エヴァだけ強くてニューゲーム 限定版 (拙作製造機)
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第一話 F型、襲来

ノリと勢いだけのものです。過度な期待はしないでください。

十五段階改造……第三次αのスペシャルモードでの改造段階。本来は十段階しか出来ないので、これを終えると元々高い性能が更に高くなって手が付けられない。その気になればゼルエルを単機で撃破出来るレベル。

フル改造ボーナス……上記のようにHPや装甲などを全て改造し終えると、移動力や地形適応、射程などを伸ばす事が可能になる。本来はどれか一つしか選べない。


 碇シンジは目の前の物に目を奪われていた。それは巨大ロボットと表現するのがしっくりくる存在。紫色をしたそれは、静かに彼を見つめているように思えた。

 

「……これに乗れって言うの?」

「そうだ」

 

 振り向いて久方振りに再会した父へ問うシンジ。それに対する答えはあまりに短い。そこに感情らしい感情はない。それでも、シンジは不覚にも嬉しかった。自分へ父は関心を向けていると思えたから。

 

(これに乗れば、父さんはもっと僕を見てくれるのかな?)

 

 正直乗りたくはない。それでも、シンジにとっては唯一と思える父との繋がりであった。突然の呼び出し。唐突な話。どれも実の子にするようなものではない。それでもシンジは賭けてみようと思った。何故だが、傍にある謎の存在がそうしろと言ってくれた気がしたのだ。

 

「分かった。乗るよ。乗ればいいんでしょ」

「説明は赤木博士から聞け」

 

 それだけ告げ、少年の父は背を向けた。それでもいいと、そうシンジは思った。今はそれだけで十分だ。後はこの後の結果次第。と、その時その場が大きく揺れた。シンジの頭上へ巨大な落石が迫る。しかし、それは彼へ届く事はなかった。

 

「……え?」

 

 巨大な手が彼を守るように動いていたのだ。

 

「守って……くれた?」

 

 その声に呼応するように紫色の巨人はその手を戻す。周囲の者達も呆気に取られていた。だが、それも僅か。さすがに状況が状況だ。一刻を争う以上、いつまでも惚けていられない。そう慌ただしく動き出す周囲を余所に、シンジは自分を守ってくれた存在へ小さく呟く。

 

―――ありがとう。

 

 そして、彼は最低限でさえない説明を受け、その巨人へと乗り込む事となった。聞こえてくる声に返事をしながら、彼は不思議な感覚を覚えていた。

 

(知っている気がする……。いや、正確には教えてもらっている気がする)

 

 ゆっくりと自分ではない自分から操作などの情報をレクチャーされている。そんな感覚を覚えながら、シンジは赤木リツコや葛城ミサトの言葉へ返事を返していく。やがて、準備が整ったのか緊迫感が通信から漂い始める。

 

『シンジ君、何度も言うけど乗ってくれてありがとう』

「いえ、僕だって自分のために乗り込んだんです。気にしないでください」

『それでもよ。必ず生きて帰ってこられるように精一杯支援するわ』

「お願いします」

『シンジ君、まずは動く事だけ考えて。戦い方はこちらで指示を出すから』

「……分かりました」

 

 ミサトの凛々しくも美しい表情に見惚れつつ、シンジは謎の安心感を抱く。何があっても負けはない。そんな気がしてくるのだ。その根拠は分からないが、彼自身もそれを疑っていなかった。そして運命の時は来る。

 

「エヴァンゲリオン、出撃っ!」

 

 その声を合図に紫の巨人が地上へと打ち出される。その加速によるGに耐えながら、シンジは気付いた。乗る前まであった恐怖や不安が消えている事に。Gが消え、地上へと姿を見せた最終人型決戦兵器エヴァンゲリオン初号機。だが、その映像を見てミサト達は言葉を失った。中でもリツコとミサトは顔面蒼白だ。

 

「……嘘でしょ」

「有り得ないわ……」

 

 そこに映し出されていたのは、計画書さえまだ出来上がっていない初号機の強化案であるF型装備状態のエヴァだったのだ。

 

 一方、シンジはシンジで混乱していた。動く事を考えろとのアドバイス通りにやっているのだが、その動きが凄すぎて扱えないのだ。

 

「こ、これじゃ戦えないよっ!」

 

 仕方ないので動くではなく歩くに変える。するとやっとシンジでも扱える反応速度となった。だが、そうなると今度は使徒からの攻撃にさらされる。

 

「うわっ!」

 

 目の前から放たれる光線らしき攻撃。それが初号機を直撃する。だが、シンジは気付いた。痛みも衝撃もないと。

 

「……すごい。さすが切り札だけあるや」

 

 実際は十五段階ある改造全てを終えてあるからであり、実際の初号機では耐え切れないのだがそれを残念ながらシンジが知る事はない。そう、今、彼が扱っている初号機はある世界で改造を施された代物。そこの碇シンジが必要なくなったかつての愛機に「もしエヴァを必要としている場所があるなら、もしかつてと同じ状況に置かれる自分がいるのなら、助けてあげたい」との願いを込めた結果、碇シンジが戦闘する時のみ現れる状態なのだ。

 

「えっと……武器は……」

 

 目の前で攻撃し続ける使徒を無視し、シンジは誰にともなく呟く。何故か戦闘を開始した時から通信が途絶えているのだ。なので手さぐりに近い形で彼はエヴァの武器を探す。と、頭の中に浮かぶものがあった。

 

「マゴロクソード……? 剣か」

 

 その声に反応するように初号機が日本刀でいう太刀のような物を携えた。その瞬間、使徒が恐怖する。分かったのだ。アレに耐えうるだけの力は自分にないと。なので逃げる。何もない空中へと。飛ぶ事の出来ない初号機が追って来れない場所へと。本来であれば初号機を巻き込んで自爆するのだが、それさえ効果がないと分かっているのだ。フル改造ボーナス全部乗せは伊達じゃないのである。

 

「逃がすもんかぁぁぁぁっ!」

 

 だが、哀れな使徒は逃げる事さえ出来ない。マゴロク・E・ソードを振りかざし、シンジは無意識で初号機を動かしていた。その動きはミサト達や使徒でさえ分かる程洗練されていた。まるで何度も同じような事をしてきたように。その剣閃が使徒をATフィールドごと切り裂く。まるで時代劇やアニメのような動きでマゴロク・E・ソードを血振りする初号機。その背後で起きる大爆発。まさしく演出だった。誰もが言葉にならない光景。一人だけそうでない者がいるとすれば、それは彼以外に有り得ない。

 

―――あの、これからどうすればいいですか?

 

 聞こえてくる声に誰もが我に返る。シンジは生きている。ならばやる事は一つだ。まず帰還させる事。大人達は慌てて動き出す。その光景を眺め、二人の男は言葉を交わした。

 

「どうする碇。老人達が黙っておらんぞ」

「…………知らん」

 

新戦記エヴァンゲリオン 第一話「F型、襲来」完



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第二話 見慣れぬ、天井

出来る事ならTVシリーズと同じ話数書いてみたいですが、おそらくその前に力尽きると思います。……せめてシンジとアスカのイチャラブぐらいは書きたいなぁ(ぇ?

底力……スパロボの特殊技能。HPの残量に応じて攻撃力、防御力、クリティカル率などが上昇する能力。最高で9までレベルがあり、ある小技を使うと実質10に出来る。

精神コマンド……スパロボの要素の一つ。精神ポイントを消費して様々な効果を発生させるもの。気迫は気力をプラス30させる。

気力……特定の能力や武装を使うために必要なパラメータ。これが高いと攻撃力なども上がるので高ければ高い程戦闘が有利。


 戦闘を終え、回収された初号機は誰もが知る状態へと戻っていた。まるで最初からそうだったかのように。映像で確認しても分からない程、自然に本来の状態へ戻っているのだ。言うなれば、世界そのものを騙すように。そんな初号機を現在ネルフスタッフ総出で調べている。勿論戦闘でのダメージなどのチェックもあるが、一番はやはりあの変化についてだ。そして、それはパイロットにも及んでいた。

 

「じゃあ、何も分からないのね?」

「はい。僕はてっきり見たままだと思ってました」

 

 ネルフ内の医務室。そこでシンジはリツコからいくつかの質問を受けていた。内容は当然ながら初号機に関して。だが、乗っていただけのシンジがその変化に気付けるはずもなく、彼はただがむしゃらに生き残ろうとしていただけなのだ。機体性能によって楽勝だったとはいえ、彼がそもそも戦おうとしなければ現在の結果はない。だが、シンジは残念ながらその事へ思い至る事は出来なかった。彼としても、気が付けば終わっていたのに近いために。

 

「あの使徒を倒した武器。それはどう?」

「えっと、マゴロクソードだった気がします。何か武器はないかって思ってたら、突然頭の中に名前が浮かんできたんです」

「頭の中に?」

「はい」

「ちょっち待ち。シンジ君? それって人の声だった?」

 

 そのミサトの質問にリツコは興味を持った。非現実的ではあるが、もしあるのなら初号機から聞こえる声はシンジの母であるユイのはずだ。だが、シンジが果たしてその声を覚えているのだろうか。どちらにせよ、知らない声か母の声と返せばリツコは自分の仮説が信憑性を持つと思えた。

 

「えっと……よく分かりませんでしたけど人でした。それと、男の声ではなかった気がします」

「男じゃない、ねぇ」

「聞き覚えは?」

 

 頭を掻くミサトに対しリツコはやや驚きを滲ませながら問いかける。シンジは何故彼女が驚いているのか分からぬまま、懸命に記憶を手繰り寄せた。だが、やはりこれと言った該当者はなく、シンジは力なく項垂れる。それがリツコに対する答えとなった。

 

「そう、ないのね。ありがとうシンジ君。疲れてるでしょ? 今日はゆっくり休みなさい」

「あ、それなんだけどシンジ君。住む場所どうする? 希望するなら司令、つまりお父さんとも暮らせるけど」

「……それを父さんは望んでるんですか?」

 

 どこか察している雰囲気を漂わせながら、シンジはそう問いかけた。二人の妙齢の美女は一瞬言葉に詰まる。面倒だと思った訳ではない。悟ったのだ。目の前の少年に渦巻く複雑な心境を。そんな事はないと知りつつ、もしかしたらをどこかで信じている。そんな矛盾する二つの想い。それがシンジの中にあるのだと。

 

「いえ、望んではないわ」

「リツコ……」

「そう、ですよね」

「でもね、そうじゃないと断言は出来ないわ。人の気持ちはロジックではないの。時に本当に思っている事と真逆の言葉を口にしたりもするのだから」

 

 リツコの言葉はシンジにとっては信じられないものだった。だけど、信じたいとどこかで思うのだ。自分が本音を言えないように、父もまた本音を言えないかもしれないと。こうしてシンジは一人暮らしを選ぶ事になる―――はずだった。

 

「さ、行くわよシンジ君」

「……あの」

「ん?」

「どうしてミサトさんと一緒に住む事に?」

 

 自分はネルフ職員へ割り当てられる個室に住むのではなかったのか。そんな言葉がシンジの表情からアリアリと浮かんでいた。それを無視するようにミサトは苦笑する。彼女の中にあるイメージの中学男子なら、年上の、しかも美人と共同生活とくれば喜ぶしかないはずだったからだ。

 

(や~っぱ一筋縄じゃいかないか……)

 

 人との繋がりを求めているのに、それを自分で遠ざける。そんな印象をミサトはシンジに抱いていた。先程の父との同居もそれだ。自分が踏み込めばいいのにそれをしようとしない。それなのに、その相手との繋がりを求めている。矛盾。その単語がミサトの脳裏に浮かんだ。

 

「シンジ君、今何歳?」

「えっ? 十四歳ですけど……」

「未成年じゃない。だから保護者が必要なの」

「でも……」

「ね、年上の女性は嫌い?」

 

 その問いかけにシンジは赤面した。何も年上女性が好きだからではない。ミサトが自分へ問いかけながら屈んだため、その豊かな胸元が強調されたためである。

 

(見ちゃダメだっ!)

 

 そう思うも思春期真っ盛りの少年には、その眼前の光景は目を逸らすには惜しいものだった。無論、これはミサトなりの計算である。あからさまにそうやってはシンジは見る事をしない。だが、偶然を装えばきっと目を逸らす事はしないだろうと。

 

「シンジ君、嫌だったら嫌でもいい。だけど、少しだけ試してみない? 私と、他人と過ごす暮らしを」

「少しだけ、ですか?」

「うん。そうね……最初は一週間ぐらいで更新。次は一か月。どう? それならやってもいい?」

 

 シンジの視線はずっと胸元へ注がれている。それに気付かぬミサトではないが、今は色仕掛けを使ってでもシンジを一人にさせたくなかった。何故だが重なって見えたのだ。父を失った頃の自分と。このままでは、彼は生きているのに自分の中で父を死なせてしまう。そう直感的に感じたからこそ、ミサトはシンジを孤独にさせたくなかった。

 

「それなら……」

「うっしっ! じゃ、早速行きましょう」

 

 鼻の下を伸ばしそうなシンジだったが、ミサトはそれを見てむしろ安堵していた。歳相応の部分もちゃんとある。それがよく分かったからだ。気を良くしてシンジを連れて歩き出すミサト。向かう先は駐車場だ。そこにある彼女の車で葛城家へ向かうために。

 

「シンジ君、一つだけ君に覚えていて欲しい事があるの」

「何ですか?」

「それはね、君が怖がる事はみんな基本的に怖いって事。でも、それをみんなが逃げたらみんなダメになる。だから立ち向かうの」

「……一人ぐらいなら逃げてもいいですよね、それなら」

「ええ。でも、一度逃げると大変よ? ずっと逃げなきゃいけなくなる。そして、逃げて逃げて逃げ続けて、一番逃げたい時に逃げられないの。これ、昔から言われてる事なんだから」

 

 そう告げてミサトはシンジへ振り向く。その顔は苦笑い。

 

「あたしも実感したのよ。ただ、救いだったのは、それに気づいたのが逃げ切れなくなる前だった事」

「僕は……逃げたいです」

「うん、逃げてもいいわ。ただ、続けるのは止めなさい。時には逃げずに立ち向かうかやり過ごしなさい。そうすれば、また逃げてもいいから」

 

 その言葉はシンジには目から鱗だった。逃げてもいいと肯定してくれただけでなく、立ち向かう事とやり過ごす事を同列にしていいと言ってくれたからだ。その別の在り方を示唆してくれた。それがシンジの心を少しだけ軽くした。

 

「いいんですか、逃げて」

「ええ、でも何度も言うけど無条件で逃げていいのは一度だけ。一度逃げたら、次は逃げる前に立ち向かえるかやり過ごせるかを考えて。それがダメそうなら逃げなさい。だけど、最後までそれはダメよ? さっきも言ったけど、一番逃げたい時に逃げられなくなるからね」

「……一番逃げたい時」

 

 ミサトの教訓めいた言葉を噛み締めるように呟き、シンジは考える。それは一体いつだろうと。エヴァに乗る事はもうそこにはなかった。あれは逃げたいけれど一番逃げたい事じゃない。それが今のシンジの考えだった。様々な事を考えながらシンジはミサトの後をついていく。そしてここへ来る際に乗った車へ乗り込み、やがて車はあるマンションへと到着する。そこがこれからの自分の家になるかもしれない。そう思ってシンジはその建物を見上げた。

 

「じゃ、ついて来て」

「あ、はい」

 

 言われるままにミサトの後ろを歩くシンジ。その歩みは一つのドアの前で止まった。表札を見れば葛城とある。

 

「ここよ? ちょっち片付いてないけど勘弁してね」

「はぁ……」

 

 どこかで女性の部屋というものに憧れを抱いていたシンジだったが、それをこの時完膚無きまでに粉砕される事となる。そこは表現するならゴミ屋敷だった。シンジはその光景に絶句し、しばらくフリーズした後再起動。ミサトを邪魔にならない場所へ移動させた後、大掃除を開始したのだ。後にミサトはこう語った。

 

―――あの時のシンちゃんほど怖いシンちゃんをあたしは知らないわ……。

 

 そう評される程、シンジは苛烈に葛城家を清掃した。とはいえ、時間的にも体力的にも部分的に留まり、彼としては不満の残るものとなったが。

 

「すごい……ここまで綺麗になるなんて」

「僕、ミサトさんのおかげで女性への憧れとか夢がなくなりそうです」

 

 そんな皮肉を言うぐらい、シンジは精神的に疲弊していた。それが分かったのか、ミサトも申し訳なさそうに両手を合わせる。

 

「ごめんねシンちゃん」

「シンちゃん?」

「……ダメかしら。どれだけになるか分からないけど、一緒に住む間は家族みたいなものよ。だから、シンちゃん。っと、いけないいけない。大事な事忘れてたわ」

 

 そう明るく言うと、ミサトはシンジへ笑顔を向ける。

 

「おかえり、シンちゃん。ここがしばらくあなたの家よ」

「…………ありがとうございます」

「ふふっ、それは嬉しいけど違うでしょ? ほら、帰ってきたら?」

「た、ただいま……」

「うん、よく出来ました」

 

 そう言って微笑むミサトを、シンジは心から綺麗だと思った。きっと母親が生きていればこういうものなのかもしれない。そう思う程、その時のミサトは母性に溢れていた。だが、この日の食事は買い置きのレトルトとなり、シンジはそこで一人で暮らす女性への幻想を打ち砕かれる事となった。更にそこで紹介された、温泉ペンギンのペンペンなる同居人もまた彼の驚きを生んだ。こうして二人と一匹による奇妙な食事を終え、シンジはとりあえず用意された―――というか用意した―――部屋へ行き、ベッドに横になったのはいいのだが、その視界に映る景色のせいか落ち着けない。音楽を聞こうとしたのだが、そんな気分にもなれなかった。

 

「……いつか、見慣れるんだろうか」

 

 今は見慣れぬ天井。それもその内慣れるのか。慣れる程ここにいるのか。あるいはいられるのか。考え始めると不安ばかりが先に立つ。そしてずっと車に乗った時から頭の片隅にある一つの疑問。一番逃げたい時は今の自分にとって何だろうというもの。それが彼に音楽を聞く気持ちを無くさせていたのだ。と、その時ドアをノックする音が響いた。

 

「シンちゃん、まだ起きてる? 起きてるならお風呂入っちゃいなさい。その方がよく眠れるし」

「あっ、えっと、分かりました」

「ん。あたしは先に頂いたから色んな事気にしなくていいわよん。じゃ、おやすみ」

 

 言うだけ言って遠ざかるミサトに何とも言えない気分となるシンジではあったが、その口振りもまた母親らしく思えて苦笑い。

 

(もしかして、ミサトさんは僕の母親みたいに振舞ってくれているのかな?)

 

 そう思うとその優しさに照れくさいものを感じ、でも考えすぎかもしれないと頭を振り、シンジは忙しい感情の動きを覚えた。と、そこである事に気付いて赤面する。

 

「ミサトさんはもう入ったんだよな。つまり……」

 

 そう、今の残り湯は年上女性の入ったもの。その事実を認識した時、シンジは頭を抱えながら元気になる己の一部へ視線を落とす。

 

「……とりあえず入ろう」

 

 こうして内心ドキドキしながらバスルームへ向かったシンジだったが、そこで彼を待っていたのはペンペンも入った事がよく分かる浴槽の状態という悲しいものだった……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力LV1を習得した。精神コマンド気迫を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二話「見慣れぬ、天井」完



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第三話 鳴らす、電話

一応TVと同じ流れで使徒は出ます。……倒され方が同じとは限りませんが(汗
あと、レイがヒロインみたいになってますが勘弁してください。

見切り……スパロボの特殊技能の一つ。気力が通常からプラス30になると発動。命中や回避などにボーナスがつく。


「碇シンジです。よろしく」

 

 第3新東京市立第壱中学校。そこが今日からシンジの通う事になった学校だった。愛想良くなど出来ない彼は、第一印象から陰気か根暗と言われてもおかしくないような雰囲気で自己紹介を終え、言われるままに指定された座席へ座る。クラスメイトの様々な視線を受けたのも束の間、すぐにそれらは感じなくなった。興味がそこまで湧かないのだとシンジは思った。それでいいとも。

 

(どうせ、僕は一人なんだ)

 

 友達が欲しくないとは言わない。でも、欲しいとも言わない。シンジは何に対しても消極的だった。きっと受け入れてもらえない。そんな気持ちがどこかにあったからだ。と、一つだけ残っている視線に気付いた。その視線を追うと儚げな感じの美少女がいた。包帯などがあり、とても見た目が痛々しい。その少女の血のように赤い目がシンジを見ていた。

 

(誰なんだろう……? それに、すごい怪我をしてる。大丈夫なのかな?)

(あれがサードチルドレン。初号機を使って使徒を殲滅した人。碇司令の子供)

 

 本来であれば既に出会っているはずの二人だが、シンジがエヴァに乗る事を躊躇わなかった事もあり、その邂逅は果たされなかった。よって、ここで初めてシンジは綾波レイと出会う。まだ、彼女が自分と同じネルフ関係者と知らぬままに。

 

「……僕に用でもあるのかな?」

 

 そう思ったシンジはいけない事と知りつつ、机の端末を使ってレイへメッセージを送る事にした。内容は単純。僕に何か用。それだけである。すると、その返事はすぐ返ってきた。

 

「えっと……?」

 

 その文面はたった一言。ない。自分の勘違いだったのかと、そう思って顔を上げるシンジ。だが、未だにレイは彼を見ている。その一致しない言動に疑問を抱きながら、シンジはならばともう一度メッセージを送る。

 

―――じゃ、どうして僕を見ているの?

―――気になるから。

―――何で?

―――分からない。

―――分からないのに気になるの?

―――そう。

 

 こんなやり取りを繰り返す二人。そのため、一人の少年が送ったメッセージは気付かれる事なく埋もれていく。

 

(おっかしいなぁ。ちゃんと届いてるはずなのに……)

 

 その少年、相田ケンスケは一向に反応がないメッセージの返事を今か今かと待ち続けていた。予想もしないだろう。シンジがレイとのやり取りをしているとは。しかも、少しずつではあるが二人は互いに対して興味を持ち始めているのだから。

 

―――じゃ、君も関係者?

―――ええ。貴方と同じチルドレン。私はファースト。

―――チルドレン? ファースト?

―――子供達と一番目。知らない?

―――いや、意味は知ってる。じゃあ、僕はセカンド?

―――いえ、サードよ。

―――そうなんだ。何だか野球のポジションみたいだね。

―――どういう意味?

―――えっと、野球は分かるよね?

―――聞いた事はある。見た事はない。

 

 こんなやり取りでシンジの一限は終わる。勿論授業などほとんど頭に入っておらず、彼は転校初日の授業をまったくといっていい程聞かずに終わってしまう。そして放課後、彼はある少女と共に下校する事となった。

 

「こうやって話すのは初めてだね。僕はシンジ。碇シンジ」

「知ってる。私はレイ。綾波レイ」

「じゃ、綾波って呼ぶよ。それで、その怪我大丈夫?」

「問題ないわ。動けるもの」

「……えっと」

 

 メッセージのやり取りでシンジはレイについてこう感じていた。あまりにも知らない事が多すぎると。普通に暮らしていれば触れたり見たりする物や事を、まったくと言っていい程知らないのだ。シンジも物知りではないと思っているが、それでもレイの一般常識はおかしすぎると感じる程に。

 

「他に質問は?」

「ない事はないけど、綾波が知らないかもしれないから」

「……そう」

「うん……」

 

 沈黙。元々口数が多い訳ではないシンジと寡黙というより沈黙なレイでは会話が弾むはずもなく、むしろメッセージの方が続いていたという逆転現象を引き起こしていた。この後、二人は揃ってネルフ本部へ向かう。リツコからの呼び出しがシンジへあったのだが、生憎連絡手段を渡していなかった事もあり、レイを経由しての召集となったためである。

 

「まさか揃って来るとは思わなかったわ」

 

 研究室へ二人を迎え入れたリツコは、軽い驚きを声に乗せていた。レイが他者と行動している事が珍しかったからだろう。シンジはリツコの言葉の裏は理解出来なかったが、レイが原因であろうとは察していた。

 

「それで、一体僕に何の用ですか?」

「単純にミサトの部屋についてよ。酷くなかった?」

「逃げ出したくなりました。でも、そんな事で逃げてたらきりがないんで」

「あら、中々言うわね。一晩で何かあったの?」

「……逃げてもいいけど逃げ続けるのはダメだって、そうミサトさんに言われました」

「そう、ミサトがね。やっぱり彼の事かしら……?」

 

 リツコの呟きを聞いたシンジではあったが、それを尋ねる事はしなかった。それはミサトに配慮したとかではない。それをする事で嫌われる可能性を考えたためだ。それに隣にいるレイが沈黙したままなのも気になっている。だから彼が口にしたのはこんな一言だった。

 

「あの、綾波はもう帰ってもいいんじゃないですか?」

「え? ああ、そうね。レイ、ご苦労様。もう帰っていいわ」

「わかりました」

 

 あっさりと返事をし、レイは研究室を出て行こうとする。その背へシンジは何て事ない挨拶のつもりで声をかけた。

 

「綾波、また明日」

「……ええ」

 

 最後にチラリとだけシンジへ顔を向け、レイは部屋を出て行った。そのやり取りを見て、リツコだけが内心驚きを感じていた。

 

(あのレイがここまで反応するなんて……)

 

 そこからリツコの興味は学校での出来事というか、レイとのやり取りへ変わった。そこで聞かされるメッセージでの会話と、そこから付随するシンジの意見はリツコにとって驚きの連続だった。引っ込み思案であるシンジが自発的に接触を試みたのもそうだが、何よりもレイが分かり易い興味を示した事に一番驚いたのだから。

 

「つまり、レイから貴方へ興味を示したのね」

「だと思います。綾波がずっと見て来た事で僕も気付いた訳ですし」

「……そう、あのレイがね」

「綾波ってやっぱり寡黙なんですか?」

「寡黙というよりは最低限しか話さないというべきかしら。だから驚いているのよ。メッセージとはいえ、そこまで会話を続けた事に」

 

 リツコの言葉でシンジもやっと納得出来た。おそらくレイは知ろうと思う気持ちが薄いのだと。世間と関り合いたくないようにも感じるそれ。まるでもう一人の自分のようだ。そう思ってシンジは気付く。

 

(もしかして、綾波もそう感じたんじゃないかな。自分に似てる気がするって)

 

 その答えを聞く事は簡単だ。ただし、それはシンジでない者ならばである。内向的なところがある彼は、結局レイへその感想を告げる事どころか連絡先を聞く事さえなくその日を終える。そして翌日、登校したシンジは窓際の座席に座り外を眺めるレイへ挨拶をした。

 

「おはよう綾波」

「……おはよう」

 

 その瞬間、たしかに教室がざわめいた。シンジは何かあっただろうかと思いながら、レイへ昨日伝えそびれた言葉を告げる。

 

「その、昨日はありがとう。わざわざ案内までさせちゃって」

「気にしなくていい。それも役目だから」

「えっと……それでもお礼が言いたかったんだ。それだけ」

「そう」

 

 一度だけシンジへ顔を向けたレイだったが、すぐにまた外へ顔を向けてしまう。それでもシンジは構わなかった。一度だけでも自分へ関心を向けてくれた事が嬉しかったのだ。少しだけ上機嫌になりながら自分の座席へ座った瞬間、シンジは大勢のクラスメイトに囲まれた。

 

「おい、どういう事だよ碇! お前、綾波レイとどういう関係だ!」

「えっ?」

「綾波さんがあんなに喋ってるの初めて見たの。一体どうやって仲良くなったの?」

「その……」

「ずるいぞ碇! 俺にも薄幸美少女と仲良くなる方法を教えろぉ!」

「いや、だから……」

 

 事情がよく分からないまま、質問攻めにあうシンジ。その内心でこう思っていた。

 

(普通、こういうのって初日にくるもんじゃないのっ?!)

 

 賑やかなシンジの座席から少し離れたレイの元に一人の女子が近付く。そばかすが特徴的な彼女は、シンジの騒ぎを横目にレイへ話し掛けた。

 

「ね、綾波さん。一体いつ碇君と仲良くなったの?」

「……昨日。メッセージをやり取りした」

 

 驚きだ。そんな感情を少女は顔に出した。レイは自分へ久しぶりに関わってきたその少女へゆっくりと顔を向ける。

 

「えっと、授業中も?」

「ええ」

「そっか……」

「それが何?」

「え? うん、何となく意外だなぁって。碇君も綾波さんもそういう事しなさそうだし、自分から誰かに話し掛ける感じしなかったから」

「そう」

 

 そばかすの少女、洞木ヒカリはレイの素っ気無さに苦笑する。だけど、どこか以前よりも血の通った感じを受け、チラとシンジを見やった。未だに質問攻めにあっているその姿を見て、学級委員長としては止めるべきとは思うのだが、シンジの今後を考えると少し大目に見るべきかとも思っていたのだ。これでシンジは嫌でもクラスへ馴染むだろうと。

 

「一ついい?」

「何?」

「もしお料理とか教えて欲しかったら言ってね。私、教えるから」

「どうして?」

「理由は言わないでおくね。考え過ぎだと自分でも思うから」

 

 そのヒカリの言葉にレイは何も言わなかった。だが、その顔がもう一度動く。その先は窓の外ではない。その視線の先には、困った顔でクラスメイトの相手をするシンジがいるのであった……。

 

 

 

「困ったわね。これじゃあ訓練の意味が半分ないわ」

 

 シミュレーター訓練を終えたシンジの耳に聞こえてきたのは、ミサトの嘆くような声だった。リツコもオペレーターである伊吹マヤも同じ心境なのか表情が暗い。全ては初号機の謎の変化にある。訓練でも反映されるかと期待したのだが、その結果は不発。従来の初号機としての訓練となったのだ。それも意味がない訳ではない。ただ、先日の戦闘データから推測する性能には到底及ばない。更に武装なども謎に包まれているため、今の射撃訓練も本当に意味があるのかは疑問なのだ。

 

(そんなに違うんだ。道理で動きが鈍い訳だ)

 

 学校が終わり、レイと共にやってきたネルフ本部。そこで頼まれたのは射撃訓練だったのだが、シンジは言われた通りに操作しながら内心で疑問符を浮かべていた。その謎がやっとわかったのだ。実際の戦闘時と色々なものが違い過ぎると。

 

「いっそ実機で訓練でもする?」

「リツコ、あんたそれ本気で言ってる?」

「で、でも、そうすればあの機体のデータが取れるはずですし」

「おそらく無駄よ。映像を解析した結果、使徒の反応が完全に消失した五秒後には従来の初号機へ戻っていたわ。そこから考えて、あの姿へは使徒との戦闘以外では変化しないはず」

 

 マヤのフォローへミサトが突きつけた事実。それはシンジにも驚きだった。本当にそんな事が起こったとは信じられなかったのだろう。

 

「そうね。でも、試してみる価値はあるかもしれない。シンジ君の聞いたという謎の声。それがもし仮にエヴァの声だとするなら、シンジ君が強く呼びかければ応えるかも」

「エヴァの声、ねぇ」

「もしそうなら、シンジ君を助けた事といい、エヴァはチルドレンを守ろうとする意思を持っているんでしょうか?」

「それはまだ分からないわ。そもそも分かっている事の方が少ないぐらいだもの」

 

 そこまで話してリツコがシンジに気付いた。シンジも目が合った事で気まずさを覚える。だが、そこでリツコが小さく微笑みながら手招きした。その意図が分からぬまま、シンジはプラグスーツのまま三人のいる場所へ近付いて行く。

 

「シンジ君、どこまで聞いてた?」

「あら、シンちゃんったら、女の会話に聞き耳立てるなんてませてるんだから」

「別に聞き耳を立てた訳じゃ……」

「シンジ君、何でもいいわ。訓練で気付いた事や思い出した事。些細な事でもいいからあれば話してくれる?」

「その、反応速度って言えばいいんでしょうか。それがあの時と違い過ぎます」

 

 シンジの言葉にマヤは先日の戦闘を思い出して頷いた。実際、最初の方は初号機が挙動不審だったのだ。

 

「たしかに最初は動きに振り回されてる感じだったね」

「はい。だから動くじゃなく歩くにしたんです。でも、そうしたら」

「使徒の攻撃にあった。けれど、それも強固なATフィールドで無力化」

「安心感が凄かったです。何があっても大丈夫みたいな感じがして」

「最後にあのマゴロクソードという名の武器で攻撃。使徒は一撃で撃破、だもの」

「落ち着いて考える事が出来たからだと思います。それに、倒す瞬間は僕もあまりよく覚えていないんです。ただ、逃がしちゃダメだって気持ちでエヴァを動かしたら……」

「それにエヴァが応えた? たしかに理解は出来るけれど」

 

 シンジの説明を聞いてリツコ達は更に疑問を深める事となった。特に最後の動きは、初めてエヴァに乗ったシンジが出来る動きではない。まるで長きに渡りエヴァを扱い、戦ってきたかのような動きだったのだ。しかも、あの恐るべき性能の初号機で。結局答えどころか推測さえ出来ないまま、この日の訓練は終わる。シンジは制服へ着替え、帰路に着こうとして廊下で佇むレイを見つけた。

 

「……綾波?」

 

 聞こえるか聞こえないか程度の呟きだったが、無人の廊下にはそれでも響いたようだ。レイはゆっくりとシンジへ顔を向けた。

 

「訓練、終わったの?」

「え? あ、うん。半分意味がないみたいだけどね」

「半分?」

「うん。知らないかな? 僕が乗った時だけエヴァが変身するんだ」

「……知らないわ」

 

 その時、シンジは少なくない驚きを覚えた。あのレイが微かにではあるが目を開いたのだ。それは、普通ならばびっくりしたと表現出来ない程度のもの。だが、レイならば十分その範疇である。シンジは珍しいものを見たと思い、内心で喜んだ。

 

(綾波でも驚くんだ……)

 

 自分しか知らないであろうレイ。その事実が思春期の少年にとってはかなりの優越感を与える。しかも、相手はかなりの美少女であり、少なくない秘密を共有する存在でもあるのだ。

 

「そっか。なら、リツコさんがミサトさん辺りに聞いて映像を見せてもらうといいよ。僕も見せてもらったけど、結構カッコ良かった」

「そう、カッコイイの」

「それに動きが速いんだ。今の僕じゃ振り回されるぐらいで」

「そんなに?」

「例えるならジェットコースターだったよ」

「……ごめんなさい。それも知らないわ」

 

 これをキッカケに話題が遊園地へ移り、シンジはレイとその場で実に一時間近く会話する。その時間は、ミサトがそこを通りかかった事で終わりを迎え、こうしてレイはミサトの車で家の近くまで帰る事となった。その車中でシンジはふと思い切ってある事を尋ねた。

 

「連絡先?」

「う、うん。迷惑じゃなければなんだけど」

「いいんじゃない? いざって時にも使えるもの」

 

 そのミサトの言葉でレイは納得出来たのか、制服のポケットから携帯を取り出しシンジへ差し出した。

 

「えっと……?」

「登録、しておいて。私、やった事ないから」

「分かった。じゃあ……」

 

 後部座席で繰り広げられる微笑ましいやり取り。それをバックミラー越しに見ながらミサトは小さく笑みを浮かべる。車の速度は安全運転重視の法定速度。無論それ以外にも理由はある。

 

(シンちゃんとレイ、か。歳も近いし性格も似てる。これはもしかすると、もしかするかも)

 

 気分は完全に息子の恋愛を応援する母親である。そして、レイはシンジと連絡先を交換して家へと帰って行った。シンジが送ろうとしたのだが、レイはそれを断った。その会話もミサトには微笑ましいものに映った。

 

―――本当にいいの?

―――ええ。碇君は訓練があったのだから早く帰って休むべき。

―――そうかもしれないけど……。

―――……何かあったら連絡するから。

 

 そんなやり取りを思い出し、ミサトは缶ビールを呷る。シンジが来てまだ数日ではあるが、既に葛城家は本来の状態へ戻りつつあった。勿論、ミサトが散らかそうとする度にシンジのため息が漏れ、汚れる度にシンジがミサトへ小言を漏らす。家の中では立場が逆転しているような二人ではあったが、その遠慮の無さがシンジとしては有難かったのも事実。実際、来た初日こそどこか遠慮があった彼も、二日には面と向かって文句を言い、三日目にはミサトの生命線とも言えるビールを抑えるまでに順応したのだ。彼の孤独を阻止するミサトとしては痛し痒しの結果となったが。

 

「っぷは~っ……このために生きてるわね」

「飲んでもいいですけど、缶を散らかさないでくださいね。ビールが零れると掃除大変ですから」

「わぁ~ってるって。シンちゃんは心配性なんだからぁ」

「……ホントに分かってるのかな?」

 

 小さく呟き、シンジは洗い物を片付けていく。既に家事は彼の仕事となっており、ミサトは体の良い家政夫を手に入れたような状況となっていた。ある意味でそれは仕方ないのだが、どこか納得いかないシンジである。

 

「じゃ、先にお風呂入りますからね?」

「はーい」

「……ペンペン、行こうか」

「クェ」

 

 すっかり仲良くなったペンペンを連れ立ってシンジはバスルームに向かう。これが最近の彼の日常。そして、もう天井は見慣れ始めていた。

 

 そんな風にシンジが新生活に慣れ始めた頃、遂にその時は訪れた。いつものように学校へ向かい、授業を受け、何事もなく過ぎていく時間。レイとの一件でシンジはクラスに友人と呼べる存在がそれなりに出来ていた。その中でも、ケンスケとその友人である鈴原トウジは特に親しい相手でもあった。この日も昼休みに校舎裏で男三人のバカ話をしていたのだ。主に喋るのはケンスケとトウジではあったが。

 

「それにしても、ホンマに信じられんわ。センセがあの綾波と親しくしとるとはなぁ」

「でもそれがマジなんだよね。見せたろ? あの写真」

「おう、あれを見せられたら信じるしかないわな」

 

 写真とは、シンジがケンスケに頼まれて撮影したピースサインをしたレイの事。表情はなく、不気味と思えなくもないが、あのレイがピースサインをしているという事で男子達はそれなりの騒ぎをしたものである。シンジは何故そんな事をしなくてはいけないのかをレイへ説明する方が疲れたのだが、それさえ撮影許可のためのものと男子達には思われていた。

 

「な、碇。やっぱあれは無理か?」

「あ、当たり前だよ。綾波だって嫌がるだろうし」

 

 ケンスケの言うあれとは、ずばりセクシーショットである。とはいえ、際どいものではなく、少しだけスカートをめくり上げる程度であるが。

 

「いや、センセなら説得出来る」

「無理だよ! 何て言えばいいのさ!」

「せやな……ちょっと太もも見せてくれちゅうのは?」

「何でって聞かれるよ!」

「そこはほら……上手い事さ」

「上手い事なんて出来ないよ。大体」

 

 そこでシンジの携帯が振動する。何だと思って手に取るとそこには綾波の表示。シンジは、一応二人へ断ってから少し離れた場所で電話に出る事にした。冷やかされたくなかったからだ。

 

「もしもし? どうしたの?」

『非常招集。先に行くから』

「分かった。ありがとう綾波」

『気にしないで。これも仕事だから』

 

 素っ気無く返されるが、それでもシンジは構わなかった。気付いていたのだ。レイがどうして電話をしてきたのかを。何故なら、彼から見えたのだ。通用口近くに立っていたレイの後ろ姿が。友人と一緒にいるから気を遣ってくれたと、そう考えて。シンジは二人に急用が出来たと告げ、急いで本部へと向かう。

 

(きっと敵が、使徒が来たんだ……)

 

 その予想通り、第3新東京市は再び使徒の恐怖に包まれようとしていた。……本来ならば。

 

「シンジ君、到着しました」

「既にプラグスーツへ着替え、こちらへ向かっています」

「エヴァ初号機、いつでも大丈夫です」

 

 オペレーターの声が飛び交う指揮所。ミサトはリツコと共にメインモニタを見つめていた。そこには接近しつつある第四の使徒が映し出されていた。

 

「どう戦うの?」

「はっきり言って、あの初号機の事が分からない以上作戦の立てようがないわ。でも、逆に言えば方針は立てられる」

「方針?」

「シンジ君が言ってたでしょ? エヴァは彼の想いに応える。なら、私達がすべきは彼が死なないようにする事よ。つまり、何があってもエヴァを、シンジ君を守るための作戦を立てる」

「成程ね。初号機を使った作戦ではなく、初号機を守る作戦ね」

「そゆコト」

 

 大学時代からの付き合いか、ミサトの考えを上手く翻訳するリツコに周囲は感心しつつ仕事の手を動かす。そして、シンジが初号機へと乗り込んだという報告が上がり、ミサトは通信を開かせた。

 

「シンジ君、聞こえる?」

『はい、聞こえてます』

「そう。おそらく戦闘中はまた通信が途絶えると思うから伝えておくわね。貴方は生き残る事を考えなさい」

『……それでいいんですか?』

「ええ。倒す事が出来ればいいけれど、無理ならまず生き残る事を優先して。酷い言い方をするけれど、人類にとって貴方の代わりはいないの。貴方が死んだら誰もあのエヴァを使える人はいない」

 

 そのミサトの言葉に誰もが黙った。シンジもきっと言葉を失っているだろう。それ程にその言葉の意味は重い。

 

「だからシンジ君、必ず生きて帰ってきて。貴方が戦う時、一番優先するのは自分が生き残る事よ」

『……分かりました。絶対生きて帰ります』

「お願い。……出撃準備は?」

「出来ています」

「そう。では、エヴァンゲリオン出撃!」

 

 その声で初号機がリフトと共に射出される。シンジはそのGを感じながらミサトの言った言葉を反芻していた。生きて帰る。それは使徒を倒す事と同義ではない。例え倒せずとも生きて帰れ。ミサトはそう言ってくれたのだと。だからこそ、余計シンジは使徒を倒したいと思った。例え自分が生き残っても、使徒によって殺される人がいれば、それは少なからずミサトやリツコ達の心へ傷を作る。自分にもだ。それは嫌だ。そうシンジは思い、そこで気付いた。

 

「僕が一番逃げたい事……それはこれだ……」

 

 己の力が足りず犠牲を出す事。自分のせいで誰かが苦しんだり困ったりする事。それらを知られて、自分を攻撃される事。それが一番自分が逃げたい事だ。そうシンジは理解した。その瞬間、シンジは頭の中に声を聞いた気がした。そして、その声に応じるように呟く。

 

「逃げちゃダメだ」

 

 一番逃げたい事から逃げるには、今目の前にある事から逃げない事。立ち向かえるかと自分に問えば、このエヴァとなら出来ると答えられる。ここにシンジの気持ちは決まった。覚悟完了。地上に現れたF型は近くにまで迫っていた使徒を睨みつけるように目を光らせた。

 

「お前なんかから……逃げるもんかぁ!」

 

 気迫のこもった声に呼応し、初号機はマゴロク・E・ソードを構えた。それに対して使徒が触手を向かわせるも、それらは全てATフィールドに弾かれるか最小限の動きでかわされた。それら襲い来る攻撃を意に介さず、初号機は手にした太刀をゆっくり構えた。それは正眼の構え。剣道の試合の始まりと同じ構えで初号機は使徒を迎え撃つ。

 

「うわぁぁぁぁっ!!」

 

 力強い踏み込みで使徒へ迫る初号機。触手は全てATフィールドで弾かれ、意味を成さない。逃げる事さえ出来ず、第四使徒は縦一文字に一刀両断されて爆発四散。こうしてシンジの二度目の戦闘は終わりを告げた。戦闘が終わり、初号機が回収される中でシンジは思う。

 

(あとで綾波へお礼を言わなくちゃ。電話、気を遣ってくれてありがとうって)

 

 その日、レイの携帯に着信があった。電話ではなくメールであったが、その内容に彼女は小さく呟く。

 

―――電話ありがとうって、どういう意味?

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。見切りを習得した。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第三話「鳴らす。電話」完



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第四話 雨、降り出した後

アスカを早く出したいけれど、そうはいかないもどかしさ。レイも可愛いんですが、アスカの方が年頃っぽくて書きやすいんですよねぇ。


 第四使徒との戦いを終え、シンジはエヴァへ乗る意義を持ち始めていた。自分しかあの強力な初号機を扱えない。それでなければ守れないものや助けられない人がいる。世界を守るというのは言い過ぎだが、自分が逃げれば最後の最後には一番逃げたい事が迫ってくる。ならば、その前に立ち向かおう。シンジがそう決意していた頃、ネルフ本部ではミサト達が上がってきた報告などへ目を通しながら会話していた。

 

「街への被害も最小限。戦闘時間も短い。これが二度目とは思えない結果ね」

「やっぱあの初号機よ。それと、シンジ君の順応性の高さか」

 

 先程の戦闘を思い出しながらリツコとミサトは会話していた。モニタには使徒の攻撃を物ともしないでマゴロク・E・ソードを構えていく初号機が映し出されている。

 

「……凄いの一言に尽きるわ。眼前に敵を置いて、更に攻撃されながらもここまでゆっくりと構えられるんですもの」

「シンジ君はおそらく恐怖を感じてないんだわ。もしくは、それ以上の感情で動いていた」

「怒り? それとも悲しみ?」

「もしかしたらより大きな恐怖かも。どちらにせよ、呼び出しがあったとはいえ、彼は今回自らの意思でエヴァへ乗った。そこには前回と違った気持ちが働いていたはず。聞いてみたいけど戦闘後だしゆっくり休ませてあげたいわ」

 

 そして映像は使徒を一刀の下に斬り捨てる場面へ変わった。その見事さに、二度目ではあるが周囲から感嘆の声が漏れる。まるで剣の達人が見せる模範演技のようでもあったからだ。これもシンジには出来ないはずの芸当である。

 

「あの状態のエヴァは、もしかすると未来のエヴァかもしれない」

「未来?」

「ええ。あくまで妄想の類よ? 実は本来ならこの世界は使徒によって滅びるはずだった」

「ちょっ?!」

「最後まで聞きなさい。それを阻止するべく、有り得ない話だけど過去改変を行うための時間干渉技術を完成させた。でも、それは限定的且つ短時間の運用しか出来ない」

「……そこで使徒戦に限り未来のエヴァを送り込み、その侵攻を阻止させている? B級映画のストーリーみたいね」

 

 話しているリツコも信じていない。ミサトはそう分かったからやや呆れつつ乗ってはみた。だが、それを否定出来るだけの自信を持つ者はここにいない。有り得ないと言いたいが、実際初号機は二度も変化し圧倒的な力で使徒を殲滅しているのだから。

 

「……シンジ君が帰還しました。怪我一つないそうです」

「念のためメディカルチェックを受けさせて。私もそちらへ行くわ」

「リツコ、あたしは事後処理とかあるから先に帰っていいって伝えてくれる?」

「分かったわ。ついでに夕食も無理そうとね」

「お願い」

 

 歩き出したリツコへ伝言を頼み、ミサトはもう一度モニタを見た。その中でも初号機が姿を戻していた。どうしてあの姿のままではいないのか。それがミサトはずっと気になっていた。何故シンジが戦う時だけ変化し、戦闘が終わると戻るのか。

 

(何か知られたくない事でもあるのかしら)

 

 そのミサトの推測は当たっていた。あの状態の初号機はS2機関を搭載しているのだ。だからこそF型は限定的にしか姿を見せない。奇しくもリツコの言った未来から来たという点もある意味で正解と言える。ただ、この時間軸と繋がりが完全にない世界からではあるが。こうしてこの日は終わりを告げた。

 

 それから数日が経過し、シンジはまた日常へと戻っていた。幸いにして死傷者はなく、被害も前回と同じでほとんどなかったという最上の結果ともあり、シンジは内心胸を撫で下ろしていた。自分がエヴァのパイロットである事はほとんど知られていない。それでも、人の口に戸は立てられないのだ。どこで自分がパイロットであると露見するか分からない以上、出来るだけ使徒との戦いでは被害を出したくない。それが今のシンジの考えだった。

 

(良かった。クラスにも被害に遭った子がいないみたいだ……)

 

 軽く見渡しても悲しそうな顔や悔しそうな顔をしている者はいない。だからといってシンジはクラスメイトへ聞いて回るような事が出来る性格ではない。もしかしたらと思うも、そこまで踏み込む事は避けたいと考える。それこそが碇シンジという少年だった。

 

「おはよう碇君」

「おはよう綾波」

 

 そんなシンジも踏み込める相手がいる。とはいえ、それは一般的には踏み込むというよりは関わるだろうが。その相手、レイは連絡先を交換した後からシンジとの接触を増やしていた。理由は彼女自身もよく分かっていない。だが、強いていうのなら感情が動くからだろう。あるいは自分の知らない事や分からない事を教えてくれるからもしれない。レイにとって、シンジはまるで知識の泉だったのだ。

 

「これ、返すわ」

「ああ、もう読み終わったんだ」

 

 そして今はシンジがレイへ本を貸している。小説だったり漫画だったりと一貫してはいないが、それもまたレイにとっては未知の世界。分からない事や知らない事があればシンジへ聞いたり、自分で図書室などへ行き調べたりもするようにレイは変わり始めていた。この日レイが返したのはSF小説。シンジも気に入っている一冊だ。手渡された本を受け取り、シンジは他愛なく尋ねる。

 

「どうだった?」

「……ユニーク、だった」

 

 細かい感想などはレイも言わない。このようにたった一言で述べるのだ。面白いと言う時もあれば、分からない事だらけと評する時もある。それでも、もういいとは一度として言わなかった。それがシンジにとって嬉しかった。拒否されない事。例え趣味が合わないでも嫌いにならないでいてくれる事。それがシンジにとっては一番の喜びだった。

 

「今度は推理小説を持ってくるよ」

「……分かった。期待してる」

 

 そんな二人をそっと見つめる二つの影があった。

 

「何やあの感じ。完全に恋人やないか」

「だよなぁ。綾波も碇といる時は心なしか可愛げがあるし」

 

 トウジとケンスケはどこか羨ましそうにシンジとレイのやり取りを眺めていた。無愛想で無口。そんなレイだが、その容姿もあって人気は高い。ミステリアスな雰囲気も手伝って、そういう対象として捉えている男子は数多いのだ。故にケンスケはレイのセクシーショットを欲しがっている。自分用と販売用にするために。

 

「センセなら口説けそうなんやけどなぁ」

「……トウジ、もし綾波がへそ見せてる写真あったら買うか?」

 

 突然切り出された質問にトウジは一瞬疑問符を浮かべるも、すぐにその意図を理解して唾を飲んだ。

 

「買う」

「いくらでも?」

「……そんなには出せん」

「じゃ、いくらまでなら出す?」

 

 ケンスケは交渉が中学生にしては上手かった。値段を言うのではなく、設定もせず、相手が出せる限界を聞き出そうとする。大人であれば駆け引きも出来るだろうが、生憎トウジはそういう部分は歳相応だった。そして、トウジが提示した金額は三千円というもの。ケンスケはそこが相場かと判断し、早速行動に出た。

 

「碇、ちょっといいか?」

「ケンスケ? 何?」

「この前の話なんだけど、やっぱり無理だと思ってさ。代わりに別の方向でお願い出来ないかなって」

 

 その口振りで何を言っているかはシンジも分かった。なのでやや慌てるようにレイへ顔を向ける。そこには無表情ながらも、何を話しているのか理解しようとしているレイがいた。

 

「何?」

「ごめん綾波。ちょっとケンスケと話さなきゃいけない事が出来たから、また後で続きは話そう」

「分かったわ」

 

 さらっと返事をし自分の座席へと向かうレイ。その背を見送り、シンジは安堵の息を吐く。だが、それも束の間、すぐさまケンスケへ振り向くとやや睨むような目を向けた。

 

「どうして綾波がいるとこで話すんだよ」

「悪い悪い。でも、こうでもしないとこっちの話を聞いてもらえないと思ってさ」

「……それで、一体どうして欲しいのさ?」

「それなんだけど耳貸してくれ」

 

 ケンスケへ顔を寄せ、耳元で先程の提案を告げられるシンジ。その目が大きく見開かれるも、場所が教室ともあり大声を出す事は避けた。ただ、その表情は怒りを宿しているようにも見える。それでもケンスケは怯まない。いや、若干逃げ腰気味ではあった。しかし、彼はシンジよりもある意味男だったのだ。

 

「碇、そう怒るなって。前のやつよりも頼み易いだろ?」

「どこがだよ。お腹なんて……」

「だからさ、上手い事言って見せてもらえばいいんだよ」

 

 納得出来ないシンジへ近付き、ケンスケは耳元へ囁いた。

 

―――見たくないのか? 綾波の可愛いへそを、さ。

 

 その表現でシンジは想像してしまったのだ。無表情ながらも上着をめくり、へそを見せているレイの姿を。それによって反応しかける己を瞬時に律し、彼はケンスケへ視線を向ける。だが、その目には先程までの力は無かった。

 

「ま、無理ならいいよ」

 

 あっさりと背を向け、ケンスケは座席へと戻る。トウジはそのやり取りを眺め、不思議そうな顔をしていた。

 

「何や。諦めるんか?」

「ここで迫り過ぎても意固地になるだけだって。それに、碇だって興味ないわけじゃない。まぁ、見てなって。昼休みでケリをつけるから」

 

 どこかあくどい笑みを浮かべ、ケンスケはチラリと後ろを見やる。その視線の先では、シンジが複雑そうな顔をして頭を抱えているのだった……。

 

 そして迎えた昼休み。シンジは、トウジからケンスケが頼んだ内容を再度依頼されていた。

 

「頼むセンセ。この通り」

「嫌だよ。綾波だって、表情に出さないだけで嫌がるはずだし」

「じゃあ、こうしてくれていいよ。綾波が嫌だって言ったり、どうしてそんなものを撮りたがるのか尋ねたら、俺から頼まれたって。断ったら口聞かないって言われたってさ」

 

 その言葉にシンジは戸惑った。トウジもである。ケンスケは平然としていた。分かっているのだ。何をシンジが嫌がり、どうすれば人が自分の思う通りに動き易くなるかを。シンジはケンスケの申し出の意味を理解していた。つまり、いざとなったら悪いのは自分にしてくれていいと言っていると。しかも、実際そんな事をする訳じゃないのはシンジにも分かっている。

 

(綾波に僕が嫌われないように、ケンスケは自分を犠牲にしていいって事?)

(やっぱ碇は共犯やケツ持ちが出来ると迷うタイプか。んじゃ……)

 

 シンジが迷ったのを見て、ケンスケは最後のとどめを告げる事にした。

 

「それと、撮った写真は碇が判断してくれていい。撮るには撮ったけど、これは俺達に見せられないと思ったら処分してくれていいぜ。な、トウジ」

「お、おう。さすがにすけべ過ぎるやつは綾波も嫌だろうしの」

 

 ケンスケの目が話を合わせろと言っているように思え、トウジは困惑したままその言葉に乗った。こうして、シンジはその二人の言葉と用意された言い訳と逃げ道、更に自身の欲望が加わって遂に首を縦に振ってしまったのだ。そして、再び彼へケンスケはカメラを預けてその成功を祈る。トウジも同じくだ。シンジは友人二人を諦めさせるためと表向きは言い聞かせながら、レイと二人きりになれる放課後を待つ事となる。

 

(どうしよう? やっぱり撮れなかったってカメラを返すべきかな?)

 

 校門近くでレイを待つシンジだったが、その胸中は乱れに乱れていた。理性は止めろと言うが、本能はやるだけやってみろと言っているのだ。しかも、どちらかと言えば本能の声が大きい。己の性欲に飲まれそうなシンジであった。そこへレイが姿を見せる。

 

「お待たせ」

「うぇっ!?」

「どうしたの?」

「え、えっと……」

 

 挙動不審なシンジだが、その手にあるカメラにレイが気付いた。

 

「それ、相田君の?」

「あ、うん。ケンスケの」

「……また写真を撮りたいの?」

 

 疑問を抱くレイにシンジはどう答えるべきか悩んで、ある事を思い付いてこう返した。これなら写真を撮る事へ不信感を抱かせずに済むと。

 

「こ、今度の休みに綾波と出かけたいと思って。それで記念に写真を撮りたいからって借りたんだ」

「出かける?」

「うん。綾波、休みに予定は?」

「ないわ」

「じゃ、景色のいいとこに行こうよ。湖とか山とか行った事は?」

「ないわ。行く必要がないもの」

「なら、僕と一緒に行ってみない? 僕がお弁当を作るから。ピクニックに行こう」

「ピクニック……」

「そう、ピクニック。ビニールシートとかも用意するよ。あ、綾波は苦手な食べ物とか嫌いな食べ物ある?」

「お肉がダメ。獣も魚も全部」

「じゃあ野菜や大豆製品なら平気かな。他は?」

「特にないわ」

 

 ひょんな事からシンジはレイとデートの約束を取り付ける事になり、帰宅してからは野菜のレシピや当日必要なものを準備したりと大忙し。そんな彼の様子をミサトはビール片手に不思議そうに見守る。何かあったのは間違いない。それにどう見ても友人とのイベントでもない。そう判断し、ミサトは女の勘で当たりをつける。

 

(女だわ。てことは……レイとデートでもするのかしら?)

 

 恐るべき女の勘である。ならばとミサトは早速翌日レイ本人へ聞き込みを開始。すると、呆気なくそれは肯定された。ただ、彼女の想像していた答え方ではなかったが。

 

「ピクニックぅ?」

「はい、碇君はそう言ってました」

「微笑ましいじゃない。中学生なのだからそれぐらいが妥当よ」

 

 場所はリツコの研究室。定期診察のようなものをしているところへミサトが押しかけたからである。よって必然的にリツコも会話に加わる事となった。

 

「それもそうか。んで、シンちゃんは何でそんな事を?」

「景色のいい所へ行き、記念に写真を撮りたいそうです」

「「記念に写真……ねぇ」」

 

 妙齢の美女達は直感でそんなはずはないと悟っていた。何せ、それは恋人や夫婦などが至る発想だからだ。思春期真っ只中のシンジがそんな事を思うはずはない。何か裏がある。と、そこで二人はふと気になる事があった。

 

「ねえレイ? ちょっち聞きたいんだけど」

「何ですか?」

「貴女、どんな格好で行くつもり?」

「制服ではダメですか?」

「ダメよぉ。何か他にないの?」

 

 その問いかけにレイはしばし黙り、口に出したのは体操服というもの。それに二人は互いの顔を見合わせ、ため息を吐いて苦笑した。

 

「仕方ない。初デートの二人のために一肌脱ぎましょうか」

「そうね。さすがに初デートで制服はシンジ君も困るでしょうし」

 

 こうしてミサトとリツコの二人に連れられ、レイは生まれて初めて私服の買い物をする事になる。下着さえも意識するべきとするミサトと、そこは早すぎるとするリツコの対立はあったものの、レイを可愛くしてやろうという方針だけは一致していたため、無事レイは可愛らしい白色のワンピースを購入する事となった。それに合わせ靴も似合う物をと、そちらは白のパンプスを購入。服をミサト、靴をリツコがそれぞれ支払ってやり、その金額の返済はデートの内容を話す事となった。だが、二人を一番驚かせたのは買い物が終わった後のレイの言葉だった。

 

―――葛城一尉、赤木博士、ありがとうございます。

 

 無表情ながらも感謝を述べるレイに二人は揃って驚き、そして優しい笑みを返した。さて、そんな事があったとは露も知らず、シンジは白のTシャツに青のジャケット、カーキのパンツとグレーのスニーカーという出で立ちにケンスケのカメラを首から下げ、黒のリュックを背負って駅前で佇んでいた。

 

「綾波、どんな格好で来るのかな?」

 

 待ち合わせ時間までまだ十五分はある。それでもシンジは楽しみ過ぎて早く来ていた。人生初のデートであり、しかも相手は美少女レイ。こんな事を一か月前の自分は想像もしなかったのだ。期待に胸膨らませてレイの登場を待つシンジ。そしてその時は来た。

 

「お待たせ」

「あっ、あやな……み……」

「どうかした?」

 

 振り向いた先には、美女二人によって用意されたファッションに身を包んだ妖精がいた。シンジを見て微かに首を傾げる様などまさしく天使。そう思ってシンジはしばらくレイに見惚れる。だが、レイはそんなシンジの反応が意味する事が分からない。しかし、悪い反応ではないとは理解しているのでしばらくシンジの様子を窺う事にした。

 

「……碇君、この格好がおかしいの?」

 

 やがてレイはシンジの様子がおかしくなった原因を察した。ある意味で正解だが、ある意味で間違っているそれに、シンジは全力で反応した。

 

「そ、そんな事ないよ! とても似合ってるからっ!」

「…………そう」

「うん。あっ、そうだ。綾波、ちょっとそこに立って」

 

 言われるままに動くレイ。その位置が望むところに来たのを見計らい、シンジはカメラを構える。

 

「一枚撮るよ?」

「ええ」

 

 無表情のままピースサインをするレイ。以前シンジが教えた、写真に取られる際はそれが基本との言葉を忠実に守った結果である。だが、それすらも今日のレイならば映えるとシンジは感じていた。知らずテンションが上がってきているのを実感し、シンジは意気揚々と歩き出す。レイはそんな彼の変化に疑問を浮かべながらもその横へ並びついて行く。目指す場所は郊外の山。ハイキングになるかもしれないがそれならそれで。そう思いながらシンジはレイと共に電車の切符を購入する。その際も初めての事で戸惑うレイに笑みを浮かべて。

 

「綾波、昨日はよく眠れた?」

「碇君は?」

「実はあまり寝れてないんだ。その、楽しみでさ」

「そう。私も何故かいつもよりも就寝が遅かった」

「じゃ、綾波も楽しみにしてくれてたんだ?」

「……そう、なの?」

「う、うん。多分そうだと思うよ」

「そう。これが楽しい……」

 

 自分の胸に手を当て呟くレイにシンジは何とも言えない感情を抱いた。レイが楽しさを初めて感じたとして、その相手が自分。しかも、デートに対してとすれば少年にとってこんなに嬉しい事はない。それに未知の感情を噛み締めているレイの横顔はシンジには美しく見えた。気付けば無意識に近い感覚でカメラを構えシャッターを切っていた。

 

「……碇君、突然撮られるとピース出来ないわ」

「えっと、絶対じゃないから。ほら、基本なだけでしなくても撮られる事はあるよ」

 

 そう言ってシンジは電車の中つり広告を指さした。そこにはエステだろう会社の広告があり、水着の女性がそのスタイルを誇示するようなポーズをとっていた。レイもそれに目を向け、その言葉に納得したように頷いた。

 

「そう、色々な撮られ方があるのね」

「う、うん。そうなんだ」

「分かったわ。でも、出来れば撮る時は言って。びっくりするから」

「ごめん。気を付けるよ」

 

 そんなやり取りをしながら二人は目的地近くの駅まで他愛ない会話を続けた。主に喋るのはシンジで相槌をレイが打つだけという、普段の彼とは正反対の立ち位置ではあったがそれもレイと二人の際はいつもの事。今日作ってきた弁当に関する事や、向かう先の山に関してなど話題は尽きなかった。何よりレイがどこへも行った事がないのが大きかった。何を話しても知らないとなる事が多く、その説明などをしているだけで時間が過ぎていくのだから。こうして電車は無事駅まで到着し、二人は揃って下車。そこからはバスを使っての移動となった。

 

「す、座れて良かったね」

「そうね」

 

 やはり郊外ともあり、車内の客数も多くないため二人は座席に座る事が出来ていた。ただ、シンジにとって意外な出来事があった。それは現状。二人掛けの座席に隣り合ってレイと座っているのだ。空いているので、荷物を横に置いて座ろうと思い、今の座席へ座ったシンジ。するとレイが自然な流れで空いている場所へ座ったのだ。無論どいてと言えるはずもなく、戸惑いながらもリュックを膝に乗せ今に至る。

 

(いい匂いがする。これって綾波の匂いなのかな……?)

(何故だろう。今日はずっと落ち着かない。何も変わらないはずなのに……)

 

 動揺が顔に出ているシンジと顔には出ないレイという差こそあれ、互いに互いを意識している二人。電車では隣り合っていてもその間隔は少し開いていた。それが密着とはいかないでも接近しているため、互いの匂いや体温を感じ取り易くなっている。それが二人から普段とは違う空気感を与えていた。ドキドキという感覚を味わいながら、シンジとレイは電車での会話が嘘のように黙り込んでしまう。何を話せばいいのかと思うシンジと、この感じは何なんだろうと思うレイ。ミサトがいればニヤニヤと笑う事請け合いの光景が展開されていた。そのままバスはシンジの目当てである停留所へ到着。シンジはレイを連れて下車し、その空気を思いっきり吸い込んだ。

 

「ふー、やっぱり山の空気は違うね」

「そう?」

「綾波も深呼吸してごらんよ」

「……やってみる」

 

 シンジに言われるまま深呼吸するレイ。その際、シンジはその発育途中の胸が上下するのを見てしまった。思わず注視するシンジに気付かず、レイは深呼吸を終える。たしかに普段と違う気がした。

 

「そうね。いつもよりも空気が冷たくて澄んでいる気がする」

「……え? あ、そ、そうでしょ」

「ええ。碇君は私の知らない事をたくさん知ってるのね」

 

 そこでレイが知らないだけと言えないのがシンジらしさだろうか。シンジはレイの言葉に苦笑するのが精一杯だった。そんなやり取りをして、二人は初心者向けのハイキングコースを歩き始める。途中途中の景色に足を止め、レイをモデルに写真を撮る事も忘れずに。バスでの沈黙がなかったかのように二人の会話は弾んだ。見るもの全てが目新しいレイと、その反応に笑ったり驚いたりするシンジという具合で。

 

「うん、ここがいいかな」

 

 やがて時刻は正午を過ぎ、昼食時を迎えた。そのため、シンジは手頃な場所を探していたのだ。用意してきた弁当を広げるのに最適な場所を。そうして見つけたのは休憩をするために設けられた場所。テーブルがあるのでそこへビニールシートを敷けば簡易的なテーブルクロスに出来る。そう判断しシンジはリュックを下ろして準備を始めた。その様子をレイは興味深そうに見つめていた。

 

「何をしているの?」

「お昼をここで食べようと思ってさ」

「そう」

「うん。あっ、そうだ。綾波、リュックから弁当箱を出してくれる?」

「分かったわ」

 

 ビニールシートをテーブルへ敷いていくシンジの横で、レイはリュックの中から弁当箱を取り出そうとしゃがんだ。その様子をシンジは何となしに横目で見た。そして、気付いてしまう。

 

(あ、綾波の胸が……)

 

 ワンピースの胸元から見える微かな膨らみ。それがシンジの視線を釘付けにする。だが、そんな事をしていれば女性は視線に気付くもの。

 

「どうしたの?」

「っ!? えっと、綾波が弁当箱を分かるかなって!」

「大丈夫。それぐらい分かるわ。はい、これ」

「ありがとう!」

 

 見るからに様子のおかしいシンジに疑問を感じながらも、レイは無言でその動きを観察するのみ。テーブルの上に広げられる光景にレイは目を何度か瞬かせる。

 

「これ、碇君が作ったの?」

「うん、そうだよ。野菜ばかりなんてやった事なかったから楽しかった」

「初めて見るものばかり」

「味見はしてるから多分大丈夫だと思うけど、口に合わなかったら教えて」

「ええ」

 

 二人きりの初めての食事。シンジにとってもレイにとってもそれは初めての事だった。シンジは同い年の異性との、レイは誰かと食べる最初の食事。

 

「……美味しい」

「良かった。どんどん食べて」

「いいの?」

「もちろん。綾波のために作ったようなものだし」

「……私のために……」

 

 その言葉にレイは初めての感情を抱いた。誰かが明確に自分のために動く。その事へ抱いた気持ち。それはかつてレイが感じた事のあるものと似て非なるもの。

 

「碇君、ありがとう」

「どういたしまして。さ、食べて食べて」

「……うん」

 

 トマトとレタスにチーズを挟んだサンドイッチを手に取り、レイは一口かじる。それをシンジは嬉しく思って見つめていた。天気は晴れている。今日はいい一日で終われそうだと、そんな風に思いながら……。

 

 食事を終え、再び二人は歩き出していた。運動し食事をしたからか熱くなったシンジはジャケットを脱いでいた。脱いだジャケットはリュックへしまいシャツ一枚になっていたが、それでも平気な程気温は穏やかだった。流れる風を心地良く感じながら向かう先は展望台。だが、シンジはそこまで行けなくても構わないと考えていた。そう、当初の目的であるレイの写真。それはもう何枚か撮っている。二人の望むようなものではないが、前回よりも可愛いので良いはずとそう思っていたからだ。

 

「碇君、あれは何?」

「どれ?」

 

 道行く途中にある花や木。それらにレイは興味を示した。一人であれば気にも留めないそれらへ意識が向く理由。それをレイはまだ理解出来ていない。ただ、シンジがいるからだとは思っていた。自分が聞けば教えてくれ、分からぬでも考えてくれる。そんな相手はこれまでレイの傍にはいなかった。いや、そもそも誰もいようとしなかったし、彼女もまたいさせようとしなかった。シンジが初めてだったのだ。自分の無機質な対応にも気にせず接してきた存在は。

 

(碇君は私といてくれる。それは何故?)

 

 ふとした疑問。その問いをレイはシンジへぶつけてみる事にした。

 

「碇君」

「ん? どうしたの?」

「どうして私といてくれるの?」

 

 その問いかけにシンジは呆気に取られ、しかる後赤面した。そう、その問いかけは異性へするには少々過激すぎるものだったのだ。

 

(こ、これって……そういう事かな?)

 

 自分の事を好きなのか。そういう問いかけとシンジは取った。だが、そこで彼は少しだけ冷静になる事が出来た。レイの眼差しだ。それはあの初めて出会った時と同じもの。つまり、分からないけど気になる。そう判断しシンジは一度だけため息を吐いて苦笑する。

 

「どうしたの?」

「うん、僕って意外と自意識過剰なんだなぁって」

「……そうなの?」

「みたい。で、さっきの問いかけの答えだけどさ。綾波といたいからじゃダメ?」

「…………答えになってないわ」

「だよね。でも、そうとしか言えないんだ」

「そう、そういう事もあるのね」

 

 以前自分も分からないのに気になると感じた事があるから、レイはシンジの言葉を受け入れる事にした。そして、途中で見つけた花畑でレイがしゃがんで花を愛でているところをシンジが撮影し、二人は遂に展望台へ到着した。

 

「いい眺めだね」

「そうね」

「えっと、一応これで後は帰るだけなんだけど」

「そう」

 

 レイの表情は一向に変化しない。それでもシンジは気にしなかった。何となくではあるが、レイ自身もどこか寂しそうに見えたからだ。なのでシンジは満足だった。少なくてもレイが楽しんでくれた事は伝わっていたから。と、そこでふとレイが上を向いた。つられるようにシンジも顔を上げて空を見る。少し雲が増えてきたような印象を覚え、彼は微かな不安を抱いた。

 

「綾波、ちょっと急いで山を下りよう。山の天気は変わり易いっていうんだ」

「じゃあ、この雲は雨雲?」

「になるかもしれない。さすがに傘は持ってきてないから、降られると風邪を引くかもしれないし」

「分かったわ」

 

 こうして二人は来た道を戻り始める。すると、こういう時ほど嫌な予感は当たるもの。ポツリポツリと雨が降り始め、それはすぐに本格的な降り方へと変わった。走って移動するもレイは履き慣れない靴のため、そこまで速度を出せない。シンジはそれに気付いてある事を閃きリュックからビニールシートを取り出した。

 

「綾波、この下に。これを傘代わりにしよう」

「ええ」

 

 二人でビニールシートを下から支えながら歩く。おかげでそれ以上濡れなくはなったが、既にある程度降られたために体が冷え始めていた。男性であるシンジはまだいい。問題はレイである。ワンピースだったため、布地が肌に張り付いていて、このままでは確実に風邪を引いてしまう。かといって服を脱いで乾かすような場所はない。そう判断したシンジは昼食を取った休憩所を見つけ、そこへひとまず退避する事にした。

 

「綾波、とりあえずあそこで休もう」

「分かったわ」

 

 先にレイを座らせ、シンジはビニールシートの雨水を流して軽く振った。空は未だに灰色一色。雨足も弱まる気配がない。

 

(どうにかしなくちゃ。このままじゃ綾波が風邪を引いちゃう)

 

 とりあえず体を拭かせよう。そう思ってシンジはリュックからタオルを取り出した。手を洗ったり汗を拭いたりするだろうと考えて持ってきた物なので、大きさはそこまでないが枚数だけは二枚ある。レイの分も用意していたからだ。自分の几帳面さに感謝しながら、シンジはタオルを二枚共レイへ差し出した。

 

「何?」

「これで頭や体を拭いて。少しはマシになるはずだから」

「……でも、碇君は?」

「気にしないで。僕はシャツを絞ればマシになるし」

 

 それは嘘ではなかった。実際髪はそれなりに濡れているが、着ているシャツは脱いでしまえばいい。それに多少痛むが絞ればそのまま着るよりも乾きも早いはずだ。そうシンジは考えていた。こうして、シンジはレイに背を向けTシャツを脱ぐ。そしてそれを力一杯絞り、少しでも水分を減らそうとした。レイはそんな彼を見つめながらタオルで髪や体を拭いていく。と、そこで彼女はある事へ思い至り立ち上がった。

 

「これで大分マシかな」

 

 手元のシャツは皺が出来ているものの、触った感じはそこまで水気を感じなくなっていた。これなら着ている間に乾くだろう。そう思ってシンジはシャツを着直した。多少嫌な感じはするが、絞る前より断然マシである。最後に頭を下に向け髪から軽く水気を飛ばす。これでいい。そう考えた時だ。シンジの後ろで濡れた物を絞ったような音が聞こえた。きっとレイがタオルを絞ったのだろうと思い、シンジは何となしに顔を上げて振り向いた。

 

「えっ……」

 

 そこには下着姿で両肩にタオルをかけたレイがいた。レイはシンジの行動を見て同じようにワンピースを絞っていたのである。そのあまりにも予想外の光景にシンジは下心なども忘れて呆然となっていた。と、視線に気付いたのだろう。レイがゆっくりと振り返る。その顔はいつもと同じ無表情。

 

「何?」

「……っ!? あ、綾波っ! さすがにそれはダメだよ!」

「どうして?」

「ど、どうしても何も……そんな恰好人に見せちゃダメだから」

「誰も見ていないわ」

「僕がいるだろぉ!」

「さっきまで後ろを向いていたもの」

「それはそうだけど……せめて一言言って欲しかったな。そうしたら振り向かなかったのに」

 

 レイのマイペースさにシンジは軽く呆れていた。普通ならばこんなところを同い年の男子に見られて平然としてはいない。むしろ見せないようにするはずなのだ。と、そこでシンジはある事を思い出し、リュックを探る。

 

「せめて、これを羽織って」

「これは……」

 

 それはシンジのジャケット。昼食後に脱いでいたものだ。当然濡れていない。

 

「それなら少しは寒さもしのげるだろうし、僕も綾波の体を見ないで済むから」

「……分かったわ。ありがとう」

 

 シンジのジャケットを受け取り、レイは袖を通していく。何とかギリギリ下着が見えないぐらいになり、シンジはホッとしたやら残念やら複雑な心境になった。まだ雨は止みそうにない。降りしきる雨音だけが二人の耳へ響く。と、レイが使ったタオルを一枚手にしシンジへ差し出した。

 

「え?」

「碇君、まだ髪が濡れてるから。こっちはそこまで使っていないわ」

「えっと、じゃあ遠慮なく」

「ええ」

 

 レイの好意に甘えるようにタオルを手にしシンジは髪を拭いて行く。だが、拭き終わった後のタオルをどうするか置き場に困った。濡れているのでリュックに入れるのも躊躇われるが、持ったままなのもどうだろう。結局レイと同じように肩へかける事にした。風呂場でもないのにタオルを肩にかけている事に違和感を覚えるも、どうせ自分達以外誰もいないのだからと気にしない事にして。

 

「……寒い」

 

 そんな中、無意識でレイが呟いた言葉はシンジの耳へはっきり聞こえた。このままでは不味い。そう思うも何も暖めるものなどない。

 

(どうする……何か暖めるものは……)

 

 リュックの中身を思い出しても、水筒の中身さえも温かさには程遠いものばかり。と、その時、シンジの脳裏に一つの手段が浮かんだ。あまりにも躊躇われるような行動だが、レイに風邪を引かせてしまうよりはマシと思い、シンジは思い切って動いた。

 

「綾波、ごめんっ!」

「え……?」

 

 突然謝られた事に反応し、レイが振り向いた瞬間、彼女の体は温かいものに包まれていた。シンジが抱き締めたのである。無言の中、響く激しい雨音。そして、確かに聞こえる互いの鼓動と感じる体温。初めて感じる他者の温もり。シンジとレイはそれを強く感じて黙り込んでいた。

 

「…………温かい」

 

 ふと呟かれた言葉にシンジは我に返る。その声に嫌悪感や拒否感はない。だからだろう。彼も安心して本音を漏らす。

 

「うん、綾波も温かいよ」

「……そんな事言われたのは初めて」

「僕だって」

 

 気付けばレイの両手がシンジの胸元へ当てられていた。

 

「碇君、鼓動が速くなってるわ」

「綾波こそ、心臓の音がはっきり聞こえるよ」

「……同じね」

「……同じだね」

 

 そこから会話は無かった。ただ、互いの吐息と鼓動だけが確かに自分以外の存在が居る事を伝えていた……。

 

 

 

「はい、これ」

 

 休み明けの月曜日の放課後。シンジはカメラをケンスケへ返した。それを受け取り、早速確認を始めるケンスケとそれを横から覗くトウジ。そこに表示されるのは、ワンピース姿のレイが被写体の画像の数々。あからさまなセクシーショットは一つもないが、ワンピースなので胸元が見えそうなものが多いため、これまでの事を考えれば十分すごいものと言える。ケンスケもトウジと同じ感想なのか、その目を大きく見開いて画像を眺めていた。

 

「……碇、すごいじゃないか! これ、一体どうやって」

「その、写真を撮っても怪しまれないように山へピクニックに誘ったんだ。そしたら、綾波がその恰好で来て」

「あの無愛想が服着とるような奴がなぁ……。女は女ちゅう事か」

 

 そう言いつつ画像をもう一度見ようとして、トウジの視界からカメラが消える。

 

「何すんや!」

「これ以上は有料だぜ。というか、買うつもりがある奴にしか見せないからな」

「くっ! 足元見よってぇ……」

「じゃ、僕は行くよ」

 

 言い争いを始めそうな二人を置いて、シンジは呆れながらその場から立ち去る。すると、少し離れた辺りで自分に背中を向けて歩くレイと出くわした。

 

「あっ、綾波」

 

 あの時の事もあり、やや気まずさがあるものの、シンジはそれでも普段通りに声を掛けた。レイはそんなシンジに返事せず、少し振り返ると離れた場所から聞こえる声で誰と居たのか察するように口を開いた。

 

「彼らと何を話していたの?」

 

 さっきの会話を聞いてたのかと、一瞬そう思うも、そんな事をレイがするはずはないかと思い直し、シンジは誤魔化すようにそれらしい事を答えた。

 

「えっと、カメラを返してお礼を言っただけ」

「そう……」

「う、うん」

 

 それだけ言ってレイはシンジへ背を向け歩き出す。安堵するシンジだったが、そんな彼へレイが背中越しに一言だけ告げた。

 

―――嘘吐き。

 

 その言葉に呆然となるシンジを置いてレイはその場から去った。この日、シンジは初めてレイに無視をされる事となり、ミサトやリツコから散々いじられる事となる……。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第四話「雨、降り出した後」完



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第五話 レイ、心のままに

さて、いよいよ映画でいうと序のクライマックス近くですね。エヴァでも一つの転機となるラミエル戦です。……シンジが精神コマンドをもう少し習得してればごり押しも出来るんですが、残念ながら魂も鉄壁もない以上楽勝とはいきません。


「零号機?」

「そうよ。エヴァ零号機。初号機は一番機だけど、プロトタイプが別に存在するの。それが零号機」

 

 いつかの話題に上がった実機での訓練。それなら初号機も変化するのではないかとの予想を確かめるべく、この日シンジは初めて戦闘以外でエヴァに乗った。結果はやはり変化せず。シンジもエヴァの中で念じてみたり呼びかけてみたりしたのだが、結局何の反応もなくリツコやミサトだけでなく全てのスタッフが肩を落とす事になった。そして、今はリツコの研究室で簡易的なメディカルチェック中。そこで話題に上がったのが零号機である。

 

「じゃ、エヴァは二体あるんですね」

「正確にはドイツにもう一体あるわ。今はそれが一番最新鋭になるかしら」

 

 そう言いながらリツコは内心で表向きはと付け加える。実際の最新鋭機があのF型なのは間違いないからだ。現在の技術であの武装は作れない事はない。だが、確実に難航するだろうと予想出来るのだ。ATフィールドを容易く突破し、尚且つ使徒までも両断する切れ味。そんなものを一体どうやって作り出すのか。まずその基本さえ頭を抱えそうな難易度だろう。

 

(正直、あれを本当に私達が作り出したのか疑問が残るわ)

 

 ある意味でそれは間違っていない。あのマゴロク・E・ソードは従来から更なる改造を施されている。その改造を手掛けたのは、幾多もの異文明や異世界の技術を扱ってきた一人の凄腕メカニックなのだ。さすがのリツコやネルフスタッフでも彼の腕には及ばないだろう。よって、仮にマゴロク・E・ソードを作り出せても、その威力などは現在のものには絶対に及ばないのだ。

 

「最新鋭?」

「ええ。戦闘用のエヴァとして初号機から得られたデータも使っているの。だから最新鋭」

「へぇ、じゃあ強いんですね」

「……そう、ね。従来であれば」

 

 リツコの言い方にシンジは首を傾げる。だが、すぐに分かった。自分が乗る時のエヴァがいる以上、その強さはあくまで本来の初号機と比べればという事に。

 

「あの初号機がやっぱり一番強いんですよね?」

「そういう事になるわ。だからこそ、ミサトが言ったように人類にとって貴方は失う訳にはいかないの。もし仮にあの初号機でも勝てない使徒が現れた場合、シンジ君がいなければ私達に打つ手は完全になくなるのよ」

「だから何があっても生き残れ……」

「ええ。貴方さえ生きていれば、初号機さえ残っていれば僅かにでも勝機は残り続けるの。ゼロじゃないって言うのは凄い事よ? 良くも悪くも可能性があるという事なのだから」

 

 そう話すリツコを見て、シンジはおぼろげに彼女の信念のようなものを感じた気がした。可能性がある限りは諦めない。そんな風にも聞こえたからだ。

 

(もしかして、リツコさんも本当は熱い人なのかも)

 

 いつも冷静で落ち着いた大人の女性。それがシンジの知るリツコ像だった。だが、もしかするとそれだけじゃないのかもしれない。そう彼に思わせるような何かが今の会話にあった。と、そこでリツコがふと思い出したように呟いた。

 

「そういえば、零号機もその内実戦配備出来るかもしれなかったわね」

「どういう事です?」

「シンジ君が来る前にね、ある実験を行ったのだけど……」

 

 そこで聞かされた内容にシンジは何とも複雑な気持ちを抱いた。今の彼はレイとそれなりに親しくなったと思っている。だが、そんな彼女にあの気難しそうな父が妙に関心を寄せている事が理解出来なかったのだ。実の子である自分へは関心を寄せているとは思えないのに、あのレイへは何故火傷を負うのも顧みず動いたのか。それがシンジの中に大きな影を残した。

 

「ところでシンジ君、レイとは上手くいってるの?」

 

 そこへ投げかけられた質問はシンジの思考を一気に現実へ引き戻した。

 

「べ、別に問題はないですよ」

「そう? あの日は一日中口をきいてもらえなかったじゃない」

「あ、あれは……僕が悪いんです」

 

 からかうようなリツコの声にシンジはそう返すのが精一杯だった。あのデートでの事をレイはミサトとリツコへ話した。更にその日、レイがシンジを完全に無視していた事もあり、二人の美女は少年を可愛がるようにからかった。だが、シンジは知っている。そのレイが話した内容には、あの雨の降った後の事が含まれてなかった事を。でなければ、二人がそこをからかってこないはずはない。実際、レイはあの時の事を話していない。正確には詳しく話してはいなかった。その理由はシンジには分かっていないが、レイ自身があの時の事は彼の許可が必要だと思っているためである。

 

「ふふっ、そうね。せっかくオシャレしてくれたレイの写真をクラスメイトへあげちゃうんですもの」

「僕だってそんな事はしたくなかったですけど」

「レイはもう許してくれたんでしょ?」

「……一応口はきいてくれるようになりました」

「ならいいじゃない」

「でも、また距離を取られた感じがするんです」

 

 凹むシンジを見てリツコは小さくため息を吐く。リツコはある意味で彼以上に彼の父を知っている。だからこそ分かるのだ。やはり似ていると。気になっている相手へのアプローチの拙さと、相手のリアクションへ一喜一憂する辺りが。

 

(蛙の子は蛙、ね)

 

 けれど、父親と違って息子の方は可愛げがはっきりある。なら、少しは手助けしてやろう。そう思ってリツコはある事を企てる。それにシンジが巻き込まれるのはこれから少し後の事だった。

 

 ある日の事、今度は訓練として実機を使って反応を確かめる事になり、シンジは初号機の中にいた。と、その時見えたのだ。ゲンドウとレイが親しげに話しているところを。まず最初に感じたのは驚き。次に疑問。最後に違和感だった。

 

(あんなに表情を変える綾波は初めて見る。相手が父さんだから? でも、どうして父さんもあんなに表情を変えるんだろう……?)

 

 シンジの知る父はとにかく無表情だった。それが自分と同い年の女子へ笑みを見せている事。それがどうしようもなく理解出来ないのだ。そこでシンジに浮かんだのは、あまり大きな声で言えない単語。

 

(まさか父さんはロリコン?)

 

 であればレイへの執着も納得が出来てしまう。そして、自分への愛情があまり感じられないのも、それを根底に据えれば説明出来てしまうのだ。ゲンドウは偽装のために結婚したのではないかというものである。だからこそ、自分への愛情はほとんどなく、中学生女子へ実の息子にさえ見せた事のない表情を見せるのではないか。そう考え出したところで訓練開始を告げられ、シンジは否応なく意識を切り替える事になる。けれど、その片隅にはその疑惑が残っていた……。

 

 

 

 その夜、葛城家に一人の来客があった。

 

「どう? シンちゃんのご飯美味しいでしょ?」

「ええ、本当ね。道理でミサトが最近定時で帰りたがる訳だわ」

「そ、そんな事ないです。僕は素人ですし」

 

 リツコの褒める眼差しに照れながら下を向くシンジ。彼女が来た理由は、生活が不規則で不健康極まりないミサトとの共同生活がシンジに悪影響をもたらしていないかのチェックである。表向きは、だが。彼女がここに来た理由は別にある。そう、いつかのシンジとレイのために企てたもののためである。

 

「これなら私の部屋に来て欲しいぐらいよ。どう? ミサトから乗り換えない?」

「えっ?」

「ちょっとリツコ! ずるいわよ! シンちゃんはあたしが最初に引き受けるって言ったんだからね!」

「み、ミサトさん落ち着いてください。リツコさんは冗談で言ってますから」

「あら、これでも本音なんだけど?」

「ええっ!?」

「シンちゃ~ん? どうして嬉しそうなのかしら?」

「私はあまり帰れないけど、それでもシンジ君が食事を作ってくれるなら帰宅を考えるわ」

 

 あまりの事にシンジは困惑していた。妙齢の美女が自分を巡って争いを始めようとしてる状況に。

 

「そ、その……リツコさんの申し出は嬉しいですけど、やっぱり僕はミサトさんの家でお世話になろうと思います」

「あら……」

「よく言ったシンちゃんっ!」

 

 シンジの結論に軽い驚きを見せるリツコと得意満面のミサトだったが、その反応がすぐ逆転する事になる。

 

「だって、リツコさんは一人でも大丈夫ですけどミサトさんは……」

「ちょっとシンちゃんっ?!」

「ふふ、そうね。ミサトからシンジ君を取り上げたらまた悲惨な事になるものね」

 

 さっきとは逆にミサトが驚き、リツコが笑う。シンジはそんな二人に何とも言えない顔を見せるしかなかった。やや不満そうにではあるが、それでもビールを口にするミサトを横目にリツコは思い出したように何かを取り出しシンジへ差し出す。それはIDカード。

 

「これは?」

「実はカードの切り替えが行われるんだけど、レイの分を渡すのをうっかり忘れてしまってね。悪いけれど、シンジ君から届けてもらえるかしら?」

「あ、はい。いいですよ」

「お願いするわ」

 

 こうしてシンジはリツコからIDカードを受け取る。それがレイと嫌でも会話出来るようにとのリツコの差し金とも気付かずに。明けて翌日、シンジは学校が休みという事でレイの自宅まで向かっていた。以前送った際に別れた場所まで来て、はたとシンジは足を止める。

 

「……ここからどう行けばいいんだろ」

 

 仕方なく携帯を取り出しコールする事十回近く。

 

『はい』

「あ、綾波? 悪いんだけど綾波の家までの道を教えて欲しいんだ。今、この前送った時の場所まで来てて」

 

 そこからレイの返事はなかった。だが電話が切られた訳ではない。なのでシンジはしばらくレイの反応を待っていた。

 

『……どうして来るの?』

「その、IDカードが切り替わるんだって。それで、リツコさんが綾波に渡し忘れたからって僕に預けてて」

『…………迎えに行くわ』

「いいの?」

『ええ、どうせ何もする事ないから』

 

 こうしてシンジはレイのお言葉に甘え、その場でしばらく待つ事に。すると十分もしない内にレイが現れた。あのデートの時の格好で。

 

「お待たせ」

「えっと、綾波? それは普段着なの?」

「……碇君と二人で会う時はこれにするべきと葛城一尉と赤木博士が言ったから」

「あー……」

 

 シンジはそれだけで理解した。レイは二人の言った言葉をそのまま受け取っているのだと。二人はおそらくデートを指しているのだろうが、レイは文字通り二人で会う時と捉えているのだろう。そう思い、シンジはやや複雑な心境となりつつレイへIDカードを手渡した。

 

「とりあえずこれ」

「ありがとう」

「あと、ね」

「何?」

「この前は本当にごめん。綾波がせっかくオシャレしてくれたのに……」

「……もう気にしてないわ。碇君にも事情があったんでしょ?」

「う、うん。でも」

「ならそれでいい。用件はそれだけ?」

「えっ? うん、それだけだけど……」

「じゃ、帰るわ」

 

 シンジへ背を向け来た道を戻ろうとするレイを見て、彼はふと気になっていた事を思い出した。

 

「綾波っ」

「……何?」

「どうしてあの時の事をミサトさん達に黙っててくれたの?」

 

 その問いかけにレイは目を少しだけ見開いた。それがレイなりに驚いてる反応だとシンジは知っている。見つめ合う二人。やがてレイがぽつりと告げた。

 

「分からない」

「分からない?」

「ええ。何故か話したくなかったの。自分でもよく分からないけれど」

「そっか。うん、答えてくれてありがとう綾波。じゃあ、僕も帰るね」

「ええ」

 

 今度こそ去って行くレイを見送り、シンジも来た道を戻ろうとしてふと振り返った。すると何故かレイも彼を振り返っていたのだ。

 

「えっと……どうしたの?」

「言い忘れた事があったから」

「言い忘れた事?」

「そう。碇君、また学校で」

「っ……うん、また学校で」

 

 その挨拶を最後にレイは今度こそ一度も振り返る事無く帰路へ着いた。シンジはその背が見えなくなるまで彼女をその場で見送る。離れたと思っていた心の距離がまた近付いたと感じながら……。

 

 

 

 その日、シンジはレイと本部を訪れていた。零号機の再起動実験を見学するためである。長いエスカレーターを隣り合って下りながら、シンジはふとレイへエヴァに乗る理由を聞いてみた。今の彼はエヴァに乗る理由を有しているが、レイはどうなのだろうと思ったのだ。そんなシンジの問いかけへのレイの答えは意外なものだった。

 

「絆?」

「ええ、絆。私にはそれしかないもの」

「そんな事ないと思うけど……」

「碇君はエヴァに乗る理由あるの?」

「今はあるよ。前は……あったけど違ったかな」

「そう。理由が変わったのね」

「うん、今は綾波も理由の一つかな」

「私も?」

 

 そこでシンジは語った。使徒との戦いやエヴァに乗る事に関しての、今の自分の考えを。一番逃げたい事から逃げるために今から逃げない。要約するとその一言に尽きる話を長々としてしまうシンジだが、レイは嫌な顔一つせず聞いていた。やがて二人はエスカレーターを降り、更衣室を目指して歩き出す。その道中でレイはシンジへこう告げた。

 

「碇君は最初碇司令のためにエヴァへ乗ったの?」

「うん。そうすれば父さんが僕を見てくれるような気がしたんだ。何となくエヴァもそうしろって言った気がして」

「エヴァが?」

「気のせいだと思うんだけどね」

 

 レイの足がそこで止まる。シンジもつられるように歩みを止めた。

 

「……碇君は碇司令の事を好き?」

 

 突然の問いかけ。だが、シンジの答えは決まっていた。

 

「嫌い……には、なりたくないかな」

「そう……」

「うん。僕にとっては唯一の肉親だし、父さんがいたから綾波達にも会えた。さっき綾波はエヴァに乗る事が絆って言ったけど、僕にとってはエヴァこそ絆なのかも。僕がエヴァを動かせるから父さんはここへ呼んだ。そうじゃなかったら、今も僕はここじゃない場所で一人だったはずだから」

 

 シンジの言葉にレイは小さく頷いて彼の手を握った。シンジはその行動に軽い驚きを感じて顔を上げる。そこにはレイのまっすぐな眼差しがあった。

 

「碇君は一人じゃないわ。私がいるもの」

「綾波……」

「私も碇君もエヴァが絆。なら、私達はエヴァという絆で結ばれているから」

「……ありがとう、綾波。だけど、それ以外でも絆はあると思うよ?」

「どういう事?」

「僕達は、その、と、友達じゃないか。学校だって絆だよ」

 

 その恥ずかしさと照れくささを混ぜたシンジの言葉にレイは少し黙り込んだが、最後には頷いてみせた。それに安堵の息を吐くシンジだったが、そこで彼は気付く。

 

(綾波と手を繋いだままだ……)

 

 その温もりがあの日の事を思い起こさせる。あの晩、シンジは人生で一番の罪悪感と嫌悪感を経験してしまった。その事まで思い出し、シンジはレイから目を逸らす。

 

「どうしたの?」

「な、何でもないよ。綾波、そろそろ着替えに行った方がいい。僕は先に行って待ってるから」

「……ええ」

 

 どこか不思議そうな雰囲気を出してレイはその場から歩き出す。シンジは離れてしまった温もりを追うように視線を動かした。レイは一度も振り返る事なく更衣室を目指している。

 

「……最低だな、僕って」

 

 無愛想だが優しさを持っているレイをそういう対象として使ってしまった事。それに再び罪悪感を感じながらシンジもその場から歩き出す。目指す場所は第二実験場。そこでリツコ達と共に零号機の再起動実験を見学する事になっているからだ。

 

(もし零号機が戦えるようになったら、綾波と協力出来るかな?)

 

 脳裏に浮かぶF型の強さ。あの運動性の高さや攻撃力の高さは並ではない。それに合わせるのはおそらく不可能だろうとシンジでさえ思うのだ。では、どうやってレイと連携を取って行くのか。そんな先の話をシンジは一人考えていた。そして、それは第二実験場に着いて零号機の再起動実験が開始した後も続いていたのだった。

 

(マゴロクを使うなら、綾波には下がってもらうべきだし……あ、でもそれなら綾波には射撃武器を持ってもらいたいな。綾波が使徒の注意を引いてくれて、僕がマゴロクでとどめ、みたいな)

 

 既にマゴロクと略しているシンジであったが、その間にも零号機の実験は順調に進んでいた。だがしかし、こういう時こそ邪魔が入るもの。突如として本部全体に警報が鳴り響く。その音がシンジを現実へ引き戻した。

 

「警報?」

 

 そのシンジの声に答えるようにマヤがリツコへ振り向いた。

 

「発令所より入電。本部へ接近する未確認飛行物体を確認したとの事。総員へ第一種警戒態勢が発令されました」

「シンジ君、聞こえたわね。プラグスーツに着替えておいて。レイ、聞こえる? 実験は中止よ。第一種警戒態勢が発令されたわ」

『了解』

 

 レイの応答を背中で聞きながらシンジは着替えるべく更衣室を目指して走り出した。今は自分しか戦えない。その気持ちが彼を突き動かしていた。頼まれるでもなくシンジはエヴァに乗るつもりだった。出来始めた大切な人や物を守るためにも、そして何より自分のために。

 

「僕が……僕がやらなきゃ……」

 

 その横顔には、ここへ来た当初の影は失せつつあった……。

 

 

「状況は?」

「使徒は一定距離を開けたまま、沈黙を保っています」

「ある程度まで本部へ接近したかと思えばいきなりの停止。どういう事かしら?」

「エヴァを待ってる、とかでしょうか?」

「有り得ますね。これまでの使徒は二回共初号機によって短時間で撃破されています。そこへきての飛行型。使徒なりの初号機対策かもしれません」

「マギは何と言ってる?」

「76.888%でその意見を肯定しています」

 

 その言葉に全員が黙り込んだ。これまでの使徒は飛行能力を有していたとしても限定的だった。それが今回は完全飛行型。あの初号機は驚異的な性能を有しているが飛行は出来ない。つまり、不利な条件を突き付けているのだ。更にまるで出方を待つような行動。誰がどう見てもそこに何らかの意図があるのは明白だった。

 

「司令、初号機を出す前に偵察を許可して頂けますか?」

「聞こう」

「デコイを出現させ使徒の動きを見ます。もしそれで動きが無ければ、防衛用の攻撃をそのデコイのものと誤認させて更に様子を見ます。もしそれで何も動きがなければ」

「初号機を発進させるしかない、か。よかろう」

「ありがとうございます」

 

 ミサトはシンジを危険に晒さないように作戦を立てる事にしている。なので、基本は偵察だ。可能な限り危険を排し、あるいは調べ上げ、少しでもシンジの生存率を上げる。今のミサトの作戦方針はそれに尽きるのだ。こうしてミサトの提案は即実行された。まず従来の初号機と同じダミーバルーンが出現する。それに使徒は何も動きを見せない。なので、防衛用のミサイル攻撃がダミーバルーンの背後から行われた。その瞬間、使徒に動きがあった。

 

「目標に高エネルギー反応っ!」

 

 マヤの言葉と同時に使徒から放たれる一筋の閃光。それはミサイルごと初号機のダミーバルーンを蒸発させた。

 

「……何、あれ?」

「荷電粒子砲と同じ原理よ。ただ、人類ではあの破壊力を出すのにどれだけの設備と時間が必要かしらね」

「ATフィールドなら?」

「あの初号機の強度でも凌ぎきるのは難しいでしょうね。そもそも、発射までのチャージが速すぎるわ。万一凌げたとしても第二射までに仕留め切れるか……」

 

 リツコの推測にミサトは思考を巡らせる。本当に初号機があの攻撃に耐えられるかどうかもあるが、そもそも発進時の硬直を狙われたらどうしようもないのだ。と、そこでミサトはある事に気付いて息を呑む。

 

「日向君、使徒の現在位置とエヴァの発進場所をモニタに出してっ!」

「は、はい!」

「……そういう事か」

 

 ミサトの指示にオペレーターであるマコトが慌てて操作する中、ぼそっと冬月がその意味に気付いた。そう、使徒の現在位置はエヴァの発進出来る場所全てを狙える位置だったのだ。要するに、最初から使徒は初号機を先手必勝で攻撃するつもりなのである。その可能性にミサトは気付き、確認したという訳だった。これもシンジを絶対生き残らせるための思考をしていたからこそのものである。従来の使徒を撃破する事にこだわっていたら気付けなかった可能性は極めて高い。

 

「……間違いない。あの使徒は初号機を狙っている」

「さしもの初号機も発進直後の硬直は無防備。そこをあの強力な荷電粒子砲で仕留める、か。考え方が人のそれですよ」

 

 オペレーターの一人である青葉シゲルの言葉に誰も言葉がない。実際そう思ったのだ。まるで、今までの戦闘を踏まえて初号機対策を施してきたような使徒の動きに。だがこのままでは埒があかない。初号機を出さずに警戒を続けるとしても限度があるのだ。精神的疲労である。なのでミサトは次の手を考えるしかなかった。

 

(どうする? 使徒の狙いが初号機であるのは確実。いくらあの初号機でも今回の使徒の攻撃は無傷とはいかないし、下手をすれば失う可能性もある。だからといってこのままにする訳にもいかない……)

 

 長考に入ったミサトを見て、冬月は隣のゲンドウへ意見を尋ねる事にした。そこに特に意味はなかった。ただ、膠着しそうな状況に何らかの変化を与えられればと、その程度の気持ちだった。

 

「碇、どうする?」

「……初号機パイロットの意見を聞け」

 

 その一言に全員がゲンドウを見た。彼はいつものように無表情のままだ。

 

「どうした? 実際に戦場へ向かう者の意見を聞けと言っている」

「は、はいっ!」

 

 ゲンドウの言葉に促されるようにシゲルがシンジへ通信を開く。

 

『どうかしたんですか?』

「シンジ、使徒は初号機を狙っている。どうする」

『……その声、父さん?』

「答えろ。お前はどうしたい」

『どうしたいって……戦ってもいいなら戦うよ。それが今の僕に出来る唯一の事なんだ』

 

 その憮然としつつもはっきりとした意思表示にその場の誰もが黙った。これが初めて来た時に嫌々エヴァへ乗った少年かと、そう思ったのだ。言い方はまだ歳相応の部分があるものの、考え方は既にそこから脱却しつつある。そう、シンジは既にエヴァで戦う事の意義を有しているのだ。決して捨て鉢になっている訳ではない。それを誰もが感じ取っていた。

 

「……葛城一尉、出撃だ」

「え? で、ですが」

「実際に命を賭けて戦う者が覚悟を決めている。ならばそれを尊重するべきだ」

 

 そのゲンドウの言葉には冬月さえも驚いた。聞いているシンジも驚いていた。まるで自分の意見を後押ししてくれているように思えたからだ。

 

(父さんは、本当に言いたい事が素直に言えないだけかもしれない……)

 

 かつての自分もその傾向が強かった。そう思えばゲンドウの事を嫌いになれない。シンジは未だ戸惑う大人達へはっきりとした声で告げた。

 

「皆さん、僕からもお願いします。絶対生きて帰ってきますから。僕と、初号機を信じてください」

『シンジ君……分かったわ。こちらでデコイを出して使徒の注意を引きつけるから、その間に距離を詰めてやっつけて』

「はいっ!」

 

 リフトへ移動される初号機。ミサトは使徒が狙っているだろう硬直時の隙を狙わせないために、現在あるダミーバルーンを全て使うつもりだった。初号機が発進する場所以外の全てのゲート上へダミーバルーンを出現させる。ただし、一つ一つ時間差でだ。それらを使徒が攻撃している間に初号機を発進させ、あの驚異的な機動力と攻撃力に全てを賭ける。博打な作戦ではあるが、現状それが一番有効な方法だった。

 

「シンジ君、こちらで出来る限りはするから後は頼むわ」

『はい、分かりました。必ず生きて戻ってきます』

「ええ……。デコイを出して! 使徒の攻撃時間を考えて休む暇を与えずに!」

 

 ミサトのその声を最後に通信は途絶えた。それがシンジにはあの姿への変化だと分かった。いつもよりも早い。そう理解し、シンジは思わず呟く。

 

「それだけ強い相手って事か……」

 

 今までと同じタイミングでの変化では危険。そうエヴァが判断したとシンジは思った。故に緊張が走る。あのエヴァが危険と感じる使徒。一番の脅威はその攻撃力とミサト達は言っていた事を思い出し、シンジは一度目を閉じた。

 

(大丈夫。あのエヴァは強い。それに僕にはミサトさん達がついてる。あと……)

 

 そこで目を開きシンジは自身の手を見つめた。レイに繋いでもらった手を。

 

「綾波との絆がある」

 

 その声を合図にシンジは射出時のGを感じた。絶対死ぬものか。その気持ちでシンジは時を待つ。やがて視界に外の景色が見えた。それを合図にシンジはエヴァを動かした。目指すは青い結晶のような第五使徒。その使徒から眩いばかりの閃光が放たれる。それは初号機ではなく別のダミーバルーンを蒸発させた。その威力にシンジは思わず足を止める。あれに当たれば無事では済まない。その気持ちが恐怖となってシンジを襲う。けれど……。

 

「逃げちゃダメだっ!」

 

 再び初号機は動き出す。その速度は瞬く間に使徒との距離を詰める。そして、初号機は大地を蹴って大空へ飛んだ。その手にはマゴロク・E・ソードが握られている。

 

「うわあぁぁぁぁっ!!」

 

 使徒目掛けて振り下ろされるマゴロク・E・ソード。その切っ先が使徒へ届こうとした瞬間、シンジは驚くべきものを見る。

 

「ATフィールド!?」

 

 これまで二体の使徒をあっさりと葬ってきた一撃を、第五使徒のフィールドは阻んでいたのだ。しかし、決して完全ではない。徐々にではあるがフィールドには亀裂が走っている。このままなら勝てる。そうシンジが思った瞬間だった。

 

『退きなさいシンジ君っ!』

「っ?!」

 

 突如として聞こえた声にシンジは弾かれるように攻撃の手を止めた。落下する初号機のすぐ真上を通過する閃光。それが使徒のものだと理解し、シンジは一気に恐怖した。

 

(あのままだと僕がやられていたっ!)

 

 フィールドを破れそうだと思わせ、そこへ荷電粒子砲の一撃を加える。その使徒の目論見は寸でのところで失敗した。ミサトの声を初号機がシンジへ届けたためだ。

 

「ミサトさんっ!」

『シンジ君? どうやら今は聞こえるようね。なら撤退しなさい! これは命令よっ!』

「でもっ!」

『忘れないでっ! 貴方の一番優先するべきは何っ!?』

 

 その怒鳴り声の裏に秘められた優しさがシンジの頭を冷やした。

 

「……撤退します」

『素早くね。……ありがとう、シンジ君』

 

 そこで通信は切れた。こうしてシンジは初めての敗北を経験する。F型を以ってしても切り裂けないフィールドと、防ぎ切れないだろう攻撃力。それらを兼ね備えた使徒によって……。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第五話「レイ、心のままに」完



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第六話 決戦! 第五使徒VSダブルエヴァ

皆さん大好き笑えばな話。ですが、今作ではその場面があるのかどうか……?
あと、何故か年末から年始にかけて爆発的に読んでくださった方が増えたみたいなんですが、どういう事なんでしょうか? ちょっと理由が分からず困惑しています。とにかく、読んで頂いた皆様ありがとうございます。作者名通りの拙作ですが、楽しんで頂ければ幸いです。

直感……使用すると閃きと必中の効果を発揮する精神コマンド。ゲームだと二つを別々に使うよりも少しだけ精神ポイントの消費が少ない。

閃き……一度だけどんな攻撃も回避出来る精神コマンド。つまり、絶対避けれないはずの攻撃さえ回避出来る。

必中……一ターン(攻撃時と防御時合わせて)の間、攻撃が必ず当たるようになる精神コマンド。つまり、攻撃する時も反撃する時も目を瞑っても当てられる。


 初号機を回収し、ミサト達が今後の戦い方を模索する中、第五使徒に動きがあった。

 

「目標、ゼロエリアに到達。ドリルのようなもので本部への侵入を開始」

「……どうやら初号機は脅威ではなくなったようね」

 

 リツコの言葉に誰も返す言葉がない。事実、F型でさえ使徒を仕留める事は出来なかった。今まで一撃必殺だったマゴロク・E・ソードさえ防ぎ切ったのである。あの威力を超える武器などネルフには存在していなかった。

 

「使徒の本部への到達予定時刻は?」

「明朝午前0時6分54秒。おおよそ9時間55分後です」

「十時間足らずで倒す方法を考え出さねば終わり、という事か」

 

 冬月の言葉はどこか諦めにも似た空気が漂っていた。無理もないだろう。これまで二体の使徒を瞬殺してきたF型が為す術もなく撤退せざるを得なかったのだ。これでどうやって希望を持てと言うのか。そんな心境に誰もがなりそうだった。そんな中、唯一の朗報が発令所に届いた。

 

「初号機を無事回収出来たそうです。パイロットも無事」

「そう、では念のためにメディカルチェックをお願い」

「ちょっと待って。少しだけシンジ君と、初号機パイロットと話をさせて」

 

 ミサトの言い方に何か感じたのかリツコは無言で通信を繋げるようマヤへ目配せする。それを受け、彼女は手元のコンソールを操作した。

 

「シンジ君、聞こえる?」

『マヤさん? 何ですか?』

 

 その応答を聞いてマヤはミサトにインカムを差し出した。ミサトはそれを感謝するように目礼し受け取る。

 

「シンジ君、聞いて。使徒は本部への侵攻を開始したわ。到着は今から約十時間後。それまでに使徒を倒さなければならないの。何か貴方に考えや気付いた事はある?」

 

 実際相対してみたシンジだからこそ、何か分かる事や気付ける事があるかもしれない。生きた情報を持つ唯一の存在にミサトは縋ったのだ。

 

『気付いた事……』

「ええ、何でもいいわ。今は少しでも奴の情報が欲しいの」

『……あのフィールドは、もう一機エヴァがいれば破れるかもしれません』

「どういう意味?」

『攻撃力じゃないんです。フィールドって一方向しか展開出来ないじゃないですか。だから』

「そうか! 別の攻撃を叩き込んでフィールドを展開させ、その隙を初号機で突けば……」

「あの一撃が通る、か」

 

 シゲルの感心するような言葉に頷き返しながらマコトが付け足す。だが、ミサトとリツコの表情は冴えない。分かっているのだ。その作戦の危険度と成功率が。

 

「シンジ君の考えは分かるわ。たしかにそれは有効よ」

「でもね、シンジ君。例え零号機を使ったとして、どうやってあの使徒まで接近するの? 零号機はあの初号機と違ってあんな短時間で距離を詰める事は不可能よ」

 

 二人の指摘にまたもや発令所に沈黙が訪れる。しかし、シンジはならばと食い下がった。

 

『じゃあ、僕が注意を引き付けます。それならきっと綾波も攻撃出来るはずです。綾波が攻撃すれば使徒はこちらへの攻撃を止めるだろうから、その時に僕が』

「シンジ君、もし仮に初号機が使徒の攻撃を受けてしまったら? それで防ぎ切れず貴方もろとも消滅したら? そうなったらレイも死ぬしかないの。何としても使徒を倒したい気持ちは分かるし、貴方が真剣に考えてくれる事も嬉しいわ。でもね、私達の戦いは決して負けてはいけないものなの。この意味、今のシンジ君なら分かってくれるわね」

 

 リツコの優しく諭すような声にシンジも反論出来ない。リツコはシンジの意見を否定している訳ではない。その問題点を指摘し、彼の事を心配していると分かったからだ。やはり自分ではこういう事に役に立てないのか。そう思ってシンジが肩を落とした瞬間だった。

 

―――ならば、接近しないで攻撃すればいい。

 

 その声の主へ全員の視線が動く。ゲンドウは無表情のままでモニタの使徒を見つめていた。

 

「零号機が射撃を行い使徒のフィールドを展開させ、その間に初号機が使徒へ攻撃。これならば可能なはずだ」

「お言葉ですが、生半可な攻撃では使徒へ届きません。あの攻撃が主に自衛手段として使われると仮定しその範囲を割り出したとしても、かなりの長距離になるはずです」

「ではその距離をクリアし届く武装を手配すればいい。戦自へも協力を要請しろ。サードインパクトを起こされてもいいのかとな」

 

 その言い方を聞き、誰もが内心で既視感を覚えた。だが、冬月だけは気付いていた。口調こそ落ち着いているが、食い下がり方はシンジそっくりだという事に。

 

(血は争えんか……)

 

 微かに笑う冬月の横でゲンドウは無言のままモニタの使徒を見つめる。しかし、これだけは冬月も気付いていなかった。ゲンドウが本当に見ているものは、メインモニタの左下に表示されたシンジの姿だった事に……。

 

 

 

「超長距離からの一点突破。これに先程の初号機パイロットの意見を加え、作戦を立てます」

 

 あれから一時間後、ミサトはゲンドウ達へ一つの作戦を提示していた。その内容は、零号機の攻撃そのものを使徒への本命としながらも、後詰として初号機も配置するという二段構えのもの。まず現状では戦闘行動は難しい零号機が射手となり、使徒の自衛範囲ギリギリに布陣。初号機も同じく自衛範囲ギリギリに待機するも、行動開始は零号機が攻撃した瞬間。つまり零号機の攻撃が万一通用しなくてもフィールドを発生させる事は出来る。そこで初号機がフィールドのない場所へ斬り付け撃破するのだ。この本命を二つ用意するという作戦は、F型の驚異的な機動性と攻撃力があればこそのものであった。

 

「反対する理由はない。成功させろ、葛城一尉」

「はっ」

 

 こうしてミサトの作戦は実行に移される事となる。まずは肝心要の射撃武器の入手だったが、これは戦自技研から試作型の自走陽電子砲を徴発する事となった。本音を言えば戦自技研も断りたいが、サードインパクトを起こさせてもいいのかと迫られれば頷かざるを得ないからである。

 

「これでまず第一段階クリアか」

「次はこれの動力の確保ですね」

「そして、フィールドを破れるだけの威力を出せるようにしないといけないわ」

 

 ブリーフィングルームで話し合うミサト、マコト、リツコの三人。その視線の先には徴発した自走陽電子砲の映像があった。既に改造が開始されていて、作戦開始までにはエヴァ専用の武装となる。そこまでならネルフの陽電子砲でもいいのだ。だが、ネルフの物では先に上げた問題点をクリア出来ないので徴発する事となった。そして、その問題点がマコトの告げたものだ。

 

「必要なエネルギー量は最低でも1億8000万キロワット。それを受け止めるだけの性能はありますが、これだけの大電力となると……」

「日本中からかき集めるしかないわ。そうでしょミサト」

「もち。既に本日午後11時30分から明日の未明にかけての全国一斉停電の実施が通告されているはずよ」

「明日未明にかけて、ね。本当に明日の日の出が来るかどうかは私達にかかっている、か。両肩が重くなりそうだわ」

 

 リツコはそう言ってミサトを見る。その表情は気負うものでも自棄になっているでもない。落ち着いた雰囲気を漂わせる余裕さえ感じるものだった。ミサトもそのリツコと同じような顔をしていた。事ここに至っては、慌てたところで仕方ないと分かっているのだ。それに、一番両肩が重くなるのは年端もいかない少年少女である。だからこそ、その重圧を彼らへ感じさせてならないと二人は思っていた。

 

「ま、この重みはまだシンちゃん達にはちょっち早いか」

「ええ。十代で肩こりなんてさせる訳にはいかないわ」

「そうね。……大体、そもそもこんな事に関わらせる事自体おかしいんだから」

「まったくだわ。きっと碌な死に方しないわね。私も貴方も」

「いいわよ、それでも。そんな事であの子達が死なずに済むのなら……」

 

 ミサトの噛み締めるような声にリツコも小さく頷いた。大の大人が揃いも揃って子供達に頼るしかない。その無力さと情けなさは辛酸を舐める思いだ。だからこそ、出来る事を精一杯果たす。それが大人達が子供達にしてやれるせめてもの事だった。

 

 一方、シンジとレイは待機と言う名の休息を与えられていた。とても休める状況ではないと最初は困惑したシンジだったが、レイからミサトの「休める時に休むのもパイロットの仕事」との伝言を聞き、今もレイと二人、シャツにハーフパンツ姿となって仮眠室で横になっていた。最初はレイの姿に興奮しかけたシンジであったが、横になって目を閉じていた間で眠っていたのだ。さすがに熟睡はしなかったが、短時間の仮眠程度は取れていた辺りでシンジも疲れていた事を自覚した。その後も、眠れないでも目を閉じて横になっていたシンジだったが、ふと思う事があったので顔だけ横へ向け、隣のベッドにいるレイへ問いかけた。

 

「綾波、起きてる?」

「どうしたの?」

「そのさ、綾波は怖くない?」

「……何故そんな事を聞くの?」

「その、僕のせいで出撃する事になっちゃったから」

 

 本当はシンジのせいではないのだが、彼が言い出した考えが呼び水となったのは確かであるので、あながち間違ってはいない。レイは気まずそうにするシンジを見て、体を起こしベッドから下りるとその傍へ近寄り彼の手を握った。

 

「綾波?」

「怖くはないわ。だって、私は一人じゃないもの」

「綾波……」

「私にはエヴァという絆があり、その先には碇君達がいる。だから怖くはない」

「……そっか。そうだね。僕らは一人じゃないんだ。ミサトさん達ネルフの人達がいるし、エヴァもいる」

「ええ」

 

 繋いだ手から伝わる温もりがシンジの不安と恐怖を消し去って行く。と、そこでシンジは思い出す事があった。今回の作戦では零号機は無防備となる。そのため、攻撃と同時に初号機は動き出すのだが、その際にないよりマシ程度に装備されるものがあるのだ。それはスペースシャトルの装甲を流用した不格好な盾。万一の際、それを使って身を守れとリツコから言われている。それとF型の強固なATフィールドならば凌ぎきれる確率が上がるだろうと。

 

 それを踏まえ、シンジはベッドから体を起こすとレイと向き合った。

 

「綾波、ありがとう。綾波のおかげで僕は怖くなくなった」

「そう」

「うん。だから、綾波には必要ないかもしれないけど、今度は僕にそうさせてくれないかな?」

「碇君に?」

 

 疑問を浮かべるレイへシンジは小さく頷いた。そして、一度だけ深呼吸。

 

「……綾波がもし失敗しても、絶対使徒に君を殺させない。綾波は、僕が守るよ」

 

 その優しい声と表情と共に握り返される手。それにレイは軽く目を見開いた。それでも、シンジへ感謝するように頷いてみせる。そんなやり取りの裏で、作戦開始時刻は刻々と迫っていた……。

 

 

 

 夕方、初号機と零号機が揃って移動を開始する。目指す場所は別々ではあるが、目的は一つ。第五使徒撃破である。ある程度まで同行し、初号機と零号機は二手に分かれる。完全に同方向では使徒の攻撃で一網打尽にされるので、二体のエヴァをある程度離す必要があったからだ。

 

「じゃあ、また後で」

『ええ、また後で』

 

 たった一言のやり取り。だが、そこに込められた想いは強い。再会を約束する挨拶を交わし、二体のエヴァはそれぞれの持ち場へと向かう。レイは陽電子砲を撃つ射手としての説明を、シンジは行動開始のタイミングの再確認と、急造の盾についての説明をそれぞれ聞いていた。それらが終わると、次は二人揃って作戦についての詳しい説明を受ける事となった。

 

「いい? 一番いいのは初号機がとどめを刺さなくてもいい事。つまり、零号機の攻撃で使徒を倒せる事よ。理論上は命中すれば倒せる。だけど、これはあくまで理論上。実際はまず当たらないといけない以上、絶対はない。しかもこのポジトロンライフルを撃つのにかなりの電力が必要となるの。故にレイが外すあるいは防がれた場合、その再装填には時間がかかるわ。シンジ君はもし何等かの事情でとどめを刺せない場合、その間の時間稼ぎに徹して。ここが重要なのだけど、今回は使徒を倒せる手段が二つある。二人共、無理しないでいいの。自分がダメでもまだ倒せる手段はある。そう思って相手を信頼しなさい。シンジ君はレイを、レイはシンジ君を」

『『はい』』

「ん。では、作戦開始まで待機してて。あっ、開始三十分前までなら通信でのやり取りを許可するから。心行くまでお話しなさい」

 

 そのミサトの気遣いに周囲の者達が一瞬息を呑む。シンジとレイは作戦に対しての緊張を解すためだろうと受け取っていたが、ミサトはどこかで万が一を考えていたのだ。そのミサトの心情を周囲は察したと言う訳である。

 

 こうしてミサト達が最後の詰めに慌ただしさを増す中、シンジとレイはただ作戦開始を待つ事になる。だが、やはり不安は消えても心配は残るもの。シンジはレイの、レイはシンジの事を思っていた。

 

(綾波が失敗したら、僕が行く。僕がダメでも綾波がいる。でも、もし使徒が僕よりも綾波を狙ったら……)

(私がダメでも碇君がいる。それに碇君が無理でも私は再攻撃が可能。でも、もし使徒が私よりも脅威となる碇君を狙ったら……)

 

 使徒を倒せる存在が二人いる。それはつまり、裏を返せば自分以外も使徒に狙われる可能性があるという事に他ならない。そこで心配するのが自分ではなく相手というところに二人の本心がある。気付けばどちらからとなく通信を開いていた。

 

「『聞こえる?』」

 

 同時に流れる声。その相手へ尋ねる声に互いは一瞬言葉を失い、気を取り直して口を開く。

 

「『先にいいよ(わ)』」

 

 またも重なる。今度はシンジが耐え切れず吹き出し、レイはそんな彼の反応へ疑問を呈す。

 

『何がおかしいの?』

「ご、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだけど……」

『そう。碇君、先にいい?』

「うん、どうぞ?」

『作戦の事だけど、私の事より碇君自身を守って。今後を考えれば必要なのは碇君と初号機だから』

 

 そのレイの言い方にシンジは感じるものがあった。これはそう理由を付け自分を危険から遠ざけようとしているのだと。何故なら似たような事をシンジもレイへ言うつもりだったからだ。

 

「綾波こそ、ダメそうならミサトさん達を守って逃げて欲しい。僕には盾もあるしフィールドだって丈夫だからさ。いざとなったらあのエヴァの力で何とかするし」

『それでも絶対じゃないわ』

「何もない零号機よりも危険度は低いよ」

『でも……』

「綾波、教えたよね? 僕のエヴァに乗る理由。僕は、僕のせいで誰かが苦しんだり困ったりするのが嫌だ。僕は、僕の目の前で使徒に誰か殺されたりするのが嫌だ。そして、それを誰かに知られて僕を攻撃されるのが一番嫌だ。だから、僕は綾波も守りたい」

『友達だから?』

 

 そのレイの問いかけにシンジは一瞬だけ不意を突かれたような顔をするも、すぐに嬉しそうな笑みを浮かべてこう返した。

 

―――そうだけど、それだけじゃない。僕が綾波を失いたくないんだ。

 

 返ってきた声はとても優しい決意。その音色がレイの心を揺らす。だからだろうか。気付けばレイも無意識にこう返した。

 

―――私も碇君を失いたくない。

―――……同じだね。

―――……同じね。

 

 いつかのやり取りを思い出したシンジの返しにレイもそれを意識して返す。そこからもう会話はなかった。けれど、二人は通信を開き続けた。会話はなくとも繋がっている。そんな気がしたからだろう。そして、遂にその時は来る。二人の私的通信の終了。それは作戦開始三十分前を意味していた。

 

「レイ、いい? 貴方は特に何かしなくてもいいわ。面倒な計算や処理はこちらでやるから。貴方はただ引き金を引いてくれればいい」

『分かりました』

 

 返事をするレイの声が心なしか優しい気がする。そうリツコは感じて小さく笑みを浮かべた。

 

(きっとシンジ君だわ。この状況で緊張を解せるなんていいカウンセラーになれるかもしれないわね、彼)

 

 思っても口には出さない。素質はあっても向くとは限らない事を彼女は知っているからだ。一方のシンジはマヤからミサトのある伝言を聞かされていた。

 

「いざとなったら僕に任せる?」

『ええ。葛城一尉が言うには、初戦でのシンジ君がエヴァらしき声に導かれて武器を取り出したように、また何か私達の知らない武装を使う事が出来るかもしれないと』

「知らない武装……」

『なので、もしかしたらあのマゴロクソード以外の武器で使徒を倒せるんじゃないかって』

「…………分かりました。とりあえず、僕は使徒を倒す事に全力を尽くせばいいんですね?」

『うん、それで構わないわ。……シンジ君、気を付けて』

「はい、ありがとうございます。マヤさん達の援護があれば大丈夫です」

『ふふ、ありがとう。絶対、成功させようね』

「はいっ!」

 

 マヤの励ましに勇気をもらい、シンジは力強く返事をする。負けられない。負けたくない。その想いが体中を駆け巡るのを彼は感じていた。それは当然と言える。何故なら、今回は初めて彼だけではないからだ。レイが、ミサト達が共に戦場へ立つ。だからこそシンジは思うのだ。負ける訳にはいかないと。

 

(今度は僕だけが逃げれば済む状況じゃない。僕の横には綾波が、後ろにはミサトさん達もいる。逃げれば、みんなが危ない)

 

 目を閉じる。こみ上げる震えを感じ、シンジはエヴァへ言い聞かせるように呟いた。

 

―――初号機、お願いがあるんだ。もし僕だけの力でどうにもならない時は、君の力も貸してほしい。あの最初の戦いで僕の気持ちに応えてくれたみたいに。それまでは、僕も自分の力だけで足掻いてみせるから。

 

 当然それに応える声はない。だけどそれでも良かったのだ。シンジの体からもう震えは消えていた。分かったのだ。エヴァが変化したのを。伝わったのだ。その意思が。

 

「……ありがとう」

 

 一度だけ心からの感謝を。そして、ここからは心からの誓いを。

 

「勝つんだっ!」

 

 作戦開始まで、後十分を切っていた……。

 

 

 巨体を寝そべらせ、狙撃手のような体勢で使徒を狙う零号機。片やスタートを待つような雰囲気でその時を待つ初号機F型。その手には今回のために用意された盾がある。

 

「よし、ヤシマ作戦開始っ!」

「ポジトロンライフル発射準備に入ります」

「重力及び地軸の誤差修正開始」

「始まったわね……」

 

 慌ただしくなる周囲にリツコは噛み締めるように呟く。世界の命運を賭けた最も長い数分間の幕開けである。

 

「シンジ君、今作戦が開始された。行動のタイミングは分かってると思うけど、慎重にな」

『はい、分かってます。絶対成功させましょう』

「ああ。俺達も全力を尽くす。ゴールは頼むぞ、エースストライカー」

『はいっ!』

 

 シゲルの軽い口調にシンジは感謝するように返事をする。分かっているのだ。それが最後まで自分を緊張させまいとしてくれている気遣いだと。その事がよりシンジへ力を与える。一人じゃない。戦っているのは自分だけではないと改めて感じさせてくれるのだ。

 

(みんなが一緒に戦ってくれている。そうだよ、今までだってそうだったんだ。僕がエヴァに乗るまでにも沢山の人が動いて、僕が戦った後も同じぐらいの人達が、もしかしたらもっと多くの人達が働いてくれてる)

 

 一番辛いのは自分だと、どこか思っていた。だけど、それは違うのだとシンジは知った。みんながみんな辛い事をしている。その仕上げの部分が自分なのだ。それをこの作戦でシンジは目の当たりにした。普段見えない裏方の仕事とそれに従事する人達を見る事で。共に戦う。その言葉の本当の意味を少年はその目で、その肌で感じた。

 

「……絶対に負けられない。あの人達も怖いんだ。だけど逃げないで立ち向かってる。なら、僕だけ逃げる訳にはいかない……」

 

 レバーを握る手に力がこもる。ミサトの言った言葉が脳裏に甦ったのだ。自分が怖いものはみんなも怖い。だからこそ、もうシンジは震えない。それをエヴァに乗らずに乗り越えている人達が大勢いるのだ。ならば、自分が震えていては格好がつかない。そう、彼もまた男だった。

 

 そして彼は待った。スタートの合図を。だが、その合図を出す側に動きがあったのはそんな時だった。

 

「目標に高エネルギー反応っ!?」

「気付かれたか!」

「レイ、撃ちなさいっ!」

 

 自身を倒せる攻撃を準備していると使徒が気付いたのだ。使徒が遮蔽物もなく無防備の零号機へ狙いをつける。それと発射準備が完了するのはほぼ同時だった。

 

「っ!」

 

 レイが引き金を引くと同じく使徒からも閃光が放たれる。それは互いに影響し合い、凄まじい衝撃となって周囲を襲う。その衝撃の中を貫くように駆ける紫電がある。初号機だ。シンジはがむしゃらに体を押し返しそうな風を切り裂くように駆け抜けていた。それはシンジの閃きと彼の意思に初号機が応えた結果。手にした盾とATフィールドで二重の風よけにし、その行動を可能な限り支えていたのだ。だが、それでも前回と同じ行動は出来ない。ジャンプをすれば押し返されるからだ。そのため、シンジは衝撃波が消えるまでエヴァを使徒へ走らせていた。

 

「まだか……まだなのか……」

 

 既に最初程の圧力は感じないがそれでも押し返す力は残っている。これが消えない限り使徒への攻撃は出来ない。何故なら相手は飛行しているのだ。そこへ辿り着き、かつもしフィールドを張られても破れるだけの一撃を加えるには、最大加速の最大跳躍からの加速度と重力を乗せた一撃でなければならないために。

 

『シンジ君、不味いぞ! 使徒の再攻撃が来る!』

 

 そんな時告げられたのは最悪の報告。だが、シンジは逃げなかった。代わりにこう返した。

 

「このまま突っ込みますっ! 相手の撃つ時を教えてくださいっ! 跳んで避けますっ!」

『無茶だっ!』

「無茶をやらなきゃ勝てませんっ!」

 

 その気迫ある言葉にマコトだけでなく誰もが息を呑んだ。本当にこの少年は覚悟していると伝わったのだ。そう、今回は生き残るために勝つしかない。シンジが逃げたところでサードインパクトが起きれば意味がないからだ。そんな一秒を争う時、真っ先に反応したのは彼女だった。

 

『行きなさいシンジ君! 後は任せたわっ!』

「はいっ!」

『高エネルギー反応来ますっ!』

「うわあああああっ!」

 

 跳んだ。シンジは何も考えず直感に任せ、ただその場から跳んだ。その刹那の見切りが勝負を分けた。盾を構え、前を見る事なく跳んだ初号機の軌道を使徒の閃光が追うように放たれる。それが初号機を守った。一点集中でなくなった事でフィールドと盾を貫く事が出来なかったのだ。代償として初号機は盾を失うが、それはむしろ好都合だった。

 

「見えたっ!」

 

 視界が開け、使徒の姿を捉える事が出来たからである。しかも、攻撃直後の無防備なところを。その瞬間、使徒が怯えたような気がシンジはした。

 

「これで……」

 

 空中でマゴロク・E・ソードを取り出し、大上段に構えて落下する初号機。そして、その一撃が使徒へと振り下ろされる。

 

「どうだっ!」

 

 その初号機渾身の一撃はまたもフィールドに阻まれる。だが、それでも良かったのだ。シンジは思いの限り叫ぶ。

 

「綾波ぃぃぃぃぃっ!」

「発射っ」

 

 まさに不意打ちだった。初号機だけに気を取られ、零号機の再装填完了を気付かず第五使徒はその身を陽電子の光に貫かれた。それを見て初号機は全力でその場から離脱。それを合図に使徒は大爆発するのだった。

 

 全てが終わり、初号機をミサト達がいる場所近くまで運んだ後、シンジはエントリープラグ内で脱力していた。今までにない程の疲れを感じていたのだ。彼は知らない。それが無意識で使った気迫と見切りの反動だと。

 

「……勝てた、んだよな」

 

 その独り言に反応する者はいない。すると、突然エントリープラグのハッチが開いた。そこから外の声らしきものも聞こえる。リツコやミサトの声もするので、おそらく撤収作業の指示だろうとシンジは思った。それと共に姿を見せたのは使徒を仕留めた可憐な射手。

 

「碇君……無事?」

「綾波……?」

 

 どうしてと思うも、疲れのせいで頭が上手く働かないシンジは声にも力が無かった。極度の疲れと緊張からの解放による眠気が押し寄せてきたのだ。それがレイには力尽きてしまうように見えたのだろう。慌ててシンジへと駆け寄った。

 

「碇君、しっかり」

「……大丈夫。ただ、すごく眠いんだ……」

「寝てはダメ。すぐに赤木博士達を呼んでくるわ」

「寝ちゃダメなんて……酷い事言うなよぉ……」

「だって、このままじゃ碇君が死んじゃうもの」

「死なないよ……寝るだけだって……」

「起きて」

「無理だよぉ……」

 

 会話しつつもシンジの瞼がどんどん閉じていく。それを見たレイはどうすればいいかと考える。そうこうしている内にシンジは目を閉じてしまう。と、そこでレイはある童話を思い出した。眠ってしまった相手を起こす魔法。幾多もの物語で使われる手段を。

 

「ん……」

 

 不意に感じた温もりにシンジはぼんやりと目を開ける。心なしかレイの顔が近くにあるような感じがして、彼はより安心を覚えて目を閉じる。

 

(やっぱり綾波は温かいや……)

 

 その安らかな寝顔にレイはより一層慌てる事になる。そのすぐ後にリツコが姿を見せ、疲労による睡眠と診断する事でようやくレイは安堵する事となった。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。精神コマンド直感を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第六話「決戦! 第五使徒VSダブルエヴァ」完



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第七話 彼女しか作れないもの

やっとアスカが出てくる直前です。とはいえ、顔見せ程度には出て来ますが(汗
そして今回は原作とはまったく違うお話。……だって初号機暴走してないし街への被害も最小限だしで批判出来る部分少ないですからね。仕方ないね。それに使徒戦じゃないのでシンジも成長出来ないし。

ちなみに強化パーツですが、自分は初号機にはミノフスキークラフトを装備させるのが常でした。後は……適当に余ったものを。イベント時は鋼の魂や勇者の印、ハロ辺りを装備する事もありましたけど。今作ではそれらは装備していませんのであしからず。そこまでするとチートではなくデウスエクスマキナですから。

あと、年末から年始にかけてランキングに載っていたそうで、皆様ありがとうございます。今後も細々と頑張っていきますのでよろしくお願いします。


 その日、シンジは呆れていた。原因は彼の住む家の家主である。その存在、ミサトはだらしない格好のままリビングへ姿を見せた。

 

「おはよ~」

「おはようございます。あの、ミサトさん」

「ん?」

「何度も言いましたよね。せめて僕が見ても平気な格好で来てくださいって」

 

 そう言われてミサトは自身の姿を見る。タンクトップにハーフパンツ。実に動き易く寝易い格好だ。それに、自慢のスタイルを如何無く発揮出来る素晴らしいものである。そう判断しミサトはシンジへ顔を向けた。

 

「どこが問題?」

「全部ですっ! ……僕だって年頃の男なんですから」

 

 その呟きにミサトは嬉しそうに笑みを浮かべると、シンジへ近付き後ろから抱き締める。その豊満な胸をシンジの頭へ押し付けるように。

 

「ちょ、ちょっとっ! ミサトさんっ!?」

「あのね、シンちゃん。私だってこんな格好誰かれ構わず見せないわよ?」

「え……っと?」

 

 どういう事だと、そう考えるシンジ。そんな彼へミサトは慈愛に満ちた表情で答えを告げる。

 

「家族みたいに思ってるから平気なの。じゃなかったらさすがに私も恥ずかしいわよ」

「…………嬉しいですけど出来れば止めてほしいです」

「しょうがないか。シンちゃんも年頃だもんねぇ?」

「っ! そうですよっ! 悪いですか!」

「ううん、むしろ嬉しいわ。そうね。中学生には刺激が強すぎるか」

 

 そう言いつつ着替えようとはしないミサトにシンジはため息を吐く。こうやって誤魔化され、流されていくのだ。それでもシンジとしては複雑な気持ちがあるため、ミサトへの小言を止める訳にはいかない。思春期男子らしく、彼もまたそういう欲求を解消しているのだが、最近その時に身近な女性を思い浮かべてしまう事が増えたからである。その原因の筆頭が同居人のミサトだったのだ。

 

(綾波をああいう事には使いたくないし、ケンスケやトウジにそういうのを借りるのも抵抗あるし、そうなるとどうしてもなぁ……)

 

 あのヤシマ作戦の後、レイとシンジはより距離が近付いていた。その最たるものを上げれば昼を共に食べるようになった事だろう。シンジが作った弁当を気に入ったレイが、自分でやってみようとして指に傷を作ってきた事がそのキッカケ。その理由を聞き、シンジがならば自分が作るとなったのだ。

 

―――綾波!? どうしたのその指!?

―――切ったの。

―――切った? 何で?

―――碇君のお弁当をもう一度食べたくて、自分で作ってみようと思ったから。でも無理だったわ。

―――綾波、レシピとかは? そもそも包丁とか使った事あるの?

―――どちらもないわ。

―――……無茶苦茶だよ。分かった。僕が作るから。ね?

 

 その会話は、幸いにも学校ではなくネルフ本部で交わされたため大きな騒ぎにはならなかったが、シンクロテストの際だった事もあり、リツコとマヤのいる前だった。勿論、女性二人はそれぞれに反応を見せた。微笑ましいと思う者と、青春してると胸をときめかせる者とに。

 

 そんな事もあって、今やシンジとレイはクラスメイトからは夫婦と揶揄されている。最初こそ反論しようとしたシンジだったが、レイの「下手に反応すると余計盛り上がる」との指摘もあり、渋々受け流す事にした。女子達は男子と違い冷やかしではなく本気で羨ましがっており、それもあってか余計男子達のからかいは熱を帯びるという結果になって、シンジとしては嬉しいやら困るやらと複雑であった。

 

「はぁ……」

「どうしたの?」

「うん、ちょっと朝の事がキッカケで色々思い出してさ」

 

 並んで登校するシンジとレイ。そう、これもまた夫婦と揶揄されるようになった理由の一つ。あの戦いの後、極度の疲労で二日近く寝込んだシンジを心配したレイは、退院した翌日から彼の家を訪れ共に登校すると言い出したのだ。最初こそその気遣いを感謝し甘えたシンジではあったが、既に体調が回復したにもかかわらずレイへもう来なくてもいいとは言えなかった。そう、純粋に嬉しかったのもあるし、そう言う事でレイを傷付けてしまうのではと思ったからだ。勿論、中学生男子ならではの欲望もない訳ではないが。

 

「葛城一尉の事?」

「うん、そう。何度言ってもだらしない格好で起きてくるんだ」

「だらしない格好って、何?」

「えっと……人前に出ちゃいけないような恰好」

「どういうもの?」

「……例えばシャツと短パン一枚とかだよ」

 

 レイのそういう知識の無さを恨みつつ、シンジは何とか無難な例えを出した。それにレイも納得するように頷くが、すぐにある疑問を抱いてこう問いかける。

 

「それの何が問題なの?」

「ええっ!?」

「裸ではないわ」

「そ、それは極論だよ。まさか綾波も部屋ではそんな恰好してないよね?」

 

 この質問はある意味でシンジ自身の首を絞める事になる。

 

―――ええ。だって基本着ていないもの。

 

 その答えにシンジはレイの顔を見つめ、無意識に視線を下げる。そしてまたレイの顔を見て真っ赤になった。その変化の意味が分からないレイは首を傾げる。

 

「どうしたの碇君。顔色が変だわ」

「あ、綾波が変な事言うからだろぉ!」

「そうなの? ……ごめんなさい。今後は気を付けるわ」

「……そうしてくれるかな。本当に、お願いだからさ」

「ええ」

 

 今度リツコ辺りに女性として必要な知識や恥じらいというものをしっかり教えてもらおうと、そう固く心に誓うシンジだった。

 

 

 

「例の件はどうなっている」

『あの初号機のおかげで文句の付けようがないですからね。ここで下手な批判をすれば、逆に自分達の首を絞めるようなものです』

 

 ネルフ本部の司令室。そこでゲンドウはある人物と電話をしていた。相手の声は男性であり、どこか飄々としている。そんな事は気にもせず、ゲンドウは淡々と返した。

 

「では問題ないな」

『ええ、あのお人形は役立たずの烙印を捺すしかないでしょう。こちらが提出した資料は従来の初号機ですが、それでも向こうは勝てませんし。ま、それもおそらく偽装と思うかもしれませんが、こちらとしてもあの初号機の性能は未知数ですからね。どれだけ調べてもないものはないので大丈夫でしょう。あちらさんが唯一勝てるのは稼働時間でしょうが、それもあの使徒戦の戦闘時間を考えれば無意味と言えますので』

「弐号機の方は」

『そちらも問題ありません。ただ、パイロットに少しだけ問題が……』

「……あの武器の事か」

『ええ。映像は見せていませんが、噂や怪文書の類は下手に手を出すと真実味が増すので阻止のしようが……』

 

 男の口調はどこか楽しそうだ。おそらく意図的に流したのだとゲンドウは判断した。だが、それは今の彼にはどうでもいい事だった。

 

(今のシンジならば上手く扱えるだろう)

 

 レイの急激な変化とその理由。それがシンジにある事は明白だった。ならば多少の衝突も構う必要はない。それがゲンドウの結論だった。

 

「それで、肝心の事はどうだ」

『そちらも全て抜かりなく。きちんとお望み通りお届けしますよ』

「当然だ。それがお前の存在価値なのだからな」

『ええ、せめて捨てられない程度には働きます』

 

 それを最後に通話は終わった。ゲンドウは一人虚空を見つめ呟く。

 

―――老人共は慌てふためき初号機をどう扱うか頭を抱えている、か……。

 

 そう呟いて、彼は口元を歪める。嬉しそうに、楽しそうに。それは誰一人として見た事のない、ゲンドウの顔だった……。

 

 同時刻、遠く離れたドイツのある場所で一人の少女が荒れていた。

 

「使徒二体を一撃で撃破ぁ? しかも被害もほとんどなしぃ? 冗談じゃないわよっ!」

 

 その彼女が騒いでいる部屋のデスクには、何故かぼやけてはいるが初号機が第三使徒や第四使徒を撃破している写真がある。それだけではなく、ご丁寧にドイツ語で書かれたその二つの戦闘での被害内容まで添えて。それは彼女が憧れる男性から密かに盗み出したものだ。彼女は知らない。それは彼の手によって用意され、最初からその手に渡るように仕組まれていた事を。

 

「有り得ないわよ。一番最新鋭の戦闘用エヴァは弐号機なのに……何なのよあの武器っ! 日本だからって日本刀とか……バカにしてっ!」

 

 マゴロク・E・ソードの事を言っているのだろう。彼女が乗る弐号機は扱える武装も豊富なのが売りなのだが、そのどれにもない威力を有している事を少女は理解していた。だからこそ、彼女はシンジの事をこう結論付ける。

 

―――はんっ、どうせ武器の性能頼りで勝ってるだけの奴よ。なら、その鼻っ柱をへし折ってやるんだから。

 

 少女、惣流・アスカ・ラングレーは知らない。最初こそそうだったが、既にシンジは性能頼りのパイロットではなくなりつつある事を。そして、このままでは鼻っ柱を折られるのは自分の方だと、彼女はまだ知る由も無かった……。

 

 

 

「レイに恥じらいを教えて欲しい?」

 

 その日、リツコは突然の頼みに驚いていた。その頼みをしたシンジは本気で困っている顔を彼女へ向けている。

 

「はい、お願いします。ミサトさんじゃ変な事を教えそうで」

「……その心配はおそらく的中するわ。そうね、たしかにそうなると私ぐらいが適任かしら」

 

 そう答えてリツコは自分の後輩へペケを打つ。彼女は潔癖症のきらいがあり、男性経験さえもないだろう。なのでシンジとの関係を進展させているレイへのアドバイザーには不向きだからだ。ちゃんと後輩の事を分かっているリツコである。

 

「でもシンジ君。レイが恥じらいを覚えたら残念に思わないの?」

「…………それが綾波のためですから」

 

 からかうようなリツコの言葉にシンジは顔を赤くしながらもそう返した。否定せず、それでもレイのためにと男ではなく人として、もっと言えば漢として答えたシンジにリツコは小さく驚きを見せる。

 

(変わったわね。最初に出会った頃はもっと捻くれていた部分もあったのに……)

 

 ふと思うのは彼女が深い関係にある彼の父親。こう考えると、精神的成長はシンジに劣っているのかもしれない。そう考えてリツコはため息。

 

(子は親を超えるものだけど、まさかこんな風に超えていくなんてね……)

(リツコさん、ため息吐いてるや。やっぱり綾波に恥じらいを教えるのって難しいからかな?)

 

 すれ違う思い。まさかシンジも目の前の女性が父親とただならぬ関係とは露にも思わず、ただリツコの返答を待った。

 

「……そうね。どこまで出来るか分からないけれど、最低限ぐらいは教えてみせるわ」

「すみません。ありがとうございます」

「いいのよ。これもシンジ君が頑張ってくれたおかげだもの。知っておいて。貴方が使徒戦で被害を最小限に抑えているから、私達も仕事が少なく済んでるのよ」

「そうなんですか?」

「ええ。でも、だからって被害を少なくしようと無理をしないで。本当に私達の事を思うなら被害よりもシンジ君自身の事を気にしてね。貴方が無事に帰ってくるのが、結果的に一番私達の負担を減らしてくれるのだから」

「リツコさん……」

 

 優しく笑みを見せるリツコにシンジは胸が熱くなった。自分のやった事の成果を教えてもらい、それを感謝される。それだけでなく、だからと言ってそうしてくれとは言っていないのだ。まさに仕事をする者をどうやる気にさせるかを分かっている。無論、リツコにそういう打算があったのは事実だ。けれど、それが本心でもあるのもまた事実。故にシンジの心を打った。偽りなき気持ちが彼の心を揺らしたのだ。

 

「僕、頑張ります。出来るだけ被害を出さずに戦います」

「シンジ君……」

「可能な限りです。一番は僕が無事に生き残る事。でも、出来るなら最高の結果にしたいですから」

「……そうね。常に最高を求めるのは良い事だわ。ちゃんと守るべき最低限を分かっているなら、ね」

「はい」

 

 互いに笑みを見せ合う二人。こうしてレイはリツコから最低限の女性らしさを身に着けるべく特別授業を受ける事となり、シンジはそのおかげで精神的疲労と苦労から解放される事となる。ただ、リツコの言った通り、多少の寂しさと悲しさはあったが。煩悩多き青少年には複雑な結果となった事を追記しておく。

 

 その一方で、レイはレイでシンジの知らぬところで思わぬ動きを見せていた。

 

「お料理を?」

「ええ。前、言っていたから」

 

 ヒカリはレイから相談があると言われ屋上へ来ていた。何となくだが、あまり人に聞かれてはいけない気がしたためである。その予感は当たっていたと、ヒカリはこの時確信した。

 

「そっか。碇君のため?」

「…………迷惑をかけたくないから」

「あー、今一緒に食べてるの、碇君が作ってるんだっけ」

 

 その問いかけにレイは無言で頷く。心なしか嬉しそうな印象を受け、ヒカリは目を瞬かせる。

 

(綾波さん、本当に変わってきた。碇君と本当に付き合ってるのかな?)

 

 彼女もクラスメイトに淡い恋慕を寄せる乙女。その夢を現在進行形で進めているレイへ思う事はあるのだ。

 

「うん、分かった。でも、その前に綾波さんの事を教えてくれる?」

「私の?」

「そう。お料理の経験とかそういうの。今までやった事はある? お手伝いとかでもいいけど」

「ないわ」

 

 即答。それにヒカリは苦笑した。普通は恥らったり誤魔化したりするようなものだ。それを躊躇う事さえなく正直に答えられる事は、彼女にとって凄いという気持ちと何だかなぁという気持ちの両方を抱かせた。

 

「それじゃまずは誰でも出来る事から始めようか」

「誰でも?」

「うん、私の妹でも出来るもの。それでいて、絶対食べられない人がいないもの」

「……そんなものがあるの?」

「あるんだ。じゃあ、今日はさすがに何だから……明日綾波さんの家に行ってもいい?」

 

 そこから始まるヒカリの苦労。何せレイの家には家電などはほとんどないのだ。初めて訪れたレイの部屋にヒカリは愕然とし、色々と無頓着な彼女へアドバイスを行った。結局お料理教室はヒカリの家でやる事となり、レイはそこで初めて炊事の基本を学ぶ事になる。そして、彼女の携帯に洞木ヒカリの名が追加された。彼女の初めて出来た同性の友人。その繋がりは初めてネルフと関係ない場所でのもの。それがレイにある言葉を思い出させた。

 

―――学校も絆。碇君の言った通りね。

 

 こうしてレイはまた一つ大事なものを得る。それは奇しくもシンジが辿った道。ネルフ関係者だけでなく、この街を、この思い出を守りたい。そう思わせる何かを彼女も手に入れ始めていたのだ。リツコとヒカリ。この二人によってレイは少しずつ人らしく、更に言えば女性らしくなっていく事になる。それもまた、形を変えてシンジを苦しめ喜ばせる事となるのだが、それはまだ先の話。

 

 

 

 その日、シンジとミサトは信じられない言葉を耳にした。

 

「「料理?」」

「そう、料理。私が碇君へ作りたいの」

 

 休日の朝。いつものように朝食の支度を始めようとしていたシンジが、インターホンの呼び出し音を聞いたのはミサトが起き出す少し前だった。誰かと思えば表示されたのはレイ。何か大事かと、そう思って慌ててドアを開けてミサトを起こして告げられたのが先程の言葉だった。

 

「レイがシンちゃんに、ねぇ……」

「あ、綾波? 料理って一体何を作るつもりなの?」

「簡単なもの。碇君、キッチン借りても?」

「え、えっと……どうぞ」

「ありがとう」

 

 スタスタと歩くレイを何とも言えない顔で見つめるシンジと興味深そうに眺めるミサト。レイはまず炊飯器からご飯をある程度茶碗へよそうとそれを手元に置き、次にボウルに水を汲んでそこへ塩を入れる。更に小さ目の皿を取り出してその横へ。それだけで二人はレイが何を作るのか察した。やがて二人の予想通り、レイは少し冷めたご飯を塩水で濡らした手で握り始めた。

 

「……おにぎりか」

「シンプルイズベストってとこね。でも、あれはたしかにレイにしか作れない味よ?」

「え? 塩むすびなら僕だって……」

「違うのよシンちゃん。ま、せっかくレイが作ってくれるんだからしっかり味わいなさい。あたしの朝ごはんはその後でいいわ。部屋で横になってるから出来たら呼んでね~」

「ちょ、ミサトさんっ!」

 

 ニマニマしながらリビングを出て行くミサトを見送りながら、シンジは彼女の言った言葉の意味を考える。レイにしか作れない味という言葉の意味を。おにぎりならば正直余程でない限り誰でも作れる。なのにミサトはレイにしか出来ないと言った。それがシンジには分からない。

 

(塩むすびなら僕どころかミサトさんにだって出来るはず。でも、どうしてミサトさんは綾波にしかって言ったんだ?)

 

 疑問が晴れないまま、シンジの視線の先でレイは不慣れな感じを漂わせながらご飯を握る。やがてそれはやや不格好ではあるが三角形の状態となった。それを皿へ乗せ、レイはシンジへ差し出した。

 

「食べて」

「う、うん……」

 

 海苔も巻かれていないおにぎりを手に取り、シンジは戸惑いつつも口にする。その味は……。

 

(塩が少し薄いかも? 多分水が多かったんだろうな。少し強く握り過ぎな感じもするけど……)

 

 咀嚼しながらシンジは不思議な感覚を覚えた。美味いか不味いかで言えば美味い方だろう。でも、それだけではない何かがある気がした。その何かを考えながら食べるシンジへレイが不意に尋ねる。

 

「碇君」

「ん?」

「どう?」

 

 その瞬間、シンジはその何かとミサトの言葉の意味を理解した。

 

(そうか。だから綾波にしか作れないってミサトさんは言ったんだ。それにずっとひっかかっていたのも……)

 

 誰かが自分のためだけに作ってくれた食事。レイが自分の手で直接握ってくれた物。そこに気付いてシンジは口の中にあった物を飲み込んで、心からの笑顔でこう答えた。

 

―――美味しいよ綾波。本当にありがとう。

―――……良かった。

 

 その時シンジは見た。レイの微笑みを。微かな笑み。まさしくその言葉通りの、美しい表情を。それにしばらく見惚れる彼へレイは不思議そうな顔になって小首を傾げた。それがシンジを現実へ引き戻し、慌てるようにおにぎりを食べて喉に詰まらせそうになる。そんな彼へレイは冷静にグラスへ水を注いで手渡した。

 

「……っはぁ。ありがとう綾波」

「気にしないで。それと、ゆっくり食べた方がいいわ」

「う、うん。そうする」

「ええ。もし良かったらおかわりを作るわ」

「……お願い、しようかな?」

 

 シンジの言葉にレイは小さく頷いて再びおにぎりを作り出す。その様子を眺め、シンジは心が温かくなるのを感じて微笑んだ。だが、ここでシンジはレイの一般常識の無さを痛感する事となる。レイはシンジがもういいと言うまでおにぎりを握り続けたのだ。結果、ミサトの朝食もおにぎりへ変更され、シンジはおにぎりだけでお腹いっぱいになるという人生初の経験をする事となった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第七話「彼女しか作れないもの」完



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第八話 アスカ、来日

やっとの登場。ここからシンジの色恋もやっと自覚が芽生え始める……かも。

集中……使用すると一ターンの間、命中率と回避率が30%上がる精神コマンド。ゲームでは、それぞれの計算式を終えた後の数字から直接30%足し引きするのでかなり使える。つまり、本来なら当たらない攻撃も30%の確率で当たるようになるし、本来なら絶対当たる攻撃を70%の確率へ下げる事も出来る。

……こう書くと集中も大概反則ですね(汗


「弐号機が来る?」

「ええ、そうよ。近い内に本部まで移送されるの。パイロットと共にね」

 

 いつものメディカルチェックでの会話。最近シンジはそこでリツコから様々な情報を得る事が多い。ミサトよりもリツコの方が知っている事が多いからだろう。後はそれをしっかり伝える意識があるかないかだろうか。いや、ミサトの場合は驚かせるつもりもあるので意図している場合もあるだろう。とにかく、シンジにすればリツコとミサトならば情報源として圧倒的に頼りになるのが前者であるのは疑いようがない。

 

「男性ですか?」

 

 そのシンジの問いかけには期待するようなニュアンスがある。出来れば同性で、しかも秘密を共有出来る相手が欲しいとの想いが分かる程だ。リツコはそんなシンジを可愛いと思うも、無言で首を横に動かした。その意味を理解し項垂れるシンジだが、すぐにそれが何を意味するかを思い出し顔を上げた。

 

「じゃ、女性なんですね?」

「ええ、そう。しかもかなり可愛いわよ?」

「そ、それは……どうでもいいとは言いませんけど……」

「出来ればレイの友人になってくれたら?」

「そうです。僕もだけど、綾波にも苦労とか大変さを分かち合える同性の友達がいたらいいなって」

 

 何と心優しい事だろう。そうリツコは思いながらも、そのパイロットであるセカンドチルドレンの事を思い出し、何とも言えない表情をシンジへ見せる。

 

「初めに言っておくわシンジ君」

「はい?」

「弐号機パイロット、セカンドチルドレンはエリート思考のじゃじゃ馬さんよ。レイと真逆と思った方がいいわ」

 

 その宣告は、ある意味で同性ではないと告げられたよりもシンジの心を打ちのめした。

 

 そんな事があったのがつい先日。今、シンジはミサトと共にヘリの中にいた。そのヘリは太平洋上の空母へ向かっている。そこにいる弐号機パイロットへシンジを引き合わせるためだ。ミサトはその指示に若干の違和感を感じていた。何故シンジだけなのか。どうしてレイは連れていかなくてもよいのかと。

 

(もしかして上は、いえ司令はシンジ君とアスカの接触に何か期待してる? ……まさかレイをシンジ君に取られそうだからとかじゃないわよね?)

 

 ある意味当たらずとも遠からじではあるが、結局ゲンドウの思惑は理解出来ぬまま、ミサトとシンジを乗せたヘリは艦隊の中でも一際大きな空母へ着艦する。彼らと共にヘリはある物を運んできていた。それがこの日重要な役割を果たす事になるとは、まだ誰も思いもしなかった。その内の一人である少年もまた、静かに迫りつつある脅威を知らず、ヘリから甲板へと降り立った。

 

(何だか変な感じがするや)

 

 初めて踏みしめる鋼鉄の大地にシンジが何とも言えぬ感情を抱く中、ミサトはお目当ての相手を見つけて手を振った。

 

「アスカ~っ!」

「ひっさしぶりねミサト。元気そうじゃない」

「まあね。アスカも背が伸びたんじゃない?」

「ええ。他にも女らしくなったわ」

 

 シンジの前で展開される会話。それは懐かしむものであり、気安い感じもするもの。二人がそれなりに親しい事が伝わってくるものだった。シンジは、会話の邪魔をしてはと少し離れた場所でそれを見ようとしていたが、アスカと呼ばれた少女の視線が彼へ突き刺さったのはそんな時だ。

 

「で、あれが例の?」

「そう。サードチルドレンの……」

「い、碇シンジです。よろしく」

「……これが、ねぇ」

 

 事前にリツコから聞いていなければシンジも苛立ちを感じるような言い方と視線だった。だが、リツコからエリート思考でじゃじゃ馬であると聞いたシンジは、そこまで怒る事はしなかった。それは、きっと彼女もレイと同じで一般常識に疎いからだろうという発想。レイのように本来教えられる礼儀やマナーなどを知らないからこそ、目の前の少女もじゃじゃ馬なのだとシンジは思っていた。つまり、ある意味でレイと同じ扱いをするつもりだったのである。

 

(怒らない怒らない。きっとあの子も知らないだけだ。エヴァのパイロットだから普通の常識や礼儀なんかを教えてもらってなくて、訓練の成績だけが全てみたいに言われてたんだ。だから、あれがあの子にとっては普通。ミサトさんの感じからすると、誰もそういう事言ってあげてないみたいだし)

(何よ。こっちに優しげな視線向けてきて。……あたしに気がある? いやでもそんな感じの目付きじゃないわね。あれはどちらかっていうと……)

 

 そんなシンジの心を知る由もないアスカは彼の視線から思い当る事があった。それは彼女が憧れる一人の男性。その彼が自分を見るものに近い。そう判断した瞬間、アスカは大きく首を横に振った。

 

「どうしたのよアスカ。急に首なんか振って」

「別に。何でもないわ」

 

 自分の憧れる男性と同じ眼差し。それが意味するのはシンジが自分を微笑ましく思っている事。つまり年下の扱いだ。そう思ってアスカはシンジへ睨むような視線を向ける。それに若干ではあるがシンジが怯んだ。

 

「な、何だよ?」

「いい? 少しばかり使徒を倒したからっていい気になるんじゃないわよ! あたしと弐号機が来たからには、今後あんたなんかお払い箱にしてやるんだからっ!」

 

 その言葉にはシンジも黙っている訳にはいかなかった。今の彼にとって、アスカの言い分は聞き流せるものではなかったからだ。使徒を倒していい気になる。そんな事一度たりとも彼はなった事も思った事もない。それどころかやらずに済むならそうしたいとさえ思っていた。だからこそ、シンジは叫びたい衝動を抑えながらはっきりとした声で言い返した。

 

「君は何も分かってないよ」

「は?」

「使徒を倒していい気になる? そんなはずないじゃないか。エヴァは無敵の存在じゃないし僕は不死身じゃない。下手をしたら死ぬし、勝てたって大怪我をすれば一生車椅子になってもおかしくない。そんな事を僕はしてきた。それが僕にしか出来ない事だったからだよ。逃げたいって思った。嫌だった。でも、僕がそれから逃げたら多くの人が、物が、街が失われるって、そう分かったからもう逃げないんだ。君と弐号機がそれから僕を解放してくれるなら喜んでそうなりたいよ。でも、それでも僕はエヴァで使徒と戦う。使徒と戦うのは誰かに自慢するためじゃない。自分やみんなを守るためにしなきゃいけない事だから」

 

 そのシンジの言葉にアスカは返す言葉がなかった。最初こそ途中弱音を吐いたのでそれを指摘してやろうと思った。だが、彼の実戦を経て紡がれる言葉には重みがあった。更に覚悟と決意が見えたのだ。今の彼女には決定的に欠けているものが。

 

「シンジ君……」

 

 ミサトは初めてシンジの気持ちを聞き、感じ入るものがあった。初めて出会った時は頼りない少年だった。それが三度の使徒戦を経てここまで強い心を持つに至ってくれたのかと、そう思ってミサトは静かに微笑んだ。そんなミサトに気付かず、シンジは自身を見つめ言葉を失っているアスカへこう告げて締め括った。

 

―――それに、僕は君だって守れるなら守りたいんだ。こうやって知り合った訳だし。

―――っ!?

 

 それまでのやや凛々しい顔から一転しての少し照れくさそうな笑みと共に告げられたそれは、思いの外アスカの心を揺り動かした。そこに下心などがなかったのも大きいだろう。そういう視線や言葉であればアスカもある程度の耐性はあった。しかし、シンジのそれは本当に純粋な気持ちだけ。それはアスカが中々触れてこなかった人の温かさだった。

 

(な、何よ。あたしを守りたいですって? それに使徒と戦うのは自慢じゃなく自分やみんなを守るため? ……幸せな生き方をしてきたんでしょうね!)

 

 アスカにとってエヴァに乗る事は世界で一番大好きな人に自分を見てもらうためだった。そのためなら他がどうなろうと知った事ではない。それがアスカの偽らざる本音である。ではあるが、一方でシンジの言う考えこそエヴァに乗る者として相応しい信念だとも分かってはいた。しかし、分かっているのと受け入れるは別だ。

 

「言ってなさいよ! どちらにしろ、あたしの方があんたよりも凄いんだからねっ!」

「うん、それはそうだと思う」

「はぁ?!」

 

 アスカはもう訳が分からなくなりそうだった。シンジは謙遜でも嫌味でもなく心からそう言っていると分かったからだ。そう、シンジは本気で自分よりもアスカの方が凄いと思っていたのだ。彼と違い正規の訓練を受け、エヴァに乗るための努力を続けてきただろうアスカ。そんな相手に初号機の変化による高性能で勝利を収めてきた自分は劣っていると素直に認める事が出来たからだ。

 

「とりあえずそこまでよ。シンジ君、あたしはこの艦の艦長へ挨拶しなきゃいけないから。悪いけどアスカと待っててくれる?」

「はい」

「ちょっと、あたしにこいつのお守りをしろっての?」

「えっと、嫌ならいいよ。ただ、待ってていい場所を教えてくれないかな?」

 

 シンジの落ち着いた対応にアスカはムキになっている方がより子供っぽいと感じ、仕方なくミサトの言う通りにする事にした。そうして二人は甲板の手すりに掴まりながらミサトを待つ事となる。

 

(どうしようかな? どうも僕はあっちに嫌われてるみたいだ。……そうだよな。初号機のおかげで勝ってるだけで、僕自身はあっち程努力してないし……)

(なによなによなによっ! 少しばかり経験があるからってさ! あたしにあんな事、言ってくるなんて……。知り合っただけで、あたしだって守れるなら守りたい、か……。そこまでの気持ちがあるから、あいつは街への被害さえ少なくしたんだわ)

 

 アスカに嫌われていると思うシンジと、その信念に本当のプライドというものを感じたアスカ。共にどう会話を切り出そうと窺っていたその時、ふとシンジは思い出した事があった。

 

「えっと、少しいいかな?」

「……なによ?」

 

 自分との違いを感じて何ともいえない気分となっていたアスカは、シンジの声に過剰なまでの苛立ちを乗せた。それを自分への拒絶にも近い感情と取ったシンジは一旦言葉を飲み込みそうになるが、こんな事で逃げたら後が大変になると奮い立って言葉を紡いだ。

 

「そ、その、名前を教えてくれないかな?」

「……ミサトが呼ぶの聞いてたでしょ」

「うん、でも僕が勝手に呼んでいいのかなって。ほら、呼び捨ては親しい相手とかしか」

「惣流・アスカ・ラングレーよ。好きに呼べば?」

「えっと……苗字は惣流? それともラングレー?」

「あんたバカァ? スリーネームなんだからどっちも苗字みたいなものよ」

 

 シンジの無学さに呆れつつ、アスカはこのままだと面倒な事になると判断した。そう、どちらも苗字と教えると今度はどっちで呼んでいいかと尋ねてくると踏んだのだ。なので先手を打って彼女はこう言い放った。

 

「アスカでいいから」

「そ……え?」

「アスカでいいって言ってんの。どうせあんたの事だからどっちがいいとか悩みそうだし、大抵の人間にそう呼ばれてるから気にしないわよ」

「……そっか。ありがとう、アスカ」

「その代わり、あたしもあんたをシンジって呼ぶから」

「うん、よろしくアスカ」

「ふんっ!」

 

 ちらりと視線をシンジへ向けたアスカであったが、すぐにその顔は明後日の方向へ向けられる事となる。そう、シンジは嬉しそうな笑顔を彼女へ向けていたからだ。理由は簡単。初めて同年代の異性から呼び捨てを許可されたからである。しかも、その相手は日本人離れした美少女。これで嬉しくならない中学男子はいないだろう。何せあのレイからもそんな事を言われた事はないのだから。

 

(まさかアスカって呼んでもいいなんて……意外と嫌われてはないのかな?)

(な、何よあの顔。そんなに名前で呼べるのが嬉しいの? ……バッカみたい)

 

 そこから会話はなかった。いや、正確にはしようとしたが出来なかっただろう。シンジはアスカの個人的な事を聞いて嫌われたくないと考えて話題に困り、アスカはアスカで今更マゴロク・E・ソードや使徒との戦いを聞く事は出来なかったからだ。

 

 その頃、ミサトは空母の艦長と対面し挨拶を交わすと同時に、あるものの仕様書を手渡していた。それはエヴァの非常電源用のソケットのもの。だが、それが意味する事に艦長は不満の色を隠さなかった。

 

「この海の上であの人形を動かす事などありはしない」

「万が一の備えとお思い下さい」

「その万が一に備えての我々だ。それとも何かね? 我々国連軍は宅配屋とでもいうのかな?」

「……そうは思いません。ですが、我々日本人の慎重さと取ってください。石橋を叩いて渡るという諺がある国なのです。転ばぬ先の杖とも言います。使わぬままで終わればそれが一番だとこちらも思っています」

 

 ミサトは内心で歯軋りしながら表面上は相手を立てた。シンジが乗っている以上、この艦隊は最後の守りである。いくら弐号機があるとはいえ、何があるか分からないのが世の常。しかも、ここは陸地ではなく海の上。逃がすにしても簡単には行かないのだから。

 

 艦長もミサトが下手に出ているのを察し、これ以上皮肉を言っても意味がないと感じたのだろう。鼻息荒く渡された書類を手にしその内容を黙読し始める。やがて一読したのか、書類をミサトへ突き返してこう告げた。

 

「まだサインはしない。エヴァ弐号機及び同搭乗者はドイツの第三支部より我々が預かっている。その身柄を君らへ渡すのは新横須賀への陸揚げ後だ」

「……分かりました。ですが、有事の際はこちらも相応の対処をさせて頂きます。初号機パイロットの安全のために」

 

 極力嫌味にならないよう告げ、ミサトはブリッジを後にする。と、その背に声を掛ける者がいた。

 

「相変わらず凛々しいな」

「なっ……」

 

 その声に聞き覚えがあったミサトは驚愕の表情で振り向いた。そこには飄々とした雰囲気の男性がいた。

 

「よっ、元気そうだな葛城」

「どうしてあんたがここにいるのよ!」

「アスカの随伴でね。ドイツから出張ったって訳だ」

「迂闊だった……十分考えられる事だったのに……」

 

 男性とミサト。この二人は因縁浅からぬ仲であるが、それはまだ語るべき時ではない。こうして二人は連れ立ってシンジとアスカが待つ場所へと向かう。そして少年と少女の沈黙は、ミサトが不満そうな顔で男性と共に戻って来た事で終わりを迎えた。

 

「お待たせ……」

「よっ、君が碇シンジ君だね。俺は加持リョウジ。よろしく」

「えっ、はい……よろしく」

「加持さん、こいつの事知ってるんですか?」

 

 加持と名乗った男性はアスカの問いに苦笑した。

 

「そりゃあな。彼はこの世界じゃ有名なんだ。テストもなしにエヴァへ乗り、使徒を一撃で撃破したパイロット。シンクロ値もいきなり40オーバー」

「はぁ!? 嘘でしょぉ!?」

「えっと、僕が凄いんじゃありません。凄いのは初号機です」

 

 アスカの信じられないものを見るような声と視線に耐えかね、シンジは心からの本音を口にする。だが、それを聞いて加持もミサトも小さく首を横に振った。

 

「例え初号機が凄いとしてもだ。あの場で動かせるのは君しかいなかった。そこで逃げずにエヴァに乗ってくれた事は感謝しているよ。じゃなければ、今ここに俺達はいない」

「そうよシンジ君。それに、どんなに凄い道具も使う人間がいなければ意味がないの。貴方はそういう意味でちゃんと道具を、しかも正しく使ってくれた。それだけは誇っていいわ」

「加持さん……ミサトさん……」

 

 大人二人の心からの言葉にシンジは感謝するようにその名を呟く。アスカはそんなシンジを見て自分との違いを痛感していた。彼は自分を見て欲しいと足掻いている訳ではない。ただ、自分に出来る事を懸命にやっているだけ。それが結果的にシンジ自身を見られる事に繋がっていると思って。まだアスカは知らないのだ。彼も最初は彼女と同じく大切な親に見て欲しいからエヴァに乗ったと言う事を。

 

「……何よ。ミサトも加持さんもこいつばっかり」

「おっと、そうだった。だがなシンジ君、アスカだって大したものだぞ?」

 

 まるでアスカの呟きを聞いたように加持は彼女の近くへ移動し、その肩へ手を置いた。

 

「現在移送中のエヴァ弐号機専属パイロットとして、十分な訓練を積みそれに関する知識を持っている。更にそれを身に着けるだけの才能と、並々ならぬど」

「実力の持ち主なのっ! ま、あたしは素人同然のあんたとはものが違うって事よ」

 

 加持が努力との単語を使おうとしたのを察し、遮るように大声を出すアスカにシンジは驚いた。一方の加持とミサトはその行動の裏を察して苦笑。天才を自称するアスカは努力という表現や言葉を嫌うからだ。それを分かっていて加持はわざとああいう表現で悟らせたのだ。そこにはシンジへ劣等感を抱きつつある彼女の気持ちを切り替えさせる意味合いがあった。

 

「あんた、相変わらずいい性格してるわね」

「それはお互い様だろ? 寝相は直った?」

「ふん……」

「やれやれ……機嫌も直ってないか」

 

 小声で会話する大人二人と裏腹に、少年少女は至って普通の声量で会話していた。この際だとばかりにアスカが聞きたかった事を尋ねたのだ。

 

「マゴロクソード?」

「うん、今の初号機の一番強い武器なんだ」

「日本刀みたいだからって、名前までそうしなくてもいいじゃない」

「あ、あはは……」

「後は何かないの? どうせまだ何か隠してるんでしょ? 隠すとロクな目に遭わないわよ。というか遭わす」

「ええっと……」

 

 そこでシンジはミサトへ視線を向ける。アスカへ全部話してもいいのかという目だ。ミサトはそれに頷いてみせる。どうせ知られる事になるのなら本人の口からが良いだろうと判断したのだ。だが、それをシンジが答える前にアスカは何かを思い出したようにニヤリと笑った。

 

「いいわ。情報代としてあんたに凄いものを見せてあげる。ついてきなさい」

「えっ……ちょ、ちょっとアスカ待ってよ」

 

 歩き出すアスカの後を追うシンジを見送り、ミサトと加持は小さく息を吐いた。分かったのだ。アスカが何をシンジへ見せようとしているのかを。その予想を裏付けるように二人は別の艦へと移動していったのだ。

 

「弐号機かしら」

「だろうな」

 

 気分はまるで妹や弟を見守る姉夫婦である。そんな風に考えて、ミサトは冗談じゃないと軽く頬を叩く。それを加持が微笑ましく見つめた。

 

「何よ?」

「別に……。相変わらず美人だなとね」

「よく言うわよ。誰にでも言うくせに……」

「そうだが、一番言ったのは葛城に対してだぞ?」

「……言ってなさい」

 

 不覚にも喜んでしまった自分を恥じるように顔を背けるミサトと、そんな彼女に嬉しそうな笑みを向ける加持。二人の共通の友人であるリツコがいればこう言っただろう。あの頃から何も変わってないわね、と。

 

 一方、シンジとアスカは弐号機が格納されているオセローへ移乗し、早速その近くまで向かおうとしていた。と、その時だった。何かに揺れるように艦体が動いたのだ。

 

「今のは……?」

「水中衝撃波? もしかして……」

 

 慌てて甲板まで戻るアスカを追い駆けシンジも走る。手すりに掴まりながら周囲を確認した二人が見たのは、一隻の艦が何かに沈まされる光景。同じ光景を空母のミサト達も確認していた。

 

「おい、葛城。これは」

(不味いな。あれを届ける前に襲われるなんて勘弁願いたいもんだ。無事に陸地へ戻れるかね?)

「ええ、その可能性が高そうね」

(使徒、か。シンジ君とアスカは大丈夫かしら?)

 

 加持とミサトは険しい顔で互いを見合うとその場から急いでブリッジへ向かった。その胸の内では、まったく別の心配をしながら……。

 

 突然の事に慌てるオセローのクルー達を見やり、シンジは避難するためにどこへ行けばいいのかアスカへ尋ねようとして、その相手の表情に言葉を失う。アスカは不敵に笑っていたのだ。

 

「アスカ?」

「……チャンスよ。いえ、この場合は少し違うか。でもいいわ。どちらにしろいい機会だもの」

「えっと……?」

「行くわよ。あたしについて来て」

「う、うん」

 

 走り出したアスカに遅れまいとシンジもその場から駆け出す。一体さっきの言葉はどういう意味だと思いながらシンジはアスカの後を追う。やがて二人はある場所へ辿り着く。そこまでくればシンジもこれが避難経路ではないと理解していた。ならば、彼女がやろうとしている事も察しが付くというもの。

 

「アスカ、もしかして」

「着替えてくるわ。あんたはここで待ってなさい」

「戦えるの? ここにはケーブルが」

「あるわよ。てか、あんた達が一緒に運んできたものはそれ関連」

「……分かった。一応見張ってるよ」

 

 アスカの答えが自分の不安や心配を払拭した事でシンジは彼女を信じる事にした。あの振動を起こしたのが使徒だとすると、ここで戦うのが一番被害が少なく済むからだ。アスカの言ったチャンスとはその事だろうと思い、シンジは彼女がプラグスーツに着替えるのを待った。

 

(海の上での戦いか。水中戦になるかもしれない。エヴァって水の中でも戦えるんだっけ?)

 

 そこまで考えシンジはため息。ここが自分とアスカの違いなのだろうと。きっとアスカなら今の疑問など浮かばない。知っているからだ。対して自分はエヴァの事を何も知らないに近い。帰ったらリツコにでもその辺りの事を聞いてみよう。そう思うシンジだったが、実際はあの初号機で戦う限り地形の事は気にしないでいいのが真実とは夢にも思わないだろう。陸海空全てで十分に戦えるだけの性能をあのF型は有しているのだから。

 

「待たせたわね。さ、あんたもさっさと着替えて」

「えっ!?」

「いいから早くっ!」

「わ、分かった!」

 

 きっと何か考えがあるのだろう。そう思ってシンジもアスカと入れ替わりに部屋へ入り、赤いプラグスーツへと着替えた。着替え終わったシンジを見て、アスカは無言でまた歩き出す。向かう先には真紅の巨人がいた。

 

「これが弐号機……」

「そうよ。世界初の実戦型エヴァンゲリオン。それがこの弐号機なんだから」

「なら使徒だって……?」

「聞くまでもないでしょ! さっさと乗るっ!」

 

 アスカに急かされるままにシンジは弐号機へ乗り込んだ。一方、その頃ミサト達はと言えば……。

 

「ですから! エヴァの使用を進言しているんですっ!」

「必要ないっ! 我々だけで対処は可能だっ!」

 

 艦長の答えにミサトは歯を食いしばる。分かっているのだ。目の前の相手は面子やプライドといったものだけで物を言っていると。こうなると理屈では説得は難しい。ならばと、ミサトは強権を発動しようとしてその腕を何者かに掴まれる。思わず振り返るミサトの視界に真剣な表情の加持が映った。

 

「何よ?」

「妙だ。使徒はどうしてこの艦とオセローへ攻撃してこない? 沈めた艦は本当にただの護衛だ」

「……まさか待ってるの? エヴァが出てくるのを」

「報告で聞いたが、前回の使徒もまずエヴァの排除を目的にしてたそうだな。なら……」

「奴の狙いは弐号機とそのパイロット?」

 

 その時、ブリッジに一つの報告が入る。

 

「オセローより入電! エヴァ弐号機が起動中との事ですっ!」

「何っ!?」

 

 あまりの事に驚く艦長を見て、ミサトはここしかないと判断する。

 

「艦長っ! 使徒の狙いは弐号機とそのパイロットです。前回の使徒も初号機を狙った動きを見せました。ここは弐号機を発進させ艦隊の被害を減らすべきです」

「しかしっ!」

「大切な艦隊やクルーと預かり物の荷物。どちらが大事なんですかね?」

「国連軍は宅配屋ではないとおっしゃいましたが、宅配屋も危機に瀕した際守るべきものは間違えません。ならば艦長達が真に守るべきはお分かりになるはずです」

「しかもこちらの荷物は自衛可能、か……よかろう」

 

 加持の言葉にミサトが続けた言葉に艦長が折れた。即座に弐号機の戦闘を支援するべく非常用の電源を用意するよう指示を出したのだ。

 

「ご配慮に感謝します」

「それは無事に陸地へ着いてから言ってもらおう」

「大丈夫ですわ。必ず何とかしてくれます」

「そうですとも。それも、連合艦隊が協力していただければより一層確実、ですが」

「……いいだろう。ただし、あくまで全ての指揮権は我々にある」

「ええ、構いません。今生きている者が全員無事に陸地へ着ければ」

 

 艦長とミサトが見つめ合う中、加持は静かにその場を抜け出していた。そして、誰もいない場所で携帯を取り出しどこかへ連絡した。

 

「こんな所で使徒襲来なんて聞いていませんが?」

『そのための弐号機とシンジだ。それでも不安ならば一人で脱出するのだな』

「随分ご子息を信頼されているようで」

 

 そこで通話は切れた。加持はその反応に小さく笑みを浮かべる。どうやら逃げるよりも残った方が面白そうだと、そう思うもやはり彼の理性は冷静だった。結局彼は密かに空母から離脱する事を決意する。今はまだ、彼はミサト達程シンジの力を信じていなかった。

 

 そのシンジはといえば、弐号機のエントリープラグ内で沈黙を保っていた。理由は乗り込んだ後でアスカから言われた言葉にある。

 

―――ギリギリまで何もするな?

―――そう。これはあたしと弐号機の初戦闘。だからあんたには特等席でそれを見せてあげるのよ。

―――……それでもし、アスカと弐号機だけじゃ難しい状況や展開になったら手を貸せばいいの?

―――ま、そんな必要はないと思うけど念のためよ。それに、ほら……あんたが言ったんでしょう? あたしも守れるなら守るって。男なら言った事ぐらい守りなさいよね。

 

 そのやり取りを思い出し、シンジはひたすら弐号機の動きを観察していた。今は用意された外部電源へ接続するために跳び上がったところだった。そこに至るまで荒々しい行動をしていたアスカに、シンジは心からこう思っていた。

 

(無茶するなぁ……)

「よし、エヴァ弐号機着艦しますっ!」

 

 空母の甲板をその両脚で踏みしめる弐号機。その行動を迷う事なく出来るアスカにシンジは驚きと感心の気持ちを抱いていた。きっと自分では即決出来ないと。と、その時だった。ブリッジから聞こえてくる報告に焦りが混じったのは。

 

「目標、本艦に急速接近っ!」

「やはりか……」

 

 その報告はミサトの予想が当たっていた事を意味する。使徒がエヴァを狙う。それは前回と今回で起きた共通点。そこに何か理由はあるのか。そんな疑問を抱きつつ、ミサトは目の前の戦闘へ意識を向ける。そこでは弐号機が外部電源への切り替えを始めていた。

 

「来るよ、アスカ」

「分かってるっつのっ!」

 

 アスカの叫びに呼応しプログナイフを取り出す弐号機。それを構え、弐号機は使徒を待った。そしてその姿を見せると同時に弐号機の電源が切り替わる。

 

「切り替え終了! アスカっ!」

「どおおおおりゃあああああっ!」

 

 口を開けて向かってきた使徒を迎え撃ちながらプログナイフを突き立てようとする弐号機だったが、当然そんな事は出来ない。何とか使徒を受け止め踏みとどまるだけで精一杯だった。

 

「アスカ、このままじゃ不味いっ!」

「一々煩いっ! 言われなくても分かってるわよ!」

 

 答えながらアスカは微かな違和感を覚えていた。シンジが声を掛けた瞬間、僅かではあるが押し返す力が上がった気がしたからだ。そんなはずはないと思いつつ、アスカは試してみるかとシンジへ声をかけた。

 

「ちょっと! あんたも念じなさいっ!」

「念じる?」

「使徒を倒すってだけでいいから!」

「分かったっ!」

 

 シンジが返事した直後、たしかに弐号機が僅かに使徒を押し返した。アスカはそこで確信する。二人での搭乗で弐号機が少しだけ強化されていると。

 

(間違いない。シンジがあたしと息を合わせると弐号機が強くなる。こんな事有り得るの? いや、そもそもエヴァにチルドレン二人乗りなんて概念ないものね)

 

 きっとその想定外の出来事によるとんでも効果だ。そう結論付け、アスカは更なる追撃とばかりにプログナイフを突き立てた瞬間、暴れ出した使徒と共にそのまま海中へと落ちた。

 

「落ちたぞ! 大丈夫なのか!?」

「アスカ、その弐号機では水中戦は無理よ!」

 

 艦長の心配へ答えるでもなく、ミサトはアスカへ事実を告げる。今の弐号機はB型装備と呼ばれるもので、当然だが水中戦闘を想定した状態ではない。だが、そんな事はアスカも百も承知だった。

 

「やってみなくちゃ分からないわよ! 行くわよシンジっ!」

「分かったっ!」

「「止まれぇぇぇぇっ!」」

 

 二人の声が重なり、使徒に組み付いたままの二号機の目が光る。すると使徒の速度がゆっくり落ちていく。弐号機による押さえ付けが効いているのだ。しかし完全に止めるには至らない。このままではケーブルがなくなる。そう判断したアスカはどうすればいいかを考えた。

 

(どうする? いくら二人乗りでパワーを増した弐号機でも使徒を完全に止めるのは無理。かといって艦砲射撃ではフィールドを突破なんて不可能だし……)

 

 と、そこでアスカは見た。使徒に刺さったままのプログナイフを。直感的にアスカはそれがないと不味いと判断した。そのためにアスカは敢えて使徒から弐号機の片手を放してプログナイフへ伸ばし、掴むと同時に残る片手も放す。すると、使徒は弐号機を振り解くように暴れどこかへと去った。

 

「どうして手を放したのさ?」

「武器を取り戻すためよ。これがあるのとないのとじゃ倒せる確率が違うもの」

 

 シンジの疑問へ返答しながらアスカは弐号機の手にプログナイフを握り締めさせる。そして、何も見えなくなった海中を睨んで告げた。

 

―――それに使徒は絶対また襲ってくる。

 

 その言葉の通り、使徒は凄まじい速度で弐号機を急襲。その上半身へと噛み付いた。それこそアスカの狙いだと気付かぬままに。

 

(これなら力一杯ナイフを刺せるっ!)

 

 

 

 弐号機が使徒の再攻撃を受けていた頃、ミサトはその状況を知って使徒を倒す発想に至っていた。

 

「エヴァにフィールドを破らせ攻撃を通す?」

「それだけではありません。先程の攻撃からも分かる通り、奴には口があります。そこをエヴァでこじ開け攻撃を加えます。こちらの残存する戦艦を無人にして自沈させた後、使徒口腔内へ直射攻撃ののち自爆を行いとどめとして使用させて頂けませんか? 口腔内なら表面よりも脆い分、攻撃も通り易いはずです。残念ながら、今の弐号機には使徒を倒せるだけの火力はありません」

「……無茶だな」

「ですが無理ではありません。艦長、ご決断をお願いします」

「…………どのみちこのままでは全滅か。ならば、名誉ではなく命を守る方が賢明だ。化物を倒せるのなら尚の事、な」

「艦長……」

 

 そうミサトへ告げると艦長は微かに口元を上げ、ブリッジに響き渡る声で言い放った。

 

「総員退艦せよ! 各フリゲートには漂流者の救出を急がせろ! これより我々連合艦隊の意地を賭け、エヴァと協力してあの化け物の息の根を止める作戦を開始する!」

 

 その声に慌ただしくなるブリッジクルーを眺めるミサトへ艦長は少し抑えた声でこう問いかけた。

 

「これでいいかね?」

「ご協力、感謝します」

「構わん。その気になれば指揮権を奪えたのに、最後まで我々に華を持たせてくれた礼だ。しかしエヴァはどうする?」

「ご心配なく。あの子達は必ず生還します」

 

 その欠片としてそれを疑っていないミサトの声と表情に、艦長も言葉を返す事無く頷いた。

 

 

 

『いい? チャンスは一度っきりよ。頼んだわ』

「任せてっ!」

「やってみますっ!」

『無事に戻ってきてね、二人共』

 

 その最後の声にシンジもアスカも小さく笑みを浮かべる。

 

「心配性なんだからミサトの奴」

「でも、だからこそ絶対安心させなきゃいけないんだ」

 

 さらりと告げられたシンジの言葉にアスカは不意を突かれたような顔をした。

 

「……そう、それがあんたなのね」

 

 その呟きは幸か不幸かシンジの耳には聞こえない。彼は眼前の使徒へ全神経を集中していたからだ。やがてアスカも彼と同じように神経を研ぎ澄ませていく。巻き戻されるケーブルに引っ張られる形で使徒と共に弐号機は空母へと近付いて行く。高まって行く緊張感。そんな中、アスカはどこかにあった不安が消えている事に気付いた。その理由も程なくして分かる。彼女の肩へシンジが手を置いているからだ。

 

(あったかい。それに……不思議と落ち着く。こいつのそれが伝播してるのかしら? これが経験の差ってやつ? ……違うわね。ま、本当なら気安く触るなって言うとこだけど、今は非常時だし大目に見てあげるわ)

 

 この時、アスカは自分でも気付かぬ内に微笑んでいた。それにシンジも気付く事なく、二人はただ一心に念じる。使徒の閉じている口。それを開かせるために弐号機へ手にしたプログナイフで何度も使徒を攻撃させたのだ。フィールドに阻まれる一撃を諦める事なく、何度も何度も。

 

「届け」

「届け」

 

 重なる事のない声。だが、その祈りは同じ。プログナイフはまだ弾かれていた。

 

「届けっ」

「届けっ」

 

 まだ重ならない声。しかし、その気持ちは重なりを見せている。プログナイフがフィールドへ突き刺さった。

 

「届けっ!」

「届けっ!」

 

 重なり出す声。それに比例するように想いも強くなる。プログナイフのフィールド突破率さえ上昇していく。

 

「「届けっ!!」」

 

 遂に重なり合う声と願い。それが使徒のフィールドを突破し強烈な一撃となる。そして使徒が痛みにもがくように大口を開けた瞬間、弐号機は全身でそれを支えそこへ無人の戦艦二隻を突入させる。二隻は同時に主砲を発射。その瞬間、弐号機は使徒を足場に反動を利用して脱出し、そのまま二隻の戦艦は自爆して使徒と共に海の藻屑と消えたのだった。

 

 

 全てが終わり、弐号機とシンジ達は無事新横須賀港へ到着。そこでミサトは思わぬ光景を見る事となった。

 

「あらら、これはこれは……」

「何よ?」

 

 それはお揃いのプラグスーツに身を包んだシンジとアスカ。そうであるとどこかで分かってはいたが、実際目の当たりにすると微笑ましくなるのだなと、そう感じて苦笑するミサト。一方、何故ミサトが苦笑しているのか理解出来ないアスカへ、シンジがそっと耳打ちする。

 

「きっとお揃いの格好してるからじゃない?」

「はぁ? 当たり前でしょ? これしかプラグスーツないんだもの」

「それでもなんじゃない? たしかこれって、普通だとペアルックって言って恋人とかがやる事だし」

「な、なんですってぇ!」

 

 シンジの説明に冗談じゃないとばかりに大声を出し、アスカはミサトを睨みつける。

 

「ミサト、いい? 絶対加持さんへはこの事教えちゃダメだからねっ! というか加持さんはどこよ!?」

「あー、はいはい。言われなくても誰があいつと話すもんですか。それと、あいつならいつの間にかいなくなってたわよ」

 

 食って掛かるアスカへ応じるミサトの言葉に、シンジは一人心の中で首を傾げていた。

 

(ミサトさんと加持さんって、一体どういう関係なんだろう?)

 

 その疑問への答えは思わぬ形で教えてもらえる事になる。いつものメディカルチェックでの会話で。そしてシンジは思うのだ。恋愛とは、いくつになっても難しいものなのだと……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。精神コマンド集中を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第八話「アスカ、来日」完



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第九話 瞬間、心、合わせて

遂にきましたユニゾン回。ただし、原作と違って初号機はF型。つまり機動性などに差があり過ぎます。なのでこうなりました。それとイスラフェルさんも多少の強化というか変化をしていますのでご理解を。あと、かなり長くなりました。読み辛かったら申し訳ないです。
それと、今後は精神コマンドや特殊技能の説明は後書き部分に載せますのでご了承ください。


「惣流・アスカ・ラングレーよ。よろしく」

 

 シンジは目の前で自己紹介しているアスカを見て呆然としていた。同い年だからこの事は分かってはいた。それでも、実際制服を着て現れるとそのギャップが大きく目を奪われたのだ。日本人離れした容姿だからだろう。レイもそうだが、やはり髪色や目の色が違うのはそれだけで強烈な印象を与えるものだ。特に日本人男性は基本的に外国人女性に弱い。シンジもその例に漏れず、アスカの姿に見惚れていた。と、そんな彼の端末へメッセージ。

 

「……うぇ!?」

 

 思わず奇声を発してしまうシンジだったが、それは幸運にもアスカに沸く男子達の声で搔き消される。シンジが奇声を発した理由。それは当然メッセージにある。

 

―――碇君、だらしない顔をしてる。

 

 その送り主へシンジはそっと視線を向ける。するとばっちり目が合った。なので慌ててメッセージを送る。

 

―――綾波、さっきのは別に深い意味があった訳じゃないんだ。

―――深い意味って何?

―――だからないから説明出来ないんだよ。

―――それは分かった。でも、深い意味がある時があるなら教えてほしい。

―――……メッセージじゃ難しいから直接でもいいかな?

―――いいわ。じゃあお昼に。

 

 送受信終了と同時にシンジは机に突っ伏した。

 

(やっちゃった……。これじゃ自分で自分の首を絞めたようなもんじゃないか……)

 

 クラスメイトがアスカの事で盛り上がる中、シンジは一人憂鬱な気分で昼休みの事を考えていた。そもそもアスカとレイは初対面時から相性が良くない印象を周囲へ与えていたのだ。二人の初対面はあの海上での使徒戦翌日、ネルフ本部であった。

 

―――あっ、綾波。ちょっといい?

―――何?

―――紹介したい相手がいるんだ。アスカ、こっちこっち。

―――ハロー、貴女が綾波レイね。プロトタイプパイロットの。

―――そうだけど、あなたは?

―――あたしはセカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーよ。よろしく。ま、仲良くしましょ。

―――そう。私はファーストチルドレンの綾波レイ。よろしく。それと仲良くは考えておく。

―――……何? あたしが気に入らない?

―――別に。そういう訳じゃない。

―――え、えっと……綾波は少し口数は少なくて人を寄せ付けない雰囲気があるけど、優しくて良い子なんだ。今はアスカとの距離を測りかねてるんだよ。ね、綾波。

 

 共に普通の自己紹介のように聞こえるがシンジには分かった。レイがアスカをあまり歓迎していない事を。アスカもレイのその態度にムッとしていたが、シンジが間に入った事でその場は終わった。それが原因でレイが余計アスカへ嫉妬すると知らずに。そう、レイはアスカにこう思っていたのだ。自分さえも苗字で呼ばれているのに名前で呼ばれているなんて、と。

 

「ちょっとシンジ! こいつらどうにかしなさいよ!」

「ええっ?! 僕が!?」

「あんた以外に誰がいるのよっ! いいからさっさと動くっ!」

 

 担任がいなくなった事で芸能人よろしくクラスメイト、特に男子達から囲まれるアスカ。その引きはがしに指名されたシンジは驚き、それでも仕方ないとばかりに立ち上がってクラスメイト達を落ち着かせ始めた。学級委員長であるヒカリもそれに協力し、そこからそれぞれの質問をアスカへ尋ね、回答させるという司会者や通訳のような役割を始める。そんな光景を眺め、レイは人知れず少しだけ表情を変えた。

 

(セカンドはずるい。碇君が強く言わないからってワガママばかり……。何故か胸がムカムカするわ)

(ふん、ファーストの奴は陰気くさいわね。あれならまだシンジの方が明るいわ)

(仲良くなって欲しいんだけどなぁ……)

 

 自分を見つめているレイに気付き、アスカは対抗するように視線を向ける。それに横目で気付き、大きくため息を吐くシンジ。そのままレイとアスカはそれぞれへ視線を向け静かに火花を散らしていた。二人してそれが恋心の萌芽と知らないままに。

 

「疲れた……」

 

 アスカによる騒ぎも落ち着き、後の事をヒカリに任せシンジは座席へ戻って机に伏した。そこでぼんやり考える。レイもアスカもきっと自分と同じで同年代の友人とあまり過ごしていないはずだ。だからこそ、エヴァパイロットという人には言えない共通点を持つ者同士として、もっと仲を深めていければと。そうシンジは思って顔を上げる。

 

(綾波もアスカも僕にはそれなりに好意的だし、ミサトさんやリツコさんに手伝ってもらえば何とかなるかな?)

 

 そう、幸いにしてレイとはこれまでの事で親密さは増していると言えるし、アスカとも初対面時よりは共に使徒と戦った事もあって幾分好かれたと言えるのだ。特にアスカのそれは名前で呼んでくれるようになった事でより一層分かり易いと言えた。故に彼は自分が二人の橋渡しをしなければと、そう考えても不思議ではない。それが現状で一番二人の仲を険悪にすると知らずに……。

 

 

 

 そうして迎えた昼休み。アスカは質問攻めの際に仲良くなったヒカリに声をかけられ、共に昼を食べる事となった。だが、その視線はある光景を捉えて離さなくなる。

 

「アスカ? どうしたの?」

「……ね、ヒカリ。シンジはあの根暗とどこへ行くの?」

「えっと……根暗って綾波さん? あんまりそういう言い方しない方がいいよ?」

「いいから教えて」

「もう……碇君となら屋上じゃないかな? いつも晴れの日はそこでお昼食べてるから」

 

 一度として自分を見ずにいるアスカに疑問符を浮かべながら、ヒカリは一から十まで丁寧に説明した。それがどういう切っ掛けで始まったのか。いつからなのかまで。そこにはヒカリなりのレイへの応援があった。

 

 アスカは強気で明るく、更に同年代よりスタイルもいいという、男子が好きになるような要素が詰まったような女子。そんな彼女はシンジを特別扱いしているのをヒカリは察したのだ。故にレイではアスカとの色恋勝負は不利になるだろうと思った。だからアスカがシンジへ興味を持たず他の男子へ目を向けてくれるようにと、レイとの仲を印象付けようとしたのだ。それはある意味で成功した。アスカにシンジとレイの親密さを十二分に伝えたのだから。

 

「……そう。あいつはシンジへ言い寄ってるのか」

「アスカ?」

「待たせたわねヒカリ。さ、食事にしましょ」

「う、うん……」

 

 何事も無かったかのように振舞うアスカだがヒカリには分かった。それが意図的に意識しないようにしている態度だと。その理由を考え、ヒカリは内心複雑であった。以前からの関わりがあるレイを応援してやりたい気持ちもあるが、おそらく一目惚れにも近いアスカの応援もしてやりたい気持ちがあるのだ。二人に共通しているのは、まだそれが恋だと自覚していない事。そして、それはその二人が意識している相手にも共通していた。

 

(碇君、綾波さんの事をどう思ってるんだろ? 嫌いじゃないとは思うけど……? まぁ、男子達のエッチな話に綾波さんが出てくるとあまり乗り気じゃないみたいだし、相田や鈴原がこそこそやってる事も巻き込まないようにしたいみたいだからなぁ。多分意識はしてると思うんだよね……)

(シンジのために料理ぃ? あの無愛想な奴が? ……ま、別にシンジがファーストと仲良くしてようがあたしは構わないけど? ただ、あたしを無視するのは気にくわないわ。そう、それだけよ)

 

 クラスに馴染めないままのレイを想い、シンジとの仲を進展させたいヒカリ。彼女はその関係に自分と一人の男子を重ねているから当然だ。とはいえ、アスカが本気でシンジと付き合いたいと言って協力を頼めば、現状ならヒカリはレイよりそちらを優先するだろう。レイはまだ明確にシンジと恋人になりたいと口にしていないからだ。その後、アスカはヒカリと会話しながら様々な事を聞き出していく。どうしてもシンジとレイに関係する事ばかりなのは仕方ないのだろう。何せ、アスカにとっては、初めて守りたいと真摯に言ってきた異性なのだから。

 

 その一方、シンジはと言えば……。

 

「だから、ああいう時の深い意味っていうのはあまり人に言えない事で」

「大丈夫。私は気にしないわ」

 

 見事にレイの追及を受けていた。制服姿のアスカに見惚れた事から派生して起きた現状。原因は自分にあるのでシンジとしては言い訳も出来ない。しかも、いつもなら諦めてくれたり流してくれるレイが今回はやたらとしつこいのだ。シンジとしては、もう観念するしかないと思い始めていた。

 

(今日の綾波、妙に迫力があるなぁ。やっぱりアスカの事だから?)

 

 その予想は当たっていたが、だからこそシンジは避けるべきだったのだ。その名を話題に上げるのを。

 

「あのさ、綾波」

「何?」

「そこまで知りたがるのはアスカの事が気になるから?」

 

 他意はない質問だった。いつものように他愛ない会話が始まると思っていた。そんなシンジの予想をレイは超えてきた。

 

「別にセカンドの事はどうでもいいの。今は碇君の事を聞いてる」

「あれ……?」

「それで、どうして深い意味を教えてくれないの?」

「いいっ!?」

 

 いつもより少しだけ声の温度が低いと感じた瞬間、レイがすかさずシンジへ詰め寄る。こうしてシンジは、男が女性に見惚れてだらしない顔をしている際の深い意味について説明するはめになった。それを聞いてレイが終始無言だったのがシンジには妙に印象に残った。いつもであれば途中で疑問や感想などを述べるレイが、一度として口を開かなかったのだ。しかも、説明が終わると無言のまま弁当を食べ出し呆然とするシンジへ「ごちそうさま」とだけ言い残して屋上を出て行って。

 

 一人取り残された形のシンジは自分の分の弁当を食べながら呟く。

 

―――綾波が……怒ってる?

 

 そんな時、シンジの携帯が震える。相手はマヤからであり、メール内容は非常招集。それだけでシンジは理解した。

 

「使徒が来たんだ!」

 

 

 

 その呼び出しから遡る事十数分前。ネルフ本部は職員用の食堂で、ミサトとリツコは大学時代を思い出す状況にあった。

 

「それにしても本当に相変わらずね、加持君は」

「ま、俺なりの挨拶ってやつさ」

 

 楽しそうに微笑みながらリツコは目の前にいる加持を見る。その笑みに応じるような笑みを返し、加持はリツコの右手へ自分の左手を置いた―――ところでその手を隣のミサトに払われた。

 

「挨拶で女口説くんじゃないわよっ!」

「迂闊よ、加持君」

「いや、今のは葛城の反応を見たかったのさ」

「減らず口を……」

「ああ、だから是非とも減らして欲しいね。葛城にさ」

「…………バカじゃないの」

 

 加持の言っている意味を理解し顔を背けるミサトだったが、その反応だけで二人には赤面したのが丸分かりである。特にリツコは大学時代に雰囲気こそ違え、似たような事が常だった二人を思い出し懐かしむような目をした。

 

「本当に変わらないわね、ミサトも加持君も。変わったのは年齢だけね」

「関係も変わったわよ!」

「ああ、それに色気も、な」

「だからってあんたに振りまくつもりはないわよっ!」

「それでいいさ。色気を振りまく葛城なんてらしくないからな。俺が引き出してみせるよ」

「っ……ふん」

 

 ミサトと加持のやり取りを眺め、リツコは内心でため息を吐く。どう見てもお互いに未練があるのが丸分かりなのだ。

 

(羨ましい……と、そう思うのはいけない事かしらね)

 

 自分がどれだけ望んでも手に入らない関係。両想い。だからこそリツコは目の前の光景に胸が締め付けられる。クールな科学者といった雰囲気の彼女ではあるが、何も恋愛関係に少しも憧れが無かった訳ではない。とある理由で女としての生き方を避けている部分はあるものの、決して拒絶している訳ではないのだ。でなければ、シンジの父とただならぬ関係などなりようがない。

 

(……これじゃあ母さんの事を言えないわ)

 

 科学者として、母として、女としてリツコの中に息づく女性、赤木ナオコ。その彼女こそリツコにとってもっとも愛し、もっとも憎い存在なのだ。と、そこでふとリツコは目の前の二人を見つめた。今も傍目からはじゃれついているようにしか見えない二人だが、果たして本人達はそんな感覚でいるのだろうかと。その答えをリツコは己の中で瞬時に出す。ない、と。

 

(人の気持ちを悟るのは不可能だもの。互いに察しはしているかもしれないけれど、確信がないから最後の一歩が踏み出せない、か。シンジ君と一緒ね。ええ、そうだわ。人間はみんな一緒なのよ。分からないから怖い。怖いから踏み込めない。だけど、それを超えさせるのが勇気や愛という感情……)

 

 おそらくそれをシンジは持ったのだろう。そう考え、リツコは小さく苦笑する。父親が未だ過去に囚われている中、息子は未来を見つめて踏み出している。その差を思い、彼女は笑ってしまったのだ。それがミサトと加持には自分達を笑われたと思った。

 

「ちょっと! あんたのせいで笑われたでしょうがっ!」

「いや、だがこれは結構いいものを見れたな」

「あんたね」

「もうそこまでにしてちょうだい。夫婦漫才を見せられる身にもなって欲しいわ」

「夫婦漫才ぃ!?」

 

 呆れるようなリツコの表現にミサトが過剰反応を示すも、加持はむしろ望むところだとばかりに笑っている。このまま大学時代のような時間が過ぎると、そう思っていた時だった。本部全体に警報が鳴り響いたのは。

 

「これは……」

「敵襲っ!?」

「のようだな」

 

 勢いよく立ち上がるなりミサトは発令所を目指す。リツコはその後を追おうとして、一度加持へ視線を向ける。

 

「加持君は?」

「俺はさすがに遠慮しとくよ。ただの出向中の人間なんでね」

「そう。なら、あまり調子に乗ってあちこちで粉をかけないようにね」

 

 そう言い放ちリツコも発令所目指して動き出す。その背中を見送り、加持は軽く頭を掻いた。

 

「やれやれ、今のはどっちの意味だと、そう考えるようになった事を哀しむべきか喜ぶべきか……」

 

 

 

「状況は!?」

 

 発令所へ入るなり、ミサトは周囲へ聞こえる声でそう尋ねた。

 

「警戒中の巡洋艦はるなから報告があり、紀伊半島沖で巨大な潜航する存在を確認したとの事で、そのデータを送信してきました」

「照合の結果、使徒と判明し既にエヴァパイロット達を召集しています」

「先程第一種戦闘配置が発令され、後は作戦を立てるだけです」

 

 三人のオペレーターの報告に頷き、ミサトは迎撃手段を考え始めた。安全に行くなら初号機だけにするべき。だが、弐号機と零号機もしっかりとした実戦経験を積ませておくべきとも思うのだ。前回はシンジと同乗しての戦闘なのでアスカ単独でのデータも欲しいし、やっと実戦配備完了となった零号機も同様だ。あの第五使徒との戦いで何も被害に遭わなかった零号機は、つい先頃戦闘用の改修作業が完了したのだ。

 

(シンジ君との連携はおそらくそこまで問題なく出来るはず。なら、レイとアスカの連携を見ておく必要があるわね)

 

 レイは第五使徒との戦いで、アスカとは第六使徒との戦いでシンジと連携を取っている。エヴァ同士か否かの差はあるが、まったく何もしていないよりマシと思える結果を残している。ならば、初号機という絶対的な切り札がある内に、本当の意味での使徒戦をアスカとレイに経験させておくべき。そう判断し、ミサトは後ろを振り返った。

 

「副司令、今回はこちらから使徒を迎撃しようと思います」

「前回の戦闘で防衛システムが痛手を受けているからだな?」

「はい。ですので水際で使徒を迎え撃ちます。ですが、初号機を後方に控えさせ、零号機と弐号機を前衛とし使徒に当たりたいのです」

「ふむ、目的はパイロットの経験と機体の稼働データというところか」

「はい。アスカもレイも使徒戦自体は経験済みですが、両方共に通常のものではありません。なので、初号機の援護が見込める時にと」

「加えてエヴァ同士の本格的な連携も初めてだしな。いいだろう。任せる」

「はっ」

 

 冬月の理解の早さにミサトは内心唸っていた。普段はゲンドウが全面に出ているので埋もれがちだが、冬月もその能力は高い人物である。特にゲンドウよりもある意味で柔軟さを持っている分、場合によっては彼よりも話の分かる存在といえる。とにかく、冬月の許可を得たミサトは早速細かな作戦の立案に取りかかった。

 

「エヴァパイロット、本部に到着」

「エヴァ各機出撃準備よし」

「目標、駿河湾への到達まで……残り三十分を切りました」

「この分なら間に合うか……」

 

 ミサト達が使徒の動きへ意識を向けている間にも、シンジ達は着替えを終え急いでエヴァへ向かっていた。

 

「ったく、日本に来てまだ三日と経ってないってのに!」

「一体どんな使徒なんだろ……」

「どんな奴が相手でもあたしがいれば楽勝よっ!」

「……気楽なものね」

「何か言ったぁ!?」

「急ぎましょ、碇君」

「え? う、うん」

「このっ! シンジっ! 遅れんじゃないわよっ!」

「ちょっ! アスカっ! 引っ張らないでよっ!」

 

 アスカを無視するように走りながらシンジの手を引くレイ。その行動に違和感を覚えるも、今はたしかに急ぐべきと思ってシンジも走る。アスカはそんな二人を見て苛立ちを隠す事なく走る速度を上げ、ついでに空いているシンジの手を掴んだ。二人から引っ張られる形となり、シンジは仕方なく速度を上げて走る。そんな事をすれば当然待っているのは……。

 

『作戦の説明をするけど……大丈夫?』

「「「問題ありません……」」」

 

 疲れたように項垂れるシンジとアスカ。レイは項垂れてはいないがどこか疲労の色が見える。どうしてそうなったのかを聞きたい衝動に駆られながらも、ミサトは三人へ作戦の説明を開始した。使徒が完全に上陸する前に迎え撃ち、零号機と弐号機でこれを撃破。初号機は後方に控え、もし二機が使徒を取り逃がしたりあるいは仕留め切れなかった場合これを撃破。簡単に言えばこれだけだった。

 

『あまり細かなところまでは決めないわ。レイとアスカで意思疎通してちょうだい。交互の波状攻撃もいいし、二機同時の一撃必殺でもいいわ。とにかく、今回は相手との連携を考えて。今回の目的は実機での戦闘経験がないレイと、通常の状態での戦闘経験がないアスカ。二人に使徒戦の経験を積んでもらう事なの。それを忘れないで』

「ファーストとのぉ……?」

「連携……?」

「あ、あの、僕は本当に何もしなくても? どうせなら三人での連携とかも考えた方が……」

 

 少女二人が醸し出す不穏な空気を察し、シンジはミサトへ内心縋るような気持ちで問いかけた。だが、返ってきた答えはそれを無情にも打ち砕いた。

 

『気持ちは分かるけど、それはまた今度よ。それに、今も言ったけど一番は二人に経験してもらう事なの。で、初号機はもしもの時の切り札。まぁ、二人が上手くいく事を願ってどーんと構えてなさい』

「は、はぁ……」

 

 ミサトの言葉にシンジは何も返す言葉がなかった。いや、言えなかったのだ。妙にレイとアスカが険悪ですとは。それに、もし二人が使徒を倒せなくても自分が何とかすればいいかと、そう思ってしまったのもある。

 

(使徒と戦い始めたら、さすがに綾波もアスカもちゃんとするだろうし……)

 

 その考えが甘い事にシンジが気付くのは、これから僅か十数分後の事だった。戦闘区域に近付き、アスカを除く全員が静かに驚いている事があった。初号機が変化しないのである。よもやの事態に慌てるミサト達だったが、シンジはすぐにある事を思い出して周囲を落ち着かせた。

 

「この前の時も作戦開始直前まで変化しなかったじゃないですか。きっと、初号機はまだ危険じゃないって教えてくれてるんです」

『エヴァ自身の勘、とでもいうのか』

『シンジ君、そうなの?』

「多分そうだと思います、実際、あの使徒との初戦は変化が早かったですし」

 

 その言葉にミサト達も思い出したのか納得の声を漏らす。あの時は使徒の狙いを逸らすために必死だったので、誰もそこまで気を配っていなかったのだ。そんな中、アスカは一人何の話だと思いながら聞いていた。質問しようにも既に駿河湾は見えてきていて、とても雑談をしていい状況ではなかったのだ。こういうところはしっかり切り替えが出来るアスカである。

 

(戦闘が終わったらシンジから洗いざらい聞き出してやるわ)

 

 まぁ、それは別のところで折り合いを付けているからなのだが、生憎それは誰にも知られる事はない。やがて駿河湾から上陸しようとする第七使徒の姿を確認しアスカは思わず呟いた。

 

「一体相手に二人がかりとか……あたしの趣味じゃないわ」

「趣味で使徒と戦うの? 変わった人」

「はっ、根暗なファーストにはそうとしか受け取れないでしょうね」

「根暗? 私の事?」

「以外に誰がいるっての」

『二人共、使徒に集中しなさい。来るわよ! 攻撃開始っ!』

「「りょ~かい(了解)」」

 

 ミサトの声に弾かれるように動き出す二体のエヴァ。まず先行したのは弐号機だった。手にしたソニックグレイブと呼ばれる長刀のような武器で使徒へと切りかかる。それをかわして反撃する使徒に対して弐号機は後方へ下がってそれをかわす。

 

「ファースト、援護しなさい!」

「……了解」

 

 上から目線の言葉に若干の間を空けながらも応じるレイ。そのパレットガンによる射撃をフィールドで防ぐ使徒だったが、そこへ弐号機がソニックグレイブを両手に襲い掛かる。それを使徒は避ける事も出来ないままその身に受け、見事一刀の下に切り裂かれた。

 

「ど~んなもんよ! 見たシンジ。これが」

「っ! まだ終わってない!」

「は?」

 

 誇らしげに胸を張るアスカだったが、レイは両断されたように見えた使徒を注視していた。そして気付いたのだ。使徒が増えた事に。即座にパレットガンを構え、弐号機の後方で分裂した使徒を攻撃する。アスカもそれで事態に気付き、一旦距離を取った。

 

『ぬぁんてインチキっ!』

「ミサトっ! どうなってんのよ!?」

「弐号機、今は目の前に集中して」

「るっさい! 指図しないでっ!」

 

 分裂して二体となった使徒にミサトが呆れと怒りをぶつける中、アスカとレイはそれぞれ苦戦を強いられていた。分裂した使徒は分裂前よりも速度が上がっているのだ。代わりに力は落ちているのでマシではあるが、それでも使徒戦に不慣れな二人にとっては厄介と言えた。モニタに映るエヴァの苦戦を見て、ミサトはリツコへ視線を向ける。

 

「どう? 何か分かった?」

『ああっ! もうっ! ちょこまかとぉ!』

『当たらない……? ダメ。動きが速くてもうこれじゃ通じない』

「……どうやらあの使徒はただ攻撃するだけじゃ仕留め切れないみたいよ」

「どういう事?」

『これでぇ……終わりっ!』

『まだ終わってないわ。ほら』

『動き出したっ?!』

「使徒のコアらしき反応が分裂した個体それぞれにあるのですが、どちらか一方を潰しても片方が残っていれば再生出来るようです」

「つまり?」

『ちょっとっ! どうして刃が通らないのよぉ!』

『おそらく一度受けた攻撃は二度は通用しないみたい』

「同時攻撃でコアを攻撃しないと話にならないという事よ。どうやら更に」

「はい、しかも……おそらく初めて行う攻撃で」

 

 リツコとマヤの説明にミサトは頭を抱えたくなった。そんな事今のアスカとレイには不可能だ。それにシンジにも同じ事が言える。万事休すか。そう思った時だ。シンジから真剣な声で通信が入ったのは。

 

『ミサトさん、僕が行きますっ!』

「シンジ君!? 待って! あの使徒は」

『聞こえてました。初めての攻撃で同時に倒さなきゃダメなんですよね? 僕に、初号機に任せてください!』

 

 その言葉にシゲルが驚くような声を上げた。

 

「初号機、既に変化しています! それに……」

「何だ……あの武器は」

 

 マコトの言葉にミサト達はモニタを見る。そこには初めて見る武装を手にした初号機がいた。その手にしているのは、全領域兵器マステマと呼ばれるものだ。近接・射撃・広域と、全ての用途で使える武器である事から全領域兵器という名称を与えられている。

 

『ミサトさん達の話と綾波やアスカの声を聞いて、何とかしたいってそう考えてたらエヴァが変化してくれて、それと同時にまたあの時の声が聞こえたんです。マステマを使ってN2ミサイルを打ち込めって』

「なっ!?」

 

 シンジの口から出た単語にミサトだけでなく発令所の全員が言葉を失った。だが、すぐにその選択が現状では一番適していると判断したのは、ミサトではなく彼だった。

 

「よし、許可は私が出そう。ただし、報告書には開発中の新型兵器と記載するように。さすがに本来ならば存在しないN2というのは面倒事になりそうなのでな。いいかね、葛城一尉」

「はっ!」

 

 こうして、冬月の判断により初号機による使徒二体同時攻撃が行われる事となった。そのため、ミサトから二人へ後退命令が出されたのだが……。

 

「嫌よっ! まだあたしは戦える!」

『アスカ、命令よ。それとも今の貴方にレイと息を合わせて使徒を同時に仕留める事が出来るの?』

「そ、それは……」

「弐号機、後退するべき。後は碇君に任せましょう」

「つっても、どうやって初号機だけで二体を相手に」

 

 レイの言葉に反発するようにアスカが言葉を発した時だった。つい反射的に初号機を見ようと振り向いた弐号機へ、使徒の分裂体がその隙を突くように迫ったのだ。アスカもそれに気付いて即座に前を向いて対処しようとするも、使徒の攻撃で手にしていたソニックグレイブを弾かれてしまう。そしてそのまま使徒の腕が弐号機へ迫り届く―――前に使徒が後退した。その位置へガトリングによる攻撃が行われたのだ。

 

「アスカっ!」

「シンジ? って、何よそれぇ!?」

「説明は後でするよ! 今は僕に任せて後ろに下がって! N2ミサイルを使うから!」

「N2ミサイルですってぇっ?!」

「早くっ! 使えるのは今しかないんだ!」

 

 言いながら、初号機はマステマによる射撃攻撃で二体の使徒を牽制し続ける。そのまま湾へと追いやる様に。それが先程の言葉は本当だとアスカへ告げていた。少しでも被害を抑えようとしている。そう思ったからだ。

 

(シンジはやっぱりそういう奴なんだ……。それにしても、あの初号機は一体……)

 

 既に大学を卒業しているアスカにも、F型の非常識さがよく分かったのだ。従来よりも装甲を厚くしているにも関わらず、むしろ機動性が上昇しているだけでもおかしいのに、使っている武装や攻撃力も存在するどんなものよりも強力だと分かったからだ。その証拠は分裂した使徒が回避している事。弐号機や零号機の攻撃は避けるどころか精々防ぐぐらいだった。それが初号機の攻撃は全てかわし続けているのだ。それがフィールドを展開しても意味がない威力であるとアスカへ教えていた。

 

「碇君、こちらの後退は完了したわ」

「もう大丈夫よ。さっさとやんなさい」

「分かったっ! 行けぇっ!」

 

 シンジの声に呼応し、F型はマステマを構えて使徒へと目掛けN2ミサイルを発射した。それは二体の使徒の眼前で爆発し凄まじい爆風を巻き起こす。だが、それを零号機と弐号機は感じていなかった。いつの間にか二機の前方まで後退していたF型がそのフィールドで防いでいたからだ。それが自分達を守りたいというシンジの気持ちの表れと思い、レイとアスカは黙ってF型の背中を見つめていた。

 

「……終わった、かな?」

「さあ? 意外と仕留め切れてないかも」

「どういう事?」

「さっきの爆発、炎や煙ばかり広がっていたでしょ。本当に使徒が倒れたなら光が現れるはずよ」

 

 アスカの指摘にシンジとレイは息を呑んだ。二人共に使徒の最後を思い出したからだろう。まるで十字架のような形の光を出して散るのが使徒なのだ。その光を今回は見ていない。まさかと思いながら、シンジ達は眼前の光景から爆炎による煙が晴れるのを待った。やがてその視界は晴れ、分裂した使徒の現状が見えてくる。

 

「……そんな」

 

 そこにいたのは、炭化したような状態の分裂した二体の使徒だった。まったく動かないので瞬時の再生が出来ない程のダメージを受けたようだ。そこから、完全に同一ではなかったものの、かなり近いタイミングでの撃破だった事が窺える。一応警戒する三人だったが、動き出す気配がない上初号機が姿を戻した事もあり、当分は大丈夫だろうと判断した。

 

「つまり、倒したっていうより停止させたってとこね」

「あれでもダメなの?」

「多分だけど、本当に同時じゃないといけないんだ。誤差があってもコンマいくつとか」

「きっとそうでしょうね。とにかく、現状を報告して回収機を待って撤退するわよ。あの化け物初号機でもダメなら現状打つ手なしなんだから」

 

 アスカの声には悔しさが宿っていた。それにシンジは気付くも何も言えない。以前の第五使徒戦で彼が抱いた気持ちよりも、もっと強い感情だろうと察したのだ。レイも何か言う事なくその場に立ち尽くしていた。敗戦ではないが勝利には程遠いものがあるのだと、この日シンジ達は知った。

 

 

 

「あの初号機の攻撃により、使徒はその体組織のほとんどを焼却されて行動不能となりました。ですが……」

「あれは、あくまで痛手を負わせただけに過ぎません。このままでは再侵攻は時間の問題です。予測ではおよそ九日後には再生を完了します」

「しかも、分裂体は一度絶命させられた攻撃を二度目から無効化ないし耐え切るだけの力を有します」

 

 オペレーターの上げる報告はどれも頭を悩ませる内容ばかりだった。冬月はため息を吐きたくなるのを抑え、視線をシンジ達へ向ける。

 

「さて、直接相対した君達の意見を聞こう」

「えっと……まず僕からでいい?」

「ええ」

「いいわ」

 

 両隣の少女へ伺いを立てる辺りがシンジらしい。そう思って冬月だけでなくミサト達も笑みを一瞬浮かべる。だが、すぐにそれを消して真剣な表情へと戻った。今回の使徒は力押しでは倒せないからだ。

 

「正直に言います。同時に攻撃するなら僕は参加出来ません」

「……理由を聞こうか」

 

 シンジのはっきりした意見に小さいざわめきが起きる。冬月とリツコにミサト、そしてアスカはその理由を何となくではあるが察していた。

 

「あの初号機は速過ぎます。弐号機や零号機と動きを合わせるのは無理です」

「高性能が仇になる、か」

 

 加持の言葉の通りだった。F型の機動性は他の追随を許さないレベル。逆に言えばそれだけ扱いが難しいのだ。それについていくのが無理なら、他に合わせるのはもっと難しい。シンジはそれを分かったのである。だからこそ真っ先に意見を出したのだ。これまで切り札となった初号機は今回そんな役割を果たせないと。

 

「次、私でいい?」

「……好きにすれば」

「ケーブルありでは不可能だと思います。ケーブルがあると自由な動きが出来ません」

「互いに阻害し合う可能性ね」

 

 リツコの指摘にレイは頷いた。アスカも同意見なのか何も言わない。そうなると使徒への同時攻撃は内部電源の稼働時間内でやる事となる。その時間は精々長くて一分強。その間にあの厄介な使徒を追い詰め、同じタイミングでコアを攻撃しなければならない。しかも、コアを砕く程の威力で。そのより一層絶望感を増す意見に誰もがため息を吐きたくなっていた。

 

「じゃ、最後はあたしか」

「まだ何かあるのかね?」

 

 正直もう意見は出尽くしたと、そう思っていた冬月へアスカは不機嫌そうな表情を向ける。

 

「きっと、あいつはそれだけじゃ倒せない。だって、あいつは元々一体の使徒だったのよ? なら、分裂した奴を追い詰めたら戻る可能性が高いわ。多分だけど、その時にこそコアを一瞬で破壊しないと同じ事の繰り返しじゃない?」

「……有り得るわ。そうか。分裂体を同時攻撃しコアへダメージを与え続け、一つに戻った瞬間に一撃必殺ね」

 

 ミサトのまとめにアスカは頷いた。そこまで聞いていたマヤはそれが意味する事に気付いて愕然となる。

 

「それって……エヴァ三機での高度な連携が求められるって事じゃ……」

 

 その言葉にシンジは困った顔をし、レイは無表情を、アスカは不機嫌極まりない顔をそれぞれ見せた。

 

「では、戦い方は決まったな。弐号機と零号機で分裂体を攻撃し、最後の一撃を初号機が担当。どうやって可能とするかは葛城一尉、任せたぞ」

「……全力を尽くします」

 

 内心で無理難題をと怨嗟の声を上げるミサトだったが、次の冬月の言葉でそれを取り下げる事にした。

 

「今回の事後処理は私が担当しておこう。君は使徒を倒すために全精力を注ぎたまえ」

「はっ! ありがとうございます!」

 

 見事な敬礼をするミサトを見て、レイ以外の誰もがこう思った。

 

―――現金過ぎる、と……。

 

 

 

 分裂及び合体する使徒に対してどうシンクロ攻撃を仕掛けるか。それに頭を悩ませるミサトへ思わぬ人間から助け舟が送られたのはその日の夕方だった。

 

「何よこれ」

「あの無茶振りに対してのアプローチの仕方よ」

「作戦?」

「と言うよりは方向の提示かしら」

 

 リツコの差し出す記録媒体を受け取り、じっと見つめるミサト。そんな彼女へリツコが小さく笑みを浮かべながらこう種明かし。

 

「加持君からよ」

「はぁ? あいつが?」

「ええ。少しでも貴女の力になれたらってね」

「……そ」

 

 リツコに見えないようにそれを再生させるミサトだったが、その表情はどこか嬉しそうに見えた。こうしてミサトが立てた作戦はユニゾン攻撃だった。まず零号機と弐号機が音楽に合わせ同時攻撃を行い分裂体を追い詰める。そして可能ならば音楽の終わりに合わせ使徒を一つへ戻し、その瞬間を初号機がマゴロク・E・ソードで撃破するのだ。つまり、レイとアスカがユニゾンした上でシンジも心を合わせなければならない。二人が呼吸を合わせ、最後のとどめのタイミングをシンジが理解し、合体直後に攻撃する。そのためにミサトが考えた訓練は予想外のものだった。

 

「今日から三人で共同生活してもらうわ」

「「ええっ?!」」

「分かりました」

 

 ミサトの発言に声を揃えるシンジとアスカに対し、レイだけが素直に頷いていた。だが、これは仕方ない。レイは二人と違いその言葉の意味する事へ感じるものが少ないのだ。

 

「み、ミサトさん。そもそも共同生活って場所はどこですか?」

「ネルフが用意する場所よ。最初シンジ君が使うはずだった部屋ね」

「共同って、寝る場所は!?」

「アスカとレイは同じ部屋で、シンジ君は別室だから。あ、お互いに鍵かけ忘れないようにしなさい」

「何か必要な物はありますか?」

「うーん、レイの場合は無いと思うわ。アスカはあるかもしれないけど」

 

 三人の質問へてきぱきと答えていくミサト。心なしかその顔は楽しそうに見える。それもそのはず。言い方は何だが、期せずしてエヴァパイロット達の親睦を嫌でも深めないといけない事になったからだ。先程の戦闘でミサトも理解していたのだ。レイとアスカの仲の悪さを。そして、その理由がどこにあるのかも。

 

(多分シンちゃん絡みよねぇ。アスカはともかく、あのレイが明らかに歓迎しないっていったらそれしかないもの)

 

 なので三人での共同生活なのだ。本音を言えばレイとアスカだけで過ごさせたい。しかしそれでは最悪の流れになる可能性が高い。だからこそのシンジ投入なのだ。両者と良好な関係を築き、少女達の関係を良くしたいと願う人物。そんなシンジだからこそ、この提案の裏に気付いてくれるだろうと、そうミサトは期待していたのだ。故にミサトは一番渋るであろうアスカへを手招きし、その耳元で囁いた。

 

「レイと二人きりの方がいいの? 家事、あの子はまったくと言っていい程出来ないけど」

「……シンジは出来るのね」

「もち。それにシンジ君がいた方がアスカも助かるでしょ?」

「まぁ、ファーストとずっと二人きりよりマシか……」

 

 その時ミサトは見逃さなかった。そう返すアスカが少しだけ顔を赤めたのを。これはもしかしてと、そう思ってミサトは内心ウキウキしていた。

 

「じゃ、それぞれ最低限の荷物を用意しておいて。別途必要な物はこちらで用意するわ」

「はい……」

「はーい……」

「はい」

 

 困った顔のシンジと微妙な顔のアスカ、そしてまったく表情を変えないレイ。そんな三人を眺め、リツコは人知れずため息を吐いた。

 

「前途多難ね……」

 

 この後、シンジの荷物を加持が、アスカの荷物をミサトが、レイの荷物をリツコがそれぞれチェックする事になる。

 

 そこでシンジは加持からある小さな紙袋を持たされる。加持曰く「万が一のためのお守りさ」との事。シンジはそれが何か分からなかったが、何となく開けない方がいいと判断した。アスカはミサトに「色気のない下着ばかりね」とからかわれ、レイはリツコから「決して下着姿や裸でシンジ君の前に出ないように」と注意を受ける事となる。その様は、さながらそれぞれの弟や妹の初めてのお泊りに対する兄か姉のそれだった。

 

 こうして三人は比較的新しめのアパートに短期滞在する事となる。シンジはその間取りを見て、一人暮らしだった場合を想定し軽くため息を吐いていた。何せ3LDKなのである。これを一人となると持て余す事は必定だったのだ。ちなみにシンジとレイの格好は以前のデート時と同じようなものであり、彼女とアスカは二人してワンピースという一致もあって、彼はそれを見て意外と上手くいくかもしれないと思った事を追記しておく。

 

「どうしたの碇君?」

「うん、もしかしたら僕はここを一人で使ってたのかって思うと疲れてきて」

「どうして?」

「掃除が大変だし、僕一人で三部屋も使わないからだよ。部屋は使わないと痛むんだ」

「そうなの。初めて知ったわ」

 

 まるでこれから同居するカップルのような二人を見て、アスカは荷物を床へ置くと不満気に口を開いた。

 

「どーでもいいけど、三部屋あってホントにファーストと一緒に寝なきゃいけないの? 一人一部屋でいいじゃない」

「ダメよ。葛城一尉から言われた事を忘れたの?」

「ふんっ、優等生ね」

「アスカ、そんな言い方は……」

「何よ! シンジはファーストの味方なの!?」

「ぼ、僕は二人の味方だよ。だから、アスカが綾波を攻撃するなら止めるし、綾波がアスカを攻撃するなら止める。中立ってやつかな?」

 

 アスカの迫力に軽く驚くシンジだったが、それでも譲れないところはしっかり告げた。それにアスカは一瞬苛立つような表情を見せるが、何かに気付いて不敵に笑うとシンジへ近付きこう言った。

 

「ねぇシンジ。あたしがミサトの言った事忘れると思う?」

「え? 思わないけど……?」

「なら、ファーストの言った事はあたしに対する侮辱。攻撃よ」

「ええっ?!」

「さ、ファーストへも注意しなさいよね」

「そ、そんなぁ……」

(あ、アスカのこんな顔初めて見た。可愛いよな、やっぱり)

 

 悪戯を成功させたように笑うアスカに、表面上は困りながらも内心ドキドキしてしまうシンジだった。が、そんな彼の心境を察したのかレイもシンジへ無表情のまま近寄り、こう言い放った。

 

「碇君、私のは確認だから。けしてセカンドを攻撃していないわ」

「はっ、よく言うわね。シンジへ取り入ろうたってそうはいかないんだから!」

「それはそっち。碇君を困らせないで」

「何よ! シンジが困るはずないじゃない! シンジはね、あたしの事を守りたいって言ってきたのよ!」

「それなら私だって言われたわ。私を使徒には殺させないって」

「ふ、二人とも?」

 

 流れがおかしい。そう思って止めようとするシンジだったが、そんな彼の腕へアスカが強く抱き着いた。

 

「えっ!?」

「シンジ、あんたからも言ってやんなさい。自分ならあたしとユニゾン出来るのにって」

 

 アスカはシンジへアピールするつもりなどない。ただ、今はレイが一番反応するだろう事をしているに過ぎない。相手のお気に入りのオモチャを横から奪う子供の心理だ。だが、その効果はレイには絶大だった。シンジが嫌がる事なく、むしろどこか嬉しそうに見えたためだ。それは、アスカの自己紹介の際に見せた顔と酷似している。だから、レイはこのままではシンジを取られると思ったのだろう。咄嗟にアスカの行動を真似たのだ。

 

「なっ……」

「ええっ?! 綾波ぃ!?」

「碇君は私との方がユニゾン出来るはず。一緒にピクニックにも行ったもの」

「ピクニック? おこちゃまねぇ」

「でもセカンドは碇君と出かけた事はないわ」

「あんただって一緒にエヴァへ乗った事ないくせに」

「私は一緒にご飯を食べたわ。碇君の手作りの」

「くっ……だからな」

「いい加減にしなよっ!!」

「「っ!?」」

 

 ヒートアップしていく二人を一瞬にして冷ます怒声が部屋中に響き渡る。しかも、シンジは二人の腕を振り払ったのだ。その言動に怯えるような顔でシンジを見るアスカと、若干戸惑っているレイ。それはレイさえ初めて見るシンジの顔。彼が使徒にしか出してこなかった感情の発露だった。

 

「アスカも綾波も喧嘩しないでよっ! 僕の事を持ち出すのはいいけど、それで何で二人が喧嘩するのさっ! ……たしかに二人の言う通り、僕がどっちかとユニゾン出来ればこんな事にはならないかもしれない。だけど、それは出来ないんだ。僕がもっとあの初号機を上手く扱えればいいんだろうけど、使徒と戦う時しか使えない以上練習も出来ないから。だから二人に苦労かけるし、面倒もかけるけどさ。その代わり、全力でサポートするから。料理や掃除、洗濯……は下着以外は必ずやるよ。だから喧嘩は……してもいいけど程々にしてほしい」

 

 そう言ってシンジはまずアスカへ顔を向ける。

 

「いいね、アスカ」

「っ! わ、分かったわよ」

 

 真剣な眼差しのシンジに顔が熱くなるのを察して慌てて顔を背けるアスカ。それでも返事はちゃんと返す辺り、彼女も悪いと思うとこはあったようだ。シンジはそれを感じ取り、嬉しそうに頷いてレイへ顔を向ける。

 

「綾波もいい?」

「ええ、分かったわ」

「良かった。じゃ、僕はキッチンを見てくるから」

 

 言い聞かせるような表情と声にレイは素直に頷いた。それにもシンジは嬉しそうに頷いて、その場からキッチンへと歩き出す。そこにある冷蔵庫や戸棚などを開けて中を確認し出すシンジを見つめて、レイは小さく頷いてアスカへ向き直る。

 

「何よ?」

「ごめんなさいセカンド。私が不用意な事を言ったせいであなたを怒らせてしまったわ」

「……別にいいわよ。あんたも悪気があった訳じゃないんでしょ?」

「ええ」

「じゃ、もうこれで終わり。あたしもファーストもそれぞれ不用意な事を言った。それで終わりよ」

「分かった。それと一ついい?」

「何よ。まだ何かあるの?」

 

 レイの問いかけにアスカはややぶっきらぼうに返す。そんな彼女へレイはその目を真っ直ぐ見つめて言った。

 

―――私、ファーストなんて名前じゃないわ。綾波レイ。あなたの事も名前で呼ぶからそれを止めて。

―――…………いいわ。なら、アスカって呼びなさい。いいわね、レイ。

―――ええ、分かったわアスカ。

 

 そんなやり取りがあったとは知らないまま、シンジはキッチンの確認し終わりため息を吐いた。

 

(調味料の類や調理器具はあるけど、材料がまったくないや。まずは買い物に行かなくちゃ)

 

 そう判断しシンジは後ろを振り向いた。が、何故か自分が仲裁した時よりも二人の雰囲気が良くなっている事に気付き、彼はその場で小首を傾げる。

 

「何かあったのかな……?」

 

 それでもいい変化だろう。そう思ってシンジはならばと二人へ買い出しに行こうと切り出す。こうして三人は揃ってスーパーへ行く事になった。その様子をミサト達は本部でモニタリングしていた。

 

「やるわねぇシンジ君。しっかり二人の手綱を握ってるわ」

「アスカも思ったよりレイへの当たりが優しいわね。シンジ君の影響かしら?」

「どちらかって言うと、レイがシンジ君の影響を受けて変化してますからね。だからこそのさっきのやり取りですし」

「自分が名前で呼ぶからそっちも名前で呼んで、だもんなぁ。あの子がそんな事言うようになるなんて……」

「でも、途中の少女二人のやり取りはまるでシンジ君を取り合うようでしたね」

「あー、本当にね。いや、シンちゃんも隅に置けないわ」

 

 思春期の少年少女を話題に盛り上がるミサト達。それを眺め、加持は一人苦笑していた。今回の作戦が失敗すれば後はない。しかも要求しているのはとても十日足らずで実現出来るとは思えないもの。にも関わらず、ミサト達は緊張しすぎていないのだ。

 

(それだけシンジ君達を信じているのか? ま、あのヤシマ作戦さえ成し遂げた子だ。また奇跡を起こしても不思議はないが……)

 

 それにしてもと、そう思って加持は視線をモニタへ向ける。モニタには今夜の献立を話しながら歩くシンジ達が映し出されている。その様子はどう見ても歳相応の中学生たちだ。その肩に全人類の未来がかかっているとはとても思えないぐらいに。その業を背負わせている一因として、加持は己が身を恥じながら呟く。

 

「すまんなシンジ君、アスカ。それでも俺は真実が知りたいんだ……」

 

 その呟きと共に加持は人知れず発令所を後にした。廊下に出るとタバコを取り出し火を点ける。そのタバコの匂いを残しながら、彼は本部のどこかへと消えていくのだった……。

 

 

 

「じゃ、僕が手本を見せるから二人はそれと同じようにやってみて」

 

 夕食はアスカの希望でハンバーグとなった。ただしそのままだとレイは食べられないので豆腐ハンバーグである。当然アスカは文句を言ったが、シンジからこの訓練が終わったら御馳走すると言われて渋々引き下がった。分かったのだ。シンジなりに自分達のシンクロ率を上げようとしていると。理解は早いアスカである。

 

「何よ、簡単じゃない」

「まぁ、これは混ぜて焼くだけだからね。本当に肉を使ってないし」

「本物は違うの?」

「うん、本物のハンバーグは捏ねてから両手を使って空気を抜くんだ。もし良かったら今度作り方を教えるけど?」

「お願いするわ。碇君やアスカに食べてもらえるなら作る意味はあるもの」

 

 そのレイの発言にシンジだけでなく焼いていたアスカも思わず彼女を見た。

 

「何?」

「えっと……」

「……ま、そん時は仕方ないから食べてあげるわよ」

「無理に食べてとは言わないわ。それなら碇君にだけ食べてもらうから」

「誰も食べないとは言ってないじゃない!」

「あ、アスカ、焦げるから」

 

 やはり素直になれないアスカとどこか煽るような事を言うレイである。シンジはそんな二人を相手しながら、どこかで抱いていたこの短期生活の希望が崩れていくのを感じていた。

 

(やっぱり綾波とアスカを仲良くさせるのは難しいや。それに、そういう事もなさそうだし……)

 

 俗にいうラッキースケベは望めそうにないと思い、シンジは嬉しいようで悲しいような気持ちとなる。初日は豆腐ハンバーグを三人で作り、それに照り焼きソースやおろしポン酢を塗って食べた。味噌汁は油揚げと大根。この日の夕食はそんな献立であった。それをカップ麺を食べながら見せられるシゲルとマコトの心境は複雑だった。今夜の監視役は彼らである。ミサト達は既に帰宅した。

 

「いいよなぁシンジ君達は。というか、あんなレシピ知ってるとか凄いな」

「ああ、本当に。噂だが、葛城一尉が定時帰宅したがる理由だそうだ」

「成程なぁ。俺もあんな旨そうな飯作ってくれる相手がいるなら早く帰りたいぜ」

「……シンジ君だぞ?」

「あのな、どうしてそんな目で見る。ただ旨い飯作ってくれる相手って言っただけだぞ」

「いーや、さっきの言い方は彼女とかを意味してた」

 

 そう言ってマコトはカップ焼きそばを啜る。甘辛そうなソースと青のりの香りがシゲルの嗅覚を刺激し、思わず彼は喉を鳴らす。なので彼は自分のカップラーメンを啜った。味噌とほのかなバターの香りが漂い、マコトの食欲を刺激した。

 

「止めようぜ。言ってて空しくなるだけだ」

「そうだな。とりあえず食べるか」

「……一口くれないか?」

「そっちもくれるなら考えてやる」

 

 ここにマヤがいれば信じられないと言っただろうやり取りだが、これが男というものである。そうしてシゲルとマコトがお互いの味に舌鼓を打っていた頃、シンジ達は食事を終えて後片付けを始めていた。シンジが洗い、レイが拭き、アスカが戻す。その流れ作業だ。

 

「はい、綾波」

「ええ…………アスカ」

「はいはいっと」

 

 シンジが洗った皿をレイの方へ向いて渡す。それを受け取り、レイが水気を拭き取ってアスカへ視線を合わせて差し出した。アスカがそれを確認して棚へと戻す。そんな事を繰り返しながら、三人がこれで本当に訓練になるのかと思ったまま時間は過ぎる。後片付けを終えた三人は、そこでやっとリビングに置いてある物に気付いた。テレビに繋がれた三色の色で描かれた○がいくつもあるシートのような物。それが二つあり、違和感を放っていたのだ。

 

「ねぇ、アスカはこれ何か分かる?」

「……訓練用って事かしら? とりあえず起動してみれば分かるんじゃない?」

「そっか。綾波、テレビの電源分かる?」

「ええ、これね」

 

 テレビの電源をレイが押すと、若干の間の後で画面に赤と右足と表示された。三人はそれを見てシートを見て、そしてお互いを見た。

 

「「「どういう事?」」」

 

 仕方ないのでシンジがミサトへ連絡する。その間、レイはシートへ近付き画面の指示に従うように右足を赤の○へ置いた。すると画面に×が表示される。ややあって、今度は青と左手と表示された。アスカはそれを見てその意味を理解した。

 

「そっか。それ、あたしとレイでやれって事だわ」

「どういう意味?」

「つまり、これで同じ動きをさせるのよ。ただ、きっと最初置く場所はバラバラだわ。それを段々無意識で同じ場所に足や手を置いていけるようになれば……」

「シンクロ出来る。そういう事ね」

「ま、とりあえずやってみましょ。レイそっちね」

「ええ」

 

 後ろでシンジがミサトと話している間に、レイとアスカは画面の指示通りシートへ手や足を置いていく。その様はさながらエアロビのようだ。シンジはそれに気付いて視線を釘付けにされる。それはそうだろう。二人はワンピース。そのままでシンジへ背を向けそんな事をやればどうなるか。

 

(あ、綾波とアスカのパンツが……)

 

 見てはいけないと思いつつ、どうしても視線と意識はそちらへ向いてしまう悲しい男の性である。そんな彼を現実へ引き戻したのはミサトの声だった。

 

『シンちゃん? 聞いてる?』

「っ!? は、はい。聞いてます。つまりあれを使えば最終的にどれだけシンクロしてるか分かるんですね?」

『そ。それと一応シンちゃんもレイやアスカとやっておいて。それがある意味当面の目標になるだろうから』

「分かりました。で、学校はどうすればいいですか? とりあえず制服は持ってきてますけど……」

『それなんだけどね、明日からシンちゃん達はそれぞれ家庭の事情でお休みよ』

「……訓練が終わって使徒を倒すまで、ですね?」

『ええ。……ごめんなさいね。学校も大切な時間なのに』

「いいんです。使徒を倒せなかったらケンスケやトウジ達も守れません。学校を守るためにも、また友達と会うためにも、今度は絶対負けません」

 

 その負けないとの意味をミサトは正しく理解した。シンジは自分達も無事で使徒に勝つと言ったと。だからこそ微笑みを浮かべながらシンジへ答えた。

 

『ええ、お願いね。私達に出来る事があったら遠慮なく言って』

「はい、お願いします。ミサトさん、おやすみなさい」

『うん、おやすみシンちゃん。明日はそっちに差し入れもって行くから』

「じゃあ、楽しみにしてます」

 

 通話を終え、シンジは二人の方へ視線を向けた。そこには不満そうな二人の姿がある。どうしたのだろうと思ってシンジが画面を見ると……。

 

「32?」

「ぜんっぜん合わないのよ」

「ええ。まったく噛み合わない」

 

 汗を流しながら振り返るアスカとレイ。その状態にシンジは軽くドキッとする。何故ならその汗が頬から鎖骨や首筋へ流れ、胸元にも流れ落ちていくのを見てしまったからだ。慌てて視線を画面へ戻し、ミサトから言われた事を二人にも告げてシンジはレイへ声を掛ける。

 

「綾波、もし出来るなら僕とやってみてくれる?」

「いいわ」

「アスカは水分補給でもしながら見ててくれる? それで気付いた事や思った事を教えて」

「はいはい」

 

 そうして始まったシンジとレイのチャレンジは89という大台を叩き出した。本来ならばパーフェクトのはずがそうならなかった理由。それはレイの変化によるものだ。シンジの事を意識し出し、アスカというライバルが現れた事で彼女の精神面は乱れやすくなっている。それは生命の揺らぎ。クローンではなく綾波レイとしての個人が芽生えてきている証拠であった。ともあれ、そんな数値を見せられ負けん気の強いアスカが黙っているはずもなく……。

 

「やるじゃない。なら次はあたしよ。シンジ、準備して」

「ちょ、ちょっとは休ませてよ……。これ、地味に辛いんだ……」

「アスカ、碇君の言う通りよ。それに、こんな疲れた碇君じゃ高得点は不可能」

「ちっ……仕方ないわね」

 

 そう言ってアスカはキッチンへ向かうと、グラスを二つ用意し水を注ぐ。そしてそれをシンジとレイへ差し出した。

 

「これ飲みなさい」

「「いいの?」」

「ま、倒れられても困るし。あと、あまり急いで飲まない。急速に冷やすのは体に優しくないんだから」

 

 それだけ言うとアスカはソファへ向かい二人に背を向けて座った。そんなアスカにシンジとレイは顔を見合わせ小さく笑みを見せ合ってグラスへ口をつけて水を飲む。そしてレイがタオルで汗を拭いている間、シンジはバスルームで入浴の準備をしその後の事に備える。その後のシンジとアスカのチャレンジは48という数値を出した。

 

「ぐぬぬ……」

「ま、まぁ僕と綾波は付き合いがアスカより少しだけ長いから」

「そうね。それに私と碇君は友達だから」

「そんな関係性でここまで変わるもんなの? あたしは、むしろあんた達が付き合ってるって方が納得出来るわ。夫婦って呼ばれてるってヒカリに聞いたけど……」

「違うわ。そもそも私達の年齢で結婚は出来ないもの」

「あ、綾波。そういう事じゃないと思うよ」

 

 レイの答えにアスカはどっと疲れが押し寄せたようにフローリングへ突っ伏した。が、その瞬間汗を吸ったワンピースの感触があってアスカは跳ね起きる。レイはその行動の意味が分からず、シンジは理解して苦笑した。

 

「アスカ、綾波も良かったらお風呂どうぞ。もう入れる頃だと」

 

 その時、入浴出来る事を教える音声が流れた。

 

「気が利くじゃないシンジ。じゃ、お先に」

「私も?」

「うん、一緒の方がいいと思って。ほら、訓練だから」

「そうね。アスカ、構わない?」

「本当は嫌だけど仕方ないわね。裸の付き合いってやつでしょ? ここは日本だし、郷に入れば郷に従えよ」

「あっ、二人共服は洗濯機に入れておいて。後でまとめて洗っておくからさ」

「「はいはい(分かったわ)」」

 

 一度として後ろを振り返る事なくバスルームへ向かうアスカ。その後を追うレイを見送り、シンジはもう一度画面を見つめた。

 

「48……僕もアスカともっと仲良くならないとな……」

 

 今回はアスカとレイだけではダメなのだ。自分も二人と意識を合わせ、最後の一撃を繰り出さなければならない。そうシンジは自分へ言い聞かせ、それから翌朝の献立を考え始めた。肉がまったくダメなレイがいる以上、毎日の献立は制約が存在する。そこへワガママなアスカがいるのだ。必然的に要求される食事はレベルの高いものになる。だが、それもシンジには楽しかった。何よりも今日の料理をレイとアスカが喜んで食べてくれた事。それが彼のやる気に繋がっている。

 

(とりあえず朝は和食と洋食を交互に出して様子を見よう。アスカもご飯は嫌いじゃないみたいだけど、朝はパンって人もいるし。綾波はその辺りこだわりはないだろうけど、だからこそ好きな方が出来てくれると嬉しいな)

 

 既に気持ちは二人の兄か親である。その頃、バスルームでは少女二人が語らっていた。湯船に浸かるアスカと体を洗うレイが今日の出来事を話題に会話していたのだ。今は夕食時の事を話しているようで、そこから派生してレイが自身の事を話していた。

 

「へぇ、シンジに料理作ってやったの」

「ええ。おにぎりだけだったけど」

「ふぅん……あたしも何か出来るようになった方がいいかしら?」

「アスカは私よりも上手になると思う。今日のを見てそう思った」

「ま、あたしは天才だもの。料理だってその気になればちょちょいのちょいなんだから」

「……単純」

「何か言った?」

「別に……」

 

 和やかではあるが、時折棘を出すレイとそれに気付かぬ事があるアスカ。名前で呼び合うようにしたとはいえ、まだまだ仲良しには程遠い二人である。納得がいかないまま湯船に顔を沈めるアスカだったが、ふとそこで思い出す事があった。それは、現状の理由。だから、彼女は顔を出してレイへこう問いかけた。 

 

「ね、レイ。あんたはこの訓練であの使徒を倒せると思う?」

「思う思わないじゃないわ。倒すしかないもの」

「ま、そりゃそうなんだけど……」

「それに、倒さなければ学校へ行けないわ」

「は? 学校? あんた学校に行きたいの?」

 

 レイの口から出るとは思わなかった単語に驚きつつ、アスカは思わず二度も口に出した。そんな彼女へレイは迷う事なく頷いて見せる。

 

「ええ。あそこも今の私には絆だから。エヴァと一緒」

「エヴァと学校が一緒? 絆って事?」

「そう。だから私はエヴァに乗る。あなたは、アスカはどうしてエヴァに乗るの?」

 

 その問いかけにアスカはどう答えるべきかと迷った。その迷いをレイは察したのだろう。ならばと彼女はシンジの理由を教える。それはアスカも知っていた。既に聞いていたようなものだったからだ。だが、アスカの意識がある部分に疑問を抱く。それはレイの告げた最後の一言。

 

「……それが今の碇君の理由」

「は? 何よ今の理由って。じゃ、あいつは昔は別の理由だったの?」

「ええ。最初は碇司令、つまり父親に見て欲しかったからって、そう言ってたわ。エヴァに乗れば司令に自分を見てもらえるんじゃないかって」

「っ!?」

 

 その言葉にアスカは思わず息を呑んだ。あの信念を抱いた少年も出発点が自分と同じと知ってしまったからだ。自分と違うと、そう思っていた相手が同じ理由でエヴァへ乗っていた。それはアスカに大きな衝撃を与えた。

 

(そんな……シンジはあたしと同じだったの? だけど、そこから今みたいな気持ちでエヴァへ乗るようになった……。どうして? 何でそんな風になれたの?)

 

 アスカは知りたくなった。何故シンジがエヴァパイロットとして相応しい信念を持つに至ったか。どうして自分と起点を同じとしながら、そんな高みへ登れたのかを。真剣な表情で黙り込んだアスカを見て、レイは小首を傾げて今度は頭を洗い出した。それからしばらくバスルームに会話は無かった。

 

 

「あっ、二人とも、良かったら牛乳あるけど飲む?」

「……飲む」

「飲むわ」

「じゃ、どうぞ」

 

 湯上りの二人はTシャツとハーフパンツというラフなスタイルだった。シンジは一瞬ミサトを思い出すものの、これは寝る前の格好だからセーフとした。翌朝これで出て来たらと思うシンジだが、それでもおそらく文句は言わないだろう。そう、あれはシンジなりにミサトを家族と思っているからの注意なのだ。本人は自覚がないが、ミサトを姉のように思っているからこそ口うるさくしているのだ。人間、本当にどうでもいい相手には注意はしないものだ。

 

「そうだ。アスカ、綾波も朝ごはんのオーダーはある?」

「「ない」」

「そっか。じゃあ僕もお風呂入ってくるね」

「ええ」

「シンジ、あたし達が入ったからって変な事すんじゃないわよ?」

 

 お約束のアスカの言葉にシンジは思わず足を止める。その顔は赤い。彼も言われるまではそこまで意識していなかったのだ。奇しくも初日にミサトから入浴を勧められた際の事を思い出し、シンジはどうしようと反応に困った。そんな彼をアスカは楽しげに見ていたのだが、そんな彼女にも思わぬところから攻撃が飛んでくる事になる。

 

「へ、変な事って……」

「アスカ、変な事って何?」

 

 レイの質問でシンジとアスカは思わず顔を見合わせた。その視線はこう会話している。どうするのアスカ。いや、どうするも何も。そして二人は小さく頷き合った。

 

「「リツコ(さん)に聞いて」」

「分かった」

 

 大人へ丸投げしたのである。こうしてシンジは悶々としながら入浴し、アスカはレイと初めて同年代の同性との夜を過ごす。会話こそなかったが、布団と並べ合って横になる事に二人は奇妙な感覚を覚えていた。

 

(何かしら? 誰かが寝る時に横にいるって……意外と落ち着かないもんね)

(不思議だわ。いつもなら寝れるはずなのに……今夜は目が冴えてしまう)

 

 共に相手へ背を向けているが、意識ははっきりしている。シンクロの訓練と慣れない環境で疲れているはずなのにだ。やがて二人の耳に誰かが寝室へ近付いてくる音が聞こえてきた。シンジの足音である。

 

「もう寝ちゃったかな? いいや。それならそれで。綾波、アスカ、おやすみ」

「「っ……」」

 

 欠伸をかみ殺しながらシンジはドアから離れて自分の寝室へと向かった。そして聞こえる静かにドアを閉める音。それらは全て彼女達への配慮だろう。

 

(おやすみ、か。誰かにこうやって言われたのって久しぶりね……)

(おやすみ碇君。明日はちゃんと顔を見て言うわ……)

 

 共に微かな笑みを浮かべながら目を閉じる二人。すると、程なくして可愛らしい寝息が聞こえ始める。これが三人での共同生活初夜の出来事であった。

 

 明けて翌日、シンジがいつものように朝食を作り始めた。今朝の献立は洋風にしたらしく、卵をふわとろのオムレツにし、ポテトサラダに一センチ大に切ったチーズを混ぜる。パンはきつね色が付く程度に焼き、お好みでバターかピーナッツクリームを。最後に玉ねぎやキャベツを使った野菜スープを添えて終了である。

 

「……よし」

 

 これならレイもアスカも不満はないだろう。そう思ってシンジはエプロンを畳みながら二人の寝室へ向かった。そしてドアの前で一度深呼吸。

 

「綾波? アスカ? ご飯出来たから起きて」

 

 傍目から見れば役割は逆だろうと突っ込みが入りそうなものであるが、残念ながら二人の少女にシンジと同じ家事レベルはない。こうして起き出した二人の美少女は共に顔を洗い、うがいをしてリビングへと戻った。その恰好は寝る前と同じ。それでもシンジは文句を言わない。いや、正確には言う気がなかった。というのも、寝起きのレイとアスカなどというレアな光景を見、更に色々と無防備な姿を見せてもらったからだ。感謝こそすれ、文句など出ようはずがない状況と光景に、シンジは内心で複雑な葛藤をしながらもついぞ指摘する事は出来なかったのである。

 

「……これ、碇君が作ったの?」

「うん、スープだけは昨日の内に作っておいたけど」

「あんた、将来料理人にでもなるつもり?」

 

 アスカの言葉にシンジは思いもよらなかった事を指摘され、少しだけ考えてから答えた。

 

「そんなつもりはないけど、誰かに喜んでもらえるならそれもありかな。いつまでもエヴァのパイロットなんてしたくないしね」

 

 そのシンジの言葉の裏に秘められた願いに気付き、アスカとレイは言葉を無くす。いつかエヴァを動かす必要のない世界になって欲しい。そのシンジの気持ちを感じ取ったのだ。

 

「シンジ……あんた……」

「碇君……」

「綾波もアスカも、それに僕も考えないといけない時は来るよ。ううん、来なきゃダメだ。エヴァが必要なくなる時は必ず来て、僕らはパイロットなんて仕事から解放される日は。だから、そのためにもまずはあの使徒を倒さなきゃ」

 

 そう言ってシンジはテーブルの椅子を二つ引いた。

 

「さ、まずは食べてよ。冷めたら美味しくないからさ」

「……ええ」

「たしかにおなか空いたわ。シンジ、あたしにトースト一枚ちょうだい。あ、ピーナッツクリーム塗って」

「アスカ、自分でやるべき」

「いいじゃない。減るもんじゃなし」

「別にいいよ。綾波はどうする? 普通のバターもあるけど……」

「じゃあ、アスカと同じもの。こういうところも合わせておきたいから」

 

 こうして和やかな雰囲気で始まる朝食。その様子も本部でモニタリングされていた。

 

「……何と言うか、まるで兄妹ね」

「ですね。シンジ君が二人のお兄さんみたいです」

 

 共にコーヒーを片手にしながらリツコとマヤは笑みを浮かべていた。だが、その内心ではその食事内容を見て羨ましがっていたが。

 

(ミサトも食事が楽しみになったと言っていたけど、これを見れば納得だわ。……本気で私の部屋へ来てくれないかしら?)

(シンジ君、すごいなぁ。あの歳であんな食事作っちゃうなんて。……私も久しぶりに自炊してみようかな?)

 

 無意識で同時にコーヒーを啜る二人。その苦みだけではない何かに表情を歪めながら、二人の美女はモニタを眺める。そこではこの後の事を話しあう三人の姿があった。

 

「ミサトさんが差し入れを持ってくるって言ってたけど、それまでどうする?」

「下手に出かけて入れ違うのも……ねぇ」

「なら、あの訓練をすればいい。私とアスカでやって、碇君はそれを見て気付いた事や思った事を言ってもらう」

「ま、それしかないか。前提としてあたしとレイが出来なきゃ話にならないんだもの」

 

 あの使徒を倒すには前提として分裂体へ同時攻撃を仕掛ける事が必須。それは零号機と弐号機しか実現出来ないため、まずレイとアスカのシンクロが必要となるのだ。と、そこでシンジがある事を思い付いた。

 

「じゃ、ミサトさんが来たら例の音楽を渡してもらおうよ」

「例の音楽?」

「ユニゾンの時に使うものね」

「そう。それであの訓練もやったらどうかな? その方がより実戦的だと思うけど」

「……シンジにしてはいい考えね。じゃ、まずミサトへ連絡しといて。もしかしたら間に合うかもしれないし。で、あたしとレイは着替えましょ。学校用の体操服だっけ。アレの方が色々動き易いし」

「そうね」

 

 その言葉にミサトへ連絡しようとしていたシンジの指が止まる。レイとアスカが体操服であの訓練をやる。その光景を想像したのだ。

 

(あ、綾波とアスカが体操服で……)

 

 ブルマ姿の二人がエアロビのような動きをする様を思い浮かべ、シンジは思わず首を横に振った。雑念を払うようなその動きは幸いにも二人に気付かれる事なく終わる。ただ、リツコとマヤにはしっかり見られていたが。

 

「今のシンジ君って……」

「マヤ、彼も年頃なのよ」

「……ですよ、ね」

 

 苦笑いのマヤにリツコは小さく頷き、その視線をモニタから別の場所へ移す。それはマヤのコンソール。そこには今回F型が使用したマステマが映し出されていた。

 

「……これ、どう思う?」

「おそらくですが、本来は初号機だけが使用する事を想定していないと思います。ただ、あのN2に関しては疑問もありますけど」

「そうね。あの威力、はっきり言って我々のN2以上のものよ。今のエヴァじゃフィールドを張っても破られそうな程に」

「はい。なのでこれもマゴロクソードと同様に未知の技術で改良されていると思われます」

「でしょうね。本当にこれを製作もしくは改良した相手と話をしてみたいものだわ。科学者としても非常に興味深いもの」

「ネルフスタッフなんでしょうけど……」

「どうかしら? 私の妄想通りなら、その世界はもう戦自もネルフも関係ない程追い詰められているはずよ。部外者の可能性も捨てきれないわ」

 

 ある意味で当たっている意見を述べながら、リツコはそんな事はあって欲しくないけどと心で呟く。そんな気持ちで飲み干したコーヒーの苦みは、心なしかいつもよりも苦いような気がした……。

 

 

 

 ミサトは渋い顔をしていた。それは何もシンジに出されたお茶が苦かった訳ではない。レイとアスカの数値の低さが原因だった。ミサトが見たのは41と、初日よりは向上しているものの半分にも届いていない。それがこの訓練の先行きを不安視させていた。

 

「思ってた以上に厳しいわね……」

「で、でも昨日よりも数値は上がってますから」

「そうね、と言いたいけどねシンジ君。単純にこの数値の上昇を続けたとしても、本番までには間に合わないの」

 

 ミサトの困った声にシンジも返す言葉はなかった。だが、そんな彼と違って二人には意見があった。

 

「ミサト、一ついい?」

「何?」

「出来れば用意して欲しい物があります」

「用意して欲しい物?」

「ええ、レイと揃いのトレーニングウェアを始めとした、シンクロ数値上げ用の諸々よ」

 

 アスカはシンジとの二人乗りを思い出し、もしかしたらと考えたのだ。それは揃いの物で身を固める事。あの海での戦いで彼女とシンジはペアルックとなった。あれがもしかするとシンクロの数値を上げたかもしれないと。なのでレイと相談しこの訓練中二人は揃いの格好や物を使う事にしたのだ。徹底的に相手と合わせる事で、無意識下さえも揃うようにと。その考えを聞いてミサトも半信半疑ながらも少しでも可能性があるならと許可。こうしてアスカとレイは二人で買い物へと出かけた。シンジも荷物持ちとしてアスカが連れて行こうとしたのだが、ミサトが彼にだけ話があると残したため無理となり、少女二人だけの外出となった。

 

「それで、僕だけに話って何ですか?」

 

 わざわざ二人だけを外に出して一体何があるのだろうと、シンジはどこか不思議そうな顔でミサトを見た。それにミサトは少々困り顔をしながら口を開く。

 

「いやぁ、実はシンちゃんがいなくなったせいで部屋がねぇ……」

 

 そう言いながらミサトはシンジへ見えるように携帯の画面を見せる。それはメール画面となっていて、ミサトが打ったであろう文字が表示されていた。その内容にシンジは思わず息を呑む。

 

―――驚かないで読んで。このリビングだけ本部で監視してるの。ないと思うけど、さぼったりシンちゃんが二人のどちらかへ変な事をしないようにね。ここまで読んだら頷いて頂戴。

 

 その文章通り、シンジはミサトの話を聞いて頷いてから言葉を返す。

 

「……だから掃除して欲しいとかですか? さすがにそれは待ってください」

「ちょっとぉ、そんな事は言えないわよ。出来るだけ綺麗にしてるから。でね、そのせいかペンペンがあたしを避けてる感じなのよ。シンちゃんは懐かれてたじゃない? だから、あたしがご飯あげるにしてもお風呂入れるにしても反応鈍くてさ」

 

 他愛のない雑談のように話すミサトだが、その内容は彼女の内心を言っていた。気付いたのだ。シンジの返しが文面に合わせたものだと。掃除して欲しいのかは、撤去させて欲しいのかだと。なのでそれに合わせた返しをした。更にミサトは文面を変えながらシンジへ己が心境を伝えた。シンジはそれらを感じ取りながら文面を読む。

 

―――これ、アスカとレイには秘密にして。この監視の一番の目的は、貴方達が大ゲンカしないようにするためよ。ま、昨日の時点でそれはもうなさそうとあたしは思うけど。嫌な気分にしちゃったかもしれないけどごめんね。

 

 その文章でシンジも監視が本当であると理解した。そして、同時に何故これをミサトが教えてくれたかも。ほとんど必要なくなったとはいえ、今更撤去など出来ないし万が一もある。なら、この状況で見られて不味い事が起きやすいのはどちらかと言えば男のシンジであるからだ。それでも、シンジは少しだけ笑みを浮かべて口を開く。

 

「……分かりました。でも、それに関してはミサトさんを信じてますから。だから、僕は気にする必要ないと思いますよ。まぁ、最初は素っ気無くするかもしれませんけど、最後にはまた懐いてきますって」

「っ……そう、ね。そうだといいわ」

「はい、きっと大丈夫です。それも、訓練も、再戦も、全部上手く行くように頑張ります」

 

 そのまとめにミサトも笑顔で頷き、椅子から立ち上がった。すぐに戦闘で使う音楽を持ってくると告げ、彼女は部屋を出て行く。シンジはそれを見送り、ため息を吐いてリビングへ戻る。監視されていると知って嫌な気持ちがない訳ではない。それでも、それが自分達のためと思えば受け入れる事が出来る。

 

「……それだけ僕らが危なっかしく見えるって事だもんな」

 

 それに、そうじゃなければシンクロの数値ももっといいはずだ。そう思ってシンジは軽く頬を叩く。

 

「せめて美味しいご飯を作ってあげなきゃ。綾波とアスカに笑ってもらうために」

 

 同じ釜の飯を食う。そんな表現を思い出し、シンジはレイへ連絡を取る。二人と合流して再び買い出しをするためだ。だが、二人の荷物が多いためそれは無理と返されるや、シンジはならばと余計合流する意思を固め、ミサトへメールを送った。

 

―――二人の荷物が多いらしいので迎えに行きます。鍵は開けておきますので、もしいなかったら勝手に入ってください。

 

 こうしてシンジはレイとアスカに合流。両手にかなりの重量の袋を持たされるも、それでもシンジは文句を言う事はしなかった。今回の決め手はレイとアスカ。その二人を支える事が今の自分に出来る事なのだと、そう己へ言い聞かせて。

 

 ミサトから音楽を受け取った三人は、そこから本当に訓練のような日々を過ごし始める。揃いの格好でシンクロしようとするレイとアスカ。その動きは次第に合うようになっていく。その裏には、シンジが作った食事を共に食べたり、一緒になって作るのを手伝う事で身に付く協調性が影響していた。同じ物を食べ、それを共に作り、一緒に汗を流す事。それらはなし崩し的にレイとアスカに他者との関わりを要求する。そこへシンジという存在が加わる事で、少女二人は時に反目し時に協調する事となった。例えば……。

 

「ね、レイ。今日の味噌汁薄くなかった?」

「そう? 私は丁度良かったけど」

「えー? 絶対薄かったって」

「丁度良いわ。碇君に味見を頼まれて私が言ったんだもの」

「なっ……ちょっと、それレイの好みって事じゃない。ズルいわよ」

「味噌はアスカが決めたから。私、白より合わせが良かった」

「仕方ないじゃない。シンジがあたしに聞いてきたんだから」

 

 寝る前の会話が始まり、このように揉めたり……。

 

「アスカ、聞きたい事があるのだけど」

「何よ?」

「最近、訓練中に碇君の視線をよく感じるの。アスカは?」

「感じるわよ。てか、あれ絶対スケベな目を向けてるわ」

「どうして? 私達服を着てるわ」

「あんたバカァ? 服を着てれば男がスケベな事を考えないんなら、どうしてバニーガールなんて格好があるのよ」

「どんなもの?」

「……兎の耳付けて、胸元が開いてて、足は網タイツなやつ」

「…………それってスケベなの?」

「とぉ~ってもスケベ!」

「そう、覚えておくわ。そして、碇君に明日好きかどうか聞いてみる」

「あ、それいいわね。あたしも聞いてやろっと。シンジはガーターベルトとネグリジェならどっちが好みとかね」

 

 このように共通の体験や感覚を共有して、少女二人は否応なく親しく、あるいは本音を言い合える関係へ変わっていく。まぁ、被害を被る少年は堪った物ではないのだが、それもまた彼らの思い出となる。そして、いよいよ作戦前日となり、ミサトや加持にリツコの目の前でレイとアスカのシンクロは披露された。

 

「どうよ?」

「これでいいはず」

 

 そこに表示されていたのは78という数字だった。ちなみにそれぞれとシンジでは、レイが95でアスカが73だった。正直シンジはアスカとの急激な伸びの理由が分からず、内心でずっと首を傾げ続ける事となる。

 

 こうして、完璧ではないが賭ける事が出来る数字にはなった。ミサト達は揃ってそう思い頷き合う。と、そこで加持はシンジへ視線を向ける。彼はタオルと飲み物を二人分用意し、レイとアスカへ渡していた。

 

「……女子運動部の男子マネージャーか」

「似合いそうね、シンジ君なら」

「たしかにアスカがやるよりも安心ね」

「ちょっとっ! 聞こえてるわよっ!」

「仕方ないわ。アスカは少し雑だから」

「あ、綾波……」

 

 そこから始まるアスカとレイの軽い口喧嘩と、それを宥めるシンジ。その光景を見て大人三人は思うのだ。ここまで親しくなってもダメなら仕方ないと。そう思うも口には出さず。言えばそれがプレッシャーになりかねないからだ。必要以上の重圧は与える意味がない。それに三人の子供達はちゃんと分かっているのだ。ならば、これ以上大人が口を出すべきではない。そう判断してミサトとリツコは部屋を後にする。やや遅れて加持も部屋を出た。

 

「何やってんのよ」

「ちょっと野暮用がね。察してくれ」

「トイレね。ったく」

「間が悪いわね、加持君も」

「いや、それにしても一週間強で随分仲良くなったもんだ。あのアスカが、なぁ」

「レイもシンジ君と同じかそれ以上にアスカへ心を許してるもの。驚きよ」

「でも、鍵はやっぱりシンちゃん、か」

 

 揃って後ろを振り返る。願わくば、あの子達が一刻も早く世界の重圧から解き放たれますようにと、そう願いながら……。

 

 

 

 三人で過ごす最後の夜。そこでシンジが用意したのは二人の予想だにしないメニューだった。

 

「これ、ハンバーグじゃない……」

「こっちはあの時のお弁当……」

「最後の夜だからさ。二人の好物を食べてもらおうと思って」

 

 その言い方にレイとアスカは察した。シンジなりに今回の作戦へ不安を持っているのだと。最後の晩餐になるかもしれない。だから彼はレイとアスカに内緒で夕食の支度を進めたのだ。

 

「……ま、そうね。景気づけには丁度いいわ」

「……ええ」

「良かった。じゃ、食べようか」

 

 こうして三人はそれぞれ違う物を食べ始める。だけど、会話は弾み箸が止まる事はない。意識したシンクロではなく、意識しないシンクロが始まり出していたのだ。

 

「ご飯のお代わりは?」

「「いる」」

 

 差し出される茶碗は同時にシンジが受け取り……。

 

「シンジ、それ取って」

「はい。っと、綾波悪いんだけど」

「これね」

 

 欲しい物を言わないでも視線や言い方などで判断出来る。それは、既に他人ではなく家族のそれに近付きつつあった。そして後片付けを三人でやる。そこにも初日との変化が起きていた。

 

「綾波」

「ええ。……アスカ」

「ん」

 

 もう相手を見ないでも連携が取れるのだ。何度もやってきたからといえばそれまでではあるが、それもまた無意識のシンクロ。その後は少女二人が入浴し、シンジは明日の朝食のための準備などを始める。と、シンジの耳にアスカの大声が聞こえてきた。何かに驚いたような声だったが、さすがにバスルームに突入する事はない。少しだけ駆け足で移動し、ドアの前にも立たないようにして問いかける。

 

「どうかした?」

「な、何でもないわよ! ちょっとレイが変な事言っただけ!」

「別に変な事なんて言ってないわ。私は」

「いいから黙ってなさいっ!」

「えっと……じゃあごゆっくり」

 

 首を傾げながらリビングへ戻るシンジ。やがて湯上りの美少女二人が現れる。その二人へ牛乳の入ったグラスを差し出し、シンジは入れ替わりに入浴しようと寝室へ向かおうとした。その背へレイが声を掛けたのはそんな時だ。

 

「碇君、今夜は三人で寝ながら話をしたいからリビングで寝たい」

「えっ? ……ええっ!?」

「らしいわよ。その、あたし達の数値が上がったのって、寝る前に話すようになったからなの。で、それをあんたともすれば作戦の成功率が上がるんじゃないかって」

「あ、アスカはいいの?」

「シンジと二人っきりなら嫌だけど、レイもいればおかしな事もないでしょ。それに……」

「それに?」

「あたしだって、やられっぱなしは嫌なのよ。あの使徒を倒せるならやれる事はやってやるわ」

 

 そこにアスカの意地を見て、シンジは何も言わず頷いた。それにリビングは監視されている。それなら自分も変な事はしないから大丈夫だろうと、そうシンジは考えたのだ。シンジは知らない。リビングの監視は、今日訪れた加持によって実質無力化されている事を。そう、今や監視カメラは何も中継しないようになっており、新しく仕掛けようにも絶えず部屋にシンジ達がいる以上そんな暇がなかったのだ。

 

 布団が三組敷かれたリビング。それを見てシンジは当然自分は両端のどちらかの布団と思ったのだが、レイの口からそれを否定される事になる。

 

「僕が真ん中ぁ!?」

「ええ」

「レイがあんたの隣がいいって聞かないのよ。で、そうなるとあんたを真ん中にしないと変な事した時止められないし気付けないじゃない」

 

 そんな事をしたらネルフの人が飛んでくる、とは言えないシンジは黙って従うしかなかった。こうして三人して布団へ横になっての最後の夜が始まる。だが、当然会話が始まるはずもなく、ただ沈黙が流れていくのみ。シンジもアスカも、言い出したレイも謎の緊張感を感じていたのだ。

 

((き、気まずい……))

(何故だろう。胸がドキドキする? でもこれは……楽しいじゃない?)

 

 どこか強張った顔のシンジとアスカに対し、レイは一人己の感情の動きに疑問符を浮かべていた。そんな中、このままでは寝るに寝れないと思ったシンジが切り出した。

 

「ふ、二人は今までどんな事話してたの?」

「乙女の秘密よ」

「そ、そうなんだ……」

「碇君の事を話す事が多かったわ」

「なっ!?」

 

 アスカの返しに気を落とすシンジを見て、レイがあっさり秘密をばらす。それに慌てるのはアスカだ。何せ聞かれたくないような事も話している。とはいえ、それは恋愛などではなくただ彼女が自分の弱みをシンジへ聞かれたくないという意味からの動揺だったが。

 

「僕の事?」

「ええ、料理の味付けや訓練中の視線とか」

「えっと……?」

「あんたがスケベな目であたし達を見てたのはバレバレって事よ」

 

 そのアスカの言葉にシンジが小さく呻く。更にそこへレイまでも……。

 

「碇君の視線、よく感じてた。特にお尻」

「そうそう。絡み付くような視線をね」

「……ごめん。悪いと思っててもつい」

「ま、それが男ってもんよね。素直に認めたから、明日の朝食をフレンチトーストにする事で許してあげるわ」

 

 そう言い放つアスカは上機嫌だった。彼女はそれをシンジをやりこめているからだと、そう考えていたが、実際は彼に自分を女として意識している事を認めさせたためである。初対面時、年下扱いされたと思っていたから尚の事だ。

 

「そうね。あれは美味しかった」

「綾波も食べたいなら頑張るよ」

「ありがとう」

「ちょっと! あたしのおかげなんだから、感謝するならあたしにしなさい」

「作るのは碇君よ」

「それでもよ!」

「ま、まぁまぁ」

 

 仲が良いのか悪いのか。そう思うシンジだったが、それでも確実に初日よりはマシになっていると言えた。言い争いの雰囲気が険悪ではないのだ。どこかいつものとも言うべき空気が感じられ、レイとアスカも互いを攻撃というよりはからかいやいじるという柔らかな印象を受ける口調である。

 

「えっと、じゃあフレンチトーストは決まりだとして、他に注文は?」

「はい!」

「アスカは後で。次は綾波だよ」

「何でよ!?」

「碇君、アスカのを聞いてあげて。私はその間に考えておく」

「よく言ったわレイ。さ、あたしのオーダーを聞きなさい」

「何で偉そうなのさ……」

 

 どこか呆れるように呟くシンジへアスカは躊躇う事なく要望を述べる。それを聞きシンジが考える横で、レイがならばとそれに続いて要望を告げた。すると、そこから会話が弾み出す。

 

「チーズオムレツね」

「ええ、中から溶けたチーズが出てくるのが好き」

「それもいいけど、出来ればデミグラスをかけてほしいわ。今日の残りでもいいから」

「美味しいの?」

「何? レイ、あんたってデミグラスソースさえも食べた事ないの?」

「ないわ」

「ですってよ」

「じゃ、ご飯が残ってるから大きなチーズオムライスを一つ作って二人で分ける?」

「ナイスアイディアよシンジ! じゃあ」

 

 テンションの上がってきたアスカが起き上がって更なる要望を考えた瞬間、レイが不思議そうな顔でシンジを見た。

 

「碇君は食べないの?」

 

 その問いかけにアスカも気付いた。先程シンジは二人と言った事を。弾かれるようにアスカの顔がシンジへ向く。彼は困った顔で笑みを浮かべていた。

 

「さすがに三人で分けるには小さいと思うよ。だから僕は」

「ダメ。碇君も一緒に食べるの。でなければ私もいらない。アスカもそう」

「ちょ……」

「でしょ?」

 

 有無を言わせないレイの眼差しにアスカは思わずたじろぐ。そしてチラリとシンジへ視線を動かす。シンジは小さく苦笑して首を横に振った。それが気にしないでいいという合図と察し、アスカはならばと目を閉じて息を吐いた。

 

「……いいわ。シンジが食べないならあたしもいらない」

「え……?」

「明日は作戦決行日よ。なのにそこで和を乱す事は縁起が悪いわ。だからよ」

「碇君、そういう事だから」

 

 その二人の気持ちにシンジは一瞬ではあるが言葉を詰まらせ、嬉しそうに微笑むとこう言った。

 

「なら、三人で分けようか。その分中の具材を増やす事にするから」

 

 優しい少女二人へ感謝して自分も歩み寄ろう。それがシンジの答えだった。勿論それならばとレイは頷き、アスカも異論などなく、こうして翌朝の献立が決まって行く。ご飯とパンという二大主食による大ボリュームとなったが、それをアスカが分裂した使徒と見立てて平らげればいいと発言。それにシンジとレイが感心したような声を上げる一幕もあった。その後は他愛のない話を始めた。そこに共通していたのは使徒を倒した後の事だった事だろう。三人でハンバーグを作りたいとレイが言えば、アスカが住む場所をどうするかが決まっていないと言い出し、シンジは帰ったら掃除が大変だろうと嘆く。話題は尽きないが時間は有限。しかも翌日は作戦当日ともあり、誰からともなく会話を終わらせる言葉を言い出した。

 

―――おやすみ。

―――おやすみ。

―――おやすみ。

 

 初日に背を向け合っていた少女達は、少年を挟む事で向き合って眠っていた。そして夜が明ける。食事を終え、最後の確認とばかりにレイとアスカがあの訓練を行い、それをシンジは見守った。そしてその結果が出たのを確認し、三人は笑顔を見せ合う。作戦開始は刻一刻と迫っていた……。

 

 

 

 再生を完了した使徒二体がネルフ本部へと迫る。それを迎え撃つようにF型初号機が単機で立ちはだかる。それに分裂体が警戒した瞬間、その背後から二つの影が飛び出した。それは蒼と紅。その二機の巨人が上空から二体の使徒を見下ろす。

 

「行くわよ、レイ」

「ええ」

 

 鳴り響く音楽。それは今まで二人が、いや三人が嫌になる程聞いてきたもの。それを合図に二機の巨人はそれぞれに使徒へと攻撃を開始する。使徒へ蹴りかかり、それを回避されるや後方へバク転して相手の反撃を避ける。隣のビルからパレットガンを取り出し射撃攻撃しつつ接近。使徒の攻撃をしゃがんでかわしながらパンチ一発、更に踵落しを追撃として放ち、ダメ押しにコアへのミドルキック。

 

「「行けるっ」」

 

 再び宙へ舞い上がり、プログナイフを取り出してそれをコア目掛け投擲。それを使徒が回避するも、その先へ二機は飛び蹴りを放ちダメージを与える。逃げるように距離を取る使徒へ二体は最大戦速で接近。スライディングタックルの要領で使徒の攻撃をかわし、片手をブレーキ代わりにしてソバットでコアを攻撃。そこで怯んだのを見て二機はしゃがんだまま全力の拳をコアへ放つ。

 

「「これでっ!」」

 

 後ろへ吹っ飛ぶ二体の使徒のコアへヒビが生じる。その瞬間、とどめとばかりに二機のエヴァがコアへ渾身の一撃とも言うべき蹴りを決めるべく、前転してからの勢いを乗せた飛び蹴りを放った。

 

「「シンジ(碇君)っ!」」

「終わりだっ!」

 

 蹴りの反動で飛び上がる零号機と弐号機の間を駆け抜けながら、初号機が手にしたマゴロク・E・ソードで使徒へ斬り付ける。さながら居合切りの如く切っ先を地面へ鞘走りさせるようにしながら。その放たれた一撃が見事一つに戻った瞬間の使徒をコアごと斬り捨てたところで音楽は止まった。直後起きる大爆発をF型の強固なフィールドが防ぎ、こうして今回の戦闘は終わりを告げた。

 

 誰もいなくなった部屋のリビング。そこのテレビ画面には100の数字が映し出されていた……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。ガードを習得した。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第九話「瞬間、心、合わせて」完




三位一体ってかっこいいよね。元々スパロボでもF型にするとユニゾンキック使えなくなるのでどうしようと思っていたんです。で、パチンコでのプレミア演出を参考にレイとアスカのユニゾン+とどめをシンジという三人での合体攻撃としました。

……そしてマステマ最大火力であるN2爆雷も分裂体を仮死状態にするために使用。これで一応マステマ使用解禁です。F型の武装も今後少しずつ出てくるかもしれません。あくまで予定なので全部は期待しないでください。ま、後少ししかないんですけどね。

ガード……気力130以上で発動。受けるダメージを80%に軽減する。


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第十話 マグマダイバー

温泉回……でしたよね? 他に何も大事な要素はなかったと記憶しています。それと、初めてゼーレの方達を描写。とはいえ、シリアスになりきれないのはご愛嬌。死海文書も何もあったもんじゃないですからね。


「修学旅行、かぁ」

 

 シンジの口から出た言葉にミサトは苦い顔をした。洗い物を片付けながらシンジはその反応に小首を傾げる。何か問題があっただろうかと思ったためだ。ミサトはそんな彼の疑問へ答えを告げる。容赦ない大人の事情を。

 

「シンちゃん、行先もう一度言ってみて」

「沖縄ですけど……」

「ん。そこにシンちゃんだけが行くなら最悪問題ないわ。でも、学校行事でしょ? レイやアスカも行く訳よね」

「……あっ」

「気付いてくれた? そう、誰もいなくなるの。エヴァに乗る人間が、本部近くに」

 

 シンジはミサトの申し訳なさそうな声で喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。それは自分が残ればレイやアスカは行けるのではというもの。だけど、それはあの二人が嫌がるのを知っている。あの第七使徒との戦い。そのための訓練最終日前夜の会話を思い出し、シンジは少しだけ悲しみを噛み締めながらも大人の答えを返す。

 

「そうですね。じゃ、僕らは待機をしてみんなの帰ってこれる場所を守ります」

「…………ありがとうシンジ君。ごめんなさいね」

「いえ、悪いのは使徒ですから。代わりに本部のプールで気分だけでも味わっていいですか?」

 

 そんなシンジのせめてもの提案にミサトは手にしていたビールをテーブルへ置いてから頷く。それは、彼女なりのシンジへの感謝と誠意の表し方だった。

 

 そうしてシンジがミサトへ修学旅行の事を話している頃、アスカは新居となったあの共同生活で使ったアパートである物を見て荒れていた。

 

「ああっ! どうしてあたしがこんな点数取らないといけないのよ!」

 

 それは返却されたテストの数々。まだ日本語の読みが完全ではないための失点が多く、本来ならば楽勝である内容も現在のアスカにとっては難解な暗号じみていたのだ。その不機嫌極まりない声に返ってくる声があった。

 

「仕方ないわ。まだアスカは日本に慣れていないもの」

 

 レイはそう言ってグラスに麦茶を注ぐ。実はアスカが新居をここにするにあたり、一つ懸念した事があったのだ。それはシンジが言ったように部屋が傷む事。さすがのアスカであっても三部屋全てを自分で使うのは難しい。それにそこまで広い部屋で一人は嫌だったのもある。あの共同生活がアスカにとっても楽しかったのだ。誰かが傍にいる事のデメリットよりもメリットがアスカには多かった。なので部屋が殺風景で老朽化しているような場所に住んでいるレイを無理矢理同居人としたのである。

 

―――レイ、あたしと一緒にここに住まない? 掃除や洗濯とか分担しながら。

―――いいの?

―――ま、今のあんたとならあたしもいいわ。お互い一部屋を私室にして、残りは共同の物置にでもしましょ。文句は?

―――特にないわ。でも……

―――何よ?

―――出来れば碇君も一緒が良かった。

 

 そのレイの言葉にアスカがどう答えたかは敢えて書かない。だが、そのアスカの返しにレイは「アスカらしい」と言ったとか言わなかったとか。ともあれ、今や女二人のルームシェア。家事は分担であるが、その下地はあの共同生活で培ったものだ。そう、シンジの手伝いである。思わぬ部分で二人へ女性としてのスキルを与えるシンジであった。

 

「まぁいいわ。あっ、そうだ。レイ、明日放課後水着買いに行きましょ。修学旅行用のやつ」

「沖縄だから? はい」

「ありがと。そ。まぁ見せる相手がいない以上気張る必要はないんだけど、こういうのは自分のために買う物だし」

「学校指定のではダメ?」

「あのね、授業ならいざ知らず折角の旅行よ? 可愛いやつ着ないでどうすんのよ」

 

 レイが差し出したグラスを受け取りながらアスカは持論を展開する。それを聞きながらそういうものかと聞き入るレイ。そして揃ってグラスへ口をつけて傾ける。まだシンクロ効果は残っているようだ。

 

「分かった。じゃ、洞木さんも誘っていい?」

「ヒカリ? いいわよ。そっか。あんたはヒカリとも仲良かったんだっけ」

「ええ、たまに料理の話をするわ」

「じゃ、明日はヒカリを講師に料理教室でもしてもらいましょうか」

「そうね。私から頼んでみる」

「いいわよ。どうせお昼に話すからあたしが言っておくわ」

「分かった。じゃあ、お願い」

「ん」

 

 シンジがいなくても会話が弾むようになった二人。ここにリツコがいれば感心しきりだっただろう。あのアスカとレイがここまで親しげに話すなんてと。ちなみに彼女達は、あの訓練のために購入した揃いの服や歯ブラシを当然ながら未だに使用しているので、ある意味では仲良しさんと言える。無駄を嫌うアスカと頓着しないレイだからこその流用と言えた。

 

「アスカ、一ついい?」

「何よ? 心配しなくてもお肉使わないもんにしてもらうから」

「そうじゃないの。私、水着見せたい相手がいるから」

「……シンジ?」

 

 その問いかけに迷いなく頷くレイ。アスカはそんな彼女にため息を吐いた。これで互いを友達と言うのだ。どう考えてもそれ以上だろうとアスカは思う。それでもそれを直接指摘するつもりはアスカにはない。

 

(シンジとレイが両想いならほっといてもいつかくっつくわ。なら無駄な事に構ってる暇なんてないもの)

 

 そう自分を納得させるアスカだったが、それだけでない感情がまだ眠っているとは知らない。案外自分の事は自分でも分からないものである。特にこういう恋愛関係は。こうしてアスカとレイはヒカリと共に水着を見に行き、それぞれに可愛らしい物を買うのだが、上機嫌でその話をした二人へ突きつけられるのは戦闘待機という非情な現実であった。

 

 

 

 どことも分からぬような空間にゲンドウはいた。そこにいる者達―――ゼーレと呼ばれる存在と会話するために。そこではこれまでの初号機の戦闘記録が流れていた。

 

「ご覧いただいたように、初号機の変化は我々が制御しているのではありません。映像にある通り、エヴァ自体が変化しているのです。しかも、使徒と戦う時だけ」

 

 ゲンドウの言葉と流れている映像にモノリス達はざわつくのみ。第五使徒との初戦闘時と再戦時。更に第七使徒との戦闘での唐突な変化も見せられては彼の言葉を信じざるを得ない。何せ、話しているゲンドウもどこか疲れているのだ。実は、彼は彼で頭を悩ませる事が出来たためだ。

 

(まさかレイが他者との関わりを自ら求め始めるとは……)

 

 アスカとのルームシェア。それを聞いた時、ゲンドウは耳を疑ったのだ。それを報告したリツコはとてもいい笑顔をしていたが。ともあれ、そんな事を知らないゼーレの者達はゲンドウの手に余る初号機をどうするかを話し始めた。

 

『どうする? いっそ初号機を封印するか?』

『たしかに強力過ぎる。だが、まだ代わりのエヴァはないぞ』

『参号機を急いで建造させるとして、理由はどうする?』

『そもそも初号機がここまで上げた戦果を考えれば、下手に封印などすると、日本どころか国際世論が黙っていない』

『では、サードを降ろしファーストに変更すれば……』

「理由を与えてくださるなら私が説得しますが、ないようでしたら無理です。今のサードはエヴァで戦う事を誇りとしています。子供だからこそ純粋に世界を、友人を守るとね」

 

 ゲンドウの言葉に一斉にモノリス達が黙った。今のゲンドウの言葉が結論だったのだ。今の段階ではシンジを納得させるだけの材料がない。それは転じて世論を納得させる事が出来ない事を意味する。いくらゼーレが強い影響力を持っているとしても、それは実質であって表向きではない。彼らの運用する資金などは世界経済と結びついている。ならば、ここで使徒による被害を最小限に抑え、民間人の犠牲者を一人として出していない初号機を封印する事は出来ない。

 

『……碇、初号機の件はしばらく任せる』

「分かりました。今の所は参号機が出来次第乗り換えという事で?」

『そうだ。初号機よりも高性能と偽り、サードを説得しろ』

「……あの初号機よりも、と?」

 

 ゲンドウの返しにモノリスが言葉に詰まる。他のモノリスも何かゲンドウへ言いたそうな雰囲気だが、彼の疲れ果てた表情と目がそれを口に出させなかった。

 

『……それに関してはこちらでも手を打つ。とにかく、今はシナリオの通りに事を進めろ』

「分かりました。やるだけやってみましょう」

 

 こうして両者の会談は終わった。一人きりとなったゲンドウは少しだけ楽しげに呟いた。

 

―――まさかこうも老人達が狼狽えるとはな。シンジに感謝してもいいかもしれん。

 

 

 

「何でこうなるのよぉ」

「仕方ないよ。僕らがいない時に使徒が現れたら修学旅行どころじゃないし」

「そうね。それに、考えようによっては、こうして三人で宿題を片付けられるからいいじゃない」

「だから、それも含めて文句言ってんのよ!」

 

 場所はアスカとレイの部屋のリビング。そこでシンジ達は揃って学校の課題を進めていた。修学旅行を休んだために出された課題である。期末テストの結果が芳しくなかったアスカのためにと、彼女だけ国語関係が多めになっているが、それをシンジとレイが教えて、代わりに数学などの言語がそこまで関係しないものをアスカが教えていた。

 

「仕方ないわ。表向きは家庭の事情での修学旅行休みだもの」

「課題だって、そこまで多くないじゃないか」

「くそ、せめてこの後の本部のプールで思いっきり遊んでやるわ」

「お昼は? 食べてから行くの? なら用意するわ」

「レイ、まさかまた素麺じゃないでしょうね?」

「また?」

 

 シンジの言葉にアスカはややうんざり気味に頷いた。あの水着を買いに行った日の夕食は、ヒカリから教わった乾麺の調理法で作った素麺だったのだ。茹でるだけならレイもアスカも余裕で出来る。しかも麺類ならばそれぞれに具を入れてやる事も出来るのでアレンジもし易い。こうして二人は良い物を教わったと、そう思ってスーパーで乾麺の類を買ったのだが……。

 

「それ以来、レイは素麺かひやむぎばっ…………っかり出すの!」

「アスカだってパスタばかりだわ」

「あんたバカァ? あたしのはソースで味をいくらでも変えられるでしょ!」

「こっちだって生姜やネギ、刻み海苔などで味を変化させられる」

「だとしても単調なのよ。そうそう、聞いてよシンジ。レイ、こう見えて一番好きなのペペロンチーノなの」

「ニンニク、好きだから」

「そ、そうなんだ……」

 

 少女二人の話を聞きながらシンジは内心でこう思っていた。あの時よりも仲良くなってると。そしてこうも思った。バランスが偏り始めてると。なので彼としては、ここらで簡単な料理を教えるべきかと思って立ち上がる。その彼へ二人の視線が注がれた。

 

「綾波、野菜はある? あとハムかソーセージでもあればいいんだけど」

「何? シンジが作ってくれるの?」

「あー、出来れば二人にやって欲しいな。で、僕が指示するから覚えて欲しい。新しい素麺の食べ方を教えるよ」

 

 その言葉に二人は互いの顔を見合わせ、シンジへ顔を向けて頷いた。こうやってまた三人での料理が始まる。違うところがあるとすれば、あの時はシンジがほとんどやって二人は手伝いでしかなかったが、今回はシンジが完全にノータッチ。代わりにアスカとレイがエプロン姿でキッチンを動き回っていた。

 

「シンジ、野菜は切り終わったわよ」

「ありがとう。じゃあ、それをまず炒めようか。油を十円玉ぐらいの大きさで敷いて」

「……こんなもん?」

「うん、後はそれをフライパン全体に馴染ませて」

「碇君、素麺が茹で上がったわ」

「ならザルに出しておいて。水は出来るだけ切ってくれるかな」

 

 こうしてシンジが指導して二人に教えたのは素麺チャンプルー。そう、沖縄料理であるチャンプルーをイメージしたのだ。炒めた事で今までとは違う食感になり、野菜の旨味と鶏ガラスープの旨味、更に一緒に入れたハムの旨味もあり、飽きたと言っていたアスカも美味しいと言わずにはいられない味となった。レイの分はハムをどけて盛ってある。そのためにシンジはハムを大き目に切るようにアスカへ指示を出していた。

 

「碇君、ありがとう。これでまた料理のレシピが増えたわ」

「良かった。それにしても、綾波もアスカも大分料理に慣れてきたみたいだね。自炊、頑張ってるんだ」

「ま、こういうとこでも負けるってのは好きじゃないからね」

「最初はお米をぐちゃぐちゃにした」

「っ!? レイ!」

「何?」

「あんただって卵焼きがスクランブルエッグになったじゃない!」

「あは、あはは……」

 

 本当に仲良くなってるなぁ。そんな風に思いながらも、シンジはだからこそ修学旅行へ行きたかったと、そう心から思うのだ。今のアスカとレイを見れば、もっとみんなと仲良くなれるのに。ケンスケやトウジもシンジが修学旅行へ行けない事を残念がってくれたのだ。まぁ、その後レイやアスカもと知った時の方がショックは大きかったが。

 

(まだ諦めてないみたいだしな、ケンスケ)

 

 いつかのレイのワンピース写真は飛ぶように売れたらしく、今度はアスカでも似たような物をと頼まれているのだ。もっとも、シンジもさすがにアスカは色々と怖いと知っているので断り続けている。だが、そこでふとシンジは気付いた。

 

(もしかして、綾波とのツーショットなら撮らせてくれるんじゃ?)

 

 勿論それを普通に売りに出せば問題だ。しかし、しかしである。それが同意の上なら問題はない。そして、下手な事を男子は出来ないとも。そこに関してシンジはある意味で確信を持っていた。そう、アスカが被写体の場合誰も迂闊な事をしないだろう事を。何せ隠し撮りのただの制服姿でさえ、写真を知るやただちにケンスケへ辿り着き、少女らしからぬ手段で報復したのだ。つまり、アスカにばれたらどうなるかを男子はよく知っている。

 

「どうしたのよシンジ。何か妙に真剣な顔して」

「何か悩み?」

「えっと、二人はもう知ってるよね。ケンスケのやってる事」

「「ああ、あの隠し撮り」」

「……うん、その隠し撮り」

 

 揃った言葉ではあったが、こめられた感情はまったく異なっていた。アスカは恨みや憎しみのようなものが乗っていたし、レイは呆れの色が強い。シンジはどちらにせよ好意的な感情がない事を改めて感じて、二人へこう話を持ちかけたのだ。それは、逆転の発想。勝手に撮られて困るのなら、こちらで無難なものを撮影し渡せばいいというものだった。それでレイはかつての事を思い出したのか、小さく頷いてシンジを見ていた。

 

「それであの時、碇君は私の写真を相田君へ渡したのね」

「う、うん……」

「何それ? どういう事よ?」

 

 アスカの問いかけにシンジは心の中で友人へ謝った。

 

(ケンスケごめんっ!)

 

 そして彼はあのピクニックの裏話を打ち明けた。レイのセクシーショットを撮ってくれと頼まれ、諦めさせるために引き受けるだけ引き受けた事。そうしたらレイが可愛らしい格好で現れ、ある意味でケンスケ達の需要を満たした事。そして、今はアスカのそういうものを撮ってくれと頼んできている事を。

 

「……成程ね。下手に抗うと相手も意地になって抵抗してくるから、こちらから無難な餌を与えればいいのか」

「そういう感じ。アスカだって常に隠し撮りを警戒するなんて疲れるし面倒でしょ?」

「まあね。ふむ、シンジにしては結構いい案じゃない。双方に益を出しながら損をさせないか」

 

 考え込み始めたアスカを横目にレイはシンジへ近寄る。ほのかにいい匂いがシンジの嗅覚をくすぐった。

 

「碇君、ちなみに私の時はどんなものを望まれていたの?」

「えっ!?」

「碇君もそれを欲しいって思ったの?」

「あ、綾波?」

 

 一体どういう事だ。そう思って混乱するシンジへレイはいつものように平然とした顔でこう告げた。

 

―――碇君にだけなら、私は撮られてもいいわ。

―――っ!?!?

 

 あまりの告白にシンジは必死に自分を落ち着かせた。あれはレイのいつものやつだ。自分の言っている意味を正しく理解出来ていないんだと。この時、シンジはレイの目を見ていなかった。もし見ていれば余計混乱しただろう。何せレイの目はこれまでの分からないけど気になるというものではなく、どこか彼の反応を窺っている眼差しだったのだから。

 

「っよし、じゃあそれなりに可愛い格好で撮られてやろうじゃない。ん? どうしたのよレイ。シンジの奴、頭抱えてるけど」

「分からないわ。急にああなったの」

「ふ~ん……ちょっとシンジ、写真の件だけど」

「ふぇ!?」

「何よ奇妙な声出して。まぁいいわ。あたしとレイでそれなりの格好してあげるから、それを撮って相田の奴に恵んでやりなさい」

 

 勝ち誇るように言い放つアスカだったが、レイはその発言に小首を傾げる。どうして自分もと思ったのだろう。求められているのはアスカの写真だ。ならば自分が写るのは違うのではないか。そんな思いがレイにはあった。

 

「アスカ、私は写る必要がないわ」

「バカね。相田達は結局のところ変な事に使うのよ。だったら美少女二人の方が普通の格好でも喜ぶわ」

「……そう」

 

 その瞬間、シンジとアスカは目を疑った。レイが頬を赤めたのだ。それは、明らかに変な事を理解しているからだと、そう二人は察した。それはあの共同生活での一言を丸投げしてしまった一人の女性の苦労を物語っていた。

 

((今度謝っておこう……))

 

 二人の脳裏には、レイへ性教育よりも面倒で厄介な事を教えて疲れる白衣の女性が浮かんでいた。その後、三人は後片付けをし、課題をキリのいいところまで片付けて部屋を後にする。そして三人で雑談しながら本部を目指した。もう彼らの気分は遊ぶモード一色であった。だが、得てしてそういう時程物事は上手く運ばないもので……。

 

「「「火山の中に使徒?」」」

 

 プールの使用許可と謝罪を兼ねたリツコの研究室への訪問。それはある意味で三人の平穏の終わりを告げる。

 

「ええ。さっき現地のミサトから連絡があったわ。どうも休眠状態の使徒らしいの。それで捕獲する事になったのだけど、場所が場所なので特殊装備未対応の零号機は使用出来ない。必然的に初号機か弐号機となるの」

「私は待機ですか?」

「それなんだけど……」

 

 そう言ってリツコはシンジとアスカを見る。その目はどこか悪戯を企てているような輝きを宿していた。

 

「現地の近くは言わずと知れた温泉の名所なの。ここだけの話、作戦終了後に軽く慰安を兼ねて宿を取っているみたいよ」

「あー……」

「そういう事ね」

 

 要するにミサトなりの修学旅行の埋め合わせ。そう受け取った二人は、レイをどう連れ出すかを考えろとリツコが言っている事を察した。なのでまずはシンジが口火を切った。

 

「例えエヴァが使えなくても現場で見る事から学べる事もあると思います」

「そうね。それにレイはこの中で一番戦闘経験そのものが少ないんだもの。少しでも知識はあった方がいいわ」

「ふふっ、いいでしょう。なら、私から司令へそう言って同行許可をもらっておくわ」

 

 良く出来ましたとばかりに微笑むリツコにシンジとアスカは満足げな笑みを浮かべる。一人レイだけは首を傾げるものの、二人とリツコが自分を連れ出そうとしている事は理解出来た。なのでそこで微かに笑みを浮かべて告げた。

 

「碇君、アスカ、ありがとう。赤木博士もありがとうございます」

 

 そのレイの感謝の言葉と表情にアスカとリツコが驚き、シンジだけが嬉しそうに頷き返した。こうして三人は二体のエヴァと共にミサトの待つ浅間山火口付近へと向かう事となる。蛹ともいうべき使徒の捕獲。その場所は灼熱のマグマ流れる火山の中。誰もが無事に終わってくれる事を祈りつつ、どこかで言い知れぬ不安を抱いていた。

 

「ねぇシンジ。一つあんたに聞きたい事があるんだけど」

『何?』

 

 移動中の輸送機での会話。当然エヴァ同士の通信だ。そこでアスカはやや声を潜めるようにシンジへ声をかけた。何か内緒話でもあるのだろうか。そう思いつつシンジも応じる。と、そんな彼へアスカはどこか躊躇いを見せながら、それでも意を決して尋ねた。それはアスカが己のプライドを次なる次元へ高めるためのステップ。

 

「どうしてあんたは父親に見てもらうためじゃなく、みんなのためにエヴァに乗るって決めたの?」

 

 思わぬ質問にシンジは不意を突かれたような顔になった。それでもアスカがそれをレイから聞いたのだろうと察し、ならばと照れくさそうな顔で答えた。

 

『一番嫌な事から逃げるため、かな?』

「は? どういう事よ?」

『……僕は、元々臆病だった。傷付きたくないし傷付けたくないから人と距離を取って生きてきた。でも、だからこそ、あの初号機は僕じゃなきゃダメって分かった時、怖くなったんだ』

「怖く?」

『うん、つまり使徒が出てきて初号機が出撃する。でも、そこで普通の初号機だと僕は乗ってないって分かる人には分かるんだ。それに、もし僕が乗ってない時に使徒が誰かを傷付けたら、殺されたら、僕が戦わなかったせいだって攻撃される。それが嫌だから戦いから逃げないって決めたんだ。一番嫌な事から逃げ続けるためには、目の前の嫌な事をやり過ごしたり立ち向かったりするしかないから』

 

 後ろ向きなようで前向きのような不思議な話。アスカはレイから聞いた時にぼんやりと感じた感想を、今はっきり抱いた。目の前の少年は決して誇り高くなどない。だからこそ逆に誇り高いのだ。気取っていないが、その逃げるための行動は後ろへ走るのではなく、足を前へ踏み出す事なのだから。

 

「……そ。うん、よく分かったわ。つまりシンジは勇気ある臆病者って事ね」

『え?』

「何でもないわ。そっか。一番嫌な事から逃げ続けるために……」

 

 少年の信念を自分へ当てはめれば何になるのだろう。そうアスカは考える。一番見て欲しかった相手は既にこの世にいない。だからある意味意地でエヴァに乗る事にこだわってきた。だけど、それだけでは目の前の相手に勝てないどころか並べない。パイロットとしてではない。人として負けている。そうアスカは心から認める事が出来た。

 

(あたしが目を背けていた事に目を向けてるだけでもシンジの方が強い。あたしは……負けたくないわ)

 

 シンジは自分の弱さを認めた。だからこそ強くなったとアスカは考えた。あの初号機の性能だけで勝ってきた訳ではないとも。なら、自分もまず勇気ある臆病者になるところからだ。そう思ったところで時間が来た。

 

『アスカ、シンジ君、到着したわ。後の指示はミサトに従って頂戴』

 

 リツコの声にアスカは気を取り直す。そういう意味では今日の作戦はいい機会となると、そう考えて。

 

「……アスカ、行くわよ」

 

 

 

 初号機の中でシンジは火口へとゆっくり下ろされていく弐号機を見つめていた。輸送機内での会話は一体どういう意味なのだろうと思いながら、ついぞアスカへその意図を尋ねる事は出来なかったのだ。

 

「アスカ……」

 

 潜水服のような物を着込んだ弐号機がついにマグマの中へと入って行く。初号機はその様子を火口から覗き込む形で見つめていた。無事に戻ってきて欲しい。そう思いながらシンジは祈るような面持ちで火口の中を見つめていた。

 

 一方弐号機はミサト達とやり取りをしながら休眠状態の使徒を捜していた。既に深度は限界値近くまでなっており、本来ならば使徒を視認出来るはずなのだが、そこで見つからないのだ。

 

「何も見えないわよ。本当にいるの?」

『対流が早くて誤差が生じているみたいね』

『どうしますか?』

『アスカ、まだいける?』

 

 ミサトの声が少し心配していると分かり、アスカは安心させるように明るく返した。

 

「勿論よ! さっさと沈めてくれないとその方が困るわ」

『……再計算と再度沈降お願い。アスカ、無理になる前に教えてね』

「了解」

 

 シンジを生存させるための作戦を立てる。そうなってからミサトは本来持っていた母性本能が目覚めていた。使徒を倒す事よりもエヴァパイロットが無事に帰ってきてくれる事。それを心から望むようになっていたのだ。だから、今回も捕獲よりも殲滅を優先したいとの思いがある。だが、一方で捕獲し詳しく分析してシンジ達の生還率向上へつなげたいとの気持ちがない訳でもない。

 

(だからって、これでアスカを危険な目には遭わせたら意味がないのよ)

 

 まるで姉か母と言った気持ちでアスカの無事を祈るミサト。その事を知らず、でもどこかで察しているアスカは注意深くセンサーの反応などへ気を配っていた。いつかの戦闘時、シンジが言った、心配している相手を絶対安心させる事。それを意識して。

 

(さっさと終わらせて温泉を楽しみたいのよ、こっちは。早く見つかんなさいっ!)

 

 使徒への文句を言った時、弐号機に繋がっている循環用のパイプに亀裂が生じる。

 

「深度、1480です。限界深度をオーバーしました」

「アスカ、どうする?」

『心配し過ぎよ。まだいけるわ。むしろ、身動き出来ない時にやれる事やっておかないと後が怖いじゃない』

「……ごめんなさい。もう少し我慢して」

『はいはい。代わりに終わった後はサービスしてもらうから』

「ええ、ちゃんとご希望に応えるわ。サービスサービスってね」

 

 軽い口調で話すアスカにミサトは感謝しながら応じる。きっと彼女は聡い子だから気付いているのだ。現状で自分達がどれだけ焦り、不安を感じ、続行か否かを常時考えている事を。そう思ってミサトは小さくため息を吐く。

 

「情けないわね。大人が子供に気を遣われるようじゃ……」

「限界深度プラス120」

「っ! 弐号機、プログナイフ喪失」

「限界深度プラス200っ!」

「アスカっ!」

『まだよ。お願い、あたしと弐号機を信じて』

 

 聞こえてくるのは真剣な声。それがいつかのシンジとダブり、ミサト達はみな気付かぬ内に小さく苦笑した。

 

「葛城さん、どうします?」

「そうね。ここで止めたらあたし達はシンジ君よりアスカを信じてない事になるもの。続行よ」

「はい。その代わり全力でサポート、ですね」

「もち。期待してるわ」

 

 マコトの言葉に笑みを返し、ミサトは再びモニタへ視線を戻す。そしてその時は来た。

 

「深度1780……目標予測修正地点です」

「アスカ、どう?」

『……いたっ!』

 

 その報告に指揮所が俄かに騒がしくなる。使徒の映像が中継されたからだ。しかも対流の関係で捕獲の機会は一度のみ。それを聞かされたアスカは不敵に笑った。

 

「大丈夫。必ず成功させるわ」

 

 ゆっくりと接近する弐号機と使徒。手にしていた電磁柵も問題なく展開し、遂に使徒の捕獲に成功する。本来ならば歓喜に包まれる結果だが、まだ油断は出来ないとばかりにミサト達は気を引き締める。何せ弐号機達がいるのは灼熱のマグマの中。無事帰還するまで油断の出来る環境ではないのだ。

 

「ここからが問題よ。幸いあの心配はなさそうだけれど」

「セカンドインパクト、か。そうね。それは本当に良かった」

「後は無事引き上げるだけ、ね」

「そうなるか。ま、家に帰るまでが遠足だもの」

「言い得て妙ね。レイ、何かアスカへ伝える事でもある?」

「いえ、今は特にはありません。ただ、気を付けてと」

 

 そのレイの言葉に指揮所の空気が和んだ。あのレイがそんな事を言うなんて。そう思いつつマヤがアスカへその言葉を届けた。

 

「そう、レイがね」

『ええ。でも、本当に気を付けて。こちらでも精一杯サポートしてるけど、そちらへ手出し出来る訳じゃないから』

「分かってるわ。何かあったらすぐ伝える」

 

 マヤとの通信を終え、アスカはふと思う事があった。レイでさえ心配してるなら、あの少年は必ずそうなっているはずと。なので今度は彼へ通信を入れた。

 

「シンジ、生きてる?」

『アスカ? えっと、それはむしろこっちの台詞というか何というか』

 

 あまりの聞き方にシンジがどう返すものかと考えていると、アスカは楽しげに笑みを浮かべてこう告げる。

 

「思ってた以上に楽勝だったわ。あんたもあまり心配すると禿るわよ?」

『そ、そんな事ないと思いたいけど。でも、それでアスカが無事なら構わないかな?』

「っ!? バカ言ってなさい。通信終わりっ!」

 

 慌てて通信を終えるアスカ。見えるはずもないのに顔の赤みを知られたくないと思ったからだ。

 

「嘘でしょ……? あたしってこんな簡単な女なの?」

 

 自分は年上の頼れる男が好みのはず。そう自分へ言い聞かせるアスカだが、それでも顔の赤みは引いて行かない。むしろ、熱を増す一方だ。声しか聞こえなかったが、間違いなくあの時のシンジは照れ笑いを浮かべていた。そう思ってしまったからだ。初対面時の時も今も、アスカの心へそっと触れていくシンジの言葉。その熱と想いが少女を乙女へ変えていく。が、そんな時間に浸っていられたのもそこまでだった。

 

「っ! ミサト、使徒が!」

 

 柵の中にいた蛹のような使徒が変態を始めたのだ。その瞬間、シンジが叫ぶ。

 

『アスカっ! もう無理だ! 初号機が変化したんだよ!』

「何ですってっ!?」

 

 聞こえてきた言葉は何よりもアスカが信頼出来る声だった。アスカはミサトの指示を待つ事なく捕獲を諦めて柵を離す。すると丁度ミサトからそうするように指示が出た。

 

『アスカ、捕獲は中止よ!』

「シンジから聞いたわ。変化したって」

『ええ、こちらでも確認した。戦闘準備しつつ撤収よ。出来る?』

「やってやるわ。ただ武器が……」

 

 その時、アスカは見た。使徒が弐号機へ襲い掛かってくるのを。それを辛うじて回避しながら、彼女は生き残るために考える。武器のない弐号機ではどうやっても勝ち目がない。だからと言ってこのマグマの中からすぐに出て行けるわけでもない。万事休すか。そう思った時、ふと思い出す事があった。

 

「そうだっ! シンジ、聞こえる? あのマステマって奴、貸して!」

『っ! そうか!』

 

 シンジも気付いたのだ。あれならば自由な動きが出来なくても戦えると。ガトリングの威力はあの分裂した第七使徒さえ回避に専念したのだ。ならば、今回の使徒にも通用する。初号機はマステマを手にしてそれをマグマへ投げ入れようとするも、何故かその動きが止まる。

 

「どうして? ……もしかして」

『シンジ? ちょっとまだなの!?』

「アスカ、待ってて。すぐ渡すからっ!」

 

 その発言と同時に初号機は勢い良くマグマの中へ跳び込んだ。だが、その体はマグマをかき分けるように沈んでいく。ATフィールドを最大で展開し、体から跳び込んだのである。その勢いは凄まじく、まるで噴火かと見間違うようにマグマを噴き上がらせ、一気に弐号機がいる場所まで到達。突然の登場に驚くアスカと使徒を余所に、初号機は手にしたマステマを譲渡すると戻ってくるマグマを再度押しのけるように戻って行った。

 

「……常識外れ過ぎでしょ、あの初号機」

 

 呆れつつも嬉しそうに笑い、アスカは手にしたマステマを使徒へ向けた。その時、たしかにアスカは感じた。使徒が怯えるのを。

 

「これでも喰らえぇぇぇぇっ!」

 

 発射されたガトリングの攻撃を使徒は必死に回避し続けるも、アスカもそんな事は分かっているとばかりに、攻撃を点ではなく面制圧として行い、哀れにも使徒はその体へマステマによる銃撃を受け散った。こうして無事マグマから脱出したアスカが真っ先に見たのは、自分へ手を差し伸ばす初号機の姿だった……。

 

 

 

「はぁ……良いお湯だな。でも、まさか加持さんがペンペンを送ってくるなんて」

 

 作戦終了後、シンジ達はミサトが前もって予約していた温泉旅館へやってきていた。残念ながらリツコ達はやる事があるので、残ったのは監督役としてのミサトだけで後は彼とレイにアスカだけである。しかも、他の客はおらず貸切にされていた。これもネルフとしての活動とミサトが言い張り、パイロット達への福利厚生の一環と押し通した結果である。

 

「シンちゃ~ん、そっちのお湯加減はどう?」

「あっ、はい! ちょっと熱めでイイ感じですっ!」

 

 隣の女湯から聞こえる声にシンジは声を張って返す。そんなやり取りもシンジにとっては妙にくすぐったく、また嬉し恥ずかしな体験。だが、そんな気分を吹き飛ばす言葉がミサトから返ってきた。

 

「そ。ま、余程じゃない限りあたしは注意しないから。後はそっちで楽しくやってねん」

「へ?」

 

 どういう意味だと、そう尋ねる前にシンジの後方で音がした。それは浴場への戸を開ける音。だが、ミサトは隣にいるし他の客はいない。どういう事だと、そう思いながら振り返った先には……。

 

「ええっ!?」

「何よ? 何か変?」

「この水着、ダメなの碇君」

 

 アスカは真紅のビキニタイプで、レイは白の同じくビキニタイプの水着を着ていた。それが二人が選んだ修学旅行用の水着である。シンジは直視しないようにしながらも、それでも二人の胸へ視線を向けてしまっていた。

 

「な、何で二人がここに?」

「何でって、決まってるじゃない。プールが無理なら温泉で着るしかないでしょ? で、水着を着れば混浴も平気だってミサトが言ったら、レイがあんたと一緒がいいってね」

「だって、三人で遊ぶ約束だったから。それに私もアスカもそのつもりで荷物を持ってきていた」

「それならそうって言ってよ。僕だって水着を……」

「いいじゃない。こっちと違ってあんたは見られても平気なんだから」

 

 シンジをからかうように見るアスカ。その覗き込むような体勢が余計そのスタイルをシンジへ印象付ける。思わず唾を飲むシンジだったが、だからこそもう一人の動きに気付けなかった。

 

「碇君、どうしたの? さっきから体勢が不自然だわ」

「っ?! あ、綾波、近いから……」

「レイ、シンジの体勢が変なのは当然よ。だって……ねぇ」

「っ! べ、別に自然だろ! アスカも綾波も可愛いんだからっ!」

 

 その自棄になったシンジの放った言葉で二人の美少女が赤面した。とはいえ、アスカははっきりと、レイはほのかにという差はあったが。惜しむらくは、それをシンジ自身が見る事はなかった事だろうか。彼はその発言と同時に二人へ背を向けてしまったのだから。それは、複雑な男心の反応である。見たいけど嫌われたくない。その結果がそれだった。

 

「ったく、バカシンジ……」

「アスカ、顔笑ってる」

「うるさい。そういうあんただって顔緩んでるわよ」

「……同じね」

「…………かもね」

 

 そう言い合う二人は微かな笑みを見せ合う。そして、この後主にアスカがシンジをオモチャにし、レイはそれに乗せられるまま付き合う事になる。その三人のはしゃぐ声と音にミサトは苦笑しつつ温泉を堪能する。そこへペンペンが現れ、またミサトを苦笑させた。

 

―――ホント、仲良くなっちゃって。

―――クェ。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。気力限界突破を習得した。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十話「マグマダイバー」完




パチンコでもマステマが二号機リーチのチャンスアップでした。なのでマステマでの撃破。マグマダイバーは二体いたってとこですね。マグマダイバーズにしようかと悩んだのはナイショ。

気力限界突破……本来は150が限度の気力を170まで上げる事が出来る。エースアタッカー辺りが持っていると、撃破によって上がる気力上限が高いので従来の攻撃力がより恐ろしい事に。


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第十一話 静止した闇の中でも

アニメではジブリ回と呼ばれた話ですが、今作では関係ない話ですね。マトリエルは容赦なく原作通りの強さ。なのでメインは戦闘ではなく別のとこ。……スパロボに出れば強化されたかもしれませんがねぇ。


『何だ』

 

 そのいつもと変わらぬ感情のない声にシンジは少しだけ悲しくなった。今、彼は公衆電話を使い父であるゲンドウと会話しようとしていた。

 

「……実は、今日学校で進路相談の面接があって父兄へ伝えておくようにって言われたんだ。で、一応父さんへ伝えておこうと思って」

『そういう事は』

「ミサトさんに任せてあるんでしょ。分かってる。それでも僕の父親は父さんなんだ。忙しいかもしれないけど、こうでもしないと僕は父さんと話す事が出来ないから」

『…………今度メールを送れるようにアドレスを赤木博士から聞いておけ』

「っ! 分かった。その、ありがとう父さん。それと、この前僕の意見を応援してくれて嬉しかった。じゃ、仕事頑張って」

『……ああ』

 

 その言葉への返事が聞こえるか否かで電話が切れる。だが、シンジはそれでも良かった。あの父が少しでも自分へ意識を向けてくれた。その事を噛み締め、シンジは受話器を置いた。

 

(でも、さっきの電話、最後いきなり音が途切れたような……?)

 

 そう思うも気にする事でもないかと思い、シンジは少しだけ上機嫌に電話ボックスを出る。あの日、最初の使徒との戦いの後ミサトに言われた言葉。それを聞いてから彼は変わり出した。逃げるために逃げない事。その前向きで後ろ向きな考え方は、ゆっくりと少年に余裕と楽観さを育みつつある。今回の父親との短いながらも意味のあった会話もそれだ。

 

「逃げちゃダメだ。でも、逃げないのもダメかもしれない」

 

 目の前の事から逃げちゃダメだが、それを行うためには最後の嫌な事から逃げなきゃダメなのだ。そこでシンジはふと思う。きっとこれをみんなやっているのだと。ただ、目の前から逃げるのか最後から逃げるのかで、その生き方が変わるのだろうとそう思い苦笑。

 

「僕は、もしかしたら逆になってたかもしれないな」

 

 あの日、エヴァに乗る事を嫌がって逃げたら。きっと今の自分も周囲もないのだろう。そんな有り得ない事を思いつつ、シンジは歩く。その耳に遠くの方から選挙カーの声が聞こえてくるのだった。今、この第3新東京市は市議選の真っ只中であった。それも、本質的には意味がないのだが。

 

「うるさいなぁ。余計気温を熱く感じるよ」

 

 うんざりしながらシンジは行く。目指すはネルフ本部。今日こそプールで遊ぶのだと、そうアスカが意気込んでいるのだ。そのためにミサトだけでなくリツコへも手を回し、一時間だけではあるがプールを貸切で使わせてもらえる事になっていた。

 

「そうだ。何か飲み物でも買って行こう」

 

 途中で見かけた自販機へ近寄り、シンジはとりあえず硬貨を投入する。が……。

 

「あれ?」

 

 そのままお釣り返却口へ出て来てしまったのだ。ならばともう一度やるも結果は同じ。別の物に変えてもそれは変化せず、シンジは首を傾げて歩き出す。そしてまた別の自販機を見つけ硬貨を投入。それも返却された。

 

「……変だ。どういう事なんだろ?」

「あっ、いたいた。シンジ~っ!」

 

 聞こえてきた声に振り向けば制服姿のアスカとレイがいた。その手には明らかに通学鞄以外の荷物がある。きっと水着やゴーグルなどが入っているのだろうと思い、シンジは苦笑。

 

「それ、わざわざ取りに行ったの?」

「と~ぜんっ! ま、本音を言えば着替えたかったけど、そんな時間も惜しかったし」

「碇君、何かジュースを買ったの?」

「それがおかしいんだ。これも、さっき別の自販機でも一枚もお金を読みとらないんだ」

 

 その言葉にアスカが不思議そうな顔をして自販機を見る。そして気付いたのだ。

 

「シンジ、これ電源落ちてるわ。ほら」

「……本当だわ。音がしてないもの」

 

 本来ならば聞こえる稼働音。それがまったくと言っていい程聞こえない。それが意味する事は一つだった。

 

「停電、かしら。でも、そんな話は聞いてないし」

「もしかして使徒の仕業?」

「ないとは言い切れない。碇君、アスカ、本部へ行きましょう」

「そうだね。行こう、アスカ」

「はいはい。ったく、もしそうならどれだけあたし達の邪魔をしてくれんだか……」

 

 こうして三人は少しだけ急ぎ目に本部を目指す。一方、その頃その本部では大人達が頭を抱えたくなっていた。

 

「ダメです。やはり予備回線に繋がりません」

「……生き残っている回線は?」

「全部で1.2%です。9回線のみとなっています」

「致し方ないか。生き残っている回線は全てMAGIとセントラルドグマの維持に回せ」

「本部内の生命維持に支障が出ますが……」

「ああ、だから致し方ないと言っている」

 

 冬月の落ち着いた、けれどはっきりとした言葉に誰も返す言葉がなかった。シゲルも他の職員達もそこで悟ったのだ。それだけその二つは失う訳にはいかないのだと。そして同じ頃、ジオフロント内の別の場所も……。

 

「ダメです。主電源ストップしたまま」

「未だに復旧しない……有り得ないわ」

「やはり発令所に向かうべきでしょうか?」

「……そうね。少なくてもここにいるよりは現状を把握出来るでしょう」

 

 マヤへそう返してリツコは小さくため息を吐いた。分かっているのだ。今の状況が何を意味するのかを。

 

(完全独立出来るよう作られたこのジオフロントで大規模な停電が起きるだけでもおかしいのに、それが復旧しないという事は人為的な方法しか有り得ない事態。……シンジ君達には知られたくないわね)

 

 自分達の敵が使徒だけではない。守っているはずの人間の中にもいる。こんな事を少年少女へ知られたくないし知らせる訳にはいかない。そうリツコは思った。同じ事を彼女の友人も思っていると知らずに。

 

「正・副・予備……三つもの電源があって同時に全て落ちる。どう考えても人の手によるものよ」

「成程な。これはシンジ君達にはきつい話になるぞ」

「させないわよ。いえ、少なくともあの子達には人の悪意を受け止めろなんて言えない。これは大人の話よ。そこへ子供達を引っ張り込むなんて出来るもんですか」

 

 ミサトの言葉に加持も同意するように頷く。そこに関しては彼も否定しない。だが、一方でこうも思っている。ネルフに関わっている以上、多かれ少なかれ大人の汚い部分へ触れる事になるだろうと。今、この二人がいるのはネルフ内のエレベーター。完全に密室状態となっている。どうにか脱出の方法をと思えない程、二人の置かれた状況は厳しかったのだ。

 

(分かってはいたが、こう反応されるとこっちも無傷とはいかないな。ままならんもんだ)

 

 真剣な表情で考え込むミサトをチラリと見やり、加持はそんな事を思って頭を掻いた。そして、ぽつりと呟く。

 

―――こんな時に使徒が出ないといいんだが……。

 

 まるでそれが呼び水となったかのように、その直後地上では戦自が騒ぎ出していた。

 

「索敵レーダーに正体不明の反応あり。予想上陸地点は旧熱海方面と思われます」

「……奴らか」

「ああ、使徒だろう。おそらく狙いはまたエヴァだ」

「あの紫が出るんだろうな。もしくは赤か青か」

「どれでもいい。我々の出る幕はないだろう。それでも警戒シフトにはせねばならんがね」

 

 司令官同士がどこか軽い雰囲気のまま話しているのは、これまでの初号機による圧倒的戦果があるからだ。初戦二戦目と立て続けに瞬殺。三戦目は苦戦するも民間への被害はゼロにする結果。四戦目などはN2以上の威力を持つ武器を使い使徒を足止めし、再戦では見事に撃破。これだけの結果を全て五分以内で成し遂げているのだ。既に戦自内にも、どんな使徒が現れても初号機ならば大丈夫と言った楽観的意見が出始めているぐらいだ。

 

「使徒、上陸しました。依然進行中」

「向こうはどうしている?」

「沈黙を守っています」

「……ネルフはまた自陣へ招き入れるつもりか?」

 

 そこで司令官の一人が小さな違和感を覚える。前回の戦闘は迎撃に出た。その理由を少なからず知っているのだろう。思わず同僚へこう告げた。

 

「迎撃用の設備は修復が完了したと聞いている。何も動きを見せないのは妙だ」

「では一体……?」

 

 そこで部下の一人が二人へある連絡を繋いだ。それは統幕会議という幕僚達による会議の決定。その内容を聞いて二人の司令官はネルフの無反応の背景を悟った。それは使徒迎撃に関して現場の判断に一任するというもの。ネルフは事情があり即座の迎撃は不可能という内容だったのだ。それを聞いて佐官クラスに当たる者が背景を分からぬはずはない。

 

「そういう事か……」

「まったくタイミングの悪い! 使徒は来ているんだぞっ! あのエヴァも動けない今、どうやって奴を倒す!」

「電源車を送るか……? いや、もう今更間に合わん。せめて使徒が来ている事ぐらいは知らせる事は出来ないものか……」

 

 今、二人の思考はどうやってネルフを、もっと言えばエヴァを動かすかだった。認めたくないが対使徒に関しては初号機が一番確実且つ適任と彼らも分かっている。故に被害や損害を考えるのなら、自分達ではなくエヴァを頼るのが効率が良いとも。

 

「……航空機を使うか。おそらく向こうも外部との連絡を取る手段を模索しているはずだ。その相手にでも届けば可能性はある」

「我々が出来る事はそれぐらいか」

「いや、大事な事があるだろう」

「何?」

「市民の避難誘導だ。ネルフへの連絡はそのついでに過ぎん。そうでもしないと上も納得せんだろうしな」

 

 どこか苦笑いを浮かべながらそう告げる男に、同僚もため息を吐きながら頷く。現場で初号機の力を見てきたからこそ彼らは分かっているのだ。使徒の恐ろしさと、それを上回る初号機の頼もしさを。ここにもシンジとF型による影響が現れていた。その圧倒的な強さを見せる事と、被害を最小限に抑える事。この二つを目の当たりにしている事で、戦自内にもエヴァへ一目置く者達が出始めているのだ。今はまだ小さな揺らぎではあるが、これが後々に大きな波紋を起こす事になる。

 

 

 

「ダメ、動かない」

「やっぱり街全体で電気が止まってるのよ」

 

 本部へのゲート前でシンジ達は立ち往生していた。全てが電気ありきで作られた科学の要塞は、その根幹を絶たれれば不便さの塊と化す。

 

「連絡は?」

「シンジ、どう?」

「……ダメだ。そっちもつながら」

 

 その瞬間、シンジは思い出した。ゲンドウとの通話の最後の切れ方を。まるで突然切れたようなその瞬間こそが、この異常事態の始まりだったのではないか。そう思ったシンジはアスカとレイへ真剣な表情を向けた。

 

「アスカ、綾波、多分だけどこれは偶然じゃない」

「は?」

「どういう事?」

「実は、二人に会う少し前に父さんへ電話したんだ。そしたら、最後まるで回線が切れたみたいに通話が終ったんだよ」

 

 電気と電話回線。その両方が同時に使えなくなる。それが偶然起きたと思える程三人は子供ではなかった。だが、幸運だったのは彼らがある意味で大人ではなかった事だろう。いや、正確にはシンジとレイがだろうが。

 

「やっぱり使徒の仕業?」

「そう考えるべきじゃないかな。急いでエヴァに乗らないと。どこかに秘密の入口でもあればいいのに……」

 

 シンジのその言葉で少女二人が何かに気付いたように顔を見合わせる。

 

「レイ、緊急時マニュアル持ってる?」

「持ってはないわ。でも、ある程度なら分かる」

「でかした! シンジ、行くわよ。レイ、道案内頼めるわよね?」

「ええ」

 

 二人の会話が理解出来ないシンジではあったが、これだけはすぐに分かった。それはこの二人に任せれば何とかなりそうだと言う事。

 

「よし、急ごう」

「こっちの第7ルートから下に入れるわ」

「って、いきなり力仕事か。シンジ、やるわよ」

「うん。綾波はアスカと一緒に」

「分かった」

 

 三人で手動ドアを開け、少年達は光無き道へ足を踏み入れる。その闇の中を抜けてエヴァへと向かうために。こうして三人が暗闇を進み始めた頃、発令所では大人達が彼らに聞かせられない話をしていた。

 

「復旧ルートから本部構造を把握、ですか」

「そうだ。誰がやったか分からないがそれが今回の目的だろう」

 

 そのゲンドウの言葉に冬月が呆れ果てたような声を出した。

 

「馬鹿な奴らだ。今は人間同士で争っている場合ではなかろうに」

「MAGIにダミープログラムを走らせます。全体の把握だけでも困難になるはずです」

「……頼む」

 

 ゲンドウの答えに頷き、リツコは作業を開始する。その姿を眺めながらゲンドウと冬月は小声で会話する。

 

「初めての本部への被害が人間によるものとはな……やるせない話だ」

「人を人たらしめるのは考える事だ。だからこうなる」

「……人の天敵は人という訳か」

 

 その返しにゲンドウは何も言わず、ただ無表情を浮かべるのみ。未だに電源の復旧はされず、使徒の接近さえネルフの者達は知らない。三人の少年達は接近を知らずとも結果としてその襲来へ備えて動いている。人と戦う大人達と使徒と戦う子供達。その目指す先は、本当に同じなのだろうか。静かな闇の中で光は見えず、それでも足掻くのが人間だ。そうシンジやミサトは言うだろう。では、きっと彼もそういう意味では同じ意見のはずだ。ただ、その目が未来ではなく過去を見ているだけで。だからこそ思い出したのだ。シンジのこのところの姿と今日の電話でのやり取りに、愛して止まない女性の事を重ねて。

 

(似てきたかもしれない。シンジはユイに……)

 

 妻を失った男と母を失った少年。その歪んでしまった親子関係がゆっくりと変わっているのかもしれない。陰気な印象を与えるゲンドウを照らした光。それと近い輝きを放ち出したシンジによって。それは皮肉にもゲンドウが奪ってしまった光。母親譲りのそれを、少年は周囲の大人達と近しい友人達によって取り戻しているのだ。闇の中から現れる光。それは、本来あったはずの輝き。母から子へ受け継がれたはずのそれが、今奪った父を照らし始める。それでも、まだその効果は出ているとは言い辛い。だが、きっと無駄ではないだろう。現に、この親子を隔てる壁はほんの少しだけ厚みを減らしているのだから。

 

 

 

「いつもならすぐなのに……」

「これが俗にいう便利さの欠点ってやつね」

「ああ、慣れちゃうとそれがなくなるだけで困るっていう」

「そ。ま、仕方ない部分でもあるのよ。人間って楽しようとして色んなもんを作ってきた訳だし」

 

 暗闇の中を歩くシンジ達。と、その時レイが無言で振り返って口に指を当てた。それにシンジとアスカが口を噤む。そして聞こえてきたのはスピーカー越しのマコトの声。使徒が接近している事を叫んでいる。それを聞いて三人は顔を見合わせた。

 

「間違ってなかったわね」

「使徒もこんな事が出来る奴が出てくるなんて」

「エヴァを動かせないようにしたと考えれば筋は通るわ」

 

 そこで頷き合って三人は再び動き出す。だが、今までが歩きなら今度は駆け足だ。レイは無言で進み、その後をシンジとアスカが何も言わずついて行く。やがてその道が歩いていけないものへと変わる。それでも文句も疑問を言わず二人はレイを追う。

 

「レイ、この道で合ってるんでしょうね?」

「ええ。近道してるから」

「そんなのあるんだ」

 

 通気ダクトを通り、進んでいく三人。と、そこでふとシンジはある事を思った。

 

「アスカ、綾波でもいいや。教えて欲しいんだけど、どうして使徒って呼ぶのさ?」

「「え?」」

「だって、使徒って神様の使いって意味だよ。普通敵の名称にしないんじゃない?」

 

 その指摘にアスカとレイは顔を見合わせ小さく笑う。それにシンジは少しだけ疑問符を浮かべた。どうして笑うのかが分からなかったからだ。

 

「ホント、あんたって変なとこに気付くのね」

「ええ。あまりにも身近すぎて気付かないところに」

「えっと……」

「理由は知らない。けど、今のあんたが言った言葉にヒントがあるんじゃない?」

「ええっと、神様の使い?」

「多分そう。碇君、邪神でも神は神。なら、人に害を為す相手を送り込むなら神の使者でも敵」

「……成程ね」

 

 正体不明だからこそ邪神の使いと考え使徒と名付けたのか。そう理解しシンジも頷いた。そうやって進んでいると分かれ道となる。左右に分岐していて、どちらかが正解だろうと思われた。

 

「綾波、どっち?」

「多分……左」

「なら左に行きましょ。今は時間が惜しいから」

 

 即断即決。アスカらしい思考である。何よりも使徒が迫っているのなら、ここにいる誰かは必ずエヴァに辿り着かなければならない。かといって分散は迷子になる可能性がある。レイが居る方は大丈夫かもしれないが、いない方は危険だからだ。

 

 こうしてパイロット達が着実に本部へ近付く中、マコトから使徒接近の報を受けたゲンドウ達はエヴァの発進準備へ取り掛かっていた。当然だが、人力を使った手動である。一応緊急時用のディーゼル動力があるが、普段の作業とは比べ物にならない程の大仕事となっていた。

 

「停止信号プラグ、排出完了しました」

「よし、まず初号機だけでもエントリープラグ挿入準備にかかれ」

「しかし、まだパイロットが……」

 

 汗を流しながらのゲンドウへやや困った顔を浮かべる作業員だったが、そんな彼へリツコが微かに笑みを浮かべてこう言い切った。

 

―――大丈夫。シンジ君達は必ず来るわ。

 

 まるでその言葉が呼び水だったように大きな音と共にシンジ達がそこへ現れた。一番下のシンジをクッション代わりにする形でレイとアスカが座る形で。

 

「……まさか上から降ってくるとはね。まさに天の福音だわ」

「よし、エントリーの準備っ!」

「了解です。手動でハッチ開け!」

 

 シンジ達の姿を確認し、ゲンドウが声を張って周囲へ指示を出す。それを合図に再び騒がしくなるケイジ内。その様子を眺めながらシンジはリツコへ疑問を投げかけた。

 

「あの、使徒がこの状況の原因なんですか?」

「えっ? ……そう、かもしれないわね」

「何よ? いまいちハッキリしないわね」

「赤木博士、原因は分かってないんですか?」

「え、ええ。でも、そうね。たしかにタイミングが良すぎるもの。無関係とも言い切れない可能性があるわ」

 

 実際には彼女のやっていた実験が引き金になっているのでそこは教えてもいいのだろうが、だからといって三系統の電源全てをダメにするはずはないとも知っている以上、リツコはシンジの話に合わせて有耶無耶にする事を選んだ。彼女なりに子供達の心を気遣ったともいえる。

 

「で、エヴァはもう準備出来てる?」

「ええ、人の手でね。司令の発案よ」

 

 その言葉にシンジ達は汗を流しながら動き回る大人達を見た。それはシンジとレイにとっては二度目の、アスカにとっては初めての裏方の姿。だからこそシンジは思わず呟いた。

 

「これだけの人達が僕らを支えてくれてる。だから、絶対負けられないんだ」

 

 その呟きにレイは頷き、アスカは小さく笑みを浮かべた。その三人を見て、リツコが無意識に微笑んだ。

 

(本当に、真っ直ぐな目をするようになったわ。シンジ君も、レイも、アスカさえも)

 

 ミサトが本来の優しさを取り戻したように、リツコもまた静かに女性らしい慈愛を見せ始めていた。その根底にあるのはレイへの特別授業だろう。あれが彼女へ擬似的な子育てを経験させているのだ。レイの変化と触れる事で、リツコもまた影響を受けていた。

 

「さ、準備して。司令はシンジ君達が来る事を信じて汗を流していたのだから」

「僕が?」

「ええ、真っ先に初号機を優先させていたもの。貴方の頑張りを見ているんだわ」

「……父さんが」

 

 心なしか嬉しそうに言葉を呟き、噛み締めるシンジ。その横顔にレイとアスカが微かに微笑む。リツコもまた。そしてシンジ達はプラグスーツへ着替え、それぞれ出撃するためにそれぞれのエヴァへと乗り込んだ。それを支える大人達に感謝しつつ、三人は出撃許可が出るのを待った。

 

「プラグ挿入っ!」

「全機、補助電源にて起動完了!」

「第一ロックボルト外せっ!」

「2番から32番までの油圧ロックを解除」

「圧力ゼロ、状況フリー!」

「よし、各機実力で拘束具を除去! 出撃っ!」

『『『了解っ!』』』

 

 大人達の頑張り。それを受け、子供達が動き出す。その離れて行くエヴァの背を見つめながらリツコは呟く。

 

「もしかしたら、大人は子供と触れ合って初めて大人になれるのかもしれないわね」

 

 その呟きは、無事動き出したエヴァを送り出す周囲の声に搔き消されるように埋もれる。大人達の見送りを受け、三機のエヴァは通気口を通って地上へ向かう。そしてその道が横から縦になろうとした瞬間、初号機が変化した。

 

「……この上にいるって事ね」

「みたい」

「どうするの?」

 

 既に初号機の変化を一種の危機察知能力として活用しているシンジ達。横道で身を潜めながら、縦穴の上にいるであろう使徒をどう対処するかを話し合う。場所の関係上マゴロク・E・ソードは使い辛い。加えて相手を視認していない以上様子見も含めてマステマ使用が一番となった。

 

「じゃ、綾波」

「ええ、やってみる」

 

 前回の弐号機が使用出来た事もあり、ならば今回は零号機で試してみようとなった。こうして次は別の問題を話す事に。それは弐号機が見つめる先にある。

 

「さっきから流れてるアレ、絶対ヤバイ奴よね」

 

 縦穴へとめどなく流れているオレンジの液体らしきもの。それは使徒の出す強酸性の液体だった。使徒へ攻撃するにはそれを防ぐ事が必須。フィールドがどこまで通用するか分からないが、そうなればその役目を担うのは一人だった。

 

「僕がいくよ。この初号機ならきっと平気なはず」

「ん。じゃ、攻めがレイで守りをシンジ。あたしは一応ここで待機しておくわ」

 

 こうして動き出す二機のエヴァ。弐号機の見守る中、まず初号機が縦穴へ貼りつくようにして使徒の液体を食い止める。そしてあろう事かそのまま初号機は縦穴を昇り始めたのだ。使徒の流す溶解液を押し戻すように、ゆっくりとじわじわと。それに驚いたのは使徒である。このままでは自分の出した溶解液で自分が溶かされてしまう。そう思ったのだろう。溶解液を出すのを止め、その場から離れようとした。が、それこそ初号機が待っていた流れだった。

 

「行くよ綾波」

「ええ」

 

 体を横に向け、溶解液を下へ流してレイの視界を確保させるシンジ。すかさず零号機が手にしたマステマの射撃を行う。それはフィールドをあっさり貫通して使徒の息の根を止めるのだった。

 

 

 

 全てが終わり、本部の電源が復旧した後、ミサトは加持と二人でリツコから一部始終を聞いていた。

 

「へぇ、シンちゃんがそんな事をね」

「ええ、もう彼は立派にエヴァパイロットとしての自覚と誇りを持っているわ」

「そしてそんな彼に影響されてアスカ達も変わり出した、か」

「正確には私達も、かしら。そうでしょミサト」

 

 話を振られたミサトは嬉しそうに笑みを見せ、小さく頷いた。最初は孤独にさせたくなかっただけ。それが気付けば弟のように思い出している自分がいるとミサトは分かっていた。そんな彼女の初めて見せる表情に、加持は心底見惚れた。美しい笑み。慈愛を感じさせる横顔。全てが彼の知らないミサトだった。

 

(そんな顔を隠してたのか……。いや、するようになったんだな、葛城)

 

 あの頃よりも歳を重ね、お互いに良くも悪くも変わった。その一例を加持はそこから強く感じ取った。と、そこでミサトが自分に見惚れている加持に気付いた。だからだろうか。先程までの慈愛がそうさせたのかもしれない。

 

「加持君、惚けているわよ?」

 

 少しだけからかうように、だけどそこにほんの少しだけ好意を込めて告げたのだ。

 

「……本気で惚れ直していた。綺麗だよ、本当に」

「っ!?」

 

 真剣な眼差しと声。それがミサトの中にあった在りし日の想いと熱を呼び覚ます。そのまま見つめ合う二人に気付かれぬよう、リツコはため息を吐いた。

 

―――おかしいわね。もう空調は直ったはずなのに……。

 

 そう呟く彼女の顔は、どこか嬉しそうでどこか羨ましそうでもあった。

 

 同じ頃、シンジ達は街を見渡せる場所にいた。ゆっくり明かりが戻って行く様を眺めて、ぽつりとシンジが告げる。

 

「光がない方が星は綺麗に見えるけど、この光があるから星は綺麗だって思えるんだろうな」

「何それ。哲学? あんたらしくないわね」

「かもね。でも、星を綺麗なんて思うのは人間だけだと思うから」

「ま、そうでしょうね。星座も神話も人が作り出したもんだし。あと、あたしは星が見えなくてもこうやって明るい方が好きだわ。落ち着くもの」

「明かりがないと落ち着かない。それは、人が闇を恐れ、光を求めているから」

「闇を恐れ光を求める……」

 

 レイの言葉にシンジは何か思い当ったかのように空を見上げた。その空は先程までと違って星が良く見えない。と、その時そっとシンジの手に触れる物が合った。

 

「綾波?」

 

 レイが隣に立ち手を重ねていたのだ。その温もりがシンジには懐かしく思えた。彼女もシンジのように空を見上げたまま口を開く。

 

「きっと最初に星を綺麗と言った人は、誰かと一緒に見たからそう言った気がする」

 

 すると、もう一方の手にも何かが触れた。

 

「アスカ?」

 

 アスカも手こそ重ねていないが、レイと同じくシンジの隣に立っていた。彼女も空を見上げ、どこか笑みを浮かべていた。

 

「もしくは、暗闇の中でやっと見つけた光だったからじゃない? 例えどんなにちっぽけな輝きでも、その人にとっては何よりも明るいものだったのよ」

 

 二人の少女が告げる言葉に、シンジは目を閉じもう一度空を見上げた。夜の闇の中で見えた星空は、心なしかさっき見上げた時よりも綺麗で明るい気がした……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十一話「静止した闇の中でも」完



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第十二話 奇跡の価値は

本来であればここがエヴァ三機による本格的戦闘回。ですが、既にそれはイスラフェルでやっている今作。なので、ここはこうなります。


 モノクロの記憶。セピア色の世界。ミサトはそんな中で忘れる事の出来ない背中を見る。

 

―――お父さん?

 

 十五年前の記憶。セカンドインパクト。南極。様々な単語と情報がミサトの中で浮かんで消えそして……。

 

「…………夢、か」

 

 悪夢ではないが良い夢でもない。もう二度と会う事の出来ない肉親との、最期の別れ。それを悪夢などと思いたくないのだ。そう考えてミサトは大きくため息を吐いた。

 

「シンジ君には、こんな経験をさせたくないわね」

 

 そこでミサトは何かの音に気付いて視線を窓へ向ける。外は雨が降っていた。その音を聞きながらミサトはふと何かに気付いて手を動かす。

 

「涙、か……」

 

 それが自分の父への想いの証な気がして、ミサトは小さく苦笑する。出来る事なら生きている内に見せてあげたかったと、そう思って……。

 

 

 

 降りしきる雨の中、シンジはケンスケとトウジを連れ家へと入った。突然の雨で濡れてしまった友人二人を雨宿りさせるためである。実は、二人をミサトの部屋へ連れて来るのは今回が初めてだった。

 

「へぇ、親父さんの仕事の影響で居候かぁ」

「親父さんと一緒に暮らせんのか?」

「その、忙しいから僕がいても面倒を見るのが難しいらしくて。だからそこの部下の人が面倒みてくれてるんだ」

 

 二人へ頭を拭くためのタオルを渡し、シンジは簡単に自身の現状を説明していた。ネルフの事は機密扱いのため、父親の仕事の都合で引っ越したものの、その仕事が忙しく家に帰る事も出来ないために、それを見かねた職場の部下の一人が保護者役を買って出てくれたと、事実を基にした言い訳を話したところだった。

 

「苦労してんだな、碇も」

「せやなぁ。それでいて毎日綾波の分まで弁当作るんやから」

「あー、でもそれも近い内に終わると思うよ?」

「「は?」」

 

 人情話に弱いトウジは少しだけ噛み締めるように告げた内容。それにシンジがどこか照れくさそうに返した言葉が、ケンスケとトウジに疑問符を浮かばせた。実はシンジやヒカリの努力もあり、レイとアスカの家事能力は向上の一途を辿っていた。そして、遂にレイが簡単なお弁当を作り上げたのだ。アスカも似た事が出来るようになってきた事もあり、シンジは少女達にある事を言われていた。

 

―――もうお弁当はいい?

―――ええ、自分の分は作れるようになったから。

―――ま、ここでシンジに甘え続けたら意味ないんだって。

 

 それが今日の出来事。だが、シンジはそれを聞いて感心する二人へ言えない内容を思い出していた。

 

―――それで、良かったら今後は私が碇君の分も作りたい。

―――え?

―――そうそう。で、あたしも作ってあげるわ。

―――は?

―――つまり、私達三人でローテーション。

―――まずレイが、次にあたし、最後にシンジ。これで三人分作って批評してもらうのよ。

―――お弁当、一人分だと作り辛いから。

 

 そう、実はシンジがレイの分の弁当を作るだけの日々は終わりを告げる。代わりに美少女二人の手作り弁当を食べさせてもらえる上、今後は屋上やその扉前での昼食にアスカまで加わる事になったのだ。こんな話をすれば確実に吊るし上げを喰らうと分かっているシンジは、肝心な部分を胸に秘めておく事にしたのだ。

 

(嘘は、言ってないよね?)

 

 毎日レイの分の弁当を作るのはもう終わり。それは事実なのだ。ただしが付くだけで。シンジも年頃。しかも相手は超を付けていい美少女二人。そんな彼女達と共に昼を過ごせるなど、邪魔されたくないし冷やかされたくないのだ。こうして頭を拭いて服も多少乾かした二人は傘を借りて帰路に着いた。それを見送ってシンジがドアを閉めるのを合図にしたかのように、別の場所のドアが開く。振り向けばそこに制服姿のミサトがいた。

 

「ミサトさん……」

「おかえりシンちゃん。誰か来てたみたいだけど?」

「えっと、学校の友達です。雨宿りさせてたんで」

「そう。分かってると思うけど……」

「はい、ネルフの事もエヴァの事も話してないです」

「よろしい。……ごめんね、シンちゃん。隠し事させちゃって」

 

 申し訳なさそうなミサトにシンジは少しだけ明るい声を返した。

 

「いいんです。こういう事は、知らないままで終わるならそれが一番いいって、そう加持さんが言ってましたし」

「……あいつが、ね」

 

 その、らしい言い方を思い出してミサトは微かに好ましく感じて笑みを浮かべる。その顔にシンジは少しだけ首を傾げた。加持の名を出してミサトがそんな好意的な反応を見せるのは、彼の前ではこれが初めてだったのだから。

 

「それよりもミサトさん、今から出勤ですか?」

「ん。あっ、そうそう。今夜はハーモニクスのテストあるの覚えてるわね? 遅れないで来て頂戴」

「はい、アスカや綾波と一緒に行きます」

「よろしくね。っと、そうだった。シンちゃん、これ見て?」

 

 そう言ってミサトが見せたのは階級章。これまでの事が評価され、この度ミサトは一尉から三佐へ昇進したのだ。生憎シンジは階級章の判別など出来ないが、それが何を意味するかは知っていたので良い事があったのだろうと予測。なので反応としてはこうなった。

 

「おめでとうございます。えっと、昇進したんですよね?」

「そうなのよ。これもシンちゃん達のおかげだから。私こそありがとうだわ」

「そんな……ミサトさん達がいないと僕らは戦う事さえ出来ないんですから」

「ふふ、じゃああたし達はシンジ君達がいないと生き残る事が出来ないの。ま、近い内に昇進祝いでパーッとやりましょ? レイやアスカ、リツコなんかも誘ってね」

「はいっ!」

 

 そう笑顔で話すミサトにシンジも笑顔を返す。その様は、出会った当初よりも自然な感じで姉弟のように見えた。シンジに見送られ、ミサトは部屋を出る。雨の降る音を聞きながら歩き、ふと彼女は足を止めた。

 

「……あいつも呼んでやるか」

 

 脳裏に浮かぶは煙草を吹かす気障な男。だけど、それに対してミサトは以前程の悪感情を抱いてはいなかった。あの日、リツコが咳払いをするまで見つめ合った夜以来、ミサトの中で加持への気持ちは嫌いから反転しつつあったのだ。誰かが言った。好きの反対は嫌いではなく無関心。では、嫌いの反対は? ここが人間の心の不思議なのだ。

 

 そうして迎えた夜。シンジ達三人はリツコ達の見守る中、ハーモニクステストを行っていた。そこでリツコ達は軽い驚きを見せていた。

 

「凄い……こんな事って」

「有り得ない、程ではないけれど珍しいのは事実かしら」

「ファースト、セカンド、サード、共に数値安定。こんな事もあるんですね」

 

 何とハーモニクス数値が同じなのだ。これまで訓練していたアスカやレイはともかく、シンジもそれと肩を並べる。それが意味する事をリツコは悲しそうな表情で呟いた。

 

「こんな才能、あの子達はいらないでしょうに」

「先輩……」

「使徒との戦いが終れば何の意味もないものよ? それを今、私達は褒めて伸ばそうとしないといけない。嫌になるわね」

「……はい」

 

 リツコの噛み締めるような言葉とその裏に秘めた思い。それにマヤだけでなく他の職員達も黙った。エヴァの才能。それは非常時しか意味を成さないもの。そんなものを必要とする世の中は間違っている。そうリツコは感じていたのだ。非常の才は目覚める事がない方が幸せだ。そんな声がどこから聞こえてきそうな程、リツコが心を痛めている事が伝わるのだろう。マヤはリツコに代わり三人へテスト終了を告げた。

 

「三人共、お疲れ様。これでテストは終了だから」

『あ~、やっと帰れるわね』

『今日は簡単に和風お月見パスタでいい?』

『いいわね。シンジはどうする? 何だったら食べてってもいいけど?』

『えっと……あっ、そうだ。リツコさん達は知ってるんですよね? ミサトさんの昇進』

「ええ、知ってるけど?」

「三佐になられたんですよね。これまでの事を考えると少し遅いぐらいですけど……」

 

 シンジの言葉でリツコとマヤは顔を見合わせて話し出す。辞令自体はとうに発表されていたからだ。と、そんなマヤの言葉にリツコが丁度いいかと思って笑みを浮かべた。

 

「昇進話自体はヤシマ作戦直後から上がっていたの。でも、ミサトが今まで固辞してきたのよ」

『『『「固辞?」』』』

「そう。これまでの手柄は自分の力じゃない。全てシンジ君達とマヤ達スタッフのおかげだとね」

 

 そのどこか微笑ましく思う声にシンジ達も気付いた。きっとそれはミサトだけでなくリツコも思っているのだろうと。だからシンジも笑みを浮かべて頷き告げる。

 

「今日ミサトさんと話をした時、そんなような事を言われました。僕らはミサトさん達がいないと戦えない。そう言ったらミサトさんは僕らがいないと生き残ってないって」

『そう。ミサトが、ね』

「それで、近い内に昇進祝いでみんなでパーッとやりたいって言ってました」

『それで思い出したのね。ミサトの昇進祝いをやれるなら今夜やろうかって?』

「うん」

 

 こうして話がまとまり、ミサトの家で焼き肉などをする事になった。買い出しをレイとリツコが担当し、調理をアスカとマヤがやる事に。シゲルやマコトは残念ながら既に帰宅していたため誘えずじまい。そしてシンジは同居人なので後片付けを担当する事で話は決まった。今、彼はそれをミサトへ伝えているところだった。

 

「まっさか話をした当日とはねぇ」

「迷惑、でした?」

「ううん、そうじゃないの。そうじゃないんだけどね……」

 

 ミサトの脳裏に加持の顔が浮かぶ。結局昇進祝いの事を話す事が出来ず、誘えていなかったのだ。まるで大学時代の自分へ戻ったような気がして、ミサトは恥ずかしそうに頬を掻いた。その動きの意味が分からずシンジは小首を傾げる。この後、ミサトはシンジを連れて家へ向かう。と、部屋に入った瞬間真っ赤な薔薇の花束が差し出された。

 

「……何であんたがここにいるのよ?」

 

 それを差し出した男性―――加持へミサトは微かに頬を赤めながら悪態を吐く。が、もう慣れたもの。加持は平然とその花束をミサトへ握らせあっさり種明かし。

 

「アスカが教えてくれたのさ。で、俺としても今日の葛城の変調の理由が理解出来たって訳」

「そ。シンちゃん、先に上がって」

「あ、はい」

 

 ミサトと加持を置いてリビングへと向かうシンジ。その背を見送り、ミサトは花束を見つめた。

 

「まぁ、花に罪はないからもらってあげるわ」

「そりゃどうも」

 

 そのまま靴を脱いで加持の横を通り過ぎようとした瞬間、ミサトの体が抱き寄せられる。

 

「ちょ……」

「それは俺の気持ちさ。偽りなしの、な」

「…………相変わらずキザね」

「嫌いか?」

「嫌いだったわ。ちょっち前までは、ね」

 

 その返しと表情に加持が軽く驚きを見せる。その隙を逃さずミサトは彼の手から逃れリビングへと歩き出した。その残り香に加持は何とも言えない風に頭を掻いた。

 

(手強いなぁ。昔は俺の方が完全に翻弄出来たんだが……)

 

 そう思いつつ、その顔は嬉しそうに笑っていた。そうして程なくしてリビングからは賑やかな声と音が聞こえ始める。ホットプレートには所せましと肉や野菜が置かれ、食欲をそそる匂いを放っている。更にお好み焼きの素まで用意されていた。それはレイが自分用も兼ねて買ったもの。チーズトロロ焼きが彼女の好みなのだ。

 

「さ、みんな気にせずじゃんじゃん食べてね」

「と言っても、お金を払ったのはリツコだけどね」

「いいのよ。後できっちり請求しておくわ」

「あの、このビール代も?」

「そっちは俺からの祝いだ。気にしないでくれ」

「な、何か私がいてもいいんでしょうか?」

「マヤさんは気にする必要ないですよ。本当ならもっと誘うはずだったんですし」

「碇君、それ焼けてる」

 

 大人四人と子供三人の大所帯。当然肉や野菜なども足りるはずもなく、すぐさまお好み焼きや焼きそばなどが始まる。ソースの焦げる匂いにビールを飲み干す大人達。子供三人は純粋にその香りで食欲を刺激されていく。あれよあれよと減っていく食べ物とアルコール。そして、そうなってくれば当然待っているのは……。

 

「あたしはね、こんなもんいらないのよ! ただ、シンちゃん達が無事で帰ってきてくれれば……」

「ですよね! 分かります! 私もいつも願ってるんです。シンジ君達が無事に帰ってきてくれますようにって」

「おい、葛城。そろそろ飲み過ぎだ」

「マヤもよ。まさかここまで酔うなんて……」

 

 赤ら顔で語り合うミサトとマヤ。今や発令所で一、二を争う母性の女性は酔いも手伝い本音をぶちまけていた。加持とリツコは二人程酔っていないが、それでも少し顔が赤い。そんな四人を眺めてシンジ達は残ったお好み焼きを食べていた。

 

「大人ってやぁね。酔っぱらうと手が付けられない」

「でも楽しそうだわ」

「うん。いつか僕らもああやってお酒を飲めるかな?」

 

 その何気ない一言にアスカとレイがシンジを見た。

 

「何? シンジはお酒飲みたいの?」

「え? う、うん。出来ればだけど」

「そう。じゃあ、約束」

「約束?」

「いいわね。二十歳になったらこの三人でお酒を飲みましょ。再会を祝うのか、あるいは単純に成人を祝うのか。はたまた別の何かがあるのか知らないけど」

「……うん、そうだね。約束しよう」

 

 そうしてシンジが言うと、レイとアスカが揃って小指を差し出した。その理由を悟り、シンジは少しだけ驚きながらも、照れくさそうに二つの小指へ両手を差し出し自分の小指を絡める。

 

「「「指切りげんまん。嘘吐いたら針千本の~ます。指切った」」」

 

 誰かがその様子を見ていればこう言っただろう。酒でも飲んだのかいと。それぐらい三人の顔は赤みを帯びていた。濃淡の差こそあれ、三人はそれぞれに顔を赤くしていた。きっと漂うアルコールの匂いにやられたのだろう。そう思う事でシンジもアスカもレイも納得していた。だけれど、三人は小指を離した後互いに背を向け合い自分達の胸へ手を当てた。

 

(((心臓がドキドキしてる……)))

 

 チラリとシンジへ視線を向けるアスカとレイ。そのシンジは自分の両手にある二本の小指を見つめていた。その様子をニヤニヤと眺めている者達がいる。先程とは打って変わって大人達が子供達を眺めていたのだ。

 

「あらあら、青春してるわね」

「シンちゃん、肝心なとこで鈍いんだからぁ。その気になればアスカかレイをものに出来るってのに……」

「いや、そんな子じゃないからこそあの二人も惹かれるんだろうさ。シンジ君には強引な時はあっても無理矢理はない。強引なのと無理矢理は似て非なるもんだ」

「あー、分かります。漫画とかでも、逃げ場を無くしてキスするのより抱き寄せてからキスする方がキュンキュンします」

 

 そのマヤの言葉に三人が揃って視線を彼女へ向けた。マヤはどこかうっとりした顔でシンジ達を見つめていた。それはさながら少女漫画の世界へどっぷり浸るような雰囲気。邪魔するのも野暮か。そう判断して三人は視線を互いへ向けた。

 

「彼女、今いくつだ?」

「加持君、女性に年齢の話はタブーよ?」

「ま、気持ちは分かるけどね。未だに少女趣味が抜け切らないのか……」

 

 ひそひそと話しながらチラリとマヤを見やる三人。それはまさにかつての大学時代さながらだった。そうして楽しい時間は終わりを迎える。赤ら顔でリツコとマヤを送ると言い残し加持は去り、念のためアスカとレイは空き部屋を臨時の客間として使う事で残り、ミサトは上機嫌で風呂へと向かった。今、シンジはアスカとレイの三人で後片付けの真っ最中だった。それは彼らにあの共同生活を思い出させるには十分な状況と言える。

 

「そういえば、今日発令所行った時司令も副司令もいなかったわね」

「うん、父さん達は南極へ行ってるんだ」

「南極?」

「どうして碇君がそれを?」

 

 二人の不思議そうな表情にシンジは少しだけ照れくさそうに携帯を取り出した。そしてメール画面を開いて一通のメールを展開して見せた。

 

―――南極へ行く。しばらく返信は出来ない。

 

 見る人が見れば素っ気無いと呆れるだろうが、シンジにとっては大事なメール。既に保護をかけ間違っても削除しないようになっているのがその証拠。アスカとレイはその文面を見て少しだけ苦笑した。

 

「へぇ、連絡取り合うようになったんだ」

「うん。といっても、僕が一方的に送るだけに近いけど」

「返事はないの?」

「たまにあるかな。ま、あっても今のみたいに短文かほとんど一言だけどね」

 

 そう言ってシンジは携帯をしまう。その雰囲気は二人が初めて見る程嬉しそうなもの。だからアスカは呆れつつもどこか理解するように、レイは微笑ましく、それぞれ笑みを浮かべて彼を見つめるのだった。

 

 その後シンジ達が眠りに就き、朝日を迎えようとしている頃、メールを送ったゲンドウ達は極寒の地に佇んでいた。

 

「あの日以来、全ての生物を拒む死の世界。地獄と表現しても差し支えない場所。それがこの南極か」

「だが、それでも我々は立っている。こうして生きたままな」

「科学と言う名の盾があるからな」

「剣にもなる」

「だから、その使い方を誤ってあの悲劇は起きた」

 

 その冬月の言葉にゲンドウは返す言葉を発さない。噛み締めているのか、それとも取り合うつもりがないのか。どちらにせよ冬月にとってはあまり愉快な反応ではない。

 

「結果を見ろ。与えられた罰として、これが適切か? 冗談ではない」

「……原罪の汚れ無き浄化された世界ではある」

「人が住めない事が、生命を拒絶する事が浄化だと? ならばこの星そのものの在り方を否定するぞ」

 

 厳しくもはっきりとした言葉がゲンドウへ響く。と、その時聞こえてくる叫びがあった。

 

―――ネルフ本部より入電! インド洋上空、衛星軌道上に使徒発見っ!

 

 

 

 眠い目を擦りながらマコト達は慌ただしく現れたミサト達へ報告を始める。

 

「つい先程突然現れました。じきにモニタへ出します」

「第6サーチ、衛星軌道上へ。接触まで後二分」

「目標を映像で捕捉っ!」

 

 そこに映し出されたのは、巨大な目のようなものから三本指の手が生えているような使徒の姿。その使徒はまるで自身の分身を爆雷のように落下させ、太平洋へと衝突させる。その威力は凄まじく、一瞬ではあるが海が抉れた様がはっきり見えた程だ。

 

「……っ!? 衛星を離脱させて!」

「え?」

「急いでっ!」

 

 ミサトの切羽詰まった声でオペレーター達が忙しく動き出す。迫り来る使徒から逃げるようにサーチ衛星は離れた。その様子を見てリツコも気付いた。

 

「警戒?」

「こっちの目を減らす訳にはいかないわ。それに、ATフィールドが単なる防御だけのものじゃないのはこれまで初号機が見せてくれたもの」

「そういえば風除けに使っていたわね」

「それだけではありません。前回は溶解液を受け流す役割も果たしていたそうです」

 

 シゲルの言葉にミサトは無言で頷いた。つまり、ATフィールドは質量を持っている。それを展開したまま迫ればどうなるか。それを考えればミサトの判断は正しかった。

 

「……また厄介な相手に変わりはないという事ね。それで、初弾は太平洋へ、二時間後の第二射はそこ。見ての通り誤差を修正しているわ」

「学習してる、ってとこか」

「第五使徒が初号機の排除を狙ったように、使徒もただ現れているだけじゃないって事よ。今回は宇宙空間からの攻撃だもの」

「……それで、使徒の現在位置は?」

「不明です」

 

 その簡潔な答えにミサトとリツコだけでなく、その場の全員が察していた。

 

「本命はここ、か」

「次は本体ごと来るわね」

「司令へは連絡が付きません。おそらく使徒によるジャミングかと」

「MAGIは何て言っているの?」

「全会一致で撤退を推奨しています」

 

 やや顔色が悪いマヤがリツコへ視線を向ける。それにリツコは頷いてミサトへ視線を向けた。司令と副司令へ連絡が取れない以上、現状での最高責任者はミサトとなる。つまり、彼女の判断がネルフの判断となるのだ。

 

「どうするの? 現状での最高責任者はあなたよ」

「まず民間人の避難をさせて。それとシンジ君達を集めてくれる? そこでみんなの意見を聞くわ。その上で私が判断します」

「撤退しないの?」

「どこに逃げるのよ。安全な場所なんてどこにもないわ。使徒がサードインパクトを起こそうとしている限りね。ここが文字通り最後の砦よ」

 

 暗に撤退をしないと告げたミサトに周囲はどこか諦め顔。だけどもそれは負の方向ではない。分かっているのだ。ミサトが言っている言葉の意味を。彼女はどう戦うかの意見と逃げたい者を逃がすための判断をしたいのだ。無理矢理戦わせるつもりはない。だからこそパイロットの三人も集めるのだ。

 

「司令の真似?」

「ま、意識しなかったと言ったら嘘になるわ」

 

 あの第五使徒との初戦。どうするかを迷うミサトに対し、ゲンドウが見せた判断。そして告げたのは、現場で命を賭ける者の覚悟を尊重する事。ならば、今回もそれをするべきだとミサトは思ったのだ。

 

「きっと戦うと言うわ」

「だけど、それを勝手に決めつけて動くのは違うでしょ? 強引と無理矢理は似て非なるものよ」

 

 その言い方にリツコは微かに苦笑した。分かったのだ。今のが昨夜の加持の言葉だと。

 

「でも、時には無理矢理じゃないといけない時もあるかもしれないわよ?」

「その時は泣きながら頭下げるわ。ううん、まずないようにするのがあたし達の仕事か」

「……分の悪い賭けよ?」

「あら? ゼロじゃないってのは凄い事なんでしょ? なら、やってみる価値あるわ。本音を言えば、あの子達だけでも逃がしてあげたいけど、ね」

「そう、ね。本当に、碌な死に方しないわね私達。大の大人が揃いも揃って」

「ホントよ。でも、万が一の時はあの子達が私達の死を悲しまずに済む。それだけが不幸中の幸いかしら」

「本当に嫌な幸いだこと」

 

 苦笑いしながら互いを見るミサトとリツコ。信じているのだ。どこかでまたシンジ達がやってのけてくれると。子供達を当てにするしかないからこそ、そこに全幅の信頼を。大人達はみな子供達に希望と願いを込めるのだ。今よりも明日を少しでも良くしてくれと。それが人の歩みであり、流れを作り、歴史となる。だが、どこかで大人達は忘れてしまうのだ。かつて、自分達もそうやって希望と願いを込められていた事を。

 

 緊急招集をかけられシンジ達が本部へ顔を出した頃には、既にネルフスタッフは迎撃へ動き出していた。政府各省庁への通達、松代へのMAGIのバックアップ要請、先に出していた避難誘導により市民の安全は既に確保されていた。だが、スタッフは分かっていた。この使徒の襲撃を阻止しなければ避難した者達も明日がないと。そんな慌ただしくなっている空気を感じながら、シンジ達はブリーフィングルームへと足を運んだ。そしてそこで告げられた作戦内容に彼らは耳を疑った。

 

「手で……」

「使徒を……」

「受け止める、ですか?」

 

 まるで台詞割りでもしたかのような三人にミサトは小さく笑みを見せる。

 

「ええ。先に言っておくわね。今回の作戦は成功率はゼロに近い。MAGIは全会一致で撤退を推奨。それにこの作戦は作戦というより方法でしかない。まず第一に、予測地点に使徒がこなければ失敗。次に、使徒を支え切れなければ失敗。これが今回の内容よ。どう? これでもやってくれる?」

 

 包み隠さずミサトは言った。遠回しに失敗するのが当然とまで言ったのだ。ここには、ミサトなりの気持ちがある。シンジ達がこれでもやると言ってくれれば他のスタッフ達の士気が上がると。逆に少しでも迷いを見せれば覚悟不十分としてエヴァと共に撤退させようと考えていたのだ。

 

(ずるいわね。結局こうやってこの子達の優しさにつけ込もうとするんだから……)

 

 けれど、どこかでミサトも分かっていたのだ。今のシンジならこう言えばどう返すのかを。

 

「やります。例え逃げたとしても、結局いつか戦わないといけないから。それにここは、この街は僕にとって大切な思い出の街です。それは、ケンスケやトウジ、みんなにとっても同じだから」

「学校もエヴァもネルフも絆。なら、私はそれを守りたい」

「ま、揃いも揃ってバカばっかって事よ」

「シンジ君……レイ……アスカ……」

 

 笑みをミサトへ向ける三人に、彼女は思わず涙腺が緩むのを感じて慌てて目を閉じる。泣くのは全てが終わった後だ。そう自分へ言い聞かせ、ミサトは凛々しい表情で三人へ告げた。

 

「ありがとう。申し訳ないけど、貴方達へ私達全ての運命を託します。奇跡を、起こして」

 

 その最後の結びにシンジ達は力強く頷いた。こうして少年達はエヴァへ乗り込む。と、その瞬間すぐに初号機が変化した。

 

「これは……ミサトさんっ!」

『こちらでも確認したわ。シンジ君、その初号機なら』

「はいっ! どこからでも間に合わせてみせますっ!」

『よし、作戦を一部変更っ! 弐号機と零号機は打ち合わせ通り各持ち場へ! 初号機はスタート位置で待機し使徒が落下する場所が分かり次第そこへ急行っ!』

「了解っ!」

 

 そのシンジの力強い返事を聞いてリツコが微笑む。

 

「もしかしたら、とっくに私達は奇跡を引き寄せているのかもしれないわね」

「シンジ君?」

「ええ。逃げてばかりいた子が逃げないと決めた時、世界を変える奇跡が起きたのかもしれない」

「起きた? 違うわよリツコ。シンジ君は起こしたの。目の前の嫌な事から逃げないという、自分で自分の中の奇跡を、ね」

「奇跡の中身は人それぞれ……そういう事ね」

 

 その言葉にミサトが頷く。発令所が次第にピリピリとした緊張感に包まれる中、シンジ達はエヴァの中で待機していた。ただし、ヤシマ作戦時同様ギリギリまで通信は許されている。なので三人はそれで会話に興じていた。それで少しでもリラックスしようと考えていたのだ。

 

『これが終ったら、またミサトのお金で美味しい物食べさせてもらうとしますか』

「お寿司とか?」

『私、食べられないわ』

『大丈夫よ。魚だけじゃないはず。ね、シンジ』

「うん。タマゴや納豆、漬物なんかもあるはず」

『……美味しいの?』

「好きな人は多いかな。最近なんかハンバーグとか焼肉なんてのもメニューに加えてるみたい」

『へぇ、何か意外ね。そういうのはお寿司にしないと思ってたわ』

 

 実はこの会話、些細なすれ違いが発生している。アスカはカウンターのみのような高級店をイメージしているが、シンジは回転ずしをイメージしている。そのため、アスカはシンジの言葉を聞きながら高級店にもそういうものはあるんだと内心驚いていた。

 

「お客さんのニーズに応えていかないといけないからじゃない? お寿司って名前だけに囚われてたら今はもうダメなんだよ」

 

 そのシンジの返しにアスカは思わず息を呑んだ。名前だけに囚われてはダメ。それがまるでかつての自分への言葉に聞こえたのだ。そして、ニーズに応えるという表現も。周囲が望む声に耳を傾ける余裕もいる。それはまさにアスカから見たシンジに近いものがあった。

 

「? アスカ?」

『そっか。本当にあんたって抜けてるんだか抜けてないんだか……』

「えっと?」

 

 聞こえてきたアスカの独り言に首を傾げるシンジだが、そこでふと思い出す事があった。それはいつぞや聞きそびれた事。もしかしたらこれが最後かもしれない。その気持ちでシンジはアスカへ問いかけた。

 

「あの、アスカ」

『何よ?』

「一つ教えて欲しいんだ。アスカはどうしてエヴァに乗るのか」

『私も知りたいわ。以前は教えてくれなかったもの』

『レイも? 仕方ないわね……』

 

 聞こえてくる声はどこか嬉しそうだ。そう思ってシンジはきっとアスカらしい答えが来るのだろうと予想した。それはある意味で間違っていない。アスカは自信満々にこう言い切ったのだ。

 

『自分自身の才能を世に知らしめるためよ!』

「な、何というか……」

『アスカらしい……』

『まあね』

 

 そこでマヤから間もなく通信終了時間になる事を告げられた。なので最後に一言ずつ言い合う事に。

 

『碇君、アスカ、また会いましょう』

「うん」

『ええ』

「じゃ、アスカも」

『ちょっと待ちなさい』

「え?」

 

 レイが通信を完全に切ったのを見てアスカはシンジを呼び止める。一体何だと思うシンジへ、アスカは小さく深呼吸してこう告げた。

 

―――さっきのは昔の理由。今は、シンジと一緒よ。そうなれたらって、思ってるわ

―――え……?

―――誰にも言うんじゃないわよ? 通信終わりっ!

 

 まるで照れ隠しのような最後の一言。それがシンジにあの火山でのやり取りを彷彿とさせた。

 

(まさか……あの時もアスカは照れてた?)

 

 尋ねようにももう私用通信は出来ない。それに、これは相手へ尋ねていいものではないとシンジも分かっている。だからこそ、余計悶々としてしまうのだが、そこでシンジはこう考えた。

 

(これを確かめるためにも、絶対生きて帰るんだ)

 

 そう思って目を閉じる。浮かび上がる沢山の人達の顔と声。それらは全てこの街へ来てからのもの。全ての出会いと思い出、そしてかけがえのない全てを守るためにシンジは呟く。

 

―――勝つんだ。

 

 それはあの第五使徒との再戦時と同じ言葉。だが、その声に込められた重みはあの時よりも増している。その理由は一つ。アスカという少女との出会い。レイが初めて得た何でも話せる同性の友人にして、シンジを引っ張ってくれる行動的な存在。今の彼と彼女をより強く結びつけてくれる大事な人。そして、それだけではない感情がシンジの中にはあった。

 

(僕は……アスカの事も好きなんだ。綾波と同じぐらい)

 

 アスカとの事を思い出せば、必然的にレイの事も思い出す。どちらも自分へ周囲とは違う扱いをしてくれている。それがどういう感情からくるのか。それをここでシンジはぼんやりと認識し出した。それは死が迫る事から来る本能の為せる業なのかもしれない。子を残したいという欲求が形を変えて彼へ囁いていたのだ。あの二人を失いたくない。そこにはまだ青い性の衝動も絡んでいる。

 

『シンジ君、聞こえる?』

「っ。はい、聞こえます」

 

 思考の渦へ没入していきそうだったシンジを引き戻すようにミサトの声が聞こえた。それに返事をし、シンジは作戦についてかと少しだけ身構えた。が、そんな話ではないとすぐに理解した。

 

『シンジ君、よく聞いて。本部内からの避難希望者はゼロだったわ』

「……そうですか」

『ええ。みんな、貴方達に賭けているの。ううん、信じてるのよ。今までも成功率の低い戦いを成し遂げてきたシンジ君達を』

「ミサトさん……」

『もしかしたら、これは今の貴方には重荷かもしれない。だけど、あたしはそれを一時的でも背負えると信じてるから。もう一度頼むわ。奇跡を起こして。他の誰でもない。貴方自身のためにも』

「……はいっ!」

 

 そこで通信は終わった。何となくだが、最後はミサトが微笑んでくれた気がシンジにはしていた。と、そこで彼はふと気付いた。先程のミサトは今の自分と表現してくれた事を。それはつまり将来はより成長してくれると言ってくれたのだ。それを噛み締め、シンジは少しだけ上を見上げた。

 

―――初号機、聞いた? 今の僕らを沢山の大人達が信じてくれてるんだって。なら、僕は君を信じるよ。いつだって一緒に戦ってくれる、君の事を。

 

 返事はないがそれでいい。きっと伝わっているはず。そうシンジは思ってその時を待つ。作戦が開始されるその時を。そうやってシンジが気持ちを固めた頃、ミサトはずっと彼へ言うべきか否か迷っている事を考えていた。

 

(あたしとシンジ君は似てる。父親に対する感情も、近いと思う。だけど、最近の司令とシンジ君は改善の兆しが見えている。そんな時にあたしと父の話は悪影響かしら)

 

 あの夢はもしかしたら父からのメッセージではないかとミサトは考えていた。このままでは碇親子が似たような結末を辿るのではないかと、そう亡き父が言っているような気がして。だからこそ、ミサトはこう結論を出した。

 

(帰ってきたら、話しましょう。あの子が無事に帰ってきたら……)

 

 そこでミサトは胸元にある十字架を握って小さく呟く。

 

―――だからあの子達を守って、父さん……。

 

 

 

「目標を最大望遠で確認っ!」

「距離、およそ2万5千っ!」

「来たか。エヴァ、全機スタート位置へ!」

 

 使徒が確認されるや一気に緊張感と騒がしさが増す発令所。ミサトの様子を見ながらリツコがインカム越しにシンジ達へ説明を開始する。

 

「いい? 目標は光学観測による弾道計算しかできないの。よって、MAGIが距離1万までは誘導するわ。その後は各自の判断で行動。……で、いいのよねミサト」

「ええ。全てをあの子達に任せるわ」

 

 共に柔らかな笑みを見せ合うリツコとミサト。そこでシゲルの声が響く。

 

「使徒接近っ! 距離、およそ2万っ!」

「作戦開始っ!」

 

 その声を合図にエヴァ各機がそれぞれ陸上選手のようにその場へしゃがむ。その巨体を動かす合図はまだない。

 

『シンジお願い』

『合図を出して』

「分かった。二人共、行くよ?」

『『ええ』』

「スタートっ!」

 

 ケーブルが切り離され一斉に走り出す二機のエヴァ。一機だけその場に残り、上空を睨むように見上げる初号機。そしてその落下地点の正確な予測が告げられた瞬間、弾かれるように駆け出す。突出した速度を出す初号機は、上空に姿を見せた使徒を確認するやその真下へ滑り込んだ。

 

「距離、1万2千っ!」

「初号機、使徒の真下へ到達!」

「恐ろしい反応速度ね」

「そしてそれを可能にする運動性とシンジ君の成長よ」

 

 発令所に微かだが勝利を確信する空気が流れる。それを感じ取るようにシンジは叫んだ。

 

「フィールド全開っ!」

 

 初号機のATフィールドが使徒のATフィールドとぶつかり合う。質量は明らかに初号機が負けているのに、フィールド強度は完全に上回っている。心なしか使徒が驚いたような気がシンジはした。だけど気を抜く訳にはいかない。その思いでシンジは耐えながら待った。頼もしい仲間を、信頼し合う友達を、大切な少女達を。

 

「待たせたわねっ!」

「碇君、今援護する」

「アスカっ! 綾波っ!」

 

 三機のエヴァが揃った瞬間、使徒がまるで恐怖したかのようにフィールドを強化した。初号機と互角のそれに、零号機も弐号機も突破する事が出来ない。しかも、ケーブルを切断しているために残された時間には限りがある。このままでは三機共動けなくなってしまう。そう判断したアスカは、一か八かの賭けに出た。

 

「レイ、あたしとあんたで使徒を支えるわよっ!」

「っ! 分かった!」

「シンジ、このフィールドを突破出来るのは初号機だけよ! 後は頼んだわっ!」

「碇君、お願いっ!」

「二人共……分かったっ!」

 

 そのシンジの頼もしい声に少女二人は笑みを浮かべ、凛々しく叫ぶ。

 

「「フィールド全開っ!」」

 

 両手を伸ばし使徒を支えるようにしながら二機のエヴァが大地へめり込み始める。いくら二機とはいえ、初号機の強度と互角のフィールドを支えるのは無理だった。だが、すぐに潰れないならそれでいい。そうアスカもレイも思っていた。何故なら二機のエヴァの中心で、まるで侍のようにマゴロク・E・ソードを構える初号機がいたからだ。

 

「これで……」

 

 居合切りのような低い体勢となる初号機。まるで大気が震えるような印象さえ受けるその威圧感に使徒はそのフィールドを集中展開させた。初号機の攻撃だけは通すまいとしたのだ。それがある意味でいけなかった。広く展開していたフィールドが狭くなった事で感じる圧力が重くなり、二機のエヴァがより大地へと沈んだのだ。それは、使徒と初号機の距離を一気に詰める事となる。落下速度も生じ、使徒は重力に引かれるように下へと向かった。その刹那、初号機の目が光った。

 

「終わりだっ!」

 

 放たれた剣閃は下へ向かう使徒の力と噛み合い、フィールドを切り裂く事に成功する。だが、そこまでだったのだ。シンジの攻撃はフィールドを切り裂くのが精一杯。使徒のコアへは届いていなかった。しかし、使徒は下へと向かっていた。その体はそのまま向けられた刃へと沈み……。

 

「……使徒の反応、消失っ!」

 

 自滅。つまり、どちらにせよ使徒の運命は決まっていたのだ。初号機に受け止められた瞬間に。決まっていなかったのは、斬り捨てられるか自刃するかの違いしかない。こうして全てが終わりを告げた。シンジ達が帰還し発令所へ姿を見せた時、それを裏付けるように通信が入る。

 

「電波システム回復しました。南極の碇司令から通信が入っています」

「そう。お繋ぎして」

 

 見えないゲンドウと冬月に対し、ミサトはせめて声だけもと誠心誠意をこめて口を開いた。

 

「申し訳ありません。私の勝手な判断でエヴァパイロットを始め多くのスタッフを危険に晒してしまいました」

『構わん。使徒殲滅が我々ネルフの使命だ。それに犠牲者を出さずに済んだなら言う事はない』

『ああ、よくやってくれた葛城三佐。君を昇進させた事に間違いはなかった』

「……ありがとうございます」

 

 心なしかゲンドウの声に温かみを感じた気がしてミサトは内心首を傾げた。と、更にそれを加速させるような事が起きる。

 

『初号機パイロットはいるか?』

「何、父さん」

『……今日もよくやった。他のパイロットと共にゆっくり休め』

「っ……ありがとう、父さん」

『では、葛城三佐。後の処理は任せる』

「はい」

 

 そこで通信は切れた。だが、全員が揃って一人の人物へ視線を向けていた。その相手、シンジは嬉しそうにもう聞こえなくなった通信機を見つめている。そんな様子にミサト達は一様に微笑み、同時に思うのだ。シンジが変わったように、ゲンドウもまた変わり出しているのでは、と……。

 

 

 

「あれだけの事をやってのけたのに祝勝会がラーメン?」

「仕方ないじゃない。あの昇進祝いで散財したのよ」

 

 文句を言いながら屋台のお品書きを眺めるアスカ。それを微笑ましく思いつつ、ミサトはそう言葉を返した。

 

「綾波は何にする? やっぱりニンニクラーメン?」

「……碇君と同じにする」

「僕と? いいの?」

「ええ。たまにはそういうのもいいかと思って」

「ならあたしもそうする。さ、MVPのシンジ? 一番に注文する栄誉を与えるわ」

「そうね。シンちゃん、決めて頂戴」

 

 そんな風に話を振られては仕方ない。そう思ってシンジはちょっとだけ贅沢なものにしようと決めた。

 

「じゃ、特製ラーメンで」

「はいよっ! 特製四つね!」

「特製か。って、ラーメンにしては高っ」

「炙りチャーシューに味玉、ごんぶとメンマ入りって書いてあるわ」

「成程ね。要するに全部のせみたいなもんか。あ、そうそう。レイ、明日の朝ごはんだけど」

「食パンが残ってるからそれを使うわ。それとチーズオムレツ」

「いいけどまたチーズ焦がさないでよ? ま、それはそれで美味しいけど」

 

 威勢よく答えラーメンを作り始める店主。その間の待ち時間に隣同士で話し始めるレイとアスカ。それを横目で眺め、ミサトは嬉しそうに目を細める。

 

(本当に仲良くなったわ。あのアスカとレイが、ねぇ)

 

 まるで母のような微笑みを浮かべ、ミサトは視線を横へ動かす。シンジは店主の動きなどを見て何事か呟いていた。きっと自分がラーメンを作る際の参考にでもするのだろう。そんな彼にミサトは苦笑しつつ、声を掛けた。

 

「ね、シンちゃん。少しあたしの話を聞いてくれる? あたしの昔話の一つなんだけど」

「え? はい、いいですけど……」

「ありがと。あたしの父はね、自分の研究や夢に生きる人だったの。母や家族の事なんか構ってくれなくて、そんな父だから母は離婚した。あたしも嫌いだった。だって、いつも母は泣いていたの。だから離婚されてショックを受ける父を見て、いい気味だって思ってた」

 

 自分と似ている。そうシンジは思った。特に父が家族へ意識を向けてくれないところや、子であるミサトが嫌う辺りも近いものがあると。そしてそこで気付いたのだ。どうしてミサトが自分を部屋へ招いてくれたのか。昔の自分と重ねていたのではないか。そう思ってシンジはミサトの顔を見つめた。ミサトもシンジの表情で何か察したのだろう。小さく微笑むと、どこか悲しげに口を開く。

 

「でも、本当は心の弱い人だった。現実から逃げていた人だったのよ。家族という現実から」

「……逃げ続けてしまったんですね」

 

 ミサトのあの言葉の根底にあったもの。それはそこからきていた。そう理解してシンジは呟く。ミサトも無言で頷き、最後のまとめを話す。

 

「でもね、そんな父でも最期はあたしを庇って死んだの。セカンドインパクトの時にね。あの時は何も言ってあげられなかった。でも、今なら言えるわ。ありがとうって。そしてごめんなさいとも。あの人がいたからあたしは今ここにいるんですもの」

「ミサトさん……」

「シンジ君は、ちゃんと伝えられる内に伝えておきなさい。例えそれで相手に嫌われるとしても。死んだり死なれたりしたら、文句も不満も感謝も、何も……言えないんだから……っ」

 

 最後の方が若干涙声になっている事に気付き、ミサトは慌てて目元を拭う。シンジはそんなミサトを見ないようにしてこれだけ返した。

 

「分かりました。ありがとうございます、ミサトさん」

「…………うん、どうしたしまして」

 

 その返事がいつものミサトの声である事に安堵しつつ、シンジは前を向いた。と、そこへ置かれる美味しそうなラーメン。見ればミサトの前にも置いてある。

 

「はいよ、特製お待ちっ!」

「わぁ……」

「これは意外とあるわね」

 

 大き目の炙りチャーシューが三枚に太めのメンマ、半分に切った味玉に大きな焼き海苔まで乗っている。まさしく特製の名に相応しい内容だ。それを横から見てアスカが唾を飲む。

 

「っ……思った以上に凄いボリュームね。レイ、あんたチャーシュー嫌いでしょ? あたしが食べるから頂戴」

「分かった。ありがとうアスカ」

「代わりにあたしの味玉あげるわ」

「どうせならメンマがいい」

「はいはい。でも全部はダメよ?」

「ええ、半分でいいわ」

 

 そんな話をしている二人の前にもシンジやミサトと同じ物が置かれる。そして、それぞれが割り箸を持って手を合わせた。

 

「「「「いただきます」」」」

 

 世界を救った奇跡の価値。今回は四人で合計3920円也。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。アタッカーを習得した。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十二話「奇跡の価値は」完




F型の恐ろしさに使徒も段々対応し始めるの巻。とはいえ、まだまだ余裕はない上に追い詰められての火事場のクソ力的な感じではありますが。
そしてシンジ君の奇跡の価値はαシリーズでは習得出来ない技能の習得となりました。

アタッカー……気力130以上で発動。攻撃時に与えるダメージを1.2倍にする。最終的なダメージを上げるので、熱血や魂だけでなくクリティカルのダメージさえも倍化する。


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第十三話 使徒、侵入

エヴァが戦わない話。そして、ここでやっとタイトルに使徒の文字。おかしいですね。たしか一話目に使われていたはずなのに……(苦笑


 大勢のスタッフがそれぞれ作業する中、リツコは自分の後輩へ視線を向けた。その相手であるマヤは素早いタイピングで次々と処理を進めていく。

 

「さすがね、マヤ」

「先輩直伝ですから」

 

 言いながらも視線は画面から離さない。と、そこでリツコの目が光る。

 

「ちょっと待って。そこ、A-8の方が早いわ」

「えっ?」

「先輩にも活躍の場を頂戴?」

「ふふっ、お願いします」

 

 マヤから代わってタイピングを始めるリツコ。その速度はマヤよりも上だった。そんな姿にマヤは苦笑いを浮かべながら呟く。

 

「まだ先輩には追いつけないなぁ……」

「何言ってるの。私が貴女と同じ頃はこうじゃなかったわ。まだ貴方にも……」

 

 そこでタイピングの手が止まると同時にリツコは振り返って微笑んだ。

 

「そして私も成長の余地はある。人間死ぬまで勉強よ?」

「……はい」

 

 〆にウインクまでしたリツコのお茶目さにマヤは少しだけ嬉しそうに笑みを返す。そんな風に先輩後輩コンビが和んでいるところへ現れる者がいた。

 

「お疲れ様。どう? MAGIの診察は」

「順調よ。もう大体は終わったわ。約束通り、今日のテストには間に合わせたから」

「マジ? さすがリツコ達だわ。本当にありがとう。そしてお疲れ様」

「労うならコーヒーのお代わりぐらい持ってきて欲しかったわ。それ、冷めてるわよ」

 

 さり気無くカップへ手を伸ばすミサトへ呆れながら指摘するリツコ。マヤはそんな二人にクスクスと笑う。そしてそのマヤの反応に今度はミサトとリツコが苦笑い。

 

「でも、同じものが三つもあるってどういう事なの? あたし、いまいち知らないのよねぇ」

「不勉強ね」

「ぐっ!」

「くすっ、教えてもいいけどミサトの」

「すみません赤木博士、こちらを見ていただいても?」

「今行くわ。ごめんなさい、また後で」

「ええ」

 

 一瞬にして仕事モードの顔になったリツコを見て、ミサトも凛々しく頷いた。そんな事もあった後、ようやくリツコ達の仕事も終わりを迎える。リツコの手には温かいコーヒーが入ったカップが握られていた。再び顔を出したミサトが用意したものである。

 

「MAGIシステム、再起動後、自己診断モードに入りました」

 

 オペレーターの一人がそう告げる。それにマヤも頷いてリツコへ視線を向ける。

 

「第127次定期検診異常なし」

「了解。みんなお疲れ様。テスト開始まで休んで頂戴。ミサト三佐が手ずからコーヒーを御馳走してくれるわ」

「ちょ、ちょっと! さすがにこれだけの人数分は多いわよぉ!」

「食堂でカップコーヒーを買えば早いですよ?」

「ごちそう様です、葛城三佐」

「あっ、自分はミルクを入れて欲しいです」

「えっ!? ちょ、ちょっとあんた達、本気で言ってる?」

「私達の冗談よ。本気にしないで」

 

 リツコがそう言ってコーヒーを啜ったのを合図にミサト以外が笑い出す。その笑い声を聞いてミサトは少しだけ恥ずかしそうに頬を掻くのであった。

 

 そうやってミサト達と別れた後、リツコはぼんやりと宙を見上げて呟いた。

 

―――異常なし、か。私は変わっていっても、母さんはもう何も変われないのよね……。

 

 その声には悲しみが色濃く宿っていた。変化しない事の空しさと悲しさが、リツコの中で変化する事の切なさと辛さを上回ったのだ。それはレイの変化を見てきたから。それに付随してシンジやアスカ、更にはミサトの変化もその身で目の当たりにしてきたからこその心境だった……。

 

 

 

『また脱ぐのぉ!?』

 

 アスカの声が通信越しにリツコ達の耳へ響き渡る。その声に恥じらいが多分に込められている事に気付き、リツコとミサトは苦笑する。だが、これは仕方ない事なのだ。何せ今回やってもらう事は裸でのハーモニクステスト。エントリープラグ内へ入る以上、何かあってからでは不味いのだ。

 

「申し訳ないけどお願いするわ。ここから先は超クリーンルームなの。体を綺麗にして新品の下着に変えても通せないのよ」

『う~っ、今回の目的はオートパイロットの実験なんでしょ? どうしてそれでここまでしなきゃいけないのよぉ!』

『説明を要求します』

『あ、綾波まで……』

『よく言ったわレイ。そうよ。我々は説明をよ~きゅ~する!』

「ですって?」

 

 苦笑いのままでミサトはリツコへ視線を向ける。リツコは少しだけ呆れつつ、微かに笑みを浮かべて三人へ告げた。

 

「エヴァのテクノロジーは進歩しているの。だから新しいデータは常に必要になる。そのためのやむを得ない処置と思って頂戴」

「ごめんねみんな。これも仕事だと思って割り切ってくれると助かるわ」

『『『……了解』』』

 

 返ってきた声は不承不承というのがしっかり伝わるものだった。それに小さく息を吐くミサトとリツコではあったが、どこかで喜んでもいた。言われるままではなく、ちゃんと自分の意見を言えるようにレイがなった事。ただ反発するだけでなくこちらの意図を理解しようとするアスカ。何よりもそんな二人が仲良く意見を合わせている事。それをとても嬉しく思っていたのだから。

 

「ね、半年前のアスカに今のアスカの事教えたら信じると思う?」

「同じ事をこっちはレイで聞いてあげるわ」

「じゃ、せーので言いますか」

「そうね。きっと同じ答えだわ」

「せーのっ」

「「絶対信じない」」

 

 一瞬の静寂、そして起きる二つの笑い声。ミサトもリツコも笑いながらこう思っていた。大学時代でもここまで彼女と笑った事があっただろうかと。あの頃は二人も成人したばかりのひよこもいいところだった。それが十年近く経過し、やっとそれなりに大人になれたのだと思う。そう二人は考え、その理由もおぼろげにだが共通していた。

 

((シンジ君達ね……))

 

 年頃の少年少女。それらと触れ合う事で、自分達もかつての自分とどこかで向き合ったのではないだろうか。そう結論付けて二人は小さく笑う。と、それに互いが気付いた。

 

「何笑ったのよ?」

「そういうミサトこそ」

 

 またそこで刹那の静寂の後、笑い声が起きる。その楽しげな笑い声は周囲のオペレーター達の咳払いが起きるまで続いた。余談だが、その際に二人は悪戯が見つかった子供のように縮こまった事を追記しておく。

 

「各パイロット、エントリー準備完了」

「テストスタート」

 

 リツコの掛け声で一斉にオペレーター達が作業を開始する。

 

「テストスタートします。オートパイロット、記憶開始」

「モニタ異常なし」

「シミュレーションプラグ挿入」

「システムを模擬体と接続します」

「シミュレーションプラグ、MAGIの制御下に入りました」

 

 その流れを聞いてミサトが感心するように息を吐いた。それもそのはず。このテストを初めて行った際は一週間も時間を要したのだ。それに比べればこの段階だけでも高速化が分かると言うもの。なのでミサトは小さくない驚きを浮かべたままリツコへ視線を向けた。

 

「これがMAGIの実力って事? 早いなんてもんじゃないわね」

「テストは約三時間程で終わる予定よ」

「は~……本当に凄いわね、MAGIもリツコ達も」

「ありがとう。次はカフェオレでももらおうかしら?」

「止めてよ。リツコ達の冗談は冗談って分かり辛いんだからぁ」

 

 その言葉にその場の全員が小さく笑った。その後、テストそのものは順調に進んでいた。誰もがこのまま何事もなく終わると、そう思っていた。シンジ達は違和感を覚えたものの、それも貴重なデータとしてリツコ達は記録していく。

 

「問題ないようね。MAGIを通常に戻して」

 

 指示を出した後、リツコは不意に心の声を吐露してしまった。

 

「ジレンマか。作った人間の性格が窺えるわ」

「何? リツコが作ったんじゃないの?」

「そういえば話が途中だったわね。私はシステムアップしただけ。基礎理論と本体を作ったのは赤木ナオコ。母さんよ」

 

 そのどこか感情が抜け落ちたような説明にミサトは言葉を咄嗟に出せなかった。複雑な心境が母親にあるのだと、そう感じ取っただけではない。それはまるで、自分が父に対して抱いているような感情にも近いものを感じたからだ。言葉を失うミサトへリツコは小さく苦笑し、簡潔に話すのだ。MAGIの正体を。自分の母が作り上げた、もう一人の赤木ナオコと言うべきコンピューターの話を……。

 

 その頃、別の場所では冬月がシゲルやマコトと共にある報告を基に確認作業を行っていた。

 

「これか。報告のあったものは」

「ええ、三日前に搬入されたパーツです。変質部分がここになります」

 

 モニタに表示される映像には、たしかに一部分だけ周囲と異なる色の部分が映し出されていた。

 

「第87蛋白壁か」

「拡大すると染みのようなものがあります」

「浸蝕か? 温度と伝導率が変化していますね」

「おかしいな。手抜きになるようなスケジュールじゃないと思うんだが……」

 

 ここにもF型の使徒戦による影響があった。本来であれば被害も大きく、いつもどこか張り詰めた雰囲気のネルフ本部になるはずが、苦戦らしい苦戦をほとんどしていない事とF型の驚異的な戦闘力もあって精神的疲弊も軽減されていたのだ。

 

「使徒が現れてからの工事とはいえ、妙ですね」

「詳しく調べてみますか?」

「……念には念をと言うしな。以前の停電に合わせたかのように使徒が出た事もある。疑わしきは徹底的に調べておけ。碇には私から言っておく」

「「了解」」

 

 結果的にこの判断は間違ってはいなかったのだが、その方法は間違ってしまった。だが、誰も彼らを責める事など出来ないだろう。まさか思うまい。使徒がこんな形で攻めてくるなどと思いもしないのだから。さて、そうとは知らずシゲルとマコトは謎の染みを分析しようとしたのだが……。

 

「ん?」

「どうした?」

「いや、こんなバカな……」

「何一人で呟いてんだ?」

 

 マコトの様子がおかしくなったのを見てシゲルがどうしたのかと席を立った瞬間だった。

 

「使徒だっ! パターン青なんだよっ!」

「何だってっ!?」

 

 その言葉にシゲルはマコトのコンソールへ目をやった。そこには間違いなく謎の染みが使徒であると表示されている。それを確認しシゲルはマコトと見合った。

 

「どうする!? 警報を出すか!?」

「いや、騒ぎ過ぎて使徒に気付かれたら不味い! とにかく司令や副司令に連絡だ!」

「っ!? しかしっ!」

「落ち着こうっ! ……今回の相手はあのサイズだ。あの初号機じゃ戦いようがないだろ」

「…………俺は司令達へ報告する。そっちは葛城三佐達へ頼む」

 

 そのシゲルの言葉に頷こうとして、マコトはある重大な事に気付いて顔色を変えた。そしてそのまま慌ててどこかへ連絡を入れる。

 

「どうした? また何か」

「不味いんだ! あの下は今何をやってる!?」

「何って……っ!? まさかっ!」

「狙いはエヴァパイロット達かもしれないっ! シンジ君達が危ないっ!」

 

 そう、その使徒が発見された場所の真下がリツコ達の実験している場所なのだ。マコトがマヤへ連絡を入れている間、シゲルは使徒の様子を監視する事にして自分の席へ戻った。すると、既に動きがあったのだ。

 

「不味いっ! 使徒が動き始めてる!」

「何だってっ?!」

「シグマユニットAフロアに汚染警報! 第87蛋白壁劣化! 発熱してるっ! 第6パイプにも異常発生っ! 不味いぞ!」

「こうなったら本部内へ使徒出現を知らせるっ! まさかこんな形でなんて……っ!」

 

 シゲルとマコトのこの動きにより、リツコ達もそれが使徒の仕業と早々に理解出来たおかげもあり、真っ先にシンジ達の安全確保が行われた。そして発令所へゲンドウと冬月が現れるのも早かった。二人と話していた事で警報の原因があの染みだと分かったからである。

 

「使徒と言うのは間違いないのか!」

 

 その冬月の声にシゲルが振り向く事なく答えた。

 

「はい、現在使徒はエヴァパイロット達がテストを行っていた場所へ侵攻し、そこから更に浸蝕を進めています」

「……パイロット達はどうなっている?」

「既に安全確保のためにプラグを緊急射出しました。赤木博士の判断です」

「よし、シグマユニット隔離。セントラルドグマを閉鎖しろ。急げ」

「はっ!」

 

 ゲンドウの指示に応えるべく指を動かすシゲル達。冬月はゲンドウの隣に立ちながら聞こえないように息を吐いた。

 

「まさか使徒の侵入を許すとはな」

「奴らも必死なのだ。あの初号機と戦わず勝つためにな」

「……パイロットならば勝てる、か」

「あるいはエヴァを回避して目的を果たすつもりかもしれん」

「本当に人間のような考え方だ。厄介極まりない」

 

 噛み締めるような冬月の声にゲンドウは何も言わず、ただ状況を見守っているように見えた。だが、その目はモニタを睨むように捉えている。やがてゲンドウの耳にシグマユニットからの退避が完了した事が報告された。

 

「よし、警報を止めろ。政府と委員会には万一を想定した訓練だったと伝えるんだ」

「りょ、了解しました。しかし、それでよろしいのですか?」

「問題ない。結果さえ出せれば、だがな」

 

 そのゲンドウの言葉にシゲルは思わず息を呑む。つまり、ゲンドウは使徒を撃破出来なければ責任を取る必要がなく、撃破すればそもそも何の問題もないと言い張れると告げていたのだ。その見た目通りの豪胆さにシゲルは圧倒されながら作業へと戻る。しかし、冬月は分かっていた。今のは豪胆さではないと。それらしい事を言って逃げているだけだと分かっていたのだ。

 

(息子が成長しているというのに、お前は変わらんのだな碇)

 

 逃げずに現実を見つめ歩いているシンジ。逆に、現実から目を背け過去を追い求めているゲンドウ。親子の道はまだ重なるどころか交わる事さえなかった。

 

「汚染地区、更に下降! プリブノーボックスからシグマユニット全域へと広がっていますっ!」

「不味いな」

「ああ、アダムに近すぎる」

 

 ここで初めてゲンドウにも焦りの色が浮かんだ。それでもそれを声に乗せないよう、彼は努めて冷静な声を発した。

 

「汚染はシグマユニットまでで抑えろ。ジオフロントは犠牲にしても構わん。エヴァはどうなっている?」

「第7ケージにて待機しています」

「今すぐ地上へ射出しろ。初号機を優先だ。万一あの初号機を使徒が手にしたらどうする」

「っ! 了解。射出します」

 

 ゲンドウの言葉の裏にある、初号機さえ無事ならば最悪使徒を倒せる可能性が残る事に気付き、マコトは返事と共に操作を開始。その間にも使徒は浸蝕を進め、遂に大深度施設と呼ばれる場所を全て占拠するに至っていた……。

 

 

 

「見ての通り、重水の境目、酸素の多いところは浸蝕されていません」

 

 小康状態になったのを見て、今大人達は侵入した使徒へどう対処するかを話し合っていた。エヴァによる解決は最後の手段とも言える状況であり、そもそもどう倒すのかも難しいと言える。その際は、F型のマステマでのN2ミサイルが使用される事になるだろうと誰もが思ってはいたが。

 

「好みがはっきりしてますね」

「無菌状態維持のためにオゾンを噴出しているところは汚染されていないな」

「あの使徒、酸素に弱いの?」

「らしいわ。そもそも酸素という名の通り、本来は酸性の毒素よ? 弱いのは妥当だわ」

「では、オゾンを注入すれば……」

「倒せないまでも弱らせるぐらいは出来る?」

 

 微かに希望が見えた空気がその場に流れる。が、そこで待ったをかける者がいた。リツコである。

 

「短絡的すぎるわ。あの使徒は蛋白壁から侵入してきた。そこからの浸蝕速度を考えると、恐ろしい程の成長力を有している。それに、本当に酸素に弱いのかも引っかかるの」

「どうしてよ?」

「ミサト、そもそも大気中に酸素がどれだけ含まれていると思っているの? 高濃度でなければ効果がないようだけど、逆に言えばそこまでは平気なのよ。高濃度のオゾンは人間にだって有害なの。だから殺菌処理に使うんだから」

 

 そのリツコのもっともな意見にミサトだけでなく他の者達も黙った。それを見てリツコは冷静に告げた。

 

「迂闊な事をして事態を悪化させる可能性もあります。それでも良ければやってみるべきかと」

「……では、他にどのような手があるのかね?」

 

 そのゲンドウの発言にリツコは小さくため息を吐いた。そうくると予想していたのだろう。もっとも、それは呆れるというよりやれやれという疲労の色が強かったが。

 

「使徒の目的がエヴァパイロット及び機体の汚染と仮定すれば、既に使徒はその目的を果たせません。なら、次の目的を判明させ阻止するか、あるいはそれを逆手に取るべきかと」

「次の目的?」

「あら、お忘れですか司令。最終的に使徒はセントラルドグマへ侵入しようとするはずです。そのために邪魔なものを排除すると考えれば、今もっとも邪魔なのは何かお分かりのはず」

「…………ここか」

 

 その言葉にリツコは頷いた。本部を排除する。だが、その手段を取るにはあの使徒は小さすぎる。そう誰もが思った。だが、そんな時事態が動いた。

 

「っ!? 何?!」

「サブコンピューターがハッキングを受けています! 侵入者不明っ!」

「こんな時にっ!? くっ! Cモードで対応っ!」

「防壁を解凍します! 擬似エントリー展開っ!」

 

 一気に慌ただしくなる発令所。その様子を見てリツコは息を呑んだ。それを行っているのが使徒だと仮定すれば、その狙いがおぼろげながら見えたのだ。それは彼女が一番この本部の中枢を知っているからこその発想。そして、微生物のようなごく小さなサイズの使徒だからこそ実行可能な本部の排除方法だった。

 

(まさか使徒の狙いは……)

 

 有り得ないと思いたいリツコの耳に、次々とオペレーター達の悲鳴のような報告が聞こえてくる。人間業とは思えない速度でのハッキングは、逆探知の結果やはり使徒が行っているものと判明。そのまま使徒によるハッキングは続き、遂にリツコが恐れていた事態へ突入する。そして確信したのだ。使徒の狙いが何かを。

 

「使徒、MAGIへ侵入っ! MELCHIORへ接触しましたっ! 使徒に乗っ取られます!」

『人工知能MELCHIORより自律自爆が提訴されました。否決、否決、否決、否決』

「やはりそうなのね……っ!」

 

 アナウンスにリツコは歯噛みする。このままでは不味いと分かっているのだ。侵攻を止めようにもその速度は人間の手に負えるものではないとも分かっている。と、そこでリツコはある可能性に賭けた。

 

「っ! ロジックモードを変更! シンクロコードを15秒単位にしてっ!」

「「「了解っ」」」

 

 そのリツコの指示に即座に呼応するオペレーター達。そしてリツコはそのままの勢いと凛々しさでゲンドウへ告げた。

 

「私に考えがありますっ! 自律自爆を阻止する方法が!」

 

 その発言にその場の全員が沈黙した。それだけの衝撃と説得力がリツコの声にあったのだ。彼女は、自分の言葉こそが唯一絶対であるとばかりに言い切ったのだから。

 

「聞こう」

「使徒はMAGIを制圧し自律自爆を決議するつもりです。幸いこちらの処置で使徒の侵攻速度は落とせましたが、それもいつまで持つか分かりません」

「ではどうする?」

「使徒の動きを思い出して頂きたいのです。最初は物理的に本部の制圧を目論んだと考えられます。あるいはエヴァやそのパイロットの排除。ですがそれを阻止された後、使徒は物理的な制圧を諦めながら本部の排除を推し進めました。おそらくですが、制圧した場所から情報や知識を得てそれを基に進化したのだと考えられます」

 

 その説明に誰もが息を呑んだ。もし仮にそうだとすれば、その進化は恐ろしい速度となるからだ。とてもではないが人間など太刀打ちできない程の速度である。そんな存在を相手にどう勝つのか。それを誰もがリツコの口から聞けるのを待った。

 

「おそらく、使徒の本体とも言うべき中核はMAGIへ侵入したものと見て間違いないわ。だから」

「MAGIを物理的に排除出来れば片がつく?」

「そうでしょうけどダメよ。MAGIを切り捨てる事は本部の破棄と同義。それに、もし今の仮定が間違っていたらどうするの?」

「それ、ブーメランよリツコ」

「違うわ。私は例えMAGIに侵入したのが中核でなくても何とか出来る方法を取るつもり。相手がトカゲなら厳しいけれど、おそらく末端としてもタコの足みたいなものだと思うわ」

 

 リツコの表現にミサトは理解が追いつかない。ただ、マヤは即座に理解出来たようで感心するように表情を輝かせた。

 

「そうかっ! 切り捨てて逃げる事は出来ないようにする。ハッキングにはハッキングを、ですね!」

「ええ。厳密には相手の凄まじい進化速度を逆手にとって、こちらからそれを促してやるつもりよ」

「進化の終点は死。自滅させる訳か」

「はい。使徒が死を回避するとすれば、MAGIとの共生を図るしかありません。まぁ、こちらの想像もつかない方法で乗り越える可能性も否定しませんが……」

 

 どこか不安そうに述べるリツコの最後にミサトが露骨に嫌そうな顔をした。

 

「ちょっとちょっと……最後の最後にそんな弱気な事言わないでよね」

「仕方ないじゃない。これがゼロじゃない事の恐ろしさよ。良くも悪くも可能性がある。絶対なんて中々ないのよ? 1+1だって2にならない事があるんだから」

「は? 何言って」

「ミサト、粘土を二つ足したらどうなる?」

「どうって……大きな粘土に……」

「そう。考え方次第で絶対は崩せるの。だから、今回も良い方に考えて。MAGIを失わず使徒を倒せる可能性がある。それだけでいいわ」

 

 そう告げるリツコは軽く微笑みをミサトへ向けると、ゲンドウ達へ凛々しい表情を向けた。

 

「使徒がコンピューターそのものなら、CASPERを使徒に直結、逆ハックを仕掛けて、自滅促進プログラムを送り込むことができます。ですが」

「同時に使徒に対しても防壁を開放することにもなります」

 

 リツコの言葉を繋ぐようにマヤがそう告げた。それは自分にも手伝わせて欲しいというマヤなりのアピールだった。当然リツコがそれを拒む理由はない。むしろ彼女の方から頼もうと思っていたぐらいだったのだから。

 

「……こちらが先か、あちらが先か勝負、か」

「はい」

「そのプログラム、間に合うの?」

「間に合わせてみせるわ。だから……」

 

 不安げなミサトへリツコは安心させるように答え、最後にこう締め括った。

 

―――カフェオレでも用意しておいて。

 

 

 

 リツコはマヤと共にMAGIの内部へと入り込んでいた。そこには二人の予想外の光景が広がっていた。

 

「何ですか、これ? 付箋?」

「開発者の悪戯書きね」

 

 そう返すリツコの声には微かな苦笑が混じっている。彼女も知らなかったのだ。母にそんな一面があるなどと。マヤはそんなリツコの反応に小首を傾げつつ、張り付いている付箋を一枚手に取る。

 

「凄い……裏コードですよ先輩! MAGIの裏コードっ!」

「裏ワザ大特集ね。なら、これを今後も活用できるようにしないと」

「いいのかなぁ。こんなもの見ちゃって……えっ!? これ、intのCだぁ!」

「はしゃぐ気持ちは分かるけど、少し落ち着きなさい」

「す、すみません。でも、これなら早く出来ますね先輩っ!」

「ええ、そうね。……ありがとう母さん。絶対守ってみせるから」

 

 マヤに聞こえない程の声量で告げられる娘から母への誓い。もう二度と言葉を交わせないからこそ、敢えて言葉にする。こうしてリツコの戦いが始まろうとしていた。一方その頃、シンジ達はと言うと……。

 

「でも、いつまでこうしてればいいのかな?」

『さぁ? 忘れられてはないと思いたいけどね』

『きっとまだ安全が確保出来ていないんだわ』

 

 プラグ内で裸のまま暇を持て余していた。彼らは使徒が侵入した事は知らない。ただ、緊急事態発生のために現在のような状況になった事だけは分かっているので、何かトラブルが起きたのだろうと思っている。幸か不幸かあのアナウンスが聞こえなかったのだ。それだけ彼らも会話に集中していたと言える。

 

「それにしても、何が起きたんだろ?」

『またリツコが何かやらかしたんじゃない?』

 

 以前の停電騒ぎの切っ掛けをどこからか聞き出していたアスカがそう言った。その発言にシンジは苦笑いを浮かべる。あのリツコにもそういう一面があるのかと、そう思ったからだ。

 

『私は葛城三佐が変な場所を触ったを推薦する』

『あら、いい線いってるかも。その可能性も大ね』

「綾波もアスカも結構言うよね……」

 

 特に綾波は。そう心の中で付け足すシンジ。実際、アスカと共同生活を始めて、レイはよりその口数と表情を増やしている。感情を強く表すアスカの影響だろうと思うのだが、そこにはもう一つ理由が存在していた。アスカの感情の発露はシンジを困らせる事もあるが、同じぐらいかそれ以上に喜ばせているとレイは読んでいたのだ。シンジは感情をはっきり出す方が嬉しい。そう判断したレイは、出来る限り自分なりに感情を出すように心がけるようになっていた。

 

『シンジ、あんたは何が原因だと思う?』

 

 そこで振られた質問にシンジは少しだけ考え、一番有り得ないだろう可能性を挙げる事にした。

 

―――使徒がここに潜入してたとか?

 

 その発言にアスカとレイは共に笑った。それならばとっくに自分達を回収しに来ているとアスカが返せば、発想力としては意外性に富んでいるとレイも続く。二人の少女がクスクスと笑うのを聞いて恥ずかしくなるシンジだが、彼としては二人に笑って欲しいと思っているのでそれで良かった。三人は知らない。そのシンジの言った事が事実であると。こうして三人はそのまま周囲の音が聞こえない程夢中になって他愛ない話を続ける。

 

 そうやって子供達が楽しげに笑うその裏で、大人達は必死になって戦っていた。それは、普段と逆の構図。命懸けで最前線に立つ事をやっと大人達が代わってやれた戦いであった。

 

「レンチ取って」

「はい。何かこうしてると大学の頃を思い出すわね」

「25番のボード」

「無視か。これね?」

 

 差し出されたものを受け取りながら、リツコは小さくため息。ミサトなりのリラックス法なのだろうが、どこか不器用にも思えたからだ。彼女の言葉を借りるなら、まさしく大学時代を思い出すだろう。リツコはそんな事を思いながらミサトに付き合う事にした。

 

「さっきの話、覚えてる?」

「MAGIがリツコのお母さんみたいなものってやつ?」

「ええ」

 

 そこでミサトは気付いた。それを自分がどうしようと考えたかを。

 

「ごめん。あたし、あまりにも無神経だったわ」

「いいのよ。貴女の結論は作戦部長として当然だわ。でも、あの時も言ったけどMAGIを失う事は本部の破棄と同義なの。それだけは覚えておいて」

「……だから守りたいの?」

 

 その問いかけにリツコの手が一瞬だけ止まる。だがすぐに動き始め作業を続けた。

 

「どうなのかしら。科学者としてはそうだと思う。でも、私個人としては……何とも言えないわ」

「そ。でも、あたしは何となく分かるわ」

「何が?」

 

 理解出来ないとばかりに返すリツコへ、ミサトは優しい笑みを浮かべながらこう返した。

 

―――それは自分で分からないとダメよ。あたしも、そうだったもの。

 

 ミサトの声はとても優しく母のような温かみを宿していた。リツコは初めて聞くその声に軽く驚きながら、自分の中で問いかける。

 

(ミサトは私の母さんへの気持ちが分かるというの? 私自身もどこか掴めないものを……)

 

 と、そこへマコトが息を呑むような声を発した。

 

「BALTHASARが乗っ取られましたっ!」

『人工知能により自律自爆が決議されました』

 

 その瞬間張り詰めた空気が走る。ミサトはそれでも慌てずリツコの方を見た。彼女は動じる事なく作業を続けている。それが無言の安心感となってミサトの気持ちを後押しした。

 

「落ち着いて。まだ時間はあるわ。そうでしょリツコ」

「ええ」

『自爆装置は、三者一致の後、20秒で行われます。自爆範囲は、ジオイド深度マイナス280、マイナス140、ゼロフロアーです』

 

 淡々と告げられる内容に周囲は気が気ではない。それでも大人達は必死に使徒へ抗い続ける。迫り来る死の恐怖と戦いながら。そう、どこかで誰もが思っていたのだ。こういう思いをシンジ達はしながら戦っていたのだと。子供達が乗り越えてきたものから、大人である自分達が逃げ出す訳にはいかない。その覚悟と決意がその戦意を支えていた。例え、それが勝ち目のない戦いであったとしても、と。

 

『特例582発動下のため、人工知能以外によるキャンセルはできません』

「BALTHASAR、CASPERに侵入っ!」

「押されているぞっ!」

「くそっ、速過ぎる!」

 

 狼狽えないようにしつつ、どうしても焦りと不安が滲み出る大人達。けれど、その目に絶望はない。最期の時まで希望を捨てないと腹に決めたのだろう。そんな大人達へ告げられる無情なアナウンス。

 

『自爆装置作動まで、後、20秒』

「いかんっ!」

「CASPER、18秒後に乗っ取られますっ!」

「まだよ! まだ諦めないでっ! あの子達はこれまで諦めなかったっ!」

 

 誰もがどこかに諦めを抱いた時、ミサトの一喝が響く。その言葉に全員が息を呑む。最も痛烈で効果的な激励だった。自爆まで残り15秒を告げる音声を搔き消すように告げられた言葉が、息絶えそうな希望を僅かに甦らせる。

 

「あたし達も最後まで諦めない。そうでしょ、リツコ」

『自爆装置作動まで、後、10秒』

「ええ、諦めるには早すぎるわ。1秒以上も余裕があるもの」

「……それって余裕な訳?」

「ゼロやマイナスじゃないのよ? 十分だわ」

 

 そのさらりとした言い方に周囲が思わず沈黙する。カウントダウンがされる中、リツコのタイピング音だけ響く。いや、もう一つ聞こえる音がある。その音を出している相手へ、リツコは最後の仕上げを託す。

 

「マヤ?」

「行けますっ!」

『4秒、3秒』

「押して」

『2秒、1秒、0秒』

 

 マヤの指が動く。その瞬間、リツコが祈るように呟いた。

 

―――母さん……。

 

 思わず目を閉じる冬月達。その中で女性達だけが目を開けていた。一瞬とも永遠とも言える静寂が流れ、そしてその時は訪れる。

 

『人工知能により、自律自爆が解除されました』

「「いやぁったぁぁぁっ!!」」

『なお、特例582も解除されました。MAGIシステム、通常モードに戻ります』

「やれやれ、この歳には堪えるな……」

「そんな事言うと余計歳を取ってしまいますよ、副司令」

「……かもしれん」

 

 マヤの苦笑混じりの言葉に冬月も似たような声を返した。緊張からの解放で誰もが生の喜びと緩和から明るくなる中、リツコはミサトから愛用のカップを渡されていた。

 

「もう歳ね。徹夜が堪えるわ」

「お疲れ様。ミルク多めにいれといたわ」

「ありがとう。冗談だったのだけどね」

「約束を果たしてくれたもの。これぐらいさせて」

「……出来れば砂糖も欲しかったわ。思った以上に疲れてるみたい」

「あっ、ごめん」

「それと冷たい」

「ぐっ! 言うじゃない」

 

 リツコの容赦のない指摘に軽くこめかみをひくつかせながら、ミサトはそれでも笑顔を崩さなかった。そんな彼女にリツコは小さく笑い、もう一度カップへ口をつけた。すっかり冷えたカフェオレは、不思議と最初よりも甘く感じて彼女は微笑む。

 

「ミサト、私も分かったかもしれないわ」

「……何が?」

「死ぬ前の晩、母さんはこう言ったの。MAGIは三人の自分だって。科学者としての自分、母としての自分、そして女としての自分。その三人がせめぎ合っているのがMAGI」

「三人の自分……」

「人の持つジレンマをわざと残したのよ。実はプログラムが微妙に変えてあるの」

 

 その言葉にミサトはやっと分かった。あの時、リツコが言ったジレンマとはその事だったのかと。リツコもミサトの反応でそれを察したのだろう。どこか噛み締めるようにこう告げた。

 

「私は母になれないと、そう思っていた。でも、レイとの触れ合いが僅かだけれどそれを体験させてくれたわ。そう考えると、母さんも苦労したと思う。それでも私の方が苦労してると思うけど」

「ま、レイだものね」

「科学者としては尊敬しているわ」

「それも当然か」

「女としては憎んでいた」

「あら怖い。で、いたなの?」

 

 その問いかけにリツコは頷いた。やっと分かったのだ。今の自分が抱いている個人としての母への気持ちが。

 

「CASPERには、女としてのパターンがインプットされていたの。最後まで女でいることを守ったのね。ほんと、母さんらしいわ。そして、だからこそ私も信じられたの。だって、母になるにも科学者になるにも、まずは女が根底にあるのだから」

 

 そうミサトへ告げ、リツコはカップの中身を見つめた。カフェオレの色は黒でもなければ白でもない。コーヒーとミルクが混ざり合って出来ている。それは人間にも当てはまると思って呟く。

 

―――科学者でもあり母でもある。混ざり合ったのが人としての赤木ナオコかしら……。

 

 と、そこへ差し出されるスティックシュガーとコーヒーポット。リツコがその差し出した相手へ目を向ける。そこにはマヤがいた。

 

「先輩、どうぞ。これで溶かせると思います」

「……そうね、今日は甘い方がありがたいわ」

「葛城三佐もよろしければ」

「悪いわね。ありがとう」

 

 中身の減ったカップへ注がれる熱々のコーヒー。そこへスティックシュガーを流し込み、軽くかき混ぜる。それを見てミサトが茶化すように言った。

 

―――コーヒーにミルクに砂糖。リツコのMAGIの完成ね。

―――……そう、ね。私のMAGIは当分それでいいわ。

 

 コーヒーは科学者。ミルクは母。なら砂糖は? リツコはそう考えながらカップへ口をつけた。その味は、やはり少し甘味が足りなかった。

 

―――マヤ、悪いけどもう一本砂糖をもらえる?

 

 その声に返事を返し、スティックシュガーを取りに行くマヤを見送りリツコはため息を吐く。砂糖は女。なら、やはり自分も女を捨てられないのか。そう思ってリツコは普通のカフェオレとなった中身を見つめる。

 

「憎しみは薄れても、好きになるには遠そうね」

 

 まだ私はコーヒーでいい。そう思うリツコであった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十三話「使徒、侵入」完



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第十四話 ゼーレ、魂の座

アニメでは総集編も兼ねた話。なので一応アニメの再構成という体ですので、今作でも前半はこれまでの戦闘の振り返り。大事なのは後半部分ですかね?


 西暦2015年、第三使徒サキエル襲来。通常兵器は通用せず、国連軍はその殲滅を断念。全権をネルフへと託した。そしてその転機は訪れる。出撃したエヴァ初号機はその圧倒的な性能を見せ使徒を圧倒。街への被害さえ抑え見事撃破する。それらを第3新東京市街地戦中間報告書として、当時一尉だったミサトが提出した中にこんな記述がある。

 

「その結果として、こちらは損害をほとんど受けず、未知の目標に対しこちらの戦力が完全に上回った事は特筆すべき事である。また、初陣の少年が無傷で帰還した事は我々を安堵させてくれた。作戦課としては、今後も同様の結果を出せるよう全力を尽くす所存である」

 

 第三使徒撃破は大きな爆発を生んだものの、それは空中で起こった事もあり、大きな被害を生まずにすんだ。更に幸運な事は初号機がその爆発を背にしながら無意識にフィールドを展開していた事だろう。その事が彼の作文からも窺える。鈴原トウジの作文よりの抜粋だ。

 

「わしの妹はまだ小学二年です。こないだの騒ぎでおっきな花火をロボットの背中に見た言うてました。後、暖かかった言うてたんで、爆発の熱が来るぐらいの距離やった思います。知らん間にその近くへ行ったらしいですが、あのロボットが敵を空中でやっつけてなかったらと思うと、正直キモが冷えました。あのロボットには感謝しかありません」

 

 第四使徒シャムシェル襲来。だが、これは本格的避難が始まる前に初号機によって撃破される。よって被害無し。その戦闘の早さを物語る文章があった。洞木ヒカリの手記である。

 

「警報が鳴って、みんなで避難しようとしてる途中でそれが解除になったんです。男の子達は残念がって、私達は迷惑だなぁって感じました。こんなに早いなら避難する必要なかったのにって」

 

 第四使徒は一刀両断され、一応その亡骸は残りサンプルとして回収された。だが、その分析結果は未だに報告されていない。

 

 第五使徒ラミエル襲来。これまで無敵を誇った初号機を撤退させた相手に対し、当時の葛城一尉はヤシマ作戦を提唱。これが承認され実行された。ファーストチルドレンである綾波レイが凍結解除された零号機で初出撃。この作戦に対し、赤木リツコ博士はこのように述懐している。

 

「あの作戦はあの初号機でなければ成功どころか発想さえ出来なかったでしょうね。あのポジトロンライフルだけではおそらく間に合わなかった。それにレイとシンジ君。二人のパイロットと二機のエヴァがあって、初めてあの作戦は成り立った。そう思うわ」

 

 ヤシマ作戦完遂。エヴァ両機共に損傷なし。だが、初号機パイロットのみ極度の疲労により二日間の入院。

 

「シナリオなどあってないようなものだな」

 

 そこで初めてモノリスが喋った。いや、正確にはその声を出していた人物が喋った。そのどこか疲れ果てた声にゲンドウは内心ほくそ笑みながら表情は同意するように歪めた。

 

「結果は予測範囲内です。まだ分かりません」

「既に誰も分からぬよ」

 

 隣の冬月がその場にいる全員の気持ちを代弁するように呟いた。

 

 第六使徒ガギエル襲来。セカンドチルドレンである惣流・アスカ・ラングレーが弐号機で初出撃。初の海上での近接戦闘及び水中戦闘。使徒は連合艦隊との共闘により撃破された。その事をあの連合艦隊の艦長は無愛想な顔で語る。

 

「ネルフの女性将校は、本来なら強権発動で指揮権を奪えたにも関わらず、最後までこちらに従う形で協力してくれた。ジャップの、いや失礼。日本人の中にあんなサムライのような女性がいるとはな。使徒に対しては、たしかにエヴァへ任せるのが一番かもしれん。連合艦隊と同等の戦力の、な」

 

 そんな風に語りながら、最後はどこか嬉しそうに彼は笑みを零すのだった。そんな彼とは違い、ガギエル戦の結果を見て一人の老人が悔しそうに口を開いた。

 

「この戦闘で国連海軍は全艦艇の四分の一を失ったな」

「失ったのは君の国の艦だろう。本来はもっと失うはずだったのだ。運が良かったな」

「左様。初号機なしでこの程度で済んだのは幸運だ」

 

 ここぞとばかりに言葉を交わす老人達。そのやり取りをゲンドウと冬月は無反応で聞き流す。

 

 第七使徒イスラフェル襲来。初の分離・合体能力を有する。更に分離時に限り絶命させられた攻撃を二度目以降は無効化ないし無力化する能力を所持。だが、エヴァ三機による連携攻撃により撃破。その攻撃を見ていた伊吹マヤ二尉はこう語る。

 

「零号機と弐号機が完全にシンクロしていて、そのとどめを初号機がまるで最初から分かっていたかのように走り出して、二機が分裂体を蹴り飛ばした時にはもうその間を駆け抜けていたんです! そして合体した瞬間の使徒をマゴロクソードで一撃っ! もう、映画か何かみたいな連携でしたっ!」

 

 第八使徒サンダルフォン発見。ネルフによる捕獲作戦が実行される。電磁柵へ一時拘束するも使徒が変態を始めた事で捕獲を断念。その殲滅へと移行し、弐号機が初号機の支援を受けこれを撃破。この作戦に従事していた日向マコト二尉はこんな感想を述べていた。

 

「あの作戦は、まるで僕らとアスカの信頼関係を構築するような内容になった。以前シンジ君が僕らへ自分と初号機を信じてくれと言ったように、彼女もまた自分と弐号機を信じてくれと言ってきたからね。だから信じる事にしたんだ。どんな時でも僕らが出来る限りの事をして、ね」

 

 第九使徒マトリエル襲来。何者かの手により本部機能が麻痺する中、エヴァ三機を補助動力などを使った人力で出撃させる。使徒の出していた溶解液とその完全な亡骸をサンプルとして採取。これも分析報告書は未だ提出されていない。この騒ぎを蚊帳の外で後から聞いた加持リョウジはこうぼやく。

 

「まったく、何かするならこっちにも教えて欲しいってもんだ。ま、そうしない事で俺のアリバイやら何やらにしたかったんだろうがね。結局俺が怪しい奴だってのは変わらないから意味がないのさ」

 

 第十使徒サハクィエル襲来。成層圏より飛来する目標を相手に、エヴァ三機による直接攻撃でこれを迎撃。見事撃破。この結果行われた四人だけの祝勝会について青葉シゲル二尉はこう述べた。

 

「いや、いいんですよ。彼ら三人を労うのは俺達だってしてやりたいし文句はない。でも、なぁんで一言声かけてくれないんですかね? しかも聞けば葛城三佐の昇進祝いにも俺と日向は呼ばれてないんですよ!? ならせめて祝勝会ぐらいは呼んでくれたってねぇ……ダメ?」

 

 第十一使徒は襲来したのか定かではない。一部では、本部内への侵入を許したとの報告もある。それらがこれまでのネルフによる使徒戦の全てであった。これらほとんどの結果に関係しているのがあの初号機。あれが全ての始まりにして、ゼーレのシナリオを根底から揺るがす存在であった。

 

「碇、使徒がネルフ本部へ侵入したというのは本当か?」

「いえ、そんな事実はありません」

「では、第十一使徒侵入の事実はない。そう断言するのだな」

「はい」

「この場での偽証は死に値すると知って言っているんだろうな」

「勿論です。疑うのでしたらMAGIのレコーダーを調べてくださって結構です」

 

 平然と嘘を吐くゲンドウ。そんな彼に老人の一人が激昂した。

 

「笑わせるっ! 事実の隠蔽は君の十八番じゃないかっ!」

「タイムスケジュール自体は死海文書の記述通りに進んでおります」

「……まぁいい。今君を処分すればサードがどう動くか分からん。息子に感謝するのだな碇。あの初号機は今はまだ必要だ」

 

 その言葉にゲンドウは何も返さない。それを面白く思わない老人達だが、彼の有用性も分かっているのだろう。何か言うでもなくこう続けた。

 

「碇、分かっていると思うが君が新しいシナリオを用意する必要はない」

「分かっています。参号機の方はどうなのですか?」

「そちらはまだ色々と時間がかかる。完成次第サードを乗せろ」

「あの初号機には近付けますかな?」

「……碇」

「申し訳ありません。少々出過ぎました。私としてもあの初号機には頭を悩ませているもので」

 

 軽い煽りを繰り返す対応に冬月は内心で大きくため息を吐いた。

 

(老人達があまり強気に出られんと思って……まるで子供だな)

 

 冬月の予想通り、まだ現時点でゼーレはゲンドウを切り捨てる事は出来なかった。その理由はあの初号機にある。シンジでなければ使えず、その彼は父であるゲンドウへ執着を残しているからだ。今までの報告で使徒戦に限り出現しているF型だが、もしあれがシンジに敵対する者への反応ならば。そう考えれば迂闊にゲンドウを処分出来ないのだ。

 

「とにかく、今回の君の罪と責任は追及しない。有難く思いたまえ」

「感謝しております。では、全てはゼーレのシナリオ通りに……」

 

 心にもない言葉を告げるゲンドウに冬月は怒りを通り越して呆れていた。これが目に見える形でのネルフのゼーレからの離反の始まりであった……。

 

 

 

「初号機はどうして碇君にだけ反応するの?」

「答えられない? それは何故?」

「理解出来ない? 今の私では無理だから?」

「違う。教えちゃいけないのね。知られてはダメ」

「あれは非常の力。非常の武。非常の矛」

「碇君にだけ使わせるのは、彼が一番使うのに適してるから?」

「そう、そうなのね。一番臆病だからこそ一番優しく使ってくれる」

「私も優しい? ありがとう。そう言われたのは初めて」

「……それは分からない。でも、これだけは言える。私は……」

「私は、碇君と一緒にいたい」

 

 そこでレイは意識を取り戻す。今日は第1回機体相互互換試験。レイは初号機に乗っていた。零号機と変わらない安定したシンクロ率を見せ、彼女はテストを終了する。

 

「お疲れ様レイ。どこか体に違和感や気になる事はある?」

 

 リツコに出迎えられ、レイは小さく首を横に振った。

 

「いえ、特にありません」

「そう。一応メディカルチェックをするから」

「はい」

「ね、レイ。初号機とシンクロするってどんな感じ? やっぱり零号機と違う?」

 

 マヤのその問いかけにレイは少し考え、どこか納得するように頷いてからこう答えた。

 

「零号機は静かですが、初号機は賑やかです」

「「は?」」

「伝わりませんか? なら……零号機が私で初号機がアスカです」

「……あの、先輩?」

「つまり、零号機は反応が鈍いけど初号機は反応が良いという事?」

「はい、赤木博士の言う通りです」

「先輩……すごぉい……」

 

 まるで赤ん坊の泣き声で判断出来る母親のようだ。そう思ってのマヤの感嘆する声にリツコはどこか照れくさそうに咳払い。この辺も個人的に行っている特別授業の成果と言えた。レイは語彙も豊富ではなく、知識と経験が結びつかない事が多い。そのため、言いたい事を正しく説明出来ない事が多いのだ。それをマヤよりも知っているからこその理解であり、経験の差でしかない。

 

「あのねマヤ、貴女もレイと二人きりで色々辞書を片手に話せばこれぐらい分かるようになるわ」

「どれくらいですか?」

「そうね……三日」

「意外と短いですね」

 

 告げられた期間に対しマヤは素直な反応を返した。だが、そこでリツコは悪戯っぽく笑う。

 

「は、何も分からないわよ」

「ええっ!?」

「ね、レイ。貴女、最初は恥らうって意味さえ分からなかったものね」

「はい。今は分かります。男性に肌を見せる事などで生じる感情の一種です。具体的には、この前の回収時に碇君に少し見られた時に感じました」

「ね? ここまででも大変だったのよ」

「……お察しします」

 

 茫然とするマヤへリツコは噛み締めるような声でそう言った。そんなリツコに、マヤはどことなく育児疲れの母親を重ねる。そんな二人をレイはどこか申し訳なさそうに見つめるのだった。

 

 一方、アスカは弐号機を使ってのテストを行っていた。第87回機体連動試験である。全て正常値を叩き出し、問題なく終えたアスカは、物足りなさを感じつつオペレーターであるシゲル達と会話していた。

 

「ねぇ、弐号機もあの初号機みたいに追加装甲とか追加武装出来ないかしら?」

『うーん、それは難しいかもしれないな。知ってると思うけど、初号機はテストタイプだから拡張性が高いんだ。だけど弐号機は一つの完成形だからさ』

「そっか。拡張性に関しては初号機程の発展性がない、か」

『そういう事。精々武装の追加ぐらいだけど、それもなぁ……』

「マステマ、だっけ。あれを使わせてもらうのが今のとこそれっぽいもの」

 

 アスカの言葉が全てだった。現状追加武装案として一番実現出来そうなのがマステマだったのだ。ただし、威力に関しては絶対及ばないと誰もが確信していたが。マゴロク・E・ソードはあの威力が再現出来るならともかく、今はとてもではないが不可能。それにマステマは既に弐号機と零号機が使用し、使い勝手なども良好ともあって、現在その製作が開始されていた。

 

「でも、あたしとしてはあまり初号機から借りるってしたくないのよ」

『それはまたどうして?』

 

 アスカの言葉にシゲルは疑問符を浮かべた。もう既に彼女は自意識の高い少女ではない。歳相応の未熟さと柔軟性を持った優れたパイロットだ。それがシゲル達の認識である。今更シンジへ借りを作りたくないとは言わないだろうと思ったのだ。

 

「簡単よ。もしそのせいで初号機が使徒へ対処出来なかったら? あるいは痛手を負わされたら? だから借りたくないのよ」

 

 そこには少女なりのシンジへの想いが垣間見える。シンジはこれまでの事で分かっている通り、いざとなったら自分を犠牲にしても誰かを守るだろう。それをアスカも分かっているからこそ、初号機には万全の状態で戦闘して欲しいと考えているのだ。

 

(気が付いたら、あたしは加持さんじゃなくシンジばかり見つめてた。これはきっとそういう事よね)

 

 最初はライバルみたいなものだと思っていた。それがあの火口でのやり取りから完全に変わった。守ると言ってくれた少年を、少女は好敵手ではなく異性として考えるようになっていたのだ。

 

『そうか。たしかに初号機が勝てない使徒がもし出て来たら、余計武器の貸し借りなんて出来ないか』

「そう。だからこそ弐号機や零号機にも追加武装が欲しいのよ。いえ、出来れば零号機に劣化品でもいいからマステマをね」

 

 そして、今や同居人となった少女も彼女にとっては大切な存在である。だが、今の彼女にとってその少女は複雑な相手でもある。何せ恋敵なのだ。生まれて初めて出来た同い年の親友は、初めて出来た同い年の異性の想い人。そう考えてアスカは小さく苦笑。

 

―――ま、そっちの勝負はエヴァと関係ないもの。だから、エヴァでの戦いは助けてあげる。

 

 その誓いのような呟きは彼女の胸の中だけに。そしてシンジはといえば……。

 

「零号機、かぁ。何だか不思議な気分だな」

 

 先程のレイのように彼が零号機に搭乗していた。初めて乗る他のエヴァ。その違和感のようなものは、シンジの中にずっと残り続けていた。だが、それはどちらかといえば彼が多感な年頃だからかもしれない。

 

(い、いつもは綾波が乗ってるんだよね)

 

 意識しないようにしようにも、以前などここに全裸で入ったのだ。その瞬間、以前の回収時にチラリと見たレイの綺麗な背中を思い出す。その影響で熱膨張しそうな部分から気を逸らすためにシンジは違う事を考える事にした。

 

「そういえば、どうしてエヴァって誰にでも乗れる訳じゃないんだろ?」

 

 今まで当たり前のように流していた事。それがふとシンジには気になった。なので折角だからとばかりにリツコへ質問しようとした時、その相手から問いかけられたのだ。

 

『どう? 零号機のエントリープラグは快適?』

「えっと、何というか違和感みたいなものはあります」

『そう。レイは初号機は反応が良いと言っていたわ』

「反応がいい?」

『ええ。で、零号機は反応が悪いそうよ』

「……よく分からないや。ごめんなさい」

『いいのよ。また何か感じたりしたら教えて』

「はい」

 

 リツコとの会話をしながらシンジはぼんやりと先程の答えが分かった気がした。というのも、普段初号機の時に感じている安心感が感じられないのだ。それが感じられるから自分は初号機のパイロットになれたのだろう。そう答えを出して、シンジはそのまま零号機とのシンクロを開始していく。

 

「やはり初号機程のシンクロは無理ね」

「でも、全ての数値が安定しています」

「シンジ君は零号機も使えるって事?」

「その気ならね。あくまで使えるだけで使いこなせるとは別問題」

 

 リツコの返しにミサトは分かってるとばかりに苦笑した。そもそもあの初号機がある以上、シンジは必然的にその専属パイロットとして扱うのだ。

 

「でも、あの初号機にはあのシステムは使えないものね」

「ダミーシステムは無理よ。あの初号機は、おそらくだけど外見だけでなく中身も変化しているはず。覚えてる? 最初の頃、通信が一切出来なかった事」

「勿論。でも、あの第五使徒との戦いで突然可能になった」

「思うのだけど、あれはシンジ君のこちらへの心の距離が影響しているんじゃないかしら。最初の周囲全てを信じる事が出来なかった彼は外部からの声を聞く余裕もつもりもなかった。だけど、それが少しずつ変化した。ミサト、シンジ君があの初号機でまず最初に聞いた通信は、貴女の彼の事を思う悲痛な叫びだったわ」

 

 その言葉にミサトだけでなくマヤも息を呑んだ。心からシンジを思う声が、初めてあの初号機が繋いだ声だと気付いたのだ。

 

「じゃ、今の通信が最初から出来るのは……」

「おそらく、彼が私達へそれだけ心を開いてくれているのよ。そして、私達も彼へ心を開いてる。互いが心を開き合っているからこそ、今の初号機は通信が途絶えないんだわ」

「成程ね……」

 

 リツコの推測に心から納得しながらミサトは小さく笑みを浮かべた。そう考えると色々と思い当る節はあるのだ。彼女がシンジを家族として扱いたいと言った事。それに彼もぎこちなく応えてくれた事。あの日、二人で交わしたおかえりなさいとただいま。あれが全ての始まりだったのかと。

 

 そう思って思い出を噛み締めるミサトを余所にマヤはリツコの言葉からある存在を連想していた。

 

「何か、そう考えるとあの初号機ってシンジ君のお母さんみたいですよね。過保護な感じの」

 

 そして、その発言にリツコが思わず息を呑んだ。幸いにしてそれをマヤにもミサトにも気付かれなかったが、彼女はそれに構わず内心で目まぐるしい程の事を考え始めていた。

 

(もしかして私は勘違いをしていた? あの初号機は未来とかではなく平行世界のもの? それを初号機の中に眠る彼女が自身を媒介にして憑依させているとでも言うの? 有り得ないけど、その有り得ないものを何度も見せてもらっている以上、受け入れるしかないかも)

 

 実は以前の方が正解には近いと知らず、リツコはそこで一旦思考を中断した。何せ今はシンジの零号機とのシンクロテスト中。まずそれを終わらせてからにしようと切り替えたのだ。そこへアスカが姿を見せた。

 

「あれ? レイは?」

「着替えに行ってるわ。途中で会わなかったの?」

「お手洗いに行ったからかも。そっか、すれ違ったか」

 

 やや残念そうなアスカの反応にリツコ達は小さく笑みを浮かべた。本当に仲の良い友人関係となっていると、そう心から感じて。するとアスカは思い出したかのようにガラスの向こうを見た。そこには零号機がいる。

 

「シンジはもうあの中?」

「ええ。レイ程ではないけど安定した数値を出しているわ」

「へぇ、レイはどうだったの?」

「そちらも動かすのは可能よ。ただ、あの変化は望めないでしょうけど」

「ま、もし仮にレイでも変化したってシンジ程上手くは扱えないしね」

 

 そう言ってアスカは腕組みをして考える。それは、自分も初号機に乗れるかどうか試してみたいという事。レイに出来て自分に出来ないのは嫌なのだ。特にシンジに関わる事は。恋心を自覚したアスカは積極的でありながらアプローチが不器用だった。

 

「ね、あたしも初号機に乗せて」

「あら、いいの? 弐号機以外に乗るつもりはなかったのでしょ?」

「それは過去の話よ。もし仮にあたしやレイでも初号機が使えれば、シンジが怪我したり病気になっても初号機が戦える。更に、使徒戦で変化してくれれば言う事なしじゃない」

「……最後のは検証しようがないけれど、貴女もレイも初号機が動かせるのは作戦部長としては有難いわね」

「そうね。では、今度機会を設けましょう」

 

 ミサトとリツコの結論にアスカは自慢げに笑顔を見せた。

 

「まっかせなさい! あたしがバッチリ初号機とシンクロしてあげるわっ!」

「凄い自信……」

 

 アスカの態度にマヤが小さく苦笑する。ミサトやリツコも同様に。そんな周囲の反応にアスカは少しだけムッとするも、すぐに意識を切り替えシンジへと声を掛けた。

 

「シンジ、あたしも初号機に乗るけどいい?」

『アスカ? いいけど……』

「あたしの方がシンクロしちゃったらごめんなさいね」

『それはないと思うけど、もしそうでもアスカは弐号機に乗って欲しいかな』

「何? やっぱり初号機は自分が一番上手く使えるんだってやつ?」

 

 アスカの軽い煽りにも似た冗談にシンジは小さく苦笑すると優しい声でこう返す。それは、彼らしい言葉。そしてアスカのこだわりをある意味で肯定するもの。

 

―――何となくだけど、エヴァ自体も僕らに愛着みたいなのがあるんじゃないかな? 零号機に乗って分かったんだけど、初号機の方が心なしか安心出来るんだ。きっとアスカも弐号機にはそう感じるんじゃない? だからさ。

―――エヴァの方にも愛着、ね……。

 

 そう聞いてアスカはより一層初号機に乗ってみようと思った。正直彼女は弐号機に安心感など感じた事はない。だけど、それは彼女が弐号機しか知らないからだ。シンジのように別のエヴァに乗れば分かる事もあるかもしれない。そう結論を出し、アスカはシンジへこう言って通信を終える。

 

「シンジ、あんたは弐号機にも乗った事あるでしょ? それについて後であたしに教えなさい。いいわね?」

『あ、そうだった。うん、分かった。思い出しておく』

 

 そのやり取りを聞いてミサト達は楽しげな笑みを浮かべていた。何せ話している内容はともかく、そのアスカの雰囲気はどう見ても恋する乙女そのものだったのだ。

 

「変わったわね」

「ええ、自覚したのかしら?」

「以前よりも声が弾んでますよね、アスカ」

 

 いくつになっても女性は色恋沙汰が好きなもの。ましてやそれが年頃のじゃじゃ馬娘ともなれば尚の事だ。まぁ、そのじゃじゃ馬も最近では落ち着きを見せており、特定の相手にはじゃじゃ馬というよりは勝気な少女レベルまで変化しているのだが。レイも含め多感な少女達はその変化が良い方へ転がっている。それが知らず大人達へも波及しているのだが、残念ながらその事に気付いているのはリツコぐらいだろう。

 

「アスカ? こっちにいたのね」

「うん。レイ、お疲れ様」

「ええ、アスカもお疲れ様。少し捜したわ」

「あー、ごめん。あたし、着替え終わった後でトイレにね」

「そう。その可能性は気付かなかった」

 

 顔を合わせた途端会話を弾ませるレイとアスカ。それを見て女性達は揃って笑みを深くする。と、その頃シンジは一種のトランス状態のようになっていた。

 

「綾波……? 違う? でも、綾波……でもあるの?」

「どうして一緒にいてくれるの? あはは、前も綾波に同じ事聞かれたっけ」

「……うん、そうだよ。でも、今はそれだけじゃないんだ。僕は、あの頃よりももっと綾波と一緒にいたいんだ」

「アスカ? アスカも一緒にいたい、かな。それじゃダメかな? ……アスカならいい? そっか、良かった」

「そう、だね。今も言える。ううん、今はもっとはっきり言えるよ。綾波は僕が守るよってね」

 

 そう答えてシンジが意識を取り戻すとそこはエントリープラグ内だった。

 

『シンジ君、もういいわ。テストは終了よ』

「リツコさん……?」

『意識の混濁が見られる? シンジ君、大丈夫?』

「あ、はい。何か零号機と話したような気がします。何を話したかは忘れましたけど」

 

 シンジのその言葉にリツコ達が息を呑んだのが彼にも分かった。だが、それでも慌てる事なくリツコは少しだけ優しい声でこう告げて通信を切った。

 

『そう。では、何か思い出したら教えて。お疲れ様』

「はい、お疲れ様です」

 

 こうしてシンジの零号機とのシンクロは終わった。そして二度と行われる事はなかったのだ。シンジは知らない。それはかつて彼の母に起きた現象をリツコが恐れたからだと。エヴァは人を取り込んだ事がある。それをシンジが知るには、今しばらくの時間が必要になる。

 

 

 

「予定外の使徒侵入。それに付随して起きる様々な面倒事、か。嫌になるな、これは」

 

 冬月のうんざりするような声にゲンドウは頷く事さえせず前だけを見つめていた。

 

「だが、切り札はこちらが全て押さえている」

「だから事を構えても平気だとでも言うのか。息子のおかげで生き延びているようなものだぞ。今のお前も、私もだ」

「……それだからこそこちらのシナリオが優先出来る」

「それもあの初号機が台無しにするかもしれんぞ」

「問題ない。シンジは何も知らん。その制御も容易だ」

 

 その淡々とした言葉に冬月は初めて感情を向き出しで告げた。

 

―――碇、あの年頃の成長を侮るな! ……現にお前の息子は綾波レイを大きく変えたぞ。

―――…………それでも子供は子供だ。

 

 低く返された言葉には確信めいた響きが秘められている。ゲンドウの片手には携帯電話が握られている。その画面には一通のメールが表示されていた。

 

―――もし父さんさえ良かったら、今度ゆっくり話をしたいけどダメかな?

 

 その文面を思い出し、ゲンドウは微かに笑う。だが、彼も分かっていない。それはシンジが自分の機嫌を取ろうとしている事への笑みではない。健気に父を慕う子の気持ちを無意識に喜ぶ笑みだった。しかし、ゲンドウは気付かない。人は自分の事も意外と分からないものである。特に人付き合いが不器用な者ほど、余計に。

 

「アダム計画はどうなっている?」

「順調だ。2%未満の遅延で進んでいる」

「では、槍は?」

「予定通りだ。作業はレイが行っている」

 

 その頃、その言葉通りレイは零号機である場所へ巨大な真紅の槍を運んでいた。その作業中、レイは小さく呟く。

 

―――碇司令は、本当に私を必要としているの? 碇君は私を、綾波レイを守ると言ってくれた。なら、碇司令は?

 

 ゲンドウならシンジは抑えられるかもしれない。だが、レイは? アスカは? シンジを抑えたからといってそこを抑えられるとは限らない。恋は時に人を大きく変える。それをゲンドウも知っているはずなのだ。何故なら、彼もかつてそれによって変わり、今もその熱を、温もりを追い求めているのだから。

 

 明日の事は誰にも分からない。だからこそ未来は頑張る者にだけ光を与える。過去の残光を求める者達はそれに気付かない。逃げる事を止めた事で逃げ続ける息子と、逃げる事を止めない事で逃げられなくなりつつある父親。その道を繋ぐ鍵は、二人を包む一人の女性……。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十四話「ゼーレ、魂の座」完



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第十五話 嘘も沈黙も

またも使徒戦のない話。だからこそ人間関係を描かねばならない……はずですけどねェ(汗


「きょ、今日はありがとう父さん。わざわざ時間を作ってくれて」

「気にするな。あまり時間も多くはない」

 

 その日、シンジはゲンドウと司令室で直接話をする機会を得ていた。実に初めてエヴァに乗った時以来の直接会話である。この辺りにも二人の関係が普通の親子ではない事が見て取れる。

 

「えっと、実は父さんに聞きたい事があって」

「何だ」

「母さんの、事なんだ」

 

 その言葉にゲンドウの眉が少しだけ動いた。そんな事に気付くはずもなく、シンジは正直な気持ちを父へぶつけた。

 

「ね、母さんってどんな人だったの? 僕はほとんど覚えてなくて」

「…………優しい女性だった。明るく太陽のように私には思えた」

「太陽……」

「ああ、太陽だ。少なくとも私にはそうだった」

「そうなんだ。家事とかは?」

「得意と胸を張って言う程ではなかったが、出来ない訳ではなかった。仕事と家庭、両方を大切にしていた」

 

 シンジは話しながら驚いていた。あの寡黙な父がこうも饒舌に話すとは思わなかったからだ。しかも、普段は感じない感情の熱を感じられる程に。それだけ母が大事な存在であり今も思い続けているのだろうと、そうシンジは思った。それが妙に嬉しくもあり悲しくもあった。

 

「父さんは母さんを今も愛してるんだね」

「……ああ、そうだ」

「そっか。僕も一度会って話をしてみたかったな、母さんと」

「会って話を、か……」

「え? う、うん……」

 

 何か不味い事を言っただろうか。そうシンジが思う程、ゲンドウの空気が変わったのだ。まるで内心を見透かそうとしているかのようにシンジを見つめるゲンドウ。その眼差しに彼はどうしたものかと戸惑いを隠せない。やがてどれぐらい経ったのだろうか。急にゲンドウが机の上にある電話から受話器を取った。

 

「……私だ。五分だけスケジュールを遅らせろ」

「え?」

 

 聞こえた言葉の意味が理解出来ないシンジだったが、ゲンドウはそれだけ告げると受話器を戻して視線をシンジへ向ける。

 

「母と、ユイと会って話をしたいのか?」

「う、うん。さっきも言ったけど、僕は母さんの事何も覚えていないに近いから」

「…………もし仮にそれが可能かもしれないとして、お前はどうする?」

「母さんと会える可能性があるって事?」

 

 シンジの問いかけにゲンドウは無言で頷く。その真意が分からぬシンジではあったが、そんな事を言われて考えれば答えは一つしかなかった。

 

「やるだけやってみる、かな。例え話せなくても会うだけでいい。母さんの顔、知りたいから」

「……そうか」

 

 どこか嬉しそうにゲンドウは笑みを浮かべる。それは心からの笑みだった。まるで共犯者を得たような犯罪者のようなその笑みに、シンジは若干怖さを覚えるものの、それでも目を逸らす事なくゲンドウを見つめた。

 

「……時間だ」

「あ、うん、分かった。ありがとう父さん。じゃあ、仕事頑張って」

「シンジ」

「何?」

「近い内にあそこへ行く。お前も来い」

 

 そのあそこの意味を理解し、シンジは首を縦に振った。そして一度として後ろを振り返る事なく部屋を出て行く。その背をゲンドウは微かな笑みを浮かべて見送るのだった。この時初めてゲンドウはシンジをしっかり見たかもしれない。だがしかし、それはシンジの望む形ではなかった。

 

「どうした碇。不気味な顔をして」

 

 そんな事を思い出していたゲンドウを現実に引き戻す冬月の声。今、ゲンドウと冬月はヘリの中にいた。その眼下には湖が見える。第二芦ノ湖だ。勿論天然で出来た訳ではない。使徒との戦いによるものだった。

 

「何でもない。それで、ゼーレは何と言ってきた」

「計画遅延の文句だ。議長が直接とは相当お怒りだな」

「解任するぞと言ってきたか」

「分かってるなら何とかしろ。前回の事で向こうも相当イライラを溜め込んでいるようだ」

「ダミープラグに着手しアダムも順調だ。一体何が不満だと」

「肝心の補完計画が遅れているからだ」

 

 ゲンドウへ教師のように答えを突き付ける冬月。それにかつての姿を思い出したのかゲンドウは微かに息を吐く。

 

「全ての計画はリンクしています。問題は」

「あるだろう。綾波レイはどうする」

 

 遮って告げられた現実。それからゲンドウは目を背けるように視線を外へ向けた。もうこの話は終わりだ。そんな意図を汲み取り、冬月は仕方なくこの場は流してやる事にした。

 

(本当に子供だな。良く言えば純粋。悪く言えば我が儘。本当に……変わらんのだな、六分儀)

 

 結婚し苗字を変えたところでその根本が変わる訳はない。ゲンドウは碇になっても六分儀の頃のままだ。そう痛感し、冬月は別の話題を振る事にした。

 

「そういえばあの男はどうする?」

「好きにさせておきます。アレらと同じで」

「もうしばらくは水の中、か……」

 

 その言葉を合図にしたかのようにヘリは第二芦ノ湖から遠ざかるのだった……。

 

 

 

「十六年前、あそこで何が始まったんだ?」

 

 その加持の呟きに答える者はいない。だが、近付く者はいる。その気配に加持が素早く振り返る。しかし、その相手は両手を上げていた。更に言えば加持の知っている相手であった。

 

「私だ」

「あんただったのか。すまないね、脅かして」

 

 加持の謝罪に相手は取り合わず無視するかのように話し出した。それらは二人がいる場所にも関係する話。マルドゥック機関と呼ばれる組織の話だった。二人のいる場所はその機関と関係する企業があるはずの場所だった。だが、そこはただの廃屋。とてもではないが企業らしさは欠片もない。

 

「ここもダミー、か」

「ああ。108ある企業の内の107個目の、な」

「で、ここも取締役が?」

「知っていたか」

 

 相手の言葉に加持は頷く。そう、それらの企業の取締役にはゲンドウや冬月の名前が並んでいるのだ。つまりマルドゥック機関とはネルフに関連する組織である。そして、その目的はエヴァンゲリオン操縦者の選出だった。にも関わらず組織の実態は不透明という怪しさのみが際立つ存在だ。

 

「貴様の仕事はネルフの内偵だ。余計な事はしない方がいい」

「分かっちゃいるがね。何事も自分の目で確かめないと気が済まない性分なもんで」

 

 そんな加持の返答に相手は何も言わずその場を去る。残された加持はぼんやりと宙を見上げた。

 

―――ただ、確かめられないもんはどうすりゃいいんだか……。

 

 その脳裏には一人の女性が浮かんでいた。今、彼がもっとも意識し心奪われている女性の姿が……。

 

 

 

 卵焼きにウインナー、ポテトサラダには小さく刻んだチーズを混ぜてプチトマトを一つだけ。それに豆とひじきを甘辛く煮たものとカボチャフライ。ご飯には何もされていないが、物足りなければ包みに入れてあったのりたまをお使いください。それがレイの用意したお弁当だった。ただし、ウインナーは彼女の分には入っていない。代わりに卵焼きが一つだけ多く入っていた。

 

「どう?」

「うん、いいんじゃないかな? バランスもそこまで悪くないと思う」

「でも、やっぱりもう少しテンション上がるもんが欲しいわ。ハンバーグとはいかないまでも、せめて肉団子とか」

「分かった。今度は入れてみる」

 

 三人揃っての屋上での昼食。今日はレイの番。ローテーションになって既に三回目のレイお手製弁当は、初回よりも手作りが増えていた。最初はよくあるお弁当のおかずとして売られている物の組み合わせだったが、最近それらは、自分で作るのが困難な物や時間がかかる物だけに使用を留め、出来る限り手作りを心がけているのだ。

 

「綾波、このひじきは自分で?」

「ううん、それは市販品。煮物とかは時間もだけど経験も必要」

「でも、この前のシンジは美味しい煮物入れてきたわよね。筍と人参、味よくしみ込んでたもの」

「あれは夜の残りだったからだよ。冷えると浸透圧の関係で煮汁がしみ込むんだ」

「「へぇ」」

 

 口を揃えて感心する二人の少女。そのままシンジを見つめて無意識にご飯を口に入れる。その様にあの共同生活の名残を感じ、シンジは小さく笑った。そんな彼の反応に同時に小首を傾げ、アスカとレイは互いへ顔を向ける。

 

「碇君、どうしたの?」

「さあ?」

「あ、アスカも綾波も本当に仲良くなったよね。やっぱり一緒に暮らしてるから?」

「……かしらね」

「多分そう。色々ケンカする事もある」

「ケンカ?」

「あー、口喧嘩よ。ていっても、激しいのじゃないわ。今のみたいな夕食の献立や味付け。あるいは日用品の買い忘れや替え忘れとかね」

 

 アスカの言葉に頷くレイを見て、シンジは内心でこう思っていた。それじゃ本当に家族だよと。何せ彼も似たような事をミサトとしているのだ。味付けこそもうなくなったが、日用品関係は未だにある。それと、部屋の掃除関連で散らかさないようにとのケンカも。

 

(ケンカする程仲が良いってそういう事なのかな?)

 

 昔から言われている事を改めて実感するシンジ。そうして他愛ない会話をしながら話はだんだん休日の事へ変わっていく。アスカは自覚した恋心のため、レイよりも先んじてシンジと関係を深めたい。だが、ここで素直に誘えないのが彼女である。当然切り出し方は妙な感じとなった。

 

「でもさ、休日ってどう過ごすか困る時あるわよね」

「そ、そうかな? 僕は困る事はないけど」

「え~? 毎度予定がある訳じゃないでしょ?」

「あー、うん。さすがにそういう訳じゃないけど……」

「今度のお休み、碇君は何か予定あるの?」

「えっと、一応」

 

 そのどこか嬉しそうな返しにアスカとレイの箸が止まる。そして瞬時に隣へ視線を動かす。レイ? いえ、アスカじゃないの? そんな言葉を目でやりとりし、少女二人は小さく頷いて少年を見た。若干むっとした表情で。

 

「ど、どうしたの……?」

「「誰?」」

「え?」

「「誰と会うの?」」

 

 今にも迫ってきそうな二人の迫力にシンジは困惑しつつも答える事にした。ここではぐらかさないのは好判断と言える。ま、飄々とした男性がいれば駆け引き下手だなと苦笑するだろうが。

 

「父さん、だけど……」

「「何だ……」」

 

 明らかに安堵したように二人はそう返すと再び弁当を食べ始めた。それに理解が追いつかないシンジではあるが、どこかで期待している事があった。

 

(今の、アスカと綾波がやきもちやいてくれたとかだったら嬉しいなぁ)

(あーあ、あんなに緩んだ顔しちゃって。あたしといる時もそういう顔しなさいよね)

(碇君、嬉しいのね。でも、あの顔は深い意味がある時の顔に似てる気がする……)

 

 正解と知らず、少年はそう思って顔を綻ばす。そんな彼を見て少女達はそんなに父親と会える事が嬉しいのかと、そう思って小さくため息。まさしくすれ違う互いの気持ち。それでも完全にすれ違ってはいないのが救いだろうか。

 

 そのまま食事は賑やかに楽しく終わりを迎え、下校したシンジ達はその足で揃ってネルフ本部へ向かう。そこでシンクロテストを行う事になっていたからだ。

 

「じゃ、またあとでね」

「またあとで」

「うん、またあとで」

 

 着替えるためにそれぞれ別れる三人。と、シンジはふと足を止めて振り返る。

 

「……あの二人と僕は一緒に寝た事があるんだよな」

 

 クラスの誰も知らない三人だけの秘密。あの後、ミサトからシンジは教えてもらったのだ。最後の夜は機材のトラブルで見られても聞かれてもなかったと。

 

―――だから正真正銘あの夜だけはシンちゃん達だけの思い出よ。

 

 その言葉が頭を過ぎる。あの夜の会話があって今があるとシンジは理解していた。アスカとレイのルームシェアを決めたのも、あの使徒戦を勝利出来たのも。

 

「また、いつか出来るかな?」

 

 今度は訓練などではなく普通の友人として。出来るのならミサト達三人のようにと、そう思いながらシンジも着替えるべく更衣室へと向かうのだった……。

 

 

 

「ネクローシス作業、終了」

「可逆グラフ、測定完了しました」

「三機共、シンクロ維持に問題なしです」

 

 オペレーター達の報告に頷き、リツコは隣にいる親友へ視線を向ける。彼女は今微妙な表情を浮かべていた。

 

「明日着てく物?」

「……やっぱ分かる?」

「まあね。私も悩んでいるもの」

 

 明日、二人の友人が結婚するのだ。その式に着て行く格好でミサトは頭を悩ませていた。何しろ結婚式へ招待されるのも一度や二度ではない。その度にドレスなどを着るので同じ服は選びたくないし選べないのだ。リツコもそこは同じ。内心で二人はこう思っていた。

 

((いつもスーツで済ませられる男はいいわね……))

 

 そして脳裏に浮かぶは同じ男。飄々としている気障な男性だ。二人の大学の同級生でもある彼も式には招待されている。

 

「いっそ着物でもレンタルする?」

「冗談。下手したら一人だけで悪目立ちするわよ」

「それもそうね。あ、あのオレンジは?」

「……察してよ」

「ああ、そういう事。私は幸か不幸かあまり変化しないから」

「あんたのは不健康な生活だからでしょ。シンちゃんの美味しいご飯出されてみなさい。あっと言う間に太るわよ?」

 

 互いにふざけ合うように会話するミサトとリツコ。かつて大学時代も似たようなやり取りはした。だが、その頃と今では何かが違うと思っていた。その理由も、お互いに何となくであるが理解もしている。あの頃は上辺だけの付き合いに近いものがあった。そりはあっても深くまでは知ろうとせず、また教えるつもりもなかった。それが今は互いの内面へそれなりに踏み込んでいる。だからだろうと。

 

「新調するしかないか……」

「出費がかさむわね」

「ホントよ。三十路前だからってみんな焦っちゃってさ」

「最後の一人になりたくないんでしょ。私だってそう思うもの」

「ドレスにご祝儀……いつかその分徴収してやるんだから!」

「ふふっ、怖い怖い」

 

 そう話を終えたところでリツコは意識を切り替える。

 

「三人共、あがっていいわよ」

『あー、やっと終わった』

『今夜はどうする?』

『シンジ、家に寄ってまた新しいレシピ教えなさいよ』

『そうね。碇君、お願い出来る?』

『えっと、ミサトさんいいですか?』

「いいわよ。ただし、お泊りはなしだからね?」

『『『分かってます』』』

 

 揃って告げられる呆れた声で通信は切られる。その最後の言葉に苦笑するミサトとリツコ。気分はもう姉のようなものだ。ミサトはシンジの、リツコはレイのだろうか。だが、彼女達は知らない。ここに加持がいれば、ミサトがアスカの姉ポジションとなり、見事に自分達の関係と近しいものが出来上がる事を。

 

「そういえば、シンジ君は明日会うんでしょ?」

「そうみたい。今から若干楽しみにしてるわ」

「……上手くいくかしら?」

「上手くいかないでもいい。ただ、逃げずに話を出来るだけでも成功よ」

 

 噛み締めるようなミサトにリツコは視線を少しだけ向ける。そして確信したのだ。以前自分と母の関係を聞いて分かったと言った背景を。彼女もまた向き合ったのだろうと。

 

(複雑なものね。父とすれ違ったミサトはシンジ君と司令に己を重ね、母を憎んだ私はレイで擬似的な子育てを経験。それが結果的に過去を受け入れる下地を作っているなんて……ね)

 

 本当に出来過ぎな関係性だ。そう思ってリツコは軽く笑う。でもそれをどこかで好ましく思っている自分がいると知っているから。そのリツコの笑みはミサトに気付かれるまで続いた。その頃、着替え終わった三人は揃って夜道を歩いていた。買い物のためスーパーへ行くためだ。

 

「あ、そうだ。綾波に聞いてみたい事があるんだけど」

「何?」

 

 シンジの言葉にピクンと反応するアスカ。レイはそれに気付かず小首を傾げる。

 

「明日父さんに会うんだけど、いつも綾波は何を話してた?」

「どうしてそんな事を?」

「うん、いつか偶然綾波と父さんが話してるとこを遠目から見たんだ。その時、二人して楽しそうに話していたから」

「は? レイ、あんたよくあの司令と楽しげな会話が出来るわね」

 

 あまりの内容に聞き耳を立てていたアスカが思わず会話へ参加した。シンジとしては別に何の疑問もない行動だったので気にしなかったが、アスカは内心で失敗したと感じているのだろう。その表情が微妙な感じになっていた。

 

「そう? そんなにおかしい?」

 

 その問いかけに無言で頷くシンジとアスカ。この辺りはシンジも素直である。

 

「……そう。でも、最近は碇司令と話す事はほとんどないわ。だから思い出せない」

「そうなんだ」

「ええ。最近は碇君やアスカと話す方が多いし、赤木博士やヒカリとも話すから」

 

 そこでシンジは軽く驚きを見せる。レイがヒカリを名前で呼んだからだろう。アスカはそんな彼の反応から即座に理由を察し、苦笑して説明をし始めた。理由は簡単だった。アスカを名前で呼んでいるレイを見て、ヒカリが付き合いの長い自分が苗字呼びなのが不満だったのだ。それを言われ、ならばとレイが自発的に名前で呼ぶ事を始めた。その事情を聞き、シンジも納得。

 

「そっか。委員長も綾波と親しくなりたいって思ったんだ」

「名前で呼ぶのは親しい証拠なの?」

「どうだろう? 一つの方法かもしれないけど……」

「ま、日本人はそういう感覚かもしれないわね。海外じゃ名前で呼ぶのは普通だし、親しさは愛称とかで呼ぶ事だもの」

 

 アスカの言葉に頷き、レイはシンジへ視線を向ける。その瞬間、アスカが彼女の言葉を遮るように発言した。

 

「い」

「ダメよ。シンジを呼び捨てにしていいのはあたしだけ。レイは今のままでいいじゃない」

「どうして? 私も碇君と親しくしたいわ。碇君は?」

「え? そ、そうだなぁ。僕も綾波とは親しくなりたいけど……」

 

 レイの視線に微かに表情を緩めてシンジは答える。それがアスカは気に入らない。

 

「今も言ったでしょ? 呼び方を変えたところで親しくなるわけじゃない。もっと分かり易く親しくなったと、そう周囲に分からせたいなら……こうよ」

 

 そう言うとアスカはシンジの手を掴むと自分と繋ぐ。あまりの事にシンジは瞬きするしかない。と、レイはそれに頷き残るシンジの手と自分の手を繋いだ。

 

「え……? ええっ!?」

「何よ? 嫌なの?」

「嫌なら言って」

「い、嫌じゃないけど……どうしてこうなるの?」

「べ、別にいいでしょ? あたし達は世界に三人のエヴァパイロット。その仲が良いのはむしろ喜ばれる事だし」

「ええ。それに、私はアスカだけじゃなく碇君とも一緒に暮らしたかった」

 

 顔を赤めてのアスカの言葉はシンジの耳には届いたが目には届かない。彼女は気恥ずかしさで顔を背けていたからだ。レイの発言はシンジに大きな衝撃を与えた。何せそれを言われた瞬間、かなりぐらついたのだ。

 

(も、もしかしたらあの生活が日常に……?)

 

 毎朝アスカにレイと顔を合わせ、共に食事を取り登校する。帰っても二人と一緒に過ごせ、必ず悶々とする事請け合いだが、今よりもその関係を進める事が可能なのは言うまでもない。そこまで考え、シンジは首を横に動かして意識を切り替えた。

 

「と、とにかく時間も遅いから早く買い物を済ませよう。ほら、アスカも綾波も行くよ?」

「「ええ」」

 

 繋いだ手は放される事なく、むしろより強く繋がれる。それに嬉しそうな笑みを浮かべる二人の少女。それを見る事なく歩き出す一人の少年。余談ではあるが、この夜帰宅したシンジは手を洗う事はなかった。

 

 

 

「シンジの奴、結局口出ししかしなかったわね」

 

 シンジも帰宅し、いつもの二人に戻ったリビングでアスカはそうぼやく。だが、言葉とは裏腹に表情は嬉しそうに緩んでいる。気付いていたのだ。どうして彼が自分で料理をしようとしなかったのかを。

 

「ええ。それにいつもはするはずの手洗いもしなかった。どうして?」

「ま、そこが分かるようになったらレイももっとシンジと仲良くなれるんじゃない?」

 

 突き放せばいいのに出来ないアスカ。ここに彼女の本質が見える。気に入った相手にはとことん優しいのだ。ただ、その優しさは不器用極まりないだけで。だが、そんな不器用な優しさも素直で無垢な相手には伝わるもので。

 

「そう。ありがとうアスカ」

「はいはい。お礼を言われるような事じゃないけどね」

「言われるような事。だって、アスカは分かってるのに教えようとしない。それは私が自分で気付かないと意味がないから」

「…………そんなんじゃないわよ」

 

 レイの素直さが羨ましくて、アスカは小さく呟いた。本当はレイとシンジが両想いであると知っているからだ。そう言えないアスカであるが、彼女もまた自分の事は分かっていないのだろう。シンジはレイと同じぐらいアスカの事を意識している。しかし、アスカはシンジとレイがデートをした事を知っているし、守れるなら守りたいと言われた自分と違い、命懸けの戦いで守ると言われた事も知っているのだ。

 

(シンジはレイが好きなんだわ。ま、そりゃそうよね。ここまで素直で従順な子、あたしが男でも好きになるもの)

(碇君の気持ちをアスカはよく分かってる。やっぱり私はまだ人の気持ちを分かる事が出来ない。感情を出せるアスカを碇君がよく見るのも当然ね)

 

 揃ってため息。互いに自身への自信がないのはご愛嬌。恋愛において二人はまだまだ経験不足である。そして当然二人の想い人も。

 

「アスカ、お風呂どうする?」

「……久々に一緒に入る?」

「……そうね。背中流すわ」

「ん、お願い。あたしもしてあげるから」

 

 そうして二人が入浴準備を始めた頃、シンジはミサトから一着のドレスを見せられていた。

 

「どう? 明日の結婚式に着てくんだけど」

「似合ってますよ。それに、何というか大人って感じです」

「あら、アリガト。でも、出来れば次は白いドレスを着たいもんだわ」

「白いドレス?」

「そ。女の憧れってやつよ」

「ああ、ウェディングドレス」

 

 シンジの言葉にどこか遠い目をして頷き、ミサトは宙を見上げた。学生の頃と今では憧れ方が違うのだ。昔は漠然としたもの。今は現実的なもの。だが、奇妙な事にその想像での相手役は今も昔も変わらなかった。

 

(ダメね。やっぱりあたし、あいつが好きなんだわ……)

 

 今はどこかへ出張している加持の事を思い浮かべ、ミサトは小さくため息を吐く。苦労するのが分かっているからだ。主に家事の事で。

 

―――ど、どうかしら?

―――あ、ああ。美味い、ぞ。ただ、俺の好きな味じゃないかな。うん、今度から俺が作るわ。

 

 思い出すのはかつての暮らし。同棲と言う名の、擬似夫婦生活。ただ、今思い出せばとてもではないがそうではなかったとミサトは思う。あれはままごとだ。互いにそれらしく振舞い、それらしく思っていただけのごっこ遊び。今のシンジとの生活の方が余程それらしいとさえ思う程の時間だ。だけど、それが今のミサトにとっては懐かしく笑みが浮かぶ思い出。

 

(また、あんな風になるのかしら?)

 

 そう思って微笑むミサト。そんな彼女に気付きながらもシンジは何か言う事なく、そっとその場を離れる。

 

「ミサトさん、加持さんの事が好きなのかな?」

 

 もしそうなら応援したい。シンジにとって、ミサトが姉みたいな存在なら加持は兄にも近い存在だった。あの共同生活の際に渡された小さな紙袋。それをあの生活が終った後、彼は密かに開けてみた。そこにあったのはまごう事なき避妊具だったのだ。勿論最初は複雑な気持ちになった。だけど、中学男子にとっては買う事さえ難しいそれをシンジが捨てるはずもなく、今も財布の中に万が一の際の保険兼お守りとして入れていた。

 

「……今度、アレの着け方教えてもらおう」

 

 そう心に誓う碇シンジ十四歳。彼もまた思春期の少年であった……。

 

 

 

 定番のスピーチ。定番の歌。もう何度となく聞いてきたそれらを終え、ミサトとリツコはため息を吐く。

 

「「はぁ……」」

 

 見る者が見れば妙齢の美女二人。お近づきになろうと思う男が現れてもおかしくないのだが、そうさせない程の壁のような物が二人にはあった。ミサトは言うまでもなく意中の男がいるからであり、リツコはリツコで男の誘いはお断りなのである。

 

「来ないわね、加持君」

「……あいつが時間通り来た事なんてないわよ」

「デートの時は、でしょ。仕事の時はきっちりしてるわ」

「そうだったわね。あたしは仕事以下か……」

 

 そのミサトの呟きにリツコが小さく息を吐いて何かを言おうとした時だった。

 

「いやぁ、お二人共お美しい。どうです? この後ご一緒にお酒でも」

「「そっちの奢りなら」」

「あら、これは手厳しい」

 

 苦笑いしながらミサトの横へ座ろうとする加持。それを見て苦笑するリツコとやや複雑な顔のミサト。と、その目が何かに気付いて軽く呆れつつ笑みを浮かべた。

 

「ヒゲ、剃りなさいよ。あとネクタイ曲がってるわ」

「おっと……その、何だか悪いな」

「別に。それだけ急いで来たんでしょ? 仕方ないわよ」

「葛城……ありがとう」

「どういたしまして。はい、これでよし!」

 

 まるで夫婦のようなやり取りを眺め、リツコは羨ましそうな眼差しを送る。以前ならば何とも思わなかった光景。だが、レイという擬似的な娘を得た今の彼女にはそれは遠く眩しいもの。どこかで望まぬようしていた気持ちを強くさせる景色。

 

(あの人はきっと私を求めていない。彼女の代わりにさえなっていない。それは、母さんも同じだったはず。それでも……)

 

 手にしたグラスを傾け、リツコはその中身を飲み干す。少しだけ強めのアルコールが喉を焼くように落ちていく。それがまるで今の気持ちの熱のようにも感じて、リツコは横目で一組の男女を見た。

 

「……未練、かしらね。私も、二人も」

 

 その呟きは聞かれる事なく会場のざわつきに消える。式はもう終わりが見え始めていた。

 

 ミサト達が結婚式会場で合流したその頃、シンジはゲンドウと共にある墓の前にいた。

 

「三年ぶり、か。二人でここに来るのは」

「そうだね。あの時、僕はここから逃げ出してから一度も来てないから。だって、未だに実感が湧かないんだ。ここに母さんが眠ってるって」

 

 二人の視線の先には碇ユイの名が刻まれた墓標があるだけ。そこだけ俗世と切り離されたような場所に、シンジとゲンドウは佇んでいた。

 

「人は思い出を忘れる事で生きていける。だが、決して忘れてはいけない事もある」

「それが母さん?」

「ああ、ユイもその一つだ。ユイは私にかけがえのないものを教えてくれた。その確認のために私はここへ来ている」

「そうなんだ。写真とかもない?」

「全て処分した。この墓も飾りのようなものだ。遺体もない」

 

 その言葉にシンジはどこか悲しそうな顔をして墓標を見た。まるで母の生きた証が全て消えたような気がしたのだ。そう思って悲痛な表情を浮かべるシンジをチラリと見やり、ゲンドウは息を呑んだ。一瞬ではあるがシンジの横顔がユイのそれと重なったのだ。

 

「どうしたの、父さん?」

「……何でもない」

「そう。でも、本当に先生の言ってた通り、全部捨てちゃったんだね」

「全て心の中にある。今はそれでいい」

 

 ゲンドウが告げた言葉にシンジはふと思い出す事があった。いつかミサトの言った言葉を。例え嫌われるとしても、言える内に言っておいた方がいいという言葉を。

 

「父さんは、父さんはそれでいいかもしれない。でも、僕は顔も声も何も覚えてないんだ。どうして僕の事は考えてくれなかったの?」

 

 返ってくる言葉はない。だが、シンジは止まるつもりはなかった。堰を切ったように感情や言葉が溢れてきたのだ。

 

「僕だって母さんの思い出が欲しいんだ。それを一番持ってるのは、話せるのは父さんでしょ? 僕へ教えてよ。母さんの事を、母さんの思い出を! 独り占めなんてズルいよっ!」

「シンジ……」

「父さんは僕が嫌いなの? 母さんの思い出があれば僕はいらないの!? 答えてよっ!」

 

 子供の癇癪。そう表現するのにおかしくない内容だった。それでも、それは初めてシンジが父へ見せた子供の顔。そしてゲンドウが初めて触れた子供の駄々。沈黙がその場を支配する。目を見開いてゲンドウを睨むように見つめるシンジと、その眼差しに戸惑うゲンドウ。やがてゲンドウがその場から立ち去ろうと動き出した。

 

「父さんっ!」

「時間だ。先に帰る」

「逃げないでよっ!」

 

 立ち去る背中へシンジは追いすがるように声をかける。すると、ゲンドウが一度だけ足を止めた。そして振り返る事なく告げる。

 

―――……また、時間を作っておく。日時はメールで知らせる。

 

 今度こそ足を止める事無く立ち去るゲンドウ。その背をどこか呆気に取られたまま見送るシンジだったが、その姿が見えなくなる直前で我に返り、大声で叫んだ。

 

―――待ってるからっ! メール待ってるからね、父さんっ!

 

 それに対する反応はない。それでもシンジは嬉しそうに笑みを浮かべる。自分の声が届いたと、そう感じて。そして彼も上機嫌のまま帰宅しようと歩き出し、ある程度まで行ったところで不機嫌なアスカと出会った。

 

「あれ? アスカ? 一人?」

「シンジ? そうよ。レイはヒカリの家でお料理教室」

「そうなんだ。じゃあ、どうしたの? アスカも一緒にいたんじゃ?」

「……あたしはヒカリの頼みで年上の男と会ってきたのよ。ま、デートってやつかしら」

 

 その言葉にシンジは思わず拳を握った。アスカとデートした男へ嫉妬したのではない。そうであったにも関わらずアスカが不機嫌である事。その理由を彼なりに勘違いしたのだ。

 

「もしかして嫌な事されそうになったの?」

「え? ううん、そんな事はなかったわ。まぁ、あのままだと可能性はあったかもしれないけど」

「ホッ……ならどうして?」

「簡単よ。つまんない男だったの。だからジェットコースターの待ち時間で帰ってきた」

「そ、そうなんだ」

「ん」

 

 話しながら思い出したのか、アスカは不機嫌な度合を強めていく。それを見てシンジはどうしたものかと考える。きっとアスカは本心で言えばレイ達と合流したいのだろう。だが、デート相手を置いて帰った以上、頼んできたヒカリとも顔を合わせ辛いのだ。そう判断し、ならばとシンジは思い付いた。

 

「アスカ、良かったら少し部屋に寄ってかない? 多少は気持ちも晴れるかもしれないよ?」

「いいけど、ミサトいないんでしょ? 何するつもりよ?」

「えっと、数少ない僕の趣味みたいなものを見せるよ」

 

 そのシンジの趣味という言葉に興味を惹かれ、アスカはシンジと共にミサトの部屋を訪れる。そしてリビングで待たされる事少し。シンジが大きなケースを持って現れる。

 

「……何よこれ。ヴィオラ?」

「チェロ。五歳の時からやってるんだ。そこまで巧くないけどね」

「へぇ、見かけによらないわね。聞かせて?」

「うん、ちょっと待ってて。久しぶりに弾くから軽く練習したいんだ」

 

 そう言うとチェロを取り出し準備を始めるシンジ。その姿を見てアスカはある事に思い至る。

 

「ね、シンジ」

「ん?」

「これ、こっちに来てから弾いてないの?」

「そうだね。この部屋に来てからは一度も。それが?」

「別に。ちょっと気になっただけ」

 

 見るからに上機嫌のアスカに首を傾げつつ、シンジはチェロを弾き始める。五歳からやっていただけあり、そこまで下手ではなかったが、心を打つ程のものでもない。だが、アスカにとっては人生で一番嬉しい演奏だったろう。何せ、彼が人に聞かせた演奏は初めてだろうと踏んでいたからだ。自発的に誰かへ声を掛け、自分のチェロを聞かせるなどシンジがするはずないと。

 

(レイも知らないしミサトだって知らないシンジの趣味、か。あたしだけのための演奏なんて、意外とロマンティックかも……)

 

 出会った時の不機嫌さなどどこへやら。知らず満面の笑みを浮かべアスカはシンジの演奏に聞き入っていた。そんな彼女に気付き、シンジは不思議に思いながらも嬉しく思って音を奏でていく。

 

(何だろう? 今までで一番弾いてて楽しい……? そっか、アスカが、聞いてくれる誰かがいるからだ。それも、あんなに嬉しそうに……)

 

 これまではたった一人だけの演奏会。それが、一人だけでも観客が出来た。二人きりの秘密のコンサート。これも彼ら二人だけの思い出に変わる。少年の父は思い出を忘れる事で生きていけると言った。だが、少年はこの街に来てからの思い出を忘れる事などしないだろう。そう、きっと少年はこう言えるはずだ。思い出を忘れては生きていけないのだと。辛い事も苦しい事も嫌な事も、楽しい事や嬉しい事や好きな事に変えていけるのだから。現に、今の彼はそうだった。かつては辛く苦しい事もあったチェロ。それが今、楽しく嬉しい事へ変わっている。そして、きっと好きな事にもなるだろう。その演奏を笑顔で聞いてくれる可愛い観客がいる限り。

 

 

 

 無事に式も終わり、今は三人だけの三次会へ突入していたミサト達。楽しい酒は進むもの。気が付けばミサトはもう顔が赤くなり始めていた。

 

「ちょっちお花摘みに行ってくる」

「大丈夫か?」

「へーき」

 

 ヒラヒラと手を振ってトイレへと向かうミサトを微妙な顔で見送る加持とリツコ。だが、まだ酔い潰れる程ではないと理解したのだろう。加持は視線をミサトから外して手元のグラスへ向けた。

 

「あいつがヒール、か。何年振りだろうな……」

「ミサト、飲み過ぎね。はしゃいでもいるし」

「浮かれる自分を抑えようと飲んでるんだろ。どうしてかは知らないが」

「あら、一緒に暮らしてた割にそこは分からないの?」

「どういう意味かな? それに、暮らしてたのも葛城がヒールなんて履く前だ」

 

 そう答えて加持も思い出すのだ。ミサトとの同棲時代を。何もかもが新鮮で、輝いていたあの頃。好きな女と一緒に居られる幸せ。だが、それは現実をまだ知らないからこそのものだと後で思い知ったのだ。

 

「学生時代には考えられなかったわねぇ」

「俺も今よりガキだったし、あれは精々共同生活止まりさ。本気の同棲はもっと甘くない」

「シンジ君との生活も?」

「あれは同居。葛城の方が立場は上で養ってる側だ。俺の時とは異なるさ。っと、そうだ。これ、猫の土産」

「あら、ありがとう。こういうところはマメね」

 

 少しからかうようなリツコに加持も苦笑を返す。

 

「こういうところは、ね」

「ミサトには?」

「一度敗戦してる。負ける戦はしない主義だ」

「勝算はあると思うのだけど?」

 

 本気で加持をけしかけている。そう分かる表情と言い方のリツコに彼も思わず顎を触る。彼もどこかで同じ事を思っているのだ。だけど、だからこそそれが違った時が怖い。勝手に勘違いをして、勝手に決めつけて、そして傷付くのは嫌なのだ。故に大人は誤魔化す。

 

「リっちゃんは?」

「私も負ける戦はしない主義」

「負ける戦は……成程。最初から負けてる戦は別って事か」

「ええ。最初から結果が分かっていれば期待もしないで済むわ」

 

 嘘だった。どこかでもしかしたらを信じていたのだ、最初は。だが、そんな事はないとすぐに気付いた。気付いたけれど逃げ出せなかったのだ。何故なら、彼女へすがる時の彼は本当に弱い姿を晒していたから。

 

(ホント、私も女を捨てられないのね。そして、母にもなりたいと思い出しているなんて……)

 

 レイとの時間。それがリツコの母性を目覚めさせた。それと、教える喜びも。そんな事を思いグラスを傾けるリツコを横目に、加持は戻ってこないミサトへ意識を向ける。

 

「遅いな葛城の奴。化粧を直してるのか?」

「京都、何しに行ったの?」

 

 そこへ投げ込まれる言葉に加持は内心の動きを出さず、不思議そうに問い返した。

 

「松代だぞ? その土産」

「いつか言った事覚えてる? あちこちに粉かけないようにって。これは友人としての忠告」

「真摯に受け止めるよ。かけるなら君だけにって事だな」

「どこにかけて欲しい? 警察? 弁護士?」

 

 加持がリツコの手を握ったところへ聞こえる優しい声。それにため息を吐くリツコとゆっくり視線を動かす加持。そこには携帯片手ににっこりと微笑むミサトが立っていた。

 

「あー、おかえり」

「変わんないわね、その軽いとこは」

「いやぁ、変わってるさ。生きるって事は、変わるって事さ」

 

 その表現がシンジを表しているように思って、ミサトはリツコへ視線を向けた。

 

「ホメオスタシスとトランジスタシスね」

「早口言葉?」

「今を維持しようとする力と変えようとする力。その矛盾する二つの性質を一緒に共有しているのが生き物なの」

「男と女だな」

 

 加持の表現に思う事があるのか、リツコは手にしたグラスの中身を全て飲み干した。

 

「そろそろ帰るわ。一人になりたいの」

「そう。気を付けてね」

「ええ」

「残念だけど仕方ないな」

「また機会があれば誘って頂戴。じゃあね」

「うん」

 

 席を立ってミサトの横に来た時、リツコが彼女だけに聞こえるような声で囁いた。

 

「ミサト、まだ火は燃え残っているわよ」

「え?」

「じゃあね」

 

 笑みを浮かべながら小さく手を振るリツコへ手を振り返し、ミサトはどこか釈然としないものを感じながら携帯でどこかへ電話をかける。相手はシンジ。帰りが遅くなる事を伝えたのだ。連絡を終えて、ミサトが席に座ろうとすると加持がその動きへ待ったをかける。

 

「何よ?」

「さすがに飲み過ぎだ。リっちゃんじゃないけど俺達も帰ろう。送っていくから」

「……もう連絡入れたのに」

「なら、別の場所で酒を軽く抜いた方がいい。足元、おぼつかなくなってきてるだろ」

 

 良く見てる。そう思ってミサトは観念する事にした。こうして二人は店を出て歩き出したのだが、やはりミサトがどこか不安定な足取りをしていた。それを見て加持がこう提案したのはある意味で当然だったかもしれない。

 

「葛城、今のお前じゃヒールは無理だ。俺に背負われるかあそこへ行くか選べ」

「へ? あそこって……」

 

 加持が指さすのはネオン眩しい建物。所謂連れ込み宿と言うものである。それを理解してミサトは少しだけ酔いが醒めた。

 

「ば、バカじゃないの! あんなとこ行くぐらいならおんぶの方がマシよっ!」

「よし、決まりだな。ほら、背中に乗って靴脱いだら手で持ってくれ」

「分かったわよ……」

 

 そこでミサトは気付いた。今の提案は最初からこの選択を選ばせるためだと。彼女の性格を考え、どうすれば申し訳なさを感じる事無く動けるか。その配慮だったとミサトは背負われてから気付いた。

 

(こいつ……そんな気遣いするようになったのね)

 

 初めて出来た彼氏。まだお互い子供を抜け切れず、最後にはすれ違った二人。いや、強引にすれ違うように動いたのだ。女が、ミサトが加持にある面影を重ねていると分かってしまったから。そのまま加持に背負われ、ミサトは思うのだ。あの時、どうして逃げてしまったのだろうと。目の前の事から逃げず、立ち向かうかやり過ごしていればまた違う結末があったのに。そんな想いが彼女の口を動かした。

 

「ね、加持君」

「ん?」

「私、少しは大人になれたかな?」

「葛城は大人さ。少なくとも、俺よりは確実に」

「嘘」

「本当さ。俺じゃ、年頃の子供を世話しようなんて出来ないし思わない」

「それはシンちゃんが大人なだけよ。世話されてるのはあたしの方」

「それも含めてだ。ガキは人に弱みを見せられないもんだよ」

 

 返ってくるのは優しい声。それがかつてよりも温かみを持っていると気付き、ミサトは知らず微笑む。分かったのだ。リツコの言った言葉の意味が。だから、彼女はその表情のままこう告げた。

 

―――ここからは自分で歩くから。

―――……ん。

 

 ヒールを脱いだまま、ミサトは夜道を歩き出す。その少し後ろを加持がついて行く。虫の音が聞こえる中を一組の男女が歩いて行く。その距離は、触れ合いそうな程近い。

 

「加持君、一つだけ謝りたい事があるの」

「何だ?」

「あの時、一方的に別れ話したの覚えてる? 他に好きな人が出来たって、あれ嘘だった。バレてたかな?」

 

 そう言いながらミサトは後ろを振り返る事はしない。だからこそ告げる。もう逃げないと、目の前の事から逃げないと決めたからだ。

 

「気付いたの。加持君が父に似てるって。自分が、男に父の姿を求めてた。それに気付いた時、怖かった。どうしようもなく逃げ出したかった」

「それで別れた」

「最低よね。せめて理由を話せば良かったのに。うん、さっきの加持君の言葉通りよ。ガキだったから弱みを見せられなかった。ホント、子供じゃないわ。ガキよ、ガキ。大人になったつもりで、まったくなってない。だから全部怖くなって逃げ出した。それなのに、結局辿り着いたのは父のいた組織」

 

 言い切ってミサトは加持へ振り返った。その目には涙が浮かんでいた。

 

「嫌おうとしていたの。でも、本当は好きだったって、やっと認められた。父も、貴方も」

「葛城……」

「今更よね。でも、もう嫌なのよ。伝えたい事を伝えられないまま終わるのは。言いたい事や聞きたい事を残したままでいるのは!」

「葛城、それって」

「好きよ、加持君。ううん、ずっと好きなの。あの日から、あたしの気持ちは変わってない」

 

 そこで途切れる虫の音。声を失ったように立ち尽くす加持と意を決したように彼を見つめるミサト。やがて、彼女はこう問いかけた。

 

―――貴方の気持ちを……聞かせて?

―――……前にも言っただろ? あの花が俺の気持ちさ。

 

 気障な返しと共に加持はミサトへ近寄り、その唇へ自分のそれを重ねる。その感じる温もりと微かなタバコの匂いを、ミサトは目を閉じて二度と離さないとばかりに抱き締める。それを合図に虫の音が再び鳴り響く。あたかも二人の仲を祝福するように……。

 

 

 

 セントラルドグマと呼ばれる場所でレイはある液体に浸かっていた。それはL.C.Lと呼ばれるもの。エヴァに乗る際にも使われるものだった。そんな彼女を見つめるのはゲンドウ。それらはダミーシステムのための準備。そして、彼の描くシナリオのための準備でもあった。

 

 そして同じ頃、更にそこから地下へ進んだ場所であるターミナルドグマと呼ばれる場所に加持とミサトの姿があった。ただ、昨夜と違って女には戸惑いが、男には平静さが浮かんでいたが。しかも、ミサトの手には銃が握られている。

 

「撃たないのか?」

「どうしてよ。何でこんな事してるのよ!」

「仕事だから、かね」

「本当の仕事? それとも副業?」

「両方って言っておくよ」

 

 その返しにミサトは銃口を下ろした。彼女の対応に加持はどこか驚く。

 

「いいのか?」

「ネルフの加持リョウジでもあり政府内務省の加持リョウジでもあるんでしょ? なら、今はそれでいいわ。後者だけになった時はあたしの手で止めてあげる」

「そりゃどうも。……碇司令の命令か?」

「独断に決まってるでしょ。その……前者だけに出来ないの?」

 

 その心からの問いかけに加持は即答出来ない。それを見てミサトは彼へ駆け寄った。そしてそのまま抱き締める。昨夜のように強く。

 

―――このままじゃ、死ぬわ。

 

 死んでほしくない。そんな想いが体を通して加持へ伝わる。それに加持は唇を噛み締めるような表情を浮かべ、ミサトをゆっくり引き離した。

 

「碇司令は俺を利用している。まだ大丈夫さ。ミサトに隠し事をしていた事は謝るよ」

「……今のをずっと続けてくれるならチャラにしてあげる」

「お安い御用さ。絶対に、続けてみせる」

 

 その凛々しい顔にミサトも頷いてあの慈愛の微笑みを浮かべた。それが何よりも加持には辛い。だからそれを振り切るように彼は言葉を紡いだ。

 

「それと、司令やリっちゃんもミサトに隠し事をしてる。それがこれさ」

 

 加持の言葉と共にIDカードが扉を開く。そしてゆっくりとミサトの視界へ現れる光景。それは異様な光景だった。十字架に張り付けられたような白い巨人の体。そこには赤い槍が突き刺さっている。

 

「これは……」

「あれはアダムさ。セカンドインパクトからその全ての要であり、始まりでもある、な」

「アダム? 第一使徒の? どうしてここに?」

「俺が運んだ。そこからこうなるまでは知らない」

 

 その問いかけに加持はそう答えたきり何も言わなかった。ミサトはそんな彼の反応から、何故ダブルスパイなどをやっているのかおぼろげにだが理解した。きっと彼は知りたいのだろうと。この世界で何が起きて、そして起ころうとしているのかを。だからだろうか。ミサトは無意識にこう尋ねていた。

 

―――ね、あたしと仕事、どっちが大事?

 

 その問いかけへの答えは沈黙。嘘を吐きたくないからだとすぐ分かって、ミサトは一人苦笑する。

 

―――せめてどっちもって言いなさいよ、このバカリョウジ。

―――……すまん。

 

 返ってきた声は、どこか辛そうなものだった。それがミサトの心を締め付けた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十五話「嘘も沈黙も」完



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第十六話 死に至る病、だけど

久しぶりな感じがする使徒戦回。今回の相手もF型の力技だけでは倒せない相手です。


『じゃ、またなミサト』

「うん、またねリョウジ」

 

 名残惜しく思いながら通話を終えるミサト。想いを通じ合わせた二人だったが、その先行きは決して明るいとは言えなかった。加持の目的はいつ死んでもおかしくないような綱渡りを繰り返す先にある。ネルフも政府も裏切り者をいつまでも放置しているはずはない。そして、それを知らないはずもないからだ。

 

(それでも止められないのかしら? 今のあたしじゃ……彼の、リョウジの枷にはなれないの?)

 

 そう思った時、ミサトは息を呑んだ。まるっきりあの頃の母と同じだと、そう感じたからだ。歴史は繰り返すのか。そう思って携帯を胸に当てるミサト。その表情はどこか決意を秘めたもの。

 

「させるもんですか。あたしは、絶対あの人を失いたくない」

 

 決してあの時のような想いを繰り返すものか。その気持ちでミサトはマンションの中へと歩き出す。部屋へ向かう途中で気持ちを切り替え、同居人である少年に不安や心配をさせないためにもと。

 

 部屋へ向かいながら、ミサトはふと鼻を動かす。昔嗅いだ事のあるいい匂いが自分の部屋から漂っているのだ。それがミサトに昔を思い出させる。まだ家族が三人だった頃。父も母もいて、笑顔が絶えないとはいかなかったが、それでも時折笑みが浮かぶ程度には幸せだった記憶。

 

「……母さんが使ってたっけ。かつおだし、よね」

 

 小さく笑みが浮かぶ。ああ、あったと。あの父とも笑い合った記憶がたしかに。これも忘れていた、忘れようとしていた記憶だ。そう思ってミサトは一度だけ深呼吸をしてからドアを開けた。

 

―――ただいま~っ! 

―――おかえりなさ~い!

―――シンちゃん、お出汁変えたでしょ?

―――はい、リツコさんのお土産です。かつおだしですよ。

 

 掛ける声に乗せるは幸せ。返す声に乗せるも幸せ。もうあのぎこちない挨拶はそこにない。ミサトとシンジ。その関係性は、もう姉弟と呼んで差し支えない程に深まっていた……。

 

 

 

 いつものエヴァ関連のテスト。それを見つめるミサト達。だが、ミサトの顔色はどこか普段と違っていた。それに気付いたのは、ある意味で当然とも言える彼。今もミサトへ想いを寄せているマコトだった。

 

「ミサトさん、何かありましたか? 表情が硬いですよ?」

「あー、うん。ちょっちね」

「リョウちゃん?」

 

 からかうようなリツコにミサトは少しだけ頬を赤める。それが何よりの答えだった。そしてマコトもそれだけで何かを察したのか無言で軽く項垂れる。そんな彼をマヤが何とも言えない顔で見つめていた。

 

「あの、元気出してください日向二尉」

「ありがとう……」

「好き、だったんですよね?」

「……バレてた?」

「えっと……何となく」

「そっか。ま、片思いもいいとこだけどね」

 

 力なく会話を続けるマコトだが、それでも意識は立派なオペレーターである。仕事の手は抜かないでモニタへ目を向け続けていた。

 

「その、私で良かったら愚痴ぐらい聞きましょうか?」

「……嬉しいけど遠慮しておくよ。こういう愚痴は異性に聞かせるもんじゃない。そのまま口説きになる事もあるし……」

 

 青葉にでも聞かせるさ。最後にはそう〆てマコトはそこから口を閉じた。そこに男の意地を見た気がしてマヤは小さく笑みを浮かべる。不覚にも可愛いと思って。そんなやり取りは誰に気付かれる事なく終わる。ミサトとリツコはハーモニクステストの結果を見ていたからだ。

 

「あらあら、遂にと言うか何というか」

「教えてあげたら? きっと喜ぶわよ、シンジ君」

「そうね。アスカやレイも嫉妬する事はないし、伝えてあげますか」

 

 善は急げとばかりにミサトはテストを終えた三人へ笑顔を浮かべてこう告げた。

 

「はーい、今回はシンジ君がトップ賞よ」

『『『え?』』』

 

 だが返ってきた反応は予想に反して素っ気無いもの。シンジはおろか、アスカさえも鈍かったのだ。

 

「……疑うの?」

『『『そういう訳じゃ……』』』

「とにかくそういう事だから。もう上がっていいわ。お疲れ様」

 

 面白くないというような表情を浮かべ、ミサトは通信を終える。こうしてシンジ達は着替えるべく更衣室へ向かい、先に着替え終わったシンジは廊下でアスカとレイを待っていた。やがて着替え終わった二人が現れ、三人揃って帰路に着く。その道中の話題はやはり今回の結果だった。

 

「参っちゃったわよねぇ。まさかここまで簡単に抜かれるなんて。正直悔しさもあるけど、仕方ないかって思うとこもあるから」

「そうなの?」

「ええ、碇君の伸びは凄いと思う。だけど、それも当然かもしれない」

「使徒戦を誰よりも経験し、その度にシンジは強くなってる感じするもの。エヴァもあたし達に愛着があるかもとか、安心感を感じるとか、そういうのも含めてシンジはあたし達よりもエヴァに適正があるわ」

 

 少女達の評価を聞き、シンジは納得するように頷いた。でも、それでも彼が天狗になる事はない。何故ならそれらを根底から支えているのは、あの強力無比な初号機なのだ。あれがあるからこそシンジは今があると知っている。

 

「だけど、それはあの初号機だからだよ。本来の初号機じゃこうはなってない気がする」

「あー、そうかもしれないわね」

「でも、それも含めて碇君の力。過信はダメでも自信は大事」

「良い事言うわね、レイ。そうよシンジ。過信は禁物。自信は大事」

「あ、アスカ、それは綾波のを繰り返しただけだよ」

「完全コピー。使用料を要求するわ」

「何よ。これぐらい別にいいじゃない。それにあたしなりのアレンジも入っているわ」

「言い訳しないで使用料」

「レ~イ~っ? なら、上等なお肉でも食べさせてあげましょうかぁ?」

 

 じゃれ合うように会話するアスカとレイ。それを見て楽しそうに笑うシンジ。そんな彼に感化され、レイとアスカにも笑みが浮かぶ。この日も三人は仲良しだった。未だ色恋の花は咲く事なく、蕾のまま成長を続ける。だが、花開かせたい蕾が居る事で、他の二つも花を開かせようとし始める。特にその蕾と一緒にいる彼女は。

 

「碇君、手」

「え?」

「手を繋ぎたい」

「ちょっとっ! あたしを忘れるんじゃないわよ!」

「あ、アスカも?」

 

 本部から外に出た途端、レイがシンジの手を掴む。それを目ざとく見つけアスカも負けじと手を繋ぐ。いつかのようになった事で、シンジは動揺しながらもそれでも放す事はしない。ならばとアスカが悪乗りしたように見せかけ、己の欲望を叶えようと動く。

 

「これでも動じなくなったとはやるじゃない。なら、これでどう?」

 

 互いの指を絡め合うそれは恋人繋ぎ。さすがのシンジもこれには大慌て。

 

「あ、アスカ!? これはさすがに」

「何? 不満?」

「違うよ! むしろ満足だよ! でもこれはそういう相手と」

「碇君、それがいいの? なら私もやるわ」

「綾波もぉ!?」

 

 テンパったシンジの告げた本音に思わずアスカが撃沈する横で、レイが彼の心情を察して同じ事をした。こうしてシンジの両手は少女達の指と絡められる事になる。だが、その足が動く事はなかった。三人してその場で顔を真っ赤にしたのだ。

 

((か、かなり恥ずかしい……))

(何故かしら? 顔が熱い。これも……恥じらい?)

 

 かと言って放したくない。しかし、このままでは街を歩くのは難しい。進退窮まったシンジは思い切って足を前へ出した。それにつられるようにアスカとレイも足を前へ踏み出す。

 

「とにかく部屋まで送るよ。時間も遅いし、不審者が出るかもしれない。早足で行くからしっかり手を繋いでて」

「「っ……ええ」」

 

 それがシンジなりの言い訳だった。急いで行くから置いていかないようにいつも以上にしっかり手を繋いでいるんだ。そう自分へ言い聞かせ、後ろを振り返る事なく足を動かす。若干引っ張られる形になったアスカとレイは、そんな彼の背中に笑みを向けてその後をついて行く。

 

 少年達が青春しているその頃、マコトは自販機前でシゲルへ愚痴を聞かせていた。

 

「そっか。やっぱ元鞘に収まったか……」

「ああ、やっぱり女性ってああいう悪そうな感じが好きなのか?」

「どうだろうな? 俺、学生の頃から音楽やってたけど、そういう女ばかりじゃないと思うぜ?」

「……でも、ボーカルとかはモテただろ」

「…………ギターもな」

 

 揃ってため息を吐く男二人。分かっているのだ。別に何をしているからとかだけで異性に見向きされてる訳ではないと。だけど、そうでも思わないとやっていけないのだ。特にマコトの様に強く片思いしていた場合は。

 

「シンジ君みたいに決める時は決める、とか出来ればなぁ」

「その決める時が無かったんだよ。幸か不幸か、な」

 

 マコトの返しにシゲルは完全に言葉を無くした。たしかにマコトがミサトへ決められるとしたら、それは使徒との戦いしかない。そして、そこで決められる時というのはつまりシンジ達の苦戦などが前提だ。そう考えればない方がいいに決まっている。

 

「……またいい恋、出来るって」

「…………そう、だな」

 

 絞り出すように返したマコトを見たシゲルは、自販機でコーヒーでも買って奢ってやろうと思い立ち上がる。そして自分の分と二本買おうとしたのだが……。

 

「そんなのありかよ……」

 

 何と一本で売り切れ。仕方ないので自分の分は諦め、マコトへそのコーヒーを差し出す。

 

「何だ?」

「これでも飲んで元気だせ。俺の奢りだ」

「……いいのか?」

「その代わり、俺に彼女出来ても恨むなよ」

「言ってろ。……ありがとう」

「おう、じゃあな」

 

 軽く手を上げ去って行くシゲル。その背を見送り、マコトはプルタブを開けようとして近付いてくる足音に気付いた。音のする方へ視線を向けると、私服に着替えたマヤが彼のいる場所へ向かって歩いてくる。その見慣れない姿にマコトは思わず手を止めた。

 

「あっ、お疲れ様です」

「あ、うん。お疲れ様。帰り?」

「はい。久しぶりに日付が変わる前に帰れますよ」

「ああ、そういや赤木博士はこのところ残業続きだったっけ」

 

 近々組み込まれるというダミーシステムのため、リツコと彼女の助手のようなマヤは最近残業が多かったのだ。

 

「そうなんですよぉ。先輩は帰っていいって言ってくれるんですけど、私だけ先に帰るなんて出来ませんから」

「そうだよなぁ」

 

 そこでマヤはマコトの手に握られたコーヒーに気付く。そしてこちらへ向かって来る途中ですれ違ったシゲルの事も思い出し、少しだけ苦笑した。本当に愚痴を聞かせてたのかと思って。その笑みにマコトが気付くも意味を勘違い。

 

「お互いの気遣いで動けなくなる典型だしね。それでも言わない上司より断然マシさ」

「ふふ、そうですね」

「呼びとめて悪かった。お疲れ様。気を付けて」

「はい、日向二尉もお疲れ様です」

 

 今度こそその場を立ち去るマヤ。その背を見送りながらマコトはプルタブを開ける。一口だけ飲んだコーヒーは心なしか甘く少し温かった。

 

―――今度、コーヒー奢り返すか……。

 

 シゲルがコーヒーを奢ってくれたからこそ、見慣れないマヤの私服姿を見る事が出来た。それだけでも少し失恋の痛みが軽減出来た事を思い、マコトはため息を吐いた。失恋したばかりですぐ他の女性へ目移りする自分に呆れ、彼はコーヒーを飲む。今度は何故か苦かった。

 

 

 

 久しぶりの緊張感が発令所を包む。リツコはモニタを見つめながら険しい顔をしていた。そこへ息を切らしながらミサトが姿を見せる。

 

「ごめんなさいっ! 状況は?」

「まだ避難は完了していないわ。目標は毎時2・5キロで進攻し、何故か富士の観測所は探知出来ず」

「何よそれ。使徒なの?」

「パターンオレンジ。ATフィールド反応なしです」

 

 マコトの報告にミサトはリツコへ視線を向ける。説明を求めているのだ。だが、それは彼女とて同じ事。なのでリツコは視線をマヤへと向けた。

 

「MAGIは何て?」

「判断を保留しています」

「だそうよ。どうする?」

「司令は……いないのよねぇ」

「エヴァパイロットは既に発進準備を整えています」

 

 シゲルの言葉通り、シンジ達はそれぞれのエヴァで出撃を待っていた。と、それを聞いてミサトがある事を思い付いた。それはあの初号機の変化を利用した判断方法。だが、それは若干の危険が伴う。

 

「……何考えてるか当ててあげましょうか。初号機を発進させて目標の危険度を計りたい。でも、それはシンジ君を危険に晒すのと同じだから気が進まない」

「その通りよ」

「なら、取るべき方法は一つでしょ? 無理矢理じゃなく強引でもない。まず、彼の意思を確かめたら?」

「……それが一番か」

 

 あのゲンドウが選んだ方法は、今や発令所の誰もが選ぶベターな方法となっていた。実際に危険へ身を晒すのはシンジ達。その彼らの意思と意見こそ尊重するべきだと大人達は思っていたのだ。

 

「初号機で相手の様子を見る、ですか?」

『そう。もし変化すればあれは使徒で間違いない上に危険とも言える。もし変化しなければ一旦撤退してもらうわ』

「分かりました。やってみます」

『頼むわ。念のため、弐号機と零号機もバックアップに出すから』

「はい」

 

 こうしてシンジ達は初めて偵察をする事になった。とはいえ、初号機で上空を浮遊する目標へ接近するだけなのだが、それでも初めての事にシンジは少なからず緊張していた。そんな彼の動きから何かを察したのか、レイが通信を入れる。

 

『碇君、どうしたの? 動きが鈍いわ』

「あ、あはは、今までは発進したら戦闘が当然だったからさ」

『何? シンジは戦いたいの?』

「そうじゃないよ。ほら、今までやった事ない事する時って緊張するじゃないか」

『『……緊張してるの?』』

「う、うん。おかしいかな?」

 

 まるで驚くような二人へシンジは内心首を傾げながら問い返す。だが、それに対する答えは好ましい笑い声だった。

 

『おかしくないわよ。シンジらしいわ』

『ええ、そう思う』

 

 そんな二人の声にシンジは緊張が解れていくのを感じた。肩から余分な力が抜け、自然な感じで笑えたのだ。

 

「もう、二人して笑わないでよ。通信終わりっ」

 

 いつかのアスカのような言葉を〆に使い、シンジは小さく息を吐く。そして視線を上へ向ける。そこに浮かぶ目標を見つめるために。未だに動きらしい動きはない。それでももうシンジに緊張も油断もない。

 

(何事もないで終われば、それが一番いいんだもんな)

 

 いつか教えてもらった加持の言葉を胸に、シンジは慎重に目標へ接近していく。その様子をモニタで眺め、ミサト達は苦笑していた。

 

「あの子達もすっかり仲良くなったわね」

「そうね。それに、シンジ君をレイやアスカがフォローするなんて良い傾向よ?」

「シンジ君だけで戦ってる訳じゃないけど、どうしてもここぞって時は頼ってしまうもんね」

「だけど、それをあの二人は妬みも恨みもしない。むしろ、そうさせてしまう事に無力感を感じるかもしれないもの。だからこそさっきのようなやり取りは大事だわ」

「ええ。帰ってきたら褒めてあげようかしら?」

「いいんじゃない。アスカは任せるわ」

「ん。レイ、よろしく」

「任されましょう」

 

 そこで二人は笑みを浮かべ合う。丁度、モニタには配置に着いた初号機が映し出されていた。

 

「……変化した気がしないな。ミサトさん、どうですか?」

『変化していないわね。なら、今のところは危険はないかもしれないわ』

「一旦下がりましょうか?」

『……そうね。下手な手出しは以前のように厄介な状況を招くかもしれないわ』

 

 第七使徒の事を思い出し、ミサトは撤退を指示する。それに弐号機と零号機が応じて、初号機もその場を離れようとした時だった。モニタに映っていた目標が突如として消えたのだ。いきなりの事に慌てるミサト達。そこでシンジは気付いた。

 

『っ?! ミサトさんっ!』

「初号機変化っ!」

「パターン青っ!?」

「どこ!?」

「初号機の真下ですっ!」

 

 その叫ぶような報告に誰もがモニタを見た。F型の真下に巨大な影が生まれており、それが機体を飲み込んでいたのだ。

 

「シンジ君っ! 逃げてっ!」

「まさか、あの上空のはダミー?」

「本命は影だったの!?」

「っ! 初号機、影に飲み込まれていきますっ!」

「プラグを強制射出っ! 急いでっ!」

「もうやってますよ!」

「ダメですっ! 反応ありませんっ!」

 

 初めてと言っていい程の混乱だった。今までも苦戦はあった。それでも何とか事前に察知、あるいは手を打てたのは初号機の変化を頼りにしていたためである。ここにきて、それを掻い潜る使徒が現れた。それはこれまでの戦法ないし作戦が通用しなくなった事を意味している。そして、それだけではなく、様々な意味で強力だったF型でさえも対処出来ない使徒が出て来た事も意味していたのだ。

 

「くそっ! このっ! このぉ!」

 

 影に飲み込まれていく初号機。マステマもマゴロク・E・ソードも影には意味を成さない。このままでは不味い。そう感じたシンジはならばと思い切って手にしていた武器をそれぞれ両手に持たせ、全力で放り投げた。

 

「アスカっ! 綾波っ! これをお願いっ!」

『『シンジ(碇君)っ?!』』

 

 その二つは影の範囲から逃れ、初号機救出に動いていた二機が回収に成功する。それを見届けたのか、初号機はそのまま影へと飲まれていった。最後にこんな言葉をシンジが残して。

 

―――大丈夫。だからそれ、預かってて。必ず、取りに戻るから……。

 

 こうして初号機は使徒と思われる影に飲み込まれ姿を消した。ミサトは即座に二機へ撤退を命令。正直シンジを救出したいアスカとレイだったが、有効的な手立てもない以上迂闊な事は出来ないと理解しそれに従った。

 

(シンジ……)

(碇君……)

 

 後ろ髪を引かれる想いで帰還するアスカとレイ。そのまま二人は着替える事もせず発令所まで向かった。

 

「ミサトっ! これからどうすんのよ!」

「落ち着きなさい。今、対策を練っているとこよ」

「赤木博士、あの使徒を倒す方法は分からないんですか?」

「……もしそれが分かっても迂闊な事は出来ないでしょ?」

 

 その言葉の意味を理解し、アスカとレイは言葉を失う。今、使徒を倒せば飲み込まれた初号機がどうなるか分からない。それを二人は悟ったのである。そしてそれは初号機の反応が消えた後、ミサト達が痛感した現実でもあった。

 

「アスカ、レイ、とりあえず今は待機して。休息を取って頂戴」

「っ! でもっ!」

「お願い。何か分かったら、すぐ知らせるから。とにかく今は体を休めておいて」

 

 アスカの目をはっきり見据えてミサトは凛とした表情で告げる。その気迫に気圧されたアスカの肩へレイがそっと手を置いて頷く。その意味を噛み締め、アスカも小さく頷きレイと共に発令所を後にした。ドアの閉まる音が聞こえた瞬間、ミサトは奥歯を強く噛み締める。

 

「ミサト、自分を責めないの。彼は納得の上で行動したわ」

「ね、リツコ。何でシンちゃんは最後に武器を投げたんだと思う?」

 

 リツコの言葉へ返事するのではなく、ミサトはそう唐突に問いかけた。その意味を周囲の者達はすぐに理解して言葉を失う。マヤなどは口を手で押さえていた。

 

「きっとあの子はね、万が一自分がいなくなってもあの二人が戦えるようにしたのよ。あの初号機の武器を託して、可能なら私達が分析してより強化出来るようにと思ったかもしれない。たった十四歳の子供よ? それが! 死ぬかもしれない土壇場でっ! 生き残るんじゃなくて……後を託すなんて……っ!」

 

 そこでミサトは泣き崩れた。それをキッカケにマヤも涙を流す。マコトとシゲルは何も言えず、ただ口を堅く噤むのみ。だが、二人もその目には光る物が浮かんでいる。リツコはそんなミサト達に一瞬言葉を失うが、だからこそはっきりとした言葉で彼女達へ告げたのだ。

 

―――まだ絶望するには早いわ。

 

 その切り出しでリツコはマヤのコンソールを操作し、モニタへエヴァが収容されているケイジを映し出させた。そこには二機が持ち帰った二つの武器が存在している。

 

「今まで使徒との戦いが終るか危険が去ればあの初号機は元に戻っていた。では、あの武器がある以上初号機は変化したまま。この意味、分かる?」

 

 どこか諭すようなその言葉に真っ先にミサトが顔を上げた。

 

「シンジ君が……生きてる……?」

「ええ。彼はたしかに貴女の言った通り、後を託したのかもしれない。だけど、同時に生存を諦めたとは私は思わない。彼は彼なりに戦っているのよ。今もあの使徒の中で。生命維持モードで耐える事を選んでいれば十六時間は戦える。敵中での生存という、もっとも辛く苦しい戦いをね」

 

 そして彼女はそのままマヤ達を見回した。

 

「十四歳の少年がそんな絶望的な状況で足掻いてくれてる。なら、私達がするべきは何? それを少しでも早く終わらせる事よ。あるいは少しでも救出確率を上げる事。泣くのは彼が帰ってきてからいくらでもすればいいわ。もしくは泣いてもいいから手を動かして。嬉し涙にするか悔し涙にするか。好きな方を選びなさい」

 

 言うだけ言ってリツコは発令所を後にするべく歩き出す。その背を見つめ、ミサトは目元を拭って立ち上がった。

 

「そんなの決まってるじゃないっ! 流すなら嬉し涙一択よ! 何なら流さないで笑顔で出迎えてあげるんだからっ!」

「「「はいっ!」」」

 

 オペレーター三人もそれぞれ目元を拭ってそれぞれに仕事をするべく動き出す。リツコはそんな彼らを見て小さく笑ってドアを開けた。

 

―――……何とか大人を演じ切れたかしら。

 

 そう呟いてリツコは軽く息を吐くと自身の研究室へと向かう。ただ、その声はどこか普段と違うものだった……。

 

 

 

 どことも分からぬ空間。静寂だけが支配する場所。そこに初号機はいた。何をするでもなく、その場にただ身動きせずに沈黙していた。

 

「何かしてくるかと思ったけど、何もしてこないなんて……どういう事だろう?」

 

 使徒からの攻撃を警戒していたシンジだったが、一向に何も起きないため若干の拍子抜けをしていた。それでも完全に気を抜く事はしない。彼は感覚で分かったのだ。まだ初号機が変化したままだと。それはつまり危険が去った訳ではないという事に他ならない。それでも無闇に動かない方がいいとも分かっていた。何故なら……。

 

「初号機も一切動いてくれなくなった。多分、まだその時じゃないって事なんだよね」

 

 現状になってから初号機はシンジの操作を一切受け付けなくなったのだ。それがどういう意味かをシンジはそう判断した。これまでの積み重ねが初号機への信頼として現れていたのだ。

 

「……もしこのまま帰れなくても、せめて通信ぐらいしたいな」

 

 脳裏に浮かぶいくつもの顔。そして、最後に浮かぶのは彼が一番心配させてしまっているだろう女性。

 

「ミサトさんにごめんなさいって言わないといけないし、僕の事は気にしないで使徒を倒してって伝えないと……」

 

 アスカやレイもきっと自分の事を考えて手出し出来ないはず。そう思うとシンジは悔しさと申し訳なさで拳を握る。どこかで甘えていた。危険が迫れば初号機が教えてくれると。それを使徒に逆手に取られた。それをシンジは理解していたのだ。

 

(アスカや綾波に言われてたのに! 過信は禁物って! 僕は、僕は……バカだっ!)

 

 だけども諦めた訳ではない。もしもの時は覚悟しているが、それでも最後の最後まで足掻くと彼は決めていたのだ。その気持ちを支えているのは初号機が変化したままである事と、もう一つあった。

 

「絶対ミサトさん達が何とかしようとしてくれてる。なら、僕はそれを信じて待ち続けてみせる」

 

 強く信じる大人達のためにも体力を温存しよう。そう決めてシンジはそのまま目を閉じた。だが、その意識が落ちる瞬間に少しだけ、ほんの少しだけ歳相応の気持ちが零れる。

 

―――父さん……。

 

 

 

 シンジが眠りに落ちている頃、ミサト達はブリーフィングルームで使徒について分かった事をまとめていた。

 

「じゃ、やっぱりあの影の部分が本体?」

「ええ。直径680メートル、厚さ約3ナノメートルのね。その極薄の空間を内向きATフィールドで支え、内部はディラックの海と呼ばれる虚数空間」

「虚数空間……」

「もしかしたら別の宇宙に繋がっているかもしれない」

 

 リツコの言葉に誰もが想像を絶して言葉を失う。それでもミサトはすぐに気を取り直して意識を他の事へ向ける。分かったのだ。この話は広げても仕方ないと。

 

「なら、あの浮遊する球体は?」

「本体の虚数空間が閉じれば消える事から見て、あちらこそが影かしら」

「初号機を取り込んだ影こそが目標……」

「そうね。だからこそ、私達は不意を突かれた。使徒も学習してきているのよ。あの初号機の力へ」

「……変化をあてにした事?」

「と言うより、確かめたのかもしれない。パターンを青にせず接近する事で」

 

 その言葉の意味にミサトは絶句する。これまでも使徒は様々な形で成長を見せてきた。だが、それらはあくまで戦闘能力としてのものだった。それがここにきて別の方向の成長を遂げた。つまり、初号機の変化を起こさず仕留めるという方向に。

 

「……今後は厳しい戦いになるかもね」

「ええ、使徒もあの初号機を警戒している。正面切っては勝てないと判断し、本部への侵入や不意打ちなどの方法を取っている。今後も従来のような形で襲ってくるとは思わない方がいいわね」

 

 誰もがそのまとめに頷いた。そしてどこかで思うのだ。本当に人間のような発想だと。それでも彼らは動く。何もしないなど出来ないのだ。例え徒労に終わるとしても、何かをしていないと気持ちが潰れるからだ。オペレーター三人が部屋を出て行くのを見届け、ミサトはリツコへと視線を向ける。

 

「ね、本当は何か考えがあるんでしょ?」

「どうしてそう思うの?」

「ずっと辛そうな顔してるもの」

 

 リツコの心を掴むような言葉だった。そう、彼女には初号機救出のアイディアがある。だけどそれを口にする事は出来なかったのだ。何故ならそれは、初号機の救出でありシンジの救出ではない。昔のリツコならいざ知らず、今のリツコにはそんな非情の作戦は提案出来なかったのだ。

 

(私もダメね。科学者として、そう思っていたのに……)

 

 どこかで母になりたい自分が顔を出していたのか。そう思ってリツコは小さく笑う。そして短く息を吐くとミサトへ振り返った。

 

「参考として聞いて頂戴」

「ええ」

「エヴァの強制サルベージ。現在可能と思われる唯一の方法よ。992個ある全てのN2爆雷、それにあのマステマのN2ミサイルを中心部へ投下。タイミングを合わせて二機のエヴァのATフィールドを使い、使徒の虚数回路に1000分の1秒だけ干渉するの。その瞬間に爆発エネルギーを集中させて使徒を形成するディラックの海ごと破壊する」

「……それが言えなかった理由、か」

「そう、これは初号機へのダメージを考慮していない。あの初号機のフィールドなら耐え切れるかもしれないけど、あくまで希望的観測。何の根拠もないわ」

 

 黙り込む二人の女性。その目は互いを見つめ合っている。やがてその顔が変わる。どこか不安そうなリツコとどこか嬉しそうなミサトへと。その対照的な表情に互いが苦笑する。分かったのだ。どうして相手がそんな顔をしたのかを。

 

「ミサト、貴女やるつもり?」

「いざとなったらね。今は一つでもシンジ君を助けられるかもしれない方法がある事が嬉しいのよ。例えそれがどれだけ危険でも」

「ないよりマシ?」

「もち。だけどいきなりそれをやるつもりはないわ。アスカやレイが納得しないもの」

「……そうね。なら、私は他の方法がないかどうか知恵を絞ってみるわ」

「頼むわ。こっちも集められるだけの情報を集めておく」

「ええ」

 

 最後には凛々しい表情を見せ合う二人。こうしてミサト達は懸命に足掻く。少しでもシンジを助け出せる術を探して。大人達の動きが慌ただしさを増す中、二人の少女は楽な格好で仮眠室にいた。だが、その表情は当然ながら暗い。

 

「碇君、最後に言ってたわ。預けるから取りに戻るって」

「どうやってよ? あの使徒の中から出てこられるはずないじゃない」

「それでも碇君は戻ってくると言ったわ」

「っ! できっこないじゃないっ! あの初号機でも何も出来なかったのよ!? しかも武器だって……あたし達へ……」

 

 勢い良く立ち上がったものの、言っている内に初号機の最後を思い出して力なくベッドへと座るアスカ。彼女の脳裏にはある記憶が甦っていた。最愛の母との最後の記憶だ。その時と近い虚無感がアスカの心を襲う。

 

(あたしが、あたしが好きになったからだ。あたしが本気で好きになった人はみんないなくなっちゃうんだ……)

 

 そう思った途端、アスカは何かが込み上げてくるのを感じた。それは感情の津波。悲しみと怒りとやるせなさ。それがアスカへ涙となって噴き出した。声を押し殺して泣くアスカ。その肩が震える。と、その肩へ感じる温もりがあった。思わずアスカが顔を上げる。

 

「レイ……?」

「泣いてはダメ。それはまだ早いわ」

「早い……?」

「ええ。碇君を助け出した時に流すべき。それまで私達は泣かない」

 

 凛としたレイの表情。だが、アスカは気付いた。その瞳には確かに光る物が浮かんでいる事を。目の前の少女も泣きたいのだ。だが、ここで泣いては気持ちが折れる。だから必死に耐えているのだ。自分のためにも、そして大切な友人のためにもと、そう考えたアスカは目元を拭う。

 

「…………そう、よね。シンジが帰ってきた時に文句言ってやんなきゃ。あたし達を荷物預かりなんかにした事を、ね!」

「ええ、文句を言いましょう。そして、おかえりも」

「あったりまえでしょ! そうと決まれば泣いてる暇はないわ! 来たるべき時に備えて眠るわよっ!」

 

 言うや否やアスカはベッドへ素早く寝転がる。そんな彼女にレイは小さく笑みを零し、自分のベッドへ移動しようとしてその手を掴まれる。何かと思って振り返るとアスカが背中を向けたまま彼女の手を掴んでいたのだ。

 

「何?」

「……あたし達、これから二人でシンジの救出をするのよね?」

「ええ」

「じゃ、あの時みたいに息を合わせる事もあるかもしれないわ。だから一緒に寝てあげる」

「…………放して」

 

 そこでアスカがレイへ体を向ける。その顔は完全に不機嫌極まりないものだった。

 

「何でよ?」

「枕、持ってくるわ」

「っ……そ、それを先に言いなさいよね!」

 

 真っ赤な顔になってアスカは手を放すとまた背中を向ける。それが微笑ましく思えたのだろう。レイは微かに笑みを浮かべると自分のベッドから枕を手にし、アスカのベッドへと近付いた。それを察して少しだけ端へ寄るアスカにまた小さく笑みを零し、レイもベッドへと横になる。

 

―――こうして寝るのは初めてね。

―――そうだったわね。

―――誰かの温もりがあるのは、不思議な感じだわ。

―――……そう、ね。

―――でも、嫌いじゃない。

―――…………。

―――アスカは?

―――……あたしも嫌いじゃない。

―――同じね。

―――そうね、同じよ。

 

 様々な事から気恥ずかしく、レイへ顔を背けたままのアスカ。そんな彼女へ寄り添うように眠るレイ。かつては背を向け合った二人は、少年を介さずして向き合い始めていた。一方、少年は夢とも現実ともつかない状況に置かれていた。

 

「誰?」

「誰?」

 

 向き合うは二人のシンジ。だが、片方はプラグスーツで片方は制服姿だった。

 

「僕は……碇シンジ」

「僕も碇シンジだよ」

「っ!? どういう事!?」

「人は二人の自分を持っている。自分で見る自分と、人から見られる自分」

「人から見られる自分……」

 

 制服姿のシンジが告げた言葉にシンジは考えた。たしかにそうかもしれないと。だが、同時にこうも思うのだ。仮にそうだとして、今目の前にいるのはそのどちらでもないと。

 

「君は、一体何者なの?」

「さっきも言ったよ。僕は」

「違う。ミサトさん達が見た僕はそんな感じじゃないよ。そんなはきはき喋るような、そんな自分をしっかり出せるようになったのは最近になってからだ」

 

 その断言に制服姿のシンジが小さく驚く。

 

「ミサトさんと初めて会った時の僕は、もっとおどおどしてた。たしかにエヴァに乗るようになって少しずつ変わったとは思う。だけど、それでもみんながみんな僕をそういう風に見るはずはないよ。きっと、どこかでまだ僕を頼りないと思ってるはず。それに、僕自身さっき痛感したところなんだ」

「何を?」

「過信は禁物。自信は大事。君にこの意味が分かる?」

「どういう事?」

 

 そこでシンジは確信した。この目の前にいるのが何かを。

 

「君が僕なら知ってるはずだよ。何せ、これをちゃんと噛み締めなかったからこそ僕はここにいるんだから」

 

 一旦言葉を切り、シンジは目の前の偽物へはっきりと告げる。

 

―――君の中にね。

 

 そこでシンジは目を覚ました。そして計器類へ目を走らせる。当然のように反応はない。次に時間を見る。既に十二時間が経過していた。

 

「……まさか使徒が夢の中へ現れるなんて」

 

 絶対に帰ってミサト達へ伝えなくては。使徒が人へ興味を示しているような反応を。人の精神へ攻撃してくる事を。そう思ってシンジは気合を入れ直す。

 

(絶対に生き残るんだ!)

 

 と、その時またあの声がシンジへ聞こえる。今はそれが嬉しかった。一人ではないと、そう感じられる事が出来たから。故に迷う事なくシンジは叫ぶ。

 

「絶対にみんなのところへ帰るんだっ!」

 

 気迫あふれる叫びがエントリープラグ内に響き渡る。その時、初号機の目が光りを灯す。だがそれは静かな輝き。来たるべき時を待ちわびる、そんな鼓動の胎動だった。

 

 

 

「作戦を伝えるわ」

 

 シンジの叫びに呼応するようにミサト達も動き始めていた。現状で唯一可能性のある強制サルベージ。それを決行する事にしたのだ。理由は一つ。これ以上時間をかけても対案が出る気配もなく、また予備電源の残量やプラグスーツの生命維持も危険域へ入ってしまうためである。それらの理由を聞かされ、アスカとレイもこの危険極まりない作戦を受け入れる事にした。全ては、シンジが生きて帰れる可能性を消さないために。

 

「……以上よ。既にマステマからN2ミサイルは取り外し済み。だからマステマを零号機が携行。マゴロクソードは弐号機が携行して作戦に当たって。ないと思いたいけど、初号機を救出したらそこから本当の使徒戦なんて事もないと言い切れないから」

「「了解」」

「頼むわね」

 

 エヴァへ乗り込むためにその場を去る二人を見送り、ミサトは大きく天を仰いだ。そんな彼女へリツコがそっと近寄る。

 

「もしもの時は私も共犯よ」

「……それだけじゃないわ。ある意味で、アスカとレイにシンジ君を殺させる手伝いをさせるかもしれないのよ? それを……あたしは……」

「一人で背負う必要はないわ。一緒に地獄へ堕ちてあげる」

「……閻魔様もあたしとリツコが何でもするって言ったらあの子達を許してくれる?」

「許してくれなくても、あの子達へは決して切れない蜘蛛の糸が下りてくるから大丈夫よ」

 

 そんな冗談を言っていないと気持ちが切れてしまう。それぐらい今回の作戦は精神的に辛かったのだ。ミサトもリツコも、今回の作戦をするには優しくなりすぎてしまったために。だが、それは決していけない事ではない。今後待ち受ける事へ対処するために必要不可欠なものなのだ。それを知らず二人の女性は心を痛める。

 

 一方の少女二人も同様の不安を抱いていた。

 

「この作戦、どう思う?」

「やるしかないわ。例えそれでこの手が血に塗れる事になっても、よ」

「……碇君を助け出せる可能性を捨てたくないから?」

「分かってるじゃない。何事もリスク無しでは出来ない。だけどそれが大きいだけ見返りも大きいってもんよ」

 

 そこでアスカは足を止めレイへ振り返る。その表情に不安の影はない。

 

「それに、あんたが言ったんでしょうが。シンジは戻ってくるって言ったってね。なら、それを信じるだけよ。シンジだけにね」

「……アスカ」

「さっ、行くわよ」

「今の、上手くない」

「ぐぬっ! 分かってるわよ! ほら、ちゃっちゃと歩く!」

 

 照れ隠しのように早足で歩き出すアスカと微笑みながらその後を追うレイ。ここに加持がいればこう言っただろう。まるでミサトとリツコのようだと。こうして着々とシンジ救出作戦は進んでいく。使徒本体と思われる影の近くに二機のエヴァが位置取り、作戦開始を今か今かと待ちわびる。上空にはN2爆雷とN2ミサイルを搭載した爆撃機が待機していた。

 

「エヴァ両機、作戦位置に着きました」

「ATフィールド、発生準備よし」

「了解。ミサト」

「日向二尉、N2は?」

「投下まで後60秒です」

 

 それに頷き、ミサトは通信を開かせる。相手は勿論二機のエヴァに乗る少女達。

 

「いい? チャンスは一度。同時にフィールドを展開して頂戴。あの使徒を倒した貴方達を信じるわ」

『任せなさい。バシっと決めてやるわ』

『絶対碇君を助け出してみせる』

 

 その声に気負いも不安もない事を感じ誰もが頷く。二人の言葉は全員の気持ちでもあった。必ずシンジを助け出すのだと。これまで幾多の危機から自分達を救ってきたシンジとF型。その危機を今度は自分達が救うのだ。その思いで誰もが作戦に従事していた。

 

「投下まで残り30秒!」

「エヴァ両機、スタンバイに入ります!」

「使徒に動きありません!」

「ここまで来たら信じるしかないわ」

「大丈夫。今までだって何とかしてきたのよ。今回だって奇跡ぐらい起こしてやるわ」

 

 言葉と裏腹な祈るような表情のミサトへリツコも似たような表情で頷く。そして、その瞬間は来た!

 

『投下開始っ!』

「「フィールド全開っ!」」

 

 寸分の狂いもなく同時期にフィールドを展開する弐号機と零号機。それと同じくして影の中心部へ落下していく大量のN2。爆撃機はそれを終えるやその場から退避。一瞬の静寂。誰もが固唾を飲んで影を見つめる。

 

「……失敗、かっ」

 

 ミサトがそう呟き唇を噛み締めたその時だった。上空の球体に凄まじい電流が流れたかと思うと影が裂ける。誰もが使徒の攻撃かと身構えた瞬間、モニタに表示される反応にシゲルが気付いた。

 

「初号機の反応ですっ!」

「まさかっ!?」

「成功したのっ!?」

 

 全員の見ている目の前で影から飛び出すように現れる初号機。だが、まだ影は消えていない。

 

「アスカっ! 綾波っ! 使徒をっ!」

「「了解っ!」」

 

 初号機が作った裂け目目掛けてマステマのガトリングが、マゴロク・E・ソードの斬撃が叩き込まれる。それがとどめとなって使徒は消滅した。そして影が消えた大地へ降り立つ初号機。それと同時に姿が戻って武器が消える。

 

「「シンジ(碇君)っ!」」

「……心配かけてごめん。預けたもの、取りに戻ったよ」

 

 疲れはてた声ではあるが、しっかりとした返事をしたシンジに誰もが安堵する。だが、それでもすぐに大人達は意識を切り替えた。

 

「すぐに初号機を回収。弐号機と零号機は念のため周囲を警戒しつつ帰還させて」

「了解」

「マヤ、医務室の準備をさせて。すぐシンジ君の精密検査を出来るよう病院の手配も」

「分かりました」

「シンジ君、聞こえるかい? まずはプラグを外へ出してくれ。そろそろスーツの生命維持も危ないからね」

『分かりました』

 

 シンジ生還の報は瞬く間に本部内を駆け巡り、ネルフスタッフ達を大いに沸かせた。ある者達は喜びの酒宴を開きやんわりと注意され、ある者達は涙を流しながらマステマとマゴロク・E・ソードを分析する事が出来なくなったと笑い合う。そして少年は念のため検査入院という形で久しぶりに病院のベッドへ横たわる事になった。

 

「この天井も久しぶりだな……」

 

 第五使徒との戦いの後、二日に渡って眠った事を思い出しシンジは小さく笑う。あの時程ではないが、今回も強い疲労感を感じたのだ。それは気迫とガードの使用による疲労。あの時、シンジは使徒の中でN2による爆撃を受けた。それを防御で凌ぎつつ、見たのだ。使徒の中へ降り注ぐN2の先を。僅かではあるが見えた空を。その瞬間、シンジは願った。戻りたいと。それに初号機が応え、その秘められた力を解放したのだ。放たれた雷は使徒を貫き、残ったN2全てを誘爆させた。その爆発を利用し、ガードによって高めた装甲を頼みに脱出したという訳だった。

 

「……あの時のあれは、一体なんだったんだろう?」

 

 最後に初号機が放った攻撃。それがシンジにも分からなかった。聞こえるはずの声はなく、ただエヴァが勝手にやった凄まじい攻撃。それをシンジはぼんやりと考える。あれはまだ自分には使えないものなのだろうと。だから声も教えてくれなかったのではないか。そう答えを出し、シンジは押し寄せてきた眠気に身を委ねるように目を閉じる。その直後、病室へ姿を見せる者がいた。その人物は眠るシンジに小さく息を呑み、起こさぬよう静かに持っていた花を看護師へ預けて去った。

 

 それから数十分後、シンジは誰かの気配を感じて目を覚ました。

 

「起こしちゃった?」

「碇君、大丈夫?」

「アスカ……? 綾波……?」

 

 自分を見つめるように椅子に座る二人の少女に寝惚けた頭のまま、シンジは目を擦る。そのままだと起きそうだと感じた二人は、優しく彼へ微笑みかけた。

 

「いいからそのまま寝てなさい。聞いたわよ? あんた、前にも二日も眠ってた事があるんでしょ?」

「う、うん……」

「今は体を休めて。もし使徒がまた出ても、私とアスカで何とか出来るから」

「そうそう。シンジが万全になるまでの時間稼ぎぐらいはね」

「ありがとう、綾波、アスカ」

 

 少年の感謝に二人の少女は笑顔で返事とする。と、そこでシンジは眠るまでなかった花瓶の存在に気付いた。二人も彼の視線でそれに気付いたのだろう。揃って不思議そうな顔でこう告げたのだ。

 

「それ、あたし達が来た時にはもうあったわよ?」

「碇君、知らないの?」

「うん、僕が寝る前にはなかったから。てっきりアスカ達かと」

「ごめん。あたし達もさっき検査とか終わったばかりなのよ」

「ええ。だからお見舞いの品は何も」

「あ、いいんだ。二人が来てくれただけで十分な品だよ……なんて」

「くくっ、シンジにそういうのは似合わないわよ」

「ふふっ、そうね。碇君らしくないわ」

 

 小さな声で笑う二人にシンジも気恥ずかしくなったのか、少しだけ顔を赤くして彼女達へ背を向ける。それにより笑みを深くするアスカとレイ。その声を聞いてシンジも背を向けたままで小さく笑みを零す。そんな三人を花瓶のガーベラが見つめていた……。

 

 同じ頃、司令室で話すゲンドウとリツコの姿があった。既に今回の事を報告していたのだ。そして、話を終えた彼女は気になっていた事を口にする。

 

「それにしても、何があったのですか? 予定を変更されるとは」

「何でもない。それよりもどうだ?」

「……葛城三佐はまだ勘付いてはいないかと」

「そうか。ならいい」

 

 もう興味はないとばかりに会話を切るゲンドウへ、リツコは物悲しげな表情を浮かべてその背を見つめた。

 

「エヴァの秘密を知っても、シンジ君達は私達を許してくれるでしょうか?」

 

 その問いかけに返ってくる言葉はない。それこそが何よりの返事であった。リツコは、それを悲しく思いながら一礼して部屋を立ち去る。立っていた場所に悔し涙を流して……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが上がった。精神コマンド不屈を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十六話「死に至る病、だけど」完




ガーベラの花言葉は日本では希望や常に前進。西洋ではcheerfulness(上機嫌、元気)やbeauty(美)です。どっちの意味かは皆様のご想像にお任せで。

不屈……一度だけ受けるダメージを最低値にする。スパロボでは10のダメージ。つまり、例え全宇宙を破壊出来る攻撃であろうと蚊に刺された程度に出来る。

何か、説明を書くのも久しぶりな気がしますね(汗


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第十七話 四機目のエヴァ

いよいよ迫る参号機。さて、おそらくここからがもっとも原作乖離する話でしょう。一体どうなるのか。皆様の予想をいい意味で裏切れるといいのですが……(汗
あと、次の話に関して活動報告を書きました。よろしければ読んでくださると幸いです。


 緊張感漂う空間。周囲を取り囲まれたように思え、ミサトは内心嫌気を感じる。今日、ミサトはある者達に呼び出されていた。人類補完計画に携わる者達に。本来であればここへ呼び出されるのはシンジだった。それをミサトが拒否したのだ。ただし、シンジから教えてもらった情報はその胸にあるが。

 

「今回の事件の当事者である初号機パイロットの直接尋問を拒否したそうだな、葛城三佐」

「はい。彼はまだ十四歳の少年です。このような場で、自分へ高圧的な雰囲気を出す大人達に囲まれては正確な情報も言えませんので」

 

 暗に、自分もそう感じていると告げるミサト。だが、それを注意する事は出来ない。何せ、ミサトはシンジに対してと表向きは言っているからだ。彼女自身は高圧的だと感じているとは一言も言っていない。

 

「では聞こうか。代理人葛城三佐」

「先の事件、使徒が我々にコンタクトを試みたのではないかね?」

 

 早速来たかと、そう内心で思いつつミサトは場のイニシアチブを取るべく頭を動かした。このままではいいようにされるからだ。何事もなくやり過ごすのも手だが、彼女としても情報が欲しいのだ。最愛の男性を破滅へと走らせないためにも。

 

「実は、初号機パイロットから聞いたのですが些か信憑性が疑われる内容なので……」

 

 ミサトの切り出し方にその場の全員が軽くざわつく。勿論彼らもミサトのこれがある種の餌である事は承知している。それでも、聞き出すだけの価値はあると踏んだのだ。

 

「構わん。話したまえ」

「ありがとうございます。彼は、使徒の中で生命維持モードに切り替えた後、脱出のために体力を温存する事にしたそうなのです。そして、エントリープラグ内で仮眠を取ったそうなのですが、妙な夢を見たと」

 

 その瞬間、大きくなるざわつき。ミサトは喰いついたと内心で確信する。だが、ここで油断しては一気に餌だけ取られてしまう。せめて雑魚でもいいから釣り上げたいと、そう思って相手の反応を待った。

 

「夢、とは?」

「失礼ですが、皆様も夢を見た事はおありかと存じます。であれば、その中のいくつをはっきり覚えていらっしゃるでしょうか?」

 

 ミサトの切り出し方に誰もが唸る。分かったのだ。今から話す事は夢物語だと。つまりは真実とは言い切れない上に、曖昧な表現や内容でも文句を言うなと念押ししたのである。これでは聞き出してもそれが本当にシンジが話した内容か、あるいはミサトが脚色したものか判断がつかない。

 

「先程の私の話を片隅に置いてお聞きください。彼は夢の中で自分と相対したそうです。その自分は彼へこう言ったそうです。自分は人から見た自分だと」

「……続けたまえ」

「ですが、彼は気付いたそうです。自分と言うにはあまりにも違い過ぎると。どうして気付いたのかは分かりません。直感かもしれませんし、何か明確な理由があったかもしれない。とにかく、その彼の指摘で夢は終わり、初号機パイロットはそこから眠る事はなかったそうです」

 

 締め括るように言い切った事で周囲の者達が次々に話し出す。そこには使徒の行動に対する反応が如実に表れていた。ミサトはそこから聞こえてくるある単語が頭から離れなかった。

 

(時間があまりない? どういう意味?)

 

 表情に出さず、聞こえてくる僅かな情報を収集するミサトだったが、それも長くは続かない。議長であるキールが通る声で周囲を落ち着かせたのだ。

 

「静粛に。葛城三佐、ご苦労だった。下がりたまえ」

「はい、失礼します」

 

 議場を後にするミサトを見つめ、その姿が見えなくなるとキールはゲンドウへ視線を向ける。

 

「どう思うかね、碇」

「使徒は確実に知恵を付けています。それはこれまでの戦闘内容からも明らかです」

「もう余裕はあまりないという事か……」

 

 そのキールの噛み締めるような声に誰もが押し黙る。ただ、ゲンドウはどこか笑みを浮かべていたが。

 

 

 

「レイは学校か?」

「ええ、何か御用でも?」

 

 司令室でリツコからダミーシステム関係の報告を受けていたゲンドウが不意に出した名前。それにリツコは不快感を漂わせた。それは嫉妬ではない。既にリツコにとってレイは妹のような娘のような立ち位置となってきている。それをまるで自分の娘のように扱うゲンドウに腹を立てたのだ。

 

「いや、特にない」

「そうですか。どうも学校が楽しいらしいです。最近は料理に興味を持っていて、私へ今度お弁当を作ってくれると言ってくれました」

「……そうか」

「はい」

 

 声はいつものリツコだが、言い方に若干の棘がある。そうゲンドウは感じていた。それはこれまでの二人であれば有り得ない事だった。どちらかと言えば主導権はゲンドウにあり、リツコはそれを甘んじて受け入れていたからだ。

 

(彼女まで変わったのか。シンジ……ではないな。レイ、か……)

(もうあの子は確固たる自分を持っている。貴方が計画を成功させたいなら息子さんのように向き合う事です)

 

 視線を向け合いながらも相手の事を考えているのはリツコのみ。ゲンドウは彼女を通して別の相手を見ている。それに気付いてリツコは目を閉じ一礼をした。退室するという合図だ。

 

「待ちたまえ」

「まだ何か?」

 

 足を止め視線だけゲンドウへ向けるリツコ。それに彼は小さく驚きを浮かべる。今まで見た事がない程冷たい眼差しだったのだ。それが自分を拒絶しようとしているように思え、ゲンドウは無言で立ち上がり彼女へと近付く。それが何を意味しているかを察し、リツコは気付かれないようにため息を吐いた。

 

(少しでも素っ気無くされると飴を与えようとする。貴方はそんなに簡単な男だったんですね、ゲンドウさん)

 

 あるいは計画のためにまだ切り捨てる訳にはいかないからか。そう判断しリツコは自身を抱き締める腕を見つめる。その温もりを拒絶出来なくて、彼女は内心大きなため息を吐く。結局自分も簡単な女なのかと痛感して。この後、リツコが部屋を出たのは実に一時間以上も経過してからだった。

 

 一方、シンジ達はと言えばいつもの昼食が賑やかになっていた。

 

「ったく、センセも人が悪いわ。こないな事知られたらただじゃすまんぞ?」

「鈴原? これからもここに来たいなら分かってるわね?」

 

 今日はシンジ達三人に加え、トウジとヒカリも参加していたのだ。ケンスケは休みのためにおらず。彼は軍艦目当てで新横須賀へ遠征しているのだ。余談ではあるが、後日この昼食の事を聞いた彼は大いに悩んだという。

 

「ヒカリ、大丈夫。男子は基本アスカを恐れているから」

「言い方はあれだけど、まあそうね。シンジ発案のアレ、結構需要あるみたいだし」

「驚いたよ。まさかアスカとレイが揃って相田に写真を渡してるなんて」

 

 レイの歯に衣着せぬ言い方に若干ムッとするアスカだったが、実際彼女の言う通りなので否定はしなかった。そんな二人を見てヒカリは驚きながらもどこか嬉しそうに笑う。何度か見て来ているが、本当に仲良くなったと感じたからだ。

 

(アスカ、本当に変わったなぁ。最初なんてレイの事を根暗なんて呼んでたのに……)

 

 学級委員長としてだけではなく、一人のクラスメイトとしてヒカリは二人の関係を喜んでいた。ちなみに、アスカとレイが同居しているのを知っているのはシンジ以外では彼女のみである。そんな彼女もどうして二人がそうしているかまでは詳しく知らない。

 

 ヒカリへアスカの話した言い訳としては、あの部屋は彼女の親戚が借りてくれた物で一人ではもてあまし気味だった。それを知ったシンジが住む場所が老朽化しているレイを紹介し、ルームシェアをしてみて欲しいと頼んだのがキッカケと言うもの。最初こそ嫌がったアスカだったが、レイの部屋を見て渋々承諾。短期間で嫌だと思ったら断ると前置いて同居させたのだが、一緒にいる内に打ち解けそのまま現在に至ると言う筋書きだった。

 

「まあね。おかげで相田もこちらの言う事に従うようになったし、隠し撮りもぱたりと止んだわ」

「碇君のおかげね」

「いや、それはちょう早いわ二人とも。ケンスケの奴、やっぱり顧客の希望はちょいエロや言うとったからなぁ」

「ケンスケ……」

 

 ヒカリ作の弁当を食べながらトウジはここぞとばかりにアスカとレイへ取り入ろうとした。それは仕方ない。彼とて健全な男子。アスカとレイがシンジへ想いを寄せているのは分かっていても、ヒカリの弁当と同級生女子との華やかな昼食が天秤にかけられればこうもなる。

 

「相田、そんな事言ってたの? ホントに信じられない」

「あいつ、今度はカメラ叩き壊してやるだけじゃ足りないわね」

「いっそ相田君の恥ずかしい写真を撮ってこっちの気持ちを分からせたらどう?」

 

 怒りを露わにするヒカリとアスカだったが、レイの言葉に思わず驚きを見せる。それはシンジとトウジもだった。四人の視線を受け、レイは平然と小首を傾げる。

 

「何かおかしい? 人の嫌がる事をする相手には、同じ事をするといいって聞いたわ。目には目を、歯には歯を」

「れ、レイってこんな事言う子だったんだ。私、ちょっと意外かも」

「大丈夫よヒカリ。あたしも同じ気持ちだから」

「いやぁ、綾波って可愛い顔して結構やな。でも、ワイもそれが一番効果的やと思う」

「う、うん。たしかにそれは効果的かも」

「そう。なら、今度写真渡す時に警告しましょう。それで実行すれば言い逃れ出来ないわ」

 

 そう締め括り弁当を食べ始めるレイに全員が顔を見合わせた。大人しい人程怒らせてはいけない。その典型を見たとばかりに。そんな事もありながらシンジ達は食事を再開する。それと、何故ここにトウジとヒカリがいるのかと言えば、あのアスカがデートをする事になった日の料理教室でレイが彼女の想い人を教えてもらったからである。それを聞いたレイがならばとシンジへメール。こうしてシンジがトウジを、レイがヒカリを屋上へ連れ出し現状と相成ったのだ。

 

「いや、それにしても美味いわ。いいんちょ、ホンマに料理上手なんやなぁ」

「そ、そんな事ないよ。碇君の方が上手だし」

「いやいや、例えそうやとしてもや。やっぱ男の作るもんより女の作るもんの方が美味いに決まっとる!」

「そ、そうかな?」

 

 トウジに褒められ嬉しそうにするヒカリ。それを見て笑みを浮かべるシンジ達三人。この分ならヒカリの恋は実りそうだと、そう思ったのだ。なのでこっそり二人から距離を取る。

 

「いい感じじゃない。鈴原とヒカリ」

「ええ、ヒカリも嬉しそうだわ。鈴原君を呼んで良かった」

「トウジも満更でもなさそうだし、委員長と両想いになれるんじゃないかな?」

 

 今もご飯を食べて、その粒が口の端に付いているとヒカリに教えられ苦笑するトウジの姿がある。そこからヒカリが指でそれを取ってやり、若干の躊躇いの後自分の口へと入れた。それはとても微笑ましい光景だった。そして、同時に三人へもある感情を生じさせる光景でもある。

 

(トウジの奴、あんなにデレデレしちゃってさ。……ぼ、僕も同じ事やったらアスカか綾波にしてもらえるかなぁ……?)

(ひ、ヒカリってば結構大胆な事するわね。……あたしもやってあげたらシンジ、喜ぶかしら?)

(赤木博士が言っていた親しい相手しか出来ない事をヒカリ達はやっている? ……そう、親しくなりたいと伝えるためね)

 

 そう思うや、三人は同時にご飯を食べる。だが当然のように口の端に米粒が付くはずもない。そこですぐに諦めるシンジに、どうやればいいかを考えるアスカ。唯一レイだけが違った。彼女はそういう意味で素直だった。指で米粒を掴むと自らの口元へ付けたのだ。

 

「碇君、取って」

「「え?」」

「……嫌?」

「っ?!」

 

 あまりの事に呆気に取られるシンジとアスカだったが、レイの言葉に彼は思わず息を呑む。これが何を意味するのかさすがにシンジも分かったのだ。レイが自分とそういう事をしたがっている。それは彼女も自分ともっと深い仲になりたいのだと。

 

「わ、分かった。動かないでね、綾波」

「ええ」

 

 恐る恐る手を伸ばすシンジと何故か目を閉じるレイ。それに余計鼓動を早くしながらシンジはレイの口元にある米粒へ手を届かせ―――そうになったところでそれを横からアスカが取ってレイの口へと入れた。

 

「はい、取れたわよ」

「……ありがとう。でも、出来れば碇君が良かったわ」

「ダメよ。ああいうのは一対一じゃないと許されないの」

「あ、アスカ……」

 

 そんな事を言うと本当にするよ。そう思うシンジであったが口にはしない。それが後押しになると理解したからである。そういうところの察しはいいシンジであった。そんな彼らをトウジとヒカリが眺めていた。

 

「何や、センセ達も複雑やなぁ」

「でも、あれって凄いと思うよ。アスカとレイ、ギスギスしてないもん」

「そう言われればせやなぁ……」

「本当に仲が良いんだと思う。どこかでお互いに相手なら仕方ないって思ってるのかも」

「は~、そんなもんかいな」

 

 ヒカリの推測に感心しつつ、トウジは最後の一口を名残惜しく思いながら食べるのだった……。

 

 シンジ達が昼食を楽しんでいる頃、ネルフ本部では大人達が大騒ぎになっていた。アメリカの第2支部が消滅したとの情報が入ったためである。実は、そこではエヴァンゲリオン四号機によるS2機関の実験が行われていたのだ。そこへ入った爆発ではなく消滅との報は、大いに冬月達を混乱させた。

 

「本当に消滅なのか!?」

「はい、全て確認しました。消滅です」

 

 シゲルの断言に冬月は何とも言えない顔を浮かべる。これがある意味で仕組まれた事だと思ったからである。

 

(参号機をどうやってこちらへ持ち込ませるのかと思っていたが、ここまでするのか)

 

 そう、エヴァンゲリオン参号機も同じくアメリカの所有なのだ。それを手放す理由としてゼーレがこれを仕組んだのではないか。そう冬月は読んだのである。実はエヴァは各国が所有出来る数をある条約で決めてあり、それは三機が限度なのだ。現在日本のネルフには零号機から弐号機までの上限いっぱいのエヴァがある。なので、本来であれば参号機の受け入れは出来ないし認められないのだ。だが、それを恐ろしい事故を引き起こすかもしれないと言って押し付けるなら、例外として認めさせるぐらいするだろう。そう冬月はこれからの流れも予測した。そして彼はそれらを報告するべく司令室へと向かった。残されたオペレーター達が仕事に追われる中、ミサトがそこで姿を見せる。

 

「……何の騒ぎ?」

「第2支部が消滅したんですよ!」

「何ですって!?」

「管理部や調査部は大慌てで総務部はパニック状態で」

「参ったわね……原因は?」

 

 忙しくするシゲルやマヤと同じくマコトも会話に付き合っている暇がないのだが、それでも惚れていた相手であるため、最小限には話に付き合っていた。と、そこへミサトの後方から疑問へ答える声がする。

 

「未だ分からず、でしょ?」

「リツコ? どこ行ってたのよ?」

「ちょっと報告が長引いて。厄介な事になったみたいね」

 

 隣に立つリツコから微かに香る匂いにミサトは気付く。それがシャワーを浴びたからだと分かり、ミサトは表情に出さないまま小さく尋ねる。

 

「どこで何してたのよ?」

「貴女も子供じゃないから分かったのでしょ? そういう事よ」

「呆れた。この非常時に立場ある人間が」

「始めた時は非常時じゃなかったのよ。悪いのは私。この話はここで終わり」

 

 互いを見る事無く小声で話す。表情はまるで無く、これまでの二人を知れば考えられない程に冷たい風が吹いていた。

 

「マヤ、悪いけど静止衛星の映像出せる?」

「はい、今出します」

 

 そこに映し出された映像を眺め、ミサトは言葉を失う。

 

「……酷いわね」

「エヴァンゲリオン四号機並びに半径89キロ以内の関連研究施設は全て消滅しました」

「数千人の人間を巻き添えにして、ね」

「タイムスケジュールから推測するに、ドイツで修復したS2機関の搭載実験中と思われます」

 

 シゲルの言葉にミサトは苦い顔をした。それが原因だと仮定すれば、おいそれとこちらのエヴァへ搭載出来ないと思ったからである。

 

「他に予想される原因は、材質の強度不足から設計初期のミスまで32768通りです」

「妨害工作の可能性は?」

「ないとは思いませんが、爆発ではなく消滅となると……」

「おそらくディラックの海に消えたんじゃないかしら? この前の初号機みたいに」

 

 さらりと告げられたリツコの想像に誰もが絶句する。それはつまり、人間も人為的に使徒と同じ事が出来る可能性を示していたからだ。そしてそれはS2機関があるから出来るのか、あるいはエヴァだから可能なのか疑問を抱かせる。リツコはそんな空気を察しミサトへ話を振った。

 

「稼働時間を気にせず戦わせられる。その夢は潰えたわね」

「そうね。でも、気の毒だけどおかげでシンジ君達を死なせずに済んだと思えばマシよ。やっぱり訳の分からない物を無理矢理使うもんじゃないわ」

 

 その返しにリツコも頷き、内心で呟く。それはエヴァも同じだけれど、と……。

 

 

 

「参号機をこっちで引き取る!?」

 

 ミサトの怒声にリツコは耳を押さえた。場所はリツコの研究室。あの後、ミサトがリツコの遅刻理由を問い質そうとしたためだ。そこでリツコが話題逸らしに使ったのが先程の内容だった。

 

「そうよ。米国政府も第1支部まで失いたくないみたい」

「勝手な事を! あっちが建造権を主張して強引に参号機と四号機を作ってたってのに……」

「あれだけの事が起きれば弱気にもなるわ」

「……ま、作戦部長としては、使えるエヴァが増えるのは歓迎するわ。ただ、パイロットはどうなるの? 例のダミー?」

「…………これから決めるわ」

 

 内心でリツコは予想していた。参号機のパイロットが誰になるかを。何せあの情事の後、それとなく言われたのだ。初号機の封印処理の準備をしておけと。それが何を意味するのかを彼女はこの時点で理解した。ゲンドウは最初から分かっていたのだ。ここへ参号機が来る事を。

 

(使徒があの初号機へ対応を始めている。だから切り札として封印したいとの気持ちは理解出来る。だけど、よくあんな事故を起こした後で同じ事を起こしかねないものへ息子を乗せられるわね)

 

 目覚めだした母性がゲンドウのやり口を嫌悪する。女としては理解してやり、科学者としてはやや否定的な考え。リツコも既に自分の中でのMAGIを作り出していた。そしてその結論はある提案としてゲンドウへ突きつけられる事となる。

 

「試作したダミープラグを使い、参号機の起動実験をするべきだと思います」

「……理由を聞こう」

「簡単です。四号機の件を初号機パイロットが聞いて司令へ不信感を抱く可能性があるからです。あの強力な初号機を切り札として封印したいのは理解出来ますが、あれはシンジ君だからこそ使える切り札です。ならば、ハードよりも優先すべきはソフトのはずではないでしょうか?」

 

 科学者と母が一致して意見を述べる。女はまだ沈黙を守っていた。

 

「心配いらん。シンジへは私が直接説得する」

「ならば、正式パイロットとして登録する前の起動実験はダミープラグの実験も兼ねるべきです」

「何故そこまでしてシンジを守る」

 

 その言葉にリツコの女も吼えた。

 

「貴方のためです! 彼女だけでなく彼まで失うかもしれないんですよ! 一人息子を危険に晒してユイさんがどう思うと考えているんですか、ゲンドウさんっ! もしもの時、それで貴方は彼女に何て詫びるつもりです!」

「…………ユイは」

「許しませんよ。彼女は母にもなったんです。妻だけではないんですから。レイと擬似的な、ええ、ままごとのような子育てを経験した私でも分かります。母は子のためなら鬼にも仏にもなれる。昔の人は偉大ですわ。実に女の本性を言い当てていますもの」

 

 ゲンドウの希望的観測を斬り捨てるような鋭い口調でリツコは断言した。もう彼女の気持ちは全会一致である。この男の好きにさせてはいけない。父を慕うシンジの気持ちを踏みにじらせてなるものかと。それがゲンドウにも伝わったのだろう。はっきりと驚きを顔に浮かべ彼女を見つめていた。

 

「ダミープラグは一応初号機と弐号機にも組み込んでおきます。ただ、人の心や魂はデジタル化出来ません。あくまでもフェイク、擬似的なものです。人の真似をするただの機械であるという事をお忘れなく」

「……それでもいい。エヴァが動けばな」

「では、尚の事参号機で試すべきですわ。もし失敗して初号機が使えなくなったら怖いですから」

 

 そう言い切ってリツコは一礼し部屋を後にする。今度はゲンドウも呼びとめようとはしなかった。分かったのだ。今、彼女の気持ちは自分にない事が。女から母へ変わったリツコは、子供達の方を優先している。それを分かった上でゲンドウはそれを処分するつもりも罰するつもりもなかった。

 

「……シンジを大事にしなければユイが怒る、か。そうかもしれん……」

 

 一瞬ではあるが、リツコの言葉がユイの言葉に聞こえたのだ。思えば彼もミサトの父と同じく現実から目を逸らし続けていたのだ。父である事から目を逸らし、ただ男であり続けた。それをシンジが歩み寄る事で少しではあるが父として目を向け始めた。更にそこへ来てのリツコの怒声である。女としてだけでなく母としてのそれは、ゲンドウに強く響いた。

 

「まだ、シンジや赤木博士を失う訳にはいかん、か……」

 

 それでも彼はまだ現実を直視しようとはしない。あくまで自身の描くシナリオのためと、そう言い聞かせて動き出す。だが、それでもリツコの叫びに意味が無かった訳ではない。ゲンドウは携帯を使い、初めてシンジへ長文を打った。

 

―――お前に大事な話がある。いつでもいいので予定を空けられる日時を教えろ。出来るだけ早くが望ましい。

 

 見る者が見れば偉そうなと文句を言いそうな文面だが、ゲンドウを知る者からすれば驚きに包まれるだろう。何せ、彼が決めつけていないのだ。勿論シンジはすぐそれに気付き、喜びながらすぐさま予定を空けて返信したのは言うまでもない。

 

―――分かった。なら、今日の放課後でもいい?

―――それで構わん。話はこちらで通しておくからすぐに来い。

 

 不器用なやり取りだが、前進と言えるかもしれない。こうして司令室を訪れたシンジは、ゲンドウから参号機への乗り換えを命じられる。

 

「僕が参号機に?」

「そうだ。これは既に決定した」

「待ってよ。じゃ、初号機はどうなるの?」

「……使徒が初号機へ対応を始めているのは気付いているな?」

「うん、それは僕自身が一番実感させられたから」

 

 答えながらシンジはゲンドウが自分の身を案じてくれたのかを内心喜ぶ。それはある意味で間違っていない。だが、それはまだ彼が望む形とは違う。

 

「それを踏まえ、あの初号機は万一の際の切り札として封印する事になった」

「……そっか。これ以上使徒にあの初号機の能力を知られないため、だね」

「ああ。だから今週末にアメリカから最新鋭機である参号機が届く事になった。起動実験は松代で行う。そこへお前も同行しろ」

「分かった。参号機を動かせばいいんだね?」

「いや、起動実験は開発したダミーシステムで行う。今回はその実験も兼ねている。お前は万が一の際の保険だ」

 

 保険との表現に多少引っかかるものは覚えるも、シンジは特に疑問も持たず父が自身を案じてくれたと思って司令室を後にした。その背を見つめ、ゲンドウが複雑な心境になっていると知らずに……。

 

 一方その頃、リツコは自分の研究室でレイと相対していた。定例の勉強会である。辞書を開き、リツコが指した単語の意味と自分の中での具体例をレイが挙げてみるというものだ。

 

「じゃあ……レイ、これは?」

「信頼。信じて頼る事。具体的には私が碇君やアスカへ抱いている気持ち」

「エヴァでの戦闘中などで、が抜けているわ」

「日常生活でも同じ気持ちです」

「……そう、貴女らしいわね。ならこれは?」

「親愛。親しく思う気持ちなどを指す言葉。具体的には、アスカや碇君。それに赤木博士へ抱いています」

 

 その言葉にリツコは目を見開いた。先の二人と同じで、まさか自分を友人と思っているのかと。それを照れくさく思いながら苦笑いを浮かべる彼女へ、レイは小首を傾げて疑問符を浮かべる。何か間違ったのだろうかと思ったのだ。リツコとしては間違いと言い切れないのでどう指摘するべきかと、そう考えてまずはレイへ確認を取る事にした。

 

「レイ、私を友人だと思っているの?」

「いえ、博士は友人ではありません。ただ……」

「ただ?」

「親しみを抱いている相手です。何かダメな事でしたか?」

 

 今度こそ完全にリツコは言葉を失った。これがアスカやマヤならば、どこかでからかいや別の感情も混ざっているかもと思うのだが、相手は純真無垢なレイである。そこに込められた気持ちは純粋と言えた。

 

「……赤木博士?」

「あっ、ごめんなさい。ちょっと驚いたの。まさかレイが私へそう思ってくれていたなんてね」

「私も最初は何も思っていませんでした。だけど、こうやって色々な事を教えてくれている内に博士と会うのが嬉しくて、この時間も楽しくなったんです」

「嬉しくて楽しく、ね」

「はい。碇君もアスカも最近の私は変わったと言ってくれます。もっと私は変わりたい。学校の友達も増えつつあります。絆が、どんどん増えているんです」

 

 表情が自然と笑みへ変わるレイを見て、リツコは胸に迫るものを感じていた。気が付けばリツコはレイから顔を背けていた。それを拒否と取られないよう、彼女は手にしていた辞書を閉じて口を開く。

 

「今日はここまでにしましょう。申し訳ないけど、新しく来る参号機のせいで仕事が増えているの」

「分かりました。では、失礼します」

「ええ、気を付けて帰って」

「はい。博士もお仕事頑張ってください」

「っ……ええ」

 

 後ろで聞こえるドアの開閉音。それを聞きながらリツコは小さく笑みを零す。

 

―――ダメね。もう、私はコーヒーじゃなくなったみたいだわ。

 

 

 

 明けて翌日の昼休み。屋上には六人の男女がいた。とはいえ、その中の一人の少年はそこはかとない疎外感を感じていたが。その目はまず一組の男女を捉えた。

 

「いや、悪いないいんちょ」

「べ、別にいいよ。どうせ余り物だから」

「いやいや、もらえるだけありがたいちゅうもんや。ホンマにおおきに」

 

 トウジとヒカリは最早単なるクラスメイトとは思えないやり取りと雰囲気を出している。それに小さく羨ましいと呟き、少年は問題の三人を見つめた。

 

「どうよ! あたしの作ったお弁当は!」

「これは……」

「前より大分大人しくなったわ」

「これまでの経験を活かして野菜多めにしてみたわ。きんぴらごぼうにレンコンのはさみ揚げ、ミニハンバーグと山芋の天ぷら。とどめにご飯にはおかかを配置。どう? 完璧でしょ?」

「うん、たしかに今までで一番バランスはいいけど……」

「アスカ、市販品に頼り過ぎ。これ、アスカが作ったのおかかご飯とミニハンバーグだけ」

 

 その指摘にアスカが小さく呻く。そう、その通りだった。と、言うのも今朝は軽く寝坊してしまい弁当作りに取れる時間が少なかったためである。それでもアスカは言い訳をしようとはしなかった。いや、正確にはする前に必要がなくなったからだ。

 

「でも、バランス良く考えてあるし、悪くないよ。ちょっと油ものが多めだけど……全部市販じゃないし、手作りの方が美味しいハンバーグは自分でやってるし、足りない魚をおかかで補ってる辺りもいいと思う」

 

 シンジの品評にアスカはどこか嬉しそうに笑みを浮かべてレイへ視線を向ける。レイはそれを真正面から受け止めた。

 

「手作りだけが全てじゃないみたいよ、レイ」

「そうね。でも、出来る事ならそうするべきだわ」

「え、えっと……二人にはそろそろ教えておくべきだと思うけど、本来は夜のおかずの残りとかを活用するのが賢いやり方だよ?」

 

 火花を散らす二人へシンジはお弁当作りの基本を告げる。何せ、これまでの弁当を見ていると全てその日の朝に作っているのが分かったのだ。それはとても素晴らしいのだが、シンジとていつもそんな事をしている訳ではない。夕食の残りを上手く活用し、これまで弁当へと仕立ててきたのだ。シンジから告げられた当たり前の時間短縮術。それにレイとアスカは唸ってしまう。ここがシンジと二人の意識の差だった。

 

(二人共料理の腕を磨きたいんだろうけど、お弁当は基本余り物処理だしなぁ)

(出来るだけ手抜きしないようにって、そう思ってたんだけど……賢くやる方が受けはいいのかしら?)

(夕食の残り……あまり麺類は使えないわ)

 

 主婦な発想のシンジと乙女な発想の二人では根底からして捉え方が違っていたのだ。そんな三人を眺め、ケンスケは大きくため息を吐いた。

 

「俺だけ疎外感半端ないなぁ……」

 

 何しろ食べているのも誰かの手作り弁当ではなく購買の弁当。安定した美味しさではあるが、周囲を見ていると劣っている感が否めない。それでも箸を動かす手は止まらないのが成長期男子の悲しいところではある。

 

「ケンスケ、良かったら僕のはさみ揚げとその出し巻き交換してくれない?」

「いいのか?」

「うん、二個あるからね」

「じゃあ……」

 

 アスカの手作りではないが、彼女が用意した物には違いない。こういう発想で少しでも幸せになれるのが思春期男子のいいところでもある。こうしてシンジの弁当かられんこんのはさみ揚げは一つ消え、代わりに出し巻き玉子がやってくる。そして、それはシンジから更に別の相手へ。

 

「はい、綾波」

「……いいの?」

「うん。綾波、玉子焼き好きでしょ?」

「……なら、私は天ぷらを一つ渡すわ」

 

 はさみ揚げを嬉しそうに頬張るケンスケの後ろでこっそり行われる男女のおかず交換。アスカはそれとケンスケを視界に収めて小さく呟く。

 

―――何か、こうしてみると相田も少し哀れだわ……。

 

 あまりにもケンスケを不憫に思ったのか、アスカはこの後彼へ山芋の天ぷらを一つ恵んでやる事にした。それを、自分に気があるのかと探りを入れたケンスケの言葉で彼女が拳を握る事になるのだが、それは割愛させていただく。

 

 

 

「そう、ダミーで起動実験をね」

「ええ。ただ、もしもに備えてシンジ君も松代に来る事になったわ」

 

 リツコの言葉にミサトは耳を疑った。どうしてだと、その顔が告げている。無理もないかと思いながらリツコは出来るだけ淡々と事情を説明した。あの初号機へ使徒が対応を始めている事。今後を考え、初号機は切り札として封印される事。代わりのエヴァとしてシンジが参号機を使う事。それらを聞いてミサトは理解を示した。

 

「たしかに、前回の使徒やその前の使徒は露骨にあの初号機との戦闘を避けている。それは認めるわ。でも、だからって強力な戦力をわざわざ封じるのはおかしいじゃない」

「ミサト、気持ちは分かるわ。でも、逆に考えて。まだ使徒はあの初号機を恐れているの。使徒の進化や修正力はもう知っているでしょ? 追いつかれたらどうするの?」

 

 その指摘にミサトは即座の反論が出来なかった。何せ既に二度撤退を余儀なくされたのだ。両方とも初号機を完全に上回った訳ではないが、それでも苦しめられたのは事実。今後、あの使徒達よりも強く厄介な存在を初号機が生み出してしまうかもしれない。そう思ったのだ。

 

「私の言いたい事、分かってくれたみたいね。使徒が恐れているままで初号機を存在させたいの。たしかにあの初号機での戦い方に慣れているシンジ君を、今更になって別のエヴァに乗せるのは不安だわ。だけど、参号機は弐号機よりも高性能よ。それに、彼だって成長しているの」

「……信じろって事か。初号機ではなくシンジ君を」

 

 その言葉に頷くリツコ。だが、彼女もこうは言えなかった。それと同じで参号機も信じろとは。どこか重くなった空気を変えるべく、リツコはある話題を持ち出した。

 

「それと、封印処理をする前に初号機を使ってある実験を行うわ」

「実験?」

「そ。アスカが初号機に乗りたいと言っていたでしょ? だからそれをしてもらうの」

「へぇ、いつ?」

 

 ミサトの脳裏に張り切るアスカの姿が浮かぶ。それと、それに苦笑するシンジとどこかため息を吐くレイも。その想像が彼女の表情を笑みへと変えた。その笑みにリツコも笑みを返して口を開く。

 

「参号機起動実験と同じ日よ。無いと思うけど、参号機にも何か問題があったら初号機を使うしかないのだから」

「ま、それもそうか。……大丈夫よね?」

「事故の要因であると見られるS2機関は参号機には搭載されていない。だから大丈夫だと思うわ」

 

 煮え切らない返答のリツコに相変わらずだなと思いながらミサトは小さく息を吐く。絶対はないとの彼女の考え。それを今回も良い方に解釈しよう。そう思ってミサトは笑った。

 

「事故は起きず、シンジ君が乗らずに起動に成功する可能性がある。そういう事よね?」

 

 その言葉にリツコは苦笑しながら頷いた。

 

 同時刻、ゲンドウと冬月はジオフロントへ向かう車窓から外を眺めて会話していた。楽園や臆病者の街など、単語からしてあまり愉快な話ではない。と、いつしか話題はあの事故へと変わっていた。

 

「あの事故は委員会の差し金ではないとはな……」

「ああ。老人達も想定外の事だったらしい」

「ゼーレとしては、別の形で参号機をこちらへ受け入れさせるつもりだったか」

「多分な。だが、血相を変えながらもこれを利用しようとするのだから性質が悪い」

「そうでなければああはならんだろうよ」

「違いない」

 

 共に軽く笑い合い、彼らは再び視線を外へと向ける。

 

「死海文書にない事件、か。今更ではあるがな」

「あの初号機が完全に絡んでいない事は初めてだからな。老人達も困惑した事だろう」

「……上手く行けば今度のセカンドのシンクロテストが初号機の最後の起動状態だな」

「…………ああ」

 

 そこで完全に会話は途絶えた。初号機に対してゲンドウだけでなく冬月も思う事は多いのだ。ゲンドウが追い求める女性、碇ユイ。その彼女と初号機は密接な関係にあるのだが、それをまだシンジは知る由もなかった。

 

 

 

『第三管区の形態移行ならびに指向兵器試験は予定通り行われます。技術局3課のニシザイ博士、ニシザイ博士、至急開発2課までご連絡ください』

 

 そんなアナウンスの流れる中、加持はマヤと発令所で会話していた。

 

「せっかくここの迎撃システムが完成するのに祝賀パーティーの一つも予定されてない。そこのとこ、どう思う?」

「仕方ないですよ。碇司令がああいう方ですし」

「君はそれでもいいって?」

「いいとは言いませんけど、そんなパーティーやるぐらいなら、もっとシンジ君達へお金を使ってあげて欲しいですね」

 

 マヤの返しに加持は一本取られたという顔を見せた。それに楽しげな笑みを浮かべるマヤだったが、その視線が何かを見つけて苦笑に変わる。どういう事だと加持が問いかけようとしたところで、その理由が彼にもしっかり理解出来た。

 

「何若い子にちょっかいかけてるのよ、バカリョウジ」

「いや、これは他愛ない世間話だって」

「ふふっ、そうですね。でも、どこか手を出されそうな感じでした」

「おいおい」

 

 加持をからかうように笑いながらマヤはそう告げた。まさかの展開に加持としても頭を掻くしかない。勿論ミサトもそれがマヤなりの冗談と理解している。だからこそ彼女へウインクをして見せた。

 

「そう。ありがとう、伊吹二尉。仕事に戻ってくれていいわ」

「はい、ありがとうございます」

 

 加持の腕を引っ張りマヤから引き離すミサト。そしてある程度離れたところで彼女は彼を睨む。

 

「あたしがいるでしょうが」

「だから、そういうつもりじゃないんだって」

「ったく、そんな奴には委員会の奴らの情報あげないでおこうかしら?」

「っ!? ミサト、それは」

 

 予想通りの反応にミサトは内心でため息を吐く。やはり今の彼には、自分よりも夢中になれるものがあるのだと思い知って。

 

「どうも連中は時間がないって言ってたわ。使徒が人に興味を持った事を聞いて、ね」

「……という事はそろそろ大きな動きがあるか」

「ね、リョウジ。これって貴方にも当てはまるわ。本気で引き際を見極めないと」

「分かってる。だけど、もう少しなんだ。ミサトに辛い思いをさせてるのもちゃんと知ってる。だから、これが終ったらその分そっちに尽くす」

「その約束、果たす気ある?」

「ないはずないだろ? 俺の最愛の女性相手にな。何なら今すぐにでも苗字を変えさせるぐらいするさ」

「バカ……ん」

 

 軽く重なる唇。その温もりで目の前の男を行かせてしまう自分に呆れながら、ミサトは悲しげな笑みを浮かべて頷いた。そんな彼女の笑みに申し訳なさそうな顔を見せるも、男はその場から立ち去る。微かなタバコの匂いを残して。そうして出た先で彼は一人の少年と出会う。

 

「おや、シンジ君じゃないか」

「加持さん、こうして会うのは久しぶりな感じがしますね」

「まったくだ。……体の方はもういいのかい?」

「はい、おかげさまで。ミサトさん、発令所にいます?」

「ああ。何か用かい?」

「明日の出張に関しての打ち合わせがあるってリツコさんが」

 

 そう聞いて加持はならばと来た道を戻り、再びシンジを連れて発令所へ。ミサトへシンジがリツコからの伝言を伝え、今度は逆にミサトがその場を去る事に。残された男二人はどちらともなく見つめ合い、小さく苦笑する。

 

「どうだい、たまには男同士で一杯」

「加持さん、僕未成年です」

「分かってるさ。ちゃんとジュースにしておく」

「出来ればコーラかアイスティーがいいです」

「はっきり言う子になったな。いい傾向だ。男の仕事の九割は決断だからな」

「そうなんですか?」

 

 歩きながら会話する二人。どちらもこういう風に話すのは初めてだと感じていた。だから興味が湧いたのだ。互いが互いの事に。ミサトという一人の女性を介して意識している部分もあるかもしれない。とにかく、こうして二人が着いたのは休憩所。そこの自販機で加持がシンジ用に紅茶を買い、自分用のコーヒーを買った。

 

「ほら」

「ありがとうございます」

 

 長椅子に座り、プルタブを開ける二人。まず一口飲み、シンジから口火を切った。

 

「あの、さっきの言葉なんですけど」

「ん? ああ、男の仕事はってやつか」

「はい。九割も決断なんですか?」

「そうだって聞くな。俺も実際そんな感じがしてる」

 

 シンジから見れば大人の男である加持が言うと、何でもないような言葉が説得力を持つと彼は感じていた。

 

「じゃ、残りの一割は何ですか?」

「それは君が考えるべきだな」

「え?」

 

 ここへ来ての急な梯子外し。だが、加持は優しく笑みを浮かべながらシンジを見る。

 

「シンジ君、例え男の仕事の九割が決断だとしよう。だけど、みんながみんな残り一割まで同じじゃ意味がないしつまらないだろ?」

「つまらない……」

「ああ、その一割こそが個性なんだと俺は思う。あるいは、中には九割ではなく五割と考える奴もいるかもしれない。逆に決断は一割で、九割は違う事だと言う奴がいてもいい。個性や自由っていうのはそういう事さ」

 

 そう言うと加持は缶へ口をつける。シンジもそれを真似するように飲み口へ口をつけた。若干砂糖で味付けられた紅茶が喉を潤す。その甘味が自分の未熟さにも思えて、シンジは顔を歪めた。

 

「じゃあ、きっと僕の一割は甘さです」

「仕事の一割が甘さ、か。ふむ……いいんじゃないか?」

「えっ?」

 

 肯定されると思ってなかったのか、シンジは驚きを顔に出して加持を見た。加持は微笑んでいた。

 

「甘さってのは何も悪い事じゃない。何だってそうだが、要は使い方次第さ。シンジ君、たしか君は料理が得意な方だったな」

「え、はい」

「なら、人を一つの料理と考えよう。そうすれば甘さはいらないかい?」

「……どういう料理にするかにもよりますけど、絶対不要とは思いません」

「そうだ。つまり、世の中に無駄なもんはないって事だ。無駄があるとすれば、それは使い方が間違ってるか、あるいはその物の価値をそいつが見出せないだけさ」

 

 そう言い切って加持はシンジを真剣な眼差しで見た。思わずシンジも表情を引き締める。

 

「君は、どんなものでも価値を見出し使い切れるような人になってくれ。無駄や無価値なんて言葉を使わないような人に」

「……加持さんは?」

「俺は無理だった。もう気付いてるんだろ? 俺が葛城と昔付き合ってた事」

「はい、それと今もですよね?」

「ああ。その価値に、俺はつい最近まで気付いてなかった。無駄とは思ってなかったし思いもしなかったが、その本当の価値を見出せなかったんだ。俺は失敗作だ」

 

 先程の料理に例えての言葉にシンジは返す言葉が出てこない。加持はそんな彼に小さく笑い、気にしてないとばかりにコーヒーを飲む。それを眺め、シンジはふと返す言葉を思い付いた。

 

「そんな事ないと思います。加持さん、自分の残りの一割は何だと思います?」

「俺の……?」

「もしまだ分からないなら、失敗作とは言えません。残りの一割を加持さんが自分で決めて初めて完成です。そして、きっとミサトさんならどんな料理でも美味しいって言ってくれますよ。だって、もうミサトさんはその素材が大好きなんですから」

 

 思わぬ返しに加持は言葉を失った。子供故の優しさと大胆な発想。それが加持の心に深く響いた。そんな彼の反応にシンジは照れくさそうに頬を掻いた。大人に対して偉そうな事を言ったと思ったのだろう。

 

「シンジ君、そっちのを一口もらえないか?」

「え? いいですけど……甘いですよ?」

「ああ、いいんだ。今はその甘さが欲しい」

 

 差し出された缶を受け取り、代わりに加持は自分の缶を渡す。シンジはそれを受け取り、加持を見つめた。彼は甘い紅茶を飲み、やや表情を歪めて笑う。それはどこか嬉しそうな印象をシンジに与えた。

 

「かぁ~……俺には一口でいいな」

「だから言ったじゃないですか」

「すまない。で、そっちはどうだ?」

「え? 僕も飲むんですか?」

「おや? 俺の味は嫌かい?」

「別にそういう訳じゃないですけど……あと、何かその言い方は気持ち悪いですよ」

 

 加持に軽く煽られ、シンジは若干言い返しながら苦いコーヒーを飲む。その苦みはまだ彼には早かったようで、表情を大きく歪めた。それを見て加持は楽しそうに笑う。

 

「笑う事ないじゃないですかぁ」

「すまんすまん。俺も君ぐらいの頃はそうだったなって思い出してね」

「じゃ、僕もいつかこの苦みに慣れるんですか?」

「さてね。俺としては慣れないで欲しいもんだ。もしくは、好きにはならないでくれ」

「? 心配しなくても好きになれそうにないです」

「それは良かった。俺も好きではないが平気になってしまったんでね。大人になっても苦みを平気と思わない君でいてくれ」

 

 それだけ告げると加持はその場に缶を置いて立ち上がる。そしてシンジの手から缶を受け取るとそのまま廊下を歩いて去って行く。その背中を見送り、シンジは残された缶を手に取るとそれを最後まで飲み干す。

 

―――……やっぱりこっちの方がいいや。

 

 苦みよりも甘さが好ましい。そう強く感じるシンジだった……。

 

新戦記エヴァンゲリオン第十七話「四機目のエヴァ」完



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第十八話 命の選択は

バルディエル襲来。そしてまさかのシンジ君が松代行き。さて、初の少女二人での使徒戦です。そして母は子のためなら鬼にも仏にもなります。今回は……そっち一択です。


「じゃ、最終日はよろしくね」

「はい、ミサトさんも仕事頑張ってください」

 

 玄関先で靴を履き、ミサトはシンジと向き合っていた。今日から彼女は松代へ出張となる。シンジも最終日の参号機起動実験はそこへ行き、もしも失敗した場合搭乗する事となっていたのだ。

 

「あ、一応それまではあいつに来てもらう事になってるから」

「はい、男二人で気楽に過ごします」

「おやおや、シンちゃんも言うようになっちゃって」

「それと、ちゃんとミサトさんの部屋へは近づけさせませんから」

「……ま、最悪中覗くぐらいは大目に見てやるわ。一緒に暮らしてた事もあるの」

 

 さらりと告げられた内容にシンジは驚く。さすがに中学生には同棲が持つ意味は重かったのだ。

 

「そ、そうなんですか……」

「ん。でも、自由に出入りはダメよ。シンちゃん、お願いね」

「はい。当分掃除もする必要ないですからね」

「このぉ、そんな事言うのはこの口かぁ」

「や、やふぇふぇくだふぁいみひゃふぉひゃん」

 

 じゃれ合うミサトとシンジ。その姿はまさに姉と弟と言った雰囲気。そんな賑やかで和むやり取りをし、ミサトはシンジに見送られ部屋を出た。そして、彼も学校に行く支度をしようと自室へ向かい鞄を手に取る。すると聞こえる呼び出し音。ミサトが忘れ物でもしたかなと、そう思いながら彼は玄関へと向かう。

 

「はーい」

 

 面倒だったので誰か確認する事もせず、シンジはドアを開けた。するとそこにいたのはレイとアスカだった。

 

「え?」

「おはよう碇君」

「ハロー、シンジ。迎えに来たわよ」

 

 それは久しぶりの出来事だった。ルームシェアをするようになったのを機に、レイはシンジとの登校を止めていたのだ。それはシンジが、レイがミサトの部屋まで来るのが遠くなったという理由を見つけたためである。なので、今までレイはアスカと共に登校していたのだが……。

 

「ど、どうして?」

「どうしても何も、あんたはまだ病み上がりでしょ? 聞いたわ。以前もレイが一緒に登校してたらしいじゃない」

「だから、念のため私達と一緒に登校」

「そ。喜びなさい。こーんな美少女二人が付き添ってあげるんだから」

 

 アスカの発言に完全同意のシンジではあったが、そうなれば以前の比ではない冷やかしを受ける事は自明の理。だからといって二人の好意を無にするのも気が引ける。冷やかしか二人の悲しみか。そんな選択肢になれば、結局シンジが選んだのは言うまでもない。

 

「じゃ、じゃあ戸締りしてから行くよ。先にマンション前で待ってて」

「「分かったわ」」

 

 こうしてシンジは両手に花で登校するようになり、当然男子達の嫉妬混じりの冷やかしはこれまでにない程の規模になったのだが、意外にもそれは「男やったら、ひがんどらんで自分磨いて女捕まえんかい!」とのトウジの一喝で鎮圧される事となる。後日、何故彼がそうしたのかの理由を彼らは気付く事になるのだが、それはまた別の話。

 

 一方、ミサトは移動中のヘリ内で、リツコから参号機が来る事になった背景をシンジへ教えていない事を軽く責められていた。

 

「あのね、彼だってどこかで疑問に思っているはずよ。どうしてタイミング良くエヴァがやってくるのかって」

「でも、あの事故の事は機密でしょ?」

「一口に機密と言ったって、彼はエヴァパイロットなのよ? 一般人への機密、一般スタッフへの機密、機密の種類だって色々あるの。そんな事、貴女だって分かってるでしょうに」

「それは……」

 

 正論だった。更に言えば、シンジは扱いとしてはかなり上の位置に置かれているため、大抵の機密は教えても構わない。リツコが言っているのはそういう事である。そこには、彼女なりのシンジへの心配があった。ゲンドウが正直に全てを説明するとは思えない。だが、自分が彼へそれらを話すよりも、彼とより親しくその身を案じているミサトが話した方が信頼感は増すと考えていたからだ。

 

「最終日、こっちに来る時にちゃんと教えてあげなさい。エヴァに乗るのは彼なのよ」

「……そう、ね。本格的に乗り込む前に自分で判断させてあげないといけないわ」

「ええ。起動実験でダミーが失敗したら乗り込んでもらう可能性もあるのだし、その事も踏まえて彼の意思を固めてもらうべきね」

 

 リツコの言葉にミサトも頷いた。最悪シンジが拒否してもいいと思っているからだ。そもそも、今回はダミーシステムを使った起動実験。なのでシンジが乗り込んで動かす必要はないとも言えた。松代へ来てもらうのは、いわば参号機との顔合わせのようなものだったのだ。だが、それとは別にミサトは思った事があった。リツコがシンジの身を案じる事の背景である。しかし、どうそれを切り出そうかと迷い、結局彼女はストレートに問いかける事を選んだ。

 

「ね、司令と何かあった?」

「っ……どうして?」

 

 急な質問にリツコは珍しく動揺を見せる。ミサトはそれに気付くも指摘する事はせず、ただ黙って話を始めた。それは、以前聞いたMAGI関連の話から派生するものだった。

 

「前、リツコは言ったわ。お母さんの事、女としては憎んでいたって。悪いとは思ったけど、少し調べたのよ。ほら、あたしも今面倒な男と付き合ってるから」

「……それで? 何か分かった?」

「リツコのお母さん、男の趣味がいいとは言えないわね。ただ、それでも本気で愛していたんだと思う。だからこそ、リツコはお母さんを憎んでしまったんでしょ?」

 

 そこでミサトはリツコへ顔を向ける。

 

―――同じ男を好きになったから。

 

 思わずリツコはため息を吐いて宙を見上げた。以前までであればどうにかして隠そうとした事だった。あるいは誤魔化しや開き直りなど、ゲンドウのために動いただろう。だけど、今の彼女にそんな気はなかった。

 

(どうやら、私のMAGIは砂糖が足りなくなったみたいね)

 

 かつての喩えを思い出し、彼女は小さく苦笑する。その笑みがどこか嬉しそうに見えたのか、ミサトは意外そうな表情を浮かべた。そんな彼女へリツコは顔を向けて頷いた。

 

「そうよ。だけど、それはもう過去の話。ええ、過去の話になったわ。良くも悪くも、ね」

「……別れたの?」

「そうじゃないけど、それに近いかもしれないわ。今の私は砂糖少なめのカフェオレよ」

「えっと……?」

「いいの。こっちの話。で、それは加持君の情報?」

「まさか。あたしが自力で調べたわよ。この手の噂って、女は良く覚えてるもんね」

 

 そこでリツコは理解した。かつての母の同僚達が出所だろうと。人の口に戸は立てられないと言うが、それは本当だと思い知ったのだ。軽く息を吐き、リツコは両手を小さく挙げる。降参という事だ。ミサトもそれに苦笑し、少しだけ肩から力を抜いた。

 

「どうして別れたの?」

「あの人の本音が見えたからよ。いざとなったらこの人は私を捨てる。そう確信してしまった。だからもう付き合えないの」

「……シンジ君も?」

「可能性はあるわ。それもあってより一層ね。せめて家族だけは守るって、そんな人ならまだ愛想も尽きなかったのだけど」

 

 リツコの疲れた声にミサトは息を呑んだ。唯一の肉親であるシンジさえ犠牲にする事を厭わないのかと、そう思って。彼女の父は、娘である自分に好かれていなくても最期には己を盾にして守った。それがあるからより一層ゲンドウに対する落胆と怒りは大きい。

 

(自分を慕っている息子を犠牲にしてまで、司令は何をしようとしているの? あの時見たもの。あれがきっと関わっているんだわ。リツコはそれを知ってるのかしら?)

 

 もしそうなら加持を止められるかもしれない。そう思ってミサトは一縷の望みを託してリツコを見た。その眼差しの真剣さに気付き、彼女は大きく息を吐いた。

 

「何が聞きたいの?」

「司令は何を考えているの?」

「……リョウちゃんのため?」

 

 刹那、静寂が二人を包む。愛する男のために危険へ足を踏み入れようとする女と、愛した男のために秘密を守るか迷う女を。そして、その静寂を破ったのは恋に破れた者だった。

 

「最愛の相手を取り戻すつもりよ」

「最愛って……シンジ君のお母さん?!」

「そう。碇ユイ。彼女は厳密には死んではいない。今も生きているのよ。エヴァの、初号機の中で」

 

 その発言の衝撃にミサトは頭が真っ白になった。絶句する彼女を見て、リツコは自虐的に笑う。

 

―――おかしいでしょ? 最初から私はあの人に見られていなかったのよ。ただ、自分の目的を果たすための便利な道具。母さんもそう。ホント、母娘揃ってダメな女。

―――……それでも、きっとレイがリツコをお母さんにもしてくれたんでしょ? なら、レイのためにも生きなさい。

 

 返された言葉にリツコがミサトを見た。彼女はどこか優しげな笑みを浮かべている。気付いたのだ。あのカフェオレの意味を。コーヒーとミルクに砂糖。それをリツコのMAGIと喩えたのは彼女。そして、リツコが言った表現は砂糖少なめのカフェオレ。今までの会話で砂糖が何に当たるかをミサトは察した。ならば残るのは科学者と母である。

 

「好きな男のために生きるのが女なら、慕ってくれる子のために生きるのが母よ。まだリツコに生きてて欲しいと思う相手はいるわ。ここにも、ね」

「……科学者として?」

 

 ちょっとした意地悪だった。あるいは照れ隠しだったのかもしれない。そんなリツコの質問に、ミサトは躊躇う事なく頷いてこう言い切った。

 

―――そして親友として、よ。

 

 

 

 この日、昼休みの屋上にはシンジ達三人しかいなかった。ヒカリとトウジはおらず、ケンスケも悲しくなるだけと言って辞退していた。

 

「トウジ達、上手くいってるかな?」

「大丈夫でしょ。ヒカリのお弁当、完全に気に入ってるし」

「ヒカリも勝負に出たのね。二人きりでお昼を、だから」

 

 そう、今日から彼ら二人は校舎裏で密かな食事会を開く事になったのだ。しかも、それはトウジからの提案。表向きはシンジ達の邪魔をしないようにとの意図であるが、実際にはトウジなりのアピールである。彼とて年頃の男だ。碌に親しくもしていなかった女子が手作り弁当をいつもくれるとなれば、嫌でもその裏に希望的観測をしてしまうもの。それが今回は大当たりなのだから分からないものだ。

 

「でも、実際ケンスケの反応が普通なんだよね。他の人がこれを見たら」

「ま、あいつの場合はより一層よ。かつて隠し撮りして売りさばいていたんだから」

「そういえば、私の水着写真があるって聞いた事があるわ。碇君、知ってる?」

「うぇっ?!」

「……その反応だと事実か。レイの水着って言うと……スクール水着か」

「そうね。でも、別に平気」

「ダメよ。いくら露出が少ないからって、男子共は猿なんだから!」

 

 その表現に内心ザクリと刺されるシンジ。彼もまた同年代の男子である。何とかレイやアスカをそういう対象にしないでいるが、どうしても頭を過ぎる事は増える一方なのだ。特に両手を繋いだあの時からは。

 

(ぼ、僕もアスカや綾波に嫌われたくないからなぁ。でも、仕方ないんだよ。二人だって、僕へ無防備な時が多いのが悪いんだ)

 

 あの使徒を受け止めて倒した日。あの日、彼は自分の恋心を自覚した。しかも、それ以前から彼女達の言動が好意を示しているように思えるものが増えていた事もあり、余計シンジの妄想は加速させられてしまったのだ。

 

「そんなものなの?」

「そんなもんなの!」

「碇君もそう?」

「シンジは…………知らないわよっ!」

 

 内心しっかりと傷を負いながら弁当を食べるシンジ。それでも顔を赤らめて会話を打ち切るアスカに癒され、不思議そうに小首を傾げるレイに癒され、その傷はあっさりと塞がって行くのだが。これも年頃なればの回復力と言える。

 

「そういえば、碇君、参号機に乗り換えるって本当なの?」

「うん。初号機はもしもの時の切り札にするんだって」

「切り札ねぇ。考えは分かるけど、それホントに出来ると思ってんのかしら?」

 

 アスカの疑う声にシンジとレイの意識が向く。彼女はその視線を受けながら鶏の唐揚げを一つ口へ入れた。生姜醤油で下味を付けられたそれに顔を綻ばせながら、アスカはシンジ達へこう告げた。

 

「ん~、美味し。で、話の続きだけど、そもそもあの初号機じゃないと勝てない使徒相手に、シンジが参号機で生き残れるかって事よ。あ、忘れてたけど、これはあくまで仮定の話よ。だって、まず戦ってみないと使徒の能力も強さも計れないじゃない。で、次に、ならシンジを出さずにあたし達だけで対処となると、こう思う訳よ。ああ、あたしやレイはシンジと違って死んでもいいんだって」

 

 アスカの淡々とした説明にシンジとレイは黙って弁当へ箸を伸ばす。レイは金時豆を、シンジはうずらフライを掴み、口へと運ぶ。

 

「要するに何が言いたいかって言うと、あの初号機を封印する意図は理解出来ても納得出来ないって事よ」

「……でも、段々使徒もあの初号機に対応してきてる。完全に対応されて、しかも超えられたらどうするのさ?」

「そん時はそん時でしょうが。もしもを考えてその時一番有効な手を打たないなんてナンセンスよ。例え一時凌ぎになるとしても、それをしなきゃ一時だって凌げないの。で、その一時が何に当たるか言えば、最近ならこの前のシンジ救出作戦の考案と準備。どう? これでも封印するべき?」

「あれは従来の初号機でも同じだけ耐えられると赤木博士が言っていたわ」

「レイ、その後リツコが言ったじゃない。だけどN2の爆発に耐えられるとは思えないし、そもそもシンジが生きてると分かる証拠も無かったって」

 

 その完璧な反論にレイも納得しお茶を口にした。シンジとしても、納得するしかない論理だった。あの救出作戦はF型でなければ無理。そう思う材料が揃い過ぎていたのだ。N2の威力への耐久度やシンジの生存を証明する事。これらはあの初号機だからこそ満たした条件だった。

 

「とにかく、あたしは不安よ。参号機を信じない訳じゃないけど、あの初号機に比べたら言うまでもなくあたしはシンジを初号機に乗せる。参号機は……予備機か、あるいはレイが乗るべきね」

「私?」

「そ。零号機よりも性能は高いだろうし、武装だって強化されてる。戦力アップを図るならそうするべきよ。で、零号機こそ封印ね」

 

 断言したアスカは残っていた最後の唐揚げを食べ終わると同時にお茶を飲む。満足そうな表情を見せ、彼女はシンジへ視線を向けてこう告げた。

 

「もう一度司令と、シンジのパパと話すべきよ。起動実験が終わった後でもいいわ。必ず真意を問い質すべき」

「う、うん。時間を取れないかメールしてみる」

「それがいいわ。ま、きっと司令にも何か考えがあるんでしょうけどね」

 

 そう言いつつアスカはどこかで疑っていた。自分が思うような事をゲンドウが気付かぬはずはないと。そう仮定するとシンジには聞かせたくない話になる。そう思ったからこそ、彼女は真意を問い質すだけに表現を留めた。

 

(まるであの初号機を使いたくないみたい。あるいは、初号機を失いたくないとか? どちらにせよ、絶対初号機には何かある。リツコ辺りは知ってるかしら?)

 

 彼女は知らない。既に自分がある意味でゲンドウの思惑の核心部分へ辿り着き始めているとは。アスカは元々この年齢にして大学を卒業出来る才女である。しかも、本来であれば思考を狭める性格もこれまでのシンジやレイを中心とした関わりで改善されており、その視野は広くなっていた。そうなれば、その聡明な頭脳は十二分の働きを見せるというものだ。

 

「碇司令の考え。碇君はそれを知りたい?」

「え? う、うん。出来れば、かな?」

「そう。なら、私からも聞いてみるわ。最近また会う事が増えているから」

 

 その発言にシンジとアスカがレイを見つめる。どういう事だと思ったのだ。レイはそんな二人へいつものような無表情で答えた。

 

「ダミープラグの件。私、あれに関わっているから」

「そうなんだ」

「へぇ、じゃああのダミーとやらはレイのデータで出来てんの?」

「ええ、そのはず」

 

 どこか他人事のようなレイの反応に相変わらずだなと感じて二人は笑う。そしてそんな二人にレイも笑う。和やかな食事風景がそこにはあった。その一方でトウジとヒカリは静かな昼食時間を送っていた。

 

「……ね、ねえ鈴原?」

「何や?」

「どうしてここなの? ここじゃちょっと戻るの時間かかっちゃうよ?」

「……ここなら人目気にせんで済むやろ」

「えっ?」

「センセと綾波の時やってそうや。女子はええかもしれんけど男は真正直にやっかむからな」

 

 それは暗にヒカリとの事をとやかく言われたくないという意思表示だった。彼は自分が言われるだけなら耐えられるが、ヒカリが何か言われるのが嫌だったのだ。特にこれまでそれなりに硬派な雰囲気で通してきた反面、その自分が学級委員長であるヒカリと懇意になったとなれば、下手をするとシンジ達以上の冷やかしが待っているとトウジは思ったからだ。

 

「で、でもそれならアスカ達と一緒にいれば」

 

 それなら周囲の目も誤魔化せると、そうヒカリが言おうとした時だった。

 

―――ワイがいいんちょと二人になりたかったんや。

 

 言いよどむ事無く告げられたのは、ある種の告白。あまりの事に声が出ないヒカリへトウジは弁当を置いて彼女へ向き直る。その表情と眼差しは真剣そのものだ。

 

「その、ワイもそこまで鈍感やないと思いたい。でも自惚れてんのかもしれん。こうやっていいんちょが弁当作ってくれる事、特別やって思いたいんや。ワイを、男として見て意識してくれとんちゃうかって、そう思っとる」

「鈴原……」

「もしそうやないなら次から弁当はいらん。でも、もしそうやったら……」

「そうだったら……?」

 

 思わず息を呑むトウジ。緊張が彼の全身を駆け巡る。だから気付かなかったのだ。ヒカリもどこか熱っぽい目で彼の事を見つめている事を。

 

「わ、ワイと付き合ってくれ! 頼むっ!」

 

 頭を下げて彼女へ片手を差し出すトウジ。彼の心臓はもう張り裂けんばかりに動いている。そして、彼にとってもっとも長い沈黙が訪れる。聞こえるのは自分の吐息と鼓動の音。感じるのは、周囲の暑さと額や首筋を流れる汗。やがて、差し出した手にも汗をかき始めた頃、その手がそっと何かに包まれる。思わず顔を上げたトウジが見たのは、真っ赤な顔で微笑むヒカリの姿だった。

 

―――私でよければ喜んで。

 

 この日、一組の可愛いカップルが誕生した。それをシンジ達が知るのはその日の放課後の事となる。

 

 

 

「ほう、じゃあその彼は見事に彼女持ちって事か」

 

 シンジの作った夕食を食べ終え、加持は洗い物をしながらそう言って笑う。ミサトの言葉通り、彼女が留守の間の保護者代わりとしてシンジの元へ彼は現れたのだ。

 

「はい。で、何故かトウジが僕へどうしたら委員長に喜ばれるか教えてくれって聞いてくるんですよ」

「ふむ」

「そんなの、僕が知る訳ないじゃないかって、そう言ったらそんなはずはないって」

「だって、アスカ達と普段から接してるだろ?」

「……すごい。よく分かりますね。そうなんですよ。でも、委員長とアスカ達は違うと思うし、別にアスカ達にも何か特別な事をしてる訳じゃないんですけど……」

 

 その返しに加持は苦笑しながら洗い物を終える。彼にはシンジとトウジ、双方の気持ちが分かったのだ。

 

「シンジ君、その彼から見るとそうとは思えないんだ。あのアスカとレイの性格は周囲からは癖の強い女の子だと思われる。それと君は上手に付き合っているんだ。少なくても、そのトウジ君とやらには、ね」

「でも、だからって委員長は」

「ああ、別人だ。でも、女性である事に変わりはない。丁度良い。彼女とはどういう意味だと思う?」

 

 突然の質問にシンジは戸惑うも、それでも答えを考えて頭を悩ませる辺り、彼も中々素直なようだ。あるいは律儀と呼ぶべきだろうか。とにかくある程度考えて、シンジは軽く息を吐いて項垂れた。降参という事である。それを見て加持は小さく微笑む。自分が同じ年の頃はここまで素直ではなかったと感じて。

 

「正解は彼方の女さ。つまり、向こう岸の存在だ。俺達男にとってはな」

「……だからそれと上手く過ごしてる僕からアドバイスを?」

「ま、そういう事だろうな。男同士だって分からない事があるんだ。女性相手なんて分かるどころか理解する事さえ難しいってもんだ」

 

 加持の説明に納得するシンジだったが、そうなると逆にアドバイスが難しい。心がけている事など特になく、彼としては自分が上手くやっている意識はなかったのだ。全てレイやアスカの側に成功要因はあるとさえ思っていたぐらいに。

 

(僕がトウジに出来るアドバイス……何だろう? 言うべき事はちゃんと言うって事かな?)

 

 彼にとって一番の少女達との転機となったのは、紛れもなくあの共同生活初日。あそこでしっかり二人へ自身の考えと立場を明確にした事がその後の関係に大きく影響したのでは。そう思い返しシンジは小さく頷く。そんな彼を見て加持は答えが出たと察したのだろう。こんな事をシンジへ告げた。

 

「何はともあれだ。相手は君に答えを求めている訳じゃない。参考意見が欲しいのさ。今のままでは何も分からず海に出るのと同じだからな。せめて地図ないし羅針盤ぐらい欲しいんだろう」

「……そっか。僕の答えは僕だから行き着いた、僕のための答えだ。トウジにとっての答えとは限らない」

「そういう事さ。どうだい? そう考えれば少しは気楽になるだろう?」

「はい、トウジにもそう言って伝えます」

 

 そこで一旦会話は終わった。シンジは風呂へ入り、加持はテレビを見ながら時間を潰す。ややあってからシンジが風呂から上がり、加持が風呂へ向かう。シンジは弁当のおかずをどうするかを考えながら料理本を眺め、そんな事をしている内に加持が風呂から上がってビールを冷蔵庫から取り出す。ちなみにそれは彼が自費で購入してきた物である。ミサトの好きなビールも嫌いではないが、彼は別の銘柄が飲みたかったのだ。

 

「あっ、そうだ。加持さん、教えて欲しい事があるんですけど」

「何だ? 女のイロハか?」

「っ!? 違いますよ! ……それも興味がない訳じゃないですけど」

「なら、それはまた別の機会にな。で、一体何だ?」

「父さんの事です。加持さんから見た父さんって、どんな人ですか?」

 

 その問いかけに加持は意外に思いつつも、どこか納得していた。今のシンジが一番知りたい相手はゲンドウに他ならないと思っていたからだ。だが、加持がシンジへ教えられる事はそこまで多くない。知っている事は多くあっても、それら全てを聞かせる程彼は愚かではないし酷くもなかった。なので、自然と答えはこうなった。

 

「何を考えているか分からない人だな」

「……そう、ですか」

「そして、臆病な人でもある」

「臆病? 父さんが?」

「意外かい? あの人を寄せ付けない雰囲気はその現れだと俺は読んでる。誰かと深く関わるのが嫌なのさ。それも自分からはね。相手から寄ってくるなら考える。だけど、その相手に好かれようとする努力はしない。何故ならそれをして嫌われたら自分が傷付くからだ。だから、常に無愛想で無表情。きっと、あれが君の親父さんなりの処世術なのさ」

 

 加持の分析にシンジは返す言葉がなかった。かつての彼も似た部分があったからだ。それは好かれようと努力しない事。その理由は加持が指摘した通りだったのだ。だからこそ、シンジはよりゲンドウが自分の父であると強く認識した。

 

「僕も、昔は同じように人に好かれようとしていませんでした。似てるんですね、僕達」

「だが、君には司令以外の血も入っている」

「……母さん」

「そう。それが君と司令の現状の違いなのかもしれないな。あるいは、また別の何かがあるのかもしれない。とにかく、俺から見た碇ゲンドウはそういう人だよ。参考になったかい?」

「はい、ありがとうございます。何か、父さんへ親近感が湧きました」

「そりゃあ良かった。この世に二人だけの家族だ。仲良くなれるならそれに越した事はないしな」

 

 その言葉に嘘はなかった。彼とて真実は知りたいが、そのためにシンジとゲンドウの不和を願うような下衆ではなかった。出来るだけ少年の想いが叶えばいいと思っているのだから。その気持ちが伝わったのだろう。シンジは一瞬言葉を失い、すぐ嬉しそうに笑顔で頷いたのだ。

 

「はいっ!」

「ん。じゃ、寝るか?」

 

 加持としては何の他意もない問いかけだった。どちらかと言えば確認のような意味合いだからだ。だが、それがシンジには別の意味に聞こえた。彼は少しだけ恥ずかしそうにこうおずおずと話を切り出したのだ。

 

「……えっと、出来ればさっきの話も教えて欲しいなぁって。ダメですか?」

「くくっ、本当に素直になったもんだ。ああ、いいぞ。俺で分かる事ならな」

「あっ、じゃあアレの着け方も教えてください」

 

 こうして男二人の夜は過ぎていく。その様も兄弟のように見えなくもない。ただ、実の兄弟ではなく、姉の彼氏にそういう事を教えてもらう弟のような構図ではあったが。

 

―――で、こうやって……。

―――べ、勉強になります……。

 

 碇シンジは男としてのレベルが上がった。もしその時が来たら、彼女を大事にしようと強く思った。日々の煩悩がより強まった。

 

 

 

 目の前にそびえる巨人を見つめ、ミサトはシンジとこれからの事を話し合っていた。いよいよ、起動実験の時が迫っていたのだ。

 

「いい? この参号機が来る事になった経緯は今話した通り。それでもシンジ君はこれに乗ってくれる?」

「……とりあえず父さんへもう一度会って話をする事になってます。それから答えを出していいですか?」

「今日は乗らないって事でいい?」

 

 ミサトの確認へシンジは一度だけ参号機に視線を向ける。その顔が若干怖く見え、シンジは思わず息を呑んだ。

 

「……ダミーで起動しなくて、どうしても起動させたい時は考えます」

「そ。じゃあ、そうやってリツコにも伝えておくわ。まぁ、とりあえずはこれから乗るかもしれない相手との顔合わせと思って頂戴」

 

 そんな軽い口調にどこか気が抜けたのか、シンジは彼女へ顔を向けると小さく苦笑しながら頷いた。こうして準備が整っていく。聞こえてくるオペレーター達の声を聞きながら、プラグスーツに着がえたシンジは無言で参号機を見つめていた。

 

「どう? 最新鋭機の感想は?」

 

 突然掛けられた声にシンジは振り向く。そこには微笑むリツコがいた。

 

「……何だか怖い顔をしてる気がします」

「怖い顔、ね。そういうところは本当にシンジ君らしいわ。やっぱり初号機の方がいい?」

「正直言えば。でも、父さんの言う事も分かるんです。あの初号機より強い使徒が出て来たらって、そう思うと僕も怖いから」

 

 掌を見つめ、一度だけ握り締める。あの使徒内部へ飲み込まれた時、漠然と感じた不安感。それを思い出せばゲンドウが想定している状況の不安はそれ以上だった。

 

「ダミーって、綾波のデータを基にしてるって聞きましたけど、本当なんですか?」

「ええ。ダミーシステムは、レイのパーソナルを基にしているわ。これは、本来なら貴方達の代わりにエヴァを動かすためのもの。だから、こういう使われ方はまさに本懐なの」

「えっと、何でも最初にやる時が一番危ないからですか?」

「その通り。何事も最初は情報も知識もない。そこで事を起こすというのはどうしても不安と危険が付きまとうわ。実はね、シンジ君。この参号機の起動実験をダミーの実験にもしたいと言ったのは私なの」

 

 その発言にシンジはどこか察していたのか寂しそうに笑う。それがリツコには何の笑みが分かってしまった。シンジはどこかでゲンドウが自分の事を考えてくれたと思いたかったのだとも。

 

(やっぱり君はあの人をまだ慕っているのね。健気に、一途に、父の愛を信じて……)

 

 シンジの反応に心を痛めるリツコ。教えてやりたい。それは届かないと。だが、どこかでこうも思うのだ。もしかしたらシンジならば届かせる事が出来るのではと。ゼロではない。その言葉がリツコの頭を過ぎる。そして、ならば今の彼女がどう答えを出すかは決まっていた。

 

「でもね、シンジ君。まだダミーは不安がない訳ではないのよ。それを知っていても司令はそれを許可した。その真意は私には分からないわ」

「……人の気持ちはロジックじゃない、でしたっけ」

「覚えていたの。ええ、そうよ。だから、君が信じたい方を信じなさい」

 

 リツコの優しい声にシンジは思わずはっとした。加持の述べたゲンドウの人物像。リツコの告げた考え方。それらが彼に一つの答えを導き出す。

 

「分かりました。僕、今度父さんに会ったらちゃんと聞いてみます。気になってる事や疑問に思っている事、全部」

「それがいいわ。決して逃がしちゃダメよ?」

「はい!」

 

 こうして、参号機起動の瞬間は刻一刻と迫っていく。その頃、アスカは本部で初号機のエントリープラグ内にいた。かねてからの希望通り、彼女と初号機のシンクロテストが行われていたのだ。

 

「どう? あたしと初号機の相性は?」

『そうだなぁ。悪くはないが良くもないってとこか』

 

 シゲルの正直な答えにアスカはやや不機嫌な顔をするも、それも仕方ないかと思ってため息を吐く。何せ彼女はこれまで弐号機しか乗ってこなかったのだ。更に言えば、それ以外に乗る気も関わるつもりもなかったのである。シンジやレイのように他人のエヴァへ乗る事へ躊躇ない方が、かつての彼女からすれば異常だったのだ。

 

「動かす事は出来る?」

『ああ、それは問題ないみたいだ。これで初号機は一応誰でも動かせる事になったな』

「ま、でもそれも今日まででお役御免なのよね。出来る事ならシンジにはこれを使い続けて欲しいけど」

『俺や日向も同じだよ。でも、使徒が対応しつつある事を考えるとな……』

「不安なのは分かるわ。第五使徒と第七使徒。あいつらは一度あの初号機を撤退に追い込んだ事があるんだもの。これから先、あれらと違ってあの初号機を大破させるような奴が出ないとも言い切れないし」

 

 そんなアスカの不安を煽る言葉にシゲルが苦笑いしながら返答しようとした時だった。突然初号機が咆哮したのだ。

 

『なっ!? これは……どういう事だ?!』

「何よ!? どうしたっていうの?!」

『ちょっと待っててくれ!』

 

 そこで通信が切られた。アスカは初号機が叫んだ事への疑問符を浮かべながらも待つ事にした。何故かそこまで不安を感じなかったのだ。そこで何となく彼女も気付いたのだ。何かが先程までと違うと。

 

(何……? 何かさっきまでと違って安心する? これがシンジの言ってたやつかしら?)

 

 と、そこで彼女も気付いた。もし仮にそれがそうなら、何が原因でそうなっているのかも。

 

「シンジに何かあったのねっ!?」

 

 その声に返ってきたのは、二度目の獣のような咆哮。それがアスカの耳へ響き渡る。同時刻、発令所は松代で起きた事故の報告で大騒ぎになっていた。早急に救助の手配などをする一方で、その事故現場に謎の移動物体を確認していたからだ。それを聞いたゲンドウは直ちに総員へ第一種戦闘配置を発令。そこへシゲルからの初号機咆哮の報が入る。

 

「何だって!? 初号機が叫んだ!?」

『ああ! 今も、俺の目の前でなっ!』

「司令、セカンドチルドレンが出撃を願い出ています! 初号機パイロットの身に何か大変な事が起きていると!」

「……どうする碇」

 

 冬月の問いかけにゲンドウは躊躇う事なく頷いた。それが出撃を意味すると理解し、冬月は内心ため息を吐きながら指示を出した。

 

「初号機を出せ。パイロットはそのままで構わん。それと零号機もだ」

「っ! 了解しました!」

 

 苦虫を噛み潰したような冬月の表情にマヤも何か言う事はなく、内心の動揺を隠しながら仕事をこなす。そう、誰もがどこかで想像しているのだ。初号機が咆哮した理由と、その意味を。アスカを乗せたまま出撃する初号機。その後に続いて零号機も出撃する。二機のエヴァは野辺山でこちらへ接近する謎の存在を待ち構える事となった。すると、両機の最大望遠状態で見えてくる物があった。

 

『あれが……目標?』

「……あれってエヴァよね?」

『……ええ、だと思うわ』

 

 問いかけるアスカにも返すレイにも緊張が走る。ゆっくりと彼女達へ近付いてくるのは、紛れもなくエヴァだった。それも、シンジが搭乗する事になるはずの参号機。そして、それは二機のエヴァを確認した瞬間、全身を大きく震わせると雄叫びを上げた。更に、それと同時に初号機が変化したのだ。

 

「何!?」

『分からないわ。ただ、初号機が変化した。それと本部との通信が取れない』

「何ですって!?」

 

 二機のエヴァとの通信断絶は発令所に若干の困惑を生んでいた。

 

「ダメです! 初号機、零号機、共に応答ありませんっ!」

「どうなっているんだ?」

「おそらく参号機による通信妨害と思われます!」

「奴め。こちらの操作を寄せ付けないためか」

 

 その冬月の考えは当たっていた。使徒は使用されたダミープラグから得た情報で、エントリープラグの射出や活動停止信号などをさせまいとしたのである。それは阻止出来ないからではなく、別の目的のためだ。そう、全ては最大の脅威へ全力を出させないために。

 

「……現時刻をもってエヴァンゲリオン参号機は破棄。目標を第十三使徒と識別する。通信が回復次第、エヴァパイロットへ殲滅せよと伝えろ」

 

 そのゲンドウの言葉に誰もが息を呑んで彼を見た。彼は相変わらず無表情でモニタを見つめている。

 

「本気ですか!? まだ、あの中にはシンジ君が乗っているかもしれないのに!」

「そうだ」

「司令、せめてパイロットの安否確認だけでもっ!」

「無駄だ。今の我々では調べようがない」

「ですがっ!」

 

 オペレーター三人がゲンドウへ食い下がる。冬月はそんな三人を見つめ、一度だけゲンドウへも視線を動かして息を吐いた。

 

「落ち着きたまえ。まず、今は通信を回復させる事が第一だ。それに現場へ向かった救助からの連絡が聞けないのも困る。まずは自分達の出来る事を優先せよ」

 

 そう諭すように告げた後、冬月はゲンドウへも言葉をかける。

 

「碇、せめて誤解を生まないように命令を出せ。通信が回復次第、パイロットの生体反応の確認及び活動停止信号とプラグの強制射出を試したのちに殲滅せよと伝えろとな」

 

 冬月の言葉に三人は先程よりはまだ理解出来るのか、そのまま無言で手を動かし続けた。それを横目で見ながら冬月はゲンドウへ呟く。

 

「乗っていると思うか?」

「……でなければ変化しないだろう」

 

 その返ってきた声には、微かな感情の色があった……。

 

 

 

 襲い掛かる使徒に初号機と零号機はまともな反撃が出来ないでいた。それもそのはず、彼女達は相手の中に想い人がいると思い、その引き金を引く事が出来なかったからだ。

 

「っ! シンジっ! 返事しなさいよシンジぃ!」

 

 使徒の攻撃を何とかかわし、初号機はその動きを封じようとする。両腕を抑え、零号機に背後からエントリープラグを取り出してもらうためだ。だが、使徒もそれを分かっているのだろう。初号機が接近すると距離を取る。そうして既に何度も同じ展開が繰り返されていた。

 

「碇君っ! お願い、返事をしてっ!」

 

 足元をパレットガンで狙う零号機だが、それはあっさりと避けられてしまう。だが、それを待っていたかのように初号機が参号機へ掴みかかった。今この場にいるパイロットはアスカとレイ。二人の連携は既にシンジとのそれを越え始めている。しかも、今のアスカが扱っているのはあの初号機だ。その性能差も活かして二人は使徒を遂に捕えた。

 

「よしっ! これで……」

 

 両腕を力付くで抑え付ける初号機。その圧倒的な強さにアスカは内心で恐怖していた。分かったのだ。これが弐号機ならこうされているのは自分だったと。

 

(何て馬鹿力なのよ、この初号機。そうか。だからこそシンジはこれを封印する事に同意なんだわ。これを超える使徒なんて、あたしだって戦いたくないもの)

 

 乗って使って初めて分かる気持ち。これだけの性能を誇る初号機を使ってきたからこそ、シンジは誰よりも怖いと分かったのだ。この力を超える相手の出現が何を意味するのか。だからこそ、アスカは思うのだ。

 

「シンジの気持ちは分かったわよっ! でもね! だからシンジが必要なのよっ! この初号機を一番上手く扱えるの、シンジなんだからぁ!」

『アスカ、背後に回るわ』

「お願いっ! あたしはこいつを抑え付けておく……からっ!」

 

 完全に使徒の両腕を捻じ伏せる初号機。それを見ながら零号機は背後へ回り、エントリープラグを引き抜こうと試みた瞬間、突然空中へ叩き上げられた。

 

「何……?」

 

 レイが視線を下げてみたものは、使徒の背中から出現した二本の腕だった。まるで阿修羅のようなその腕が使徒を抑え付けていた初号機へ襲い掛かる。

 

「くっ! このぉ!」

 

 咄嗟に地面を蹴り上げ、使徒を支えにしてのムーンサルトキックでその腕を撥ね退ける初号機。それと同時に使徒から一旦距離を取るために腕を離す。使徒を挟む形で着地する二機のエヴァ。だが、状況としては彼女達の方が追い詰められ始めていた。

 

「レイ、プラグは?」

『ごめんなさい』

「……そう。いいわ。なら、あたしがマゴロクであの腕叩っ斬る」

『っ!? でも、それじゃ碇君が』

「あたし達を苦しめてるって聞いた方があいつは嫌がるわよ! なら、多少痛いのは我慢してもらうわっ!」

 

 マゴロク・E・ソードを構える初号機。それがアスカの本気を示している。レイも一瞬言葉に詰まるも、その心中を察したのだろう。何も反論せず、ただこう告げた。

 

―――なら、私も一緒にやるわ。マステマ、貸してくれる?

―――……あたしが斬りかかると同時に上へ投げるわ。後は上手くやって。

 

 それが合図だった。使徒へと斬りかかる初号機だが、その直前にマステマを取り出し上空へと投げる。それを既に飛び出していた零号機が掴み、そのまま頭を下にするような体勢でガトリング攻撃を使徒へ行う。その射撃を回避したところへ踏み込んだ初号機が使徒の背中から生えている腕を一本斬り落とした。

 

「どうよっ!」

『アスカ、まだ!』

 

 痛みに呻く使徒へしてやったり顔のアスカだが、レイの声で意識をすぐに切り替える。何と使徒は斬り落とされた腕を再生させていたのだ。

 

「へぇ、つまり一撃必殺以外は効果なしって事か……っ!」

 

 その意味する事が分かり、アスカは奥歯を噛み締める。それはシンジを殺せと言っているのと同じ事。人質を取った使徒への怒りと憎しみが彼女の中を駆け巡る。当然だ。シンジはアスカにとって本当の意味での初恋の相手だ。それを盾にし、しかも彼が一番嫌がるであろう事をさせている。それがアスカの逆鱗に触れた。

 

「レイっ! 短時間であたしがあの腕全部斬り落とすわ! そっちは絶対にシンジを助けてっ!」

『分かった。アスカ、気を付けて』

「ええ、レイもね!」

 

 通信を終えるやマゴロク・E・ソードを上段に構え、初号機は使徒を睨みつける。

 

「シンジを…………返せぇぇぇぇぇっ!!」

 

 アスカの叫びと共に初号機の目が光る。その振り下ろされる一撃を使徒は何と四本の腕で受け止めた。白刃取りである。だが、それはアスカにとって好都合だった。腕が全て塞がる事で零号機が背中からエントリープラグへと接近出来たからだ。

 

「碇君、今助けるから」

 

 エントリープラグへ手を伸ばす零号機。するとそこから突然液体が噴射された。咄嗟に回避するレイだが、それが零号機の右肩を焼いた。

 

「うあっ!」

「レイっ!」

 

 それはかつて本部を襲った第九使徒と同種の溶解液であった。痛みにもがきながら一旦距離を取る零号機。そちらへ使徒が攻撃を加えようとしているのを察し、アスカは全力でその腹部へ蹴りを叩き込んだ。

 

「どりゃあぁぁぁぁっ!」

 

 その衝撃でマゴロク・E・ソードから手を離して後ろへ倒れ込む使徒。アスカはそれを見てすぐさま零号機へと初号機を近付けた。

 

「レイ、大丈夫?」

『え、ええ……これぐらい平気』

「……神経系がカットされない。そうか、これも使徒の狙いね」

 

 普段であれば本部で神経系の操作をし、パイロットへのダメージを遮断出来るのだが、今回はそれを受け付けないように使徒が妨害している。アスカは忌々しげに起き上がる使徒を睨み付けた。すると、使徒は一本の腕を背中へ回して何かをした後、再びその腕を彼女達へ見せた。

 

「「っ?!」」

 

 そこには、エントリープラグが握られていた。その瞬間、二人は悟る。使徒が何を狙っているのか。そして、何をしようとしているのかを。だからこそ、アスカとレイは互いに見合うようにエヴァの顔を動かした。

 

―――レイ、分かってるわね?

―――ええ、分かってる。

 

 最後にどちらともなく小さく苦笑し、二機のエヴァは武器を捨てた。そこからは、一方的な蹂躙だった。初号機も零号機も使徒に殴られ続けた。それでも二機は反撃どころか防御さえしなかった。分かっているのだ。少しでも抵抗する素振りをみせれば使徒がプラグを握り潰すと。腹を、腕を、足を、全身を余すとこなく殴られる二人。痛みは遮断される事なくその身を襲い、呻く暇もなく痛みが継続的に走る。そんな中、二人は耐えた。いや、耐えるしかなかった。

 

(シンジを……殺したくないのよっ!)

(碇君を殺すぐらいなら殺された方がいい。それに……)

(絶対、絶対チャンスは来る……)

(使徒の注意が少しでもプラグから逸れてくれれば……)

((その時は覚えてなさいっ!))

 

 まさしく耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍びという心境だ。来るか分からない好機を待ち、二人はただただ暴力に耐えた。聞こえてくるアラートを無視し、叫びたくなる声を必死に押し殺し、アスカとレイは待った。使徒が仕留めにかかる瞬間を。わずかにでも気を抜くだろうその時を。そして、その時は来た。

 

「っああああああっ!」

『アスカっ!』

 

 使徒の右足での踏みつけ攻撃が初号機の胸部装甲へ遂にヒビを入れたのだ。それによる激痛がアスカを襲い、彼女はその痛みで声を殺せず悲鳴を上げる。それを聞いたのか、使徒はほくそ笑むように口元を歪め、もう一度全力の踏みつけ攻撃を行った―――瞬間、初号機が目を光らせその逆の左足を払ったのだ。堪らずバランスを崩す使徒。そしてアスカは叫ぶ。

 

「レイっ!」

「これでっ!」

 

 素早くプログナイフを取り出し、零号機がプラグを掴む腕を刺した。そのダメージで使徒がプラグを手放すと、落下するそれを初号機が回収して素早く離れる。

 

「アスカ、そのまま碇君を安全な場所へっ!」

『分かってるわよっ! 少しだけ耐えてね、レイ!』

 

 ダメージを負いながらも、それでも素早い機動で戦場を離脱する初号機。それを見送る事なく零号機はマステマとマゴロク・E・ソードを手にして使徒を睨む。

 

「あなたは絶対許さない……っ!」

 

 シンジを人質にした事、アスカを痛めつけた事、そして自分を苦しめた事。それらを怒りに変え、今、静かにレイは燃えていた。

 

 一方、エントリープラグを手にした初号機は、戦場からある程度離れたところでその動きを一旦止めた。アスカも本音としては本部まで戻りたいがレイも気掛かりなためである。

 

「ここならいいわね」

 

 手にしていたプラグをそっと下ろし、アスカはシンジの安否を確認したい衝動を抑えながら再び戦場へと戻るべく初号機を動かす。

 

(ごめんシンジ。でもレイが危ないのよ。だから、許してよね!)

 

 そう判断した方が彼も喜んでくれるはず。アスカは痛む体で初号機と共に先程までいた場所へと戻る。すると、その視線の先に使徒に追い詰められる零号機の姿が見えてきた。

 

「っ! レイっ!」

 

 アスカの叫びに呼応するように初号機が武器を取り出す、それはプログダガーと呼ばれるもの。それを初号機が使徒へと投擲したのだ。その事に気付き、咄嗟に零号機から距離を取る使徒。窮地を脱した零号機だが、既にその機体は戦闘を継続するのが難しい状態となっていた。

 

「レイ、無事っ!?」

『アスカ……ええ、大丈夫。それより碇君は?』

「それなりに離れた場所へ置いてきたわ。レイが心配だったから」

『……碇君もそうするでしょうね。じゃ、使徒を倒しましょう』

「あんたバカっ?! そんな状態で戦える訳ないじゃないっ!」

 

 襲い来る使徒へ立ち向かう初号機。それを援護しようとする零号機だったが、その機体はもう上手く動かなくなっていた。それでも手にしたマステマによる射撃で使徒を狙い、初号機から距離を取らせる。

 

「お願い、戦わせて」

『でもっ!』

「許せないの! この使徒だけは……私の手で倒したいっ!」

 

 それは、初めて使徒戦でレイが見せた自我。彼女の初めての我が儘だった。それを理解し、アスカは息を呑むものの、仕方ないとばかりに大きく息を吐いた。

 

『分かったわ。でも、とどめを譲るつもりはないわよ?』

「それでもいいわ。……ありがとう、アスカ」

『どういたしまして。……来るわよっ!』

 

 弾かれるように動き出す初号機。零号機も何とか射撃による攻撃を続けた。それでも、蓄積されたダメージのためか、両機共に最初の頃の勢いはない。再生能力を有する使徒に対し、エヴァとそのパイロットは長期戦に不利。その事が徐々に戦況にも表れ始めていた。

 

「ぐっ……このぉぉぉぉぉ……」

 

 最初は押し込んでいた初号機が力負けを始め……。

 

「そこ……っ!? 弾が……」

 

 マステマのガトリングは遂に弾切れを起こし……。

 

「嘘でしょ? まだ再生するの?」

『向こうはダメージを回復出来てもこちらは蓄積される。攻撃は肉弾戦のみで弾切れなどとも無縁。こちらに不利な条件ばかりね』

 

 もう何度めかのマゴロク・E・ソードによる腕の切断。それでも使徒は再生を繰り返す。既にアスカとレイの息も上がっていた。プラグを巡る攻防で消耗したのが響いているのだ。それさえなければ、二人であろうと目の前の使徒を相手に勝利出来ただろう。

 

「レイ、何か考えがあったら聞くわ」

『……ごめんなさい。何も思いつかないわ』

「そっか。どうやら頭を使うのは諦めた方が良さそうね」

 

 どこか自嘲気味に呟き、アスカは使徒を見つめる。すると、突然使徒がその場から大きく跳んで移動を始めた。突然の事に対応が遅れるアスカとレイ。だが、その意識が使徒の向かった方を見て覚醒する。

 

「『シンジ(碇君)っ?!』」

 

 それは、エントリープラグをアスカが置いた方向だった。疲れた体に鞭打つようにエヴァを動かすアスカとレイ。そして、使徒がエントリープラグへ手を伸ばそうとしているのを見て、アスカは迷う事なく手にしていたマゴロク・E・ソードを投擲した。

 

「触るんじゃないわよっ!」

 

 それは使徒の腕を直撃し、ダメージを与える事に成功する。だが、痛みに呻いた使徒がよりにもよってプラグへと倒れ込んだのだ。

 

―――っ!?

 

 心臓が止まったかと思った。そうアスカとレイは感じていた。全てがスローモーションのようになり、見たくないのに視覚が目の前の光景を記憶していく。倒れ込む使徒。上がる砂煙。なぎ倒される木々。そして、潰され砕けるエントリープラグ。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁっ!」

「碇君っ!? 碇君っ!?」

 

 半狂乱になるアスカと動揺しながら何度もシンジへ呼びかけるレイ。使徒の下から流れ出る赤い液体。それはL.C.Lなのだが、それさえ二人にはシンジの血にしか見えなかった。そして、聞こえてくる発令所からの通信。使徒はエントリープラグを利用し、そこから本部へアクセス。他のエントリープラグへの通信などを妨害していたのだ。

 

『通信、回復しました!』

『初号機、零号機、聞こえますか? 状況を教えてください』

 

 マコトの声に続いて聞こえてくるマヤの声。それにアスカは答える事なく項垂れていた。

 

「こちら零号機! 碇君が、碇君が使徒にっ!」

『っ!? お、落ち着いてレイ。状況を』

「だからっ! 碇君が使徒に殺されたんですっ!」

 

 レイの怒声。それに発令所が静まり返る。何もレイが怒鳴った事だけではない。告げられた内容の衝撃もあったからだ。映像自体は発令所にも送られていた。だけど、どこかで信じたくなかったのだ。シンジの乗るエントリープラグが潰れたなど。

 

「絶対、絶対あの使徒は許さないっ! アスカ、戦ってっ!」

『……しが……んだ……』

「アスカ?」

 

 怒りに身を委ねていたレイだったが、普段であれば自分よりもそうなるはずのアスカの様子がおかしい事に気付く。

 

『シンジはあたしが殺したんだ。あたしが、あの時マゴロクソードを投げなければ……』

「っ?! 違うわ! あれが悪いんじゃないっ!」

『でも! それで使徒がシンジへ倒れこんだんだものっ!』

「私が逆でも同じ事をしたわ! だから今は使徒を」

『嫌っ! シンジを殺したあたしなんか生きてる意味なんてないっ! ここであたしもシンジと一緒に死んでやるわっ!』

「アスカっ!?」

『もう一人ぼっちは嫌っ! 大好きな人に見てもらえないのは嫌ぁ! 嫌なのぉぉぉぉぉぉっ!』

 

 アスカの自棄になった言葉にレイも返す言葉を失う。発令所の方も誰も何か言う事は出来なかった。好きな相手をよりによって自分の手で殺してしまった。そんな事になればアスカの気持ちは分からないでもなかったからだ。使徒が目の前にいるとはいえ、それを忘れる程にアスカの取り乱し方は凄かった。そんな中、一つの通信が聞こえる。

 

―――勝手に殺さないでやれ、アスカ。

 

 その声はかつて彼女が憧れた男の声。松代の事故現場へ出向いていた加持だった。

 

『こちら加持。現場で葛城、赤木両名を発見。二人とも怪我をしていますが命に別状はなく、既に病院へ搬送しました。それと』

「それと!? 加持さん、教えてよ! シンジはそっちにいるの!?」

 

 アスカの目に光が微かに戻る。それに気付いたのか、加持は力強くはっきりと言い切った。

 

―――ああ、生きている! 彼も怪我をしていたがプラグスーツのおかげで命に別状はない。それと、その彼からの伝言だ。一緒に戦えなくてごめん、だそうだ。

 

 その瞬間、アスカの目に炎が灯る。その輝きに呼応し、初号機もまた目を光らせた。そして、同じくレイと零号機も。その視線の先にいる使徒は、まるで脅しのネタが露見したように怯えていた。それもまた二人の怒りへ薪をくべる。使徒は分かっていて、さもエントリープラグに誰か乗っているように振舞っていたのだ。それが少女二人の逆鱗に触れた。沸々と沸き上がる怒りを感じながら、アスカとレイは目の前の相手を睨む。

 

「レイ、あいつ絶対ぶっ倒すわよ」

「ええ、決して逃がしはしない」

 

 眼前の相手は二人に気圧されるように後ずさる。その動きがいけなかった。使徒は再度潰れたエントリープラグを踏みつけたのだ。それが、二人に先程の光景と感情を呼び起こさせる。気付けば、二人は同時に目を見開き声の限りに叫んだ。

 

「「よくもあんな想いさせてくれたわねぇぇぇぇぇぇっ!!」」

 

 吼えた。体を包んでいた疲労感や痛みなど吹き飛ばすように吼えた。気迫が違った。手負いの獣こそが一番怖い。それを使徒へ見せつけるような迫力と勢いで襲い掛かる二機のエヴァ。どれだけ辛くてもいい。どんなに苦しくてもいい。大事な少年が生きていてくれた。それだけで二人は全てを忘れて戦えた。

 

(シンジっ! シンジが生きてたっ! 生きていてくれたっ!)

(良かった! 本当に良かったっ!)

 

 彼の伝言は敵討ちを願うものでも、激励でもない。共に戦えない事への謝罪だった。それもまた彼らしく思い、二人は嬉しく思っていた。本当に生きていたのだと強く信じられたからだ。先程の流れと完全に逆転していた。再生しようとする暇を与えないように攻め立てる初号機と零号機。既に機体の損傷が限界まできていた零号機は、当分戦えなくても構わないとばかりに無理をさせ続けていた。

 

「アスカ、これで!」

「ええっ! 終わらせるわ!」

 

 マステマを近接戦闘用にし跳び上がる零号機と、マゴロク・E・ソードを大上段に構えて斬りかかる初号機。その一撃を四本の腕で止めようとする使徒だったが、それを待っていたように初号機は縦一文字にマゴロク・E・ソードを振り下ろす。それをまたも白刃取りする使徒だったが、それこそがアスカの狙いだった。

 

「レイっ!」

「そこっ!」

「これでっ! ラストぉぉぉぉぉっ!」

 

 零号機のマステマによる一撃が使徒の頭部から背中までを切り付け傷を刻む。そのダメージで刃を押さえる力が弱まった瞬間、初号機が更に踏み込んでその体をコアごと貫いた。それをキッカケに使徒は動きを止め、初号機もその姿を戻す。こうして参号機を乗っ取った使徒は倒された。しかし、零号機は大破寸前。初号機さえも中破という、今までで一番の激戦となってこの日は終わった。

 

 

 

(知らない天井だ……)

 

 ぼんやりと目を開けたシンジは視界に映る景色にそう思った。それは無理もない。今、彼は集中治療室にいた。プラグスーツがあったとはいえ、彼があの参号機起動の際に負ったダメージは小さくないものだったのだ。ダミープラグで起動した参号機が使徒となった瞬間起こした爆発から、彼は咄嗟に近くにいたミサトを守ったのである。結果、ミサトは軽傷で済み、少しだけ離れた場所にいたリツコも同じく軽傷。しかし、当然のように庇ったシンジは重傷ではないものの全身に強い衝撃を受けたため、こうして念のために集中治療室行きとなっていたのだ。

 

(ミサトさんは……アスカ達はどうなったんだろう……?)

 

 霞んでいる意識の中、彼は大事な人達の事を案じていた。だが、その目はゆっくりと閉じていく。今はおやすみと体が言っているようにも思え、シンジはそこで意識を手放す。この後、シンジは無事一般病棟の個室へ移される事になった。それを聞いて喜ぶアスカ達。しかし、まだ誰も知らなかった。最大の危機と思っていた今回を凌ぐ危機が、すぐそこまで迫っている事を……。

 

 

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十八話「命の選択は」完




ここでシンジの現在のステータスを。

精神コマンド……気迫 直感 集中 不屈 ??? ???

特殊技能……底力LV6 見切り ガード 気力限界突破 アタッカー ???

さて、これでいよいよゼルエル戦です。お気付きかもしれませんが、彼、攻撃的な精神コマンドを一切覚えていません。これがどうなるか……(汗


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第十九話 漢の戦い

遂にこの時が来ました。最強使徒ゼルエル登場。正直自分としてはこの話が最終回のつもりでいました。なので、そんな気持ちで読んでやってください。


 参号機を乗っ取った使徒による爆発。その結果、頭部に傷を受けたために包帯を巻いているリツコと、何故か何も普段と変わっていないミサト。それもそのはず。彼女はリツコと違いシンジによって爆発のダメージを軽減された。そのために怪我らしい怪我をせずに済んだと言う訳である。だからこそ、今の彼女は働きたくて仕方なかった。今も病院で過ごす少年の分までと。

 

「零号機、どれぐらいかかりそう?」

「全損じゃないのが不思議なぐらいよ。でも、だから修復というより、ほとんど建造するに近いわ」

 

 リツコの疲れた声にミサトはやはりと思ってため息を吐いた。先の使徒戦において、零号機は大破した。正確には表面上は中破だったが、内部構造などが酷くやられていたために総合的に大破とされたのだ。

 

「最悪零号機は諦める事も考えないとね」

「……じゃ、初号機は?」

「姿は戻ったわ。だけど、損傷個所はまったく同じ。こうなると、あの初号機はこちらの初号機へ憑依していると考えるのが妥当かしら」

 

 そう、あの戦闘によるダメージは元の初号機へもしっかり反映されていたのだ。現在急ピッチで初号機の修復作業が行われている。そのせいもあって、零号機はまったく手を付けられない状態だった。

 

「どっちでもいいわ。前回の変化。理由はやっぱりシンジ君が怪我をしたから?」

「あるいは、危機を察知したのかもしれない。どちらにせよ、あれはアスカだから変化したと思わない方がいいわ。本人も言ってたけど、あの初号機自体が望んでそうなったのよ」

「……あるいは彼のお母さん?」

「ええ、可能性はあるわ」

 

 秒針が時を刻む音だけが響く室内。ミサトとリツコは共に見つめ合って息を吐く。もう二人は確信したのだ。初号機の中にいるであろう碇ユイ。彼女がその意思を持ってシンジを守っているのだと。そして、アスカやレイともシンクロしているのは彼女達がシンジを強く想っているから。それを察してその身を委ねているのだろうとも。

 

「とにかく今は初号機を最優先で修理するわ。今回の使徒は頭脳戦を仕掛けてきた。その上エヴァの性能までも駆使して情報戦までやってのけた。結果、あの初号機がダメージを負わされたのは事実」

「だから、次の使徒はもっと恐ろしいって?」

「ええ」

 

 断言するリツコに苦笑しつつ、ミサトは立ち上がる。どちらにせよ、当初の初号機を封印する計画は出来なくなったのだ。なら、もう迷う事もない。使徒がどれだけ恐ろしさを増したとしても、あの初号機を軸としてシンジ達を信じて戦うだけ。そう彼女は考えていたからだ。

 

「別に構わないわ。だってさ、考えてもみてよリツコ」

 

 言いながらドアへと向かうミサト。その足が一旦ドアの前で止まり、彼女はリツコへ困った笑みを浮かべながら振り返ってこう告げた。

 

―――それでも、戦うしかないんだから。

 

 そんなミサトの言葉にリツコが返す言葉を飲み込んでいる頃、シンジが入院している病室へ二人の来訪者があった。来訪者はそれぞれにお菓子や果物を持って見舞いに訪れる。その品の中のリンゴはすぐさま来訪者の一人によって皮を剥かれ、少年の口へと運ばれる事となる。

 

「はい、シンジ。あーん」

「あー……むっ」

 

 一般病棟になったとはいえ、未だに安静を言い付けられる状態である事に変わりはなく、シンジは出来るだけベッドに横たわったままでいなければならない。だが、少しであれば起き上がる事も出来る。それでも、自然と何か食べる際は誰かに食べさせてもらう方が楽。よってリンゴもアスカの手によって彼の口へと入れられた。まるでそのリンゴの皮のように赤くなりながらの行為。見つめ合いながらのそれは、シンジにもアスカにも刺激が強めであった。それをどこか羨ましく思いつつ、果物を選んだレイとしては味の方が気になるもの。

 

「碇君、どう? 美味しい?」

「……うん、丁度いい甘さと酸味って感じだよ」

「じゃ、あたし達も頂きましょうか。シンジ、一つもらうわよ」

「どうぞ。綾波も食べてくれていいから」

「ありがとう。でも、その前に碇君、もう一つ食べる?」

「あ、なら遠慮なく」

「あーん」

「あ、あー……むっ」

 

 頬を赤くしながらリンゴをシンジの口へと入れるレイ。そんな彼女に胸を高鳴らせながら彼はリンゴを咀嚼する。アスカとレイにリンゴを食べさせてもらった事で、彼は不謹慎ながらこう思っていた。入院してよかった、と。やがてリンゴも食べ終わり、話題は当然のように彼の退院時期へと変わる。が、それに関しての答えはアスカとレイの予想通りであった。

 

「まだ退院は出来ないみたいなんだ」

 

 シンジはアスカとレイへそう申し訳なさそうに告げた。その答えに無理もないとアスカとレイも納得する。ミサトを庇って彼は爆発の威力をその身に受けた。いくらプラグスーツがあったとはいえ、下手をすれば大事になっていてもおかしくなかったのだ。それと、彼女達も怪我こそしなかったものの、使徒から負わされたダメージによりかなり疲弊していた。だから今日二人は学校を休んで昼過ぎまで部屋で眠っていたので、こうして日が高い内から彼の見舞いが出来ている。そしてそのついでに二人は自分達の検査などをしてもらうつもりだったのだから。

 

「ま、仕方ないわよ。むしろ大きな怪我とかしなくて良かったじゃない」

「そうね。葛城三佐や赤木博士も軽傷だったし、使徒も倒せた。とりあえずは安心」

「でも、あの初号機でも苦戦したんだよね? そんなに強かった?」

 

 シンジの問いかけに少女達は頬を赤くして顔を見合わせた。さすがのレイでさえもあの使徒戦の内容をそのまま話すのは恥ずかしいと感じたのだ。あの感情の発露は、レイの表情を一気に解放した。今の彼女は、普段こそクールだが、何かあると顔に出やすい乙女となっている。もっとも、それに気付いているのは現状ではアスカとリツコぐらいではあるが。

 

「……強かったわ。後から聞いたけど、エントリープラグを利用して本部とあたし達との回線をジャックしてたの」

「おかげでエヴァのダメージが私達へずっとフィードバックし続けた」

「っ……そっか。参号機を乗っ取ったのは、そういう事も考えてだったんだ」

 

 何とか誤魔化せた。そう思い息を吐くアスカとレイだったが、シンジもどこかで気付いている。彼は二人へ起動する時にダミープラグでやる事を伝え忘れていたのだ。なのに、それを二人が言って来ない。その意味を考えれば、理由は嫌でも分かるもの。三人して気を遣い合っているのだ。シンジへ余計な心配をさせまいとするアスカとレイ。そんな気遣いを知って、気付かぬ振りをするシンジ。こんなところにも、彼らの成長があった。

 

「とにかく、今は体を休めなさいよね。この前の使徒戦といい今回といい、シンジはちょっと無茶し過ぎなんだから」

「そう言われると返す言葉もないけど……」

「私もアスカも、使徒と戦って傷を作るより、碇君がこうなる事の方が辛いから」

「綾波……」

 

 レイの本音にシンジが嬉しそうに微笑んだ。その笑みに少女も嬉しそうに笑みを返す。そんな良い雰囲気を感じ取り、残る少女は不機嫌そうに少年へじと目を向ける。

 

「ちょっと? あたしもって言ったでしょ?」

「ご、ごめん。その、アスカもありがとう。なら、ちゃんと大人しくしてるよ」

「ん。それでよし」

 

 少しだけ偉そうにそう言ってアスカが笑う。それにレイも笑い、シンジも笑おうとして痛みが走ったのか出来ずに終わる。それに二人も軽く慌てと、まさしく絵に描いたようなやり取りをした。そんな賑やかで楽しいひと時は終わりを迎え、シンジはまた病室に一人となる。横たわりながら視線を誰も座っていない椅子へ向けた。ほんの数分前までそこに可愛らしい少女二人がいたのだ。その証拠ともいうべき見舞いの品もある。

 

「……寂しいな」

 

 ついさっきの事なのにもう随分前のように感じてしまう賑やかさと華やかさ。可憐で優しい乙女二人に憎からず思われている事。それがシンジにとっては幸せだった。だからこそ、そんな二人だけにいつまでも戦わせたくない。それがシンジの偽らざる本音であった。だけども、今の自分がそれをすれば余計その二人を哀しませてしまうのも事実。なので少年は孤独の辛さを噛み締める。それは、かつて彼にとっては日常であった事も忘れて……。

 

 

 

「もう見舞いに行かんのか?」

 

 唐突な問いかけにゲンドウの目が動く。その視線の先で冬月はいつもと同じように佇んでいた。今二人が居る場所はエヴァの収納されているケイジ。初号機の修復作業を見ていたのだ。第十三使徒によるダメージは大きく、今後を考えれば初号機無しの使徒戦は不可能と判断。ゼーレも参号機を乗っ取る使徒の行動に脅威を感じ、初号機封印は使徒を殲滅するまで白紙となった。

 

「……もうとはどういう意味だ」

「しらばっくれるな。あのサルベージ後に見舞いに行っただろう。今回も行ってやれ。赤木博士の進言を受け入れていたから良かったものの、それでなければ今頃どうなっていたやら」

 

 感情を乗せず、淡々と述べる冬月。それが余計ゲンドウの心へ響く。最後の言葉の意味を察したからだ。彼の描くシナリオ。その最終目的である女性が黙っていないと冬月は言っていた。ここで息子を大事にし、彼女からの許しの材料にしろ。そうゲンドウは取った。

 

「三十分程で戻る」

「別に構わん。帰る際の連絡だけ入れてくれ。足を回す」

 

 暗に話をしてこいと告げる冬月に、ゲンドウは何か言葉を返す事無くその場を後にする。その去り行く背中を見つめ、彼は噛み締めるように呟いた。向き合う時が来たのか、と。彼なりに先の使徒戦を考えて、一つの推測を打ち立てていたのだ。それは、初号機の中に眠る碇ユイはシンジを守るために動いているというもの。だからこそアスカが乗っていても変化を起こし、シンジを傷付けた使徒を容赦なく倒すと思った彼女へ力を貸したのだと。

 

(最初の咆哮があった時刻は使徒が参号機を乗っ取った瞬間とほぼ同じ。そして、二度目の咆哮は碇シンジが葛城三佐を庇って怪我をしたのと同時刻と思われるしな)

 

 離れていても子の危機を察知する母の愛。そう冬月は結論付けていた。視線を前に戻し、初号機を見つめる彼の胸中には、在りし日の教え子が自分とゲンドウへ悲しげな顔をしているのではという辛さが押し寄せていた。冬月コウゾウ。彼もまた、太陽と評されたユイに熱を与えられた存在であった。

 

 本部内の廊下をやや足早に歩きながら、ゲンドウはこれからの事を考えていた。零号機はもうおそらく使えないと踏んでいたのである。そしてその穴を埋めるための方法もない訳ではなかった。

 

「参号機を使うしかないか」

 

 そう、使徒に乗っ取られた参号機。コアを貫かれた事で機能を停止しているが、ならば代わりに零号機のコアを使えばいいと考えていたのだ。無論使徒に乗っ取られた機体である。その使徒が休眠している可能性も否定出来ないが、手段を選んでいられない状況であるのもまた事実と言えた。あの初号機が様々な条件が重なったとはいえ中破。これは使徒の強さが増している事を意味している。そんな中、エヴァの数を減らす訳にはいかないというのがネルフスタッフ全員の見解であった。

 

「……レイと赤木博士が納得するだろうか」

 

 普段であれば気にもしない事へ意識を向けるゲンドウ。彼もやはり変化を起こしている証拠であった。ただ、それはシンジの一途な親子愛とリツコの母性、そして愛する妻への想いが重なりあってのもの。それも、まだ完全には彼を変えさせていない。まだ芽が出た程度だ。それでも進歩と言えるかもしれないが。やがて彼は病院へと到着し、まずある場所へ向かった。

 

「ガーベラを三本もらえるか」

「はい、かしこまりました」

 

 そこは病院内の生花店。以前もそこで花を買って行ったのだ。ガーベラはユイの好きな花だった。だからこそ彼も名前を憶えていた。こうして花を手に病室の前まで向かうゲンドウだったがノックする手が止まる。

 

(……寝ているかもしれん)

 

 妙なところで気を遣うゲンドウだが、これが本来の彼なのだ。気の遣い方が不器用で、だからこそ彼はユイと親しくなるキッカケを得たのだから。少し迷った挙句、控えめなノックをする事にしたのか小さく拳を三回ほどドアへ当てる。

 

「はい、何ですか?」

 

 聞こえてきた声にゲンドウは軽く息を吐いてドアを開けた。

 

「え? 父さん……?」

「……具合はどうだ」

 

 予想だにしない来訪者に驚くシンジだが、その目はゲンドウの持っている物へ注がれている。その花が以前見た花と同じ事に気付き、シンジは息を呑んだ。

 

(もしかして、あの時も父さんは見舞いに来てくれた?)

 

 動揺する彼の目の前でゲンドウは花をどこかに置こうとして、アスカ達が持ってきた見舞いの品を見つける。既に置き場がない事に気付き、彼は椅子へ座り膝の上へ置いた。

 

「えっと、気持ちは元気だけど体はまだ無理出来ないみたい」

「そうか」

「う、うん」

 

 会話が途切れる。言いたい事があるがどう切り出すか迷うシンジと、どう切り出せば自分のシナリオに好影響を与えられるかが分からないゲンドウという、何とも似た者親子な二人。結局話題を振ったのはシンジだった。リツコに言われた言葉を思い出して。

 

「父さん、聞きたい事があるんだ」

「……何だ」

「参号機の事。ミサトさんから聞いたよ。四号機が怖い事故を起こしたって。それと参号機は同じ場所で作られたエヴァだったんでしょ? 僕が同じような事故に遭うとは思わなかった?」

「…………原因と思われるS2機関は搭載していなかった」

「それが絶対に原因って判明した訳じゃないんでしょ? それでも僕を乗せようとしたのは何故?」

 

 シンジの声は穏やかではあったが、言い逃れは許さないという雰囲気があった。それに僅かではあるがゲンドウが呑まれる。どこかで彼の妻が怒った時に似ていると思ったのだ。口調こそ優しいが、滲み出る気配というか雰囲気が怒気を伝えてくる。そんな彼女の怒り方に今のシンジの空気感は良く似ていた。

 

「……お前にも話したはずだ。使徒が」

「初号機に対応を始めてる。それは分かるよ。で、切り札にしたい気持ちも分かった。でも、あの後アスカに言われて思ったんだ。父さんも今一番強いのはあの初号機って思ってるよね?」

 

 無言で頷くゲンドウにシンジも頷き返す。

 

「それよりも参号機は弱い。じゃ、僕はそれであの初号機と同じぐらいの使徒と戦える?」

「それは」

「戦える?」

 

 有無を言わせない問いかけだった。言い訳はいいからまず結論を出せ。そんな風にゲンドウには聞こえた。それもユイを彷彿とさせる言い方で。こうなるとゲンドウは答えに窮するしかなかった。正直に言えばシナリオ進行に重要なシンジとあの初号機を失い、嘘を吐こうにもそれらしいものが浮かばない上に、時間をかければ嘘を考えていると言うようなものだからだ。

 

(これではまるでユイと話しているようだ。怒った時のユイと……)

 

 ゲンドウを見つめるシンジはやや怒り眉。その顔立ちさえも一瞬ユイと重なり、ゲンドウは思わず頭を下げた。

 

「すまん」

「……え?」

「詳しい事は話せないが、ある重要な事に初号機は必要不可欠だ。だから封印しその安全を計りたかった」

「…………僕よりも大事なんだ」

 

 その寂しそうな声にゲンドウは返す言葉がなかった。それが嘘を吐きたくないという意思表示と受け取り、シンジは複雑に思いながらも小さく苦笑する。何せあのゲンドウが頭を下げたままなのだ。しかも嘘を吐きたくないからとだんまりを決め込んだ。それらがシンジには子供のように思えた。

 

「いいよ、父さん。もう怒ってないから。ただ、出来れば教えて欲しかった。初号機を失いたくない理由があるって」

「……すまん」

「だけど、どうするの? 参号機は使徒に乗っ取られたし、零号機は当分戦えないんでしょ? あの初号機を使うしかないと思うんだけど……」

「ああ、そうだ。もう使徒の進化を警戒しても仕方ない。こちらの打てる手はそこまで多くないからな」

 

 苦渋の決断であった。実際に第十三使徒は人質の事を抜きに考えても厄介な能力を有していたのだ。エントリープラグを使った回線ジャックに再生能力。更に腕を二本増やしての肉弾戦。どれも楽に勝てる相手ではなかった。そこへまるでシンジが乗っているような頭脳戦だ。既に使徒の知恵は人のそれと遜色ない程までに成長していた。

 

「……じゃ、僕は初号機で戦い続ければいいんだね?」

「そうなるな」

「いつか使徒が出てこなくなったら、父さんはどうするの?」

 

 思いもよらぬ質問だった。少なくてもゲンドウはシンジからそんな質問をされると思っていなかった。だから彼は初めてシンジの前で素を出した。面食らったように表情を変えたのだ。

 

「……お前はどうしたい?」

「僕? 僕は……とりあえず高校に行きたい。アスカや綾波、トウジにケンスケ、委員長も同じ学校だと嬉しいな。でも、進路はきっとバラバラだろうから、たまに集まって一緒に遊んだりしたい」

「ユイに、母さんに会うのはどうする?」

「そっちは……父さんから話を聞く事で我慢出来るよ」

 

 今度こそゲンドウは目を見開いてシンジを見つめた。シンジは、彼を見つめて心から微笑んでいたのだ。

 

「父さんの中に母さんがいるなら、父さんを通して母さんに会わせてもらうから。色んな話や思い出を聞いて、父さんの知ってる、父さんしか知らない母さんを教えてもらうよ。顔や声は……想像で補おうかな? あっ、母さんって綺麗な人だった?」

「あ、ああ。とても綺麗な女性だ」

「声は? 誰か似てる人いる?」

「レイの声に似ている」

「綾波? ……そっか、だからか……」

 

 かつての光景。シンジがゲンドウをロリコンと疑った思い出の謎が彼なりに解けた瞬間だった。

 

「顔は? そっちも綾波が似てるとかないよね?」

「……似ては、いる。だが、それよりもお前自身がよく似ている」

「僕? ホント?」

「ああ。息子は母親に似ると言うが、本当のようだ」

 

 ゲンドウの噛み締めるような声にシンジは複雑な表情を返す。彼とて年頃の少年だ。元々顔立ちが中性的とは思っていたが、まさか母親似と言われるとは思っていなかったのだから。かといってそれを嫌がる事は出来ない。何せ自分に母の血が流れている証拠なのだ。

 

(加持さんの言った通り、僕は父さんと母さん両方の血が流れてるんだ。ちゃんと、僕の中にも母さんはいた。それと……)

 

 遠い存在だった母が身近になったと思い、シンジは小さく笑う。そしてゲンドウへ視線を向けた。彼の在り方にもかつての自分がいた。だから少年は意を決して告げる。

 

「父さん、僕は父さんを信じるから。例え父さんが僕より初号機を、母さんを大事にするとしてもね」

「……そうか」

「うん。人の気持ちはロジックじゃないんだ。その言葉を教えてくれたリツコさんは、僕が信じたい父さんを信じればいいって言ってくれた。だから、僕は僕の信じたい父さんを信じ続ける」

 

 力強く断言された内容は、ゲンドウに大きな衝撃を与えてきた。彼としても、今までシンジを大事にした事などないと思っている。だが、それは人の気持ちの妙。ゲンドウ自身も気付かぬところで、シンジの事を思っていたのだ。最初はほんの気まぐれの小石程度だったかもしれない。しかしそれが感情の水面に波紋を起こし、ゆっくりとそれを大きくしていったのだ。

 

(私を、俺を信じるというのか? 今まで父らしい事をしてこなかったこの俺を……)

 

 いつか誰かが言った。女は自分の腹を痛めて子を産み母となる。では、男はどうやって父になるのか。答えは一つ。子に心から父と呼ばれた時だ。そう言う意味で、ゲンドウは今、この瞬間父となった。シンジと初めて向き合った事で、やっと彼は男から父へと変わる事が出来たのだ。

 

「だからさ、父さん。母さんの事を教えて? 何でもいい。少しでも僕は母さんと父さんの事が知りたいから」

「…………分かった。少し長くなるぞ」

「うん、いいよ。どうせ寝るだけで退屈だったから」

 

 こうしてゲンドウはシンジへユイとの出会いを語り出す。その内容に少年は笑い、驚き、呆れ、同意しと、感情と表情をコロコロ変える。それがゲンドウにはユイを思い出させながらも、シンジを見つめさせた。不器用な親子は、今はいない母が橋渡しをしてようやく向き合う事が出来た。

 

「そして、私が指輪を……ん?」

 

 しばらく話したところでゲンドウは何か聞こえる事に気付いて話を中断する。シンジが疲れから眠っていたのだ。時刻は既に夕方近くになっており、病室に来て裕に三時間以上は経過していた。

 

「……帰るか」

 

 花を手に静かに立ち上がり、シンジへ布団をかけてやるゲンドウ。その様はまさしく父だった。そして以前のように花を看護師へ託し、彼は冬月へ連絡を入れながら廊下を歩く。すると、そこへアスカとレイが姿を見せた。彼女達も再度見舞いに訪れていたのだ。シンジが寂しく思っているだろうと考えて。

 

「レイ、それにセカンドチルドレンか」

「碇司令……」

「ど、どうも」

 

 微妙な表情のアスカと軽い驚きを見せるレイ。その二対の視線を浴びるゲンドウはいつもの無表情であった。だが、彼は一度だけシンジの病室がある方向を振り返り、すぐに彼女達へ向き直る。

 

「シンジはもう寝ている。見舞ってもいいが起こさぬようにな」

「「え?」」

 

 それだけ言い残しゲンドウはそのまま立ち去った。その離れ行く背中を見送り、アスカとレイは互いに顔を見合わせる。

 

「どういう事よ?」

「分からない。でも、きっとお見舞いにきたんだわ」

「嘘でしょ? あの無愛想が服着てるような司令が?」

「……司令だって人間よ」

 

 アスカの言い方に納得しかけるレイだったが、それでも何とかそう返して歩き出す。シンジのいる病室へと。アスカもその後を追うように歩き出し、二人は静かに病室のドアを開けた。

 

「……ホントに寝てる」

「ええ。それも、幸せそうだわ」

 

 安らかな寝息を立ててるシンジを見つめ、アスカとレイも表情を緩める。と、そこで誰かが二人の背後に立った。

 

「あら? ここの患者さんのお見舞い?」

「え? あ、はい」

「そう。じゃあ悪いのだけど、これ、中に置いてもらえる? 別の方のお見舞いの品なの」

「分かりました」

 

 看護師から差し出された花瓶を受け取り、アスカは何気なくその花を見た。

 

「……え?」

「どうしたの?」

 

 アスカの出した信じられないという声にレイが振り向き、その手にした物を見て同じ顔をした。そこにあったのは三本のガーベラ。そこで彼女達も気付いたのだ。あの時、自分達よりも先にシンジを見舞っていたのがゲンドウであったと。

 

「どうするの?」

「……とりあえず部屋に置いて、今日は帰りましょ。あのシンジの嬉しそうな顔見た? きっとたくさん話せたのよ、パパとね」

「……かもしれないわ。じゃあ、静かに置いて帰りましょう」

「ええ。でも、ただ置くだけじゃ芸がないわ」

 

 翌朝、目を覚ましたシンジが見たものは、寝る前にゲンドウが持っていた花が飾られた花瓶と、周囲を囲むように置かれた果物だった。まるで三本の花がエヴァで、周囲が自分達に思えて彼は小さく微笑んだ。

 

 

 

「シンジ君の母親を……ねぇ」

「ええ。それが司令の、碇ゲンドウの目的らしいわ」

 

 シンジのいないミサトの部屋。そこの一室である彼女の私室に加持の姿があった。あのシンジとの自販機前での会話。それが加持にミサトへの想いを強くさせ、そこへ来てのゲンドウの目的暴露である。彼が知りたい真実へはまだ遠いが一気に近付いた事も事実。だからこそ、加持は潮時を感じつつあった。

 

(リっちゃんがミサトへここまで話すという事は、俺が無理をしなくてもいずれ真実は見えてくるかもしれない、か。だけど、俺自身の目で確かめたい気持ちもある)

 

 だけども今の彼はもう綱渡りが怖くなり出していた。その理由は、今の彼が感じている温もりにある。柔らかで温かいミサトの体温。それが彼が思い出した甘さを掴んで離さないのだ。

 

「な、ミサト。参考までに聞かせて欲しいんだが」

「何?」

「当分無職になってもいいか? あるいは、バイトを辞めてこっち一本に出来るかもしれんが」

 

 どうする? そんな軽い感じの聞き方だった。あまりにも軽い言い方すぎて一瞬ミサトも何を言ってるんだと思ったぐらいに、他愛ない世間話のような切り出し方だった。故に理解した瞬間、ミサトは思わず体を起こした。豊かな胸が揺れる。それでも加持は動じず、ただ彼女の答えを待った。

 

「……いいの? 本当にそれでいいの?」

「ああ、だから頼む。俺が言えた義理じゃないが、お前も足を突っ込み過ぎるな。リっちゃんが話してくれたって事は、いずれ真実は分かるはずだ。それまで大人しくするよ」

「っ! リョウジぃ!」

「っと。おいおい、さすがにもう一度は辛いんだがな」

「ふふ、よく言うわよ。ね、ダメ?」

「……何だかあの頃を思い出すな」

 

 キスを交わして笑みを見せ合う二人。忘れようとした過去。忘れられなかった過去。そして、今に繋がるための過去。その時間を懐かしむように思い出しながら二人は口づけを交わす。欲望ではなく愛情で動いていると相手へ伝えるために。あの頃は愛情よりも欲望だった。これも彼らが大人になったという事なのだろう。

 

「そういえば、シンジ君の見舞いには行かないのか?」

「何言ってるのよ。そんなもん、とっくに行ったわ。私を守って怪我したんだから」

「だよな」

「むしろリョウジこそ行きなさいよね。あたしの命の恩人なのよ?」

「……だな。時間作って差し入れ持って見舞う事にする」

「ん」

 

 まるで子供を褒めるように頷くミサトに加持は小さく苦笑。そして、そこからは二人に会話は無かった。ただ、互いを求め合う声と音だけが部屋に響いた。

 

 その頃、リツコはレイにある話をしていた。ゲンドウから提案のあった、参号機への零号機コアの移植とそれに伴う乗り換えの件である。

 

「大丈夫なんですか?」

 

 不信感を全面に出す顔を見せるレイに、リツコは無理もないと思いつつも嬉しそうに笑う。彼女の感情の発露が嬉しくて仕方ないのだ。

 

「一応分析の結果はね。ただ、貴女が嫌なら仕方ないと思って零号機の修復をする事になるわ。ただ、その場合はかなりの時間が必要になるけれど」

「……参号機なら早いんですか?」

「そう、ね。使用可能にする時間だけなら比べるまでもないわ」

 

 レイはその言葉に考え込む。現在使用出来るエヴァは初号機と弐号機のみ。損傷の激しい零号機は使用出来るようになるまで時間がかかり過ぎる。つまり、このままではもう自分はシンジやアスカを助ける事が出来なくなる。そこまで考え、レイはリツコへ問いかけた。

 

「赤木博士はどうお考えですか?」

「私? そうね……」

 

 意見を求められると思っていなかったのか、リツコは少し驚きつつも考える。そして三つの答えがすぐに弾き出された。科学者として、母代りとして、そして人として。

 

「まず、ネルフの一員としては乗り換えてもらいたいわ。戦力的にも非常に助かる」

「はい」

「次に貴方の……教育係としては反対よ。不安が多すぎるし、危険だって完全にないとは言えない」

「ですね」

「最後に、一人の人としては……貴女の好きにしなさい」

「え?」

 

 慈愛の微笑みを浮かべ、リツコはレイを見つめる。その笑みにレイは何度も目を瞬きさせた。

 

「もう、今の貴女は誰かの言いなりじゃない。自分の意思と心で動く一人の人間だもの。だから、私の意見を参考にして自分が納得出来る答えを出して。その代り、いくらでも私は疑問に応えてあげる。私に分からない事でも一緒に考えていきましょ? これまでの勉強のように……ね?」

「赤木博士……」

「そう、ね。呼び方も変えていきましょうか。今のレイなら公私のけじめを理解出来るだろうし、プライベートに近い時は名前で呼んでくれた方が嬉しいわ。それとも、私を母さんとでも呼んでみる?」

 

 ちょっとした冗談だった。あるいはどこかで彼女の願望が顔を出したのかもしれない。言ったリツコは軽く笑いながらレイから視線を外す。どこか恥ずかしくもあったのだろう。だが、その何気ない冗談にレイは大きく驚きを見せて、どこか戸惑いながら小さく頷く。その雰囲気は緊張しているもの。しかし、リツコはそれに気付かず手元の参号機関連資料を取ろうとして、忘れられない言葉を聞く事となる。

 

―――お、お母さん?

―――え……?

 

 思わず振り返るリツコが見たものは、顔を真っ赤にしたまま彼女を見つめるレイの姿だった。リツコの手元から資料が落ちる。その音でリツコは我に返った。

 

「れ、レイ……今の」

「博士が言ったから。だから、呼んでみたんです。私もそういう存在が欲しいと思ってましたから」

「親が欲しい?」

「はい。それに、碇君もアスカも親から様々な事を教わったと聞きました。だから、博士は私にとっての親なんです」

「……そう。私が親、ね」

 

 じわりと、何か温かいものが彼女の中に広がっていく。それは感動。自分だけがどこかで勝手に思っていた事だと、そう考えていた。それが少女も思っていた事が嬉しかったのだ。何も言わず無言で感動を噛み締めるリツコを、レイは嫌がらせたのかと思ってやや不安げな眼差しを送る。すると、リツコはそんな彼女に気付いたのだろう。心からの笑みを浮かべてこう言った。

 

「私とだけの秘密よ?」

「っ……分かりました、お母さん」

「あら、ダメよレイ。お母さんに敬語はなし」

「分かったわ、お母さん」

「うん、よろしい」

 

 一瞬の間。そして響き合う二つの笑い声。母に憎しみさえ抱いた女は、この日遂に母となった。その後、リツコはレイを抱き締めてやり、レイもまたリツコを抱き締め返した。

 

「お母さんも温かい。碇君と一緒」

「ありがとう。で、その最後の一言は気になるわね。教えてくれる?」

「ダメ! ……えっと、その、これは碇君とだけの秘密」

「ふふっ、そう言われると弱いわ。じゃあ、話せる事だけ話して?」

「…………あのピクニックの時の事なの」

 

 母娘としての初会話は、娘の大事な思い出話。シンジの事を考え肝心な部分は誤魔化すレイだったが、今の彼女は感情を顔に出せるようになってしまった。それもあって、リツコは何があったかの大体を察する事が出来てしまう。ままごとから始まった関係は、時間を重ねて本物へと近付いていく。本当の親を知らないレイと、本当の子を産む事はないだろうと思っているリツコ。それは、互いにない物をねだった関係なのかもしれない。それでも、二人の間に流れる信頼関係だけは本物と遜色ないだろう。

 

「じゃあ、お母さん。お仕事頑張って」

「ええ。シンジ君によろしく」

「伝えておくわ」

 

 去り際も互いに笑みを向け合いながら。こうしてレイは表情を少し緩めながら歩き出す。参号機への乗り換えについてシンジとアスカの意見を聞こうと。綾波レイ。もう彼女は無表情の少女ではなくなっていた……。

 

 

 

「何か良い事でもあったの?」

「ええ。でも言えないの。ごめんなさい」

 

 病室へ向かう途中での会話。アスカはレイの答えに小首を傾げるも、その返答自体は好ましかったのだろう。小さく笑みを零し、レイの前へ小走りで回り込んでその顔を覗き込んだ。

 

「いつか教えてくれる?」

「……いつか、ね」

「ん、ならいいわ」

 

 満足そうに笑顔を返しアスカは再び前を見て歩き出す。その背を見てレイも笑顔を浮かべ、その隣へと小走りで駆け寄る。肩を並べ歩く二人。そうして彼女達はシンジのいる病室へと辿り着く。軽くノックを三回し、返答を待つ二人。

 

「どうぞ?」

「ハロー、シンジ」

「お見舞いに来たわ」

「ありがとう、アスカ、綾波。そこに座って」

 

 ベッドで体を起こし、シンジは本を読んでいた。それだけで体調が回復してきたのだと分かり、二人は笑みを浮かべながら椅子へ座る。既に時刻は午後六時を過ぎていて、見舞いとしては受け付け時間ギリギリと言えた。

 

「とりあえず、これね」

「学校の課題。主要五教科分」

「うわぁ、こういうの見ると学校行きたくなるよ」

「は? 普通逆でしょ?」

「アスカ、碇君は学校に行っていればやる必要なかったと言っているんだと思う」

「ああ、そういう事」

 

 レイの説明に頷くシンジを見てアスカも納得した表情を見せた。そこから話題は学校の話になり、トウジとヒカリの交際が意外と早くバレた事や、ケンスケがクラスの男子達と共に彼らを冷やかしている事を話す。シンジはそれに同情しつつ、自分も通った道であり、しかも本当に交際している以上仕方ないとある意味突き放した。それにはアスカとレイも苦笑する。

 

「シンジ、気持ちは分かるけど友達でしょ?」

「もう少し言い方があると思うわ」

「何言ってるんだよ。綾波もアスカも僕の言われよう覚えてるだろ? 二股男だよ? あるいは両手持ち。本当に酷いよ。僕が二人とそうなってるならともかくさ」

 

 その言葉にアスカとレイは息を呑む。それではまるでシンジは本当にそうなってもいいと言ってるようだったからだ。たしかに彼はどこかでそうなってみたいとの欲望はある。だが、同時にそれは二人に対して失礼だとも思っていた。両手に花は、常識的な状況に幼い頃からいたシンジにとっては空想の世界を出なかったのだ。

 

「二人だって嫌でしょ? 恋人は一人だけにして欲しいって思うだろうし」

 

 ある意味で、その問いかけは転機だったのかもしれない。あるいは、いつか直面していた問題だったろう。何気ない気持ちで少年が告げた言葉に、二人の少女は互いの顔を見合わせる。

 

(レイはシンジが好き。シンジもてっきりレイが好きなんだと思ってた。でも……)

(アスカは碇君が好き。碇君もアスカが好きなんだと思っていた。だけど……)

((もしかして、同じぐらいあたし(私)の事が好きなの?))

 

 視線を交わし相手の反応を探る二人。そしてどちらからともなく息を吐いて苦笑する。それにシンジが気付いて視線を向ける。と、二人が彼へ視線を向けた。

 

「どうしたの?」

「えっと……シンジはあたしとレイが仲良くしてるの嬉しいのよね?」

「そりゃあ……」

「じゃあ、もし私達が何かを取り合ってケンカするとしたらどうする?」

「え? 取り合い?」

「そうね。しかもかなり激しいケンカよ。お互い譲れない、譲りたくないってね。取っ組み合いまで発展するでしょうね」

 

 突然挙げられるたとえ話に困惑しつつも、シンジは懸命に考えた。かつて彼は言った。自分は中立だと。ならば今回のケースでの対応はどうする。そう考え、彼は至極簡単に答えを出した。

 

「それは二人で分け合うのは無理?」

「……どうかしら?」

「私はアスカとなら可能だと思う」

「あたしは……うん、あたしもレイなら許容できるわ」

 

 何かを噛み締めるようなアスカにシンジは頷き、ならばと答えを告げる。

 

「じゃ、僕はそうするのを勧めるかな。アスカと綾波、両方の味方でいたいから」

「へぇ、じゃあシンジは常に中立を崩さないのね?」

「え? う、うん……」

 

 急に空気が変わった。そうシンジは感じた。どこかで似た空気を感じた事があると思い、記憶の中を探すシンジだったが、そこへレイが更なる確認を行う。

 

「私とアスカを同じぐらいに扱ってくれる?」

「そ、そうだね。差を付けたくないかな?」

「「……多少は付けてくれてもいいのに」」

 

 ぼそりと呟かれる言葉はシンジの耳に届くも、その意味までは届かない。彼はそれを少しは贔屓にしてくれてもいいだろうとの愚痴と判断したからだ。どこか期待するような眼差しを向ける二人に内心疑問を抱きつつ、そこでシンジは時計を見た。時刻は七時近くになっており、少女二人が出歩くにはそろそろ危ない時間となりつつあった。

 

「二人共、そろそろ帰った方がいいよ。何かあったら危ないし、僕が送って行けないから」

 

 どこか寂しげなその声にアスカとレイはため息を吐きつつ、彼らしいと思って小さく笑う。

 

「そうね。じゃ、帰りましょうかレイ」

「ええ。碇君、赤木博士がよろしくって言ってたわ」

「えっと……綾波、多分それはそのままよろしくって言うんじゃなくてね?」

「あー、説明はあたしがしとくわ。時間も時間だから早く行くわよ」

「分かった。じゃ、碇君。また明日」

「またね、シンジ」

「うん、アスカと綾波も気を付けて帰って」

 

 シンジに見送られアスカとレイは病室を出た。そしてある程度歩いたところでレイが止まる。どうしたのかと思ってアスカも足を止めた。

 

「碇君に意見を聞くの忘れてたわ」

「意見? 何の?」

「乗り換え。このままだと修復完了がいつになるか分からないから、コアを移植して使えるようにするって」

 

 周囲に配慮して名詞を出さないようにしたが、それでもアスカには分かった。同時にどれだけそれが不安要素の塊かも。

 

「それ、司令の発案でしょ?」

「……ええ。それに対して博士は三つの答えをくれたわ」

「三つ?」

「スタッフとしてと、指導役としてと、人としての三つ」

「へぇ、さしずめ賛成に反対、あとはレイに任せるかしら?」

 

 見事に言い当てるアスカにレイは驚きを見せた。彼女のその反応にアスカは嬉しそうに笑うと、シンジの病室へ視線を向けてこう断言する。

 

「きっと、それはシンジもあたしも同じね。立ち位置を変えれば意見も変わるわ。パイロットとしては賛成よ。だって、現状動かせるのは弐号機だけで、初号機も近い内に直るでしょうけどそれでも二機だもん。戦力ダウンは否めないわ。で、友達としては反対よ。だって、あれは一度あんな事になったんだもの。そして、一人の人としてはレイの好きにしなさいってとこ。だから、どんな判断を下してもあたしはそれを尊重するわ」

 

 そう言い切るアスカの目はこれでどうとレイへ問いかけていた。リツコと同じような言葉にレイは喜び、嬉しさを噛み締めるように頷いた。もう迷いはなかった。大事な母と親友、そして聞いてはいないが想いを寄せる男性の意見は同じなのだから。

 

「ありがとうアスカ。もう私は答えを得たわ」

「そ。じゃ帰りましょ。お腹空いてきちゃった」

「そうね。今夜はどうする?」

「うーん……そうねぇ……」

 

 夕食の事を話しながら二人は歩く。その姿は間違いなく親友のそれ。同じ少年へ恋心を抱きつつも、取り合う事はもうしないのだろう。何故なら少年は言ったからだ。何があっても中立だと。一度言った事を引っ込める事はない。そう思って二人は歩く。

 

 一方、病室で読書に戻ったシンジは今日の出来事を思い返していた。アスカとレイが見舞いに来る一時間程前までゲンドウが来ていたのだ。昨日の続きとばかりにユイの話を三時間程してくれ、シンジはとても有意義な時間を過ごせた。その去り際、明日は来れないと言われたのは少し寂しく思ったが、ゲンドウが自分からそういう事を言ってくれた事は嬉しく思えた。なので見送る背中へこう告げた。

 

―――父さん、ありがとう。体に気を付けて、仕事頑張って。

―――ああ。

 

 本来ならば他愛ないやり取りだろう。だが、それさえこの親子には新鮮なものだったのだ。

 

(明日は父さん来ないから、今日もらった課題でもやろうかな?)

 

 微かな寂しさと明日はと思える嬉しさ。それらを噛み締めるように少年は笑みを零す。ふと、その視線が本から別の場所へ向く。渡された課題が置かれたサイドチェストを。それに付随して思い出すのは二人の少女とのやり取り。

 

「あれ、一体何を取り合うって仮定だったんだろう? アスカと綾波にはちゃんとそれが思い浮かんでたみたいだったけど……?」

 

 そこではたと思い出す。あの時の雰囲気に似た思い出を。それはあの共同生活初日。アスカとレイが彼を奪い合った時の事だった。

 

「……まさか、あれって僕?」

 

 まさかなと、そう思って笑うシンジ。実はそれが当たりだとは思うまい。こうしてこの日は終わる。そして翌日、第3新東京市は最大の脅威を迎える事となる。

 

 

 

「まさか加持さんも来てくれるなんて」

「そんなに意外かい?」

 

 その日シンジは、朝から病室に加持を迎えていた。彼の持って来た見舞いの品は少々過激な内容を含んだ雑誌とスイカ。何故スイカと首を傾げたシンジへ彼は自分が育てている物だと教えたのだ。それがシンジには驚きの内容だった。

 

「でも、加持さんがスイカを育ててるなんて……」

「まぁ、最初は暇潰しのようなもんだったんだがな。これが始めてみると案外楽しいもんさ。日に日に育っていくし、自分のやった事が直接反映される。育ちのいい奴、悪い奴。全部が自分の責任で自分の手柄だ。それに、まぁ、これも大昔からの人の営みに通じるしな」

「大昔からの営み?」

 

 シンジの疑問符に加持は小さく笑い、話を始めた。土を耕し、種を撒いて、水をやる。それら全てに共通する要素があるのだと。それは何かと問われた加持は苦笑してシンジを見つめた。

 

「君はもう察しているはずだ。ヒントは下心ではなく真心だ」

「えっと……下心じゃなくて、真心……」

 

 首を傾げながら考えるシンジを加持は微笑ましく眺める。かつての自分は、ここまで大人の言う事を正面から受け止められただろうか。そんな風に考えながら大人は子供を見つめた。彼が知る限り、少年は歪みを持っていたはずだった。それがエヴァに導かれこの街へ来て、そこから全てが変わり出した。そして、それは少年だけでなく周囲の者達さえ変えてしまった。彼もまた少年の変化を感じ取っているその中の一人。

 

「シンジ君、漢字として考えてみれば分かるぞ」

「漢字?」

 

 言われてシンジはならばと思って考える。下心は心という字が下にある文字。では、真心は中央だ。そこまで考えある文字が頭に浮かぶ。きっとこれに間違いないと思って彼は得意満面に告げた。

 

「愛ですか?」

「正解だ。ちなみに下心は分かるかな?」

「恋、ですか?」

「ああ、それも正解だ。きっと君は、ここに来て沢山の愛と接してきたのかもしれない」

「沢山の愛……」

 

 思い出すのはミサトとのやり取り。そしてレイとのデートに始まる幾多もの思い出。たしかにそうかもしれない。自分はこの街で沢山の出会いと愛を得たのか。シンジがそう思って嬉しそうに笑みを浮かべて両手を見つめる。その姿を加持は兄のような目で見つめた。接した時間こそ少ないが、だからこそ二人は互いを兄弟のようにも感じていたのかもしれない。

 

(そっか。僕が変われた大きな理由はミサトさんと綾波だ。そしてアスカがそれをもっと強くしてくれた。父さんとの会話だって、ミサトさん達が背中を押してくれなかったら出来てない。ああ、本当だ。僕は、やっぱり色んな人に助けられてきたんだ)

(――良い顔をするようになった。あのオーバー・ザ・レインボーで出会った頃よりも男の顔に。早いもんだ。男子三日会わずば刮目して見よとは言うが、ここまでの成長は中々出来ない。使徒との戦いだけじゃない。きっと彼は人との触れ合いからも学んでいるんだ)

 

 そこでシンジが顔を上げ、二人は視線を合わせる。思わず軽く驚き合って、それを察して互いに苦笑した。

 

「どうかしたのかい、シンジ君」

「いえ、何か視線を感じるなって思ったんです」

「成程。俺の視線がうっとおしいと」

「ち、違いますよ! 何でそんな言い方するんですか!」

「ははっ、悪い悪い」

「んもぅ……」

 

 和やかな空気が流れる室内。だが、突然そこへ警報が聞こえてきた。

 

「警報!?」

「……使徒か」

 

 慌ただしくなる周囲の声や音を聞きながら、加持はシンジへ視線を向ける。すると先程のように視線が合った。だが、先程と違いシンジの眼差しは真剣なもの。それだけで加持は何を言われるのか察しながらため息交じりに問いかけた。

 

「俺に何をして欲しいんだ?」

「ある場所まで連れて行って欲しいんです」

 

 加持がシンジの頼みで動き出そうとしていた頃、本部の発令所は緊迫感が漂っていた。

 

「総員第一種戦闘配置。地対空迎撃戦用意」

「目標は?」

「現在進攻中です! 駒ヶ岳防衛線、突破されますっ!」

「早いな……」

「初号機の修復が終わる前に仕掛けてきたのだろう」

 

 冬月の二つの意味での呟きにゲンドウはそう返した。未だに初号機はその修復が完全には終わっていない。作業進行度は80%を超えてはいるが90%には達していないのだ。当然零号機は手さえ付けられていない。万全なのは弐号機だけという有様だった。

 

「どうする? レイを初号機で出させるか?」

「……そうするしかあるまい」

 

 以前のゲンドウでも同じ判断を下しただろうが、今の彼の判断には明確なシンジへの気持ちがあった。未だ万全ではない体で使徒戦をさせたくないという、紛れもない父性愛が。こうして初号機はレイのパーソナルへと書き換えられ出撃に備える事になった。だが……。

 

「初号機、神経接続を拒絶」

「碇、これは……」

「レイ、何か分かる?」

『きっと、初号機は待っているんだと思います』

「待ってる? まさか……」

「シンジか?」

『はい』

 

 ゲンドウの問いかけにレイはハッキリ言い切り、アスカへと通信を繋ぐ。彼女は既にスタンバイを終えており、後は命令を待つだけとなっていた。

 

「アスカ、お願いがあるの」

『弐号機に乗せてくれって?』

「ええ。碇君と乗った時、少しだけど弐号機が強くなった気がしたって」

『……ミサト、どうするの?』

 

 その問いかけの声はアスカの気持ちをしっかり伝えていた。自分は構わないとの、確固たる決意を。ならばミサトの答えは決まっている。

 

「戦う貴女達が決めたのならこちらに文句はないわ」

『ですってよ』

「ありがとうございます、葛城三佐。ありがとう、アスカ」

『すぐ来て。時間がないわ』

「ええ」

 

 こうしてレイはアスカと共に弐号機へ乗り込む。懸念された弐号機の拒絶反応もなく、むしろ若干ではあるがシンクロ値が上昇したぐらいだった。その事に驚くミサト達ではあったが、このところの二人の仲の良さを知っていれば大きな驚きではない。そして、二人を乗せた弐号機はジオフロント内へと直接配置される。それ程使徒の侵攻速度が速かったのだ。

 

「使徒の攻撃来ますっ!」

 

 マコトの声と同時に震動が発令所にも微かに起きる。その意味する事に誰もが顔色を無くす。

 

「被害状況知らせっ!」

「第1から18番装甲まで損壊っ!? 残る装甲へもダメージが……」

「全壊!? 特殊装甲が一撃かよ……」

 

 マヤとシゲルが信じられないと言うような声を出す。リツコはすぐさま弐号機へ冷静に意見を述べるべく、マヤの後ろへと回る。

 

「二人共、相手の攻撃力は第五使徒以上と思って。絶対に直撃をもらってはダメよっ!」

「アスカ、レイ、使徒がジオフロントに侵入した瞬間を狙って!」

『任せて!』

『必ず生きて帰ります』

「頼んだわよ、二人共っ!」

 

 通信を終えると同時にシゲルが叫んだ。

 

―――全ての装甲、突破されましたっ!

 

 その攻撃の恐ろしさを、弐号機の中からアスカとレイはまざまざと見せつけられた。体に感じる震えは攻撃によるものだけではなかった。初めて感じる死の恐怖。使徒を目の前にして初めて二人は恐怖を感じていた。その理由を彼女達は即座に気付いていた。いないのだ。初号機が、もっと言えばシンジが。それだけでここまで違うのかと、そう思いながらもアスカは自分を鼓舞するように叫ぶ。

 

「来たわねっ! あたしの力を見せてやるわっ!」

 

 威勢よく放った言葉だが、その声は少しだけ震えている。レイはそれに気付き、更にある部分の表現にも引っかかるものを覚えた。

 

「アスカ、それを言うならあたし達。それと声が震えてるわ」

「そういうレイもじゃない」

 

 一瞬の間、そして揃って小さく吹きだす。まだ震えは消えていない。それでも、もう気にしない。ここには一人じゃないのだ。それだけで今のアスカもレイも戦える。それに、彼女達はどこかで信じているのだ。彼が、想い人の少年がやってくると。

 

「やってやろうじゃない! シンジが戻ってくるまでの時間稼ぎぐらいならぁ!」

「私達でも余裕で可能っ!」

「「行くわよっ!」」

 

 声を重ね弐号機を動かす二人。まるでそれに呼応するように弐号機も目を光らせる。まずは手にしていたロケットランチャーで攻撃。その弾を全て使い切るやその場から後方へ下がって地面へ置いてあるスマッシュホークというハルバードと呼ばれる斧を手にする。もう片手にソニックグレイブを持ち、弐号機は先程の攻撃による煙が晴れないまま、その中心へ向かってソニックグレイブを投擲した。

 

「どう?」

「分からない。でも……」

 

 煙の中を見つめるアスカとレイ。と、その時二人は直感的に危険を察知した。その無意識が弐号機を動かす。その場から大きく跳んだ弐号機の前方で大きな爆発が起きる。それが使徒による攻撃と理解し、二人は息を呑んだ。

 

「無傷……」

「どうやらそのようね」

 

 あれだけの攻撃を意にも介さず悠然と進む使徒。良く見ればその足元に原型を留めていないソニックグレイブが転がっていた。まるで細かに切断されたかのようなそれに、アスカもレイも使徒の攻撃方法を警戒する。何せ見た感じではそれらしい部分はないからだ。

 

「……接近戦しかないか」

「気を付けて。きっと何か能力を隠し持っているわ」

「でしょうね。だけどそれでも……」

「やるしかないわね」

「そういう事よぉ!」

 

 スマッシュホークを両手で構え、弐号機は使徒へと向かって行く。その頃、ゲンドウは初号機をダミープラグで起動させようとしていた。

 

「どうだ?」

「ダメですっ! やはり初号機がダミーも受け付けません!」

「……冬月、後を頼む」

「行くのか?」

「無駄かもしれんが、レイやシンジの証言もある」

 

 それだけ言い残し、ゲンドウは発令所を後にした。その背を見送り、冬月は小さく息を吐く。成長を感じ取ったのだ。学生時代から知っている男の、確かな成長を。

 

(あのお前が自分から誰かへ話をしに行く、か。まるで息子の変遷を辿るようだ。ふむ、蛙の子は蛙と言うが、今回はその逆と言ったところか)

 

 蛙の親もまた蛙。そんなくだらない事を考え冬月は微かに苦笑する。視線を戻した先のモニタには、使徒に追い詰められるように後退していく弐号機が映し出されていた。

 

 

 

 逃げ惑う人々の中をかき分けるように進む加持。その背にはシンジがいた。

 

「すみません、加持さん。こんな事をお願いして」

「いいさ。君の気持ちは同じ男としてよく分かる。好きな女だけを危険な場所に置きたくないさ」

 

 その噛み締めるような声にシンジはミサトの事だと察する。同時に自分も同じようにアスカやレイを好きだと言われているとも。なのでつい反射的に否定しようとしてしまう。思春期の少年にとって、同級生を好きだと認めるのは中々勇気のいる事だった。

 

「ぼ、僕は……」

「違うのかい? アスカもレイも君からしたら魅力がないか」

「そんなことっ!」

「ほら、それが答えだ。ま、君のはまだ下心だろうがな」

 

 誘導されたとシンジが気付いた時にはもう遅い。更に加持の言い方は本当に兄のような感じがするものだった。シンジはそんな彼の言葉に憮然となるも、不意に昨夜の出来事から思った疑問をぶつけてみる事にした。

 

「あの、加持さん」

「今度は何だ?」

「その、好きな相手が二人いるってダメですよね?」

「どうしてだ?」

「えっ!?」

 

 問い返されるとは思っていなかったのか、シンジは心からの驚きを声に乗せた。そんな彼へ加持は苦笑しつつ持論を告げた。

 

「人が好きな相手を一人だけに決める事は本当に出来るとは思わない。本気ならば話は別かもしれんがね」

「本気?」

「ああ。好きだって色々ある。寝食を忘れる程に好きなのか、どちらか聞かれて強いて挙げれば好きなのかとかな」

「じゃ、本気だと一人なんですよね?」

「それも分からないさ。家族愛は大家族でも本気だと俺は思いたいし信じたい。なら、どうして男女愛は一対一じゃないと本気でないと言える? 本気で二人三人と好きになる奴がいてもおかしいとは思わんさ」

 

 極論だがね。そう言って加持は言葉を続ける。

 

「もしくは周囲の圧力がそうさせるのさ。交際相手は一人じゃなきゃダメってな。黙って二股をかければ話にならんが、もし交際相手の異性が二人いて、その二人が俗に言う二股を許容していたとしたら、社会的に問題はない。まぁたしかに重婚はこの国じゃ認められていないが、逆に結婚という形にしなければ、夫婦という関係にならないのなら、例え何十人と交際したって構わないだろ?」

「でも……」

「シンジ君、結局は色恋の話は本人達が問題なんだ。周囲は一々そこへ口出ししないし出来ないはずだ。まぁ、注意や警告ぐらいはするかもしれないがな。君に好きな相手が二人いるとして、それ自体は何の問題もないさ」

 

 かなりの暴論ではあったが、加持としては言いたい事は次の一言に集約されていた。

 

―――要するに本気なのか遊びなのかをちゃんとはっきりする事だ。本気であるなら隠す必要はないし、遊びなら悩む必要はない。そして、本気で複数の相手を愛するなら世間が好意的じゃないって事を忘れないようにな。

―――本気なら隠す必要はないし、遊びなら悩む必要はない……。

 

 加持の言葉を反芻するシンジへ聞こえてくるサイレンの音。ふと見れば、使徒が弐号機を追い詰めるように圧力をかけていた。それが彼の危機感を煽る。

 

「加持さんっ!」

「ああ、急ごうっ! しっかり掴まってろよ?」

「はいっ!」

 

 軽く駆け出す加持の背中からシンジは後ろを振り返る。弐号機は使徒の侵攻を何とか遅らせるのが精一杯だった。その様子を見て、シンジは心から弐号機の無事を願う。

 

(僕が、初号機が行くまで何とか頑張って!)

 

 その祈りを受けたかのように、弐号機は何度目かのスマッシュホークによる攻撃を使徒へ仕掛ける。それは使徒の体へ届かず、フィールドによって阻まれた。そして遂にその強度にスマッシュホークが負ける。刃の部分が砕けたのだ。

 

「っ!?」

「来るっ!」

 

 一瞬怯んだのを見逃さず、使徒はその布のような腕部を突き出した。それを咄嗟にかわす弐号機だったが、持っていた柄の部分が斜めに鋭く切断される。その断面を見てアスカとレイは悟った。直撃すれば一瞬でやられると。かといって遠距離戦は出来ないし通用しない。接近戦も無理。打つ手なしの状況ではある。それでも二人は諦めなかった。

 

「アスカ、残りの武器は?」

「ナイフのみよ」

「……そう」

 

 落胆するレイにアスカは不敵に笑ってみせた。

 

「何よ。ナイフだけでもあればいいわ。あたしは初戦でナイフ一本で使徒を倒してみせたんだから」

「……その時も二人乗りだったわね」

「そう。だからこれは完全にその再現よ。しかもこっちはあの時よりも成長してんの。可能性は高くなってるわ」

「なら、奇跡を起こしてやりましょう」

「その意気よ! さあ、ここからが本番なんだからっ!」

 

 プログナイフを構え、使徒を睨みつける弐号機。対する使徒は悠然と構えていた。まるで目の前の存在など気にも留めていないかのように……。

 

 

 

「ユイ、何故だ。どうして私を拒絶する?」

 

 初号機の前に立ち、ゲンドウは一人言葉をかけていた。周囲には誰もいない。作業を中断させ、彼は一人で初号機と、その中にいる碇ユイと対峙しようとしていたからだ。

 

「シンジは入院している。まだ完治には至っていない。なのに戦わせるのか?」

 

 返ってくる言葉はない。それでもゲンドウは一縷の望みを賭けて声を出す。初号機の中に彼女の意思は存在していると確信しながら。

 

「頼む。一度だけでいい。ダミーを受け入れ出撃してくれ。弐号機には、シンジを想う少女二人が乗っている。あの二人を失えば、シンジがどうなるかは分かるだろう?」

 

 無音。それがまるで自分の言葉に耳を貸していないように思え、ゲンドウは初めてユイへ怒声を放った。

 

―――あいつに俺と同じ想いをさせるつもりかっ!

 

 その心からの声に初号機が吼えた。そして、そこへ近付く足音がある。それに気付いてゲンドウが視線を動かすと、そこには加持と背負われたシンジがいた。その格好は入院着のままで。着替える時間さえ惜しんだのだ。

 

「シンジ……それに……」

「じゃ、シンジ君。俺はここまでだ。後は頼んだ」

「はい、ありがとうございました」

 

 シンジをゆっくり下ろし、加持は一度だけゲンドウへ会釈するとその場を去る。それを見送る事もせず、シンジはゆっくりとゲンドウへ向かって近付いて行く。時折痛むのか、顔を歪ませながら一歩一歩確実に足を前に出して。

 

「父さん、お願いがあるんだ」

「そんな体で戦えるとでも思っているのか。相手はこれまで以上の攻撃力を有した使徒だ」

「だからこそ、僕が行かなくちゃ。アスカや綾波が戦ってるんだから」

「無理だ」

「無理じゃない」

「諦めろ!」

「嫌だ!」

「シンジっ!」

「お願いだよ父さんっ!」

 

 感情をぶつけ合う二人の親子。互いに相手を睨むように視線を向ける。

 

「例え父さんが止めても、それでも僕は行くよ! 自分に約束したんだ! もう逃げないって! 一番嫌な事から逃げるために、目の前の事から逃げないって! 今僕が行かなきゃダメなんだっ! 避難してる人達だって気付いてるよ! 初号機がいないって! 僕が戦ってないって!」

「しかしっ!」

「一度だけっ! ……一度でいい。一度だけ僕の我が儘を聞いて。ホントはね、逃げ出したいんだ。だけど、それ以上に僕は戦いたいんだ。この街を、友達を、そして父さん達を守りたいから」

 

 優しい表情と眼差し。それがゲンドウにユイを思い起こさせる。そして、同時にシンジの覚悟と決意も伝えた。

 

(親がなくとも子は育つ、か。そうだな。今更父親ぶったところで俺は……)

 

 立派な男の顔をするシンジに劣等感を抱き、ゲンドウは顔を背けるように彼へ背を向けた。だけども、それはかつてのような逃げではない。

 

「生きて帰ってこい」

「……っうんっ! 絶対帰ってくる! まだ母さんの話、全部聞いてないからね!」

「…………ああ」

 

 そしてゲンドウはすぐにスタッフ達を呼び戻して初号機の準備をさせ、彼自身はシンジをエントリープラグまで運んだ。

 

―――父さんの背中、大きいや。

―――そうか……。

―――……いつか、背中流すよ。

―――……楽しみにしておく。

 

 こうしてシンジは初号機へと乗り込んだ。久しぶりな感じを受けつつ、彼は操縦桿を握る。

 

「……行くよ、初号機」

 

 彼の声に応えるように初号機が変化しながら咆哮する。その迫力にスタッフ達は呆然となるも、すぐにその場から退避した。初号機が発進を待たずに動き出したからだ。向かうはジオフロント内で使徒を足止めしている弐号機の元。そして初号機起動の報は直ちに発令所へも伝わった。

 

「初号機が? シンジ君……」

「そう、来たのね。本当に」

 

 複雑な表情のミサトとリツコだが、そこへ切羽詰まったような報告が入る。

 

「弐号機、右腕切断っ!」

「すぐに神経切断っ! 使徒は!?」

「使徒、メインシャフトへ接近っ!」

「不味いわ……」

 

 モニタでは、片腕となった弐号機がそれでも使徒を必死に食い止めようとしていた。それを鬱陶しいと思ったのだろう。使徒が振り向くと同時にその腕で両脚を切断しようとしたのだ。その狙いを読んで、弐号機は最接近しコアへプログナイフを突き立てる。

 

「「これでっ!」」

 

 だが、その刃が届く瞬間、コアはまるで守られるかのように表面が硬い物で覆われる。刃先から砕けるプログナイフ。唯一の武器を失い、弐号機への脅威度をゼロにしたのだろう。使徒はもう興味を失ったかのように背を向け、メインシャフトへと接近する。しかし、そんな事をされて黙っているようなアスカとレイではない。

 

「この……こっちを無視とはいい度胸じゃないっ!」

「いつかと同じね。自分を倒せる可能性がないから相手にしていないんだわ」

「武器がないからって? ふざけんじゃないわよっ!」

 

 吼えるアスカだが、どこかで理解もしている。現状の弐号機では使徒へ対抗出来ないと。だからといって何もしないなど有り得ない。だから考える。何か武器はないかと。その時、レイが気付いた。一つだけ残された武器になるものへ。

 

「アスカ、あれを使いましょう」

「あれ? ……成程、あれか。そうね。たしかにもうそれしかないわ」

 

 メインシャフトへ侵入しようとする使徒。すると、その背後から弐号機が飛び掛かった。その片手には切断された右腕を持って。

 

「「これでもくらえぇぇぇぇぇっ!」」

 

 その一撃は不意を突けた事もあり、使徒を大きくよろめかせる。が、そこまでだった。半端に使徒へダメージを与えた事でその怒りに触れ、弐号機は使徒の放つ光線を浴びて大きく吹き飛ばされたのだ。

 

「「きゃあぁぁぁぁぁぁっ!!」」

 

 無論即座に全神経を切断されるも、あまりの衝撃と威力にアスカとレイは意識を失う。それでも命に別状はないと分かり、ミサトは安堵した。だが、それは長続きしなかった。

 

「使徒、弐号機へ接近っ!」

「何ですって!?」

「おそらくさっきの攻撃で完全にとどめを刺すつもりになったんだわ!」

「そんな……」

 

 絶体絶命。パイロット二人は意識を失っている上、あの使徒には通常攻撃など何の効果もない。だからといって座して待っていれば訪れる結果は二人の死である。

 

「何とか出来ない!? 今すぐどちらかを起こす事は!?」

「無理です! 例え目を覚ましても全神経を切断しています!」

「っ!」

 

 感情を高ぶらせたミサトの声にマヤも同じような声を返す。分かっているのだ。自分達の無力さを。そして悟ってしまったのだ。このままでは二つの若い命が散る事を。

 

(シンジ君……っ!)

 

 思わず胸の十字架を強く握り締めるミサト。その時、勇者が舞い戻った。

 

「っ! 使徒に接近する高速物体ありっ!」

 

 誰もが目を疑った。弐号機へとどめを刺そうとしていた使徒の背中へ巨大なナイフが突き刺さったのだ。それは痛手を負わすには至らなかったが、使徒の動きを止め意識を向けさせるのには十分だった。

 

「僕が相手だっ!」

 

 プログダガーを投擲した初号機は、使徒が自分を見たのを受けその場から跳び上がる。そしてマゴロク・E・ソードを構えて斬りかかった。その一撃は使徒のフィールドへ亀裂を生じさせるも、突破するには至らない。シンジはそれを見て素早く使徒から距離をとる。すると、先程までいた場所へ使徒の光線が直撃した。

 

「同じ手に引っかかるもんかっ!」

 

 かつての第五使徒と同じ手を使ってきた事を察し、シンジはそう啖呵を切った。そしてそのまま初号機を使徒が来た方向へと移動させる。外へ出そうとしているのだ。使徒は初号機を先に排除するべきと思ったのだろう。その後を追うように動き出す。だが、そこで使徒は先程までとまったく異なる攻撃を仕掛けた。その目を不気味に光らせたかと思うと、初号機のフィールドが何かと衝突したように展開された。

 

「うわっ!」

 

 それは、ATフィールドを飛ばした攻撃だった。第十使徒が行った攻撃に近いものである。それに動きを止めた初号機へ使徒は溶解液を噴射する。それは第九使徒と同じもの。それらは辛うじてフィールドに阻まれるが、どちらも基の使徒による攻撃よりも強化されていた。その証拠に初号機は凌いだものの、その場から軽く後ろへ吹き飛ばされたのだ。

 

「くっ……このぉ!」

 

 何とか倒れる事無く踏み止まり、初号機はマステマを構えてガトリング攻撃を行う。それさえ使徒のフィールドの前では無力。亀裂を生じさせるどころか、まったく効果を与えられない。ならばと再度跳び上がり今度はプログレッシブソードとマゴロク・E・ソードの同時攻撃でフィールドを貫こうとする初号機。だが、それが届こうとした瞬間、使徒の背中から何本もの触手が出現して二つの刃を受け止めてしまった。

 

「なっ!?」

 

 その触手は第四使徒の物。そしてその動きは、シンジは知らないが第十三使徒のものと同じだった。あまりの事に戸惑うシンジへ、使徒は至近距離からの光線を放つ。そう、それはあの第三使徒の攻撃だった。今、シンジが相手をしている使徒は、かつて初号機が倒してきた使徒の能力を受け継いでいるのだ。しかも、元々よりも強力にして。

 

「ぐっ……つ、強い……」

 

 フィールドを貫き初号機へダメージを与える使徒の攻撃。それは、初めて正面から初号機が受けたダメージだった。第十四使徒。それは対初号機に特化した戦闘型の使徒だった。

 

「だけど、まだ負けてないっ!」

 

 もう一度マゴロク・E・ソードとプログレッシブソードを構え直し、使徒と対峙する初号機。すると何か嫌な予感を感じてシンジがその場から跳んだ直後、足元に使徒と同じぐらいの大きさの影が出来た。それを見たシンジは息を呑む。第十二使徒の影と同一の物と直感的に悟ったのだ。

 

「あれに触ると不味いっ!」

 

 だからこそ時間をかけてはいけない。そう判断したシンジは、これまでの戦いを思い出し心から叫んだ。

 

―――絶対に負けるもんかっ!

 

 気迫あふれる叫びに初号機の目が光る。心なしか全身に力が漲るのを感じ、シンジは全力で二つの刃を振り下ろした。

 

「これでどうだっ!」

 

 繰り出された一撃は使徒の触手を薙ぎ払いながらフィールドへぶつかる。その亀裂は最初よりも大きく生じていた。このままなら貫ける。確信的なものを感じてシンジは使徒へ迫る。と、その時だった。何か嫌な予感を感じてシンジは使徒から離れた。その瞬間、初号機のケーブルが切られた。

 

「っ!? 再生してる!?」

 

 先程薙ぎ払った触手が再生していたのだ。生半可な攻撃ではダメだ。これまでの経験からシンジは迷う事無くマステマのN2ミサイルを使う事を決意する。あの威力ならフィールドを破り、瞬時の再生を行えないはずと。

 

「行けぇ!」

 

 二発のN2ミサイルが使徒へと向かう。だが、何故かそれはフィールドに阻まれる事なく使徒へと直撃した。凄まじい爆発と爆風が巻き起こる。この上ない程のダメージを与えた。そう思いながらシンジは何故か不安が消えなかった。彼も気付き始めていたのだ。使徒の能力がこれまで戦ってきた使徒のものだと。

 

(僕が戦ってきた使徒は全部で八体。その内、初号機で戦ったのが七体。でも、初号機が戦った使徒は八体いる。どちらにせよ、あの使徒の能力をまだ使ってきていない。あの、三人で最初に倒した使徒の)

 

 爆風が収まり、煙が晴れた瞬間シンジは絶句した。そこには無傷の使徒の姿があったのだ。そこで確信する。

 

「こいつ、あの使徒が受けた攻撃が効かないのかっ!」

 

 すぐさまその場から急いで跳び退いて距離を取る。現在の初号機にとっての最大火力が先程のN2ミサイルだった。それが無力となると次に高い威力はマゴロク・E・ソードとなるが、既にそれ単体ではフィールドを破れない事は実践済み。マステマのガトリングも同様で、唯一可能性があるのはプログレッシブソードとマゴロク・E・ソードの同時攻撃。しかし、それは触手の再生時間までに突破する事が出来ない。

 

(何か、何かないのか……あの使徒を倒せる手段は……)

 

 使徒の攻撃を回避するしかない初号機。触手や光線、フィールドを飛ばす攻撃に使徒の腕部攻撃、時折出現する影による飲み込み攻撃が絶え間無く初号機を襲う。既に初号機に残された攻撃手段は無いに等しいと言えた。それでもシンジは諦める事なく考える。迫り来る内部電源の制限時間の中で。

 

「こうなったら突っ込むしかないっ!」

 

 唯一望みがある二つの刃による同時攻撃。それに突破口を求めたのだ。ダメージはあのN2の雨を耐え切れた装甲を信じて考えないようにして。チャンスは一度だけ。失敗すればもう後はない。そう考えてシンジは集中していく。感覚がいつもよりも研ぎ澄まされていくのを感じながら、シンジはただその機会を待った。少しずつ増えていく損傷による痛みさえ忘れ、彼は目の前の使徒へ意識を傾けていく。

 

(せめて一度だけ、一度だけ使徒の腕が逸れてくれれば……直感で避けるしかないっ!)

 

 そこで研ぎ澄まされた感覚が弾けた。まるで何かに導かれるように使徒へと跳び込んでいく初号機。その機体目掛けて突き出される両腕を最小限の動きだけで流麗にかわして突貫していく。触手は機体を回転させるようにしマゴロク・E・ソードとプログレッシブソードで薙ぎ払い、光線はフィールドで軽減させて装甲で凌ぐと、その勢いのまま使徒へとそれらの武器を叩き付けた。

 

「ぐぅぅぅぅぅっ! フィールド全開っ!」

 

 体に感じる熱や痛みを押さえ付けながらシンジは叫ぶ。その声に応じるように初号機の目が光を放つ。まるで殺意を乗せたその輝きに使徒が反応した。そう、シンジも忘れていた攻撃を放ったのだ。使徒の顔のような部分から放たれた荷電粒子の輝きが初号機を直撃した。

 

―――っ?!

 

 目に入った光景にミサト達も思わず息を呑んだ。ゆっくりと使徒から離れるように初号機は荷電粒子の輝きで押しやられる。そして最後には弾かれるように地面へ叩き付けられた。そこでマヤの絶叫が響き渡った。

 

「いやあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 

 モニタにはうつ伏せになったまま、微塵も動かない初号機が映し出されていた。

 

「パイロットは!? シンジ君は生きてるの!?」

「……生命反応はあります! ですが、かなり衰弱しているようですっ!」

「緊張の糸が切れてダメージによる負荷が一気に出たのね。死ななかっただけ運が良かったわ」

 

 シゲルの報告にリツコが冷静な声でミサトへ告げる。思わず勢い良く振り返るミサトだったが、その顔がリツコの手を見て驚愕に変わる。リツコは爪が食い込む程に手を握り締めていたのだ。

 

「リツコ……」

「ミサト、考えましょう。今の私達に出来る事はもうそれだけよ。どれだけ叫んでも、泣きわめいても、彼の力になれない。だったら、今は考えるの。少しでも彼を助けられる手段を」

「そうだな。今の我々に出来る事はそれだけだ」

 

 リツコの言葉に返って来た声に誰もが顔を動かす。そこにはゲンドウがいた。全員の視線の中、彼はいつもの場所へ腰かける。

 

「弐号機に乗っている二人はどうだ? 意識を取り戻していないか?」

「っ!? 確認します!」

「使徒の再生完了時間を割り出せ。初号機の反撃に必要だ」

「はいっ!」

 

 ゲンドウの指示にマコトとシゲルが弾かれるように動き出す。そんな彼に冬月とリツコが言葉を失っていた。そんな視線などお構いなしでゲンドウは指示を出していく。

 

「僅かでもいい。使徒の意識を初号機から逸らさせろ。セントラルドグマへ誘い込んでも構わん」

「っ!? 本気か?」

「ここで初号機を失えば対抗手段はなくなる。だが、ドグマへ誘き寄せれば初号機が立ち直る時間は稼げる。少しでもサードインパクトの防げる可能性のある方を選んだまでだ」

 

 これが本当に碇ゲンドウなのか。そう誰もが思いながらそれぞれの戦いを続ける。オペレーター達はゲンドウの指示を、ミサトとリツコは使徒への対抗策を。

 

「アスカ、レイ、聞こえる? 聞こえたら返事をして!」

「使徒の再生完了時間、およそ10秒から13秒」

「使徒、メインシャフトへと向かいます。セントラルドグマへの到着予定時刻は……約十分後!」

 

 そこでミサトとリツコが顔を見合わせる。このままでは最後の手段を使わざるを得なくなるからだ。

 

「エヴァ用の装備で何か残ってないの?」

「あったらとっくに教えているわ。それにあの初号機の装備でさえ無理な以上、今の私達の技術ではどちらにせよ不可能よ」

「絶対?」

「……悔しいけれど今回に限っては」

 

 リツコの苦々しい声にミサトは一度顔を俯ける。それでもすぐに顔を上げるとマコトの傍へと近寄った。

 

「日向二尉、初号機へ通信を開いて」

「いいですが、彼は」

「いいから。お願い」

 

 有無を言わせない迫力で詰め寄るミサト。その凛々しさに気圧されるようにマコトは初号機への通信を開いた。

 

『シンジ君! シンジ君聞こえる? お願い! 立ち上がって戦ってっ! もう、貴方しかいないの! 情けないと思うわ。悔しくも思う。だけど、大人が揃いも揃って貴方に頼るしか道がないのっ!』

『シンジ君、ミサトの言う通りよ。これが終わったらどんな文句も不満も聞かせてもらうわ。だから立って! 貴方と初号機だけが最後の希望なのっ!』

(何だ……? 誰かが呼んでる……?)

 

 ミサトとリツコの声に意識を失ったシンジの指が微かに動く。

 

『頼むシンジ君! 俺達の分まで戦ってくれっ! 君しかいないんだ!』

『そうだぜシンジ君! あのヤシマ作戦の時だって、君はゴールを決めてくれたじゃないか! 今回も見せてくれよ! エースストライカーっ!』

『お願い……目を覚ましてシンジ君……』

(誰かが……僕を呼んでくれてる……?)

 

 マコト、シゲル、マヤのオペレーターの声にシンジの頭が僅かに動いた。だが、まだ目覚めない。そんな身動き一つしない初号機を真っ直ぐな眼差しで見つめる男が一人いた。発令所に入れない彼は、せめてもと戦場となっている場へと出ていたのだ。そして、初号機へ迫る危機を見て居ても立ってもいられなくなったのだろう。彼は喉が張り裂けんばかりに叫んだ。

 

「シンジ君っ! 君が守りたい者達は、今も君を信じてるっ! 俺もそうだ! 君の甘さは人を活かす甘さだ! その甘さを強さにも出来る君なら、もう一度だけ立ち上がれる! シンジ君、諦めるなっ!」

(これは……みんなの声……?)

 

 加持の叫びさえも初号機はシンジへ届ける。それに彼はゆっくり目を開けた。しかし、まだその焦点は定まっていない。

 

『年甲斐もなく叫ぶのは厳しいが、こんな年寄の声でも力になるなら声の限り叫ばせてもらおう。時代を切り開くのは君のような若者だ! それを死地に追いやる事しか出来ない身が情けないが恥を忍んで頼むっ! 戦ってくれ、若人よ!』

(みんなが……僕を待ってる……?)

 

 冬月の言葉にシンジの意識が次第に覚醒していく。それでも初号機は動かない。

 

『シンジ! 約束を忘れるなっ!』

(……父さん?)

 

 ゲンドウの短いながらも熱い声でシンジがやっと意識を完全に取り戻す。見えてくるのはメインシャフトへ今にも侵入しようとする使徒の姿。それに彼は反射的に動いた。

 

「止めろぉぉぉぉぉぉぉっ!」

 

 その先には本部があり、ミサトが、リツコが、マコトが、シゲルが、マヤが、加持が、冬月が、そしてゲンドウがいる。他にも大勢のネルフスタッフがいるのだ。決して奪わせはしない。決して殺させはしない。自分の目の前で誰一人として犠牲にはしたくない。その一心でシンジは初号機を動かす。もう思考など残っていない。ただ、目の前の相手を止める。守りたいものを守る。それだけだ。理性とも本能とも、どちらでもありどちらでもないモノが今のシンジと初号機を動かしていた。

 

「戻れっ! 戻れよっ! 父さん達のところへは絶対行かせないぞっ!」

 

 突然襲い掛かった初号機に驚くような使徒だったが、それでもすぐさま反撃に転じようとする辺りはさすがだろう。触手と腕が一斉に初号機へ襲い掛かったのだ。それらを手に装着された接近戦用の爪で薙ぎ払い、フィールドへとそれを突き立てる。

 

「フィールド全開っ!」

 

 フィールドを相殺しようとする初号機へ、使徒はならばと光線を放とうとしたその瞬間、その体が大きく揺れた。

 

「油断大敵ってね……」

「碇君をやらせはしない……」

「アスカっ! 綾波っ!」

 

 使徒の真後ろから、切断されたスマッシュホークの柄の鋭い部分を突き刺す弐号機。再度神経系を接続し直し、二人は激痛の中動いていた。それでもシンジを手助け出来た事。それに笑顔を見せながら二人は意識を手放してしまう。使徒の背後で倒れる弐号機。そちらへ使徒が意識を向けた瞬間、シンジが今度こそ吼えた。

 

「させるもんかああああああっ!!」

 

 シンジのように咆哮を上げ使徒へ飛び掛かる初号機。その動きはまるで獣。素早く忙しない動きに使徒さえ狙いを付けられない。使徒を翻弄しながら、シンジは不思議な感覚の中にいた。まるでダメージを受ける前よりも攻撃力や防御力が上がっているような気がしていたのだ。それだけではない。時々攻撃が当たった瞬間の手応えが違うのだ。まるでフィールド越しにでも少しだけダメージを与えられていると思う程、強く確かな感触がある。それがどうしてか分からないまま、シンジは使徒へ立ち向かう。それでも、それでもまだ足りない。

 

(何か、何か使徒を倒せる強力な一撃を与えないと……っ!)

 

 あの第七使徒と違い分裂はしない事から、シンジはこう読んでいた。それは、目の前の使徒は各使徒の能力を一つしか受け継げてないのだと。だからこれまで使っていない攻撃で仕留めれば倒せるはず。だが、その方法がない。と、そこへシンジへ聞こえてくる声があった。それは、あの声。今まで時折聞こえていた謎の声だ。

 

―――インパクトボルトを使って……。

 

 その聞き慣れない名称にシンジは疑問符を浮かべる。

 

(インパクトボルト……? っ!? もしかしてっ!)

 

 刹那、脳裏に甦るあの時の光景。ディラックの海で初号機が放った謎の攻撃がそれなのだと。そう理解したシンジは使徒から距離を多めに取った。メインシャフトと弐号機を背に、使徒と対峙して。

 

「エヴァ、僕に力を貸してっ!」

 

 心から叫ぶ。いつかの誓い。自分だけで足掻いて届かない時、初号機の力も貸して欲しい。今がその時だ。そして初号機が吼える。その咆哮にシンジも頷いて声の限りに叫んだ。

 

「インパクトボルトォォォォォォっ!!」

 

 放たれた魂の叫び。それが引き金となって初号機の両肩から雷を発生させる。それに恐怖を覚え、使徒が荷電粒子の輝きを収束させていく。だが、初号機は、シンジは動じない。信じているのだ。この一撃なら使徒を倒せると。その絶大な信頼が雷を収束させて、まるで一筋の閃光となって放たれた。迎撃するように使徒も閃光を放つ。ぶつかり合う二つの光。しかし、拮抗したのはそう長い時間ではなかった。

 

「貫けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 シンジの叫びに後押しされるように、インパクトボルトが荷電粒子の光を飲み込みながら奔流となって使徒へ押し寄せたのだ。フィールドを呆気なく突き破り使徒を飲み込む巨大な輝き。そしてそれはそのまま大爆発と巨大な光を生み出した。こうして、最強の使徒は倒された。今までにない被害をネルフへ与えて……。

 

 

 

 全てが終わった後の発令所。一時の喧騒はどこへやら。今は不気味な程静まり返っている。そこでリツコが一人佇んでいた。彼女が見ているものはある映像。そう、内部電源が時間を迎えた後も動き続ける初号機だった。更に最後に放ったインパクトボルト。それらを含めてリツコは気付いた。

 

「あの初号機はS2機関を積んでいる。だから、余計に使徒を倒した後で残る事はしなかったんだわ」

 

 誰もいない中、リツコはそっと目を閉じる。それが何を意味するのかを考えて。

 

「……これは私だけの秘密にしましょう。報告書には、未知の技術で内部電源も改良されている可能性を示唆しておくとして、後は……」

 

 手慣れた感じでコンソールを操作し、リツコはデータの改ざんを行った。今はまだ知らない方がいい。ミサトには教えてもいいかもしれないが、それをどこかで考慮した作戦を取らないとも限らない。その危険性を考え、リツコは自分の胸の内にしまっておく事に決めたのだ。その作業が終わると同時に発令所へ何者かが姿を見せた。

 

「あっ、ここにいた」

「あら、ミサト。何か用?」

「何か用じゃないわよ。一緒に行きましょう。シンちゃん達のお見舞い」

「そうね。にしても、また病院へ逆戻りとはね」

「しかも今度はアスカとレイもよ。ホント、仲が良いんだから」

 

 共に笑い合いながら歩く二人。再び入院となったシンジは意識が戻り次第絶対安静を言い付けられる事になっており、アスカとレイもしばらく病院のベッドで過ごす事となった。ちなみにシンジは個室で、アスカとレイは大部屋である。とはいえ、二人の貸切状態なので厳密には違うかもしれないが。

 

「ね、次の使徒はもっと強いのかしら?」

「さあ? でも、もう正攻法での使徒はこないでしょう」

「……今回ので懲りた?」

「ええ、おそらく」

「そっか。じゃ、また厄介な戦い方系か」

「そう考えておく方がいいわね。参号機の事もあるし」

「参号機、かぁ。あっ、そういえば聞いたわよリツコ。レイ、参号機に乗り換えるんですって?」

 

 廊下に響く二つの話し声。その奥底に秘めるのは、生き残った喜びと子供達への感謝と罪悪感。だからこそ、暗い顔で会う事はしないのだ。彼らが命懸けで守ってくれた命なのだから、せめて明るくしようと。深い感謝と深い謝罪を伝えるのはそれからだ。そう思ってミサトとリツコは歩く。

 

 一方、病院では未だに眠るシンジをアスカとレイが見つめていた。

 

「今度はどれぐらい寝るのかしら?」

「さあ? きっと二日は寝ると思うわ」

「……今回ので記録更新?」

「ええ、おそらく」

「そっか。じゃ、また寝起きに見舞ってやりますか」

「そうしたら碇君が驚いてしまうわ」

「驚く、ねぇ。ま、たしかにそれはシンジによくないか。レイ、あたし達も部屋に戻りましょ?」

 

 アスカに頷きを返し歩き出すレイ。その足取りは重い。疲れもあるが、何よりも痛感してしまったのだ。あの初号機との性能差を。実際乗ったアスカもだが、零号機を大破させ弐号機もそうしてしまったレイは余計に。

 

(今のままじゃ弐号機は足手まといだわ。何とかしないと……何とか……)

(参号機に乗り換えてもあの初号機には及ばない。このままじゃ碇君を助けられない……)

 

 シンジが無理矢理病院を抜け出して初号機で戦った事。それは二人にとって複雑な気持ちを抱かせるものだった。女としては嬉しい。そんな状態で自分達を助けようと来てくれたのだから。だが、パイロットとしては悔しかった。結局シンジに頼るしかなかった事が。それでも人としては、そんな彼の判断を尊重するつもりであったが。

 

「……今日は早く寝ましょ」

「ええ……」

 

 そこで会話は終わった。それは、アスカとレイが一緒に暮らし始めて初の短さだった……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。底力のLVが3上がった。勇者LV1を習得した。精神コマンド魂を覚えた。インパクトボルトが使えるようになった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第十九話「漢の戦い」完




インパクトボルト解禁。これは最初からゼルエル戦のとどめにしようと考えていました。でも、いきなりではいくら何でもと思い、レリエル戦で少しだけ顔見せしてからの使用となりました。……納得して頂けるか勢いで受け入れてもらえると幸いです。

勇者……LVに応じて命中・回避・クリティカル・装甲に補正がかかる。

魂……与える最終ダメージが2・5倍になる。


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第二十話 心の会話、人の対話

久しぶりの完全オリジナル話。……不安しかありません。


「もう一週間、か」

「ええ」

「シンジ、起きなかったわね」

「本当に記録更新だわ」

 

 病院からの帰り道。アスカとレイはどこか沈んだままの顔で足取り重く歩いていた。あの第十四使徒との戦いから既に一週間が経過。二人は退院し、日常生活へと戻っていた。参号機の起動実験は未だに先延ばしになっている。弐号機も大きくダメージを受け、初号機も専属パイロット不在では、万が一の際に手が打てないとの理由であった。

 

「せっかくあたし達が居る間に目を覚ましたら、感謝のキスでもしてやろうと思ったのに……」

「それ、ホントにしてた?」

「……内緒っ」

「ふふっ、そう」

 

 顔を少しだけ赤めてそっぽを向いたアスカに小さく笑うレイ。だが、その和やかな空気も長続きしない。あの使徒戦で痛感した気持ちが未だに二人を包んでいたのだ。

 

「……参号機、上手く起動出来るといいわね」

「そう、ね。そう願うわ。弐号機も早く直るといいのだけど」

「まだ無理そうね。初号機の方が優先だし」

 

 そこで二人は揃って足を止めて振り返る。遠くに見える病院の暗いままの窓。そこにいる眠り姫ならぬ眠り王子へ思いを馳せて。あの戦いでシンジは無茶を重ねた。気迫を使い、集中を使い、直感まで使用。更に見切りとガード、アタッカーの同時使用。それだけやった後に底力と魂の合わせ技を乗せたインパクトボルトである。その負荷は未だに彼の体を痛めつけていた。勿論、使徒との戦いによるダメージと疲労もそこに加えて。

 

「明日には、起きるかしら?」

「……起きて欲しい。碇君の声が聞きたい」

「そうね。あたしも同じ気持ちよ……」

 

 恋い焦がれる想い人。その声を、笑顔を、もう一度と。そんな強い想いを胸に少女達は病院を見つめ続けた。ただ無言で、その場に立ち尽くして……。

 

 

 

 静けさだけが存在する室内。そこでシンジはぼんやりと目を覚ます。暗闇の中で起きた彼は、寝惚けたままの頭で現状を把握しようと努めた。

 

(ここは……病院? そうか……僕は使徒と戦って……)

 

 瞬間、思い出される最後の記憶。使徒を飲み込む凄まじいエネルギーの奔流。直後起きる爆発と光。それらをたしかに思い出し、シンジは周囲へ視線を動かす。やがてその目が目当ての物を捉えた。

 

「午前五時……早朝じゃないか」

 

 現在時刻を確認した途端、再び睡魔が彼を襲う。それに抗う事も出来ず、シンジは再び瞼を閉じる。今はただ眠っていたいと、そう体の声を聞いたかのように。そして、彼は夢を見る。

 

 それは不思議な夢だった。幼い自分がガラス越しに何かを見つめている。その隣には白衣を着た女性が立っていて、更にどこか若々しいゲンドウの姿もそこにあった。だけど、何故か女性の顔は見えない。しっかりと見ているはずなのに見えないのだ。それが辛くて、苦しくて、寂しくて、シンジは泣きそうになりながら手を伸ばす。すると女性はその手をたしかに握り、優しく微笑んだ―――ような気がシンジにはした。

 

―――大丈夫。いつも私は傍にいるから。

 

 そこでシンジは目を覚ます。ふと目を動かせばカーテンの隙間から日の光が差し込んでいるのが見える。

 

「……朝、かな?」

 

 再び視線を動かし時計を見る。そこには午後一時半と表示されていた。

 

「…………とりあえず、ナースコールしよう」

 

 これまでの経験で目覚めた事を知らせるべきと判断し、シンジはあまり力の入らない腕でナースコールを押した。慌てて現れた医師から一週間以上も眠っていた事を聞かされ、彼は驚きよりも申し訳なさを感じてしまう。そんな風にシンジが診察を受けている頃、その目覚めはミサト達へも伝えられていた。

 

「シンジ君が!?」

「はい、先程病院から連絡がありました」

「あれから一週間と三十時間余り。最長記録ね。でも、よく起きてくれたわ」

 

 喜びを噛み締めるようにリツコが告げた言葉にミサト達も頷く。未だ第十四使徒との戦闘による傷跡は深く残っている。全壊させられた特殊装甲を始めとする本部の盾の再建、使徒の攻撃や初号機の攻撃で出来たジオフロントの穴など、まだまだ手を付けなければならない事は山とある。そんな中、久々の吉報なのだ。

 

「早速アスカとレイにも教えてあげましょ」

「レイへメールしておくわ」

「ん、よろしく」

「先輩、お見舞いはどういう順番で行きましょう?」

「そうね。まずはアスカとレイかしら。あの二人、最近気落ちしてるみたいだし」

 

 あの使徒戦から目に見えて二人は調子を落としていた。シンジが入院している事が大きな原因だろうと誰もが思っているが、それだけではないとはリツコさえもまだ気付けていない。それでも、シンジと話す事が出来れば多少上向くだろうと誰もが思っていたが。

 

「なら、その後にあたし達か。あー、そうそう。ないと思うけど一応日向君と青葉君には言っておくわ。くれぐれもエロ方面の差し入れはしないように。あのバカがそれに類するもんを渡してたみたいで、アスカとレイがこうなったんだから」

 

 言いながら両手の人差し指を伸ばし、頭の上に乗せるミサト。それだけで意味が分かったのだろう。彼ら二人は苦笑した。マヤは小声で「不潔……」と呟くもその表情は苦笑い。今、発令所にはゲンドウと冬月の姿はない。彼らは今ゼーレの呼び出しを受けている。当然先の戦闘における初号機の稼働時間についてだ。リツコが気付いたように、彼らも初号機がS2機関を搭載しているのではと考えた。だが、その疑問に対してゲンドウは至って正論をぶつけていたのだ。

 

「入手経路?」

「はい。仰る通り、あの初号機はケーブルを切断された後もその内部電源の稼働時間以上に動き続けています。そこからS2機関の存在を考えるのは理解出来ますが、ではそれは一体どこで手に入れるのでしょうか」

「そんなもの。無論使徒から」

「ですから、どうやって? ご存じの通り、あの初号機は使徒を倒すか無力化した途端姿を消します。そして、その戦闘データはこれまでお渡しした通りです。どこであの初号機が、もしくは初号機自体が使徒からS2機関を吸収していますか? もしご存じならば教えて頂きたい」

 

 はっきりと言い切るゲンドウにキール達は驚きを浮かべていた。何かが以前までのゲンドウと違うと、そう感じ取ったのだ。それは父性の輝き。シンジを息子として見つめ、また不器用ながらも父として愛情を注ぎ出した彼の変化であり成長であった。

 

「では碇。君はあれをどう考える?」

「報告書にあった通り、これまでの武装と同様に未知の技術で改良されていると見るべきでしょう。それとも、あれが補完計画が失敗した世界から来ているとでも?」

「っ! 碇!」

「お言葉ですが、今の皆様の意見を考えればそうなるでしょう。もし仮に補完が成功したのなら、何故エヴァが未だ存在しているのか。それも、あそこまでの強化を施して。しかも使徒からS2機関を吸収あるいは入手してまで。これを私は認めたくありませんな。仮に本当にあの初号機がS2機関を持っているとしても、です」

 

 その心の底から拒絶するような言葉にキール達は内心で安堵した。というのも、それまでのゲンドウは補完計画へ何やら不審な動きをしていると思われていたからだ。それは間違ってはいないのだが、唯一の違いがあるとすればゲンドウの心変わりだろうか。それまでの彼は自分のためにユイと再会する事だけを考えていた。それが、ここに来てシンジのためにもとなった。

 

(何としてでもシンジとユイを会わせてやりたい。あいつの成長した姿をユイにも……)

 

 そう、彼はある意味で一途で不器用。故にシンジが言った、彼から教えてもらえば我慢出来るとの言葉を覚えていながら、最初の出来る事なら会ってみたいと言葉を叶えてやりたいと考えてもいたのだ。そのためには何としてでも彼のシナリオを進める必要がある。故に、まだゼーレと事を構える事は避けたかった。だからこその言葉であり、気持ちである。

 

「……君の気持ちはよく分かった。たしかにそうだ。あの初号機がS2機関を搭載しているなどと認めるのは、自ら計画の失敗を認めるようなものか」

「そうです。もしかすると、内部電源だけは基の初号機と併用しているかもしれません。参号機との戦いで実証された通り、あの初号機とこちらの初号機は連動していますから。それならば実質二つの電源です」

「ふむ、その可能性は捨てきれんか。ともかく、あの初号機は未だに謎が多すぎる」

「おかげでこちらも苦労が絶えません。それでも、あれにまだ縋るしかないのですが……」

 

 その冬月の言葉に誰もが深く頷く。未知の存在に頼る事はとてつもない不安と恐怖を与える。何故なら、いつそれが自分達へ牙を剥くか分からないからだ。それをゲンドウも冬月も分かっている。だからこそ、二人はこう考えていた。使徒が出なくなった時こそあの初号機へゼーレが牙を剥くだろうと。

 

「して碇、参号機の起動はどうなっている?」

 

 キールのその問いかけにゲンドウはどこか困った表情を浮かべた。

 

「それが、未だに初号機も弐号機も修復が終わっていません。なので万一を考え延期している状況です」

「コアを取り換えるので大丈夫だと思われますが、どのような形で使徒が息を潜めているとも限りませんので」

「……ふむ、それもそうか。しかし、これまでの事を考えれば使徒は強化の一途を辿っている。エヴァの数を減らすのは不安が増すだけだ」

「心得ております。ご安心ください。必ずや使徒は全て倒してみせます」

 

 そこでゲンドウは小さく呼吸し、キール達を見つめて言い切った。

 

―――そのためのネルフです。

 

 

 

 シンジが目覚めた翌日の朝。ベッドに横たわるシンジを見下ろすように見つめる二つの眼差しがあった。そこに込められたのは安堵と喜び、そして少々の怒り。

 

「ほんっ…………っとうに心配したんだから」

「ごめん」

「私達も数日入院したけど、碇君は一度も目を覚まさなかったから」

「らしいね。本当にごめん」

 

 力無く答えるシンジにアスカとレイは心を痛める。目を覚ましたはいいものの、あの戦闘によるダメージは想像以上にシンジを傷付けていたらしく、今の彼は腕を動かすので精一杯。とてもではないが歩くどころか起き上がる事さえ自力では出来ない程に弱っていたのだ。

 

「でも、本当に良かった。シンジが、目を……覚ましてくれてっ!」

「ええ。本当に……良かった……っ!」

 

 死んでしまうのではないか。その気持ちがずっと彼女達の胸の中で渦巻いていたのだ。見せてもらった今回の戦闘記録。その最後の光景が、二人には命の輝きを放出しているようにも見えたからだ。だからこそ感極まった。恋する相手が生きていてくれた事。それに遂にアスカとレイは涙を見せたのだ。あの第十二使徒戦でのやり取り。それを頭の片隅で思い出しながら。

 

「アスカ……綾波……泣かないでよ。二人に泣かれると……僕まで……」

 

 くしゃくしゃの泣き顔を見せるアスカ。微笑みながら涙を流すレイ。そんな二人を見て、シンジも自然と瞳が潤み出して、やがてそれが溢れ出すのは当然と言えた。しばらく病室に湿っぽい空気が流れる。それでも、今は誰も不満などなかった。また生きて会えた。また言葉を交わす事が出来る。生の喜びを噛み締めるように三人は涙した。そして泣きながら三人はその衝動の根底を悟る。

 

(ああ、やっぱり僕はアスカと綾波が好きなんだ。だからあんな怖い使徒とも戦えた。きっとインパクトボルトが使えるようになったのも、絶対二人を、みんなを失いたくないって思ったからだ……)

(やっぱり、やっぱりあたしシンジが好き。どうしようもなく好き。病院抜け出してエヴァに乗る無茶なとこも、普段は大人しくてちょっと情けない感じも、いざって時はとってもカッコイイとこも、全部大好きっ!)

(失いたくない。碇君を、アスカを、お母さんを、全ての絆を。でも、きっとこの涙は私が一番好きなものが碇君だから流れるのね。そう、これが好きの最上級の気持ち。大好き、なんだわ)

 

 涙を拭うアスカとレイ。対して拭いたくても拭えないシンジ。その事に気付き、無意識で二人が動いた。そして示し合わせた訳でもなく、それぞれが同時にシンジの両目の涙を優しく拭う。まだあのシンクロ訓練の影響は残っているようだ。その事に気付き、アスカとレイは一度だけ互いの顔を見合わせ、小さく笑みを浮かべる。それは悪戯な笑み。

 

「レイ、アレやるわ」

「分かったわ。なら私も」

 

 アスカの言葉に頷き、レイは何故かその場から動いてベッドを挟んだ反対側へ。何をするんだとシンジが思っていると、二人はその頬へそっと口付けた。

 

「え……?」

「命懸けで助けてくれたお礼よ」

「それと、生きて帰ってくれたお礼」

「「おかえりなさい、シンジ(碇君)」」

 

 それは、あのサルベージ後に言ってあげたかった言葉。そして、本当ならば今回の使徒戦直後にしてあげたかった行為。そこにはっきりとした恋慕を乗せて、二人の乙女は天使の笑顔で少年を出迎えた。

 

「……二人共、ありがとう」

「それは嬉しいけど……」

「碇君、返事が違うわ」

 

 その瞬間、シンジに甦るあの日の記憶。ミサトとの家族ごっこが始まりを告げた日の、かけがえのない思い出。また彼の視界が滲み出す。それでも悲しい顔ではなく嬉しい顔を見せ、彼は告げた。

 

「ただいま、アスカ。ただいま、綾波。僕は今、とっても幸せだよ。うん、世界中で一番幸せ者だ」

 

 噛み締める。幸せを、喜びを、感謝を。あの加持の言葉がシンジの頭を過ぎる。本気なら隠すな。だけど、まだ言う事は出来ない。何も怖いからではない。彼も男だ。愛の告白ぐらいはしっかり地に足を着け、OKをもらえた時に抱き締めるぐらいしたいと思っている。そして同時に、ない事を願っているが、二人が断る時に備えて体調を万全にしておきたいとも。こうしてすっかり男気に目覚めつつある少年だったが、そんな彼でも忘れている事があった。いや、正確にはそこまで感覚が鈍っていたのだろう。

 

「アスカ、これは何だと思う?」

「は? 何よこれ……って……」

 

 レイが見つけたのは、健全な青少年であり生死の境を彷徨ったシンジからすれば当然の現象。何せ想いを寄せる少女二人からキスされたのだ。アスカもそれは分かっているのだが、それでもやはり彼女とて十四歳の乙女。ここで笑い飛ばせるだけの余裕はない。よって、この後に待っているのは……。

 

「シンジのエッチ! スケベっ!」

「こ、これは仕方ないだろぉ……」

「これはエッチなの?」

「とぉ~ってもっ!」

「あ、アスカぁ……」

「もうっ! 帰るわよレイ! お大事にね、シンジ!」

 

 取りつく島もなく病室から出て行こうとするアスカを追うようにレイも動き出すが、その足が一度だけ止まりシンジへ振り返った。

 

「その、お大事に。あと、碇君」

「……何?」

 

 アスカとレイに見られた事で精神的に死にそうなシンジであったが、それでも律儀に受け答えをしようとする辺りが彼らしい。そんな彼に頬を赤めながらレイはこう告げた。

 

―――そ、そういう事をしたいなら私の写真をあげるわ。

―――っ!?

 

 言うなり小走りに部屋を出て行くレイ。その背を目で追いながらシンジは再び硬くなる己の一部に気付き、恨めしい目でそれを見つめた。だけど、無理もないとも思うのだ。あれが出会った頃のレイならば動じる事も無かった。だが、今の彼女はその意味を理解している。その上でそう言ってくれた気持ちが嬉しいのだ。

 

「……早く体治そう。そして、ちゃんと言うんだ。アスカと綾波に……好きだって……」

 

 密かに固める決意と誓い。それは彼にとっては使徒戦よりも不安と恐怖が漂う行為。だからこそ正面から行こうとしていたのだ。隠し事のようにはしたくない。二人が自分へ想いの一端を見せてくれた以上、こちらもそれに応えるんだ。それがシンジの答えであり気持ちだった。例えそれが、自分の大切な少女二人と距離を作るとしても……。

 

 

 

 少女二人が去って数十分後、シンジの病室には二人の妙齢の美女と一人の男性が姿を見せていた。

 

「加持さんと一緒に来るとは思いませんでした」

「ま、たまたまよ」

「ええ、本当に。リョウちゃんもシンジ君が目を覚ましたって聞いて急いで来たの」

「俺も君を戦いへ連れ出した責任があるからな。でも、無事に帰ってきてくれて良かった」

 

 三人共に笑顔を浮かべシンジを優しく見つめる。その眼差しの温かさに彼はまた瞳が潤むのを感じた。それでも隠す事はしない。体に力が入らないのもあるが、何よりも今の自分に出来る気持ちの見せ方だと思ったからだ。

 

「ありがとうございます、加持さん。リツコさんとミサトさんも嬉しいです。僕、あの時みんなの声を聞いたんです。みんなが僕の事を呼んでくれて、父さんの声もしたと思います」

 

 シンジの噛み締めるような声に三人は声を失う。涙ながらの告白は、あの呼びかけが無駄ではなかったと教えていたのだ。更にゲンドウの声が最後の一押しとなった事も。だからミサト達も感じ入るものがあった。

 

(そう、伝わったんだわ。司令の、父親の想いが。これで私も彼の保護者卒業かしら? 今の二人なら、ちゃんとやっていけると、そう思えるわ)

(やはり何かあったのね。ゲンドウさんの変化はシンジ君によるもの、か。少しだけ嫉妬しちゃうわね。でも、良かった。シンジ君、君ならあの人を変えていけるわ。私と違って……ね)

(凛々しい男になったかと思えば歳相応の少年が顔を出す。これもまた彼の甘さでありらしさでもあり、か。俺の声も届いていたのかね? だとすれば、こんなに嬉しい事はない。俺にも戦う力があるって事だ。彼を支えるっていう、な)

 

 室内に流れる優しい空気。それでもミサトは小さく咳払いをする。きっとまだ本人から聞いていないだろうと思って。

 

「あのねシンちゃん。実はレイが参号機に乗り換える事になったの」

「…………そうですか」

「どこかで予想していたの?」

「いえ、でも前に三人で参号機の話をした時に、乗るなら僕よりも綾波の方がいいってアスカが言ったんです」

 

 以前アスカが言っていた事を思い出し、シンジはそう返した。本来であれば封印するべきは零号機。そして参号機は自分ではなくレイが乗るべきだと言う意見を。きっとそれがレイの判断の一因だろうと考え、シンジはその事に対して何も言わない事にした。今の彼女が誰かに言われたままで動くと思えなかったからである。

 

「そっか。アスカらしいわね。それで、初号機の修復が終わり次第起動実験をする事になっているの」

「初号機の? アスカが乗るんですか?」

「そうよ。以前彼女が乗っていても変化したから。万が一の際は可能性があると考えてね」

「ああ、それとなシンジ君。起動実験自体を早く行いたいのはネルフの意向ではあるんだが、本人達の強い要望でもあるって事を知っておいてくれ」

 

 加持の言い方でシンジは理解する。アスカとレイが何かに焦っている事を。それが自分の現状やその経緯にあると考え、彼は複雑な顔をした。無理もない。彼は好きな少女達を危険から助けたくて動いた。その結果が別の危険への扉を開いたとすれば心中穏やかではいられない。だが、シンジが二人の判断に文句を言う事はなかった。今彼が考えているような不安や心配など、あの二人はとっくにしていると思ったからだ。

 

(アスカと綾波が考えて動いた事だ。なら、僕は信じて体を休めるだけにしよう。ここで僕が何かしたら、それこそ二人に嫌われるかもしれない)

 

 いつかと同じだ。今の自分がするべきは二人の応援。そう思ってシンジは息を吐いた。

 

「分かりました。なら、二人に言っておいてください。信じてるからって」

「信じてる、ね。分かった。伝えておくわ」

「お願いします」

 

 一旦会話が終わる。そこで加持がミサトとリツコへ目配せした。すると二人が苦笑しながら部屋を出て行く。何事かと思ってシンジがその背を見送っていると、加持が椅子へ座って彼を見つめた。

 

「シンジ君、今の君になら話しても大丈夫だと思うから話すんだが、碇司令の目的は君のお母さんとの再会だ」

「母さんとの……再会?」

「ああ。詳しい事は本人に聞いてくれ。初号機をあの人が特別視する理由もそれに関係している」

「母さんと……初号機が……」

 

 いきなり告げられた内容に混乱しつつも、どこかでシンジは納得していた。何せ彼はかつて聞かれたのだ。母に会えるとしたらどうするかと。あれはそういう事だったのかと思い、シンジは加持を見つめ返した。

 

「前に父さんに聞かれた事があるんです。もし母さんに会える可能性があるならどうするって」

「それで、君はどう答えた?」

「やれるだけやってみるって。だって、可能性があるんだからと思って」

「……そうか。言われてみればそうだよな。俺だって同じ事を考えるさ。愛する人ともう一度会えるのならってな」

 

 共感するような加持の言葉にシンジも頷く。彼だってもし仮に父やアスカかレイを失い、再会出来る方法があると言われれば手を出すからだ。

 

「でも、僕はもう父さんへ言ったんです。母さんには父さんの話や思い出で会えるからいいって」

「…………むしろそう言った君の成長を感じて余計会わせようと思うかもしれないな。何せ君のお母さんと司令が会えなくなったのは十年以上前だ。十年は長い。物心つく前の息子の成長した姿を一目見せてやりたいと、そう普通の親なら誰だって考える」

 

 真っ直ぐ彼の目を見て告げられた言葉にシンジは思わず胸が詰まる。あの父がそんな事を思ってくれているのかと。そして本当に母に会えるのかとも。そんな事を思い無言になったシンジを見て加持は複雑な心境でこう告げた。

 

「だからこそちゃんと君自身の目と耳で確かめてくれ。碇司令が何をどうやってそれを叶えようとしているのかを。俺やミサトじゃここまでが限界だ。リっちゃんももう司令とは距離を取っている。すまないが、君だけが司令の本音へ迫れるんだ」

「父さんの本音……」

「ああ。病床にいるのにこんな話をしてすまないな。だけど、もう今ぐらいしかないと思ったんだ。君に対して司令が父性を見せ始めた。そんな今だからこそ、君なら司令の心の内へ迫れると」

 

 言い切って加持は椅子から立ち上がる。その表情は気まずそうなものだった。彼とてこんな話をするつもりはなかったが、真実へ迫るには自分の目で確かめる事が出来ないものを攻略しなければならない以上、それが可能な相手を頼るより手がなかったのだ。

 

「いつその話をするかは君に任せるよ。出来ればいつか司令から話し出してくれるといいんだがね」

「……今度、父さんと一緒にお風呂に入る約束してるんです。背中、流すって」

「そうか」

「そこでそれとなく聞いてみます。父さんも、今なら深い話をしてくれそうだから」

「……その、別に無理しなくていいぞ? 今は君と司令の関係を」

「嫌われても構わないから言いたい事、聞きたい事を残さないように。これ、ミサトさんが僕に教えてくれました。おかげで父さんとやっと普通の親子みたいになれたんです。だから、僕は今回もこれを信じます」

 

 迷いなく言い切るシンジに、加持はどこか眩しそうなものを見るような眼差しを向ける。その輝きがおそらく周囲を変えていくのだろうと思って。まるで太陽だ。そう思いながら、彼はどこかでそれを否定する。何故ならかつての少年はこうではなかった。なら、彼をこうしたのは何だ。あるいは誰だ。その答えは加持の愛する女性である。

 

「うん、それならそれでもいい。君の人生だ。君の選択は必ず正しいはずだ。少なくても、その時点での君にとっては、な。反省はした方がいいが、後悔は出来るだけしないでいたいな、お互いに」

「はい。あと、好きな彼女を泣かせたくも」

「おや、どうやら下心から真心へ成長を始めたか?」

「分かりませんけど、やっと芽が出てくれました。花が咲くのを祈ってください」

 

 そのシンジの言い方に加持は苦笑し頷いた。そして彼も病室を出る。そこにはミサトが待ち構えていた。

 

「どう?」

「もう彼は子供じゃないよ。しかも、俺達のようなガキでもない」

「どういう事?」

「真っ当に成長してるって事さ。歪んでいたからこそ、真っ直ぐになり始めたら一直線だ。俺達は真っ直ぐになろうともしてなかった。そういう意味じゃ、俺達はちゃんとあの子の反面教師になれたんだな」

 

 歩き出す加持とミサト。その距離は触れ合う程近い。いや、既に触れ合っていた。その互いの指を絡め合いながら歩いているのだから。

 

「リっちゃんは?」

「先に帰ったわ。レイがお弁当作ってきてくれるんですって」

「へぇ、そりゃすごい」

「しかも今日学校お休みでしょ? 一緒に食べるんだそうよ。完全に仲良しになっちゃって……」

「あの使徒戦から姉妹みたいになったもんなぁ」

 

 その言葉に笑顔で頷くミサト。と、そこでマコトにシゲルとすれ違う。軽く会釈する二人へ苦笑いを返すミサトと軽く手を挙げて通り過ぎる加持。その去って行く男女を見送り、マコトは大きく息を吐いた。

 

「ま、その、何だ。これからシンジ君を見舞うんだ。お前が病人みたいになるなよ」

「分かってるさ。これで心の底から踏ん切りついた」

「おし、その意気だ。じゃ、行こう」

「ああ」

 

 この後二人の見舞いを受けたシンジは喜びを見せた。何せある意味で気を遣う必要がない二人だったからだ。完全に男同士という事もあり、彼ら三人はアスカで言うスケベな話などもしつつ時間を過ごす。

 

―――で、シンジ君的にはアスカとレイならどっちだ?

―――そ、それは……両方です。

―――正直だなぁ。なら、葛城さんと赤木さんなら?

―――……両方。

―――いいねいいね。正直で結構。

―――そういう青葉はどっちなんだ? 葛城三佐か赤木博士なら。

―――俺? そうだなぁ……。

 

 加持とは違う二人の男性。こうしてゆっくり話す事は初めてだったが、シンジにとってマコトとシゲルは近所のお兄さんという印象を与えた。加持が大人の男性なら、二人は年上ではあるがまだ歳の近い感じの男性だった。

 

(青葉さんも日向さんもオペレーターとしてしか知らなかったけど、こんな感じの人達だったんだ……)

 

 いつの間にか話はマコトの失恋話となり、シンジとしては失礼ながらも興味を引く話題であった。渋々話すマコトだったが、最後にシンジへこう言うのを忘れなかった。

 

「いいかいシンジ君。ダメで元々って言葉は大事だ。何せ、俺は何も言えなかった。だから今の結果になったと思う。例え言っても同じだったかもしれないけど、言えば何か変わったかもしれないからね」

「そうそう。だから、例え振られるとしてもだ。可能性を信じて行動するのは大事って事さ。この前の戦いみたいに、な」

「……はい。僕もそう思います。日向さんの教えを守って、失恋するならやれる事はやってから振られようと」

「「ああ、頑張れ」」

 

 期せずして声が重なった事にシンジが吹き出し、シゲルとマコトもそれに笑い出す。そこで時間が昼近くになった事もあり、二人は退室する事に。マコトとシゲルに礼を言いつつ、シンジはその背を見送った。再び訪れる静寂。だけど、以前のような寂しさは無かった。今回は、今まで以上に見舞いの品が多かったからだ。アスカとレイは言うまでもなく、ミサトにリツコ、加持のもある。更にシゲルとマコトが持って来た物も。定番の物から変わった物まであるそれらを見つめてシンジは微笑む。

 

「これじゃ、また父さんが花の置き場がないって困っちゃうな……」

 

 その声はどう聞いてもゲンドウが来る事を疑っていないものだった……。

 

 

 

「何だか久しぶりですね、ここまで静かなの」

 

 あの使徒戦から既に二週間近くが経過しようとしていた。シンジの退院も決まり、あの戦いの傷跡もかなり癒えてはきている。マヤもそんな周囲の良い変化に当てられたかのように上機嫌だった。一方、話を振られたマコトは微妙な顔をしている。あのシンジを見舞った日、彼は少年に教訓めいた事を言ったものの、やはりまだ傷は癒えてはいない。むしろやっとはっきり傷を負ったのだ。

 

「そうだね。でも、これが普通になってくれるのが一番なんだよなぁ」

「あっ、そうですね。というか、また何かあったんですか?」

「……言うなればやっと振られたってとこかな」

 

 疲れた声で返すマコトにマヤは一瞬息を呑む。いつかの時よりも気落ちしているのが分かったからだ。そして、その原因も何となく察する事が出来た。

 

(きっとどこかで葛城さん達を見たんだ。だからはっきり認識して……)

 

 チラリとマコトの表情を窺うマヤ。彼の顔はマヤにより思い出させられた事もあり、より生気が失せていた。それに思わず責任を感じて彼女は立ち上がった。

 

「あ、あのっ!」

「……どうかした?」

「こ、コーヒーでも飲みますか? 私、淹れてきます」

「……お願いするよ。ミルクと砂糖も頼んでいいかな?」

「はい、一本でいいですか?」

「今日は二本……いや三本にする。苦いのはしばらく勘弁だ」

 

 力なく苦笑するマコトにマヤはどう返せば分からず困り顔。そして素早くコーヒーを淹れるために移動開始。残される形となったマコトはマヤの背を見送ってから頭を抱えた。

 

「何やってんだ……。彼女に気を遣わせてどうする……」

 

 そんな事だから振られるんだと、そう心の中で付け加え彼は大きなため息を吐いた。こんな事ならシゲルとの方が楽だったのにとまで考えたところで、発令所にコーヒーの香りが漂い始める。それに少しだけ気持ちが落ち着くのを覚え、マコトは香りのする方へ視線を向けた。やがて二つの紙コップを持ってマヤが姿を見せる。

 

「どうぞ、日向二尉」

「ありがとう」

「いえ」

 

 受け取ったコーヒーを早速飲み始めるマコトだったが、当然のようにその温度は熱いため……。

 

「熱っ!」

「ふふっ、コーヒーは逃げませんからゆっくり飲んでください」

「……そう、だね」

「あっ、その、そういう意味じゃ……」

「いや、いいんだ。今のはこっちが過剰反応しただけだし」

 

 それぞれに失言したと思った二人だったが、ふとマヤの視線がマコトのコンソールへ向いた。そこにはあの使徒の行った攻撃法とこれまでの使徒との比較したものが表示されていたのだ。

 

「これ……」

「ん? ああ、これ? いや、今回の使徒は初号機が戦った使徒の能力を有していただろ? だから、その比較をしてどれだけ強化されたか。あるいは変化したのかを調べようと思ったんだ」

「どうしてですか?」

「今回、あの初号機でさえ切り札のような攻撃を使わざるを得なかった。葛城三佐や赤木博士はもう正攻法の使徒は出ないと踏んでるみたいだけど、もしあれ以上の使徒が出たらと思ってね。エヴァの強化は容易じゃないなら、せめて傾向と対策ぐらいはと」

 

 先程までとは一転して凛々しさを表情に見せるマコト。そう、それはあの自販機前でのシゲルとの会話で言った”決めるとこで決める”ための仕事だった。今更遅いが、それは自分の恋愛にとってだ。これからも戦うシンジ達にとっては十分間に合う。そう思って彼は独自にその作業を始めていた。

 

「……こんなに威力が上がっているんですね」

「まだおおよそだけどね。あの初号機じゃなければあの攻撃で終わっていた。いや、もっと言えばあの初号機じゃなければとっくにこっちは負けていたかもしれない」

「ですね。私もそう思います。第三使徒にだって苦戦したはずです」

「ああ。あれはシンジ君もまだエヴァの事を何も分からず戦った時だ。正直ぞっとするよ。この作業を始めて知ったんだけど、あの使徒の腕から出ていた杭のような攻撃、分かる?」

「はい、あの初号機がフィールドで平然と弾いていた攻撃ですよね?」

「……あれは従来の初号機ならあっさり貫通している。既にその時点でシンジ君は危篤状態だ」

 

 告げられた事実にマヤが絶句する。何せその攻撃は初号機の頭部を集中して狙っていたからだ。

 

「じゃ、どうしてあの使徒はそれを使わなかったんでしょう?」

「あの使徒が多用したのは目を光らせての光線だ。おそらくだけど、元々持っていた能力へ第三使徒の能力を付加してより強化したんだと思う」

「……多様性は他の使徒で得られるから、重複する能力は強化する事を選んだ?」

「じゃないかな。事実、弐号機をパイロット達ごと行動不能へしたのもあの攻撃だ」

 

 そこでマコトはコーヒーへ口をつける。少しだけ熱を失ったそれは、飲み易い温度となりつつあった。その甘さと微かな苦みに息を吐きつつ、彼はマヤへ視線を向ける。

 

「あの荷電粒子砲は二回しか使用していない点も考えれば、使い勝手は光線の方が上だったんだ。威力、使用可能時間などの総合力で」

「もしくは、あれが使徒の奥の手だったのかもしれません」

「あり得るね。思えば使徒があの攻撃を放ったのは初号機が賭けに出た時だった。このままではやられると思ったからこそ抜いたんだ」

「切り札……」

「ああ、本気であの時は僕らも諦めそうだった」

 

 初号機が地面に叩き付けられた時を思い出したのか、マコトは苦しげな顔をした。マヤも同じような顔で頷いた。初めての感覚だったのだ。それまで何があっても使徒へ勝利してきた初号機が、為す術なく傷付き倒れたのは。

 

「だからこそ葛城三佐の行動には驚いたよ」

「全力での呼びかけ、ですもんね」

 

 揃って苦笑する二人。だが、それが切っ掛けでシンジは再起し、見事使徒を撃破するのだから世の中は分からないものである。それを二人も思って小さく息を吐いた。

 

「今回の事で一つだけ思った事がある」

「何ですか?」

「ん。最後はやっぱり気持ちなんだってね。確率とか可能性じゃない。不可能と言われても出来ると信じて動く事。諦めないって事は大事なんだって」

 

 噛み締めるように答え、マコトは残ったコーヒーを飲み干した。更に、その空になった紙コップをマヤへ差し出し、こう締め括る。

 

―――僕も再起してみるよ。今度はいい恋、出来るようにね。コーヒー、ありがとう。

 

 差し出された紙コップを見て少しだけ躊躇するも、マヤは小さく息を吐いて受け取り、コンソールへ向き直ったマコトを見つめる。その横顔に最初のような影がない事を見て彼女は小さく微笑み、彼女も残っていたコーヒーを飲み干した。

 

(日向二尉って分かり易いなぁ……。それに、私も男の人が口をつけた紙コップ受け取れるなんて……成長、かな?)

 

 そんな事を思いながら彼女は二つの紙コップをゴミ箱へ捨てる。そして一度だけマコトの方を振り返った。

 

「いい恋、かぁ。私もしてみたいな、そういうの」

 

 彼女はやや同性愛者の傾向がある。それは彼女に潔癖症のきらいがあるからなのだが、それにも若干の変化が現れ始めていた。その一因にはリツコの変化がある。彼女が成長しレイとの関係を深めた事でマヤへも頼りになる後輩としてしか接しないようになったのだ。だからマヤもリツコへの尊敬と敬愛は強くなっても、それが度を過ぎる事はなかった。そこへ来て周囲の、主にシンジやミサト絡みの恋愛模様だ。否応なく異性愛を意識し、しかもそれらが幸せそうなら余計だろう。こうしてどこか少女漫画な世界にいた彼女も、やっと現実の汚れや苦さを直視出来るようになりつつあった。

 

 こんなところでも小さな変化が起きていた。いい恋を出来るようにと動く男と、いい恋がしてみたいと思う女。願わくば彼らの道に良き恋が訪れん事を……。

 

 

 

 ペンを動かす音が響く室内。まるで流れるように動くペンだが、それが急に止まる。しばらく動く事ないペン。すると今度は消しゴムが動き出す。そしてまたペンが動き出す。

 

「……これで、終わり」

 

 大きく息を吐くシンジの前にあるのは学校の課題。アスカとレイが見舞いの度に持ってくるものだ。目覚めた当初こそ見舞いの連続だったが、それも三日すれば落ち着くもの。もっとも、それが自分への気遣いだとシンジも分かっている。故にもう寂しいとは思わないのだ。それに、そう思わない理由はもう一つある。

 

「今日もアスカと綾波が来てくれた。本当に、そういう事でいいんだよね?」

 

 思わず顔がにやけるシンジだが、それも無理はないだろう。毎日見舞いに来てくれるだけではない。何せ、あの翌日にはレイが本当に自分の写真を持って来たのだ。しかも、あの温泉で見せてくれた水着姿の。それがレイなりのそういう用途での写真という事だろうと思い、シンジは有難く受け取った。使用はさすがに出来なかった。かなりの葛藤があったのは事実であったが。問題はその次の日だ。何と今度はアスカから同じく温泉で見た水着の写真を手渡されたのだ。

 

―――こ、これって……。

―――あの写真、誰が撮ったと思ってんのよ。ま、まぁ? シンジも男だし、溜め込むのも体に良くないって聞いたから。

―――その……ありがとう。でも綾波のもそうだけど、そういう事には使わないから。

―――……何でよ?

―――えっと……だ、大事な人だから?

―――っ!?

 

 こういうやり取りを経て、シンジの枕の下には二枚の写真があった。世界に一枚しかない、彼のための写真。大好きな二人の少女からの、ある意味でこの上ない愛の贈り物。

 

「明日で退院か。今までで一番長い入院になっちゃったな」

 

 不安なのはミサトの部屋の状況。何せ二週間以上も掃除出来ていないのだ。下手をすれば彼が初めて訪れた時まで後退している事も考えられる。

 

「……加持さんに期待するしかない」

 

 彼氏である加持がミサトの部屋へ出入りしているのはシンジも知っていた。だからこそ最悪の状況だけは回避出来ると信じたいのだ。と、その時だった。ドアをノックする音がシンジの耳に聞こえてきたのは。時間を見れば面会時間ギリギリ。一体誰だろうと思い、シンジは首を傾げて返事をする。

 

「はい、どうぞ」

 

 声に反応して開かれるドア。そこにいたのはゲンドウだった。

 

「父さんっ!」

「静かにしろ。もう時間も遅い」

「あ、ごめん」

 

 思わず声が大きくなったシンジへゲンドウは少しだけ笑みを浮かべて注意する。それにシンジも恥ずかしそうに照れ笑いを返した。こうやってゲンドウが見舞いに来るのは二回目だった。一度目は生憎シンジが寝ている時だったので会話はしていない。ただ、置手紙があったのでシンジとしては嬉しかったが。ちなみにガーベラは今回五本に増えて花瓶へ活けられていた。

 

「明日退院だそうだな」

「うん、そうだよ」

「そうか。葛城君から聞いているか?」

「何を?」

「お前の住まいだ。その、今のお前と私なら一緒に暮らした方がいいと言われてな。葛城君はお前の気持ちで選んで欲しいと。望むのなら私と一緒に出来るぞ。どうする?」

 

 その問いかけにシンジは思わず目を瞬きさせる。本当にいいのかと、そう思って。その問いかけにミサトが笑顔で頷いてくれた気がした。

 

―――後悔しないようにね。

 

 即答しそうになるシンジだったが、そこで思い出すのだ。加持から聞いた話を。だから、まずはそれを出来る限りではっきりさせたい。そう思ってシンジはゲンドウを見つめた。

 

「えっと、その前に父さんに聞きたい事があるんだ。いいかな?」

「何だ?」

「その、初号機を大事にする理由を教えて欲しい」

「……何故だ?」

「その、変な夢を見たんだ。小さい僕がガラスみたいな物越しに何かを見てる夢。隣に白衣の女の人がいて、若い父さんもいた」

 

 明らかに夢の内容でゲンドウが息を呑んだのをシンジは見た。それでも眼差しは出来るだけ普段のままでゲンドウを見つめる。少しの沈黙が二人を包む。

 

「……それは、きっと母さんだ」

「そうなんだ。でも、夢だからか顔が見えなかった。あと、こんな事を言ってくれたんだ。大丈夫。いつも私は傍にいるからって」

 

 その言葉でゲンドウは完全に顔色を失った。それでもすぐに気を取り直したのだろう。一度だけ深呼吸をすると、シンジの目を見つめてしっかりとこう告げたのだ。

 

―――その話は時間がかかる。とりあえず、明日は葛城君の部屋へ帰れ。住む場所や今の話はまた都合をつける。

―――分かった。ありがとう、父さん。

 

 ゲンドウが逃げずに話してくれる事が嬉しく、シンジは笑顔を見せる。その笑顔にゲンドウも微かに笑ってくれたような気がシンジにはした。こうしてこの日は会話も終わる。だが、去り際にゲンドウから「ゆっくり休め」と言われた事にシンジは嬉しく思って頷いた。碇親子の止まっていた時間は、ゆっくりと動き出していたのだ……。

 

 

 

「いよいよね」

「ええ、上手くいく事を願っているわ」

 

 参号機が映し出されたモニタを見つめ、ミサトとリツコは心からその成功を祈っていた。遂に参号機の起動実験が行われる事になったためである。既にレイはエントリープラグ内。アスカが乗る初号機がその近くで万一に備えて待機していた。

 

「レイ、どう? 今のところ違和感はない?」

『はい、問題ありません』

「マヤ、反応の方は?」

「パターン青は検出されません。大丈夫のようです」

 

 その言葉に誰もが息を吐いた。これで参号機はエヴァとして運用出来る事になる。まだ不安が完全に消えた訳ではないが、こうなった以上は使っていくしかないと誰もが思っていた。

 

「これで実験は終了?」

「いえ、まだよ。レイ、軽く動かしてみて」

『分かりました』

 

 その場で腕や足を動かす参号機。何も問題はないように見えるその動きに、ミサトとリツコは内心胸を撫で下ろした。未だ弐号機は戦闘配備出来ない。更にシンジも退院するとは言え、すぐに戦闘へ駆り出すのも気が引ける。そうなれば、現状のネルフは戦力が著しく低下する事になるからだ。

 

「……どうやら心配なさそうね」

「そのようだわ。レイ、もういいから。上がって頂戴」

『了解』

「これで初号機、弐号機、参号機と実戦型エヴァが揃い踏みですね」

「それがいいかどうかは分からないけど……ね」

 

 どこか嬉しそうなマヤへリツコがそう返して息を吐いた。その視線の先では参号機と初号機が向き合っている。

 

『何も起きなかったみたいね』

「ええ、そうみたい。これで私もまた戦える」

『あたしは……どうしようかな?』

「弐号機が直るまでは碇君と一緒に初号機へ乗るのは?」

『……それで変化しなくなったらどうするのよ?』

「でも見てるだけは嫌でしょ? 私はそうだった」

 

 実体験を経たレイの声にアスカは返す言葉がない。事実そうだったからだ。それに弐号機が直ったとしても、彼女はまだある種の不安というか焦りが残っている。それも含めてレイは理解していた。何故なら彼女もそうだからだ。

 

「何か強みを持たないといけないかもしれない」

『強み……』

「そう。参号機しか出来ない事や弐号機しか出来ない事。例えそれが使徒に通用しなくてもいい。何か初号機の、碇君の役に立てるなら」

『弐号機しか出来ない事、か……』

 

 言ってアスカは考える。何かそんな事があるのかと。だが、エヴァのスペックを熟知している彼女は即座にないと判断した。が、それは彼女のパイロットとしての部分だ。女の部分は何か捻り出せと思考を続ける。嫌だったのだ。もうシンジだけが傷付くのが。あの第十三使徒との戦いで思い出した彼女のトラウマ。それを二度と繰り返さないためにもと。

 

(あの使徒みたいなのがまた出て来たら、今度こそシンジが死ぬかもしれない。なら、あたしの出来る事は何? あたしにしか出来ない事は何? まずそれを見つけなくちゃ……)

(参号機は一度使徒に乗っ取られた。なら、もしかするとこの機体には使徒の力が残ってるかもしれない。仮にそれがあるとして、私に使える? いえ、使ってみせる。じゃないと碇君やアスカを守れないかもしれない……)

 

 互いに思うは今ここにいない少年の事。そしてレイはアスカの事も。彼もそうだが、彼女達もまた知らず真心へと成長させ始めていた。恋さえまだ終えていないのに。いや、ある意味では恋をしていたのだろう。これまでの日々で、時間で。それがあの使徒戦で大きく変わった。自らの体を顧みず、彼が初号機で弐号機を助けに現れたあの瞬間から。それを知った時から二人の恋は愛へと変わり出したのだろう。下心ではなく真心。見返りを求めるのではなくただ与えるだけの気持ち。それを少年が命懸けで示した事で。あるいは、あの病室でのやり取り。何があっても中立とシンジが言った時こそ恋の終わりと愛の始まりだったのかもしれない。

 

「一緒に考えましょう、アスカ。きっと何か見つかるわ」

『そうね。一緒に考えますか。力で戦えないなら知恵で戦うだけよ』

 

 幾分か明るさを戻した声にレイは笑みを浮かべる。二人は知らない。それこそがまさしく使徒への人間の戦い方だと。そして、それを覆してきたのがあの初号機だとも……。

 

 

 

 参号機の起動実験が終わった頃、シンジは何をするでもなくミサトの部屋にある自室で休んでいた。本当は起動実験を見学しに行こうとしたのだが、全員から止められたのだ。まだ病み上がりなのだからゆっくり休めと。それが前日のゲンドウの言葉と同じだった事で、彼も渋々ではあったが従ったのだ。

 

「……暇だな」

 

 既に課題も全て片付け、体も本調子とは言わないまでもかなり回復している。どうしたものかと、そう思った時ふとシンジはある物を思い出して起き上がった。そして退院した際に持ってきた荷物の中からある物を取り出す。

 

「…………ダメだっ! ダメだっ! 綾波とアスカの気持ちだけで十分じゃないか!」

 

 手にした二枚の写真を眺めて沸き起こる衝動に首を横に振る少年だったが、今までの入院生活とこれまでの積み重ねは、年頃の男子中学生にとってそういう行為へ誘うのは当然とも言えるものだ。それでもかつてのピクニックの夜を思い出し、シンジは寸でのところで踏み止まる。しかし、それで欲求が消える訳ではない。

 

「掃除でもしよう」

 

 こうして彼は性的欲求を別のものへと昇華させる。一心不乱にリビングや風呂場、自室の掃除をしていくシンジ。と、その目がある場所を見て止まる。そこはミサトの自室。これまでであれば何の躊躇いもなく掃除出来たししてもいた。偶に下着が落ちていても小言を言うぐらいで対処出来た。

 

「……今日は止めておこう」

 

 絶対に良くない事になる。そう思ってシンジは掃除を終えてチェロを弾こうとリビングへそれを運ぶ。そして静かにチェロを弾き出したところで来客を告げる音がした。

 

「誰だろう?」

 

 ミサトは帰りが遅くなるかもしれないと言っていた事を思い出し、加持辺りだろうかと思いながら彼は来客を確かめ、自分の判断を褒め称えたくなった。

 

「アスカと綾波だ……」

 

 もし仮に衝動に任せていたら、きっと今日は会えなかっただろう。そう強く実感し彼は玄関を開けた。

 

「ハロー、シンジ。元気そうね」

「こんにちは碇君、上がってもいい?」

「アスカ、綾波、いらっしゃい。どうぞ上がって」

「「お邪魔します」」

 

 笑顔で部屋へと上がる二人だが、すぐにその目がある物へ止まる。

 

「これ、チェロじゃない。何? 練習してたの?」

「うん、やる事なくなってさ」

「碇君、これはどういう物?」

「楽器だよ。丁度いいや。なら、二人共座って。その、この前のお礼のお返しをするよ」

 

 やや照れながらシンジはチェロを弾き始める。それはとても優しい旋律。まるでシンジの二人への想いを乗せたかのような温かで安らぐ音色。二度目のアスカも初めてのレイも、共に微笑みが浮かぶような演奏だった。その音色が静かに余韻を残して消える。それを合図に二人は拍手をした。

 

「初めて聞いたけど良かったわ。碇君、その楽器弾くの上手いのね」

「うん、この前よりも良かった。あれから練習したの?」

「ありがとう。その、練習はしてないんだ。でも、それでも上手く聞こえたのは、きっと僕がある事を決めたからかもね」

 

 笑顔の二人へシンジはどこか緊張の面持ちで話し始める。それに彼女達は黙った。察したのだ。彼が何か大事な話をしようとしてると。

 

「えっと、本当はもっと早く言いたかった。だけど、入院してる時じゃアスカや綾波も本音を言い辛いかもしれないって思って先延ばしにしちゃったんだ。だから、今ここで言いたい」

 

 一旦言葉を切って深呼吸するシンジ。それにアスカとレイも思わず息を呑む。

 

―――僕は、二人が好きだ。本気で、綾波もアスカも大事にしたい。そんな僕で良かったら、付き合って欲しい。

 

 シンジはしっかりと二人を見つめて言い切った。凛々しくでもなく情けなくでもない。普段の彼のままで、人によっては最低と捉えかねない告白を。緊張がシンジを包む。言われた少女達は反射的にお互いを見つめ合って、彼からはよく表情が見えない。

 

(言っちゃった。でも、これでいいんだ。僕は本気だ。アスカも綾波も選べない。ううん、二人を選びたい。それがダメなら男らしく諦めよう)

 

 今にも目を閉じて逃げてしまいたい気持ちが少年を襲う。それを辛うじて押さえ付けながら彼は返事を、もっと言えば反応を待った。やがてアスカとレイがゆっくり頷き合い、俯いたまま静かにシンジへと近付いていく。まるで死刑執行のような感じを受け、彼は小さく喉を鳴らす。平手打ちされると思ったからだ。

 

「今の、本気なのよね?」

「う、うん……」

「もう撤回しない?」

「お、男に二言はないから」

 

 震えそうな体を何とか誤魔化し、シンジはそう返す。そして、次の瞬間二人が顔を上げて彼へ襲い掛かるように迫った。だが、シンジが感じたのは痛みでも苦しみでもなく……。

 

「あたし達二人を彼女にしたいとか、本当にバカシンジなんだから」

「でも、これで私とアスカがケンカしないで済むわ」

 

 二人の少女の温もりと柔らかさ。更に今まで嗅いだ事のない甘い匂いだった。抱き着かれている。そう理解して、シンジは喜びを噛み締めるようにゆっくりと彼女達の体を抱き締める。それに気付いて、二人もより強く抱き締めた。

 

―――言っといてなんだけど、本当にいいの?

―――じゃなかったらぶん殴ってるわよ。

―――ええ、平手打ちじゃ足りないわ。

 

 問いかける声も返す声もどちらも笑っている。嬉しいのだ。例え世間から見れば問題のある関係だとしても、今の彼らにとっては最善の形なのだから。やがてシンジは優しく二人を引き離す。何かと思ってアスカとレイが彼を見つめると、シンジは小さく深呼吸をしてこう言った。

 

「大好きだよ、アスカ、綾波。何があっても僕が絶対守るから」

「「っ!? シンジ(碇君)っ!」」

 

 いつか言った言葉。だけど、それよりも更に強く想いを込めて。あの日の言葉は同じエヴァパイロットとして。今日この日の言葉は男としての誓い。それが分かってアスカもレイも満面の笑みでシンジへ抱き着いた。加持の言った言葉をシンジは忘れていなかったのだ。複数を本気で愛するなら世間は好意的ではない。だからこそ改めて宣言したのだ。自分が二人の盾になるのだと、そう、男として……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが2上がった。精神コマンド勇気を覚えた。

 

新戦記エヴァンゲリオン第二十話「心の会話、人の対話」完




両手に花は現実で考えれば、少なくてもこの国では歓迎されません。これも学生のシンジ達だからこそ大きな問題にはなりませんが、成人した時にはまた考え直す時がくるのかもしれませんね。

勇気……加速、不屈、必中、直撃、気合、熱血の六つが同時に使用される精神コマンド。実は、これは二次αでガオガイガーの獅子王凱が習得する精神コマンドの複合だったりします。

加速……移動力を+3する。本作で考えるなら、サハクィエルの時に落下地点が分かった瞬間のスタートでも弐号機や零号機が間に合う感じ。

直撃……攻撃対象が持っている防御能力や防御機能を無視出来る。つまり、ラミエルやイスラフェルがマゴロクで一撃にされてしまう。

熱血……敵に与えるダメージが1・5倍。魂の下位互換。今作なら、これがあればラミエルは初戦で撃破されていました。

気合……気力を+10する。気迫の下位互換。


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第二十一話 アスカ、再誕

原作では過去と現在を繋ぐ話。重要かとも思いましたが、ある意味元の話一番のメインである要素が消えているのでオリジナル話。ただ、部分部分の過去は出て来ますが。


 参号機が起動し、アスカとレイがシンジの告白を受け彼女となった次の日、少年は父に呼び出されて司令室にいた。今までなかった椅子が用意されていて、そこに腰掛ける形でシンジはゲンドウと対面していた。

 

「さて、この前の話だが」

「うん、初号機と母さんについてだね」

「……お前が見た夢はきっと現実が下地になっている」

「どういう事?」

 

 シンジの問いかけにゲンドウは語り出す。それは、彼の妻がいなくなってしまった日の記憶。幼いシンジが最後に見た母の思い出。

 

「今から10年以上前になる。まだこの組織がネルフではなくゲヒルンと呼ばれていた頃の話だ。そこでお前の母さんは研究員をしていた。そして、彼女は幼いお前を連れ立ってここへやってきた。その日、ユイはある実験を行う事になっていたからだ」

「実験……」

「ああ。本来であれば幼いお前を連れて来る場所ではなかったが、ユイは、母さんはお前に見せたかったらしい。人の明るい未来というものを」

「人の、明るい未来……」

 

 一体何を母は見せたかったのだろうか。そう思うシンジへゲンドウは気付かれぬよう一度だけ小さく深呼吸をした。それだけ今から話す事は重みを持っていたからだ。

 

「ユイは、お前の母は初号機のコアの中にいる。それが私が初号機を失いたくないと言った理由だ」

「……母さんが、エヴァの中に?」

「ああ。おそらく今もあの中で生き続けている。遺体がないと言ったのはそういう事だ」

 

 そこでシンジはある事を思い出した。それはリツコがこれまでの中で見せた反応。初戦の後に聞いた声が女性で聞き覚えはないかと尋ねてきた事や、あの零号機とのシンクロ後にやや焦り気味な感じで色々と聞いてきた事。それらは彼女も知っていたからだと理解した。母がエヴァに取り込まれたからこそ、彼が聞いた声がユイではないのか。彼もエヴァへ取り込まれるのではないかと心配したのだろうと。

 

「その事、リツコさんも知ってるんだよね?」

「ああ、そうだ」

「……もしかして弐号機にはアスカのお母さんがいるとかないよね?」

 

 何気ない思いつきだった。もし自分が初号機に選ばれたとしたら、アスカが弐号機に選ばれたのもそういう事ではないかと思っただけ。だが、残念ながらこういう時程そんな勘は当たるもの。ゲンドウは一瞬息を呑んだのだ。そこでシンジも分かった。やはりそうなのだと。しかし、そう思った瞬間、一つの疑問が彼の中に生まれた。では、どうしてレイは零号機に選ばれたのだろうと。シンジのその疑問をゲンドウも気付いたのだろう。今まで見た事ない程の渋い顔をしていた。

 

「父さん、お願いだよ。僕に話せるのなら話して欲しい。隠し事をされるのはもう嫌なんだ」

「……しかし、これはお前にとっても気分のいい話ではない」

「それでもだよ。僕は父さんを信じるよ。どんな事をしてきたかは知らないけど、それは全部母さんのためなんだろうって」

「シンジ……」

「エヴァに人には言えない秘密があるのはもう何となく分かった。だけど、話せる事は話して。もう綾波の事も他人事じゃないんだ」

 

 その言葉に疑問符を浮かべるゲンドウへシンジは少しだけ照れを見せる。だけども、恥じる事なく告げたのだ。

 

「実は、アスカと綾波へ告白したんだ。それでOKをもらえて……」

「……レイとセカンドチルドレンを彼女にしたのか?」

「う、うん。いつまでそんな関係でいられるか分からないけど、僕は全力で守りたいと思う」

 

 驚きを見せたゲンドウへシンジは出来るだけ力強く自分の気持ちと考えを告げた。そこに男の覚悟を見たのか、ゲンドウは呆気に取られながらやがて笑い出した。その声にシンジは驚いて目を見開いた。あのゲンドウが声を出して笑ったからだ。

 

「と、父さん?」

「……すまんな。まさかお前がそこまでの男だとはな」

「どういう意味?」

「好きな女が二人いたとして、何とかどちらかを選ぶのが普通の男だ。だが、お前は違った。両方欲しいと願い、そのために勇気を出した。欲張らなければ片方は手に入るとしても、両方でなければ意味がないとな。お前はとんでもない大物か、あるいは大馬鹿のどちらかだな」

「そこまで言う事ないじゃないかぁ……」

 

 褒めているのか貶しているのか分からない言葉にシンジは拗ねるような声を返す。それにゲンドウは小さく笑い、同時にこう思った。まさしく自分の子供だと。ゲンドウはユイを失って片方だけを求めていた。だが、最近になって両方欲しいと欲張るようになった。自分のためだけではなく、シンジのためにユイとの再会をと。

 

「これは褒めているんだ。私ではそんな選択は出来ない。事実、私はつい最近までユイと再会する事ばかり考えていた。お前の事をまったく見てやれてなかった」

「父さん……」

 

 どこかで分かっていた事だった。それでもやはりゲンドウの口から言われると心にくるものがある。それでも、シンジは落ち込まない。何せゲンドウは言ったからだ。つい最近までと。ならば今は違うという事だ。その証拠にゲンドウは苦笑いを浮かべている。

 

「お前のおかげで私もようやく親らしくなれた。親は子と接する事で親になると聞いた事がある。そういう意味では、私を成長させてくれたのはお前だ」

「そんな事ないよ、父さん。僕だってたくさんの人達に支えられてここまで来たんだ。その中には父さんだっている。だから自信を持ってよ」

「……シンジ」

「そういう意味なら僕はずっと父さんの背中を見てきた。いつか追いついて振り向いてもらうために。やっと届いたんだね、僕の気持ち」

「っ……ああ、届いた。しっかりと、この心に」

 

 力強く頷くゲンドウにシンジも頷き返す。そのまま見つめ合う親子。と、そこでシンジはぼんやりと思い出す事があった。それは先程の話で出て来た状況。母が初号機のコアにいる事となった件だ。

 

「父さん、もしかして僕ってエヴァを見た事ある?」

「……ああ。ユイが実験を行ったのが初号機だからな」

 

 こうしてシンジの中で全てが繋がった。何故自分が初号機に乗れるのか。何故最初の出会いの際、落石から初号機が守ってくれたのか。そして時折聞こえる声はおそらく母ではないかとも。そこまで思えばシンジがこう問いかけるのは当然と言える。

 

「アスカのお母さんも母さんと同じ?」

「いや、彼女はサルベージされた。ただし、どうやら肉体だけで心までは完全にサルベージ出来なかったようだ」

「どういう事?」

 

 言っている意味がよく分からないシンジに対しゲンドウは表情を歪めた。この話は部外者である自分が話すよりも、シンジ自身が彼女としたアスカ本人から聞くべきと思ったのだろう。

 

「……それはセカンド、いやアスカ君から直接聞け。それぐらいこれは彼女の中で大きな問題だ。私にとってのユイ以上の喪失とも言える」

「父さんにとっての母さん以上……」

 

 それだけでシンジにもアスカの抱える問題の重さが分かった。だからこそ触れていいものかも迷う。そんな彼の葛藤を察してゲンドウは経験談から意見を送った。

 

「シンジ、迷うな。まずお前が知った事を彼女へ話せ。エヴァ初号機に自身の母が眠っていると。そこから彼女が話せばよし。話せなければ、お前から話を振ってやれ。彼女が弐号機に選ばれた理由も同じではないかとな」

「……僕とアスカは同じ理由でエヴァに選ばれたかもしれないって?」

「ああ。こちらとしてもそうとしか思えない。ユイやキョウコさんが自らの子供を呼んでいるんだろう」

 

 言い終わるとゲンドウは息を吐いた。彼は内心で驚いていたのだ。シンジの勘の鋭さにである。レイの選ばれた理由に何か重大な秘密があると察してくる辺りもだ。きっとかつての彼であれば面倒なと思っただろう。だが、今の彼にとっては嬉しい事だった。息子の成長を感じられる事。それが何よりの喜びだったのだから。故にこの話題が出て来た。

 

「ところでシンジ、今後の住まいはどうする?」

 

 間違いなくその問いかけにシンジはやや戸惑いを浮かべる。考えていなかった訳ではない。だが、一つ問題があったのだ。それを解決しない内はミサトの部屋を出る訳にはいかないとの気持ちが彼にあった。

 

「えっと、ゆくゆくは父さんと一緒に暮らしたい。でも、その前にミサトさんへ確かめないといけない事があるんだ」

「葛城君に? 一体何だ」

「その、ミサトさんは家事が苦手で僕がそれをやってるんだ。だから、僕がいなくなった後の事をね」

「……そういう事か。道理でお前からユイと似た雰囲気を感じる訳だ」

「え?」

「家の事をやる者は基本的に強い。何せその家の全てを押さえている。生活の胆を握っている者は、自然に自信と強さを身に着けるものだ。まぁ、お前の場合は他の成長がそれをより顕著にしたかもしれんが」

 

 やや小さく笑うゲンドウを見てシンジは悟る。おそらくゲンドウもユイにそういう面で抑えられていたのだろうと。だから自分にも弱いのかもしれない。そう考え、シンジは軽くため息を吐いた。どうやらどこに行っても自分の役割は同じようだと察して。

 

「父さん、ちなみに家事は?」

「…………察しの通りだ」

「はぁ……分かった。引っ越しするまでは無理だけど、一緒に暮らす事になったら引き受けるよ」

「……頼む」

「うん」

 

 こうして二人の話し合いは終わった。だが、シンジはしっかり釘を刺す事を忘れなかった。

 

―――綾波に関してもちゃんといつか話してね。

 

 忘れていないぞと、そうゲンドウへ告げたのである。その抜け目の無さにゲンドウは言葉に詰まり、一人になった司令室で天を仰いだ。しかし、その顔はどこか苦しそうに見える。レイに関する話こそ、アスカの母の話よりもシンジが嫌悪する可能性が高いものだったからだ。

 

―――嫌われるかもしれんな。だが、黙っているよりも話す方がいい。向き合ってくれたあいつにしてやれる、俺の唯一の事だからな。ユイ、お前もそう思ってくれるだろう?

 

 

 

 ゲンドウとの話し合いを終えたシンジは一人帰路に着こうとしていた。だが、その前にふと発令所へと足を伸ばす。それはあの見舞いへ来てくれた人達への礼をするためだ。久しぶりとなるその道を感慨深く歩きながら、彼はその中へと足を踏み入れた。

 

「こんにちは」

「あら? シンジ君?」

「もう体の具合はいいのか?」

 

 まず気付いたのはマヤ。続いてシゲル。マコトはそこにいなかった。それにミサトの姿もない。どこにいるのだろうと思いつつ、シンジは二人へ笑みを浮かべた。

 

「はい。こうして会うのは久しぶりですね、マヤさん、シゲルさん」

「ああ、そうだな。最後は病室だもんな」

「本当にここで会うのは久しぶりだね。今日はどうしたの?」

「えっと、父さんと今後の住まいについて相談を」

「ああ、葛城三佐が言ってたなぁ。もう自分が保護者する必要はないかもって」

「じゃ、シンジ君、司令と一緒に暮らすの?」

「まだですけど、いずれは」

 

 そう照れくさそうにシンジが答えると二人は小さく驚きつつ、嬉しそうに笑みを返した。彼らとしても二人きりの親子が共に暮らすようになる事は喜ばしかったのだ。何より、最近のゲンドウは、今までと違い実に血の通った人間らしく思えているために。

 

「そうか。良かったな」

「はい」

「司令も乗り気なの?」

「むしろ父さんの方がそうして欲しいそうです」

「「へぇ……」」

 

 心底意外とばかりの声を揃えるマヤとシゲルにシンジが堪らず笑う。そんな彼の笑いに二人も小さく笑った。そうやって笑い声が少し治まったところで、シンジは気になっていた事を尋ねた。

 

「あの、そういえばマコトさんとミサトさんは?」

「ああ、あいつはアスカとレイに協力を頼まれて第2実験棟」

「葛城三佐は先輩の研究室だよ」

 

 二人の答えに頷き、シンジは小首を傾げる。一体アスカとレイは何にマコトを協力させているのだろうと。その二人は第2実験棟で、マコトがやっていた作業の集大成である第十四使徒の攻撃法まとめを見ていた。あの後部屋で二人は話し合い、レイの参号機の強みに出来るかもしれない部分を聞いてアスカが思いついたのだ。

 

―――まずは使徒の攻撃から何か掴めるかもしれないわ。

―――……敵を知り己を知れば百戦危うからず?

―――ま、そんなようなもんよ。

 

 要するにレイが参号機で使徒の力を発現させた時に備え、具体例をしっかりイメージしようとしたのである。そこで早速とばかりにあの初号機を追い詰めた使徒戦の記録を貸してもらいに発令所を訪れ、話を聞いたミサトがマコトの作業を思い出し、それを伝える事で現状となっていた。第2実験棟には参号機と弐号機が運び込まれており、この思いつきをミサトやリツコが正式に承認した事がそこから窺える。

 

「こんなもんだけど、どうだい?」

「……やっぱ、参号機はあれよね」

「ええ。腕を増やすか再生能力」

「となると、実戦向きなのは腕増やし?」

「かしら」

 

 少女二人の話を聞いてマコトは腕を組んで考えた。もし仮に参号機が使徒の力を有しているなら、それは別の形ではないかとも思ったからである。あの増えた腕は使徒従来のものではないか。そう考えたからだ。

 

「待ってくれ。そう簡単な話じゃないかもしれないぞ。あの腕が元々の使徒の物なら今の参号機は再現出来ない。出来るとしたら、それはあまりいい事にならないだろうし」

「じゃ、どうしろって言うのよ?」

「まずは参号機の性能を確かめた方がいい。従来の性能より強化されている可能性は十分ある」

「そうね。日向二尉の言う通りだわ。基本性能から向上しているならそれもまた強み」

「ん。そう言われるとそうね。じゃ、レイはそれをやってて。あたしはもう少しこれを見て考えるわ」

「ええ」

 

 こうして二人はそれぞれで分かれて動き出す。アスカは一人映像とにらめっこ。レイはマコトにオペレートしてもらいながら参号機の性能を確かめていく。やはりというか、参号機は従来よりもそのフィールド強度や運動性などが向上しており、元々を上回るスペックを示した。

 

「日向二尉、どうですか?」

『ああ、これは凄いよ。あの初号機とは比べられないけど、それを抜けば完全一番の性能だ』

「そうですか。でも、それじゃダメ。あの初号機の援護や支援にはもっと何かが必要です」

『かもしれないね。だけど、まずは自分の事をしっかり考えるべきだ』

「自分?」

『そう。シンジ君が今回病院を抜け出してまであの使徒と戦ったのは、どうしてか分かるだろ?』

 

 その問いかけは今のレイにとっては顔を熱くする問い。大好きな彼氏が自分を守るために、あの約束を守るためにやってくれた行動なのだ。だからこそ、その答えもすぐ浮かんだ。

 

「私やアスカを守りたいから?」

『僕もそう思う。だから、まず君達は自分自身を守る事を第一に考えよう。そこから彼の援護や支援だ。現状シンジ君の乗る初号機が一番強い。その性能を十二分に使いこなして彼が戦うなら、その背を守るよりも自分達を守る方がよっぽど援護になる』

「……そうですね。でも」

『分かってる。守られるだけは嫌なんだよね。だけど、今の事を頭に入れて動くべきだ。まず君が自分を守る事。それが一番のシンジ君への援護だってね』

「はい」

 

 マコトの言葉でレイは思い出す。あの告白の際に言われた新たな誓いを。シンジは二人の盾になる事を改めて誓った。なら、それは戦闘でも同じ事。つまり、レイやアスカが無茶をすればそれをフォローするためにシンジが動いてしまう。こう考えればマコトの言った言葉は十分正解だった。

 

 一方でアスカはウンウンと唸りを上げそうなぐらい頭を回転させていた。第三使徒から第十三使徒までの攻撃。それらを見つめ何か役に立つものはないかと探していたからだ。だが、そんなものが簡単に見つかるはずもない。なのでならばと今度は初号機と第十四使徒の戦いを見つめる。しかし、そこにも現状を変える手がかりになりそうなものを見つけられない。

 

「……ダメだわ。一度発想を変えましょう。弐号機で出来そうな事じゃなく、出来たらいいなと思うものぐらいの感覚で」

 

 そう自分へ言い聞かせ、アスカは再度映像を見返していく。と、その目はある部分で見開いた。慌てて映像を戻し、その部分で停止させる。

 

「……これ、そんな事してたの?」

 

 彼女が見ているのはマコトの作った比較映像。その中の一つである、とある箇所だ。そこは第十四使徒が初号機へ遠距離攻撃を放っている場面。そこにはその攻撃が第十使徒と同じ原理であると説明されており、その内容がアスカの目を惹いたのだ。

 

「ATフィールドを打ち出して遠距離攻撃にしている……。距離などに威力を左右されず、空気抵抗などによる減衰もない。ATフィールドって、そんな風にも使えるのね……」

 

 まさしく発想の落とし穴。防御用のものだと思っていた物が、物理的に質量があるのだから攻撃にも転用出来ると、ここでアスカは知った。そして、それが分かれば聡明な彼女はある可能性へ行き着く。

 

「エヴァにも同じ事が出来るかもしれない……」

 

 思い立ったら即行動。アスカはマコトへと近付き、ある事を頼んだのだ。

 

―――今までの初号機関係の戦闘データ、全部見せて。

 

 その後、アスカは初戦から順に初号機の戦闘を見返していく。すると、その目が遂にあの光景を捉えたのだ。そう、第五使徒戦において初号機がやった風除けとしてのフィールドの使用法である。そこでアスカは確信した。間違いなくエヴァもフィールドを活用しての攻撃が可能だと。

 

「日向二尉、あたしも弐号機に乗るわ。ちょっと試してみたい事が出来たの」

「いいけど、何をするつもりだい?」

「上手く行けば弐号機は強みを持てる、とだけ言っておくわ」

 

 どこか嬉しそうに告げ、アスカもエヴァへと乗り込むべく動き出す。レイが参号機で見守る中、まだ片腕がないままの弐号機は残った腕を突き出すように構える。

 

「フィールドを掌へ収束させるイメージよ、アスカ……」

 

 目を閉じて自分へ言い聞かせるアスカ。それに呼応するように弐号機も静かに佇む。だが、マコトは計器の示す事に驚きを浮かべていた。弐号機のフィールドが、機体正面ではなく突き出した掌だけに展開されていたからだ。まるでフィールドを意識して展開させているようなそれに、彼は思わず唾を飲む。

 

「し、使徒が出来る事をエヴァも再現可能? それは……もしかして……」

 

 どこかで考えないようにしていた事だった。そもそもどうしてエヴァだけが使徒と同じフィールドを持つのか。その理由はある仮定をすれば至極簡単だったのだ。エヴァは使徒と同じ存在であると。マコトはそれに気づき、同時に疑問を抱いた。ではどうやってエヴァは生まれたかという事だ。そして、彼はそれを考える事が何に繋がるかも察した。

 

(これはきっと最高機密だ。僕がこれを調べ始めれば確実に目を付けられる。でも……)

 

 死の危険を感じ取りながら、マコトは目の前を見つめた。そこにいる二機のエヴァに乗る二人の少女の事を考えて。

 

「……だからってあの子達をそんな危険な物に乗せ続けていいのか?」

 

 自分への問いかけ。もっと言えば、彼自身の良心への問いかけであった。答えは当然NO。だが、だからといってすぐに動き出す程彼も愚かではない。この事に関して相談出来る相手がその頭に浮かんでいたのだ。それはミサト。当然と言えば当然の相手である。そしてこの決断こそが彼の命運を分けた。

 

 マコトがある決意を固めている目の前で、弐号機はその掌へ展開したフィールドをどうすればいいのか戸惑っていた。アスカも感覚で分かったのだ。フィールドが自分のイメージ通りに収束している事を。だが、そこからどうやって打ち出せばいいのかで困っていたのだ。

 

(どうしよう? 使徒はこれをどうやって打ち出していたの? 何か合図になるような動きはなかったし、やっぱり無理なの?)

 

 そう思った瞬間、彼女の頭の中へ微かに声が聞こえた。それは女性の声。

 

―――撃ち出す事を意識しなさい。

 

 どこか懐かしいような気もする声にアスカは微かに眉を動かすも、言われた通りに連想していく。

 

(撃ち出す……射撃……引き金を引く……)

 

 ぼんやりとしたものが次第に明確な像を作り出していく。アスカの中で掌は銃へと変わり、フィールドはそこに込められた弾丸と変わる。そして遂にその時は来た。

 

「フォイアッ!」

 

 声と共に掌から打ち出された収束フィールドは、見事に実験棟の特殊外壁を貫いてみせた。その威力にアスカだけでなくレイやマコトも言葉を失った。

 

『……アスカ、今のは?』

「……レイ、やったわ。これであたし達にもあの初号機と近い攻撃力が出せる」

『どういう事?』

「ATフィールドよ。それを収束させて攻撃に転用するの。第十四使徒や第十使徒みたいにね」

 

 噛み締めるようなアスカの言葉にレイは驚きながらもある判断を下した。それは実に彼女らしいものと言えるだろう。

 

―――なら、それはアスカが磨いて。私は別の方法で強みを作るわ。

―――どうしてよ?

―――同じ強みじゃ意味がない。私はこの参号機で足掻いてみる。私達の関係はじゃんけんでいたいから。

 

 その例えにアスカは反応に困り、ややあってからその意味を察した。使徒がどんな手を出してきても誰かがそれに勝てるようにする。あるいは有利に出来るようにするためと。だからレイはアスカの見つけた強みを彼女だけにし、自分は自分だけの強みを考える事にしたのだ。

 

「……レイって意外と強情よね」

『アスカに言われたくないわ』

「あら言うじゃない」

『ええ。だから仲良くなれたんだわ、私達』

 

 さらりと告げられた言葉にアスカは思わず言葉を忘れ、その後嬉しそうに笑い出した。その声を聞きながらレイもまた笑う。マコトはそんな二人のやり取りを聞きながら苦笑した。

 

「女の友情、か。大抵男が絡むと崩壊するもんだが……なぁ」

 

 むしろ男が絡む事で強くなるとは。そう思って彼も小さく笑った。気付いたのだろう。彼女達の友情の切っ掛けがその男だった事を。あの共同生活初日の事は彼らも知っている。故に分かったのだ。あの時のシンジが取った言動こそが今の根底を作ったのだと。と、そこで彼はある現実的な問題を思い出して頭を抱えた。

 

「これ、僕も始末書ものかなぁ……」

 

 それは、弐号機が特殊隔壁に作った実験棟の穴だった……。

 

 

 

「それでミサトさん達に呼び出し喰らってたんだ」

 

 本部から地上への長いエスカレーターでシンジは苦笑していた。彼の視線の先には不機嫌そうなアスカがいた。その隣には小さく笑みを浮かべるレイもいる。

 

「そうよ。ったく、おかげで新しいエヴァの攻撃法が出来たからいいじゃない」

「フィールドを収束してぶつける、かぁ。たしかに似たようなの使徒がやってたよ」

「それをアスカは参考にしたみたい。でも、まさか成功させるとは思わなかった」

「ああ、うん。あたしも同じ気持ちよ。何ていうか、出来る気がしたのよね……」

 

 ふと思い出す弐号機の中で聞いた声。あの瞬間、彼女は何故か懐かしさと安心感を覚えたのだ。だが、それがどうしてかまでは分からない。その苛立ちもあって、今のアスカはやや情緒不安定であった。それでも今の彼女には抜群の精神安定剤ともいえるものが存在している。その存在は不機嫌そうなアスカへ笑みを向けていた。

 

「とにかく、まずはおめでとうかな? それと、笑って欲しい。その、そういう顔も嫌いじゃないけど、僕は笑顔のアスカが一番好きだから」

「っ!? も、もう! 何言い出すのよ、このバカシンジっ!」

「アスカ、笑顔になってるわ」

「う、うるさいわねっ! 別にいいでしょ!」

 

 シンジから顔を背けるアスカだったが、そちらにはレイがいる。そのため彼女には丸分かりで結果としてシンジへも知られてしまう。それでも既に先程までの不機嫌さは消えていた。そう、アスカが一番嫌がる事は好きな人に見てもらえなくなる事。そういう意味で言えば、今のシンジの言葉はこの上ない特効薬だ。何せ、どんな彼女も見ているし好きだと言ってくれたのだから。

 

「でも碇君。アスカだけ?」

「あ、綾波もだよ? ええと、本当に。嘘とか誤魔化しじゃない。綾波も一番笑顔が好きだから」

「そう。なら信じるわ」

 

 柔らかい笑みを見せてシンジに返すレイ。そしてまるで示し合わせたかのように少女二人がシンジの手を掴む。それはいつかやった恋人繋ぎ。エスカレーターで上へ向かうシンジの一段下で、アスカとレイが笑顔を浮かべてその手を繋ぐ。その温もりが嬉しくてシンジは中央へ寄って二人へ笑みを向けた。それだけで二人は何かを悟り、小さく苦笑して彼の両隣へと足を踏み出す。

 

「ちょっと狭いわ」

「なら、こうすればいいのよ」

「あ、アスカ? これだとその……」

「碇君、嫌なの?」

「そうそう。嫌じゃないなら文句ないでしょ?」

「む、胸が当たってるんだよぉ」

 

 若干困るような情けない声を出すシンジだが、そんな彼へ二人の少女は顔を少しだけ赤めて同時に返した。

 

―――だから聞いてるでしょ? 嫌なの?

 

 見事に少年は沈黙し、少女二人もまた沈黙した。そのまま三人はエスカレーターが終わるまでそのままだった。それでも嫌がる事はなく、三人は手を繋ぎ続ける。

 

「そうだ。その、二人に聞いて欲しい事があるんだけどこれから部屋へ行ってもいいかな?」

「別にいいわよ。あっ、でもその前に買い物行っていい? もう牛乳が無くなりそうなの」

「アスカ、卵も。たしか今日は1パック御一人様100円だった」

「なら僕も買おうかな。で、今日は玉子料理にしようよ。僕が作るからさ。何がいい?」

「「じゃあチーズ多めのオムライスで」」

 

 揃って告げられたオーダーにシンジは少し言葉を失ってから微笑みを浮かべて頷いた。三人にとっての思い出のメニュー。そこからあの日々を思い出すシンジ。きっとアスカとレイもそうなのだろう。三人は揃って懐かしむように笑みを零し、そのまま街を歩き出す。あの時は手を繋いでもいなかった。ある時は手を繋いで動けなくなった。それが、今は平然と歩けるようになっている。それもゆっくりと揃いの速度で。シンジが引っ張るのでも、アスカとレイが引っ張るのでもない。三人揃って指を絡めて歩いていたのだ。

 

「ね、シンジ。聞いて欲しい事って何?」

「また告白?」

「えっと、ある意味告白であってるよ。愛のとかはつかないだけで」

「あら、別にいいのよ? 何度だってあたしやレイに愛を囁いてくれたって」

 

 どこかからかうようなアスカだが、今のシンジにそれは悪手と言えただろう。最早隠す事はしないと決めた彼には。

 

「あ、えっと……大好きだよアスカ、綾波。こ、これでいいかな?」

「……アスカ、気を付けてね」

「ええ、分かったわ。んもう! シンジがここまでバカシンジだなんて!」

「な、何だよ。アスカがああ言ったから僕は」

「碇君、そういうのは嬉しいけど場所を考えて欲しいわ。その、こういうところでは恥ずかしい……」

 

 顔を真っ赤にする少女二人。少年も多少赤いが二人程ではない。少女二人の反応に少しだけ憮然とする少年ではあったが、その本音は絡めた指が教えてくれているので文句は言えなかった。それと少しだけ寄せられた温もりも彼へ二人の気持ちを強くさせる。この温もりを守りたいと。一方で少女二人も少年から感じる確かな頼もしさにこう思っていた。この温もりに寄り掛かりたくはないと。

 

(アスカと綾波は僕が守るんだ。みんなが変な目で見るような関係にさせちゃったからこそ、僕が二人の盾になる。それが男の仕事だよね)

(何よもう。あの日からまたカッコよくなっちゃってさ。……あたし、ダメになりそう。シンジが頼もしくなればなるほど甘えたくなる。いいのかな? ダメなあたしでもシンジは受け止めてくれる? 好きでいてくれる? ……一度聞くだけ聞いてみよ。で、どちらにしても甘えきるのは止めておくわ。シンジのパートナーでいたいもの)

(碇君はやっぱり温かい。アスカとは違う温もり。お母さんとも違う温もり。これは何? 恋人の温もりは他の温もりとは違うの? ……分からない。今度お母さんに聞いてみよう)

 

 不意に三人はふと想う相手が気になり、それぞれ行動を起こす。シンジはその場で止まり、二人は彼へ視線を向ける。丁度シンジが足を止めた事もあり、二人が振り返る形となった。赤と青の瞳が少年を見つめる。その美しさに彼は魅入られた。対照的な少女二人。性格も瞳の色も正反対。だけど、そんな二人が揃って自分へ想いを寄せてくれている。それを改めて噛み締め、少年は笑顔を浮かべて問いかけた。

 

「何?」

「「っ!? 何でもないっ!」」

 

 これまでも心をときめかせてきた少年の笑顔。そこに紛れもない強い愛情が込められればどうなるか。答えは明白である。少女二人はその笑顔に一気に心拍数を上げ、直視できなくなって顔を背けたのだ。その反応にシンジは軽い驚きを見せるも、すぐに苦笑して絡めた指へ少しだけ力をこめた。

 

「そっか。じゃ、行こう。買い物しないといけないんだっけ」

「そ、そうね。行きましょう」

「ええ、碇君からオムライスの作り方、教えてもらいたいもの」

 

 少年の愛を感じて二人は小さく微笑む。こうして再び三人は動き出した。その伸びる影は重なり合い、まるで一つの大きな影のようになっていた……。

 

 

 

 いつかの時と同じ場所、同じ人間。それで行った料理と食事は三人にまた新しい感覚を与えていた。あの時は訓練でまだ三人は友人にもなっていなかった。それが今は友人どころか恋人である。久々の三人での洗い物をしながら彼らは思った。これが日常になったらいいのにと。そうして彼らはリビングで向き合っていた。シンジがこの部屋を訪れた目的である聞いて欲しい事のためである。

 

「それで? 一体あたし達に何を聞いて欲しいのよ?」

「うん、実は父さんとその内同居する事になるんだ」

「そう。おめでとう碇君」

「あ、ありがとう」

「そうね。良かったじゃないシンジ。で、それ?」

「あ、えっとこれはついでかな。聞いて欲しいのは、僕がどうして初号機パイロットに選ばれたかが分かったからなんだ」

 

 その切り出しに二人は目を瞬きさせた。それはそうだろう。その理由は彼女達が今まで考えてこなかったものだったからだ。シンジも、二人の反応から当たり前になり過ぎていて考えた事がなかったと察した。

 

「シンジ、どういう事よそれ」

「ええ、エヴァに乗れる理由が分かったって」

「……実は、僕の母さんが初号機のコアの中にいるんだ。父さんがそう教えてくれた」

 

 青天の霹靂とはまさにこの事だったろう。アスカもレイも想像の上をいった答えに表情を失った。シンジはそれでも構わず話を続けた。

 

「昔、ある実験をやった時に母さんはエヴァに取り込まれたみたい。で、父さんは何とかして母さんをエヴァから出そうと考えてる」

「シンジの……ママが……」

 

 アスカの呟きにシンジは視線を動かす。その表情は白い。何せ彼女も似たような経験をしている。そこから自分が弐号機パイロットに選ばれた理由を察しているのだ。と、そこでシンジは思っていた事を告げる。

 

「あの変化した初号機から聞こえた声は、もしかすると母さんなのかもしれないんだ。ううん、僕はそう信じたい。だから僕を初号機は守ってくれたんだ。あれが、今の母さんに出来る唯一の愛情表現なんだと思う」

「愛情表現……今出来る唯一の……」

「アスカ? どうしたの?」

 

 隣のレイがアスカの異変に気付く。そしてアスカはその問いかけに顔を上げ、シンジを見つめてきた。

 

「……シンジ、それ本当?」

「父さんが教えてくれた事? それとも初号機が僕を守ってくれた事?」

「全部よ。本当にシンジのママがエヴァの中にいて、何度もシンジを守ってくれてるの?」

「うん、絶対そうだと思う」

 

 力強く頷いてシンジはアスカを見つめ返した。その優しくも強い眼差しにアスカは少しだけ躊躇いを感じるも、それでも深呼吸をしてぽつりと告げた。

 

―――あたしも、あたしのママも昔エヴァに取り込まれたの。でも、あたしのママは助け出された。

 

 そこから始まる話を聞いてシンジはゲンドウが何故彼自身で話さなかったかを理解した。アスカはもう一人のシンジだった。いや、それよりも辛い境遇に置かれたとも言える。何故なら彼女は必死に努力し振り向いてもらおうとして、最後までそれをしてもらえなかったのだから。想像するだけでシンジは胸が痛くなる。それと同時にそんな事を思い出させ話させる事も。

 

「それで、あたしが弐号機のパイロットになったその日、ママは」

「もういいっ! ごめんアスカっ! もういいからっ!」

 

 気付けばシンジはアスカに駆け寄り抱き締めていた。その強い抱擁と温もりがアスカの気持ちを現実へ引き戻す。レイもそれを見てシンジと逆方向からアスカを抱き締める。その二つの温もりがアスカへ一人ではない事を伝える。そして今の彼女をちゃんと見てくれている者達がここにいる事も。

 

「ごめんなさい、アスカ。辛い事をさせたのね」

「本当にごめん。僕がアスカに辛い事を思い出させちゃった……」

 

 染み渡るような優しい声と悔いるような辛い声。それらにアスカは涙を浮かべながら首を小さく横に振った。

 

「いいの。シンジとレイに聞いてもらって楽になった気がする。それに今のあたしは寂しくないわ。シンジとレイが見てくれてる。ね、例えあたしがエヴァに乗れなくなっても二人は一緒に居てくれる?」

「「当たり前だよ(よ)」」

「……ありがとう、シンジ、レイ。あたし、二人に会えて良かった……っ!」

 

 即答。その力強い言葉にアスカは涙を流して抱き締める。大切な二つの温もりを。この日、惣流・アスカ・ラングレーはやっとその元々の自分を解放出来るようになった。一番見て欲しかった相手はもうこの世にいなくても、同じぐらい見て欲しい相手が二人もいて、しかもその二人は彼女をいつも見つめてくれているのだ。なら、もう彼女に怖いものはない。例え失敗しても成功しても関係なく、アスカを見てくれるのだから。

 

(バイバイ強気なあたし。もう、あたしは一人で生きていくの止めるわ。シンジとレイの三人で生きていくの。弱くても情けなくても気にしないって、どんなあたしでもいいって、そう言ってくれる相手を見つけちゃったから)

 

 全てを失ったと思ったあの日、その時に新しく生まれたアスカに別れを告げ、少女は今元々の自分を取り戻した。男女のかけがえのないパートナーを得て。その後、少し雑談をしてレイがトイレへ立った。シンジはそれを見て今しかないと思いアスカへ頭を下げた。

 

「ごめんアスカ。もう一つ謝りたい事があるんだ」

「……ママの事、軽くシンジのパパから聞いたんでしょ?」

「知ってたの?」

「何となく気付いたの。シンジがあたしを抱き締めてくれた時にね。隠し事、したくないって感じの顔してた」

 

 アスカの鋭い洞察力にシンジは返す言葉がなかった。そんな彼に少女は小さく笑みを浮かべある提案をした。

 

「じゃ、許してあげるから目を閉じて」

「え? う、うん……」

「いい? あたしが許可するまで目を開けちゃダメよ?」

「……分かった」

 

 平手打ちでもされるのかと思い身構えるシンジを見て、アスカは楽しそうに笑みを見せるとそのまま彼の顔へ自身の顔を近付けた。触れ合う唇と唇。その感触でシンジは目を開けたい衝動に駆られるも、約束は破れないとばかりにより強く目を瞑る。どこかで似た感触を感じた事があるような気がしながら。

 

「……もういいわ」

「…………アスカ、今の」

「慰謝料の徴収よ。乙女の心の傷へ触れたんだから」

 

 どこか吹っ切れたような表情で笑顔を見せるアスカ。その可愛さにシンジが見惚れる。

 

「そうそう、分かってると思うけど初めてだからね? 光栄に思いなさい」

「……うん、本当にそう思うよ。ありがとうアスカ」

「それでいいわ。で、当然シンジも初めてよね?」

 

 その問いかけにシンジは頷こうとして、はたと止まった。思い出したのだ。先程のキスと同じ感触を感じた記憶を。あの激戦の後、薄れゆく意識の中で間近に見たレイの顔。

 

「? どうしたのよ?」

「……アスカ、ごめん。僕、初めてのキスは綾波としてたみたい」

「はぁ?! どういう事よ!」

 

 あまりの告白にアスカが大きな声を上げる。するとそれを合図にしたようにレイがリビングへと戻ってきた。

 

「どうしたの? 騒がしいわ」

「レイっ! あんた、一体いつの間にシンジとキスしたのよ!?」

 

 突然の質問にレイは呆気に取られるも、その意味を理解してシンジを見つめるとゆっくりと頬を赤めた。それだけでシンジも顔を赤めてしまう。その何とも言えない空気を感じてアスカが吼えた。

 

「だからっ! いつしたのよ!」

「……第五使徒戦直後。碇君が死んでしまうように見えたから、眠らないようにって」

「やっぱりあれ、そういう事だったんだ……」

 

 明かされた少年のファーストキス裏話。嬉しいような悲しいようなその実情にシンジが肩を落とす中、アスカは得意満面の笑みを浮かべる。何故なら、それが自分と違い愛情を伝える手段ではないと気付いたからだ。

 

「そう。じゃ、実質シンジの初めてはあたしね」

「……どうして?」

「だって、レイのはシンジが好きだからしたんじゃない。シンジを起こすための、いわば医療行為よ。あたしのはシンジが好きだからしたんだもの」

「碇君とキス、したの?」

「ええ」

 

 その瞬間、レイの目が少しだけ吊り上がったようにシンジには見えた。レイは無言でシンジへ近寄ると戸惑う彼へその顔を近付ける。

 

「ちょっ!? 綾波!?」

「動かないで。キス出来ない」

「なぁにやってんのよ! させるもんですかっ!」

「どうして? アスカがしたなら私もするわ」

「レイはもうやってたんでしょうが」

「意味合いが違うと言われたから、今からやり直すの」

 

 シンジを挟んでのやり取り。だが、その内容はこれまでとまた違っていた。奪い合うというよりアピール合戦だ。何せ二人はシンジへその体を密着させていたのだ。しかもキスをしたいさせないという内容を言い合いながら。男としては幸せそのものな流れだが、生憎シンジはどんな理由であれ二人が争うのは好ましくない。なので、彼は一大決心をして小さく息を吐くと、まずレイを抱き寄せる。

 

「え?」

「シンジ?」

「綾波、目を閉じて」

 

 言われるままに目を閉じたレイへ、シンジは出来るだけ優しく唇を重ねる。そしてほんの数秒で顔を離すと、今度はアスカを抱き寄せた。

 

「ええっ!?」

「嫌、かな?」

「っ……は、早くして?」

 

 言われる前に自分から目を閉じるアスカを愛おしく思いながら、シンジは自分から彼女の唇へそっと己の唇を重ねた。そちらもレイの時と同じぐらいの時間で顔を離し、どこか惚ける二人の少女へ告げる。

 

「ぼ、僕から綾波とアスカへ初めてするキスだから。これで許してくれないかな?」

 

 凛々しく言えれば良かっただろう。あるいはさらりと言えれば様になったのかもしれない。だが、如何せんシンジはそういう意味では不慣れである。その表情は真っ赤な照れ顔であり、声は完全にどもっていた。しかし、それ故に少女達には彼らしく思えて微笑みを浮かばせる。こうして彼は一人帰宅の途に着き、少女二人は揃って入浴と相成った。

 

「ね、レイ。さっきのシンジ、どう思う?」

「キスした時の事?」

 

 問いかけに頷き、アスカは頬を赤めた。男らしいと感じてしまったのだ。彼の成長を始めている胸板に抱かれた瞬間と、そのまっすぐな眼差しに。

 

「……鼓動が早くなったわ」

「ホントに何なのよ、シンジの奴。こういう時にいきなり男らしくなるんだから……」

「びっくりした」

「ホントよ。急にあたしやレイを抱き寄せてキスするとか……プレイボーイみたいじゃない」

「……それはいけない事?」

「…………なったら問題だけど、シンジは逆立ちしたってなれないからいいわ」

「そう」

 

 会話が途切れる。そして合わせたように二人はそっと片手を胸へ当てる。心音が伝わる位置へと。トクントクンとやや速いリズムで刻まれるそれを感じ、二人は静かに目を閉じた。

 

((もっとシンジ(碇君)と触れ合いたい……))

 

 そんな事を思われているとは知る由もなく、少年は夜道を歩きながら緩んでしまう顔を何とかしようと悪戦苦闘していた。可憐な乙女二人とのキスはまた彼の男としての気持ちを強く確かなものへとしたのだが、同時にその年頃の煩悩までも強くしてしまったからである。

 

「……ダメだ。やっぱりすぐ思い返しちゃうよ。アスカも綾波も可愛かったもんなぁ……」

 

 目を閉じ自分を受け入れようとする二人の顔を思い出し、シンジは首を勢い良く横に振った。

 

「こんな調子で帰ったらミサトさんに何言われるか分からないぞ」

 

 自分へ言い聞かせるように呟き、シンジは夜道を歩く。と、その足が一度だけ止まる。そして彼はそのまま上を見上げた。

 

「……星、やっぱりよく見えないや」

 

 あの日、見上げた星空は今でも思い出せる。アスカにレイと一緒に見上げた星空は。そう、彼は今日レイとのキスを思い出した事で気付いたのだ。レイとだけの思い出もアスカとだけの思い出もあるが、一番自分が強く覚えているのは三人での思い出が多い事に。

 

「結婚出来なくても、ドレスを着せるぐらいはいいよね? 女の憧れらしいし」

 

 いつかミサトの言った言葉を思い出しながらシンジは誰にともなく呟く。その脳内では、純白のドレスに身を包んで幸せそうな笑顔を浮かべる二人の少女の姿があった……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが2上がった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十一話「アスカ、再誕」完



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第二十二話 せめて、親子らしく

第十五使徒登場。いよいよ残す使徒も少なくなってきました。シンジは既に覚悟完了、F型も全武装解禁。残るのはアスカとレイの成長というか覚醒です。


―――アスカちゃん、ママね? 今日はあなたの大好物を作ったのよ。

 

 その日、アスカは夢を見た。いや、それは夢ではなく過去の思い出だろうか。ある日を境に自分を見てくれなくなった最愛の母。自分ではなく人形を娘と思いこみ、ずっと目を合わせてくれなくなったのだ。だから見てもらうために頑張った。たった一人で弱音も吐かず、いつか見てくれると信じて。その期待は、最悪の形で裏切られた。弐号機パイロットとなったあの日、アスカが目にしたのは物言わぬ存在となって揺れる母親の姿だった。

 

「……最悪、だわ」

 

 目を覚ましたアスカは泣いている事に気付いてそう呟いた。やはりシンジやレイとした昔話が影響しているのだろうと思い、彼女は何故かため息ではなく笑みを零す。

 

「でも、もう大丈夫。あたしにはシンジが、レイがいるんだもの」

 

 思い出すのはあの二つの温もり。それは決して自分を裏切らない者達。と、そこまで考えてアスカは小さく頬を叩く。

 

「違うわ。あたしが本当にダメになったら二人を泣かせちゃう。それは嫌」

 

 裏切らないからといって泣かせていい訳ではない。そう思い、アスカは立ち上がるとカーテンを開けた。外はやや薄曇り。それでもきっとその内晴れるはず。そう思ってアスカは伸びをした。

 

「んー……っはぁ。さて、顔でも洗ってきますか」

 

 泣いた跡を消せるようにと、そう思ってアスカは動き出す。今日も世界は平和だった。普通に三人で登校し、普通に授業を受け、普通に昼休みを三人で過ごし、普通に途中まで三人で下校する。至って普通の日常があった。まぁ、それはアスカにとってのだが。そして帰宅しある程度宿題をレイと共に片付け、夕方少し前に揃って外出。とは言ってもネルフ本部へ行くだけだ。レイはいつものリツコとの勉強会。アスカは個別のシンクロテストを行う事となっていた。

 

「じゃ、また後でね」

「ええ」

 

 本部内で別れ、アスカはそのままシンクロテストのために着がえに行く。レイはリツコの研究室へ向かった。アスカのシンクロテストは前日のフィールドを収束させた件に関連してのもので、リツコはそれに立ち会う事はない。何もアスカが軽く扱われているのではない。自分のためにレイの楽しみを奪いたくなかったのだ。よってリツコはアスカにレイを優先してやってくれと言われ、苦笑しつつ感謝して今に至る。

 

「来たわ、お母さん」

「いらっしゃい。さ、座って」

「ええ」

 

 入室すると同時にレイの表情が柔らかさを増す。今やこの研究室はレイにとっての第二の家となりつつあった。

 

「さて、まずは」

「お母さん、今日は教えて欲しい事があるの」

「あら、珍しいわね。何?」

「その、昨日碇君と指を絡めて歩いたのだけど」

「まあ。それで?」

「その時感じた温もりがアスカともお母さんとも違った気がした。これは何故?」

 

 小首を傾げての疑問にリツコは優しく笑みを浮かべた。本当に娘を前にしている気分になったからだ。今まで以上にレイへの愛おしさを感じている事。それがその原因だった。

 

「シンジ君がレイの大好きな人だからじゃないかしら?」

「それだけじゃないはず。だって、私はアスカもお母さんも大好き」

「あらあら。じゃ、大好きな彼氏さんだからじゃない?」

「大好きな彼氏……」

「ええ。同じ事を私やアスカとして、同じ気持ちになる? 想像してごらんなさい」

 

 言われるままに頷いて、レイは目を閉じて考える。アスカと指を絡めて歩く。ドキドキはしない。どことなく嬉しい気持ちはある。リツコと指を絡めて歩く。気恥ずかしい感じがするがドキドキはしない。こうしてレイの中で結論は出た。

 

「碇君しかそうならないみたい」

「なら、原因や理由はシンジ君だからよ。どうしてかまでは自分で考えてみなさい」

「答えは教えてくれないの?」

「こういうものの答えはね、レイの中にしかないのよ。レイだけの答えだもの」

「私だけの答え……」

 

 笑みと共に告げられた言葉にレイは噛み締めるような声を出す。その姿を見てリツコは思うのだ。自分はこんなにも素直ではなかったと。故に心の中で母へ謝った。

 

(母さん、ごめんなさい。きっと私は手のかからない子だったかもしれないけど、良い子ではなかったわね。だって、こんな話を母さんとした記憶がないもの。きっとこういう事をしながら親は親になっていくんだわ。本当に、今の私は幸せよ)

 

 真っ直ぐな眼差しのレイに笑みを返し、リツコはそこから彼女へその日の学校での事を話してもらう。それらを聞きながら思うのだ。自分は目の前の少女へ謝らなければならない事があるのに、何故母親などと振舞っているのかと。楽しそうに話すレイを見つめて微笑みを浮かべる中、リツコは内心で唇を噛む。己の醜さと弱さを思い知りながら。

 

 一方、アスカはシンクロテストを終えミサトと話をしていた。

 

「話したの? お母さんの事」

「ええ、シンジとレイにね。おかげで何だか気持ちが軽いの。ママは見てなくても二人があたしを見てくれてる。そう思えば何も怖い事も嫌な事もないわ。それに……」

「それに? 何よ?」

 

 ふと視線を明後日の方向へ向けるアスカへミサトは不思議そうに問いかける。だが、彼女はそのまま小さく首を横に振って何でもないと返した。シンジの言葉がずっと引っかかり続けていたのだ。エヴァのコアにいるという彼の母。同じように一度エヴァへ飲み込まれ助け出された彼女の母。どちらも共通しているのはその一点。そしてシンジは初号機に母を感じると告げた。ならば、弐号機には自分の母が宿っているのかもしれないとアスカはどこかで考えていたのだ。

 

(でも、ママはちゃんと助け出された。ただ、その後は精神がおかしくなっちゃったけど。もしかして、あれはエヴァの中に心を半分置いて来ちゃったのかしら? そう考えればあのママの変貌ぶりも理解出来る……)

 

 そこまで考え、彼女は小さく付け加える。自分がそう考えたいだけだと。

 

「アスカ、心配いらないと思うけど一応言っておくわ。貴女を見てるのはシンジ君とレイだけじゃないって」

「……うん、分かってる。ミサトもリツコも、他のスタッフ達もね。あたしがエヴァのパイロットだからってだけじゃなく、一人の人間として見てくれてるってね」

「ん。分かってるならいいわ」

「あっ、そういえばシンジから聞いたけど、遂にパパと一緒に暮らすんでしょ? ミサトはどうするの?」

「それなんだけど、そうしたらあたしはリョウジと同棲に逆戻り。ま、将来を見越してだけど」

 

 嬉しそうな言い方でアスカも察しがついた。結婚するのだろうと。それは若干アスカには羨ましい話。別に苗字が変わる事などの要素はどうでもいい。彼女にとっては結婚式に付き物の衣装こそが肝心なのだから。

 

「何? じゃ、いつか加持ミサト?」

「かもね。別にあいつは葛城リョウジでもいいらしいけど」

「そこにこだわりはない?」

「これっぽっちも、とまでは言わないけどね」

 

 苦笑しながらミサトはアスカへ向き直る。その表情は慈愛に満ちていた。彼女も加持からシンジの決断を聞いている。そしてその結果がどうなったのかも少女達を見れば一目瞭然だったのだから。

 

「アスカ、貴女はあたしよりも大変な道を歩いてる。だからこれだけは言っておくわ。三十近くまでは後悔してもいいわ。その時の自分が正しいって思った道を行きなさい。きっとそれが後で貴女の支えや助けになるから」

「ミサト……」

「実体験込みよ。ま、シンちゃんはあいつと違って、そういう意味では誠実で真面目だから大丈夫だろうけどね」

 

 そう告げてミサトはアスカへ近寄りその体を優しく抱き締めた。それはアスカに母を連想させる温もりと柔らかさを与える。

 

「貴女の好きになった男の子は、きっと貴女達が傍に居れば強く在り続ける。その代わり、貴女達だけになった時は沢山癒してあげなさいね。人は強くあれるけど強いままでは居られないから」

「……うん、分かってる。シンジの休める場所になってあげるわ」

 

 まるで姉だ。そう思いながらアスカはミサトの胸に顔を埋めた。その大人の女性らしい香りと温かさに包まれ、アスカは思うのだ。自分は一人で寂しかった。だからもし自分が親になる時は二人は子供を産みたいと。まだ気の早い話ではある。だが、それは普通ならの話。今の彼女達は普通ではない状況に置かれている。使徒との戦いは激しさを増し、いつ死んでもおかしくないと思う程までになっているのだ。

 

「ミサト、教えて欲しい事があるんだけど……」

「ん? 男のABC?」

「違うわよっ! ……それはまた今度お願い」

「ふふっ、はいはい。で、何よ?」

「シンジの事よ。ミサト、ずっと一緒に暮らしてきたんでしょ?」

 

 その問いかけにミサトはそう来たかと内心で苦笑した。つまりシンジ自身へ聞けない事でミサトが知っている事を知りたいのだ。ならばとミサトは小さくため息を吐いて話し出した。

 

「そうね。最初は気難しい子だって思った。でも、ちゃんと歳相応な部分もあるって分かってたから何とかなるかな~とも思ってたけど」

「歳相応? どうやって分かったのよ?」

「アスカも感じた事あるでしょ? シンちゃんの男の目」

「……まさか」

「ま、責めないであげなさいな。何とか見ないでいようと抗いはしてたみたいよ。効果はなかったけどね」

 

 言われてアスカも思い出す。あの共同生活でのシンジの視線を。自分を性の対象として見ていた眼差しを。と、そこでアスカは気付く。それこそが自分がシンジを異性として認識し出した切っ掛けではないかと。それはある意味で間違ってはいない。彼女がシンジを強く意識する一つの要素ではあったからだ。

 

「でも、今はそういう目を向けてこないんだけど……」

「きっとそれはアスカ達を本当に大事に思い出したからよ。丁度いいわ。今のシンちゃんはアスカの彼氏? それとも恋人?」

「は? 何よそれ。同じ意味でしょ」

「違うのよ。恋人の方が扱い方は簡単よ。で、彼氏はちょっち難しいの」

 

 なぞなぞのような言葉に聡明なアスカも困惑を隠せない。それを見て取ったのかミサトは楽しげに笑いながら答えを教えてやった。

 

「恋人は恋をしてる人。だから下心がアリアリよ。でも、彼氏は違う。彼方の氏。つまり向こう岸の相手」

「……そういう事か」

「今のシンちゃんはそういう相手なの。だから下心じゃないもので動いてる。理解するのは難しいわ」

 

 彼女達は知らない。かつて似たようなやり取りを自分達の愛しい相手達がした事など。そうしてアスカは答えを出す。シンジも感じ取った答えを。

 

「そっか。それでも今まであたしはシンジと上手くやってきた。なら、それでいいって事ね」

「ま、そんな感じ。もし上手く行かなくなっても焦らないようにね。理解出来ないとしても分かり合おうって気持ちを見せれば、それをシンちゃんは分かってくれる。下手に意地を張るとあたし達みたいにこじれるわよ?」

「冗談。もうあたしは意地を張るの止めたんだから。シンジやレイとは本音で付き合っていくの。出来る限りね」

 

 アスカの顔を見上げながらの宣言にミサトは嬉しそうに頷いた。元より波長の合う二人は、まるで姉妹のように笑みを向け合う。

 

―――結婚式には絶対呼んでよ?

―――分かってるわよ。あっ、ブーケはレイと一緒に取りなさいね?

―――ん。で、そのままシンジへ突き出してやるわ。

 

 

 

 その日、シンジ達はシンクロテストを終えて本部内にある休憩スペースにいた。疲れたからとかではなく、単純に喉が渇いたからだ。シンジはいつかのように紅茶を、アスカはコーラを、レイはカフェオレを選んだ。

 

「あれ? レイってコーヒー系飲んだっけ?」

「最近飲むようになったの。赤木博士が飲んでるから。でも、ブラックは苦手」

「だからカフェオレね」

「ええ。しかも市販の物でも甘くないと嫌」

「ふーん……」

 

 手にしたコーラを一口飲み、アスカは隣のシンジへ視線を向ける。少女二人に挟まれる形で座っている彼は、何か思い出すようにレイのカフェオレを見つめていたからだ。

 

「どうしたのよ?」

「え? ああ、うん。前に僕もブラックを飲んだ事があったなぁって」

「碇君も? 平気だった?」

「ううん、苦くて一口が精一杯。だから綾波と似たような物かな」

 

 苦笑しながら紅茶を飲むシンジだったが、そこでふと思い出すのだ。あの時の加持が言いたかった事は何だろうと。あの時言っていた苦みとは、そのままではなく何かの喩えではないか。そう思うと何となく見えてくるのだ。きっと大人になるという事は苦みの正体を知る事なのだろうと。

 

(加持さんは、多分僕にそれを知っても平気な顔をしない人になってくれって言ったんじゃないかな? あと、甘さが欲しいって言うのは多分優しさとかだ。そうか。だから加持さん、ミサトさんと結婚を考え始めたのかも)

 

 シンジはこう思ったのだ。加持は残りの一割を決めたのだろうと。それは間違っていない。だからこそ彼はミサトと一緒に生きる可能性を選び、危険からその身を遠ざけたのだから。

 

「シンジも甘い方が好き?」

「かなぁ?」

 

 照れるような表情のシンジを見てレイがアスカへ小さく笑みを浮かべて問いかけた。

 

「お子様?」

「別に? あたしも味の好みで子供か大人かなんてもう言わないわよ」

「アスカは苦いの平気?」

「……平気じゃないわ。飲めない事ないけど」

「なら、私達は今のところ好みは似てるみたいね」

「あっ、味の好みと言えばさ」

 

 こうして話は他愛ないものへと話題を変える。内容が少々中学生らしくないかもしれないが、それでも彼ら三人にとっては大事な事。そう、彼らは気付かぬうちに家族の交わりをしている。味の好みや苦手な事に嫌いな事。そう言った物の情報をやり取りし、その絆は深まる一方だった。ケンカはするがいがみ合いはしない。理解のための衝突はあるが、傷付けるための激突はない。

 

「でさ、ヒカリが眩しくて目を閉じたら鈴原が勘違いしちゃって」

「ああ、言ってたよ。委員長がキスをねだってきたと思ったんだってさ」

「でも、結果としてヒカリも嬉しかったと言っていたわ。問題ある?」

「問題なのはその後よ。ヒカリったら、それからずっとキスして欲しくて仕方ないらしいわ」

「あー、トウジも言ってたよ。委員長の事が頭から離れないって」

「鈴原君も? なら、碇君は?」

「「えっ?」」

 

 こういう話題をしている時、大抵レイは二人を返答に困る状況へ陥らせる質問をする。だが、付き合い出した今ではむしろ困るのはシンジだけになりつつあり……。

 

「そうね。シンジ、教えて?」

「いいっ!?」

「もしかして分からないの?」

 

 答えられそうにないシンジの心境を読みとったようにレイが助け舟を出す。アスカはその問いかけを聞いてその後の展開を予想した。だからだろう。シンジへやや憐れむような視線を向けた。きっと彼はそれを疑いもせず、救いの手と思って飛び付くだろう。だがそれこそが最後のとどめとなるのだ。そうアスカは読んでいた。なので彼にしか聞こえない程度の小声で忠告する。

 

「シンジ、乗ったらダメよ」

「え?」

「分からないなんて言ったら、ならもう一度ってなるわ」

「…………ありがとうアスカ」

「どういたしまして」

 

 嬉しそうに返事をしアスカはシンジの答えを待った。レイは二人が何か内緒話をした事に気付いているが、それでもシンジへ詰め寄る事はしない。代わりにやや寂しそうな目をするのみだ。それこそが一番シンジに効く方法と理解しつつあるのだろう。

 

「えっと、ぼ、僕もあの日は二人の事が頭から離れなかったよ」

「今は?」

「……キスした時よりも強く想ってる」

「「っ……」」

 

 真っ赤な顔で告げた一言は見事に少女二人を撃沈させる。そうして少年達が甘い空間を作っている頃、ミサトは発令所でマコトからとある報告と相談を受けていた。

 

「エヴァ13号までの建造開始、か。それと、エヴァと使徒は同一の存在かもしれないね」

「はい。葛城三佐にしか言えないと思いまして」

「……後者に関しては絶対他言無用よ。リツコにそれとなく尋ねてみるわ」

「お願いします。……もっと早くに気付くべきでした。彼らの命を預けるものなのに」

 

 悔やむようなマコトにミサトは小さく首を横に振る。彼だけのせいではない。誰もがもっと早く考えるべきだったのだ。そうミサトは思っていた。そしてマコトの不安はおそらく的中しているとも。女の勘だが、参号機を乗っ取られた時からどこかで引っかかる物があった。何故使徒がエヴァを乗っ取る事が出来、更にその性能までも強化出来たのか。その説明がこれでついたからだ。

 

「日向君のせいではないわ。それと、エヴァシリーズの量産についてはもう少し調べておいて。使徒があの初号機へ対応を始めたからだとは思うけれど、何せ急すぎる。こっちだってドイツで建造中の五号機や六号機のパーツを融通してもらってるってのに」

「……それに、ここに来ての予算額大幅上昇ですからね」

「確実に何かを焦ってる。それも、あまり良くない感じに」

「もしかして、複数での使徒出現に備えるのでしょうか?」

「……本気でそう思う?」

「思いません」

 

 即答。それにミサトは満足そうに頷いて息を吐いた。彼女には上が焦る理由に心当たりがあるからだ。あのシンジの代わりに受けた召集。そこで聞いた時間がないとの呟き。それが今のエヴァシリーズ量産へ繋がっているのは間違いないと。だが、その意味までは分からない。分からないが、確実に良い事ではないと思えた。でなければそれを非公式で行う説明がつかないからだ。

 

(エヴァと使徒が同一の存在、か。きっと間違いないわね。あのターミナルドグマで見たアダムからエヴァを作ったとすれば……)

 

 いつか見た光景。それが彼女の中で結論を出させた。今ならばリツコも教えてくれるかもしれない。そう思って彼女はその場から動き出す。

 

「今のリツコはレイを可愛がってる。なら、きっとあたしの言葉も届くはずよ……」

 

 自分へ言い聞かせるように呟き、ミサトはリツコの研究室へと向かった。その向かった先で彼女は自分の予想が正しい事を裏付けされてしまう。リツコはあっさりとマコトの出した結論を認めたのだ。

 

「そうよ。エヴァは使徒から作られた。だからATフィールドを持っているの」

「……セカンドインパクトを起こした存在から生まれたエヴァ、か。ね、サードインパクトって本当に使徒がドグマへ辿り着くと起きるの?」

「ミサト? それは起きる起きない関係なく阻止するべきだと思うわ。違う?」

「そりゃそうだけど……」

 

 それはかつてのリツコならば誤魔化しだったろう。だが、今のリツコからすれば本音であった。今の彼女にとって使徒がドグマへ近付くと言うのは、阻止するはずの存在が動けない事を意味する。そう、レイ達の危険やあるいは死。そんな事を想像などしたくないのだ。それが分かるからこそミサトも引いた。彼女もシンジ達の事は大切に思っているからだ。

 

「……ミサト、私は怖いのよ。知っている事をレイや貴女に話して嫌われるのが。ダメね。まさかここまで弱くなるなんて……」

「リツコ……」

 

 自嘲的な笑みを浮かべ項垂れるリツコにミサトも思わず返す言葉がない。だが、すぐにミサトは立ち上がると彼女へ近寄り両肩へ手を置いた。

 

「そんな事ない。それは弱さかもしれないけど、強さでもあるわ。だって、人の気持ちを考えようとしているんですもの」

「……自分のためによ?」

「それでいいじゃない。誰だって本質を突き詰めれば自分勝手に生きてるわ。善悪はそれが誰かの役に立つか立たないかよ。自分のため? 大いに結構。あんたはレイの事を思って弱気になってる。それだけあの子が大事って証拠じゃない。なら、余計に話すべきだとあたしは思うわ。黙ってて気付かれる前にね」

「いいのかしら……それでも」

「ここまで言っておいてなんだけど、あたしにはリツコの答えは分からない。だから、リツコが正しいって思う事をすればいいわ。それが今のあんたの正解になる」

「私の……正解……」

 

 呟くリツコの瞳に光が宿るのを見て、ミサトは嬉しそうに頷いて彼女から離れた。

 

「いつか話してくれる? リツコの知ってる事、全部。内容によっては嫌ったり憎んだりするかもしれないけどね」

 

 どこかからかうような言い方にミサトなりの配慮を感じ、リツコは思わず苦笑する。あの大学での初対面の頃と同じものをそこに感じて。その人の懐へ遠慮なく踏み込める強さとガサツさを嬉しく思いながら。

 

「……考えておくわ」

 

 その声から前向きな印象を受け、ミサトは静かに頷いた。そこから二人はエヴァシリーズ量産の動きについて意見を交わし合った。一体何を考えての事かと。二人して共通していたのは、それが使徒戦を見据えてではないだろうという事。その理由はただ一つ。

 

「あの初号機に対しての動きと見るべきね」

「なら、使徒を倒し終えたら今度は……」

「可能性はあるわ。いえ、その可能性しかないと思うべきかしら」

「最後に戦うのは人間になるって?」

「……ええ」

 

 苦い顔でリツコが頷く。それにミサトも同じ顔を浮かべた。それが意味するのは、あの少年達に人殺しを強要する事だからだ。人を守って戦ってきたシンジにそれをさせるのは気が重い。それでもそうなった場合、そうしなければ彼が死ぬ。いや、そうしなければネルフスタッフが死ぬ。そうなれば彼がどんな決断を下すか分かり切っていた。

 

「……戦自が攻め込んでくる?」

「それしかないでしょ。以前の停電覚えてる? あの目的はおそらくその準備だったのよ。他に考えられるのはMAGIのハッキングね」

「本部機能の破壊や麻痺。そして物理的制圧」

「まだ先になるでしょうけど、用心しておくに越した事はないかも」

「……戦自への工作は?」

「無理よ。第一どうやって?」

「そうよね。方法がないわ」

 

 揃って息を吐く。例え予想が当たっていても、有効的な手は何も打てないに等しいのだ。ネルフと戦自はあまり関係が良くない。使徒という共通の敵がいても、である。それでもやれるだけの事はやるべき。そう思って二人は頭を巡らせて同時にある事を思い付いた。

 

「「ねえ」」

 

 重なる声に二人は相手の顔を見つめ、小さく笑う。そして先にミサトが話し出してリツコも同じような事を考えていたと返す。もし仮に戦自が攻めてくるとしても、その部隊はおそらくこの本部から一番近い部隊になる。なら、可能性はあるはずだ。敵が人なら使徒には出来ないだろう戦い方が出来ると。

 

「例え成功しなくてもいい。少しでも相手の動きを鈍らせる事が出来れば……」

「ええ。そう願いたいわね」

 

 心ある人間相手ならば。その一点にのみ賭ける戦い方。それが上手くいく自信はないに等しいが、それをやってからでなければ少年達へ申し訳が立たない。大人として、二人はある種の覚悟を決めつつあった……。

 

 

 

 ある夜、アスカとレイの部屋に電話がかかってきた。それはドイツからの国際電話。受けたのはレイだった。

 

「少々お待ちください。……アスカ、電話」

「ん?」

「ドイツから」

 

 テレビを眺めてぼんやりとしていた目が見開いた。アスカはレイの差し出す受話器を受け取るとドイツ語で話し出す。それを眺めてレイは微妙な表情を浮かべる。

 

(まったく分からない……)

 

 聞こえてくる単語もほとんど意味が分からず、結局レイは最後まで頭上に?マークを浮かべ続ける。やがて会話を終えたアスカが受話器を置いて振り返ると、そこには難しい顔をしたレイがいた。

 

「どうしたのよ?」

「……アスカが何を言っていたのか分からなかったの。今のは誰?」

「ママ。って言っても新しいね。継母って奴よ。パパが再婚したから」

「そう」

「ん。あっ、ママがレイにこれからもよろしくって」

「どういう事?」

「電話口に出た子は誰って聞かれたから、あたしの親友って言ったからよ。ルームシェアもしてるって言ったら凄い驚いて喜んでくれた」

 

 そう告げるとアスカは不意に下を向く。気付いたのだ。あそこまで継母が喜んでくれたのは初めてだったと。それは相手が自分を本当の娘のように思っているからとも。

 

(あのママはあたしのママをやろうとしてる。例えそれがパパのためだとしても、今のあたしは気持ちが少し分かっちゃう。シンジをパパって考えれば……)

 

 愛しい相手の血を引く子だからこそ、何とか受け入れてもらおうとするのだろう。あるいは何とか受け止めてあげたいと。そこまで考え、アスカは息を吐いて顔を上げた。そしてもう一度電話へ向かい、どこかへとダイヤルする。レイはそれを眺め、小さく微笑むとバスルームへと向かった。親子の会話を邪魔しないために。

 

―――あ、ママ? ごめんなさい。一つだけ言い忘れた事があったの。えっとね……あたし、彼氏が出来たの。

 

 電話口の継母はとても驚き、いつか紹介してと楽しそうに告げた。その声にアスカも笑みを浮かべて応じる。日本に来て彼女は知った。血の繋がりだけが家族を作るのではないと。心の繋がりがあって初めて家族となれる事を。ミサトと加持はそうだった。シンジとゲンドウもそうだった。なら、自分も繋いでみよう。そう、思ったのだ。血が繋がらないでも、せめて、親子らしく。

 

―――ええ。その内そっちへ連れていくから。レイも一緒にね。

 

 弾む声は相手の声も弾ませる。この日、アスカは初めて長電話をした。

 

 

 

「あら、これは……」

「アスカのシンクロ率、今までで最高ですよ」

 

 マヤの言葉通り、アスカのシンクロ値はこれまでの中でもっとも高い数値を示していた。ここに来てのアスカの躍進に内心疑問を抱きつつ、リツコは隣のミサトへ目をやった。

 

「何か聞いてる?」

「なぁんにも」

「使えないわねぇ……」

「何よ。そんな事言うと飲みに付き合ってあげないわよ?」

「リョウちゃんとの方が大事じゃないの?」

「それはそれ。これはこれよ。親友との時間だって大事だわ」

 

 そこで共に笑みを見せ合う二人を見てマヤが羨ましそうな目をした。すると隣から小さく咳払い。

 

「日向二尉?」

「モニタから目を外し過ぎないで。あと、飲みに行きたいなら誘えばいいと思うよ」

「……いえ、ああいう関係が少し」

「ああ、成程。同性の親しい関係、か。分からないでもないな」

 

 どこか思い出すような言い方にマヤはすぐに理解した。マコトはシゲルとそういう間柄になったのだろうと。

 

「青葉二尉ですよね?」

「……ま、そんな感じ。最初はこうなると思わなかったんだけどなぁ」

「ふふっ、分からないものですね」

「まったくだ。じゃ、おしゃべりはここまでに」

「はい」

 

 その瞬間、マヤは一度だけマコトを見た。その横顔はもう以前のような影はなく、やや凛々しささえ感じさせるものとなっている。本当に彼は失恋を乗り越えていたのだ。今はまだ仕事に逃げている面も否めないが、それでも傷口は塞がりつつある。

 

(今は仕事に集中しよう。自分の事はその後だ)

(日向二尉、いつも真面目だなぁ。だからこそ振られた時にあそこまでダメージ受けたのかも……)

 

 モニタへ視線を向け続ける二人の前では、シンジ達がシンクロテストを終えようとしていた。その後、結果を聞いたアスカは若干の驚きを見せ、ややあってから何か納得するように息を吐く。

 

「どうしたのさ?」

「シンジの言った事を思い出してただけよ。あたしが弐号機に乗れる理由」

「お母さん?」

「ん。もしかしてあたしは幸せ者かもしれないってね」

 

 レイの問いかけに軽い照れ笑いを返しアスカは頷いた。その視線はレイから動いて宙を見つめる。その何かを思い出しているような眼差しにシンジとレイは互いの顔を見合わせる。

 

「アスカ、どうかしたの?」

「そういえば昨日お母さんから電話があったわ」

「お母さん?」

「ええ。お父さんが再婚したとか」

 

 再婚。その言葉がシンジの頭の中に残る。ゲンドウは未だにユイの事を思っている。それはとても素晴らしい事だが、もしユイがもう戻ってこないとしたらどうするのだろうと。

 

(父さん、誰か母さん以外に好きな人は……いないだろうなぁ)

 

 親子として接した時間はそう多くはないが、それでも分かるぐらいにゲンドウはユイを愛している。シンジはそう思い、自分もそういう意味では似た者だと思って頭を掻いた。何せアスカとレイという二人の少女を彼女としたシンジではあるが、それは迷い悩んで出した有り得ない結論の結果である。そういう意味では彼もゲンドウの子と言える。愛した者のために無理を貫こうとする辺りが。

 

「シンジ、レイ、あたしちょっと寄り道してから帰るから」

「え? う、うん」

「しばらくかかりそう?」

「……そこまで長くはないと思う」

 

 微かに苦笑しアスカは歩き出した。向かう先は弐号機がいるケイジ。その背を見送り、シンジとレイはどちらともなく出口へ向かって動き出す。だが、その足は出口前でピタリと止まる。

 

「……待つの?」

「碇君も?」

「綾波が先に帰るなら一度送るよ」

「クスッ、入れ違いになるかもしれないわ」

 

 もっともな意見にシンジは照れくさそうに頬を掻いた。そしてそのまま二人はそこで雑談を始める。一方、アスカは弐号機の前まで辿り着き、その頭部を見つめていた。

 

「……本当にいるのかしら」

 

 今日のシンクロテストの結果を聞いて、アスカはこう思ったのだ。自分が継母と心を繋ごうとした結果が反映されたのではないかと。これまでアスカが一番受け入れたくなかった存在を受け入れようとした事。それが転じて全てを受け入れる事へ繋がったのではないか。そう考えたのだ。

 

「ママ、もし弐号機にいるなら聞いて。あたし、もう大きくなったわ。子供だって産もうと思えば産めるし、相手だっている。ママの知らない内にあたしは大人へ近付いてるの」

 

 物言わぬ弐号機へどこか淡々と告げるアスカ。そして最後には寂しそうに呟く。

 

―――きっとママは見てもくれないでしょうけどね。

 

 それを合図にアスカはケイジから立ち去る。その背中を弐号機が静かに見つめていた。どこか悲しそうな顔をして歩くアスカだったが、その足がある声を聞いて一度止まる。視線を上げれば出口近くで話すシンジとレイがいた。

 

「……何でいるのよ?」

「あ、えっと……」

「色々と話し込んでたの。そうしたらアスカが来ただけ」

「う、うん。そんな感じかな?」

 

 明らかに嘘だと分かるが、その意図を察してアスカはため息を吐いてから苦笑する。

 

「そ。ならいいわ。折角だしレイと一緒に送ってくれる?」

「うん」

 

 こうしてアスカはレイと共にシンジと手を繋いで帰宅する。二人はアスカの泣き腫らした目に何も言わなかった。彼女もシンジとレイが待っていた事を指摘しなかった。ただ、三人は互いの気持ちを繋げるように指を絡ませるのだった。

 

 次の日、放課後の誰もいない教室でアスカはレイと共にヒカリへある報告を行っていた。

 

「ええっ!? 二人で碇君と付き合ってる!?」

「ヒカリっ! 声が大きいっ!」

「ご、ごめん……」

「驚くのも無理ないわ。だけど、事実なの」

 

 大事な話があると言われて聞かされたのは、ヒカリにとってはどこかで少しは思ったけれど有り得ないと判断した内容。さすがに聞かされた瞬間は驚いたものの、すぐに友人二人の表情や雰囲気から、それがシンジの優柔不断ではない事を察する程にはヒカリも彼女達と親しかった。

 

「じゃ、アスカもレイも納得済み?」

「「ええ」」

「……そっか。碇君、そんな答えを出したんだね」

 

 二人の嬉しそうな顔と声でヒカリは自分の感じた事が間違っていないと確信した。それでもう何も言う事はない。何せ三人はヒカリにとってトウジとの仲を進展させる切っ掛けを与えた存在。故にその関係が壊れる事なくむしろ深まった事に喜びを見せた。

 

「おめでとうで、いいのかな? とにかく良かった。アスカとレイが仲良しのままで碇君といるなら」

「ま、その……あいつなりに男を見せてくれたのよ」

「男?」

「何があっても私達を守ると言ってくれたの」

「うわぁ……いいなぁ。碇君って意外と男らしいんだ」

 

 自分も言われてみたいと、そう思ってため息混じりで返すヒカリに、アスカとレイはどこか意外そうな顔を見せる。普段から男らしい振る舞いをしているトウジなら、それに類するような事を言っていそうだと思っていたからである。

 

「何? 鈴原の奴はそういう事言ったりしてないの?」

「えっと……うん」

「キスはしたって言ってたけれど、その後は?」

「……何も」

「はぁ!? あいつ、彼氏の自覚あるの!?」

「アスカ、声が大きいわ」

 

 肩身が狭くなっていくようなヒカリにレイは困ったような眼差しを向ける。

 

「ヒカリ、鈴原君はヒカリの事を大好きなのよね?」

「……だと思う」

「つまり何? 鈴原はヒカリに大好きだって気持ちをあまり見せてくれない訳?」

「は、恥ずかしいんだと思う。私もそうだし……」

「「それでもよ」」

 

 揃って告げられる声は異なる気持ちを示していた。アスカは呆れでレイは念押し。ヒカリはそれらを感じ取り、ならばと目の前の二人へ問いかける。

 

「な、なら碇君は?」

「いつも恋人繋ぎよ」

「私達が好きか聞くと答えてくれるわ」

「……ごめんなさい。だからもうやめて……」

 

 惚気られたとヒカリは感じた。何せ答える二人はどこか嬉しそうなのだ。同じ頃、シンジはトウジとケンスケと共にゲームセンターにいた。こちらはこちらでシンジが二人だけに三人の関係を話していたのである。無論驚きはしていたが、そういう意味では男は理解が早い。何せあれだけの美少女だ。両方と付き合いたいとの気持ちは痛い程分かるために。

 

「まさかシンジが本当に二人をなぁ」

「さすがやセンセ。改めて尊敬するわ」

「や、やめてよ。それはちゃんと二人を幸せに出来たらでお願い」

 

 その返しにトウジとケンスケは一瞬呆気に取られ、すぐに苦笑しながらシンジの肩へその手を置いた。

 

「な、何だよ?」

「いや、シンジ。お前ならあの二人を嫁に出来る」

「ん。そこまで腹括ってるんなら大丈夫やろ。男らしいわ、今のセンセ」

「ケンスケ……トウジ……」

「何か相談したい事あったら言えよ。力になれる事ならなってやるからさ」

「おう、ワイもや。困った時は力になったる」

「……ありがとう、二人共」

 

 歯を見せて笑う二人にシンジも笑顔を返す。そしてそこから話は当然のようにシンジ達の話題となる。即ちどこまで進んだかだ。シンジも覚悟していたので隠す事なく教えた。

 

「「き、キス……」」

「う、うん。その、ちゃんと二人と」

「う、羨ましすぎるっ! シンジ、お前いつか刺されるぞ!」

「いや、けど男らしいは男らしいわ。綾波達の事、差を付けたくないちゅう事やろ?」

「そうだよ。絶対二人は僕が守るって決めたんだ」

 

 はっきり断言するシンジを見てトウジがケンスケへ視線を向ける。どうだと。お前にもこれだけの気持ちと顔が出来るか。そうトウジは問うていた。そしてその問いかけならばケンスケの答えは決まっている。

 

「はいはい。どうせ俺じゃあの二人は手に余るよ」

「せやな。ワイなんて一人でも厳しいわ」

「委員長と上手くいってないの?」

「……それさえも分からん。な、センセ。どないしたらいいんちょが喜ぶか教えてくれへんか?」

 

 両手を合わせて拝むようなトウジにシンジは戸惑うも、一つすぐに思いつく事があった。まずは確認をしなければと思い、彼はトウジへ問いかける。

 

「ね、トウジ。委員長の事、名前で呼んでないの?」

 

 それだけでケンスケもシンジの言おうとしている事を察し、ついでにトウジの答えも推察した。

 

「呼んでないと思うぞシンジ。多分照れくさいんだろ。夫婦みたいだって」

「あ、あかんか?」

「せめて二人きりの時ぐらい呼んであげなよ。それか、委員長に聞いてみるといいかも。名前で呼んでもいいかって。僕がアスカを名前で呼んでるのは、向こうからそう呼んでいいって言ってくれたからなんだ。それでも僕は嬉しかった。きっと委員長もトウジが名前で呼びたいって言ったら許可するしないはともかく、絶対喜んでくれると思うから。まずはトウジが歩み寄ろうよ」

「……ホント、シンジって付き合ってるんだな。意見に説得力があるよ」

 

 ケンスケの言葉にトウジも頷く。とはいえ、シンジも未だにレイを名前で呼んでいない。そこにはアスカへの配慮がある。以前レイがシンジを名前で呼ぼうとした時、アスカはそれを阻止した。あの裏側にある気持ちを今のシンジは理解出来たからである。つまり、より親しくなった印象を互いに受けるからだ。アスカは最初から名前で呼び捨てだった。そこでシンジがレイを名前で呼び捨てにすれば彼女がどう思うかは想像に難くない。

 

(僕もいつか綾波を名前で呼ばないといけない時が来るかもしれないけど、その時はアスカが納得する状況になってるはずだ。それまでは今のままでいいよね)

 

 トウジへアドバイスする中、シンジはそう結論を出す。大事なのはそこだけではないと知っているからだ。

 

「わ、分かった。いいんちょに聞いてみるわ」

「それがいいよ。委員長みたいな性格の相手は受け身だと思うし、出来るだけトウジから色々提案してあげた方が意見も言いやすいんじゃないかな?」

「ん。せやな。ワイが彼氏なんやから引っ張ってやらんと」

「うん。でも、ちゃんと委員長の事を見ながらじゃないとダメだと思う。前を見ながら、でも時々委員長を振り返るみたいな感じ」

「「おーっ……」」

 

 シンジの具体的な内容に二人の少年は揃って感嘆の声を上げる。それに恥ずかしそうにしながら彼は咳払い。

 

「けど、一番は隣り合って歩く事だよ。トウジが思ってるより女の子って強いから。だから自分が自分がってやり続けるのもダメなんだ。頼り頼られがきっとお互いに嬉しいんじゃないかな?」

 

 そのまとめにケンスケはふんふんと頷き、トウジは勉強になりますとばかりに大きく頷いた。その後、トウジとケンスケと別れたシンジはその足で本部へと向かう。と、その途中でアスカとレイに出会った。手を繋ぎながら歩く三人。その話題はどこで何をしてたから始まり、トウジとヒカリの話へ変わっていく。

 

「へぇ、やるじゃないシンジ。丁度あたし達も似たようなアドバイスしたのよ」

「そうなんだ」

「ええ。鈴原君を名前で呼んでみたらって」

「こうなると、二人して相手に同じ事をして固まりそうだね」

「……ま、それならそれでいいんじゃない?」

 

 想像すると微笑ましい光景だ。そう思ってのアスカの言葉にシンジとレイもそれを想像したのだろう。小さく笑みを見せて頷いた。そうやって仲良く本部へと向かう彼らを待っていたのは、使徒襲来を告げる久しぶりの警報だった。

 

 

 

 発令所にはゲンドウを始めとする主だった者達が勢揃いしていた。彼らの視線はメインモニタへと注がれている。

 

「使徒を映像で確認。最大望遠です」

 

 そこには光の鳥のような使徒が映し出されていた。まったく動きを見せない使徒にミサト達は不気味さを覚える。前回の使徒が本部まで後少しと迫ったのに対し、今回は衛星軌道上で静止しているのである。まさに静と動。ここまで対極的な動きを見せるのかと不安感さえ抱くぐらいに使徒の狙いが読めないのだから。

 

「一定距離を保っていますね。衛星軌道上から動かないのは辛いですよ」

「狙いはエヴァか、あるいはここを攻撃するための時間稼ぎですかね?」

「もし仮にそうならどう対処しますか?」

 

 オペレーター三人の言葉にミサトは腕を組んだ。その狙いを何とか読んでみようとしているのだ。

 

「降下の機会を窺っている可能性もあるし、以前のように実はあれがダミーって可能性も捨てられないでしょ?」

「どちらにせよ、迂闊な動きは出来ないって訳ね」

「あの初号機の奥の手でも衛星軌道上の敵は倒せないわ。威力が減衰してしまうもの」

「……それもあっての様子見か」

 

 ミサトの言葉に冬月が噛み締めるように呟く。既にあの使徒を倒したインパクトボルトへの対策を講じてきた。そう思ったのである。ゲンドウはその声に肘を付いて腕を組み、モニタを見つめた。

 

「であれば、持久戦になるな」

「はい。現状エヴァにあの距離での使徒殲滅は無理です。相手が接近するのを待つしか方法はないかと」

「……参号機を出してみるか。葛城三佐、君の意見を聞こう」

「正直に申し上げれば不安が消えません。ですが、それはいつ出しても同じです。なら、早い方がいいかとも思います」

「赤木博士の意見は?」

「私も葛城三佐と同じ意見です。付け加えるのならば、パイロットの意見も聞いて頂きたいですわ」

「分かった。参号機パイロットへ繋げ」

 

 二人の意見に頷き、ゲンドウは通信を開かせる。誰もがそんな彼に小さくない驚きを内心で感じつつレイの言葉を待った。

 

『何か?』

「レイ、使徒は衛星軌道上で待機している。様子見も兼ねて出撃してもらいたい。どうする?」

『……万一参号機が使徒となった時に備えバックアップをお願い出来ますか?』

「無論だ。初号機を」

『いえ、弐号機でお願いします。初号機を出す事で使徒の行動が激変するかもしれません。前回の使徒はそうでした』

 

 その意見に誰もが唸る。つまり、レイはいざとなった際の切り札を先に切るべきではないと言ったのだ。だが、それは万一の際に彼女が危険に晒される可能性を高くする事でもある。それでも構わないとレイは言外に告げていたのだ。こうして参号機と弐号機がポジトロンスナイパーライフルを装備し地上へと配置される事となる。

 

「レイ、どう?」

『異常なし』

「アスカ、いけそう?」

『問題ないわ』

 

 二人の頼もしい声に頷き、ミサトは信頼を乗せた声で告げる。

 

「頼んだわね、二人共。弐号機、参号機、リフトオフ!」

 

 ミサトの指示で射出される二機のエヴァ。前衛として参号機が、そのやや後方に弐号機が出現しそれぞれ上空を見上げる。当然ながらそこに使徒の姿は見えない。

 

「レイ、どうなの? 変化あった?」

『いえ、ないわ。完全に参号機を乗っ取った使徒は殲滅されたと見て良さそうね』

「まずは一安心ね。じゃ、後は遥か遠くの使徒をどうするかってとこか」

『射程距離まで接近してくると思う?』

「……してこないと面倒ね。というか、どうして今回はあの位置にいるのかしら?」

 

 アスカの疑問にレイが考えようとした時だった。衛星軌道上の使徒に動きがあったのは。使徒から放たれた光が地上へ降り注ぎ、参号機を包む。一部だけ朝になったかのようなそれを見て、ミサトは即座にオペレーター達へ状況を尋ねた。

 

「あの光は何?」

「熱エネルギーは感知されません」

「心理グラフに乱れが発生? っ! 精神汚染が始まります!」

「何ですってっ!?」

「心理攻撃? まさか使徒は人の心を知ろうとしている?」

 

 そこでミサトは思い出した。以前シンジが使徒による精神攻撃を受けていた事を。このままではレイが危ない。そう判断しミサトは撤退の決断を下す。

 

「参号機を下げるわ! レイ、一時撤退っ!」

『了解……』

 

 即断即決。指揮官として大事なものを今のミサトは持っていた。返事をするレイの声がやや弱い事が気にはなったが、その理由を確かめる暇はない。こうして残される形となった弐号機の中で、アスカはある思いつきを試してみたいと考えていた。それはあの収束フィールドを使徒へぶつける事。あれならば威力が減衰する事はないので距離に関係なく攻撃出来ると踏んだのだ。

 

「ミサト、試したい事があるの」

『何?』

「あの収束フィールド攻撃。あれなら距離に関係なく届くわ」

 

 アスカの申し出にミサトが腕を組んで考える。使徒は未だ動かず、しかもエヴァパイロットへ心理攻撃を仕掛けてくる。幸いレイは何事もなく無事だった。今はリツコが彼女のメディカルチェックをするべく発令所から姿を消している。

 

「葛城三佐、試すだけ試してみるべきだ。弐号機パイロットが編み出した攻撃がどこまで使徒へ通じるのか確かめなければならん」

「……了解しました」

 

 ゲンドウのもっともな意見にミサトも同意する。

 

「日向二尉、弐号機へ使徒のいる方向を指示して」

「分かりました」

「青葉二尉は使徒の動きを注視」

「了解です」

「伊吹二尉は念のために病院の手配を。必要なくなれば謝ればいいわ」

「はい」

 

 こうして動き出す発令所。その様子を眺めてからゲンドウと冬月はモニタに映る使徒を見つめた。未だに接近する事もなく、参号機が撤退した後はまた沈黙している。その不気味さに二人はため息を吐きたくなる気持ちでいっぱいだった。

 

「使徒の狙いは人の心か」

「そのようだ。レイを狙ったのはその変化の流れを知ろうとしたのかもしれん」

「……あるいはその本質を見抜いたか」

「分からん」

 

 その二人の視線の先では、弐号機がその掌を空へと向けて突き出そうとしていた。

 

「あの時と同じよ、アスカ。掌にフィールドを収束させる……」

 

 目を閉じて意識を集中させるアスカ。それに呼応するように弐号機の掌へフィールドが収束していく。それを誰もが固唾を飲んで見守る。やがて十分な収束率になった事を感じ取ったアスカは、弐号機の腕を銃に、フィールドを弾丸に見立てて撃つ出す事をイメージした。

 

「フォイアっ!」

 

 放たれた収束フィールドは使徒へと目掛けて進んでいく。それは見事に衛星軌道上の使徒へと届いた。だが、それは使徒の展開するフィールドに阻まれ消失する。

 

「っ!? ダメです! フィールドを破れませんっ!」

「やはり向こうの強度が問題か」

「使徒に動きあり! 先程の光線です!」

 

 弐号機へと降り注ぐ光線にアスカは動じなかった。思い出される忘れたい過去だったもの。それを今の彼女は乗り越えている。シンジとレイ。この二人がいる今、アスカに覗かれて苦しむ事などなかったのである。だが、そうだからといって平気な訳ではない。

 

「勝手に人の中覗き込んで、覚悟は出来てんでしょうねぇ!」

 

 再度収束率を上げて放たれるフィールド攻撃。それもやはり突破する事はない。そこで使徒もアスカへ自身の攻撃が通用していない事に気付いたのか、異なる光線を放った。

 

「今度は何?」

 

 それは心理グラフも反応しない光線。ただ、脳波に影響が出ていた。それがどういう反応なのかを、マヤはいち早く気付いた。

 

「これは……アスカを睡眠状態へ移行させようとしています!」

「眠らせる? どうして?」

「無力化を狙うのなら他にもやりようがあるだろうに……」

「先程は心理攻撃。それが通用しないと見るや今度は睡眠攻撃。一体何が狙いなんでしょうか?」

 

 マコトの問いかけに誰も答えを出せない。ただ、このままではアスカも無防備な状態となる。その前に撤退させるべき。そう思ってミサトが指示を出そうとした時だった。弐号機が再度収束フィールド攻撃を仕掛けたのだ。それは使徒へと向かっていくものの、やはりフィールドを突破する事が出来ない。

 

『アスカっ! 一度撤退して! 使徒の狙いは貴女達エヴァパイロットよ!』

「だとしてもまだ戦えるわ。多少眠いのが何よっ!」

『意識がある内に撤退しなさいっ! 出来なくなってからじゃ遅いの!』

「っ……了解っ!」

 

 忌々しげに返事をし、アスカは弐号機をリフトへと向かわせる。だが、リフトへ弐号機を乗せた瞬間、一際強い光線がアスカを襲った。そして彼女はそこで眠りに落ちる。そんな事が起きているとは知らず、ミサト達は弐号機を回収し今後の対策をどうするかを話し合っていた。現状ではどの攻撃も使徒を倒す決定打になりえないからだ。

 

「あの収束フィールドによる攻撃は初号機でも出来ないのでしょうか?」

「それはあの初号機? それとも従来の? どちらにせよ無理よ」

 

 ミサトのやや困った声でマヤは気付いた。あの初号機は使徒戦でしか使えない。なら、シンジがそれを試すとしても、それはあの使徒の光線に晒される中で訓練しなければならないのだ。逆に従来の状態で訓練するとしても、そんな余裕は現状ではないに等しい。更にフィールド強度などが違う事もあり、従来の初号機で出来る事があの初号機でも出来るか分からない。それをミサトは指摘していたのだ。

 

「そうなると現状打つ手なしですね」

「距離だけならあの収束フィールドがクリアしたんですが……」

「威力までとなると……厳しいか」

 

 ある意味での結論が出たところでリツコが発令所へ姿を見せた。だが、その表情はやや沈んでいるように見える。真っ先にその事に気付いたのは当然ミサトだった。

 

「リツコ、どうしたの?」

「……先程弐号機のエントリープラグからアスカが搬送されたの。どうやら最後の最後で使徒が強烈な眠気を与えたようね」

「っ!? 容体は!?」

「深刻なものではないけど、ずっと夢を見ているようよ。こちらが声をかけても揺さぶっても反応無し。それとレイも少しだけど様子がおかしいの。二人共に使徒の攻撃による影響と見て間違いないわ」

 

 淡々と告げられる内容を聞きながらミサトはリツコの様子を探る。そしてレイの話をした辺りで表情に僅かだが影が濃くなった。何かレイとあった。そう思い、ミサトはゲンドウのいる場所へ顔を動かした。

 

「司令、使徒の動きを監視しつつ対策を練ろうと思います。初号機パイロットまで二人のようにされる危険性がないとは言い切れませんので」

「いいだろう。ただし、何かあった際に備え、初号機は他のパイロットが出撃出来るまで待機状態。パイロットへもそう伝えろ」

「はい。青葉二尉、頼むわ」

「分かりました。シンジ君、聞こえるか?」

 

 シゲルの声を聴きながらミサトはリツコへと近寄った。すると彼女は視線をミサトへ向ける。その目はどこか察しているようなもの。

 

「別室で相談?」

「それがいいと思うわ」

「……来て」

 

 こうして二人はリツコの研究室へと向かう。そこでミサトはリツコからレイに起こった変化を教えられる。

 

「目を合わせてくれなくなった?」

「ええ。それに、突然私との会話を避けるようになったの。理由を聞いても特にありませんの一点張りで」

 

 心底参っているような声だった。そう、リツコはレイと二人きりだったにも関わらず、敬語を使われた事を気にしているのだから。それを知らぬミサトでさえリツコの気持ちを察していた。何せこのところのリツコとレイの親密さは増していく一方だったのだから。まるで唐突に親離れした子とそれにどう対処したらいいか悩む母親だ。そんな事を思い、ミサトは話題を変える事にした。

 

「じゃ、アスカは?」

「そちらは言ったままよ。夢を見続けているみたい。それも、きっと母親の」

「母親?」

「寝言でママと呟いているの。それも幸せそうに」

 

 幸せそうに。その部分にミサトは引っかかるものがあった。悪夢であれば人は覚めたいと思う。だが、良い夢であればどうだろうか。覚めたくない。いつまでもそうしていたいと思わないだろうか。

 

「……リツコ、仮の話よ。もしこのままアスカが眠り続けたらどうなるの?」

「衰弱するわ。点滴などをすれば生命活動は維持出来るけれど」

「戦力減に加えてこちらの手を割かせる、か。更には」

「シンジ君とレイへの影響が大きいわ。そう、そういう事なの。もしかして、最初のレイへの精神汚染とアスカへのそれで三人の関係を読みとった?」

「可能性はあるわ。今のシンちゃんとレイにとってアスカは大きな存在よ。シンちゃんだって、精神面が乱れればいつもの力を発揮出来ない」

「……レイは仮眠室よ」

「ん。じゃ、アスカは医務室か。後で行くわ」

 

 そこで二人は立ち上がる。リツコはアスカの、ミサトはレイの元へ向かうために。今は時間が惜しい。そう思って二人は動く。その頃、レイは一人仮眠室でベッドに腰掛けていた。

 

「私……一人目の私はお母さんのお母さんに……」

 

 使徒の精神汚染が微かに見せたのは彼女ではない綾波レイの記憶。最悪な事にそれは今の綾波レイにとって一番思い出したくなかった事。沈みそうな気持ち。辛い心。それらは全て彼女がこれまでで培ってきた結果である。皮肉な事に、そうならなければレイは使徒の精神汚染もそこまで痛手に感じなかっただろう。

 

「もうお母さんと呼べない……。私は、綾波レイはあの人をそんな風に呼ぶ資格はないわ……」

 

 顔を両手で覆い、レイは静かに涙を流す。それは謝罪の涙。彼女ではない彼女がした事とはいえ、それも綾波レイには違いないのだ。だからこそどうしていいのか分からない。謝ればいいのか。思い出した事を話せばいいのか。そして今のレイが相談出来る相手のシンジとアスカはその傍にいない。

 

「碇君……アスカ……教えて。私はどうしたらいいの?」

 

 その呟きに返ってくる言葉はない。が、聞こえてくる音はあった。それはノック音。レイがリツコかと思って挙動不審な動きを始める。周囲を見回すように首を動かしどうしようとするような。だが、その動きも入ってきた相手を見て終わった。

 

「レイ、調子はどう?」

「……葛城三佐」

 

 明らかに安堵するようなレイを見てミサトは、やはりリツコ絡みで何かあったと確信した。

 

「えっと、リツコも聞いただろうけど使徒の攻撃で何か感じたり見た事はない?」

「…………ありません」

 

 嘘だ。ミサトはそう感じるも内心で強い驚きを感じていた。あのレイが嘘を吐いたのである。その意味する事はそれだけ話したくない内容という事だ。ならば、せめて手がかりだけでもと思い彼女は質問を変えた。

 

「そう。じゃあ次よ。何か辛い事でもあった?」

「え?」

「今のレイ、とても苦しい顔してるわ。少しでもいいわ。あたしに話せる事はない? 誰かに言うと楽になるわよ?」

 

 優しい声でレイへ尋ねるミサトの顔は慈愛に溢れるものだった。それがレイにはリツコのそれと重なり、思わずレイは顔を背ける。その反応に驚くミサトと自分のした事にレイは気付いて少しだけ慌てて顔を戻した。

 

「すみません」

「ううん、別にいいわ。言いたくない事を無理矢理聞き出すつもりはないから」

「……ありがとうございます」

「でも困ったわ。これじゃアスカを助ける手がかりゼロか」

 

 ズルい大人だと思いながらミサトはうっかりを装ってそう呟いた。しっかりとレイに聞こえる程度の声量で。当然その内容にレイが反応する。

 

「アスカに何かあったんですか?」

「あっ、その……使徒の攻撃で眠っちゃったのよ。それも、下手したら覚めない眠りってやつ」

「っ!? アスカはどうなるんですか、葛城三佐」

 

 思わず立ち上がるレイを見てミサトは表面上は困惑するように、内心では申し訳なく思いながらため息を吐いた。レイのアスカへの気持ちを利用し、彼女の隠したい事を聞き出そうとする自分の汚さに嫌気を感じながら。

 

「このままだと衰弱するわ。しかも幸せな夢を見せられていて、自分から目覚めようとしないの」

「……アスカが寝たままに」

「だから何かレイから教えて欲しいのよ。少しでもアスカを目覚めさせる手段として」

 

 最後の一文に関しては本音であるため、ミサトは真剣な眼差しをレイへ向けた。それを受け止め、レイは考え込むように顔を伏せた。迷っているのだ。話すべきか話さざるべきか。そして話すとしてもミサトでいいのかまでも。その思考はミサトのこんな言葉で一つの解答を得る。

 

「何をされたかでもいいわ。嫌いな物を知られたとか、あるいは隠しておきたい事を見られたとか」

「……過去を、覗かれました」

「過去……そう、やっぱり鍵はそこか」

 

 アスカの見ている夢も過去。レイが覗かれたのも過去。であれば、アスカを目覚めさせるには現在の、夢の中の彼女から見れば未来の力が必要になる。そう判断してミサトはレイを見つめた。

 

「アスカを起こすの、手伝ってくれる? 今、レイしか頼れないの」

「……はい」

 

 親友のアスカを助けるためなら。そう決意したレイの協力を取り付け、ミサトは彼女を連れて医務室へと向かう。そこではリツコが眠り続けるアスカを見つめていた。

 

「ママ……」

「何度目かしらね、この寝言。さて、眠り姫を起こすのは王子様だけど、シンジ君は待機状態から外せない以上無理かもしれない、か……」

 

 ミサトが出した結論にリツコも直感ではあるが辿り着いていた。だが、それは根拠があるものではなく今の言葉通りの思いつきレベル。しかし、どこかで確信もしていた。アスカを目覚めさせられるとしたらシンジぐらいだろうと。そこへ聞こえるドアの開閉音。視線を動かしたリツコが見たのは、ミサトとその背に隠れるようにしているレイだった。

 

「リツコ、鍵は過去よ」

「過去?」

「そう。レイは使徒に過去を覗かれたらしいわ。で、アスカも過去の思い出を利用されているんじゃない?」

「……巧妙な手ね。現実よりも幸せな夢のベースは不幸な過去か」

「だから、現在へ引っ張るのよ。親友のレイがね」

 

 そこでミサトがレイへ視線を向ける。彼女はリツコの視線を避けるようにしてアスカへと近寄った。その行動にリツコは密かに心を痛める。ミサトもそれに気付くも、今はアスカの方が優先なので触れないでいた。

 

「アスカ……アスカ起きて」

「ん~……」

「お願い。アスカ、起きて」

 

 体を揺すりながら声を掛けるレイだが、それでもアスカが目を覚ます感じはない。ミサトとリツコはそれでもレイを信じるしかなかった。と、そこでリツコがミサトの腕を軽く引っ張る。

 

「何?」

「二人だけにさせましょう。その方がいいと思うわ」

 

 どこかレイの事を寂しそうに見つめてからリツコは医務室を後にした。その背に続くようにミサトもその場から立ち去る。二人きりになった医務室で、レイはアスカの手を握り締めた。

 

「アスカ、お願い起きて。私、聞きたい事があるの。教えて欲しい事があるの。……碇君にも、言えないわ。こんな事知られたら、私、碇君に嫌われるもの。だからアスカにしか言えない。あの病院の時みたいに意見を聞かせて? お願い……」

 

 本音を言えばアスカにも話したくない。だが、もう今のレイに頼れるのは彼女しかいなかった。シンジは人殺しの切っ掛けになったと知れば嫌うだろう。リツコはそもそも母親を死に追いやったのだから言うまでもない。アスカも嫌うかもしれないが、シンジにさえ言えない事を話してきた仲だ。そういう意味でレイが何でも話せる相手である。だからこそ、もうレイはアスカに縋るしかなかったのだ。

 

「アスカ……教えて? 私はお母さんにどう接していけばいいの?」

 

 安らかな寝顔を見せるアスカへレイは思わず縋りつくように抱き着いた。レイの耳にアスカの心音が聞こえてくる。その穏やかなリズムにレイは次第に眠気を覚えそのまま眠りに落ちてしまう。

 

「……ここは?」

 

 ふと気付けばレイは見知らぬ場所にいた。そこはどこかの部屋だった。そしてそこには赤髪の幼女と一人の女性がいた。

 

「ママ、見て? あたし、もうこんな計算も出来るの」

「凄いわね、アスカちゃん。さすがママの自慢の娘よ」

「えへへ……」

「アスカ……?」

 

 女性に褒められる幼女の名前でレイは気付いた。それがアスカだと。たしかに面影はある。今よりも幼く可愛さが強い印象ではあるが。そんなレイの呟きにアスカは気付く事なく女性だけを見ていた。と、そこでレイは気付く。アスカの腕の中に人形が抱かれているのを。そしてその人形へ女性の視線は向いているのも。

 

「……どういう事?」

 

 気のせいだろうかと思いながらレイは目の前のやり取りを眺めていく。アスカが次々と年齢に似合わずやってのける事を喜びながら褒める女性。ただ、やはりその視線はアスカの顔ではなく人形を見つめており、返す言葉も同じものの繰り返し。

 

「あの女性、アスカを見ていないわ。ずっと人形だけ見てる」

 

 確信するように呟くレイだったが、その内容である事を思い出した。それはアスカがあの時語った過去。助け出された母は人形をアスカと思いこんで話し掛け続け、自分をまったく見てくれなかった事だ。

 

「これは……アスカの過去? なら……」

 

 幼いアスカが抱き抱えている人形と女性は、本来ならば違う扱いのはず。それが何を意味するのかを考え、レイは息を呑んだ。これが使徒の見せているアスカの夢なのだと。アスカが小さな頃願っていた事を叶え、現実から目を逸らさせている。そう理解したレイは小さく頷き行動に出る事にした。

 

「アスカ、目を覚まして」

「? お姉ちゃん、誰?」

 

 幼いアスカへ近寄り、声を掛けるレイだったが、それに対しての反応はまったく知らないと言ったものだった。初めて出会ったとばかりのそれにレイは一瞬怯んでしまう。更に言えばそのアスカの後ろで女性が睨むような視線を向けてきたのだ。まるで邪魔をするなと言うようなそれにレイは直感で確信する。女性は使徒だと。だからその場でしゃがみ、幼いアスカを守るように抱き寄せる。

 

「ふぇ? 何するの?」

「アスカ、騙されてはダメ。あれは使徒。アスカのお母さんじゃないわ」

「ママじゃない? しとって何?」

「アスカの本当のお母さんはここじゃない場所にいるわ。使徒は敵。アスカ、目を覚まして」

「アスカちゃん、こっちへいらっしゃい? ママと遊びましょう」

 

 レイの言葉をこれ以上聞かせまいとする女性。その言葉に幼いアスカは嬉しそうな表情を見せ、レイから離れようとする。だがレイも行かせまいと彼女の体を強く抱き締めた。

 

「はなしてっ! あたしはママと遊ぶの! ずっと一緒にいるのぉ!」

「アスカっ! 行ってはダメっ!」

「アスカちゃん、こっちへいらっしゃい? ママと遊びましょう」

「ママっ! ママァ!」

 

 レイの腕の中でもがく幼いアスカ。その時、彼女は両手を伸ばした。無意識の行動だったのだろう。助けを求める行動としては一番単純である。だが、それがある意味で夢の終わりを告げた。幼いアスカから転がり落ちた人形へ女性は視線を向けたのだ。更にその人形へ手を伸ばし、微笑みかけた。

 

「アスカちゃん、こっちへいらっしゃい? ママと遊びましょう」

「え……? ママ……?」

「……やっぱりそういう事なのね」

「ママっ! あたしここにいるよ! あたしはこっちだよっ!?」

「凄いわね、アスカちゃん。さすがママの自慢の娘よ」

「ママ……」

 

 まるでプログラムされたロボットのような女性に幼いアスカは愕然となった。その表情を見てレイが優しく彼女を抱き締める。その温もりが幼いアスカを包んだ。

 

「大丈夫。私はちゃんと見ているわ。アスカがどこにいたって、何をしてたって」

「お姉ちゃん……」

「お姉ちゃんじゃないわ。私はレイ、綾波レイ。貴女の事も名前で呼ぶから私も名前で呼んでと言ったはず」

「レイ……名前で呼んで……」

 

 ぼんやりとではあるが何かを思い出しそうな反応を見て、レイは他に何か思い出はないかと思って考える。そして一つ大きなものを思い出したのだ。彼女達二人しか知らない思い出を。

 

「一緒のベッドで寝たわ。アスカは背を向けてて、私はそこに寄り添った時よ」

「……一緒のベッド。私は背を向けて……レイが寄り添った……」

 

 そう呟いて幼いアスカは無意識にレイの胸に顔を埋めるように抱き着いた。その温かさと感覚があの記憶を呼び起こす。そう、シンジとレイに左右から抱き締めてもらった記憶を。

 

―――思い出したわ……。

 

 

 

 アスカとレイが医務室で人知れず使徒と戦っている頃、シンジは初号機の中でただ沈黙していた。アスカへ謎の光線を照射して以降、使徒が沈黙を続けているからである。おかげで暇なのはいいのだが、緊張感を途切れさせてはいけないという事もあり、彼としては少々困り始めていた。

 

「……このまま朝を迎えるとかないよね?」

 

 既に日付を跨いでいた。使徒への攻撃からかなりの時間が経過しようとしていたのである。別に眠くはないが何もしないままで時間を過ごすのは辛いものがある。しかも、戦闘待機を継続してなど余計に。それでもどこかで、下手に動きがあって厄介な事へ発展するぐらいなら現状のままがいいとは思っているのだが。

 

「アスカと綾波、大丈夫かな?」

 

 彼に入ってきている情報は、二人が使徒の攻撃で撤退した事だけ。命に別状はなく、怪我などをした訳でもないと聞いてはいた。だからそこまで心配はしていないが、やはり気にはなるのだ。二人共大切な彼女なのだから。と、そこに切羽詰まったシゲルの声が聞こえてきた。

 

『シンジ君、使徒が動きを見せた! 第十四使徒の時を遥かに超える高エネルギー反応を確認したんだ!』

「それって!?」

『狙いは衛星軌道上からの射撃だ! 威力が多少減衰されるとしても大惨事になるっ!』

『シンジ、頼めるか? 今はお前しかいない』

 

 聞こえてきたゲンドウの声は苦いものだった。それだけでシンジは嬉しかった。心配されていると分かったからだ。ならば答えは決まっている。

 

「行かせてくださいっ!」

『……よし、初号機を発進させろ』

『了解っ!』

 

 凛々しい表情で操縦桿を握り締めるシンジ。外へ出るや、彼は上空を見上げシゲルの指示に従って初号機を移動させる。そしてある地点で止まり、初号機の両手を突き出すようにした。

 

『攻撃着弾まで4……3……2……』

「フィールド全開っ!」

 

 まるでレーザーポインターのような形で初号機へ迫る高密度光線。その貫通力が初号機のフィールドへゆっくりと亀裂を生じさせていく。このままでは不味い。そう感じたシンジは力強く叫ぶ。

 

「通すもんかっ!」

 

 気迫ある声と共に初号機の目が光り、フィールドの亀裂が止まる。そして何とか使徒の攻撃を無力化する事が出来た。

 

「良かった……」

 

 ホッと一息ついた彼だったが、そこへ信じられない報告が入る。

 

『使徒っ! 接近してきますっ! ポジトロンライフルの射程外ギリギリです!』

 

 それが意味するのは先程よりも威力を増して光線が届くと言う事。であれば初号機でも防げない。だが、それならインパクトボルトが届くはず。そう思って気持ちを切り替えるシンジだったが、その瞬間彼へもあのレイを襲った光線が照射された。

 

「くっ! 眩しいっ!」

 

 まるで朝のような眩しさに目がくらまないよう手で影を作るシンジ。勿論そんな事をして意識を乱していてはインパクトボルトは使えない。あれはシンジと初号機が力を合わせて放つ攻撃なのだから。一方、発令所は初号機の心理グラフに変化がない事に驚いていた。

 

「これはどういう事なんだ?」

「分かりませんが、赤木博士の推測から考えればあの初号機は異なる世界からの来訪者です。故にエントリープラグ付近だけを従来の初号機へ戻しているのかもしれません」

「成程な。異なる位相にしてパイロットを守っていると、そういう事か」

「可能性としてですが」

 

 マヤの予想に冬月は満足そうに頷いた。おそらくそれが一番有力な考えだと思ったのだ。だが、このままでは初号機は反撃出来ない。あの眩しさの中では、意識を集中してインパクトボルトを使徒がいる方向へ放つ事など到底不可能だからだ。

 

「使徒に高エネルギー反応っ!?」

「奴は異なる光線を同時使用出来るのか!?」

「初号機を撤退させろっ! この際こちらへの被害は構わんっ!」

「はいっ!」

 

 ゲンドウの指示にマコトがシンジへ通信を開く。と、その時だった。

 

―――弐号機が発進しましたっ!

 

 マヤの報告に全員がモニタへ視線を向ける。そこには初号機の前方に位置し、ポジトロンライフルを構える弐号機がいた。

 

「目を覚ましたのか?」

「ですが、あのフィールド強度ではポジトロンライフルでも無理です!」

 

 冬月へ即座に事実を告げるシゲルだったが、そこへ響く声があった。

 

「やらせてあげて」

「葛城三佐……」

 

 足早に発令所の中央まで移動し、ミサトはゲンドウへ向き直った。その表情は凛々しさに満ちている。

 

「司令、弐号機パイロットに任せてみてください。お願いします」

「……何か策があるのか?」

「いえ。ですが一つだけ申せば女の勘、です」

 

 微笑みを返してミサトはモニタへ振り返る。

 

「今のアスカなら、彼女なら大丈夫です」

 

 その力強い肯定に誰もがモニタを見つめた。そこでは、弐号機がポジトロンライフルを使徒へ向けて発射していた。その射撃は届くものの、フィールドを破る事は叶わない。だが、アスカはそれでも良かった。確認したかったのだ。ポジトロンライフルが使徒まで届くのかを。

 

「日向二尉、ちゃんと届いたのよね?」

『あ、ああ。だが、フィールドを破る事は出来ていない』

「十分よ。届くのなら、ね」

『使徒のエネルギー反応上昇っ! 来るぞっ!』

 

 シゲルの声がアスカの耳に入ると同時に彼女は小さく苦笑する。何故なら大きな影が彼女の頭上を跳び越えていったからだ。

 

「ったく、やっぱそうするのね」

 

 弐号機の目の前には両手を突き出してフィールドを展開する初号機がいた。

 

「アスカは僕が守るっ! やるよ、初号機っ!」

 

 そこへ放たれる使徒の高密度光線。それが初号機のフィールドへ亀裂を生じさせる。その速度は先程よりも上がっていた。それでもシンジは退かない。後ろにいる少女を守るために。

 

「絶対にっ……退くもんかぁぁぁぁっ!」

 

 不屈の闘志に初号機の目が光る。その後方で弐号機は手を付き出してフィールドを収束させていた。そして、それは初号機のフィールドが貫かれる前に放たれる。

 

「どうだ!?」

「弐号機の収束フィールド、使徒へ命中っ!」

 

 今回はフィールドが衝突したまましばらく拮抗する。それでも、やはり突破するには至らない。誰もが落胆する中、シゲルが叫んだ。

 

「初号機のATフィールド、突破されますっ!」

「シンジっ!」

 

 ゲンドウの目の前で使徒の攻撃が初号機へ直撃し、その巨体を大きく吹き飛ばす。それでも弐号機は狼狽えなかった。いや、アスカはだろう。彼女は信じているのだ。愛する少年がこんな事で絶対に死ぬはずないと。それを証明するように仰向けで倒れていた初号機はゆっくりと起き上がったのだ。

 

「嘘でしょ?」

「し、信じられません。初号機へのダメージ軽微。かすり傷程度ですっ!」

「フィールドを突破するのでほとんどのエネルギーを使い果たしたのか……?」

「かもしれん。とにかく無事で良かった」

 

 初号機の状態に安堵するミサト達。だが、再び使徒はエネルギーを充填し始める。そんな中、アスカは考えていた。ポジトロンライフルが届いても無駄。収束フィールドも突破には至らない。かと言って初号機がインパクトボルトを使おうにも、そうすると使徒の同時光線に晒される。

 

(どうしたらいいの? 弐号機じゃ初号機の盾にはなれない……かといって二つの射撃攻撃も通用しないし……)

 

 その時、アスカはまたあの声を聞いた。それはあの夢でも聞いた声。彼女にとって、一番最初の最愛の相手の声。

 

―――アスカちゃん、フィールドはどんな銃にも対応する弾丸に出来るわ。

―――どんな銃にも……?

 

 告げられた内容にアスカは疑問符を浮かべる。だが、次の瞬間その脳裏に一つの閃きが生まれた。

 

「そうよ……何も使徒の真似をしなくてもいいんだわ。あたしは人間なんだもの! エヴァはヒトが動かしてるんだからっ!」

 

 力強く叫ぶと、アスカは弐号機にポジトロンライフルを構えさせる。その照準を使徒がいる方向へ合わせ、意識を集中した。

 

「フィールドを収束させるの……。場所は、銃口の前……」

 

 弐号機の目が輝き、ポジトロンライフルの銃口へ貼り付くようにフィールドが収束していく。それをモニタで見ながら誰もが息を呑んだ。アスカが何をしようとしているかを理解したからだ。十分な程の収束率となったのを実感し、アスカは目を見開いて叫ぶ。

 

「ライフル最大出力っ! フォイアっ!」

 

 放たれる陽電子の輝きが収束フィールドを押し出していく。それはそのまま勢いを付け、使徒のフィールドへと激突する。そこで初めて使徒のフィールドに亀裂が生じた。それはそのまま留まる事なくフィールドを突き破るように広がっていく。このままでは不味いと思ったのだろう。使徒は初号機へ放つつもりだった光線を発射し収束フィールドを迎撃。それは多少威力を殺しながら地上へと向かう。だが、それがいけなかった。

 

「今の弐号機はフィールドをこうも出来るのよっ!」

 

 威力を落とした光線。それを防げるだけの大きさへフィールドを収束し展開する弐号機。そう、今の弐号機ならば短時間であれば初号機の盾になれる。そして、そうなればシンジがどうするか。それを使徒が理解した時にはもう遅かった。

 

「インパクトボルトォォォォッ!」

 

 弐号機が作った時間は初号機の必殺技を放たせるのに十分過ぎる程だったのだ。向かってきた光線を逆に飲み込み、雷光が使徒へと向かう。それはそのまま弐号機が作った亀裂を広げるかのようにフィールドを突き破り、使徒を消滅させた。こうして第十五使徒は殲滅される。アスカの中にある一つの確信を与えて……。

 

 

 

「……ね、ママ。そこにいるんでしょ?」

 

 誰もいないケイジでアスカは弐号機へ語りかけた。あの時聞こえた声が誰のものかを確かに思い出して。もう二度と聞く事はない声。もうこの世にはいないはずの相手だと。

 

「ずっと、そこで見ててくれたのね。あたしを、あたしの事をずっと傍で見ててくれたのね? 助け出されたママは、大事な物をエヴァに置いてきちゃってたんだね?」

 

 視界がぼやける。声が震える。それでもアスカは話すのを止めない。

 

「初めてフィールドを収束させた時、ママの声が聞こえたの。最初は分からなかった。でも、シンジの話を聞いてもしかしてって思った。ママが……ママが弐号機の中にいるんじゃないかって! あたしの事をずっと見守ってくれてたんじゃないかってっ! 使徒との戦いであたしにフィールドの使い方、教えてくれたよね? ママの声、聞こえたよ!」

 

 限界だった。もうアスカは何も見えなくなった。涙が止まらなかった。あの日、少女の胸に刻まれた苦しみや悲しみは、今別の形へと変わり出していた。物言わぬ巨人。その中に最愛の母がいる。そう思うと複雑ではあるが嬉しくもあったのだ。

 

「グスッ……ママァ……あたし……あたしぃ……」

 

 弐号機前で泣き崩れるアスカ。しゃくり上げながら目元を何度も拭い、真っ赤に目を腫らしていく。どれぐらいそうしていただろうか。泣き止んだアスカは最後に鼻をすすり、弐号機を見つめて告げた。

 

「あたし、新しいママとも家族になろうと思うの。今日はその報告に来たわ。ママの事を忘れる訳じゃない。ただ、あの人もあたしをママと同じぐらい愛そうとしてくれてるって、そう分かったの。だから、あたしはママが二人出来るんだ。それってとても幸せだと思うから」

 

 真っ直ぐ弐号機を見つめ、アスカは微笑む。まるで母へ褒めてとねだる子供のように。だからだろうか。一瞬だけ弐号機の目が光った。それにアスカは驚き、すぐに満面の笑顔で頷いた。

 

―――じゃあね、ママ。また来るわ。

 

 最後には手を振ってアスカはその場を立ち去る。と、一度だけ立ち止まり振り返った。そしてもう一度笑顔で手を振って今度こそアスカは本部の出口へ向かった。だがその足が途中で止まる。

 

「レイ……」

「アスカ、待ってた」

 

 廊下の途中、壁に背を預けるようにしてレイが立っていたのだ。レイはアスカを見ると壁から背を離し、静かに彼女へと近寄る。

 

「そうだ。まだお礼言ってなかったわね。レイ、ありがとう。レイのおかげであたしは本物のママに気付けた」

「……そう」

 

 どこか暗い感じを漂わせるレイに違和感を抱きつつ、アスカは笑顔を向けた。それをレイは直視出来ないように視線を逸らす。まるで自分はそんな感情を向けられる相手ではないと言うように。ここまでくればアスカも気付く。レイに何かあった事を。

 

「ね、レイ。さっき待ってたって言ったわね? 何かあたしに聞いて欲しい事があるの?」

「…………ええ。もう、アスカしか頼れないの」

 

 レイがアスカへ相談したい事の一端を話し出した頃、二人を待って出口付近にいたシンジの携帯が震えた。

 

「メール? アスカから?」

 

 その内容は、レイから女としての相談を受けたので先に帰って欲しいとのもの。気になる事ではあったが、女性同士の話に首を突っ込んではいけないと思い、彼は久しぶりに一人で本部を後にした。そこにはガードに気迫や不屈を使った疲労も影響している。早く帰って休みたかったのだ。

 

 同じ頃、リツコは研究室で机に突っ伏して悲しそうな顔をしていた。

 

―――母さん、やっぱり私も隠し事をしている罰が当たったのかしらね……。

 

 彼女は知らない。彼女が娘と思う少女も似たような事を思っているなどと。リツコとレイ。二人の関係に最大の危機が訪れようとしていた……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが上がった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十二話「せめて、親子らしく」完



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第二十三話 涙

レイの秘密が明かされる話。サブタイトル、変えたくない話の一つですね。


―――ばあさんは用済み。所長が言ってるのよ。

 

 それが一人目の綾波レイが自分の生涯を閉じる切っ掛けになった言葉だった。レイはそこへ至るまでの流れも大まかにアスカへ話した。赤木ナオコへの暴言。それがゲンドウと後ろめたい関係にあった彼女へ殺意を抱かせる原因になった事も。全て聞いてアスカはただ一言呟いた。

 

「……どういう事?」

 

 理解が追いつかない。それがアスカの正直な感想だった。レイが話した内容はどう考えてもそう返すしかないものだったからだ。今、彼女達は更衣室にいた。そこを使うのはパイロットである彼女達だけとも言えたためである。

 

「言ったままの意味。私は二人目の綾波レイ、だと思う。一人目の綾波レイは赤木ナオコに殺された」

「ちょっと待ってよ。レイ、あんた自分が何言ってるか分かってる?」

「ええ。思い出してしまったの。私は、綾波レイは複製出来る。赤木博士のお母さんを死に追いやったのは一人目の私」

 

 まるで懺悔のような話し方にアスカはどう返していいのか分からなくなるばかりだった。彼女も理解してやりたい気持ちはあるが、如何せん内容が内容だった。どうして信じられる。自分は綾波レイという名のコピーであると告げられて。

 

「えっと……レイは人間じゃないの?」

「……分からないわ。だけど、人間だったら殺されたら終わり。なら、私は違うのかも」

 

 淡々と返された言葉にアスカは反射的に動いた。レイの体を抱き締めたのである。

 

「ごめん。あたし、酷い事言わせたわ」

「アスカ……」

「レイ、あんたは人間よ。だって、人間じゃなかったら誰かのために泣いたりしないもの」

「アスカ……っ!」

 

 感じる温もりと思いやり。その優しさがレイに涙を浮かばせる。それに気付いてアスカが嬉しそうに笑みを浮かべた。

 

「ほら、今だってそうよ。レイは人間よ。例え世界中が違うって言ったってあたしがそう断言してやるわ」

「アスカぁ!」

 

 優しく抱き締めるアスカの事を嬉しく思って抱き締め返すレイ。そしてアスカは彼女へこう告げた。話した内容がどうであれ、ある一点だけは認める事が出来ないからだ。

 

「リツコのママに殺されたのは、レイかもしれないけどあたしの親友のレイじゃないわ。今、目の前で泣いてる女の子だけがあたしの知ってる、そして唯一の綾波レイよ」

「…………ありがとう、アスカ」

「ん。気にするなって言っても無理でしょうけど、この一点に限れば大丈夫って断言してあげる。シンジも、リツコだってそう言ってくれるわ」

 

 この日、二人は揃って泣き腫らした目で帰宅した。その顔を愛する少年に見せなかった事は、彼女達なりの女らしさなのかもしれない。

 

 

 

 次の日、リツコは珍しい客人を研究室へ招いていた。本来であればレイとの勉強会をやる予定だったが、彼女が体調が優れないので休みたいとメールを入れてきたため、リツコは少しだけ寂しく思っていたところだった。故にその相手の来訪をどこか喜んだ。少しはその気持ちが紛れるからと。

 

「珍しいわね。アスカが私に話があるなんて」

「まあね」

 

 椅子に座り足をバタバタと動かしているアスカに小さく笑みを零し、リツコは向かい側へ座る。

 

「それで、一体何?」

「ん。リツコが答えにくいなら別にいいんだけどさ。その、リツコのママってどうやって亡くなったの?」

 

 浮かんでいた笑みが消える。その表情には一体何故という疑問がアリアリと浮かんでいた。アスカはそんなリツコの顔を見つめ、真剣な眼差しを向けていた。

 

「これ、レイの変化に大きく関わってるわ」

「っ!? どういう事!?」

「あの使徒、精神攻撃しかけてきたでしょ? あたしも受けたから分かるの。あいつ、人の記憶を覗いてきた。そのせいで覗かれた本人も思い出すのよ」

「……レイも記憶を覗かれた?」

「ええ。で、ここからは本人の言葉をそのまま使うけど、私は多分二人目だと思うって」

 

 完全にリツコの顔から表情が抜け落ちた。それはある意味で彼女が一番レイに知られたくない事への扉。それを話すべきか否かと考えている内に、よりにもよって知られてしまった。そうリツコは悟った。硬直するリツコへアスカは一番の胆と言える部分を彼女へ告げる。

 

「でね、レイが言うには、一番目の私はリツコのママに酷い事をした。だから殺されたんだって」

 

 その一言でリツコの中で全てが繋がった。何故急にレイが余所余所しくなったのか。どうしてお母さんと呼んでくれなくなったのか。レイは自分へ罪悪感を抱いたからだと。その答えを得た瞬間、リツコは思わず片手で顔を押さえた。

 

「バカね……例えそうだとしても、殺す母さんが悪いのに」

「リツコ……」

「あの子に、レイに伝えて頂戴。あの時、母さんは成人した子を持つ大人だった。それが子供に何か言われて殺意を持って動いた時点で罪人だって。それに、貴女はその綾波レイとは違うのだから気にしないで欲しいとも」

「……それ、自分で伝えて。レイは、あの子はリツコの声でその言葉を聞きたいはずだもの」

 

 そのどこか慈愛を感じさせる物言いにリツコはアスカにミサトを重ねた。そんな風に驚くリツコへ背を向け、アスカは部屋を去った。ただ一言、夕方まで部屋には帰らないと言い残して。そうやって残されたリツコは誰もいなくなった部屋で一人呆然となる。どれだけそうしていただろうか。やがて彼女の携帯が鳴った。無意識に通話ボタンを押すと、聞こえてきたのは彼女の祖母の声。

 

「そう……いなくなったの、あの子」

 

 それは実家で預かってもらっている愛猫の話だった。リツコは狼狽え悲しむ祖母を慰めながら、どこかでこのままではレイもそうなるのではと思っていた。

 

「そうね。今度時間を必ず作って一度帰るわ。母さんのお墓にも三年近く行ってないし」

『そうかい? なら、気を付けて帰っておいで』

「ええ、だからお祖母ちゃんも気を落とさないで。今度はこっちから電話するわ」

『うん、うん。リっちゃんも体に気を付けるんだよ?』

「ありがとう。じゃあ、切るわね……」

 

 何も聞こえなくなった携帯を見つめ、リツコは静かに決意する。まだ間に合うはずだと。そう決めた彼女は行動が早かった。いや、それだけレイを失いたくなかったのだろう。即座に立ち上がるとそのままの格好で外へと向かったのだ。長いエスカレーターを駆け上がり、レイの住むアパート目指して走り出して。

 

(伝えなくちゃ……レイに、私の方こそ罪人だって。貴女が思い悩む原因だって、私は無関係じゃない! 貴女が苦しむ必要なんてないのっ!)

 

 低いとは言えヒールの靴だ。走るには適していない。それに苛立ちを感じながらリツコは急いだ。時折通り過ぎる人達の奇異な視線を浴びながら、それをまったく意にも介さずリツコは走る。そして、遂に彼女はアスカとレイの住む部屋の前まで辿り着いた。

 

「っはぁ……っはぁ……全力疾走、っなんて学生時代以来ね。っこれを機に、運動でも始めようかしら……」

 

 小さく苦笑しながらリツコは息を整えていく。やがて肩を揺らして呼吸しなくなった辺りで呼び鈴を鳴らす。すると、ややあってから彼女が一番会いたい相手の声が聞こえてきた。

 

『はい。どちら様でしょうか?』

「レイ、私よ。貴女に伝えたい事があるの」

『赤木博士……?』

「そのままでいいわ。アスカから聞いたの。貴女の悩みと苦しみの理由。だから、こう心から言うわ。それは今の綾波レイには関係ない」

 

 そのはっきりとした言い方でインターホン越しにレイが息を呑んだ。それに気付かずリツコは言葉を続ける。

 

「母さんの事は、たしかに別の綾波レイにも責任はあるわ。だけど、それは貴女とは別人よ。私を、赤木リツコをお母さんと慕ってくれた貴女じゃない」

『……博士』

 

 聞こえてきた声はどこか涙ぐんだもの。それにリツコは小さく笑みを浮かべて問いかけた。

 

―――あら、もうお母さんとは呼んでくれないの?

 

 心からの愛情を込めて告げた言葉への返事は、声ではなく開かれたドアだった。そこには両手で目元を拭いながら泣きじゃくるレイの姿があった。それを見た瞬間、リツコは思わず駆け寄り抱き締めた。それはまるで、母親が迷子になった我が子を見つけた時のように。

 

「いいの? ホントにお母さんって呼んでいいの?」

「ええ……ええっ! 貴女は綾波レイだけど、その記憶のレイではないから! 異なる存在なのっ!」

 

 涙を流すレイへリツコは力強く断言する。本当に罪人なのは自分だと、そう心の中で叫びながら。リツコの声にレイは両手を目元から離した。そして彼女の背中へとそれを回して抱き締める。

 

「っ! お母さん……お母さんっ!」

「ごめんなさい。貴女にこんな想いをさせてしまって。もう、大丈夫だから。綾波レイはもう貴女だけよ。これからずっと。お母さんがそうしてあげるわ」

 

 レイの頭を優しく撫でながらリツコは決意を固めた。それがどういう事を意味するのかを理解しながら、己の胸で泣く子をこれ以上苦しめないで済むようにと。どれぐらいそうしていたのだろう。いつしかレイは静かになり、寝息を立てていた。

 

「……泣き疲れて眠ってしまったのね。ホント、子供だわ」

 

 どこか嬉しそうに笑い、リツコは起こさぬようにそっとレイの体を抱き抱える。さすがにその重量は、鍛えている訳ではないリツコには中々厳しいものがあったが、それでも何とか部屋の中へ運び込んでソファへ寝かせる事に成功した。

 

「これは……白衣は諦めた方がいいわね」

 

 帰ろうとしたリツコだったが、レイの手が彼女の白衣をしっかり掴んでいる事にそこで気付いた。なので苦笑しつつそれを脱ぎ、そのままレイの体へかけてやる。すると、その白衣をレイがしっかりと抱きしめたのだ。

 

「……レイ、弱いお母さんを許して。さっきの約束を果たしたら、ちゃんと全部話すから」

 

 一度だけ優しくレイの頭を撫で、リツコはそっと部屋を出た。そしてドアを閉めるとまずアスカへ連絡を入れる。彼女もリツコの声から上手くいった事を察し、すぐに帰ると返して通話は終わる。ならばと次にリツコが連絡を入れたのはミサト。

 

『もしもし?』

「ミサト、いつかの件話すわ。私の研究室で待ってて。そうね、それなりに時間がかかるからコーヒー……いえ」

 

 ふと何かを思い出してリツコは笑う。きっとこれだけで親友には伝わる事があるだろうと。

 

―――ミルク多めのカフェオレを用意しておいて。砂糖は抜きで、ね。

 

 

 

 ミサトを連れてリツコは白衣を着ないままでターミナルドグマの入口へとやってきていた。そこまで二人は一言も発していない。会話をする雰囲気ではなかったのだ。リツコは強い決意を持ってこの場に来ていたし、ミサトもそれを感じ取り緊張の面持ちでいた。

 

「覚悟はいい?」

「……ええ。リョウジを連れて来てあげたかったぐらいよ」

「そう。でも、きっと今回はリョウちゃんの見たいものじゃないわ」

 

 IDカードを通し、リツコは中へと足を進める。ミサトもその後を追うように足を踏み出した。そのまま二人は深層部へと向かう。エレベーターでも会話はなく、二人は強張った顔のままだった。そして二人はある場所へと辿り着く。そこは、人類進化研究所・3号分室。リツコが中の明かりを点けると殺風景な部屋が広がっていた。

 

「生命の息吹の欠片もない場所ね」

「ここでレイは生まれたわ。綾波レイの部屋よ」

「……ここで?」

「ええ、ここで。ここから始まり、今はあそこまで変わった。シンジ君が水でアスカが光となったのでしょうね」

 

 噛み締めるような言葉にミサトも小さく頷いた。殺風景な部屋は、まさしくミサトが知るシンジが来る前のレイそのものだったからだ。それを変えていったのはリツコの挙げた二人。それでも、彼女はもう一人挙げねばならない事を知っている。

 

「それとリツコも、でしょ?」

「……私は違うわ。私こそ変えてもらったのよ」

「なら、リツコは空気よ。レイが取り込んで吐き出す事で変化する。相互変換ってとこ?」

「言い得て妙、ね……。ついてきて。ここは通過点よ」

 

 再び歩き出すリツコを追う形でミサトも動き出す。次に二人が見た物はエヴァらしきものの残骸達だった。

 

「これは?」

「初期の失敗作。十年前に破棄されたの」

「エヴァの墓場、ね」

「ゴミ捨て場みたいな認識よ。そして、シンジ君の母親が消えた場所でもある」

「ここが?!」

 

 無言で頷くリツコにミサトは二の句が継げない。ここである意味全ては始まったのかと察したからだ。あの親子がすれ違う事になった始まりの場所。そこにミサトは何とも言えない気持ちを抱いた。そんな彼女へ一度だけ視線をやり、リツコはポツリと呟いた。

 

「貴女が悲しんでも仕方ないわ。これはあの二人が乗り越えるべき問題よ」

「……だとしても、やっぱりやりきれないじゃない」

「すっかりシンジ君の姉みたいね。でも、私も人の事は言えないか」

「リツコ……」

「次、行きましょう。そこが今回の終着点。私の過去へのけじめと、未来への覚悟を示す場所よ」

 

 そう告げるとリツコは先程よりも力強く歩き出す。その背に決意のようなものを感じてミサトは息を呑む。一体何がこの先にあるのだろうと思いつつ、彼女はその背を追った。やがて辿り着いた場所も真っ暗な闇に包まれた部屋だった。

 

「ここは?」

「ダミーシステムの大元。そして、私がレイへ話す事の出来なかった最大の要因」

「……どういう事? ダミープラグがレイのパーソナルを基にしてるっていうのと関係ある?」

「大有りよ。真実を見せるわ。かなりショッキングな光景だから覚悟して」

 

 その言葉で部屋に明かりが点る。明るさに少しだけ目を細めるミサトだったが、その視界に映ってきた光景に絶句する。部屋の壁一面が水槽のようになっていて、そこにはレイそっくりの少女達が存在していたのだ。

 

「嘘……でしょ……?」

「いえ、これが現実。分かったでしょ? 既に私は咎人なの。ここにあるのをパーツと考え、扱い、平然とレイを娘のように接してきた。ホント、極悪人ね」

 

 淡々と話すリツコだが、その顔はまるで感情が抜け落ちたかのようなものだった。見ているミサトが思わず何も言えなくなるような。

 

「ダミーシステムのコア。それがこの子達。神様を拾ったと喜び、それへ手を伸ばして罰が当たった。それが十五年前。それで拾ったはずの神様も消えてしまったので、自分達で復活させようとしたの。それがアダム」

「セカンドインパクトの真相と、そこから始まる計画……」

「そして、アダムから神様に似せて人間を作った。それがエヴァ」

 

 最後の言葉にミサトは息を呑んだ。エヴァが人間。だとすれば、何故碇ユイはエヴァに取り込まれたのだ。その疑問を眼差しへ宿して彼女はリツコを見た。

 

「エヴァには本来魂がない。だから人の魂が宿らせてあるのよ。みんなサルベージされたものだけど」

「レイは?」

「あの子は魂が入った入れ物だった。あの子にしか魂は生まれなかったの。ここに並ぶ子達は魂がない。ただの入れ物なのよ」

「入れ物……」

 

 顔を伏せて告げられるリツコの告白にミサトは理解するので精一杯だった。それだけ今の話は衝撃と驚愕に溢れていたのだ。

 

「そう、入れ物よ。だから、だから壊すのっ! あの子は、レイは一人だけ! もう二人目なんて思わせたくないからっ! だからっ! だから……っ!」

 

 涙を浮かべて叫ぶリツコだったが、その手が何かのスイッチを押そうとして止まる。それがおそらくこの少女達を殺すスイッチなのだろうと察しを付け、ミサトはリツコへと近寄りその手を下ろさせる。

 

「ミサト……?」

「入れ物だって、そう思わないと殺せない。壊すって表現もそのため。だけど、やっぱり出来ないんでしょ? レイにそっくりなこの子達は殺せないって……」

「…………勝手よね。自分達の都合で命を作って、弄って、弄んで、本当にっ……身勝手だわ……っ!」

 

 崩れるようにその場へ座り込むリツコ。ポタリポタリと床へ水滴が落ちる。彼女はミサトから顔を背け声も無く泣いていた。悔やんでいたのだ。過去の自分を。ゲンドウへ想いを寄せ、女として生きていた頃の自分を。科学者として、女として充実していたとそう思っていた。思い込んでいたかつての自分を。そんな彼女の目を覚ましたのは、シンジとレイだった。彼女以上の気持ちをゲンドウへ抱き、健気に生きる少年の姿と、彼女が母の真似事をする事になり、慕ってくれた純粋な少女。その姿がリツコを変えた。

 

(許してくれなんて言えない。だけど、せめてあの子が人並の幸せを掴めるようにはなって欲しい。ああ、本当に勝手だわ。自分勝手過ぎる。一年前には欠片としてそんな事を思ってもいなかった癖に。それどころかあの人を奪っていくと恨みさえしそうだったのに……)

 

 無様ね。そう小さく呟いてリツコは笑う。その悲しげな笑い声が室内に響き、ミサトは何とも言えない顔を浮かべた。と、そこへ聞こえてくる足音がある。それに気付いて二人が警戒するように部屋の入口を見つめた。そこへゆっくりと現れたのは一人の男性。

 

「「司令……」」

「やはりここにいたか」

 

 一瞬にして表情が強張るミサトと呆気に取られるリツコ。そんな二人を無視するようにゲンドウは視線をリツコの頭上へ向ける。

 

「……レイのためか?」

「以外に何がありますか? 今更貴方の都合なんて気にしません」

「リツコ……」

 

 はっきりと告げる言葉に確かな強さを感じ、ミサトは少しだけ驚きの声を漏らす。ゲンドウはそんなリツコに微かな笑みを浮かべると、彼女が押そうとしていたスイッチを躊躇いなく押した。その瞬間、バラバラになっていくレイと同じ顔をした存在達。あまりの事に呆然とする二人へゲンドウは告げた。

 

―――私も己の罪と向き合う時が来た。これはそのための始まりに過ぎん。

 

 その横顔はミサトもリツコも見た事のないものだった。それこそがゲンドウの男の顔。いや、父の顔だろう。息子が嫌われてもいいと本音をぶつけてくれた事で目覚めた、ゲンドウの秘められていた男の部分である。

 

「赤木君、君がもうその手を汚す必要はない。元々私が一人でやるべき事だったのだ。それを私の弱さが君達母娘まで巻き込んだ。謝って済む事ではないが、本当にすまなかった」

「っ! 今更……今更そんな事を言うんですかっ!? ユイさんを想いながら母さんや私を抱いておいてっ!」

「ああ、その通りだ。許してくれと言うつもりはないしそんな資格もないのは分かっている。だが、これだけはお願いしたい。せめてシンジの力にはなってやってくれ。私ではなく、あいつに君達の力を貸してやって欲しい。使徒はその力を増し、あの初号機でさえ互角にするのが難しくなりつつある。あいつは私の事を信じると言ってくれた。何をしてきたとしても、それは全てユイのためだと思うと」

 

 ここまで饒舌なゲンドウにリツコさえも言葉が無かった。本気で変わったと、そう二人は感じていた。息子を想う気持ちで今のゲンドウは動いている。そう信じられる程に彼は真剣だった。

 

「だから、私はあいつに話すつもりだ。例え嫌われ、拒絶されるとしても、最初にそれをあいつにしたのは私だ。全ての原因はこちらにある。ならば、同じ事をされるだけに過ぎん。それが因果応報というものだ」

「……それが司令の、碇ゲンドウの本心ですか?」

「そうだ」

 

 ミサトの問いかけへ即答し、ゲンドウは彼女達へ背を向ける。

 

「葛城三佐、今日ここで見た事聞いた事は君の胸だけでしまっておいた方がいい。彼もシンジにとっては大切な存在となっているようだ。私は息子を泣かせたくない」

「……他言無用、ですか。それなら見逃すと?」

「好きにとってくれて構わん。それと、くれぐれもシンジへこの話をしないでくれ。それは、私の父としての最後の仕事になるかもしれないからな」

 

 それだけ言い残し、ゲンドウはその場を去った。残されたミサトとリツコは、その背が見えなくなるまでその場を動けなかった。やがてその背が見えなくなり、足音さえ聞こえなくなってやっと二人は互いの顔を見合わせる。

 

「……あれって司令よね?」

「ええ、ゲンドウさんだったわ」

「あんな人なの?」

「……いえ、私が知る限りは違った。もっと自分を見せない人だったもの」

 

 それに、あそこまで家族思いなら不倫などしない。そう内心で付け加え、リツコは誰もいなくなった廊下を見つめた。そして、微かに息を吹き返しそうな女へ釘を刺すようにこう呟く。

 

―――ユイさんに許してもらいたいのよ、ゲンドウさんは。

 

 

 

 ミサトがダミーシステムの真実を知った次の日、シンジはゲンドウにレイの事を話すと言われて司令室へやってきていた。以前の時と違い、室内に緊迫した空気が流れている事にシンジは気付いた。それだけ今回の話は重いのだろうと察し、彼は小さく唾を飲んだ。

 

「と、父さん。来たよ」

「……ああ。まずは座れ」

「う、うん……」

 

 部屋の入口から椅子を目指して歩き出すシンジ。次第に見えてくるゲンドウの表情もどこか強張っているのを確認し、彼の中で不安が強くなっていく。それでも足を止める事はしない。今の彼に目の前の事から逃げ出すという選択肢はないに等しいからだ。椅子へ座り、ゲンドウと向き合うシンジ。先に話を振ったのはゲンドウだった。

 

「レイの事を聞きたいのだったな」

「うん、そうだよ。綾波がどうしてエヴァに乗れるのか。綾波は両親の記憶がないって言ってた。生まれる前に亡くなったのか、あるいは物心つく前に引き取られたのか。僕はそれも知らないから」

「レイに親はいない」

「……そうなんだ」

 

 短く言い切られた内容にシンジは一瞬ではあるが悲痛な表情を浮かべた。やはりレイの世間ずれはそれも原因なのだろうと思ったからだ。だが、ゲンドウはそんな彼へ更なる驚きを与えていく。

 

「そもそも普通の人間ではない」

「……どういう、意味?」

「レイは、男と女が結ばれて生まれた命ではないという事だ。もっと言えば受精という過程を経ていない存在だ」

 

 今度こそシンジは言葉を失った。ゲンドウの告げた内容はそれだけの衝撃を持っていたからだ。レイが人間ではない。その生まれ方は生命の辿る方法ではないもの。そう告げられたのである。だが、そこで思考を停止する事は今のシンジには出来なかった。何故なら彼女は愛する女性となったのだ。

 

「綾波は、綾波は人間じゃないって言うの?」

「そうだ。生物学的にはそうなる」

「じゃ、一体綾波は」

 

 そこでシンジの携帯が鳴った。流れを断ち切られる形になり、やや微妙な表情をするシンジへゲンドウは軽く息を吐いて携帯を見つめて頷いた。出てもいいという合図と取り、シンジは通話ボタンを押す。相手は加持だった。

 

「もしもし」

『やあ、シンジ君。今、電話大丈夫か?』

 

 チラリとゲンドウを見つめ、シンジはある事を思い付いて通話を続ける事にした。

 

「はい、大丈夫です」

『そうか。いや、大した用件じゃない。以前から話していた引っ越しの件だ。君さえ良ければ来週頭にでも行えるぞ』

「ホントですか?」

『ああ。俺も手伝うし、そもそも大きな荷物はネルフの方でやってくれる。だからおそらくそんなに時間はかからない』

 

 シンジはそうなのかと目でゲンドウへ尋ねる。すると彼は小さく頷く。

 

「あの、加持さん」

『ん?』

「僕、父さんと上手く暮らしていけるでしょうか?」

 

 その問いかけは目の前のゲンドウへのものでもあった。その証拠にシンジはゲンドウを見つめたまま話している。微かに息を呑むゲンドウの耳に、加持の困ったような苦笑いが聞こえてきた。

 

『それは俺には分からないなぁ。ただ、あの司令がミサトから言われたとは言え、自ら君へ話を持ちかけたんだ。いつかも言ったが、こういうのは本気なら隠さない。今のあの人は紛れもなく君の父親をしてる。俺はそう思うよ』

「……言ってくれる」

 

 加持の言葉に無意識に小さく笑みを浮かべるゲンドウ。それを見てシンジは軽く驚きながらも嬉しそうに笑った。加持の言葉が正しいと思えたからだ。だからこそ彼は二人の男へしっかりと答える。

 

―――分かりました。じゃ、僕もちゃんと子供します。

 

 どこか楽しそうな声に加持とゲンドウが揃って一瞬言葉を無くし、同時に声を上げて笑った。幸い加持にはゲンドウの声が聞こえなかったようで、そのまま通話は程なくして終了する。携帯をしまい、シンジは息を吐いてゲンドウへ向き直った。

 

「父さん、僕は子供だから分からない事だらけだ。だから自分が思った事を信じる事にするよ」

「そうか」

「うん。だから綾波は人間だよ。それで、僕の大事な彼女だ」

「…………そうか」

「綾波がエヴァに乗れるのは、きっとその生まれに理由があるんだよね? ならそれでいいよ。うん、それだけでいい」

 

 まるで自分へ言い聞かせるような言葉に、ゲンドウは息を吐いて笑みを浮かべた。強い子だと、そう思ったのだ。自分とはまったく違うとも。世の中の嫌な事や汚い事を見聞きしても、シンジは自分の信念を貫こうとするのだろう。そこは自分とは違う。そうゲンドウは考えた。だが、彼もそういう意味では同じだった。何があろうと自分の信念を貫こうとするところは。例え世界全てを敵に回したとしても、と。

 

「シンジ、お前は私が何をしていたとしても母さんのためだから信じると言ったな。例えば人を殺しているとしても、それは今も変わらないか?」

「……正直そうだとしたら迷うよ。でも、そうだとしたら僕が信じる信じないじゃないからね。そんな事、したの?」

「近い事はしているかもしれん。母さんと再会するためになりふり構わず生きてきたからな」

「そっか。それでも、父さんはきっとそういう意味では一貫してるとも思う。母さんと僕、両方へ意識を割けなかったから母さんだけにした事からもね」

「シンジ……」

 

 そこでシンジは一旦言葉を切ってゲンドウを見つめた。その真っ直ぐな眼差しにゲンドウは眩しいものを感じるも、それでも目を背ける事なく見つめ返す。それにシンジは嬉しそうに笑って頷いた。

 

「だから、今の父さんがする事なら僕は信じられる。僕もちゃんと見てくれる、今の父さんなら」

「……そうか」

 

 噛み締めるような声。それにシンジはもう一度頷いた。そこで彼にとっての予想外の事が起きる。何とゲンドウがその場でシンジの予定を尋ね、引っ越しの段取りを決めてしまったのだ。更にその日、彼も手伝う事を決めてしまい、冬月へ当日とその翌日のスケジュール変更を依頼してしまう。その強引な行動力にシンジは気付いた。ゲンドウは一度決めたら突き進んでしまうタイプなのだろうと。そして、本気で動き出すと止める事が難しい相手だろうとも。

 

「ああ、頼む。息子の引っ越し祝いもしたいのでな」

「と、父さん。何もそこまで」

「何を言っている。お前もアスカ君やレイを誘っておけ。今までしてやれなかった分、その日ぐらいは父親らしい事をさせてくれ」

 

 不器用な愛し方。どこか人の事を考えていない行動。それでも、今のシンジには伝わるのだ。その根底に何があるのか。きっと母も父のそういうところを分かったのだろう。そう考えてシンジは苦笑する。

 

―――分かった。じゃ、期待しとくよ。

―――ああ。

 

 父へまだ信じ切れない部分は残る。それでも、ならば信じられる部分だけは信じ抜くと決めて少年は部屋を後にする。その背を見つめ、父は思うのだ。もっと早く気付いていればと。そう、自分にはまず少年がいたのだと。血を分けた一人息子。その存在をどうしてもっと早く大事にし、妻と同じぐらいに愛してやれなかったのか。

 

(本当に俺は変わっていないな。いつだって自分の事しか考えていない。ユイが戻ってこなかったのはそれも原因かもしれないな。俺が父親らしくなかったから、ユイは突き放したのかもしれない)

 

 そんな事さえ考えてゲンドウは大きく息を吐いた。彼は知らず大きな成長を遂げていた。妻のサルベージが失敗した原因が自らにあるのではないかと思い出しているのだ。男ではなく親となったゲンドウは、ちゃんと父をしていなかった事を母をしていたユイが不満に思っていたかもしれないと、そう思い始めていた。

 

 碇親子が会話をしていた頃、レイはリツコから白衣を研究室へ届けて欲しいとの連絡を受け、少しだけ気まずい気持ちでそこを訪れていた。が、そこでリツコは普段と違い私服で彼女を出迎えたのだ。どういう事だと理解出来ないレイへリツコはどこか辛そうな表情で話し出す。

 

「レイ、私は貴女に謝らないといけない事があるの」

 

 その切り出しにレイは表情を強張らせる。捨てられる。あるいは突き放されると思ったのだ。だが、その考えはリツコが続けた言葉で否定される事となる。

 

「私は貴女がクローンだと知っていたの」

「……どういう事ですか?」

「貴女が苦しんでいた原因。それに私も少なからず関わっていたのよ。だから私は」

 

 そこまでしかリツコは言葉を紡げなかった。何故ならレイが彼女へ抱き着いたからだ。あまりにも突然な行動にリツコは思わず言葉を出せず、ただ胸に感じる温もりでそれがレイだと分かったぐらいに驚いていた。

 

「レイ……?」

「良かった……私、お母さんに捨てられるのかと思ったの」

「……私の母さんの事なら気にしなくていいと」

「違うの。これ、白衣を置いて行ったからネルフを辞めてしまうんじゃないかって……」

 

 消え入るような声にリツコは不意を突かれた顔になり、やがてゆっくりと微笑みを浮かべた。言われて成程と思ってしまったのだ。仕事着を置いて帰った事をレイが辞職する気かもしれないと考え、更に翌日にはそれを届けて欲しいと呼び出し、入室すれば私服で出迎えて謝る事があると切り出す。ここまで揃えば彼女の想像もあながち間違いではない。だからこそ愛おしさを込めて告げる。

 

「バカね。それに私が仕事を辞めるとしてもレイを捨てるはずないわ。お母さんなんて呼ばせたのよ? ちゃんと責任は果たすわ」

「本当? 私を置いていなくなったりしない?」

「ええ。約束するわ」

 

 レイの頭を優しく撫でながらリツコはその愛おしさを噛み締める。そう、レイは純真無垢なのだ。だからこそ人の綺麗な部分や強い部分、優しい部分を見せなければならない。彼女の事を知っている者としても、その母代わりとしても。リツコもここにきて完全に心が決まった。最早彼女は女ではない。母へと完全に変化したのだ。

 

「レイ、白衣を貸してくれる?」

「……ええ」

「ありがとう」

 

 レイから受け取った白衣へ袖を通し、リツコはある事を少女へ告げる。

 

「レイ、いつになるか分からないけれど、私の実家へ、生まれた場所へ一緒に行かない?」

「お母さんの?」

「そう。私の母さんの母さんがいるの。それと、母さんのお墓もそこにあるのよ」

 

 最後の言葉でレイが表情を曇らせる。だからこそ、リツコはレイの体をそっと抱きしめて告げた。

 

―――一緒に墓参りして欲しいの。私の娘よって、そう教えたいから。

 

 目を大きく見開いて、レイは聞こえた言葉が本当か確かめるようにリツコへ視線を向ける。

 

「お母さん、今の……」

「手続きしましょう。養子縁組って言ってね、私とレイはその気になれば本当に母娘になれるの」

「……そうなったら、二人だけの秘密じゃなくてもいいの?」

「ええ」

「碇君やアスカへ教えてもいいの?」

「そうなったらね」

「いつでもお母さんって呼んでいいの?」

「勿論」

「っ! お母さんっ!」

 

 もしかすると、それはレイの中で一番嬉しかった瞬間だったのかもしれない。シンジから愛を告げられた時も彼女は嬉しかった。だが、それはアスカと一緒だった。しかし、今回のは違う。今回は彼女だけなのだ。自分だけが得られた気持ち。自分にしか向けられない想い。レイにとってそれは初めての事だったのだから。

 

 リツコの胸の中に顔を埋めるレイ。聞こえてくる心音が心地良く思え、レイはどこかで同じ音を聞いた事を思い出す。それはあの日の記憶。同じようにリツコと抱き締め合って擬似的な母娘関係が始まりを告げた日の事。あの時と同じ場所、同じ行為。だけど、その関係は変わっている。それが不思議で、でも納得出来てしまう事がまた不思議に感じるレイだった。

 

「レイ? 寝ちゃダメよ?」

「……ええ、分かってる」

「そう。なら、悪いけどそろそろ仕事をさせてくれない?」

「嫌」

「あら、ワガママさん」

「そうよ。今の私はアスカなの」

「ふふっ、それ、アスカに言っちゃおうかしら?」

「ダメ。今のはお母さんだから言ったの」

 

 話しながら二人は思う。これが母娘なのだろうかと。リツコもレイも普通の母娘関係など知らない。手探りの状態である。だからだろう。不安を感じつつ、こう思い出していたのだ。自分達はこれでいいのだと。自分達しか出来ない母娘のやり取りをすればいい。そう思って二人は笑みを見せ合う。

 

―――とにかく、お母さんは仕事があるから。もう帰りなさい。

―――分かったわ。じゃ、お仕事頑張ってお母さん。

―――ええ。レイも気を付けて帰りなさい。

 

 血の繋がりだけが家族を作るのではない。それをこの二人も肌で感じ始めていた。子供達はそれぞれに親や大人と向き合い、大人達は子供と向き合う事で成長していく。この日を境にレイは以前にも増して感情が豊かになっていく。表情が変わる事も増え、クラスの人気も男女共に増していくのだ。それをシンジ達は嬉しく思って笑みを浮かべる事となる。

 

 

 

 ベッド以外何も無くなった部屋を見て、シンジは感慨深いものを感じていた。そこは彼の部屋だった場所。明日からは当分空き部屋となるらしい。そう、遂に引っ越しの日が来たのである。

 

「この天井も、見慣れたなぁ……」

 

 視線を上げて眺める景色にここへ来た初日を思い出すシンジ。また同じ事を思うのだろうか。どこかでそんな事を考えながら彼は殺風景になった部屋へ静かに一礼した。

 

「お世話になりました」

 

 当然返ってくる言葉はない―――はずだった。

 

「こちらこそお世話になったわね」

「……ミサトさん? 仕事はどうしたんですか?」

「ん。ちょっち抜けてきた」

 

 聞こえてきた声に振り返れば制服姿のミサトがそこにいた。その表情と目はどこか寂しそうに見える。シンジもそれを感じ取り、似たような顔を返した。

 

「その、本当に今までありがとうございました。あの日、ミサトさんが僕を同居させようとしてくれなかったら」

「そこまで。これで二度と会えない訳じゃないんだし、これはめでたい事なのよ? しんみりするのは無し無し」

「ミサトさん……」

「ま、これからも遊びに来てくれていいわ。それと、もしお父さんと上手くいかなくなったらいつでも帰ってきなさい。ここはシンジ君の部屋よ。君が帰ってくれば、ね」

「……はい、ありがとうございます」

 

 こみ上げてくるものを何とか堪えてシンジは笑みを返した。それにミサトも慈愛の微笑みを返して頷く。丁度そこへ加持が顔を出した。

 

「もう終わったか? そろそろ行くぞ」

「はい。ミサトさん、それと加持さんも明日の引っ越し祝い出てくれますか?」

「俺は構わないが……」

「あたしも可能だけど、顔を出してご挨拶だけして帰るわ。リョウジもそうしたら?」

「だな」

 

 どこか苦笑する二人にシンジは気を遣われていると理解し、そんな事は必要ないと告げようとして先に二人に機先を制される。

 

「シンジ君、気持ちは嬉しいけれどあたし達は他人なの。それに、もしかしたら貴方の彼女達は家族になるかもしれないけど、あたし達は絶対にないから」

「そういう事だ。シンジ君、ここがある種の正念場だぞ。ここで親父さんに二人の彼女を娘にしたいと思わせるんだ。そうすれば有り得ない未来が近付くかもしれないぞ?」

「有り得ない未来って……」

 

 その表現で浮かぶのはいつかの妄想。それを現実にしてもいい。そんな夢物語を思い浮かべ、シンジは頬を掻いた。こうしてシンジは最低限の荷物を積んだ軽トラックで加持と共にゲンドウの住む部屋へと向かう。すると、到着した二人をゲンドウが出迎えたのだ。普段と違い、汗を掻いてもいいようにTシャツとジャージ姿で。

 

「……父さん、その格好は」

「着がえた。荷物を運ぶからな。普段の物では余計汗を掻くと思った」

「何と言いますか、意外とお似合いですよ司令」

「……そういうそちらもな」

 

 小さく笑みを見せ合うゲンドウと加持。その妙な雰囲気にシンジは小首を傾げるも、気にしない方がいいと判断して段ボール箱を一つ抱え、部屋の中へと歩く。リビングを通りドアが開いている近くの部屋を見ると、ミサトのマンションであてがわれた部屋より少しだけ広めの部屋があり、彼が父に言われて選んだ新しいベッドとチェロ、それに業者へ持って行ってもらったいくつかの段ボール箱が置いてあった。だが、それらの箱は見れば衣類と本、下着類だけ。書いてある文字を見てゲンドウが運んだ証拠だ。その事に気付いて嬉しく思うシンジの後ろに気配が近付く。なのでシンジは振り向いてゲンドウ達の姿を確認して笑みを見せた。

 

「ありがとう父さん。これ、意外と重かったでしょ」

「本だけはな。衣服の類はそうでもない。加持君、それはここでいい」

「分かりました。で、シンジ君、他に部屋へ運んでおきたいものはあるか?」

「いえ、とりあえずこれだけでいいです。父さん、残りはそこに置いたままでもいい?」

「ああ、構わん」

 

 そのやり取りを聞いて加持は内心で驚いていた。どう聞いても普通の会話だったからだ。おかしな話だが、シンジとゲンドウが普通の親子として会話する事は、加持にとってはかなり普通ではない事と思っていたからだ。

 

「なら俺は帰るとするわ。ついでに、ミサトの部屋へ運べる物は運んでおきたいんでね」

「そうですか」

「ああ。では司令、失礼します」

「今日は助かった。息子に代わって礼を言う」

「いえ、自分の方こそご子息には色々と助けてもらいましたので」

 

 言い終わると加持は一礼しその場を去る。その背を見送り、シンジはゲンドウへ視線を向けた。するとその目が合う。そこで少しだけ二人は見つめ合い、やがてどちらでもなく小さく笑った。

 

「とりあえず引っ越し祝いを明日するって言ってたけど料理とかは?」

「既に予約してある。明日の午後六時に届くはずだ」

「へぇ、何予約したの?」

「こういう時は寿司と相場が決まっている」

 

 新しい自室へ移動して少しだけ荷解きを始めるシンジと、残る段ボール箱を隅へと移動させるゲンドウ。顔を向け合わなくても心を向け合い会話を続ける。それはどこにでもある光景かもしれない。だけど、それがこの二人には少し前まで有り得なかった光景なのだ。何でもないような事が幸せとはよく言ったもの。今、この瞬間シンジとゲンドウは小さくない幸せを感じていたのだから。

 

―――そうそう。父さん、アスカと綾波は誘ったよ。

―――そうか。で、来るのか?

―――うん。それとミサトさんは加持さんと一緒に挨拶だけしに来るって。

―――……しまったな。葛城君を忘れていたか。そちらは私が声を掛けるべきだった。

 

 既に特別な事と感じず会話を続ける二人。そんな彼らを碇ユイが見れば何と言っただろう。やっとかとため息を吐いただろうか。もしくは、やっとかと微笑みを浮かべただろうか。その答えは初号機だけが知っている……。

 

 

 

「レイは何着て行くの?」

「え?」

 

 シンジが新しい部屋で荷解きを始めた頃、アスカとレイは自宅でTシャツにハーフパンツという格好で寛いでいた。シンジがいる頃は絶対しなかったし出来なかった格好ではある。女二人で過ごしているからこその状態であり、シンジがいても平然と似た格好が出来たミサトとは違う。そこは好きな異性として彼を意識しているかいないかの差だろう。

 

「明日の引っ越し祝いよ。ほら、司令もいるじゃない」

「……特別な格好じゃないとダメなの?」

「そこまでは言わないけど……」

 

 昔ならここでアスカの言わんとしている事を理解出来ないレイだったが、今は違った。言いよどんだ事から何かを察したのである。

 

「碇君だけじゃなく司令にも好印象を与えた方がいい?」

「ん。だって、未来の義父になるかもしれないじゃない。なら、少しはね」

「義父……そうね」

 

 ゲンドウが父になる。それはレイにとって複雑な感情を抱かせる。それも以前なら有り得なかった事だ。リツコを母と慕い、アスカを親友と思い、シンジを彼氏と愛するようになったからこその変化である。

 

(碇司令がお父さん? ……今の碇司令は私をどう思っているのだろう……?)

 

 レイの記憶にあるゲンドウは彼女を通して何か違うものを見ていた。だが、シンジと関り変化した今のゲンドウとは会っていない。なら、それを確かめるためにも今日は大事な日になる。そう考えたレイは小さく頷くとアスカへ視線を向けた。

 

「何?」

「アスカ、服を買いに行きたい」

「服?」

「ええ。私、碇君と二人で会うために買った物しか私服がないの」

 

 その言葉でアスカもこれまでの事を思い出す。たしかに外出する際、レイはあの訓練の際に購入した服ばかり着ていたと。

 

「……言われてみればそうね。よし、なら着替えますか」

「ありがとうアスカ」

「いいわよ。あたしも新しい服買うとするわ。シンジの目を釘付けにしてやるんだから」

「させない。私に向けさせる」

「言うじゃない。あ、レイ? 着るのはあのワンピースにしなさいよ? じゃなかったら怒るからね」

「分かったわ」

 

 それから十分後、ある店に二人の姿があった。そこはかつてレイがリツコとミサトに連れられて訪れた場所。今彼女が着ているワンピースを買った店だった。

 

「どういうのがいいの?」

「レイ、まず自分でいいなって思う物を選びなさいよ。で、それをあたしに見せて。そこで初めて意見を言うわ」

 

 アスカのやや突き放す言葉にレイは一度だけ瞬きする。だがすぐにその意図を察して頷いた。アスカはレイの自主性を重んじようとしていたのだ。あるいはレイの好みを探るためだったのかもしれない。とにかく、レイはアスカの言葉通り初めて自分の感性で物を選ぼうとしていた。

 

「赤、青、黄、緑、白、黒。色だけでも沢山あるのね」

 

 そこではたとレイが止まった。

 

「碇君の好きな色は何色……?」

 

 呟かれた内容を彼が聞けば小さな驚きと大きな喜びを見せただろう。レイが他者の好みを気にして、自らの選択に影響させようとしているのだから。残念ながら今回はその答えを与える者はいない。それでもレイは今までの事を思い出し、自身の格好を見て頷く。あの時、シンジは白いワンピース姿の自分を見て固まっていた事を思い出して。

 

「白にしましょう。きっと碇君が喜んでくれるわ」

 

 そうと決まれば次はデザイン。白の服を目につく限り手に取り、考え、戻す。当然だがこれという物がレイには分からない。彼女はまだ明確な判断基準が出来ていないためである。

 

「……露出が多いのは一般的に男性は好む。でも、碇君に見られるだけじゃなくて司令にも見られると恥ずかしい」

 

 想像しての呟きは、レイの成長と変化を如実に示していた。あのピクニックのような行動はもうレイには出来ない。いや、シンジと二人きりなら可能かもしれないが。結局レイは、白の服から着ても恥ずかしくないし見られてもいいと感じた物を数点持ってアスカの元へと戻る。既にアスカは何着か試着をしており、レイが合流した時には真紅のカクテルドレスを手にしていた。

 

「アスカ、持って来たわ」

「ん? どれどれ……」

 

 レイの手にある服を眺めるアスカだが、その表情が段々苦笑していく。その理由がレイには分からないので小首を傾げた。

 

「普段着ならいいけど、今回はお祝いに着ていくんだから。こういう派手な感じのがいいわ」

「……ドレス?」

「そ。でも、レイのセンスは何となく分かった。これ、見られても恥ずかしくない奴選んだでしょ?」

「ええ」

 

 ずばりで当てた彼女に内心で驚くレイだったが、アスカはむしろため息を吐いた。分かったのだ。まだレイはオシャレを楽しむ感性が備わっていないのだと。そうなればする事は一つだ。アスカはレイへ持ってきた服を元々あった場所へ戻させ、着せ替え人形のように様々な服を着せる事にしたのである。

 

「これ」

「分かった」

 

 渡される服を次々と着ては見せ着ては見せを繰り返す。その内にレイも感覚で分かり始める。ただそれはどういう服が似合うかではなく、服装を変える事で見てくれる人の印象が異なっていく事。アスカは笑みを見せたり、首を傾げたり、時には驚きを見せたりとその表情と感情を変えたからだ。

 

 やがてレイとアスカが同じ服で意見を一致させる。それを着たレイにアスカが頷き、着ている本人も一番いいと思えたのだ。何よりもレイ自身が着てみたかった。それは蒼のカクテルドレス。どこか零号機を思わせる色合いだったのもその一因かもしれない。

 

「アスカ、私はこれがいい」

「あたしもそれが一番いいと思うわ」

「それで、私はアスカに着て欲しい物があるの」

「へぇ、レイがあたしに? どれよ?」

「これ」

 

 そう言ってレイが手に取ったのは真紅のカクテルドレス。レイが合流した時、アスカが手にしていた物だ。そこでアスカも気付いた。何を想ってレイがそれを薦めているのかを。

 

「エヴァの色?」

「ええ。私はやっぱり零号機でしょ?」

「……そうね。うん、ならそれで行きましょう」

 

 本来であれば中学生が買うような物ではないかもしれないが、そこは年齢の割に大人びた二人である。店員が訝しむ事もなくあっさりと支払は終わった。ネルフからの給料支給額は、パイロットである彼女達の場合、かなりの高額であった。故にアスカの用意してきた資金はとても中学生とは思えない額だった事もそれに影響している。

 

「さて、なら次は靴ね」

「靴?」

「そうよ。いい服にはいい靴。上下揃えて初めて完成なの」

「……それが足元を見られるの語源?」

「じゃない? とにかく行くわよ」

 

 こうして靴もドレスと揃いの色で決める事になり、最後にアクセサリーを購入しに行きレイとアスカの買い物は無事終了。後は明日の引っ越し祝いへ行くだけとなった。そして、その日こそレイとリツコにとって忘れられない日となる。

 

 明けて翌日、ネルフ本部にシンジ達の姿があった。使徒が現れたのである。いや、正確には使徒と思われる存在だろう。この時点ではその反応は確定していなかったのだ。

 

「目標は、大涌谷上空にて滞空。定点回転を続けています」

「目標のATフィールド、依然健在」

「弐号機、参号機共にいつでも攻撃可能です」

 

 オペレーター三人の言葉を聞いてミサトは頷き、リツコへ視線を向ける。彼女はMAGIからの目標に対する反応を見つめていたのだ。

 

「リツコ、何か分かった?」

「いえ、パターンは青からオレンジへ周期的に変化してるわ。ただ、思い出して欲しいの。同じようにパターン青で現れなかった使徒がいたでしょ?」

「……厄介系って事ね」

「ええ。だから、あれも用心するべきよ。擬態かあるいはダミーの可能性もある」

 

 初号機をディラックの海へ引きずり込んだ使徒を引き合いに出し、警戒を促すリツコにミサトも同意するように頷いてゲンドウへと顔を向けた。彼はモニタを見つめ何事かを思案しているように見えた。それでもミサトは構わず意見を述べる事にした。

 

「司令、まずは様子見として無人偵察機を出したいのですが」

「許可する。それでその後は目標の動き次第か?」

「そうなりますが、初号機は出来るだけ出さないで片付けたいと思います」

「……そうだな。だが、切り札は効果を出せる状況が決まっている。出し惜しんでただのババにされないようにな」

「了解しました」

 

 今やゲンドウの指示に疑問を抱く者はいなくなっていた。今のもそう。初号機を使いたくないミサトへ、必要とあれば気にせず使えとその判断に任せると告げたのだ。今の発令所はまさしく一体感があった。誰もがエヴァパイロット達の安全を第一に考えながら使徒殲滅を目指す。そんな環境となっていたのだ。

 

「日向二尉、至急」

 

 ミサトが偵察機の事を指示しようとしたその時であった。

 

「目標に動きありっ! 参号機へ接触しますっ!」

「っ!? レイ、応戦してっ!」

『了解っ』

 

 突如として動きを見せた使徒は、そのまま一番近くにいた参号機へと襲い掛かった。その紐のような状態となった使徒を辛うじて回避し、参号機はすぐさま完成したばかりの劣化版マステマでの射撃を行う。それは使徒のフィールドに阻まれ通用しない。

 

「ダメ。やっぱりこれでは通じない」

『レイっ! 離れてっ!』

 

 聞こえた声にレイは参号機を反射的に動かす。それに合わせたかのように収束フィールドが使徒へと直撃した。弐号機の攻撃である。だが、それさえも使徒のフィールドを破る事は叶わない。使徒を左右から挟むように参号機と弐号機が見つめ合う。

 

「アスカ、あの使徒のフィールドも硬いわ」

『みたいね。今回の装備じゃ前回みたいにはいかないか』

 

 悔しげなアスカの声にレイも同じ気持ちを覚える。やはり攻撃力は未だにあの初号機がトップクラスなのだ。しかも突き抜けて。と、そこでレイは思い出す事があった。強固なフィールドを持つ相手に二機のエヴァで立ち向かう。それはレイにとって忘れられない思い出の一つ。

 

「なら、ヤシマ作戦で行きましょう」

『ヤシマ作戦? ……成程。了解よ』

「葛城三佐、構いませんか?」

『ええ。現場の事は基本そっちに一任するわ。何かあればこちらで指示を出すから』

 

 無責任とも取れるミサトのやり方だが、常識に囚われない使徒を相手にする以上一瞬の判断ミスが命取りになりかねない。であれば実際戦う者達に一任する方がいいと言える。要所要所で指示を出す方が使徒戦に関してはメリットが多いとこれまでの事で分かっているのだ。

 

「アスカ、とどめは任せるわ」

『任せなさい。きっちり仕留めてやるわよ!』

 

 参号機が使徒へ射撃を加えてフィールドを展開、その間に弐号機が逆方向から攻撃し無防備な相手を撃破。これが今回のヤシマ作戦である。

 

 参号機がマステマで射撃を仕掛けるも、当然のようにそれを使徒のフィールドが阻む。その瞬間、弐号機の放った収束フィールドが使徒へと直撃した―――のだが。

 

「「っ!?」」

 

 それはフィールドによって阻まれたのだ。そこでレイはガトリング攻撃を点制圧から面制圧へと変える。するとフィールドの全貌が明らかになった。使徒のフィールドは前面を覆うように展開されており、180度までは完全に守れるようになっていたのだ。それを見たミサトは拳を握る。気付いたのだ。使徒が過去の作戦へも対応をしている事に。

 

「やってくれる……っ! 二人共、使徒のフィールドは下手をしたら全面展開出来る可能性があるわ! 一旦距離を取ってっ!」

『『了解っ!』』

「ヤシマ作戦、失敗ね。やはり使徒は学習していると見て間違いないわ」

「そうね。このままじゃ手詰まりよ。仮に背面はフィールドを張れないとしても、あの収束フィールドで仕留め切れるかも分からないわ。いえ、そちらも対応してると考えた方がいいか」

 

 モニタを見つめミサトが何か手を考え始めたその時だった。輪のような使徒が回転数を上げたのは。それはそのまま上昇を続ける。何が目的だと誰もが意図を掴みかねていた時、マコトが使徒の内部に高エネルギー反応を確認したのだ。

 

「使徒内部に高エネルギー反応っ!」

「何ですってっ!?」

 

 その瞬間、使徒の内部から放射状に光が放たれ、展開していたフィールドが周囲へ飛び散った。突然の事に慌てながらもアスカとレイは回避する。だが、使徒は回転しているため全方位を隈なく攻撃し続けた。それは弐号機が行った収束フィールドを別のエネルギーで押し出す攻撃の模倣。周囲に遮蔽物がなく、参号機と弐号機は遂に避けきれなくなりフィールドを展開して凌ごうとした。

 

「くっ……これは……っ!」

「収束しても耐え切れない……っ? 不味い……っ!」

 

 強度が上がった参号機と収束して強度を上げる弐号機だったが、それでも絶え間なく襲う使徒のフィールド攻撃に突破されるのは時間の問題だった。かといって反撃出来るはずもなく、二人はどうする事も出来ないでいた。一方のミサト達も何か手を打とうとしていたが、初号機を出撃させてもあの攻撃では身動きが取れないのも事実。結局のところ、何も有効策が見つからないままであった。

 

「弐号機、参号機、共にフィールドへ亀裂を確認っ!」

「使徒のエネルギー反応、依然として高いままです!」

「シンジ君が出させて欲しいと申し出ていますっ!」

「ミサト、どうするの?」

 

 悠長に考えていられる時間はない。ミサトはそう思って一つの賭けに出た。

 

「初号機を出してっ! ただし、リフトの速度を下げずに射出っ! シンジ君っ! 使徒の上方からの急降下攻撃よ!」

『分かりましたっ!』

「使徒の死角になるかもしれない可能性に賭ける、か……」

「悪くない手だ。ただし一度きりだろうがな」

 

 ゲンドウの指摘はもっともだった。使徒は高い学習能力を有している。であれば、初号機の攻撃も不意を突けるのは初回限りだろう。彼らの見ているモニタの中では、弐号機と参号機のフィールドが今にも破られそうになっている。

 

『二人共、シンジ君が行くまで耐えてっ!』

「聞いた……? シンジが来るみたいよ……っ!」

「なら……しっかり使徒の注意を引いておかないと……っ!」

「「フィールド全開っ!」」

 

 今出来る精一杯の事を。その気持ちが二機のエヴァのフィールドを辛うじてもたせていた。だが、使徒も気付いているのだろう。もうそれは最後の足掻きである事に。後一押しすれば終わる。そう思ったのか使徒が更に苛烈なフィールド攻撃を行った瞬間、二機のフィールドが砕け散った。その衝撃で体勢を崩して仰け反る弐号機と参号機。そこへ追撃のようにフィールド攻撃が放たれようとしたまさにその時。

 

「させるもんかぁぁぁぁぁっ!!」

 

 射出された勢いのまま初号機がマゴロク・E・ソードを取り出し、使徒の上空からそのまま突っ込んだのだ。斬り付けるのではなく刺し貫くようにして。落下速度に機体の重量、それらを乗せた一撃は使徒を見事に捉えて刃をその体へ貫かせて大地へと這わせた。まるで生き物のように這いずり回って暴れる使徒だったが、それも次第に勢いを無くし、最後には完全に動かなくなった。

 

「「シンジ(碇君)っ!」」

「な、何とかなったかな?」

 

 使徒を地面へ串刺しにして初号機はマゴロク・E・ソードから手を離した。まるで標本のような状態となった使徒を見てシンジは何とも言えない気分になる。初号機も姿を戻し、アスカとレイがエヴァを近付けようと動かしたまさにその瞬間。

 

―――パターン青、確認っ! まだ使徒は倒れていませんっ!

 

 マコトの声が響くのと使徒が再び動き出すのは同時だった。使徒は仮死状態となり、MAGIだけでなく初号機さえも欺いて見せた。咄嗟の事で動きが遅れるシンジ達へ襲いかかる使徒。狙いは初号機であると見抜いて、レイが参号機を辛うじて動かし身代わりになった。

 

「目標っ! 参号機と物理的接触っ!」

「参号機のフィールドは!?」

「展開中ですが侵蝕されていきますっ!」

 

 あまりの事に緊迫感が強まる発令所。と、そこでリツコがある事に気付いて叫んだ。

 

「シンジ君っ! アスカっ! 迂闊に手を出してはダメよっ! 貴方達まで侵蝕されるわっ!」

『でもリツコさんっ!』

『このままじゃレイが、レイが危ないじゃないっ!』

「分かってる! でも貴方達まで巻き込んだらレイはどう思うのっ!」

『『っ!?』』

 

 二人の見ている目の前で参号機は使徒へ侵蝕されていく。どうにかしたい。助けたい。そんな気持ちで動きたがるシンジとアスカへリツコがぶつけた怒声は彼らの胸に響いた。彼女のレイへの気持ちが伝わったからである。シンジもアスカもリツコがレイと深い絆を持っている事はそれとなく知っている。そんな彼女がレイの事を助けたいと思わぬはずがない。にも関わらず、真っ先に提言したのがレイの救出ではなく自分達の安全。それがリツコの大人としての在り方なのだと、少年少女は痛感したのだ。

 

「参号機の生体部品、侵蝕率増加っ!」

「シンジ君! アスカ! 遠距離で使徒を攻撃して!」

「使徒、侵蝕を強めていきます! このままではっ!」

「先輩っ! 侵蝕率が5%を超えますっ!」

「っ!? レイっ!」

 

 マヤの言葉が意味する事に気付き、リツコは息を呑みながらも叫んだ。愛しい我が子を呼ぶように。一方、シンジとアスカはミサトの指示通り使徒から距離を取って攻撃を開始した。だが、そこで恐ろしい光景を見る事になる。

 

「いい? 同時でいくわよ?」

「うん、分かった」

 

 片手にプログナイフを持ち、弐号機が構える。初号機もマステマを構えて使徒へとガトリング攻撃を放つ体勢を取った。弐号機の突き出した掌へ出現する収束フィールド。それを見て初号機がガトリング攻撃を開始。と同時に弐号機は収束フィールドをプログナイフで押し出した。

 

「これならっ!」

「いけるはずっ!」

 

 前後で挟み撃ちした攻撃は、使徒に届く瞬間フィールドによって阻まれる。だが、それは使徒の周囲だけではない。参号機さえも自身を守るように展開したのだ。それが何を意味するのかに気付いてリツコは目を見開いた。既に参号機は使徒と同調していると察したのだ。だからこそ無意識に彼女は呼んだ。少女の名を。

 

―――レイっ! 返事をしてっ!

 

 

 

 何もない真っ白な空間。そこにレイはいた。いや、彼女の意識はとでも言えばいいのだろうか。夢か現か分からぬまま、彼女は何かを感じて問いかけた。

 

「誰?」

「私。エヴァの中の私」

 

 まるで空間が半分に分かれたように色が変わり、もう一人のレイを名乗る黒いプラグスーツの少女がいる場所から後ろが黒く染まる。

 

「違う。私じゃない。それはもう私じゃないわ」

「どうしてそう思うの?」

「貴女からは温もりを感じない。碇君やアスカ、お母さんにあるような温もりがないもの」

「そう。だけどもう遅いわ」

 

 その言葉を契機にゆっくりと黒が白を飲み込み始める。侵蝕しているのだ。使徒はレイを飲み込もうとしていた。

 

「私と一つになりましょう? 私の心をあなたにも分けてあげる。この気持ちをあなたにも」

 

 使徒の言葉通り、レイの中に、ある感情のようなものが流れ込んできた。それはレイが最近まで感じていた感情。心が辛く苦しいもの。レイが自分の気持ちを感じたと理解したのだろう。使徒はどこか嬉しそうに告げた。

 

「痛いでしょ? 心が痛いでしょう?」

「……いえ、これは痛いんじゃない。寂しいと言うの。私がもうお母さんに会えないと思って感じた気持ち。そう、あなたは寂しいのね」

「さびしい?」

 

 レイの中を急速に駆け巡る冷たい気持ち。忘れていたはずの気持ちが彼女の中で目を覚ます。リツコの母を死に追いやった記憶とそれが理由で始まる辛く苦しい思い出。寂しいと強く感じる事となった時間。その弱気になった心を感じて使徒は不思議そうにレイを見つめる。その眼差しさえ今のレイには耐え切れない。まるで罪人である彼女が何故生きているのかと問うようだったからだ。

 

(私は、やっぱり許されるべきじゃない。お母さんのお母さんを死なせた原因なんだもの……)

 

 黒が白を全て塗り潰しそうになる。もう無理。そうレイが思って目を閉じた時だった。

 

―――レイっ! 返事をしてっ!

 

 聞こえてきたのは彼女が母と慕う女性の声。そこに込められた感情に気付き、レイは目を見開いた。その脳裏を幾多もの思い出が駆け巡る。リツコとの勉強会から始まり、母と呼んだ事や抱き締めあった事、弁当を作り共に食べて笑った事、部屋の玄関で抱き締めてもらった事。そして最後に、本当の母娘になろうと言われた事を思い出してレイは叫ぶ。

 

「お母さんっ!」

「お母さん? ママの事? 一体それは何?」

 

 ほんの僅かではあるが、白が黒の中に残っていた。それはレイ自身。彼女のプラグスーツは未だに白だった。そして、自分へ問いかける使徒の姿にレイはある事を思い出す。そう、リツコとの勉強会を。だからだろう。レイは気付けばこう返していた。

 

―――知りたいなら教えてあげる。だから私と一緒においで?

―――いいの?

―――ええ。一つにはなれないけれど、一緒にいてあげる。ほら、それなら寂しくないわ。エヴァの、参号機の中ならきっと。

―――……ホントだ。ここなら寂しくないみたい。

 

 瞬間、黒が一気に白へと変わった。使徒は参号機の中に残る第十三使徒の残滓を感じ取ったのだ。だからレイの言う通りに従った。そう、参号機に残っていた使徒の力。それは同化能力。エヴァと同化した使徒の力。それこそが残された能力だったのだ。故に参号機の性能も上昇していたのだから。

 

 こうして使徒を同化する事で参号機は侵蝕を食い止めた。そして、それはレイが無垢に全てを受け入れる事が出来る存在だからこその結果でもある。

 

『レイっ! 返事をしなさい! お願い返事をしてっ! お願いよぉ!』

「……ここは……エヴァの中? お母さん……?」

『っ!? レイ!? レイなのね!? 無事なのね!』

 

 初めて聞くリツコの取り乱す声に驚きながらも、それがどうしてかを察してレイは微笑んで涙を流す。

 

「ええ、無事よ。心配してくれてありがとう、お母さん。お母さんの声、聞こえたわ」

 

 まだ意識が完全に覚醒していないのだろう。レイは夢現なまま嬉しそうな声を出す。その噛み締めるような返事に、インカムを握り締めていたリツコは体を震わせながら言葉を返した。

 

「あら、ダメよ……レイ? まだっ……任務中、でしょ? ……っ!」

「リツコ!?」

 

 そこまでだった。発令所の誰もが見る中でリツコは遂に涙を見せた。今までどんな時も気丈に振舞い、感情を露わにしないよう努めていた女性が堪え切れずに涙を流したのだ。片手で口元を押さえながらも残る片手はインカムを放そうとしない。まるで娘との繋がりを放したくないとばかりに。そのままその場に泣き崩れるリツコへミサトが慌てて駆け寄る。ゲンドウ達にも動揺が走るが、ただ一人この男だけは冷静だった。

 

「碇、念のため回収機を出すか?」

「……そうだな。青葉二尉、参号機は回収機を出すと伝えろ。日向二尉、初号機と弐号機へは自力で帰還するように言え」

「了解しました。レイ、聞こえるか?」

「シンジ君、アスカ、聞いてたかもしれないが……」

「伊吹二尉、葛城三佐と共に赤木博士を研究室まで連れて行ってやれ。休ませた方がいい」

「わ、分かりました」

 

 シゲルとマコトがそれぞれ連絡する中、マヤがミサトと共にリツコを優しく立ち上がらせ、何事か声を掛けながら発令所を後にする。それを見送り、冬月は小さく笑ってゲンドウを見た。

 

「お前にしては温かい指示じゃないか」

「いけないでしょうか?」

「いや、いいと思うぞ。きっと今のお前を見ればユイ君も喜ぶだろう」

「……だといいのですが」

 

 変わった。そう強く感じて冬月は笑みを見せる。その理由をすぐに察し、彼は噛み締めるように呟く。

 

―――朱に交われば赤くなる、か……。思えば、私も強く関わろうとはしていなかったな。

 

 

 

 第十六使徒の殲滅。それを聞いて俄かに活気づく者達がいた。ゼーレである。

 

「遂に第16の使徒まで倒した」

「これで我らの死海文書に記された使徒は残り一つ」

「あの参号機の能力はどうする? 使徒を取り込んでしまったようだが……」

「何、恐れる事はない。使徒は取り込めてもアレは取り込めんさ。アレには一応パイロットがいる」

 

 不穏な言い方ではあるが、それに周囲も納得したような反応を返す。それが収まるのを待ってキールが通る声で告げた。

 

「約束の時は近い。ここまでの道のりは長く、犠牲もあった」

「だが、全ては些末なものだ。零号機の損失程度ならば許容出来る」

 

 その言葉に誰もが肯定的な反応を示す。実際、ここまでの使徒戦の被害は本来よりも圧倒的に少なく済んでいる。勿論それはあの初号機あっての事だが、それだけではない様々な変化がそこへ繋がっているのだ。それを知る由もないゼーレではあるが、彼らにとって大事なのは過程ではなく結果である。そこから考えれば、ある意味で現状はあの人物のおかげとも言えた。

 

「碇の手腕、と見るべきか?」

「あの初号機あっての結果ではあるが、奴でなければサードの手綱は握れんだろう」

「では、奴はこのままと?」

「それが良かろう。妻への執着も薄れてきたようだしな。下手に首輪を絞めると何をしでかすか分からん」

「息子との繋がり。そこに妻の面影を見たか……」

 

 キールの言葉はある意味で正鵠を射ていた。だがそれだけではない。シンジの成長がゲンドウをも成長させたのだ。そして妻への執着はある意味で薄れているが、またある意味ではより濃くなっているとも言える。シンジの成長を見せてやりたい。母の姿を、声を、一度でいいからその目で見させて、耳で聞かせてやりたいと。

 

「とにかく、これで計画はその達成が見えてきた。最後の瞬間まで慎重にいかねば、な」

 

 そのまとめに誰もが同調して話し合いは終わる。不気味に蠢く計画。その成就を願いながら……。

 

 

 

 テーブルに置かれた大きな桶。そこにはいかにも高そうな寿司が並んでいる。更にかんぴょうや錦糸玉子、桜でんぶなどが入ったちらし寿司もある。ただ、ちらし寿司はシンジの手作りだった。彼は普通の寿司ではレイが食べられない物ばかりであると思い出し、メディカルチェックが終わるや買い物に行ってこれを作ったのだ。それと、一台のカメラがある。ゲンドウが新しく買った物だ。シンジとの思い出を残しユイに見せられたらと、そう考えての事だった。

 

「お寿司、時間通りに来たね」

「ああ。まだ食べるな」

「分かってるよ。そこまで子供扱いは止めて欲しいな」

 

 使徒戦の後処理を冬月が引き受けた事もあり、ゲンドウはシンジと共に部屋へ帰宅する事が出来た。それでも出来る限りはと仕事を片付けているので、そこもまた成長したと言えるのかもしれない。現在時刻は午後六時を過ぎたところ。そろそろ二人の来客が来る事だ。そう思ってシンジは今か今かと玄関口で待っていた。その様子を小さく苦笑してゲンドウが見ていると知らずに。と、そこへ来客を告げる音が響く。

 

「来たみたい」

「そうか」

 

 珍しく子供のような面を出しているシンジにゲンドウは笑みを浮かべる。彼は知らない。それが自分と一緒にいるからだとは。これからは父親と共に暮らす。そう強く感じるからこそ、やっとシンジは子供らしい一面を出せるようになっていたのだ。

 

「いらっしゃい二人……共……」

 

 喜び勇んでドアを開けたシンジを待っていたのは、真紅と真蒼のドレスに身を包み、足元さえも同じ色で揃えた絶世の美少女達。更には、それぞれが自身のイメージカラーで揃いのイヤリングを付けていた。それは星を模った物。何をそこに込めたのかは本人達のみぞ知る。

 

「グーテンアーベント」

「こんばんは」

 

 にっこりと笑顔を浮かべるアスカとレイ。その美しさに思わず見惚れていたシンジはそこでやっと我に返った。

 

「あ、えっとこんばんは。その、よく来てくれたね。嬉しいよ、アスカ、綾波。上がって」

「「ふふっ、お邪魔します」」

 

 ドギマギしているシンジに気付き、一瞬だけ互いに視線を向け合う少女達。すると、シンジの後ろから現れたゲンドウが二人の格好を見て固まる。まさかそこまでするとは思っていなかったのだ。

 

「お邪魔しています司令。今日はお招きいただきありがとうございます」

「ありがとうございます」

「い、いや……大したもてなしも出来ないがゆっくりしていってくれ」

「「はい」」

 

 二人にタジタジなゲンドウを眺め、シンジは内心安堵する。自分だけではなかったと思って。

 

(良かった。今の二人には父さんも狼狽えるんだ。なら、僕が動揺するのは当然だよ。で、でも……綺麗だなぁ、今日のアスカと綾波)

 

 シンジは飲み物の用意をしながら少しだけ後ろを振り返る。そこには椅子に座って談笑するアスカとレイの姿があった。それがまるでどこかのお嬢様に見え、シンジは自身の格好へ目をやった。何の変哲もない普段着である。これでは二人と釣り合いが取れない。そう思ってため息を吐くシンジへ近付く者がいた。

 

「シンジ、それは私がやる。お前は二人の相手を」

「父さん、それってアスカ達と話す事がないからでしょ?」

「……いかんか?」

「綾波とは前話してたじゃないか。逃げちゃダメだよ」

 

 そうきっぱり返し、シンジは飲み物をグラスへ注ぎ終えるとそれを盆に載せて運んでしまった。残される形となったゲンドウだったが、息子の逃げるなとの言葉を思い出して一度息を吐くと、意を決したようにテーブルへと向かう。そして、シンジとゲンドウが座り、向かい側にアスカとレイがいる状態になったところでグラスを全員が持った。

 

「では、シンジの引っ越しと君達三人の無事を祝って、乾杯」

「「「乾杯っ」」」

 

 そこからは不思議な時間だったとしか言いようがなかった。ゲンドウが不器用なりにアスカとレイへ寿司を食べるようすすめ、シンジがそのぎこちなさに苦笑し、またある時はシンジ作のちらし寿司に三人が美味いと太鼓判を押す。アスカがゲンドウと将来を見据えた話をしようとする横で、レイはシンジへ服を買いに行った時の話をする。そうこうしているとまた来客を告げる音がした。ミサト達だと思ってシンジが動こうとすると、その肩へゲンドウが手を乗せた。

 

「私が出よう。お前が主役なのだからあまり働くな」

「……うん、ありがとう父さん」

 

 その申し出に甘え、シンジはその場に座りアスカとレイの三人で話し出す。内容は翌日からの登校はどうして欲しいかだった。それに困った反応を返すシンジをアスカとレイが笑みを浮かべながら優しく問い詰めていく。それを聞きながらゲンドウはドアを開けた。そこにいたのはある意味で予想通りの人物が二人と一人の予想外の存在。

 

「こんばんは。昨日振りですな、司令」

「……君達か。それに……」

「こんばんは」

 

 どこか冷めたようなリツコの声にゲンドウは何か返す事もなく視線を向ける。その気まずくなりそうな気配を察し、ミサトが少しだけ困ったような顔をして口を開いた。

 

「こんばんは。その、シンちゃん、いえシンジ君の引っ越し祝いに挨拶をと」

「そうか。それと呼び方はそれでも構わん。あいつにとっては私よりも君の方が立派な保護者だったろう」

「そんな……」

「謙遜しなくていい。色々と押し付けてしまって申し訳なかった」

 

 言って頭を下げるゲンドウに三人が揃って驚きを浮かべる。まさかプライベートとは言えそこまでするのかと思ったのだ。

 

「頭を上げてください。私もシンちゃんには迷惑をかけてましたから」

「……それでも、あいつは君からちゃんとした愛情を受けた。本来ならば私がやらねばならない事だ」

 

 しっかりと言い切り、ゲンドウは顔を家の中へ向けた。そこからは三人の楽しげな声が聞こえてくる。それに笑みを浮かべながらゲンドウはミサト達へ告げた。

 

「君達に聞きたいのだが、私はまだ間に合うだろうか?」

「……ええ、間に合いますとも。何せ、俺も似たような事を想っていましたからね」

「リョウジ……」

「十年は長いですが、それでも人の寿命で考えれば精々八分の一ぐらいです。なら、まだ十分取り返しはききますよ」

「葛城君もそう思うか?」

「そうですね。私も父への想いを見つめ直すのに十年以上かかりました。なら、まだ間に合うかと」

「そうか……赤木君はどうだ」

 

 二人の実体験絡みの肯定を受け、ゲンドウは噛み締めるように答えてリツコへ尋ねた。その声にリツコはどこか遠い目をしつつ、それでもゲンドウへ視線を合わせて答えた。

 

「過去だけを見ないのでしたら、いくらでも未来は変えられますわ」

「……過去だけを見ないなら、か」

 

 どこか苦い顔をし、ゲンドウは空を見上げた。そこに光る星を見つめ小さく彼は頷くと、ミサト達へ視線を戻して微かに笑みを浮かべてこう切り出した。

 

「上がっていってくれ。シンジ達が喜ぶ」

「いえ、私達は……」

 

 両手を動かし断ろうとするミサトだったが、その手を加持がそっと止める。

 

「ミサト、お言葉に甘えよう。シンジ君のお父さんがこう言ってくれてるんだ」

「…………そう、ね。リツコもいい?」

「そうね。シンジ君のお父さんのお誘いなら」

 

 加持の言い方でミサトもリツコも気付いたのだ。今のゲンドウは本当に父親なのだと。司令ではない。だからその顔を立てよう。その意図を察してミサト達はゲンドウの案内で部屋へと上がる。

 

―――ミサトさん! リツコさんに加持さんも!

―――こんばんはシンちゃん。って、アスカとレイ、凄いわね。決めてきたじゃない。

―――ホント。良く似合ってるわよ、二人共。

―――こりゃ綺麗だ。こんな彼女達を持つシンジ君は果報者ですね、碇さん。

―――ああ、正直シンジにはもったいない気もするが。

―――あら? シンジのパパには悪いけど、あたしもレイもシンジ以外とは付き合うなんて考えてないんで。

―――そういう事です。

―――ちょ、ちょっと、アスカも綾波も恥ずかしいから離れてよぉ……。

 

 響き合う笑い声。それを聞きながらシンジも笑みを零す。自分が守りたいものが自分を守ってくれる事を実感しながら。やがて、碇家に新しく写真が飾られる事となる。そこには、二人の少女に抱き着かれ照れくさそうに笑う少年と、それを見て微笑む四人の大人が写っていた……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが上がった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十三話「涙」完




ここで一度シンジの状態をおさらい。

精神コマンド……気迫 直感 集中 不屈 魂 勇気

特殊技能……底力LV9 見切り ガード 気力限界突破 アタッカー 勇者LV7

……かなり敵無しな感じですね。もう一度全部乗せゼルエルが来ても、余裕ではないですが確実に勝てるぐらいにはなったかと。


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第二十四話 最後のシ者

遂に最後の使徒です。話数的には終わりが見えてきましたが、作者的にはまったく終わりが見えません。それと、話数が進めば進むだけ不安が大きくなっていきます(汗


「フォースチルドレン?」

 

 リツコの研究室でコーヒーを飲みながらの雑談中、ミサトは思わず聞き返した。聞き間違いかと思ったからである。それぐらいその単語の意味は理解したくなかった。

 

「そう。四人目の適格者ね」

「必要ある? シンちゃん達でエヴァはきっちり使えているのに」

「……委員会直々よ」

「真っ黒って事か」

 

 リツコの答えに必要のない存在が来るこの上ない理由を察し、ミサトはため息混じりにカップを口へ近付け、何かに気付いて部屋を見回す。

 

「どうしたの?」

「ん? いや、今は真っ黒な物飲みたくない気分になったからさ」

「……そこに砂糖と一緒に置いてあるわ」

 

 リツコの指さした場所へ目をやるミサト。するとそこには可愛らしい猫の親子が描かれたペン立てがあり、その中にスティックシュガーとコーヒーフレッシュが置いてあった。そこでミサトは気付く。たしかリツコはブラック派だった事に。

 

「ね、あれ」

「レイのためよ。あの子、甘めのカフェオレにしないと飲めないの」

「……そ」

 

 思わず笑みを零すミサトにリツコが照れくさいのか咳払い。それが余計ミサトの笑みを深くしたところでリツコが話を戻す。

 

「一応、表向きはシンジ君達に何かあった時のための交代要員となってるわ」

「まぁ、それぐらいしか理由もないものね」

「ええ。で、これがその彼のデータ」

「彼? 男の子?」

「シンジ君が待ち望んでいた同性のパイロットがこんな形でとはね」

 

 渡された書類を眺めミサトは何か違和感を覚えた。その表情が変わった事に気付き、リツコは息を吐いて告げる。それは彼女も思った事なのだ。

 

「レイと同じ肌の色と目の色なのよ」

「っ! それでか……」

「どうする? きっと真っ黒を通り越して完全に闇よ」

「……どうしてこんな事をすると思う?」

 

 問いかけの意味をリツコは悟り、近くにあったメモ用紙へ何事か書き始める。やがてその手が止まり、リツコは用紙をミサトへと差し出す。そこには、人類補完計画と書かれていた。

 

「どういう意味?」

「司令の目的がユイさんとの再会だったように、彼らには彼らの目的があるの。そのためにネルフは何と戦ってきた?」

「使徒?」

「ええ。そういう事よ。つまり、時計を進めようとしているんでしょう。私達を利用して」

「使徒を倒す事で目的に近付く? そして、彼はレイに似てるって事は……まさか」

「使徒、でしょうね」

 

 ミサトは思わず息を呑んだ。有り得るのかそんな事がと、その顔は言っていた。それでもリツコへ尋ねる事をしないのは、レイがいるからだ。レイもそういう意味では使徒に近い。それが今はリツコの娘として愛され、また彼女を母として慕っている。そこから考えれば人間と同じ姿を使徒がとってもおかしくないと言えたのだ。

 

「……シンジ君達に伝えるべき?」

「私は言わない方がいいと思う。シンジ君達に要らぬ先入観を与える事になるわ」

「動揺や恐怖から何かされるかもしれないって?」

「それもあるけど、これを私は使徒との最後の戦いに出来るかもしれないと思っているの」

 

 そのリツコの言葉にミサトは疑問符を浮かべる。言っている意味が分からないからだ。リツコも伝わると思っていないのだろう。小さく苦笑して説明を始める。それはこれまでの使徒の動きから彼女が推測した事だった。シンジが初めて精神攻撃を使徒から受けた事。そこから始まったと思われる使徒の変化について。

 

「あのディラックの海でシンジ君は使徒と会話をしている。これを覚えておいて。それと、使徒には恐ろしい程の進化する力が、成長力がある事も」

「それで? どうしてそれが」

「慌てないで。シンジ君が使徒と会話したと見られる戦いの後、使徒はどう動いた?」

「どうって……参号機を乗っ取ったでしょ。で、次は凄まじい力を持った使徒」

「ストップ。そこまでが使徒の直接的進攻の終わりなの。つまり、自分達を倒してきた相手が自分達と近しいと知って、ならばとその上をいくだろう存在を生み出した」

 

 リツコの言葉にミサトも小さく声を漏らした。そう、今の彼女は知っている。エヴァが何から生まれたかを。ならばリツコが何を言おうとしているかも何となくではあるが察する事が出来た。使徒は力ずくでこちらを何とかしようとするのを諦めた。その理由は初号機に負けた事。それも一度は勝てる寸前まで追い詰めた相手に。もし人ならば、そこから何を考え何を学ぶ。それをミサトは察したのだ。

 

「なのに勝てなかった、か。その要因がパイロット、つまり人間にあると考えた?」

「私はそう思うわ。だから次の使徒は人の心を探ろうとした。要するに人間を理解しようとしたのよ」

「そして、それが失敗したから次は取り込もうとした?」

「ええ。だけど、それをレイと参号機が受け止めた。これで使徒は次の動きに出たと考えられる」

「というと?」

 

 読めてはきたがまだ完全理解には程遠い。ミサトの声はそれを如実に表していた。なのでリツコは一度深呼吸をしてから告げる。それは、彼女には中々言い辛い内容。

 

「レイは使徒に近いと知った。だから対話をしに来る可能性がある。自分達と近しい存在を受け入れ過ごしている私達に、ね」

「対話……それで最後の戦いに出来るかもしれない、か」

 

 二人がそんな推測を話している頃、司令室では同じような話題でゲンドウが冬月と話をしていた。既にリツコから渚カヲルについての推測を聞かされていたからである。

 

「ここにきて、老人達も動いたか」

「ええ。もう待ちきれなくなったのでしょう」

 

 シンジの父となったあの日以来、ゲンドウは冬月と二人だけの場合は言葉遣いが丁寧に変わった。それは彼なりの変化の表れ。自分は人の上に立てるような人間ではない。その気持ちがかつて大学の教師であった冬月への敬意を払わせる事に繋がっていた。その二人の視線の先には、リツコがミサトへ見せた物と同じ物がある。フォースチルドレンの個人データだ。

 

「渚カヲル、か。綾波レイに対しての名付けならば中々洒落た事をするな」

「それはどうでしょう。単なる偶然かと思いますが」

「どうしてそう思う?」

 

 自分の意見を否定したゲンドウへ、冬月は不思議そうに問い返した。するとゲンドウは一枚のメモ用紙を手にし、そこへ文字を書き始めた。そこには、渚という漢字の後ろに=が書かれ、カタカナのシに者と言う漢字があった。

 

「これは?」

「シ者。つまり使者と言う事ですよ。おそらく最後の、ね」

 

 あっさりと告げられた言葉。その意味する事に冬月は大きく息を吐いた。

 

「老人達も持っていたのか。いや、用意していたとみるべきだな。それでどうする?」

「どうもしません」

「何?」

「冬月先生、お忘れですか? ここにはレイを変えた存在がいます。ならば、下手な手を打つよりもその方がいいでしょう」

 

 シンジの事を言っていると理解し、冬月はゆっくりと苦笑した。まさか使徒と思われる相手に対し、子供の心で立ち向かおうとは思いもしなかったからだ。だが、その結果は既に彼自身も目の当たりにしている。故に冬月は何を馬鹿なと言えなかった。

 

「力で勝てぬとしても、知恵、心でなら勝てると?」

「勝つ必要などありません。負けなければいいのです。シンジは以前私へ言いました。守りたいと。守る事は勝つ事ではなく負けない事です。あいつなら、私の自慢の息子ならば使徒に決して負けません」

「はっはっはっ……自慢のときたか。碇、お前はやはり変わったよ。それもいい方向にだ。お前だけではない。気付けば彼と関った者達が多かれ少なかれ変化している。教師をしていた者としては驚く限りだよ。特にお前を変えた事など、凡百の指導者よりも凄い事をやってのけているのだからな」

「止めてください。分かってはいますが、そこまで言われると」

「何を言っている? 苦労したのだぞ。あの頃のお前ときたら碌に面識もない私を」

 

 このままだと過去の若さゆえの過ちを穿り返される。そう判断したゲンドウは大きく咳払いをすると、会話を終わらせるためにこう告げた。

 

―――フォースチルドレンに関しては、シンジ達との接触の結果を見てから考えますのでそのつもりで。

―――分かった分かった。ふっ、まさかこんな日が来ようとはな。長生きはするものだ。

 

 

 

 そしてその日は来た。ネルフ本部への呼び出し。それを受けてやってきたシンジ達を待っていたのは、困った表情のミサトと彼らの通う中学の制服を着た見慣れぬ少年。それがどういう意味かを真っ先に悟ったのはアスカだった。

 

「何? 新しいチルドレン?」

「そうよ。自己紹介、よろしく」

「分かりました」

 

 ミサトに促され少年は笑みを浮かべる。その肌の色と目の色はシンジとアスカの大事な存在と同一だった。そしてその相手である彼女は、目の前の少年を何とも言えない顔で見つめている。

 

「僕の名は渚カヲル。カヲルでいいよ。碇シンジ君、惣流・アスカ・ラングレーさん、綾波レイさん」

「えっと、なら僕もシンジでいいよ」

「あたしもアスカでいいわ」

「私もレイでいい」

 

 あっさり名前呼びを許可する三人だったが、その胸中は同じではなかった。シンジは純粋に同性のパイロットが来てくれ嬉しいので、アスカは名前呼びが普通だから、レイはシンジと同じ呼び方をされたくないからという三者三様の想いがそこにはある。さて、こう言われて驚いたのはカヲルである。まさかいきなりフレンドリーとまではいかないものの、どちらかと言えば好意的な反応を返されたのだ。目を何度か瞬きさせ、それから小さく笑みを浮かべる。

 

「そうか。なら、そうさせてもらうよ。君達はとても興味深い」

「「「「は(え)?」」」」

「おや、表現法が違ったかな? とにかく僕としても君達と仲良くしたい。これからよろしく」

 

 カヲルの言い方に疑問を浮かべるシンジ達だが、それを見て彼は小首を傾げてそう結んだ。それならばとシンジ達は納得し、ミサトがその場を後にする。残されたシンジ達は折角なのでとカヲルへ質問を開始した。それもまた彼を驚かせる事になる。

 

「カヲル、あんたってもしもの時は何に乗るか決まってるの?」

「一応弐号機か参号機と言われてるね。でも弐号機は無理だろう。君だって他者を乗せたいと思わないんじゃないかな?」

「なら参号機は?」

「そちらもどうだろう? そもそも、僕が乗る必要はない事を願いたい。僕が乗る事は君達のどちらかか、あるいは両方が乗れない事を意味するからね」

 

 もっともと言えばもっともな意見にシンジ達も返す言葉はない。ならばと話題を変えたのはシンジ。

 

「じゃ、カヲル君は嫌いな食べ物とかある?」

「嫌いな食べ物? そんな物を聞いてどうするんだい?」

「えっと、まあ無難な質問ってやつだよ」

 

 カヲルの言葉に少しだけ回答をはぐらかせるシンジを見て、アスカとレイは瞬時にその意図を察した。

 

「あー、そういう事ね」

「ええ、碇君らしい」

「おや、君達は分かるのかい?」

「「ええ」」

「教えて欲しいけど、どうやら無理そうだ」

 

 とてもいい笑顔で声を返したアスカとレイに笑みを浮かべ、カヲルは諦めるようにそう答えるとシンジへ視線を向ける。その赤い瞳が彼の瞳を捉える。

 

「シンジ君も教えてはくれないみたいだしね」

「あ、あはは……何の事かなぁ」

「いいさ。それに嫌な感じはしない。なら、きっといずれ分かるんだろう。それまで待つとする。それと嫌いな物は特にないよ」

「な、何かごめんねカヲル君」

「気にしないでいい。今の君達はとても好意に値するから」

 

 笑みを見せたままカヲルはそう告げて立ち上がる。そしてそのままブリーフィングルームを出て行った。残される形となったシンジ達は顔を見合わせる。

 

「何か不思議な奴ね」

「ええ」

「仲良くなれそうではあるけど……」

「なぁ~んかこっちを見る目がおかしいのよねぇ」

「私達を通して別の何かを見ている気がする」

 

 レイの表現にシンジとアスカが納得するような声を出した。と、同時にどうしてレイがそんな事が分かるのかとも思ったのだろう。疑問を眼差しに宿して彼女を見つめた。レイもそうなるだろうと予想していたのだろう。実にあっさりと答えを告げる。

 

「碇司令が昔似たような眼差しをしていたわ」

「あ~……」

「? どういう事よ?」

 

 理解出来るシンジと出来ないアスカ。その反応にレイは微かに笑い、説明をシンジへ委ねる事にした。何故なら彼女もそう見られていた事は分かっても、それが誰かまでは明確に知らないからだ。見当は付いているが念のためというやつだ。

 

「碇君、教えてあげて。私も絶対の自信はないから」

「えっと、母さんだと思う。父さんが言ってたんだ。綾波の声や顔が母さんに似てるって」

「……うん、それを聞いたのが今で良かったわ。じゃないと、あたしシンジのパパの事絶対変な目で見てた」

 

 アスカの言葉にシンジは反論出来なかった。何せ彼も一度ゲンドウの事をロリコンと思った事がある。故にアスカの気持ちは分からなくもなかったのだ。そんなシンジとアスカとは違い、レイは予想が当たっていた事を喜びつつ、ならばと考えていた。

 

(彼は一体私達を通して何を見ていたの? それに、何故か彼は私に近いものを感じる……)

 

 その後はシンジの発案でカヲルの歓迎会の話し合いが始まり、アスカとレイもならばヒカリやトウジ、ケンスケなども誘おうとなって、ならば日を改めて六人で話し合いをする事に決まった。そんな事を知らず、カヲルは一人本部内の廊下を歩きながら鼻歌を口ずさんでいた。

 

(綾波レイ、か。彼女は僕と同じはずなのに違うと分かる。それが彼らとの時間だとすると、僕はどうするべきだろう? アダムの分身達さえ僕の手には余るしね)

 

 弐号機は既にその魂が覚醒している。参号機はそのコアに使徒を取り込みカヲルでさえ制御不能。初号機は言うまでもない。そういう意味で彼は手詰まりに近かった。彼を送り込んだ者達の意図する事を進めるには、今のカヲルは少々力不足であったのだ。

 

「……今は流れに任せてみよう。彼らが作る流れに、ね」

 

 どこか楽しげに呟きカヲルは歩く。その鼻歌の通り、自らの運命をシンジ達へ委ねるように……。

 

 

 

「渚カヲルです。よろしく」

 

 美少年であるカヲルの編入にシンジのクラスはアスカの時と同様か、あるいはそれ以上に騒ぎとなった。それは騒いだ人数ではなく上がった声量の高さでだが。女子の黄色い声は男子の声よりも周囲へ響くためだ。シンジを始めとする男子達が耳を塞ぐ中、カヲルは平然と女子達の相手をする。その光景を眺め、アスカとレイにヒカリは固まって女子トークを展開していた。

 

「ヒカリは騒がないの?」

「う、うん。だって、と、トウジがいるし?」

「そういうものなの? じゃ、世の中のタレントなどに騒ぐ人は相手がいない人?」

「そ、そんな事はないけど……アスカとレイはやっぱり?」

「「他に理由いる?」」

「ふふっ、ないよ。ていうか、それならこっちの答えも分かるでしょ」

 

 ヒカリの言葉にしてやったり顔で笑うアスカとレイ。彼氏持ちとなった三人は楽しげに会話しながら休み時間を過ごす。一方のシンジ達と言えば少々複雑であった。

 

「センセ、あの転校生と知り合いか?」

「う、うん。父さんの仕事関係で」

「へぇ、なら親父さんの会社で会ったのか?」

「そんな感じ。ここの制服着てたから同級生になるとは思ってたけど……」

「まぁ、まさかクラスまで同じとは思わんわなぁ」

 

 シンジとトウジは共に彼女持ちである。こう見ればケンスケだけが除け者だ。だが、ネルフの事を知らないという面ではシンジこそが除け者である。三人して共通の話題は自ずと限られるので、シンジは意図的にカヲル関連の話題を振っていた。

 

「それで、僕が父さんの部屋へ引っ越した事は話したよね? そこでカヲル君の歓迎会みたいな事をやろうと思うんだ」

「「歓迎会……」」

「うん。アスカや綾波、委員長と僕らで準備してさ」

 

 そのメンバーを聞いてケンスケが若干ジト目をシンジへ向ける。

 

「シンジぃ、それだと俺が悲しい事になるんだけどぉ?」

「あ、その……」

「しゃーないやろ。それに、綾波と惣流の両手に花なんてのは、センセぐらい腹括らんと棘が刺さるで?」

「「棘……」」

 

 トウジの例えにシンジはレイを、ケンスケはアスカを思い浮かべる。この辺りはまさしく事実を知る者と知らぬ者の差だろう。シンジが経験した棘と言えば、間違いなくあの口をきいてくれないレイであり、外から見ているケンスケとすれば、棘がありそうなのはアスカだからだ。

 

「とりあえず、ワイはええで。ヒカリも多分参加するやろ」

「俺も参加するだけするさ。あの転校生と傷を舐め合う事にする。はぁ、渚が女子ならなぁ……」

「あ、あはは……」

 

 ケンスケの本音がこもった嘆きにシンジは苦笑いを浮かべるしかない。と、それを聞いたトウジが腕を組んでカヲルを一度だけ見やり、それからケンスケへ視線を戻してニヤリと笑った。

 

―――何なら女装でもしてもろうたらどうや?

 

 ほんの冗談のつもりで言った他愛ない一言だったろう。現にシンジはそんな事を言ってと少し呆れていた。だが、ケンスケはその言葉に真剣な眼差しをしたかと思うと女子に囲まれているカヲルを見つめる。そして、そのまま無意識に呟いたのだ。上手くすれば両方に売れる、と。無論それが何を意味するか分からぬ二人ではない。こうしてケンスケは、シンジとトウジからカメラを壊されないように気を付けろと忠告される事になった。ただ、そう言いながらも二人も思っていたのだ。知らぬ者ならカヲルの女装は騙されるだろうと。

 

 そうこうして時間は過ぎていく。この日の昼休みは久しぶりに大人数となった。登校初日であるカヲルを購買へ案内する事も兼ねての昼食会となったためである。ケンスケも、秘密裏に小遣い稼ぎの交渉をするべくカヲルへの接近を試みたかったのだ。

 

「いつもこうしているのかい?」

 

 屋上で座りそれぞれに弁当を広げる光景を見て、カヲルが不思議そうな顔を見せた。彼の正面にシンジ、その両隣をアスカとレイ、アスカの隣はトウジが座り、レイの隣にヒカリが座る。ケンスケは本来であればカヲルの位置だが、今回は彼がいるのでトウジの横にいた。

 

「えっと、普段は僕とアスカに綾波かな。トウジと委員長は違う場所でケンスケは最近は教室」

「好きでそこで食べてる訳じゃないけどな」

「ええやんか。男同士で馬鹿話出来るって喜んどったやろ」

「そうでも思わないと悲しくなるんだよっ!」

 

 どこか悔しさを秘めた叫びにシンジとトウジが何とも言えない顔をする。分かるのだ。彼らも、もし相手がいないままで親しい友人が彼女を持ち、しかも仲睦まじく食事をしているのを見せられたらと。

 

「……相田君は悲しいのかい?」

「渚は違うだろうけどな。俺、モテないし」

「モテない……? ああ、異性から慕われないって事かい?」

 

 ザクリと音が聞こえた気がした。ケンスケを刺し穿つ無垢な槍。その一撃は思春期男子を沈黙させるに十分な威力を持っていた。シンジ達全員がカヲルを見てそれはないと言う表情を浮かべる程に。

 

「……僕は何か不味い事を言ったのかい?」

 

 一斉に首を縦に振るシンジ達。それがどうしてか分からぬまま、カヲルはならばとケンスケへ視線を向ける。

 

「その、すまないね相田君。僕は君を傷付けてしまったようだ」

「……いや、いいさ。その代わり一つだけ頼みを聞いてくれれば」

「頼み?」

「ああ。大した事じゃない。それについてはまた後で」

 

 ケンスケの企みを知っているシンジとトウジはそれに苦い顔を浮かべ、知らぬでも察する事が出来るアスカ達は呆れ顔を浮かべる。それでも止めないのは彼らなりにさっきのカヲルは言い過ぎだと思っているからだろう。なのでせめてと全員を代表してアスカが告げる。

 

「相田、程々にしておきなさいよ? カヲル、どうも世間ずれしたとこあるみたいだから」

「分かってるよ。精々女子が喜ぶ程度のものにするさ」

「……ねえトウジ。女子が喜ぶってどんなの?」

「知らん。それは女子に聞くべきやセンセ」

 

 正論であった。だがシンジは知っている。トウジは出来ればヒカリに聞いてもらいたいと考えている事を。なので苦笑しつつ視線をヒカリへと向けた。

 

「委員長、どういうの?」

「え? そ、そうだなぁ……やっぱり渚君は色白だから王子様みたいな感じ?」

「ま、そういう路線が一番受けがいいんじゃない?」

 

 ヒカリとアスカの意見を聞いて、いつの間にかケンスケが何度も細かに頷きメモを取っていた。シンジはそんな彼に小さく呆れつつ笑う。と、唯一意見を言わなかったレイが小首を傾げて問いかけた。

 

「王子様って童話とかの?」

「せやな。この場合はそんな感じやろ」

「馬に乗るの?」

「乗馬、だったかな? さすがにそれは無理だよ」

 

 レイの言葉に全員が目を点にする中、カヲルだけが素直に受け応える。それにシンジ達は揃ってため息を吐いてこう思った。カヲルはレイに似ていると。それがある意味で正しいと知らないまま、彼らはやっと食事を始める。ケンスケと同じ弁当を買ったカヲルが中身を知らず、食べる都度あれこれと彼へ問いかける一幕があったものの、終始賑やかに穏やかに昼休みは過ぎる。

 

「渚って外国暮らしだったのか?」

「どうしてそう思うんだい?」

「いや、いくら何でも知らない事多すぎだろ。せめてハンバーグぐらい」

「相田君、私も碇君やアスカと食事するまでハンバーグの事、知らなかったわ」

 

 すかさず割って入ったレイの言葉にケンスケは「マジ?」と呟いてシンジとアスカを見る。そんな彼へ二人がゆっくりと頷いた事でケンスケもそういう人もいるのかと納得する事にした。一方のカヲルはそんな会話などどこ吹く風とばかりに弁当を食べる。すると、その表情が不思議そうなものへと変わった。

 

「ねぇシンジ君。このハンバーグという物にかかっているのは一体何だい?」

「え? 大根おろしを混ぜたポン酢だと思うよ?」

「あー、おろしポン酢ね。あたし、それ好きよ。お肉をさっぱり食べられるもの」

「そういえば、豆腐ハンバーグを作った時にかけて食べたわ」

 

 懐かしむようなレイにヒカリが小さく驚く。彼女はそんなレシピを教えた事はないからだ。

 

「へぇ、レイってそんな物も作れるんだ」

「ええ。碇君に教えてもらったから」

「は~、センセはさすがやな」

「そ、そんな事ないよ」

「つうか、シンジって今も家事やってんだろ? もう主夫だよな」

 

 ケンスケの指摘にシンジが照れながら頬を掻く。彼自身はもうそれに関してそこまで思う事はない。しかも、今は父親との男二人の暮らしともあって、ミサトとの暮らしよりもある意味では楽だったのだ。特に精神的な解放感が強い。いつかの加持との日々も似たようなものを感じていたが、ゲンドウとの暮らしはまた違った意味で楽しいのもあるだろう。

 

「そうかもしれないけど、僕がしたくてやってるとこもあるからね。いつか一人暮らしとかもしてみたいし」

「一人暮らしなぁ。ワイも憧れはあるけどやなぁ」

「何言ってんだよ。トウジは委員長と同棲だろ?」

「「っ!?」」

「相田、あんたね。分かっても言わないでいるもんでしょそれは」

 

 アスカの呆れたような声にヒカリが顔を真っ赤にして立ち上がる。

 

「そ、そんな事ないからっ! と、トウジと二人で暮らすなんて……」

「せ、せやっ! ワイらは清く正しい付き合いを」

「あ、でも知り合いのお兄さんみたいな人が言ってたけど、結婚を考えてるなら同棲は諸刃の剣だって言ってたよ?」

 

 シンジのその言葉に全員が疑問符を浮かべた。その理由は様々だが、共通しているのはその話の続きを望んでいる事だろう。なのでシンジはあの数日間で加持から聞いた話を少しだけ教えた。同棲は共同生活となるので結婚生活の予行練習になる。だが、そこで今まで見えてこなかった相手の私生活での面が見えるので、マイナス査定が始まるのだ。こんなとこもあるんだと嬉しくなったり喜んだりする事よりも、嫌になったり困ったりする事の方が増える可能性が高いと。

 

「デートとかの短い時間だと、相手へ良い面しか出さないようにするから中々気付けないけど、一緒に暮らすってなるとどうしてもボロが出るんだって。で、それを見て受け入れる事が出来るか出来ないかで、夫婦として続くか続かないかが決まるんだってさ」

「で、教えてくれた人は何て言ってたのよ?」

「うん。一緒にだらしない生活をしてたから精神的には続くと思うけど、社会的にはダメになりそうだから頑張らないといけないかもって思ってたら別れを切り出されたって」

 

 それを話した加持が苦笑していたのをシンジは思い出す。そんな彼が今やミサトと再び同棲を始めているのだから不思議なものだ。だからシンジはこう付け加えて締め括る事にした。

 

「そんな事言ってたけど、今その人は別れた人とまた同棲を始めてる。きっとダメだって思った事も年齢で変わるんじゃないかな? だから僕はこう思うよ。今はダメでもずっとそうとは限らないって」

「今はダメでも……かぁ。そうだよな。希望を持ち続けるって大事だよ」

 

 自分に言い聞かせるように告げるケンスケへ周囲の視線が集まる。彼が何に対してそう言っているのか分かっている者達はどこか苦笑し、分かっていないレイとカヲルは疑問符を浮かべた。こうして彼らの昼休みは終わりを迎えるのだった……。

 

 

 

「じゃ、後は頼んだで」

「ああ、任せとけ」

 

 放課後となり、シンジ達は歓迎会の話し合いをするべく動き出そうとしていたが、カヲルを驚かせたいため知られる訳にはいかない。なのでケンスケが先程の写真の件を理由に彼を誘って自宅へと向かう事になった。そこには彼氏彼女となったシンジ達五人への配慮も含まれている。こうしてシンジ達が会場となる碇家へ向かうのと別に、ケンスケがカヲルと共に行動を開始したのであった。

 

「それで、一体僕に何をして欲しいんだい?」

「あー、まあ写真を撮らせてもらいたいんだよ」

「写真? どうして?」

「……女子に買ってもらうためさ。俺、そういうので小遣い稼ぎしてんだ」

 

 ケンスケの言っている内容がカヲルには理解出来ない。いや、正確には部分部分は分かるのだが、どうしてそれがそうなるのかは分かっていないのだ。写真は分かるし小遣い稼ぎも分かる。だが、それが=にならないのだ。

 

「興味深い事をしてるんだね、相田君は」

「そうか? ま、たしかに俺らの歳じゃあまりやらないだろうけど」

「彼女達にも売るのかい?」

「惣流達か? いや、売れるはずないだろ。あいつらはとっくに意中の相手がいるしな」

「意中の……?」

「ああ、そうか。渚は知らないもんな。気付いたとしても精々トウジと委員長だろうし」

 

 そこで足を止めてカヲルへ向き直るケンスケだったが、勝手にシンジ達の事を教えていいものかを迷っていた。こういうところが彼の真面目でいい所なのだが、残念ながらそれは普通の付き合いでは中々見えない部分である。

 

「渚、お前って口は堅いか?」

「口? いや、君達と同じ柔らかさだけど?」

「……お前、もしかして天然か?」

「天然? どうだろう? ある意味ではそうかもしれないね」

「……噛み合ってないな、絶対」

「ん? どういう事かな?」

「もういい。じゃ、絶対誰にも教えるなって言ったら、その約束守れるか?」

 

 カヲルの返事に自分の伝えたい事が伝わっていない事を実感し、ケンスケはならばと伝わるであろう言い方を選んだ。きっとここにレイかあるいはシンジでもいれば懐かしく思った事だろう。それは、かつてのシンジとレイのやり取りを彷彿とさせるものだったからだ。

 

「そういう事ならね」

「よし、じゃあ耳を貸せ」

「それは無理だよ。僕だって痛い事は避けたい」

「…………俺の口元に耳を寄せてくれ」

「ああ、そういう事なんだね。分かった」

 

 内心疲れを感じながらケンスケはカヲルへシンジ達三人の関係を教える。するとカヲルはその目を見開いた。

 

「……本当かい?」

「まあな。だからこそ誰にも言うなよ?」

「うん、そこは約束するよ。本人達へ尋ねるのはいいかな?」

「ま、それぐらいなら」

「そう。だけど、まさか彼らが……」

「驚きだよなぁ。綾波も惣流もそれを上手く利用してシンジと接してるしさ」

 

 実際、周囲はシンジとアスカにレイが付き合っているなどと思いもしていない。精々アスカとレイがシンジを取り合っていると思っていて、だからこそ大抵の生徒は三人の間に近付く事もしないし、たまに無謀な男子がアスカやレイへ接近するも、容赦なく振られるのがお決まりなのだ。

 

「いつからか教えてもらえる?」

「ん? シンジ達がそうなったのか?」

「ああ。とても興味深いからね」

「……教えてもらったのは確か一月ぐらい前か。でも、もう少し前からそれらしい感じがあった気も? とにかく、最近って言ってもいいぐらいだぞ」

「そうか。ありがとう相田君。君のおかげで僕はとても楽しみが増えた」

「それはいいけど、絶対バラすなよ?」

「勿論。君との約束は守るよ」

 

 こうしてカヲルはケンスケの部屋を訪れ、そこでミリタリーの世界へ触れる。それはいわばホビーの世界。彼が今まで触れる事のなかった物。ケンスケも興味を示した事が嬉しかったのか、饒舌に語り出した。これが普通の相手ならば嫌になったり、興味がないと突っぱねただろう。しかし、相手がカヲルだった事。それがある意味でケンスケと、そして彼の運命を変える事となる。

 

―――でさ、これは今から……。

―――そんな事までこだわるんだね、リリンは……。

 

 夢中になって語るケンスケとそれをずっと聞き続けるカヲル。結局この日カヲルはケンスケの話を聞き続け、気付いた時には夜となっていた。目的の写真は撮れずじまいで、ケンスケは内心項垂れながらも、趣味の話を最後まで聞き続けてくれたカヲルにとても感謝した。そして今度こそ写真をと言った彼へ、カヲルは少し考えてこう返す。

 

「それよりも僕はミリタリー? その話を聞きたい。相田君の好きな事は中々興味深いから」

「マジか? じゃ、話だけじゃなく、いつか一緒に本物の軍艦とか見に行こうぜ。模型や写真じゃ伝わらないものがあるんだよ」

「分かった。その時はよろしく」

「おう。それと、俺の事はケンスケでいいぞ」

「分かったよ、ケンスケ君。僕もカヲルでいい」

「ん。じゃあ気を付けて帰れよカヲル。また明日学校でな」

 

 ケンスケに見送られ部屋を後にするカヲル。その足が一度止まり、振り返る。もう閉まったドアを見つめ、彼は思うのだ。シンジ達以外にも興味深い存在はまだいたのだと。

 

(リリンは本当に分からない。アダムの分身を扱えるシンジ君達以外にも、ここまで心を動かしてくる存在がいるんだね。成程。彼女が変化する訳だ)

 

 誰に知られる事なくカヲルは笑みを浮かべ、その場から忽然と姿を消した。まるで最初からそこには誰もいなかったかのように。

 

 明けて翌日、シンジはエプロンを付けながら二つの弁当箱をそれぞれ黒と白の無地のハンカチで包み、水筒と共にゲンドウへ手渡していた。まるで新妻のようであるが、エプロンの下は制服なのでその印象を受ける者はいないだろう。

 

「はい、これ。白はミサトさんに渡して」

「分かった。すまんな」

「約束だったしね。じゃ、気を付けて。仕事頑張って、父さん」

「ああ。行ってくる」

 

 シンジに見送られ部屋を後にするゲンドウ。その背を見送り、シンジはため息を吐いてエプロンを外す。ゲンドウの弁当を作る事になったため、一人分では逆に面倒だと思ってシンジはミサトの分まで作る事にしたのだ。そしてそれをゲンドウに持たせて渡すように頼む。こうしてゲンドウとミサトは周囲にシンジを通じての擬似親子と囁かれる事になるのだが、それは今は関係ない。

 

「さてと、僕もそろそろ準備しないと……」

 

 既にこの部屋で暮らし始めて一週間。既に天井は見慣れてきている。ゲンドウとの時間は中々合わない事も多いが、合えば他愛ない話が出来るぐらいにはなった。というよりも、むしろゲンドウの方が話を聞いてくるのでシンジとしては嬉しく思っていた。学校での事や味の好みや好きな料理。まだまだ二人は互いの事を知らなさ過ぎる。普通の親子になるにはまだまだ会話が必要だった。

 

「これでよし。後は……うん、忘れ物はないね」

 

 鞄を持ち、靴を履いて部屋を出る。最後に鍵を閉めてシンジは歩き出した。やがてその足がゆっくりと速度を落として止まる。

 

「おはよう、アスカ、綾波」

「グーテンモルゲン、シンジ」

「おはよう、碇君」

 

 そう、あの引っ越し祝いの日に聞かれた登校の仕方は、結局待ち合わせをして一緒に行く事となった。さすがに恋人繋ぎをしての登校はしないものの、その距離は肩が触れ合いそうな程近い。と、その三人の足が揃って止まる。彼らの視線の先には一人の男子生徒が立っていた。

 

「やあ、おはようシンジ君。それにアスカ君とレイ君も」

「カヲル君、おはよう」

「おはよう」

「おはようカヲル。何? ここであたし達を待ってたの?」

「そういう事だよ。少し聞きたい事があってね」

 

 笑みを見せてカヲルはそう返すとシンジ達を軽く見回してから、レイに視線を合わせてこう切り出した。

 

「耳を貸してくれるかい?」

「……いいわ」

「へぇ、君は分かるんだね」

「何が?」

「別に。独り言さ」

 

 躊躇いなく自分へ耳を近付けるレイに微かな驚きを見せつつ、カヲルは昨日ケンスケから聞いた事の真偽を確かめた。

 

―――君達二人はシンジ君と特別な関係というのは本当かい?

 

 その問いかけにレイは首を縦に振った。そして同時にシンジとアスカへ聞こえるように問いかける。

 

「それを誰から聞いたの?」

「僕がそれを聞ける存在に心当たりはないかな?」

「相田君?」

「ご明察」

 

 楽しそうに返すカヲルを見てシンジとアスカは何の事か分からないまでも、きっと自分達の事だと判断した。そして挙がった名前から内容も何となくで当たりをつける。

 

「えっと、僕達の事を聞いた?」

「そうだよ。驚いたけどね」

「相田め、カヲルだからいいと思ったのかしら」

「僕が原因みたいなものさ。彼に悪気はないよ。責めるのなら僕へ頼めるかな?」

 

 平然と言葉を返していくカヲルだったが、その雰囲気がどこかシンジには懐かしさを覚えるものだった。自分というものが希薄であるような、そんな印象を受けるからだろう。それはかつてのレイと同じ。まだシンジはそこまで気付いていないが、それでも今の彼はカヲルのそういう部分に感じるものがあった。

 

「ううん、カヲル君が他の人へ広めないなら構わないよ。別にケンスケを責めたりはしないから心配しないで」

「そうか。それを聞いて安心したよ」

「それと、別にカヲル君を責めるつもりもないからね」

「いいのかい? 君達のあまり触れられたくない事だろう?」

 

 その不思議そうな表情にシンジは小さく笑う。たしかにそうではある。だが、シンジには分かったのだ。どうしてケンスケがカヲルへ教えたのかの理由を。

 

「うん、でもカヲル君はからかいたいとか弱みを握りたいとかじゃなく、純粋に気になったんだよね? だからケンスケも教えたんだと思うよ。僕もカヲル君の今の顔を見てそう思うから」

 

 そしてその答えがシンジへある事を思い出させた。それは初めて出会った頃のレイ。分からないけど気になる。そういう事を言っていた頃のレイと今のカヲルが近い気がしたのだ。だから彼はチラリとレイを見る。それに彼女も気付き小首を傾げた。

 

「何?」

「ん。何となく昔の綾波に似てるかもって」

「……かもしれない」

「昔のレイ、ねぇ。あたしと会った時にはもう変わり出してたんでしょ? どういう感じだったの?」

「今のカヲル君に近いよ。色んな事を知りたがって、普通なら分かる事が分からないって感じ」

 

 その説明でアスカが納得し、カヲルは理解するように頷いた。言われたレイも思い出したのか懐かしむように頷く。そしてそのまま四人は揃って登校する事になり、カヲルはシンジ達の少し後ろを歩く事になった。四人での登校は違った意味でシンジ達のクラスの話題となる。というのも、カヲルが熱っぽい目でシンジを見ていたと面白半分で誰かが言い出した時、その渦中の人物である一人がこう返してしまったのだ。

 

―――僕がシンジ君へ好意を抱く事は、何かいけない事かな?

 

 こうして教室に男子と女子の様々な感情を込めた叫びが響き渡る事となり、シンジはそれらも含めてより一層カヲルにレイの過去を重ねる事となった。クラスメイトからの、やっかみやからかいといった幾多の感情をぶつけられながらもシンジは笑みを絶やさない。何故ならその根底には悪意がないからだ。いや、あるいはあったとしても、今の彼はそこまでそれを嫌がる事はないのだろう。

 

(こうしていられるのが平和、なんだもんな)

 

 誰よりも平和の重みと大切さを知る者として、今のシンジはこんな日常が愛おしかったのだ。かつて、彼はこう言った。いつまでもエヴァのパイロットでありたくはないと。その思いは消えるどころか強くなる一方である。使徒との戦いが激化すればする程、いつかの想いは高まるばかりなのだ。

 

「ほらほら、そこまでにしとけや。どうせお前らも転校生が友人として言うたの分かっとるやろ」

「そうよ。ほら、そろそろ先生来るから。みんな席に着いて」

 

 ある程度したところで男子をトウジが、女子をヒカリが鎮めていく。それらを数人が夫婦と囃し立てるも、今の二人は動じなかった。

 

「「それでええ(いい)から早(早く)座れ(座って)」」

 

 まさしく開き直りである。こうなるともう返す言葉もないクラスメイト達は、苦笑しながらそれぞれの席へ着く。それを合図にしたかのように担任の教師が姿を見せ、今日もシンジ達の日常が始まるのだった。

 

 

 

「一応参号機とのシンクロが一番高いですね」

「そうね。でも、これじゃ動かすので精一杯かも」

 

 カヲルのシンクロテストはミサトやリツコの予想を裏切っていた。それも悪い意味で。軒並みシンクロ率が低いのだ。初号機は言うまでもなく、弐号機さえ動かす事は厳しい。参号機だけが辛うじて合格という体たらくである。この結果を受け、ミサトはリツコへ視線を向けた。

 

「どう?」

「……一つだけ可能性があるわ」

「そ。じゃ、それは後で聞くわ。カヲル君に上がるように伝えて」

「分かりました。渚君、聞こえる?」

 

 マヤが呼びかけを始める後ろでリツコはミサトへ自身の推測を話し始めていた。それは参号機以外の二機のその魂が目覚めている可能性。初号機は既にそれが疑いようがないが、弐号機もあのアスカの収束フィールド使用辺りからそうかもしれないと踏んだのだ。

 

「つまりシンジ君とアスカのお母さんがしっかり目覚めている?」

「ええ。だから彼でもその二機とはシンクロ出来ないのよ」

「じゃ、参号機は?」

「……レイが使徒を取り込んだでしょ? つまり彼以外の使徒がコアにいるとしたら、それと意思疎通は出来ないんじゃないかしら。何故なら、その使徒はレイといる事を選んだから」

 

 リツコの考えに一定の理解を覚えつつ、ミサトはある部分が引っかかっていた。それは使徒同士の意思疎通が出来ないという点だ。それが本当だとしたら今までの使徒はどうやってその進化をしてきたのだろうと。

 

(いえ、そもそも使徒は一体何なの? 人間に害するものかと思っていたけれど、彼がもし使徒だとするならそうとも言い切れない? やっぱり謎が多いわね)

 

 と、そこでミサトは思い出す事があった。使徒の分析結果である。第九使徒などはその体組織を採取している事を思い出したのだ。

 

「ね、リツコ。第九使徒の解析結果、教えてもらえない?」

「…………いいわ。おそらく今ならあの結果は大きな意味を持つし。後で研究室に来て」

 

 そう返してリツコは意識を別の事へ向ける。ミサトもその目の動きを追う。その視線の先には黒のプラグスーツを着たカヲルがいた。

 

「どうですか?」

「ん。まあこの分だとカヲル君には参号機に乗ってもらう事になりそうよ」

「参号機、ですか。分かりました。でも、ない事を願います」

「同感よ」

 

 ミサトもカヲルの言葉に心から頷いた。だからこそ余計に疑問が浮かぶのだ。一体彼はどうして使徒なのに人とここまで接触してくるのかと。だが、それにある事を加えると不思議と納得出来る事もある。それはレイの存在。彼女とカヲルがある意味で同じとすれば、と。

 

「とりあえずもう上がっていいから。お疲れ様」

「お疲れ様、ですか。はい、お疲れ様です」

 

 どこか不思議そうな表情でミサトの言葉を反芻し、カヲルは最後に笑顔で挨拶して去っていく。その背を見送り、マヤとミサトは見つめ合う。

 

「何と言うか、不思議な子ですね」

「そうね。まるで立って喋る赤ちゃんの相手してるみたい」

「赤ちゃん、ですか。でも、そう言われると昔のレイみたいです」

「……マヤでもそう思うなら、そうなのかもしれないわね」

 

 後輩の素直な感想でリツコもいよいよ確信を抱く。カヲルが使徒であり、かつてのレイのように様々な事へ興味を持ち出している事を。そして、その理由の裏には人への興味があるだろう事も。そしてリツコはミサトと共に自身の研究室へと向かう。そこで彼女へ見せたのだ。使徒の分析結果を。

 

「人の遺伝子とほぼ同じ?」

「ええ。構成素材は違うけれどね。今までどこか信じられなかったけど、今回の彼が何よりの証拠となるわ」

「ちょっと待って。たしかに彼はその説を裏付けるかもしれないけど、これまでの使徒はどうなるのよ?」

「ミサト、人間の肺が本来はどれだけの大きさか知っている?」

 

 唐突な質問に面食らうミサトだが、少し考えて答えを返した。

 

「たしかテニスコートぐらいあるとか?」

「正確には二つ分程度かしら。つまりこの体に似合わず、肺だけでも総表面積は約70㎡。これをそのままの大きさで内包するとしたらどうなる?」

「……まさか」

「極論ではあるかもしれない。だけど、使徒は人が人の形を捨てた姿なのかもしれないと、そう考えればあの学習能力も納得出来るわ」

 

 あまりの結論にミサトも言葉がない。だが、可能性だけならば有り得る話だ。実際今回は人間と同じ大きさで使徒が現れているのだから。

 

「純粋に強くなる事を考えると巨大化は簡単な方法よ。ただ踏みつけるだけでも大きな威力が出せるもの。でも、使徒はそこから様々な能力を付与してきた。そして、それらを私達は何とか退けてきたの」

「あの初号機と共にね」

「ええ。だからこそ使徒は考えたのよ。どうやって自分達の滅びを回避するか。使徒も死を怖がるのは以前本部へ侵入した使徒が証明した。つまり種としての滅びを回避するには、私達人間と共存するしかないと結論付けたんじゃないかしら?」

「使徒が……あたし達と?」

「もしくは、その可能性を模索している」

 

 まるで自分へ言い聞かせているようなリツコの言葉にミサトも黙った。これまでの使徒戦を踏まえての推測故に信頼性は高いと言える。絶対ではないが、カヲルが使徒だと思われる以上リツコの考えは否定出来ない事でもある。そして何よりミサト自身も信じてみたいのだ。カヲルが使徒でありながらシンジ達と交流を持とうとしている事と、彼が使徒であると知らずでも関わりを持って仲良くしようとしているシンジ達を。

 

―――ね、どうなると思う?

―――さあ? まさに天のみぞ知るってとこじゃない?

 

 そのやり取りは微笑みあってのものだった。可能性が良くも悪くもあるのなら、二人は揃って良い方を信じたいのだ。ゼロではない。その凄さをこれまで良い方へ転がし続けてくれた少年達を信じて。

 

 

 

「ケンスケ君、これは本来何のために造られたんだい?」

 

 カヲルが見つめているのは戦自でも使われている戦車だった。昨日に引き続き、今日もカヲルはケンスケの部屋を訪れていた。今日は最初からミリタリー関係の話を聞くためだ。ケンスケは今まで誰にも興味を持ってもらえなかった事もあって、純粋に嬉しく思ってカヲルと話そうと思っていた。そこへ先制の質問だ。言うまでもないと思っていた事ではあるが、これまでの事からカヲルは本気で世の中の事を知らないと思う方がいいと考えつつある彼としては、内心呆れながらも簡単な答えを返す。

 

「何って戦うためだよ。軍備の一つだからな」

「何と?」

「何って……今だとあの怪物になるのか? でも、元々は人類だから……」

 

 その呟きにカヲルが目を細めた。

 

「人は自分達と戦うのかい?」

「いやいや、自分達じゃないって。他の国とか他の民族とかだよ」

「同じヒトなのに?」

「ま、そりゃあ同じ人類ではあるさ。だけど、主義主張が合わない事なんてよくあるし、国が違えば利益なんかの配分やそもそもの資源量さえ違う。色々と問題が多いから防衛と侵略、両方の観点で軍備ってのは用意されるのさ」

 

 言いながらケンスケは一冊の本を手にした。それは実際の戦車や軍艦、戦闘機などが戦う様を記録した写真集だ。その中の一ページを開いてケンスケはカヲルへ見せた。

 

「こういう風に、昔は戦争に使われてたんだ。今は分かり易い共通の敵がいるからそんな事もないみたいだけどな」

「……リリンは同士討ちをするんだね」

「ん? ああ、人類の事か? それ、どこの言葉だよ」

「僕の元々から知っている言葉さ。じゃあ、ケンスケ君はその共通の敵がいなくなったらどうなると思う?」

 

 気楽な感じで問いかけるカヲルであるがその内心は違う。ある意味で彼はケンスケの答えを人類の答えとして聞こうと思っていたのだ。そうとは知らず、ケンスケは腕を組んで少し考え込んだ。そしてその結論は……。

 

「どっちかだろうな。また戦争の時代に逆戻りか、あるいはこのままゆっくり平和に向かっていくか」

「前者だけじゃないんだね」

「正直その可能性が高いとは思う。だけどさ、やっぱりこういうの好きだから思うんだよ。こういうのは平和だから趣味になるって。本当に戦争するようになったら、こういうのは好きなんて思えないさ。人殺しなんて俺はしたくないんだ。俺がしたいのは、あくまでフリ。それらしい気分になって、それらしい事出来れば十分なんだよ」

「……だから平和になって欲しい?」

「というより、これが趣味で終われる世界であって欲しいってとこ。実物が戦うとこは見たいけど、それが誰かを殺すとか、あるいは俺を守るとかで動いてるような状況は勘弁願いたいな」

 

 噛み締めるようなケンスケの言葉にカヲルは呆気に取られた顔をしていたが、やがてゆっくりとその表情を笑みへ変えて頷いた。ミリタリーを趣味としているケンスケがこうなら、そうでない者達がこうでないはずがないと判断したのだ。ならばと、カヲルは次の質問をぶつける事に。

 

「なら、ケンスケ君はその怪物が仲良くしたいって言ってきたらどうする?」

「へ?」

「もしもの話さ。人間みたいな姿になって、君達と一緒に暮らせないかって言ってきたら」

「……正直難しいだろ。だって、今まで散々暴れて俺達を苦しめてきたんだ。それに、今は俺達と同じ姿だとしても、いつ怪物みたいになるか分からないんだろ? それじゃあ人類全体を納得させるのは無理だ」

「君達だけならどうかな?」

「俺達だけぇ? う~ん……どうだろう? 俺は正直可愛い女の子になってくれて彼女になってくれるなら」

 

 欲望全開の解答をするケンスケだったが、カヲルからすればそれは少々理解出来ないものだった。何故性別が女性なだけでケンスケが受け入れようとするのか分からなかったからだ。

 

「ケンスケ君は怪物が女性ならいいのかい?」

「い~や、違うぞカヲル。可愛い女の子で、俺の彼女になってくれるなら、だ!」

「……可愛いというのは重要?」

「むしろ最低条件だ。重要なのは俺の彼女になる事」

 

 力説するケンスケに少しだけ気圧されるカヲルだったが、そんな彼の眼差しが真剣である事を察して頷いた。本音を言っていると理解出来たからだ。

 

「可愛い、か。ケンスケ君からすると、それはどういう存在になるのかな?」

「可愛いかぁ……正直惣流や綾波ぐらいなら言う事ないな。てか、そういう事ならいいもんがあるぜ」

「いいもの?」

 

 にやけた顔をしてケンスケが何かをベッド下から取り出す。それは所謂成人向け雑誌だ。それも男性向け。それをケンスケはカヲルへ見せる。彼はカヲルがそういう事へ興味を見せたと勘違いしたのだ。

 

―――ほら、こういうのが俺は好きなんだ。お前は?

―――僕は特に。これが可愛い?

―――いや、これは綺麗だな。で、こっちがエロい。

―――……僕には理解出来ないな。リリンの文化は奥が深いね。

 

 傍から見れば中学生男子らしい光景かもしれない。だが、その片方は使徒である。ならば、その光景はより一層異質さを放つ。使徒がヒトと隣り合って成人向け雑誌を眺めているなどと。これも捉えようによっては平和と言えるかもしれない。この日、カヲルはケンスケから使徒としてはいらないが、ヒトとしては必要な知識を沢山教わる事となる。誰も知らぬところで、ゲンドウ達がシンジに望んだ事以上の働きをケンスケはしていた。カヲルに人の事を教えるだけではなく、年頃の男子としての常識なども教えていたのだ。それは、レイでいうリツコの恥じらい講座と同じ意味合い。

 

―――とりあえず、それ貸すからカヲルなりにエロい奴と綺麗な奴、それと可愛い奴を決めてこいよ。

―――分かった。やるだけやってみるよ。

 

 知らず人を、もっと言えば思春期男子を学んでいくカヲル。その裏でシンジ達の歓迎会も準備が着実に進んでいた。カヲルに好き嫌いがない事は連日の昼食を見る事で把握していたのだ。なので気を付けるべきはむしろレイの好みだとなり、後は当日の決行を残すのみとなっていた。そうしてその日の晩、碇家の風呂場にシンジとゲンドウの姿があった。

 

 いつかの約束であった背中を流す事。それを遂にこの日、シンジとゲンドウは果たす事が出来ていたのだ。親子二人での裸の付き合い。本来ならばとうにしているはずの事だが、それを物心ついたシンジがしたのはこの日が初めてだった。ちなみにシンジが裸眼のゲンドウを見るのもこの時が初めてとなる。それと、シンジには一つだけ気になっている事があった。ゲンドウが右手の手袋だけは外さない事だ。かつての火傷が酷く、見せたくないとゲンドウは告げた。しかし、シンジもどこかで察している。本当の理由はそれではないと。

 

「はぁ、いつか教えてくれるの?」

「……来たるべき時が来たらな」

「永遠に来ないとか、あるいは全て終わった後とかじゃないよね?」

「………………ああ」

「う~ん、今の父さんは信じられないかも」

 

 苦い顔で答えながらタオルにボディーソープを付けるシンジと、何にも言えず項垂れるゲンドウの姿がそこにはある。そんな彼を見てシンジが堪らず吹き出して笑い出す。その笑い声にゲンドウもつられるように笑い、しばらく浴室に二つの笑い声が響く。やがてそれも静まり、代わりに背中を擦る音が聞こえてくるようになる。

 

「これぐらいでいい?」

「ああ……」

 

 ゲンドウの背中を洗いながらシンジは知らず笑みを浮かべていた。どこかで憧れた景色がそこにはあった。父と風呂で背中を流しあう。もっと幼い頃に経験するはずの事だが、返ってこの年齢でするからこそ重みが生まれるのかもしれない。そんな風に感じながらシンジが背中を洗っていると、不意にゲンドウが話し掛けてきた。

 

「シンジ、フォースの様子はどうだ?」

「カヲル君? そうだね、どこか昔の綾波を思い出すよ」

「そうか。何か、その、困った事などは起きていないか?」

「特にないよ。あっ、そうだ。父さん、実はそのカヲル君の歓迎会を家でやりたいんだ。構わない?」

「……お前達を入れて四人か?」

「ううん、学校の友達も誘って総勢七人かな? さすがにクラス全員じゃ多すぎるし、まずは僕らと仲良くなって欲しいって。ダメ?」

「いや、構わん。ただし、あまり騒がしくし過ぎないようにな」

「分かってるよ。ありがとう、父さん」

 

 背中をごしごしと洗いながら、シンジはずっと笑みを浮かべていた。ゲンドウも彼に見えないからとその表情を緩めている。親子は共に幸せを感じながら会話を続ける。途中で洗い手がゲンドウへ変わり、シンジの背中を流す事となった。

 

「そういえば父さん。一つ聞きたいんだけど」

「何だ?」

「もしも、もしも母さんと再会出来なかったらどうするの?」

 

 その質問はゲンドウが考えないようにしていた事だった。だからこそ、質問された時ゲンドウは思った。どこまでも逃げる事を許してくれないのだなと。それでも今の彼は嫌がる事なく受け止める。そしてどこか噛み締めるようにこう返した。

 

「そんな事はない事を願う。だが、仮にそうなったら……」

「なったら?」

「……その時に考える。男は失敗した時の事は考えないものだ」

「カッコイイけど、それって要するに考え無しなんじゃ?」

「ならシンジ、お前はアスカ君とレイに告白する時は失敗した時の事を考えたのか?」

「ぼ、僕は考えたよ。その、すっぱり諦めるって」

「シンジ、お前はそこで二人が愛想を尽かす事しか考えていなかったな? もしどちらかに決めろと迫り、それまでアプローチされた場合はどうした?」

 

 どこか楽しそうな口調で問い詰めるゲンドウにシンジは咄嗟に返す言葉がなかった。実際ゲンドウの言う通り、彼は二人に振られる事しか想定してなかったのだ。故にシンジは、ゲンドウの言った失敗した時の事はその時に考えるという答えを理解した。無責任に思えるが、どんな結果になっても受け止めるという覚悟でもあると分かったからだ。

 

 その後は共に湯に浸かり、しばらく無言で過ごした。それも以前までとは違い、気まずい沈黙ではない。会話がなくとも繋がっているような、そんな感覚を感じられる時間だったのだから。だが、シンジは先程の会話で少し気になる事を思い出していた。そして、その事がきっとあまり良くない類である事を察し、彼は思い切って尋ねてみる事にした。

 

「……父さん」

「何だ?」

「リツコさんと、何かあったの?」

「どうしてそう思う?」

 

 それはある意味で一番ゲンドウが聞いて欲しくない事だった。だが、どこかでシンジならば気付かないと思っていたのかもしれない。しかし、今のシンジは二人の少女を彼女としているため、そういう面でも鋭くなりつつある。故におぼろげに思ったのだ。最初の頃と今ではリツコの自分を見る目が違う事に。その理由を考えると、あの停電騒ぎの時に見たリツコのゲンドウへの眼差しが過ぎったのだ。今、彼女はゲンドウをどこか冷たい目で見ている事。それがどういう意味かをシンジなりに考えた結果である。

 

「リツコさんの父さんを見る目が前よりもきつい感じがするから」

「……大人の話だ。これはお前がもう少し大きくなったら話す」

「そっか。うん、分かった。答えてくれてありがとう、父さん」

「ああ」

 

 どこか逃げるような答えではある。それでも完全に逃げた訳ではない。ゲンドウはシンジがもう少し大きくなったら話すと告げたのだ。だからシンジは感謝した。それを受けゲンドウも息を吐く。やはりどこか距離感の縮め方が分からない二人であった。

 

 

 

「カヲル君、いらっしゃい」

「やあ、シンジ君。今日は招待してくれてありがとう。それで、一体何の呼び出しかな?」

「カヲル、その前に靴脱いで上がってくれよ。俺が入れない」

「ああ、そうだったね」

 

 話し合いを始めて三日目の放課後。カヲルは碇家を訪れていた。案内役のケンスケは彼の後ろに位置取り、自然な流れでカヲルを先にリビングへと向かわせる。何も知らずリビングへと向かうカヲルを見ながらシンジとケンスケは互いにサムズアップ。そして彼らも素早くその後を追った。

 

「これは……」

 

 リビングには折り紙で作られた飾りと、裏が白のチラシを何枚か繋げた物にマジックで大きく”渚カヲル歓迎会”と書かれたものが貼ってあった。それに思わず立ち止まっているカヲルの後ろからシンジとケンスケが顔を出し、既に待っていたアスカ達へ目配せをする。

 

「せーのっ」

「「「「「「ようこそ! 第3新東京市へ!」」」」」」

 

 揃って告げられた言葉にカヲルはやっと事態を理解出来た。これは自分を受け入れるための催しなのだと。目を何度も瞬きさせるカヲルに誰もが達成感を覚えて笑顔を見せる。

 

「どう、かな? 驚いてくれた、カヲル君」

「あ、ああ……こんな事は予想出来なかったよ」

「ま、そのために相田にあんたを引き付けてもらったの」

「渚君、喜んでくれた?」

 

 ヒカリの問いかけに頷くカヲル。それでヒカリとアスカにレイが掌を合わせて笑い合う。

 

「「「やった」」」

「うし、じゃあとりあえず座れ転校生。今日はお前が主役や」

「トウジ、せめて苗字で呼んでやれって。な、カヲル」

「別にいいよ。それは鈴原君が呼びたくなったらで」

「聞いたかこの大人な回答。それに比べて……」

「な、何や! 別にワイはな」

「はいはい。とりあえずトウジも座って? 渚君、好きなの食べていいからね」

 

 ケンスケへ意地になって反論しようとするトウジを宥めながらヒカリがカヲルへ料理を勧める。それを見てレイが紙皿を一枚手にして差し出した。

 

「これ、使って」

「ありがとう」

「はい、カヲル。これ箸ね。使える?」

「大丈夫だよ」

「飲み物は何がいいかな? 一応いくつか用意してるけど……」

「お構いなく。でも、出来れば水がいいかな」

 

 一番の上座に座らされ、カヲルは笑みを浮かべて受け答えをしていく。その姿はどう見ても喜んでいるようにしか見えず、シンジ達は会の成功を確信した。

 

 こうして始まった歓迎会は、カヲルからの料理の感想に始まった。それを作ったのが、トウジとケンスケの予想に反して女性陣だけと分かった途端、彼ら二人が争うように食べ始めてヒカリとアスカに説教を喰らう一幕があったものの、概ね平穏な時間が流れる―――かに見えた。カヲルがケンスケとの約束を果たそうとしなければ。

 

「ああ、そうだ。ケンスケ君、昨日の話なんだけど」

「ん?」

 

 紙コップに注がれたコーラを飲みつつ、ケンスケはカヲルの方を向いた。それだけがある意味でせめてもの救いだったのかもしれない。

 

「君に貸してもらったこれで言われた通り、三つの要素を決めてみたんだ」

「ぶっ!?」

 

 カヲルが鞄から出そうとしたのが昨日貸した成人向け雑誌であると理解した瞬間、ケンスケは盛大に口に含んだコーラを噴き出した。それは当然カヲルにかかり、周囲の注意を彼が手にした本から本人へと向かわせる事となった。

 

「ちょっと!? 何やってんのよ相田!」

「ご、ごめんカヲル! でも今のはお前も悪いぞ!」

「碇君、拭く物を貸して」

「うん、今持ってくる」

「ケンスケ、今のはないわ」

「渚君、とりあえずこれで手だけでも拭いて」

「ありがとう洞木さん。それとごめんよケンスケ君。君の本が」

「いや、それは気にしないでいいから!」

 

 せっかく周囲の意識がそれから逸れているのだから。そんな気持ちでケンスケは返しながらカヲルに近付き、ティッシュで軽く上着を拭きながら耳打ちする。

 

「それ、俺以外に見せちゃダメなんだよ」

「そうなのかい? 分かった」

「あー、それは俺が受け取るって。その、また今度教えてくれ」

 

 コーラで濡れたままの本を鞄に戻そうとするカヲルに気付き、それをそっと手に取って離れるケンスケ。それと入れ替わりでタオルを持ってシンジが姿を見せた。

 

「はい、カヲル君。これ使って」

「ありがとう」

「センセ、シャワー貸してやった方がええかもしれん。コーラやとベタつくで」

「そうね。着替えはシンジのシャツとかでいいだろうし、そうしたら?」

「悪いなカヲル、シンジ。俺のせいで」

 

 申し訳なさそうなケンスケにカヲルとシンジは同時に首を横に振った。

 

「「別に気にしてないから」」

「……本気ですまん」

 

 そのお人好しオーラにケンスケは余計申し訳なく感じて縮こまる。そんな彼の姿に誰もが笑った。それでこの件は終わりという合図でもある。こうしてカヲルはシャワーを借りる事となり、歓迎会もそこでお開きとなって後片付けを始める事になった。残り物を夕食に使おうとアスカとレイが詰める中、ヒカリはトウジにどれが一番美味しかったかを聞いていて、シンジとケンスケはそんな二組を眺めて苦笑する。

 

「惣流達、すっかり庶民染みたよな」

「そうだね。トウジと委員長もかなり親密って感じ」

「……このまま高校生になれるといいけどなぁ」

「どうかした?」

 

 まるで大きな不安があるとばかりなケンスケの声にシンジが小首を傾げる。すると、ケンスケはそんな彼へ昨日カヲルと話した事を教えたのだ。使徒がいなくなった後、人類はどうするのか。カヲルにはああ答えたケンスケであったが、彼もあの後考えたのだ。

 

「シンジも知ってるだろうけどさ。あの怪物と戦ってるロボット、いるじゃないか」

「う、うん……」

 

 まさか自分がそのパイロットなどとは思わないだろう。どこかでそう思いつつ、シンジはケンスケの言葉を待った。

 

「俺も直接見た訳じゃない。だけど、どうも凄い強いらしいんだ。で、思ったんだよ。あの怪物と戦ってる内はその強さは頼もしいし心強い。でも、怪物がいなくなったらその強さは恐怖でしかないんだ。だって、恐ろしい怪物さえも勝てない存在だぞ? それをどうやって恐れないでいろって言うんだ?」

「もう使えないようにすればいいじゃないか」

「うん、シンジの言う事はもっともだ。だけどさ、ここが人間の厄介なとこなんだけど、そうしたら今度はまた同じような怪物が出たらって考えるんだ。で、結局堂々巡り。これでみんなが安心して暮らせるようになるかってさぁ……」

 

 噛み締めるような言葉にシンジも返す言葉が無かった。彼が思ってもいなかった方向からの意見だったのだ。エヴァの事を知り、自分でなければあの初号機にはならないと分かる自分達はいい。だけど、そうでない者達は違うのだと言われた気がしたのだ。

 

(そうだった。あの初号機が使徒と戦う時だけなんて知ってるのは一部なんだ。それに、使徒との戦いがいつ終わるかも分からないんじゃ、初号機を封印なんて出来ない……)

 

 シンジもゲンドウと同じく考えないようにしていた事があった。それがこれだ。使徒との戦いに明確な終わりが来るのか。この時、シンジも意図せず大きな問題を突き付けられたのだった。真剣な顔で考え込み始めるシンジを見て、ケンスケは意外な表情を見せる。まさかここまでシンジが悩むとは思わなかったからだ。

 

「おい、シンジ。そこまでマジにならなくていいって。こういうのは俺達子供じゃなくて大人が考える問題だしな」

「……そうかもしれないけど、それでも自分の答えは出しておきたいかなって」

「真面目だなぁ。ま、そんなお前だから惣流と綾波も惚れたのかね」

 

 最後は少し茶化しながらも褒めるようにしてケンスケは話を切った。と、そこでふと思い出す事があったのでそれもシンジへ教える事に。

 

「そうだ。な、シンジ。ちょっと耳貸せ」

「え?」

「実はさ……」

 

 あのカヲルから問いかけられた、使徒が人の姿になって仲良くしたいと言ってきたらどうするか。それをケンスケはシンジへ教えたのだ。そして自分の答えも。その内容にシンジは呆れつつも同意する。彼も男だ。その気持ちは分からないでもないのだ。

 

「それで、カヲル君はどう反応したのさ?」

「いつもの事さ。何でか分からないって。あいつ、男だよな?」

「……だと思うけど」

 

 そこで二人して思ってしまったのだ。実は女子と言われても違和感がない事に。そしてまるで確かめるのにうってつけな状況ではある。彼は今シャワーを浴びているのだから。無意識に二人の視線は風呂場へと向く。

 

「……渚カヲルは実は男装女子だった?」

「や、止めてよ。有り得そうで怖いんだ」

「そうしたら三人目の女だな、シンジ」

「からかわないでって。カヲル君は男子だから」

 

 ニタニタ笑うケンスケへ、少しだけ顔を赤くしながら両手を振って否定するシンジ。そんな二人を眺め、アスカとレイは不思議そうな表情を浮かべていた。

 

「何やってんのかしら、シンジと相田」

「さあ?」

 

 ふざけ合っている二人を眺め、やがて少女二人は揃ってため息を吐いて苦笑する。

 

「ま、いっか。シンジも楽しそうだし」

「そうね。同性との時間も大切だわ」

「……レイもそんな事を言うようになったのね」

「どういう意味?」

「そういう意味」

 

 答えた後で嬉しそうに笑みを浮かべるアスカと、それを見てやや憮然とするレイ。それさえも二人には楽しい時間である。まるで姉妹かと思うぐらいの親密さを見せる二人を、トウジとヒカリが寄り添い合って見つめていた。

 

「惣流と綾波、ホンマ仲ええな」

「本当に。好きな人を取り合う事がないだけあるよ」

「せやなぁ。普通はケンカばっかな気ぃするけど……」

「碇君絡みでは、被害はほとんどその本人だって」

「……それもそれでどうか思うけど、本人達がええならええんやろな」

「うん」

 

 まだたまにキス程度が精一杯で、常時恋人繋ぎなど出来ない二人ではあるが、その関係はゆっくりと進んでいる。名前で呼び合うようにして、出来るだけ手を繋ぐようになる事で。トウジはシンジの助言通りに引っ張りつつ彼女の反応を見、ヒカリはアスカやレイの助言通りに好きな気持ちを伝えてもらうようにねだる。

 

「トウジもやっぱり可愛い彼女が沢山欲しいって思う?」

「思うぐらいはな。でも、ワイには無理や。センセも惣流と綾波やから出来るんやと思う」

「どういう事?」

 

 分からないとばかりにトウジへ眼差しを向けるヒカリへ、彼は前を向いたまま答えた。

 

―――男が可愛い女へ目がいくんは仕方ない。でもな、傍にいて欲しい思う奴は多くはないんや。ワイは、それがヒカリで、センセは惣流と綾波やった。それだけや。

 

 言い終わると同時にヒカリの手を握る少しだけごつごつした手。それにヒカリは顔が熱くなるのと同時に、こみ上げる喜びを感じていた。だから答えは言葉ではなく、彼と同じく行動とする。ヒカリはそっとトウジの腕へ体を寄せたのだ。思わず驚くトウジだったが、その行動の裏を考えて無言で立ち尽くす。そこへシンジの貸した服へ着替えたカヲルが顔を出した。

 

「……何だか僕のいない間に空気が変わっているね」

 

 その呟きはどこか不思議そうで、だけども嬉しそうな声。それにシンジとケンスケがまず反応し、そして残る四人もカヲルへ意識を向ける。そんな六人へカヲルは笑みを浮かべて告げるのだ。

 

―――出来れば、どうすれば君達のようになれるか教えてくれないかな?

 

 するとシンジ達はそれぞれの顔を見合わせ、ややあってから同時に笑う。彼らの反応の意味が分からずにいるカヲルへ、シンジが代表するように手を差しだした。

 

「大丈夫だよ。もうカヲル君も友達だから。ゆっくり仲良くなっていこう」

「友達……? 僕がかい?」

「何だよ。カヲルは俺達じゃ不満か?」

「相田、そんな聞き方はないでしょ」

「ま、本当はこないな事言わんでもなっとるもんやけどな。カヲルは言わんと分からんやろ?」

「そうだね」

「即答!? ちょっとカヲル、そこはせめて少しぐらい考えなさいよね」

「仕方ないわ。分からないものは分からないもの」

「あ、綾波が言うと説得力が違うなぁ……」

「でしょう?」

 

 その瞬間、カヲル以外が声を出して笑った。彼はそんな光景を見て笑う。ぼんやりとだがカヲルの中にも楽しいという感情が流れたのだ。歌を歌っている時とは違うそれは、カヲルにとって好ましいものと言えた。そうして彼らは笑い合って、シンジを残して帰宅の途に着く。トウジはヒカリを送る事になり、アスカとレイは揃って離れ、必然的にケンスケがカヲルと連れ立って帰る事になった。

 

「じゃ、俺はこっちだから」

「そうだね。じゃあこれで」

「おう、また明日なカヲル」

「……また明日、か。うん、また明日」

 

 手を振って離れて行くケンスケを見送り、カヲルは小さく笑う。

 

「リリンか僕ら。どちらかが滅ぶしかないとしたら、僕は彼らに滅んで欲しくないな。でも、きっとシンジ君達は僕を殺してはくれないだろう。どうするべきかな?」

 

 内容は物騒だが、カヲルはそれをとても楽しそうに呟いていた。まるで意中の相手をデートに誘うにはどうすればいいのかと言わんばかりの表情で。そして次の日、彼は信じられない行動に出た。この日、カヲルとケンスケが仲良くなった事を分かったシンジ達は、今まで通りにそれぞれで昼休みを過ごそうとしていた。だが、そこへカヲルが話したい事があるとシンジ達六人を屋上へと呼びだしたのだ。

 

「やぁ、集まってくれて嬉しいよ。ありがとう」

 

 屋上の端に立ち、カヲルはシンジ達を出迎えた。丁度雲が出ているのか、彼のいる場所だけ影になっている。その大仰さにシンジ達が揃って苦笑いを浮かべた。どこか芝居がかっているように感じられたからだろう。

 

「それで、一体何の話や?」

「大事な話みたいだけど……」

 

 トウジとヒカリの言葉にカヲルは頷き、本当にさらりとこう切り出した。

 

―――僕は君達で言うところの怪物なんだけど、それでも仲良くしてくれるかい?

 

 今日はいい天気だね。明日も晴れるかな? そんな感じの言い方だった。あまりにも軽い感じで告げられた重い内容に誰も理解が追いつかない。それでも真っ先に立ち直ったのはレイだった。彼女はどこかで彼も普通の人間ではないと感じていた故に理解もシンジ達よりも早かったのだ。

 

「証拠は?」

「証拠? 必要かな?」

「ええ。貴方が使徒である証拠を見せて」

 

 レイの発言にカヲルとケンスケが同時に反応する。ただし、カヲルは理解出来ないという表情だったのに対し、ケンスケは何か疑問を感じた表情という差はあったが。とにかく、ならばとカヲルは片手を突き出してフィールドを展開してみせる。

 

「これで満足かな?」

 

 そのあまりな光景にトウジもヒカリも言葉がない。しかし、シンジとアスカは違った。それでカヲルの言っている事が本当だと理解出来てしまった。しまったのだ。

 

「本当、なんだ……」

「カヲル、あんたホントに……」

「分かってくれたようで嬉しいよ。それで、どうする?」

 

 笑みを浮かべたままで問いかけるカヲルにシンジとアスカは顔を見合わせる。そしてすぐに同時に頷くと屋上の中央まで歩み寄った。困惑するカヲルへ微笑みかけながら。

 

「カヲル君が仲良くしたいって言うなら」

「ええ、あんた次第よ」

 

 笑顔で言い切るシンジとアスカ。さしものカヲルもその返答は予想外だったらしく、目を見開いて何度も瞬きをする。それを見ていたトウジとヒカリも小さく笑い、頷いて一歩足を前へ踏み出した。

 

「ワイも出来るわ。ちゅうか、昨日ダチになったばかりで縁切りとか男が廃る!」

「うん。それに、渚君が怪物って言われてもピンとこないしね」

「鈴原君……洞木さんも……」

 

 二人もまた笑みを浮かべている。昨日の歓迎会での様子やこれまでの事。それを見ていてカヲルを怪物とはどうしても二人には思えなかったのだ。ならばとカヲルはケンスケへ視線を向けた。

 

「ケンスケ君はどうだい?」

「聞く必要あるか、それ」

 

 返されたのは冷たい声。それにカヲルだけでなくシンジ達もケンスケを見た。全員の視線に晒された彼は、それでも怯む事もなくため息を吐いてカヲルを見据えた。

 

「いつか一緒に本物見に行こうって言ったろ? せっかくミリオタ仲間が出来そうなんだ。それにここでカヲルがいなくなったら、また俺はこの中で一人になっちまうだろうが」

「ケンスケ君……」

「ま、可愛い女の子は無理みたいだけど、趣味の話が出来る友達が出来るだけ良しとするさ」

 

 どこか残念そうに返してケンスケは頬を掻いた。心からの答えに目を丸くしているカヲルへ、いつの間にか近付いていたレイが手を差し出す。

 

「これが私達の答え。それで、手を掴むの? 掴まないの?」

「……僕がいると君達が滅ぶとしても?」

「大丈夫だよ。もしそうだとしても、きっと方法はあるから」

「そうよ。最初から諦めるなんて馬鹿らしいわ。やるだけやって、それでも無理なら諦めるのよ。ま、それでもシンジは足掻くでしょうけど」

「それ、アスカもでしょ?」

「おう、どう考えても大人しく諦めるように見えんわ」

「だな」

「言ってくれるわねあんた達っ!」

「「そういうとこや(だ)っ!」」

 

 走り出すアスカから逃げるように走るトウジとケンスケ。それを見て呆れつつ笑うヒカリとシンジ。もうカヲルの使徒発言を気にもしていない周囲に彼は取り残されたように立ち尽くす。そんな彼の視界へ白い手が入り込む。それはレイの手。未だに差し出しているのだ。その意味を理解し、カヲルは周囲の光景をもう一度見てから笑ってその手を掴む。

 

―――後悔するかもしれないよ?

―――しないわ。きっと碇君はしない。私の時もそうだったもの。

 

 はっきりとした言葉にカヲルは頷き、レイに連れられるように影から出て日の当たる場所へと歩き出す。そして、放課後になるとシンジ達はトウジ達と別れてネルフ本部へ向かう。勿論カヲルの事を何とか受け入れてもらうためだ。

 

「父さん、もしかしたらカヲル君の事を気付いてたのかもしれない」

「どうしてそう思うのよ?」

「その、聞かれたんだ。カヲル君の様子はどうだって」

「……碇司令にしてはたしかに珍しい」

「そうね。じゃ、シンジのパパはカヲルが使徒だって分かってて放置してたの?」

「そういう事になるね。そうか、シンジ君の父親は僕の事を気付いていたのか……」

 

 本部への道すがら、シンジがふと思い出したかのように告げた言葉はアスカ達にも小さくない驚きを与えた。もし仮にそうだとすれば、カヲルの事は思ったよりもあっさり片付くかもしれない。そんな風にシンジは楽観視していた。だが、アスカは違った。彼女はそれがカヲルの出方を窺うためだけであり、彼を受け入れる事とは別かもしれないと考えたのだ。

 

(ないと思いたいけど、万が一は想定しておくべきよね。レイの事を知ってるから大丈夫だと思うけど……)

 

 そう、アスカもカヲルの告白で気付いたのだ。レイも使徒なのかもしれないと。だからこそ彼女はカヲルを受け入れたのだ。大切な親友と同質の存在かもしれないカヲルを。こうしてシンジ達は本部へと到着するや、すぐにリツコの研究室へと向かった。レイの母的立場を認めたリツコならば、すぐにカヲルを排除に動く事はないだろうとアスカが判断したためである。そして今、リツコはシンジ達からカヲルの事を説明されていた。

 

「……そう、彼が使徒ね」

「そうなの。お母さん、どうにか出来ない?」

「カヲル君は使徒ですけど、僕らと戦う気はないんです」

 

 レイとシンジの懇願にも似た表情と声にリツコは小さく息を吐き、カヲルへと視線を向ける。彼は何事もないように平然とその場で立っていた。それにリツコは懐かしい雰囲気を感じ取って微かに笑う。

 

「ホント、昔のレイに似ているわね」

「リツコもそう思うんだ。じゃ、やっぱりそういう事なの?」

「レイ、シンジ君に話してもいい?」

「……いいわ。碇君なら、きっと受け止めてくれるはず」

「えっと……何を?」

「私の秘密。碇君にも聞いて欲しい。もうアスカとお母さんは知ってるから」

 

 思いかけず知ってしまったレイの秘密。その重さと内容にシンジはしばらく言葉がなかった。そして、ゲンドウがどうして話したがらなかったかも理解して。だが、リツコはそんなシンジへ容赦ない事実を突き付ける。

 

「シンジ君、今聞いた話をお父さんへして尋ねなさい。もう隠している事はないかと」

「……と言う事はあるんですか?」

「ええ。でも、それは貴方とお父さんの二人で乗り越えるべき事。私は話す気はないから」

「分かりました。父さんに聞いておきます」

 

 リツコの言い方で母に関する事だと理解し、シンジは気持ちを新たにした。レイが例えどんな存在だろうと人間であり愛する彼女だと決めた以上、もう立ち止まるつもりはなかったのだ。そう決意しているシンジを見て、リツコはカヲルへ視線を戻す。

 

「それで、貴方がいると私達が滅ぶというのはどういう意味?」

「君達リリンが使徒と呼んでいる僕らと、君達は共存出来ないはずなんだ。ただ、例外が起きたようだけど」

「……参号機?」

「そう。君があのアダムの分身の中へ僕らの仲間を取り込んだ。それは本来なら有り得ない事なんだよ」

「なら、あんたもレイに参号機の中へ入れてもらうの?」

 

 アスカの言葉にカヲルではなくレイが首を横に振った。彼女は分かったのだ。感覚的にカヲルでは同化出来ないと。

 

「無理よ。あの使徒とカヲルは何かが違う」

「さすがだね。そう、僕はこれまでの者達とは違うんだ。赤木博士に分かるように言うなら、僕は始まりの存在と同義なんだ」

「っ!? まさか貴方は……」

「だから言っているのさ。僕がいると君達が滅ぶしかないってね」

「お母さん、顔色が悪いわ。大丈夫?」

「え、ええ……心配いらないわ。ありがとう、レイ」

 

 血相を変えるリツコにレイが心配するように近寄り抱き締める。アスカはカヲルの発言とリツコのリアクションなどでその意味を考え、シンジは気が付いたら雰囲気が重くなっているので困惑していた。

 

「え、えっと……これはどういう?」

「シンジ君、君達の気持ちは嬉しかった。だけど、どうやら僕は生きていてはいけないようだよ」

「そ、そんな事言わないでカヲル君。最後の最後まで諦めちゃいけないんだ」

「希望、か。思えばそれこそが僕らが君達リリンに負け続けた理由かもしれないね」

「リリン? それって僕らの事?」

「そうだよ。リリスの子である君達はリリンさ」

 

 その一言でアスカが息を呑んだ。分かったのだ。カヲルが言った言葉の意味を。

 

「カヲル……あんたってもしかしてアダム?」

「正解だよアスカ君。そう、僕はその魂を宿してるんだ」

「アダム? 魂を宿してるって……カヲル君はカヲル君でしょ?」

 

 シンジの何気ないその一言でその場の全員が目を見開いた。そして、同時に笑う。アスカとリツコは当然、レイとカヲルさえも笑っていた。彼のそういう考え方こそがレイを変え、ミサトを変え、関わった者達を変えていった根底にある気持ちなのだ。

 

「ふふっ、そうね。たしかに彼は渚カヲルだわ。それに、シンジ君がそう思っているなら可能性は残っているもの」

「僕が?」

「とにかく、まずは渚カヲルが使徒である事と、今の所こちらと敵対する意思はない事。これを司令達にも分かってもらいましょう。カヲル君、私は貴方が私達と友好的な関係を築けるなら築きたいと思い続ける限り、決して敵対しないと約束するわ」

「僕も約束するよ。レイ君の母を自他共に認める貴方には」

 

 こうしてシンジ達は発令所へ向かう。だが、その道中でリツコは思うのだ。カヲルを受け入れるにしろ拒絶するにしろ、待っているのは茨の道であると。

 

(ゼーレは彼の死を願っている。とすれば、どちらに転んでも彼らは動く。だけど、シンジ君の話が本当なら司令はそれを分かっていて渚カヲルの変化を望んでいた事になる。その狙いは何? ユイさんをサルベージするためだとは思えない……)

 

 ゲンドウの狙いがぶれている気がする。リツコはそう感じながら歩く。彼女は知らないのだ。ゲンドウが既に以前程の熱量をユイへ向けていない事を。しかも、その切っ掛けは彼女が言った”過去だけを見なければやり直せる”という発言である事も。今、ゲンドウは何が何でもユイと再会するとは思っていない。シンジとの今を壊すぐらいなら叶わずともいい。それぐらいにまで彼は男ではなく父となっていたのだ。

 

 発令所へ到着したシンジ達を待っていたのはミサトとオペレーターの三人だけだった。そこにゲンドウと冬月の姿はない。当然と言えば当然であるので、シンジは気にせずミサトへカヲルの事を切り出した。彼女もリツコが共にいる事で大体は察していたが、実際に目の前でATフィールドを展開されると若干ではあるが冷や汗を掻いた。オペレーターの三人もそれぞれの椅子から立ち上がり、まじまじと肉眼でフィールドを見つめていた。

 

「ホントに使徒なのね?」

「君達からすれば」

「ぱ、パターンはたしかに青です」

 

 シゲルが信じられないと言わんばかりの顔をしてミサトへ告げる。マコトはあまりの事に動揺を隠せないが、それでもシンジ達がカヲルに危機感を抱いていない事。それにあの初号機が何も動きを見せない事から信じてもいいと判断していた。マヤはリツコの様子から同様の判断を下そうとしていた。

 

「あの、渚君?」

「何ですか、伊吹二尉」

「ほ、本当に使徒だとして、目的は?」

「一応はここにいるアダムと接触する事でした。だけど、僕自身はそれよりもシンジ君達に興味を持ったんですよ。だからもっと観察したい。でも、僕が生きる事は彼らの滅びでもある。その事をどうにか出来ないかと思っています」

 

 淡々とした説明ではあるが、誰もが聞きたい事を話していた。第十七使徒としての渚カヲルはアダムと接触したい。ただ、渚カヲルとしてはそれよりも人類、特にシンジ達の今後を見ていたいと考えていると。

 

「えっと、どうしてカヲル君が生き残る事があたし達の滅びになる訳?」

「生存競争ですよ。そちらの言葉を借りれば使徒が生き残れば人類が、人類が残れば使徒がそれぞれ滅びなければならないんです。分かりやすく言えば、元々この星には僕らかそちらのどちらかだけ根付くはずだった。それが、手違いか偶然か一つの星に二つの生命が根付いてしまった。ただし、先に目覚めたのが後からきたそちらだった」

 

 あっさりと話すカヲルだったが、それはそこにいる全員にとって簡単に聞き流せる話ではなかった。

 

「ちょ、ちょっと待ってカヲル君! それじゃ、僕らと使徒は天敵同士って事?」

「いや、本来なら出会うはずのなかった者達さ。だから天敵ではなく同類に近い。ただ、進化の方向性が大きく異なった。リリンは知恵を、僕らは力をそれぞれ持って生まれた」

「どうやら少し遅かったようだな」

 

 カヲルの言葉に続いて発令所へ聞こえる声がある。誰もが視線を上に向けた。そこにはゲンドウと冬月が立っていた。

 

「父さんっ!」

「シンジ、どうやら本当に使徒と、いや彼と対話する事に成功したらしいな」

「……僕を利用したの?」

「いや、正確には信頼だシンジ君。君の父は、自慢の息子ならきっと使徒に負けないと言って静観を決め込んだのだよ」

 

 どこか悲しげな顔をしたシンジへ冬月が即座に答えてフォローを入れる。ゲンドウはどこか照れくさそうに咳払いをしながら定位置へ座った。その姿にカヲルを除いた全員が呆気に取られる。

 

「な、完全に親馬鹿になってないか?」

「いいだろ。一人息子を気にもしない親よりマシだ」

 

 小声で話すシゲルとマコトにマヤが小さく苦笑する。ミサトとリツコも微かに笑みを浮かべ、アスカとレイは笑顔でシンジを見た。彼は同じように照れくさそうに頬を掻きながらゲンドウを見ていた。

 

「話の腰を折ってしまったな。渚君、続けてくれ」

「いいのですか?」

 

 ゲンドウへ確認を取るミサトだったが、彼はそれに頷いた。

 

「もう隠していられる状況ではない。ならば、ここにいる者達だけでも真実を知ってもらいたいのだ」

「……どうやら君のお父さんは本当に君のお父さんのようだね」

「え?」

「君と同じ事を考えているのさ。正確には君の気持ちを応援しているのかな?」

 

 カヲルの言葉でシンジは思い出す。それはあの第五使徒との初戦を終えた後の出来事。ミサトやリツコに諭され意見をひっこめようとした自分を、ゲンドウだけが後押ししてくれた事だ。あの時から、やはりゲンドウは知らず自分を支えてくれていたのだ。そう改めて思い、シンジは頷いてゲンドウを見た。

 

「父さん、ありがとう」

「礼はいい。それは、全てが無事終わったら聞かせてもらう。渚君、すまんな」

「いえ、僕を僕として扱ってくれるのならこちらもそれ相応のお返しをさせてもらうだけです。じゃあ、続けるよ?」

 

 その場にいる全員へ問いかけるようにしてカヲルは話し出す。エヴァはアダムの分身であり、使徒のコピーと言える事。人類はリリスという第二使徒から生まれた事。そして、アダムとリリスこそが生命の始祖である事。故にアダムの子かリリスの子しか最終的にはこの星に残れない事を。

 

「ただし、君の乗る初号機だけはアダムから生まれていない」

「え?」

「そうだ。初号機だけはリリスから作られている。だからこそあの変化も起きたのかもしれん」

 

 ゲンドウの言葉にシンジはぼんやりと思う事があった。それはもしもの話。自分がこれまでの戦いで負けていたらどうなっていたのか。それを彼はカヲルへ尋ねた。

 

「ね、カヲル君。もし仮に僕がどこかで使徒に負けてたら」

「君達で言うサードインパクトが起こされる。そしてこの星はアダムの子が住まう場所になっていたさ」

「……カヲル君はそうしたいの?」

「正直分からないんだ。魂だけが別の肉体に宿ったからか、それとも君達と接したからか滅ぶのも滅ぼすのも気が向かない。だから可能なら共存したいんだ。あの参号機の中に同化したモノのようにね」

 

 そう言い切ってカヲルはゲンドウを見上げた。正確には彼の右手を。それが意味する事にゲンドウは気付き、どこか申し訳なさそうに顔を背けた。その反応に一瞬カヲルは小さく驚き、すぐに笑みを見せた。どことなくそのゲンドウにシンジの姿を見たのだ。

 

「父さん、何とかカヲル君と一緒に生きていける方法はないの?」

「……ない訳ではない。ただし、それは成功率が限りなく低い」

「嘘……そんなのあるの?」

 

 アスカの呟きはその場にいるほとんどの者達のものと言えた。レイはゲンドウを見つめ、そのカヲルと同じ色の瞳で問いかけた。

 

「碇司令、教えてください。もうカヲルは私達の友達なんです。出来るなら助けてあげたい」

「レイ……」

 

 しっかりとした意見にリツコが感じ入ったのか少しだけ瞳を潤ませて微笑む。それはまさしく娘の成長を喜ぶ母の顔であった。ミサトもそんなリツコに気付き、似たような微笑みを浮かべた。

 

「その前に、君に聞いておきたい事がある」

「何でしょう?」

「消滅したエヴァ四号機。どこにあるか知っているか?」

「ああ、あのアダムの分身ですか。ええ、知っています」

 

 間違いなく全員がどよめいた。そんな周囲に気付き小首を傾げるカヲルだったが、その理由に気付いたのだろう。ポンと手を叩いて頷いた。

 

「そうか。君達はあれが欲しいんだね。何ならここへ出してあげるよ。それで僕に敵対意思がない証拠にならないかな?」

「どうなのミサトさん」

「うぇ!? そ、そうね……」

 

 まさか自分にお鉢が回ってくるとは思っていなかったのか、ミサトは素っ頓狂な声を上げて周囲を見渡す。すると、マコトが話に割って入ってきたのだ。

 

「ちょっと待ってください。使徒とエヴァの事は分かりましたし、彼が使徒である事も分かります。でも、どうやって彼と僕らの共存を図るんですか? どう聞いても不可能としか」

「落ち着けって。さっき言ってたろ? 参号機が第十六使徒を取り込んだって。つまり、いざとなれば似たような事で何とか出来るかもしれないだろ?」

「それでは彼の意思はどうなる? 使徒の正体が僕達と同じようなものなら、兄弟とも言えるだろ。今までのように問答無用で攻撃してきたり、あるいは共存不可能と思われる相手ならともかく、彼のような相手に僕は共存とは名ばかりの従属関係を築きたくはない」

 

 感情的になり過ぎないように答えるマコトだが、その声には隠し切れない熱があった。真面目な彼はカヲルの知っている事を全てを明かす行為に感じるものがあったのだ。人と同じだと、そう考えて対処するべき。そうマコトは言っていた。

 

「真面目だな、お前って」

「よく言われるよ」

「でも、それが日向二尉のいいとこでもありますから」

 

 呆れつつも好ましく思って苦笑するシゲルと、からかうように笑うマヤにマコトは複雑な表情を返した。そんなやり取りを聞きながらミサトはゲンドウへ意見を求める事にした。無論彼女自身の意見も添えて。

 

「司令、私は四号機をこちらへ渡してくれるのなら、渚カヲルは人と敵対するつもりはなく、本当に共存の形を模索していると考えていいと思いますが」

「……渚カヲル。私個人としては君を信じてやりたい。だが、このネルフを預かる人間としてはやはりまだ信じ切る訳にはいかない。それでも四号機を渡してくれるのならば、この本部内での生活を保障しよう。無論、君が使徒である事はこの場にいる者達だけの秘密としてだ」

「そこが妥協点ですか。分かりました。僕としてもシンジ君のお父さんと事を構えるつもりはありませんので。どこへ出せばいいですか?」

「赤木博士、彼にサルベージポイントを指定し伝えてくれ。それと、四号機は渚カヲルの専用機とする」

 

 そう告げるとゲンドウは立ち上がった。そして最後にシンジ達を見つめる。

 

「シンジ、これからは辛い戦いになるかもしれん。それでもいいか?」

「うん。僕は守るって決めたから」

「……ならいい。私はやる事がある。葛城三佐、息子達を頼む」

「はっ!」

 

 敬礼で見送るミサト。自然と体が動いていたのだ。これから辛い戦いになる。ゲンドウの告げた意味を彼女は分かったのだ。そして、最後の頼みの重さも。

 

(碇司令は、最後に息子達と仰った。つまり、個人としての頼み事。もしここへ戦自が攻めてきた時、真っ先に狙われるのはシンジ君達。そして、この発令所の人間で戦闘訓練を受けているのはおそらくあたしだけ、か。そういう事なんですね、碇さん)

 

 これからゲンドウは司令として、父として、そして男として戦うのだろう。その相手はカヲルとの共存を良しとしない存在。そこまで考えてミサトは息を吐いた。後ろではリツコがカヲルへ四号機をサルベージする場所を教えている。

 

「……エヴァが四機。それで迎え撃つのは……」

 

 

 

「本気か碇」

『ええ。アダムがこちらとの共存を望み、それにリリスも応じました。最早補完計画は不可能と見るのが正しいでしょう』

「こんな馬鹿な話があるかっ! 使徒を殲滅するのがネルフの仕事だろう!」

『殲滅? おかしいですね。私はこう言ったはずですが? 使徒は全て倒してみせますと。相手が戦う気を無くしたのなら倒した事になりましょう』

「碇っ! 貴様ぁぁぁぁっ!」

 

 ふざけるのでも煽るでもなく、本気でゲンドウはそう言っていた。彼も腹を括ったのだ。最愛の妻に許してもらうために、自慢の息子と笑い合うために、この世界を失いたくないと。そのために、彼は自分のシナリオさえ修正したのだ。妻と再会するためではなく、過去から繋がる今日を、未来へ残すために。

 

『報告は以上です。もし共存が不可能になった場合、皆様のご希望通りの展開となりますのでしばらくお待ちください』

 

 最後までぶれる事無くゲンドウは言い切って通信を終える。裏切りどころではない。もっと深刻な状況になった。そうゼーレの者達は考えていた。何せ最後の使徒であるカヲルはその正体を見抜かれたかあるいは明かしている。そこへ来てゲンドウが切った札はあろう事かリリスの魂を宿した存在の示唆。下手な動きを見せれば彼らの長年に渡って積み上げてきた物が一瞬にして無駄になる。

 

「鈴はどうしたのだ! こういう時のための鈴ではなかったのか!?」

「無駄だ。既にあの鈴は自ら役割を果たせないと告げてきていた。こうなる事を予測していたとは思わんが、己が危険を察知していたのだろうな」

「どうする? 碇の奴め、こちらへ含みを持たせるような捨て台詞を吐きおった」

「どうせハッタリだ。あのサードに人と同じ姿をした使徒を殺せるものか」

 

 その一言にキールが大きくため息を吐いた。

 

「では我らは、誰にあの使徒を殺させるつもりだったのかな?」

 

 誰も何も言えなくなった。そう、もしそう思っていたのなら彼らはゲンドウ以上の大馬鹿者である。何せ殺せないと分かっている相手へ殺してくれとカヲルを送り込んだとなるからだ。その間抜けさに気付き、沈黙する者達の中でキールは一つの決断を下す。

 

―――ネルフを碇の手から取り返し、本来あるべき姿へ戻すとしよう。幸い槍は残っている。我らの願いはまだ死んではおらん。

 

 不気味に動き出す黒い闇。使徒との戦いは終わりを告げたかに見えた中、蠢き出すモノがある。今はまだそれを知らず、シンジ達は目の前で行われるカヲルの仕業に感嘆の声を上げるのみだった。

 

―――銀色なんだね、四号機って。

―――派手な色……。

―――仰々しい感じがカヲルっぽくてお似合いじゃない。

―――それは褒められてるのかな?

 

 ジオフロントに現れる銀色の機体。それこそ消滅したはずのエヴァ四号機。こうしてネルフは四機のエヴァと四人のパイロットを揃える事となった。だが、その機体が動く事はもうない―――はずなのだ。しかし、どこかでシンジ達は予感していた。まだ戦いが起きるであろう事を。願わくば、今度こそその戦いが最後になる事を祈って彼らは四号機を見つめるのだった……。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが上がった。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十四話「最後のシ者」完




とんでもないネタバレ回。使徒と人類の戦う理由やら何やらがカヲルによって明らかに。テレビならこの後はおめでとうENDなんですが……劇場版の方向へ行くのがトゥルーだと思いますので頑張ってみます。


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第二十五話 Air~終わらせない世界~

皆さんお待ちかねの話へ。戦自の突入はどうするのか。きっとこの話の胆はそこになるんでしょう。戦々恐々としながら書いてみました。こんな話で申し訳ない。


 カヲルが四号機と共に改めてネルフへ迎え入れられた日の夜、シンジはゲンドウとリビングで向かい合っていた。リツコに言われた事を覚えていたからである。

 

「父さん、もう隠してる事はない? これで本当に全部?」

 

 レイの生まれや正体。それを知ったシンジであったが、それさえも彼は受け止めた。レイは人間であり彼女だとの強い想いで。だが、それとゲンドウが隠していた事は別。たしかにシンジもあの時にそれだけでいいと言った。しかし、しかしである。それでも話して欲しいとの気持ちもあったのは事実。ゲンドウもシンジの覚悟をその声から感じ取ったのだろう。大きく息を吐いて告げた。

 

「レイは、おそらくユイの遺伝子とアダムの遺伝子が結びついて生まれた存在で、その魂はリリスという使徒のものだ」

「……カヲル君と似てるのはそういう事でもあったんだ」

「ああ。きっとレイがお前に興味を示したのは、ユイの遺伝子の影響だろう」

 

 告げられたのは、意外な事実。そして、それはシンジにとって聞き流す事は出来ない事でもあった。レイに母の遺伝子が存在しているとなれば、それは倫理的に兄妹のようなものだと分かったのだ。

 

「……待ってよ、父さん……。じゃ、綾波は……綾波は僕にとっては異父兄妹みたいなものって事じゃないかっ!」

「……そうとも言えるな」

「っ! どうしてそんな事を黙ってたんだよ! 何で教えてくれなかったのっ! 綾波は僕の妹みたいなものだって」

「言ったなら、お前のレイへの気持ちは消えるのか?」

 

 激昂するシンジを遮るように放たれた言葉は、まるでシンジを諭すような声だった。ゲンドウの静かな問いかけに、感情を高ぶらせていたシンジもその意味する事に気付いて思わず息を呑む。

 

「シンジ、愛情というものは分からんものだ。永遠に消えぬと思う時もあれば、一瞬で消え去る事もある。かつての私は母さんへの愛情がそうだった。だからこそ分かったのだ。お前がレイへどれ程の想いを抱いているのかが」

「父さん……」

「これで確信した。やはりお前は私に良く似ている。外見はユイに似たが、内面は私に似たんだなやはり。不思議な感じだが、嬉しいものだ。私の血はたしかにお前に流れているか」

 

 噛み締めるように言いながらゲンドウはシンジを見つめた。

 

「渚君の件とレイの件、いやこの四季を失った世界さえ何とか出来るかもしれない。その可能性があるとして、お前はどうする? どうしたい?」

 

 真剣な眼差しで問いかけるゲンドウに、シンジも思わず表情を引き締める。いつかの母に会えるとしたらとの問いかけ。それよりも強い気持ちと熱量を感じて。

 

「答えはあの時と変わらないよ、父さん。可能性があるならやるだけだから。カヲル君も、綾波も、世界さえも守れるならやってみる価値あるよ」

「……失敗すれば全てが無に返るとしてもか?」

 

 その言葉にシンジは小さく笑ってゲンドウへ胸を張るように見つめて告げた。

 

―――忘れたの父さん。男は失敗した時の事を考えないものだよ?

 

 以前の風呂場でのやり取りのお返しをされた。そう思ってゲンドウは大いに笑った。

 

 同じ頃、アスカとレイは入浴を終え、水分補給も兼ねてリビングで何するでもなくソファに腰掛けて呆けていた。揃いのパジャマを着て、揃いのグラスで牛乳を飲む。そして同時にそれを置いた。

 

「ね、レイ」

「何?」

「同居、解消しましょうか」

 

 突然の申し出にレイは驚きを浮かべてアスカを見た。彼女はレイを見る事なく宙を見上げている。

 

「……どうして?」

「レイ、リツコと暮らした方がいいもの。ママなんでしょ? 一緒にいたいって思わない?」

 

 その言葉はアスカの気持ちだと理解し、レイは優しく微笑んで首を縦に振る。だけどすぐにこう言葉を付け加えた。

 

「でも、私はアスカと暮らしたい。お母さんとはいつか一緒に暮らせればいいわ」

「どういう事よ。普通は」

「二世帯住宅と言うものがあるって聞いたわ。お母さんは、碇君と結婚したらそうして欲しいって」

 

 あまりにも先を見すぎなリツコの意見にアスカは呆れるも、次第に沸々と沸き上がる気持ちがあった。そう、それはつまりアスカの両親を考えていない事になる。たしかに彼女の両親はドイツ住まいであるし、わざわざ移住してきたりもしないだろう。だけど、蔑ろにされたようで怒りを覚えたのだ。

 

「リツコめぇ……そもそも結婚出来ないって可能性は考えてない辺りがらしいじゃない」

「お母さんが言うには、私を受け止めきれるのは碇君ぐらいだって」

「そ、それに関してはあたしも納得するけど……」

「大丈夫よアスカ。いざとなったら私がカヲルと偽装結婚するわ。で、四人で暮らしましょう」

 

 レイのあまりにも具体的且つ厄介な発想に、アスカはその背後に何者かの影を感じた。なので片手を突き出し、待ったをかける。

 

「レイ、それ誰から入れ知恵されたの?」

「カヲル。もし世間が煩いならそういう手があるって」

「あいつ、変なとこでこの国の知識とか得てるわね。というか、レイはそれでいいの?」

「最悪構わないわ。それに、カヲルと私は似ているもの。周囲の目も誤魔化せる」

「…………うわ、お似合いの夫婦だわ」

 

 想像してみてアスカは項垂れる。突っ込み不在の夫婦となったレイとカヲルの生活を思い浮かべて。それともし自分とシンジが同居となったら、それはもう毎日突っ込みが追いつかない日々となるだろう。しかも、ほとんどが彼女の仕事だ。

 

「そう? さっき試しにヒカリにもメールで聞いたら同じ事を言ってたわ」

「でしょうよ。あのねレイ。シンジがあたし達に告白した時、何て言ってたか覚えてるでしょ?」

「ええ。だからこその最後の手段。碇君が守ってくれるのは嬉しいけど、いつまでも傷付いても欲しくないから」

「……なら、その時はあたしとじゃんけんしましょ。で、負けたらカヲルと偽装結婚」

「どちらにせよ、カヲルはそういう立場なのね」

「あいつもシンジと暮らせるならって言いそうだから怖いけどね」

 

 そう答えた後でアスカはある事に気付いてため息を吐く。言いそうも何も、彼はそれを理由にサードインパクトを回避したのだと思い出したからだ。つまり、レイへ教えた発想もそのためのもの。本気で自分達三人の人生を見守っていきたいのか。そう考えてアスカは呆れつつも笑みを見せた。

 

―――ま、そう出来るのが一番なのよね。

 

 限りなく可能性が低い未来ではあるとアスカも分かっている。どういう手段を取るにせよ、カヲルの問題を解決するのは容易ではないからだ。それでも、不思議と不安はあまりない。それは、彼女の愛する少年の存在があるからだろう。

 

 微笑むアスカへそっとレイが近寄り同じように微笑みを浮かべる。この日、二人は初めて部屋で一緒に寝る事にした。今度はレイからのお願いだった。

 

―――レイ、約束して。何があっても諦めないって。

―――アスカもね。

 

 最初は背を向け合った二人が、今や向き合って笑みを見せ合うようになっていた。その手は繋がれたまま、二人の少女は眠りにつく。その笑みも絶やす事なく……。

 

 

 

「なるほどねぇ。それが真実か」

 

 アスカとレイが眠りについた頃、ミサトの部屋のリビングで加持は彼女の口からカヲルの話を聞いていた。どこかで残念に思う反面、安堵している自分がいる事に彼は気付いている。間違いなく彼が追い駆けていれば、そこへ辿り着く前に力尽きていただろうと予想出来たからである。

 

「そ。これで少しは満足したでしょ?」

「まあな。出来ればこの目と耳で確かめたかった事ではあるが、聞いた感じ無理だったろうな」

「まず間違いなく消されてるわ。今の話だって、本来なら機密も機密よ」

「分かってる。その渚カヲルって少年が今後の争点かね?」

「どうかしら。あたしやリツコはむしろカヲル君じゃなくシンジ君とレイだと睨んでるわ。カヲル君の話や司令の言葉から、レイの魂はリリスで間違いないもの」

 

 だが、それさえもミサトやリツコにはある意味で関係ない。レイはレイだから守りたいのだし、その魂が何だろうが関係ないのだ。加持もそんな彼女の気持ちが分かるのだろう。苦笑しつつ空になった缶ビールを手にして立ち上がった。

 

「ま、何にせよだ。次の戦いが最後になるって訳だな」

「最後の最後が人間相手。シンジ君達は気にしない風だったけど、実際はそうじゃないに決まってるわ」

「だろうな。んじゃ、俺の出番かね?」

「リョウジの?」

 

 缶を軽く水洗いしながら何でもないように告げる加持へ、ミサトは心からの疑問を投げかける。彼女の声に彼は苦笑し、振り返ってこう尋ねた。

 

「俺のバイト、覚えてるか?」

「ええ」

「いや、簡単に辞めさせてくれない職場で助かったかもしれないな」

「……まさかまだ繋がりが?」

「完全に抜けようとするとヤバイんでな。だが、こうなるとそれが功を奏すかもしれない。最後の戦い、俺なりに少し動いてみるわ」

 

 真剣な面持ちの加持にミサトは胸騒ぎを感じる。それを彼も分かるのだろう。そのままの表情でミサトへ告げた。

 

「これが最後の綱渡りだ。だから心配しないでくれ。今までの俺は自分のためにそれをしてきた。だけど、今回はミサトやシンジ君達のためにする。それで失敗すれば泣かせる相手が多すぎるからな。今まで以上に失敗出来ないと発奮出来るさ」

「……危なくなったら生き延びる事だけ考えてくれていいから。例えあたしやみんなを売る事になっても」

 

 涙で滲むミサトの視界。加持は彼女の眼差しと想いに小さく笑みを浮かべ、静かに近寄るとその唇へ己の唇を重ねる。その温もりを決して忘れはしない。決して失いたくはないと互いに互いを求め合う二人。気が付けばミサトも立ち上がり、加持と抱き合ってキスしていた。

 

「……ね、今夜は一緒にいたい」

「朝まで、か?」

「出来るなら永遠に」

「そりゃ魅力的だ。だけど、それは最後の仕事の成功報酬で頼む」

「随分殊勝じゃない。成功報酬なら、貴方の血を継ぐ存在辺りが妥当だと思うけど?」

 

 微笑みながらの提案は加持の心を大きく揺さぶった。そして、それが何を意味しているかも。

 

「先渡しとは気前がいい」

「ええ、だから絶対成功させて帰って来なさい。じゃないと泣かせる理由が一つ増えるわよ」

「おお怖い。なら、泥水を啜ってでも生きて帰るさ」

 

 そこから二人は会話もなくキスをし、そのままミサトの自室へと消える。余談ではあるが、その夜、加持とミサトは最高記録を更新する。翌日、疲れ果てた男と、同じ状態ながらどこか満ち足りた女が部屋から出てくる事になるのだが、それはやはり生存本能の為せる業なのかもしれない。

 

 

 

 あのカヲルの一件があった翌日も、シンジ達は学校へ向かった。何事もなく授業を受け、いつものように昼休みは三人で屋上へと向かう。が、何故かそこへケンスケが顔を出したのだ。それもどこか真剣な面持ちで。

 

「少しいいか?」

「ケンスケ? どうしたの?」

「ん。一つ聞きたい事があるんだ。すぐ終わると思うから答えてくれると助かる」

「何よ? スリーサイズとかじゃなきゃ教えてあげるわよ?」

「アスカ、さすがにそれはないと思うわ」

 

 気楽な感じで話すアスカとレイを見て、ケンスケは何故か深呼吸をするとシンジ達を見据えて告げた。

 

―――使徒って何だ?

 

 間違いなく三人の顔に驚きが浮かんだ。そのリアクションでケンスケも何事かを察したのか、小さく「やっぱり……」と呟いて三人を見つめた。

 

「昨日、綾波がカヲルに使徒である証拠を見せろって言っただろ? で、何故かカヲルがその後やった行動でシンジと惣流はすぐ納得した。三人共知ってるんだろ? あの怪物が使徒って言う事を。どうしてだ?」

 

 そこで三人はケンスケのその推理に感心していた。僅かな情報を手掛かりに、彼は一晩である程度の確信を得て行動したのだ。どうするべきかと迷うシンジとレイだったが、アスカだけは違った。

 

「知らない方があんたのためよ、相田。これはそういう話」

「……そうか。じゃ、やっぱりそういう事なんだな」

 

 何かを理解したように呟き、ケンスケはシンジへ視線を向ける。その目はどこか寂しそうなものだった。

 

「実はさ、俺、シンジが転校してきた初日にあるメッセージを送ったんだ。あのロボットのパイロットかって」

「え……?」

「ま、どうやらその様子じゃ気付かなかったみたいだけどな。そうか、やっぱりそういう事だったんだ……」

「相田君、どうして碇君がそうだと思ったの?」

 

 当然と言えば当然の質問だ。だけど、ケンスケはそれに根も葉もない噂だったと前置いて話し出した。あの第三使徒との戦闘後、シンジは転校してきた。それと前後して、あのロボットのパイロットは自分達と変わらない年齢であるとの噂があったのだ。だが、実際来たシンジはそうと見えないぐらいの覇気の無さ。更に人を寄せ付けない雰囲気さえあった事で、早々信じる者はいなくなった事を。

 

「だけど、俺はもしかしてと思った。そういう奴って、どうしてもどこかに人と違うもんが出ると思うんだ。自信だったり、自負だったりとな。だからシンジはそういうのを隠してるのかもしれないって」

「……結果的に当たった訳だ」

「なぁ、シンジ。どうして黙ってたんだよ。そりゃ、誰彼構わず話していい事じゃないと思うけどさ」

 

 ケンスケの口調は責めるものでも疑問に思うものでもなかった。彼は、悲しく思っていたのだ。どうして一人で抱え込んだのかと、その目と声は言っていた。ケンスケも分かっている。秘密にしなければならない事だろうと。だけど、二人の彼女を作ったとさえ打ち明けてくれたのなら、それも教えてくれたっていいじゃないかと思ったのだ。

 

「ある時、こう教わったんだ。こういう事は知られずに終わるのが一番いいって。僕だって、ケンスケやトウジに話したかった。綾波やアスカには言えない弱音を聞いて欲しかった。だけどさ、僕も男だから。出来るだけかっこつけたかったんだよ」

「シンジ……お前って奴はぁ……」

 

 目に光るものを浮かべながらの本音にケンスケも感じるものがあったのか、思わず目を潤ませる。同じ男だからこそ分かったシンジの気持ち。そして見かけではなく中身の男らしさを感じたからこそ、ケンスケも何も言わなかった。ただ一言、この事は自分の胸にしまっておくとだけ返して彼は屋上を去った。

 

 その姿が見えなくなったのを確認して、アスカとレイはシンジを見つめた。彼は泣くまいとして空を見上げていたのだ。

 

「シンジ、いいの?」

「相田君はたしかに喋らないと思う。だけど……」

「いいんだ。もう使徒は現れないなら……エヴァが必要なくなる日もすぐだよ。僕らがそのパイロットだって事も、意味を無くす日は近いから」

「そうね。碇君の言う通りだわ。エヴァはもうすぐいらなくなる。私達もパイロットじゃなくなる。そうしたら、この情報に何の価値もなくなるもの」

 

 噛み締めるようなシンジの声にレイも同じような声を返す。アスカはそんな二人に同調するように頷いて、少年と同じように空を見上げた。レイもそれに気付いて空を見上げる。そこには、雲一つない青空が広がっていた。

 

「僕は、最後まで変わらない。この街を、大切な人達を守りたい。絶対に僕の見てる目の前で誰一人として犠牲になんかさせたくない」

 

 その言い聞かせるような言葉に、アスカとレイも頷いた。それは、少年の逃げ。それは、少年の覚悟。そして、それは三人の誓い。一番嫌な事から逃げるためにする、最高の逃げ方なのだから。いつだって足を前へ出す。逃げる時は後ろではなく前へ。あのミサトから言われた教えが今のシンジを作った。そのシンジが今のミサトへ変えた。人は関わり合って影響し合い、互いの形を変えていく。小さな変化の積み重ねが大きな変化を呼び、やがてそれが世界さえも変える力となる。生憎、それをシンジ達は知る事はない。だけども、どこかで感じ取っているのだ。自分がする事は決して無駄ではないと。

 

―――世の中に無駄や無価値なものはない、もんね。

 

 あの日、加持から言われた言葉を胸に、シンジは笑みを浮かべた。何があっても絶対に負けないと、そう改めて決意しながら……。

 

 

 

「僕にお話とは何でしょう?」

 

 その日、司令室にカヲルの姿があった。その視線の先には難しい顔をしたゲンドウがいる。カヲルはゲンドウから呼び出しを受けたのだ。

 

「単刀直入に聞く。アダムとリリスの融合。それによってこの変わってしまった世界を戻す事は可能か?」

「不可能ではないと思います。ただ、貴方では無理です」

「分かっている。それを成し遂げるのは私ではなくあの子だ」

「……シンジ君なら、あるいは」

「そうだ。レイと君を変え、私の目を今に向けさせてくれた子だ。未来を創るのはいつの世も子供でなければならない、か……」

 

 どこか納得するように呟き、ゲンドウは右手の手袋を外した。そこには、奇怪な胎児のような存在が蠢いている。それこそアダムと呼ばれる第一使徒。加持やミサトがターミナルドグマで見たのは、アダムではなく第二使徒であるリリスなのだ。カヲルはゲンドウの右手を見て小さく笑う。

 

「やはり貴方の手の中でしたか」

「そうだ。これを君に返しておきたい。いつがいい?」

「まだ先になるかと。その時が来ればこちらから受け取りに行きます」

「そうか」

 

 その意味する事を理解し、ゲンドウは手袋をはめ直した。そしてカヲルへ問いかける。

 

「人類は、リリンは本当に滅ぶべきではないと思うか?」

「もうそれを決める権利は僕にはありません。ただ、リリン自身にはあるかと」

「我々自身?」

「ええ。同士討ち……いえ、戦争と呼びましょうか。それをリリンが繰り返していくのなら、この星は生命の息吹を失う事でしょう。それはリリンが自ら選ぶ滅びです」

「……心に留め置こう」

「そうしてください。既にこの星でのアダムの子とリリスの子による生存競争は決着しました。後はリリン全体の問題ですよ」

「ああ、そのようだ」

 

 かつての敵であった存在からの警告。それが持つ重みと意味をしっかり受け止めゲンドウは頷いた。その頃、ミサトはある場所で言葉を失っていた。それはネルフ内にある射撃訓練場。そこにマコト達オペレーター三人の姿があったのだ。

 

「何でみんなしてこんなとこに?」

「葛城三佐と同じですよ。みんな、あの停電騒ぎの事を思い出してたんです」

「あれが本部の構造を把握するためなら、それは誰が何のためにやったか。そう考えれば思いつくのはそう多くないですよ」

「戦略自衛隊による強行突入。勿論普通なら成功しません。こちらだってMAGIを使って本部の防衛や隔壁による侵入阻止が出来ますからね」

 

 最後のマヤの言葉にミサトは悟る。以前彼女とリツコが予想した事を目の前の三人も予想したのだと。

 

「まず、MAGIのハッキングか最悪クラッキングさえも考えられます」

「それが成功するかしないかで戦自の突入が決まりますが、もし突入となれば……」

「MAGIが使えない時は、待ってるのは軍人達による素人の蹂躙です」

「それでも、せめて自衛ぐらいは?」

 

 そんなミサトの問いかけに三人は苦笑して頷いた。

 

「僕らが死んだら、いくらシンジ君達が無事でも悲しませるじゃないですか」

「なんで、せめて最低限の努力ぐらいはってね」

「私も正直人殺しなんてしたくありません。だけど、それを下手をしたらシンジ君達にさせてしまう。なら、自分だけ手を汚さないなんて出来ませんから」

 

 それぞれの気持ちにミサトは感じ入り、微笑みを浮かべて頷いた。子供だけに嫌な事をさせる訳にはいかない。その気持ちを目の前の三人も抱いてくれている事。それが嬉しかったのだ。大人として、先に生まれた者として、後から生まれた者を守ろうとする。それはとても自然な事。故に思うのだ。こういうものを見て、カヲルは人類を滅ぼしたくないと思ってくれたのではないかと。

 

「そうね。あたしとしても助かるわ。無い事を願うけど、もしもに備える事は大事だもの」

 

 少年達の知らぬところで大人達が動き出す。それは当たり前の事かもしれない。幼い者を守るために、先に生まれた者がもがき足掻く事は。だけども、それを誇る事もなく自慢するでもないからこそ、人はそれをこう呼ぶのだろう。それこそが”強さ”であり、強さは愛だと……。

 

 

 

 それから数日は静かなままだった。少なくても、表面上は。シンジ達は学校へ通い、ミサト達は来たるべき時に備えて動く。そんな中、ゲンドウは理解していた。まだゼーレが準備をしている事を。そしてその準備全てが終わった時、最後の戦いが幕を開けるのだ。人が滅びるか滅びないかを決める戦いが。よりにもよって、その人類自身の手によって。

 

 そんな中、あの男がネルフ本部へ戻った事で事態は動き出す。

 

「それは本当か?」

「間違いありません。まずはMAGIのハッキングです。どうも、向こうも失いたくはないらしいので」

 

 司令室で向き合うゲンドウと加持。互いの後ろには冬月とミサトの姿がある。加持は内務省の人間としてゼーレの動きを少しではあるが掴んだのだ。そして、彼は既に必要以上の危険へ足を踏み入れる事を良しとしない。なので戦自への簡単な仕込みだけで切り上げ、ここへ戻ってきていたのだ。

 

「各国の同時ハッキングか。決行は?」

「残念ながらそこまでは。ただ、そう遠くはありませんよ。向こうも焦っていますからね」

「おそらく司令が自分達とは異なる目的を果たすかもしれないと考えているのでしょう」

 

 ミサトの意見に冬月も頷いた。ゲンドウは少し考え、加持へ視線を向ける。

 

「それで、戦自はどうした?」

「あまり大っぴらな事は出来ませんので、指揮官クラス以上は何も。ただ、前線に立つだろう者達へはそれなりに」

「と、言うと?」

「葛城三佐や赤木博士が思いついた事を教えてもらいましてね。それを少し」

 

 悪戯を成功させたように笑みを浮かべる加持へミサトが苦笑した。本当に抜け目ないと思ったのだ。その話はたしかにしたが、それはあの気怠い朝の何気ない会話だ。それをよくも覚えていたなと感心したのである。ゲンドウと冬月はそれを知らぬが、きっと真面目な話し合いからではない事は察していたのだろう。どこか笑みを浮かべていた。

 

「具体的には?」

「あの紫色のエヴァのパイロットがどういう相手かを教えただけです。正確には流した、ですかね」

「どうせそれだけではなく、他のエヴァパイロットの事もだろう」

「かもしれません。とにかく、一兵卒からすればこれまでの初号機は自分達の理想でした。被害を最小限に食い止め、犠牲者を出さないで外敵を討つ。本当にシンジ君が優しい子で良かったですよ。論より証拠じゃないですが、過程と結果、その両方が彼の想いを伝えていますから」

 

 そう言って加持が見せたのはこれまでの使徒戦における被害報告のまとめ。その中の一部が赤のマーカーで線を引かれていた。

 

「民間の死傷者数、ゼロ。これは無視出来ない事です。ただ、これは初号機が出撃した後のカウントです。その前に亡くなった場合はカウントされていません」

「いや、それだからこそ重要だ。あの初号機は出撃すれば必ず民間人を守り抜いていたとも言える。無論避難していたからというのも大きいが、第十四使徒との戦いが物語るように、シンジは必ず犠牲者を出さぬよう戦ってきた」

「それが、民間であれネルフスタッフであれ関係なく、ですわ」

 

 ミサトの噛み締める声に頷き、ゲンドウはある手段を思い付く。それは、戦自の突入を心理的に無効化する事。つまりはエヴァパイロットの公表である。問題がない訳ではないが、戦自が突入してシンジ達を殺す事が出来なくなる方法ではあった。

 

「冬月、シンジ達がエヴァのパイロットであると公表するとしたらどうだ?」

「大混乱とはいかないだろうが、ま、世論が騒ぎ出すだろう。年端もいかぬ子供を使ってとな」

「司令、本気ですか?」

「ゼーレは戦自の中にもその息を吹きかけているはずだ。ならば、それらが動けぬようにするしかない」

「大義名分を失わせる、ですか。ゼーレは所詮裏の存在。表の政府や幕僚本部は補完計画の真実を知らない以上、どうしても世論を気にしないといけませんからねぇ」

 

 妙案だと加持が感心する反面、ミサトはシンジ達の事を思い複雑な心境だった。下手をしたら全てが終わった後、好奇の視線に晒される事になる。しかも、シンジとアスカにレイは三角関係としか思えない結びつきだ。それさえ恰好のネタになるだろう。

 

「私は賛成しかねます。それならシンジ君達の命は守れますが人生を守れるとは思えません」

「命を守れても人生は、か……」

「ミサト、命あっての物種とも言うだろ?」

「生きるっていうのはね、ただ呼吸してればいいってもんじゃないの。ちゃんと健全に幸せになれる事を生きるって言うのよ。誰かの目を気にして生きなきゃいけないなんて、生きてるって言わないわ」

 

 はっきりと断言したミサトの言葉に加持が降参とばかりに両手を上げ、ゲンドウと冬月も負けを認めるように苦笑した。三人は感じ取ったのだ。女は強いと。そして、その言葉こそが人として生きる上での正論であるとも。

 

「ならば、何がなくてもMAGIを守り抜いて本部の守りを失わないようにする事か」

「ああ、そうだ。葛城三佐、赤木博士へ伝えてくれ。最初に全てがかかっていると」

「分かりました。きっと彼女も娘のためにと奮戦してくれるでしょう」

「戦自の動きはどうします? MAGIの制圧失敗と共に動き出すでしょうが……」

「ゼーレはおそらく下士官には手を出していないはずだ。それは効率が悪いからな。そこを突く」

「現場の人間、か。たしかにそこなら上の理不尽な命令に反感を抱きそうだ」

「いくら命令に忠実と言えど、人間は機械ではない。その心と体が完全に一致しなければいくらでも隙は出来る」

 

 ゲンドウの言葉はある意味で人間というものの本質を突いていた。機械のようにはなれても機械にはなれない。どれだけ命令を遂行するように訓練しても、心を無くす事は不可能だ。もしそれが出来るのなら、それは人間である必要が無い。それこそロボットを用意する方が確実である。

 

「ましてや、彼らはそもそもが人々を守る事を仕事に選んだ者達だ。女子供へ銃を向けるなど平気なはずがない」

「そうか。攻めるべきは彼らの自衛隊としてのプライドか」

「ああ。守るべき者を殺せと言われ、躊躇いなく銃を撃てるとすればそれは自衛隊ではなくただの軍人だ。渚カヲルの時と同じで、我々は力で勝つのではなく心で勝つしかない」

 

 ゲンドウの噛み締める声に誰もが頷いた。打てる手を全て打ち、後は出来る事を精一杯やるだけだ。そう決意を新たにして。

 

 同じ頃、シンジ達は本部内の休憩スペースでいつかのように飲み物を飲んでいた。ただ、カヲルの手元にはブラックコーヒーが握られているが。

 

「……うん、僕もこれは好きになれそうにないね」

「そっか。カヲル君でも無理かぁ」

「何て言うか、やっぱり不思議よね。あんたにも苦手があるなんてさ。で、それ、どうすんの?」

「うーん……シンジ君、どうすればいいかな?」

「えっと……」

 

 差し出される缶コーヒーを見つめ、シンジは考えた。誰かに飲んでもらう事は出来ない。かと言って自分も飲み干す事は無理。と、そこで視線を自販機へと動かすと何かを思い出したように頷いて立ち上がったのだ。

 

「ちょっと待ってて」

 

 笑顔でその場から走り去るシンジを見送り、三人はそれぞれの顔を見合わせ小首を傾げる。数分後、シンジがその手に瓶と給水用の紙コップを持って現れた。瓶の正体はシャワールーム近くにある自販機で販売している牛乳だ。

 

「これで、少し薄めればまだ飲めるはず……」

「考えたわね。それで走って行ったのか」

「碇君、その紙コップは?」

「きっとこれに注いで薄めるつもりじゃないかな? さすがにここへ直接混ぜる訳にはいかないだろう?」

「そうか。それもそうね」

 

 どこかのほほんとした空気を漂わすレイとカヲルに小さく苦笑し、シンジは紙コップを一つカヲルへ手渡す。次にレイ、アスカと手渡していく。そこまでくれば三人もシンジが何を考えているか分かった。あの歓迎会の開始を告げた行動。それをまたやろうとしているのだと。

 

「じゃ、カヲル君。均等に注いでくれる?」

「分かった」

 

 缶コーヒーが紙コップの半分程注がれる。そこへシンジが牛乳を注ぎ、簡易的なカフェオレが出来上がった。

 

「えっと、カヲル君との共存を願って乾杯」

「「「乾杯」」」

 

 どこか照れながらの乾杯の挨拶。それにアスカ達も笑みを見せながら紙コップを軽く合わせる。そして一斉にその中身を口にし、同時に少しだけ表情を歪ませる。

 

「「「「苦い……」」」」

 

 揃った呟きに気付き、四人は顔を見合わせてそして笑った。笑いながらシンジは思う。こんな時間がずっと続けばいいのにと。何事もなく全てが平和に終わり、自分達がただの子供になれればいいのにと。その気持ちは他の三人も同様に。四人の楽しげな笑い声が通路内を響き渡る。それを聞いたスタッフ達が、思わず足を止めて小さく笑みを浮かべて歩き出す。誰もが願っているのだ。こんな施設に子供の声が響かぬ時を。薄暗い施設ではなく、日の光を浴びて笑っていて欲しいと。そう、誰もが願っていた……。

 

 

 

 そして、遂に時は来た。その日、シンジはいつものように学校で授業を受けていた。だが、突然彼の携帯が振動する。授業中ではあるが嫌な予感を感じてシンジは携帯を取り出す。そこには一斉送信でメールが送られていた。文面は一言。本部へ急げ。

 

「「「「先生、家族が事故にあったそうなので早退します」」」」

 

 揃って告げられる声にクラス全体が驚き、ケンスケだけがその意味に気付いて喉を鳴らす。老教師はそういう事ならと承諾し、シンジ達は弾かれるように教室を後にしていく。その背を見送り、ケンスケは即座に机の端末を操作し始める。目的は一つ。戦自の動きを探るためだ。

 

(警報は出てない。怪物はもうカヲルで終わり。なら、シンジ達が呼び出されるとしたら相手は人間しかないじゃないかっ!)

 

 あのカヲルとの会話で彼自身が恐れた事。それが現実になろうとしている。そうケンスケは確信にも似た何かを感じ取っていた。もどかしさを感じながら端末を操作し、ミリオタ関係で得た知識を総動員して様々な掲示板などを渡り歩く。そして遂に掴んだのだ。

 

「……第3新東京市を目指して戦自の部隊が動いてる……」

 

 それは、箱根を目指して動く戦自の部隊を遠くから撮影したもの。ミリオタ達には、常にこうやって戦自の動きを観察している者達が少なからずいるのだ。実際に動いているところなどを見たがる層である。

 

「嘘だろ……ホントに怪物がいなくなったら戦争する気かよ……」

「相田? どうしたの? 顔色悪いけど……」

 

 あまりにも現実が酷い事にショックを受けるケンスケに気付いたのか、隣のヒカリがそう声をかけた瞬間だった。街中に警報が鳴り響いたのは。それに慌て出すクラスメイトや教師を余所に、ケンスケは困惑するヒカリとトウジを見つめて絞り出すように告げた。

 

―――このままじゃシンジ達が人殺しにされる……っ!

 

 一方、シンジ達は本部へと急いでいた。一番近いゲートを目指して走る。と、何故かカヲルがATフィールドを展開した。直後そこへ殺到する銃弾の数々。思わず息を呑むシンジが見たのは、銃火器を手にした五人の兵士の姿。

 

「どういう事だ!? あれは一体……」

「怯むなっ! エヴァパイロットは全員射殺せよとの命令だ!」

「くそっ! この化物めぇぇぇぇっ!」

「手榴弾だ。フィールドは前面にしか展開出来ない!」

「俺がやるっ!」

 

 カヲルの後ろに隠れるようにしながら、シンジはどうすればいいか考える。だが、アスカが真っ先に気付いた。相手の行動が妙である事に。

 

(おかしい……どうして応援を呼ばないのかしら? もしくは、呼べない理由がある? そもそも、どうしてあいつらだけここにいるの……?)

 

 カヲルの能力を見た以上、普通ならば応援を呼ぶのがセオリーだ。何せ彼女達を射殺せよとの命令が出ているのだから。にも関わらず自分達だけで何とかしようとする。それがアスカにはプロの判断に見えなかったのだ。

 

「カヲル、大丈夫?」

「ああ、これぐらいなら平気さ。それと、みんな僕の近くにいてくれると助かるよ。背面までは難しいからね」

「カヲル君、ゲートまで行けそう?」

「移動しながらフィールドは張れるけど、そうすると広範囲は厳しいな」

「安全を考えると現状維持しかないって事ね」

「そうなるね」

 

 シンジ達が戦自の襲撃を受けているその頃、発令所ではリツコとマヤを中心にMAGIへのハッキングを阻止していた。来ると分かっていれば対処は可能。それがオリジナルMAGIの凄さであった。外国からの同時ハッキングを受けながらも、あの使徒からのハッキングを受けた彼らである。今更人間のそれに驚く事はなかったのだ。

 

「あの時に比べれば可愛いもんだよ……なっ!」

「ああ、まったくだ。それにカヲル君のおかげで……」

「あの使徒もこちらに協力してくれるなんて……先輩っ!」

「ええ、これで仕上げね」

 

 戦力差1:5の戦いだったが、その1は使徒とのタッグである。あのMAGIと共存を図った使徒へ、カヲルが伝えたのだ。今度ハッキングされたら死ぬと。故に死を回避するために、有ろう事か使徒は逆ハッキングを仕掛けてしまったのだ。皮肉なものである。あの時はMAGIを使って自律自爆をしてしまおうとした使徒が、今度はそのMAGIを守る力となったのだから。

 

「A-801も発令されて一時はどうなるかと思いましたけど……」

「司令が三十分後には撤回されると言った時には違う意味で驚きですよ」

「あれ、どういう事なんでしょうか?」

「さあ? 世論を敵にしたくないから言われた事は果たしたってポーズを取らせるんじゃない?」

 

 リツコの言葉通り、ゲンドウによって内閣へあの計画が伝えられていたのだ。それは、エヴァパイロットの世界への公表。更にそれに関わるいくつもの黒い内容もだ。ゲンドウは己の全てを失う事も厭わず、日本政府へ刃を突き付けたのだ。国内世論どころか国際世論さえ黙っていないぞと。そこで人類補完計画の事を追及してきた首相へゲンドウは告げたのだ。

 

―――貴方にそれをリークした存在こそがそれを企てているんですよ。第一、私がそれを企てているのならとっくに行っています。妻を実験で失った以上、ね。

 

 上手な嘘のつき方は嘘の中に事実を混ぜる事。実際、ゲンドウは出来る事ならユイを失った瞬間にサードインパクトを起こしていただろう。その冷たい眼差しと声に首相もリークを信じ切れなくなり、ゲンドウはそれを見てこう告げたのだ。相手の思惑通りに動いてくれてもいいが、三十分後に撤回してみて欲しい。それが万が一を想定した訓練だとすれば問題ない。そこで動きを止めないところに相手の息がかかっているのだと。

 

 今、ゲンドウは発令所でモニタに映し出された戦自の部隊を見つめていた。

 

「どうやら戦自の上の方だったようだな」

「ああ、さすがに政府内部は実行力はない。利用価値は小さいだろう」

「あちらは戦自を動かすための装置だからな」

「さて、現場はどうなっているんだろうか……」

 

 冬月の祈るような声にゲンドウは目を鋭くしてモニタを見つめた。丁度その頃、あの第九使徒が上陸した際の指揮官達が幕僚達へ意見具申していた。

 

「ですから、既に政府からのA-801も近く撤回する旨が通達され、理由も非常時を見越した訓練だったとの正式回答がありました! なのに何故ネルフ本部への攻撃命令が撤回されないのか、その理由をお聞かせ願いたいのです!」

『何度も言うが、所定位置までの移動を含めての訓練だ。速やかに移動せよ』

「っ! では、この時点での無条件発砲許可など必要ないはずでは? 以前から部下達には、あのエヴァパイロットが十四歳の少年少女だと言う情報が流れ、守るべき子供に守られたと悔やむ者が増えているのです。そこへ来てのこの任務です。違和感や嫌悪感を覚えている者が少なくありません。部下達を納得させるためにも、訓練であるとの発表と発砲許可の撤回だけでもお願いいたします」

『くどいぞ』

「っ!? 切れたか……」

「どういう事だ! あの第九使徒の時といい、今回といい。上はネルフをどうするつもりだ! 俺達に子供を殺せと言うのかぁ!」

 

 語気を荒げて拳を机へ叩きつける男に、もう一人の方もかける言葉がない。あの後も幾度となく使徒が現れ、一度などネルフ本部近くまで迫った。それさえも退け、未だに死傷者を出さぬようにしている初号機。それを一番見てきた彼らだからこそ思うのだ。あれと戦う事は自殺と同じだと。そして、もう一つが士気の低さである。みな、自衛隊に入った以上、その力は国を、人々を守るために使えと口酸っぱく言われてきた。それが、ここにきて子供へ向けろと言うのだ。それも、今まで彼らの代わりに国や人々を守った存在の。

 

「とりあえず所定の位置まで部隊を移動させるぞ」

「っ! 貴官、正気か? どう考えてもこれは訓練じゃない。訓練であるのなら動かしている数がおかしいし、訓練でないならばもっとおかしい。既に政府は、ネルフへの保護等の破棄は訓練であるとして撤回すると言っている。にも関わらず、そこを我々が攻撃させられる理由は何だ? しかもこの期に及んで、上は非戦闘員への無条件発砲さえ撤回していない。これが裏を考えずしてどうする!」

「落ち着けっ! ……たしかにそれはもっともだ。だが、我々は軍人だ。命令は絶対。そうだろ?」

「俺は軍人になった覚えはない! 俺は自衛隊員だっ! この体も、この技術も、全ては国を、国民を守るためにあるっ!」

 

 再度振り下ろされた拳が一際大きく響く音を立て、机にヒビを生じさせていた。それを見つめ息を呑む男へ彼は鋭い眼差しで問いかける。

 

―――貴官に自衛隊員としての誇りはないのか? 俺にはある。

 

 そう告げるや、彼は階級章をむしり取り机へ置いた。その意味を理解して男は黙る。それは上への反抗。階級を捨ててでも守るべきもののために動くと、そういう決意の表れだ。だからこそ男もため息を吐いて手を動かした。そして服に付いている階級章を外していく。

 

―――貴官だけにいい格好はさせんよ。

 

 こうしてネルフ本部を取り囲む戦自隊員へ命令の変更が告げられる。それは、これは訓練の一環であり、非戦闘員への無条件発砲不可及び自衛以外での全ての発砲を禁ずるというもの。その自衛隊らしい命令に多くが安堵の息を吐いた。そしてその命令が伝わった時、本部近くで更なる事態の変化が起きる。

 

「この辺りのはずだけど……」

「な、ええ加減話してくれてもええやろ」

「そうだよ。どうして碇君達が人殺しなんて……」

 

 何とケンスケ達がシンジ達のいる近くに姿を見せたのだ。彼は一度自宅へ戻り、ノートパソコンを使って戦自の動きから本部の位置を大体で割り出し、学校からならどの辺りへ行くかを考えて動いていた。それがよりにもよって最悪の場所へと導こうとしていたのだ。と、その時ケンスケが足を止める。つられるようにトウジとヒカリも足を止めた。

 

「あの紫のロボット、知ってるだろ?」

「おう」

「うん」

「あれ、動かしてるのシンジなんだ。それだけじゃない。綾波や惣流もだ」

 

 突然告げられる衝撃の内容。だが、トウジとヒカリはそれを信じる事は出来なかった。あまりにも突拍子もなかったためだ。しかし、ケンスケもそれを分かっていたのだろう。ならばとシンジ達にも聞いた事を話し出す。その内容に二人も顔つきが変わっていく。まさか、そんなはずはない。そう思い出したところへ、ケンスケがとどめとばかりに告げた。

 

「思い出してみろよ。ロボットが増えたの、惣流が転校してきた後だ」

 

 偶然にしては出来過ぎである。これがカヲルの事さえ無ければそれでも信じられなかっただろう。だが、ここまで状況証拠が揃ってしまうと認めざるを得ない。そう思ってトウジが息を吐いた。

 

「センセがあのロボットのパイロット、かぁ。やっぱ尊敬して正解やったな」

「最初は綾波と仲良く話してたからだったなぁ」

 

 思い出すように呟くケンスケにトウジも懐かしむような眼差しをした。そんな彼にヒカリが微笑んで声をかける。

 

「サクラちゃん、守ってくれたんだっけ」

「おう。これは改めて礼を言わんと」

「で、相田。それでどうして人殺しなの? むしろ人助けしてきてるじゃない」

「……戦自がこの街目指して動いてる。しかも、かなりの数だ。そこへ来てシンジ達の一斉早退。分かるか? 戦自があのロボットを危険視したんだ。カヲルが最後の怪物で、もう戦いたくないって思った事をどうやってか知ったんだ。そうとしか思えない」

 

 深刻な声で告げられる言葉。トウジもヒカリもその意味する事を察して息を呑む。自衛のために攻撃しても、エヴァでは殺してしまうかもしれないからだと気付いたのだ。だからといって、何もしないでいては殺されてしまう。

 

「じゃ、センセ達は……」

「ああ、このままじゃ殺すか殺されるかの二択を迫られる」

「だからって、どうするの? あたし達じゃ何の役に立てないじゃないっ!」

「いや、そうじゃないさ。むしろ、俺達だから役に立てる。戦自だって馬鹿じゃない。あのロボットと正面からやり合おうなんて思わないはずだ。俺ならシンジ達を取り押さえる」

 

 ケンスケが何を言おうとしているかを悟ったのはヒカリだった。

 

「そっか。基地みたいな場所があるだろうからそこに入ってアスカ達を捕まえる」

「なっ!? せやから戦自か!」

「そうだよ。相手はプロの軍人だ。シンジ達なんか相手にならない」

「だけど、自衛隊には違いないから民間人のあたし達で盾になる?」

「さすが委員長。頭の出来がトウジと違うね」

「あのなぁ……」

 

 歩きながら話す三人の前に遂にゲートが見えてきた。それに推測が間違っていないと確信し、ケンスケが近寄ろうとしたその時だった。三人の耳に爆発音が聞こえてきたのは。一度顔を見合わせ頷く三人。そして音のする方へ近付いてみると、そこにはフィールドを展開するカヲルと、その後ろに隠れているシンジ達を見つけた。

 

「っ!? センっ?!」

「シッ! 静かにしろって。まずは相手の注意を引いてシンジ達を助けないと」

「ん」

 

 呼びかけようとしたトウジの口を塞ぎ、耳打ちするようにケンスケが作戦を考えようと持ちかけると、彼は小さく頷いた。一方のヒカリは怖がっていたが、目の前の光景を見てある事を確信していた。

 

「渚君は化物って言ってたけど、やっぱり違うよ。だって、アスカ達を守ってくれてるもん」

「ああ、カヲルが一緒じゃなかったらやばかったな。て事は、さっきの音は手榴弾? 何てもん使いやがるんだ、あいつら。いくら命令とは言え戦自らしくないな……」

「んー」

「あ、相田? そろそろトウジの口から手を離してあげて?」

「あっ、悪い」

 

 忘れていたとばかりに手を離すケンスケを少しだけ睨むような目で見つめるトウジだったが、それもすぐに消して腕を組む。彼なりにシンジ達を助ける方法を考えようとしていたのだ。彼にも分かったのだ。あの戦自隊員達は、自分達が撃つなと言って立ちはだかっても攻撃を止めないだろうと。

 

「な、あそこへセンセ達は行こうとしとるんやろ?」

「多分な」

「ワイらであいつらへ石投げたるんはどうや?」

「そんなんじゃ倒せないじゃない」

 

 子供の悪戯か。そう思って呆れるヒカリだったが、ケンスケはその意見に真剣な表情を浮かべていた。ミリオタである彼はサバイバルゲームなども好きだった。だが、共にやる相手がいないので専ら知識ばかりだったが。だからこそ相手の注意を引く事さえ出来れば何とかなるかもと思っていた。

 

「……ありかもしれないな、それ」

「「へ(え)?」」

「とりあえず俺達はシンジ達から相手の注意を逸らす事が出来ればいい。で、こっちに意識を向けたら出来るだけ入り組んだ道へ逃げながらシェルターを目指す」

「……なら、それはワイとケンスケでやろうや。ヒカリ、お前はどこかに隠れとけ。で、あいつらがおらんなったらセンセ達と一緒にあん中逃げろ」

「っ!? やだ……やだよトウジ。あたしも一緒に」

 

 トウジの提案にケンスケも頷いたのを見て、ヒカリが泣きそうな顔で首を横に振った。その涙にトウジが苦い顔をするものの、その両肩へ手を優しく置いた。

 

「分かってくれ。これは男としてのお願いや。彼氏として、大切な女だけは守りたい」

「トウジぃ……」

「委員長、頼むよ。俺もこんな危ない事へ連れてきて何だけどさ、本当の銃を見てやっぱ思うんだ。こんな世界に女の子を巻き込んじゃダメだって。大丈夫だって。絶対死なずに逃げ切るからさ」

「おう、約束する。絶対生きてまた会うって」

「相田……トウジ……」

 

 微笑みを見せて頷く二人。その姿にヒカリはしばらく黙っていたが、目を閉じて頷くとトウジへ近寄りそのままキスをした。思わず口笛を吹くケンスケと目を見開いて驚きを露わにするトウジ。やがて離れたヒカリは、やや潤んだ瞳のまま今度はケンスケのとなりへ近付き頬へキスをした。

 

「は?」

「相田も、男らしかったから特別。トウジの事、お願い」

「ああ、そういう事な。分かってる。何が出来るか分からないけどやれるだけやってみるよ」

 

 内心はテンションだだ上がりではあるが、あくまでもヒカリはトウジの彼女。それを痛感しつつ、だからこそせめてヒカリの大事な相手だけは守り抜くか。そう思いつつケンスケはトウジへ目配せする。頷き合い、二人は近くにあった石を拾った。それを合図にヒカリが物陰に隠れる。

 

「いいか? 二手に分かれて逃げるぞ」

「おう。また会おうや」

 

 軽く互いの拳を合わせ、二人はシンジ達へ銃撃を続ける戦自隊員へ石を投げつけた。

 

「何だ?」

「おうおう! 何で戦自が子供へ銃向けとんのやっ!」

「しかもそれで仕留められないとか訓練やり直してこいよ!」

 

 突然現れた学生二人に意識を向ける戦自隊員とシンジ達。と、アスカが二人のやろうとしてる事に気付いて叫ぶ。

 

「何やってんのよ! 逃げなさいっ! こいつら、まともな戦自じゃないわっ!」

「……二人であのガキ共を捕まえろ。奴らの関係者だ。殺すなよ。投降させるための材料だ」

 

 その言葉で二人の戦自隊員が攻撃を止め、二人へと近付こうとしたのを見てケンスケ達が走り出す。それに一瞬出遅れる形となりながら追い駆ける二人の戦自隊員。

 

「くそっ! やっぱ全員では追い駆けてこないかっ!」

「どないするっ!?」

「言った通りだっ! 後で会おうぜっ!」

「分かったっ!」

 

 二手に分かれて逃げるケンスケとトウジ。それに戦自隊員も少しだけ動きを鈍らせながらも、ハンドサインでそれぞれが追い駆ける方を決めて加速する。残されたヒカリは追い駆けて行ったのが二人だった事から状況の打破には繋がらない事を察し、どうしようかと考えていた。

 

「どうしよう……どうすれば碇君達を助けられる?」

 

 危ない事はして欲しくないと言ったトウジとケンスケの言葉を思い出し、だけど自分だけ何もしないのは嫌だとばかりに考えるヒカリ。そこでふと思いついたのはある意味で女子ならではの発想。危ないかもしれないが、二人よりは危険性が少なく、またシンジ達をどうにか出来るかもしれない。と、そこでヒカリのポケットが振動する。メールが届いたのだ。クラスの友人からで、シェルターにいないからどこにいるのという問い合わせ。それにどう答えようと思ったところで、ヒカリは気付いた。これなら何とか出来るかもしれないと。

 

「そうと決まれば……」

 

 アドレス帳からアスカを選び、メールを送る。内容はこれだけ。

 

―――今から戦自の人達の攻撃を少しだけ止めさせるから、後はお願い。読んだら空メール送って。

 

 送信してしばし待つ。すると振動が起きてヒカリは携帯へ目を向ける。そこにはアスカからのメール。

 

―――信じてるからね。

 

 空メールでいいのに送られた内容。それが意味する事はただ一つ。ヒカリが危なくないように考えてるんだよねという信頼。それを嬉しく思ってヒカリは目を閉じて深呼吸をした。そこから息を吐くと同時に目を見開き、制服の裾を破ってスカートさえも少し裂け目を作るや大きな声で悲鳴を上げた。そして慌てて飛び出すように戦自隊員達がいる場所へ駆け込む。必死の形相で走りながら叫んだ。

 

「助けてぇぇぇぇっ!」

 

 その様子にさしもの戦自隊員達も一瞬ではあるが攻撃を止めた。それを見てヒカリは一番傍にいた戦自隊員へ抱き着いた。

 

「た、助けてっ! 助けてくださいっ! 乱暴されそうになったんですっ!」

「お、落ち着け。一体それは」

 

 ヒカリの告げた内容に受け答える戦自隊員だったが、その返事を聞く事は出来なかった。何故なら後方で二人のうめき声が聞こえたのだ。振り向いた先で見たのは、意識を失う二人の同僚。

 

「なっ?!」

「ヒカリ離れてっ!」

「君もこれで終わりだ」

 

 そして背後で聞こえた声に振り向く事も出来ず、彼もまた意識を刈り取られる。カヲルのATフィールドによって。そう、フィールドを収束して飛ばす攻撃法をアスカがカヲルへ伝え、収束せず放たせたのだ。その威力で二人は地面へ後頭部を打ち付けて意識を失い、残る一人も同じ運命を辿る事になった。

 

「アスカ……」

「ヒカリ、大丈夫? 怪我してない?」

「うん、あたしは大丈夫。でも、トウジと相田が……シェルターへ向かって逃げてるはずだけど……」

「ならそっちは僕が何とかしよう。シンジ君達は先に本部へ」

「分かった。気を付けてねカヲル君」

「ヒカリ、ありがとう。おかげで助かった」

「レイ……ううん、今まであたし達が助けてもらってたんだもん。これぐらいはさせて」

 

 潤んだ瞳で見つめ合う女性陣の後ろで、シンジは逃げた友人二人を助けるカヲルを送り出す。そして、彼らはアスカの提案で武器等を全て奪い取って、ヒカリ以外の二人がスカートを破り割いてその手足を縛る事に。シンジがさすがにそれはと止めようとするも、恥じらいよりも命が大事とはっきり返されて終わる。

 

 三人の戦自隊員を拘束し、シンジ達はゲートを通って本部へと向かう。その頃、トウジとケンスケは体力の差から追っ手の戦自隊員に追いつかれそうになっていた。それでも懸命に走る二人。だが、差は開くどころか詰まっていく一方であった。

 

「くそ……このままじゃ……っ!」

 

 必死に逃げるケンスケだが、どこかで悟っている。もう逃げられないと。それでも少しでも時間を稼ぐんだ。そう思って彼は何とか逃げ続ける。が、疲れたせいか足がもつれて転んでしまった。

 

「うおっ!?」

 

 何とか顔を地面に擦る事だけは避けたものの、膝は擦り剥けてズボンが破れて血が滲んでいた。もう走れそうにないと体が言っているようで、ケンスケは後ろを振り向く事さえしなかった。

 

(ここまでか……悪いシンジ。もし俺が人質になったら助けてくれると嬉しいぜ)

 

 かっこ悪いと思いつつ、ケンスケはその場で座りこんで捕まるのを待つ。すると、何かが倒れる音がした。何かと思って振り向くと、そこには思いもよらない人物がいた。

 

「か、カヲル?」

「やぁケンスケ君。どうやら間に合ったようだね」

 

 そこには気を失って倒れる戦自隊員と、にこやかに笑うカヲルが立っていた。あまりの事に目を何度も瞬かせるケンスケだったが、助かったと理解するや全身から力が抜けたのかその場で脱力してしまった。

 

「はぁ~……助かったぁ……」

「そうだね。で、鈴原君は?」

「っ!? そうだ! あいつは別方向からシェルター目指してるんだよ!」

「となると僕じゃ見つけられないかな?」

「別れた場所から予測するに、大体の進路は分かる。カヲル、俺が案内する。ついて来てくれ!」

「分かった。なら、僕が連れて行くよ。掴まって」

「へ?」

 

 こうしてケンスケはカヲルに掴まり、浮遊するように移動するという稀有な経験をする。その速度に恐怖しながら、ケンスケは思うのだ。カヲルが女子でなくて良かったと。でなければ、あまりにも情けなさすぎると思って。やがてカヲルが移動を停止し、ケンスケを下ろした。

 

「どうした?」

「リリンの気配がするんだ。それも二つ」

「……どっちだ?」

「向こうかな」

 

 カヲルの指さす方向を見て、ケンスケは物陰に隠れながら近づいていく。そして、見た。気を失っているようなトウジを肩で抱えて歩く戦自隊員の姿を。

 

「トウジ……」

「どうしようか? あれだと鈴原君を巻き込んでしまう」

「……不意打ちしよう。俺があいつの後ろから近付くから、カヲルはあいつの進路方向へ回って様子を窺ってくれ。で、あいつが俺に気付くか作戦が上手くいったら挟み撃ちだ」

「分かったよ。気を付けて」

「おう」

 

 一旦そこで二手に分かれる二人。ケンスケはゆっくり近付きながら狙う場所を考えていた。

 

(足……は無理だな。脛……なら効きそうだけど、狙うのが無理。膝もなぁ……となると……)

 

 狙い難いが、そこはどんな人間でも、特に男は鍛えようがない場所。即ち金的である。それを狙うしかない。そう決意してケンスケは戦自隊員との距離を詰めていく。と、何故かそこでカヲルが姿を見せた。

 

「やあ」

「っ!? お前は」

 

 動きを思わず止める戦自隊員。その瞬間、足の隙間を狙ってケンスケが思いっきり足を振り上げた。彼の足に感じる何とも言えない感触と共に戦自隊員はその場へ崩れ落ちる。そしてケンスケがトウジを何とか引き離すと同時に、カヲルがフィールドをぶつけてダメ押し。

 

「やったな」

「ケンスケ君のおかげだよ」

「でも、どうしてあのタイミングで出てきたんだ?」

「だって、彼は君に気付いていたようだったから」

「は?」

 

 目を丸くするケンスケへカヲルは平然と話し出す。カヲルが様子を窺うと、既に戦自隊員は後方のケンスケに気付いているように少しだけ視線を後ろへ向けていたのだ。だからカヲルは言われた通り、相手の前へ現れたのだ。結果として、それが功を奏したのだからケンスケとしては返す言葉がない。

 

「うっ……何や? ケンスケ?」

「お、気が付いたかトウジ」

「なら、移動しよう。ここにいるのは危険だからね」

 

 こうしてケンスケはカヲルと共にトウジを本部へと運ぶ事にした。シェルターの方がいいかと思ったのだが、どうせならシンジ達を安心させる方を選んだのだ。トウジとケンスケを連れ、カヲルは本部へと急ぐ。

 

 その頃、発令所までヒカリを連れてきたシンジ達は戦自に襲われた事を話していた。ちなみにアスカとレイはプラグスーツに着替えている。シンジもだ。無論、下着をシンジとヒカリ以外に見られないためである。

 

「そう、戦自がね……」

「でも、あいつら妙だったわ。応援を呼ぼうとしないし、平気で鈴原達を追い駆けたし、そもそもこっちに対して銃口を向ける事を躊躇わなかったもの」

 

 アスカの説明でミサト達が息を呑む。応援を呼ぼうとしない事から理解したのだ。襲撃者が戦自を装った別物か、もしくはその中にいたゼーレの息がかかった者達だろうと。

 

「とにかく無事で良かったわ。洞木さん、だったわね。シンジ君達を助けてくれてありがとう」

「い、いえ。あたしは今までの恩を返しただけだから……」

「それでもよ。だけど、こんな事はもうしないでね? 今回は運良く終われたけど、いつもこうとは限らないから」

「はい、分かってます。でも、きっと同じ事になったらまたしちゃうと思います。だって、アスカとレイは大事な親友だから……」

「「ヒカリ……」」

 

 照れくさそうに笑うヒカリにアスカとレイも笑みを返す。一人シンジはそんなヒカリ達を眺め、苦笑していた。自分はどうなんだろうと思ったからだ。だけどそれを聞く程野暮ではない。なので苦笑していたのだ。

 

「ミサトさん、多分カヲル君はトウジとケンスケを連れて来ると思います。さっき、ケンスケからメールが来たんです。みんな無事って」

「そう、良かった。それとシンジ君、司令が呼んでいたわ。到着次第司令室へ来るようにと。あとレイもね」

「「分かりました」」

 

 揃って頷き動き出すシンジとレイを見送り、ヒカリはアスカへ視線を向けた。プラグスーツ姿の彼女を見て、ケンスケの予想は本当に合っていたと確信していたのだ。真紅のプラグスーツ。それは弐号機と同じ色だったから。

 

「ミサト、ヒカリなんだけどどうしたらいい?」

「そうね……」

「あ、あのっ! 出来ればここに居させてください! もしもの時は碇君達の事、応援したいから!」

 

 健気で可愛い中学生女子。その願いを聞いて無下にするような者はここにはいない。何よりも、これが最後の戦いになると誰もが確信している。だから全員を代表してミサトが頷いて微笑みかける。

 

「いいわ。許可します。ただ、立ちっぱなしになるけどいい?」

「はいっ! ありがとうございますっ!」

「マヤ、クッション貸してあげたら?」

「……そうですね。これ、良かったら使って? 床に置いてくれていいから。疲れたら座ってね」

「いいんですか? ありがとうございますっ!」

 

 マヤの発言にリツコが目を見開き、そしてゆっくり微笑みを浮かべる。気付いたのだ。彼女も成長している事に。アスカもそんなヒカリに笑顔を見せてその場から立ち去った。向かうは弐号機のいるケイジ。発令所に部外者がいるという珍事だが、きっとゲンドウもそれを責める事はないと誰もが分かっていた。それから数分後、発令所にカヲルとケンスケにトウジが現れ、ヒカリの思春期カップルらしい一面を見せて誰もが甘酸っぱい気分になった事を記す。

 

 

 

 司令室でゲンドウと向き合うシンジとレイ。だが、三人には一言も会話はない。ゲンドウは何かを待っている。そんな気がシンジとレイには感じられた。何しろ入室した二人にしばらく待てと言ったきり無言になったのだ。そしてシンジもレイもその待ち人が誰か薄々勘付いていた。と、そこで聞こえるノック音。全員の視線がドアへと向く。

 

「入ってくれ」

「失礼します」

「「カヲル(君)っ!」」

「やあ、お待たせ」

 

 笑みを見せながらカヲルが三人の近くへと歩み寄って行く。それを見てゲンドウは小さく頷き、立ち上がった。

 

「シンジ、レイ、よく聞いて欲しい。お前達には彼と共に世界創造をやってもらいたい」

「「世界創造……?」」

「簡単に言うと、この世界そのものを創り変えるのさ。シンジ君の思うように、ね」

「僕の?」

 

 余りにも唐突な内容に理解が追いつかないシンジだが、何となくさせようとしている事の本質は理解していた。そう、カヲルの事もレイの事も、そして世界の事も何とかする術とはそれの事だと。

 

「碇司令、どうして私達なんですか?」

「レイ君、もう君も薄々分かってきているはずだよ。このままだと僕も君も近い内に死ぬしかないとね」

「っ!? どういう事!?」

 

 その言葉は聞き捨てならなかった。レイもカヲルも死んでしまうなどと。シンジのその表情にカヲルは嬉しそうに笑い、話し始めた。彼とレイは造られた体である。それは魂が本来入るべき器ではない。よって、近く体がもたずに崩壊してしまう。その前に新しい体か、あるいは本来の体へ戻るしか生き残る術はないと。

 

「だけど、本来の体に戻れば僕も彼女も渚カヲルと綾波レイではなくなる。そうなると……」

「新しい体を用意する?」

「いや、それはもうダメだよレイ君。僕らはヒトになるんだ。それはヒトらしくないだろ?」

「シンジ、それも含めてお前達に託したい。この世界の未来と共に」

「世界の……未来……」

 

 ゲンドウの言葉にシンジはある言葉を思い出した。それは、彼の母が見せたいと言っていた事。人の明るい未来。それを今度は自分が掴み、初号機にいる母へ見せる番なのかと。正直まだシンジには世界創造というのがよく分からない。だが、世界の未来を作れと言われれば何とか分かるのだ。自分の知らない春夏秋冬という四季。それらを取り戻す事だと。

 

(僕に出来るか分からない。だけど、綾波とカヲル君の事を知っていてどうにかしたいって思えるのは僕しかいない……)

 

 逃げ出したい内容ではある。世界の未来を託されるのだ。しかも、おそらくだが、その方法は世界を滅ぼすはずだったサードインパクト。そこまで考え、シンジは体の震えを覚えた。その震えを感じながらシンジは目を閉じて深呼吸する。

 

―――逃げちゃダメだ……。

 

 まず思い出すのはカヲルの笑顔。

 

―――逃げちゃダメだ……。

 

 次に冬月の笑みとマコトにシゲル、マヤの笑顔。

 

―――逃げちゃダメだ……。

 

 トウジにケンスケ、ヒカリの笑顔。

 

―――逃げちゃダメだ。

 

 ミサトや加持、リツコの微笑み。

 

―――逃げちゃダメだっ!

 

 最後にゲンドウとアスカにレイの笑顔が浮かび、シンジは目を見開いた。

 

「やります。僕がやります!」

「シンジ……」

 

 覚悟を決めた顔。いつかの初号機前とは違い、その表情は優しさではなく力強さを感じさせるものだった。故にゲンドウは嬉しそうに頷き、右手袋を外す。そこに見える胎児のようなアダムに一瞬息を呑むシンジではあったが、それに少しだけ嬉しそうに笑みを浮かべた。ゲンドウが教えてくれたと思ったからである。

 

「渚君、これを持って行ってくれ。シンジ、未来をお前達チルドレンに託す。我々大人の失敗を、繰り返さないで欲しい」

「分かったよ父さん。母さんに会って来る」

「ああ、しっかり顔を見せてこい。きっとそれが母さんを呼び戻す事になるはずだ」

 

 親子の会話が終わった事を悟り、カヲルがそっとゲンドウの右手へ自分の手を重ねる。するとそこにあったアダムは消えて、元通りになった右手だけがあった。

 

「行こう、シンジ君」

「うん。綾波、いいね?」

「ええ」

 

 頷き合って走り出す三人の子供。その背を見送り、ゲンドウは受話器を取った。

 

「冬月か。……ああ、アスカ君には苦労を掛けるがよろしく頼むと伝えてくれ」

 

 その話題に挙がったアスカは弐号機の中で待機していた。そこへ通信が入る。相手はミサトだった。

 

『アスカ、司令からの伝言よ。苦労を掛けるが頼む、だそうよ』

「頼まれようじゃない。相手はどうせ戦自の装備でしょ? エヴァの敵じゃないわ」

『……アスカ、分かってると思うけど』

「殺しはしないわ。言ったでしょ? 敵じゃないって。あれはそういう意味でもあるの。あたし、シンジと結ばれるまでは綺麗な体でいたいもの」

 

 さらりと告げられたとんでも発言に発令所が一瞬無言になる。だが、まずミサトとリツコが揃ってため息を吐いた。

 

「「紛らわしい言い方をしない」」

『あら? どういう意味か分からないわね』

「要するに両手を血で汚したくないって事でしょうが」

『以外にある?』

 

 ニヤニヤした声で返すアスカに誰もが何とも言えない顔をする中、ヒカリだけが言い返した。

 

「もうっ! ミサトさん達を困らせないの!」

『あはは、ごめんごめん。こうでも言っておかないと心配させ過ぎちゃうのよ。ま、今言った通り、あたしは人殺しをするつもりはないわ。エヴァの、弐号機の力なら殺さずに撃退出来る。あたしは、綺麗な手のままでシンジと手を繋ぎたいのよ』

 

 その噛み締める声に誰もが笑みを浮かべていた。同時に申し訳なさも感じてはいたが、それはみな胸の内にしまっておいたのだ。それは、この少女の荷物になりかねないと思って。

 

 その頃、戦自は本部周辺の包囲を完了しようとしていた。

 

「……部隊の配置、完了したそうだ」

「そうか。上からは?」

「壊れたレコーダーさ」

 

 呆れたように吐き捨てられた言葉で彼も理解した。未だに訓練と言いつつネルフを制圧せよと言っているのかと。ここまで来ればもう疑いようはない。幕僚の中に何かの意図を持っている者達がいる事は。

 

「なら丁度いい。こちらも壊れた軍人だ」

「ああ、専守防衛の軍人など壊れているさ。だから俺達はこれでいい」

「……このままで終わると思うか?」

「いや、思わん。部下の中にも何らかの動きがあるかもしれん」

 

 その意見に頷き、彼は考えた。どうするべきかと。きっと幕僚達やその者達を動かしている相手は、諦める事なく蠢いているはず。それを放置していては自分達の誇りに関わるのだ。故に何とかして自衛隊員らしからぬ者達を焙り出さねばいけないとも。

 

「どうする?」

「小隊に一人か二人単位か、あるいは小隊員全員か。どちらも考えられるだろうな」

「それも出入り口付近の配置が怪しいか。だが下手に動かすと不味い……」

「なら、一部隊ずつ撤収を通達するのはどうだ? もし不穏分子がいるならアクションを起こすかもしれん」

「…………そうだな。訓練終了と言って様子を見るか」

 

 即座にゲート近くの部隊へ訓練終了と撤収が伝えられ始める。すると、一部の者達が勝手な動きを見せた。その報告に二人は握り拳を作る。

 

「やはりかっ!」

「すぐに先に撤収を始めた部隊へ連絡っ! 戦自の恥さらしを止めろと伝えろっ! 最悪の場合射殺もやむを得んとなっ!」

 

 戦自内での動きが始まった頃、シンジは初号機と共にレイとカヲルを連れてターミナルドグマへ来ていた。そう、磔にされたリリスの前にである。

 

「これが……リリス?」

「ああ。レイ君の魂が本来宿る器さ」

「言われて見ると懐かしい気がするわ」

 

 ロンギヌスの槍と呼ばれる真紅の槍に貫かれたまま、リリスは上半身だけの状態で磔されていた。それを見つめ、シンジはレイへ視線を向ける。

 

「綾波は、戻りたいの?」

「いえ、私は私でありたい。綾波レイとして生きていたい」

「シンジ君、君が僕らをそう思わせた。だから、お願いするよ。僕とレイ君の未来を掴みとって欲しい」

「うん、分かった。絶対守るから」

 

 はっきりと返された言葉に、カヲルとレイが優しく微笑み頷いた。そして、二人はエントリープラグから外へ出ていく。そのまま二人はゆっくりと浮遊しながらリリスへと近付いて行く。それを合図にシンジは初号機で槍を引き抜いた。

 

「始めるよ、シンジ君」

「碇君、後はお願い」

「カヲル君……綾波……」

 

 吸い込まれるようにリリスへと入っていく二人を見届け、シンジは意を決して叫ぶ。

 

「初号機、やるよっ!」

 

 咆哮すると同時に姿がF型へと変化する初号機。そして手にした槍を自身へと突き刺した。

 

「ぐうぅぅぅぅっ! うわあぁぁぁぁぁっ!!」

 

 痛みを受け入れ、辛さを受け入れ、苦しみさえも受け入れるシンジ。そんな中でも強く思うのは、いつか描いた未来絵図。高校生となって、友人達と笑い、父親達も笑っているそんな未来を。今、彼が一番嫌な事は、逃げたい事はそれが無くなる事。そのために、目の前の嫌な事へ立ち向かっていた。

 

「絶対に……絶対に負けるもんかぁぁぁぁあああああっ!!」

 

 そうやってシンジが自分と戦っている頃、ミサト達は本部へ侵入しようとしていた戦自の動きを察知しMAGIによる防衛を始めていた。

 

「第1ゲート、封鎖完了」

「続いて第2ゲート、封鎖完了しました」

「第3ゲートも間もなく封鎖完了します」

「戦自の様子は?」

「それが、侵入しようとした部隊と後から現れた部隊が交戦を開始しています」

 

 困惑するようなマヤの声にミサトはすぐに状況を察した。

 

「どうやら戦自も馬鹿じゃないようね」

「ええ、その仕事に誇りを持っている本物がいたようよ」

「既にA-801も撤回されているのに待機していたのは、このためだったんでしょうか?」

「おそらくね。自衛隊員としての尊厳を守りたかったんでしょう」

 

 ミサトの推測は当たっていた。ゲート付近で展開される戦自同士の戦いは、まさしくその誇りを守るための戦いだったのだから。

 

「何故こんな事をするっ! これは訓練だぞ!」

「本気で言っているのか! こんな一個師団を訓練なんぞに駆り出すはずないだろうっ!」

「我々は戦争をするためにいるんじゃないっ!」

「そうだ! これは戦争じゃない! 鎮圧さ! ネルフは自らの手でサードインパクトを起こそうとしてるんだぞっ!」

「バカな事を言うなっ! ならば何故これまでの戦いでエヴァは被害を最小限にしようとしてきた!」

 

 その問いかけに返す言葉が詰まる。命懸けである使徒との戦い。そこで何故サードインパクトを起こそうとする者達が被害を気にするのか。これ程雄弁な反論はなかった。それに気付いて一人の戦自隊員が叫ぶ。

 

―――少なくともあのパイロットは俺達と同じ想いのはずだっ! どうしてそれが分からんっ!

―――だが上もそうだとは限らんっ!

―――だからと言って子供へ銃を向けるのが正義だとでも言うのかっ!

―――っ!?

 

 思わず銃撃を止めた襲撃部隊へ投げ込まれるスタングレネード。その激しい閃光と爆音で彼らの動きが鈍る。それを見逃さず戦自隊員達が素早く彼らを取り押さえていく。そしてそれは、他の場所でも同じだった。彼らはみな、ネルフが人類を滅ぼすサードインパクトを行おうとしていると吹き込まれていたのだ。それを秘密裏に阻止せよ。それが襲撃部隊の者達に共通する理由だった。彼らは彼らなりの思いで動いていたのである。その信念を利用される形で。

 

「そうか……分かった、一応拘束しておけ。そいつらも自衛隊としての信念で動いたようだが、命令無視は命令無視だ。監視を怠るなよ」

「これで終わりか。ならば、全部隊を撤収させ戻るとするか」

「軍法会議ものだがな」

「構わんさ。例え自身へ銃口を突き付けられても、守るべき者へ銃口を向けるよりはマシだ」

「まったくだ」

 

 小さく苦笑し合う二人。こうして戦自の部隊は撤収作業を開始する。だが、それを合図にしたかのように巨大な輸送機の編隊が出現したのだ。それらはゆっくりと機体下部にあるハッチを開く。そこからは、白い体の不気味な頭部をした存在が投下されていく。それは、量産型エヴァンゲリオン。S2機関を搭載し、飛行能力さえ有した機体だ。

 

「何だ、あれは……?」

「エヴァ……なのか?」

 

 それらはあろう事かそのままネルフ本部を目指すように攻撃を開始。その光景を見ていた誰もが呆然となり、即座に指揮官へ指示を求めた。それはどうすればいいかではない。攻撃許可を求めるものだった。彼らは直感で理解したのだ。襲撃部隊が聞いた情報は、今目の前でネルフを攻撃している存在がやろうとしている事だと。各部隊から続々と入る声に、指揮官達は笑みを浮かべていた。それは獰猛な笑み。今まさに戦略自衛隊としての本懐を果たす時が来たからである。

 

「どうする?」

「聞くまでもない。ネルフにいる者達はこの国の国民だ。国民を守るのが俺達戦略自衛隊の義務であり存在意義だっ!」

「よぉしっ! 全部隊に通達っ! 全武装使用許可っ! あの謎の存在を攻撃せよとな! これは訓練ではないっ! 繰り返すっ! これは訓練ではないっ!」

 

 戦自が量産型を攻撃し始めた頃、ミサト達もまた動きを見せていた。いや、動かねばならないと思ったからだ。このままでは戦自に犠牲者が出てしまうと。

 

『アスカ、たった今戦自が戦闘を開始したわ! お願い、彼らを守って!』

「言われなくてもそうするわ! 出してっ!」

『武運を祈るわ。エヴァ弐号機、リフトオフっ!』

「行くわよ、ママっ!」

 

 アスカの声に呼応して弐号機の目が光る。今、最後の戦いの幕が切って落とされようとしていた……。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十五話「Air~終わらせない世界~」完




ご都合主義全開な話で申し訳ない。これが自分の限界です(汗


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第二十六話 世界の中心で愛を叫んだこどもの、まごころを君に

遂にここまで来ました。カヲルとの話までがバトルものの終わりだとすれば、そこからは物語としての終わりです。
最後までもう少し。皆様、よければお付き合いください。

後書きにある言い訳を書きましたので、見たくない方はごめんなさい。


「報告っ! こちらの攻撃、目標へ効果無しっ!」

「それでもだ! 必ずネルフのエヴァが現れる! それまでこちらが食い止めるんだっ!」

 

 戦自による攻撃は量産型へダメージを与える事は出来なかった。それでも諦める事なく彼らは足掻き続ける。先程幕僚から入った通信へはこう返して終わらせていた。

 

―――お望み通りネルフ本部を攻撃していますよっ! 少々邪魔者がいますがねっ!

 

 まさしく最大の皮肉と機転であった。彼らは表向き希望通りにネルフを攻撃していると言い張ったのだ。無論目標は量産型である。だが、それを現場にいない幕僚達が分かるはずもなく、分かったところで止める事はない。何せ、攻撃の余波で本部周辺に被害が出ているのは事実なのだから。

 

「目標に動きあり! 飛行しようとしていますっ!」

「まずは制空権を抑えるつもりか……っ!」

「翼を狙えと伝えろっ! 飛行させるなぁ!」

 

 激化する戦自の攻撃。それらを物ともせず一機の量産型が飛び上がり、戦自のヘリへその手を振り下ろそうとした。

 

「やられてたまるかぁっ!」

 

 死を覚悟しつつも最期まで抵抗する。その生への渇望がヘリの命運を分けた。最後の抵抗として放たれたミサイルが量産型の頭部へ直撃し、少しではあるが体勢を崩して動きを止めたのだ。だが、それもすぐに立て直し再度量産型が迫る。これまでか。そう誰もが思った瞬間だった。

 

「っ!? これは!」

「どうした!?」

 

 指揮所の通信兵がある反応を確認し声を上げる。それに指揮官達が動いた直後だった。ヘリを襲おうとしていた量産型が撃墜されたのは。誰もがその光景に息を呑み、そして戦自隊員達から歓声が上がる。

 

「間に合ったわね」

 

 彼らの視線の先にはプログナイフを手にして突き出す弐号機がいた。収束フィールドをリフト内で準備し、出現すると同時に量産型へと放ったのだ。アスカは軽く周囲を見渡し戦自に大きな被害が出ていない事を確かめるや、通信を全周波数へ開いて告げた。

 

「こちらエヴァンゲリオン弐号機っ! そちらを援護するわ!」

『こちら戦略自衛隊、そちらの援護に感謝するっ!』

 

 即応。それにアスカは一瞬面食らうものの、すぐに笑みを浮かべて叫んだ。

 

―――絶対誰もあんた達に殺させないんだからぁ!

 

 その宣言に戦自隊員達も奮起する。少女の叫びこそ自分達と同じと噛み締めて。そして、それがある者達さえも奮起させる。

 

「拘束された者達が共に戦わせて欲しいと申し出ていますっ!」

「ふっ、勝利の女神の張り手で目が覚めたか……。いいだろうっ! 今は少しでも人手が欲しいからな!」

「いいかっ! ケーブルを狙わせるなっ! 何としてもケーブルを守れぇ!」

 

 量産型と戦闘を開始する弐号機を支援するべく戦自が動く。先程のヘリも弐号機の背後を守るように量産型へ攻撃を再開する。陸上からは対空対地の砲撃が、支援砲撃が行われる。全て弐号機を、アスカを守るために。それを感じ取りながらアスカは弐号機へ話し掛けていた。

 

「ママ、見て! みんながあたしとママを守ってくれてるわ! ううん、一緒に戦ってくれてるのよ! シンジが言ってたのは、こういう時のためなのね!」

 

 誰一人として犠牲にさせない。それを貫き通してきたからこそ、戦自はエヴァを味方と考えてくれている。それは今までの事があればこそ。アスカもそれを感じ取り、叫んだ。

 

「人を守ろうとしないエヴァなんてぇ!」

 

 戦車を狙おうとする量産型へ弐号機を接近させるアスカ。そのまま両手にフィールドを収束させていく。

 

「使徒と同じよぉっ!」

 

 後方から量産型の首筋目掛けて両手を動かす弐号機。その放たれたフィールドが量産型の首を見事に切断する。そこへ助けた戦自からの通信が入る。

 

『後方、二時の方向っ!』

「させるもんですかぁぁぁぁっ!」

 

 振り向きざまにフィールドを横薙ぎに放つ弐号機。それが不意打ちをしようとしていた量産型を上下に切断した。

 

「助かったわ。ありがとう」

『こちらこそそちらの援護に感謝する!』

 

 本部周辺を取り囲むように展開する戦自の目。それが味方についた弐号機は、常に全周囲を見ているに近い。アスカは戦自からの謝辞に笑みを浮かべてから、すぐに凛々しい表情へ戻して告げる。

 

「次っ! どんどん行くわよっ!」

 

 

 

 弐号機が戦自と共に奮戦を開始した頃、シンジは不思議な感覚の中にいた。それはいつか感じた零号機との会話に近いものがあった。だけど、その時よりも温かみを感じる。そう思ってシンジは目を開けた。

 

「シンジ……」

「誰……?」

 

 そこには一人の女性がいた。見覚えのないようであるような顔の。だが、シンジの表情が次第に疑問から驚き、そして泣き顔へと変化していく。聞こえた声が今まで彼を導いてきた声と同じだったのだ。それを理解し、彼は感情を高ぶらせていく。

 

「母さん……なの……?」

「ええ、そうよ。やっとこうして会えたわね」

「っ! 母さんっ!」

 

 思わず飛び込むシンジを抱き止める女性。その温もりにシンジは流れる涙を拭う事もせず、ただただ泣き続けた。その彼を女性は、ユイは申し訳なさそうに抱き締め頭を撫でる。どれぐらいそうしていただろう。やがてシンジはゆっくりとユイから体を離し、その目を見つめた。

 

「母さん、一つだけ聞かせて欲しい事があるんだ」

「何?」

「どうして父さんと僕を捨てたの?」

 

 その声は糾弾するものではなく、ただ寂しそうなものだった。ユイも返す言葉に詰まり顔を逸らす。と、その時シンジに聞こえてくる声があった。

 

―――捨てたつもりではなかったのよ。少なくても、彼女の中では。

 

 シンジはその声に驚きを浮かべ後ろを振り返った。そこにもユイが立っていたのだ。どういう事だと、そう思うもシンジはある事に気付いた。最初に会ったユイは白衣を着ていて、今見ているユイは私服だったのだ。

 

「母さん……?」

「正確には、私は貴方の母ではないの。もう一人の碇ユイ。貴方に分かりやすく言うのなら、あの変化した初号機にいる碇ユイ」

「あの初号機の……」

「そう。今まで貴方が聞いていたのは私の声。今貴方が話していた女性こそ貴方の母よ」

 

 理解がし辛い話である。そうだろうと二人のユイは思った。だが、詳しい話をしている暇はない。今はこの世界が終わるか終わらないかの瀬戸際でもあるのだ。それを告げるように私服のユイが白衣のユイを見つめて小さく頷く。それに白衣のユイは微かに、だが苦しそうに頷いた。

 

「シンジ、ごめんなさい。私はずっと生きていたかった。人の生きた証を、証拠を残したかったの。エヴァの中ならそれが可能だと思って」

「何だよそれ。母さんは、母さんはそれを父さんへ教えたの? ちゃんと話したの!? 答えてよ母さんっ!」

 

 それに返ってくる言葉はない。その瞬間、シンジは拳を握り叫んだ。

 

―――何で逃げたのさっ!

 

 痛烈な一言だった。今までエヴァの中で息子の成長を見てきた彼女にとって、それは言われるだろうと思っていた言葉だったのだ。

 

「父さんにそれを話してたら、教えていたら、父さんはあんなに苦しまずに済んだかもしれないのにっ!」

「「シンジ……」」

 

 二人のユイの声が重なる。ただ、一人は苦しそうに、もう一人は嬉しそうにという差はあったが。そこから何も言えなくなった白衣のユイへシンジは背を向け、私服のユイを見つめた。

 

「綾波を、カヲル君を望む形で生きさせたいんだ。どうしたらいい?」

「……貴方のお母さんはどうするの?」

「納得出来ないけど、母さんがエヴァの中にいたいって言うなら別にいいよ。ただ、一度でいい。父さんへ謝ってあげて。話をしなくてごめんって。それだけでも、今の父さんはちゃんと足を踏み出してくれるから」

 

 ゲンドウへの信頼。それを感じ取って私服のユイは息を呑み、そして嬉しそうにだけど微かに悲しそうに頷いた。

 

「聞こえたわね。選ぶのは貴女よ。私の事はもう知っているでしょ? なら、ちゃんと考えなさい。貴女も生きているのなら」

 

 私服のユイの言葉に白衣のユイは頷いて消える。そしてシンジは私服のユイの案内でその場から歩き出す。やがてその先に裸のレイとカヲルが現れる。思わず目を閉じて顔を背けるシンジだったが、ユイが苦笑しながら彼の顔を前へと向けた。

 

「大丈夫よ。人はみな、最初は裸で生まれてくるの」

「だ、だけど……」

「碇君、いいの。私は碇君になら見られても平気だから」

「僕は言うまでもないよ。さぁ、シンジ君」

 

 どこか照れを感じさせるレイの声と、それが一切ないカヲルの声。それらが二人が二人である証拠に思え、シンジは息を吐いて目を開けた。

 

「……あれ?」

 

 実際目を開いてみると、シンジは違和感を覚えたのだ。そう、レイもカヲルも性器がないのだ。まるで人形のようにも思え、そこで彼は気付いたのだ。本当に彼らはそういう意味で人形だったのだろうと。

 

「分かってくれたかい?」

「これが今の私達の本当の姿」

「うん、分かった。じゃ……」

「頼むよシンジ君」

「碇君の望むように」

 

 そうレイが言った時だった。シンジは小さく笑みを浮かべると首を横に振ったのだ。

 

―――綾波もカヲル君も自分の望むようになってくれていいよ。僕はそれを望む。それじゃダメかな?

 

 自分が二人を好きに変えるのは嫌だ。だから二人が自ら望む形で変わって欲しい。その申し出にレイとカヲルだけじゃなくユイさえも驚きを見せた。それでもまずはレイが笑い、続いてユイが、最後にはカヲルさえも笑った。

 

「そうか。うん、シンジ君らしい」

「そうね。碇君らしいわ」

「ありがとう」

 

 笑みを見せ合う三人をユイが微笑んで見守る。そしてレイとカヲルが片手をシンジへと差し出した。それを躊躇う事なくシンジは掴んだ。

 

「アダムの名において、君の選択を祝福するよ」

「リリスの名において、貴方の選択を祝福するわ」

 

 少年が告げたのは残酷なテーゼ。変わるとしても、それは他者に委ねるのではなく自身で決めろと告げたのだ。だが、その決定を自分は肯定すると。見ようによっては傲慢かもしれない。しかし、この二人にとってはとても優しい後押しだ。

 

「えっと、なら人間として感謝します?」

 

 どこか抜けたような、優しい声。それにレイとカヲルが小さく微笑みゆっくりと消えていく。それを見て少しだけ不安な顔をするシンジだったが、その肩へユイの手がそっと乗せられた。

 

「大丈夫よ。さぁ、後は貴方一人でやりなさい。それと、もう私は一緒にはいられないから」

「えっ?」

「あの初号機はもう必要ない。ここで消えないと貴方の心配が現実になりかねないの」

 

 その意味する事がシンジには分かった。ケンスケが言っていた事だ。驚異的なF型が最後まで猛威を振るえば、人々の中から不安が消えないと。つまり、今後初号機は変化しないという事だ。

 

「分かった。後は僕の、ううん僕達の力で頑張ってみるよ」

「ええ。本当に強くなったわね。あの子もそうだったけど、貴方も男の子らしくなった。あの子の願いは無駄じゃなかった。そうしっかり伝わったわ」

「……貴女の息子さんに伝えてください。ありがとう、って」

「ええ、やるだけやってみる。貴方の事、忘れないわ……」

 

 最後にそう心から笑顔を見せてユイも消える。一人になったシンジは、一度だけ深呼吸をして目を閉じる。そして目を開くと同時に叫んだ。

 

―――僕は、この世界を守りたいっ! そして、みんなが笑って暮らせるようにしたいんだっ!

 

 望むのは、かつてあった景色。願うのは、これまで過ごした日々の続き。やり直すのではなく、無かった事にするのでもない。過去から現在、そして未来へと繋ぐ事。奇跡と呼ばれる現象。それを少年は願望として告げる。すると少年を中心に光が広がり、それは全てを包むように拡大していく。そしてそのまま光が世界を駆け巡った。

 

「何だ、この光は……」

「温かい……」

「胸が、心が満たされるみたい。……これ、シンジなの?」

 

 ネルフ本部を起点とした光は瞬く間に広がり、全ての人々を、生命を包む。その温もりに誰もが笑みを浮かべ、やがて懐かしさのような物を感じて涙を流す。それはゼーレの者達さえ例外ではない。

 

「これは……」

「分からないが……懐かしい気がする……」

「これが補完だというのか? だが、これはそんな感じではない……」

「郷愁……? いや、誰にでもある原始の想い……心をそこへ戻しているのか……」

 

 温かく切ない気持ち。久しく彼らが忘れていた感情。それらに心を激しく揺さぶられる老人達。その頃、ミサト達は驚くべき事を理解していた。

 

「地軸が……地軸が戻っていきますっ!」

「そんな……こんな事って……」

「本当に、本当に有り得ないわ。だけど、それをあの子は今までやってきた。なら、有り得るのよ」

「シンジ君……」

 

 流れる涙を拭う事も忘れてコンソールを見つめるオペレーター達。リツコとミサトも久しく忘れていた温かさに笑みを浮かべる。と、聞こえる声があった。

 

―――リっちゃん、ごめんなさい。だけど、貴女の気持ちと成長を見れて嬉しかったわ。ありがとう。

―――ミサト、すまなかった。だが、私の死を悼み、悲しんでくれた事は伝わったよ。ありがとう。

 

 それぞれの耳に聞こえた声に二人は思わず息を呑み、勢い良く振り返る。そこには彼女達がせめて感謝と別れを告げたかった相手がいた。どこかこの世の者ではない雰囲気を漂わせて。

 

「母さん……いえ、私こそごめんなさい。憎んでしまって。恨んでしまって。私も同じだったのに……」

「父さん、ごめんね。あたし、あたし子供だった。父さんの事、何も分かってあげようとしなかった……」

 

 涙を流す娘達の言葉に、二人は同時に首を横に振ると小さく笑みを浮かべて消えていく。その消えゆく姿へミサトとリツコは同じ言葉をかけた。

 

―――ありがとう。

 

 その言葉で最後に二人が笑顔を見せてくれたように彼女達は思った。マコトやシゲル、マヤさえもそれぞれのもう会えない相手が見えているのだろう。何事かを呟き涙を流していた。冬月はユイが見えていた。だが、その彼女は何故か申し訳なさそうな顔をしていた。

 

「ユイ君……後悔しているのかね?」

 

 答える事なく頷くユイ。それがどういう事かを理解し、冬月はため息を吐いた。

 

「なら、行動したまえ。君の選んだ男もそうだった。まだやり直せる。いや、人は生きている限り何度だってやり直せるさ。実際、私はそれを見てきた。君も、人として生きて、そして次代へ繋ぎたまえ。その想いを、願いを、それこそが正しい人の生きた証の残し方だ」

―――冬月先生……。

「あの時、私は君に何も言ってやれなかった。だからこそ、先に生まれた者として言わせてもらおう。人の姿を捨て生きるのは、人の在り方ではない。君が見せたかったのは何だったのか。それをもう一度思い出しなさい」

―――……ありがとうございます、冬月先生。

 

 最後に微笑みを浮かべてユイは消える。それを見送り、冬月は大きくため息を吐いた。

 

―――まったく、夫婦揃って手を焼かせおって……。

 

 そう呟く彼の顔は、とても晴れやかで嬉しそうな笑顔だった……。

 

 

 

 涙を拭って発令所を目指して歩くゲンドウ。すると、その目の前にユイが現れる。思わず足を止めるゲンドウへ、彼女は勢い良く頭を下げた。

 

―――ごめんなさいっ! 私、アナタに何も話していなかったの!

 

 突然の事で面食らうゲンドウだったが、どうしてこうなったかだけは即座に理解した。だからだろう。彼は声を上げて笑ったのだ。思わずユイが頭を上げてしまう程に。

 

「シンジに何か言われたか」

―――何で逃げたのかって言われたわ。

「ははっ、お前もか。それで、俺に謝ってこいとでも言われたんだな?」

 

 恥ずかしそうに俯いて頷くユイにゲンドウは笑みを浮かべた。

 

「なら、もういいさ。それを言うのなら俺もお前へ話していない事があったし、言えないような事をしてしまった」

―――そう、でも仕方ないわ。アナタは寂しがり屋だもの。

 

 暗にどういう事をしたのか察しているようなユイに、ゲンドウはバツが悪いように表情を歪めて頬を掻く。それがシンジのそれに似ていて、ユイは思わず苦笑した。

 

「ユイ、俺はもうお前に戻って来いとは言えん。だが、戻ってきてくれるのなら、話したい事が山ほどある。俺の事もシンジの事も」

―――ええ、分かってる。だけど、今はまだ戻れない。

「ああ、初号機を動かすにはお前の力が必要だ。俺の分まであいつを、シンジを守ってくれ」

―――アナタ……ううん、ゲンドウさんも頑張って。

「言われるまでもない。父として、そして司令として最大限の事はするさ」

 

 最後に互いへ笑みを見せ合う碇夫婦。そしてゲンドウはその場から足を踏み出し発令所へ向かう。それを見送り、ユイも意を決した顔をしてその場から消える。

 

 その頃、ターミナルドグマでも動きがあった。初号機に刺さっていた槍が消えて、磔になっていたリリスも消えていたのだ。そして、何もいなくなった十字架の下にプラグスーツ姿の二人の子供達が倒れていた。

 

「……どうやら上手く行ったようだね。レイ君、どうだい?」

「私も……私のままだわ」

 

 起き上がる二人は身動きもしない初号機を見つめる。すると、その目が光りを放つ。それがどういう事かを理解し、二人は笑みを浮かべて告げる。

 

「シンジ君、先に行ってくれ。僕らは後から必ず合流する」

「アスカを、彼女をお願い」

 

 返事はない。ただ、初号機はその場から弾かれるように動き出した。それを追い駆けるように二人も走り出す。目指すはエヴァのいるケイジ。参号機と四号機の元である。気付いていたのだ。戦闘が始まっている事に。何故ならあの光を通じて見えたから。弐号機と量産型の戦いが。

 

「あれはカヲルを使っているの?」

「ああ。以前の僕を使ったダミーシステムというやつさ」

「なら、あれを倒せば本当に終わるのね」

「終わらせるんだ。僕らみんなで」

 

 噛み締めるようなカヲルの言葉にレイも頷く。

 

―――ええ、終わらせましょう。みんなで。

 

 

 

 手にした刃で斬りかかる量産型だが、それは弐号機の収束フィールドに阻まれる。だが、それを貫くように刃の形が変化していく。それはロンギヌスの槍となった。

 

「させるかっ!」

 

 しかし、それがフィールドを突破する前にアスカがそれを撃ち出す事で量産型を弾き飛ばした。残った槍を弐号機が掴み、振り回して地面へ倒れた量産型へと投擲する。それで絶命するように動かなくなる量産型を見てアスカは息を吐いた。

 

「厄介なもん使ってくるわね。フィールドを撃ち出せなかったらヤバかったかも……」

 

 既に量産型も数を減らしており、残るは片手で足りる程となっていた。そんな中、一機の量産型が弐号機の背後から刃を構えて襲い掛かる。完全に不意を突いた。そう思ったのだろう。たしかにアスカは気付いていなかった。だが……。

 

「てぇぇぇぇっ!」

 

 そんな量産型を真横からの砲撃が襲い、体勢を崩す。すると音を聞いた弐号機が振り向きざまに収束フィールドを撃ち出した。それが量産型を貫き、地面へと落下させる。

 

「ありがとう。また助けられたわね」

『気にしないでくれ。子供を守るのは大人の務めだ』

 

 ここにいるのはアスカだけではない。使徒と化した量産型エヴァは、今や戦自にとっても敵である。弐号機と連携し、その撃破へ何度となく手助けをしていたのだ。それは、これまで使徒戦において何も出来ないでいた事への鬱憤晴らしでもあった。守るべき子供に戦わせていた事実。それを知った以上、戦自隊員達が奮戦しないはずはなかった。

 

「これで残るは……」

 

 弐号機の目が光る。その眼光が残りわずかとなった量産型を睨み付けた。まるで怯えるようにたじろく量産型と、追い詰めるようにゆっくりと歩き出す弐号機。最早勝負は見えた。誰もがそう思った時だった。

 

「これは……パターン青っ!?」

 

 表示されていく情報にマコトが叫ぶ。見れば残った量産型が空へ飛び上がり、倒れたはずのそれさえも動き出してそれに追随していた。やがてそれらは吸収し合うように合体を始め、一つの巨大な姿へと変わっていく。

 

「何が起きてるの……?」

「分からないわ……」

 

 と、そこでミサト達は気付く。知らず体が震え始めている事に。これは一体どういう事だと思ったその時だった。ゲンドウが発令所へ姿を見せたのだ。

 

「ゼーレめ、厄介な事をしてくれた!」

「「「「「司令!?」」」」」

「どういう事だ、碇」

 

 誰もがゲンドウへ視線を向ける。それを受けながら彼は歯軋りをしつつ答えた。

 

「あれは使徒であった渚カヲルを利用したダミープラグで動いています。つまり、今や残った最後の使徒です。そして、エヴァはアダムから生まれた」

 

 その意味する事に気付いたのはリツコだった。

 

「まさかっ!? アダムが復活しようとしているとでも!?」

「そうだ! 老人達はその可能性を忘れていたのだ。魂が渚カヲルにあるからとな。そのアダムの魂は先程の光と共に消えた。複製された肉体を残してな」

「じゃ、じゃあこのままではサードインパクトが……いえ、フォースインパクトが起きると?」

「ああ。今度はこの星の生命全てを根絶やしにする、な」

 

 絶句。誰もがその意味と内容に愕然となった。だが、そんな大人達よりも先に三つの声が響き渡った。

 

「だから何やっ! それでもセンセは、センセ達は戦うに決まっとるっ!」

「そうだよ! カヲル達が、あいつらがいるじゃないか! 俺達が諦めるには早すぎるって!」

「お願いです! アスカ達を、みんなを助けてあげてくださいっ!」

「あなた達……」

 

 シンジ達のクラスメイト。それが告げた言葉にミサトが思わず声を漏らす。すると、ゲンドウが小さく笑いつつも定位置へ腰かけた。

 

「何をしている? 子供達が覚悟を決めているんだ。我らネルフの存在理由を忘れたのかあっ!」

 

 咆哮。そう呼ぶに相応しい一喝が発令所に響く。それをキッカケにまず冬月が声を発した。

 

「使徒殲滅が我々の使命だ。ならばやる事は決まっていよう。すぐに弐号機パイロットへ連絡! 使徒を撃破し、何があっても生還せよとなっ!」

「はいっ! アスカ君、聞こえているか?」

「レイとカヲルはどこ? すぐに調べて!」

「二人はそれぞれエヴァのいるケイジへ向かっています! 出撃可能まで後十分程です!」

「戦自の指揮官へ通信繋いで! 相手はこれまでの使徒とは桁が違う。連携を取ってエヴァの援護をしないと不味いわっ!」

「了解ですっ!」

 

 それぞれが活気を漲らせて動き出すのを見て、ケンスケ達に笑顔が浮かぶ。そして、そこへ一番の朗報が届いた。

 

―――エヴァ初号機です! シンジ君が出撃しましたっ!

 

 モニタに映し出されるF型初号機。誰もがその姿に歓声を上げる。戦自でさえもこれで勝ったと強く思った程に。

 

「シンジっ!」

「ごめんアスカ。遅くなった」

 

 だが、シンジだけは気付いていた。姿こそいつものF型だが、今まで感じていた安心感が消え失せている事に。あのユイが告げた言葉の意味はこういう事だと、彼は痛感していたのだ。今の初号機は姿こそ変化しているが、その能力はあの凄まじさとは程遠いだろうとも。

 

「あれが……最後の使徒」

 

 シンジの目の前にはまるで巨大なエヴァのような姿へ変わっていく巨人の姿があった。200メートルはあるだろう巨体から感じる圧迫感に、彼は思わず恐怖する。今まで感じてこなかった感覚である。それだけあの初号機がシンジを支えていた事がよく分かる程に。

 

「ええ、まるでエヴァね」

「……アスカ、一つだけ謝っておくよ」

「え?」

 

 突然の発言にアスカが小首を傾げる。そこへ告げられた内容は、彼女の予想をはるかに超えていた。

 

「今の初号機はこれまでのような強さはないんだ。だからごめん。もう守ってあげられないかも」

「……バカシンジの嘘吐きシンジ」

「え?」

「あの時、あたしとレイを守るって言ったのは嘘だったの!? あれは、あの初号機の強さがないと出来ない事だったの!? 答えなさいよっ!」

「アスカ……」

 

 裏切られた。そんな気持ちが伝わってくるような切なく哀しい声にシンジは返す言葉が出せなかった。それは違うと、そう言いたかった。だけど、実際戦場に立って分かってしまったのだ。今まで自分はあの強さに守られていたのだと。だから強くあれた。そう感じてしまったのである。

 

「もういいっ! あんたなんか知らないっ! あたし一人で戦ってやるわ!」

「アスカっ!」

 

 何も言わないシンジに突き放すような声を放ち、弐号機は単機でアダムへと向かっていく。それを止めようとする初号機だが、その僅かな動きへの反応さえもこれまでと違う事に気付いてシンジの動きが止まる。それが最後の一押しだった。アスカはもう後ろを振り向かないで一人アダムへと攻撃を開始した。

 

「合体したからってぇ!」

 

 収束フィールドを両手に展開し、それを押し付けるように放つ。だが、それはアダムの強力なフィールドに阻まれ消える。今まで以上に早く消失した事に気付き、アスカは思わず息を呑む。そして無意識に後方へ目を向けようとして我に返って首を振った。

 

「一度でダメなら何度でもやってやるわっ!」

 

 絶対に初号機を、シンジを頼るものか。その意地がアスカを動かす。しかしそれでどうにか出来るような状況ではない。アスカの奮戦も空しく、弐号機の攻撃はアダムへ一度として通用する事もなく無力化される。やがて合体が終わったのか、それまで身動き一つしなかったアダムがゆっくりその右腕を動かした。

 

「何する気?」

 

 その行動を警戒しながらアスカは再度収束フィールドを放つ。すると、それをアダムは受け止めるのではなく反射するように弾き返したのだ。

 

「嘘っ?!」

 

 辛うじて回避する弐号機だったが、そこへアダムによる攻撃が始まる。それは、フィールド射出の雨だった。いつかの第十六使徒と比べるまでもない程の速度と数。それが弐号機を襲い、ダメージを与えていく。

 

「きゃあぁぁぁぁっ!」

「アスカっ!」

 

 アスカの悲鳴が聞こえた瞬間、シンジは初号機を動かしていた。無意識だった。体が勝手に助けたいと動いていたのだ。そこに恐怖や不安はなかった。あるのは、大好きな少女を助けたい。守りたいとの想いだけ。凄まじいフィールドの雨の中へシンジは初号機を突っ込ませた。F型の装甲が吹き飛び、剥がれ、砕かれていく。それでも初号機は無我夢中で弐号機の体を抱えると、大地を力強く蹴り上げてその場から脱出した。

 

「うわあぁぁぁぁっ!」

 

 フィールドの雨から脱出した初号機は、その姿が従来の物と変わらぬ状態まで変わり果てていた。これまで有り得なかった光景に誰もが言葉を失う。あの初号機でさえ敵わないのか。そう思ったのだ。だけども、シンジは違った。もう迷わないと覚悟を決めたのだ。体中に感じる痛みに顔を歪めながらも、優しく弐号機を下ろしてアダムへと視線を向ける。

 

「僕が弱気になったせいでアスカを傷付けたんだ。ごめん、アスカ。もう……もう……」

 

 拳を握り、細かに震わせるシンジ。そんな彼へアダムが咆哮を上げる。戦自の隊員達でさえ震えを覚えるそれですらも、今のシンジを怯えさせる事は出来ない。

 

「もう、逃げないからっ!」

 

 勇気を振り絞って告げられる言葉。それに初号機の目が光りを宿す。そして、シンジは全身に不思議な力が漲るのを感じた。それはこれまで何度か感じてきたものだと理解し、彼は小さく微笑む。

 

―――最後の贈り物、受け取ったよ。もう一人の僕……。

 

 あの初号機はいなくなっても、今までの積み重ねが消えた訳じゃない。そう感じてシンジは叫んだ。

 

「絶対に生きて帰るんだっ!」

 

 魂の咆哮が周囲に響き渡る。希望を信じて疑わない声が、未来を信じて止まない想いが、恐怖し怯えていた者達へ光を与える。明日を切り開こうとする若い命が、昨日を今日へ繋いできた命を奮い立たせる。命のリレーを絶やしたくない。その生きとし生けるモノとしての本能にも似た叫びが、再び立ち上がる力を呼び覚ましたのだ。

 

「全部隊に通達! 全火力を頭部に集中させろっ! エヴァを、あの少年を援護するんだっ!」

「ネルフへ連絡! この街の全ての火力を一斉に叩き込んでやるためになっ!」

「了解っ!」

 

 戦自が動き出した頃、ミサト達もシンジの叫びに応えるように動いていた。

 

「全ての兵装を動かしてっ! もう二度と使えなくなってもいいっ!」

「分かっていますっ! これが最後ですからねっ!」

「レイ、聞こえるわね! まずは弐号機の安全確保が最優先よっ!」

『了解。任せて、お母さん』

「渚君、本当に大丈夫なの? 今の君は……」

『ご心配なく。僕が望んだ事ですから』

「初号機、アダムと交戦開始っ! フィールドを貫いていますっ!」

「シンジ君っ! 今そっちにレイとカヲルが行くっ! それまで頑張ってくれっ!」

『分かりましたっ! アスカをお願いしますっ!』

 

 勇気による六つの精神コマンドの力に魂を重ね掛けしての一撃は、アダムへダメージを与える事に成功する。だが、仕留めるには至らない。今の初号機にはマゴロク・E・ソードもなければインパクトボルトも使えないからだ。しかし、だからといって諦める事をもうシンジはしない。どこまでももがき足掻くと決めたのだ。それに、今の一撃が通用したなら何度も同じ事をやるだけ。その想いでシンジは叫ぶ。

 

「もう一度やるぞ、碇シンジっ!」

 

 自分へ言い聞かせるように告げる。再び感じる不思議な力。そして強い疲労感。それを捻じ伏せるように意識を強くし、彼はアダムへと向かっていく。放たれるフィールドの雨を物ともせず、相手の防御をまるでなかったかのように貫いてダメージを加える初号機。それと同時にアダムの頭部へ爆発が起こりその攻撃へ花を添える。

 

「目標に命中っ! 効果ありっ!」

「よしっ! あのエヴァの攻撃に合わせろ! フィールドを無力化した瞬間を狙うんだっ!」

「全部隊、タイミングを合わせてしっかり狙え? 子供がっ! 命懸けでっ! 俺達にこれまでの埋め合わせをさせてくれてるんだっ! 決してあの少年を死なせるなっ!」

 

 本来戦うべき大人達がこれまで子供達を戦わせていた。その無力さと申し訳なさを戦自隊員達も痛感していたのだ。だからこそ、最後であろう戦いだけは共にありたいと。

 

「参号機、四号機戦場に到着! 初号機の援護に回ります!」

「初号機、アダムへ再度攻撃! フィールド突破っ!」

「戦自がアダムの攻撃を自分達へ引き付けたいと申し出ていますっ!」

「ならんっ! ここまできたのなら犠牲を出す事は認めん! 初号機を信じろと伝えろ!」

「ああ、戦自へはこう返せ。命が失われる事をあの少年が望んでいないと」

 

 冬月とゲンドウの言葉にシゲルが軽い笑みを浮かべ戦自へと返答する。ケンスケ達はそんな中祈る様な気持ちでモニタを見つめていた。傷付きボロボロになっていく初号機。その傷だらけの勇姿に涙さえ浮かべて。

 

「シンジ……絶対、絶対帰ってこいよっ!」

「センセっ! 死んだら許さへんからなぁ! まだ、まだワイはサクラの礼を言っとらんのやっ!」

「神様、お願い……碇君達を守って……っ!」

 

 涙で滲む三人の視界には、銀色の機体が初号機を守るようにフィールドを展開する様子が入ってきた。

 

「カヲル君……?」

「少し休んでいいよ。それぐらいなら僕でも、僕達でも出来るっ!」

 

 カヲルの言葉に呼応し、四号機のフィールドが強度を増す。アダムの攻撃がそれを突破しようと殺到するが、それをカヲルは何とか防いでいた。

 

「本来なら、僕がああなっていたと思うと複雑だね。だけど、だからこそ言えるよ。ヒトに、渚カヲルになれて良かったと」

「カヲル君……」

「シンジ君、あれを倒すなら槍を使うしかない」

「槍……?」

「そうさ。君だけが、初号機だけが持っているはずだ。オリジナルのロンギヌスの槍だけがアダムを封じられる……っ!」

 

 少しずつ亀裂が生じていくフィールド。その負担にカヲルの顔が歪む。それでもカヲルはどこか笑みを浮かべていた。何故なら、それは使徒だった時なら考えられなかった事だからだ。本当に今の自分はヒトになれた。そう強く感じる事が出来て嬉しかったのだろう。

 

「シンジ君、もう一度だけエヴァを、初号機を信じてみるんだ……っ。どうして今もその機体が動くのか、今の君なら分かるはずだよ?」

「……まさか」

「レイ君、シンジ君を頼む……っ! どうやら僕もここまでみたいだっ!」

 

 亀裂がフィールド全体へ走り、もう突破されるのは時間の問題だった。カヲルの言葉に呼応して参号機がその傍へ駆け寄るも、何故かその横で同じようにフィールドを展開する。更に参号機の右腕から第十六使徒が出現し、四号機へと突き刺さるように動いた。その瞬間、亀裂が入ったフィールドが元通りへと戻る。

 

「どうして?」

「一人でやろうとしないで。今のアナタは、カヲルはもう一人じゃない」

「綾波……」

 

 シンジはレイの言葉に初めて会った頃を思い出し、感慨深くその名を呟いた。それを聞いたのか、レイは少しだけ後ろを向いて微笑んだ。

 

「碇君、心配いらないわ。貴方は死なない。私が、私達が守るもの」

「……うん、ありがとう綾波。なら、みんなが失敗しても絶対使徒に殺させないよ。みんなは、僕が守る」

「ええ、信じているわ」

 

 二機のエヴァが展開するフィールドの後ろで、シンジは目を閉じて初号機へ、ユイへと語りかける。分かったのだ。今、ユイは自分の事を守るためにコアの中にいる事を選んでいる。だからこそ、カヲルはああ言ったのだ。今のシンジなら分かるはずだと。

 

「母さん、ごめんね。それと、ありがとう。僕のためにエヴァの中に残ってくれたんだ」

―――いいのよ。もう私も、母さんも逃げないわ。最後までシンジと一緒よ?

「……母さん」

 

 聞こえてきた声がそれまでのユイと同じく優しい声である事に気付き、シンジは込み上げる感情を抑えながら頷いた。分かったのだ。今のユイは本当に母になったのだと。伝わったのだ。その愛情が。

 

―――槍はこの初号機の中に存在している。シンジ、貴方が強くイメージしなさい。いつかの時と一緒よ。エヴァの事を信じて……。

 

 薄れゆく声。それにゆっくりと目を開けるシンジ。もう涙は止まっていた。疲労感も消えている。ならば、やる事は決まっていた。

 

「やるよ、初号機。僕に、最後の力を貸して」

 

 静かに呟かれた声に初号機が咆哮する。それに嬉しく思い、シンジはその両手を胸へ当てる。

 

「うわああああああっ!!」

 

 初号機もその動きに合わせて両手を胸部へ動かす。そしてそのまま胸部装甲を剥がし、コアを露出させたのだ。その行動にゲンドウ以外の者達が息を呑む。だが、彼だけは分かっていた。シンジが何をしようとしているか。だからこそ彼はその場から立ち上がるとモニタへ向かって叫ぶ。

 

―――そうだっ! それでいい! お前の信じる道を行けっ!

 

 その声が届いたのか初号機の目が光ったかと思うと、そのコアから真紅の槍が姿を見せ始める。

 

「シンジ君、やっぱり君は……」

「カヲル、気を抜かないで。あれの恐ろしさを一番分かってるのはアダムだから」

「そうだったね。なら……っ!」

 

 まるで怯えるように攻撃を激化させるアダム。その攻撃を全て防ぎきるようにフィールドで守り続けるレイとカヲルだが、やはりそれでも限界が近付く。二つのフィールドには亀裂が生じ、それが加速度的に大きくなっていくのだ。このままでは破られてしまう。そう思うも、二人は後ろの初号機を守るためにその場でフィールドを張り続けた。そしてアダムの両腕が放った衝撃で遂に二機のフィールドが砕かれる。それでも二機は初号機の盾となるように立ちはだかり、アダムの攻撃へその身を晒す。

 

「「くぅぅぅぅぅぅっ!」」

 

 体中に走る痛み。それでも二人は倒れず初号機の盾で有り続けた。腕が砕かれ、肩も吹き飛び、胴体さえも抉れていく。そんな中でも、二人は諦める事なくアダムを睨む。それを目障りに思ったのか、アダムがその両手にフィールドを収束させていく。さすがにそれを直撃されればエヴァごと二人も死ぬだろう。だけど、カヲルとレイの気持ちは変わらなかった。何より、シンジが言ったのだ。殺させはしないと。

 

「レイ君、行くよ?」

「分かってる。それと、呼び捨てでいい」

「それはシンジ君のために取っておいた方がいい。僕からの気遣いさ」

「……そう」

 

 笑みを浮かべ合い、二人はエヴァの体を精一杯広げて初号機を守ろうとする。そこへアダムが収束フィールドを放とうとしたその瞬間、そのフィールドへ何かが突き刺さる。それは量産型が使っていたロンギヌスの槍。それがゆっくりとではあるがフィールドを貫いてアダムへと向かっていく。

 

「これで……ラストォ!!」

「「今だっ!」」

 

 ボロボロの弐号機から投擲された収束フィールドがロンギヌスの槍を押し出す。そしてアダムのフィールドが突破された瞬間、その頭部へ凄まじい程の火力が叩き込まれた。ネルフと戦自による一斉攻撃である。それにアダムがぐらりと上体を動かした。

 

「シンジっ! 後は頼むわ! 愛してるっ!」

「アスカ……」

「碇君、信じてるから。その、愛してる……」

「綾波……」

 

 聞こえてきたのは最愛の少女二人の声。その温かい言葉に、少年は意を決して返事をした。

 

―――僕も愛してるっ! 絶対二人の事を、この世界を守るからっ!

 

 初号機の目が光りを放ち、コアから真紅の槍が完全に抜き出された。そしてシンジは感じていた。今までにない力を。彼の勇気が愛に変わった瞬間であった。

 

 碇シンジは精神レベルが上がった。勇者のLVが9まで上がった。精神コマンド勇気が愛へ変化した。

 

「これなら……いけるっ!」

 

 全身に漲る力を込めるようにシンジは、初号機はアダムを睨み付ける。その眼光にアダムが一瞬ではあるが怯んだ。ロンギヌスの槍をその手に構え、初号機が投擲の動きを見せる。

 

「貫けぇぇぇぇぇぇっ!!」

 

 ボロボロでコアさえ露出させたままの初号機から放たれたロンギヌスの槍は、アダムの必死の抵抗であるフィールドの雨を悉く貫きながらアダムへ向かっていく。これでは不味いと思ったアダムが、両手を突き出して槍の刃先だけを収束フィールドで防ごうとする。だがそれさえあっさり無視するようにその手までも貫通して体へと突き刺さった。

 直後響き渡る断末魔のような咆哮。そして、そのままアダムの体は槍と共に崩れ落ちていった。まるで無へ還るように。それを誰もが固唾を飲んで見守り、やがてそこに何もなかったかのように風が流れる。

 

―――反応消失……パターン青、検出されませんっ!

 

 その報告が全員の耳へ届き、あちこちで歓喜の声が上がる。それを合図に初号機が一際大きく咆哮を上げた。まさしく勝利の雄叫び。かくして、本当に使徒との戦いは終わりを告げた。

 

「みな、ご苦労だった。これにて使徒戦の完全決着を宣言する」

 

 ゲンドウの言葉に全員が頷いて笑みを浮かべた。そんな中、加持が発令所へ現れる。その表情はどこか困り顔だった。

 

「どうしたのよ? てか、何でいなかったの?」

「文句は碇司令に言ってくれ。こう見えても意外と義理堅いんだよ、俺」

「は?」

「戦闘時の発令所への立ち入り、俺は禁止されたままだからな」

 

 その発言に全員が目を丸くし、一斉にゲンドウを見た。彼は忘れていたとばかりに表情を申し訳なさそうに変え、加持を見ていた。

 

「その、すまなかった」

「ま、いいですよ。それより、少年少女。お友達を出迎えに行かないか? 案内するぞ」

「「「是非っ!」」」

「ん。じゃ、この子らは俺が預かる。皆さんは、後処理頑張ってくれ」

 

 ヒラヒラと片手を振りながら発令所を後にする加持を見て、そこで誰もが理解した。加持はそれを言うためだけに顔を出したのだと。せめてもの仕返し。その事にミサトが呆れ、リツコが苦笑し、残りは笑った。

 

「碇、ユイ君の事はどうする?」

「今は事後処理が優先です。サルベージは、いずれ」

「今度こそ成功しますわ」

「と言うより、失敗の原因ってシンジ君のお母さんが嫌がったからでしょ? この分だと」

 

 ミサトの言葉にゲンドウと冬月が揃って困り顔を浮かべた。片や知らなかった夫と、片や言い出せなかった恩師である。こうして考えれば、当初のように計画を進めても失敗していたのは明白であった。

 

「司令、戦自の指揮官から通信が入っていますが」

「繋いでくれ」

『……こちら、戦略自衛隊』

「堅苦しい挨拶は互いに無しで構わん。貴官らの奮戦に心から感謝する。おかげで息子達を失わずにすんだ」

 

 機先を制するようなゲンドウの発言に戦自の指揮官が息を呑んだのが分かった。彼ら全員がこの会話を聞いているのだ。

 

『では、本当にあのエヴァにはご子息が?』

「そうだ。情けない父だと笑ってくれ。自分の子供を死地に追いやり、自分は安全な後方で見ている事しか出来なかったのだ」

『いえ、そうは思いません。むしろ、我々よりも悔しい想いをされたでしょう。心中、お察しします』

「……すまない。聞かせるべきではなかったな。とにかく、本当に貴官らの働きには感謝の念を禁じ得ない。戦略自衛隊の強さと凄さを見せてもらった。改めて礼を言う」

『こちらこそ、あの少年達が今後どうするか知りませんが、出来る事なら我らの同僚となって欲しいぐらいです。それぐらい彼らは強さと、それを正しく使う心を持っている。最後にあのような子供達を守る事が出来、光栄でした』

「……貴官の、いや貴官らの事は悪いようにしない。本物の自衛官だ。ネルフ司令として、最大限の支援を約束しよう」

『……ありがとうございます。では、我々はこれで撤収します』

「ああ、本当に助かった。感謝する」

 

 それを最後に通信は切れた。ミサトも察した。あの指揮官が何をしたのかを。だからこそゲンドウは支援を約束したのだとも。

 

「さ、忙しくなるわよ。何でもそうだけど、後片付けが一番大変なんだからね」

「そうね。マヤ、ついてきて。MAGIの点検、始めるわよ」

「はいっ!」

 

 席を立ち、リツコの後を嬉しそうに追い駆けるマヤ。その背を見送り、シゲルはマコトへ視線を向ける。

 

「なら俺達は……」

「被害状況の把握だな」

「碇、こちらは私が引き受ける。急がないと彼らがな」

「そうですね。では、後は頼みます」

 

 ゲンドウも発令所を後にし、冬月は小さく笑って天井を見上げた。

 

―――朱に交われば赤くなる。私もやっとそうなれたか……。

 

 

 

「シンジ~っ!」

「アスカっ!」

 

 回収されたエヴァから降り、ケイジへと戻ってきたシンジを出迎えたのはプラグスーツ姿のアスカだった。まるで飛び込むような彼女を少し慌てながらも彼は受け止める。その後ろからはレイとカヲルが笑みを浮かべながら近づいてきた。

 

「お疲れ様、シンジ君」

「うん、カヲル君もお疲れ様」

「碇君、無事で良かった」

「綾波もね」

 

 と、その瞬間レイがアスカのようにシンジへ抱き着いた。さすがにそれは予想外だったのか、シンジは後ろへ倒れ込んでしまう。勿論アスカも巻き込んで。

 

「ちょっと! 気を付けなさいよ!」

「だってアスカが先にやったから」

「二人共、ケンカは止めて」

「「止めて欲しかったらアレやって」」

 

 仲裁に入ろうとしたシンジへ告げられたのは、やや赤い顔でのいつかの再現希望。さすがにそれはと思うシンジであったが、カヲルは不思議そうに三人を見つめて小首を傾げるのみ。まさかキスをするから後ろを向いてと言う訳にもいかず、どうしようかと迷うシンジだったが、アスカとレイが不満そうに自分を見てくる事に耐え切れなくなって……。

 

「わ、分かったから。じゃ、アスカから」

「ええ」

 

 嬉しそうに目を閉じるアスカへゆっくりと顔を近付けるシンジ。その時、そこへ加持に案内されてケンスケ達が現れた。

 

「お~い、シンジ~っ!」

 

 響き渡るケンスケの声に弾かれるように離れようとするアスカだったが、それをシンジが抱き寄せてキスをした。その場面をしっかり彼らに見せつけながら。

 

「「「えぇぇぇぇぇぇっ!?」」」

「おや、シンジ君も胆が据わったもんだ」

 

 顔を赤くする子供達と意外そうな表情で呟く加持。そんな彼らの事はお構いなしにシンジはレイへもキスをする。それに声を上げる事さえ忘れて立ち尽くす三人へ、カヲルがトテトテと近寄り不思議そうに問いかけた。

 

「あれはいけない事なのかい?」

「い、いや、そうじゃないけどさぁ……」

「むしろセンセ達なら……なぁ」

「う、うん。自然かもしれないけど……」

 

 そこで互いを見つめ合うトウジとヒカリ。何せ彼らも今日したばかりなのだ。しかも人前で。その甘酸っぱい雰囲気にケンスケが一人肩を落としてため息を吐いた。

 

「どうしたんだい?」

「いや、やっぱりこういう時の独り身は辛いなってさ」

「ケンスケ君はあれがしたいのかな?」

「ん? まぁ、そりゃ俺だって可愛い彼女が」

「そう。なら、僕とするかい?」

 

 ケンスケの言葉を遮って告げられた言葉に彼は目を丸くする。そして、すぐに理解し疲れたように項垂れる。いつもの無知ゆえの言動だと思ってだ。なのでケンスケは改めてカヲルへ告げた。

 

「あのな、前も言ったかもしれないけど、俺が欲しいのは可愛い彼女であって」

「うん、だから僕とって言ってるんだけど?」

「だからぁ」

「今の僕は、ケンスケ君の意見を参考にしたんだ。シンジ君は僕が望むようにしていいと言ってくれたからね」

「はい?」

 

 理解出来ない。それがケンスケの正直な感想だった。どうやらその会話が聞こえていたのか、シンジが驚きの表情で二人を、正確にはカヲルを見ていた。

 

「ま、まさかカヲル君……」

「どうしたのよシンジ。カヲルがどうかしたの?」

「碇君、顔色が悪いわ」

「カヲル君は、ううん、渚は女子になったんだよ」

 

 その発言に誰もが一瞬黙り、シンジと加持以外が勢い良くカヲルへ視線を向けた。向けられたカヲルはどこか楽しそうに笑っている。まるで悪戯を成功させたようなそれに、誰もが言葉がない。

 

「な、なぁカヲル? 冗談だよな?」

「確かめてみるかい? 何ならここで脱いでもいいけど」

「うわぁぁぁぁっ! いいっ! それはいいからっ! どっちにしろ脱ぐのはダメなんだよぉ!」

 

 どちらにしたって見せていいものじゃない。そう判断してのケンスケの叫びにカヲルは不思議そうに頷き、ならばとプラグスーツから手を離した。そこで全員が理解する。彼の、いや彼女の言っている事は本当だと。こうしてシンジ達も日常へと戻る事になった。ダメージが酷いエヴァはそのまま眠りに就く事となり、サルベージが予定されている初号機は実験棟へと運ばれ、四号機は破棄が決まり、弐号機と参号機はアスカとレイの希望でそのままケイジに置かれる事となった。それぞれ、母や同化した使徒との約束を果たすためである。

 

―――じゃあね、ママ。時々会いに来るから。

―――寂しくないように顔を見せるわ。だからまたね。

 

 二人の少女の言葉に二機のエヴァは静かに佇むのみ。どこかでアスカとレイも悟っているのだ。最後の戦いの影響で、そのコアにいる存在も弱っている事を。

 

 その後、全世界に向けてネルフが行った発表によれば、地軸が戻った事などはエヴァが持てる力のほとんどを振り絞って行った奇跡のようなものであり、もう二度と同じ事は出来ない上にエヴァ全機も最後の戦いのダメージで稼働出来なくなったと告げられた。そこで見せられたアダム戦の光景と、ボロボロになった各エヴァの姿はそれを裏付ける何よりの証拠となる。

 

 そしてあの光に触れたゼーレは補完を諦めて解散し、その実行組織であったネルフも近く解体される事となった。ただ、それは特務機関としてのネルフであり、セカンドインパクト及び謎の環境回復現象を調査する機関として再出発する事になってはいた。これはゲンドウを始めとした、主だったネルフスタッフの事を警戒した政府の思惑が多分に影響している。要するに、勝手な事をしないよう首輪を付けたのだ。

 

「もっとも、その方がこちらにとっても都合がいいが」

「ユイ君のサルベージが残っている以上、こちらもここを渡す訳にはいかんからな」

 

 どうやら、その結果は引き分けのようではあるが。ただ、今までのような金遣いは出来なくなったので、当然のように全ての職員達の給料は下がる事となり、おかげで彼女は大きく計算が狂ったらしい。

 

「これじゃ当分マンション住まいじゃない! さっさと一軒家に引っ越したかったのにぃ」

「ま、仕方ないさ。二人で慎ましく暮らすとするか。あと、ビール減らせよ? 俺もタバコ止めるから」

 

 不幸中の幸いとでも言うのか、おかげで彼らは新たな命の健康に大きく貢献出来るようになるのだが、それはまだ先の話。さて、給料面が起こしたもう一つの出来事がある。それは恋を求めていた二人の存在の急接近である。

 

「イグアナ?」

「はい。今のマンションだとちょっと家賃が……」

 

 他愛ない話をするようになった事で明かした意外な事実。それならと彼が彼女の給料の範囲内で借りられる場所をピックアップし、色々と世話を焼く事で二人は互いを意識するようになっていく。ま、それを祝福しながら一人はヤケ酒ならぬヤケコーヒーをする事になるのだが。

 

「はぁ~……まさか俺が先越されるとはなぁ」

 

 ギターだけが恋人さ。そんな事を悲しげに言いながら昔を思い出して訪れたライブハウスで、彼もまたある出会いを果たすのだが、それはまた別の話。そして業務内容が変わる事で彼女もまた変化を起こしていた。

 

「お祖母ちゃん、紹介するわ。私が引き取る事にしたレイよ」

「はじめまして、綾波レイです」

「おうおう……本っ当に可愛い子だねぇ。ゆっくりしておいき」

 

 休みを取れるようになった事もあり、彼女は実家へ娘を連れて里帰りを果たしていたのだ。それと並行し、住まいも慎ましいものへと引っ越して。貯金をして、娘の結婚の準備金にするためだ。一度だけ軽い冗談で少女へ同居希望を出した際、本気で悩み泣きそうになったため、以後彼女達の間ではそれは禁句となった一幕もあった。

 

 日常が変わったのは、何もネルフ関係者達だけではない。彼から彼女へ変わった存在と、その親しくせざるを得なくなった少年もその中の一人だ。

 

「ケンスケ君、あれは?」

「おおっ! オーバー・ザ・レインボーだぁ! シンジの奴、アレに乗った事があるとか羨ましすぎるっ!」

 

 人知れず世界を救った彼は、少々複雑な想いを秘めながら念願であった理想の彼女を手に入れていた。そう、ミリタリー好きで可愛い彼女を。だが、どうしても男だった事が過ぎってしまい、未だにその関係はプラトニックなままだったが。一方、そうだったカップルはその関係を進展させていた。

 

「あっ、ヒカリお姉ちゃんやぁ」

「こんにちは、サクラちゃん。トウジ、いる?」

「おう、ヒカリ。待っとったわ」

 

 互いの家族へ紹介し合い、今や家族ぐるみの付き合いを開始していたのだ。少年の妹も足繁く通う少女に姉の姿を見、むしろ早く本当の姉にしてくれと言い出し二人を困らせるぐらいに。そして、勿論彼と彼女も……。

 

 雪がちらつく中、身を震わせながら歩く一組の男女がいる。その足は一軒の家の前で止まると、少女がインターホンを押す。聞こえてくる女性の声に嬉しそうな声で応対する少女。そして、ドアが開いてそこから中年男性とそれよりは少しだけ若い女性が姿を見せた。

 

「ほら、シンジ。挨拶しなさいよ」

「わ、分かってるよ。えっと、バームクーヘン?」

 

 冬の気配漂う中、乾いた音がドイツの空に響き渡る。そして小さな驚きと少し遅れて苦笑する声も。

 

―――もうっ! 教えたじゃない! 何で忘れてんのよっ!

―――し、仕方ないじゃないか! アスカの両親に挨拶するなんて緊張するんだからぁ!

―――……使徒戦より?

―――当然。

 

 即答した少年に免じて、少女はため息を吐くと流暢なドイツ語で父と母へ説明を始めた。連れて来る予定だった親友が母親との旅行を優先した事や、人生で一番緊張したために変な事を少年が口走った事などを。それらを聞きながらまったく理解出来ない少年は首を傾げる。それが少女にはいつかの親友と重なり、小さく吹きだした。

 

―――何だよ?

―――べっつに?

 

 ややむくれる少年と楽しげに笑う少女。そんな二人へ夫婦が家の中へ入るように手招きした。それに感謝を述べようとして、少年と少女は互いを見合う。そして笑顔を浮かべて頷き合った。

 

―――ダンケシェーン!

 

 たった一つの言葉で世界は変わる。少年を変えたのは、逃げる事を肯定する女性の言葉。奇跡の価値は人それぞれ。きっと少年にとっては、あのエヴァとの出会いこそ自身を変える最初の衝撃―――ファーストインパクトだったのだろう。そして、女性の言葉がセカンドインパクト。では、サードインパクトは? もう訪れたのか、あるいはこれから訪れるのか。それとも、もう訪れないのか。それは誰にも分からない。

 

新戦記エヴァンゲリオン 第二十六話「世界の中心で愛を叫んだこどもの、まごころを君に」完




愛……加速、閃き、必中、気合、熱血、幸運、努力が同時にかかる精神コマンド。かつてあった奇跡の下位互換。

幸運……撃破後の獲得資金が倍になる。この作品でいえば、倒した後のメリットが倍、つまり封印が完全消滅になる。

努力……使用後の獲得経験値が倍になる。この作品でいえば成長度が倍、つまりシンジの心がより強くなりました。キスを人に見せて平気だったのはそういう事です。

さて、賛否両論あるだろうカヲルの性転換。ハッピーエンドなら、こうだろうと思いましたのでそうしました。いや、別にカップルが幸せとは言いませんが、ケンスケとカヲルだけあの子供達の中で男同士だと浮いてしまう気もしたんです。マコトとシゲルと違って、カヲルはケンスケの愚痴に共感出来ませんしね(汗

さて、勘の良い方はお気付きでしょうが、これは最終回ではありません。だって、まだ残ってますよね? エヴァにおいての大事な事が。それを描いて、それに少しだけ書きたい事を書いておしまいにしようと思います。

よろしければ、そこまでお付き合いくださるよう、お願い申し上げます。


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第二十六・七話 彼らは少しずつ進んでいく。

活動報告に書いた通りの特別回。とはいえ、最終回後ではなく、二十六話と最終話の間の話。まぁ、アフターの前振りみたいな内容かと。蛇足になるかもしれませんが、暇潰しにどうぞ。


「それで、話って何ですか?」

 

 あのアダムとの戦いから一年と数か月、シンジは今やただの中学生として人生を謳歌していた。使徒がいなくなり、エヴァ自体も最後の戦いで甚大なダメージを負った事もあって、もうチルドレン達の役目は終わったためだ。

 

 そんな彼は、生まれて二度目に経験する冬の寒さに初めて使うこたつを以って対抗している。ゲンドウから話を聞いたそれは、一度入ると出られなくなるというフレーズ通りに少年を魅了してやまなかった。

 

 そんな彼の向かいには、同じようにこたつへ入ってみかんを食べている一人の男がいた。以前は無精ひげを生やしている事もあったが、今や同棲中の彼女から指摘される事もあってか綺麗に剃り落している。

 

「ん? ああ、実はな? ちょっと君に頼みたい事があってね」

「ミサトさん絡み、ですよね?」

「ま、そうだわな。俺が君に頼み事と言えばそうなるか」

 

 みかんを一房口に入れ、加持は口の中に広がる程よい酸味と甘みに満足そうに頷いた。場所は碇家でシンジの部屋。

 あのリリスとアダムの魂を宿した二人とシンジによって起こされたサードインパクト。それによって世界は四季を取り戻し、大人達には嬉しさと懐かしさを、子供達には驚きと感動を与えていた。

 

 が、同時に冬という概念がなかった子供達には突如として訪れた寒波などは恐ろしい程の威力を持っており、暖房器具などの必要性がそれまでなかった事で家庭はおろか企業や公共の場でさえも若干の混乱を招いたのだ。

 

 ちなみに、シンジは日本が冬を本格的に迎える前の段階でアスカと共にドイツを訪れており、そこで寒さに対する備えをする必要性を痛感していたので大事には至らなかった。

 

「で、何を聞けばいいんですか?」

「おっ、鋭いな名探偵」

「茶化さないでください。ミサトさんがアスカとそういう話、してるみたいなんです。そろそろ結婚式、考えてるって」

 

 加持の言葉へジト目を返すシンジ。兄のような存在とも言える加持と姉のようなミサト。その二人から可愛がられているシンジやアスカとしては、どうしてもその関係性が自身とだぶる時がある。

 その事もあり、リツコからからかわれる事もあるのだ。そう、レイの存在である。リツコがレイを自分と同じような立場にしないでねと、そうシンジへ思い出したかのように告げているのだから。

 

(綾波がリツコさんって……意外と笑えないんだよなぁ)

 

 手続きをした事もあり、今のレイは書類上はリツコの養子となっている。つまり赤木レイとなるはずなのだが、そこは特務機関であるネルフであった。

 彼女が綾波レイと言う名に拘っている事を理解しているため、いかようかの手段を用い、その決まりを無視あるいはクリアしてしまったのだ。

 

 その背景には、リツコだけでなくかつてレイに入れ込んでいた一人の男の力もあった。

 

 話を戻そう。そうして母娘となった事もあり、レイは前にも増してリツコの事を母として慕うようになっていた。

 元々感情の起伏が乏しかった事や色々な事への興味が尽きない性格だった事も影響し、リツコの助手の道を視野に進路先などを考え始めている程に。

 

「あー、アスカからか。成程なぁ。順調に交際は発展してるみたいだな。結構結構」

「おかげさまで。まぁ、多分アスカと綾波もミサトさんやリツコさんから色々教えてもらってると思いますけど」

「だろうな。で、どこまでいった?」

 

 その問いかけにシンジは微妙な表情を浮かべる。キスこそあのパイロット時代に済ませていたが、そこから先はそれから一年以上経過した今でも出来ていないのだ。

 何もシンジが奥手なのではない。そういう機会を設ける事が出来ないと言うのが正しいと言える。

 何せデートは三人で、二人きりなど基本不可。そうなればそういう事をしようにも出来ないし、誘うとしてもどちらを先にするかで揉めるのは目に見えている。

 

「……アスカも綾波も大事ですから」

 

 故にそう答える事しかシンジには出来ない。それだけで加持にも分かった。彼がより深い関係になりたいと思っている事と、それをおそらく少女二人も望んでいるだろうことも。

 だからこそ手が出せないのだろうともだ。アスカもレイも互いを大事に思っている。シンジはその両方を想っている。つまり、手を出すなら二人同時か、もしくは連続でとなる。それはさすがにとシンジは思っているのだ。

 

「ま、こればっかりは俺からもアドバイスはないな。ただ、上手くすると男の夢を実現出来る、かぁ。羨ましいな」

「ミサトさんに言い付けますよ?」

「おいおい、これぐらいはいいだろ? 男だけの会話だ。それに、シンジ君だってそう出来たらと思わないか?」

「それは……まぁ」

「な? まぁ、これはアスカも、勿論レイちゃんも嫌がるだろう。初めてっていうのは男もそうだが女だって大事にしたいもんだし」

 

 その加持の言葉にシンジも深く頷く。そう、それ故に彼は未だに最後の一線を越える事が出来ないのだ。

 

「って、僕の話はいいんです。加持さんの話ですよ」

「そうだったな。ま、とはいえシンジ君にしてもらうのは簡単さ」

「簡単?」

 

 小首を傾げるシンジへ加持は小さく頷いて顔をこたつの上に乗せた。

 

「アスカに頼んで欲しいんだ。ミサトの指のサイズ、調べておいてくれって」

「……サプライズのため、ですか?」

「ああ。こういうのを嫌いな女はあまりいない。そもそもミサトはそういう事をしたがるタイプだ」

「あー……」

 

 思い当る節があるため、シンジも納得する声を上げた。実際、あのミサトの部屋からの引っ越しで彼女は仕事を中抜けしてシンジを見送ったのだ。そういう事からミサトの在り方や考え方が分かるのだろう。

 こうして彼は加持の依頼を受けてアスカへと頼み事をする事にした。その際、加持はシンジへこう言った。この礼はいつか必ずすると。それが何なのかをシンジが知るのは、これから十年近く経った時になる。

 

 さて、シンジが加持と男同士のくだらない会話に興じている頃、アスカはレイと二人でぼんやりとテレビ番組を眺めていた。

 二度目の冬は最初に比べて幾分かマシに過ごせる事が出来、それなりに楽しくもあったのだが、一つだけ二人にとって残念というか寂しかった事があったのだ。

 

「結局、何も進展しなかったわね」

「……そーね」

 

 画面の中では冬の味覚食べ尽くしと題打った番組が流れ、アイドルや芸人が見るからに美味しそうな食べ物を食べている。だが、二人の頭の中はそれらに関する事は一切入っていない。

 

(中学の内にシンジと男女の関係にって、そう思ってたのにぃ……)

(中学卒業までに碇君と一緒に子供を卒業しようと思ってたのに……)

「「はぁ~……」」

 

 シンジが悩んでいた事に二人もまた悩んでいたのだ。しかし、彼女達の方がシンジよりも強く踏み込んだ関係を持ちたいと願っていた。その理由は、当然ながら二人が一人の少年の彼女であるためだ。

 相手を蹴落としたいとは思っていないが、出来れば自分がシンジの初めてでありたいとは思う女心である。つまりシンジの彼女となって初めての女の争い中であった。

 

「レイ、多分なんだけどさ」

「分かってる。碇君は、私達を平等に扱いたいと思ってる。だから……」

「う~……だからって初体験が三人ってのはぁ……」

 

 アスカもさすがに乙女である。大事な初体験は普通の形が望ましいと考えていたのだ。ただ、ここでアスカはある事を忘れていた。いや、見落としていただろうか。レイがそのアスカの呟きにハッとした顔を浮かべたのだ。

 

「そうだ。アスカ、聞きたかった事がある」

「何?」

「その、ああいう事を三人でしていけない理由は何?」

 

 間違いなく、その時のアスカの顔は間抜けていた。人に見せてはいけないぐらいに乙女が見せていい顔をしていなかった。ただ、レイにとってはアスカの反応に小首を傾げるだけ。

 

「どうしたの?」

「あ、あのね? 普通に考えておかしいでしょ。その、エッチってのは」

「アスカ、普通って言うけれど、私達はそもそも普通の男女の交際関係ではないわ。それなのに?」

 

 告げられた言葉にアスカは思わず顔を赤めた。彼女もレイとの付き合いは長い。下手をすれば一番かもしれない程だ。だから分かったのだ。レイが何を言いたいかを。

 

「……じゃあ、レイはあたしと一緒にシンジとエッチな事してもいいのね」

「ええ。でも、ああいう行為は男女一組で行うのが正しいと思ったから」

「そういう事か」

 

 レイはどうしても知識をアスカやシンジ、あるいはリツコやヒカリなどの限られた人間から得る。テレビなどの媒体からも得ない訳ではないが、どうしても比重としては人から聞く事が多い。

 故に所謂性的知識は同年代に比べ乏しく、また興味も薄いためにアスカやリツコの頭を悩ます事が多々ある。シンジへはそういう事を聞かない方がいいと徹底されたため過去のような事故は起きていないが、絶対にないと言い切れないのがレイの可愛さでもあり厄介さでもあると言える。

 

(これ、要するにあたしがレイへ説明か同調する流れよね? ……シンジの考えを踏まえると同調した方がいいとは思うけど……)

 

 どうしたものかとソファへ背を預けて天井を見上げるアスカ。説明をしても、レイが言ったように交際関係が普通ではない以上有効な説明が思いつかない上、初めてシンジからキスされた流れと同じになるだけ。

 かといって、同調して複数での行為となるのも若干抵抗がある。何より、自分が無防備な状態になるのをシンジだけでなくレイにまで見られるのはアスカとしては想像したくなかった。

 

 どうしようとアスカが頭を抱えそうになったその時、彼女へ救いの手が差し伸べられた。それはシンジからの着信。渡りに船とばかりにアスカは通話の選択肢を選んだ。

 

「シンジ、どうしたのよ?」

『あっ、アスカ? その、少し頼みがあるんだ』

「頼み?」

 

 チラリとレイを見るアスカ。見られた彼女は不思議そうに首を傾げている。その愛らしさに小さく笑みを浮かべ、アスカはシンジの反応を待った。

 

『えっと、ミサトさんの指輪のサイズを調べて欲しいんだ』

「……加持さんからの頼みでしょ、それ」

『うん。どうかな?』

「いいわ。気付かれないようにやってあげる」

『ありがとう、アスカ。それと、綾波に言っておいてくれるかな。風邪に気を付けてって』

「分かったわ。シンジも気を付けなさいよ? 今度のデートの時に無理なんてなったら」

『怒ってお見舞いもしないって?』

 

 遮るように告げられた苦笑する声。それにアスカは小さく笑みを浮かべる。

 

「まさか。シンジのパパとママが呆れるぐらい熱烈に看病してあげるわ。レイと一緒に、ね」

『そんな事言われると風邪引きたくなっちゃうよ』

「勘違いしないでよ? 誰も優しくとは言ってないから」

『それでもだよ。っと、じゃあ切るね』

「ん。あ、ちょっと待って」

『え?』

 

 疑問符を浮かべたシンジだったが、すぐに聞こえてきた声でアスカの考えを察する事が出来た。

 

「もしもし、碇君?」

『こんにちは綾波、今日も寒いね』

 

 レイに他愛ない話題を振ってシンジは笑みを浮かべる。アスカらしい配慮に感謝しながら、彼はレイと少しだけ会話に興じた。中学最後の冬休みに入って数日が経過し、クリスマスを過ごした今は次に迎えるは大晦日である。

 実はクリスマスをシンジ達は共に過ごしていなかった。その理由は一つ。今年遂に初号機からユイがサルベージされたためである。

 家族三人で過ごす時間を大事にしたいシンジと、それを尊重したアスカとレイによってクリスマスの夜はそれぞれで過ごしたのだ。まぁ、去年のクリスマスは三人で過ごしたからと言うのもあるのだが。

 

「じゃあ、碇君またね」

『うん。また大晦日に』

 

 通話を終えたレイは手にしていたスマホをアスカへと手渡した。

 

「大晦日に会おうって言われたわ」

「そっか。ま、シンジも楽しみにしてるんでしょ。何せ三人で夜を過ごすなんて久しぶりだし」

 

 実は今年の大晦日から数日、碇夫妻が旅行へ出かける事になっているのだが、シンジは受験のために一人家に残って勉強するのだ。そこでアスカとレイは共に年越しをしようと考えていたのである。

 その事を既に二人はユイへ相談し了承を得ていた。ゲンドウではない辺りに碇家のパワーバランスがどうなっているかが現れていると言えよう。

 

「アスカ、相談があるの」

「奇遇ね。あたしもレイに相談があるわ」

 

 何か思いついたかのような笑みを見せ合い二人は頷く。悟ったのだ。相手の相談内容は自分と同じだろうと。その予感通り、その後の話で彼女達が告げた内容はほとんど同じであった。

 話し終えた二人は悪戯っぽく笑う。これまで自分達が思いもしなかった事をシンジが予想出来るはずはないと、そう確信に近いものを抱いて。

 

「大晦日、楽しみね」

「そうね。シンジの奴、どんな反応を返してくれるやら……」

 

 

 

 少女二人が来たるべき日に備えて色々と話し合いを始めた頃、碇家のリビングではゲンドウとユイが和やかな雰囲気の中で会話していた。

 

「本当に時が経つのは早いわね。もうすぐ私が初号機からサルベージされて一年になるなんて……」

 

 ユイがサルベージされたのは今年の二月の事。バレンタイン直前であった。そこから様々な検査などを経て、碇家に彼女が戻ったのが今年の四月の事だ。まるで時が止まっていたのかのようなユイの姿に、ゲンドウ達は絶句しシンジ達は驚いていたのを彼女は昨日の事のように思い出せる。

 

「そうだな。そして、まさかこんなにも早く子から恩返しをされるとは」

「本当に。私なんてやんちゃになってきた頃の印象しかなかったもの。だから余計に色々と胸に迫るものがあったわ」

「ああ、俺もだ。父の日に母の日、それだけでも感じ入るものがあったというのに……」

「ふふっ、シンジなりに私達の事を気遣ってくれてるのよ。まぁ、こうやって二人で普通に話すようになったのもつい最近だもの……ね?」

 

 ユイの軽いジト目にゲンドウは申し訳なさそうに頬を掻く。サルベージされたユイへゲンドウがまずしたのは謝罪だった。それは、彼女が初号機に取り込まれてからの様々な事に関係するもので、とりわけ彼が一番謝りたかったのは赤木母娘との関係だ。

 

―――そう、ナオコさんだけじゃなくリツコちゃんまで……。

―――ああ、そうだ。俺は、最低な行動をしていた。シンジだけじゃなく、お前にもだ。

 

 その日からしばらくユイはゲンドウと口を利かなくなった。会話は必要最低限となり、シンジはそんな両親の姿に小首を傾げながらも自分なりに理由を考えて、少しでも失った時間を取り戻してくれればと思い大晦日からの旅行を計画、それを両親へプレゼントしたという訳だった。

 

「でも、私も貴方を強くは責められない。理由はどうあれ、貴方とシンジを置き去りにしたのは事実なのだから」

「……似た者夫婦とはよく言うが、本当だな。俺もお前も自分の事ばかり考えていた。結果、両方共にシンジの事を正しく考えてやれなかった」

「そうね。そんな私達を、あの子は一途に信じてくれた。名は体を表すと言うけれど……」

「そうなったのは、あいつや周囲のおかげだろう。シンジまでは合っていても、続くのが良い方かまでは決まっていなかった」

 

 言ってゲンドウは思い出すのだ。あの久しぶりに再会した時のシンジの事を。どこか気弱な雰囲気を持ち、周囲に流されるような印象を持った、少年の姿を。

 

(あれからゆっくりとシンジは変わっていった。俺の知らぬところで、様々な事を経験しながら。そして、俺へも少しずつ距離と詰めようと動き出した。あれがなければ、今頃どうなっていただろうか……)

 

 ユイの真意へ想いを馳せる事もせず、自分の事しか考えない計画を進め、下手をすれば息子と敵対していた可能性さえある。何しろ、最初ゲンドウはシンジを犠牲にするつもりだったのだから。

 

「それにしても、中々思い切った事をするわね、アスカちゃんとレイちゃん」

「ん? ああ、年越しの事か。まあいいだろう。中学最後の冬休みだ。クリスマスはこちらへ譲ったから、という事だろうな」

「そうだと思うけど、シンジはああいう物をちゃんと準備してるのかしら? ないとは思うけど不安だわ」

 

 ユイの発言にゲンドウは一瞬戸惑い、そして理解をしてから若干狼狽える。

 

「ま、まさかシンジ達がここで、その、そういう事を?」

「シンジはそのつもりはないでしょうけど、アスカちゃんとレイちゃんは分からないわ。だって、二人はシンジの特別になりたいはずよ? なら、そういう事を先にしてしまってと、考えても不思議はないじゃない」

「そうかもしれんが……」

 

 アスカはともかくレイにそんな行動は出来ないだろう。そう言いたいゲンドウだったが、それを口にする事はなかった。いや、正確には出来なかったのだ。

 

「それに、男の人にとって、そういう事の初めての相手って特別になるんでしょ?」

 

 にっこりとしたイイ笑顔でそう告げられた瞬間、彼は何も言えなくなって黙って頷く事しか出来なかったのだ。何せ、ゲンドウにとってのユイはそういう相手だったために。

 こうして沈黙したゲンドウをユイはどこか微笑ましく見つめる。子は鎹と昔から言うが、この二人にとってはまさしくそうだった。

 

 ゲンドウの不倫を全て知った時、ユイはどこかで察していたとは言え嫌な気分になった。ただ、それはゲンドウへ自分がした仕打ちを考えれば非難する事が出来ないものでもあったため、彼女は黙って受け止めた。

 その時、ユイが思ったのはシンジの事。ゲンドウは自分よりもシンジと向き合い、多少なりとも親らしい事をしていた。それに対して自分はまったくと言っていい程出来なかった。その事実がユイの中で負い目となってゲンドウの行動を飲み込ませ、シンジのためにもちゃんとした家族の時間と温もりをと思わせたのだ。

 

「とにかく、年末の旅行は楽しみましょう」

「……ああ」

「ただしアレは無しですからね」

 

 ピシャリとそう言い切られ、ゲンドウはガックリと肩を落とした。そんな彼をユイは少女のような笑顔で見つめるのだった。

 

 

 

「それにしても、意外と遅かったわね」

 

 そのリツコの言葉にミサトは小さく苦笑した。場所はミサトのマンションのリビング。シンジがいなくなって一年以上が経過したそこは、加持の努力とミサトの変化もあって一定の清潔感を保っていた。

 

「結婚?」

「ええ。するだけならあのあとすぐに出来たでしょ?」

 

 リツコの指摘通り、ミサトと加持はアダム戦直後に結婚出来るだけの余裕と愛情があった。だが、彼女達二人はそれでも結婚する事を選ばなかったのだ。その理由がリツコには分からなかったため、何故今なのかと問いかけていたのである。

 

「まーね。でも、あたしもリョウジもその先の事を考えてたの。で、やっとその事に対しての目途も出来てきたから、ならって感じ」

「……住宅と子供?」

「ご名答。正直子供に関しては早い方がいいじゃない? 三十路までに結婚って思ってたのが遠い昔みたいな話だけど」

 

 そう言ってミサトは思い出す。それは友人の結婚式へ出た日の事。加持と二人で帰る途中、想いを吐露した時の記憶だ。それから既に一年が経過し、もう少しで一年半となろうとしている。

 

(思えば、あそこであたしが踏み出したから今があるのよね。で、そう出来たのもシンちゃんがいたからで……)

 

 思い返して変化の起点としてミサトが辿り着くのはシンジの存在。そう、この世界を守ったのも変えたのも彼なのだから当然だ。だが、そのシンジを変えたのはミサトである。そして何よりその流れを引き寄せたのは、異世界からの来訪者たるF型初号機だった。

 

 それらを総括して言える事は、今の結末へと導いたのは、シンジを中心とする全ての者達が一番嫌な事から逃げ続けた結果であるという事だ。

 

「でも、あの宣言は守れそうね」

「へ? あの宣言?」

 

 不意に告げられた内容にミサトの目が丸くなる。その表情が年齢に似合わず可愛らしく見え、リツコは小さく笑みを浮かべると頷いた。

 

「ほら、これまでのご祝儀を回収するっていう、あれよ」

「あ~……そんなような事、言ったっけ」

「ええ。それはもう、恨み節全開で」

「…………言霊ってあるのね」

「そうみたいだわ。貴方のだけじゃない。シンジ君やレイ、アスカなんかもそうよ。言霊はきっと本当にあるんでしょう。残念なのは科学的に実証が不可能な事だけれど」

 

 楽しげにそう締め括り、リツコはテーブルに腕を置くと顔も載せるとからかうように笑みを見せた。

 

「それで? やっぱり来年の六月?」

「そりゃそうよ。これまでのあたしが一年の中でもっとも嫌がった時期にしないでどうすんの。そこでキッチリ既婚未婚を問わずご祝儀をせしめてやるんだから」

「あら怖い。ただ、私はそこまで出せないわよ」

「リツコは気にしなくていいわ。あたしの狙いは今までこっちに幸せを見せつけてきた連中よ」

「ふふっ、今度からは自分もそっちになる事を忘れないようにね」

 

 拳を握り力説するミサトへリツコはそう言って苦笑する。結婚という女としての一つの幸せを掴もうとしている親友を祝いつつ、どこかで自分はそれとは無縁であると察して寂しそうな眼差しを一瞬だけ浮かべて。

 

 それでも、今の彼女にはその寂しさを忘れさせてくれる存在がいる。故にマイナスな感情だけを抱く事はない。

 

(いつか、レイが結婚式をする時がくる。その時、私が母さんの出来なかった事をしてあげたいわね)

 

 ひょんな事から始まったリツコとレイの擬似的母娘関係。それが今や自他共に認めるぐらいの仲良し義母娘となった。リツコの祖母もレイの事を可愛がっており、リツコの義娘となったからかひ孫が出来たと喜んでいる程だ。

 

「で、そっちはやっぱりしないの?」

 

 来たる時へ想いを馳せていたリツコへミサトが投げかけた声は、どこか探るようなものだった。それが意味する事に気付き、リツコは一瞬キョトンとするものの、すぐに柔らかく微笑んで頷いてみせる。

 

「そうね。きっと、私はもう恋は出来ないでしょうし。あの人が最後、かしら」

「その、こういうのも何だけど勿体ないわよ。リツコ、イイ女なんだし」

「ありがとう。だけど、仕方ないの。だって、あの人は私が想いを寄せた頃よりもどんどん魅力的に見えているのだもの。未練、ではないけど、引きずり続けるとは思う」

「……だからこそ恋はしない?」

「そ。永遠の片想い、かしらね」

 

 どこか楽しげに告げ、リツコは優しい表情でミサトを見つめた。

 

「きっとその方がレイのためにもいいわ。それに、未婚で中学生の子持ちの三十路オーバーなんて貰い手がないわよ」

「どうかしら? いっそ冬月先生とか?」

「面白い冗談ね。貴方が逆ならどう思うの?」

「…………ごめん」

「よろしい」

 

 と、そこで少しだけ間を置いて二人は笑い出す。どこかで思ったのだ。きっと今のような雰囲気をずっと続けていけるのだろうと。大学時代よりも親密になった関係は一生涯のものだ。

 それを噛み締めるように二人は笑う。やがてその声が小さくなり、室内に静けさが戻る。互いを見つめ合う眼差しは優しい。

 

「結婚しても、こうやって付き合ってくれると嬉しいわ」

「それはこちらこそだって。女同士の付き合いも大事だもの」

 

 彼女達はまだ知らない。この数年後、リツコが思わぬ事からミサトとご近所付き合いを始める事になる事を。そして、女同士の交わりは人数を増やしてしまう事も……。

 

 

 

 今年も残すところあとわずかとなり、テレビの中では芸能人達が口々にカウントダウンが近い事を話題にしている。それらをBGMにシンジはアスカとレイの二人を助手に年越しそばを作っていた。

 

「シンジ~、丼は用意したわよ~」

「分かった。綾波、そばは?」

「もう茹で上がったわ」

「じゃ、適当に三人分に分けて丼へ入れてくれる? 僕はつゆをかけていくから」

「分かった」

「あっ、あたしの海老天二本ね。レイの分も食べるから。代わりに野菜のかき揚げはレイに二つよ」

「はいはい」

 

 年越しそば用にシンジが用意した天ぷらはエビとかき揚げの二種類。一応人数分な辺りに彼らしい配慮が見える。レイがエビを食べないだろうと思っていても、最初から用意されていないのはどうかと考えたのだ。

 

 こうして完成した年越し天ぷらそばを啜りながら、三人はテレビ番組へと視線を向ける。そこではいよいよ新年へのカウントダウンが始まっていた。

 

「……今年ももう終わりか」

「来年は高校生ね」

「受験に失敗しなければよ、アスカ」

「分かってるっての。って、残り二秒」

「一……ゼロ」

「「「あけましておめでとう」」」

 

 言い合って笑みを見せ合う三人。去年は初詣の待ち合わせで言ったため、シンジが最初に挨拶をしたのはゲンドウだった。それが今年は自分達が最初。それがアスカもレイも、そして言ったシンジ自身も嬉しかったのだ。

 勿論ゲンドウに一番最初に年始の挨拶を言った時も嬉しかったが、やはり大事な彼女二人へ最初に言う事も特別なのである。それは、アスカとレイも同様であった。

 

 残ったそばを食べ終え後片付けを始める三人だったが、その様子はやや落ち着きがなかった。それもそうだろう。何せ初めての恋人となってからの夜である。しかも、三人だけの。

 

(ど、どうしようかな。さすがにそういう事はないと思うけど……)

(こ、今夜は三人だけなのよね。レイもそういう事を考えてるだろうし、い、いっそシンジへ迫ってみる? ……だ、ダメよっ! さすがにそれは不味いわ! ユイおば様にも申し訳ないし!)

(何故かしら……胸がドキドキする。それに、碇君もアスカもそわそわしてる。……ああいう事をしたいと思ってる? だとしたら……)

 

 今年で中学を卒業する事もあり、シンジ達は多少ではあるが互いの関係を一歩進めたいと思い出していた。何しろアダムとの戦いの後、シンジ達は色々と落ち着かない日々が続いたために。

 まず、初号機のサルベージ作業とその結果救出されたユイのためにシンジがどうしてもそちらを優先した。次にアスカの両親からの適度な交際をとの言葉でシンジとアスカの間にやや距離が出来そうになり、その解決のためにレイが奔走する事となった。

 

 それら全てが片付き、落ち着きを見せたのが大体夏手前。それまでもデートなどのカップルらしい時間を過ごしていなかったワケではないが、どうしてもゆっくりとは出来なかったのである。

 

 奇妙な緊張感を漂わせながらシンジ達はリビングのソファへと座る。中央にシンジで両隣をアスカとレイという定番の位置取りで。

 

「えっと……とりあえずどうする?」

「初詣よね。う~ん……レイは?」

「行きたいけど、今は人も多そうだし明け方よりも少し前ぐらいが狙い目だと思う」

「それはそうかもしれないけど、そこまで起きてられるかな?」

「……! じゃ、寝れないようにしてあげましょうか?」

「へ?」

 

 何か思いついたのか、とてもイイ笑顔を浮かべるアスカに、シンジは嫌な予感を感じつつも顔を向ける。レイも彼の後ろから顔を出し、アスカの事を見つめていた。

 そんな二人へアスカは得意げに笑うと着ていたパジャマの一番上のボタンを外した。年齢の割には大き目の胸が作る谷間がシンジの視界に広がる。

 

「……あ、アスカ? まさか……」

「これなら興奮して寝れないでしょ?」

「そう、そういう事。分かった」

「あ、綾波?」

 

 やや顔を赤くしながらも慌てる事がない辺り、シンジも順調に男として成長を続けているようだ。そんな彼でも動揺は少なくなっただけであり、平気になった訳ではない。現に、アスカに続けとレイが第一ボタンを外した際にはしっかりと唾を飲んだのだ。

 

「これでいい?」

「ばっちりよ。で? シンジは何であたし達を寝かさないようにするのかしら?」

 

 挑発的なようで、どこか期待を滲ませるアスカの声と表情にシンジは困ったように頬を掻いた。

 

「え~っと……正直す、スケベな事しか思いつかないんだけど……」

「っ!? そ、そう……」

「う、うん。だから」

 

 勘弁して欲しい。そう続けようとしたシンジの言葉を遮るようにレイが口を開く。

 

「いいわ。私はそれで」

「「ええっ!?」」

「……だって、もうキスは普通にするようになったわ。なら、次の段階へ進むべき」

 

 驚きを見せる二人へレイはそう返す。ただ、その顔はほんのりと赤くなっており、声には若干の恥じらいが混ざってはいたが。

 

 思わぬレイの反応にシンジとアスカはどうしたものかと沈黙する。本音としては彼らもレイと同意見ではある。あの頃は特別な感じがあったキスさえ、今はそこまでの事でもなくなっていたのだ。だからといって、性交まではさすがにどうかと思う辺り、まだシンジもアスカも子供であると言えた。

 

「…………分かった。アスカ、綾波の言う通りかもしれない」

「え?」

「その、少しだけ、少しだけ僕らの関係を進めよう。手を繋ぐのも一歩、キスも一歩。だけど、ああいう事は一歩じゃないから。ジャンプはしないで、一歩ずつ進んでいこう」

 

 噛み締めるような言い方でアスカも気付く。シンジがしようとしているのは性交ではない事を。きっと、それよりももっと可愛い、だけれどエロティックな事をしようとしている。そう判断し、アスカは覚悟と期待を込めて息を吐いた。

 

「うん、そうね。一気に進むのはシンジらしくないもの」

「ありがとう。でも、必要になったら頑張ってみせるからね」

「っ……知ってる」

 

 不意打ち気味に見せられる優しく強い笑顔にアスカが赤面する。その笑顔に、自分が愛されている事を実感して。

 

「じゃあ、二人共もうちょっと体を寄せてもらっていい?」

「こう?」

「うん」

「っと。で、どうするのよ?」

「こうする」

「「ぁ……」」

 

 二人の体を抱き寄せ、その手を彼女達の腹部へと置くシンジ。その手から伝わる温もりと感触が彼らの心を高鳴らせ、そして温めていく。

 

「どう、かな?」

「ヘタレシンジ。そこは胸に来るとこでしょ」

「そうしたいけど、それはきっとジャンプしたくなるから」

「碇君、変な事したいの?」

「今の僕らだと変な事って言うよりエッチな事、かな」

「……そう」

「レイ、分かってると思うけど」

「ええ。言わないでおく」

 

 赤い顔をしながら二人の乙女はシンジの下半身へ視線を向けていた。そこは雄弁に彼の本音を告げているのだ。いっそここで抱かれてもいい。そうアスカもレイも思い出した時だ。シンジが静かにこう告げる。

 

「そういう事は、せめて高校に入ってからにしたい。僕が、自分で生き方を決めて歩き出してからで」

 

 少しだけ二人を抱き寄せる腕に力がこもる。そこにシンジの想いを感じ取り、アスカもレイも黙って頷いた。そして自らもっと体を彼へ密着させる。二人の胸がシンジの胸へと押し付けられ、その柔らかさと熱を伝える。

 

「えっと……二人共?」

「何よ? 今自分で言ったんでしょ? なら、我慢しなさい」

「碇君、これが私達の返事と気持ち。エッチな事はしたい訳じゃないけど、されてもいいとは思ってる」

「ま、その……そういう事よ」

「……ありがとう、アスカ、綾波。うん、いつか必ず責任を果たすから」

 

 こうして三人は抱き寄せあって時間を過ごす。当然ではあったが、互いの体温を感じ合いながら静かにしていた事でしっかりと眠ってしまい、目が覚めた時には完全に日が昇っていた事を記す。




何度か作中でも作外でも書いたかもしれませんが、自分としてはシンジ達のもう一つの形が加持達と思っています。
レイがユイの因子を持ったままなら、当然シンジと結ばれるのは色々と面倒な事になります。それに、やはりシンジはアスカの事を異性として意識している描写が多かったですし。
なので、シンジ=加持、アスカ=ミサト、レイ=リツコと考えるとその関係図は中々面白いものに思えます。

なんて、妄言はこれくらいにしておきます。ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。


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最終話 お星様とお月様とお日様のお話

これにて今作は完全終了。テレビの再構成と言いつつ、旧劇も取り入れてしまいましたが、ゼルエル戦で終わる事を前提にしていた事が嘘のようです。
一応、最後にこの作品に関する活動報告を上げましたので、興味ある方やお暇がある方はどうぞ。

最後までご覧いただき、本当にありがとうございました。


 朝の陽射しが差し込むリビング。そこを忙しなく動く一人の女性がいた。彼女は白いレースのカーテンを開け、窓を開けて空を見上げた。六月は梅雨の時期。今やこの国は四季を取り戻して一巡していた。彼女の息子がその名称と由来を知り感心していたのが、女性には昨日の事のように思い出されていた。

 

「良かった。晴れたみたいよ、アナタ」

「そのようだ」

 

 微笑む女性に返事をしながら男性がネクタイを締めている。が、どうやらそれが曲がっているのだろう。女性が苦笑しつつため息を吐いて男性の前へ移動した。

 

「曲がってるわ」

「……すまん」

「どういたしまして……うん、これで良し」

「シンジはどうしてる?」

「とっくに式場へ向かいました。今日は待ちに待った結婚式なんですから」

 

 そう言って女性は視線をある場所へ向ける。そこには、あの日七人で撮った写真を始めとした、いくつもの思い出が飾られている。その中の一つであり、彼女にとって忘れられない一枚が納められた写真立てを手に取って女性は微笑む。

 

「本当に、時間の経つのは早いものね」

 

 そこに写るのは、シンジとゲンドウ、そして二人に寄り添うユイの姿。

 

「もう、一年以上になるのか。お前を、ユイをサルベージして」

「ええ、もう季節が巡りまた始まるのを見る事なんてないと、そう思っていたけれどね」

 

 ゲンドウとユイは揃って写真を見つめて遠い目をした。あのアダムとの戦いが終わり、ゲンドウはかつての念願だった初号機コアからのユイのサルベージを成功させた。そして、同時に弐号機コアのサルベージが行われた。アスカの強い希望で。

 

―――ママを、人として看取ってあげたいの。

 

 既に肉体が失われている以上、コアからサルベージする事は死を意味する。だけど、放っておいてもいずれ死んでしまう。あの戦いでアダムは消滅した。いや、リリスとアダムという生命の始祖は共に消えたのだ。その分身であるエヴァも、ゆっくりとではあるが衰弱を始めている事をアスカは直感で察していた。

 

「キョウコさんは、喜んでいたそうだな」

「ええ、最期に私は彼女の声を聞いたわ。せめて式だけでも見たかったともね。あの子も、アスカちゃんも聞こえたはずよ」

 

 惣流・キョウコ・ツェッペリンのサルベージは成功した。そうユイとアスカは断言した。その証拠に、その後アスカが弐号機へ乗っても何の反応も返さなかったのだ。

 

「子に看取られて眠るのが親の最後の仕事だ。私もそうありたい」

「そうね。逆は絶対に嫌だわ。こう考えると、私は抜けていた。アナタやシンジの死を、下手をすればその子供達さえ見送っていく事になったのだから」

「仕方ないだろう。お前も私と一緒で肝心なところを見落としがちだ」

「ふふっ、本当に。母親失格だったわ」

 

 そう言ってゲンドウの方へもたれかかるユイ。その温もりと匂いにゲンドウが小さく笑みを浮かべ優しく抱き締める。

 

「それを言うなら私も父親失格だった。似た者夫婦とは良く言った物だな」

「……なら、トンビが鷹を産んだのかしら」

「そうかもしれない。あるいは、私達もそうなれたからかもしれん」

「可能性は無限大。人の未来は誰にも分からない。希望、奇跡、それが詰まっているのが人間ですものね」

「ああ」

 

 そこでゲンドウが時計へ目をやった。そろそろ式場へ向かわないと不味いと思われる時刻となっている。

 

「ユイ、そろそろ行こう。私達が遅刻する訳にはいかない」

「そうね。あっ、忘れ物はない?」

「抜かりない。フィルムもバッテリーも十分だ」

「もうっ、そういう時だけはしっかりしてるんだから……」

 

 呆れるように、だけど愛おしそうに言ってユイはハンドバッグを手にした。ややくたびれた感じのするそれは、彼女がサルベージされた当日にシンジから送られた最初のプレゼント。

 

―――今まで何も出来なかったからさ。

 

 十四年分の母の日の贈り物。それにユイは感極まって涙を流し、シンジとゲンドウに早速の忘れられない思い出を贈り返すという一幕を見せた。

 

「お待たせ」

「ああ、行こう」

 

 ゲンドウの黒い革靴も、少々使い古された感があった。それもシンジからの贈り物。十五年分の父の日のプレゼントだった。物が物だけにサプライズとはいかなかったが、初めての息子からの贈り物にゲンドウは値段を気にしてシンジにため息を吐かれ、ユイに苦笑された事を記す。

 

 一方、その二人が向かおうとしている式場では、思いがけない繋がりが出来た事で会話に花が咲いていた。

 

「まさかあの子のお姉ちゃんとはなぁ」

「わ、私も驚きでした。まさか青葉さんが妹と知り合いだったなんて……」

 

 シゲルの隣で少し照れているパーティードレスを着た眼鏡の女性。その名は洞木コダマ。ヒカリの姉である大学生だ。シゲルが訪れたライブハウスに友人と来ており、そこで彼とぶつかった際に持っていたドリンクをかけてしまった事が切っ掛けで繋がりが生まれていたのだ。

 

「知り合いって言うか、まぁ互いの顔は知ってるぐらいだけどな」

「あたしも驚いたよ。まさかお姉ちゃんが言ってたギターの男の人が青葉さんなんて……」

「いやぁ、世間は狭いちゅう事やな」

 

 高校の制服を着たヒカリとトウジ。無事二人揃って同じ高校へ進学し、今や恋人繋ぎで登校する仲である。少しだけあの頃よりも大人びた容姿に、シゲルだけでなくマコトやマヤも微笑みを浮かべた。

 

「でも、どうしてお姉ちゃんもここに?」

「あー、俺が頼んだんだよ。ほら、そこにいるだろ? 見せつけるように腕を組んでる奴が」

「別にいいだろ。その、付き合っているんだから」

「そうですよ。マコトさんと腕を組んで何がいけないんですか? ね、マコトさん」

 

 嬉しそうなマヤに笑みを返して頷くマコトを見て、シゲルが「な?」と呟いてため息を吐いた。それだけでトウジ達も理解した。要するに一人では辛いので、せめて体裁だけでもカップルになりたかったのだろうと。だからだろう。少しだけ苦笑するとコダマはシゲルの隣に近寄った。

 

「じゃ、今だけ恋人にしてくれますか?」

「……いいのか?」

「はい。その、見ての通り、私って少し地味だから男の人にあまり声を掛けられた事なくって」

 

 その様子を眺め、トウジとヒカリは微妙な表情を浮かべていた。どう見ても互いに多少意識しているように見えるからだ。

 

「な、これ知ったらサクラとノゾミ、何て言うやろ?」

「……きっと二人してお兄ちゃんが増えるって大喜びじゃない?」

「親父達は複雑やろうけどな」

「どうだろ。こんな時代だし、産めよ増やせよだもん。歓迎するよ、表向きは」

 

 その最後の一言にトウジも納得するように息を吐いて視線を周囲へ向ける。まだ、影の主役とも言える存在が到着していない事に気付いているのだ。

 

「な、ヒカリの方には連絡きたか?」

「ううん。カヲルからは相田と一緒に行くって来たけど……もしかして直接控室に行ってるんじゃ?」

「ならええわ。ワイの方にはサクラからのお土産よろしくしか来とらんし」

「引き出物?」

「しかないやろ。結婚式場やぞ」

 

 呆れるように返すトウジにヒカリも苦笑する。と、そこへ現れる一組の男女。

 

「よ、久しぶり」

「ケンスケか……て、何で正装しとんのや」

「やぁヒカリ。久しぶり」

「カヲル、久しぶり! わぁ、そのドレス似合ってるね! どこで買ったの?」

 

 共に正装のケンスケとカヲルに両極端な反応を示す男女。ともあれ、ケンスケの方はトウジの意見に同意するように頷き、カヲルを指さした。彼女は淡いピンクのドレスを着ていて、似た色のルージュさえ引いてとても綺麗な仕上がりとなっている。それでトウジも察した。これはカヲルに合わせるためにケンスケなりに努力した結果だと。

 

「俺は制服でいいって言ったんだ。そしたらカヲルの奴、結婚式の正装ってものを調べたらしくてさ」

「……お疲れさん」

「いいんだ。俺もカヲルの着飾ったとこ見たいって思っちまったし。トウジ、あいつどんどん女っぽくなるんだ。見かけだけじゃない。最近じゃ手芸にハマり出してさ、俺のマフラー編み出してんだよ」

「あー、ヒカリも前やっとったわ。ただ、ワイやなくてサクラとノゾミにやったけど」

 

 彼らが初めて迎えた冬は、それまでの反動かとても寒く感じたのだ。なのでそれを踏まえヒカリが二人の妹にと手編みのマフラーを編んでいた。受験で大変にも関わらず、見事二つのマフラーを編み上げたヒカリにトウジは本気で惚れ直したのだから。男子二人がそこからさり気無く彼女の惚気を始める一方、ヒカリはカヲルからある相談を受けていた。

 

「え? まだキスしてくれないの?」

「そうなんだ。僕は構わないんだけど、ケンスケ君が気になるみたいで……」

 

 付き合い出して一年以上が経ち、あの戦い直後に比べ体つきなどもすっかり女性らしくなったカヲルであったが、ケンスケにとっては未だにどこかで、元は男という想いが過ぎるのだ。そのため、この一年以上で出来たのは手を繋ぐが精一杯という有様である。

 

「あー、相田ってそういうとこ神経質っぽいもんね」

「うん。僕が女性らしい口調じゃないからかなと思ったんだけど……」

「相田がそうじゃないって?」

 

 小さく頷くカヲルを見て、ヒカリはどうしたものかと考える。こういうところで女性は現実的だ。今カヲルは女性で、しかもスタイルだってあの中学時代の女性陣四人の中では一番なのだ。ならば気にする必要はないだろうとヒカリは思っていた。同じ女性として羨ましい程の美貌の持ち主。それが今の渚カヲルなのだから。

 

「うん、じゃあ言ってあげた方がいいよ。カヲルがこうなったのは相田のためだって」

「……ケンスケ君のため?」

「そ。たしか、あの頃カヲルが聞いたんでしょ? どうしたら怪物を受け入れてくれるかって。で、相田の奴が可愛い彼女になってくれるならって返した」

「そうだよ。だから僕は」

「そこだよ。カヲル、やっぱりレイと似てるよね。それ、ちゃんと相田へ言った? 自分が女の子になったのは、ケンスケに受け入れてもらいたいからだって」

「…………言ってないね」

「じゃ、それ言ってきなよ。それでもまだうじうじするなら、別れて他の人探した方がいいかも」

 

 そのはっきりとした意見にアスカの姿を幻視し、カヲルは小さく驚いた後で苦笑して頷いた。そのまま彼女はトウジとケンスケの傍へと歩き出す。その背を見送り、ヒカリは微笑んだ。

 

―――ま、相田も本当はそうなりたいんだろうしね。

 

 同時刻、式場の新郎控室には、タキシード姿の加持と正装したシンジの姿があった。ただし、彼の場合は仕方なくではない。本人の意思でそれを着ていた。それだけこの式は彼にとって重要なのだ。

 

「遅いなぁ……父さんも母さんも分かってるのかな?」

「心配いらないさ。ご両親はこちらへ向かってるとさっきリっちゃんから聞いたよ」

「ならいいんですけど……」

 

 高校生となり、シンジは体つきがより男らしくなっていた。背も伸び、180が見え始めている程だ。彼は知らない。そこにあの戦いでの経験値が影響しているなどと。

 

「それより、新婦の方は見に行かなくていいのか?」

「さっき言ったら何故かダメ出しされました。ったく、ミサトさんもケチですよね」

「何故か俺もダメって言われたからなぁ。まぁ、出来るだけもったいぶりたいんだろうさ。女性にとっては、一生で一度の晴れ姿だからな」

「……二度や三度になる人もいるみたいですけど?」

「それは……いいものは何度だっていいって事さ」

 

 ジト目のシンジに軽い笑みで返し、加持は部屋の時計を見る。式まで残り30分を切っていた。

 

「そろそろいいだろ。シンジ君、もう一度行ってきたらどうだ? 俺は絶対に君より後にしか見せないと言われたし」

「……そうします」

 

 どこか不承不承ながらも、滲み出る期待感は隠せない。それを察して加持は一人苦笑した。こんな日が来るとは思っていなかったからだ。あの戦いの日々。それをこんな形で乗り越え、未来を引き寄せるとは誰が予想出来ただろうかと。

 

「いや、だからこそか。誰も予想しえない未来だからこそ、彼は願った訳で」

 

 一部の者達しか知らないサードインパクトの事実。それを明らかにする日はきっと来ない。何せ、一つ間違えば世界を滅ぼしていたのだ。その事を知るからこそ、彼らは誰も口を開く事はしない。そして世界もそれを知りたいとは思っていないのだ。みな、その日その日を平和に、幸せに暮らせればそれでいい。例え奇跡が起きたともしても、大事なのはそれが自分達に不幸とならないか否かだけ。

 

「……真実を知りたいと思う奴より、真実が自分にどう影響するかの方が気になる奴ばかりだもんな」

 

 噛み締めるように呟いて加持は窓から空を見上げた。梅雨の時期にしては珍しい程の快晴。まさしく今日の式を祝福するようだ。そう思って彼は小さく笑う。

 

 一方、新婦控室前ではシンジがやはり足止めを食らっていた。彼を阻むように、ドアの前に水色のドレスを着て髪を短くした金髪のリツコが立っているからだ。

 

「どうしてもダメなんですか?」

「ええ。ごめんなさいね。どうしてもシンジ君にだってギリギリまで見せたくないって」

 

 苦笑いのリツコにシンジはため息を吐いた。彼が一番顔を見たい二人は部屋の中なのだ。それを分かっていてミサトは入室を拒み、あの彼女達にさえ手洗い以外の退室を認めていないのだから。

 

「いいですよ。なら本番まで待ちます」

「そうして頂戴。後でミサトには私から言っておくわ」

「お願いします」

 

 諦めるように息を吐いてシンジは式を行う教会まで移動を開始する。そろそろ他の者達もそうしているからだ。途中で加持へ声を掛けようかと思ったが、別に気にする必要はないと判断してそのまま彼はその場を去った。その背中を見送り、リツコは小さく息を吐いてドアを開ける。

 

「ホントに良かったの? シンジ君、結構凹んでたわよ?」

「いいの。シンちゃんには後でアッと驚いてもらわないといけないんだから」

「ミサトって、ホント子供みたいなとこあるわよね」

「だけど、ミサトさんらしいわ」

 

 戸籍上リツコの娘となり、レイはミサトの事を苗字ではなく名前で呼ぶようになった。母と親友であるミサトとの距離も以前よりも近付いたからである。そんな柔らかく笑うレイを見て、ミサトは嬉しそうに笑顔を返した。

 

「ありがとレイ。そのドレス、似合ってるわ」

「ちょっとミサト、あたしは?」

「はいはい。アスカも似合ってるわよ」

 

 それぞれのイメージカラーで染め上げられたドレスを着たアスカとレイにミサトは笑顔を浮かべる。高校生となり、二人もまたそれぞれに女性らしさを増していた。

 

 アスカは髪を後ろで束ねポニーテールにするようになり、西洋の血が入っているためか、出るとこは出て引っ込むべきとこは引っ込む理想的な体型となっていた。レイはアスカに比べれば髪型などの分かり易い変化はない。ただ、大人しい外見ではあるが、どこかミステリアスな雰囲気は残っていて、文学少女がゆっくり大人へ向かっているようなそんな成長を遂げていた。

 

 更に化粧も覚えたためか、アスカもレイも実年齢以上に思われる事も増え、二人で外出するとナンパされる事が多いとのボヤキを彼氏に聞かせているのだ。実際は、そう言う事でシンジにヤキモチを焼いて欲しいとの女心であるが。そんな三人を眺め、リツコは視線を時計へ向ける。

 

「ミサト、そろそろ」

「あら、ホント。じゃ、二人共また後でね」

「ええ」

「はい」

 

 こうして女性陣の方も主役を残して移動を開始。式の開始まで残り15分程度。となれば教会内に参加者達が移動している。そこには、碇夫妻の姿もあった。そして、彼の姿も。

 

「冬月先生、ご無沙汰しています」

「ユイ君も元気そうで何よりだよ。碇、困らせていないだろうな?」

「ええ。そんな事をすれば晩の食事が一品減ります」

「ほう」

「もうっ! 余計な事言わないの」

 

 仲睦まじい二人を見て冬月は確信していた。あの頃の二人は、やはりどこか夫婦になっていなかったのだと。今のような家庭を窺わせるようなやり取りなど皆無であったからだ。それを実現させたのがシンジであると考え、彼は噛み締めるように呟いた。

 

「子は鎹とはよく言ったものだ……」

「「はい?」」

「いや、こちらの話だ。それにしても、まるで同窓会のようだな」

 

 周囲の様子を眺め、冬月がどこか苦笑して告げる。それにゲンドウとユイも同意するように頷いた。シンジの友人達とはまず会わないし、その彼らさえ毎日顔を合わすとは限らない。何より、冬月のようにネルフを辞め教職に戻るなど、そもそも会う機会が無くなった者達とて少なくないのだ。と、冬月の目がある者達で止まった。

 

「彼らは……」

「あの時の指揮官とその同僚達ですよ。今、葛城君は戦自の方で教鞭を取っていますから」

「あの方とはその時からのご縁で、後は教え子みたいなものだそうです」

「そうか。そういえばそうだったな」

 

 納得するように頷き、冬月は視線を前へ向ける。そこには当然のように十字架があった。

 

「……何というか、あの頃のおかげで複雑な気分になるな」

「同感です」

「アナタ、そこまでに。先生もです」

 

 ユイのつり上がった目に二人は大人しく黙った。今日はめでたい日なのだから、それに水を差すような事を言うな。そんな声をたしかに感じ取って。やがてそこにリツコが姿を見せる。共に来るはずの相手は、どうやら途中で別れたようだ。彼女はそのまま一人分だけ場所を開け椅子に座った。おそらくそこが彼女の場所なのだろう。と、その姿を目ざとく見つけたのか、加持がその隣へ座る。

 

「リっちゃんだけ?」

「ええ。向こうは少し喋ってるわ」

 

 そう言ってリツコは入口の方を見た。そこは当然ながら閉まっている。きっとその前で話しているのだ。加持もそれを察したのだろう。無理もないとばかりに苦笑した。

 

「ま、今日やっと顔を合わせたからなぁ」

「リョウちゃんはいいの? 結構気合入れてたけど」

「俺はそこまで。本命は別にある」

「そう。なら、決められた場所へ行きなさい。そこは貴方の場所じゃないの」

「へいへい。娘が出来てからリっちゃんがつれないわ」

 

 ヒラヒラと手を振って加持は椅子から立ち上がる。その背を見送り、リツコは手元の時計を見た。式が始まるまで後5分を切っている。チラリと後ろを見て彼女は苦笑する。

 

―――話しこんで時間を忘れてなければいいけど。

 

 その心配されている彼女は時間こそ忘れていなかったが、少々緊張はしていた。

 

「シンちゃん、大丈夫かしら? 変なとこない?」

「大丈夫ですよ。その問いかけ、これで三回目ですよミサトさん」

「そ、そうよね。あー、やっぱ慣れない格好するとダメね」

「でも、綺麗ですよ」

「ん。ありがと。シンちゃんも決まってるわ、それ」

 

 あの頃はシンジが見上げミサトへ合わせた視線。それが、今や少しだけミサトが見上げる側だ。そこに確かな時間の流れを感じ、彼女は微笑む。初めて出会った頃は少年だった。それが、もう青年になりつつある。きっと、このまま彼は立派な大人になり、やがて家庭を持ち、子を育てていくのだろう。

 

(早いものね。彼と出会った日が、昨日の事のようだわ……)

 

 おかえりとただいま。それを互いに言い合って始まったあの生活。気付けば姉弟のようにも思い合っていた二人。それが、今人生の門出を迎え、片やそれを送り出し、片やそれを歩むのだ。あれからまだ五年と経っていない。だけど、感覚的にはそれぐらいの時間が流れたようにミサトには思えた。

 

「じゃ、そろそろ行きましょうか」

「はい」

 

 その言葉を合図に教会のドアが開いた。参加者達の視線が一斉に二人へ向けられる。その中をシンジと腕を組みながら純白のドレスを着たミサトが静々と歩く。そのドレスの裾をアスカとレイが持ち上げて。父親を亡くしたミサトは、バージンロードを弟にも思っていたシンジに頼んだのだ。やがて二人が加持の前まで近付き、それを合図にシンジはミサトから静かに離れる。

 

「加持さん、ミサトさんを、僕の姉さんをよろしくお願いします」

「シンちゃん……っ!」

「ああ、確かに引き受けた。必ず幸せにするよ」

 

 シンジの言葉に瞳を潤ませ口元を抑えるミサト。その肩をそっと抱き寄せ、加持は真剣な表情で言葉を返す。それに嬉しそうに頷き、ゲンドウとユイのいる場所へ素早く座る。リツコの隣にはレイとアスカが座り、これで全員が席に着いた。そこからは厳かな流れで式が進む。誓いの言葉に指輪の交換。そして誓いの口づけ。その度に女性からはため息が漏れ、男性達はそれぞれの反応を返す。ただ、未だにカヲルはそれとずれているようで、小首を傾げてケンスケがため息を漏らす事になっていたが。

 

 そして、遂にその時は訪れる。そう、花嫁のブーケトス。やる気溢れるアスカ、密かに両手を握るヒカリ、揃って首を傾げるレイとカヲルと、戸惑いながらも参加するつもりのマヤとコダマ。それらを既に結婚したミサトの友人達とリツコが微笑ましく見守る。

 

「な、何かすごいな……」

 

 異様な雰囲気さえ感じる光景にシンジが若干引きつった顔をする。すると、気持ちは分かるのかケンスケとトウジも似た顔をしていた。

 

「ま、女性にとっての最後のお楽しみみたいなもんだからな」

「たしか、受け取った奴が次に結婚出来るやったか?」

「一応そう言われてるね」

 

 三人の話にマコトがそう相槌を入れた。彼は引きつってはいないが、苦笑はしている。何せ彼女がその中にいるからだ。まだ結婚のけの字も出した事はないが、それを考えているのかと複雑な気持ちにはなったからだ。だが、シゲルは違った。彼は何故そこにコダマがいるのかを察していた。

 

「ありゃ、コダマちゃんは雰囲気に押された感じだな」

「マヤちゃんもそうだと思う。だけど……」

「どこかで思ってるかも、だろ? ま、視野に入れたらどうだ? 同棲してんだろ?」

「ルームシェアだ。その、それに彼女もまだそこまでは……」

「あぁ、そういや彼女、元々潔癖症だっけか」

 

 力無く頷くマコトの肩をそっとシゲルが叩く。どこかで、本当の意味でのゴールインは自分が早いかもしれないと思いつつ、彼は小さく呟いた。

 

「また、今度飲もうぜ。安くてイイ店、探しとくわ」

「……悪いな」

 

 ひょんな事から始まった友情は、未だに切れる事なく続いている。と、そこへ加持と腕を組んだミサトが姿を見せる。それだけで一部の女性陣に緊張が走った。それを感じ取ったのか、ミサトはどこか楽しそうに笑うと手にしたブーケを掲げた。

 

「いい? いくわよ? それっ!」

 

 投げ放たれたブーケを掴もうとアスカが必死に手を伸ばす。いつかの約束を果たすために。だが、そんな彼女を阻む手がある。ヒカリとカヲルであった。カヲルはブーケの意味をヒカリから教えてもらい、ならばと参加を決めたのだ。

 

「ちょっとっ! 邪魔しないでよ!」

「あ、あたしだってトウジのお嫁さんになりたいんだもんっ!」

「僕もケンスケ君にもっと意識してもらいたいからね」

「こんのぉっ!」

 

 親友だろうとこの時ばかりは敵である。そんな気迫を漲らせるアスカにマヤとコダマは苦笑い。

 

「どうします?」

「来たら受け取る、かな?」

 

 とてもではないがあの三人程の熱意はない。と、その二人の見ている前でブーケがアスカ達の手へと落ちていく。それはそのままアスカの手が掴むかと、そう思われた。

 

「よっしゃあっ!」

 

 勝利を確信し、ブーケを掴もうとした次の瞬間、あろう事かアスカの手が滑るようにそれを掴み損ねる。そしてそれによってブーケは動きを変えて、ただその光景を注視していたレイの手へと落ちた。

 

「? 何?」

 

 反射的に受け取り、ブーケを見つめるレイ。全員の視線が向いている事に気付き、不思議そうに小首を傾げた。

 

「うん、レイ。それ持ってこっち来なさい」

「分かったわ」

 

 アスカに手招きされ、ブーケを持ったまま彼女へ近寄るレイ。そしてその耳元へアスカが何事か囁くと、少しだけ顔を赤めて頷いた。

 

「じゃ、行くわよ」

「ええ」

 

 ブーケを二人で持ち、彼女達はある人物を目指して歩き出す。それだけで全てを悟り、女性陣は笑みを浮かべ、男性陣は苦笑し、その視線の先にいるシンジは目を丸くしていた。

 

「あ、アスカ? 綾波も……どういう事?」

「鈍いわね、バカシンジ」

「碇君も私やカヲルの事を言えないわ」

 

 共に小さく笑みを零すと二人は揃ってブーケをシンジへ差し出した。

 

「「結婚してください」」

 

 まさかの逆プロポーズ。だが、シンジはそれを聞いて困ったように頬を掻くとブーケを受け取り、そこから白いバラを二本取り出すとブーケを地面へ置いた。そして白バラをそれぞれへ差し出して告げる。

 

「なら、これが僕の気持ちだよ。受け取ってくれる?」

 

 言葉と共に差し出されたバラを見て、アスカが瞳を潤ませてバラを手にした。だがどこか理解出来ていないレイを見て、ユイがその花言葉を教えた。

 

「レイちゃん、白バラは私はあなたに相応しいって意味があるの。シンジなりの返事よ」

 

 その瞬間、レイも意味を理解し瞳を潤ませて頷きながらバラを手にする。その瞬間、全員が一斉に歓声を上げる。

 

「おめでとう、シンジ君」

「おめでとう、アスカ」

「おめでとう、レイ」

 

 加持、ミサト、リツコが拍手を送る。

 

「おめでとう! シンジっ!」

「綾波もおめでとう!」

「アスカ、おめでとうっ!」

「おめでとう、三人共」

 

 ケンスケ、トウジ、ヒカリにカヲルも拍手を送る。

 

「おめでとう」

「おめでとうっ!」

「おめでとう!」

 

 マコト、シゲル、マヤも拍手を送る。

 

「みんな、おめでとう!」

「おめでとう」

「おめでとう」

 

 コダマや戦自隊員達にミサトの友人達さえも拍手を送り、一部は指笛を吹き鳴らす。

 

「おめでとう、若人達よ」

「おめでとう」

「おめでとう」

 

 冬月、ゲンドウ、ユイも拍手を送る。それを受けて、シンジ達は顔を見合わせ頷いた。

 

「「「ありがとうっ!」」」

 

 大人達に感謝を。友人達にも感謝を。全ての人々に心からのありがとう。それを告げるようにシンジ達は満面の笑顔で答えた。鳴り響く拍手の中、ケンスケとトウジに揉みくちゃにされるシンジと、ヒカリやカヲルに改めてお祝いを述べられるアスカとレイを見つめ、ゲンドウは小さく苦笑した。

 

「しかし、どこであんな気障な受け答えを学んだんだ、シンジの奴は」

「ミサトちゃんがお姉さんみたいだって言うなら、お兄さんからじゃない?」

「お兄さん?」

 

 ユイの言葉にゲンドウは疑問符を浮かべるも、すぐにある人物へ視線を向ける。すると、加持はその視線に気付いて申し訳なさそうな表情を返した。それがいつかの加持を思い出させ、ゲンドウは一瞬面食らうもすぐに楽しそうに笑った。

 

「そうか。リョウジ君が兄か」

「ええ、ミサトちゃんが姉でリョウジ君が兄。貴方が父になるまで、あの二人がシンジの親代わりをしてくれたのよ」

「……だから仲人を引き受けようと言ったのか」

「いけなかった?」

「いや、そう考えればむしろ義理の子供達の仲人だ。私達以外に渡すつもりはない」

「あら、現金な人」

 

 楽しげに笑うユイにゲンドウも笑みを浮かべる。ふと、そこでゲンドウはある事に気付いて更に笑みを深くした。この分だと、シンジ達の結婚式はその二人が仲人になるからだ。家族ぐるみの付き合いは続きそうだ。そう思ってゲンドウはユイへ視線を向ける。

 

「ユイ、シンジの奴は一人暮らしを考えていたな」

「ええ。出来れば高校卒業したらって」

「アスカ君のご両親や赤木君と一度話をするか。その方がいい」

「……はぁ~、相変わらずこうと決めたら行動が早いんだから」

 

 呆れるように告げ、ユイはゲンドウを置いて披露宴会場へと歩き出す。

 

「お、おい……」

「アスカちゃんのご両親への相談は今じゃなくてもいいでしょう? 今はミサトちゃん達の式が優先です。あと、リっちゃんの事はまだ許した訳じゃないですからね?」

 

 一度だけ振り返り、そう言い放つや再び歩き出すユイにゲンドウは立ち尽くす。そんな彼の肩を冬月が軽く叩いて笑った。

 

「碇、お前に先人の有難い教えをくれてやる。母は強し、だ」

「…………そのようです」

 

 力無く項垂れるゲンドウに冬月は大いに笑った。その様子を離れた場所で見ていたシンジは嬉しそうに笑っていた。高校進学と同時に、シンジはゲンドウから彼の不倫について明かされていたのだ。

 

―――リツコさんやそのお母さんと……。

―――ああ。私はそういう事をしていた。

―――母さんはこの事を……

―――知っている。覚えているか? サルベージされてしばらく、ユイが私に口をきいてくれなかった事を。

―――あれ、そういう事だったの? てっきり色んな事であまり喋りたくないだけかと……。

 

 そう、あのレイがやった怒りの表し方はユイ譲りだったのだ。それにその時気付き、シンジは複雑な気分になった事を今でも覚えている。それから考えれば、今の二人はとても仲睦まじく彼には見えるのだ。一時期など、歳の離れた弟か妹が出来るのではないかと思った程に。

 

「どうしたのよ?」

「何か面白い事でもあった?」

「うん、あれ」

 

 そう言ってシンジが指さす先には項垂れるゲンドウと話す冬月の姿。それにアスカとレイも小さく笑う。

 

「あれやったの、シンジのママでしょ?」

「しかいないよ」

「ユイさん、相変わらずゲンドウさんより強いのね」

「まあね」

 

 二人に抱き着かれても、今のシンジは狼狽えなかった。何せ大勢の前で公開プロポーズをしたようなものだ。しかも、いつか加持から聞いた女を口説く時に使える花言葉を利用して。後で加持に礼を言おうと、そうシンジが考えているとアスカが無意識だろう小声で呟いた。

 

―――あたし達も結婚したらああなるのかな?

 

 それにシンジは自然とこう返す。

 

―――さあ? 僕らは僕らのなるようにしかならないよ。

 

 するとレイがこう締め括った。

 

―――きっとあの時みたいになるわ。

 

 それが何を意味しているかを察し、シンジもアスカも苦笑しながら頷いた。あの共同生活。あれの延長線だと理解したのである。こうして三人も披露宴会場へと歩き出す。が、何故かその手は繋がれていない。代わりに腕を組んでいた。もう、恋人は終わったからだ。これからは婚約者。まだ三人の関係性は変化していくのだから。

 

「そうだ。シンジ、一つだけ約束して欲しいの」

「約束?」

「ええ、約束。家は最低でも二階建て」

「え?」

「で、子供部屋は最低二つ。一つはあたしの子供で、もう一つがレイの」

「ちょ、ちょっと」

「それと、お母さんと一緒に暮らしたいから私室は最低五つ?」

「最低なら四つでいいわ。寝室は三人一緒でいいじゃない」

「待ってよ! いくら何でもっ!」

 

 そう困惑しつつシンジが文句を言おうとすると、二人は足を止めて振り向いた。その青と赤の瞳が彼を見つめる。それがいつかの記憶をシンジへ呼び覚まして思わず彼は息を呑む。そんな彼に気付いたのか、アスカとレイはどこか不思議そうに、だけど笑顔で問いかける。

 

「「何?」」

「っ!? ……何でもない……」

 

 勝てない。そう思ってしまったのだ。いつかとまったく逆である。誰かが言った。夫婦円満の秘訣は奥さんの言う事に逆らわない事。彼も、知らずそれを実行するのだろう。だが、それでもいざとなれば彼は二人の奥さんを止める事が出来る。言う事に逆らわないのと、ただ従うのは似て非なる事だからだ。

 

―――シンジ、あっちの初めてはちゃんとあたしに渡しなさいよ?

―――な、何言ってんだよアスカ!

―――ふふっ……碇君、あっちのってどういう意味?

―――あ、綾波も分かってるよね、その顔!

 

 意地っ張りなお日様と寂しがり屋のお月様は、優しく輝くお星様に恋をした。何故なら彼は、それぞれの光でそれぞれに合わせた輝きを返してくれるから。だけど、気付けばそのお星様はお日様とお月様に恋をして、一緒に並んで輝く事を選びましたとさ。めでたしめでたし。

 

新戦記エヴァンゲリオン 最終回「お星様とお月様とお日様のお話」完




最終回というよりアフターですかね? あるいはエピローグ? TVアニメ的に例えるなら、本放送は前回で終わり。今回のは販売用に作られた話ってとこですかね?

まだサルファ世界のシンジ君とユイさんのやり取りとか、碇家と葛城家の話とか、シンジ達三人のちょっとエロさも混じった共同生活とか、書きたい事や書いてみたい事はありますが、これはここで終わるのが綺麗かと思います。

……そちらは、気が向いたら別のタイトルで書いてみますね。

とにかく、今までご愛読ありがとうございました。拙作製造機の次回作に期待しないでください。


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