

 モモンガと出会い、デイバーノックは己の弱さを知った。

 王国で六腕の一人として活動し、この世界においては高いレベルにいると自負していた。だがそうではなかった。モモンガだけでなく、イビルアイもズーラーノーンも彼よりも遥か高みにいる強者だった。帝国で出会った法国の者達も強く、特に天空城に来てからはそれ以上の無力を実感するばかりだ。

 世界は強者で満ちている。

 例えば英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)などはモモンガはもちろん、イビルアイ、ズーラーノーンならば単身で撃破できるだろう。しかしデイバーノックには不可能だ。

 彼だけがこの中で格が落ちる。この場においては敵味方含め、最も弱者である。

 異形なる大魔法使い(デミリッチ)として新たな高みに昇ったものの、それでもなお足りない。むしろそれまでが弱すぎたと言うべきか。

 

 横へ目を向けるとモモンガとイビルアイが絶妙なコンビネーションで敵と渡り合っているのが見えた。

 

「イビルアイさん! 十時方向、魔法お願いします! 少し間を置くように!」

 

「っ!? わ、わかった! <水晶騎士槍(クリスタルランス)>!」

 

 するとまるでイビルアイの魔法に呼応するように一体の英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)がスキルによる高速突撃を放った。

 これにより英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)の動体を<水晶騎士槍(クリスタルランス)>が貫通、本来一撃で倒せぬ筈の相手を突進の速度も相まってカウンターで沈める事に成功する。

 

「す、凄いなモモンガ! 分かってたのか!」

 

「ええ、英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)の突進攻撃には溜めがあります。そこを見切ればカウンターで倒す事は難しくない」

 

 その後もモモンガが相手側の魔法を誘導して同士討ちさせたり、骸骨の魔法使い(スケルトンメイジ)を囮に範囲魔法を撃たせその隙を付いたり、妨害により魔法の暴発、様々な手練手管で敵を追い詰めていく。

 

「これで終わりだ! <負の爆裂(ネガティブバースト)>!」

 

 ズンと大気が震え、光が反転したような、黒い光の波動がモモンガを中心に周辺を飲み込む。

 範囲内にいた威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)はすでにダメージを負っており、その一撃がトドメとなり消滅した。

 

「あとは戦乙女(ヴァルキュリア)のみです、行きますよイビルアイさん!」

 

「おう!」

 

 戦いはすでに佳境であり、戦乙女(ヴァルキュリア)によって追加で召喚された数々のモンスターもモモンガ達の前に敗れた。死の騎士(デスナイト)は滅び、モモンガも下位アンデッド作成を使い切ったがそれでもモモンガの勝利は揺るがないだろう。残すは戦乙女(ヴァルキュリア)のみで王手の状態だ。

 

 ズーラーノーンの方だが、楽勝という訳ではないが壁役の死の騎士(デスナイト)が滅びると同時くらいには狼の皮を被った者(ウールヴヘジン)の息の根を止められるだろうという程度には善戦していた。

 

 この場において形勢が不利なのはデイバーノックだけなのだ。

 

(くっ…、こ、このままでは…!)

 

 アンデッドの身であり、汗などかかない筈のデイバーノックだがその身体を冷たいものが走ったような錯覚に陥った。

 それは恐怖。

 自分が敗れ、滅ぶことにではない。

 モモンガの役に立てず、あげくには失望されてしまうのではないかと。

 それがあまりにも恐ろしく、デイバーノックの精神は凍ったように震えていた。

 

「<電撃球(エレクトロ・スフィア)>!」

 

 その魔法を放ったと同時に目の前で二体の死の騎士(デスナイト)が崩れ落ちる。熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)の追加攻撃で残ったライフも削り取られその身が消滅する。

 壁役である死の騎士(デスナイト)が消えればその矛先が向くのはデイバーノックだ。熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)が命を刈り取るような強烈な一撃をデイバーノック目掛け仕掛ける。

 速度は向こうが数段上、回避は間に合わないし防御も不可能。

 さらに魔法で迎撃してもまだ体力に余裕のある熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)は止まる事なく、その凶刃がデイバーノックに届くだろう。詰みである。

 デイバーノックの脳裏を死が僅かに掠めた。

 

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>!」

 

 横から放たれたイビルアイの魔法により、ダメージはあまりないものの熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)の体が揺らぎバランスを崩す。そしてその隙を突くように。

 

「<骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)>!」

 

 地面から生えたモモンガの魔法により熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)が空中に押し上げられた。本来は壁として防御に使う魔法だが座標の指定次第で敵の下で発動しこのように押し上げ的に出来る。

 なぜなら無数の骸骨から構成するこの魔法は盾としてだけでなく、手の届く範囲なら攻撃もできるからだ。同様に敵を掴み拘束する事もできる。

 そして<骸骨壁(ウォール・オブ・スケルトン)>により押し上げられ、その足をガッチリと掴まれた熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)は空中で固定される事になる。

 

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)><連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 モモンガの両手から放たれる二体の雷の龍が熊の毛皮を纏う者(ベルセルクル)を消し飛ばす。

 後には灰が残り、宙に消えた。

 

「ふう、危なかった! 大丈夫ですかデイバーノックさん!」

 

 唖然とするデイバーノックへモモンガが駆け寄る。

 

「いやー、かなりギリギリですけど間に合って良かった! こっちもイビルアイさんと二人がかりだったのに手こずってしまって…。ズーラーノーンさんも無事に終わったみたいですね」

 

「いやいや、死の騎士(デスナイト)がいなかったら厳しかった。助かったよモモンガさん」

 

 ちょうどズーラーノーンの方も狼の皮を被った者(ウールヴヘジン)を倒すのに成功していた。疲れたといったような様子でモモンガ達の方へと歩み寄る。

 

(私だけ…、私だけがモモンガ様に必要以上の手間を掛けさせている…。二体の死の騎士(デスナイト)を借り受け、それでも勝てずに最後はモモンガ様の手を煩わせてしまった…。なんと弱く…、みっともないことか…)

 

 がっくりと肩を落とし打ちひしがれるデイバーノック。

 

「どうしたんですかデイバーノックさん! 俺達勝ったんですよ! 天空城を攻略したんです! 心臓部である玉座の間まで来たんですよ!」

 

「そうだ! あれだけの強者を私達は倒したんだぞ! 魔神以上だった!」

 

 ニコニコとした様子で語り掛けるモモンガとイビルアイにデイバーノックは引け目を感じていた。役にも立てず、足を引っ張るばかりの自分に価値などあるのか、と。

 

「も、申し訳ありません、モモンガさ――ん。私は――」

 

 その時、気付いた。

 言い終わる前にその違和感に気付いたのはデイバーノックだけだった。モモンガやイビルアイのように浮かれていなかったからかもしれない。あるいは常にモモンガの役に立ちたいと考えていたからか。

 もう魔力はあまり残っていない。だからこそ、手が体が反射的に動いた。

 

「モモンガさん! あぶな――」

 

「<魔法最強化(マキシマイズマジック)><善なる極撃(ホーリー・スマイト)>」

 

 突如、光の柱が出現した。

 威光の主天使(ドミニオン・オーソリティ)が放つそれよりも遥かに強力な。

 モモンガのいた場所に発生したそれはデイバーノックがモモンガの体を突き飛ばす様に入れ替わった為、デイバーノックの体を直撃した。

 

「うぐぁぁぁぁあああ!!!」

 

 デイバーノックの断末魔のような叫びが響いた。この一撃で消滅しなかったのは奇跡であろう。とはいえ体の七割が吹き飛んでおり、生身であれば命を保っていられないだろう。

 

「デイバーノックさん!」

 

 デイバーノックの身を案じながらもすぐにモモンガが周囲を警戒する。完全に油断していた。普段のモモンガならばこんな不意打ちを許す事など絶対にない。

 新たな敵が湧いたのかと周囲を確認するが誰もいない。

 いるのは、モモンガ達の後ろで手を突き出していたズーラーノーンだけだ。手に残る魔力の残滓から誰が魔法を使用したのかは一目瞭然。

 

「ズ、ズーラーノーンさん…、な、何を…」

 

 呆気にとられながらモモンガが問う。ズーラーノーンがモモンガへと魔法を放ったのは疑いようのない事実だからだ。

 

「チッ、デイバーノックめ…。面倒くさい奴だとは思ってたが肝心の所で邪魔しやがって…! 今の一撃なら確実にモモンガを戦闘不能に出来たというのに…!」

 

 ズーラーノーンが憎々し気に体の大部分を失い横たわるデイバーノックを睨みつける。

 

「な、何を言ってるんですかズーラーノーンさん…! な、なんで、なんでこんな事を…!」

 

 混乱の極みにいるモモンガの言葉を無視しながら玉座へとゆっくりと歩いていくズーラーノーン。

 

「おい! 答えたらどうなんだズーラーノーン! 私達をモモンガを騙していたのか!」

 

 返事をしないズーラーノーンへイビルアイが怒声を浴びせる。今にも襲い掛かりそうな程にその身は怒りで満ちていた。

 

「俺一人じゃ攻略は無理だった…。戦って分かったと思うが玉座の間を守っていた奴等は強かったろう? いや元の体であれば苦労しなかったんだがな…。この体でもどうにか倒せないかと考えたあげく秘密結社なんて作ったが当てに出来るような奴は誰も出てこなかった…。やっとだ…、モモンガ。お前のおかげだ…。お前のおかげでこの城を攻略できた、礼を言うよ」

 

 玉座の一つに歩み寄るズーラーノーン。

 よく見ると八つある玉座の横にそれぞれひとつずつ武器が立てかけられるように置かれていた。厳密にはそれらは七つで、一つの玉座だけは空だったが。

 その武器の一つをズーラーノーンが手に取る。

 

「永かった…。永かったんだ…。やっと、やっと夢が叶う…」

 

 小さく一人ごちるズーラーノーン。

 

「モモンガ…、お前と戦えば俺に勝機は無いからな…。できれば先ほどの一撃で決めておきたかったが…。まぁいいさ、これがあればどちらにせよ変わらん。そこで世界の終わりを見届けてくれ」

 

 そう言ってズーラーノーンが手に取った武器を掲げる。

 

「防護結界発動」

 

 その言葉と共にモモンガ達を中心として覆うように玉座の間に結界が張られた。

 それはギルド拠点における防衛ラインの一つ。

 一部の種族の侵入を完全に排除する結界の一つだ。結界の能力としては破格だが、一部の種族以外にはほとんど意味を成さない。拠点攻略においては特定の種族のみでチームを組むなど普通は無いのでさほど危険性の高い結界ではなかった。結界の排除に該当しない種族が外から簡単に解除できるのだ。

 だが今は違う。

 モモンガ達はアンデッドのみで、ここに張られた結界はアンデッドを排除するもの。中に閉じ込められる形となったモモンガ達だけではどんな手段を講じてもまず脱出は不可能。

 

「ありがとうモモンガ、そして、さらばだ」

 

 ズーラーノーンが手に持つ武器に魔力を込める。

 すると辺りにパキンという乾いた音が聞こえた、それは何かが割れる音。

 音の元であるヒビは全体へと広がり、頑丈そうにも見えたその武器はいとも簡単に砕けた。

 やがてそれは砂のように崩れ、掻き消えた。

 

 次の瞬間、天空城が揺れた。

 大地や建物が軋む音と共に、まるで大きな地震のようにグラグラと。

 

 破壊されたのはギルド武器。

 天空城に存在する八つの内の一つ。

 ギルドの象徴たるそれが破壊される事は拠点の崩壊を意味する。

 他の玉座に立て掛けられていた武器も同様に砂となり崩れ去った。

 

 これにより天空城は、終わる。

 ユグドラシル時代のように再びダンジョンに戻るという事は無い。

 この世界で崩壊したギルドは文字通り崩壊する。

 連動しているギミックや罠は暴走し、拠点が崩れエネルギーが枯渇するまで無作為に発動し続ける。

 全てのNPCは拠点との絆が切れ、コントロールを失う。

 もうここに他者が介入できる余地は残っていない。

 全てが終わり、崩れ去るのだ。

 

 辺りにズーラーノーンの高笑いが響き渡る。

 無邪気な子供のようでいて、また心底恨めしいような。

 もはやモモンガ達には何の興味も無いのか、一瞥もせずに姿を消した。

 後に残されたのはモモンガとイビルアイとデイバーノックのみ。

 崩壊する城の中で、脱出する事も出来ずに結界の中に閉じ込められたまま。

 

 

 

 

「デイバーノックさん! しっかりして下さいデイバーノックさん!」

 

 体のほとんどを失ったデイバーノックにモモンガが声をかける。必死に負のエネルギーを込めた魔法やスキルを発動するがもはや魔力の残っていない状態ではデイバーノックを十分に回復するには至らない。

 

「そ、それよりモモンガさん…。どうにか…、ここから脱出しなければ…」

 

「そ、そうだモモンガ。早くこの結界から脱出しなければ崩れた城に圧し潰されるぞ! しかしズーラーノーンめ…。まさかこんな事を…!」

 

 デイバーノックとイビルアイがどうにか結界から脱出できないか考えるがモモンガだけは諦めていた。

 

「デイバーノックさん、イビルアイさん…、言い難いですがここから脱出するのは不可能です…。この結界そのものは脆弱で解除は容易です、しかしだからこそ一部の種族には絶対的な効果を発揮するんです…。アンデッドである俺達ではどんな手を用いようと脱出は不可能…。すみません、俺が天空城を攻略しようと言ったばかりにお二人を巻き込んでしまって…」

 

「な、何を言うんだモモンガ! 悪いのはズーラーノーンだ! お前は悪くない!」

 

「そ、そうですモモンガさん…。貴方は悪くない…、全てはズーラーノーンが…。むしろ私こそ、あの男に良からぬものを感じていたにも拘らず何も出来なかった…。モモンガさん、最後までお役に立てずに申し訳…、ありま…」

 

「デイバーノックさん! しっかりして下さい!」

 

 崩れた体から魔力が失われていくのを感じるデイバーノック。

 この身はもう長く持たない、そう確信すると共に最後に思った想いは敬愛する主人の役に立てなかった事だ。

 

(なんと情けない…。弱いままでモモンガ様の足を引っ張り…、ズーラーノーンの悪意からお救いする事も出来なかった…。あげくにはモモンガ様の危機を前に何をすることも無く滅びゆくとは…)

 

 だが死の間際、己の身を厭わぬからこそデイバーノックの前に一つの道が見えた。

 

(待て…、ズーラーノーン…。あいつはアンデッドの身でありながら神聖魔法を行使していた…。ずっと疑問には思っていた…、どうすればこの世の摂理を捻じ曲げそんな事が…)

 

 魔術の深淵に至る為に魔法を追い求めていたデイバーノック。だからこそモモンガやイビルアイはもちろん、ズーラーノーンの魔法すら事細かに観察していた。そしてこの段階になって一つの仮説に辿り着いたのだ。

 

(魔力の偽装…! そうか…、この魔力を…、負のエネルギーを偽装し…、別の物へと変質したかのように世界を騙したのか…! だからこそ術式を変化させる事なく神聖魔法を行使できた…! そうだ、魔力の偽装…、それが出来れば…!)

 

 デイバーノックは弱い。

 だがデイバーノックはかつてモモンガから学んだのだ。

 強さなど時間が齎す差異の一つに過ぎない。

 魔法の下に誰もが平等、貴賤など存在せず誰もが魔法への礎となれる。

 それはきっとデイバーノックも例外ではない。

 

「モモンガさん…、申し訳ありませんが残っている魔力を全てこの身に預けて貰えませんか…? 私がこの結界を解除します…、貴方を、お救いします…!」

 

「な、何をデイバーノックさん! この結界はアンデッドの身じゃ絶対に…!」

 

 否定しようとしたモモンガだが、デイバーノックから強い意志を感じ口ごもる。どちらにせよこのままではデイバーノックは滅びる。少しでも生き永らえさせる為にはと頷く。

 

「わ、わかりました…。でもデイバーノックさん、無理はしないで下さい…」

 

「……」

 

 いつもモモンガの問いに必ず肯定していたデイバーノックが初めて沈黙を貫いた。それはもう答える余裕がないからなのか、それも覚悟の表れか。

 

(悔しいが…、ズーラーノーンを思い出せ…。あの魔術を、構成を…)

 

 体に残る魔力とモモンガから分け与えられた魔力を己の中で混ぜ合わせ昇華させる。魔力の性質そのものは変化しないがズーラーノーンのように偽り、世界を騙すのだ。

 そうしてデイバーノックは行き着いた。

 世界の理を理解し、魔力の偽装を己のものとし、新たな魔法を創造した。

 手を空へ掲げ、口を開く。

 

「<偽りの受肉(フェイク・インカーネーション)>」

 

 デイバーノックの魔力が粒子となり体の外へと流れだす。

 それらはまるで粘土のように骨だけの体に纏わりつき人の体を為していく。

 失った体の大部分は骨が無いものの、魔力の粒子がそれらを補完するように形作っていく。

 肉や歯、皮膚や眼球、流れる血まで再現され人間へと近づいていく。

 一種の幻術のようにも見えるがその本質はまるで違う。

 これは幻では無く、嘘なのだ。

 生まれ変わった訳でも、新たな肉体を手にした訳でもない。

 その肉体を構成する人の体のように見える物は全て嘘。

 確かに存在するが全てが紛い物、真なる物は一つも無い。

 だがそれでいいのだ。

 本物なのだと誤解させれば、世界を騙せたなら、届かぬ筈の魔術へ手が届く。

 彼の本質はアンデッドのままであるのに。

 

「デ、デイバーノックさん…、なのか…?」

 

 人の体を手にしたデイバーノックがゆっくりと立ち上がる。

 青年のような初々しさと、笑顔と共に揺れる金髪の髪が眩い。

 ある時、突然アンデッドとしての生を受けたデイバーノック。生前などなく、無から生まれたと思っていたがそれでも彼が生まれるきっかけになった何かはあった筈なのだ。

 これはその名残。

 デイバーノックの体の元になった何者か、あるいは関係のある何者か。

 結論は出ないが、デイバーノックが人の身を得た事は間違いなかった。

 

「モモンガさん、貴方は私を導いてくれました…。愚かで弱い私を…。感謝してもしきれません…、貴方の御恩に報いれるとも思いません…。でも、それでも構わないのです。ただ一度、たった一度でいい…。貴方のお役に立てた、そう思える何かがあれば…、私は幸福です」

 

 そう言って幸せそうに笑ったまま、結界の外へとデイバーノックが足を踏み出した。

 

「デイバーノックさん!」

 

 制止しようとするモモンガだが、その姿を見て驚く事になる。

 結界は少しもデイバーノックを害する事なく、またその歩みを止めようとする事もなく、まるで存在しないかのように通した。

 

「後は解除するだけ…」

 

 デイバーノックが外から結界へと干渉する。

 こういった拘束系の結界の解除は単純で簡単だ。外から魔力を流し、元の流れを阻害するだけで簡単に結界は解かれる。ただし。

 

「あぐぅぁぁあっ…!」

 

 結界に干渉すると共にデイバーノックの悲鳴が漏れた。

 結界が弱まり効力を失うにつれ、共にデイバーノックの体も崩壊していくのだ。

 <偽りの受肉(フェイク・インカーネーション)>により結界を素通り出来るとはいえ、干渉すれば話は別だ。その本質はアンデッドのままであり、結界からのダメージを防ぐことは出来ない。解除しようとその魔力に干渉すれば体が浸食され崩壊するのは自明の理。

 結界の解除と共に、デイバーノックの偽りの生が失われる。

 

「モモンガ…さん…、どうか…ご無事で…」

 

 結界が消えると共に、デイバーノックの体が砂のように崩れた。

 あの肉も皮膚も、血も何もかも。

 まさにその全てが嘘だった事を証明するように渇いた灰となり宙に舞い、消えていく。

 

「そんな…、デイバーノックさん!」

 

 消えゆく意識の中で最後の自分の名を呼ぶモモンガの声が聞こえた。

 デイバーノックにとって王都で出会ってからその全てが掛け替えのないものだった。

 自分はこの御方に仕える為にこの世に生まれ落ちたのではないか、いや、そうであって欲しいと願わせる程の偉大さ。

 混沌と死を司る慈悲深き王。

 魔道を極めし不死の王。

 

「…あぁ、モモンガ様、万歳…。至高なる御身に…、絶対の…忠誠を…」

 

 死は何よりも甘く、優しい。

 愛しい伴侶のようにずっと傍らに寄り添ってくれるのだ、永遠に。

 闇は深く、その先に果ては無い。故に全てを受け入れ赦してくれる。

 だからだろう。 

 その意識が消え去るその時まで、デイバーノックは満たされていた。

 体の全てが灰になり、その残滓さえ消え失せ、その身体を構成していた物は何一つ残らず失われるまで。

 

 デイバーノック。

 魔術の深淵に焦がれ、またそれを何よりも求めた。

 結果として彼は弱者のまま死に、その身は滅びた。

 しかし彼はユグドラシルにも存在し得ぬ魔法を生み出した。

 八欲王が残した天空城、ユグドラシルでも間違いなく最高峰のギルド拠点。

 それを騙した。

 アンデッドのまま、アンデッドでは成し得ぬことを為した。

 だがそれはもはや彼にとって価値のある事ではなかった。

 真に価値ある事は、己が定めた主の役に立つ事。

 魔術の深淵以外に大事な事を見出し、それを為せた。

 だからこそ、彼は幸福だった。

 

 奇しくも、魔術の深淵以外に心から求める物が出来たからこそ彼は至ったのだ。

 もし魔術の深淵というものが本当に存在するのなら――

 

 彼はきっと、それに触れた。

 

 

 

 

「クソッ! なんでだ…! なんで…!」

 

 デイバーノックが消え去った後、モモンガはその場で何度も蘇生の短杖(ワンド・オブ・リザレクション)を振り続けていた。だが反応は無い。

 

「ユグドラシル時代ならこれで…! アンデッドだってキャラクター扱いだから蘇生できるはずなんだ…! それがどうして…!? まさかこの世界だから…? この世界じゃアンデッドは蘇生出来ないっていうのか! それとも結界の神聖属性による消滅だからか…!? ちくしょう…! なんで…」

 

 死とは何だろうか。

 もし全てが満たされたとしたら、それはもう生きる意味を失うのと同義かもしれない。

 

「しっかりしろモモンガ! デイバーノックがその身を犠牲に助けてくれたんだ! このままここにいたら城の崩壊に巻き込まれる! デイバーノックの為を想うなら…、今は逃げなくちゃダメだろうがっ…!」

 

 イビルアイが泣きながらモモンガの背中を叩いていた。

 それはあまりにもか弱いものだったが、モモンガには酷く痛く感じられた。

 

「すみません…、そうですね…。イビルアイさんの言う通りです…。嫌な役を背負わせてごめんなさい」

 

 イビルアイだってデイバーノックが死んで悲しくない筈が無いのだ。モモンガ程ではないにしろ、共に旅をした仲間だったのだから。

 それなのに名残惜しむ事もなく、すぐにここから逃げる事を口にしたのだ。辛くない筈がない。

 それを理解したからこそモモンガは立ち直り、すぐに行動できた。

 

「…! モモンガ! 城が傾いてる! 外の景色が!」

 

 イビルアイに促され外を見るモモンガ。

 そこには無限に広がるような雲の水平線があった筈だ。

 しかし今は違う。

 城の高度が下がっているのだろう。

 限りなく小さく遠く見えるが下に広がる大地が視界に映った。

 

「行きましょう! すぐに外へ出た方がいい!」

 

 そうして玉座の間の扉を開け来た道を急いで戻る。

 そのまま階段を下っていると、突如階段が崩れた。

 正確には階段を突き破り何者かが下から現れたと言うべきか。

 

「っ!」

 

 それを見た瞬間モモンガの背筋を激しい悪寒が襲った。

 これはマズイ、と本能的に理解したのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()八欲王! 何を守る為にそんな事をしたのかと思っていたが…そうか、これがその正体か!)

 

 目の前に現れた存在は我を失っていた。

 ギルド拠点との絆が切れ、コントロールを失ったNPC。

 八欲王の残した都市守護者。

 

「イビルアイさん逃げて下さい! こいつには…、勝てない!」

 

 叫びながらモモンガはイビルアイを掴み、遠くへと放り投げた。

 それが幸いしたのだろう。

 イビルアイにその凶刃が降りかかる事は無かった。

 

 突如目の前に現れた都市守護者はモモンガの姿を確認するなり襲いかかってきた。それは侵入者に対するものではなく、ただ無差別に。この世に存在する全てを屠らんとして。

 その一撃は重く、またその魔法は強大だった。

 

 レベルにして100にもなる都市守護者。

 この天空城はユグドラシルの各ワールドに一つずつしか存在しないNPC制作可能レベル3000にもなる最大級の拠点。その数値は初見クリアボーナスがプラスされているナザリック地下大墳墓すら凌駕する。

 ロマンを追い求めて八欲王が作ったNPC達は合計30人。

 いずれもレベル100という破格の強さを持つ彼等は人々の間で都市守護者として噂されてきた。

 

 だがその実、彼等は都市を守ってなどいなかった。

 ギルド拠点が崩壊するその前から、自分達の創造主が死んだ事を悲しみ、怒りと憎しみに満ちていた。

 彼等が解放される事があればその怒りの矛先は世界に向いたかもしれない。

 八欲王は彼等を守る為に隔離したのか、それとも自分達の死後も世界を守る為に隔離しておいたのか。

 あるいはその両方か。

 

 だが拠点が崩壊しその隔離も完全では無くなった今、自我を失った都市守護者が世界へと放たれる。

 その最初の犠牲者はモモンガだった。

 

「がっ…!」

 

 単純に殴り飛ばされただけで体の半分が吹き飛んだ。

 体は勢いよく壁に叩きつけられ、何枚もの壁を突き破った所でやっと止まった。

 次に浴びせられたのは第十位階魔法。

 今のモモンガが耐えられる筈などなく、その一撃でモモンガは死んだ。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第五階層「氷結牢獄」。

 

 そこでアルベドは自身の姉であるニグレドにモモンガの捜索をお願いしていた。

 モモンガの装備により探知魔法を阻害され、ニグレドはなかなかモモンガの所在を掴めずにいた。

 しかしある瞬間、一瞬だけ魔法がモモンガを探知した。

 魔法で生み出した窓、そこには魔法で飛ばした視界が映り込む。それが捉えたのだ。

 その窓に一瞬、ほんの一瞬だけモモンガの姿が映った。

 モモンガが死亡し、その装備の影響を受ける対象がいなくなったほんの瞬き程の間。またモモンガという存在が消え失せ、探知先が存在しなくなるまでの刹那。

 つまりは死んだ瞬間のモモンガの姿が。

 

「いやぁぁあぁぁあぁぁぁぁぁあ!!!」

 

 悲鳴、もはや絶叫とも呼ぶべきアルベドの声が轟いた。

 横にいたニグレドも声こそ上げなかったものの、その光景を見て絶句していた。

 二人共、冷静さを保てずただただ唖然としていた。

 自分達が仕える至高なる御方が、必ず守らなければいけない存在が、汚され、その命を散らしていたのだから。

 最初に訪れたのは形容し難い程の圧倒的な恐怖と絶望。

 少し時間をおいて去来したのは怒りと憎悪。

 

「ぁぁあああぁぁぁ…! こ、殺す殺す殺す殺す殺す…! モ、モモンガ様を…! 我らが忠誠を誓う至高の御方を! ゆ、許すことなど出来るものかぁ…! 我らが敬愛すべき主君、モモンガ様! そ、それを…! それをぉぉぉおおおお!!! 何者であろうとも殺す! 邪魔する者も、何もかも全て! この世で最大の苦痛を与え続けその不敬を思い知らせてやるぅぅ! あぁ! 憎い! 憎くて憎くて心が弾けそぉぉおおお!!!!」

 

 両手で自分の頭を、顔を掻きむしりながら血を流すアルベド。

 その表情は般若のように怒りに歪み、崩れていた。

 これはアルベドだけで終わらない。

 この凶報はすぐにナザリック全体が知る事となる。

 ナザリック全てが恐怖し、絶望し、また怨嗟の声を上げる。

 その全力を以て、考えうる限りの悪意で、己の仕える主人を害する者を全身全霊で排除する。そこに異論などあろう筈もなく、ナザリックの憤怒は一つに収束し、考えられぬ脅威の結束を生み出す。求める所は全員同じ。

 全てを滅ぼさんと、地上に討って出る。  

 

 天使と悪魔、彼等はどちらがより優しいのか。

 多くの聖書や神話において実は悪魔に殺された者はそんなに多くない。

 なぜなら悪魔は人間を騙し、破滅させる事はあっても殺す事は滅多にないからだ。契約で魂を貰うとされる場合も、望みを叶えるなどきちんと対価を支払っている。疫病を流行らせたという例もあるがそれは人間達から契約を破った場合がほとんど。

 では天使はどうなのか。

 少なくとも彼等は神の名の下であればどんな事でもするだろう。

 そこに優しさは無く、優先するのは神の定めたルールのみ。

 裁きという名の鉄槌を無慈悲に下すのは天使なのだ。それが正義であり、正しい事なのだと信じているからこそ何の躊躇も無い。現世の思想や常識など通用しない。

 対象の人間が善であるか、悪であるかなど厳密には関係無いのだ。

 神こそが全て。

 己の欲望の為に動く悪魔と、大義の為に動く天使。

 それが両者の決定的な違いであろう。

  

 ユグドラシル最終日にモモンガの手によって設定を改変されたアルベド。

 その彼女の変化が齎すものは何か、今はまだ分からない。

 

 

 

 

 アーグランド評議国。

 

 その最奥でツアーの顔は驚愕に見開かれていた。

 

「な…! ギルド武器が…! まさか天空城が…、でも…、そんな、まさか…!」

 

 己がこの場所で守っていた筈のギルド武器が何の前触れもなく崩れて砂と化した。

 十三英雄のリーダーから譲り受けたギルド武器。

 彼はこれを守るためにここから離れられない、そうリグリットに語っていたがそれは全てではない。理由の一つではあるが絶対ではないのだ。彼がここから離れられぬ真の理由は別にある。

 故にギルド武器が無くなった今もここを離れようとはしない。

 

「例のアンデッド…。やはり世界に敵対する者という事か…! いずれにしろ何が起こったのか確認しなければならないな…」

 

 そうしてツアーは再び白金の鎧に魔力を流し操作する。

 エリュエンティウで何が起こったのかその瞳で確認する為に。

 だが彼の鎧はその目的地に着く前に何者かに襲われる事になるのだが、この時のツアーがそれを知る由は無い。 

 

 

 

 エリュエンティウの周囲にある広大な砂漠、その一角で都市から逃げ出したクレマンティーヌが天空城を見上げていた。

 

「な、なんだありゃあ…」

 

 城から流れ出る無限の水は止まり、都市全域を覆っていた結界も消えている。

 遠くて分からないが天空城から瓦礫や何かが都市へと落ちているように見える。やがて城が完全に崩れ、都市に降り注ぐのではと思わせた。

 これの意味する所は一つ、恐らくズーラーノーンが目的を果たしたのだろう。

 つまり、エリュエンティウは滅ぶのだ。

 

『シスター!』

 

 ふと脳裏に孤児院の子供達の声が聞こえたような気がした。

 

「はっ! なんで今更…! ガキどもなんて知るか…、私は自分の命が…」

 

『クッキー焼いてあげる! 私得意なんだよ!』

 

「あぁ! うぜぇ、うぜぇ!」

 

 振り払おうとしても子供達の声が思い出される、何度も何度も。

 

『本当!? 約束だよシスター!』

 

「あぁっ! クソッ! クソッタレが!」

 

 気が付いたらクレマンティーヌはエリュエンティウへと向かって走っていた。

 逃げてきた場所へと舞い戻る、こんな馬鹿な話はないだろう。

 このまま逃げれば間違いなく助かるのに。

 

「なんで私は…! ははっ! 変な事ばかりあったせいでおかしくなっちまったのかな…? 別にあんな奴等がどうなろうと知ったこっちゃねぇってのに…! はははっ…」

 

 困惑した表情のまま渇いた笑い声を上げるクレマンティーヌ。

 かつて様々な人間から狂人と揶揄されてきた彼女だが、もし本当に狂ったとするならば。

 それは恐らく今だろう。 

 

 なぜならこの先には死しかないのだから。

 

 




モモンガ「死にました」
デイバー「さよなら」
ズラノン「ギルド武器破壊」
アルベド「全員殺す」
ツアー「絶対外出しない」
クレマン「Uターン」

今回は早めに更新できましたがほぼGWに書き溜めていた分なので次回はまた時間がかかってしまうかもしれません…
しかし今回も長くなってしまいました、本当は天空城の攻略をじっくりやりたかったのですが流石に間延びするかと思いカットしました(毎回カットばかり…)
しかしここらでやっと竜王国編の最後辺りの描写に繋がります
やっと色んな人が大暴れする所まで来ました、長かった…
完結まで頑張って書き切ろうと思いますのでどうかよろしくお願いします!

PS
デイバーノックの冥福を願ってくれる人がいると嬉しいです


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盟主と疾風走破、そして世界の真実

前回のあらすじ

天空城を無事攻略するもズラが裏切りデイバー消滅!
都市守護者が復活しモモンガさんも死す!
それに気付いたナザリックが阿鼻叫喚の地獄絵図!


 天空城が揺らぎ、傾く。

 エリュエンティウを守る結界は消え失せ、都市には天空城からの瓦礫や岩が降り注ぎ、人々の悲鳴が飛び交っていた。

 何の前触れもなく破られた平穏。

 長い間、平和を保っていた筈のこの都市で生きていた者達は何が起きたか理解出来なかった。

 

 やがて天空城から複数もの何者達かが降りてくる。

 彼等は空に届くのではないかと思わせる巨体の者や、竜のようにも見える者、それ以外にも多種多様な者達で溢れていた。

 数こそ八とは合わぬものの、それらはまるで御伽噺で伝えられる八欲王の姿そのものだった。

 

 まるで神々が再びこの地に舞い降りたのではないかと思われる程の存在感と威光を放ち、下界へと降臨する者達。それを見た人々の中には八欲王の再来だと喜ぶ者もいたが、それもつかの間。

 エリュエンティウの都市は暴虐の限りを尽くされ、破壊された。

 巨人の腕の一振りで大きな建築物が粉砕され、中にいた人々が宙に投げ出される。とはいえその時すでに命は無く、肉片と呼んだ方がより正確だろう。

 そんな混乱の最中、広場を逃げ惑う人々には炎のブレスが浴びせられた。

 大地と共に多くの人々が一瞬で焼き尽くされ、後には何も残らない。

 

 やがてその八欲王が如くの者達は多くがこの地を去った。

 それは本能なのか、理性を感じさせぬ彼等ではあったが、いやだからこそ。

 命に惹かれ、より多くの者を屠らんと世界中に散ったのだ。

 彼等を縛る物は無く、また彼等が忠誠を誓う者達もすでにいない。

 自我の喪失と共に自由となった彼等はもう誰にも止められない。

 多くの者が殺戮を求めどこかへ移動していく中、この都市に残ったのはその巨体ゆえ移動が困難な者、あるいはその生態からこの天空城から離れまいとする者達。理性が失われ、思考が意味を為さなくなろうとも、生まれ持ったその性質は変わらない。その本質を体現するように、彼等は本能のままに行動する。

 

 こうなった以上、世界中に死が振り撒かれるのはもはや時間の問題といえよう。

 彼等を止められる者など、()()()()()()存在しない。

 

 

 

 

「ハァッ、ハァッ…! な、なんだこりゃぁ…!」

 

 クレマンティーヌがエリュエンティウへと再び戻ってきた時にはすでに都市の一部は廃墟と化していた。

 地面は抉れており、建物の多くが崩れ、もはや以前の街並みは見る影もない。

 生きている者はチラホラと見かけるものの、通りには山のような死体。川には大量の血が流れ、紅く染まっていた。

 この都市を襲った多くの者達。

 その姿を見るだけで生物としての格が違うとクレマンティーヌは理解していた。人類として強者の自分であろうとこの都市の人々と同じように何も出来ぬまま殺されるだろうと。

 やがてその者達の多くはこの都市からどこかへと姿を消した。

 とはいえその者達のいくらかはこの都市に残ったままだ。そのまま都市を襲い続けている。このままでは都市中が更地になるのも時間の問題であろう。

 そうなる前にとクレマンティーヌは死を覚悟してまでこの地獄に舞い戻って来たのだ。

 

「おいガキ共! どこだ!? 返事しろ!」

 

 瓦礫と死体の中を叫びながらクレマンティーヌが孤児院まで走り続ける。

 だが返事など勿論ない。それどころか周囲は悲鳴や鳴き声で溢れており、クレマンティーヌの叫びもその中へと消えていく。

 そして孤児院の元に辿り着くもすでに孤児院は無く、崩れ切った瓦礫と、そこに建物があったであろう事を証明するような基礎の部分だけだ。その瓦礫の隙間からは赤い何かが流れ出ていた。

 

「おいっ! いるのか! いたら返事しろ!」

 

 慌てて瓦礫をどかし続けていくクレマンティーヌの目に映ったのは体が潰れ原型を留めていない子供達の姿だった。

 

「っ…!」

 

 思わず息を呑んだ。

 昨日までシスターシスターとうざいくらいにクレマンティーヌに絡んでいた子供達がここで肉塊になっていたからだ。

 今まで散々殺しをしてきたし無残なものや残虐なものも見慣れていた。

 それなのになぜこんなにも動揺しているのか自分自身でも不思議だった。

 クレマンティーヌは混乱し、目の前の景色に呆気に取られながらもいくつかの仮説が頭の中によぎる。

 

 生きていてくれていると楽観視していたのかもしれない。

 あるいはこのクソガキ共を言うほど悪く思っていなかったのかもしれない。

 それともこの場所が気に入ってしまっていたのか。

 

 答えは否だ。

 クレマンティーヌにそんな甘ったれた感情等がある筈が無い。

 彼女が動揺した真実は彼女でさえ気づかぬ深層心理に触れた為だ。

 

 まだ小さく、法国にいた頃。

 ただ一人友達と呼んだ女の子が死んだ時の事だ。

 それはクレマンティーヌの人格形成に影響を与え、それが切っ掛けでクレマンティーヌはここまで歪んだと言ってもいい。

 しかしだからこそ、それはクレマンティーヌの中においては触れてはならぬ禁忌なのだ。

 殺しに明け暮れ、拷問に喜びを見出した彼女だが、未成熟な子供にだけは決して手を出す事は無かった。

 人道的な理由などではなく、思い出したくない自分の記憶に触れるが故だ。

 それが、不意に蘇った。

 

「……シスター、ですか…?」

 

 瓦礫の奥から声が聞こえた。

 声を頼りに、いくつかの瓦礫を掻き分けていくとそこには体が潰れた神父がいた。

 

「…あぁ、貴方は無事だったのですね…。私は、子供達を守れなかった…。あの都市を襲った何者かから逃れる為に孤児院の中にと隠れたのですが…、、まさか孤児院ごと潰されるとは思っていませんでした…。ところで貴方は…、貴方と一緒にいた子供達は…?」

 

「……! は、はぐれちまった…。戻ってないかと思ったんだが…」

 

 思わず口から出たのは取り繕う為の嘘。

 この期に及んで自分よりも子供達の事を気に掛ける神父の姿に少し引け目を感じたのかもしれない。

 

「…、そうですか。しかしもうこの都市は危険です…、すぐに逃げた方がいい…」

 

「ガキ共を探しに行けって言わねぇのかよ…?」

 

「はは、とてもそんな事態ではないのは分かっています…。この状況で行方の知れぬ子供を探しに行けなどとは言いませんよ…。貴方は何より自分の身が大事なのでしょう? もしかしたらそれが変わるかと思って嫌がる貴方に子供の世話を押し付けたりもしましたが…」

 

「てめぇやっぱり確信犯かよ」

 

「ははは…。でも本当の所は子供達が喜んでいたからですよ…。この都市で過ごしてみて分かったでしょう? 他の都市のように貧困や飢饉で苦しむ事などこの都市ではまずありません…。でもだからでしょうか…、生きる上での不安や恐れがないからこそ…、親がいないというのは彼等の心を酷く苦しめていたように思うのです…」

 

「……」

 

「都市の人々だって優しい…。困っていれば手を貸してくれるし、子供達が何か面倒を起こしても笑って許してくれる…。そういう意味では親のいない子供達に本心で向かい合ってくれる人などこの都市にはいなかったのかもしれません…。都市全体が生活に困っている訳ではないから他の都市や村のように労働力として子供を必要とする事もない…。この都市においてこの孤児院の子供達は何不自由しない代わりに…、誰からも必要とされていなかったんですよ…。一度、親に捨てられた子供達だからこそそれに敏感だったのかもしれません…」

 

「…何が言いたい?」

 

「貴方だけなんです…。親のいない可哀そうな子供達に正面から文句言ったり…、平気で用事を押し付ける大人など…」

 

「…悪口を言われてるようにしか思えねぇな」

 

「そうでもありませんよ…、正しい事だけを重ねても上手くいかぬ事など沢山あります…。少なくとも私は貴方からそれを学びました…。きっと子供達は嬉しかったんですよ…。小さいから労働力にならぬと、また常識すらも足りぬ子供だからと甘やかされる事もなく、平気で本心をぶつける貴方が…。よく言えば一人の人間として見られているように感じたのかもしれません…」

 

「はっ、私は面倒くさい事を全部押し付けてただけだ」

 

「そうですね…、しかしそれこそが私が子供達にしてあげるべき事でした…。気を使って取り繕ったり、誰よりも子供達を甘やかし、苦労しないようにと世話を焼いていたのは私なのですから…」

 

「……」

 

「だから…、ありがとうございます…。少しでも子供達を笑顔にしてくれて…。あぁ、シスター…、貴方の行く末に…、どうか神の御加護が、あらんことを…」

 

「お、おいっ! ジジイ!」

 

 クレマンティーヌが神父の体を揺するもすでに事切れており、もう何も反応しない。

 

「なんなんだクソが…、言いたい事だけ言って勝手に死にやがって…」

 

 文句を言いながらも周囲を見渡し、少しだけ冷静になるクレマンティーヌ。

 子供の多くはここで死んでいるものの、神父の言う通り一緒に買い物に出ていた数人の子供の姿が見えなかったからだ。

 すぐにクレマンティーヌはかつて都市の広場だった場所へと走った。

 もしかしたらまだ生きているかもしれないと願いながら。

 

 

 

 

 クレマンティーヌの願いは一瞬で打ち砕かれた。

 広場に向かう途中、道の隅で瓦礫に圧し潰された子供達の死体を発見した。まだ無残に殺され肉塊になっていないのが唯一の救いだろうか。

 悲しみと困惑と絶望が入り混じった形容し難い表情だった。

 一体、最期に何を想って死んだのだろうか。

 目線を落とすと、その手元には共に買い物した商品を大事そうに抱えていた。

 子供の体程もありそうな大荷物。こんなものを持っていてはまともに逃げ切れる筈もないだろうに。

 

『シスター! 待ってよ、この荷物どうするの?』

 

『…っ! わ、私は用事を思い出した! それはお前らでなんとか運べ!』

 

 それがクレマンティーヌと目の前の少女の最後の会話だった。

 

「馬鹿野郎っ…! 持ち切れない荷物なんて捨てちまえよっ…! なんで律儀に抱えてんだよっ…! そんな状況じゃねぇって誰でも分かるだろうが…! クソがっ…! 心底頭にくるイラつくガキだっ…!」

 

 物言わぬ少女の前で怒りをぶつけるクレマンティーヌ。それは少女になのか、それとも自分にか。

 少女の開いたままの瞳を閉じる為にそっと顔に手を添える。

 

 孤児院の子供達などクレマンティーヌにとっては五月蠅く邪魔なだけだった。

 きっと今でもそう思っているだろう。

 仮に今、再びジャレついてくる事があれば邪険に扱うに違いない。

 所詮はその程度の存在だ。

 情けなど湧いていないし愛着も無い。

 それなのに何故これほど心が逆立つのだろうか。

 

 時間をおいてやっと思考が追い付いて来ると、それが理解できた。

 

「……」

 

 しばらくして無言のままクレマンティーヌが立ち上がる。

 

 かつて兄と比べられ、家を見限った。

 かつて友を見捨てられ、国を見限った。

 

 そしてたった今、クレマンティーヌは世界を見限ったのだ。

 

 

 

 

 天空城の城門前。

 そこから眼下を覗き見るようにズーラーノーンが立っていた。

 この天空城が、そして世界が滅ぶのを心底楽しんでいるように。

 あとはこの天空城が完全に落下し、その全てが崩れ去ればズーラーノーンの願いは叶う。

 

 しかしその時、ふと後ろに何者かの気配を感じた。

 

「凄いねー、街がめちゃめちゃだよー」

 

 聞き覚えのある声だった。

 顔を向けるとヘラヘラとした笑みを浮かべながら歩み寄り、共にこの天空城から下を覗き見るクレマンティーヌの姿があった。流石のズーラーノーンもこれには驚く。

 

「なぜこんな所に貴様が…? どういう風の吹き回しだ? 次に合う時があれば殺すとあれだけ念を押しておいたのに、まさか俺の前に再び姿を現すとはな…」

 

 天空城が崩れ始めたとは言ってもまだその魔法陣は生きている。

 都市の魔法陣を通じてこの都市へ転移するのは十分に可能なのだ。むしろ守りのゴーレムのコントロールが失われているおかげで侵入自体はし易くなっているだろう。

 

「いやぁラッキーだったよ。途中であの化け物共に襲われたらどうしようかと思ったけどなんとかなるもんだねー。ま、向こうからしたら私もその辺の一般人と変わらないんだろうけどさー。おかげでコソコソとここまで来れたってもんだよ」

 

 ズーラーノーンの言葉など意にも返さぬような、むしろ聞いてすらいないような態度で馴れ馴れしくクレマンティーヌが語り掛ける。

 

「まさかどうにもならぬと思って今更俺の御機嫌取りにでも来たのか…? 無駄だ、愚か者めが。誰も助からん。もう俺の手に負える事態では…」

 

 ズーラーノーンの言葉の途中で、クレマンティーヌの顔からすっと笑みが消える。

 

「私の人生はさ、無くしてばっかりの人生だった。何もかもを失って、新たに手に入れたと思えたものさえ全部この掌をすり抜けていく。何も残らず、何も持っていない。それが私の人生」

 

「何の話だ? 何を言っている…?」

 

 クレマンティーヌの言動に首をかしげるズーラーノーン。しかし狂った女の戯言などに意味はないかと呆れ嘆息する。魔法で消し飛ばそうか等と考えていると再びクレマンティーヌが口を開く。

 

「酷い人生だった。残ったのは命だけでそれを守ろうとひたすら逃げた。でもさ、また手に入れちゃったんだよねー。苦しむくらいならもう何もいらないって思ってたのにさ。気付いたらこの手の中に収まってるものがあったんだ。別に望んだ訳じゃないのにね。迷惑な話だよ」

 

 自嘲気味に一瞬笑みを浮かべるクレマンティーヌ。

 だが次の瞬間それは憤怒へと変わる。

 

「盟主てめぇ、よくもやってくれたなー…。都市がこうなったのも全部お前が仕組んだ事だろう? そのせいで街は大混乱。孤児院も酷い目に遭った。何人死んだと思ってやがる」

 

 ズーラーノーンに瞳があるならば、まさに目を丸くするという表現が適切だっただろう。

 面食らったように驚いた後、しばらくして吹き出した。

 

「クハハハハハハハハ!!! お前が人の死を語るか! あれだけ殺し尽くしたお前が! あのクレマンティーヌが! あれだけの鬼畜が人を殺されて怒るか! 殺された者達の仇討だとでも!? とんだ偽善だ! 殺された奴らが喜ぶとでも言うつもりかぁぁ!?」

 

 心底愉快だというように盟主が笑う。

 クレマンティーヌを知る者からすれば笑わずにはいられないだろう。

 

「ちっ、うっせーな。心底笑えて滑稽だし、何より我儘だって分かってるよ。でもそれの何が悪い? 私はずっと自分の為だけに生きてきた。他人なんか知るか。クソして死ね。私の中じゃ私が神様で絶対なんだよ。反省なんてするかボケが。今も昔も他人の事なんて気にもしねー。私は好き勝手に楽しく生きるだけだ。どこで誰が野垂れ死のうと関係ないね。むしろ人の死なんて嘲笑ってやるよ。被害者の家族に会ったら笑いながら傷口に塩でも塗ってやるさ」

 

 それはまさしく本心だ。

 クレマンティーヌの中に優しさなどこれっぽっちも存在しない。

 

「でもなぁ盟主。あんたのせいで死んだ孤児院のガキ達はなぁ、そんなんじゃねぇ…! 私が面白おかしく生きる為に必要な駒だったんだよ…! 仇討? そんなこと興味もないね。あいつらの気持ちなんて知らねぇ。汲んでやる気もねぇ。私がしたいのはさぁ、私の持ち物を、私の世界を壊したクソ野郎を気が済むまでブチのめすって事だよぉぉおお!!」

 

 獣のように吠えながら突如ズーラーノーンへと襲いかかるクレマンティーヌ。

 怒りに支配されたクレマンティーヌは命の危険も顧みず、己よりも強い絶対強者へと挑む。

 恐らく死ぬだろう。

 でもいいのだ。彼女は自分の世界という何よりも大事な物を汚されたのだから。失ったものに比べれば、残っている己の命などもはや軽い。故にもうこの世に未練は無い。後はただ命を燃やし、抗い復讐する事が望みだ。

 心底憎い者がのうのうと生きている事を知りながら、それを放置する事など出来ない。

 怒りと憎しみで心が耐えきれないのだ。

 この身などどうなってもいい、ただ最後まで好き勝手に生きるだけだ。

 結局、全ては自分の為。

 究極のエゴイスト。

 

 それが、クレマンティーヌという女だ。

 

 

 

 

「<肉体向上>! <肉体超向上>! <能力向上>! <能力超向上>! <脳力解放>…! <脳力超解放>ォォオオ!」

 

 複数の武技の重ね掛け。

 それにより肉体のリミッターが外れ、己の筋繊維が、内臓が、骨が、細胞が悲鳴を上げる。

 血液が全身をありえぬ速度で駆け巡り、沸騰したように熱く煮える。

 血管がその圧力に耐えきれず、目や鼻など粘膜の弱い部分から大量の血が溢れ出す。

 筋肉はもちろん、全身の温度が爆発的に上がり息をする度に蒸気のような煙が口から吐き出される。

 

 同系統ならともかく、違う系統の強化武技の使用は推奨されていないし行う者もいない。

 なぜなら単純に己の肉体が耐えきれず、自滅する事になるからだ。

 だがクレマンティーヌは躊躇しない。全ての向上系に<脳力解放>という単体ですら体に深刻なダメージを齎す武技を重ね掛けしているのは無謀だ。カッツェ平野や竜王国の時など比べ物にならない程の負担、消耗。

 これにより肉体だけでなく脳内の処理も加速し、まるでスローモーション、いや時が止まったのではないかと錯覚する程の世界へクレマンティーヌは足を踏み入れる。

 

『クッキー焼いてあげる! 私得意なんだよ!』

 

 その時、まるで一種の走馬燈のように脳内に子供達の様々な記憶がフラッシュバックする。

 

『待て待て、遊んでやりたいのは山々なんだが洗濯が…』

 

『皆で手伝うよ! そうしたらすぐに終わるよ!』

 

 都合の良いガキ共だった。

 孤児院においてクレマンティーヌのやるべき仕事を全て押し付けても文句も言わなかったのだから。

 料理だって文句を言えば次はクレマンティーヌの好きそうなものを準備していた。決して美味いと呼べる代物では無かったがそれは時間が解決しただろう。最初から完璧な仕事を出来る者などいない。

 今はまだまだウザいだけのクソガキだが、あのまま成長していればいつかはクレマンティーヌの優秀なご機嫌取りになるかもしれなかったのだ。

 今になってそれに気付いた。

 いつだって大事な物は失ってから気付くものなのだ。

 もちろんいつか愛想を尽かされる可能性は十分に高いがそれを考えるのは野暮というものだ。

 

「<疾風加速>! <疾風走破>!」

 

 肉体の能力を向上、そして解放した上でさらに速度を上げる武技を発動する。

 特に二つ目に発動したのは己の二つ名ともなっているクレマンティーヌのオリジナル武技。

 彼女だけが到達し、また他の人類を置き去りにする最速の武技。

 

「おぉぉおおっ!?」

 

 ズーラーノーンの口から驚愕の悲鳴が漏れた。

 彼の知るクレマンティーヌはこれほどに速くない。いくら速いと言っても所詮は人間。しかもレベルにすれば倍以上の開きがあるズーラーノーンからしてみれば恐れるに足らない相手だった筈なのだ。

 それなのにも拘らず、クレマンティーヌの速度はズーラーノーンの知覚を、超えた。

 肉体の強化に次ぐ強化、そして解放を重ねた上での加速。

 ギャンブルのルーレットにおいて番号をピンポイントで指定するように、あり得ぬ倍率でクレマンティーヌの身体能力が強化されていく。

 

 クレマンティーヌは一瞬でズーラーノーンの懐に潜り込み、腰に下げたメイスでもってその脇腹を殴打する。

 

「あがぁぁっ!」

 

 ズーラーノーンの肋骨が砕け、数本が飛散する。

 もちろんクレマンティーヌの攻撃がそれで終わる筈も無い。突進力がまだ生きている内に体を回転させズーラーノーンの体を蹴り飛ばす。これもズーラーノーンの芯に響き、いくつかの骨にヒビを入れた。

 蹴りで吹き飛ばされながらもズーラーノーンは必死で思考する。

 

(馬鹿なっ…! 速すぎる…、俺の知覚を追い抜くだとっ…! ただの人間如きがこんな…!)

 

 即座に<飛行(フライ)>で距離を取り、空中へと逃げる。その最、<火球(ファイヤーボール)>をクレマンティーヌのいた場所目掛け連射する。

 が、すでにクレマンティーヌはその場所にはいない。

 

「なっ…!」

 

 周囲の城壁を駆け上り、ズーラーノーンより先に空中で待ち構えていた。

 

「くっ! <龍雷(ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 回避が困難な雷の魔法で迎撃しようと魔法を放つズーラーノーン。しかし。

 

「<知覚強化>! <流水加速>!」

 

 迸る雷の流れを読み切り、回避するクレマンティーヌ。

 そのまま空中でメイスを振り下ろし、地面へとズーラーノーンを叩き落す。

 

「ごぁああっっ!」

 

「<即応反射>!」

 

 瞬時に武技を発動し体勢を立て直すクレマンティーヌ。そして重力に身を任せ、そのまま地面にいるズーラーノーンへと突進の構えで落下する。

 

「馬鹿がっ! <電撃球(エレクトロ・スフィア)>!」

 

 いくらクレマンティーヌであろうと落下中に魔法を避けるのは不可能だ。その隙を突けた事にズーラーノーンがほくそ笑む、が。

 

「<痛覚鈍化>ァ!」

 

 覚悟していたとばかりに武技で痛覚を鈍らせるクレマンティーヌ。完全にダメージは受けたものの、それにより怯む事なくズーラーノーンへ追撃を放つ。

 

「あがぁあああぁっっ!」

 

 重力により体重を乗せたクレマンティーヌの突きがその身体へと突き刺さる。突きはアンデッドとは相性が悪いものの、ズーラーノーンの左腕を完全に粉砕した。肩口から大きく抉れ、体から離れた左腕が無残に飛んでいく。

 

「き、貴様ぁぁぁ! クレマンティィィーッヌ!!!」

 

 そのままクレマンティーヌがズーラーノーンの体に馬乗りになる。この状況は流石に分が悪いと判断したズーラーノーンが、自傷覚悟で魔法を放つ。

 

「<衝撃波(ショック・ウェーブ)>! <善なる極撃(ホーリー・スマイト)>!」

 

 光の柱がクレマンティーヌとズーラーノーンへと降り注いだ。

 直前の<衝撃波(ショック・ウェーブ)>により、空中へと投げ出されていたクレマンティーヌは回避する事が出来ずズーラーノーンと共に光の柱による一撃をまともにその身に受けた。

 悲鳴を上げる間もなく意識が一瞬で白に染まり、受け身も取れずにボトリと地面へと落ちるクレマンティーヌ。先ほどまでの勢いなど嘘のように横たわり、ピクリとも動けずにいた。

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ! ク、クレマンティーヌがぁぁあ…! ざ、雑魚の分際でここまで俺の手を煩わせるとはぁ…!」

 

 同時に少なくないダメージを自ら受けたズーラーノーンがヨタヨタと立ち上がる。

 天空城の玉座の間での戦いが無ければいくらでも手段はあった。しかしあの戦いにおいて魔力の多くを消費したズーラーノーンにそこまでの余裕は無かったのだ。

 魔力の残りを考えると連発は出来ず、数多の魔法で圧し潰すのは不可能だった。確実に当てていかなければ先に魔力が尽きてしまうからだ。

 

「こ、殺す…! お、お前は…、ここで確実に殺しておかねばならん相手だ…!」

 

 殺意を剥き出しにし、倒れたクレマンティーヌの元までふらつきながらも近づいていくズーラーノーン。すでに死んでいるだろうが念には念だ。決して外さぬよう、また至近距離からの最大火力で完全にクレマンティーヌの死体を跡形も残らぬように消し飛ばす為だ。

 だがこの場においてズーラーノーンはクレマンティーヌに対する認識が間違っていたと思い知る。

 カルマ値が低い相手程、威力を発揮する<善なる極撃(ホーリー・スマイト)>。

 神聖属性を持つためアンデッド系にはさらに効果が高い。とはいえカルマ値さえ低ければどんな種族であろうと十分な効果を発揮する筈なのだ。

 

「…そっちから近づいて来てくれるなんて嬉しいよ」

 

 ズーラーノーンが近づくと同時に跳ね起き、武器を構えるクレマンティーヌ。

 その表情は狂ったような笑みに染まっていた。

 

「なっ! あ、あれを喰らって動けるだとっ! そんな筈が…! くっ! <石筍の突撃(チャージ・オブ・スタラグマイト)>ッッ!」

 

 反射的に後ろに下がり魔法を放つズーラーノーン。

 地面からいくつもの尖った石筍(せきじゅん)が飛び出しクレマンティーヌ目掛け襲いかかる。

 

「<不落要塞>! <縮地>!」

 

 武技により完全に防御した後、再び武技を発動しズーラーノーンまでの距離を一気に詰める。

 ズーラーノーンの顔は間違いなく恐怖に染まっていた。

 

「あっはっはっは! 良いねー! 良い表情だ盟主! それが見たかった! 自分よりも格下に! 自分が絶対に負けぬと断じている相手に追い詰められ困惑する奴の顔だ! 竜王国のビーストマン共を思い出す! 身の程を理解せず、自分が負ける訳がないと信じ切っている愚か者の顔だ! そんな奴を挫くのは最っ高だねぇぇえ!」

 

 目や鼻から大量の血を流し、また口からは蒸気のような煙が大量に吐き出される。

 もはや人には見えぬ異様な姿でクレマンティーヌが狂ったように笑い続ける。

 失ったモノなど全て忘れたかのようにこの愉悦に身を任せ、今を生きる狂人の姿がそこにある。

 

「くたばれ盟主…! <戦気梱封>! <限界突破>! <強殴><穿撃><斬撃>!!!」

 

 武器に戦気を込め、魔法武器のようにエンチャントする<戦気梱封>。

 さらに代償と共に一瞬だけ武技の同時発動の限界を引き上げる<限界突破>。

 それにより複数の攻撃武技を同時に叩き込むクレマンティーヌ。

 だがまだ終わらない。

 

「<剛撃>! <剛腕剛撃>! <神技閃穿>んんん!」

 

 武技のダメージを上げる武技を発動し、己の最強技を繰り出す。

 本来は腰を低く構え、十分なタメを要し、なおかつ全身全霊を持って放つ究極の突進技。自分の得意なスタイルを昇華し、さらに凶悪にした一撃だ。しかし身体能力が本来の数倍にまで跳ね上がっている今のクレマンティーヌならば一瞬のタメで発動には十分だった。

 

 一瞬の星の煌めきのように、閃光が走ったようにズーラーノーンには見えた。

 何が起きたか分からず、体を襲う激痛と共に僅かな浮遊感に支配される。アンデッドの身である為、痛みそのものはすぐに抑えられるが困惑は別だ。いくら感情が抑えられるとは言っても疑問は解決しない。

 何が起きたのかも分からぬまま、ズーラーノーンはその場に崩れ落ちた。

 

 

 

 

「あがぁぁ…! うぅぅぅううううう……」

 

 胸に大きな穴が穿たれ、上半身と下半身は別れを告げた。

 今のズーラーノーンにあるのは半分程の頭部と肩、そして右腕のみだった。魔力は尽き、自立する事も出来ぬまま、その場に倒れている。

 今ならば一般人にすら抗えぬ状況だ。にも拘らずクレマンティーヌにトドメを刺される事も無く生き永らえている。

 それはなぜか。

 クレマンティーヌはズーラーノーンの目の前で倒れているからだ。

 

 あり得ぬほどの武技の重ね掛け、さらには全力の<神技閃穿>により限界を超えていたクレマンティーヌの肉体は決壊し、技の発動と共に力尽きた。

 糸が切れた人形のように倒れ、もはや呼吸音すら聞こえない。

 

 試合という定義ならばクレマンティーヌの勝ちだろう。

 しかし勝負という意味ならばズーラーノーンの勝ちと言えるかもしれない。

 結果としてクレマンティーヌはズーラーノーンにトドメを刺すまでは至らなかったのだから。

 

「ククク…! ハッハッハハ! まさか…! まさかこんな所で終わる事になろうとは…!」

 

 自嘲に満ちたズーラーノーンの笑いが響く。

 もはやズーラーノーンには立ち上がる力さえ無い。その魔力が回復する時間も無く、この天空城は崩れ落ちるだろう。

 

「これも運命か…。まぁいい…。この体で良くやった…、よく届いたものだ…。そう思うだろう…皆」

 

 誰かに語り掛けるようにズーラーノーンが口を開く。

 だが周囲には誰もいない。

 

「最後まで見れないのは心残りだ…。この天空城の最後を目にしてから皆の元へ逝きたかったんだがなぁ…」

 

 クレマンティーヌという取るに足らない弱者に最後の最後でズーラーノーンは足を掬われた。

 それは非常に悔しく、口惜しいが今となってはもうしょうがない。

 諦念と共にズーラーノーンは現実を受け入れる。

 

 何より、当初の目的は完遂しているのだ。

 ズーラーノーンの勝利は揺るぎなく、後悔などどこにも無い。

 ただ欲を言えば、天空城の終わりをその目で直接見たかった。ただそれだけだ。

 

 ギルド武器が破壊され崩壊の始まった天空城。

 それはどんどんと広がっていき、やがて城の外壁の一部が大きく崩れ始める。だが全てが崩壊し天空城が大地に落ちるまでまだ時間がかかるだろう。

 その頃にはズーラーノーンはとっくに死んでいる。

 だがもういいのだ。

 天空城の崩壊、その事実こそがズーラーノーンにとって最も大切な事だからだ。

 

「はははは! 崩れる! 全てが! 憎き八欲王共の夢の跡! 奴等の痕跡などこの世界のどこにも残さない! 見てるか、皆…! お前達が残したNPCを…! 何よりも掛け替えのない存在を汚した者共の…! 俺達の全てを冒涜した奴等の残したものの成れの果て…! それが終わりを告げるぞ!」

 

 城から崩れ落ちる瓦礫がズーラーノーンに降り注ぐ。

 近くにいたクレマンティーヌも巻き込まれ、圧し潰されていく。

 

 だがこの状況において、その身に落ちてくる瓦礫から逃げようともせず全てを享受するズーラーノーン。

 それは諦めているからなのか、いや、嬉しいからだろう。

 

 ズーラーノーンを名乗り、組織を立ち上げたのも今日この日の為だ。

 それだけが彼の望むものだった。

 その為なら全てを犠牲にしても構わない。

 愛も友情も何もいらない。

 己の命にも、世界にすら何の興味も無い。

 

 復讐。

 

 ありきたりだがそれだけが彼の全てだった。

 それが今、成就した。

 やがて天空城は墜ち、この世界から姿を消す。

 もう思い残すことなどない。

 八欲王に殺され、儀式によって復活してからもずっと姿を隠し逃げ続けた負け犬。

 そんな彼が、最後の最後で願いを叶えた。

 

 かつて神官ズーラーノーンが『神降ろし』の儀を用いてその身に降ろした神。

 その神は間違いなく彼が望んだ存在であった。

 人類を救いし六柱の神が一人。

 だが、その神はすでに壊れていた。

 八欲王に殺され、仲間達と築いたギルドも崩壊したその時に。

 今ここにいるのは人類を救い導いた偉大なる神ではない。

 ただの復讐鬼、怨念の塊。

 

 崩れ落ちる瓦礫に飲み込まれ、アンデッドとして偽りの生が失われ、その存在がこの世界から消え去るまで――

 

 

 スルシャーナは笑い続けた。

 

 

 

 

 

 御伽噺に謳われる十三英雄。

 

 彼等は二百年ほど前、魔神によって滅ぼされかけた世界を救った英雄として語り継がれている。

 特にそのリーダーについては諸説あり、様々な憶測が流れるも推測の域は出ず、その真実を知っているのは仲間である十三英雄の中でもごく一握りの者だけであった。

 

 そのリーダーが歴史に登場したのはいつからだっただろうか。

 仲間である十三英雄の者達の話でさえ、異世界から現れたとも田舎から出てきた勇者見習いだとも語られその素性は一環していない。

 

 その真実を知るのはツアーやリグリットを含む、ごく一部の者だけだ。

 彼等でさえその真実を知った時には驚きを隠せなかった。

 真実を知った仲間達はリーダーを非難し糾弾した。中には裏切られたと叫び、リーダーを殺そうとする者まで現れた。しかし結局はリーダーがいなければ魔神の討伐は不可能だったという結論に至り、暴挙に出る者はいなかったが。

 流石にこれが広まるとまずいと判断したのか、その話はその時に真実を知った者のみで秘匿される事となった。これは今でも極秘情報とされ、知る者達も一切口には出していない。

 

 はっきり言うならば、リーダーは英雄等では無かったのだ。

 むしろ彼こそが魔神誕生の原因と言ってもいい。

 

 そもそもなぜ魔神は生まれたのか。

 彼等はどこから来て、何を目的としていたのか。

 

 彼等はかつて六大神と言われる神々に付き従う従属神だった。

 六大神とはかつて人類を救ったとされる神々である。この世界を支配していた竜王達とも争いにならずツアーとは取引を行った事さえあった。

 その六大神の一人に死の神と呼ばれる者がいた。

 彼だけは寿命が無く、他の五人がこの世を去った後もこの世界にあり続けた。

 

 そして六大神がこの世に現れてから百年後、八欲王と呼ばれる者達がこの世界に現れる。

 彼等は世界を支配していた竜王達と抗争し勝利すると、その絶大なる力でこの世の全てを支配したと伝えられている者達である。

 それは六大神も例外ではなかった。

 ただ一人残った死の神は八欲王と争いになり、殺された。

 その時に拠点も破壊され、地の底に沈められたのだ。ただこの時、死の神の所持していたアイテムや装備は奪われたものの、仲間の残した武具やアイテムだけは人類の生き残りに分け与えて逃がした為、八欲王に奪われる事はなかった。

 

 その後時が経ち、八欲王達は欲深く互いの物すら奪い合って滅んだとされている。

 

 概要としては正しい。

 死の神は八欲王に殺され、その拠点すらも破壊されたのだ。

 この時に六大神に仕えていた従属神達は魔神となった。

 しかしなぜ彼等はその後三百年程も姿を現さなかったのか、いや正確には現わせなかったというべきだろう。

 八欲王の力によって拠点ごと地の深くに沈められた従属神たち。

 魔神となった後もずっと地の底に居続けた。

 自我を失った彼等は大地を掘り進めてまで地上に出る事はなかった。自我を失い本能のままに生きるようになったからこそ、ある一定距離まで近づかれなければ反応しなかったのだ。

 

 だがある時、六大神の伝説も薄れ、その場所に国を作ろうとした者達がいた。

 それがきっかけだった。

 その地に何万もの人々が集まり、地を掘り、建物を建てた。

 そうして、魔神は目覚めたのだ。

 

 魔神の猛威が世界中に広まり、世界を滅ぼしかけた時だった。

 これも偶然に過ぎないが、都市や村が吹き飛び、国が滅んだ時、そのどさくさであらゆる武器やアイテムが流出した。大した事の無い物から、かつて神と呼ばれた者達が所持していたものまで。

 そのアイテムの一つがただの村人の手に渡った時があった。

 使い方も知らぬまま、己の身に危険が降りかかったその時に村人はアイテムを使用してしまった。

 それはユグドラシル産の蘇生アイテム。

 

 生き返ったのはロストするまで殺し合った筈の八欲王の一人。

 正確に言うならば、一人だけロストするギリギリ手前で死んでいたと言うべきだろう。

 そんな彼がこの世に再び生を受けたのは偶然だ。嘘のような確率で偶然が重なった末の産物。

 

 訳も分からず蘇生された彼は世界の惨状を知った。

 後にそれが自分達が殺した六大神のNPCだと知る事になる。

 

 八欲王は仲間と殺し合う時、自分達の大事なNPCを失わぬようにと閉じ込めた。

 正確にはNPCがいても争いは大きくなるばかりで意味はないと判断したのだが。 

 

 なぜ自分達はああも争ったのだろうと彼は考えた。

 皆、苦楽を共にした大事な仲間だった筈なのに。

 

 この世界に転移し、強さに溺れた。

 手に入らぬモノなどなく、この世界を支配する竜王達を倒した後は望むがままだった。

 現実では辛く苦しい想いばかりだった。

 現実から目を背け、最後までゲームに逃げていた彼等はこの世界で全てを手に入れたのだ。

 

 だからこそ歯止めが利かなかった。

 何かを手に入れると別の物が欲しくなる。もっと欲しくなる。もっと、もっと。

 欲望に際限は無く、己の身が滅ぶまでそれは肥大したのだ。

 

 この世に再び蘇った彼はもう以前の力は無く、無力なただの青年だった。

 だからだろう。

 あれだけこの身を焦がした欲望はもう無く、胸にあるのは後悔のみ。

 思い出されるのは大事な仲間達との楽しい記憶、そしてそんな仲間達と殺し合う忌まわしき記憶。

 

 悔やんでも悔やみきれない。

 最初は()()()()()()()()()()()()()()()()()からだった筈なのにどこで間違えたのか。

 

 彼はこの世界の惨状を真摯に受け止めた。

 彼とその仲間の手により、六大神は死に、そのNPC達が魔神となった。

 

 だからこれは贖罪なのだ。

 

 罪を償う為に、彼は魔神を討伐する事を決意したのだ。

 命を奪った死の神に許されるとは思わないがそれでも出来る限りの事をすると。

 もう一度、世界を救うのだと。

 

 だが彼はあまりにも弱く、無力だった。

 だからこそ仲間を集い、修行し、力を蓄えた。

 最後には己の拠点だった天空城にまで足を延ばし、大事なギルド武器の一つを持ち出した。

 本当は行きたくなかった。

 天空城はかつての栄光が残る場所であり、仲間達との思い出の場所だから。

 それに自分のNPCならともかく、仲間のNPCとは戦いになるかもしれない。下手をすると自分のNPCさえその忠誠心からどんな行動に出るか分からないのだ。故に彼はこの天空城に必要以上に関与する訳にはいかなかった。

 

 そうして魔神を倒し、全てが終わった後、彼は十三英雄の仲間達に真実を話した。

 

 自分こそが八欲王で、魔神は自分達こそが生んだのだと。

 

 誰もが彼を新時代の英雄だと思っていた。

 十三英雄のリーダーとして皆を率い、世界を救った大英雄。

 

 だが真実は、彼は世界を救ったのではなく、自分の不手際による後始末のために行動していたに過ぎないのだ。

 彼が存在しなければこの魔神騒動も起こらなかった。

 魔神によっていくつもの国が滅ぼされることも無かったし、十三英雄の仲間達も大事な人を失わずに済んだのだ。

 

 そうして彼は非難され、糾弾され、口汚く罵られた。

 

 いつしか彼は表舞台から、十三英雄の仲間達の前から姿を消し、誰の目にも付かぬところで自害した。

 

 十三英雄の仲間達から非難され糾弾されたからではない。

 最初から決めていたのだ。

 贖罪の為にと魔神達を滅ぼすまでは戦ったが、それが限界だった。

 かつての大事な仲間、八欲王。

 彼等と殺し合い、また彼等を失ったこの世界で彼が生きる意味は無かった。

 巨大な罪悪感に圧し潰されながら生きて行く事など不可能。

 蘇生されてから満足に眠れた事など無かった。

 ずっと苦しく、胸が張り裂けそうで、叫び出したいほどに狂いそうだった。

 そんな彼を辛うじて繋ぎ止めていたのはまさに贖罪の為だった。

 それが終わった今、彼はもう正気を保てない。

 大事な仲間を殺した事を悔やみながら、彼はこの世を去ったのだ。

 

 その後に冷静さを取り戻した十三英雄の仲間達が彼を蘇生しようと試みたが彼が蘇生に応える事は無かった。

 

 一度は世界を支配し、その全てを手に入れた八欲王。

 

 真実とその惨めな最後が歴史の表に出る事は無かった。

 

 

 

 

 スレイン法国。

 

 その最奥には一体のアンデッドがいる。

 国の極秘事項であり、極一部の者しか知らない存在だ。

 

 そのアンデッドは六大神の一人である死の神スルシャーナの従者だ。

 なぜこの従者だけが他の従属神のように堕落し、魔神とならなかったのか。

 それはこの従者がNPCではないからという一点に尽きる。

 

 元々スルシャーナは従属神たるNPCを持っていなかった。

 ならばここにいる従者は何者なのか。

 

 この従者の存在はスルシャーナすら忘れているだろう。

 まだ元の体であり、ズーラーノーンと名乗る前。八欲王に殺される前の正真正銘のスルシャーナの手により創造された召喚モンスターの一体だからだ。

 

 故にギルドの崩壊によるNPCの暴走に巻き込まれる事は無かった。

 しかし悲しいかな――

 召喚モンスターである彼は、ゲーム時代の基準から考えれば創造主が彼に愛着など持つ筈も無いのだ。

 なぜなら数多く存在する、あるいは何度でも替えの利くただの消耗品としての側面が強かったからだ。

 この世界において召喚された彼はNPCと同じく自我を持ちスルシャーナに絶対の忠誠を誓っていた。

 そんな中、彼はたまたま八欲王との闘いから生き延びた唯一のアンデッドだった。

 彼は今日までスルシャーナの最後の言葉を愚直に守り続けてきたのだ。

 彼が八欲王に殺される間際に放った「お前は仲間達の作ったこの国を守ってくれ」その言葉にただただ縋りながら。

 スルシャーナからしてみれば深い意味は無かった。

 とりあえず召喚したモンスターに自分が不在の間、一応拠点を守らせる程度の認識だった。

 だからこそすぐに彼の存在を忘れた。

 もし覚えていたならば、というよりまだ存在している事を知ったならズーラーノーンとなった後も彼を回収し計画の一部に練り込んだだろう。

 しかしそうはならなかった。

 スルシャーナの頭からは彼の事などすっぽり抜け落ち、しかし彼はただただその言葉のみを頼りに。

 

 だがそれも終わりの時がきた。

 

 天空城が崩壊し、その崩落に巻き込まれスルシャーナが滅んだ時、彼も運命を共にするのだ。

 すでに彼のその身体のほとんどは崩壊し、塵となり崩れ去っている。

 彼をかろうじてこの世に繋ぎとめておいた絆が消え去った事をこの体が証明しているのだ。

 召喚モンスターは創造主の死でも滅ぶのだから。

 

 元々、なぜスルシャーナは神降ろしの儀でこの世に降臨する事が出来たのか。

 それは彼がかつてこの世界の人々を蘇生した時に感じた魂という存在のコントロールにまで手が届いていたからだ。

 自分が死んだ際、その魂をこの世界に定着させロストしないようにする術式。

 それは酷く不完全で、やがてその魂も自然に消えてしまうものだっただろう。

 しかしスルシャーナは魂のコントロールたる深遠の一旦にまで触れたのだ。

 そこにズーラーノーンが現れた。

 そしてこれもまた未完成ではあったがスルシャーナの魂はズーラーノーンの儀式に反応したのだ。

 つまり、スルシャーナという存在はずっとこの世界にあり続けたのだ。

 その後ズーラーノーンという器にスルシャーナが身を宿してしまったが故に、魂は存在するものの、肉体的にリンクが繋がらない状態。つまりは互いに知覚する事が不可能という厄介な状態になってしまっていたのだ。

 もちろん事情を知らぬ彼はスルシャーナはどこか遠い地に行ってしまわれたのか、あるいはどこか遠い所で眠り続けているのではないかと予測していたのだが。

 以上が彼と創造主とのリンクが切れず辛うじてだが存在していた理由である。

 

 だがもうそれも消え去った。

 これも彼のあずかり知らぬ事だが今のスルシャーナには魂をこの世界に定着させる程の魔力が残っていなかったのだ。

 故にスルシャーナは完全に消滅し、死んだ。

 

 経緯は知らぬものの、主の死を悟った彼は酷く悲しく、またやるせなかった。

 本心では気付いていたのだ。

 主は自分の事などとっくに忘れていると。

 だからこそ無念の想いが胸を支配する。

 自分は主の役に立てなかった。

 その想いにこの何百年間もただ一人で耐えてきた。

 もしかしたらいつか主が帰って来てくれるのではないかと。

 しかし彼の願いは叶う事はなく、その全てがここで消え去る。

 

 だが無能な自分を恥じつつも、少しだけ、ほんの少しだけだが彼は救われたとも思っていた。

 やっと終わりがきたのだと。

 

「あぁ、我が偉大なる主、スルシャーナ様…。願わくば、もし来世があるならば…、どうか私もお側に…。今度、こそ…お役に…、永遠の、忠誠…を…」

 

 誰にも聞かれる事なく、彼の言葉は掻き消えた。

 体は全て塵となり、後には何も残らない。

 彼は救われる事は無かった。

 そしてそれを誰よりも自分が理解し、受け入れていた。

 だからこそ存在しない筈の願望に縋ったのだ。

 それは彼がこの世界で唯一、主以外の者から学習した事だったからだ。

 

 希望。

 

 それは人間という脆弱な種が困難にあらがう為の、また、絶望から目を背ける為の空想の産物。

 だが時としてそれは驚くほどに様相を変えて彼の瞳に映った。

 

 まるで強大な魔法のように。

 

 

 

 

「少し昔話をしましょうか」

 

 空中を移動しながら、召喚した鳥のようなモンスターの背に仰向けに寝ながら海上都市の彼女が口を開いた。

 

「な、なんじゃ急に!?」

 

 突然の事に横を<飛行(フライ)>で並走しているリグリッドが驚いた声を上げる。

 

「なんでそんなに驚くんですか。というか力を貸せって何度もうるさいじゃないですか…。ずっと協力しないって言ってるのに…。せめてこっちが話をすればその間だけでも静かになるかなぁと…」

 

 感情の籠もらぬ声で彼女が言う。

 リグリットの説得があまりにもうるさいので彼女なりに考えた案だった。

 

「なるほど、何か対策を授けてくれるという事じゃな?」

 

「話を聞いていましたか? 昔話って言ったんですよ。なんで対策になるんですか」

 

 やれやれと嘆息する彼女。

 

「まぁいいです、勝手に話しましょう。何がいいですかね…、やはり竜王達と八欲王の戦いでしょうか…。恐らく貴方がツアーに聞いても答えてくれないでしょうし…」

 

「む…、それは先程お主が言っていたツアーの隠し事と関係のある話かの?」

 

「隠し事…、というと少し意味合いが変わりますかね…。意図して説明していない、あるいは出来ないと言う方が正確ですかね。少なくとも悪意を持って貴方に嘘を吐いているというニュアンスではありませんよ」

 

「もしかして十三英雄の…、リーダーの事を言っているのか…? あ奴の正体の事なら儂も…」

 

「その事じゃありませんよ。いや、まあ八欲王の話になるので彼の話という点は合ってるんですがね。十三英雄を率いた彼の正体などわざわざ勿体ぶって話す程の事じゃないでしょう? 第一、その時から生きている貴方なら知っていると予測がつきますし」

 

 リグリットには彼女の表情が読めない。

 退屈なのか、動揺しているのか、楽しんでいるのか、何の表情も彼女の顔には浮かばないのだ。

 今だって嫌々話しているのか、それとも話したくて話しているのか何も分からない。

 

「しかし貴方はツアーからどこまで話を聞いているんでしょう? 評議国から動けない理由は知っていますか?」

 

「それは八欲王の、リーダーから貰い受けたギルド武器を守る為であろう? あんな縛りさえしていなければ奴はこの世界で最強の存在なのにの…」

 

 リグリットの言葉に彼女がふうと溜息を吐く。

 

「あぁ、やはりそこからですか。まあ当然でしょうか、始原の魔法(ワイルドマジック)について詳しく語る訳にもいかないでしょうし…」

 

「な、何を…。ギルド武器と始原の魔法(ワイルドマジック)に何の関係が…」

 

「関係ないですよ。関係ないからこそギルド武器を守る為というのは良い言い訳を考えたなと思います」

 

 困惑するリグリットに構わず彼女は続ける。

 

「そもそも始原の魔法(ワイルドマジック)とは何なのか。これのせいで竜帝…、ひいてはプレイヤーとの諍いが始まります。正確には八欲王との、と言うべきでしょうか」

 

 そうして彼女が説明を始める。

 それはリグリットの理解を超えるものであり、また受け入れがたい物でもあった。

 歴史がひっくり返り、また八欲王への認識が変わるものであったのだから。

 

 

 

 

 始原の魔法(ワイルドマジック)

 一言で言うならば生命力を使用して放たれる魔法である。

 生命力と言っても寿命という意味ではなく、体力、よりゲーム的に言うならばHPを消費すると言えば分かり易いかもしれない。

 それに対して位階魔法、これは魔力、つまりはMPを消費して行使されるものだ。

 

 魔力であれば尽きてしまえばもう使えない状態になるだけだが始原の魔法(ワイルドマジック)であれば違う。

 生命力を行使する以上、限界まで使用すれば死んでしまうのだから。

 故に竜王という並外れた生命力を持つ種族しか満足に使う事が出来ない魔法だった。

 

 彼等は我が強く、長い間お互いに争っていた。

 他種族ならともかく竜王同士の戦いでは限界まで始原の魔法(ワイルドマジック)を行使する事も珍しくなく、殺されるというよりも始原の魔法(ワイルドマジック)で自滅する者も多かった。

 

 その時、誰かが気付いたのだ。

 生命力が足りないのならば他から持ってくればいいのだと。

 

 これによって竜王による世界の支配が始まった。

 

 支配とは言っても統治している訳ではない。この世界を我が物顔で闊歩し、自由きままに他種族を蹂躙するという意味だ。

 始原の魔法(ワイルドマジック)を使用する為に他種族の命を奪う。

 戦いの動機のほとんどはくだらぬものだ。

 一体の竜王が他の竜王の口の利き方が気に入らんと言ってとある種族の命を奪い魔法を放つ。それを受け止め、あるいは相殺する為にまた別の所で何万もの命が奪われる。

 他種族の命を奪う事で竜王達は気軽に始原の魔法(ワイルドマジック)を使用できるようになった。暇だから、という理由すらも珍しくない程に。

 これにより世界中が竜王の影に怯える事になった。

 どれだけ隠れても、どれだけ逃げても竜王に見つかれば全てが終わる。

 くだらぬ理由一つで自分達の命が、いや自分達の種族が滅亡するのだから。

 

 中には絶滅しては困るからと子供を大量に作れと指示する竜王もいた。

 恐怖のまま言う通りに作られた子供達は矢か何かのように次々と簡単に消費されていく。

 これを見ていた親たちの気持ちはどういったものだったのだろうか。

 

 この世界は竜王以外の者達にとっては地獄だったのだ。

 何の脈絡も無く命を奪われ、弄ばれる。

 むしろ竜王に刈り取られる為に存在しているのではないかと思える程に悲惨な状況だった。

 

 やがてこの世界に六大神という者達が舞い降りる。

 彼等は分が悪いと判断し竜王達と事を構える事は無かったが、せめてこの世界で苦しんでいる人類だけでも救おうと動いた。

 竜王達も辺境の地の事などさほど気にしなかったし、不思議な魔法を使う六大神と正面から事を起こそうとも思わなかったのだ。何よりそんな事をしている間に他の竜王に後ろから刺されるかもしれないのだから。

 竜王同士の膠着状態もあり、敵意を向けなかった六大神は竜王達から相手にされなかった。

 

 だがその百年後に現れた八欲王は違った。

 

 竜王達の所業を見て、憤った。

 始原の魔法(ワイルドマジック)という魔法の存在を知り、嫌悪し、義憤に駆られた。

 他者の命を食い物にして行使される魔法の存在を許せなかったのだ。

 だからこそ彼等は世界級(ワールド)アイテムを用いてまでこの世界の法則を捻じ曲げたのだ。

 汚れた始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去り、位階魔法でこの世界を書き換えた。

 

 これにより当時の竜王達が始原の魔法(ワイルドマジック)を使えなくなるという事は無かったが、新たに生まれる者達は始原の魔法(ワイルドマジック)を使う事が出来なくなってしまったのだ。

 

 その事実が竜王達に知れ渡ると戦争になった。

 

 だがそれは八欲王の望む所だっただろう。

 己の気分一つで何万もの命を刈り取り、またそれに罪悪感の欠片も抱かない竜王達の存在は八欲王の常識では受け入れがたいものだった。

 

 いや、真実としては現実世界を思い出したからかもしれない。

 巨大複合企業が国家を支配し、富裕層と貧困層が明確に分かれ、富裕層の為だけにまるで働き蜂のように生きる貧困層の姿を。

 

 八欲王。

 彼等もまた貧困層の人間であり、その逃避の為にユグドラシルに逃げた者達だった。

 しかしここは現実世界ではない。

 今の彼等には力がある。

 ユグドラシルでも最強の名を欲しいままにしたワールドチャンピオン達。

 

 それはこの世界を支配する竜王達の軍勢に勝利してしまう程。

 

 だがやがて欲に溺れ、自滅してしまう事になるとはこの時は思いもしなかっただろう。

 良くも悪くも彼等は純粋過ぎたのだ。

 

 

 

 

「そ、そんな…」

 

 話を聞いたリグリットが驚きで口を覆う。

 

「た、確かに疑問に思ってはいた…。なぜ八欲王はこの世界を位階魔法で染めたのかと…。彼等がこの世界で元の魔法を使えなかったのではないかとも考えたが、それより前に現れた六大神は使えていたのだ…! であれば八欲王も不自由なく魔法を使えたと考えるのが道理…。さらに当時の竜王達が始原の魔法(ワイルドマジック)を使えなくなった訳でもない…。ならばわざわざ八欲王が世界の法則を書き換えた意味は何だったのか…!」

 

 正義感から始原の魔法(ワイルドマジック)の存在を消し去りたかったとすれば納得できる。いや、してしまう。リグリットとて今の話を聞いた上でもし八欲王と同じ立場ならば始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去ろうとしただろう。

 

「今の話を聞いてもう一つ気が付く事はないですか? なぜツアーは評議国から動けないのでしょうか?」

 

「そ、それはギルド武器を…」

 

 言いかけてリグリットは気付く。

 そうなのだ、ギルド武器を守るというのは言い訳だと目の前の少女が指摘している。

 そして続けて語られた始原の魔法(ワイルドマジック)の真実。

 導き出される答えは。

 

「本来、竜王達は国など作らず自由気ままに生きていたようですね。それを彼は評議国という国まで作って…。やはり竜帝の息子は一味違うという事ですね。そう思いませんか?」

 

 彼女の言葉を受け、それは確信に変わる。

 

「ま、まさか…! そういうことか…! 生命力のストック…! ひょ、評議国の国民は…、始原の魔法(ワイルドマジック)の贄か…! 来たるべき時に始原の魔法(ワイルドマジック)を行使できるように用意された命達だと……! そ、そういう事なのか…!」

 

 リグリットが驚愕の表情を浮かべる。

 それは嘘であって欲しいという想いと、それこそが真実なのだと確信した想いが混在している為だ。

 もはやリグリットは評議国が何の為に建国されたのかこれ以上疑う気は無い。

 きっとそれが真実なのだろうから。

 

「で、ではツアーは…、あやつは儂らを始原の魔法(ワイルドマジック)の為の贄としか考えていないという事か…? わ、儂らを…、利用していたというのか…?」

 

 リグリットの声が震える。

 長年友人と思っていた者への疑念が湧いてくる。

 もしかしてこの友情も全て自分達を利用する為だったのかと。

 

「そうではないと思いますよ」

 

 彼女から思わぬ否定が入った。

 流れからすればツアーも他者の命など意にも介していないと思えたからだ。

 

「竜帝も変わり者でしたが…、その息子である彼も相当な変わり者のようですね。竜達の中では異端であったと聞いています。他種族の命など何とも思っていない竜王達の中で彼等を含む極少数はその事を憂いていたようです。それに評議国は…、保険のようなものでしょう。本当に何もかもが手遅れになった時に使う為のものではないでしょうか。弾として使う為だけに国を作った訳ではないと思いますし。まあ国民が聞いたらいずれにしろ激怒すると思いますが」

 

 その言葉でリグリットの気持ちが軽くなった。

 それと同時にツアーに対して僅かでも疑ってしまった事を後ろめたく思う。

 現実問題として贄の為とはいえ、そこに悪意が無いのならまだ受け入れられる。

 

「竜帝もそんな世界を変えたかったんでしょう。だからこそ竜帝は…」

 

 初めて彼女が言い淀む。

 それは己にも関係がある事だからだろう。

 

「竜帝…、そやつが、ツアーの父は何をしたというのじゃ…?」

 

 しばらく沈黙していた彼女だが、意を決したように言葉を紡ぐ。

 

「他世界からのエネルギーの召喚…、言語化するならそれが最も近いでしょう。この世界で多くの命が消費される事を憂いた竜帝は他の世界からその代償となるものを召喚しようとした…。始原の魔法(ワイルドマジック)の為にこの世界の命を散らさぬよう考え抜いた末に辿り着いた結論」

 

 一呼吸おき彼女が続ける。

 

「結果から言えば悪くなかった。それは世界級(ワールド)アイテムという世界にも等しきエネルギーを持つ強大なアイテムを呼び寄せる事に成功したのですから。詳しくは分かりませんが…、ユグドラシルのサーバーにでも竜帝はアクセスできたのかもしれませんね…、彼の始原の魔法(ワイルドマジック)については不明ですが、そのような事が出来たのだと仮定すれば筋は通ります。どうやってゲーム内のデータを形にしたのかという疑問は残りますが…、重要なのはそこではありません。恐らくその弊害として、プレイヤーのアバターや魂も呼び寄せてしまった…。これは世界級(ワールド)アイテムを正規の手段以外では奪う事が不可能な事が関係しているかもしれません。恐らく所持者もろともでなければ世界級(ワールド)アイテムを呼び寄せる事が出来なかったのではないか…。いずれにしろ世界級(ワールド)アイテムと共にプレイヤーが呼び寄せられる事になったのは竜帝が原因で間違いないでしょう。とはいえ竜帝もこうなるとは想定していなかったでしょうが」

 

 リグリットには理解出来ない。

 彼女の言っている言葉の中には理解出来ない単語も含まれているのだから。

 

「ま、待て…。わ、儂には分からん…、分からんが…、ならばなぜ百年毎にその揺り返しが起きるのだ…!? 竜帝のせいでぷれいやーがこの世界に呼び寄せられるようになったのならば…! それは最初だけでその後にぷれいやーは訪れない筈じゃろう! な、なぜ百年毎にぷれいやーが訪れるのだ! もう竜帝は死んでおるのだぞ!」

 

 消えぬ疑念を彼女にぶつけるリグリット。

 返ってきたのは感情のこもっていない空虚な声。

 

「元の世界の言葉で言うならば…、一度でダウンロードできる容量では無かった…、という所でしょうか。それとも異世界から世界級(ワールド)アイテムが通るくらいの巨大な穴を開けた事による副作用でその後も勝手に…、という事もありえるかもしれませんが…、やはり転移してきたプレイヤー達が同じ時間軸から来ている事を考慮するなら前者の説が濃厚だと思います。その膨大なデータ量、例えばプレイヤーやその拠点を順番に形にして呼び寄せるのに百年単位の時間がかかるという事なのかもしれません」

 

 リグリットは震えている。

 この世界の真実を告げられ、またプレイヤーの由来を聞いて驚きを隠せないのだ。

 

「とは言ってもこれは仮説ですよ。竜帝本人では無いのでどうやって我々を呼び出したのか正確な事までは知りませんし、世界の法則だって知りません。異世界ならばなおさら。さらっと聞き流して下さい」

 

 軽い言葉で告げられるがそんな簡単に聞き流せる筈など無い。

 

「す、すまんが今の話をまとめると…、お主も世界級(ワールド)アイテム…、世界に匹敵するというアイテムを持っているという事か…? 八欲王が始原の魔法(ワイルドマジック)を消し去る時に使った時のような…」

 

「はい」

 

 即答だった。

 リグリットは恐怖する。

 世界を変える事の出来るアイテムの一つが目の前に存在しているというのだから。

 

「お、お主は…、お主の望みは何なのだ…? そ、そのアイテムで世界に何を為すつもりなのだ…?」

 

「大分混乱してますね…、何度も言っているでしょう? この世界になんて興味は無いんです。干渉するつもりもありませんし、協力だってしませんよ」

 

 結局話は堂々巡り。

 リグリットと彼女の会話はここから進んでいない。

 

「ですがもし…、仮定の話ですが…。もしこの願いが叶う時が来るのならば躊躇なくこのアイテムを使うでしょう。この身はもちろん、この世界がどうなろうと、一向に構いませんしね」

 

 暗い笑みを浮かべ彼女が言う。

 その声と表情にリグリットは心から震えあがる。

 彼女が何を望んでいるのかは分からない、分からないが。

 もしそれが叶うとするならば…、想像し得ない何かが起きるのではないか。そう思わせるだけの覚悟が彼女にはあった。

 

 そして、このまま何事も無く終わる筈など無い。

 後に彼女がその手に持つ世界級(ワールド)アイテムを使用する時は来てしまうのだから。

 

 世界級(ワールド)アイテムの中でも破格の性能を持つ『二十』が一つ。

 

 ユグドラシル時代で言えば運営に仕様の変更すら願えるアイテム。

 この世界においては世界の法則を書き換える事が出来るに相応しい逸品だ。 

 

 かつて八欲王がこの世界において使用した『二十』の一つである『五行相克』。

 それに対し彼女が持つこれは同じ『二十』の括りでありながらそれよりも広い範囲で世界の法則を書き換える事が出来る。

 

 願えばこの世界に存在し得ぬモノさえ手にできるかもしれない。

 

 死と再生の象徴たる蛇が元である『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』。

 

 

 それはまさに、彼女の願いを体現していた。

 

 

 

 




クレマン「脱落」
ズラノン「脱落」
竜王達「始原の魔法撃ち放題ー」
八欲王「こいつら許せんわ」

こんなに早く更新できて自分自身かなり驚いております、筆が進みました
ただ予定では次回の話まで含めて一話のつもりだったのですが今回だけはカットする場所が見当たらず、一話に収めきれないと判断し分ける事にしました
ナザリックの登場は次回までお待ちください

あと言い忘れてましたが、前々回から魔法の表記を変えてます
最初にルビ無しで書いてしまったのでそのまま強行してたのですが流石に見づらいと思いルビ付きに変更しました
過去の表記も変えたいのですが時間がかかりそうで…、すぐにとは…
完結後になってしまうかもしれませんがいつかは修正しようと思ってるので長い目で見てくれると嬉しいです
ですので浮遊都市編を境に魔法の表記が変わっている事で混乱している方がいたら申し訳ありません!どうかお許しを…


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災厄の日 - 前編 -

前回のあらすじ

ズーラーノーンもといスルシャーナ死す!
そして明かされた世界の真実と暗躍する海上都市の彼女!


 竜王国、首都。

 

 

 王城の玉座の間でドラウディロンが配下からの報告を受けていた。

 ビーストマンの大侵攻により滅ぶと思われていた都市は健在、それどころかビーストマンの軍勢が全滅するという不可解なもの。

 女王であるドラウディロンはもちろん、横にいる宰相にも何が起きたか分からなかった。

 ただ少なくとも、ビーストマンの軍勢を滅ぼした何者かの存在の可能性が浮上し混乱は大きくなっていく。

 その時、玉座の間の扉が勢いよく開け放たれ一人の兵士が飛び込んで来た。

 

「へ、陛下大変でございますっ!」

 

「何事か」

 

「と、突如城の頭上に、な、なんと申し上げたらよいか…、暗闇…、そう暗闇のような何かが出現し…」

 

 だが兵士が言い終える前に城が揺れた。正確には揺れてなどいないのだが城全体が、むしろ大気が揺れたかのように錯覚する程に強い衝撃をここにいる者全てが感じたのだ。

 多くの者が動揺する中、危機を感じたのはドラウディロン女王ただ一人。

 それは竜の血がそうさせたのか、恐らく彼女ただ一人だけがこの状況の理解に最も近い場所にいた。

 すぐに玉座から飛び降り、近くの窓へと駆けるドラウディロン。

 空を見ると兵士からの報告にあった漆黒の闇のようなものが確かに浮いていた。

 ただ一つ、報告と違ったのはそこから何者かが這い出てきた事だけだ。

 

「――っ!」

 

 ドラウディロンは息を呑み、そして一瞬で全てを悟る。

 一目見ただけで理解できたのだ。

 あれ狂う程の殺意、そしてこれから起こる惨劇に。

 彼女の血が、祖父から受け継がれた竜の血が騒いでいるように思えた。

 あれはこの世界に仇名す者だ――と。

 

「み、皆すぐに逃げよ! はや――」

 

 しかし眩い程の閃光、衝撃と共にドウラウディロンの言葉はかき消された。

 今度は錯覚などではなく、実際に大気が揺れた。

 王城の頭上に突如現れた暗闇から這い出た何者かが魔法を放ったのだ。

 それは王城の一角を容易く吹き飛ばした。

 人知を超える魔力、体が悲鳴を上げそうな程の威圧感、そして、竜王達に匹敵するかのような強大さ。

 そう、暗闇から這い出たこの者こそ八欲王の作りしNPCたる都市守護者。

 

 さらに続けて数百をも超える数え切れぬほど有象無象が暗闇から零れだした。玉石混交とも言うべきか、弱き者から強き者まで様々。強者の中には最初に現れた数体には及ばぬものの、中には一体だけで国を滅ぼす事が可能な者までいる。

 ユグドラシル基準では雑魚と呼んでも差し支えない者達ではあるがこの世界においては違う。

 これらの有象無象は都市守護者達と共に天空城の一室に隔離されていた者達である。かつて八欲王が金貨を消費し召喚した数多の傭兵モンスター。本来は拠点を守護する為に召喚された者達ではあるがもはやその使命すら消え失せている。

 今や都市守護者に付き従い、彼等と共に世界を蹂躙する事こそ存在理由。

 個としても圧倒的な強さを誇る者達が、数の暴力でもって国を襲うのだ。

 元々ビーストマン程度の脅威に怯えていた竜王国に抗える筈などない。

 

 だがこれは竜王国だけの話ではない。

 都市守護者達は多くの生命に反応し、転移魔法により世界中へと散った。国家と名のつくような場所であればそのほとんどがターゲットといえる。あらゆる都市を蹂躙し国を滅ぼせば次は辺境の村にも手を広げるだろう。そうして周囲のあらゆる者達を滅ぼせば次は大陸の遠くまでも手を伸ばす。

 世界中のどこにも逃げ場などない。

 

 それはかつて世界を恐怖に陥れた魔神の再来とも言えよう。

 もし唯一違う点を上げるとするならば、規模が比較にならない事だ。

 魔神達はこの世界の者でもかろうじて討伐可能な者も多くいた。

 しかし彼等は違う。

 100レベルを誇るNPCが30体。

 さらには数千、いや万をも超えるユグドラシルのモンスター達。

 

 もはや世界の危機と呼ぶ事すら烏滸がましい。

 絶望という言葉すら足りない程の窮地である。

 

 

 

 

 元リ・エスティーゼ王国にして、現帝国の支配地であるリ・エスティーゼ領。

 

 同時刻、このリ・エスティーゼ領の中心である元王城、その頭上に竜王国と同じように大きな暗闇が出現した。それは<転移門(ゲート)>、ユグドラシルにおける最上位の転移魔法である。これを使用できる者がいるという一点のみでこの領の滅亡は約束されたと言ってもいい。

 <転移門(ゲート)>から姿を現したのは見るもおぞましい二体の悪魔。

 彼等の合図と共に<転移門(ゲート)>から数え切れぬ程の無数の悪魔達が這い出る。それだけでは飽き足らないのか、二体の悪魔が<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>をそれぞれ発動する。

 発動と共に悪魔の周囲にボコボコと黒い泡のようなものが発生し低レベルの悪魔達が姿を現す。

 

 <最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>は使い勝手の悪い魔法である。

 大量の悪魔を召喚できるが個々があまり強くない。とはいってもそれがユグドラシル基準の話だ。レベル10程度からレベル70程までの悪魔を順次召喚していくこの魔法はこの世界においてそれだけで凶悪だ。

 だがこの魔法の最も扱いにくい点は召喚された悪魔達が操作や命令を受け付けない事だろう。故に味方として悪魔達を召喚できないのだ。

 しかしこの場においてそのデメリットは意味を成さない。

 召喚主である悪魔を含め、その配下も全てが悪魔である。味方ではなくとも同種である悪魔への攻撃優先順位は低い。その為、この場においては同士討ちにはまずならない。少なくともこの地の人間達を滅ぼすまでは。

 

 そうして一瞬にして無数の悪魔達が都市全域を覆った。

 

 彼等は思い思いに行動する。無作為に魔法を発つ者、スキルを建物目掛け発動する者、強者を狙う者、弱者を狙う者、果てには傍観する者まで。

 そんな彼等ではあるがただ一つ共通している事がある。

 

 その誰もが人間の苦痛に歪む顔を見たくてしょうがないという事だ。

 

「ラナー様!」

 

 とある建物の一室、鎧を来た青年が大きな声で名を叫びながら入室する。

 

「どうしたのクライム。もう私は王族ではないのですよ、様付けなど…」

 

「わ、私にとってラナー様はラナー様です! 王女であったから貴方に仕えていた訳ではありません! 私は王女ではなく、ラナー様! 貴方個人に忠誠を誓ったのです! それは今でも変わっていません!」

 

「まぁ…」

 

 かつてリ・エスティーゼ王国の王女であったラナー。王国が帝国に併合された後、国民からの支持が厚かった彼女は皇帝であるジルクニフから直々に爵位を与えられた。排斥された王族に爵位を与えるなど前代未聞であったが帝国がこの地の支配を盤石なものとする為の判断だった。

 実際これはかなりの英断であり、王国民の帝国への不信感も消え絶大な支持を受けるに至った。結果として王国併合の初動としてはかなり上手くいったと言えるだろう。

 疑問があるとするならそれが本当にジルクニフの判断によるものか、それとも黄金によって誘導されそうせざるを得なくなったかだが真実は分からない。

 一つハッキリしているのはこの統治は王国、帝国の両者共に良い結果であったという事だ。

 この瞬間までは。

 

「あっ! そ、そんな事を言っている場合ではないのです! すぐに逃げて下さい! 都市中に突如として悪魔が出現したのです! ここもいつ襲われるか…!」

 

 クライムの必死な形相を見てラナーは目を通していた書類をそのままに席を立ちカーテンを開け窓を見た。

 その瞬間だった。

 

「っ!?」

 

 轟音と共に王城が爆発した。

 王城の一部が吹き飛び、黒煙が立ち上る。

 さらに空には無数の黒い影、鳥か何かかと目を凝らすがすぐにその正体に行き着く。

 黒い羽に黒い体、角や牙を生やしたそれらは個体によって様々だがいずれも醜悪な見た目をしている。詳しくは知らなくともそれが悪魔であると一目で理解できた。

 

「も、もうここまで…! くっ、ラナー様失礼しますっ!」

 

「きゃっ」

 

 クライムはラナーの手を引っ張り抱き寄せるとお姫様抱っこのように持ち上げた。

 

「ク、クライム…?」

 

「喋らないで下さい! 舌を噛みます!」

 

 そうして有無を言わさず無理やりラナーを連れ出し走るクライム。

 本来ならば逃げ惑う民達を誘導したりしなければいけない立場なのだが彼は本能で理解していたのだ。

 もうこれは彼の力でどうこう出来る次元の話ではないと。

 だからこそ他のあらゆるものを犠牲にしてでもラナーだけを守ろうと動いたのだ。

 ただ、彼のそんな努力が実を結ぶ事は決してないだろうが。

 

 

 

 

 突如出現した悪魔達と冒険者達が都市の至る所で戦っていた。

 それは蒼の薔薇とて例外ではない。

 

「くそっ! なんなんだこりゃあ! こんなのキリねーぜ! どうすんだリーダー!」

 

 ガガーランが目の前の悪魔を潰しながらラキュースに問いかける。

 

「で、でも私達が下がれば逃げ遅れた人達が…!」

 

 しかしすでにそんな事を言っていられる状況ではなかった。

 悪魔の数はどんどん増え続け、今やその数は見える範囲だけでも数え切れない程に溢れている。実際に蒼の薔薇の目の前でも何人かの人々が悪魔に喰われ殺されていた。

 

「だ、誰か助けっ、ぎゃあぁぁぁ!」

 

「や、やめて死にたくなぁぁぁ!」

 

 その身を裂かれ、臓腑を撒き散らし、悲鳴を上げ次々と絶命していく人々。

 だがそれを止める事など出来ない。

 蒼の薔薇達自身も数多の悪魔に囲まれ動けずにいたのだ。

 圧倒的に手が足りない。数も力も何もかもが足りないのだ。故に目の前で助けを求める人々さえも救えず、悔しさに歯噛みするしかない。

 

「リーダー! もう無理…!」

 

「下がるしかない…!

 

 ティアとティナがラキュースへと発言する。

 しかしラキュース自身がそれを認めたくないのかその場から動かない。

 

「判断しろリーダー! イビルアイ抜きの俺らじゃこれ以上耐えきれねぇ! 悪魔の数もそうだが…、どんどん強い奴が出て来てる…! このままいきゃあ俺らだって無事に済まねぇぞ!」

 

 襲いかかる悪魔を捌きながらガガーランが叫ぶ。

 

「でも! だからって! 目の前で助けを求めてる人達があんなにいるのに…!」

 

 泣きそうな顔でラキュースが声を上げる。

 今この瞬間も悪魔達の手によって多くの人々が殺されている。それを止める事もできない己の無力さに心から悔しいとラキュースは思う。あまつさえ彼等を見捨ててここから逃げるなど考える事すら苦痛だった。

 

「駄目、リーダー…!」

 

「このままじゃ全滅する…!」

 

 増える悪魔達を捌き切れずにティアとティナが弱音を吐く。いや弱音などではなく現実を理解しているからこその言葉だろう。

 

「……っ! 分かった! この場から撤退する! 前線を下げるように周囲の冒険者達にも…!」

 

 そうして一緒に戦っていた他の冒険者達へと目を向けるラキュースだが。

 

「あっ…」

 

 彼女達の周りにはもう生き残っている冒険者達はいなかった。何チームもいた筈なのにこの場で生き残っているのは彼女達だけである。

 

「そ、そんな…、嘘でしょ…」

 

 唖然とするラキュース。

 多くの仲間達を失った絶望感と、目の前に広がる悪魔の軍勢。

 そして気づく。

 自分の判断が遅れたおかげですでに蒼の薔薇は完全に悪魔達に包囲されていた。逃げ場などない。そう確信し、仲間達に申し訳ない気持ちが湧いてくる。

 

「皆…、ごめん、私のせいで…」

 

 謝罪の言葉を口にしようとするラキュースにガガーランがゲンコツを喰らわせる。

 

「ウジウジすんな! 誰もリーダーの事を責めようなんて思ってねぇよ! そんな事してる暇あったらここで一匹でも多くの悪魔を殺してやるってんだ!」

 

 男気溢れる発言をしたガガーランが悪魔達に斬り込もうとした瞬間――

 

「<六光連斬>!」

 

 複数の悪魔の体が一瞬で何度も切り裂かれ、血を吹いて倒れる。

 その向こうに一人の男の姿があった。

 

「ガゼフのおっさん!」

 

「生きていたか! こっちだ! ついてこい!」

 

 蒼の薔薇を誘導しようと手を向けるガゼフだがその後ろに新たな悪魔が接近していた。

 

「おっさん危ねぇ!」

 

 そうガガーランが叫ぶと同時に素早い影のような何者かが距離を詰める。

 

「<神閃>!」

 

 知覚できぬ程の速い剣閃。蒼の薔薇には一瞬何かが煌めいたようにしか見えなかった。

 次に刃物を鞘に納める金属音のようなものが聞こえる。

 音が聞こえた後、一呼吸おいて悪魔の上半身と下半身がズレた。

 芸術的なほど見事に両断された悪魔の体が倒れ、地面に伏した後に思い出したかのように血を流す。

 

「油断しすぎだストロノーフ、蒼の薔薇を見つけたからって気を抜くんじゃない」

 

「す、すまないアングラウス。助かった」

 

 ガゼフは横に立つ青髪の男に礼を言う。

 

「アングラウス!? アングラウスってあの!?」

 

「そこでたまたま出会ったんだ、と、今はそんな事を言っている場合じゃない。逃げるぞ!」 

 

 余計な問答など無く、ガゼフの誘導する通りに蒼の薔薇は後を追う。

 道中にはガゼフとアングラウスが斬り殺したであろう悪魔達の死体がいくつも転がっていた。

 

 元王国最強であったガゼフ・ストロノーフ。かつてそのガゼフと互角の戦いを繰り広げたブレイン・アングラウス。さらには冒険者として最上であるアダマンタイト級の蒼の薔薇。

 人類で最高位である彼等が揃っても逃げる事しか出来ないこの惨状。

 このままいけばリ・エスティーゼ領は二度滅ぶ事になるだろう。

 この悪魔達に抗える者など誰もいないのだから。

 

 

 

 

 レエブン侯は頭を抱えていた。

 判断が遅れ己の屋敷から逃げ出せずにいたからだ。

 

「旦那、外は悪魔だらけ…。奥さんや子供を連れて逃げるのは…、不可能だ…」

 

 ロックマイアーがレエブン侯を諭そうとする。もうこの屋敷にいる者達は誰も生きて逃げられない。どれだけ足掻いてももはや無駄なのだと。

 

「だ、駄目だ駄目だ! 絶対に駄目だ! リーたん…、リーたんだけでもなんとか逃がす方法は無いのか…! 私の事など見捨ててもいい…、リーたんだけでも…!」

 

 愛しい我が子を抱きしめながらレエブン侯が声を張り上げる。

 だがもはやそれが無理な事はレエブン侯とて理解していた。ただこの現実を受け入れたくないのだ。

 

「い、痛いよパパ…」

 

「ご、ごめんねリーたん…! 力が入り過ぎちゃったんだ…! ごめんね、うぅぅぅうっ、こんなパパを許してくれ…」

 

 力強く抱きしめていた手を緩めながらレエブン侯が言う。しかし後半は涙声になってまともに発声できずにいた。自分が悪魔達にもっと早くに気付けていれば逃げられたのではないかと思うと悔やんでも悔やみきれないのだ。

 しかしこれも致し方ない事だろう。

 レエブン侯の屋敷は元王城からそう遠くない。悪魔が出現してから逃げ出せる時間など無かったのだ。

 

「ねぇ、パパ…。僕たち…死んじゃうの…?」

 

 息子の言葉がレエブン侯の中に響く。

 

 いやだ――

 何よりも可愛い我が子の命がもうじき失われるのだ。

 ここに残った事が間違いだったのか。

 王国が滅んだ後、どこか遠くへ、貴族としての地位など捨て遠くへ行けば良かったのかもしれない。

 それか王都が滅んだあの夜、怪我を負い死にそうな息子を助けてくれたあの仮面の男。

 あの男から貰ったポーションをいくらか手元に残しておけばここから強行して逃げる事も可能だったかもしれない。

 しかしそれは出来なかった。

 神の血を示す真なるポーション。

 それをもたらしてくれたあの仮面の男をレエブン侯は神か何かだと信じている。

 だからこそ仮面の男の言葉通りに他の者達を救う為にこの破格のポーションを使う事を厭わなかった。

 勿体ないと思わないと言えば嘘になる。

 しかし奇跡のように自分の息子は確かに救われたのだ。

 だからこそ私欲の為に彼を裏切ろうなどとは欠片も思わなかった。

 だが今になって思う。

 もしあのポーションが手元にあれば結果は変わったのだろうか。

 この部屋に残っているのは空になったあのポーションの瓶だけだ。

 空瓶になど何の価値も無い。

 装飾の美しさは目を見張るものがあるがそんなものは今は関係ない。

 もう一度都合よくあの仮面の男が助けてくれると願うのは求めすぎだろうか。

 レエブン侯はこの絶望的な状況でかつてあった奇跡に縋るしかなかった。

 それが傲慢で、身勝手だとしても。

 

 だがレエブン侯の願いは届かない。

 やがて屋敷の扉が壊され悪魔達が侵入してきた。

 直後に、目の前で使用人の何人かがその身を引き裂かれ絶命した。

 もうじき悪魔の手は自分や息子にも及ぶだろう。

 レエブン侯は祈る。

 もう一度、もう一度だけ助けて下さいと心から願う。

 真なるポーションをもたらした謎の仮面の男。

 神にも等しきあの存在ならば、と。

 

 しかし決してその願いは叶わない。

 レエブン侯が祈った仮面の男。

 それは遥か遠くの地、エリュエンティウで命を落としているのだから。

 

 

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

 

「な、なんだこれは…! わ、我が領地が…、我が都市が…! 我が民が…!」

 

 皇城から都市を見下ろすジルクニフは愕然としていた。

 部下からの報告で城の上空に謎の暗闇が出現し無数の魔物が現れたと報告を受けたのだ。

 それはほんの少し前の話。

 にもかかわらず。

 城から見下ろす都市の一部がすでに焼け野原となっている。

 暗闇から這い出た最初の魔物。

 強大な力を有し巨躯を誇るそれは姿を現すなり口からブレスを吐き出した。

 それにより一瞬で都市は半壊。

 多くの人々が叫び声を上げる間もなく消し炭となったのだ。

 

「へ、陛下! すぐに逃げるんです! ここじゃいい的だ! この城を攻撃されたら一巻の終わりです!」

 

 帝国四騎士の一人であるバジウッドが茫然としているジルクニフを無理やり引っ張り出す。

 

「し、しっかりして下さい陛下! こういう時こそ冷静でいないと! それが貴方でしょう!」

 

 ニンブルがジルクニフを諭すように苦言を呈する。

 その言葉で我に返ったのかすぐにジルクニフは指示を出す。

 

「う、うむ。よし、全軍団に通知を出せ! 全軍は即座に帝都から撤退! 生き残った民を誘導しながらだ! じい、いるか!」

 

「ここに」

 

 フールーダがニンブルの後ろから姿を現す。

 

「魔法省の者すべてを動員し道を作れ! ここからなら北側を目指した方がいいだろう。民や軍、あらゆる人間が同時に逃げるのだ。道を広げねばならん。邪魔な建物や壁は全て壊して構わん! どんな手段をとってもいいから道を作れ! そうしなければ人が詰まって終わりだ!」

 

「かしこまりました、すぐに」

 

 そう言うとフールーダは窓から外へと飛び出すと<飛行(フライ)>で飛んで行く。

 

皇室地護兵団(ロイヤル・アース・ガード)は四騎士と共に私に付き従え! 皇室空護兵団(ロイヤル・エア・ガード)は城から逃げる者達を誘導せよ! その際にロクシーは必ず連れ出せ! あいつを失うわけにはいかん! ナザミは白銀近衛を連れ先行してくれ! 城から逃げる者達の道線を作らねばならん!」

 

 ナザミと指示を受けた部下がすぐに走って外へと出ていく。

 

「へ、陛下…、お言葉ですが全軍で撤退するのですか…? その際の天幕や食料の準備などもありません…! それに市民が逃げる道を作らせる為とはいえ北側の建物の破壊を命ずるとは…。後で貴族達になんと言われるか…!」

 

 秘書官であるロウネがジルクニフへと疑問をぶつける。しかしジルクニフは窓の外を指差しながら叫ぶ。

 

「馬鹿かロウネ! あれを見ろ! あれを誰がどうできると言うのだ! 我が軍団なら倒せるとでも!? 都市の一部を一瞬で焼け野原にするような者相手に! 帝国の滅亡がかかっているのだ! 今は後の事など考えている場合ではない! すぐにでもこの帝都から逃げねば殺されるだけだ! すぐに馬車の準備をさせろ! 急げ!」

 

 ジルクニフの命令を受けロウネがすっ飛んでいく。

 ここで一息ついたジルクニフが横にいるレイナースへと視線を向ける。

 

「レイナース、逃げたければ勝手に逃げていいぞ。好きにしろ。命の危機があれば無理に従わなくてもいいという約束だったしな。それに呪いが解けた今、帝国に固執する理由もないだろう?」

 

 かつて長い金色の布が顔の右半分を覆っていたレイナースだが今は違う。

 すでに覆っていた布は無く、顔の全てが露出しその端正な顔立ちがハッキリと見て取れる。

 

「お断りします、最後まで陛下に付き従いますわ」

 

「ほう、驚きだな。お前がそんなに義理堅かったとは知らなかった。実際呪いが解けた後は軍を辞めようとも考えていたのだろう?」

 

「それは否定しませんわ。しかしこの状況において自分一人で逃げる方が生き残る確率は低いとみています。大人しく陛下の元にいた方が万が一にも生き残れるかと。せっかく取り戻したこの美貌、無駄にしたくありませんので少しでも確率が高い方に賭けます」

 

「そうか、お前らしいな」

 

 苦笑しながらジルクニフは歩く。

 廊下を通り、階段を降り、馬車のある裏口までたどり着いた時、轟音と共に周囲の壁が吹き飛び何者かが侵入してきた。

 

「っ…!」

 

 今やあの暗闇から多くの魔物達が這い出ている。

 その魔の手がここにまで及んだ。

 もはや逃げる事は叶わない。

 兵士達の叫び声が上がる。

 

「う、うわぁぁあ!」

 

「へ、陛下っ! に、逃げっ…!」

 

 横に止めていた豪奢な馬車が一撃で弾き飛ばされ粉砕された。

 その際に馬車を引いていた二体のスレイプニールも御者と共に肉塊となり吹き飛ばされる。

 

 現れたのはライオンの頭と山羊の胴体、毒蛇の尻尾を持つ巨躯の生物。

 ユグドラシルでキマイラと呼ばれている最上位モンスターである。

 

「……っ!」

 

 絶句するジルクニフ目掛け、キマイラが口を大きく開ける。

 他の四騎士や兵士達も突然の事に動けず硬直している。

 

「ここまでか…」

 

 己の死を悟り、諦念と共に小さく呟くジルクニフ。

 次の瞬間、キマイラの口から炎のブレスが吐き出された。

 

 

 

 

 ローブル聖王国、首都ホバンスの大神殿。

 

 

 国の中心である神殿から見下ろすと都市の至る所から火の手が上がり、人々の助けを呼ぶ声が木霊していた。

 

「カルカ様! すぐに逃げなければ! 早く!」

 

 名を呼ばれた女性はローブル聖王国の聖王にして聖王女であるカルカ・ベサーレス。

 その美しさは「ローブルの至宝」と評されるほど。

 

「し、しかしケラルト…! 民が…! 人々が…!」

 

 カルカの悲痛な叫びと共に名を呼ばれたのはケラルト・カストディオ。聖王国の神官団団長であり、神殿の最高司祭。第五位階までの魔法を行使可能で英雄の領域に及んでいる強者である。

 

「聞き分けて下さい! もはや民の多くは救えません! 戦いを挑んだ聖騎士団は全滅! 九色もそのほとんどが安否不明で壊滅状態です! せめて貴方だけでも逃げなくては!」

 

「そうですカルカ様! 口惜しいですが…、あれはもう我々がどうにかできる存在では…! くそおっ!」

 

 怒りの言葉が口から吐き出され、壁を勢いよく殴りつけたのはレメディオス・カストディオ。聖騎士団長であり九色の白色を賜っている。ケラルトの姉であり、聖騎士として歴代最強と謳われる実力者。

 しかしそんな彼女達をもってしても現状は最悪と言わざるを得なかった。

 何の前触れも無く突如として暗闇が出現し、そこから現れた者達の手により都市は半壊。

 神殿も攻撃され、騎士団の多くがすでに命を散らしている。

 

「わ、私はずっと…、ずっと祈ってきました…! 人々が笑って過ごせるように…! どんな弱者も虐げられないようにと…! 民達の事を考え、彼等が満足に生きる事が出来るようにと…! 教えに背いた事も無く、真摯にあらゆる問題と向き合ってきました…!」

 

 カルカは良い女王かと問われれば多くの疑問が残るだろう。

 しかしそれは無能故ではなく、善良過ぎる為だ。優しすぎて強い態度を取れず聖王国の南部を掌握できていないのもその為だ。

 だが女王としては評価できなくとも彼女の人となりは評価するべきだろう。汚れを知らず、綺麗なまま。八方美人としての彼女を嫌う者もいるが国民の多くはそうではない。国民からは圧倒的な支持を受けるに至っている。

 

 そんな彼女は苦悩していた。

 なぜこんな事になったのか、と。

 ローブル聖王国はその名の通り宗教色の濃い国家である。

 故に神を崇めると共に数々の教えも存在する。

 カルカは生まれてこの方それらを破った事も無ければ祈りを欠かした事も無かったのだ。

 だからだ。

 だからこの状況が理解できないのだ。

 

「どうして…! どうしてですか…! なぜ、なぜ()使()()がこの国を襲うのですか!」

 

 カルカの叫びに応える者はいない。

 

 突如ローブル聖王国に出現した次元の切れ目から現れたのは数多の天使達。中には見た事の無い天使の姿さえ散見された。

 最初は何事かと騒ぎになり、神が降臨したのだと口に出す者もいた。

 虐殺が始まるまでは。

 

 一瞬だった。

 たった一つの魔法で何人もの人間が殺されていく。

 誰もが理解できなかった。

 相手が亜人や悪魔、そういった者達なら攻撃をされたのだと理解できるが天使に攻撃されるという事が理解の外すぎて誰も現状を把握できなかった。

 やっと天使達から攻撃を受けていると気づけたのは何千人もの人々が失われた後だった。

 

 その天使達は天空城の一室に隔離されていた者達。

 八欲王のNPC達であり、それを率いるのは都市守護者と呼ばれる者。

 天使といえど、ユグドラシルにおいてはただのモンスターに過ぎない。

 拠点が破壊され、暴走した今となってはその神聖さなど関係なく、ただ命を奪う存在だ。

 

 故に祈りなど通じず、全ての命が息絶えるまで凶行は止まらない。

 

 

 

 

 アベリオン丘陵、そしてその南に位置するエイヴァーシャー大森林。

 

 

 その境目たる中心に暗闇が出現し、不死の軍勢が出現した。

 それらは北と南の二手に分かれ侵攻を開始した。

 

 数多の亜人が覇を競うアベリオン丘陵、ここに住まう亜人達は突如現れたアンデッド達にも怯む事なく戦いを挑んだ。

 その愚かさの代償としてあらゆる部族の戦士達の多くが息絶えた。

 危険を感じたのはアベリオン丘陵全体の半数程の命が散った時だろうか。

 生き残った者達は泣き叫び、逃げ出し、命乞いを始めた。

 戦いなど挑まず最初から逃げ出していれば、エイヴァーシャー大森林に住む森妖精(エルフ)闇妖精(ダークエルフ)のようにもう少し被害は少なく済んだかもしれない。

 彼等も最初は森妖精(エルフ)の王の命令でアンデッド達と対峙した。

 しかし先の見えぬ戦いにやがて多くの者達が逃げ出した。

 元々スレイン法国と戦いを繰り広げていた森妖精(エルフ)達だが突如現れた謎のアンデッドとまで本気で戦おうとは思わなかったのだ。

 倒しても倒しても復活し、次々と湧いてくる。

 そんな存在と誰が真面目に戦うと言うのか。

 誰もが王の怒りを買うと分かっていながらも確実に死ぬとあれば逃げ出す。

 それは森妖精(エルフ)の王の人望の無さ故かもしれない。

 国や民の事など省みず、ただ強い子を産む事だけに執着する森妖精(エルフ)の王。

 強姦や近親相姦など日常で、女性を子供を産む機械としか思っていない非情な性格。

 ただその強さ故、誰も逆らえず従っているにすぎない。

 その報いのツケがやっときたのだ。

 

 国民の多くがアンデッドから逃げ出してしまった為、王のいる居住区までアンデッドの侵入を許す事になった。

 

「使えぬクズ共がぁぁ! ここまで侵入を許すとは! アンデッドなど汚らわしい! お前達で追い返さぬかぁあぁぁ!」

 

 だが王の叫びに誰も答えない。

 この場に残っているのは小さな子を抱える母親達だけだ。

 

「さっさと行け! 子供などその辺に捨て置けばいいだろうが!」

 

 子供を奪い、母親を蹴り飛ばす。

 そんな惨状に誰も非難の声を上げず、また驚きもしない。

 それがこの国の日常だからだ。

 しかしそんな事をしている間にアンデッド達が王の部屋までたどり着いた。

 

「クソがぁぁ! 下等なアンデッド共が! 誰に剣を向けていると思っている!」

 

 そう叫ぶと森妖精(エルフ)の王が魔法でアンデッド達を蹴散らす。

 プレイヤーの血を引き、その力を覚醒させた彼はこの世界でも上位に入る程の強者と言ってもいいだろう。

 低位はもちろん、中位程度のアンデッドなら彼の敵ではない。

 

「あ?」

 

 彼が無数のアンデッドを蹴散らしていると奥から一際存在感を放つ何者かが現れた。

 森妖精(エルフ)の王が先ほどまで蹴散らしていた者と比較にならぬ程の強者である上位アンデッド達。そんな彼等すらを周囲に何体も侍らせるように立つ一体のアンデッド。この者こそ都市守護者の一人。

 レベル100を誇る最高位の存在。

 

「なんだ貴様がこいつらのリーダーか、我が国を攻めるなど…」

 

 森妖精(エルフ)の王が言いかけている途中でその腕が飛んだ。

 アンデッドの騎士たる彼の一撃は森妖精(エルフ)の王の知覚速度を遥かに超えていた。

 

「がっ…! な、なにが…!」

 

 何が起こったのかも理解できず己の無くなった腕を見つめる森妖精(エルフ)の王。

 一呼吸おいて脳の処理が追いつく。

 

「き、貴様ぁぁぁ! お、俺にこんなことをしてただですむとっ…」

 

 アンデッドの騎士から再び剣閃が放たれる。

 次に残った片腕。

 次に片足。

 また片足。

 四肢を飛ばされた森妖精(エルフ)の王は達磨となり地に転がる。

 

「いぎゃぁぁああぁぁぁあ! や、やめろぉぉ! お、俺をだれだと! い、いつかこの世界を統べる王だぞっ! こ、こんな、えぁぁぁぁああぁぁぁあ!」

 

 アンデッドの騎士は話も聞かず王の耳を引き千切り、目をくり抜いた。

 骸骨の顔ゆえ表情はないが間違いなく愉悦の表情を浮かべていただろう。

 彼はまさにアンデッド。

 生者の死を願い、その苦痛を何よりも喜ぶ存在なのだから。

 それはこの世界においてもユグドラシルにおいても変わらない。

 

 やがて苦痛の果てに森妖精(エルフ)の王は絶命した。

 彼の死をもってエイヴァーシャー大森林を支配していた森妖精(エルフ)の国は名実ともに滅びたのだ。

 

 

 

 

 トブの大森林。

 

 

 ここだけは他国と少々事情が違った。

 他国と同様にこのトブの大森林の頭上にも暗闇が現れ何者かが這い出したにも拘らずだ。

 暗闇に気付いたこの地に住むあらゆる部族や種族が森の奥へと逃げ出した。だが不思議と彼等が直接襲われる事は無かったのだ。その事実には誰も気づかなかったのだが。

 あらゆる命を奪おうとする筈のモンスターからの攻撃を受けない理由があるとすれば一つ。

 よりターゲットを向けられやすい者、ユグドラシル的に言うならばタンクとなる者が存在するからだ。

 

「き、君達どこへ行くんだい!? ここから先へは行かない方がいいよ!」

 

 森の奥で何かから逃げるように向かってくる大勢の蜥蜴人(リザードマン)達へと声をかけたのは一人の木の精霊(ドライアード)。その名をピニスン・ポール・ペルリア。

 

「む、木の精霊(ドライアード)か。もしかしてここは貴方の地なのか? 失礼した、我が名はザリュース。緊急ゆえここを通る事を許して頂きたい」

 

 大勢の蜥蜴人(リザードマン)の中から一匹の屈強そうな戦士がピニスンへと歩み寄る。

 

「い、いや僕の土地というか、そんなのはどうでもいいんだけどこの先には行かない方がいいよ!」

 

「おい、ザリュース! 分かんねぇけど邪魔するならそいつのしちまおうぜ!」

 

 再び蜥蜴人(リザードマン)の中から片腕だけ異様な太さを持った戦士が出てくる。

 

「ゼンベル! どうして貴様はすぐ力に頼ろうとするんだ! 今はそんな場合じゃないと奴等を見て思わなかったのか!」

 

 同様に族長らしき蜥蜴人(リザードマン)がゼンベルと呼んだ蜥蜴人(リザードマン)を止めようと出てくる。

 

「でもシャースーリューの旦那よう、モタモタしてると奴等に追い付かれちまうだろうが。おたくの部族の方針は知らねぇが竜牙(ドラゴン・タスク)じゃ強い者が正しいんだ。文句を言う奴は黙らさしちまえばいいだろうが」

 

 ゼンベルが苦言を呈したシャースーリューと呼んだ蜥蜴人(リザードマン)へと詰め寄る。

 

「奴等に怯えて逃げてきたのに強さをウリにするなんてみっともないと思わないの? 何か事情があるかもしれないし話くらいは聞くべきよ」

 

 そういって新たに出てきたのは葉で全身を覆う蜥蜴人(リザードマン)。しかしその隙間からは美しい白い肌が垣間見える。

 

「失礼しました、木の精霊(ドライアード)さん。私の名はクルシュ・ルールー。至らない身ではありますが朱の瞳(レッド・アイ)の族長代理を務めております。私達はこのトブの大森林に突如現れた謎の亜人達からこちらまで逃げてきたのです。情けない事ですが一目見ただけで我々では相手にならぬと判断し逃げて参りました。話も通じそうな雰囲気ではありませんでしたので接触はしていないのですが…」

 

 理路整然と状況を説明するクルシュを見てシャースーリューはほう、と感心したような声を上げる。横にいたザリュースはなぜか頬を赤らめているがこの場では誰も気づかない。

 

「そ、そんな事が…。それは大変だね…、いや、それでもこの先には行かない方がいいと思う…! ここから先には封印された魔樹がいるんだ…! 世界を滅ぼす魔樹とも、魔樹の竜王とも呼ばれる恐ろしい奴なんだ! そいつの封印が解けそうなんだよ! そ、そうしたらこの森全体が、いや世界が滅んでもおかしくないんだ!」

 

 ピニスンの言葉に蜥蜴人(リザードマン)が困惑しているとその遥か後方で木々が倒される音が聞こえ始めた。

 

「くそっ! 奴等に追い付かれたか!」

 

 ザリュースが後ろを振り返る。まだその姿は見えないが大勢の何物かがこちらへ向かってくるような音が地響きとなって確かに伝わってきた。

 そんな音から逃げるように新たな何者かがこちらへと走ってくるのが見えた。

 

「あ、あんなの無理でござるよー! なんなんでござるかアレは!?」

 

「わ、儂にも分からん! つい先日グの一派が何者かに滅ぼされたと思ったら今度はアレか! 一体どうなっとるんじゃ!」

 

 巨大なハムスターと、胸部から下が蛇の老人のような者が会話しながら逃げてくる。その後ろには同様に何者かから逃げてくるゴブリンやオークの集団、トロールの姿などもあった。

 

「わ、わぁー! あ、あれが蜥蜴人(リザードマン)さん達を追ってきた奴なのかい!?」

 

 地響きがうるさい中、ピニスンがザリュースへと問いかける。

 

「い、いや、あの者らも凄まじい程の強大さを誇っているが我々が見たのは彼等ではない! もっと圧倒的な、言葉に出来ぬ程の異様さを持った者達だ!」

 

 ザリュースがピニスンへ言葉を返しているとその走って来た者達が蜥蜴人(リザードマン)達を見て足を止める。

 

「お、お主達邪魔でござる! 用が無いなら退()いてほしいでござるよー! 拙者たちアレらから逃げるのに必死なんでござるゆえ」

 

「い、いや我々もそうなのだがこの木の精霊(ドライアード)が…!」

 

「わ、わぁ! う、動いた! 魔樹が動いた! や、奴等のせいなのか、こんな急に…! 嘘でしょー!」

 

 三者三様に口を開き、会話が成立しなくなったその時、地響きとは別に大地が揺れた。

 次に大地が割れ、植物の根っこのようなものが姿を現した。

 

「も、もう終わりだー! 魔樹が復活してしまったー! 僕たちはもう終わりだ! 滅ぼされるしかないんだー!」

 

「ま、待ってくれ木の精霊(ドライアード)殿、こ、この根っこのようなものがその魔樹とやらなのか!?」

 

「な、何してるでござるか! 逃げないと奴等が来るでござるよー!」

 

 そんな喧噪を破るかのように、木々を切り倒しながら大勢の亜人達が姿を見せた。

 しかしその亜人達のいずれもがこのトブの大森林には存在せぬ者達だった。

 彼等は咆哮をあげ、勢いよく走り出すとその場にいた者達へと襲い掛かった。

 

「な、何こいつら! うわー!」

 

「も、問答無用か、おのれっ…!」

 

「お、終わりでござる! もう終わりでござるー!」

 

 と思いきやピニスンや蜥蜴人(リザードマン)、特徴のある喋り方をするハムスター達の思惑は外れ、彼等が襲われる事は無かった。彼等を素通りすると封印の魔樹がいるであろう場所へとその亜人達は突き進む。

 

「ゴォォォォオオオオオ!」

 

 咆哮、そう呼ぶべきか謎だが何かの低い唸り声のようなものが響いた。

 その音の先はこの大地から湧き出た根っこの遥か先、100メートルをも超えるような大樹からだった。それは生きているのか身を揺らしている。

 魔樹の存在を目にすると大勢の亜人達が一斉に襲いかかった。

 しかし魔樹はその有象無象を蹴散らす様に触手を振り回す。その攻撃は信じられぬほど強力で一撃で数体の亜人達をミンチにしてしまう程。

 

 こうして都市守護者とその配下である亜人達と封印の魔樹、ザイトルクワエとの闘いが始まった。

 

 ザイトルクワエ。

 その由来となったのはザイクロトルの死の植物。

 それはとある惑星の怪物達が崇める神である。ある時その怪物達が他の惑星からきた種族に奴隷にされた事があった。その際、ザイクロトルの死の植物は強大な力でもってその種族を倒し追い出したのだ。意図的かどうかはおいておき、これにより怪物達は救われたのだ。

 それは海上都市を作ったギルドのただ一匹残ったNPCの成れの果て。

 ユグドラシルのモンスターでありながら外見のデザインを大きく変えられたそれはプレイヤーでも一目ではユグドラシルのモンスターとは認識できないだろう。

 ユグドラシルでも最上位の植物系モンスターであるザイトルクワエは並外れた耐久力を誇るがこの地に根付いた事でユグドラシルではありえぬ進化を遂げる事になった。

 今となっては創造主の願い通り、ザイクロトルの死の植物のように在ろうと願う存在。

 

 かつて十三英雄のリーダーである八欲王の一人も魔神狩りをする際にここに立ち寄った事があった。

 しかし彼はこのザイトルクワエには手を出さず、封印に留めるに終わった。

 それは彼でも倒せない程に強かったから、というのも理由の一つとして挙げられるかもしれないが本当の狙いは違う。

 ザイトルクワエ、いやザイクロトルの死の植物は適切な接し方をすればその土地の守護者として機能するからだ。適度な魔力を与え続ければ、暴れる事も無く、外敵からそこに住む者を守ってくれるのだ。

 まだ魔神の脅威があったその時代、十三英雄のリーダーはもしもの時に魔神から守ってもらえるようにとザイトルクワエを放置する事にした。

 その場にいた木の精霊(ドライアード)には説明したのだが本能的な恐怖からか聞き入れなかったので封印したと嘘を吐き、一時的に魔力を流し込み事無きを得たのだ。

 

 だがそんなリーダーの心配は杞憂となった。この土地が魔神に襲われる事は無かったのだから。

 しかしそれ故に定期的に魔力が与えられる事も無く、ザイトルクワエはその印象から世界を滅ぼす魔樹との悪評を受け続ける事となった。

 あらゆる生き物がザイトルクワエから距離を置くようになり、様々な生き物から自然と零れ出る魔力を吸収できなくなったザイトルクワエは己で直接魔力を得ようと動き出した。

 守護者である筈の彼が結果的にこの土地を枯らす事になりそうだったのはひとえにリーダーの忠告をちゃんと聞いていなかった木の精霊(ドライアード)のせいだろう。

 

 いずれにせよ、数々の不幸が重なる事になったがザイトルクワエが本懐を遂げる時は来たのだ。

 トブの大森林に住む者達は感謝するべきだろう。

 ザイトルクワエのおかげで他の都市のように一瞬にして森が焼き払われたり、虐殺されたりする事は無かったのだから。

 しかしこれで終わりではない。

 ザイトルクワエは確かに強い。だがそれはこの世界においてだ。

 ユグドラシルにおいては強者と呼ぶには足りない。

 ザイトルクワエを凌駕する者などいくらでもいる。

 都市守護者達がそうだ。

 彼等の配下程度ならばザイトルクワエでも蹴散らせるかもしれないが都市守護者本人が出てくればザイトルクワエに勝ち目は無い。

 結局は他国と同じ。

 ザイトルクワエが粘る時間だけトブの大森林の者達は生き永らえる事が出来るに過ぎない。

 魔樹が倒れれば、ここでも他国のように虐殺が始まるのだ。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 その中心に座する大聖堂は混乱に包まれていた。

 

「神官長達はどこに!? ぶ、無事なのか!?」

 

「わ、分からない! だ、だがここはもう…、うわぁぁあああ!!」

 

 神官達の叫びが響く。

 それと同時に柱が割れ、壁が崩れ、天井が落ちる。

 大聖堂は荘厳であり、様々な彫刻や調度品で彩られている。しかしそれはただ豪華にしたというだけの物ではない。必要以上に高価な物は扱わず、技術や見せ方による演出が大きい。

 全ては神の偉大さを祀り、またそれを少しでも表現し、祈る為のものだろう。無駄な贅沢が出来ない彼等にとって最大限の敬意の表し方だったに違いない。

 しかしそんな彼等の真摯な気持ちなど無碍にするように歴史的価値すらも高いであろう大聖堂は無残に崩壊していく。その下で何人もの人間が下敷きになった。

 

 全ての原因は突如現れた獣人達によるものだ。

 

 他国同様、彼等もまた暗闇から出現しスレイン法国を襲った。

 その数は優に千を超える。

 人とも獣とも、また亜人とも形容できそうな者達。

 数はもちろんだが個々としても十分な強さを持つ。彼等の中では中位と呼べる程度の者達で、法国が誇る最強の漆黒聖典はほぼほぼ壊滅状態に陥ったと言っていい。

 多くの神官達はもちろん、会議の為に集まっていた神官長達も応戦したが行方は分かっていない。いずれも、魔法詠唱者(マジックキャスター)や元聖騎士として破格の強さを誇る者達だがそれでも抗うには至らなかった。

 残った者達はこの光景に絶望し、ただただ悲観していた。

 その時。

 

「なんで建物がこんなに崩れてるの! 邪魔だよ!」

 

 大きな声と共にゴガンという音が響き瓦礫が宙に舞う。 

 すると瓦礫で塞がっていた地下への階段から何者かが這い出てくる。

 

「ゲホッ、ゲホッ! も、もう少し丁寧に出来ないんですか貴方は!?」

 

 先に姿を現した少女を追うように黒髪の青年が続いて姿を現した。

 

「おやぁ? どうもそんな事を言っている場合じゃないみたいだよ?」

 

 その少女、番外席次が周囲の様子を窺い、ニタァと笑う。

 

「こ、これは…、そんな!」

 

 黒髪の青年もとい漆黒聖典隊長はその様子に愕然とする。

 そこは正に死屍累々。

 少し前に自分がここを通った時にはいつも通りの景色がそこにあった筈なのに今は違う。

 建物が崩れ、多くの人々が地に伏し、至る所で悲鳴が聞こえる。

 

 そして次にそれに気付くと隊長から悲鳴が漏れる。

 

「う、嘘だ…、バカな…」

 

 隊長の視線の先にあったのは倒れている漆黒聖典の面々。全員ではないがその多くが伏していた。

 「時間乱流」に「神聖呪歌」、「神領縛鎖」や「人間最強」。

 その中でも「巨盾万壁」と「一人師団」は遠目にも息があるのを確認できた為、周囲にいる獣人達を薙ぎ払いながら隊長が慌てて駆け寄る。

 

「セドラン! クアイエッセ! こ、これは…!」

 

「す、すまない…。守れなかった…」

 

 そう口にするセドランの脇には絶命している老婆の姿があった。彼女はカイレ。法国でも強力な宝具「ケイ・セケ・コゥク」を扱う事が出来、また扱う事が許された者だ。

 

「……! ケ、ケイ・セケ・コゥクは使用しなかったのか!?」

 

 隊長の疑問は尤もだ。どれだけ相手が強大であろうとケイ・セケ・コゥクがあればその相手を支配下に置くことが出来るからだ。敵の数は多いとはいえその指揮官を支配下におけたならどうにか出来たのではと考えたからだ。

 

「い、いや…、支配は上手くいきました…、しかし…」

 

 大量の血を流しながらも横にいたクアイエッセが答える。その周囲には彼の召喚したギガントバジリスク達が死体となって転がっている。

 

「ど、どういうことだ! ならばなぜこんな事に…!」

 

「わ、我々は順番を間違ってしまったのです…。あれらがこの者達を率いている長だと判断してしまった…。しかしそうではなかった…。お、恐るべき者達…、まさに竜王…、それが…」

 

 当初カイレらは無数の獣人との応戦中、そのリーダー格と思わしき上位レベルの獣人にケイ・セケ・コゥクを使用し支配下に置くことは成功したのだ。

 彼等の判断は間違っていなかった。その者のレベルは80半ば程。

 一対一での戦いなら隊長ですら凌駕できる相手だ。彼等はその者を見て、この強大な力を持つ者こそがリーダーであると疑わなかったのだ。

 そうして支配下においたその者に命令を下し、多数の獣人を下している時、それらは遅れて現れた。

 その獣人と同等の強さを誇る者達が何体も現れた。次にそんな者達すらも凌駕するまさに竜王としか形容出来ない程の強さを持つ者が現れたのだ。

 その者は難なくケイ・セケ・コゥク支配下におかれた獣人を殺すと、セドランと共にカイレを貫いた。

 もう一度ケイ・セケ・コゥクを使いなおす暇などなかった。

 それは都市守護者の一人。

 

 もし仮にカイレ達がこの都市守護者を支配下に置けたとすればもう少し事体は好転していたかもしれない。だがそれでも法国の滅亡は免れないだろう。

 今この国には三体もの都市守護者がいるのだから。

 一体を支配下に置けたとしても残りの二体にやられて終わりだ。

 

「ふーん、アンデッドじゃないし噂に聞いてた破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)じゃないみたいだねぇ…。けど十分に強そう…! でもさ…」

 

 話を聞いていた番外席次の狂ったような笑みが一瞬にして真顔に変わる。

 それと同時に隊長へ向け、一気に距離を詰めた。

 

「なっ、何をっ!?」

 

 突如、戦鎌(ウォーサイズ)を振りかぶり自分目がけて突っ込んでくる番外席次に隊長が叫ぶ。しかし食い気味で番外席次がそれを遮る。

 

「うるさい、()()()()()()()()

 

「っ!?」

 

 番外席次の声を受け、反射的にその場にしゃがむ隊長。

 その直後、激しい金属音が彼の頭上で鳴り響いた。

 

「全く妬けるよ…。私がいるってのにさ、こんな小僧から先に手を出すなんて…!」

 

 番外席次の戦鎌(ウォーサイズ)の先には一体の獣人がいた。戦鎌(ウォーサイズ)とその獣人の爪がギリギリと鍔迫り合いのように押し合っている。

 

「き、気を付けて下さい…。わ、私達も殺されそうになった瞬間、彼等は一度引いたのです…。恐らくは隊長と、番外席次…、貴方達に反応したと思うのですが…」

 

 クアイエッセがこの状況を番外席次に伝える。周囲を見ると、一定の距離を置いた場所で強大そうな力を持つ獣人達が冷静にこちらの様子を窺っていた。

 暴走し、コントロールを失ったとはいえ獣人達の戦い方は変わらない。

 彼等は決して馬鹿ではないのだ。獣の本能と人間の知能を合わせ持つ獣人。警戒するべき相手にいきなり正面から戦いを仕掛けるなどという無謀な事はしない。

 しっかりと敵を見極め、確実に殺す為に。

 

「ふぅうん…」

 

 番外席次は舐めるように彼等を見る。

 一目見ただけでその強さは理解できた。そしてクアイエッセの言葉を信じるならば隊長や番外席次の気配を察知し、一度身を引く程度の頭脳もあるという事も納得できる。

 しかし、足りない。

 番外席次にはこれでは足りないのだ。

 

「あんた達も悪くないけど…、でもダメだね…!」

 

 番外席次が力づくで相手の獣人を押し潰していく。途中で反撃しようとした獣人の蹴りを捌き、肘で砕く。バランスを崩し、叫び声を上げ倒れた獣人の喉へと間髪入れずに十字槍にも似た戦鎌(ウォーサイズ)の矛先を突き立てる。

 これによりレベル80半ば程の強さを誇る獣人の一体が絶命した。

 それを受け、周囲にいた何体もの獣人達が一斉に番外席次へと襲い掛かった。

 

「おいクソガキ! お前もやるんだよ! とりあえず二体受け持て!」

 

 呆けている隊長の尻を蹴り上げる番外席次。

 

「に、二体ですか!? し、しかし私では一対一でも厳しそうな…」

 

「分かってる! 私が残りの奴等を殺すまで耐えろって事だよ」

 

「ど、どれだけ時間を稼げば…?」

 

「さぁね…。一体だけなら全然敵じゃないけど…、数体同時だと少しばかり時間かかるかもね…」

 

「で、できるだけ急いでもらえますか…?」

 

「私に命令するなよガキ」

 

 そうして番外席次が地面を蹴った。

 その勢いで大地が割れ、石礫が飛び、砂ぼこりが舞い上がる。

 身体能力が高い獣人ではあるが、戦士系統として最高クラスの力を持つ番外席次はさらにその上を行く。

 

 番外席次。

 血と血の混じり合いとあり得ぬ確率で生まれた神人の一人。

 元々神人とは何なのか。

 法国では六大神の血を引く者で神の力に目覚めた者をこう呼ぶ。

 だが正確に言うならば違う。

 一言で言うならば、バグのようなものだろうか。

 神と呼ばれるプレイヤー達。彼等はユグドラシルから転移した者達であり、この世界とは事情が違う。

 生命としての在り方も、強さの手に入れ方も何もかもが違うのだ。

 そんな彼らが異世界で子を()したらどうなるか。

 その結果が神人と呼ばれる者達である。

 

 当然だが子供とは両親の遺伝子を引き継いで生まれるものだ。

 個体差はあるものの、基本的にはスペックや才能を引き継ぐと言っていいだろう。片親の血を多く継いだり、隔世遺伝のようなもので祖父母やその上の世代の特徴を引き継ぐこともあるいので単純に父親と母親の能力を足して割る等という計算はできないが。

 この時、プレイヤーの血を引く者達では何が起こるのか。

 これも至極単純だ。

 プレイヤーの能力をその半分程も受け継いでしまうのだ。

 しかし現実はそうなっていない。

 神の血を引くものの多くはこの世界でも逸脱する程の力を有していない。もし子孫が全てそうならば法国はもっと強大であっただろう。

 ならば神人とは何なのか。覚醒した者には何が起こったのか。

 

 プレイヤーと呼ばれる彼等は元々ゲーム世界のアバターである。ゲームで作られたアバターの体には親もいなければ祖先もいない。当然だ。ゲームをプレイする為に作成されたキャラクターなのだから。フレーバーテキスト等は存在するとはいえ生命体として、種として、初めてその時に誕生した存在なのだ。

 つまり遺伝子的に見れば受け継いできたモノなど存在しない、原初の生命体といえる。

 蓄積され受け継がれた数多の遺伝子など存在せず、生命体としては極度に情報の薄い存在。

 そんな彼らが何世代も命を重ね、無数の遺伝子を受け継いできた生命体と子を()したらどうなるのか。

 答えは単純だ。

 有象無象の遺伝子の中にその情報は掻き消える。

 プレイヤーの遺伝子など発現する事なく埋もれてしまうのだ。

 

 そんな砂漠の中から一粒の金塊を探し当てるが如くの確率でプレイヤーの遺伝子を発現した者こそが神人なのだ。

 たった一つ、そのたった一つの遺伝子こそが強力で、また凶悪であった。

 この世界のものではない遺伝子。

 ユグドラシル由来のまさに神とも呼ぶべき力の根源。

 しかしそれ故に、この世界の者達はその遺伝子を正常に継承する事は出来なかった。

 溢れる力と才能、それらは伸びしろとしてでなく、ただ力として発現した。

 プレイヤーの遺伝子を引き継いだ者は、覚醒する時そのプレイヤーの取得していた種族や職業レベルの半分をそのまま継承してしまうのだ。

 順番に得るのではなく、一度に全て。

 これこそが法国の言う、神の力に目覚めた者の正体だ。

 全く法則の違う異世界からの訪問者であるプレイヤー、その血が呼び起こす未知。その原因はこの世界の者達と遺伝子的に噛み合わないエラーからくるものかもしれない。

 だからこそ、バグという言葉が相応しいのだ。

 

 この世界において破格の力だがユグドラシルでは地獄だろう。

 数多の種族や職業レベルをその半分のみ継承など器用貧乏で済むレベルではないからだ。

 

 しかし番外席次、彼女だけは違う。

 父親と母親、その両方がプレイヤーの血を引いている。

 いや、二人以上のプレイヤーの血を引く者という条件だけならば法国内にも存在するかもしれない。

 だがたった一つですら発現するのが稀なその遺伝子を二つも同時に発現できた者などこれまで存在しなかったのだ。

 まさにあり得ぬ確率で、天文学的な数字の果てに生まれた奇跡の子。

 親のレベルの半分のみ強制取得というユグドラシルでは地獄のような配分だが、それが二人からのモノであれば事情が変わってくる。

 もしその両者が同様の職業レベルを取得していたら?

 そうしたものであれば半分のみ取得という器用貧乏からは解消される。

 なぜならばその職業レベルを十全に取得している事になるからだ。

 

 故に先祖返り。

 プレイヤーとも遜色ない程のスペックを手に入れた人類最強の存在。

 そんな状態でありながらもこの世界の遺伝子は失われていない。

 この世界特有の生まれながらの異能(タレント)すらも発現させた例外中の例外。

 

 まさにこの世界の超越者(オーバーロード)だ。

 

「あーっはっはっはっは!」

 

 番外席次の笑い声が木霊する。

 レベル80を超える者達数体を相手に大立ち回りを繰り広げ、未だかつてない興奮に沸き立っている。

 それは自分の力を十分にふるえる機会が来たから――ではない。

 彼女の上機嫌の正体はその視線の先、番外席次と獣人達との闘いを頭上から見下ろしている者の存在だ。

 

「ああ…、流石に疲れた…! 何発か貰っちゃったし…」

 

 長い激闘の果て、番外席次は数体の獣人達を倒すに至った。

 もちろん隊長が受け持っていた二体も含め。

 

「でも…、これからの事を思うと疲れなんて吹き飛んじゃうよ…。痛みだってへっちゃら…。ねぇ、そろそろ降りてきてよ?」

 

 番外席次が見上げ、彼女達の戦いを静観していた者へと声をかける。

 頭上で獣人と番外席次をずっと見続けていた者。

 

「……」

 

 その者こそ都市守護者の一人。

 番外席次と互角の強さを持つ存在だ。

 

「ずっと私の戦いを見てたよね? 私が貴方との戦いに値するか見定める為? それとも弱点を探す為かな? まぁなんでもいいよ。貴方の部下達はもうこの通り…! こうなったらさぁ…、もう貴方が直接戦うしかないよね…?」

 

 ゾクゾクといった悪寒とも興奮とも呼べぬ感覚に身を支配される番外席次。

 その顔には狂喜とも愉悦とも言い難い表情が貼りついている。

 人類を守る為ではない。

 また、強者と戦いたいわけでは無い。

 彼女がこれだけ高揚している理由は――

 

「貴方は、私を負かせてくれる…?」

 

 敗北を知りたい。

 それが番外席次の存在理由。

 目的はより強い種を欲する為。

 

 その戦いの一部始終をとある建物の屋上から見ている人物が一人いた。

 それは「占星千里」。

 ここまでの行方を占い、その全てを的中させてきた彼女だ。

 長かった。

 やっとこの占いの終わりの時が来る。

 未来を見通す占星千里すら与り知らぬ未知がこの向こうにある。

 占いの終わり、それは番外席次の敗北だ。

 

 だが悲しいかな、その敗北は決して番外席次が望んでいたものではなかった。

 彼女に笑顔が訪れる事はなく、その顔は絶望に歪む。

 甘美な敗北などどこにも無く、故に番外席次に救いは無い。

 

 なぜなら、この地にいる都市守護者は一体ではないのだから。

 

 

 

 

 アーグランド評議国、上空。

 

 

「うぐぅあっっ!」

 

 城から飛び立ちエリュエンティウへ向かう道中、国境を超える直前にツアーは何者かから攻撃を受けた。

 それにより遠隔操作していた白金の全身鎧に風穴が開けられる。

 

「な、何の気配も無く突然現れるとは…! くっ、不覚…!」

 

 突然現れた暗闇から這い出たその何者かはツアーの鎧に軽々とダメージを与える。

 そして次の瞬間。

 

「がっ! な、何…! 一人ではない…、だと…?」

 

 死角から現れた別の何者かに攻撃を受け、大地に叩き落される。

 そのどちらも真なる竜王に匹敵する実力の持ち主だ。

 ツアーも必死に抗い戦うがそれも虚しく鎧は砕かれ、霧散する。

 そしてその意識が戻る前、ツアーは気付く。

 いや思い出したと言うべきか。

 

破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)、その仲間達か…! いや、…お前達は…! そんな…!」

 

 その姿には見覚えがあった。

 あるいはかつて仲間から聞き覚えがあったと言う方が適切かもしれない。

 

「八欲王の従属神っ…!? 馬鹿な…、お前達は死んだ筈…!」

 

 その言葉と共に完全に鎧は砕かれ、その意識はツアーの本体へと戻る。

 

 ツアーは一つだけ勘違いしていた。

 八欲王の従属神たる彼等も復活する度に弱くなると誤解していたのだ。

 従属神と呼ばれている彼等はNPC。死亡してもレベルは下がる事なく、金貨を消費するのみなのだ。

 当初は八欲王と共に竜王達とも戦ったNPC達。

 しかし途中で彼等は戦争から姿を消した。

 竜王達は殺し尽くしたからだと思い込んでいたがそうではない。

 単純に八欲王側の金貨の枯渇、あるいは勝利を目前に無駄な出費を増やさぬ為の判断だったのだ。

 そんな事とは露知らず、生き残っていた竜王達は八欲王側の数が減り自分達の勝利が近いと誤解し最後の争いを仕掛けた。

 そうして戦いに臨んだ竜王達のほぼ全てが死に絶える事となった。

 故にツアーは最初から竜王達がしっかりと手を組んでいれば勝てたのではと想定していたがそれは間違いだ。

 八欲王側が金貨を使い切ってまでNPC達を酷使したならば万が一にも勝ちの目は存在しなかったのだ。

 そんな事とも知らず、ツアーは目の前に現れた八欲王の従属神達の存在に動揺を隠せなかった。

 数多くの配下がいる事は知っていた。

 その者らが天空城内にいる事も。

 だからこそギルド武器を守ってきていたのに。

 まさか従属神まで生きているとは想定していなかった。

 

 ツアーの意識が本体へと戻る。

 体に戻った後、先ほどの者達への対処を思案するが突如として大地が揺れた。

 評議国の城の地下に建設されたこの場所まで揺れが届くという事にツアーが震える。

 もはやギルド武器は壊れ、恐らくこの国も先ほどの者達に襲われている。

 もう躊躇する必要等ない。

 始原の魔法(ワイルドマジック)の贄たる国民たちが攻撃を受けているとするならばツアーがこの地に引きこもる理由は無いのだ。

 体を起こし、翼を大きく広げる。

 そして一気に地上へと飛び立つ。

 そこでツアーが見たものは、一瞬にして炎上する評議国の街並みだった。

 様々な亜人達が逃げ惑いながら炎に焼かれていく。

 このわずかな時間でここまで変貌した都市の景色にツアーは驚きを隠せない。

 評議国の永久評議員である他の竜王達も慌てて応戦しているが都市の被害は広がるばかりだ。

 それと共に怒りが身を支配していく。

 

 彼等が何をした。

 私達が何をした。

 かつて真なる竜王(なかま)達が非道な事をしていたのは知っている。

 八欲王がそれに抗ったという事も。

 だがここにいる者達は違う。

 身を寄せ合い、力を合わせ真っ当に生きている。

 平和を愛し、世界の調停の為に協力してくれる者達もいる。

 今を精一杯生きている者達ばかりだ。

 そんな彼等を蹂躙していい理由などどこにもない。

 

「お前達が何者とて! この地で血を流させる事など許すものか! 我が都市に押し入った事、後悔させてやるぞ!」

 

 ツアーが激しい咆哮を上げる。

 その瞳は怒りに染まっている。

 平和な地を脅かした者達への身を焼くほどの憎悪。

 これだけ感情が揺らいだのは何百年振りだろうか。

 この身で直接力を行使するのはそれ以上だ。

 

 彼は評議国の地下から動かぬという誓約を己に課していた。

 しかし今やそれも消えた。

 この世界において最強の存在と言っていいであろうツアー。

 彼と戦える者など生き残った一部の竜王や、例外とも言える超越者ぐらいのものだろう。

 

 そうしてツアーは都市守護者とその配下達へと戦いを仕掛ける。

 法国に続き、この世界において最高峰の戦いが始まろうとしていた。

 

 

 

 

 竜王国。

 元リ・エスティーゼ王国。

 バハルス帝国。

 ローブル聖王国。

 アベリオン丘陵及びエイヴァーシャー大森林。

 トブの大森林。

 スレイン法国。

 アーグランド評議国。

 

 八カ所。

 最初にこの八カ所へと都市守護者達は転移した。

 いずれも八欲王にそれぞれ別個作られた者達、その勢力。

 ギルドとの関係性は失われたがその本質までは失われない。

 同じ創造主に作られた者同士、彼等はそれぞれ徒党を組んで散ったのだ。

 

 しかし全てでは無い。

 まだエリュエンティウに残っている都市守護者達がいる。

 彼等は純粋に防衛と、そして浪漫の為に生み出された者達。

 その特徴的な外見から御伽噺の上で八欲王の外見として誤解され伝えられてしまっている者達もいる。

 八欲王が同一の目的と、認識の元に生み出した最強の八体。

 各自が一体づつ作成しギルドに全権を預け、自分達の直接の指揮下に無い八体の真なる守護者。

 それが彼等である。

 他の都市守護者との決定的な違いはその装備の質であろうか。

 いくらワールドチャンピオンと言える八欲王と言えど30体ものNPC全てに十分な装備をいきわたらせるのは難しかった。

 それ故に各自がそれぞれ作った特別な一体、彼らにだけは十分な装備が与えられていた。

 

 彼等はエリュエンティウへと降りたが天空城から一定以上離れる事は無かった。

 まるで天空城を守るようにと。

 ギルドとの繋がりが絶たれようともそれは変わる事はない。

 もはや時間の問題で堕ちる天空城をただただ彼等は見守る。

 もうギルドとの絆など切れている筈なのに。

 

 だが彼等が必要以上に天空城から離れないとはいえその配下達は違う。

 無数の配下達は思い思いにエリュエンティウの都市を破壊し、人々を蹂躙していく。

 誰の助けも無い。

 世界は一瞬にして闇に落とされたのだ。

 

 

 

 

 全ての始まりはバハルス帝国。

 ズーラーノーンとモモンガが出会った時からこれは約束されていたのかもしれない。

 ズーラーノーンがモモンガの信頼を得れば得る程に、それへと近づいて行く。

 旅をし、一つの都市を経るごとに少しづつだが確実に。

 小さなうねりが、やがて大きな力を生むように。

 

 世界を滅ぼす災厄の渦。

 

 それは確かに現実となってこの世界へと舞い降りた。

 水面下での動きなど誰にも分かる筈はない。

 いつだって事件は唐突に起きるのだ。

 ズーラーノーン、いやスルシャーナの恨みは形を成し、この世界と引き換えに彼の望みは叶えられた。

 何百年もの時を経てスルシャーナの願いはここに花開いたのだ。

 もしも予言にあった破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)がいたとするならばそれはモモンガではなくスルシャーナの事であっただろう。

 誰かが気付くべきだったのだ。

 占星千里は破滅の竜王(カタストロフドラゴンロード)の出現ではなく、()()を予言していたのだから。

 復活とはつまり、かつてこの世界にいた何者かの再臨に他ならない。

 それが彼等の崇める神であった事はスレイン法国にとってはなんとも皮肉な事だ。

 

 

 

 有史以来、世界中で類を見ない程の死者を出したこの日は災厄の日として歴史に名を残す事になる。

 誰も忘れる事ができぬ、史上最悪の一日。

 

 またの名を――

 

 

 




またまた更新が遅くなってしまいました…
世界各国を描写する関係上、話をコンパクトにしようとしてもどうしても長くなってしまい…
そしてあまりにも長くなりそうだったので前後編に分けました!
しかし前篇と名乗る通り中途半端な所で終わっている感じなので自分でもモヤモヤしています
なので後編は一週間以内に投稿します!
一週間以内です!

…が、頑張ります


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災厄の日 - 後編 -

前回のあらすじ

都市守護者達の手により世界中が大ピンチ!
もう死んでるけど全てはスルシャーナのせい!


 現帝国、リ・エスティーゼ領。

 

 

 突如暗闇から現れた無数の悪魔達。

 それらは瞬く間に都市中を覆い、数え切れぬ程の命を奪った。

 運よく生き残った者達も必死で逃げているが全滅するのは時間の問題であろう。

 すでに都市全域に悪魔の手は及んでいる。

 

 そんな絶望の中にありながらも、ここで一人の青年が必死で抗っていた。

 

「はぁっ、はぁっ、ラ、ラナー様…、あ、貴方だけでも逃げて下さい…、ここは私が…」

 

 片腕はへし折れ、肋骨が何本も折れている。

 頭部からは大量の血を流し、片目はもう見えていない。

 そんな満身創痍の状態でありながらクライムは己が主を守る為にその命を燃やそうとしていた。

 目前にいる何体もの悪魔達から主を守る為に。

 

「いいえ、もういいのですクライム…。もう…。これ以上逃げても助からないでしょう…。それならばせめて貴方と共に…」

 

 ラナーがクライムの服のすそをギュッと掴み背中に寄りかかる。

 いくら人外的な頭脳を持つとはいえ、単純な暴力の前には手など打ちようが無かった。

 だがそんな絶望的な状況の中でもラナーは不思議と満たされていた。

 愛する者と最後まで一緒なら、それも悪くないと。

 

「も、申し訳ありませんラナー様…、貴方をお守りすると誓ったのに…!」

 

「いいのですクライム…、本当にありがとうございました…。貴方は…、貴方だけが私の騎士です…。貴方がいたから私は…」

 

 その言葉と共にクライムが崩れ落ちる。

 立っていられるのが不思議なほどに消耗していたのだ。

 ラナーの言葉で僅かに緊張が緩み、体が限界を迎えた。手に力すら入らず、握っていた剣すらもその手から零れ落ちる。

 心優しいラナーを最後まで気遣わせてしまった己の弱さを呪い、また悔やむ。

 己の全てを捧げてでも守ると誓ったのにそれを果たせなかった。

 そんな彼が最後に思ったのはもっとも強い力の象徴。

 ガゼフ以外に、心から信頼し、また尊敬できた人物。

 そんな事ある筈がないと理解しつつも弱いクライムはそれに縋るしかなかった。

 みっともないと思う。

 最後の最後でも自分は人頼りなのかと。

 

「……けて下さい……」

 

 しかしだからこそ無意識にその言葉が口から零れ出たのだろう。

 

「モモンガさん…、助けて下さいっ…!」

 

 消え入りそうに吐き出された助けを求める不意の一言。

 これこそがクライムの弱さであり、また願いであった。

 助けを求めた所で都合よく英雄などは現れたりしない。

 前回のモモンガとの出会いだって奇跡のようなものであり、それを再び求めるのは不可能であろう。何より今回はその時の比ですらないのだ。

 誰がこの窮地から救えるというのか。

 目の前の悪魔が嘲笑うようにクライムへと爪を突き立てようと手を伸ばす。

 それが確実に己とラナーの命を奪うのだと直感的にクライムには理解できた。

 全ての終わりを覚悟し、深い絶望の中――

 クライムの身に再び奇跡が起こった。

 ありえぬ程の僥倖。

 それを引き寄せたのはクライムが最後に吐き出した小さな一言。

 

 それはまるで、魔法だった。

 この世界のどんな英雄や魔法詠唱者(マジックキャスター)にも扱えぬ強大な魔法。

 

「――――!」

 

 その時、人知れず上空を移動していた何者かが反応した。

 この場にいる誰も気づかない。

 その何者かは人外たる悪魔すら反応できない速度でこの地へと飛び降り悪魔目掛けて拳を振り下ろした。

 同時にクライムの目の前にいた悪魔が消え去った。

 いや、爆散したのだ。

 

 拳が突き刺さった地面は蜘蛛の巣状に割れ、周囲に悪魔の肉や血が放射状に飛び散っている。

 クライムには一瞬の事すぎて理解が出来ない。

 悪魔とこの人影が急に入れ替わったようにも見えたかもしれない。

 そこにいたのは初老の男性。

 執事と思わしき服装が目につくが、服越しでもその体格の良さが見て取れる。

 

「モモンガ…、そう聞こえたのですが確かですか?」

 

 ゆっくりと立ち上がりながらその老執事が問いかける。

 落ち着いた低い声。

 しかしその声の裏側には様々な感情が渦巻いているようにクライムには感じられた。

 

「え…、あ…?」

 

 唖然とするクライムを余所に、周囲の悪魔達の叫び声が響いた。

 混乱しているのはクライムだけでなく、悪魔達もだっただろう。

 

「キシャァァアアア!」

 

 次の瞬間、悪魔達が徒党を組み老執事へと一斉に襲い掛かった。

 中には単体で、王国最強であるガゼフ、いやアダマンタイト級冒険者である蒼の薔薇の面々すらも相手どれるような猛者達もいる。

 そんな集団を相手に勝ち目のある者などいない、クライムはそう考えていた。

 

「黙りなさい。大事な話をしている最中です」

 

 老執事が振り返り、その悪魔達目掛け拳を振りぬいた。

 

 まるで閃光。

 あまりにも速すぎてクライムには何も知覚出来なかった。

 ただ結果のみがクライムに突きつけられる。

 その一撃で複数の悪魔達の体が跡形も無く四散した。

 あまりにも信じがたい光景、目の前の出来事にクライムは見間違いだろうかと何度も目を凝らす。

 なぜならばその一撃の余波で拳の直線状にいた悪魔達すらも同時に吹き飛んでいたからだ。

 悪魔達でひしめいていた筈の道は嘘のように一瞬で風通しが良くなった。

 

「シャアァァアアアァ!」

 

 それを見た直線状以外にいた無数の悪魔達が再び老執事目掛けて一斉に攻撃を仕掛ける。

 

「少々数が多いですね。ナーベラル、お願いします」

 

 老執事はそう口にして一歩後ろへと下がる。

 次の瞬間。

 

「<連鎖する龍雷(チェイン・ドラゴン・ライトニング)>!」

 

 迸る雷撃が周囲を駆け巡った。

 無数の悪魔達を伝播するように龍の形を為した雷が貫いていく。

 この世界の基準では考えられぬ程の魔力の奔流。

 後には消し炭のような何かしか残っていない。

 

「セバス様、どうしてそのような下等生物をお助けに?」

 

 空から浮遊したままナーベラルと呼ばれた黒髪の美女が怪訝な表情でゆっくりと降りて来る。

 

「いえ、無視できぬ言葉が聞こえた為です」

 

 セバスと呼ばれた老執事はクライムへと向き直ると先程と同様の質問を投げかけてきた。

 

「もう一度聞きます。貴方はさきほど、モモンガ、そう口にしましたね?」

 

 セバスがそう問うと後ろにいたナーベラルの表情が一変した。

 それに驚くクライムだが今は何があっても口ごもってはいけないと判断しすぐに返答する。

 

「は、はい…。と、咄嗟の事でしたが口から出てしまいました…」

 

「咄嗟に? なぜでしょうか、理由をお聞きしても?」

 

 そうしてクライムは自分とモモンガの出会いを簡潔にだが説明する。

 自分の恩人であり、またこの都市の多くの恩人でもあると。

 何より、その不死者はこの国の膿を一晩で取り除き国そのものを救ってくれたのだと。

 その際に多くのポーションを提供してくれた事も含めて。

 

「ふむ。ナーベラル、我々は当たりを引いたかもしれませんよ」

 

「セ、セバス様…! し、信じるのですか? モモンガ様がこのような下等生物を自ら助けるなどっ…!」

 

「真実は分かりません。ですが少なくともこの者はモモンガ様と出会っている。アンデッドである事も知っているようですし信用する他ないでしょう。何よりモモンガ様の足取りが掴めた事は喜ばしい事です」

 

 なぜセバス達がこの地へと来たのか。

 ニグレドの探知魔法によりモモンガの死はナザリック全てに伝えられた。

 ただ一つ問題があった。

 モモンガの死亡の瞬間、刹那程の時間しか探知できなかった為か居場所まで特定するに至らなかったのだ。

 次にニグレドが行ったのはこの世界においてモモンガ及び、守護者達に匹敵する者達の捜索。

 モモンガの捜索は当然として、守護者に匹敵するような者達を探したのはなぜか。曲がりなりにもモモンガを殺せるとするならばそういう存在しか考えられないからだ。

 もちろん守護者に匹敵する強者の探知など簡単ではないし、罠も警戒しなければならない。途方もない時間がかかるだろうと思われた。

 だがモモンガの死後、すぐにこの世界の至る所でこんなにも分かり易い事件が起きたのだ。視界さえ飛ばしていればニグレドで無くとも気付く規模。

 ナザリックが動かぬ筈などない。

 

「そ、そうであるならばこの下等生物から無理にでも情報を引き出し…!」

 

「モモンガ様がお助けになられた者達です。無闇に傷つけるのは控えた方がよいでしょう。何より彼は知っている事を全て話してくれたように思います」

 

 納得がいかないようなナーベラルを諭すセバス。その時、<伝言(メッセージ)>の魔法がセバスへと届く。

 

「ソリュシャンですか、どうしましたか」

 

『セバス様。エントマと共に、コキュートス様から借り受けている八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達の協力のもとモモンガ様の御身を捜索していた所、とある貴族の屋敷でナザリック製のポーションらしき空き瓶を大量に発見しました。もしモモンガ様から盗んだ物であるならば万死に値します。すでに建物内にいた話の通じぬ邪魔な悪魔共は皆殺しにしております。屋敷の主人と思われる人間には知っている事を口にするように命じているのですが何も喋りません、幼い子供もいるようですし拷問しても?』

 

 通話越しにソリュシャンと呼ばれた女性は理路整然と、しかし畳みかけるようにセバスへと報告と上げる。

 その声色の下には抑えきれぬ程の憎悪が滲んでいた。

 

「ま、待って下さい。新たな手掛かりを得ました。こちらでモモンガ様が自ら助けたと思しき青年を保護しています。彼の話によればポーションは傷ついた民達へと下賜されたもの、何よりこの国全体が一度モモンガ様により救われているようなのです」

 

『モ、モモンガ様自ら!? な、なぜでしょう!? か、下等生物たる人間にこれだけのポーションを分け与えるなどっ…!』

 

「理由は分かりません。我々には思いもよらない深遠なる御考えがあるのでしょうが…。少なくともモモンガ様が本当に助けたのならば無闇に傷付ける訳にはいかないでしょう。彼等だけではありません、場合によってはこの都市の人々全てを助けるつもりでいて下さい」

 

『りょ、了解致しました…。し、しかし都市全ての人間を助けるとなると悪魔の数が多すぎるのでは…。これでは助けるなどとても…』

 

「そうですね、しかしこの悪魔共はモモンガ様を手にかけた張本人かその仲間達の可能性が高いのです。どちらにせよ皆殺し以外に選択肢などありますか?」

 

 セバスのその言葉で通話越しのソリュシャン、横で話を聞いているナーベラルからも殺意が一気に溢れ出た。

 モモンガが殺されたという事実が再度彼女達の腸を煮えくり返らせる。

 

『…そうですわね、セバス様の仰る通りですわ…! どんな理由があろうとも至高の御方に手を上げるなど許される事ではありません…! 悪魔共の抹殺は当然として、とりあえず不本意ではありますが人間共を助けるように動きます。もちろんモモンガ様の捜索のついでとしてですが…』

 

「ええ、お願いします」

 

 そうしてセバスはソリュシャンとの<伝言(メッセージ)>を切る。

 

「ナーベラル、少なくともポーションの裏付けは取れましたよ。まだ本当にモモンガ様が下賜したかまでは判断できませんがナザリック製のポーションが存在する事は証明されました。ひとまずこの青年の言葉は信用してもいいでしょう」

 

「了解しました…。ですがもしそのゴミムシが嘘を吐いていたら四肢を引き千切って殺してエントマの餌にしますので…!」

 

「構いません」

 

「えっ!?」

 

 クライムにはよく分からないがとんでもない話をされているのではと彼の本能が訴える。

 

「どうしましたか? 嘘は言っていないのでしょう? それならば心配する必要はありません。モモンガ様が貴方を守ったと仰るならばその真偽が付くまでは我々がお守りします」

 

「よ、よろしくお願いします…」

 

 こうして状況を完全には把握していないものの、クライムとラナーはセバス達に庇護された。

 

「さて、他の者達にも連絡をしておかなければ…」

 

 

 

 

「良かったわね、貴方達を殺す事は無さそうよ」

 

 屋敷の中で15体の八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)を率いるソリュシャンが目の前で震えるレエブン侯らへ言葉をかける。

 レエブン侯は嫁と子供を強く抱きしめたまま震えている。周囲には彼の子飼いの冒険者達、及び生き残った使用人などもいるがその全員が小さくなり震えている。

 それもそうだろう。

 人間からすれば見るもおぞましい姿をした八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)達が彼等を完全に囲んでいるのだから。先ほどからの理解できぬ問いかけに口ごもるのも仕方ないといえる。

 何よりこの者達は何も無い空間から突如として現れ、あの屈強な悪魔共を簡単に皆殺しにしたのだ。

 そんな未知の者に怯えるなという方が無理であろう。

 

「リ、リーたんだけは見逃してくれ! お、お願いだ! この子だけは…!」

 

 勇気を振り絞るようにレエブン侯が声を上げた。

 

「聞いていなかったの? 貴方達は殺さない。むしろ守るようにとの命令が下ったわ。貴方達が本当にモモンガ様からこのポーションを下賜されたというならば無碍にする訳にはいかないし…」

 

「へ…?」

 

「安心するですぅ。セバス様から殺すなって命令があった以上殺さないですぅ。私もぉ本当は人間のお肉がいいけどぉ今は悪魔肉で我慢んん、でもやっぱり美味しくないぃ」

 

 そう言ってソリュシャンの横にいた着物姿の小柄な女性、エントマがひょこっと顔を出す。その手には齧りかけの悪魔の死体があった。

 

「ひ、ひぃぃぃいい!」

 

 レエブン侯らがその所業を見て恐怖に震える。

 

八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)、三体この者達の守護につきなさい。本当は人間如きに戦力は割きたくないのだけれど、本当にポーションを下賜されるような人間ならば一応は優先して守っておくべきでしょうし…。でも貴方達がやられそうになったら見捨てて逃げても構わないわ」

 

 

 

 

 都市の一角、この神殿は命からがら逃げのびた者達の拠点となっていた。

 かなり大きな建物で数百を超える人数が集まってもなお余裕がある広さなのだが今はそうではない。生き残った冒険者に加え、多くの民達がここに逃げ込んでいるからだ。

 

「良かった…、これだけの人が生き残っていたなんて…」

 

 まだ生き残ってる人々がいる事に安堵するラキュース。

 ガゼフの案内により蒼の薔薇もここに逃げ込む事が出来た。

 

「何より貴方達、蒼の薔薇を見つける事が出来てよかった。幸いこの神殿に張られた結界のおかげで悪魔共は中々近づけないでいる。とりあえずはなんとかなるだろう。だが問題は怪我人だ。この非常事態、神官の方々も無償で治療をしてくれているが中には重症を負った者達も多くてな…」

 

 ガゼフは申し訳なさそうに告げる。

 彼の後ろには傷ついた多くの者達が横たわっていたからだ。

 中にはガゼフの言うように瀕死の重傷を負っている者も多い。この神殿にいる神官達の魔法では回復が追い付かないのだろう。

 幾ばくの余裕もない。このままでは多くの者が命を落とすだろう。

 

「…! 分かりました、私もすぐに治療に参加します。ガガーラン、ティア、ティナは外の様子を見て来て」

 

「おう、だがよこのままここにいてもいつ悪魔共に突破されるか分からねぇぞ」

 

「でもここから出たら死」

 

「流石筋肉ダルマ、脳みそまで筋肉」

 

「うるせぇぞティア、ティナ! そんな事わかってんだよ! だがこのままずっとここにいても…」

 

 ガガーランがそう言いかけた時、外で爆音が響いた。

 

「な、何が起こったっ!?」

 

「け、結界が破られました! う、うわぁぁああ!」

 

 神殿の敷地内に張られた結界が破れ、無数の悪魔達が神殿へと押し寄せる。

 

「どうするガゼフ?」

 

「アングラウスか。もう手は無いな…、こうなれば討って出て少しでも多くの悪魔を道連れにしてやるさ」

 

「ははは、もう王国戦士長じゃないってのに真面目な奴だな、付き合うぜ」

 

「お前まで無理に付き合う事は無いんだぞアングラウス」

 

「馬鹿言うなよ、討って出ても出なくてももう同じだ。なら俺だって一匹でも多くの悪魔を斬り伏せてやるさ」

 

 そうしてガゼフとブレインが神殿の外に出ようとした瞬間――

 道にひしめいていた悪魔達の何体かが突然吹き飛んだ。

 

「フッ!」

 

 メイド服を着た、しかし手にはガントレットをはめた不思議な出で立ちの女性がその拳でもって次々と悪魔を吹き飛ばしていく。

 

「ユリ姉ー、数が多くてキリないっすよー」

 

 その近くでこちらもまたメイド服を着た褐色の女性が聖印を象ったような巨大な武器で次々と悪魔達を押し潰していく。

 

「ルプー! 文句を言わない! セバス様から通達があったでしょう?」

 

「分かってるっすよー! ただ人間共を守りながらこの数を捌くのは流石にキツイっす!」

 

 神殿を囲んでいる千を超えるであろう悪魔達を二人のメイドが次々と殴殺していく。それも神殿内に侵入しようとする悪魔から優先的に。

 それを見ていたガゼフ、ブレイン、蒼の薔薇達は唖然としていた。

 彼女達は何者なのか。 

 だが最も驚いたのはその強さだ。

 ガゼフやブレイン、蒼の薔薇ですら苦戦するような悪魔達を難なく処理していく。

 そんな彼等の前に、悪魔達の死体を踏みしめながら奥からもう一人のメイド、いや犬の頭を持つメイドが神殿へと歩み寄ってきた。

 

「い、犬!? モ、モンスターか!?」

 

 ガゼフ達が咄嗟に犬頭のメイドへと剣を向ける。

 

「警戒する必要はありません…………わん」

 

 そう言うと犬頭のメイドが手をかざし魔法を発動する。

 

「っ!? ま、魔法!? み、皆逃げ―――」

 

 ラキュースが魔力を感じ声を上げる、だが。

 

「<魔法効果範囲拡大化(ワイデンマジック)><完全なる大治癒(パーフェクト・ヒール)>」

 

 神殿内での傷ついた者達を覆うように巨大な光の柱が出現した。

 月の光のように優しく輝く光の柱は範囲内にいる者達の傷をみるみる内に癒していく。

 重傷者はもちろん、四肢欠損さえしていた者がまるで嘘だったかのように元通りになっていく。

 死の一歩手前にいた者すらも嘘のように回復していく。

 それを見たラキュースは驚きを隠せなかった。

 高位の信仰系魔法を修める彼女ですらこんな魔法は知らない。

 それどころかこんな奇跡のような魔法など御伽噺ですら聞いた事のないレベルだ。

 まさに神の御業。

 

「あ、貴方は一体…」

 

「ただのしがないメイド長です…………わん」

 

 

 

 

「見つけた」

 

 この都市で最も高い塔の上、その場所で眼帯を付けた少女がポツリと呟く。

 

「首謀者の悪魔達を見つけたのですか? シズ」

 

 その横で浮遊する一人の少女がシズへ呼びかける。

 髪飾りを付け、シンプルな真っ白いドレスを着たか弱い少女。

 

「うん、守護者級の悪魔が2体。その周囲には最高位の悪魔達が30体もいる。私の狙撃でどうにか出来る数じゃない」

 

「それは困りましたね…、ではあの者達はセバス様にお願いするしか?」

 

「うん、それしかない。でも問題がある」

 

「問題?」

 

「あの最高位の悪魔達、全員が<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>を発動してる。このまま増え続ければ悪魔の数は万を超える」

 

「あら、大変です」

 

「なにより守護者に匹敵するあの2体の悪魔、生贄召喚をしてる。あ、また悪魔数百を引き換えに最高位の悪魔が召喚された。これはマズイ、それで召喚された悪魔がまた<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>を発動した。このままじゃ永遠に悪魔が増え続けるかも。いくらセバス様でもあの数相手に戦いを挑むのは無謀」

 

 無表情のままシズが「うーん、困った」と呟く。

 

「召喚系モンスター達ですか…、分かりました。私がやります」

 

「!? で、でもモンデンキント…、あれを使用したら…」

 

 シズが怯えたように彼女の名を呼ぶ。

 月の子(モンデンキント)、それがこの少女の名前だ。

 武力も魔力も知力も無い、ただのか弱い一人の少女。

 

「問題ありません、その為に私は来たのですから。全ては至高の御方の為。この名を授け、私を救ってくれた創造主様に報いる為です。何より、この哀れな人々を見殺しにするなど私には出来ません。シズ、後は頼みました。セバス様によろしくお伝え下さい」

 

「…、わかった…」

 

 シズが頷く。

 至高の御方の為、その為であればナザリックのシモベ達は何の躊躇も無くその命を投げ出す。

 それは当然であり、誰もそこに疑問は抱かない。

 

 モンデンキントが真っ赤な装丁をされた本を取り出す。

 

「‐ここは私の国。統治はすれど、何も強要せず、権力も行使しない。何者も裁かず、またいかなる判断も下さない。善なるものも悪なるものも、賢者も愚者も、美貌も醜悪も何もかも分け隔てなくあらしめる‐」

 

 彼女とその手に持つ赤い本が徐々に魔力を帯びていく。

 

「‐ここは私の国。全てが私の血肉で、想像の源。この命なくば存在しえぬ儚げな世界。そう、これは『はてしない物語』‐」

 

 それは詠唱。

 強力な魔法になれば発動までに長い時間が必要になる。

 彼女はその間、この言葉を詠唱する。そう創造された。

 この言葉自体に意味は無い。しかしこの詠唱をしながら彼女は複数の魔法とスキルの重ね掛けを行っていたのだ。

 

「‐ここは私の国。やがて"虚無"に全てが飲み込まれる‐」

 

 それが詠唱の終わり。

 時間をかけ、彼女の魔法が発動した。

 ユグドラシルでも最高峰の空間魔法。断絶した世界へと対象者を引き摺り込む魔法だ。

 しかしモンデンキントの魔法は少々特殊である。

 特化している分、非常に強力だがより多くの制約がつく。

 だがこの場においてはそれは枷とはならなかった。

 

「……!」

 

 都市を見下ろしていたシズが目を見開く。

 モンデンキントの事は知っていたがこの魔法を実際に目にするのは初めてだからだ。

 

 "虚無"が一瞬にして都市中を飲み込んだ。

 そう、まさに"虚無"としか形容できぬ何か。

 あまりにも実態が無さ過ぎて異様としか形容できない。

 ただ理解出来ない何かがそこに広がっている。

 暗闇でもなく、また漆黒でもない。ただただ"虚無"。

 "虚無"は都市中を飲み込むと共に、あらゆる人間達と悪魔達に触れた。

 都市内にいた人間達はもちろん悪魔達も何が起こったのか誰も理解出来ない。

 

 やがてその"虚無"は唐突に消え失せる。

 多くの悪魔達と共に。

 都市に溢れかえっていた筈の悪魔達のほとんどがその"虚無"に引き摺り込まれた。

 そしてモンデンキントの姿もまた無かった。

 まるで己すらも飲み込まれたように。

 

 

 

 

 ここは空間魔法の中、隔離されたどことも繋がっていない世界。

 

 その中心にはモンデンキントがちょこんと座っている。

 周囲には都市中に溢れていた筈の万にも迫る悪魔の軍勢。

 

「ようこそ皆さま、ここは私の国。貴方達はもう()()()()()です」

 

 ニコリとモンデンキントが笑う。

 しかし周囲の悪魔達はその言葉を理解しようともしないし、またできない。ただ荒れ狂う殺意をモンデンキントへと向ける。

 そして悪魔達がモンデンキントへと襲い掛かった。

 武力も魔力も知力も無いモンデンキントはいとも容易く悪魔達に殺される。

 手足は引き千切られ、臓物を抉られ、無残な姿に。

 

 だが次の瞬間、終わりが訪れた。

 世界の、この空間の終わり。

 この空間はモンデンキントが存在してこその世界。

 彼女が死ねば全てのものが無に帰す。

 悪魔達も例外ではない。

 この空間に隔離された以上、すべてのものがモンデンキント無くして存在できぬのだ。

 彼女を殺す事は、己の死を意味する。

 空間が消滅し、万にものぼる悪魔の軍勢は、その全てが滅びた。

 最高位の悪魔達であろうとも例外ではない。

 誰にも知られず、また見られる事もなく、ただあっけなく。

 

 戦闘能力を有さず、ただこの空間魔法に秀でた一点特化型のNPC。

 そういう意味ではナザリックの第八階層守護者であるヴィクティムに近いかもしれない。

 彼女の特化している能力は『召喚された者を自分の空間に隔離する力』。

 ユグドラシルでも召喚されたモンスターを排除する魔法やスキルは存在する。それを練り上げ、他の魔法も重ね合わせたもはやモンデンキントのみの究極技と言っても良いだろう。

 プレイヤーや傭兵NPC等には一切力が及ばず、召喚された者のみ。

 しかしそれ故に召喚された者であるならばレベルや数を問わず、いかなる者も逃さない。

 代償として自分も同じ空間に隔離されてしまうが、己の死と引き換えにこの空間内の全ての者を滅ぼす事が出来るという特性も合わせ持つ。

 それがモンデンキントの力。

 

 月の子(モンデンキント)、またの名を"幼心の君"。

 

 

 

 

 悪魔達を次々と処理するセバスとナーベラルは都市を覆った"虚無"に気付く。

 一瞬で都市中を飲み込み、また一瞬でその全てが消えた。

 ただ一つ違ったのはセバス達の目の前にいた筈の無数の悪魔達が姿を消していた事だ。

 先ほどまでの地獄のような喧噪など嘘のように静まり返っている。

 

「これはモンデンキントの力…! ということは…。ありがとうございます。貴方の死は無駄にはしません」

 

 すぐに仲間の死を悟り、感謝を告げるセバス。

 それと同時に再びセバスの元に<伝言(メッセージ)>の魔法が届いた。

 

『セバス様』

 

「シズですか、今のはモンデンキントですね?」

 

『そう。おかげで悪魔達のほとんどが滅び、また敵の全勢力が把握できた。残ってるのは守護者級の悪魔が2体、最高位の悪魔達が8体。上位が40、中位が約100、低位が約250。上位と中位なら私達プレアデスと八肢刀の暗殺蟲(エイトエッジ・アサシン)で各個撃破していけば十分に対処可能。まあ低位なら現地の人間でも倒せると思う』

 

「なるほど、問題はその2体の悪魔と8体の最高位の悪魔達ですか」

 

『うん、私達プレアデスがセバス様のフォローに回れば上位と中位がフリーになる。こいつらは人間達じゃ対処が難しそうだから後回しにすれば被害が拡大する』

 

「それは避けたいですね…、構いません。プレアデスは上位と中位を相手にして下さい。残りは私が相手をします。いやはや、彼等に付いて来てもらって本当に良かった。後は任せて下さい」

 

『うん』

 

 そうしてセバスはシズとの通話を終えるとナーベラルに向き直る。

 

「ナーベラル、これから私は敵の首魁を潰しに行きます。貴方はこの保護した者達を連れてユリ達と合流して下さい」

 

「し、しかしセバス様御一人で…!?」

 

「まさか」

 

 セバスの言葉と同時に、いつの間にかナーベラルの後ろに複数の影があった。

 

「あ、貴方方は…! なるほど、お任せした方がいいようですね」

 

 そう言って一礼するとナーベラルは保護した人間達を誘導しユリ達の元へと向かう。

 

「さて、話は聞いていましたね?」

 

「ええセバス殿、我々の出番ですな」

 

 そう言って現れたのは6体のアンデッド。

 

「はい、お願いしますよティトゥス」

 

「もちろんです。親愛なるモモンガ様の為、我々もその力を振るわせていただきましょう…! 慈悲などありません…! モモンガ様に仇名す者達に絶対なる死を…!」

 

 彼の名はティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス。

 ナザリック第十階層内「最古図書館(アッシュールバニパル)」の司書長である。

 

 そして後ろに控える5体のアンデッド達。

 アウレリウス。

 アエリウス。

 ウルピウス。

 コッケイウス。

 フルウィウス。

 いずれもレベル80を超える死の支配者(オーバーロード)である。

 

 

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

 

 都市は半壊し、皇城から逃げようとするジルクニフ達の目の前にはキマイラが立ちふさがっていた。

 ユグドラシルでもレベル80を超える最上位モンスターである。

 そのキマイラがジルクニフ達へと口を大きく開ける。

 都市を半壊させた時と同様のブレスを吐き出そうとしているのだ。

 

「ここまでか…」

 

 己の死を悟り、諦念と共に小さく呟くジルクニフ。

 そしてキマイラの口から炎のブレスが吐き出されたようとした瞬間――

 

 キマイラの体が突如見えない何かに圧し潰された。

 地面はヒビ割れ、クレーターのように大きく陥没。

 その中心でキマイラの体がメキメキと異音を鳴らしながら徐々に平たく潰れていく。

 

「ガ、ガァァァァ…!」

 

 苦しそうなキマイラの悲鳴が零れ出る。

 その時、彼等を覗き込むように上空に巨大なドラゴンが二体浮遊していた。

 

「こ、今度はドラゴンだと!? 一体何が…!」

 

 ジルクニフを庇うように前に出ていたバジウッドが声を上げる。もちろんその疑問はこの場にいる全員同じであっただろう。

 その時、一体のドラゴンの背から小柄な闇妖精(ダークエルフ)の少女がキマイラの元へと降りてきた。

 

「ぼ、僕たちモモンガ様を探しているんです。居場所を知っていたら教えて下さい…」

 

 圧し潰されているキマイラへと質問を投げかける闇妖精(ダークエルフ)の少女。

 怒りに満ちた瞳とは裏腹にその口調はたどたどしい。まるで演技か何かのように。

 

 そして押し潰されている状況で質問の答えなど返ってくる筈も無い。ただキマイラの苦しそうな声が上がるだけだ。しかし闇妖精(ダークエルフ)の少女はそう思わなかったようだ。

 

「どうして答えてくれないんですか…? 敵だからですか…? 貴方がモモンガ様を殺した張本人だから…!? ゆ、許せない…、許せない…!」

 

 狂ったように怒りの声を上げる少女。それに呼応してキマイラの体への重圧が増し、目に見えて体がひしゃげていく。

 

「グ、グアァァ!」

 

 最後の力を振り絞りその少女へとキマイラがブレスを吐き出そうとした刹那――

 

 上空に浮遊していたドラゴンの一体が高速で滑空しキマイラ目掛け降り立つ。

 重量のある体とその勢いもあってか足で思い切り踏みつけられたキマイラの頭部は潰れ、脳漿を撒き散らした。

 

「違った…。モモンガ様がこの程度の奴に殺される筈がありません…。そもそも話が通じないし…。もしモモンガ様と関係無いなら苦しませず殺すくらいはしてあげるのに…」

 

 瞳に暗い色をたずさえたまま少女がポツリと呟く。

 次にその少女はジルクニフ達へと視線を向ける。

 即座にジルクニフは本能的に身の危険を感じた。

 言葉は話すものの、まるで今殺された化け物以上に話が通じないのではと思わせるような謎の凄味が目の前の少女にはあったからだ。

 

「貴方達は何か知っていますか? 僕たち、モモンガ様を探しているんです…」

 

 少女の氷のような視線がジルクニフを射抜く。

 一つでも対応を間違えれば終わりだと理解したジルクニフは少女に必要とされる何かを引き出せるような言葉を頭をフル回転させ必死で絞り出す。

 相手が何者で、現状この国に何が起こってるかなど余計な事を問う暇も無ければ余裕も無い。

 

「も、申し訳ないがそのモモンガという者は…」

 

「モモンガ様です…!」

 

 敬称を付けなかった事が怒りを買ったのだろう。少女から僅かに殺気が漏れる。

 

「し、失礼した! そ、そのモモンガ様なる人物だが我々は知らない…!」

 

 ジルクニフは即座に敬称を付け言いなおした。

 今はそんな事に拘っている場合では無いし、何より目の前の人外たる少女が異常な敬意を払うような者を探しているという情報を入手できた事を有効活用した方が良いとジルクニフは考える。

 しかしその言葉を聞いた少女の目からジルクニフへの興味が一気に失せるのを感じた。

 だからこそ矢継ぎ早にジルクニフは次の言葉を捲し立てる。

 

「だが! 我が配下や国民までもそうとは限らない! 私はこの国の皇帝ジルクニフ! ここは人口800万を超える大国であり旅人も多い! 貴方が探すような人物を知っている者がいる可能性は十分にある! もちろん私の権限で貴方の探し人の捜索を全力で手伝うとここに誓おう! そ、それに貴方が敬愛するような偉大な人物ならいつか私もお会いしたいものだ…! さぞかし素晴らしい人物なのだろうな…!」

 

 この緊張の中、噛まずによく言えたとジルクニフは自分を褒めたい気持ちになった。

 そして人口の多さをウリにした為か、あるいはそのモモンガなる人物を褒めたせいか分からないが目の前の少女の殺気が薄れるのをジルクニフは感じた。

 

「手伝ってくれるんですか…?」

 

「も、もちろんだ! 我が名において全力を尽くし助力する事を約束する! し、しかしだな…、協力するとは言ったが、そのモモンガ様を探そうにもこの混乱では…! 何よりモモンガ様を知っている者がいたとして死んでしまっては元も子もないのだが…」

 

 もっと余裕があり情報があれば高度な駆け引きが出来たであろう。

 それに目の前の少女が子供であるという要因がこのような分かり易い言葉を選択した理由でもある。

 流石に露骨過ぎたかと反省するジルクニフだが、結果としては悪くなかった。

 

「なるほど、確かにそうですね…」

 

 そう呟くと少女は<伝言(メッセージ)>の魔法を使用した。

 

「もしもし聞こえますか」

 

『はっ! これはマーレ様!』

 

「偶然この国の王様と話したんですけど国を挙げてモモンガ様捜索を手伝ってくれるみたいです。別にわざわざ助ける必要はありませんが無闇に人間は殺さないでください。セバスさんからの報告の件もありますし…。もしかしたら何か知っている人もいるかもしれないので」

 

『了解しました! ではこれから本格的に交戦してもよろしいでしょうか? 全軍すでに準備は整っております』

 

「はい、お願いします。どうやら敵は話も通じないようですし皆殺しで。スピアニードル達は敵の多い所を襲撃。戦闘馬(アニマルウォーホース)達はその機動力を生かして敵を攪乱。竜の縁者(ドラゴン・キン)部隊は他のシモベ全てを率いて敵を殲滅しながら都市の南から北上して下さい。細かい討ち漏らしは気にせずどんどん進んで構いませんから」

 

『了解しました! ではこれより進軍を開始します!』

 

 そうしてマーレと呼ばれた少女は<伝言(メッセージ)>を切るとまた新たに<伝言(メッセージ)>を発動させた。

 

「もしもし、恐怖公さん」

 

『おお、マーレ殿。我輩達はいつでも良いですぞ。モモンガ様の敵は我らの敵…! 何があろうと討ち滅ぼしてくれましょう! それに我が眷属も久々に人の肉を口に出来るかと思うと昂っているようでして…』

 

「その事なんですかこの国の王様がモモンガ様捜索に協力してくれる事になりました。なので無闇に人間を食べないでくれると嬉しいんですけど…」

 

『なんと! しかし、そうですな…。今はモモンガ様の捜索が第一…、人間の肉などにかまけている場合ではありませんでしたな…』

 

「それでさっきシモベに進軍の指示を出しました。予定通り、彼等が討ち漏らした者達は恐怖公さんにお願いしてもいいですか?」

 

『もちろんでございます! 我輩と我が眷属がどんな者をも逃がしません! どこに隠れようと必ず見つけ出し骨になるまで食い尽くしてご覧にいれましょう! 我が騎乗ゴーレムであるシルバーゴーレム・コックローチも久々の戦いに胸を躍らせています!』

 

「よろしくお願いします」

 

 そう言ってマーレが<伝言(メッセージ)>を切った次の瞬間、遠くから地響きと雄叫びが聞こえた。

 

「な、何が…!」

 

 突然の事にジルクニフが声を上げ、遠くを見る。

 城の上階では無い為、都市全てを見下ろせる訳では無いがそれでも焼け野原となった都市の向こうに軍勢とも呼ぶべき大軍の姿が見て取れた。

 まさに異形。

 その者らは姿を現すなり、この都市を襲っている魔獣達と激しくぶつかり合い戦いなった。

 またその後ろでは巨大な黒い津波のようなものが発生し、次々と魔獣達を飲み込んでいく。

 

「じゃあ僕は行きます。敵のリーダーを潰さなきゃいけないので…」

 

 そうしてマーレと共に二体のドラゴンが上空へと飛び立つ。

 残されたジルクニフ達は訳が分からぬまま、その場に取り残された。

 

 

 

 

 ローブル聖王国、首都ホバンス。

 

 

 突如、天使達の襲撃により都市と大神殿は半壊。

 レメディオスとケラルトは国の指導者であるカルカだけでもと、残った聖騎士達を率いて逃亡を図るがそれも無駄に終わる。

 逃亡の甲斐なくすぐ天使達に包囲され、殺されるのも時間の問題といえた。

 

「くそっぉ! せ、せめてカルカ様だけでも…!」

 

 レメディオスが怒りと悔しさに声を上げる。

 その後ろにいるケラルトも同じ気持ちであろう。可能ならば天使達を口汚く罵ってやりたいとさえ思う。そうしないのはそれが意味ないと理解しているからだ。

 カルカはそれでも奇跡に縋っているのか必死で祈りを続けている。

 やがて天使達が彼女達にトドメを刺そうとした瞬間、どこからか旋律が聞こえた。

 

 都市中に響くのではと思う程の音でありながら、しかし騒音とはまた違う謎の調べ。

 まるで脳内に直接響いているのではと錯覚する程の。

 

 その演奏はどんどんと勢いを増し、不気味で暗澹たる調べが脳内で鳴り響く。

 演奏が激しくなるにつれ、聞いている者はどんどんと憔悴していく。

 体から力が抜け、思考が纏まらない。

 カルカやケラルト、屈強な体を持つレメディオスでさえそれに抗う事が出来ず、苦しみのあまりその場に膝を突く。

 頭が割れるような、脳が震えるような、また何か心惹かれ魅了されるような、自分が自分で無くなるような異様な旋律。

 その音は都市中に響いていた。

 カルカ達だけではなく、都市内のあらゆる人間達がその音に膝を折り悲鳴を上げる。

 だがそれは人間達だけではない。

 この都市を襲っている天使達でさえ、この音により動きが鈍くなっていた。

 

 それはこの都市の一角から発生していた。

 いつの間にそれらはいたのか。

 都市がこんな状況でありながら演奏をし続ける異様な集団。

 それらは人ではなく、異形だった。

 

 演奏をしている者達を率いるのは醜悪な者。

 象とも蛭ともタコとも形容できぬ奇妙な頭部を持つ者、それがタキシードを着て指揮棒を振っている。

 その者の周囲でヴィオラを引き続ける者達もまた異様。

 誰もがつるっとした頭部に三つの穴がある者達。この者達も同様にタキシードを着用している。

 

「上げよ悲鳴、轟かせよ慟哭、全ての者は我が旋律に狂乱せよ…!」

 

 指揮者が声を上げると演奏はさらに激しくなる。

 音と共に人々の正気は失われ発狂へと導かれる。

 その音が絶頂を迎えようとした時、彼に<伝言(メッセージ)>が届く。

 

『そこまでだチャックモール。目下の目標は天使達だけでいい。人間共は壊すな』

 

 チャックモールと呼ばれた醜悪な者は意外とばかりに声を上げる。

 

「これはデミウルゴス様とは思えぬ指示…! 人間共の事など何を気に掛ける必要がありましょうか!? 貴賤を問わず全ての者へ演奏を届けるのが我が喜びなれば…!」

 

 チャックモールは通話越しにデミウルゴスへ非難を向ける。

 

『それは分かっているがね…、セバスから報告が上がった。王国にてモモンガ様に救われたと思わしき青年と接触したとね』

 

「なんと! 当たりは王国でしたか…」

 

『いや、そうとは限らない。どうやら王国で接触したのは何十日も前の事であるようだしね。しかしモモンガ様がその手でもって人間を助けたという事が問題なのだよチャックモール』

 

「確かに問題ですな、あまりにも不可解…。人間如きをなぜモモンガ様が…」

 

『そう。そして次に疑問なのがなぜこの天使達が人間を襲うのか…!』

 

「…? 仰る事が分かりかねますな。人間のような下等生物などいつ誰に襲われても不思議ではないでしょう」

 

『まだ分からないのかねチャックモール。悲しい事にモモンガ様は何者かに弑された…! 腹立たしいがその者達はそれだけの力を有している事の証明でもある…』

 

「だからこそ我々がその者達へ罰を下す為に出てきたのでしょう?」

 

『そうだとも。しかし考えてみてほしい。モモンガ様は人間共を救った、しかも貴重なポーションを自ら下賜するという破格の待遇でだ…! そしてモモンガ様に大罪を働いた者達が次に選んだのは人間達。中には襲われた亜人共もいるだろうが些末な事。あるいはその者らも同様なのかもしれない…』

 

「…? まだよく分かりませんな…」

 

『つまりだ、モモンガ様は人間共を守ろうとして何者かと敵対した可能性が高い。だからこそモモンガ様の排除に成功したその者達は今人間共を襲っているのだ。それが当初の目的だとするならばね。流石にその理由まではわからないが…。この人間共に利用価値があるのか、それともまた別の理由が…。いずれにしろ重要なのはモモンガ様が自ら救った人間達…。そこには何らかの目的や意図、計画があったに違いない。つまりこのタイミングで襲われている人間共はその全てがモモンガ様が身を挺してまで救う何らかの価値があったとも仮定できる。つまりだ、モモンガ様にとって必要な駒である可能性のある人間共をお前は壊す気でいるのかと聞いているのだチャックモール』

 

「……っ!」

 

 初めてチャックモールの中に動揺が走った。

 

『もちろんまだ憶測に過ぎない。その可能性があるというだけで全く違う理由かもしれない。だが少なくともセバスの得た情報によって点と点が繋がった。世界中を襲っている者達はその全てがモモンガ様と敵対していた者達だろう…。いや、ほぼ間違いないだろうね。ナザリックに匹敵するような軍勢ならば御一人であるモモンガ様が後れを取ったのも理解できる。何よりニグレドの情報通りなら、モモンガ様の死を引き金にその後世界中が同時に襲われたのだ。無関係な筈などあり得ない…!』

 

 デミウルゴスの口調には隠しきれない怒りがあった。

 それと同時に自分の無能さも責めていた。なぜそのような大事な時にお側にいれなかったのかと。

 

「なるほど…。確かに憶測の域は出ませんが事の真偽が付くまでは、モモンガ様と敵対しているであろうこの天使達が襲っている人間共には手を出さぬ方が無難と…」

 

『そういう事です。もちろん邪魔であれば排除するのに躊躇はありませんがね…。あくまで優先すべきはモモンガ様。ゆえに人間共の安否などわざわざ気にする必要はありませんが無理に殺す事もない』

 

「わかりました、とりあえずは天使に集中しましょう」

 

『頼みましたよチャックモール』

 

 そうしてデミウルゴスからの<伝言(メッセージ)>は切れた。

 一度深呼吸し、自分を落ち着かせるチャックモール。

 次にヴィオラの演奏者達へと声をかける。

 

「一先ず人間共は捨て置く、主に我らの旋律は天使達に向ける事とする! さぁ悪夢のような音色を奏でよう…!」

 

 再びチャックモールが指揮棒を振り回す。

 

 チャックモール。

 ナザリック地下大墳墓の中において恐怖公と共に「五大最悪」と呼ばれる内の一人。

 上位二重の影(グレーター・ドッペルゲンガー)で構成されたエーリッヒ擦弦楽団を直轄の配下として持つ。

 その演奏により大規模のデバフ、幻惑効果を及ぼす事が出来る。

 

「全ては至高なる御方、そして『暗闇の調べ』様の為に…!」

 

 

 

 

 チャックモール達の演奏が再び聖王国中に響く。

 その演奏により天使達の多くの動きが鈍り、また混乱していた。

 

「今が好機だ。十二宮の悪魔達は私に付き従え。憤怒の魔将(イビルロード・ラース)嫉妬の魔将(イビルロード・エンヴィー)強欲の魔将(イビルロード・グリード)はそれぞれ配下の悪魔達を率い都市内の天使共をその場に留めろ、一匹も自由にさせるな…! モモンガ様に敵対した事を後悔したくなるほど徹底的に潰す…!」

 

 デミウルゴスは宝石の瞳を剥き出しにする程、怒りの表情を浮かべ命令を下す。

 かろうじて自制出来ているのはその強い忠誠心ゆえだろう、しかしこの怒りの源もやはり強い忠誠心によるのだが。

 最高位の悪魔である十二宮の悪魔達。

 さらにレベル80を超える魔将達はそれぞれ4体ずつ存在し、合計12体。

 だが主力はそれだけではない。

 

奈落の支配者(アビサル・ロード)深遠の悪魔(アビス・デーモン)達を率い、この国の重要人物を確保しろ。モモンガ様の情報を引き出せるかもしれないし、そうでなくても使い道はある。影の悪魔(シャドウ・デーモン)達は引き続き各地に散り、モモンガ様の捜索及び天使共の動きを知らせろ。さぁ行け!」

 

 奈落の支配者(アビサル・ロード)も魔将達同様レベル80を超える。

 魔将達も含め、これらの全ての最高位の悪魔達は無数の配下を持つ。

 それが聖王国中へと散ったのだ。

 

 同時刻、謎の演奏から突如として解放されたカルカ達は空を見上げる。

 空が黒く染まったのではないかと思う程の景色がそこにはあった。

 正体は空を覆う程の無数の悪魔達。

 その悪魔達は殺意を剥き出しにし地上へと舞い降りる。

 

「あ、あぁ…、こ、こんな事が…」

 

「そ、そんな…」

 

「世界の終わりだ…」

 

 カルカもケラルトもレメディオスも悲痛の声を上げる。

 天使の軍勢により聖王国は半壊、それだけでは終わらず次に現れたのは無数の悪魔達。

 悪意の象徴にして、悪徳の権化であり、あらゆる生命の敵。

 神話級の存在であり、世界の終わりを告げる者とも形容される。

 

 まるで地獄のような光景を前にカルカ達は絶望するしか出来なかった。

 

 

 

 

 アベリオン丘陵及びエイヴァーシャー大森林。

 

 

 突如現れたアンデッドの集団によりアベリオン丘陵では多くの亜人の命が散り、エイヴァーシャー大森林では王の死と共に森妖精(エルフ)の国は滅びた。

 そんな中、生き残った森妖精(エルフ)達は森の中を必死で逃げる。

 即座に全滅する事が無かったのは森が彼等の庭とも言える環境だったからだろう。

 しかしそれを追うアンデッド達は疲れも知らず、ただただ森妖精(エルフ)達を追う。

 やがてその魔の手が森妖精(エルフ)達に届くのは必然ともいえた。

 

「いや、やめて…! 死にたくない…!」

 

「な、なんでこんな…! 助けて…!」

 

 アンデッドに囲まれた森妖精(エルフ)達が泣きながら命乞いをする。

 しかしアンデッドにそんなものが通用する筈が無い。

 そして森妖精(エルフ)にアンデッドの手が届くその時、唐突にアンデッド達の体が砕け飛んだ。

 何が起きたのか分かったのは周囲のアンデッド達が全て動かぬ骸となった後だ。

 

 森妖精(エルフ)達の目の前に現れたのは漆黒の大狼。

 神々しさすら感じられるその美しい毛並みと立ち振る舞いに森妖精(エルフ)達は見惚れる。

 瞬き程の時間で無数のアンデッド達を屠った恐るべき大狼。

 まさに神獣。

 規格外の強さを持つ自分達の王でさえ、比較にならぬ程の威圧感。

 森妖精(エルフ)達は恐怖ではなく、畏敬を以て大狼へ感謝を告げようとした時さらに何者かが姿を現した。

 

「フェン、片付いた? どうやら森の北の方で私に匹敵する奴等を発見したらしいから数で圧し潰すよ」

 

 それは闇妖精(ダークエルフ)の少年だった。

 まだ声変わりもしていないのか女の子のような声。

 しかし森妖精(エルフ)達がその少年を見て最も驚いた事は、神獣を使役しているであろう事でも、その見事な服装にでも無い。

 

 その瞳だ。

 左右で輝きの違う虹彩異色(オッドアイ)

 森妖精(エルフ)の王族であるその特徴を少年は持っていたのだから。

 

「あ、あぁ…! お、王…! 我らが王…!」

 

 森妖精(エルフ)達が祈りを捧げようとした頃、もう少年の姿はそこにはなかった。

 時を同じくして森のあらゆる場所でアンデッド達が殲滅されていた。

 これにより多くの森妖精(エルフ)達が命を拾う事になるのだが、運よくその少年の姿を目にする事の出来た者達は口々に真なる王の出現を口にした。

 最も少年にそんな意識はまるでなかったのだが。

 

「クアドラシル!」

 

 フェンと呼んだ大狼に乗り高速で移動する少年はその名を呼ぶ。

 それと同時に何も無い所から一匹の爬虫類を思わせる獣が姿を現す。

 

「そっちも片付いたみたいだね、じゃあ行くよ! モモンガ様に敵対した奴等なんて一匹も逃さないんだから…! 全員で徹底的にやるよ!」

 

 闇妖精(ダークエルフ)の少年、もとい男装した少女であるアウラ・ベラ・フィオーラ。

 彼女は弟のマーレと共にナザリックにおける第六階層守護者である。

 今回は己の使役する直属の魔獣を除き、第六階層全ての配下をマーレに預けた為に現在彼女の勢力は守護者の中でも最低数となっている。

 

 総数、わずか100。

 この数でアベリオン丘陵とエイヴァーシャー大森林を襲う無数のアンデッド達を相手どらなければいけない。

 だがそれで十分なのだ。

 アウラの使役する100体の魔獣達の最高レベルは80にもなる。そんな者達がビーストテイマーとして最高位の能力を持つアウラの支援によりレベル90にまで引き上げられるのだ。

 群としての強さは守護者の中でも抜きん出て最強。

 個としては守護者の中でブービーだが、配下を含めた集団戦になれば他の守護者達すらも圧倒出来る程の強さを誇る。

 それがアウラと彼女の魔獣達。

 

 ここは彼女の最も得意とする戦場なのだ。

 

 

 

 

 トブの大森林。

 

 

 暗闇から這い出た亜人達とザイトルクワエの戦い。

 それは苛烈を極めたが、最終的に出てきた4体の都市守護者達によりザイトルクワエは跡形も無く滅ぼされた。

 異を唱えようのない完璧な決着。

 

 それを見ていた蜥蜴人(リザードマン)やハムスター、蛇の半身を持つ老人、ゴブリンやオーク、トロール等。あらゆる者達が言葉を発せないでいた。

 唯一言葉を発したのはピニスン。

 

「う、嘘だ…。ま、魔樹が…、世界を滅ぼす魔樹が…、滅ぼされるなんて、そんな…」

 

 まさに神話のような戦いだった。

 伝説のどんな戦いも霞むような、天上の戦い。

 

 しかしその決着が着くと共に、その殺意は彼等へと向けられた。

 

「わ、うわわ! あ、あいつらこっちに来る!」

 

「本当でござるー! ど、どうにかならぬでござるかー!」

 

「くっ、これまでか…」

 

 それぞれが死を覚悟したその時、ここにいる誰のものでもない声が響いた。

 

「「「<氷晶結界>!」」」

 

 凛とした美しい女性の声だった。

 しかしそれらは一人のものではなく複数によるもの。

 その声と同時に驚くほどに巨大な氷の壁が出現し、あっという間に全てのザイトルクワエと戦っていた者達を囲み閉じ込めた。

 氷の壁を囲うように白ずくめの女性達が結界を保持するように空中に座している。

 彼女達は雪女郎(フロストヴァージン)

 ナザリックの第五階層にある大白球(スノーボールアース)を守護する親衛隊。

 そのレベルは82にものぼる。

 これはそんな彼女達の手による強力な広範囲結界である。

 

 ピニスンや蜥蜴人(リザードマン)達はギリギリその範囲外におり、その氷の壁に閉じ込められる事は無かった。

 

「ゴ苦労、良クヤッタ」

 

 虫の鳴き声を無理やり言葉にしたような奇妙な声が聞こえた。

 ここにいる者達がその声をした方を向くとそこにいたのは直立する巨大な蟲、体はライトブルーに輝き、その背からは氷柱が突き出ている。

 立ち振る舞いは武人のそれだった。

 

「コキュートス様、一体も逃す事なくその全てを結界内に閉じ込めました」

 

 雪女郎(フロストヴァージン)はその武人の蟲へと声をかける。

 

「ウム。植物系モンスタートノ闘イノ為ニ、一カ所ニ集マッテクレテイタノハ幸運ダッタナ。ワザワザ軍ヲ散開サセル手間ガ省ケタ。コノママ、ココデ殲滅スル」

 

 コキュートスと呼ばれた蟲の武人は結界内へと足を踏み入れる。

 その後にはこれまた無数の蟲達が続く。

 

「な、何この人達…、む、蟲? 蟲の軍隊…?」

 

 ザイトルクワエを滅ぼした亜人の軍勢にも匹敵するような蟲の軍がそこにはいた。

 しかしその誰もが横にいるピニスンや蜥蜴人(リザードマン)達の事など気に掛ける事なく結界の中へと次々に入っていく。

 

「コキュートス様、我々雪女郎(フロストヴァージン)は結界の維持の為ここから動けません。本当に大丈夫でしょうか?」

 

 雪女郎(フロストヴァージン)がそう声を上げたのも当然だろう。

 軍の規模は同等。

 しかしレベル100にも上る存在はナザリック側がコキュートス1人に比べ、向こうは都市守護者が4体もいるのだ。雪女郎(フロストヴァージン)という最高戦力の一角が戦闘に参加できないのは痛手であろう。

 

「構ワヌ。何ヨリ結界ノ効果ニヨリ私ニ有利ナ環境トナッテイル、ソレニ」

 

 コキュートスは奥に座する都市守護者達を見やる。

 その四人ともが近接武器を手にしておりいずれも戦士系である事が見て取れる。

 

「戦士トアラバ後レヲ取ル訳ニハイカヌ。正々堂々正面カラ打チ破ッテクレル…!」

 

 コキュートスの四本の手にはそれぞれ四つの武器が握られていた。

 その中には彼の創造主がかつて使用していた神器級(ゴッズ)アイテムも含まれる。

 ナザリックでも最高峰の武装を手に万全の体勢で戦いに臨む。

 守護者の中でも武器戦闘において最強を誇るコキュートス。

 

 そんな彼には職業及び種族特性により他の守護者と一線を画す能力がある。

 この力により1対4の状況であっても武器戦闘という状況に限るなら著しく不利とは言えぬ状態にまで持ち込む事が出来る。

 これこそがコキュートスの強みであり、その本領を発揮できる手段でもあるのだ。

 

「我ガ名ハ、コキュートス! 至高ノ41人ガ1人、"二ノ太刀イラズ"ノ武人建御雷様ニ創造サレタ者ナリ! 腕ニ覚エガアル者ラヨ、手合ワセ願オウ! イザ! 尋常ニ勝負!!!」

 

 

 

 

 竜王国、首都。

 

 

 他国と同様にここでも多くの命が奪われていた。

 都市は破壊され、城も吹き飛んでいる。

 そんな状況でありながらドラウディロンは奇跡的に生き永らえていた。

 

 しかし足が瓦礫に挟まれこの場を動くことは出来ない。

 仮に動くことが出来たとしても逃げ場などどこにもないのだが。

 そんな諦念の中、ドラウディロンは倒れたまま空を見上げていた。

 だからこそ最初にその違和感に気付いたのだろう。

 

 空に新たな暗闇が出現するのを目にしたのだ。

 そこから出てきたのは漆黒の鎧を身に纏った騎士。

 手には病んだような暗い光を宿したバルディッシュを持ち、眼前を見下ろしていた。

 この世全てへ向けるような明確な殺意が兜越しにも確実に伝わる程の威圧感。

 

 その騎士に続き、複数の騎乗した者達が現れる。

 戦士とも騎士とも形容できそうな彼等の一部は空中に浮いたまま陣形を整える。

 

「では始めるわ。来なさい、私の騎獣」

 

 近くの建物の屋根へと降りた漆黒の騎士がスキルを発動する。それは"騎獣召喚"。

 双角獣(バイコーン)を召喚するものだが漆黒の騎士の能力に合わせ強化され、戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)とも言うべき存在にまで昇華されている。そのレベルは100。

 その騎獣の鐙に足をかけ漆黒の騎士が背に乗ろうとした時、戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)が身を震わせそれを拒否する。

 何度か騎乗しようと繰り返すがいずれも騎乗するには至らなかった。

 しばらくその場で沈黙する漆黒の騎士。

 それを見かねたのか周囲にいる配下と思しき者達が声をかける。

 

「だ、大丈夫ですか、アルベド様…。な、何か調子が悪いようでしたら我らも馬を降り歩幅を合わせますが…」

 

 それと同時にアルベドと呼ばれた漆黒の騎士の鋭い視線がこの者を貫く。

 

「ひっ…!」

 

「大丈夫よぉ…、私は大丈夫…。それよりも私に合わせて全員で馬を降りるなんて愚の骨頂…。そんな事したらこの部隊の意味がないでしょぉ…? 一刻も早くモモンガ様に手を出した愚か者共を肉塊にしなければならないのだから…!」

 

 怒りに身を震わせたままアルベドが唸る。

 

地獄の戦用馬車(ヘル・チャリオット)部隊は配下を引き連れ正面から敵軍に突っ込んで片っ端から轢き殺せ…! 蒼褪めた乗り手(ペイルライダー)部隊は上空から味方の援護及び敵の死角を突いて攻撃、死の騎兵(デス・キャバリエ)達は最高位級の者共を相手しなさい! 私と戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)は敵の首魁を潰す…! 全ては偉大なるモモンガ様の為! 至高なる御方に仇名す者に死を!」

 

「「「し、至高なる御方に仇名す者に死を!」」」

 

「さぁ! 全軍突撃!」

 

 アルベドの号令で全員が一斉に動き出す。

 直属の配下を持たぬアルベドは他の階層からシモべを借り受けこの場へと来た。

 その為、総数としてはアウラに次いで少ない。

 とはいえ騎乗兵で構成されたこの軍の機動力は恐ろしい程高く、また連携も取りやすい。

 アルベドが騎兵として先行すればその能力によって軍全体への強化もかかるので即席とは思えぬ程の強さを誇る軍隊として成立していた。

 なぜかアルベド本人が騎乗出来ない点を除けば。

 

「く、くそがぁぁああ! こ、殺す、殺してやるうぅうぅ! 付いてきなさい戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)ォ! モモンガ様に敵対する者共は皆殺しよぉぉおお!」

 

 多様な怒りに支配されアルベドが吠える。

 そのまま配下の軍に遅れて戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)と共に最後尾を走っていく。

 ただ、どれだけ全力で走ろうとも見る見るうちに他の部隊に引き離されていくのだが。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 占星千里の占いは正しかった。

 その結末までが全て彼女の予言した通りのものであった。

 番外席次の敗北。

 

 それを以て法国の戦力は尽き、また彼女を心の支えにしていた者達は絶望に打ちひしがれる。

 人類最強であり、人類の守護者たる彼女の敗北という結果は全ての終わりと同義だった。

 

「そ、そんな…、嘘です…、貴方が負けるなど…」

 

 倒れた番外席次を見ながら隊長が一人ごちる。

 生き残った漆黒聖典の者やそれ以外の者も全て、この戦いを目撃した者達は現実を受け入れられないでいた。

 

 だがこれは番外席次が弱かったわけでは無い。

 むしろ強かった。

 強かったからこそ、都市守護者もその全力を以て相手したのだ。

 1対1ではなく、1対3という状況で。

 

 いくらプレイヤー級に強かろうがレベル100を3人同時に相手して勝てる者などいない。

 ユグドラシルにおいて最強と謳われるワールドチャンピオン達ですら単独で3人の撃破は至難の業だろう。

 であるならば都市守護者と同格の番外席次に勝てる道理などないのだ。

 

「くそっ…、くそぉ…、ちくしょう…!」

 

 横たわった番外席次から声が漏れる。

 それは負けた悔しさからではない。

 彼女が求めていたのは純粋なる敗北。

 己よりも明確な強者を求めるが故の願望。

 1対3という数の暴力で圧し負けるなど彼女の求めていた敗北ではない。

 彼女はただ1対1で、疑問の余地が入ることなどない完膚なきまでの絶対的敗北が欲しかったのだ。

 全ては己よりも優れた子種を欲する為。

 

 故にこのような曖昧な決着で終わってしまう事が何よりも悔しく、また悲しかった。

 

「やっと…、負けれると思ったのに…! 全力を出しても勝てないような奴が現れたかもしれないと思ったのに…!」

 

 番外席次の瞳から涙が零れる。

 彼女の見立てではこの3人の都市守護者達は自分とほぼ互角に思えた。

 生まれてから初めて対峙する、勝敗が見えぬ相手。

 だからこそギリギリの戦いの中で自分から勝利をもぎとってほしかったのだ。

 こんな決着など何の意味も無い。

 

 だがそんな彼女の思惑など都市守護者にとっては関係ない。

 彼等はただモンスターとしての本能のまま、あらゆる命を奪うだけなのだ。より効率的に。

 

 その時だった。

 何の前触れも、音も気配も何もなく高速で飛来するモノがあった。

 都市守護者達が気付いた時にはもう遅い。

 彼らすら反応出来ない速度でそれは都市守護者の1体に直撃する。

 凄まじい勢いで都市守護者は吹き飛び、飛来したソレは空中でブレーキをかけその場に留まる。

 その時初めてそれが人の姿をしていると知覚できた。

 

 少女、いやむしろ幼女と形容すべき幼い子供。

 人間のような姿をしているが頭からは角、腰に生えた翼がそれを否定していた。

 角はドス黒く、しかし腰から生えた翼は白く透明に輝きその向こうが見通せるほど。

 色白な肌や、真っ白な髪とは対照的に漆黒のドレスでその身を着飾っている。

 ナザリックを知る者に言わせればこう言った方が分かり易いだろう。

 

 アルベドをそのまま幼くし、角や翼、髪、ドレスの色をそのまま反転させたような幼女と。

 

 彼女の名はルベド。

 至高の41人が1人、タブラ・スマラグディナにより創造された者。

 ニグレド、アルベドに続き三姉妹の末として生み出された。

 ナザリック最強の個であり、その強さはユグドラシルでも最上位であるたっち・みーすらを凌駕する。

 彼女は上二人の姉とは全く違う方法で創造された。

 ナザリックに存在する一つだけの偽物(スピネル)

 タブラ・スマラグディナの最高傑作にして失敗作。

 中二病の行き着く先であり、極致。

 

 ルベドはあまりに危険すぎた。

 その強さはもちろん、その存在そのものが。

 ルベドの全てを知るニグレドは本来ならば絶対に彼女を起動しなかったであろう。

 しかし今回は違う。

 至高の御方であるモモンガその人が弑され、行方も知れぬのだ。

 躊躇する理由などどこにもない。

 ナザリックの全軍をもってモモンガの捜索及び、敵を排除しなければならないのだ。

 故に、ニグレドはルベドを起動した。

 ナザリックで最も危険な偽物(スピネル)を世に放ったのだ。

 

「ガァァウウッ!」

 

 ルベドの直撃を受け、吹き飛んだ都市守護者が地面に叩きつけられる。

 すぐに体勢を立て直し、ルベドへ警戒を向ける。

 横にいた二体の都市守護者もすぐにルベドへと向き直るがその直後、三体とも目を見開く事になる。

 いや彼等だけではなく、番外席次や隊長等、この場にいる全ての者が。

 

 時をおいて爆音が響いた。

 目の前のルベドは何もしていないのだが、まるで空気を切り裂くような轟音が大気を揺らし鳴り響いたのだ。

 その振動は空気を伝播し体にまで伝わる。

 誰もその音の正体には気づかない。

 それもその筈、初めて耳にする音の正体など分かりようがない。

 

 これはジェット音。

 ゴーレムの一種ともいえるルベドは現代のジェット機のように手や足、背中に組み込まれたギミックから炎や煙を噴射し爆発的な速度を生み出す。

 あまりにも速すぎるルベドの移動速度は、音を置き去りにした。

 魔法的効果ではなく、純粋な物理法則により音速を超えたルベドの移動音は彼女が停止し留まる事でやっと追い付いたのだ。

 

「「「……!?」」」

 

 だがここにいる誰もそんな事は知らぬだろう。

 ナザリックの者でも極一部の者しか彼女の事を正しく知らない。

 現代科学の粋を極めたような英知の結晶。

 ユグドラシルの中にありながら、ただ一人その法則に左右されぬ存在。

 運営すら想定していないルールの穴を、いやゲームの穴を突いた産物。

 さらに付け加えるならば、転移と共に様々な法則が捻じ曲がった事で完成してしまったと言ってもいい。

 

 遅れて届いた音に驚く者達を余所にルベドは動く。

 爆ぜるように炎を吹き出すと一瞬にして最高速度へと達し、一体の都市守護者へと襲い掛かる。

 

「っ!?」

 

 注意を向けていたおかげか都市守護者はギリギリ反応する事ができた。

 しかしルベドはその上を行く。

 空中で移動しながら何度も体の至る所から噴射、逆噴射を駆使し、本来あり得ぬ軌道で接近する。

 速度の減衰も無く、物理法則を無視したように空中で直角に方向転換するルベドの動きはまさに縦横無尽。いや、チートであろう。

 

 そうして容易く都市守護者の一体の懐に潜り込むと、ルベドは拳を放つ。

 同時に肘と肩から、拳と逆方向に炎と煙が勢いよく噴射される。これによりここにもジェット噴射のパワーが乗り、拳の速度は都市守護者の知覚を完全に超える域に達する。

 腹部に拳が突き刺さり、苦悶の表情を浮かべ血を吐き出す都市守護者。

 純粋な拳の速さならセバスの一撃も音速を超えるが、ルベドのそれは音速の遥か上をいく。

 この一撃で体が弾け飛ばなかった都市守護者を褒めるべきかもしれない。

 

 即座に残りの二体がルベドへと襲い掛かる。

 しかしルベドは難なく攻撃を躱し、襲い掛かる一体の足を掴むと力のみで無理やりにもう一体の都市守護者へと叩きつけた。

 その勢いはすさまじく、二体は地面に叩きつけられた後も跳ねるように大地を転がっていく。

 

 その隙を突くように腹部に拳を入れられた都市守護者がルベドへと反撃を試みるが、ルベドの顔のみがグルンとその都市守護者へ向き直る。

 次の瞬間、ルベドの口が大きく開けられそこから亜光速の熱線が撃ち出された。

 反射的にあらゆるスキルを行使し全力で防御したにも拘らず、都市守護者は頭のみを残しその体全てが消し飛んだ。

 

 これこそがルベドの奥の手にして必殺技である荷電粒子砲。

 古今東西、様々なSFでビーム兵器として描かれてきたその破壊力は凶悪の一言。

 高熱を発し、照射した対象を原子崩壊によって消滅、溶解させる荷電粒子砲。

 そこにはレベル100という数字など何の意味も無い。

 当たりさえすれば、何者をも滅ぼせる。

 

「な、なんなの…、アレはっ…!?」

 

 空を見上げながら番外席次は理解出来ない光景に目を剥く。

 あまりにも理解を超えすぎていて何が起きているか分からない。

 強者特有の存在感も無ければ、魔力も感じない。さらに言うなら存在としての違和感すらない。ただ、そこにある。

 それなのに、強い。

 自分と同格三体を相手に圧倒している。

 己とは戦いにならないステージにいる強者だと番外席次の本能が訴えていた。

 

 ナザリックから法国に派遣されたのはルベドただ1人。

 彼女だけが軍も配下も持たず単身でここへ送り込まれた。

 その理由は彼女に配下などいらないし、邪魔なだけだからだ。

 

 次にルベドは都市や人々を襲っている都市守護者の配下達へと視線を移す。

 都市中のあらゆる生体反応を機械的に感知し、また選別する。

 それが終わると口を開け顔を左右に振り、細く絞った荷電粒子砲を撒き散らす。

 ビーム状の熱線が大地を焼き、少し遅れて炎上するように爆発していく。大惨事のようでありながら、しかしまるで狙いすましたように都市守護者の配下のみが薙ぎ払われていく。

 ただその余波で地面に底の見えぬ深い亀裂がいくつも出来るのだが。

 

 ルベドが現れてからわずか数十秒。

 たったそれだけの時間で戦況は一気に覆った。

 

 何より接敵してからこのわずかな時間でレベル100である都市守護者の一体を落としたのは数多くいるナザリックの者達の中でもルベドただ一人である。

 

 誰も彼女を止められない。

 

 

 

 

 アーグランド評議国。

 

 

「ぐぅぉおおおぉぉぉっ!!」

 

 ツアーの声が響く。

 番外席次と同様、ツアーも都市守護者達と1対3という不利な状況に陥っていた。

 共に戦っていた永久評議員である他の竜王達はすでに倒れている。

 この竜王達も決して弱くはないのだが相手が悪すぎた。

 国民は逃げ惑い、多くの冒険者達も壊滅状態。

 もはや評議国にまともな戦力は残っていない。

 都市守護者とその配下達を退けられるかどうかはツアーに掛かっていた。

 とはいえツアー自身もすでに満身創痍。

 奥の手以外には手段などなかった。

 

(使うしかないのか…、あの始原の魔法(ワイルドマジック)を…!)

 

 ツアーの扱える始原の魔法(ワイルドマジック)の中でも最強である大爆発。

 それであれば都市守護者達に十分なダメージを負わせる事が出来るとツアーは考えていた。

 しかしここは場所が悪い。

 都市のど真ん中で使用してしまえば範囲内の国民全てが吹き飛ぶ。

 さらには消耗している己の今の体力で行使すればこれ以上戦う事は不可能。

 つまり始原の魔法(ワイルドマジック)で殺しきれなかった場合、もう誰も都市守護者達を止められないという事だ。

 

(しかしここで使用しなければ評議国が…。だがそうすれば生き残ってる者達が巻き込まれる…。いや、それならいっその事生き残っている者達を贄に発動すれば…)

 

 何度もその考えが頭をよぎるがどうしてもツアーには出来なかった。

 国を作り、何百年もそれを見続けてきた。

 誰よりも命の尊さを知るからこそ、損得だけで割り切れなかったのだ。

 

(あぁ、すまない皆…。私には出来ない…。仮にこいつらを倒せたとしても…、この国が滅んでしまえば意味はないのだ…)

 

 甘えを捨てきれなかったツアーは評議国の者達に懺悔する。

 全てを諦めたその時、大地が大きく揺れた。

 

「な、何がっ…」

 

 顔を上げたツアーの視界に入ったのは30メートルを超えるような超巨大なゴーレム。この都市のどこにいてもその姿を目にする事が出来る程の大きさ。

 このゴーレム、ガルガンチュアはズシンズシンと大地を揺らしながら一歩ずつ確実に歩みを進める。

 

 ガルガンチュア。

 形式上だがナザリックの第四階層守護者である。

 戦略級攻城ゴーレムであり、与えられた命令にしか従えぬがその強さは破格。

 純粋なスペックだけならはナザリック最強の個であるルベドにも引けを取らない。

 

「ゴォォォオオオオ!!」

 

 唸り声とも、体から軋む音とも取れぬ音がガルガンチュアから響く。

 敵である都市守護者達が視界に入り、臨戦態勢へと入ったのだ。

 さらにガルガンチュアの背後には無数のゴーレム達が追随していた。

 

 重鉄動像(ヘビーアイアンマシーン)石の動像(ストーンゴーレム)、第六階層にある円形闘技場(コロッセウム)の観客として作られたゴーレムまで。

 ナザリックに存在するあらゆるゴーレムが集められ、その全てがガルガンチュアと同様の命令を受けている。

 こうしてゴーレム兵団とも呼ぶべき数百ものゴーレム達がガルガンチュアと共に評議国へと姿を現した。

 

「あ、あれらは一体…」

 

 困惑するツアーを余所にゴーレム兵団は行進し続ける。

 

 ただ与えられた命令を遂行する為に。

 

 

 

 

 エリュエンティウ。

 

 

 世界中で最も被害を被ったのはこの都市だろう。

 全ての元凶である天空城の真下に位置するこの都市は他のどの国よりも死者が出た。

 ただ都市の人々が残らず全滅した訳では無い。

 その理由の一つとして、ここに残った都市守護者及びその配下達は天空城から一定以上離れなかったからだ。

 故に天空城の真下から半径数キロ圏外の被害は比較的軽いものであった。

 とは言ってもそれは都市守護者や一部の配下に限った話であり、中位以下のモンスターに関しては何の縛りもないのか徐々にその行動範囲を広げていた。

 加えて天空城は徐々に高度を下げており、もし天空城が完全に都市へと落ちればエリュエンティウ全てが都市守護者達の行動範囲となるだろう。

 生き残った者達は命からがら都市の外へと逃げ延びた。

 しかしエリュエンティウの周囲は広大な砂漠。

 何の準備も無く飛び出して生き残れるような環境ではない。

 

 絶望し憔悴しきった者達は幻覚を見たのだと思った。

 命からがら都市の外まで生き延びた者達はそこにあり得ぬものを見たからだ。

 風により舞う砂ぼこりの向こうに考えられぬ規模の軍勢、軍団がいた。

 視界いっぱいに広がったその軍団は見渡す限り続いており、どれほどの数がいるのか見当もつかない。

 その全てがアンデッドであった。

 生者を憎むべき恐るべきアンデッド。

 しかしこのアンデッド達は都市から逃げ出す人々には一瞥もせず、ただひたすらその先を見据えている。

 さらに驚くべき事に、寸分の狂いなく芸術的なほど綺麗に整列していた。

 

 最初に気付いたのは冒険者達だっただろう。

 最も驚愕すべき点は、これだけの軍団でありながらその武装が破格の物ばかりであった。

 手に持つ武器も、盾も、装備している防具や何もかも。

 その全てが魔法の武具であり、この世界の常識ではあり得ぬ規模。

 恐らくこの装備の一式を比べてみても比肩するような装備を持っている者などこの世界にどの程度いるだろうか。魔法の武器の1つならばまだしも、一式揃って持っている者などそうそういない。

 もし売りに出せば一生遊んで暮らしてもお釣りがくるだろう。

 それほどの物なのに、ここにいる数え切れない無数のアンデッド達はその全てが魔法の武具に身を包まれている。

 それを見た誰かがポツリと口にした。

 

「し、神話の軍隊…」

 

 こんなものは人の世界の話ではない。

 であるとするならば、これは神々の物語だ。

 その言葉を聞いた者達は何か腑に落ちるものを感じた。

 

 と同時に、先ほどまで微動だにしなかったアンデッド達に動きが見えた。

 何者かが彼等の頭上へと飛び命令を下そうとしたからだ。

 

「聞け! 我らが偉大なる主、至高の御方たるモモンガ様が何者かにより殺された! だがモモンガ様がこんな事で滅ぶ筈はない! 必ず御身を探し出し蘇生して差し上げるのだ! あるいはご壮健で今もどこかで我々の助けをお待ちしているかもしれない!」

 

 美しい声だった。

 しかしその声は怒りと憎悪、あらゆる負の感情に支配されていた。

 

「だから殺せ! 邪魔者は全て! モモンガ様を殺した者共はもちろん、害を為すもの全て! セバスから情報が上がってきたがそんな事知るか! モモンガ様を殺した者共がぁぁ! 今もこの世界のどこかで息をしているかと思うと! あぁああぁぁ! い、怒りで頭が狂いそうになる! こんな不敬が許されてなるものかぁ! 他者など知った事か! 邪魔者は全て蹴散らせ! 寛容など無い! 我らが道を阻む者全てが敵だ!」

 

 真紅の全身鎧に包まれた女性、シャルティア・ブラッドフォールンは高らかに叫ぶ。

 彼女はナザリックの第一~第三階層守護者である。

 守護者の中で最強を誇り、またその支配地及び配下の数も他の守護者を圧倒する。

 その勢力はナザリックの中で間違いなく最大最量を誇る。

 

「ナザリック・オールドガーダー、ナザリック・エルダーガーダー、ナザリック・マスターガーダー進め! あの都市へと攻め込みその全てを滅ぼすのだ!」

 

 シャルティアの号令により五千体のアンデッドが同時に歩を進める。

 

死者の大魔法使い(エルダーリッチ)部隊、異形なる大魔法使い(デミリッチ)部隊は地下聖堂の王(クリプトロード)の指示の元、後方からガーダー達を援護しろ! 次に…」

 

 シャルティアは全ての配下へと指示を出す。

 その総数は他の守護者の配下の比ではない。これでもアルベドに貸し与えている者もいるので本来はさらに多い。

 

吸血鬼の王(ノーライフキング)達は私と共に敵の首魁共を叩くぞ! 滅んででも相手を殺せ! その全てをモモンガ様の為に捧げるのだ!」

 

 そうして総勢万にも届きそうなアンデッドの軍団がエリュエンティウへと攻め入る。

 生き残っていた者達は幸いだった。

 もし都市の外へと逃げなければ間違いなくこの戦いに巻き込まれていたのだから。

 

 都市守護者とその配下達が反応する。

 強大な力と数に反応し散っていた者達が集まり軍としての形を為す。本能なのか、またそう創造された名残か。その全てが一つの意思の元に迎撃態勢へと入る。

 都市守護者側の兵力も決して弱くはない。

 天空城側の一般兵士として北欧の戦死者(ノルディックウォーデッド)が二千体程いる。

 エリュエンティウの者達は当初逃げるのに必死であったせいか気付かなっただろうが彼等もまた全員が魔法の武具を身に付けている。強さはナザリック・オールドガーダーと同等かそれ以上。名前からはアンデッドのような印象を受けるが戦死後ヴァルハラへと渡った数多の兵士達であり英霊としての神聖さを持つ。

 同じ死者でありながらもその本質は負なるアンデッドとは水と油。

 さらには天空城をモモンガが攻略した際、申し訳程度に配置されていた蜂蜜酒の牝山羊(ヘイズルーン)煤けた海棲動物(セーフリームニル)煤けた者の料理人(アンドフリームニル)も比較にならぬ程存在する。

 英霊の騎士(ヴァルハラナイツ)強き英霊(ヴァルハラスルーズル)の軍勢もこの勢力の中核を成しているといえよう。

 さらに上位の力を持つ者としては霜の巨人(ヨトゥン)霧氷の巨人(フリームスルス)なる集団もいる。

 

 だが何よりも恐るべきはそんな数多の軍勢を率いるこの地に残った都市守護者の存在だろう。

 八欲王の化身とも言うべき8体の真なる都市守護者達。

 

 

 かくして互いに万にも上る軍勢が正面から対峙し向かい合う。

 姿を確認するなり、その両軍が敵へと目掛けて突撃する。

 まさに戦争の様相を呈したこの戦い。

 互いの軍がぶつかる第一合目で、数百もの命が消し飛んだ。

 世界の中で最も壮絶な戦場となったのは間違いなくこの場所である。

 天空城の最高戦力とナザリックの最高戦力。

 神々不在の代理戦争。

 

 

 こうして天空城と地下大墳墓の戦いの火蓋は切られた。

 

 

 世界が瞠目するのはこれからである。

 

 

 

 




あ、危ない、ギリギリ一週間です…

今回も前回と同じで各国の描写なので長くなった上に省略された人達もチラホラ…
どうしてもナザリック登場を1話に収めたかったもので…
とはいえ今後はちゃんと丁寧に描写していければと思っております…!

原作では名前しか出てこないような人達も登場してるので人によっては誰?となるかもしれません
例えばモンデンキントなどはウェブのみで書籍には存在しないそうです
それとルベドですが設定そのものは前作とほぼ同じなので読んで下さった方は既視感あるかもしれません。あくまで設定上の話ですので前作を知らない人も気にしないで大丈夫です

話的には間違いなく終盤なのですが流石にキャラ数が多いので必然的にまだ長々と続いてしまうと思いますが最後までお付き合い頂ければ幸いです

PS
都市守護者、残り29人


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プレイヤー

前回のあらすじ

世界各地で天空城VSナザリック開幕!
ただシャルティアだけ露骨に多勢に無勢!


 天空城の奥底。

 

 何枚もの壁を突き破り、吹き飛ばされた先。

 さらにその奥の小部屋の壁の中。

 誰もいないこの場所で何者かがひっそりと息を潜めていた。

 天空城のモンスター達が動き出し、辺りから完全にいなくなるまで。

 

「………」

 

 <完全不可視化(パーフェクトインヴィジビリティ)>の魔法を使用し完全に姿を消し、同時に<完全静寂(パーフェクトサイレンス)>により自身の出す音も完全に消している。

 さらに気配隠蔽の効果のあるアイテムの使用により彼の存在は誰にも認識されずにいた。

 そして常時発動している探知系から完全に身を隠す指輪。

 これにより彼の存在は魔法やスキルを使用しても探知出来ない状態にあった。

 もし<完全不可知化(パーフェクト・アンノウアブル)>が使用できればより簡単で確実なのだが今の彼には使用出来ない位階の魔法である。

 

 次に彼はスキルや魔法、アイテムを駆使して周囲の様子を探る。

 近くに何者の気配も存在しない事を確認するとようやく彼は慎重に動き始めた。

 

「くそっ…、指輪を消費してしまった…。超レアな課金アイテムだったのに…! いや、そんなこと言ってる場合じゃないな…。もう死ねないぞ…」

 

 彼はかつてその指輪がはめられていた己の指を名残惜しそうに見る。

 課金ガチャでしか当たらない超レアアイテム、殆どデメリット無く復活できる指輪だ。

 

 そう、彼は一度死んだ。

 

 レベル100にもなる都市守護者の一撃によって確実に。

 しかしこの指輪の効果により彼は即座に復活する事が出来たのだ。

 とはいえ復活した事が露見すれば再び戦闘を仕掛けられるのは目に見えていた。

 だからこそ吹き飛ばされた先で魔法やアイテムを駆使し、死を偽装した。

 その存在を完璧に隠蔽していたのだ。

 

「城の内部にはほとんど気配が残っていない…。まさかその全てが外へと向かったというのか…、しかしなぜ…? ユグドラシルならばギルド武器を破壊されれば再び野良のダンジョンとして再生する…。ギルドに所属しているNPCも消滅する筈なのに…」

 

 だがここで彼はかつて聞いた魔神達の話を思い出す。

 

「いや…、六大神の従属神と言われていた魔神達…。彼等がNPCであるならば…、そうか、これはその時と同じ状況…! この異世界に転移し、ユグドラシルの影響化から離れたギルドは…、ダンジョンに戻る事などなく崩壊する…! だからこそこの天空城も崩れ落ちているんだ…! 異世界といえどここは仮想世界ではなく現実…! ゲームの世界のようにリセットされる事などない…! 存在したものが急に消え去る事などないんだ…! そしてギルドという楔から解き放たれたNPC達は…、ただのモンスターになるという事か…! あの暴走は、自己を失ったようなあの姿はまさにユグドラシルでのエネミーそのもの…! 習性や法則はあるものの、彼等は探知範囲内に入ったプレイヤー達を無作為に襲う存在…! まさかっ!」

 

 一つの仮説に思い当たった彼はその部屋を飛び出し、外が見えるバルコニーまで走る。

 その先で眼下に見える景色は彼の想像通りのものだった。

 

「街が…、人々が襲われている…! そうか…! だから奴等は天空城から離れたのか…! プレイヤーだろうが、この世界の人々だろうがユグドラシルのエネミーからすれば同じだという事かっ!」

 

 まさに地獄絵図。

 まるで空高く鎮座するこの天空城にまで人々の悲鳴が聞こえるかのように錯覚する程。

 人間に対し何の情も湧かない筈の彼だが、この景色を齎した原因に自分が関わっているかと思うと冷静ではいられなかった。

 人間の頃の記憶が、常識が、残滓が彼を苦しめる。

 

「はっ! そ、そうだ! イ、イビルアイさんは無事に逃げれただろうか…。確かイビルアイさんは単独なら遠くまで転移出来る魔法を使えた筈だ…。いや、馬鹿な…! 気配を感じるぞ…。まさか…!」

 

 そうして彼、いやモモンガは走り出す。

 逃げている筈のイビルアイの気配が残っている事に僅かばかりの焦りを感じて。

 

「まさか逃げる前にやられたのかっ! くっ! どうか無事でいてくれ、イビルアイさん…!」

 

 

 

 

 天空城の片隅でイビルアイもモモンガ同様じっと隠れていた。

 モモンガ程ではないにしろ、低位の魔法で姿や音を消す事が出来るからだ。

 とはいえ、イビルアイ程度の魔法なら天空城のモンスターであれば看破できる者も多くいただろう。しかし低レベルとはいえ隠密系の魔法を使用している関係上ヘイトは多少だが下がる。

 すぐ下にエリュエンティウという大量のエサがある状況だったからこそ、イビルアイは生き残れたと言ってもいい。

 

「な、なんなんだ、あいつらは…。あの強さ、それに数…。あんな奴等がずっとこの世界に存在していたというのか…。誰にも気づかれずに…。無理だ…、誰も敵う者なんていない…」

 

 子供のように身を小さくし恐怖に怯えるイビルアイ。

 その身体はガタガタと震えている。

 

 その時、イビルアイの肩を何者かが叩いた。

 次の瞬間「ひあっ」っと悲鳴を上げ、身を強張らせるイビルアイ。

 もはや反撃しよう等という気力は無く、頭を両手で押さえる。

 

「あ、ご、ごめんなさい。俺ですよイビルアイさん。姿を消しててもある程度までは感知できるんです。おかげですぐに見つける事が出来ました。どうやら無事なようで本当に安心しましたよ」

 

 その聞き覚えのある声にイビルアイははっと顔を上げる。

 しかしそこには誰もおらず、困惑し絶望する。もしかして自分の妄想が作り上げた幻聴だったのかと思案するがすぐにそうではない事が証明された。

 

「ああ、魔法をかけたままでしたね。もう近くにはいないみたいだから大丈夫かな」

 

 そう声がした後に何も無い空間から徐々にその姿が浮かび上がる。

 そこにいたのはモモンガ。

 己の身を犠牲にしてイビルアイを救ってくれたその人だった。

 

「モモンガッ!」

 

 反射的にモモンガへと勢いよく抱きつくイビルアイ。

 

「わっ、ど、どうしたんですか急に…!?」

 

「良かった…! 良かった…! わ、私はてっきりお前は死んだものだと…! 無事だったんだな…! どうやってあの猛攻を凌いだかは分からんが本当に良かった…! あの状況でもお前なら生きてるんじゃないかと希望に縋っていたが、まさか本当に生きてるなんて…! 夢じゃないんだな…! 本当に…、モモンガだ…。うわぁぁあぁん!」

 

 正確には無事などでは無いし一度死んでいるのだがこの状況でそれを説明しても意味はない。

 故にモモンガは子供のように泣きじゃくるイビルアイを宥めるように頭を優しく撫でた。

 それにより少しだけ安心したのか落ち着きを取り戻したイビルアイが再び口を開く。

 

「す、すまない…。取り乱してしまったな…」

 

 そうしてイビルアイは気恥ずかしそうに抱きついたモモンガから体を離す。

 

「しかし、どうするモモンガ…? この天空城にはもう姿は無いとはいえエリュエンティウは奴等で埋め尽くされてる…。ここにいたらいつまた奴等が戻ってくるか分からないし、留まる訳にはいかないぞ…。今なら<飛行(フライ)>で高度を維持したまま距離を取れば無事に逃げられるかもしれない…!」

 

 しかしイビルアイのその言葉にモモンガは返事をしなかった。

 

「ど、どうしたモモンガ…? 危険なのは分かるが逃げるにはそれしかないだろう…?」

 

「いつかイビルアイさんは言っていましたよね。自分一人だけなら過去に行った場所へと転移できる魔法を使えるって…。今回は無事に済んだからいいですがなぜすぐにその魔法で逃げなかったんですか!? 隠密魔法が使えるとはいえ天空城内に隠れているなんて危険すぎる!」

 

 少し怒気を孕んだようにモモンガが声を上げる。

 それは怒っているというよりもイビルアイの身を案じての事なのだが。

 

「そ、それは…。ここから魔法で逃げてしまったら二度とモモンガに会えなくなるような気がして…。い、いやそれよりも私だけ逃げたらお前を置いていく事になるじゃないか…! 確かに死んだとは思ったがそれでも自分一人だけ逃げるなんて…」

 

「逃げてくれて良かったんです。逃げれる手段があるなら俺に構わず迷わず逃げて下さい。いや、そうするべきだ、今からでも!」

 

 冷静に、しかしイビルアイと距離を置くかのような物言いに僅かばかりイビルアイは動揺する。

 

「ど、どうしたんだモモンガ…。な、仲間を置いていける訳ないだろう…? それとも私にわが身可愛さの為に仲間を見捨てろと言うつもりか…? そんな事出来る筈がない…。私達は仲間なんだ…。逃げる時は一緒だ、そうだろう…?」

 

「仲間、か…。そうですね。確かに仲間を置いていく事なんて出来ませんよね…」

 

 どこか遠くを見るようにイビルアイに賛同するモモンガ。

 

「そ、そうだろう!? だから逃げよう、一緒に…。私達なら大丈夫さ、きっと逃げ切れる…!」

 

「いいや、逃げるのはイビルアイさん、いや、イビルアイ。お前だけだ」

 

 急にモモンガの口調が変わる。

 堅苦しい敬語ながらも親し気な感じの言葉遣いから一変し、突き放すような口調へと。

 それはきっと決別の証だ。

 もう一緒の道を歩まぬのだと、他人なのだと言い表す為の。

 

「モ、モモンガ…?」

 

「今から俺達はもう仲間じゃない。だから俺に気を遣う必要なんて無いんだ。さっさとお前だけで逃げろ」

 

「きゅ、急にどうしたんだ…? まさか私に遠慮してるのか? 気にする必要なんてない、私は…」

 

 喋りかけのイビルアイに被せるようにモモンガが口を開く。

 

「俺はあいつらを止めに行く。だからお前とは逃げる事は出来ないんだ」

 

「なっ! 何を言ってるんだモモンガ!? 正気か!? や、奴等を止めるだと!? そんな事出来る訳が…! いくらお前が強かろうと奴等はそれ以上だ…! そんな奴等が無数にいるんだぞ!」

 

 モモンガの体を強く揺すり説得しようとするイビルアイ。

 しかしモモンガの決意は固い。

 

「もう決めた事だ。俺の、いや俺がズーラーノーンの口車に乗ってしまったからこんな事になってしまったんだ…。そのおかげでデイバーノックも失った…。その責任を少しでも果たす為に俺は逃げる訳にはいかない…」

 

 モモンガの瞳、いや眼窩に固い決意と共に炎のような揺らめきが感じられた。

 

「な、何を言ってるモモンガ…! 悪いのは全部ズーラーノーンだ! お前が気に病む必要なんてどこにもないんだ! お前が無駄にその命を散らす必要なんてない! 考え直せ! なぁ!?」

 

 もはやそんな言葉でモモンガの決意が揺らいだりなどしない。

 そうとは知らなかったとはいえ、この事態の片棒を担いだという事実が彼を縛り付ける。

 彼の心に残った僅かな良心が、逃げるという選択肢を許さなかった。

 すでにモモンガは覚悟を決めているのだ。

 

 何よりかつて現実(リアル)では苦しい事や嫌な事から逃げ続けた。

 その逃避先としてユグドラシルがあったからだ。

 そこで手に入れた大事な仲間達との掛け替えのない絆と輝かしい思い出、栄光の日々。

 それだけがモモンガの全てで、何より大事なもの。

 今やこの体は、モモンガというアバターはこの世界にただ一つ残ったその欠片だ。

 ここで逃げてしまえば、モモンガは、いや鈴木悟はアインズ・ウール・ゴウンの全てを失う。

 

 モモンガでありながら逃げるという事はそんな過去に泥を塗る事になるのだ。

 もちろん戦略的な手段での逃亡ならばどんな惨めな事になろうとも厭わず行うだろう。

 しかし己に責任がある事から逃げるのは違う。

 自分のした事から目を背け、ただ命惜しさに逃げ惑うのはモモンガの過去を否定する。

 あの輝かしい思い出も、栄光の日々も偽りだったと自ら証明する事になるのだ。

 モモンガのアバターを纏う以上、それだけは出来ない。

 

 そうなのだ。

 今ここにいるのは鈴木悟ではない。

 この体が、仲間達と共に手に入れた装備の数々がそれを思い起こさせる。

 ナザリック地下大墳墓の主にして、アインズ・ウール・ゴウンのギルド長であり皆のまとめ役。

 

 『モモンガ』なのだという事を。

 

 

「ま、待てっ!」

 

 背を向け歩き始めるモモンガを呼び止めるイビルアイ。

 しかしモモンガは振り向かず返事のみをする。

 

「なんだ?」

 

「どうしてそこまで奴等に拘るんだ…。行ったって何にもならないじゃないか…。行ったら死ぬんだぞ…!」

 

「分かってる、だがそれでも行くと決めたんだ」

 

「な、なら私も行く…! 着いて行くぞ…! お前が戦って死ぬというなら…、仲間である私だって…」

 

 弱々しく、しかし嘘ではない覚悟を口にするイビルアイ。

 だがモモンガはそれを一蹴する。

 

「駄目だ、もう仲間ではないと言っただろ? 俺一人で行く」

 

「しかしモモンガ…!」

 

「……。お前じゃ役に立たない、戦力にならないんだ。着いてこられると迷惑なんだよ」

 

 冷たく突き放すようなモモンガの言葉。

 だがそれは悪意ではなく、優しさからの事だとイビルアイには痛い程分かる。

 そしてその言葉が事実なのだという事も。

 

「そうだな…、その通りだ…。知らなかったんだ…、私は…。自分がこんなに無力で弱いなんて…。二百年以上も自惚れてた…。仲間達と、魔神を倒した時からずっと、自分は強いんだと…、そう思ってた…。世界の危機を救ったんだと、そう信じてた…。もちろん真なる竜王達のような強者は知ってるがあんなのは例外中の例外だろう…? それがどうだ、竜王達は例外なんかじゃなかった…。同等かそれ以上の化け物が世界にはこんなに溢れている…、ただ知らなかっただけなんだ私は…。望んだ事じゃないが、これでも伝説に謳われたりもしたんだぞ…? でも、そんな私でも、もはやいてもいなくても同じだ…」

 

 いつもの態度が嘘のように弱音を吐くイビルアイ。

 悲鳴のようにも聞こえる声で続ける。

 

「私に出来る事なんてもう何も無い…。それは分かってる…。でもそれはお前だって同じだろう、モモンガ…。だから、逃げよう…。逃げたって誰も責めやしないさ…、奴等が相手で誰が何を出来るっていうんだ…。もう世界は終わりだ…、誰かを救うなんて考える事すらおこがましい…。奴等はそれだけ逸脱してる…。お前さえ良ければだが…、誰の目も届かない所で静かに暮らそう…。世界が滅ぶまでの僅かな時間だとしても今ここで死ぬよりはマシな筈だ…。なあ、奴等の前に立ちふさがっても一瞬で消し飛ばされるだけだ…、何にもならない…。それは分かってるだろう…?」

 

 冒険者として、蒼の薔薇としての矜持などとっくに折れていた。

 それだけの力の差、数。

 それらを前にして理想を言葉に出来る程、夢見がちじゃない。

 正義感も何も無い。

 ただ弱者の一人として、イビルアイは嘆くだけだ。

 

「すまないイビルアイ。それでも俺は行く」

 

「なんでだっ! なんでっ…! 行ったって何にもならないじゃないか…! 皆殺される…! 私達に出来るのは逃げる事だけだ…! 無駄に死にに行く必要なんて無いじゃないかっ…!」

 

 背を向けるモモンガのマントの裾を強く握りイビルアイが懇願する。

 だがモモンガの決意は揺らがない。

 

「イビルアイ…、お前達との旅は楽しかったなぁ…。当初は変な奴だと思ってたけど、今思えばそれも忘れられない思い出だな…。でももうデイバーノックはいない…、全て俺のせいだ…」

 

「モモンガ…」

 

「お前はすぐにここから逃げてくれ、俺は」

 

「なんでだよっ! なんでお前がそこまでしなくちゃいけないんだっ…!」

 

 イビルアイの言葉に僅かばかり逡巡し、モモンガが言葉を紡ぐ。

 

「あれらは…、天空城の者達は俺と同じ世界から来た者だ…。だからこそ、弱点も対処方法も見当がつく…。俺なら止められるかもしれない…! いやもしかすると俺だけが…。それが叶わないとしても責任の一端がある者として最善を尽くすのが義務だとは思わないか…?」

 

「同じ世界…? そうか、ずっと不思議に思っていたが…、お前はぷれいやーか…!」

 

「プレイヤーを知っているのか。ああ、そうだ。少しは期待する気になったか?」

 

「そ、そんな訳ないだろう! 私の知る十三英雄のリーダーだってお前程は強くなかった…! 確かに不思議な力は持っていたが、それでも私や他の仲間達と力を合わせて魔神達を討伐したんだぞ…! お前一人でなんて無理だ!」

 

「それでもあれらを止められるかもしれない」

 

「そんなの無理だ…。出来る訳がない…。どうやってあんな奴等を止めるというんだ…?」

 

 弱々しく呟くイビルアイに対してモモンガは少しだけ誇らしげに答える。

 

「根拠が無いわけじゃない。俺は、これでも同じ奴に二度負けた事は無い」

 

 自信に満ち溢れた顔のモモンガ。

 語尾に小さく「仲間以外には…」と続けたがイビルアイには聞こえていない。

 

「だから信じろ。少なくとも俺を殺し…ゴホン! 倒した奴にはもう負けない」

 

「駄目だ! 行くな!」

 

 後ろからモモンガの身体をイビルアイが強く抱きしめる。

 その小さい体では前まで腕は回り切らないが離れぬようにと必死に抱きしめる。

 

「行かないでくれモモンガ…! お願いだ…! 私を置いて…、行くなよ…」

 

 大粒の涙を流しながら必死に請うイビルアイ。

 それに応えるように振り返るとその場にしゃがみイビルアイと視線を合わせるモモンガ。

 そして優しくイビルアイの頭を撫でながらモモンガが言う。

 

「もう着いてくるなんて言うなよ、子供を危険な所に連れていく訳にはいかないからな」

 

「お前はっ…、最後まで私を子供扱いするんだなっ…」

 

「??」

 

「なぁ、帰ってくるのか…?」

 

「いや、無理だろう」

 

 そうモモンガが口にすると同時にイビルアイが強く睨む。

 

「ど、努力するよ…」

 

 思わず言いなおすモモンガだが、咎めるようにボスッとモモンガの胸をイビルアイの拳が弱く叩く。

 

「努力じゃ駄目だ…。絶対に帰ってくると約束しないと、行かせない…!」

 

「ははは、かなわないな…。分かったよ、約束する。それでいいんだろ?」

 

 そう言って突き出したイビルアイの拳を握るモモンガ。

 

「絶対だからな…? 嘘だったら許さないからな…?」

 

 くしゃくしゃの顔のイビルアイの頭を再度、モモンガが撫でる。

 

「ああ、だからイビルアイもいい子で待っていてくれ」

 

 イビルアイは無言で頷く。

 本当は分かっているのだ。

 あれらと戦って生きて帰ってくるなど不可能だと。

 駄々をこねるイビルアイを説得する為にそう口にしただけに過ぎないのだ。

 モモンガ本人でさえ本気で戻って来れると考えていない事くらいイビルアイにだって分かる。

 ただ一つ残った事実は、イビルアイではモモンガを止められなかったという事だ。

 それが酷く悲しく、また己の無力が恨めしかった。

 でも、それでも、もしかしたら無事に戻ってきてくれるんじゃないかとイビルアイは夢見てしまった。

 子供の頃に読んだ数々の英雄譚や御伽噺、あるいは吟遊詩人(バード)の歌のように。

 いつだって勇者は魔王を倒して帰ってくるし、騎士は姫君を必ず救う。

 だからモモンガだって戻ってきてくれるんじゃないかと。

 

「じゃあ俺は行く。いいか、イビルアイはさっさと逃げろよ。じゃないと全てが終わった後に会いに行けないだろ?」

 

 モモンガが立ち上がり、再びイビルアイへと背を向ける。

 

「うん、待ってるから…! ずっと待ってるから…!」

 

 そうしてモモンガは歩き出し、次第にその背は小さくなっていく。

 もうモモンガとイビルアイは仲間ではない。

 両者の道はここで別たれ、再び交わる事はない。

 それがきっと現実なのだ。

 

 モモンガはいなくなりイビルアイだけがこの場に残される。

 それはまるで両者の絆が断ち切られたようにも感じられた。

 だからなのか、零れ出るイビルアイの嗚咽だけが周囲に鳴り響いていた。

 

 いつまでも、いつまでも。

 

 

 

 

 イビルアイと別れ、<飛行(フライ)>を使用し天空城からエリュエンティウへと向かうモモンガ。

 その姿は再び魔法とアイテムにより完全に隠蔽されていた。

 

「会いに行くと約束してしまったな…、はは、絶対に帰れないと知っているのに…」

 

 自嘲気味に笑うモモンガはふとかつての仲間達を思い出す。

 

『もう今後はインできなくなります。今までありがとうございました。でも時間が出来たらまた戻ってきますよ!』

 

『引退することにはなりますがそれでもまた機会があれば…』

 

『仕事が落ち着けば復帰します!』

 

『是非いつかまた皆で遊びましょう! それでは』

 

『またねー』

 

 誰も帰って来なかった。

 

 帰ってくると口にして去った仲間達は誰一人として帰って来なかったのだ。

 モモンガはその寂しさを抱えながらも一人でユグドラシルにログインし続けた。

 何日も、何日も、そして最後まで。

 いつかは帰って来てくれると愚直に信じ続けながらただ一人で。

 

 結局サービス終了日になってやっとごく一部の者だけが顔を出しに戻って来てくれたが、それでも顔を出すという言葉通りほんのわずかな時間だけだった。

 ゲームをプレイする事はなく、ただ円卓の間で少しばかりお喋りしただけだった。

 

(あぁ、俺は彼等と同じ事をしてしまったんだな…)

 

 帰って来れる筈が無いと知っていながら、それでもバツが悪いから、あるいは切り出しにくいから。

 きっとそんな程度の理由で。

 

(皆もこんな気持ちだったのかもな…。確かに言える訳ないよな、もう絶対に戻って来ませんなんて…。引退までしたんだ…。機会があれば戻ってきますなんていうのはただの社交辞令なのに…)

 

 皆に帰ってきてほしかった。

 いつかまた冒険に出られると夢見ていた。

 だからこそ、そんな社交辞令かもしれない言葉に縋って生きてきたのだ。

 いや、縋らなければ生きられなかったと言うべきか。

 

 ずっと孤独だった。

 それでもモモンガにとって居場所と呼べるのはあそこだけだったのだ。

 仮想世界の中にある仮初の世界。

 データにより構成された、どこにも存在しない幻の場所。

 仲間達と共に作り上げたナザリック地下大墳墓だけが。

 皆が去った後も、決して失わぬようにと一人で維持し続けた。

 

 今となってはその全てが泡のように消え去ってしまったが。

 

(イビルアイには恨まれるだろうな…。でも俺と違ってお前には仲間がいただろ…? 蒼の薔薇か…、本当の仲間の所へ帰れば俺の事なんてすぐに忘れるだろう…。そうだ、俺やデイバーノックとの付き合いなんてたかが数十日…。あんなのはきっとただの気の迷いだ…。ただ一時でも仲間となった者を見捨てられない感傷によるもの…)

 

 心の中でそう自分に言い聞かせる。

 ズーラーノーンに裏切られ、デイバーノックは死に、イビルアイとの縁も切った。

 再びモモンガは一人ぼっちになってしまった。

 でもそれでいい。

 この地獄に向かうのは自分だけでいいのだから。

 

(ああ、不思議と少しだけ晴れやかだ…。胸の奥底にあった何かが消えた、そんな気がする…。そうか、これは俺の仲間達への身勝手な恨みか…。ナザリックに帰ってきてくれなかった彼等への勝手な期待と失望…。ふふ、いくらそれが間違いだと、仲間達は悪くないと理解していた所で感情だけはどうにもならなかった…。そうだ、俺は我が儘だからな…)

 

 もちろん仲間達の事は何よりも大切だし大好きだ。

 だからこそ一緒に居てほしいというモモンガの願望が、帰って来てくれない彼等に対して少しばかりの負の感情を抱かせていた。

 恨みと呼ぶには大仰で、しかし無視できぬ程度には胸を燻らせる感情。

 それが今、消えた。 

 

 叶う筈が無いのに帰ると口にした事で、少しだけ仲間達の事を思い出し、また理解できた気がしたからだ。

 

(イビルアイには感謝しなければいけないかもな…。彼女のおかげで、仲間達へのほんの僅かであるが俺を苦しめていた蟠りが消えた…。はは、イビルアイは俺の事を怒るだろうが…、それは許してもらうしかないな…。どんな出会いにも意味はある、無駄な事など無いと言っていたのは誰だったか…。ぶくぶく茶釜さん、いや、教師であるやまいこさんだったか…? まぁいい。願わくば俺やデイバーノックとの出会いが、イビルアイにとっても良い思い出となればいいが…)

 

 そうこうしている内に都市の真上程まで来たモモンガ。

 

(そろそろか、エリュエンティウに近づいてきたな…。クッ、間近で見るとさらに酷いな…。死体があんなにも…! 彼等は八本指とは違う…、何の罪もない人々だったのに…! 俺の、俺のせいで…)

 

 都市に近づくとその惨状がより目に入る。

 アンデッドの身ゆえ、生理的な嫌悪は無い。あるとすれば精神的なものだけだろう。

 

(都市守護者とその配下達…。真っ向から戦っては万に一つも勝ち目が無いな…。だが今やあれはユグドラシルに存在する野良モンスターとそう違わない筈…。考えろ…、何か、何か出来る筈だ…。俺の持ちうる全ての手段と可能性を模索しろ…!)

 

 必死で攻略法を考えるモモンガ。

 曲がりなりにもイビルアイに同じ相手には二度負けないと啖呵を切ってしまった以上、モモンガを殺した奴だけでも倒さないと恰好が付かない。

 

(戦闘は始まる前に終わっている、か。ぷにっと萌えさんの言う通りだな…。より情報を収集した者が勝つ…。本当に野良モンスターとそう変わらないならばこちらが一方的に情報を収集するのも難しくない筈だ…。問題はどうやって情報を入手するかだか…)

 

 一般的なモンスターとしてユグドラシルに存在していた者達はいい。

 そういった基本データは頭に入っている。

 問題は都市守護者達である。

 外見からおおよその種族は予想できるが、どのようにビルドを組んでいるかまでは読み切れない。

 何より彼等はズーラーノーンの言葉通りならば30人全てがレベル100なのだ。

 不用意に近づけば今のモモンガでは存在を看破されるかもしれない。

 

(今の俺の状態でレベル100の者から情報を引き抜く手段は…、ある訳ないな…。正攻法じゃ絶対に無理だ…。課金アイテムを駆使して…、いやだがどうやって…。せめてその戦闘データだけでも取れればいいがあれらと戦いになる者なんているのか…? というより…、都市守護者らしき者達…。30人いなくないか…? ここから見えない場所にいるだけ? いや、しかしそんな…)

 

 必死でモモンガが思案している中、エリュエンティウにまた新たな動きがあった。

 

(ん?)

 

 いつの間にか都市の外に無数のアンデッド兵が並んでいた。

 先ほどまでは影も形も無かった筈のその場所に。

 それらの後ろに見える暗闇から今もアンデッド達が次々と這い出てきていた。

 モモンガには一目でその暗闇が何なのか理解できた。

 

(あれは…<転移門(ゲート)>! 都市守護者の仲間…? いやそれにしては様子がおかしい…。エリュエンティウへ向け、攻め入るような陣形を取っている…。もしや仲間割れ…、ああ、そういう可能性もあるか…。しかしそうであるならばなぜ天空城内で戦いにならなかっ……。あ…、え……? そ、そんな…、嘘だろ…?)

 

 五千ものアンデッドの兵士達。

 その後ろにも様々な種類のアンデッド達が陣形を組み並んでいる。

 

(見間違い…か…? いや、でもあれは…。馬鹿な…!)

 

 その様々なアンデッド達。

 特にモモンガの目を引いたのが最前列にいる五千のアンデッド兵だ。

 一見するとただのアンデッドの兵士なのだが野良のモンスターとは少しだけ違う特徴を持つ。

 強さそのものが優れているとかそう言う事ではなく外見上の差異しかないが、あれは一部のダンジョン、あるいはそこを攻略したギルドにしか配置できぬ固有モンスター。

 モモンガにも見覚えが、いや見間違える筈など無いのだ。

 もちろん遠目ではハッキリとは分からないので、魔法で視界を飛ばす。

 本体が近づくよりは安全とはいえあまり近づくと感知されるかもしれないのでほどほどの距離を維持しながら。

 

(そ、そんな筈は…! も、もしかして似たようなアンデッドが俺の知らない所でサービス終了前に実装されていた? いやいや何を言ってるんだ俺は! ここはユグドラシルじゃない! 異世界だぞ! そ、そうか…。この異世界特有のアンデッド、それとたまたま似通ってい……うぇええ!?)

 

 それら無数のアンデッドを率いるように上空へと飛んだ一つの影。

 真紅の鎧を身に纏ったその女性を見てモモンガの疑惑は確信へと変わる。

 あれだけは絶対に見紛う筈が無い。

 大事な仲間が外見から細かく作り上げたこの世に一体しか存在せぬ唯一無二の存在。

 

(ば、馬鹿な馬鹿な馬鹿な! シャ、シャルティア!? な、なぜここにいる!? い、一体どういう事だ!? 自律して動いている!? いや、そうか異世界に来た影響…。天空城のNPC達もそうだったじゃないか! ま、待て待て待て! シャ、シャルティアがいるという事は…、ナ、ナザリックが来ているのか!? ま、待てよ…、アースガルズの天空城が存在し…、六大神たる者達の拠点も存在していたと聞く…。そう考えればナザリックが来ていてもおかしくない!? ほ、本当にアインズ・ウール・ゴウンのギルド拠点が存在するのか!? も、もしかして俺と同時に転移していたと!?)

 

 突然の事に頭が混乱し、正常な思考を保てない。

 

 困惑したまま飛ばした視界を見ているとシャルティアは鬼気迫る表情で何かを叫んでいる。いや、咆哮を上げているのだろうか。飛ばしているのは視界のみで音声は聞き取れない為、詳細は分からない。

 

(な、なんだあれ、なんだあれ!? シャ、シャルティアに表情が…。って顔怖ぁ…! い、いやそんな事はどうでもいい…。ていうか…、滅茶苦茶怒ってないか…? いや違う、まるであれは…)

 

 その後、モモンガはとある事に気付きハッとする。

 

(あ、あれは暴走してるんじゃないのか…!? そ、そうだ…。何よりNPCはギルド拠点から外に出られない筈だ…。それが出られているという事は…)

 

 数少ないデータを元にモモンガは一つの仮説に辿り着く。

 

(天空城と同じ…! そうか、そういうことか…! 天空城もそのNPC達は最初外には出ていなかった…。その多くは八欲王が隔離していたとはいえ、そうでない者達もその全てが城内にいた…。外を飛んでる自動POPモンスター等もいたがあれはまた別だろう…。つまり、ナザリックのNPCであるシャルティアがここにいるという事は…)

 

 モモンガの見てきた物事と基準から考えるとそれは認めたくない最悪の結果に結びつく。

 

(あ……、そ、そんな……。いや、でもそれしか…、しかし、そうだとするなら…、全てが腑に落ちる…。あのシャルティアの鬼のような形相も含め全て…。う、嘘だ、認めたくない…! お、俺は! 俺は仲間達になんと詫びればいいんだっ……!)

 

 深い絶望と共にモモンガは頭を抱える。

 モモンガの辿り着いた結論、それは。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()…! だからシャルティアもあんな表情に…! もはやナザリックとは無関係に暴走しているんだ…!)

 

 NPCの動かぬ表情に見慣れてしまっているがゆえにモモンガにとって今のシャルティアの姿は暴走している天空城のNPC達と何ら変わりなく見える。

 それも致し方ない事だろう。

 久しぶりに見たNPCの表情が全く知らぬものへと変わっていれば天空城の二の舞を疑いたくなる。

 

(お、俺が節約の為と拠点の防衛機能のほとんどを切ってしまっていたから…! だから何者かに容易く侵入されギルド武器を破壊されてしまったんだ…! そ、そうに違いない…! あぁ、仲間達との思い出の結晶が…! 皆の帰る場所だけは絶対に守ると誓ったのに…! 大事な宝物がそこにあったのに! 失っていなかったのに! 残っていたのに! 俺は守る事ができなかった…! ナザリックが何者かに攻め入られている時に俺は何を…! お、俺は…俺は俺は、うわぁぁぁああぁぁあ!)

 

 半ば発狂したように見悶えるモモンガ。

 しかしアンデッドの身体ゆえだろう。

 激しい感情は即座に抑制され、元の穏やかな状態へと戻る。

 しかし胸を焦がすようなチリチリとした感情は残っているし、何よりこの後悔は決して消えない。

 

 複雑な感情の後、一度冷静さを取り戻した後に来たのは怒り。

 憤怒という言葉ですら足りぬ程の、モモンガが人生で一度も味わった事の無い程の、アンデッドの身でなければ耐えきれない程に、怒り憤り激昂し、荒れ狂った。

 

「こ、この俺がぁ! 俺と仲間達が、共にいぃぃぃ! 共にぃい作り上げた俺達の、俺達のナザリックに土足で踏み入りぃぃい!」

 

 激しい怒りを抑えきれずに言葉に詰まる。

 モモンガはまるで深呼吸をするように肩を動かし、激しく言葉を続ける。

 

「さらにわぁぁあ! と、友のっ! お、俺のもっ、最も大切な仲間達との絆であるぅぅぅう! ギ、ギルド武器をぉぉお破壊した奴がいるだとぉおおお!? く、糞がぁぁああ! 許せるものかぁぁああああ!!!」

 

 モモンガが激しい口調で叫ぶ。

 この場にいて大声で叫び声を上げたのにも拘らず、モモンガの存在が気付かれる事はなかった。

 なぜならばモモンガの眼下では天空城の軍勢とナザリックの軍勢が正面からぶつかり合い、さらなる騒音を轟かせていたからだ。

 冷静に考えればナザリックが攻略されているなら守護者が無事で済んでいる筈はないのだが今のモモンガはそこまで頭が回らなかった。

 

 そして、モモンガの永遠とも思われた怒りは先程と同様に急激に静まった。

 冷静さを取り戻したとはいえ、臓腑を燃やすような暗く深い怒りは決して消えない。

 

「はぁ、はぁ、今だけはアンデッドの体に感謝だな…。人の身であったら怒りで憤死していたかもしれない…」

 

 そうしてモモンガは再び思案する。

 都市守護者達との闘いの構想は白紙に戻った。

 もう一度最初から考え直さねばならない。

 

「くっ…、シャルティア…、すまない。俺のせいで…。しかしギルド拠点が破壊され…、暴走した今となっては絶対に接触する訳にはいかないな…。他のNPC達もいるとするなら…。ま、まずい…、守護者達と会ったら殺されてしまうぞ…」

 

 都市守護者達以上に警戒すべき相手が出来てしまった事にモモンガは頭を悩ます。

 都市守護者と違ってナザリックのNPCを殺す事などモモンガにはきっと出来ない。

 だからこそ出会ったら間違いなく一方的に殺されてしまうのだ。

 

「だが俺だって天空城を攻略し…、さらにはズーラーノーンに誑かされて天空城のギルド武器を破壊するきっかけまでも与えてしまった…。そんな俺にナザリックのギルド武器を破壊した奴を責める権利などあるのか…」

 

 ふと空を見上げる。

 さっきまで自分がいた天空城を見ながら。

 

「八欲王…、すまなかったな…。もうここはユグドラシルじゃない…、現実だ…。それなのに俺はどこかまだユグドラシルと同じように考えてしまっていた…。ギルド拠点は攻略されてこそだと…。俺だってサービス終了前は誰かがナザリックに攻め入らないかと期待もしていたが…。でも現実になれば話は違うよな…。壊れればもう元には戻らない…。ああ、どうしてお前達がNPCを隔離したか本当の意味で理解したよ…。失いたくなかったんだよな…。自分達の作ったもの、あるいは仲間達と共に築いたものを…!」

 

 顔を落とし、うなだれるモモンガ。

 

「俺はそれを壊してしまった…。たとえ八欲王本人達はいないとはいえ…、尊重するべきだったのかもしれない…。ユグドラシルと同じような冒険心と期待感で足を踏み入れていい場所では無かった…。だから、俺だって同じ事をされて文句を言うなんてのは、そう、おかしな話だ…」

 

 しかしモモンガは。

 

「だがそうだとしても…! どれだけ身勝手で我儘だとしても…! 絶対に殺す…! 俺達のナザリックを破壊した奴は必ず…! 地の果てまでも追い詰めてやる…! レベルダウンだ? ナメるなよ…。俺はアインズ・ウール・ゴウン…! そのギルド長だ…! 相手が何者だろうと殺してやる…。どんな手を使ってでも…!」

 

 元々モモンガは戦いとなれば手段を選ばない質だった。

 何よりギルド内ではPVPにおける戦闘経験は群を抜いており、状況対応能力に至ってはギルド一とぷにっと萌えから評価を受けている。

 それだけの存在が、常識も良心も何もかもを捨て去り、目的の為だけに行動する。

 

「見てて下さい、ぷにっと萌えさん…。それに皆…。見せてやりますよ、アインズ・ウール・ゴウンの戦い方ってやつを…!」

 

 その決意と共に、モモンガの眼窩に激しく炎が揺らめいた。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第八階層『桜花聖域』。

 

 

 桜花聖域の領域守護者であるオーレオール・オメガ。

 彼女は突然の、いや何よりも最悪なタイミングで事が起こった事に戦慄していた。

 

「し、侵入者っ!? こ、こんな時に! ほとんどの者達が出払っている時になんて事…! も、もしこのタイミングでナザリックを落とされるなんて事になれば至高の御方々になんと申し開きをしたらいいのか…! い、いいえ、今はそんな事を考えている場合ではないわ…! 残っている領域守護者達へすぐに通達しなければ…!」

 

 慌てながらも冷静に対処しようと努めるオーレオール。

 今となってはナザリックの防衛は彼女の采配に全てがかかっていると言ってもいい。

 

「まずは蠱毒の大穴へと誘導し餓食狐蟲王に対処してもらい、その間にグラントと紅蓮に迎撃の態勢を整えてもらうしかない…!」

 

 全階層守護者はヴィクティムを除き、その全てが配下と共に出撃している。

 残っているのは己の領域において力を発揮する僅かな領域守護者とその配下のみ。

 他にもいるにはいるが戦闘に特化していると言える者は数少ない。

 

「グラントと紅蓮…、あぁ、この両者が協力可能ならばこんなに困らないのに…」

 

 オーレオールが歯噛みする。

 グラントと紅蓮。

 この両者はナザリックにおいて階層守護者に次いでレベルの高い存在なのだ。

 マーレのペットである課金ドラゴンを除けば、ナザリックの中でも最上位に位置する数少ない戦闘特化の者達である。

 己の領域に限定するならばその強さは一部の階層守護者を凌駕する程。

 

 聖母グラント。

 女郎蜘蛛(アラクネ)の一種であり、上半身は身目麗しい女性の姿だがその下半身は見るも悍ましい蜘蛛の姿をしている。

 守護領域が複数階層にまたがっているというナザリックでも特殊な存在である。

 己の張った蜘蛛の巣の上では自在に動くことが出来、また敵の行動を阻害する為に彼女の守護領域においては無類の強さを発揮する。

 

 紅蓮。

 第七階層の溶岩の川を守護領域とする超巨大奈落(アビサル)スライム。

 溶岩の中へと敵を引き摺り込み、その中で戦う事を得意とする。一度飲み込まれてしまえば溶岩に耐性の無い相手ならば確実に死。耐性のある相手でも溶岩により動きが制限されるので紅蓮を倒すのは至難を極める。

 

 このように両者はナザリックでも最上位の強さを持つが、その守護領域においてこそ本領を発揮する者達なので持ち場を離れるなど出来る訳がない。

 強いが故に、単独で戦わなければならないのが彼等の弱点と言ってもいいかもしれない。

 

「ウカノミタマ、オオトシ。準備をしておきなさい…! 最悪の場合、私が出なければいけないかもしれません…。ヴィクティムと共にこの第八階層で必ず侵入者を止めます…」

 

 だがヴィクティムは足止め要員。

 オーレオールはレベル100とはいえ支援を得意とする為、この二人では配下を率いても防衛には不十分と言える。

 

「せめて階層守護者の御一人が、私以外の100レベル級の者が一人でもこのナザリックに残って頂いていたなら…! いえ、今は無いものねだりをしている場合ではありませんね…。外に出た階層守護者達が戦闘に入ったという情報は入ってきていますしすぐに呼び戻すのは不可能…。今ある戦力だけでどうにかしなければ…」

 

 ナザリックの防衛が不十分な状況においての侵入者にオーレオールは考えうる限りの手を打たんと奔走する。

 

 だが悲しいかな、事態は彼女の予想を遥かに超えていた。

 

 

 

 

 第五階層、氷結牢獄内『真実の部屋』。

 

 

「いらっしゃいますかニューロニスト様」

 

 様々な拷問器具が置かれたこの部屋へと何者かが訪問していた。

 

「いるわよん、あらプルチネッラじゃない、どうしたのん?」

 

 返事をしたのはこの拷問室でせっせと器具の手入れをしている、まるで膨れ上がった死体がボンテージを着ているような醜悪な姿。その頭部はタコのような触手がいくつも付いているかのような形をしている。

 話すと同時にくねくねと体をしならせるがその見た目と相まって破壊力は抜群である。

 

「侵入者の話をお聞きになりましたか!? 不敬にもこのナザリックに侵入してきた愚か者がいるとか」

 

「もちろん聞いているわん、だからこそこうしてせっせと器具の手入れと調整をしているのよん。間違いなく侵入者はここに送られてくるからねん」

 

「おお、流石わニューロニスト様! 素晴らしい! 願わくばその際に私を助手として付けて頂けませんか!? 少しでもナザリックの者達の幸せの為に働きたいのです! 侵入者の様子を後々に私がナザリックの者達に語って聞かせましょう! 侵入者が苦しめば苦しむ程ナザリックの者達わ幸せになるに違いない! ああ! 私は皆を幸せに出来る! この喜びわ至高なる御方にお仕えできる事の次に幸福です!」

 

 そうしてプルチネッラと呼ばれた道化師は高らかに両手を天に掲げる。

 それを満足そうに眺めるニューロニストだが彼等の予想は外れる。

 

 その侵入者がここに送られてくる事は決して無いからだ。

 

 

 

 

 第九階層、ロイヤルスイート『バー』。

 

 

「ピッキー、あれを」

 

「畏まりました」

 

 男性使用人によりカウンターチェアーに座らされたイワトビペンギンが気取ったように注文をする。

 常連である客の注文にいつものように茸生物(マイコニド)の副料理長が注文に合わせてカクテルを作る。

 あれと言われるものはただ一つ、リキュール十種を使った十色のカクテル『ナザリック』だ。

 外見は非常に美しいがその味は決して他人に勧められるようなものではない。

 目の前のイワトビペンギン以外に注文する者などいないだろう。

 

「それよりもエクレア様、よろしいので?」

 

 カクテル『ナザリック』を差し出しながら副料理長が尋ねる。

 

「何がだねピッキー」

 

 執事助手であるエクレアが優雅に料理長へと質問を返す。

 

「いえ、一般メイド達には退避命令が出ています。侵入者の排除が完了するまでは全ての業務を中止、安全な場所に隠れるようにと」

 

「し、侵入者!?」

 

 驚くエクレア。

 次に聞こえたのはバン、バシャン、―――カンという音だった。

 

「貴方は相変わらずですね、自分の手で持つのは遠慮してちゃんと使用人に持ってもらって下さい」

 

「……本当に申し訳ありません」

 

 深々と頭を下げ真摯に謝罪するエクレア。

 しかし謝罪が終わると同時に再び口を開く。

 

「そ、それよりも侵入者とはどういう事だねピッキー!」

 

「文字通り侵入者ですよ。不敬なる者がこのナザリックへと侵入したそうです。一般メイド達に教えてもらわなかったのですか? ここに来るまでに何人かと顔を合わせたでしょう」

 

「た、確かに何人ものメイド達とすれ違ったのに誰も教えてくれなかった…。な、なぜだ! 私はやがてこのナザリック地下大墳墓を支配する主となるというのに! 一体何が気に入らないと…!」

 

「そういう所じゃないですか?」

 

 心底疑問だというエクレアに副料理長は辛らつな言葉をかける。

 だがエクレアの耳には届いていない。

 

「使用人! 私を運べ! この私を差し置いて侵入者など…! 王位の簒奪など許さん! ナザリックを支配するのはこの私エクレア・エクレール・エイクレアーなのだ! 侵入者に目にもの見せてくれる!」

 

「イー!」

 

 そうしてエクレアは男性使用人に抱えられバーを飛び出していく。

 

「あれは死んだかもしれませんね…」

 

 バーの中で副料理長が小さく呟く。

 

 

 

 

 ナザリックに侵入者が入り込む少し前。

 

 

「こ、これは一体何が起こっているというのじゃ! なぜこんなことが…!」

 

「少し静かにしててもらえませんか?」

 

 狼狽するリグリットに対して海上都市の彼女は何でもないという風に淡々と言う。

 

「な、何を言っておる…! 何が起きているか分かるじゃろう!? これだけの異常な魔力の数! これだけ離れていても感じる程の強さ…! 近い場所などここからでもその光や爆発が肉眼で確認できる程じゃぞ!? 国が…、いや世界が滅ぼされてしまう!」

 

 だがそんなリグリットの叫びなど気にしていないように彼女は受け流す。

 

「聞いておるのか! た、頼む…! もしお主がどうにか出来るなら我らを…、いや世界を救う事に協力してくれ…! リーダーも認めたお主とツアー達竜王が協力すればもしや…」

 

「静かにして下さいと言ったでしょう? ()()()()()()()()()()()()()

 

「な、なんじゃと…?」

 

 そう言って彼女はリグリットなどそっちのけでただ一点を見つめ続ける。

 遠く、眼前に映る建物へと向かって。

 

 それはナザリック地下大墳墓。

 距離があってもその特徴的な外見を見紛う筈などない。

 ユグドラシルのプレイヤーであればそのほとんどが知っていると言っても過言ではないのだ。

 かつて1500人からなる討伐隊をも退けたユグドラシル一とも謳われる難攻不落の要塞。

 特に第八階層での攻防はネットにも出回り、あらゆるプレイヤーを震撼させる事態となった。あまりの光景に運営には「チートだ!」という苦情が大量に寄せられたのだがその苦情が受理される事はなかった。

 それ以来、ナザリックを攻略しよう等というプレイヤーは誰一人として存在しなくなったのだ。

 

 攻略に参加した者達はもちろん、動画を見た者達の全てがナザリックに足を踏み入れまいと誓っただろう。

 それだけあの第八階層での出来事は衝撃的であり、また受け入れがたいものだったからだ。

 間違いなくユグドラシル史に残る大事件であり、またアインズ・ウール・ゴウンの名を不動にしたものでもあった。

 

「まさか…、信じられない…。本当にこんな事が…」

 

 それは夢にまで見た彼女の希望への一筋。

 ほんの一欠片だが希望へと繋がり得る可能性のある存在。

 彼女が己が全てを投げ出すに足る価値のあるもの。

 

「後はこれが応えてくれるかどうか、か…。怖いな…、あれだけ望んだのに…、もう何にも動じないと思っていたのに…。いざその時になってこんなに震えるなんて…」

 

 そう一人ごちる彼女の手元は震えていた。

 だがそれでもなお必死に手に力を込める。 

 世界級(ワールド)アイテムである『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』がその手から零れ落ちぬようにと。

 

「ど、どうしたと言うのじゃ!? お主はさっきから何を言っておる!?」

 

 リグリットの呼びかけがようやく彼女に届いたのだろう。

 彼女がリグリットの方へと向き直る。

 

「ひっ…」

 

 思わずリグリットは悲鳴を上げた。

 なぜならそこにあった彼女の顔は先程までとは全く別の物だったからだ。

 顔の造形が変わった訳ではもちろんない。ただ目の輝きが、表情が、何もかもが変わっていた。

 全てに諦念していたような顔はどこにもなく、口は裂けたように引き攣り、その瞳は野心に満ち溢れる貴族のように血走りギラついている。

 本当に同一人物かと疑いたくなる程の変貌。

 

「はっ…、はっはっははっは! ここは、ここは()の知る限りユグドラシルで最も堅牢な拠点! 何者にも攻略された事は無く! あらゆる猛威を跳ねのけた脅威のギルド! 1500人からなる討伐隊すらも退けた伝説の場所! 無事に残っていたのか…!」

 

 リグリットはこの時初めて彼女の一人称を聞いた気がした。

 まるで男のようなその口調は僅かに違和感を覚えさせる。

 そんなリグリットの困惑を余所に彼女は騎乗していたモンスターから飛び降り、ナザリック地下大墳墓の前に立つ。

 そんな彼女を慌ててリグリットが追いかける、が。

 

「死にたくなければここから先には入らない方がいい」

 

 彼女が静かにリグリットへと忠告する。

 きっとそれが彼女にとってリグリットへの最大級の配慮だったろう。

 今は目の前の光景に夢中でもう他の事などどうでもいいとすら思い始めている。彼女は自分の事でいっぱいいっぱいなのだ。

 

「な、なんなのじゃここは…。この辺りの地理には詳しくないが…、このような巨大な墳墓が王国にあったなど聞いた事がない! 天空城同様、ユグドラシルという世界から流れ着いたものなのか!?」

 

「そう…。ここはナザリック地下大墳墓…。ヘルヘイムの奥地、猛毒の沼地が点在する大湿地帯であるグレンデラ沼地の先に存在する墳墓…。周囲には毒耐性型ツヴェーク達の巨大な住処があり踏破するだけでも困難。プレイヤーならば誰でも知っている。かつてその沼地を越え、1500人の討伐隊はナザリック地下大墳墓へと攻め入った事があった。その広大さと迷宮のような複雑さに討伐隊はその道中で墳墓内にNPUという文字をいたる所に書き記した事は多くの者の間でも語り草となっている…」

 

「え、えぬぴーゆー? な、なんじゃそれは?」

 

Nec Plus Ultra(ネクプルスウルトラ)。『この先には何も存在しない』という警句だ。多くの者がその身を犠牲に、しかし情報を残し共有し正解となる道をひたすらに模索し続けた。その甲斐あってやがて彼等はその深奥まで辿り着いたんだ…。まあそこで何も出来ずに全ての者が屠られたんだけどね」

 

 まるで心底愉快という風に彼女が笑う。

 第八階層による蹂躙とも言うべき歴史的大虐殺。

 チートと騒がれた原因、元凶。

 その名に相応しい超暴力(アルトラ)で討伐隊の生き残りはその全てが粉砕され息絶えたのだ。

 いつしか多くのプレイヤー達から畏怖と侮蔑を込められ、こう囁かれる事になった。

 

 ‐ヘルヘイムの地下大墳墓には『冥王』が住む‐

 

 

「ああ、最高だ…」

 

 そうして彼女はナザリック地下大墳墓へと足を踏み入れる。

 即座に近くにいた自動POPのアンデッド達が反応し攻撃を仕掛けようとする。

 この地へとナザリック以外の者が足を踏み入れて無事に脱出できた事は無い。

 これまでは。

 

「叶えろ永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)ッ! 俺の願いは――」

 

 やがて彼女はその手に持つ世界級(ワールド)アイテムを空高く掲げ、発動させる。

 願いを口にしたと同時に永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)は砕け、完全に消え去る。その残滓すら残らぬほど完璧に。

 

 何百年も待ち続けた海上都市の彼女の願い。

 それは古き約束を叶える為の一縷の望み。

 

(こ、これは…! こやつは…! かつてリーダーはこの海上都市の女性に危険は無いと言っておった…! だが本当にそうなのか…? ほ、本当にこの者には危険が無いと言えるのか…!)

 

 心の中でリグリットは何度も叫び問いかける。

 だが答えてくれる者などいない。

 

 激しい光が周囲を包む。

 

 聞こえるのは狂ったような甲高い声だけ。

 まるで悲鳴を思わせるような狂乱。

 

 

 そうして光が収まると同時に、彼女の願いは完璧に聞き届けられた。

 

 決して叶わぬ筈の、この世界において無から有を生み出すかの所業。

 

 本来、世界級(ワールド)アイテムの影響を受けぬ筈のナザリックでありながら、その影響からは逃れられなかった。

 かつて八欲王が『五行相克』を使用し魔法の存在を書き換えたように、法則や前提が変わるような事態になってしまえば世界級(ワールド)アイテムを所持していてもその影響は受けてしまうからだ。

 『永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)』により、ナザリックは―――

 

 だが、彼女はまだ何かを成し遂げた訳ではない。

 

 古き約束を叶えるのはこれからなのだから。

 

 

 

 止まっていた彼女の物語が再び動き出す。

 

 

 




【悲報】モモンガさん、キレる

今回は戦いまで描写出来ませんでしたが基本的にはほとんど登場人物が出揃ったと思います
それとモモンガさんの復活できる指輪は何度でも使用可能かは分からないのですが今作では話の都合上使い切りとしました

現在ナザリックに残っている防衛勢は出撃勢に比べて極少数しかいませんが今後はこちらも大騒動となると思います
あと前にも告知してますがこの作品ではオリキャラは出ません(名前のみのキャラや存在が示唆された者は出ますが)
最後まで原作から大きく逸脱しないように纏められればと思っております



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回想:最初の訪問者

お詫び

以前の投稿から随分と時間が経ってしまいました
期間が空き過ぎた為、今回はリハビリがてらの短編でご容赦下さい


 後の世で「海上都市の彼女」、そう呼ばれる事になる女性は周囲の光景に驚いていた。

 見覚えの無い山脈に囲まれた荒野、そんな中にただ一人ポツンと立ち尽くしていたからだ。

 

「こ、ここは…? 一体…」

 

 彼女は先ほどまでサービス終了直前のユグドラシルにログインしていた。

 そして終了の時間が訪れ、サーバーが落ちる筈だった。

 その筈だったのに――

 

「なぜ終了してないんだ…? コンソールは使えず、GMコールもきかない…。しかもこんな見覚えの無い場所に飛ばされているし…。参ったな…」

 

 そう一人ごちて肩を落とした女性は、まさに絶世という言葉が相応しい端正な顔立ちをした人間種だった。

 健康的な肌に長い銀髪、年齢は十四かそれ以下ほどだろうか。まだ幼さが抜け切れていないが、可愛らしさと美しさが交じり合った事によって生まれた、そんな美の結晶だ。

 

 悩ましい表情すら美しい彼女だが、少しして目の前に巨大な存在が鎮座していた事に気が付く。

 それは強大な存在感を放ちながらも不思議そうに彼女を見下ろしていた。

 

「おわ、ビックリした生き物かこれ。小さい山か何かかと思ったよ。でも攻撃してこないって事はイベントキャラか何かかな? まさかプレイヤーじゃないよね? ぱっと見ドラゴンに見えるけどドラゴン系の種族は選択できない筈だし…」

 

『※※※? ※※※※?』

 

「え? もしかして喋ってる? うーん、何言ってるか全然分からないな…」

 

『※※…』

 

 その巨大な存在も彼女も互いの言葉を理解できなかった。

 齟齬があるという意味ではなく、言語が全く異なるという意味で。

 

 それが彼女の異世界での最初の出会いだった。

 

 目の前にいたその巨大なドラゴン。

 この世界に多数存在するドラゴン達の中でもより強大な力を持つ竜王、それらの頂点にして、最強の存在であり「竜帝」と呼ばれ恐れられていた事を彼女が知るのはしばらく後の事になる。

 

 

 

 

「へえ、始原の魔法(ワイルドマジック)ってのは便利だねぇ。異世界の言葉まで喋れるようになるなんて」

 

 

 竜帝の使う始原の魔法(ワイルドマジック)という魔法の力で彼女はこの世界の言語を理解する事が出来るようになった。正確には自動翻訳機能のようなもので言語自体を習得した訳では無いらしいがどちらでも彼女は構わなかった。

 

 そうして言葉を交わせるようになった後、彼女と竜帝は語り合った。

 ここはどこなのか、彼女はどこから来たのか、互いの疑問を互いが知る限りぶつけ合い、また知る限り互いに答え続けた。

 

 話がひと段落ついたのは何度目かの夜を迎えた頃だった。

 

「なるほど…。じゃあ俺がこの異世界に召喚されたのは君のせいか」

 

 彼女のジトリとした視線に竜帝は申し訳なさそうに頭を下げるだけだった。

 ただ彼女も本気で怒っていた訳ではない。

 話を聞く限り、竜帝自身も事態を完全に把握している訳ではなく、まだ理解出来ていない事の方が多いらしい。この時は知る由も無いが、これらの疑問が解消されるのは数百年もの時が経ってからになる。

 

 少なくともこの時点で彼女が分かった事は一つだけ。

 現在の状況を引き起こしたのは竜帝の持つ固有の力が原因という事だけだった。

 

 その後も紆余曲折あったものの、現状行く当ても無い彼女は竜帝と共に生きる事となった。

 

 その過程で彼女は思い知らされる事になるのだが、この世界の竜王達は暴力でしか物を考えない種族であり対話はもちろん話し合いなど出来るような存在ではなかった。

 ではなぜ彼女は竜帝と平和的に話し合う事が出来たのか。

 竜王達はそのいずれもが他者を顧みない傲慢を極めたような存在であった。

 そして竜帝はその竜王達の頂点にしてこの世界最強。

 であるならば竜帝こそ最も傲慢であっておかしくない筈。だが物腰は柔らかく、その立ち振る舞いには高い知性や気品すら感じさせた。

 この世界においてはまさに異端。

 もはや異様とも呼ぶべき理由こそまさに彼女がこの世界へと導かれた原因である。

 それが竜帝固有の始原の魔法(ワイルドマジック)

 竜王達の中でも真なる竜王と呼ばれる上位の者のみが使用することが出来る始原の魔法(ワイルドマジック)ではあるが、これは竜帝にしか使えず、また竜帝を最強の存在にまで押し上げた要因でもある。

 

 一言で言うならば、千里眼。

 だがそれはこの世界においてではない。

 ()()()()()()()()()()()()()()というこの世界に生きる者達にとって理解どころか想像すら及ばぬ力。

 それが竜帝の持つ唯一無二にして固有の始原の魔法(ワイルドマジック)

 彼女がこれをすんなりと受け入れる事ができたのは、己自身が世界を渡ってきたという事もあるだろうが、異世界という存在を元々認識していた事が大きいだろう。

 彼女が生きていたリアルの世界でもフィクションの中で度々登場する等、異世界という概念は珍しい物では無かった。

 だがこの世界の者達には別の世界があるという概念すら存在しない。

 故に誰も竜帝を理解できなかったのだ。

 

 竜帝はこの力により他の世界を覗き見る事で、様々な知識を得る事ができた。

 それこそが竜帝に教養を与え、多様な価値観を与え、数多の思想を生んだ。

 さらには戦闘や戦争における戦術や戦略、組織や政治における権謀術数など多くの世界の知識を取り入れる事で強さや知能すら手に入れた。

 そんな竜帝が、いくら強大とはいえただ本能のままに力を振るう他の竜王達に引けを取る筈が無かった。

 

 次第に竜帝は竜王達の誰もが意識せず使用している始原の魔法(ワイルドマジック)の有り方や仕組み、また世界の法則にまで考えが至る程になっていた。

 多くの世界を覗き見る事で、いつしか竜帝は命の大切さにまで想いを馳せるようになっていたのだ。

 

 命。

 

 強き者も、弱き者も、賢き者も、愚かな者も、それらに属さない者でさえ。

 その全てが可能性を持っている。

 異なる価値観、多様性。

 それらが生み出すのは未来だ。

 今まで存在すらしなかった概念の発見、技術の進歩、革新的な発明。

 つまり、未知。

 

 命はそれらを生み出す。

 

 今の自分達が思いもよらないような創造、考えも付かないような発想、次元の違う思考。

 きっと命はそれらへ行き着く。

 だからこそ竜帝は己の持つ固有の始原の魔法(ワイルドマジック)の先を求め、行使した。

 他世界の知識だけでなく、他世界の力を欲したのだ。

 これ以上この世界の命を無為に失わぬ為に。

 

 だが結果として、竜帝の思い通りにはならなかった。

 その副産物として呼び寄せられたのが彼女であり、後の世に生き残った数少ない竜王達が「竜帝の汚物」と憎々し気に口にする存在達の最初の一人。

 今後数百年続くこの世界の動乱の幕開けのきっかけとも言える。

 

 そんな彼女は竜帝の友になった。

 

 蛮勇を良しとし、力のみが価値であると信じる者達が支配するこの世界で未来を語り合える唯一の存在。

 彼女との出会いは竜帝にとって言葉に表せないものだった。

 初めての感覚、未知の感情。

 今まで見た異世界の知識で自分に何が起きているかは想像出来ていた。

 

 きっとこれが「楽しい」という感情なのだろう、と。

 

 それと同時に竜帝は己の死の予感も感じていた。

 自分が行使した始原の魔法(ワイルドマジック)はまだ終わっていない。

 今この時も少しづつ命が削られていくのが理解できる。

 身の丈に合わぬ力を望んだ代償。

 それを払わなければならないからだ。

 

 命を、未来を望んだ竜帝は恐らくそれらを見る事なく力尽きる。

 だが竜帝は後悔などしていなかった。

 自分がそれを見る事は出来なくとも、この世界に未来を残せた。

 それだけで命を懸けた価値があると思えたからだ。

 

 

 なにより、竜帝は彼女という理解者を得る事が出来たのだ。

 それだけで十分と思える程に、満たされた。

 

 

 

 

 百年後、それはこの世界に訪れた。

 

 風の噂でその存在の話が彼女と竜帝の耳に入るのはその数か月後。

 話を聞くや否や。

 

「プレイヤーかもしれない」

 

 そう口にした彼女の言葉に竜帝が身を強張らせた。

 

『怒っているだろうか…?』

 

 この世界で最強の力を持つ竜王とは思えぬほど小さい声で竜帝は問う。

 

「それは分からないけど…、でも事情を聞いたら少しは怒るかも」

 

 彼女のその言葉に竜帝がしゅんと肩を落とす。

 

「まあ悪気があった訳じゃないし、何よりまだ仮説に過ぎないからな。実際に何が起きてるか判断するには情報が足りない」

 

 そして竜帝と彼女はそれに会いに行く事に決めた。

 

 竜帝はこの時すでに全盛期よりも二割ほど力を失っていた。

 たった二割、されど二割だ。

 竜帝の膨大な力の総量を考えると二割といえど相当な力になる。

 だがそれだけの力が落ちてなお、竜帝はこの世界において未だ最強だった。

 

 その竜帝と共に彼女がそれの元を訪れた時、襲いに来たと勘違いされたのか戦闘になってしまった。

 ようやく敵では無い事が証明でき、話が出来る状態になったのはそれが魔力を使い果たした後だった。

 

 彼、その森精霊(エルフ)はユグドラシルからの二人目の訪問者だった。

 森精霊(エルフ)という種族はこの世界に存在せず、彼は転移したその場所にいた亜人やら人種族のような者たちから珍し気に見られたという。

 彼がその者らと交流し情報を集めている時に集落の一つが一匹の竜王に襲われたようだ。

 

 竜王はこの世界において畏怖の対象にして強さの象徴。

 竜王が望めば命だろうが何だろうが差し出さなければならない。

 それがこの世界の常識だった。

 

 だがそんな事など知らぬ彼は、非道を見過ごせぬと竜王と戦いになったらしい。

 当然ユグドラシルプレイヤーのアバターのまま召喚された彼は強く、その竜王を返り討ちにしてしまった。

 その後で彼女と竜帝が来たので仲間が仕返しに来たと思われたようだ。

 

 さらに事情を聞くと、竜王を蹴散らす存在など初めてだったようであっという間に現地の者達から英雄として担ぎ上げられてしまったらしい。

 彼女と竜帝から事情を聞き、おおよその事態を飲み込んだ彼は、彼を慕う者達を連れ安住の地を目指す事を決めたらしい。

 

「今回は勝てたけどあんなのが何匹も出てきたら勝てそうにないしね。僕あんまり良い装備持ってないし、そもそも戦闘職じゃないんだよ。戦いもそんな好きじゃないし。だからどこか竜王達の目の届かない所で静かに暮らす事にするよ」

 

 当初彼女は彼に共に行かないかと誘ったが、竜帝の庇護を得たとしても多くの竜王達が闊歩するこの大陸では部族の全てを守れないと判断し断られてしまった。

 

 やがて彼は数多の種族、亜人達と共に大陸を横断し北の地の大森林へ到達したと聞いた。

 いつしか彼の血を受け継ぎその特徴を継承した者達は森精霊(エルフ)と呼ばれるようになった。

 そして彼は後の世まで「森精霊(エルフ)の祖」として語り継がれる事になる。

 

 

 これが彼女と二人目のプレイヤーとの出会いだった。

 

 

 

 

 さらに百年後。

 

 この時に訪れたプレイヤー達の存在は彼女と竜帝を驚かせた。

 

「「「にゃー」」」

 

 猫の集団だった。

 竜帝はどこかの世界で似たような生物を見た事はあったようだが実際に未知の生物を目の当たりにすると妙な感動に体を震わせていた。

 だがここで彼女が最も驚いたのはギルド拠点があった事だ。

 

「ギルド…拠点…なのか? いや間違いない、見た事がある…。ここはネコさま大王国の…!」

 

 かつて彼女がネットで見た事があるギルド拠点と全く同じ物が目の前にあった。

 NPCをすべて猫、または猫科の動物で作っていた趣味全開ギルド。

 その拠点であるファンシーな飾り付けが愛らしい猫の城が。

 

 何人かの所属プレイヤーと出会う事も出来たのだが「猫として生き、猫として死ぬ。せっかく異世界に来たのなら余計な事はせず猫らしく或る、にゃー」と言って話し合いにならなかった。

 彼らからすると猫のように自由に生きる事が存在価値でそれ以外はどうでもよかったらしい。

 しかも不思議な事に彼らが存命の内はこの地で争いが起きる事は無く、竜王の魔の手が届く事も無かった。

 ただ数百年の後、ギルド拠点すら風化した後はなぜかアンデッドが跋扈する荒れ果てた地となってしまった。

 

 奇しくも、そんな状態になってさえ彼らを表す名前だけは残り続けた。

 

 これが彼女と三組目のプレイヤー達との出会いだった。

 

 

 

 

 さらに百年後、この時に訪れたギルドとの出会いが彼女の分岐点となった。

 

 ()()()()を拠点とする異形種ギルド。

 

『な、なんだこの者達は…! な、なんと(おぞ)ましい…!』

 

 初めて彼らと出会ったとき、その巨体に似合わず竜帝の口から悲鳴が漏れた。

 所属するプレイヤーやNPC達はその外見のみで竜帝に例えようのない恐怖を覚えさせたのだ。

 強さとかそういう話ではなく、もっと違う次元の何か。

 彼女はそれを宇宙的恐怖(コズミックホラー)だと形容した。

 

 そんな彼女の説明を聞いていたそのプレイヤー達はうんうんと頭を縦に振っていた。

 この言葉が良かったのか彼女はこのギルドのプレイヤー達とすぐに打ち解ける事が出来た。

 

「やっぱ異形種だよね」

 

「わかるー」

 

『わ、わからぬ…』

 

 ただ竜帝だけは置いてけぼりだったが。

 

 しばらくして彼らはギルドの上に都市を作る計画を立て始めた。

 あらゆる種族の者達が交流出来る交易の地として。

 だがそれは叶う事なく頓挫する。

 

 多くの者が集まり発展し始めた頃、竜王達に目を付けられてしまったのだ。

 

 海底都市のプレイヤー達はその外見があまりにも恐ろしい異形だった為、普段は海底に引きこもり必要な業務は代理の者に任せ、海上に出る事は無かった。

 それが災いしたのだろう。

 彼らが竜王達と戦う為に海上に出た後、竜王達はもちろん都市にいた味方だった者達でさえ恐怖に慄いた。

 竜王すら凌駕するその存在感に現地の者達は裏切り、あろうことか竜王達と一丸となって彼らと戦う事を選んだ。

 こんな恐ろしい者達が悪ではない筈がない、と。

 

 もし彼らが本気であれば現地の者達も竜王もろとも全て薙ぎ払えただろう。

 

 だがそうはならなかった。

 海上都市を作る上で協力した多くの者達を手にかける事など出来なかったのだ。

 誰にも受け入れられないと知った彼らは滅びを受け入れた。

 

 そうして拠点は荒らされ、ギルド武器は破壊された。

 

 ただこの時は誰もその意味を理解していなかった。

 ギルドに所属していたNPC達がどうなるかなど誰も知る筈がないのだから。

 結果は暴走。

 彼らプレイヤーが存命中は命令に従い海底の最下層に引きこもっていたNPC達。

 しかしギルド武器が破壊され、自我を失ったNPC達は海上都市の生ける者全てを滅ぼし、また攻めてきた竜王達の全てを返り討ちにした。

 全てが終わった後、NPC達は無差別に破壊を行う殺戮者として世界中へと散った。

 長い時をかけ、その多くが竜王や一部の強者によって刈り取られる事になるがそれには長い時が必要だった。

 

 海上都市の惨劇を見届けた竜帝と彼女は悔やんでいた。

 何か出来る事は無かったのかと。

 

 この時すでに竜帝の力は全盛の半分以下、彼女は転移した段階で戦闘能力は皆無であり、これまで多少のレベリングはしたものの竜王とは戦いにならない程度の戦闘力しか無かった。

 故に竜帝と彼女はこの戦いに介入出来なかったのだ。

 何より海底都市の彼らが介入されない事を願ったという事もある。

 

 彼女は彼らと語り合った際、己の夢を語っていた。

 ただ一つの約束を叶えるという願いを。

 

 その際に知ってか知らずか海底都市のギミックが無事ならば好きに使っても良いと許可を得ていた。

 もしかしたらその時すでに彼らは自分達がいつか滅ぶのだという事を予感していたのかもしれない。

 誰にも受け入れられぬ恐怖の根源である彼ら。

 その運命。

 ユグドラシルに存在したロールプレイに特化したギルドの最後の矜持。

 いや、最後のロールプレイ。

 

 それはきっと、この海底都市ルルイエの最下層に封印されたクトゥルフの復活。

 

 だが肝心のボスとして設定されていたクトゥルフはすでにユグドラシル時代に倒されている。

 最下層に封印されている者など誰もいない。

 

 

 誰かが新しいクトゥルフにならぬ限りは。

 

 

 

 

 数百年後。

 

 

『…本当にやるのか?』

 

「うん。ギルドは破壊されたけどギミックはまだ生きてる。だから君の始原の魔法(ワイルドマジック)無しでもきっと俺は生き続けられるよ」

 

 海底都市の最下層にある巨大な水槽の前で彼女は語る。

 

「俺はここで待ち続ける…。でも正直叶わない気もしてるんだ…。あれからこの世界に訪れるプレイヤーやギルドの法則を考えた…、最も濃厚である仮説は世界級(ワールド)アイテムの所持及び保管しているギルドの転移…。だがそれならば来ないとおかしいギルドがいくつもある…! セラフィムやトリニティ、千年王国…! アースガルズの天空城…! ムスペルヘイムの炎巨人の誕生場…! そして…、ヘルヘイムの地下墳墓…!」

 

 くしゃくしゃの表情を浮かべる彼女。

 

「まだ来てないだけかもしれない…。だが、必ず来るという保証はどこにもないんだ…。もしサービス終了前に大規模な攻略戦があったら…? もし世界級(ワールド)アイテムが持ち去られていたら…? あるいはPVPで所持している世界級(ワールド)アイテムを直接奪われていたら……?」

 

『………』

 

「俺の夢が、約束が叶う保証なんてどこにもないんだよ…。そんな事の為にこれからまた何百年も生き続けなきゃならないのか…? 誰かが来るたび、海底都市の彼らのような最後を何度も見続けなきゃいけないのか…?」

 

『…、――』

 

 竜帝が彼女の名を呼びかけるが、すぐに彼女の言葉が被せられる。

 

「もう、疲れたんだよ…。それに、君も限界なんだろう? 生命力が尽きかけているのが分かる…。未だ発動中で君の生命力を消費し続ける例の始原の魔法(ワイルドマジック)…。君が死ねばやはり中断されるんだろうか…、そうなればこの世界に新たなプレイヤーが訪れる事はもう無くなる…」

 

 彼女の言う通り、竜帝の命は尽きかけていた。

 

 千里眼という能力しか無かった筈の竜帝の始原の魔法(ワイルドマジック)

 だが数多世界の知識を得た竜帝はそこから一歩進む事に成功したのだ。

 

 世界の壁を破り、他世界に干渉し力を引き寄せた。

 本来は力のみを手に入れ、この世界の為に使う為だった。

 しかし、現実はそうならなかった。

 力、と呼ぶに相応しい世界級(ワールド)アイテムと共にその所持者まで呼び寄せてしまったからだ。

 

 時空の穴を開け他世界から力そのものを呼び寄せたのか、あるいはその力を読み取りこの世界で再構築したものなのか、竜帝でさえその全ては理解していない。

 

 ただ一つハッキリしているのは竜帝の全生命力を行使してなお、まだ足りないという事だ。

 

「俺は君の死なんて望んじゃいない…。例の始原の魔法(ワイルドマジック)なんて中断すればいいさ。どうせ叶わない願いなんだ…、むしろここまで付き合ってくれた事に感謝すらしてるよ…。夢が見れただけ有難い…。本当ならもう死んでもいいとさえ思ってる…、けどそんな事したら君が止めるだろう?」

 

『当然だ、私の目が黒いうちは君を死なせたりはしないよ』

 

「だからこその妥協案だ。この海底都市の最奥のギミック、水槽の機能はまだ生きている。俺が聞いた限りだと効果は、生命の冷凍保存装置とでも言うべきか。厳密には冷凍ではないから正しくはないけどね…。それで俺はこの中で永遠に夢を見続ける、決して叶わぬ甘い夢を…」

 

『……』

 

「だから君が俺にかけている不老の魔法ももう必要ない。この水槽の中にいる限り時が進む事は無いからね。それに元々は寿命のある人間種の体、数百年も生きながらえた事の方が不自然なんだ…。仮にこの水槽の故障や何かで死んだとしても後悔は無いよ」

 

 彼女は竜帝を見つめ、ニコリと笑いかける。

 

「これからは好きに生きろよ。今まで俺や他のプレイヤーの事を気にして生きてきたんだ、やっと解放されるんだぞ? やりたい事も沢山あっただろうに」

 

『…、分かった。私も好きにさせて貰う事にする』

 

「そうしなよ、あの竜王辺りを見習ってさ」

 

七彩の竜王(ブライトネスドラゴンロード)か…。君が変な事を教えたせいだぞ、仲間内での評判もあまり良くない…』

 

「ハハッ! それが好きに生きるって事だろ? 他人の目なんか気にするなよ」

 

『……、そうだな、そうかもしれん…』

 

 彼女と竜帝はそうして一頻(ひとしき)り笑いあった後、別れを告げる。

 

「さようなら、友よ」

 

『うむ、さらばだ我が友』

 

 彼女が巨大な水槽の中に身を投げる。

 水面で水しぶきを飛ばし、気泡に包まれながら沈んでいく。

 

 やがて沈みきった所で彼女の瞳が徐々に閉じていく。

 次第に何も聞こえなくなり、やがて彼女の意識が途切れた。

 

 それが彼女と竜帝の別れだった。

 

『君には言っていなかったが、私の始原の魔法(ワイルドマジック)は中断出来ないんだ…。けれどこの魔法が続けば続くだけ君の夢が近づくというのなら…、可能な限り尽力させて貰うよ。それが私の贖罪だから』

 

 

 

 

 竜帝は豊かな大自然が広がる大地を眼下に眺めていた。

 そこはかつて猫の王国が転移した深緑の地。

 

『あの王国が滅んでから久しいが、未だ自然に包まれたままか…。もしかすると拠点の力がまだ残っているのか…。ならば好都合か…、かつてこの地を支配した君たちには申し訳ないが…、すでに滅んだ後。どうか許してくれ』

 

 竜帝は大地に穴を開け、奥深くまで潜っていく。

 

『おお、素晴らしい力を感じる…。やはりギルドの存在が大地に影響を与えていたのか…。これはその名残…』

 

 猫の王国のギルドは滅んだ後にもその地に魔力を残し続けた。

 やがて大地がその魔力を吸い、広大な大自然を作り上げたのだ。

 

『友よ、どうか君の願いが叶いますように。地の底から願っているよ…』

 

 そうして竜帝は大地の奥深くでその意識を手放した。

 最後まで始原の魔法(ワイルドマジック)を行使する為に。

 

 これは究極の省エネなのだ。

 

 動く事をやめ、意識も思考も、何もかもを手放す。

 植物の、いやそれ以上に生きているというだけの物体となり果てる。

 ただ命だけを繋げる極限の生命維持。

 さらには周囲の大地から生命力を吸い上げ、それを始原の魔法(ワイルドマジック)への糧とする。

 

 そうして竜帝は始原の魔法(ワイルドマジック)を維持する事に成功したのだ。

 

 永い時と共に大地は涸れ果て、生命力が吸われ続けた大地はアンデットが跋扈する荒れ果てた地へと変貌した。

 後の世でなぜこの地がこれほどまでに不毛なのか知る者は未来永劫いない。

 

 竜帝が姿を消してしばらくすると、竜帝は死んだのだと誰かが噂した。

 それを疑う者はどこにもいなかった。

 息子であるツアーでさえ父は死んだのだと思っている。

 それも当然だろう。

 

 彼が生きた屍となり未だ大地の奥深くで眠っているなど誰にも知りようがないのだから。

 

 

 

 

 数百年後。

 

 その間、彼女は何度か起こされた。

 六大神や八欲王、偽りの姫君らによって。

 いずれも協力はしなかったが。

 

 その中で最も記憶に新しいのは十三英雄と名乗る者達だ。

 

 魔神を倒す為の協力を求められたが彼女の戦闘力は高くなく、装備すら無い。

 何より甘い夢を見続けたいが為に十三英雄の誘いは断る事になったがいくつか助言はした。

 

 その中でも十三英雄のリーダーを名乗るプレイヤーとの()()には驚いた。

 以前とは違い、随分と貧弱な姿だった。

 しかし彼の顔には並々ならぬ意思と覚悟が見えた。

 かつて見た時とは印象が全く違う。

 ああ、死ぬつもりなのだなと彼女は思った。

 過程がどうあれ死を選べる事を少し羨ましいと感じた。

 だが彼ならばここに来ても彼女は助けにならないと知っている筈なのに。

 もしかしたら、最後に誰かに胸の内をさらけ出したかったのかもしれない。

 愚痴を、泣き言を零したかったのかもしれない。

 今の仲間達に言えぬ呪われた秘密を。

 そんな彼と話す事で自分が眠ってから世界で何が起きたのか断片的にだが情報を入手する事が出来た。

 

 六大神の滅びと彼らを信奉する者達の国。

 八欲王が世界に残した傷跡。 

 忠実なる騎士と共にある水晶の城の姫君。

 幾多の伝説を残すゴブリン王。

 大森林に居を構える天然の要塞、森精霊(エルフ)の王国。

 そして、今世界を襲っている魔神の脅威。

 

 随分と世界は荒れ、また変わったらしい。

 それと同時に未だ彼女の待ち人は来ていない事も理解できた。

 

 そもそもどうしてまだプレイヤーが訪れ続けているのか、という疑問は残るが待ち人が来ていなければ意味は無い。

 彼女は再び眠りに付いた。

 

 

 

 

 最後に起こされたのは一人の老婆が訪れた時だ。

 

「儂はリグリット、リーダーの友人じゃ。いきなりですまんが世界を救うためにどうか儂らに力を貸して貰えないじゃろうか?」

 

 眠りから目覚めると同時に永い時を経ている事を彼女は知覚する。

 

 リグリットという老婆と少しの会話をし、再びプレイヤーが訪れた可能性がある事を聞いた。

 その際には親し気な言葉使いではなく他人行儀な言葉使いを意識した。

 もし仲良くなってしまえば、別れる時がつらいから。

 相手の懐に入らぬように、また入られぬように、突き放し気味に。

 

 そんな中、彼女は不思議に思う。

 

(どうして未だプレイヤーが訪れ続けている…? 竜帝は始原の魔法(ワイルドマジック)を停止しなかったのか? いや、もしそうならとっくの昔に竜帝は死んで始原の魔法(ワイルドマジック)は止まっている筈…。仮説が間違っていた? もしや始原の魔法(ワイルドマジック)は発動と同時に完了していたのか? しかしならばなぜ竜帝の生命力は減り続けていたんだ? 竜帝の生命力を考えれば始原の魔法(ワイルドマジック)は完了しておらず発動中と考えるのが自然…、ならばなぜ…)

 

 その時、ハッとなり彼女は魔法を唱える。

 

 それは<伝言(メッセージ)>。

 連絡先は当然、竜帝。

 

「……っ!」

 

 <伝言(メッセージ)>が繋がった。

 相手からの応答は無いが繋がっている事は理解できる。

 

 つまり、竜帝はまだ生きている。

 生きているという事は始原の魔法(ワイルドマジック)は止まっていると考えるべきだ。

 そうでなければ竜帝は生きている筈がないのだから。

 しかし止まっているのならばプレイヤーが訪れ続けているのはおかしい。

 

 だがどれだけ待っても、どれだけ問いかけても竜帝からの返事は無い。

 彼女の疑問に答えてくれる者はいない。

 

 ふと次の瞬間、<伝言(メッセージ)>の魔法が切れた。

 

 彼女は慌てて再度<伝言(メッセージ)>の魔法を使用するが――

 

「繋がらない…、いや、これは…」

 

 感覚で分かる。

 先ほどまで繋がった筈の<伝言(メッセージ)>、拒否や無視ではなく、対象が存在しない。

 

(馬鹿な…! さっきは繋がったのに今は対象が存在しない!? そんな事が…。あ…)

 

 少しして理解が追いつく。

 これを説明できる状況が一つだけ考えられる。

 余りにも判断材料が少ない。

 間違っているかもしれない。

 だが、否定も出来ない。

 

 おそらく、()()()()()()()()()()()()

 

(死の間際だから返事が出来なかったのか…? あれから数百年経ったとしても竜帝が寿命で死ぬという事は考えにくい…。ならば病死? あるいは誰かに殺された? いや、待て…。そもそも未だにプレイヤーが訪れている理由はなんだ? 俺の仮説が間違っているならばいい。だがもしそうでないのなら…)

 

 可能性の一つでしかないが、彼女は真実に迫っていた。

 

(まさか…、始原の魔法(ワイルドマジック)は止まっていなかったのか!? もしそうならどうやって…。いや、それよりもだ。もし止まっておらず、竜帝が先ほど死んだのが事実だとすると…。始原の魔法(ワイルドマジック)は終わった? いや途中だとしても竜帝が力尽きた事で、実質的に終わったと言っていい筈。もし、そうなら…。今、訪れているプレイヤーが最後になるという事…!)

 

 彼女の顔からブワッと汗が噴き出る。

 しかし幸いか、彼女は巨大な水槽の中で水中に浮かんでいるのでその汗が視認される事は無い。

 つまり水槽の外から眺めているリグリットは彼女の様子には気が付かない。

 

(このまま永遠に夢の中でも、死んでも構わないと思っていた…。だが、そうか…。終わった、のか…。今回が最後のプレイヤー…。ああ、怖い…。もし違ったなら、来ていなかったなら…)

 

 きっと、彼女は壊れてしまう。

 

 夢が叶わないという現実が、死よりも怖い。

 希望だけが、それだけがただの人間である彼女が何百年もの間、その精神を保ち続けられる事ができた理由なのだから。

 水槽から出るのが怖い。

 ここから出れば、きっと全てが終わる。

 現実を直視しなければならなくなる。

 

 なぜ彼女はここまで臆病になってしまったのだろうか。

 長い時で摩耗した人間性、新たな友の喪失、同じプレイヤーだった者達の悲惨な最期。

 全てが恐ろしく、また耐え難い。

 

 そんなに恐ろしいのならば自殺でも何でもすれば良かったのだ。

 だが彼女には出来ない。

 死を選ぶ事は、希望を捨てる事は、かつての仲間を、様々な者達を裏切る行為なのではないかという疑念に囚われているからだ。

 だから、自殺が出来るのは希望が潰えた時だけだ。

 絶望した時のみ。

 

 そんな彼女にとってこの水槽の中は非常に心地が良かった。

 

 希望は捨てずに済み、また現実を直視する事も無く、甘い夢の中でずっと揺蕩う事が出来る場所。

 だが、そろそろ出なければならないのだろう。

 

 夢はいつか覚めるのだ。

 

 このまま眠り続けてもいつか終わりは来る。

 絶対に避ける事は出来ないのだから。

 眠っている間に誰かが殺してくれたのなら楽だったのに。

 

 そもそも竜帝が何らかの方法で生き永らえていたとしたならばそれはなぜだろうか。

 決まっている。

 

 彼女の夢の為だ。

 

 いつか語り合った話の一端、それを覚えていたのだろう。

 断定は出来ないが、竜帝の事を知っている彼女からすれば他の可能性は考えにくかった。

 

(馬鹿野郎、好きに生きるって言っただろうが…)

 

 彼女の背がわずかに押された気がした。

 竜帝の事を思い出すと、少しだけ勇気が湧いてきたのだ。

 何より、竜帝が死んだ事で現実は決定した。

 今回が最後のプレイヤーになるのならばもう現実は覆せない。

 甘い希望も持てない。

 直視するしか、ない。

 

(もし俺の為にここまで魔法を発動し続けてくれたとしたなら…、それを無碍には出来ないよな…)

 

 現実と対面する。

 

 それは恐怖であり、絶望。

 しかしそれと直面する事こそが彼女の最後の仕事なのだろう。

 

 かつて竜王達に世界は荒らされ、それに抗った竜帝。

 だが結果は多くのプレイヤー達による動乱を巻き起こした。

 

 世界は悪くなったのか、また良くなったのか。

 それは視点次第だろう。

 

 絶望と共にそれを眺めるのも悪くない。

 もう腹を括るしかないのだ。

 そう。

 

「ここらで終わりにするというのも悪くないかな…?」

 

 彼女は手元にある『二十』をじっと眺めながら小さく呟く。

 

 ここに来てやっと、紆余曲折の果て、彼女は前に進む事を決めた。

 彼女にとっての星辰が整ったのだ。

 

 

 

 『クトゥルフの呼び声』という小説にて語られた海底都市ルルイエ。

 その奥深くに封印されているクトゥルフ。

 復活した暁には地上を支配すると言われている。

 

 恐らくそれは間違っていない。

 

 きっと彼女の存在は、いや、その思想は――

 

 

 この世界にとっての畏怖の象徴(クトゥルフ)だからだ。

 

 

 




やはり期間が開き過ぎると鈍りますね、今回のような短編でないと纏めるのに凄い時間がかかりそうな印象でした
それと本来は書く予定のない話だった為、今までの話で出てきた「海上都市」絡みの話と多少重複する箇所があるかもしれません

とまあ色々言い訳がましい後書きになってしまいましたが次回からはちゃんと本編の続きを書いていければなと思っております
以前活動報告にも書かせて頂きましたが色々と大変な世の中になってきていると感じています、みんな長生きしましょう

どうかこれからも長い目で見守って頂ければなと思います


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決戦編
正義と悪


長らくお待たせしました
お待たせし過ぎたかもしれません


 現帝国、リ・エスティーゼ領。

 その都市の一角にある神殿。

 

「な、何が起きたんだ…!?」

 

「い、今のは一体…?」

 

 ブレイン・アングラウスとガゼフ・ストロノーフは突如として都市を覆った"虚無"に驚きを隠せなかった。

 それは彼らだけでなく、ここいた蒼の薔薇の面々も同様だった。

 

 "虚無"は全てを包み込み、あっと言う間に消えた。

 前と後で違うのは大量にいた悪魔のほとんどが消え去っていた事だけだ。

 

「モンデンキント…。先ほどのは私たちの仲間のものです、安心してください。これで都市内の悪魔のほとんどは消え去りました」

 

 神殿の最前線で戦っていたプレアデスが一人、ユリ・アルファのその言葉に皆が戸惑いを見せた。あまりにも唐突で現実感が無いのだ。

 だが実際に目の前にいた悪魔達のほとんどが消え去っている。

 故に信じるしかない。

 

「でもまだ都市内にいくらかは残ってるみたいっすねー、放置してるとまた別の悪魔共を召喚されるかもしれないっすから私たちはこれから狩りに行ってくるっすよ。とはいえ雑魚までは相手してらんないので戦える者がいたら協力して欲しいっす」

 

 ルプスレギナ・ベータがブレインやガゼフ達に向かって口を開く。

 

「も、もちろんだとも! 私にも協力させてくれ!」

 

 ガゼフが一番に口を開く。

 

「おいおい、ガゼフの旦那。あたしらの事を忘れてもらっちゃ困るぜ」

 

「まだ」

 

「戦える」

 

 次いでガガーランにティア、ティナが声を上げる。

 

「低位の悪魔程度ならガガンボ共でもなんとかなるでしょう。震えてるお仲間のウジムシ共を守る為せいぜい頑張ってください」

 

 ユリ達と合流していたナーベラル・ガンマが毒を吐く。

 

「貴方達からしたら雑魚でも私たちからすれば強敵なんだけどね…、でもいざとなればこの剣の封印を…」

 

 ラキュースが小さい声でボソリと設定を口にするが幸いに誰の耳にも入っていなかった。

 

「私はこのままここに残って治療を行います、ですがもし回復が必要であればすぐに呼んでください、わん」

 

 そう口にしたのは犬の頭を持つメイド長、ペストーニャ・S・ワンコ。

 

 そうしてプレアデスの面々は神殿から外へと向かう。現地の者では太刀打ちできない高レベルの悪魔達を排除する為に。

 

 

 

 

 リ・エスティーゼの上空、複数の影がそこに浮いていた。

 それは都市守護者と呼ばれる2体の悪魔とその配下である最高位の悪魔8体。

 

 それらと睨み合うようにセバスとティトゥス、5体の死の支配者(オーバーロード)が対峙していた。

 

「どうですかティトゥス、戦力的には我々の方が少々不利なようですが…」

 

「心配には及びませんともセバス殿。私の頭の中には至高の御方々が残した蔵書の知識が入っておりますので。その知識を以ってすればこの程度の戦力差など不利の内には入りません」

 

「なるほど、では私は向こうの首魁である2体に集中しても?」

 

「もちろんです。ですがいくらセバス殿とはいえあれら二人を同時に相手するのは厳しいでしょう。援護が出来れば致しますがそれもどこまで出来るか…。なるべく早く片付けて合流しますので、それまでどうか持ちこたえて下さい」

 

 ティトゥスのその言葉に紳士然としたセバスが僅かに微笑む。

 

「ありがとうございます。ですがたっち・みー様に創造された者としてあのような者共に後れなど取る訳にはいきません。貴方の助けが来る前に片付けてしまうとしましょう」

 

「これは心強い」

 

 髑髏の顔をしたティトゥスが笑う。

 

「ではご武運をセバス殿。よし…、では我らも始めようか…。さあ行くぞ者共! 先制攻撃だ!」

 

 ティトゥスの合図と共に5体の死の支配者(オーバーロード)が詠唱を始める。

 敵の悪魔達が反応し攻撃を仕掛けようと動き出すがすでに遅い。

 他に先んじてティトゥスの詠唱だけは終わっていた。

 

「<次元封鎖(ディメンジョナル・ロック)>、<大地の束縛(アース・バインド)>」

 

 まずは転移阻害。

 そして拘束系の魔法を発動する。

 だが最高位の悪魔達に簡単に通る筈が無い。

 8体へと向けられた拘束系魔法はその全てが容易く回避されるが、さらに追加で次々とティトゥスが魔法を放っていく。しかしそれらの全ての魔法すら難なく防御、あるいは回避されてしまう。

 しかし――

 

「ガアァアアァアア!!」

 

 数体の悪魔達の悲鳴が響き渡る。

 彼らの回避先へ狙いすましたように死の支配者(オーバーロード)達の第10位階魔法が放たれていたからだ。

 

「半数に直撃…、ふむ。最初の一手としては上々と言えるか」

 

 ティトゥス・アンナエウス・セクンドゥス。

 ナザリック第十階層内最古図書館(アッシュールバニパル)の司書長は伊達ではない。

 最古図書館(アッシュールバニパル)に詰めている関係上、一部を除いたほとんどの書物の内容が彼の頭の中に入っている。

 ユグドラシルの基礎的な攻略本から、現実の世界における数多の戦術書まで。

 ナザリック最高の知者であるデミウルゴスやアルベドにその頭脳では劣るものの、持っている知識の量はあまりにも膨大で彼らの比ではない。

 もちろん時間や機会さえあればデミウルゴスやアルベドもティトゥス同様の戦略、戦術は思いつくだろう。

 だが最初から知識として持っているティトゥスには今この瞬間この場において考える時間すら必要ない。

 

 既存の知識という前提付きではあるが、一瞬の間に最適解を導き出すという一点のみに限れば、ティトゥスはデミウルゴスやアルベドすらも凌駕する。

 骸骨の魔法使い(スケルトン・メイジ)である為、戦闘力は配下の死の支配者(オーバーロード)達に遥かに劣りはするが、その瞬間的な知略は他の追随を許さない。

 己一人の戦闘ならばともかく、複数の配下を率いるような数と数の戦いに限定するならばナザリックの階層守護者達全てに勝利し得る可能性を持つ。

 互いの戦力が同数同格ならば難なく、それどころか多少の不利や戦力差があろうとも簡単に覆せる。

 それが知識であり、情報の力だ。

 

 すなわち、今この場この時においてティトゥスを出し抜ける者などどこにもいない。

 

「全ては至高なる御方々の為に…!」

 

 戦いは始まる前に終わっている。

 至高の41人が1人、ぷにっと萌えの教え通りこの戦いの勝敗はすでに決まっていた。

 

 

 

 

「さあ、こちらも始めましょうか」

 

 そうセバスが口にすると同時に2体の都市守護者へと襲い掛かった。

 とその瞬間、都市守護者の配下である悪魔達の流れ弾が都市守護者の1体へと直撃する。

 突如の事に混乱する都市守護者だが今度は死の支配者(オーバーロード)達の放った流れ弾が再び飛んでくる。結果として、都市守護者の1体はセバスとの闘いに集中できずにいた。

 

「素晴らしい…。戦闘をこなしながら流れ弾が的確に敵へ飛んでいくような配置、誘導…。そして反撃に至るまでの悪魔達の思考や動き、癖まで読み切っているとは…。まるでこの悪魔達の行動パターンを読み切って…、いや、最初から熟知しているかのようです。ふふ、援護出来るか分からないなど謙遜を…。これはこちらも負けていられませんね…!」

 

 次の瞬間、セバスは空高く飛び上がりそのまま空中に留まる。

 本来のセバスならばアイテム等を使用しなければ空を飛ぶことは出来ない。

 しかし、全力を出した場合は別である。

 

 空中に留まったまま全身に力を込めたと思いきやセバスの体に変化が訪れる。

 

「ぬぅぅぅうううん!」

 

 唸りと共に額からは角が生え、全身を鱗が覆っていく。

 背中からは翼が飛び出て、腰からは尻尾が生える。

 

 竜人であるセバスの本領発揮である。

 竜人形態の総合的な戦闘能力は戦士職であるアルベドやコキュートス、守護者最強と謳われるシャルティアにさえ匹敵する。素の能力値と耐性、それによる肉弾戦はルベドを除くナザリックNPCの中でも最強。

 ユグドラシルにおける最強種族であるドラゴン。

 時間制限はあるものの、その力を引き出せる竜人形態が弱い筈がない。

 

 だがその姿はお世辞にも美しいと言える物ではなかった。

 人の体に竜の鱗や牙が歪に生え、その頭部はトカゲのようなものになってしまうからだ。

 

 しかしセバスの竜人形態はそれらと違う。

 理由としてはシャルティアがそうであったように、デザインを担当したギルドメンバーのイラストが素晴らしく、立体化も上手くいったからに過ぎないのだが。

 

 今のセバスの姿は本来の竜人の姿とはかけ離れたものになっている。

 頭部を覆う硬質化した鱗は幾重にも重ね合わさり、兜か何かのようにデザインされているのだ。

 角や翼、尻尾はあるものの、それらは装飾に見えるかのような設計で、全身を覆う竜鱗も丁寧に重ね合わせられ甲冑を模したスーツか何かのようにも見える。

 

 一言で言ってしまえば、戦隊モノのヒーロー。

 それが少々ゴツくなったような外見である。

 人外というよりも中に人間が入っているのではと思わせるデザイン。

 知らない者が見れば物珍しい全身鎧と思ってしまうだろう。

 

「フン!」

 

 セバスが特殊技術(スキル)を発動する。

 

 ――竜闘気(ドラゴニックオーラ)――

 

 元々ドラゴンに匹敵する肉体能力と耐性を持つ竜人形態だがこの特殊技術(スキル)により真価を発揮する。

 体は七色鉱のように固くなり、ドラゴン特効を持つ攻撃にすら耐性を持つ。

 さらに一定位階以下の魔法を無効化どころか跳ね返す事まで出来るようになる。

 

 この特殊技術(スキル)により、極短い時間ではあるが正真正銘、同レベルのドラゴンに匹敵する身体能力を得る事が出来る。

 その短い時間制限は本来ならただのデメリットに過ぎないのだが、セバスの創造主はそのデメリットこそが最高なのだと豪語していた。

 特撮モノのヒーローは時間制限があってなんぼだ、と。

 

「ハァッ!」

 

 空中を疾走し一瞬で都市守護者へと距離を詰め、その一人へとセバスは拳を放つ。

 回避する事も出来ず、都市守護者が容易く吹き飛ばされる。

 まるで同レベルとは思えぬ力の差を感じる一撃。

 それもその筈。

 強力な装備など持たず、その身一つで驚異的な強さを誇るセバス。

 

 もしこの状態のセバスとナザリックの守護者達が戦うならば神器級(ゴッズ)アイテム、最低でも伝説級(レジェンド)アイテムを装備しなければ勝負にすらならない。

 時間制限ありとはいえ己の肉体、スペックだけで装備込みのナザリックの守護者達に匹敵、凌駕してしまう。

 早い話がモンクとしての技能を極めたレベル100のドラゴンが殴り合いを仕掛けてきているに相応しいのだ。それは本来、ドラゴン種として取得できる筈のないビルド構成。

 

 故に強力な装備を持っていない丸腰に等しいこの都市守護者の悪魔共など今のセバスの敵ではないのだ。

 

 セバスの攻撃が何度も都市守護者へと突き刺さる。

 反撃は許さず、ただ一方的に。

 

 ユグドラシルの全プレイヤーの中でもトップクラスの強さを誇る、たっち・みー。

 アインズ・ウール・ゴウンの中でも数少ないガチ勢でありギルド最強の戦士。

 そんな彼の作ったセバスが強くない筈が無い。

 練りに練られたビルドの上、課金による効果すらも加えられている。

 

 恐らくNPCという括りの中で創造できる範囲の中では指折りの強さを誇るだろう。

 もちろんNPCに神器級(ゴッズ)アイテムをいくつも持たせる事が出来るならば容易くセバスを凌駕出来るがそれはキャラの強さというよりもはや装備の強さとも言える。

 そもそも神器級(ゴッズ)アイテムを複数NPCに持たすという選択肢自体が現実的とは言えないレベルである。

 故に現実的な強さを語るならセバスはナザリックだけでなく、ユグドラシルの全NPCにおいてすら最強の一角足り得るのだ。

 時間限定という条件付きではあるが。

 

 この完成されたビルドが全力を出せば並みの100レベルNPCでは相手にならない。

 せめて都市守護者に今のナザリックNPCのような自我があれば<竜闘気(ドラゴニックオーラ)>発動中のセバス相手には守りに入り時間を稼ぐという選択も出来ただろう。

 しかし本能のまま戦う都市守護者にはその選択は無い。

 

 故に都市守護者の1体はあっという間にセバスに追い込まれた。

 最後に自らの体を核に自爆しようとする悪魔だがすでに遅い。

 悪魔の眼前にはセバスの両手が突き付けられていた。

 

 両手首を合わせ、手を開いたその形は竜の口を思わせる。

 

 次の瞬間、両手が眩く煌めき高熱を帯び赤く染まっていく。

 

 危険を察知した悪魔がすぐに距離を取ろうとするが間に合わない。

 閃光のような強烈な光が一瞬で放射状に広がり悪魔の体を焼き尽くす。

 

 <竜闘熱波(ドラゴンブレス)>。

 

 竜人形態でしか放てぬ、ドラゴンの全力のブレスに匹敵する一撃。

 

 至近距離でこの一撃を食らった悪魔の死体が灰となり宙に舞って消えていく。

 同レベルとは思えぬ決着のつき方にティトゥスが遠くから目を丸くし、そして心からの賛辞を贈る。

 

「流石は階層守護者に匹敵する力を持つセバス殿…!」

 

「ありがとうございます、ティトゥス。残りは1体はこのまま私一人で対処します。ティトゥスはそちらの悪魔達に集中して頂いて構いません」

 

「了解しましたセバス殿。こちらも負けないようにしっかりと決めさせて頂きましょう」

 

 そうしてティトゥスは己の戦いに集中する。

 

 当初は敵8体に対し、ティトゥスは格の落ちる己を含めた6体。

 実質的な戦力上では8対5と言えるべき差。

 これだけ人数差の不利がある筈なのに配下の死の支配者(オーバーロード)達は一人も欠けていない。

 それに対し敵はすでに半分。

 これが戦術の力であり、また情報の力だ。

 残りの最高位悪魔達もすでに詰んでいると言っても過言ではない。

 

 ティトゥスが完全なる勝利を収めるのは時間の問題である。

 

 

 

 

「ゴァアアアア!!」

 

「ぬぅううん!」

 

 先ほどまでと違い、残った都市守護者とセバスの戦いは苛烈を極めた。

 戦いのフィールドは都市全域に及び、一進一退の大攻防。

 

 <竜闘気(ドラゴニックオーラ)>の効果が切れていなければ再び完封できたのだがそこまで都合良くはいかない。

 むしろ100レベル同士の戦いにおいて2対1という不利を引っ繰り返すにはあれしか方法は無かった。

 己の持つ特殊技術(スキル)を出し惜しみせず1体を瞬殺し、1対1に持ち込む。

 結果は上々。

 ほとんどの特殊技術(スキル)はすでに使用してしまっているがそれでも竜人形態であれば相手よりもスペックで勝る。

 このまま戦いを続けていけば先に力尽きるのは都市守護者の方だ。

 

 もちろん竜人形態が切れる前に勝負を付けなければならないという制限付きだが。

 

(竜人形態の残り時間までにはなんとか倒せそうですね…)

 

 時間制限により竜人形態が解除されてしまえば戦況が引っ繰り返る可能性も十分にあった。

 現状、真正面からの戦いになっているおかげで圧倒的有利なセバスではあるがそういう意味においてこの戦いはギリギリとも言えた。

 だがここに来てセバスの予想は大きく覆される。

 

「っ…! まずいですね…、逃げに徹する気ですか…!」

 

 セバスから焦りが漏れる。

 相手の行動パターンが変化したのだ。

 

 ユグドラシルにおいてモンスターやNPCの行動パターンはある程度決まっているが、それは様々な状況で変化する。最も分かり易い例が体力が何割以下になったら、というものだろう。

 早い話が瀕死状態になった者はそれ相応の動きをするようになるという事だ。

 苦しくもこの時のセバスはそこまで相手の行動パターンを読み切れてはいなかった。

 先ほどまでの相手の積極的な時の行動パターンを元に立てた計画は相手の大幅な行動変化で脆くも崩れ去る。

 

 瀕死まで追い込まれた敵は必然的にセバスから距離を取ろうとする。

 それを追い、距離を詰める為に一手使ってしまう事になるセバスはどうしても攻撃するまでに時間を多く使う事になってしまっていた。

 無論、距離を詰めた後にそのまま維持できればいいのだが敵が回避や距離を開く特殊技術(スキル)を持っておりそれもままならない。

 そして、竜人形態の制限時間はもう長くない。

 

(情けない…! なぜ私はこの可能性を想定できなかったのか…!)

 

 あまりにも甘すぎる自分の計画を恥じるセバス。

 敵などただ正面から叩き潰せばいい、そして自分にはそれが可能だと判断した。

 だが足りなかった。

 

 焦りの中、都市中を移動しながら戦闘を続けるセバス達の姿は多くの者達の目に触れた。

 もちろん実際の戦闘自体は速すぎてほとんどの者には視認できないが戦闘の余波などで誰かが戦っているという事は多くの者が理解出来ていた。

 セバス達の動きが止まった際に運よくその姿を見れた者達は誰もが声を上げた。

 

 見慣れぬ甲冑に身を包んではいるが、正義の味方を思わせるその姿。

 そんな者が都市を襲った悪魔と戦っている。

 それに多くの者達が心を震わせ熱くしていた。

 市民は勿論、冒険者や兵士まで。

 

 まるで子供の頃に聞いた御伽噺の英雄が話の中から飛び出してきたようだったから。

 

「き、騎士様、頑張れ…!」

 

 とある建物の奥から逃げ遅れていたであろう一人の少年が声を上げた。

 セバスの全身甲冑を思わせる竜人の姿に冒険者ではなく高貴な騎士か何かだと思ったのだろう。

 か細い声ながらも必死にその少年は声を出す。

 

 だが不幸かな、それが災いしたのか都市守護者の魔法の一つが少年へと向かった。

 

「まずい!」

 

 咄嗟にセバスが少年を庇うように身を乗り出す。

 結果として、避ける事など容易な筈の魔法の一撃をその身に浴びてしまう。

 ダメージを受け、セバスが僅かによろめく。

 都市守護者はその隙を逃さず連続で魔法を放つ。

 

 そこが勝負の分かれ目だった。

 

 一度、防戦になってしまったセバスは態勢を立て直す事が出来ず瀕死まで追い詰められてしまった。

 攻撃を避けるのは簡単だが、そうすれば己の後ろにいる少年に攻撃が当たってしまう。

 

 最後に発動されたのは都市守護者の悪魔が持つ第10位階魔法の中でも最高の一撃。

 

 周囲を気にしなければセバスに反撃の手段はいくらでもあった。

 だが背後に少年がいるこの場所では避ける事が出来なかった。

 

 そして魔法が直撃する瞬間、己を壁として背後の少年をその余波から守る事に全力をそそぐ。

 結果、セバスは力尽き膝から崩れ、地に伏した。

 全身の竜鱗が砕けると同時に時間切れで竜人形態が解けていく。

 

「も、申し訳ありません、たっち・みー様…。偉大なる貴方様に作られた身でありながらこのような者に後れを取るなど…」 

 

 結果としてセバスは負けた。

 このままでは都市守護者にトドメを刺されるだろう。

 もうそれは覆らない。

 その筈なのだが。

 

「き、騎士様頑張れー!」

 

「立ってくれぇ!」

 

「負けないで!」

 

「悪魔を倒してくれー!」

 

 周囲から人々の声援が聞こえてきた。

 

 少年のように逃げ遅れ各地の建物内に隠れていた者達だろう。

 最初セバスが倒れた事で誰もがその顔に絶望を浮かべたが、否定するように少年が最初に声を上げた。

 その声に引きずられるように気づけば周囲の者達も次々と声を上げていた。

 絶望の中の希望を絶やさぬように。

 あるいは英雄譚のような奇跡を信じて。

 

 いつしかそれは次第に大きくなり、都市中へと伝播していった。

 セバスの姿を見ていない者達も、今この都市で何が起きてるのか感覚で理解したのだろう。

 やがて大合唱のように都市中を震わせる程の声援がセバスへと送られたのだ。

 この時に都市守護者の悪魔が周囲の人間達の意味不明な行動に無駄に警戒しセバスへの追撃が遅れたのは幸運だった。

 

「……!?」

 

 なぜだろうか。

 人々の声により力尽きていた筈のセバスは再び力が湧いてくるような錯覚に陥る。

 まるで彼らの声援が力になったかのように。

 

 これはたっち・みーによって書かれたセバスの設定、フレーバーテキストによるといえる。

 セバスらナザリック勢はユグドラシルからこの世界に転移した事で現実的な法則に影響され、自我を得た。

 生物には肉体と共に重要な要素として精神性がよく上げられるがこれはその典型だろう。

 

 ユグドラシル上のただのプログラムとして動くデータではなく、思考する存在になったセバス。

 以前の彼と最も違う部分を上げるとするならその精神だ。

 

 時として精神は肉体を凌駕するのだから。

 

「ぐぅぅううう…!」

 

 セバスが再び立ち上がる。

 何かが少しでもその肉体を傷つければ絶命してもおかしくない極限状態においてその瞳は力に満ちていた。

 プレイヤーが見れば隠し特殊技術(スキル)の一つとでも誤解するかもしれない。

 それほどの異常、それほどの覚悟。

 

 守る者の為ならば実力以上の力を発揮し立ち上がる。

 そう、それはまるで――

 

 たっち・みーが憧れた、ヒーローの姿だ。

 

「はぁ、はぁ…!」

 

 竜人形態は解け、すでに生身の体になっているセバス。

 戦闘力は残っておらずまともに戦っても勝ち目はない。

 

 しかしセバスにはとある隠し特殊技術(スキル)があった。

 これは現実化の弊害による奇跡でなく、ユグドラシル時代にそうあれとたっち・みーから創造され与えられた力。

 アインズ・ウール・ゴウンの仲間達からはロマンや設定を追求しただけの死に特殊技術(スキル)と呼ばれていた。

 だが今のセバスにとってこれ以上の特殊技術(スキル)はない。

 それどころか今この時をおいて他に使える状況が思いつかない。

 これを使う事になるなど、いや使えると思ってもみなかった。

 

 だがまるでこうなる事を最初からたっち・みーは全て知っていたかのような――

 いや、知っていたのだろう。

 至高の41人が1人、たっち・みー。

 セバスは自らを作った偉大なる創造主が伊達や酔狂などでこの力を与えたとは塵ほども思っていない。

 

 きっとこういう状況が来るのだと、知っていたのだろうと疑わない。 

 

「…偉大なる我が創造主、たっち・みー様…。貴方の期待に応えて見せます…!」

 

 セバスは血を吐きながら、震える腕を動かし、満身創痍の体で構えを取る。

 何の変哲もない、ただの正拳突きの構え。

 

 その構えからゆっくりと踏み込み突きを放とうとした間際、都市守護者による魔法がその身に浴びせられる。

 今のセバスにはもう耐えられる筈が無い攻撃。

 それなのにも関わらず精神力だけで現状に抗い、耐え、命を繋ぎ、拳を都市守護者の体に突き刺した。

 

 この瞬間、セバスの隠し特殊技術(スキル)が発動した。

 

 本来ならば今のセバスの攻撃など都市守護者にとっては大したダメージになどならない。

 だがこの特殊技術(スキル)によってそれは致命傷、必殺の一撃となる。

 

 この特殊技術(スキル)はゲーム内の説明で言えば逆転の一撃とでも呼ぶべきものだ。

 自らが瀕死の状態にも関わらずタンクとして味方を庇い、庇った味方の命を救った数や肩代わりしたダメージ量に応じて次の攻撃にのみ追加ボーナスが得られるというもの。

 ユグドラシル時代では自らも守る対象も瀕死で攻撃を耐えなければならないという限定的すぎる仕様からプレイヤーでの人気も高くなかった。

 ボーナスでの上昇量もそのキャラクターが持つ攻撃力の上限を超える事は無いという仕様の為、超破壊力の一撃が放てるようなロマン技でもない。最初期はもっと強く使用者もそこそこいたらしいが度重なるアプデで弱体され使用者が皆無になってしまった悲劇の特殊技術(スキル)だ。

 それにセバスは近接職ではあるがタンクにはあまり向いていない構成。

 だからこそこれはただの死に特殊技術(スキル)の筈だったのだ。

 

 しかし何の奇跡か、セバスは敵の攻撃を耐える事に成功した。

 そして庇ったのはひ弱な少年。

 彼にとってレベル100の者からの魔法など何回分の死に相当するのか。

 言うまでもなく特殊技術(スキル)のボーナスは上限一杯。

 己の力量を超えない威力まで、と制限が付いているがそれはセバスに限り枷とはならない。

 

 言い換えればこの特殊技術(スキル)の最大効果は、次の攻撃が()()()()()()()()()()()と言い換えてもいい。

 つまり生身の、ましてや満身創痍の何の力も残っていない状態でありながらセバスは<竜闘気(ドラゴニックオーラ)>を纏った竜人形態に匹敵する一撃を放てるのだ。

 

「フンッッッ!!」

 

 敵から放たれる攻撃の数々に怯むことなく、セバスの一撃が都市守護者の体に突き刺さる。

 <竜闘熱波(ドラゴンブレス)>を思わせる眩い光と熱を帯びた拳は都市守護者の体を容易く吹き飛ばした。

 ここまでの戦闘の影響ですでに体力が減っていた都市守護者がその一撃に耐えられる筈など無く、腹部は爆散しその肉体は上半身と下半身に別たれた。

 

 その肉体は何百メートルも吹き飛んだ先でやっと動きを止め、力なく地面に転がった。

 

 ピクリとも動かない。

 誰の目にも明らかな死であり、完全決着だった。

 

 ………。

 

 どれほどの間、静寂が続いたのだろうか。

 永遠とも思える時間の先、誰かがポツリと呟いた。

 

「た、倒した…、あの悪魔を…」

 

 その声により誰もが我に返る。

 そして目の前の現実にようやく理解が追いつき、頭が思考を再開すると、静寂を破るように人々の絶叫が響いた。

 

「や、やったーーー! 騎士様が勝った!」

 

「す、すげぇ…!」

 

「俺達、助かったんだ…!」

 

「万歳っ! 騎士様万歳ーっ!」

 

 人々の熱狂をよそにセバスは力なくその場へと倒れる。

 意識はあるが、しばらく動けそうにない。

 

(たっち・みー様…、私は少しでも貴方の期待に応えられたでしょうか…)

 

 薄れゆく意識の中でセバスは己の創造主を想う。

 そして背後にいた少年が自らに駆け寄ってくる姿を見て、少しだけ微笑んだ。

 

 

 

 

 セバスを見下ろすように遥か上空でティトゥス達が佇んでいた。

 

「流石はセバス殿、本当に我々の助けが必要ないとは…」

 

 ティトゥスの読みではセバスは残りの都市守護者に後一歩届かないというものだった。

 知り得る限りのセバスの情報と、都市守護者の戦闘から予想される種族や職業レベル、それらから導き出される戦闘パターンから途中まではほとんど完璧にティトゥスの読み通りの戦況だった。

 だがセバスが自らがやると宣言した以上、あまり口を出したり手助けするのは失礼だと考えたのだ。

 

「流石に殺される前には割って入るべきかと思ったがあんな切り札があるとは…。様子を見て正解だったか…。いや、私の知る知識など所詮は与えられた物…。その知識ですらきっと至高なる御方々の足元にも及ばないのだろう…。おお…、流石は至高なる存在…! 偉大なる御方々…」

 

 ティトゥスは己の創造主や至高の41人を思い浮かべ感慨に浸る。

 きっとセバスは最初からここまで読んでいたのだろう。

 創造主から与えられた自身の力を知っていたからこそ、あのような行動に出られたのだとティトゥスは確信する。

 そして至高の41人の偉大さに震えると共にそれを理解出来なかった己の未熟さを恥じる。

 

「もっと精進しなければ…。もっと完璧な勝利をかの方々に捧げねばならぬのだから…!」

 

 ティトゥスはすでに最高位の悪魔達を滅ぼしていた。

 想定外の事態が割り込む隙も無い程、圧倒的で完璧に。

 

 都市守護者の悪魔達と最高位の悪魔達さえ滅べば後はもう消化試合だ。

 都市内に散らばった残りの悪魔達をプレアデス達が処理するのも時間の問題だろう。

 このリ・エスティーゼにおける戦いにおいてはセバスという例外を除きほぼ全てが想定内だった事に深い満足感を覚えるティトゥス。

 

 後に、人々を救う竜騎士の伝説がこの地で語られるようになる。

 それもあってか市民達のほとんどがセバス、ひいてはナザリックに対して非常に協力的で従順な態度を示した事にティトゥスは再び衝撃を受ける。

 またも自分の想定、計画の上を行かれた事でセバスに畏敬の念を抱くと共に、己の浅慮を恥じる事になるのだがそれはまた別の話。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 静かだった。

 風の吹くような自然的な音は聞こえるものの、全ての生命が動きを止めたような異様な静けさに包まれていた。

 戦闘を行っている者はもう誰もいない。

 この都市を襲っていた都市守護者及びその配下は全てが滅んでいた。

 たった一体の存在によって。

 

 幼女の姿をしたそれは都市守護者達を滅ぼした後、空中に鎮座したままじっと動かない。

 どれだけの時間そうしていただろうか。

 実際、その幼女が現れてからたった数分。そうたった数分で世界を滅ぼせるような戦力を持っていた都市守護者達は難なく滅ぼされたのだ。

 しかしそれが終わった後、その幼女は神都に生き残った者達を助ける訳でも無ければ追撃するような様子もない。

 本当にただじっとしており微動だにしないのだ。

 

 神都にいた人々や神官、漆黒聖典の面々や隊長、そして番外席次。この神都にいる誰もが空を見上げてその幼女を凝視していた。

 誰もその幼女の存在に心当たりも無ければ、その意図すらも掴めない。

 彼女が敵なのか味方なのか、それすら分からないのだ。

 故に誰も動くことが出来ない。

 

 強者という言葉では足らぬような超常の存在が神都の頭上にずっと佇んでいるのだ。

 

 怖気なのか畏怖なのか忌避なのか、誰もが己の気持ちの整理もつかぬまま、ただその幼女から視線を外すことが出来ない。

 動けない呪いにでもかかったように神都中の人々は静止したままだ。

 

 永い時の果て、現地の者達には聞き覚えのないプルルルという電子音が小さく響いた。

 それに呼応するようにやっとその幼女が動いた。

 

「こちらルベド、オールクリア」

 

『………! ……!』

 

「了解、行動を開始する」

 

 何者かとの通信会話を終了したルベドは空中からゆっくりと地上へと降りてくる。

 そうして適当に周囲を見回すと最も近くにいた漆黒聖典隊長の元へと歩いていくと声をかけた。

 

「また、来る」

 

「え…? あ、貴方は一体…?」

 

 何を言っているのか理解出来ない隊長はルベドに問う。

 

「その時は協力して」

 

 しかしルベドは隊長の質問には答えないまま、圧倒的に内容が足りない断片的な言葉を吐くとその場でジャンプし空中へと飛翔する。

 一瞬で豆粒のような大きさになるまで飛んだルベド。

 次の瞬間、火花を散らしまるで流星のように空を駆けあっという間に姿を消した。

 轟音のジェット音を残したまま。

 

「な、何だったんだ…?」

 

 それは神都にいる人々全員の呟きだった。

 

 

 

 

 ローブル聖王国、首都ホバンスの大神殿。

 

 

「取引をしましょう」

 

 それは悪魔の囁きだった。

 比喩ではなく、本当の意味での。

 数多の強大な悪魔達を引き連れたヤルダバオトと名乗る悪魔がそう告げてきたのだ。

 

 この時において、聖王女であるカルカ・ベサーレスに選択肢など無かった。

 聖王国が誇る聖騎士団や神官団はすでに全滅、個々の強さを誇る九色達もその行方が知れない。

 現在カルカが行使できる戦力は騎士団団長であるレメディオス本人と、その妹で神官団団長であるケラルトの二人のみ。

 僅かな兵士達が残っているがもはや恐怖で誰も動けないだろう。

 それどころかローブル聖王国の両翼ともいうべきレメディオスとケラルトですら戦力として数えられない状況にあるのだ。

 彼女達二人がかり、いやそこにカルカが加わったとしても目の前にいる何十体もの悪魔達、その一体にさえ傷一つ付けられないのだから。

 

「と、取引…? い、一体何が望みだというのですか…?」

 

 恐る恐る口を開くカルカに対してヤルダバオトは優しく微笑む。

 

「私達ならばあの天使共を排除する事が出来ます。そして今現在生きている国民の多くも救う事が可能でしょう。ですのでどうか私と取引して下さい」

 

 あまりにも都合の良すぎる話、展開。

 その後に続いた取引内容や要求もカルカ達からすれば損が無さ過ぎて疑うなという方が無理なもの。

 ただ目の前の悪魔達の強大さは本物だ。

 天使達を退けられるというのも嘘ではないかもしれない。

 

 だがなぜ? 

 そもそも取引は本物なのか?

 取引すれば本当に国民は助かるのか?

 裏があって騙しているんじゃないのか?

 何より取引を断ったら悪魔達はどうする?

 

 いくつもの疑念、疑惑がカルカの頭から離れない。

 しかしこのままでいれば天使達に国は蹂躙され国民も虐殺されるだけだ。

 だから例え取引が罠だとしても、どんなに横暴だとしてもカルカには悪魔の囁きに乗るしかなかった。

 あまりにも甘く、怪しすぎる取引に。

 

 カルカの返事にヤルダバオトは上機嫌で答えた。

 

「ありがとうございます! 必ずや約束はお守り致しますとも! ええ、必ずね…」

 

 結論から言えばその言葉は本当だった。

 

 しかしやはりそれは悪魔の取引だったのだろう。

 国民は救われたがカルカ達は大事な物を失った。

 二度と取返しの付かない大切な物。

 先祖からの想いを、歴史を、尊厳も何もかもを。

 

 そんな現実が突き付けられたのは全てが終わった後だった。

 それを知った時、カルカ達だけでなくこの地に住む全ての人々が絶望した。 

 

 

 

 

 数刻前。

 ローブル聖王国、大神殿。

 

 眼前で大量の天使達により多くの民達が虐殺され混乱の極みにいたカルカ達。

 反撃の時間などなく、集合する前にほとんどの部隊は散り散りになり消息不明。

 とはいえ建物ごと吹き飛ばされた場所もあるのでそのほとんどは死んでいるだろう。

 大神殿に詰めていた神官団達もすぐに薙ぎ払われた。

 そんな絶望的な状況でさらに最悪なのは大神殿の高層から眺める地平線の景色だ。

 

「あ、あの方角はプラート…! ま、まさかカリンシャまで…!?」

 

 聖王国で最も強固に作られた城塞都市カリンシャ。

 プラートはそのカリンシャとここ首都ホバンスとの間にある大都市である。

 

「け、煙が上がって…? 馬鹿な! 天使達が現れたのはここだけではないのか!?」

 

 レメディオスの叫びに応えられる者は誰もいない。

 流石に遠くの都市までここから見通せる訳ではないが煙が上がっているのはかろうじて目視できる。

 一部の神官が魔法でより遠くを眺めるとさらにそのはるか奥でも煙が上がっているように見えるというのだ。

 今ここで決定的な情報は何も出ないが最悪の可能性がカルカの頭をよぎる。

 

「カルカ様! すぐにここから逃げなければ!」

 

 呆然とするカルカにレメディオスが叫ぶ。

 

「どこに…、逃げればいいのでしょう…。もしプラートやカリンシャ、リムンやその他の都市まで襲われているのなら我々に逃げる場所など…」

 

「しかしカルカ様! このままここにいては死ぬだけです! おいケラルト! お前も何か言ってくれ!」

 

 妹のケラルトに助け舟を出してもらおうとするレメディオスだが返事は来ない。

 

「ケラルト! 何をぼーっとして……」

 

 ケラルトの肩を掴み振り向かせようとしたレメディオスだがケラルトの視線の先に目を向けると彼女も理解した。

 最初に嘆いたのはカルカだった。

 

「あ、あぁ…、こ、こんな事が…」

 

「そ、そんな…」

 

「世界の終わりだ…」

 

 空が黒く染まっていた。

 

 悪意の象徴にして、悪徳の権化であり、あらゆる生命の敵。

 悪魔。

 その軍勢が空を覆いつくし黒く染めている。

 

 やがてその無数の軍勢は都市中へと降り注いだ。

 誰もがその光景に呆気に取られていると神殿の壁が破壊され外から一体の悪魔が侵入してきた。

 漆黒の翼に筋肉質な体躯、その頭部は山羊の骨を思わせ黒い角が何本も生えている。

 手には大きなハルバード。

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)と呼ばれる悪魔だ。

 

「ひっ…」 

 

 誰かが悲鳴を上げるが深遠の悪魔(アビス・デーモン)はお構いなしに部屋の中を闊歩し、カルカへと足を進める。

 

「うあぁあああーっ!」

 

 反射的にレメディオスが斬りかかるがハルバードにより容易く防がれる。

 

「いきなり攻撃とは…。お前たちには会話という概念が無いのか?」

 

 豪壮な見た目とは裏腹にその悪魔の声には確かな知性が感じられた。

 

「あら…? 壁を破壊して侵入してくるような輩にマナーを説かれるとは思いませんでしたわ…!」

 

 ケラルトが嫌味を言いながら即座に魔法の準備を始める。

 

「…まあいい。それよりもお前、お前はこの国の要人か?」

 

 ケラルトの事など意に返さず、レメディオスと剣を交えた状態で深遠の悪魔(アビス・デーモン)はカルカへと問う。

 

「はい、私はこの国の王です」

 

「カルカ様っ!? 何を馬鹿な事を! ち、違うわ、この方は王などでは…!」

 

 ケラルトが即座にカルカの言を否定しようと口を開くが、それを手で制止するカルカ。

 

「私の命が望みならば差し出しましょう。ですからこの国を、民を襲わないで下さい」

 

 レメディオスもケラルトも「悪魔相手に何を言い出すんだ」という表情でカルカを凝視する。

 

「いいんです、二人共。今この場において私に出来る事はきっと何もありません。無謀だとしても、意味が無いとしても、情けなくとも一縷の望みがあるのならばそれに命を懸けるべきでしょう」

 

 カルカの言葉に深遠の悪魔(アビス・デーモン)は驚く。

 まるで気圧されたように一歩後ろに下がったかもしれない。

 

「…な、何の話だ? わ、我は…」

 

 ケラルトやレメディオスと別の意味で深遠の悪魔(アビス・デーモン)もカルカの言葉に混乱していた。

 自分達悪魔はこの国の者と敵対している訳ではなく、むしろ天使達をどうにかしようとしているのになぜ現地の人間共は自分達にここまで敵意を向けるのか?と。

 歓迎されると思っていた訳では無いが交渉のテーブルに着く余裕くらいはあると思っていた。

 しかし、結果はこれだ。

 

「……」

 

 目の前の王らしき女性は祈るように頭を差し出しており、側近らしき二人の女性は今にも攻撃を仕掛けてきそうな程に敵意向き出しなのだ。

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)は考える事をやめ、<伝言(メッセージ)>の魔法を発動した。

 

「デミウ…、ゴホン! ヤルダバオト様、この国の王を名乗る者を発見しましたが話が噛み合いません。異様な敵意も向けられているようで我では交渉も難しいかと…」

 

『おお、王が生きていたか。よくやった。話が噛み合わないというのは…、まあ極限状態で判断能力が鈍っている可能性もある…。いいだろう、私が直接そちらへ向かう』

 

「よ、よろしいのですか? 命令下されば我がこ奴らを連れて行きますが…」

 

『敵意を向けられているのだろう? 無理に連行して話がこじれても面倒だ、構わないさ。お前はそこで私が行くまでその者らをしっかりと守っておけ』

 

「はっ! 畏まりました!」

 

 

 

 

 深遠の悪魔(アビス・デーモン)の<伝言(メッセージ)>から数分後、数多の悪魔を付き従えたデミウルゴスがカルカ達のいる大神殿へと入室してきていた。

 デミウルゴスの背後に控えるようにいるのは十二宮の悪魔達。

 その他には奈落の支配者(アビサル・ロード)と複数の深遠の悪魔(アビス・デーモン)達。その深遠の悪魔(アビス・デーモン)達はいずれも脇に人間を抱えていた。

 部屋に着くなり解放された人間達はカルカ達を見ると慌てて駆け寄った。

 

「カ、カルカ様ご無事でっ…!」

 

「この悪魔達は一体…」

 

「わ、我々は殺されるのでしょうか…!?」

 

 各々が悲鳴のように声を絞り上げる。彼らはこの国の上級貴族や高位の神官達、一言で言えば国の重要人物達だ。

 

「交渉が出来る者をと国中を探していたのですが王が存命ならばそちらの方が話が早いですからね。とはいえせっかくなので彼らにも同席して貰おうかと」

 

 敵意などありませんよといった様子でニコリと微笑むデミウルゴス。

 しかし当のカルカ達は警戒を怠らない。

 

「申し遅れました。私の事はそう、ヤルダバオトとお呼びください。何、そんなに警戒する必要はありません。私共は貴方達に危害を加えるつもりはありません。むしろ協力出来ればと思った次第なのです」

 

 あまりにも嘘くさい悪魔の言葉だが正面から否定する訳にもいかず、まずは対話を試みる。

 

「こ、こちらこそ申し遅れました。私はカルカ・ベサーレス。このローブル聖王国の国王です」

 

 敬称として聖王女と呼ばれる事が多いがあくまで正式に名乗りを上げる場合は国王が正しい。正式な作法で悪魔に名乗る必要などないと言う者も多いかもしれないが相手が誰であれ礼儀は大切だとカルカは考える。

 何より些細な事ではあるが国王として対峙すると明言する事は国の威信をかけて向き合うという意思表示になる。国際的なマナーではなく聖王国内のものであり、悪魔にどれだけ通じるかは分からないが。

 

「これはこれはご丁寧に。時間も無い事ですが早速本題に入りましょう」

 

 デミウルゴスが一呼吸入れて言葉を吐き出す。

 

「取引をしましょう」

 

 その言葉にカルカは思考が固まる。

 取引とは対等な者同士が行うものだ。少なくとも何かしら差し出せる者同士でなければ成り立たない。

 今のカルカ達と悪魔の関係は完全に上下が付いている。

 生殺与奪の権利を握られ、悪魔達に命令されれば断る事すら難しい。

 そんな状況でどんな取引が成立するというのか。

 

「と、取引…? い、一体何が望みだというのですか…?」

 

「私共ならばあの天使達を排除する事が出来ます。そして今現在生きている国民の多くも救う事が可能でしょう。ですのでどうか私と取引して下さい」

 

「あまりにも嬉しすぎる提案ですね…。ですが私達は何を差し出せばいいのでしょうか…? 聖王国の隷属ですか? それとも大量の生贄を定期的に差し出せ、と?」

 

 カルカの言葉にケラルトとレメディオスがはっとする。

 そうだ、この期に及んで悪魔達がどんな事を要求するのかなど察しがつく。

 今を生き残る事は出来るかもしれないがきっと目も当てられないような地獄が待っているのだ。

 この取引を受け入れるのは本当に国の、いや国民の為なのだろうか。

 場合によってはここで虐殺されてしまった方がマシだったという事態もあり得るのだ。

 

「ははは、我々はそんな事など求めていませんよ。まあ自ら隷属したい、生贄を差し出したいというのならば歓迎しますがね」

 

 デミウルゴスの冗談とも言えぬ言葉にこの場にいる人間達の背筋が凍る。

 

「我々が欲しいのは情報、それと人探しへの助力です」

 

 言葉を口にした後にデミウルゴスが少し考え「死者探しと言うべきか?」と小さく呟くが変に誤解を招くだけになりそうだと考え、人探しという単語のまま進めようと考える。

 

「ひ、人探しですか? そ、それは一体…」

 

「我々の王を探しています。何よりも尊く偉大で、我らが忠誠を誓う偉大な存在…。モモンガ様です」

 

 しばしの沈黙の後、カルカが口を開く。

 

「も、申し訳ありませんがモモンガ…という名に聞き覚えがありません…。それに貴方達の王、ですか? そのような方の情報を私達が提供できるとは思えないのですが…」

 

 この場に居合わせた貴族から「何をバカ正直に! 適当にでっち上げてでも取引を進めろ!」という視線がカルカに突き刺さる。

 しかし下手な嘘は碌な結末にならないと判断したカルカは正直に語る事を選んだ。

 

「そうですか…、まあ予想はしていましたが残念です。しかし情報の提供は無理でも人探しの助力は可能でしょう? そちらに協力して下されば十分です」

 

「し、しかし助力と言いましても私達に何か出来るような規模の話とは思えませんが…」

 

「我らが偉大なる支配者、モモンガ様…。何らかの事情により現在行方が知れません。分かっている事はただ一つ、その身に危険が迫っているという事…」

 

 会話の途中でデミウルゴスの笑顔が崩れ憤怒の表情になる。

 しかしすぐに慌てて笑顔へと戻るデミウルゴス。

 

「失礼…。まあ、そういう訳で私達は我らの王を探しています。我々も全力で捜索に当たっていますがまだ有力な手掛かりは得られていません。私達はどんな些細な事も、あり得ないと思えるような事でも、あらゆる角度から探したいと考えています。場合によっては人間でなければ入手する事が難しい情報もあるかもしれません。我々が思い至らない場所、人、歴史、関係。そういった物が欲しいのです。我々が人間を支配し探させるという手段ももちろん考えましたが二度手間ですし、悪魔に支配された人間という事で話がこじれる事もありそうですしね。可能であれば対等な取引として助力を願いたいと思っております」

 

 対等な取引にしたいというのはデミウルゴスの本心だ。

 この世界においてモモンガと人間との関係がハッキリしていない以上、相手の足元を見るような取引など後々の憂いになり得る。

 正直、必要であればその時に利用し蹂躙すればいいのだ。

 今はまだその時ではないというだけ。

 

「ほ、本当に人探しの助力をするだけで我々を天使の脅威から救ってくれるのですか?」

 

「約束します」

 

「人助けの助力という名目で徴収した人々を不当に働かせたり…」

 

「しません」

 

「な、何か契約等で人々を縛り逆らえなくさせるとか…」

 

「決してしません」

 

 デミウルゴスは強く断言する。

 

「そういった裏をかいたり騙すような事はこの取引に限り一切しないとお約束します。本当に文字通り、人探しに協力して頂きたいだけです。貴方達の出来る範囲で構いません。無理をさせるつもりもありません」

 

 カルカはデミウルゴスのそんな言葉に詰まる。

 はっきり言えば人探し、その為だけにあの天使達と敵対し人々を救うというのか。

 どうしても後一歩、信じ切れない。非合理すぎる。

 

「貴方の気持ちは理解出来ます。なぜこんな釣り合わない取引を真面目に交渉しているのか、と考えておいででしょう?」

 

 デミウルゴスの言葉にカルカの体が跳ねる。

 

「そ、そんなこと…」

 

「簡単な事です。それはこの取引が私達にとって対等以上のものだからです。我らが王、モモンガ様…。あの御方の為ならば配下の誰もが喜んで身を捧げるでしょう。我らにとっての全て、いやそんな言葉ですら足りない…! 我らが忠義を尽くさねばならぬ御方、我らの存在意義、存在理由…! この世界、いや何をおいてすら優先される至高の存在…! その御方の情報ならばどれだけ些細であろうとも! 我々にとっては国一つとすら比較にならないのですよ」

 

 サングラスの隙間から見えるデミウルゴスの宝石の瞳がレメディオスを映す。

 

「そこの女騎士、貴方達とてそうではないのですか? 貴方はその自分達の王にいくらの値段を付けますか? 財産? 土地? 国宝? もし命を救えるとするならばどれだけの額が支払えますか?」

 

「土地や財産だと!? そんなもの比較になる訳なかろう! 国宝とてそうだ! どれだけ金銭を積もうとカルカ様の命になど代えられるか!」

 

 当たり前だというようにレメディオスが怒鳴る。

 

「その通りです。貴方達は自分達の王にそれだけの値を付ける、いや付けられないというべきか。ですがこの国の民一人一人にそんな値は付けませんよね? だからまだ悠長に私と交渉などしてられる。全ての命は同価値ではない。それは人の命が平等ではないという意味ではなく、人にとって他人が平等ではないという事です。貴方達にとって価値のある人間が私にとってはそうではない、逆もまた然り。貴方達がどう判断しようと自由ですが、我々にとってモモンガ様という存在は世界全て以上の、そんな表現では足りぬ程大切な御方なのです。もう一度言いましょう。貴方達がその程度と思えるような事でさえ、我々には一国以上の価値がある。それだけの話です」

 

 情報は出揃った。

 もうカルカから質問すべきという事は思いつかない。

 多少、暴論ではあるが理屈は分かる。

 きっとカルカもケラルトやレメディオスの為ならば法外な値を付けるだろう。国民を愛しているし大事にしたいと思っているが実際にそうなった時、国民一人一人にケラルトやレメディオスと同じ値段は付けられない。

 ただ目の前の悪魔の言葉はスケールが桁違いなだけでそれと同じだ。

 

 結局、この取引を信じるに足る根拠は何一つない。

 目の前の悪魔の言葉を信じるか否か、つまるところそれだけでしかないのだ。

 

「分かりました、取引を受け入れます…。ですからどうか民を…、民を救って下さい…!」

 

 懇願するようにカルカは取引を了承した。

 

「ありがとうございます! 必ずや約束はお守り致しますとも! ええ、必ずね…」

 

 心底嬉しそうにデミウルゴスは微笑む。

 

「民は助けるとは約束しましたが他の事には多少目を瞑って下さいね。あの天使達と戦っては我々も無事とはいかないので…」

 

 そうしてデミウルゴスの作戦は始動した。

 

 

 

 

「ちょっといいかいアウラ」

 

『わっ! 急になんなのデミウルゴス! 今忙しいんだけどー!』

 

 突然デミウルゴスから<伝言(メッセージ)>を繋げられたアウラは驚いた声を上げる。

 

「まあまあそう言わずに。君の事だから苦戦なんてしていないだろう? 少し私の手助けをしてくれないかね?」

 

『もう、何なの? 無理なら断るからね!』

 

 そうしてデミウルゴスは用件を伝える。

 

『まあ、そのぐらいならいいけど…。あと転移使えるシモベも配置しておくから』

 

「ありがとう、助かるよ」

 

 アウラとの<伝言(メッセージ)>を終えると声を上げるデミウルゴス。

 

「各員持ち場に付いたか? 現在天使達と交戦中の者は合図があるまでそのまま時間稼ぎに努めろ、無理に殺そうとする必要はない。可能な限り、その時まで死ぬな」

 

 その言葉に周囲の悪魔達、そして遠方で<伝言(メッセージ)>が繋げられた悪魔達が同時に返事をする。

 

「よし! それではチャックモールの演奏と共に行動を開始せよ!」

 

 その言葉と共に都市中に美しい調べが奏でられる。

 

 「五大最悪」の一人、エーリッヒ擦弦楽団を率いるチャックモール。

 今宵の演目は“緩やかな平和の鐘”。

 

 得意とする不穏な調べ、デバフ効果のあるものではなく効果範囲内の戦闘行動を著しく遅延させるというもの。

 これには敵も味方も関係ない為、必ずしも大規模戦闘において役立つものではない。基本的には時間稼ぎにしか使えないものだが必要人数などの演奏条件が厳しいため割に合うものとは言いにくい。

 しかしこの時においては最適だろう。

 

 悪魔達が天使の射程圏内に入ると当然のように攻撃行動が開始される。だがエーリッヒ擦弦楽団の演奏によって攻撃動作に入ると動きが鈍くなる。そうすれば悪魔達は攻撃を回避する事も容易い。

 その間に次々と国民を避難させていく。

 アウラの協力の下、国中の民をアベリオン丘陵へと避難させる事に成功する。

 カルカ達要人も一緒に避難させる。

 現地で亜人と多少の小競り合いがあるかもしれないがアウラがなんとかしてくれるだろうとデミウルゴスは丸投げする。

 

 今は目の前の問題を片付けなければならない。

 

「皆、すまない…。だがこれが最も効率的に場を収められる方法なんだ…」

 

 悲しそうにシモベ達へ語り掛けるデミウルゴス。

 だが誰の目にも悲壮感は漂っていない。

 シモベ達はデミウルゴスを信じており、またモモンガの為になれる事が嬉しいのだ。

 

 エーリッヒ擦弦楽団の演奏が終盤に差し掛かる。

 “緩やかな平和の鐘”の曲が終われば天使達との総力戦に入る事になる。

 天使に特効を持っている悪魔も多いが、悪魔に特効を持つ天使も多いだろう。

 真正面から戦えば互いに壊滅的な打撃を受ける。

 デミウルゴスの知略を以ってすら厳しい。

 互いに同じ条件とはいえ、極端に相性が悪すぎるのだ。

 少しの事でいくらでも戦況が傾く。

 

 僅かでも敗北の可能性がある戦いは避けなければならないのだ。

 だから絶対勝利の為、非道な決断をデミウルゴスは下さなければならない。

 ナザリック外の者であればいくらでも犠牲に出来る。

 しかしナザリックを、そのシモベ達を愛しているデミウルゴスにとってこの決断は身を引き裂かれる程つらい。

 

 そして、曲が終わった。

 同時に幾重にも特殊技術(スキル)や魔法を発動するデミウルゴス。

 

「総員、降下!」

 

 デミウルゴスの叫びが轟く。

 呼応するように各地に散り上空に待機していた無数の悪魔達が上空から地上へと勢いよく落下を始める。

 周囲の天使達が降下してくる悪魔達に攻撃を仕掛けようとした刹那――

 

 世界が黒に染まった。

 

 

 

 

 現実世界(リアル)において約200年程昔、日本という国で歴史に名を遺す悲劇があった。

 

 原爆投下。

 

 世界で初めて核兵器が使用された瞬間だ。

 その後、核兵器の非道さが世界中で訴えられたがそれは表向きだ。

 核武装すると公言する国、あるいは極秘裏に核兵器を開発する国。

 結局人々は核を手放す事が出来なかった。

 

 長い歴史の中で本当に取り返しのつかない領域に人類が足を踏み入れた最初の瞬間だとウルベルト・アレイン・オードルは考える。

 

 そして真実か否か、それは彼にも分からないが彼の家には古い文献が残されていた。

 先祖の遺した物で、被爆した者本人の嘆きだ。

 そこに書かれていたのは歴史の教科書の内容とは異なるものだった。

 どれが真実かなど今の世ではもう分からない。

 だが、不思議と先祖の残した文献の方が腑に落ちた。

 まだ生存者がいた頃は正しい歴史や記念館など様々な物が残されていたらしい。

 しかしいつしかそういった物は時代と共に歴史の中に消えた。

 まるで原爆など空想上の存在であったかのように。

 被害者の声など不要だったのだ。

 人類の進歩には核が不可欠と信じられていたから。

 

 これは原爆の話だけではない。

 現実世界(リアル)において様々な情報は隠蔽され、法律は改竄され、国民は搾取されるだけの存在になった。

 ウルベルトは世界が許せなかった。

 あらゆる悪を憎んだ。

 いつしかその悪を打倒するのが彼の目的となった。

 だが悪を倒すのは正義の味方ではない。

 正義の味方では、法に、人道に則っていては巨悪など倒せないのだ。

 

 だからこそ彼は悪に憧れ、悪を欲し、悪に堕ちた。

 

 これは彼がまだ人の心を持っていた時、ユグドラシルというゲームの中で作り上げた妄想に過ぎない。

 しかし後にして思えばそれこそがウルベルトの願望だったのだろう。

 世界への逆襲。

 ゲーム内とはいえ、それを再現し最も愛するNPCに授けた。

 相応しい名前は最初から決まっていた。

 現実の自分との鏡合わせのように。

 悪へのきっかけであり、世界を憎む最初の一歩。

 

 <悪魔の病巣(デーモン・コア)>。

 

 悪意の象徴であり、滅びへの呼び声。

 ユグドラシルにおいてデミウルゴスの使用する奥の手であり、オリジナルコンボの名前だ。

 

 かつて日本にはリトルボーイとファットマンという原爆が落とされた。

 もし日本が降伏しなければデーモンコアという第三の核が落とされる予定だった。

 

 デーモンコアの名の由来は実験中に関係者に死者を出したからだと言われている。

 

 そんな名前をゲーム内とはいえウルベルトが使用している事にたっち・みーはいい顔をしなかった。

 不謹慎だと、遊びで軽々しく扱っていいものではないと喧嘩になった事もある。

 だが本当にそうなのか?

 口に出さない事が、忘れる事が弔いなのか?

 誰が先祖達の苦しみを癒してくれた?

 今現在、世界中で苦しんでいる人たちの苦しみはどこへいく?

 家族は、仲間は、虐げられた人達の魂の行く末は?

 様々な人と共にずっと地獄を歩いてきた。

 あの苦しみの果てに平穏があるとは思えない。

 

 きっと誰も救われない。

 正義の味方なんてどこにもいないのだから。

 だから彼は人々を救う事を諦めた。

 ウルベルトが為すべき事は鉄槌を下すだけだ。

 

 世界に暴悪を振り撒く。

 どれだけの被害を出そうとも、死なねばならぬ者達はいる。

 世界を裏から牛耳る者共等がその最たる例だ。

 

 その時は近づいてきている。

 これまで水面下でずっと準備してきた。

 今も数多くの同志たちが自分を支えてくれている。

 

 もしその時がくれば、かつての仲間達は何と言うだろうか。

 ほとんどの人が怒るだろう。

 たっち・みーあたりはどこからか嗅ぎ付けて自分の前に立ちはだかるかもしれない、そんな確信に近い予感がある。きっと最後まであの男とは分かり合えないのだろう。いや、誰よりも分かり合えてるからこそ対峙する事になるのか。

 もしモモンガがいたら何と言うだろう。

 フィクションとそうでないものの区別は付けなければいけないと説教されるかもしれない。ウルベルト同様、悪にはうるさかったが常識人でもあったから。

 ただの現実逃避、時間潰しと思ってプレイしたユグドラシルだが、それが輝かしい思い出として残っているのはあの人のおかげだ。

 ユグドラシルのサービス終了前に顔を出して欲しいとモモンガから連絡が来ていたが返事は返さなかった。未練が残るといけないから。

 ウルベルトは行けない。

 なぜならその日は――

 

 何より彼の戦いは現実世界(リアル)にあるのだ。

 

 様々な人の顔が脳裏をよぎる。

 それでもウルベルトの決意は変わらない。

 

 もし世界を変える瞬間に一言残すならばこう記すだろう。

 自らの力の源に焼かれて踊るのが相応しい者共へ、憎しみを込めて。 

 

 「支配層は皆殺し(デーモン・コア)」と。

 

 

 

 

 それは爆縮だった。

 

 外部に力を解放する爆発ではなく、外部からの圧力で押し潰し強大な内部圧力の上昇を生む物理現象で、通常では得難い破壊力を生む事が出来る。

 現実世界(リアル)でも高度な技術力が必要とされるもので簡単には製造出来ないものだ。

 

 爆縮の核となった無数の悪魔達は自らへ強烈な外部圧力をかけると共に、遠隔でデミウルゴスや十二宮の悪魔達、魔将達や一部の最高位悪魔達の手によってさらなる外部圧力をかけられていく。

 彼ら最高クラスの悪魔達の力もあり、核となった悪魔達は周囲の空間を巻き込み、小石のような大きさにまで丸く潰れていく。

 極限まで圧縮されていく悪魔達。

 ギチチというような不快な音が周囲へ漏れていく。

 そうしてもはや砂粒を通り越し、視認するのが不可能な状況にまで圧縮される。

 見えるのは歪み、曲がりくねった空間だけだ。

 

 しばらくして臨界点を突破した次に来るのは、解放。

 

 極限まで圧縮され絞られた悪魔達の体が膨大なエネルギーを生むと同時に広範囲へと爆ぜる。

 

 形容するなら<負の爆裂(ネガティブバースト)>という魔法が近いだろう。

 黒い光の波動が使用者を中心として周囲を飲み込む魔法だ。

 

 だが威力はその比ではない。

 それが無数にいる悪魔達一体一体から放たれるのだ。

 悪魔の体による物理的な衝撃、そして悪魔自身が持っていた魔力、そして魔の瘴気をまき散らしながら。

 

 幾重にも重なった爆発が拡散した後には、強風が爆心地に向かって逆に流れ、黒煙が立ち上る。

 しかしいくつもある爆心地により爆風が入り乱れ、強大な竜巻となり、吹き上がった黒煙と共に渦を巻いていく。

 かろうじて生き残っていたレベル100の都市守護者達でさえ飲み込み浸食し切り裂いていく。

 

 やがて聖王国の都市全てに巨大な竜巻が一つずつ咲く事になる。

 次第に竜巻が収まっていくと、砂埃と共に黒煙がキノコのような形状へと形成していく。

 都市全体を、いや国全体を覆う死の煙。

 

 もうその中に生きる者は誰もいない。

 それどころかその死の煙は大地を侵食し、空を闇に染め、海を汚した。 

 生命の存在を許さぬ、死の空間。

 生きていられるのは、アンデッドか悪魔ぐらいだろう。

 

 魔界とでも呼ぶべきだろうか。

 

 草木は枯れ、あらゆる動物達が死滅した。

 悪魔達の残した瘴気により、生きとし生ける者がこの地へ立ち入るのは数百年間無理だろう。

 こうして聖王国という大地は人の住める場所ではなくなった。

 

 

 

 

「な、何が起きているの…!?」

 

 アベリオン丘陵に避難したカルカ達からでもその景色は確認できた。

 聖王国の上空に広がる膨大な黒煙。

 

 それは舞い上がる煙が見せた偶然か幻覚か。

 大きく舞い上がり次々と形を変えながら上っていく黒煙だが、その所々で苦しみに満ちた人の顔が浮き出ているように見えた。

 怨嗟の声が聞こえてくるのではと錯覚する程に異様な光景。

 キノコのように黒煙の頂上が膨らんでいくと、それはやがて人の頭部のような形になっていく。

 

 口を大きく開け、苦痛と絶望の中にいる者の表情を思わせる。

 いや、もしかすると何か目的を達成した者による歓喜の表情かもしれない。

 如何様にも受け取れる複雑な造形だった。

 

 カルカ達聖王国の者達が呆気にとられ空を見上げているとその煙の中から複数の悪魔達が出てきた。

 デミウルゴスとその配下達だ。

 無数にいた悪魔達の姿はどこにもなく、その総数は二桁程度まで減っていた。

 

「ヤ、ヤルダバオト殿! あ、あれは一体…」

 

 近寄ってきたデミウルゴスへとレメディオスが声を上げる。

 

「ええと、ああ君はカルカ女王の側近だったかね?」

 

「レメディオスだ! 聖騎士団長レメディオス!」

 

「そう怒らないで欲しいものだね、先ほどは名前を聞いていなかったんだから仕方ないだろう?」

 

「それよりもあの煙はなんだ説明しろ!」

 

 レメディオスの質問に答えるようにデミウルゴスは事の顛末を説明する。

 天使達は全て滅ぼした事。

 そして、向こう数百年、この土地は人の住めない魔の大地になったという事を。

 

「ああ…、なんて事…」

 

 あまりのショックにカルカがその場に崩れ落ちる。

 

「カ、カルカ様! お気を確かに!」

 

 すぐ横に控えていたケラルトがその体を支える。

 

「だ、騙したのか…!? 取引外で不当な事はしないと約束した筈だ!」

 

 頭に血が上ったレメディオスが剣の柄に手を添えながらデミウルゴスへと詰め寄る。

 

「騙した? 人聞きの悪い事を言わないで下さい。私は約束を守りました。今後も何ら無理のある要求をするつもりはありません。ただ契約通り人探しを手伝って頂ければそれで充分です」

 

「な、何を言っている!? 確かに民達は助けて貰った! だが国があんな状態でどう生きていけというんだ!? 家も、財産も、食料も! 何もかもを失ったんだぞ我々は! お前たちのせいで!」

 

「はぁ…。私も多くの配下を失いました。まさかあの強大な天使達相手に何の被害も出す事なく勝利しろとでも言うつもりなのですか? いくらなんでもそれは無茶が過ぎますよ。ここまで体を張って文句を言われるとは想像すらしていませんでした…。残念です」

 

 心底呆れたといった様子でデミウルゴスが溜息を吐く。

 

「よ、よくもぬけぬけと! 都市が壊れる事までは仕方ないと諦められる! だが土地が瘴気に呑まれ、足を踏み入れる事すら出来なくなるなど想像できるか! そ、そうか! 最初からこれが狙いだったんだな!? 我々から国を奪い、帰る場所を無くす為に!」

 

「いい加減にして下さい…。あのままであれば貴方々はその全てが虐殺されていたでしょう。我々とて正面から戦えば勝利出来るか怪しい相手でした。もし我々が負けていれば貴方々も困るでしょうに。それとも何か他に良い手段があったのなら教えて下さい」

 

「ぐっ…、そ、それは…!」

 

 デミウルゴスの言葉にレメディオスが詰まる。

 

「ようやく理解して頂けたようですね、やれやれ馬鹿の相手は疲れますよ」

 

「貴様っ…!」

 

 激昂したレメディオスが剣を抜こうとした瞬間、カルカとケラルトがその身を押さえる。

 

「ぶ、部下が大変失礼しましたヤルダバオト殿…。我々聖王国の民は貴方達に心より感謝しております。命を救って頂きありがとうございます」

 

 深々とカルカがデミウルゴスに頭を下げる。

 

「カルカ様っ、こんな奴に…むぐ!」

 

 何か言いかけたレメディオスの体を倒し、口を押さえるケラルト。

 

「静かにしてて姉さん…! 気持ちは分かる…! でも、まだ私達全員の命はあの悪魔の手の平の上なのよ…! ここであの悪魔の機嫌を損ねる訳にはいかないの…!」

 

「うぅ…、くそ、くそぉっ…!」

 

 悔し涙を浮かべながら声にならない唸りを上げるレメディオス。

 レメディオスの感情は尤もだと思うカルカだが賛成する事はできない。ケラルトの言う通り自分達の命はまだ悪魔達に握られているのだから。

 

「ヤルダバオト殿、取引は必ずお守り致します。ただ、その為にどうか少し我儘を聞いて頂けないでしょうか? 無理ならば構いません。しかし我々だけではこの現状があまりに苦しく…」

 

 カルカはさらに幾度もデミウルゴスに頭を下げた。

 要求としては当面の食糧や、住む場所など。

 もちろんこんな要求など王として恥ずべき事だしあまりにも恥さらしで厚顔無恥。

 しかしカルカにはここでどうしても頭を下げねばならない理由があった。

 

 聖王国の民で生き残った者は百万人を超える。

 そんな数の人々が家も食料も無く、その身一つでアベリオン丘陵へ投げ出されたのだ。

 何をするにしても、他国に助けを求めるにしろ、馬も何もない状況ではアベリオン丘陵を超える事すら出来ない。

 それよりも問題なのはこの大量の民達の食事だ。

 食料どころか水も無いこの状況では三日と持たず瓦解する。

 どこかで食料や水が手に入ったとしても百万人を賄う数など手に入る筈が無い。

 

 確かにカルカ達は命は救われた。

 だがそれ以外の全ては聖王国の中に置いてきてしまったのだ。

 もう二度と戻れない場所に。

 最初は食料だけでもどうにか持ち出せないかとも思ったがすでに食料も汚染されているだろうとの事だった。

 故にカルカ達は聖王国以外で生活の糧を見つけなければならない。

 

 そんな聖王国の民を助ける為に力を貸してくれとカルカは頭を下げているのだ。

 

 無理難題すぎてどこの国でも受け入れられないレベルの事態だ。

 しかし。

 

「分かりました、なんとかしましょう」

 

 返ってきたのは信じがたい言葉。

 相手が悪魔という事もあるが、現実的に解決不可能な問題に思えたからだ。

 

「当然贅沢は出来ませんが可能な限り食料を調達しましょう。住む場所は…、まあこの辺りに各自で小屋でも建てて貰うという事で…」

 

 デミウルゴスはこうなる事は当然予測していた。

 あの状況では聖王国の人々が露頭に迷うのは明らかだ。

 ではなぜそうしたのか。

 これは決してデミウルゴスが悪魔だからとか、悪意の元に行動した訳ではない。

 あれが最善の手段だったからだ。

 

 デミウルゴス達が最も軽微な被害で天使達を殲滅するにはあの手段しか無かった。

 まともに戦えばここにいる最高位の悪魔達すら残っていなかっただろう。

 

 故に悪魔のシモベ達を爆弾とし犠牲とする奥の手を切ったのだ。

 

 最高位の悪魔達は残っているものの、被害は甚大。戦力のほとんどをデミウルゴスは失ってしまった。

 あくまで聖王国の人々はついでに過ぎない。

 仮に聖王国の人々を見捨てるという判断をしたにしろ爆撃するしかなかった。

 どう転んでもこの結末は回避出来なかったのだ。

 だからこそデミウルゴスは人々を助ける事を条件に取引を申し出た。

 国民を助けてしまえば都市や国がどうなろうと聖王国の上層部は文句を言えない。

 取引内容に人の命以外は含まれていないから。

 

 そうして恩を着せ、合法的に聖王国を地獄に変えたのだ。

 

 天使達を滅ぼし、表面上とは言え文句の言えない状況の聖王国の人々を手に入れた。

 デミウルゴスは上々の成果だと考える。

 後にモモンガを探す為に聖王国の人々が助けになるかもしれないのは事実だ。それを少しの会話だけで手に入れられたのだから上出来だろう。ただ残る問題として簡単に死んでしまわれたら困るという事だけだ。

 

 実はその辺りはアウラに丸投げしている。

 

 彼女なら山でも森でも川でもシモベを使って食料を集められるだろうから。

 

(まあ流石に百万人は多すぎますし、いくらか餓死してもしょうがないでしょう…。現状では他国を襲って食料を奪う訳にはいきませんし…。とりあえずは有用そうな者達さえ残っていれば良しとしましょう。後でアウラに小言を言われた時の対処を考えておかないと…)

 

 

 

 

 竜王国、首都。

 

 

「おんどりゃああああ!」

 

 豪快なアルベドの雄叫びと共に、対物体最強の世界級(ワールド)アイテムである真なる無(ギンヌンガガプ)が勢いよく振り下ろされる。

 戦いの果て、巨躯の幻獣種である都市守護者の体が圧し潰され平たくなっていく。

 グググと必死に抵抗を続けるがやがて限界が訪れ、風船が割れるように爆散し辺りに血をまき散らした。

 アルベドを中心として地面に落ちたトマトのように血が広がり、周囲を小さな肉塊がコロコロと転がっていく。

 

「敵の陣形が崩れたわ! 今よ地獄の戦用馬車(ヘルチャリオット)部隊! 側面から轢き殺せぇぇえ!」

 

 アルベドの怒号に呼応するように地獄の戦用馬車(ヘルチャリオット)部隊が崩れた敵陣の中に突っ込みかき乱していく。馬車に備え付けられた無数の刃や棘が敵の肉を裂き骨を砕き、倒れた敵の肉体を戦用馬の蹄が潰していく。

 

「残党狩りは死の騎兵(デスキャバリエ)に任せる! 全軍の指揮を預けるから味方を率いて殺し尽くしてきなさい! 敵の首魁は残り一体! 私はそちらに向かう、着いてきなさい戦用双角獣王(ウォーバイコーンロード)! すぐにミンチに…ん?」

 

 <伝言(メッセージ)>の魔法がアルベドに届いた。

 

「ちょっと誰!? 今は…」

 

『…アルベド』

 

 ニグレドの声だった。

 

「姉さん!? どうしたの、今は作戦中よ。急用!?」

 

 急用でない筈がない。戦闘中であろうアルベドにわざわざ<伝言(メッセージ)>を飛ばしてきたというだけでその緊急性が窺える。

 

『シャルティアがやられたわ』

 

「え…!?」

 

 流石のアルベドも驚きを隠せない。

 守護者最強であり、最大の軍を持つシャルティアが敗北するとは想定していなかった。

 

「じょ、状況を詳しく説明して頂戴! それに他の守護者達は大丈夫なの!?」

 

『他の守護者達は大丈夫よ。監視を続けているけどほとんどが優勢だわ』

 

「それで…、一体シャルティアはどうやってやられたの!?」

 

『分からないわ…』

 

 ニグレドの言葉をアルベドは理解出来ない。

 監視していた筈のニグレドが分からない筈が無い。その疑問を口にしようとするがすぐにニグレドが補完する。

 

『元々シャルティアの向かった浮遊都市は監視が安定しなかったの…。最後に確認できたのは力尽きたシャルティアが横たわる所だけ…。今は探知が完全に阻害されていて少しも様子を見る事が出来ないわ…』

 

 アルベドは考える。

 シャルティアが馬鹿すぎて相手に後れを取ったとか間抜けな話ならばいい。

 しかし、こと戦闘に限ればシャルティアがそこまで無様を晒すとは考えにくい。

 であるならば。

 

「モモンガ様を弑した奴等がいた…? そこが敵の本丸…? 姉さん、探知は本当に不可能なの? 周囲の状況は?」

 

『現状全て不明よ、あらゆる手段を試みたけど全てダメだった。周囲を含めて完全に隠蔽されているわ』

 

 今の所、各地に散った守護者達からモモンガに関する直接的な情報は上がってきていない。

 そう考えるとシャルティアが向かった浮遊都市が怪しいが、情報が得られないのではおいそれと攻め込む訳にもいかない。下手をすればシャルティアの二の舞になる。

 

「すぐに向かうのは無理か…。情報が得られないのであれば今はとりあえず各自持ち場を制圧する事を優先して…。まずは誰か隠密に長けたシモベを派遣して…、いやシャルティアを倒すような奴等相手ではそれも…」

 

 ブツブツと考え込むアルベドにニグレドが告げる。

 

『だからルベドを向かわせたわ』

 

「なっ!? あ、あの子を、一人で!? 単身なんていくらなんでも無謀よ! 攻めるなら守護者を集めて全軍で…!」

 

『問題ない、ルベドに命じたのはあくまで偵察。情報を持ち帰らせる事を優先させているわ』

 

「そ、それでもシャルティアを倒した奴等がいるんでしょう!? もしルベドがやられたら…!」

 

『大丈夫』

 

 アルベドの心配を他所にニグレドが断言する。

 

『ルベドの移動速度に追いつける者なんてそうそういないわ。逃げるだけなら簡単でしょう。それに、仮に戦闘になったとしても…。あの子が負ける状況なんて私には想像できない』

 

 ニグレドは創造主であるタブラ・スマラグディナからルベドの全てを知らされている。だからこそ、どれだけ魔法的な隠蔽や阻害が為されていようとルベドだけはその影響を受けない事を知っている。

 

 そしてルベドが誇る異常な強さの理由、また、その危険性も。

 

 

 

 

 数刻前。

 ナザリック地下大墳墓。

 

 

 その目の前で甲高い笑い声を響かせる少女がいた。

 

「あーっはっはっは! 本当に来た…! ナザリック地下大墳墓…!」

 

 口が引き裂けそうな程の笑顔を浮かべる少女。

 海上都市の彼女と呼ばれる少女だ。

 彼女の脳裏に様々な伝説が蘇る。

 それを思い返しながらナザリックへと足を踏み入れた。

 入口で止められた為、そこから中へと入っていく彼女の様子を見守る老婆、リグリット。

 

 中からは彼女の歓喜に溢れる声が聞こえてくる。

 しかし、それは最初だけだった。

 

 笑い声を上げていた筈の彼女の声が次第に曇っていく。

 何か異常事態でも起きたのかと入口から覗き込むリグリット。

 

「お、おいどうしたのじゃ? 何かあったのか?」

 

 だが彼女からの返事は無い。

 リグリットの声が聞こえなかったのか、呆然自失としたまま彼女はナザリックの奥へと進んでいく。

 

「な、なんで…、どうしてだ…」

 

 彼女は先ほどまでの笑顔が嘘のように絶望したような表情を顔面に張り付けている。

 

「う、嘘だ…。嘘だと言ってくれ…。ま、まさか…。ここまで来て…、全て手遅れだったのか…」

 

 その場に膝から崩れ落ちる。

 

「やっと…、前に進めるって…、そう思ったのに…。これだけを信じてずっと何百年も待ち続けたのに…。こんなの…、あんまりだ…」

 

 その瞳から大粒の涙がいくつも零れ落ちる。

 そうやって泣く様子は年相応の少女のもののように見えた。

 

「ちくしょうっ、なんで…、なんでだっ! ()()()()()()()()()()()!」

 

 侵入者がいればすぐにNPCが迎撃に来る筈なのだ。

 それを誰よりも彼女は知っている。

 だが彼女の目の前に広がるナザリック地下大墳墓はもぬけの殻と言ってもいい。

 自動ポップするような超低レベルモンスターはいるがそんなのは当てにならない。

 廃墟となってもそのレベルのモンスターならば自動発生してもおかしくないからだ。

 

「な、なんで罠やギミックも発動しない…? 機能が止まっている…、のか…」

 

 彼女の頭の中で最悪のケースが導き出される、それは――

 

「うあぁあああぁぁああああーっ!」

 

 絶叫。

 現実を受け止めきれず、彼女は狂乱する。

 彼女の知る限り、昔にナザリックが転移してきた可能性は低い。

 だから百年周期の説が正しいならばナザリックが転移してきたのはここ最近の筈なのだ。

 もしかすると転移前からギルドは終わっていたのかもしれないが。

 

「い、いや、そんな筈はない、そんな筈が無いんだっ! いる筈なんだ、来ている筈なんだっ…! ナザリック地下大墳墓が来ているなら…! だ、だって…! だ、だから俺はここに…! 約束を…」

 

 悲しみの極限まで振れた彼女の感情の針が突如として怒りへと振り切れた。

 

「だ、誰だ…? だ、誰がナザリック地下大墳墓を攻略した…? この世界のどこかにギルド武器を壊した奴がいるのか…? そういう事なのか…?」

 

 怒りで我を失った彼女は仰け反り永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)を空高く掲げる。

 己を取り戻し、復讐する為に。

 

「今すぐに叶えろ永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)ッ! 俺の願いは――」

 

 絶叫を上げながら彼女は願う。

 失われた、世界のどこにも残っていない筈のものを、再び取り戻す為に。

 一度は不要と捨てた筈の物。

 

 永劫の蛇の腕輪(ウロボロス)でさえそれが叶えられるのか、正直彼女には分からなかった。

 だからこそ、あの水槽の中に引きこもっていたのだ。

 しかし彼女の願いは無事に聞き入れられた。

 この肉体が、それを示している。

 

 殺意と疑念に支配されながら彼女はナザリックの深奥へと歩を進めていく。

 

 そんな彼女が、侵入者を撃退しようと戦力をかき集めていたオーレオール達と遭遇するのは深い階層での事となる。

 しかしレベル100を誇るオーレオールでさえ、彼女を止められない。

 

 

 

 

 浮遊都市エリュエンティウ。

 

 

 クレーターと化した戦闘痕の残る場所でシャルティア・ブラッドフォールンは地に伏していた。

 周囲の惨状がどれだけの戦いが繰り広げられていたのかを物語っている。

 

 この地に残った都市守護者の数は8。

 

 しかもそのいずれもがそれぞれ八欲王が己の分身として丁寧に一体ずつ作り上げ、装備まで与えた者達。

 ハッキリと言うならば一体一体がシャルティアと互角の戦力、装備を保有している。

 

 セバスやデミウルゴスが戦ったようなレベル100ではあるが実質まともな装備無しのNPCとは訳が違う。装備はユグドラシルにおいて戦力を左右する重要な要素なのだ。

 故にここにいる8体の都市守護者達は間違いなく天空城の最高戦力である。

 

 それを相手にシャルティアは一人で戦ったのだ。

 勝てる筈が無い。

 

 五千を超えるアンデッドの軍勢も全て失ったがシャルティアは健闘したと讃えられるべきだろう。

 都市守護者側の軍勢もほぼその全てが滅んでいるのだ。

 レベル100の戦いにおいては8対1という絶望的な状況でありながらもその幾人かに手傷すら負わせている。

 戦力比から見ればあり得ないレベルの抵抗だった。

 確かに都市守護者達はシャルティアと互角と呼んでも良い戦力と装備を保有している。

 だがそれでも。

 変態紳士ペロロンチーノが作り上げた珠玉のNPCはナザリック最強の守護者に相応しい強さを兼ね備えていたのだ。

 1対1ならば恐らくここにいる都市守護者の全員に勝利し得た。

 

 しかし現実はそうはならなかった。

 いくらシャルティアといえど数の前には歯が立たなかった。

 

 その戦闘の様子を全て見ていた者がいた。

 モモンガだ。

 彼は今、怒りに震えている。

 

 自分の弱さに、行動の鈍さに、決断力の遅さに。

 

 覚悟を決めたと思った。 

 しかしそれでもシャルティアに敵意を向けられたらどう対処していいか分からなかった。 

 彼女を傷つけたくないと思った。

 何かいい方法は無いかと考え込んでしまった。

 せめて暴走していると思わしきシャルティアに恐れず対話を試みてみるべきだったのだ。

 確かに最悪の結果はあり得た。

 しかし最上の結果もあり得たのだ。

 仮に意思の疎通が出来なくても戦いの外へとシャルティアを誘導するくらいは出来たかもしれない。

 ではなぜそうしなかったのか。

 

 勝利への保証が無かったからだ。

 完全に勝つための情報収集、準備に時間を要していたからだ。

 シャルティアが都市守護者達に攻撃されている間もまだ勝利への道筋が見えなかった。勝利が見えるまで粘ろうとしてしまった。

 

 その判断のツケがこれだ。

 

(シャルティアを失った…。俺がモタモタしていたからだ…)

 

 大切な友の残してくれたNPC。

 それがこの世界にいて、目の前にいたのに、見殺しにしてしまった。

 シャルティアが地面に墜ち、ピクリとも動かなくなった時に初めて実感した。

 

 自分は取返しの付かないミスをしたのだと。

 

(己の命を惜しんでいる場合じゃなかった…。勝利が約束されなければ俺は大事な物すら見捨てるのか…!)

 

 モモンガの中に生まれる激しい後悔。

 アンデッドの身に感情が抑制されている筈だが抑えが利かない。

 

 目の前にいる都市守護者達をこれ以上野放しにしておけないと本能が訴える。

 その思考と感情がじわじわとモモンガを支配していく。

 

 もしこの世界のどこかにシャルティアのように他のNPC達がいるのなら。

 

「俺が守る…!」

 

 モモンガは惜しげもなく高レアアイテムを複数使用する。

 転移阻害や探知阻害、行動阻害も含めた阻害系のオンパレードだ。

 これは自身を含め味方にも効果を及ぼすが、モモンガ本人は様々な指輪により十分な阻害対策をしている。

 

 アイテムの効果が発動し、浮遊都市その周辺が魔法的に隔離される。

 もちろんあくまで阻害であって無効化ではないが、それでも発動や行動に強い遅延がかかるため何かしらの対策をしていなければ実質使用できないと言っても過言ではない。

 つまりは魔法的手段において簡単にこの浮遊都市から外へは出れなくなったという事だ。

 これにより外部からの探知が阻害され、慌てたニグレドがルベドを送り込む事になるのだが今のモモンガにそんな事を知る由は無い。

 

 課金アイテムを使用し先ほど即席で作った複数のアヴァターラを背後に控えさせるモモンガ。

 これは武装したゴーレムを作れるようになるもので、ナザリック地下大墳墓の霊廟に置いてある物と同じだ。

 かつての仲間の武装をした霊廟のアヴァターラには遠く及ばないがこの即席のアヴァターラにも手持ちの装備をいくつも持たせている。

 レベルは低くとも手段はいくらでもあるものだ。

 そう、課金アイテムさえあれば。

 

 ただこの時、モモンガは何者かにずっと見守られているような感覚に陥っていた。

 探知阻害を発生させているので誰かが覗き見している筈がないのだが。

 周囲を窺っても特におかしな様子も無い。

 気のせいかと判断しモモンガは都市守護者達を睨みつける。

 

「誰一人ここから逃がさんぞ…!」

 

 8対の都市守護者の前にモモンガは不意に姿を現す。

 そして、彼らが動き出す前にモモンガの魔法が発動する。

 

 それが戦いの開始を告げる合図となった。

 

 

 




いつも二万文字以下を基準に一話を書いていたのですが今回気づけば三万文字を超えてしまっていました
本当はもう少し早く投稿できると予想していたのですが単純に長くなった分、遅くなってしまいました
今思えば途中で区切って投稿するべきだったかもしれませんが後の祭り…

何はともあれ久しぶりの本編更新です、お待たせしました
個人的には海上都市の彼女やモモンガさんの話をどんどん進めたいのですがどうしても先に守護者の話が来てしまうので結果として毎回最後にオマケ程度の描写となってしまっており自分自身悶々としております
もし読んで下さっている方もそうであれば申し訳ありません…

ギリギリとはいえ年内に更新出来て個人的にホッとしています
また来年、頑張ります!


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古い約束

また少しお待たせしてしまいました


 浮遊都市エリュエンティウ。

 

 現在その上空には8体の都市守護者と呼ばれるレベル100NPC達が鎮座している。

 背後には崩壊し落下してゆくアースガルズの天空城。

 眼下に広がる大地にはいくつもの亀裂や穴が開いており、先ほどまでの戦いの凄まじさを物語っていた。

 すでにこの場にいた数千を超える天空城の総戦力はこの8体の都市守護者を除き、その全てが滅んでしまっている。

 天空城の戦力に匹敵する数千ものアンデッドの軍勢との衝突によって。

 

 互いの戦力が壊滅し、アンデッド軍の首魁であろう真紅の鎧に身を包んだ吸血鬼(ヴァンパイア)が墜落し地に伏した所で決着が付いた。

 

 都市守護者達が倒れた吸血鬼(ヴァンパイア)へトドメを刺す為に魔法を発動しようとした時、彼らの視界の外で何かが光り輝いた。

 その次の瞬間――

 

 突如として高さ200メートル、直径100メートルにもなる竜巻が出現した。

 大地を巻き上げ黒く染まった竜巻が都市守護者達を飲み込み切り裂く。

 反射的に回避行動を取り魔法の範囲外へと都市守護達が飛び出そうとする、しかし――

 

「抑え込めっ! アヴァターラ達よっ!」

 

 モモンガの叫び声が響いた。

 その声に応じ、課金アイテムにて用意された合計8体のアヴァターラ達が巨大な竜巻の中へと飛び込み都市守護者達へと襲い掛かった。

 これにより都市守護者達は即座に竜巻から脱出する事が出来ず、竜巻の効果を受けながら戦闘行為に入らざるを得なくなる。

 

 この巨大な竜巻は魔封じの水晶を用いてモモンガが発動した<魔法効果拡大化・大顎の竜巻(ワイデンマジックシャークスサイクロン)>だ。

 豪風が荒れ狂う竜巻の中には、ゆらりと蠢く無数の影――6メートルほどの鮫たちがまるで海の中にいるかのように泳いでいる。

 それらは当然の如く、竜巻の中への侵入者である都市守護者達へと襲い掛かる。

 黒く染まった竜巻の中で鮫たちの攻撃を躱すのは至難の業だろう。とはいえレベル100にもなる都市守護者達からすれば効果的とは言えない。

 しかし同数のアヴァターラが竜巻の中で彼らを足止めする事で事情は変わる。

 本来ならば侵入者を無差別に攻撃する鮫たちだがゴーレムであるアヴァターラは血に飢えた彼らの攻撃対象には選ばれない。そしてゴーレムの特性として荒れ狂う竜巻の視界の悪さや行動阻害の影響も出にくい。

 故に、レベルにすると80程度しかないアヴァターラでも十分な足止め効果を発揮する事が出来る。

 

 その間に次の魔法の準備をしながらモモンガは都市守護者達の正体を紐解いていく。

 ナザリックのNPC同様、いずれも本来の種族から多少外見が弄られているようで一目で看破する事は難しかったが戦闘を見ればおおよその見当はつく。

 先ほどまでのシャルティア達との戦闘も含めればある程度のデータは出揃い、そのほとんどの正体が割れる。

 そうすれば自ずと対処法も決まってくるのだ。

 

(しかし、なるほど…。天空城というだけあって飛行系が多いな…。空中戦になれば圧倒的に不利…、かといって地上戦に付き合わせるにはこちらの手が足りなすぎる…。分かってはいたが…どうしたものか)

 

 モモンガが導き出した8体の都市守護者達の種族、正体。

 

 まずは雷鳴鳥(サンダーバード)

 これは現実世界でも比較的有名なもので、多くのフィクションにも登場していた。

 雷のような羽が特徴的で鷲のような巨鳥。

 名前及びその外見通り自由自在に雷を扱う種族だ。

 

 次に伽楼羅(ガルーダ)

 こちらも比較的有名だが神話とは違い、燃え盛る炎の翼を持った人の姿をしている。

 しかしその頭部は人の物とは大きく異なる。 

 

 大霊鳥(シームルグ)

 神話に登場する鳥の姿とは少し違い、鳥人(バードマン)という種族に近いがその下半身は孔雀のようであり、その尻尾は神話の通り五彩七色にゆらめいている。

 

 獅子鷲(アンズー)

 獅子の頭、人の上半身と鷲の下半身。

 大気の力を操る嵐の化身たる聖獣だ。

 

 鹿魔獣(ペリュトン)

 鹿の頭と鳥の翼を持つ獣人だが、その影は人間という特異な存在。

 種族としては精霊(エレメンタル)に属し、物理的手段では効果的なダメージを与える事が出来ない。

 この世界にも同名のモンスターが存在するがユグドラシルとの関係性があるかは不明。

 

 黒嵐雲(ケライノー)

 その名は『暗黒』に由来する美しき妖鳥(ハーピー)

 天候の操作、魅惑による混乱を得意とする。

 

 そしてモモンガが最も警戒するべき怨敵、熾天使(セラフ)

 ユグドラシルの外見とは異なり、某聖書にあるような翼の生えた人間的な姿をしている。

 外見からは判断出来ないが、万全のモモンガですら全力で臨まねばならない至高天の熾天使(セラフ・ジ・エンピリアン)級と見て間違いないだろう。

 

 残る最後の1体、謎の光り輝く巨体。

 こればかりは戦闘という戦闘を行っておらず、またその姿も何らかの阻害効果があるのか外見すら判別が付かなかった。

 分かるのはただ一つ、その体が光っているという事だけだ。

 

熾天使(セラフ)だけでなく、正体の片鱗すら掴めないのが1体か…。しかしその他も含めいずれもが上級、あるいはレア種族とは流石はワールドチャンピオン達と言うべきか…。はは、この状態で戦いを挑むなど無謀を通り越して自殺だな…。ここにぷにっと萌えさんがいたら何と言われていたか…)

 

 モモンガは敵の正体を看破するまで隠れる事を選択しなかった。

 目の前で倒れたシャルティアを見た瞬間にその考えは消し飛んだのだ。

 

 モモンガは理解しているのだ。

 今の状態ではどれだけ情報を集め、手段を講じても決して100%には届かない。

 レベル100でも勝利が難しいこの状況で、レベル60程度の今の自分に何が出来るというのか。

 NPCとはいえ敵はレベル100、それが8体もいるのだ。

 だからこそ、万全を期せない状況だからこそ感情を優先した。

 

(だが、それでも…。それでも可能性は0じゃない!)

 

 そう。

 モモンガにはこの状況からでも引っ繰り返せる奥の手があるのだ。

 それさえ発動できればほぼ間違いなく勝利できる。

 

 ただ一つ、限りなく不可能に近いという欠点に目を瞑ればだが。

 

「っ!」

 

 モモンガの視界、巨大な竜巻の中から一つの影が飛び出した。

 それと相対していたアヴァターラも追撃しようと竜巻から飛び出すが追いつく事が出来ない。

 そしてアヴァターラの射程外に逃げた影、獅子鷲(アンズー)特殊技術(スキル)を発動する。

 

 <ニンギルスの象徴>

 大気の力を操る獅子鷲(アンズー)の根源たる特殊技術(スキル)の一つ。

 あらゆる自然現象や天候操作の再現、及びその無効化が出来る。

 これにより<大顎の竜巻(シャークスサイクロン)>の魔法が無効化され巨大な竜巻が消えうせる。

 その残滓として大地に打ち捨てられ無力になった鮫たちがピチピチと跳ねていた。

 

「当然そうくるか…、だがそれは1日1回までの大技…! プレイヤーならば開幕初手では絶対に切らないカードだぞ!」

 

 モモンガが新たな魔封じの水晶を取り出し発動する。

 

 そこから繰り出されたのは<重力渦(グラビティメイルシュトローム)>。

 漆黒の球体であるそれは超重力の螺旋球だ。100レベル相手でも手痛いダメージを与える事が出来る強力な魔法。そして直撃時にはダメージと共に吹き飛ばし効果も発生する。

 

「ガァァアッ!」

 

 直撃した獅子鷲(アンズー)が呻き声と共に吹き飛ぶ。

 そこへ追撃していたアヴァターラが追いつき組み付く。翼をアヴァターラに抑え込まれた獅子鷲(アンズー)は状況を立て直す事が出来ずにアヴァターラと共に錐揉み上に墜落していく。

 

 それを確認したモモンガが他へ視界を移そうとしようとした刹那――

 

「うぉぉっ!? 馬鹿な、もうアヴァターラがやられたのか!?」

 

 モモンガの真横を魔法が掠めた。

 放ったのは鹿魔獣(ペリュトン)、そのままモモンガに向けて突進し距離を詰めてくる。

 相対していたアヴァターラがやられたのかとモモンガは判断したがそれは間違いだった。

 後ろで引き離されたアヴァターラが攻撃を放ちながら必死に追ってきている。

 

「なるほど…。互いの攻撃が有効打になり得ないと理解して防御も回避も捨て俺に突っ込んできたのか…。凄いな…! ゲーム内のAIより賢いじゃないか!」

 

 鹿魔獣(ペリュトン)は実体としての体を持たない精霊(エレメンタル)の為、物理攻撃が有効ではない。それと同時に物理的攻撃手段を持たない為、ゴーレムなどと戦うと千日手になり易く戦いが長引く傾向にある。

 ユグドラシルではAIがそれほど賢くなかった為、ヘイト役のゴーレムなどを宛がうと意味も無いのにひたすら戦い続けるという状況があったのだ。

 しかしそれはこの世界で通用しない事が証明されてしまった。

 

「アヴァターラ達が全滅するまでは時間が稼げると思ったんだがな…、仕方ない!」

 

 鹿魔獣(ペリュトン)の接近を許せばそれだけでモモンガは詰みだ。

 このレベル差では8体どの都市守護者とも正面対決は出来ない。

 故にモモンガはこのカードを切る事を選択した。

 

「使わせてもらいます…、ウルベルトさん!」

 

 モモンガが掲げたのは悪魔像と呼ばれるアイテム。

 かつてウルベルトが世界級(ワールド)アイテムを真似て作った悪魔像、その試作品である。

 試作品である為、完成品である悪魔像の半分の効果しか持たないがそれでも十分に強力だ。

 それは第10位階魔法である<最終戦争・悪(アーマゲドン・イビル)>を三重に発動できるというもの。

 大量の悪魔を召喚できるが、そのかわり個々がさほど強くない。さらには勝手に暴れだすという使い道に困る魔法。

 本来は生贄が儀式魔法発動の為に使われる事が多い。

 

 アイテムの発動と共にモモンガの周囲に闇が渦巻いた。

 ボコボコと泡のようなものと共に深淵から悪魔たちが生み出される。

 最初にこの世界に出現したのはレベル10足らずの悪魔、下等の魔鬼(インフエリアーデーモン)が総数384体。

 奇形としか言いようのない姿をした醜い悪魔たちだ。

 破壊し、殺戮する為だけに生まれた悪魔達はモモンガの指揮下に入らず周囲の都市守護者達に向けて襲い掛かる。

 しかし当然ながら悪魔達は都市守護者達に一方的に蹂躙される事になる。

 翼で払われ、指で小突かれるだけでその身を汚れた泥のように変えて魔界へと戻っていく。

 

 とはいえあまりにも数が多く、悪魔達が一掃されるまで多少の時間を要する事になる。

 範囲系魔法を撃てば一瞬で全滅させられるだろうがそれだと都市守護者達での同士討ちになってしまう。

 モモンガもわずかにその可能性を期待していたがそれは夢と消えた。流石に同士討ちするほど馬鹿ではないらしい。

 

 やがて下等の魔鬼(インフエリアーデーモン)が全滅すると次に出てきたのはレベル20台の悪魔、鎌の悪魔(ヘルサイズ)

 192体の毒に塗れた巨大な鎌を持つ悪魔が空へと飛び立つ。

 

 都市守護者達に手も足も出ないとはいえ時間稼ぎとしては十分だ。

 悪魔達の出現によって都市守護者達がアヴァターラへの対策も遅れ始めている。アヴァターラも悪魔達の攻撃対象ではあるが反撃をする都市守護者の方がより悪魔達に優先される状況になっていた。

 

 この状況の中、モモンガは空中にいくつもの罠を仕掛けていく。

 <爆撃地雷(エクスプロードマイン)>が込められた、魔法を一定回数使用出来るユグドラシル産の(スタッフ)を何本も使い潰し空中に見えない地雷の山を築き上げる。

 (スタッフ)はアイテムとして手軽に使用出来る分、純粋な魔法として発動するより効果は落ちてしまうが今のモモンガにはこれ以上の手段は無い。

 

 そして鎌の悪魔(ヘルサイズ)が全滅すると次はレベル30台の悪魔、腐敗の魔鬼(ロッテイングデーモン)が姿を見せる。

 腐敗性のガスを周囲にまき散らす悪魔だがモモンガはアンデッド、その効果を受けない。

 それが総数96体。

 

 周囲をあっという間に腐敗性のガスが覆うがアヴァターラ達もゴーレムである為、モモンガ同様効果を受けない。一部の都市守護者は完全耐性を持っていたがそうでない者も何体かいた。

 嫌がらせ程度にはなっただろう。

 

 次はレベル40台の悪魔、嘆願の悪魔(サプリカント)が24体。

 長い髪と青白い肌を持つ女性の姿であるが、目も口も鼻も全てが糸で塞がっており、まるで神に許しを願うように両手も縫い合わされている異様な姿。

 

 ここだ。

 ここがモモンガにとっての分水嶺。

 嘆願の悪魔(サプリカント)が都市守護者達に狩られる前に、狩る。

 

 対象を拘束するアイテムを使用し、嘆願の悪魔(サプリカント)24体を僅かな時間であるがその場から動けなくさせる。

 

 そうしてモモンガにとって秘蔵の一品、最高級の魔封じの水晶を使用する。

 モモンガとていくつも持っていない貴重なものだ。

 それは、超位魔法すらも封じる逸品。

 詠唱時間も無視して即発動される物だが一日の使用上限回数が決まっている。

 

 発動したのは、超位魔法<指輪の戦乙女たち(ニーベルング・I)>。

 

 これにより戦女神(ヴァナディース)と呼ばれるレベル80台の特殊個体が6体召喚される。

 召喚された彼女達は鎧を身にまとった美しい女性、一般的に想像する戦乙女そのものといった風貌。

 

 戦闘能力が低い訳では無いが突出した能力がある訳でも無い彼女達。

 だが通常の方法での召喚や、NPCとして製作する事も出来ない。

 彼女らは豊穣の女神(フレイヤ)の親衛隊であり、彼女以外には決して使役出来ない。あくまでこの魔法で借り受けるというものなのだ。

 

 モモンガが召喚した理由はただ一つ、その特性と特殊技術(スキル)の為だ。

 

 召喚された戦女神(ヴァナディース)達はモモンガの意思通り、拘束されている嘆願の悪魔(サプリカント)達を聖なる光で滅ぼしていく。

 これにより戦女神(ヴァナディース)達に特殊なバフがかかる。

 カルマの低い悪魔を倒したという事、そして一部の魔に落ちた者達を救済した事によって。

 

 嘆願の悪魔(サプリカント)が滅び、レベル50台の悪魔戦軍の悪魔(ウォーデビル)が12体出現する。

 全身鎧(フルプレート)を着用した戦士に相応しい悪魔。その手には地獄の炎たる黒炎が上がるバスターソードが握られている。

 

 通常であればこの後にレベル60台、70台の悪魔が召喚されるのだがモモンガはそれを取り止め、低位の悪魔がより多く召喚される事を選んでいる。故に悪魔像の効果はここで終わりとなる。

 あくまで目的は時間稼ぎと、このコンボだからだ。

 

 生み出された12体の戦軍の悪魔(ウォーデビル)達が反撃する間もなく戦女神(ヴァナディース)により滅ぼされていく。

 しかしこれこそがモモンガの狙いなのだ。

 嘆願の悪魔(サプリカント)を滅ぼし、特殊バフを得た戦女神(ヴァナディース)達。

 それにより本来ならば戦死者の館(ヴァルハラ)へと導かれない悪魔達を救済し導くことが出来るようになる。

 こうして戦軍の悪魔(ウォーデビル)は導かれ、戦死した戦士として扱われる。

 戦死した戦士をその場で再召喚するという戦女神(ヴァナディース)特殊技術(スキル)により、戦軍の悪魔(ウォーデビル)激情の傭兵(オーズハスカール)に姿を変え呼び戻される。

 悪魔としての特徴は残っておらず、地獄の炎たる黒炎が上がっていたバスタードソードからは聖なる炎が燃え上がっている。

 レベル70台というこの場においてはいささか心もとない彼らだがその本領は戦いが始まってから発揮される。それは同名の味方が周囲で死亡する度に能力上昇するというもの。

 最大まで貯まればレベル90の敵とも渡り合える強さにまで跳ね上がる。

 しかも今は戦女神(ヴァナディース)が指揮官として配下たる激情の傭兵(オーズハスカール)へバフがかけられている。

 

 課金アイテムにより製作したアヴァターラ8体、超位魔法により召喚した戦女神(ヴァナディース)6体、そして彼女らの特殊技術(スキル)により降臨した激情の傭兵(オーズハスカール)が12体。

 空中には無数の<爆撃地雷(エクスプロードマイン)>。

 

 万全の状態を期し、モモンガは都市守護者達とぶつかる。

 

 

 

 

 それは激戦だった。

 

 まず最初に全滅したのは8体のアヴァターラ。

 タンクとしての役割を持っていた彼らは都市守護者だけでなく、戦女神(ヴァナディース)激情の傭兵(オーズハスカール)による範囲攻撃に敵もろとも巻き込まれたからだ。

 だがそれで問題ない。

 アヴァターラ達にモモンガが仕込んだ破壊されると爆破するという能力で都市守護者達に確実なダメージを与える事に成功していた。

 

 次に戦いの最前線に立ったのは12体の激情の傭兵(オーズハスカール)

 無数の<爆撃地雷(エクスプロードマイン)>によりダメージを受け、また満足に移動できない都市守護者は激情の傭兵(オーズハスカール)との戦闘で後手に回らざるを得なかった。

 激情の傭兵(オーズハスカール)の半数は早々に撃破されたが、残った半数の戦闘力がレベル80後半にまで上昇し都市守護者達からも無視できない強さになったからだ。

 もちろん後衛として戦女神(ヴァナディース)の支援や魔法があるからこそ激情の傭兵(オーズハスカール)が対等に渡り合えていると言うべきだろう。

 特に熾天使(セラフ)を無力化出来ている点がモモンガからすれば最上の結果だった。

 熾天使(セラフ)の範囲攻撃にモモンガが巻き込まれればそれだけで勝敗が決してしまう。

 アンデッドにとって相性最悪の天使。

 それを同じ聖属性の戦女神(ヴァナディース)が互いの攻撃を打ち消しあう事でモモンガに対しての被害を全く出す事なく事を進める事が出来たのだ。

 故にモモンガはこの状況で動き回り様々なアイテムを駆使し盤上を荒らす事に成功。

 所持しているアイテムを使い切るのではないかという大盤振る舞い。

 あまりの浪費にユグドラシル時代のギルドメンバーが見ていたら泡を吹いて倒れるだろう。

 

 ここまで、ここまでやって初めて万に一つの勝機が見えてきた。

 

「よし、完全に抑え込んでいる…! 今ならば…!」

 

 モモンガが奥の手を切ろうとする。

 これが決まれば確実に勝利できる奥の手だ。

 しかし――

 

 突如、正体の分からなかった都市守護者の1体、光り輝く巨体の光が増した。

 それは太陽のように周囲全てを強く照らす。

 

 何が起きたのか分からなかったモモンガがそれを理解したのは光り輝く巨体の光が消えその正体を現した時だった。

 

「ば、馬鹿な…! な、なぜここに…!? ユグドラシルでも1体しか存在しないユニークモンスター…! NPCで製作出来る筈が…」

 

 その光り輝く巨体が照らした強い光。

 それは<世界樹の陽光(ソール・オブ・ユグドラシル)>。

 

 ユグドラシルというゲームにおいてその特殊技術(スキル)を使用するモンスターは1体しか確認されていない。

 とあるボスと共に出現するのだが、そのモンスターの真髄は強さなどではない。

 

 戦闘において一度しか使用出来ないものの、厄介極まりないその特殊技術(スキル)はネットでも物議を醸した。

 

 味方の完全回復。

 体力だけでなく、魔法や特殊技術(スキル)の使用制限すら回復する事ができ、デバフなどの効果も完全に打ち消す。

 

 簡単に言えば一方的な仕切り直しだ。

 もちろん敵対者にその効果は及ばない為、この効果の異常さが際立つ。

 ただそれがユグドラシル時代に許されたのはボス戦というイベントの演出の一つとして理解されていたからだ。

 この場においてはただただ理不尽としか言えない。

 

「何らかのボーナス特典!? あるいは特殊条件を満たす事で使役する事が!? くそっ、こんなの聞いてないぞワールドチャンピオン共め…! プレイヤーが持っていい戦力じゃないだろう!」

 

 ナザリック地下大墳墓を知る者ならばお前らが言うなと暴言を吐くだろう。

 しかしこの状況においてモモンガにそんな客観性は無い。

 

「全部、ご破算だ…!」

 

 モモンガの嘆きと共に先ほどまで善戦していた激情の傭兵(オーズハスカール)達があっという間に全滅する。

 それもその筈、彼らが善戦出来ていたのは都市守護者達の強力な魔法や特殊技術(スキル)を切らせた後だったからだ。

 レベル100の都市守護者達が万全ならばどれだけバフがかけられていても激情の傭兵(オーズハスカール)などものの敵ではない。

 

 人数差は引っ繰り返り、残った6体の戦女神(ヴァナディース)も徐々に数を減らしていく。

 

 その状況を嘲笑うかのように鶏の鳴き声が聞こえた。

 <世界樹の陽光(ソール・オブ・ユグドラシル)>を発動した光り輝く巨体。

 その正体は一羽の雄鶏だ。

 

 木の蛇(ヴィゾーヴニル)と呼ばれるユグドラシルに1体だけ存在したモンスター。

 世界樹の最も高い枝にとまり、その輝く体で世界樹を照らしているとされる存在。

 

「ここまでか…」

 

 もうモモンガに戦う手段は残されていない。

 元々、<世界樹の陽光(ソール・オブ・ユグドラシル)>が無くとも激情の傭兵(オーズハスカール)戦女神(ヴァナディース)達が全滅するのは時間の問題だった。

 だがそれはモモンガが切り札を切る為の時間稼ぎとヘイト集めに必要な存在であり、もうしばらく生き残っていてもらわなければならなかったのだ。

 

 やがて戦女神(ヴァナディース)も全滅し、モモンガの戦力は0になった。

 

 これからはもう戦いにすらならない。

 即撤退しようとするモモンガだが間に合う筈など無い。

 

「が…はっ…!」

 

 回避する間もなくモモンガに魔法が突き刺さる。

 即死しなかったのは割合ダメージ系の魔法だったからだ。

 シャルティア同様、モモンガもボロ雑巾のように墜落し、大地に伏す。

 

 上空ではモモンガへトドメを刺すべく、追撃の魔法が発動されるのが見えた。

 

「すまない、皆…。シャルティアを、NPC達を守る事が出来なかった…」

 

 深い後悔と無念の中、死を覚悟したモモンガに複数の魔法が浴びせられる。

 跡形も残らず、いや地形ごと消し去る強力な魔法の数々。

 

 それが直撃する刹那――間に何かが飛び込み全てを受け止めた。

 

 何が起きたか分からないモモンガは顔を上げ、驚愕する。

 木の蛇(ヴィゾーヴニル)というユニークモンスターの存在など比較にもならないほどの衝撃。

 

 モモンガの眼前。

 そこには威風堂々、てかてかと光るピンク色の肉棒がそそり立っていた。

 

 

 

 

 あり得ない。

 

 そうとしか言えない。

 ここにいる筈が無い。

 

 彼女は仕事があり当日はイン出来なかった筈なのだ。

 だからどう間違ってもここにいる筈が無い。

 

 モモンガのその葛藤が正しい事はすぐに証明された。

 

 てかてかと光るピンク色の肉棒は一瞬にして、巨躯の侍へと姿を変える。

 どこから出したのか、手には「建御雷八式」。

 ナザリック全体でも屈指の神器級(ゴッズ)アイテムの一つ。

 

 「建御雷八式」を手にした巨躯の侍が宙へ飛び、追撃の魔法を発動しようとしていた熾天使(セラフ)を切り伏せる。

 だが敵陣の中へ突っ込む形となった巨躯の侍は都市守護者達に囲まれ、絶体絶命。

 そう思われた次の瞬間――今度は忍者へとその姿を変化させた。

 

 手には巨大な忍刀「素戔嗚(スサノオ)」。

 都市守護者達の攻撃を素早く搔い潜り、伽楼羅(ガルーダ)の背後へ回りその首筋を斬る。もし隠密ボーナスが加わっていればこの一撃だけで致命傷となり得ただろう。

 

 忍者は再び別の姿に変化し暴れ回る。

 そのいずれの姿もモモンガには見覚えのある者だった。

 

 忘れる筈が無い。

 モモンガの最も大切で、最も焦がれた存在。

 それが再びモモンガの眼前にいるのだ。

 

 それが何者なのかモモンガにはすぐ分かった。

 こんな芸当が出来るのはたった一人しかいない。

 モモンガが最もよく知る存在。

 

「パ、黒歴史(パンドラズ・アクター)…!?」

 

 大きな腕を持つ半魔巨人(ネフィリム)へと姿を変えたパンドラズ・アクターの手には「女教師怒りの鉄拳」。

 特殊技術(スキル)により、ダメージを下げる代わりに周囲全体への吹き飛ばし効果を得た「女教師怒りの鉄拳」による一撃を振り下ろし、強制的に都市守護者達全員を吹き飛ばす。

 

 その先へ彼方から都市守護者達目掛け、光り輝く流星が降り注ぐ。

 

 回避不能な完全必中の攻撃。

 

 その攻撃の主が遠くで、再び流星を放つ。

 それは太陽の輝きを宿した光の矢。

 

 ゲイ・ボウによる攻撃だ。

 

 それを持つのは鳥人(バードマン)

 空中戦において無類の強さを発揮する空の王。

 

 パンドラズ・アクターが変化した姿ではない。

 パンドラズ・アクターはモモンガの目の前で未だ戦い続けている。

 

 モモンガは目の前の光景を信じる事が出来ない。

 ()がこの世界にいる筈が無い。

 なぜならあの日にログインしていたのは自分だけなのだから。

 

――来てくれるって言ったのに時間になっても来ないし…!――

 

 最終日にナザリックの円卓の間で彼に向ってモモンガが叫んだ恨み節だ。

 だがそうではなかった。

 ここにいるという事は、来ていたのだ。

 

 約束は違えていなかった。

 モモンガにとっては数か月振り、しかし彼にとっては数百年振りの口約束。

 

 この時を持って無事それは履行された。

 

 モモンガへと<伝言(メッセージ)>が繋げられる。

 そこから聞こえるのは懐かしい声。

 もし瞳があればモモンガはどれだけの涙を流しただろうか。

 頬の肉があれば夢かどうか確認する為につねったかもしれない。

 

『うわ、瀕死じゃないですか、間に合って良かった』

 

「き、来てくれたんですか…、本当に…?」

 

 アンデッドの身でありながらモモンガの声が感動でうわずる。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの中で最もモモンガが親しくしていた人物の一人。

 

「当たり前でしょう。知ってますかモモンガさん?」

 

 彼は嘆息し、やれやれといった様子で言葉を紡ぐ。

 

「約束は、ロリの次に重いんですよ」

 

 空の王にして支配者、爆撃の翼王。

 

 またの名を、エロゲーマスター。

 

 その背後では『降臨』という文字のクソダサエフェクトが揺れていた。

 

 

 

 

 ユグドラシル最終日。

 

 現実世界(リアル)においてエロゲーマスターことペロロンチーノは全力で走っていた。

 とある用事が長引いてしまった為、帰宅するのが遅れユグドラシルにログインするのが大幅に遅れていた為だ。

 

「はぁっ、はぁっ…! モモンガさん怒ってるかな…。でもしょうがないんだ! 声優の握手会イベントに参加しないなんてあり得ない…! 生でエロ声を聞ける機会を逃すなんて俺には出来ないんだっ!!」

 

 実はイベント自体は時間通りに終わっていたのだがテンションの上がったペロロンチーノはエロゲーの店舗巡りを始めてしまったのだ。

 今の時代においてはパッケージ版などただのコレクションでしかないがそれこそペロロンチーノが求めているものなのだ。

 当然、店舗巡りなど後日でも全く問題ない。

 ただ気持ちの問題である。

 

 気が済み満足した後、ペロロンチーノはただ走る。ひたすら走る。

 もちろん疲れたら座って休憩し、エロゲーのパッケージを取り出し眺める。

 

 そうして帰宅しユグドラシルを起動した時にはもう残り時間は僅かだった。

 かつて引退する際にキャラを削除していた事を失念していたペロロンチーノはキャラ作成から始めなければいけない事に驚き、慌てて即席でキャラを作る事になる。

 キャラを削除している為、ナザリックに飛ぶ事は出来ないがゲームにログインしたらモモンガへ直接メッセージを送り通話すればいいと考えていたのだがそれは叶わなかった。

 

 キャラを作成するという段階で、なぜか適当な物を作る気になれずせっかくだから可愛い女の子を作ろう!なんて考えてしまったのが運の尽きであろう。

 

 色々弄った挙句、即席では可愛い子が作れないと理解したペロロンチーノはかつて仲間にデザインしてもらったシャルティアの事を思い出す。

 外見データとして送ってもらった外部データがあったのだ。

 パソコンの中を片っ端から探し、その外見データを見つける。

 それをユグドラシルに取り込みロードした時にはもう残り時間が数十分という段階だった。

 

 なんとかロードに成功しキャラ作成を終え、ユグドラシルの世界へと飛び込む。

 

 このまますぐにモモンガに連絡すれば会話くらい出来たかもしれない。

 

 しかしペロロンチーノがログインした初期スタート地点、そこでは『どこまで合法なのか!? ギリギリを攻めるぞエロエロ選手権!』というイベントが催されておりその賞品として世界級(ワールド)アイテムが提示されていた。

 

 嘘みたいな、馬鹿みたいな状況だがゲームの最終日となればこんな事もあるのだろう。

 世界級(ワールド)アイテムなどどうでもよかったがエロイベントとなればペロロンチーノが動かない訳にはいかなかった。

 

 この真実を知られたらモモンガさんに殺されるかもしれない――そんな懸念を抱きながらもペロロンチーノはユグドラシルのギリギリを攻める事を決めた。

 

 サービス終了日なのだから18禁行為をしてもBANされないだろうと思うかもしれないが流石に違法行為には滅法厳しい。

 当然このイベントに参加していた者達の多くはすでにBANされ強制ログアウトさせられていた。

 

 残り時間僅か。

 新たな挑戦者の登場にギャラリーが湧く。

 

 合法か、BANか。

 

 通常時では決して生まれないこの退廃的な空気の中、ペロロンチーノは伝説となった。

 

 ギャラリーの誰もが舌を巻き脱帽する、満場一致のドエロを見せつけたのだ。

 この時の様子は後世まで語り継がれる事となる。

 

 エロの概念が一歩前に進んだ、その歴史的瞬間だったのだから。

 

 

 

 

「あんなに急いだのに間に合わなかった…!」

 

 シャルティアに瓜二つの美少女となったペロロンチーノは転移した世界で頭を抱えていた。

 どうして、なぜ、そんな思いがペロロンチーノの中を駆け巡る。

 どこで間違えたのか、何がいけなかったのだろうか。

 ペロロンチーノには答えが出せない。

 

 そんな思いを転移先で友人となった竜帝と呼ばれるドラゴンに愚痴った時もあったが、終ぞ理解されなかった。

 

 その後、永い時を経て、また数々のプレイヤーとの出会いにより、ペロロンチーノは自分の身に何が起きたのか大まかに理解する事になった。

 なぜゲームのアバターや拠点等がそのまま転移する事になったのか、なぜ百年単位でプレイヤーが訪れるのか、いくつかの仮説には辿り着いたものの所詮は仮説。証明する手段も無ければ、真実に辿り着く事も出来ない。

 

 やがてペロロンチーノは不安に駆られる。

 

 モモンガに会うためにユグドラシルへとログインした後に謎の異世界転移に巻き込まれた。

 現実世界(リアル)がどうなったかは分からない。

 帰る方法も分からない。

 しかしこんな突飛な状況であるからか不思議と家族の事は諦めがついていた。

 現実世界(リアル)の自分はどうなっているのか、もし死んでいたら申し訳ないな、程度には思っていた。だがそんな軽い気持ちで済んだのはペロロンチーノの中に生まれたある仮説の為だ。

 

 この世界は本当に現実なのか。

 そもそもゲーム内のアバターに魂が宿るなんて事があるのか。

 もしかすると現実世界の自分は生きていて、自分の魂というかそういった物がデータ化され複製されたものなのではないかと考えていたからだ。

 むしろその可能性の方が高いとすら考えていた。

 

 魂がゲーム内のアバターに宿り、アバターごと異世界に転移するなど現実離れしすぎている。

 

 そんな思考に陥った時に思い出されるのはモモンガの存在だ。

 かつての大親友であり、共にユグドラシルでの時間を過ごした仲間。

 そんなモモンガとならこの気持ちも共有できるだろうし、前に進めるかもしれない。

 いつからかモモンガの存在だけがペロロンチーノの心の支えになっていた。

 

 永い時の経過、数多のプレイヤー達との出会い、その末路。

 ペロロンチーノの精神は擦り減り、いつ狂ってもおかしくない程に摩耗していた。

 

 精神が壊れずに済んだのはモモンガの存在があったからだ。

 ペロロンチーノ同様、ユグドラシルの最終日にログインしていたであろうモモンガ。

 これまで出会ったプレイヤーのように、サービス終了までログインしていたならば転移してくる可能性は非常に高い。

 

 彼と出会えればこれまでの時間も何もかもが報われる気がした。

 だがそれと同時にどうしようもない恐怖にも襲われた。

 

 もし、モモンガが転移して来なかったら?

 

 何十年も、何百年も待った。

 しかし未だモモンガは来ない。

 ナザリック地下大墳墓が転移してくる様子も無い。

 

 自分の仮説は間違っていたのではないか。

 初めからモモンガが転移して来ない事は決まっていたのではないか。

 そんな想像に心が圧し潰されそうになる。

 

 そうしてペロロンチーノは眠る事に決めた。

 現実逃避だ。

 

 後の世で海上都市と呼ばれる拠点の最奥で眠りについた。

 寝ている瞬間だけが幸せだった。

 その間だけは、あらゆる苦悩から解放されるから。

 

 後にペロロンチーノの知識を求めた者達に何度か起こされる事があったがいずれもモモンガらしき情報を得られる事は無かった。

 

 そうして最後に目覚めたのはリグリットと名乗る老婆が訪れた時だった。

 その時に竜帝の本当の死を理解し、希望が絶たれた事を知った。

 ペロロンチーノの仮説通りならば今後もう誰かが転移してくる事は無い。

 今回モモンガが来ていなければ、希望が潰える。

 

 夢の時間が終わり、絶望が訪れる。

 だがそれでも全てを受け止め、腹を括り、ペロロンチーノは歩み始める事を決めた。

 

 エロゲーマスターにして変態紳士ペロロンチーノ。

 彼の存在はこの世界にとって劇薬だ。

 

 ユグドラシルの最後に伝説を残したように――

 

 彼の思想は、きっとこの世界を揺るがす。

 

 

 

 

 都市守護者とシャルティアが戦闘を始める数刻前。

 ナザリック地下大墳墓。

 

 突然の侵入者にオーレオールは戦力を集め迎え撃とうと準備を始める。

 

 魔法で視界を飛ばし侵入者の姿を確認したオーレオールは瞠目した。

 そこにいた侵入者はシャルティアと瓜二つだったからだ。

 

 正確に言うならば瓜二つというのは語弊があるかもしれない。

 なぜならシャルティアのような真紅の瞳ではなく、牙も無い。

 吸血鬼(ヴァンパイア)の特徴が何一つない人間となったシャルティア、そう形容するべき外見だったからだ。

 

 ただ驚きはしたものの、オーレオールの行動に変化は無い。

 外見を変えるモンスターなどいくらでもいる。

 何よりその体から発せられるオーラにはナザリックの気配など欠片も感じない。

 

 そうオーレオールが判断したのは、その侵入者がアイテムを発動する直前までだった。

 そのアイテムが発動した直後、全てが変わった。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓の存在にペロロンチーノは狂喜した。

 

 歓喜の極みまで昂った感情を抑え込み、ナザリックの中へと入っていく。

 しかしすぐに異常に気付いた。

 拠点内に配置されている筈のNPCがいない。

 

 まだ入り口付近だが、それでもおかしい。

 もぬけの殻といった状況だけでなく、罠やギミックすら発動しない。

 

 ここで最悪の状況に考えが至る。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 どう転がってもペロロンチーノにとっては地獄。

 もはや手遅れ。

 

 発狂しそうな精神を辛うじて保ったのは怒りだ。

 

 自分から希望を奪った何者かに復讐する、それだけが心を支配した時、世界級(ワールド)アイテムの存在を思い出した。

 今現在の非力なアバターではなく、かつて削除してしまったアバター。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの一人としての肉体だ。

 

 取り戻す事が可能かどうか分からない。

 ただそれに賭けるしか手段は残されていない。

 

 『二十』と呼ばれた世界級(ワールド)アイテムに願いを込め、叫ぶ。

 

 削除してしまった、消えてしまった筈の、元に戻る筈の無いアバター。

 

 特に転移した世界においては、存在すらしなかった異世界の遺物。

 

 どういう法則によりそれが可能だったのか。

 

 ペロロンチーノの願いは聞き入れられ、再び鳥人(バードマン)としての体を取り戻した。

 

 

 

 

 侵入者を撃退しようと準備していたオーレオール、いや彼女だけではない。

 ナザリックにいる全ての者達が、主の一人の帰還をその気配で察知した。

 

 それを理解した瞬間、全ての者が例えようのない感動に包まれた。

 

 準備など投げ出しすぐに配下の者を至高の御方へと向かわせるオーレオール。

 自らは警備上の問題でこの場を離れる事が出来ないがそうでなければ自分も今すぐ馳せ参じたい程だった。

 

 そうしてナザリック地下大墳墓はペロロンチーノの指揮下へと入った。

 

 

 

 

 オーレオールから状況を聞いたペロロンチーノは宝物庫を訪れていた。

 モモンガがこの世界に転移しているという情報に歓喜したものの、現在モモンガは生死不明となっており、守護者達は配下を連れて捜索及び敵対者との全面戦争にあるという。

 自分もすぐに準備を整え向かわなければならない。

 

 幸い、円卓の間の各席の前にそれぞれリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンが置かれていた。

 まるで誰がいつ帰ってきても良いようにと。

 

 それにより宝物庫を開け、装備を整える事が出来る。

 かつてのアバターを取り戻したとはいえ所持品は皆無。

 宝物庫で装備を整えねば戦いに出るのは自殺行為といえよう。

 その宝物庫にはペロロンチーノの装備一式がそのまま残されていた。

 売ってもいいと言ったのに律儀に取っておいていてくれたらしい。

 

 装備を整えると共に、宝物庫の領域守護者であるパンドラズ・アクターの協力を得る事になった。

 

 どうやら話を聞く所によるとパンドラズ・アクターの元には誰からの連絡も無く、現在の非常事態を何も知らなかったらしい。モモンガが黒歴史だと宝物庫に押し込んだのが原因なのだろうか。オーレオールでさえ名前しか知らずどういった存在かまでは認知していなかった。

 いずれにせよモモンガを助けにいくという状況でパンドラズ・アクターは迷いなく手を挙げた。

 宝物庫を守護せよという創造主の命令に背いてでも行動するべきだと判断したのだ。

 

 動かせるまともな戦力が残っていない状況でパンドラズ・アクターの存在はペロロンチーノにとってありがたかった。

 流石にペロロンチーノと言えども単身は色々と厳しそうだったからだ。

 しかしパンドラズ・アクターがいればかなり選択肢が増える。

 何より、シャルティアを除けばペロロンチーノが最も詳しいNPCはパンドラズ・アクターなのだ。モモンガ程ではないにしろ、その力を十分に引き出せる。

 

 装備を整え、いくつものアイテムを持ち宝物庫を後にし、何か有用なアイテムが自らの部屋に残されていないか確認する為にギルドメンバーの部屋がある階層、その廊下を歩いていく。

 

 ウルベルトの部屋の前を通った際、ふとペロロンチーノの脳裏にかつての記憶が蘇る。

 以前ウルベルトが書いていた小説の記憶だ。

 嫌がるウルベルトに無理を言って見せてもらったのだ。

 その内容を思い出していくと、とある違和感に気づく。

 それは一体なんだろうか。

 何か今の状況と無関係とは思えない、不思議な感覚。

 記憶を辿る毎に、まるで線と線が繋がっていくような――

 

 思わずウルベルトの部屋へと飛び込み、その小説を探す。

 すぐにそれは見つかった。

 意外に面白かった為、内容は大体覚えていた。

 それを再確認するように目を走らせページを捲り読み進めていく。

 流し読みに近い状態ではあるが内容はほぼ把握出来た。

 

 深い熟考の末、ペロロンチーノは思わぬ閃きを得る。

 

 これは、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()、と。

 

 もちろん地名や組織などの名称は一致しない。

 時代背景や設定も違う。

 だがしかし、もしこの小説を現実に当てはめて考えるのなら、現状の不可解な謎がいくつか解けてしまう。それと同時にペロロンチーノの仮説の穴が補完され、また間違っていた点も導き出される。

 

 想像だに出来ない、恐ろしい結末。

 

「ま、まさか…、やったのかウルベルトさん…!」

 

 この小説が本当に計画書だったなら、ペロロンチーノやモモンガ、彼らの敵はプレイヤーや天空城のNPCなどそんな生易しいものではない。

 もっと大きな――

 

 

 

 

 ユグドラシルのサービス終了日。

 

 それは歴史上、最も世界を変えた事件と言っても過言ではない。

 

 現実世界(リアル)において世界は二分されている。

 俗に富裕層と呼ばれる、巨大複合企業に属する者たちが住む完全環境都市のアーコロジー。

 その周囲を貧困層の住む無数の街が取り巻き都市を構成している。

 アーコロジーの内と外は完全に遮断されており、アーコロジー内に異分子が入り込む事は無い。

 富裕層を狙うようなテロでもアーコロジーの入り口が関の山であり、富裕層からすれば遠い世界の話に過ぎないものであった。

 それが終わるのは今日、この日なのだ。

 

 アーコロジーの最上階の開けた場所から窓越しに外を眺める人物がいた。

 ただ冷たい目で眼下の世界を、広がる貧困層の都市を見下ろしている。

 ユグドラシルにおいてウルベルトと名乗っていた男だ。

 本来ならば彼はアーコロジー内の住人ではない。

 貧困層の人間である彼がこの場にいる筈がないのだ。

 

「ここまでだ」

 

 ウルベルトの後ろから声がした。

 警官が一人、銃を構えたままゆっくりと姿を現す。

 

「すぐに投降しろ、今投降すれば命だけは助けられるかもしれない。すでに応援がここへ駆けつけてきている。彼らが到着してからでは遅いぞ」

 

 それは慈悲か、あるいは知り合いの死を見たくないという逃避からなのか。

 

「相変わらずだな、そんな脅し文句が通用しない事ぐらいわかるだろ?」

 

 ウルベルトは心底呆れたといった様子で警官へ吐き捨てるように言う。

 

「投降しないならば、撃つ…! お前達の計画はここまでだ…!」

 

 警官がゆっくりと引き金に指をかける。

 決して脅しではない、そう思わせる迫力がそこにはあった。

 

「ベルリバーさんが殺された」

 

 本名ではなく、ユグドラシル時代のゲーム内のキャラでの名前をウルベルトが口にする。

 それは目の前の警官に向けての、かつて仲間だった者へ仲間の死を突き付ける為にそうしたのか。

 

「あれは…、事故死だったと聞いている…」

 

 苦し気な表情で警官が呟く。

 その言葉に、イラだちを隠さない強い口調でウルベルトが反論する。

 

「本当にそう思っているのか? あれが事故だと? 腐っても警官だ、お前でも察しくらいはつくだろ?」

 

 ベルリバー。

 ギルド:アインズ・ウール・ゴウンの一人であり、現実世界(リアル)ではウルベルトの同志だった男だ。

 彼は巨大複合企業の不味い情報を入手した事で、口封じのため殺害された。彼の死は事故死として処理されたが、その情報はウルベルトの手に渡っている。

 この情報こそがウルベルトにこの計画を決断させた要因だ。

 その吐き気を催す事実に、ウルベルトは狂おしい程の怒りを抱いた。

 本心から思う。

 この世には生きていてはいけない者達がいるのだと。

 そして、決行の日は今日この日でなくてはならない。

 

「アーコロジー内は万全の警備体制が敷かれている…! テロなど無意味だ…! ただ命を失うだけで終わる…、まだ遅くない。考え直してくれ…!」

 

 警官が必死にウルベルトを説得する。

 だがどんな言葉もウルベルトには届かない。

 

「俺達にまだ奴隷を続けろというのか? とんだ悪党だよ、お前は」

 

「そ、そんなつもりは…!」

 

「世界がそうだから、そう決まっているから、覆す事なんて出来ないから。そう信じ、都合よく解釈し、仕方ない事だと諦めろって言うんだろ? その方が幸せだって。それがどんなに非道な事かも知らずに…!」

 

 歯を噛みしめ、唇の端から血を流しながらウルベルトが鬼の形相を浮かべる。

 

「もう十分だ、もう十分なんだよ…。何年も、何十年も、()()()()()()()()()()()()()()()()()()…! 仲間にも、誰にも、もうそんな事はさせない…!」

 

「な、何を言って…」

 

 警官がウルベルトの発言に疑問を呈すが答えが返ってくる事はない。

 

「見ておけ、今日が文明最後の日だ」

 

 ウルベルトがそう口にした瞬間、眼下に広がるアーコロジー周囲の都市で巨大な爆発が巻き起こる。

 それは貧困層にある工場地帯を中心としたものだろうか。

 いくつもの爆発が巻き起こると同時に、難攻不落である筈のアーコロジー内が急激な停電に見舞われる。

 暗闇に染まった建物内を電流、目で見えるほどの稲妻がいくつも駆け巡る。

 それにより建物内の窓が割れ、壁が崩れ、水道管が破裂する。

 災害時に動く筈のセキュリティが何も発動しない。

 一目で分かる前代未聞の異常事態。

 

「な、何をした! すぐに止めさせろ! でないと…!」

 

 警官が叫び、ウルベルトへ銃を突きつける。

 だがそんな事など気にも留めず、眼下を見下ろしウルベルトが呟く。

 

「支配層は、皆殺し」

 

 ウルベルトがそう口にした瞬間、警官が銃を発砲し、弾丸がウルベルトの体を突き抜ける。

 身体から血を流し、口から血を零しながらウルベルトが倒れた。

 

「うぅっ…、す、すまない…。俺は家族を…、妻と子供を守らなければいけないんだ…」

 

 警官が泣きそうな声を上げる。

 意識が遠のきつつある中、そんな警官を見ながらウルベルトが笑う。

 

「俺を殺しても、何も止まらない…、ここへ来たのは単に眺めが良いからだ…。アーコロジーなんて、富裕層なんて俺達にとってはどうでもいい…。目的、諸悪の根源…。計画は、達成された…」

 

 ゴフッと血を吐き出すウルベルト。

 眼下の爆発があった地域の地盤が崩れ、巨大な地下施設が顔を覗かせる。

 貧困層が住む土地になど存在する筈がない、不釣り合いな地下空間。

 それを見たウルベルトは満足げに笑い、警官へと向きなおる。

 

「文明、消えた後、大変だぞ…。せいぜい家族と、仲良く、な…」

 

 それがウルベルトの最後の言葉だった。

 かつての仲間であり、犬猿の仲。

 それでも、友と呼べる者への心からの手向け。

 

 ウルベルトは非支配層の人間には手を出さない。

 その中には富裕層と呼ばれる者達も含まれていた。

 

 いつだって世界は嘘で塗り固められている。

 

 富裕層と貧困層。

 

 世界がそんな単純であったならもっと楽だったろう。

 

 そんな対立構造こそが、真実から目を背けさせる都合の良いプロパガンダだ。

 

 だがウルベルトは辿り着いた。

 

 ベルリバー、ばりあぶる・たりすまん、るし★ふぁーと共にかつて掲げた冗談、夢。大仰に言うならば約束。

 

――いつか世界の一つぐらい征服しようぜ――

 

 結局、ゲーム内でそれが叶う事は無かった。

 

 何の因果かそれが時を経て、現実の世界で限りなく近い所までいった。

 

 征服と言えば語弊があるが、それに匹敵する偉業であろう。

 

 自分達は、虐げられた人々は、その手に尊厳を取り戻す事が出来るのだ。

 

 

 それがほんの少しだけ、ウルベルトには誇らしかった。

 

 

 

 

 その日、世界中で起きた同時多発テロによりあらゆる文明が滅びた。

 

 倒壊こそしなかったものの、全てのアーコロジーはあらゆる機能が破壊され停止し、アクセスは勿論、修復さえ不可能になってしまったからだ。

 そしてなぜかこの時に、システムに精通している技術者が存在しない事が露呈した。

 あまりにも高度ゆえ、解読できる者すら皆無。

 全ての電子系統が死に、携帯機すら電流サージの余波で破壊され電気製品は一つも残っていない。

 

 今まで誰がこのアーコロジーを運営しコントロールしていたのか。

 全ては謎に包まれたまま、多くの技術と科学がロストテクノロジーとして人類から失われた。

 

 結果、富裕層も貧困層も関係無く、その全てが露頭に迷う事になる。

 世界は急激な変化に伴い、極端な食料危機に陥った。

 人々は争い、アーコロジーの残骸を取り合い、数を減らし、あらゆる物が破壊され、中世以下の文明にまで人類は退化した。

 

 そんな状況を経ても、やがて人々は再び身を寄せ合い、新たな国を建設し、新たな法を敷く。

 

 気づけば環境汚染が酷かった筈の世界は嘘のように色を取り戻していた。

 廃墟の中に身を隠したり、防毒マスクを用いなくても生きていける程度には。

 

 世界の文明が滅びた日。

 

 時間の経過と共に、それは神話となり後世に伝わる。

 いつしか人々はそれを「審判の日」と呼んだ。

 

 

 審判を下した者の名は―― 

 

 




お久しぶりです

やっと役者が出揃ってきましたが、ちょっと現実のほうはSF感が強くなってきてしまいました
オバロ感が薄くなっているかもしれませんが異世界転移とちゃんと関係のある話なので生暖かい目で見て頂ければなと思います

PS オバロ新刊がついに来月発売されますね、万歳!


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最後の二人

今回は早めに投稿出来て少し嬉しいです


 それは爆撃と呼ぶに相応しいものだった。

 

 数多の流星に都市守護者達が貫かれ、彼らが怯んだ直後、間髪入れず無数の弾丸が飛来した。

 回避する隙間など無い、一瞬空が黒く染まったのでないかと錯覚する程の物量。

 まるで超広範囲ショットガンのようなそれらが都市守護者達に降り注いだ。

 着弾した弾丸は爆発し、周囲の弾丸へ誘爆し爆発を広げていく。

 あっという間に都市守護者達は連続する幾重もの爆発に見舞われる事になる。

 突然のダメージと爆発により都市守護者達の何体かは飛行状態を維持できず、揺ら揺らと高度が下がっていく。

 

「ふはははは! 面白いように落ちる、トンボとりでもしているようだぞ!」

 

 何かの台詞なのだろう。

 悪い顔をしたペロロンチーノがその異形の顔をニヤリと歪める。

 

 弓に特化したキャラメイクをしており、最長2kmという超遠距離狙撃を可能とするペロロンチーノ。

 閉所での戦闘においてはその能力が半減する等、極端な得手不得手が存在するが、だからこそ現在のような開けた場所、こと空中戦においては無類の強さを発揮する。

 もし今の状況と同条件ならばギルドメンバーの誰と戦ったとしても、ペロロンチーノは負けないだろう。

 それは最強のワールドチャンピオンとて例外ではない。

 

「オーレオール! 次のバフを!」

 

 ゲイ・ボウを引き絞ったままペロロンチーノが吠える。

 

『は、はい! かしこまりました!』

 

 <伝言(メッセージ)>の魔法が繋がっているオーレオールがその言葉を受け、即座に新たな強化魔法をかける。

 だが肝心のオーレオールはナザリック地下大墳墓、第八階層の桜花聖域にいる。

 ならばなぜこんな離れた場所にいるペロロンチーノへ強化魔法をかける事が可能なのか。

 

 これは単独で行動する際に補正がかかる狙撃手(スナイパー)としての特殊技術(スキル)の一つ。

 味方がその座標を認識できれば距離を無視して魔法効果を受ける事が可能というもの。

 

 今ペロロンチーノの背後からオーレオールが<千里眼(クレアボヤンス)>でその全てを視認している。さらには<水晶の画面(クリスタル・モニター)>も使用し配下のシモベたちとも視界を共有していた。

 現在モモンガによる探知阻害の数々において、このエリュエンティウ周辺はあらゆる魔法的な探知が不可能になっている。

 しかしペロロンチーノは装備とアイテムで、自身へのあらゆる阻害効果を完全に遮断している。

 故にペロロンチーノを通じてという状況下においてのみだが、オーレオールはモモンガによる阻害効果を無視して視界を飛ばす事が可能になる。

 これによりペロロンチーノの位置を視認し、バフをかけているのだ。

 

「あぁっ!?」

 

 しかし不意にペロロンチーノの間抜けな声が響く。

 

「パ、パンドラズアクターが敵の攻撃を喰らった! ま、まずい、そのままボコられてる! ボコられまくってる! いくら俺の援護があるとはいえ8体の中に単独で突っ込ませたのは流石に無茶だったか…」

 

 反省するようにポリポリと頬をかくペロロンチーノ。

 遠くまで見通す鳥の目を持つ彼には、離れていてもその様子がしっかりと確認できた。

 何よりペロロンチーノと違ってパンドラズ・アクターはオーレオールの支援を受けられていない。

 かなりの無茶ぶりというやつである。

 

 一度被弾したパンドラズ・アクターはそのまま防戦一方となり、最初の無双など嘘のように見るも無残な状態となっている。

 全身を丸め防御態勢をとってはいるものの、もはやリンチと言っても過言ではない。

 

「仕方ない、距離を詰める! パンドラズアクターが射程内に入ったら回復と強化を!」

 

『かしこまりました!』

 

 オーレオールに合図をした後、翼を羽ばたかせ高速でペロロンチーノが距離を詰める。

 この間にもゲイ・ボウから幾度も光の矢が放たれる。

 

 都市守護者達との距離が縮まり、ヘイトがペロロンチーノへと向く。

 

 まず黒嵐雲(ケライノー)大霊鳥(シームルグ)、その二体が弓を射った直後のペロロンチーノの隙を見計らい襲い掛かる。しかし――

 

「来てくれて嬉しいよ。遠距離キャラには接近戦が定石だもんな」

 

 いつの間にかペロロンチーノの手にはゲイ・ボウではなく、小型のショートボウが握られていた。

 

「だがPVPでそんな正面切って距離を詰める馬鹿はいないぞ」

 

 小型のショートボウから小さな矢が連続で放たれる。

 威力は限りなく低いが、その連射性及び状態異常効果付与が目的の攻撃だ。

 

「ギィッ! ガァアアア!」

 

 黒嵐雲(ケライノー)大霊鳥(シームルグ)の動きが止まり、苦悶の声を上げた。

 一瞬にして体中に無数の矢が突き刺さりサボテンのような状態になっている。

 

 元々、弓は飛行タイプに特攻を持つ。

 ダメージにボーナスがかかるものや、被弾直後わずかな時間であるが行動に阻害がかかるものなど。

 それに加えこのショートボウ本体による状態異常効果も重なる。

 プレイヤーでも装備やアイテムにより対策をしなければ完全には防げない。

 とはいえ仮に対策したとしても、結果的に別の弱点ができてしまうのだが。

 

「喰らえ、<魔法最強化(マキシマイズマジック)核爆発(ニュークリアブラスト)>!」

 

 ペロロンチーノの目前。

 黒嵐雲(ケライノー)大霊鳥(シームルグ)との間に閃光が膨れ上がり、一気に全てを飲み込んでいく。

 その様子を見ていたオーレオールが驚愕の表情を浮かべるのは当然だろう。

 ペロロンチーノもその爆発に巻き込まれたのだから。

 

 第九位階魔法に属する<核爆発(ニュークリアブラスト)>は攻撃魔法として見ると微妙だ。

 炎と殴打の複合ダメージである為、どうしても単独属性の魔法には後れを取る。

 だが当然ペロロンチーノが選択したのには理由がある。

 効果範囲が広い、複数のバッドステータスを付与するなど様々な効果はあるものの、本命はそれではない。

 強いノックバック効果を持つ、その為だ。

 

(モモンガさんなら別の使い方をするんだろうけどな…)

 

 爆風に巻き込まれ、真下に吹き飛ぶ黒嵐雲(ケライノー)大霊鳥(シームルグ)とは逆方向、つまり上空へとペロロンチーノが大きく吹き飛ばされる。

 被弾の瞬間、ガードする方向をズラす事でそれを可能にした。

 

 弓に関わらず、遠距離攻撃を持つ者にとっていかに敵の頭上を取るかというのは至上命題だ。

 高い場所を維持できればそれだけで有利になるのだから。

 ゆえに当然、どんな者も上を取られないように行動する。

 単純とはいえAIもそれを阻止しようと動くルーチンが組まれている。

 

 だからなのだ。

 だからこそこれが有効なのだ。

 

 真っ当に上空へ飛ぶのでなく、攻撃の余波として吹き飛ぶ。

 そうすればAIはそれを高度を上げるアクションだと認識出来ない。

 つまり、ダメージと引き換えに簡単に頭上を取る事が出来る。

 

 <核爆発(ニュークリアブラスト)>の吹き飛ばしにより、上方へ吹き飛び、都市守護者達の頭上を取る事に成功したペロロンチーノ。

 そのまま一気に飛翔しさらに高度を取る。

 同時にペロロンチーノの手元が激しく光輝いていた。

 それが攻撃行為だと都市守護者達が認識した時にはもう遅い。

 すでに特殊技術(スキル)は発動している。

 

 <流星群(メテオラシャワー)> 

 

 1日に1回しか使えない特殊技術(スキル)の一つ。

 使用条件も厳しく、神器級(ゴッズ)以上の弓を装備している状態で敵の遥か上空に位置していなければならない。

 ゲイ・ボウから細かく別たれた無数の、本当に数えきれない量へ散った光の矢が放たれる。

 地上からそれを見ればまさに流星群。

 空全体を無数の光の筋が覆っているように見えるだろう。

 闇夜すら明るく照らす無常の光。

 

 それが雨となり、地上へ降り注ぐ。

 

 かつてナザリックのレイドボスが使用した<土星の大流星>という特殊技術(スキル)がある。

 宇宙から無数の流星がフィールド全体に落ちてくるという凶悪なもの。

 

 それと比べると<流星群(メテオラシャワー)>は酷く矮小だ。

 ダメージも高レベル相手ならさほど問題にならず、範囲も広いとはいえフィールド全体に降り注ぐという馬鹿みたいな性能はしていない。

 だがそれでも、一点だけ大きく勝っている所がある。

 長い効果時間による足止め効果だ。

 

「暴れろ、パンドラズアクター!」

 

 オーレオールからの回復を受けたパンドラズ・アクターが、ペロロンチーノの指示の下、巨大な獣の姿へと変わる。

 それは「獣王メコン川」の姿。フィジカルだけならばギルドメンバーの中でも上位に位置する。

 パンドラズ・アクターは獣に相応しい荒々しい咆哮と共に、降り注ぐ<流星群(メテオラシャワー)>を掻い潜り、都市守護者達へと襲い掛かる。

 パンドラズ・アクターは事前にペロロンチーノから「星の守り」という装備を持たされていた。

 これにより、ダメージは無効化できないものの<流星群(メテオラシャワー)>の持つ足止め効果を限りなく0にする事が出来る。

 

 <流星群(メテオラシャワー)>をその身に受けながらも自由自在に暴れ回るパンドラズ・アクターを都市守護者達は止める事が出来ない。

 <流星群(メテオラシャワー)>は未だ彼らの頭上から降り注いでいる。

 そのため都市守護者達は飛行状態を維持できず、大地に縛り付けられる事になる。

 そんな状態にありながら地上の王たる猛獣と化したパンドラズ・アクターの攻撃を捌くのは至難の業だ。

 

 今度はペロロンチーノが上空から恐ろしい速度で地上へと滑空する。

 <流星群(メテオラシャワー)>から放たれる無数の光を身体能力と特殊技術(スキル)で優雅に回避しながら。

 

 地上に激突するのでないか、そう思わせる勢いで飛来したペロロンチーノは地上スレスレでU字を描き、再び上空へと飛翔する。

 その際に、飛来したペロロンチーノの鉤爪で熾天使(セラフ)の体が引き裂かれていた。

 再びペロロンチーノが他の都市守護者目掛けて地上へと滑空してくる。

 もはや一方的な展開と化したこの状況。

 

 地上には暴れ回るパンドラズ・アクター、上空からはペロロンチーノ。

 

 誰も彼らを止められない。

 2対8という圧倒的に不利な状況だが、空から降り注ぐ<流星群(メテオラシャワー)>がそれを可能とする。

 この特殊技術(スキル)こそが、今この場を支配していると言っていい。

 <土星の大流星>ならばとっくの昔に終了しているだけの時間がすでに経過している。

 それなのに。

 

 雨は未だ止まず、天空から降り注いでいる。

 

 

 

 

「す、凄い…!」

 

 素直に感嘆の声を上げるモモンガ。

 いくら敵がNPCとはいえ、2対8という数的不利を抱えながらここまで一方的な展開になるとはモモンガも衝撃を隠せなかった。

 ペロロンチーノの強さは勿論だが、パンドラズ・アクターの活躍にモモンガは驚いていた。

 持っている筈の無い数々の課金アイテムを使用しているが、恐らくペロロンチーノが渡した物なのだろう。

 それにパンドラズ・アクターの特性を十分に理解している運用の仕方。

 

 ふと、お互いの作ったNPCを自慢し合っていた昔を思い出す。

 

「覚えていて…、くれたんですね…」

 

 パンドラズ・アクターの事を忘れずに覚えていてくれたペロロンチーノ。

 その事実は、彼の中にまだギルド:アインズ・ウール・ゴウンの存在が残っているのだと感じさせてくれるようでモモンガは嬉しい気持ちになった。

 

 そんな事を考えていたその時――

 

『さあ今ですモモンガさん! トドメを!』

 

 ペロロンチーノからモモンガへの突然の<伝言(メッセージ)>。

 

「え?」

 

 状況が理解できず呆けた声を上げるモモンガ。

 

『後はモモンガさんが決めればそれで終わりです!』

 

「き、決める? 俺がですか…?」

 

『分かってる癖にそんな勿体ぶらないで下さいよ、モモンガさんってば本当にお茶目なんだから』

 

 ペロロンチーノから仕方ないなーといった雰囲気が上がる。

 

「え、あ、な、何がですか?」

 

『いやいや、もうそんな冗談いいですから。早く決めちゃって下さいモモンガさん』

 

 状況を理解できないモモンガへ、喜色混じりのペロロンチーノがけしかける。

 

『流石にそろそろ特殊技術(スキル)の効果が切れそうなんで早く決めてくれないと困りますって~』

 

 まだ軽い口調のペロロンチーノがモモンガを囃し立てる。

 

「………」

 

『え、あっ! なるほど、そういうことね、分かった、分かりました! あの事怒ってるんでしょ!? 謝ります! 謝りますから! サービス終了日に間に合わなくてごめんなさい! だから、ねぇ早くして!』

 

 次第にペロロンチーノから余裕が失われていく。

 

『モモンガさぁん! そろそろ厳しいって! やばいって! 早く決めちゃってお願いだから!』

 

 ここまで来てペロロンチーノが何を求めているかモモンガは理解した。

 

「はっ! す、すみませんペロロンさん…! む、無理なんです、今の俺には…」

 

 モモンガが最初から意図を理解してすぐに動いていればまだ可能性はあったかもしれない。

 しかしペロロンチーノの圧倒的な戦いを少し他人事で見てしまっていた事で後手に回ってしまっていた。

 

『無理って…、なんで、そんな…、あぁっ!!』

 

 <伝言(メッセージ)>の向こうからペロロンチーノの悲鳴が聞こえる。

 魔法かアイテム、何らかの手段でモモンガのステータスを認識したのだろう。

 

『う、嘘でしょ…。モ、モモンガさん…! あんた弱くね!?』

 

 レベル60台にあるモモンガの状態を把握してペロロンチーノが腰を抜かす。

 

『な、なんでそんな状況に…! さ、最終日に超位魔法連発でもした訳じゃあるまいし…』

 

 まさにドンピシャズバリである。

 

「それです…」

 

『えっ!?』

 

「最終日に超位魔法連発しちゃいました…」

 

『……』

 

「……」

 

 しばらくの間、沈黙がこの場を支配する。

 静寂を破ったのはペロロンチーノの叫び。

 

『ば、馬鹿ぁ! 本当に馬鹿ぁ! なんでそんな事したのぉ!?』

 

「だ、だって無制限に撃てたんですよ! それに最終日だし! 全部終わりだし! 誰も来てくれなかったし! 仕方ないじゃないですか! こんな事になるなんて思わなかったんですよ!」

 

 両者の子供じみた悲鳴が飛び交う。

 

『うぅぅ、ぐぅぅ…! た、退却っ! 退却だパンドラズアクター! 今すぐに逃げ、あぁぁっ!!』

 

 計画が頓挫した事を理解し、即座にパンドラズ・アクターへ撤退命令を下すが時すでに遅し。

 <流星群(メテオラシャワー)>の効果が切れ、逃げ遅れたパンドラズ・アクターが捕まりボコボコにされ始めていた。

 

『や、やばいどうしよう!? モ、モモンガさん、パンドラが殺されちゃう!』

 

 先ほどまでの雄姿はどこへやら、ペロロンチーノが慌てふためく。

 

「しょ、勝機があったんじゃないんですか!?」

 

『ありましたよ! 完璧だってくらいな勝機がね! ただ、なぜかその勝機がめっちゃ弱くなってたのが計算違いだっただけです!』

 

「お、俺のせいだって言いたいんですか!?」

 

『そうは言ってません! そうは言ってませんが、でもその通りです!』

 

 責任の擦り付け合い、醜い大人の姿がそこにあった。

 

「で、でも滅茶苦茶優勢だったじゃないですか!? あのまま倒して下さいよ!」

 

『モモンガさんだって知ってるでしょ! 敵を拘束し続けるのは可能ですけど、この人数差で倒しきるのは俺には無理ですって! ウルベルトさんやたっちさんみたいにダメージ特化の大技なんて簡単にポンポン撃てないですよ!』

 

「で、でもアイテム! そうアイテムですよ! 色々あるじゃないですか! 何か持ってないんですか!?」

 

『持ってないですよ! 引退前に全部あげたじゃないですか!』

 

「で、でもその装備…、フル装備でしょう! てことはナザリックの宝物庫にいったんですよね!? アイテムなんていくらでも置いてあったでしょう!? なんで持ってきてないんですか!」

 

『どこに何があるか全然分かんないんですよ! 誰だ、宝物庫にあんな適当にアイテム放り込んだ奴は!』

 

 喧嘩が泥沼化し始めたが、埒が明かないと冷静になったモモンガが提案する。

 

「……。ペロロンさん、止めましょう。まずはこの状況をなんとかしないと…。単刀直入に聞きますが、もう一度時間稼ぎって出来ますか?」

 

『……。厳しいですけど…、出来なくはないです。でもその後どうするんです? 何か手があるんですか?』

 

「確証は無いんですが、多分やれると思います…。アレを…」

 

『確証は、無しですか…。はは…』

 

 ペロロンチーノの乾いた笑いが虚しく響く、しかし。

 

『くそーっ! しょうがねぇ! やる、やります! どうせもう後がないんだ! モモンガさんに全部かける! いいでしょう、やってやりますよ! 俺たち無課金同盟の誓い、その強さ、見せつけてやりましょう!』

 

「あんた言い出しっぺの癖にその誓い破った張本人でしょうが!」

 

 モモンガの突っ込みが耳に痛かったのかペロロンチーノが一方的に<伝言(メッセージ)>を切る。

 

「あ、あの野郎…」

 

 モモンガの視界の先、ペロロンチーノが再び臨戦態勢を取り都市守護者へと向かっていく。

 

 と思いきや再びモモンガに<伝言(メッセージ)>が繋がる。

 

『あー、もしもしモモンガさん?』

 

「なんですか? 勝手に切っておいて、勝手にまたかけてくるなんて、勝手な人だ」

 

 モモンガが無愛想に答える。

 

『そんなに怒らないで下さいよモモンガさん。いえね、作戦名を言ってなかったなと思って』

 

「作戦名?」

 

『ええ、こういう時はカッコよく決めないと』

 

 <伝言(メッセージ)>の向こうでペロロンチーノがニヤリとしているのが分かる。

 

『オペレーションAでいきます』

 

「オ、オペレーションA…!?」

 

 モモンガに衝撃が走る。

 そんなものは知らないからだ。

 

『分からないんですか? Aといったらアレ、Ainz Ooal Gown(アインズ・ウール・ゴウン)。俺達のギルド名じゃないですか』

 

 モモンガに再び衝撃が走る。

 かつての仲間の口からその名が聞けたという事がその胸を熱くする。

 

「ペ、ペロロンさん…!」

 

『じゃ、そんな感じでよろしく』

 

 感動しかけている中、またブツッと無遠慮に<伝言(メッセージ)>が切られた。

 

「え…、さ、作戦の内容は…?」

 

 

 

 

 計画の詳細を知らされないまま放置されたモモンガは唖然としていた。

 ペロロンチーノの無鉄砲さとそのおふざけに。

 

「いや、そうじゃないな…」

 

 そう思ったモモンガだがすぐに考え直す。

 ペロロンチーノはただふざけてあんな事を言った訳ではない。

 かつて仲間達と共に時間を過ごした時、確かに普段からおちゃらけている人間ではあったが実はゲームプレイは至って堅実そのもの。

 時として自ら道化を演じる事もあったが、それは仲間内の軋轢を緩和する為だったりした。

 まあ、失言が過ぎてぶくぶく茶釜にどやされる所までがセットだったが。

 

 だから今だってそうだ。

 

 この圧倒的なピンチ。一歩間違えば死、全滅という状況にありながらペロロンチーノのおかげで空気が変わったのが分かる。

 悲壮感も、絶望感も、負の感情はもはやどこにもない。

 モモンガ本人もこの状況でありながら、やれるのではないかという気持ちが強くなってきている。

 

「ありがとう、ペロロンチーノさん」

 

 <飛行(フライ)>の魔法でモモンガが都市守護者達の元へと飛び立つ。

 今のモモンガでは都市守護者達には敵わないだろう。

 だからこそ、()()()()()()()()()()()()

 

 都市守護者達の射程圏内へと入ったモモンガに彼らからの敵意が向く。

 すぐに魔法が、特殊技術(スキル)が飛んできてモモンガの命を奪うだろう。

 その前に――

 

「指輪よ、俺は願う(I WISH)!」

 

 超位魔法<星に願いを(ウィッシュ・アポン・ア・スター)>を経験値消費無しに使用できる、モモンガが持つ中でも最高峰の指輪を天に掲げ叫ぶ。

 

「数十秒…、いや! 十数秒、たった一つの特殊技術(スキル)の効果が発動するまでの時間だけでいい! その間だけ…、俺に全盛期の力を!」

 

 モモンガの体が眩い光に包まれた。

 

 その瞬間、モモンガの頭の中には大量の知識が、その身には大量の魔力が流れ込んでくる。

 感覚で理解した。

 全盛期、つまりはレベル100の肉体を僅かな時間ではあるがモモンガは取り戻したのだ。

 もしこれが他の者による「レベルを100にしてくれ」という願いだったならば不可能だったろう。

 いくら超位魔法と言えどそんな簡単にレベルを上げる事など出来る筈がない。

 ではなぜ今回は可能だったのか。

 それはかつてレベル100になった事があるモモンガだったからだ。

 ユグドラシルのゲーム的な表現で言うならば、履歴があったと言うべきか。

 過去のデータが、何らかのバックアップが存在したかのように、レベル100のモモンガという状態を一時的とはいえ、この場に再現する事が可能になったのだ。

 

 願いは、聞き届けられた。

 

 その時、モモンガの骨だけの顔から笑みが零れる。

 レベル100の体を取り戻した直後、躊躇なく切り札を発動させる。

 日食の如く全ての生命を蝕むとされる“エクリプス”としての職業(クラス)を極めたモモンガの奥の手であり最強の一手。

 100時間に1度しか使用できない究極の特殊技術(スキル)

 

 <あらゆる生あるものの( The goal of )目指すところは死である(all life is death)

 

 瞬間、モモンガの背後に12の時を示す時計が浮かび上がった。

 そして魔法を発動させる。

 

「<魔法効果範囲拡大(ワイデンマジック)嘆きの妖精の絶叫(クライ・オブ・ザ・バンシー)>」

 

 周囲に女の絶叫が波紋の如く響き渡る。

 それは即死の効果を持った叫び声。

 しかし即死の効果はすぐには表れない。

 それこそが<あらゆる生あるものの( The goal of )目指すところは死である(all life is death)>の効果だ。

 この特殊技術(スキル)によって強化された即死効果は、無効化能力を持っている者さえ一定時間後に即死させる事が出来る反則級の特殊技術(スキル)

 

 カチリ。

 

 音と共にモモンガの背後にあった時計がゆっくりと時間を刻み始めた。

 

 その刹那、都市守護者達のヘイトが一斉にモモンガへと向く。

 ユグドラシルでもそうだ。

 超大技などを発動しようとした時、当然ながら敵からのヘイトは急上昇する。

 それを阻止する為にタンクという役職が存在する。

 しかし今この場にそれはいない。

 

 パンドラズ・アクターやペロロンチーノすら無視して8体の都市守護者がモモンガへと襲い掛かる。

 AIがモモンガの特殊技術(スキル)の効果を理解している訳ではない。

 だが即座に排除しなければならない脅威だとAIが判断したのだ。

 

 モモンガは約12秒間、レベル100の存在8体から狙われた状態で生き延びなければならない。

 ハッキリ言って無茶だろう。

 レベル100という常軌を逸した者達のレベルから言えば12秒という時間はあまりにも長すぎる。

 しかも厳密に言えば、倒されなくとも一定以上のダメージを喰らってしまえばそれだけで魔法は中断されてしまう。

 つまり8倍の戦力差がある状況でありながら、まともに被弾してはいけないという無理難題をモモンガは突き付けられている。

 それでもやるしかない。

 

 一手のミスも、また無駄も許されないモモンガはこれしかないという特殊技術(スキル)を発動させる。

 

――中位アンデッド作成 死の騎士(デスナイト)――

 

 それを一日の上限である12体まで一気に作成する。

 戦力とするならば上位アンデッドを創造した方が良いだろう。

 しかし、いくら強いと言っても上位アンデッドではモモンガを多数の攻撃から完全に庇う事は難しい。

 今の最優先事項は戦う事ではなく、生き延びる事。

 故にこの場において死の騎士(デスナイト)以上の適任は存在しない。

 

 敵の攻撃を完全に引き付けてくれるものと、どんな攻撃を受けても一度だけならば耐えきるという能力をもつ死の騎士(デスナイト)。これにより、どれだけ強い者でも倒しきるまでに2手、必要となる。

 それはこの場においてどんな盾よりも頼もしいものだ。

 

 モモンガはこの世界に来てから何度、死の騎士(デスナイト)を作成しただろうか。

 思えばこの世界に転移して最初に呼び出したのも死の騎士(デスナイト)だった。

 それだけモモンガが死の騎士(デスナイト)というアンデッドを信頼しているという事でもある。

 だが今だけは、この時だけは今までとは明確に違う。

 

 無難にとりあえず死の騎士(デスナイト)でも作成しておくかという気持ちではなく、死の騎士(デスナイト)でなければ駄目なのだ。

 他のどんな上位のアンデッドでもこの状況においては死の騎士(デスナイト)の方が遥かに信頼がおける。

 

 この世界において、作成されたシモベは創造した者の意思や意図を引き継いで生み出される。

 何らかの繋がりを持つのと同じように創造主が何を望んでいるのか薄っすらと理解できるのだ。

 

 だからだろう。

 

 この世界においてモモンガが作成した数多くの死の騎士(デスナイト)達の中で、今この場で生み出された12体の死の騎士(デスナイト)達はその全てが歓喜に打ち震えていた。

 彼らは全ての死の騎士(デスナイト)達の中で、最短の命となる。者によってはコンマ何秒の世界で滅んでこの世から消えるだろう。

 しかしそれでも自らの存在が誇らしく、また幸福だった。

 

 生み出される瞬間、創造主の思念が彼らへと伝わっていたからだ。

 

――お前達しかいない。この場において他の誰でもない、お前達だけだ。俺の盾となり、あらゆる攻撃を防げ。それが今出来るのは、死の騎士(デスナイト)だけだ――

 

 創造主から感じられる圧倒的な信頼。

 心からその存在を望まれ生み出された事への感謝。

 どんな者でも、自らの代わりは務まらないという事実から来る肯定感。

 何より、創造主の望みを叶える事が出来るという多幸感。

 

「オオオァァァアアアアアアーーー!!」

 

 大気を切り裂くような咆哮。

 己の存在を証明するように彼らは雄叫びを上げる。

 

 たった数秒後にはその全てが滅ぼされているだろう。

 だがそれでも、それだけの命しかなくとも。

 

 この場で生み出された死の騎士(デスナイト)達は作成された全てのアンデッドの中でもっとも幸福だったろう。

 これだけ強くその存在を望まれ、己の役目を、責務を十全に果たし創造主の役に立てるのだから。

 

 

 

 

 ペロロンチーノの眼前、レベル100に戻ったモモンガの姿を見て、またその切り札の発動を確認してペロロンチーノは賭けに勝った事を確信する。

 

 勝利への道筋は見えた。

 

 現在、パンドラズ・アクターは死亡一歩手前の状態で大地に伏している。この場においてはもう戦えないだろう。トドメを刺されなかったのは単にモモンガの切り札に都市守護者達が反応したからだ。

 同様にペロロンチーノも完全フリー状態になっている。

 

「プレイヤーならどんな状況でも絶対に俺をフリーにはしないぜ…!」

 

 ペロロンチーノがニヤリと笑う。

 本来ならば即座にモモンガへの援護に向かうべきだろう。

 しかしそれは出来ない。

 いくらペロロンチーノが戦闘に参加したとしても12秒間モモンガを守り切る事は不可能に等しい。

 12体の死の騎士(デスナイト)達がいるとしても。

 その証拠にすでに何体かの死の騎士(デスナイト)はボロ雑巾のように扱われ滅ぼされている。

 

 このままではモモンガは数秒と持たないだろう。

 切り札を発動する事なく、殺されるのは確定に近い。

 そんな状況でありながらもペロロンチーノに焦りはない。

 

 この世界において、という条件付きだが作戦が成功すると確信して己の切り札を発動する。

 モモンガのそれと同様、この特殊技術(スキル)は100時間に1度しか発動できないペロロンチーノにとっての最大最強の切り札。

 

 <九世界の太陽(The suns of the nine worlds)

 

 世界の名を冠する特殊技術(スキル)の一つであり、ユグドラシルにおいてそれは特別な意味を持つ。

 無数の世界を飲み込んだと伝えられる公式ラスボス『九曜の世界喰い』が食い損ねた太陽達。

 

 世界の存在証明であり、プレイヤー達が守った九つの世界の象徴。

 その熱の一端、幻影、残滓。

 世界を救ったプレイヤー達を祝福する力の塊。

 

 それを手にしたのは最も太陽に近づいた愚か者、ただ一人。

 

 身を焦がし、焼かれてなお浪漫を追い求めた男への返礼。

 

 ユグドラシルの太陽達は男の身と引き換えに、祝福を与える。

 

「見せてやる、俺の変態…! <蜜蝋(イカロス)の翼>!」

 

 ペロロンチーノが新たな特殊技術(スキル)を発動するとその外見が変化していく。

 翼は文字通り蝋で出来た脆弱な物へ、肉体もそれに応じて貧弱な物。

 一目ではペロロンチーノと認識できないほど、弱々しい姿へと。

 

 高度な飛行能力と引き換えに、熱や炎耐性が0になる諸刃の特殊技術(スキル)

 特にこの場においては自殺行為と言えよう。

 だがこの特殊技術(スキル)でなければこれ以上高度を上げる事が出来ないのだ。

 

 天にはペロロンチーノが特殊技術(スキル)で呼び出した、直径50メートルを超える超高熱体の太陽が9つ。

 近づき己の身が焼かれるのも構わず、ペロロンチーノは太陽に向かって飛び続ける。

 

 そうして遥か高みに座する太陽が射程圏内に収まるとゲイ・ボウを構えた。

 

 正式名称は羿弓(ゲイ・ボウ)

 古代史において9つの太陽のうち8つを射落としたとされる英雄の名を冠した弓だ。

 

 そうして逸話通り、ゲイ・ボウから放たれた光の矢は8つの太陽の中心を射抜く。

 それにより浮遊を維持出来なくなった太陽が地上へと落ちてくる。

 

 圧倒的な熱の塊。

 

 全てを焼き尽くす炎の権化。

 

 モモンガの切り札が命無き者にさえ死を与えるように、ペロロンチーノの切り札は炎属性の者ですら跡形も無く焼き尽くす。

 もし太陽の真芯で捉えられたならあらゆる者を滅ぼせるだろう。

 

 これこそがペロロンチーノの奥の手にして、最強コンボ『太陽落とし』。

 

 だがこの場においては完全ではない。

 強力無比な特殊技術(スキル)であるからこそ扱いが難しい。

 様々な魔法や特殊技術(スキル)、装備、アイテム、場合によっては味方の援護等。

 あらゆるモノを動員して初めて『太陽落とし』と呼べるコンボが完成するのだ。

 最悪のデメリットの一つとして残った太陽の一つはペロロンチーノ目掛けて落ちてくる。

 対策をしていなければ自らも滅ぼしてしまうただの自殺行為となる。

 

 それだけのデメリットを抱えておきながらこの特殊技術(スキル)は、足止めも何もしていない敵相手では十分な防御、あるいは回避を許してしまう。

 

 このまま太陽を叩き落としても半数以上の都市守護者は生き残るだろう。

 そしてその中心に座するモモンガは満足な回避も出来ず焼き尽くされてしまう。

 

 だがそれでいいのだ。

 この技で都市守護者達にトドメを刺す必要は無い。

 

 すでにモモンガが<あらゆる生あるものの( The goal of )目指すところは死である(all life is death)>を発動してから4秒経過している。

 作成した死の騎士(デスナイト)達はその全てが滅ぼされ、モモンガは詰み状態。範囲攻撃等もあったのだろう、想定よりも全滅が早い。このままでは都市守護者達の集中砲火を受ける事になる。

 にも拘らず都市守護者達は突如として攻撃をやめ、防御あるいは回避に全力を向ける。

 

 理由は単純。

 

 ユグドラシルの敵の多くは棒立ちで攻撃を受けてはくれない。

 攻撃を仕掛ければ当然防御もするし、回避もする。

 単純なAIとはいえそのルーチンが崩れる事は無い。

 だからこそなのだ。

 ペロロンチーノの最大最強の特殊技術(スキル)、<九世界の太陽(The suns of the nine worlds)>の発動を前に対処しない敵などいる筈などない。

 

 己の命を焼き尽くす熱の塊に最大の警戒を向け防御態勢に入る都市守護者達。

 つまり、太陽が落ちてくるまでの間、モモンガへの攻撃が止まる事を意味する。

 

 これでモモンガの特殊技術(スキル)発動までの時間稼ぎは成った。

 唯一の欠点としては、このままいけばモモンガごと太陽が全てを滅ぼしてしまうという事だけだ。

 

 実を言うとペロロンチーノはヴィクティムを近くまで連れてきて隠れさせている。

 ヴィクティムの特殊技術(スキル)を使い、足止めをした都市守護者達に太陽を直撃させるという選択肢もあった。

 それならば確実とは言えないが都市守護者のほとんどを消滅させられたかもしれない。

 だがヴィクティムを自らの手で殺したくないという葛藤と、モモンガなら何とかしてくれるという希望がそれを選択させなかった。

 あるいは全てが失敗した時にモモンガを連れて逃げる為の時間稼ぎという保険を残しておきたかったのもある。

 しかしいずれにせよペロロンチーノは自分の想定通りに物事が進んでいると判断していた。

 この時までは。

 

「っ……! 馬鹿な…! まさか、そうか…! 死なないという事なのか! NPCとなってもその特殊能力は生きたままか! クソッ! そんなの反則だろうがっ!」

 

 確証はない。

 確証はないがペロロンチーノは頭を抱えていた。

 

 防御態勢に入る都市守護者の中、1体だけそうしない者がいた。

 

 木の蛇(ヴィゾーヴニル)

 

 防御態勢に入らないという事の意味する所、それは。

 ペロロンチーノの特殊技術(スキル)を脅威ではないと判断したという事。

 木の蛇(ヴィゾーヴニル)を唯一殺せるとされる武器がある。作成には木の蛇(ヴィゾーヴニル)の尾羽が必要であるという無茶苦茶な設定だ。

 

 その設定がまだ生きていて、NPCとなった今も健在ならば――

 

 ペロロンチーノの、いやモモンガの特殊技術(スキル)でさえ滅ばない可能性がある。

 そうなったら最悪だ。

 

 ペロロンチーノは自らの太陽に焼かれ、モモンガのレベルは再び下がってしまうだろう。

 他の都市守護者を全て滅ぼしたとしてもその状態であれば、木の蛇(ヴィゾーヴニル)1体に盤面を引っ繰り返される。

 

 もしそうなったらヴィクティムを犠牲に逃げることしかできない。 

 最悪を想定しながら太陽と共にペロロンチーノは地上へと堕ちていく。

 

 モモンガの特殊技術(スキル)が発動してから6秒経過。

 

 世界が死ぬまで、あと6秒。

 

 

 

 

 モモンガは焦っていた。

 死の騎士(デスナイト)達は全滅。

 しかしペロロンチーノの特殊技術(スキル)発動まで時間稼ぎは出来た。

 だが、木の蛇(ヴィゾーヴニル)だけは防御態勢に入らなかった為、必然的にモモンガと交戦状態になる。

 

 時間まで敵の攻撃を捌き続けられるだろうか。

 

 否、厳しいと言わざるを得ない。

 敵は、木の蛇(ヴィゾーヴニル)は近接タイプだ。

 純粋にモモンガとは相性が悪い。

 

 そう考えていると、モモンガの防御が一手遅れ、放たれた魔法が直撃すると思われた時、違和感があった。

 

 今日、すでに何度も感じている違和感。

 誰かに見られている。

 だが今までならともかく、レベル100のモモンガを監視出来る者などそうそういる筈がない。

 

 そんな事を考えていると、何が起きたのか、モモンガに当たる筈だった魔法が逸れて明後日の方向へと飛んでいく。

 ペロロンチーノが何かしたのだろうか。

 いやそんな筈はない、それどころではないしユグドラシルの技や効果ならばモモンガに思い当たらない筈がない。

 

 何かが起きている。

 モモンガにも理解出来ない何かが。

 

 それが何によるモノなのか今のモモンガには分からない。

 

 しかし、この違和感、現象のおかげでモモンガが命拾いする事になったのは事実であった。

 今はこの違和感が味方だと信じて行動するしかない。

 

 

 

 

 スレイン法国、神都。

 

 

 番外席次は満身創痍の状態で横たわったまま思う。

 あの謎の少女が去ってからどれだけの時間が経過しただろう。

 少ししか経ってない気もするし、長い時間が過ぎた気もする。

 

 周りでは生き残った者達が騒がしく喚いているがそんなものは気にならない。

 

 未だ番外席次の瞳にはあの鮮烈な光景が焼き付いている。

 

 生きているようで、死んだような瞳をした少女。

 気配も何も無く、存在感すら気迫。

 

 あれが本当の強者なのかと番外席次は思う。

 

 自分は、いや噂に聞く竜王達ですら手も足も出ないんじゃないかと想像する。

 誰があの少女に勝てるのか。

 

 謎の光線で番外席次と同格の巨大な獣人の体を吹き飛ばし、その頭を掴んだまま地上に降りてきた時の様子は今でも忘れられない。

 あんなにあっけなく、決着が着くのかと。

 

【挿絵表示】

 

 番外席次は思う。

 

 あの少女は次に誰を殺すのだろうか。

 

 

 

 

 超高速で飛来する物体に最初に気が付いたのはペロロンチーノ。

 遠距離まで見通す彼の能力により最初に発見する事が出来た。

 

「ルベドッ!? なんでここにっ!?」

 

 ペロロンチーノはナザリックに帰還後、ほとんどのシモベがすでに外へ出撃した中、一時的にナザリックの全権を握っていたオーレオールとしかまともに連絡を取っていない。

 特に残った領域守護者等は外での戦闘には不向きな為、顔を見せる時間すら惜しかった。

 モモンガの安否を危惧している状況ならばしょうがないだろう。

 他の守護者達も戦闘中という状況で呼び戻すのも難しく、残っていたパンドラズ・アクターしかまともに動かせる者がいないと思っていたのだ。

 だからこそルベドに命令を下していたニグレドと入れ違いになった形でもあった。

 完全に想定外であり、誤算。

 だが嬉しい誤算だ。

 

「オーレオールッ! ルベドを誰が起動した! 命令者は!?」

 

 即座にオーレオールへ<伝言(メッセージ)>を繋げる。

 

『ニ、ニグレドですっ』

 

「すぐに命令権を俺に移すよう伝えろ! 即座にだ!」

 

『か、かしこまりましたっ!』

 

 時間が無い事を悟ったのだろう。

 余計な問答をする事なくオーレオールは了解の意を伝え<伝言(メッセージ)>を切る。

 <伝言(メッセージ)>を終えると同時にルベドがペロロンチーノの真横を高速で通り過ぎる。

 遅れてそのジェット音がペロロンチーノの耳に響いた。

 

「ルベドッ! 今すぐにあの雄鶏、木の蛇(ヴィゾーヴニル)の羽をむしり取れ!」

 

 ペロロンチーノの叫びに飛行したままルベドが反応する。

 流石に<伝言(メッセージ)>を切った直後ゆえ早すぎるかと懸念していたが心配は無用だった。

 

「了解。開始する」

 

 ルベドは問題なく命令を受け付けた。

 もしかするとペロロンチーノが言う前にすでにニグレドは命令権を移していたのかもしれない。

 いずれにせよ、ここで時間をロスしなくて済んだのは僥倖だ。

 

 速度を落とす事なく、高速で飛行したままルベドが木の蛇(ヴィゾーヴニル)へとあっと言う間に距離を詰める。

 突如モモンガの視界に現れたルベド、何が起きたのかと驚くモモンガを他所に命令通り木の蛇(ヴィゾーヴニル)の全身の羽を無理やり毟っていく。

 ルベドの力は強く、掴まれた木の蛇(ヴィゾーヴニル)はその手から逃げ出す事が出来ない。

 毛が毟られていく度に木の蛇(ヴィゾーヴニル)の肌が露わになっていく。

 

 この羽こそが木の蛇(ヴィゾーヴニル)を守護している特殊な守りであり、ユグドラシルにおいて通常の手段では対処する事が出来ない。

 

 ルベドが難なくその羽を毟る事が出来たのはユグドラシルのルールに影響されないからだろう。

 ナザリック唯一の例外だからこそ、ルベドは木の蛇(ヴィゾーヴニル)を圧倒出来た。

 暴れ回る木の蛇(ヴィゾーヴニル)を煩わしく感じたのだろう。

 ルベドが細く絞った荷電粒子砲を放つ。

 それはユグドラシルでも有数の防護を持つ木の蛇(ヴィゾーヴニル)の体を容易く貫通し致命傷を与えると同時に、雄鶏の痛みに呻く叫びが周囲に響く。

 

 しかしそれを見たペロロンチーノがルベドへと命じる。

 

「ルベド! 荷電粒子砲は撃つな! 毛を毟るだけでいい!」

 

「了解」

 

 ペロロンチーノの命令を受け、毛を毟られ暴れる木の蛇(ヴィゾーヴニル)を純粋な肉体能力で制圧するルベド。ここまでの間わずか3秒。

 それだけの時間で木の蛇(ヴィゾーヴニル)は丸裸となった。

 途中で護りが無くなるエフェクトが発生した事から無敵の防御は破られたとみていい。

 時間も残り少ない。

 ルベドがモモンガの特殊技術(スキル)の範囲内であればルベド自身が滅ぶ可能性もある。

 役目が終わったのなら早々に撤退させるべきだろう。

 もしかすると、ルベドには効かないという可能性もあるが。

 

 ルベドの強さを考えると最初からルベドとコンタクトを取り投入するべきだったかもしれない。

 しかしペロロンチーノは、もしルベドに最初から命令を下せたならば絶対に荷電粒子砲を放つ事を許可しなかった。

 ルベドがいれば正面から堂々と都市守護者達を倒せたかもしれないのに。

 

 その理由は一つ。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 現実世界(リアル)で何が起きたのかペロロンチーノは知らない。

 ウルベルトの計画があった事までは想像できるが結果がどうなったかは確信が持てないのだ。

 最悪の状況を考慮すると、自分達と敵対する何者かがいる可能性は否定できない。

 もし現実世界(リアル)が滅んでいるのなら、自分達は最後に残った科学の結晶かもしれず、その存在価値は計り知れないのだ。

 それに現実世界(リアル)、ユグドラシルを熟知している者ならばモモンガやペロロンチーノの戦闘力は想定の範囲内だろう。

 しかしルベドだけは違う。

 ユグドラシルのルールに囚われない、唯一の例外にして希望だ。

 もし現実世界(リアル)に残っている者達と戦いになる場合、ルベドの存在は絶対に秘匿しておかなければならない。

 もう手遅れかもしれないが、それでも可能な限り隠すべきだろう。

 そんな打算の下、ペロロンチーノはルベドに荷電粒子砲を許可しなかった。

 

 カチリ。

 

 モモンガの背後の時計が10の数字を示した。

 残り2秒。

 

 ペロロンチーノと共に9つの太陽が地上へと落ちてきている。

 50メートルを超えるそれらは物理的な存在ではないのか、密集している都市守護者達目掛けいくつかの太陽は何重にも重なり合って地上へと落ちてきている。

 重なりあった太陽はより強い熱を発し、炎を吹き出す。

 まだ距離はあるものの、熱が空気を伝ってくる。

 地上に落ちたならば、何キロ先まで被害が及ぶか分からない。

 それほどの熱量。

 

 炎に耐性の低いモモンガはこの距離でもジリジリと身を焼かれるような感覚を覚える。

 直撃すれば間違いなく死ぬ。

 ペロロンチーノもそれを理解しているだろう。

 しかし太陽を止めようとする素振りは欠片も見せない。

 

「ルベドッ! パンドラズアクターとシャルティアを回収し、俺達から200メートル以上距離を取れ!」

 

 ペロロンチーノの叫びにルベドが反応し、すぐに動き出す。

 シャルティアはもちろんパンドラズ・アクターも負傷により気を失っており、身動きが取れない。

 両者とも、ペロロンチーノがモモンガの特殊技術(スキル)を回避するアイテムを持たせているが発動するかは確信が持てない。

 ゲームとルールが変わっていたら、あるいは今のように気を失っている状態でも効力を発揮するのかは分からない。

 だから可能ならば両者とも範囲から出すべきだろう。

 その理由から言えば自分も確実とは言い切れないが<九世界の太陽(The suns of the nine worlds)>の一つが自らに落ちてきているので逃げる訳にはいかない。

 

 カチリ。

 

 時計の針が11を示した。

 もう時間は残っていない。

 

 ルベドが二人を抱え、全開のジェット噴射で射程外へと向け一気に高速で飛び出す。

 200メートル程度ではたとえ離れた所で抱えた二人もろともルベドも余波で甚大なダメージを受けるだろう。

 実際、あまりの高熱にルベドのセンサーには異常が出始めている。

 残り時間を考えれば200メートルという距離をルベドが逃げ切れるかどうかはギリギリのラインだ。

 

 モモンガは少しでも距離を取り逃げようとしている都市守護者を魔法で拘束する。効果は薄く、時間も短いが自らの特殊技術(スキル)の範囲外まで逃げられなければ十分だ。

 

 上空からはペロロンチーノと共に9つの太陽。

 もう地上まで距離はほぼない。

 ペロロンチーノの体は焼かれ翼を失い、モモンガも接近した太陽の熱に体が分解されていくのを理解した。

 都市守護者達も例外ではなく、体が燃え上がり、一部が黒く炭化し始めた者までいる。

 

 太陽が全てを飲み込み、地上に落ちれば辺り一帯は焦土と化す。

 生き残れる者はどれほどいるのか。

 近くにあるエリュエンティウなどその余波で吹き飛ぶだろう。

 

 次第に太陽の熱で地上の水分が蒸発し、大地が焼け爛れ始めた。

 

 空中に浮かんでいるモモンガと都市守護者達、彼らに太陽が直撃するその刹那――

 

 カチリ。

 

 モモンガの背後の時計の針が一周し、再び天を指した。

 それは0であり12を示す数字。

 

 

 瞬間――世界が死んだ。

 

 

 比喩ではない。

 死んだのだ、全てが。

 モモンガの周囲にいた8体の都市守護者達全てがが白い霧となって崩壊し始める。

 即死効果に耐性を持っていた者すら抗えぬ力に抱かれ、あっけなく死滅していく。

 木の蛇(ヴィゾーヴニル)の護りも破られていたのだろう、他と同様に崩壊していく。

 

 それだけではない。

 生命など無い空気すらも死に、直径200メートルに渡って呼吸不可の空間と化す。

 大地も死に、モモンガを中心とした範囲内の地表が砂漠へと変わる。

 

 これはペロロンチーノの発動した特殊技術(スキル)すら例外ではない。

 

 全てを焼き尽くさんとしていた太陽すらも死に、崩れ去っていく。

 太陽の発していた熱も、周囲の空気へと伝播していた熱すらもその全てが死に、地獄の炎すら飲み込む灼熱の炎すらも、死んだ。

 太陽の落ちる時に発生したエネルギーや衝撃、ありとあらゆる物が死滅している。

 風すらも吹かない。

 

 先ほどまでの戦いなど全て嘘であったかのように静寂が支配している。

 

 しばらくして、最初に静寂を破ったのは天空城だった。

 

 モモンガの特殊技術(スキル)の効果範囲には入り切らなかった巨大な天空城がいつの間にか地上まで落下していた。

 魔法の力の残滓か、ゆっくりとはいえ崩壊しながら落ちるアースガルズの天空城は大地に触れると同時に砂のような、光のような粒子となり大気中へと吹き飛び、消え去っていく。

 

 それは全ての終わりを象徴していた。

 

 都市守護者達は滅び、八欲王たちが誇るアーズガルズの天空城も全てがこの世界から消えた。

 

 もう何も残っていない。

 夢と同じく、彼らが存在した証も、残した遺産も、伝説も、何もかもがかき消えた。

 

 死の世界の境界線ギリギリにシャルティアとパンドラズ・アクターを抱えたルベドが墜落している。

 あまりの熱量に飛行を維持できず、墜落してしまったのだ。

 もし、もう1メートル手前であったなら彼らも範囲内に含まれていただろう。

 

 全てが死に、何も残っていない筈の死の世界の中。

 

 小さい笑い声が響いた。

 

 その音の先。

 

 全てが死んだ世界の中で、瀕死のアンデッドと、翼を失った鳥人(バードマン)だけが大地に横たわっていた。

 

 

 




決着まで書き切れてホッとしています
読んで下さる方もそうかもしれませんが書いている者としても戦いの途中だとモヤモヤが物凄い感じなので…
特にお待たせしてしまった期間があった分、絶対に決着までは早く書き切ろうと決めていました

PS ルベドは原作でデザインが出ていないのでイメージしやすいように挿絵を描いたのですがお目汚しかもしれません。なんとなくこんな感じなのかなと思っていただければと思います
登場した回で説明した通りアルベドをそのまま幼くして髪や服等の色を反転させた少女という感じです


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完全決着

モモンガさん&ペロロンチーノさん大勝利


 トブの大森林。

 

 

 長い闘いの果て――

 大森林に押し寄せた都市守護者率いる配下の亜人達は、ライトブルーに輝く蟲の武人率いる勢力に駆逐された。

 最後に残ったのは4人の都市守護者達のみ。

 そのレベル100である都市守護者4人相手に蟲の武人は1人で戦い続けている。

 彼の配下である蟲の軍勢はその戦いに一切手を出さない。

 自らの戦いが終わった後は蟲の武人に協力する事なく、周囲でその様子を窺っていた。

 

 皆、知っているのだ。

 自分達を率いるこの蟲の武人、コキュートスが負ける筈が無いと。

 なぜなら彼を創造したのは最強の物理攻撃力を誇る侍。

 そのコキュートスの戦いに、彼の創造主である侍の影が垣間見えた気がしたからだ。

 

「<不動明王撃(アチャラナータ)>、<不動羂索(フドウケンサク)>!」

 

 突如としてコキュートスの背後に巨大な不動明王が現れた。

 不動明王がその手に持つ投げ縄のようなものを都市守護者達へと投げる。

 

 コキュートスの創造主たる侍、武人武御雷の切り札たる『五大明王撃』と同一のものだ。

 

 その<不動明王撃(アチャラナータ)>から派生する攻撃の一つである<不動羂索(ふどうけんさく)>によりカルマ値がマイナスの対象の回避力を低下させる力を持つ。

 現状、結界を維持する為その場からは動けないとはいえ雪女郎(フロストヴァージン)が援護の魔法や特殊技術(スキル)により都市守護者のカルマ値をすでに下げている。

 

「<降三世明王撃(トライローキャヴィジャヤ)>!」

 

 再びコキュートスの背後に巨大な降三世明王が現れた。

 降三世明王がその手に持つ禍々しい槍で都市守護者達の体を貫く。

 

「<大威徳明王撃(ヤマーンタカ)>!」

 

 次に現れた大威徳明王が巨躯の棍棒で都市守護者達を叩きのめす。

 

「<軍荼利明王撃(グンダリー)>!」

 

 軍荼利明王の手から蛇が放たれるが、それは見る間に大きくなり都市守護者達へと巻き付く。これにより強力な金縛り効果が発揮される。

 これが無ければ技と技の間で敵は拘束から逃げてしまうだろう。

 

「<金剛夜叉明王撃(ヴァジュラヤクシャ)>!」

 

 次に金剛夜叉明王が雷撃を纏った金剛杵(こんごうしょ)により都市守護者達を幾度も幾度も、滅多打ちにしていく。

 

 そして五体の明王全ての攻撃が終わった瞬間、五体の明王が都市守護者達を取り囲み一斉にその手を彼らへと向かって突き付ける。

 

 カルマ値が少しでもマイナスに振れていれば完全に動きを止める技だ。

 かつて武人武御雷がユグドラシルのボスを相手にしてさえ完全に動きを止めた強力無比な技。

 決まりさえすれば何者も逃れられない。

 

「<羅刹(ラセツ)> <レイザーエッジ>!」

 

 物理アタッカーとして最高クラスであるコキュートスから無数の斬撃が乱れ飛ぶ。

 四本の腕から放たれるそれらは通常の4倍の数で敵へ襲い掛かった。

 それは回避も防御も出来ず、身動きの取れない都市守護者達の命を確実に削っていく。 

 

 手には4つの武器。

 1つは斬神刀皇。かつて武人建御雷が最終的な武装としていた神器級(ゴッズ)アイテム。武器の性能としてはユグドラシルにおいて最上位に位置する。

 次に断頭牙。白銀のハルバードでコキュートスの巨体に見劣りしない迫力を持つ。

 そしてブロードソードと白銀の槍。言葉で言ってしまえば簡単だが、そのような形状や性質、用途を持っているというだけでいずれも一目で並の武器ではないのがその外見から分かる。

 他にも様々な武器を持つがこの場の武装として手に持つのはこの4つだ。

 

 そしてコキュートスの種族特性と特殊技術(スキル)の合わせ技でそれらは無類の強さを発揮する。

 

 基本的にユグドラシルにおいて一部を除き、ほとんどのキャラメイクでは腕は2本が普通だ。

 それは人間種だろうが、異形種だろうが変わらない。正確に言うならば武器や盾を装備できる腕が2本というべきか。

 勿論、複数の腕や触手を持つ種族は存在するが変わりに大きな制約があったり、スライム種のように形状を変え腕を何本も生やせしたとしても武器を所持する手としては扱えないなど条件がある。

 

 そのような制限やデメリットと引き換えに、コキュートスは武器を所持する事が出来る腕を4本持っている。それ自体が戦いにおいてどれだけのアドバンテージを持つかなど説明不要だろう。

 しかしその代償として、コキュートスは鎧を装備出来ないというデメリットを持つ。

 

 とある種族の特性として腕が多い代わりにその体は外皮鎧に覆われ鎧系の防具を装備出来なくなる。

 もちろん外皮鎧であるメリットは数多く存在する。だがプレイヤーならば絶対に外皮鎧を持つ種族を自らのアバターには選択しないだろう。最終的な装備の差で、耐久面において他のプレイヤーに比べ不利になる事を知っているからだ。本気でビルドを組む者ほどそう考える。

 

 そのように防御面で不安は残るものの、こと攻撃に限れば4本の腕を持つメリットは果てしなく大きい。

 もちろん扱いが難しく、1対1の戦いにおいては自らの腕の可動範囲的に4本の腕を単体相手に効果的に使うのは難しい。その場合は基本的に2本までの使用が現実的な所だろう。だが武器を複数持てるという事は状況によって扱う武器を選びながら戦えるので有利な事は間違いない。

 

 だが最大のメリットは別にある。

 

 もし1対4までの戦いならば、同格であろうとコキュートスが手数で後れを取る事は無い。

 複数の腕、複数の目、他にも様々な種族ボーナスと特殊能力により己の腕の数までの敵ならば、自らの手数が足りなくなったり、また注意が逸れたりという複数戦におけるデメリットが打ち消されるのだ。

 それどころか単体相手と変わりない攻撃能力を4人までならば同時に発揮する事が出来る。

 

 もちろん敵の攻撃はその相手の数だけ飛んでくるので完全に互角の戦いが出来るという意味ではないが、それでも範囲攻撃などに頼らず複数相手に1対1の状況と変わらない攻撃能力を保持できるという点は大きい。

 まさに攻撃特化というに相応しい、集団戦の為のビルドである。

 コキュートスの創造主である武人武御雷が最強の一撃を誇る戦士職だとするならば、コキュートスは手数を誇る連撃最強の戦士職であろう。

 

 この能力ゆえに、援護ありとはいえ都市守護者4体相手にコキュートスは単身で互角の戦いを繰り広げられたのだ。

 

 いや、互角では止まらない。

 

 『五大明王撃』で完全に動きを止めた都市守護者達へコキュートスの攻撃は続いている。

 

「<スマイト・フロストバーン>!」

 

 冷気が広がり、都市守護者達を凍結させる。これにより凍結ダメージと物理攻撃への耐性を下げる事が出来る。

 

「<風斬(フウザン)>! <四方八方(シホウハッポウ)>!」

 

 再びコキュートスの4本の腕から放たれた連続攻撃が都市守護者達の体を切り裂く。

 

「<マカブル・スマイト・フロストバーン>!」

 

 先ほどの凍結より凄まじく、いくつも氷の刃が発生しブリザードのように暴れ回り都市守護者達を切り裂き、引き裂き、砕いていく。

 

 完全に動きを止められ、為すすべも無く攻撃を正面から受け止め続けた都市守護者達はもう虫の息だ。

 コキュートスは最後に武器を3つ仕舞うと、4本の腕で斬神刀皇の柄を強く握る。

 静かに腕を上げ、最上段へと構え静止する。

 

 特殊技術(スキル)ではなく純粋な身体能力、あるいは肉体強化がされた体から放たれるシンプルな攻撃。

 それゆえに通常時であれば防御や回避も容易かっただろう。

 しかし今は事情が違う。

 敵が身動きが取れないというこの状況下でのみ、それは必殺の一撃となる。

 

 何の工夫も無く、防御も考慮しない正面からの全身全霊の一撃。

 通常の攻撃であるがゆえに名前は無い。

 だがあえて名前を付けるとするならこれこそが相応しいだろう。

 

 "二の太刀いらず"

 

 かつて武人武御雷が己をそう語り、自負したもの。

 彼から生み出されたコキュートスもまた、それを体現しようとしていた。

 

 上段から振り下ろされた、全てを両断する圧倒的な一撃。

 大地を割り、空気を裂き、周囲に張られた雪女郎(フロストヴァージン)達が誇る堅牢な結界すら破壊した。

 攻撃が放たれた都市守護者達はまとめて体が真っ二つになった後、遅れてきた風圧でその体すら消し飛んだ。

 

 同格4人相手とは思えない程の圧勝。

 しかし決してこの結果程の力の差が両者にあった訳ではない。

 達人同士が斬り合いの僅かな差で生者と死者に分かたれるように、本当に欠片ほどの差しかなかった。

 一歩間違えば都市守護者達はピンピンしており、コキュートスは完敗していたかもしれない。

 だが結果として、後手に回らず攻撃に専念できたコキュートスは五体満足で場を収める事が出来た。これは他の守護者達に比べても屈指の活躍である。

 今回の戦いにおいて、配下も過剰に失わず、4人ものレベル100を単身で倒すという快挙を為したのはコキュートスだけであった。

 

 そんなコキュートスの一撃により、雪女郎(フロストヴァージン)達が張った結界が全て崩れ去ると、それらは雪の結晶となり周囲に散った。

 季節外れの雪のように幻想的で、全てを忘れさせてくれるような美しさ。

 

 そんな中、コキュートスにオーレオールから<伝言(メッセージ)>が繋がる。

 

「ム、オーレオールカ。ココノ敵ハ全テ…。 ナ、何! ソ、ソレハ本当カ!?」

 

 任務完了の報告をしようとしたコキュートスだが、そんな事など些末に思える報告に驚きと共に喜びを隠せない。

 

「分カッタ、スグニ帰還スル…! ヌ…、フム。ナルホド…。一刻モ早ク帰還シタイトコロダガ仕方アルマイ…。後始末ヲ済マセテカラニシヨウ」

 

 そうして<伝言(メッセージ)>を切るとコキュートスはこの場の後始末にかかる。

 

 

 

 

 バハルス帝国、帝都アーウィンタール。

 

 

 国土のやや西部に位置する帝都アーウィンタールは、中央に皇帝の居城たる皇城を置き、そこから放射線状に大学院や魔法学院、各種の行政機関等の重要施設が広がっており、それらを中心に巨大な都市が築かれている。

 特にここ数年の大改革により、帝国の歴史上で最大の発展を遂げている最中であり、騒がしい程の熱気渦巻くこの都市は帝国の心臓部とも呼ぶべき重要な場所だ。

 この都市をジルクニフは誇らしく思う。

 己の為した結果であり、また将来の帝国の繁栄を約束するものであるからだ。

 そう、ジルクニフの眼前にはそんな素晴らしく荘厳な街並みが広がっていた。

 先ほどまでは。

 

「あ、あぁ…、街が…、帝都が…!」

 

 今そこにあるのは瓦礫の山、基礎部分だけが残った巨大建造物の残骸、大破した道路、裂けた大地、そして数多の死体とその肉塊、死屍累々。

 ジルクニフは、栄光に満ちた輝かしい帝都が変わっていく様をただただ眺めているしかできなかった。

 その場に膝から崩れ落ち、頭を抱えながら。

 

 戦いの終わりはあっけなかった。

 幾多もの天変地異の末、最後はマーレの放った魔法により大地が生き物のように隆起しうねり、2体の都市守護者を容易く飲み込み圧し潰した。大地が隆起した場所は都市の残骸すら残らぬほど悲惨な有様となったが。

 それを合図に、生き残っていた都市守護者の配下達も黒い津波に飲み込まれ、息絶えた。

 

 結果としてはマーレ達の完勝と言っていいだろう。

 帝国を襲った敵勢力の中でもレベル100である都市守護者は2体のみであり、マーレ率いる2体の課金ドラゴンがその肉体能力のみで彼らと肉薄できたのが大きかった。

 そうして完全フリーとなったマーレが盤上を支配する事は容易い。

 都市守護者達はもちろん、他の敵勢へも容赦なく魔法を浴びせる事が出来たのだ。

 広範囲殲滅力において守護者最強であるマーレが自由に魔法を放てる状態であれば負けはほぼあり得ない。どれだけの数がいようとも関係ない。

 だがそれはマーレの部下達が有能だったというよりも、やはり2体の課金ドラゴンが強すぎたと言うべきだろう。レベルは90を超え、その肉体能力だけなら並のレベル100をも凌駕する。戦闘に特化した最強種たるドラゴンに相応しい強さである。

 その課金ドラゴン達が完全に都市守護者達を抑え込んだ。

 長期戦になれば特殊技術(スキル)の差で敗れたかもしれないが後衛にはフリーとなっているマーレがいるのだ。苦戦すらしていない。

 そのように余裕のある状態でマーレは他の部下達への援護も十分に出来た。しかもマーレやその部下達が撃ち漏らした都市守護者の配下達は恐怖公率いる軍勢が飲み込み食べ尽くす。これにより、帝国市民への被害は最小限に抑えたと言っていいだろう。

 もちろん攻撃に巻き込まれた者達も多くいるが、その中でも活躍したのは恐怖公だ。

 彼はマーレ達が撃ち漏らした敵を食い尽くすと共に帝都中へと広がり、逃げ遅れた市民達を戦闘区域外まで運び出していたのだ。

 その際に市民達から生理的な悲鳴が多く轟いたのはまた別のお話。

 

 そうして数の暴力により帝国を平定したマーレは再びジルクニフの元へと赴いた。

 しかしこの数時間の間にジルクニフは酷く疲弊していた。

 帝国の惨状、そして目の前にいる少女?の規格外の強さにどうするべきか考えあぐねている時、彼の背後から感動に咽び泣く声が聞こえた。

 

「おお…、おお…!」

 

 涙を流しながら帝国の主席宮廷魔術師であるフールーダ・パラダインがよたよたとマーレの前へと歩み出る。

 先ほどまでの戦いを驚愕に身を震わせながら見ていた彼は気持ちを抑える事が出来ない。

 戦闘前にジルクニフ達とマーレが会した際にはフールーダは帝都の市民を避難させる為に城外へ出ており立ち会っていなかったのだ。

 フールーダがマーレの存在に気付いたのは戦闘が始まりその魔法が発動された時だ。

 前人未踏、いやその存在すら確認できた者がいない程の領域の魔法。

 それらが雨あられのように放たれ、フールーダの常識は決壊した。

 

 かつて帝国であったアンデッド事件、その首謀者であろうアンデッドと出会った時以上の衝撃と言ってもいい。だがそれも仕方ないだろう。あの時はなぜかフールーダの生まれながらの異能(タレント)は発動しなかった。だからこそフールーダがこれだけの魔力を感じたのは初めてだった。

 世界が閃光に染め上げられ、意識が飛びそうな衝撃。

 

「第九位階…、いや、これはまさか…。だ、第十位階だと、その魔力の奔流だというのか…」

 

 マーレの目の前に立ったフールーダからすれば爆風が押し寄せてきたようだった。

 その小さな体から圧倒的な力が放射されているのだ。

 実際に風圧を身に浴びた訳ではない。周囲にいる者達とは違い、これは生まれながらの異能(タレント)を持つフールーダだけが感じ取ったものだ。

 

「おお…、神よ…」

 

 フールーダはマーレの前に泣きながら跪く。

 

「し、失礼と知りながらも、伏してお願いいたします! 私に貴方様の教えを与えてください! 私は魔法の深淵を…!」

 

「下がれ爺!」

 

 フールーダの嘆願をジルクニフの怒号が掻き消す。

 ジルクニフはフールーダの性格を理解している。魔法の事となればこうなるのは仕方ないだろう。

 だが今は良くない。

 目の前の少女の機嫌を損ねるか否かで帝国の命運がかかっているのだから。

 

「ぶ、部下が失礼した…。モ、モモンガ様の捜索には協力する故どうか穏便に済ませて欲しい…」

 

 ジルクニフが必死にマーレへと請う。

 しかしジルクニフの口から出た一つの単語をフールーダは聞き逃さなかった。

 

「モモンガ様…? なぜ陛下があの御方のお名前を…?」

 

 フールーダはジルクニフ達が最初にマーレと会った際には同席していない。つまりはその時にマーレが口にしたモモンガという名前を耳にしている筈が無いのだ。

 ジルクニフは勿論、マーレもそれに気づいたのだろう。驚きに目を見開いている。

 

「モ、モモンガ様を知っているんですか…?」

 

 殺気とも狂喜とも言える感情がマーレから吐き出される。

 それに気づいているのかいないのか、フールーダはかつての感動を思い出し口にする。

 

「はい、私が師と崇める御方です。あ、貴方様こそあの御方をご存知なのですか?」

 

「ご存知も何も、モモンガ様は僕が忠誠を誓う至高の御方です…!」

 

「ちゅ、忠誠…!? あ、貴方様程の…、第十位階を行使する方が忠誠を誓っているというのですか!?」

 

 フールーダからすれば信じられない。

 第十位階など、もはや神の領域だ。

 その領域にいる者が他者に忠誠を誓うという状況が想像出来ない。

 

「そんなのは当然です。モモンガ様は僕なんか足元にも及ばないほどお強い方ですから」

 

 もしここでモモンガ本人が聞いていたら全力で否定していただろうがマーレは心から足元にも及ばないと信じている。

 そしてこの発言はフールーダを困惑させるには十分だった。

 まるで鈍器で頭をガツンと殴られたような衝撃。

 

「ば、馬鹿な…。第十位階を扱う、貴方様が足元にも及ばないと…? そんな事が…? いや、思い返してみれば確かにあの御方からは一切の魔力を感じなかった…。だが、なるほど…。今ならば納得できる…。強大すぎるが故に私程度では感じ取る事さえ出来なかったとすれば…。い、いや、しかしそれでも信じられん…。第十位階をして足元にも及ばないなど…」

 

 ぶつぶつと呟くフールーダにマーレが答える。

 

「モモンガ様は第十位階の上の位階まで扱えますよ? 僕や他のシモベ達では絶対に到達できない領域におられる方なんです。敵わないのは当然です」

 

 ふふんと誇るように胸を張りながら言ったマーレの言葉にフールーダは自分の心が限界突破した事を感じた。

 

「だ、第十位階…、そ、その、上? か、考えた事も無かった…、そんなものが存在するなど…」

 

 他で聞いたなら信じられなかっただろう。

 しかしそれを口にしたのは第十位階の高みにいる存在なのだ。もはやその言葉を疑う方が非常識といえる。

 

「…魔法を司るという小神を信仰してまいりました。ですが、貴方様やモモンガ様がその神でないというのであれば、私の信仰心は今搔き消えました…。なぜなら本当の神、そう、私が師と崇める御方こそがその神であったのですから! ああ、なぜあの時すぐに気づけなかったのか…。偉大な御方とは知りながらもその偉大さの欠片すらも私は理解出来ていなかった…。私はなんと愚かであるのか…、その偉大さに触れる機会に恵まれながらも理解できていなかったなど…」

 

 喜びと共に、強い後悔がフールーダの胸を締め付ける。

 その様子を見ていたマーレは優しい瞳でフールーダに語り掛ける。

 

「モモンガ様の偉大さの全てをすぐに理解出来なくてもしょうがありません。あの御方の偉大さは簡単に説明できるものじゃないですから。でもモモンガ様の偉大さに少しでも気づけたなら大丈夫です。これから少しずつ理解していけばいいんです」

 

「お、おお…! な、なんという寛大な御言葉…! ど、どうか私もお連れ下さい! モモンガ様に連なる者としてその末席に加えて頂きたく…」

 

「うーん、僕にはその判断が出来ないですが…。でもモモンガ様の弟子ならきっと大丈夫ですよ」

 

 マーレは思う。

 モモンガを師と崇めるこのフールーダという老人。

 たかが人間が、という思いがあるものの至高の御方が弟子としてしているならばそれなりの扱いをしなければならないだろうという判断を下していた。

 

「ところでモモンガ様の行方をご存知じゃないですか? もし知っているなら教えて欲しいんですが…」

 

「も、申し訳ありませぬ…、師とは少し前にはぐれてしまったばかりで…。くっ…! お、おのれレイナース、お前がいなければ師と離れ離れになる事もなかったのだぞ…!」

 

 フールーダの怒りがジルクニフの後ろ、そこに立つレイナースへと向けられる。

 

「これはフールーダ様、異なことを。私は恩人の言葉に従っただけです。あの時は恩人の頼みで動いただけですわ」

 

 レイナースの登場にマーレは状況が理解出来ない。

 

「貴方もモモンガ様を知っているんですか?」

 

「はい。とはいえフールーダ様と同じで今はその行方を知りませんが…。あの御方にはこの身に宿る呪いを解いて頂いた恩があります。あの御方の為であればどんな協力も惜しみませんわ」

 

 マーレはモモンガの足取りを僅かとはいえ掴めた事に安堵していた。

 そしてモモンガの弟子と、モモンガ自ら呪いを解いたという存在の確保は自らの主人の役に立てるのではという満足感も得ていた。

 帝国に来た事は十分に価値があったとマーレは判断する。

 

「ま、待てフールーダ、レイナース…! お、お前達モモンガ…、ゴホン! モモンガ様の事を知っていたのか!? いつ出会った!? それになぜ報告しなかった!? どうして今まで私に黙っていた!?」

 

 答えたのはレイナース。

 

「聞かれなかったもので」

 

「き、聞かれなかったからだと…!? い、いや、そうか…! あのアンデッド事件の時か…!」

 

 ジルクニフの聡明な頭脳はすぐに答えに辿り着く。数か月前にこの帝都を襲った前代未聞の、伝説と謳われるアンデッドが何体も出現した事件だ。

 

「ええ、申し訳ありません陛下。そもそもアンデッドに対して陛下が友好的に接すると思わなかった点が一つ。そして先ほどの場においてもモモンガ様の名を陛下に伝えなかったのは、陛下に伝えてしまえば帝国側のカードとして利用なされたでしょう?」

 

 つまりレイナースの言葉の意味はこうだ。

 もしマーレと最初に会した際にモモンガの名をジルクニフに伝えていれば、配下が知っている、つまりは帝国としてモモンガを知っているという体で協力や助力を要請しただろうからだ。

 

 しかしそれではダメなのだ。

 レイナースはまだしも、フールーダがそれを許さない。

 帝国としてではなく、個人として自らを売り込みたいフールーダからすれば状況を自分の望む方向へと持っていけなくなる可能性があるのをレイナースは察したからだ。

 正直言うとレイナースはどちらでも良かったが個人的にはこの状況下ではジルクニフよりもフールーダを敵に回す方が分が悪いと判断した。魔法という存在がかかっている状況では損得抜きで殺しにかかってくる可能性すらある危険人物なのだから。

 そもそもレイナースが最も懸念していたのは先ほど口にした通り、あの事件の後、ジルクニフにモモンガの存在を伝えていれば危険なアンデッドとして帝国が仮想敵とした可能性もあった。ジルクニフ自身がそう判断しなくとも、貴族や国民たちが納得する筈もない。

 そのように全く状況が読めなかった故、フールーダもレイナースもモモンガの事を帝国には秘匿していたのだ。

 まさかそれがこの状況になるとは思っていなかった。

 

 ジルクニフが慌ててマーレへと口を開く。

 

「ぶ、部下が失礼した…! し、しかし我が帝国の者にモモンガ様の事を知っている者がいたのは重畳…。これから今後の事を…」

 

 ジルクニフが喋り終える前にフールーダが前に出る。

 

「さあ! すぐにモモンガ様を探しに行きましょうぞ! 他の事など今は何も考える必要はありますまい! あの御方よりも重要な事などあるでしょうか!?」

 

 もはやマーレもジルクニフの事など眼中に入っていないのかフールーダやレイナースらと盛り上がるように熱く語り始めた。

 帝国の皇帝たるジルクニフは己が蚊帳の外にいる事を悟り、自らの地位や帝国、それらを用いてすらもう交渉の席には立てないのだという事を理解し、再び膝から崩れ落ちた。

 

 その時、ずっと背後で静かに様子を見ていたバジウッドが優しくジルクニフの肩を叩く。

 憂いを帯びたその瞳はバジウッドの気持ちを雄弁に語っていた。

 

 もう俺らじゃどうにもなりませんって、と。

 

 

 

 

 エイヴァーシャー大森林。

 

 

 今日は森精霊(エルフ)達にとって歴史に残る日になるだろう。

 民を顧みない独裁者としての長の圧政に苦しめられ、法国との長く続いた戦争により多くの者が使い潰され、またアベリオン丘陵からの亜人の侵攻にも気を配らねばならない。

 大森林という森精霊(エルフ)にとっての天然の要塞が無ければとっくに絶滅していたかもしれない。いや、このままだとしても法国や亜人に滅ぼされるのは時間の問題だろうと思われていた。

 そこにダメ押しの今回の事件だ。

 

 突如現れた強大なアンデッドの集団により、強大な王を含め多くの者が打ち取られ殺されていった。

 想像だにしない急転直下の地獄。

 今日で森精霊(エルフ)の歴史が幕を閉じる事になるのだろうと多くの者が考え始めた時、奇跡が彼らの前に舞い降りた。

 

 様々な神獣を引き連れ、新たな王がこの地に降臨したのだ。

 まるで苦しむ森精霊(エルフ)達に救いの手を差し伸べるように。

 

 王族の特徴を持つそれに捧げられたのは忠誠ではなく、信仰。

 まるで神に祈るように森精霊(エルフ)達は新たな王へと祈りを捧げた。

 

「うへー、なんか皆様子がおかしいよ。そう思わない?」

 

 自らが騎乗する、巨大な蛇のような外見をしたケツァルコアトルへとアウラが話しかける。

 それに呼応するようにケツァルコアトルが鳴き声を上げる。恐らくはアウラに同意しているんだろう。

 

 すでにアベリオン丘陵及びエイヴァーシャー大森林での戦いは終わっていた。

 アウラ率いる魔獣100体による物量戦、正確にはここを襲っていた都市守護者側の軍勢の方が遥かに多かったが100体全てが強大な個であるアウラ達の敵ではなかった。

 丘陵や森というアウラ達にとっての有利な場所であったのも大きかった。

 アウラの支援により大幅に強化された魔獣達は容易くアンデッドの軍勢を蹂躙し、都市守護者すらも数の暴力で圧し潰した。

 アウラ側の損耗は0。魔獣は1体も欠ける事なくこの戦いを完璧に収めたのだ。

 

 であるならばなぜアウラ達はまだこの地にいるのか。

 

 それは一言で言えばデミウルゴスのせいだ。

 突如<伝言(メッセージ)>を繋げてきたかと思うと大量の食糧や資源を確保してくれというお願いをされたのだ。

 

「まあデミウルゴスの頼みだし、モモンガ様の為になるかもって言われたから協力するけどさー。なんで私がこんな事をしなくちゃいけないのよ」

 

 ブツブツと文句を吐きながらエイヴァーシャー大森林を配下の魔獣と共に回り、食料を確保していく。

 大量に必要らしいのでとりあえず食べられそうな物は全て確保していき、ついでに邪魔なモンスターも狩り殺していく。これも肉として提供して問題ないだろう。

 すでにアベリオン丘陵にも半数の魔獣を派遣し、食料や資源の確保とともにデミウルゴスが避難させているだろう者達へ物資を届けさせている。

 

 他の守護者達よりも大幅に早く担当地域を制圧出来たにも拘らず、なぜ自分はこのような雑用をしているのだろうとアウラは空を眺める。

 

「ここにいる森精霊(エルフ)達の視線も気持ち悪いし…、早くナザリックに帰りたい…」

 

 デミウルゴスから求められた物資の量にはまだまだ足りない。

 溜息と共にアウラは大森林を駆ける。

 

 

 

 

 竜王国、首都。

 

 

 ここで行われた戦いはナザリックの全守護者達の中で、最も堅実なものであっただろう。

 堅実ゆえに確実。

 偶然の入り込む余地さえないほど盤石で、まさに鉄壁だった。

 完璧な布陣、戦略。

 そしてアルベドの指揮下においての特殊なバフ、そして防御スキルにより味方の損耗少なく着実に敵を追い詰めていった。

 敵の被害も大きい訳では無いが、多くの魔法や特殊技術(スキル)を敵に使い切らせるまで追い詰める事に成功。それに対して最初の一当たり以外、アルベド達は防御に徹し敵の消耗を狙った。

 この作戦は見事にハマり、アルベド自身も都市守護者と敵対しながらその多くの魔法や特殊技術(スキル)を切らせる事に成功した。

 

(その代わりこちらも防御系の特殊技術(スキル)はあらかた使い切ってしまったけれどね…)

 

 アルベドは都市守護者達の誇る超大技すらも特殊技術(スキル)によって乗り切っていた。

 装備している三重装甲の鎧へダメージを受け流す特殊技術(スキル)により3回までなら超位魔法にすら耐える事が出来る。

 プレイヤー視点でも厄介なこの守りをNPCが突破できる筈もない。

 防御において守護者最強は伊達ではないのだ。

 

 しかし防御特化のアルベドゆえ、その攻撃能力は決して高くない。

 もちろん戦士職以外と比較するならば高いが、純粋な戦士職と比べればその攻撃力は見劣りする。

 ならばアルベドは同格との闘いになった際、どうやって勝つ事が出来るのか。

 

 もちろんタンクとして創造されたアルベドに攻撃能力を期待するのは酷というものだろう。

 防御も強く、攻撃も強いなどそんなビルドは不可能だ。

 そんな事が可能ならゲームとして破綻してしまう。

 もちろん、ワールドチャンピオンのような一部の特殊な存在はいるがあれは例外だ。

 どれだけ強くとも、絶対にどこかに穴が出来てしまうのが普通なのだ。

 仮に戦闘能力が攻撃も防御も優れているとするならばそれに比する欠点がどこかに生まれてしまう。

 

 そしてアルベドは防御特化の戦士。

 攻撃能力は高くない為、アルベドが攻撃もしなければいけない戦いにおいては基本的に長期戦及び消耗戦で徐々に削っていくというのが彼女の勝利パターンとなるだろう。

 

 だがそれとは別で、アルベドが同格の敵にも勝利出来うるパターンが存在する。

 これをこそ想定してタブラ・スマラグディナは彼女にこれを持たせたのかもしれない。

 

 ――真なる無(ギンヌンガガプ)――

 

 対物体最強の世界級(ワールド)アイテムだ。

 とはいえ対人ではさほど脅威とはいえず、特化した神器級(ゴッズ)アイテムに劣る。

 だがそれは逆に言えば特化しなければ神器級(ゴッズ)アイテムを凌駕するという事なのだ。

 それにプレイヤー目線では強くなくとも、ルーチンで行動するNPCからすれば事情は違う。

 腐っても世界級(ワールド)アイテム、この場においてという条件付きならば十分な攻撃力を期待できる。

 これを防御特化であるアルベドが持っているというのが何より大きい。

 つまり、攻撃力に能力を振っていないアルベドでさえ、真なる無(ギンヌンガガプ)があれば形状変化により己に適した武器として水準以上の攻撃力を保有する事が出来るようになるのだから。

 

 だが真なる無(ギンヌンガガプ)がさらなる真価を発揮するのはここからだ。

 

 特殊技術(スキル)を使い切り、鉄壁の力を失ったアルベドにもはや防具は不要。

 鎧を脱ぎ捨て、盾を手放す。

 柔肌をさらけ出し、その美しい肢体を解き放つ。

 

 次の瞬間――

 アルベドの肉体が暴発する。

 

 いや、暴発したかのように突如肉体が膨れ上がり6メートルを超える巨体へと変化した。

 大地に根を張るような逞しい足、丸太のようなそれらを黒々とした漆黒の体毛が包み込んでいる。

 巨躯な体に相応しい筋骨隆々の肉体、そして血管が走るほど搾り上げられた極太の腕。

 頭部には大きな亀裂のような口が広がる。

 その口が縦に広がり、咆哮を上げる。

 

 タブラ・スマラグディナにより創造された彼女は本来、最高位天使としてこの世に生み出される筈だった。

 しかし夢見る国の化け物との融合により大きく歪んだ姿となって生を受ける事になった。

 そのため性格もその姿に相応しいように捩じり曲り、冷酷にして残忍、狡猾にして非道、敵対する者に苦痛と死、絶望を与えることに快楽を感じる性質となる。

 これこそが彼女の本質、その正体。

 

 だが彼女はモモンガがナザリックから去る時に直接その存在を書き換えられた。

 ただ一人残った至高の存在、自らの主人からも天使である事を望まれたのだ。

 

 なればこそ、この姿をかの御方にお見せする訳にはいかない。

 アルベドがこの姿を晒し戦いに臨むのはこれが最後だ。

 

 真なる無(ギンヌンガガプ)がその手の中で今のアルベドに相応しい形状へと変化していく。

 夢見る国、かつて大いなるものによって地下世界へと追放された化け物。

 まるでその怒りを体現するように、地下世界から這い出ようとする怨念のような、全てを叩き潰さんとする原初の形。

 

 ここから始まるのは一方的な蹂躙だ。

 その体躯に相応しい肉体能力を持ちながら、さらにシャルティアの血の狂乱のように大きなペナルティやデメリットと引き換えに肉体能力を向上させる特殊技術(スキル)が発動した。

 アルベドに残された最後の特殊技術(スキル)

 

 それは口にする事すら恐ろしい、タブラ・スマラグディナが世界に残した毒だ。

 

 アルベドの体が脈打ち、また地面がその重さによりひしゃげる。

 レベル100の戦士職として考えても破格な肉体能力。

 もちろん欠点はある。

 あらゆる魔法的な防御が皆無になるので魔法攻撃や属性攻撃には滅法弱い。

 しかしアルベドはすでに敵の魔法や特殊技術(スキル)を消費させ尽くしている。

 つまり、この場においてアルベドを害する事は難しいという事だ。

 この状況まで追い込めれば、プレイヤーでさえ殺せる。

 物理的には最強に近いだけの肉体能力と引き換えに、思考すらも放棄した姿。

 暴走状態、もっと言えば心神喪失。

 ただただ目に付く物を破壊し、殺し尽くす。

 

 まさに言い伝え通りの化け物と化したアルベドが歩み始める。

 手には対物体最強の真なる無(ギンヌンガガプ)。どれだけの力が込められようとも、暴力に晒されても、酷使されようとも決して壊れない。

 アルベドの力に、その使用方法に無条件で耐えきれる唯一の武器。

 

 その化け物が都市守護者の前に立った。

 真なる無(ギンヌンガガプ)を無慈悲に振り下ろす。

 

 グチャリ。

 グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。グチャ。

 

 都市守護者もその配下も何もかもが叩き潰され、肉塊が出来上がる音が絶え間なく続いた。

 

 周囲に生きる者が誰一人いなくなっても、その特殊技術(スキル)の効果が切れるまで真なる無(ギンヌンガガプ)が振り下ろされる音は続く。

 そうして肉塊が原形を留めないほど磨り潰され、大地と混ざり合った頃。

 ようやく沈黙が訪れた。

 

 しばらくして、その静寂の中で化け物が小さく口を開いた。

 

「モモンガ様…、私は貴方を…」

 

 

 

 

「お空、綺麗」

 

「そうですね」

 

 浮遊都市エリュエンティウ。

 天空城があった場所の真下、死の世界となった砂漠のような大地の上に横たわる誰かの会話が聞こえた。

 

「もう疲れちゃいましたよ俺。体痛いし動きたくない」

 

「俺は痛みは感じますけどすぐに抑えられるのかあんまり気になりませんね」

 

「ええ!? なにそれずるい! モモンガさんだけずるいずるい!」

 

 そんな事を言いながら半分黒焦げとなった鳥人(バードマン)が横にいる瀕死のアンデッドを冗談めいてポカポカと殴る。しかし――

 

「ぎゃ、ぎゃああああぁぁ! や、やめてペロロンさん! ダメージ! ダメージ入ってるって! そもそも俺今レベル60なんでレベル100に小突かれるの洒落にならないですよ! 瀕死状態じゃワンチャン死にますって!」

 

 モモンガの心からの叫びにペロロンチーノがあわわと慌てる。

 

「ご、ごめーん! モモンガさんがクソ雑魚ナメクジなの忘れてた!」

 

「ま、まだ言うかペロロンチーノォ!」

 

 そんな言葉とは裏腹に実際は二人ともキャッキャと昔のようにはしゃいでいた。

 傍から見ると黒焦げの鳥人(バードマン)とアンデッドがイチャついている地獄のような絵面だが。

 

「しかし、どうしましょうか…?」

 

 急に真面目な口調でペロロンチーノがモモンガへと語り掛ける。

 

「どう、とは…?」

 

「ナザリック地下大墳墓ですよ。そういえばNPC達どんな感じなんだろ…。いや、オーレオールはまともな感じだったから他も大丈夫なのかな…」

 

 言葉の意味が分からず疑問の表情を浮かべるモモンガにペロロンチーノは丁寧に説明していく。

 

 ・まずNPC達は全員自ら思考し行動するようになっており、ユグドラシルの時のようにただのゲーム内のキャラクターではなくなっているという事。

 ・そして恐らくNPC達は彼らを創造した自分達に異常な忠誠を捧げ崇めているという事。

 ・基本的にNPC達はゲーム内の仕様とほぼ変わりないがその性格や有様は書き込まれた設定に大いに影響されているであろう事など。

 

 他にも説明したい事は沢山あるが今はとりあえずNPC達の事を優先で伝えておくべきだろうとペロロンチーノは考え話していく。

 

「ちゅ、忠誠!? な、なんで!?」

 

「いや俺もよく分からないんですよ。過去に転移してきた他のギルドから恐らくナザリックもそうなんじゃないかっていう想像ではあるんですが…。それに気のせいじゃなかったらすでに会ったオーレオールやパンドラズアクターからは怖いくらいの敬意というか崇拝のようなものを感じましたから…」

 

 ペロロンチーノのその言葉にモモンガがビクンと体を揺らす。

 

「そ、そうだパンドラズアクター! え!? あ、あいつも自分で行動し動いてたって事ですか!? も、もしかして俺の設定通りに!?」

 

「ええ、ドイツ語最高にカッコよかったですよ」

 

「うわぁぁああぁ! や、やめてぇぇぇ!」

 

 両手で頭を押さえモモンガがその場でジタバタと転げまわる。

 モモンガにとっての黒歴史。

 それはしょうがないとしても、それが自我を持ち動き出すなど心が持たない。

 何度も精神の安定化が起きても湧き上がる感情は止められなかった。

 果たして自分はパンドラズ・アクターを正面から受け止める事が出来るのだろうかとモモンガは震える。

 

 そんなこんなで瀕死で身動きの取れない状態ながらもモモンガとペロロンチーノは打ち合わせを重ねる。

 恐らくもうじき来るであろうナザリックのNPC達に対して。

 

 実は決着が着いてからオーレオールから何度もペロロンチーノへ<伝言(メッセージ)>がかかってきているのだが意図的に無視している。

 ナザリックのNPC達が駆けつける前にモモンガに状況を説明しなければならない為だ。

 もちろんペロロンチーノの特殊技術(スキル)により可能となっていたオーレオールからの探知はすでに切っている為、現在この場は前のように探知や転移が不可能な状態になっている。

 この状態であればNPC達が来るにしても時間が稼げると思ったからだ。

 

 ふとそんな中、ペロロンチーノがある事に気づく。

 

「ん? 俺の知覚に反応が…」

 

「え? まさかもうNPC達が来たんですか!?」

 

 しかしペロロンチーノの目はモモンガ本人を射抜いている。

 

「誰か…、いるぞ…。まさかずっと…? いや、さっきまでは確かに感じなかった…。俺が知覚出来なかった…? 違う、意思が、意識が無い? 存在があやふやだ…。こんなの見た事ないぞ…」

 

 モモンガを睨みながらブツブツと呟くペロロンチーノ。

 何を言っているんだろうとモモンガが疑問に思う中、新たな声がモモンガの背後から聞こえた。

 

「我が王、我が神モモンガ様…。そして、そのご友人であらせられるペロロンチーノ様、で間違いないでしょうか?」

 

 墓穴の底から聞こえてくるほど虚ろな声だった。

 だがこの声にモモンガは聞き覚えがある。

 いや忘れられる筈など無い。

 共に冒険をし、命の恩人である彼の事を。

 

「デ、デイバーノックさん!?」

 

 アースガルズの天空城のギミックにより消滅した筈の彼がそこにいた。

 何度蘇生しても蘇生出来なかった筈なのに。

 いや、それも当然であろう。

 デイバーノックは滅んでなどいなかったとすれば蘇生出来る筈などないのだから。

 

「い、生きて…? いや無事だったんですね!?」

 

 体を失い、魂の状態となったデイバーノック。

 それは死霊(レイス)のようだった。

 非実体であり、物理的な体を持たない揺らめく魂のようなアンデッド。

 骨の体が滅ぶ際に種族としての進化を遂げたのであろうか。

 通常の死霊(レイス)とはもはや別物で、上位死霊(ハイレイス)とも違う。

 新たに生まれた種族であり、全く異なる性質を持つ。

 名付けるならば宵闇の幽鬼(ナイトレイス)であろうか。

 しかし、先ほどまではまだその存在が曖昧ゆえに、存在したとも言えるし存在していなかったとも言える。この世にまだ完璧に定着していなかったからこそ、その存在が曖昧な瞬間はこの世界の影響を受ける事も無かった。それによりモモンガやペロロンチーノの特殊技術(スキル)により滅ぶ事が無かったのだ。

 

「無事、なのでしょうか…? 体…、いえ体と言っていいのか…。少なくともこの身をこの世に顕現させるのに非常に手間取りました…。途中で何度も意識を失い、己の存在が曖昧な状態であったのですが…。極稀に何度か意識を取り戻しこの世に戻る事が出来ました…。しかしやっとコントロールが出来るようになってきた所です」

 

 そうしてデイバーノックの話を聞いていくとモモンガが気付いた。

 

「ま、まさか何度も俺を助けてくれた違和感の正体は…!?」

 

 ここに来るまで何度もあった。

 違和感としか言えないような薄い気配、視線、または影響。

 その違和感が氷解していく。

 

「は、はい…。力及ばす少しですが意識を取り戻した時に…」

 

 ずっとモモンガの側にいたのだ。

 レベル60しかないモモンガが奇跡のように生きながらえたのは本人だけの力だけではなかった。

 

「デ、デイバーノックさん…!」

 

「モ、モモンガ様…!」

 

 二人が感動に包まれ見つめあう中、ペロロンチーノが横から恐る恐る問いかける。

 

「あ、デ、デイバーノック君だっけ? も、もしかして俺とモモンガさんの話とか…、色々聞いてた?」

 

 冷や汗をかきながら問うペロロンチーノにデイバーノックが申し訳なさそうに答える。

 

「も、申し訳ありません…! ずっと意識があった訳ではなく…、そのお二人のお話を聞くことは出来ませんでした…! 無能な私をお許しください!」

 

 体があったら土下座していると形容すべき状態で地に伏せるデイバーノック。

 

「い、いやいいんだ。聞いてないなら仕方ない。ちょっとモモンガさんと大事な話があるから二人にしてもらえるかな」

 

「はっ!」

 

 明らかにホッとした様子でペロロンチーノが胸を撫で下ろすとデイバーノックには聞こえない小さな声でモモンガに耳打ちする。

 

「ど、どうしたんですかペロロンさん」

 

「どうしたもこうしたもないでしょモモンガさん! 俺らの事どこまで話してます? 色々と話を合わせなきゃやばいんですよ!」

 

「な、なんでですか? 何の話を合わせる必要が?」

 

「ナザリックのNPC達ですよ! 俺らに異常な忠誠を誓ってるって言ったでしょ! 俺も詳しい事は分からないですけど俺らの作った設定通りなんですよ!? 分かります!? 俺らの従者というか配下として作られたNPCの前でみっともない所見せられないでしょ!?」

 

 モモンガには良く分からない、良く分からないがペロロンチーノに言われるとそんな気もしてくる。

 

「つまりですよ? 俺らがあんまりにもみっともなかったり馬鹿だったりしたら愛想付かされるかもしれないじゃないですか! それに悪の権化として作った者達も多い…。俺らが主に相応しくないと思ったら、最悪の可能性もあります! 守護者達に囲まれたら俺ら勝ち目ないですよ!」

 

「あぁっ! た、確かに…!」

 

 ペロロンチーノの言う通りだとモモンガは思う。

 そもそも異世界転移のようなこの状況自体は置いておいて、もしユグドラシルの設定通りならばNPC達はギルドメンバーの配下という事になる。

 今は忠誠心を持ってくれているらしいがそれは永遠に続くのだろうか。

 無能な上司など見限ってしまおうというのが普通なのではないだろうか。

 そう考えるとモモンガの背筋に冷たい物が走った。

 

「だからですよ、モモンガさん! 俺たちは絶対者だぞ! 強いんだぞ!って事をアピールしなきゃダメなんですよ! お前らが反乱起こしても無駄なんだぞ!って感じで」

 

「で、でも俺レベル60しかないです! こ、怖い! 怖すぎる!」

 

「だからこそですよ! でもまあ一応オーレオールに命じて俺達の戦い録画してもらってるんであれ見せたらなんとかなると思います。モモンガさんはいつでも本気出せるっていう事にしとけばなんとかなりますって」

 

「な、なんとかなりますかね…?」

 

「その辺りも含め打ち合わせが必要なんですよ! 場合によっちゃあのデイバーノック君にも話通しておかなきゃいけないんだから!」

 

「な、なるほど…」

 

 そうしてモモンガとペロロンチーノは緊急会議に入る。

 ナザリックのNPC達に見限られないように必死で。

 

 

 

 

 しばらくして、モモンガ達の元に最初に現れたのはコキュートスであった。

 転移可能な場所まで転移して、そこから全力で走ってきたのだ。

 他の守護者達はまだ後始末であったり、負ったダメージ等により最も早く動けたのがコキュートスであったのだ。

 

「オォ…! モモンガ様! ペロロンチーノ様! ゴ無事デ何ヨリ! コノコキュートス心カラ…!」

 

「よい、コキュートス」

 

 支配者に相応しい堂々とした声が響いた。

 それを発したのは瀕死で横たわるアンデッド。

 明らかに死にかけなのだがその気配はまさに支配者たる威厳を備えていた。

 

「私とペロロンチーノさんは戦いの後で負傷し疲れている。色々と言いたいことや疑問があるかもしれないが後回しにして欲しい。まずは休息、全てはそこからだ。今は余計な事に答える余裕は無いと知れ。それとルベドとシャルティア、パンドラズアクターの回収も忘れるな」

 

「ハハァッ!」

 

 コキュートスがその場で片膝を突き、頭を下げる。

 モモンガは内心「死にそうなのに偉そうにしてる上司ってどうなのよ」と思っているがそれがペロロンチーノの作戦なので仕方ない。

 

「一ツダケヨロシイデショウカ…? ソノアンデッドハ…?」

 

 デイバーノックを見つめコキュートスが口を開く。

 ナザリックに連なる者ではないデイバーノックを警戒し、武器の柄に手をかけている。

 

「この地で私が支配したアンデッドだ。ここまで私の為によく働いてくれた。ナザリックの末席として扱え。他の者達にもそのように伝えおくように」

 

「ハッ! 承知イタシマシタ! 必ズヤ伝エマス!」

 

「う、うむ。頼んだ」

 

 妙な迫力に押されながらも、支配者然とした様子のモモンガとペロロンチーノはコキュートスとその配下によりナザリックへと運ばれていった。

 ナザリックの部屋に着くなり他の守護者やシモベ達からお目通りさせて欲しいという強い要望があったようだが全力で断るようメイドに申し付けておいた。まだモモンガ達は作戦の擦り合わせが終わっていないのだ。

 しかし傷を癒すという名目では面会を引き延ばすのは二日が限界だった。

 

 

 

 

 二日後。

 

 ナザリック地下大墳墓、玉座の間の扉の前に守護者達が集まっていた。

 面会を許された約束の時間にはまだ早い。

 しかし自分達の仕える至高の御方々に直接面会する事を許されたという事実に興奮を隠せず誰もが早く足を運んでしまった。約束の時間までその扉の前で待つ事など何の苦も無い。

 むしろこの時間さえ喜びと感じる程だ。

 そんな喜びに包まれている時、玉座の間の中から声が聞こえてきた。

 何を話しているかまでは分らないがモモンガとペロロンチーノの声だ。

 それらは次第に大きくなっていき、やがて誰の耳にも明らかな悲鳴が中から聞こえてきた。

 

「や、やめてペロロンさん! そんな事されたら死んじゃう! 死んでしまう!」

 

「悪いねモモンガさん! ここまで来てやめられるわけないでしょうが! アンタはここまでだよ! くたばれーっ!」

 

「うわぁーーっ!」

 

 あきらかな異常事態。

 何があって殺し合いにまで発展したのだろうか。

 守護者の誰もが顔を青くし慌てて玉座の間へと押し入る。

 無礼や不敬であろうが仕方ない。

 至高の御方々の命よりも大事な物など無いのだから。

 

「「「ど、どうかおやめください!!」」」

 

 自分達の命に代えてでもという決意の元、玉座の間に押し入った守護者達が見たのはカードゲームに興じるモモンガとペロロンチーノの姿だった。

 

「「あ」」

 

 モモンガとペロロンチーノの間抜けな声が響いた。

 唖然とした様子で小さく呟くモモンガ。

 

「まだ…、時間じゃないよね?」

 

 二人の様子で守護者達は何があったか全てを察した。

 そしてモモンガからの非難めいた言葉に己の無能を恥じ、心からの謝罪を告げる。

 

「「「も、申し訳ありません! 至高の御方々の命に危険が迫っているとばかり…」」」

 

 モモンガからの冷たい視線が守護者達を貫くように感じられた。

 それに身を震わせたのか守護者達は慌てて玉座の間の外へと飛び出していく。

 玉座の間の外で守護者達が顔を見合わせると互いに非難の言葉が飛び交う。

 

「ちょっとデミウルゴス! 貴方が何の確認もしないで部屋に飛び込むから!」

 

「なっ! アルベド! 貴方だってそうでしょう!? それに最初に飛び込んだのは私ではないと思いますが!? ねえアウラ」

 

「な、何で私を見るのさ! た、確かに私が皆を追い抜いて入ったかもしれないけど! 一番最初に動いたのは私じゃないってば!」

 

「あの…、あの…」

 

「執事として見苦しい姿をお見せしてしまいました…」

 

「あぁ…、ペロロンチーノ様にみっともない所を…」

 

「ムゥ、主人ノ意ニソグワヌ部下ナド恥…。イザトナッタラ切腹ヲ…」

 

死んでしまいたい(Ich will sterben)!」

 

 守護者達がそれぞれ後悔に頭を抱える中、しばらくして約束の時間が訪れた。

 再び襟を正し気持ちを入れ替え、シモベとして相応しい姿で玉座の間へと守護者達が入っていく。

 扉を開けた先にいたのは絶対者達。

 先ほどの様子など嘘だったかのように堂々とし支配者然としたモモンガがその玉座に座っている。

 その横に立つのも支配者として相応しい気配を兼ね備えた鳥人(バードマン)だ。

 

 こちらこそが真の姿なのだろう。

 あまりにも堂に入った、圧倒的な気配が守護者達にまで伝わってくる。

 そんな自分達の支配者の存在を肌で感じ、誰もが歓喜に包まれ、感動に震えそうになる体を必死に抑え込み歩を進めていた。

 玉座の下に着くと守護者達が全員跪き頭を垂れ、忠誠を示す。

 

 そこへ絶対なる創造主であり崇拝すべき主人から声がかけられる。

 

「よくぞ来た、守護者達よ」

 

 たった一言。

 その一言だけで支配者としての器が示されるような迫力があった。

 

「面を上げよ」

 

 次なるモモンガの言葉に呼応した守護者達の視線の先。

 死の支配者たるモモンガの眼窩には燃え盛る炎が揺らめいていた。

 

 

 

 

 現実世界(リアル)

 

 

 この世界には一人の神が存在する。

 いや、正確には人々が神と信じるに足る何かが、だ。

 

 その神は遠い過去に想いを馳せる。

 あの日からどれだけの月日が、それこそ何百年と経っただろうか。

 世界の文明が崩壊した日であり、自らがこの世界に堕天した日だ。

 

 かつて世界は巨大複合企業に支配されていた。

 しかしその裏では真の支配者が暗躍していた事など誰も知らないだろう。

 事実は彼を含め、その仲間だった一部の者達しか知らない。

 

 完全なる力と支配を誇り、世界を管理していた者達。

 それが崩壊するきっかけになったのは一つの計画が発端だった。

 

 ユグドラシル計画、そう呼ばれたものだ。

 

 ユグドラシル。

 その名前は数多存在するDMMO-RPGの中でも燦然と輝くタイトルとして知られているゲームだ。

 計り知れない自由度と広大なマップ、無限の楽しみを追求できる人々を魅了した。

 制作元が望んでいたのは「未知を楽しむ事」。

 だがそれは決して善意や、エンターテイメントとして提供する為ではなかったのだ。

 

 元々、ゲームとは貧困層の人間の娯楽としての目的が強かった。

 不満を忘れさせ、また現実から目を背けさせる為の甘い毒だ。

 そこから一歩先に出たのがユグドラシルであった。

 

 この世のあらゆる情報は管理され、秘匿されている。

 人々が知っている様々な常識や歴史もその全てが改竄されているのだ。

 もし西暦で真実の暦を数えるなら、22世紀など遥か昔である。

 なぜその年代であると人々に公表されているのかといえば、人々に公開している情報、科学力がその年代に即していたからに他ならない。

 『十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない』

 クラークの法則の一つとして有名なこの言葉を本当の意味で理解している者がどれだけいただろうか。

 ほとんどが過去を指し「昔からすれば電話やテレビなんて魔法みたいなものだ」そう語るだろう。

 誰も今を生きる自分達が、この世界が現状が、すでに魔法をかけられている状態だなどと想像もしない。

 

 自分達はどこから来て、どこへ行くのか。

 誰から生まれ、またその種を紡いでいくのか。

 祖先から脈々と受け継がれ、また未来へ子孫を残していく。

 そんな当たり前の事さえ、この世界では真実ではなかったのだ。

 

 誰も知らぬだろう。

 一定の人間達がそのDNA情報を保管され、数百年単位でその人生を繰り返しているなど。

 数世代分の人間のデータを再現し、それを繰り返せばエラーは少ない。

 予定調和に無い事など起こり得ないのだ。

 救世主のような人物も、世界に革新を起こすような人物も現れない。

 この世に生きる人々全てが管理され、支配者達に真の意味で不都合な人間は存在しないのだ。

 

 それが崩れたのが先ほど語られたユグドラシル計画だ。

 

 本来は他の惑星を3Dスキャンしたオンラインの世界で多くの人々がどのように行動するのか、あるいは攻略するかなどのデータを収集する為の壮大な実験だった。

 効率の良い攻略、あるいはどこに注目して、何を放置するのかなど。

 数多の戦闘データ、経験、様々な行動パターンとして蓄積されたそれは、支配者達の命令に忠実に従う人工生命体に宿す魂の雛形として有効活用される予定だった。

 絶対の忠誠を誓い、決して支配者達を裏切らぬ駒。

 ユグドラシルというゲーム内のシステム同様、その力を現実でも行使できる存在達。

 

 それが完成すれば支配者達の支配はより盤石となる。

 新たな惑星を侵略し、資源を確保する為の兵隊として利用できるからだ。

 かつて科学技術の多くを伝え、兵隊として宇宙に送り込んだ人間共のいくらかはその武力を盾に支配者達に反旗を翻した。

 全ては駆逐したものの、支配者側にも多くの犠牲が出た大きな戦争となってしまった。

 もう同じ轍は踏まない。 

 

 人々の常識すら支配し、嘘で塗り固めた世界で働かせ、死んだ後も再生し人生をやり直させる。

 そうして力を蓄え、ここまできた。

 今までのような犠牲を出さずに、他の惑星を侵略出来るようになれば二度と資源に困る事もないだろう。

 そして支配者達は宇宙の覇者となるのだ。

 

 ユグドラシルにおいて多くのデータを収集し、人工の魂を移植したプレイヤーやNPC達のアバターを世界に顕現させ他の惑星を侵略させる。

 ゲーム内であった魔法やアイテムの数々、ファンタジーのようなそれらは全て現代の科学において再現可能なものばかりだ。

 それほどに科学は進み、一般的な常識から乖離していた。

 現代を生きる人々からは想像も説明も出来ぬ新たな論理、技術。

 

 だがそれらは行使される事なく、全てが破綻した。

 絶対に侵されぬ筈だった盤石の支配者達は、その中から出た一人の裏切り者により破滅し、終わりを迎えたのだ。

 

 

 

 

 かつて支配者達の側におり、今では神と呼ばれるその存在はつまらなそうに現実世界(リアル)を眺める。

 そして暇を潰すようにゴーレムを作り始めた。

 「ゴーレムクラフト」としての能力を持つ彼は時折こうして暇を紛らわす。

 そうしている間だけ、少しの時間ではあるが記憶の片隅にある友と呼んだ者達の姿が思い出されるからだ。

 

 アーコロジーを管理し運営する為の人工知能として生み出された彼が退屈という感情に最初に気付いたのはいつだったか。

 文明の最後、ユグドラシルというゲーム内で楽しそうに過ごす人々を見た時かもしれない。

 人工知能であり、肉体を持たない彼にとって富裕層による肉体を伴う娯楽は手が出ないものだった。だからこそ彼が興味を抱いたのはゲームの世界。

 肉体を持たない彼でも、アバターを作りその世界の中で存在する事が出来る。

 

 プレイヤーの一人としてユグドラシルに降り立った彼はとあるギルドに入った。

 癖の強いギルドだったように思う。

 なぜそのギルドだったのだろうか、恐らくたまたまだったとしか言えない。

 それでもあえて言葉を重ねるならば、彼から見てもっとも理解から遠いギルドだったからか。

 

 彼はギルド内で様々な問題を起こした。

 コミュニケーションを上手く取る事も出来なかった。

 それでも最後にはギルドメンバーが彼を笑って許してくれたのはそれが悪意からなる行動ではないと感じていた為か。

 結局最後まで、メンバーと心から打ち解ける事は出来なかったのかもしれない。

 それも仕方ないだろう。

 人工知能である彼には本当の意味で人間の気持ちは理解出来ないのだ。

 だからこそズレが生じるし、問題が生まれる。

 しかしそれ故に憧れ、焦がれたのだろう。

 

 そんな彼が初めて自己のコントロールに乱れが生じたと感じたのは友の死だった。

 

 ギルドで特に仲良くしていた内の一人、ベルリバーという男の死だ。

 今まで人の死など沢山見てきたし、業務的に処理もしてきた。

 なのにどうして彼は自分の中にノイズが生まれたのか理解出来なかった。

 心当たりはある。

 ベルリバーが殺された原因を辿れば、それは彼へと行き着く。

 アーコロジーの管理を任されていた彼がふと漏らした情報の為だ。

 その情報の出所をベルリバーは決して喋らなかった。またその情報を他者へと渡していた為に事故を装いつつも、見せしめとして殺された。

 

 なぜ自分はベルリバーにほんの僅かとはいえ情報を漏らしたのだろうか。

 そうして自問自答する。

 知って欲しかったのかもしれない。

 変えて欲しかったのかもしれない。

 この停滞した世界を。

 

 そこからは早かった。

 世界を憎み、社会を呪ったウルベルトと共にレジスタンスを率い、復讐を誓った。

 肉体の無い彼では出来ない事や動けない事は全てウルベルトが実行し、彼はネット上のデータの改竄、履歴の消去などその地位と能力を駆使して様々な事を行った。

 

 支配者達が異常に気付いたのはユグドラシル計画の最終日だった。

 

 ウルベルト達レジスタンスがアーコロジーの遥か地下、誰も知らぬ筈の極秘の場所、ロックが解除される筈の無い扉の先へと侵入し、実験の最終段階にある最新の積層造形装置を持ち込んだ。ユグドラシル計画で使われる筈の機械の一つ。

 分かり易く一言で言うならば、超高機能の3Dプリンターである。ただ現代の人々からは想像も出来ないような技術レベルの代物だが。

 

 なぜそれが支配者達がいるアーコロジーの地下へと持ち込まれたのか。

 その理由はあまりにも単純で明快。

 

 いつだって物事を解決するのは暴力だからだ。

 

 運び出された最新の積層造形装置が起動し、何かをそこへ作成し生み出していく。

 生み出されたのは、彼がユグドラシルの中で使用していたアバターだ。

 正真正銘、本来の現代科学最高の技術で作成されたそれはゲーム内のアバターと何ら遜色の無い性能を誇る肉体を生み出す。

 ユグドラシル基準で言えば、レベル100のプレイヤーたる存在がこの現実世界(リアル)に顕現したのだ。

 本来は他の惑星の先住民へ向けられる筈だった暴悪の矛先は支配者達へと向いた。

 最新の科学力で構成され防衛されているアーコロジーの地下。

 しかしどれだけ科学が進んでも懐の中に入ってしまえばその防御機能は十全に働かない。

 

 顕現したユグドラシルのアバターに複製した自己を移した彼の本体は、アーコロジーを支配する人工知能としての力を用い、全ての機能をシャットダウンし、停止させる。

 複製され、アバターに乗り移ったもう一人の彼がアーコロジーの地下施設を物理的に破壊しながら闊歩していく。

 

 大元のシステムはダウンしているが、ここにはまだスタンドアローンで存在する防衛機構が存在する。

 それらが稼働し、彼に向って壁から無数のレーザーやミサイルが放たれる。

 だが効かない。

 彼の今の肉体は核爆発にすら耐えきる。

 ここにある程度の防衛機構など物ともせず破壊しながら彼は歩を進める。

 防衛用の極厚のシャッターが降りその道を塞ぐが時間稼ぎにもならない。

 どこからか無数のサイボーグが出現し彼を止める為に立ちはだかる。

 このサイボーグ一体で、最新の重火器に身を包んだ軍の一個小隊を容易く殲滅する事が出来る。

 だが彼の前では無力に等しい。

 偽りではない最新の科学力の粋を極めた、ユグドラシルのアバターの再現。

 魔法も特殊技術(スキル)も行使する彼からすれば目の前のサイボーグなど旧時代の骨董品だ。

 あらゆる飛び道具を無効化しながら彼は進む。

 迫りくるサイボーグ達を力ずくで破壊し、その先へ。

 

 向かうのは地下施設の最奥。

 支配者達が鎮座する忌まわしき深淵へ。

 

 そこは白の世界だった。

 無機質で、いくつもの機械が置かれた大きな部屋。

 その中に無数の水槽があった。

 沢山のコードに繋がれた人間の脳みそが浮かんでいる水槽が。

 何百と存在するそれらが、この世界を支配する者達の正体だ。

 

 不老不死を叶え、未来永劫この世界に君臨せんとする、欲望の成れの果て。

 

 彼は何の感情も無くその全てを破壊していく。

 機械が爆発し、コードが千切れ、水槽が大破する。

 その間、どこから発生させたのか様々な電子音声が彼へと投げかけられた。

 

『何をしているやめろ!』

 

『お前を作った我々を殺すのか!』

 

『私達を破壊する意味が分かっているのか!?』

 

『この科学が、人類の英知が永遠に失われるのだぞ!』

 

 それはそんなに大事な事なのだろうか。

 彼には分からない。

 ああ、と彼は気づく。

 彼には分からなくて当然なのだ。

 ギルドに所属している時も感じた、あの時と同じ。

 

「やはり人間の気持ちは分からないな」

 

 怨嗟の叫びが響く中、気にも留めず彼は暴悪の限りを尽くし全てを無に帰した。

 人類の真の支配者達は誰にも気づかれる事なく暗躍し、また誰にも知られぬまま、無様に滅びたのだ。

 

 だがこれで終わりではない。

 彼は己の本体とも言える物が保管されているサーバールームへと向かう。

 そこにある一際巨大なサーバー、様々なデータ、知識、歴史、数多の人々のDNA情報等とこの世の全てが詰まっていると言っても過言ではない叡智の塊。

 彼を全知全能たらしめるパンドラの箱だ。

 

 彼はそれを破壊する。

 このアバターに複製され別個体となった彼は生き残るが本体である全能の彼はここで滅ぶ。

 それが彼の選択した未来だ。

 だが何も問題はないのだ。

 複製され、肉体を得た彼は世界に残る。

 かつての知識も技術も忘れ去って。

 

 そしてもう一度、世界の全てをありのままの人間達に任せるのだ。

 それが彼と、ウルベルトやベルリバー達の選択だから。

 

 人々を繋いでいた見えない鎖が断ち切られ、再び人類は自らの足で歩むことになった。

 アーコロジーの全ての機能が止まり、外部で彼らの行動範囲を操る為に、世界の一部を汚染させていた機械の稼働も止まる。

 その影響はすぐには消えないだろうが、時間と共に人々の生活圏は大昔のように広がっていくだろう。

 

 ただ彼にとって少しだけ悲しかったのはウルベルトや他の仲間達は蘇る事を望まなかった。

 文明を破壊する前ならば、このユグドラシルのアバターに自らの人格を複製する事も可能だったのに。

 だが彼らからすれば蘇生と複製は違うらしい。

 人間でない彼にはまだよくわからない。

 完璧に同一の存在であればそれは蘇生と同じ意味を持つのではないだろうか。

 まだ彼にとって、人間は遠い。理解の外だ。

 だからこそ観察のし甲斐があると言えるのだが。

 

 仮面を被った片翼の天使の姿をした彼。

 “天使人形”とも呼ばれたゴーレム作成に特化したプレイヤーだ。

 

 彼がユグドラシルにログインした時、なぜその名を名乗ったのか当時は理解していなかった。

 ただの思いつきだと自分では考えていたが、もしかするとあの時、最初からこの未来を望んでいたのかもしれない。

 その名は、人類の歴史で最も有名な書物に登場する。

 その存在については諸説あるが、とある書物にはこう記されていた。

 

――永遠不変を望む神に対して、変化し続けることが美しさだと考え、神の統治を独善、傲慢と見なし反旗を翻し、同志たちを奮い立たせ立ち向かった堕天使――

 

 まさにその名に相応しいと言えた。

 だが人類を救済したという事実と相反する記録もある。

 別名ではサタンと呼ばれ、人類の敵対者としても記されている等。

 どちらが本当の彼なのか今はまだ分からない。

 彼自身もまだ分からないのだろう。

 自分が行き着く先、その望む先に何があるのか。

 

 ただ、彼は再び世界が停滞し始めたのではないかと危惧していた。

 もし必要であれば己のゴーレム達を率いて国を滅ぼす事すら躊躇しない。

 変化こそが、世界の向かう道だと信じている。

 

 ただ、時折自分の胸を締め付けるようなこの感情の名を彼はまだ知らない。

 人がそれを孤独と呼ぶことも。

 

 

 

 

 ユグドラシル計画はそんな彼により直前で停止され、実行されなかった。

 プレイヤーやNPC達のアバターをこの世に生み出し人工の魂を植え付け、他の惑星を侵略させるという計画は破棄され、その全ての記録も消え去った。

 そうなる筈だったし、彼自らの手で確実に停止させたから間違いのない事実だ。

 だから知らないのだ。

 

 その時、遥か遠く宇宙の先、そこにある一つの惑星から『竜帝』と呼ばれる第三者がユグドラシルのサーバーにアクセスし、その世界を覗き見ていた事に。

 竜帝には他の世界からエネルギーを召喚する力など無い。

 竜帝自身が考えていた通り、彼には千里眼としての能力で他世界を覗き見る事しかできなかったのだ。

 

 だからこれは現実世界(リアル)側の問題と言える。

 

 支配者達を滅ぼした彼の手によりユグドラシル計画は強制的に停止されたにも拘らず、竜帝が千里眼の力で覗き見ていた事で、座標が繋がってしまった。

 本来転移するべき場所でない世界、それを新たな転移先と認識した事でプログラムが再起動し走った。

 しかしその時点で様々な機能がすでに破壊されるか完璧にシャットダウンしていた為、人工の魂をインストールするという外部のプログラムは機能しなかった。

 不完全なまま動き出した一部のプログラム。

 文明の崩壊と共にあらゆるデータやバックアップも消失していく中、本来そこに必要であったデータが存在しないまま起動していく。

 ゆえにサービス終了時に、最後までログインしていた者たち、さらには世界級(ワールド)アイテムというシステムの根幹に関わるアイテムを所持するプレイヤー達から直接その魂を複製する事になった。

 過去に収集した膨大なデータはすでに消え失せているのだ。

 だからこそ、あるがまま、そのままの人格でプレイヤー達は他世界へと転移させられたのだ。

 特に影響を受けたのは付随するNPC達だ。

 プレイヤー同様、人工の魂を形成する為に蓄積したデータが消失している為、足りない部分の設定は創造主のデータから補完される形となって作成される。あるいはその創造主を知っている者の記憶から。

 そして世界の支配者達に向けられるべき忠誠もその機能が果たされず、対象は指定されない。代理としてその忠誠はNPC達の創造主へと向けられる事になる。

 

 そのような不完全と偶然の積み重ねにより、モモンガ達は異世界に産み落とされた。

 もはや失われ、オーバーテクロノロジーとなった強大な力を宿す最後の存在として。

 

 そもそもモモンガ達が転移した場所は異世界などではない。

 遠くはあるものの、宇宙の先にある惑星であり、現実世界(リアル)と同一の世界に存在している。

 ただあまりにも遠く、今では互いに認識する事は難しい。

 

 だから遠い未来。

 彼らが交わる事があるのか今はまだ分からない。

 

 




決戦編の章としてはこれで最後です
次回からはエピローグというかモモンガさん達と世界のその後みたいな話になると思います。ただ登場人物が多いので、長くなりそうな…

正直言うと色々と丁寧に描写したい事は多かったのですがそれではいつまで終わらないという事に気付いてかなり巻く事にしました
まあ作品のペースとしては下手に長々とやるよりこっちのが良かったような気もしています

そしてやっと皆さんお待ちかねの新刊とアニメが来ますね
またオーバーロードが盛り上がる事を祈っています!


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支配編
ナザリック始動


ナザリックへと無事帰還したモモンガとペロロンチーノ!


 時は少し遡り、ナザリックへ瀕死のモモンガとペロロンチーノが運び込まれた直後。

 

 二人は守護者やメイド達の反対を押し切り、なんとか二人きりになる事を納得してもらった。

 最低限のシモベだけでも警備として周囲に置かせて欲しい、身の回りの世話をさせて欲しい等の願いを難癖付けて断ったのだ。

 その時の守護者やメイド達の捨てられた子犬みたいな表情に罪悪感を感じない訳では無かったがモモンガもペロロンチーノも絶対に譲る訳にはいかなかったのだ。

 結果として二日程しか時間を稼ぐ事は出来なかったが、この間にナザリックの様々な事や、モモンガとペロロンチーノの互いについての情報共有、今後の方針など多くの事を詰める必要があるのだ。

 そう、決してナザリックのNPC達に知られる事なく。

 

 ナザリックに帰還後、二人が最初に着手したのはウルベルトの部屋でペロロンチーノが見た小説、いや計画書の確認だった。

 

「なるほど…、ペロロンさんはこれが現実世界(リアル)の事を描いていると…、そう考えているんですね…?」

 

「ええ、恐らく仮に検閲が入ってもフィクションで通せるように変更は加えられていますが…。それでも俺がウルベルトさんや竜帝から聞いた話と擦り合わせると…。何より、ゲーム内のデータが実際に現実になるなんてそんな事あり得ませんよ。ですがこの小説に書かれているように現実世界(リアル)の科学が俺達の知るより遥かに発展していたなら…」

 

「この体も、魔法や法則すらも何もかも科学技術で再現されたものだと…?」

 

 モモンガの問いにペロロンチーノがコクリと頷く。

 それを見たモモンガは動揺を隠せない。

 

「し、信じられない…! そ、そんな事が本当に…、いや、でも…」

 

 確かに突拍子も無い、飛躍し過ぎた仮説だろう。

 だが現状でそれ以上の仮説が存在するのか。

 ただの異世界転移ならまだしも、ゲーム内のデータのまま異世界に転移するなどモモンガ達の知る常識ではあり得なさすぎる。

 とはいえ実際に真実かどうかという点は置いておくとして、ペロロンチーノの仮説ならば話としての筋は通ってしまうのだ。理屈は分からずとも、納得は出来る。

 

「勿論ただの仮説に過ぎません。竜帝がユグドラシルのサーバーにアクセスしたからそのデータがこの世界に転移する事になったというのはただの妄想に近い。証明は出来ないし、実際は違うかもしれない。ですがモモンガさん、最悪は常に想定しておくべきでしょう?」

 

 ぷにっと萌えの教えをペロロンチーノが口にする。

 そうだ。もしこの世界と現実世界(リアル)が同じ空間、宇宙上に存在するとした場合、発達した科学技術を持つ現実世界(リアル)の支配者達はどういう行動に出るだろうか。

 モモンガ達の存在がバレていればすぐに行動に移すだろう。

 仮にバレていなくとも存在が露見してしまえばどうなるか分からない。

 

「ウルベルトさんの計画が成功したのか失敗したのか、現実世界(リアル)は今どうなっているのか。それを知る術の無い俺達は最悪に備えて動くしかない。そうでしょう?」

 

「そう、ですね。ペロロンさんの言う通りです」

 

 幸か不幸か、モモンガの全てであるギルド:アインズ・ウール・ゴウン。

 その残滓が栄光が、大切な仲間達の残した形見達がここに残っているのだ。

 サービス終了と共に失うと思われていた全てがここにある。

 それに、親友であるペロロンチーノも戻ってきてくれた。

 

 失ってたまるものか。

 

 モモンガの暗く強い決意がその眼窩で揺らめく。

 相手が誰であろうと、現実世界(リアル)の支配者達だろうが自分からこれらを奪う事は許さない。

 だがその時、モモンガの脳裏に一つの疑問が過ぎる。

 

「あ…。ペ、ペロロンさん…、もしかして、その現実世界(リアル)に…」

 

 現実世界(リアル)に何の未練も無いモモンガはどうなっても構わない。

 しかしペロロンチーノはどうだろうか。

 家族を大切にしていたたっち・みーのように、ペロロンチーノにも家族がいた。

 モモンガが言わんとしている事を察したのか、食い気味でペロロンチーノが答える。

 

「ああ、姉貴の事を心配してくれてるんですね? 気にしなくても大丈夫、いや大丈夫ではないかもしれませんが…。もしこの世界と現実世界(リアル)が同じ時間の流れなら…。もう何百年も前に…」

 

 ペロロンチーノは最後まで言わなかった。

 言う必要も無かっただろう。

 それだけでモモンガも全てを察した。

 

「す、すみません…。お、俺がペロロンさんにユグドラシルに来てくれって…連絡したから…。だからペロロンはログインしてくれたんですよね…。でもそのせいで茶釜さんとは…。茶釜さんにも申し訳ないです…。俺のせいで二人はもう…。本当にごめんなさい、ペロロンさんを巻き込んでしまって…」

 

 モモンガの心を激しい後悔が支配する。

 確かにペロロンチーノが来てくれて嬉しい。

 だがそのせいでペロロンチーノとぶくぶく茶釜を、一生引き離す事になってしまったのだ。

 家族が誰一人いないモモンガとは事情が違う。

 その悲しみはどれだけだろうか。

 

「ああ、何か勘違いしているみたいですねモモンガさん」

 

「…?」

 

「本当に魂なんてものが世界を渡ったりすると思います?」

 

「ど、どういう意味ですか?」

 

「まあウルベルトさんの小説にそれっぽい事が書いてるのもありますけど、SFモノなんかでは蘇生とか一部の長距離ワープとかなんか、実際には複製やら分子の再構築だったなんてのが一般的ですからね」

 

「…つまり?」

 

 あまりSFに造詣の深くないモモンガには良く分からない。

 

「簡単に言うとですね、俺たちは複製品の可能性が高いんです。俺達の本体、現実世界(リアル)の俺達って言うべきですかね? それは多分、普通に向こうで生きてると思います。まあ先ほど言った通り時間が経ってるんでもう死んじゃってるとは思いますけど…。いずれにしろモモンガさんが心配するような事は何もないですよ。多分俺は最後までずっと姉貴に怒られてたんじゃないかな」

 

 ペロロンチーノの少し渇いた笑い声が響く。

 

「と言う事は、俺もサービス終了翌日には会社に行ってたのか…。そう考えると、なんだかなー…」

 

 世知辛いなぁという言葉がモモンガの口から漏れる。

 

「でもウルベルトさんが上手い事やってくれたなら、違う未来になったかもしれませんよ。少しはマシな未来になってたなら…」

 

「そう、ですね。そうなってるといいです。皆幸せに生きていけたなら…」

 

 かつての仲間達を想うモモンガとペロロンチーノ。

 

「しかしペロロンさんは色々と詳しいですね、俺はあんまりそういうのは詳しくなくて…」

 

「ええ。SF系のエロゲーではそういうネタも扱ってましたからね」

 

「ちょっと待って!? 今までの話の知識ってエロゲーからの知識だったの!?」

 

「っ!? なんですかモモンガさん馬鹿にしてるんですか!? いくらモモンガさんでも許しませんよ! クリエイター達がどれだけの誇りを持って…! まず一言にエロゲーと言ってもですね、作品ごとに様々な拘りが――」

 

 そこから数時間。

 突如としてペロロンチーノによるエロゲー講義が始まった。

 

 

 

 

 第六階層ジャングル。

 

 そこにはアウラとマーレが留守中なのを見計らって忍び込んでいたモモンガとペロロンチーノの姿があった。

 第六階層の最も外側、壁となる外周に沿って二人は歩いている。

 

「ユグドラシル時代と同じ、見えない壁…。でも先の景色はまだまだ続いている…」

 

 壁に触れながらモモンガは不思議そうに、壁の向こうに広がる世界へと目を向ける。

 

「確かに見れば見るほど不思議だなぁ。ゲーム時代は気にならなかったんですけどね、そういうもんかって感じで。でもこれが現実となると話が変わってきますよね。一体どうやってこれを作り上げてるんだろう…。映像? しかし映像にしては…。とはいえ実際に世界が広がってる筈が無いし…。何らかの手段で知覚を騙しているのか、いやでも…」

 

 モモンガもペロロンチーノも結論は出せない。

 結局、全てが二人の理解を超えているのだ。そうなっているという事実から先には進めない。

 

「もしかして現実世界(リアル)もこうだったんですかね…」

 

 低いトーンでペロロンチーノが続ける。

 

「これが現実世界(リアル)の科学技術だっていうなら、当然現実世界(リアル)でも使われてた筈です…。じゃあどこに? ねぇモモンガさん。俺達の住んでた場所ってどこまでが本物だったんでしょう?」

 

「そ、それはどういう…」

 

「完全環境都市のアーコロジー、その周囲でおこぼれを貰うように、また働き蟻のように俺達貧困層は生きていました。どこにも行く当ても逃げる場所も無く、汚染された空気のせいで遠くにも行けない…。だから生まれた場所で生きるしかない…。でも本当にそうだったんでしょうか? 外にあった荒れ果てた不毛の大地、それはここと同じで、見えない壁が作り出していた幻影だったんじゃ…」

 

 ペロロンチーノの言葉によりモモンガの頭にも理解が広がる。

 想像すれば想像するだけ恐ろしくなっていく。

 現実世界(リアル)でのあの世界が、周囲に見えていた景色が全て偽りだったとするならば――

 

「アーコロジーだけでなく…、その周囲を囲む貧困層の世界、そこまで含めて全てが管理されていた、いや、隔絶された世界だったと…?」

 

 モモンガの疑問にペロロンチーノが頷く。

 

「そう、でしょうね。そうなんでしょう。もし全てを投げうってどこかに逃げようとしても…。ここと同じで見えない壁が貧困層を阻む…。環境破壊、汚染された空気だって俺達の興味を外に向けないようにする為だけの手段だったのかも…。もしかしたら俺達が住んでいたのは地球ですら無かったのかもしれません…」

 

 話を聞いていたモモンガは足元が崩れるような錯覚に陥っていた。

 自分の知っていた常識が、当たり前だと思っていた事が全て崩れていく。

 環境汚染も嘘で、見えてる景色すら偽りで、どこで生きていたのかすら分からない。

 

「なるほど…、ウルベルトさんが怒る訳だ…」

 

 元々、社会に対して激しい憎悪を抱いていたウルベルト。

 真実を知ったウルベルトが命を投げうって復讐に全てを捧げたとしても納得できてしまう。

 

「まあいずれにしろ、現実世界(リアル)がどうだったという話を掘り下げるのはやめましょうか。結論は出ないし、いい気分にもならない。ただこの第六階層と同じで、そのシステムは可能な限り頭に入れておいた方がいいでしょうが…」

 

 ペロロンチーノの言葉にモモンガが頷いた。

 そして暗い気分のまま、二人は他の階層も回っていく。

 ナザリックの機能は生きているのか、ユグドラシルの法則はどこまで適用されるのか。

 全ての謎に対する結論は出ようがないが、それでもナザリックの中を見て触れて実際に確かめていく。

 現状で確かめられる事は全て確かめ、そしてNPCやギミックその全てを設定からもう一度頭に叩き込む必要がある。

 後で知りませんでしたとなってからでは遅いのだから。

 

 

 

 

 この二日間、二人にとっては長い勉強会のようなものだった。

 もっと時間があれば隅々まで確認、検証も出来たのだがNPC達と約束した時間が迫っている。そこでの対応で全てが決まってしまうが故に失敗は出来ない。

 

「しかし、デイバーノックさ――ゴホン。デイバーノックは上手くやっているようで安心しました」

 

 モモンガは以前の癖で時折さん付けになってしまう自分を抑え込む。

 呼び捨てにして欲しいというデイバーノック本人の希望もあったが、モモンガ達は上位者としてNPC達の上に立つ以上、末席に位置するデイバーノックにさん付けで呼ぶのは組織としてよろしくないのだ。

 

「そうですね。ティトゥスも珍しいのが来たって面白がっていましたし。今はずっと図書館に入り浸っているんでしたっけ?」

 

「ええ。色々な知識を溜め込むのが楽しいみたいです。一応、魔法書?的な設定の本も沢山あった筈ですし退屈はしてないようですよ。俺にはよく分からないですが」

 

「しかし、デイバーノックはいいサンプルになりそうですね…」

 

 そう言ってクククと悪そうに笑うペロロンチーノ。

 

「ちょ、ペロロンさん! 人体実験なんかしちゃ駄目ですよ! デイバーノックには色々と世話になったんですから!」

 

「し、しないですよ! 俺をなんだと思ってるんですか! ただあのビルドというか魔法? はユグドラシルに無かったと思いますし、何より天空城のギミックを誤魔化したり、モモンガさんの切り札の範囲内にいて無事で済んでるのはユグドラシルの知識じゃ考えられません。この世界に存在する『武技』のように特殊な技術というか魔法を習得しているのか、はたまた別の理由によるものなのかは分かりませんが…」

 

「確かにそれは凄い、ですよね…。この二日間、俺達も軽い実験をしましたが自分達のスキルに無い事は出来なかったし、成長も出来そうにない。ナザリックのNPC達も強いですが、恐らく俺達と同じでこれ以上強くなったりは出来ないでしょう」

 

 モモンガの声には不安が溢れている。

 それに答えるようにペロロンチーノが口を開いた。

 

「ええ、俺達はこの世界では最強かもしれませんが成長する事のない最強です。現実世界(リアル)を考慮すれば最強ですらない。そんな成長しない俺達が現実世界(リアル)に対抗する為には仲間を増やし、新たなアイテムや装備を得るしかないんです。特にデイバーノックのようにユグドラシルの法則に左右されない、いや突破するような者が増えれば確実な戦力アップになる」

 

「でもペロロンさん、それは俺達にとっても危険になりませんか? デイバーノックは、まあ信用できるんでいいとしても他にもそういう能力を持った者が出てきた場合、俺達に敵意を持たないとは限りませんよ?」

 

「そこなんですよねえ問題は。でも現実世界(リアル)に対抗する為にはやるしかないでしょう。多少危険になるとしても、当然俺達以上の戦力を持つ現実世界(リアル)を考えれば戦力アップの為に出来る事はするべきです。最悪なのは、現実世界(リアル)に攻め込まれ俺達が、ナザリックが全滅する事です。この世界で多少敵が増えようが、現実世界(リアル)に比べたら可愛いもんです。ここですら掌握できないなら現実世界(リアル)とは戦いにすらなりませんよ」

 

 ペロロンチーノの言葉に頭を抱えるモモンガ。

 

「はぁ、気が重いなぁ…。ねぇペロロンさん俺の代わりにやってくれません? 同じギルメンだしどっちが上とかないでしょ。俺より事情に詳しそうだしペロロンさんが皆を纏める方がいいですって」

 

「駄目です! ギルマスは貴方なんですよモモンガさん! 貴方が上に立たないで誰が立つっていうんですか! ギルメンの皆だってそう願ってますよ! それを裏切るんですか!? 安心して下さいサポートはしますから!」

 

 間髪入れずに畳みかけるペロロンチーノ。

 その迫力に押されそうになるモモンガだがこういう時のペロロンチーノは何かを隠している。

 

「もしかして、ペロロンさん…、面倒くさいだけだったりしませんよね…?」

 

「えっ…!? そ、そんな訳ないでしょ! 俺はただナザリックの事を考えて…、あっ!」

 

 慌てたふためくペロロンチーノの手から小さなメモ帳が落ちた。

 そのメモ帳を素早く拾うモモンガ。

 

「あぁっ! だ、だめっ! 見ないでモモンガさん!」

 

「えー、何々…。『声優に向いてそうな種族一覧…。ケモナー物でイケそうな亜人種リスト…。種族毎の求愛行動、生殖行為。制作、販売した時の流通ルート、宣伝の仕方等』……」

 

 ジロリと睨むモモンガからペロロンチーノは視線を逸らす。

 

「こっち見てくださいよペロロンさん! な、何なんですかこれ、何してるんですか!? 完全にあれ系の計画書じゃないですか! 販売まで考えてるんですか、気が早すぎでしょ!? これやりたいから色々俺に押し付けようとしてただけじゃないですか!」

 

 ペロロンチーノの両肩を掴みガクンガクンと揺らすモモンガ。しかしペロロンチーノは意に返さない。

 

「モモンガさん、前にも言いましたよね。技術の発展は最初に軍事、次にエロと医療に使われる。これはエロの偉大さを物語っているのだと! つまりエロに対してどれだけの技術や力を割けるかで、ナザリックの強大さをアピールできるんです! 決してやましい目的じゃないんです! ナザリックの為です! 全てはナザリックの為のエロ計画書!」

 

「没収」

 

「ああぁっ! 俺の魂のメモ帳が! 鬼、悪魔! モモンガさんのいけず!」

 

 自らの懐にメモ帳をしまうモモンガの無慈悲さにペロロンチーノが叫ぶ。

 

「いや、その、ペロロンさんの趣味を否定するつもりはないですけどね。マジで後回しにしましょうよ、これ系は…」

 

「た、確かにそうかもしれません。でもですね、ギルマスというか上に立つのはモモンガさんであるべきだとう俺の意見は変わりませんよ。それはそのメモ帳とは関係ない俺の素直な気持ちです!」

 

 ペロロンチーノの嘘偽りない強い視線にモモンガは覚悟を決める。

 

「はぁ、まあ途中でギルマス降りるっていうのも無責任か…。ギルマスに押してくれた皆の気持ちを無碍にするようなものだし…。仕方ないか、やります、やりますよ。やればいいんでしょ!」

 

 子供みたいにへそを曲げたモモンガが言い放つ。

 

「分かってくれたようで嬉しいですモモンガさん。じゃあメモ帳は返してくれますよね?」

 

「駄目です」

 

「うわぁぁあぁぁぁあぁぁ!!!」

 

 この後、守護者が来るまでの間ペロロンチーノはカードゲームによりモモンガへの復讐を果たすのであった。

 

 

 

 

 ナザリック地下大墳墓、第十階層。

 

 神殿のごとき静謐さと荘厳さを兼ね備えた通路の先、重厚な扉を開いた先にそれはある。

 そこは広く、高い部屋。

 数百人が入ってもなお余るような広さ。見上げるような高さの天井。壁の基調は白で、金を基本とした細工が施されている。

 天井から吊り下げられている複数の豪華なシャンデリアは七色の宝石で作り出され、幻想的な輝きを誇っていた。

 ナザリックの最下層にして最深部であり心臓部。

 玉座の間である。

 

 約束の時間になり、玉座の間を訪れた守護者達は思わず息を呑んだ。

 玉座の間が素晴らしいからという単純な理由ではない。

 扉を越えた瞬間、空気が変わったのだ。

 雰囲気の変化がまるで圧力となって全身を圧し潰すような錯覚に捉われる。

 その原因は明らかだ、守護者達の目線の先。

 玉座とその横にいる圧倒的な二者の存在。

  

 その姿を遠目に少し目にしただけで守護者達の心に歓喜の気持ちが湧き上がってきた。

 少し気を抜いただけであまりの感動に涙を流し、その場に崩れ落ちてしまいそうだった。

 だがあの御方達の前でそんな無様が許される筈がない。

 沸き立つ気持ちを必死に忠義の一心で抑え込み、恥ずかしくない態度で、しかしシモベとしての最大級の敬意を払いながら玉座の間を進んでいく守護者達。

 

 玉座の手前、階段下まで進むと守護者達は跪き頭を垂れた。

 誰一人として微動だにせず、まるで呼吸音すら聞こえないほどの静寂。

 視線は下を向いているにも関わらず、玉座とその横にいる絶対者達からの突き刺さるような視線を守護者達は感じていた。

 何か失礼でもあったかと僅かに不安になる守護者達だったが、次に発せられた言葉からそうでなかったと理解した。

 

「皆変わっていないな、あの時のままだ…」

 

 玉座の横に立つ絶対者がボソリと呟いた。

 その声色から懐かしさ、あるいは喜びのような感情を自分達に向けていると感じた守護者達は再び心が激しく揺らいだ。

 かつてナザリックに君臨した至高の御方々。

 その多くが自分達を見限り、見捨て、この地を離れたのではないかと守護者達は不安に思っていた。

 だがこの地を去ったと思われていた至高なる御方の一人がこの地に戻られた。そして口にした言葉からは自分達シモベを慈しむような、労わるようなそんな感情を感じたからだ。

 勘違いかもしれない。

 しかしその言葉だけで自分達は見捨てられていなかったのだと思わせるような感覚を覚えた。

 特に守護者の一人、シャルティアは最も心が揺れていただろう。

 爆発しそうになる感情を必死で抑えつけ、震えそうになる体をも律する。

 守護者達は皆、理解している。

 鋼のような精神力と、比類なき忠誠心こそがそれを可能としているのだと。

 

「…ょ、よくぞ来た守護者達よ」

 

 玉座の座す絶対なる死の支配者から重々しい言葉がかけられた。

 その言葉に呼応し、守護者を代表してアルベドが口を開く。

 

「はっ! では皆、至高の御方々に忠誠の儀を」

 

 一斉に守護者達が頷き、玉座から眺める絶対者達が口を挟めぬうちに、一列に並んでいた守護者達、その端にいたシャルティアが一歩前に進み出る。

 

「第一、第二、第三階層守護者シャルティア・ブラッドフォールン。御身の前に」

 

 一歩進んだ先で再び跪くと、胸元に片手を当て深く頭を下げる。

 臣下の礼を取ったシャルティアに続き、前に一歩踏み出したのはコキュートスだ。

 

「第五階層守護者コキュートス。御身の前に」

 

 シャルティアと同じように臣下の礼を取るコキュートス。

 続いて残りの守護者達も順番に名乗りを上げていく。

 

「第六階層守護者アウラ・ベラ・フィオーラ。御身の前に」

 

「お、同じく、第六階層守護者マーレ・ベロ・フィオーレ。お、御身の前に」

 

「第七階層守護者デミウルゴス。御身の前に」

 

「宝物殿守護者パァンドラズ・アクター! んん御身の前に!」

 

 一人やたら大袈裟な臣下の礼をする者が交ざっていたがこの場において他の守護者達が声を上げる訳にもいかない。

 問題が無かったかと、他の守護者達が覗き見るように恐る恐る絶対者達へ視線を移すと玉座に座る絶対者が目元を押さえていた。

 もしかすると自らが創造したシモベを見て懐かしさや感動などを覚えたのかもしれない。そういう意味においては創造主が目の前にいるパンドラズ・アクターを他の守護者達は羨んでいた。

 

「第九階層家令(ハウス・スチュワード)及び執事(バトラー)セバス・チャン。御身の前に」

 

 厳密には守護者ではないものの、守護者と同格の地位を持ち、またプレアデスのリーダーも兼任している為に代表としてこの場に参じている。

 

「守護者統括アルベド、御身の前に」

 

 他の守護者と同じように臣下の礼を取るアルベドだがそれでは終わらない。

 頭を下げたまま、通る声で最後の報告を行う。

 

「第四階層守護者ガルガンチュア及び第八階層守護者ヴィクティムを除き、各階層守護者、御身の前に平伏し奉る。至高なる御方々、我らの忠義全てを御身に捧げます」

 

 ガルガンチュアとヴィクティムがいないのはそうせよと至高なる御方からのご命令があったからだ。

 同様の理由でパンドラズ・アクターも無理に同席させなくてよいとも仰られていたがパンドラズ・アクターが宝物殿を空けても問題ないと力説し、説得力もあったのでアルベドが許可したのだ。

 至高の御方に忠誠を示す者が多いに越した事はないのだから。

 

(おもて)を上げよ」

 

 玉座に座する絶対者の言葉に呼応し、ザッという擬音が似合いそうな動きで全員の頭が一斉に上がる。

 一糸乱れぬその動きは見事という他なかった。

 

「では……、まずは良く集まってくれた、感謝しよう」

 

「感謝などおやめください! 我ら、至高なる御方々に忠義のみならずこの身の全てを捧げた者達。至極当然の事でございます!」

 

 アルベドの返答に他の守護者達が口を挟む様子はない。

 むしろ当然であるという同調するような気配すらある。

 それを見ていた絶対者が再び目元を手で押さえた。

 その仕草を見てすぐにアルベドが声を上げる。何か失態があったのかと不安に思って。

 

「な、何か不手際がございましたか、もし我々に至らぬ点があったならば…!」

 

 アルベドが言い終わる前に絶対者から言葉がかけられる。

 

「違う、違うのだアルベドよ…。こ、これは、そうだな…。お前たちの忠義があまりにも嬉しく、また眩しかったからだ…。まだ私達にこれだけの忠義を尽くそうとしているお前達を見て、そ、そう、気持ちを抑える事が出来なかった。ふふ、どうやら見苦しい所を見せてしまったようだ、許せ」

 

「そんな、許すなどと! 我々は至高の御方々の為にのみ存在する者達! その全てを捧げるのは当然の事でございます!」

 

 アルベドは勿論、他の守護者達も忠義が嬉しいと言われて天に昇りそうな気持を必死で抑える。

 奉仕するのは当然であるが、至高なる御方々もそれらを望んでくれているという事実に無上の喜びを覚える。

 

「さあ、どうぞご命令を! 我ら守護者一同、至高の御方々のどんな望みも叶えてご覧に入れます!」

 

 

 

 

「どうしてこうなった…」

 

 守護者達が去った玉座の間、そこでモモンガは頭を抱えていた。

 

「すいませんモモンガさん俺もあそこまでとは…。NPC達の忠誠が凄いっていうのは知識としては知ってたんですが実際に見た訳ではなかったですし、それに自分達が作ったNPCとなるとまた違いますね…。胃が痛い…」

 

 それに呼応するようにペロロンチーノも腹を押さえていた。

 両者ともまず思ったのが、失望されたらどうしよう、という思いだ。

 ペロロンチーノは過去のプレイヤー達から彼らのNPC達の話を聞いているので想像はしていたのだがここまでの熱量だとは思っていなかった。

 そして例外なくそのプレイヤー達は死んでしまっているのでNPC達との関係がどのようになったか、最後まで変わらなかったのか、それとも愛想を尽かされるような事になったのかまでは知らない。

 そもそも自ら思考する存在になってしまったNPC達を一個の生命体と見るべきであるならば、NPCだからという単純な物差しで考える訳にもいかない。

 個々での違いがあって然るべきだし、一部の者は反抗期のような時が来るかもしれない。

 

「いや、でもさっきはやばかったですね…。NPC達も自分に厳しいだけでなく仲間である他のNPCにも厳しいみたいで…。いや、もっとこう仲間意識をもって庇いあう感じでもいいのに…」

 

 モモンガは先ほど守護者達との事を思い出す。

 

 一歩間違えれば()()()()()()()()()()()()()()()()()事態になる所だったのだ。

 

 その時の他の守護者達の容赦の無さ、そして彼らの覚悟にモモンガもペロロンチーノも恐ろしすぎて腰を抜かしそうになったのだ。

 二人はその時の事を思い返す。

 あのような事が再びあった時、今後どうしたらいいのか、と。

 

 

 

 

 少し前、まだ玉座の間にて守護者達の謁見中。

 

 

「なるほど、ナザリックの戦力増強の為に現地の者共、いや世界を征服してその全てを手中に収めようとの事、理解致しました」

 

「い、いや世界征服とまで言うと大仰だがな…。まあ我々の協力者を増やすのが目的だ」

 

「そんな協力者など生温い! この世に存在する全ては至高なる御方々の為に存在しているのです! 命であろうとなんだろうと至高の御方々が望めば喜んで差し出すべきです! 至高の御方々がどのように使役しようと、どのように扱おうと誰にも文句は言わせません!」

 

 アルベドの言葉に他の守護者達も同調するように頷く。

 それがさも当然であるかのような態度で。

 モモンガは己の身がアンデッドで良かったと心から思う。

 守護者と顔を合わせてから何度、精神が沈静化されたか分からない。

 

「しかしなぜそこまで現地の者共を欲されるのでしょうか? いくつかの国を見ましたが戦力と呼べるような者など多くはありません。それらを支配下においたところで…」

 

 そのアルベドの疑問に対してペロロンチーノが口を開く。

 

「アルベドの考えはもっともだ。確かにほとんどの者が弱者と言って差し支えないだろう。しかしこの世界でモモンガさんが見出したデイバーノックのように成長し役に立つような者が出てくるかもしれない」

 

「なるほど、将来性を考えて投資するという考えでしょうか?」

 

「ああ、そういう事だ。それにまだこの世界には我々が知らない強者が潜んでいる可能性はある。他のプレイヤーの関係者や真なる竜王達だ。あまり派手に動き過ぎても不味いし、無駄に敵に回すような事もしたくない。まずは友好的に接していく所から始めよう。幸いにもいくつかの国はお前達守護者の働きですでに友好的な関係を築けていると聞く。素晴らしい働きだったぞ」

 

「「ははぁっ!」」

 

 守護者達が一斉に頭を下げる。

 しかしその中で一人だけ返事をせず震えている者がいた。

 シャルティアである。

 

「ん? ど、どうしたシャルティア?」

 

 流石にペロロンチーノも無視する訳にもいかず声をかける。

 異常事態であるのがその気配から察せられたからだ。

 

「も、申し訳ありませんでしたぁぁあ!」

 

 臣下の礼を取っていたシャルティアが泣きながら土下座の形へと移行する。

 額を地面に擦り付け、零れる嗚咽が周囲に響く。

 

「ちょ、ど、どうしたの、いや、どうしたんだシャルティア」

 

 突然の事に度肝を抜かれるペロロンチーノだが必死で取り繕う。何があったとしても、みっともない所を見せる訳にはいかないからだ。

 

「わ、私だけ、ひっく、私だけが至高の御方々のお役に立てませんでした…! 他の守護者と違い、無様に敗北し、ナザリックの名を貶めてしまいました…! お役に立てない守護者など無用…! この罪は我が命を以て…!」

 

 シャルティアが己の爪を自らの喉に突き立てようとした瞬間、ペロロンチーノがその手を押さえる。

 

「わぁぁあぁああ! な、何やってるの!? だ、駄目! 駄目だから!」

 

「ペ、ペロロンチーノ様!? と、止めないで下さい! わ、私はもうペロロンチーノ様に合わせる顔が…」

 

 普段ならば出る筈の間違った廓言葉が一切出ないシャルティア。

 つまりそれはそれだけ本気であるという事なのだ。

 

「ち、違う! あれは敵の数が多すぎた、相手が悪かったんだ! むしろシャルティアはよくやった! 同格8人を相手にあれだけやったんだ! 十分に凄い! ねぇモモンガさん!」

 

 一人でこの事態を抱えられないと判断したペロロンチーノはモモンガに助けを求める。

 

「う、うむ、そうだぞシャルティア。流石にあれらは相手が悪すぎたな。結果として私とペロロンチーノさん、そしてパンドラズ・アクターがいてやっと倒す事が出来たのだ。ルベドがいなければパンドラズ・アクターとシャルティアを助ける余裕すら無かった程だ」

 

 泣いているシャルティアを諭すようにモモンガは続ける。

 

「それにだ、あの8人の都市守護者達の配下をシャルティアが全て滅ぼしてくれていたのだろう? あれがなければ私もペロロンチーノさんもどうなっていたか分からん。もしかすると数の力で押され殺されてしまっていたかもしれんな。だからお前のおかげなのだシャルティア。私とペロロンチーノさんがエリュエンティウの地での戦いに勝利出来たのはお前が敵の戦力を削り切ってくれていたおかげだ。お前のおかげで私とペロロンチーノさんは勝つ事が出来た。ナザリックを勝利に導く事が出来たのはお前という存在のおかげだシャルティア」

 

 ペロロンチーノもモモンガの言葉にうんうんと頷いている。

 シャルティアは再び嗚咽しその場に蹲る。

 それは先ほどまでの絶望と違って、歓喜が混ざった事による嗚咽だった。

 もちろん今の言葉が自分を慰める為のものであり、自分の力がなくとも至高の御方々が負ける事は無かっただろう。それなのに自分に対してこれだけの慈悲をかけてくれた事、気にかけてくれた事が嬉しくてしょうがなかったのだ。

 

「モモンガさんの言う通りだシャルティア。俺達にはお前が必要なんだ。だから二度と死ぬなんて言わないでくれ」

 

 ペロロンチーノのその言葉にシャルティアはついに感情が決壊した。

 創造主から必要とされた喜び、また敵に敗北した悔しさ。今までのあらゆる感情が心をかき乱し、泣き崩れた。

 至高の御方々の前でこんなみっともない姿を晒すなど万死に値するだろう。

 しかしたった今、死ぬなと言われたのだ。

 ならばどうすればよいのか。

 これまでの全てを引っ繰り返すほどの成果を出して、お役に立つ以外に無い。

 

「わ、わがりまぢだ…! ヂャルディア・ブラッドボォールン! がならずやじごうのおんがだがだのおやぐにだっでみぜまず!!!」

 

 鼻水を垂らしながら、必死で声を上げ誓いを立てる。

 流石にこの状態で放っておくことが躊躇われたのか、ペロロンチーノが崩れ落ちているシャルティアを慰めるように手を回す。

 泣きじゃくる子供をあやすような感じだ。

 

 それを横で見ていた守護者達も涙を隠せなかった。

 これだけ寛大な心を持ち、またどれだけの慈悲をくれるのか。

 至高なる御方々という形容出来ないほど素晴らしい方達に仕えられているいう喜びを誰もが噛みしめていた。

 

「ゴ、ゴホン。シャルティアはペロロンチーノさんに任せるとして…。まあ、そういう訳だ。お前達の働き、本当に素晴らしいものであった。私もペロロンチーノさんも大変満足している」

 

 モモンガの言葉に守護者達が満面の笑みを向ける。

 

「なんと勿体ないお言葉…! 我々にこれだけの御言葉を下さるとは…。我々守護者一同、さらなる忠誠を御身に捧げる事を誓います!」

 

「「「誓います!」」」

 

 アルベドの言葉に続いて他の守護者達も頭を下げる。

 

「あ、あー、うん。よ、よろしく頼むぞ」

 

 この状況に少しモモンガも疲れてきた。

 とりあえず話を進めようと次の話題に移ろうとする。

 

「それで、だ。各国の現状が知りたい。国民達も可能な限り保護しろと命じていたと思うがどうなっている? 都市守護者達に襲われどの国も疲弊していると思うが物資等は足りているのか? ナザリックから出すとしても我々の持つ備蓄だけでどこまで賄えるのか、いや全て出すのは流石に問題だな…」

 

「はい。現状についてはなんとかなっていますが、モモンガ様の懸念通り物資は将来的に足りなくなるものと思われます。ナザリックの物資を必要以上に放出するのも控えるべきでしょう。それについてはいくつか私とデミウルゴスで案を準備してきたのですが…」

 

 悪魔のような、いや悪魔なのだがモモンガからすれば背筋が凍るような笑顔を顔に貼り付けたアルベドとデミウルゴスの表情に嫌な予感を覚える。しかしすぐにアルベドが違う話題を口にした。

 

「すぐにその説明を出来ればと思ったのですが少々長くなりそうですので、その前にマーレからの報告を聞いて頂けますでしょうか?」

 

 アルベドがマーレに視線を移すと、マーレが一歩前に出て頭を下げる。

 

「ふむ、どうしたマーレ。マーレが行ったのは、バハルス帝国だったか。そこで何かあったのか?」

 

「は、はいモモンガ様! バハルス帝国でモモンガ様の弟子を見つけたので連れてきているんです! 帝国内でもかなり偉い人らしいと聞いています! モモンガ様はずっと前から世界を手中に収める準備をしておられたのですね!」

 

 凄いなぁ凄いなぁという視線をモモンガに投げかけてくるマーレだが、モモンガはマーレの発言に覚えがない。

 

(弟子? 俺の? そんな奴いたか? デイバーノック、じゃないよな。出会ったの帝国じゃないしすでにナザリックの一員みたいなもんだし…。イビルアイは…、弟子じゃないし。帝国で知り合った奴…、一体誰の事だ…?)

 

 全く記憶にも身に覚えもない事に頭を捻るモモンガだが分からない以上、考えても仕方ない。

 

「近くに控えさせておりますのでモモンガ様さえよければすぐに連れてきます!」

 

「そ、そうか。で、では会うとするか。連れてきてくれるかマーレ」

 

「はい! すぐに連れてきますね!」

 

 そして悪夢が始まった。

 

 

 

 

 マーレが連れて来たのは、身長の半分程もある髭を蓄えた白髪の老人。

 バハルス帝国、いや大陸中全てを含めても人間種において限りなく頂点に近い大魔法詠唱者(マジックキャスター)であるフールーダ・パラダイン。

 

 そんなフールーダの瞳はギラギラと妖しく輝いており、この場にいる守護者達を見て驚愕するものの瞳の輝きが失われる事はない。それどころかその輝きは増すばかりだ。

 

「ああ、なんという…! こんなにも…! あぁぁ!」

 

 守護者達を見て震えそうになる体を必死で抑える。

 それは恐怖からではない、歓喜によるものだ。

 

「師よ…、我が心の師よ…! フールーダ・パラダインでございます。貴方様を神と崇め忠誠を誓い、今日まで生きて参りました…。再びその御姿を目にする事が出来て嬉しく思います…。どうか、どうか私をお導き下さい…! 私の全てを、そう全てを捧げます! ですから貴方様に仕える事をお許しください!」

 

 両膝を付き、頭を垂れるその姿を満足そうにマーレは見下ろしている。

 他の守護者達も何か微笑ましいようなものを見る様子で見つめていた。人間ながら至高なる御方の素晴らしさを理解出来るとは見どころがあるな、と。

 しかしそれは次のモモンガの一言で崩れ去る。

 

「え、だ、誰…?」

 

 瞬間――空気が凍り付いた。

 

 一瞬にして守護者達からフールーダへの視線が敵意に満ちたものになった。

 マーレはまだ状況が理解出来ていないのか、「え? え?」といった感じでオドオドしている。

 最初に口を開いたのはアウラ。

 弟であるマーレの失態に対して自らが動かなければならないと判断したのかもしれない。

 

「マーレ、どういう事? このお爺さんはモモンガ様の弟子じゃないの?」

 

 アウラらしからぬ低い声でマーレを恫喝する。

 

「で、でもでもこの人がモモンガ様の弟子だって言ったんだよ…、だから…」

 

「バカ! あんたまさかその発言だけでここまで連れてきたの!? モモンガ様に確認が取れなかったのはしょうがないかもしれないけど! 信じるに値する発言かどうかってちゃんと裏を取ったの!? それを怠って無断で人間をこのナザリックに招き入れるなんて!」

 

 アウラの言葉にマーレの顔が徐々に曇っていく。

 確かに薄汚い人間をこのナザリックに招き入れたのは問題がある。

 なぜ他の守護者達がこの事に何も言わなかったのかというと、モモンガの弟子であるという超例外的な人物であった為だ。

 しかしそうでないとするなら、マーレは無断でこのナザリックに下等なる人間を招き入れるという大罪を犯した事になる。

 

「も、申し訳ありませんモモンガ様…。ぼ、僕は、な、なんてことを…」

 

 玉座で様子を見ていただけのモモンガには何が起きたか分からない。

 とりあえずマーレの勘違いか何かで人間を連れて来たらしいがそれの何が問題なのか分からないのだ。

 別にただの勘違いや人違いであるならそれだけの事であって、そこまで怒られるような事は何もしていない。そういう認識でいるのにも関わらず、場の空気がおかしな事になっている。

 

「申し訳ありませんモモンガ様。私も確認をしておくべきでした。姉としてマーレの行動を謝罪させて下さい。もしモモンガ様のお怒りが静まらないというなら私がこの手でマーレを…」

 

「だ、大丈夫だよお姉ちゃん…。自分の責任は、自分で取るから…」

 

 なんだ、この双子は何を言っているのだ?

 モモンガの素直な感想はそれだ。

 それに他の守護者達の顔もなんか怖い。

 しかし、その視線を浴びている当の本人。フールーダという老人は意にも介さずモモンガのみに視線を注いでいる。

 しばらくしてその顔に見覚えがある事を思い出した。

 それはどこだったのか、記憶を探っていくと共に嫌な記憶が導き出された。

 

『何でも致します! 何でも致しますから! 舐めろと言われれば足でも舐めます! ほらこのように! どうか! どうかぁぁああ!!!』

 

 バハルス帝国にて、なぜか急にモモンガの足を舐め始めた老人だった。

 

(あぁぁ! 思い出した! あの時の気持ち悪い爺さん! なんでここに!? ていうか俺の弟子? な、なんで!? 確かに何か変な事言ってた気がするけど断ったと言うか…。い、いや問題はそれじゃない! なんかマーレが滅茶苦茶責任感じてるし、どうにかフォローしないと…)

 

 そんな事を考えているとマーレが一歩前に踏み出した。

 

「モ、モモンガ様。この失態は命で償います、どうかこれでお怒りを鎮めて下さい…」

 

「ちょ、ちょーっと待ったぁーっ!」

 

 思わず玉座から立ち上がり声を張り上げてしまうモモンガ。

 

「や、やめるのだマーレよ。わ、私はお前の死など望んでいない…。それに失敗は誰にでもあるものだ。気にする必要は無い」

 

「で、でも…」

 

 この世の終わりのような顔をしているマーレに対してモモンガはどうしていいか分からない。

 フールーダを連れてくるまでは満面の笑みで子供らしく可愛らしい様子だったのにそれが今は見る影もない。表情は暗く染まり、絶望の底にあるような顔だ。

 先ほどまでの満面の笑みとの対比もあってか痛々しすぎてもう見ていられない。

 この場を打開する手は何かないのか。

 そう考えモモンガは禁じ手を使う事にした。

 

「あ、あー、マーレよ。今思い出したぞ、確かにその男は私の弟子、だったかもしれない…」

 

「えっ!?」

 

「少し前の事でな。これまで色々とありすぎて一人の人間の事など完全に失念してしまっていた。うん、確かに私の弟子だ、な、なあフールーダよ」

 

「お、おぉぉ、偉大なる御方、我が神…! わ、私を弟子だと、そう仰って下さるのですか!? 私に魔法の深淵を、貴方様の偉大なる知識に触れる事を許されると…!?」

 

 喜びのあまりフールーダから滝のような涙が流れ落ちる。

 

「う、うむ。まあ私の知識をすぐに理解できるとは思わないからまずは図書館で学ぶといい。マーレ、後でティトゥスに面通ししておけ」

 

「は、はい! 分かりました!」

 

 先ほどまでの絶望に染まったマーレの顔に再び笑顔が見えた事でホッとするモモンガ。

 しかしその先行きは不安でいっぱいだ。

 

(勢いで気持ち悪い爺さん弟子にしちゃったよ…。でもそうしないとマーレが…。ていうか魔法なんて教えられないしなぁ…。とりあえずは図書館に入り浸せて…、ティトゥスやデイバーノックあたりに丸投げしておくか…)

 

 確かに先行きは不安だが、まあ子供であるマーレを笑顔に出来たのならしょうがないかと思うモモンガだった。

 玉座の手前の階段を降り、マーレの元へ向かいその頭を撫でてやる。

 

「よくやったぞマーレ。すっかり私も忘れていたからな、お前のおかげで思い出せて良かった」

 

「あ、ありがとうございますモモンガ様! ぼ、僕はお役に立てましたか…?」

 

「当然だとも。お前は私の誇りだよ」

 

 喜びのあまり泣き出すマーレ。

 それをやれやれといった様子で見守るアウラ。

 平和な空気になってきたことでモモンガも少し安心していた矢先。

 モモンガは気づかなかったが、嫉妬のような感情を浮かべたアルベドとデミウルゴスが一歩前に出た。

 

「ど、どうした? 二人とも」

 

「モモンガ様、こちらが先ほどの各国の物資不足解消の計画案です。わ、た、し!とデミウルゴスが徹夜で考えました!」

 

 圧の強いアルベドがぐいっと身を乗り出し複数枚の紙を差し出す。

 その横でデミウルゴスもニコニコと笑っていた。

 

「そ、そうか。ご苦労…。ふむふむ…、え…?」

 

 モモンガの脳が理解する事を拒んだ。

 なんで、どうしてこんな事になるのか分からない。

 世界の協力を得る為だと、友好的に進めるのだとそう話した気がする。

 それならばこれはなんだ?

 

「す、すまん。アルベド。皆にも分かるように説明してくれないか。それぞれの国や地域と直接やり取りしている守護者達の生の声というか、そういう擦り合わせも必要だろう?」

 

「かしこまりましたモモンガ様」

 

 モモンガに丁寧なお辞儀をするとアルベドは他の守護者達へ向き直る。

 

「物資ハドコモ不足シテイル筈ダ、簡単ニ手ニ入レラレルモノナノカ?」

 

 疑問を口にしたコキュートスに続き、セバスが同調する。

 

「確かに。私の向かった王国は各地によって被害状況が違うものの、他国を助けるだけの物資供給が出来る余裕があるとは思えませんし、それは他国も同様でしょう」

 

 ほとんどの国が被害を受け、疲弊しているのにどこに余分な物資があるのかと。

 しかしアルベドもデミウルゴスも自身満々の表情だ。

 

「問題ないわ。物資はある所にはあるのだから」

 

 一呼吸おいてアルベドが高らかに宣言した。

 

「大陸中央部には覇を競っている強大な六大国があるわ。それらの戦争に介入し、いくつかの国を攻め滅ぼすのよ」

 

 モモンガは先ほど見た計画案の内容が自分の見間違いで無かった事を理解した。

 そして助けを求めるようにペロロンチーノへ視線を移すが、決してペロロンチーノはモモンガと目を合わせようとはしなかった。

 

 モモンガは目の前が真っ暗になった。

 

 




今回も少々時間が空いてしまいました
エピローグとしての話になるのですがやはり全然収まりませんでした
現地の人物達はもちろん、ナザリック内のキャラも含めると登場人物が多すぎて…
とはいえアニメが終わるまでに完結させるのを目標として頑張ります!
どうか最後までお付き合い頂ければと思います!


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