月の兎は何を見て跳ねる (よっしゅん)
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プロローグ
1話


作者の独断と偏見でキャラ設定が行われているため、読者様の中の東方キャラとは性格とかが違う可能性がありますので、ご注意ください。


 

 

 

 

 ———刃物は光に当てるとまるで宝石のように輝く。

 手入れを怠らなければだが……

 毎日のように刃物を手にし、毎日のように刃物で物体を切り刻む。

 そんな生活をし続けていると、他人にとっては些細でどうでもいい事かもしれないことが自ずとみえてきてしまう。

 ……ほら、みえた。

 

 それを窓から差し込む陽の光に当てると、わずかだが刀身に綻びがあった。

 これはいけない、すぐになおさなくては奴等を切り刻む事が出来ない。

 このままでも切れなくはないだろうが、この状態では完全に切ることはできず、余計な苦しみを与えてしまうだろう。

 苦しみを与えてしまえば、その後で後悔をする事になる。

 それに可能なら、一回で綺麗に切った方が気持ちが良いだろう。

 

 シャリ、シャリと、刀身を研ぎ石を使って磨き上げていく。

 既に手慣れた作業だ。

 数分でそれを終わらせ、再度陽の光に当てる。

 ……完璧だ、これでようやく始められる。

 何を始めるのかだって?

 そんなものは決まってるし、こうして刃物を持ってるんだから誰でも察しはつくであろう。

 

「…………」

 

 実はこれで切る相手はもう目の前にある。

 それは抵抗もせずに、台の上で大人しく切られるのを待っている……

 良い覚悟だ、それに応えて出来るだけ綺麗に切り揃えてあげよう。

 手にした刃物の柄を、少しだけ強く握り直しそれを振り下ろす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 トントン、とリズミカルな音が辺りに反響する。

 手にした刃物……一般的に、料理に使う包丁と呼ばれる調理器具でまな板の上に置かれた長ネギを切っているからだ。

 研ぎたての包丁は本当によく切れる。

 均等にネギを小口切りにし、切り終えたそれを小皿に移してから、今度は豆腐をさいの目に切っていく。

 次に乾燥させたワカメを水に浸して、元の状態に戻してから余分な水気をきっておく。

 それらを、かつお節と昆布で作った出汁が入っている鍋へと投入していき、火をつけ煮立たせていく。

 

 その後もいくつかの行程を終え出来上がったもの……味噌汁と呼ばれるそれが入った鍋におたまで汁をすくい上げ、小さい小皿に移す。

 それを唇に押し付け、口の中へと移動させる。

 ……いつも通りの味だ。

 これで今日の朝食作りは完成だ。

 

 身につけていたエプロンで軽く水気を浴びていた手を吹き、調理中は邪魔になるからと、纏め上げていた自らの薄紫色の長髪をおろすため、ヘアゴムを取る。

 すると重力に従って髪の毛が下へと落下していく。

 

(さて、みんなを起こさなくちゃ)

 

 口に出せず心でそう思いながらこの後の予定を確認する。

 ギシギシと少しだけ軋む木造の床を進みながら、今までいた部屋……台所から出て、廊下を歩いていく。

 

 やがて一つの襖の前へとたどり着いた。

 それを静かに速すぎず遅すぎずの速度で横にスライドさせると、襖の奥の景色が露わになった。

 

「あら、おはよう。ノック代わりの掛け声一つもないからちょっと驚いちゃったわ……ってそうよね、貴女は掛け声すら掛けれなかったわね。ごめんなさい」

 

 そこにはくすくすと小さい笑みをこぼす美しい黒髪長髪の少女がいた。

 詫びを入れているが、本人はからかっているつもりなのだろうと理解しているので、特に気にはしない。

 

「ん? どうしたのそんな呆気をとられたような雰囲気だして……あぁ、私が珍しく早起きしてるから驚いてるのかしら? たまには私だって早起きするわよ」

 

 そう言ってニッコリと微笑む少女はまさにこの世のものとは思えないほどの美しさだった。

 そんな少女の、まるで人形のように白くて細い手には、一冊の本が収められていた。

 ページを開いたままなので、先程まではそれを読んでいたのだろう。

 

「朝食の時間でしょ? 実は今ちょっと良いところだから、キリが良いところまで読みたいのよ。だから先に食べてて良いわよ……って、はいはいわかってるわよ。みんなで食べなきゃダメって言うんでしょ? わかったからその不満そうな無表情をやめて早く他のみんなを呼んできなさい」

 

 少女はそう言うと、読みかけの本に栞を挟み部屋を出た。

 しかし本当に珍しい、彼女が自分が起こしにくる前に起きているなんて。

 いつもなら可愛らしい寝息をたてながら布団に包まっているというのに。

 毎日の密かな楽しみがなくなったことに少し寂しさを感じながらも再び歩みを進める。

 数分も経たずに別の襖の前へとたどり着くと、また静かに襖を開けた。

 

 そしてまた珍しいものをそこでみてしまった。

 部屋の中心には、布団の上ですぅすぅと寝息を立てている女性が一人いた。

 何が珍しいのかというと、この女性は普段なら自分が起こしにくる前に起きているのだ。

 それがどうだ、この銀髪の女性は自分が襖を開けたことにすら気付かず未だに寝息を立てている。

 何年ぶりだろうか、この女性が寝坊なんて。

 そう昔の記憶を少し掘り下げながら、部屋の中へと入っていく。

 

(朝ですよ、起きてください師匠)

 

 心の中でこの女性……自分にとっては師匠な人を呼びながら、その身体を両手で軽く揺さぶる。

 しばらくは唸り声をあげていた師匠も、やがて観念したかのように上半身だけ起き上がらせた。

 

「……あぁ、もうおはようの時間なのね。ウドンゲ」

 

 そしてまだ眠たそうにうつらうつらとしている師匠をみて一つの仮説が浮かび上がってきた。

 

「……えぇ、昨夜はちょっと夜更かししちゃってね。久し振りに良い感じの薬が出来そうだったからつい熱が入っちゃたのよ……」

 

 こちらの考えていることを察したのか、師匠はその答えを示してくれた。

 しかしその答えが納得できるかどうかは別だ。

 

「ウドンゲ、別に私は一日や二日程度寝なくても平気だし、死にはしないんだからそんなに心配しなくていいのよ? だから就寝時間なんて取り決めは白紙にしないかしら……もう、冗談よ。冗談だからその無言の圧力はやめてほしいわ。次からは気をつけるから」

 

 師匠はそう言って布団から這い出る。

 確かに師匠は殺しても死なない蓬莱人という不死ではあるが、何日も不眠の状態でいたりすると普通に体調を崩してしまうのだ。

 だから就寝時間はきっちりと守ってもらわなくては困る。

 いくら不死とはいえ、健康管理はしっかりと行うべきだ。

 

 師匠が完全に起き上がって、着替えを始めるところまで見届けてから次の目的地に向かう。

 

 やがてたどり着いた、世間一般的に玄関と呼ばれる場所の引き戸を開けると、竹やぶで埋め尽くされた竹林の景色が広がっていた。

 そんな竹林の人工的に整備されたであろう道を進んでいくと、すぐに小さな小屋が見えてきた。

 そして小屋の前にはたくさんの兎が、竹やぶから僅かに差し込む太陽の光を使って日向ぼっこをしてたり、あたりを駆け回ったりしている。

 ちなみに兎というが、普通の兎ではない。

 それは人間の小さい女の子に、兎の耳と尻尾をつけただけのように見える……が、彼女たちは人間でも普通の兎でもない。

 その正体は長い年月を生きて、妖怪と呼ばれる種族になった妖怪兎達だ。

 

「あ! れーせんだ!」

 

 妖怪兎達の内の一匹がこちらの存在に気づくなり声を上げる。

 ちなみに彼女達をあえて呼称するとするなら、イナバの兎達である。

 そんな一匹のイナバの声に他のイナバ達も反応する。

 おはよーれーせん。

 ご飯の時間?

 おなかすいたー。

 あそぼーあそぼー

 

 などと、見た目は完全に人間の幼女にしか見えない彼女達の甘い声を聞いていると無性に抱き締めて頭を撫でくりまわしたくなる衝動に駆られる。

 可愛いは正義である。

 もはや我慢ができずに、近くに寄ってきたイナバの一人を抱きかかえて思いっきりハグしようとした矢先、それは起きた。

 

 突如頭上から何かが降ってきたのだ。

 もはや条件反射に近い動きで、近くにいたイナバを抱き抱えその場から少しだけ距離を取る。

 するとさっきまで自分が立っていた場所に、水が入ったバケツが音を立てて地面に激突した。

 もしあの場にいたら、間違いなくびしょ濡れになっていただろう。

 そしてこれは明らかに人為的な者の仕業だ。

 

(まぁ犯人は知ってるけどね)

 

 抱き抱えたイナバを降ろし、近くの竹やぶの中に生い茂っている茂みへと近づく。

 そして茂みの中に無造作に手を突っ込むと、何か柔らかい感触があった。

 それを握り、勢いよく腕を上げるとそれは姿を現した。

 

「いたたたた! 耳は、耳はやめてってば鈴仙! あたしが悪かったウサ!」

 

 その手には、やけに触り心地の良い大きな兎の耳が握られていて、その下には耳を引っ張られて痛がる妖怪兎が一匹。

 ただその妖怪兎は他のイナバとは違い、幼い外見はしているものの言動に幼子のような感じはせず、むしろ知的な印象がある。

 

 あーまた失敗したねー。

 リーダーも懲りないよねー。

 ほんとほんとー。

 そんなことよりおなかすいたー。

 

 そんな自分とショートヘアーの黒髪妖怪兎のやり取りをみながらイナバ達は各々口を開く。

 そう、先ほどの水バケツの犯人の正体は、この場の誰もが知っているこの黒髪妖怪兎なのだ。

 

「うさぁ……」

 

 いくら暴れても逃げられないのを悟ったのか、もはや抵抗をやめたようだ。

 ちょうど良い、このまま連れていくとしよう。

 空いている左手の人差し指と親指で輪っかをつくり、それを口に当て息を吹き込むと口笛がなった。

 そしてそれを聞いたイナバ達は自分の近くへと寄ってくる。

 そのまま歩き出すと、後ろをちょこちょことついてくる彼女達をみると心が癒されていくのを感じた。

 

 ねぇねぇリーダー、今どんな気持ち?

 悔しい? 悔しいの?

 ぷぎゃー。

 

「ぐぬぅ……まさか自分が教えた煽り方で部下達に煽られるとは……本末転倒とはこのことか」

 

 耳を掴まれたまま宙ぶらりんの体勢で悔しそうに言う。

 というか可愛くて純粋なイナバ達になんてことを教えているのだこの悪戯兎め。

 

「うさぁ!? れ、鈴仙? なんで耳を掴んでいる手に力をさらに込めるの!? いたい、まじで痛い! 耳が千切れるぅぅぅぅぅ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 突然だが前世の記憶というものを信じているだろうか?

 少なくとも自分は信じている。

 何故かって?

 なぜなら実際に自分は前世の記憶とやらを持っているからだ。

 ……まぁ、実際に前世の記憶として覚えていることは少ないのだが。

 限りなく少ない記憶通りなら、自分は前世ではごく普通の平凡な人間だった。

 普通の小中高生活を送り、特に将来やりたいことなんてないまま、とりあえず大学に入った。

 そしてある日、大学の帰りに不幸な交通事故でその生涯を終えてしまった……。

 それくらいしか覚えていないが、多分この記憶は前世のもので間違いないだろう。

 

 そして気がつけば、自分は月の兎……玉兎と呼ばれる妖怪兎として、月の都と呼ばれる場所で生を受けていた。

 最初は本当に驚いた、むしろ驚きしかなかった。

 その時の心情を語るとなるとだいぶ長くなってしまうので省くが。

 しかし慣れというのは怖いもので、気がつけば月での玉兎としての生活に順応できていたのだ。

 ……まぁ順応するしかなかったのだが。

 

 ともかく玉兎として日々餅を搗く仕事……なんで餅を搗くのか理由はよくわからなかったというか興味はなかったが、その仕事にそれなりのやり甲斐を覚えながらも、日々の生活を過ごしていた。

 しかしある時、ちょっとした事件があったというか起こしたというか……ともかくそのある事件をキッカケに自分は餅つきの仕事から月の使者という仕事に転職したのだが、その後も色々で様々な理由と事情があり、今では月ではなく地上の『幻想郷』と呼ばれる場所で、ここ『永遠亭』の住人達と平和に毎日を過ごしている。

 

 ———鈴仙・優曇華院・イナバ。

 それが今の自分の名前だ。

 長ったらしい名前と感じるだろうが、自分は案外この名前を気に入っている。

 

「み、耳が……大丈夫? 取れてないよねこれ?」

 

「いっそのこと本当に取ってあげましょうか? てゐ」

 

「や、やだなぁお師匠様。冗談きつい……冗談だよね?」

 

 そしてここ永遠亭のある一室では、永遠亭の主人の内一人で、赤と青を基調とした服を着た銀髪の女性……自分のお師匠様こと『八意永琳』と、これまた主人の内の一人、着物姿がよく似合う黒髪ロングの女性……通称姫様こと『蓬莱山輝夜』。

 そして悪戯が大好きな妖怪兎詐欺の『因幡てゐ』。

 最後に、薄紫色の長髪の上に、縦長の大きくてヨレヨレになっているウサ耳がついていて、どこか現代の日本の女子高生みたいなブレザー制服を着ているのが自分こと『鈴仙・優曇華院・イナバ』……この四名が一つの部屋に集まって食卓を共にしている。

 うん、見事に女性しかいないなこの空間。

 ちなみにイナバ達は永遠亭の庭で必死に新鮮な人参をかじっている。

 

「えーりん、魚の骨とって」

 

「そのくらい自分でやってください姫様」

 

「えー、だって面倒くさいじゃない魚の骨って。じゃあ鈴仙、お願いできるかしら?」

 

 そう言って可愛らしい笑顔で魚が乗った皿をこちらに渡してくる姫様。

 まったく、今回だけですよ。

 

「……貴女相変わらず輝夜に甘いのね」

 

「あら、ヤキモチかしら永琳」

 

「呆れてるのよ」

 

 そんな二人のやりとりを聴きながら、もくもくと魚の骨を取り除いていく。

 そして小骨まで完全に除去し終えた魚を姫様に返す。

 さて、それじゃあ自分もそろそろ魚をいただくとしよう。

 魚には醤油をかけて食べる主義なので、食卓の中央に置かれた『醤油』とラベルの貼られたビンを手に取り……そして気付いた。

 醤油のラベルが若干剥がれている……つまりこれは一度ラベルを剥がしてまたくっつけた跡だ。

 そして精一杯隠しているが、悪戯兎のてゐの口元が若干にやけているのが感じ取れた。

 ……なるほど。

 自分はそのまま手に持ったビンを、てゐの食べかけの魚に傾け、中身をぶっかけた。

 

「な、何をする鈴仙! あたしの魚がソース味になって……あ」

 

 しまったという表情をするてゐ。

 やはり彼女がソースのビンに醤油のラベルを張り替えた犯人だったようだ。

 因果応報、まさにその言葉が今の彼女によく似合うだろう。

 なに、ソースをかけた魚も案外美味しいから問題なく食えるだろう。

 仮にもし残そうとしたら口の中にねじ込んでやる。

 お残しは許しませんよ。

 

「くっ、けれどあたしは諦めない! あたしの生き甲斐は悪戯……たとえ何度も失敗しようが、何度でも挑戦するのが因幡てゐなのさ」

 

 そうか、では反省しない悪い子には後でお尻ペンペンの刑に処すとしよう。

 

 そんなこんなで、今日も平和な朝が始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝食の時間が終わり、食器の後片付けをしてからてゐを捕まえてお尻ペンペンをしていると、師匠に呼ばれた。

 あと三十回は叩いておきたかったが、師匠の呼び出しに遅れるというのはあまりしたくないので、仕方なくてゐを解放する。

 お尻を押さえながら竹林の方へと向かうてゐを見届けてからある部屋へと向かう。

 そこは師匠の部屋の隣にあり、師匠の実験室的な部屋だ。

 そこにはたくさんの薬品や薬の材料らしきものがたくさん置かれている。

 

 師匠こと八意永琳はある特殊な能力を持っている、それは『あらゆる薬を作る程度の能力』。

 名前の通り材料さえあれば、基本的にどんな薬でも作れてしまう便利な能力だ。

 その能力があるのも理由の一つで、よく師匠はこの部屋に篭っては薬作りをしている。

 

 ちなみに、師匠の他にも能力を持っている者がここ永遠亭にはいる。

 というか永遠亭に限らず、ここ幻想郷に住む者達も大抵は何かしらの能力を持っていたりするのだが……

 外の知り合いにも何人か能力持ちの人がいるし。

 

「来たわね、じゃあ座って」

 

 言われた通りに用意されていた椅子に座ると、師匠と向かい合わせの形になる。

 

「今回のはかなりの自信作よ、錠剤タイプにしてみたから噛まないで水と一緒に飲み込んでね」

 

 そして机の上に置かれていた薬と水の入ったコップを渡される。

 それを躊躇せずに口に放り込むと、水で流し込んだ。

 

「…………そろそろね。どうかしら、何か変わった感じはする?」

 

 不意に師匠が口にした質問に、首を横に振って答える。

 やはりダメなようだ……今回も何か変わった感じはしなかった。

 

「そう……やっぱり薬程度じゃあそれ(・・)はどうしようもないのかしら」

 

 師匠はどこか悔しそうに呟き溜息を吐いた。

 

 実はこの一連の流れは今回が初めてではなく、既に何回も行っていたりする。

 もちろんこの行為には理由はある……それは自分が持っている能力に関係してくる。

 

 

 

 

 実を言うと自分もある能力を、玉兎として生まれてから持っている。

 『波長を操る程度の能力』、それが自分の能力だ。

 一言でこの能力について説明するのは難しいが、簡単に表すとしたら、あらゆる物事には全て波長というものがあり、その波長を感じ取ったり、波長の長さという概念を操ることで様々な現象を起こすことができるといった能力だ。

 

 例えば、自身の『存在という波長』を短くすれば、その存在は目立つ様になり、逆に長くすると極端に目立たなくなり、しまいには他人には認知できなくなる。

 もちろん自分だけでなく他人や物事の波長を操ったり感じたりもできたりする。

 結構色んなことに応用が利いたりして便利な能力ではある……あるのだが、それと同時にデメリットというか副作用もあったりするのだ。

 この能力、ある程度はコントロールできているのだが、実はコントロールできていない部分もあるのだ。

 その一つとして、自分の感情という波長がコントロールできなくなってしまっている。

 感情の抑制が出来ないとかではなく、むしろその逆で、感情の波長が常に一定値に固定されてしまっているのだ。

 要するに、感情の起伏が乏しいということだ。

 とはいえまったく感情が動かないというわけではなく、一応驚いたり悲しんだり楽しく感じたりはするのだが、すぐに一定値……平穏に戻されてしまうのだ。

 それだけならまだしも、感情を表面上に出す手段である表情の変化や、言葉を喋るといったことも出来ないみたいで、この能力に目覚めて以来無口で無表情なキャラになってしまった……実に悲しい。

 

 まぁぶっちゃけ元からお喋りをするタイプではないし、他人とのコミュニケーションも、方法として筆談という手があるから、これに関してはそこまで重要視していないのだが、心優しくて恩人である師匠は自分のこの体質を何とかしてあげようと日々能力を抑える新薬を作っては飲ませてくれるのだ。

 ……とはいえ未だに成果は出ていないが。

 

「精神剤を飲ませてもダメだったし、能力を抑えようとしてもダメとなると……やっぱりウドンゲ自身が制御できるようになるしかないのかしら」

 

 確かに師匠の言う通りかもしれない。

 ……しかしなんで師匠は手間をかけてまで自分の感情をどうにかしようとしてくれているのだろうか。

 この際だから前から気になっていたことを、持ち歩いている筆談用のメモ用紙に書いて師匠に聞いてみた。

 

「え? なんでそこまでして私のことを気にかけてくれるのかって? ……まぁそうね、らしくはないとは自覚してるわ」

 

 師匠は一呼吸置いて続けた。

 

「強いて言うならそうね、単純に貴女とお喋りをしてみたいから……かしらね」

 

 

 

 




しばらく東方とは離れていたので、設定とか忘れている可能性があります。
もし誤字脱字や、ここおかしいんじゃないのってとこがありましたら、報告していただけると幸いです。


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2話

 

 

 

 

 私こと鈴仙・優曇華院・イナバの、永遠亭での立ち位置は居候に近いと思う。

 主人は師匠と姫様の二人で、てゐとイナバ達は外部から永遠亭を守る為の協力者といったところだろうか。

 そして自分は訳あって月から脱走した逃亡者……別に逃亡したつもりはないのだが、多分月では自分のことは脱走兵として扱われているだろう。

 まぁそれはともかく、そんな自分を月の者達から匿ってくれたのが師匠達だった。

 さらに驚くべきことに、なんと師匠と姫様もかつては月の民だったのだが、色々あったらしく自分と同じように月の者達に見つからないようにここ幻想郷で隠れて住んでいたらしい。

 

 そんな利害の一致というやつから、自分も永遠亭に住まわせてもらっているのが今の自分に置かれている状況だ。

 月から飛び出して間もない頃に、突如現れ師匠達と引き合わせてくれたあの胡散臭いスキマ妖怪には感謝してもしきれないだろう。

 

 話を戻すが、そんな居候の自分は恩返しも兼ねて、永遠亭の家事全般を日頃行なっている。

 ……自分以外にろくに家事をこなせる人が居ないという理由もあるが。

 

(今日はお洗濯日和ー、ふんふーん)

 

 けれど辛く感じたことはない。

 むしろ、家事というのは性に合っているのか、餅つきとかの仕事より遥かに楽しく感じられる。

 誰かの役に立てるというか、お世話をするのがこんなにも気持ちが良いものとは思わなかった。

 前世でそれに気がつけていれば、介護の仕事とか目指していたかもしれない。

 

 リズムよく鼻歌を心で歌いながら、洗濯板で一生懸命に洗った洗濯物達を干していく。

 え、なんで洗濯板なんて古臭いの使っているかだって?

 ここ幻想郷は、月の都どころか『外の世界』とも比べても技術の発展がだいぶ遅れているため、洗濯機とかいう便利な文明の利器はないからだ。

 けど案外慣れてしまえばこれはこれで使いやすいものだ。

 

(さて、次は掃除をして……あ、そういえば今日は人里に行く日だった)

 

 洗濯物を干し終え、この後の予定を確認していく。

 そして思い出した、今日は人里に用があったことを。

 今はお昼過ぎ、できるなら夕方までには済ませておきたいので、急いで掃除を終わらせて準備しなくては。

 ちなみに例え急ぐ時でも掃除の手は抜かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、これが今回の分よ。割れ物もあるから気をつけて運んで」

 

 師匠に大きな箱を渡され、それを背中に背負った背負い籠に丁重に入れる。

 箱の中身は大量の薬だ。

 風邪薬とか、傷薬とか、師匠のお手製薬が色々入っている。

 

(じゃあ師匠、行ってきます)

 

 師匠をじっと見つめながら、心で行ってきますを言う。

 それを察したであろう師匠は、少し照れ臭そうにしながら応えてくれた。

 

「……行ってらっしゃい」

 

 毎度のことなのに、未だに恥ずかしがる師匠は可愛い。

 まったく、素直じゃないんですから。

 

 師匠に見送られながら永遠亭から人里へと向けて足を動かす。

 そしてあたりの景色は竹林一色に変わっていく。

 言い忘れていたが、ここは『迷いの竹林』と呼ばれており、永遠亭は迷いの竹林の奥の方に建てられている。

 今向かっている人里は、その迷いの竹林を抜けた先の意外と近くにある。

 ちなみになんで迷いの竹林と呼ばれているかというと、名前の通りとっても道に迷いやすいからだ。

 一度入ってしまえば、何処まで歩いても同じような景色、濃い霧に包まれていたりで、方向感覚を失いやすいのだこの竹林。

 なので隠れ場所としては最適だからという理由で、永遠亭はこの竹林に建てたそうだ。

 

 お陰でここは幻想郷の中ではちょっとした危険地帯扱いされていて、わざわざ迷いの竹林にやってくるのは、竹林の地形を完全に把握している、姫様の知り合いの『藤原妹紅』という人しかいない。

 ……そういえば最近見かけてないが、元気にしているだろうか。

 彼女も師匠や姫様と同じ蓬莱人なので死んでたりはしないだろうが、ちょっと心配なので今度またご飯でもお裾分けしに行こうかな。

 

 そんなこんなで、妹紅さんにお裾分けするメニューをどうするか考えていると、竹林の出口が見えてきた。

 ここに住んでからだいぶ時が経っているので、自分も今更迷ったりはしない。

 仮に迷ったとしても、いざとなったら能力で竹林の波長を読めばいいだけだし。

 

 やがて人里に入るための入り口が見えてきた。

 入り口には木製の頑丈そうな扉と、門番らしき人が二人立っている。

 早速人里へと入るため、能力を使って自分のある波長を弄る。

 それは自身の『妖怪らしさ』という波長だ。

 

 人里と言われるだけあって、里には大勢の人間が住んでいる。

 一部例外を挙げるとすれば、人里の守護者と呼ばれている半人半獣の『上白沢慧音』という人がいるが……

 ともかく人里には基本的に妖怪は入れないのだ。

 妖怪は人を襲い、時には人も妖怪を退治する……それが人と妖怪の関係だ。

 それ故に、玉兎である自分も妖怪というカテゴリに入ってしまうため、そのまま人里に入ろうとすれば良くて門前払い、悪くて退治してこようとするだろう。

 こちらとしては人を襲う気は全くないのだが……まぁ人間からしたら妖怪のいう事なんて信用できないだろう。

 そういうわけで、人里に入る時は能力を使って『妖怪らしさ』という波長を長くして、妖怪らしさを出来るだけ抑えるのだ。

 そうすると、よほど勘の良い者でなければ気づかないほど妖力を抑えられ、妖怪の証ともいえる大きなウサ耳と尻尾は見えなくなる。

 そして人里に居ても違和感のないような服装をすれば、自分が妖怪だと気づかれることはまずない……まぁ人里に初めて来た時に、人里の守護者である慧音さんにはすぐにバレてしまったが、何とか害がない妖怪という信用を得たので事は済んでいる。

 とどのつまり、自分の正体を人里の中で知っているのは今のところ慧音さんだけだ。

 ではなぜ自分がそこまでして人里に入ろうとするのか……それには理由が二つほどある。

 まず一つ目は、食料や物品を人里で手に入れるため。

 一応永遠亭の裏庭で家庭菜園をしたり、タケノコを掘ったり、竹林の中にある川で魚を釣ったりと、ある程度自給自足はできるのだが、それだけでは流石に心許ないし、米とか人里で買わないと入手できないものもある。

 とはいえ、ぶっちゃけ永遠亭には不死と妖怪しかいないので、食事の必要性は低かったりするのだが、かといって食事を全くしないというのはどうかと思うので、みんなの食事は自分が用意している。

 ……というか用意してあげないと、師匠達とかは平気な顔で絶食生活をするのだ。

 理由を聞けば、『食べなくても死にはしない』と答える……流石にあれはちょっとどうかと思った。

 本当に永遠亭に来たばかりの頃は大変だった。

 いくら不死とはいえ、かつては人間だったのだから人間らしい生活を送らなくてはいずれ心がおかしくなってしまうと思う。

 だから自分の永遠亭での初めての仕事は、師匠達への説教だった。

 

 とまぁ、それが一つ目の理由だ。

 そして二つ目は、生活費を稼ぐためである。

 人里で何かを買おうにも、お金が無くては何も始まらない。

 そしてそこで考えついた方法が、師匠の作った薬を売ってお金を稼ぐという方法だ。

 医療の技術が乏しい幻想郷では、師匠の効果絶大の薬は絶対に役に立つし、師匠も薬作りにやり甲斐をもてる。

 そのうえ売れれば売れた分だけお金が手に入る。

 誰も損することのない、何とも画期的な商売方法だ。

 

 こういった理由から人里には、薬売りだけで無く買い出しも含めて月三、四回は訪れている。

 

「む、そこの者止まれ。ここは……ってなんだ、薬屋さんでしたか」

 

 気がつけば門の近くまで来ていたようで、門番の一人に呼び止められる。

 そしてこちらが何者かを気づくなり、門番としての厳しい態度がどこかへ消え失せた。

 

「いやー先日は助かりました、薬屋さんのくれた薬のおかげで息子も寝込んでたのが嘘だったかのように元気になりましたよ」

 

 あーそういえばこの前来た時に、何日も寝込んでいる子供がいると聞いて検診に行ったのだが、手持ちの売り物の薬だけではどうしようもなかったので一回永遠亭に戻って師匠に処方薬を作ってもらったことがあった。

 そして急いで人里に戻って処方薬をその子の家まで渡しに行ったんだった。

 そうか、この門番の人の子供だったのか。

 流石師匠の薬、効果は絶大だ。

 

「おい、あんまり引き留めちゃ悪いだろ」

 

 治ってからは毎日のように外で遊んでいるという話をし始める門番。

 すると一人でマシンガントークをしていた門番をたしなめるように、もう一人の門番がそう言ってきた。

 

「おっとそうだった……とにかく感謝してます薬屋さん。それじゃあどうぞお通りください」

 

 ようやく通行許可をもらったので、門番達に会釈をしてから人里の入り口をくぐる。

 どうやら今日も人里は平和なようだ。

 いつも通り活気に溢れている。

 既に自分の事は里中の人々が知っているので、道を歩けば挨拶をされるので会釈で返す。

 こういう時言葉で挨拶を返せないのが本当に残念だ……

 途中、「薬屋さんだ、遊んでー」とせがむ子供達を心を痛めながら、仕事中だからと言って……筆談だが、断りながらもようやく最初の目的地にたどり着いた。

 

 そこは里に置かれた掲示板。

 里の連絡事項などがたくさん張り出されている。

 そして自分の目的は、その掲示板の端に張り出されている紙の内容だ。

 その紙には、自分が売っている薬を欲しがっている人の名前やどんな薬を欲しがっているのかが書かれている。

 最初は置き薬という方式で薬を売っていたのだが、人里の一軒一軒を周って薬を売るのはなかなか時間がかかって大変なのだ。

 そんな困っていた自分に、人里の皆さんは親切なことに、掲示板を使って今現在薬を欲しがっている人がわかるようにしてくれたのだ。

 おかげで仕事もだいぶ楽になった。

 

(えっと……田中さんの家が頭痛薬。団子屋の店主が風邪薬と消毒薬……それから大工さん達が傷薬と二日酔いに効く薬)

 

 ざっと見ただけでも十件以上ある。

 今日はなかなか大忙しかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薬を売り終え、買い出しも済ませると既に日没近くになっていた。

 急いで帰って夕飯の支度をしなくては。

 本当は時間があれば子供達と遊びたかったんだけどなぁ……

 しかし無い物ねだりしても意味がないので、小走りで里の出口へと向かう。

 すると向こう側から見知った人影が迫ってきていた。

 

「……あぁ、薬屋か。もしかして今帰りか? なら急ぐと良い、いくら妖怪のお前でも夜道の一人歩きは危険だろう」

 

 その人影の正体は、人里の守護者にして寺子屋の教師もやっているワーハクタク、上白沢慧音だった。

 妖怪の自分を心配してくれるなんて、聖人すぎて眩しく感じる。

 そこが彼女の魅力でもあるのだが。

 

 深い会釈をしてから、再びを歩を進める。

 そして何故か背中に視線を感じたが、気にせず夕食のメニューを考えながら里を出た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大きな背負い籠を背負い、菅笠で目元まで覆っている薬屋と呼ばれる妖怪の去っていく背中を見ながら上白沢慧音はふと思い出した。

 あの妖怪との出会いを……

 

 ある日慧音の元に、門番から通達があった。

 怪しい行商人らしきものが、里に入りたがっていると。

 慧音はワーハクタクと呼ばれる半人半獣で、この人里が出来た頃からこの里を守ってきていた。

 それ故に、里のみんなからは人里の守護者という扱いを受けている。

 なのでこの里の頭というわけでもないのに、厄介事をよく任されていた。

 まぁ任されたというか、私も進んで引き受けているというのが正解かもしれない。

 なにせこの里は私にとっての宝物のようなもの……それを奪ったり壊そうとする奴には容赦はするつもりはない。

 そんな心構えをしつつ、門番のいう怪しい行商人というのを確認するため里の入り口に出向いた。

 

 その怪しい行商人は、確かに怪しいという表し方が一番だとその時思った。

 服装は特に違和感はないが、何が入っているかわからない大きな背負い籠、そしてこれまた大きな菅笠……頭から目元まで深く菅笠をかぶっているため、唯一見えるのは口元だけだった。

 しかもその肝心の口元も、口角が下に釣り下がり喋る気は無いと思うくらいに固く閉ざされている。

 これでは怪しんでくださいと言っているようなものだ……

 

「…………」

 

 こちらが観察しているにも関わらず、それは身動き一つもせずただ黙ってその場に立っていた。

 

「上白沢さん……どうやらこいつ喋れないみたいです」

 

「喋れない……?」

 

 門番が小声でそう言ってきた。

 なるほど、どうりでさっきから黙ったままだったのか。

 

「それでそいつがこれを見せてきまして……」

 

 門番が手に持っていたものを見せてきた。

 それは一枚の紙きれ、それには『里に入りたいので、許可をもらいたい』とだけ書かれていた。

 筆談か……となると言葉自体は理解できているようだ。

 

「……どうします、追い返しますか?」

 

「……いや、一先ず私が話してみよう。それからどうするか決めようと思う」

 

 この行商人らしきやつの正体は全くわからないし、確かに怪しさ満点ではあるが、話くらいは聞いてやるべきだ。

 それにさっきから気になる違和感をこいつから感じる……その違和感を確かめることも含め、その行商人を私の家に招いた。

 

 一応家へと連れていくときも警戒は続けていたが、そいつは特に妙な動きは一切しなかった。

 そして客間に通した頃には、多少ではあるが慧音からこの行商人に対しての印象は変わっていた。

 玄関を通る時には深くお辞儀をし、きっちり靴を揃える。

 客間に通すときも軽いお辞儀をし、慧音が座って良いというまで立っていて、今も見惚れるほど綺麗な正座で座っている。

 どうやら礼儀正しさは持ち合わせているらしい……というか里の者たちにも見習って欲しいレベルだ。

 強いてダメなところをあげるとすれば、室内なのに菅笠をかぶっているところだろうか。

 

「粗茶ですが」

 

 一先ずお茶くらいは出してやることにした。

 てっきりあっちもこちらを警戒して飲みはしないだろうと思ったが、驚くべき事にそいつは何の躊躇もなくこちらが出したお茶を飲み始めたのだ。

 そして突然懐から紙きれと棒状の物体を取り出すと、棒状のものを使って紙に何かを書き出した。

 そして書き終えた紙を差し出してきたので、それを受け取り紙を見つめた。

 『大変美味です、よければどんな茶葉を使っているのか教えてくれませんか?』と書かれていた。

 というか、えらく綺麗な字だな。

 

「え、あぁ……確か三丁目の茶屋で買ったやつだったかな……」

 

 あまりにも突拍子のない質問だったので、つい真面目に答えてしまった……

 それを聞いた目の前の者は、新しい紙きれに何かをメモしてそれを大事そうに懐にしまった。

 一体何なんだ……

 

「ん、んん! それじゃあ私からも質問していいかな?」

 

 いかんいかん、このままでは相手のペースだ。

 仕切り直しも含めて私は最初の質問をする事にした……

 私の言葉に首を縦に振って答えるのを確認した後、私はちょくちょく感じていた『違和感』の答えを得るため質問した。

 

「それで、『妖怪』が一体この里に何の用だ?』

 

 私がそう言った途端、初めて目の前の者の身に纏っている空気のようなものが変わった気がした。

 とは言ってもそれはすぐに元に戻ったが……しかし私の言葉に反応はした、そうなるとやはりこいつは……

 

 すると突然部屋に入っても取らなかった菅笠を外した。

 

「なっ……」

 

 正直言って驚いた。

 なにせ菅笠を、外した事で露わになったそれは、思ってもいなかった姿をしていたからだ。

 まず目に入ったのが、その顔立ち……明らかにそれは少女だった。

 確かに背は低いなとは思ったが、まさか女だったとは正直思いもしなかった。

 そして次に注目したのが、まるで血を吸ったかのような『赤い瞳』だった。

 瞳の色自体は大して気にはしなかったが、問題はその瞳がまるで虚空を見ているかのような……なんだか不思議な感じがした。

 そしてそれが彼女の無表情をより際立たせているように見え、ちょっとだけ気味が悪かった。

 他に目に入ったのは薄紫色の長髪だろうか、菅笠の中にしまっていたようで、今は重力に従って下に落ちていた。

 ……というかなんでさっきから表情一つ変えないのだろうか……喋れないのと何か関係があったりするのかもしれないが、今はそんなことを聞く前に他に聞くべきことがあるので一先ず置いといた。

 

 するとまた彼女は紙きれに文字を書いて渡してきた。

 それには『仰る通り私は妖怪です、人間に化けて正体を隠していた私を信用できないかもしれませんが、どうか話を聞いてくれないでしょうか?』……と。

 

 私が感じていた違和感はこれで解消された。

 どうやら本当に妖怪だったらしい……正直言って半信半疑だったため、カマかけも含めての質問をしたのは正解だったようだ。

 彼女からはほんの少しだが、まるで雨粒の一粒のような妖力を最初見た時から感じていた。

 しかし、もしかしたら勘違いかもしれないとも考えるほど曖昧で微弱な妖力……

 長い事妖怪という種族を身近に感じていた私でさえ、本人の口から出るまでわからなかったのだ。

 よほど勘の良いか、相当な感知能力を有していないと気づく者はいないだろう。

 

「あ……す、すまないぼーっとしてしまって」

 

 ふとこちらを静かに見つめる彼女の視線で思考の渦から引き戻された。

 その時一瞬彼女の赤い瞳が輝いた様に見えたが……まぁ気のせいだろう。

 

「もちろん話は聞こう、お前が無闇に人を襲うような妖怪ではないのはなんとなくわかるからな」

 

 無表情で喋らない正体不明の女妖怪……これだけでも充分怪しいが、彼女と実際に時間を過ごしてみると不思議と嫌な感じはしてこない。

 気が付けば彼女に対しての警戒心はかなり薄れていた。

 

 改めて彼女の話を聞くと、どうやら人里で薬売りをしたいとのことだった。

 それと人里で買い物をしたいと……

 何故かと理由をたずねると、生活費を稼ぎたいからと彼女は答えた。

 ……まさか妖怪が生活費が欲しいから人里で商売をさせてくれなんて言いに来る日が来るとは夢にも思わなかった。

 

 しまいには綺麗な土下座までする彼女に根負けして、私の監視付きという条件で許可を出した。

 もちろん薬に関しては実際に私が試してみて毒とかが入っていないことを確認した。

 

 まずはお試しということで、最初は人里の一軒一軒を二人で周りながら試供品を置いていった。

 最初は怪しい輩が置いていった怪しげな薬ということで、手をつける者は居なかったが……

 ある日ある夫婦の子供が高熱を出してしまい、いくら看病してもなかなか治らなかったそうだ。

 このままでは子供が死んでしまうのではないか、そう考えた夫婦はこの前怪しい行商人が置いていった薬のことを思い出した。

 最初はこの怪しい薬を使っていいのだろうか悩んだそうだが、あの人里の守護者である慧音のお墨付きということもあり、最後の手段にすがる気分で薬を子供に飲ませた。

 するとどうだろうか、子供は翌日にはすっかり熱が下がり、その翌々日には外を駆け回るほど元気になった。

 そしてあっという間に薬屋の薬はよく効くという評判が里中に知れ渡り、しまいにはその例の薬屋がよく子供たちと遊んでくれるという親たちの評判も重なり、気が付けば私の監視なんて要らないほどの信頼を薬屋はわずか二ヶ月ほどで築いたのだ。

 

「……そういえばここは幻想郷だったな」

 

 幻想郷の管理者である妖怪の口癖をなんとなく思い出した。

 

『幻想郷は全てを受け入れる』

 

 ……なるほど、全てを受け入れるのならあんな妖怪が居てもおかしくはないな。

 

 そういえば、薬屋は何の妖怪なのだろうか。

 見た感じ普通の人間と変わらないが……今度それとなく聞いてみるとしよう。

 

「おーい! 先生、大変だ!」

 

 すると突然背後から大声で呼ばれた。

 

「なんだ、何かあったのか?」

 

 私を呼んだのはこの里の大手道具屋の主人だった。

 

「じ、実は———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しまった……自分としたことがこんな些細なミスに気が付かないなんて。

 

(財布が……ない!)

 

 永遠亭に戻り、着替えをし終えた頃それに気が付いた。

 人里に行く時に着ていた服を洗濯籠に入れようとして、その服のいつも財布を入れているポケットから財布を出そうとしたのだが、なんとポケットに穴が開いていたのだ。

 そして当然のごとく、財布はポケットから落ちたのか入っていなかった。

 くっ、なんてことだ……服のほころびに気付かないなんて!

 

 嘆いていても仕方ない、財布を見つけなくては。

 幸い自分の能力は探し物をする時にも使える。

 財布の波長を探せばいいだけの話だ。

 人や物の波長を一度でも見て、その波長さえ自分が覚えているなら能力で目的の波長がどこら辺にあるのか探知できるのだ。

 

 もちろん愛用の財布なので、波長パターンはバッチリ覚えている。

 早速能力を使って探知を始める……まずは竹林全体を調べる。

 もし竹林に反応が無いなら、人里で落としたのかもしれない……そう思ったのだが、財布の波長は竹林から感じられた。

 良かった、思ったよりも近くにあるようだ。

 

 急いで永遠亭を飛び出し、反応の元へと急ぐ。

 走り続けて数分ほど、あっけなく財布は無事に見つけられた。

 

(さて、帰ったらポケット縫い直さないと……)

 

 その前に夕食も作らなくてはならないため、急いで帰らなくては……そしてまた走り出そうとした時に、それに気が付いた。

 

(……子供の泣き声?)

 

 近くから子供の泣き声らしきものが聴こえてくるのだ。

 もしかして人里の子供が迷いの竹林に入って迷い込んだのだろうか……しかし人里の子供ならここには危険だから近づくなと教育を受けているはずなのだが。

 

 かといってこのまま放って置くわけにもいかないし、とりあえず声のする方へと向かう。

 

「うっ、ぐすっ……ここどこ? お父さん、こーりん……ひっく」

 

 そしたら案の定子供が泣きじゃくりながら竹やぶの隙間に座り込んでいた。

 そしてこの金髪の子供だが、見覚えがあった。

 確か人里の道具屋さんの娘さんだ。

 よく薬を売りに行く時に、父親の背中に隠れて様子を伺っている人見知りの子だった気がする。

 

 どうしてこんな所に一人で居るのかは疑問だか、辺りは既に真っ暗で、妖怪が活動を始める時間だ。

 このままでは野良妖怪の餌になってしまうのが目に見えている。

 仕方がないので自分が人里まで送ることにしよう、そう思い子供に近づく。

 

 そしてこちらに気づいた子供が、こちらを見るなり驚いた表情で固まる。

 

(あ、しまった……耳と尻尾隠してない)

 

 つい癖で人間に変装しているつもりのノリで近づいてしまったが、今の自分は完全に妖怪兎の姿だ。

 まずいな、これじゃあ怖がらせるだけ……

 

「……ウサギさん?」

 

 しかし予想に反して聴こえてきたのは悲鳴ではなくそんなキョトンとした疑問の声だった。

 ……よかった、まだ純粋な子供で。

 

(そうだよ、ウサギさんだよー)

 

 そのまま子供の側まで近寄り、しゃがみこむ。

 そしてそのままうさぎ跳びを披露する。

 子供はそれが気に入ったようで、泣くのをやめてキャキャと笑い始める。

 どうやらあやすのは成功したようだ。

 

 そして落ち着いた子供に事情をたずねると、どうやら最近疲れ気味の父親に元気になって欲しくて、父親の好物のタケノコを手に入れようと竹林に入ったらしい。

 なんとも親想いの良い子なのだろうか……

 

 しかし今頃その父親は心配しているころだろう。

 はやく人里へ連れていかなければ。

 

「あ、あれ? 私のリボンがない!」

 

 子供に里まで案内してあげると伝え、はぐれないように手を繋ごうとした瞬間、子供が何かに気づいたようで叫び出した。

 どうやら髪飾りのリボンを気付かずうちに無くしてしまったようだ。

 

「どうしよう……お気に入りのなのに」

 

 そしてまた泣きそうになる子供。

 うーん、そのお気に入りのリボンの波長さえわかれば探せなくはないのだけど……そうだ。

 

 スカートのポケットから白い髪留めを取り出す。

 いつも調理する時に髪をまとめる時に使っているものだ。

 そして子供の髪の一部をおさげに編んで、髪留めを巻きつけリボン状にしてあげる。

 すると大変気に入ったのか、泣きそうな顔は引っ込み子供特有の可愛らしい笑顔を浮かべた。

 やっぱり子供はいいなぁ……こう見てるだけで癒される。

 

 時折肩車をしてあげたり、一緒にスキップして進んだりと、子供が不安にならないように注意しながら人里の方へと向かう。

 やがて竹林を抜け、人里が見えてきたあたりで聞き覚えのある声がしてきた。

 

「あ、けーね先生の声だ!」

 

 どうやらこの子供の名前を呼びながら里の周辺をうろついているので、彼女も子供を探しにきたのだろう。

 途中掘ってあげた新鮮なタケノコを子供に持たせて、慧音さんの元へ行くように促すと、子供は一気に駆け出した。

 そして子供に気づいた慧音さんが子供を抱き上げるのを見届けてからその場を去る……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「けーね先生!」

 

「っ……! 魔理沙! あぁ無事だったんだな……良かった、心配したんだぞ? どこか怪我とかしてないか?」

 

「うん! あのね先生、こんな大っきなたけのこ見つけたんだよ」

 

 最初この子の父親が『娘が俺のためにタケノコを探しに里の外へ出てしまった』と聞かされた時は肝が冷えた。

 どうやら父親の好物のタケノコを手に入れるため、父親が目を離した隙に里の塀を乗り越えて迷いの竹林に向かったらしい。

 迷いの竹林は下手したら二度と帰ってこれない危険地帯、そこに子供が一人だけで向かったとなれば心配の一つや二つする。

 

 しかし既に夜なので、里の周辺には野良妖怪がうろつき始める。

 なので妖怪相手に自衛ができる慧音だけが迷いの竹林に行く事にした。

 そして竹林の近くに到着し、ここで一回魔理沙が近くにいないか確認するために名前を呼んだ。

 するとどうだろうか、竹林から大きなタケノコを持った魔理沙がこちらに走ってきているではないか。

 

「全く心配させて……竹林には入ったら危ないっていつも言ってるだろ?」

 

「うん、私迷子になっちゃったの……けどね、ウサギのお姉ちゃんが出口まで連れてってくれたの!」

 

「ウサギ……?」

 

 魔理沙が竹林の方角を指差しながらそう言う。

 その方角を見てみると、竹林の竹やぶに紛れて人影らしきものがいた……そしてその正体を知る前に、気が付いたら人影は跡形もなく消えていた。

 

 

 

 

 




最後の方がちょっとやっつけっぽくなってしまったかな……


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3話

 

 

 

 

 

 永遠亭のとある一室、居間の役割を与えられたその部屋で、畳の上に正座して座りながら一心不乱に手を動かす。

 両手に一本ずつ棒針を持ち、それを動かして毛糸を編んでいく。

 何をやっているのかと言うと、マフラーを編んでいるのだ。

 

 もうそろそろ幻想郷にも冬の季節がやってくる。

 当然冬になれば気温は下がり寒くなる。

 そこで防寒着が必然的に必要になるため、永遠亭の面々とイナバ達全員の分のマフラーを冬が来る前に編むことにしたのだ。

 とはいえ何年か前にも一度全員分のマフラーを編んだことがあるのだが、流石に何年も使い続けているため結構ボロボロになっているのだ。

 この際だから新しいのにしようと、こうして編んでるというわけだ。

 

「ねぇ鈴仙、お煎餅ってもうなかったっけ?」

 

 すると同じく居間にいた姫様が、机の上に置かれていた最後であろうお煎餅を齧りながら聞いてきた。

 ……お煎餅なら確か台所の戸棚にまだあった筈だが。

 

(そんなに食べて夕飯ちゃんと食べれるんですか?)

 

 そんな感じの言葉を手話で姫様に伝える。

 それなりに永遠亭の面々とは長い付き合いなので、筆談でなくともだいたいのことは手話で伝わるようになっている。

 

「うーん? あぁ夕飯食べれるのかって? 大丈夫よ、鈴仙のご飯は別腹って言うじゃない」

 

 はて、そんな言葉あっただろうか。

 ……まぁ姫様は意外に大きめの胃袋を備えているようなので、お煎餅くらいなら大丈夫か。

 

(台所の戸棚にあるのでご自由に食べてください)

 

 台所の方角を指差す。

 その意味も悟った姫様が不満そうな顔をする。

 

「えー、取ってきてくれないの?」

 

 ぶーぶーと、可愛らしく頬を膨らませ抗議する姫様。

 もちろん自分が取りに行ってもいいのだが、できない理由が三つもあるのだ。

 一つ目は師匠に姫様を甘やかし過ぎだから少しは自重しろと今朝言われたから。

 二つ目はマフラー編みに忙しいから。

 そして三つ目は……

 

 自分の膝上を指差す。

 

「……? あぁ、さっきから静かだと思ったらそういうことね」

 

 ちょうど机を挟んで向かい側にいた姫様は机が死角になって自分の下半身らへんが見えなかったのだろう。

 立ち上がって改めてそれを確認した姫様は納得したように頷いた。

 

 そう、三つ目の理由は正座した自分の膝を枕にして寝息を立てているてゐがいるからだ。

 俗に言う膝枕というやつだ。

 最初こそマフラーを編んでいる自分の邪魔をしたかったのか、自分の耳を引っ張ったり尻尾を掴んだり、胸を揉んだりしてきたてゐだが、自分が特に反応を示さなかったのがつまらなくなって飽きたらしく、やがて自分の膝上に頭を乗っけて動かなくなった。

 そして今に至る。

 というわけで姫様、申し訳ないですけどご自分で取りに行ってください。

 

 それに対し、やれやれ仕方ないといった様子で立ち上がって台所へと向かおうとする姫様。

 すると突然立ち止まってこちらに振り向いた。

 

「そういえば鈴仙、今日の夕飯ってもう決まってる?」

 

 そしてそんな質問をしてきた。

 生憎と夕飯のメニューはまだ決まっていないので、首を横に振って答える。

 それにしても夕飯か……もうそろそろ夕方なので、ぼちぼちメニューを決めないといけない時間だ。

 

(そういえば昨日里芋収穫したな……)

 

 家庭菜園でもうすぐ季節が終わるというのに大量の里芋が収穫できたのだが、それを使っても良いかもしれない。

 里芋は煮物か煮っころがしにして……となるとそれに合わせられる料理といえば和食なので、自然と和食メインの夕飯になってしまうが問題はないだろう。

 永遠亭(うち)はだいたい和食メインだし。

 そうだなぁ……思い切って保存してあるとっておきの秋刀魚を塩焼きにして、それから味噌汁と和え物を少し加えれば充分かな。

 

 と、何を作るか考えていると再び姫様が口を開いた。

 

「ねぇ、まだ決まってないなら私からのリクエストいいかしら?」

 

 ……これは驚いた。

 まぁ一瞬だけど。

 これまで姫様が夕飯のリクエストをした事は数える程しかなく、『ご飯何か食べたいのありますか?』と聞くとだいたい『なんでもいい』と答える姫様が……まぁ姫様に限った話ではないが、まさかリクエストをしてくるとは。

 基本的に自分の作ったどんな料理も、みんなは美味しいと言って食べてくれるので嬉しくはあるのだが、やはりたまには『これ食べたい』とか少しは我儘を言ってくれても良いと思う。

 月にいた頃なんか、自分の主人みたいな人が二人いて、その人たちにもよく料理を振舞っていたのだが、一人は『レイセン、私はハンバーグが食べたいです。できれば毎日』。もう一人は『私は桃が食べたいわ、できれば毎日』……とよくリクエストを。

 ……いや、あの二人の場合はちょっと違うな。

 どっちかというとハンバーグと桃しか求めなかったなあの姉妹様は。

 まったく、ちゃんと今でも栄養バランスを考えた食事を取っているのだろうか心配だ……

 

「鈴仙?」

 

 おっといけない、ぼーっとしてたようだ。

 もちろん姫様のリクエストとなれば全力で応えよう。

 さぁ姫様、一体何が食べたいのです?

 何であろうと丹精込めてお作りしますよ!

 

「私あれが食べたいのよ。ほら、この前鈴仙がおみやげで買ってきてくれた……焼き八目鰻だっけ? あれあれ」

 

 ふんふん、姫様は焼き八目鰻を食べたいのですね。

 よし、じゃあ早速買いに……

 

(あれ……ということは私の手料理のリクエストではないということ……?)

 

 姫様のいう通り、以前知り合ったある妖怪が『焼き鳥屋撲滅運動のために八目鰻売ってるの』というので、折角ならということで買って食べてみたのだが、結構美味しかったので永遠亭のみんなにもと思いお土産にした事があった。

 どうやらその時の八目鰻の味はしっかりと姫様の心を掴んでいたようだ。

 

 姫様の久しぶりのリクエストが八目鰻に取られてしまったことに、ちょっと悔しさを感じながらも、任せてくださいと言わんばかりに頷いて答える。

 

「あら、良いの? じゃあ楽しみにして待ってるわ」

 

 そう言って姫様はトタトタと居間から台所へと小走りしていった。

 ……さて、てゐが起きたらぼちぼち準備を始めなくては。

 お土産は一人一本あれば充分だろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 迷いの竹林の近くには、人里以外に『魔法の森』という場所がある。

 そこもわりと危険地帯ではあるらしいのだが、今のところ行く用がなく、実際に行ったことがないから詳しいことはわからない。

 そんな魔法の森と迷いの竹林の間にあるちょっとした草原があるのだが、そこが今回の目的地だ。

 その草原には何もないと言ってもいいほど特に何かがあるわけではないので、まず人が近づくことはない場所だ。

 ……だからこそなのか、そこはある妖怪の住処になっている。

 

 ——————。

 

 なんてことを思っていたら、いつの間にか目的地に到着した上にその例の妖怪の『歌声』が聴こえてきた。

 

「やつめやつめやつめー、八目鰻を食べようー、鰻じゃないのに鰻っぽい八目鰻〜。きっと〜鳥より美味しーいから〜」

 

 大きな石に腰をかけて自作であろう歌を歌っている、背中に鳥の翼を生やした彼女に気が付いて近づいてみると、歌の内容が耳に入ってきた。

 ……それにしても、相変わらず独創的な歌だなぁ。

 

「……ふー、今日は喉の調子が良いわ! ……ってあれ? そこにいるのはもしかして鈴仙さんですか?」

 

 すると彼女もこちらに気づいたようで、パタパタとこっちに飛んできた。

 

「どうしたんですかこんな所まで……あ、もしかして八目鰻、また食べに来てくれたんですか!?」

 

 彼女の質問に対し、頷いて答える。

 

「あ、ありがとうございます! ではどうぞこっちに!」

 

 嬉しそうにしながら飛んでいく彼女の後を追うと、やがて草原の景色に溶け込めていない物体が見えてきた。

 それを一言で表すなら『屋台』と言えるだろう。

 木製でできたそれは、屋根付きな上『焼き八目鰻』という暖簾まで付いている。

 普通に立派な屋台だ。

 

 屋台の側に備え付けられている椅子に座るよう彼女に促され、大人しく座りながら、屋台で捌かれた八目鰻を炭火焼きしている彼女……名前を『ミスティア・ローレライ』という夜雀の妖怪を見つめながら彼女との出会いをなんとなく思い出していく。

 ……正直言って出会いは最悪だったと思う、主に彼女からしたら。

 簡単にその時の状況を説明するとしたら、夜中に人里から永遠亭への帰り道に、彼女に人間と間違えられ襲われてしまったのだが、つい反射的に能力を使って反撃してしまったせいでミスティアをノックダウンさせてしまったという出会いなのだ自分たちは。

 うん、本当にひどい出会い方だな。

 

「あ、あの……そんなに見つめられると恥ずかしいというか……」

 

 ……けどまぁ、こうして美味しい八目鰻が食べれるし、彼女も焼き鳥屋撲滅計画とやらの資金集めができるらしいのでお互い出会えて良かったと自分は思う。

 それにしても見つめられて恥ずかしがるみすちーは可愛いなぁ。

 イナバ達とさほど背が変わらない彼女はどこか子供っぽさがあり、無性に可愛がりたくなる衝動に駆られる。

 

「えっと、一本焼けましたよ……鈴仙さん?」

 

 頭撫でるくらいなら平気かなとか考えているうちに、どうやら一本焼き上がったようだ。

 早速出来立ての焼き八目鰻を一口かじる……うん、めっちゃ美味しい。

 彼女の焼き八目鰻を食べるまで、一回も食べたことがなかったので比べることはできないが、多分彼女の焼き八目鰻はかなり美味しい部類に入るのではないだろうか。

 

 そして気が付けば三本も平らげてしまった。

 まだ夕食前だというのに……恐るべし八目鰻。

 しかし食べてしまったものは仕方ない。

 それより問題なのが、自分だけ三本も食べといてみんなのお土産が一本ずつというのはどうかということだ。

 ……しょうがない、師匠と姫様とてゐの分をそれぞれ3本ずつお土産用に買っていこう。

 ちなみにイナバ達は人参しか食べないので、イナバ達の分を買う必要はないだろう。

 

 そしてミスティアに計九本の八目鰻を焼いてもらい、それを持参してきた丈夫な紙袋に入れる。

 

「また来てくださいね!」

 

 さて帰ろうとミスティアに代金を渡したら、いきなりとびきりの笑顔でそう言われた。

 やばいなー、もう抱きしめたいこの笑顔。

 そんな欲望を抑えつつ、上機嫌な様子でまた歌を歌い始める彼女の声を背に、永遠亭へと向かう……

 

 ————。

 

 しばらくの間、この辺りは彼女の歌声だけが響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私と彼女の出会いは最悪の一言で表せてしまうほど最悪だったと思う。

 鳥頭の私でも、あの出来事を忘れることなんてできないのではないかと思うくらいの出来事だった。

 

 あの日は月明かりが辺りをよく照らしていて、とっても明るい夜だった。

 私は暇つぶしに人里周辺の上空を散歩するように飛んでいた。

 なんてことはない、本当にただの暇つぶしだ。

 何か面白いことはないだろうかと、少しだけ期待を胸に抱きながら空から下を見下ろしながら空をふよふよと飛ぶ。

 

 そして見つけた、こんな真夜中に外を歩き回る面白いもの(人間)を。

 その人間は人里から少し離れている舗装された道を一人で歩いていた。

 背中に大きな背負い籠を背負い込み、頭をすっぽり覆うほどの菅笠……人里で商売でもしている商人だろうか。

 ……まぁどんな人間だろうと関係ないし、何でこんな時間に一人でほっつき歩いてるのかも(妖怪)には関係はない。

 何故なら今から私は妖怪(狩人)で、あれは人間(獲物)なのだから。

 

 妖怪が人間を襲う目的は主に食事をするためだ。

 しかしその食事は妖怪によって食べ方が異なってくる

 大まかに分けると二つあり、一つは人間の肉体を餌とする妖怪。

 もう一つは人間の恐怖心といった感情の心を餌にする妖怪。

 そして私は後者の妖怪だ。

 

 つまり私はなにもあの人間を殺そうとしているわけではないのだ。

 ただちょっと恐怖心を与えて、その時の悪感情を頂くだけなので死にはしないだろう。

 

「—————!」

 

 少しだけ距離を詰め、人間へと近づいていく。

 そしてそのまま自慢の歌を歌い始める……

 

 私の歌声には、人を惑わす能力がある。

 これを聴いたものは、やがて判断能力が鈍っていき、些細な事でも大袈裟に過剰に反応してしまうようになる。

 そこに今度は夜雀であるが故の能力、相手を鳥目にする力を使えば、相手の視界は暗闇に染まっていく。

 暗闇は人間にとって恐怖の象徴でもある、そんな暗闇の中で、判断能力が鈍っている人間を脅かすだけでかなりの悪感情が食べられる。

 

「————……そろそろかなー」

 

 歌うのをやめ、上空から人間を観察する。

 その人間は立ち止まって辺りをキョロキョロと見回している……急に怪しげな歌が何処からともなく聴こえてきて、気が付けば辺りが暗く感じるようになっているのだ。

 無理もない反応である。

 

 そっと気付かれないように人間の背後に降り立つ。

 ……さて、どう脅かしてやるのがいいだろうか。

 背後から声をかけたり、押す程度ではあまり腹は膨れない。

 となると多少過激なやり方になってしまうが、まぁそれでも妖怪の中で私は比較的平和主義だ。

 命までは奪わないが、怪我の一つや二つは我慢してもらおう。

 

 そして私は自慢の爪で、背後から人間の腕を狙って爪を振り下ろした。

 いきなり暗闇の中、腕に痛みが走れば脆弱な人間なら絶対に恐怖を抱く。

 この人間の恐怖の味はどんなだろうと、楽しみに胸を膨らませる……

 

「え……?」

 

 しかし次の瞬間起きた出来事は、私の爪が人間の腕を切り裂く光景ではなく、人間の手が私の腕を掴んで止めている光景だった。

 ふと気が付けば、その人間は既にこちらに振り返っていた。

 大きな菅笠のせいで顔はよく見えない。

 しかし同時に私の本能というべき感覚が警報を鳴らしているのがわかってしまった。

 

 これには手を出すべきではなかった……と。

 

「あ……」

 

 そして菅笠の奥から、赤い光の様なものが二つ……私の視界に入った。

 次の瞬間、私の視界はブレ始めた。

 まるで重力がなくなったかの様に、視界がぐるぐると回転し始め、ぐちゃぐちゃに掻き回されているような感覚……

 

 そしてプツンと、私の意識は途切れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次に目が覚めたとき視界に入ったのは、夜空だった。

 どうやら私は地面に仰向けで寝そべっているようだ。

 しばらく状況の把握が出来ずにぼーっとしていると、視界の端からすっと何かが飛び込んできた。

 

 それは薄紫色の髪の上に、兎の耳らしきものを生やした、真っ赤な瞳を持った人間の顔だった。

 いや、人間ではなく私と同じように妖怪だろう。

 兎の耳を生やした人間なんているわけがないし、妖力も感じる。

 そして何故か、私の頭はこの妖怪の膝の上に乗っているようだ。

 

「えっと……」

 

 状況が掴めずに、お互い見つめ合うこと数秒。

 私はようやく理解した。

 この兎妖怪の赤い瞳……それとその妖怪が着ている服が、さっき私が襲おうとしていた人間の物と同じだと気づく。

 間違いない、人間だと思っていたのは私の勘違いで、その正体は立派な妖怪だったということだ。

 

「ご、ごごごごめんなさい!」

 

 完全に正気に戻った私は、慌てて跳びのき土下座をかました。

 この兎妖怪が私に何をしたかはよくわからないが、少なくともその実力は私を一瞬でのしてしまうほどのものだ。

 つまり私なんかじゃ手も足も出ないほどの実力者、そんな相手に私は喧嘩を売ってしまったというのが今回の事件の真実であるのは間違いない。

 

 妖怪の世界にも弱肉強食がある。

 縄張りを取り合ったり、縄張りを他の妖怪から守る為にと様々な理由から、妖怪同士も時にはお互い殺しあったりもする。

 そして強者……勝ったものが正義なのだ。

 そんな弱肉強食の世界、私はどちらかというと弱者の方だと思う。

 

「えっと……その、てっきり人間かと思って、ちょっとお腹も空いてたし……ほ、本当にごめんなさい!」

 

 多分この兎妖怪は強者だ。

 少なくとも私から見たら充分なくらい。

 そんな強者に私は歯向かうつもりなんてこれっぽっちも思わないので、一先ず誠心誠意込めて謝ることにした。

 もしかしたら見逃してくれるかもしれないという淡い期待を持ちながら……

 

「…………」

 

 しかし返ってきた答えは静寂。

 まさか私の言葉が聴こえていないというわけではなかろう。

 となるとこの場面において静寂が示す答えは一つしかない。

 

(あぁ……せめて世の中から焼き鳥屋を一つ残らず撲滅してから死にたかったなあ……)

 

 この前知り合いのある妖怪達が手伝ってくれたおかげで、ようやく私だけの焼き八目鰻の屋台が完成したばかりだというのに、どうやら夢の一歩を踏み出す瞬間にさっそく転んでそのまま崖に落ちていく運命だったようだ。

 

 そして俯いたままの私の肩に、ポンと兎妖怪の手が乗っかる。

 ……恐る恐る顔を上げてみると、兎妖怪の無表情が視界に入り思わず身体が小刻みに振動する。

 

「あ、あのっ……?」

 

 しかし一向に何も起きない……兎妖怪はただこちらをじっと見つめて……

 そして赤い瞳が一瞬光を帯びたように見えた。

 

「あ、あれ?」

 

 気が付けば震えが止まっていた。

 それどころかさっきまで感じていた恐怖すらも何処かへすっ飛んだかのように感じなくなっていた。

 

 自身の状況を不思議に思っていると、突然目の前の兎妖怪が紙らしきものを差し出してきた。

 それには、『こちらこそ怖い思いをさせて申し訳ない』と書かれていた……

 ……んん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後は彼女と色々話し合った……まぁ鈴仙さんは喋れないらしいので筆談だったけど。

 結果わかったことは、鈴仙さんは私が思っていたような恐ろしい妖怪ではなく、かなり優しい性格の持ち主だということだ。

 そして今ではすっかり仲良くなり、私の屋台の常連さんになってくれている。

 だから鈴仙さんとの出会いは決して悪いものではないと私は思う。

 

「次に来てくれるのはいつかなー」

 

 最近もう一人の常連が来ないので、ここ数ヶ月は鈴仙さんしか客が来なくて暇なのだ。

 ……私も鈴仙さんを見習って人里とかで商売でも始めるべきだろうか。

 そうすれば暇もだいぶ潰れるだろうと、そんなことを考えていると、空から翼の羽ばたき音が聞こえてきた。

 どうやら、もう一人の常連さんが久しぶりにやって来たようだ。

 

「あ、文さん! お久しぶりですね、元気にしてました?」

 

「あややや……お久しぶりですミスティアさん。すいません最近ちょっと忙しくて来れませんでした。あ、とりあえず三本ほどお願いします」

 

 もう一人の常連さんである、鴉天狗の射命丸文さん。

 彼女もまた、私のように焼き鳥屋撲滅を願う同士でもあり、親友でもある妖怪だ。

 

「……おや、既に炭火が付いているということはさっきまで焼いてたんですか?」

 

「あ、はい……実は文さんが来てない間に、文さん以外の常連さんが一人増えたんですよ。それでさっきまでその方がここに……」

 

「な、なんと! まさか私が居ない間にそんな大スクープが起きていたとは……ちなみにその方は私達の同士ですか?」

 

「い、いえ……鈴仙さんは鳥じゃなくて兎の妖怪ですよ」

 

 ほうほうと、何やらメモを取り始める。

 

「その方は鈴仙さんというのですね、しかも兎の妖怪ですか……どんな方なんです?」

 

「うーん、口で説明するより実際に見てもらった方が……けど一つだけ言えることがあってですね」

 

 自らの力によって言葉と表情を失った妖怪。

 見た目は無表情の無口な妖怪。

 けれどその内面はとっても暖かい妖怪。

 そして相手が人間だろうが妖怪だろうが構わずに仲良くなってしまう妖怪。

 

 そんな彼女を一言で表すなら……

 

「ちょっと変わった妖怪……ですかね」

 

 

 

 

 




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4話

 

 

 

「うーん……見つからないわね」

 

 永遠亭の中にある物置として使われている部屋、そこで私こと八意永琳は探し物をしている。

 薬作りの為に必要な器具を探しているのだが、しばらくの間それを使わなかったため、物置にしまっておいたはずなのだが……

 

「おかしいわね、どこにしまったのやら……」

 

 どうにもその時の記憶が曖昧だ。

 これでも月の頭脳と呼ばれていた私だが、記憶力に関しては最近衰えてきている気がしてならない。

 流石に歳だからだろうか……

 

 いくら物をかき分け、箱をひっくり返しても目的のものが見つからない。

 こうなると最初からここにはなく、別の場所にあるか……それともまだ探し終えていない部分に隠れているのか。

 

「……仕方ない、ウドンゲに手伝ってもらいましょう」

 

 元より彼女は私の弟子という扱いなので、このくらいの雑用なら手伝ってくれるだろう。

 今の時間帯なら家事を終えて、暇を持て余している輝夜の相手をしている筈だ。

 

 早速呼んでこようと物置から出るべく脚を動かす。

 ……そしてふと、小さな物音のようなものがした気がした。

 

「……なにかしら?」

 

 どうやら物音は物置の中から聞こえてくるようだ。

 不老不死になったとはいえ、根本的な部分は人間のままだからか……気になってしまうとそれを確かめたくなる人間の性に逆らえず、脚を翻した。

 

 音の発信源は……あの床に無造作に置かれた箱からだろうか。

 微かにカタカタと揺れている箱を両手で掴み、それを上にあげるとそこには……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 パチリと乾いた音が響く。

 

「あ、鈴仙待った、それ待ったよ」

 

 自分のした事に姫様は不満を抱いたのか、静止の声をかけてきた。

 

(だめですよ姫様、今日はもう三回待ったしてますから)

 

 そう紙に書いて自分は抗議する。

 

「えーいいじゃない……あ、じゃあ今日の夕飯のメニュー、一品あげるわよ」

 

(いらないです、ていうかそれ作るの私ですし、ちゃんと姫様に食べてもらいたいんですけど)

 

「じゃあ私の命あげるわ」

 

 いや、そんな将棋ごときで軽々しく命を差し出さないでほしいし、だいたい姫様殺しても殺せないじゃないですか。

 

 結局交渉の末、今日の夕飯に姫様の嫌いなピーマンを食べてもらうという条件で待ったを許した。

 

「……ねぇ、まさかピーマン丸ごと出すってわけじゃないわよね? ちゃんと苦くないように味付けしてよ……?」

 

 善処します。

 ついでだからナスもメニューに加えようかな。

 姫様の好き嫌いを少しでも減らしてあげたいし。

 

 無難に炒め物にするかもっと凝ったものにするか、姫様の次の手を待ちながらメニューを考えていると、突如それが耳に入ってきた。

 

 きゃあああああああああ!!

 

「!?」

 

「んー? 今のもしかして永琳……? ってはや!」

 

 気が付けば駆け出していた。

 今の悲鳴の声は間違いなく師匠のものだ。

 何があったかは知らないが、普段はクールというか凛としていて、案外甘い物が好きだけどそれを周りに知られるのが恥ずかしいのか、夜中にこっそり人里から買ってきてあげた団子を美味しそうに頬張っているちょっと恥ずかしがり屋のあの師匠が悲鳴をあげるなんてただ事ではないはずだ。

 

 永遠亭の廊下を走りながら、普段無意識的に発動させている波長レーダーを能力を使って意図的に範囲を広げる。

 永遠亭全体をすっぽり覆うところまで広げると、師匠の波長を捉えた。

 どうやら物置の近くにいるみたいだ。

 

(師匠! 大丈夫ですか!?)

 

 やがて物置の入り口で倒れ込んで震えている師匠を発見した。

 

「う、うどんげ……ももも物置に……!」

 

 物置?

 まさか物置に師匠が悲鳴をあげる程の何かがあったということだろうか。

 しかし物置にそんな物騒な物を置いていたような記憶もないし……これはもう師匠本人に聞くしかないのだが、気が動転しているようでとてもじゃないが話せる状態ではない。

 

 仕方がないのでまた能力を使い、師匠の波長を操って心を落ち着かせる。

 

「あ……あ……!」

 

 あ?

 なんですか師匠、何が言いたんですか!?

 

「あ、阿久多牟之が……!」

 

 ……あくたむし?

 聞き覚えのない言葉だけど……虫の一種だろうか。

 

「ちょっと、何かあったの?」

 

 ここで姫様が遅れてやってきた。

 事の顛末を姫様に伝えると、納得したかのように頷いた。

 

「あー、阿久多牟之ね。そういえば永琳苦手だったけ……」

 

 どうやら姫様もあくたむしとやらを知っているようだ。

 

「え? 阿久多牟之って何ですかって……貴女知らないの? まぁ月には余計な生命体は居ないから知らなくて当然なのかしら……簡単に言えば、黒っぽくてテカテカしてて……凄く素早い小さな昆虫みたいなやつよ」

 

 黒っぽくてテカテカしてて、素早い……

 

(それってもしかして……)

 

 あれか、よく台所の冷蔵庫の下だとか暗くて狭い所に潜み、一匹みたら三十匹はいると言われている奴のことだろうか。

 要するにゴキ……

 

 まぁともかくだ、ひとまず確かめてみるとしよう。

 本日三回目となる能力を使い、物置内の波長を読み取っていく。

 ……うん、まぁあれだ。

 確かに物置の中に生命体の波長を感じるのだが……

 

(ひーふーみー……三十匹どころじゃないよねこれ)

 

 これが全部黒光りする奴だとしたら、苦手じゃなくとも多少は嫌悪感がわきそうだ。

 それにしても珍しい事もあるものだ、迷いの竹林は人間だろうが妖怪だろうが虫だろうが関係なく迷子になる場所。

 その迷いの竹林を突破してここ永遠亭の物置にまで辿り着くなんて大した根性を持っているに違いない。

 

(……あれ、師匠は?)

 

 気が付けば師匠の姿が見えなくなっていた。

 

「永琳なら大慌てで走っていったわよ、多分殺虫剤か何かを作りにいったんじゃないかしら」

 

 ……そんなに師匠は奴が苦手なのだろうか。

 でもまぁこれで事態も解決するだろう……

 

「ちなみに昔似たようなことがあったんだけど、その時は永遠亭が数日間殺虫剤と言う名の猛毒の煙に包まれて、私と永琳は死んでは生き返って、また猛毒に侵されて死んでの繰り返し地獄を……」

 

 おっと、このまま師匠を放っておいたら解決どころかより一層事態が悪化するようだ。

 というかそれもう殺虫剤じゃない、ただの殺戮剤だ。

 これは早急に対応するしかないようだ。

 

 とは言ってもどうするべきか……今から一匹ずつ退治するのは骨が折れそうだし、モタモタしてたら師匠特製の殺戮剤で永遠亭が死の屋敷と化す。

 

「一つ思ったんだけど、貴女の能力でなんとかならないの? こう虫の波長とやらを操ってこう……上手い事できない?」

 

 うーん、相手が鼠とかなら音波とかを操って追い出せたりは出来るだろうけど……虫となるとなぁ。

 

(神経信号の波とか操ればある程度こちらの意思で動かすことができるとは思うんですけど……多分時間が物凄くかかりますね)

 

 ただでさえ虫という小さな生物の波長を操るだけで、かなりの集中力が必要になるのだ。

 それに加えこの数となると、普通に一匹ずつ退治していった方が速いし楽だ。

 

「ふーん……じゃあどうする? 多分あと三十分もしない内に劇薬手に持った永琳が永遠亭中を駆け回るわよ」

 

 くっ、時間が足りない……取り敢えずてゐとかイナバ達を呼んできて手伝ってもらうしか……

 ……いや待てよ、虫を操る……むし……蟲を……

 そうか、その手があった。

 

「あれ、どこ行くの?」

 

(ちょっと竹林の外までです!)

 

 そして一気に永遠亭を飛び出し、竹林を走り抜ける。

 途中てゐが趣味で仕掛けたであろう罠を華麗に回避し、何故か道の途中で眠りこけている、白髪でもんぺを着ている知り合いの少女に風邪をひかないようにと上着を掛けてあげたりしながらも、ものの数分で竹林を抜けた。

 妖怪兎の脚力は伊達じゃない。

 

 そのままの勢いを維持しつつ、竹林の近くを流れている小川を目指す。

 あそこの川には、とある妖怪が住んでいるのだが、その妖怪の持つ能力が蟲を操ることができるというまさに今の永遠亭を救うのにうってつけな能力なのだ。

 

 そして川に到着したと同時に、その妖怪も発見した。

 

「うー寒い寒い……もう冬か。はやいところ冬眠の準備でも……あれ? そこに誰かいるの……ぉ!?」

 

 何か言っていたようだけど、こちらも時間がないのだ。

 申し訳ないと思いつつも、すぐさまその妖怪……蛍の妖怪の『リグル・ナイトバグ』を抱き抱え、そのまま竹林の方へと全力疾走する。

 

「ちょ……、なになになに!? は、はやいはやいこわい! お、降ろしてぇぇぇぇ!!」

 

 竹林に入ると、当然竹という障害物が増える。

 それらに当たらないように全力疾走しているため、抱き抱えられているリグルからしたら視界がかなり揺れて感じる事だろう。

 

「よ、妖怪攫いー! 私を食べても美味しくないですよ!」

 

 と、暴れるリグル。

 流石に無理矢理過ぎただろうか……ここは一つ、能力を使って落ち着かせる。

 ……本当に便利だなこの能力、これで普通に喋れたりしたら尚良いのだが。

 

「……ってあれ、もしかして鈴仙さんですか……? あ、あの……なんで私は鈴仙さんに拉致されてるんですか?」

 

 どうやら落ち着いたようだ。

 しかしこんな時こそ喋れたら、走りながらでも事情を伝えられるのだけど……残念ながら両手も塞がっているせいで筆談すらできない。

 非常に申し訳ないが、ここは急いで永遠亭まで行くのが先決だ。

 

「うぇ!? ち、ちょっとなんで更にスピード上げるんですか!? や、やめてぇぇぇぇぇ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日は幻想郷に初夏がやってきたころだった。

 私はいつも通り蟲達と楽しくお喋りをしたり遊んだりしながら、毎日を過ごしていた。

 しかしその日はちょっといつもとは違った。

 ある蟲が、何者かがここに近づいてくるという知らせを持ってきたのだ。

 正直言ってその時リグルは、川の魚でも釣りにきた人間とかだろうと思っていた。

 実際何回かは、人里に住む人間が釣竿片手にこの川にやってくることがあったからだ。

 そんな人間達に対してリグルは特に関心を持っているわけではなく、襲うなんて気もないので、いつも通り人間が去るまで隠れる事にした。

 リグルは面倒ごとは避けるタイプだ……元より特別強い力を持っているわけもなく、力が欲しいわけでも人間の血に飢えているわけでもない。

 なので人間を見かけたら基本的に避ける形を取っていた。

 ……とは言うのも、実は昔人里の近くで悪さをしてたら、人里の守護者にコテンパンにやられたのがちょっとトラウマになっているのもあるかもしれない。

 

 そうこうしているうちに、足音が聞こえてきた。

 慌てて近くの茂みに隠れ、集まっていた蟲達にはこの場を離れるよう伝えた

 蟲というだけで潰そうとしてくる人間は多いから念のためである。

 

 そして近づいてくる足音……リグルは茂みから少しだけ頭を出し、やって来たであろう人間を確認する。

 ……しかしそこにいたのは、人間ではなかった。

 

(兎の耳……? なんだ、同族(妖怪)か)

 

 姿形は人間のものだが、頭のてっぺんから生えた大きい兎の耳……あれが付け耳とかでなければ、明らかにあれは人外だろう。

 しかしなんでまた妖怪がこんな辺鄙な場所に……?

 ここには小さな川しかなく、こんなところに来て喜ぶ妖怪はリグルのように綺麗な水を好む者や河童くらいだろう。

 

(……なんだろう、何かを探してるのかな?)

 

 茂みに潜みながらも観察を続けるが、その妖怪兎はさっきからキョロキョロと辺りを見回しながら、川の周りをうろちょろしている。

 その仕草は探し物を探しているような仕草だ。

 

 あの妖怪兎が何を探しているのかは知らないが、自らには関係のないことだし、下手に接触して面倒ごとが起きるのも避けたい。

 なのでリグルはこのまま隠れる事にした……のだが、どうやらそう上手くはいかないようだ。

 いつのまにか妖怪兎の首がこちらの方に向いていて、じっとこちらを見つめているのだ。

 

(嘘、気付かれた……? うわ、こっち来てる)

 

 どうするべきか……正直言ってあの妖怪兎はかなりの腕前を持っているように見える。

 このまま無闇に攻撃を仕掛けるよりは、まず相手の出方をみた方が得策かもしれない。

 

「……え、えっとその、初めまして……?」

 

 既に気付かれているのなら、隠れる必要はない。

 潔く茂みから出て、まずは軽いコミュニケーションを取ることにした。

 しかし、相手からの反応がない……様子を伺うために妖怪兎の顔を見るべく、自分の顔を少し上へと上げる。

 

 そして不気味と思えるほど、真っ赤な瞳と目があった。

 その瞳は間違いなくリグルを真っ直ぐに捉えているのだが、まるで生気が感じられないというか……無機質なものに感じた。

 それが何故か無性に不気味に感じ、少しだけ恐ろしく思えた。

 それに加えて無表情なんておまけを付けられて、怯えるなという方が難しい。

 

 この後どういう行動をとればいいのか迷っていると、突如目の前の妖怪兎が紙切れを取り出し、筆記具を用いて何かを書き出した。

 そしてその紙切れを無言で差し出してきた……受け取れということだろうか。

 まさか『お前を殺す』……みたいな内容が書かれているのではないかと、内心ビクビクしながら紙切れを受け取って文字を読んでみるとそこには……

 

 綺麗な字で『初めまして』と書かれていた……

 若干拍子抜けというか、思ったより普通の内容に驚きながらも、お互いの自己紹介が始まった。

 その過程で、どうしてここにやってきた目的も聞き出せた……喋れないのか全部筆談だったけど。

 どうやらこの妖怪兎……名前が鈴仙なんちゃら……とにかく鈴仙さんは、水辺周辺に生息するある植物を求めてやってきたらしい。

 なんでも、薬作りの材料にその植物が必要らしいのだが、なかなか見つからないとのこと。

 そこで近くに潜んでいた私を発見したので、その植物について何か知らないか聞こうとしていたらしい……どうやって隠れていた私を発見したのかはこの際置いておくことにする。

 

 幸いにも、私はその植物について心当たりがあったので、教えてあげることにした。

 

 それからというもの、鈴仙さんはちょくちょくここにやって来るようになった。

 手伝ってくれたお礼と言って、手作りであろうおにぎりを持ってきて食べさせたり、鈴仙さんの知り合いの妖怪がやっている八目鰻の屋台に連れていかれたり、またある時は黒髪ロングで着物を着た人間を『こちらの姫様が蛍を見たいと言うので連れてきた』と言って連れてきたりと……でもまぁ、悪い気はしなかったのは確かだ。

 

 そんな彼女に対してリグルは、少し変わった妖怪だと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はっ!」

 

 そしてリグルは目が覚めた。

 どうやら軽く気を失っていて、夢でも見ていたらしい。

 ……というか今の、走馬灯とか言う奴ではなかろうか。

 

 ひとまず状況を把握するべく、あたりを見回す……どうやらまだ鈴仙さんの腕の中らしい。

 というか此処は何処なのだろう……辺りには沢山の竹があるということは、ここは迷いの竹林だろうか。

 というか、あとどれくらいこの状態なのかなと考えていると、ようやく鈴仙さんが止まった。

 そして気が付けば目の前には大きな和風建築の屋敷があった……そういえば鈴仙さんは竹林に住んでるとか言ってたし、ここがそうなのかもしれない。

 まさか竹林の中にこんな屋敷があるだなんて思いもしなかったが。

 

「あのー鈴仙さん? ……え、ついていけば良いんですか?」

 

 ようやく降ろされ、地面に足がつく。

 そして鈴仙さんに中に入るように促された。

 屋敷の廊下を二人で小走りしながら、鈴仙さんはようやく事情を説明してくれた。

 なんでもここの物置に蟲が出たらしく、その蟲に苦手意識を持っている屋敷の主人が強力な毒物を使おうとしているので、そうなる前に私が蟲達をどうにかして欲しいとのことだった。

 

「あの、だいたいの事情はわかったんですけど……私を呼んでまで蟲達を助けようとしてくれるのですか? ……え、それもあるけど、このままだとこの場にいる全員が三途の川に観光しに行く羽目になるってどういうことです?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リグルを連れて、永遠亭の物置へと戻ってきたのだが、既にそこはひどい有様だった。

 

 壁には師匠の放ったであろう矢があちこちに刺さっており、壁自体も所々に穴が空いていたりとボロボロになっている。

 床には気絶した何人かのイナバ達とてゐが倒れ伏し、その近くには何故か縄で簀巻き状態にされた師匠が転がされていた。

 猿轡をされているためか、モゴモゴと口を動かして喋ろうとしているが、なんと言ってるかはわからない。

 そして壁際にはこれまたボロボロの状態の姫様が寄りかかっていた。

 自分がいない間に何があったかは大体予想できる。

 

「あら、やっと帰ってきたのね……この通りなんとか食い止めることはできたわ……よ」

 

 そう言って気絶する姫様……というか、最初から師匠をどうにかしてれば良かったのではないかと今更思い付いたが、時既に遅しという奴だ。

 

「えっと、取り敢えず始めていいですか?」

 

 よろしく頼みますリグルさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リグルに物置にいた蟲達を竹林の外まで連れていってもらい、ようやく永遠亭に平和が訪れた。

 

「まったく……私は同じ過ちは繰り返したりしないわよ。ちゃんと今回のは範囲を狭めた奴だから以前のような悲劇は起こらなかったわよ」

 

「えーそうだったの? じゃあそう言ってくれたら良かったのに」

 

「言おうとしたわよ、聞く耳持たずに襲いかかってきたのはどこの姫様だったかしら?」

 

「……ま、まぁでもたまには運動するのも良いと思わない? 永琳はあまり動かないから、たまには運動しないと……ね?」

 

「あらそう? なら明日私の運動に付き合ってくれないかしら。今日久しぶりに弓を使ったのだけど、どうにも腕が鈍ってるのよね」

 

 そこまで師匠が言うと、何かを察した姫様が青い顔をし始めた。

 

「も、もちろん良いわよ? けど何を手伝えばいいのか今のうちに教えてくれると私としてもやる気でるかなーって……」

 

「簡単なことよ、ちょうど人型の的が欲しかったから、貴女は突っ立ってるだけで良いわ」

 

「ごめんなさい」

 

 ……今日も永遠亭は平和だ。

 

 

 

 

 




誤字報告本当に助かります……感謝の気持ちでいっぱいです。


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5話

今回の話は、場面がコロコロ変わるのでご注意です。


 

 

 

 

 

 ふっと目が覚め、横にしていた身体の上半身だけを布団から起き上がらせる……そしてまず最初に感じたのが寒さだった。

 このまま暖かい布団に潜って二度寝したい気持ちを抑え、布団から這い出る。

 そして部屋の引き戸を開け、縁側に出る……そこには一面の雪景色が広がっていた。

 

(どうりで寒いわけか……)

 

 昨日の夜から降り始めたのだろう、今もなお降り続けている雪は見事に辺りを雪で埋め尽くしていた。

 これでは気温はかなり低いはずだ。

 つまり、幻想郷はもうすっかり冬の季節に入ったようだ……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ガラリと玄関の戸を開けると、思っていた通り大量の雪が玄関先に積もっていた。

 防寒着を着込んではいるが、それでも結構寒く感じるのを我慢しつつ、手に持った除雪道具を使って雪かきを始める。

 玄関先が終わったら次は……屋根の上と庭園、それから畑の方もしなくては。

 家事は午前中に終わらせといたから、だいぶ時間の余裕はあるが……できるなら夕飯の支度の時間までは済ませておきたい。

 今日の夕飯はいつもよりほんのちょっと豪華にする予定だし。

 

 無心で雪かきを続けていると、庭の方が騒がしくなっている事に気が付いた。

 多分姫様やイナバ達が庭で雪を使って遊んでるのだろう。

 雪遊びは童心に帰れるとよく言うし。

 

 そんな事を思いつつ、玄関前の雪かきが半分ほど終わった頃に、突如後ろから声を掛けられた。

 

「よぉ鈴仙ちゃん、一人で雪かきなんて精が出るな」

 

 声に反応して振り向いてみるとそこには……まぁ実は能力でこっちに来てることは察知できたが、そこには見知った顔の白髪の少女がいた。

 

 彼女の名前は藤原妹紅、師匠や姫様と同じく蓬莱人で、姫様の昔からの知り合いらしい。

 彼女もまたここ迷いの竹林に住んでおり、こうして度々姫様に会いに永遠亭にやって来ることがある。

 

(こんにちは、もこたん。姫様なら庭で遊んでますよ)

 

 取り敢えず挨拶をする。

 筆談だけど……

 

「ん、いや……今日は輝夜に用じゃなくてだな……まて、もこたんってなんだ、もしかして私の事かそれ?」

 

 もこたんの問いかけに首を縦に振って答える。

 

「まてまて、いつの間にそんな変なあだ名付けられてるの私」

 

(え、だって姫様がこの前、妹紅さんのことはこれから、もこたんって呼んであげなさいって……)

 

「……そうか、けどいつも通り妹紅さんでいいからな? 代わりに輝夜のことを、ぐーやって呼んであげてくれ……きっと喜ぶぞ」

 

 え、姫様のことをぐーや……?

 そして妹紅さんはもこたん……

 はっ、そうだったのか……どうやら二人はいつのまにかお互いをあだ名で呼び合えるほど仲良くなったらしい。

 いやー良きかな良きかな、自分が初めて妹紅さんに会ったぐらいの時は、姫様と妹紅さん、お互い殺し合おうとする程仲が悪かったというのに……今日はお赤飯かな。

 

(あれ、ではぐーやに用がないとすると、本日はどのようなご用件で?)

 

「さ、早速呼んでるし……ぶふっ!」

 

 なぜか吹き出す妹紅さん。

 

「ん、いや失礼……今日は鈴仙ちゃんに用が有って来たんだよ」

 

 自分に?

 一体なんだろうと考えていると、妹紅さんが片手に持っているものにようやく気が付いた。

 

「ほら、これ鈴仙ちゃんのだろ?」

 

 それは以前、永遠亭にリグルを連れてこようとした行き道に眠っている妹紅さんを見かけたので、風邪をひかないようにと毛布がわりにかけてあげた自分の上着だった。

 そういえばすっかり忘れていた。

 

「なんか昼寝から目が覚めたらそれがあってさ、見覚えあったし多分そうなんじゃないかと思ったよ」

 

 それでわざわざ届けに来てくれたというわけか。

 

「それで? わざと落っことしたってわけじゃないんだよな……え? 風邪をひいたらいけないから、毛布がわりにだって? ……なんていうか、本当にお人好しというかお節介焼きというか」

 

 少し呆れたように言う妹紅さん。

 まぁ元からそういう性格なので……

 

「まぁ私がとやかく言うのはおかしいか……一応礼は言っとくよ、ただ他人の心配してばっかだけじゃなく、自分の身も心配した方が良いと思うよ? 毎日毎日家事やら雑用やら一人でやってるんだろ? 大変じゃないか」

 

 む、そんなことはないですよ妹紅さん、休憩だってちゃんとしてるし、家事とかだって嫌々やってるわけじゃないし。

 それにイナバ達やぐーやのような、疲れた心を癒してくれるような存在もいてくれるし。

 そして極め付けに、師匠という一見するとできる女性なのだが、実はちょっとうっかりしてたりする所もあったりして、それがまた可愛いらしいというかギャップ萌えというか。

 

「あ、あぁわかったわかった。わかったからそれ本人達の前では言うなよ、特に薬師の方」

 

 ……確かに師匠本人に言ったら、次の瞬間矢が顔面に飛んできそうだ。

 気を付けておこう。

 

「んじゃ、私はここらでお暇させてもらうよ」

 

 そう言って帰ろうとする妹紅さん……うーん、せっかく来たのだからもう少しゆっくりしていけばいいのに。

 ……そうだ。

 

「……ん? どうした?」

 

 去ろうとする妹紅さんの服の袖を掴み、引き止める。

 そして、すかさず筆談で言いたい事を伝える。

 

「……折角だから、ご飯でも食べていかないかだって? あー……その申し出は正直嬉しいが、時々だけど鈴仙ちゃんにはお裾分けを押し付けられ……貰ってるからそれで充分というか……」

 

 少しだけ照れ臭そうに、頬を指でかきながら答える妹紅さん。

 

「それに飯時までまだだいぶ時間が……え、それまで輝夜と遊んでれば良いだって? いやあのな、私と輝夜はそういう間柄というわけじゃなくてだな……ああもう、わかったからその無表情で凝視するのやめてくれ、なんか怖いから」

 

 ……そんなに自分の表情って怖いのかな。

 確かに常に無愛想みたいな表情だけど怖いだなんて大袈裟な……大袈裟だよね?

 ま、まぁでもこれで妹紅さんの説得もできたみたいだし、良しとしよう。

 さて、そうと決まれば尚更雪かきをはやく終わらせて、夕飯の支度をしなくては。

 一人増えるだけでも、材料の分量とか工程も色々と変わってくるからだ。

 

「お、急に作業ペースが速くなったな……どれ、私も手伝ってやるよ」

 

 え、それはありがたいですけど、一人分の除雪道具しかここにはないので妹紅さんはやらなくても……

 

「なに心配ないさ、要は積もった雪をどうにかすればいいんだろ?」

 

 はぁ……まぁそうですけど。

 

「なら簡単さ、こうやって……ふんっ!」

 

 次の瞬間、辺りが炎に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日、私は生まれて初めて罪を犯した。

 最初はただ、父に恥をかかせたあいつ……月に帰っていたかぐや姫を困らせようとしただけだった。

 かぐや姫が帝と竹取の翁に贈ったと言われる、不老不死の薬……それを奪ってやれば、あいつも困るだろうと思って……

 

 しかし当時の私はなんの力も持たない普通の人間の少女だった。

 しかもろくに外で走ったことも数える程しかない筋金入りの箱入り娘。

 そんな私が、不老不死の薬を持って山登りをしている大人達の跡をついていけるはずもなく、山を登り始めてすぐにバテてしまった。

 しかしそんな私を救ったのが他でもない、不老不死の薬を運んでいた大人たちだった。

 どうやら私の尾行は既にバレていたようだ……

 

 そして私をこのまま一人で帰すのは危ないということで、山の上まで一緒に連れて行ってもらうことになったのだ。

 これはチャンスだと思った。

 隙を見て薬を奪えるかもしれない。

 

 しかし現実はそう甘くなく、具体的な方法も思い浮かばないまま、遂に山の頂上までたどり着いてしまった。

 ……正直言って、その時点で薬を奪うのは殆ど諦めていた。

 大体奪ったところでなんだというのだ、どうせ薬は帝や竹取の翁に使われず焼かれるのだ。

 それなら私が奪っても焼かれても結局は同じ事ではないか。

 私は山の火口に放り込まれようとしている薬の入った容器を見ながら、そう思った。

 

 けれど薬は焼かれることはなかった。

 何故なら、山の女神が突如現れ、薬を火口に放り込もうとした大人達を殺したからだ。

 

「禁忌の薬でこの山を穢すことは許さぬ」

 

 たったそれだけの理由で、数人の命が女神によって消された。

 生き残ったのは、後ろにいた私ともう一人の大人しかいなかった……

 そして女神は、残った私たちに別の場所で薬を処理するよう命令し、そのまま姿を消した……

 

 ひとまずこの場を離れよう、そう言って薬を背負い歩き始める大人の後ろを私は呆然としながらついていった。

 初めて人が死ぬところを間近で見てしまったのと、疲労が溜まっていたのもあり、私は軽くショック状態になっていた。

 そんな状態でまともに歩くことなんてできず、気が付けば私の片足は崖の縁を踏み抜いていた。

 

 悲鳴をあげる暇もなく、私の体は崖の下に落ちる寸前だった。

 このまま落ちて死ぬのだろうかと、思っていたよりも無関心に思っていると、次の瞬間私の体は宙に浮いた。

 落下しているのではない、むしろ上に上昇しているような感覚だった。

 そして次にきたのは、背中の痛みだった……地面に衝突したからだろう。

 一体何が起きたのか確かめるべく、痛みで反射的に閉じていた目を開くと、そこには崖の下に落ちていく大人の姿があった。

 

 そして私は察した、彼が崖下に落ちようとする私を空中で掴み、引っ張り上げたのだ。

 しかし代償として、今度は彼が崖下に落ちようとしているのだ。

 まるで時がゆっくりになったかのように、彼の体がどんどん下へと落ちていく……そんな彼の体を掴もうと私は自分の手を伸ばすが、少女の手では届くはずもなく、その手は何も掴む事もなく閉じてしまった。

 

 しばらく彼が落ちていった崖下の暗闇を、呆然と見つめているとそれに気が付いた。

 足元に不老不死の薬が入った容器が転がっていたのだ。

 おそらく、私を助ける前に彼が慌てて放り投げたのだろう。

 ……不老不死、つまりは死なないということ。

 これを使えば、崖下に落ちた彼を助けられるのではないだろうか。

 そう思った瞬間、私の手は勝手に動いていた。

 

 容器には二つの丸薬のようなものが入っていた。

 これが不老不死の薬……

 私は二つの内一つを掴み、無造作にそれを口に放り込んで飲み込んだ。

 一瞬だけ、何か違和感を感じたが、それ以外は特に変わりはない様子だ。

 そして残ったもう一つの薬を両手でしっかりと握り、崖の縁へと立つ……

 ……もし仮に、この薬が偽物で、不老不死になんてなっていないのなら、私の人生はここで終わりを迎える。

 けれどそれも良いだろう……正直言って、大好きだった父が事故で死んでしまった日から私の人生はとうに終わっているようなものだから。

 

 そして私は崖下へと身を投げ出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふっと眼が覚める。

 一瞬ここがどこで何が起きたのか分からなかったが、すぐに思い出せた。

 私は崖から飛び降りて、そして激しい痛みが生じて……

 ハッと気が付いて自身の身体を触る、しかしどこも怪我をしたような様子はない。

 けれど、私が倒れていた場所には大きな血溜まりができている……そして意識を失う前に感じたあの激痛が夢でなければ。

 

「し、死んでない……本当に死んでないんだ私」

 

 不老不死なんて空想に過ぎないと思っていた。

 しかし現に本当のことを私は体験した。

 

 ……今は感想を言っている場合ではない。

 早い所彼を見つけなければ、と脚を動かそうとした時、何かが足先にぶつかった。

 暗くてよく見えなかったが、よく目を凝らしてみると、そこには無残な姿となった彼がいた。

 

 それだけで私は理解した、もう彼は動かないと……

 けれど私は諦められなかった、倒れた私を助け、食糧を分けてくれたり、疲れて歩けなくなった私をおぶってくれたりした親切な彼の死が。

 どこか父に似た雰囲気の彼の死が……

 

 だから私は握りしめていた不老不死の薬を彼の遺体の口に押し込んだ。

 願わくば彼が生き返ってくれることを祈って……

 しかしいくら待てど、彼は動かない。

 日が昇るまでその場で待ち続けたが、それでも動かない。

 ……わかっていた、既に死者となったものが不死になんてなる筈がないと。

 

 私はその辺に落ちていた石を彼の遺体の上に積み上げ、お墓を作った。

 そして私は涙を浮かべながらその場を立ち去った。

 

 これが私が犯した罪……私のせいで彼を死なせてしまったという罪だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは地獄のような日々だった。

 私は心の何処かでは、辞めようと思えばいつでも辞められるものだと思っていた。

 しかしそれは大きな間違いだった。

 不老不死とは、死なないのではなく、死ねない(・・・・)のだ。

 例え妖怪に襲われ殺されようとも生き返り、飢餓状態になると地獄の苦しみを味わってから死に、そしてまた生き返る。

 なにより、不老不死となって成長が止まってしまった私は既に人間ではなく、ただの人外になってしまった。

 そんな私が人と共に過ごせるわけもなく、常に私は孤独だった。

 

 あの日から数百年間の間、私は死ぬことすら出来ずに、各地を彷徨い続けた。

 その間に妖怪退治をする程の力も身に付けた。

 妖怪退治を生業とし、あちこちを旅した。

 何度も死のうとしてみた。

 その内妖怪退治にもやり甲斐を持てなくなり、無気力な日々を過ごしたこともあった。

 もう死のうとすることも諦めた。

 

 そして最終的に私は幻想郷に辿り着いた。

 そこで思いもよらぬ人物と出会った。

 あの月に帰ったと思ったかぐや姫……輝夜が実はあれからずっと逃亡生活をしていたことを知った。

 取り敢えず全力で顔面を殴った。

 そして輝夜も私と同じように永遠を彷徨う運命にあることを知った。

 

 気が付けば、私と輝夜は暇さえあれば殺し合いをするようになった。

 別にお互いが憎くてやっているわけではない……まぁ最初の方こそ私は輝夜が憎かったのは確かだが、正直昔の恨みは最初出会った時に思いっきり殴ったことでスッキリした。

 では何故お互い死にもしないのに殺し合いをするのか……多分だが、輝夜も私と同じ理由だと思う。

 それは『生きている』という実感を得るため。

 

 実際に命のやり取りという行為をすることで、私達はちゃんとこの世にいるんだなと確認するためだ。

 蓬莱人は生きてもいないし死んでもいない……そんな曖昧な境界にいるのだ。

 けれど、私も輝夜もかつては普通の人……輝夜の場合は普通の人と言っていいか微妙だが、ともかく人間だったのだ。

 自身が人間であったという認識を忘れないために、私達は生きているんだなと確認するのだ。

 もし忘れてしまったら……それこそ、ただの動く肉塊と何の変わりもなくなってしまう。

 それだけは絶対にごめんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまぁ、自己満足と暇つぶしをかねた、そんな理由で度々永遠亭を訪れては、輝夜と殺し合いをするという生活を続けてどれくらいたっただろうか。

 ある日のこと、その生活に変化がおとずれた。

 

 最初は見慣れない妖怪兎がいるなと思っただけだった。

 そいつは永遠亭の玄関前を箒で掃き掃除をしていた。

 

「? あんな兎ここにいたっけか……」

 

 確かに迷いの竹林には多くの兎が生息している。

 普通の兎から妖怪兎、しまいには竹林のあちこちに落とし穴だとかトラップを無造作に仕掛けるはた迷惑な兎詐欺まで幅広く。

 そしてあの箒を持った人型の兎は間違いなく妖怪兎だろう。

 しかし長いこと竹林に住んでいる妹紅でも、あの妖怪兎に見覚えがなかった。

 

「……まぁいいか」

 

 おそらく最近妖怪化した兎とかだろう。

 そして永遠亭の玄関前を掃除しているということは、永遠亭で飼っている兎というわけだ。

 

「ちょいとそこの、悪いが輝夜のやつ呼んできてくれないか?」

 

 妖怪化しているなら、少なくとも知性はあるはず。

 折角なので輝夜を呼んできてもらおうと近づいて声を掛けた。

 そいつは私の声に反応して、顔をあげる……

 

「っ……」

 

 そして思わずぎょっとした。

 何せ、そいつの顔が驚くほど無表情で不気味なものだったからだ。

 口角は限界まで吊り下がり、その赤い瞳は虚空でも見ているのではないかと思うほど感情というものがこもっていない。

 どちらかというと、魂のこもっていない人形といった方が納得がいく。

 

「…………」

 

 おまけに喋ろうとする気配が全くない。

 あまりの不気味さに、思わず身構えていると、ようやくそいつは動きを見せた。

 何やら懐から小さい紙と……棒状の物体を取り出し、棒状の物体の先を紙に押し当て、手を動かす。

 そして紙切れを私の眼前に持ってくる。

 

 そこには、『どちら様でしょうか』とだけ書かれていた。

 ……成る程、どうやら何らかの理由で喋れないらしい。

 しかし筆談ができるのなら、会話自体はできるみたいだ。

 

「あー……私はその、藤原妹紅って言って、輝夜と友……ねぇな。えっと、なんていうかな……腐れ縁?」

 

 自己紹介なんて久しぶりにするものだから、ついどもってしまう。

 

「……あー、とにかく輝夜の知り合いだよ。あいつに用があるんだが……」

 

 そこまで言うと、妖怪兎は何かを考え込む素振りをし、やがて何かを思い出したかのように再び紙に何かを書き込む。

 

『あなたが藤原妹紅さんでしたか、話は聞いてますよ』

 

 どうやら話は通じたらしい。

 それにしてもこいつは他の妖怪兎に比べて礼儀正しいというか……何処か人間臭さを感じるのはなぜだろうか。

 

「話は聞いてる……ね」

 

 一体誰からと疑問に思ったが、なんとなく予想はできた。

 そして妖怪兎は続けてサラサラと紙に文字を書いていく……その様子だと、筆談には手慣れている様子だった。

 

『私ほどじゃないけど、そこそこの実力を持っている、もんぺの妖怪だと言ってました。幻想郷には色んな妖怪がいるとは思ってましたが、まさかもんぺの妖怪なんてのもいるとは思いませんでしたよ』

 

 文章を読み終えると、私は思わず固まった。

 

「……待て、色々と言いたい事はあるが、取り敢えず一言言わせてくれ」

 

 私の言葉に妖怪兎は首を傾ける。

 

「もんぺの妖怪なんていないし、私は妖怪じゃないからな」

 

 なんだもんぺの妖怪って、何がどうなったら衣服が妖怪になるんだよ。

 というかなんだその視線は、確かに今日ももんぺを履いてはいるけど、もんぺを履いているからってもんぺの妖怪と決め付けるのはおかしいだろ。

 

「と、とにかく輝夜をはやく呼んできてくれないか……色々とあいつとは話さなきゃならないからな」

 

 そう言うと妖怪兎は頷いて屋敷の奥へと消えていった。

 

 時間にして数分ほど、見慣れた着物姿の輝夜とさっきの妖怪兎がやってきた。

 

「あら、最近来ないから何処かでくたばったのかと思ったわよ、もんぺの妖怪さん……ぷふっ!」

 

 やっぱりこいつか、もんぺの妖怪ってこの兎に吹き込んだのは……!

 

「はんっ、生憎と私はお前みたいに年がら年中引きこもってられない性格なんでね。今日はちょいと幻想郷を一周してきた帰りに、いつも家ん中にいて運動不足なお姫様を外に引きずりだそうと思って来ただけだよ」

 

「へー、あなたにそんな優しさがあるだなんて知らなかったわ……なら私の運動不足解消を手伝ってくれるのよね? ちょうど良い運動方法があるんだけどやってみないかしら」

 

「ほー、どんなだ?」

 

「的当てよ、私が弾を撃って、あなた()が撃たれるの」

 

「はっ! なら当ててみな! ただ、気が付いたらそっちが的になってるかもしれないから、せいぜい気をつけるんだな!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日はすこぶる調子が良く、割とあっさり輝夜を圧倒できた。

 ……というより、輝夜の方がなんだかいつもより動きにキレがない気もしたが。

 

「へっ、どうやら今日も私の勝ちのようだな。どうした輝夜、しばらくみない間に少し腑抜けたか?」

 

「……バカ言わないでよ、この前は私の勝ちだったじゃない……まぁ確かに最近腑抜けてたかもね」

 

 やけに素直で、珍しく負けを認める輝夜に、私は一瞬戸惑った。

 

「……なぁ、本当にどうしたんだお前。らしくないじゃないか」

 

「うるさいわね……はやくトドメ刺しなさいよ」

 

 戦ってる最中でも感じたが、どうにも今日の輝夜は様子がおかしかった。

 いつもならこう……全てに退屈しているといった、そんな張り詰めた表情をしていたと思うのだが、今日の輝夜にそういった様子はなかったというか……

 

「そうか……ならそれが今日の遺言ってことで良いんだな」

 

 どちらかが一回死ぬまでこの戦いは終わらない。

 私は拳に炎を纏い、それを輝夜の脳天めがけて振り下ろす。

 不老不死とはいえ、痛みは感じる。

 だからせめて痛みを感じないように、一発で楽にしてやるという私なりの配慮だ。

 

 しかしその拳は途中で止められた。

 

「なっ……!」

 

 何かが私の腕を掴んで、凄い力で止めているのだ。

 一体誰がと、首を真横に動かして確認する。

 そこには意外にも、あの妖怪兎がいた。

 ……気配が全く感じられなかったのは、輝夜との戦いに夢中になっていたからか、それとも……

 

「……何のつもりだ?」

 

「…………」

 

 問いかけてみるもの、やはり喋らない。

 かわりにその不気味な赤い瞳で私をじっと見つめている。

 

「れ、鈴仙……? あなたいつから……」

 

 輝夜が少し震えた声でそう言う。

 どうやらこいつの名前は鈴仙というらしい。

 

 仕方なく、拳に込めていた力を抜くと、ようやく鈴仙という名の兎の掴んでいた手が離れた。

 そしてすかさず、紙と棒状のものを取り出し、再び筆談を始めた。

 

「『それ以上やったら姫様が死にます』……って、なんだ? お前永遠亭で飼われてる兎なのに知らないのか? こいつは不老不死だから殺してもまた生き返るから平気だぞ」

 

 私の言葉に兎はただ『知っています』とだけ答えた。

 

「ならなんで止めたんだよ、言っとくけど私もこいつと同じ不老不死だし、この殺し合いだって毎回のようにやってることだからな」

 

 私がそう言うと、初めてその兎の表情が変わった所を見た気がした。

 ……と言っても一瞬だったし、微かに表情筋がぴくっとしたぐらいだが。

 そして、てくてくと輝夜の方に歩いていく……

 

「あ、いやその……べ、別に隠してたわけじゃないのよ? ただ言うのを忘れてただけっていうか……それに単にお互い憎しみを持って殺しあってるわけじゃないのよ? なんていうかこう、蓬莱人同士の遊びというか戯れというか……あの、私が悪かったからその顔やめてくれない? 正直怖いわ……」

 

 兎が近づくと、輝夜は慌てて言い訳のような言葉を並べる。

 どうやらこの鈴仙とかいう兎は、私と輝夜の関係については全く知らなかったようだ。

 

「え? 明日のおやつ抜き……? ま、待って鈴仙! 不可抗力だから、今回の件は不可抗力だから許して!」

 

 というかなんだこの輝夜は、私の知ってる輝夜とはだいぶ違うというかもはや別人というか。

 私が幻想郷一周してる間に何があったのか気になるところだが……

 

「なぁ、鈴仙だったかな……あんた永遠亭で飼われてる兎じゃないのか?」

 

 どうにもこの兎と輝夜のやり取りを見ていると、兎の方が主導権を握っているのではないかと思えてしまう。

 そんな私の疑問に兎は『どちらかといえば居候です』とだけ答えた。

 ……ますますこの兎がわからなくなってきた。

 

 どうしたもんかと悩んでいると、兎が近寄ってきて再び文字の書かれた紙を見せてきた。

 それには『百歩譲って、お二人が戦うこと自体は良しとします。けれど殺すのは無しにしてください』といったような内容が書かれていた。

 何故かと尋ねると、兎はこう答えた。

 

『不死とはいえ、命を粗末に扱う様なことはいけないと思うし、させたくないから』……と。

 

「……とんだ綺麗事だな、お前にはわからないだろうが、不老不死になると自分の命なんてものどうでもよく感じるんだよ……だから」

 

 次の言葉は出なかった。

 何故なら目の前の兎から殺気に似た何かをぶつけられたからだ。

 なんとなくだが、この兎は今『怒っている』んだなと感じ取れた……

 しかしすぐにそれは収まり、さっきまでギラギラと発光していた兎の赤い瞳は最初の無気力なものへと戻っていた。

 

「……あぁそうかい、あんたの言いたい事はよく分かったよ。けれど私は黙って従う性格じゃないし、さっきあんたに止められたせいで不完全燃焼なんだ。どうだ、私と勝負して私を負かせたら言う事きいてやるよ」

 

 今日の私は絶好調だ。

 さらに何百年も妖怪と戦ってきたその経験もある。

 万が一にも、力に目覚めたばかりの妖怪兎なんかに負けるはずがない。

 

 ……そう思っていた時期が私にもあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付けば地面に大の字の状態で倒れていた……私が。

 

「はぁ……はぁ……くそっ、なんで攻撃が」

 

 倒れている原因は明白だった。

 極度の疲労によるものだ。

 実は言うと、蓬莱人にも弱点がある……それは体力の限界だ。

 どんなに怪我をしても一瞬で治り、たとえ塵になっても生き返る蓬莱人だが、唯一戻せないものがある……それが疲労だ。

 流石に輝夜との戦いの疲れも癒せてないまま連戦した上、何時間もぶっ続けで戦い続けていれば私といえ限界がくる。

 

 そして何故か、いくら攻撃しても、ただの一撃もこの兎には通用しなかった……正確に言えば、攻撃しても簡単に避けられるか、幻術か何かの類で幻を見せられ躱されると言った具合だ。

 

「あっ」

 

 そして汗ひとつ、呼吸すらも乱していない涼しい顔した兎が、倒れている私の眼前の前に立った……なんだ、やけに変わった下着着けてるなこいつ。

 視界に兎のスカートの中が入ってしまったため、場違いにもそんな感想を述べてしまった。

 というか布面積少な過ぎないかそれ。

 

「いでっ!?」

 

 そしてパチーンと乾いた音が竹林に響いた。

 同時に額にかすかな痛みが走る。

 所謂、デコピンというものをされたのだ。

 

「勝者ー、れーいせーん!」

 

 観戦していた輝夜が、兎の手を取り上にあげながらそう叫んだ。

 くそっ、なんか腹立つそのドヤ顔。

 

「ぷーくすくす、妹紅ったらあんなに意気込んでたのにあっさり負けちゃったわね。どう? うちの鈴仙は強いでしょ?」

 

「なんでお前が得意気なんだよ……つか、お前は良いのかよ?」

 

「何が?」

 

「いや、私が負けたら……ってやつ」

 

 悔しいが、負けは負けだ。

 相手が妖怪とはいえ、一度取り付けてしまった契約を勝手に破棄するのは、自分勝手というもの。

 

「別に私は構わないわよ? 正直あんたと殺し合いしてたのって、退屈凌ぎを目的としてやってただけだし」

 

「……なんだよ、じゃあ今は退屈してないっていうのか?」

 

「えぇ、この鈴仙が来てから私は退屈なんてしてないわ」

 

 私の問いに、輝夜ははっきりと答えた。

 ……成る程、どうやら輝夜の様子が変だったのは、この兎の所為だったらしい。

 

 

 

 

 

 それからというもの、鈴仙という兎は私に変化をもたらし続けた。

 

 私と輝夜の殺し合いをやめさせ、平和的な勝負で優劣を決めるよう促したり。

 時折お裾分けといって飯を食べさせてくれたり、体調を気遣ったりと、まるで友人……あえて誇張して表すと、家族のように接してくるようになった。

 

 正直言って、悪い気はしなかった。

 むしろそれが私の人間としての心を繋ぎとめてくれるような感覚すらもした。

 だから私は、鈴仙のことはちょっと変わってる妖怪だなと思っている。

 妖怪の癖にまるで人のように振る舞い、人の心で在ろうとする……変わった妖怪だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ……よし、完成だ。

 何が完成したのかというと、今日の夕飯がだ。

 

(やっぱり寒い日には鍋だよね)

 

 完成した寄せ鍋料理を食卓に運び、食器等のセッティングをしていく。

 今日は妹紅さんもいるので、五人分用意しておかなければ。

 

 セッティングを終え、次にする事は皆を呼んでくる事だ。

 まずは食卓から一番近い、姫様の部屋に脚を運ぶ。

 

「あっ、輝夜お前ずるいぞ! それ私が取ろうとしてたアイテムだぞ!」

 

「知らないの妹紅? こういうのは早い者勝ちなのよ」

 

 姫様の部屋の戸を開けると、そこには自分が月から持ち込んでいたテレビゲーム機で仲良く遊ぶ姫様と妹紅さんの姿があった。

 ちょっと前まで雪合戦を何時間もしていたというのに、まだまだこの二人は元気なようだ。

 一緒に混ざっていたイナバ達はともかく、てゐなんか腰を痛めたというのに。

 

(姫様、妹紅さん、夕飯できましたよ)

 

 結局、ゲームに熱中している二人を止めるのに五分ほど時間を要してしまった……

 

 

 




今回の話をざっくりまとめるとこう。

もんぺの妖怪「バシュッゴォォォォォ!」

カッ!

◇モコタン敗北!


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6話

 

 

 

 

「死ね輝夜ぁぁぁぁぁ!」

 

「くたばれ妹紅ぉぉぉぉぉ!」

 

 そんな怒号が辺りに響く。

 当然声の主は、姫様と妹紅さんだ。

 お互い丸めた雪玉を投げ合いながら、罵倒も飛ばし合う。

 しかしその罵声には、憎しみといった感情は感じられず、どこか楽しそうだ。

 

 それにしても、昨日も何時間の間雪合戦していたというのに、よくもまぁ飽きもせずやりつづけられるものだ。

 しかも今回もイナバ達が混ざり、さりげなくチーム戦になっている。

 

「おー、こんな寒い中よくあんなにはしゃげるもんさね……」

 

 縁側に座りながら姫様達を眺めていると、てゐが腰をさすりながら隣に座った。

 昨日てゐは、姫様に無理矢理雪合戦に参加させられた挙句、腰を痛めたようだ

 しかしその仕草と口調はまるで年寄りのようだ……まぁ実際にてゐは師匠並のかなりの年寄り兎らしいが。

 

「ん? 腰を揉んでやろうかだって?」

 

 あまりにも痛そうにしているので、腰を揉んであげようかとてゐに伝える。

 

「……じゃあいっちょ頼もうかね、ちょいと強めにお願いするよ」

 

 そう言ってどっこいしょと自分の膝の上に腹這いになるてゐ。

 何故膝の上に乗るのだろう、正直この体勢だとやりにくいのだが……まぁいいか。

 

「お、あー……効くねー」

 

 適度な強さで、てゐの腰をマッサージしていく。

 それにしても、てゐや師匠、実際どれくらい前から生きているのだろうか……師匠は不老不死だから見た目は大きく変わらないらしいが、てゐの場合は本人曰く長生きし過ぎたただの兎と言う。

 しかしどうみてもてゐは、人里で遊んでいるような子供と見た目は大差ないようにみえるし、とても歳を重ねている風貌には見えない。

 

(はっ……! まさかこれが合法ロリとかいうやつ……?)

 

 うろ覚えだが、前世の時にそんな言葉を聞いたことがあるようなないような気がする。

 確か見た目は子供、中身は大人みたいな意味だったはずだ。

 そう思うとなんだか納得できる気がした。

 

「はぁー、歳はとりたくないもんだねぇ……姉御もそう思わない?」

 

 大きく息をついたてゐがそう言ってきた。

 ……しかしなんだろう、何か今の言葉に違和感を感じた。

 いつもとは違う感じというか……

 

「あ……いや、鈴仙もそう思わない?」

 

 すると、少し慌てた様子でそう言い直すてゐ……あぁなるほど、自分に対する呼び方がいつもと違ったのか。

 しかし『姉御』か……誰かと間違えて呼んだのだろうか。

 けれどあのてゐが姉御呼ばわりする人物なんて、自分が知る限りでは心当たりがないし……

 

 まぁそこまで気にすることではないか。

 きっと単なる言い間違いだろうし。

 

 しかしこうして大人しくしているだけなら、とっても可愛げのあるのになぁ……何故かは知らないが、一日に一回は自分を罠にかけようとするのは、果たして彼女にとって日課にしなくてはならないことなのだろうか。

 それとも他に何か理由が……

 

「あ、あーそこそこ……」

 

 ……あるわけないか、それも単なる彼女の悪戯心から来ている行為だろう。

 そう思いながらてゐの腰を揉み続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 因幡てゐは、決して特別な妖怪というわけではない。

 ただ健康に気を付け、面倒ごとにはあまり関わらないよう、自分を大切にして過ごし続けた結果、長生きできている妖怪にすぎない。

 時たま自身の性格と趣味が裏目に出て、危険な目に合うことも少なくはなかったが、それも持ち前の口八丁と逃げ足の速さで回避し続けた。

 

 そしてあの日も……自身の縄張りに部外者が住み着いた時にも、あたしは我が身と子分達の安全性を確立させるため、部外者を追い出そうとしたりせずに、逆に交渉を持ち掛けた。

 変に揉め事を起こしても、益がないのは目に見えていたからだ。

 

 そして交渉の結果、部外者達を匿い、この竹林に他の者を近づけさせない手伝いをする代わりに、部下達に教養を身につけさせてもらうという条件が成立した。

 正直な話、長生きだけが取り柄のあたし一人では、部下達一匹一匹の面倒を見るのは結構大変だったので、むしろ願ったり叶ったりだった。

 

 そんなこんなで、部外者……八意永琳と蓬莱山輝夜と言う名の月人を匿ってからそれなりの年月が過ぎた頃、ついにある出来事が訪れた……

 

 あの日は満月がとても美しく感じられた日だった。

 部下の兎のうちの一匹が、『見慣れない兎がいる』と報告してきたのだ。

 また人間に捨てられでもした、かわいそうな兎でも迷い込んだのだろうと思いながら、その見慣れない兎とやらのところに、部下に案内をさせた。

 

 しかしその考えは、間違いだったとすぐに気付かされた。

 

 案内された先には、変わった服装をしている妖怪兎が一人佇んでいた。

 薄紫色の長い髪、兎特有の赤い瞳や大きな兎耳……確かにこの辺では見かけない妖怪兎だ。

 されども、てゐはあの妖怪兎を『知っている』気がした……いや、気がするのではなく、確信に近い感じだ。

 

『良い? みんなを連れて出来るだけ遠くへ逃げるんだぞ』

 

『そんな悲しい顔しないでくれ……頼む、お前にしかできないんだ』

 

 そして突如脳内にフラッシュバックがはしる。

 

「あね……ご……?」

 

 間違いなく今の光景は、はるか過去の記憶……まだ人型にすらなれなかった頃の自身の記憶だ。

 そして過去の光景に映っていた、当時皆んなから『姉御』と呼ばれ慕われたある妖怪が、自身に最後に投げかけた言葉を思い出した。

 

 姉御のことは昨日のことのように思い出せる。

 薄紫色の長い髪に、真紅の瞳、圧倒的な強さを持ち、カリスマ性に溢れ部下達からの信頼がとても強かった妖怪……それが姉御だった。

 そう、『だった』のだ……

 姉御はもうとっくに死んでいる、死んでいるはずだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 では何故あそこに姉御がいる?

 

「りーだー?」

 

 思考の渦に呑まれかけたところで、部下の声によって現実に意識が戻った。

 

 落ち着け、姉御はもういないんだ。

 他人の空似というやつだ。

 それに姉御に比べると、あの姉御モドキは背丈とか色々小さいし、単に容姿が似通っているだけだろう。

 そう、ただの偶然……姉御もあいつも同じ『兎の妖怪』というのも偶然なはずだ……

 

 とにかく、あれが何者であれ行動を起こさねば。

 取り敢えず以前、藤原妹紅という人間が来た時のように、一度永琳達にもこのことを伝えておくべきだろう。

 

 部下の兎に、永遠亭に行ってこのことを知らせるようにと伝えこの場を離れさせる。

 不明ではあるが、あれが必ずしも友好的とは限らない。

 なのでまずは自分が囮として、相手の動向を探るべきだ。

 もちろん我が身も大切だが、危険な役目を部下にやらせるほど腐ってはいないし、いざとなったら自慢の脚で逃げるだけだ……最近歳のせいか、運動すると腰が痛くなるが、まぁそれで命が助かるのなら安いというもの。

 

「ちょいとそこな兎さんや、こんな夜更けにこんな場所で何をしてるんだい?」

 

 このまま隠れて様子を伺うのも手段の一つではあるが、手っ取り早く相手を知るには直接言葉を交わした方が良いという長年の経験から、声を掛けてみることにした。

 すると、背後から声を掛けられたにもかかわらず、その兎は特に驚いた様子も見せずにゆっくりと振り向いた……まるで最初からこちらに気付いていたかのような感じだ。

 

(……勘弁してほしいなぁ)

 

 近くに来てようやくそいつの顔がよく見えるようになったが、これまた姉御とよく似た顔立ちをしている。

 姉御よりは幼い感じはするものの、顔のパーツが似すぎてる。

 多分この兎がもう少し成長したら、まんま姉御と瓜二つになりそうなくらい。

 強いて違うところを挙げるなら、表情だろうか。

 姉御は喜怒哀楽が割と激しいほうで、表情豊かな妖怪だったが、この姉御モドキは全くの無表情だ。

 ついでに目がまるで死人のように無機質だ。

 

「…………」

 

 それにしてもさっきから喋る様子がないのは何故だろう。

 表情も最初の無表情から全く変わらず、その無機質な赤い瞳だけが自身を真っ直ぐに捉えている……

 

「あー……もしもし?」

 

「…………」

 

 うーん、無視してるわけではないよなぁ。

 しかし一向に口を動かす気配がない……

 どうしたもんかと思っていると、ようやくそいつは動きを見せた。

 何やら紙切れと、インクが先についた棒状の物体を使い、紙切れに何かを書き込んでいく。

 そしてその紙切れを眼前に待ってきて見せてきた。

 

「……成る程ねぇ」

 

 そこには『初めまして』とだけ書かれていた。

 どうやらこの兎のコミュニケーションは、主に筆談で成り立つらしい。

 そして今のやりとりではっきりした。

 こいつは姉御じゃないということと、少なくとも今は友好的ということが。

 

「そうさね、『初めまして』だね。あたしゃ因幡てゐって言うんだ、あんたは?」

 

 そう聞くと、そいつはまた紙切れに何かを書き込んでいく。

 

「……ふーん、『レイセン』ねぇ」

 

 正直変な名前だと思った。

 

「どっから来たんだい?」

 

 さっきは目的を先に聞いてしまったが、今回はまず当たり障りのない質問からしてみる。

 するとレイセンは、人差し指を使って上空を指す。

 それにつられて上を見上げてみると、竹やぶの隙間から覗き込んでいる夜空しか見えない。

 

「んー、空からやってきたってこと?」

 

 竹林に入った方法ではなく、何処からやって来たのかを知りたかったのだが……いや、待てよ。

 

「……もしかして、月を指してる?」

 

 よーくレイセンの指の先を追っかけてみると、どうやら満月を指差しているようだ。

 口に出して聞いてみると、レイセンはその通りだと言わんばかりに頷いた。

 なるほどなるほど、月からやってきたのか。

 そういえば前に永琳から『月にも兎がいる』と聞いたし、こいつもその月の兎なのだろう。

 

「……ちなみにここには何をしに?」

 

『八意永琳っていう人を探してます、何か知りませんか?』

 

 これまたあたしの質問に素直に答える月からお越しになった兎さん。

 そして目的は八意永琳を探してると……

 

(あちゃー、どうやら遂に来ちまったようだねぇ)

 

 言い忘れていたが、てゐが匿ってる八意永琳と蓬莱山輝夜は、月の民で、訳あって現在月の者達から逃亡中の身らしい。

 そして目の前のこの兎は月から来て、八意永琳を探しているときた。

 これはもう間違いなく、この兎は追手だろう。

 

 ……どうするべきか。

 他の者を近づけさせないという契約を結んでいる以上、このまま知らん顔しているわけにもいかない。

 かといって戦い沙汰になっても、こっちが勝てる自信はないし、ここはひとつ……

 

「んにゃ、悪いけど力にはなれないね。少なくともあたしゃそんな名前聞いたことすらないし、この辺はあたしやあんさんみたいな兎しかいないよ」

 

 これぞ必殺、『とぼける』だ。

 成功する確率は低いが、今の状況からするとこの手がベストだ。

 

 するとどうだろうか、レイセンは『そうですか、ありがとうございます』とだけ筆談で伝えてきたではないか。

 

(あ、あれ? 信じちゃうんだ……)

 

 おそらく簡単には信じてもらえないだろうと思い、何通りかの方法を考えていたのだが……

 なんだか拍子抜けではあるが、楽に終わるのならそれで良いではないか。

 このままこいつを竹林の外まで案内でもしてやれば、一先ずは事は収まる。

 

「まぁでもここで会ったのも何かの縁さ、力になれなかった代わりに、竹林の外まで案内してあげるよ。ここに来る間もだいぶ迷ったんだろう?」

 

 レイセンは少し考え込む素振りを見せると、首を縦に振った。

 承諾したという意味だろう。

 

「んじゃ決まりだね……あ、もし他にもお仲間がいるなら、先に探さないとだねぇ、何せここはとっても迷いやすいから」

 

 さり気なく他に仲間がいるかを確認する。

 そしてレイセンは『一人です』と答えた。

 それが本当かどうかはわからないが、まぁ他にもいるならとっくに他のイナバ達が発見して報告しにくるだろうし、それがないという事はそういう事なのだろう。

 

「それじゃあ早速」

 

 行こうか、と言おうとした。

 しかし言い終える前に、てゐとレイセンの間の地面に刺さった矢によって遮られた。

 ……この矢はまさか。

 

「待ちなさい」

 

 凛とした声が響く。

 声のした方をみると、そこには案の定の人物が弓に矢をつがえながら立っていた。

 

(……ちょっとちょっと、せっかく丸く収まる感じだったのに)

 

 そこにいたのは、てゐの契約相手でもあり、匿ってやっている月の民の一人、八意永琳だった。

 せっかく嘘をついてまで守ってやろうとしたのに、どうしてわざわざ自分からやってくるのだろうか。

 どうせこの賢者様は何か考えがあって出てきたのだろうが、どうも天才という奴の頭の中は理解ができない。

 

 一方、レイセンの方も本当に理解ができない。

 武器を向けられているにも関わらず、あいも変わらずその無表情を崩さず、ただただ永琳の方をジッと見ている。

 

「……あなた玉兎ね? どうやってここを突き止めたのかは知らないけど、一匹で来るなんていい度胸ね」

 

 敵意を剥き出しにしされているのに、あいも変わらずレイセンは無表情。

 それどころか『何を言ってるんだ』みたいな感じでキョトンとしている……ような気がした。

 

「あー……あの人があんたの探してた八意永琳だよ」

 

 もうこうなってしまったら隠し事も何もない。

 素直に打ち明けると、レイセンは一瞬だけ表情筋をピクリとさせた。

 

「……やはり私を探していたようね、指名手配されている私を捕まえて手柄を立てたいのかしら。それとも単に上からの命令?」

 

 目的を聞き出そうとする永琳に対して、レイセンは首を傾げるだけだ。

 まるで言っている意味がわからないといった様子だ。

 

「さっきからその反応は何かしら、惚けているの?」

 

 永琳の問いにレイセンは首を横に振る。

 惚けてなどいないと表してるのだろう。

 

「……あなたは私を、八意XXを捕らえに来たのではないの?」

 

 流石に様子が変だと気づいた永琳が、確認の言葉を出す。

 ちなみに『永琳』というのは本当の名前ではないらしく、本来の名前の部分が聞き取れなかったのは、月の者でしか発音できないからだそうだ。

 

 そしてようやくレイセンが動きを見せた。

 なんと永琳のもとに近付こうと歩み始めたではないか。

 

「つっ……そこで止まりなさい」

 

 永琳が再度威嚇をすると、ピタリと止まるレイセン。

 そして懐から封筒のような物体を取り出し、それを地面にそっと置いた。

 続けざまに、『どうぞ受け取ってください』といったような感じの仕草をする。

 どうやら手紙か何かを渡そうとしているらしい。

 

「…………」

 

「…………」

 

 お互い見つめ合う事実に数十秒、最後に折れたのは永琳の方だった。

 警戒を続けながらも、封筒を拾い上げ中身を確認する永琳。

 

「……良いわ、ひとまず落ち着ける場所で話し合いをしましょう」

 

 何やら納得した様子を見せる永琳だが……

 

(なんかあたしだけ、くたびれ儲けしたような……)

 

 てゐは心で愚痴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果として、レイセンも匿う事にしたらしい。

 別にそれについては、特に言うことはないのだが……

 

(……なんでもうあんなに打ち解けてるんだかねぇ)

 

 気が付けば、レイセンは永琳だけでなく、輝夜とも親しげになっていた。

 そしてそれだけでなく、レイセンは永遠亭の家事全般をこなし、永琳と輝夜に規則正しい生活を送るように促したりと、まるで二人の母親のように振舞っている。

 もうすっかり永遠亭のパワーバランスは、レイセンに頂点を乗っ取られたようだ。

 

 ……なんだが変な気分だ。

 あのレイセン……今は何故か、鈴仙・優曇華院・因幡とかいうメチャクチャな名前になっているが、彼女の在り方を見ていると、どうしても姉御と重なって見えてしまう。

 姉御もよく他人の心配や、世話を焼くようなお人好しの性格だったからだ。

 

 鈴仙を見ていると、姉御の事を思い出してしまい、なんだかモヤモヤする。

 そんなモヤモヤを発散するため、あたしは気が付けば毎日のように鈴仙に対して何か悪戯を仕掛けるようになっていた。

 まぁ今の所成功したことはないが……それでもなんだかこの生活は楽しい。

 

 まだ姉御が生きていた頃の、あの日に戻れたような感覚がするからだろう。

 

「ん、もういいよ鈴仙。あんがとさん」

 

 多分このままマッサージを受けてたら、昼寝を通り越して冬眠でもしてしまいそうだ。

 よっこいしょと鈴仙の膝上から身体を起こす。

 

「ん? どこに行くのかって? 単なる散歩だよ散歩」

 

 そう散歩だ。

 雪が積もっている竹林の中を歩くというのも、良い運動になって健康に良いし、なにより今日の分の悪戯を考えるにはちゃうど良い。

 

 さてさて……今日はどんな悪戯をしてやろうか。

 

 

 

 

 




前回ちょっと長かったので、今回は少し短めです。
ちなみに『姉御』については、次回の話でも少し触れます。

追記
誤字報告ありがとうございます。


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7話

長くなりそうなので、前半と後半にわけます。


 

 

 

 

 

 懐かしい夢を見ている。

 そう自覚できたのは、夢の内容が過去の出来事で、何度か同じ夢を見たことがあるからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夢の中で私は走っていた。

 呼吸が乱れ、肺から空気を出し入れするのがとても辛い。

 心臓の鼓動がスピードを増し、胸が苦しい。

 脚もじくじくと痛みが増してくる。

 今すぐにでも脚を止めて、涼しい木陰で休憩をしたい気分だ……しかし、私の背後から追いかけてくる四足獣の妖怪がそうさせてくれそうにない。

 

 迂闊だった。

 いつも『都』の外を出歩くときは、妖怪除けの護符を持ち歩いているのだが、どうやら薬草探しに夢中になっているときに気付かず落としてしまったようだ。

 お陰様で、こうして全速力で走って逃げなければならない羽目になった。

 

「あっ……!」

 

 普段はあまり走らないのもあり、ついにはバランスを崩してしまい転んでしまう。

 すぐに立ち上がろうとするが、疲労と痛みによって身体がうまく動かない。

 

 そしてこの絶好のチャンスを妖怪は見逃さず、その大きな牙と爪で私を引き裂こうとする……

 ぐっと目を閉じ、せめてやってくるであろう痛みに耐えようとする……

 しかし、いつまで経っても痛みはやってこなかった。

 その答えを知ろうと、ゆっくりと瞼を開けていく……そして視界に入ったのは、妖怪の牙や爪なんかではなく、『薄紫色の綺麗な髪』だった。

 正確に言うと、薄紫色の長い髪をしている誰かの背中だ。

 その背中は、私と妖怪の間にいつのまにか存在していたのだ。

 

「去れ」

 

 目の前の背中の持ち主のであろう、その声が発せられた途端、私をあんなにもしつこく追いかけてきた妖怪は、何かに怯えるような様子でその場から逃げて行ってしまった。

 

 いきなりの展開に、脳の処理が追いつかないでいると、目の前の背中がくるっと回転した。

 

「……兎?」

 

 そして無意識的にそう呟いてしまった。

 何せこちらに振り返ったそれは、一見すると成人女性のようだが、真っ赤な瞳をしていて、頭頂部には兎のそれと似たような耳が二つ生えていたからだ。

 しかし普通の兎ではなく、人型だ。

 つまりこれも妖怪……兎の妖怪という可能性があるということだ。

 しかも知性があるということは、それなりに力のある妖怪ということでもある。

 

「大丈夫か?」

 

 妖怪兎はそう言って、すっと倒れてる私に手を伸ばした……手を掴めということなのだろうが、果たして掴んで良いのだろうか?

 

「何もしないよ、ほら」

 

 私の警戒心を読んだのか、そう付け足してくる……

 

「きゃっ……!」

 

 おそるおそるその手を掴むと、思っていたよりもぐっと勢いよく引っ張られたため、小さな悲鳴を漏らしてしまった。

 しかし、引っ張った張本人である妖怪兎がしっかりと支えたため、バランスを崩すことなく立ち上がれた。

 

「……なんのつもり?」

 

「助けてやったのに開口一番がそれかい、普通そういう時は最初にお礼の言葉を言うのが良いと思うけど?」

 

 もちろん、助けてもらったのならお礼の言葉くらいは言うのが正しいのだろう。

 もっとも、相手が妖怪でなければの話だが。

 

「なんで妖怪が私を助けたのかって意味よ、あの獣妖怪のように私を襲うのが普通ではないかしら?」

 

 妖怪、それは人智を超えた力を生物が手にした存在ともいえる。

 基本的に妖怪は自身の種族やその保護下にある者以外とは敵対する傾向がある。

 さっきの妖怪がとても良い例だ。

 故に解せないのが、その妖怪であるこの兎は、私を見殺しにするのでも、襲うのでもなく助けたということだ。

 

「別に、妖怪は必ず敵対者を襲え……なんて決まりは無いだろう? 強いて言うなら単なる気紛れだよ、なんとなく助けたかったから助けただけさ」

 

 なんとなくか……実に妖怪らしい考え方ではあるが。

 

「なんだ、まだ疑ってるのか? 生憎と私は他者を嬲ったりする趣味はないんでね、ましてやお前さんみたいな子供を……」

 

「ちょっと、今のは聞き捨てならないわ」

 

 頭で考えるより、反射的にそう言ってしまった。

 私の言葉に妖怪兎は『何が』といった様子で首を傾げる。

 

「私は子供なんかじゃないわよ、少なくともあなたよりは年数を重ねてるわ」

 

 私が私としてこの世に存在し始めた頃は、妖怪という種はまだいなかった。

 つまり必然的に、この妖怪兎よりも私は長い時を過ごしていることになる。

 何が言いたいのかというと、歳下のやつに子供呼ばわりはされたくないということだ。

 

「えぇ? でもなぁ……」

 

 妖怪兎は私を頭のてっぺんからつま先までじっくり見た後こう言った。

 

「……どうみても小娘にしかなぁ」

 

 なんて失礼なやつなんだろう。

 確かに妖怪兎に比べたら、背とかその他諸々は私の方が小さい。

 しかし見かけで判断しないでほしいものだ。

 

「小娘じゃないわ、私には八意XXってちゃんとした名前があるの!」

 

 何故かは知らないが、自分でも不思議なほど感情が溢れてしまった。

 気が付けば、小娘呼ばわりされたことにちょっとだけ苛ついてしまい、つい声を張り上げてしまった。

 

「それで小娘、お前さんはあれだろ? あの変な建築物が沢山集まってる所に住んでるんだろ?」

 

 しかし妖怪兎は何事もなかったかのように私の発言を無視し、逆に質問をしてきた。

 

 ……変な建築物とはおそらく都のことを指してるのだろう。

 確かに妖怪とかからみたら、私たち人間が住んでいる都は風変わりなものに見えてしまうのも無理はないかもしれないが……

 

「……それがなによ」

 

「いや、どうしてこんな所で一人で妖怪に襲われてたのか気になってね」

 

 成る程、当然の疑問だろう。

 基本的に都にいる人々はあまり外部との接触をとらない。

 かくいう私も、薬作りに使う材料を集めるためぐらいにしか都から出たりはしないし。

 

「……薬に使う材料を集めてたのよ、そしたら妖怪に襲われただけよ」

 

「材料集めねぇ……たった一人でか? なんでそんな危険を冒すんだい?」

 

 もちろん、危険なのは重々承知している。

 しかし、こちらにも事情というものがあるのだ。

 

 自分で言うのもなんだが、私は天才だ。

 数々の発明品や薬を私は数え切れないほど作ったし、都だって私が一人で設計したといっても過言ではないほどだ。

 それ故に、周りの者達からは尊敬や信頼といった念を集めてしまっている。

 ……正直、鬱陶しいと思ってしまうほど。

 

 私はそれはもう重宝されている。

 頼んでもいないのに、家に護衛が何人もいるし、少し家の外に出るだけでも護衛が勝手に追いてくるときたものだ。

 お陰様で、一人で安らぐ時間というものが全く無い。

 孤独を望んでいるわけではないが、常に他人に監視され続けるのは神経が擦り減る。

 だからこうして、結構な頻度で家をこっそりと抜け出し、一人で都の外を出歩くのだ。

 確かに危険は多いが、それでもストレス発散にはなる。

 

「ふーん、成る程ねぇ……それで今日はその妖怪除けの護符とやらを落っことして妖怪に襲われたと」

 

 大まかな事情を説明すると、妖怪兎は私をじっと見つめた。

 

「なんていうか……天才を自称するわりには間抜けな所もあるんだな、小娘」

 

「なっ……!」

 

 私はこの時少なからず衝撃を受けた。

 間抜けなんて言葉を言われたのは初めてだったからだ。

 しかし事実なので何も言い返せない。

 そんな私の様子を見て、妖怪兎は何が可笑しいのかケタケタと笑っている。

 

「まぁお前さんの気持ちもわからなくはないよ。けど、今日学んだ教訓を元に、これからは一人で出歩くのはよしなよ」

 

 まさか妖怪に身の安全を心配されるとは思ってもいなかった。

 

「余計なお世話よ……一応お礼は言っとくわ、助けてくれてありがとう」

 

 少し早口で言う。

 そして踵を翻し、その場をさっさと去ろうと歩みを進める……

 

「小娘」

 

「? ……なによ?」

 

 そして妖怪兎に呼び止められた。

 まだ何かあるのかと、少し苛つきながらも振り返る。

 

「一人で帰れるのか?」

 

「…………」

 

 そしてそのままの姿勢で固まってしまった。

 

 首だけを動かし、辺りを見回してみる。

 既に日は落ち始め、夜になりかけていた。

 辺りは暗闇に染まりつつあり、何処からともなく獣の遠吠えが聞こえてくる。

 そして極め付けに、全く見覚えのない景色だ。

 きっと妖怪から逃げるのに必死で、来たこともない所まで来てしまったのだろう。

 

 それらを踏まえて、もう一度妖怪兎の言葉を思い返してみる。

 

『小娘、一人で帰れるのか?』

 

「…………」

 

 私は天才だ。

 当然、既に答えには辿り着いている……辿り着いてはいる。

 

「……と、当然よ」

 

「声、震えてるぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それが彼女との出会いだった。

 結局あの時は、妖怪兎に都近くまで護衛してもらったのだが、本当に変わった妖怪だと思った。

 気紛れとはいえ、あそこまでして私を守ろうとするなんて妖怪らしくない。

 それが彼女に対しての印象だった。

 

 そして次に彼女に再会したのは、それから一週間後だった。

 またいつものように都を密かに抜け出し、散歩がてら薬の材料集めをしていると彼女はいつのまにかそこに居た。

 

「覚えのある波がすると思って来てみれば……おい小娘、前に私が言ったこともう忘れたか?」

 

「あら、あなたこそ忘れたのかしら? 余計なお世話だって私は言ったわよ」

 

 私の言葉に妖怪兎は呆れたように息を吐いた。

 

 しかし私だって馬鹿ではない。

 しっかりと前回の失敗を反省して、護身用の品をいくつも用意してきた。

 新しい妖怪除けの護符だってこの通り、落とさないように首にかけて……

 

「む、なんだ小娘? 私の顔に何かついてるか?」

 

 おかしい、ちゃんと護符は機能をしている筈なのに、何故かこの妖怪兎は私の眼前にいる。

 

「……あぁ、その程度の力しかない御守りなんかじゃあ私は怯まないよ」

 

 私の考えを読んだのか、あっさりとそう言い放った。

 正直言って、この妖怪兎からは大きな力は感じ取れない。

 しかし彼女のこれまでの行動が普通の妖怪ではないことを物語っているのも事実だ。

 となると導き出される答えは限られてくる。

 

「何か特殊な力でもあるのかしら?」

 

 ふと心に思った事が口に出てしまった。

 そして妖怪兎にも聞こえてしまっていたのか、呆気にとられたような表情をしていた。

 

「……驚いた、よくわかったな小娘」

 

 どうやら正解だったようだ……それにしても。

 

「隠そうとはしないのね」

 

「まぁ別に元から隠そうとする気もないからな。大体隠したところで何かあるわけでもないし」

 

 そう言ってから、よっこいせと近くの大きな岩に腰をおろす妖怪兎。

 

「私は『波長』を操れるんだよ」

 

「波長……? それは空間内を飛び交う信号のことかしら?」

 

「し、しんごう? ……まぁ正直自分でもよく分かってないんだが、兎に角私は波長っていうのをいじれるみたいなんだよ」

 

「自分でもよく分からない能力なのに使ってるの?」

 

「そうだが、結構便利なんだなこれが」

 

 はっはっはっ、と豪快に笑う妖怪兎。

 

 しかし波長を操る能力か……とても興味深い。

 波長というのは磁場や電気信号といった三次元のものに限らず、『これとは波長が合う』といった概念に近い二次元的なものを表すのにも使う言葉だ。

 仮にこの妖怪兎の能力が、次元に関係なく波長というものを操れるのならそれはつまり波長という概念そのもの自体が実は現実的なものに近いという証拠にも……

 

「おい、どうした急にブツブツと……」

 

「ねぇ、もっと詳しく教えてくれないかしら!」

 

「うぉっ!? な、なんだ急に……」

 

 私は天才だ、それは間違いない。

 しかし天才といえど、知らない知識はまだまだ山ほどある。

 私は天才である前に、知識の探求者でもある……いや、探求者だからこそ私は天才なのだろう。

 だからこそ私は知りたいと思った。

 この変わった妖怪(知らないこと)を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからは、大体三日に一回のペースで彼女に会いにいった。

 

「……また来たのか、小娘」

 

「だから小娘じゃないわよ! ……まぁこの際何でもいいわ、それよりその能力についてまた教えてね」

 

 私が会いに行く度に彼女は私を小娘呼ばわりした。

 けれど不思議と慣れてしまったのか、途中から嫌な気はしなかった。

 

 

「……気でも狂ったのか?」

 

「私はいたって正常よ、ただあなたの一日の行動パターンを知りたいのよ」

 

 ある時は、彼女に一日中ついて行くと言ったこともあった。

 

 

「ほら、ここが私の住処だよ」

 

「……兎がいっぱいね!」

 

「私の子分達だよ……だからそろそろ離してやれ、子分の首が絞まってるから」

 

 根負けした彼女の住処に連れて行ってもらい、モフモフの兎を思いっきり抱きしめたこともあった。

 

 

「これは何だ?」

 

「それは煙草っていう名前でね、読んで字のごとく火をつけて薬草からでる煙を吸ったり吐いたりして楽しむ娯楽品。私は煙たいの嫌いだから吸わないけど、結構都では人気なのよ」

 

「ふーん……おぉ、確かになんか楽しいなこれ」

 

「ちょっと、近くで煙吐かないで……けほっ!」

 

 またある時は、基本的に暇を持て余している彼女に娯楽を教えてあげたりもした。

 

 

「それでなぁ、そいつは向こう岸に手っ取り早く渡りたくて、鰐を騙してそこに一列に並べさせたんだ」

 

「なかなかズル賢いわねその子分兎……それでそれからどうしたの?」

 

「まぁあいつは子分達の中では一番知性が育ってるからな、確か最後の最後で嘘をばらしちまって、痛いしっぺ返しをくらったらしい。それで大怪我して動けないところを、大変な美男子に助けられたとかなんとか言ってたな」

 

 またまたある時は、他愛もない雑談に花を咲かせたりもした。

 

 

 そんな生活を続けて、気が付けば数十年も経った。

 最初は単なる興味からくる知識への欲求だったが、彼女と交流を重ねる内に、私は彼女に対して友情というべき感情を抱き始めた。

 最初こそ、その理由は分からなかった……しかし後に私は理解できた。

 私の周りには、私を慕うものしかいなかった。

 正直それが煩わしかった。

 だからこそ私は無意識に欲したのだろう、『友人』という対等の立場の者を。

 

 楽しかった、彼女と会うのが。

 嬉しかった、彼女と話せるのが。

 ……こんな毎日が永遠に続けば良いと思った。

 

 

 

 しかし別れは突然訪れた。

 

「……月に行く?」

 

「えぇ……この地上はもうすぐ穢れによって完全に汚染されるわ。穢れがあれば生物に寿命ができてしまう……だから穢れがない月に行くことになったの」

 

「穢れ……ねぇ。よく分かんないけど、つまり死にたくないから月に行くってことか?」

 

「概ねそんな感じよ」

 

 ふーん、とつまらなそうに彼女は空を見上げた。

 

「もうすぐに行くのか?」

 

「そうね……遅くても三日後には出発するわ。予定では穢れによる汚染は数年先までもつはずだったんだけど、思ってたよりも速かったみたい。本来なら既に成長しきった私の身体がさらに成長……老化ともいうけど、成長したのが良い証拠ね」

 

「なんだ、私の身体に憧れて意図的に成長させたのかと思ってたぞ」

 

「ち、違うわよ!」

 

 確かに彼女の身体つきは良いし、全く憧れてなかったというと嘘になるが……

 

「それにしても人間は変わってるな、死ぬのがそんなに怖いのか?」

 

「そうね……いえ、死を知らないからこそ怖れているのよ」

 

 私たち人間の知能はあらゆる生態系の中で一番高い。

 それ故に、人間は恐怖を抱くのだ。

 

「浮かない顔だな小娘、お前さんも怖いのか?」

 

「……分からないわ」

 

「……じゃあ質問を変えよう、迷ってるのかお前さん」

 

「…………」

 

 彼女は何に対して迷っているのかは言わなかった。

 しかし何を指してるのかはすぐに分かった……だから私はこの時答えられなかった。

 

「……もうここには来れなくなるわ、準備とかで色々と忙しくなるだろうから」

 

「そうか」

 

「それと、月に行くためのロケットのエネルギーにはこの土地の地脈を使うの。普段は都の防衛に回しているエネルギーだから、ロケット打ち上げの日には都の防衛機能は完全に停止する……」

 

「そうしたら、ここぞとばかりに妖怪達が攻め入ってくるな。あいつら普段からお前達を襲おうとうろちょろしてるし」

 

「……その通りよ、だから打ち上げが成功しても、妖怪の襲撃で失敗しても、どちらにせよもう貴女とは……」

 

 会えない……その言葉を口に出せなかった。

 

「……そうだな」

 

 けれど彼女にはしっかりと伝わった。

 

「……最後に、この辺りから避難した方が良いわ。最終的に、無理に酷使した地脈のエネルギーが暴発して、この辺り一帯を吹き飛ばすだろうから」

 

「ははっ、人間の最後の置き土産ってか?」

 

 ……彼女の軽口を聞くのもこれで最後になる。

 

「もう行くわ……貴女と会えて良かった」

 

「……じゃあな、小娘」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「八意様! はやくシャトルにお乗りください!」

 

「私は一番最後に乗るって言ったでしょう、シャトルの制御は私がやってるのだから」

 

「で、ですが……もうすぐそこまで妖怪共が!」

 

 思っていたよりも妖怪達の進行が激しく、予定よりだいぶ時間をくっている。

 一応私が乗る予定のシャトル以外は、既に打ち上げに成功しているのだが、妖怪の妨害によってなかなか打ち上げができない状況に陥っていた。

 

「も、もうダメだ! 妖怪がなだれ込んでくるぞー!」

 

 どうやら最後の防衛線も突破されたようだ……

 私と護衛達はあっという間に囲まれ、追いやられた。

 

 もはやここまで……そう思った途端、妖怪共の動きがピタリと止まった。

 まるで何かに押さえつけられているかのように、肉を痙攣させている。

 

「よ、大丈夫か小娘?」

 

 そして気が付けば彼女が目の前にいた。

 

「は……え? な、なんでここに……!?」

 

「まぁまぁ落ち着けって。……とりあえず邪魔者は退出してもらおうか」

 

 彼女の赤い瞳が輝いた。

 すると私たちを襲っていた妖怪達は来た道を引き返し、私の護衛達は何かに操られたかのようにフラフラとした足取りでシャトルの中へと入っていった。

 きっと彼女の能力によるものだろう。

 

「……な、なんで来たのよ。この辺にいたら危ないって……」

 

「なに、またあの時みたいに危険な目に遭ってそうだから助けに来ただけだよ。それに部下達はちゃんと避難させたから」

 

 その言葉に、私は唖然とするしかなかった。

 

「ほら、とりあえずお前さんも早くあの長筒に入れよ。あれで月に行くんだろ?」

 

「え、いやちょっと待っ……きゃあ!」

 

 呆然としていると、彼女に抱き抱えられた。

 

「流石に私もあの数を抑えておくのはキツイからな、さっさと行ってもらわないと無駄骨になっちまう」

 

「……どうして? どうしてそこまでしてくれるの?」

 

 気が付けば目頭が熱くなってきた。

 

「ん? 前にも言ったろ、助けたいから助けたんだよ」

 

 気が付けば涙が溢れていた。

 

「わ、私……本当は貴女とずっといたかった! 月になんて行きたくなかった! 貴女とずっとずっと……」

 

「そうかそうか、けど本音を言うには少し遅かったかな」

 

 そしてシャトルの中に降ろされた。

 

「うぅ……」

 

 彼女の言葉が突き刺さり、後悔の念に駆られさらに涙が止まらなくなった。

 そんな私の頭に、彼女の手がフワリと乗った。

 

「だからこれからは迷うな。自分の心に素直になれば良い」

 

「…………」

 

「……大丈夫だよ小娘、きっとこれから先も良い事はある。私以上の友人が出来るかもしれないし、護ってあげたいなっていう大切な人ができるかもしれない。そしたら、迷わずその人達とずっと一緒に居られるよう努力すれば良い」

 

「……うん」

 

 シャトルが揺れ始めた。

 シャトルの制御は私しかできないはずなのだが、きっとこれも彼女が能力を使って発車させているのだろう。

 

「……ほら、これやるから泣き止め」

 

 彼女はそう言って、自身の髪の毛を数本千切って、私の人差し指に巻き付けた。

 

「すまんな、それくらいしかあげるもんないんだ」

 

「……うぅん、大事にするわ」

 

 彼女がシャトルから出ると、扉が閉まりシャトルは上昇し始めた。

 

『元気でな、小娘』

 

 そして最後に、扉越しからそんな彼女の声が聞こえた。

 

「……最後くらい名前で呼んでよ」

 

 私の声が聞こえたのか、扉越しの彼女はいつものように笑っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふっと目を開けると、見慣れた自室の天井が目に入った。

 しかし何故か視界がボヤけてる……

 

 取り敢えず上半身だけを起こすと、部屋の襖がすっと開き、『彼女』が入ってきた。

 

「……おはよう、ウドンゲ」

 

 まだ脳が覚醒しきっていないが、なんとか挨拶の言葉だけは捻り出せた。

 そして何故か、ウドンゲは私を見るなり少し動揺した様子を見せた。

 

「? どうしたの……え、泣いてる?」

 

 筆談で書かれた彼女の文章をみると、どうやら私は涙を零しているらしい。

 ……確かに指を目元に近づけると、液体が流れていた。

 

「……いえ、大丈夫よ。なんでもないから……」

 

 心配そうに私を気遣うウドンゲの姿は彼女そっくりだ。

 

「ただの生理現象よ……あぁもう、大丈夫だって言ってるでしょ」

 

 しつこいくらいに心配する彼女を何とか説得し、着替えてから洗面所に向かう。

 

「……あ、忘れ物」

 

 ふといつも首に下げているお守りを部屋に置いてきたのを思い出し、慌てて引き返す。

 机の上に置いてあったそれを手で掴み、何気なく袋から中身を出してみる。

 そこには『薄紫色の髪の毛』が数本入っていた。

 

「……えぇ、私はもう迷わないわ」

 

 そして丁重に中身を袋に戻し、しっかりと落ちないように首にかけた。

 

 

 

 

 




次回も永琳編です


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8話

 

 

 

 突然ではあるが、師匠こと八意永琳は本当に天才だと思う。

 

「それで次はそっちのすり潰した……そうそれよ、それを水に溶かしてみて」

 

 薬に関しての知識は勿論のこと、解剖学や生理学、その他理数系だけでなく、文学系にも精通していて幅広い分野の知識を備えている。

 適当な数字で問題を出してみれば、僅か数秒で暗算をし答えを的確に答えるし、謎かけ問題を出してみても、数分も経たない内に解いてしまう。

 将棋やオセロなど、頭を使うゲームで師匠に挑めば十回中十回とも惨敗するだろう。

 現に姫様なんか『永琳とゲームしてもつまらないわ、どうせ負ける道しかないもの』と捻くれてしまってるし。

 

「……これで完成よ。簡単な応急処置ならこれだけでも充分な効力があるからしっかり覚えておきなさい」

 

 そんな天才の中の天才である師匠に、自分は今薬作りを教わっている。

 最初はいつも一人で薬を作るのは大変なのではないかと思い、何か手伝いをしたいと思ったのがきっかけだったが、こうして実際に作ったりしてみるとなかなかやり甲斐があるものだ。

 

(……けど、良いんですか師匠? 私なんかにポンポンと教えちゃって)

 

「あら、なんでそう思うの?」

 

(いえ……だって私は……)

 

「もしかしてまだ『自分は余所者だから』なんて卑屈な考えしてるの? 前にも言ったでしょう、貴女はもう私達と同じだって」

 

 呆れた様子でそう切り返す師匠。

 

「貴女は気付いてないのかもしれないけど、私達は充分に貴女に感謝してるのよ……ウドンゲは『ここに居させてくれる恩返しがしたい』ってだけで家事やら雑用をしてくれてる、退屈嫌いの輝夜の遊び相手をしてくれる、不死の私や輝夜を気遣ってくれる……充分よ、本当に。だからそんな卑屈な考えはやめなさい」

 

 し、師匠……

 思わず涙がほろっと……まぁ、能力の弊害のせいで出ないけど。

 けどそう思ってくれるだけでも普通に嬉しい……これも能力の弊害がなければ『ありがとうございます師匠』とちゃんと声に出すのだが……そうだ。

 

「え、ちょっと……!?」

 

 椅子から立ち上がり、師匠に近づいて思いっきり前から抱きしめる。

 いわゆるハグというやつだ。

 言葉にできないのなら、行動で示せば良い。

 

「—————!!」

 

 しかし何故か師匠の反応が何もない……

 うーん、流石に女同士とはいえハグは少しやり過ぎだっただろうか。

 

 素直に謝ろうと、一度師匠から離れる……

 

(あれ……師匠顔が真っ赤ですよ!?)

 

 そして師匠の顔が視界に入るが、何故かその顔が頬どころか耳まで真っ赤に染まっていた。

 さらに目は集点があっておらず、唇も少しだけひくひくさせている。

 まずい、そんなに怒らせてしまったのかと思ったのだが、どうにも様子がおかしい。

 心拍数が上昇し、波長もだいぶ乱れているのだが、波長の乱れ方が怒りを感じている時のそれではないのだ。

 この乱れ方は……恥ずかしいだとか照れているとかに近いものだ。

 

(しまったなぁ……そういえば師匠って)

 

 師匠は、実は甘いものが大好き……という事実をみんなに隠そうとするぐらいの恥ずかしがり屋だ。

 そんな師匠なら、突然抱き着かれたら恥ずかしがるのも無理もないかもしれない。

 現に今も、『あ、待って心の準備が……』とかよくわからないこと呟いてるし。

 

「きゅう……」

 

(え、気絶した!?)

 

 どうやら恥ずかしさが臨界点を突破し、防衛本能が働いて意識をシャットダウンしてしまったようだ。

 どうしよう、まさか抱きついただけでこんな結果になるとは思ってもいなかった。

 珍しく動揺が続いてる自身にちょっと驚きつつも、とりあえず気絶した師匠をこのまま放置するわけにもいかないので、部屋に運ぶことにした。

 

(よっと、軽いなぁ師匠)

 

 永遠亭の住人の中では、一番背が高い師匠だが、想像していた重さほどではなかった。

 自分が妖怪故の筋力だからそう感じてるだけかもしれないが。

 

「あら、鈴仙と……永琳? なんで気絶してる上に鈴仙にお姫様抱っこされてるのかしら……?」

 

 師匠を抱き上げ部屋を出ると、姫様と出くわした。

 そして当然の如く、この状況について疑問の声を上げる姫様。

 今すぐ事情を説明したいのはやまやまなのだが……生憎と両手がふさがっているので、筆談も手話もできない。

 かといって師匠をこの冷たい床に降ろすのもどうかと思うので、ここは手話ならぬ『体話と足話』でなんとかするとしよう。

 

 まずは手始めに、後ろを向けてお尻を振る。

 

「? えっと……こう?」

 

 少し悩んだ様子を見せた姫様は、自分のお尻をわしっと掴んだ。

 すいません、そうじゃないです姫様。

 

「違うの? じゃあこっち?」

 

 次は自分の尻尾を掴んだ姫様。

 すいません、そうでもないです姫様。

 

「やだ、思ったよりモフモフしてるわね……」

 

 あの、そろそろやめてほしいんですけど。

 

「んー? これも違うの? ……あ、もしかしてこれかしら?」

 

 するとようやく意図が伝わったようで、自分のスカートのポケットから筆談用のメモ用紙と愛用のボールペンを取り出してくれた。

 

「……これを地面に置いてって?」

 

 良い具合に次の意図はあっさりと通じたみたいで、指示通り床にメモ用紙とボールペンを置いてくれる姫様。

 

 そして足の指を使って、まずはボールペンを掴む。

 そのまま足で床に置かれたメモ用紙に文字を書いていく。

 

「ず、随分と器用なのね貴女……うわ、足で書いたのに凄く綺麗な字体ね」

 

 書き終えたそれを、そう呟きながら拾い上げる姫様。

 そしてあー、と納得したような素振りをみせた。

 

「どうやら抱きつくのはまだ刺激が強すぎたみたいね……お互い自覚がないのがせめてもの救いなのかしら」

 

 と、姫様もよくわからないことを仰った。

 自覚がないとはどういう意味なのだろうか……?

 

「ん、別にそんな気にしなくていいわよ。ただの独り言よ独り言」

 

 はぁ……そうですか。

 ならば事情も説明し終えたことだし、師匠を部屋で休ませるとしよう。

 この際だ、干したての布団を使うとしよう。

 

 意外にも力持ちな姫様に、師匠を託してから布団を庭の干竿の所まで取りに行く。

 竹林の隙間から差し込む太陽光が一番よく当たる所に設置してあるため、既に充分なほど乾いている布団一式を師匠の部屋に敷く。

 その上にシーツを被せ、しわができないよう伸ばしていく。

 後は師匠のお気に入りの高さの枕を置いて、準備完了だ。

 ゆっくりと師匠を布団の上に仰向けで寝かせる。

 

 すると突然、後ろで傍観していた姫様が、何故か心なしか嬉しそうに……というか、何か企んでいそうにニヤニヤとしながら話しかけてきた。

 

「ねぇ鈴仙、貴女永琳を気絶させたことで申し訳ないって思ってるかしら?」

 

(え、そりゃもちろんですけど……)

 

「それなら、一つ私から提案があるのだけど」

 

(……提案ですか?)

 

 姫様は要するに、師匠に対してお詫びになるような提案をしてくれるようだ。

 自分の考えとしては、お詫びとして何か甘いものでも用意してあげようと思っていたのだが、自分より永い時を師匠と共に過ごした姫様の提案だ。

 きっとそちらの方がお詫びとしては相応しいだろう。

 

「ふふふ、やる事は簡単よ。まずはね……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は大切なものを失った。

 選択を誤り、自身に素直になれなかった故の過ちだ。

 そしてその結果、私が得たものとは果たしてあっただろうか?

 彼女を失ってでも、月に行く意味が果たしてあっただろうか……?

 まるで暗闇の中にいる感覚がした。

 

 月に辿り着いても、しばらく私は何もする気が起きず無気力な日々を送っていた。

 彼女からは、過去を振り返らず、前を向いて進むようにと言われたが、それでもやはりすぐには立ち直れなかった。

 自身で思っていたよりも、彼女という存在は私の中でとても大きな存在となっていたようだ。

 まるで身体の一部をごっそり取り除かれたような感覚がした。

 

 そんな時、ある事を私は実行した。

 始まりは、月に移住をしたは良いものの、全ての都の住人を月に避難させることはできなかったため、圧倒的人数不足というか人手不足というか……ともかく、移住を成功させた直後の月では深刻な労働者不足に陥っていたという情報を知ったからだ。

 そのため、月に建設する予定の都……『月の都』の進行が全く進まないでいた。

 

 それを解決するために、月の基本労働力となる者を私は生み出した……彼女の遺品でもある髪の毛の一部を使って。

 その者達を私はこう名付けた……『玉兎』と。

 

 その結果は成功ともいえたし、失敗ともいえた。

 前者の理由としては、玉兎達は基本的に忠実なため、よく働いてくれたから。

 後者の理由は、彼女(妖怪)の一部を使ったにも関わらず、玉兎は地上にいた妖怪達に比べると遥かに劣る存在だということ。

 簡単にいってしまえば、玉兎は『妖怪モドキ』ということだ。

 けれどまぁ、大した力を持っていないため、反乱などの行動を起こされても充分に対処できるという点では、それも良いことになるのかもしれない。

 補足をするとしたら、一応玉兎達も彼女に似た能力を保持しているというところだろうか。

 しかし能力に関しても劣化しているためか、玉兎同士でテレパシーに似た通信を行ったりする程度しかできないが。

 

 さて、どうして私は玉兎を生み出したのだろうか。

 他にもやりようはいくらでもあったはずだが、何故私は彼女の遺品を使ってまで玉兎という選択肢にしたのだろう。

 ただ気まぐれに?

 彼女のことを忘れないように、何か形として残しておきたかったから?

 ……彼女ともう一度会いたかったから?

 理由は一つかもしれない、全部だったのかもしれない。

 

 結果として、この出来事を通して私は少しだけ前を向けた。

 彼女はもういない、その事実を受け入れつつあった。

 だから彼女の言った通り、これから幸せになっていけば良い。

 自身の信じた道を、迷わず進めば良い……今度こそ、大切なものを失わないように。

 私はそう決意した。

 それが彼女に対しての恩返しかつ、弔いになるからと考えたからだ。

 

 そして思っていたよりも速く、私には新しい『大切な者』ができた。

 名前は『蓬莱山輝夜』

 輝夜と知り合ったのは、彼女の家庭教師を頼まれたその日だった。

 一言で輝夜を説明するとしたら、極度の退屈嫌いと私は答えるだろう。

 とにかく彼女は暇を嫌い、毎日変わり映えのないこの月にいること自体すら嫌っていた。

 

 やがて輝夜は地上に興味を持つようになった。

 事あるごとに、私に地上について色々と質問をしてきた。

 質問に答えていくごとに、彼女はさらに地上に関心を持ち、私と輝夜の間柄というのも変化していった。

 要は家庭教師とその教え子という堅苦しく関係は捨て、気の合う者同士のような関係になっていったのだ。

 何故なら、私も地上について輝夜に話すのは楽しかったからだ。

 そして気付いた、やはり私は地上の方が……彼女と過ごした地上の方が好きなんだなと。

 

 やがて私達はある計画を立てた。

 共にこの月を捨て、地上にその身を下ろそうと……

 そして私は輝夜の持つ能力を使い、禁断の薬を完成させた……不死の薬を。

 これを服用すれば、不死という概念から、その身は穢れで染まる。

 穢れを恐れる月の民がそれを放っておくわけもなく、薬を服用した輝夜は計画通りに地上へと追放された。

 しかし誤算だったのが、薬を服用した輝夜だけが罪に問われ、薬を作った私は無罪放免になったという点だ。

 よほど私という存在を手放したくないらしい。

 

 仕方がないので、計画を少し変更した。

 幸い輝夜の地位的にずっと地上に追放しておくわけにはいかず、やがてはその罪が許され、月に帰還する手筈だった。

 もっとも、帰還してもその穢れを抑えるため永遠に幽閉されてしまうだろうが。

 だから迎えの日、私は迎えの使者達と同行して輝夜を迎えにいった。

 そして使者達を裏切り、その場で私は蓬莱の薬を飲み輝夜と共に逃げた。

 

 こうして私は地上に帰ってこれた。

 そして逃亡生活の末、私達は『幻想郷』に隠れ住むことになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからどれ程の年月を重ねただろうか、今のところ月からの追手もなく、平穏に地上で過ごしていた私と輝夜のもとに、『彼女』はやってきた。

 

 ある日の満月の夜、因幡てゐの部下の兎が知らせに来た。

 

『見知らぬ兎がやって来た』

 

 見知らぬ兎と聞いて、最初はぱっとしなかった。

 しかし次第に嫌な予感がしてきたのだ。

 もしかして、見知らぬ兎とは月が寄越した玉兎なのでは……と。

 

 私が月を去ってから、玉兎達がどうなっているかは知らないが、おそらく昔と変わらず月の連中に仕えているのだろう。

 仮にその見知らぬ兎が玉兎だったら?

 そう考えると只事ではなくなる。

 念の為という言葉もあるし、輝夜に大人しくしてるよう言い包め、武装を固めて永遠亭を飛び出した。

 

 知らせにきた兎から予めおおよその場所を確認していたので、わりとあっさりと見つけることができた。

 竹やぶの影から様子を見ているため、相手の全貌はよく見えないが、チラリと見えた相手のその格好は間違いなく月のものだった。

 どうやら今はてゐと何かを話しているようだが、声はてゐからしか聞こえない。

 言葉を持ち得ない別の方法でコミュニケーションをとっているのだろうか……何はともあれ、一度明確に確かめる必要がある。

 細心の注意を払って、おそるおそるその身を乗り出し、相手の確認をした。

 そこには案の定てゐがいて、その近くには……

 

 ————『彼女』がいた。

 

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 そして一度に収まらず、心臓は徐々にその鼓動を速めていく。

 加えて発汗し、喉が急激に乾いてくる。

 珍しく私は困惑していたのだろう。

 何故なら、その薄紫色の綺麗な長髪、顔立ち、大きな兎の耳……それは間違いなく、彼女の特徴そのものだったから。

 

「あ……」

 

 ほんの一瞬だけ、私は昔に戻った。

 昔のように、彼女の姿が目に入るなり、彼女の側に居たくて慌てて駆け寄ろうとした。

 そして彼女も私を見かけると決まってこう言うのだ。

 

『また来たのか、小娘』

 

「っ……!」

 

 ハッと意識がはっきりして、寸でのところで踏み止まれた。

 落ち着け、彼女はもういない。

 あれは違う、彼女な筈がない。

 落ち着け、落ち着け……

 

「ふぅ……」

 

 乱れた呼吸を深呼吸で整えてから、再び意識を集中させる。

 その上でもう一度様子を伺ってみる。

 するとよく観察をした結果、あの玉兎らしき兎は確かに彼女にそっくりだ。

 しかし彼女に比べると背丈などが違いすぎる。

 加えて身にまとっているその服装には、月の使者の印が刻まれているのが確認できた。

 間違いない、あれは彼女ではなく、彼女に似た玉兎だ。

 別におかしい話ではない、玉兎は彼女の一部から生み出したのだ。

 遺伝学的に言えば、彼女にそっくりな個体がいたとしても何らおかしくなどない。

 

 しかしどうしたものだろうか。

 玉兎とてゐの会話……てゐの声しか聞こえないが、それを聞いている限り、あの玉兎は何かを探していて、それをてゐはここには無いと答えたようだ。

 さらにてゐの様子からするに、この場を離れさせようとしている。

 となるとやはりあの玉兎は私達が狙いなのだろうか。

 仮にそうだとしたら、あのまま帰すわけにもいかなくなってくる。

 この辺り周辺にはあの玉兎の仲間らしき影はいないが、別の場所で待機をしているのかもしれない。

 それならいっそのこと、捕らえて利用した方が良いのではないか。

 最悪、仲間の場所ぐらいは吐かせる自信はある。

 

「待ちなさい」

 

 少し悩んだ末、実行することに決めた。

 玉兎の横にいるてゐが『何やってんだ』みたいな顔をしてるが、一応契約通りの仕事をしていたのにそれを踏みにじったのは悪いと思ってるので許してほしい。

 

 それからいくつかの質問を投げかけてみたが、どれも明確な答えは帰ってこなかった。

 様子を見るに、何かしらの理由で喋れないようだが、それにしても様子が変だった。

 目的を聞いても首を傾げ、私の名前を出しても首を傾げる。

 これが演技とかでなければ、この玉兎は一体何をしに……?

 

 すると突然懐から便箋のようなものを取り出し、それを私の前まで持ってきた。

 私が警告をすると、手前の地面に上にそれを置き、どうぞと仕草をした。

 読めということだろう。

 充分に警戒をし、ゆっくりと便箋を拾い上げ中身を確認してみる。

 中身は手紙だった……それも思いもよらぬ人物からの。

 

 内容を一通り確認し終えた後、少しだけ警戒を緩める。

 噛み砕いて内容を纏めると、この玉兎は私の思っているような輩ではないと書かれていた。

 手紙の主は信用できない奴ではあったが、同時にそんな奴が私にこんな出鱈目を言う理由が果たしてあるだろうか。

 だからひとまずは、仕切り直しと、この手紙の真意を確かめる必要もあるため、場所を変えるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 竹林の中に点在する小さな川。

 その近くに例の玉兎も連れてやってきた。

 ここなら荒事になったとしても、被害は少なくて済むからだ

 

「それで、説明してもらえるかしら……妖怪の賢者さん?」

 

「あらあら、説明も何もその手紙に書いた通りでしてよ……月の賢者さん?」

 

 私がそう言うと、突然空間から裂け目が広がり、その裂け目から金髪の妖怪が胡散臭い笑みを浮かべながらぬっと出てきた。

 この妖怪は『八雲紫』という名で、ここ幻想郷の管理者でもある。

 

「私が聞きたいのは経緯よ、何故この玉兎を私の元に送ったのかしら?」

 

「あらやだ、どうしてそんな不機嫌そうなのかしら? 私はただ行く宛のない可哀想な兎さんを引き取ってくれそうな場所を紹介しただけですのに」

 

 くすくす、と笑みをこぼす妖怪の賢者。

 

「安心なさい、その兎さんは本当に害のない無垢な存在よ……いえ、むしろ貴女にとって益になるのかもしれない」

 

 八雲紫は只々笑う。

 

「それじゃあね兎さん、幻想郷はあなたを受け入れるわ」

 

 そして手のひらをヒラヒラさせながら、再び空間の裂け目の中へと戻っていった。

 ……結局詳しい事情は全く聞けなかった。

 となるとやはり、無表情でわざわざ手を振り返しているこの玉兎に聞くしかないようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 事情を聞き終えると、どうやらこの玉兎は自らの意思で地上にやってきたようだ。

 訳ありで、月に居づらくなったので地上に降りてきたと……そして地上にたどり着いた矢先に八雲紫と出会い、どこか行く宛はないかと訊ねたら私の所を紹介された……大雑把に言えばそんな理由だったようだ。

 その理由としては、一応筋が通っているものだったし、例え何かあっても玉兎一匹程度ならどうとでもできる。

 なので結局この玉兎は私が引き取ることにした。

 

 彼女と似ている玉兎……少し複雑な気持ちだった。

 けれども、その複雑な気持ちは、彼女を引き取った次の日にはもう無くなっていた。

 

「え、台所はどこかですって?」

 

 永遠亭の空き部屋を与え、その日の夜が明けた次の日の朝。

 彼女……レイセンは私にそう訊ねてきた。

 理由を聞けば、引き取ってくれたお礼にご飯作りますとレイセンは答えた。

 思わず呆けてしまった。

 まさかお礼としてご飯を作るだなんて言い出すとは夢にも思えなかったからだ。

 

「そ、そう……けど遠慮しとくわ、食事なんて必要ないもの」

 

 私は不老不死だ、食事の必要性はない。

 確かに腹は減るし、何も食わずにいたら餓死するが、復活すれば活動するにあたって支障がない状態になる。

 そのため私も輝夜も餓死に対してはもう慣れてしまい、食事なんてもう長い事とっていない。

 なので台所という設備は一応あるが、食材なんてものは存在しないため食事を作ること自体不可能だ。

 ありのままレイセンにそう伝えると、何故か彼女は怒り出した。

 一瞬の出来事ではあったが、確かに彼女は怒った。

 そしてそのまま外へ向かって走り去ってしまった。

 

 そしてしばらくしてレイセンが帰ってきた……両手に料理が乗ったお皿を持ち、何故かその後ろで同じように両手にいくつかのお皿を持った、八雲紫の式神達を連れてきて。

 

「正直驚いたわ……どうやって突き止めたのか、いきなり私の住処に押しかけきて、『食材と台所を貸してください』って言うんだもの」

 

 気が付けば私の隣に八雲紫がいた。

 何故か裂け目から出ているその上半身は寝間着の八雲紫が。

 

「ふふ、よっぽどあなたに朝ごはんを食べさせたかったのね。それじゃあ藍、橙、お邪魔虫達は引き上げるわよ」

 

 そして八雲一家は裂け目へと消えていった……

 未だに状況が上手く理解できずにいる内に、いつのまにか私は箸を片手に食卓に座らされていた。

 さらにレイセンから『はやく食べろ』と言わんばかりの無言の圧力。

 ……これはもう大人しく食べるしかない。

 手前にあった料理に箸を伸ばし、それを口に運ぶ。

 ……美味しかった。

 

 久しぶりに食べ物を摂取するというのに、不思議と私の口と胃袋はすんなりと通した。

 気が付けば箸を動かす手が止まらずにいると、そこに輝夜がやってきた。

 

「あれー、何かいい匂いが……え、うそ朝ごはん? 永琳私を差し置いて朝ごはん食べてるの!?」

 

「か、輝夜……これはその」

 

「ん? 誰この兎? こんなイナバいたかしら?」

 

『どうも初めまして、レイセンと申します』

 

「そうなの、ねぇレイセン、これ貴女が作ったの? 私も食べて良い?」

 

 気が付けば、三人で食卓を囲んでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイセンが来てからは、輝夜の笑顔が増えた。

 積極的に家事をしてくれるレイセン。

 私や輝夜を大事に思ってくれるレイセン。

 ……大好きだった彼女を想起させるレイセン。

 

 気が付けばレイセンは私にとって大事な存在になりつつあった。

 そしていつしか、レイセンのことをよく知りたいと思い始めた……レイセンときちんと言葉でお喋りしてみたいと思った……そう、あの時のように……彼女の時のように。

 

 今は家主と居候、師匠と弟子のような関係だが、いずれはそれを越えた先の関係になりたい……そう思った。

 他でもないレイセンと。

 願わくば、彼女と同じ『大切な友人』に……

 

 そのためにはレイセンを手放すわけにはいかない。

 だから私はレイセンに新しい名前を与えた……穢れ溢れる地上にしかその花を咲かすことはない、『優曇華院』を。

 名前という楔を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……」

 

 重く感じる瞼を開けると、見知った自室の天井が目に入った。

 どうやら私は自室で寝ていたようだが、その前後の記憶が曖昧だ。

 確かウドンゲと一緒に薬作りをしてて……それからどうしたのだろう。

 

 とりあえず起き上がろうと、手を動かそうとしたその時、私の左手に何か柔らかい感触の物体が触れた。

 

「? 何かしらこれ」

 

 枕にしてはデカすぎるし……一体なんだろうと思いながら、その正体を確かめるべく、顔を左に向け、布団をめくった。

 

「…………」

 

 そこにはウドンゲがいた。

 その赤い瞳で私をじっと見つめていた。

 お互いの鼻息が顔にあたる。

 お互いの唇が触れそうになる。

 

「……!?」

 

 そして思い出した、私はウドンゲに抱きつかれてそれから……

 

 全身から火が出そうな勢いだった。

 何故かウドンゲを意識すればするほど、その身の体温が上昇していく。

 そして目の前が真っ暗になっていく……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 なんてこった、師匠がまた気絶した!

 

 この人でなし!

 

(ひ、姫様ー! 姫様の言う通り添い寝してあげてたら、師匠がまた気絶したんですけど!?)

 

「あちゃー、添い寝もアウトなのね」

 

 

 

 




◯を自覚してない永琳マジえーりん


追記
最後のウドンゲの()の部分を、一部」にしてしまいました。
誤字です、申し訳ありません。
誤字報告ありがとうございます。


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9話

 

 

 

 

 

「ねぇ、私たちまだ分かり合えると思わないかしら。こんな誰も喜びもしないことを続けても無意味ということは、他でもない貴女が一番知ってるんじゃない?」

 

「そうね、けどこれは個人的な恨みでもあるのよ」

 

「復讐だなんて馬鹿げたことはやめなさい永琳、そんなの悲しみが増すだけよ。むしろ永琳は私に感謝すべきだと思うの、だって鈴仙と一緒に添い寝できたのは私のお陰じゃ……って危ない! ねぇ今の本気だった!? 完全に私の眉間狙ってたわよね!?」

 

「安心しなさい、矢じりはついてない非殺傷の矢よ。当たっても物凄く痛いだけで済むわ」

 

「そういう問題じゃないと思うんだけど!? いやー! 助けてれーせーん! もこたーん!」

 

 ……そんな悲鳴にも近い姫様の声が庭から聞こえてきた。

 

「……れーせんさんや、あれ止めなくて良いのかい?」

 

 そしてお腹を空かせてお昼を食べに来たてゐが、台所でお昼の用意をしている自分にそう聞いて来た。

 

 確かに側から見たらあれは行き過ぎた喧嘩に見えるかもしれないが……

 事の始まりは、再び気絶した師匠が目を覚まし、自分を師匠の布団に潜り込ませたのが姫様と知った師匠が、それを知るなり自慢の弓を片手に姫様を追いかけますというのが始まりだ。

 それから既に一時間ほど経過しているが、未だに姫様の助けを求める声が聞こえるということは、逃げ続けているのだろう。

 

 元はといえば今回の件は自分の責任でもあるし、助けてあげたいのは山々なのだが、別に殺し合いをしているわけでもないし、師匠も本気で怒っているわけではないようだ。

 要するにあれは単なる戯れ程度の喧嘩だ、それこそ姫様からしたら、いつも戯れ合う相手が妹紅さんから師匠に変わった程度のものだ。

 それに姫様も、師匠が恥ずかしがるのを見越した上で自分にあんな指示を出したのだ。

 それを見破れなかった自分も悪いが、それを差し引いても今回の事件は姫様の悪戯心が招いたものだ。

 ならばここは心を鬼にして、姫様には自分自身の力で試練を乗り越えてもらうしかない。

 

 ———それとお昼の準備で忙しいから今は手が離せないし。

 

「……それ最後の方が本音だったりしない?」

 

 何をバカなことを、そんな事あるわけ……ないよ?

 

(それよりてゐ、ちょっと手伝って欲しいんだけど)

 

「んー? 生憎とあたしゃ料理なんかできんけど……?」

 

 それは知ってる。

 故に手伝って欲しいのは調理ではない。

 

(ほら、この前二人で作った『あれ』。あれを庭に組み立てといて欲しいの)

 

「……あぁ、あれね」

 

 曖昧な説明だけでてゐが納得できたのは、それを作るときにてゐも関わっていたからだろう。

 暇そうにしてたから、自分が無理矢理手伝わせたともいうが。

 

「そうさねー、やってあげてもいいけど、やっぱ無償で……ていうのは性に合わないんだよねー。ほら、それ作るの手伝った時の報酬もまだもらってないしなー」

 

 すると、ニヤニヤしながらそんな事を言ってくる悪戯兎。

 まぁこの兎ともそこそこの付き合いだ。

 多分そんな事を言ってくるのではないかと予測はしていた。

 

「なっ……そ、それはまさか」

 

 当然対策もバッチリだ。

 あらかじめ用意していたある物体を手に持ち、てゐに見せる。

 

「その瑞々しい艶に、形が整ったフォルム……普通のものより洗練された大きさ……それは間違いなく!」

 

 興奮を抑えきれないてゐ。

 

「あの高級とも謳われた人参……王様人参!?」

 

 そう、今自分が持っているのは、普通のより明らかに大きい人参。

 さらに味も普通のより遥かに美味くて、そのまま齧っても美味しく食べれそうなくらいのものだ。

 そしてこれは庭で育てたものでも、人里で買ったわけでもない。

 以前知り合って仲良くなった、お花が大好きなある妖怪さんにお裾分けしてもらったものだ。

 つまり数に限りがある限定品、滅多にお目にかかることのない激レア食材だ。

 そんな人参を目の当たりにして、人参好きのてゐが食いつかないわけがない。

 

(手伝ってくれたらこの人参を、材料に加えてあげても……)

 

 気が付けば、てゐが目の前から消えた。

 そしてすぐに玄関の開ける音が聞こえたので、どうやらやる気は出してくれたようだ。

 というか今までにない程の超スピードだった。

 いつもあのスピードを出していれば、自分からのお仕置きを回避するのは容易だろうに。

 ……まさかわざとお仕置きを受けてるとかは……ないか、流石に。

 

 そして姫様の悲鳴を聞きながら、愛用の調理器具達の準備を始める。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永遠とは何だろうか。

 ただ過ぎ去っていく『時』をその身に感じながら、私は時折そう考える。

 そして決まっていつも同じ結論に辿り着く。

 

『永遠とは、とても退屈なもの』

 

 そう考えるようになってから、私は『退屈』を実感し始めた。

 変わらない毎日、変わらない日常、変わらない景色、変わらない人生。

 嗚呼……変化がないとはこんなにも退屈で、とても虚しいものなんだ。

 『永遠と須臾』が、只々私の変化を邪魔をする。

 それがとても煩わしかった。

 

 何一つ不自由のない月での暮らし、それはとても魅力的でもあり、自由を奪う牢獄でもあった。

 もはや私の目には、月での生活は価値無きものになった。

 だからこそ、必然的に私は地上に興味を持った。

 

 地上は穢れている、私はそう教えられた。

 穢れているから地上へは行ってはいけない。

 穢れているから、地上にいると永遠ではなくなる……

 

 とってもバカらしい考えだ。

 そんなに死ぬのが怖いのか、そんなに永遠が失われるのが怖いのか。

 私はそんな人生を望んでなどいない。

 この狭い牢獄月から抜け出して、自由を手にしたい。

 

 そんなある日、転機が訪れた。

 最初は新しい家庭教師が私に教養を身につけてくれると聞いて、少し期待した。

 新しいこと、変化があることは唯一の楽しみでもあるからだ。

 さらに驚くべき事に、家庭教師はかの有名な月の賢者の一人、八意XXだったのだ。

 八意XXといえば、かつて月の民がまだ地上にいたころ、民達を月へと導いた大賢者だ。

 期待がさらに膨らんだ。

 何故なら、その大賢者から地上についての話を聞けるかもしれないからだ。

 私の周りの者は殆ど地上について知らないか、関心がなかった。

 だから地上について興味はあれど、知識を蓄えることは充分にはできなかったのだ。

 

 早速会った初日に地上について質問することにした。

 しかし何から聞こうか迷った。

 何せ聞きたいことが山ほどあるのだ。

 そして迷いに迷って、ようやく言葉を絞り出せた。

 

『ねぇ、地上ってどんなところだったの?』

 

 ひどく大雑把な質問だと自分でも思った。

 しかしこの質問は、八意XXが地上に対してどんな印象を持ってるかを知る意図もあった。

 他の者と同じ考えを持っているのか、それとも……

 

 私がそう質問すると、彼女は少し呆気にとられた様子を見せた。

 そして少し考え込む素振りをし、やがて口を開いた。

 

『とっても素敵なところよ』

 

 今まで無愛想な表情しかしていなかった彼女が、嬉しそうに……そしてどこか悲しそうな笑顔でそう答えた。

 その感情が入り混じった笑顔を見て、私は確信した。

 

 ————彼女は地上が好きなんだなと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 それから私達は無事に地上へと移住することができた。

 それまでの道のりは決して楽ではなかったが、同時にやはり地上に来て良かったと思う。

 なんといっても、地上での生活は新鮮でスリルがある。

 月では絶対に味わえないものだ。

 

 しかしあえて不満を挙げるとするなら、今私とXXが住んでいる場所が幻想郷というところなのだが、そこで隠れ忍んでいなくてはならないというところだろうか。

 別に幻想郷自体が悪いというわけではない。

 ただ単に、結界で隔離されている幻想郷とはいえ、下手にあちこちを動くと月の連中に感知される可能性があるらしい。

 もしそれが本当で、仮に二人とも捕まってしまったら、永遠に幽閉され続けるだろう。

 そんなことになったら、私なんて発狂しかねない……退屈すぎて。

 だからXXの言う通り、迷いの竹林の住処で大人しくしていなくてはならないのだ。

 月にいる時よりかは遥かに良いが、それでもこんな生活では不満の一つや二つ感じてしまうのも無理はないはずだ。

 唯一の楽しみと言えば、最近知り合った……あちらの方はどうやら昔から私を知っているらしいが、とにかく知り合った妹紅との殺し合いだろうか。

 少なくとも、その間は退屈を忘れることができた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして妹紅と出逢ってからどれくらい経った頃だったか。

 ある日一匹の玉兎がやってきた。

 最初は見慣れないイナバがいるなと思ったが、どうやら月から地上に降りてきた玉兎らしい。

 しかしおかしな事に、その玉兎は私達が目的というわけではなく、言ってしまえば家出をした、そんな感じの事情で地上に降りてきたようだ。

 

 ————嗚呼、なんと面白そうな兎なのだろう。

 久しぶりの変化、新しい出来事に私の心情の矛先はすぐにその玉兎……レイセンに向けられた。

 

「ねぇレイセン、あなたどうしてそんな顔してるの?」

 

 何故か用意されてあった、レイセンが用意したらしい食事を食べおえ、私はすぐに気になったことを口に出してみた。

 レイセンの顔……というか表情はお世辞にも良いと言えないほどの無表情、というか死んでいる。

 口角は重力に一切抵抗をせず垂れ下がり、その赤い瞳は眼球に反射され映し出された景色しか映しておらず、何の感情もこもっていない。

 まるで生命活動を停止した単なる死体ではないか、否、死体と何ら変わりはない。

 理由はわからないが、このレイセンは生物の基本的能力の一部を失いかけて……もしくは完全に失っている。

 そんな状態でよく、さぞ普通に生きているかのように振る舞えるものだ。

 何かしらの要因がそうさせているのか。

 それとも『苦痛』という概念すら感じないのだろうか。

 ……どちらにせよ、この玉兎は普通ではない。

 普通でないが故に、とてもとても面白そうな兎だ。

 そう……とっても私好みだ。

 

「……へぇ、能力の所為で。大変なのね」

 

 そしてレイセンは何の躊躇もなく、あっさりと質問に答えた。

 どうやら自身の能力を完全には制御できずに、能力のある一部分が暴走状態らしい。

 それにしても、玉兎が固有の能力を持っているなんて珍しい。

 基本的に仲間同士でテレパシーをする程度の力しかないと思っていたが、稀に特殊な個体も存在すると聞いた事もあるので、レイセンはその特殊な個体とやらなのだろう。

 

 そしてもう一つ疑問がふつふつと沸いてきた。

 このレイセンをここに住ませるのは良い。

 しかし、何故あの用心深いXXが月からのスパイかもしれない輩を普通に受け入れたのか。

 

「……成り行きよ」

 

 本人に質問してみるとそう返ってきた。

 ……それなりに付き合いが長いから分かるが、明らかにはぐらかしを含めた言い方だった。

 きっと他に理由があると思うが、追求しても答えは返ってこないだろう。

 何より、先程からレイセンをチラチラと見ながら、懐かしさと悲しさが混ざったような顔をしたXXにそれ以上何かを言うことはできなかった。

 

 沈黙がこの場を支配する。

 

「……そうだ、レイセン、私と勝負しない?」

 

 沈黙を破るために、私はふっと思いついたことを言った。

 

「XX……じゃなかった、永琳はここに住むことを許可したようだけど、ここ永遠亭の本来の主人は私なのよ? 当然私にも許可をもらわないとダメだと思わない? だから私と勝負したら私も認めてあげるわ」

 

「ち、ちょっと輝夜?」

 

 何か言いたそうにするXXに小声で耳打ちをする。

 

「もしあのレイセンがスパイだとしたら、私と勝負している最中に何かしら仕掛けてくると思わない?」

 

「それは……」

 

 仮にレイセンが月のスパイだったとしよう。

 そして今私たち二人の隙を窺っているとしたら、私と勝負をするという絶好の機会を逃すはずがない。

 必ず何かしらの動きを見せる筈だ。

 そしてその決定的瞬間を抑えれば良いだけの話。

 

「側には貴女が控えて、いつでもレイセンを捕縛できるよう準備しとけば何も問題はないでしょう? それにやっぱり物事ははっきりしとかないと気味が悪いじゃない?」

 

 私がそう言うと、ようやくXXも承諾した。

 ……正直な話、レイセンが本当にスパイだろうがそうでなかろうがどうだって良い。

 何故なら、どちらに転んでも面白そうではないか。

 最近殺し相手の妹紅も来ないし、丁度暴れたくてウズウズしていたところだ。

 ……別に後者が本音というわけではない、多分。

 

「どうレイセン、この挑戦受け立つかしら……そう、やる気満々……には見えないけど、やる気はあるようね」

 

 レイセンの無機質な瞳が少しだけ光を帯びた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に言えば、レイセンはスパイでもなんでもなかった。

 『観察』が得意分野な私が、勝負の最中レイセンを観察し続けた結論だ。

 レイセンは一度も怪しい素振りはしなかったのだ。

 それだけの理由で結論付けには事足りる。

 

 そして勝負の結果は、スタミナ切れで私の負けだった。

 いくら攻撃を仕掛けても、巧みに躱される。

 ならば攻撃の手を増やそうと、これまた得意分野である霊力による術式を組んだりしてみたが、その術式はことごとく破られた。

 まるで術式そのものが『狂わされた』ように、レイセンが手をかざし、その赤い瞳を輝かせるだけで術式がバラバラになるのだ。

 攻撃の手段をいくつも封じられては、あとは持久戦のみ。

 しかしそれでもレイセンには数発程度しか当たらなかった。

 

「……強いのねレイセン、あなた本当に玉兎かしら?」

 

 レイセンは玉兎にしては……というか既に玉兎の域を超えていた。

 純粋な力とその技能でなら、幻想郷のあちこちにいる大妖怪にも引けを取らないだろう。

 

「え? 『毎日のように刀を振り回しながら勝負を挑んでくる戦闘狂(バトルジャンキー)に付き合わされたから』……?」

 

 成る程、つまり毎日戦闘経験を積んでいたというわけか。

 それならば、その強さも納得できるが……はて、月にそんな戦闘狂いただろうか。

 

「どうしたの永琳? 頭なんか抱えて」

 

「いえ……少し心当たりがあるだけよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あー、今のが走馬灯ってやつかしら? 私死なないけど」

 

 庭の隅っこに追いやられた私は、真っ赤な顔でプルプルしながら弓を構えるXXを前にそんなことを呟いた。

 

「…………!!」

 

 非常にまずい、流石に少しからかい過ぎたようだ。

 しかしほんのちょっと鈴仙の話題で突っつくだけで年頃の乙女のような反応をするXXもXXだと思う。

 さっさとその無意識の心情に目を向け、認めてしまえば楽だというのに。

 

「……あー、お取り込み中の所申し訳ないけど、昼できたよって鈴仙が」

 

「ナイスタイミングよイナバ!」

 

 イナバの登場に気を取られた隙に、その場から逃げる。

 後は任せたわよ!

 

 背後から聞こえてくる声を無視し、そのまま中庭に出ると、そこには鈴仙がいた。

 

「……なにこれ?」

 

『流しそうめんです、姫様』

 

 中庭には、竹で組み立てられた物体が鎮座していた。

 ……流しそうめんとな、普通のそうめんとは違うのだろうか。

 

『こうやって、上から流れてくるそうめんを箸でとるんですよ』

 

「へぇ……あら、何か知らないけど楽しいわねこれ」

 

 試しにやってみると、意外と面白さを感じた。

 食べ方が違うだけというのに、不思議なものだ。

 

「むぐ……この天ぷらも美味しいわね。人参の身と葉っぱしかないのに」

 

 先程まで感じていた疲労が嘘のように消えていく。

 

『はい、師匠もどうぞ』

 

「え、えぇ……ありがとう」

 

「う、うめぇ! この人参うめぇ!」

 

 熱が冷めたであろうXXとイナバもいつの間にやら加わっていた。

 先程まであんなにカリカリしていたというのに、鈴仙を見るなり幸せそうな笑顔を浮かべるXX。

 その様子を見ている私もつられてほっこりする。

 

「……やっぱり面白い兎よね」

 

 鈴仙が来てからXX……いや、『永琳』がよく笑うようになった。

 無理矢理私の我儘に付き合ってくれた永琳にはとても感謝している。

 だから常日頃、何か恩返しをしたいと思っているのだが……

 

「ふふ、手伝ってあげるわよ永琳。必ず私が叶えてあげる」

 

 それにあの二人は見てるだけで退屈しない。

 嗚呼、きっとこれが夢にまで見ていた『自由』というやつなのだろう。

 

 

 

 

 




どのルートに入りますか?

 リグルルート
 みすちールート
 慧音ルート
 てゐルート
→永琳ルート
 輝夜ルート

私は永琳ルートまっしぐらですね!

追記
ややこしくして申し訳ないのですが、これはアンケートではありませんのでご注意を。


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10話

また長くなりそうなので前半と後半に分けます。

追記
前回の後書きに対して反応してくれる方が多数いらっしゃって、作者としては嬉しいのですが、どうやら感想欄にその事を書くと「アンケートの結果を感想欄で集めている」ということになるらしいので、規約違反になる可能性があります。
アンケートみたいなややこしい書き方をした私の失態なのですが……とりあえず大変申し訳ないのですが、活動報告にこの小説についての事を出すので、要望とか9話の後書きに対する感想があればそちらにお願いします。



 

 

 

 ———調子はどう?

 

 ……えぇ、とても最悪ね。胡散臭い幻聴が聴こえてきたわ。

 

 あら酷いのね、こうして心配してわざわざ来たというのに。

 

 それならちゃんと玄関から入って来なさい、突然背後に現れたらビックリするじゃない?

 

 そうね、次からは気をつけるわ……

 

 …………長く見積もっても、後数日だと思う。

 

 ……それはいつもの勘かしら?

 

 いえ、これは確信よ。自分の事は自分が一番よく解るもの。

 

 そう…………ねぇ、やっぱり私の能力で。

 

 ———それはダメよ、前にも言ったけど私はこのまま最後まで人間のままでいたいの……あの子の母親のままでいたいの。

 

 っ……! そう……よね。ごめんなさい、馬鹿なこと言ったわ。

 

 別に良いわよ、気持ちだけ貰っとくわ。

 

 ……ありがとう。それじゃあ何かやりたい事とか、願い事とかないかしら? 特別に私が叶えてあげましょう。

 

 うわ、胡散臭い。

 

 ……私ってそんなに胡散臭い? い、いえ、それより何かないの? 食べたいものとかやってみたいこととか?

 

 ……じゃあ一つだけ良いかしら?

 

 えぇ、何でもどうぞよ!

 

 ほら、前にあんたが話してた———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(あれ、なんかキツくなった……?)

 

 寝間着を脱ぎ、いつもの普段着に着替えようとして、ふと気がついた。

 上の下着が少し窮屈に感じた。

 もしやと思いつつも、そのままシャツとブラウスを着る……するとこれまた窮屈に感じ、確認してみるとわずかに丈がズレていた。

 ……これはつまり。

 

 確信を得るために、引き出しから編み物用の毛糸と定規を取り出す。

 その二つを使って、身長と胸のサイズを測ってみる……

 そして判明した、どちらとも大きくなってる。

 

(……まだ成長期なんだな私)

 

 月にいた頃も何度かこういった急激な成長があったが、まだ成長するとは正直あまり思わなかった。

 心なしか、目線もいつもより高く感じる……というか実際に高くなってるのか。

 

(もしかして姫様を越したのでは……? それなら、欲を言うと師匠くらいは欲しいなぁ)

 

 自分の身長は姫様よりほんの少し小さかった。

 しかし今のさらに成長した自分なら、姫様を優に越している可能性が充分にある。

 この調子なら師匠を超えるのも夢ではないのかもしれない。

 あまり高すぎるのもあれだが、身長は高い方が何かと便利だ。

 胸は……まぁ今くらいあれば充分だろう。

 むしろこれ以上成長されたら、師匠みたいに毎日肩凝りに困りそうだ。

 

 丈合わせを後でしなくちゃなと、心の隅に留めてから部屋を出る。

 さぁ、今日の朝ご飯は玉子焼きでも焼こうかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら? 鈴仙……背伸びた?」

 

 食器の片付けをしていると、姫様がそう訊ねてきた。

 流石姫様、観察力はズバ抜けている。

 そして、とてて、と可愛らしい擬音が聞こえてきそうな歩き方で自分の眼前まで迫ってきた。

 

「……うそ、私抜かされた……?」

 

 そのまま背比べをしてみると、やはり予想通りというべきか、姫様の身長を越していた。

 

「うぅ……胸の大きさどころか、身長ですら鈴仙に抜かされるなんて」

 

 何故か大袈裟にリアクションをとる姫様。

 ……もしかして気にしてました?

 

「……本当ね、5センチほど伸びてるようだけど……」

 

 そして興味深そうな声を上げる師匠。

 

「え、一晩寝たら5センチも成長するなんてことあるの? イナバなんて未だに子供サイズなのに?」

 

「子供サイズで悪かったね、成長期はとうの昔に終えたよ。それとあたしゃ人化してからずっとこの背丈だからね」

 

 ふむ、つまりてゐは昔から幼女体型だったと……ということは他のイナバ達もずっと子供体型なのだろうか。

 それはそれで嬉しいような……

 

「あらあら、月の兎さんは成長期なのかしら? 羨ましいわ、私ももう少し背があれば威厳が増すというのに……」

 

 ———突然背後から声がした。

 先程までそこには何も居なかったというのに、突如その波長を能力が捉えた。

 この声と波長は覚えがある。

 そして振り向く前に、真っ白な腕が自分の首筋を通って胸の前で交差した。

 同時に背中に感じる柔らかな感触……つまり、何者かに背後から抱きつかれたようだ。

 

「はぁい、お久しぶりね。元気にやれてるかしら?」

 

 ぬっとした感じで、その何者かの顔が耳元に近づいてきて、囁くようにそういった。

 この甘ったるく、どこか胡散臭さを感じる声と、独特な波長は間違いなく……

 

(紫さん、ちゃんと玄関から入ってくださいよ)

 

「……何となくだけど、あなたが全く見当違いな見解を述べている気がするわ」

 

 何をおっしゃるか、ちゃんと玄関から入って客人として来てくれれば、此方も接客しやすいというもの。

 それと最低限のマナーというものがあるのを、紫さんは知るべきだ。

 特に、何のために玄関というものがあるのかを。

 

 するとヒュッンと音がして、自分の右側の耳元を何かが掠めた。

 それは乾いた音を立てて、背後の壁に突き刺さる。

 当然言うまでもなく、師匠の放った矢だった。

 そしてこれも言うまでもないが、狙ったのは自分ではなく……

 

「あら……随分と過激な挨拶が好きなようね」

 

 いつの間にか自分の右の耳元から、左の方の耳元に移動したこの紫さんだ。

 

「そこから離れなさい、今すぐに」

 

 そう言って再度弓を引き絞る師匠。

 声色はいつも通り淡々とした冷静なものだが、目が笑ってないどころか自分みたいになってますよ師匠。

 ステイです、落ち着いてください。

 なんだってそんな喧嘩腰なんですか。

 そして紫さんも優雅に扇子扇ぎながら師匠を煽らないでください。

 

「やだ永琳ったら、もしかして嫉妬? スキマ妖怪が鈴仙に抱きついたからって嫉妬でも……あ、ごめんなさい、なんでもないです」

 

「姫様、流石に空気読んだ方が良いとあたしゃ思うよ。これ、長生きの秘訣さね」

 

 二人ともわけのわからないこと言ってないで、師匠を止めてほしい。

 このままじゃ壁や天井が穴だらけになってしまう。

 

「もう、ほんの冗談も通じないなんて、ゆかりん悲しいわ」

 

 と、ここで紫さんがようやく自分から離れた。

 すると師匠も徐々に落ち着きを取り戻していく。

 

(それで、何かご用ですか? あ、でもその前にお茶淹れてきますね)

 

「いえいえ、お構いなくですわ」

 

「……ねぇイナバ、不思議と鈴仙が活き活きしてる気がするんだけど、私の気のせい?」

 

「さぁ……ただ前に、『いつか妹紅さん以外の、お客さんをお持て成ししてみたい』とか言って人里で買った高い茶葉を大事そうに保管してたのなら見たよ」

 

「……そうね、滅多に客なんて来ないものね、永遠亭(ここ)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、一体何の用かしら」

 

「もう、そんな睨まないでくれないかしら。折角のお茶と茶菓子の味がわからなくなってしまうわ」

 

 その通りですよ師匠、いくら怪しさ満載、胡散臭さ満点の紫さんとはいえ、そう邪険にしなくても良いと思いますよ。

 ほら、その物騒な獲物は仕舞って。

 じゃないと、今日のおやつにするつもりだった手製の羊羹、師匠の分姫様にあげちゃいますよ。

 

「くっ……命拾いしたわね、八雲紫」

 

 そこまで言うと、ようやく師匠を嗜める事が出来た。

 これでようやく落ち着いて話ができるというもの。

 

(さぁ紫さん、一体今日はどの様なご用件で?)

 

 そう訊ねると、紫さんは両手で持っていた湯呑みをそっと置くと、サラリと答えた。

 

「実はね、ちょっと伝えたい事があって来たの」

 

 伝えたい事……ですか?

 

「えぇ……今夜貴女を『攫っていく』から、兎さん」

 

 はぁそうですか……今夜自分を攫いに……

 

(……はい?)

 

「だから、攫うの。連れ去るとかそういう意味のね」

 

 いや、意味はわかります。

 わからないのは、その理由ですって。

 

「本性現したようね、生きて帰れると思わないことよ」

 

永遠亭(うち)の所有しているものに勝手に手を出そうだなんて、どんな難題ふっかけて欲しいのかしら? 表の世界にある金閣寺の一枚天井とかどう?」

 

「あー、流れ的にはあたしも何か言うべきなんだろうけど……荒事は勘弁ウサよ?」

 

 と、かつてないほどの怒りの波長がひしひしと三人から……正確には主に二人の主人からだが、伝わってくるのがわかった。

 やだ、凄い殺気。

 みんなこんな自分なんかの為に怒ってくれるのは非常に嬉しいのだが、取り敢えず落ち着いて欲しい。

 

「どきなさいウドンゲ! そいつ殺せない!」

 

 どうどうです師匠、後姫様も。

 冷静になってよく考えてください、この紫さんのことだから、わざとふざけて変な言い回しをしているだけかもしれませんよ?

 それに仮にもこの妖怪は、自分達を引き合わせてくれた張本人でもあるわけですし、恩を仇で返すわけにもいかないですよ。

 

「そ、それは……そうだけど」

 

 でしょう?

 ほら紫さん、師匠達が大人しくしている内に真相を話してください。

 いっときますけど、次は止めませんからね。

 

「……そうね、少し悪戯が過ぎた様ね。ゆかりん反省!」

 

 テヘッとわざとらしく舌を出してお茶目さを出す自称ゆかりん。

 あざとい。

 なぜ彼女はこうも他者を焚きつけたがるのだろうか。

 普通に才能があるのでやめて欲しいものだ。

 

「では言い方を変えましょう……今夜、貴女を連れて行きたい場所があるのよ」

 

(連れて行きたい……ですか)

 

 ちなみになんでわざわざ、誤解を招く様な言い回しをしたのか聞いても?

 

「え? だって『連れて行く』って言うより、『攫う』って言った方が格好良いじゃない? ほら、妖怪らしくて」

 

 と、まぁなんとも紫さんらしいというか、妖怪らしい答えだった。

 しかし時と場合によっては冗談が通じない時がある。

 紫さんはそれを学んだ方が良いかもしれない。

 

(まぁ一先ずそれは置いといて……何処に私を連れて行きたいんですか?)

 

 多分幻想郷の何処かではあると思うが……こうして事前に伝えに来るということは、何か大事なことなのだろうか。

 

「んふふ、それはねぇ……秘密よ」

 

 しかし明確な回答は返ってこず。

 一度くらい紫さんに罰を与えてもバチはないのではないかと思う思考をなんとか引っ込める。

 

「話にならないわね、さっさと帰りなさい。ウドンゲも一々そんなやつ相手にしなくても良いのよ?」

 

(はぁ……まぁそうなんですが……)

 

 断るのは簡単だろう。

 しかしあの紫さんが連れて行きたいと言う場所も気になるといえば気になるし……うーむ。

 

(……お夕飯が終わってからなら……まぁ)

 

「あら本当? じゃあタイミングを見計らってまた来ますわ」

 

 少し悩んだ末、了承をした。

 

「ちょっと、何で断らないの? この妖怪のことだから、きっと良からぬこと考えてるに決まってるわよ」

 

「まぁまぁ別に良いんじゃない永琳? ちゃんと鈴仙を帰してくれれば何の問題もないんじゃない?」

 

「えぇその通りです、目的を果たした後はしっかりとお帰しいたしますわ」

 

「そんな言葉が信用できるとでも?」

 

 と、自分とてゐを除く口論が勃発。

 というかいつの間にやらてゐは居なくなっている。

 おそらく、これ以上ここにいたら面倒ごとに巻き込まれると判断したのだろう。

 まったくもって自由な兎だ。

 しかしそうなると、止める者は自分しかいないのだが……先程から能力を使って師匠達を落ち着かせようとしているが、それを跳ね除けてしまうほど波長が乱れているせいで、ほとんど意味がない。

 どうしたものかと考えていると、紫さんがある一言を言った。

 

「もう、そもそもどうして月の賢者様はそんなに反対するのかしら? そんなにこの兎さんが好きなの?」

 

 その言葉に師匠の動きが止まる。

 

「は、え、あいや……それはそのっ!」

 

 茹でたての蛸なのかというほど、真っ赤な顔をして狼狽え出す師匠。

 

「す、すすす好きって……! そ、そんなわけ! あ、でもその……嫌いってわけでもなくて! ただわたしはっ」

 

 落ち着いてください師匠、語学力すら崩壊しかけてますよ。

 あとあまり興奮するとまた前みたいに……

 

「きゅう……」

 

 そして立位姿勢からそのまま後ろへ倒れ込む師匠。

 畳に後頭部をぶつける前になんとか両手を頭と畳の隙間に滑り込ますことができたが……

 

「大変、永琳が恥ずかしさのあまりまた気絶したわ!」

 

 この人でなし!

 

 案の定、師匠は気を失っていた。

 あー……これは目を覚ました後が大変かもしれない。

 

(もう紫さん、師匠は極度の恥ずかしがり屋なので、あまりからかってはダメですよ)

 

「うふふ、ごめんなさいね。でもよっぽど愛されてるのね、兎さんは」

 

 と、よくわからないことを言う紫さん。

 

(はい? 何を言ってるんですか? 私は自分勝手な理由で師匠達の所に押し掛けた居候ですよ、そんな私が師匠から愛されるわけないですよ)

 

 この前師匠には、感謝している……とは言われたが、それはきっと自分の自己満足による恩返しに対してだ。

 ただの居候の自分に対して特別な感情を師匠が抱く可能性も、理由も無いはずだ。

 

(あ、あの……どうして二人してそんな目で私を見つめるので?)

 

 すると何故か紫さんと姫様から、『それ本気で言ってんの?』みたいな目で見られる。

 

「これは……前途多難なようね」

 

「あー、そっかぁ。永琳も大概だけど、鈴仙もなかなか面倒くさいようね……でも時間はまだまだあるしなんとか……」

 

 頭に疑問しか浮かばないが、取り敢えず師匠の対応をしなくてはならない。

 というわけなので、一度お引き取りを紫さん。

 一応忠告しますけど、師匠が目を覚ます前に帰った方が良いですよ。

 

「えぇ、ではまた後ほど……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私には夢がある。

 誰も考えつくことがなく、実現すらも怪しいそんな夢……言ってしまえば夢物語だ。

 私は夢物語を思い描き、それを追い続ける愚かな作家なのかもしれない。

 実際、他者にこの夢物語のことを話したら、大体が笑って馬鹿にする。

 しかし私は諦めたくはなかった。

 たとえ夢物語だとしても、たとえ笑われ続けようとも私は自身の決めた道を突き進むと決めたのだ。

 とはいえ、この前向きな決意も本当は『遥か昔の友人』の受け売り……借り物ではあるが、それでもこの決意は嘘ではないのは確かだ。

 

 人と妖怪(人外)の共存。

 それが私の夢だ。

 

「紫様、先刻結界に揺らぎが……」

 

「ねぇ藍、私の夢はちゃんと実現に向かっていると思う?」

 

 スッと現れた自らの式にそう訊ねる。

 すると何かを言い掛けた口を一度閉じ、すぐさま開いた。

 

「はい、容れ物は既に出来上がっているので、後は……」

 

「中身よね、そう……中身が問題」

 

 人と妖怪の楽園。

 途方もなく苦労はしたが、幻想郷(容れ物)は完成した。

 後は中身(住人)の問題だ。

 

 人と妖怪は相容れない者同士だ。

 妖怪が人を襲うから人は妖怪を狩る。

 人が妖怪を狩るから妖怪は人を襲う。

 この法則を覆すのは不可能に近いだろう。

 だから私はあるルールを考えた。

 しかしそれらを幻想郷に広め、それを受け止める者が多く必要となる。

 目処は立っているが、実行は今のところ難しいのだ。

 

「……今できないことを考えても仕方ないか。それで、結界のことだったわよね?」

 

「はい、先程わずかですが結界にズレが生じた模様です」

 

「そのようね、私もそれは感知したわ……けど」

 

「えぇ、結界自体に支障は全くありません。直接揺らぎがあった場所に確認しに行きましたが、特に異常はありませんでした」

 

 異常がないということも感知した。

 だからこうして私は『どうせ私がやらなくとも、藍が確認をやってくれる』と思ったので、隠れ家でのんびりと考え事をしていたのだが……

 

「そう、『結界』に異常はなかったのね?」

 

「その通りでございます」

 

 結界に異常はなかった、だから問題はないと結論付けるのは愚かだ。

 ここで問題視すべきは、何故結界が揺らいだのかという点だ。

 仮にも幻想郷を覆うほどの大結界、それが何の理由もなしに揺らぐほど脆くはない。

 つまり何らかの外的要因があるということだ。

 

「それで、目星は?」

 

「ついております、揺らぎのあった周辺を調べたところ、怪しい輩を発見しました。間違いなく幻想郷の者ではないです」

 

 流石だ、こちらがあれこれ言う前にやるべき事を把握し実行。

 自慢の式を持つと色々と楽で助かる。

 

「怪しい輩ね……どんな輩かしら?」

 

 おそらくその怪しい輩が結界を通り抜けた故の揺らぎだったのだろう。

 

「そうですね、一言で言いますと兎です」

 

「兎?」

 

 普通の小動物の兎ではないのは確かだろう。

 となると外の世界で妖怪化でもしてここに流れ着いたのだろうか?

 ……いやまて、兎というと。

 

「兎……まさか『月』の兎だったりする?」

 

 嫌な予感が少しした。

 何故かふと疑問に思った事を口に出した。

 できれば間違いであって欲しいと願わんばかりに。

 

「流石我が主人、僅かな情報、そして憶測から真実に近づけるとは」

 

 褒められてもあまり嬉しくないのは何故だろう。

 

「身にまとっている格好からして間違いなく月の兎……確か玉兎と呼ばれる妖怪モドキでした」

 

 ヤバい、なんか胃が痛くなってきた気がしてくる。

 

「……ま、まさか『あの時』の報復のための先兵とかじゃないわよね?」

 

「いえ、そこまでは今の情報量では判断しかねます。今のところ玉兎は一匹だけのようですが」

 

 実は昔に、妖怪を集めて月に戦争をしに行ったことがあるのだ。

 理由は破壊衝動などの本能を上手く制御出来ずに、暴走寸前の妖怪達の欲求不満を解消するため……要はストレス発散をさせるためだった。

 当時の幻想郷は人の数が今よりも少なく、破壊衝動を抑えきれない妖怪達をそのままにしたら生態系のバランスが崩れる恐れがあった。

 かといって表の世界に放り投げることもできない。

 そして私は月に目を向けた。

 

 月には遥か古代の人々がいるということを私は知っていた。

 そして途轍もない力を持っていることも。

 だからダメ元で、話の判りそうな月のお偉いさんに接触をはかった。

 そしてまさかの、交渉に成功したのだ。

 

 あちらの言い分としては、軍の訓練になる……そんな理由だった。

 とはいえ、理由がどうであろうとこちらは大いに助かった。

 どうしようもなかった妖怪達(爆弾)を、ぶつけさせる()を用意してくれるというのだから。

 

 しかし八百長試合のような戦争とはいえ、多少は本気でやらねばならない。

 でないとストレス発散にはならないだろうから。

 なので流れとしては、最初からお互い全力でぶつかり合って、多少の被害が互いに出始めたら撤退する手筈だった。

 そう、だったのだ……

 

 ———結果は妖怪側も月側も被害は多少ではなく、甚大になった。

 それもこれもあの戦闘狂(バーサーカー)の『天魔』と『鬼の頭領』がこっそりと紛れ込んで月に忍び込んだのと、月にもいた戦闘狂の『なんか刀持ったポニーテール女』の所為だ……ワタシハワルクナイ。

 

「大丈夫ですか紫様、顔色がよろしくないようですが……」

 

「私はあなたの神経の図太さに驚きだわ……」

 

 仮にあの時の事件の報復に月の連中が幻想郷に乗り込んだとしよう。

 うん、私の楽園が一夜にして灰になりそうね!

 

「……何はともあれ、行動しなくちゃ始まらないか」

 

 このまま放っていくわけにもいかない。

 藍に場所を聞いて、自らの能力で空間にスキマを開ける。

 そしてスキマの中へと入り、内部から新たなスキマを開ける……そこには既に別の景色が映っていた。

 

 ————そしてその景色に映り込む異物(玉兎)の後ろ姿が一つ。

 何かをしているというわけではなく、ただそこで突っ立って空を見上げていた。

 長い薄紫色の髪を風になびかせ、只々空を……欠けていない月、満月を見続けている。

 

 何をしているのかは気にならなかった。

 ただ知りたいのはこの兎の目的だ。

 だから手っ取り早く、能力の応用でこの兎の頭の中でも覗けば良いだけの話だ。

 

 スキマの中から手だけを外に出す。

 そしてその手を無防備な兎の背後にかざす……後は『境界』を直接繋いで仕舞えば————

 

「づっ……!?」

 

 ————瞬間、電流が走ったかのような痛みが生じた。

 まるで何かに阻害、弾かれたかのような感覚だ。

 

「紫様!?」

 

「……ん、大丈夫よ。ちょっと驚いただけ」

 

 本当に驚いた。

 本来の妖怪程の力もない妖怪モドキが、私の能力を弾くだけの力があるだなんて。

 精神作用に関与する力に対抗できる能力でも持っているのだろうか?

 しかし答えを得ようにも、能力で真実を知る事は出来ない。

 

「……藍はそのままここで待機してなさい。私が直接接触するわ」

 

「分かりました、どうかお気をつけて」

 

 それならば直接接触して情報を引き出すしかない。

 スキマから身を全て出し、大地に脚をつかせる。

 どこか変な所がないかチェックして、軽く身なりを整える。

 威厳があるように見せるため、顔を整える。

 

「こんばんわ兎さん、綺麗な夜空ですわね」

 

 そして優雅に背後から声を掛けた。

 すると特に驚きもせずに、兎はゆっくりと振り向いた。

 

「……素敵な眼を持っているのね」

 

 ついそんな感想を口に出した。

 兎のその眼は、大きく開かれているにも関わらず、その赤い瞳は輝く事はなく、そこに映る景色だけを反射させていた。

 見る者はその瞳を不気味だと思うだろう、逆に私みたいにそれが美しいと思える者もいるだろう。

 そんな気にさせる不思議な眼だった。

 

『こんばんわ、初めまして』

 

 私の言葉に反応を返すように、兎は胸元から取り出した小さな紙束の一枚にそう書いて見せてきた。

 喋る事は出来ないのだろうか。

 

「えぇ初めまして……貴女は月の兎さんで合ってるかしら?」

 

 その問いに兎は首を縦に振った。

 隠す気はないのか、それとも他に理由があるのかはわからないが、話は通じそうだ。

 

『手、大丈夫でしたか? すみません、まだ自制が上手く出来ないので』

 

 と、唐突にそう聞かれた。

 ……なんだ、既にバレていたのか。

 

「うふふ、ご心配しなくとも大丈夫ですわ。此方こそ変な真似をしようとしてごめんなさいね」

 

 ならば此方も隠す必要はない。

 このまま対話で情報を引き抜くのが最善の手だ。

 

「私は八雲紫、ここ幻想郷の管理者です……聞いた事はおありで?」

 

『八雲紫……さんですか? いえ、申し訳ないですけど聞いた事はないですね』

 

 と、ちょっと予想外な返答が返ってきた。

 私の事を知らない……?

 この兎があの事件には関わっていなかったのか、まだ生まれてなかったのかは知らないが……

 

「そ、そうですか……えっと、では貴女は……?」

 

 何をしにきた、とは付け加えなかった。

 

『申し遅れました、名はレイセン、此度は諸事情で月から家出してきた玉兎です。どうかこの地に身を置くのを許してもらえませんか?』

 

 しかし私の言葉の裏を汲み取ったのか、自分から目的を白状した兎……もといレイセン。

 

「身を置くって……幻想郷に住みたいってことかしら?」

 

 そうだと言わんばかりに首を縦に振るレイセン。

 

『可能ならどこか腰を落ち着ける場所を教えて頂けると嬉しいです。なにせ話に聞いていたくらいなので、幻想郷のことは地理も含めて何も知らないんです』

 

「んー……そうねぇ」

 

 いきなりそう言われても少し困る。

 人里や妖怪の山は論外だし、かといって適当な場所に住めと言うわけにもいかない……となると魔法の森辺りだろうか。

 もしくは神社に一先ず置いてもらうという手も……

 

 ————ちょっと待て。

 何か強烈な違和感を感じた。

 先程のレイセンとのやり取りの中で、私は有り得ない事をした気がする。

 とても大きな違和感、しかしそれが何なのか上手く言葉に出来ない。

 しかし頭の中で記憶を何度も何度も再生する事によって、ようやく違和感に気が付いた。

 

 どうして私は、出会ったばかりのレイセンを既に『信頼』しているのか?

 

 出会ってまだ数分、言葉も数える程しか交わしていない。

 レイセンが言ったことは真実とは限らない。

 私を騙そうとしているのかもしれない。

 それだというのに何故……まるで『気が合った』友人のような感覚がするのだろうか。

 背中に得体の知れない感触が這い上がってくるのを感じた。

 

『八雲さん?』

 

「…………いえ、何でもありませんわ。それより、先に貴女のこともっとよく教えてくれないかしら?」

 

 しかし不思議と、その感触は悪いものとは感じなかった。

 だから私は確かめる事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイセンは私の質問に正直……かどうかは分からないが、とにかく答えた。

 そして違和感の原因だと思われる事柄が一つ明らかになった。

 

『波長を操る程度の能力』

 

 幻想郷に合わせた呼び方で彼女の持つ能力を表すとしたら、これが一番当てはまるだろう。

 

 そして、『波長が合う』という言葉がこの世にはある。

 おそらくだが、彼女は『他者の波長』に合わせて『自身の波長』を変える事が出来るのだろう。

 この者はこういう性格、気質を持っているから、それに合った波長にして接すれば良い。

 ただそれだけで、僅かな時間で彼女は他者と『気の合う者同士』になれるのだ。

 もっと簡単に言うと、誰とでも仲良くなれる……と言ったところだろう。

 

 ————危険な能力ではある。

 しかしそれと同じくらい、とても魅力的な能力でもある。

 何故ならその力は、今の幻想郷にとても必要な力なのだから。

 

「ふふふ、良いわ。貴女を受け入れてくれそうな場所を紹介してあげる」

 

 元よりここは幻想郷、彼女がどんな輩であろうと、幻想郷に居たいと願ったのなら受け入れなくてはならない。

 だって、幻想郷は人も妖怪も、神ですら受け入れる楽園なのだから。

 たとえそれが、とてもとても残酷な話であっても……

 

「藍? ちょっとお願いできるかしら?」

 

「はっ、何でございましょうか」

 

 方針が決まったのなら即行動すべきだ。

 私は少し実験をする事にした。

 

「紹介状書いて来るから、この兎さんのお話相手になってて」

 

「えっ、あのそれは一体……ゆ、紫様?」

 

 困惑する式を背中に、スキマへと入り込む。

 さて、墨と筆は何処に置いていたか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 紹介状を書き終え、レイセンと藍がいる場所へと戻ってみると、期待していた通りの光景が広がっていた。

 

「それでだな、まだまだ未熟とはいえ橙も成長している。そしてこれは持論だが、目上の者は目下の者に労いの褒美をやるのが良い主従関係を築けるものだと思うのだ。だから言葉だけでなく、贈り物も何かするべきか迷っていてな……ん? 『迷う必要はないですよ、贈り物を渡されて喜ばない者は居ない』だって? うむ、その通りだな……」

 

 あの藍が。

 

「しかし何を贈れば……え、『藍さんの好きなものを送ってみては?』だって? ……そ、そうだよな。それならきっと橙も満足するだろうな。何たって主人の好きなものだからな。よし、そうと決まれば沢山用意してやらんとだな、油揚げ」

 

 あの藍が、堅物の藍が楽しそうにお喋りをしていた。

 レイセンと楽しそうに……その光景はまさに心を通わせた友人同士のような会話だった。

 どうやら私の推測は当たっていたようだ。

 

 彼女には他者と心を通わせる力がある。

 それは妖怪に限らず、きっと人とも通わせられるのだろう。

 ならばきっと彼女は、人と妖怪を繋ぐ架け橋になってくれる筈だ。

 

「嗚呼……良い、とても良いわ。私の楽園が完成するかもしれない」

 

 レイセンは私の期待通りの働きを僅か数年でしてくれた。

 

 人里の人間、半人半獣、鳥妖怪、蛍妖怪、不老不死、兎妖怪、月人……彼女は人だろうと人外だろうと御構い無しに絆を築き上げていく。

 

 素晴らしい、素晴らしい、素晴らしい。

 なんと素晴らしい事だろうか。

 

「幻想郷は変わる、人や人外なんて関係なくいられる時代に移り変わる……嗚呼、なんて素敵な楽園なのでしょう」

 

 

 

 

 




次の話で一旦落ち着きます。
ようやく物語も次のステージに……


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11話

 

 

 

「だーれだ?」

 

 夕食後の食器洗いをしていると、突然視界が何かに覆われて真っ暗になる。

 目元に伝わる微かな体温の温もりと、背後から聞こえた誰だと問い掛ける声。

 これはあれだ、よく恋人同士とかが戯れ合う時にやるやつだ。

 

(だからちゃんと玄関から入ってくださいよ、紫さん)

 

 しかし残念ながらやってきたのは恋人でも何でもない紫さんだ。

 ときめきなんてものは感じない。

 というか喋れない相手にそれをやっても意味が無いのではないだろうか。

 

「うーん、やっぱり反応が無いとやってて虚しいわねこれ……最近は藍もノリが悪くなって『仕事の邪魔です』とか一蹴されちゃうし……ゆかりん悲しいわ」

 

 それは普段の行いが悪いだけでは?

 以前藍さんから聞いた限りだと、よく仕事を押し付けられて当の本人は休憩という名の爆睡をかますらしい。

 そんなんでは、信頼というものはあっという間に崩れちゃいますよ?

 

「何かしら、何故か私の人徳に対して何か言われてる気がするわ……そ、それよりそろそろ準備はいいかしら? 出来れば早いうちに済ませておきたい案件なのよ」

 

 いや、そんな急に急かされても……そんなに急ぎたいのなら、行き先くらいは教えてくれても良いのではないだろうか。

 いや、この妖怪にそんな期待しても逆に時間の無駄だろう。

 

(じゃあ皿洗い、手伝ってください。そうすれば速く終わりますよ)

 

「え……」

 

 一旦手を止め、筆談でそう伝えると少し驚いた声をあげた紫さん。

 

「……そうよね、ではお手伝いいたしますわ」

 

(言っときますけど、藍さんを呼ぶのはなしですよ)

 

「…………」

 

 苦虫を噛み潰したかのような顔をするゆかりんさん。

 さぁ、吐いた言葉は簡単には戻せませんよ。

 大人しくこの布巾を手に、濡れた食器を拭き取ってくださいね。

 

「貴女、人畜無害かつ他人に甘そうな性格して意外とあれなのね……」

 

 そりゃ、自分だって聖人……ではなく、聖兎というわけではありませんから。

 言うべきことはハッキリと言いますよ。

 

 そして渋々といった様子で布巾を手に取り、自分の横に並び洗い終えた食器達を拭いていく紫さん。

 その手つきは若干のたどたどしさがあったが、食器を滑らせて落とすような事はなさそうだ。

 

「全く……一体どれくらいぶりなのかしら、皿洗いだなんて」

 

 と、独り言に近い言葉をこぼす紫さん。

 おや、一応した事はあるんですね。

 

「まぁね、もう数える事すら出来ない遥か昔の話だけど。一応、家事全般は一人で出来ていたのよ?」

 

 自慢気に鼻を鳴らすが、それならたまには藍さんのお手伝いでもしてあげたらどうなんだろうか。

 というか本当に出来てたんですか?

 

「嘘じゃないわよ、親元を離れてからは一人暮らししてたんだから。嫌でも家事の一つや二つくらいは覚えて……」

 

 親元? 一人暮らし?

 紫さんみたいな妖怪でも、親となる者がいたとは驚きだ。

 案外妖怪の世界でも、家族という概念はあるということだろうか。

 

「……いえ、何でもありませんわ。今のは忘れてくださいまし……」

 

 と、突然ハッとした様子でそう言ってきた。

 うーん、結構紫さんの過去というのは気になる話なのだが……

 

「はぁー、貴女と居るとどうしてこう素直になっちゃうのかしらね……」

 

 いや、そんな溜息つかれても……

 まぁこれ以上詮索するのは失敬だろう。

 誰にだって秘密にしておきたい事はある。

 

 そして気が付けば洗い物は無くなっていた。

 やはり人手が一つ分増えるだけでもだいぶ速くなるものだ。

 

「あー、やっと終わった……本当はこのまま布団に潜ってといきたいところなんだけど……準備は良いかしら、兎さん?」

 

 えーと、ちょっと待ってくださいね。

 皿洗いも終わって、調理器具の点検も終わっている。

 戸締りもしたし……あ、他の皆にあまり夜更かしをしないように注意しに行くのを忘れていた。

 ……まぁでも自分がとやかく言わずとも、最近は師匠も姫様も自主的に夜更かしを控えているので大丈夫だろう。

 

「ふふふ、良いみたいね。では、一名様ご案内ー!」

 

 そんな紫さんの明るい声と共に、足元に伝わる床の感触が無くなり、浮遊感がこの身を襲った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 この感覚は以前にも味わったことがある。

 幻想郷に来た初日、紫さんに迷いの竹林の前まで送ってもらった時と同じだ。

 

 落ちる、落ちる、ただ落ちていく。

 木の上から地面に向かって飛び降りた時のような浮遊感が延々と続く。

 そして周りを見渡してみれば、黒くて暗い薄気味悪い空間が広がっている。

 紫さん曰く、スキマと呼ばれる一種の隔離空間らしいのだが……毎回こんな空間を使っていたら気分が悪くなるのでは無いかと少し心配になる。

 

「慣れてしまえば案外心地の良い所でしてよ? はいこれ、忘れ物」

 

 と、真横にいつのまにかいた紫さん。

 そして忘れ物といって手渡してきたのは……自分の靴?

 確かにスキマに落とされる前は室内だったため履物は履いていなかったが、こうして渡してくるということは、向かっている先は屋外ということだろうか。

 

「それは着いてからのお楽しみ……別に変な所ではありませんわよ?」

 

 それなら普通に行き先を教えてくれても良いのでは……?

 

 そんな事を考えていると、突如脚に振動が伝わった。

 この感触は大地に脚がついた時のものだ。

 そして周りの景色が一変する。

 どうやらスキマを抜け出し、目的地に着いたようだ。

 

(……長い階段)

 

 そして顔を見上げた先には、上へ上へと伸びていく石畳の長い階段があった。

 ぐるりと辺りを見回してみると、木々に囲まれた山道……のような感じがする。

 幻想郷の何処かではあると思うが、間違いなく来たことが無い場所だった。

 

「目的地はこの階段の先よ」

 

 そう言って同じくスキマから出た紫さんは、フヨフヨと宙を飛びながら階段の上へと上がっていく。

 どうやら目的地も理由も知るためには、この階段を登るしか道はないようだ。

 履いたばかりの靴の度合いを確かめながら、階段を一段一段、時折二段三段と飛ばして上がっていく。

 

「あら、私みたいに飛べば楽でしてよ? まさか飛べないなんてことはないわよね?」

 

(いえ、やろうと思えばできますよ。ただ何となく、歩いたりした方が性に合っているので)

 

 飛ぶのはあまり好きじゃないのだ。

 どちらかというと思いっきり走る方が好みだ。

 というかそう言う紫さんこそ、飛ぶなんて楽はしないで脚で階段を駆け上がった方が良いのではないか。

 話によると、グータラな毎日を送っているだとかなんとか。

 

「わ、私は太りにくい体質ですから大丈夫よ。それにグータラしてません、ちょっと一日の休息時間が長いだけで……」

 

 人に限らず妖怪もそれをグータラというのだ。

 

 なんて雑談を交えながら階段をひたすら上がると数分、真っ赤な鳥居らしきものが見えてきた。

 そして階段を登りきる。

 これは……神社?

 

「良いところでしょう? ここが幻想郷の要となる博麗の巫女が住まう『博麗神社』でしてよ」

 

 博麗神社、それに博麗の巫女。

 話だけなら聞いたことがある。

 幻想郷には人と妖怪のバランスを保つ役割を持つ調停者がいて、その役割を担うものが博麗の巫女と呼ばれるらしい。

 成る程、ここがそうなのか……しかし不思議な場所だ。

 様々な波長が飛び交い、混沌としていながら調律が保たれている。

 これも博麗の巫女とやらの力なのか果たして……

 

「さぁさぁ、こっちよ。実は貴女をここに連れてきたのはねーー」

 

 あ、紫さん。

 それ以上進むと……

 

「ひゃん!?」

 

 危ないですよ……遅いか。

 実は紫さんの進行方向に何かしらの術式が仕掛けられていたので、警告しようとしたが……声が出せないとは本当に不便だ。

 

 見事に術式に引っかかり、霊力らしき力に衝撃を加えさせらた紫さん。

 地面にひれ伏し、ピクピクと痙攣する姿が痛々しくて、駆け寄ろうとする。

 しかし境内からこちらに向かってくる波長を捉え、思わず足をとめた。

 

「やったやった! 間抜けな妖怪が罠に引っかかったようね! さぁ、このまま私に退治されるか、身ぐるみ剥がされて退治されるか選びなさい!」

 

 そんな元気な少女の声が響く。

 片手にお祓い棒、もう片方の手にお札。

 紅と白の着物を着た少女の姿は、まさしく『巫女』のようだった。

 

「……ってなんだ、紫か。紛らわしいのよ全く。どうせまたお母様に用でしょう? 呼んでくるからそのまま地べたに這いつくばって待ってなさい」

 

 と、紫さんを見るなりそう言い残して来た道を元気よく走って戻っていく少女。

 何というか、嵐のような少女だった。

 しかし……まさかとは思うが、あの少女が博麗の巫女?

 それにしては若すぎると思うのだが……

 

「い、いえ……あの子はまだ博麗の巫女ではないわ。今代の巫女はあの子の母親よ……」

 

 成る程、お子さんだったか。

 ということは次期の巫女はあの少女なのかもしれない。

 油断していたとはいえ、紫さんを一撃でノックダウンさせるほどだ。

 きっと将来有望だろう。

 

「ーー今度はちゃんと表から入ってきたようね。礼儀知らずなあんたでも少しは学習するのね」

 

 少し涙目になっている紫さんを介抱してあげていると、今度は先ほどの可愛らしい少女の声ではなく、師匠に近い凛とした声が小さく響いた。

 声のした方に視線を向けると、長髪で黒髪の女性が立っていた。

 さっきの少女と似たような格好をし、成熟しきったその身体はまさに大人の女性……という感じがした。

 いや、実際に大人の人なのだが。

 

「もう、礼儀知らずだなんてそれこそ失礼なんじゃない?」

 

「紛れも無い事実じゃない……それで、見慣れない客を連れて来たようだけど……」

 

 女性の視線が自分を捉えた。

 あ、どうも初めまして。

 

「……ふーん、そうあんたが……本当に変な妖怪みたいね」

 

 と、いきなりそんな事を言われてしまった。

 まだ出会って数秒だというのに……というか、変なとは一体どういう意味なのか。

 

「一応自己紹介しておくわ。何代目かは忘れたけど、博麗の巫女……『博麗霊夢』よ。何か悪さしたら問答無用で引導を渡してあげるからそのつもりで」

 

 ……色々と突っ込みたい自己紹介だったが、何となくこれが彼女なりのあり方というのが理解できた。

 それならこちらもそれなりの自己紹介をしよう。

 

 どうも、元月の兎で、現在は居候兎の鈴仙・優曇華院・イナバです。

 趣味は家事炊事洗濯、苦手なものは『所構わず勝負を吹っかけてくる輩』です。

 どうぞよしなに。

 

「あ、流れ的にゆかりんも自己紹介した方が良いわよね? えっと、八雲紫17歳です。好きなものは……」

 

「聞いてないし、息をするように嘘を言うんじゃないわよ」

 

 辛辣な言葉が紫さんを襲う。

 というか、紫さんと巫女さん……いや、霊夢さん、知り合いなのか。

 一応巫女と妖怪という立ち位置の二人なのだが……まぁ紫さんは妖怪でも幻想郷の管理者のようなものだ。

 幻想郷の調停者である博麗の巫女と繋がりがあっても何らおかしくはない。

 

(……そういえば、何で私をここに連れて来たんですか?)

 

 ふと、一番の疑問が再び沸いてきた。

 こうしてわざわざ自己紹介をしに連れて来た訳ではないはずだ。

 

「ん? あぁそれね。実は……」

 

 実は……?

 

「料理、作って欲しいのよ」

 

 ……料理ですか。

 

「えぇ、料理。厳密には、これから此処で小さな宴会開くから、お酒のおつまみになるような物をね」

 

 ……なんだろう、このちょっと拍子抜けした感は。

 というかそれ、自分じゃなくても良いのでは?

 

「そうね、確かに藍に作らせれば万事オッケーよ……けどね、たまにはいつもとは違うのを食べたくなるものなのよ。かといって、自分で作るのは面倒だし、霊夢のはなんか普通すぎて味気ないし」

 

「普通で悪かったわね」

 

 ……まぁたまには一味違うものを食べたくなる衝動は理解できる。

 しかし何故よりにもよって自分なのか。

 もしかして頼めそうな知り合いが少ないとか……?

 実は紫さん友達少ないとか?

 

「失礼ね、ちゃんと友達はいますー。ただ殆どが料理の『り』文字も知らないような連中なだけなんですー」

 

 左様でございますか。

 

「それに、貴女の作る料理興味があるのよ。とっても美味しそうじゃない」

 

 む、そう言われると悪い気はしない……

 ふむ、まぁ別に料理くらい問題ないだろう。

 夕飯の延長戦だと思えば大した気苦労もないし。

 良いですよ、腕によりをかけて作ります。

 

「ふふ、ありがとうね。材料はもう用意してあるから、好きなだけ作って頂戴」

 

 言われるまでもないです、お腹が満腹になるまで作りますよ。

 

「悪いわね、こんな所まで連れてこられた上に変な事頼んじゃって」

 

 いえ、これくらいならなんて事ないです。

 さて、何から作ろうか……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大方の準備が終わり、後は仕上げ……というより、余った材料で適当な品目を作ろうとしているだけだが。

 

(さて……残りの食材でできる料理というと……)

 

 ある程度の候補をいくつか頭の中であげていると、お借りしてる台所の入り口から物音と波長を捉えた。

 そして反射的に目だけを其方に向けると、紫さんをノックダウンさせた、霊夢さんのお子さんが物陰から少しだけ顔を覗かせて此方をじっと見つめていた。

 

 何かあったのだろうかと疑問に思ったが、その子供のお腹の虫が突然鳴きだしたため、すぐに理由が分かった。

 成る程、確かに時間は既に一般的な夕飯の時間を過ぎている。

 おそらくだが、宴会をすると決まっていたのなら、夕食は当然まだ食べていないはずだ。

 そんなまだ幼い子供が空腹に耐えきれるわけもなく、料理の出来具合を確かめるついでに、あわよくば摘み食いをしに来たというところだろう。

 

「…………」

 

 ぐーっとした音が再び響く。

 多分此方が出来上がった料理から離れるか、台所を離れるかのタイミングを見計らっているのだろう。

 しかし残念なことに、自分は余程の理由がない限り調理を中断することも、調理場を離れることもない。

 それにもうすぐで完成するのだから、あと少しの辛抱というやつだ。

 なので此処は我慢してもらうのが当然なのだが……うん、なんだけど。

 

 チョイチョイと、手をお子さんに向け、招き入れる動作を見せる。

 ほら、おいでおいでー。

 

 すると一瞬ビックリした様子を見せ、おそるおそる此方に近づいてきてくれた。

 ほら、これをお食べ。

 

「あ、卵焼き!」

 

 少し前に焼き上げた卵焼きをいくつか小皿に移し、それを渡した。

 すると嬉しそうに卵焼きを次々と口に運んでいく。

 子供特有の食いっぷりだ。

 

「甘くて美味しい!」

 

 と、これまた子供特有の笑顔を浮かべた。

 初登場時のインパクトがあれだったので、少し変わった子供かと思えば、ちゃんと年頃の子供のようなところがあるんだなと少し安心した。

 どうやら師匠の為に練習しといた、ほんのり甘い卵焼きが役に立ったようでなによりだ。

 

「ふーん、誰か大事な人がいるのねあなた」

 

 え……ま、まぁ大事というか何というか……

 何となく師匠には恩返しとか沢山してあげたいし……

 

(……あれ)

 

 ふと違和感。

 今自分は筆談もしていなければ、当然声にも出していない。

 だというのにこの霊夢さんのお子さんは自分と会話でもしたかのように、普通に言葉を発した。

 ……もしや読心術か何かでも身につけているのだろうか?

 

「別に、ただ何となく言いたいことがわかるだけよ。私の勘はお母様より凄いってよく言われるのよ?」

 

 勘。

 そうか勘と来たか……

 もはやそれは勘の域を超えているのではと疑問に思うが、この世には不思議な事が沢山ある。

 あまり深く考えるだけ無駄というものだ。

 

「それよりご飯まだ? もう私お腹と背中がくっつきそうなんだけど……」

 

 む、流石に卵焼き数個程度では子供のお腹は少しも膨れないようだ。

 とはいえもう殆ど準備は終わっているし、これ以上お預けする意味もないだろう。

 

(じゃあ、料理運ぶの手伝ってくれるかな?)

 

「お安い御用よ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 流石に食べ過ぎた。

 既に自分は夕飯を食べていたから、霊夢さんとそのお子さん、それに紫さんによるプチ宴会には参加しないでおこうと思っていたのだが、『あなたは良い妖怪みたいだから、混ざっていいわよ』だなんて、天真爛漫の子供の笑顔でそう言われてしまったら断ることなんてできるはずもなかった。

 結局最後の最後まで参加してしまい、紫さんにスキマで永遠亭前まで送ってもらったとはいえ、既に日付が変わるくらいの時間帯になっていた。

 

(あれ、灯りがついてる……)

 

 玄関の戸に手を掛けてから気付いたが、戸の先がうっすらと灯りが灯っていた。

 一応就寝時間は、日付が変わる前までと永遠亭では決まっている為、誰かがまだ起きていてもおかしくはないのだが……

 てっきりみんなもう寝ているかと思っていたが、間違いだったようだ。

 というか、戸の先に感じるこの波長は……

 

「あっ……」

 

 戸を開けると案の定、師匠が玄関の壁際に座っていた。

 えっと、何してるんですか?

 

「あ、えっと……か、帰りが遅いからその……まだかなって思って」

 

 ……どうやら心配をさせてしまったようだ。

 よくよく考えたら、遅くなるくらいの連絡をすれば良かったと思ったが、時は既に遅し。

 こんな寒い真夜中の玄関で師匠を待たせてしまったのが申し訳なく思えてくる。

 

(あ、そうだ。師匠一緒にお風呂入りますか?)

 

「えっ」

 

 見たところ師匠もまだお風呂に入ってないようだし、自分もさっさと入って今日は寝たい。

 なのでお詫びも兼ねて、ここは一つ背中でも流してあげなくては。

 なに、恥ずかしがり屋の師匠でも必要以上に密着だとかしない限り問題はないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーー今日はありがとうね、紫……」

 

 ちょっとした小さい宴会が終わり、酔い覚ましに縁側で夜風を浴びていると、隣に座っている霊夢からそう言われた。

 

「……えらく今日は素直じゃない、まさか貴女から普通にお礼を言われるとは思わなかったわ」

 

「今日は、じゃないわよ。『最後くらいは』だからよ……」

 

「……そう」

 

 ーー風が二人の間を駆け抜けていく。

 

「本当にあんな事で良かったの? 『前にあんたが話してた、月の兎とやらに会ってみたい』なんてお願いで?」

 

「……正直ね、お願い事なんて何も思い浮かばなかったの。だって私はあんたと会ってから、今この瞬間の間で望みは全て叶っていたから。けどその好意を無下にはしたくなかったから、どうせならあんたがよく気に掛けてた月の兎とやらの事が気になってたから頼んだだけよ」

 

「そう、なのね……本当に望みはもうないの? 何でも言って良いわよ」

 

 今代の博麗の巫女は強かった。

 

「……じゃあ後いくつか良い?」

 

「えぇ、勿論よ」

 

 その身に宿した霊力の質と量は歴代最高とも言えた。

 彼女には才能があった。

 

「肩、貸してくれない?」

 

「えぇ、良いわよ」

 

 ぽすっと、私の肩に霊夢が寄りかかった。

 そう、彼女には『才能だけ』あったのだ。

 

「ーーあの子が次の『博麗霊夢』になる……だからあの子のこと、よろしくね。立派な大人になるまで支えてあげて」

 

「えぇ、良いわよ」

 

 才能に反して、彼女の身体……肉体は弱かった、病弱だったのだ。

 けれど彼女は頑張った、莫大な霊力で無理矢理身体の弱さを補った。

 

「ねぇ、お礼を言わせて紫。これまで私を支えてくれて、最後まで私の意思を尊重してくれて」

 

「……えぇ」

 

 その結果彼女の身体は既に限界を迎えていた。

 ただでさえ脆かった寿命がさらに脆くなったのだ。

 その先に待つのは、言うまでもない早すぎる死だった。

 

「……最後に一つだけ言わせて」

 

「……えぇ、聞かせて」

 

 そして彼女はそんな結末を受け入れた。

 最後まで人間でいることを選んだ。

 

「……あんたの夢、きっと……叶う……わ」

 

 ーー風が止んだ。

 

「……それもいつもの勘なのかしら、霊夢……」

 

 返事は帰ってこなかった。

 只々、静寂が響くのみだった。

 

 

 

 

 




これにて一部……というかプロローグ的なお話は終了です。
次回から本編に入っていきます。

追記
『ー』についての使い方をある方からご指摘してもらいました。
ありがとうございます。


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東方永夜抄
12話


 

 

 

 運命というのはとても残酷だ。

 良いことにしろ、悪いことにしろ予測ができないからだ。

 何の前触れもなく運命は廻り続け、世界を動かし、事態を引き起こす。

 それは例え神であろうと逆らう事の出来ない、いわば『世界の法則』だ。

 それに対し、当事者達は運命という舞台の上で踊り続けるしかできない。

 とても残酷な話だ。

 

 しかしだ、どうせ踊らされるだけなら、派手に踊った方が楽しくはないだろうか。

 派手に、激しく、優雅に踊る。

 せめて用意された舞台でどれだけ満足できるか、私たちが出来るのはそれだけだ。

 

「さぁ始めましょう、私達の舞台(異変)を」

 

 今宵開演されるは、幻想郷の竹林にて始まる『月の異変』。

 今回の舞台の役者は選り取り見取り。

 

 

「霊夢、月がおかしいわ」

 

「そんなこと分かってるわよ、特に大きな被害はないようだけど……これも『異変』だって言うんでしょ、紫」

 

 巫女と賢者。

 

「魔理沙、いるかしら? 月がおかしいみたいだから調査に行く所なの、あなたも来るかしら?」

 

「あー? 月がどうかしたのか? アリス」

 

 魔法使い(人間)魔法使い(妖怪)

 

「……不快だな、今夜の月は。お前もそう思わんか、咲夜?」

 

「はぁ……私には分かりかねますが、全てはレミリアお嬢様の仰せのままに」

 

 メイドと吸血鬼。

 

「妖夢ー! ちょっと出掛けるわよー」

 

「えぇ!? ゆ、幽々子様? 一体どちらに……!?」

 

 半人半霊と亡霊。

 

 

 人間、そして妖怪達による異変の調査が間も無く幕を開ける。

 そしてこの異変は後にこう呼ばれる……

 

 

 

 

 

 

 明けることのない一夜、『永夜異変』と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『東方永夜抄』開幕。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻想郷に最近新しいルールができた。

 名を『スペルカードルール』……一言で言うなら、決闘をするためのルールだ。

 

 幻想郷には人間、妖怪と様々な種族がいる。

 そして幻想郷に身をおく知性ある妖怪は、基本的に人間を襲う様な事はない。

 人間もまた、そんな妖怪達に手を出すこともない。

 

 しかし、時には人間と妖怪、又は人間同士、もしくは妖怪同士争う事がある。

 何故なら人間も妖怪も『生きている』から。

 生物として、それは取り除く事の出来ない本能のようなものだ。

 

 しかし幻想郷は狭く、その実態は不安定な楽園だ。

 争い事が毎日起きているわけではないが、力のある者同士が本気でぶつかり合うだけで幻想郷が簡単に崩壊する可能性がないとは言い切れない。

 

 そこで考案されたのがスペルカードルール。

 このルールは、定められた一定の力と技を駆使して、勝負をするというものだ。

 つまり、強者と弱者、強者と強者、弱者と弱者だろうがなんだろうが、同じ土俵で戦えるという極めて公平な決闘ルール。

 とても安全な勝負方法というわけだ。

 とはいえ、怪我くらいはする。

 しかしそれを差し引いても充分安全だと言えるルールだ。

 特にここ幻想郷においては。

 

 そしてもう一つ、最近幻想郷で変わった事がある。

 それは『異変』と呼ばれる騒動のことだ。

 

 空が紅い霧で覆われる『紅霧異変』。

 春が訪れず、冬が長く続いた『春雪異変』。

 この二つの異変が、つい最近幻想郷を騒がせた。

 

 そして驚くべきことに、実はこの二つの異変、先程言ったスペルカードルールで解決されたらしい。

 確か今代の博麗の巫女と……他にも居たらしいが、兎に角、人間によって妖怪が引き起こした異変を、スペルカードルールで解決したのだ。

 それはつまり、そのルールが幻想郷に根付き始めたということだ。

 うん、それについてはとても良いことだと思う。

 しかし……しかしだ。

 

 

 

 

 

 

 まさかその異変を、自分達が起こすことになるだなんて思いもしなかった。

 

「浮かない顔……かどうかはわからないけど、どうかしたの鈴仙」

 

 隣で一緒に、師匠が本物とすり替えた『偽物の月』を見ていた姫様がそう聞いてきた。

 

「もしかして罪悪感でも感じてる? 大丈夫よ、確かに今回の件は鈴仙が原因かもしれないけど、私も永琳も迷惑だなんてこれっぽちも思ってないわよ」

 

 ……そう言ってもらえるのは嬉しいです、けど自分が思ってるのはそこじゃなくてですね……

 

「そうなの? ……あ、じゃあ異変を起こすことに対しての罪悪感かしら?」

 

 まぁ……そうですね。

 

「ふふ、あなた感情は薄いはずよね? なら気にしなくて良いんじゃないかしら」

 

 それも……その通りです。

 けど、例え一瞬しか感じなくても、確かにこの感情は嘘じゃないんです。

 それを蔑ろにするのは何というか……ダメな気がするんです。

 

「……そう、相変わらず優しいのね鈴仙は」

 

 これを優しさと言っていいのかは微妙ですけどね。

 

「そうね……けどそれも大丈夫よ。永琳の計画が全て正しく進んだのなら、被害は何もないはずよ。だから永琳を信じましょう?」

 

 ……はい。

 

「ん、よろしい! じゃあ事が終わるまでゆっくりして……」

 

 その瞬間、『夜が止まった』。

 

「……思ったより速く気付かれたわね、けどまさか夜そのものを『固定』するなんて大胆な事するのね」

 

 どうやらゆっくりは出来なさそうですね、姫様。

 

「まぁ仕方ないわね、じゃあ鈴仙も予定通りの仕事よろしくね。私も頑張るから」

 

 ……えぇ、お願いしますね姫様。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 事の始まりは一月前ほどの満月の夜だった。

 その日は久しぶりに月にいる『友達』の声が聞きたくて、玉兎のテレパシーによる通信をした。

 

 玉兎はお互いにテレパシーに似た交信をできる。

 それは自分も例外なくできる芸当だが、能力が他の玉兎に比べて進化している自分は少しわけが違ったりする。

 交信自体は問題なく行える、しかし自分の通信はまるでノイズが掛かっているような声らしく、聞き取る事が出来ないらしい。

 加えて自分から相手に交信をするのは可能だが、相手から自分に交信をしようとしても何故か出来ないという欠陥電話となっている。

 

 つまり自分のテレパシーは、相手に一方的にかけ、相手の声しか聞く事が出来ないのだ。

 実に悲しい。

 

 しかし自分の友達はそれを知った上で、そんな自分に一生懸命話しかけてくれるのだ。

 返事なんて返ってこないのが分かっていながらだ。

 良い友を持って自分はなんと幸せ者だろうか。

 

 そんなこんなで、地上に来てからも何度か交信をしたことがあるのだが、大抵はちょっとした雑談で終わる。

 しかし一月前の時は違った。

 交信した瞬間、まず第一に友達の慌てふためいた声が聞こえたのだ。

 

『あ、なっちゃん!? 良かったーかけてきてくれて……実は今ちょっと大変なことが起きててね!』

 

 と、何やら只事ではない様子だった。

 ちなみに『なっちゃん』とは自分のことである。

 

 その後も友達が落ち着くのを待ち、事情を聞いてみたのだが、驚くべき事実が判明してしまった。

 

『あのね、実はこの前、なっちゃんを探して月に連れ戻せっていう捜索命令が月の使者に出されちゃったの』

 

 ……正直耳を疑った。

 何故なら、確かに自分は月から地上へと降り立った玉兎だ……

 しかし、月の連中にとって玉兎とは替えのきく消耗品というような認識で、たかが地上に降りた玉兎一匹のためだけに捜索命令まで出すとは到底思えないのだ。

 

『もちろん私達はなっちゃんを連れ戻す気はないよ! なっちゃんの夢だったもんね、地上に行きたいって』

 

 いや、夢というほどのものではないのだけれど……

 けどまぁ、その気持ちは普通に嬉しいが。

 

 しかしそうなると一体何故、どんな理由で誰がそんな命令を出したのか……

 

『ふふふ、れーいせん。暇なのでこの後どうです、模擬戦闘(殺し合い)でもしませんか?』

 

 ……あかん、今脳裏に心当たりがある人物が浮かんでしまった。

 まさかとは思うが……

 

『あ、ちなみに命令を出したのは『依姫様』じゃないからね。もっと上の方からのお達しらしいけど……ごめんね、私も詳しい事情は知らされてないの』

 

 そんな自分の杞憂を直感で感じ取ったのか、そう補足してきた我が友。

 むぅ……あの人でないとすると本当に訳がわからない……

 

『何とかあれこれ手を打って引き伸ばしてはいるんだけど、そろそろ限界みたいで、次の満月の日に部隊が地上に派遣されちゃうの……でも、最後まで粘ってみるから、なっちゃんも万が一見つかんないように準備しといてね!』

 

 と、最後にとんでもない情報を言い残して、その日の交信を終えた。

 ……次の満月か。

 

 もし次の満月の日に、月の連中が自分を探しに幻想郷にやってきたとする。

 間違いなく大混乱になるだろう。

 最悪、争い事に発展するかもしれない。

 

 となると、いっそのこと自分から月に出向いた方が全て丸く収まるのでは?

 そう思い、一先ず師匠達にもこの事を伝えておこうと、事の顛末を話したのだが……

 

『やだ、絶対ダメよ。あなたの居場所はもうここなんだから』

 

 何故か師匠に猛反対された。

 しまいにはちょっと泣き出しそうになったので、仕方なく月に出向く事はやめると約束してしまった。

 

 しかしこのまま事態が起きるのをのんびりと待つことはできない。

 そこで師匠がなんとも大胆な計画を立てたのだ。

 

『月と地上の表側の通路……一般的な出入り口を、輝夜の能力を使って『永久的』に塞ぐわ。そのための台座となる部分は私が用意する』

 

 これで奴等は『普通』の手段で地上に降りる事は出来なくなるわね、とニッコリしながら言う師匠はちょっと怖かった。

 

 大まかな計画の流れはこうだ。

 まず師匠が本物の月を台座となる『偽物の月』にすり替え、その間に姫様が能力を使い、偽物の月を媒介して通路の出入り口を『永遠』に固定して塞ぐという計画だ。

 そして全てが終わったら、月を本物に戻すと……

 うん、正直どういう仕組みだとか原理とかは自分にはサッパリだが、とにかく扉に鍵を掛けて開かないようにするという認識で大丈夫だろう。

 

 しかしこの計画にも欠点がある。

 師匠が言うには、偽物の月は本物に比べて地上への影響が強く出てしまうらしい。

 人体に悪影響はないが、月の魔力などに影響を受ける妖怪などは、いつもより興奮してしまうらしいのだが……

 

『大丈夫よ、作業は半日も掛からないし、理論上では人間達は勿論、妖怪達も暴走する程興奮するというわけではないから』

 

 ただし、『目敏い者』は月の異変に気が付いて、何かしらの妨害をしてくるかもね……特に博麗の巫女や妖怪の賢者さんなんかは。

 そう付けたした師匠。

 

 そう、例え被害が出ないものだとしても、自分達がやろうとしている事は『異変』を起こすのと変わらない。

 幻想郷を混乱に陥れる可能性があるとするなら、どんな理由があろうと調停者である博麗の巫女は動き、この異変を解決しようとするだろう。

 月を元に戻せと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまぁ、あっという間に一月が立ち、予定通り計画を実行した。

 そして案の定、博麗の巫女が異変を解決するためか、夜の時間を固定させたのが数十分前。

 おそらく今頃迷いの竹林内部だろう。

 出来れば全てが終わるまでそこで迷ってくれてたら大変助かるのだが……

 

「良いウドンゲ、私達の勝利条件は輝夜を守り通す事よ。台座をコントロールするための術式やその他諸々を全て輝夜に託してあるから、輝夜が作業を終わらせるまで、それらを解除させない事よ」

 

 合点です師匠。

 ……しかし、わざわざこんな異変紛いのことをしなくても、事情を紫さんらへんに説明すれば良かったのでは?

 

「いえ、それは無理ね。あの妖怪はこんなメルヘンチックな幻想郷を作り上げたけど、その中身は現実主義者に近いものよ。だから幻想郷が危険になるかもしれないとなったら、より手っ取り早く解決するために、ウドンゲを此処から追い出すとか平気でやりかねないわ」

 

 うーん、そう……なのだろうか?

 確かに紫さんは幻想郷大好きみたいだが、そこまで非道ではないような……

 

「それより、ウドンゲは大丈夫? 永遠亭の廊下の波長を操って迷路状にするのはとても良い案だと思うけど、負担が大きいんじゃない?」

 

 む、大丈夫ですよ師匠。

 疲労感が少しある程度です。

 

「そう、無理は禁物よ?」

 

 勿論です。

 しかし、廊下の波長という概念に近い波長を操れるようになるくらいは自分もここ数年で成長したというのに、相変わらず感情についての事柄が一向に解決できないのは一体全体どういうわけなのだろうか。

 もはや何かの呪いなのでは……?

 

(ん? この波長は……)

 

 すると突然波長レーダーに反応があった。

 誰か此方に近づいてくる。

 

「どうしたの? まさかもう博麗の巫女が乗り込んできたのかしら」

 

 いえ、確かに何者かが此方に来てはいますが……この波長はもしや。

 

「あ、鈴仙ちゃんに……薬師か。何か廊下が変なことになってるけど、何がどうなってんのこれ」

 

 と元気の良い声が響く。

 ……やっぱり妹紅さんだったようだ。

 

「あなた……何をしに来たの?」

 

「え、何って……輝夜と勝負しに来たんだけど。ほら、最近流行りのスペルカードってやつで」

 

 まさかの予想外の来客だった。

 

「……申し訳ないのだけど、今日は無理よ。明日また出直して来てくれるかしら、もこたん」

 

「もこたん言うな……まぁ立て込んでるみたいだし、今日はお暇するよ」

 

 申し訳ないもこたん、お詫びに全てが無事に終わったら満漢全席のお裾分けをしに行きます。

 

(あれ?)

 

 するとまた波長レーダーに反応があった。

 今度こそ博麗の巫女か……そう思ったが、何やら様子が変だ。

 

(あの、師匠……)

 

「ん? どうかしたかしら」

 

(いえ……ただ博麗の巫女って、『八人』もいましたっけ……?)

 

「え?」

 

 そして自分達の目の前に、それらは姿を現した。

 

「いたわ霊夢、異変の首謀者よ」

 

「ふーん……私の勘だとこの奥にもう一人いそうね」

 

 それは、巫女と賢者の二人組。

 

「ちぇ、私達が一番乗りかと思ったが、違ったみたいだぜ」

 

「別に速さを競ってるわけじゃないでしょう」

 

 それは、金髪の魔法使いらしき二人組。

 

「流石は霊夢ね、地上で最速にして最強のレミリア様を出し抜くだなんて。ふふ、やっぱり眷属にしちゃおうかしら」

 

「お嬢様、口から何か垂れてますよ」

 

 それは、吸血鬼とメイドの二人組。

 

「ほら妖夢遅いわよー、そんなんじゃ修行になんないわよ?」

 

「ゆ、幽々子様だけ飛ぶなんてずるいですよー」

 

 それは、幽霊らしき二人組。

 

 合計、四人と四体の妖怪が現れた。

 あれ、異変解決って基本巫女さんだけの仕事のはずでは……

 

「……これは予想外だったわ」

 

「え、これ何の騒ぎなの?」

 

 流石の師匠も動揺を隠せないようだ。

 どうしたものかと考えていると、ふと自分に向けられた視線を複数感じた。

 

「……そこの兎妖怪、あんたどっかで」

 

 と、突然巫女さんがそう言った。

 うーん、もう十年ほど前に一回会った程度だというのに、見覚えがあるらしい。

 いやはや、子供の記憶力というのは侮れない。

 というか、紫さんまで来るとは本当に予想外。

 

「奇遇だな霊夢、私もあの兎妖怪、どっかで見た気がするぜ」

 

 と、これまた此方も見覚えがある面影と波長を持った金髪の片側の髪だけおさげの魔法使いさん。

 確か、父親の為にタケノコを掘りに来て迷子になったあの子供だ。

 風の噂で数年前に家出したと聞いたが、どうやら元気にやっている様子。

 

「……そう、じゃああの兎妖怪の相手譲ってあげるわ魔理沙」

 

「は? ちょ、霊夢!?」

 

 巫女さんはそう言って辺りをぐるっと見回す。

 

「相手は二人と一体……私と紫はこの先に隠れてるやつ成敗しにいくから、そいつらの相手はあんたらに任せたわ」

 

 そしてすっと、その場から姿を消した……あれ、どこにいった?

 波長レーダーを広げて探ってみると、どうやら既に別の場所にいる模様。

 へー、最近の人間って瞬間移動ができるのかー。

 怖いなー、人間怖い。

 

「……ん? あの巫女二人と一体って……あれ、もしかして私も数に入ってる!?」

 

 どうやらそうみたいですね妹紅さん。

 申し訳ないのだけれど、この際なので自分達と共犯になってください。

 

「来るわよ、ウドンゲ、妹紅。巫女は行かせてしまったけど、何としても他の奴らはここで食い止めるわよ」

 

「いやいや! 何しれっと私を頭数に!? ……あーもうわかったよ、この際何だろうとやってやるよ!」

 

 

 

 

 

 




主人公の呼び方

レイセン
鈴仙
鈴仙さん
鈴仙ちゃん
ウドンゲ
薬屋
兎さん
兎妖怪
なっちゃん←NEW


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13話

あと数話ほど本編を投稿したら、番外編の方も投稿したいと思ってます。
せっかくリクエストをしてくれた方がいたので……


 

 

 

 

 

「ゆ、幽々子様、流されるままここまで来ちゃったんですけど、結局私は何をすれば……?」

 

「もう、まだ気が付いてなかったの? これは修行よ修行、いつまでも半人前のあなたのために、こうして異変を解決させて成長させようという私の粋な計らいなのよ?」

 

「そ、そうだったのですか! ではこの魂魄妖夢、全身全霊を持って敵を斬り伏せます! ……して、結局私は誰を斬れば……?」

 

「んーそうねー……じゃあ妖夢と同じ白髪のあのお姉さんにしましょうか。強そうだし……間違って妖夢が本気で斬り捨てても『死ななそう』だし」

 

 そういって亡霊らしきピンク髪の女が私を扇子の先で指した。

 

「ん、もしかしてなくても私のことか? いやはや、別に私は異変とやらには全く関係ないんだが……」

 

 ……でもまぁ、別に構わないか。

 元より今日は少し暴れたくて輝夜を訪ねに来たのだ。

 その相手が変わっただけの単純な話だ。

 

「せっかくのご指名だ、やるからには互いに手加減はなしだぜ?」

 

「えぇ、あなたには何の恨みもありませんが私の成長のため、ここで斬らせていただきます」

 

「ふーん、斬殺かぁ。良いね、それで私を『殺せたら』死んでも感謝し続けるよ……あぁ、でも殺しはダメなんだっけかこのルール」

 

「……? よくわかりませんが、参りますっ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、幽霊どもが始めたようだな。では私たちはこの銀髪女を頂くとするか、咲夜よ」

 

「はぁ、何か理由があるのですか?」

 

「ほら、お前と同じ髪色じゃないか」

 

「別に同じ髪色の相手と戦えなんてルールはないですよお嬢様」

 

 ……どうやら私の相手は吸血鬼と呼ばれる妖怪と、その従者になるらしい。

 

「……博麗の巫女と妖怪の賢者が来るのはまぁ予測できたわ。けど、何故あなたみたいな何の関係もない妖怪がここに来たのかしら? 観光なら他所を当たって頂戴」

 

「くく……なに、最初は不快な月を堂々と空へ打ち上げた犯人にお灸を据えてやらうと思ったんだが……まぁあれだ、気が変わった」

 

「何がどう変わったのかしら?」

 

「あぁ、どんな手を使ったかは正直専門外で分からないが、その方法を知りに来た。月を自在に操れるその力……夜の王であるこのレミリア様が持つに相応しいと思わないか?」

 

「思わないわね、さっさと帰って頂戴」

 

 目的は割と合点がいっている……が、言葉の節々に強さが感じられない。

 つまりこの吸血鬼は、単なる『暇つぶし』に来ただけの可能性が高いようだ。

 そんな奴に付き合っている暇は私にはない。

 

 私はもう迷わない、迷うわけにはいかない。

 だから迷わず自分の意思を信じて、この異変を起こした。

 全ては『彼女』のために……

 

「そうか……なら力づくというやつだな。行くぞ咲夜」

 

「はい、お嬢様」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、余った私達はこの兎が相手ね。私はさっさと贋作の月の魔力を解明したいだけだから手早く……魔理沙?」

 

 何故か人形のようなものを周りに浮かせている金髪でショートヘアーの魔法使いらしき妖怪が、様子が少し変な相方の魔法使いを気にかける。

 

「……なぁ、私とお前、どっかで会った……よな?」

 

 当の本人はそれを全く気にせず、自分を真っ直ぐに見つめてそう聞いてきた。

 うーん、まぁ会ったことは何度もあるのだが……主に人里で。

 それと迷子になったとき、大きな筍を一緒に探したり出口に連れてってあげたり。

 とはいえ、人里に行くときはいつも変装してるし、唯一変装なしで会った時も、彼女はだいぶ幼かったので覚えてなくて当然だが。

 

「知り合い?」

 

「……いや、やっぱ気の所為だったぜ。気を取り直して妖怪退治再開といくか」

 

 そして持っていた箒に跨り宙を飛ぶ魔理沙。

 成る程、頭の上にある黒のとんがり帽子も含めて、彼女は形から入るタイプなのかと察する。

 何故なら、その姿は絵本に出てくる魔法使いの様な格好だったから。

 

「さて、こういう時は名乗りをあげるのが常識だったか? 私は見ての通り普通の魔法使いだぜ。性は霧雨、名は魔理沙、お前を撃ち倒す者だ。別に覚えなくて良いぜ」

 

「それ、何の常識なのかしら……」

 

 と、辛気臭い空気を吹っ飛ばし、高らかに自己紹介をする普通の魔法使いさん。

 

「……あー、無反応はそれなりにきついんだが?」

 

「呆れてるんじゃない?」

 

「うるさいぜアリス」

 

 あの人見知りで臆病だった子供が、何故こんな風に成長したのか疑問に思っていた所為で、反応が遅れてしまった。

 とは言うものの、声は出せないし……とりあえず拍手でもしておこう。

 

「良かったわね魔理沙、哀れみの拍手よ」

 

「だからうるさいのぜ、お前もお前でちゃんと声を出せ、勿論日本語でな」

 

 無茶を仰る。

 出来るのならとうの昔にやっているというもの。

 

「あー? 急に首を横に振ってどうした?」

 

「……ねぇ魔理沙、もしかしてあの兎、喋れないんじゃないかしら」

 

 すると、必死の素振りが通じたのか、妖怪の方の魔法使いが推測を口にしてくれた。

 それに対し、首を何度か縦に振る。

 

「な、なんだよ……! それならそうと早く言えって、一人で喋ってて馬鹿みたいだったぜ」

 

 少し恥ずかしそうにそっぽを向き膨れる彼女は、まだまだ年頃の少女を思わせた。

 申し訳ない、この距離だと筆談しても字が見えないだろうし、近くに寄るわけにもいかないものなんで。

 

「ふん、なら力づくで喋らせてやるぜ。負け犬の遠吠えってやつでな!」

 

「あいも変わらずパワー馬鹿な発想ね、魔法も弾幕もスマートじゃなきゃ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いたわね、黒幕」

 

「あら酷い、目を合わせるなり黒幕と断定するなんて」

 

「違うの?」

 

「いえ、合ってるわよ。異変を起こすと考え付いたのは私ではないけど、一応立ち位置的には黒幕だからね。私を倒したら月は元に戻っちゃうし」

 

「そう、じゃあ退治しなきゃね」

 

 ぶんっと風を切る音がした。

 巫女がその手に持つお祓い棒に喝を入れるかの様に振ったからだ。

 

「それよりここに来たということは、他のみんなはもうやられちゃったのかしら?」

 

「さぁ、遊びに来てた他の連中に押し付けて来たから、今頃派手にやってるんじゃない?」

 

 それにしては来るのが速すぎる。

 永遠亭内部は鈴仙の能力により迷宮化されてるし、罠だって沢山あったはずだ。

 

「別に、適当に進んでたらあっという間にここに着いただけよ」

 

 ……成る程、今代の博麗の巫女はどこかおかしいらしい。

 もしくは博麗の巫女は全員おかしいのか。

 

「……月のお姫様、あなたを倒す前に聞きたいことがあります。何故こんなことを?」

 

 と、今まで静寂を決め込んでいた八雲紫が口を開いた。

 

「あら、私たちが異変を起こすのは予想外だった? でもそうね……確かに異変を起こす必要がない選択肢もあったわ。けど私達はそうしなかった……なんでかあなたにはわかるかしら?」

 

「…………」

 

 当然わかるわけがないだろう。

 スキマ妖怪は確かに鈴仙のことを気に入っている節がある。

 しかしそれはあくまで幻想郷というものにどんな影響を与えてくれるのかという面においてだ。

 

 対して私達……特に永琳は、鈴仙という存在を『愛している』。

 月にいた頃も、鈴仙に会うまでの間も、八意永琳は心から笑った事がなかった。

 心にぽっかりと大穴が空いて、それを埋める事すらできなかった。

 そんな彼女の心の隙間に入り込み、塞いでくれたのが他でもない、鈴仙という兎なのだ。

 

 鈴仙が来てから永琳はよく笑うようになった。

 

 たとえ鈴仙が言葉を話せなくても、それに構わず鈴仙に話しかけ続ける彼女を見た。

 時々、どこか嬉しそうに、またはどこか悲しそうに鈴仙を見つめる彼女を見た。

 苦手だというのに、たまにはお返しがしたいと言って一生懸命鈴仙のために料理を作ろうと努力する彼女を見た。

 いつも鈴仙が出掛けると、ソワソワと玄関近くで帰りを待つ彼女を見た。

 

 そんな私の恩人でもある永琳……彼女の幸せの為に私は異変を完遂させる。

 邪魔者(月の連中)を寄せ付けない為に月を永遠に閉ざす。

 それが唯一、彼女に私からあげる事ができる恩返しだ。

 

「……わかるわよ」

 

「え……?」

 

 スキマ妖怪の代わりを務めるかのように、博麗の巫女が言葉を発した。

 

「なんとなくだけど……あんたらが何か大切な事の為に異変を起こしたのと、危害を加える気はないんだなって」

 

「霊夢……」

 

 巫女の口は閉じない。

 

「でもね、これは異変なのよ。異変だというのなら、例えどんな理由があろうと、誰が起こそうと関係ない……博麗の巫女として、私はそれを解決しなくちゃならない」

 

「…………」

 

「単なる暇つぶしに異変を起こした奴がいた、桜を咲かせたいからと異変を起こした奴もいた。そして今大切な事の為に異変を起こした奴等がいる……理由はそれぞれだけど、私のやる事は変わらない」

 

 ……嗚呼、成る程。

 

「悲しい運命を自ら背負うのね……博麗の巫女というのは」

 

 なんと愚かで、なんて人間らしいのだろうか。

 

「そんなの当たり前よ、だって私は『博麗霊夢』なんだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「貰った!」

 

 ズンっと、身体に『弾幕』と呼ばれる弾が当たる。

 対したダメージではないが、少し痛い。

 成る程、これが公平な決闘ルール、誰も死ぬ事がないスペルカードルールによる非殺傷の痛みか。

 

「へへっ、ようやく一発だな。素直に褒めてやるぜ、私の弾幕を初見であそこまで避けるなんて」

 

 それはどうも、自分攻撃を避けるのは割と得意なもので……

 それにしても、まさか依姫様との強制特訓の成果が、ここまで役立つとは思わなかった。

 ありがとう依姫様、可能なら二度とあなたとは特訓したくないです。

 

「余所見は禁物よ」

 

 そして側面から追撃が入る。

 何とか避けるが、これは思っていたよりも中々キツい。

 

 片方が人形を駆使し、精密な弾幕で動きを制限してきて、その隙をもう片方が高火力の弾幕で的確に狙い撃ってくる。

 なんとコンビネーションに優れたペアなのだろうか。

 まぁ普通に二対一というのが辛いというのもあるが。

 

「よっしゃ、そろそろ決めるぜ!」

 

 その元気な声が自分の上空から聞こえてくる。

 声の主の魔理沙が、その右手に持ったお札状のものを高らかに掲げる。

 そう、あれがこの決闘ルールの醍醐味でもある『スペルカード』だ。

 

「恋符……『マスタースパーク』!」

 

 そして放たれる閃光。

 比喩ではなく、本当に極太の閃光が上から迫ってきている。

 というかもはや弾幕ではなく単なるレーザーではないのだろうかそれ。

 

「ちっ、かすっただけか」

 

 緊急回避はできたが、少しかすれた。

 直撃したら一発でノックダウンしてしまいそうだ。

 そして残念なことに、完全に避けきることができなかったためスペルカードの攻略ができなかったのが痛い。

 

 スペルカードルールの勝敗を決める要因は主に二つある。

 一つは、弾幕やスペルカードの技などで、どちらかが気絶などの要因で戦闘不能になること。

 もう一つは、スペルカードを全て攻略されてしまうことだ。

 

 スペルカードとは要は必殺技みたいなものだ。

 決闘をする前に予めスペルカードをいくつか用意し、それらを駆使して相手をより確実に戦闘不能に追い込む必殺技……それがスペルカード。

 しかしこのスペルカード、そうポンポンと容易に出しまくれば良いというものではない。

 スペルカードを出し、相手がそれを完全に避けきるか、攻撃を加えたりなどして発動を中止させられると、そのスペルカードは『攻略』された状態になってしまうのだ。

 攻略されたスペルカードは、その決闘では再び使う事が出来なくなる。

 加えて先程言った通り、手持ちのスペルカードが全て攻略されると、例え余力が残っていたとしても敗北となるのだ。

 なので、使うタイミングを見計らって、気を付けて使うのが普通だと思っていたのだが……

 

「ならこいつはどうだ!」

 

 そして放たれる新たなスペルカード。

 ……うん、どうやら自分の認識は違っていたのかもしれない。

 もしくは彼女、霧雨魔理沙が少し変なのか、そんなの御構い無しと言わんばかりにスペルカードの連発をしている。

 怖いもの無しというべきか、好戦的というべきなのか……どちらにせよ厄介な事この上ない。

 

「ちぇ、このスペカは避けられちまったか。やっぱりもう少し火力を……」

 

「魔理沙、危ないわよ」

 

「へ? ……うおっ!?」

 

 くっ、一瞬の油断を突いた弾幕だったのだが、直撃とまではいかなかった。

 出来ればここで一人脱落させたかったのだが……仕方ない、もう二人まとめてやるしかないようだ。

 

 自分の今の手持ちのスペルカードは全部で五枚。

 その内の四つは既に攻略されてしまっているため、残り一枚。

 つまりこの一枚で、二人を同時に倒さなくては勝機はないのだ。

 

「くるわよ魔理沙、気を抜かないで」

 

「そんな事言われるまでもないぜ!」

 

 最後のスペルカードを構える。

 口では技名を言えないので、心でその名を叫ぶ。

 これが自分の最後のスペル……ラストワードだ。

 

(『現実と幻影の波長』……!)

 

 その名を解放すると、実体のある弾幕と、実体のない幻の弾幕が入り混じって辺りにばら撒かれる。

 その名の通り、現実と幻影……本物と偽物の弾幕を同時にばら撒くのがこのスペルカードだ。

 密度も頑張れば避けれなくはないけど、結構キツいと感じるくらいの難しさはある……と思う。

 叶うなら、これで二人とも倒れてほしい。

 

「ぬぉ! なんだなんだ、当たったと思ったらすり抜けたり、またすり抜けるかと思ったら普通に被弾したぜ!」

 

「幻の弾幕が混ざってるだけよ! 落ち着きなさい魔理沙」

 

 よし、思っていたよりも苦戦してくれている。

 この調子ならなんとか……!

 

「えぇいめんどくさい、こいつで吹っ飛ばしてやる!」

 

 すると魔理沙が先程の極太レーザーを撃ってきた。

 射線上の自分の弾幕がかき消され、自分もそれに飲み込まれた……

 

「お、やったか?」

 

「……いえ、まだみたいよ」

 

 しかし、飲み込まれたのは『幻の自分』だ。

 実はこのスペルカード、弾幕だけじゃなく自分の幻もちゃっかり出したりしてるのだ。

 

「……おいおい、冗談だろ。いつのまにか五体になってるじゃないか、あの兎」

 

「本体は一つなはずだけど……一体どれなのかしらね?」

 

 ふふふ、どうやら手も足もでない様子。

 さぁ、休む暇もなく、弾幕の波に飲まれるが良い!

 

「ぐっ……! これは中々キツいな」

 

「どうする? 無闇にスペルカード発動させても、さっきみたいに無駄撃ちになる可能性が高いし、かといってこのまま避け続けても勝率は低いわよ」

 

「はっ、なら答えは簡単だ。『纏めて吹っ飛ばせ』ってな! アリス、盾役よろしくだぜ」

 

「はいはい」

 

 と、魔法使い二人の動きに変化が起きた。

 人形遣いの方が、どこから取り出したのか何十体もの人形を周りに展開させ、弾幕の弾除けに使い始めた。

 

「本当は霊夢用に考えた新技なんだがな、特別にお前から味わわせてやるぜ」

 

 むっ、くるか……!?

 

「いくぜいくぜいくぜ! 魔砲『ファイナルマスタースパーク』!」

 

(な、なにそれ!?)

 

 彼女がスペル宣言をし、手に持った八角系の物体に魔力らしき力が溜まり始めたかと思えば、次の瞬間とてつもない魔力の塊が自分と幻影達目掛けて飛び出してきた。

 名前と見た目からして、先程の極太レーザーの強化版みたいなものかと考えられるが、もはや強化の域を超えてる。

 というか人間が出せる力を過ぎてるのではないかそれ。

 

(ぐっ、しまった……幻影が)

 

 一先ず避ける事には成功したが、驚きのあまり幻影を消してしまった。

 しかし慌てる必要はない、新技という切り札を被弾なしで避けたことにより攻略できたのだ。

 落ち着いて幻影を作り直して仕切り直せばまだ……

 

「おいおい、余所見は禁物だってアリスに言われなかったか? 新技が一つだけだなんて誰もいってないぜ」

 

 え?

 

「こっちが本命ってな! 『ブレイジングスター』ァァァァ!!」

 

(は、速……!?)

 

 それはまるで、流星の如く迫ってきた。

 

 

 

 

 




戦闘シーンは無理だなと感じた今日この頃。


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14話

 

 

 

 

 

 

「はーい、もっと中央によってくださーい。はいそうです、あと出来れば笑顔でお願いします。特に鈴仙さんと、その隣の銀髪の……八意さんでしたっけ、二人とも極上の笑顔を一つお願いします」

 

「別に笑わなくても良いでしょうに……撮るならさっさと撮りなさい」

 

 そーだそーだ、世の中には笑いたくても、作り笑いすらできない可哀想な兎とかいるんですよ。

 例えば自分、鈴仙・優曇華院・イナバさんとか。

 

「うーん、個人的には異変の黒幕らしく、『してやったり』みたいな凶悪そうな笑顔を撮りたかったのですが……まぁいいでしょう。じゃあ撮りますよー、さん、にい、いち……」

 

 カウントダウンの終わりと同時に、鴉天狗という妖怪の『射命丸文』により、カメラのシャッターがきられた。

 

「……はいおっけーです! ご協力ありがとうございました、記事が出来たらサンプルをお渡しするので、これを機にどうです? 私の新聞、購読しませんか?」

 

 ふむ……新聞か。

 彼女、射命丸文は趣味の一環で新聞作りをしているらしく、天狗達の住処の『妖怪の山』という所では結構人気らしい。

 そんな新聞だが、今までは妖怪の山に住む者にしか新聞を売らなかったが、近々人里など山の外でも新聞を売る計画を立てていると以前聞いた。

 自分達に勧めるのもその一環だろう。

 

(そうですね……では、購読させて頂きます)

 

 文さんとは数年前にみすちーの屋台で知り合ったのだが、彼女と話していると中々面白く、ユーモアに溢れていると感じる。

 そんな彼女が作る新聞だ、きっと読み応えのあるものなんだろう。

 お金も薬売りのお陰で余裕はあるし、買って損は無いはずだ。

 

「おぉ、ありがとうございます! では引き続き『宴会』を楽しんでくださいね。それでは!」

 

 そう言って、カメラ片手に去っていく文さん。

 そう、実は今自分達は、博麗神社で宴会に参加させられているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結論から言うと、自分達が起こした異変は解決されてしまった。

 しかし、姫様が博麗の巫女に倒される前に何とかギリギリで術式を完成させたお陰で、月の通路を閉ざすという目的は達成された。

 勝負には負けたが、賭けには勝ったのだ。

 

 そして異変解決から三日が経ち、自分達は異変の首謀者として博麗神社にお呼ばれされた。

 てっきり何か重い罰が下されるのかと思いつつ、師匠達と博麗神社に向かうと、神社には博麗の巫女と紫さんがいた。

 そして神社に来るなり紫さんに突然こう聞かれた……

 

『此度の異変に対して、反省の色は出ましたか?』

 

 と、たったの一言。

 それに対して、『勿論です』と答えると……

 

『よろしい、では今夜行われる予定の宴会の準備を手伝い、それに参加しなさい。それで今回の件は不問といたします』

 

 きっぱりあっさりとそう言われた。

 まさか宴会の準備を手伝い、宴会に参加するというだけで全てを水に流す……なんて言われるとは思わなかった。

 というか、何のための宴会なのだろうか。

 

 疑問を抱いたまま、準備を手伝い、やがて宴会が始まった。

 参加者は顔見知りもいれば、全く見たことない者もいた。

 聞けば、今回の異変解決に関わった者やその身内らしい。

 

 そしてなんと驚くべき事に、みすちーやリグル、慧音さんまでもがいた。

 どうしているのか訊ねてみると、どうやら三人とも異変解決の際、通りすがった博麗の巫女に『異変の関係者かもしれない』という理由で強制的にスペルカード戦をさせられたらしい。

 

「いいえ、気にしてませんよー」

 

「冬眠前の軽い運動程度でしたし、大丈夫ですよ」

 

「まぁ異変を起こすとは褒められた事ではない……が、薬屋が異変で被害を出すつもりなんてなかったという事はとっくに理解してるよ。それに何か重大な理由があったんだろ? なら私が責め立てる理由はない。ただ、そういう事はちゃんと私に相談してからでも良かったんだぞ? 日頃お前には感謝してるし、こういう時だからこそ私を頼ってくれても」

 

 巻き込んだ事を謝ると、三人とも許してくれた。

 一人だけ、先生のありがたいお言葉という名の説教が始まったが。

 

「よっ、呑んでるか? えーと……鈴仙だっけ」

 

 姫様やてゐが他のメンバーと共に飲み比べをしにいって居ないため、師匠と二人で静かに呑んでいると、先程まで慧音さんと何か話し込んでいた少女、霧雨魔理沙がほろ酔い顔で話しかけてきた。

 そしてそのまま自分の空いてる右隣へ座り込み、グイッと持っていた酒瓶の中身を軽く飲み込んだ。

 

「……なぁ、お前喋れないんだっけか。それ、辛くないのか?」

 

 と、唐突に聞かれる。

 

(特には、困る事はあるけど辛いとはちょっと違うかな。何も意思疎通は言葉に限らずだし)

 

「ふーん……」

 

 再び酒瓶を口に運ぶ魔理沙。

 

「えっと……そうだ、私のあの最後のスペルはどうだった? パワー溢れる良い物だったろ?」

 

 ふむ、最後というとあの超絶突進攻撃の『ブレイジングスター』とやらのことだろう。

 確かに名前の通り、流星の如くといったようなスペルだった。

 しかし、そのスピード故であろう、制御不能をどうにかした方が良いと思う。

 自分を轢いた後、自身も急停止出来ずに壁に激突したのは文字通り痛い思い出だろうに。

 

「そ、そうだよな。うん、少しスピードを落としてもいいかもだぜ……」

 

 そして三度目の酒瓶を口に運んだ。

 なんというか、様子が変だ。

 会話に無理をしているというか、無理矢理話題を引っ張り出そうとしている感じがする。

 ソワソワしていて、落ち着きがない様子だ。

 

「霧雨魔理沙」

 

 と、そこで隣にいた師匠が突然彼女の名前を呼んだ。

 

「言いたい事、気持ちはハッキリと伝えなきゃだめよ。じゃないといつか後悔する日が来るかもしれないから……」

 

 少し目を伏せがちにそう言い放つ師匠。

 

「……ふ、ふん。言われなくたってそのつもりだったぜ」

 

 ちょっと心の準備が足りなかっただけだ、と何やら変な言い訳をしながら魔理沙は口を開いた。

 

「その……手を繋いでくれないか?」

 

 手?

 全くもって意図が理解できないが、まぁ別に構わないので素直に手を差し出す。

 すると少し照れ臭そうに自分の手を握り返した魔理沙。

 

「……あぁ、やっぱりそうか」

 

 そして何か納得したような様子で、呟いた。

 

「礼を言っとくぜ、ありがとうなっ!」

 

 そして何故かお礼の言葉を述べて、恥ずかしそうにその場を走って去っていった……

 うーん、何かお礼を言われるようなことをしただろうか。

 スペルカード戦をしたから?

 師匠は何か心当たりありますか?

 

「さぁ、私にはさっぱりね。それより卵焼きってもうないのかしら?」

 

 おや、もう全部食べちゃいましたか師匠。

 師匠のためだけに卵焼きを沢山用意したのだが、どうやらまだ物足りない様子。

 確か卵はまだ余っていたはずだから、さっと作ってくるとしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 視線を感じた、それと覚えのある波長も。

 

(おや、『霊夢ちゃん』?)

 

「ちゃん付けはやめて、なんだかこそばゆいわ」

 

 背後に振り向くと、今代の博麗の巫女が居た。

 というか、『昔』と変わらず勘とやらで自分と意思疎通できるのか。

 あ、卵焼き食べる?

 

「……食べる」

 

 すっと小皿に乗った出来立ての卵焼きを差し出すと、手掴みでひょいひょいと食べていく。

 お味はいかが?

 

「甘くて美味しい」

 

 それは何より。

 それで一体どうしてここにいるのだろうか。

 もしかして霊夢ちゃんもまだ食べ足りなかったとか?

 

「厠の帰り道に寄っただけよ」

 

 左様ですか。

 でもついでだから、食べたい物あったら追加で作るけど……余った材料で出来る範囲ではあるが。

 

「じゃあその卵焼き、もっと頂戴」

 

 ほう、どうやら霊夢ちゃんもこの甘さたっぷりの卵焼きが気に入ったらしい。

 よろしい、ならば大量生産だ……と言いたいところだが、残念ながら卵がもう余っていない。

 ふむ……仕方ないので、師匠の分を少し分けるとしよう。

 

「……ねぇ、あんたってさ」

 

 と、小皿から別の小皿へと卵焼きを移していると、霊夢ちゃんが口を開いた。

 

「『お母様』の事、まだ覚えてる?」

 

 ……お母様、とな。

 お母様というと、『先代の博麗の巫女』の事だろう。

 一度紫さんに神社に連れてこられた時、彼女とは会ったのだが、あの後すぐにお亡くなりになったらしく、結局一度しか会ったことがない。

 しかしインパクトの強い人だった為、記憶にはしっかりと残っている。

 それがどうかしたのだろうか。

 

「そう……なら、一つ頼み事があるんだけど」

 

 ふむ、頼み事とな……

 まぁ霊夢ちゃんには異変とかで迷惑をかけてしまったし、頼み事の一つや二つくらい別に良いのだが、その頼み事と先程の質問がどう関係しているのかが全く予測できない。

 

「別に難しいことじゃないわよ、ただ……お母様の事、ずっと覚えておいて欲しいのよ」

 

(……霊夢ちゃん)

 

 何となくだが、彼女の言葉の意味が理解できた。

 

「私が死んだ後も、ずっとずっと覚えておいてあげて。これは私の勘だけど、あんたは長生きしそうだし、約束は守る奴っぽいし」

 

 人間というのは、本人達が思っている以上に脆い存在だ。

 寿命という枷によって生が限られ、更には怪我や病が原因で終えてしまう場合もある。

 そしてそれらは、いつ起こり得るの分からない代物だ。

 故に人間は死を恐怖する。

 

『だから単純なことだ……今目の前にいる『博麗霊夢』も、怖いのだ。

 死ぬことによって積み上げてきたものが、全て崩れ去るその瞬間が。

 ……良いよ、霊夢のお母さんだけじゃなく、霊夢の事も、そして未来に続く霊夢の後継ぎの事も記憶に残しておこう』

 

「……ふっ、やっぱりあんた妖怪らしくないわね」

 

 何故か鼻で笑われた。

 うーん、何度か変な妖怪だとか、変わった妖怪とか言われた事はあるが、そんなに変だろうか。

 

「それと……やればできるじゃない、あんた」

 

(……? 一体何のこと、霊夢ちゃん?)

 

 結局答えは教えて貰えないまま、卵焼きが乗ったお皿を片手に師匠の元に戻った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その暖かなぬくもりを覚えている。

 小さな自身の手を包み込むように、暖かく柔らかな大きな手と手を繋いだのを覚えている。

 しかしおそらくだが、当時はまだ物心がついて間もなかったため、具体的な内容は全くもって覚えてない。

 ただ、その心地良い暖かさだけ覚えていた。

 

 母親が居なく、父親だけが唯一の肉親だったため、それが父親のものではないのは確かだった。

 そして当然顔も知らぬ母親のものでもない。

 それが一体何だったのか、いくら思い出そうとしても無理だったので、歳を重ねていくうち気にしなくなっていた。

 

「魔理沙!」

 

 と、どこか聞き覚えのある声が自身の名を呼んだ。

 

「お、先生じゃないか。久しぶり」

 

「何が久しぶりだ! 皆お前の事をどれだけ心配したことか!」

 

 そして不意に思い切り抱き付かれる。

 

「いたたた! け、慧音先生……! 折れる!」

 

「あっ、すまない……」

 

 半分は妖怪なだけあって、その力は普通の人間からしたら強すぎる。

 普通にへし折られるのではないかと思った。

 そしてその様子を見て、視界の傍で笑いを堪えてるアリスには後で仕返しをしてやろうと心に決める。

 

「……それで、先生は何でここにいるんだ? ここには今回の異変の関係者しか……あぁ、もしかして霊夢のやつに『あんた異変の首謀者と関係がありそうね』とか難癖つけられたとかか?」

 

「まさしくその通りだが……よく分かったな」

 

 ……霊夢とはそこそこの付き合いではあるが、時々あいつが本当に平和を守る巫女なのか疑う時がある。

 まぁでもそれがあいつらしいといえば、そうなのだが。

 

「……そういえばこの前私も変な難癖つけられて一方的にやられたわ」

 

「奇遇だなアリス、私もだ」

 

 以前『鬼』とかいう妖怪、『伊吹萃香』がちょっとした異変を起こした。

 そしてそれに真っ先に気付いた霊夢は、『怪しい妖気とやらを追いながら、出逢った奴を片っ端からボコボコにしていく』という強引な解決方法で異変を解決させた。

 そしてその時の一番最初の被害者は、実は私こと霧雨魔理沙だったりする。

 

『あんた何か隠してない?』

 

 出会い頭いきなりそう言われ。

 

『なんだ、あんたは何も隠してないようね』

 

 一方的に私をボコボコにしてからそう言って去っていたあの時の霊夢は、普通に通り魔か何かに思えた。

 

「ま、まぁ個人的な意見ではあるが、今代の博麗の巫女からは悪意の類は感じられなかった。きっと其れ相応の理由があってのことなんだろう」

 

「いや先生、確かに霊夢の奴には悪意なんてないだろうが、善意でってわけでもないと思うぜ?」

 

「そうね、多分『面倒臭いから立ち塞がる奴全員ぶっ飛ばす』みたいな考えだと思うわ」

 

「…………」

 

 とはいえ、それ以前に起こった異変も大体そんな感じで解決した上に、私もそれに参加したことがあるのだから人のことは言えないが。

 

「……そ、それはともかくとして、たまには家に帰ったらどうだ魔理沙。お前の父親も随分と心配して……」

 

「はんっ、あいつが心配してるのは店の後継ぎだとかそんな心配だろ。私は誰かに指図されて生きていくなんて真っ平御免だな」

 

「そうだな、そこらへんの事情は私がとやかく口を挟むことはできない。だが、それでもお前の『親』だろう。今すぐに仲直りしろとは言わないから、せめて顔くらいは出してやれ」

 

「…………気が向いたらな」

 

 わかってる。

 親父の言い分も、家出したのも単なる私の我儘だってことも。

 けれど、私はもう道を進み始めてしまった。

 後戻りはもう出来ないのだ。

 

「全く、昔はあんなに可愛くて素直な子供だったというのに……」

 

「へぇ、魔理沙って昔と今では性格違ったの? よければお話聞かせてくれないかしら」

 

「おいアリス、それ以上踏み込むというなら其れ相応の覚悟をしてもらうぜ」

 

「あら、こわいこわい」

 

 確かに私は変わったんだと思う。

 昔は子供特有の臆病が表に出すぎていたが、今の私は違う。

 わざわざ黒歴史を掘り返されるのを黙って見ているわけにもいかないし、それが仮にアリスに知られたら一生からかいのネタにされそうだ。

 

「あ、昔話といえば魔理沙。丁度良い機会だし、薬屋に昔の礼をしてくると良い」

 

「……? 薬屋? 礼? 一体何の話だぜ先生」

 

「ん? 何だ覚えてないのか……いや、覚えてなくて当然か。正体も本人から言わないでくれと言われたが……まぁ今のお前になら明かしても問題ないだろう」

 

 一体何のだろうか、此方にもわかるように説明してほしいものだ。

 

「ほら、昔お前が父親のために筍を取ってくると勝手に迷いの竹林に迷い込んだことがあっただろう?」

 

「…………」

 

 そんなこと……あっただろうか?

 いや、先生がわざわざそんな嘘を言う訳がない性格だということは、私も十分理解してる。

 だから本当にあった出来事なのだろう。

 

「あら、親孝行な所もあったのね魔理沙」

 

「……うるさいぜ」

 

 やめろ、そんなニヤニヤした顔で私を見るな。

 

「それでな、そんな迷ったお前を傷一つ付けず竹林の外まで案内してくれたのが……ほら、あそこにいる妖怪兎なんだ」

 

 そう言って先生が指差す方向へと目をやる……するとそこには、今回の異変の関係者でもあり、私達とスペルカード戦をした妖怪兎がいた。

 

「……嘘だろ?」

 

「本当のことだ、まぁ私も事件の少し後に彼女のお蔭だと知ったのだがな」

 

 今明かされる衝撃の事実。

 

「ついでに言うと、よく人里に薬を売りにくるやつがいただろう? あれもあの兎だ」

 

「はぁ!?」

 

 さらに明かされる衝撃の真実。

 

 人里に薬を売りにくるやつ……それは私自身も覚えている。

 なんせ印象がとても濃いからだ。

 大きな背負いカゴに、笠をかぶっていて、素顔の類は慧音しか知らず、それでいて何故か評判がとても良い謎の人物。

 それが霧雨魔理沙が薬屋に抱いていた印象だ。

 まさかその正体が妖怪だとは思いもしなかった。

 

「おいおい……良いのかよ先生。人里に妖怪なんて招き入れて」

 

 何より一番驚きなのが、その正体を知っていながら妖怪を人里に招いていることを咎めもしない先生だ。

 常識なら、人里に妖怪の類は入らせないようになっているはずだが……

 

「うむ、確かに私も最初は警戒したさ。しかしどうにもあの薬屋が人里に危害を加えるつもりだとは全く思えないし、感じないんだ。それに事実、彼女が売る薬は非常に助かってるしな……」

 

 確かに、私自身薬屋の薬はよく効くということは、人里に住んでたときよく耳にしたし、実感もしたことはあるが……

 

「……何だよそれ、それが全部本当なら、なかなか変な妖怪だな」

 

「あぁ、薬屋は確かに変わってるな。半分人間な私ならともかく、妖怪の身でありながら人間に危害を加えないどころか、善意を与えてる……まぁ、ここ幻想郷ではそんな妖怪は何人かいるし、実際何らおかしくはない話なのかもな」

 

 人間を襲わない妖怪……ここ幻想郷ではそんな妖怪がいくつかいるということは魔理沙自身も知っている。

 というか、実際に今この場にいる連中(妖怪)が良い例だ。

 そいつらが、単に人間に興味がないのか、それとも本当に人間が『好きなのか』はわからない。

 しかし、そうなると妖怪とは一体何なのか……疑問に思ってしまう。

 

 人に害を与えるのが妖怪なのか、それとも人に歩み寄ろうとするのが妖怪なのか……

 『人間』の私にはその答えがわかることは永遠にないだろう。

 

「とにかくだ、礼の一つくらい言ってこい」

 

「行ってらっしゃい魔理沙、恥ずかしがっちゃだめよ」

 

 そして気が付けば逃げ道を塞がれる始末。

 ……まぁ礼を言うくらいならどうってことない。

 

 酔いで少しふらつく足取りで、例の妖怪兎の所へと歩き出す。

 そしてふっと、ある事が頭に浮かんだ。

 

 あの兎を対峙した時のあの違和感、何処かで会ったことのあるようなあの感覚。

 もしやあの感じは気のせいではなかったのだろうか?

 だとしたら……

 

(あっ……)

 

 突如頭にかかっていた靄が晴れたような感覚。

 それと同時に微かに蘇る記憶のページ。

 

(あぁ、なんだ。じゃああの暖かな感触の正体って……)

 

 それを確かめる方法は一つ。

 しかしそれを行うのは少し恥ずかしいという気持ちが無くもない。

 

「……ま、当たって砕けろってやつだな」

 

 そして銀髪の女と静かに呑んでいる兎……鈴仙に声を掛けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私は人間だ。

 人間で、博麗の巫女……『博麗霊夢』だ。

 前の名前はもう忘れた、博麗霊夢にはもう必要がないものだからだ。

 

「あらー? 霊夢ったらこんな所で一人で呑んでるの? それならあっちで私達と一緒に呑みましょうよ」

 

 縁側でいつものように、のんびりとお茶を飲むような感じで一人酒をしていると、煩い奴(八雲紫)が来てしまった。

 

「ねぇ無視? 今もしかしてゆかりんシカトされてる? ねえってばー」

 

 嗚呼、本当にこの妖怪は昔から騒がしくて鬱陶しいやつだ。

 まだ式神の方が常識というものを持っていると感じるのは、決して間違いな見解ではないだろう。

 

「……騒がしいのは嫌いなのよ、大体なんで毎回毎回うち(神社)で宴会なんてやるのよ。百歩譲って宴会をするのは良しとしても、ここでやる必要ないでしょうに」

 

「えー、別に良いじゃない。ここの景色は中々のものだし、それなりにスペースがあるから丁度良いのよ」

 

 どの口が言うか。

 ここで異変後の宴会をひらくのはもっと別の理由だろうに。

 

「それより霊夢、一つ聞いても良いかしら?」

 

「なによ」

 

 さっきまでの不真面目な顔を引っ込め、八雲紫は言った。

 

「どうして『手を抜いたの』?」

 

 ……何を言うかと思えばそんなことか。

 

「異変は解決したわ……まぁ世間では月がすり替わったことより、夜が長く続いたことの方を異変だったと思っているらしいけど、それはそれで別に構わないわ」

 

 扇子で口元を隠し、目つきを鋭くして続ける八雲紫。

 

「けれど結局月の連中の本来の『目的』とやらは達成されてしまった……ねぇ霊夢、貴女にしては、あの月のお姫様を打ちのめすのに随分と時間が掛かったと私は思うんだけど?」

 

 扇子をたたみ、私の鼻先に向ける。

 

「今の貴女の実力なら、もっと迅速に月を元に……」

 

「あのね紫、何か勘違いしてるみたいだから教えてあげるけど」

 

 向けられた扇子の先を手で弾きつつ、私は言った。

 

「少なくとも私は全力だったわよ、私は私の直感を信じるままに動いた……つまり『あの瞬間』の私の実力とやらは、あれで全力なのよ」

 

「…………そう、なら良いわ」

 

 分かったのなら早い所何処かへ行って欲しいものだ。

 せっかくの一人酒が台無しだ。

 

「あら、何処に行くの?」

 

「厠よ、私がここに戻ってくるまでにどっか行ってなさい。じゃないと退治する」

 

「……本当に素直じゃないのね」

 

 何を寝ぼけた事を言っているのかこの妖怪は。

 私はいつだって自身に素直だ。

 気の向くまま、『空に浮き続ける』。

 それが私という人間だ。

 

「……あぁそうだ、その前に私もあんたに一つ聞きたい事があったのよ」

 

「え……な、何かしら?」

 

 私が質問してくるのは予想外だったのか、呆気にとられる紫。

 

「あんた、お母様のことまだ覚えてる?」

 

「……当たり前じゃない」

 

「ふーん……そう」

 

 答えを聞いて、私はその場を立ち去る。

 

 私は博麗霊夢だ。

 博麗の巫女として、この幻想郷の調律を保つ使命がある。

 別にそれ自体に不安や恐怖はない。

 しかしそんな私でも、怖いものが一つだけある。

 

 それは『母親の死』だ。

 先代の博麗の巫女であり、私の育ての親でもある母親。

 既に亡くなってはいるが、それは本当の死とは私は捉えていない。

 

 本当の死とは、『誰からも忘れ去られる』ことだと私は思う。

 時が経つにつれ、記憶または記録というのは、引き継がれなければ薄れていき、いずれ忘れ去られるものだ。

 

 私の母親が亡くなったことにより、母親を知る者達からはその記憶は徐々に消え去って行くだろう。

 人間はいつかは亡くなり、妖怪はあるひと時の記憶など永くは覚えていられない。

 そして歴史書なんかでもダメだ、あれは事実を記録しているだけに過ぎない。

 

 大好きだった母親、そんな彼女が誰からも忘れ去られ、死んでいくのが怖いのだ。

 勿論私は、母親の事を忘れる気は絶対にない。

 しかし、母親の事を覚えている私もいずれ亡くなってしまう。

 紫などの妖怪も、今はまだ覚えてるようだが、いずれその時が来てしまう。

 そうなれば、私の母親は完全に死んでしまう。

 それがとてつもなく怖い。

 

 しかし何事にも終わりは来てしまうものだ。

 だから私にできる事は、出来るだけ永い時間母親を死なせないことだ。

 少しでもあの優しい母を、生きさせてあげたい……それが私の恐怖に対する対抗策であり、願望でもあるそれはきっと間違いではないと思う。

 

「…………」

 

 そして不意に良い匂いが鼻をくすぶった。

 厠からの帰り道、それは台所からしてきた。

 

 何気なしに寄ってみると、見覚えのある妖怪兎がいた。

 

 ……あぁ、そういえばあいつもお母様と会ったことあるじゃないか。

 そして私の勘が囁く。

 あいつは長生きしそうだと。

 

 ならばあの妖怪兎にも協力してもらうとしよう。

 なに、仮にお母様の事を忘れてたら殴ってでも思い出してもらうだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇウドンゲ、もしかして私は余計な事をしてしまった?」

 

 宴会は既に終わりを迎え、周りは既に酔い潰れた者ばかりの中。

 追加の卵焼きを平らげた師匠が、顔を伏せがちにそう聞いてきた。

 

「こうやって全てが終わって、冷静に考えてみたんだけど……もしかして貴女は、本当は月に戻りたかったんじゃないかって……それを私は自分の我儘で邪魔してしまったんじゃないのかってね」

 

 その声は震え、今にも消えそうだった。

 

「貴女にも月には友達とかがいるのでしょう? だから、私となんかいるより月に居た方がずっと幸せだったのかもしれない……そう思うと、私は貴女に酷い事を……」

 

 その声を遮るように、師匠の手を強く握った。

 それに対し、恥ずかしそうに動揺する師匠の顔を真っ直ぐと見つめる。

 

『師匠、それはないですよ。私、師匠と何年も一緒にいる内に気付いたんです』

 

「え……な、何に?」

 

『私たち、とっても「気が合う」みたいなんです。だから断言します……今の私にとって、一番大切な人は師匠です』

 

「っ……!?」

 

 さらに強く、師匠の手を握りしめて、その体温をじかに感じていく。

 

「だから、私もあなたと一緒に居たい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「永琳がまた気絶してる!? 一体何したの鈴仙!?」

 

 この人でなし!

 

『い、いえ……師匠の気分が落ち込んでたみたいなんで、励まそうと『手を握っただけ』なんですが』

 

「手を握っただけ!? 嘘でしょ、どんだけウブなのよこの賢者様は!

 

 

 

 

 




イチャイチャさせたい……もっと師匠とイチャイチャさせたい。


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懐かしき友たち
15話


 

 

 

 

 

 今日は何故か、いつもより早い時間に目が覚めた。

 不思議なことに、いつもと違う事が起きると、何だか悪い事が起きるのではないかという錯覚に陥るのはこれまた何故なのだろうか。

 今度それとなく師匠に聞いてみるとしよう、きっと現実的な意見が聞けるだろうし。

 

 それに、別に朝いつもより早く目覚めたからといって、良からぬ事が起きるとは限らない。

 ほら、部屋の戸を開けて外を見れば、そこには竹やぶの隙間から覗く事ができる美しい空が……

 

(……めちゃくちゃ曇ってらっしゃる)

 

 どうやら今日の天気はご機嫌斜めの様子。

 けどまぁ、そんな日もあるだろう。

 曇りは曇りで良い事もあるかもしれないし。

 

「にゃー」

 

 おや、これまたなんとも珍しくことだろうか。

 庭に見慣れない黒猫がいるではないか。

 

「あ、そこの妖怪さん。この辺で鴉羽色の帽子に、緑色の髪をしたセミロングの小さい人型妖怪を見ませんでしたか?」

 

 しかも喋るときた。

 よくよく観察して見れば、この黒猫は普通の猫ではないみたいだ。

 そして人探し……ではなく、妖怪探しをしている模様。

 

「……見てないかぁ。もう、どこいっちゃたのかな、こいし様は」

 

 最後にはぐれた時はこの辺だったから、まだ近くにいると思うんだけどなー。

 そう呟きながらテシテシと歩いて去っていく黒猫。

 うーん、あの猫も探されてるのも妖怪みたいだから、野垂れ死にとかはないとは思うが……まぁ次に再び出会って、まだ困っているようならその時は手伝ってあげよう。

 

 ……そういえば黒猫が目の前を横切ると、良くない事が起きるという迷信があったようなないような。

 いや、考えすぎだろう。

 大体そんな考えはあの猫ちゃんに失礼だ。

 

 さて、雨なんかが降り出す前にやる事をしなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、こりゃ珍しい」

 

「んー、どうしたのイナバ」

 

「いや、珍しく私の茶に茶柱が一本もなくてね」

 

「あらほんと、いつもなら二、三本はあるのにね」

 

「ははは、こりゃ今日は『良くない事』が起こりそうさね!」

 

 その日は、いつも幸運を呼ぶてゐのお茶に茶柱が立たなかったり。

 

(あっ、鼻緒が……)

 

 下駄の鼻緒が突然切れたり。

 

「いやぁぁぁぁ!?」

 

 突然背後から生暖かい息を耳元に吹かれたと、可愛らしい悲鳴をあげる師匠を目撃したり。

 

 他にも玄関に飾ってあった花瓶が何故か割れたり、姫様用の菓子類が忽然と消えたり、洗濯物が風で飛ばされるなどなど……

 何故か今日は不幸な出来事が連続して起きた。

 

 なんだ、一体何があったというのか。

 いや、もしかしてこれから先もっと恐ろしいことが……?

 

 否、考えすぎだ。

 偶々だろう、もしくは偶然の重なりだ。

 こういう日もあるさ。

 

(……なんでだろう、胸騒ぎがする)

 

 今までにないほどの不安感。

 これが明日には収まっていると良いのだが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 射命丸文は困惑していた。

 今日はいつも通りの時間に起き、新聞のネタを探すため今日も幻想郷中を飛び回ろうと家を出ようとした瞬間、上司から呼び出しを受けた。

 

 なんだってこんな朝っぱらから、なんて心で愚痴りながらも、無視するわけにもいかないのでそれに応じた。

 一体何用か……そんな心情でいると、衝撃の事実が判明した。

 

 なんと、私を呼び出したのは、天狗の長にして頂点……『天魔様』だったのだ。

 そして普通なら、多少有名とはいえ、特に偉い立場にいるわけでもないただの鴉天狗である私が、天魔様に呼び出されるなんてビックイベントは起こらないはずだ。

 しかし現に、そんなビックイベントが起こってしまった……と言うことは、何か私がやらかしてしまった……とか。

 

 勿論、覚えは全くない。

 いつだって正直で、清く正しく生きている私に限って『やらかした』なんて言葉は無縁なはずだ。

 

 よし、とりあえず何か怒られたら謝っておこう。

 例えフリでも、誠心誠意謝れば大抵なことは何とかなるだろう。

 そんな若干ヤケクソじみた考えをしていると、いつのまにか目的地に辿り着いてしまったようだ。

 

 部屋の前に待機していた、天魔様の側近に部屋に入るよう促され、失礼しますと言い、少しだけゆっくり気味に襖を通り抜ける。

 この部屋の中は天魔様の仕事部屋かつ私室でもあるため、和風チックな部屋に所々和風に似合わないものがあるが、仕方のないことだろう。

 

「……射命丸か、すまんな急に呼び出して」

 

 部屋の最奥というべきか、天窓が取り付けられたその近くの事務机を跨いだ先に椅子で座っていた人影が私に気付くなりそう言った。

 

「いえいえ天魔様、あなた様の呼び出しとあらば、直ぐにでも参上致すのが我々の務めでもありますから」

 

 その人影は、一見すると真っ黒な着物を着た人間の女性にしか見えない。

 しかしその実態は、遥か古代に誕生し、永い時を生きた大妖怪……『第六天魔王』と恐れ続けられている『神代の妖怪』の一角なる妖怪だ。

 一言でまとめると、滅茶苦茶凄い妖怪だ。

 その滅茶苦茶の部分は語り出すと長くなるので、今は省くことにするが。

 

「まぁなんだ、とりあえず座れ」

 

 予め用意されていたのか、よくよく見たら天魔様の事務机の前には来客用らしき質素ながらも良い仕立ての椅子が一つあった。

 えぇ……まさかの一対一の対面席かよ。

 なんて事を思いつつも、いつものお調子者の新聞記者の笑顔を崩さずに失礼しますと言って座る。

 

 正直言って、天魔様のカリスマというべきか……その威光はプレッシャーじみたものに感じるが、そんな事では私こと射命丸文は屈しない。

 記者とはいつだって、誰が相手だろうとある一定の距離で接する必要がある。

 それは例え天魔様といえど、例外にするわけにはいかない。

 それが私が掲げる唯一の誇りでもあるからだ。

 

「それで……えっと、本日は私めにどの様な御用件が……?」

 

「ん、別にそんなに身構えんでも良い。単に儂からお前さんに聞きたいことがあるだけの話だ」

 

 その答えに内心、何かやらかしたという心配はなくなったためホッと一息ついた。

 そして次に湧き上がってくるのは、疑問だ。

 

「聞きたいこと……ですか? それは一体……」

 

 すると天魔様は、何処か見覚えのある紙片を取り出して見せてきた。

 

「お前のこの新聞、これに書いてある事は真実か? 射命丸よ」

 

 そう、それは私が執筆した新聞だった。

 記事の内容は……ちょうどこの前発刊したばかりの『永夜異変』についてのことだ。

 

「えっと……私の新聞……天魔様もお読みくださっているのですね」

 

「うん? まぁ暇つぶしにもってこいだしな。誇って良いぞ射命丸、お前は文の才がある」

 

 (あや)だけにか。

 なんてくだらない考えはすぐに破棄して、思考を戻す。

 まず普通に驚いた、まさか天魔様が自身の新聞を読んでくれていたことに。

 そして次に歓喜、新聞作りを褒められたのが素直に嬉しかった。

 

「それで話を戻すが……おい、聞いているのか?」

 

「あっ、すいません……えー、その新聞の記事が誠か嘘でしたよね?」

 

「そうだ」

 

 勿論嘘を新聞に書く事はしない。

 ……まぁ、たまーに多少の脚色を加えることもあるが。

 しかし今回の記事の内容は、誠か嘘かで言えば。

 

「誠です」

 

「……そうか」

 

 するとほんの少し、天魔様の表情が崩れた気がした。

 

「……もう一つ聞いて良いか?」

 

「? 構いませんよ」

 

 天魔様は記事の一部分にある写真……今回の異変を起こした者達の集合写真のある人物を指差しながら言った。

 

「ここに写っているこの妖怪……『本当に、確かに実在したのだな』?」

 

「……『鈴仙さん』の事ですか? え、えぇ……確かにちゃんと実在していますよ」

 

 彼女とは数年前からの知り合いで、何度か交流した事もあるため、実在しているのは明らかだ。

 でなければ、私はイマジナリーフレンドを知らずのうちに作っていたことになってしまう。

 

「れいせん……? あやつ、今はそういう呼び名なのか……?」

 

 何やらブツブツと独り言を漏らしながら、思考に耽る天魔様。

 うーん、もしかして鈴仙さんと知り合いだったりするのだろうか。

 あの無愛想ながらもコミュ力がカンストしてる鈴仙さんの事だから、天魔様と知り合っていても割とおかしくは無い気がするのも確かではあるが。

 

「ふふ……なんだ、やっぱり生きとったのではないか。しかも幻想郷に来てるとは……因果なものじゃの、全くもって」

 

「あ、あのー……もしかしてお知り合いですか?」

 

 不敵な笑みを浮かべる天魔様が少し気味が悪かったので、とりあえず質問をぶつけてみた。

 

「んー? そうじゃな……遥か昔からの『旧友』というやつだ。まぁ尤も、そう思っているのは儂と『鬼神』の奴だけかもしれんが」

 

 天魔様の旧友……?

 え、天魔様の旧友って鬼の頭領だけかと思っていたのだが、天魔様の今の言葉が本当ならこれは大スクープなのでは!?

 

「あの、その辺のお話を詳しく聞かせてもらいませんか?」

 

「うーむ、別にそれは構わないが……折角だ、あやつに逢いに行ってから本人も交えて話そうじゃないか。そっちの方が分かりやすいだろう」

 

 成る程、道理だ。

 

「あやつからの『預かり物』もあるしな。よし、鬼神の奴にも声を掛けてやるか」

 

 その言葉に正直うわっと思ったのは間違いないだろう。

 天魔様の旧友であり、鬼の頭領……『鬼神母神』は正直苦手だ。

 というより、我ら天狗であの方を苦手と思わず、友人の間柄にいるのは天魔様だけだ。

 

 人格者としては割と素晴らしい方ではあるが……性格の一部が酷いというか、破綻しているのだ。

 とてもではないが、あれを好きになるのは難しいだろう。

 

「あの……やっぱり私は遠慮しようかなーなんて」

 

「何を言っておる射命丸、元よりお前は案内役として来てもらうぞ。儂、普段この山から離れる事がないのでな……幻想郷の地理は詳しくは知らんのだ」

 

 つまり私を呼びつけたのは、鈴仙さんが存在しているかの確認と、その場所まで案内させるつもりだったと。

 

「そんな顔をするな、本音を言うと儂も鬼神の奴を連れて行きたくはないんだが……まぁあやつだけ仲間外れにするのもどうかと思うのでな。我慢してくれ」

 

 ……もしかしたら私は今日が命日なのかもしれない。

 我が親友達よ、どうか私の骨は細かく砕いて山の頂から撒いてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 かつての妖怪の山には、天狗だけでなく鬼も住んでいた。

 鬼という妖怪は、簡単に言えばかなり好戦的で、勝負事と酒が大好きな連中だ。

 毎日のように喧嘩をしては酒を呑み、暇さえあればまた喧嘩をして酒を呑む。

 主生活が暴力と宴会によって構成されていて、我ら天狗とは全くの正反対の存在だ。

 

 では何故、天狗と鬼が同じ場所で暮らしていた時期があったのか。

 答えは簡単、天狗と鬼のトップが親友という間柄だったからだ。

 

「そういえば天魔様、どうして鬼神様と親友になったのです?」

 

「……どうしてか? ふふ、本当にどうしてじゃろうな?」

 

 天魔様と私、空を優雅に飛行しながらそんな雑談をし始める。

 

「最初はお互い本気で殺しあってたというのに、気が付けば気が合うようになっていたな」

 

「はあ……その理由は分かったりしてます?」

 

 予想をするなら、殺し合いの果てに二人の間には友情が芽生えたとかそんな感じだろうか。

 それなら、ベタ過ぎで面白くない。

 

「ふむ、なんと言ったものか……お互いが共通のものに惹かれたから……じゃろうか」

 

「共通のものですか」

 

「あぁ、そうだ」

 

 もうひと踏みいきたいところだったが、もうすぐで目的地に着く。

 続きは目的を果たしてからにするとしよう。

 

 鬼は妖怪の山を離れた。

 その理由は私は知るよしもない。

 それなら、今鬼達はどこにいるのか……答えは『地獄』だ。

 

「いえ、『元』地獄でしたか」

 

 幻想郷の地下に広がる広大な地下空間、そこはかつて本物の地獄と呼ばれる場所だった。

 しかし時は流れ、地獄の場所が変更になるなりそこは捨てられ廃墟となった。

 そんな廃墟を利用して、社会を作ることにより住処としたのが、他でもない鬼達なのだ。

 

「今は『旧地獄』という名で通っておったか? ……全く、あんな空も見れない篭った空間の何が楽しいのやら」

 

 全くもって同感だ。

 なんで鬼達はあんな居心地の悪そうな場所に引っ越したのだろうか。

 まぁ、本音を言うと引っ越してくれて此方としては嬉しい話なのだが。

 

 そしてそんな鬼の住処への入り口が、今目の前に現れてしまった。

 

「そういえば天魔様、条約の件はよろしいので?」

 

 条約……それは地上の妖怪が地下へ踏み入ってはならないというものだ。

 旧地獄には鬼だけでなく、色々な危険な妖怪も住んでいるのだ。

 要するに地上の生き方に肌が合わなかったもの達だ。

 当然、そんな妖怪達が地上に住む者達を好ましく思っているわけもない。

 そこで地上と地下はお互いに不可侵の条約を結んだのだ。

 

「なに、バレなければ良いのだ。それに儂は単に旧友に会いに来ただけの……」

 

「? どうかなさいました?」

 

 天魔様がピタリと止まった。

 

「射命丸、後ろに一歩退がれ」

 

「え、あっはい……!?」

 

 言われた通り、後ろに一歩退がると、さっきまで私が立っていた場所の地面が大きく割れた。

 そして地中から、何やら大きな物体が空高く舞い上がった。

 

 危なかった、もしあれに巻き込まれていたら、今頃自身も天高く舞っていただろう。

 

「ぐへっ」

 

 そして物体……いや、見覚えのある妖怪が変な声を出して地面に衝突した。

 

「ほ、星熊様!?」

 

 その豪腕を浮かばせる屈強な体格と肉体、額に立派な赤色の角。

 それは紛れもなく、鬼の四天王の一角と言われる『星熊勇儀』という鬼だった。

 

 四天王の一角、そう言われるだけあって彼女は鬼の中でも強い部類に入る。

 そんな彼女が何故、まるでぼろ雑巾のように満身創痍になって地面に転がっているのか。

 

「いたたた……あれ、お前は確か」

 

 しまった、驚きのあまりついその場で固まってしまったが、早々に立ち去っておけば良かった。

 しかし残酷かな、既に起き上がった星熊様と目が合ってしまった。

 

「……そう、ブンブン丸だったけか。どうしたこんなところで」

 

「それは此方の台詞なのですが……あと射命丸です」

 

 別に覚えられて欲しいわけではないが、流石に名前を間違われるのは黙ってはいられない。

 

「のう、鬼神の子よ。儂ら鬼神の奴を訪ねて来たのだが、今あやつはいるか?」

 

 そして今のこの現状を見事にスルーして話を進める我らが天魔様。

 

「んー? おぉ、天魔様じゃないか! どうだ、一発私とヤりあわないか?」

 

 そしてナチュラルに喧嘩を売る星熊様。

 ふっ、どうやら常識を持ち合わせているのは今この場には私しかいないようだ。

 誰か助けて。

 

「また今度な、それより質問に答えてくれんか?」

 

「あぁそうだった、母上ならいるぞ。なんせ……」

 

 突如地面が揺れ出す。

 

「現在進行形で私と勝負している最中だからな」

 

 効果音をつけるとするならば、ドゴンだろうか。

 とにかく地面に大きな穴が開き、そこから何かがヒュッと飛び出してきた。

 

「あら、あらあらあらー? いけないですね、つい熱が入って地上まで勇儀ちゃんを吹っ飛ばしちゃいました」

 

 甘ったるい少女の声色、脳が揺さぶられそうだった。

 

「んー……しかもこれはサプライズですか? 天魔ちゃんまで何故かいるじゃないですかー」

 

 まるで新しい獲物を見つけた獣のように、その顔を笑顔で歪ませるそれは、まさしく人が恐れる妖怪(怪物)だった。

 

 ピンク色の髪に、天魔様の着物と似たような構造のピンク色の着物。

 全身が桜のようで、美しいその容姿と裏腹に、頭部の両側の側頭からは歪で、大きく湾曲した突起物が禍々しさを感じさせる。

 

 そう、これが『鬼神母神』だ。

 

「あーまてまて、今日は別に一戦しにきたわけじゃないぞ鬼神よ。それに、どうやら相手はいるようだが?」

 

「えー、そんなこと言わずにやりましょうよ。もちろん勇儀ちゃんと喧嘩するのは楽しいんですけど、やっぱり物足りなくて」

 

「はっはっは、そりゃ酷いよ母上」

 

 だめだ、めっちゃくちゃ怖い。

 鬼が二人もいて、片方は四天王、もう片方は頭領ときた。

 もうやめて、私の胃はもう限界ですよ、キリキリですよ。

 

「おや? そっちの天狗さんは……」

 

 あ、鬼神様が私を見た。

 なんか死にそう、私が。

 

「おう、こやつは射命丸文といってな。中々腕がたつし、速さなら儂の次くらいには速いぞ」

 

「ひゅへい!?」

 

 なんて事をなんてタイミングで言うのかこの天魔様は。

 そりゃ、確かに天狗の中ではそこそこの実力があると自負するくらいには自信があるのは確かだが。

 

「へぇ、それはそれは……」

 

 そして今度は獲物を見定めるような目つきで私を睨む鬼神様。

 やめてください、視線だけで死にそうです。

 

「射命丸さん、(わたくし)あなたの事をもっと知りたいです」

 

 気が付けば鬼神様が私の目の前にいて、私の両手をその真っ白な手で掴んでこう言った。

 

「だから、私とヤりませんか?」

 

 あ、やっぱり私死ぬわこれ。

 椛、はたて(親友達)、後のことは頼みましたよ。

 

「まぁ待て、若い芽を摘み取っては花は咲かないぞ。射命丸はまだ伸びしろがある、だから今は我慢しとけ」

 

「むぅ……」

 

 ……あれ、もしかして助かった?

 私生きてる?

 

「それに今日はもっと『良い事』を伝えに来たんだ、鬼神よ」

 

「良い事ですか? 一体何でしょうか」

 

 天魔様は、満遍の笑顔で言った。

 

「あやつが……『長耳』の奴が生きてたぞ」

 

 瞬間、空気が変わった。

 

「…………それ、は……本当ですか? 嘘ですか? 嘘じゃないですか? 嘘は嫌いですよ、本当なんですね? 本当に本当に……!?」

 

「あぁ、しかも幻想郷にいるみたいだ」

 

 ドス黒くて、肌にまとわり付くような気味の悪い妖気が鬼神様から溢れ出す。

 鬼神様な事をよく知らない私でも、こればっかりはすぐに理解した。

 

 この妖怪、ヤバイほど『興奮』してると。

 

「生きてた生きてたやっぱり生きてた! もう逢えないと思ってたのに!」

 

 その豹変ぶりに、私だけでなく星熊様までもが引き気味だった。

 天魔様は相変わらずだが。

 

 そして数分ばかりの時間が経つ。

 気が済んだのか、それとも興奮の絶頂が過ぎたのか知らないが、ふうっと一息ついた後に、鬼神様は呟いた。

 

「嗚呼……やはり長耳ちゃんは酷いです。私をこんなにも焦らすだなんて」

 

 

 

 

 




新キャラが一気に二名登場。
まだ出した情報が少ないため、困惑する方もいるとは思いますが、天魔様も鬼神様もストーリーに関係のあるキャラなのではい。

あとストーリーの都合上、あまり絡まないキャラや全く出番のないキャラがいます。
なのでそういったキャラは、番外編の方で登場させようかなと思っています。


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16話

 

 

 

 

 

「やっぱり足技より、拳を使った方が良いと思うのですよ」

 

「ふむ、同感だな。拳の方が殴った感触が伝わるからな、けれど鬼神よ、お前なら頭突きもありじゃないか? きっと拳よりも感触が心地良いかもだぞ」

 

「あらあら、それもそうですねぇ。お互いの頭蓋が砕けるまでしたいです」

 

 ……生きた心地がしないとはこの事だろう。

 背後から聞こえてくる物騒な会話を出来るだけ耳に入らないよう意識しながら、天魔様と鬼神様を連れて空を飛び続けるのはもはや一種の拷問のようだった。

 いつもなら感じられるはずの、風の心地良さなどが全く感じない。

 

 よし、案内を終えたらすぐにお暇させてもらおうそうしよう。

 

「……あの、改めてなんですけど、天魔様と鬼神様は鈴仙さんといつお知り合いになられたので?」

 

 気まずさと、好奇心を晴らすために質問することにしてみた。

 本当は鈴仙さん本人もいる場でこういった質問した方が良いのは確かだが、これくらいの質問なら片手間でやり取りできるので問題ないだろう。

 

「れいせんさん……? 誰ですかそれ?」

 

「鬼神よ、長耳のことだ。今はその呼び名で呼ばれてるらしいぞ」

 

「まぁ、そうだったのですか!」

 

 ふむ、先程から気になってはいたが、どうやら鈴仙という名ではなく、このお二方には『長耳』という名で通っているらしい。

 

「長耳ちゃんとは昔からの付き合いですよー」

 

「えっと、昔とは具体的にどれくらいで……?」

 

「……ずっと昔です!」

 

 しばらく首を傾げ、ハッと閃いたような様子で自信満々に言い放つ鬼神様。

 だめだ、この方は全くあてにならない。

 

「ふむ……儂も具体的な数は覚えとらんが、儂や鬼神の奴が生まれてまだ間もない頃だったかな。あやつと会ったのは」

 

 それならと思い、天魔様の方へアイコンタクトを送ると、そんな答えが返ってきた。

 

「え……それは本当ですか?」

 

「戯け、嘘を言ってどうする」

 

 まてまて、そうなると色々と話がおかしくなってくる。

 

 天魔様の証言が真実なら、鈴仙さんも天魔様や鬼神様と同じように『神代の妖怪』という事になってしまう。

 簡単に説明すると神代の妖怪というのは、現代の妖怪よりも遥かに途轍もない力を持つ妖怪だ。

 そして神代とは、まだこの地が誕生して間もない頃、ありとあらゆる生物が己の命を賭け、生存競争をしていた時代の事を指す。

 つまり神代の妖怪である天魔様と鬼神様は、そんな世紀末の時代を生き抜いた絶対的強者だ。

 

 何が言いたいかと言うと、ぶっちゃけあの鈴仙さんがこのお二方のような強い(恐ろしい)妖怪には見えないのだ。

 しかも鈴仙さんに以前直接聞いた話では、鈴仙さんは十数年前に月から来たと言っていた。

 生まれも育ちも月で、生まれてからまだ二十年くらいだとも聞いた。

 

 辻褄が全く合わない。

 

 しかし天魔様は勿論、スリーサイズを訊ねてみたら何の躊躇いもなく素直に答え、お風呂の時に一番最初に洗う所はどこかという質問にも普通に答え、酒に酔った勢いでセクハラをかましても笑……ってはいなかったが、普通に許してくれる善意の塊でもあるあの鈴仙さんが嘘をつくとは考え難い。

 

 つまりこれは……

 

「どういう事なんでしょうか?」

 

 もしかしたら全てが勘違いからくる何かの間違いかもしれないが、同時に真実である可能性もなくはないこの状況。

 いくら頭を捻っても答えが出るはずが無く、結局まずは鈴仙さんに会わなくては何も始まらないという結論がでた。

 

「のう射命丸、迷いの竹林とやらはまだか?」

 

「私、はやく長耳ちゃんに逢いたいです」

 

「まぁまぁお二方、焦らなくてももうすぐ……ほら、あれですよ」

 

 ようやく迷いの竹林上空にたどり着いた。

 しかしここからが問題だ。

 

「ほう……ただ竹藪が生えているだけではないようだな。薄っすらとだが、地脈の力を感じるな」

 

 そう、迷いの竹林は名前負けなぞしていないのだ。

 下手に踏み入れば、妖怪だって方向感覚を失う程の力がこの竹林にはあるのだ。

 そして目的の鈴仙さんは、竹林の何処かに存在する永遠亭という所にいる。

 おまけに天魔様達は勿論、私も竹林を迷わずに進める自信は全くないのだ。

 

「むぅ、面倒くさいですね。もう竹藪ごと全部吹っ飛ばしちゃいましょう」

 

「やめろ鬼神よ、この竹林だって幻想郷の一部だ。下手に壊せば八雲のやつが泣くぞ? それに『月にこっそりついてった』時、勝手な真似はもうするなと釘を刺されたろうに、儂らは」

 

「むー、そうでした……こんな事なら、あの時天魔ちゃんの誘いに乗るんじゃなかったです」

 

「なんじゃと、お前さんも結構乗り気だったじゃないか。それにあの刀を持った人間、あやつとヤりあってた時のお前さんの顔、まさにノリノリだったろうに」

 

「おやぁ、悔しいんですか天魔ちゃん? 本当は天魔ちゃんだってあの人間とヤりたかったんでしょ? ごめんなさいねぇ、私だけが楽しんじゃって」

 

「何、気にするな気にするな。何なら今この場で楽しませてもらうのもまた一興じゃが……どうする鬼神よ」

 

「ふふふ……売られた喧嘩は買うっていう言葉、私好きですよ」

 

 背筋が氷自体になったかのように冷たく感じた。

 全身から冷や汗が止まらず、自然と呼吸が乱れてしまう。

 

「お、落ち着いてください! ほ、ほら、私たちは鈴仙さんに会いに来たんですよ!」

 

 よく声を出せたと、自分で自分を褒めたくなった。

 すると効果があったのか、さっきまでのが嘘だったかのように凍りついていた空気が一瞬で消えた。

 

「うむ、そうだったな。今は何より長耳のやつの方が最優先だった」

 

「いけないですね、本来の目的を忘れるなんて……流石に歳だからでしょうか」

 

 多分私は今、幻想郷を救ったのではないだろうか。

 

「おや……あれは確か」

 

 ホッと一息をつくと、竹林の入り口周辺で見覚えのある人影が見えた。

 あの人影は……そう、確か藤原妹紅という人間だったはず。

 

「あやや、これはついてますね」

 

 そしてあの人間は、私の記憶違いでなければだが、迷いの竹林の地理を完全に把握しているはずだ。

 まさに今の状況にうってつけの案内人だ。

 

「なんだ射命丸、あの人間が……いや、人間か? 妙な気配だが……まぁ良いか、あの人間がどうかしたのか?」

 

「朗報ですよお二方、あの人間はこの竹林を迷わずに進める数少ない案内人なるものです」

 

「まぁ……! それは凄いですね!」

 

 そうとなれば、次にする事は決まっている。

 

「すいませーん、そこの藤原妹紅さん。ちょっとよろしいですか?」

 

「んあ? ……お前は確か……新聞丸だっけ?」

 

「いえ、射命丸です」

 

 そんな覚えにくい名前ではないはずなのだが……これは新手のいじめだろうか。

 

「なんだ、珍しく連れがいるんだな。助手でも雇ったのか?」

 

 何も知らないというのは本当に気楽で、愚かだと思う。

 いや、寧ろ今本当に助手なるものを連れていたとしたらどれだけ気が楽だったろうか。

 残念ながら現実は厳しく、助手ではなく天魔様と鬼神様という私が一生頭が上がらない妖怪達なのだが。

 

「……あなた、闘い慣れてますね。それも命の奪い合いに関して」

 

「へぇ、一目でそんな事まで分かっちゃうの? 妖怪ってのは本当不思議だな……まぁ昔の話だよ、最近は牙を抜きっぱなしなんだ」

 

「んふふ、それでも常に警戒を解かないその姿勢……私、そういう人間大好きですよ? えぇ、本当に滅茶苦茶にしたくなるくらい」

 

「さて、本当に滅茶苦茶にしてくれるのか? それなら大歓迎だ、ぜひ生き返れなくなるぐらいしてくれ」

 

 あーどうしてこう幻想郷には血の気の多い連中ばっかなのだろうか。

 寧ろ今までよく無事だったと不思議に思うくらい。

 あの八雲紫も、もしかしたら知らぬ所で色々と苦労をしているのかもしれない。

 

「だからやめろと言っておろうに。射命丸、儂らは邪魔にならんよう離れた所で待機しとるから、交渉は任せたぞ」

 

「うぅ、せっかく久し振りにヤりがいのありそうな人間なのにぃ。角引っ張らないでくださいよ天魔ちゃんー」

 

 ズルズルと鬼神様の角を掴んで離れて行く天魔様。

 よかった、天魔様が鬼神様ほど好戦的な性格じゃなくて。

 でなければ既に幻想郷は滅んでいただろう。

 

「その、なんだ……お前も苦労してるんだな」

 

「同情は結構です、その代わり一つ頼み事がありましてはい」

 

「頼み事? まぁ暇を潰せる内容なら良いぞ」

 

 つまり今暇を持て余してるということだろうか。

 まぁそれなら願っても無いチャンスだ。

 

「実はですね、我々永遠亭に用がありまして。それでこの竹林に詳しい藤原さんには道案内をと……」

 

 私がそう言うと、少し怪訝そうな顔をする藤原妹紅。

 

「永遠亭に……? 一体何の用なんだよ」

 

「まぁ永遠亭というか、鈴仙さんに用なんですけど……少しお話を伺いにですね」

 

「ふーん、鈴仙ちゃんに……ね。残念だけど、それは叶いそうにないかな」

 

「……それはどういう意味で?」

 

「あー、勘違いするなよ。別にお前が悪いとかそういう意味じゃなくてだな、実はさっきまで永遠亭に遊びに行ったんだよ私」

 

 成る程、つまり私達が藤原さんを発見した時、丁度帰り途中だったというわけだ。

 

「そしたら、鈴仙ちゃんは留守だったんだ。なんでも少し前に、薬の材料になる薬草を採りに出掛けたとかなんとか」

 

「……マジですか」

 

 なんとタイミングの悪いことだ。

 

「えっと、行き先とかは……」

 

「すまんな、聞いてない。というか私は輝夜の奴に用があって行ったんだ。鈴仙ちゃんの個人スケジュールなんて把握してないし、するつもりもなかったからな」

 

 まぁそうだろう。

 しかし困った……留守という可能性を考慮していなかった此方のミスでもあるのだが。

 

 選択肢としては、日を改めるか、永遠亭に行って鈴仙さんの帰りを待つという手がある。

 どちらにせよ、私個人で決めるわけにはいかない。

 

「えっと、申し訳ないですけど、少し待っててもらえません?」

 

「あぁ、別に構わないよ」

 

 藤原さんにはその場で待機してもらって、少し離れた所で待機している天魔様達の所へ向かう。

 

「……あの、天魔様」

 

「おぉ射命丸、話は聞こえてたぞ。まさか留守とはなぁ……儂としては出来る限りあやつに会いたいから、日を改めるのはなしにしたいんじゃが」

 

「いえ、そうではなく……鬼神様はどちらへ?」

 

 天魔様の元へ向かってすぐに気付いた。

 鬼神様の姿が見えなくなっていた。

 

「ん? 鬼神の奴なら儂の背後に……」

 

 天魔様が背後に振り向く。

 当然、そこには鬼神様なんて居ない。

 

「……ふっ、儂に気付かれず気配を完全に消して何処かへ行くとはな。力だけの脳筋馬鹿だと思っていたが、鬼神のやつめ……いつのまにか腕を上げたようだな。いやはや、流石だ」

 

「感心してる場合ではないですよ!?」

 

 おそらくだが、天魔様が聞こえていたように鬼神様も私と藤原さんの会話は聞こえていたのだろう。

 そして居ても立っても居られなくなったのか、鈴仙さんを待つのではなく、探しにこっちから出向こうという考えに行き着いたのではないか。

 

 そして間違いなく鬼神様は、野放しにしていてはいけないタイプだ。

 

「まだ遠くへは行ってないはずだ、連れ戻すぞ射命丸。儂を出し抜いて長耳の奴に先に会おうなんて絶対に許さんぞ鬼神め」

 

 あ、怒る所そこなんだ。

 

 というか、何故この二人はそんなに鈴仙さんにご執心なのだろうか……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 声のないクシャミがでた。

 誰か自分の噂でもしたのだろうか。

 

 現在自分は魔法の森入り口付近にいる。

 理由は幻覚作用がある植物の採取だ。

 師匠曰く新しい薬の材料に必要になるとのことで、こうして自分がその役目を担っているのだ。

 

 今日は少し嫌な予感というか胸騒ぎがしていたので、もしかしたら道中何かあるのではないかと身構えていたのだが、杞憂だったようだ。

 目的の植物も普通に発見できたし、後は帰るだけなのだが……

 

(確か魔理沙ちゃん、この森に住んでるって言ってたな……様子を見に行くのもありかな)

 

 大手道具屋の娘から、なんと家出魔法使いに転職した魔理沙ちゃん。

 しかしまだあの子は子供だ。

 今すぐ父親の元へ戻れなんて説教をする気はないが、自分だって顔見知りの子供が一人暮らしをしているとなれば、心配の一つや二つはする。

 

(さて、魔理沙ちゃんはと……んー、三つ反応があるな)

 

 波長のレーダーを意図的に広げ、少女魔理沙の波長を探る。

 すると魔法の森及びその周辺に三つの高度な波長を拾えた。

 一つは……あ、これアリスさんのか。

 そういえば彼女もこの森に住んでいるらしいし、不思議なことではないだろう。

 二つめは……知らない波長だ。

 けれども、どこか慧音さんと同じような感じがする。

 

(ということは三つ目が……よし、ビンゴ)

 

 三つ目は間違いなく魔理沙ちゃんの波長だった。

 

(この距離なら森の中を突っ切った方が速いかな……ん、あれ?)

 

 不意にレーダーが『四つ目の波長』を捉えた。

 出所は……

 

「長耳ちゃんみーつけた」

 

 背後から甘ったるい声がした。

 それと同時に、直感というべきか、本能というべきかは判らないが、『すぐにその場を離れろ』という声が自らの内側から聞こえた気がした。

 

「えいっ!」

 

 カラダが勝手に動く。

 右脚で大地を思い切り踏み、跳躍の勢いで横に逸れる。

 

 すると、着物のような衣服を身につけたサクラ色の妖怪(化け物)が、さっきまで自分がいた場所に、拳による突きを繰り出しているのが一瞬視界に入った。

 

 ーー轟音が響く。

 まるで暴風のように、妖怪の空振りした拳によって、直線上にあった木々が消し飛び、薙ぎ倒された。

 

「ふふ……ふふふふふ! 再会の挨拶くらい素直に受け取ってくれても良いじゃないですかぁ。ながみみちゃぁん……」

 

 息を荒くして、顔の表情を笑顔という表現によって歪ませるそれは言った。

 

「……長耳ちゃんは酷いです、私に一生忘れられないモノをあなたは刻んだというのに……それなのに、勝手にいなくなるだなんて。私、焦らされるのはわりと好きですけど、限度だってあるんですよ? ……けれど私待ちました、待ち続けました。またあなたと楽しい楽しいひと時を過ごす事を夢見て」

 

 この妖怪が何を言っているのか全くわからない……が、一つだけハッキリした。

 

「さぁ、賭けるは互いの命……私があなたを殺すか、あなたが私を殺すか、楽しみですね」

 

『嗚呼、面倒くさい奴に絡まれてしまった』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「射命丸よ、鬼神の奴が怖いか?」

 

「え?」

 

 天魔様と共に、鬼神様の捜索をしていると、突然そう聞かれた。

 

「よい、正直に答えよ。あやつが怖いのだろう? 闘いに己の命を投げ出すあやつの行動、思考が恐ろしく、愚かだと思うのだろう?」

 

「えー……まぁ、そうですね。正直理解できないというか何と言いますか」

 

 妖怪だって死を恐れる事はある。

 いくら力を持とうが、死んでしまえば全てが無に等しくなる。

 そう考えると、そこは人間と何ら変わりはないのだなと感じる。

 

 しかし、中には変わり者もいる。

 妖怪として、自身の力を最大限に振るい、闘いにその命を燃やすモノもいる。

 それ自体は別に不思議な事ではないだろう。

 

 けれど、あの鬼神母神は何処かおかしいのだ。

 基本的に『闘い自体』が好きな妖怪は、自身のその力を発揮する事に快感を感じる。

 だから、そんな妖怪でも進んで死にたいとはあまり思わないだろう。

 死んでしまえば、もうその力を振るうことができなくなるから。

 

 しかし鬼神母神は、闘いによる『命の奪い合い』に快感を異常なまでに感じる妖怪なのだ。

 例えその結果が、自身の死だとしても、最期の瞬間まできっとあの妖怪は快楽を抱き続けるのだろう。

 

「ふ、まあ無理もあるまいて……現代を生きる妖怪には到底理解できんだろうしな。なに、別にそれを理解しろとは言わんが……ただ、否定だけはしてやらないでほしいんだ」

 

「否定……ですか?」

 

「あぁ、儂や鬼神、それと長耳の奴もか。神代と呼ばれる時代に生まれた儂らは、正確に言えば現代()の妖怪とは全く違うモノだ」

 

 今の妖怪とは全く違う……?

 

「神秘が薄れ、この世が人間の時代へとなったその時から、妖怪とは人の恐怖心といった概念から生まれる存在となった……しかし儂らは違う、神代の時代に生きる妖怪と呼ばれたモノは、純粋な生命体として存在していたのだ」

 

 純粋な生命体……それはつまり、人間のような『種』としてということだろうか。

 

「故に、儂らに人の恐れといった恐怖心などは必要なく、ただ一つの生命体として存在する事ができている。それこそ人間みたいにな……ただ、問題もあった」

 

 少し遠い目をする天魔様。

 

「あの時代に生きる妖怪とは、知性の欠片すらない獣同然じゃった。只々、自分以外の生命を害することしか脳がない……只の獣だ。だからだろう、必然的に闘争本能にしか愉悦を得られなかったのだ……相手をどう殺し、何処から糧にするのか。それだけが全てだった」

 

「……えっと、つまり天魔様も鬼神様もかつてはそうだったと?」

 

「そうじゃが……信じられんか?」

 

「いえ、そういうわけでは……」

 

 ただ単に驚いただけだ。

 しかしそれが真実なら、今のお二方はどうやって知恵を身につけ、今に至るのか……という疑問が次にやってくる。

 

「まぁつまりだな、何が言いたいかと言うと、鬼神の奴があんな風になったのは仕方の無い事だということだ。むしろ知恵を得てからは、大人しくなった方だしな……だから多少は許容してやってほしい、それに付き合ってみると中々面白い奴だぞ?」

 

 ……あれで昔よりは大人しくなったというのか。

 もしその頃の鬼神様に私が出会ったとしたら、きっと恐怖で気絶してしまうだろう。

 

「……えっと、それじゃあ天魔様も鬼神様のような考えをお持ちなのです?」

 

「儂か? そうじゃな、鬼神の奴ほどではないが……ぶっちゃけ闘うのは好きだ。何というか……今生きているって感じがたまらないな!」

 

 豪快に笑い飛ばす天魔様。

 すいません、私は笑えないです。

 むしろ上司の隠された性癖を知ってしまった新人社員のような、そんな後悔が残った。

 

「安心せい、儂は殆ど枯れとる。たまーに血がたぎる様な闘争をしたいと思う程度だ」

 

「たまにはあるんですか……」

 

 それが私の前で爆発する事がない様に祈っておこう。

 

「あれ……ということは鈴仙さんも?」

 

 ふとそんな疑問が湧いてきた。

 鈴仙さんが本当に天魔様達と同じだとしよう。

 となると、あの無表情の裏側には……あ、なんか怖くなってきた。

 次に顔を合わせるとき、どんな顔をすれば良いのかわからなくなってきた。

 

「ハッハッハ! それも安心せい射命丸、長耳の奴は儂らとは正反対だ。闘いなんてどうでも良く思っているだけでなく、むしろ面倒くさがるやつだ」

 

「そう……なんですか? あれ、でも鈴仙さんも神代に生きた方なんですよね?」

 

 それなら、否が応でも鈴仙さんも闘い大好きな戦闘狂になっていると思うのだが……?

 

「うむ……確かにそうなのだが、あやつはちと『変わった』奴でな。儂や鬼神の奴が初めて会った時から、既に知恵を得ていた……それだけじゃなく、『人間の真似事』をしていたんじゃ」

 

 人間の真似事?

 

「そう、真似事じゃ。人間の姿に身を変え、人間の言葉を真似て喋っておった……何とも異質な奴じゃったよ。しかもある時期には、何処から連れてきたのか、『コムスメ』と呼ぶ人間の子供を毎日の様に連れ添っていたな」

 

 あれを今で言うと、『家族ごっこ』をしている様に見えたと天魔様は最後に言った。

 

「まぁそんな奴の生き方に儂らも惹かれたんだがな! ただ暴れ回る獣より、こうして人間の真似事をしてた方が楽しいし、何より人間の姿は色々と便利だしな! いやはや、手足は二本ずつの方が使いやすいとは最初は思いもしなかったもんだ……今ではもう『本来の姿』に戻らなくても良いと思うくらいだな」

 

「は、はは……」

 

 苦笑いしか出なかった。

 その『本来の姿』とやらがどんなものか興味が無くもないが、好奇心猫を殺す。

 知らないでいた方が良い気がしたので、ここは自身の直感を信じるとしよう。

 

 しかしそうか……天魔様や鬼神様が何故鈴仙さんにあそこまで夢中なのか少しわかった気がした。

 

「む、これはまさか……」

 

「どうかしましたか?」

 

 天魔様が急停止をした。

 

「……鬼神の奴め、どうやら長耳の奴を見つけた様だな」

 

「え……?」

 

 神経を研ぎ澄ませ、風の流れを感じとる……すると風に乗って、気分が悪くなる様な妖力を感じた。

 間違いない、これは鬼神様のものだ。

 

「……方角的に魔法の森の方からですね、あっちの方角です」

 

「ちっ……当てが外れたか。見事に逆方向を探してしまったわけだな儂たちは……急ぐぞ射命丸」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 強くなければ、生きる事すら許されない。

 かつての私はそう思っていて、それを信じていた。

 

「あはは、楽しいですね長耳ちゃん!」

 

 ーー右の拳が、彼女の脇腹をえぐる。

 

 何故なら、そう信じなくては生きる意味を持てなかったから。

 

「ほらほら、どうです? 私、あの頃より強くなったでしょう!? いくら長耳ちゃんでも、油断してると本当に死んじゃいますよ!」

 

 ーー左脚が、彼女の右腕を砕く。

 

 けれど、ある時私は変わった。

 ある妖怪との出会いだけで、私の世界は大きく変わった。

 何より、その妖怪を『殺してみたい、殺されてみたい』と強く思った。

 

「反撃しないんですかぁ? ……いえ、いつも長耳ちゃんはそうでしたね、いつもいつも余裕な態度で、決して本気を出してくれなかった」

 

 ーー左の拳が、彼女の腹を突き破る。

 

 また逢いたい、今度こそ本気の殺し合いをしたい。

 ただそれだけを胸に抱いて、私は今まで生きてきた。

 

「けど、これで本気……出してくれますよね? 長耳ちゃん」

 

 ーー拳を引き抜き、彼女の中身をぐちゃぐちゃにして外に引っ張り出す。

 

 彼女の真っ赤な血を全身に感じながら、倒れ伏した彼女を見つめる。

 

 嗚呼、これでようやく本気の彼女に出会える……

 

「…………」

 

 しかしいくら待てど、彼女は動かない。

 おかしい、そんなはずはない。

 彼女がこの程度で死ぬ筈がない。

 何かの間違いだ。

 

 だからはやく起き上がって、私を殺してみて。

 

 

 雨が降り出した。

 冷たい水の塊が、血みどろの地面と混ざり合う。

 

「……えっ?」

 

 次の瞬間、腹部に久方振りの痛みが走った。

 血が口まで逆流するのを感じながら、自身の腹部に目をやった。

 そこには、砕いた筈の彼女の拳が深く突き刺さっていた。

 

「……ふふ、やっぱり長耳ちゃんは酷くて、優しいです。一度ガッカリさせながらも、期待を裏切らないだなんて……だから私はあなたの事が」

 

 ーー両手が砕かれた。

 ーー次に脚がズタズタにされた。

 ーー身体中が激しい痛みを訴える。

 

 時間にすれば一瞬の事だったろう。

 既に満身創痍にされた私は、激しい興奮を感じながらも、昔と全く同じように『口元をニヤつかせる』彼女に向かって突撃を繰り出す。

 まだだ、まだヤれる。

 残った力を、怪我の治癒ではなく、自らの両角に込め、彼女を貫こうとばかりに一直線に突進をした。

 

「あんっ……掴まれちゃいました」

 

 しかし、渾身の突進は角を掴まれ破られた。

 そして片方の角が彼女によって折られた。

 

「あっ……だめです、私まだやれ……ます」

 

 彼女の赤い瞳が私を見つめる。

 それと同時に意識が薄れていく。

 

 だめ……まだ、この楽しい時間を味わっていたい。

 一分一秒でも長く、彼女と触れ合いたい(殺しあいたい)

 

『気が向いたらまた相手をしてやる、だから今日はもうお開きだ』

 

 薄れゆく意識の中、懐かしい彼女の声が聞こえた気がした。

 

「ほんと……ですね? わたくし、うそはきらいで……す」

 

 意識が消える。

 暗闇の中へと落ちる感覚が、段々と心地良く感じ始めた。

 

 

 

 




だいぶ物語の核心へと近づいたかなと思います。
あともう一話執筆したら、番外編の方も投稿致します!


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17話

 

 

 

 

 

「おう、生きとるか鬼神」

 

「…………」

 

「お、遂に死んだか?」

 

「……残念ながらぁ、生きてます」

 

 閉じていた瞼を開け、生存報告をした親友。

 

「それは本当に残念だったな、それにしても……随分派手にやられたようじゃな。肩を貸そうか?」

 

「はい、お願いします天魔ちゃん」

 

 腹にどデカイ風穴が空いているというのに、随分と元気そうな声だった。

 

「よっこいせ……なぁ鬼神よ、怪我の治癒すら出来ないほど力を使ったのか? ……いや、それはないな。それならば今頃この地は荒野と化してるだろうし」

 

「はぁい、その気になればこんな怪我直ぐに治りますよ? けど……」

 

「けど?」

 

「この痛み、せっかく長耳ちゃんが刻んでくれたので、しばらく味わっていたいなーって」

 

「やっぱり自分で歩けこの戯けが」

 

「あんっ……嗚呼、傷口が広がってとても痛いです」

 

 担いでいた手を緩めると、わざとらしく地面に落ちる鬼神。

 正直苛ついた。

 

「本音は?」

 

「はい、痛くてとっても気持ち良いです!」

 

 儂、知ってる。

 こいつみたいな奴を人間の間では『ドエムのヘンタイ』って言うことを。

 

「それと射命丸、写真を撮るのは構わんが、それを記事にするでないぞ」

 

「えっ、何でですか!?」

 

 こやつからしたら、この惨状は特大のネタになるのだろう。

 分かりやすいくらい、大袈裟に反応をした。

 

「まだ此処で暴れたのは鬼神の奴だと、八雲の奴にはバレてないみたいだしな、ならば最後まで隠し通す。なに、何か問い詰められても知らん顔しとけば良いだけの話だしな」

 

 今更こんな住みやすい場所から追い出されるのは御免だし、何より長耳の奴がいるとなったら尚更だ。

 

「ほれ、さっさとあの白髪の人間の所まで戻るぞ。長耳の奴も住処に戻ってるかもしれんしな。それと鬼神よ、ちゃんと長耳の奴に次あったら謝っておけよ。いくら久し振りの再会だからって、流石にいきなり襲い掛かったらいくらあいつでも怒るじゃろ」

 

「わかってますよー、でもついつい興奮が抑えきれなくて……」

 

「あと儂にも謝れ、せっかく長耳の奴の事教えに行って誘ってやったというのに、お前という奴は儂を出し抜いてからに」

 

「御免なさい、許して天魔ちゃん」

 

「うむ、許す」

 

「仲良いですねお二方……それにしても、『鬼の頭領ついに敗北!』、なんて見出しまで考えたというのに記事にできないとは……しかし、まさかあの鈴仙さんが本当に……?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 気が付いたら服がボロボロになって、迷いの竹林にいた。

 何を言っているのか分からないと思うが、自分でも本当によく分からない。

 

(なんでこんなズタボロに……しかもこれ、血かな? うわぁ、もうこの服は捨てなきゃだな)

 

 おまけに謎の血が大量に付着している。

 流石にこれを修繕する事は不可能だろう。

 というか、服としての機能をもう果たしてないし、下着までボロボロになっているせいか、もう上も下も色々と丸見えだ。

 下手したら痴女扱いだこれ。

 

(確か魔法の森に薬の材料を取りに行って……それからどうしたんだっけ?)

 

 魔法の森へと向かった事はハッキリと覚えている。

 しかしそこからの記憶が全く無い。

 

(派手に転んだか、野良妖怪にでも襲われたのかなぁ。それで打ち所が悪くて記憶が飛んだとか……でもこの血、私のじゃないっぽいしなぁ)

 

 服はボロボロ、血はべっとりと付着しているが、自分の身体には傷一つ付いていないようだ。

 うーん、本当に何があったのだろうか。

 

 まぁともかく一度永遠亭に戻るべきだろう。

 こんな格好で外を出歩く趣味はないし。

 

 道中何かあるかもしれないと、警戒をしながら道を進む。

 

(うわ、こんな所にも血が……洗って落ちるのかなこれ)

 

 そんな心配をしながら進んでいると、何事もなく永遠亭にたどり着いた。

 結局何があったのかカケラも思い出せないまま帰宅してしまったわけだが……この状況を師匠にどう報告すれば良いのやら。

 外へとお使いに出したら、手ぶらなうえ見た目ボロボロの状態で弟子が帰ってきたら、流石の師匠も言葉を失うのではないだろうか。

 

(……よし、派手にすっ転んだという事にしておこう)

 

 押しに弱い師匠なら割と押し通せるのではないか、そう思ったので賭けてみる事にしよう。

 何、嘘も時には真実になる。

 何より、変な心配を掛けさせたくはないし。

 

(ただいまーっと……)

 

 出来る限り静かに玄関を開ける。

 なんか悪い事をして、家に帰り辛くなった子供の気分だ。

 

(……誰もいないかな)

 

 いつもなら高確率で師匠が玄関近くにいるのだが、今回はいないようだ。

 それはそれで好都合、このまま能力で存在を薄くしつつ、気付かれないように衣服の処分と血を洗い流してしまえば余計な心配を掛けさせる事は無くなるだろう。

 

(……ん、あれ? 能力が使えない……?)

 

 しかし何故か能力が上手く使えない。

 まるで何かの『反動』で、動かない感覚がした。

 おまけにさっきから何か違和感があると思ったら、無意識で発動させてるレーダーすらも今は停止中のようだ。

 

(ぐっ……何か意識しだしたら変な脱力感も……)

 

 途端に、疲れのような疲労感が襲ってきた。

 立っていられない、瞼が閉じそうだ、意識が消えそうだ……

 

「あれ、鈴仙帰ってきたの?」

 

 薄れていく意識の中、姫様の声が聞こえた。

 

「……え、ちょっと! どうしたのよその怪我! 鈴仙!?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ただの疲労ね」

 

「……疲労?」

 

 少し鼻声で、目元が少し腫れている永琳が鈴仙の部屋から出てきた。

 突然倒れた鈴仙を永琳と共に運び出し、血塗れでボロボロの衣服を剥ぎ取り、すぐに永琳による診察が行われた。

 ……しかしあそこまで取り乱した永琳は初めてみたが、流石にそれをからかうネタにする程腐ってはいない。

 

 そして待つ事数十分、どうやら結果は疲労らしい。

 

「え、いやいや……あんな血塗れでただの疲労って事はないでしょ。もしかしてボケた永琳?」

 

「殴るわよ……正確には疲労に似た状態ね。過度な力が身体や精神に負荷を掛けたみたい。実際ウドンゲの体には傷口どころか擦り傷一つすらなかったし、『倒れた原因』はそれしかないのよ」

 

 ふむ、倒れた原因は……ね。

 

「じゃあ、どうして倒れるほど疲労が溜まったのか……それが問題ってわけね?」

 

「えぇ、しかも気になる点がいくつかあったわ……まず衣服の損傷、明らかに外側から内側に向かって破けてた、つまり何らかの力が外から働いて、衣服を裂いた」

 

「つまり『何者かに攻撃』されたってこと?」

 

 永琳は頷く。

 

「それと付着していた血……返り血のような跡もいくつかあったけど、一部……特に腹部の辺りは明らかに『体から出血して付着』したような跡があったわ」

 

 それは要するに、鈴仙も出血をしたという事だ。

 しかし鈴仙の体には傷が無かった……

 

「……じゃあ鈴仙は怪我を負ったけど、すぐに治癒したのね」

 

「そうね、けど大怪我だったのは間違いないわ。きっと怪我の治癒に力を使った……そしてそれが相当な負荷になったようね」

 

 整理するとこうだ。

 鈴仙は何者かに攻撃、怪我を負った。

 返り血があったという事は、必死の抵抗をしたのだろう。

 そしてその場は凌いで、何とか帰宅を果たしたが、蓄積された疲労で倒れた……というところだろう。

 

「しかもこれ、スペルカード戦をしたってわけじゃなさそうね」

 

 かつては妹紅と殺し合いをし、今ではよくスペルカード戦をする仲だ。

 どのくらいの力で、どれ程の怪我を負うのかはすぐにわかる。

 そして明らかに、鈴仙の場合はスペルカード戦の域を超えている。

 

「つまりウドンゲは殺意による攻撃を受けた……でも誰が?」

 

 自慢をするわけではないが、我が家の鈴仙は誰かに怨みを持たれるような行動はしない。

 そこら辺の弱小の野良妖怪にすら善意を振りまくような性格だし、善意を悪意でしか返せない輩でなければ怨まれたりするはずがない。

 

 可能性としては、単に見境がない輩に襲われたか、それとも……

 

「……永琳、まさかとは思うけど」

 

「そんなわけない! 地上への通路は完全に閉ざしたはずよ!」

 

 私が言おうとしてた事を察し、声を張り上げる永琳。

 

「けど永琳が言ってたじゃない、『普通の手段では通る事は出来ない』って……つまり普通の手段じゃなければあいつらはここに来られるってことなんでしょ?」

 

「……えぇそうよ。表の通路を使わないで、月から地上に行く方法は今のところ二つあるわ」

 

 苦虫を噛み潰したような険しい表情で永琳は語り始めた。

 

「一つは『月の羽衣』を使っての移動、二つ目は特殊な能力を使うことね」

 

 月の羽衣は私も聞いたことがある。

 行き来するのに時間がかかる原始的なものではあるが、れっきとした一種の乗り物……月の光を編み込んでできた羽衣だ。

 

「月の羽衣は二つあるわ、一つはここ永遠亭に、もう一つは月にあるでしょうけど……あの羽衣はもう作る事はできないわ。だから最後の一つは貴重な物として厳重に保管されてるはずだから、そう容易に使えるわけがない。おまけに定員は一人分だし、羽衣を使う確率はゼロに等しい」

 

 二つだけ……まさかそんな貴重な物が永遠亭にあるとは驚きだ。

 もしかして永琳が月から逃げ出す際持ち出したのだろうか。

 

「いえ、ここにあるのはウドンゲが地上に降りる時に使ってたものよ」

 

 え、そうだったのか……確かに鈴仙がどうやって地上に来たのか気にはなっていたのだが、まさか超レアアイテムを使っていたとは。

 

「じゃあもう一つの方法は?」

 

「……私の教え子の一人に、月と地上を行き来するのに応用できる能力を開花させた子がいたわ。その子の能力なら表の通路を使う事なく地上に来れる」

 

 表の通路を使わない……つまり独自の通路を自分で開く事ができる系統のものだろう。

 その点なら、あの八雲紫と少し似通っているかもしれない。

 

「けれど満月に近い日でないと使えないという制約もあるはずよ、そして今日は新月……」

 

 成る程、満月と正反対の新月には通路を開く事はできないということか。

 

「んー……もしかして前に異変を起こしたあの日、既に通路を開いて今の今まで潜伏してた……とかかしら」

 

「……あり得なくはないけど、する必要性が考え付かないわね。あっちが私達の考えを読んでたとは思えない」

 

 考えれば考えるほど疑問が出てくる。

 これではキリがない。

 

「……やっぱり鈴仙が起きるまで待って、本人に聞くしかなさそうね」

 

「そうね、それまで屋敷の結界を強化しておいて……」

 

 瞬間、玄関の戸が叩かれた。

 

「……輝夜、貴女は奥に」

 

「いやよ、鈴仙の事が好きなのは永琳だけじゃないのよ?」

 

「わ、私は好きというか……!」

 

 なんてやり取りもしつつ、警戒を続ける。

 

『おーい、輝夜ー、薬師ー、いないのかー?』

 

 ……なんだか気が抜けてしまった。

 

「なんだ、もこたんか……忘れ物でもしたのかしら」

 

「待ちなさい輝夜、油断はしちゃダメ」

 

 そんな永琳の声を背に、玄関へ向かう。

 なに、私や永琳は不死だ。

 仮にいきなり頭を吹き飛ばされようが何も問題はない。

 

「どうしたのもこたん、まだ遊び足らなかったかしら」

 

「もこたん言うな……客を連れて来てやったんだよ」

 

「客?」

 

 玄関を開けると、そこには妹紅と見覚えのある鴉天狗……それと初見の妖怪が二人いた。

 そして片方は何故か血みどろの着物を着ている。

 一体何の集まりだこれは。

 

「あ、あなた達は……!」

 

 後ろから見ていた永琳が、その面子を見て驚愕の声をあげた。

 

「んー? ……あぁ! お前はコムスメ! コムスメじゃないか!」

 

「……本当ですねぇ、コムスメちゃんじゃないですかぁ。お久しぶりです」

 

 それに合わせたかのように、初見の妖怪達が永琳を見るなりそう言った。

 ……というか、小娘?

 

「その呼び方はやめなさい! くっ、そうよ……そこの笑顔がうざったい鴉天狗と、小っちゃい鬼を宴会で見た時気付くべきだったわ。こいつらの眷族だってことに……」

 

「あやや、今さり気無く私貶されました? ディスられました?」

 

 どうやら永琳はこの妖怪達と顔見知りなようだが……

 

「やっぱりお主が長耳の奴を連れ去って行ったんじゃな! 狡いぞ独り占めするなんて!」

 

「そうですそうです! 長耳ちゃんは皆んなのモノです、仲良く分かち合わなきゃいけないんですよ!」

 

「ち、違うわよ! 連れ去ってなんか……! というか、さてはあなた達ね! うちのウドンゲをあんなにしたのは!」

 

 なんとも珍しい。

 あの永琳が感情のままに怒鳴り散らしてる。

 

「うどんげってなんじゃ!? 新しいうどんか!? うむ、何か儂食べたくなってきたぞ!」

 

「知らないわよ! あと思った事すぐに口に出す癖をやめろって昔言ったでしょ!」

 

「あ、あぁ……天魔ちゃんとコムスメちゃんの声が傷口に響いて痛いです! き、きもちぃ……!」

 

 ヒドイ状況だ。

 永琳と天魔ちゃんと呼ばれる妖怪が特に意味のない口論をし、その横で血塗れの妖怪が笑顔で悶絶している。

 

「ねぇ妹紅、あなた一体何を連れて来たのよ」

 

「知らん、私は道案内をしてやっただけだ」

 

 なんと無責任な奴だ。

 きたない、流石もこたんきたない。

 

「……とりあえず中に入らないかしら、外は寒いし」

 

 この状況で私に出来ることは、そんな提案を出すことだけだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ほら、応急処置はしたから後は自分で治しなさい」

 

「別にこの程度の怪我ならこんな治療(包帯)なんてしなくても私、全然平気ですよぉ?」

 

「そんな血みどろの格好で屋敷の中歩き回って欲しくないのよ、不衛生だし。大体そう思うなら自然治癒に力をまわしなさい、あなたならすぐに完治できるでしょうに」

 

「だが断ります! 久しぶりの怪我なのでじっくり味わっておきたいです! ……あ、今日という素晴らしい日の記念に、折れた方の角は治さないでおこうかなぁえへへ」

 

「勝手にしなさい」

 

 この妖怪は昔と本当に変わってない、そう思った。

 

「おうコムスメ、それで鬼神と儂に話とはなんじゃ? 儂、別室で待たせてる射命丸の奴に色々と話さねばならんことがあるんじゃが。あと長耳の奴はどこじゃ?」

 

 そしてもう片方の妖怪もまた変わっていなかった。

 ……いや、変わってないのは私もか。

 

「まず聞きたいことがあるの、『翼付き』、それに『角付き』」

 

「お、懐かしい呼び方じゃな。けど、今では人間どもが付けた天魔の方を名乗ってるからな、そっちで呼んでくれ」

 

「私の事も、気軽に鬼神って呼んでくださいね」

 

「じゃあ私のことも永琳って呼びなさい、良いわね」

 

 流石にこの歳で小娘呼ばわりされるのは、遠回しに嫌味に聞こえる。

 

「まず一つ、あなた達は彼女と会ったの?」

 

「儂はまだ直接ではないがの、射命丸の新聞の写真に写っておったから会いに行ったんじゃ」

 

 成る程、あの時の写真か。

 やはり写真なんぞ撮らせなければと後悔するが、もう遅い。

 

「私はそれはもう強烈で、鮮明な思い出をつい先程貰いました」

 

 ……どうやら間違い無いようだ。

 

「良いあなた達、あの写真に写っていたのは彼女じゃないわ」

 

「……どういう事じゃ?」

 

 私の言葉に困惑を隠せない様子だ。

 

「彼女は……死んだのよ。あなた達が写真で見たのと、鬼神が襲ったあの子は彼女によく似た別者なのよ」

 

 少し声が震えてしまった。

 

「……死んだ? あやつが?」

 

「長耳ちゃんが死んだ……?」

 

 俯きながら繰り返し、死んだと確かめるように言う天魔と鬼神。

 それもそうだろう、彼女達にとっても、あの妖怪の存在というのは大きかったはずで……

 

「ハッハッハッハッ! し、死んだ! 聞いたか鬼神よ、長耳の奴が死んだそうだ!」

 

「くすっ、もぉ天魔ちゃん。余計に笑わせないでくださいよ」

 

 次の瞬間、何故か片方は大袈裟に笑い、もう片方は静かに笑いを堪えていた。

 

「おうおうコムスメ……じゃなかったな、永琳よ。流石にその冗談は笑えたぞ!」

 

「私、嘘は嫌いですけど、笑いを狙った冗談なら許容範囲内ですよぉ」

 

 状況の変化についていけず、呆けているとそんな事を言ってきた。

 まさか、信じてない?

 

「わ、笑い事じゃないのよ!? 本当に彼女は……!」

 

 私が言い終わる前に、天魔が言葉で遮った。

 

「うむ、死んだと言うのだろう? けどな永琳よ、ぶっちゃけあの長耳の奴が死ぬとは到底思えないのだ」

 

「は?」

 

 思わずそんな声が出た。

 

「だってあやつ、とんでもない化け物じゃないか」

 

「えぇ、化け物って長耳ちゃんの為にある言葉ですね」

 

 二人の意見は至ってシンプル、そして私もそう思えた。

 そう、彼女は化け物だった。

 

「真正面からぶつかっても、赤子の手を捻るように軽くあしらわれる。奇襲をかけても簡単に避ける、捨て身の覚悟でいっても、『もっと命を大事にしろよ』って私達の身の安全を案じながらも余裕な態度を決して崩さない」

 

「あと、寝込みを襲ったり、一度お前(永琳)さんを人質にしてあやつに勝とうとした事もあったな。まぁ、普通にバレてこっ酷く怒られたがな」

 

「ちょっと、何しようとしてたのよ!?」

 

 私にその記憶がないということは、私の知らないところでそのやり取りが行われていたのだろう。

 

「まぁともかくだ、色んな手を尽くしたが、結局儂や鬼神が長耳の奴に勝てた事は一度もなかった。そんな長耳の奴より弱い儂らがこうして生きてるというのに、あやつが儂らより先に死ぬのはあり得んじゃろ」

 

 それもそうだ、そう納得してしまった自分がいた。

 しかし違うのだ、彼女が居なくなったのは……

 

「ち、違う……! 彼女は……私のせいで」

 

「……ふむ、何かワケがあるのか? なら聞かせろ永琳、あの日、お前さんに逢いに行くと言ったきり居なくなった長耳の奴の事を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私はあの日の事、よく夢に見る記憶を話した。

 それとウドンゲの事も。

 

「……成る程な」

 

「すごい爆発があったなーとは思ってましたが、まさかそんな事があったんですねぇ。私、びっくりです」

 

 彼女は私を助けに来た。

 しかしそのせいで、暴走した地脈による大爆発に巻き込まれてしまった。

 途轍もない範囲だった故、いくら彼女でも脱出は無理だった筈だ。

 

「これでわかったでしょう……彼女は、私が殺したようなものなのよ。そして鬼神が襲ったあの子は、玉兎なの……彼女じゃないわ」

 

 それは私にとって一生消えぬ罪だ。

 私はそれを抱えたまま、永遠に生きていく。

 これ程の罰があるのだろうか。

 

「いや、本当にそうか?」

 

「……え?」

 

 天魔は私の言葉なぞ気にもせず言った。

 

「確かにあの爆発は凄まじかった、儂も長耳の奴に避難しろと言われなかったら、今この場には居なかっただろうと思うほどにな。しかし、本当にそれで長耳の奴は『死んだのか』?」

 

「な……にを?」

 

 何を言っているのだ。

 

「直接あやつが木っ端微塵に吹き飛ぶのをお前さんは見たのか?」

 

 見てない。

 それが答えだった。

 

「あやつは普通の妖怪……いや、もはや生物ですらない気もする。だから儂は、あやつがあの程度で死ぬとは思えない……確証もない単なる勘のようなものじゃがな」

 

「私も天魔ちゃんと同じですねぇ、長耳ちゃんが死ぬ事なんて想像も出来ないです」

 

 あり得ない、全く根拠もない馬鹿げた話だ。

 そう……馬鹿げた話なはずだ。

 

「なのに、なんで……」

 

 その話を『信じたがってる』私がいる。

 すがろうとしている私がいる。

 

「……なんじゃ、お前さんもやっぱり納得しきれてないじゃないか。長耳の奴が死んだってことに」

 

「永琳ちゃん、自分に嘘をついてはダメですよ?」

 

 ……嗚呼、そうだったのか。

 

「ほんと、馬鹿みたい……」

 

 ようやく気付いた。

 こうして輝夜と共に地上へ来たのは、決して自分の為でも、輝夜の為だけのものではなかった。

 

 もしかしたら、『生きてた彼女にまた逢える』……それが一番の理由だったんじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、おぉ! 長耳、長耳じゃないか! いやぁ久し振りじゃの!」

 

「静かにしなさい、意識がない相手に言っても意味ないでしょう」

 

「あらー、お昼寝ですか長耳ちゃん」

 

 一通りの話が終わったので、輝夜達が待つ部屋へ向かおうとしたら、天魔が『先に長耳の奴に会いたい、ここにいるんじゃろ』と駄々をこねたので、仕方なくウドンゲを寝かせてる部屋へ連れてった。

 というか、彼女とウドンゲは別の存在だと言ったはずだというのに、まだ納得していないのだろうか。

 

「いやいや、実は記憶喪失のフリをして儂らを脅かそうとしている長耳……って可能性もあるじゃろ? 他者を揶揄うのが好きな長耳の奴のことだ、普通にそれくらいの事はして来そうじゃし」

 

 そんな事あるわけ……ないはずだ。

 

「大体玉兎ってあれじゃろ? あの弱っちい妖怪モドキ」

 

「あぁ、あの数だけは立派なアリンコさんですねー」

 

 酷い言われようだ。

 いや、まぁ事実なのだが……

 

「仮にお前さんの言う通り、これが長耳ではなく、その玉兎だとしたら、鬼神の奴に襲われた時点で肉片になると思うんじゃが。それに、鬼神の奴にここまで怪我を負わせることができるのは、儂と長耳の奴しかいないじゃろ!」

 

「いやん、傷口弄らないでくださいよ天魔ちゃん」

 

 傷口をバシバシと叩く天魔、そして気持ち良さそうな表情をする鬼神。

 間違いなく変態だ。

 

「……ちょっと待って、何であなた達玉兎の事を知ってるの?」

 

 玉兎という存在は先程教えたが、強さまでは教えてないはずだ。

 だというのに、それを知っているのはおかしい。

 

「ん? あぁ、千年ほど前だったか、儂ら月に乗り込んだ事があるんじゃ。その時見かけたからな」

 

「えぇ、八雲さんが月に妖怪達を連れて乗り込むっていうので、私たち隠れてついていったんですよ。酷いと思いません? そんな楽しそうな行事に私達を誘わないだなんて」

 

 八雲紫が月に乗り込んだという話は私も知っている。

 しかし、それについていったと……

 多分だが八雲紫は、こいつらを連れて行くのは危険だと判断したのではないだろうか。

 実際この妖怪達に、敵と味方の判断をしながら戦うなんてことはできないだろうし。

 

「……しかし何で寝とるんじゃ長耳よ、せっかく旧友が逢いに来たというのに……」

 

「きっと天魔ちゃんの事は忘れちゃったんですよ」

 

「え、それマジか? 儂悲しい」

 

 どうやらこいつら、意地でもウドンゲの事を彼女という事にするようだ。

 ……まぁこの際何でも良いか。

 ただ、今回のような事が再び起こらないように注意はしておかねばならない。

 

「ん、なんじゃ永琳よ……え、百歩譲って会いに来たりするのはいいけど、長耳の奴にちょっかいを出すのはやめろ? な、なんでじゃ!? 儂だって久し振りに熱く滾る闘争をしたいというのに!」

 

「ふふふ、長耳ちゃんを独占して良いのは私だけという事なんですね……え、違う? 私ももう手を出すな……!? 何故ですか!?」

 

 そんな顔をされてもダメなものはダメだ。

 

「はぁ……あなた達が何度も暴れたら、幻想郷がいつ崩壊してもおかしくないのよ。それにここ幻想郷には、最近できた決闘ルールがあるでしょう? そっちで今後は遊びなさい、それなら私も文句は無いわ」

 

「決闘ルール……確かスペルカードとかなんとかだったけか? 儂、あれあまり好きじゃないんだが」

 

「むぅ、確かにあの遊びも楽しいですけど、なんか物足りないんですよねぇ」

 

 各々に不満を口にする。

 

「そう、納得しないのね。私は別に良いけど、郷に入っては郷に従え……ルールの一つや二つ守れない輩に、果たしてウドンゲ(彼女)はどう思うでしょうかね?」

 

「儂、スペルカード大好き」

 

「私も今好きになりました!」

 

 調子の良い奴らだ、だがこれも昔から変わってない。

 彼女達もまた、私と同じような感情を彼女に対して抱いているのだから。

 

 

 

 




中々話が進まない……


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18話

今回は以前よりも場面が物凄い勢いで変わっていくので、ご注意を。


 

 

 

 

 

「さて、待たせたな射命丸。儂は長耳の奴に再び逢えた……寝てたが……まぁそれは良い、約束通り、お前の望みを叶えてやろうではないか」

 

 あれ、そんな約束だったけ?

 普通に天魔様と鈴仙さんの馴れ初めについて教えてもらえればそれで満足なのだが。

 というか鈴仙さん寝てるのか……本人を交えて話を聞いた方が分かりやすいということで、ここまで苦難の道のりを超えてきたというのに……

 

「ほれ何でも言って良いぞ、儂にとって長耳の奴の情報はとても素晴らしいものだ。それを儂に知らせてくれたお前さんの働きは見事なものだぞ?」

 

「なん……でも!?」

 

 それを聞いて自身の心が揺れ動いた。

 昇進? 給料アップ? それとも長期休暇? もしくは……

 

 今、射命丸文の心の中はそんな欲望が渦巻いていた。

 思わず正直にその欲望を口に出そうとしたが、ぐっと堪えた。

 

 欲を求めるのは悪い事ではないが、それを得るために楽をしてはいけない。

 持論ではあるが、私はこれを信じている。

 何故なら、楽をしようとして失敗したモノ達を幾度となく見た事が射命丸文にはあったからだ。

 故にここは……

 

「お言葉ですが天魔様、私は記者として知りたいことを知ることができればそれで充分なのです。なので、私から望みを言う事はございません」

 

「ふむ? そ、そういうものなのか……? しかしそれでは儂の気が収まらんしな…………よし、ならば儂が勝手に決めるか」

 

 計画通り、天魔様の性格からしてその言葉が出るのは予想通りだ。

 

 自分から他者に求める欲望は破滅の可能性がある……が、他者が自身に与える『報酬』というものは、自分から求めるよりも遥かに安全なものだ。

 

 上司に要求するのではなく、上司が与える報酬を素直に受け取る。

 これが一番賢いと思われる欲の満たし方だ。

 

「そうじゃな……では射命丸よ、お前をこの場で昇進させよう。今日からお前は上級天狗の地位につけ。それに伴い一軒家と部下を数名与えよう、人選は自分で選んでも良いぞ」

 

「おぉ、天魔様がお決めになられたのなら断る訳にもいきませんな。喜んで御受け取りいたします」

 

 だめだ、まだ笑うな。

 嬉しさのあまり表に出そうな感情を何とか押し留めながら、感謝の言葉だけを表に出す。

 

 くくく、私は今日から上級天狗……これで今まで以上に自由に行動できるようになった。

 下級天狗同士での狭苦しい共同寮生活も今日でおさらば、明日から夢の一軒家……一人暮らしができる。

 素晴らしいことこの上ない。

 

「あなた、いい性格してるわね」

 

「褒め言葉として受け取っておきますね八意さん」

 

 さて、と誰かが言った。

 

「あいにくと長耳の奴がおらぬが、仕方がない。射命丸との取り決めにより少し昔話をするとしようか」

 

「いや、ここでやらないでよ。とっとと帰って別の場所でやりなさい」

 

「別に良いではないか永琳よ、これ以上射命丸の奴を焦らすのも忍びないし、せっかく語るのであれば大勢に聞かせた方が気持ちが良いだろうに」

 

 そう、今この場には天魔様を含め六名がいる。

 天魔様、鬼神様、八意さん、輝夜さん、藤原さん、そして私こと射命丸。

 うん、普通の人間が見事に一人もいない。

 

「というか何でもこたんまでいるの?」

 

「いや、単に暇だったし」

 

 成る程、普通の暇人ならいたようだ。

 

「うむ、では何処から話そうか……そうだな、儂と鬼神の関係から話そうか」

 

「昔話ですかぁ、それなら私が話したいです。私と天魔ちゃんはですねー、最初はビュンビュンしてポコポコしてたんですよー」

 

 鬼神様以外の全員の頭に疑問符が浮かび上がる。

 

「あー鬼神よ、儂が話すから黙っとれ」

 

「えぇ!? そんな酷いことを言わないでくださいよ天魔ちゃん……」

 

 そして天魔様は静かに、大きく語り始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ーーコロセ、コロセ、コロセ、コロセ。

 本当にそれだけだった。

 それだけが唯一持ち得た思考、感情だった。

 

 自身以外の全てを薙ぎ倒し、喰らえ、喰らい尽くせ。

 邪魔をするモノ、邪魔をしないモノ、関係なく動かなくなるまで壊せ。

 

「ーーーーーーーー!」

 

 今でいうと獣の遠吠え、声にすらならない叫びを叫び続けながら獲物を探す。

 

 獲物を見つけたらそれをコロして喰らい、身体が疲れたらその場で伏せるなりなんなりをして休息を取る。

 今に思えば、ただの獣と何ら変わりのない生活だった。

 

 この世に生を受けてから、既に数え切れない程の生命を奪い食らった。

 どうやら自分は『強者』だったらしい。

 

 自慢の翼で空を飛び、手脚にあるその爪、口にある牙を使って獲物を襲う。

 今まで負けた事をなかった。

 自分の前を遮るモノ全てを喰らった。

 

 しかしある時ソイツと出逢った。

 

「ーーーーーーーー!」

 

「ーーーーーーーーーー!!」

 

 お互いに雄叫びを上げる。

 その瞬間少なからず察する事ができた。

 コイツは今までの奴とは違うと。

 

「ーーーー!?」

 

 そしてその時、初めて自身の身体からイタミを感じた。

 ソイツの頭部の突起物が自身の胸に突き刺さったのだ。

 

「ーーーーーー!!」

 

 初めての体験に驚きながらも、負けずと自身も持てる力をソイツに向かってふるった。

 コロセ、コロセ、喰らえ、喰らえ。

 初めて自分以外の『強者』に出逢っても、ヤル事はいつもと変わらなかった。

 

 しかし決着はつかず、その時はお互い痛み分けでその場を引いた。

 少し離れた所で傷を癒し、数日後にソイツを探した。

 

 考えていた事はお互い同じだったようで、最初に闘った場所で再びソイツと出逢えた。

 ーーそしてまた互いに傷の付け合いを始めた。

 

 闘い、傷を癒し、闘い、傷を癒す。

 そんな同じ事を何度も何度も繰り返した。

 それでもソイツとは中々決着が着かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あの、天魔様」

 

「ん? なんじゃ?」

 

「えっと……もしかしてなんですけど、さっきから天魔様のお話に出てくる『ソイツ』とはもしかして……?」

 

 別に聞かなくても良い気もしたが、好奇心とやらには勝てなかった。

 

「私の事ですよー、射命丸さん」

 

「あ、あははーやっぱりそうでしたかー……はは」

 

 天魔様が答えるより早く、鬼神様がいつものニコニコした可愛らしい笑顔でそう答えた。

 

 天魔様は話し上手な方だった。

 だから、その時その時の心情があたかも自分の事のように感じられた。

 故に鬼神様の笑顔が、今までより一番不気味に感じてしまった。

 というか天魔様もちょっと怖く感じる。

 

 こんな事なら、鬼神様の語彙力が皆無のお話を聞いてた方が幸せだったのかもしれない。

 

「なんだ射命丸よ、もしかして話を聞いていて儂や鬼神の本来の姿が気になったか? 良いぞ、特別に見せてやらんでも……」

 

「私も恥ずかしいですが、射命丸さんがどうしてもというのなら……」

 

「い、いえ結構です! どうぞお話の続きを!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 もう何度目かは分からない、というか最初から数えてなどいなかったが。

 ソイツと闘うのが当たり前の日常になってきた頃、ある日大きな変化が起きた。

 

「毎日毎日、飽きもせずよく同じ事を繰り返せるもんだな。退屈じゃないのかい?」

 

 『ソレ』はいつのまにかそこにいた。

 自身とソイツを上から見下すように、ほんの少し盛り上がった岩肌にソレは腰をかけてそんな事を言ってきた。

 

「ーーーーーー!?」

 

「ーーーー!!」

 

 とはいえ、今でこそソレがあの時言っていた事を理解できるが、当時は知性が無かった為、単なる雑音にしか聞こえなかった。

 故に自身とソイツ……遠い未来において『天魔』と『鬼神』と呼ばれるようになる者達は、ソレを警戒した。

 いや、警戒というより排除しようとしただろう。

 何せソレは天魔と鬼神の闘いの邪魔をしたのだから。

 

「別に関わるつもりはなかったんだけどね……流石に毎日のようにこの辺で暴れられると部下達が怯えちまってね……申し訳ないが、他所でやってもらえないか?」

 

 ソレは自分達に言葉は伝わらないと分かっていたはずだ。

 そして自分達もそれは雑音にしか聞こえないはずだった。

 しかし何故か意図は伝わってきた。

 

『邪魔だからこの場から去れ』

 

 曖昧に、それでいてハッキリと理解した。

 

 故に『激怒』したのだろう。

 強者である自分達が、他者の命に従う道理はないと。

 知恵を持たぬというのに、そういう感性は持ち合わせていたのは妙な話だ。

 

「……やめる気は無い、というか矛先がこっちに向いただけか。うーん、どうするべきか」

 

 ソレの真紅の瞳が天魔と鬼神を深く捉える。

 

「ーーーーーーーー!!」

 

 何であろうと関係ない、邪魔をするなら排除するまでのこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……驚いた、根性があるんだなお前達。普通の奴等(妖怪)だったらちょっと圧を掛けてやるだけで逃げて行くのに、まさか普通に立ち向かってくるとは」

 

 わからないわからないわからない。

 何をされたか全くわからない。

 わかっているのは、初めて『敗北』したということと、『コロされる恐怖』を味わった事だけだった。

 

「まぁこれに懲りたらもうこの辺で暴れないでくれよ? そうしたら私としても文句は無いし……まだまだ元気そうだな、一応そこそこの致命傷な筈なんだけど」

 

 だからどうした、敗北に浸っている場合ではない。

 目の前の獲物(強者)をコロして喰らえ。

 そうすれば自分はまた一歩強者になれる。

 

「うーん、かといってトドメを刺すのもな……とりあえず折角の命だ、投げ捨てる必要はないぞ? ほら、今はそこで二匹仲良く眠りな」

 

 ソレがそう言うと、さっきまで感じていた激痛が消え失せ、心地の良い眠気が襲ってきた。

 それは天魔だけでなく鬼神も同じようで、鬼神に至っては既に自身の胴体を敷物代わりとして使っていた。

 そして抵抗する間も無く意識が暗くなり、やがて完全になくなった。

 

 

 

 次に目が覚めたのは、光を放つ物体が空の真上まできたくらいだった。

 どのくらい寝てたのかはわからない、しかし傷が殆ど癒えているということは、それなりの時間が過ぎたのだろう。

 

「ーーーー」

 

 鬼神は先に目を覚ましたのか、既にその場にいなかった。

 無防備な天魔に何もしなかったという事は、既に鬼神の目的は自身ではなく、ソレに向いたということだろう。

 

「ーーーーーー!」

 

 それは自分とて同じ、だから鬼神の考えがわかったのだろう。

 敗北には勝利をもって拭う。

 必ず復讐を遂げてみせよう。

 この世は常に強者でなければ生きられないのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……この前の二匹じゃないか、もしかしてあれからずっと私を探してたのか?」

 

 再会はわりとあっさりできた。

 ついでに鬼神ともその場でバッタリ再会。

 

「ーーーーーーーー!!」

 

「ーーーー!」

 

 数日前までは毎日のように争っていたというのに、天魔と鬼神は既にお互い眼中になかった。

 只々、どちらが先にこの『絶対強者』を狩り、どちらが優れた強者であるかを競う事しか頭になかった。

 

「お、共闘するのかい? 少し前までお互い殺しあってたというのに、もしかしてこの数日で仲良くなったのかい?」

 

 こちらが殺意をぶつけているというのに、ソレは全く動じないどころか、逆にこちらを見つめるその二つの瞳がより鋭くなった。

 

「良いなお前達は……なんだ、こんな世の中にも少しは骨がありそうな奴がいるじゃないか……全く」

 

 

 

 

 その日は前みたいにボロボロにやられてしまった。

 だから、傷を癒してまたソレに再戦を挑みに行った。

 それこそ、鬼神と闘っていた時の回数を優に超えるくらいに。

 

 何度も、何度も、何度も何度も何度も何度も……

 ……けれども、不思議と楽しい日々のように感じた。

 何よりも、新鮮だった。

 いつもいつも獲物を狩っては食らう……変わり映えのない日々が退屈だったと無意識に感じていたのかもしれない。

 

「本当に諦めが悪いんだな、お前達は。いや、別に貶したわけじゃないぞ? むしろ『人間』でもない、知性も感情も乏しい筈のお前達がそこまで何かに執着するのはとても素晴らしいことだと思うぞ、うん」

 

 ある日、いつものようにズタボロの状態でその場に倒れ伏していると、ソレが天魔と鬼神にそう語りかけてきた。

 意味は当然理解できなかったが、何となく悪い気はしなかった。

 

『……ねぇ、『知恵』を教えてあげようか?』

 

 ソレは突然そう言った。

 雰囲気というものがガラッと変わり、さっきまで散々自分達をギラギラとした雰囲気で接していたソレの面影はもうなく、全くの別物に感じた。

 

『あなた達はとっても異質な存在(生命)、きっと『人間』のように知恵を持っても大丈夫、ハッキリとした自我の確立ができると思う』

 

 ソレは優しく語りかける。

 

『知恵を得れば『感情』も得られる、今よりもハッキリとした自分というものが見えてくるようになる……けどそれは喜びや幸せといった感情だけでなく、憎悪、嫉妬のような悪感情もより強く感じるようになる……もしかしたら今より辛い現実に感じるかもしれない。もし、それでも構わないというのなら私は知恵をあなた達に与えたい』

 

 知性なきモノ(妖怪)でも、人間のように感情を知り、分かち合えるようになる……あなた達はその証明と架け橋になるかもしれない。

 

 ソレは最後にそう付け足し、こちらの返答を待ち始めた。

 

 言っていることを全て理解したわけではない。

 しかし、ソレの要求に応じれば、自分が『変われる』という事は理解できた。

 ただ他者を害するだけの獣ではない自分に。

 暗い道をただ進むのではなく、ソレと同じような眩しい生き方ができるかもしれない。

 

 嗚呼……それはきっと、とても『楽しい』のだろうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうだながみみよ! このくらいはなせるようになったぞ!」

 

「なったぞー!」

 

「あーはいはい、上出来上出来。というかなんだ『ながみみ』って、もしかしなくても私のことか?」

 

 まず最初に言葉を教わった。

 

「だっておまえの、あたまのそれはみみなんだろ? ながいみみだから、ながみみ!」

 

「ながみみー!」

 

「……まぁ良いか、じゃあ私もお前らにピッタリの呼び名を付けてやろう。そうだな……『翼付き』に『角付き』だな、わかりやすくて良いだろ?」

 

「つばさー!」

 

「つのー!」

 

「……人間の赤子の世話ってこんな感じなのかもしれないなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、歩き難い……! なんで人間とやらは脚が二本しかないんだ!」

 

「あぅ、転んじゃう……あれ、でもなんか気持ち良いかもこれ」

 

「ほらほら、自分から私のような姿になってみたいって言い出したんだ。これくらいで音をあげるなよ?」

 

 次に人の姿になる方法を教えてもらった。

 

 

 

 

 

 

「ふははははは! 勝負だ長耳ぃ、今日こそはお前に勝つ!」

 

「……折角知恵を得たというのに、やる事が前とあまり変わらないじゃないかお前達。それで良いのか?」

 

「はい! むしろ今の方が昔より楽しく感じます!」

 

「…………こいつらに知恵をやったの失敗だったかな」

 

 他にも色々な事を教えてもらった。

 変わり映えのない自分の世界が劇的なまでに変わった。

 おかげで毎日が楽しく感じる。

 

 昔は口に出すのが恥ずかしく感じたが、今ならハッキリと言える。

 長耳(ソレ)と出逢えて良かったと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁこんな感じじゃな、儂らと長耳の関係は」

 

「懐かしいですねーほんと」

 

 長くもあり、短くも感じられた天魔様のお話が一先ず終わった。

 そして真っ先に言いたい事が一つ、話を聞いていて頭に浮かんできた。

 

「……あの、一体全体何者なんですか鈴仙さんは?」

 

 話を聞くだけでもわかる、明らかに話に出てきた鈴仙さん(長耳)は異色がすぎる。

 知恵なき妖怪に知恵を与える……まるで『神』のような存在ではないか。

 私の知る鈴仙さん像からは、にわかに信じ難い……が、天魔様が嘘をつくとは思えない……いや、古い記憶によくある美化現象によるものというのなら納得もできるかもしれないが。

 

「なんだなんだ、鈴仙ちゃんって神様だったのか?」

 

「というかキャラ違いすぎない? うちの鈴仙はもっと純粋無垢よ」

 

 見事に私以外も混乱している。

 

「ふむ、長耳が何者か……こうして考えてみると、ますます不可解な奴じゃの! 鬼神はどう思う?」

 

「? 長耳ちゃんは長耳ちゃんですよ?」

 

「うむ、お前に聞いた儂がバカだったわ!」

 

 当の本人達も混乱していては、もうどうしようもないではないか。

 

「……えっと、話によると八意さんは当時の天魔様や鬼神様と面識があるとの事ですが、それは本当です?」

 

 唯一混乱してなさそうな八意永琳にそう聞いてみた。

 

「……嘘ではないわね、それと彼女……こいつらの呼び名で言う長耳ともね。というか、彼女と一緒にいた事があったからこいつらとも面識があるのよ」

 

 ふむ……つまり八意永琳、天魔様と鬼神様は鈴仙さんを通じて知り合ったと。

 

「では八意さんは鈴仙さんについてお詳しいので?」

 

「……いえ、私もそれなりに彼女とは時を過ごしたけど、全て理解したわけじゃない。他者に語れる事は少ないわよ……それと言っておくけど、話に出てきたウドンゲと、今この幻想郷にいるウドンゲは別物だから」

 

「……はい?」

 

 まさかのここに来て新たな情報が。

 んー、となると鈴仙さんの正体は実は神とかかもしれなくて、昔にいた鈴仙さんと今いる鈴仙さんは別の存在でつまりどういうことかというと……!

 

 ダメだ、射命丸文の思考能力は既にキャパオーバー、一度休憩を挟まなければ知恵熱でも出てしまいそうだ。

 

『お茶と団子、持ってきましたよ』

 

「おや、これはこれはありがとうございます『鈴仙さん』」

 

 丁度良いタイミングだ、やはり疲れた時には甘いものに限る。

 いやはや、流石は鈴仙さん。

 とても気の利くお方だ。

 

 さて、やはり次は鈴仙さん本人に話を聞くのが良いだろう。

 しかし鈴仙さんは今お休みになられているようだし、もうじき日も沈み始める。

 ここは一度出直して、日を改めてから話を聞きに行くのもありかも……

 

「……ん、あれ? れ、鈴仙さん! いつのまに!?」

 

 そしてようやく気付いた。

 今寝ている筈の鈴仙さんが、いつのまにか人数分の茶と茶請けを用意してこの場にいる事に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昼寝でもしていたのだろうか、目が覚めたら自室だった。

 

(……はて、時間的にとっくにお昼は過ぎてるというのに、朝からの記憶がないのはどうしてだろう。まさか今までずっと寝てた……?)

 

 だとしたら寝坊どころの話ではない。

 急いで家事をしなくては明日に響いてしまうではないか。

 

(……おや、何だか波長を沢山感じる)

 

 ふと客室にいくつもの波長を感じた。

 これらの波長は……師匠と姫様、妹紅さんそれと射命丸さん……あと『見知らぬ波長』が二つ。

 

(うーん? お客さん……だよね?)

 

 師匠と姫様は勿論のこと、長い付き合いの妹紅さんは既に家族のようなものだが、射命丸さんと謎の波長組は明らかにお客さんの類だろう。

 

 よろしい、ならばお茶の用意だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ん、あれ? れ、鈴仙さん! いつのまに!?」

 

 おや、どうやら驚かせてしまったようだ。

 何やら皆んな話に夢中になっていたようだったので、邪魔をしないように気配を消して入ったのだが、余計なお世話だったのかもしれない。

 

「おぉ! 長耳よ! ようやく起きたか! さぁ、まずは久方ぶりの再会を祝してハグでもしようではないか!」

 

「私もハグしたいです!」

 

 すると見覚えの無い妖怪が二名、そう話しかけてきた。

 はて……

 

『すいません、何処かでお会いしましたか?』

 

「「え」」

 

 これでも記憶力には並み以上の自信はある、なのでこの妖怪達に見覚えがあるのなら、こんな特徴が分かりやすい妖怪達を忘れるはずがない。

 故に、この妖怪達に関する記憶がないという事は、会ったことがないということだ。

 

「は、ははは、冗談が相変わらず好きなようじゃなお前さんは。ほれ、儂じゃよ儂」

 

「う、嘘は好きじゃないですよ?」

 

 しかしどうしたことだろう、向こうは明らかにこちらの事を知っているような素振りで話しかけてくる。

 うーん、もしかして本当に何処かで……?

 

「ま、まさか本当に忘れたとかないよな? 昔はあれだけお互い絡み合った仲じゃないか」

 

「そうですそうです、つい数時間前にも私と体のぶつけ合いをしたじゃありませんか! それを忘れるなんて酷すぎますよ!」

 

 絡み合った……? 体のぶつけ合い……?

 それはつまり……いや違うか、流石にそんな破廉恥極まりない事をするわけない。

 

「大体なんじゃさっきから文字で話しおって、昔みたいに皮肉を交えながら他者を見下すような表情で喋らんか!」

 

 何だそれは、そんな人……もしくは妖怪が本当にいるとしたら相当性格がひん曲がっているのではないか?

 というか明らかに人違いか妖怪違いだ。

 

「ほら長耳ちゃん、先程の続きで私の体をもっと傷だらけにしても良いんですよ! むしろもっと痛いのください!」

 

 うわ、変態だ。

 生憎とそんな趣味は持ち合わせていないので丁重にお断りさせてもらおう。

 

「ほ、本当に忘れたのか……? しまいには儂泣くぞ、すぐ泣くぞ絶対泣くぞほら泣くぞぉ!」

 

「もっと、もっと痛みを!」

 

 うわぁ……なんか変な妖怪達に絡まれてしまった。

 というか物理的に自分の腰をホールドしないで欲しい。

 地味に痛いし、師匠の目つきが針よりも鋭くなっている。

 

「ウドンゲ、そいつら無視して良いから」

 

『そ、そうですか?』

 

 しかしガチ泣きしてる妖怪と、顔を赤らめながら痛みを要求してくる妖怪を無視するのは逆に難易度が高いのでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅ……執務なんぞ無ければこのまま長耳の奴と一夜過ごせたというのに」

 

「私も、今夜は我が子達との宴会を約束してました……あ、長耳ちゃんがこっちに来てくれれば良いんじゃないですか!」

 

「おぉ、名案だな鬼神よ!」

 

『いえ、申し訳ないですけどそれは無理です』

 

 そう断ると、あからさまにガッカリする天魔さんと鬼神さん。

 そんな捨てられた子犬みたいな雰囲気を出されると、少し罪悪感がするが、無理なものは無理だ。

 

 あの後は何とかこの妖怪達を落ち着かせ、自己紹介をしてもらった。

 どうやらこの妖怪達、天狗と鬼という妖怪のトップらしい。

 そんな凄い妖怪達と知り合いだなんて、師匠は凄いなぁ。

 なんか自分の事を誰かと勘違いしているみたいだが、話してみると割と面白い妖怪達だった。

 

 そして日が沈み、夜に移り変わった頃、一先ず今日の集まりはお開きの時間となった。

 

「……まぁ良い、幻想郷(ここ)に長耳がいるのならいつでも会いに行けるしな!」

 

「ふふ、そうですねー。昔みたいにいつでもヤり合えますね……ふふふ」

 

 おや、なんだか寒気が。

 

「おっと、そういえば忘れるところじゃった。ほれ、預かり物返すぞ長耳」

 

 そう言って懐から取り出した小さな木箱をポンと自分に放り投げた。

 

『あの、これは?』

 

「おいおい、自分から儂に預けたんじゃないか。ほれ、そこの永琳が月に行ったあの日、『見送りに行ってくるから、次にまた会うときまで預かってろ』って。……本当に全部忘れたのかお前さん?」

 

 いや、忘れたも何も、それ自分ではないと思うのだが。

 

「さて、帰るか射命丸。ではな長耳よ、次に会う時はちゃんと儂らのこと思い出しておけよ?」

 

「バイバイです、長耳ちゃん。また近いうちに会いに来ますね」

 

 そうして彼女らはあっという間に、嵐のように去っていった。

 

 

 

 

 

(これは……煙管?)

 

 何だかとても疲れたような感じがする一日の夜、お風呂上がりに庭が見える縁側で夜風に当たりながら、天魔さんから渡された木箱を開けてみた。

 するとそこには、変わったデザインの煙管のようなものが入っていた。

 

「それ……私が遠い昔にある妖怪にプレゼントしたものなの」

 

 そして背後から師匠の声がした。

 

『プレゼント……もしかしなくても、天魔さん達の話に出てきた私のそっくりさんにですか?』

 

「……えぇ、性格以外は本当にそっくりなのよ、貴女と彼女は」

 

 ふむ、だとしたらこの煙管はどうすれば良いのだろうか。

 とりあえず師匠が持っときますか?

 

「いえ、貴女が持ってて良いわよ。私はもう彼女のモノを『持ってるから』」

 

 師匠はいつも首に下げている御守りをぎゅっと握りしめながら言った。

 

「そうね、折角なら使ってみたらどう?」

 

 と、そんな事を言い出す師匠。

 うーん、他者のものを勝手に使うのは抵抗があるが、あげた張本人の師匠がいうのなら問題はないのだろう。

 

 意外と煙管というものを使うには、準備が面倒くさいものだとすぐに気付いた。

 というか、材料が普通に永遠亭に揃っていた事の方が少し驚いたが。

 とにかく、試行錯誤しながら数分ほど、ようやく吸い口を咥えられた。

 

 そしてそのままゆっくりと吸い込み、静かに溜まった煙を口から吹き出した。

 

「けほっ……どう? 初めての体験のご感想は」

 

『そうですね……何か楽しいです』

 

「……そう、それは良かっ……けほっけほっ!」

 

 師匠がむせた。

 どうやら師匠は煙は苦手なようだ。

 

『あぁすいません師匠、もうやらないので……』

 

「いえ、気にしないで……というか、貴女のことだから『煙草は体に悪いからやりません』とか言うかと思ったのに、意外ね」

 

 ……まぁ確かに何時もの自分だったらそんな事を言ったのかもしれない。

 けれど……

 

『何となく、師匠が煙管を片手に持つ私を見てみたいんだなって……そう思ったのでご希望に応えようかと』

 

 そう答えると師匠は目を見開いて驚きの表情を見せた。

 

「……ふふ、何よそれ。私の心でも読めるようになったのかしら? ……でもそうね、ありがとうとは言っておくわ」

 

『どういたしまして』

 

 ……しかしこれ、本当に何故かは知らないけど楽しい気がする。

 しかし吸い過ぎは良くないよな……うん。

 

 冷たい夜風が煙を次々と何処かへ運んでいく。

 自分と師匠は、只々その様子を暫く見続けた。

 

 

 

 



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19話

 

 

 

 

 

 猫の鳴き声がした。

 人里へ商売をしに行く道、もうすぐで竹林を抜けるというところで、それは聞こえてきたのだ。

 

「にゃー……こいし様、一体何処へ……もうあたい、歩けない」

 

 それと同時に覚えのある波長がしたため、まさかと思い竹藪の隙間を滑りながら鳴き声のする方へ向かうと……

 案の定、以前庭で見かけた黒猫の妖怪がいた。

 

 しかし以前と違うのは、頭のてっぺんから尻尾の先までの黒と少しの赤色が混じった綺麗な体毛はボサボサになっており、明らかに弱っている様子だった。

 

(……どうするかな)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そうか、それで放っておくわけにもいかず、拾ってここまで連れてきたのか」

 

『えぇ、そういうわけなんで、今日だけでもこの猫を人里に入れてあげて欲しいんですよ』

 

 人里のある飲食店にて、慧音さんとそんな会話を交わす。

 

「……見た事ない妖怪()だが、見た感じそんな大した力を持っているわけではなさそうだし、薬屋の側から離さないという条件なら別に構わんが……」

 

 慧音さんは机の下で一心不乱にに餌を食べている猫妖怪をチラリと見る。

 

「首輪をしている……という事は飼い主か何かがいるのだろう。ならば早い所飼い主を見つけてやらんとだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、本当に助かったよお姉さん。あたい一応妖怪とはいえ、胸を張れるほどの実力はないし、腹が減り過ぎてもう一歩も動けなかったんだよ」

 

 そうか、野良妖怪の餌になる前に見つけられて良かった。

 

「いやはや、地上の妖怪にも親切なのがいて本当に良かったよ。不幸中の幸いってやつかね?」

 

『さぁ、どうだろうね。それより、猫ちゃんの事教えてくれない?』

 

 何事も情報収集からだ。

 喋る猫と歩きながら筆談するというのは、中々シュールな感じだが、別に気にする事はない。

 

「あたいのことかい? 名前は……まぁ『お燐』とでも呼んでねお姉さん。見ての通り、『火車』の妖怪だよ」

 

 火車?

 確か、死体を持ち去るだとかそんな感じの妖怪だったろうか。

 

「そうそうそれ、だから今回のお礼と言っちゃなんだけど、お姉さんが死体になったら綺麗さっぱり持ち去ってあげるよ」

 

『それはどうも』

 

 もちろん、死ぬ気は全くないが。

 

『それでお燐ちゃん、見た感じ誰かに飼われているようだけど……どうして竹林に?』

 

 少なくとも、元から竹林に住んでいたという可能性はないだろう。

 ならば必然的に、竹林の外からやってきたはずだ。

 

「あー……まぁ話すとちょっと長いんだけど。あたいは普段は『地底』に住んでいるんだ」

 

 地底……地底というと、幻想郷に存在する地下空間の事を指すのだろう。

 確か鬼神さんも住んでいる場所だ。

 

「それで、地底ではちょっとした有名な妖怪……うん、すごくひ弱で軟弱な方だけど、その妖怪のペットなんだ、あたい」

 

 ほう、飼い主も妖怪なのか。

 いや、妖怪を飼うなんて普通の人間には出来ないだろうから当たり前と言えばそうなのかもしれないが。

 そもそも地底に人間はいないみたいだし。

 

 それで問題はここからだ、何故お燐ちゃんが地底から地上にやって来たのか。

 確か初めて会った時、誰かを探しているようだった。

 つまり、飼い主と一緒に地上に観光にでも来ていて、途中で逸れてしまったとか、そういう感じだろうか。

 

「えーと……半分合っていて半分違うかな」

 

 お燐ちゃんは事の顛末を話し始めた。

 

 なんでも、探しているのは飼い主ではなく、飼い主の妹さんにあたる妖怪らしい。

 そしてその妹妖怪に、ある日無理矢理地上に連れて行かれた挙句、少し目を離した途端、見事に見失って離れ離れに……その逸れた場所が、迷いの竹林だったらしい。

 

「あの方……こいし様はなんというか、放浪癖があって……よく家をいつのまにか飛び出して、いつのまにか帰ってくる……そんな方でね。そして何を思ったのか今回は、気持ちよく昼寝していたあたいを抱えて、『お燐! この前地上で面白そうな迷路見つけたから一緒に行こう!』とか訳の分からない事言ってこの始末なのさ……はぁ、さとり様の膝が恋しいよ」

 

 成る程、つまり妹妖怪が地上で迷路……おそらく迷いの竹林を見つけ、それにお燐ちゃんを無理矢理連れて行き、行方をくらましたというわけか。

 

 しかし、よりにもよって迷いの竹林とは……

 

『とりあえず、仕事を終わらせてからで良いなら探すの手伝ってあげるよ』

 

「本当かい? いやー助かるよお姉さん、流石にあの摩訶不思議な場所をあたいだけで探索するのはもう勘弁だよ」

 

 まぁ気持ちはわかる。

 自分も慣れるまで、あの環境はちょっと辛く感じた。

 

「……それにしても」

 

 お燐ちゃんがすれ違いに挨拶をしていく人里の住人達を目で追いながら呟いた。

 

「ここって地上の人間の集落なんだろう? お姉さん、妖怪(人外)なのに随分と慕われてるようだねぇ……しかも正体も隠さずに堂々と歩くなんて」

 

『それは培った信頼という奴かな』

 

 確かに、何も知らない者が見たら疑問を抱くだろう。

 しかし十数年ほど交流を深めていれば、妖怪だって人からの信頼を得る事は可能だということだ。

 実際、既に正体を隠さずとも、人里の人達は自分を普通に受け入れてくれている。

 ……まぁ、慧音さんが人里の人達に、『薬屋は実は妖怪だが、良い奴だ。だから、ありのままのあいつをみんなで受け止めてやろう』とか言わなければ、正体を明かす気は無かったのだが。

 

 いや、自分が『人里に来るのに、一々着替えたりするのは結構面倒くさいんですよね』みたいな事を数年前うっかり慧音さんに言ってしまったのがそもそもの原因でもあるのだが。

 

「へー、よっぽど信頼されてるんだね。その慧音さんとやらも、お姉さんの正体を明かしても問題はないだろう……そう判断できるくらいお姉さんを信頼してるし、人間達もそれを受け入れられるほどの信頼を抱いている……お姉さんって本当に妖怪なのかい?」

 

『まぁ一応はね……それに最近だと、私だけじゃないよ』

 

 通りすがりに、顔見知りを発見したので、お燐ちゃんに分かるように、そこに指を指した。

 

「いらっしゃいませー! 美味しい八目鰻は如何ですかー! ……ほら、リグルも声出す!」

 

「い、いらっしゃいませー……」

 

 そこには、見知った妖怪が二人(ミスティアとリグル)が露店のような形で商売をしている姿が。

 

「……あれは?」

 

『知り合いの妖怪だけど、商売先を拡げたいっていうから、人里で商売してみたら? って私が紹介してあげた。もう一人は手伝い要員として誘ってみた』

 

 最初こそ人里の人々は警戒をしたが、自分という前例と、自分の知り合いの妖怪だという事で、割とあっさり馴染む事ができた八目鰻屋『みすちー』。

 今では、売り上げをメキメキと伸ばしているらしい。

 

『あと、たまにだけどお花を売りに来る妖怪もいるよ』

 

「……あたいの常識が変なのか、地上の妖怪が変なのかわからなくなってきたよ」

 

 なに、別に分からなくても問題はないので心配は無用だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 簡単にいくとは思っていなかったが、まさか日が暮れるまで探しても見つからないとは。

 

『今のところで最後……おめでとうお燐ちゃん、初めて竹林の全てを攻略できた地底の妖怪になれたよ』

 

「嬉しくないなぁその称号……」

 

 竹林の隅から隅まで探したが、探し妖怪『こいし様』は影も形もなかった。

 

『うーん、案外先に家に帰ってたりするのでは?』

 

「あー……あり得なくはないなぁそれ。けど単純にこいし様は隠れるのが得意だから、見逃してるというのもあり得るし……」

 

 ふむ、しかしいくら隠れるのが得意とはいえ、自分の波長レーダーに引っかからないのはおかしい。

 たとえ相手が透明だろうと、その生物自身の波長を消せるわけではないのだ。

 

「何だか便利そうな能力を持ってるんだねお姉さん、けどこいし様の隠れ上手も、実は能力によるものなんだよ」

 

 ほう……?

 

「お姉さん、『覚妖怪』は知ってるかい?」

 

 悟り妖怪……確か心を読む妖怪だったかな。

 

「その通り、あたいの飼い主もこいし様も悟り妖怪なんだけど……実はこいし様は『心が読めない覚』なんだ」

 

 心が読めない覚……それは矛盾しているのでは?

 

「うん、正確には『心を読めなくした覚』だね。こいし様は自ら悟りの能力を閉ざして、その結果全く新しい能力を開花させた……」

 

 少し悲しそうな声をするお燐ちゃん。

 

「『無意識』、それが覚という自我を閉ざしたこいし様の能力になった。お陰様で、行動が殆ど無意識で行われ、探そうとこちらが『意識』をしてしまうと、『無意識』のこいし様は絶対に見つけられないという何とも面倒くさいものなんだ」

 

 ふむふむ、つまり『無意識の状態』である者を探すには、こちらも無意識になり、同じ土俵にならなければならないということか……

 

『じゃあいくら探そうとしても意味が無いってことでは? それなら今までの苦労は一体……?』

 

「い、いや……言おうとしたんだけど、折角手伝ってくれてる相手に『いくら探そうとしても無駄』っていうのはちょっとね……それに、運が良ければこいし様自身が密着する程近づいてくれる事もあるから、今回はそれに賭けたというか」

 

 むぅ、しかし賭けは失敗なのだろう。

 もうじき日が完全に沈む、こちらも夕食の支度をしなくてはならないので、今日の所は引き上げるしかなさそうだ。

 

『とりあえず今日はうちに泊まっていきな、お燐ちゃん。また明日探して、見つからなかったら一度地底に戻ってみては?』

 

「そうだね……じゃあお言葉に甘えさせてもらうとしようかな」

 

 決まりだ、とりあえずお燐ちゃん用の夕食も用意しなくてはならないのだが、猫に与えちゃいけないものって何だったかな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 帰ってきたら、庭に大きな大穴が開いていた。

 何を言ってるのか分からないと思うが、自分も分からない。

 

「あら、遅かったわね鈴仙……その猫は?」

 

『ただいまです姫様、ちょっと色々ありまして……それでこの状況は?』

 

 自分の目が狂っていないのであれば、大穴の前でしょんぼりしながら正座をしている鬼神さんと、その側に怒りを剥き出しにして仁王立ちしている師匠が居るのだが。

 

「……あ、長耳ちゃん! お帰りなさい! 会いに来ましたよ!」

 

 こちらに気づくなり、すぐさま用件を言ってくれた。

 しかし、その用件とこの状況は何か関係があるのだろうか。

 

「聞いてください長耳ちゃん、私普段は地底にいるじゃないですか。なのでよくよく考えたら、地底から長耳ちゃんのお家まで行くのって結構時間かかるし面倒なんですよ。なので作っちゃえば良いって私考えたんですよ」

 

 作る……とは?

 

「もちろん、『近道』ですよー……いたい! 何で叩くんですか永琳ちゃん?」

 

 まさかこちらが聞く前に全て答えてくれるとは思わなかった。

 

「あのね、別に来るのは構わないわ。けど、その近道とやらを作るために、わざわざ地底から穴を掘ってここまで繋げて良いとは言ってないわよ! 人の家の庭にこんな大きな穴開けてくれて、お陰様で庭で栽培してた薬草類が全部ダメになってるじゃない!」

 

 おぉ、師匠が珍しく怒ってらっしゃる……まぁ無理もない、師匠が丹精込めて作った菜園が全て水の泡となったのだから。

 

「ご、ごめんなさい……私、そんなつもりじゃ……うぇぇぇ」

 

 あ、泣き始めた。

 どうやら鬼の頂点である鬼神母神は、強く言葉で責められると泣いてしまうらしい。

 うーん、どこか彼女は幼子のような気質をしていると、何となく感じていたがここまでとは思わなかった。

 逆に天魔さんは年寄りのような気質だというのに、どうして長い間共に過ごした親友同士、こうも性格が違ってくるのだろうか。

 いや、最初から違う気質同士だったから、仲が良いのかもしれない。

 

「は、えちょっと、そんなに強く言ったつもりは……」

 

 師匠も困惑を隠せないでいた。

 

「あー、泣かしたー、永琳が泣かしたー」

 

『泣かしちゃいましたね師匠』

 

「いやー、見事に泣かしちゃったね」

 

「泣かしたー!」

 

「え、いや、これ私が悪いの!? ていうか見知らぬ猫まで私を責めないでよ! なに普通に人語で喋ってるのよ!」

 

 しかし事情はどうあれ、泣かせたのは師匠だ。

 ほら、あやしてあげてください。

 

「うぇぇぇ!」

 

(背骨が……っ!?)

 

 しかしながら、絶賛泣きまくりの鬼神さんは自分にタックルする勢いで近づき、そのまま力一杯自分の腰付近をホールドして抱きついてきた。

 さながら、親に甘える子供のような感じだが、普通の子供は背骨を折る勢いで抱きついたりしない。

 

「ちょっと、何やってるの! 離れなさい……!」

 

 とここで師匠が参戦、鬼神さんを引き離そうと自分の右側を支えにホールドをする。

 

「私も何となく流れに乗ろうかしら……えいっ」

 

 次にこの状況を面白がった姫様が自分の左腕に抱きつくようにホールド。

 

「いやー、どうでも良いこと言うけど、お姉さんの頭の上居心地が良いね」

 

 と、自分の頭頂部に腹を乗せてゆったりしてるお燐ちゃんからどうでも良い情報が。

 

「わーい、私もー」

 

 そしてトドメと言わんばかりに、背中に何かが抱きついてきた。

 

(これが両手に……いや、全身に華というやつなのだろうか)

 

 下を除いた全ての方向から圧迫感を感じる。

 多分滅多に経験できないだろうし、記念にこの感触を覚えておくとしよう。

 

(しかし何かこそばゆいというか何というか……背中の方に関してはまるで子供をおんぶしているような……ん? 背中?)

 

 ちょっと待て、この場にいるのは自分を含めて五名のはずだ。

 前から鬼神さん、右から師匠、左から姫様、上からお燐ちゃん……では後ろから抱きついているのは一体誰だ。

 というかさっきから妙な違和感を感じる。

 

 前から抱きついている鬼神さんは馬鹿力すぎて引き離せなかったが、一度師匠と姫様を引き離し、自分の背中に手を回してみる。

 すると明らかに自分の背中ではない感触があった。

 

(……誰この子)

 

「あちゃー、見つかっちゃったー」

 

 そのまま掴んだ感触を背中から引き離し、手前に持ってくると、見慣れぬ幼子が自分の手の中にいた。

 

「あー! こいし様! やっと見つけましたよ!」

 

 ……成る程、どうやら賭けは成功だったらしい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、最近永遠亭で起きていた不可思議現象は全部この妖怪の仕業だったってこと?」

 

『そういう事になりますね、本人の話によるとですけど』

 

 姫様が言った通り、最近永遠亭では妙な事が立て続けに起こっていた。

 夜中に誰も居ないはずの廊下から足音が聞こえたり、廊下を歩いていると耳元に息を吹きかけられたり、戸棚のお菓子や食事のおかずが何品か無くなるなど……原因がわからなかったため放置していたが、まさか犯人がお燐ちゃんの探し妖怪だったとは。

 灯台下暗しとはこのことか。

 

「もーこいし様! 散々探したんですからね!? さとり様もきっと心配してますよ!」

 

「ごめんねお燐、この場所なんだか居心地が良くて暫く居ついてたの。それより凄いのよお燐、そこの人のご飯とっても美味しいのよ。お姉ちゃんにも食べて欲しいなー」

 

「相変わらず話が通じ難い……兎に角、一度帰りますよ」

 

 覚の能力を封じた悟り妖怪、『古明地こいし』は確かに異質な様子だった。

 会話が成り立っているようで成り立っていない。

 加えて笑顔を浮かべるその表情に意味は込められていない。

 

「自身の象徴、存在意義そのものを自ら封じる……すると突然変異に似た現象が起きて、こうも変質してしまうのね。ちょっと興味深いわね……」

 

 師匠が又もや珍しく、探究心に燃えてらっしゃる。

 口では軽く言いながらも、その目はじっと無意識の妖怪を見つめて観察している。

 お願いですから、解剖とかしないでくださいよ?

 

『というか、そろそろ離れてもらえません?』

 

「嫌です、そうやってまた何処かへ行っちゃうんでしょ? 長耳ちゃんは……」

 

 先程から自分の腰に抱き付いて離さない鬼神さん。

 師匠に責められたと感じた故か、どうやら精神的に不安定になっているようだ。

 

「……私、長耳ちゃんの事が好きです」

 

 そんな呟きが聞こえた。

 幸いというべきか、他の皆の注意は妹妖怪こいしに向いているためか、聞こえたのは自分だけのようだった。

 うーん、まさか初めての告白が同性の妖怪とは……いや、好意をよせる相手に性別や人種は関係ないかもしれないが、何だか複雑な気分だ。

 

「いつもそうなんです、長耳ちゃんの事考えると胸が締め付けられるように痛くて、全身が燃えるように熱くなって……身体をぐちゃぐちゃにしたい、もしくはされたいって。これって人間の言葉で言う『愛』ですよね? だから好きです、長耳ちゃん」

 

 うん、それ多分人間の一般的な愛の定義とはちょっと違う気もするが……

 

「そして何より、私にこの気持ち、『感情』を感じる事ができるようにしてくれた、知恵をくれた、言葉を教えてくれた……そんな長耳ちゃんが本当に好き……きっと天魔ちゃんも同じ事思ってますよ」

 

 …………。

 

「だから、もし私のこの気持ちに応えてくれるのなら……長耳ちゃんの命を私にください」

 

 もしくは、私の命を……

 風の囁き声によってそれ以上は聞き取れなかった。

 

「悪いな、お前の愛に応えることは私にはできない」

 

 風がさらに強まる。

 

「……そうですか、フラれたって言うんですよねこれ? 嗚呼、私悲しいです」

 

 そうか、悲しいのか。

 しかし、あくまで私はお前の愛に応えることはできないと言っただけだ。

 

「……えっ?」

 

 その小柄な身体を抱きしめる。

 同時に確かな体温の温もりが伝わってくる。

 

 そう、愛の形は様々だ。

 それを表現する方法は沢山あるのだ。

 手を繋ぐ、見つめ合う、口を重ねる、身体を重ねる……このように抱きしめることだって、愛の表現方法の一つに過ぎない。

 だから、お前の考える愛の在り方を受け止められない私は、自分のやり方でお前の想いを受け止める。

 

 ほら、抱き返してみな。

 

「……あったかいです」

 

 そうか、それは良かった。

 

「あー! 鈴仙が浮気してる! 大変よ、早くしないと手遅れになるわよ永琳! 具体的に言うとあんたもとっとと抱きつきに行くのよほら早く!」

 

「は、ちょっと輝夜……!? 押さないでって……な、なななななにしてるのよあなた達!?」

 

 いつのまにか強く吹いていた風も止み、気が付けば師匠達が此方を見ていた。

 

「えへへー、両想いですね私達」

 

 …………はて、何故自分は鬼神さんと熱いハグをしているのだろうか。

 そして顔を真っ赤にして、ズンズンと近付いてくる師匠が。

 

(……今日の夕飯は何にしようか)

 

 この後の展開を予想して、すぐに現実逃避に走る事にした。

 

 

 

 

 




地底組ルートかと思いきや、鬼神様のルート解禁話でした。

というかこの小説、当初は三十話程度で完結させようかと思ってたのですが、普通にこのペースだと三十話以上いきそうでちょっと焦ってますはい。


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20話

短いですがおまけ話で、少女えーりんのお話です。


 

 

 

 

 

 走る、走る、大地を蹴り上げその両脚で地を駆ける。

 規則的に肺から息を吹き返し、新しい酸素を取り込んでいく。

 既に走り慣れた道なので、転ぶ心配はあまりない。

 そのため全力ではないが、そこそこの速度を維持しつつ走り抜けていく。

 

 次第に目的地に近づいてきたため、速度を少しずつ緩めていき、呼吸をゆっくりと整えていく。

 最後に深く息を吐き出し、口ではなく鼻での呼吸を再開する。

 

 そして目の前にある、岩肌にぽっかりと大きな穴が開いた、所謂洞窟の中へと足を踏み入れる。

 洞窟の中は外の光が差し込んでくるため、思っていたよりも明るく感じる。

 やがて洞窟の出口が見えてくる。

 出口を抜けると、そこは木々に囲まれ、少し広がった草原が現れた。

 そして何匹かの兎が優々と駆け回ったり寝転がっていたりと、まるでそこは兎の楽園のようなものになっていた。

 

「……いない」

 

 そして呟く。

 何時もなら、大量の兎に囲まれながらのんびりとしている彼女がそこに居るはずだ。

 だというのに、いない。

 

「ねぇ、彼女がどこに居るか知ってる?」

 

 足元にいた兎を一匹拾い上げ、そう訊ねてみた。

 彼女という奇妙奇天烈な存在のせいか、この辺の兎は多少の知恵を持っているため、簡単な質問くらいならその意味を理解できる。

 

「……そう、知らないのね」

 

 しかし返ってきた答えは望むものではなかった。

 首を小さく横に振った兎を地面に降ろしてから、これからどうするか悩みだす。

 

 彼女と知り合ってそこそこの年月が過ぎ、気が付けば二日に一度は彼女に会いに行くペースになっていた。

 そのため、『八意XX』は二日のうち一日は家で趣味という名の研究に明け暮れ、もう一日を彼女との時間に当てるという日々を過ごしている。

 とどのつまり、彼女が不在で会えないとなると一日中暇になるのだ。

 予定していた通りに進まないと気が済まない性格なため、他の事をする気にもなれない。

 もう一度言おう……このままだと一日中暇になってしまう。

 

「ん? どうしたの?」

 

 すると兎が自身の脚にしがみ付いて、何かを訴えかけてきた。

 

「何なのよ……そっちに行けば良いの?」

 

 グイグイと引っ張ろうとするその姿は、此方を誘導しようとしているように見えた。

 大人しくそれに従い兎について行くと、見覚えのあるモノが二つ、草原の片隅にボロ布のように放置されていた。

 

「……何やってるのよ、あなた達」

 

「…………ん、なんだコムスメか。見ての通り昼寝だが……おい、はやく私の上から退いてくれ『角付き』。重い」

 

「んむぅ……まだ眠いです」

 

「そのまま永遠に寝かせてやろうか?」

 

「……『翼付き』ちゃんには無理だと思うので、長耳ちゃんが良いです」

 

「おうおう、生意気な言葉を覚えおって……おいコムスメ、こいつ退かしてくれ」

 

「やだ」

 

 生憎と労働をする気は更々ない。

 それに人の事を小娘呼ばわりする輩の頼み事に応える義理など持ち合わせていない。

 もっとも、彼女は例外にしても良いかもしれないが。

 

「冷たい人間だな、人間って奴はみんなそうなのか?」

 

「さぁ」

 

「……まぁ良いか、それならこのままもう少し寝るとするか。長耳の奴もまだ帰ってこないだろうし」

 

 そう言って翼が生えている妖怪は、起こしかけていた身体を地面に付けた。

 

「ちょっと、彼女が何処に行ったか知ってるの?」

 

「んぁ? いや知らんよ、むしろ私達も知りたいくらいだ。ただ、長耳の奴はこうやって時々何処へふらっと行っちまう。数日すると何事も無かったかのように戻ってくるがな」

 

 ふむ、放浪癖でも彼女にはあるのだろうか。

 私よりこの妖怪共の方が彼女と長い時間を過ごしているらしいので、全くの出鱈目と疑う事はできない。

 つまり、今日だけでなく数日間彼女と会えないかもしれないという事だ。

 

「行き先を知ろうとした事は?」

 

「もちろんあるよ、ただ毎回巧みに撒かれるか、昨日みたいに何処へ行こうとする長耳を止めようと躍り掛かったら、逆に意識を刈り取られたりしてな。結局今の今まで分からずじまいなのさ」

 

 成る程、道理でこの妖怪共はボロ布のように地面に転がっていたわけか。

 

「本人に直接聞いても、『ただの散歩だよ』ってはぐらかすし……まぁ数日もすれば戻ってくる、ならば待つのみよ」

 

 それでは困る、待つだけだなんて私のスケジュールが暇だらけになってしまうではないか。

 

「……探しに行きましょう」

 

「は?」

 

 どうせ二日に一回の研究も暇つぶしみたいなものだ。

 ならば何日かけようとも、彼女を見つけるために費やした方が余程有意義というもの。

 

「探すってお前……あてはあるのか?」

 

「ない……けど、ないなら『あてごと』探せば良いのよ。あなた達だって、このまま待ち続ける日々はもう懲り懲りでしょ?」

 

「そりゃそうだが……」

 

 彼女には秘密が多すぎる、故にその秘密の中から一つくらいは暴き出そうとするくらいは構わないのかも……いや、構わないだろう。

 

 

 

 

 

「ふぁぁぁ……まだ眠たいです」

 

「それでコムスメ、先ずはどうするんだ?」

 

 欠伸をしながら愚痴る妖怪と、なんだかやる気があまり感じられない妖怪。

 多分だが、彼女の行き先を知るのは無理だろうと決めつけているが故に、やる気を出せないのだろう。

 

「良い? どうせあなた達のことだから、隠れて彼女の後をつけるとかそういう発想しかできないのだろうけど、こういう時は『痕跡』を探すのが一番なのよ」

 

「「こんせき?」」

 

 ……あぁ、この反応は言葉の意味すらわからないといったものだ。

 基本的な用語は知っているというのに、なんともお粗末なものだ。

 まぁ面倒臭がり屋の彼女のことだから、最低限の言語しか教えていないのだろう。

 

「そうね……例えばあなた達の足元にある草、あなた達に踏みつけられてるから痕がついて萎れてるでしょう? これは自然的な現象ではなく、生物がその上を歩いて通ったという証拠になるの。つまり、頻繁に何かしらの生物が通っていそうな痕が付いている証拠を探して、辿っていけば良いのよ。もしかしたらそれが彼女の歩いて通った道に繋がるかもしれない」

 

 おぉ、と感嘆な声を上げる妖怪達。

 いや、そんな事で一々驚かないでほしいのだが。

 

「じゃあ、あなた達が彼女の後をつけた時、最後に見失った場所に案内して頂戴」

 

「はい! 私が案内しまーす!」

 

 すると突然元気な声でそう言ってきた角付き妖怪。

 そしてこちらの返事を聞かずに、走り出した。

 ……大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すいません、迷っちゃいました」

 

「うん、何だかそんな気はしてたわ」

 

 馬鹿正直について行った自分も相当アレだが、この妖怪の頭というか記憶力も相当アレなのかもしれない。

 

「ふむ……しかも更に悪い状況かもしれないな」

 

「え?」

 

 翼付きの妖怪の呟きの答えを聞く前に、その答えが現れた。

 四方八方から、異形の姿をした生物……つまるところ『妖怪』の群れが私達を取り囲むように現れたのだ。

 

「どうやら縄張りに入ってしまったようだな、しかも余程腹を空かしてるのか、随分と殺気立ってる……くく、久しぶりに暴れられそうだな」

 

「あらあら、私達を『殺したい』のですかぁ? 歓迎しますよ……うふふ」

 

 しかも何故かこいつらまでヤル気を出している。

 そして十秒も経たずに、闘いの幕が上がった。

 

「ち、ちょっと! 私がいるの忘れてない!?」

 

 そこそこ自衛はできる……が、戦闘能力はそこまで高くないのが私こと八意XXだ。

 なので、こんな乱戦に混ざる事はおろか、隙を見て離脱する技術なぞ持ち合わせていない。

 

「きゃあ!」

 

 そして案の定というべきか、群れの一匹が私に踊り掛かってきた。

 反撃も防御も間に合わない。

 

「おっと」

 

 するとそこら辺を飛んでいた小さな羽虫を叩き落とすような感じで、翼付きの妖怪は一瞬でそれを肉片にした。

 

「危ない危ない、お前さんに怪我でもさせたら長耳の奴に嫌われてしまうではないか……」

 

「そ、そう思うならもっとスマートに助けてくれないかしら……けど、ありがとう。助かったわ」

 

 素直に礼を述べると、何故か意表を突かれたような顔をしてから、照れ臭そうにそっぽを向く翼妖怪。

 

 そして血と臓物が辺りに散乱していくなか、この妖怪達は返り血のみを身体に浴びながら確実に群れ妖怪共を蹴散らしていく。

 

 そしてものの数分で、屍の山が出来上がった。

 

「いやはや、何だか久しぶりの勝利という感じがするな。いつも長耳の奴には負けっぱなしだったし」

 

「嗚呼、やっぱり闘争とは良いものです……あぁでも、折角長耳ちゃんから貰った服が汚れてしまいました……」

 

「あ、こら! なめても血の汚れは取れないし、不衛生だからやめなさい!」

 

 この妖怪達はもちろん、私もそこそこ返り血を浴びてしまった。

 なので、優先事項を変更し、まずは体と服の汚れをどうにかしなくてはならない。

 

「あなた、空を飛べるのなら上から川か湖を探して」

 

「えぇ……空を飛ぶのは好きだが、正直面倒だしこのままでも……」

 

「いいから探せ、はやく」

 

「……はい」

 

 誰のせいでこんな目にあったと言うのだろうか……まぁ、事の発端は私の所為かもしれないが、それはそれだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、ではサッパリしたところで長耳の奴を引き続き探すとするか」

 

「おー」

 

「ちょっと! 裸体のまま歩き回ろうとしないでよ! 羞恥心っていうのはないのあなた達!?」

 

 体と服の汚れは落ちたが、必然的に服が濡れるわけで、現在進行形で乾かしてる最中だ。

 だというのに、こいつらはそのまま平然と何処かへ行こうとする。

 

「羞恥心……確か恥ずかしいとかそんな意味だったか? 一体何を恥ずかしがる必要があるんだコムスメよ」

 

「あなた達の状態よ! は、裸でそこら辺歩き回るだなんて信じられない! このケダモノ!」

 

「……? なぁ角付きよ、あやつはなんで顔真っ赤にして怒鳴ってるのだ?」

 

「さぁ……人間って不思議な生き物ですよね。服を着ないと歩く事ができないだなんて」

 

 だめだ、多分こいつらに羞恥心を教えるのは天才の私でも無理かもしれない。

 

「と、とにかく服が乾くまで大人しくしてなさい」

 

「しかし……日が暮れてしまうぞ? 私や角付きは兎も角、コムスメは人間だろう? 人間は私達のように夜中に活動をするのは向いていないって長耳から聞いたんだが」

 

「良いのよ、確かに夜中は視界が暗くなるから動き回るのは危険だけど、それなら日がまた昇るのを待てば良い……何よ、その不満そうな顔は」

 

 待つのはやだ、といったような表情だ。

 しかし私は人間、こいつらとは違って休息を取らなければ活動に支障が出てしまう。

 

「……まぁ良いか、たまにはこうして誰かの言いなりになるのも悪くはない」

 

「あら? 翼付きちゃん頭でも打ちました?」

 

「違うわ……ただ、この前長耳の奴にな、『どんな理由でも方法でも良いから、誰かの役に立ってみろ。そうしたらきっと、楽しいって思える』と言われてな。何かを害する以外の方法でそう思えるのなら、試してみても良いかもと思っただけだ」

 

「翼付きちゃん……」

 

 ……あぁ、何となくだがこいつの心情が理解できた気がする。

 

 そして案の定、服が乾いた頃には既に辺りは闇に染まりつつあった。

 今日の所はここで野宿をして、朝がきたら再開という計画にして、近くの木に背中を預けて目を閉じる……なに、何かあったらこの妖怪達が真っ先に気付くだろう。

 

「……ねぇ、まだ起きてる?」

 

「なんだコムスメ、排泄か? 暗くて怖いから付いて来いってことか?」

 

「違うわよ!」

 

 しかし中々寝付けないため、眠くなるまで暇を潰そうと近くで同じように木に背中を預けている妖怪達に声を掛けてみた。

 角付きの方は既に爆睡しているようだが、翼付きの方はまだ起きていたためそんな返事をしてきた。

 

「……彼女って不思議じゃない?」

 

「長耳のことか? まぁ確かにそうだな」

 

 話題に選んだのは彼女について。

 そもそもこうやって野宿する羽目になっているのも、彼女の秘密を少しでも知りたいと思ったからだ。

 

「そもそも彼女って本当に妖怪なの? だとしても、あなた達と同じように誰かから知恵をもらったからあんな風に……?」

 

「さぁな、何回か訊ねたりしたこともあったが、あやつ自分の事は語ろうとしないしな……そういうコムスメは長耳の奴についてどこまで知ってるんだ?」

 

「多分あなた達と大差ないわよ……あ、でも」

 

「でも?」

 

 ふっと少し前の事を思い出した。

 

「『貴女って名前とかないの?』って聞いたら彼女、『あるよ』って言ったの」

 

「ほうほう、名前か……そういえば『長耳』は私達が勝手に呼んでるだけで、本当の名ではなかったな。して、あやつは何と?」

 

 そう言われて、少し返答に困った。

 

「…………分からないわ」

 

「は?」

 

「だから、分からないの。確かにあの時彼女の口から名前を聞いたはずなんだけど……どうしても肝心な部分が思い出せないのよ」

 

「いやいや、それはなしだろ。そこまで話を引っ張っておいて、忘れたとかいう締めはないと思うぞ」

 

 私もそう思う、しかし思い出せないのだ。

 確かにあの時彼女の名前を知った、しかし聞いた次の瞬間からその名を思い出す事が出来なくなっていたのだ。

 聞き逃したかと思い、彼女にもう一度訊ねても『一回言ったからもう充分だろ』とか言ってはぐらかされた。

 どうしてだろう……記憶に障害があるわけでもないというのに、彼女の名前だけ思い出せない……という……のは。

 

「…………」

 

「おいコムスメ? ……なんだ、寝たのか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ふっと意識が覚めていく。

 ゆっくりと目を開けると、綺麗な夜空が目に入った。

 

「……あぁ、いつのまにか寝てたのね」

 

 どうやら話の途中で寝てしまったようだ。

 周りを軽く見渡すと、翼と角付き妖怪は既に夢の中、しかもまだ時間的には夜中らしい。

 中途半端な時間に目を覚ましてしまったようだ。

 

 まだ起きるには早過ぎる、再び意識を沈めるべく目を閉じようとした瞬間、それに気が付いた。

 

「……光?」

 

 薄っすらと、森の奥に光が見えた。

 そして不思議と、自然に体が動いた。

 まるで光に寄せ付けられる昆虫のように、私はその光へと足を運んでいったのだ。

 

 やがて目前に光が現れる。

 私は寝惚けた頭で『これは何だろう』と光に手を触れた。

 

「……ここは」

 

 次の瞬間、景色が大きく変わった。

 さっきまでいた森は消え失せ、夜だったというのに空は青い大空へと変貌していた。

 夢でも見ているのだろうか、とても信じられない現実に私の頭はようやく目覚めてきた。

 

 ゆっくりとその場で辺りを見回すと、全く見覚えのない光景が広がっている。

 生い茂る草花、立派に聳え立つ木々、綺麗な空……とても幻想的で美しかった。

 しかしこれだけ綺麗な場所だというのに、生き物の気配が全くしないのがとても不思議だった。

 

「……あれは……誰かいる?」

 

 そして一つだけ、他の木々よりも大きく立派な木が丘の上に鎮座しているのが視界に入った。

 しかもその木の下に人影が一つあった。

 

 その正体を確かめようと、丘に近づきながら目を凝らしていく。

 人影はどうやら、木の幹に手を触れ、背中側をこちらに向けている状態のようだ。

 何だかその様子が、祈りを捧げているように見えた。

 

 そしてその人影に声を掛けようとしたその瞬間、人影がゆっくりとこちらに振り返った。

 

「……あなた……は」

 

 そこに居たのは、『真っ赤な瞳をした人間』だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「起きたか、小娘」

 

「……ふぇ?」

 

 ハッと目を開けたら、彼女がいた。

 しかも位置的に、どうやら私の頭は彼女の膝の上にあるらしい。

 

「あ、あれ……ここって貴女の寝床? 私確か……」

 

「ここから少し離れた場所で、アイツらと一緒にスヤスヤ寝てたぞお前さん。危ないから私がここまで運んでやったんだ」

 

 少し離れた場所で寝息を立てる妖怪達を指差しながら彼女はそう言った。

 ……そうだ、私とあの妖怪達で、彼女を探そうとして最終的に野宿をしていたはずだ。

 それで途中で目が覚めてしまって……

 

「……あれ、それでどうしたんだっけ?」

 

 どうにも記憶があやふやだ。

 寝惚けていたからだろうか……

 

「どうしたはこっちの言葉だ、何でまたあんな場所で寝てたんだ? しかもアイツらと一緒に……いや、仲が良いのは別に構わないが」

 

「…………」

 

「ん? 何だじっと見つめて」

 

「……秘密よ」

 

「なんだいそりゃ」

 

 ……まぁ良いか、こうして彼女の近くに居られるだけで私は充分だ。

 

 

 

 

 




ちょっと暫く更新止まるかもです。
連載中のもう一つの小説の完結と、新しい小説の構想をするので多分一ヶ月は更新できないかも……


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雲の形
21話


 

 

 

 

 神は最初に天地をお創りになられた、地は混沌……即ち深淵だった。

 神は深淵と対を成す光を出す事で、光と闇、昼と夜の境を創った。

 

 次に大空を造り、大空の下と上に分けられた。

 下を海、上を空と呼んだ。

 

 次は海の一部に乾いた場所を造り、それを大地と呼んだ。

 そして神は大地に草と樹を芽生えさせた。

 

 そうして神は、太陽と月、動物と鳥、そして土から『人』を創った。

 こうして七日目には、天地万物は完成し、神は安息をなさる。

 

 やがて最初の人間、アダムの肋骨からイヴという人間をお創りなった。

 二人は東の方、エデンの園で神の言い付けを守りながら楽園で日々を過ごす。

 

 しかし神が創られた生き物のうちで、最も賢かった蛇がイヴをそそのかし、善悪の知識の木の実をアダムとイヴに食べさせた。

 木の実を食べた二人は、知恵を、感情を手に入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「しかし、神の言い付けを守れなかった二人は楽園を追放……蛇は一生地面を這うことしか許されなくなったね……不思議な話」

 

 一度目を本から離し、そう呟いた。

 本の文字に集中していた力が消え、大通りを歩く人の足音や話し声、交通車の行き交う音、自身が今いる喫茶店の店内に流れる曲……様々な雑音が段々と聞こえ始めてくる。

 

 目の前の、二人席用のテーブルの上に置かれたカップを手に持ち、中身を口の中へと注いでいく。

 いつも通りの味だ。

 

 数ヶ月前にこの喫茶店を見つけたのだが、中々思っていたよりも居心地が良い。

 客は多くなく、どちらかというと少ない。

 広過ぎず、むしろこじんまりとしている店内。

 そこそこ年季を感じさせる備品。

 家から徒歩五分程で来られる。

 そして何より、ここの紅茶の味が自身の味覚に見事にマッチしたのだ。

 

 全くもって、最高の場所だ。

 どうしてもっと早く気付かなかったのか、過去の自分に問いかけたいくらいだ。

 

「……三十分経過、そろそろかしらね」

 

 ふと店内に備え付けられている時計に目をやり、独り言を呟いた。

 すると店のドアが開かれ、来店を知らせるベルが小さく鳴り響いた。

 今どきどこの店も自動ドアが多いというのに、この喫茶店のドアは手動だ。

 それもまた魅力の一つなのだが。

 

 チラリと入口の方に目をやると、案の定というべきか、白いリボンが付いている黒い帽子をかぶっている人影が見えた。

 その人影は何かを探すようにその場で辺りを見渡し始めた為、軽く手を振った。

 するとこちらに気付いた人影が、スキップをするように近付いてくる。

 

「やぁ『メリー』、待った?」

 

「えぇ、いつも通り三十分も余計にね。遅刻癖は相変わらず直す気はないようね、『蓮子』」

 

 そして私達は、いつも通りの挨拶をする。

 

「それで、今日の言い訳は何かしら」

 

「今日は……着ていく服が中々決まらなかったから」

 

「いつも似たような格好じゃない」

 

 これも大体いつものやり取りになっている。

 そう、彼女『宇佐見蓮子』はまるでお手本のように、時間にルーズな人間なのだ。

 付き合い始めの頃からその悪い癖は効力を発揮し続け、今に至ってはもう気にしない事にした。

 

「じゃあショートケーキ二個ね、今回はそれで許してあげる」

 

「まるで私が遅刻するのを見透かしていたかのように素早い決断だね……太るよ?」

 

「貴女のお財布を痩せさせる事ができるのだから、多少太るくらい構わないわ」

 

「ひどいなメリーは、私の事がそんなに嫌いなのかい」

 

「いえ、大好きだからよ」

 

 好きだからこそ困らせたくなるという人間の心理は、本当に不思議なものだ。

 

「なら良かった……というか、その本は?」

 

「ん、『創世記』よ」

 

「……凄いチョイスだね、しかも今時デジタルじゃなくてアナログな紙の本とは」

 

「たまには全く違うジャンルを読んでみたかっただけよ、まぁ確かにこれは読書に向いているかと聞かれれば、ちょっとズレてると思うけど」

 

 それとアナログなのは、単に古いものが好きだからだ。

 

「それより、不思議だと思わない?」

 

「何がさ」

 

 店員を呼んで注文を取る蓮子に私は訊ねてみた。

 

「どうしてアダムとイヴは楽園を追放されたのかしらね、神の言いつけを守らなかったから? それとも知恵と感情を手にするのがいけなかったから?」

 

「あるいはその両方かもね」

 

 蓮子は窓の外を見ながら答えた。

 

「私はそっちより、どうして知恵と感情を欲しいと思ったのかが不思議だね」

 

「どうして?」

 

 私は聞き返す。

 

「だってさ、蛇に唆されとはいえ、最終的に知恵の実……禁断の果実を食べようと思ったんでしょ? 其れこそ不思議じゃない? 知恵もなければ感情もないのなら、そもそも『食べよう』なんて選択肢は出てこないと思うんだけど」

 

 蓮子の言いたい事は何となくわかった。

 

「それでも食べたという事は、そもそも果実を口にする前の時点で、知恵と感情を手にしたいという『感情』があったんじゃないかなって……まぁ主観的な見解だけど」

 

「そうね……仮にアダムとイヴが今も生きてるとしたら、是非聞いてみたいところね」

 

 ここで店員が追加の注文を持ってきたため、話は一度途切れてしまって。

 

「……さて、それじゃあ今日の『秘封倶楽部』の活動だけど」

 

「……ねぇ、本当にやるの蓮子?」

 

 私は確認の意を込めてそう言った。

 

「何を言うのさメリー、何のためにお泊まりセットをわざわざ持ってきたと思ってるのさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 秘封倶楽部、それは私こと『マエリベリー・ハーン』と『宇佐見蓮子』によるたった二人だけのオカルトサークルだ。

 活動内容は至ってシンプル、この世の不思議を解明……いや、味わう事だ。

 

「いやー楽しみだなぁ、メリーがこの前言ってた『夢の世界』に行けるだなんて」

 

「……貴女に素直に話した私も相当アレなんだと思うけど、本当に信じる貴女もアレだと思うの私」

 

「じゃああの話は嘘だったのかい?」

 

「……嘘ではないけど、単なる夢だったのかもしれないのよ? それに何でもう行ける前提になってるのよ」

 

 そんな秘封倶楽部の今日の活動は、以前私が夢の中で見た夢を解明すること……

 夢の内容は、よく子供が見る夢にありがちな、現実ではない不思議な世界へと迷い込んでしまう夢だ。

 やけにリアリティがあった為、蓮子にその事を話したのだが……当の本人がそれを本気にして、『私もその夢の世界に行ってみたい』と言い出したのが今回の活動の原因となった。

 

「さぁ準備は万端だメリー、いざ夢の世界へ! ……それでどうやっていけば良いのかな?」

 

「私が知るわけないでしょ」

 

 所変わって私の自宅の私室、蓮子は高らかに宣言してすぐさまつまずいた。

 

「うーん、とりあえずメリー、その夢を見た時と同じ姿勢で寝てみてよ」

 

「はいはい……」

 

 変に反発しても蓮子は止まらない、大人しく従うのが吉だ。

 指示通りに、覚えている限り夢を見た日と同じようにベッドに寝そべってみる。

 

「じゃあお隣を拝借して……」

 

「ちょっと、しれっと女のベッドに勝手に入らないでよ」

 

「私も一応女なんだけどな……別に良いじゃん、それにほら……密着してた方がメリーの夢の中に入れる可能性が増えるかもだし」

 

「……もう勝手にして」

 

 何か言い返す気力もない、不思議と眠気がいつもよりあるせいかもしれない。

 

 やがて私の意識はまどろみの中へと落ちていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……ん?)

 

 妙な感じがした。

 

「どうかしたの鈴仙?」

 

 自分の様子に気付いた姫様がそう言った。

 

『いえ……多分何でもないです』

 

「? なによそれ?」

 

 そう、何でもない……筈なのだが、何か妙だ。

 

(この波長……いや、少し違う? それにもう一つの方は明らかに初めてのだし……うーん?)

 

「なぁなぁ長耳、呆けてないではやく儂の耳も掃除してくれないか?」

 

「あ、違いますよ天魔ちゃん。輝夜さんの次は私だってさっき決めたじゃありませんか」

 

「おいおい鬼神よ、勝手に事実を捻じ曲げるでない。次は儂じゃったろ」

 

「むー、違いますって。絶対に次は私の番でした! もしかして遂にボケが……?」

 

「違うわ戯けが!」

 

 と、最近よく遊びに来る天魔さんと鬼神さんが何やら揉め始めた。

 ちなみに自分による耳掃除コースの次のお客は、さっきからそこでソワソワしながら待っている師匠なので、お二方はもう少し静かに座って待っていてほしいものだ。

 

「あぁ気持ち良いわ、鈴仙の耳掃除の快感と、永琳の『はやく私に譲りなさいよ』という妬みの視線が」

 

『姫様、あんまり師匠を揶揄うとまた追っかけ回されますよ?』

 

 姫様曰く、それが良いのだと訳の分からない事を言うが、これも師匠と姫様の友情という奴なのだろうか。

 

「というかそもそもだな鬼神よ、お前さんその頭の角が邪魔で長耳の膝に頭乗せられないんじゃないのか? 片方は綺麗に折れてるから問題はないと思うが、片側しか掃除してもらえないんじゃないか?」

 

「なん……ですって……確かにお布団で寝るときとか、うつ伏せか仰向けでしか私寝れませんでした……! くっ、こうなったら……!」

 

「おい、待て早まるな鬼神、角を抜き取ろうとするでない! 角がないお前は具の入ってない味噌汁のようなものだぞ! ……あ、なんか味噌汁飲みたくなってきたから今日の夕飯に出してくれ長耳」

 

 という事は今日も夕飯食べていくつもりなんですねわかります。

 別に自分は構わないが、天魔としてのお仕事とかは平気なのだろうか。

 あと正座した脚を少し広げれば、その隙間に角入りますから抜かないでくださいね。

 

「わっ、永琳がついに無言で私の頭をペシペシしてきたわ! これさっさとどけって言いたいのよね? そうよね永琳? 今の永琳『下の子に母親をとられて嫉妬してる上の子』みたいで可愛いわよ! あっちょ本当に痛いやめてえーりん」

 

「ぬぉぉぉぉ落ち着け鬼神、本当に残った方の角も取れてしまう……ぞ? ……あれ、なんか取れた……?」

 

「いやん天魔ちゃんったら、乱暴ですね……強引なのは嫌いじゃないですが、こんなみんなが見てる場所でなんて……えっち」

 

「待て待て、今の状況から何がどうなったら儂の手の中にお前さんの下着が握られてる状態になる? おかしくない? 儂脱がそうとなんてしてないぞ」

 

 うーん、騒がしいけど今日も永遠亭は平和なようだ。

 

「あー、お取り込み中悪いんだけどさ……」

 

 すると縁側の方からてゐが気まずそうにやってきた。

 

『どうしたの? もしかしててゐも耳かきして欲しいの? じゃあちゃんと順番に並んでね』

 

「あ、いや……別にそういうわけじゃ……うん、とりあえず後で頼もうかな。今は知らせを届けに来ただけだからさ」

 

 ほう、知らせとな。

 

「久しぶりの『お客さん』だよ、見慣れない人間が二人、竹林にいるよ」

 

 てゐがそう言うと、さっきまで頬を膨らませながら姫様の頭をペシペシしてた師匠が、警戒の色をあらわにした。

 

「あぁ安心しなよお師匠様、見た感じただの『外来人』っぽかったよ。まぁ確証はないけどさ……そいじゃ、あたしゃこれで失礼」

 

 そして、そそくさと退散していく悪戯うさぎ。

 

「……外来人ねぇ、もしイナバの言ってる事が本当だとしたら、助けてあげないとマズくない?」

 

 姫様の言う通りだ、こちらの助けがないと間違いなくこの竹林でのたれ死んでしまうだろう。

 運良く妹紅さんに会うという可能性も無くはないが、こちらから動いた方が確実だ。

 それに、個人的に気になることもあるし……

 

『じゃあ、ちょっと行ってきますね。耳掃除の続きは帰ってきたらでお願いします』

 

「ち、ちょっと待ちなさい! もし月の連中の関係者だったら……!」

 

 なに、大丈夫ですよ師匠。

 こちらからもその外来人とやらの波長は捉えてますが、月の関係者ではないことは確かですよ。

 いや、むしろここ(幻想郷)の関係者と言った方が近いかもです。

 

「それってどういう……」

 

「なんだ長耳、散歩か? 儂も行きたいぞ!」

 

「私も私も!」

 

 お二方は大人しく待っててください、お願いですからいや本当に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 人生がつまらない。

 生きている意味がよく分からない。

 人間は果たして何をする為に存在しているのだろう。

 そんな答えのない自問自答を何度も、何度も繰り返した。

 

 しかしこれは私がオカシイわけではないはずだ。

 人間誰しも、自分とは何か……そんな哲学的な疑問を持ち、答えを探そうとする時期があるはずだ。

 私の場合は、単にその期間が少し長いだけ。

 

 小さい頃、私は自分以外の人間が怖かった。

 それを実感したのは、ある晴れた日のこと……家の近くで犬の亡骸を発見してしまったときだ。

 幼いながらにも私は理解した、この犬は病気だとか寿命で死んだのではなく、『何者かに害されて◾️されたのだと』。

 

 この亡骸がどのような理由で私の目の前にあるのかは知らない、知りたくもなかった。

 ハッキリとわかっていたのは、犬を◾️す存在(人間)がこの世にいるという事実だけ。

 しかし同時に、犬を愛し家族同然に扱う存在(人間)もいる。

 

 愛情と憎悪、親愛と軽蔑、喜びと悲しみ。

 人間は相反する感情を誰しもが持っている。

 そしてそれは、時と場合によりアッサリと逆転することがある。

 その証拠に、犬という存在を愛せる人間と愛せない人間がこの世に矛盾して存在しているではないか。

 

 同じ人間なのに、同じ生き物なのに……どうして人間はみんな違うのだろうか。

 どうして、どうして、どうして。

 

 故に私は怖かった。

 同じな筈なのに、中身が全く違う生き物(人間)が。

 それが当たり前だとわかっていながら、私は怯えた。

 

 そんな私が積極的に人と関わろうとしないのは、もはや必然といえる。

 友達なんて全く居なかった、つくろうとも思わなかった。

 だから今までの間私はずっと、一人で生きる意味とやらを求め続けた。

 故郷を離れ、日本にやって来たのもその意味を知る事が出来るかもしれない……そう思ったからだろう。

 

 日本にやって来て数年経つ頃、私は日本の大学に通い始めた。

 特に何かしたかったとか、将来の夢があったわけでもない。

 只々、とりあえず何かをして居なければいけない気がしたからだ。

 

 そして相分からず、友達なんていない。

 ただ退屈な講義を受け、適当に過ごす大学生活。

 別に辛くはなかった、むしろそれが性に合っている気さえした。

 しかし少し不安もあった。

 このまま何事もなく大学生活を終え、社会に出て仕事をする……そんな当たり前の生活に私の生きる意味はあるのだろうか。

 もしくは、その過程で見事私は、自分の生きる意味を見出す事ができるのか。

 だとしたら、私はどんな私になっているのか。

 そんな事想像もつかない、だからそれが不安だった。

 

 そんな想いを胸の内に秘めながら、半年程大学生活を送った頃だろうか。

 私のなんて事ない日々に、変化が起きた。

 

『やぁ、隣失礼するよ』

 

 ソイツは、突然私の目の前に現れた。

 

『……どうぞ』

 

 大学の中庭、その隅っこの木陰が私のいつもの定位置だった。

 その日も一人で昼食をとっていると、ソイツは何を思ったのか私の隣に座った。

 見も知らぬ、名前すら知らない人間だった。

 

『なんだ、日本語上手じゃん。何処の国から来たの? アメリカ? イギリス?』

 

 ソイツは初対面のはずの私の心に、ズカズカと土足で入ろうとしてきた。

 とても馴れ馴れしいやつだった。

 

『やぁ、また会ったね』

 

 そして次の日もソイツと会った。

 

『そういえば君、名前なんて言うの? ……ま、まえ? えぇい、言いにくいし長いなぁ。私が呼びやすい名前を考えてあげよう!』

 

 次の日も。

 

『やぁメリー、今日も隣失礼するよ』

 

 次の日も。

 

『メリー、いやメリー様。この前の講義のノート見せてくれない? え、違う違う、決して居眠りしてたとかそんなんじゃ……』

 

 次の日も、次の日も、そのまた次の日も。

 気が付けば彼女が近くにいるのが当たり前になっていた。

 私が自分から他人を避けているのを彼女は知っている筈だ。

 それなのに、彼女は私に関わり続けた。

 

 不思議と嫌な感じはしなかった。

 未だに人間は怖いが、本当に不思議な事に、彼女だけは怖くなくなっていた。

 

「……リー…………メ……」

 

 メリー、メリー、メリーと、彼女は自分で考えた私の愛称を何度も呼ぶ。

 それが何だか気恥ずかしくて、不思議と落ち着く。

 

 ほら、こうして目を閉じているだけで、彼女の優しい声が聞こえてくる……

 

「メリー……メリーったら! はやく起きないとメリーの立派なお山さんの間に手を突っ込んじゃうぞ」

 

「…………もう突っ込んでるじゃない! やめなさいこのセクハラ蓮子!」

 

「容赦ない平手打ち……!?」

 

 そして意識がようやく覚醒する。

 ……そうか、確か蓮子を家に泊めてたんだった。

 

「あたたた……酷いなぁ、優しく起こしたっていうのに」

 

「何で貴女は女なんでしょうね、男だったら即刻訴えてやるっていうのに……」

 

「やだなぁ、女同士の軽いスキンシップというやつじゃないか」

 

 付き合い始めてすぐにわかった、彼女は単におバカなだけで、私に付き纏っていたのも単なる気まぐれだったのだろうと。

 

「もぉ……それで、何で起こしたのよ? もう朝な……の?」

 

 そして冷静になって、寝惚けていた頭が目覚めると、私はようやく現実を理解した……いや、現実味がなさすぎて、これは現実をなんかじゃないと脳が否定したかったのかもしれない。

 

「……うそ」

 

 でなければ、自分の家のベッドで寝ていた筈の私達が、『竹藪が生い茂った竹林の地面』にいるという現実を認めるしかないではないか。

 

「いやー驚いた驚いた、これがメリーの言ってた夢の世界ってやつかい? 確かに夢の世界っていうのが一番当てはまるかもね、今の日本にこんな立派な竹林はないもの」

 

 蓮子は冷静なのか、興奮しているのかわからない状態で状況を分析する。

 

「それでメリー、ここが君の言ってた夢の世界であってるかい?」

 

「……えぇ、確かに前見た夢と同じ景色だわ」

 

 まるで天まで伸びているかのように錯覚させる竹藪達、立ち込める深い霧……間違いない、私が以前見た夢の景色と同じだった。

 

「ふむふむ、つまり……成功って奴かな? 私はメリーの夢の世界に入れたというわけだね!」

 

 と、はしゃぎ始める蓮子。

 しかし、この蓮子は本当に蓮子なのだろうか?

 ここが私の夢の中だとするのなら、彼女も私が生み出した夢なのではないだろうか。

 

「うーん、他人の夢を共有できる……そんな現象があったとは驚きだね。しかしやけに現実感があるというか……私本物の竹なんか触った事ないのに、しっかりと竹の感触がわかる……あと踏み締めてる地面の感触もまるで現実のよう……」

 

 ……いや、この蓮子が現実だろうが夢だろうが関係ないか。

 蓮子は蓮子だ、どっちであろうと彼女には間違いない。

 

「メリーはどう思う? これ本当にただの夢だと思う?」

 

「え? ……そうね、とりあえず夢かどうか知りたいなら頬をつねれば良いんじゃないかしら?」

 

「えー、それでもし本当に夢で目が覚めたら勿体無いじゃないか……まぁ良いか、じゃあ一つ試してみよう」

 

 そして蓮子は、両手を突き出し、私の胸を掴んだ。

 

「だから何するのよこの変態!」

 

「二回目の平手打ち!?」

 

 訂正しよう、この蓮子は本物だ。

 私の作り出した夢の蓮子なら、都合を良くする為に私の嫌がることをさせない筈だ。

 それでもこうして、いつものようにセクハラしてくるという事は本物だ。

 

「あいたた、そんなに怒らないでくれよメリー。でもこれで夢じゃない事は確かかな? メリーの感触、まるで現実のようだったし、現に私の頬が痛むというのに夢から覚めないんだもの……」

 

 ……確かに蓮子の言う通りかもしれない。

 蓮子に……その、胸を触られた感触は現実の様な感触で、こうして息を吸い酸素を取り入れる事さえ現実と同じ感触だ。

 夢とやらが何処まで現実味を感じさせるのかは知らないが、これはただの夢ではない気がしたのは確かだ。

 

「うーん、となるとメリーには瞬間移動の能力があって、寝てる間に何処かへテレポートしたとか?」

 

「それこそ現実味がないわよ」

 

 大体今の世の中、こんな自然が残っている場所はない筈だ。

 

「……よし、とりあえず歩いてみようか。何かあるかもしれないし」

 

「そうね……ちなみに以前見た夢では、最後オオカミに似た動物に追っかけられて目が覚めたわ」

 

「ちょっと、何で今のタイミングでそんな告白をするのさ!?」

 

 答えは簡単、単に言い忘れてただけだ。

 

 そしていざ歩き出そうとしたその瞬間、草木をかき分けるような音が近くでした。

 

「……ねぇメリー」

 

「なによ」

 

 その音は背後からした、つまり草木の間を『何か』が通り抜けようとしてるということだ。

 

「せーのでいこう、この前のお化け屋敷行った時みたいにせーので後ろを振り向こう、一緒なら怖くない」

 

「そうね……じゃあ」

 

 せーので、私達は勢いよく後ろを振り向いた。

 

 ——そして気が付けばその場から走り出した。

 何故なら、私達の背後に怪しく、または妖しく、それでいて何処か綺麗だと思える紅いモノが二つ見えたからだ。

 

 あれが何なのかは知らない。

 しかし人間は未知を恐怖する生物、得体の知れないモノから逃げようとするのは当たり前の逃避行動だ。

 

「どうするメリー、もう一回後ろ振り向いてみる!?」

 

「いやよ!」

 

 走りながら、息をみだしながら私達は竹藪の隙間を走り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 変な感じがした、嫌な予感がした。

 だから眠っていた身体を無理矢理起こして、その予感の原因を探った。

 そうしたら、その予感が外れていないことに驚き、そして怒りを覚えた。

 

「……なんで、なんで『あなた』がここにいるのよ……『マエリベリー・ハーン』」

 

 だって、そこにはこの世で最も愚かな人間がいたのだから。

 

 

 



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22話

 

 

 

 

 

「はぁ……はぁ……げほっ、いやー走った走った。何だったんだろうねあの赤いやつ……大丈夫かいメリー?」

 

「—————」

 

 蓮子の心配そうな声がしたが、あいにくそれに答えるほどの体力は無かった。

 今にも心臓は破裂しそうなくらい鼓動を続けているし、肺は酸素を欲しがっている。

 別に病弱というわけではないのだが、私は運動があまり得意ではない。

 それに全力疾走をしたのだって何年振りというブランクがある。

 息を整えるのにはもう少しかかりそうだ。

 

「うーん、それにしても本当にリアルな夢だね。疲れすら現実味を感じるとは……」

 

「……そう、ね。というか私はもうこれ夢なんかじゃないと思い始めてるわ」

 

 何とか声を出せるくらいには回復した。

 

「まぁ夢なのかそうではないのかは取り敢えず置いといてさ、これからどうする?」

 

「どうするって言われても……」

 

 可能ならもうこの夢から醒めたいが、やり方がわからない。

 この前はオオカミみたいのに追っかけられてる途中で目覚めたが、そのトリガーが何なのか全く予想できない。

 

 つまり、結局は先程と同じ結論、歩き回るしかないと蓮子に伝えようとしたその瞬間、私の横を『何か』がかすめた。

 ——いや、かすめたのではない、確実に何かが私の左腕を『貫いた』。

 

「————ッ!?」

 

「メリー!?」

 

 そして激痛、まるで刃物が肉を抉るような痛みだった。

 嫌な予感がしつつも、痛みの発症源である左腕を見ると、真っ赤な私の血液が腕と地面を染めつつあった。

 

「い……たい……!」

 

 正直泣きそう……いや、既に涙は出てしまっている。

 体験した事がない激痛に、涙腺が我慢できるはずもなかった。

 

「メリー! あぁ血が! 一体何だってんだよ!」

 

「蓮子……いいから逃げましょう」

 

 不思議と頭は冷静で、状況の分析はスムーズに行えた。

 今私の腕を貫いたのは、明らかに殺傷能力のあるものだった。

 それが何処からともなく飛んできたという事は、明らかに私達に対して敵意を向けた人為的なものだ。

 つまり私達は今、何者かに命を狙われているという事だ。

 

 痛む左腕を右手で押さえながら、その場から走り去る。

 そんな私を慌てて追おうとする蓮子。

 痛みと不安から頭がどうにかなりそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 喋る余裕なんてなかった。

 ただひたすらに、ガムシャラに走る。

 

 謎の攻撃は未だに続いていた。

 今でも逃げ惑う私の背後を撃ち抜かんとばかりに。

 幸いにも、走っている標的に当てるのは難しいのか、たまに服の上から掠める程度だった。

 それと前を先行している蓮子の背中が見えるだけでも、心に少し余裕があった……

 

「メリー! 大丈夫かい!? 私がおぶってあげようか!? それともお姫様抱っこが良い!?」

 

 と、走りながらも大きな声をまだ出せる余裕があるとは正直驚きだ。

 もしかして私の知らないところで体力作りとかしていたのだろうか?

 というかこんな状況でもいつもの調子を崩さないという事は、精神面でも彼女はタフなのかもしれない。

 

(……何を呑気に蓮子の分析なんかしてるのよ私)

 

 現在進行形で命を狙われているというのに、蓮子だけじゃなく私の思考もいつもと変わらない気がしてきた。

 あれだろうか、心の何処かでまだこれは『夢』だと思っている自身がいるのだろうか。

 だとしたらとんだ間抜けだ、いい加減自覚しろ、これは……

 

 ——紛れも無い現実なんだと。

 

「あぐっ……!」

 

「メリー!?」

 

 次の瞬間、今度は右脚に激痛。

 どうやら幸運はここまで、見事使い切ってしまったようだ。

 あまりの痛さと衝撃に私はそのまま地面に倒れ伏した。

 

(このままじゃあ……!)

 

 動きを封じられた獲物ほど狩り易いものはない。

 あと数秒後には私の身体はズタズタに撃ち抜かれるだろう。

 

 そして私の次はおそらく蓮子……

 そう考えると、何故だか自身の死よりも彼女の死の方が恐ろしく感じた。

 

 ——まるで時間の流れが遅くなったような感覚だ。

 目の前には慌てて駆け寄ろうとする蓮子。

 そして背後には見えないが、おそらく私目掛けて飛来する何か。

 何もかもが、スローモーションのように感じた。

 

 間も無く来るであろう痛みに耐えようと、グッと瞼を強く閉じる。

 

 ……しかしどうしたことだろうか、既に十秒ほど経っても私の身体は繋がったままだ。

 恐る恐る瞼を開き、うつ伏せの状態から仰向けにする要領で身体をひっくり返してみると……

 

「…………」

 

 誰かがそこに立っていた。

 まるで倒れた私を守ろうとしているように。

 

 まず目に入ったのは紫色の髪だった。

 次に頭頂部の大きな耳、そしてそれに対してあまりにもミスマッチな格好。

 そして風によって小さくなびく長髪の髪の毛が、とても美しいと感じた。

 

 その人影はゆっくりとこちらに振り返った。

 

「……素敵な目」

 

 ふと、意図していないにも関わらず思った事を口に出してしまった。

 その真っ赤な瞳があまりにも不気味で、純粋で、あまりにも綺麗だったから。

 

「おわっ! な、何これ? 『今のうちに逃げろ』って……」

 

 すると突然、丸めた紙切れのようなものを蓮子に投げ渡した。

 その内容はおそらく今蓮子が言った通りだろう。

 そしてその人影は、まるで重力なんて関係ないと言わんばかりに、物凄い跳躍をして竹藪の中へと消えていった。

 

「な、何だかよくわからないけど、チャンスなのかな!? 逃げようメリー!」

 

 蓮子はそう言うと、私の身体をおぶってそのまま走り出した。

 

「蓮子……それじゃあ血が服に付いちゃうわ」

 

「服が何だってんだ、シャツ一枚が汚れるくらいで友人の命が助かるのなら安いもんさ。というか軽いなぁメリー、ちゃんと食べてるの!?」

 

 ……そんな蓮子の声が聞こえたが、私の意識は段々と薄れていった。

 口を動かす気力すら無く、そのまま蓮子の背中に顔を埋め、意識を完全に閉ざした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……どうして邪魔をするの?」

 

『そりゃあしますよ、目と鼻の先で人が襲われてるのを黙って見てるなんてできませんし。というか、どうしたんです? 『あなた』はこんな事をするタイプではないと思ってたんですが』

 

「ならそれは勘違いね、私だって時と場合によっては非道とも思われる行為だってするわ。何より……この件は兎さんには全く関係ない、だから邪魔をしないで頂戴」

 

『つまりあなたと、あの人間……何か深い関係があるという事ですね。ふむ……となるとやはり、あの妙な波長は私の勘違いではなかった?』

 

「……それ以上詮索するのはやめなさい、でなければ容赦はしないわよ」

 

 どうやらあちらは本気のようだ。

 ならばこれ以上刺激するのはやめといた方が良いだろう。

 

『……せめて理由くらいは』

 

「聞こえなかったかしら、あなたには関係ないって言ったの」

 

 うーん、だめか。

 仕方ない、ここは潔く諦めておこう。

 あの人間の怪我の方も心配だ、はやく治療してやった方が良いだろう。

 

『それじゃあ気が変わったらいつでも相談に……もう居ないし』

 

 もしやまたあの人間を追い掛けに行ったのではないかと焦ったが、どうやらあちらも一度身を引いたようだ。

 

(さて、あの二人は……と)

 

 既に二人の波長は覚えてある。

 はやいところ見つけ出して保護しなくては、色々と危険だ。

 

(……いた、今度は逃げられないと良いんだけど)

 

 初めに彼女達を見つけた時は、驚かせてしまったのか凄い勢いで逃げられてしまった。

 やはり背後から近づくのはマズかったのかもしれない。

 なので次は堂々と真正面から近づこう。

 

 タイミングを見計らってから、勢いをつけて跳躍をする。

 そして……

 

「どわぁ!? び、ビックリしたぁ!」

 

 黒髪の、少しボーイッシュな感じの少女の前に着地した。

 ……結局驚かせてしまってはないだろうかこれ。

 

「あ、あなたは……えっと、さっき私たちを助けてくれた人……? ですよね?」

 

『とりあえず細かい挨拶はあとにしよう、そっちの金髪の子の怪我の治療を優先させたい』

 

 どうやら命を落としたわけではないが、意識が無い状態のようだ。

 早い所処置をしなければ手遅れになる可能性だってないとは言い切れない。

 

『まだ走れる? 私の背中を見失わないようについて来て、じゃないとこの竹林にあなた達の墓石ができることになるから』

 

「え、何それ怖い」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うわ、でっかい屋敷……」

 

 玄関を開けると、師匠が出迎えてくれた。

 

『師匠、急患です』

 

「私は医者じゃないんだけど……まぁ良いわ、とりあえず空いてる部屋に寝かせといて、見た感じ簡単な治療で済みそうだし……何かこの子の顔、どこかの誰かさんに似てない? 気の所為かしら……」

 

『気の所為ですよ』

 

 師匠の疑問を軽く流して、空き部屋へと少女を案内する。

 そして小さな机を並べて、その上にシートを被せた簡易的な診察台をつくり、その上に怪我人をそっと乗せる。

 

「あ、あの……メリーは、大丈夫……なんですよね?」

 

『命に別状はないよ、怪我も見た目ほど酷いものではなかったし……あとは私の師匠に任せるだけだから、貴女も少し休んで。美味しいお茶でも淹れてあげるから』

 

「で、でも……」

 

 先程から心配そうに台に乗せられた金髪の少女をチラ見する黒髪の少女。

 どうやらこの二人の絆は深いらしい。

 

『いい? 貴女は今自分で思っている以上に精神的に凄く混乱している状態だし、疲弊してるの。それを我慢し続けても、すぐに倒れちゃうわよ? あの子……えっと、メリーちゃんが目が覚めた時に、そんな状態の貴女を見たいと思う?』

 

「それは……そうですね」

 

 よし、どうやら納得してくれたようだ。

 

「あの……ところでなんですけど」

 

『うん? どうかした?』

 

 居間へと向かう途中、突然話しかけられた。

 

「その……コスプレとかがご趣味なのですか?」

 

 ……はい?

 

「あ、いえ! 決して悪い意味ではなくてですね、ただ今時ウサギのコスプレとか珍しいなぁなんて……」

 

『……えっとね、これは仮装とかじゃなくてね……』

 

 何か勘違いをしているようなので誤解を解こうとしたが、そういった話は後でまとめてすれば良いだろう。

 

『まぁ兎も角、私の姿なんかで驚いてたらこの先大変だよ? 何せ私より凄い見た目のがこの屋敷にまだいるから』

 

「? それはどういう……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー驚いたなぁ! まさかあのかぐや姫だけでなく、『鬼』とか『天狗』が実在してだなんて! 人生何があるかわからないもんだねいやほんとに」

 

「ふむぅ、外の世界にもまだ儂等の伝記は残ってるとは正直驚いた。人間なんてどうせすぐ忘れる生き物かと思っていたんだが……」

 

「なんだか照れちゃいますねぇ」

 

「ていうか待って、私の話が絵本とかになってるって本当なの? それプライバシーの侵害じゃない? 誰よそれ書いたやつ、もし見つけたら難題ふっかけてやるわ」

 

 現在我が家の居間は実に賑やかだ。

 

 黒髪の少女……名を宇佐見蓮子というらしい。

 少女蓮子には幻想郷のこと、今の状況の説明、それから自己紹介を軽くした。

 不思議なのは、彼女からしたら全く信じられない話だというのに、彼女は幻想郷の全てを受け入れた。

 自分達の話を全て真実として聞き入れたのだ。

 

「いやーなんて言いますか……昔からそういうファンタジーというか、不思議な話とかは大好きなんですよ。小さい頃はよく図書館とかで神話だとか妖怪図鑑だとか読み漁ってました。だから正直な話、メチャクチャ感激してます。ずっと空想の中でしか考えられなかった存在と、こうして対面しながら話をするなんて」

 

 そう語る彼女の顔は、何故か少し曇ってた。

 

「……けど、そのせいで私の親友が大怪我をしたのも事実なんだよね。なんていうか、嬉しさと悲しさが混ざって変な気分です」

 

 そして彼女は苦笑する。

 

「なに、お前さん達は運が良い方だと思うぞ。儂が聞いた話では、外来人の殆どはそこら辺の野良妖怪の餌になるか、気が触れて自ら命を絶つものが殆どらしいからな」

 

「へ、へぇ……そうなんですか」

 

 天魔さんや、それフォローになってないですよ。

 

 

 

 

 




短いですがキリの良いところで区切ります。
次の話でこの章は終わりにするつもりです。


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23話

気が付けばそろそろ一年経つんですねこの小説。
何か時の流れが早い気が……


 

 

 

 

 

 

 

 ■■が死んだらしい。

 寿命だとか、病気なんかではなく、交通事故だったらしい。

 そう、らしいというのは、実際に見た訳ではないからだ。

 

 しかし死んだという事実は、今しがた理解した。

 だって、目の前で■■が火葬されているから。

 

 ■■の親と少し話した。

 どうやら■■は事故に遭う前、友達と一緒にある場所に向かおうとしていたらしい。

 しかしその友達は偶々その日、風邪を引いてしまっていて、■■と一緒に行く事が出来なかった。

 だから■■は仕方なく、一人で行こうとした。

 そして事故に遭った。

 

 その事も本当は知っていた。

 だって■■の友達とは、他でもない『私』なのだから。

 

 私が風邪を引かなければ、一緒に行くことが出来ていれば、こんな事にはならなのかったかもしれない。

 もしくは私も一緒に死んで、こんな悲しい気持ちにならずに楽になれたのかもしれない。

 

 つまり■■を一人で死なせてしまったのは、私のせい?

 そうなのだろうか、いやそうなのだろう。

 

 ■■、嗚呼■■……私の唯一の親友。

 きっと■■は私を怨んでいるのだろう。

 私は■■から沢山のことを教わった、しかし私から■■にしてあげれた事なんてなに一つない。

 そんな役立たずな私のせいで、■■は死んでしまった。

 怨まれ、憎まれ、憎悪されたってそれは仕方のない事だ。

 

 どうしたら私は償えるのだろうか?

 できるのなら、私は償いたい。

 

 でもどうやって?

 どうやって、どうやって、どうやって、どうやって?

 答えを探しているうちに、気が付けば私は……

 

 見知らぬ場所、見知らぬ時間、見知らぬ世界……見知らぬ『私』になってしまっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つっ……!?」

 

 まるで頭を鈍器で殴られたかのような、そんな痛みで意識が覚醒した。

 

「ぐっ……げほっ、げほっ!」

 

 次に襲ってきたのは強烈な吐き気。

 思わず寝ていた身体を起こして、必死に吐き気を堪える。

 

 変な夢だった、全く覚えのない景色に出来事、それなのにまるで自分がそれを体験したかのような気分になっていた。

 それがとてつもなく不愉快で、気持ち悪かった。

 

「……蓮子、蓮子は?」

 

 ここが何処なのか、何故私は寝ていたのかなんて気にならなかった。

 気が付けば私は親友の姿を探していた。

 さっき見た夢のせいなのかは知らないが、何だか不安な気持ちでいっぱいだった。

 

「蓮子……」

 

 近くに彼女はいない。

 なら探しに行こう。

 見知らぬ襖を開け、見知らぬ景色を視界に収めながら縁側を歩く。

 

 すると視界の先に人影が見えた。

 

「蓮子……!」

 

 まるで怖い夢を見た後の子供のようだった。

 いや、実際今の私はその通りなのだろう。

 とにかく不安で不安で、それを拭いたくて仕方がなかった。

 

 私はその人影に駆け寄り、力一杯抱きしめた。

 人肌を感じたかった、安心したかった。

 

 

 

 

 

「……怖い夢でも見たのかい?」

 

 そんな声が聞こえた。

 まるで母親が自分の子供に優しく話しかけるような、温かくて、柔らかい声だった。

 

「でも大丈夫、今の状況そのものがあなたにとっては夢みたいなもの。夢から覚めればそれは全て夢の中の出来事になる……だから怖くて不安なのは今だけ」

 

 そして私の頭に手を乗せたのだろう、そのまま愛でるように撫でられた。

 それがとても心地良かった。

 

「もう少し眠りな、まだ朝の四時前……朝食の準備はまだ先になるし。眠れないなら子守唄でも唄おうか? それとも添い寝? 私の知る小むす……子供はそれでよく眠ったりしてたけど、君はどうかな? あ、それとも寝る前のトイレが先かな?」

 

 ……と、突然の口調の変化というか、軽口を言い始めた事に驚きようやく寝ぼけていた脳が覚醒した。

 蓮子じゃない、一体誰だ、というかここはどこだ、私は一体何をしているのだ。

 

「ん、トイレは平気なのかな? じゃあお休みの時間だ」

 

 そして顔を上げた私の視界に入ってきたのは、綺麗な真紅の瞳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

 目が覚めた、そして視界には見知らぬ天井。

 

『おはようございます』

 

 そして枕元には、正座した兎の耳を付けた女性が……はて、私は知らぬ間に変なお店にでも迷い込んでしまったのだろうか。

 

「……って違う、私は確か……!」

 

 覚醒しきった脳を高速で回転させ、今までの記憶を呼び覚ます。

 そして慌てて飛び起きようとした途端、片腕と片足に微かな痛みを感じた。

 

『落ち着いて、折角塞いだ傷が開いちゃう。筋肉とか神経は断裂してなかったし、傷も綺麗に塞がるはずだから、痛いのは今だけ』

 

「え……あ、はい……」

 

 すると嘘みたいに、動転していた気持ちが急に落ち着いた。

 チラリと自分の体を確認してみると、左腕と右脚に真っ白な包帯が巻かれていた。

 それを意識すると、ほんの少しだけ痛みが増したので、今後は意識化に入れないようにする。

 

「それで……えっと、ここは何処というか、貴女は……?」

 

 何処かで……というか今さっきまで言葉を交わしていたような。

 しかしまるでノイズが走るかのように、頭の靄は晴れず記憶がしっかりと再生されない。

 

「……そういえば、蓮子は」

 

 何処にいるのかと、声に出そうとした瞬間、部屋の襖が思いっきり開かれた。

 

「メリィィィィィィ! 生きてる!?」

 

 そして謎の奇声をあげた彼女が、部屋の中へと飛び込んで来た。

 

「生きてる、生きてるよね!? 本当に良かった、そして私の話を聞いてくれメリー、ここには何と世にも珍しい妖怪が沢山いるらしくてね、昨日も本物の鬼とか天狗に会ったんだよ本当だよ」

 

「ちょ……落ち着いて!」

 

 ダメだ、こうなった彼女は爆走する車と変わらない。

 というかこんなにも彼女が興奮するなんて珍しいことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……つまり、ここは私の夢の世界とかじゃなくて、実際に実在している別の世界ってこと?」

 

「だからさっきから何度もそう言ってるじゃないか」

 

「…………」

 

 そんな事ありえない、なんて言葉は今更言えるはずがなかった。

 なにせ現にこうして現実的な怪我をしていて、この痛さが夢だとは到底思えない。

 

「そんなに不思議かしら? 外の世界の人間達はもう幻想を抱く余裕すらないの?」

 

「人間っていうのは、理解できないものは怖いと思うのよ……そして理解してしまえば完全にそれを現実のものとして認識してしまう生き物なの。だから非科学的なモノを現実的にしようとする、怖いものから目を背けたいがためにね」

 

『何か悲しいですね』

 

 そしてさらに、私と蓮子の目の前には不可思議な人達が現にこうして存在している。

 絶対に死なない不老不死と、お伽話にしか出てこないはずのかぐや姫、それと兎人間……明らかに異質な存在だ。

 

「……はぁ、まぁこの際というか、認めざるを得ないというか……何でこんな事になったのかしら」

 

「おいおいメリー、何でそこでしょげるのさ。世の摩訶不思議を体験するためのサークルとしては、これまでにない貴重な体験……あ、でもそんな大怪我をしたんだから嫌になって当然だよね……」

 

「べ、別にそういうわけじゃないわよ……」

 

「ほんと? じゃあメリーもテンション上げてこう! そしてこんな素晴らしい世界に連れて行ってくれたメリーに感謝を! そうだ結婚しよう!」

 

「何でそうなるのよ……」

 

 自分から舞い上がっておいて、いきなり下げるのはやめてほしいものだ。

 かといってフォローを入れるとすぐに調子乗る……そこが彼女の魅力なのかもしれないが。

 

「いいわねー、青春してるわね貴女達……ねぇ永琳、あなたも見習ったら?」

 

「は? いきなり何を言いだすのよ……」

 

「とぼけちゃって、そんな永琳も可愛いと思わない鈴仙?」

 

『ん? まぁ師匠はいつも可愛いと思いますが』

 

「は、はぁ!? か、可愛い……!?」

 

 と、何やらあちらの方も騒がしくなってきた。

 どうやらあの銀髪の人、色々と苦労してそうだ。

 

「と、とにかく! これからどうするのよ、この子達をいつまでも此処で預かっておくわけにもいかないでしょ」

 

「逸らしたわね永琳」

 

「うるさい!」

 

 あ、ついに銀髪の人が黒髪の人に躍り掛かった。

 冷静かつ知的なイメージな人だったが、意外と簡単に揺れ動いてしまうようだ。

 

『……とりあえず師匠の言ってることは正しいんだよね。どうするこれから』

 

「どうすると言われても……」

 

 落ち着いてきたとはいえ、未だ頭の中は混乱している。

 

『選択肢は大きく分けて二つ、幻想郷(ここ)に永住するか、元の世界へ帰るか。それだけの話だよ』

 

「え、帰れるの?」

 

『うん、ここの巫女さんに頼めば普通に帰れるらしいよ』

 

 ……何だろう、てっきり簡単には帰れないと思っていたのだが。

 

「……蓮子はどうしたい?」

 

「ん? 私はメリーと一緒なら何処だっていいよ」

 

 意外だ、彼女のことだからこちらの世界に一生住みたいとか言い出すかと思ったのだが。

 

「私は……」

 

 どうしたいのか、少し迷ったが答えは案外すんなりとでた。

 

「私は帰りたい……やっぱり元いた世界の方が住み慣れてるし、それに……なんだか私はここにいちゃいけない、そんな気がするの」

 

 ただ本当にそれだけの理由だった。

 

『……そう、じゃあ行こうか。博麗神社に』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 とまぁ意気揚々と二人を連れ博麗神社へと向かったのだが……

 

『別にこの外来人達を帰すのは構わないけど、じゃあ今すぐ帰しまーすってわけにはいかないのよ。悪いけど、色々と準備しなくちゃいけないから明日また来なさい。というか何の冗談? そこの金髪の顔どっかで見た事あるような面なんだけど……まぁ私には関係ないか。ほら賽銭の一つでもしてとっとと帰りなさい、掃除の邪魔よ』

 

 と、何故かメリーちゃんを見るなり不機嫌になった霊夢ちゃんに一蹴されて結局引き返してきてしまった。

 

「うぅ……あの巫女の人なんかずっと私を睨んでたんだけど」

 

「なんでだろうねー、メリーが可愛い過ぎたとか?」

 

 というわけであと一日、この二人を永遠亭に泊める事にした。

 

「そういえば、レポートの提出っていつまでだったかしら」

 

「……やめようメリー、こんな時にまで現実の事を直視するのは」

 

 二人とも最初は困惑の色を示していたが、帰れるとわかったため少し余裕が出てきたのだろう。

 二人の顔にはいつのまにか笑顔があった。

 

(……さて、問題がまだ一つ残ってるんだよね)

 

 少女メリーの傷はそこまで大したものではなかった。

 何より師匠が措置したのだ、数日で傷跡なんて残らないくらい完治するだろう。

 しかし、いくら傷が浅かろうが傷は傷だ。

 そこには明確な敵意があって、しかもその犯人はおそらく未だにメリーを狙っているだろう。

 

 理由は知らない。

 知るつもりもない。

 しかし止めねばならない。

 だって彼女は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 風の騒めく音と、獣の遠吠えが奇妙な共鳴を起こす。

 そんな雑音なのかもわからない音を耳にしつつ、迷いの竹林の象徴ともいえる大きな竹藪を背に、私は竹林の中にある大きな屋敷を見つめる。

 

「…………マエリベリー・ハーン」

 

 憎むべき人間の名を口に出す。

 狙いはマエリベリー・ハーンのみ。

 一回目の時は邪魔が入ったが、今回は迅速に仕留める。

 明日になれば博麗霊夢の手によって彼女達は元の世界へと返される。

 そうなってからでは遅い。

 だから今このタイミングで、マエリベリー・ハーンの命を断ち、私は……

 

「私は、彼女を救う……」

 

「ふーん、『自分』を殺してでも? それが最善の策なのかい?」

 

 声がした。

 知らない声だ。

 しかしこの声を私は『知っている』気がする。

 けれどやはり聞いたことのない声だ。

 

「……誰かしら?」

 

「別に私が何者でも良いじゃないか、少なくとも私はあんたの事を知ってるし、一応面識もあるよ……『八雲紫』」

 

 声は背後からした。

 それに気が付いた私はすぐさま振り向いた。

 

「…………?」

 

「ん? そんなに見つめないでくれよ、恥ずかしい」

 

 しかしどうした事だろうか。

 確かに私の背後には、声の主がいた。

 けれども、その姿を認識する事が出来なかった。

 人型という事はわかるが、それ以外は全くわからない。

 まるで靄がかかっているかのように、顔どころか輪郭すらもわからなかった。

 

「あなた……何者?」

 

「あぁ悪いな、今はまだ名乗るわけにも正体を明かすわけにもいかないんだ……だってつまらなくなっちゃうし、ここまで我慢してきたんだ。もうちょっと『今の状況』を楽しんでいたいんだよ」

 

 揶揄い甲斐があるしな、と付け足してそれはクツクツと笑い出す。

 言っている意味はわからないし、特に知ろうとする事もしない……が、それとは別に疑問がある。

 

「……さっき『自分を殺してでも』って言ったわよね? まさかあなた、私のこと知ってるの?」

 

「いや、全部は知らないよ。八雲紫が今までどんな生を歩んできたのか、何をしてきたなんて私は全く知らない。けど、マエリベリー・ハーンと八雲紫は『同じ』って事は分かる」

 

 同じ、その言葉を聞いて私は少なからず動揺した。

 まさか……本当に私の『正体』をコイツは知っている?

 

「一つ教えてあげる、生物に限らず万物にはある共通点がある……形あるものには全て『波』があってな、分かりやすく言うと『波長』って言うんだ」

 

 人影は何処から取り出したのか、煙管のようなものを取り出して煙を吹かし始めた。

 

「そして波長っていうのは、全て違う形をしている。雪の結晶のように、全く同じっていう事はあり得ないんだ。けど……八雲紫とマエリベリー・ハーンという人間を構成している波長は似通っている……というより全く同じなんだ」

 

 夜の竹藪に煙が充満していく。

 煙は霧と混じって、空中をただ彷徨う。

 

「つまり、八雲紫とマエリベリー・ハーンは同じなんだ。八雲紫にとってあのマエリベリー・ハーンとは自分であり、過去か未来の存在、又は並行世界(パラレル)の自分という結論に至る……何か間違ってるところは?」

 

「…………いえ、その通りよ。アレは私、正確には過去か(パラレル)の私ね……未熟で、何も分かっていない頃の私、つまらない人間よ」

 

 思わず苦笑いが出た。

 まるで黒歴史をそのまま直視しているようで、何とも言えない奇妙な感じがする。

 

「……それで、あなたは何をしに? まさか私の邪魔をしに来たのかしら」

 

 確かに人を殺めるという行為は褒められたものではない。

 しかし此方にも事情があり、引けない理由がある。

 例えどんなに非難されようが、私は(メリー)を殺す。

 そして彼女……何よりも大切な友人(蓮子)を救う。

 

 例えあの蓮子が別の世界の……私の知らない蓮子でも構わない。

 違う存在だろうが、私にとっては大切な友人だ。

 

 そして彼女の側に(メリー)は必要ない。

 むしろいるだけで彼女に危険を招く存在だ。

 だから殺す、排除する。

 ただそれだけの理由だ。

 それを邪魔しようとするモノがいるなら、何であろうと取り除いてみせる。

 

「いや、別に邪魔をするつもりはないよ。本気で殺したいと思っているなら、その感情の赴くまま殺せばいい」

 

「は?」

 

 しかし、ソレは予想外の答えを出してきた。

 

「うん、『本気』でそう思ってるなら部外者の私にそれを止める権利はない。けど八雲紫……あんたは『迷ってる』じゃないか、だから止めに来たというより、忠告しに来たってところかな」

 

「迷ってる……私が?」

 

 一体何に対して迷っているというのか。

 

「そう、迷ってる。その憎しみは本物だとしても、殺意は偽物だ。ただ見栄を張っているだけの、見せ掛けのモノ」

 

「偽物? 冗談言わないで、私は本気で……!」

 

「本気で殺したいと? けど実際に『殺せてない』じゃないか。チャンスはいくらでもあった、そもそもあんたなら最初にあの二人を襲った時に一瞬で首を跳ねる事だって出来るはずだ」

 

「え……あ」

 

 ぐらり、と視界が揺れた気がした。

 確かにおかしい、どうして私はあの時、遠距離からの狙撃で彼女を仕留めようとしたのか。

 他にもやりようはあったし、より確実な方法が絶対にあった筈だ。

 それをどうして……私は。

 

「簡単な話だ、単にあんたは『殺したい程自分(メリー)が憎いけど、殺したくない』ってだけだったんだよ……その理由は誰よりも八雲紫自身が知ってる筈だ」

 

「わたし……が?」

 

 目眩がする、頭がよく回らない、まるで内側から溶岩が吹き出ようとしているかのように身体が熱い。

 

「私……(メリー)が居たら彼女は、蓮子はきっと幸せになれない」

 

 気が付けば思考を置き去りにして、私の口は勝手に動き出した。

 

「だから、手遅れになる前に……私と同じ結末をあの二人が辿らないように、引き離さなきゃ……」

 

 人影は私の独り言をただ黙って聞く。

 

「…………あぁでも」

 

 そして私の頬を、静かに透明な液体が流れていく。

 

「一緒に居たい、例え何が起ころうと私は……蓮子と一緒に居たい! だって、だって……」

 

 私は、マエリベリー・ハーン(八雲紫)は宇佐美蓮子の事を『愛しているから』。

 

 本当は嬉しかった。

 例え違う私と彼女でも、メリーと蓮子という人間が一緒に居て、共に笑い合ったり、冗談を言い合ったり、走ったりしているその光景が、何よりも嬉しくて、少し嫉妬した。

 

 けど、かつて私が蓮子を失った日のような惨劇があの二人にも起きる可能性があるのなら、私はそれをどうしても止めたかった。

 その想いを、私はわかりやすい『殺意』で表そうとした。

 

「なんて……馬鹿なんでしょうね、私は」

 

「そうでもないよ、ただ『感情』っていうのはそれだけ厄介なモノなだけさ……さて、迷いは晴れたかな? じゃあ私から最後に、一つお節介を」

 

「え……何を」

 

 何をしようとするのか、訊ねようと顔を上げると、そこにはまるで最初から誰も居なかったかのように、人影は影も形も残さず消え去っていた。

 

「メリー? そこにいるのはメリーかい?」

 

 ……そして心臓がドキリと跳ねた。

 人影の代わりのように、その声の持ち主は現れた。

 

「……蓮子」

 

「あ、やっぱり『メリー』じゃないか。どうしたのこんな時間にこんな所で? さては私と同じく『何となく外の空気が吸いたくなった』とか? いやー、私たち以心伝心、一蓮托生だね」

 

 そこに現れたのは別の私と一緒に来た蓮子だった。

 彼女は私の知っている蓮子と変わらぬ笑顔で、楽しそうに語り始める。

 

「けどダメじゃないか、怪我もしてるし、メリーを狙った輩がまだこの辺にいるかとしれないんだよ? ……あ、でもこの辺には結界だとか何とかが張ってあるから大丈夫だって兎のお姉さんが言ってたっけ。なら平気かな、いやー流石はファンタジー世界、結界とかカッコいいね」

 

 ……これは一体どうした事だろうか。

 彼女は私の事をメリーと認識している、いくら同じ存在といえど、格好が全く違うのだから間違える筈が……

 

「どうしたのメリー、私の顔に何か付いてる?」

 

「え……あ、別に何でもないわ……よ」

 

 ……もしや、あの人影が何か細工をしたのだろうか。

 幻術か何かで、私の姿をメリーに見せてるとか……

 

「そう? なら良いけどさ、それよりメリー。この前出た課題何処までやった?」

 

「か、課題? あ、えと、まだ……全然よ」

 

「じゃあ帰ったら一緒にやろう、二人でやればすぐ終わるさ」

 

「……そう、ね」

 

 懐かしいやり取りだった。

 私もかつては、こんな他愛のない会話を彼女とよくしていた。

 

「……メリー? え、何で急に泣いて!? 傷口が痛むのかい!?」

 

「いえ……違うの、何でもないわ」

 

 ……あぁそうだ、この際だから聞いておくとしよう。

 さっきまでの私だったら、きっと怖くて聞けなかった質問だ。

 けど不思議と、今なら聞ける気がした。

 

「ねぇ蓮子、私は……マエリベリー・ハーンは貴女の側にずっと居てもいい人間?」

 

「? 何を今更、勿論良いに決まってる。例えメリーと一緒に居ると死ぬとか言われても、私はメリーから離れないよ。それでもし本当に私が死んでも構わない、だって私達は最高の友だからね!」

 

 そして彼女は、とびきりの笑顔でそう答えた。

 

「……そう、よかった」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……うぅ」

 

 ボンヤリとした意識がジワジワと鮮明になってくる。

 

「……ふわぁ、何か長い夢を見てたような」

 

 欠伸を噛み殺しつつ、私ことマエリベリー・ハーンはそんな感想を述べた。

 確かに何か夢を見ていたような気がするが、全く思い出せない。

 

「……まぁいいや、着替えよう」

 

 まだハッキリとしていない意識で、寝間着を脱ぎ捨てる。

 そして『傷一つ無い』私の少し白い肌には、寝汗という奴が少し浮き出ていた。

 余程変な夢でも見たか、部屋が少し暑かったのだろう。

 

「……まさか突然ストリップするとは。もしかしてそういう趣味があったりする?」

 

「はぁ? そんな訳ないじゃない……私は至って普通……蓮子?」

 

「そうだよー、蓮子ちゃんだよー、さては私が泊まりに来たの忘れてた?」

 

「…………変態!」

 

「理不尽な平手打ち!?」

 

 しまった、そう言えば蓮子が居たことを完全に失念していた。

 これでは私は、突然友人の前で下着姿になる変態女ではないか。

 

「あ、ごめん蓮子……つい」

 

「……いたた、同性なんだからそこまで気にしてなくても良いんじゃない?」

 

「それは無理よ」

 

 この世全ての人が、自分の下着姿を同性に見せても平気な人間というわけではない。

 恥ずかしがる人だって居る筈だ。

 

「まぁ良いや、それよりその辺で適当に朝食を取りつつ、約束通り課題を一緒にやろうじゃないか」

 

「……課題?」

 

「え、だって一緒にやろうって言わなかった……け?」

 

「何で貴女も曖昧なのよ……まぁ良いけど」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……来ないわね」

 

 博麗霊夢は待っていた。

 昨日来た外来人を元や世界へ帰すため、徹夜で色々とその為の準備をした。

 しかし日が空の天辺に来ても、肝心の外来人どころか、あの兎まで来やしない。

 

「あー、何か私の勘ではこのまま待ってても意味ないって囁いてる気がするわ……」

 

 しかし博麗霊夢は律儀に待つ。

 確かに自分の勘はよく当たるが、過信は一切しないのが私なりのルールだ。

 万が一のため、一応待ち続ける。

 

「……何の用? 私忙しいんだけど」

 

 ふと、気配を感じた。

 

「えぇ、見てわかるわ霊夢。調子はどう?」

 

「そうね、見たくもない奴が来てイライラしてるところよ」

 

「あら酷い」

 

 そいつ、八雲紫は私の背後に現れた。

 

「そんな霊夢に一つ教えたいことがあるのだけど……あの外来人の二人は、私がちゃんと帰したわよ」

 

「……あんたが? へぇ、珍しい事もあるじゃない。それなら暇になった私の為に、仕事を横取りしたあんたがお茶でも淹れてきてよ」

 

 それならこのまま縁側で日向ぼっこでもしよう。

 

「えぇ良いわよ、ちょっと待ってて」

 

 ……そして耳を疑った。

 あの八雲紫が、素直に私の言葉に頷いたことに。

 いつもなら軽く受け流すか、自分の式神にやらせようとするあの八雲紫が……一体どういう風の吹き回しだろうか。

 

「はい、熱々のお茶よ」

 

「……ありがと、何よ、今日はえらく素直……」

 

 程なくして戻ってきた紫から湯呑みを受け取り、その顔を見た瞬間少し動揺した。

 

「……なに? 髪切ったの?」

 

 腰まで届いていた紫の髪は、肩口まで短くなっていた。

 丁度昨日来た外来人の……コイツと似たような顔立ちをした方と同じくらいの長さだった。

 

「えぇ、どうかしら、似合ってる?」

 

「……まあまあじゃない?」

 

 ……明日は雨でも降りそうだ。

 

 

 

 

 




蓮メリっていいよね


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???
24話


 

 

 

 

 むかしむかし、ある所に一人の『ニンゲン』がいました。

 ニンゲンは美しい木々に囲まれ、綺麗な湖、暖かな光に満ちた楽園に住んでいました。

 しかし、そんな素晴らしい楽園にはニンゲンしかいません。

 鳥も、魚も、動物もいません。

 ニンゲンはたった一人だったのです。

 

 しかしニンゲンは悲しくありませんでした。

 何故なら、ニンゲンには悲しいと感じる事は出来なかったからです。

 

 ニンゲンには『感情』がありません。

 悲しみも、喜びも感じません。

 感情というものが何なのかもわかりません。

 しかしニンゲンは大して気にもしませんでした。

 だってニンゲンは、元からそんな機能は必要なかったからです。

 

 ニンゲンは『星の意思』によって創られました。

 星は自分の大地(身体)に、知性のある生物を住ませる事で、自身の大地を常にケアさせ続け、その寿命を永らえさせようとしたのです。

 

 最初は小さな微生物から始まり、魚や鳥、様々な動植物を創っては失敗作だったと星は嘆きます。

 しかし星は諦めませんでした。

 失敗を繰り返し繰り返し、少しずつ改善していきます。

 そして永い年月をかけて、成功作として創られたのがニンゲンだったのです。

 

 星は早速ニンゲンに命じます。

 

『種を増やせ、繁栄させよ』

 

 大地の殆どが人間という『種』で埋め尽くされるくらい繁栄させろ。

 星はそう命じました。

 ニンゲンはそれに従います。

 何故ならその為に自分は創られたのだから……と。

 

 とはいってもニンゲンのやる事はとても簡単でした。

 ただ楽園で日々を過ごしていれば良いのです。

 ニンゲンという存在がいるだけで、次第に人間という種は大地に生まれ始めるからです。

 ニンゲンは言うなれば『見本』でした。

 ニンゲンという見本があるからこそ、人間は増えていき、やがて大地の支配者となるのです。

 

 だからニンゲンは楽園で日々を過ごします。

 やる事と言えば、大地から切り離された場所にあるこの楽園から大地の様子を覗き見る事。

 後は楽園内を散歩したり、木になっている果実を食べたりする事くらいです。

 別に辛くはありませんでした。

 だってニンゲンには感情がないのだから。

 

 

 

 

 ある日の事です。

 大地にも人間という種が生まれ始め、それなりの年月が経ったころです。

 ニンゲンは不思議な光景を目にしました。

 それはいつもの様に大地の方を覗き見していたところ、大地に住む人間達の様子が変だった事に気が付いたのです。

 

 どの人間達も、目や口の形を変えて変な顔の形にしたり、口を大きく開けて声を出したり、グッと口を閉じて目から水を流してたりしているのです。

 それだけじゃなく、特定の人間同士が常に一緒に居続けたり、互いに尖らせた石や木を使って殺し合いをしていたりもしていました。

 

 ニンゲンには理解できませんでした。

 人間という種は、いわば星の大地の掃除屋。

 出来るだけ長く星の形を保たせるためだけに存在している生物です。

 それなのにどうして人間達は、互いに干渉し続けるのでしょうか。

 どうして口を歪ませるのでしょうか、どうして互いの命を削り合うのでしょうか。

 星の維持の為に、それらの行為は無駄な行為の筈です。

 不要なものの筈です。

 だからニンゲンには全くもってその理由がわかりませんでした。

 

 ニンゲンは自分のこれからの行動に疑問を持ちました。

 実はニンゲンの与えられた役割は他にもあったのです。

 それは、人間という種が星にとって悪影響を及ぼすだけの存在だったら、ニンゲンは人間を全てこの星から排除するという役割です。

 

 ニンゲンは判断が上手く決められませんでした。

 確かに人間達は不可解な行動をしていますが、それが星の悪影響となるかはまだ分からないからです。

 

 なのでニンゲンは、まず人間達の不可解な行動の原理について知る事にしました。

 そうすれば正しい判断がくだせるからです。

 

 ニンゲンはその手段として、直接人間との接触をする事にしました。

 初めてニンゲンは人間達の大地へと足を下ろしたのです。

 

 ニンゲンが普段いる楽園に比べたら、大地は豊かとはいえません。

 しかし何故だか、大地を初めてこの目で目にしたニンゲンは言葉にできない不思議な思考を持ちました。

 

 やがてニンゲンは、花が密集している場所で一心不乱に花を抜き取るという意味不明な行為をしている人間に会いました。

 丁度良い、あの人間を観察して理由を探ろう。

 ニンゲンはそう思い、人間に近づきました。

 するとニンゲンに気が付いた人間が振り返り、しばらくの間目を見開いてニンゲンの事をじっと見つめました。

 そしてこれまた不思議な事に、抜き取った花の一部を手に持ってその場を立ち上がり、ニンゲンの方へ駆け寄ってきました。

 

『■■■■■■■!』

 

 と、謎の声を上げ手に持った花を押し付けてきました。

 そしてその人間は、手を大きく振り上げながらその場を去っていきました。

 

 今の行動は何だったのだろうか、そんな疑問がニンゲンの中に残りつつも、ニンゲンは一度楽園に帰ることにしました。

 そして人間に持たされた花を視界に入れた瞬間、何故だか胸の奥が温かくなった気がしました。

 

 

 

 

 ニンゲンの人間観察は続きました。

 そしていくつか気が付いたことがありました。

 

「……あ……ぅ……」

 

 人間はどうやら、声を使ってコミュニケーションを取っているようだ。

 そして意味のある声を編み出し、それを共有して『会話』というものを行なっていることに気が付きました。

 

 ニンゲンも人間を理解する為に、声の練習をしてみました。

 

「……お、はな……あげる……ね」

 

 そしてそこそこ声を使えるようになった頃、花を自分に押し付けた人間があの時出していた声の通りにニンゲンも声を出してみました。

 どうやら、花を渡すという意味があるらしい。

 ……何故あの人間は自分に花を渡したのでしょうか、さらなる疑問が出てしまいました。

 

 

 

 

 そして更にニンゲンの人間観察は続きます。

 何度も、何度も、何度も、人間を知ろうと努力し続けました。

 そして永い時を経て、漸く結論が出ました。

 

 どうやら人間は、『感情』という機能を新しく手にしたらしい。

 感情とは、快、不快をさらに細かく分けた思考のあり方で、『喜び』、『悲しみ』、『怒り』など様々な種類があるようです。

 

 ……全くもって余計な機能だ。

 そんなものがなくても人間は生きていけるし、寧ろ感情というものが人間の行動自体に悪影響を及ぼしている場合がある。

 これでは、星にもいずれ影響が出てしまう可能性がある……なので、ニンゲンは人間を排除すべきなんだろう。

 

 しかし、どういうわけかニンゲンは人間を排除したくありませんでした。

 ニンゲンには、自分がどうしてこの考えに至ったのか全くわかりませんでした。

 

 ニンゲンは気付いていなかったのです。

 既にこの時、ニンゲンにも『感情』が芽生え始めていることに。

 

 

 

 

 



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東方儚月抄
25話


ようやく物語も終盤に近づいてきました……このペースで最後まで進めていけたらいいなと思ってますはい。


 

 

 

 

 

 一つ搗いてはダイコク様ー。

 二つ搗いてはダイコクさまー。

 百八十柱の御子のため、搗き続けましょーはぁ続けましょ。

 

 そんなイナバ達の歌声が、満月の夜に響く。

 

『ねぇてゐ、前から思ってたんだけど、イナバ達がいつも歌ってるこの歌は?』

 

「『これらの餅は大国様とその百八十の子供のため』にって」

 

 毎月、満月の日に行うお祭り、例月祭。

 その為のお餅をイナバ達は一生懸命に搗いてくれるのだが、毎回のように同じ歌を歌いながら搗くのだ。

 最初は鼻歌みたいなものだと思っていたが、こうも毎回歌われると気になって気になって仕方がない。

 なので一緒にイナバ達の様子を見にきたてゐに訊ねてみると、そんな答えが返ってきた。

 

『大国様……?』

 

「大変な美男子、兎たちの憧れ」

 

 と、てゐが珍しくその頬を赤らめる。

 

 ……あぁ、『思い出した』。

 確か昔この悪戯兎が、命を助けられたとか言ってた……

 全く、あれだけ大怪我を負って帰ってきたとき、どれだけ私が心配したと思っているのだろう。

 それなのにこの兎は、自分が大怪我した事も忘れ一柱の神に惚れ続けている。

 

「鈴仙?」

 

『……ん、ごめんぼーっとしてた』

 

 ……何の話をしていたっけ。

 あぁ、大国様とやらが美男子とかそんな話だったか。

 

『まぁそれなら別に良いか、何ならてゐも一緒に歌ってくれば?』

 

「いやぁ、あたしはちと遠慮しとくよ……恥ずかしいし」

 

 変なところで奥手だなこの悪戯兎は。

 

「それよか鈴仙、この前言ってた『月の新勢力』とやらはどうなってるんだい?」

 

『ん、特に大きな動きはないみたいだけど……まぁ玉兎たちは噂好きで、大げさな性格してるのが殆どだから、どこまでが本当なのやらって感じだけどね』

 

 最近、月はちょっとした騒ぎが起きているらしい。

 これは友達のみっちゃんからの情報だけなので、詳しいことはわかっていないが、最近月ではある噂が絶えないらしい。

 

 それは、『月に新しい勢力が生まれ、月を支配しようとしている』という内容だ。

 

「万が一それが本当だとしたら、それって結構ヤバイ感じなの?」

 

『うーん、まだ何とも言えないけど、下手したら月だけじゃなく地上もその争いに巻き込まれる可能性も無くはないかな』

 

 月に住んでいる月人の殆どは、穢れたと称する地上の事なんてどうとも思っていない連中ばかりだ。

 思わぬ飛び火が地上に落ちてこないとも限らない。

 

「ふーん……そういえば月といえばさ、この前鈴仙を月に連れ戻す命令が出されたとか何とかあったじゃん?」

 

『あったね、まさかそのせいで異変を起こす事になるとは思わなかったけど……それがどうかした?』

 

 異変を起こした罰として、人里の利用とか禁止されたらどうしようかと内心少し焦ったくらいだ。

 それは本当に困る。

 

「だからさ、今回のその噂と、鈴仙の捜索命令……この二つが何か関係とかしてたりなーって。だとしたら鈴仙も少しばかり気を付けた方が良いんじゃない? いつ背後から襲われるか分かったもんじゃないからね」

 

『……そうだね、気を付けておくよ』

 

 何故月の連中が自分を探してるのかは分からない、しかし確実に何かしらの理由があるのは間違いないだろう。

 

「……お、流れ星かね。こりゃ縁起が良い」

 

 と、てゐが空を指差す。

 

(……あれって、もしかして)

 

 空から地上へ落ちていく光に、自分は覚えがあった。

 

 そしてその日の夜、『怪我をした兎がいる』と霊夢ちゃんが永遠亭にやって来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「やはり玉兎だったわ、どうやら仕事に嫌気が差して、地上にいると噂されてる革命のリーダーに会いに地上まで降りて来たみたい」

 

『そうですか、やっぱり昨日のあれは月の羽衣の光だったんですね』

 

 そして何かを予感した師匠が、怪我をした兎とやらに翌日会いに行った。

 どうやら予感は的中で、月の羽衣を使って月から逃げ出した玉兎だったらしい。

 

「全く、地上に逃げる為に厳重保管されてる月の羽衣を盗むなんて……度胸があるくせに臆病ね」

 

『? 別に月の羽衣は厳重保管なんてされてませんよ? 普通に博物館に何のセキュリティもなく飾ってあるだけなので、あんなの誰でも盗めますよ』

 

「え?」

 

 師匠は予想外だったのか、珍しく呆けた顔をする。

 

「……そうなの、確かに今時月の羽衣に価値はそんなにないとは思ってたけど……一応あれを開発した当初はそれなりに重宝された筈なのに……」

 

 そして少し落ち込む師匠。

 まぁ、月の羽衣も既に古い、流行が過ぎた車のようなものだ。

 プレミアとかが付かない限り、扱いはそんなものだろう。

 

『それで師匠、その玉兎は月に帰したんですよね?』

 

「え、えぇ……どうせなら、私の使者としてね。最近幻想郷も少し騒がしいわ、明らかに何者かが何かを企んでいる……月には何の未練も思い入れもないけど、このまま犯人の思い通りに事が進むのも嫌なの。だから、あの兎にはちょっとした預言書を渡したわ」

 

『……まさか師匠』

 

「大丈夫よ、後は綿月姉妹(あの娘たち)が頑張ってくれるはずよ。私達は私達で、真相を追っていましょう……とは言っても、大体の目星は付いてるのだけどね」

 

 ……本当に大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大通りの真ん中を、玉兎達を掻き分けながら走る。

 リズミカルな足音を立て、それに合わせるかのように息を適度に吐いていく。

 額には既に汗が出始めているが、そんな事は気にならない。

 今私がすべき事は、ある方からの封書を早く届けることだ。

 

 やがて一つの大きな屋敷が見えてきた。

 迷う事なくその屋敷の外門を開けて中に入る。

 すると門の先には、扉を守るように門番が二人そこに立っていた。

 

 この封書はこの屋敷に住んでいる『綿月姉妹』に渡すよう言われてる。

 そしてその綿月姉妹は月の使者と呼ばれる組織のリーダーで、当然玉兎の私からしたら遥か上の位にいるお方たちだ。

 屋敷に守衛の一人や二人いてもおかしくはないだろう。

 

「……っ」

 

 思わず息を呑んだ。

 緊張しているからか、走って温まった身体はさらにその熱を上昇させていく。

 

「大丈夫、大丈夫、私ならできる」

 

 軽い自己暗示をしてから、覚悟を決め脚を踏み出す。

 

「止まれ、玉兎がここに何の用だ」

 

 と、まぁ分かっていたが当然門番二人に止められた。

 

「えっと……綿月様に用事があってきました!」

 

「綿月様に……? おい、お前は何か聞いてるか?」

 

 門番の一人が、相方に聞く。

 相方は此方を睨んだまま首を横に振った。

 

「……もう一度聞こう、玉兎が綿月様に何の用事があるって言うんだ?」

 

「き、緊急の用事なのです! ある方からの命令で……」

 

「だったらその証拠を出せばいいじゃないか」

 

「それは……その」

 

 それはできない。

 ある方とは、あの有名な『八意様』なのだ。

 今この場で八意様の名前を出しても、むしろ状況が悪化しかねない。

 

「それに、お前は誰に仕えている兎なんだ? 仕事はどうした?」

 

 身分も明かすわけにはいかない。

 何故なら、『一度地上に逃げた』ことがバレてしまうからだ。

 かといって、八意様の封書は綿月姉妹以外、誰にも見せるなと言われてる。

 

 一体どうすれば……

 そう思った瞬間、私の目の前に何かが音を立てて落ちてきた。

 それは、『桃』だった。

 何故桃の木すら無い門前に、桃が落ちてきたのだろう。

 その答えを知るために、顔を上げて視線を上にすると……

 

「むぎゅ」

 

 『人が落ちてきた』。

 そしてその下にいた私は当然その下敷きになった。

 

「「と、『豊姫様』!?」」

 

 門番二人が驚きの声を上げる。

 

「桃を拾いながら運動をしていたら、何やら表門が騒がしかったので見に来たの……で、何を揉めてたのかしら」

 

 豊姫様——そう呼ばれた者は、私を踏んづけながらも可愛らしい声でそう言った。

 

「いやその、豊姫様の足元で寝ている兎が、どうしても豊姫様と依姫様に会いたいと……」

 

「あら、そんな事で揉めてたの?」

 

 ……どうでも良いから、早く退いてほしい。

 重い、潰れる。

 

「あらごめんなさい、つい踏んじゃったわ……立てるかしら?」

 

「え、えぇ……何とか」

 

 危うく臓器が口から出るのではないかと思ったが、そうならずに済んだようだ。

 というか、この人が豊姫様……?

 

「私に何か用なの? それとも依姫の方? ともあれ、ここでは何ですから中に入りましょうか。あ、桃いるかしら?」

 

「え、あぁ、ありがとうございます?」

 

 その腕に沢山抱えた桃を一つ渡された。

 

「と、豊姫様……幾ら何でも不用心では……」

 

「大丈夫よ、あなた達はいつも通りここを守ってくれれば良いから」

 

 門番二人は、少し呆れたように互いの顔を見合わせ、その扉を開けた。

 豊姫様はニコニコしながら扉の中へ、それに続く様な形で私はその後を追った。

 

「全く豊姫様は……」

 

「まぁ本人が良いと言ってるならいいだろ。それより新しい玉兎がここに来るのは久し振りだな。確か数十年前の『あいつ』以来じゃないか?」

 

「あぁ、『レイセン』か。確かにそうだな……あいつがここを出てってもうどれくらいだっけか」

 

「思い出したら、何だかあいつの飯が恋しくなってきたな……」

 

「あー……確かに毎日のように差し入れ持ってきてくれたっけな。何故か知らんけど美味かったよなぁあの握り飯」

 

 と、門番達のそんな会話を後ろに聞きながら、私は前を歩く豊姫様の後を小走りで追いかけ続ける。

 

「それで、一体何の用かしら?」

 

「あ、はい……実は綿月様宛の封書を預かっていまして」

 

 思い出したかのように、ポケットから封書を取り出して豊姫様に見えるように差し出す。

 

「…………え」

 

 するとどうだろうか、間の抜けた声をあげて豊姫様は封書と私の顔を交互に見る。

 

「……あなた、これをどこで?」

 

「えっと、話すと長く……はならないですが、少々混み合った事情がありまして……」

 

 軽く私についてこの事を説明しながらも、少し長い廊下を歩く。

 

「お姉様?」

 

 すると暫くして、豊姫様と共に桃を食べ歩きしているとそんな声が前方からした。

 

「また新しいペットですか? もう、いい加減にしてくださいよ」

 

「残念ながら、ペットじゃないわよ」

 

「ペットじゃありません」

 

 確かに玉兎の階級は低いが、ペット扱いは幾ら何でも許容できない。

 というか、もしやこの方が豊姫様の妹、『綿月依姫』様なのだろうか。

 さっきお姉様って言ってたし、間違いないと思うが……

 

「……それにその桃、庭に成っていた奴ですか? もうちょっと熟れたら、全部取って宴会を開こうと思ってましたのに」

 

「まぁまぁ、それよりこれを見てよ」

 

「手紙?」

 

 豊姫様が私の手から封書をひったくる。

 するとどうだろうか、豊姫様から封書を渡された依姫様は、先ほどの豊姫様と同じような反応をした。

 成る程、この二人は姉妹だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「成る程ね、八意様は地上で元気にしているようで何よりです」

 

 概ねの事情を話すと、アッサリと納得してくれた。

 

「地上に逃亡した八意様を許されるのですか?」

 

 そして素朴な疑問が湧いたので、正直にぶつけてみた。

 

「許すも何も、あの方は私たちの恩師です」

 

「私たちから見たら地上に追放された形になってるけど、間違った事をする方じゃないからね」

 

「もちろん、建前上は月の使者のリーダーである私たちが討伐しなければならない相手、という事になっていますが……きっとその日は永遠に来ないでしょう」

 

 そう聞いて、私は内心ホッとした。

 理由は色々とあるが、取り敢えずは自分の使命を果たせた事による安堵の息だろう。

 

「……でも、あなたが地上に逃げた罰は与えなければいけません」

 

「……え、あ、なんで!?」

 

 そして、その安堵は次の瞬間何処かへ吹き飛んだ。

 

「月の兎には課せられた仕事があるはずです。それが嫌だからと言って逃げてしまえば、罰があるのは当然のこと」

 

 全くの正論だった。

 理由はどうあれ、私は本来の使命を一度投げ出して逃げ出したのだ。

 一体何をされるのだろう、と未知の恐怖に怯える私を見てお二人は笑いを堪えながら言った。

 

「あなたへの罰は、この宮殿に住み私たちとともに月の都を守ること……餅つきの現場にはもう戻れないでしょ?」

 

 私は耳を疑った。実質それは罰などと呼べるものではないからだ。

 この人は私に『月の使者になることが罰』と言っている。

 それはつまり、餅つきの仕事から遥かにランクアップした仕事に就くということだ。

 

「晴れて新しいペットになれたわね」

 

「え、っと……はい、よろしくお願いします……?」

 

 わーい、何故か知らないが再就職できたぞ。

 ペットという単語には少し引っかかるが、まぁこの際気にしないことにしよう。

 

「じゃあ新しいペットには相応しい名前が必要よね……依姫は何か良い案ある?」

 

「お姉様に任せますよ」

 

「そう? じゃあそうね……『レイセン』にしましょうか」

 

 レイセン、豊姫様がそれを口にした途端、明らかに場の空気が変わった。

 

「……お姉様、その名前は」

 

「だって依姫ったら、レイセンが此処を出て行ってからずっと落ち込んでるじゃない。なら、名前だけでも同じにして、気を紛らわせるかなって」

 

「余計に虚しいというか、変な気分になるのですが……まぁ良いです。というわけであなたの名前は今日から『レイセン』です」

 

「正確にはレイセン二号ね」

 

 どうやら私は今日から『レイセン』になるらしい。

 

「……あの、そのレイセン? ていうのは一体……?」

 

 私がそう聞くと、お二人は一度お互いの顔を見あってから、思い出したかのように優しく笑い出した。

 

「そうね、気になるわよね……じゃあ少し昔話をしましょうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今から数十年前程、月の都でちょっとした事件が起きた。

 月のある上流貴族の屋敷が、襲撃を受けた。

 被害は襲撃犯を取り抑えようとした警備兵が十六人、そして貴族の一人息子が軽い軽傷とトラウマを負ったくらいだった。

 

「あ、その事件なら私も聞いたことが……確かその襲撃犯は」

 

「えぇ、あなたと同じ……いえ、アレを同じと言っていいのかは微妙な所だけど、犯人はある一匹の玉兎だったわ」

 

 そして警備兵だけではどうにも出来ないことが判明するなり、私たち月の使者に応援要請が来た。

 大した力もない玉兎一匹に何を手間取っているのか……その時はそう思いながら、現場へ駆け付けた。

 すると、思っていたよりも早くソレと出会えた。

 ソレは、口から泡を吹き出しながらみっともなく気絶している貴族の一人息子をただ見下ろして佇んでいた。

 そして、いざその玉兎と対面した時、その理由が直ぐに分かった。

 

『…………』

 

 ソレは明らかに『違った』。

 何の感情もこもっていない瞳で、応援に駆け付けた月の使者達を真っ直ぐに捉え、事務的に、機械的にソレは識別を始めた。

 ……敵か、そうではないのかということを。

 

『……あなたが襲撃犯ですね? 大人しく投降なさい、そうすれば可能な限り罪を軽くします』

 

『…………』

 

 ソレは答えなかった。

 元から言葉を話す、なんて機能が無いのではないかと思うくらい、その口は固く閉ざされていた。

 そして不思議なことに、その玉兎の姿を私は何処かで見たような、そんな気がした。

 

『うぅ……依姫様ぁ、あの玉兎何かメチャクチャ怖いですよぉ』

 

 と、一応連れてきた月の使者の玉兎達は見事に怖気付いている。

 実戦経験もなく、普段から訓練もサボっているので仕方ないといえばそうなのだが……

 

『あなた達は下がってなさい、あとは私が……』

 

 どうやら相手の方は投降するつもりはない様子、ならば手っ取り早く、気絶でもさせて事を収めるべきだ。

 正直に言うと、こうした実力行使は嫌いではない。

 私は戦うのが好きだし、それを否定するつもりもない。

 

『では……参ります』

 

『…………』

 

 あいも変わらず、ソレは何の反応もしない。

 只々こちらを見つめるのみ。

 

 先ずは一歩踏み込んだ。

 そしてそのまま、愛刀でソレの首元を狙う。

 勿論刃が付いていない方、つまり峰打ちだ。

 ここ月では、穢れの汚染に繋がってしまうため生命を害してはならない。

 

 普通の玉兎ならこの時点で終わりだ。

 自慢ではないが、私の戦闘の腕はかなりのものだ。

 特に刃物の扱いについては、月一番の腕前だと自負できる程に。

 そんな私の一閃を、ただの玉兎が避けられる筈もない……

 

『……そうですか、やはりあなたは違うのですね』

 

 にも関わらず、現実としてソレはいとも簡単に私の太刀筋を見切った。

 まるで箸でつまむように、手で私の刀を受け止めたのだ。

 

 ゾクリと背筋に得体の知れない感覚がした。

 それがこの玉兎という未知の恐怖によるものなのか、思わぬ強敵と戦える興奮なのかは分からなかった。

 

『少し……本気を出させてもらいます』

 

 そして私は、愛刀をその場に突き刺す。

 すると玉兎の周りを囲むように刃の柱が現れた。

 

 私は神々をその身に降ろして、その力を借りる事ができる。

 これもその力の一端だ。

 

『それは女神を閉じ込める祇園様の力……先程のように簡単には』

 

 いかない、そう言い切る前に事は終わっていた。

 『へし折った』のだ。事もあろうにあの玉兎は、祇園様の力をまるで草を毟るかの如くへし折った。

 

『……あなた、玉兎ではないわね。一体何者……?』

 

『…………』

 

 やはり答えない。

 しかし先程と違うのは、敵意が薄っすらとこちらに向いている事だ。

 つまり、ようやく私の事を明確に『敵』とみなしたということだ。

 

『っ……ふふふ、そうでなくては面白くない。あなたのような強者は以前地上から攻めて来た『妖怪』以来です』

 

 愛刀を地面から引き抜き、構え直す。

 今の私にとって、任務だとか使命だとかはどうだっていい。

 今はただ、純粋に闘争を楽しみたい。

 

 

 

 

 

 一体どれだけの時間が流れただろうか。

 数分かもしれないし、一日過ぎたかもしれない。

 自分でも分からなくなるほど、私は楽しんでいたのだろう。

 

『ぐっ……しまっ』

 

 疲れからか、刀を握る手が弱まっていた。

 その為、弾かれた刀はあっさりと私の手から溢れた。

 

 そんな私の隙を逃すまいと、ソレは一気に私の懐まで飛び込んで、私の両手首を掴む形で拘束した。

 次の瞬間、ソレの真っ赤な瞳が私の視界を覆った。

 そして、私の意識は徐々に薄れ始めた。

 

(これは……催眠? 何にせよ、やはりコレは玉兎なんて生易しいものじゃない! もっと別の……)

 

 思考が鈍っていく。

 このままだとあと数秒で私の意識は完全に消えるだろう。

 

 何とかしないと、そう思った瞬間それは起きた。

 

『やめてぇぇぇぇ!』

 

 ドン、と何かが私とソレの間に割り込んだ。

 それに伴い、一気に私の意識は覚醒した。

 

『やめて『なっちゃん』! これ以上無意味な事はやめて! 私ならもう大丈夫だから……』

 

『…………』

 

 割り込んだのは玉兎だった。

 しかし連れて来た月の使者の玉兎ではない、一般の普通の玉兎だった。

 『なっちゃん』と呼ばれたソレは、その玉兎の言葉で我に返ったように敵意を消し去った……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで、その後は形式的には貴族の屋敷を襲った罪で身柄を拘束したんだけど、依姫ったら余程気に入ったのか『レイセン』って名前まで付けてここに連れて来たのよ。それから暫くは月の使者(うち)で面倒見てたの」

 

「はぁ……まさかそんな事が」

 

 感想としては、衝撃の事実に驚きしかなかったと言ったところだろうか。

 

「……あの、そもそもそのレイセンさんって、何で貴族の屋敷を襲撃したんです?」

 

 そして次にきたのは疑問だった。

 

「……後から分かったんだけど、その襲われた貴族の息子はとんでもない罪を犯してたの」

 

「罪……ですか」

 

「えぇ、どうやらコッソリと屋敷に玉兎を連れ去って、暴力を振るっていたようなの」

 

 豊姫様のその言葉を聞いて、私は再び驚いた。

 確かに玉兎は言ってしまえば奴隷階級のような立ち位置だ。

 しかしある程度の権利はあり、いくら貴族といえど正当な理由もなく暴力を振るえば罪に問われる。

 

「遊びのつもりだったんでしょうね……勿論殺しまではいかなかったみたいだけど、詳しく調査してみたら被害に遭った玉兎は沢山いたわ……その殆どは心に大きな傷を負ってた」

 

 それを聞いて、言葉に出来ない怒りと悲しみが沸き起こってきた。

 ただ立場が上だというだけで、理不尽に暴力を振るわれるのは許せない行為だ。

 

「そして事件の日、連れ去られた玉兎の中にレイセンと親しい間柄の玉兎がいたの。レイセンはその子を助けようとした……ただそれだけの話よ」

 

「そうだったんですね……」

 

 勇敢な玉兎だ。

 レイセンは友の為に罪を犯したのだ。

 それはきっと、善き行いなんだと私は思う。

 

「さて、昔話はこのくらいにしておきましょう。『レイセン』、ここでこれから暮らすのだから、特別に私が一通り案内してあげましょう。それと他の玉兎達とも顔合わせもしなくてはですね」

 

「あ、はい」

 

 スッと椅子から立ち上がった依姫様を慌てて追いかける。

 

(あれ、じゃあなんでそのレイセンさんは今居ないのかな……?)

 

 ここにきて新たな疑問が出たが……後で聞く事にしよう。

 今は早歩きで進む依姫様の後を追いかける事が先決だ。

 

 

 

 

 



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26話

 

 

 

 

 

 その時の光景をよく覚えている。

 私はまだ未熟な子供で、何の力も無かった。

 それ故、地上を捨て月へ移住する事になったあの日、私はシャトルの中で震えていた。

 

「お姉ちゃん……」

 

「大丈夫……大丈夫よ依姫」

 

 そんな震える私の体を、姉は抱きしめてくれた。

 けれど姉も同じくらい震えていた事に気が付きながらも、私は姉の体を抱き返した。

 

 『地上は穢れた』、ただそれだけの理由で私達は月に移住する事になった。

 しかしその為には、多くの危険が伴う羽目になった。

 

「おい! シャトルはまだ出せんのか!? そろそろバリケードが持たんぞ!」

 

「ダメなんだよ! もう妖怪どもがシャトルを取り囲んで……!」

 

 平和だった都、決して妖怪という外敵を近づけさせなかった都は、今日初めて破られた。

 数えられない程の妖怪が、まるでタイミングを見計らっていたかのように、一斉に都に攻めてきた。

 あっという間に妖怪によって埋め尽くされた都に、かつての美しさは既に無かった。

 

 そして今、私たちが乗ったシャトルは空へ飛べずにいた。

 理由は明白、既に妖怪達によってシャトル周りは占領され飛び立つことが出来ないでいるからだ。

 現に、シャトルの最期のバリケードはさっきから大きな音を立てて今にも崩れそうな様子だ。

 外から妖怪達が試行錯誤して、バリケードを破ろうとしているのだろう。

 

 何も私たちだけではないのだろう、もしかしたら既に妖怪達の手によって『死』を迎えた者も大勢いるかもしれない。

 そして、その次の番が私たち……ただそれだけの事なのだ。

 

 シャトルの中は既に混沌としている。

 まだ希望を捨てまいとする者、私のように絶望を受け入れている者、どうしたら良いのか分からずに混乱する者。

 見事にバラバラだ。

 

 そして次の瞬間、バリケードは大きな音を立てて崩れた。

 

「まずい! バリケードがっ……!?」

 

 まず最初の犠牲者は、懸命に皆を守ろうとしていた兵士だった。

 壊されたバリケードの隙間から入ってきた妖怪に、一瞬でその身体を裂かれた。

 

「あぁ! やめ、やめろぉぉぉぉ……」

 

「う、うわぁぁぁぁ! たす、助け……!」

 

 次々と妖怪がシャトルの中に入り込んでくる一方、人間は次々と数を減らされていた。

 妖怪は手当たり次第に近くの人間を捕まえては、残酷に殺めていく。

 命乞いと断末魔、それと妖怪どもの歓喜に似た雄叫びだけがシャトルの中に響く。

 

「—————!!」

 

 そしてついに、私たちの番が来た。

 獣の叫びをあげながら、妖怪は血塗れの身体でゆっくりとこちらに近づいてくる。

 勿論、血塗れなのは返り血によるものだ。

 そして数秒後には、私たち姉妹もその血を吹き出すことになるだろう。

 

「依姫!」

 

 怯えて声も出せない私を、姉は自身の身体を盾にするかのように私に覆いかぶさった。

 しかしそんな事をしても無駄なのは明白だった。

 たかが人間の脆い身体が、妖怪の鋭い爪を防げるわけがない。

 きっと姉ごと私は貫かれて死ぬのだろう。

 

 怖くは無かったと言えば嘘になる。

 しかし怖いという恐怖よりも、悔しいという後悔の方が強かった。

 もっと私に力があれば、姉一人守る事は愚か、逆に守られている私にこの逆境を乗り越えられる力があれば。

 

 しかし幾ら願おうが、そう都合良くいくものではない。

 姉は背中を向けているため見えないだろうが、私からはしっかりと見えている。

 妖怪の鋭い爪が既に振り下ろされているのを……

 

 

 

 

 ……血が辺りを赤で塗りつぶす。

 まるで噴水のように身体から吹き出たそれは、ある意味綺麗だった。

 そして残酷な事に、あれだけ血を出せば確実に死ぬだろう。

 とても痛くて苦しい筈だ。

 

「あ……れ」

 

 けれど不思議な事に、痛みは無かった。

 それどころか、明らかにおかしい。

 だって、血を吹き出しながら床に倒れたのは私でも姉でもなく、『妖怪』だったのだから……

 

「全く……何をしてるんだろうな私は……」

 

 ……美しかった、真っ赤なその瞳が、綺麗な紫色の長髪が。

 ソレはいつのまにかそこにいて、いつのまにか妖怪の息の根を止めていた。

 鮮やかで、美しい存在が、何やらブツブツと文句を言いながら溜息を吐いた。

 

 そして気がついた、いつのまにかシャトルの中は静寂に包まれている事に。

 辺りを見渡せば、妖怪に殺された人達の他に、さっきまで人間を襲っていた妖怪達も全て床に倒れ伏していた。

 直ぐに私は理解した、目の前のこの美しい存在がやったのだと。

 

「寄り道なんかしてる場合じゃないんだけど……まぁ『小娘』も生きてるみたいだしまだ間に合うか」

 

 ソレは独り言を続けた。

 

「そこの、この鉄塊は飛べそうか? 一応外にいた奴らは一通り大人しくさせたけど」

 

「え、あ、あぁ……激しくは損傷してないし、大丈夫だと思う」

 

 私たちのように生き残った者の一人にソレはそう訊ねた。

 

「じゃあとっとと月に行くなり何なりして去れ。お前達がこの星を棄てるというのなら止めはしない……まぁそうなったのもある意味私のせいかもしれんがな」

 

 まるで自傷するかのようにソレはそう言って、その場を去っていった。

 

「……私も」

 

 その背中を見ながら私は強く想った。

 

『私もあんな風に強くなりたい』

 

 ただそれだけを胸に刻み、その理想を私は一生追い続ける事を決意した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 刀を振るうのは楽しい。

 まるで芸術品のような、それでいて猛々しい美しさを誇っている。

 

 刀のその重みが、刃が反射する光が、振った時のその感覚が、何もかもが私は好きでたまらない。

 

「……相変わらず朝から元気ね、依姫」

 

「お姉様、珍しいですね。あなたが道場に来るなんて」

 

「たまにはね……妹の頑張ってる姿を見ておこうかなって」

 

 気が付けば姉がいた。

 どうやら、余程素振りに夢中になっていたようだ。

 

「ふむ、では折角なのでお姉様もご一緒にいかがですか?」

 

「いやよ、汗だくになるじゃない」

 

「……最近また太ったのでは?」

 

「気のせいよ」

 

 なんとも付き合いの悪い姉だ。

 それに比べ、レイセンなら此方が頼めば幾らでも付き合ってくれたというのに……

 

「では話を変えましょう。八意様の手紙、あれに書かれてあった『見えざる敵』はそろそろ見えるようになりましたか?」

 

「いえ、もしかしたら鳥が一匹沸いて出たかもしれないけど、今のところそれらしい動きはないわ」

 

「そうですか、ではお姉様は今暇な筈ですよね? 地上からの侵略者が来るまで暇なんですよね? でしたらどうです、これから兎たちと一緒に稽古を……」

 

「依姫、それ話全く変わってないわよ」

 

「そうですか?」

 

「そうよ」

 

 そうなのか。

 もしかしたら、無意識的に姉を稽古に付き合わせようとしているのかもしれない私は。

 

「……では今度こそ話を変えます。お姉様、一つ聞いても?」

 

「なぁに?」

 

 それはもう既に何度も何度も姉に聞いた事のある質問だ。

 

「私、強くなれてますか? 今度こそお姉様を、みんなを守れるくらい強くなってますか?」

 

「…………えぇ、とってもとっても頼もしい私の妹よ」

 

「……そうですか」

 

 良かった、とはまだ口には出さない。

 確かにあの時に比べれば私は遥かに強くなっているだろう。

 しかしそれを口にするのは、まだ早い。

 だって私はまだ届いてない。

 あの美しい存在には、まだ届かない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「緊張しているのですか、レイセン」

 

「え、えぇまぁ……少し」

 

 一生懸命に私の後を付いてくる小さい玉兎、それを『レイセン』と呼ぶのはまだ慣れない。

 どういう意図で姉がその名前を別の玉兎に付けたのかは分からないが、単に嫌がらせで名付けたわけではないのだろう。

 

「そこまで身を固くする必要はありません、皆優しい……というより玉兎特有の性格を例外なく持っているのであなた(玉兎)もすぐ馴染むでしょう」

 

「そ、そうですか……」

 

 未だに緊張がほぐれていないレイセン……二号を連れ、稽古場へと足を運ぶ。

 目的はこの新しいペットを、月の使者で飼っている玉兎達に顔合わせをしに行くためだ。

 本来なら昨日のうちにそれを済ませたかったが、レイセン本人が疲れきっていたため明日……つまり今日に延期したのだ。

 

「あの、依姫様……少しお聞きしても?」

 

「構いませんよ、何でしょう?」

 

 無言に耐えられなかったのか、レイセンがそう切り出してきた。

 

「えっと……『レイセンさん』についてもう少し知りたいなぁ……なんて」

 

 少し驚いた。

 まさか昨日の昔話で興味が湧いたのだろうか?

 

「……良いですよ、稽古場に着くまでの数分間で良ければ話ましょう。そうですね……先ずは何を聞きたいですか?」

 

「じゃあ……何で『レイセン』って呼ばれてるんですか?」

 

 最初の質問は名前の由来ときたようだ。

 確かに普通玉兎は固有の名前を持たず、個人個人で勝手に名乗ったり字名で呼び合う。

 きっとこのレイセンも、レイセンという名を与えられるまでは名無しだったのだろう。

 それ故に、レイセンという名前に疑問を持ったのかもしれない。

 

「レイセンという名前自体は私が名付けました。まぁ名前というより呼び名ですね、由来もそんなに大した理由ではありません」

 

 ただ単に『冷戦』という言葉が、あの日レイセンを連れ帰った時に頭に浮かんだだけだ。

 

「……依姫様って、そのレイセンさんの事好きなんですか?」

 

「っ……!?」

 

 不意打ちだった。

 思わず変な声を出して転びそうになった。

 

「な、何を突然言いだすんですか……?」

 

「あ、いえ……ただレイセンさんの事を話している時の依姫様って何だか嬉しそうというか……女の顔してますね」

 

「女の顔!?」

 

 なんだそれは、一体どんな顔だ。

 大体何故女の顔なんてものを知っているのだ。

 

「……そ、それは私がレイセン……初代レイセンの事を好意的な目で見ているということでしょうか。それなら否定は……」

 

 否定はしない。

 レイセンは私にとっては特別な存在という事は自覚している。

 

「いえ、私が聞きたいのは性的な意味で好きなのかと言う事です」

 

「性的!?」

 

 さっきから何なのだ。

 この玉兎大人しそうな顔をしているのに、意外とグイグイ来るというか、アグレッシブというか。

 ……いや、よく考えて見たら、月の羽衣を盗んでまで地上に逃げようとしたのだ。

 行動力という点では、他の玉兎より高いのかもしれない。

 

「ば、馬鹿なことを……大体、私は女です。そして初代レイセンも女……そんな性的な目で見る筈がありません」

 

「そうなんですか?」

 

「……質問は以上ですか? なら話は終わりです」

 

 多分、今の私の顔は耳まで真っ赤なのかもしれない。

 不思議なことだが、自分で思っている以上に、私はレイセンに対して何らかの感情を抱いているようだ。

 尤も、その感情を表に出そうとする事はないだろう。

 

「あ、じゃああと一つだけ……何で今ここにそのレイセンさんはその……居ないのですか?」

 

「…………」

 

 ……まぁあれだけ話題に出ていれば、当然の疑問だろう。

 

「……その、聞いちゃダメでしたか?」

 

 急に黙り込む私を見て、怒らせたのではないかと感じたのだろう。

 少し焦ったような声で言ってきた。

 

「……いえ、別に構いません。初代レイセンがここに居ない理由ですね? ……彼女が『地上に行きたい』と言っていたから、地上に行かせただけです」

 

「え? 地上に……ですか?」

 

「えぇ、彼女にとって此処は居心地が悪かったのでしょう。不思議なことに、私自身も何というか……彼女の本当の居場所は月なんかではなく、地上なんだといつも感じていました。だから地上に行かせた、ただそれだけです」

 

 そう、たったそれだけの理由だ。

 本音を言うと、レイセンにはずっと此処にいて欲しかったのだが……

 

「さぁ、この先が稽古場です。今日からは他の兎たちと共に、これからの戦いに備えて力を付けてもらいます」

 

 気が付けば兎たちの掛け声が聞こえ始めてきた。

 しかし、さっきまでは声なんて全く聞こえていなかったはずだ。

 となると、私が近づいてくる音を察知して、慌てて訓練を始めたのだろう。

 どうせペチャクチャと雑談したり、寝てたり本を読んでたり桃を食べたりしてさっきまでサボっていたのだろう。

 

「……ちゃんと、稽古はしてたかしら?」

 

 稽古場に着くと、兎たちがペアを組んで一生懸命訓練してますよーという雰囲気を醸し出していた。

 私の言葉に兎達は作り笑いで頷く。

 

「まぁいいけど、今は緊急事態です。そんな緊急事態で緊張している貴方達に新しい仲間を紹介します」

 

 スッとレイセンを前へ差し出す。

 

「訳ありでうちに匿っているので、あまりこの娘のことは口外しないように……さぁ、あの兎に今日から稽古をつけてもらいなさい」

 

 少し離れた所で、一匹で武器の素振りをしている兎……髪が短いから『みっちゃん』と呼ばれている玉兎を指差す。

 そう、彼女の本来の訓練相手は今此処にはいない。

 何故なら、訓練相手は彼女の友であるレイセンなのだ。

 

「え……でも」

 

 明らかに困惑した様子を見せるみっちゃん。

 

「大丈夫、今日からレイセンの役はこの娘が務めることになりました」

 

 私がそう言うと、他の玉兎達も困惑をし始めた。

 

「……貴方たちも、いつまでも過ぎ去った日のことばかり考えては駄目ですよ。近い未来に現れるかもしれない未知の敵に備えて稽古することが貴方たちの仕事です」

 

 そう、いつまでも過去を引きずるのは良くない。

 引きずっていいのは、己の『罪』だけなのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……師匠、何か言うことは?』

 

「……あれは、その……仕方の無い事だから、私が謝罪をする必要はないわ」

 

『成る程、師匠は他者の家に忍び込むのが仕方のない事だと言うのですね?』

 

「だ、だから、『紅魔館』の連中が月に乗り込む為のロケットを作ってるていうから、それを確かめないわけには……」

 

『えぇ、師匠の言いたい事も分かります。しかし私が言いたいのは、私にすら何も言わずに一人で紅魔館に忍び込むという犯罪を犯した事です』

 

「……だって、うどんげに言ったら絶対に『犯罪です師匠、ちゃんと玄関の呼び鈴を鳴らして事情を話しましょう』とか言うだろうから……」

 

 わかってらっしゃるではないか。

 分かっていて行ったという事は、自分にそう言われると面倒くさいだとかそんな事を思ったのだろう。

 

『嘆かわしいです師匠、私は師匠をそんな大人に育てた覚えはありませんよ』

 

「……貴女は逆に常識というか、下手したらそこら辺の人間より人間っぽいわよ」

 

 そうですね、そこら辺は自分も何となく察してます。

 しかし今更それを止めろと言われても止められないものなのです。

 

『……まぁ良いです。仏の顔も三度までとも言いますし、師匠も反省しているというのなら今回の事は水に流します。そろそろ『パーティー』の始まる時間が迫ってますから、遅れるわけには行かないですからね』

 

「パーティーね……あの吸血鬼達は何を血迷ったのかしら。よりにもよって、月人である私達の所にも『月侵略の為のロケット完成記念パーティー』の招待状を送るなんて」

 

『おや、姫様。どうやら準備はもう万全のようですね』

 

「えぇ、永琳が鈴仙にこってり絞られている間にね」

 

 現れた姫様は、いつもより豪華な格好をしていた。

 パーティーとなれば、多少は着飾るのは当然の摂理というものなのだろう。

 

 そしてずっと正座をして足が痺れた師匠の手を取って、立つのを手伝っていると玄関の戸が壊れそうな勢いで叩かれた。

 

「おーい長耳! 一緒にコーマカンとやらに行かんかぁ!? というか寒いから早く!」

 

「ふふ、お酒が沢山飲めると聞いて私も興奮が抑えられません……」

 

 ……果たしてあの妖怪達をパーティーなんかに連れて行って大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

 




よっちゃんは可愛い(確信


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27話

 

 

 

 

 

「……まさか本当に飛ぶなんてね。幻想郷の技術もようやく進歩したと言うべきかしら」

 

「それは違うわよ輝夜、あれは外の世界の技術で飛んでるんじゃない。住吉三神(幻想)の力で飛んでるのだから、あれは幻想郷特有のロケットよ」

 

 屋敷の窓から、空を見上げながら輝夜とそんな会話をする。

 紅魔館のロケットが空へと旅立って暫く、そろそろ月に辿り着く頃だろう。

 

月の羽衣(保険)もあのロケットに仕込んだし、間違いなくあのロケット()は月に辿り着く……そして後のことはあの姉妹が全部やってくれるわ」

 

「ふふ、正直月なんてどうでも良いとか思ってるのに永琳ったら。一応私以外の友達が月にいて安心したわ。貴女意外と口下手だものね」

 

「友達じゃないわ、教え子よ。そういう意味では輝夜、貴女の姉弟子よ」

 

 今思えば、地上に逃げる時もあの姉妹に声を掛けるべきだったのだろうか。

 あの娘達も私を慕ってくれていたし、良き共犯者になっただろう。

 

「ねぇ鈴仙、永琳ったらこんな事言ってるけど貴女はどう思う? 口下手なのは確かよね……鈴仙?」

 

 輝夜が私達と同じく窓の景色を見ていたウドンゲに話しかけた。

 当然返事は返って来ないが、それにしても様子が変なのは明らかだった。

 いつもなら直ぐに筆談で応えるというのに、まるで輝夜の言葉が聞こえてない様子で、ただじっと窓の外を、月をその伽藍とした眼球に焼き付けている。

 

『……師匠、姫様』

 

 そして数十秒後、ようやくウドンゲに動きがあった。

 ゆっくりとこちらに振り返りながら、いつもの達筆な字を見せてきた。

 

『ちょっと私も『月』に行ってきますね、数日で戻ります』

 

「「……へ?」」

 

 思わず輝夜とシンクロした。

 その言葉の意味が上手く飲み込めなくて、ようやく飲み込めたと思ったら次にきたのは混乱だった。

 

「え、あいや、なんで?」

 

 混乱しすぎて、上手く喋れない。

 何故、何故急に月に行くなどと言いだした?

 もしかして私と居るのが嫌になった?

 それなら何で今更?

 もう頭の中が真っ白だった。

 

『師匠、落ち着いてください』

 

「…………あ」

 

 突然、頭の回転を止められたような気分になった。

 歪みかけていた視界がクリアになっていき、目の前にはウドンゲの顔があった。

 

『大丈夫です、私はちゃんとここに戻ってきます。ただ少し、旅行に行くだけです』

 

「旅行……」

 

 何故だろう、さっきまであれ程動揺していたのに、今は落ち着いている。

 というより、『落ち着かされている』感覚だった。

 

『以前月で私の捜索命令が出された事覚えますか? 私どうしてもその理由が気になるんです。だからそれを確かめに行くだけです……そうですね、それと久しぶりに親友に会いたくなっちゃったんです』

 

「そう……なの」

 

 不思議だ、意識はハッキリしているのに、幻覚の中にいるような感じだ。

 ウドンゲの言葉が、ズッシリと頭の中に次々と入っていく。

 

『じゃあ行ってきますね』

 

 そう言ってウドンゲはその長い髪を揺らしながら、部屋の襖を開け廊下へ出た。

 

「……あ、ちょっと待って!」

 

 そしてハッとした。

 慌ててその背中を追おうと、廊下へ飛び出した。

 

「……ウドンゲ?」

 

「うー、なんか頭がホワホワするぅ……あれ、鈴仙はどこに行ったの?」

 

 永遠亭の長いその廊下には、私と輝夜以外誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 霧雨魔理沙は少なくとも動揺した。

 紅魔館の連中が月に行くと言い、霊夢もロケットの燃料だか何だかの為に同乗するのなら、私もと暇潰しを兼ねてついて来た。

 そしてうんざりする程の長い時間を狭いロケット中で過ごし、ようやく月に着いたと思ったらいきなり大きな水溜りに落とされた。

 

 不運はそれだけではなく、今度は刀を持った女が現れて襲いかかって来たのだ。

 別に襲われたのに文句はない、今回は私たちの方が侵略者(悪人)という立場なのだから。

 そして驚くべきことに、そいつは霊夢と同じように神様の力を使うことができる奴だった。

 その強さは圧倒的で、何とか幻想郷の決闘ルールで勝負をする事に持ち込めたのだが、見事に咲夜に続いて私やレミリアもその力の前に敗れ去った。

 

 そして今は、最後に残った霊夢が相手をしているのだが……

 

「……霊夢が手も足も出せないのならお手上げだなこりゃ」

 

 霊夢も霊夢で、やる気が出ないのかまだ全力を出していないが、状況が悪い。

 本来霊夢の仕事は幻想郷の調停だが、今此処は幻想郷ではなく月だ。

 加えて霊夢自身、あの刀の女と戦う理由が無いわけで、やる気が出せないのも当然だろう。

 しかし、いくらやる気がないといっても、あそこまで霊夢を圧倒できる存在がいるという事に私は動揺しているのだろう。

 

「……どうしたのです、あなたが切り札ではないのですか? これならさっき戦った妖怪の方がまだやり甲斐がありましたよ」

 

「あのね、私は別に戦いに来たわけじゃないのよ。大体こうも勝手が違うんじゃ出せるもんも出せないわよ」

 

 そして少し意識を逸らしているうちに決着がついたようだ。

 霊夢の首元には、刀が突き付けられていた。

 

「そうですか、些か拍子抜けですが……勝負はつきましたね、では暫く大人しくしてて貰いますよ」

 

「へいへい、言われなくてもしてやるぜ」

 

 あー何だかスッキリしない。

 こんな事なら主人が留守中の屋敷に忍び込んで、本でも漁っていた方がマシだったかもしれない。

 

「あなた達、もう終わりましたから出てきても構いませんよ。というか、いつになったらあなた達はちゃんと仕事をしてくれるのですか? せめて怖気付いて逃げるのはもう無しにして貰いたいものです」

 

「で、でも……怖いものは怖いんですよ依姫様」

 

 刀の女が茂みに向けて声を掛けると、ワラワラと兎たちが出てきた。

 

「なぁ霊夢、あれが月の兎ってやつだよな?」

 

「そうなんじゃない? どうでもいいけど」

 

 兎たちは一応武装はしているみたいだが、何だか強そうには見えない。

 てっきり鈴仙みたいな奴がゴロゴロいるのかと思っていたのだが、どうやら思い過ごしだったようだ。

 

「大丈夫か、そんなへっぴり腰で」

 

「ひゃ!」

 

 何だかナヨナヨしていて、つい弄りたくなるような感覚が私を襲った。

 私に背中を向け、油断していた一匹の兎の腰を軽く叩くと、それはもう面白いくらいのリアクションをしてくれた。

 

「な、ななな何をー! や、やるのかー!?」

 

「おいおい、そんな物騒なもんこっちに向けないでくれよ。大人しく敗者は敗者らしくしてるから、せめて話し相手くらいにはなってくれよ。土産話の一つも無いんじゃ来た意味がないしな」

 

 懸命に威勢を張ろうとしているその姿が、余計におかしく見える。

 

「……うちの兎たちをあまり弄らないでくれますか? 色んな意味であまり強くはないので」

 

「なら何でこんなに引き連れてるんだ? もしかして単なるペットなのか?」

 

「えぇ、ペットです」

 

「……ペットなのか」

 

 冗談のつもりが本当のことだった。

 

「あれか、番犬にするつもりで飼っているのに、気が付けば愛玩用になったみたいなそんな感じか?」

 

「そうですね、この際なので全員檻にでも入れて眺めるのも良いのではないかと考えてます」

 

 えぇ!?

 と兎たちの声が大きく重なる。

 

「……なんだか拍子抜けだな、てっきり月の兎はつかめない奴ばかりだと思ってたんだが」

 

 あまりにも自分が抱いていたイメージと違うので、つい口にしてしまった。

 正直鈴仙のように、表情が死んでて喋らないような兎があちこちに蔓延ってるのを期待していた。

 

「ほう、何故そう思っていたので?」

 

「いやなに、知り合いに居るんだよ。月の兎が」

 

「……なんですって? それは本当ですか?」

 

 私がそう言うと、今まで涼しげな表情をしていた刀の女がようやくその顔を崩した。

 それは驚愕といえる表情だった。

 

「あぁ、『鈴仙』って言う奴なんだが……」

 

 鈴仙、その単語を口にした途端空気が変わった。

 刀の女だけでなく、さっきまでビクビクしていた兎たちも目を見開いて、その耳を尖らせた。

 そしてそれらの視線は、一気に私に注がれた。

 

「お、おぉ……なんだ、もしかしてお前達もあいつと知り合いか?」

 

 その力強い視線に、思わず後ずさる。

 ここでチラリと助けを求めるように霊夢を見るが、残念ながら興味なさそうに目を閉ざしていた。

 まるで『あんたが言ったんだから、自分で何とかしろ』と言ってるようだ。

 

「……今『レイセン』と言いましたね、その兎はどんな姿をしているか答えられますか?」

 

「え、あ、あぁ……薄紫色の長髪に、赤い瞳……いつも無表情で全く喋らない奴なんだが……」

 

 刀の女からは殺気じみたものが滲み出ていた。

 嘘をついたら、一瞬で首を刎ねられそうな気がしたので、正直に答えた。

 

「…………あぁ、間違いありません。それは紛れもなくレイセンですね」

 

 スッと刀の女から出ていたものが消え去った。

 その表情はどこか寂しげで、嬉しそうなものだった。

 

「てっきり『表の地上』に居るのかと思いましたが……そうですか、そっちの方に居たのですね。彼女は元気でやってますか?」

 

「おう、いっつも他人にお節介かくほど元気だぜ」

 

「でしたら、相変わらずなようで何よりです」

 

 その反応からするに、鈴仙のお節介癖は月に居た頃から続いているらしい。

 

「ねぇ、あんたレイセンの知り合いなの?」

 

「なら今度会った時に、私達は元気だよって伝えといてー」

 

「そうそう、最近二号ができたってことも伝えといて」

 

「えと、なっちゃん……じゃなくてレイセンは本当に元気にやってる? そろそろ普通に笑えるようになった?」

 

 そしてワラワラと寄ってきて言葉の弾を撃ちまくる兎たち。

 あぁ成る程、既にコイツらも鈴仙に『夢中』らしい。

 

 永遠亭の面々は勿論、以前妖怪の山で出逢った『天魔』と『鬼神』というやけに強い妖怪たちも鈴仙に夢中な様子だった。

 種族性別問わずに、他者を惹きつける鈴仙の存在はもはや凶悪ともいえるのではないだろうか。

 まぁ当の本人が善行を良しとする奴なので、それを利用するとかそういう事はしなさそうではあるが。

 

「あら、いつの間に侵入者と仲良くなったのかしら?」

 

「おや、お姉様。お帰りなさい」

 

 するとまた別の女が現れた。

 傍には、耳の垂れた兎を一匹引き連れている。

 

「どうやら上手くいったようですね」

 

「えぇ、堂々と乗り込んだ侵入者も、コソコソと忍び込もうとした黒幕も無力化した……これが完全無血の勝利という奴ね。因みに黒幕は拘束したまま放置してきたわ」

 

 会話の内容は分からないが、どうやら私達が月に来る事は既にお見通しだったようだ。

 

「それで、何を楽しそうにお喋りしてたのかしら。あなたの事だから侵入者の首を刈り取って物理的に騙されてるのかと思ったのだけれども」

 

「そんなに私は野蛮に見えるのですか……? 単にこの侵入者が、レイセンの事を知っていたというので、話を聞いて……あぁ、このレイセンの事ではなく前のレイセンの方です」

 

「え……前のレイセンの事を……? じゃあレイセンは、今のレイセンが以前逃げ込んだ方の地上にいるという事ですか? そしてこの侵入者はレイセンの事を知っていて」

 

 どうやら、この垂れ耳兎の名前もレイセンというらしい。

 

「あら、あんたよく見たらこの前の羽衣兎じゃない」

 

「え、あ……! 羊羹くれた人!」

 

「なんだ霊夢、この兎……今のレイセンの事知ってるのか?」

 

「……そこの巫女は、今のレイセンと前のレイセンも知っている?」

 

「……ちょっと待ってくださいお姉様、『レイセン』って何なのかわからなくなってきました」

 

「あれ……私は今のレイセンだっけ、前のレイセンだっけ……?」

 

「やめなさいレイセン! 今レイセンという単語を出すと余計に分からなくなります! 因みにあなたは今のレイセンですよ!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇちょっと、これまさか本当に放置された感じ?」

 

「そのようですね……凄いですねこの縄、妖力は勿論、他の能力まで封じられてます。(式神)すら呼べません」

 

「……じゃあ私達ずっとこのまま?」

 

「可能性としては、誰かが通り過ぎてこの縄を解いてくれる……ですかね」

 

「ここ迷いの竹林よ? こんな所通り掛かる連中なんてロクでもない奴らばっかじゃない! いやよ、恥を晒すだけじゃない!」

 

 ……という見知った声と波長を感じてきて見れば、予想通りの二人が両手を拘束された状態でそこに居た。

 

『ふむ、では私もそのロクでもない連中という事らしいので、助けるのはやめときますね。紫さん』

 

「え!? あ、ちょっと、ちょっと待って! あなたは例外よ、お願いだからこれ解いて!」

 

「すまない、最悪私だけでも助けてくれないか? 橙が待ってるんだ」

 

「え、まさか主人を見捨てる気なの藍!?」

 

 しかし、コントをするだけの余裕があるようだ。

 とはいえこのまま放置するのも気が引けるため、二人を拘束している縄をそのまま『力任せに引き千切る』。

 

「うぅ、大丈夫? 跡になってない?」

 

「大丈夫です紫様、今更跡の一つや二つ増えたところでお変わりはありません」

 

 そしてちぎった縄の残骸を掌に乗せ、観察する。

 ……この縄、普通の縄ではない。

 正しくは組紐、月で罪人に使われている代物だ。

 という事は、やはり紫さんが……

 

『……もしかして豊姫様に会いました?』

 

 月と地上を一瞬で行き来できるのは彼女だけだ。

 

「えぇ、後なんか貴女と同じ名前の兎を引き連れてたわよ。全く、酷い目にあったわ」

 

『自業自得な気がしますが……まぁいいです、紫さんが何を企んでようと私には関係ありませんから』

 

 というか、自分と同じ名前の兎?

 もしかして、自分が月を出た後に月の使者に加わった新人だろうか?

 

 まぁそれも含めて自分には関係のない事だ。

 今はやるべき事をするまでだ。

 思考の切り替えと同時に、師匠から貰った煙管を取り出して火を付ける。

 煙が辺りを満たし、すぐに空と溶け合って消える。

 それが何故だか、見ていて面白い。

 

「……なんか今日の貴女、雰囲気? 兎に角、何時もと違くないかしら? ……もしかして怒ってる? その、『この前』の事も含めて」

 

『いえ、怒ってませんよ……それに私は私です。例えどんな姿形、性格をしてようが、それは『私』です』

 

 けれど、それは他者から見たら『別人』と感じるのかもしれない。

 全く酷い話だ。

 

『けどそうですね……紫さんが言う『何時もの私』と『今の私』……』

 

 煙管に口を付け、息を吸い込んでから口を離す。

 そして吸い込んだ息を吐き出せば、また煙が辺りを包む。

 

「どっちが本当()だと思う?」

 

「……え?」

 

 

 

 

 八雲紫は答えられなかった。

 気が付けば、たった一瞬瞬きをしただけで、彼女の姿はもう何処にも無かったのだから。

 

 

 

 

 




レイセンのゲシュタルト崩壊


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28話

 

 

 

 

 

 私は私だ。

 私が私として存在した時から、それは一生変わらない事実。

 私は最後まで私であり、最後の後も私であり続ける。

 例え誰の記憶にも残らなくても、私自身が私という存在を忘れたとしてもそれは私である。

 

 そう、私は『    』だ。

 そして私は罪を背負っている。

 どんなに頑張っても、どんなに償おうとしても絶対に許されることのない大罪だ。

 だから私は永遠にその罪を背負い続ける。

 

 最初はよく分からなかった。

 けれど暫くして、罪の意識が段々と強くなって、やがて自覚できるようになった。

 嗚呼……私は取り返しのつかない事をしてしまった。

 どうすれば良いのだろうか、どうすれば良かったのだろうか。

 

 そして気付く。

 既にこの時点で、私は何処か『おかしくなった』ことに。

 手遅れだ、もう私は狂ってしまった。

 

 その後はずっと罪の意識で苦しんだ。

 手遅れだと分かっていながら、何とか罪を拭い去ろうと奮闘するが、全て無意味だった。

 それ故に私は苦しんだ、辛かった……本来なら感じる事のない感情に振り回され、私は全てが嫌になった。

 

 そこから私はさらに『おかしくなった』。

 今度は逆に楽しくなってきたのだ。

 罪の意識が背中を這い上がるその感覚が、苦しんでいる自身が愛おしく感じた。

 それが初めての快感、快楽だった。

 

 苦しいけど楽しい、辛いけど嬉しい。

 その矛盾が私をさらに『おかしくする』。

 

 楽しい(苦しい)

 辛い(嬉しい)

 温かい(寒い)

 悲しい(気持ち悪い)

 気持ち良い(痛い)

 誰か私を助けて(もっと味わいたい)

 誰か私を認めて(止めて)

 

 誰か、誰でも良い。

 私を、私を■■して……

 

 ……嗚呼でもダメだ、私はまだ終わりたくない、終わってはいけない。

 だって私はまだ罪を背負っている。

 永遠に終わることのないものを。

 

 …………少し眠くなってきた。

 また暫く眠るとしよう。

 けれどそろそろ潮時かもしれない。

 私が寝ていられる時間は、もう短いのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……あれ?)

 

 ボヤける視界と頭で、自分は目覚めた。

 

(ここは……月の海? なんでこんな所に……)

 

 記憶のピースがうまくハマっていない。

 しかしピース自体は揃っているため、思い出すのにそう苦労はしなかった。

 

(……そう、確か真相を確かめる為に来たんだった)

 

 何故そんな単純な目的を忘れていたのか。

 

(ふむ、なら話は簡単。依姫様か豊姫様を探そう)

 

 どうやら二人とも既に近くにいるようだ。

 それとかつての同僚と友人も。

 ……ついでに地上での知り合いも何人かいるようだ。

 特に争っている様子ではないので、もう勝負はついたのだろう。

 どっちが勝ったのかだなんて、考えるまでもない。

 

 それならばそう急ぐ必要はない。

 ゆっくりと歩を進め、いつのまにか手に持っていた煙管で煙を吸ったり吐いたりする。

 

 ……変わらない。

 この月は何一つ変わっていない。

 人も景色もその在り方も、何一つ進歩していない。

 ここに住むモノは永遠にここで止まり、朽ち果てるのだろう。

 ……嗚呼、今なら何故自分が地上に行ったのか分かる気がする。

 きっと、『憐れんだ』のだろう。

 この月を、月の住人の生き様を。

 

 尤も、自分が月を出て地上に行った理由はもっと別のものかもしれない。

 その理由は何かと聞かれると、うまく答えられない。

 答えられないが、きっとそこには自分でも分からない程の大事な理由があるのだろう。

 

(……さて、どう接触したら良いだろうか)

 

 気が付けば目と鼻の先に目的の人物達が、何やら楽しそうに騒いでいる。

 近づくのは簡単だが、どう転んでも面倒な事にしかならない気がするのは気の所為ではないのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ少しくらい良いだろ? 折角来たんだし」

 

「ダメです。あなた方にはすぐに地上に帰ってもらいます」

 

「なら何で霊夢だけは帰さない気なんだ? 不公平だぜ」

 

「彼女にはやってもらうべき事があるからで……ええい、離しなさい。斬り落としますよ」

 

 霧雨魔理沙は諦めが悪かった。

 遠路はるばる、狭いロケット生活を何日も過ごしここまでやって来たのだ。

 それなのに弾幕ごっこをした程度ですぐに帰るのは、些か不満だ。

 

「ちょっとだけ、ちょっとだけだって」

 

「何がちょっとなのですか! いい加減服を掴んで引っ張るのはやめなさい、これお気に入りなんですから!」

 

 だからこうして抗議の声を上げているのだが……流石見た目通りの頑固女だ。

 

「なぁ、そっちのあんた。少しくらい良いと思わないか?」

 

「そうねぇ……あなた、桃は好きかしら?」

 

「おう、別に普通なくらい好きだぜ」

 

「……ねぇ依姫、少しくらい良いんじゃないんかしら」

 

「お姉様、今のやり取りの何処にそんな判断ができるところがありましたか!? 大体そこの金髪、『別に普通』だって言いましたよ!?」

 

 桃を大量に抱えた女の方は話がわかる奴だが、いかんせんこの刀女は首を縦に振らない。

 かといって力づくという訳にもいかないし、説得をするのも無理そうだ。

 

『魔理沙ちゃん、あまり我儘は良くないよ』

 

「あん? 何言ってんだ、我儘は若い頃の特権だぜ。使える時に使わなくてどうすんだよ」

 

 背後から肩を叩かれ、振り向くと鈴仙がいた。

 相変わらず自分の親のように諭そうとするコイツは、一生をお節介焼きで終えそうだ。

 

 …………ちょっとまて。

 何かが変だ。

 

「………………お前、何でここに居るんだ?」

 

 そこには居るはずのない奴がいた。

 

『……ちょっとした里帰りかな?』

 

 私だけじゃない。

 その場に居合わせた全員が、突然の乱入者に目を見開いている。

 

「……え、あ……? れ、レイセン? あれ、なんで……」

 

『お久しぶりです依姫様、とりあえずただいまです』

 

 その中で一番動揺していたのはきっと刀女だろう。

 

「レイセン……あなた」

 

『豊姫様……相変わらず桃ばかり食べているようですね』

 

 次に反応できたのは桃女。

 相手の驚愕を無視して鈴仙は何でもなさそうな態度で対応をする。

 

「……なっちゃん? なっちゃん!」

 

 そしてその次に反応したのは、髪の短い兎だった。

 

「久しぶり! 元気にしてた?」

 

『うん、みっちゃんも元気そうでなにより』

 

 兎はその場から跳躍して、鈴仙に抱きつく。

 鈴仙もそれを難なく受け止め、抱き返した。

 どうやら鈴仙とあの兎は、他の者よりも親しい間柄らしい。

 

 そして暫くは、感動の再会を果たしたような空気になり、鈴仙は兎たちに囲まれ其々に再会の挨拶をしている。

 

「……なぁ霊夢、鈴仙の奴いつのまにこっちに来たんだ?」

 

「知らないわよ……ここはアイツの故郷みたいなものなんでしょ? なら私たちみたいにロケット使わなくても直ぐに行き来できる手段があったんじゃない?」

 

 言われてみればそうか。

 確かに鈴仙は月から来たと言っていた。

 すっかり地上に馴染んでいるため、全く違和感を感じなかったが。

 

「……レイセン、随分と大きくなりましたね」

 

 と、ここで刀女が再起動した。

 顔をうつむかせ、その表情は読み取れないが声色には歓喜が混ざっているのが分かった。

 

『……えぇ、いつのまにか依姫様より背が高くなりましたね』

 

 ——瞬間、周りの空気が変わったのがわかった。

 静電気がピリピリと肌を纏わりつくような、気色の悪い感覚。

 それが刀女から出ているものだと気付くのは、すぐだった。

 

「正直言って嬉しいです、どんな理由があってここに戻ってきてくれたのかは知りませんが……こうして成長した貴女にまた会う事ができるとは」

 

『そういう依姫様は……全く変わってないようですね』

 

 鈴仙の周りに群がっていた兎たちが即座にその場を離れる。

 桃女もこれから起こることを知っているのか、何やら深妙な表情をして見守っている。

 今の状況が飲み込めてないのは私と霊夢、それと鈴仙と同じ名前を持つレイセンだけだった。

 

 ……そして時間にして三十秒ほど。

 変化は一瞬で起こった。

 

「————せっ……!」

 

 短い掛け声と共に、刀女はその場から踏み込んだ。

 両者の距離はそこそこ離れていたというのに、たった一度の踏み込みだけで刀女と鈴仙の距離は手を伸ばせば届く程のものに縮まった。

 あまりにも人間離れしたその技に此方が驚いていると、次に刀女はその刀を振るった。

 

 素人でもわかる。

 あれは、あの一振りは『殺すための』ものだと。

 的確に急所を狙い、確実に相手を仕留める為の攻撃。

 このままでいくなら、鈴仙の首が派手に吹っ飛ぶ光景が脳裏に浮かんだ。

 

『————』

 

 しかし鈴仙はそれを避けてみせた。

 特に慌てる様子もなく、まるで予想していたかのように身体の重心を逸らして刀の一閃を避ける。

 そのあまりにも鮮やかな動作に、一瞬だけ目を奪われた。

 

「……やはり避けましたか。そうでなくては面白くない」

 

 必殺の一撃というわけでもなかったのだろう。

 刀女も避けられる事を予想していたのか、すぐ様体勢を立て直し、次の攻撃を繰り出す。

 

 刀は美しい曲線を描くように、空中を飛び回る。

 その様子がとても美しく、まるで夏の夜に飛び回る蛍の光のようだった。

 しかしその実態は、相手を殺傷する為の危険な光だ。

 迂闊に触れようとするのなら、真っ先に真っ二つにされるだろう。

 

『————』

 

 そんな危険なものを、鈴仙は器用に何度も避ける。

 刀女の繰り出す刀の技も美しいが、鈴仙の避ける姿もまた美しかった。

 

「————あ」

 

 ここでようやく頭が正常になった。

 突然の事でつい呆けてしまったが、よくよく考えてみればいきなり殺し合いが目の前で起こった事になる。

 ただ再会したというだけで、あの刀女は鈴仙に突然斬りかかった。

 普通に考えれば、それは異常なことだ。

 

「な、なぁ……あれ放っといて平気なのか?」

 

 あまりにも動揺していた為、そんな言葉を自然と口に出してしまった。

 

「平気よ、だって『いつものこと』だもの……とはいえ、依姫ったら随分とご無沙汰していたせいで、いつもより激しくなってるわね」

 

 すると意外なことに、桃女が答えてくれた。

 

「いつもだって? おいおい、お前の妹さんは鈴仙に恨みでもあるのか? あれ、鈴仙の事確実に殺そうとしてるぜ」

 

「別に殺そうとはしてないわ、単に『殺すつもり』で戦おうとしてるだけよ……そうね、昔はあれがあの二人の日課だった。要するに戯れ合ってるだけなのよ」

 

「……あぁ、成る程。何となくわかったぜ」

 

 幻想郷にもそういう輩は何人かいるし、知り合いにもそういう奴がいる。

 考えてみれば、そうおかしくはない事だ。

 

 それにしても、鈴仙の謎が一つ解けた気がした。

 あんな事を日課でしていたのなら、『避ける』ことに関しては凄まじいスキルを得られるだろう。

 鈴仙は弾幕ごっこをする時は、基本受けに回ってカウンターを狙ってくるタイプだ。

 あれだけの逃げのスキルがあるのなら、そのような戦術を取るのはごく自然の事だ。

 

「あら、私が散歩してる間に面白い事になってるわね」

 

 と、そこで今回の主犯ともいえる紅魔館の主が従者を連れ現れた。

 

「なんだレミリア、負けて拗ねてたんじゃないのか?」

 

「冗談、大体私は負けてないわ。今日は日焼け止めを塗るのを忘れただけよ」

 

 まるで子どものような言い訳をアッサリと述べるこの吸血鬼は、ある意味では大物なのかもしれない。

 

「——あの兎、確か竹林の……何故アイツが此処にいる?」

 

「知らん、気が付いたら居たぜ」

 

 少なくとも、ロケットに忍び込んでいたわけではないだろう。

 あんな狭苦しいところに、隠れるスペースなどないのだから。

 

「咲夜、お前は気付いていたか? あの兎の存在を」

 

「れっちゃんの事ですか? いいえ、私もまさかれっちゃんが此処にいるとは思いませんでした」

 

「……あー咲夜? 今何といった?」

 

 レミリアが素の声で従者に聞き返した。

 当然だろう、私とレミリアの聞き間違いでなければ、咲夜は鈴仙の事を『れっちゃん』と可愛らしいあだ名で呼んだのだから。

 

「? えっと、れっちゃんの事ですか? いいえ、私も」

 

「違う、私が聞きたいのは何故あの兎の事をそんなファンシーな名で呼ぶのかという事だ」

 

 そんな主の問いに、従者は『何故そんな事を聞くのだろう』といった様子で答えた。

 

「それは当然、れっちゃんと私は仲良しですから……ちなみに私は『さっちゃん』と呼ばれてますよ」

 

「「さっちゃん」」

 

 意外だ。

 というか驚愕だ。

 あの十六夜咲夜が、鈴仙と仲良しという事だけでも大変だというのに、互いを愛称で呼び合う程進展しているとは。

 

「れっちゃんとは人里でよく会うんですよ。それで世間話を何度かしているうちに親密になりました……今ではお泊まり会をする程の関係になりましたよ」

 

「まさかあの時か? お前が珍しく『休みが欲しい』と言ったあの日、あの兎と仲良く同じベッドに入ったということか? おのれ、主人を放ったらかしてそんな事をしていたとは……!」

 

 ……改めて鈴仙の人脈の広さに度肝を抜かれた。

 あいつ、その気になれば幻想郷を支配できるのではないだろうか。

 それも全員と友達になるという方法で。

 

 

 

 

 




寝巻きで同じ布団に入って、お互い抱き合いながら眠っている鈴仙と咲夜さんを想像するところまではいきましたはい。


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29話

そろそろ終盤に近づいてまいりました。


 

 

 

 

 これで何回目だろうか。

 あの事件の日以来、綿月依姫に気に入られ月の使者の一員として過ごし始めてから、毎日のように特訓とやらに付き合わされた。

 

 別にそれ自体は嫌ではない。

 ただ、その行為が依姫様にとって『何の意味もない』ことだ。

 理由が無いのに、それを繰り返す意味が自分にはどうしても分からなかった。

 

 ただ強くなりたいという理由なら納得はする。

 その特訓にはそれ相応の価値が付くだろう。

 しかし依姫様は気づいていない。

 依姫様は強さを求めて毎日のように特訓をしている、本人もそう言うのだが、実際には違う。

 正確には、『弱さを隠そうとしている』だけなのだ。

 

 自分は弱くない、弱い存在ではダメだ。

 だから強くなりたい、強さを見せ付けたい。

 それが今の綿月依姫という人間だ。

 

 本来綿月依姫という人間は、決して強い人間ではない。

 弱さを自ら押し殺し、強さでそれを隠そうとしている。

 今もそうだ、振るう刀に『殺意』は籠っているが、何より本人からはそれが感じられない。

 

 普通は逆であるべきだ。

 刀は所詮無機物、それに感情を乗せるのは間違いであり、無慈悲であるべきだ。

 そして刀を持つ者は、相手に対してあらゆる感情を乗せなくてはならない。

 綿月依姫はそれができていない。

 それ即ち、綿月依姫は本来戦うような人間ではないという事だ。

 ハッキリ言ってしまえば、その手の方に向いていないのだ。

 

 しかしそれでも強さを持とうとするのには、相当の理由があるのだろう。

 気付いていないとはいえ、強くあろうとするその姿勢を長い間続ける事が出来るのは凄いことだ。

 

 だから何の意味もない特訓に、自分は黙って付き合う。

 本人のその意思を、何よりも尊重したかった……そして何となくだが、その原因が『私にある』気がした。

 ならば自分は精一杯自分の出来る事をしてあげるのだ。

 

 それが綿月依姫と、レイセンの関係だ。

 

 

 

 

 鈍い金属音が鳴り響く。

 自分の爪先が、依姫様の刀を遠くへ蹴り上げた瞬間に生じた音だった。

 

「…………また、負けてしまいましたね」

 

 正気に戻ったかのように、彼女はフッと笑い言った。

 この特訓の終わりは、依姫様の手から刀を奪い去るという条件が殆どだ。

 何年経ってもその暗黙の了解が続いていて、内心ホッとした。

 具体的に言うと、鬼神さんのような性格になっていなくて良かったということだ。

 

「お帰りなさいレイセン、また会えて嬉しいです」

 

『私もです、依姫様』

 

 そして今更の挨拶を交わす。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それでレイセン、どうして戻って来たの? もしかして地上は嫌になって帰ってきてくれたのかしら? もしそうなら遠慮しなくていいのよ、依姫も喜ぶだろうし」

 

「わ、私は別にレイセンが何処に居ようが構いません」

 

 あの後、霊夢ちゃん以外の来訪者達を地上に返し、こうして自分と綿月姉妹の三人で久しぶりに屋敷の廊下を歩いていると、豊姫様にそう言われた。

 

『いえ、少し確認したい事があって来ただけです』

 

「確認したい事……? あぁ、もしかして」

 

 豊姫様は察してくれたのか、納得の表情をする。

 

「そうね、今すぐ話してもいいけど……折角来たのだから、少しゆっくりしていって。私や依姫、他の兎たちと楽しむ時間があっても良いでしょう? その条件を承諾できるのなら、貴女の知りたい事を教えてあげる」

 

『言われるまでもないですよ』

 

 少なくとも一泊はするつもりだった。

 正直師匠や姫様達が心配ではあるが……なに、一日くらいなら平気だろう。

 

「で、でしたらレイセン! あの、夕食まで時間はまだありますし……それまで私と兎たちで……」

 

 自分が暫く此処にいる、そう決まった瞬間依姫様は嬉し恥ずかしそうにそう言った。

 

『えぇ、午後の訓練ですよね? 良いですよ、付き合います』

 

「!」

 

 こうして歓喜の表情をする依姫様は、何処にでもいる普通の少女のようだった。

 

「ダメよ依姫、午後からは事務作業があるじゃない。それにあの巫女を使ってはやいところ疑いを晴らさなくちゃ。それらを終わらせてからにしなさい」

 

 と、豊姫様の一言で一気に沈む彼女。

 まさに空から引きずり降ろされ、地獄に堕ちたような感じだ。

 

『では先に皆の所に行ってます。ちゃんとお仕事終わらせてから来てくださいね』

 

「ぐっ……わかりました。さぁお姉様、迅速に終わらせましょう!」

 

 そうして、姉の手を引っ張りながら廊下を早歩きで去って行った。

 

(……さて、こっちもやる事をやっておかないと)

 

 さっきから気になってはいた。

 どうやら霊夢ちゃんや魔理沙ちゃん以外にも、ここに忍び込んでいる『幻想の住人』がいるようだ。

 

 何をしているかは知らない……が、放って置くわけにもいかないだろう。

 

『さて、何をしてるんですか? そこのお二方』

 

「うひゃあ!?」

 

 廊下の曲がり角で隠れている人影に振り返って、一気に近づく。

 すると白髪のショートヘアの女の子……半人半霊の『魂魄妖夢』が尻餅をついた。

 その背後には、自らの従者の様子を楽しんでクスクスと笑っているピンク髪の亡霊、『西行寺幽々子』がいた。

 

「あ、あ、なんで?」

 

「あらあら、兎さんには気付かれちゃったわね」

 

 どちらも以前の異変で見かけた者だ。

 つまり、一応知り合いの間柄にいる。

 

『もう一度聞きます、ここで何を……いえ、どうせ紫さん絡みでここにいるのでしょう?』

 

「ゆ、幽々子様ぁ。何かバレちゃってますよ……」

 

「そうねー、一応友人の為に空き巣に入ったのだけど……バレちゃったのなら仕方ないわねー」

 

 特に気にした様子もなく、亡霊の少女は何時もの調子を崩さない。

 

『……とりあえず大人しくしてください。あと数日したら霊夢ちゃんと一緒に地上に帰ってもらいますから』

 

「はぁい、大人しくしてるわー。ごめんね妖夢、私はここまでみたい……」

 

「そんな幽々子様! ……いえ、分かりました。この魂魄妖夢、幽々子様の無念を見事に果たして参ります!」

 

「ふふ、いつのまにか成長したのね妖夢……これで安心して逝けるわぁ」

 

「ゆ、幽々子様ぁぁぁ!」

 

『いや、妖夢ちゃんも大人しくするんだよ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「依姫様は地上の巫女を連れて何をするつもりなのかな?」

 

 最近習慣になった訓練をしながら、訓練ペアのみっちゃんと呼ばれる玉兎にそう聞いてみた。

 

「なんでも、依姫様の潔白を証明する為に使うんだってさ」

 

「潔白?」

 

「ほら、謀反の噂が立ったことあったでしょう? あれって何者かが勝手に神様を呼び出して使役していることが発覚したからよ」

 

「ふむふむ」

 

 訓練中のお喋りも最早習慣だ。

 なに、バレなければ良いとここの先輩達から教わったのだから問題はないのだろう。

 

「それで依姫様が真っ先に疑われたの。そんなことできるのも依姫様くらいだったしね……でも本当はあの巫女にもできるって見せて廻るんだって」

 

 成る程、そんな理由があってあの巫女をここに残したというわけか。

 ほんの少しだけ安心した、てっきり何か酷い目に合わせようとしているのかと思っていたから。

 あの巫女には一応助けられたことがあるし、嫌いな人間ではない。

 

「…………そういえばさ、さっき突然現れた玉兎って」

 

 会話が途切れようとしたので、更なる疑問を口に出して縫い止める。

 

「なっちゃんのこと?」

 

「そうそう、そのなっちゃん……というかレイセンさん? レイセンさんの事なんだけど」

 

 とりあえず私と同じ名前で呼ぶのは紛らわしいので、さん付けする事にした。

 

 実際にその目で見て確信した。

 あれは確かに『変だ』。

 

「なになに? なっちゃんの事なら私が一番長い付き合いだし、何でも聞いて。というかなっちゃん帰って来てくれたのかな? それなら嬉しいんだけど……」

 

 ——そう嬉しそうに語る彼女に、口にしかけた言葉を飲み込んだ。

 ここで『アレは何者』だなんて質問をぶつけては、あまりに酷い仕打ちを彼女にする事になる。

 

「……えっと、二人は仲が良い……んだよね? どういう関係なの?」

 

「うーん、関係かぁ。普通に友達なだけで……あ、私となっちゃんの出会い話でも聞く?」

 

 当たり障りのない質問を咄嗟にしたが、正解だったかもしれない。

 レイセンさんの過去にも少し興味があったからだ。

 

「ふふ、結構衝撃的な出会いだったんだよ? 私が仕事終わりに月の海の海岸を散歩してたんだけどね、そこでなっちゃんと初めて会ったの」

 

「海で? 何かロマンチックな出会いじゃない?」

 

 恋愛小説とかでそのようなシュチュエーションを何度か見かけた。

 

「ううん、全然そんな雰囲気じゃなかったよ。だってその時のなっちゃん、どんな格好してたと思う? 何も着てなくて、全裸だったんだよ」

 

「全裸」

 

 海の近くで全裸でいた……?

 もしかして海水浴でもしようとしていたところに出くわしたのだろうか。

 確かにそれはロマンチックとは遠くかけ離れている。

 

「それでね、私が何回も声を掛けても何の反応もしてくれなくてね。まるで『言葉』を知らないみたいな様子だったなぁ」

 

 懐かしそうに語る。

 

「その後は、とりあえずこのまま放置するのも何だから私の部屋に連れ帰って、暫くはお世話してたの。結構大変だったんだよ、あの時のなっちゃん、まるで産まれたばかりの赤ん坊みたいで」

 

 産まれたての赤ん坊……つまりそれは、何も知らない、知識も何もない状態という事だ。

 

「流石に私も様子が変だなって思って……もしかしたら何かの事故で記憶喪失にでもなったのかなって……それで都のあちこちを駆けずり回って、なっちゃんの事を訊ねたりしてみたんだけど、不思議なことに誰もなっちゃんの事を知らないって言うんだよね」

 

 ……確かにそれは不思議だ。

 月の都自体はそれ程大きな都市ではない。

 仮にレイセンさんが記憶喪失だったとしても、記憶喪失になる前の彼女を知っているモノが必ずいる筈だ。

 そして大きな都市ではない故に、手掛かりを見つける事はそう難しくない筈だ。

 加えて玉兎の出生は全て記録されている筈だ……正体不明の玉兎なんている筈がない、居てはならないのだ。

 

「仕方ないから、私が引き取って一緒に仕事をする事にしたの。それから色々あって、二人とも月の使者になったわけなのよ……あ、因みになっちゃんていう名前は私が付けてね、髪が長いからなっちゃんっていうの」

 

「じゃあみっちゃんは、髪が短いからみっちゃんなのね」

 

 ————つまり、ある一つの仮説が出来上がる。

 レイセンさんは記憶喪失でも何でもなく、みっちゃんなる玉兎と出くわす瞬間まで『存在していなかった』。

 だから誰も知らない、記録にも残っていない。

 得体の知れない正体不明の存在という事だ。

 

『何の話をしてるの?』

 

「うひゃあい!?」

 

 心臓が飛び出しそうだった。

 突然視界に誰かさんの顔が飛び出してきたのだから、仕方ないと言えば仕方ないことだ。

 

「あ、なっちゃん!」

 

『訓練中の私語は厳禁……って言っても意味ないか。たまには真面目にやらないと依姫様に怒られるよ』

 

「えへへー」

 

 無表情ながらも穏やかな雰囲気を出すレイセンさん。

 ……やはり考え過ぎだろうか。

 

『……それで、この玉兎が例の?』

 

「うん、レイセン二号だよ! とは言ってもなっちゃんとは全く似てないけどね」

 

 ここで初めて視線が合った。

 レイセンさんのその瞳は、私達とは全く違うものに見える……まるで何もかも飲み込んでしまう様な、深い色をしたルビーのようだった。

 

『初めまして、レイセン……私は鈴仙です』

 

「え、あ……は、初めまして?」

 

 鈴仙とレイセン。

 この二人には共通点なんて無い。

 強いて言うなら、同じ主人から同じ名を与えられたことくらいだろう。

 

『私はもうここにずっと居ることは無いから、どうか私の代わりにレイセンとしてここで過ごして。きっと貴女にとってそれが一番だと思うの』

 

「……そう、ですね」

 

 一体どんな考えで鈴仙さんがそう言ったのかは分からない。

 しかし、不思議と安心感があった。

 

「えぇ……なっちゃん帰ってきたんじゃないの?」

 

『ごめんねみっちゃん。私、地上でどうしても見守ってあげたい人がいるの』

 

「……そっか、そうだよね。私もなっちゃんは地上に居た方が良いと思うの。けど……たまにでいいから、またこうしてお話ししよう」

 

『うん、約束する』

 

 そうして指切りげんまんを交わす親友達。

 なんというか……実に平和だ。

 このままこの平和がいつまでも続きますように……

 

 

 

 

 

 そしてその数十分後、やけに興奮した依姫様の登場により束の間の平和は消え去ったのだった。

 具体的にいうと、鈴仙さんと依姫様の模擬戦闘で訓練所が見るも無惨な荒地と化したのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、それじゃあ約束通りお話ししましょうか」

 

 訓練も終わり、夕食も終わった後、豊姫様の部屋に集まった。

 メンバーは自分含めて三人、綿月姉妹と自分の三人だ。

 

「それで、レイセン……じゃなくて鈴仙ってアクセントにした方が良いかしら? 鈴仙は何を知りたいのかしら」

 

 何を知りたいのか、とっくに豊姫様はそれを知っている筈だ。

 しかしこうして聞かれたからには、ちゃんと答えなくては失礼というもの。

 

『では単刀直入に……この前の『捜索命令』は一体どういう事なんですか?』

 

 それが自分の知りたかった事だ。

 何故脱走兵扱いの自分を、わざわざ探し出そうとしたのか。

 探し出してどうするつもりだったのか。

 それを知っておかねばいけない気がした。

 だからこうしてここに戻ってきたのだ。

 

「……やっぱりその事なのね。先に言っておくと、あれは私たちの意思ではなかったわ。せっかく地上に送り出したというのに、連れ戻しては意味がないもの……尤も、我が妹はちょっと迷ってたみたいだけどね」

 

「ち、違います! 確かに少しだけ……その、鈴仙が戻ってきてくれたら嬉しいなとは思いましたが……貴女の意思を踏みにじってまでするわけないじゃないですか」

 

『えぇ、大丈夫ですよ。わかっています』

 

 命令はさらに上の組織からのものだとみっちゃんは言っていた。

 むしろこの姉妹は自分の捜索命令に反対してくれたのだろう。

 

『それで、何故私を探せと上の組織は命令を?』

 

 そこが一番の疑問だ。

 二人は私の言葉に顔を見合わせ、やがて覚悟を決めたように答えを言った。

 

「……『予言』がされたのです」

 

『予言?』

 

「えぇ、ここ月の都一番の占い師が、以前一つの予言をしたのです。その結果、月の都は今混乱の中にあり、またそれが貴女の捜索命令に関係しているのです」

 

 月の都を混乱に陥れる程の予言……それは如何なる内容なのか。

 豊姫様がそれを答えるより先に、依姫様が答えた。

 

「『地の星、空の星、それ即ち地上と月。二つの星に影が覆うとき、退けられぬ大いなる厄災訪れん』……要するに、近いうちに地上と月に何かしらの災いが来るという事です」

 

「えぇ、しかもその占い師の予言は必ず当たるらしくて、上もそれを鵜呑みにしたのよ……その結果、その厄災とやらを何とか凌ごうと、月の兵力を強化しようとしてるらしいの」

 

『成る程、それで私を……』

 

 確かに玉兎中で私は異質の存在だろう。

 戦力を強化する人材としては持ってこいという事だ。

 

『しかし、その厄災は兵力を強くすれば防げるものなのですか?』

 

「分からないわ、分からないからこそ、今できる事としてやっているだけなのでしょうね」

 

「全く嘆かわしいです、そんな理由で民をただ混乱させているという事にどうして気付かないのでしょう。上の連中がそんなのばかりだから、八意様も月に愛想をつかしたのかしら……」

 

『いえ、師匠は姫様を地上に送り出したかっただけみたいですよ』

 

「そうなのですか……姫様というと蓬莱山様の事ですね? 確かにあのお二方は随分と仲の良い関係で……ん?」

 

 しかしそうか、まさかそんな予言が……

 正直いうと少し拍子抜けというかなんというか。

 

「待ちなさい鈴仙、貴女、今八意様の事をなんと……?」

 

『はい? ……あぁ言ってませんでした。私地上では師匠……八意永琳と蓬莱山輝夜のお二人と一緒に暮らしてるんですよ』

 

「「…………は?」」

 

 流石は姉妹というべきか、見事なハモり具合だ。

 

「え、ちょ、待ちなさい鈴仙。それってつまり……八意様と一緒に生活をしてるというか、一体どんな関係に……!?」

 

「れ、鈴仙と八意様が一緒に地上で……? え、え?」

 

 そして見事な混乱ぶり。

 このままだと話が進まないので、能力で二人を落ち着かせよう。

 

「…………お姉様」

 

「待って依姫、言わなくていいわ」

 

「月とか、もうどうでもよくありません? 私達も地上に引越しを……」

 

「気持ちはわかるわ、わかるから落ち着きなさい。とりあえずダメよ、私もそうしたいのは山々だけど、それは色々と不味いわ!」

 

 

 

 

 




依姫「私の幻想郷は地上にあった」

豊姫「落ち着いてよっちゃん」



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30話

 

 

 

 

「行っちゃったわね」

 

「えぇ、行ってしまいました」

 

 たった今、お姉様の力で鈴仙と地上の巫女……あといつの間にか混ざっていた幽霊達を地上に送った。

 他の玉兎達は最後までぐずっていたが、また会いに来るという約束を鈴仙がしたため何とか落ち着いた。

 

「……一緒に行きたかった?」

 

「そのようなわけが……いえ、その気が全く無かったといえば嘘になります」

 

 当たり前の想いだ。

 自身の憧れ、好意を抱く者達が地上で一緒に暮らしてるなんて聞いたら、私もそこに混ざりたいと思うだろう。

 

「しかし、今の役目を放り出すことはできないです。だから、いつか……もしいつの日か自由になれたのなら、私は……」

 

 共に歩めるだろうか。

 何気ない日常を、過ごすことはできるのだろうか。

 

「……そうね、その時は私も付き合うわ。だって、依姫は私の妹なのだから」

 

「えぇ、私もお姉様がいるのなら心強い」

 

 夢を見るくらいは悪いことではないだろう。

 もしかしたらやがて訪れるかもしれない未来を夢見て、姉と二人で穢れない海を眺め続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あら、お帰り鈴仙」

 

『ただいまです、姫様』

 

 数日振りの永遠亭に戻ると、姫様が出迎えてくれた。

 

『……師匠はもう寝てるのですか?』

 

 そこで少し違和感。

 いつもなら師匠が出迎えてくれることが殆どだったので、今この場に師匠が居ない事に対しての違和感だ。

 

「いえ、起きてるわよ……ただ、その……」

 

 何とも煮え切れない返事をする姫様。

 

『……ちょっと待ってください、私の気の所為でなければ屋敷の中に沢山の波長が感じられるのですが』

 

 というか、何故気付かなかったのだろうか。

 屋敷の中からは見知った波長がパッと見でも十以上も。

 耳を澄ませば屋敷の中から物音や声が玄関まで聞こえてくるではないか。

 そして鼻を刺激するこのキツイ匂いは……お酒だろうか?

 そしてほんのりと、姫様からも微かな酒気が……

 

「あー……とりあえず入って。直ぐに分かるから」

 

 姫様に誘われるがままに、廊下を進むと、次第に音が大きくなっていく。

 やがて、今まで使う機会があまり無かった宴会用の部屋の前に辿り着き、嫌な予感を振り払って襖を思いっきり開け放った。

 

「うははははは! いいぞ! もっと飲め鬼神!」

 

「んぐっ……ふぁー、この『わいん』っていうお酒も中々いけますねぇ」

 

「ふふ、そうだろう? 普段なら貴様らのような鬼に飲ますものではないが……今日は特別だ、おい咲夜、追加をすぐに」

 

 するとどうだろうか、まるで我が家のようにくつろぐ連中が、宴会を開いているではないか。

 全くもって、理解が追い付かない。

 

『あの、これは?』

 

「んー、最初は違ったのよ? 鈴仙がどっか行った直後に天魔と鬼神が遊びに来て、貴女が暫く帰ってこないかもって伝えたら『じゃあ帰ってくるまでここで待ってる』って言い出してね」

 

 姫様は自分の問いに素直に答える。

 

「それで暫くして痺れを切らしたのか、『酒でも飲まないと待ってられない』とか言って、永琳を巻き込んでひっそりと酒盛りをしてたんだけど……妹紅を始め新聞屋とか色んな連中が今日に限って集まりだしてね。気が付いたらこうなってたのよ」

 

 何とタイミングの悪い……いや良いのか?

 どっちにせよ、こうなっては後片付けが大変な事は明白だ。

 

「あー! 長耳だぁ! やっと帰ってきたぞこの朴念仁!」

 

「あらぁ、あらあらあらぁ……長耳ちゃん、大好きです!」

 

(いきなりの告白!?)

 

 そして腹部への衝撃。

 言うまでもなく、鬼神さんがタックルしてきたのだ。

 

 くっ、このまま気付かれずに事が済むまで隠れてようかと思ったのだが……現実はそう甘くないようだ。

 

「おう、邪魔してるよ鈴仙ちゃん」

 

「おう、私も邪魔してるぜ」

 

「お邪魔してます師匠!」

 

「あやややや、言うまでもなく私もお邪魔させてもらってます」

 

「お台所借りてます、れっちゃん」

 

 そして他の面々も、気軽な挨拶をしてくる。

 ここにいる全員が、本当に単なる偶然で集まったのなら、これは奇跡に近いのではないだろうか。

 

「はい! もしかしたら私の奇跡()かもしれませんね!」

 

『早苗ちゃんは少し黙ってようね。あと奇跡をあまり安売りしない方が良いと思うよ』

 

 というか本当に早苗ちゃんは何故ここに?

 

「えへへー、もう離しませんよー」

 

『痛い、痛いです。私のお腹と腰から鳴ったらいけない音が……!』

 

「なんじゃ、面白そうだな。儂も混ぜろ!」

 

『更なる追撃……!?』

 

 もう身体が潰れるとかそんな次元ではない。

 このままだと捻り切られそうだ。

 

「…………うどんげ?」

 

『あ、師匠……! すいませんが助け……て?』

 

 とここで我らが師匠がようやく来てくれた。

 しかし何だろう、自分の勘違いでなければ数日振りの師匠の様子がおかしい。

 

「またそうやって私を放ったらかしにして、そいつらと戯れ合うなんて……もう許さないわ」

 

 ひぇ、目が座ってらっしゃる。

 

『もしもし、もしかして酔ってますか? 少し休んだ方が』

 

「うるさい! いいから脱げ!」

 

『何故!?』

 

 ダメだ、酔っ払いに何を言っても無駄だ。

 というか本当に服を脱がしにかかってきた。

 

『ちょ、別に私は羞恥とか感じないですが、こんな皆が見てるところで服を脱がすのはどうかと……ていうか天魔さんと鬼神さんそろそろ離して……!』

 

 しかし自分の訴えは、宴会の雑音に掻き消され、抵抗は無意味だった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(……疲れた)

 

 ふっと意識が覚めた。

 どうやら宴会の真っ最中に浅い眠りに入ってしまったようだ。

 ふと周りを見渡せば、皆誰もが床や壁にもたれかかり、死んだように眠っていた。

 きっと皆はしゃぎ過ぎたのだろう。

 

(……重い)

 

 目が覚め、次に感じたのは身体の重さだった。

 そしてあの理由はすぐに分かった。

 壁に寄り掛かって座っている自分の膝には師匠の頭、両肩には天魔さんと鬼神さんの頭が乗っかっていたからだ。

 

 ……仕方ない、起こすわけにもいかないし暫くはこのままでいよう。

 後片付けは皆でやればすぐ終わることだ。

 そう急がなくても平気だろう。

 

(……しかし何だろう、この感じ)

 

 ふと宴会の様子を思い出す。

 誰もが酒を飲み、子どものようにはしゃぐ。

 その中に混ざって共に飲み明かす自分。

 その様子を思い出すと、不思議と変な気分だ。

 

(……いや、そうか。これが『楽しい』ってことか)

 

 感情の起伏が薄い自分が明白に感じられたこの感情は、きっと嘘ではないのだろう。

 というより驚いた。

 まさかこんな自分が『本気で楽しかった』と思えるようになるだなんて。

 

(……なんだ、やっぱり私も皆と……人間や妖怪と同じだったんだ)

 

 ハッキリと感情を感じられた。

 それは知恵を持つ生物の特権だ。

 つまり、自分は皆と『同じだった』という事に他ならない。

 

 嗚呼、それは何とも……とっても————

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「嘆かわしいことだな」

 

 これでハッキリした。

 やはり『私』は『失敗作』だったと。

 

 

 

 

 



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東方紺珠伝
31話


 

 

 

 

 

 もう限界に近い。

 あとほんの少しの『後押し』があれば、私の仮説は仮説ではなくなってしまう。

 それが良いことなのか、悪いことなのかは分からない……いや、分かりたくもないが正しいだろう。

 

 時間にしてみれば数十年ほど、思っていたよりも短い期間だった。

 『最初』の時はそこそこの時間が掛かったと記憶していたが……やはり昔は昔ということかもしれない。

 もしくは自身という存在を消し損ねたか。

 

 尤も、短くなった原因もあるのかもしれない。

 思わぬ『再会』があったからだ。

 まさか運命がここまで残酷だとは思わなかった。

 出来るのなら、彼女達には会わないことを願ってたのだが……

 

 しかし今更愚痴をこぼしても遅いだろう。

 むしろ因果というものに対しての認識を改めた方が良い。

 ここまで私を翻弄するとは、全くもって腹立たしい。

 …………嗚呼、やはりダメだ。

 もはや自然に、感情を言葉で表してしまっている。

 これが俗に言う、手遅れという奴だ。

 

 ……しかしまぁ、心の何処かではこうなる事を予期していた自身がいたようだ。

 不思議と諦めがついている。

 

 問題は、この先どうするかだ。

 尤も、何をするべきかは分かっている……が、どうした事だろうか。

 この状況をもっと楽しみたいと思う私がいる。

 

 ……まぁ、その時が来た時に考えれば良いだろう。

 今は大人しく眠っておこう、『最後の眠り』を……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ねぇ鈴仙、貴女最近変わったわね」

 

『そう……ですか?』

 

 朝食後の食卓を布巾で拭いていると、姫様にそう言われた。

 

「えぇ、だって昔の貴女と今の貴女、雰囲気が全然違うわよ? 極端にいうと明るくなったってこと」

 

 そうなのだろうか。

 姫様がそう言うのであれば、そうなのかもしれないが……

 

「貴女がここに来てから、色んなことがあったわねー。もしかしたら、それのお陰かもしれないわね」

 

『……確かに、そうですね』

 

 幻想郷に来てから、実に色んな出来事が起きた、出逢いがあった。

 

 紅い霧が幻想郷を覆った(紅魔郷)

 冬が終わらなかった(妖々夢)

 謎の霧が幻想郷を覆った(萃夢想)

 夜が明けなかった(永夜抄)

 花と霊が咲き乱れた(花映塚)

 山に二柱の神がやってきた(風神録)

 奇妙な異常気象が起きた(緋想天)

 地下から怨霊が湧き出た(地霊殿)

 空飛ぶ船が現れた(星蓮船)

 神霊が突如現れた(神霊廟)

 宗教争いがあった(心綺楼)

 道具が意思をもった(輝針城)

 都市伝説が具現化した(深秘録)

 

 全てこの、幻想郷(東方)で起きたことだ。

 それに関わらないこともあれば、関わったこともある。

 そして様々な出逢いがあった。

 皆、各々の信念があり、それを調停する者達がいて、やがてこの幻想郷の一部となっていった。

 まるで誰かが作り上げた物語のように……

 

「だからさ、鈴仙。いつかその口で永琳の気持ちにちゃんと応えてあげてね」

 

『それは……どういう意味で?』

 

「そのままの意味よ、言葉っていうのはそう悪いものじゃないわ。人間っていう生き物はね、言葉でしか知る事ができないの」

 

 姫様は何故か楽しげにその場でくるくると周りながら言った。

 

『そうなんでしょうか? 言葉なんて無くても……人間は生きていけると思います』

 

「ふふ、果たしてそうかしらね?」

 

 クスクスと笑う姫様。

 しかし師匠の気持ちに応えるとは一体……具体的に聞こうとしたその瞬間、異変は起きた。

 

「きゃ! もう何よ……地震?」

 

 ズシン、と大地が軋みながら揺れた。

 

『姫様はそこに居てください。少し様子を見てきます』

 

 揺れはしたが、これは地震なんかではない。

 何か大きなものが、衝突した時に生じる揺れ方だった。

 つまり幻想郷に、隕石か何かが降ってきたという事だ。

 

 そのまま飛び出した勢いで、竹林の外に出て空から様子を探る。

 するとその原因はすぐに分かった。

 

(……あれは)

 

 妖怪の山に、蜘蛛のような大きな物体が地面を踏み荒らしながらその猛威を振るっている光景が見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「というわけで、貴女達に調査をお願いしたいんだけど……聞いてる?」

 

「聞いてるわよ、要はあのデカブツとその親玉をぶちのめせば良いのよね」

 

「なんだ、結局何時ものようにやれば良いわけだぜ」

 

「まっかせてください、師匠の師匠さん! この私がいればノープロですよノープロ! というかあの蜘蛛みたいなロボット、正直心惹かれます!」

 

 はぁ、と溜息をつく師匠。

 あの後すぐに師匠に報告をしたところ、あの蜘蛛モドキロボットは月のシロモノだという事が判明した。

 そしてそのロボットは、どうやら妖怪の山の木々や草木を枯らして荒らし回っているようだ。

 一体どんなわけがあるかはまだ分からないが、これは要するに月から幻想郷への侵略行為だ。

 早急にソレを破壊し停止させる。

 そして黒幕を突き止めて、あとは何とかすれば良いわけだ。

 

 本当は自分だけ行こうとしたのだが、心配性の師匠が助っ人を必要としたので、博麗の巫女である霊夢ちゃんのところへ急行した。

 そして霊夢ちゃんと、ついでにそこに居た魔理沙ちゃんと早苗ちゃんを助っ人として連れてきたのだが……

 

「……いっとくけど、今回のは何時ものような異変解決というわけにはいかないわよ。何しろ相手が月の連中……いや、きっとそれだけじゃないわ。だから幻想郷のルール(スペルカード)が適用されるわけがない。だから充分に気を付けて……本当に聞いてる?」

 

「うっさいわね。スペルカードがあろうがなかろうが博麗の巫女()がやる事は何一つ変わらないのよ。むしろスペルカードなんて無い方が正直やり易いわ」

 

「へへ、魔理沙様だって伊達に魔法使い名乗ってないぜ。別に命のやり取りに今更怖気付いたりしないぜ」

 

「え、お二人のその自信はどこから……? けどそれなら私だって、奇跡の力がありますから平気です!」

 

 その理屈はおかしい。

 とまぁこんな感じで、助っ人の人選を間違えたかもしれない。

 

「……もういいわ、兎に角無茶はしないで。本当は今回役立つ薬を処方したかったけど、時間がないから……」

 

「別に風邪なんて引いてないわよ」

 

「ドーピングは主義に反するからノーサンキューだぜ」

 

「あ、うち怪しいお薬はちょっと……」

 

「…………余計なお世話だったようね、さっさと行きなさいもう!」

 

 あ、師匠が拗ねてしまった。

 

『……まぁその、いってきますね師匠』

 

「…………」

 

 あら、無反応。

 これは相当拗ねてらっしゃる。

 仕方ないと、他の三人を引き連れて外を出ようとしたときだ。

 くいっと、服の裾を引っ張られた。

 

「……その、ちゃんと帰ってきてね」

 

『……えぇ、必ず』

 

 では行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「変ですねー、あの蜘蛛ロボットが居なくなってます」

 

 四人並んで幻想郷の空を飛ぶ。

 目指すは妖怪の山……なのだが、一番の手掛かりであった巨大ロボットが気が付けば影もカタチも無くなっていた。

 自分達が永遠亭で話している間に別の場所に移動したのだろうか。

 

「けどあれは山火事か? 黒煙が立ち上ってるぜ」

 

 魔理沙ちゃんの言う通り、妖怪の山からは煙が上がっていた。

 何かしらの動きか、進展があったのは間違いないだろう。

 

 不思議に思いつつも、妖怪の山に近づいていくと理由がすぐに分かった。

 

『待ってみんな、あそこ……』

 

「なんだなんだ、天狗どもが集まってるな……」

 

「それと蜘蛛ロボットの残骸らしかものが辺りに散らばってますね……」

 

 ……そうか、よく考えてみたら妖怪の山にはある妖怪が居たんだった。

 何となく察しがついて、とりあえず天狗が集まっている場所に近づく。

 

「おや、霊夢さん達ではないですか」

 

「おうブンブン丸、もしかしなくてもあの蜘蛛っぽいやつ、もう倒しちまったのか?」

 

「射命丸なんですけど……えぇ、あんな見掛け倒しの奴なんて我ら天狗にかかれば楽勝ですよ。というか、今回は天魔様がお一人で一瞬で片付けてしまったのですけど……」

 

 成る程、やはりそうなるか。

 となると、あそこにいるのはやはり……

 

「なぁ兎ども、儂も鬼じゃない……お前さん達にも事情があって、こんな事をしたというのは何となく理解できる」

 

「そ、そうなんですかぁ……あの、じゃあ見逃して」

 

「え、私助かるの?」

 

「しかしだ、其方にも事情があるように、儂にも譲れぬ事情がある。あそこを見てみろ、大きな木があるじゃろ?」

 

「「……あります」」

 

「うむ、お前さん達のせいで見事に枯れてしまったが、立派な木だった……あの木の木陰に座るとな、とても風が心地よくて、昼寝をするのに最適なんじゃ」

 

 そこには、天魔さんと、見覚えのある玉兎二匹が簀巻きにされた状態で天魔さんの説教らしきものを受けている姿があった。

 

「それとな、酒を飲む時もあの木には何度も世話になった。よく鬼神の奴と一緒に飲み明かしていたし、今度長耳の奴も連れてきて、一緒に楽しもうと思っていた……」

 

 あ、そうだったのか。

 

「……しかし、その願いも今日で潰えた。他でもないお前達の手によってな」

 

 ——そして天魔の雰囲気がガラリと変わった。

 その姿はまさしく、『妖怪』と呼ぶに相応しかった。

 

「さぁ、どうしてくれる? どうしてくれよう? 私の楽しみを奪った愚か者には何を与えるべきか。————はんっ、そんなのは決まっているよな……」

 

 それ以上は口にしなかった……が、その先どんな事を言いたいのかはこの場にいる全員が理解できただろう。

 そう、愚か者には罰を、とても単純で明確な『死』を与えるのだ。

 

『ストップです、天魔さん』

 

 ……まぁ、そんな事はさせないのだが。

 

「……お、おぉ。長耳、いつのまに来たんじゃ? もしかして心配で儂の所に来てくれたのか!? なに、この通り多少山が荒れた程度じゃよ」

 

 自分の呼び掛けに効果があったのか、いつも通りの天魔さんに……いや、逆か。

 本性を隠した、別の天魔さんに再びなったのだ。

 

「うぅむ、なんか急に頭が冷えてきたな……とりあえず此奴らをどうするべきか」

 

 既に気絶しかけている玉兎二匹を睨みつけながらそう言う天魔さん。

 

「ひえぇ……あ、あれ? そこにいるのはもしやレイセン?」

 

「え、あ、本当だ! 久しぶりレイセン、そして助けてくださいお願いします何でもするから」

 

 久しぶりの再会でいきなり助けを乞うとは、余程切迫詰まってると見える。

 確かこの二匹には名前というか、ニックネームがあった筈……確か『静蘭』と『鈴瑚』だったか。

 

「いやマジでお願いします、こっちのいつも団子ばっか食って、安全圏からただ眺めているだけの脳味噌団子バカはどうでもいいんで、私だけでも助けて下さい」

 

「いやいや、私という優秀な兎の方こそを助けて、こっちの幾らでも替えがきく役に立たない方を犠牲にするべきでしょ」

 

 そして二匹とも、『イーグルラヴィ』という月の一組織に属している兎なのだが……既に同僚の蹴落としあいが始まっている。

 ある意味で仲が良いのかもしれないが。

 

「なんじゃ、長耳の知り合いか?」

 

『まぁ、一応は』

 

 まともに話した事は少ないが、一応赤の他人というわけではない。

 

「というかなんで私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ! 今回はただ地上に別荘を作るだけだから簡単だって聞いてたのに!」

 

「あー、何も知らないって幸せ者だね静蘭。まぁ、知り過ぎてもロクな目には会わないけどさ」

 

 ……ふむ、どうやら得られそうな情報がいくつかありそうだ。

 となると尚更、この二匹を死なす訳にはいかない。

 

『天魔さん、この二匹は殺さないであげてください。代わりに良い提案があるので』

 

「む、興がそれたし、お前さんの知り合いなら殺す気はとうにないが……良い提案とは?」

 

 なに、誰も損しない提案だ。

 

「……なに、結局私らどうなるわけ?」

 

「流れ的には、打ち首獄問かな」

 

「…………」

 

 

 

 




サクサクっと進めていきたいです。


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32話

 

 

 

 

 

「気味の悪い所だな、これが本当に月に繋がってるのか?」

 

 魔理沙ちゃんがふっと言った。

 

(この通路……確か第四槐安通路だったけ。『夢』を通じて月と地上を繋ぐ精神通路。結構危険という理由でずっと昔に閉鎖されたって依姫様から聞いてたけど)

 

 どうやら危険な通路を再びこじ開けるほど、重大な事が起きているようだ。

 少なくとも、清蘭と鈴瑚はこの通路を使って来たと言っていた。

 つまり、事態を知るには此処を通らなくてはならないということだ。

 

「というかこんな通路があるなら、わざわざ何日も掛けてロケット旅行なんてしなくても良かったんじゃないかぜ?」

 

「何を言うんですか魔理沙さん、ロケット旅行は浪漫ですよ浪漫!」

 

「私にはお前の方が何言ってるかわからんぜ」

 

「お喋りはそこまでにしときなさい。何かいるわよ」

 

 霊夢ちゃんがそう言って急停止した。

 するとその声に反応をしたかのように、目の前に人影が現れた。

 

「おやおや、誰かと思えば幻想郷の巫女とその他……それに月の兎? いや、何か違う……? 貴女たち一体どんな悪夢を見ているの……って、生身? 貴女たち全員生身なの!?」

 

 いきなり現れては、勝手に驚く目の前の……おそらく『獏』だろう。

 夢の住人、夢の管理者、そして夢の支配者である獏。

 成る程、この通路を開けたのは彼女で間違いないだろう。

 

「誰だか知らんが、そこを退いてもらうぜ。私達は月の都に用があるんだ」

 

「月の都に……? もしや貴女達は」

 

 魔理沙ちゃんの言葉に、何やら納得したような表情を見せる。

 ふむ、どうやら今回の『異変』には彼女も何かしらの形で関わっているのは間違いないかもしれない。

 

「良いでしょう、貴女達のその狂夢……この『ドレミー・スイート』が処理しましょう」

 

 そして戦闘態勢に入った獏……ドレミー・スイート。

 四人を目の前にして、ここまで余裕を出せるのは、ここが夢の世界(彼女の土俵)だからであろう。

 しかし、だからといって怖気付くわけにはいかない。

 何としてもここを突破して、月の都に向かわなくてはならない……先程からそんな気がして止まないのだ。

 

「……ふっ」

 

『え、早苗ちゃん?』

 

 今まさに決戦の幕が切って落とされそうになった瞬間、早苗ちゃんが自分達三人を庇うように一歩前に出てドレミー・スイートと対峙した。

 

「……ここは私に任せて、師匠達は先に行ってください。私はあの寝間着パジャママンを食い止めます」

 

 そして事もあろうに彼女は、一人で敵の足止めをすると言ってきた。

 

「別にこれは寝間着では……というか寝間着とパジャマって同じ意味だし、どちらというとマンじゃなくてウーマンでは……」

 

「シャラップです、あまり常識に囚われていると、足下すくわれますよ?」

 

「えぇ……」

 

 そして一瞬で東風谷早苗のペースになった。

 これが彼女の強みかもしれない。

 

「そう、じゃあ頼んだわよ」

 

「マジで置いてくのか? おーい早苗、ヤバくなったらすぐ逃げるんだぜ」

 

 一方他の二人はアッサリと先に向かってしまった。

 うーん、これは早苗ちゃんの実力を信じているからと、取って良いのだろうか。

 

「師匠もほら、早く行ってください」

 

『……わかった、大丈夫だとは思うけど気を付けてね』

 

 ならば自分も彼女を信じて、背中を向けて飛び立とうとした瞬間だった。

 

「師匠、さっきは足止めと言いましたが……別に、あれを倒してしまっても構わんのでしょう?」

 

『え、あ、うん……構わないと思うけど』

 

 ……本当に信じて大丈夫なのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「行かせてしまいましたか……まぁ良いでしょう。それより随分と仲間想いなのですね。心配はせずとも、命までは取ったりはしませんよ……? 何を笑っているのですか?」

 

「おや、失礼しました。実はこういう事一度してみたかったんですよ! ほら、よくあるじゃないですか、主人公を助ける為自分を犠牲にしようとするキャラ! はー、最高にカッコいいです!」

 

「……何だかよくわかりませんが、仲間想いというのは撤回します。貴女の夢は些か願望が強すぎる……だからその夢、残さず私が食べて差し上げましょう」

 

「あ、もしかしてそれ決め台詞ですか? 気合い入ってますねー。私も何か欲しいなぁ……『月に変わってお仕置きよ』とかどうです? 少しベタ過ぎますかね?」

 

「……何なのこの巫女」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 長くも短くもない通路を進んでいくと、次第に景色が変わってきた。

 

「あーん? ようやく気味悪い場所を抜けたと思ったら、またもや気味悪い場所に出ちまったぜ」

 

「……間違いないわね、ここ月の都よ」

 

「は? そうなのか霊夢? そりゃ私は月の海しか見れなかったから、ここが月の都かどうかは知らんが……月の都ってこんな『凍った』場所なのか?」

 

 魔理沙ちゃんが疑問を持つのも無理はない。

 確かに此処は月の都だが、明らかに様子がおかしい。

 いつもなら民や兎で溢れかえっているというのに、人っ子一人居ない。

 そして都を包む空気も、ひどく冷たいものだ。

 まるで氷河期を迎え、生きる生物は全て絶滅してしまったかのような場所に変わり果てていた。

 

「何がどうなってるんだぜ? 倒すべきはずの黒幕が居ないじゃないか」

 

「……いや、そういうわけでもなさそうよ魔理沙。私の勘だとこの先に事情を知ってそうな奴がいるって囁いてるわ」

 

「相変わらずお前の勘はおかしいな。しかもよく当たるから余計にタチが悪いぜ」

 

 ……確かに霊夢ちゃんの言う通り、この先に誰かいる。

 しかもこの波長は……

 

『おや、こんな所に人間が二人? ……そして誰かと思えばレイセンではないか。久しぶりだな』

 

『えぇ、お久しぶりです『サグメ』様』

 

 やはりそうだったか。

 この独特な波長は間違いなく、サグメ様だった。

 そして彼女もまた、自身の能力によって喋る事を封じられた悲しき運命を背負っているのだ……まぁ、厳密に言えば彼女は喋れないのではなく、喋ったら色々と面倒くさいからという理由なのだが。

 

「あー、知り合いか?」

 

『知り合いというか、筆談をする同じ同志というか……』

 

『何を言うかレイセン、私達は同志を超えた友だ。ズッ友じゃないか』

 

『……そうでしたね、私達ズッ友でした。サグメ様イズマイフレンド』

 

「おい一旦やめろお前ら。筆談で会話されたらこっちが追いつけんぜ! ていうかいつも思ってたが、字を書くスピード早過ぎるだろお前」

 

 そりゃ……それなりに努力をしてきたからだ。

 

『言ってなかったっけ。私、筆談検定八段だって』

 

「何だよその検定、しかもわりと高いな」

 

『ちなみに私は九段だ。レイセンとは同じ師範のもとで学んだ学友なのだが』

 

「聞いてないぜ。というかお前は何なんだ? もしかしてお前が黒幕か?」

 

 痺れを切らしたのか、単刀直入に問い詰めようとする魔理沙ちゃん。

 そうだった、この状況で一番怪しいのはサグメ様ではないか。

 

『ふむ、黒幕? ……成る程そういうことか。道理で獏がアッサリと通したわけか』

 

「おい、一人で納得してないで質問に答えるんだぜ」

 

『そうだな、月が幻想郷に侵攻しているという点なら私は黒幕かもしれん。しかし、厳密に言えば黒幕は私ではない』

 

「言ってる意味がわからんぜ。もう少し日本語で喋ってくれないか? ここは幻想郷……じゃないが、生憎私は日本語しかしらん」

 

 魔理沙ちゃんがサグメ様とやり取りしている間、霊夢ちゃんはただ黙って事の成り行きを見守っている。

 

『理由があるという事だ。今、侵略されているのは幻想郷だけでなく、ここ月の都もそうなのだ』

 

「……月の都が侵略されてるって? 一体誰にだよ」

 

『『怨霊』……とでも言うべきかな。アレは過去何度も月に攻め込んできた事があり、その度に撃退していたのだが……今回は見事やられてしまったというわけだ。お陰で月の住人は避難を余儀なくされ、今は夢の世界にいる』

 

「……ほう、それであれか? 住処から追いやられたから、幻想郷に引っ越そうとしてるのか?」

 

『察しが良くて助かる、だから私は黒幕ではないということだ』

 

 ……まさかそんな事が。

 思っていたよりも、事態は酷いのかもしれない。

 

 月の都が敗北を余儀なくされるほどの侵略者が、この先にいるかもしれない。

 成る程、この前豊姫様が言っていた厄災の予言は、この事を指していたのか。

 

『霊夢ちゃん』

 

「わかってるわよ、その怨霊だか侵略者だかをぶっ倒せばいいわけでしょ? 別に月を救うつもりはないけど、そうしなきゃ幻想郷は月の連中によってメチャクチャされる……あぁもう、腹立つわね」

 

『すまないな幻想郷の巫女。勿論全てが終わったら何かしらの詫びはするつもりだが』

 

「そんなもん要らないわよ。これから私達はどこに向かえば良いかを教えるだけでいい」

 

『む、そうか……敵の本拠地は『静かの海』にある。レイセンに案内してもらうと良い』

 

 静かの海……まぁあれだけひらけている場所なら、拠点にするのにも相応しいのかもしれない。

 

「そう、じゃあとっとと行くわよ。魔理沙、そいつの『相手』は任せたわよ」

 

「「……はい?」」

 

 今のは誰の声だったのだろうか。

 そんな素っ頓狂な声が二つ聞こえた。

 

「はい? じゃないわよ。いくら理由があったにせよ、そいつは幻想郷侵略に関わってたんでしょ? なら一回ボコボコにしないと」

 

『ちょっと待て、その理屈はおかしい。絶対にそうではないぞ』

 

「れ、霊夢……いくら私でも戦意のない奴に攻撃するのは」

 

「いいからやりなさい」

 

「え、ちょ……いでっ! け、結界だと? おい霊夢、幾ら何でもこんな変な奴と結界の中に二人きりはやだぜ私。というかここまでするか普通!?」

 

「そんなに硬くしてないわよ。適当にそいつと弾幕ごっこでもしてれば、自然と崩壊するわ」

 

『なんて無茶苦茶な巫女だ』

 

 と、ものの数秒で結界という名の牢獄に閉じ込められた魔理沙ちゃんとサグメ様。

 

「それとも何、負けるのが怖いのかしら?」

 

「いやそういう事じゃなくてだな……あぁもうわかったよ、やれば良いんだろやれば!」

 

 何を言っても無駄という事が、魔理沙ちゃんは察しできたのだろう。

 ちぇっ、とつまらなそうに舌打ちをして、背を向けサグメ様と向き合った。

 

「さ、とっとと行くわよ」

 

『え、あ……うん』

 

 彼女はいつもこんな調子で異変解決をしているのか、少し疑問に思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「悪いな、そういう訳だから付き合ってもらうぜ」

 

「……全く、地上の人間は本当に理解不能だ」

 

「お? なんだ普通に喋れるのかお前」

 

『おっといけない、口を滑らせないようにしなくては……まぁ良いだろう、私も八意様の刺客を送り込めただけで仕事はした事になる。事が済むまでは君と戯れる事にしよう』

 

「おう、その気になったか。なら普通にやるよりも、楽しいお遊びでもしないか? スペルカードルールっていう幻想郷のお遊戯なんだが」

 

『あぁ、それなら知っている。いいだろう、付き合うとしようか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「きゃははははは! イッツルナティックタイム! 全員纏めて狂ってしまぐへぇあ!?」

 

『霊夢ちゃん霊夢ちゃん、何か居たけど……というか弾いたけど』

 

「妖精の一匹や二匹、蚊を潰すのと同じよ。それより此処は?」

 

 月の都を出ると、そこは妖精が蔓延る地獄のような場所だった。

 しかし、何故こんな場所に妖精が……?

 

『多分月の外側、もう少し進めば目的地に着くと思う』

 

「そう、なら此処の連中は私が片付けておくから、あんたは黒幕を倒しに行って」

 

『うん、任せ……て? え、私だけ行くの?』

 

 てっきり自分がこの場所を任されると思っていたのだが……

 というか異変解決は巫女の仕事なのでは?

 

「この先はあんたが一人で行って、一人で異変を解決した方が良いのよ……そう、私の勘が言ってるの」

 

 なんだその勘は。

 全くもって意味がわからない。

 

「いいから早く行きなさい。じゃないとそこら辺の妖精と一緒に撃ち落とすわよ」

 

 と、ついに脅迫までしてきた。

 ここは素直に従った方が賢明だろう。

 

『えっと、じゃあ行ってくるね』

 

「えぇ」

 

 そうして一人、妖精無双をする霊夢ちゃんを背に、自分は飛び立った。

 

 

 

 

 



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33話

 

 

 

 

 

 一体何が始まりで、どうしてこうなったのかもう自分でも分からない。

 分からないし、思い出せない。

 ただ一つだけハッキリしているのは、この身を焦がす『執念』だけ。

 

 嗚呼、もう全てが憎い。

 何が憎いのかも思い出せないから、全てを憎む。

 だって仕方がないではないか。

 もはや自分でも分からないというのに、誰も私を止めようとしない。

 誰も分かってくれない、理解してくれない。

 なんで、なんで、なんで、なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで?

 

 私はこんなにも苦しんでいる、なのに誰も助けてくれない。

 唯一私の味方だった息子ももう居ない。

 いつもそばに居た、あの子が居ない。

 どうしてだ、どうしてだっけ?

 いや、そうだった。

 アイツに殺されたからだ。

 

 許せない、許せない、許せない!

 だから私はやり返した。

 一度愛したアイツを私はこの手で殺した。

 

 けれどまだ許せない。

 私の憎しみはそれだけでは収まらない。

 じゃあ誰にぶつければ良い?

 答えは簡単だ、アイツに関わったやつ全員だ。

 

「嫦娥……あぁ嫦娥! お前だけは許さない!」

 

 嗚呼、嫦娥。

 アイツと結ばれた哀れな女神。

 私はお前が憎くて憎くて仕方がない。

 だから殺す。

 絶対に殺す。

 嫦娥、嫦娥、嫦娥、嫦娥、嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥嫦娥!

 

 この憎しみは決して消えない。

 もう消せない。

 私はもう戻れない。

 

 ……あれ、結局私はどうすれば良いのだろうか。

 まぁ良いか、私にとってこの世は既に憎むべきものだ。

 いっそのこと全て壊れてしまえば良い。

 跡形もなく、粉々に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一目で分かる。

 アレは異常だと。

 

(……まさかこんな存在がいるとは)

 

 静かの海には、たしかに黒幕らしき人物がいた。

 しかしアレはもう、人物と呼べるものだろうか。

 

 アレは既に『呪いそのもの』だ。

 何が原因かは知らないが、永い時の中で醜く歪んで成長した憎しみという『感情』が、既に手を付けられない程増長した結果がアレだろう。

 

「……だぁれ?」

 

 そして目が合って確信した。

 アレは、今の『自分』では対処できないと。

 

「嫦娥? 嫦娥なのね。 嫦娥、嫦娥、嫦娥……嫦娥ぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ——瞬間、右腕が抉られた。

 何をされただとか、そういう事ではない。

 アレはもうどうしようもなく壊れている。

 誰かが止めなくては、アレはもう止まらないのだろう。

 

 あぁ、やだなぁ……

 嫌な役目をさせるものだ。

 この場合は押し付けられたとでもいうべきか。

 

 ……しかし、本格的にこれはマズイ。

 このままでは、このままでは……

 

 

 

 

 『私』が完成してしまう。

 あぁ、やめてくれ。

 そんな『純化』され、只々純粋な『感情』を私に近づけないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 違う、嫦娥では無かった。

 そう気付いたのは、既に全てが終わった後だった。

 もう肉片にしてしまった後だった。

 

 あぁ、でも別に良いか。

 私の前に現れたという事は、私の邪魔をしに来たということだろう。

 ならば何も問題はない。

 邪魔者は消さなくてはならない。

 

「嫦娥、嫦娥はどこ……?」

 

 もう何度目だろうか。

 嫦娥を殺しに月に攻め込んだのは。

 

 しかし今回はある女神の助けもあり、いつもよりも上手くいった。

 しかし後一歩というところで、逃げられてしまった。

 女神が今追い詰めているらしいが、未だに進展がないうえに、遂には変な邪魔者まで来てしまった。

 

「いつ、いつになったら私は……」

 

 終われるの?

 そう口にしようとした瞬間だった。

 

「……あなた、どうして」

 

 気が付けばソレはそこに居た。

 薄紫の髪に、真っ赤な瞳……ソレはたしかに先程、肉片にした筈の存在だった。

 

 さっきはよく確認する前に『潰して』しまったが、格好から察するに月の兎だろうか。

 月の連中の最期の悪足掻きとして送り込まれたのか?

 というかどうやって復活した?

 何故その伽藍堂な瞳で私を見つめる?

 やめろ、まるで『観察』するように私を見るな。

 消えろ、消えろ、消えてしまえ!

 

 そうやって、疑問ごと再びソレを潰した。

 

「……なんで?」

 

 だというのに、何故ソレは何事もなかったかのようにそこに居るのだ?

 確かにその肉体を潰した筈だ。

 もしや嫦娥のように不死の肉体を持っているのだろうか。

 しかしソレからは、不死の穢れは全く感じられ……

 

「……待て、なんだお前は。一体何者だ、何故お前からは穢れが感じられない? ……いや違う、穢れそのものがお前には『無い』のか……?」

 

 あり得ない、あってはならない。

 穢れが全く、一切無い生物なんてこの世界には存在しない筈だ。

 なのに、ソレは存在している。

 

 ——ここで私はようやく、目の前のモノを敵として認識した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぁー、暇じゃな」

 

「暇ですね」

 

「暇だねぇ」

 

「ならとっとと帰りなさい。此処は暇をつぶす場所じゃないわよ」

 

「じゃあ何かい? お師匠様と鈴仙の愛の巣かい?」

 

「ば、バカなこと言ってるんじゃないわよてゐ!」

 

 私の怒号が部屋を満たす。

 

「愛の巣……とは何でしょうか?」

 

「あれじゃよ鬼神、永琳の奴は長耳の奴と体と体のぶつけ合いをしたいという事だ……ん? というか雌同士で交尾とかできたっけか?」

 

「まぁ、それなら私もしたいです。内臓が飛び出すくらい」

 

「うむ、多分お主が想像しているものは全く違うと思うぞ」

 

 もう何なのだ。

 みんなして私を弄りに来たというのなら、本当に帰ってほしい。

 できればこの世から。

 

「だ、大体こんな所で油売ってていいの? 妖怪の山メチャクチャにされたなら、色々とやる事があるでしょうに」

 

「儂がやれる事は全て終わったぞ、後は部下どもに任せておけば良い。何、荒らされたのはほんの一部分だし、新しい労働力が二匹程増えたしな。せめて山が元に戻るまではコキ使ってやるつもりじゃ」

 

「私の子たちも手伝いに出してるので、すぐに終わりますよぉ」

 

「何でそういうところだけ抜け目ないのよ……」

 

 こいつらもこいつらで、あの時よりは成長したということか。

 

「そういう永琳ちゃんは、あまり変わってませんよねぇ」

 

「え」

 

 しまった、つい声に出してしまって聞かれたようだ。

 

「そ、そんな事ないわよ。私だって色々と成長したわよ」

 

「本当ですかぁ?」

 

「本当かの?」

 

「本当かね?」

 

「何よ、そんなに信用ないの私!?」

 

 地味にショックだ。

 このバカ二人はともかく、てゐにまでそう言われたのは。

 

「だってお師匠様さ、姉御の時といい今の鈴仙といい、奥手過ぎない?」

 

「ぐっ……」

 

 ……分かっている。

 自分は臆病な性格だという事は。

 本心では前に進みたいと思っていても、今の関係を崩してしまうのではないかと怖がって、後ろへ下がってしまう。

 

「そうですよ、もっと私みたいにガツガツといっちゃいましょう」

 

「儂、お前は行き過ぎだと思うんだよね」

 

「そうさね、いつもいつも姉御は二人に対して呆れてたよ」

 

「むー、そうですかね。長耳ちゃんは何だかんだいって付き合ってくれるときもあったし……ハッ、もしや長耳ちゃんは私の事を好きだったのでは?」

 

「急に何を寝言をかましとる。長耳の奴は儂のことだけ好きだったと思うぞうん」

 

「それこそないね。姉御はいつだってあたしら兎のリーダーで、その愛情はあたしらだけに向けられてたよ」

 

「は?」

 

「はい?」

 

「何か?」

 

 気が付けばくだらないことで、くだらない争いが起きようとしていた。

 

 ……そういえば今此処にいる全員、『彼女』と関係があったモノ達だ。

 永い時を経て、こうして同じ場所に集まることができたのは、もしかして奇跡に近いのだろうか。

 

「大体さ、『長耳』とかセンス無さ過ぎない? そもそも姉御の何処が長い耳してるのさ」

 

「何を言っとるんじゃ、どう見たって長い耳じゃろあれ」

 

「そうですよー、立派なうさ耳じゃないですかぁ」

 

 気が付けば話題が少し変わってたようだ。

 確かに長耳というのは安直過ぎるかもしれないが……私はそもそも『彼女』呼びだし、他者の事をとやかく言える立場じゃないだろう。

 そう思い、特に耳に入れる必要もないと考え、軽く聞き流そうとしていた……しかし。

 

「え……? ははぁん、さてはあんたら知らないんだね」

 

「ん? 何が知らないというんじゃ?」

 

 てゐが突然、勝ち誇ったかのような表情で言い放った……耳を疑う程の事を。

 

「姉御のあの耳は本物じゃないよ、そもそも姉御はあたしのような『兎の妖怪じゃない』よ」

 

「「「……は?」」」

 

 ——その言葉に一瞬だけ思考がトんだ。

 まるで、今まで信じていたものが実は間違っていて、真実を突き付けられたかのように。

 

「……あー、どういうことだ?」

 

「どうもこうも、言葉通りさね」

 

「え? 長耳ちゃんって兎さんじゃないんですか……?」

 

 見事に他は動揺している。

 当たり前だ、私だって内心メチャクチャに動揺している。

 一瞬何時ものように、悪戯心からくる嘘か……と疑ったが、すぐにそれはないと思った。

 てゐが彼女の事で嘘をつくわけがない……その解釈はきっと間違いではないと確信できるほど、てゐもまた彼女の事を尊敬しているからだ。

 

「ち、ちょっと、どういうことよそれ!」

 

「うぉ! 落ち着いてお師匠様! 肩が潰れる……!」

 

 そして思わず、てゐを逃さないように力を込めて掴みかかってしまった。

 

「だ、だから言った通りだってば。姉御は兎の妖怪じゃないよ」

 

「じゃああの耳と尻尾はなんだったのよ! 兎じゃないっていうなら彼女は……何者なの?」

 

「そ、それは……あたしも姉御の正体は知らないよ。けれど、少なくともあたしが姉御と初めてあった時は、『耳も尻尾も無い普通の人間』の様だったんだ。だから、あの耳と尻尾は、姉御があたしら(兎たち)の事を気遣って付けてくれたものなんだって……」

 

「……なによ、それ」

 

 ——疑いもしなかった。

 確かに妖怪にしては変な奴とは感じていたが、彼女が妖怪だという事に疑問は抱かなかった。

 だって、そうでなくては彼女の存在に説明が付かないからだ。

 彼女は明らかに人間の域を超えていた、だから人外……妖怪だと信じてやまなかった。

 彼女は兎の妖怪で、それ以上でもそれ以下でもないと……

 

 けれど違う。

 てゐの話が本当なら、彼女は『最初から兎たちのリーダー役をしていた』のではなく、『途中からてゐ達兎の群れに加わった』事になる。

 

「…………あ」

 

 ——そして気が付いた。

 

『別に妖怪は必ず敵対者を襲え——』

 

『その程度の護符じゃ私は——』

 

『私の名前? ……あるよ。一回しか言わないからよく聞けよ』

 

『私はそこら辺の妖怪のように、暇な奴ではないんだけどな……まぁよく来たな小娘、今日も気が済むまで居ると良い』

 

「…………ない」

 

「ど、どうした永琳。なんか怖い顔しとるが……」

 

 今までの彼女と過ごした時間『全て』を頭の引き出しから引っ張り出して、一つ一つ確認していくと、ある事実がした。

 全くもって、考えてみれば物凄く単純だ。

 答えなんてわかりきっていた。

 そもそも、玉兎を作り出した時に気が付いていた筈だ。

 彼女の髪の毛の一部からは、兎の遺伝子が含まれておらず、結局本物の兎の遺伝子を混ぜて使った事に。

 そう、彼女は…………

 

「……言ってないのよ。彼女が『自分のことを妖怪』だって……今まで、一回も」

 

 自身が妖怪だと、宣言した事は一度も無いのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 決心が付かなかった。

 明らかに異常が起きているというのに、私はそれをどうにかしなきゃいけない筈だった……だというのに、私はできなかった。

 

 地球という惑星にとって、感情を得た人間は、もはや汚染物質を撒き散らす病原菌のようなものだった。

 本来の役目を忘れ、只々己の欲望のために命を汚し、生命を犯した。

 それを人間は『穢れ』と呼んだ。

 そう、自覚していたにも関わらず、人間は感情というモノを捨てられずにいた。

 その結果、この星は穢れに汚染され、今ではその意識はもう殆ど無い。

 そう、人間は地球という死体の上で生きる生き物になってしまった。

 本来人間は、この惑星を維持、守る為にこの星の意思によって創られたというのに、逆に守るべきものを自分達で殺してしまうなんて、何という皮肉だ。

 

 そして私もまた愚かだ。

 私の役目はそうならないように、人間を管理する事だった。

 そして感情を得た人間がどれだけ危険なのか、気付いていながら私は……私はできなかった。

 『人間を処分』する事が。

 

 そう、私もまた『感情』という菌に感染したのだ。

 

 命の重みを知ってしまった、尊さを知ってしまった。

 喜びを、悲しみを、怒りを、嘆きを、哀れみを、恐怖を……

 私は知ってしまったのだ。

 

 結果的に言えば、人間は失敗作だったのだろう。

 完成した失敗作、それが人間の正体だ。

 つまり私も例外ではないということだ。

 

 そして気が付けば、もう取り返しのつかないところまで来てしまった。

 私が悩んでいる間に、この星は死んでしまった。

 

 それを知って暫くは罪悪感に苛まされた。

 そして私は開き直った。

 嗚呼、私は一生この罪を背負って行くしかない、見届けるしかないのだと。

 

 その後私は暫く地上にその身を降ろした。

 理由はあったような、ないような。

 そんな曖昧な状態で私は気ままに地上を旅した。

 そして色んな奴に出逢ったし、色んな事があった。

 

 その中で一番の思い出といったら、ある一人の人間の娘との出会いだろうか。

 結局そいつは月に行ってしまったため、それを機に私も一度地上から離れる事にした。

 

 そうしてどれくらいだっただろうか、暫くは地上の人間達を只々黙って観察し続けた。

 時には男を、時には女を、時には英雄と呼ばれる者を、時には平凡な者を。

 実にたくさんの人間を、私は楽園からただ観察した。

 そしてある日、何の脈絡もなくこう思った。

 

『本当に自分が失敗作かどうか確かめてみよう』

 

 そうと決まれば行動は速かった。

 一度自分という存在を真っ白に、リセットして自身を封じた。

 そう、ただ『封じた』だけだ。

 あるキッカケ、条件がそろえば、全てを思い出し、取り戻してしまうだろうが、自害もできない私が『生まれ変わる』にはこれしかなかった。

 

 そして私は、月に転生した。

 地上で転生しなかったのは、楽園から地上へ私が現界する為の肉体を用意するのが、地上より月の方が簡単だったからだ。

 何の因果か、私の以前の肉体の一部を使って複製した肉体……つまり玉兎という肉体が月にあったからだ。

 私はただ、生まれたての肉体に現界すれば良いだけの話だった。

 

 そしてそこからが問題だった。

 私が失敗作かどうかを確かめるのは、至ってシンプルなやり方で判明する。

 

『感情も自我も持ち得ない真っ白な自分が、再び感情を知り全てを取り戻したら』

 

 もしそうなったら、私は失敗作。

 いつまでたっても感情を得られなかったら、私は失敗作じゃなかった。

 実にシンプルだ。

 

 ……まぁ、正直言えばこんな事するまでもなく、結果は目に見えていた。

 なのにこんな事をする気になったということは、案外失敗作という事を認められていなかったからなのかもしれない。

 

 あぁ、でもやっぱり思った通りだった。

 もう認めざるを得ないだろう。

 私は、失敗作だと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潰した。

 何回も、何回も。

 だというのにソレは私の苦労を、苦しみを嘲笑うかの如く、何事もなかったかのように何度も何度も蘇る。

 

「……何なのよ、あなた一体何なのよ」

 

 気が付けば、愚痴にも似た台詞が口から出てしまった。

 

「……嗚呼、お前さんがそんなにも私に『感情』をぶつけるからいけないんだ。お陰様で完全に『戻った』……なんだ、結局私も失敗作か」

 

 ——意外にもソレは、口で答えた。

 いや、よく見れば姿形も変わっている。

 さっきまであった筈の兎の耳はその頭から消え失せ、紫色を主体とした着物のような格好になっていた。

 身に纏う気配も、何もかもがさっきと違っていた。

 もはや別人といっても良い程だ。

 

「さて、折角だし質問に答えようか。一回しか言わないからよく聞いてくれよ?」

 

 ソレは大きく口を歪ませ、満面の笑みで答えた。

 

「私は『ニンゲン』っていうんだ」

 

 

 

 

 




まぁ、もう分かってしまった方も沢山いますでしょうが、漸く主人公の正体? が判明しました。
そして次の話で紺珠伝は終了となります。

あともう少しだけ続くのです。


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34話

 

 

 

 

「にん……げん?」

 

「そう、ニンゲンだ。分かりやすく言うならそうだな……お前達の原点? 祖先? あーいや、『アダム』って名乗った方が分かりやすいかな? 要するにこの世で一番最初に誕生したニンゲンが私だよ」

 

 一番最初、つまり人間という種は彼女から始まった……それは全人類の母でもあり、創造主ともいえる。

 しかし……まさかそんな存在が本当に?

 

「なんだ、信じてないのか? まさか本気で人間が猿から進化した生き物だとでも? 私からすればあり得ない話だな、だって猿の原点は確か……二百四十五番目に創られて、人間……つまり私は丁度五百番目に創られた。似てるかもしれないけど全く違う生き物だよ」

 

 まるで実際に見てきたかのように語る。

 何だかそれが不気味だった。

 

「……創られたって、誰に?」

 

「ん、誰ってそりゃ……あそこに堂々といるじゃないか」

 

 そう言って彼女は指を指す……その方向には、青々しく輝く『地球』があった。

 

「まぁあれはもう殆ど死んでいるようなものだけど。……何処かで聞いたことない? 『地球も生物』だって唱えた……ガイア説だっけ? あれは強ち間違いでもない。強いて言うなら『生物だった』が正解だけど」

 

 何がおかしいのか、クツクツと笑う。

 その笑いがどこか、自傷しているようにも聞こえた。

 

「……それなら、どうしてあなたのような存在が兎の真似事を?」

 

「なに、こっちにも色々と事情があってな。あと兎の格好するの、意外と好きなんだよね……あれ、そういえば耳と尻尾消しちゃったかな? いかんいかん、つい舞い上がって戻りすぎたか」

 

 そう言って、私が瞬きをする間に彼女の頭部にはいつのまにか兎の耳が生えていた。

 

「どう? やっぱりこっちの方が似合ってる? この耳もう私のトレードマークみたいなものだしなうん」

 

 ハッキリ言って、和風な服装に兎の耳は余りにも奇抜だった。

 しかし妙な事に、それが似合っている。

 

「……あーいや、すまないな。初対面の相手に少しシツコイし喋りすぎたか。許してくれ、久し振りに思いっきり喋れる機会だったんで、テンションが有頂天だった」

 

 すると突然、我に返ったかのように振る舞い始めた。

 その様子は、まだ情緒が安定していない子どものように見えた。

 

「話を戻そうか。私は月の都を侵略しようとしている奴を止めに来たんだ。つまりあんた……えっと?」

 

「……『純狐』」

 

 何故正直に名を名乗ったのだろうか、私は。

 

「そうか純狐ね……私の事は好きに呼んでくれていいよ。あだ名なら腐る程貰ってるからね……今なら『優曇華』がオススメかな。今の所一人しか呼んでないし」

 

 全くもってどうでも良い情報だ。

 本当に何なのだコイツは。

 得体の知れない恐怖が、私に纏わりつき始める。

 

「一応聞いておくけど、今すぐ止める気は?」

 

「ない! 私は絶対に許さない……私の大事なものを奪った奴を! だから私は復讐する!」

 

「……そうか、なら仕方ないな。じゃああと一つだけ聞かせてくれ……純狐、お前さんの復讐とやらは、本当にまだ『続いている』もの?」

 

「何を当たり前のことを……まだ私の復讐は……」

 

 終わっていない。

 そう言うはずだったのに、一瞬だけ私の口はそれを躊躇った。

 

「……私の、復讐は……? だって、あれ? あの子を殺したアイツはもう死んで………………あぁでも、まだ。アイツに関わった奴らが残ってる……だから、全員殺さなくちゃいけないのね。それを邪魔しようとする奴も、みんな、みんな!」

 

「……成る程、これは重症だ。ちょっと自信ないなこれは……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼女、純狐はもう手遅れだ。

 本人も後戻りできないし、周りもそれを止めるのは不可能に近い。

 既に彼女本来の人格は完全に消えているか、もう塵に等しいだろう。

 何が彼女をそうさせたのか、どうしてこんな風になるまでに至ったのか、それは私の知ることではない。

 彼女は最早、呪いそのものだ。

 しかも最悪な事に、間違った方向へ呪いが進行している。

 

 おそらく彼女が最初に抱いた『憎悪』、その原因は既に取り除かれている。

 にも関わらず、彼女の憎悪は、感情は歯止めが効かず、もう独り歩きしてしまっている。

 きっと彼女の復讐は虚しいものだったのだろう。

 復讐を果たしても、その心に空いてしまった空洞は埋まる事はなく、代わりに行き場をなくした憎悪がそこに巣くってしまった。

 そして永い年月を重ねて、段々とその憎悪は広がっていき、彼女を蝕んだ。

 その結果が今の彼女だ。

 

 モノで例えるなら、延々とループする線路を走り続ける『ブレーキが壊れた列車』だろうか。

 しかも燃料は尽きる事はなく、無限に補給される。

 それを止める事は、最早誰にもできない。

 

 

 

 

 できないが、手助けするぐらいは可能だ。

 

 線路が無限に続くのなら、別の線路を作って繋げて、ループから出してやれば良い(復讐以外の生きる道を照らしてあげる)

 

 ブレーキが壊れているのなら、修理してやれば良い(心の支えになってあげる)

 

 燃料が尽きないのなら、その補給源を断てば良い(その憎悪を切除してあげる)

 

 どれだけの時間が掛かるか分からないが、この三つを誰かがしてあげれば……そしてまだ『純狐』という存在が塵ひとつ、欠片でもその列車に乗車しているのなら、助けられる。

 

「悪いな小娘(師匠)、約束は守るが、少し遅れるかもしれん」

 

 きっと、顔を真っ赤にして怒って、泣き出すんだろう。

 どれだけ経とうが、やはりあいつは小娘のままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あん? 輝夜じゃないか。こんな所で何してんだ?」

 

「あら、もこたん。ちょっとした散歩よ」

 

「もこたん言うな、大体お前が散歩とか……明日は雨か」

 

「失礼ね、人を天気予報みたいに扱って……ていうかそんなに私のイメージじゃないの? 私は本来アウトドア派なんだけど」

 

 竹林を散策していると、妹紅に出会った。

 

「それにしてもだ。本当にただの散歩か?」

 

「何でそんな疑うのよ。まぁ……散歩なのは間違いないけど、どっちかというと散歩するしかないというか」

 

「? 何だよそりゃ」

 

 私の曖昧な返答に、首をかしげる妹紅。

 

「……今永遠亭には居られないというか、見てられないというか」

 

「…………あぁ、そういう事。まだ落ち込んでるのか、薬師」

 

 どうやら察したようだ。

 

「最近は全然部屋から出てこないのよね……多分変な罪悪感でも抱いてるんでしょうけど」

 

「て言ってもさ、まだ一ヶ月なんだろ? そんなに心配することないと思うけど」

 

「『まだ』じゃないわよ。『もう』一ヶ月よ。それに考えても見なさいよ、好意を寄せてる相手、しかも常に隣にいてくれたのが、急に音沙汰が無くなって帰ってこない……これで何とも思わない方が極少数だと思うけど」

 

「そういうもんなのかね……そんなに酷いのか?」

 

「そりゃもう。意気消沈とかもうそういうレベルじゃなくて、心ここに在らずって感じね」

 

 それだけ永琳が彼女……鈴仙の事をどう思っていたかが読み取れる。

 しかし肝心の鈴仙が、『帰ってこない』のだ。

 一ヶ月前、幻想郷が月の都に侵略されかけ、その月の都も何者かに侵略されかけたという異変の日から。

 

 鈴仙以外のメンバーは帰ってきた。

 今回の異変の関係者らしき人物も引き連れて。

 

「博麗の巫女の話によると、異変の黒幕の所へ一人で向かわせたんだったんだよな?」

 

「えぇ、しかもその理由聞いても『そうしろって私の勘が言ってたから』としか言わないし……永琳があんなに怒ったの初めて見たわ」

 

 そして遂には自ら月の都に向かおうとする永琳だったが、上手くはいかなかった。

 いや、正確には収穫がなかっただろう。

 他の面々が連れ帰った獏や、片翼の月の賢者、あと今現在天狗たちにこき使われてる玉兎二匹の情報や力を借りて永琳は単身月の都へ向かった。

 そして月の都の住人は全て夢の世界から戻り、月の都は元通りになっていた。

 つまり侵略……異変は既に解決していた。

 

 永琳は元教え子の、綿月姉妹、月の使者の力も借りて、鈴仙の捜索にあたった。

 しかし結果は悲惨。

 鈴仙の影どころか、痕跡すらも掴めないまま、時だけが過ぎていった。

 

「勿論、幻想郷中みんなで探したが居なかった……となるとやっぱり鈴仙ちゃんは……」

 

「その先、永琳の前では絶対に言わないでよ。死ぬほど殺されるわよ」

 

「うーん、死ぬのは歓迎だが、せめて死ぬ理由は選びたいなぁ……」

 

 ここで会話が一度途切れる。

 特に用もないし、この辺で世間話を終えようと、妹紅に別れを告げようとした時だった。

 

「なんだ、そんなに怒ってるのか師匠は?」

 

 そんな声が聞こえたので、再び会話がスタートした。

 

「怒ってるというか、落ち込んでるのよ。あんな永琳見るの初めてよ本当……」

 

「部屋に引きこもるとか相当だよなぁ……私も一時期似たような事あったけど、どんなに辛くても死ねないから滅茶苦茶精神にくるんだよねぇ」

 

「そりゃ悪い事したなぁ、けど約束は破る気はないし、何とか許してもらえないですかね? こっちにも色々と事情があったわけですし」

 

 声は背後からする。

 ちょうど横に並んでいる私と妹紅の背後だ。

 

「いやいや、まず恋する乙女の心を傷つけた時点で重罪よ重罪。もう土下座くらいじゃ許されないわね。『私の身体好きにして』とかそのくらいしないと」

 

「いや、薬師って乙女っていうほどの年齢なのか……?」

 

「馬鹿ね、永琳はああ見えて子どもっぽいところとかあるわよ」

 

「あぁ、確かに。案外好きな食べ物でも食べさせてやれば機嫌直すかも」

 

 いや、流石にそこまで単純ではないだろう。

 

「何なら今日の夕飯は豪華にしましょうか。勿論姫様の好きな物も沢山用意して」

 

「本当? それは楽しみだわ」

 

「えぇ、良かったらもこたんもどうぞ」

 

「だからもこたん言うなし……ていうかマジでいいの? 私は遠慮しないタイプだぞ」

 

 それはみんな知ってると思う。

 妹紅は平然とすき焼きの肉だけを掻っ攫っていくような人間だ。

 というか、相変わらずお人好しというか、見境いなしというか。

 

「ではお先に、暗くなる前に帰ってくるんですよ」

 

「はーい」

 

 そんな事言われなくても分かっている。

 全く、私だって子どもではないというのに……

 

「…………あれ」

 

「どうしたの妹紅」

 

 突然妹紅が間抜けな声をあげた。

 

「なぁ輝夜……今の声、誰だ?」

 

「………………え?」

 

 そう言われて、私の身体は反射運動をした。

 バッと後ろを振り向く。

 

 しかし、そこには誰も居なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が間違っていたのだろうか。

 いや、誰も間違ってはいない。

 ただ、私はまた迷ったのだ。

 もう二度と迷わないと決めたというのに、また迷ってしまった。

 また本音を隠して、自分の弱さを隠した。

 その結果がこれだ。

 

 本当は行って欲しくなかった。

 以前の都市伝説異変で、月のオカルトボールが混じっていた事に気付いてから、今回の黒幕の正体は予想できていた。

 そして異変の経緯も、何となく掴めていた。

 危険な相手だと分かっていた。

 

 だから貴女は行かないで、ここで私と一緒にいて。

 他はどうだっていい、貴女さえいれば私はそれで良い。

 けど貴女が居ないのなら、意味がない。

 ——その本音を私は隠した。

 怖かったのだ。

 その本音をぶつけて、もし拒絶でもされたらと思うと、吐き気すら込み上げてくる。

 要するに私は逃げたのだ。

 自分の恐怖心から。

 

 そして私は、また大事なものを失う。

 

「————? ここは?」

 

 気が付けば見知らぬ風景。

 この広いようで狭い幻想郷で見知らぬ風景を見ると言うことは、端っこの端っこ、誰も開拓していない辺境の地という事だ。

 どうしてこんな所に、と疑問をもったが、すぐに理解した。

 何もする気がおきず、部屋に篭ってばかりの生活に嫌気がさして、少し散歩しようと外に出たんだった。

 しかしこんな場所に無意識で来てしまうとは、余程今の私は精神的にきてるらしい。

 

「——————!」

 

 そして当然な事だが、人の手が入っていない場所には獣や野良妖怪がいる。

 そんな場所にノコノコとやってきた私は間抜けな餌でしかない。

 既に私の周りには、四足獣の妖怪の群れが集まっていた。

 

 ……この程度の妖怪なら、追い払うくらい造作もない。

 しかしどうしたことだろうか。

 その気すらもおきてこない。

 むしろこのまま無惨に引き裂かれて、一度死んだ方がスッキリするのではないか。

 全く馬鹿な考え方だ。

 自分で自分が嫌になる。

 そうやって楽になろうと、また私は逃げようとする。

 

 もう、何もかもがどうでも良い。

 このまま全て忘れ、虚無に還りたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ——痛みがこない。

 いくら不死でも痛覚は感じる筈だ。

 理性のカケラもない獣が、餌を前にして襲わないわけがないのだが……

 

「起きろ、寝坊助」

 

「づっっ!?」

 

 と思いきや、額に鋭い痛みが走った。

 いわゆるデコピンとやらをされたのだろう。

 しかし誰がそんな事を。

 

「……………………うそ、よ」

 

「嘘じゃないよ。まだ寝惚けてるのか?」

 

 いや嘘だ。

 これは夢だ。

 だってこんなにも……こんなにも都合の良いことがあるわけない。

 

「違う、違う違う! これは……現実じゃない」

 

「いや、紛れも無い現実だよ。醜くて酷い現実さ」

 

 やめて。

 

「ゆ、夢よ……だって、だって」

 

「夢からはもう覚めたろ? 何ならもう一発やっとくか?」

 

 やめて、やめて!

 

「こ、来ないで……お願い、私に近づかないで。でないと私、もうこの夢から出られない」

 

「そうか、じゃあ私はここで待ってるからお前から来い……『小娘』」

 

 ——意識が揺れた。

 あまりにも懐かしくて、愛おしかったその声で呼ばれた私のあだ名。

 それだけでもう頭は真っ白だった。

 

「あ、あぁ……」

 

 動けない。

 今すぐこの場から立ち去って、都合の良いこの夢から覚めるべきなのに、私の身体は一ミリも動かない。

 まだこの夢を見ていたい、その本音が私の理性を抑えつける。

 

「……お前は何も間違っちゃいないよ」

 

「え……?」

 

「お前はまだ『子ども』のままだ。だから迷ってもいいし、悩んでもいい。その本性を他者に見られまいと隠してもいい。けど無理に大人ぶって、自分だけで何とかしようとするのはまだ無理だ」

 

 諭すように、優しく語り掛ける。

 

「だからさ、今は自分に正直になるだけで良いんだよ。それが出来て初めてお前は小娘じゃなくなるんだ」

 

 ——自分に、正直に……

 

「…………私は」

 

 分かっているだろう。

 今、どうすべきかを。

 

 怖がるな。

 怖がったままでは、いつまで経っても子どものままだ。

 

「……私ね、今二度目の恋をしてるの」

 

「そうか」

 

「好きなの、他はどうだって良いって思えるくらい」

 

「そうか」

 

「その娘はいっつも無表情で、喋らなくて、お節介で、優しくて、厳しくて……そんな彼女が好きだった」

 

「そうか」

 

「……けどね、どうやら私忘れられてないみたい。一度目の恋の相手を……もしかしたら、二度目の相手に恋をしたのは、一度目の相手を重ねてたからかもしれない」

 

「そうか」

 

「おかしな話よね、一度目と二度目の相手、容姿以外は全く正反対なのに重ねてたなんて……」

 

「そうだな」

 

「うん、けど納得はできたわ……だって、二度目の恋なんて本当はしてなかった。私の恋はずっと、一度目を繰り返していただけだったんだもの」

 

「そうだな」

 

 ——そこまで言って、ようやく身体が動いた。

 思い切り地を蹴り上げ、私は前へ進む。

 そして抱きとめられた感触をその身に感じてから、私は本音を曝け出す。

 

「私、貴女が『好き』です」

 

「……そうか、光栄な事だ」

 

 

 

 



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35話

 

 

 

 

 

 霧雨魔理沙は今驚愕に満ちている。

 いや、きっと私だけじゃなく、一部を除いたこの場にいる全員が同じ気持ちだろう。

 

 現在博麗神社で何度目かもわからない宴会が行われている。

 今更ながら、以前の異変の解決祝いを込めた宴会だ。

 何故一ヶ月も前の異変の祝杯を今しているのか、その理由は黒幕のもとへ向かった鈴仙が帰ってこなかったからだ。

 そして今それを行なっているということは、鈴仙が帰って来たということでもある。

 実際、鈴仙は今回の異変の黒幕らしき人物を二人連れて幻想郷に帰ってきた。

 

 それだけならまぁ、めでたい事で終わるのだが……

 

「どうした魔理ちゃん、そんなに私を見つめて」

 

「い、いや……なんでもないぜ。というか魔理ちゃんはやめてくれ」

 

 しかし、それだけではなかった。

 

 なんと鈴仙が喋っている。

 あの鈴仙が、口を使って喋っているのだ。

 しかも常に死んでいたその瞳も、光を帯びて生き生きとしてるし、常に無表情だったその表情はしっかりと喜怒哀楽を示している。

 ついでに色々と部位が成長している。

 兎の耳は相変わらずだが、その服装は天魔や鬼神母神と似たような変わった着物姿になっている。

 

 一言で言ってしまえば、鈴仙は別人のように変わった。

 そう、それが驚愕の理由……ではない。

 

 確かにその事実も驚愕に値するものだ。

 しかし我々が本当に驚愕している理由は別にある。

 

「……そんなに私を見つめても、背は伸びないぞ?」

 

「ち、違うわ!」

 

 別に身長を羨ましがっていたわけではない。

 ……確かにまぁ、もう少し背は欲しいのだが。

 

「そうなの? ……あぁ、大丈夫だよ。まだ成長期じゃないか、きっと大きくなるよ」

 

「おい、何故私の胸部を見つめて言うんだぜ」

 

 ——とまぁ、真の驚愕の理由はこれだ。

 

 以前の鈴仙は、無口かつ無表情でも、他者への気遣いだったり、優しさを全面的に出していた。

 しかし今の鈴仙はどうだろうか、先程から他者を揶揄ったり、冗談や地味な皮肉だったりを飛ばしてくる。

 

 さっきは別人のように、と言ったが……本当に別人なんじゃないかと言うくらいの変わりようだった。

 以前の鈴仙と今の鈴仙、そのギャップの差が私たちが驚愕している理由なのだ。

 一体行方不明の間に何があったというのか。

 

「なに、私も子どもから大人になったというべきか。誰だって成長すれば性格の一つや二つ変わるものだろ?」

 

「お前は変わり過ぎだと思うが……」

 

「そう? そういう魔理沙ちゃんもそうだと思うけど。昔は泣き虫で、人見知りで、臆病な子どもが今では立派な家出魔法少女じゃないか」

 

「分かった、この話は終わりにしよう」

 

 痛い所を突かれそうになった。

 

「おっと、つまみがきれそうだな。魔理沙ちゃんもまだ飲むだろ? 何か追加をパパッと作ってくるから待ってな」

 

「お、おう。助かるぜ……」

 

 ……前言撤回だ。

 鈴仙は確かに変わったが、お節介とか気遣いの在り方は何も変わっていない。

 言うなれば、今まで『ただ優しかった』のが、『少し意地悪な優しさ』に変わっただけだ。

 それが良い事なのか悪い事なのかは私には分からないが。

 

「……けどまぁ、今の方があいつにとっても楽しいのかね」

 

 私からすれば、言葉も話せない、笑う事も泣くこともできないのは相当辛いと思う。

 それが出来るようになったのなら、それは喜ばしい事なのではないか。

 

「のぉ長耳ぃ、こっちもつまみが足りないんじゃが……というかなんだ、喋らない遊びはもう止めたのか?」

 

「うふふ、長耳ちゃんもこっちで一緒に飲みましょうよぉ」

 

「えぇい、離れろ酔っ払いども。私は見ての通り忙しいんだ」

 

 そして腰にしがみ付いた妖怪二匹を引きずりながら、鈴仙は神社の厨房へと向かっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果的に言えば、異変の黒幕は純狐だけではなかった。

 そもそも、月の都が逃げ惑うしかなかった理由としては、生命力溢れる妖精に攻め込まれたからだ。

 しかし仙霊の純狐が大量の妖精を用意出来るツテがある訳がなく、必然的に協力者がいるはずだった。

 

 何日か時間をかけて、ようやく純狐の処置を終えた私はすぐさまもう一人の黒幕を探した。

 そして見つけた。

 そいつは夢の世界にいた。

 その正体は、女神だった。

 

 

 

 

「いたいた、やっと見つけた」

 

「……あなたは? 月の兎……じゃないわね。何者か知らないけど、ここに来たってことは、もしかしてあの純狐を倒したの?」

 

 女神は驚愕を露わにする。

 

「ん、倒したってわけじゃないけど、大人しくはさせたよ。今は安全な場所で療養させてるから、あとは残った黒幕をしょっぴいて終わりってわけさ」

 

 今更話し合いで解決するとは思えない。

 霊夢ちゃんの真似をするわけではないが、ここはもう手を出した方が賢明だろう。

 

「……私の部下の妖精達も気が付けば一匹も居ない、そして純狐の進行もいつのまにか止まっている。となれば、今回も失敗というわけか……全く、月の連中もこんな隠し球を持ってたなんて」

 

「そう気を落としなさんな、次はきっといけるさ」

 

「え、そこ応援するところなの? 私を止めにきたんでしょあなたは」

 

 そりゃごもっともだ。

 

「なに、応援するのは別に悪いことではないだろ。それより自己紹介といこうか、私はニン…………いや、今更これで名乗っていくのも恥ずかしいなうん。改めて私は鈴仙……鈴仙・優曇華・イナバっていうんだ」

 

「変な名前ね」

 

「私もそう思うが、まぁ好きに呼んでくれ」

 

 どうせこの名前も私にとってはあだ名みたいなものだ。

 今更気にする必要もない。

 

「名乗られたからには名乗り返さないとね。私は『ヘカーティア・ラピスラズリ』見ての通り、三つの世界の女神よ」

 

 女神ヘカーティアは、そう言って己の背後に三つの球体を出現させた。

 

「ふむ、やっぱりそういう類の奴だったか」

 

「あら、神様に向かって失礼な物言いね」

 

 ヘカーティアはそう言うが、その表情と口調から怒っている様子はなかった。

 

「すまんな、白状すると私は『神様』っていう存在が『嫌いなんだ』」

 

 私がそう言うと、少し興味深そうに態度を示すヘカーティア。

 

「それは残念ね。昔に神から天罰でも食らったのかしら? 逆恨みでもしてるの?」

 

「いや、別に嫌いとは言ったけど、憎いわけじゃない。ただ可哀想な連中だなって思ってるだけさ」

 

「……可哀想?」

 

 私の返答が意外だったのか、顔をしかめた。

 

「元々この世界に神なんて居なかった。元を辿れば神っていうのは、人間が生み出した幻想に過ぎない。『こうであれ』、『こうなって欲しい』、そんな人間の抱いた幻想が形になって生まれたのが神様って奴だ。言うなれば神は人間が作った存在だ、人間は神の生みの親だ。それなのに『自分は人間達よりも偉い』って、信じて疑わないのが何だか可哀想だなって……本当はそんな神様を想うだけで創造できる力を持つ人間の方が偉いのに…………あぁいや、すまない。悪く言うつもりは無かったんだ。神だって同じ世界に生きる存在だ。そこに誰が偉いだとかは関係ないもんな」

 

 いかん、つい喋り過ぎてしまった。

 私にとって神は、人間にとって都合の良い道具にされているだけだと感じてしまうのだ。

 それを疑いも抗いもせずにいる神が、何だかとても愛おしいだけなのだ。

 なので、幻想郷でも何度か神を見かけたが、無意識のうちにその感情を露わにしてしまったことが多々ある。

 今度お詫びにでも行こうかな。

 

「……まるで見てきたかのように言うのね」

 

「あぁ、見てきたよ。人間の都合で勝手に創造され、人間の都合で勝手に忘れ去られる連中を何度もね」

 

「そう、確かにそれは可哀想って思うわね……けど私からしたら、あなたもそうなんじゃないかって思うのだけど。あなた、妖怪でも人間でもないでしょ」

 

「え、よしてくれよ。確かに毛色は違うかもしれないけど、私も立派なニンゲンだよ……まぁ確かに解釈の仕方によっては、神格化される立ち位置なのかもしれないけどさ」

 

 私はニンゲン、それ以上でもそれ以下でもないのだ。

 

「あなた、面白いわね。気に入ったわ、私と友達にならない? 今のところ友人が純狐しか居ないから、寂しいのよ」

 

「うーん、友人になったら投降してくれるかい?」

 

「いえ、私に勝てたら友人になってあげるわ。つまり月への侵略を止めて欲しいなら、私から勝利をもぎ取ってみなさい!」

 

「それ私にメリットなくない?」

 

 まぁ良いか。

 いきなり勝負に持ち込もうとする輩は知り合いにいるし、慣れていないわけじゃない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「とまぁこういうわけで、私と鈴仙は友人になったのさ」

 

「へぇー……長耳ちゃん、私には最近構ってくれないのに、ヘカーティアさんとは随分楽しんでたんですね…………ずるいです」

 

「お前は昔散々相手してやったろ……まぁ気が向いたらまた付き合ってやるよ」

 

「ほ、本当ですね!? 言質とりましたよ、嘘ついたら許しませんよ!? 嘘ついたら針千本飲ませて四肢をもぎ取りますよ!」

 

 それ、針千本飲ませる意味は果たしてあるのだろうか。

 

「なぁなぁ、それより長耳。お前さん長耳じゃないって本当か?」

 

「は? いきなり何を……あぁ、あの悪戯兎か。今思えばアイツだけは私の正体知ってたしな」

 

 それに今のヘカーティアの話で流石に勘付いただろう。

 

「……別に好きに呼べば良いよ。お前達のしたいようにすれば良い」

 

「む、そうか? 今更呼び名変えるのもなんだしな……助かるよ長耳。それよりつまみがもう無いんじゃが」

 

 ……あれだけ追加を用意したというのに、こいつは遠慮を知らないのだろうか。

 

「ほら、私の分やるから今度はゆっくり食べろよ? いいなゆっくりだぞ、フリじゃないからな」

 

 と言ってはみたが、どうせ数分たらずでまた食い尽くすのだろう。

 何を隠そう、意外かもしれないが天魔(こいつ)はわりと大食いキャラなのだ。

 

 さて、つまみは無くなったがお酒はまだある。

 せっかく用意したのだから、全て飲み干す勢いでいかなくては。

 

「お、いい飲みっぷり! ほら純狐も鈴仙に負けるな。力勝負で勝てないのなら、こういう勝負で勝っとかないと友人とは言えないぞ」

 

 既に酔いが回り始めているヘカーティアは、隣にチョコンと座って静かにお酒を楽しんでいる純狐の背中をバシバシと叩く。

 

「……言ってる意味がわからないわよヘカーティア。それに私と……う、『うどんちゃん』はそんな事しなくても友達だし」

 

「……恥ずかしいなら無理して呼ばなくてもいいぞ? というか私が適当に言ったのを真面目に受け取ってるし」

 

 ——純狐は救えた。

 その身には既に呪いはなく、本来の人格に戻り始めている。

 もう少しリハビリが必要かもしれないが、この分ならもう問題はないだろう。

 ヘカーティアの方も一応月の民……嫦娥に恨みはあるらしいが、必ずというほどのものではないらしい。

 今回もただ気まぐれに、純狐の手助けをしただけと本人は言っていた。

 

「おめでとう、こうして予言された厄災は人間達の手により退けられたのであった」

 

「? 急に何を言っとるんじゃ長耳、ボケか?」

 

 失礼なやつだ。

 確かにこの世で一番の年上は私なのだが、私は憎たらしいほどいたって健康だ。

 

「それよかさっきから違和感があったんじゃが……今日永琳の奴は来てないのか? いつもお前さんに引っ付いてるというのに」

 

「あぁ、あいつなら後先考えずに勢いで言ってしまった自らの発言に対して、羞恥に囚われているところだからまた部屋に閉じこもってるよ」

 

 因みに悪戯兎(てゐ)にも顔を合わせに行ったら、驚きと歓喜のあまりか失神してしまったため、現在療養中だ。

 

「というかみんな私に対しての反応酷くないか? 霊夢ちゃん以外の連中が殆ど『誰だお前』とか、『前の方が良かった』みたいな反応するんだが……」

 

「それは自業自得というやつですよ。ほら、本性を隠して偽り続けるからそうなるんですよ長耳ちゃん……嘘はいけませんよ嘘は」

 

「……別に隠してたわけでも、嘘をついていたわけでもないさ。ただ、『アレ』も私の一面に過ぎないというか、どっちかというとあっちの方が————」

 

「? 何か言いましたか?」

 

「————いや、なんでもないさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれ、ここはどこだろう。

 一瞬そう思ったが、すぐに理解できた。

 どこも何も、ここは自分の部屋じゃないか。

 見慣れた光景、見慣れた内装。

 そして見慣れた自分。

 何も変わらない、何もおかしな事なんて無い。

 けれどこの違和感は何だろうか……

 そもそも私は自室で何をしていたんだっけか?

 どうして部屋の真ん中で何をするわけでもなく、私は立ち尽くしているのだろうか。

 

 部屋の戸からは綺麗な赤とオレンジ色が漏れ出し、明かりのついていない筈の部屋を少しだけ明るく照らす。

 多分今は夕暮れなのだろう。

 まさか朝からずっと部屋でぼけっとしていたのだろうか。

 いや、流石にそんなわけはないか。

 暇なら暇で、何かしらの暇つぶしをしている筈だ。

 となると私は今の今まで何をしていたのか、疑問に思うがいくら頭をひねっても答えは出てこない。

 

 ……けどまぁ、別にどうでも良いか。

 こうして部屋に差し込む夕日が魅せる景色は、見慣れた部屋を少しだけ変えてくれる。

 それがとても新鮮で、美しい。

 可能なら、このまま時間を止めてこの光景をいつまでも楽しんでいたいくらいだ。

 

 ————耳を澄ませば虫の音も聞こえてくる。

 いつもは雑音にしか聞こえない筈が、不思議と今はその音色が心地よい。

 外から聞こえてくる風の音、草木が揺れる音、様々な環境音が私を刺激してくれる。

 まるで自然の合唱だ。

 そんなよく分からない感想を抱くほど、私は何故か満ち足りている。

 

 意識がまどろんでいくなか、私は部屋の床に大の字になって倒れ伏した。

 別に眠たいとか、疲れたというわけではない。

 単にこうした方が、今の状況がより気持ち良く感じれるのではないかと思ったからだ。

 そしてそれは正解だったようで、床から見上げる天井は夕日のお陰でより幻想的に見えた。

 

 ————このまま溶ろけてしまうのではないか、そう感じるほど心地が良い。

 いっそのこと眠りについてしまおうか、そう思った瞬間、部屋の戸が静かに開いた。

 

「……あ、れ?」

 

 上体を少しだけ起こして、部屋の戸を確認するとそこには誰かが立っていた。

 はて、何処かで見たような。

 その薄紫色の髪に、綺麗な真紅の瞳、私は彼女を知っている筈だ……しかし頭がうまく動かない。

 

 そしてその誰かは、私が何か言う前に、何かをする前にこちらに静かに歩み寄ってきた。

 

「…………」

 

「きゃっ! ……え、え?」

 

 そして私の前まで来ると、何も言わずに倒れかかってきて、私の上に覆いかぶさってきた。

 完全に馬乗りの状態だ。

 そして圧迫されている筈の身体からは、痛みなどは出なかった。

 しかし、この状況では何もできなくされた。

 乗っかった誰かは、そんなに重いわけでもないのに、不思議と退かそうとしても力が入らなかった。

 まるで私の意思が反しているかのように。

 

「え、あぅ? ……う、うどんげ?」

 

 ————ここでやっと思い出した。

 誰かではなく、間違いなく私の知っている彼女だった。

 その無表情ながらも、伽藍な瞳には力強いものを感じさせる。

 もう何十年も一緒に暮らしてきた家族じゃないか。

 しかし疑問なのは、何故彼女がこんな事をするかということ。

 こんな事をされる覚えはないと考えていると、彼女の手が私の頬に触れた。

 

「うどんげ……?」

 

 その触れた手にはどんな意味があるのか。

 再び名前を呼んで反応を確かめようとするが、残念ながら答えは返ってこない。

 ……けどまぁ、嫌ではない。

 低体温の私の頬に触れた彼女の手は、とても暖かく感じた。

 

「んっ……」

 

 そのまま数回頬を撫でられると、その手は徐々に下へ下がっていく。

 頬から首筋に、首筋から胸に、胸からお腹……お腹からさらにその下へ。

 突然、そんな場所を触られては変な声の一つや二つ出してしまうというもの。

 

 そして、たったそれだけのことで私の身体は熱を帯びた。

 まるで全身の血液が沸騰でもしてお湯になったようだ。

 内側から発せられる熱に私は少し息苦しさを感じる。

 心臓が破裂する勢いで鼓動しているのを感じる。

 その熱が私の意識と理性を犯していくのを感じる。

 彼女の手から伝わる熱が、さらに私の身体を熱くするのを感じる。

 

「…………っ!」

 

 もはや言語という声は出せなかった。

 出せるのは呼吸の音と、吐息だけ。

 

 もう何も分からない。

 何も考えられない。

 それだけ思考が鈍っているというのに、意識だけがまだ残ってる。

 

「…………あ」

 

 ぼやける視界の中で、彼女の姿だけはハッキリ見えた。

 彼女はただじっと、私の顔を見つめていた。

 それがとても恥ずかしくて、目を背けたいのに、私の顔と視線は動かなかった。

 

「あっ……なに、を」

 

 困惑と羞恥で、もはや涙が出そうなくらい動揺していると、突然彼女が私の腕を優しく掴んだ。

 その理由を知りたくて、一生懸命に声を捻り出すが、意味は無かった。

 

 そして彼女は掴んだ私の手を、自らの胸に押し当てる。

 

「—————!?」

 

 これ以上熱くはならないと思っていた身体が、さらに熱くなる。

 お湯どころではなく、もう溶岩の中にいるのではないか、そう感じるほどの熱さ。

 そして私の右手からは、柔らかな肉の塊の感触と、彼女の心臓の鼓動が伝わってくる。

 

「…………小娘」

 

 そして彼女の声が、私を呼ぶ声がする。

 気が付けば彼女の姿は、さっきとは少し変化していた。

 光を帯びたその赤い瞳は、さらに力強く、私を逃さないとばかりに見つめている。

 

 ————そして、その顔を私の顔へ近づけていく。

 考えるまでもない、このままいけば、俗に言う接吻をしてしまうということに。

 私はそれを拒否するか、受け入れるか、ただそれだけの話。

 

 

 

 

 当然、私は…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、ここで目が覚めた。

 

「………………ふぐぅ」

 

 なんて、なんて夢を見たのだろうか。

 事もあろうに彼女と……その、色々しそうになる夢なんて。

 もはや羞恥は上限を超え、思わず涙が出た。

 

「あぁぁぁぁぁ……」

 

 誰がいるわけでもないというのに、トマトのようになっているであろう自身の顔を隠そうと、布団を頭から被る。

 

 ————ウドンゲは彼女だった。

 その事実は既に受け入れてる。

 案外すんなり受け止められたのは、心のどこかで同一人物として捉えていたのか、そう願っていたからか。

 どっちかは分からないが、別にこの際どっちでも良い。

 問題なのは……

 

「うぅ、どうしてあんな事言ったのよぉ」

 

 思わず、感極まって、血迷って……その理由を探れば該当するものはいずれ分かるが、問題は人生で一番恥ずかしい事をしでかしたということ。

 ……確かに私は彼女のことを、その……好きだ。

 しかしあの場面でいきなり告白をするのは、どう考えても速……いや、場違いだ。

 もっとシチュエーションとか、まずは友達から始めるとか、交換日記をするとか色々と順序が……とかでもなく、そんな事いきなり言われては彼女だって困るだろう。

 何より、私が一番恥ずかしい。

 折角彼女とまた近くにいれるというのに、あの一件のせいで顔を合わせられない。

 しかもよくよく考えてみれば、今までの数々の失態を知らず知らずのうちに彼女の前で……

 

「…………顔、洗わなきゃ」

 

 もう、いいや。

 今更悶絶しても過去には戻れない。

 ならば気にしていても仕方のないことだ。

 今は過去よりも未来を考えるべきだ。

 とりあえず火照った顔を冷やすため、洗面所へ向かうことにしよう。

 

 

 

 

「あ」

 

 部屋から洗面所へ、洗面所から部屋へ戻ろうとしたら、夜の縁側に彼女がいた。

 私があげた煙管を片手に、縁側に腰を掛けてそこに居た。

 確か博麗神社に行っていたはずだが、もう戻ってきたようだ。

 

 ……どうしよう、この後私はどうすれば良いのか。

 気軽に挨拶?

 それともかつての事を反省して謝る?

 

「どうした小娘、そんな所で突っ立って……隣、空いてるぞ?」

 

「え、あ……うん」

 

 どうするべきか悩んでいると、彼女からそう言われ、大人しく隣に座った。

 チラリと横目に彼女の顔を覗き見る……

 

「ッ……!」

 

 するとようやく冷えた身体が、また熱くなってくる。

 彼女の顔を見ただけで、さっき見た夢と勢い余った告白の事を思い出してしまい、死にたいほど恥ずかしいのだ。

 

「…………」

 

「…………」

 

 そして静寂、聞こえてくるのは風の音と虫の音だけ。

 このまま時だけが流れるのか、けれどそれもそれで良いものかもしれないと思った。

 

「……一応弁解しておくが、騙してたわけじゃないからな」

 

「え?」

 

 すると静寂を破った彼女の口からはそんな言葉が。

 

「正直、お前とまた会う気は無かったよ。本当に偶然なんだ、私が幻想郷に来たのも、そしてお前やアイツらと再会したのも……あの日、あの時、お前とは今生の別れにするつもりだった」

 

 彼女はまるで何かを懺悔するかのように語る。

 

「……因果なものだ。月にはもうお前は居ないってことも知ってたから、わざわざ月に転生したというのに。存外、記憶を封じたとしても、実のところお前に会いに地上に降り立とうとしたのかもな、鈴仙()は」

 

 彼女はクツクツと笑う。

 

「だからなんだ、許せ小娘。今まで別にお前を馬鹿にしてたとかそんなんじゃないからな」

 

 そして彼女は私の頭を軽くポフポフと叩く。

 ————その態度が、なんだかムカッときてしまった。

 

「ダメ、絶対に許さないわ」

 

 私はハッキリとそう言った。

 彼女は私の言葉が意外だったのか、目をパチクリとさせる。

 

「……だから、これから私が言うお願いに応えてくれたら、許してあげる」

 

「お願い?」

 

 これはチャンスだ。

 今まであえて触れてこなかったが、この機会にそれを改めよう。

 それに……私と彼女は、当たり前のある儀式をしてないじゃないか。

 

「自己紹介、しましょう」

 

「は?」

 

「だから、自己紹介。今まではお互いの名前を一方的に名乗るか、訊ねたりしただけだから」

 

 思えば彼女に初めて助けられたあの日も、私は小娘呼ばわりが嫌で無理やり名乗っただけだ。

 彼女の名前も、一度聞いたが何故か思い出せない。

 そんなの、私は自己紹介とは認めない。

 だから今ここでするのだ。

 

「じゃあ私からね。私は『八意永琳』、小娘じゃなくて永琳って呼んで、じゃないと許さないから」

 

「……XXじゃなかったか?」

 

「違うわ、今の私はもう『永琳』よ。そんな名前、もう捨てたわ」

 

 というか、ちゃんと私のかつての名前を覚えていたのか。

 つまり、覚えていた上で小娘呼ばわりしていたのだ。

 

「……そうか、わかったよ」

 

 次はそっちだ、そんな私の視線が通じたのか、彼女は苦笑しながら口を開いた。

 

「私は『ニンゲン』って言うんだ。好きに呼べ……『永琳』」

 

「えぇ、そうするわ」

 

 そうして私は、彼女の右肩に頭を預け、嫌いな煙の匂いを感じながら、大好きな彼女……『ウドンゲ』の感触を楽しんだ。

 

 

 

 

 




もうこれが最終回で良いんじゃないかな、と思いながら最終回に向けて執筆を始める作者です。


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東方憑依華
36話


 

 

 

 

 

「……えーと、つまり鈴仙さんは人間で、今まで兎妖怪のフリをしていたと?」

 

「ん、極端に言えばそうだな」

 

「……でも、私が知る人間はその、鈴仙さんみたいに人外ではないと思っているのですが」

 

「失礼だな文さん、私は立派なニンゲンだよ。この世で一番最初に産まれたってことと、少し器用で色々とできるってだけさ……あ、そっちに置いてある洗濯カゴ持ってきてくれない?」

 

 納得ができない、理解できないといった顔をしながら、指定したカゴを手に持って近くに置いてくれる射命丸文。

 私はすぐさまカゴから洗濯物を取り出し、丁重に竿を使って干していく。

 

「まぁ無理に理解しようとしなくていいさ。自分の世界にない知識や常識を新たに得ようとする行為は思っているよりも複雑で難しいもの……だから文さんは今まで通り私に接してくれれば良いだけの話だよ」

 

「いえ、そうしたいのは山々なんですが……鈴仙さんのキャラが変わりすぎてですね……」

 

 ふむ、接し方がわからないと。

 確かに文さんの言いたい事はわかる。

 私もある日突然アウトドア派の姫様が、『はぁ、まじかったるい。ニート万歳』とか言い出してインドア派にジョブチェンジしたらきっと困惑するだろう。

 

「仕方ない……文さん、目をつむって三秒数えて、はいスタート」

 

「えっ、あ、はい」

 

 律儀に言った通りの行動をする文さん。

 そんな素直な子には、少しだけサービスを。

 

「……三。えっと、一体この行為は……あれ」

 

『これでどうですか?』

 

 少しだけ低くなった目線で、自分は文さんを見つめながら愛用の筆談具を使用する。

 

「お、おぉ……一応元に戻れるんですね」

 

『元に戻るというか何というか……まぁ良いです。これで話しやすいでしょう?』

 

 改めて取材をさせてほしいと彼女は言った。

 そしてそれを自分は了承したのなら、しっかりと付き合ってやるべきだ。

 

「えぇ、えぇ、やはり鈴仙さんといえば、ウサ耳ブレザー姿にその無愛想で死んだ魚のような目をしていなくては」

 

『今までそんな風に思ってたので?』

 

 まぁ別に良いけど。

 

「では次は無難なものから……ずばり、鈴仙さんの好きなものは?」

 

 ……ふむ、好きなものか。

 以前の自分だったら適当に家事とか言うだろうが、こうして全てを取り戻した自分ならきっと違う答えになる。

 

『そうですね……『花』とか好きですよ』

 

「……ほほぉう、花ときましたか。少し意外ですね、鈴仙さんにもそんな少女趣味があったとは」

 

 別にそんなつもりで言ったつもりではないのだが……

 ただ単に、印象的に残っているからだ。

 あの日、あの時、名も知らぬ小さな人間から送られた花が。

 

『あとは……人間も好きですよ。大好きです、特に子どもは良いですよね、無邪気で、欲深くて、感情的で、とっても可愛いです』

 

「ふむ、鈴仙さんは歳下が好みと……それはやはりあれですか、鈴仙さんからしたら全人類が自分の子どものように見えるからとか」

 

 全人類が我が子……?

 成る程、そういう解釈もできるか。

 

『だとしたら、文さんは私の孫になりますかね』

 

「はい? 孫ですか……?」

 

『だって、妖怪は人間が産み出したようなものでしょう? それなら、妖怪は人間の子ども……そして私は人間の親。つまり私にとって妖怪は孫にあたるのでは?』

 

 もっとも、文さんはあいつから生まれた眷属のようなものなので、少し違うかもしれないが。

 

「あやや……では鈴仙さんのことはこれからお婆ちゃんとお呼びした方が?」

 

『お好きなように』

 

 単純に生まれてからの日数で言うなら、自分は誰よりも年上だ。

 お婆ちゃんと呼ばれても別に構わない。

 

「まぁ冗談はさておき……では何か嫌いなものとかはありますか?」

 

 好きなものは何かと来たんだ。

 当然嫌いなものも聞いてくるだろうと、答えは既に用意した。

 だからスラリと自分は言い放った。

 

『人間ですかね』

 

「はー、そうですか、人間がお嫌いと……あやや?」

 

 首をコテンと傾ける文さん。

 

「えっと、人間はお好きだったのでは?」

 

『えぇ、好きですよ』

 

「……でも今お嫌いとも言いませんでしたか?」

 

『えぇ、嫌いですよ』

 

 頭に疑問符を浮かべる文さんだが、別におかしなことを言ったわけではないので、そこまで真剣に考えなくても良いのだが。

 

『私は単に、人間は好きだし(嫌いだし)嫌いなだけ(好きなだけ)と言っただけですよ。人間のその在り方が、生き方が、美しさが、醜さが……それら全てをひっくるめて、抱き締めたいほど愛おしくて、消したいほど憎いだけです。ほら、例えば思春期の男の子が、好きな女の子の気を引きたくて虐めてしまう……あれと同じようなものです』

 

「あ、あやや……分かるような分からないような例えをありがとうございます」

 

 それが私の出した結論だ。

 結局私は、自らの役目を放棄した人間達が憎いのに、そんな人間達をどうしても愛してしまうのだ。

 愛故に憎む、憎む故に愛する。

 その結果が今の私だ。

 全くもって笑い話にもならないただの出来損ないだ。

 

「うぅん、何か思っていた回答ではありませんでしたがまぁ良いでしょう。ご協力ありがとうございました」

 

「おや、もう帰るのかい? どうせなら昼食でも食べていかないかい?」

 

「急に喋らないでくださいビックリします……えぇ、お気持ちだけ頂いておきますね。私これから親友達と朝まで呑み明かす予定があるので」

 

 こんな昼間から酒とは驚きだ。

 何か嫌なことでもあったのだろうか。

 

「……折角なので鈴仙さんにはお話しておきますね。実はですね、最近妖怪の山で賊が現れるようになったのです」

 

「……賊? なんでまたそんな輩が妖怪の山に?」

 

 少し気になる内容だったので、聞き返すことにした。

 妖怪の山には、あいつ……天魔がいる。

 一応あれでも中々の実力を持っているため、賊の一匹や二匹を捕まえるのにそう苦労はしないと思うのだが。

 

「そこが謎なんですよね、その賊は天狗達の自室から金目の物を盗んでいくのですが、侵入した形跡はもちろん、脱出した形跡もないのです。つまり犯人の手掛かりも証拠もなーんにも見つからないのです」

 

 確かにそれは妙だ。

 妖怪の山には白狼天狗が見回りで巡回していて、その警備の隙をついて山の中に入ったとしても、出るときも同じ事をしなくてはならない。

 だというのに、手掛かりの一つもないというのは変だ。

 もしくは犯人が相当の手練れか、妙な技を持っているか……

 

「お陰様で最近色々と忙しくて……なので久しぶりの休暇は、親友達と酒に溺れることにしました」

 

「ふむ……目撃者とかも居ないのかい?」

 

「えぇ、一応何人か犯人の顔を拝もうと、徹夜で寝ずに番をしたのですが……少し意識を失った間に、家中の金品が消えてたそうです」

 

 ……意識を失っている間か。

 

「えっと、まぁつまり何が言いたいかと言いますとね……鈴仙さんも気を付けてくださいという事です。もしかしたら鈴仙さんの所にも例の賊が来て被害に合うかもしれませんからね」

 

「あぁ、忠告ありがとう。気を付けておくよ……」

 

 わざわざ妖怪の山という危険地帯で、妖怪相手に金品を盗んでいく賊。

 一切の証拠を残さず、家主の一瞬の隙をついての犯行。

 実に鮮やかで、大胆な輩だ。

 

「ただでさえ今の幻想郷は『都市伝説』のせいで混乱しているというのに……このタイミングに乗じてやったのか、それとも」

 

 その都市伝説に関係があるのか。

 

「……まぁ良いか、私には関係のないことだし」

 

 興味深いが、私がその賊の正体を突き止め懲らしめてやる理由も道理もない。

 こういうのは、身内で解決するか、博麗の巫女の仕事だ。

 そう、飛び去っていく文さんを眺めながら思った。

 仮に私も何か被害を受けたのなら話は別だが……

 

「ねぇウドンゲ、洗濯が終わったとならちょっと手伝って……え、なんでその格好してるの?」

 

 すると小娘……永琳が縁側からひょこっと現れた。

 そしてそんな事を口に出す。

 ……あぁ、そういえば姿を戻し忘れたようだ。

 十数年ばかりこの姿だったので、つい……という奴だ。

 

「なんだ永琳、この姿の私は嫌か?」

 

「い、嫌ってわけじゃ……ただ少し懐かしいなって」

 

「そんなに久しぶりって言うほど日数は経ってないだろ」

 

 照れているのか、顔を下に向けモジモジする永琳。

 かつて私がレイセンの時に感じていたあの凛々しさは、どこに忘れてきたというのか。

 

「…………」

 

 だから、この沸き上がる感情は仕方のない事だ。

 そんな態度を取られたら、つい弄りたくなるではないか。

 

「ひゃっ!? な、なに……?」

 

 すかさず詰め寄り、壁側に追い詰める。

 両手で壁に手をつき、逃げ場をなくす。

 

「……もう薬の作り方は教えてくれないのですか? 『師匠』」

 

 そしてかつての呼び名を口に出す。

 さて、どんな反応をしてくれるのか楽しみ……

 

「…………」

 

「……おい? どうした……え、気絶してる」

 

 立ったまま気絶とは器用な事をする。

 というか何故気絶する。

 普通この程度で気絶するわけがないと思うのだが……

 

「……人間って、本当に不思議だ」

 

 とりあえず気絶させた原因として、寝床に運ぶくらいはしよう。

 ……相変わらず、彼女は軽かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 幻想郷は今や混乱状態にある。

 その原因は主に二つ。

 一つは、外の世界から幻想郷へ侵入しようとしたある少女が、パワーストーンと呼ばれるものを使って強引に外と幻想郷を繋げようとしたこと。

 もう一つは、月からの侵略行為。

 この二つの異変によって、幻想郷は大きなダメージを受けた。

 

 一見この二つには関係がないように見えて、繋がりがある。

 異変が始まる前、月が純狐からの侵略を避けようと、言霊の力を持つサグメを使って月のパワーストーンを生み出し、それを幻想郷に落とした。

 そして偶然にも、その時外の世界からのパワーストーンが幻想郷に落とされ、月のパワーストーンが混じり込んだ。

 

 その結果、オカルトボールと呼ばれるものによって外の世界の都市伝説が再現された。

 このオカルトボールの異変自体は一応解決はしたが、都市伝説が幻想郷から消えることはなく、むしろ浸透していった。

 つまり、都市伝説の異変はまだ続いている。

 博麗の巫女も解決に向けて色々と努力しているみたいだが、どうやら難儀しているようだ。

 

「あの霊夢ちゃんが手こずるなんてね……それだけ厄介な異変ってことなのかな」

 

 偶然に偶然を重ねた結果、未だ嘗てない程の大異変だ。

 博麗の巫女とはいえ、彼女もまだ子どもだ。

 もしかしたら、今回の件が彼女にとって良い刺激になるのかもしれない。

 

「本当、嫌になっちゃうわ。私の勘も何故か上手く働かないし、こうやってしらみつぶしにやってくしかないんだもの」

 

「お、噂をすれば何とやら。今晩は霊夢ちゃん」

 

「えぇ、今晩は」

 

 夜の竹林を歩いていると、博麗霊夢が何処からともなく現れた。

 

「単刀直入に聞くわね、この辺で『大きな白い物体』のオカルトを見たって情報があったんだけど、何か知らない?」

 

 そう言いながらも、彼女は真っ直ぐに私を見つめ、探るような視線で這いずり回る。

 多分というか、明らかに疑われているのだろう。

 

「うん、知ってるよ。この子(オカルト)、幻想郷に他の都市伝説につられて来たのは良いけど、上手く具現化できずにいてそのまま消えそうになってたから、可哀想で可哀想で……だから私が拾ってあげたってわけ。ほら、幻想郷には海がないから、誰もこの子の事知る事が出来ないのよ」

 

 ならば、隠す必要はない。

 ならば、知っている私がこの都市伝説を扱えば良い。

 

「あんたの事情はどうでも良いのよ。私が言いたいのは、すぐにそのオカルトを手放せってこと。オカルトボールは外の人間の仕業だって分かって消えたけど、都市伝説はむしろ浸透していっている……だから今の私にできるのは、都市伝説が悪用されないように見張ること」

 

「……そういう霊夢ちゃんも含め、何人かまだ都市伝説を所有してる輩が居ると思うけど?」

 

「私は良いのよ、悪用しないから。他の連中もまぁ……しないだろうし」

 

 成る程、実にシンプルな答えだ。

 

「じゃあ私は悪用すると? 酷いなぁ、私は善良な……善良かな? まぁ良いニンゲンだよ?」

 

「いいえ、実は私の勘がいつも言ってるのよ……その内貴女はとんでもないことをしでかすって」

 

「えぇ……」

 

 普通なら何の根拠もない言葉だと切り捨てるが、霊夢ちゃんの勘はそうはいかない。

 

 彼女は特異的な人間だ。

 常に周囲から一人『空を飛んでいる』。

 だから勘という形で、空から見下ろした光景を誰よりも早く知る事ができる。

 その勘は下手をしたら『予言』の域に近い。

 

「不吉な事を言わないでよ、まぁ忠告として受け取っておくから今日はもう帰りな。良い子はもう寝る時間だよ」

 

「子ども扱いはやめて。それと、貴女がオカルトを手放したらさっさと寝るわよ」

 

「うーん……言っとくけど、片っ端からオカルトを消したところで、この異変は解決しないと思うよ?」

 

「なに、あんた何か知ってるの? それとも黒幕?」

 

 何故すぐに黒幕認定をされなきゃいけないのだろうか。

 

「違うよ。それに私も詳しくは知らないし、知る気もない。だから一つだけ助言をしてあげる。霊夢ちゃんはいつも通り、気にくわないなーって感じた連中を叩きのめせば良いよ。そうすれば、いつのまにか異変は解決してる筈」

 

「そう、なら気にくわない奴第一号は貴女ってことで。カードは五枚、被弾は三回まで……さっさと始めるわよ」

 

「そうそう、その調子で良いよ」

 

 やはり博麗霊夢はこうでなくては。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで博麗の巫女と朝まで弾幕ごっこしてたの?」

 

「あぁ。いやはや、まさかあそこまで長引くとは……だからさ永琳、そんなに怒るな。決してお前と一緒に居るのが嫌とかじゃないからな」

 

「…………」

 

 じとーっと絡むような視線を向けられるが、全然怖くもないし、むしろこれは不貞腐れているといったものだろう。

 多分夜中に二人で晩酌をするという約束をすっぽかして、霊夢ちゃんと弾幕ごっこを楽しんでいたのが原因だろう。

 

「仕方ないだろ、あの霊夢ちゃんの波長が竹林から反応してたら、何かあったんじゃないかと思って気になるだろ? 結果的に喧嘩をふっかけられただけなんだが」

 

「ふーんだ……とか言ってわざと長引かせてたんじゃないの? 貴女は他者を弄ぶのが好きみたいだし」

 

「酷い誤解だ、私は単に他者を揶揄って滲み出る感情を楽しみたいだけでだな」

 

「同じことよっ、ふん!」

 

 うむ、完全に拗ねたようだ。

 むくれながら部屋へと戻っていく永琳。

 一応理由があったにせよ約束を破ってしまったのは事実だが、こうも拗ねられると今更何を言っても無駄だろう。

 

「ダメよ鈴仙、永琳は案外デリケートなんだから。一度割れ目ができると簡単には戻せないわよ」

 

「おや姫様、そんな事昔から知ってますよ。だから面白いんじゃないですか」

 

 もっとも、今回は本当にその気は無かったのだが……

 

「ふふ……そうらしいわね。いつか貴女と永琳の関係もじっくり聞きたいわ」

 

「えぇ、つまらない話ばかりですが、暇つぶしにはなりますからね」

 

 過去を振り返るのは嫌いではない。

 昔話でよければいくらでも聞かせるとしよう。

 

「楽しみにしてるわ……それより鈴仙、貴女都市伝説を手に入れたって本当? ちょっと見せてくれない?」

 

 ふむ、流石は好奇心旺盛の姫様だ。

 得体の知れない都市伝説の力なんて知ったことかと言わんばかりの物言いだ。

 

「別に構いませんが……そんなに面白いものではないと思いますよ?」

 

「それは私が決めることよ」

 

「確かにそうですね」

 

 なに、霊夢ちゃんとの弾幕ごっこでコツは掴んだ。

 もうこの都市伝説は完全に支配できたし、今この場で出してやっても問題はないだろう。

 

「…………これは、何というのかしらね? 白い人間?」

 

 そして私の側に現れた都市伝説を見るなり、そんな感想をこぼす姫様。

 

「外の世界では『ヒトガタ』と呼ばれる都市伝説ですね。南極だとか北極の海に現れると言われてます」

 

「ふーん、海ね……で、これから鈴仙はどうする気なの? もしかして異変に関わるつもりかしら」

 

「まさか、この都市伝説は本当にただの気まぐれで手に入れたもの。別にこれを使って何かするだとか、関わろうだなんて全く考えていませんよ」

 

 いつもの異変より少し長引いてるだけのようなものだし、私がする事は特にない筈だ。

 こういうのはやる気のある者がやれば良い。

 

『ごめんください、誰かいらっしゃいませんか?』

 

 ————すると突然、聞き慣れない声と玄関を叩く音が聞こえてきた。

 

「……あぁ、なんか面倒ごとの予感」

 

 気が乗らないまま、私は玄関へと足を運んでいく。

 

 

 

 



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37話

 

 

 

 

 

 初めて人間の『死』を間近で触れたのはいつだったか。

 初めて『死』を感じたのはいつだったか。

 初めて自らの手で人間を『処分』したのはいつだったか。

 

 自分は最初から壊れていたわけでは無い。

 少なくとも、自身の役目をしっかりと果たそうとした事はあった。

 しかし実行した時があまりにも遅かった。

 手遅れだった。

 感情という汚染が、既にこの身に浸透していた。

 

 自分の役目の一つは人間の管理。

 増やし過ぎず、減らし過ぎず人間の数を調整する。

 そして不穏分子があるのなら、それを処分する。

 言うなれば掃除屋だ。

 だから、あの時すぐに処分すれば良かったのだ。

 裁定など必要なかった。

 そうすればこんな後悔も感じる事なく、世界は、人間は幸せだっただろうに。

 

 まだ間に合う、そう信じて自分は初めて人間を処分した。

 たった一人だが、自身の役割を全うした。

 そしてたった一人目で、心が折れた。

 無理だった、これ以上は、無理だ。

 今でも覚えてる。

 あの時、訳もわからず処分される人間の顔を。

 それは恐怖、怒り、悲しみが入り混じったようなものだった。

 その顔がどうしても頭から離れない。

 

 嗚呼、何故我らが地球()は自身にこんな役目を押し付けたのか。

 何故処分の方法を、物理的手段しか与えてくれなかったのか。

 消えろ、そう念じるだけで事が済めばどれだけ良かったか。

 

 どうして、どうして、どうして。

 感情なんて余計な物を手にしたのか。

 何も感じず、何も知らなければ幸せだっただろうに。

 その手に真の永遠を掴めただろうに。

 何故人間は禁断の果実(感情)を口にしたのか。

 

 全てが上手くいってればきっと、きっと自分は……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それで、珍しいお二人が揃って何か用ですか?」

 

 客用……最近は天魔と鬼神用になりつつあった湯呑みに、茶を注いで差し出す。

 茶請けは人里で買った馴染みある羊羹だ。

 

「これはご丁寧に……ありがとうございます」

 

「こんな怪しい我らを客として迎えてくださるとは、頭が上がりませぬな」

 

 何故かしみじみと感謝を述べるこの二人。

 片方は『聖白蓮』と呼ばれる魔法使い

 もう片方は『豊聡耳神子』と呼ばれる聖人。

 どちらも比較的最近幻想郷にやってきては、異変に関係した者だ。

 尤も、そのどちらの異変にも関わってないし、直接的に対面した事はあまり無いのだが。

 

「我ら……というのは少し違いませんか? 私とあなたは、偶々目的が同じで、偶々同じタイミングで出会っただけなんですから」

 

「くくく、確かにな」

 

 ふむ、当然の事だが二人とも目的があってやって来たと……しかも同じ目的らしい。

 二人して別々のタイミングで同じ事を聞かれたりしても面倒なので、こちらとしてはありがたいが。

 

「それで、もう一度同じ事を聞いた方が良いですか?」

 

「いや失礼しました、時間を取るつもりはないのです。ただ少し、聞きたい事が一つ…………いえ、二つほどありまして」

 

 二つ。

 その言葉に、何故か聖白蓮は少し戸惑った様子を見せた。

 

「ちょっと神子さん二つってどういう事ですか?」

 

「いやなに、今しがた聞きたい事が一つ増えただけだ」

 

 と、小声で話しているが、正直丸聞こえである。

 

「何でもいいですけど、早くしてくださいね。今どうやったら拗ねた機嫌を直せるか考えるのに忙しいので」

 

 やはり無難に物で釣るべきか。

 それとも風呂で背中でも流してやろうか。

 

「それでは先ずは確認を……あなたが我ら人間の祖、原点であり、原初の人間という話は本当ですか?」

 

「あぁ、本当ですとも」

 

 何かと思えばそんなことか。

 

「信じる信じないは勝手だけどね。それで、そのニンゲンとこうして言葉を交わしてみて感想はありますか?」

 

「……そうですね、正直女性なのは意外でした。しかもその……兎の格好をするのがご趣味だとは」

 

「なに、この耳と尻尾は後付けのアクセサリーですよ。それと私が俗に言う『女性』の形をしているのは実は当たり前の事なんですよ」

 

 私の言葉に、疑問符を浮かべる二人。

 

「知ってました? 人間って最初は女の形しかしてなかったんですよ? 何せ私が元ですから。今で言う『男性』の形をした人間は、言うなれば突然変異種ですね、というか笑えますね。何で性別なんて概念を作ってしまったのか……いや、生殖行為をより効率的に行うために進化したと思うんですが…………あぁ、失敬。話がこじれましたね」

 

「い、いえ……大変貴重なお話です」

 

 この事実を慧音さんに話したらどんな反応するだろうか。

 彼女は歴史が好きみたいなので、今度人間の色々な事実を伝えてみようかと思う。

 面白そうだし。

 

「ではそれを踏まえた上で改めまして申します。我らが祖よ」

 

「もう、勿体ぶらず早く言ってくださいよ。家具の裏側に溜まるホコリの綺麗な取り方から、この世の真理まで何でも答えますよ。もちろん、私が知っている事に限りますが」

 

 折角こんな場所までやって来たのだ。

 質問の一つや二つ真面目に答えるとも。

 そんな事を思いつつ、聖人の口が開くのを待つ。

 聖白蓮の方も、私と同じように待ちの姿勢を取っていた。

 さぁ、この聖人は一体何を知りたいのか。

 

「…………何故」

 

 そしてついに、その口が開かれた。

 

「何故、人間は『死ななくては』ならないのでしょうか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ずっと不思議に思っていた。

 物心がついてすぐに疑問を感じ始めた。

 何故人間は死ぬのか……という一度は誰でも考えそうな、そんなありふれた疑問。

 大抵のものは少し考えるが、すぐに答えが出ないと分かると、そんな疑問は忘れてしまう。

 しかし私は忘れなかった。

 天才であったが故に、その疑問に対して答えを探し続けた。

 

 この大地は神々の時代から変わらず、海もまた生命を育み続けている。

 神秘的な不変だ。

 だというのに、何故人間は死ぬのか。

 不変ではなく、何故終わってしまうものなのか。

 何故そんな運命を受け入れなくてはならないのか。

 

 私は答えを求め続けた。

 そして行き着いた先が、不老不死の実現だった。

 仏教を利用し、道教による不老不死の実現を目指した。

 結果的に言えば、上手くは行かず、逆に己の寿命を縮めてしまったのが心残りだが、こうして私という存在はまだ残っている。

 ならば私のやる事は変わらない。

 

 ここ幻想郷での暮らしは悪くない。

 むしろ私が探し求めるモノ、その答えを知っているものがいるかもしれないという期待さえあった。

 だから今日はこの場所にやって来た。

 最近幻想郷に起きている異変の情報収集……という名目で、私はここに来た。

 ここ永遠亭と呼ばれる場所には、不老不死を実現させた月の民がいると聞いた。

 そして、原初の人間(アダム)なる者がいるとも……

 

 どちらのことも、話で聞いた程度だ。

 確証もなければ、信憑性もあまり無い。

 実際に会ったことも無かった。

 けれど、その答えはすぐに分かった。

 

 偶然にも聖白蓮と竹林前で出くわし、私の建前上の目的と同じという事が分かり、こうして共に永遠亭にやって来た。

 そして簡素な、何の変哲も無い玄関の戸を聖白蓮が叩いた。

 それに応じる為、我々を出迎えた『ソレ』は、直ぐに我々とは違う存在だと分かった。

 

『はいはい、どちら様? ……これはまた珍しいお客様だこと』

 

 ————その美しい真紅の瞳が、私を捉える。

 吸い込まれそうだった。

 

 そして気がつく。

 この方が、我ら人間の祖なのだと。

 

 確証なんていらない。

 他のものより人間を徹底的に観察してきた私だから気が付いたのだろう。

 人間というのは、その瞳に感情を宿している。

 そしてその在り方は、大体が同じだ。

 しかし彼女のその真紅の瞳は、普通の人間とは違いとても『純粋』だったのだ。

 しかも純粋でありながら、何処か『濁ってる』

 例えるなら、愛情と憎悪が入り混じっていているような、そんな感じの瞳。

 普通の人間には真似できない、そう思うくらい印象的な瞳だった。

 

 そして私は思った。

 この方なら、私の求める答えを知っているのではと。

 だから私は口に出した。

 何故人間は死なねばならないのかと……

 

「…………ふむ、人間が死ぬ理由? それは、何で寿命があるとかそんな話……で良いんですよね?」

 

「はい。我々人間は非力ながらも、確かな強さを持っています。だというのに、何故死の運命を覆す事が難しいのか……私はずっと疑問に思っていました」

 

 隣にいる聖白蓮が顔を俯かせるのが横目でわかった。

 彼女も彼女なりで、人間の死というものに何か感じるところがあるのだろう。

 

「……答えるのは簡単ですが、その……ショックを受けたりしても私は知りませんよ? 時に真実というものは、どんなモノよりも危険なものになりますから」

 

「覚悟の上です」

 

 不躾な質問かもしれないというのに、こちらの身を案じる彼女に私は決意を示した。

 これでもう、後戻りはできない。

 

「そうですか……ではまず、結論から言います」

 

 その言葉に、私は全神経を研ぎ澄ませる。

 一語一句逃さぬよう、耳を澄ませる。

 これまで十人の人間の話を、その内面を一度に『聞く』事ができたと言われた私が、今は一人の話を聞くためにこの耳を使う。

 

 まるで時の流れが遅くなったようだった。

 たった一秒が、何時間のように感じる。

 そしてついに、答えを知る時が来た。

 

「……『捨てたんですよ』、人間は」

 

「…………捨てた?」

 

 少し、その言葉の意味が分からなかった。

 しかし、すぐに予想はできた。

 できてしまった。

 

「えぇ、他でも無い人間達の手によって、人間はその不死性を『捨てた』。その結果人間は『死ぬ』ようになった……これが答えです」

 

「………………馬鹿な」

 

 信じられない、そんな想いが込み上げてくる。

 しかしすぐにそれを抑え込む。

 自分にとって都合の悪い事から逃げようとしては、何も得られない。

 

 そもそも彼女は捨てたと言った。

 つまり人間は本来、死の運命から逃れる術があった、もしくは死そのものが無かったという事になる。

 それを、人間は自分達で捨てたという。

 あり得ない。

 何故、人間は自ら死の運命を選んだのか。

 理解ができず、頭が混乱してくる。

 

「……もし、より詳しい真実を貴女が知りたいというのなら、私は答えましょう。しかしそれを知って、貴女がどうなるのか、どうするのか……私には関係のない事になります」

 

 ————これ以上、この先を知ったら。

 もしその結果、私が絶望をしてしまったら。

 それは自己責任だ……そう彼女は言っているのだろう。

 

「……構いません。元よりそのつもりです」

 

「……そう、じゃあ文字通り『身をもって』知ってもらいましょう。その方が分かりやすいだろうし……私の目を、見てください」

 

 そして、彼女の瞳が怪しく光る。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……これは?」

 

 豊聡耳神子が次の瞬間、視界に入れたのは美しい青空だった。

 今まで見てきた空の中で、確実に一番美しい青空……と即答してしまうくらいの、神秘的な美しさだった。

 

 太陽が温かくその身を照らし、そよ風がその身を駆け抜ける。

 草木の香りが、嗅覚を刺激する。

 今自分は、大自然の中心にいた。

 

 美しい。

 何もかもが、美しい。

 草木も、それを彩る花々も、空も大地も空気も。

 全てが初めて見る光景で、これ以上にない美しさだった。

 

『綺麗でしょう? これがかつてのこの星の姿です。まだ人間が……私が生まれて間もない頃の景色です』

 

 彼女の声がした。

 しかし姿は見えない。

 

「これが……かつての景色」

 

 となると、これは彼女が私に対して見せている幻のようなものなのだろうか。

 それにしては、やけに現実味がある。

 この視界に広がる景色も、感触も全て現実のようだ。

 

『そしてあれが……人間です』

 

 その声と共に、景色が移り変わる。

 自らの視界の先に、それはあった。

 

 それは人間だった。

 姿形は今の人間と大差ない。

 違うところと言えば、生気……いや、感情が感じられないという所だろう。

 その顔には表情は無く、まるで機械のようだった。

 

「あれが人間……?」

 

『そう、人間です。アレこそがこの母なる大地が生み出した最高傑作……つまり私の模造品。私というオリジナルから分化し、この大地を、星を豊かに繁栄させる為に生み出された知的生物』

 

 そんな彼女の声は何処か悲しそうだった。

 

『気味が悪いですか? けれどあれが本来人間が在るべき姿……感情なんて余計なものを得てしまう前の姿です。素晴らしいでしょう?』

 

 何が素晴らしいのか、私には分からない。

 しかしそうだったのか。

 人間の唯一の特徴である感情……それが実は余計な機能だったとは。

 

『けれど、もっと早くに気がつくべきだった。人間がとんでもない欠陥品だということに…………気付いた時には、もう手遅れだった』

 

 そしてまた、場面が変わる。

 視界にまず入ったのは、地獄だった。

 

 繁栄し、その数を増やしていく人間。

 それと同時に起こる人間同士の醜く、残酷な争い。

 そんな必要なんてどこにも無いのに、人間達は互いを傷つけ合う、殺し合う。

 思わず涙を流しそうだった。

 人間が争う習性を持つのは知っているが、まさかこんな大昔から始まっていた事に驚きを隠せない。

 

『これが感情を手にした人間の末路、そしてその結果人間はあるものを捨てたんです……本来寿命、老いなんて概念はなく、人間は死ぬ事は無かった。けれど人間達は互いを殺し合う事で死を知った……それを恐れたのか、人間は自然に死ねるようにしたんです。当たり前ですよね、殺されるより、自分で死んだ方が楽なんですから』

 

 だから人間は自ら不死を捨てた。

 実に単純な理由だった。

 

『そして面白い事に、不死を捨てたにも関わらず、死ぬのを恐れた人間もいました。あれですかね、失って初めて気がつくみたいな……ちなみに今で言う月の民はそれを『穢れ』って呼んでましたよ。本当に傑作ですね、捨てたものをまた拾おうと、月にまで行っちゃうだなんて』

 

 くすくす、と笑い声が聞こえる。

 

『おっと、少し喋り過ぎました。そろそろ現実に戻るとしましょうか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 意識が浮上すると、まず感じたのは息苦しさだった。

 どうやら呼吸をするのを忘れていたようだ。

 

「……大丈夫ですか? 神子さん」

 

「…………あぁ、大丈夫だとも」

 

 気が付けば現実。

 さっきまで見ていたであろう幻は、既にどこにも無かった。

 時間自体も、一分程度しか経っていないのだろう。

 しかし幻の時間は、何日も見ているような感覚だった。

 

「それで、貴女の答えは分かりましたか?」

 

「……正直、まだ混乱してますが……えぇ、納得はしました」

 

 あの光景が本物だとしたなら、答えは得られた。

 あとは、それを私がどう受け止めるのか、それだけの話だ。

 

「それは良かった。ではもう一つの質問は何ですか? お昼前には終わらせたいんですが……あ、どうせなら二人ともお昼ご一緒にどうですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何用かと思えば結局は都市伝説異変の事か。もしかして思っていたよりも今回の異変って大規模なのかね」

 

 あの二人の目的……一人は実際の目的は違うようだったが、ともかく同じ目的だったのは間違いでは無かった。

 いつまでも続く都市伝説異変、その原因が月の民にあるのではないかと考え、話を聞きに来たらしい。

 確かに都市伝説の異変には月の民も絡んでいた。

 しかし此処にいる二人は月の民とはもう関係のない者だ。

 見当違いにも程がある。

 とはいえ手掛かりが少ないこの状況なら、どんな些細な事でも気になってしまうのは仕方のないことなのだが。

 

 なので話す事は無いと、お帰りになってもらおうとしたのだが、何故かあの後スペルカード戦をする事になった。

 こちらが勝てば話をしてもらい、負ければ大人しく引き下がると……

 仮にこちらが負けたとしても、本当に永琳や姫様が話せる事は何もないのだが……そう言っても大人しく引き下がるわけがないので、仕方なく応じた。

 

「しかも二人とも都市伝説持ちとか……あぁ、慣れない事はするもんじゃないね」

 

 都市伝説を用いた弾幕は少々厄介だ。

 普通の弾幕とは違い、性質が違い過ぎるためか対処し辛いのだ。

 とはいえここで負ける方が面倒なので、わりと真剣に弾幕ごっこを行い、その甲斐あってか何とか二人相手に勝利を収めた。

 

「というわけでさ、背中でも流してよ」

 

「ど、どういうわけなのよ!?」

 

 そんな悲鳴にも似た声が、辺りに響く。

 声の主は永琳こと小娘……間違えた逆だ、小娘こと永琳。

 夕食の後、無理矢理服を脱がせ無理矢理風呂に連れてきたまでは良かったが、羞恥のせいかタオルを持って必死にその身体を隠している。

 今更何を恥ずかしがるのか、理解できない。

 

「だから今言ったろ、私はお前と姫様を守る為必死に戦った。そして勝利した……当然、その見返りがあってもおかしくないだろ?」

 

「だからそれが何で背中を流す事に繋がるのよ!?」

 

「察しが悪いな。私は人類最古の年寄りだぞ? 具体的に言うと、もっと労われ」

 

「だからどうして一緒にお風呂入らなきゃいけないのよぉ……」

 

 羞恥心が限界を超えたせいか、声をすぼめて顔を真っ赤にしてへなへなと座り込む。

 ……そんなに恥ずかしいものなのだろうか?

 

「なに座り込んでるのよ永琳、チャンスよチャンス! 今なら不意に鈴仙のどこを触っても事故で済むわ!」

 

「やらないなら代わりにあたしがやるよ。姉御、お背中流しますぜ!」

 

 そして永琳を煽る姫様と悪戯兎。

 ちなみに永遠亭の風呂場は露天風呂形式だったりするので、わりと大人数で同時に入れたりする。

 

「だ、だめぇ!」

 

「あべしっ!?」

 

 さらに石鹸片手に駆け寄ってくるてゐを、器用に、反射的に裏拳で静止させる永琳。

 そして綺麗に吹っ飛び、大きな水飛沫を上げながら親指を立てて沈んでいくてゐ。

 なんと哀れなことか……

 

「せ、背中くらい自分で洗わせなさい! 子どもじゃあるまいし……」

 

 そう言って、顔をうつむかせてブツブツと言い出す。

 

「……もう誰でも良いからさ、早く洗ってよ」

 

 このままでは風邪を引く。

 仕方なしと、自分で洗う事にして石鹸をその手に……

 

「なら儂がやってやろう。ほれ、石鹸をよこせ長耳」

 

「ん、そう? じゃあ頼むよ」

 

 その手にした石鹸を背後へ放り投げる。

 

「……は、は? な、なんでここにいるのよあなた!」

 

 再起動したであろう永琳の怒号がまた響く。

 多分今私の背後にいる天魔の事を指しているのだろう。

 

「いやなに、戸を叩いても誰も返事しないし、留守かと思えば全員で風呂に入ってるときた。これは儂も入らなければと思っただけじゃが?」

 

「その理屈はおかしいわよ! 普通にそのまま帰りなさいよ!」

 

 と、永琳の訴えを完全無視して私の背中を洗い始める。

 下手でもなければ上手でもない、そんな不器用さが感じられた。

 

「あー、永琳がのんびりしてるから鈴仙取られちゃったわよ?」

 

「やーいお師匠様の意気地なしー」

 

「う、うるさいわね!」

 

 あっちはあっちで楽しそうだ。

 この分なら永琳の拗ねも風呂上がりには収まるだろう。

 

「それで、こんな時間に何か用か?」

 

「うむ、ちっとばかしお前さんに聞きたい事があっての」

 

「……聞きたい事ね」

 

 今日はどうした事だろうか。

 訊ね人がやたら多い。

 

「いいぞ、言ってみな。背中を流してくれたお礼だ、可能な限り答えるとしよう」

 

「そうか? では単刀直入に言うが……お前か? 『犯人』は?」

 

 瞬間、背中からヒシヒシと伝わるナニか。

 この感覚は知っている。

 獲物を仕留めようと躍起になる、狩人のような圧だ。

 しかも器用な事に、向こうで騒いでる連中には悟られず、私にだけそれを向けている。

 

「……はて、犯人とは?」

 

「うむ、最近儂の山で盗みを働く輩が居てな……妙な事に尻尾を掴むことすらできん。この儂すらも欺ける盗人となれば、自ずと犯人は絞られる」

 

 ……ちょっと待て。

 まさかそんな単純な事でこいつは私のことを……

 

「ぶっちゃけ、お前さん(長耳)くらいしか思い当たらん。つまり、お前が盗人だな? そうだろ?」

 

「おい、誤解にも程があるぞ。お前の憶測は推理ですらないし、第一動機がないだろ私には」

 

 何が悲しくてこの私が盗みを働かなくてはいけないのか。

 こちとら収入ゼロの悲しいまでの状況だった永遠亭の経済状況を、コツコツと薬を売ったり畑を一から耕して作ったりして、せめて三食の飯くらいは食べさせてあげたいと頑張った功労者だ。

 今更盗みで稼ぐ必要性も、やる動機もない。

 

「なんじゃ、器用なお前の事だから盗みくらい簡単にできるかと思っていたのじゃが……違ったか?」

 

「え、やろうと思えばできるぞ? 何なら予告状でも出した上で、一分一秒遅れずに予告通りに指定した物を盗んでやるよ」

 

 方法はいくらでもある。

 姿を消すのも変装するのもやろうと思えば容易にできる。

 何なら直接手を下さずに盗むことも可能だ。

 

「…………自白か?」

 

「…………違うわ」

 

 しまった、余計な事を口に出してしまった。

 

「まぁそうじゃな。儂にはお前さんの考えを読むことも、ありばいとやらを崩すこともできん」

 

「だろ? 残念だが他を当たれ」

 

「しかしな長耳……儂、最近ストレスが溜まっていてな。山は荒らされるわ、盗みが勃発するわ……こんなにもコケにされたのはお前以外で初めてだ」

 

「え、私そんなにお前の事コケにしてた?」

 

 参った、全く覚えがない。

 

「正直に言おう、これから儂はお前さんを盗人討伐という名目で『殺しにかかる』。というかずるい、鬼神の奴とも前に遊んだんだから、儂とも遊べ長耳」

 

「お前それ単なる八つ当たりだし、後半の方が本音……ッ!」

 

 間なんてない。

 容赦なく、殺意のこもった拳が頬を掠める。

 そして拳圧で風呂場を囲う壁に立派な大穴ができた。

 

「おいやめろバカ、風呂場が壊れる」

 

「なら上でやろう。広くて邪魔が入らない空の下で」

 

 風が巻き起こる。

 高く、さらに高く風は舞い上がる。

 風は私と天魔を巻き込んで空へと上がっていく。

 

「え、ちょ、どこ行くのよあなた達!? というか服を……!?」

 

 そんな永琳の声が下から聞こえてた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁもうしつこいな。鬼神の奴みたいに一度腹わたぶちまけないと止まらないのか?」

 

「ふふん、お前さんと別れてから遊んでたわけじゃない。儂なりに色々と鍛えたからな。それと鬼神の奴みたいにバカ正直に突っ込むと思ったら大間違いじゃ……まぁあれだ、やれるものならやってみるがいい!」

 

 確かに、昔と比べてその強さは段違いだ。

 特に自前の烏羽を活かしたその速さ。

 こいつがその気になれば、こんなちっぽけな星なんて数分で一周できるだろう。

 

「ふんっ」

 

「あいたっ!」

 

 それが何かイラッときたので、その隙だらけの額にデコピンをした。

 

「ぐぐぐ……まさか儂のスピードについてくるとは。流石というか、もはや不気味としか言えんわ。ぶっちゃけ昔から気になっていたんじゃが、なんでお前さんそんなに強いんじゃ?」

 

「強い……っていうのとは少し違うな。お前が私に感じているソレは、そういう話じゃないんだ」

 

 私の言葉に疑問符を浮かべる天魔。

 もう少し説明してやった方が良いか。

 

「私はそういう風に『創られた』だけだよ。この世に生きるあらゆる生物を『裁定』し、『調定』する。そしてどんな生物であろうとその命を終わらせ、新しい『器』を用意する機能……それが私というニンゲンとしての役目なだけ」

 

「う……む? つまりどういう事じゃ?」

 

「……いや、忘れてくれ。お前に話した私がバカだった。それよりもう気は済んだか? こんなに騒いでると怖い怖い巫女さんがそろそろ来そうだから、ここいらでお開きに」

 

 しようか。

 そう言いかけた途端、霊力がこもった札が私と天魔の間を通り抜けていった。

 

「させるわけないわよ。今何時だと思ってるの? 人の神社()の真上で何騒いでるのよ。しかも全裸で……永く生きてると頭が変になっちゃうのかしら」

 

「誤解だ霊夢ちゃん、別に好きで服を着てないわけじゃない」

 

 大体こいつを相手にするなら、どうせ服なんて風の鎌鼬とかでボロボロになる。

 なら最初から何も着てない方が良い。

 

「心配するな博麗の巫女よ、少しばかり戯れてただけじゃ」

 

「あんな派手な音立てといて少しなんて言い訳……ふぁぁぁ、こんな眠くて仕方ない時にあんたらは……」

 

「? 何かやけに眠そうだけど、大丈夫か? 体調でも崩した?」

 

「うっさいわね、子ども扱いするんじゃないわよ。単に中々寝付けないだけ……あぁ、また身体が重く……」

 

 変だ。

 明らかに霊夢ちゃんの様子が変だった。

 まるで魂が抜けていくような、糸が切れそうな人形のように、身体の力が抜けていくような様子だ。

 加えて霊夢ちゃんの波長が乱れて……いや違う?

 これは乱れるというより、全く別のモノに『変化』しようとしてる。

 

「おい、霊夢ちゃん? 本当に大丈夫……」

 

 そう声をかけようとした瞬間、霊夢ちゃんの波長が消えた。

 そして、別の波長が現れたではないか。

 

「…………ん? ここはどこだ? 確か私は家で瞑想を……」

 

 霊夢ちゃんがさっきまでいた場所には、何故か藤原妹紅がいた。

 

「これは……」

 

「んー? お主いつの間にそこに居た? というか博麗の巫女はどこに行った?」

 

「………………は? なに、何か全裸の変態が二人いると思ったら、最近口が悪くなった鈴仙ちゃんとお山の大将さんじゃん。え、マジで何してるの?」

 

 事情を聞こうにもあちらの方も混乱しているご様子。

 当然と言えばそうだろう。

 彼女の言っていたことが本当なら、家で瞑想をしてたのにいつのまにか外にいて、目の前には知人が二人、しかも何も着てない産まれたままの姿でいるのだから。

 

 とりあえずそろそろ何か着よう。

 幸いにも博麗神社にはいつしかの異変の影響で温泉ができた。

 そこからタオルの一つや二つ拝借してこよう。

 流石に霊夢ちゃんの服を勝手に借りるわけにはいかないし。

 

「すまんなもこたん、こんな見苦しい格好で。ほら、お前もタオルくらい身体に巻いとけ」

 

 そう言って、タオルを天魔に投げつけた。

 

「え、あ、うん。というかもこたんは……いや、今はそれは良い。この状況を説明してくれないか?」

 

「説明って言ってもな……むしろ説明して欲しいのは私らの方なんだけど。まぁ一応言うけど、私は入浴中にこいつに襲われて応戦してただけだ」

 

「うむ、儂と長耳が楽しく遊んでいるとな、そこで博麗の巫女が介入してきたと思ったら、いつのまにか消えてお前さんが現れたんじゃ」

 

「? 巫女が居たのか? けど何処に行ったんだ? というか私はいつの間に神社に……?」

 

 うーん、ダメだ。

 どうやら誰もこの状況を理解できていないようだ。

 

「……あれ、何か急に意識が」

 

 どうしたもんかと悩んでいると、妹紅の様子が変わった。

 ちょうどさっきの霊夢ちゃんのような様子だった。

 

「…………うーん、何か意識が飛んでたわ。あれ、あんたらまだ居たの? というかそのタオルうちのじゃない、ちゃんと洗って返しなさいよね」

 

 そして、藤原妹紅は消え、博麗霊夢が現れた。

 

 

 

 




神子っさんのキャラを掴むのが一番苦労したかもしれない今日この頃


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38話

 

 

 

 

 

「なぁ長耳、良いじゃろ別に。旧友を助けると思って引き受けてくれよ」

 

「やだよ面倒くさい。大体私には全く関係のない事じゃないか」

 

 縁側でのんびりしていると、突然やって来た天魔。

 そして珍しい事に、その要件はこちらに助けを求めて来たようだった。

 

 最近、幻想郷には新しい噂ができた。

 それは『完全憑依』というもの。

 相手の肉体を乗っ取り、共生する形で憑依する現象である。

 この現象だが、実は噂が流れる前に私はそれを目撃した事がある(霊夢と妹紅の完全憑依)ので、疑ってはいないし、これが今回の都市伝説異変を利用したものであるとも理解している。

 そして驚くべき事に、以前から問題とされていた妖怪の山に出没していた盗人が、この完全憑依を起こしている者と同一人物である事を、完全憑依の異変を通して天魔は自分なりに調べ、調査して突き止めたらしい。

 

 そこは素直にすごい事だと褒めよう。

 しかしその犯人退治に私を頼るのはおかしい。

 

「大体何で私なんだよ、確か鬼神の奴を完全憑依させて、黒幕を叩きに行ったんだろ? もしかして負けたのかお前ら?」

 

「う……む。そうじゃ、儂らは負けた。勿論スペルカードルールでじゃぞ? 普通の戦いだったらあんな盗人秒殺してやるんじゃが……それでは儂の気が収まらん。奴らがスペルカードルールで勝敗を付けたいと言った、そして儂はそれに乗った上で勝たねばならないとな」

 

「けど負けたんだろ?」

 

 別に不思議な事ではない。

 スペルカードルールとはそういうもの。

 どんな実力差があろうと、スペルカードルールでは誰もが平等の土台に立たされるものだ。

 

「ぐぬぅ……最初は儂らが押してたんじゃぞ? けど気が付いたら儂は鬼神の奴と殴り合ってた。そして負けた。何を言ってるのか分からないだろうが、儂にも分からん」

 

「なんだいそりゃ」

 

 何をどうしたら憑依させてた鬼神と殴り合う展開になるのやら。

 

「別に放っておけば良いじゃないか。霊夢ちゃんとかその他大勢もその黒幕の正体を掴んだんだろ? ならその内異変は解決するってことだよ」

 

「だからそれでは儂の気が収まらんと言っておるだろ。それにぶっちゃけお前さんに憑依してみたい儂は」

 

「なんでだよ……」

 

 天魔の言いたい事も分かる。

 しかしそれとこれとは話が別だ。

 わざわざ関わる必要がないものに、理由もなしに首を突っ込む趣味は私には……

 

「ただいまー」

 

 おっと、どうやら人里へ夕飯の食材のお使いを頼んでいた姫様が戻って来たようだ。

 しかもただのお使いではない。

 なんと姫様一人による初めてのお使いなのだ。

 今まで様々な事情から外へ出る事が少なかった姫様。

 そんな彼女の、初めてのお使い。

 これは記念すべき日になるだろう。

 そして私はそれを讃えるべく、腕によりをかけて夕飯を作って……

 

「お帰りなさ……い?」

 

 しかし帰ってきた姫様は少し変だった。

 本来あるべきものがないというべきか。

 そう、姫様の手には、空っぽの買い物かごだけが握られていた。

 

「……ごめん鈴仙、預かってたお財布、落としちゃったみたい」

 

 そして残念そうに、無念そうに声を落としていく姫様。

 成る程、財布を落としてしまい買い物ができなかったのか。

 それは残念だ。

 

「良いんですよ姫様、失敗は誰にでもあるし、私も昔に財布を落とした事があります。確かにお使いを達成できなかった事は残念ですが、チャンスはまだありますし、幸いにも食材はありますから、それで美味しいものを作ってあげますよ」

 

「そうね……明日また挑戦してみるわ! ……けどお財布の事は本当にごめんなさい、ライブを観る前までは確かにあったんだけども……」

 

「……ライブ?」

 

 あぁ、そういえば今人里では、亡霊三姉妹と付喪神によるライブが開催されていたっけか。

 しかもライブは一週間くらい毎日行なっているようだ。

 私はあまり興味がなかったので、観に行った事は無かったが、好奇心旺盛の姫様の事だから夢中になっていたのだろう。

 

「ふむ、ライブか……もしかしてライブ中に一瞬意識が飛んだりせんかったか?」

 

「え、えぇ。よく分かったわね、確かにライブ中に一回だけ意識が朦朧としたような……」

 

「それでライブが終わったら、財布は無くなっていたか?」

 

 天魔の言葉に姫様は頷く。

 

「……成る程な」

 

「おい、一人で納得してないで私にも教えろ。もしかしてお前、姫様が財布を落とした理由でも知ってるのか?」

 

「知ってるも何も、それはさっき話してた盗人どもの仕業じゃよ。彼奴ら、ライブに夢中になっている観客達に片っ端から憑依して金品を盗んでいるからな。観客達が精神的に隙だらけになるから、奴等にとっては格好の狩場なんじゃろうよ」

 

「……なんだと?」

 

 つまりあれか。

 姫様の初めてのお使いが失敗したのは、そいつらのせいだと。

 

「…………よし、決めた。そのライブは明日までだった筈。つまり奴等に遭う機会は明日しかないという事だ。うん、明日が楽しみだな全く」

 

「れ、鈴仙。何か言葉じゃ表現できないような顔してるけど……」

 

「あと少し支離滅裂だぞお主」

 

 別に私は怒ってはいない。

 しかし、やられたらやり返す。

 何より姫様の成長を邪魔した事が許せん。

 あと盗んだ物は返してもらわねば……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふぅ、こんなところかしらね」

 

 博麗霊夢は一息をつく。

 

『あーやっぱり負けた。姉さんは本当にダメね』

 

「くっ……女苑、そう言う貴女が軽率に憑依交換をしたのも敗因だと思うけど?」

 

『はぁ? この期に及んで私のせいとかふざけないでよ』

 

 と、今回の完全憑依異変の黒幕達が醜い言い争いを始める。

 今ちょうど私にボコられた貧乏神の『依神紫苑』、そして私のスレイブ……つまりマスターである私に憑依中の『依神女苑』。

 スペルカード戦の最中に、貧乏神である紫苑を相手に憑依させる事で、確実に相手を負けさせるその戦法に、珍しく私は苦戦を強いられたが、紫のマスターとスレイブを逆にするという妙案でそれを攻略した。

 

『お疲れ様霊夢、後はこいつらから完全憑依の元となった都市伝説を取り上げれば一先ずは解決よ』

 

 現在紫苑のスレイブになっている紫からそんな声が。

 これでようやくこの異変も解決する。

 今までで一番長い異変だと感じたが、それなりに歯応えがあって久しぶりに楽しめたのも本音だ。

 

「あん? 何だ何だ、リベンジに来たらもう終わっちまった感じか?」

 

 するとそこに魔理沙が現れた。

 いや、魔理沙だけでなく、他にも何人か、次々とタイミングよく現れ始める。

 

『うわ、何かいっぱい来たと思ったら、全員私らに負けた負け犬どもじゃないか』

 

「……ふむ、何故博麗の巫女に其奴が憑依しているのだ?」

 

『太子様! 太子様は負け犬ではありませんぞ!』

 

 ひぃ、ふぅ、みぃ……新しく現れた連中は七人。

 しかもどうやら全員完全憑依をしているため、マスターとスレイブ、ついでに私や紫も合わせると、この場には今十八人もの人妖がいることになる。

 流石に目眩がしてくる。

 

「あーあんたら、異変の黒幕は見ての通り私が懲らしめたから、大人しく解散して」

 

 私がそういうと、不満そうな顔をする連中。

 当然といえば当然だろう。

 ここにいる全員が、一度は依神姉妹の策に敗れ、リベンジを果たしに来たのだから。

 

「それは困るなぁ霊夢ちゃん。私らはまだ其奴らに教えなきゃいけない事がある」

 

 ————するとまた新しい声。

 声がした方、つまり上空に顔を向けるとそこには……

 

「『人のモノは盗るべからず』……それを教えなきゃ私らは引き下がれんな」

 

 鈴仙がいた。

 不敵な笑顔で、まるで宣戦布告をするかのようにそういった。

 

「……あんたもリベンジに来た口かしら。けど見ての通り異変は解決よ、今日は諦めて帰りなさい」

 

『うわっ怖、あの兎の妖怪目が笑ってないよ。ちょっと姉さん、アイツに何したのよ』

 

「どっちかというと、女苑が何かしたんじゃないの。盗んだって言ってたから、ライブの観客からお金を巻き上げた被害者の中にあの兎が居たんじゃない?」

 

『えぇ……でも私あんな奴に憑依した覚えないんだけど』

 

 理由はどうあれ、ここにいる全員の目的はこの姉妹だ。

 引き渡しても良いが、そうなると面倒な事が起きて異変が長引く可能性があると私の勘が言っている。

 なので後日、各自で再戦なりなんなりして欲しいものだが……

 

「……なぁ天魔、盗人っていうのは、あそこにいるのと、霊夢ちゃんに憑依してる奴で良いんだよな」

 

『うむ、何で片方が博麗の巫女に憑依しているかは知らんが……あの二人じゃ』

 

 しかもどうやら鈴仙も完全憑依をしているらしい。

 スレイブは天狗たちの長である天魔のようだ。

 

「決まりだ、とりあえず面倒くさいから霊夢ちゃんも含めて纏めて叩くとしよう」

 

「ちょっと、何でそうなるのよ」

 

 巻き添えはごめんだ。

 さっさとこんな奴引き剥がして……

 

「……あんた、さっさと私から出て行きなさいよ」

 

『え、やだ。負けた腹いせにこのまま取り憑いてやる』

 

「女苑のそういうところ、お姉ちゃん好きよ」

 

 ……こいつら。

 

『しかもよく見たら沢山おるのぉ、祭りでも始まるのか?』

 

『うふふ、みーんなまとめて相手をするのも楽しそうですよね、天魔ちゃん、長耳ちゃん』

 

「おい、勝手に切り替わるなお前ら。マスターは私なんだから」

 

 ……今の彼女達のやり取りで、あり得ないものを見た気がした。

 彼女のスレイブは天魔な筈。

 だというのに、何故一瞬だけ鬼の頭領である鬼神も見えたのか。

 

「……まさか三人同時の完全憑依をしているのですか、我らが祖よ」

 

 すると私の代弁を聖人がしてくれた。

 

「え? あぁこれね。別にやろうと思えば誰でもできると思いますよ? 要はスレイブ達を自身の中に入れるわけですから、その居場所さえ大きければ、何人でも憑依させる事はできるってわけ」

 

 口では簡単に言う。

 しかし、実のところ完全憑依というものは思っていた以上に精神を擦り減らすものなのだ。

 何せ、スレイブ(異物)が自身の中に入ってくるのだ。

 普段とは違う感覚、異物を排除しようとする自己防衛機能を意志の力で抑える労力。

 完全憑依の後は、必ず来る嫌悪感と疲労感。

 一人憑依させただけでも結構なものだというのに、あのニンゲンはそんな事知るかと言わんばかりに、自己が強い大妖怪二匹を憑依させている。

 

「……そうだな、折角だからバトルロワイヤル形式でやろうか」

 

『おぉ、そいつは名案じゃな!』

 

『はいはーい、私先ずはあそこにいる、ピンク髪でシニョンしてる家出娘をやりたいでーす』

 

 その言葉に最近神社によく来る仙人が身体をビクリとさせる。

 そして驚くべきことに、私と紫以外の連中は既に鈴仙の提案に乗りかかろうとしている。

 確かにこれだけの人数で行うスペルカード戦はいつもと違い、刺激があるだろう。

 結局は全員リベンジというよりも、楽しみに来ただけではないか……

 

「……仕方ない、とっとと終わらせるには全員まとめてぶっ飛ばすしかないって私の勘が言ってるわ。あんたも手伝ってくれたら、少しだけ処罰を軽くしてやっても良いわよ」

 

『マジで? やるやる、博麗の巫女が味方なら怖いもの無しだ』

 

 決まりだ。

 やるからには勝つ。

 そしてその後はいつもの宴会を開くのだ。

 

 

 

 

 




え、短い?
長文はテンポの為の犠牲になったのだ……




次回で最終章に入ります。
このままテンポよく完結させていきたいです。


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東方失楽園
39話


というわけで最終章です。
本編を読まれる前に少し注意書きを見て欲しいです。

注意!
今回の章は、今までよりもシリアス成分沢山盛り込むつもりです。
また、残酷な描写や猟奇的な表現など、もしかしたら読んでいて不快に思われるかもしれません。
作者自身決してキャラをぞんざいに扱うつもりはありません。

今回のお話を執筆する上で、表現方法をどうするか結構悩みましたが、悩んだ末に今回のような方法を最終的に取りました。
読んでいて気持ちが良いものとは言えないかもですが、それでも良いという方は最後まで付き合ってくださると幸いです。
それでは本編をどうぞ。







 

 

 

 

 人間を見た。

 人間を見続けた。

 感情なんて余計なものを手にした、失敗作をそれでも見続けた。

 それがせめてもの償いになると思い込んで、それが唯一自分が出来る事だと信じて見続けた。

 

 もう自分という存在が曖昧になっている。

 だから忘れないために、この人間が生み出す悲劇の数々は自分の所為だと、自らの心を杭で打ち続ける。

 もうやめたい、楽になりたいという本心をねじ伏せ、それでも自分は人間を見続ける。

 既に思考する事しか出来ない肉の塊、動く屍。

 死ぬ事が出来ない筈の自分は、既に死んでいる。

 もはや燃え尽きた薪のように、自分の心は灰になって消えていく。

 

 これではダメだ。

 まだ自分にはやる事がある。

 自分の罪を、原罪を見届けなくては。

 だから私は『殻』を被る。

 かつてはある人間だったその魂、それを使って殻を被る。

 これで暫くは持つ。

 まだ自分を保っていられる。

 そして私は人間を見続ける。

 

 

 

 

 ある日人間に懐かれた。

 ちょっとした散歩のつもりだった。

 楽園から出て、地上(地獄)にいた時、何を血迷ったのか私はその人間の命を救ってしまった。

 やめとけばよかった、あのまま見捨てた方が正解だった。

 私に人間という失敗作を助ける義理も理由もない。

 むしろ勝手に数が減って絶滅するべきだ。

 そんな、本来なら私の役目である事を、他人任せのように述べた。

 

 けれどこれはチャンスだ。

 もし私が自分で命を救った人間、これを自分で処分する事が出来たら?

 そしたら私は失敗作ではない。

 この世界が描いた理想の生き物、ニンゲンとしての役目を果たせた事になる。

 それならばまだやり直せる。

 今回は何かの偶然で失敗作が生まれてしまっただけ、そんな話で終わらせられる。

 ……どうやら私はまだ諦められないらしい。

 

 その手を触れるだけでいい。

 無防備なその身体に触れるだけでいい。

 そんな簡単な事だ。

 

『今日も来たわよ!』

 

『だから私は小娘じゃない!』

 

『ねぇ、今日は何をしようかしら』

 

 …………簡単な事なのに、どうして壊れかけの私はそんな事も出来ないのか。

 どうして聞きたくもないその声に耳を傾けてしまうのか。

 何故こんなにも錆びついた心に響くのか。

 その理由は暫くしてから気付いた。

 嗚呼、これが楽しいという感情か。

 

 結果としては、私はチャンスを逃した。

 正直に告白すると、私はあの日々が楽しかったんだ。

 気まぐれで知恵を、器を与えた妖怪二匹と人間が一人。

 アイツらと過ごす何でもない日々が、どうしようもなく楽しかったんだ。

 できるなら終わらせたくない、このまま続けて何もかも忘れてしまいたい。

 そんな幻想を私はいつしか抱いていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかし忘れてはいけない。

 目を逸らすな。

 逃げるな。

 己の使命から背を背けるな。

 感情があるからどうしたというのだ。

 罪悪感なぞ噛み砕いてしまえ。

 この世にはそんな人間なんて山程いる。

 人間にできて、ニンゲンの私ができない道理などない。

 

 もう手遅れ?

 だからどうした。

 例えこの星が死のうと、己の使命は変わらない。

 失敗作を全て……いや、失敗作によってつまらない幻想から生まれたモノ全て、丸ごと消し去ってしまえ。

 そして新しい生命を再誕させるのだ。

 今度は失敗作なんてできないように、徹底的に管理をして。

 『私』がそれをできないと拒むのなら、代わりに『自分』がその役目を担おう。

 それが自分の唯一の存在意義なのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 目が覚めた。

 いつも通りの時間に。

 今日もいつも通りの日常が続くのだろう。

 そう思いながら起き上がろうとすると、違和感を感じた。

 ……何か、無くなっている気がした。

 己の中から、何かが……

 忘れてはいけないもの、あって当然のものが無い気がした。

 

 それに疑問を感じながらも、とりあえずいつもと同じように朝を過ごす事にした。

 先ずは朝食の支度、そして姫様と永琳を起こしに行く。

 ほら、いつも通りだ。

 二人ともいつも通りじゃないか。

 後は悪戯兎ことてゐを呼びに行って、みんなで朝食を取る。

 するとしばらくして天魔と鬼神が遊びにやってくる。

 その後は人里に行って買い物等を済ませ、後は適当にダラダラと過ごす。

 変わらない日常だ。

 今日もいつも通りの日常が過ぎていくのだ。

 

 違う

 

 何も違わない、いつもの景色。

 てゐの寝床まであと少し。

 

 違う

 

 どうせ今日も無駄な悪戯を仕掛けてくるのだろう。

 意味がないと分かっていながらそれを続けるその根性だけは認めよう。

 

 違うだろ

 

 今日はどんな悪戯なのか、少し楽しみだ。

 そして悪戯が失敗したというのに、楽しそうに笑うてゐを見て釣られて私も笑う。

 これがいつも通りのやり取り。

 

 気付いている筈だ

 

 ……だから、さっきから聞こえる声も単なる気のせいだ。

 それを証明すべく、息を整えながらてゐの寝床へ一歩、足を踏み入れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして視界には、残酷なまでに美しい『赤色』が。

 その赤色に沈むてゐの姿が。

 

「……はは、何だまだ寝てるのか? こんなに辺り一面真っ赤にしやがって、まるで血が吹き出たみたいじゃないか」

 

 よくできている。

 まるで本物みたいだ。

 

 これは本物だ

 

 これが今日の悪戯だろう。

 『死んだふり』とは今までにない悪戯だ。

 危うく騙されそうになったじゃないか。

 

 これは本物だ、本当に————

 

「おい、充分驚いたよ。今日は私の負けだ、だから早く起きろ」

 

 いくら呼びかけてもピクリともしない悪戯兎。

 仕方なしと思い、無理矢理その身体を起こしてやった。

 てゐの浮いた身体から地面に向かって滴る赤色の液体は、不気味なほど本物の血のようだった。

 

 あと数秒もしたら、『嘘だよー』と叫ぶてゐの姿が見られるのだろう。

 全く可愛い奴だ。

 

「ほら、さっさと起きて飯を……」

 

 ……だというのに、何故てゐの顔には生気がないのだろうか。

 何故てゐの身体には風穴が空いていて、そこから赤色の液体がドロドロと出てくるのだろうか。

 気のせいだ。

 朝からてゐの波長が消えて感じ取れなくなっているのも、目の前のこの景色も全て気のせいだ。

 そうじゃなかったら、これじゃあまるで、本当にてゐは……

 

 本当に死んでいる?

 

「————永琳!」

 

 嫌な予感がする。

 嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な嫌な予感が。

 

 既に冷たくなっていたてゐを抱えたまま走り出す。

 何故こんなにも動揺してしまうのか。

 『死』なんて等に見慣れたモノだ。

 なのになんで、私の心は落ち着きを無くしているのだろうか。

 

 駆け出した勢いのまま、永遠亭の玄関の戸を蹴り飛ばして開ける。

 もはや行儀良くしている場合ではない。

 

「きゃっ!? ち、ちょっと、何で戸を蹴り破って…………え、一体何を抱えて……?」

 

 するとタイミングよく永琳と出くわした。

 予想通り困惑を見せるが、今はそれに付き合ってる時間なんてない。

 

「永琳、落ち着いて聞け。今すぐここから姫様も連れ出して……」

 

 逃げよう。

 そう言いかけて、永琳の背後から何処からともなく伸びてくる物体に気が付いた。

 

「ぐっ……!」

 

 反射的に永琳を抱えて、その場から飛び退ける。

 そして物体は標的を逃し、そのまま床に突き刺さって動かなくなった。

 

「いきなり何を…………何よこれ、木の根っこ?」

 

 永琳がさっきまで自分がいた場所を見るなり、そんな事を言った。

 そう、永琳を貫こうと伸びてきた物体は、確かに木の根っこのようなものだ。

 そして私はコレに、心当たりがある。

 

「というか……てゐはどうしたの? さっきから動いてないけど大丈夫」

 

「大丈夫なものか。コイツは……もう『死んでるよ』」

 

「え……?」

 

 認めたくはない。

 しかしこれは現実だ。

 認めなくてはならないことだ。

 

「それより姫様は?」

 

「い、居間にいると思うけど……ねぇ、一体何が起きて」

 

「説明は後だ、お前は先に逃げ……いや、私から離れるな絶対にだ。じゃなきゃお前も死ぬぞ」

 

 てゐの亡骸を一度床に寝かせる。

 そして混乱している永琳の手を引っ張って居間に走って向かう。

 大丈夫、大丈夫だ。

 まだ姫様の波長はしっかりと存在していて……

 

「姫様、無事です……か」

 

 居間は既に地獄だった。

 部屋中には触手のように呻る木の根の数々。

 そして荒れた部屋の中心には、たった今その身体を貫かれたであろう姫様の姿が。

 

「……あ、ら。れいせんにえいりん。なんかね、わかんないだけど、さされちゃった。あとね……ふしぎとねむく……て」

 

 ……そして姫様の波長が消えた。

 それが姫様の最後の言葉だった。

 

「輝夜ッッッ!」

 

「よせ! ソレに近づくな!」

 

 姫様に駆け寄ろうとする永琳の肩を引っ張って、そのまま抱き抱えながら逃げるように走る。

 背後からは、永琳を狙おうと木の根が屋敷を破壊しながら追いかけてきていた。

 

「は、離して! 輝夜をあのままには……! せめて身体を回収すればすぐに修復して、生き返るわ!」

 

「違う、違うんだよ! 姫様はもう『死んだ』んだよ! 不老不死とか関係なく、アレに殺された時点でもう死ぬんだ!」

 

「何を訳の分からない事を……!」

 

 腕の中で暴れる永琳を押さえ込みながら、走る。

 てゐの亡骸の回収もこの状況では無理だろう。

 今はとにかく逃げよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「何よ……あれ」

 

 永琳がそんな言葉をこぼす。

 当然だ、永琳と私の視線の先はあるものに釘付けになっていた。

 

 それは例えるなら巨木。

 天を突き抜け果てのない宇宙まで伸びていそうなくらい、巨大な木。

 明らかに人の手にはどうにもできない、手出しすらできない力強さを感じさせる聖なる木。

 楽園(エデン)と地上を繋ぐ楔の木。

 それが幻想郷の中心に鎮座していた。

 

「……バカな」

 

 何故あの木がここにある?

 ある筈が無い。

 けれどあれば紛れも無い現実だ。

 そして間違いなく、てゐや姫様を殺した存在はアレだ。

 

「……ウドンゲ、貴女何か知ってるの?」

 

「……あれは、あの木はそうだな。名前を付けるとするなら『世界樹』ってところか。地上と楽園を繋ぐための楔であり、地上の全ての生命を虚無へと送る処刑具でもある。ありえん、何でアレが顕現してる? 私はそんな事を望んで……いや、望めなかった筈だ」

 

「ウドンゲ……?」

 

 あそこに私がかつて『夢』にみていた光景がある。

 それは果たすべき使命を果たせずにいた私が、本来するべき使命。

 

「はは、ハハハハハッ! 何だか知らないけど良かった! これで私は失敗作じゃない! ちゃんと使命を果たせているじゃないか! そう、これだよ。これで良いんだ。もっと早くにこうなるべきだったんだ! だって私はそういう存在、その為に私は……!」

 

「…………」

 

 そう、この光景は喜ぶべきものだ。

 喜んで祝福をするべきだ。

 いや違うな。

 何も感じず、淡々とその光景を眺めるべきだ。

 …………だというのに、何で。

 

「何で……こんなにも『悲しいんだ』? 教えてくれ永琳、涙が止まらないんだ」

 

 胸が苦しい。

 この胸が内側から締め付けられるこの痛み。

 この感覚は知っている。

 これは感情だ。

 

 てゐや姫様だけじゃない。

 今まさに、幻想郷中の生命の波長が次々と消えていくのが分かる。

 その現状を私は『悲しんでいる』。

 

「……ッ!」

 

 永琳は答えなかった。

 否、答えられないのだろう。

 

「…………いや、今のは忘れてくれ。ちょっと目にゴミが入っただけだった。とりあえず行こうか」

 

「……行くって、どこに?」

 

「博麗神社」

 

 どうやら博麗神社にはいくつか見知った波長が集まっている。

 おそらく避難所的な役割を果たしているのだろう。

 なのでとりあえずそこに向かうことにする。

 呑気に歩いて向かうのは悪手だろう。

 あまり好きではないがここは飛んで行くとしよう。

 

「……ねぇ」

 

「ん、何だ」

 

「まだ私はこの状況を理解しきれてないけど、何となく……貴女が関わってるのは察しがついたわ」

 

「…………そうだな」

 

 当然、あれ程までに思わせぶりに話していたのだから、そこに行き着くだろう。

 

「私、貴女と再会してからずっと勘違いしてたわ。貴女の秘密はこれで全て知ったつもりでいた。けど違うのね……貴女、まだ何か秘密があるんでしょ」

 

「あぁ、その通りだ」

 

 私の出生については確かに全て話した。

 しかし私の使命については何も話していない。

 多分怖かったのだろう。

 自らの使命を知って、どんな反応をするのか想像することが。

 その事実を目の当たりにするのが。

 

「だから……いつでも良いから、絶対に教えて。もう知らない事に私は耐えられないの」

 

「……あぁ、約束しよう」

 

 とはいえ、あと少ししたら嫌でも知る事になるだろう。

 むしろ頭の回転が早いこいつの事だ。

 薄々、気付いているのかもしれない。

 

 そんな事を話しているうちに、博麗神社が見えてきた。

 

「……ふむ、霊夢ちゃんの結界かなこれは。まぁこんな状況なら当然といえば当然だが」

 

 多分この結界で外敵から神社を守っているのだろう。

 しかしこのままでは入れない。

 仕方ないので、壊さないように丁重に侵入させてもらおう。

 

「……前から気になってたんだけど、貴女って器用よね」

 

「あーそう見える? 天魔のやつにもこの前言ったんだが、実の所私は特別強いってわけでも器用ってわけでもない。単に、『人間』という生命、そして人間が生み出した概念とかに対して無条件に介入できるというか……あれだ、ゲームで言うなら、人間という敵に大ダメージを与える能力を持ってるみたいな」

 

「よく分からない例えね……」

 

 そうこうしてるうちに結界の内側に入れた。

 

「……お、やはり無事だったか長耳」

 

「きゃー長耳ちゃん! 良かったです!」

 

「…………よぉ」

 

「ちょっと、勝手に入ってこないでよ。一声掛けてくれたら普通に通したのに」

 

 そして神社には、天魔と鬼神。

 そして霧雨魔理沙と博麗霊夢がいた。

 

「……まさかこれだけか」

 

 波長で分かってはいたが、生存者は少ないようだ。

 事態は思っている以上に深刻だ。

 

「おい鈴仙、これだけとか決めつけるなよ。まだ探せば生存者はいるかも……」

 

「いいや、『これだけ』だよ魔理沙ちゃん。今この世に生きてる知的生命体はお前らだけだ」

 

「……なんだと?」

 

 本当は伝えるべきではないが、ここで嘘を付いても意味がない。

 真実とは時に残酷だが、ここは飲み込んでもらうしかないのだ。

 

「ここに来る途中確認してみたが、この惨劇は幻想郷だけじゃない。外の世界や月の都、ありとあらゆる世界に起きている。そして残念なことに、人間の生き残りはもうここにいる三人しか居ないんだよ。博麗霊夢、霧雨魔理沙、八意永琳……お前らが最後の人類だ」

 

 

 

 

 




『月の兎は何を見て跳ねる』

『東方失楽園』

気が付いたら(最初の人間が)月の兎になっていた。
(それは己が失敗作か否かを確かめる為)そんな元人間(だと思い込んでいるニンゲン)が幻想郷で過ごして(様々な影響を与え、与えられて)いくだけのお話。


というわけで真のタイトルとあらすじでした。


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40話

書き終えた話を既に投稿したと思い込んで、間違えて保存してた最新話を消してしまうというミスをおかしてしまい、しばらくやる気がありませんでしたが何とか持ち直しました、まる。


 

 

 

 

 

「……何だよそれ、意味がわからないぜ」

 

「言葉通りだよ。幻想郷や外の世界に今を生きる人間達……それらは全て、ここにいる三人を除いて『絶滅』した」

 

「だから、それが意味がわからないっていってるんだぜ!」

 

 霧雨魔理沙の怒号が響く。

 

「お前何か知ってるのか!? この状況を理解しているのか!? 何でこんな事になったのか、何で、何で……!」

 

「魔理沙……」

 

 八つ当たりにも似た魔理沙の苛立ち。

 しかし誰も彼女の事を責めることはできないだろう。

 人間として、一番正しい反応をしているのが彼女なのだから。

 

「…………スは?」

 

 そしてさっきとはまるで違う、蚊が飛ぶくらいのか細い声で魔理沙は呟いた。

 

「……アリスは、どうなった? 朝からアイツの家に居て、気が付いたら例の木の根みたいのが襲ってきて……それでアイツは私を庇って」

 

「…………アリスさんも、魔法使いを名乗ってはいたが、根本のところは人間のままだった。つまり、今ここに居ないのならもう……」

 

「……そうか、取り乱して悪かった」

 

 尤も、てゐも殺され、人間だけじゃなく妖怪や神の波長も消えてるということは、見境なし……いや、人間だけじゃなく、人間が生み出した概念も徹底的に消しているのだろう。

 

「……紫からの連絡はないし、繋がらない。ってことは、アイツもやられたってことか。全く、お陰で『大結界』が崩れかかってもうお手上げね」

 

 珍しく、霊夢が弱音らしきものを吐いた。

 

「……つまり、儂の部下達も全滅……か。やれやれ、とっとと逃げろという忠告を無視しおってからに」

 

「…………ぐすっ」

 

 感情は伝染する。

 一人がある一つの感情に囚われると、周りもそれに引っ張られてしまう。

 

 

 

 

 

 

「まぁそう悲観するな。一応、まだ手はある」

 

 だから私が、希望の矢を突き立てる。

 

「? こんな状況で何ができるっていうのよ」

 

「こんな状況でもだ。今この場にいる全員で最後まで足掻けば、何とかできるかもしれない……具体的に言えば、この惨劇を終わらせ、散っていった連中を『生き返らせる』」

 

 その言葉に、誰もが目を見開いた。

 

「生き返らせるって……どうやってだよ。そう簡単に死者蘇生が出来るなら、人間は皆不老不死だぜ」

 

「もっともな疑問だ。だけどそれに答える前に先ずは状況理解をしてもらおうか……全員、アレの正体が気になっているところだろ?」

 

 そう言いながら、世界樹を指差す。

 

「……長耳、お主は知ってるというのか?」

 

「あぁもちろん。というか本音を言うと知りたくはなかったが……アレはな、『私』だよ」

 

 そして私は、自らの罪を告白した。

 

「…………言ってる意味がよく分からんぞ?」

 

「正確には『夢の私』だ。ほら、この前完全憑依異変の後、夢の住人が現実世界に抜け出して来た事件があっただろ?」

 

「……あれか、依神姉妹が幻想郷を駆け回って夢の住人を回収してたっていう」

 

「そうそうそれ」

 

 完全憑依。

 それは単に他者に憑依するだけのものではない。

 マスターに憑依するスレイブは、待機場所としてマスターの精神世界……即ち夢の中に待機する事になる。

 そして元から夢の中にいた『マスターの夢』は、スレイブが入ってきた事で押し出され、現実世界に出てきてしまう。

 完全憑依の唯一の副作用だ。

 その副作用は厄介な事に、現実世界で夢を再現しようとする。

 普段から抑圧された欲求や願望を、夢の住人は曝け出してしまうのだ。

 

「……ってことは、あの大木があんたの『夢』ってわけ?」

 

「そう言う事になるな。いやはや、まさかこの私が夢なんて持っていたなんてな……いや、私もニンゲンなら当然なのかな?」

 

 副作用がある事は知っていた。

 しかし自身には意味がないものだと、夢なんて見ないと思い込んでいたが、どうやら違ったようだ。

 

 あの日、私は天魔と鬼神を憑依させた。

 その結果、夢の私が飛び出して、今の状況を作っているのは紛れも無い事実だ。

 

「…………ちょっと待てよ、じゃあ何か? 鈴仙、お前はいつも夢見てたのか? 『人間や妖怪を全員殺してやりたい』って? この状況を作りたいって夢に描いていたのか……!?」

 

「……そうだな、そういうことになるな」

 

「……ッ! お前! じゃあ今までのも全部嘘だったのか? みんなに優しさを振り撒いていたのも、私を助けてくれた事も!?」

 

「魔理沙、少し落ち着きなさい」

 

「霊夢は黙ってろ! 答えろ鈴仙、何か言ってみろよ!」

 

 彼女は激怒する。

 当たり前の反応だ。

 人間はもはや感情で動く生き物となってしまった。

 感情に支配され、自我を突き動かす。

 

「嘘じゃないさ、少なくとも私はお前達人間を『愛してる』。それこそ人間のオリジナルの私からしたら、我が子のようなものだ。けど、それと同じくらい『憎んでる』。生み出された恩も、意義も、在り方すら忘れたお前達人間を、私は愛し、憎んできた……その結果が今の私だ、外面では愛を与え、内面では憎しみを燃やしてきた。だからあの大木が、他でもない、私の」

 

 そう、あれは夢の私であると同時に……

 

「私の内面(憎しみ)だよ。霧雨魔理沙」

 

「……お前」

 

 ふと気が付けば、液体が頬を伝う感触。

 あぁくそ、また目にゴミでも入ったのだろうか。

 

「……話を戻そうか。アレの正体が分かった所で、次は解決策を話そう。とはいえ、やる事は簡単だ……あの大木の中に私が入る事ができたら解決だ」

 

「? あの大っきな木の中にですか?」

 

「あぁ、あの大木の中は……私の生まれ故郷? に繋がっている。そして夢の私もそこに居る筈だ。だから、あの中に入れさえすれば、あとは夢の私なんて私からしたら、どうとでもできる」

 

 所詮は夢だ。

 現実の私がその夢から覚ましてやれば良いだけの話だ。

 

「ただ問題がある。多分というか必ず夢の私は私を拒むだろう。だからきっと邪魔をしてくる」

 

「……ふぅん、話が読めてきたぞ。つまり儂らはお前さんの邪魔をするモノを邪魔すれば良いんじゃな?」

 

「そういう事……口では簡単に言ったが、実際は至難の道だろう。もしかしたら死ぬかもしれない」

 

 比喩ではなく、本当のことだ。

 

「ここまでは理解できたな? じゃあ最後にもう一つ、夢の私にやられた連中を生き返らせる手段だが……これも私に全部任せてくれれば良い」

 

「任せろって……具体的にどうするんだぜ?」

 

「ふむ、何と説明したものか……簡単に言うと、新しい『器』を用意する」

 

「器?」

 

「あぁ、厳密にいえばやられた連中は完全には死んでない。死んでこのまま存在()が消えるか否か……みたいな曖昧な状態にいるだけだ。私ならその状態の連中を引っ張り出して、器を与える事ができる」

 

 器とは肉体だ。

 そして私はそれを創れるチカラを持っている。

 

「一度は考えた事ないか? どうして自分達は肉の塊の中にいて、それを動かす事ができるんだろうって。答えは簡単、この世界に物理的に干渉する為には肉体が必要だからだ。そしてぶっちゃけて言うと、私のこの姿も実はこの世界に干渉する為の器なだけで、本当の姿じゃなかったりする」

 

「……なぁ長耳、お主一体いくつ秘密を持ったら気が済むんじゃ?」

 

「さぁ知らんな。ちなみにお前ら(天魔と鬼神)のその人間態も、実は私が創って与えた器だ」

 

「「え」」

 

 今明かされる衝撃の真実。

 別に騙すつもりとか無かったので笑って流してほしい。

 

「ただし一つだけ注意というか、ゲームオーバーになる可能性がある。ここにいる三人の人間が全員やられた時点でアウトだ。この世界から完全に人間が消え去ったら、私でももうどうしようもない」

 

 それは人間がいたという証拠がこの世界から完全に消え去る事を意味する。

 そうなれば、再誕させる事は不可能になる。

 例えるなら、パズルのピースだ。

 ここにいる三人の人間の死というピースをはめなければ、パズルは完成せず、それを廃棄する事が出来ないという状態。

 

「話をまとめよう。私達の勝利条件はたった一つ……あの大木に人間が絶滅する前に、私がたどり着く事。その為の手伝いをお前らに頼みたい」

 

 

 

 

 

 

「なぁ鈴仙、一つ聞かせろ」

 

「……なんだ?」

 

「なんでお前、私達人間を助けようとしてるんだ? この最悪でクソッタレな状況をお前が心の奥底で望んでいたのなら、お前は私達に手伝いなんて頼まず、踏ん反り返って座って待ってれば良いだけだろ?」

 

「あぁ、それね……至ってシンプルな答えだよ」

 

 そう、答えなんて簡単……いや、最初からそんなものはない。

 

「答えは『私にも分からない』、ただ胸の奥が苦しくて苦しくて仕方がないだけなんだ」

 

 この苦しみから、ただ逃れたいだけだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……それじゃあ準備はいいか?」

 

「あぁ、派手に頼むよ魔理沙ちゃん」

 

「ね、ねぇ……本当にこんなんで大丈夫なの?」

 

「大丈夫だって、いいから永琳、お前は黙って私の腕の中で大人しくしてれば良いだけだよ」

 

 霧雨魔理沙は少し……いや、かなり緊張している。

 なにせこれから行う自身の役目が全人類を救う要となる……そう言われたからだ。

 

『作戦はこうだ。魔理沙ちゃんの自慢の魔力砲……確かマスタースパークだっけ? あれをあの世界樹に向けて全力でぶっ放してくれ。私達はそのマスタースパークをブースト代わりに使って、一気に世界樹に近づく』

 

『……お前確か瞬間移動みたいなの使えなかったか?』

 

『あれは今使えない。今までのは楽園を介して移動してただけで、その楽園は今や夢の私に支配されてる。取り戻すためにはあの世界樹を使うしかないんだ』

 

 少し緊張を紛らわす為に、目を閉じてさっきまでのやり取りを回想する。

 

『まぁそれは構わんが……正直言うと神社からあの大木に届かせる程の魔力砲私はまだ撃てんぞ』

 

 普段なら意地を張るが、今回ばかりはそうは言ってられない。

 認めたくはないが、ここは事実を認めなければ全てが台無しになる気がした。

 

『何言ってるのよバカ魔理沙、そんなあんたを私がアシストするわけでしょ』

 

『霊夢……』

 

『私の霊力適当に分けてあげるから、アンタはいつも通り何も考えずに撃ちなさい』

 

 あの面倒臭がり屋の霊夢がやけに協力的なのが珍しく思えた。

 

『霊夢ちゃんと魔理沙ちゃんの護衛として、この天魔を置いてく事にする。死ぬ気で守れよ?』

 

『……それは構わんが、鬼神の奴はどうするんじゃ?』

 

『こいつは永琳と一緒に連れてく。こいつの馬鹿力が必要になるだろうからな』

 

『まぁ! 初めてじゃありませんか? 長耳ちゃんが私を頼ってくれるなんて!』

 

『あぁ、頼りにしてるよ……さて魔理沙ちゃん、覚悟はできてるか? 魔理沙ちゃんのマスタースパークに全てが掛かってると言っても過言ではないからね』

 

 

 

 

「じゃあ行くわよ魔理沙」

 

「おう……ッ!」

 

 霊夢の手が自身の肩に乗った瞬間、まるで重たい鉛玉が身体の中に入った感じがした。

 これが天才と言われた霊夢の霊力。

 自身の中にそれが流れる事で初めて理解できた。

 こんな莫大で、濃い霊力を彼女は身一つで抱え込み、それを飲み込んでいる事に。

 

「ぐっ……」

 

 霊力の譲渡。

 それは実際簡単な作業だ。

 少し練習すれば誰だってできる。

 問題は、それを受け取る側だ。

 霊力というのは人それぞれ違うモノだ。

 他者に己の霊力を分け与えたところで、受けると側がそれを受け入れようとしても拒絶反応が起きる。

 

 まるで溶岩の中にいるようだ。

 身体中が熱く、血液が沸騰しそうだった。

 ブチブチと、己の神経がはち切れそうになるのが分かる。

 内臓が破裂しそうだ。

 とても痛い。

 

「……魔理沙」

 

「あん、なんだぜ霊夢……遠慮せずにもっとぶち込んでこい。遠慮なんてお前とは無縁の言葉なはずだぜ」

 

 けれどここで折れるわけにはいかない。

 懸命に負けまいと口を動かす。

 

「……なぁ霊夢」

 

「何よ」

 

「私はな、お前が羨ましかった」

 

 不思議と、気が付けばそんな本音をこぼしていた。

 緊張と身体中の痛みを紛らわす為か。

 死ぬかもしれないから最後に言っておきたかったからか。

 あるいはその両方だったかもしれない。

 

「生まれた時から才能があって、対して努力もせずに歴代最強の名を馳せたお前が、私は昔から羨ましかった。自由に空を飛んで、自由に生きてるお前が……私は羨ましかったんだ」

 

「……そう」

 

「対して私はやっとスタートラインに立てただけだ。しかもその為に数々のモノを犠牲にしてだ……だからさ、最近思うんだ。やっぱり私はお前みたいにはなれないのかなって」

 

 あの日、初めて博麗霊夢という人間を見た日から、私は彼女のようになりたかった。

 強くて、自由で、誰からも必要とされる人間に。

 けれども近づけなかった。

 どれだけ努力しても、彼女には未だに追いつけないでいた。

 

「はは、バカみたいだろ? 他人にはなれない。あくまで霧雨魔理沙は霧雨魔理沙のまま。そんな事、少し考えればすぐに分かる事なのにな……」

 

 そう、それに直ぐに気が付いていれば、唯一の肉親とも喧嘩別れせずに、道具屋の娘としてそれなりに充実した人生を送れていた筈だ……

 本当にバカな話…………

 

「……私もね、あんたが羨ましかった」

 

「……は?」

 

 突然の霊夢の言葉に驚いた。

 

「私はね、生まれてこのかた努力なんてした事ないわ。いえ、する事が出来なかった。基本的に教えられたことはすぐにできるようになったし、大した苦労もしなかった」

 

 なんだ、ただの自慢だろうか。

 

「……だからね、何かを犠牲にしてまで努力するあんたが羨ましかった。何かを掴み取ろうと必死になる人間のように、私も生きたかった」

 

「…………」

 

 初めてかもしれない。

 彼女が己のことを語るのは。

 

「人間ってのは自分に無いものを欲しがる。だから私もあんたも互いにあって無いものを求めようとする……それが意味のないことだなんて誰が決めたのよ? 別にそれを誇らしく思ってもバチは当たりはしないわよ……だからあんたも今まで通りにしていけば良いのよ」

 

「…………はっ、確かにその通りかもな」

 

 ……気が付けば痛みはなくなっていた。

 霊夢の霊力を己の魔力に変換しきれた証だ。

 ……何だこんなにも簡単なことだったじゃないか。

 

「よっしゃ、いくぜいくぜいくぜいくぜいくぜ! この霧雨魔理沙、一世一代の晴れ姿。とくとその頭に刻み込んでおけよお前ら!」

 

 愛用の魔道具を構える。

 そして己の魔力を身体中に循環させ、それを一点に集中させていく。

 

「……合図したら結界を解くわよ。タイミング、外さないでよ」

 

「あったりまえだぜ。ここでドジをこく魔理沙様じゃないぜ」

 

 手に持った魔道具が今までにない程の熱を帯びる。

 ジュウジュウと音を立てて、自らの手が熱で焦げていくのが分かる。

 しかし痛みは感じなかった。

 

「…………三、二、一、今よ魔理沙!」

 

 ……あぁ、そう言えば一つ重要な事を忘れていた。

 今から解き放つこの技に、名前を付けなくては。

 そうだな、スペルカード風に名付けるとするならば……

 

「いっけぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」

 

 ……『ラストスパーク』。

 我ながら良い名前だと思った。

 そして私が最後に見たのは、凄まじい光の熱量と、砕け散る愛用の魔道具だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔理沙!」

 

 倒れこむ彼女を慌てて支えた。

 どうやら魔力を全て使い果たした故の単なる気絶のようだ。

 

「おー、すっごいのぉ。れーざーって言うのか? 流石に儂もあれをまともに食らったら大怪我しそうじゃな」

 

 魔理沙が放った渾身の魔力砲は、鈴仙と永琳、鬼神を飲み込んで遥か先の大木に一直線に向かっていった。

 あと数秒もしないうちに魔力砲と大木は激突するだろう。

 後はあっちの仕事だ。

 

「そこの魔法使いは目を覚まさんか? 長耳の言う事が正しければそろそろ……ほれ来たぞ」

 

 天魔の言葉に反応して辺りを見回す。

 すると今まで結界によって防いでいた木の根っこのような触手が、己の心の臓を貫かんと数多くうねっていた。

 

「……魔理沙はこのまま気絶させとけば良い。どうせ魔力を使い切って役に立たないだろうし」

 

「それもそうじゃな。さてさて……出し惜しみはしている場合ではないぞ博麗の巫女よ」

 

「あんたに言われなくてもそのつもりよ」

 

 そして私は、気絶した魔理沙の目の前に立ち、お祓い棒を構えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『長耳ちゃん、それで私は何をすれば良いんですか?』

 

『なに、簡単な事だ。あの大木を全力で殴れ』

 

 

 

 

 

「いいか鬼神、幹をへし折るつもりで殴れよ?」

 

「はーい。というか長耳ちゃん、服が燃えてますけどどうしましょう」

 

「……あー、そこまでは考えてなかったな」

 

 魔理沙ちゃんの魔力砲を使うアイデアはこれ以上にないものだ。

 表面上は、わざとレーザー砲を浴びて吹っ飛ばされながら目的地へ飛んでいくという間抜けそうなものではあるが。

 何よりスピードがある。

 チンタラと目的地へ進んでいたら、触手の数の暴力を受ける羽目になるが、これならその心配はない。

 しかし誤算だったのはその威力が思っていたよりも高かった事だ。

 永琳はこうして私が抱えている事によってノーダメージで済んでいるが、私や鬼神は魔力砲を直に浴びている。

 驚きなのが肉体に少なからずダメージがあるという事だ。

 ……初めてかもしれない。

 人間に己の肉体を傷つけられたのは。

 

「まぁ今は気にするな。それより……出番だぞ鬼神」

 

 気が付けばあっという間に大木が目前に迫っていた。

 

「はいはーい! それじゃあ行きます! せー…………のッッッ!」

 

 魔理沙ちゃんの魔力砲の着弾と同時に、世界樹に鬼神の拳がめり込んだ。

 そして響く轟音。

 その音は空気を通して大地をも揺るがす。

 

 ポロポロと、大木の幹から何かが落ちていく。

 それは破片だ。

 幹を覆う樹皮が衝撃で剥がれ落ちていくものだった。

 そして微かに、幹の中に入れそうな隙間ができた。

 

「よし、突入するぞ」

 

「では行ってらしゃい長耳ちゃん。私はここで邪魔が入らないように見張っときますから……長耳ちゃん、必ず帰ってきてくださいよ? また嘘をついたら今度という今度は絶対に許しませんから」

 

「……善処するよ」

 

 ……嗚呼、あともう少しだ。

 

 

 

 



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41話

終盤だろうとサクサクと進めていきます!
というかモチベが第一なので、申し訳ないです……


 

 

 

 

「おい、起きろ永琳」

 

「……うぅ」

 

 彼女の声で目が覚めた。

 どうやら今の今まで軽く意識が飛んでいたようだ。

 多分というか、明らかに霧雨魔理沙の魔力砲による衝撃が原因だろう。

 

「……ここは?」

 

 まだ覚醒したばかりの頭で精一杯状況を読み込もうとする。

 確か彼女の言う世界樹とやらに向かった筈だが……

 

 周りを見渡すと、そこは幻想郷ではないのがすぐに分かった。

 雲一つない綺麗な青空で、辺りは草木が生え渡り、吸い込む空気は最高に澄んでいた。

 こんな楽園のような景色は幻想郷どころか世界中探しても無いだろう。

 強いてダメなところを挙げるとしたら、生き物の気配が全くしないというところだが……

 

「……あれ、ここって」

 

 そして気がついた。

 私はこの景色を知っている。

 見た事があるという事に。

 

「お前がここに来るのは『二度目』だな。全く、あの時は私が使ってそのままにしておいた出入り口を勝手に使って入ってきて……結構本気で焦ったからな」

 

「ぁ……」

 

 その言葉で思い出した。

 昔、彼女を探して変な場所に迷い込んだあの日の出来事を。

 

「ようこそ楽園(エデン)へ。この世で最も美しく、最もつまらない場所だ。そしてここが終着点、泣いても笑ってもここで全てが決まる」

 

 ———そして彼女は、いつもの笑みを浮かべた。

 

「さて、本来なら観光の一つでもさせてやりたいところだが、時間がない。立てるか?」

 

「……えぇ」

 

 彼女の手を取って、立ち上がる。

 

「……夢のあなたがここにいるの?」

 

「あぁ、というかほら。もう見えるだろ? あれだよあれ」

 

 彼女は右手の人差し指をある方向へ指した。

 その指を、目で追っていくと……

 

「……なに、あれ」

 

 ———視界に収まったのは黒色。

 美しい景色には到底合わないであろう、黒い物体がそこにあった。

 それは炎のように揺らめき、その禍々しさを強調するかの如く、巨大であった。

 

「……あれが夢の私だ。まさかニンゲンの形すら成してないとは流石に私も予想外。どれだけ溜め込んでいたというか……いやはや、恥ずかしい限りだ」

 

 彼女の言うとおり、それは人の形ではなかった。

 最早形を失った異形の存在。

 あれが彼女の内面だと、信じたくなくなるようなモノだった。

 ……あれを倒さなければ、人間は絶滅する。

 そんな事果たしてできるのだろうか。

 今になって心配になってきた。

 

「余計な心配をしてるな永琳。安心しな、所詮は『夢』だ。夢ならば夢から覚ましてやれば良いだけの話だよ」

 

「え……?」

 

「倒す、倒せないの問題ではないって事だよ。夢の私が私をこの楽園に入れてしまった時点で、あいつはもう何もできない。あいつの勝利条件は私を楽園に入らせず、人間を全員消す事だった。私という存在がこの楽園に居ない時でしか、夢は現実に干渉できない。当たり前の事だ、だって『現実』と『夢』は同時には見られないだろう?」

 

 ……つまり、もう解決したという事だろうか?

 

「あぁそうだよ。良かったな、これでみんな助かる……まぁ、世界樹の中に入ってからここに来るまでそれなりに苦労したわけだが、残念ながらお前は気絶してたから私の活躍を見る事はなかったわけだ」

 

 確かにさっきから気にはなっていた。

 あの黒い影のようなもの、彼女の夢は目の前に私という獲物がいながらも何もしてこない。

 その事実が示す事は、彼女の言っていることに当てはまる。

 

「……良かった」

 

 ふっと力が抜けた。

 せっかく立ち上がったというのに、また座り込んでしまった。

 それだけ緊張していたということだろう。

 

「後は夢の私を夢から覚ましてやるだけだが……永琳、一つ頼んでもいいか?」

 

「頼み……?」

 

 その言葉は珍しいというか、意外だった。

 

「少しの間、目と耳塞いでおいてくれないか? 何も見えず、何も聞こえないでいてくれ。これから私が言う言葉は、恥ずかしくてお前にだけは聞かれたくないんだ」

 

「……分かったわ」

 

 スッと目を閉じ、耳を塞ぐ。

 意識を少しだけ沈めて、私は待つ事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あぁ、待たせたな夢の私。残念ながら、今回の勝負は私の勝ちだ……思っていたよりも呆気ない幕切れだったな」

 

『ァァァァァ……なぜ、なぜ。自分は間違ってない、何も間違ってない。間違ってるのは』

 

「そう、間違ってるのは私。正しいのはお前で、私は愚者だ。そして礼を言おう、私がいつまでも決心が付かずに、最後までできなかった役目をお前は果たそうとしてくれた……ありがとう。でも、もういいんだ」

 

『何がいいものか。この争いと醜さだけしか残っていないこの世界を正すには、根本から『やり直す』しかない。だから終わらせる、人間という生命を。そして我らが母に代わって自分が創る。新しい生命を、失敗作ではないニンゲンを!』

 

「それは無理だ。ニンゲンだろうとなかろうと、『知恵』を生命に与えた時点でもうそれは失敗だ。知恵と感情は切っても切り離せない……そしてこの世界を維持していく為には、知恵ある生命が必要不可欠。しかし知恵を持たせても失敗作として誕生し、いずれこの世界は終わる。どっちにしてもダメなんだよ……この世界がいつか終わる事はもう定められている」

 

『だとしてもだ。それならば出来るだけその終焉を引き延ばすのが自分の役目だ。その為には今の人間は不必要だ』

 

「……そんな事をした所で、私の罪は消えない。消せないんだ……お前もそれは分かってるだろう? 何だかんだ理由をつけて人間を滅ぼそうとしても、その根底にあるものは『罪悪感』という感情だ。その感情に従って動いたところで、後に残るのは後悔とか悲しいといった新しい感情にまた苦しむだけだ」

 

『そんな事は分かってる! ならば他にどうしろと、どうすればこの苦しみから逃れられるというのだ』

 

「さっきも言ったろ、それは無理だ。私はこの苦しみを永遠に背負うんだ。逃げるのではなく、飲み込め。それが唯一の罪滅ぼしだと、私は思う……」

 

『…………あぁそうか。それが永い時の間で見出した自分の答えか……なんとも、悲しいものだな』

 

「あぁ、悲しいな。だからそろそろ目を覚まそうか…………夢の終わりだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「終わったぞ、永琳」

 

「……そう」

 

 目を開けて、視界に入った彼女はどこか悲しげに見えた。

 

「今、消えてった者たちを再生させてるところだ。ちょっとばかし数が多いんで時間は掛かるが……」

 

「あら、丁度良いじゃない。その間に約束を果たしてよ」

 

「……あー、そうだったな」

 

 彼女の事を全て知りたい。

 それが約束だった。

 

「……じゃあ、何から知りたい?」

 

「私が決めていいの? ……そうね、じゃああなたの本当の姿とやら、今見せて」

 

 正直、彼女のこの姿が本来の彼女ではないと聞いた時、少しショックを受けたが……今はむしろその本当の姿とやらを見たくて仕方がないのだ。

 

「…………笑うなよ?」

 

「笑わないわよ」

 

 笑ってしまう要素があったのなら、話は別だが。

 

「……あ、あれ? どこに行ったの?」

 

 そして何故か、瞬きをした瞬間に彼女の姿が消えた。

 まさかここまできて逃げた……?

 

『こっち』

 

「え……」

 

 頭に声が響いた。

 何処から聞こえたのか分からないというのに、不思議とその声の出所が分かる。

 あの丘の上、他のより立派で大きな木がある場所からだ。

 

 さくりと、柔らかな大地を踏みしめて歩く。

 声に導かれるように、私は丘を登っていく。

 

「……何処にいるの?」

 

 そして丘の頂上、木の木陰の中に入った。

 消えた彼女が近くにいるのは分かる。

 しかしその姿は見えないままだった。

 

「……本当に笑わない?」

 

 ———そして今度は、ちゃんと耳から聞こえた彼女の声。

 同時に少し違和感を感じた。

 何だか普段の彼女よりも、その声は、声色は穏やかというか、大人しい感じがした。

 

 発生源からして、この木の幹の裏側にいる。

 ちょうど私の反対側に。

 

「……笑わない」

 

 若干の焦ったさを感じながらも、断言した。

 その言葉を彼女は信じたのか、スッと木の幹の影から人影が現れた。

 

 ———正直な話、眼を見張ってしまった。

 だって、予想よりも予想外だったからだ。

 

「…………一応、この姿も『二度目』なのかな。あの時は少ししか見られなかっただろうけど」

 

 一言で表すなら、『白』だろう。

 見慣れた彼女の姿とは全く違う。

 地面にまで届きそうな真っ白な髪に、少しだけ小麦色が混じった白い肌。

 今でいうワンピースに似た白い簡素な衣服を着て、その顔は美しくはあるが、どちらかというと博物館に飾ってありそうな芸術品のようなイメージ。

 いつもの彼女とは、百八十度どころか三百六十度以上も違ったその姿に、私は眼を奪われた。

 同じ所といえば、その特徴的な真っ赤な瞳だけだった。

 

 そう、それは確かに人間という生物の祖に相応しい姿だった。

 

「永琳……?」

 

「……ぁ。ご、ごめんなさい。ちょっと、というかかなり驚いてただけ」

 

 声を掛けられてようやく現実に戻れた。

 

「えっと……その姿も素敵……よ?」

 

「うん、ありがとう……そう言ってもらえて『自分』も嬉しいです」

 

「っ……!」

 

 なんだ、なんなのだ。

 姿どころか性格すら違う彼女に私は少し変な気持ちになる。

 ……いや待て、しかしこの感じは何処かで……

 

「……やっぱり変ですか? 自分がいつもの強気な感じじゃなくて」

 

「そ、そんな事ないわ。それより、ちょっと『何ですか師匠』って言ってみてくれない?」

 

「? ……何ですか師匠?」

 

 あ、やっぱりそうだ。

 この感じ、永遠亭に来て間もないころ……即ち己の意義も記憶も全て封じていたころの彼女(レイセン)と同じだ。

 ……もしかしてだが、記憶が無い頃の彼女のあの性格の方が『素』だったりするのだろうか?

 

「それは違いますよ。どっちも自分の『素』です……まぁ、順番的に言えば今の方が最初なんで、そういう意味ならまた違った解釈ができるかもなんですが」

 

「そうなの……? じゃあ何で二つあるのかしら?」

 

「昔……永琳と出会うより前にある人間達に出会った事がありました。その時色々とあって、人間達の一人の姿を『貸して』貰うことになったんです。それがあの姿で、気が付けばその借りた人間の性格に引っ張られたというか……」

 

「……そう」

 

 たった数分で、彼女の秘密が一つ明らかになった。

 しかし、それだけではないのだろう。

 彼女にはもっと秘密があって、私はそれを全て知りたい。

 

「……永くなりますよ?」

 

「もとより承知の上よ。私はあなたがどうやって生きてきたのか、何を思っていたのか、全部知りたい。あなたの全てを」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ある日ニンゲンが誕生した。

 この星、遠い未来で地球と呼ばれるようになる惑星の意思によって。

 ニンゲンは地球を永遠のものにする為に生み出された。

 美しい大地を、海を、空を。

 全てを永遠のモノとし、地球という小さな惑星の『命』を永遠にする為に。

 そうしてニンゲンをもとに、人間が次々と生み出され、繁栄をしていった。

 ニンゲンはその使命を、役目を果たそうとした。

 人間はそんなニンゲンの使命の為に、日々繁栄を繰り返し、その美しい大地や海を守り続けた。

 

 全ては順調だった。

 しかしニンゲンはある日、気付いた。

 気がついてしまった。

 人間が『感情』という、想定していなかった機能を身につけ始めている事に。

 これにより人間は星を守るどころか、壊すようになってしまった。

 感情のまま怒り、嘆き、そして殺し合う。

 これではダメだ。

 そう判断したニンゲンは、人間を己が使命に従い処分しようとした。

 

 しかし、それは叶わなかった。

 何故なら、ニンゲンも感情を持ち始めてしまったからだ。

 鉄の歯車の一つが錆びて、その錆びが他の歯車に広がるように、感情も人間やニンゲンを汚染していった。

 そして、本来処分するべき人間を処分できなかったニンゲンは決して消せない過ちを、罪を背負うことになった。

 それはこの星を、この地球の意思を『殺して』しまったというものだ。

 人間同士の争いにより、この美しい星は汚され、やがて破滅へと進む未来を選んでしまった。

 その未来にならないように止めるのがニンゲンの使命だったというのに、ニンゲンは使命を果たせなかった。

 やがてニンゲンは、様々な感情の波によってその身も心も壊れ始めてしまった。

 

 永い時を経て、ニンゲンは己の罪と向き合う事を決意した。

 その擦り切れた己の心を癒そうとしたのか、己の罪をその目に焼き付けたかったのか、今となってはもはや理由すら思い出せないが、ニンゲンは汚れきった地上をその足で歩んでいくことにした。

 その過程で色々な事を感じ、試し、体験して、様々な出来事もあった。

 

 そしてニンゲンは、ある結論に至った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「結論? 一体何を?」

 

「うん、結論。やっぱり、自分……ニンゲンは失敗作だったってこと。生まれるべきじゃなかった、創られるべきじなかった。だから、自分なんかは『消えた』方が良いって」

 

「なっ……」

 

 声がうまくでなかった。

 だって彼女が言った言葉は、自己否定そのものだったからだ。

 

「それがせめてもの償い、罪滅ぼしになるんだって……まぁ消えるって言っても、自分はこの星の因果に深く刻まれてるせいで生物として死ぬ事はできないから、正確には自我を永遠に封じ込めるが正しいかな」

 

 それはつまり、『生きながら死ぬ』という事だ。

 それがどれだけ辛いものなのか、私は知っている。

 だって、そうなってしまったら、最早それは生物ではない。

 ただの物言わぬ肉塊と同じだ。

 

「……正直、記憶を取り戻した後、すぐに消えるつもりだった。けどなんでかな……もうちょっと、永琳や姫様やてゐ、それにあのお馬鹿さんな妖怪二匹と一緒に居たいなって思っちゃった。けどそれもここまで、こんなにみんなに迷惑をかけたんだから、自分は居ない方が良い。いつ同じ事を起こすか、自分にも分からないから……」

 

 そう言って、彼女は私に背を向けた。

 

「……今、全ての生命を元に戻した。だから…………これでお別れです」

 

「ッ……!」

 

 その言葉に、私は頭を思い切り叩かれたような衝撃を受けた。

 本当にお別れ?

 全てが唐突で、全てがこれで終わってしまう。

 突然のカミングアウトからまだ数分しか経っていない。

 まだ心の準備も何もできていない。

 そもそも私は認めてない。

 

 ……なのに、これで本当に彼女と永遠の別れになってしまうのか?

 

「……でも、自分との思い出があったら永琳も辛いですよね。だから、最後に全部消してあげます。地上にいるみんなからも自分の記憶は消しておくし、もう二度と、自分の事を思い出す事はなくなる」

 

 スッと彼女の手がこちらに差し向けられた。

 ———嗚呼そうか。

 忘れてしまえば今私を混乱させているこの感触も消えてなくなるのだろう。

 そうすれば、きっと楽になれる。

 この泣きそうなくらいに悲しい気持ちも、勝手な事を言わないでと言いだしたくなる怒りも、全てなくなる。

 この感情を出してしまえば、逆に彼女を苦しめる羽目になるのは目に見えている。

 だって彼女は優しいから。

 だから、私は彼女のこの手を受け入れるだけで良いのだ。

 それが最善。

 そしたら、誰も苦しむ事はなく、全ては完結する。

 そうだ、だから、私は彼女に笑顔でこう言うべきだ。

 『さようなら』……って。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———え?」

 

 ———気が付けば、私は彼女の手を叩いて拒絶していた。

 

「……さっきから黙って聞いてれば。ふざけないで、私はあなたの懺悔とかそんな事を聞きにきたんじゃない!」

 

 気が付けば、私の口は勝手に動いていた。

 

「私はあなたの全てを知りたいって言っただけ! そんな別れ話をしに来たんじゃない! あなたがどんな人生を送って、どんな風に生きて、何が好きで何が嫌いなのか! そんな当たり前のことを聞きにきたのよ……!」

 

 気が付けば、私は彼女を押し倒して馬乗りの状態になっていた。

 

「ニンゲンだとか、使命だとかそんな事私の知った事じゃないわ! あなたが消えていなくなりたいって思ったところで、私はそれを絶対に認めない! だってあなたのことが好きだから!」

 

 気が付けば、自らの衝動を、エゴを、我儘を抑えきれずにいた。

 

「大体何よ、迷惑かけたからさようなら? ふざけないで、そう思うなら尚更、菓子折りの一つでも持ってみんなに謝りに行きなさいよ! 勝手に迷惑かけて、勝手に消えるなんて自分勝手にも程がある!」

 

 気が付けば、涙が溢れてきた。

 

「それに、一つあなたは思い違いをしてる。この星が自分のせいで死んだとか意味の分かんないこと言ってたけど、私から言わせればそれが何だって話よ! あなたは何も悪くない! あなただってニンゲンなら、被害者よ……悪いのはその星の意思とやら、勝手にニンゲン創って盛大に自爆したただの間抜けじゃない!」

 

 声が枯れてきた。

 それでも、私は続けた。

 

「あなたが人間を消せなかった理由? 気が付いてないなら私が教えてあげるわよ! あなたは単に『羨ましかった』だけよ! 互いを愛して、憎んで、慈しんで、汚しあう人間たちの在り方が! 自分もそうなりたいって感じたから、こうして人間たちの近くに来たんじゃないの!? それを恥じる必要なんてない!」

 

 彼女はその紅い瞳でジッと私を見つめている。

 

「……だから、行かないで。あなたが消える理由なんて何処にもない。私の側にずっと居て……」

 

「……永琳」

 

 彼女の声はどこか弱々しかった。

 ほら、予想通り私の我儘で彼女は苦しんでいる。

 

「…………自分は」

 

 ———彼女が何か言う前に、私は自分の口で彼女の口を塞いだ。

 初めてのキスの味は、ほんの少しだけしょっぱかった。

 

「……分かってる。あなたも私も譲れない事情が、信条がある。だから、今からやる事は一つしかないでしょう?」

 

 私は立ち上がり、少しだけ後ろへ下がった。

 そして懐から札状のものを出して、彼女に突き出した。

 

「スペルカード戦よ。何か困った時や譲れないものがある時、幻想郷ではこれで決着を、勝敗をつける。今の私たちにピッタリでしょ?」

 

「…………スペルカード」

 

「そう、スペルカード。私が負けたら好きに消えるなり何なりしなさい。ただし、私が勝ったらあなたは一生私の弟子よ……『ウドンゲ』」

 

「……ヒドイですね、『師匠』は。その条件全く釣り合ってないと思うんですけど」

 

 彼女も立ち上がり、スペルカード用の札を取り出した。

 ———多分これが、私の一世一代の弾幕ごっこになるだろう。

 嗚呼、だから、絶対に、負けられない!

 

 

 

 

 




次回最終回となります。


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エピローグ
42話


 

 

 

 

 

「じゃあ、最後に確認するわよ? 家に帰ったら?」

 

「うーんと……手を洗う!」

 

「手を洗った後は?」

 

「うがいする!」

 

「……その後は?」

 

「えーと……お父さんとお母さんに『ただいま』って言う!」

 

「そうよ。しっかりと覚えてたいい子には飴玉をあげなきゃね」

 

 白い包み紙に包まれた飴玉を受け取った子どもは、それを宝物のように手に握りしめた。

 とはいえ、あと数分もしたら誘惑に負けて飴玉は口の中へと消える運命なのだろうが。

 

「『八意先生』、本当にありがとうございました……」

 

「どういたしまして。一応熱は下がったけど、また発熱し出したらまた連れてきて。子どもの風邪はぶり返しやすいから」

 

 最後にもう一度、お辞儀をした親は、自らの子どもの手を引き家へと帰っていった。

 それを見送った私、八意永琳は固まってきた筋肉と関節をほぐすためその場で首や肩を回した。

 

「やぁ先生。いつも助かってるよ」

 

 すると人里の守護者である、慧音が何処からともなく現れた。

 

「先生が人里に診療しに来てから、病気で苦しむ人間はかなり減った。正直、もっと早くにこうして欲しかったくらいだな。薬屋が売る薬だけじゃあどうしても対応できないこともあったが、その心配をする必要もなくなった。重ねて言うが、本当に助かってるよ」

 

「……まぁ、別に屋敷に引きこもる必要性もなくなったし、暇つぶしにはもってこいなのよねこの仕事」

 

 もはや月の民が私や輝夜を狙う理由はなくなった。

 正確にはなくなったというか……トップが変わったというべきか。

 

『八意様。月は我々月の使者が乗っと……もとい、新たなまとめ役となりましたので、八意様は何も気にせず好きに生きてください。それと、一月に何回か地上に皆で遊びに行くので、よろしくお願いします』

 

『桃沢山持っていきますね! え、穢れ? 我々が新しく制定した法には『穢れとかどうでもいい』ってあるので、問題なしです』

 

 ……どうやら私の弟子達はいつのまにか逞しく育ち過ぎたようだ。

 それはそれで嬉しい誤算と言うべきなのかもしれないが。

 

「どうした、複雑そうな顔してるが?」

 

「何でもないわ。それより何か用かしら?」

 

「いや、単に通り掛かりに声を掛けただけだ。上手く人里に馴染めているようで安心したよ」

 

「あら、私がコミュニケーション力がない人間だと? これでも心理学も基本は抑えてるから、人当たりの良い性格を演じる事くらいわけないわ」

 

 それに、人里で診療所を開いてから既に数年の時が経過している。

 それなりに顔は知られるし、信用されるようにもなるのは当たり前だ。

 

「そうか、初めて対面した時は……何というか、毛を逆立てて警戒している猫のようなイメージだったもんでな」

 

「今はどうなのかしら?」

 

「大人の女性って感じだな。ここ数年の先生の顔つきは立派な女って感じさせているよ」

 

 それはつまり、それまでは子どもっぽいと思っていたということか。

 まぁ事実に近いので反論も何もできないのだが。

 

「あ、そういえば、今夜博麗神社で宴会があるらしいんだが、先生もどうだ? 私は妹紅の奴と一緒に行くつもりだったし、そちらも輝夜姫を連れてきて」

 

「宴会? 何でまた……あぁいつものやつね」

 

「あぁ、いつものだ」

 

 何か異変が起こり、それを解決しては宴会が始まる。

 最初は儀式のような意味合いだったのだろうが、最近は単に習慣のように感じる。

 

「……まぁ、夕飯の支度をする手間が省けるし、たまには良いかしらね」

 

「そうだな、息抜きも重要だぞ先生。それに先生が『薬屋』の奴も連れてきてくれれば、調理組もだいぶ楽に…………あっ、いやすまない。つい無い物ねだりをしてしまった」

 

「……気にしないで、事実だもの」

 

 そう、無い物ねだりだ。

 『居ない存在』を連れて来ることは不可能なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「それで私は言ってやったのよ! 『私と結婚したきゃ蓬莱の玉の枝ぐらい持ってこい』ってね。そしたら全員本気にしてもう本当に傑作!」

 

「はっはっはっ! その中に私の父親も居たこと忘れてないかお前?」

 

「やっべ、もこたんの地雷踏み抜いた?」

 

「……んなわけないだろばぁーか! 今更過去の事なんて気にするかよ! でもとりあえず一発殴るな」

 

「いや! もこたんに乱暴される! 鈴奈庵で見かけた薄い本みたいに! 薄い本みたいにへぶっ!」

 

 幻想郷に存在する博麗神社。

 皆が酒に酔い、笑い、楽しんでいる。

 

「おい霊夢、その酒くれよ」

 

「いやよ、あっちにいる咲夜から貰いなさい」

 

「ワインは性に合わん。私は日本酒一択だぜ」

 

 勿論、私もそれなりに楽しい。

 こうして騒いでいる連中を見ながら、酒を静かに飲むのも悪くない。

 

 しかし、どうしても今私の心にはどこか穴ができている。

 チラリと隣を見るが、誰もいない。

 だってそこには本来居て欲しい人物がいるべき筈だから。

 

「あたた……妹紅の奴わりとマジで殴ったわね。あら永琳、そんな顔してどうしたの?」

 

「……輝夜」

 

 その言葉を言われたのは今日二度目だ。

 もしかして意外と顔に出てしまうタイプなのだろうか私は。

 

「辛気臭い顔してたら折角のお酒が台無しよ? ……あぁでも、確かにそうよね」

 

 輝夜は何かを悟ったように語る。

 

「私も永琳と同じよ……もしここに『鈴仙』がいたらって」

 

「……そうね」

 

 そう、彼女が今ここにいればもっと楽しめた筈だ。

 しかし現実は違う。

 今この場に彼女はいない。

 その事実がどうしても私の心の隙間を埋めてくれないのだ。

 

「鈴仙も意外と薄情よね。永琳置いていっちゃうなんて」

 

「……仕方のないことよ」

 

 嗚呼、仕方のないことだ。

 だって彼女は…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、本当に宴会してるよ。いやータイミングバッチリじゃないか私たち。あ、ただいま永琳。一週間ぶりだが元気にしてたか?」

 

「長旅の終わりを締めくくるには持ってこいじゃの。どうじゃ長耳に鬼神、飲み比べといこうじゃないか」

 

「うふふ、負けませんよぉ。というか外の世界のお酒も中々でしたが、やっぱりこっちのお酒の方が性に合いますね」

 

 彼女は、天魔と鬼神と共に一週間の外の世界旅行をしていたのだから。

 

「……お帰りなさい。外の世界は楽しめたかしら?」

 

「そこそこだな。それに旅行という名目で行ったが、それなりに面倒ごとが……まぁそれはいいか。次はお前も一緒に連れて行こうか?」

 

「そうね、楽しみにしてるわ」

 

 きっかり一週間後に帰ってきた彼女は、少しだけ疲れているように見えた。

 

「いや永遠亭に直接帰ったら誰もいないから、どうしたと思ったら神社にいるときた。こりゃ宴会でもしてるなと睨んできたら大正解、疲れた身体には酒が一番だ」

 

 そう言って彼女は近くに置いてあった酒瓶を手に取り、そのまま口へと運んだ。

 

「それじゃあ疲れているところ悪いけど、土産話の一つや二つ話してくれないかしら?」

 

「えー……後で良いか?」

 

「私、寂しかったのよね。あなたがいない日々っていうのが」

 

「……分かったよ。話せば良いんだろ?」

 

 そして彼女は静かに語り出す。

 そして私は彼女の肩に寄り掛かり、静かにそれを聞く。

 

 あの日、忘れられないあの異変からもう数年が経った。

 そして今も彼女は私の隣にこうしている。

 それだけで、あの異変のエンディングがどんなものだったのか語るまでもないだろう。

 

「……あぁ、本当に人間っていうのは不思議だよ」

 

 ふと、話の途中で彼女は突拍子のない言葉を吐いた。

 

「私が月に転生する前に、気まぐれである一人の人間を楽園から見ていた。何の変哲も無い、ただの外の世界の学生だ。結局そいつは事故で死んだが、そいつが最後に呟いた言葉は何だったと思う?」

 

「……なんて言ったの?」

 

「私はてっきり、事故を起こした原因や運命に恨み言の一つや二つ言うのかと思ってた。けどその人間は、最後に『ごめん』って言ったんだ……自分が死に瀕しているにも関わらず、そいつは『怨む』のではなく『悔やんだ』。先に逝ってしまう己を恥じ、世に残してしまう家族や友人に詫びを入れたんだ」

 

 彼女は一息入れ、言葉を紡いだ。

 

「それが妙に印象深かった。転生した後も微かに記憶に残るくらいにな。お陰でその時はその記憶が自分の前世だとか馬鹿な勘違いしてたが……まぁともかく、その時から人間の感情っていうのは本当に不思議だって私は感じたんだ」

 

「……そうね、それが分かればあなたもあそこまで悩んだりしなかったでしょうね。でもきっと、答えなんてないのよ。人間っていうのはいつだって愚かで、健気で、何をするか神にすら分からない不思議な生き物。それを理解しようとする意味も必要性もないのよ」

 

 そう、元より人間に正解も答えもない。

 無い方が良いのだ。

 

「……あぁ、全くもってその通りだな」

 

「えぇ、大事なのはこうやって触れ合うことよ。それだけで人間は満足できるんだもの」

 

 少なくとも私はそれだけで充分だ。

 

 あぁ、だからこの世界が完全に滅び去るその時まで、私は彼女といたい。

 それが、私の唯一の答えだ。

 

 

 

 

 




これにて『月の兎は何を見て跳ねる』もとい、『東方失楽園』は完結となります。
一年以上もお付き合いして頂きありがとうございました。
そしてお気に入り登録や評価、誤字脱字報告や感想をしてくれた読者の方達にもう一度お礼を言います。ありがとうございました。

ちょっと物足りないと感じる方や、結局意味が分からないと感じる方もいらっしゃるとは思いますが、今の作者にはこれが限界です。申し訳ありません。
番外編とかやるかはまだ決めてませんが、もしこの作品でまたお会いする事があれば、その時も是非よろしくお願い致します。

それでは、またどこかで……


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番外編
主人公設定メモ


今更ですが、この小説を書くにあたって使用していた主人公設定を公開します。
主人公の正体やら、性格が結構沢山ありすぎで混乱している方も居るのではと思い公開する事にしました。というか、作者も偶に混乱するので、このメモがなかったら完結までいかなかったのでは……?
兎に角、軽い裏設定とかも少しだけ書いてあるので、本当に暇な時にでもどうぞ……

なお、本編を観終わった後に見ることをお勧めします。


 

 

 

 

 

①ニンゲン(まだ感情はない)

 地球という生命体に生み出されたばかりの頃の主人公。

 

 地球は自身の存続の為に、惑星という身体を永遠に整える為にニンゲンを、人間を創った。地球にとって人間は、人間でいう白血球だとかそんな存在にしようとした。結果的に人間は感情を得て、地球という生命は人間のその醜さで殺され、今では死骸が宇宙に漂っているだけの存在に。地球からしたら、ある日白血球が全部ガン細胞になったような感覚なんじゃないかな。

因みにニンゲンを創るその過程で、色んな試作体が誕生したが、廃棄するのも勿体無いと生態系にそのまま組み込んだ結果、今でいう魚だとか兎だとか、色々な生命が誕生するきっかけに。

 

 主人公のこの頃の外見は赤目で、真っ白な髪と肌。アルビノっぽい。外見は筆者の趣味100%

 その役割は人間という種を栄えさせる、また存在証明をすること。また、人間に致命的なバグが発生した場合、それを削除するお掃除屋さん

 また人間の器である肉体を創る事や、魂を出し入れする能力を持つ。

 これは正確にはあらゆる事柄を『裁定し調停』する力。後にこっちの方が分かりやすいからと、一言で言える『波長を操る』能力と説明するように。

 

 ニンゲンは世界の、人間の裁定者でもある。

 普段は『楽園』という、別次元の空間で過ごしている。

 

 

②ニンゲン(感情が芽生えた)

 

 本来はただ思考するだけの生命体だが、感情というバグに感染。本来の役目を果たせなくなり、ひたすら理解不能な喜びや悲しみを感じ苦しみつつも、何とかしようとバグの原因である人間達を一度全て消去しようとするが、一人消しただけで心がポッキリと折れる。それはもうフロムゲーのボス戦のように。

 基本的に丁寧な言葉遣いで、善性に近い性格をしている。これは感情に感染した時、善なる感情をその身に受けた為でもある。

 ———もしあの日、主人公に善意で花を送った人間が居なかったら、逆に悪意を受けてたら……主人公はまた違った運命を辿っていたかもしれない。

 

 心が折れたその後は、楽園を飛び出しあてもなく地上をフラフラとする。そしてなんやかんやあって、別の姿を後に得る事になる……

 

 初登場は第20話。41話ではっきりと登場。

 

 

③長耳(確固たる自我が存在)

 

 ②がなんやかんやあって得た姿。

 外見は原作鈴仙をもう少し大人っぽくして、着物を着せたような感じ。おっぱいはけっこうおおきい。因みにうさ耳と尻尾はアクセサリー的なもの。取り外しできちゃう。これは部下の兎達に気を遣って付けただけだったが、意外と本人が気に入ったため普段から生やすようになった。

 皮肉屋というべきか、兎に角クセが強い性格をしている。

 性格というか、もう何もかもが②の頃と違うが、それは今の姿のモデルにしたとある人間の魂に引っ張られているから。

 しかしそのお蔭で、主人公は安定した自我を得る事ができ、感情による苦しみからは少し解放された。

 

 当時単なる獣だった鬼神と天魔に知恵を与え、部下の兎達に囲まれながらも日々を過ごしていると、ある日何やら妖怪に追いかけ回されている人間が目に入る———ま、気紛れで助けてやりますか。

 

 初登場は第7話。

 

 

④レイセン(③が記憶や自我を封印し、月に転生し玉兎と偽り過ごす)

 

 えーりんとの別れの後、楽園に一度帰った主人公は、とりあえず地上の人間を観察する事に。しかしある日ふと疑問に感じた。自分は、人間は本当に失敗作だったのかと———

 そして主人公は全てを忘れ、月に転生した。

 外見は③の姿を元に転生した為、原作鈴仙をもう少し幼くした感じ。おっぱいはちょっとちいさい。

 だが記憶だけでなく、自我も、感情も封じた為その中身は①に近い。なので最初は言葉の意味も分からない状態だった。つまり、主人公は仮初とはいえ、最初の完璧だった頃の自分に戻れたのだ。それが永くは続かないだろうと、薄々気付いていただろうに———

 転生した直後、とある玉兎に保護され、それなりに充実した生活を送る。しかし、ある事件をきっかけに月の使者の一員になった主人公は、やがて地上に興味を持つようになっていった……

 その性格は無垢で完璧な①から徐々に変わっていった。周りの環境に影響された為か、お節介で、好奇心旺盛に。主にみっちゃんと呼ばれる玉兎の善性をモロに感じていた為、その在り方は善性に近く、常識人になった。

 ———変だな、こんな事前にもあったような……?

 

 初登場は第25話。

 

 

⑤鈴仙(④が徐々に肉体的にも精神的にも成長した姿)

 

 ④が地上に引っ越しし、永遠亭に住み始めた頃の主人公。

 外見は原作鈴仙そのままだが、表情と目が死んでる。おっぱいはふつう。

 言葉を理解はできるが、それを口に出したり、感情を表すための表情を動かしたりはできない。本人や周りは能力による弊害と解釈したが、実は主人公が無意識に、意図的に封じていた。それは、自分は失敗作ではないと足掻く主人公の最後の抵抗だったのかもしれない———

 性格は善を良しとする常識人。お節介焼きで、頼んでもないのに誰かの世話を勝手にするのが好き。基本的に誰とでも仲良くなれるが、暴力的な性格の持ち主は少し苦手。

 コミュニケーションは筆談で行う。その筆談速度はかなりのもので、会話そのものはスムーズに行える。

 ———その肉体は徐々に成長していった。それは③の姿に近づきつつある。これは主人公が徐々に感情を理解してしまった故の現象だ。主人公は封じていたモノが解かれるたびに、成長するよう肉体を設定していた。自分が失敗作だったと分かりやすい目安に……

 

 初登場は第1話。

 

 

⑥俺は……スーパー鈴仙だ(全てを思い出した主人公。その気になれば②③④⑤全ての姿や性格に切り替えできる)

 

 ⑤が全てを思い出し、取り戻した時の主人公。

 この時の主人公は悲しみと、失望しか感じなかった。薄々分かっていた事とはいえ、自分が失敗作だと証明できてしまったからだ。だから、あとちょっとだけ楽しんだら地上から姿を消し、人類が終焉を迎えるその日まで楽園で眠りにつこうと思っていた———その考えを変えさせたのは、自分に恋したある女性の存在だったのか、それとも……

 外見や性格は基本的に③や⑤を切り替える。頼まれれば、②を見せるのも吝かではない。本人曰く恥ずかしいらしいが……因みに周りからは⑤の方が好まれるが、一部は③の方が好みだという者もいるらしい。

 

 初登場は第33話。

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———結局さ、私は羨ましかったみたいだ。

 人間のように感情を感じ、醜く生きる事に。

 家族が欲しかっただけなのかしれない。

 一緒に笑って悲しめる仲間が欲しかっただけなのかもしれない。

 そんな当たり前を、まさか他人に気付かされるだなんて、思いもしなかったよ———でも、そうさね。礼は言っとくよ。

 ありがとう……愛してるよ———『永琳』

 

 

 

 

 




何故主人公が③の姿を得たのか、月にいた頃はどんな感じだったのか。その辺はその内番外編で書こうかと考えてます。


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44話

番外編です。基本的に本編後のお話ですが、場合によっては本編前又は本編中のお話も出すかもです。


 

 

 

 

 

『あなたは何処に行くんですか? 今すぐこの場から離れてどこか遠くに行けと言われましたけど、あなたはどうするんですか?』

 

 背中を見せ、その場を去ろうとする彼女にそう訊ねた。

 

『———なに、あいつに別れを告げに行くだけだよ。言いそびれてたからな』

 

『それなら私も行きます。あいつって小娘ちゃんのことでしょう? もう会えなくなるのは寂しいですが、二人でさよならをして、そのまま一緒に———』

 

『全く……そろそろお前も独り立ちしても良いだろうさ。私はお前達に殺す以外の生き方を教えたし、知恵もやった。私がいなくてももう平気だろう』

 

 彼女は呆れたように告げた。

 本当はその言葉を否定したかったが、私には出来なかった。

 

『それとこれとは話が別です。私は、あなたとまだ一緒に居たいだけです』

 

『…………本気か?』

 

『本気です』

 

 彼女と出会ってから私の生き様は変わった。

 それはとても楽しいものだ。

 しかしその楽しさは、彼女が居て成立するものだと、気付いていた。

 だからこそ、手放したくなかった。

 

『……悪いな、それは無理だ』

 

『どうしてですか?』

 

『私は……何というかな。このまま遠い所へ行くつもりだ。だからお前とはもう会えない』

 

『嫌です、そんなの認めないです』

 

 だからこそ、頑なに彼女を引き止めた。

 

『———分かった。じゃあその内また会いに来るよ。だから行かせてくれ』

 

 だからこそ、私はその日初めて『嘘』をつかれた。

 

 

 

 

 

 とてもやさしい、やさしいうそ。

 でも私は、その時から『嫌いなこと』が一つできた———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「長耳ちゃん、一つお願いがあるのです。聞いてくれますか?」

 

『なんですか急に。夕飯のリクエストなら今日は天魔さんの番ですから、鬼神さんはまた今度ですよ。というか何で毎日のように夕飯だけ食べに来るんですか貴女たちは』

 

 そろそろ夕飯の準備をと、エプロンを手に取った瞬間いつものように遊びに来ていた鬼神母神にそう言われた。

 

「もう、違いますよ。夕飯のリクエストなんかじゃなくて、ちゃんとしたお願いです。あと毎日遊びに来るのは長耳ちゃんに会いたいからです。夕飯だけ食べに来るのは多少は自重した方が良いと天魔ちゃんとお話して決めたからです」

 

 なんと。

 まさかあの我儘で傍若無人な天魔と鬼神が、此方に遠慮をしていたとは。

 結局毎日のように来てるからこちらの負担はあまり減らないが、ここはあえて褒めておくべきところだろうか判断に迷う。

 

『まぁそれはこの際どうでも良いですか。それで、お願い事とは?』

 

 最近異変とかも起きないし、少し刺激が欲しかったところだ。

 珍しい旧友からの頼みだし、聞くだけ聞いても損は無いだろう。

 

「はぁい。そんなに重要というわけでは———あ、いえ。私にとっては重要かもしれないと言いますか……兎に角、連れてきて欲しいんです」

 

『はぁ、誰をですか?』

 

 ナニかを連れてきて欲しいとはまた変わったお願いだ。

 怪力乱心の神ともうたわれた鬼神母神が、己のその力で連れてこられない存在なんてそうそう居ない筈だ。

 もしや天魔の輩が、何かしでかして鬼神を怒らせたとか?

 

「連れてきて欲しいのは、私の『娘』です」

 

『娘……ですか?』

 

「えぇ、娘です。絶賛家出中の娘を連れ戻して欲しいんですよぉ」

 

 娘。

 鬼神母神の娘というと、鬼の眷族のうちの一人だろうか。

 自分がよく知っているのだと、星熊勇儀や伊吹萃香などだが……

 

「違いますよぉ。勇儀ちゃんや萃香ちゃんも私のムスメのような存在ですが、あの子達は家出なんかしてません。私の言う家出娘は他の鬼とちょっと事情が違いましてぇ。文字通り私と血が繋がってるんです」

 

『血が繋がってる……?』

 

 それはつまり、あれか。

 あれなのか。

 

「え、嘘だろ。お前産んだの?」

 

「? あーそうじゃなくてですねぇ。というか何でまた喋らない遊びやってたんですか長耳ちゃん」

 

「いやなに、わりと色んな連中から『前の方が良かった』って言われるからこっちをデフォルトにしようかなと。あとちょっとした諸事情で」

 

 驚きのあまりつい喋ってしまった。

 

『産んでない? じゃあ何故血が繋がってると?』

 

 確かに冷静に考えれば、この鬼神に子の種を注ぐ相手がいるとは思えないが……

 

「んー、なんて説明したら良いですかねぇ。というか長耳ちゃんも一度会っている筈ですよ。ほら、この前長耳ちゃんの身体に入った異変のときに」

 

『憑依異変で……?』

 

 少し記憶を整理してみる。

 

 

 

 

 

『……そうだな、折角だからバトルロワイヤル形式でやろうか』

 

『おぉ、そいつは名案じゃな!』

 

『はいはーい、私先ずはあそこにいる、ピンク髪でシニョンしてる家出娘をやりたいでーす』

 

 

 

 

 ———あぁ、あの時のか。

 

『確かにあの人。妙な波長というか、鬼神さんに似たものを感じたような……』

 

 あの時は色々と舞い上がっていたし、あの場にいた一人一人に深く注意を向ける事が無かったため、その時は鬼神の言葉も特に気にする事なく受け流していたし、気が付いていなかった。

 

「思い出してくれました? 実は幻想郷に居ることはだいぶ前から知っていたので、ちゃんとお話しようと何度も会おうとしてるんですけど……」

 

『避けられてるんですか?』

 

「えぇ……なのでこの前の異変の時がチャンスだったのですが、つい夢中になりすぎて逃げられてしまいました。それから今日に至るまで探し続けているんですけど、いつも直前で逃げられるんです。多分私の気配に敏感なんでしょうね」

 

 成る程、だから自分に頼むわけか。

 

『でもどうやって連れて来れば良いのですか?』

 

 少なくとも、ついて来てと頼んでも素直に従うわけがないだろう。

 

「んー、そこは長耳ちゃんにお任せしますよぉ。別に手足の一本や二本捥ぎ取って引き摺って無理矢理とかでも構いませんよー」

 

『自分の娘に対して酷い発言をする親ですね。というか嫌ですよ、暴力で解決するのは』

 

「え……? でも長耳ちゃんってわりと暴力で解決してませんか? 私や天魔ちゃんなんて、何度生死の境を彷徨ったことか……ん、思い出したらちょっと興奮しました」

 

『だって貴女たちそうでもしなきゃ止まらないじゃないですか!』

 

 話し合いで通じる相手ならそれに越した事はない。

 

「……まぁとにかく、連れてきてください!」

 

『逸らしましたね。別に良いですけど……それで、何処にいるか見当はついているのですか?』

 

「うーん……射命丸さんからの情報だとぉ。博麗神社や人里での目撃が多いみたいなんです。というか、長耳ちゃんなら簡単に見つけられるじゃないですかぁ。ほら、はちょう? だとか何とかで」

 

『あー……まぁそうなんですけど。実は諸事情で今その能力は封印中といいますか』

 

 自分の言葉に鬼神は首を傾ける。

 

『この際だからちゃんと説明しておきます。私の能力———波長を操ると呼称してましたが、正確には違います』

 

「違うんですか?」

 

『違うんです。名前を付けるなら、『裁定し調律する』能力です。霊夢ちゃんがこの幻想郷の調律者であるように、私はこの世界、『地球』という惑星の調律者です。これは私が生まれた時に与えられたもの、その能力の応用で私は人外じみた力を手にしています』

 

 他人に説明するのが難しい為、今まで便宜上『波長』という言葉にしていた。

 

『あらゆるモノを裁定するにはそれを上回る力が必要でしょう? 調律するためには全てを知らなくてはいけないでしょう? だから私は鬼神さんや天魔さんを力でねじ伏せられるんです』

 

「むー……要は長耳ちゃんのその強さは、それに起因するものということですか?」

 

『まぁそういう事ですね……なので今の私はそこら辺にいる妖怪と大差ない強さなんで、この前みたいにいきなり殴りかかったりしないでくださいよ?』

 

「えー……」

 

『そこで不満そうな声を出さないでください……まぁ良いです。とにかく、私の能力には頼らないでくださいってことです。なので、頼み事は引き受けますけど約束はできませんよ?』

 

「はぁい。私はここで待ってるので、よろしくお願いしますー」

 

 そうと決まれば、明日は先ずは買い物ついでに人里の方をあたってみるとしよう。

 

「あ、あと長耳ちゃん」

 

『? 何です?』

 

「最悪これだけでも伝えてください。もし、あの娘に会ったなら———」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お、薬屋じゃないか。今日は少し懐かしい格好をしているな」

 

『慧音さん』

 

 買い物籠を持ちながら里をぶらぶらと、情報収集していると人里の守護者と出会した。

 

「うんうん、喋るようになった着物姿のお前を否定するわけではないが、やはりその姿の方が私にはしっくりくるな。しかし急に何故その姿に?」

 

『まぁ……一種の気分転換みたいなものです』

 

 やっぱりこっちの姿の方が馴染みがあるのか、今日は会う人会う人に似たような事を言われた。

 

『それより、少し聞きたいことがあるんですけど』

 

「ん、何だ? 私が答えられることなら何でも答えるぞ」

 

『実は人探し……ではなく、『鬼』探しをしているんですけど』

 

 そう伝えると、慧音さんは少し不思議そうな顔をした。

 

「鬼……? それはあれか? 最近お前とよく一緒にいる……」

 

『えっと、その鬼ではなくてですね。あー髪色は同じなんですけど……兎に角、今日は人里に鬼らしき妖怪は入ってきていませんか?』

 

「いや、見てないな。もし鬼が人里に出入りしているのなら、目立つだろうから見逃したってこともないだろう」

 

『そうですか……』

 

 となると、少なくとも今は人里には居なさそうだ。

 

「よく分からんが、鬼なら地底を探してみたらどうだ?」

 

『———そうですね、ありがとうございます』

 

 確かに地底には鬼が居るが……鬼神の話を聞く限りそこに居る可能性は低いだろう。

 何でも、たまに他の鬼に会う為に訪れたりしているらしいが、基本的には鬼神だけでなく他の鬼も避けているらしい。

 

「———あ、そうだ薬屋」

 

『はい?』

 

 礼を言って、その場から去ろうとしたら呼び止められた。

 

「もしかしたら、博麗神社にいるかもしれないぞ。今日は神社で縁日があるらしいから、人に限らず妖怪すらも集まるあの神社なら探し鬼も見つかるかもしれない」

 

 そう言って慧音さんは一枚の紙切れを渡してきた。

 どうやら神社の縁日の宣伝を記したチラシのようなものらしいが……『ケセランパサラン公開中!』と書いてあるのはどういう意味なのだろうか?

 ———しかし博麗神社か。

 神社での目撃情報もあるみたいだし、次は神社の方に行くとしよう。

 

「———ただ、少し妙な事が起きてるから、行くなら気を付けて行くと良い」

 

『妙な事?』

 

「あぁ、実は昨日から神社の縁日に行こうとする人々が、神社に辿り着くことなく帰ってくるんだ」

 

 ふむ、確かにそれは妙だ。

 

『野良妖怪でも出たんですか? でもあの霊夢ちゃんが神社までの道の整備を怠るわけないし……』

 

「あぁ、別に危険があるわけじゃない。ただ皆が口を揃えて、『突然空腹になったから帰ってきた』と言うんだ」

 

 空腹?

 お腹が空いたから神社まで行く気が無くなり、引き返したということだろうか。

 理由としては別に普通だが、行く人々全員が同じ理由というのは確かに妙な話だ。

 

『———まぁ考えても仕方ないですね。とりあえず神社に行く途中で原因がわかったら知らせますね』

 

「それは助かる、何かあってからでは遅いからな。私も近いうちに調査に行くつもりだったが、お前なら安心して任せられる」

 

『えぇ、任せてください』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———と、少し意気揚々と人里から神社を目指し始めたのだが……

 

(……確かに、急に空腹感が)

 

 歩く度に空腹感が増し、心なしか手足も鉛のように重くなった気がした。

 今の自分はそこらの人間と何ら変わらない状態なため、自身が被害に遭う可能性も考慮していたが……これは中々どうして辛いものだ。

 しかし神社まであと少し、あまりしたくはないが、最悪飛んで……

 

(———誰か倒れてる)

 

 と、山道で倒れている人間を見つけた。

 人里の人間だ。

 

『大丈夫ですか? この文字が見えますか?』

 

「———あ、あぁ……大丈夫だ」

 

 安否を確認すると、男は返事をした。

 脈も正常だし、外傷があるわけでもない。

 命に別状はない状態だが……

 

「く、薬屋さんか……申し訳ないが、水を持ってないか……?」

 

『ありますよ。ゆっくり飲んでくださいね』

 

 水が入った竹製の水筒を取り出し、少しずつ飲ませた。

 すると少しだけ顔色が良くなった様子だ。

 

『どうして倒れて?』

 

「い、いや……急に腹が空いて……」

 

 成る程、やはりこの空腹感は人為的なモノに近いかもしれない。

 

『とりあえず背負うんで、一緒に神社まで行きましょう。縁日やってるみたいなんで、食べ物の屋台は沢山ありますよ』

 

 ここからなら人里に戻るより神社に向かった方が早い。

 そう考え、男を背中に背負った。

 

「す、すまない。女性にこんな事をさせるなんて……」

 

 両手が塞がっているため、筆談の代わりに男の背中を軽く叩いて気にするなと返事をした。

 ———しかしお腹が空いた。

 こんな事なら団子の一つや二つ持ってくるべきだったか。

 

 そして押し寄せる飢餓感を振り払いながら、神社を目指した。

 やがて、見覚えのある長い階段が目に入り、男を落とさないようにゆっくりと階段を登った。

 

(———縁日だというのに、騒ぎ声がしない)

 

 そんなことを思いながらひたすら階段を登る。

 そして疲労が限界を迎えようとする前に、何とか登りきることができた。

 

(———あ、やばい)

 

 しかし最後の最後で、躓いてその場で転んでしまった。

 とりあえず背負った男を怪我させまいと、あえて抵抗せずに地面に倒れたが、その結果顔面から強打した。

 痛い。

 

(ぐっ———この私が転ぶなんて無様を晒すとは……)

 

 この姿で良かった。

 もし強気で喋る自分の姿でこの無様を晒した日には恥ずかしさで、また人類を全員抹消しようとしていたかもしれない。

 

「大丈夫!?」

 

 と、駆け寄る足音と聞き覚えがある声が聞こえてきた。

 

「———と、何だ鈴仙か。これはどういう状況だぜ?」

 

「どうしたのよ、何かにやられたの?」

 

 魔理沙ちゃんと霊夢ちゃんの心配する声がした。

 

「す、すまない薬屋さん……大丈夫か?」

 

 背中の感覚から、男は自分の背中から離れて立ち上がったようだ。

 

『大丈夫でぇす』

 

 ちょっと転んだ恥ずかしさで顔を上げられないので、そう書いた紙を倒れたまま掲げて無事を知らせた。

 

「何だ、喋るのやめたのか? まぁ良いけど、何かあったのか?」

 

『平気平気、それより誰か。何か食べ物持ってきてくれない? 二人分』

 

「食べ物? あんたが食い意地を張るなんて珍しいわね。『華仙』、持ってきてあげて」

 

「え、あ……」

 

「? どうしたのよ、鈴仙をじっと見つめて」

 

「な、何でもないです。食べ物ね、すぐ持ってくるわ」

 

 ———おや、この声は……?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———はい、とりあえず八目鰻」

 

「あ、ありがとう」

 

『ありがとうございます』

 

 華仙と呼ばれた『ピンク髪』の女性から八目鰻が入った容器を受け取り、早速食べ始めた。

 これは美味い。

 美味しい八目鰻が空腹というスパイスでさらに美味しさを引き立てている。

 

「えっと……それで何があったの?」

 

 華仙がそう問い掛けてきた。

 

「あ、あぁ……別に大したことじゃない。ただ単に、空腹で疲れて倒れてたところを、薬屋さんに助けてもらっただけだ」

 

 男がそう説明すると、華仙はこちらをチラッと見つめた。

 ———その瞳には何故か、動揺があった。

 

『何か?』

 

「え、いや……何でもないわ。それより、あなたは……どうしてここに?」

 

 明らかに自分と接する時の態度が変だ。

 何かに怯えてる……というより、困惑しているような。

 

『———縁日を楽しみに来たんですよ。けど、何故か猛烈な空腹が襲ってきまして、疲労困憊でここまで辿り着きました』

 

「そ、そう……では私は霊夢と少し話すことがあるので、これで」

 

 そう言ってさっと霊夢ちゃんのいる方へ行ってしまった。

 ———まぁ、記憶違いでなければあの女性が探し鬼だろう。

 鬼っぽさは無かったが、何処となく鬼神に似たモノを感じさせた。

 けど、今すぐに連れ去るわけにもいかない。

 とりあえず頃合いを見計らって、話し掛けてみることにしよう。

 

 ———そうして、暫く神社に滞在していると、あっという間に夕刻が近づいてきた。

 

「それにしても、本当に誰も来ないな。どうしちゃったんだろう」

 

 と、隣に座っている魔理沙ちゃんがお酒片手にそう言った。

 その近くでは縁日の屋台を経営していた河童や妖精達も、お酒片手にヤケ酒をしている。

 

「唯一来たあの男の人も、思い当たる節は無いって言ってたわ」

 

 と、華仙が言う。

 

「うーん……鈴仙、お前は何か心当たりはあるか?」

 

『心当たり……ね。あるにはあるかもしれないけど』

 

 煙管で煙を吹かしながら、魔理沙ちゃんの問い掛けに答えた。

 慧音さんの話では縁日には一応向かった人達が何人かいた筈だが、その人々が縁日に行けなかった理由と、今回自分やさっきの男の人が感じた空腹感のことを簡潔に話した。

 

「———そういえば私も急にお腹が空いたな。妙な偶然もあるもんだ。どの道このままだと、この神社の時代は終わりって事かな」

 

「いつ時代が来てた」

 

 うーむ、本当に単なる偶然だろうか?

 流石に同じ被害に遭った者が多過ぎるし……

 

『そういえば、霊夢ちゃんは?』

 

「霊夢なら私の代わりに調査に行ったぜ」

 

「……それにしては、流石に遅すぎない?」

 

 華仙の言葉で、その場にいた全員に嫌な予感が走った。

 

『私様子見てくる』

 

「いや鈴仙、ここは私とこの仙人様に任せておけ。お前はこの場で河童と妖精共を守ってやれ」

 

「そうね、さっきから不可解な事ばかり起きてるから用心して損はない」

 

『了解。じゃあ私に守られたい子この指止まれ』

 

 そう宣言すると、臆病な妖精が何匹か体に蝉のようにしがみ付いてきた。

 ———しかし、あの霊夢ちゃんがやられるなんてことはないと思いたいが……

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———まぁ、結果から言うと霊夢ちゃんは無事だったらしい。

 何でも、神社の階段の下で倒れていたそうな。

 そしてその原因がやはりと言うべきか……

 

『ヒダル神?』

 

「おう、何でも浮遊霊の一種らしくて、憑かれると手足がダルくなったり、あらがえない飢餓感をもたらす輩らしい」

 

 成る程、浮遊霊か。

 確かにそれなら姿を見せずに犯行が行える。

 人里の人々や私、魔理沙ちゃんや霊夢ちゃんに悪さをしていたのはそいつで間違いないだろう。

 

『それで、そのヒダル神をどうやって片付けるの? まさか放っておくわけにはいかないだろうし』

 

「そこは霊夢に全部任せたぜ。相手が霊と分かったんなら、除霊なんて霊夢には朝飯前だろ」

 

『それもそうか……神なんて大層な名前付いてるから、一度己が手で捻ってやりたかったんだけど」

 

「おいおい、物騒な本音が声に出てるぜ」

 

 まぁ仕方がない。

 早く解決するならそれに越した事はないだろうし、自分の『目的』はまだ達成されていない。

 今はそっちに集中しなくては。

 

「そうだ鈴仙、縁日の件だが、少し日を伸ばして明日もやる事になったらしいから、お前も参加しろよ」

 

『もちろん行くつもりだったよ』

 

「あー違う違う。私の言う参加しろってのは、運営側に参加しろってことだ」

 

 ……それはつまり。

 

『私も屋台出せってこと? 何で?』

 

「なに、昨日今日で今ある屋台は制覇しちまったからな。新しい刺激が欲しいんだ。できれば珍しい出し物だと嬉しい」

 

『そんな急に言われても……』

 

 以前人里の夏祭りで綿あめを出した事があるが……それではダメだろうか?

 

「お前なら珍しい物沢山持ってる気がするぜ。知恵の実、禁断の果実、黄金の林檎とか———」

 

『なに、フルーツジュースでも飲みたいの?』

 

 どうしてこう、人間は伝承とかを簡単に信じるのだろうか。

 知恵の実だとか禁断の果実とか、そんなものを食べた覚えもないし、蛇に唆されたこともない。

 まぁ確かに楽園には果実が無限にあるが、大して美味しくもないから需要はないだろう。

 

「そうだ、今度お前のこと研究させてくれよ。『パチュリー』の奴もお前のこと話したら興味深々にしてたし」

 

『研究って、何するつもり……?』

 

「あー……大丈夫だ、痛くはしない」

 

『嫌な予感しかしないからやだ。髪の毛とか爪とかで良いならあげようか?』

 

「そんなものよこされてもな……いやまて、もしかして良い素材になるんじゃ———」

 

『別に普通の人間のと変わりないけどね』

 

 いけない、話が逸れてしまった。

 

『———まぁ良いよ。屋台の件は引き受ける。ただしあまり期待はしないでおいて』

 

「おう、期待せずにいるぜ」

 

 急な話だが、丁度良い。

 ここは一つ、仙人様を釣れる罠を仕掛けるとしようではないか。

 

 

 

 



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45話

今更ですが、東方茨歌仙のネタバレがあるので、ご注意下さい。


 

 

 

 

 

 つまらない。

 つまらない。

 つまらない。

 あぁ———つまらない。

 何も無い、何も感じる事ができない。

 退屈で退屈で、狂いそうだ。

 

 たまに、人間や同類(妖怪)が押し寄せてくるが、ほんの一瞬で『楽しみ』は終わってしまう。

 だから自分から出向く事もあったが、すぐに飽きてしまった。

 こうして眠りにつき、かつての思い出に浸っていた方がまだマシだった。

 

 あの時は楽しかった。

 本当に、心の底から楽しかった。

 対等に殴り合える友がいて、面白い事を沢山教えてくれる人間がいて———それから、自身に生きる楽しさを教えてくれた愉快な長耳の兎がいた。

 こうして目を閉じるだけで昨日のことように思い出せる。

 

 ———だが、あの日々は既に終わった。

 対等に殴り合える友はロクに話せもせず何処かに行ってしまった。

 面白い事を沢山教えてくれる人間は空に行ってしまった。

 愉快な長耳の兎はそんな人間を追いかけ、そのまま消えた。

 残った自身は、仕方なくあてもなく彷徨った。

 永い時間を彷徨い、世界を彷徨い、行き着いた先は結局退屈な日々だった。

 

 ———何故だろうか。

 どうして兎は、人間を追いかけたのだろうか。

 どうして私ではなく、人間の方を選んだのだろうか。

 もしかして逆?

 人間が兎を連れ去った?

 兎を独り占めしたかったのだろうか。

 その気持ちはよく分かる故、その人間を憎む気すらも出来なかった。

 だが己の内で暴れるこのぐちゃぐちゃしたモノは、いつまで経っても消えなかった。

 

 ———いっそのこと、何も考えずに暴れてしまおうか。

 そうしたらまた兎がふらりとやって来て、自身を叱ってくれるのではないか。

 そんな衝動に身を任せ、住処を飛び出した。

 

 自慢の角は研ぎ澄まされ、触れるだけで木々をなぎ倒す。

 爪は障害物を切り裂き、大地をかける四足は地面を抉り取る。

 このまま走り続けて、走り続けて、この身力尽きるまで暴れてやろう。

 そうすればきっと———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっと、こんな所で寝ないでよ」

 

「———何だ、永琳ちゃんじゃないですかー。どうしてここに?」

 

「どうしても何も、此処は私の家よ」

 

「……あーそうでした。長耳ちゃんを待ってたんでした」

 

 少し、ぼんやりする。

 まだ酒は呑んでいないというのに、いつの間にか寝入ってしまったようだ。

 

「彼女に何か用事でもあったの?」

 

「用事というか、ちょっと頼み事を引き受けてもらってるんですよ」

 

「ふーん……あなたが頼み事って珍しいわね。何を頼んだのよ」

 

「えぇ、家出してる私の娘を連れてきて欲しいと」

 

「———伊吹萃香の方なら、さっきミスティアの屋台で見掛けたわよ」

 

「あー萃香ちゃんじゃなくてですねぇ。私と血が繋がってる方の娘で、多分永琳ちゃんは会ったこと無いと思いますよ」

 

 そう伝えると、怪訝そうな顔をされた。

 

「……なに、産んだの? いつ? 相手は?」

 

「そうでもなくてですねー……何で長耳ちゃんと同じ勘違いするんですか?」

 

「違うの? じゃあどういう…………待って、『血の繋がり』ってあなたまさか———」

 

「言っときますけど、無理矢理とかじゃないですからね。お互い合意の上でした———まぁ、あの娘にはあの時、他の選択肢はなかったでしょうけどね」

 

「それにしたって不可解ね。あなた、そんな事するタイプじゃないでしょ。そもそも、眷属を創ってる事すら前から不思議に思ってたわ」

 

 確かにその通りだ。

 天魔のように私は群れる事に拘りはないし、本当はする気もなかった。

 では何故、今の私は沢山の眷属に囲まれ、家出娘を探しているのか。

 それは———

 

「んー、言われてみると何でですかねー?」

 

「いや、質問してるのはこっちなんだけど……」

 

「まぁ強いて言うなら、『成り行き』ですかねぇ。もしくは気紛れ?」

 

「分かったわ。特に考えは無かったってことね」

 

「むー、でも眷属達を創る『意味』はありましたよー。私、一時期自分でも抑えきれないくらい暴走しそうになってたんですけど、眷属を創ったお蔭で良い感じにガス抜きができて力をコントロールしやすくなったんですよ。まぁ狙ってたわけじゃないので、結果おーらいという奴でしたが」

 

「そう、それは良かったわね」

 

 ———そこで、永遠亭の玄関の戸が開く音がした。

 そして此方に近づいてくる足音———しかしそれは、『一人分』だった。

 

「あ、おかえ———」

 

「お帰りなさい長耳ちゃん! ずっと待ってましたよ!」

 

『ただいまですよっと———永琳顔こわ! 何で憎しみの目を鬼神に向けてるのです?』

 

「別に……!」

 

 ———やはり彼女一人だけだ。

 

「やっぱり長耳ちゃんでも難しかったですか? 本当に抵抗するようなら半殺しくらいにしても良いんですよ?」

 

『まだ言いますかそれ……別に失敗したわけじゃありせんのでご安心を。今日は様子見だけで、勝負は明日からです———時に鬼神、一つ聞いておきたいんですけど』

 

「はいはい、何ですかぁ? あ、私のすりーさいずなら上から———」

 

『それはもう知ってるんで言わなくても結構です。私が聞きたいのは、娘さんの好みです』

 

「はぁ———好み?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「大盛況みたいね、霊夢」

 

「あら、華仙。来てたのね」

 

 神社の縁側から一人、お茶を飲みながら騒がしい縁日を眺めている霊夢に私は声を掛けた。

 

「河童や妖精達との信頼も回復したみたいね?」

 

「えぇ、お陰様で」

 

 そう言って、微かな笑みを浮かべる霊夢。

 ———彼女は昔と比べて、だいぶ変わったと思う。

 面倒臭がり屋で、気分屋の彼女が神社で縁日を開いたり、ましてや人外を招き入れるようになるとは、当初は思いもしなかった。

 何というか、年相応の『人間』らしくなった気がする。

 

「何よそれ、私が今まで人間じゃなかったみたいな言い方」

 

「……貴女の勘とやら、偶に怖くなるわね。地底のサトリ妖怪みたい」

 

「アレと一緒にされるのは困るわね」

 

 霊夢は湯呑みに残ったお茶を飲み干す。

 

「……そういえば霊夢」

 

「なによ?」

 

「『あの屋台』、何かしら。昨日は無かったと思うけど……」

 

 昨日までは何も無かった場所に、新しい屋台が出来ていたのを知ったのはついさっきだ。

 どんな屋台なのか気になり、覗いて行こうと思ったが、どうやら人気らしく行列が出来ていたし、何の屋台なのか看板すら無かった為、一旦諦めてそのまま霊夢の元に来たのだが……

 

「あー、あれね。あれは…………」

 

「霊夢?」

 

「……丁度いいわ、華仙。知りたいついでに、その屋台に御使い頼んだわ」

 

 そう言って霊夢はお金を幾らか、こっちに投げ渡した。

 それを慌ててキャッチする。

 

「え、御使いって……」

 

「百聞は一見に如かず、よ。『一杯』で良いから、頼んだわよ」

 

「い、一杯って……」

 

 何か飲み物を出しているのだろうか。

 別に屋台の名前くらい教えてくれても、良いのではないかと内心で思いつつも、取り敢えず例の屋台に向かった。

 

「……並んでるわね」

 

 行列はさっきよりは短くなっているものの、あの屋台に辿り着くには少なくとも数十分程待たなくてはならないようだ。

 これも仕方なしと諦めて、行列の最後尾に並ぶことにした。

 

「お前また並んでるのか?」

 

「そういうお前こそ。もう三回目だろ」

 

 すると、私の目の前に並んでいる二人の人間からそんな話し声が聞こえてきた。

 それならばと、情報を先に集める事にした。

 

「もし、この行列の先の屋台。どんなものか教えて貰っても?」

 

「なんだ、知らないのに並んでるのかい? あの屋台は———なぁ、何て説明すれば良いんだ?」

 

「そんなの簡単よ、安くて旨い、珍しい酒が呑める。ついでに愚痴れる小さな居酒屋よ」

 

「小さな居酒屋……?」

 

 よく分からない。

 よく分からないが、『珍しい酒』が呑めるという事は分かった。

 こんな、まだお天道様が空高く居られる時に酒を愉しむのは些か気が引けるが、偶には良いだろう。

 

 内心浮ついてるのを認めて、ただ黙って順番が来るのを待つ。

 どうやら一人ずつ屋台を利用する仕組みらしく、列は中々進まない。

 それに屋台は全体的に布で覆われているの為、中がどうなっているか分からない。

 それらが余計に、期待を次第に膨らませていく。

 

 ———やがて、自分の順番が来た。

 上機嫌で屋台から出て行く、私の前に並んでいた人間を横目に追いながら、屋台の入り口を潜った。

 

 

 

 

 

『いらっしゃい———おや』

 

「————」

 

 思わず、後退りしてしまった。

 

『これは仙人様、ようこそ。どうぞ、お座りくださいませ』

 

「な、ななな……あ、あなたは……」

 

 ここで何をしている。

 その言葉がうまく出ない。

 

『なに、魔理沙ちゃんにせがまれて、屋台を出す事にしただけですよ———急だったもので、ロクな準備もできませんでしたが』

 

 それなのに、ご丁寧に説明をしてくれた。

 

『……あの、そんなに怯えられるのは正直予想外というか。別に取って食ったりしないので、どうか落ち着いて』

 

「———いえ、こちらこそ失礼を」

 

 何とか動揺を振り払い、落ち着きを取り戻し、一つしかない椅子に座った。

 

『———この屋台はお酒と、簡単なつまみを提供します。ただし滞在時間は大体五分を目安にしますが、その間ならお酒をいくら呑んでもいいし、私とお喋りに花を咲かせても……まぁ私は基本筆談ですが』

 

「成る程ね、じゃあ時間が勿体ないし、早速頂きましょうかしら———珍しい酒とやらをね」

 

 こっちはそれを楽しみに、数十分並んだのだ。

 もう一度並ぶ気も起きないし、限られたこの時間で楽しむしかない。

 

『珍しい酒……あぁ、あれか。思ったよりも反響が良くて嬉しい限りです』

 

 ———そして出てきたのは、一見すると普通の酒瓶。

 ラベルもなく、銘も分からない。

 分かるのは、透き通った水のように透明度が高いという事だけ。

 

『これに銘はありませんが、強いていうなら「月のお酒」ですね』

 

「月のお酒!?」

 

 月に文明があるのは私も知っていた。

 幻想郷にもその月からの住人が引っ越してきてたり、遊びに来ている事も。

 しかし実際、どんな文明が築かれているのか知らないし、興味もあまり無かった。

 話を聞く限り、地上に比べて娯楽の類が規制されていそうと推測していたが……流石に酒の類は月にもあるらしい。

 

『つまみは……確か甘いものがお好きとか。みたらし団子で良ければお出ししますよ』

 

 ———そうして、少し大きめのとっくりに注がれたお酒と、三本の団子が目の前に出された。

 

「———これは……良いわね」

 

 月のお酒とやらは、私の中の合格基準点を遥かに超えた。

 味は正直言って、お酒らしくない感じはするが……これはこれで良いものだ。

 何より呑みやすい。

 このお酒は、迎え酒として呑むのが一番かもしれない。

 

『気に入ったようで何よりです』

 

「えぇ、並んだ甲斐があったというものです———というか、何故一人ずつなのですか?」

 

『なに、簡単な話ですよ———あなたと、少しお話がしたくて』

 

「え……私と、ですか?」

 

 その言葉に、改めて目線を紙きれではなく屋台の店主に向けた。

 

 

 

 

「『茨木童子』、私の旧友にしてお前の『母親』から伝言だ」

 

 そこには。

 そこには、昔に伝え聞いた長耳()がいた———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もぐもぐ……お団子美味しいです」

 

あなた(鬼神)って、意外と甘党よね」

 

「好き嫌いはしませんよー? でも確かに、甘いのは好きですね。ほら、血肉と全然違うというか、お酒に合うと言いますか」

 

「何で血肉で例えるのよ……」

 

 皿に置かれた最後の団子に手を伸ばす。

 そして食べ過ぎだと言わんばかりに、永琳ちゃんに手を叩かれた。

 

「あ、でも血肉は血肉でも、美味しい血肉もありますよねぇ……ところで永琳ちゃんのお肉って、どんな味なんですか?」

 

「何か急に人喰い妖怪みたいな発言してきたわねあなた……もしかしてその気があるの?」

 

「産まれたばかりの頃は『そういうの』が主な餌でしたからねぇ……それに、『人間』はあまり美味しくないですが、偶に美味しい時もあるので、こう……籤引きみたいでワクワクしません?」

 

「しないしない……ちょっと、何でじりじりとにじり寄ってくるのよ!」

 

「永琳ちゃんは、当たりですかぁ? ハズレですかぁ?」

 

「きゃああああ! 食べられる! 物理的な意味で! た、助けて! うどんげぇぇぇ!」

 

「くっくっくっ、長耳ちゃんは今頃神社で縁日に参加してます……どれどれ、先ずはそのお胸から———」

 

「やめんか、アホたれ」

 

 ———角を掴まれた感触がしたと思ったら、次の瞬間とてつもない勢いで投げ飛ばされた。

 勢いそのまま、永遠亭の庭に激突。

 小さな穴ぼこを作ってしまった。

 

「……もう、ほんの冗談ですよ。天魔ちゃん」

 

「嘘は嫌いだったのではなかったか?」

 

「笑いを狙った冗談なのでセーフです」

 

「全然笑えないわよ! このお馬鹿!」

 

 着物に付いた汚れを払い落とし、髪に付着した土塊をはたき落とす。

 

「……あらら?」

 

「———あ、すまんの鬼神。思わず角をへし折ってしもうた」

 

 以前、長耳ちゃんに折られた角とは逆の角。

 それがあるべき場所になく、天魔ちゃんの手に握られている事に気が付いた。

 つまり今の私は———

 

「———角なしね」

 

「具の無い味噌汁じゃな」

 

「もう、二人して変な呼び方しないで下さい……むむむ」

 

 角は自分の象徴ともいえる存在。

 流石に二本とも折れたままではカッコウがつかない。

 仕方なしと諦めて、たった今天魔ちゃんに折られた方だけを再生させようと、力を込める。

 

「えいっ!」

 

「うわ、ニョキッと生えた」

 

「蜥蜴の尻尾みたいじゃな」

 

「ふー……!?」

 

 ———馬鹿な。

 角が、『両方』ある……!

 

「ああああぁぁぁぁぁぁ……!」

 

「何か急に落ち込み始めたけど……」

 

「ふむ、勢い余って角を両方とも再生させてしまったようじゃな。おおかた、長耳に折られた方だけそのままにしようとして失敗したか」

 

「……よく分からないけど、もう一回折ってもらえば?」

 

「頼んで折ってもらっても、嬉しくないです……」

 

 暫く突っかかるなと、釘を刺されたばかり。

 かといって、それを無視しても彼女に嫌われてしまうかもしれない。

 

「はっ……戦闘(殺し合い)じゃなくて、弾幕ごっこ(スペルカード戦)なら———でも私の角、無駄に硬いし。だったら予め亀裂でも入れて……」

 

『何言ってるか分かりませんが、あまり庭を荒らさないでくれますか?』

 

 ……気が付けば、永琳ちゃんと天魔ちゃんの隣に彼女が立っていた。

 

「———お帰りなさい、長耳ちゃん。ところで、今から弾幕ごっこしません?」

 

『しません、ちゃんと穴ぼこ埋めておいて下さい———あと、例の件。やっぱり連れてくるのは骨が折れそうだったんで、伝言だけ伝えてきましたよ』

 

「……そうですか、長耳ちゃん。ありがとうございました。あとはこっちで何とかします」

 

『どう致しまして———ところで、天魔はこんな時間に何の用ですか?』

 

「……やっぱりそっちのお前さん、何か気味が悪いのぉ。何でまた喋るのやめたのだ?」

 

『諸事情です———もしかして、また夕飯たかりに来ただけですか?』

 

「いや、少しばかりお前さんに頼み事があってな」

 

『……あなたも? ついさっきまで鬼神の頼み事を引き受けてたんですが』

 

「なら丁度良いというやつじゃろ。何、頼み事というよりかは、相談に近い。すぐに済む」

 

 そう言って、天魔ちゃんと長耳ちゃんは縁側の奥へと消えていった。

 

「……さて、今日は早めにお暇して———」

 

「待ちなさい。はい、これ持って」

 

 いつの間にか目の前にいた永琳ちゃんに、シャベルという道具を渡された。

 

「ちゃんと穴ぼこ埋めてから帰って」

 

「……やったの私じゃないのにー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……また来たの?」

 

「別に構いやしないだろ? ちょっと休憩するのに良い場所だからさ」

 

「『死神』も休憩するのね。てっきり、一日中舟でも漕いでるのかと———あぁ、でも眠くても『舟を漕ぐ』とも言うものね」

 

「そうだよぉ、あたいは一日中きちんと働いているのさ……一人で月見酒かい? あたいも混じってやろうか?」

 

「……まぁ、別にいいけど」

 

 どうせ来るだろうと思い、予め用意していた器を死神に投げ渡す。

 

「銘柄も無いけど、どんな曰く付きの酒だい?」

 

「月のお酒みたいよ、思ったよりも美味しかったから、ちょっと頂いてきちゃった」

 

「へー、それは珍しい。月の酒というと、最近幻想郷に遊びに来る連中から? それとも竹林の宇宙人から?」

 

「強いていうなら、竹林の方ね。まぁ、貰ったのは『兎』からだけど……いえ、兎の振りをした人間かしら?」

 

「———それって、『鈴仙』とかいう奴のことかい?」

 

「そうね……会ったことあるの?」

 

「一回だけね。あの時は単なる妖怪兎かと思ったけど、まさかねぇ……ああいう手前とはあまり関わりたく無いから、出来ればもう会いたくないね」

 

「死神の貴女が苦手意識とは、驚きね。まぁ……私もちょっと苦手かもしれないけど」

 

 鈴仙・優曇華院・イナバ。

 彼女の事は、実は昔から知っていた。

 最も、会ったことはなく、伝え聞いていた程度だったが。

 

「———はー……どうしよう」

 

 それで思い出した。

 彼女が私に伝えた『伝言』を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「そう身構えないで欲しいんだけど……というか、何でそんなに私を警戒してるの? この前の異変でちょっと大乱闘(弾幕ごっこ)しただけだと思うけど」

 

「いえ、少し聞いていた話とイメージが違うなと……もっとこう、おか……じゃなくて、鬼の頭領より暴虐で、残忍な性格かと」

 

「———あいつ(鬼神)、いったい私のことについて何をどう吹き込んだんだ……? いや、あの語彙力ではお察しの通りか———まぁ、見ての通りその聞いた話はアテにならないだろう?」

 

 長耳は何処からか煙管を取り出す。

 

「時間も無いし、本題に入ろうか。茨木どう……いや、華仙さんか。失敬、仙人様は仙人様だ」

 

「……あなた」

 

「悪かったって、勿論言い触らしたりしない。ここだけの秘密だ……それで、実は仙人様を連れて来いって、その鬼の頭領から言われてるんだけど……」

 

「…………」

 

「ふむ……あー、やっぱり無理矢理はヤダな。だから、伝言。取り敢えず聞いてくれない?」

 

 長耳は煙を吐き出す。

 ただし私に向けてではなく、何もない空中()へ。

 

「……聞きましょう」

 

「良かった……こほん。『今度、一緒に呑みませんか』だってさ」

 

「え……」

 

「まぁ、あれだ。私は関係ない立場だから口を出すべきじゃないけどさ……過去に何があって、今この瞬間から何が起ころうと、鬼神は仙人様の事、大事にしていると思うよ———正直あいつにそんな『感情』があるとは思わなかったけど」

 

「———でも、でも私は……!」

 

 思わず、感情が爆発しそうになる。

 それを、口元に人差し指を当てられて、抑えられた。

 

『今はそれ以上は言わない方が良いですよ。その気持ちを伝えたいのは、私ではないでしょう?』

 

 ———気が付けば、着物姿の長耳は消えていて、現代らしい服装に身を包んだ鈴仙がいた。

 

『さてさて、サービスであと数分延長します。何か愚痴があるなら聞きますよ。それとも、お酌でもしましょうか?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……急に黙り込んで、どうかしたかい?」

 

「いえ、ちょっと悩み事が……」

 

「ふーん……あたいで良ければ相談に乗ろうか? なに、日頃のお礼も兼ねてさ」

 

「勝手に休憩しに来といて何を……まぁいいか。じゃあ聞くけど、ずっと昔に疎遠になった親しい人に、久しぶりに呑まないか? って誘われたんだけど、どうしたら良い?」

 

「? 別に良いじゃないか。久しぶりに会うってことだろ?」

 

「なんていうか……喧嘩別れしたっきりというか。色々と複雑な気分なのよ」

 

「ふーん……もしかして、その相手ってあんたの『御同輩』かい?」

 

「……まぁ、そんなところね」

 

「はっはっはっ、そりゃ複雑だろうね!」

 

 他人事だと思って、笑う死神。

 

「まぁ、あれだよ。あまり気にしなくていいんじゃない? あたいも口煩い上司に嫌々付き合わされる時もあるけど、意外と楽しかったりするもんだよ」

 

「そういうものなのかしら……はぁ」

 

 ……でも、確かに良い機会かもしれない。

 今後の『計画』の為にも、霊夢だけではなく、様々な人妖からの助けがいるだろう。

 それに……私の『腕』も、いい加減見つけ出したい。

 

「仕方ない……か。腹を括るしかないようね———ちょっと、呑みすぎよ! 私の分まで取らないで!」

 

 

 

 




仙人と死神のペアが茨歌仙の中でなら一番好きなんですけど、いつの間にか本編が完結してて、もう見られないのかと思うと少し残念と思う作者です……


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46話

 

 

 

 

「なー母上、久しぶりにヤらない?」

 

「抜け駆けは許さないぞー、勇儀。お前はこの前喧嘩したばっかりだろ? 次は私の番さ」

 

「おかしいな、そんな約束事した覚えないぞー、萃香。まぁ、前菜としてならお前と喧嘩するのも悪くないな」

 

「言ったなこいつー。月まで吹っ飛ばしてやるから表でようやー」

 

 ———騒ぎ声と、酒の匂いが支配するこの場所。

 捨て去られた地獄を再利用した小さな町。

 その一角に建てられた大きな建物の一階部分。

 そこは鬼と人間達に名付けられた妖怪の宴会場だった。

 

「うふふ、二人ともごめんなさい。今日はこの後用事が出来るかもしれないので、また今度です」

 

「なっ……母上が喧嘩の誘いを断った……だと」

 

「何だよ出来るかもってー。どうせまた竹林の兎に会いに行くんだろー? ずるいずるい、偶には私達にも構えー」

 

「天魔様と同じ旧友とはいえ、羨ましいなぁ。というか私もそいつと一度ヤりあってみた———」

 

「———勇義ちゃん?」

 

「じ、冗談……じゃないけど、そんな顔しなくても、母上の想い人を取るつもりはないって。ただちょっと、手合わせを……」

 

「うふふふふ、私も仕方なく我慢して、長耳ちゃんとの喧嘩は自重してるんです。なのに、勇義ちゃんは私を差し置いて、誰と、手合わせ、したいと、言うのですかぁー?」

 

「…………あー、萃香。やっぱり今日はお前と喧嘩したい気分何だけど、どうだい?」

 

「はっはっはー、仕方ないやつだな」

 

 そそくさと酒瓶を持ったまま出て行く二人の鬼を見送ってから、自身も立ち上がった。

 ———どうやら、用事が無事に出来たようだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「あらあら、来てくれて嬉しいです」

 

「…………お久しぶり、です」

 

 地底に唯一流れる川の上に築かれた橋。

 そこでお互い、出逢った。

 

「ほんのちょっとだけ、来てくれないんじゃないかと思ってました」

 

「……その、本当は乗り気じゃなかったけど。呑みに行くだけなら案外楽しいかもと、助言されてしまいまして」

 

「それなら、その方に感謝しませんとね———えっと、こういう時は再会の『はぐ』? をした方が良いんでしょうか?」

 

「……別に構いませんけど、力加減は考えてくださいね。下手をしたら圧死しかねないので」

 

 そう言いながらも、その場から動こうとしなかった為、仕方なく此方の方から歩み寄った。

 古くなった橋の板が、ギシギシと音を鳴らす。

 

「———また逢えて嬉しいです、『華扇』」

 

「あっ…………」

 

 背は華扇の方が高い為、頭まで自らの腕に収める事はできなかったが、それで充分だ。

 そうして一分くらい、出来るだけ弱く、それでいて力強く抱きしめた。

 

 

 

 

 

「……あのさぁ、そういうの他所でやってくれないかしら」

 

「あら、ごめんなさい『水橋さん』」

 

 地底に住まう橋姫に怒られてしまったので、さっさと場所を移動する事にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの日を、覚えている。

 全部が変わった、あの日を。

 運命的といえば、ロマンチックに聞こえるかもしれない。

 けれど、あの日はそんな言葉で片付けられるほど、単純ではない。

 

 嗚呼、私はあの日を、覚えている。

 暗くて、闇い夕焼け。

 風が吹き、木々が騒めく森の中。

 そして、小枝を踏み潰し、枯れ葉を蹴散らす音———

 私はただひたすら、傷だらけの裸足で山道を歩く自分の足を見つめ、俯きながら歩き続けた。

 

 痛い、痛い。

 とうに疲労は限界を迎え、足は棒のように固まっている。

 もう、歩きたくない。

 だけど、私は歩き続けるしかなかった。

 私は、『贄』だから———

 

 

 

 

 私は名前すらない、小さな集落で産まれた。

 両親は物心つく前に死んだらしい。

 そして私を引き取って育ててくれた、育て親も、少し前にこの世を去った。

 元から病弱だったのだ。

 むしろ数年間たった一人で私を育てられたのは、奇跡に近いだろう。

 

 だが、私はまだ子供だ。

 大人の助けがまだ必要だというのに、そんな私を再び引き取ろうとする大人は、集落にはもう居なかった。

 仕方ないといえば、そうだろう。

 好き好んで、同情だけで手の掛かる子供を一人、面倒みようなどという余裕があるわけがない。

 必然的に、私は孤立し、孤独になった。

 それでも何とかしようと、一人で生きているように努力した。

 しかし上手くはいかずに、次第に私は『邪魔者』とされていた。

 

 そんな状況の中。

 最近ある事件が相次いで起こっていた。

 集落の近くの山に、『妖怪』が住み着いたらしい。

 妖怪は非常に凶暴で、毎日のように山を荒らし、動物達を喰い荒らす。

 今のところ集落にまで降りてきた事はないが、いずれ現実になるかもしれないと。

 大人達はその妖怪を退治する事にした。

 

 ———だが、退治に出掛けた人間は誰一人として、戻らなかった。

 危機感をさらに感じた連中は、都まで赴き、大規模な討伐隊を送り込んだ。

 しかし、誰一人として、戻らなかった———

 

 そうなったら、後はどうするか決まっている。

 強い者に勝てないのなら、『服従』する。

 突拍子もない考えで、それを行うとする。

 だから、私は選ばれた。

 月に一度、妖怪(強者)に捧げる『生贄』として……

 

「———お腹、すいたな」

 

 大人達に、山の中腹にある大木に括り付けられたのが昼餉前。

 隠し持っていた石製の刃物で何とか縄を切って、脱出できたのがついさっき。

 お天道様はもう、顔を引っ込め始めていた。

 

 死にたくはない。

 だが、生きる術は無い。

 集落には戻れない。

 かといってこのまま山の中に居ても危険だ。

 だから私は、あてもなく、傷だらけの足で歩くしかなかった。

 

「———今の、音は……?」

 

 ぼやける視界の中、木々のざわめきが耳に入った。

 その音は段々と近づいて来て、意識が鮮明になり、気が付いた時には、もう『ソレ』は目の前にいた———

 

「——————!」

 

「あっ……」

 

 死を悟る。

 今動いたら、確実に死ぬ。

 もう頭の中は恐怖で麻痺しているのに、生存本能だけが働き、私の呼吸を止め、悲鳴をあげるのを抑えてくれた。

 

「—————」

 

 私を低い唸り声を出しながら、観察するソレ。

 私なんかよりずっと巨大で、血に飢えた眼を私だけに注ぎ、牙をガチガチと鳴らす。

 頭部に目立つようにそびえ立つ、二本の角、それに棘のように尖っている体毛のあちこちには、指を切ってしまった時によく見るような、赤い液体が、たくさんついて———

 

「———ぅぅぅうううああああ!」

 

 思考より先に、身体が恐怖で動き出す。

 死にたくない、死にたくない。

 死んでしまう前に、殺してしまえ———!

 そんな短絡的で、当たり前の結論が、私の知らないところで出された。

 右手に持っていた刃物を、突き刺すようにソレに突き立てた。

 偶然にもそれは、人間でいう眼の部分に当て嵌まるだろう場所に刺さった。

 

 

 ソレは少しだけ唸り声を止め、ほんの少しだけ、理性が宿ったような目で、私を見た———

 そして頭部を軽く、私に向けて押し付けた。

 自然と体勢は崩れてしまい、地面に座り込む形になった私に、ソレは大きな口を開けて———

 

「———あ、れ……」

 

 気が付けば、手にしていた唯一の武器である、刃物が無くなっていた。

 私の、『右手』ごと、ごっそりと———

 

 不思議と、痛みはなかった気がする。

 只々、呆然と血を噴き出す己の右腕だったものを見つめて、漸く目の前のソレに喰われたんだと気が付いた。

 そして、視線を前へ戻した。

 そこには、私の血で汚れた、大きな口が再び迫って———

 

「—————ちゃ、ん?」

 

 ———その口が、私を粉々にしてしまう前に、何処からかそんな微かな声が聞こえた気がした。

 するとどうだろうか、目の前のソレから、視界を埋め尽くす程の煙のようなものが噴き出したかと思えば、次の瞬間ソレは跡形も無く消えていた。

 

 代わりに、そこには女性がいた。

 だが、明らかに普通の人間ではない。

 頭からは歪に曲がった角が。

 何より、その眼だ。

 この獲物を見定めるかのような眼は、さっきのソレと全く同じだった———

 

「…………腕、美味しかったです」

 

「え———ど、どういたしまして……?」

 

 阿呆だ。

 自分の腕を喰った奴に、何を呑気に言っているのか。

 

「……一つ、聞いても良いでしょうか?」

 

「は……? べ、別に構わないけど———」

 

 殺すのならさっさとしてほしい。

 どうせもう私は助からない。

 大人達の思惑通りになるのはシャクだが、生きる意味も術も無ければ、どうする事もできない。

 

「———『小娘』って、何でしょうか?」

 

「…………?」

 

「小娘って、そんなに良いものなんですか? 人間の子どもが、何でそんなにも大切なんですか? どうして、彼女は私に嘘をついてまで追いかけて行っちゃうんですか———」

 

 質問の意味は、よく分からなかった。

 というより、自問自答しているように感じる。

 

「……よく、分かんないけど。子どもは大切だって思えるのは、その子どもの『親』だからじゃない?」

 

「…………親?」

 

「小娘って子どもを、追いかける程大切に想う親だったんじゃない……分かんない、けど———」

 

 ダメだ、もう意識が朦朧としてきた。

 あぁ、結局何もできずに、何も遺せず、私は朽ち果てる———

 私は一体、何の為に今まで生きて……

 

「ねぇ、親って何ですか? 私にも『子ども』ができれば、私も親になれるんですか? 私も、———ちゃんを知る事ができるんですか?」

 

「——————」

 

 地面に倒れ伏した私を、揺さぶる感覚を少しだけ感じた。

 だが私にもう、答える事も、思考する事も難しい。

 あとはひたすらこの『闇』に、沈んでいくだけ———

 

「……あなたに、親は居るんですか?」

 

 ———その言葉で、私は浮上した。

 そう聞かれたら、私は答えるしかない。

 意地でも、答えるしかない……!

 

「本当の、親じゃないけど……もうこの世にはいないけど、居た! 私は、死ぬわけにはいかない! じゃなきゃ、あの人が私を育ててくれた意味が……!」

 

 歯を食いしばって、何とか立ち上がる。

 そうだ、たとえ死ぬしかないとしても、私は最後までそれに抗う。

 少しでも長く、生きるのだ。

 

「———じゃあ、私に教えてくれませんか? 親を、子どもを……その代わり、その傷を治してあげるので」

 

「———えぇ、えぇ! 教えてあげるわよ! だから私を、もっと生かして———!」

 

 そう宣言すると、目の前のソレは初めて『笑った』。

 そしてそのまま私を押し倒すと、自らの『右腕』をいとも容易く、ちぎり取った。

 

「飲んで、呑んで、のんでください———」

 

 私に馬乗りになり、ちぎり取った右腕の断面を私の口に押し付けてくる。

 断面からあふれ溢れる血が、私の顔を穢す。

 私はその意図を理解し、理性だけを抑えて、生きたいという本能でその血を、啜った。

 

「私の腕、あげますね」

 

 今度は、その右腕を私の右腕があった場所にねじり込むように押し付けてきた。

 そんな事で腕がくっつく訳がない———しかし、私は抵抗せずにそれを受け入れた。

 

 すると、身体中にこれ以上ない激痛。

 まるで身体の中で、蟲が暴れまわっているかのように。

 加えて、右腕の傷口が抉られるような感覚。

 気になって視線を右に移して見れば、千切れて動くはずのないソレの右腕が、ひとりでに動き出して、暴れている。

 断面に口があるかのように、私の傷口に噛み付いている。

 死にそうなほど不快で、痛い。

 私の意思とは関係なく、身体のあちこちが痙攣するかのように跳ね回る。

 

「痛いんですかぁ? よしよし、いたいの、いたいの、とんでけー」

 

 何処でそんな呪い(まじない)を知ったのか、まるで昔見たやつを、単純に真似をするようにソレは、私の頭を撫でて呪いを繰り返して口に出す。

 

 私は、地獄のような時を必死に耐えて、耐えて、耐えて———

 どれくらい時間が経ったのか分からないが、痛みや不快感が消え、意識がハッキリとした頃———

 

 

 

 

 私は、『人間ではなくなっていた』。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……何ですか、この坑道は」

 

「地上への近道です。最近はこの道しか使ってないですねぇ」

 

 案内すると言って、着いて行ってみれば、知らない道を歩かされている———

 歩くというより、登っているだが。

 

「もしかして、地上で呑むのですか?」

 

「はぁい、地底だと色々と気にして楽しめないと思ったので。あと、最近行きつけの所があるので、そこにしようかなぁと」

 

 驚きだが、どうやら私に気を遣っているらしい。

 

「———ここって……」

 

 ひたすら登り続けて、ようやく出口に辿り着く。

 するとそこには、永遠亭と呼ばれる屋敷が……

 という事は、ここは迷いの竹林だろう。

 

「あら、見慣れないお客かと思いきや、見慣れた客もいるわね」

 

 何でここと地底が繋がっているのか、不思議に思っていると、誰かが声を掛けてきた。

 

「あらあら、輝夜さん。お邪魔してます」

 

「残念だけど、鈴仙は今留守よ」

 

「それは残念です。ですが今日は、長耳ちゃんに用は無くて、竹林の方に用があるのです」

 

「あらま、それは珍しいわね。じゃあ引き留めるのは悪いわね———というか、鬼さんは迷わないようになったの?」

 

「多分大丈夫です。美味しそうな匂いを辿れば、辿り着きますから」

 

「犬か何かかしら……まぁ、もし迷ったら、大きな声で『助けてもこたん』って言えば、暇してる道案内人が見つけてくれるわよ。それじゃあね」

 

 庭を散歩していたのだろうか。

 おそらく永遠亭の住人である黒髪の女性はそう言って、去って行った。

 

 

 

 

 

 迷いの竹林には、少し前、人里で流行った兎ブームの時に訪れた事がある。

 霧で視界は悪いし、竹は気味が悪いほど規則的に生えている。

 加えて霊脈や龍脈が複雑に、それでいて巧く絡み合っている。

 何が言いたいかというと、あまり進んで訪れたいとは思わない場所という事だ。

 修行にはもってこいの場所ではあるのだが———

 

「……ん、ありました」

 

 多分、時間にすると十分くらいだろう。

 ひたすら歩いて、少しひらけた場所に出た。

 おそらく、人工的に整備された場所だろう。

 そこには、小さな屋台があった。

 

「ちょっと、ここで寝ないでよ。またおぶっていくなんて私はヤダ———あ、いらっしゃい。適当に座っておいて」

 

 屋台の光に誘われるかのように、近づいてみると、鳥妖怪らしき妖怪が、カウンター越しから、カウンターに顔を突っ伏して寝ている青い長髪の人物を起こそうとしていた。

 

「ほら、他のお客さん来たから、せめて端っこに寄って!」

 

「ぐぅ……全く、しょうがないわね……」

 

 ぐいぐいと押し込むように、鳥妖怪は青い髪の……多分、何の気配もしないし、単なる人間だろう。

 長椅子の隅っこにその人間を押し込み、人間は最後の力を引き絞るかのように、頭を端っこに寄せた。

 

「あぁ、気にしないで。こいつ、いつもこんな感じだから———あれ、よく見たら最近よく来る鬼の頭領さんに、説教が好きな仙人様じゃない。これまた珍しい組み合わせね」

 

「———あぁ、そういうあなたは確か八目鰻屋の……」

 

 鳥妖怪の方は、見覚えがあった。

 確か神社の屋台や、人里の方でもよく八目鰻を売っている夜雀の妖怪だ。

 

「夜は人里の外の草原や、竹林の中でお店をやってるの。よければこれからもご贔屓に———そして間違っても、私の前で焼き鳥なんて罪深い食べ物を食べないように」

 

 妙な圧力を受けながらも、椅子に座る。

 自分のカウンターのスペースに隣の人間の、長い髪の一部が入り込んでいたから、それを指で押し戻してあげる。

 ……顔は見えないが、この人間何処かで見たような———

 

「なんでも良いので、お酒二つお願いしまぁす」

 

 鳥妖怪———確かミスティアという名前だったか。

 彼女は手慣れたように、二人分の酒を用意した。

 

「かんぱーい」

 

「……乾杯」

 

 彼女とこうして、杯を交わすのはいつぶりだろうか。

 

「———うーん、やっぱりお酒は良いですね。長耳ちゃんと同じくらい好きです」

 

「……そういえば、その『長耳ちゃん』に伝言を頼んだそうですね。何でそんなまわりクドイ事を……」

 

「だって、あなた私から逃げるじゃないですかぁ」

 

「もう少し他にやりようがあったでしょう。何でよりにもよって……めちゃくちゃ怖かったんですからね!」

 

「? 何で長耳ちゃんが怖いんですか?」

 

「そりゃ凶暴で戦闘狂の『母親』が唯一勝てなかった相手なんて話を聞かされたら誰だって……あ」

 

 つい、口が滑ってしまった。

 今この場には、私たち以外にも……

 

「……ん? あぁ、気にせず世間話でも秘密話でも続けて。店主として、お酒の席で溢れた話は絶対に漏らさないわよ。それに、その気になれば『すぐに忘れられる』し———ん? そんなにじっと見つめて、何か追加の注文?」

 

 まるで実演するかのように、ミスティアはさっきまでの会話を『忘れた』。

 そして、その顔に嘘はない事はすぐに分かった。

 ……鳥頭って、そんな自在にコントロール出来るものなのか。

 動物たちを使役する者としては、かなり興味深いのだが……

 

「そういえば、何で『せんにん』? なんて名乗ってるのですかぁ?」

 

「……それは」

 

「それに———『右腕』はどうしたのですか? 確か人間に斬り落とされて、それを取り返しに行くと言って、そのまま家出しちゃいましたよね」

 

「…………」

 

「ふふ、別に怒っていませんよ。ただ、事情くらいは話してくれても———」

 

「———ごめんなさい、『お母様』」

 

 ———どうするか、ここに来る間かなり迷った。

 だけど、私は話す事を決意した。

 

「? 急にどうしたのです?」

 

「私は———もう、『鬼』に戻る気ないです」

 

 それは、決別の言葉だった。

 結果的にとはいえ、命を紡いでくれた。

 生きる術をくれた。

 数多の眷属()を生み出し、『家族』を創ってくれた。

 ———失った親を、『母親』を演じてくれた。

 とても言葉では表せない程、感謝している。

 それなのに、私はそんな彼女に対して、決別の意を示した。

 恩知らずで済めば、どれだけ良いだろうか。

 

「私は……人間の美しさを知って———いや、『思い出してしまった』。鬼として、茨木童子の頃が疎ましいとは言わない……けど、やっぱり私は何処までいっても『人間』。だから、仙道を進む事にしました」

 

 言い方は悪いが、腕を———鬼神の腕(右腕)を斬り落とされた瞬間、まるで憑物が落ちたような感覚だった。

 多分、『邪気』を失ったのだろう。

 かつて鬼神を蝕んで、我を忘れさせたおぞましい存在。

 それが右腕に宿り、私に憑き、そして私から離れた。

 

「……そうですか」

 

「…………」

 

「———えぇ、『構いませんよ』」

 

「えっ……」

 

 しかし、返ってきた言葉は意外だった。

 てっきり、文句の一つは言われると思っていた。

 

「元より、私はあなたを『同じ』にするつもりはなかったですから。単にあの時は、ああするしか方法を知らなかったもので———正直、角が生えてきて、髪の毛も私みたいになった時は、『あれー、なんでかな』って思ってました」

 

「———そう、ですか」

 

 少し、複雑な気分だ。

 ホッとしているような、そうでないような。

 

「…………でもですね」

 

「……?」

 

「あの時は、『嬉しかった』です。今まで独りきりだったのに、私に恐れず勇敢に立ち向かった人間が、私と同じになってくれたのは。私に『親を教えてくれた』ことも」

 

 鬼神は、一度表情を崩してから、もう一度『笑った』。

 

「『ありがとうございます』、華扇()。あなたのお陰で、私は親になれました。かつて嫉妬するしか出来なかった、長耳ちゃん()小娘ちゃん(子ども)の立場を、知る事ができたんです。それはとても、良い事なんですよ?」

 

 ———そうか。

 そうだったのか。

 あぁ、何だかとても安心した……

 

「……あれれ、でもなんで、未だに右腕を探してるんです? 萃香ちゃんに聞いた話だと、巫女を利用して何か企んでるとのことでしたが」

 

 確かに、鬼を棄てるというのなら、もう私に右腕は必要ない。

 では何故、右腕を求めるのか。

 

「それは……その、手元に置いておきたいんです」

 

「……?」

 

「一応、お母様からの初めての贈り物でしたので……」

 

「あぁ、成る程ー。好きなものは手にしてたいですもんねぇ」

 

 ———それに、早々に回収しないとまずいだろう。

 あれだけの邪気が込められた腕。

 封印はされている筈だが、それがいつ解かれて、厄災を振り撒くか誰にもわからない。

 

「———しかし、未だに幻想郷に流れ着かないという事は、やはり外の世界で未だに『記憶されてる』……? やっぱり直接外の世界に出向いた方が……」

 

「んふふ、この際もう一回、あげましょうか?」

 

「それは本当にやめてください。あんな吐き気を催す体験は二度とごめんです」

 

 ———それからというもの、時間も忘れて呑み続けた。

 

 

 

 

 




余談なんですけど、東方の二次創作をするにあたって、主人公候補になる元キャラは何人かいました。
今回は鈴仙を選びましたが、実は華仙もそのうちの一人だったり……何というか、見た目も性格もどストライクなんですよね、仙人様は……笑


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47話

 

 

 

 

 

『……今度は貴女からですか、仙人様』

 

「ごめんなさい。でも、頼れるのはあなたしか居ないと思いまして」

 

『まぁ、別に頼られるのは嫌いではないので正直そこは良いんですけど……外の世界に連れて行って欲しい———というのは、どういう事なので?』

 

 最近、妙に周りから頼み事をされる気がする。

 そろそろ姫様から無理難題の一つや二つ言われるのではないかと思っていたら、まさかの予想外の人物が訪ねて来た。

 

「言葉の通りです。以前、外の世界に旅行に行ったとの話を聞いたので、あの八雲紫のように世界を行き来する事ができるのではないですか?」

 

『確かに楽園を通じれば、できますけど……それこそ、紫さんに頼めば良いのでは?」

 

「……まぁ、『行く』だけなら確かにそうですね。ある程度の『対価』を示せば彼女も協力してくれるでしょう」

 

『———つまり、行くだけでは物足りないという事ですか?』

 

「その通りです。正確には、『探し物』が幾つかありまして……」

 

 ———さて、どうしたものか。

 別に引き受けても良い。

 ただし問題が一つある。

 

 

 今日、永琳(師匠)とお出掛け———要するに『デート』の約束をしているのだ。

 果たして仙人様の頼み事とやらが、一時間くらいで終わる可能性はどれくらいあるのだろうか。

 

『……あー、取り敢えず詳しい訳を聞かせて貰っても? 何の目的で、何を探しているのか———それを教えてくれなければ、引き受ける気にはなれません』

 

 多分だが、相当な訳ありとみた。

 ここで理由は明かせぬ———そう言ってくれれば、断れる理由ができるのだが……

 

「———分かりました。全て、お話ししましょう」

 

 ……まぁ、そう簡単に事は運ばないか。

 取り敢えず、長話になりそうなので、お茶の準備でもしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「———いや、よく生きてたな。あいつ(鬼神)の腕をくっつけて、あまつさえ『適合』するとは……ちょっと引くわ」

 

 思わず本音が言葉として出た。

 

「その……無我夢中というか、ヤケだったと言いますか」

 

 成る程、『血が繋がっている』とはそういう意味だったのか。

 鬼神がこの仙人にかつて行った方法は、自分が教えたものだ。

 もっとも教えた時は、不慮の事故で瀕死になった当時の天魔を手っ取り早く治療する為に、鬼神の血を媒介にして、肉体を分け与えるというものだった。

 まさかそれを、単なる人間にやるとは……ちゃんと、無闇矢鱈に使うなと教えた筈なのだが。

 

(……いや、これ間違いなく私の責任では……?)

 

 推測にはなるが、鬼神が暴走していたのも、自分が居なくなったショックによるものが起因だろう。

 そして華扇という少女が、人間として死ぬ事が出来ずに、鬼に変貌してしまったのも、要は自分が原因なわけで———

 

 うん、責任は取らなければ。

 だが、永琳の件をどうするべきか。

 蔑ろにしたら絶対拗ねるし、また後日って言っても納得しないだろう。

 だって、朝からずっと自室に篭って、色々と準備している永琳に、そんな事を言えるわけがない……!

 

 かといって、仙人様のいう『右腕』も放置するべきではないだろう。

 仮に封印とやらが解けてしまっている状態で、外の世界に存在しているとしたら、状況はかなりまずい。

 最悪の場合、犠牲者が既に何人かいるかもしれない。

 

『……一つ確認ですけど、右腕は再封印したいんですよね?』

 

「はい、我儘を言ってるのは承知の上です。どうかお力添えを……」

 

 鬼神母神の右腕。

 それを跡形もなく消し飛ばす事なら、自分か天魔、又は当事者の鬼神なら可能だろう。

 しかし、『封印』となると話が違ってくる。

 

『ふむ……ちょっと右腕を見せてもらっても?』

 

 了承を得て、仙人様の右腕を拝見させてもらう。

 一見すると、包帯でグルグル巻きの腕に見えるが、中身は存在していない。

 仙術による仮初の腕だろう。

 

『これは……多分なんですけど、腕を見つけても再封印は簡単にはできないかと』

 

「ど、どういう事ですか……?」

 

『封印は斬り落とされた右腕にされているわけではなく、あなた自身に施されてますね。多分連動していて、再封印するにはもう一度「同じ方法で」、あなたに施す必要があります』

 

 別の封印を施すという手もあるが、下手に別の刺激を与えると、何が起こるか予想がつかない。

 確実に安全に、再封印するには、同じ封印を同じ方法で行うのが一番だ。

 というか、鬼神の右腕をこうも綺麗に封印するとは……封印を施した人間はよほど優れて———いや、人間離れしていたのだろう。

 多分、当時の仙人様の『鬼としてあるが為』の原因を、右腕にあると見抜いて、斬り落とした上で封印をしたのだ。

 

「同じ方法……つまり、右腕を取り戻した私を『誰か』が倒し、『鬼切丸』で右腕を斬り落としてもらう———」

 

『そしてその誰かは、人間でなくちゃいけない……そうなると———霊夢ちゃんか、早苗ちゃん辺りが適任でしょう』

 

 自分もまぁ、ニンゲンではあるが……適任ではないだろう。

 

「———やはり、霊夢にやらせるしかないみたいですね」

 

『まぁ霊夢ちゃんなら心配ないですよ———問題なのは』

 

「えぇ、『右腕』と、『鬼切丸』を見つけなければならないという事———右腕は兎も角、鬼切丸の方はどうなっているのでしょうか。外の世界の……博物館でしたっけ? そのような施設にあれば少し『借りる』事くらいできるのだけど……」

 

『ふむ……そもそも、刀としてちゃんと残っているかが問題ですね。その辺りの伝承は詳しくないので何とも言えませんが、折れて粉々になってるかもしれませんし』

 

 逆を返せば、欠片の一つでも入手できれば、封印はおそらく可能。

 あの霊夢ちゃんなら、欠片一つあれば何とかするだろう。

 しかし何処から手をつけたものだろうか。

 せめて自分が現物を一度でも見た事があったら、仕方ないがここは能力を解禁して、探し出せたり出来たのだが……

 

『……まぁ、悩んでいても仕方ないですね。取り敢えず右腕の方から先に探しますか。準備の方をお願いします』

 

「え、もう出立されるのですか……?」

 

『時間が惜しいですからね』

 

 ———さて、なし崩し的に、いつの間にか引き受ける気満々になってしまったわけだが……

 永琳との約束をどうするか。

 その解決策は、もう出ている。

 少し早足で、永琳の部屋へと向かい、その襖を静かに開けた。

 

「———どうしましょう、今日に限って髪型がうまく決まらない……いっそのことおろして———あ、もうそんな時間かしら? もうちょっと待ってて貰える?」

 

「永琳」

 

「ど、どうしたの……?」

 

 姿見の前で悪戦苦闘していた彼女の背後に立ち、その銀の長い髪を代わりに整える。

 

「ちょっと予定変更してもいいか? なに、行き先が変わるだけだよ」

 

 髪型はいつもの三つ編みで良いだろう。

 彼女にはこれが一番似合う。

 

「? 何処に行くの?」

 

「外の世界」

 

「え……何で急に?」

 

「ちょっと行く用事が出来てね。それに、前は連れて行けなかったから、これを機に二人で楽しもうじゃないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その昔、日の本には妖怪と呼ばれた物の怪がいた。

 中には人間をものともしない、強大で、凶悪な妖怪もいた。

 その中でさらに一際目立つ、妖怪ありけり。

 その名を、『鬼』と言う。

 

 鬼は鋭い角を持ち、その腕力で全てを捻じ伏せる。

 鉄と鋼で鍛えられし刃を通さず、傍若無人の通り名相応しい暴れん坊。

 山を降り、人を襲い、酒や食料を奪う。

 手の付けれない悪童のようだった。

 

 誰が呼んだか、そうした山に住まう妖怪を鬼と呼称し、彼奴等も自らそう名乗るようになった。

 

 さらに恐ろしい事に、鬼の中には『神の如き力を持つ鬼がいた』。

 嗚呼、あれこそ鬼の頭領。

 鬼の親、鬼の神。

 『鬼神母神』の名を持つ恐ろしい存在が———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『———あえて今まで追及はしませんでしたが、随分と派手に暴れたようですね』

 

 薄汚れた看板に書かれた、消えかけた文章から目を離した。

 

「えぇ、その……最初はひっそりと山に隠れ住んでましたよ? けど日に日に山に押し入る人々が多くなって、お母様も私も皆も、つい熱くなったというべきか」

 

 薄れているとはいえ、未だに人間達の記憶に残る『鬼』。

 それがどれだけ、当時人々の記憶に、恐怖にこびり付いたか想像くらいはできる。

 

「———近くに管理小屋みたいのあったけど、誰も居なかったわ。中の様子からして、長い間放置されてるようね」

 

 永琳が戻ってきた。

 

『本堂も仏殿もボロボロ。瓦も何枚か落ちて放置……人の手もかなりの間入ってませんね』

 

「えぇ……けれど」

 

 仙人様が地面に目を向ける。

 そこには外の世界の菓子袋やら、柑橘水のようなものが入っていたであろう容器が散乱してる。

 つまり、この古びた寺は、信仰は既に失われ、今では若者の隠れ家的溜まり場にされているのだろう。

 

「……この中に?」

 

『間違いないかと』

 

 外の世界にやって来た我々三人。

 目的のものは結構あっさりと見つかった。

 まぁ鬼神の右腕というのなら、長い付き合いの自分が波長を少し探ればすぐにキャッチできたというわけだ。

 

 そういうわけで、穴だらけで埃や土汚れが詰まった戸を開けて、中に入った。

 …………あれか。

 

「あ———」

 

『仙人様と永琳はそこに。私が確認します』

 

 仏殿の神棚の上、そこに見世物のように置かれた箱。

 蓋には『鬼の腕』と刻まれている。

 そして、その箱を手に取ると———

 

(うわ……封印が解け掛かってるな)

 

 さらに危惧していたように、既に『何人』か犠牲になったようだ。

 まぁ興味本位で危険な箱を開けようとしたのだから、知らなかったとはいえ自業自得だ。

 今回は無事に再封印させる事で、報いるとしよう。

 

「だ、大丈夫そう……?」

 

『ふむ……ちょっと失敬して』

 

 紐を解き、箱の蓋を開ける。

 すると中から、まさに邪気そのものがこの身を包もうとした。

 自分を『取り込もうとしている』のだろう。

 このまま誘いに乗って、邪気の本体を叩き潰しても良いのだが……

 それでは再封印にならない。

 なので無理矢理、『抑えこんだ』。

 一時的だろうが、これで暫くは大人しくなるだろう。

 

 念のため『中身』を取り出して、確認する。

 自分の手に握られているのは、間違いなく鬼神(角付き)の右腕だった。

 ちょっと干からびているが。

 

『それじゃあ、はい。仙人様』

 

「あ、ど、どうも……」

 

 箱を仙人様に渡す。

 これで目的の一つは達成できたわけだが……

 ぶっちゃけ、鬼切丸の方はお手上げだ。

 せめて何か手掛かりがあれば良かったのだが……

 

(……いや、待てよ)

 

 一つだけ、謎が残っている。

 仙人様に施された封印。

 それは薄れてはいるものの、完全には失われていない。

 永い刻を、失われる事なく発揮する封印術式。

 もしかしたら、その為の『楔』があるのかもしれない———

 

『仙人様、もう一度右腕を見せてもらっても?』

 

「え、か、構いませんが……」

 

 急に言われて困惑しているようだが、言われた通り仙人様は仮初の右腕を差し出す。

 前回は失礼だと思い確認しなかったが……今回は確かめなくてはいけない。

 

「え、あ、ちょ! な、何を!」

 

 仮初の右腕を模っている包帯をほどいていく。

 勝手にだが、仙術は解除した為、支えを失った包帯は重力に従って床にハラリと落ちていく。

 そしてあらわになった仙人様の本当の右腕。

 正確には、鬼神に喰いちぎられ、後に鬼切丸に斬り落とされて出来た断面(傷口)

 そこから、ついさっき斬られたかのように、瑞々しい赤い血が滴り落ちていく———

 それを数十秒ほど観察して、推測が確信へと変わった。

 

『先に謝っておきます、仙人様』

 

「え……?」

 

『文字通り、傷口を「抉る」ので、我慢してください』

 

「それはどういう事———いたっ、いたたたた!」

 

 その傷口に、自分の手を抉り込む。

 ぐちゅぐちゅと、肉が千切れる音がする。

 永琳が驚愕の顔で、何してるんだと訴えているような気がするが、無視する。

 埃が積もった木の床が、真っ赤に染まり始めた頃、ようやく『取り出せた』。

 

『はい、お疲れ様でした。無事に取れましたよ』

 

「ッ……い、いきなり何を———って、それは……?」

 

 血を指で拭い去ると、それは全貌を明らかにする。

 一見すると、それは金属の破片だった。

 

「……まさか、それは———」

 

 仙人様が気付いたのか、驚愕と、ほんの少しの恐れを表情に出した。

 

『そのまさかですね。かつて鬼の腕を斬り落としたと謳われる、妖刀『鬼切丸』———の破片です』

 

「い、いやでも……どうして鬼切丸の破片が私の———」

 

 まぁ、混乱するのも無理はないだろう。

 灯台下暗しもいいところだ。

 

『多分、封印の楔として埋め込まれていたのでしょう。当時の事をよく思い出してみて下さい、思い当たる節があるのでは?』

 

「…………あ、そういえば、右腕を斬り落とされたあと、鬼切丸の鋒で傷口を刺されて———」

 

 何ともまぁ、器用な人間だったのか。

 戦いの最中そんな芸当が出来るとは……

 

『まぁ、図らずとも目的達成できましたね。その破片は、右腕の封印に使った後、もう一度右腕の傷口に埋め込んでおけば大丈夫だと思いますよ』

 

 破片を渡す。

 いやはや、今回は運が良かった。

 いざとなったら、世界中くまなく探すつもりだったから、内心ホッとしている。

 

「———その、色々とお世話になりました」

 

『いえいえ……まぁ、半分私の責任もあったし……」

 

「え?」

 

『何でもないです。それより、今すぐ幻想郷に帰りますか? それとも私達と一緒に数日観光でもします?』

 

 永琳が余計な事を言うなという視線を向けてくる。

 

「……いえ、折角のお誘いですが、遠慮しておきます。霊夢を巻き込む為に、色々と準備もしないといけませんし」

 

『そうですか、ではまた今度。どうやらこの前てゐもお世話になったようですし、永遠亭に来てくだされば、夕食とお酒くらいなら馳走しますよ』

 

「———えぇ、機会があれば是非、お伺いします」

 

 幻想郷への道を開く。

 仙人様は一礼して、その姿は幻のように消えていった。

 

「……お節介者」

 

『怒ってます?』

 

「怒ってはないわよ」

 

『それなら良かった』

 

 機嫌を損ねないよう、彼女の手を握る。

 そうして、寺を出て、山を降り始めた。

 下り坂な為、意図せず早足になるが、決して手を離さず、転ばないように歩く。

 

「先ずは何処に行こうか?」

 

「その前に、服をどうにかしたいわ。外の世界に馴染めるようなね」

 

「確かに、じゃあ似合いそうなのを見繕うか?」

 

「お断りするわ、自分のセンスで貴女を見惚れさせてやるんだから」

 

「あぁ、それは楽しみだな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ———それからというもの、人里で物珍しいものが、それなりの頻度で見られるようになったらしい。

 何軒もの居酒屋をハシゴする、鬼の頭領と、説教癖のある仙人の姿が———

 

 

 

 




番外編第一弾、これにて完結です。
茨歌仙、続編とかやらないかなぁ……


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番外編2
48話


番外編その2です


 

 

 

 

 

『何処に行く? 部下の兎どもを逃して、次は私や角付きを遠ざけるつもりか?』

 

『悪いな、許してくれ』

 

『お前……!』

 

『怖い顔するな……そうだな、ついでに頼み事があるんだが、引き受けてくれるか?』

 

『……いいだろう。だが、それを最後にするつもりではないだろうな?』

 

『……あいつの見送りに行ってくるから、次にまた会うときまで預かってろ』

 

 そう言って、煙を吐き出す道具を投げ渡してきた。

 反射的にそれを掴んで、最後に一発だけ殴ってやろうと、拳を握り込んだ。

 

『……何故だ』

 

 ———しかし、もうそこに彼奴(長耳)は居なかった。

 何故、何故。

 自分には沢山のモノをくれたのに、楽しい生き方を教えてくれたのに。

 何故お前は、私から何も受け取ろうとしないのだ———!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………また今日が来てしまった」

 

 布団から這い出る。

 今日の天気は快晴。

 風も穏やか。

 絶好の飛行日和というやつだ。

 

「ぬぅ、色々と理由をつけて先延ばしにしていたが……夢見に出るくらいなら、そろそろ潮時というやつか?」

 

 長耳と再会して暫くは嬉しさで舞い上がっていた。

 落ち着いた後も、まだもう少し。

 タイミングが大事なのだと、都合の良い言い訳ばかり述べていた。

 ———だが、そろそろ勇気を出すべきだろう。

 

「———そ、その前に軽く仕事でもするか。いやいや、逃げておらん。むしろ早いうちに終わらせるのが吉」

 

 急いては事を仕損じる。

 こんな時こそ、日々の循環を行う事で、精神を安定させるのだ。

 

「さて、今日の予定は———ん? そういえば、彼奴らの期限もそろそろか」

 

 時が流れるのは風の如く。

 以前、山を荒らさせた際に、その補填として捕まえた月の兎が二匹。

 意外にも素直に罰を受け入れ、奉仕活動をいち早く終えてしまった為、残りの期間を我々『天狗社会』に雇われる形で補わせたのだが……

 その期限が、明日で終わりなのだ。

 

「ふむ……働き者で、わりと器用に仕事をこなす。サボり癖が少々あるみたいじゃが———許容範囲内に留まっている。うむ、実に惜しい人材だ」

 

 書類で兎どもの働きぶりを確認すると、その判断に行き着く。

 戦闘部隊には向いてないが、その他の部署なら何処に置いても役に立つ事だろう。

 

「———いや、奴等にも帰る場所がある。きっと故郷に帰りたがっているじゃろう」

 

 このまま引き入れたいと思ったが、少し迷った末に止めることにした。

 そして部屋の外に控えている部下の鴉天狗の一人に、兎二匹を呼んでくるよう言伝を頼んだ。

 

 待っている間、書類に目を通していると、ふと部屋の壁に飾ってある、『あるモノ』が視界の片隅に入った。

 

「……のぉ、お主はそろそろ、頃合いかと思うか———?」

 

 それは、『面』だ。

 顔をすっぽり覆えるくらいのお面。

 赤を基調とした、実に見事で精巧なお面。

 鼻の部分が出っ張っている特徴的なそのお面。

 人間達にこれを見せたなら、間違いなくこう喩えるだろう。

 『天狗』のお面だと———

 

「———入れ」

 

 面に語り掛けても言葉は返ってこない。

 そして丁度良く、呼んだ兎達が来たようだ。

 

「失礼しまーす」

 

「失礼します……もぐもぐ」

 

「ちょっと、こんな時くらい団子食べるのやめなさいよ」

 

「いっけね、ついクセで」

 

 ……信じたくはないが、一応あの長耳の一部から産み出されたと聞いていたが———

 どうやったらこんな緊張感もない連中になるのだろうか。

 どうせなら強さも長耳くらいあれば、月に殴り込んだ時も、もっと楽しめたと思うのだが……

 

「……構わん、楽にせよ。今日は伝えたい事があってな」

 

「……はっ、もしやお給料アップとかですかね?」

 

「マジですか、お団子もっと食えるじゃん」

 

 ……仕事は出来ると評価を下したばかりであれなのだが、性格に難があるかもしれん。

 いや、決してそれが欠点というわけではないのだが———

 

「いや、そうではなくてだな……明日までに荷物を纏めておくが良い。今までご苦労だったな」

 

 簡潔に伝えたのが悪かったのか、清蘭という名の兎は何度も瞬きをしながら口をあんぐりさせる。

 鈴瑚という名の兎は、手にしていた団子をポトリと落とした。

 そして次の瞬間には、半泣きでその場に崩れ落ちた。

 

「ど、どどどどうしてですか!?」

 

「つまりクビ……? 何故だ……何故神はいつも私を見放すのだ……!」

 

「た、たた確かにちょっとサボろっかなーって思う時もありますけど、基本は真面目にお仕事してます! あ、鈴瑚はこの前隠れて団子貪ってました」

 

「いや、清蘭よりは私の方が役に立つね。大体あの時はちゃんと、休憩の申請を出しておいたし。というか、あんたの方こそこの前隠れて、餅つきしてたじゃん」

 

「あれは白狼天狗のみんなに団子のお裾分けをする為にやってたんですー。実際サプライズ効果でみんな喜んでましたー」

 

 あーだ、こーだと、互いに蹴落とし合いを始める。

 ある意味では仲が良いとも言えるし、こうした隣人が居るからこそ、切磋琢磨が出来るというもの。

 しかし、時と場所はわきまえてほしいものだ。

 

「落ち着け、阿呆どもが。クビではなく……まぁ似たようなものだが、単純に契約期限が明日までというだけだ」

 

「……?」

 

「契約……期限?」

 

 いや、初めて聞いたという顔をされても困るのだが。

 

「———あー、そういえば私たち玉兎だったわね」

 

「そういえば、山を荒らした罰とかで此処で働かされてたような」

 

「いやー、何かもうずっと昔から天狗だったような気分だったわ」

 

「分かるわー。何で私らには翼無いんだろうかとか、真剣に悩み始めてたもんなー」

 

 ……此奴ら、鬼神と良い勝負なのではなかろうか?

 

「ま、まぁそういうわけだ。明日までとは言ったが、元の巣に戻る準備が出来るまではゆっくりしても構わんぞ」

 

「え、じゃあ百年くらいゆっくりしてて良いですか?」

 

「居座る気満々ではないか。何だ、故郷に帰りたくないのか?」

 

 その言葉に、微妙な顔をする兎達。

 

「帰りたくないのかって言われてもねぇ……天魔様は知らないんですか? 今の月は指導者が変わって、今までと勝手が違うって」

 

「確か『綿月姉妹』とやらが統治をしておるんだったな。勝手が違うと言ったが、その姉妹に歓迎されないと?」

 

「いえいえ、単純に帰る『場所』がないんですよ」

 

「私らが所属してた組織、もう解散したみたいでねー」

 

「今更月に帰って、新しい職に就けって言われても……ねぇ?」

 

「ふむ……」

 

 要するに、この兎達はこのまま此処で働きたいという事だろう。

 しかしなぁ……それが此奴らの為になるのだろうか?

 そもそも今回は例外として雇っていたわけで、正直この兎達を部下として迎えるには抵抗がある。

 何というか、兎は長耳の部下というイメージがあるのだ。

 今流行りの言葉で表すなら……寝取り?

 使い方次第では優秀な人材を引き入れたいと思う心より、抵抗感が少し優っているのだ。

 いやはや、どうしたものか実に困った。

 

「……そうじゃ、こんな時こそ長耳の奴に相談してみてはどうだ? お前ら念話のような芸当ができたじゃろ?」

 

「えー、長耳ってレイセンのことでしょう? レイセンに波長合わせるの難しいんだよね。合わせられてもいっつもノイズばっかだし」

 

「そうそう、昔から何考えてんのかさっぱりだったからねぇ。しかも、噂によると喋るようになって性格激変したとか?」

 

「それだけじゃなく、ナイスバディに急成長したらしいよ。みっちゃんが滅茶苦茶興奮してたわ」

 

「うらやまけしからんな、我々はいつまで経っても幼児体型だというのに」

 

「あと尋常じゃない程興奮した依姫様が宮殿一つ倒壊させたとか」

 

「何それ怖い、余計に帰りたくないわ。これで月は魔境、地上は楽園ってハッキリしたね」

 

 ピーチクと雀のように囀る。

 喋り癖は相変わらず治っていないようだ。

 

「……分かった、儂が直接長耳の所に出向こう。お主らはそれまで好きに過ごしているが良い」

 

 そうして、仕事を片付けてから永遠亭へと向かった———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そんなこんなでやって来た永遠亭。

 最近になって、案内人無しで迷わず辿り着けるようになったが、やはり面倒なのには変わらない。

 いっそのこと、山に引っ越してくれれば万々歳なのだが……

 

 玄関の戸は開きっぱなしだったので、いつものように遠慮なくお邪魔する。

 庭の方から話し声が聞こえるので、多分そこにいるだろう。

 そう思ったのだが……

 

「永琳ちゃんは、当たりですかぁ? ハズレですかぁ?」

 

「きゃああああ! 食べられる! 物理的な意味で! た、助けて! うどんげぇぇぇ!」

 

「くっくっくっ、長耳ちゃんは今頃神社で縁日に参加してます……どれどれ、先ずはそのお胸から———」

 

「やめんか、アホたれ」

 

 ———どうやら長耳は居ないようだ。

 鬼神の悪ふざけなのは分かっているが、一応止めておくとしよう。

 鬼神の角を握って、思いっきり投げる。

 

「……もう、ほんの冗談ですよ。天魔ちゃん」

 

「嘘は嫌いだったのではなかったか?」

 

「笑いを狙った冗談なのでセーフです」

 

「全然笑えないわよ! このお馬鹿!」

 

 鬼神は着物に付いた汚れを払い落とす。

 そして、自身の手に握られた物体に気が付いた。

 

「……あらら?」

 

「———あ、すまんの鬼神。思わず角をへし折ってしもうた」

 

 以前、長耳に折られた角とは逆の角。

 それがあるべき場所になく、自身の手に握られている事に気が付いたのだ。

 

「———角なしね」

 

「具の無い味噌汁じゃな」

 

「もう、二人して変な呼び方しないで下さい……むむむ」

 

 鬼神は力を込める。

 そして程なくして、新しい角が生えた。

 

「えいっ!」

 

「うわ、ニョキッと生えた」

 

「蜥蜴の尻尾みたいじゃな」

 

「ふー……!?」

 

 ———そう、新しい角が、二本。

 

「ああああぁぁぁぁぁぁ……!」

 

「何か急に落ち込み始めたけど……」

 

「ふむ、勢い余って角を両方とも再生させてしまったようじゃな。おおかた、長耳に折られた方だけそのままにしようとして失敗したか」

 

「……よく分からないけど、もう一回折ってもらえば?」

 

「頼んで折ってもらっても、嬉しくないです……」

 

 すると突然、何か閃いたような顔をする鬼神。

 

「はっ……戦闘(殺し合い)じゃなくて、弾幕ごっこ(スペルカード戦)なら———でも私の角、無駄に硬いし。だったら予め亀裂でも入れて……」

 

『何言ってるか分かりませんが、あまり庭を荒らさないでくれますか?』

 

 ……気が付けば、長耳が居た。

 どうやら今しがた帰って来たようだ。

 

「———お帰りなさい、長耳ちゃん。ところで、今から弾幕ごっこしません?」

 

『しません、ちゃんと穴ぼこ埋めておいて下さい———あと、例の件。やっぱり連れてくるのは骨が折れそうだったんで、伝言だけ伝えてきましたよ』

 

「……そうですか、長耳ちゃん。ありがとうございました。あとはこっちで何とかします」

 

 どうやら鬼神と何かあったようだが……儂には関係のない事だろう。

 

『どう致しまして———ところで、天魔はこんな時間に何の用ですか?』

 

「……やっぱりそっちのお前さん、何か気味が悪いのぉ。何でまた喋るのやめたのだ?」

 

 やはり、個人的には慣れ親しんだ長耳の方が好きだ。

 

『諸事情です———もしかして、また夕飯たかりに来ただけですか?』

 

「いや、少しばかりお前さんに頼み事があってな」

 

『……あなたも? ついさっきまで鬼神の頼み事を引き受けてたんですが』

 

「なら丁度良いというやつじゃろ。何、頼み事というよりかは、相談に近い。すぐに済む」

 

 そして長耳と共に、場所を移した。

 

『それで? 相談とは?』

 

「うむ、実はな———」

 

 今朝の出来事、兎達の事を話す。

 

『……別にそのまま働かせてあげれば良いじゃないですか。というか私よりも、それこそ綿月姉妹に許可を貰ってください。まぁ、その橋渡しなら手伝いますけど』

 

「そうは言ってもな……どうにも抵抗感が拭えなくてな」

 

『それなら、考え方を変えては?」

 

「ふむ、というと?」

 

『実は玉兎の中には、地上で過ごしたいという子も何匹かいましてね。そのテストケースという形で、あの二匹を再度雇って、地上は過ごしやすいと宣伝するというのは?』

 

「むぅ……まぁいずれ我ら天狗の情報統制も拡大しなくてはならんし、月の都が幻想の一部になるのなら、今のうちにコネを作るのも———」

 

 天狗社会の利益となる。

 そう考えれば、確かに抵抗感より勝る気がする。

 

『……そういえば、前から気になってたので、一つ聞いても?』

 

「急になんじゃ? 儂のスリーサイズなら———」

 

『それはもう知ってます……何で二人して同じような事を……』

 

「冗談じゃ。して、聞きたい事とは?」

 

 こうして長耳が質問してくるのも、実に新鮮だ。

 

『———何で、『人間社会』の真似事を?』

 

「…………」

 

 まぁ、確かに長耳からしたら疑問だろう。

 我々天狗が、人間社会の真似をして、山の支配者を気取っている事が。

 

『……答え難い事でしたか?』

 

「いや……そうではない、が。そうじゃな……」

 

 今朝の夢といい、長耳の疑問といい……

 そろそろ潮時、頃合いというものだろう。

 ……よし、決心をしろ。

 ここを逃したら、もうチャンスは来ないと思え。

 

「———よし、長耳よ。一週間……いや、二週間後で良い。答えを知りたくば、儂の山に遊びに来るが良い」

 

『えっと……それは何故? というか二週間後って地味に長い気が』

 

「えぇい、来るのか、来ないのか、それだけ教えるのだ」

 

『……まぁ、特に予定が無ければ』

 

「よし、決まりだな! あ、言っとくが『お喋り』な方のお前を指名するぞ。じゃなきゃ山に入れてやらんからな」

 

『誘っておいてかなり横暴ですね……別に良いですけど』

 

 今の長耳を否定するわけではない。

 だが、儂にとっての長耳はやはり、『あの時』の長耳なのだ。

 その姿でないのなら、儂にとって何の意味もなくなってしまう。

 

「そうと決まれば早速行動に移さねばな。あ、儂もう帰るけど、この折れた鬼神の角いるか?」

 

『いりません』

 

 

 

 

 



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