緋色の羽の忘れ物 (こころん)
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第一章 霧烟る街での処"生"術
第一話


 聳え立つ無数の摩天楼。ひとつとして平凡、あるいは他と同じ意匠を持たぬ独特な建造物群は"外"ではあまり――否。絶対にお目にかかれない光景だろう。なにせそれらは外観だけでなく"上"という概念すら共有していない。常識を、あるいは重力の軛をあざ笑うかのように左右へ、あるいは上から下へと背を伸ばしているのだ。

 天地を無視した異様な光景。だがそもそも、天とは何処だ? 上が、星が、空が見える方向が天だと、そう言うのであればここに天は無い。霧が、白い霧が全てを覆っているからだ。霧は空と街並みと、そこに生きる明らかに人ではない多数の影を内包し何処までも続いている。この一帯を、更に先を、そして都市全体を。

 人類の常識を超越した霧烟る都市、その名をヘルサレムズ・ロット。かつてNYと呼ばれたこの都市は、今や人界と異界の重なる特異点として混沌を生み出し続けている。

 

 

 

 

 

 

 

『――――あなたが歩く人生の小路に小さく咲く花のように、咲いては消える歌の数々』

 

 左右のみならず上下にもねじ曲がり、更には中空に浮かぶ道路を凄まじい速度で走る数台のジープ。いずれの車体にも汚れが目立つが、特に先頭を行く屋根付きのそれは一段と酷い。黒や茶、赤で染め上げられた車体は迷彩を施したかの如くで、元の色などわからない状態。加えて塗料もよろしくない。泥や煤も勿論だが、血で汚れた車体を好む者などまずいないのだから。

 

『人界から異界から、あなたの1枚の葉書が、電話リクエストが、そしてHL(ヘルサレムズ・ロット)中の第一線の音楽ディレクターが、音楽評論家が、集められたCDの売り上げが……』

 

 見れば車群は一つの集団でなく、先頭のそれを残りが追う形。しかも追跡者達は荷台や窓から身を乗り出し、絶え間なくマズルフラッシュを輝かせている。HLではそう珍しくない光景とはいえ、これが単なるレースであるはずもなし。追われる側はいつ命諸共コースアウトしてもおかしくない危機的な状況と言える。

 

『それら全ての資料を基に巨大なコンピュータがはじき出した、最も充実した、最も信頼できる。動く、動く!! HL歌謡ベストテェェェン!!』

 

 が、この場においてそれはあくまで第三者の感想に過ぎないだろう。というのも先頭車両の運転席、片手でハンドルを切りつつカーラジオの音量調整に勤しむ黒髪の男。型落ち・低品質・無点検の三重苦を背負ったそれに悪戦苦闘する彼の顔に焦りや恐怖の色は全く無いのだから。

 だが如何に肝が太かろうと、半ば骨董品と化したラジオには敵わなかったと見える。男は少し納得のいかない顔をしつつも作業を切り上げ、後部座席でいかにも怯えていますとばかりに身体を丸めて座る眼鏡にスーツの中年男性に声をかけた。

 

「博士、少々騒がしいですがベストテンでもいいですか? ストストがやってればよかったんですけどね」

「え、ああ……たまに聞くしそれで構わんよ。WHLミストストリームはもう終わってるからね。いやッ、それよりも――」

「それはよかった。いや、ベストテンも良い番組なんですよ」

 

 怯え混じりの大声を遮るように言った黒髪の男は苦笑しながらただね、と続ける。

 

「ランキング形式だと人間じゃあ何歌ってるかわからない、どころか聞こえない音域の曲まで混じってしまうから不評なことも多くて」

 

 その言葉に応えた訳でもあるまいが、事実ラジオから流れ始めた一曲目は慣れていない人間には金属音にしか聞こえない。ラジオパーソナリティの言を信じるならラブソングであるそれを聞きつつ、博士と呼ばれた男は再度問いかける。

 

「実にHLらしい番組と言えるね。あの、それはそうとこの状況なのだが……ひっ! だ、だだ大丈夫なのかね!?」

 

 曲への合いの手よろしく車体と凶弾によって奏でられる金属音。それに怯えつつも、先程よりは落ち着いた声音で話す博士に男はルームミラーを調整しつつ返す。

 

「そこはご心配なく。なにせ連中は自分達で使う銃を基準に防弾対策してます。奪ったこれもそうだし、私の技で補強もしてる。距離がある分には万全ですよ」

 

 自信に満ちた男の声に余裕が出たのか、恐る恐るとはいえ背後を振り返る博士。先程まで意識すらしなかったが、なるほど確かに車体後部に風穴は見当たらず、それどころか窓すら割れていない。驚きつつ目を凝らせば窓には外が見える程度の、注意しなければ見えない程に薄い赤色の膜が張られており、今まさに銃弾を弾き返したのか火花を散らせていた。

 

「おお、凄いな……。ということは君は、ええと……疎いので間違っていたらすまないが、術士というやつなのか?」

 

 問いに対し男は胸元の名刺入れから一枚の名刺を取り出す。博士が振り向き運転を気にしつつ受け取ったそれには『Smaragd GmbH』に始まり事業内容や役職、称号、連絡先等が記されている。一見何の変哲も無い名刺だが、ひとつだけ目を引く部分があった。

 

「ヘルメス流……錬血術?」

「Genau!――ご挨拶が遅れましたが、コルネリウス・コルバッハと申します。小さな書店のオーナーと便利屋、ついでにヴァンパイアハンターやってます」

 

 

 

 

 

 

 

 車体を覆う赤い結界は『念』により強化された血液から成っており、辛うじて有効射程に入っている程度の銃弾の貫通を許すものではない。

 しかし悲しいかな、追手には学習能力という概念が欠如しているようだ。彼等は攻撃の成果が一向に現れないのに銃弾の浪費をやめようとはしなかった。結界に直撃しても軽い音と火花を残すだけの弾丸を見ている内に博士も余裕を取り戻し、今は道路脇の天から生えるビル群を物珍しそうに眺めている。

 

「しかし冗談のような光景だな……私は対岸住まいでHLに詳しい訳ではないが、人ならざる存在が闊歩することを除けば普通の街と言えなくもないと思っていたのだが」

「"外"にお住まいでしたか。まぁここは結構深い区域ですから例外ですよ。それに異界存在だって物理法則が仕事してる場所を好みますし、人間とそう変わらないのも多い」

「理屈ではわかっているし、頭でもそう思おうとしているんだがね……。これからはこの街に住むというのに我ながら困ったものだ」

 

 博士は落ち込んだ様子で言うものの、その声に憂鬱の色はない。

 

「嫌悪さえしていなければその内慣れますよ。ただ、博士の新しい勤め先だと機会が少ないかもしれませんね」

 

 今回コルネリウスを雇い、武装組織に誘拐された博士を救出させたヴァルハラ・ダイナミクス社は世界の戦闘サイボーグ業界を牽引する巨大企業である。しかしその技術は人間用に特化されており、異界存在向けの商品は少ない。声に出しこそしないが、それが人界向けのイメージ戦略や技術的な問題のみから生じたものでないことはその筋では有名であった。

 

「うむ、しかし異界生物学者としての私に声をかけたぐらいだ。所詮噂かとも思ったが、誘拐犯達がVD(ヴァルハラ・ダイナミクス)社のことを親の仇のように語っていたところを見るとね……」

「ああ、それは――」

「――考え過ぎ、でありますな」

 

 コルネリウスの言わんとしたことを先取りする男の声と、ほぼ同時に響く金属音。前者は助手席に忽然と現れたシルクハットにタキシードの男のものであり、後者はコルネリウスが左逆手で突き刺そうとしたショートソードと男が持つ大曲ステッキがぶつかり合ったものである。

 

「やれやれ……挨拶代わりに刺突とは、文化人にあるまじき行いではないかね?」

「非常時の招かざる客への対応にしちゃ優しい方だろうな」

 

 言い終わると同時に両者は得物を引き、コルネリウスは剣を座席横に文字通り突き刺してあった鞘に収めて左手をハンドルに戻す。突然かつ一瞬の出来事に狼狽える事すら出来ていなかった博士はここでようやく闖入者の存在、そして円形に切り取られた助手席の屋根に気付いて驚きを露わにしている。

 

「あ、貴方は一体……?」

 

 一度は剣を抜きつつも何事も無かったかのように運転を再開したコルネリウスを見て、おそらく敵ではないと判断したのだろう。戸惑い混じりに問いかけた博士に対し、男はシルクハットを取って笑顔を見せる。その丁寧な所作は古き好き紳士を思わせるもの。太陽を模した仮面で右目とその周囲を覆っているのが怪しくはあるが、ここHLにおいてその程度のことで奇異の目を向けられる事は無い。

 

「お初にお目にかかる。我輩はヴェネーノ、HLの裏社会を駆ける一陣の風」

「ヴェネーノ……まさかあの次元怪盗ヴェネーノ!?」

「おや、かの名高いトムスキー博士に知られているとは光栄ですな」 

 

 ヴェネーノは自身の知名度を誇るかのような自慢顔を運転席に向け、対するコルネリウスは無視を決め込む。彼はこの怪盗が大仰な名と知名度に違わぬ実力を持つこと、そしてそれを認めると鬱陶しいことを嫌と言う程知っていた。

 望む反応が得られなかったヴェネーノは寂しそうな顔をしつつ博士へと向き直る。

 

「失礼。話が逸れましたが、今回の一件は身代金目的でしかないのですよ」

「お題目としちゃ人界至上主義への鉄槌なんでしょうがね」

 

 補足しつつコルネリウスはバックミラーに映る多数の武装ジープに目をやる。現在進行形で博士を狙っているこの連中は双世界統一戦線と名乗る武装組織内に無数にある派閥のひとつだ。HLの外を含む人界と異界の対等な統合を『手段を問わずに』目指す組織であり、大いなる夢を追いかける少数のテロリストと使い勝手の良い御旗に群がる無数のロクデナシ共で構成されている。

 

「連中は先頃VD社相手に小遣いをねだって大火傷したばかり。報復と安全策を兼ねたのがこの誘拐劇でしょう」

「……3ダース分の人員とビル二棟をクネーデルもどきにされて学んだ結論が『人質を取れば安全』ってのは理解出来ないけどな」

 

 コルネリウスの呆れ混じりの言葉に対し、ヴェネーノも違いないとばかりに笑う。いくら多種多様な超常技術が溢れるHLといえど、交渉を前提とした誘拐には入念な計画が必要なのだ。コルネリウスに言わせれば、使う銃より安値が付きそうな脳の持ち主にそんなことが出来るはずもない。

 事実博士はあっさりと奪還され、一行は予想外の客を迎えつつも順調にHL外縁部へと向かっている。人で賑わう外縁部に辿り着けば追手は追跡を諦めるか、HLの各種治安維持部隊の熱烈な歓迎を受けるかの二択を迫られるだろう。

 後者は言うまでもなく、前者を選んだ場合も後日VD社の誇るサイボーグ軍団が御礼参りに赴くのだ。いずれにせよ短慮のツケは身に返ってくるし、清掃会社は仕事に困らず、コルネリウスは悠々と仕事を終えられる――はずであった。

 

「まぁ我輩に言わせれば攫う相手からして間違っているのだが。そうは思わないかね、コルバッハ君?」

 

 外縁部に近付き少し薄くなってきた霧の奥、ごく普通の高層ビル群の輪郭が見えたまさにその時。どこか楽しげなヴェネーノの声にコルネリウスは嫌な予感を抱き、博士は警戒することもなく思ったところを言う。

 

「確かに私はVD社に招かれたとはいえ、まだ社員ではない。大企業としての体面を考えなければ身代金目当てとしては不適格かもしれないね」

「その通りです。また失礼を承知で言えば、博士の専門はVD社では必要とされ難い異界生物学……ああコルバッハ君、この狭い車内で本気でやり合っても互いにいい事は無いと思うのだが」

 

 それを聞いて高まっていた車内の緊張感にようやく気付いた博士を横目で見つつ、ヴェネーノはそれに、と続ける。

 

「怪盗が姿を現すのは既に準備を終えているからに他ならない。無意味な争いで見せ場を邪魔しては、観客はそれを楽しめないではないか」

「……博士の名前知ってる時点で嫌だったんだ。次会った時は覚えてろよ」

 

 立てた人差し指を左右に振るヴェネーノの言葉は自信に満ち溢れている。それが虚勢でないと知るコルネリウスは苦々しい表情で続きを促した。

 

「理解ある友に感謝を。では続けるが、博士の救出には在野の人材が使われている。荒事には常に自社戦力を用いてきたVD社が、違法性の見受けられない仕事で、です」

「確かに名刺を見た限りコルバッハさんは外部の人間だ。しかし、それが?」

「ええ、重要な事なのです。以上の点を踏まえれば……博士を招いた人物、あるいはその方針はVD社における主流派とは言い難い。故に同社戦力の即時投入が難しく、彼を雇う事になったのでしょう」

 

 どうだとばかりにコルネリウスへと視線を寄越すヴェネーノの推測は、多少の間違いはあれど概ね依頼主に説明された通りであった。

 コルネリウスはこの探偵気取りの怪盗に感心し、同時にその数倍の苛立ちを感じつつ、既に限界まで踏み込まれていたアクセルを更に強く踏む。ここから先に起こりうる事を考えれば、少しでも目的地に近付いておきたかったのだ。

 気持ち右側に動いたスピードメーターを見つつ、コルネリウスは事実上の答えを返す。

 

「それでお前はこう思った訳だ。なら邪魔してもVD社にはそう睨まれないし――」

「――余裕で終わる筈だった仕事がそうでなくなるのは面白い、とな!」

 

 言うが早いか、ヴェネーノは手に持つ大曲ステッキでダッシュボードを軽く叩く。本来小気味よい音を響かせるだけのその行動はしかし大きな衝撃と金属音、次いで目に見える車の減速をもたらした。優れた動体視力で事の原因を把握したコルネリウスは叫ぶ。

 

「怪盗の癖に取ったエンジン捨ててくのかよ!」

「ふははははは! 我輩が盗んだのは貴殿の安寧な未来。無骨な鉄塊など不要!」

 

 如何なる技を使ったのか、綺麗に抜き取られ車体脇に落ちたエンジンが視界の端を流れて行く。減速した目標に追い付く直前であった追手のジープが運悪くそれに乗り上げ、他の車両を巻き込んでクラッシュ。何故かハリウッド映画ばりの爆炎が巻き起こる中、赤く染まった空を背景にヴェネーノは助手席の扉から華麗に飛び出し――

 

「これでこの前の借りは返させてもらったぞ。さらばだコルバッハ君!」

「おう、ようやく車から出たな。死ね!」

 

 それを追うように車内から多数の手榴弾が投げ付けられた。

 

「あっ」

 

 車内に備え付けてあったそれはきっちりと仕事を果たし、怪盗は盛大な爆発音と炎の中に消えていった。この程度で死ぬ相手ではないとは思いつつも多少溜飲を下げたコルネリウスは携帯を取り出し、目まぐるしく変わる状況と近付く追手にパニックになりつつある博士に落ち着いた声音で話しかける。

 

「幸い市街地はすぐそこです。奴の言った通りVD社からの援護は期待出来ませんが、博士を迎えに来る人員ぐらいは寄越してくれるでしょう」

「し、しかしこの車ではこの場からも逃げ切れんぞ!?」

「大丈夫です。簡単な方法がありますから」

 

 爆発を逃れ接近した追手から先程までの比ではない密度の銃弾を車体に打ち込まれつつも、コルネリウスは焦る事無く残る手榴弾を前方に広がる道路の防音壁に投げ付けた。三度響いた爆炎を伴う轟音の後、煙の奥には防音壁に空いた大穴、そして道路下に広がる薄汚い街並み。

 

「まさか……違うだろう、そうだと言ってくれ!?」

 

 穴は車一台ならば十分に通れるであろうもの。博士は否定を求めて悲鳴を上げるが、コルネリウスから返って来たのは簡潔で、それでいて残酷な一言。

 

「しっかり掴まっていてください」

 

 霧の中ではわからぬが良く晴れた日、一台の車がHLの空を舞った。

 

 




記録には書き終わった日時が2016年とあり震える



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第二話

「――ええ、ではそのように。失礼します」

 

 通話を終えて折りたたみ式の携帯を閉じたコルネリウス。彼が歩みを止めぬまま横を向けば、そこには虚ろな目で生きている事への喜びを呟く博士がいた。コルネリウスはその姿に若干の申し訳無さを覚えたが、同時にHLにおいてこの程度で折れていては今後大変だろうなと勝手な事を考えつつ声をかける。

 

「博士、博士!」

「……はっ! あ、ああコルバッハ君か。VD社は何と?」

「警備の人間を迎えに向かわせるが、一つ隣のカニンガムパーク駅一番出口まで来て欲しいと。ここからなら歩いて15分程度です」

 

 コルネリウスは足元を這う虫型の異界存在の群れを踏まぬよう注意しつつ、目的の方向を指差す。空中ドライブの甲斐あって統一戦線の追手を振り切った現状、それはそう難しいことではないだろう。

 

「なるほど、それはいいニュースだ! しかし、何故隣の地区まで?」

「ここは今日の生還率三割切ってるから来たくないそうで」

「そうか……」

「安心してください。交通機関の生還率表記は少し大げさですから」

 

 一転して表情を陰らせた博士に対し、コルネリウスは天気予報の降水確率程度のものだと気楽に言う。とはいえ安心させる為の嘘という訳ではなく、注意さえ怠らなければ一割未満の地区以外は数字ほど危険ではない。そもコルネリウスに言わせれば、HLでは自衛の術が無ければ生還率表記など十割あろうが気休めである。

 

「それに車突っ込ませた廃ビルは今頃火事です。消防やらが集まればチンピラ共は大人しくなりますし、ついでに統一戦線の連中も動きづらくなって一石二鳥です」

「それは倫理的にどうなのだろうか……」

「私のせいでこうなったのを棚に上げて言いますが、多少の倫理観よりご自身の命を大事になさった方がいいですよ。特にスロープにいる時は」

「スロープ? ……おっと、申し訳ない」

 

 問い返した直後に二足歩行の蜘蛛のような異界存在の腕、もしくは脚にぶつかりかけた博士。コルネリウスは双方が謝る姿を見て揉め事に発展しないと判断した後、地面を指差す。

 

「ようは外縁部以外の傾いてる土地です。永遠の虚に近付くにつれ傾斜は激しくなるし、超常現象が起きる確率も増える。行政の管理も行き届きません」

「つまり訳ありの住人が多いという訳か……」

「そうなりますね。ちなみにさっきの廃ビル、解体工事の予定表がありました。古い日付や内部の荒れようを見るに、業者が何かされた上での不法占拠でしょう」

 

 他にも大量の血痕や使用済み注射器などもあったのだが、コルネリウスはわざわざ伝える事でもないだろうと口には出さない。

 

「しかしそうなると、やはり私のような非力な人間は近付かないのが一番では」

「出費が格段に増えますよ? というのはともかく、浅い地域ならそうでもありません。それに外縁部でも危機管理が出来なければ同じですから」

 

 あれを見て下さい、とコルネリウスが指し示した先。甘い匂いを漂わせるクレープの店と、ガーリックシュリンプに似た何かを売る屋台が通りを挟んで営業している。

 

「デザートと飯の二択ってのは問いとして良くないですが、そこは目を瞑ってください。博士が小腹が空いた時、どちらを選びますか?」

「何か問題がある訳か……両方とも駄目、というパターンは」

「それは無いので安心してください。あくまで入門編ですので」

「ふむ……」

 

 二人の歩く歩道にある屋台からも、近付くにつれスパイスの香りが漂ってくる。二種の香りが混じり合う中、博士は眼鏡を直しつつ二つの店を見比べていたが、そう悩んだ様子もなくすぐに答えを出した。

 

「あちらのクレープ屋だろうね」

「その心は」

「まず屋台の方は供する物が聞いた事もない品で怪しい。また衛生面だが、遠目に見ただけでも掃除の行き届いているクレープ屋に比べ劣っている」

 

 ひとつずつ指を立てて説明する博士の言うとおり、使い込まれたであろう屋台や吊り下げられた紙のメニューは所々に染みや変色がある。一方クレープ屋は店の前のテラス席の床や置かれている椅子まで磨き上げられているようだ。

 

「次に客層。ここがあまりよろしくない地域であるとすれば、ホワイトカラーの多いクレープ屋は信頼出来そうだ。最後に移動可能な屋台とそうでない店舗というのは買う側の安心は勿論、店側の心構えの点でも大きいのではなかろうか」

「なるほど、なるほど……」

 

 コルネリウスは博士の回答に頷き、懐から財布を取り出しつつ行動で答えを示す。ただし向かうのはクレープ屋ではなく、丁度客の列が途切れた屋台である。

 

「……自信はあったのだが。理由を聞いても?」

 

 プラスチックのフードパックに包まれたガーリックシュリンプもどき。食欲をそそる香りを発するそれは、運動後の日暮れ前に眺めているだけでは拷問に近いものだ。博士は渡された自身の分のそれを扱いに困ったように両手で持ちつつ聞いた。

 

「まあ色々ありますが、とりあえずクレープ屋の客を見てください」

 

 出来たてのシュリンプもどきを口に運ぶ手を止めたコルネリウスは、通り過ぎたクレープ屋に並ぶ客の列を親指で指す。彼等は博士が指摘したように昼休みらしきサラリーマンが多く混じっており、如何にも肉体労働者が集う周囲の店に比べ上品な客層に見える。

 

「……やはりわからないな。強いて言えばマスクと長袖の客が多いぐらいだ」

 

 HLではわりとあてにならない季節はともかく、少なくとも今のこの地区は寒いとは言えない。長袖はスーツ姿の務め人に紛れて気付き難いが、マスクの多さは花粉症や風邪がこの店でだけ流行っているのではと思える程度には異常であった。

 

「いえいえ、ビンゴですよ。付け加えるならサングラスも多い」

「うーむ……おや、これは意外と美味しいな」

 

 手元から立ち上る匂いに負けた博士を横目で見つつ、コルネリウスは頷く。

 

「マスクは鼻の赤み、長袖は注射痕、サングラスは瞳孔の開きを隠すためですね」

「ん、いや、それは……いやいや、こんな表通りだぞ!?」

 

 思わず声のトーンを上げてしまった博士。とはいえ常識的な人間であればあまり歓迎したくない現実であることには違いない。なにせ元気になれるお薬が天下の往来で、真っ昼間から売られているということだ。

 

HLPD(警察)の汚職率の低さは素晴らしいですが、いかんせん人手と戦力が足りません。外縁部でもあの手の店はあるのでご注意を」

「一昔前のデトロイトみたいなものか」

「賑わってるからこそ出来るのでちょっと違うかもしれませんね」

 

 交差点を曲がることでクレープ屋が視界から消える。カニンガムパーク駅に繋がる大通りは小規模ながらオフィスビルも多く、先程まで漂っていた各種飲食店の匂いも次第に車の排気ガスにかき消されていく。

 

「あれを初級編としたのは客にそうと知らせず、かつ相手を選ばず売っているからです。たちが悪いと言えばそうですが、そのせいでわかりやすい客も多い」

「いくら警察の手が足りないと言ってもやり過ぎに思えるのだが……」

「仕込み次第じゃ店ごと数分で消えて無くなるような連中もいるのがこの街ですから」

 

 コルネリウスは遠くから響き始めた消防車のサイレンを聞きつつ、食べ終わったゴミを博士の分まで受け取って市のゴミ箱に入れる。

 この手の公共物は維持費の都合で一時期大規模な削減がされたのだが、その後民間から凄まじい数の批判と陳情が集まるに至り、今は逆に増えている。理由はゴミ箱に貼られた『異臭や怪しい音がする時は近付かないこと』という張り紙が全てだ。誰だって危険は遠ざけたいし、その排除はお上にやって欲しい。

 

「来たばかりと、この街に少し慣れた気がする頃が危険です。隠れた名店でも探そうと土地勘の無い場所に行く時はくれぐれも慎重に」

「肝に銘じておくよ」

「まあVD社の護衛を付けていけば、大抵の場合相手から避けますよ。……さて、あとはこの通りを真っ直ぐ行くだけです」

 

 その言葉に博士は心底安心した様子で胸を撫で下ろす。

 

「やっとか……いや、今日は本当に長い一日だったよ。帰ったら久々にお酒でも飲んで寝てしまいたいね」

「そりゃいいですね。でもVD社の迎えと合流するまで気は抜けませんよ」

「はは、脅かさないでくれたまえ。このあたりは剣呑な雰囲気もしないし人通りも多い。タクシーでも拾ってしまえばもう安心さ」

 

 

 

 

 

 

 

 絶え間なく響く銃声と爆発音。カニンガムパーク駅前にある第二カニンガム公園では、そのシンボルマークであるシロツメクサが彫られた石柱を境として二つの勢力が銃撃戦を繰り広げていた。

 

「まぁ、こういうこともあります。タクシー代がタダになっただけよしとしましょうよ」

「…………」

 

 博士は返事をする気力も尽きたとばかりにへたり込む。効果が無いと見たコルネリウスが適当な慰めを切り上げ、ビルの角から顔を出して様子を伺えばそこは随分と賑やかなご様子。少なくとも、目的地までの運転を強要されたタクシーが精算を諦めて逃げ出す程度には盛り上がっている。

 派手に撃ち合いをしている勢力の片方は本日大活躍の双世界統一戦線だ。よく見れば下っ端連中が銃撃戦に隠れて自販機を壊している。そうして手に入れたジュースの缶を大事そうに抱えてるあたり、統制だけでなく財布の中身も足りないようで涙を誘う。

 

「もう一方は装備や人員からすると旧コミッションの連中か。青息吐息でも余所者にゃ噛み付かなきゃいけないってのは辛いね」

 

 統一戦線の相手はいわゆる地元マフィアだ。三年前の大崩落以前、HLがまだNYだった頃からこの街に拠点を構えていた彼等は、なまじ武力と縄張りがあったせいで一時期は壊滅状態にまで追い込まれた。

 "外"の下部組織や上層部に見放され新興勢力に好き勝手される中、同じ境遇の組織と同盟や合併を繰り返すことでなんとか生き残り、虫食いだらけとなった縄張りを健気に守る彼等はHL裏社会の癒やしと言っても過言ではない。

 

「コルバッハ君。この場合、VD社との合流はどうなるのだろうか……」

 

 乏しい装備で頑張る彼等を心中で応援していたコルネリウスに問いかけたのは、自失状態から立ち直った博士であった。顔色がまた悪くなってはいるが、立ち直るまでの時間も含め先程よりこの街に慣れてきたのかもしれない。

 

「大丈夫ですよ。ここは珍しく駅舎が地上にありますが、線路自体は地下にあります。入り口も一つじゃあないし、小さな抗争程度で電車が止まる事は稀ですから」

 

 つまり別の入口から改札を抜ければいいだけの話である。仮に目論見が外れても、一度抗争を始めてしまった統一戦線から逃げ切るのは先程よりずっと容易であろう。だが連中が他組織とドンパチしていなければ面倒な事になっていた筈だ。そう考えると不幸中の幸いと言えるのだろうか。

 

「ということはVD社の迎えに連絡をして、少し遠回りするだけでいいのかね?」

 

 次はどんな剣林弾雨を潜り抜けねばならぬのかと身構えていたのだろう。拍子抜けしたように確認する博士に対しコルネリウスは笑って返す。

 

「我々でなく彼等にお迎えが来ていなければ、そういうことになります」

 

 酷い冗談だと苦い顔をする博士を尻目にコルネリウスは携帯を取り出す。この抗争に電波妨害は使われていないらしく、通話に支障は無いようだ。

 

「本来は博士にも番号を伝えておいた方がいいんですが、まだ携帯をお持ちで?」

「いや、誘拐された時に財布や時計と一緒に没収されてしまったよ」

「まあそうですよね」

 

 コルネリウスは頷きつつ、先程伝えられた迎えの人員の連絡先をダイヤル。

 

「………………」

 

 しかし通話ボタンを押す前に指を止め、免許やカード類について悩み始めていた博士に声をかける。

 

「そういった対応はVD社に任せた方が早く終わりますよ。ただ博士の今日の予定を整えた担当者、どなたですか?」

「人事部のジノヴィエフ部長だが、どうかしたかね」

「いえ、手続きは別の方に頼んだ方がいいかと。今回の後始末で忙しいでしょうから」

 

 多忙を理由に他所に丸投げされてもかないませんし。そう笑いながらコルネリウスは再度のダイヤル――ただし先程とは違う番号、そして空の旅の直後に掛けた番号へと。相手は最初のコール音が鳴り終わる前に電話を取った。

 

『ジノヴィエフだ。何かあったか』

「ええ、少々面倒なことになりまして。合流する場所の変更をお願いします」

 

 

 

 



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第三話

 数メートル先すら霞んでしまう霧の中から響く二人分の足音。薄い鉄板の上を歩いているようなそれは一定のリズムを刻んではおらず、響いたり止んだりを繰り返している。音だけを頼りにするのであれば、この足音の主は頻繁に足を止めているように思えるだろう。

 

『私だ。目的地に着いたのか?』

「ええ、先程セントラル・シーポートに入ったところです」

 

 だが足音の主、携帯でジノヴィエフと話をしつつ歩くコルネリウス達は立ち止まること無く歩き続けている。つまり彼等が生み出す途切れ途切れの足音の原因は地面そのものだ。

 ところどころ舗装の剥がれた道に完全に埋まった、あるいは張り出している鉄の長方形。これは錆付き、所々塗料の剥がれた大型コンテナである。船舶による荷運びに使われる鉄の箱、無数のそれが大地に埋まっているのだ。

 ここセントラル・シーポートはかつてHLがNYと呼ばれていた頃の港、その一部と言われている。三年前にHLを生み出した大崩落と呼ばれる未曾有の災害で都市が地層ごとレゴブロックのように組み替えられる中、内陸に移されてしまったらしい。

 そんな無茶苦茶な転移で生まれたのがこの地に生えるコンテナや、コンテナ同士が混ざりあった奇妙なオブジェ、そしてそれらで構成された迷路のような地形という訳だ。

 

『わかった。迎えが到着するのが遅れているが、そこで待機しろ』

「了解しました。ところで一つ、お聞きしたいことが」

『君と違い私は忙しい。手短にな』

 

 最早港としての機能も果たせず、置き去りにされた荷が消え、ついでにそれを漁ってた連中と再開発工事の工員まで度々原因不明の消失を果たしたこの土地。

 外縁部に近いにしては霧が深いことも相まり、今やスラムにも適さないと見做され打ち捨てられている。そのせいか人目につきたくない連中が利用する場としては需要があるとかないとか。

 

「勿論、わかっていますよ。私が調べたところ、護衛対象のトムスキー博士からは科学・魔術その他諸々の追跡手段は感知されませんでした。何故統一戦線の連中は最寄りでもない駅に人員を集中して待ち伏せが出来たので?」

『情報が漏洩しているとでも? テロリスト共の人員が多かった、あるいは君の不手際で追跡を許しただけかもしれんだろう』

「統一戦線は数こそ多いが、その過半は練度も統制も不足する末端組織。下っ端を締め上げれば奴らの使える人員や装備、今日どのような命令を受けたはわかりますよ」

 

 つまりセントラル・シーポートには人気と行政の監視が乏しい。何かを起こすには適した場所であり――――隠しきれない多数の足音の主達には好都合であろう。埋まったコンテナが響かせる足音と、身に付けた装備が生み出す音は徐々に増し、コルネリウス達へと近付いている。コルネリウスにとってそれが何者であるかなぞわかりきったことであり、重要なのは何故ここにいるか、そしてその答え合わせだ。

 

『では迎えに寄越した連中を中心に調査をしておこう。君の言い分には疑問も残るが、これで構わんだろう』

「いえ、そちらも直に会って調べた結果、原因ではないと判断しました。……単刀直入に言わせていただきますが、統一戦線には手を引かせ、博士は無事救出したという結末で手打ちにしませんか?」

『………………』

 

 統一戦線を手引きしているのはお前だろう。言外にそう言い放ったコルネリウスに電話の相手、今回の依頼主でもあるVD社のジノヴィエフは何も返さない。気の弱い者なら意味もなく謝ってしまいそうな痛い程の沈黙が続く。会話の内容を聞いた緊張からか走り出そうとした連れを制止したコルネリウスは足を止めて話を続けた。

 

「余所者の私にはVD社の派閥力学も、貴方が受け取る見返りもわかりません。が、博士を殺さずとも入社を諦めさせれば結果は同じ。貴方個人の対外的な評価も維持出来るのでは」

 

 コルネリウスの見立てでは、この件はVD社内の人間至上主義派閥が異界存在用の技術を進歩させかねない博士を嫌って起こしたものだ。

 電話の相手であるジノヴィエフ個人の怨恨だとか金目当てでの行動、社への背信行為なども選択肢には入る。しかしプロを雇うでもなく外部のチンピラを噛ませるような危ない橋を、しかも自分の仕事が失敗するような形で行うとは考え辛い。

 仮にジノヴィエフが無関係という大暴投であってもコルネリウスが失うものはそうない。そも彼はVD社などという超大企業と吹けば飛ぶような便利屋に長い付き合いが出来るとは考えていないのだ。それよりもこの件が予想通りであった場合にその便利屋風情が――――ある日行方不明になっても気にされない程度の存在が雇われた方が問題なのだから。

 

「無論私はこの件について何も言いませんし、要求するつもりもありません。当初の報酬さえ頂ければどうでもいいですからね」

『………………』

 

 一通り話し終えたコルネリウスは口を閉じ、ジノヴィエフは沈黙を続けている。聞こえるのは段々と近付いてくる鉄の触れ合う音と足音だけだ。

 少し薄れてきた霧の中でコルネリウスが時間切れかと考えかけた頃、遂にジノヴィエフが口を開く。その声は先程までより更に平坦で、冷たいものだ。

 

『私は君の言った事に関して肯定も否定もしない。この短時間で行われたらしい君の調査とやらの信憑性についても同様だ。この街において個人の知覚出来る真実などというものは幾らでも変異するし、それは時に隠蔽でも誤認でもなく言葉通りの意味で信頼など出来ないからだ』

「つまり交渉は決裂だと」

『最初からそのようなものはなく、故に答える言葉も無い。私から言うべきことは一つだ。我が社の迎えが今セントラル・シーポートへと到着した。君は依頼通り、その場で博士を護衛したまえ』

 

 言うと同時、コルネリウス達の周囲に多数の影が現れる。地上だけでなくコンテナの上にもいる種族も武装も雑多な彼らは言うまでもなく双世界統一戦線の者だろう。

 それを見たコルネリウスは苦笑しながらジノヴィエフとの会話を続ける。

 

「はて、私の目には勤労意欲に溢れる大企業の社員ではなく、濁った目をした一山いくらのチンピラしか見えないのですが」

『迎えに寄越した者の報告ではそのような連中は確認出来ない。もし我が社の人員がセントラル・シーポートで君や博士と合流出来なかった場合、あるいは居る筈のないテロリスト共が待ち伏せていた場合、カニンガムパーク駅での不可解な襲撃も踏まえれば私は君の背信行為も疑わねばならないだろう。非常に残念な事だが』

 

 死なずに逃げおおせても強引に罪を被せる。迂遠にそう言い放つとジノヴィエフは最早話すことは無いとばかりに口を閉じ、呼応するかのように統一戦線の面々がコルネリウスへと武器を向ける。

 だが無数の銃口に晒されて尚、コルネリウスは動じることがない。ただ携帯を左手に持ち替えて自らの上着の内側から――正確にはそこに張り付くように存在する赤い水溜りのような何かから、服の内には到底収まらないであろうサイズの大型の両手剣を取り出した。

 他の大剣よりもリカッソが長くとられたそれはシュラハトシュベールトと呼ばれる骨董品だ。コルネリウスが一振りすれば、刀身の先から柄の頭までを赤い血が薄くコーティングするように覆う。仔細はわからずとも明らかに戦う為の特殊な技であり、また両手で扱うべき剣を片手で軽々と振るう姿に彼を囲む戦闘員達の一部が怯む。

 

「ええ、まったくです。この仕事は信用商売ですから。……ところで、無事に博士を御社に送り届けられた場合きちんと報酬は頂けますよね?」

『………………無論だ。……私は忙しい。また後で連絡する』

 

 先程とは違い呆気にとられたような沈黙の後、苦々しい声音となったジノヴィエフは電話を切った。その反応に少しだけ気を良くしたコルネリウスは通話終了の機械音を鳴らす携帯を懐にしまい、周囲のテロリストへと向き直る。

 手を出さないのか出せないのか、統一戦線はコルネリウスを遠巻きに囲んだきりだ。しかし自分達を恐れる気配すら見せぬ彼に苛立ったのか、リーダー格らしき二足歩行するダンゴムシのような異界存在が指示すると騒々しい駆動音と共に2メートルはあろう強化外骨格に身を包んだ戦闘員が現れる。重武装と厚い装甲を持つ数トンの鉄巨人の威容に鼓舞され、腰が引けていた戦闘員も拳や武器を掲げつつ気炎を上げる中でリーダー格の異界存在が叫ぶ。

 

「どうだ、少しはやるようだがこいつらには勝てまい! 降伏して博士の居場所を教えるなら命は助けてやってもいいぞ!」

 

 対するコルネリウスは横にいた連れ―――駅前で確保し、血でコーティングされた縄で縛られた統一戦線の戦闘員を蹴倒しながらつまらなそうに言った。

 

「飼い主に叱られるのが怖くて目標がいない事すら伝えてない。そんな連中が型落ち品持ち出して粋がっても滑稽なだけだろ」

 

 直後、霧も吹き飛びそうな怒号と共に無数の銃声が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 人と異界存在で賑わうHL外縁部を走るパトカーの集団と少数の護送車。彼等はサイレンを鳴らしていないが、それでも自ら道を譲る車が多いため快適なドライブとなっている。

 もっともそれはHLの住人が警察に敬意を払っている訳ではなく、この都市における治安機構の強力さを知っており、そしてそれでも事件を起こす愚か者共に巻き込まれる可能性を少しでも減らしたいからだ。車の数、すなわち火力が多い時など尚更である。

 そんな正義の味方というより災厄の使者といった扱いをされている車群の中心、一台のパトカーの後部座席にトムスキー博士は座っていた。居心地が悪そうにする博士に対し、助手席に座る左目を髪で隠したトレンチコートの男が話しかけている。

 

「過去に脅迫・誘拐の対象となったことは無し……と。なるほど、ありがとうございました。これで質問は終わりです、くつろいで頂いて大丈夫ですよ」

「いや、その……」

 

 困ったような顔をする博士に対し、運転席の警官が苦笑する。

 

「ロウ警部補、そりゃ難しいですよ。まっとうにお天道様の下を歩いてたら、パトカーに乗せられてお大尽気分なんてなれやしません」

「物見遊山に来る外のお偉いさん乗せるために結構いいシート使ってるんだがなぁ……」

「駄目ですって、視察ですよ視察。それに警部補のガラ悪いですし、こんな閉所にいたら威圧感受けるでしょう?」

「あぁん?」

 

 茶化した警官を軽く小突いたロウ――ダニエル・ロウ警部補はひとつため息をつき、ドリンクホルダーに置いた紙コップのコーヒーを飲みつつ愚痴り出す。

 

「この街の警察なら誰だって……十人に六、七人ぐらいは強面になるってもんだ。めんどくさいお偉いさんや玩具持ったクズ共は勿論、俺達をタクシー扱いするような便利屋なんかも相手しなきゃならんしな」

 

 そう言ってロウは飲み終わった紙コップを窓から道端のゴミ箱に投げ入れる。運転席の警官は目線で無言の抗議を送るが、ロウは口笛を吹きつつ無視した。彼はHL殉職率ランキング上位である己の職務を真面目に勤める程度には正義感に溢れた男であるが、その内面は品行方正とはかけ離れている。そして何より、人に使われるのが嫌いなのだ。だからこそこんな世界の果てにいる、あるいは送られたのかもしれないが。

 そんなロウの言動から博士は自身を乗せる現状が気に食わないのかと思って更に縮こまり、運転席の警官は再度ロウに対して無言の抗議を送る。

 

「あーいや、事件に巻き込まれた民間人を保護することに異議はありませんよ」

 

 少し慌てつつもフォローに入るロウはしかしですね、と続ける。

 

「それをいいことに警察を利用しようって奴は気に食わんのです。……それが積み重なったりしようもんなら、思わず脳天にポインターを合わせたくなっちまう」

「……その、もしかしてロウ警部補はコルバッハ君と付き合いが長いので?」

「えぇ、まぁ。私としてはさっさと檻に叩き込んでそれっきりにしたいですが」

 

 コルネリウスの話題になると目に見えて機嫌が悪くなったロウに対し博士が躊躇いがちに問いかけるとロウは渋々といった体で頷く。

 

 スロープで起きた道路の大規模破損を伴う銃撃戦とそれに関係するであろうビル火災、そしてカニンガムパーク駅前での武装組織同士の抗争。HLPDの処理能力は今日も限界を突破しているが、FDHL(消防・救急)の安全確保も必要であるし対応しない訳にはいかない。

 

 こうしてアホ共に手錠か鉛玉の二択を選ばせ終えたロウはやっと一息つけると遅いランチについて考え始めたが、そこに現れたのがコルネリウスという訳だ。

 この本屋兼便利屋などというHLらしいふざけた肩書のフリーエージェントは抗争への対応に来る警官隊を待っていたのだろう。贈賄ではなく差し入れだと有名喫茶店のコーヒー片手にロウの前までやって来たかと思えば、世界的大企業に招聘されている研究者の護衛を押し付けて足早に去っていった。とんだ疫病神である。

 腹立たしいが護衛の相手が相手だけに、そしてロウは自身の職務を忘れない故に断る事も出来ない。たとえ経験則からこの後コルネリウス絡みのドンパチが起き、ロウのランチがディナーへと転身を遂げるのがわかっていても出来ないのだ。

 

「ですが、その、コルバッハ君は私のためを思い危険を承知で敵の注意を引きつけてくれたのですし……」

「そんな殊勝な奴じゃありませんよ。いえ、博士の安全については抜かりなく考えているでしょうがね」

 

 小さい声ではあるがコルネリウスを擁護しようとする博士。自分が標的であることが原因だと忘れておらず、かつ根が善良なのだろう。守られて当然とばかりにふんぞる連中とは違うその姿にロウは好感を覚えたが、それとこれとは話が別だ。何せそう考えて散々ババを引かされた同僚を沢山見てきたのだから。

 

「依頼に対しては真摯に取り組みつつも、他に何か企んでるに違いないんです。まったくこの街にはろくな奴がいねぇ……」

「警部補、民間人に愚痴るのはやめてくださいよ」

「うるせー……あー、コルネリウスの野郎がクズ共と相討ちになってくれりゃあなぁ」

 

 警官らしからぬことを呟きながら座席に身を沈めるロウ。高官の接待用に整備されたシートは心地よい感触であったが、彼の気分は空と同じく暗くなりつつある。

 

「でもならねぇんだよなぁ畜生。あいつは今日も夜は働かねぇとか言ってさっさと帰るんだろ。こんなもんコーヒー一杯じゃ割に合わねぇぞ……」

 

 

 

 

 

 

 

「――こんな危険な街で夜まで働くなんて真っ平御免だな。特に血の匂いがする場所にゃあ何が寄ってくるかわかったもんじゃない」

 

 左肩から右脇腹へと振り抜かれた剣が強化外骨格ごと戦闘員を両断する。既に片手片足を失っていた鉄の巨人は轟音と共に崩れ落ち、二度と立ち上がることはない。

 

「割に合わないから早く帰るべきだ。そうは思わんか?」

 

 強力な存在は味方を鼓舞する反面、敗れた際は動揺を引き起こす。コルネリウスを囲む統一戦線にとって暴力の象徴であった強化外骨格が鉄屑に変えられた結果、彼等の半数以上は引き金ひとつ引く勇気すら無くしてしまった。

 それでも闘志を失わなかった、あるいは恐慌に陥った者はひたすらに弾丸をばら撒く。夜の帳が下りつつある中で暗視装置も無しに撃ち出された弾は、そもそも殆どがコルネリウスに当たる軌道を描いていない。

 だが数少ない、しかし人間一人引き裂くには十分な数の弾丸はコルネリウスに命中するも硬質な音と小さな火花だけを残して地に落ちてしまう。それは戦闘の開始から今に至るまで繰り返されてきた光景でもある。肉眼では有無が判別し辛い程の薄い血の鎧。彼が纏うそれを安物の銃と弾丸では貫くことが出来ないのだ。

 

 多勢に囲まれてはいるが、コルネリウスを害せる者はいない。コルネリウスは時に剣で銃弾を弾きつつ――無論防ぐ必要などなく、半ば遊びのようなものだが――悠々と歩を進め、抵抗する者を切り捨てていく。

 次第に抗う者は減り、ついにが逃げ出す者まで現れる。統一戦線の指揮官はコンテナの上という当面の安全地帯から怒声を上げて部下を焚き付けているが、最早戦況は誰の目にも明らかであった。

 

「ひ、ひぃっ……」

 

 また一人、貴重な蛮勇の持ち主が切り捨てられ、横で銃を構えていた二足歩行の海老のような異界存在が腰を抜かしてへたり込む。

 腰が抜けるのは犬猫の方じゃないのか。愚にもつかないことを考えながらコルネリウスは刃で頭を落とそうとし、その手を止める。既に銃を取り落とした異界存在は抵抗などしていない。ただ女性の名前と、その女性への謝罪を延々と呟いているだけだ。

 

「恋人の名か?」

「ひっ!? えっ、あ……い、妹だ……です」

「妹かぁ……そりゃあ運が良かったな。ほら、さっさと行け」

 

 コルネリウスは恐怖と困惑で動けなくなっている異界存在を軽く蹴飛ばす。衝撃を与えられてようやく意図に気付いた異界存在が慌てて逃げ出したのを横目に戦場を眺めれば、既に統一戦線の戦闘員はその過半が逃げ去っていた。銃声轟く戦場にあって妙によく聞こえる指揮官のがなり声もいつの間にか聞こえなくなっている。

 

「もうこんな時間か」

 

 乱戦の中にあって傷一つ無い腕時計を見れば、既に夕方が過ぎ夜になろうとしている。基本的にという前置きこそ付くが、深い霧に包まれたHLであっても夜は暗くなるものであり、様々な存在が活発になる。

 今も周囲に倒れている死体にコルネリウスが付けた覚えのない、軽自動車程の大きさの何かにかじられたような痕がついているぐらいだ。こういったこともあり、コルネリウスは先程彼自身が言ったように夜は働くことを避けている。

 

 程なくしてこれ以上戦っても得る物が無いと判断した彼は、少し目を離した隙に更に削れていた死体を剣先で引っ掛けてコンテナの上に放り投げつつセントラル・シーポートを出ようと歩き出し――――彼を囲むようにして、三機の強化外骨格が地面を割りつつ降り立った。

 

「逃ぃぃぃがぁぁさねぇぇぇぞぉぉぉ!!」

 

 型落ちではあるが先程のそれより数段性能の良い強化外骨格。その内のひとつから発せられる怒声は、この数時間で散々聞いた統一戦線の指揮官のものだ。自らの組織に大きな打撃を、あるいは既に手遅れな状態にされた指揮官の声からは明確な殺意が感じられるが、コルネリウスは意に介さずとばかりに眼前の強化外骨格を観察している。

 

「整備と燃料だけで弱小組織が傾く代物だな。売り飛ばせば再起も出来るだろうに」

 

 そうはしない。否、出来ない頭の出来だからこその惨状だろうが。

 コルネリウスが言外に馬鹿にしていると感じ取った指揮官の頭で何かが切れ、怒りのままに拳を振り下ろす。鬼気迫るその姿に残りの二機も釣られるようにしてやたらめったらに攻撃を繰り返し、鉄の身体と土煙で見えなくなったコルネリウスがいた場所からはおよそ人体が発するとは思えぬ音のみが響く。

 ただでさえ凶悪な鉄の拳は、腕や肘に取り付けられた熱機関の発する噴流により強化されている。積載物と速度を目一杯にした2トントラックですら正面から弾き返す程の威力を持つそれの連打に耐えられる生身の人間など……否、何かしらの防護があっても存在しない。

 

 

 

「――空はすっかり暗くなったなぁ」

「ひっ……な、なんでだ!? なんでだぁ!?」

 

 

 

 そう、人間ならば。

 

 

 

「言っただろう? この街じゃあ、夜はどんな化物が出て来るかわかったもんじゃない」

 

 二人の戦闘員達が思わず後ずさると共に土煙が晴れ、一撃一撃が致死となる筈の鉄の拳を無数に受けたコルネリウスの姿が露わになる。

 全くの無傷――というだけではない。コルネリウスの周囲には彼を守るかのように赤黒い血の盾が幾つも浮かんでいるが、それは彼の技能を考慮すれば納得出来る範囲。

 一人コルネリウスの前に残った――残らざるをえなかった指揮官の強化外骨格の右拳を素手で掴み取っていることも、特殊な技能があれば不可能とは言えないだろう。

 

 だが、笑みを浮かべる彼の口元から覗く長い牙は?

 

 周囲の生物が根源的な恐怖を覚えるようなこの圧力は?

 

 そして……幸か不幸か、この場に見える者はいないが、コルネリウスの背から生える巨大な緋色の羽のような光は?

 

「き、き、吸血鬼……!?」

「ああ、その呼び名は好きだぞ。『血界の眷属(ブラッドブリード)』などという呪われた名より余程」

 

 好意的な言葉とは裏腹に、コルネリウスから溢れ出る圧力は増している。それは逃げる者は逃げ終えたこの場にいる全ての敵対者に告げる死の知らせに他ならない。

 

「ただこの姿は夜限定でな、知られる訳にもいかんのだよ」

 

 掴んでいた指揮官の強化外骨格の右拳を腕ごと引き千切り、背後で逃げ出そうとしていた生身の戦闘員へと恐るべき勢いで投げつけてコンテナの染みに変えたコルネリウスは笑顔で言った。

 

「では、忠告を無視した悪い子にはここで先祖の列に加わってもらおうか」

 

 

 

 

 

 

 

 応接室は広く、清潔で、何より調度品の一つ一つが地味ながらも高級品であった。特にソファは程よい硬さで座り心地が良く、僅かに開かれたブラインドから差し込む陽の光も相まってコルネリウスにとって非常に心地よい。

 

「では、弊社はジノヴィエフの件に関して貴方が無関係であるとさせて頂きます」

 

 この空間で机一つを挟みコルネリウスの前に座るカルネウスという男は、VD社において社長秘書と運転手、そして護衛をも務める――絶対的な権力を持つ社長の側に侍ることを許可されている、ただの秘書とは呼べない人物である。

 だがカルネウスはその大柄な身体や巨大企業の事実上の重役という身分に似合わず、吹けば飛ぶような便利屋にも丁寧かつ真摯な対応を選ぶ。それどころか支払いの滞っていた先日の依頼報酬を、個人の裁量で増額して振り込んでくれるような男であった。

 仕事を完遂したコルネリウスに対し、報酬の支払いを拒否したどころか背任で告発しようとしたジノヴィエフとは雲泥の差。初対面ではあるが、このような人物にこそ長生きしてもらいたいとコルネリウスは思う。

 

「……このような不手際の後では言い辛いことだが、もし良ければ今後も依頼を受けてもらえないだろうか。勿論、裏切るようなことはしない」

「あー、内容に問題が無ければ否とは言いませんが、VD社が?」

 

 軍事サイボーグ技術で鳴らすバリバリの武闘派。軍需企業の最上位にある天下のVD社が、便利屋風情を本気で使いたいと言う。コルネリウスの当然の疑問に対し、カルネウスは少し顔を曇らせる。

 

「いや、社を通しはするが私の一存に近い。……今回の件もあって薄々察しているとは思うが、VDは外部の戦力を侮る節がある」

「ご多分に漏れず内部闘争も」

「ああ、身内の恥だ。今持つ市場だけでも無限の可能性があるとはいえ、社の未来を狭めていることに違いはない。……それでは、いかんのだ」

 

 カルネウスは断ってから一度こめかみを揉み、続ける。

 

「お嬢様……失礼。社長を守るためにも、貪欲に技術を取り込み、多角的な戦力を擁し、そして多くの種から支持を得ることが必要であると私は考えている」

「HLでは必要なことでしょうね。ただ、専属であるとか技術の提供はお断りしますが」

「そこまでは求めんよ、どうせ横槍も入るしな。ただ、VD社にもこのような思想はあると覚えておいて欲しい。信頼のおける人材を紹介してくれるのも助かる」

 

 

 

 

 

「昼は何食うかなぁ」

 

 カルネウスの思想を好ましく思い、好意的な返答をしてVD社を後にしたコルネリウスはHL外縁部の表通りを歩きながら様々な飲食店を見て回る。食欲を刺激する店は勿論、何を供しているのか好奇心がそそられる店から、明らかに客を殺しにかかっている店まであるのがHLの良いところだ。

 

 十字路の角にあるニューススタンドを横切った際、新聞棚が目に入る。

 コルネリウスはつい立ち止まってゴシップ誌を手に取り、それをじっと睨んでいる軟体生物のような異界存在に貨幣を渡して広げた。

 隅も隅であるが、一面に書かれたその記事には常に身辺警護を付けていた筈のVD社の管理職が事故死したことに対する"外"では面白おかしい、しかしこの街ではあり得なくもない見解が書き連ねられていた。被害者の名前は、ジノヴィエフであるという。

 

「いやー、ここは本当に怖い街だなぁ」

 

 魑魅魍魎が跋扈し、把握しきれない程の多様性を持った超常の技が溢れるHLにおいて頑なに一つの方向性を信奉するのは非常に危険なことである。

 コルネリウスは担当捜査官がダニエル・ロウだという一文を読んだ後に折りたたんだ新聞を小脇に抱え、心持ち弾んだ足取りでHLの霧の中に消えていった。

 

 

 

 




次回の更新は未定



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第ニ章 探し物と拾い物
第四話


『本日もこの時間がやってまいりました。人と異界存在と車の明日を目指す、カダス自動車がお送りするハッピーサタデー・カダスプラザ!』

 

 少し曇り気味な土曜の昼。コルネリウスはおよそ仕事には不向きな柔らかさのソファに身を預けながら、山と積み重ねられたFAXに目を通していた。

 場所は彼の持ちビルの四階にあるオフィス。一階及び二階はやはり彼がオーナーを務める書店『Smaragd』が入っておりそれなりの賑わいを見せているが、各種防音設備の整った四階にはラジオから流れてくる軽快な音楽と、それに合わせて読み上げられる新車種の宣伝しか聞こえていない。

 

「ここはまた新レーベルかぁ? せっかく伸びてきた既存のが停滞してるだろに……」

 

 先程から彼が読み続けているFAXの山は、HL内だけでも無数にある出版社からの販促だ。思春期の青少年向け義体化ハウツー本から、営業で使える魔術地雷式まで。多種多様な書籍の入荷を薦めるものである。

 とはいえ、コルネリウスはあくまでオーナーであり店の経営は雇われ社長である異界存在に任せていた。つまりこの作業は彼の好みの本を入荷させるための、要するに趣味の一環に過ぎないし、別に土日に限った話ではなく平日でも見られる光景だ。

 世の中の大多数の労働者に羨まれ、あるいは睨まれそうな姿ではある。しかしこれが『吸血鬼』コルネリウスの平時の過ごし方であった。彼も自らの怠惰を多少は自覚しているが、変える気にもなれない。安楽と怠惰は怪物ですら蝕む幸福で強力な毒なのだ。

 

(ヘンリエッテに知られたら随分とお小言を……いかん、またか)

 

 コルネリウスの脳裏に長く美しい金の髪を持つ少女が浮かぶが、彼は否定するように頭を振る。少女のことを考えたくないのではない。――――その少女を『妹』と認識してしまう思考を払おうとしたのだ。

 これは三年前より続く、コルネリウスの大きな悩みの一つでもある。

 

 三年前、コルネリウスはNYがHLへと変容する切っ掛けとなった『大崩落』と呼ばれる未曾有の災害の只中にいた。そこでは今も整理しきれない程多くの出来事があったのだが、コルネリウスにとって重要なのはただ一事。

 『血界の眷属』とも呼ばれるこの世でも特段に精強な種族の一員であるはずのコルネリウス。その彼が消滅の間際まで追い詰められていたということだ。

 幸い、彼はその場を切り抜けることに成功したが代償も大きかった。そうなった経緯の過半を含めて多くの記憶を失った――――否、『奪われた』上に肉体は基本的に夜の間しか吸血鬼でいれなくなってしまう。そして誰のものかわからぬ記憶を、これも中途半端に持ってしまった。少女との記憶もその一つだ。

 

 だが吸血鬼は自然死などしない正真正銘の長命種である。そして大多数の種とは違い、生殖を主な増加手段としていない。

 

(まぁ自らの血族に連なる吸血鬼を作る『転化』をどう捉えるかは、学者によっても分かれるんだが……)

 

 コルネリウスは一瞬思考を脇道に逸らすも、すぐに軌道修正する。

 

(少なくとも精神的ではなく、生物学的に"血が繋がった"と認識する兄妹がいるってのは不自然だわな。兄妹で転化とか、可能性だけなら無くもないが)

 

 なのでヘンリエッテという少女の記憶、そしてそれに付随するであろう親愛の情は他人の記憶に属しているものだ。自身のものと信じている記憶と違い少女との思い出が精々この二十年程度のものだけということもあり、コルネリウスはそう判断している。

 

 コルネリウスが何らかの形で吸血鬼の記憶と身体を手に入れてしまった人間、という可能性もあるにはある。だが脆弱な人間よりも精強な種族でありたいという願望なのか、それとも長年生きて培われた誇りのようなものか。いずれにせよその考えはしっくりとこない。

 まぁ、自身でそう決めても割り切れないのが、この記憶というものの――――本当にただの『記憶』なのか怪しい何かの厄介なところだ。結果としてコルネリウスは答え合わせだと言い訳しつつ、三年の間安くない金を払いヘンリエッテの所在を突き止めようとしている。そして妹であることはともかく、彼女への親愛の情自体は否定していない。

 

「……でもなぁ、世の中面倒に出来てるというか。本当に、どうしてこう嫌な形でしか絡み合わないのか」

 

 溜息一つ。コルネリウスはFAXを机に放り投げ、胸元から名刺入れを取り出して開く。

 

 中に収まった名刺に記されている肩書は経営する書店のオーナーに始まり、最後はこう終わる。

 

 

 

『ヘルメス流錬血術師』

 

 

 

 対吸血鬼の秘技は流派により大きく異なる。そして人体改造のような、門外不出の技術も多い。故に細部は秘匿され、裏社会であっても正確な情報は出回らないもの。それどころか無数の流派が存在するせいで、同業者ですら把握しきれておらず互助組織が抱える情報の世話になる業界なのだ。

 だというのに、高い技量さえあればわりと無条件でステイタスとして扱われる。少なくとも、吸血鬼だとは思われない。

 中でもヘルメス流は使い手の多さ故に、同門の者ですら面識が無いことが珍しくなかった。よってコルネリウスのような血を操る存在にとって使い手に偽装するのは容易い、ある意味で"便利な"技。

 

 問題は詳細な知識の出処が謎の記憶ということだろう。何故ならこの流派は記憶の持ち主だけでなく、その一族全てが学ぶもの。そうなると必然的に『妹』であるヘンリエッテも使い手――――つまり、ヴァンパイアハンターなのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 ままならない現実に悩むことに疲れた、もしくは腹が減って考えるのに飽いたコルネリウスは繁華街へと繰り出した。何を食べようか悩む彼が通り過ぎた路地の奥では、観光客らしき男が脂肪の塊のような異界存在に愛を語られつつ解体・咀嚼されている。だがその程度なら今日もHLは平常運転であり平和である。

 そもHLにおける異常事態というのは良くてこの都市のみ、悪くて世界滅亡クラスの災厄だ。例えば先日『堕落王』と呼ばれる精神異常者が引き起こした質の悪い形での神性存在召喚などである。

 事態が本格化する前に解決されたというのに、三桁単位の死者と数ブロック分の区画崩壊を生んだ災厄。それでもその日の夜には街が活動を再開したのだ。そんなHLで警戒心が薄く、社会的な地位も無い人間が一人消えた程度では騒ぎにもなりはしない。

 まぁ食人は両界間の合意で禁止されているので犯罪であるし、コルネリウスの背後では今まさに強化外骨格に身を包んだ警官隊が路地に突入して派手にぶっ放しているがこれも日常である。

 

『――今日の9位は生存率52%、牡牛座のあなた! 車が多い場所には気をつけて!』

 

 コルネリウスは街頭の大型ビジョンから聞こえてくる占いを聞きつつ、周囲の店々のうち見知ったものを眺めていく。なんとなくでしかないが、今日は新しい店を探す気分ではなかったのだ。

 そうして少し考えた後、コルネリウスは『222カフェ』を選ぶ。オープンテラスを通り過ぎ両開きのガラス戸を引けば、昼にしては照明と空調の効いた広々とした空間が出迎えてくれる。

 飲み物と野菜が詰まったレジ横の冷蔵ショーケースを眺めて今日の気分に合ったサンドイッチを考え、カップスープやサラダと一緒にオーダー。コルネリウスに初めて応対したらしい店員がその量に驚いているのに苦笑しつつ会計を済ませ、品が出て来るまでに席を確保しに歩き出す。幸い混雑時は過ぎていたので窓際の席が空いていた。

 

「あれ、コニーじゃん。やっほー」

「ニーカか、久しぶりだな」

 

 席に荷物を置こうとしたコルネリウスに、近くの壁際テーブル席に座る女性が声をかける。茶髪をポニーテールにして、休日らしい小洒落た装いに身を包む小柄な少女――女性はその眼前に山と積まれたワッフルを消化する手を止め、空いた手と目線で自身の前の席を勧める。

 コルネリウスは一瞬だけ、背後を遮られる壁側の席は避けたいと思った。しかし誘いを断る理由でもないと思い席に着く。

 

「最近は仕事が多くて忙しかったからね。『堕落王』のせいで街が滅茶苦茶になったし……ってこれは誰かしらがいつもやってるか」

「まったく、怖い街だ。俺もあの災害から生まれた仕事をいくらか受けた身だから複雑な立場ではあるが」

「HLだしね。あ、でもアネシュカは職場が四つにスライスされて暫くお休みだって」

 

 互いの近況から共通の知人の話、休日らしいとりとめのない雑談。そんなだらだらとした会話の合間にもワッフルを平らげるニーカは、コルネリウスがHLに来てから出会った友人の一人だ。修理や整備関連の仕事に就いているらしい。

 

「羨ましく……はないなぁ」

「コニーはいつもお休みみたいなものだしねー」

「繁忙期と閑散期の差が激しいと言ってくれ。いいんだよ店の方は人任せでも回るから」

 

 コルネリウスは少し情けない台詞を堂々と言い放ち、店員に呼ばれたのでランチを取りに向かう。席に戻ってきた彼の手にはスープとサラダに缶入りのドリンク、そして顔が見えなくなりかねない程に積まれたサンドイッチ。

 

「相変わらずよく食べるね」

「あー……まぁ忙しいからな。……おい、そんな目で見るな」

 

 ワッフルタワーの解体に勤しむニーカに言われたのだが、それを指摘するのもよろしくないと曖昧な返事をしたコルネリウスに向けられたのは生暖かい目。彼が少しの悲しみを背負いつつもささやかな非難の目を向けると、ニーカは思わずといった様子で笑う。

 

「ごめんごめん、冗談だって。この前もお店行ったけど品揃えいいし重宝してるよ」

「毎度あり。ただ言ってくれれば割引ぐらいするんだが」

「売り上げに貢献しようって気遣いなのに」

 

 そう言ってころころと笑うニーカは見た目通り人間であり、体格に違わず非力で、余程巧く隠していない限りサイバネ化もしていない極普通の民間人だ。武力や知力、あるいは権力といった何かしらの力を持たぬ、吸血鬼とは比較対象にすらならない正真正銘か弱い生物。

 

「そういや今日はワッフル一筋なんだな。マイブームか?」

「占いで円形のものが良いってあったんだ。ピザにしようかとも思ったけど、気分じゃなくてね。一人じゃ入り辛いし」

「ワッフルかピザの二択は極端過ぎるだろ」

 

 そんな相手を対等の立場だと認識しながら会話をした経験は、コルネリウスの吸血鬼としての記憶にはおそらく無い。だが人間のものであろう誰かの記憶に引きずられた、あるいは以前に比べれば脆弱な存在となった影響か、HLと共に生まれた今の彼はそれを当然のことだと認識している。

 完全でないとはいえ、コルネリウスは吸血鬼だ。彼にとってそれが良いことなのかはわからない。ただ、この日常を彼はそう悪いものではないと思っている。

 

「いま友達がピザ屋でバイトしてるんだよ。よければ私の代わりにコニーが頼んで貢献してあげて。買い物のお返しってことで」

「本の粗利はだな……というかそれ、逆に疲れさせるだけじゃないのか」

「あー、まぁいいんじゃない? ドギモピザだから新メニューの感想よろしくねー」

「お前そっちが目的だろ」

 

 

 

 

 

 

 

 一口にHLの外縁部といっても様々な区画がある。繁華街だの企業ビルだの集まるような"外"にもある普通の区画から、行政上認められた特定の種族専用の区画、災害によって立ち入り禁止になった区画などだ。

 そして昼食を終えたコルネリウスが散歩に選んだ区画は、ある意味で最もHLらしい場所のひとつ。先程までのような明るい賑やかさは無く、全体的に道や空が狭く、建物は古びており、雰囲気も暗い……にも関わらず、妙な熱気を感じる市場。

 リトルアキバや第二上海窟と同類。狭くて深い需要を満たしたり、どちらかと言えば黒寄りのグレーゾーンに属する技術や品を扱う連中が集う地区。通称ビヨンド・マカオである。

 

「コルバッハの旦那、今日は活きのいい生体金属が入ってますぜ!」

「おめーこれ活性度高すぎて固定化出来ねぇだろ。兵器転用疑われるぞ」

 

「タラニスフレームの新型入荷したいんですが、ゴール機器に口利きお願いできませんかねぇコルバッハさん」

「出来ないってこたないが……全高3mだぞ? 貸倉庫一つの維持費で青息吐息の癖に一発狙うのはやめておけって」

 

 コルネリウスはこの手の地区への出入りと交流が多い。個人営業のちゃちな便利屋としての仕事や、各種超常技術の実験素材の仕入先に使っているからだ。声をかけてくる様々な種族の見知った商売人たちに対応しつつ、初見であればまず迷ってしまう入り組んだ道を勝手知ったる様子で歩いて行く。

 とはいえコルネリウスは食後の軽い運動、というより暇潰しをしているだけなので目的地などありはしない。ビヨンド・マカオには彼のようなフリーエージェント向けの依頼斡旋所のような場所もあるが、彼がそういった場所を利用するのは金のためでなく人脈作りや暇潰しのためだ。気が向いた訳でもないのに行く場所ではない。

 

 もしコルネリウスの吸血鬼としての長い生で貯めた財産が記憶と共に全て失われたのであれば、彼ももう少し健全な生活をしていた、かもしれない。だが悲しいかな、彼の財は秘匿された場所や解錠方法ごと過半が失われて尚、趣味人として生きていくには十分なもの。こうして自堕落な吸血鬼が生まれてしまったのである。いや、あるいは元からそうであったのかもしれないが。

 

 

 

 

 

 

 

「あアぁん!? もういっぺん言ってみろォ!」

 

 コルネリウスの優れた聴覚が柄の悪い怒鳴り声を捉えたのは、彼が十八色に光るコオロギ楽団使いの街頭演奏を聞いている時だった。

 

「だ、だからそんなものうちにはないアルよ!」

「やっぱりあるんじゃねぇかゴルァァァ!」

 

 当初はその無粋で品のない騒音を魔術で遮ろうとしたコルネリウスだが、恫喝されているであろう相手の声に覚えがあることに気付き溜息ひとつ。コオロギ達の前に置かれたトランクケースにチップを投げ入れ、声のする方へと足早に向かう。

 五回ほど角を曲がり、迷路じみた小路を抜ければそこはビヨンド・マカオの東端。テニスコートほどの広さの土地にはスクラップと見分けがつかない電化製品や自動車が積み重ねられており、鉄錆とオイルの匂いが充満している。

 そして僅かに存在する空きスペースでは一目で堅気でないとわかる男達がここで商売をしている異界存在と、何故かいるピザ屋の配達員に向けて大量のピザを食べながら怒鳴り散らしていた。

 

「なぁオイ、この地区で蛇咬会に舐めた真似すりゃどうなるかなんて乳飲み子でも知ってるんだ。勿論お前もそうだろう?」

「そ、そう言われてもワタシ魔術書なんて取り扱う知識も金もないアルよ」

「ンあるのかないのかはっきりしろって言ってんだルォォ!? ……おい徐、チーズは残しとけよ」

「へいアニキ。チーズのけときますね」

「チーズだけ選り分けようとすんなチーズピザのことだアホ!」

 

 名乗りを信じるのであれば、彼等の所属は中華系の非合法組織である蛇咬会。だがコルネリウスの知る限りビヨンド・マカオにおける蛇咬会の勢力は圧倒的ではないし、脅されている異界存在も彼等の庇護下や敵対関係にはない。

 

 この狭い地区で何の折衝も無しに暴れたり、シマを広げようとする行いがどれだけ危険かはそれこそ赤子でも知っていることだ。もしやビヨンド・マカオの勢力図を激変させかねない何らかの協定が結ばれたのかと考えたコルネリウスは、身を隠しつつ彼等の会話から情報を集めんとする。既にコルネリウスの中での顔見知りの異界存在の優先度は、殺されそうになったら介入すればいい程度にまで下げられていた。

 

 だが義にもとる行いを天が嫌ったのか、単に連中の頭が足りなかったのか、コルネリウスがそう決めた途端に事態は動き出す。

 

「ごぶぁ!? ……ぐ、ぐあぁぁぁ!?」

「李!? おい李、どうした!?」

「の、喉がァ……このピザで……」

 

 蛇咬会構成員のひとりが、顔を青くして尋常でない量の汗をかきつつ苦しみだす。原因はその李とやらが食べていた、まともな味覚と判断力の持ち主は食べるべきではない毒々しい青色のピザであろう。

 コルネリウスからすればHLでは珍しくもないトンデモメニューに当たったとしか見えない。しかし彼等のクスリで溶けた脳は、そんな真っ当な答えを出してはくれない。

 

「おいピザ屋ァ!! てめぇ毒を盛るたぁどこの組織のもんじゃ!!」

「えっ、いやそのドギモピザで……その人が食べたの単なる新メニューですよ!?」

「てめぇもどこぞの新興組織かぁ!? 舐めた真似しやがって!」

「ダメだこれ話通じないやつだ!」

 

 いきり立った構成員の一人が背負っていた青龍刀を抜き放つのを見てコルネリウスは物陰から飛び出す。だが彼は上着の内側に作った『門』から血を纏ったシュラハトシュベールトを引き抜いたところで違和感を覚え、直後に原因に気付く。

 横薙ぎにされるであろう青龍刀に対し、ピザ屋の配達員は既に身体を後方へと下げ刃の軌道から逃れていたのだ。

 

 薬物やバイオテクノロジーで強化されているマフィアの攻撃に一般人が反応するのは偶然に助けられなければ不可能だ。そして運良く後ずさっただけではこのピザ屋の少年のように確かな足取りは維持出来ない。

 であるにも関わらず、少年に武の心得がある訳ではないとコルネリウスは判断した。何故なら少年は青龍刀の攻撃こそ見切っているが、逆に言えばそれしか見ていない。

 

 つまり、避けた青龍刀が積み重なった自動車や大型家電の最下層を切り裂き、土砂崩れよろしく降り掛かってくることを全く考慮していなかった。

 

「う、うわぁぁぁぁ!?」

 

 ひとつが崩れたことで鉄屑の塔は連鎖的に崩壊。左右からも迫り来る鈍色の奔流に対して少年は慄き、体勢を崩してしまう。紐を緩めていたのか被っていたヘルメットが宙を舞い、鳥の巣のような短い黒髪が露わになる。

 蛇咬会の構成員ですら鉄屑に押し潰されるか逃げ出しているのだ。少年はもはや自力では万に一つも生き残れないだろう。

 

 だが、ここにはコルネリウスがいる。少年の視界を闇に染めたのは迫り来る鉄の津波と死ではなく、コルネリウスによって手荒に被せられたバイト先のヘルメットであった。

 

「わぷっ……えっ、えっ?」

 

 少年がヘルメットの位置を直して視界を確保した時にはコルネリウスは仕事を終えていた。降り注ぐ自動車や大型家電を幾つか切り裂き、残骸に血を纏わせて補強・成形し二人を覆う盾とする。言葉にすればそれだけであるが、当然ながら少年は随分と驚いている。

 

 コルネリウスは頭上の覆いをその上に積み重なった鉄屑ごと吹き飛ばした後、未だ呆けている糸目の少年に話しかける。

 

「目だけじゃなくて運も良いたぁ持ってるな少年。名前は?」

「れ、レオナルド・ウォッチです。ええと……ありがとうございます」

 

 




公式だと羽ではなく羽根だと気付いたけど前者のが好きなのでもういいかなと


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第五話

「――――わざわざバイクじゃなくて台車で運んできたピザは食べられちゃうし、注文したのは自分達じゃないってお金払ってくれないし、挙句殺されかけるしで散々ですよ」

 

 スクラップを押しのけて確保した空き地に力なく座るレオナルド――レオが地面にのの字を書きながら暗い顔で言う。するとその背後でゲル状の身体と意外な怪力を活かし、車を再度積み重ねていた異界存在が振り返った。

 

「ごめんネ。最近ワタシの店に蛇咬会がずっと嫌がらせしてくるんだヨ。こうやってうちの名義で出前を大量注文したりネ。近場の店はもう慣れて確認の電話くれるんだけど、ドギモピザは初めてだったからネー」

 

 顔はレオの方を見ながらも胴体は背後を向いたまま作業を続ける異界存在。彼はここで電化製品と車の中古販売・修理業を営んでいる。

 名はワン・グ・エン・ザリカ云々……と長いので、ワンと呼ばれている内に『王』だからと中華風のキャラ作りを始めた男だ。もっとも身に纏うのは漢服と人民帽であり、わりと適当である。

 

「ワン、なんか揉め事でも起こしたのか?」

「それが酷いんだ。聞いてヨ、コルバッハさん」

 

 ワンは頭部にある四角い核を赤く光らせながら語り出す。曰く、蛇咬会はこの頃ブルンツヴィークの祭司団と名乗る新興組織とやり合っているが、彼我の勢力差を考えれば信じられないことに五分五分の状況である。

 ここまではコルネリウスも知っていたが問題はここからだ。蛇咬会はこの祭司団のトップが使う独特の魔術がワンからもたらされたものだと思い込み、自分達にも技術を寄越せと言い出したらしい。

 

「報酬もくれるらしいけど、そんなもの扱えるならもうちょっと違う仕事やってるネ」

「……だが、連中も上まで行けば馬鹿じゃない。敵対者に戦力提供したとまで思ってるお前を殺さないあたり、その情報が本物だと確信してるんだろう?」

 

 コルネリウスに言われたワンが今度は核を緑に光らせる。

 

「だから困ってるんだヨね。祭司団の頭はEU出身の半年前まで日雇いやってたような男だから、急に一端の魔術師になるのは確かにおかしいシ」

「そいつもお前が原因だと」

「ウン。そいつが組織を立ち上げる頃の話なんだヨ」

 

 ワンは掘り当てた蛇咬会構成員を、路地の向こうに投げ飛ばしながら続ける。

 

「酒場で酔っぱらいながらワタシの店で電子化された魔術書買ったんダ、って何度も言ってたらしいのサ。最初は与太話だと思われてたみたいだけど、こうなるとネ」

「ズブの素人が、短期間でマフィア相手にカチ合えるレベルの電子魔術書ぉ?」

 

 それはもはや教材などではなく、対象に技術を――無論、なんらかの代償付きで――植え付ける呪いの品なのではとコルネリウスは思ったが、紙でも皮でもなく電子化されており、しかも買った場所がこことなると一気に胡散臭くなる。

 まぁ事実であった場合はそれが作られたのはそう遠くない過去。その上相当な知識の持ち主が、拡散性に優れた品を世に出したということで一気に厄ネタ扱いになるのだが。

 

「お前はその祭司団トップとやらに何か売った記憶があるのか?」

「あるアルよー。これでも帳簿とかはきっちり付けてるからネ」

 

 伸び縮みする身体を使い、ワンが鉄屑の隙間から取り出した箱には大量の紙束。その中から売った商品の内容や相手の特徴が記されたものを取り出し、ワンは読み上げる。

 

「七ヶ月と四日前だネ。今にも擦り切れそうな穴だらけのジーンズとパーカーの……」

「お前がマメなのはわかったから売ったもんだけ言え」

「せっかちアルね……ええと、ハイマー製のE-12型万能再生機器とホームビデオひとつ」

「ホームビデオ?」

「勿論普段から売ってる訳じゃないヨ。スクラップの中から偶然見つけた、触るだけで情報が読み込めるけど操作不能とかいうよくわからない媒体。直せないし中身も大部分壊れてたみたいだから手元にあってもネ」

 

 この街でよくわからない物をずっと持ってるのも危険だシ、と笑うワンに違いないと返すコルネリウス。だが、続く言葉はコルネリウスの苦笑を凍り付かせるには十分なものだった。

 

「でも出て来るヘンリエッテってブロンドの子が可愛いから、寂しい男には使えるんじゃないかナって……こ、コルバッハさん顔怖い、怖いヨ!?」

 

 

 

 

 

 

 

「おいレオ、なんで付いてきてる」

「うへぇ!? な、いつの間に後ろに!?」

「いいから答えろ。俺ぁ今忙しいし気も立ってるんだ」

 

 ビヨンド・マカオの小路でコルネリウスはレオの背後に仁王立ちしていた。

 ワンの言う情報媒体がコルネリウスの無くした記憶に関わっているのであれば見逃す訳にはいかない。マフィアの抗争に首を突っ込むのも承知の上だ。

 そのようなきな臭い状況でこの少年……もとい自己申告十九歳の青年。彼がどのような技術をもってしてか随分と距離を離しつつも追跡してくるのは、コルネリウスにとって気に障るものであった。

 

 コルネリウスの声から危険を感じ取ったらしいレオは慌てて弁明する。

 

「いやその、あのですね……ぴ、ピザの代金です!!」

「……はぁ?」

 

 突拍子もない発言にコルネリウスの気勢が削がれ、それによって多少余裕を取り戻したレオは続ける。

 

「実は僕、最近仕事がヤバくてですね。いや正確には僕のミスじゃなくて、女たらしのヒモで穀潰しで他人への気遣いというものを売り飛ばして酒代に充ててるような非人間のせいなんですけど」

「だから荒事の隙を突いてでもあの大量のピザの代金が回収出来ないとまずいってか。相手は正真正銘のマフィアなのに、一般人のお前が?」

 

 当然の疑問をぶつけるコルネリウスに対し、レオは言葉に詰まる。コルネリウスからすればレオは悪人でこそないが、代金回収以外の何らかの思惑を持っているように見えて仕方ない。無理に付いてくるのであれば始末するとは言わないが、動けなくするぐらいはするだろう。

 

「隠し事をするってなら仕方ない……」

「だー待って、待って下さい! ピザは本当ですし勝算もありますし、それにコルバッハさんの役にも立てます!」

 

 上着の中からシュラハトシューベルトを取り出しかけたコルネリウスへとレオが叫ぶ。その内容はコルネリウスにとって必要でこそないが、ほんの僅かに興味を引かれるもの。

 

「で、何が出来るって?」

「僕はちょっと特殊な『眼』を持ってまして」

「ああ、さっきも青龍刀わりと正確に見切ってたな。だがそれだけじゃあ……」

「そ、それだけじゃなくて色々見えるんですよ! 防犯のレーザーとか隠し扉とか……ああそうだ! さっきコルバッハさんが出してた赤いオーラみたいなのとか!」

 

 それからも焦りから色々と有用性をアピールしているレオだが、コルネリウスはそれを聞いてはいなかった。彼が考えているのはただひとつ、赤いオーラという言葉だ。それは吸血鬼である彼にとって特別な意味を持つものだから。

 

「レオ、お前が見えると言ってもが証拠がない。それに赤いオーラってのは俺の錬血術の血を見間違えただけじゃあないのか?」

「ええと、そうじゃない……筈です。血は血で識別できてたし、身体からぼんやりと周囲に広がってましたから」

「成程なぁ……ちなみにどんな風に見えた?」

「うーん……一瞬だったしどんなと言われると困るんですけど、こう背中のあたりからもわーっと首動かさないと見えないぐらいまで……」

 

 少なくともレオの『眼』には緋色の羽とは映らず、常時見える訳でもないらしい。それが『眼』の性能限界なのか、コルネリウスの特殊な現状によるものなのかはわからない。とりあえずコルネリウスを吸血鬼だと確信するに足る情報ではないようだ。だが聞く者が聞けば疑われはするだろう。それは、よろしくない。

 

 コルネリウスは――少なくとも今のコルネリウスは人間に代表されるような吸血鬼に格が劣るとされる存在を侮ってはいない。虫食いの記憶は『大崩落』において彼を追い詰めた相手が同胞や神性存在ではなく、人間であったと残している。

 加えて謎の記憶から把握した錬血術を始めとする各種技術。その進歩は彼が完璧な吸血鬼であった頃の予測を遥かに超えていた。十中八九勝ちを拾える現実は変わらないとしても、決して甘く見ていい相手ではない。

 

 つまりコルネリウスは、レオをここで始末するか決める必要があった。

 眼が良いだけの一般人が、裏社会に住む対吸血鬼の専門家に情報を提供する可能性は普通に考えればゼロに近い。それでも後々までリスクを抱え込むことを考慮すれば、答えは自ずと決まる。結局のところこのHLという街で、民間人を一人消すだけなのだ。

 コルネリウスは中途半端に引き抜いていた大剣を今度こそ取り出そうとし……レオが着る制服を見て動きを止める。

 

「お前の勤め先はドギモピザでいいんだよな?」

「えっ? はい、そうですけど何か……」

「……ニーカって女を知ってるか。ちっこい割によく食う奴なんだが」

 

 その問いへ首を傾げつつも答えるレオを見て、コルネリウスは溜息をついた。

 こうして偶然が起きるから怖いというのに、世の中はままならない。

 

 

 

 

 

 

 

 『大崩落』発生直後の混迷期に生まれ、なし崩し的に存続している地区には都市計画などあったものではない。ビルやアパートではなく、建物の上に建物を継ぎ足しただけの奇っ怪なオブジェが立ち並ぶ光景がビヨンド・マカオの歴史を物語っている。

 そうして生み出された迷路じみた道を、コルネリウスとレオは今後の予定を話しながら歩いていた。

 

「よく考えたらコルバッハさんの目的って、ブルンツヴィークの祭司団だけですよね」

「コルネリウスでいいぞ。お前は蛇咬会に行きたいんだろうが、どうせ払う気のないクズと遠因になったクズなんだ。どっちから奪っても同じようなもんだろ」

「考え方は物騒で理不尽だけど、どこぞのダメ人間とは違って不安じゃないし頼もしく感じるのは何故なのか……」

 

 二人はまずは祭司団の情報を集めるところから始める。蛇咬会相手にやり合えているとはいえ、祭司団は素人が立ち上げた新興組織で構成員の大半がチンピラ崩れ。戦力的にも首領以外は平凡なため、選ぶ戦術はゲリラ的。当然ながら堂々とした拠点は見つからなかった。

 

「ここまでは想定内だ。そこでレオ、お前の眼が役に立つ」

「抗争の跡から追跡するとかですか?」

「まぁそんなところだ」

 

 そう言ってコルネリウスは一軒の店に向かう。

 

「ってあれ、ここでいいんですか?」

 

 レオの眼前には二人を映す大きなショーウィンドウとガラス戸。この辺りにしては小奇麗なその店の看板には『レンタル携帯』とあった。

 

 

 

 

 

 

 

 まずはロケットランチャーを二発。次いで機関銃が火を噴き、安普請の扉どころか壁までもぶち抜いて廃墟にする勢いで鉛玉がぶち込まれた。屋内からは幾らかの銃弾が打ち返されているが散発的だ。それを好機と見てか、近接戦用の得物を持ったバイオマフィア達が奇声を上げながら乗り込んでいく。

 コルネリウス達はその光景を、付近で一番高い建物の屋上にある貯水槽……の更に上、血で補強された避雷針の上から眺めていた。

 

「起きた抗争じゃなくて起こす抗争なんすね……」

「祭司団はいない。蛇咬会がシャドーしてるだけだ」

 

 眼下の蛇咬会は未だ気付いていないが、空き家からの反撃はコルネリウスが一山幾らの銃や爆発物、錬血術を用いて作った単純な罠でしかない。

 タレコミを装った電話ひとつで即出撃するあたり薬のせいで思考力が落ちているのか、それとも祭司団への恨みが大き過ぎるのか。判断に悩むところであるが、コルネリウスにとっては好都合だ。

 

「でも祭司団がいないんじゃ周囲の人が困るだけなのでは」

「最近別口で抗争があってあのあたりはだいたい空いてるから大丈夫だ。それにここは小さな街でな、ある程度ドンパチやってりゃ嫌でも気付く」

 

 コルネリウスが指す方向をレオが見れば、堅気には見えない人間が蛇咬会の様子を伺っていた。

 

「あれは服装からしてズー・ズー・ラグドバムラの構成員だから外れだな。だが祭司団の奴らも探せばいるだろ。レオ、頼んだぞ」

「はい! ……ってこれ、結構運任せな方法だし、別に僕じゃなくても人手がいれば」

 

 そも相手が来るかわからないし、高所から眺めれば見つかるとも限らない。レオの不安はもっともであるが、対するコルネリウスは余裕の表情だ。

 

「建物の中から見てる可能性もあるからそんなことはない。それに、俺とお前だけで十分にする方法もある」

「これは……赤い霧?」

「本来肉眼で見えるもんじゃあないが、レオはさっき見たな。まぁ早い話が周囲の情報把握に使う技だ。どっちかが目星をつけて、レオが見て、俺が判断する」

「成程、これなら……僕の作業量自体はそう変わりませんよね」

「気付かない方が幸せだってのに」

 

 

 

 

 

 

 

「し、死ぬかと思った……」

「生きてる証拠だよ。それにちゃんとお前の服とヘルメット『強化』してやっただろ」

「理屈の上ではそうかもですけどぉ……」

 

 レオの不安とは裏腹に、祭司団は食いつきの良い魚だった。他組織の構成員よりも"小慣れていない"二人組を尾行した彼等は、あっさりと祭司団のアジトを発見。ビヨンド・マカオ特有の継ぎ接ぎビル、窓も無い一室。コルネリウスが屋内の会話を魔術で盗み聞き、その横でレオが外から『眼』で偵察。そして情報が集まり次第――本来必要はないのだが――二人で突入、殲滅である。

 

「でも腕に銃弾当たった時とかほんと心臓バクバクでしたよ」

「の割には落ち着いてるように見えるがなぁ。この手の技を知ってるのか?」

「え? あー、この前の『堕落王』の召喚事件で、遠目にですけれど」

「そういや色々な連中が右往左往してたな」

 

 二人は死体が転がる部屋で呑気に会話をしながら家探しに励む。祭司団はゲリラ戦術を選ぶだけあってここは数ある拠点の一つでしかないようだが、何かしらの手掛かりがあるかもしれない。

 仮に無かろうがレオの『眼』を活用すればやりようはある。また不幸にも数人生き残ってしまった祭司団構成員も、本拠地の場所こそ知らないようだが使い道があるだろう。

 

「うーん。コルネリウスさん、こっちはそれらしい情報は無いですね。飲食店の領収書とかそんなのばっかりです」

「こいつらゲリラ戦やってる秘密組織の名義で寿司食ってるのか?」

「言われてみると……あれ?」

 

 何か見つけたのかと振り返ったコルネリウスが見たものは、持っていた領収書の裏をじっと眺めているレオの姿。それは一見して何の変哲も無いレジロールの裏側でしかなかったが、レオの『眼』にとっては違った。

 

「一度書いて消した跡か、上に乗せてた何かに書いた跡が残ってます。内容は『ウーゴから件の少女の情報について追加料金を求められた』と」

「……でかした」

 

 レオからその領収書を受け取ったコルネリウスは、血を纏わせることと魔術を用いてなんとか同じ内容を読み取ることが出来た。気付いてなお、これなのだ。彼だけでは得られなかった情報と言っていいだろう。

 

 コルネリウスはワンから得た情報も考慮し、このメモが指す少女がヘンリエッテであると予測をつける。祭司団の力の源泉となったのは、おそらくワンから得た記録媒体だ。であればそれに記録されていた少女に何か関連と、更なる力への道筋があると考えることもあるだろう。

 つまりヘンリエッテという少女は、ろくでもない連中に目をつけられたということだ。コルネリウスはその事実に強い不快感を覚え、同時に安堵する。彼はHLで幾人かの情報屋を利用しているが、少女の身元は未だ判明していない。そしてメモにある情報屋はその一人だった。祭司団が何かを掴んでいる可能性は低い。

 

 これからすべきことを決め、コルネリウスはその領収書を上着の内側にある『門』へと放り込む。

 

「レオ、お前のお陰で随分と助かった。礼と言っちゃなんだが、今度ドギモピザで大口の注文でもしよう。お前の営業活動のお陰だとでも伝えてな」

「あ、ありがとうございます」

「それと、お前の戦利品だな。これで足りるか?」

 

 そう言ってコルネリウスがレオに投げ渡したのは、中身の入った幾つかの財布だ。祭司団の面々が持っていたもので、入れ物こそ見るからに安物だが中身はそれなり。レオは放り投げられたそれらを少し危なかしくキャッチして、少し躊躇いつつも紙幣を抜いた。

 

「はい、多過ぎるぐらいです」

「とっとけとっとけ。じゃあここでお別れだ。今日はありがとな」

「えっ、あの……ここでですか?」

「……お前の目的はピザの代金回収だろう」

「あー……でもその、乗りかかった船というか……」

 

 明らかに乗り気ではないレオ。コルネリウスはそこに彼の人の良さと、そして再度の疑念を感じた。

 

「おいレオ、お前…………ん?」

 

 これより先にも付いていきたい理由があるのか。コルネリウスは問い質そうとして一歩前に出て、しかしそれは成されることがなかった。

 二人がいる部屋に繋がる廊下の先。ドアガードとドアノブが壊され半ば役に立たなくなっていたそれが、無数の鉛玉によって壁ごとただの廃材と化したからだ。

 

 コルネリウスは事態に対応出来ていないレオの襟首を掴み、レオへ射線が通らぬよう自らの後方に投げる。直後、破壊により生まれた煙の奥より飛来する無数の弾丸。コルネリウスはそれを血を纏わせた机と、上着の内から引き抜いたシュラハトシューベルトで防ぎつつ様子を伺う。

 聞こえるのは銃声と、刃と刃を打ち合わせるような音。そして言葉になっているようでなっていない、お薬の力を感じさせる中国語らしき何か。

 

「蛇咬会かぁ……尾行された訳じゃなかろうが、タイミングは最悪だな」

「ど、どうするんすか!? こんな狭い場所じゃ避けようもないですよ!」

「なら防げばいいだろ。落ち着けって、最悪壁でもぶち抜いて逃げりゃ……」

「……コルネリウスさん?」

 

 レオは急に言葉を切ったコルネリウスを不安気に見るが、彼は何も返さずに大剣を構え直した。

 

「成程。確かにこりゃあ、ぽっと出の素人組織にゃ過ぎた代物だ……!」

 

 直後、二人と蛇咬会の間にある廊下の壁が爆散。再度巻き起こった粉塵を突き抜け、無頭片腕の全身鎧が大量に雪崩込んできた。

 

 

 



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第六話

「ガ、ラララァ! ナラァ!」

「溶けた脳味噌で囀るな、煩いから」

 

 コルネリウスは奇声と共に振り下ろされた偃月刀の刃を避け、横から血を纏わせた左手で叩き割る。得物を失った蛇咬会構成員を右手のシュラハトシューベルトで切り捨て、その勢いのまま半回転。隙を突かんとしていた全身鎧の両手剣を弾き飛ばし、空いた胴に左拳を叩き込んで吹き飛ばす。

 所々が錆び付いた鈍色の全身鎧は乱戦の中へと飛んでいく。そのまま敵味方双方に踏まれ、蹴り飛ばされるが、何事も無かったかのように立ち上がり付近の蛇咬会構成員へと襲いかかっていった。

 

 唐突に開始された三つ巴の争いは乱戦の様を呈していた。玄関から突入する蛇咬会は数で勝るものの、廊下は祭司団の全身鎧達に占拠されている。必然的に破壊されて隣の部屋と繋がった廊下でかち合うことになり、コルネリウス達へは殆ど辿り着けていない。

 また彼等自身、別にコルネリウス達を標的としてここに来た訳ではないようだ。怒りの声と共に、祭司団を優先して襲っているのもコルネリウスの余裕に繋がっている。

 

「あの鎧、中身無しでこの戦闘・耐久力か。確かにバイオマフィアとも渡り合えるな」

 

 そして祭司団のトップ、ひいては例の記憶媒体に繋がる存在。

 ここで重要なのは自立操作なのか、直接操作なのかである。だが直接操作は力量にもよるとはいえ、操れる数が限定されやすい。また術者が戦場の様子を把握する必要があるため、複数箇所での運用も難しい。

 コルネリウスは祭司団の拡大過程で起きた抗争の内容を考慮した結果、制限はあるかもしれないが自立操作だと判断する。

 

(それに、なんだ。この術式は直感的に自立操作だと思える)

 

 コルネリウスは自身に向かってきた別の鎧の足を払い、剣で片方しか無い腕と両足を斬り飛ばす。文字通り手も足も出なくなった鎧の胸に剣を突き刺せば、剣を伝って広がった血が鎧を包み込む。コルネリウスが試みているのは戦場故に即席で荒いものではあるが、魔術の解析であった。

 

(これ自体に見覚えは、無い。しかし)

 

 鎧は既存の無機物を動かしているのではない。魔術で生み出されたものであり、高度な術式でコルネリウスも知らないものだ。

 しかし何故であろうか。コルネリウスの脳裏には、この魔術に足りないと思う要素が即座に幾つか浮かんだ。まるで持っていたパズルのピースを、別のピースを目の前にして合わせるべきものだと気付いたかのような感覚。

 この奇妙な一致は何故起きたのか。コルネリウスは今日集めた情報と、自身の特異な現状を鑑みて一つの推論を立てんとする。

 

 しかしそれは乱戦の中において長々と考えるべきことではない。コルネリウスは自身へと向かってくる敵が途切れたのを確認。彼の背後、部屋の隅で小さくなっているレオへと声をかける。

 

「おいレオ、壁の向こうはどうだ!」

「大丈夫です! 何もヤバそうなものはありません!」

「よし。少し派手にやるから耳塞いでろよ」

 

 言うが早いかコルネリウスは手に持った剣の刃先を左手で持ち、次いで右手も同じ場所へ。逆さに持たれた剣は十字架のようであるが、コルネリウスは吸血鬼であってもそれを恐れることもない。彼はそのまま血を纏った両手剣をバットのように構え、レオがいた付近の壁へとフルスイングする。

 轟音と共に三度粉塵が舞い、壁に大穴が空く。コルネリウスは注意を惹かれたバイオマフィアや全身鎧が向かってくる前に、レオの襟首を掴んで穴から飛び出した。

 

「ここ五階なんですけどぉぉぉぉ!?」

 

 言うまでもないが、この地区では重力が仕事をしている。

 

 

 

 

 

 

 

「し、死ぬかと思った……」

「さっきも聞いたからそのネタはいい」

「いやネタじゃないですって……」

 

 猥雑としたビヨンド・マカオの街を歩きながら愚痴るレオと、受け流すコルネリウス。二人は空の旅を楽しんだ後、入り組んだ小路を幾つも抜けてひとまず鉄火場からの退避を果たしていた。

 

「仕方ないだろう。この街でヤクを決めてる系統のマフィア共と、あんな閉所でやり合うのはまずいんだ」

「やっぱり狭いところだと避けたりし辛いからですか?」

 

 レオの質問と同時、大きな爆発音が響く。聞こえてきたのは、彼等が逃げてきた方向からであった。

 

「ああやって閉所だろうが後先考えず爆発物使うからだ」

「いくらバイオ強化されてるからって、絶対に死なない訳じゃあるまいに……」

「鉄砲玉なんかにゃ最適なんだけどな。ところでレオ、ここはもう安全だし……」

 

 コルネリウスは離脱を促そうとしたが、レオは慌てた様子で話を切り出す。

 

「で、でもあの壁を壊した技、どうやったんですか? 血? で強化してたとしても、ただの剣ですよね」

「鍔や柄に細工があってな、即席で魔術を仕込みやすいんだよ。俺は錬血術だけじゃなくて魔術も修めてるから……ってそんなこたぁどうでもいい。レオ、お前はもう帰れ」

 

 誤魔化されることもなく、路地の先にある別地区へ繋がる道を指差すコルネリウス。レオはそちらを一度だけ見て、首を振る。

 

「いやでも、ここで抜けるのは」

「必要な情報は手に入った。ここから先は荒事続きでお前にゃ向かん」

「あいつらに目をつけられたかもしれないし」

「部屋の隅にいたお前の顔なんて覚えてないだろ。だいたい確実な安全を確保したいってのは、両組織に手打ちさせるか完全に叩き潰すってことだ」

「ひ、暇ですし……」

「おめーさっきから何度も鳴ってる電話気にしてるだろ。店からじゃないのか」

 

 いよいよ苦しくなってきた理由付けにコルネリウスは溜息をつく。収納していた剣を再び取り出して、レオの顔の横、所々剥離しているコンクリートの壁に突き刺した。

 もっともレオに中途半端に避けられたとしても、絶対に刺さらないような間隔を空けてではあったが。

 

「それがお人好しなのか好奇心なのか、あるいは別の目的があってなのかは知らん。だが一つ言えるのは、この先は鉄火場だらけだ。戦闘面でのお荷物は連れて行きたかない」

「うっ……」

 

 自覚はしているのか、弱った顔になるレオ。

 

「これでもだいぶ譲歩してる方だぞ。他の相手にこんな状況で無理に付いて行こうとしてみろ。別組織の人間扱いされて、問答無用で墓の下に送り込まれても文句は言えん」

「…………わかり、ました」

 

 警戒されながらも気遣われていると気付かぬレオでもない。彼は自分が戦闘においては足手まといである現実も理解はしている。遂に観念した様子で別地区へと向けて歩き出したが、ふと立ち止まる。

 

「あっ、あの……!」

「ん?」

「ええと、コルネリウスさんもお気をつけて……」

 

 出てきたのはコルネリウスを気遣う言葉。コルネリウスはレオのどうしても滲み出てしまう人の良さに苦笑しつつ、胸元から取り出した名刺入れの中身をレオへと投げた。

 魔術でも用いたのか、不自然なまでに綺麗な軌跡を描いてレオの手元まで届いた名刺。彼はそれをきょとんとした目で眺める。

 

「何か聞きたいことがあるなら今度にしろ。知ってるとも、話せるとも限らんけどな。単に店に来て買い物するのも歓迎するぞ」

「……はい! 今日はありがとうございました」

 

 頭を下げ、今度こそ去って行ったレオ。その背が見えなくなったところでコルネリウスは剣をしまいつつ、自身の行動を省みる。

 

「手間かけて"そうではない"と思わせる情報を持たせたから、怪しくても殺すのは勿体ないってか? そんなこたないだろうに、甘いもんだよ」

 

 『昼』は反射物に映ろうと、羽が常時見えなかろうと、怪しまれる時は怪しまれる。吸血鬼とは理論上、一体いれば一月もかけず人界を滅ぼせる存在だ。戦力が揃っている状況で、灰色が灰色のまま放置されることは無い。

 単純な強さや過去の所業から警戒されているのではない。ましてや個々の性格なぞ関係なく、存在からして他種の脅威なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 狭い空間に金属同士をぶつけ合う耳障りな音が響く。シェルターの素材にもなっている三種の特殊金属を用いて作られた分厚い扉は値段相応の働きを見せ、暴力による侵入者をしっかりと拒んでいた。ただし、対魔術に関してはその限りではない。

 

「こ、コルバッハの旦那……何の用で……いや、それよりも外の連中をどうにかして救急車を……」

「とりあえずの止血はしといた。すぐには死なない」

「あ、ありがたいんだがあいつらを、祭司団の連中を! か、金なら」

「ウーゴ、俺が聞きたいのはそういう話じゃあない。薄々わかってるだろ?」

 

 『戸籍屋』ウーゴ。二つ名のとおり主に戸籍に関する裏稼業に従事する彼は、その仕事内容や地道な作業を厭わない性格もあって人探しに長じる情報屋でもあった。

 コルネリウスがヘンリエッテを探すために金を払っていた情報屋の一人。そしてその情報の横流しを禁ずる契約を破った結果、祭司団の全身鎧によって脇腹に冷たいものを挿し込まれたばかりの男だ。

 

「い、一体何のことだか……ま、待ってくれ! あいつらから依頼を受けたし情報も渡した、すまない!」

 

 コルネリウスはシェルターの扉から手を離し、下手な誤魔化しをするウーゴへと向き直る。その口調は穏やかであったが、目は決して優しいものではない。

 

「情報屋稼業において商品を一人に独占させるのは厳しい注文だ。折角の商機を逸しかねないし、内容と求める相手如何では危険も呼び込む」

 

 だが、とコルネリウスは懐から短剣を取り出す。普段使いのサクスと呼ばれるものではなく、ミセリコルデと名付けられた負傷者にとどめを刺すために設計されたものだ。

 

「スペインからこの街に逃げ込み、ここでもヘマをやらかして三叉鰻の餌になりかけてたお前を助けたのは俺だ。人一人探す依頼にしちゃ、十分過ぎる金も払っていた」

 

 ウーゴはこの剣が役立つような鎧を着ていないため、少々ミスマッチではある。しかし斬ることよりも刺すことに特化した形状は、この状況において言葉よりも雄弁であった。

 それを見たウーゴは顔を青くして悲鳴のようにまくし立てる。

 

「だ、旦那に渡した以上の情報は流してないし、むしろ少ないぐらいなんだ!」

 

 つまり、何もわかっていないに等しいということ。彼が死にかける羽目になった追加料金の請求も、ただの吹っかけだとウーゴは言う。

 

「あんな小組織どうせ長続きしない。取れるだけ取っておこうと値を吊り上げてた。敵以外にゃ足元がお留守だったから、取引ついでに何個か調べた連中のアジトの情報も何時間か前に蛇咬会に売ったんだ……」

 

 先程の三つ巴の原因はウーゴであったようだ。コルネリウスは手元で短剣を弄びつつ、聞いていない情報まで喋り出したウーゴを軽く蹴る。痛みに痙攣するウーゴだが、コルネリウスの瞳はなんら感情を感じさせない色でそれを見ているだけ。ウーゴが痛みに耐えきった頃に、コルネリウスは再度口を開く。

 

「俺が今欲しい情報は祭司団のトップに繋がる情報だ。だがお前の話じゃ知ってるアジトは全部襲撃済で、役には立たないようだな」

「い、いや、違う! ……全部売った訳じゃないんだ。まだ幾つか知ってるし、その内ひとつは電話でのやり取りにも使ってる。一気に売ったら勿体無いし、いずれ潰れるにせよ祭司団にも蛇咬会の情報は売れるから……」

 

 呆れた蝙蝠であるが、背信行為さえ除けば情報屋とはこういうものだ。コルネリウスとてこの手の輩を利用するリスクは承知の上であった。自らの不利益となっても徹底的に不義理を嫌う者もいることはいたが、それだけでは明らかに手が足りないのだから。

 

「祭司団はトップが使う魔術に、ヘンリエッテが関係あると見ているんだよな?」

「直接そうは言ってなかった。けど探す相手は魔術師だって話だからそのはずだ」

 

 だが、だからと言って契約の不履行を許せば、予備軍であっただけで踏み止まっていた者すら次のウーゴになりかねない。見せしめは決定事項であり、あとはその度合いを決めるだけ。

 コルネリウスは最後の質問を始める。無論、相手にはそう告げず。

 

 

「それで、その話やヘンリエッテの存在は祭司団の他にどこに流した?」

「…………ええと、その、蛇咬会にはアジトの情報と一緒に。あとはガルガンビーノと統一戦線と、『日和見』のアンドレだ」

「結構。では祭司団のアジトに連絡してくれ。ヘンリエッテの件と蛇咬会の情報と……まぁ、ドンパチの真っ最中でも気を引かれる程度に盛ってだ」

 

 ウーゴは何度も頷き、傷を忘れたかのように跳ね起きる。ひとまず見逃されたと思ったのか、先程までと違い身体からは幾分緊張が抜けている。

 

 

 

 故に、彼の背後にいる存在が既に『人間』ではないことなど、気付かない。

 霧に包まれた境界都市に、今日も夜がやって来る。

 

 

 

 

 

 

 

 カシュパル・ベナークはブルンツヴィークの祭司団を率いる身だ。今でこそ急拡大している武闘派組織の長として日々豪遊しているが、ほんの数ヶ月前までは日雇い労働者として食うや食わずの毎日であった。

 

 HLの出現と多種多様な超常技術の開示・流出によって世界のパワーバランスは変化した。中でもEUは今まで秘匿されていた『魔術』的な技術・資源の豊富さから好景気を迎える。が、それも主に西欧の話だ。

 東欧はかつて領域内の魔術資源の殆どを『来るべき理想の国家』と『赤く染まった鎌と槌』に奪われている。当時気付かれていなかったそれは過去の戦争責任を求める声と、不穏な運動へと結び付き、国内は混乱。

 それでもある程度は好景気の恩恵に与れたものの、EU内における経済・政治的格差は更に広がった。少なくとも、彼のような無産階級にはそう考える者が多い。

 

 不景気に喘ぎ、あるいはこの街ならば、と夢を見た。その姿はまるで中世の自由都市へ逃げ込む農奴のよう。そして彼を迎えた現実は、数百年前の彼等と大して変わらないものであった。

 

「失ってなるもんか。大丈夫、大丈夫だ。この力があれば、もっと強くなれば……」

 

 そのような経歴を持つため、カシュパルは一度得たものを失うことを極端に嫌う。分の良い再起や、不利益を伴う手打ちという選択肢が取れない。

 蛇咬会の同時多発襲撃に右往左往する部下達を見れば組織の欠点と脆弱性は明らかであるというのに、時間を得て地盤を固めるよりも戦って力を示すことを選んだのだ。

 

「ウーゴから連絡だと?」

 

 今日初めてもたらされた、泣き言の類ではないまともな報告。それは欲しい情報の値を釣り上げる小癪な、そして力ずくで聞き出すことにした情報屋に関するもの。例の少女の情報と蛇咬会の動きを、当初より安い値段でいいので買ってほしいとのことであった。

 鎧と一緒に向かわせた構成員からの報告でなく、数少ない無事なアジト経由だ。カシュパルはウーゴの事務所にいる構成員に連絡を取らせようとしたが、そこは防犯の都合でシェルター内の固定電話でしか連絡が取れないと返されて舌打ちする。

 

 結局、カシュパルはウーゴの提案を飲むことにした。ウーゴの命を握っているのは祭司団であったが、彼がもたらす情報の有用性次第では今後も付き合いが続く。値切ったり始末するようなことはしない。むしろ寛容さを見せてやろうと、最初に払う予定であった金額を持たせて部下を送り出す。魔力消費による疲労で身体が重くなるが、十分過ぎる数の鎧も護衛につけ裏切りや蛇咬会の襲撃にも備えた。

 そして一時間後、彼の下にその部下が全滅したとの報告が届く。

 

「何が起こった!」

 

 首領の剣幕に怯えた部下が途切れ途切れに説明する。向かわせた部下の一人が、おそらく死ぬ直前にかけてきた電話によれば相手は蛇咬会でも他組織でもなく、ウーゴらしきものだったという。

 ウーゴはただの情報屋であり、戦えるような男ではない。混乱したカシュパルは半ば当たり散らすように部下に詳細な報告を求める。しかし、それもアジトの電気が消えるまでの話だ。

 

 このタイミングにおける停電を事故と捉える者は、底抜けの楽天家か脳が溶け切ったジャンキーぐらいであろう。

 部下達が悲鳴のような怒声を放ちつつ防戦の準備をする横で、カシュパルは限界まで鎧を生み出す。カシュパルはもはや椅子から離れるのも億劫な程疲労しているが、彼自身の戦闘力は見た目相応でしかない。最悪の場合その身を鎧に運ばせればいいため、数を揃える方が重要であった。

 

 暗闇の中、息を潜めた構成員達が各々の得物を構える。耳が痛い程の沈黙が続き、鎧に囲まれて安全な筈のカシュパルですら冷たい汗を流すほど。

 しかし、いくら待てども銃声のひとつも、敵の声も聞こえてこない。

 

「おい、予備電源が起動しているかもしれんから監視用の機械の確認をしてこい」

 

 不審に思ったカシュパルは部下に命令する。普段の彼ならこの程度のことは部下が自主的にやれと怒るところだが、場に漂う異様な雰囲気に飲まれていた。

 しかし返事が無い。苛立ったカシュパルが鎧に命じて近くに立っていた部下を小突かせ――――その部下は触れられた場所から全身が崩れ、ただの粉となった。

 

 驚愕、混乱、恐怖。一気に様々な感情を抱え込んだカシュパルは、恐れを振り払うかのように次々と部下の名を呼び、鎧に確認させる。だが返ってくる反応は全て同じもの。暗闇に慣れてきたカシュパルの目が、男達がまるで木乃伊のように干からびていることに気付いてしまったことも混乱に拍車をかける。

 やがて部屋にかつて人であった粉が散らばり、確認する相手も尽きた。もはやこの部屋に彼以外に生きた者はいない。その、はずだった。

 カシュパルは部屋に何者かの気配が現れたことを感じ取り、鎧達に自分を囲ませてから叫ぶ。

 

「……こ、殺せ!!」

 

 主の意を受けた数体の物言わぬ騎士達が駆け、得物を振り下ろし、次の瞬間には壁に叩きつけられていた。頑強な筈のそれらは大きくひしゃげ、もはや原型を留めていない。

 振り返ってその光景を見たカシュパルは、恐怖で凍り付きそうな首を無理矢理に動かして再度敵を見る。彼の目が捉えたものは、黒髪の男の光る眼と、口元に覗く長い牙。

 

 

 

 

 

 

 

「ど、どうやってここに来た……」

「知ってる奴を捕まえただけだ。大金を扱える拠点から辿れば早いと思っていたが、初回で当たるとは思わなかったぞ」

 

 椅子に力なく座り、青い顔をしながら言うカシュパルにコルネリウスは少し呆れたような表情で言った。

 

「ここを知ってるのは一部の……そうか、くそっ。貴様、ウーゴと……」

 

「あれは今頃、命令通りに自分ごと痕跡を抹消してる最中だろうな」

 

 吸血鬼の力の一つに、命を奪った相手を屍喰らい(グール)と呼ばれる意思無きモンスターにする術がある。哀れな、そして愚かな情報屋の末路がそれだ。

 

「貴様、死霊術師の類か」

「……この状況で吸血鬼だと考えもせんあたり、確かにトーシロだな」

「吸血鬼などと、何を馬鹿な……!」

 

 コルネリウスの発言を否定するかのように頭を振り、鎧をけしかけ続けるカシュパル。あるいは目の前の、追い詰められているという現実も否定したいのかもしれない。

 

 『吸血鬼』『血界の眷属』『緋き羽根纏いし高貴なる存在』

 様々な名で呼ばれる彼等は、裏社会にある程度精通した者であれば避けるべき災厄。だがそうでない者にとっては、HLというものが出現してなお御伽噺の住人と見られていることも多いのだ。『Need to Know』に基づく努力も関係はあるだろうが。

 

「……まぁ、吸血鬼として出会ったらまず死ぬのもあるしな」

「う、うるさい! 死ぬのは、お前だ!」

 

 襲い来る鎧をコルネリウスは剣すら使わず素手で破壊していく。だが、その内何かを思い出したかのように動きを止めた。無論敵の隙を見逃す鎧達ではない。即座にコルネリウスの身に無数の剣や槍が突き刺さる。

 カシュパルは凄惨な光景を前に、喜びよりも安堵の色が強い乾いた笑いを漏らす。だが悲しいかな、それも一瞬の後には凍り付く。針山のようになったコルネリウスが、何事も無かったかのように一体の鎧を掴み、引き寄せたからだ。

 

 コルネリウスの袖から流れ出た血が瞬く間に鎧を覆う。それが持たぬ頭や片腕をも形作った血の檻。囚われた鎧は暫し呼吸を求めるかのように暴れていたが、その身を覆う血が流れ落ちる頃には大人しくなっていた。

 それだけではない。錆が落ち、銀の輝きを取り戻した鎧には頭部と両腕が揃っている。誰が見ても言うだろう。こちらが在るべき姿である、と。

 

「な、何をした……」

「無くした知識とはいえ、正しい断片は残ってる。であれば修正も可能だ」

 

 コルネリウスが自分に刺さった剣の一本を無造作に引き抜き、銀の鎧へと渡す。新たな主を得た鎧は、立ち塞がる先程までの同胞を次々と切り捨てていった。銀の鎧は不完全であった頃よりも更に力強く、そして疾い。

 

「だが式の大半はお前にあった筈だ。それでこれだけ不完全なものになるあたり、地力の無さってのは悲しいな」

「ち、違う。俺には才能があるんだ……あのジャンク屋とは違い、俺は多くの『力』をあれから得た!」

「――そりゃあ『記憶』の間違いだな。才能ではなく、せいぜい適正があった程度だ」

 

 コルネリウスに嘲笑され、カシュパルは叫ぶ。ただしそれは怒声というよりも、悲鳴のようなものだ。既に彼の兵団はたった一体の銀の鎧によって壊滅寸前となっている。

 偶然得た力に驕り、頼り切り、自らを磨いてこなかった。その現実が死神と化し、今まさに彼の命に追い付かんとしているのだ。

 

 部屋の主を守る最後の一体が地に伏したところで、コルネリウスはカシュパルへと向けて歩き出す。カシュパルは思い出したかのように逃げるための鎧を生み出そうとして、魔力が尽きている事実に愕然とする。残ったのは絶望の眼差しと、命乞いの言葉だけ。

 

「あ、あれを渡す! 金も渡すし、あんたの言うことも聞く! だから……がっ!?」

 

 コルネリウスは片手でカシュパルの首を掴み、身体ごと持ち上げて嗤う。

 

「能のない生者より、死者の方が遥かに役立つ」

 

 

 

 アジトの予備電源が作動し、部屋に灯りが戻った時。豪奢な椅子には一人分の衣服と何かが砕けた粉しか残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 窓から見える豊かな自然はHLでは珍しく、人の心を和ませる。建材の大部分を占める明るい色の木材も、視覚と嗅覚から癒やしを与えてくれるだろう。更には大きな窓と吹き抜けが明るく開放的な空間を作り出しており、このログハウスはまさにくつろぐための場所だ。

 

「であるからね、ムッシュ。ここで剣呑な雰囲気は勘弁願いたいんだ」

 

 『日和見』アンドレは左手を挙げて降参の意を示しつつ、右手で対面に座るコルネリウスにエスプレッソが注がれたカップとソーサーを置く。

 一方コルネリウスはというと、別に敵意を見せてはいなかった。ただやり辛そうな顔をしつつ、カップを口に運ぶだけだ。

 

「話に聞いてはいたが、うまいもんだな。こっちが本職扱いされるだけある」

「そういって貰えると嬉しいね。僕自身、そうでありたいと思ってるし」

 

 そう言って笑うフランス人は情報屋の傍ら、このログハウスで不定休のカフェを経営している。欧州の権威ある組織からバリスタとしての技能を認められている彼は、自身で言うように情報屋よりもこちらの生き方を好んでいるのかもしれない。

 

「……で、だ。どうも言いたいことはわかってるようなんだよなぁ、お前は」

「例の少女の情報、正しくはその扱い方。でいいかな?」

 

 その言葉にコルネリウスが無言で頷くと、アンドレは困ったように笑いながら自分の椅子に座る。

 

「ウーゴのところで仕入れたのは偶然だった。ただ、これが"誰の"求めていた情報かってのは知っていたし、"そう"したらどうなるかも予測はついた」

「だから一度たりとも商品にはしていない、と。大した危機回避力だな」

「スペインの考え無しのように、チェコの新参者のように、はたまた最近原因不明の被害を受け続けてる中国の自称武侠のようにはなりたくなかったからね」

 

 コルネリウスは自分の調査が完全であるなどと思うつもりはない。ただ彼が知る限り、このアンドレからヘンリエッテの情報が他所に流れた形跡は確認できなかった。

 問答無用の詰問や口封じをしていないのにも理由がある。コルネリウスにとっては数少ない信頼出来る情報屋がアンドレであるならば、と穏当な対処を薦めてきたのだ。

 

「ただ簡単に力を得られる電子魔術書、なんて馬鹿げた情報は一定の信憑性を持って広がってしまったよ。悪魔の証明とまでは言わないけれど」

「ヘンリエッテが見つかった時の混乱は酷いだろうな……現状のままなら」

「おお怖い」

 

 わざとらしく胸元で十字を切るアンドレ。彼は電子魔術書などという代物を信じないらしい。少なくとも、コルネリウスの前では。

 

「あと、今回の件は『ライブラ』も気にしてたようだ。祭司団が消えたあの日、唯一蛇咬会の手によらず焼け落ちたアジト。その周辺でメンバーらしき人間が目撃されてる」

「……はぁ、何が起こってもおかしくない街ってのはこういう時面倒なんだ。何かを嘘だと断じることが"外"に比べて難しい、どころか危険にすらなるからな」

 

 コルネリウスがあの日手に入れた記憶媒体――――否、取り戻した『記憶』は便利な魔術書という側面が確かにある。何せ吸血鬼という存在の叡智がおまけ付きで入っているのだ。事が事だけに公にする訳にもいかず、事態はこんがらがる一方。

 運良く"無い"と把握出来るだけでも、彼の『記憶』はまだ幾つかあるだろう。今後それを見つけた者が、どのような騒動を起こし世間の耳目を集めるかは考えたくない。

 

 コルネリウスはうまくいかない世の中、あるいは噛み合いすぎている歯車を憎々しく思った。しかし様々な意味で自身も原因の一つであると思い出し、軽く落ち込みつつ席を立つ。

 

「今のところお前をどうにかする必要は無さそうだ。邪魔したな」

「気にしないでくれ。今度はお客様として来てくれれば嬉しいけどね」

「あー……どっちのだ?」

 

 コーヒーを主力とするカフェに、と言われるとコルネリウスは困る。実のところ、彼はコーヒーについてわりと無知であるから。ただ幸いなことに、そうではなかったようだ。

 

「どっちもさ。ムッシュの想い人の件、僕も受けようか?」

「……まぁ、いいか」

 

 『門』から札束の入った袋を取り出して投げ渡したコルネリウスは歩き出す。その背後ではアンドレが金額が多過ぎるだのなんだのと言っていたが、彼は無視した。

 依頼についてのフランス人の勘違いを正す気力すら無いのだ。どうせ後々払う金を、細かく数えるなどやりたくもなかった。

 

 

 



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第六・五話

「ヘルメス流。確かにそう言ったんだな?」

「はい。名刺にもそう書いてますし……ほら」

 

 レオは財布から取り出した名刺を眼前の男に手渡す。様々な肩書の最後に『ヘルメス流錬血術』と記された、何の変哲もない名刺。左頬に大きな傷跡のあるスーツの男はそれを確認し、手元の紙に素早く情報を写し取ってレオへと返す。

 

「血法使いとしての肩書は最後、か。成程、らしいと言えばらしいな」

「いやいや、ちゃんと技使ってるとこも見ましたよ? スティーブンさんにも報告したじゃないですか」

 

 それはブルンツヴィークの祭司団と名乗る非合法組織が壊滅した日のこと。レオは一時連絡が途絶したことをこのスティーブンに――――世界の均衡を守るために活動する秘密結社『ライブラ』の"同志"であるスティーブン・(アラン)・スターフェイズに叱られた後、『電子魔術書』を巡る争いの一部始終を報告していた。

 ただ仲間と合流してすぐに祭司団のアジトを探して駆け回る羽目になったため、戦闘員でないレオは疲労困憊。祭司団もライブラが介入する前に壊滅し、電子魔術書の手掛かりは途絶える。その直後には相変わらずと言っていいのか、別の事件が勃発したため電子魔術書の件は一時棚上げし、レオは帰宅を許されることとなった。

 今日は情報を整理し今後へ繋げるための、改めての聞き取りである。

 

「そういうことじゃない。錬血術師としての肩書を前面に出してないってことだ」

「…………すいませんスティーブンさん。俺名刺には詳しくないので仰る意味が」

 

 手に持った名刺を凝視するレオ。だが如何に彼が『神々の義眼』などというオーパーツじみた眼を持っていても、新たに導き出される情報は無い。

 そんなレオを見て少し頭が痛そうにしたスティーブン。とはいえ彼は後輩への説明を厭わないし、無知を責めるような性格でもない。

 

「名刺の肩書ってのは、自分をそう扱ってくれというメッセージでもある。宮仕えであれば組織の一員として相応しい順序にする必要があるが、そうでないなら……」

「あー、上に書かれてる方が本人には重要なんすね」

「そういうことだ。まぁ渡す相手によって内容が違うこともあるし、国によっても傾向は違うが」

 

 なるほどなー、などと呟きながらしげしげと名刺を眺めるレオ。スティーブンはそれを横目に、仕事机のPCを操作しながら続ける。

 

「俺達牙狩りの業界ではヘルメス流は少し特殊で、知名度も高い流派なんだ。いい意味でも、悪い意味でも」

「だからコルネリウスさんもアピールしてないんですかね」

「いや、むしろそれが悪い意味での知名度の理由のひとつだ」

 

 スティーブンは手招きし、レオが自分の横まで来るとPCの画面を指す。

 モニターに映っているのは何かしらのグラフだ。その殆どはとても小さな数値しか持たない項目であるが、一つだけやけに大きなものがある。

 

「これは牙狩り構成員が用いる流派のグラフだ。この一番多いのがヘルメス流」

「えっ、こんなに数の差があるんですか? ……というか一人や二人しかいない流派が多いですね。そのせいで余計目立ってるなぁ」

「俺達はそもそも裏社会の存在だ。『血』は勿論のこと、身体そのものを弄る流派も珍しくないので素の能力や適性も大事になる。訓練だって過酷だ」

 

 そして、実戦はその比じゃあない。そう言ってスティーブンは続ける。

 

「だから各流派の方針を抜きにしても、母数はそんなに増やせるものじゃないんだよ」

「じゃあ、ヘルメス流はなんでこんなに多いんですか?」

「そこらへんの理由を全部取っ払ってるからさ」

 

 スティーブンが溜息をつき、一時会話が途切れる。レオは少し待ってから質問をしようとしたが、丁度そのタイミングで拠点の扉が開いた。

 入って来たのは身の丈2mはあろうかという、眼鏡をかけた赤髪の男。白のワイシャツとネクタイ、ウエストコートと大した紳士振りだ。扉の開け閉め一つとっても、育ちの良さが伺える。

 だが服の上からでもわかる鍛えられた身体と、気が弱い者なら腰が引けそうな強面のせいで威圧感が凄い。会う場所を選ばねば、初見の人間は色々と勘違いしそうだ。

 彼こそが秘密結社『ライブラ』のリーダーであるクラウス・(フォン)・ラインヘルツである。

 

「あっ、クラウスさん。おはようございます」

「うむ。おはよう、レオナルド君、スティーブン。だが、私だけでなくニーカ君もいるのだが……」

「えっ……あ、ほんとだ。すいません、ニーカさん」

 

 クラウスの発言と共に、彼の背後から茶髪をポニーテールにした作業服姿の女性が現れる。小柄な彼女はクラウスの巨体に隠れて見えなかったのだ。

 特に気を悪くした様子もなくレオへと挨拶を返し、隣室にある簡易作業台に向かって行った彼女の名はニーカ・コヴァレンコ。ライブラでは主に武器の整備や修理を行っているが、やろうと思えば車から日用品までわりとなんでも扱える。

 

「おや、二人だけかい。パトリックがいないようだが」

「うむ、それがパトリックは街で見かけた……あれは模型、でいいのだろうか? それの値段交渉に夢中になってしまったのだ」

 

 クラウスは困ったように言う。

 

「だが急ぎの用も無い。彼は普段から働き詰めであるしたまには、と……」

「あー、まぁ構わんだろ」

 

 『ライブラ』はタイムカードを押して働くような職場ではない。やることをやっていればいい、とスティーブンは思っている。もっとも、彼自身は文字通り身を粉にしてプライベートすら捨てる勢いで職務に励む人種であるが。

 

 今頃どこぞの店で値切りに勤しんでいるであろう巨漢。その姿を思い浮かべていたスティーブンに、別の部屋へ行く途中であったクラウスが声をかける。

 

「ところで、二人は何か話していたようだが。それはもういいのかね?」

「ん? ……ああ、すまんレオ」

「……あっ、そうでした」

 

 スティーブンだけではなく、レオも忘れていた。彼は慌てて、先程までの自分が何を言おうとしていたかを思い出す。

 

「ヘルメス流はなんで人数が多いんですか?」

「さっきの内容と被るが……まず習得難易度が低いんだ。最低限のラインでいいなら、まず誰でも覚えられる」

 

 机の上に用意されたメモ用紙を一枚取り、レオにわかりやすいようヘルメス流の特徴を箇条書きにしていくスティーブン。

 

「流派の側が一門と認めるかどうか、ってだけじゃないぞ。絶対に必要な『血』が受け入れやすい。これは偶然でも技術的な問題でもなく、意図的なものだ」

「人を増やすため、ですか」

「そういうことだ。そしてその意図が問題でもある。早い話、ヘルメス流は自分達の技を売りに出してるんだよ」

 

 快く思っていないのか、スティーブンの持つペンの後部が机を小刻みに叩いている。

 

「売る、って」

「そのまんまの意味さ。実力はともかく超常の技の使い手になれる。異形と戦うための技術が、金持ちのちょっとしたステイタスに早変わり。その行いが有名といっても、あくまで狭い業界内での話。そしてその中ですら知らない者がいる程度だ。粗製乱造でも外部になんかわかりゃしない」

 

 彼にしては珍しいが、目に見えて機嫌が悪くなってきたスティーブン。レオはそんな彼の姿に地雷を踏んでしまったかと焦りつつ、渡されたメモ用紙の内容から他の話題に逸らそうとする。

 

「で、でもちゃんと戦える人も多いんですよね? それなら――」

「戦えるが、義務ではない」

 

 スティーブンの声が一段と低く、冷たくなる。レオには周囲の温度まで下がったような気がした。同時に気付く。流派自体に悪印象を持っているのであれば、このリストにあるものは全てそれに繋がるのではないか、と。

 

「故に彼等は牙狩りとしての仕事を受けない者も多い。それどころか、鍛えた技を私利私欲に用いることすらある。先程見せたグラフでも、籍を置いているだけに近い者がわりといる」

 

 スティーブンが扱う流派は『エスメラルダ式血凍道』。血の氷を操るその名に相応しいような冷気が――別に技を使っている訳でもないのに――室内に広がる。もはやレオは震えるばかりである。

 

「そして、流派の側はそういった行いを取り締まる気がほぼ無い。名実共にトップである者がおらず、有力派閥が乱立しているせいで統制が取り辛いという事情はある。だがそれを含めてもやる気が無い」

 

 その後も恨み言を吐き出し続けるスティーブン。彼が発する暗い冷気に体力を削られ続けていたレオを救ったのは、隣室から戻ってきたクラウスであった。

 

「スティーブン、共に世界の脅威と戦う戦友をそう悪く言うものではない」

「……共に戦わない者も多いだろう。お尋ね者すら抱えているような流派を野放しにしていては、我々牙狩りの印象も下がってしまう」

「そういった悲しい事実も、確かにある。だが同時に、彼等は牙狩り……だけではなく、平和を守らんとする同胞達に多くの恩恵をもたらしてきたではないか」

 

 今までスティーブンが語ってきたものとは正反対のイメージ。レオはそれが気になるのが二割、この恐ろしい空気を払拭したいのが八割でクラウスの言葉に飛びつく。

 

「クラウスさん、どうか説明をお願いします!」

「む、レオナルド君は興味があるか。仕事熱心なのは素晴らしいことだ」

 

 レオの言葉を都合よく解釈したクラウスはうんうんと頷く。そしてレオが持つメモを求め、それを受け取ってから話し始める。

 

「まず、彼等は政財界を始めとする様々な方面との繋がりが深いのだ」

「技を売ってるからですか」

「正確には技だけではないが、概ねその通りだ」

「裏の情報を無秩序に流出させ過ぎだと思うけれどね」

 

 納得できないとばかりに口を挟むスティーブン。クラウスはそんな彼をまあまあとばかりに宥めながら続ける。

 

「それは資金・政治・情報といった様々な面で、我々のような組織にとって大きな助けとなっている。彼等がいなければ『極限の14日間』が倍以上に延びてもおかしくない」

「へー。じゃあ僕達の活動資金の幾らかも、そこからだったりするんですかね」

「うむ。次は今の話にも関係があるのだが、ヘルメス流の歴史についてだ。レオナルド君は、我々が扱う技は何のために作られたと思っているかね?」

 

 レオはライブラに加入してからの、短いながらも濃密な日々を振り返って答える。

 

「ええと、世界平和……?」

「素晴らしい答えだと思うが、正確ではない。我々の技は――」

 

 クラウスは言葉を切る。レオに今『吸血鬼』という単語を聞かせれば、そちらが気になるであろうと考えたのだ。だが話としては――熱心に聞いてくれる相手に説明することは好きなのだが――脱線となる。また非戦闘員であり、ライブラの仕事にも慣れていないレオに、吸血鬼関連の情報を今詰め込むのは良くないと判断した。

 

「――失礼。我々の技は仮想敵こそいるものの、全てがそういった敵と戦うために……更に言えば戦闘を目的として作られた訳ではない」

「と、いうことはヘルメス流もなんですね」

「うむ。『錬血術』の名から連想するかもしれないが、彼等の原点は錬金術だ」

 

 錬金術は表の世界では体系化された『科学』へと昇華し、オカルト的な要素は排除された。しかしその実、搾り滓であり非現実的・詐術の類とされた部分は、裏の世界で『魔術』として発展を続けてきたのだとクラウスは言う。

 

「そしてその支流のひとつがヘルメス流へと至ったのだ。彼等の理念はそもそもが錬金術の探求。特殊な『血』を用いるようになったのは、研究の一結果に過ぎない」

「だから戦闘特化の流派とは違う、と。なるほどなぁ」

「彼等の錬金術、そしてそれを様々な技術と組み合わせる貪欲さは多くの成果を生んでいる」

 

 HLで売られている日用品から、ライブラが組織の維持に使うような重要なものまで。ヘルメス流を含む錬金術は、様々な超常技術に影響を与えている。

 本来『錬金術』という括りは『科学』や『魔術』に近いレベルの広い範囲を指すので当然とも言えるし、成果をひとまとめに語るのは正しくないかもしれない。『魔術』の一分野扱いにされるのを嫌う者もいる。だが『魔術』として扱われた時、その成果は他の分野を遥かに凌ぐという。

 

「はー、凄い話ですね」

「口さがない者は銃後の流派などと言うが、私は彼等のような流派も必要だと思っているよ。それにヘルメス流にも他の流派に劣らぬ強者はいるのだ」

 

 クラウスは自らが知る名を幾つか挙げる。

 

「彼等は『商品』とは違う方法で鍛えてるだけじゃあないか。派閥ごとの技術共有もされてないみたいだし、僕には流派全体の成果とは思えないね」

「それも彼等の特徴だと、私は思うがね。ああ、他の戦闘・研究用技術に精通している者が多いのも彼等の長所だ」

「本職を疎かにする分、学ぶ時間が多いんだろう」

 

 またもや茶々を入れるスティーブン。もはや個人的な恨みがあるのでは、とレオは思ったが指摘するようなことはない。なにせ彼がこのような――はっきりと言えばめんどくさい――言動をするのは非常に、非常に珍しいのだ。触らぬ神に祟り無しである。

 もっとも、対するクラウスは気を悪くした様子もない。先程までと同じようにスティーブンを宥めるクラウスの鋼の精神、あるいは鈍感さにレオは色々な意味で感嘆した。

 

「そういえばコルネリウスさんも魔術使ってました。剣も……あくまで僕から見た分には達者で戦闘も強かったし、凄い人だったんですね」

「――そして例の電子魔術書に関係している」

 

 先程までの面倒なものとは違う、怜悧な声と表情。仕事の際の雰囲気に戻ったスティーブンにレオは思わず姿勢を正す。今の今まで彼は忘れていたが、そもこの会話は電子魔術書の件についての聞き取りだったのだ。

 

「電子魔術書の所有者だったとされる祭司団のカシュパル・ベナーク。彼とその部下が探していた少女を、コルバッハは知っていた。そうだな?」

「多分、ですけど。ワンさんとの会話を見ている限りでは」

「そこを抜きにしても、コルネリウス・コルバッハは祭司団の壊滅に明らかに関与している。電子魔術書の行方についても知っている可能性が高い」

 

 レオは嫌な流れになってきた、と思った。彼はコルネリウスのことを悪くは思っていないし、むしろピザの代金の件などで感謝している。別れ際に言っていたレオの名を出しての大口注文も実行され、ドギモピザでは店長に感謝されたぐらいだ。

 とはいえ、ライブラの理念も電子魔術書の危険さも理解している。仕事である以上、情報は全て報告しなければならない。

 

「今回使われたと思われる電子魔術書。術自体の危険性は――あくまで災害レベルのものと比べた場合ではあるが、そう高くはない。だが素人を短期間で一端の魔術師に仕上げる代物。それを作り出すような存在がいるかもしれないということだ」

「あー、コルネリウスさんは説明はしてくれませんでしたが、そんなものじゃないみたいなことは言ってました……けど」

「その様子だと君もわかっているな。"そうではない"と言い切るには弱い。怪しまれている本人の言葉なら、尚更だ」

 

 スティーブンはそう言った後、コルネリウスを調査の対象とする旨を数人のライブラ構成員へと送る。レオは気乗りしない様子でそれを見ていた。

 

「ふむ……スティーブン。その件について少しいいかね」

「なんだい。仮に何かあったとしても、僕達戦闘要員の出番はまだ……」

「いや、私も調査に加わりたいのだ。といっても、基本的には他の同志に任せるが」

 

 そして、そのレオを見ていたクラウス。彼は信頼すべき同志であり、心優しい少年を気遣うことを選択した。ライブラのリーダーとして多忙な日々を過ごす自身が、更に仕事を抱えるということを承知の上で。

 驚いた様子のレオの前で二人の話は進む。

 

「……クラウス。君はそういった仕事には向いていない。それに正直な話、君はレオを助けたという一事だけでコルバッハとやらに好感を抱いてしまいそうだ」

「自身の適正は承知の上。だがスティーブン、君もヘルメス流に対する隔意が無いとは思えない。我々は必ずしもその相手を出し抜いたり、敵対する必要は無いのだから」

「それは……まぁ、そうだが」

 

 ライブラの活動目的は世界の均衡を保つことである。しかし構成員である彼等が目指しているのは、無慈悲な天秤となることではない。他者の権利にだって出来る限りの配慮はする。そも様々な情報こそ仕入れて危機に備えているが、それが起きると確定して初めて動く組織なのだ。

 件の電子魔術書が実在し、そしてコルネリウスの手元にあるとしよう。必要なのは、あくまでその製作者の情報だ。あとはそれを譲って貰うなり、可能な限り協力し厳重な管理を約束してもらうなりでいい。交渉で済ませることになんら問題は無かった。

 

 スティーブンとてそれは重々承知している。少しばかり険しさが取れた彼の顔を見て、クラウスは畳み掛ける。

 

「電子魔術書は本来拡散性の高いものであるにも関わらず、現状では祭司団以外が使用したらしき情報も無い。唯一の情報源であるなら、慎重にいくべきだろう」

「……ふぅ。わかった、わかったよクラウス。身辺調査が終わったら君に知らせる」

「スティーブン、感謝する。……レオナルド君」

「は、はい!」

「その調査には君と共に行こうと思うが、どうだろうか。例の件において君は所属を明かしていなかったと聞くので、良心が咎めるかもしれない。故にあくまで君が望むのであれば、だが……」

 

 提案という形の、明らかな気遣い。レオがそれを拒む理由は何もなかった。

 

 ちなみにそれを見ていたスティーブン。クラウスの発言から、彼が荒事になる心配を全くしていないと感じ取って頭を痛めていた。まぁそれだけではなく、彼がまた馬鹿正直にライブラ所属と記された名刺を差し出す姿を幻視していたのもあるが。

 

「二人とも気をつけてくれよ。コルネリウス・コルバッハがレオを助けたのは結果論とも言えるんだ。本当に信頼出来る人間かは――――」

「私はわりと信頼してるよ、コニーのこと」

 

 発言の主は、作業を終えて戻ってきたニーカであった。

 

「お、おお……? ニーカも知ってる相手なのか」

 

 自分の発言を遮る形で発言したニーカを、驚いた様子で見るスティーブン。

 なにせ普段の彼女は、ライブラでも一二を争う程に発言が少ないのだ。別に人付き合いが苦手な訳でも、仲間に苦手意識がある訳でもない。理由を挙げるとすれば、仕事ではなく世間の流行などといった会話を出来る相手が少ないからであろうか。

 ちなみにこの部屋にいる男三人は全滅である。特にスティーブンは仕事に使うという理由で、本心では興味がないのに知識だけ仕入れているため一段と質が悪い……とは一部ライブラ女性陣からの評である。

 

「ニーカ君も、そのコルバッハ氏とは親交があるのかね?」

「HLに来てすぐの時に助けてもらった。それからの付き合い」

「ふむ、やはり強さだけでなく良心も兼ね備えた人物なのだな」

「…………クラウス、頼むから調査だって忘れないでくれよ」

 

 しきりに頷くクラウスを見て、こめかみを押さえるスティーブン。レオは半分程は自分が原因であることも忘れ、そんな彼をやはり苦労人だななどと笑って見ていた。

 なお、レオはコルネリウスがニーカの知人だということを、祭司団騒動の中で聞いていた。つまり報告漏れであり、この後すぐにニーカ経由でそれに気付かれ説教を受けることとなる。

 

 世界の均衡を保たんとする秘密結社ライブラ。自ら望んだとはいえ壮絶な重責を背負うはずの彼等だが、普段はこんなものである。

 

 

 

 だから、仕方がないのだろう。構成員の二人と"偶然"知り合った者がいる。それを知った時のスティーブンの目に宿った冷たい光に気付いた者は、いなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 午後五時を過ぎた頃になると、夜を書き入れ時とする店が本格的に営業準備を始める。道には客引きやスカウトマンが次第に増え、既に今日の営業を終えた店の者や、会社帰りの者達と交差する。

 まだ夜ではないが、昼とは別種の賑やかさに移り変わろうとする街。コルネリウスはそんな独特の雰囲気を醸し出すHLを、早めの夕飯を求めて歩いていた。

 

「小売とはいえ出版業界に携わる者として、官憲の横暴に文章でもって抗議するべきか否か……」

 

 などと呟く彼の夕飯が今日に限って早まったのは、相応に疲れることがあったからだ。

 VD社のカルネウスから、意見を聞きたいことがあると呼び出されたせいではない。少ないながらも助言の対価を貰い、帰途に就こうとした時にダニエル・ロウ警部補と出会ってしまったからだ。

 コルネリウスは先日の件について、任意同行か昼飯を食べながらの『世間話』かを選択させられた。そして紆余曲折を経て、ラーメン屋で殺人的な濃度と量の豚骨ラーメンを二人で平らげる羽目になる。そこに何の意味があったかは誰にもわからない。

 

 弱体化する昼であっても、人間より遥かに強靭な胃袋を持つコルネリウス。流し込んだ固体手前の液体を、しっかりと栄養に還元することに成功する。ただし、その反動でまともなものが食べたいという欲求が強まり今に至るという訳だ。

 明らかに肉系統の店を避けて歩くコルネリウス。彼がやがてたどり着いたのは、まだ暗くもないのに看板に灯りを灯している一軒の店。独特の宣伝ソングが流れる、回転寿司屋であった。

 

「となると、このあたりでいいな」

「へー、お寿司かぁ」

 

 背後から発せられた聞き覚えのある声に、コルネリウスはゆっくりと振り向く。果たしてそこには、彼が想像した通りの小柄な女性。

 

「おう、ニーカ。仕事帰りか」

「当たり。そういうコニーは夕飯外で食べるんだね、珍しい」

「そういう訳じゃあないんだが、一人で食べることが多いからな」

 

 なにせ彼は夜になると反射物に映らない。とはいえ変に警戒し過ぎるのも逆効果かつ疲れるだけ。よって夜の彼は、個室があったり人気の少ない店を利用することが殆どであった。

 

 コルネリウスはしばしニーカと雑談に興じていたが、ふとした拍子に空腹を思い出す。土日とは違い、地味な作業服のニーカに別れを告げた彼は回転寿司屋の自動ドアへ

 

「『ちっこい割によく食う奴』」

 

 向かおうとして、足を止める。

 

「……レオか」

「しくじった、みたいな顔はすべきじゃないね。このままじゃ土日のHLを楽しむ今時の若者たちに、デリカシーが無いって噂されちゃうよ」

 

 へいへーい、と少し笑みを浮かべつつスマートフォンのSNSを開いている画面を見せつけるニーカ。そこには共通の知人のアカウントがずらり。

 別にコルネリウスにとってそれが痛手となる訳ではない、と本人は思いたい。しかし大事なのは、地味ながらも抗議されているという事実である。コルネリウスは早々に諦めて両手を上げつつ、ニーカの方向へと踵を返した。

 

「如何すればよろしいので」

「回らないお店とかどう? 別に今日じゃなくてもいいけど」

「強請れば出て来る相手を知ってるってのは、怖いことだと思わんか……」

「友情、友情。丁度仕事終わったみたいだし、シャーリーとかも呼ぶよー」

「おう、呼べ呼べ。どうせ日付ばらした領収書だ自営業舐めんなよ」

「あと着替えてくる」

「……出来るだけ早いお戻りを」

 

 夕方を迎えつつある街の雑踏に紛れる二人。

 吸血鬼とは世間で思われている程、無敵ではない。

 

 




せつめいかい


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第三章 境界都市の新入生
第七話


『ハドソン水中庭園前駅、ハドソン水中庭園前駅。二番線の列車はニュー・リバーデイル行きです。今週の生還率は――――』

 

 微かに見える光と、聞こえてくるアナウンスは駅からのもの。だがそれらに背を向けたコルネリウスが今いる場所は、改札を抜けた先の街並みではない。暗く、湿気がちで、嫌になるような静けさの線路上だ。

 土地柄なのか、所々ひび割れた壁面からは水が漏れ出ている。本来一定間隔ごとにあるはずの照明も灯っていない。このふたつだけでも、大抵の人間にとって好ましい場所ではなかろう。だというのに、ここにはそれを些末なことと言い切れる程のマイナス要因があった――――否、蠢いていた。

 

「愚かな機械信奉者の手先よ、我が愛し子達の爪牙に引き裂かれ果てるがよい!」

「まだこれだけいるのか……整備業者は今まで何を見て仕事してたんだ?」

 

 コルネリウスはぼやきつつ、頭上より襲いかかってきた黒い影をシュラハトシュベールトで叩き斬った。ぶちまけられる体液をしっかりと避け、硬質な音を起てて地面に落ちたそれを見る。暗闇を苦にしないコルネリウスの眼は、一言で表せば黒光りする油ぎった蟹のような何かの死骸をはっきりと捉えていた。

 

「これだものなぁ……」

 

 路線上には同様の、あるいは焼かれていたり、叩き・轢き潰された死骸が無数に転がってる。そして死骸だけではなく、生きているものも地面や壁、そして天上に所狭しと蠢いていた。

 ぬらりと光る黒いシルエットが、互いを踏みつけつつ緩やかに波打つ様。たとえそれが蟹のようなものであっても、見ていて楽しいものではない。触れるのを躊躇する程度に油ぎっている様子がわかるとなれば、尚更だ。

 

 コルネリウスが少し嫌そうな顔をしたをしたのを見咎めたのだろう。彼の眼前、ホームから離れる方向に蟹らしき何かに覆われた人影が叫ぶ。

 

「何が悪いと言うのだ! 蟹の美味しさを持ちつつ、調整次第では戦闘にも転用可能。そしてゴキブリと掛け合わせたことによる繁殖力と、高起動、高耐久性! これぞ増え続ける両世界の人口問題を解決する最適解!」

「掛け合わせた相手だろうよ、間違いなく。生態系も破壊するし、操作出来ないし」

 

 事実、HL内のとある生物研究用の区画がこれに飲み込まれた。しかもそれだけではなく、近隣に凄まじい勢いで広がり他社の研究区画まで被害に遭ったのだ。そしてその中には、VD社の区画もあったという。

 事件を起こした企業には、公的な責任を取る猶予さえ与えられなかった。大義名分を得たとばかりに周囲の企業に袋叩きにされ、既に解体されている。VD社は今まで手薄だった異界生物由来のテクノロジーが手に入り、カルネウスのような広い分野の技術を求める人物は喜んだそうな。

 

 ただし事件の原因となった研究員は、複数の企業に命を狙われたにも関わらず無事逃げおおせていた。それがコルネリウスの眼前にいるこの男だ。そも発端となった事件も、この研究員が社の制止を無視する形で引き起こしたものという。

 これを問題視したカルネウスが、報復と再発防止を兼ねてコルネリウスを雇って今に至る。なお、当初自社戦力で解決しようとしたVD社内の頭の固い派閥は、送り込んだ部隊を壊滅させたせいで勢力を削がれたらしい。

 

「何をおかしなことを……この子達は賢く、話がわからぬ者ではない。自らの身に同じゲノムを植え付けた上で、皮膚下を卵の保存場所として提供してやれば命令を」

「それはどう考えても行政の認可が下りないだろアホ」

「ええい、貴様も愚物であるか! 書類に認可に倫理に安定性。次から次へと否定ばかり……話は終わりだ、この子達の餌と卵置き場になるといい!」

 

 その声と共に、黒い蟹の大群が動き出す。横歩きだけでなく縦歩きも習得したらしい生物兵器達は、その力強い鋏と牙でコルネリウスの命を奪わんとする。

 普通に考えれば、コルネリウスがいかに大剣の扱いに長けていようとこれ程の数に対処することは不可能だ。蟹は人より小さく、天井や壁を使った三次元の機動も出来るので一度に襲いかかれる量が多い。しかし踏み潰せる程に小さくはなく、一撃も軽くはないからだ。

 だが、彼は剣士であり、錬血術師であり……そして、魔術師である。彼の手から複雑な文様が描かれた紙が放たれる度、炎や雷が暗闇を照らし、敵を焼き払う。線路内に食欲がそそられる香りが充満していく。視覚的には、そうでもないが。

 

「成程、先日のサイボーグ共よりはやるようだ。だが貴様が戦い始め、ここに辿り着くまでに何時間かかった?」

 

 線路の奥から、換気口から、排水口から。いくら減ろうとも、まるで底など無いかのように補充されていく蟹の群れ。それら全てを操る研究員は両手を広げて笑う。

 

「たとえその身を機械に置き換えようと、消耗はついて回るもの。所詮『個』は『群』には勝てぬのだ!」

「……であれば、その『群』にお前という司令塔を作ったのは失敗だったな」

 

 自らが作り出した生物兵器という力。それへの自信に満ちた言葉に返されたのは、線路内に響き渡る轟音であった。

 戦いの最中に各所へ、というよりそこら中の蟹に仕掛けられていた魔術符。研究員が見逃していた、あるいは不発であると捨て置いていたそれらによる爆発である。

 吹き飛ぶ蟹と飛び散る体液。視界は煙と粉塵に遮られ、狭い空間での轟音により聴覚にもダメージを受けた研究員は思考の空白を生んでしまう。

 そして、彼が己の失態に気付いた時。彼の右側には、既に大剣を振り下ろさんとするコルネリウスがいた。

 

「が、がああああっ!?」

 

 そのままであれば致死であったろう一撃は、身に纏っていた蟹を退避の足と防御に使ったことにより研究員の右腕を肩口から切り飛ばすに留まった。

 研究員はそのまま黒い波に運ばれつつ、コルネリウスから距離を取る。傷口自体は蟹達が吐き出す泡のようなもので即座に塞がれた。しかし脂汗が滲み、血色も悪くなった顔からは、先程までのような余裕など感じ取れない。

 

「子分共と違って自切は出来ないのか。再生速度も早くはなさそうだな」

「き、貴様ァ……許さん、許さんぞォ!」

 

 痛みに震えつつも怒声が放たれると、線路内に蠢いていた黒い波が研究員を中心に集まってゆく。僅かな時間の後、そこには禍々しい四本足の巨人が誕生していた。

 

「もう貴様の攻撃は届かん。これで捻り潰してやる!」

 

 振り下ろされる黒い腕を避けるコルネリウス。その攻撃は表面の蟹の幾らかを死なせながらも、鉄とコンクリートで覆われた地面を線路ごと砕く。

 それだけではない。群体が形作る腕はその性質を活かし、追撃を仕掛ける。巨人の拳にあたる箇所から、新たな腕を生やしたかのように何本もの蟹の線がコルネリウスへと迫っている。更には衝撃の瞬間、腕から飛び散った蟹までも個々にコルネリウスへと攻撃を行い始めた。

 一撃では終わらぬ、流れるような連続攻撃。コルネリウスはそれを血を纏わせた大剣で裁き、切り裂き、時に魔術で焼き払う。だが巨人はいくらその身を削ろうとも、新たな個体で穴を埋めていってしまう。

 

 防戦一方となったコルネリウス。巨人の胴体にあたる場所に潜む研究員は、それを見て余裕を取り戻していく。

 

「はは、は。先程の一撃で私を仕留められなかったのは痛恨のミスだったな! 企業の私兵共だけでなく貴様まで仕留めれば、私を認めなかった連中もきっと――――」

 

 そして再度の油断をしたところ、巨人の胴体に嵐のような勢いで撃ち込まれた無数の徹甲弾によって五体を引き裂かれた。

 主を失い、戦うことなく四散していく蟹の群れ。警戒を解いたコルネリウスは、親指を立てつつ駅のホーム側へと振り返る。視線の先、駅を越えた更に奥。線路上からは多量の硝煙がたなびいていた。

 

 

 

 

 

 

 

 コルネリウスが報告をしてから二分も経たぬ内に、VD社の担当員が警護の人間をつけてやって来る。警護の者達は、表向きには線路内から響いた爆発音を調査するための人員だ。標的の潜伏先が地下鉄の線路内だとわかっていたため、交通局をはじめとする各所には事前に話が通っていた。

 線路脇にある作業員用スペースで死体の一部を引き渡し、簡単な首実検の後に依頼達成を認められる。

 

「いや、しかしこれ程早く片付けていただけるとは。正直な話、長引いたところに他派閥からの横槍が入って面倒な事態になると思っていましたよ」

「逃げに徹されたら長引いたかもしれませんね。……ただ、線路に大穴作ってしまいましたが」

 

 コルネリウスの視線の先には無残な有様の線路。大規模な爆発だけでなく、長時間続いた戦闘で各所が破壊されている。いかにHLの地下を走る"生きた"列車とはいえ、この悪環境では走れまい。

 幸い戦闘の中盤からは戦場が固定されたため、VD社の働きかけによって電車を止めることが出来た。だが厚い壁の向こう、反対側の路線では今も普段通りに電車が走っているのだ。序盤のような双方が電車を避けつつの機動戦が続いていれば、あるいは大事故が起きていたかもしれない。

 

「いえいえ、この程度であれば問題ありません。なにせ今回の件は当社だけでなく、研究区画に被害を受けた二十七社も何かしらの形で連携しています。事前にお伝えした通り、大抵のことは揉み消せますよ」

 

 自信ありげに頷いてみせる担当員。コルネリウスとしては、それだけのことが出来るのであれば、駅の完全封鎖をして欲しかったところだ。警察の横槍を避けるためには、鉄道内の問題に留め、表向きには大事にしない方が重要なのであろうが。

 

 これでも戦場を移さぬよう気を遣っていたコルネリウス。彼が心中でのみ苦言を呈していると、彼の背後にいた男が巨大なライフルをケースに仕舞い終えて立ち上がった。

 

 彼の名はレナート・カザロフ。今回コルネリウスの紹介で共にVD社に雇われ、その化物じみた火器で標的の命を奪った男だ。

 服の上からでもわかる鍛え上げられた肉体。陰気とまでは言わないが、どこか暗い印象を与える厳つい顔。年齢は四十代ぐらいであろうか。

 コルネリウスとは何度か仕事を共にした仲であるが、コルネリウスが彼について知っていることは少ない。銃火器の扱いに秀でていることと、依頼への背任はしないということぐらいだろうか。まぁ、それだけわかれば十分であるのだが。

 

「依頼達成が認められたのなら、私はもう帰っていいか?」

「ええ、お疲れ様でした。そちらの整備員用の通路からホーム端に出ることが出来ます。改札はこれを係員に渡せば、詮索されませんので」

 

 レナートは手渡されたICカードを上着のポケットに滑り込ませ、コルネリウスにとどめだけ貰う形になったことを詫びると去っていく。

 敵の意識を引くと同時に広域への展開を阻止し、安全を確保した後に意識外からの狙撃で確実に仕留める。これはコルネリウスと彼が事前に話し合った計画通りであるのだが、それでも一言謝っていくあたり律儀である。コルネリウスからすれば、ただの人間が数時間に渡り狙撃の機会を伺い続けるというのも、楽な話ではないと思うのだが。

 

 コルネリウスはその後、担当員とHLの企業間闘争などについて会話をしつつ作業を見守る。大企業の人間たるもの仮の身分であっても職責を果たすのか、その仕事に手抜きは感じられない。

 マニュアルを見るだけで出来る仕事なのか、それとも練習して来たのか。そんなくだらないことを考えているコルネリウスの耳に、パトカーのサイレンが響いてきた。正確な数こそわからないが、一台や二台ではない。

 もしやここを目指しているのでは。そう懸念したコルネリウスはそれを担当員へと知らせたが、担当員は慌てる様子も無く言った。

 

「それはストムクリードアベニュー駅への追加人員でしょうね。それにこの場所を目指しているのであれば、地上から連絡が来ますから」

 

 その言葉をひとまず信じたコルネリウス。しかしそうなると、その駅では余程の大事件が起きていることになる。

 

「最寄りでもない署から援軍を? また地下で独自進化を遂げた怪獣でも出たのか」

「そういえばそんな事件もありましたねぇ。世間では好事家のペットである飼育禁止生物が逃げ出した結果だと言われていましたが、実は……とと、話が逸れましたね」

 

 雑談は好きなのであろう。この話はまた今度と断ってから、担当員は続ける。

 

「あちらではなんと『血界の眷属』が出たんですよ。最初に派遣された機動警官隊は全滅したそうで。その増援でしょうね」

「……死者が増えるだけだと思うが」

「ああいや、事件そのものは解決したそうです。どうも『ライブラ』がなんとかしてしまったそうで。いや、実在は存じていましたが両方とも化物じみた戦闘能力ですねぇ」

 

 最初はこちらの件かと思って危うく向かうところだった。担当員はそんなことを言いつつ笑っている。対するコルネリウスは、凄まじい動揺を表情に出さないようにするので精一杯だったが。

 

 

 

 

 

 

 

 車輪とレールの摩擦によって生み出される音、そして列車の"呼吸"音。先頭に脳と眼球を持つ"生きた"列車は、大きな音と風を伴って狭い空間を疾走していく。

 HLの交通網を支えるそれは僅か数秒でその場を通り過ぎ、列車が遠ざかるにつれ静寂を取り戻していく線路内。本来動くものなど何もないはずのそこに、天上から一つの影が降り立った。何かしらの手段で張り付いていたのだろう。HLの地下路線を行くには客だけでなく、列車の目も欺かねばならないから。

 

 どこぞとは違い、全てではないながらも生きている路線上の照明が影を照らし出す。その影――コルネリウスは、乏しい明かりなどまるで苦にせず歩き続け、やがて線路脇に目的のものを見つけて立ち止まった。

 

「…………第四十二封鎖区画。ここか」

 

 それは古びた鉄扉であった。かすれてはいるが、扉いっぱいに危険を表すマークが描かれている。決して作業員の通路や照明の電力供給設備室ではない。それを証明するかのように、コルネリウスの足下には大量の鎖と錠前が落ちていた。もっとも、そのどれもが引き千切られているのだが。

 

 ここはHLの地下に無数にある、様々な要因で生まれた本来の設計に無い空間だ。共通するのは危険であるという一事だけであろうか。原因が完全に排除出来るものであるならば、そうした上で埋め立てるのが当然なのだから。

 放置される原因は生物の異常進化だの、解除出来ない罠だのといったものが多い。地下鉄などという公共の場に、そのような危険を放置するのはどうかという意見も勿論ある。

 だが何事にも金はかかるし、予算は有限である以上、封が出来るだけでも御の字。中にはそれを研究対象としたい企業が、資金援助の代わりに放置させている場所もあるとかないとか。

 

 そんな曰く付きの場所にコルネリウスがいるのは仕事のためではない。昼間は蟹使いと戦って十分に働いていたし、何より『夜』が近いのだ。

 実際のところ、彼が吸血鬼へと変わる唯一の条件は厳密な時間指定のない曖昧なものであった。極端な例では、一時的とはいえ真っ昼間に変化した事例すらある。それでも彼の経験上、あと一時間もすれば世界でも屈指の化物へと変貌するだろう。

 

「…………まだ新しいな」

 

 扉を開けた先、コルネリウスは人の通った跡を見つけて呟く。

 足跡、ではない。草を掻き分けた跡だ。コンクリートで舗装されていない以上、そこに土があるのは当然ではある。しかしこのように、まるで熱帯地域の密林のような光景が広がっているのは言うまでもなく異常だ。そして、それがHLであった。

 コルネリウスは虫除けの薬を身に振りかけてから、密林に踏み入っていく。

 

 吸血鬼であることを喧伝する気が無い。それどころか、なるだけ隠そうとするコルネリウスがこの時間、この場にいるのには勿論理由がある。

 それは"自分と同じ存在"を探すためだ。

 

 ストムクリードアベニューでの一件を聞いた彼は、怪しまれない程度に素早くその場を辞して真偽の確認に全力を費やした。

 VD社は交通局をはじめとする地下鉄に関わる各組織から情報を吸い上げていたため、吸血鬼が暴れていたこと自体は間違いない。問題はそれを解決したのが『ライブラ』であるのか。そして事件がどのような形で決着したのかだ。

 起きたばかりであるし、事が事だけに一般の目撃者など生き残っていない。しかもある意味HLで一番恨まれている秘密結社『ライブラ』の情報であるため、その点でも値が張った。まぁその秘密結社の情報が欲しかったという理由付けが出来たので、悪いことばかりではなかったが。

 だが日頃から有能な情報屋を探していたお陰だろう。コルネリウスはまず正確であろうと思える情報が掴むことが出来た。もっとも、その内容は彼にとって凶報以外の何物でもなかったのだが。

 

 

 

 ――――『長老級(エルダークラス)』が人間に敗れた

 

 

 

 コルネリウスは思った。成程『ライブラ』は確かに世界の均衡を守るため、世界の中心にいるに相応しい力を持っているのだ、と。

 

 『血界の眷属』の中でも特筆して強力な存在は、裏社会において『長老級』と呼ばれている。彼等は吸血鬼狩りに度々討たれているような下位のそれとは違い、HLを基準とした常識の範囲内にいる生物には負ける筈が無いスペックを持つ。

 では彼等が神性存在やそれに類する相手以外……つまり"下等種族"には無敗であるのかと言えば、そうでもない。だが、それが奇跡的と言っていい程の確率であることは間違いないのだ。

 

 そして、何より重要なこと。それは『長老級』に――――即ち、コルネリウスにも届く人界の牙が、HLに存在しているということなのだ。

 

 故に、彼はその危機へと備えねばならない。危険を承知で、戦場となったストムクリードアベニュー駅へと魔術的な調査を行ったのだ。

 そこに警察しかいなかったのは幸運であろう。科学的な、あるいは吸血鬼のそれに比べれば拙い魔術的な監視を掻い潜ることは容易であった。そうしてコルネリウスは、未だ残されている戦闘跡から有益な情報を得たのだ。

 

「――――こんなところに客が来るとはね」

 

 急に立ち止まったコルネリウスの眼前。苔と蔦に包まれた木の陰から、一人の男が現れる。HLPDの特殊部隊が使う防弾服、そして軽薄そうな雰囲気も身に纏った青年だ。

 防弾服は着崩されており、戦装束ではなくお洒落といった状態。それだけ取れば、青年はとても戦場に立つ人間には見えないだろう。だが、コルネリウスは彼が発する殺気と、強い魔力を感じ取っている。

 

 上着の内にある『門』から大剣を取り出したコルネリウス。だが青年は無骨な凶器を一瞥しただけで気に留めた様子すらない。青年は笑みを浮かべて言う。

 

「心得はある、ってところかい? だがシニョーレ、運が無かったね。なにせこのトーニオ・アンドレッティは……人間を超越した存在なのさ!!」

 

 トーニオと名乗った青年の身体が変化し、肩や腕から血で作られた刃が生える。

 

 青年はストムクリードアベニュー駅の戦闘で確認された"二体"の片割れ――――紛うことなき最強種、吸血鬼であった。

 

 




つよそう



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第八話

「あ、ちょっ、ちょっと待って……いやタイム! タイムだってシニョーレ!」

「あぁん? 俺は何回か言ったよな、話をしに来ただけで敵じゃないと。……それが今更なんだって? おい、もっぺん言ってみろ」

「すいませんマジすいません!! 勝てると思って調子乗りました!!」

 

 暗闇の中、血を纏った鎖で全身を縛られ、天上から吊り下げられているトーニオ。彼は四肢で唯一残っている左腕を使い、謝罪の意を示そうとする。失われた右腕と両足はコルネリウスの足下に、彼の血で封をされた状態で転がっていた。

 

 本来吸血鬼たるもの四肢を再生するのは勿論、切り離されたそれを操り攻撃に使うことなど造作もない。コルネリウスが眼前の吸血鬼の技術的な拙さに気付いていなければ、どうせ即座に再生するものだと焼き尽くされていただろう。

 だが相手は高位の吸血鬼なのだ。コルネリウスも、話し合いをするのに支障をきたすようなダメージを与えない、などという気遣いをする羽目になるとは思わなかった。

 

「だが素材や術者が悪いって訳じゃあないな。お前、その身体になってどれぐらいだ」

「二十四時間経ってないです、はい」

「……正真正銘の新人か。確かに俺の運は悪かったようだ」

 

 なにせトーニオは簡単な魔術すら使わずに戦っていたのだ。またコルネリウスが見る分には、戦闘における何かしらの技能があるようにも思えなかった。転化したてという情報も踏まえれば、トーニオはコルネリウスが求めるような情報を見てはいても、理解し説明することは難しいかもしれない。

 

 コルネリウスは尾行を考慮して、魔術的な保険を何重にもかけつつここまで来た。その上でそれを突破され、目撃されてもいいように、人である時間帯を選んでいる。

 だが吸血鬼とは同じ種族であろうと荒事に発展しかねない相手。餌扱いの人の身で向かえば、十中八九はやり合う羽目になる。実のところ話し合いを蹴られるのは想定内だったのだ。

 よってコルネリウスは話し合いがしやすい『夜』までどの程度の時間を取るかも、多数の作業を並行してこなす中で割と悩んでいた。その成果としては、なんとも寂しいものであろう。

 

「不幸中の幸いだが、お前の相手が片手間で出来たから外はちゃんと見張れててな。ここに他人が向かってる様子は無い」

「……シニョーレ、それはつまり目撃者はいないってことですよね? 今から俺の口に石が詰め込まれるように思えて、とても恐ろしいんすが」

「なんだ、バラバラにされた挙句、身体中に呪い刻まれて車のトランクにでも突っ込まれるのがお望みか?」

 

 必死に首を横に振るトーニオを見て、コルネリウスは笑う。

 

「安心しろ、何度も言った通り話し合いが目的だよ。だがお前からすれば無理な注文だろうから……そのまま少し待て。『夜』になればすぐわかる」

 

 

 

 

 

 

 

「じゃあシニョール・コルバッハは、HLを身一つで生き抜き、武闘派として鳴らしてる上に金まであるんすね! でもって、俺も血界の眷属ならそうなれるってことすか! 女も選り取り見取りだろうなぁ夢が広がってきた!」

「……あのなぁトーニオ、お前自分がどういった存在で、半日前にどんな目に遭ったかもう忘れたのか」

 

 机の上に並ぶ大量の酒瓶や軽食。それを遠慮せず飲み食いしていくトーニオの前で、コルネリウスは呆れたように言った。

 コルネリウスが所有するこの隠れ家は各種防音設備が整っている上、名義上は他人のものなので万一でも彼に辿り着かれる可能性は低い。よって会話内容に気をつける必要は無いが、トーニオの言動がそれを考慮したものであるとはコルネリウスにはとても思えないのだ。

 

「あー……いやでも、俺らってカメラとかに写らないんすよね? シニョール・コルバッハの情報通りならお尋ね者にもなってないみたいだし、問題無いんじゃ」

「表向きはな。お前が短期間で再生可能だと思わずに滅殺判定が出てる可能性もある。だが、単に有象無象の賞金稼ぎ共が仕掛けて大惨事を回避したいだけかもしれん」

 

 暫くは用心するに越したことはない。そう言われたトーニオは玩具を取り上げられた子供のような顔になる。

 

「えー、でも機動警察ぐらいなら一捻りっすよ俺。ライブラにさえ気をつけりゃあ、暗黒街の帝王だって夢じゃないですって絶対」

 

 その言葉に対するコルネリウスの返答は、凄まじい速度で投げつけられた空の酒瓶であった。トーニオは反射的に生成した血の刃でそれを切り裂く。二つに分かたれた瓶が壁に激突し、甲高い音を立てた。

 

「い、いきなり何するんすか!?」

「口で言うより早いからだよ。お前、今その瓶を切ろうと決めてから切ったか?」

「え? いや飛んでくるのが見えたから咄嗟に切りましたけど……」

「それじゃあいけないって話だ」

 

 吸血鬼の、しかも高位のそれは世界中の殆どの種より高いスペックを持つ。常人であれば視認すら難しい速度で飛来する瓶も、目で追えるだろう。

 だがそれに対して受け止めるか切り裂くか、あるいは違う選択肢を取るのか。選ぶことが出来ず、身体能力頼りで反射的に対処している内は、戦士の肉体を手に入れた赤子でしかない。

 

「魔術が使える訳でも、戦闘の経験が豊富な訳でもない。その程度の吸血鬼がでかい顔しようもんなら、素材が良かろうが百回は滅殺されるぞ」

「そういうもんですかね?」

「そういうもんだ。大物と敵対するなら、限定的に召喚された神性存在をぶち当てられたり、亜空間に飛ばされて戻ってこれなくなるぐらいは覚悟しておくんだな」

「なるほど……つまりそういうコネや力が無さそうな中堅相手ならいけると」

 

 事実ではあるが、危機感の足りないトーニオにコルネリウスは溜息ひとつ。彼が下手を打った結果、コルネリウスの正体にまで辿り着かれるのが一番の懸念なのだ。

 コルネリウスの情報を漏らさぬよう、釘は刺してある。だが情報を引き出すだけであれば、この街では本人の意思なぞ無視出来るとコルネリウスはよく知っている。故に彼はトーニオに対して、昼は弱体化する程度にしか伝えていない。そして『記憶』に関しては話題にもしていなかった。

 

「同行者が全滅したとはいえ、正規の手続きで来たんだ。陸路でHLPDの手が及ばない二重門を経て街を出れば、"外"で好き勝手生きれるだろうに」

「それも夢がありますねぇ。……でも、俺にはマスターシニョリータがいますから」

 

 HLに比べれば格段に安全な"外"での栄華。コルネリウスが提案するそれをまるで興味無さそうに蹴ったトーニオの表情は、今までの能天気なものと違い暗いものだ。

 

「……すぐに、お前一人で解決出来る問題でもあるまいに」

 

 コルネリウスはトーニオが吸血鬼になるまでの経緯を彼から聞いている。

 死にかけていたところをシチリアマフィアに拾われ、それ以降ボスに可愛がられていたトーニオ。なんだかんだで親分のために命を賭ける覚悟もあった彼が、組織内の主導権争いのためあっさりと吸血鬼への贄とされた……どころか、彼が拾われた時からそのつもりだった可能性。

 そんな地獄へと片足突っ込んだトーニオを救ってくれたのが、彼がマスターシニョリータと呼ぶ血界の眷属だという。契約を破棄する形でマフィアを殺し、トーニオを転化させてくれた女性にトーニオは惚れているし、多大な恩義を感じている。

 

「ボス……元ボスや兄貴達に裏切られた反動と、代わりを求める気持ちが無いとは言いませんけどね。それでも、なんとかしたいんすよ」

 

 急に湿っぽい声になったトーニオの主は、半日前に起きたライブラとの戦いに敗れ行方知れずとなっている。

 その戦闘においてトーニオは途中離脱を余儀なくされたため、敗北に至った詳細な過程はわからない。だがコルネリウスが話を聞く限り、おそらくはライブラのリーダーであるクラウス・∨・ラインヘルツに敗れたのだろう。

 クラウスが使う『ブレングリード流血闘術』に関しては、コルネリウスの吸血鬼、そして人の記憶に断片的だが情報があった。コルネリウスはそれを整理しつつ話す。

 

「滅獄の術式が何をどこまで出来るかは俺も知らん。だが知る限りでは、未だ長老級を滅ぼすには至っていない……つまり、お前の主は封印された可能性が高い」

「ってことは、マスターシニョリータは生きてるってことですよね!!」

「おそらくはな。だが長老級を封印したんだ。その身柄はどこかに移されてるだろうし、徒手空拳で探すのはまず不可能だろう」

 

 探知妨害や情報隠蔽などは、対吸血鬼専門家が集う『牙狩り』と名乗る組織が全面的かつ慎重なバックアップをしているだろう。例えばトーニオが牙狩りの支部を闇雲に襲ったところで、有益な情報が手に入るとは思えない。下手すれば返り討ちだ。

 

「シニョール・コルバッハの協力は……駄目、ですね、はい」

「ただでさえ損しかしないってのに、主の『諱名』を他人に伝えかけるようなトーシロと組んでたまるか」

 

 『諱名』とはその者の本質を表す名。様々な意味と効果があるが、簡単に言えば長老級であろうと知られるだけで致命的なものだ。

 彼の主が敗れた戦いで敵が知っていたというそれ。トーニオ自身一部しか聞き取れておらず、またコルネリウスが殴って止めたので彼が知ることは回避できた。しかしそうでなければ、非常によろしくないことになっていたのだ。将来トーニオの主が助けられたとして、コルネリウスに凄まじい警戒心を抱かれるのは間違いなかったろう。

 諱名を握っている分戦闘は優位に進む。しかし油断していない長老級と戦うのは、そう簡単な話ではない。特に、コルネリウスのように明確な弱点がある身では。

 

「他のお仲間に手伝ってもらうとか、出来ないんですかねぇ」

「世間じゃ一括りにされようが、本当の意味で同族意識を持ってる奴は少ない。個人間の関係次第ってとこだろうな」

 

 助けるにしても裏の思惑を持つ者もいるだろう。下手をすれば人間如きに負けたと怒って、戦いを仕掛ける者すらいるはずだ。なんら希望を持てない回答に、トーニオは八方塞がりだと情けない声をあげつつ机に突っ伏した。

 

「転化したばかりの時は、『血界の眷属』は最強で何でも思い通りになる世界の覇者。そう思ってたのに、ままならないもんなんすね……」

「……そもそも俺達が種として最強だなんて考えは捨てろ」

 

 苦々しい表情のコルネリウスを見て、トーニオは首を傾げる。

 

「でも神様みたいな連中を除けば、最強みたいなものじゃないんですか?」

「その手合いを遠い世界の存在だと思うな、ってことだよ」

 

 手近にあった酒瓶の蓋を指で外しながら、コルネリウスは続ける。

 

「『血界の眷属』という呼び名を、何故俺達自身が使ってると思う」

「へ? そりゃあ……そういうもんなんじゃ」

「ああ、そういうもんだ。つまり、俺達は『眷属』なんだよ」

 

 心底忌々しそうに吐き捨て、手に持った酒瓶を口元で傾けるコルネリウス。

 

「科学的にも魔術的にも実証されたことだが、俺達は作られた存在だ」

「誰にですか?」

「探らん方がいい。……この世に存在する無数の種の殆どを下等生物とみなしているような奴ですら、自らを『眷属』と称すそれを他種族の戯言とは言わん」

 

 言いたくもないことを口にするには必要なのか、コルネリウスが持つ酒瓶の中身はあっという間に無くなってしまった。彼はそれを机に置く。

 

「自らの意思に関係なく眷属として生み出された俺達は、俺達を作り出せるような存在同士のラグナロクにいつ招集されてもおかしくない。……被害妄想だと切り捨てたきゃすればいい」

 

 所々欠落しているせいで、本来なら取っ掛かりを掴めず思い出せそうにない記憶。にも関わらず、コルネリウスの脳裏にこびりついて離れないその考え。彼は瓶の底に残った僅かな酒を眺めながら続ける。

 

「だが今ある万能感や自由は、異界や……あるいは人界という入れ物に限った話だ。ガラス一枚隔てた"外"の連中が瓶の中身をどう扱うかなんて、わかったもんじゃないぞ」

「……心には留めておきます。――――でも、俺は瓶の中でも水のように自由に動けるならそれでいいかなって。という訳で、これから世界的組織に愛のため挑む俺に、オススメの店とか奢ってくださいよ!」

「お前ほんと切り替え早いよなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

 胡麻を摺る技術に関しては光るものを持つトーニオの猛攻もあり、コルネリウスは彼を連れて夜のHLに繰り出すことにした。そもコルネリウスは彼の目的こそ手伝わないが、情報提供の礼をするつもりはあったので渋る程でもない。無一文で放り出し、チンピラ相手にでも暴れさせた結果足がつくことを恐れたのもあるが。

 

 コルネリウスはトーニオが手配されている前提で物事を考えていた。なのでトーニオの希望に沿うことと安全性の両立はなかなかに面倒であったが、ここがHLである以上条件に合う店が無いということはあり得ない。

 暫く後、コルネリウスと、彼に渡された当座の軍資金で服装を整えたトーニオは一軒の見るからにお高いナイトクラブの前に立っていた。

 

「あれ、個室があるような店じゃないんですね」

「情報が漏れ辛い反面、知られた時面倒だからな。その点この店なら……まぁ理由は色々あるんだが、店員が情報を売る心配が無いってのが一番の理由だな」

「そりゃ凄いっすね。何か弱みでも握ってるとか?」

「いや、一応秘密なんだが、店員全てロボみたいなもんなんだよ。ちなみに全機並列操作してるオーナーは、性別的には雄だ。生身だからって女店員に誘われてもホイホイついてくなよ、色々抜かれるぞ」

「知りたくなかった……」

 

 夢が壊れたとばかりに落ち込むトーニオだが、女性客もいると当然の事実を指摘された途端に活力を取り戻した。コルネリウスはそんなトーニオに一枚のICカードを渡して暫しの待機を言いつけ、自らは先に店へと向かう。渡したICは幾つかの機能を持つが、この場合はナイトクラブの会員からの招待券だ。使用するにあたっての制限も多々あるし、招かれる側の入店時の不便は多少増えるが、別々に入店出来るというのはこの状況においてはありがたい。

 

 入店チェックをパスしたコルネリウスは、店員にトーニオの件を伝えて先へと進む。正面に広がるステージと、そこで繰り広げられる芸術性にも重きを置いた夜のショー。それを一瞥すらせず二階へと向かい、入店時より厳重なチェックを経てテーブル席へ。

 この店では一階と二階の接客内容は大分違う。店員と客が行き交い、客同士の交流も多い一階。それに対して二階は客のパーソナルスペースを重視した設計・接客だ。どちらも決して安くはないのだが、単純に言えば二階の方が高級感がある。

 

 コルネリウスはソファに座り適当な酒を頼んだ後、案内役の店員にトーニオと、場合によっては彼が引っ掛けた相手も二階に来られるように頼んでおく。店員は指導の行き届いた丁寧な対応でそれを了承した後、コルネリウスと個人的な交流のあるオーナーとしての顔で興味を示してきた。

 表情や口調、そして雰囲気まで、まるでスイッチが切り替わったかのようなその姿。事情を知る者であっても不気味に思う者が大半らしいが、コルネリウスは慣れたものだ。死地を一人だけ脱した、HL一年生にしては見所がある三下だと適当に返す。対するオーナーはそれを頭から信じた訳でもなかろうが、他の"機体"からの情報でもあったのだろう。どこか納得したように頷いた後、再度店員の顔へと戻り仕事へと戻っていった。

 

「ども、お待たせしました」

「なんだ、お前一人か。何だったら別に席取るから気にしなくていいと言ったろうに」

 

 少し経つとトーニオが店員に案内され、コルネリウスの席へとやって来る。遠慮したのか、あるいは自分の金でないことがナンパに差し障るのか。そういったことに疎いコルネリウスから、興味本位で聞かれたトーニオは苦笑した。

 

「俺も常に女の尻追っかけてる訳じゃないですよ。七割ぐらいです」

「残り三割は?」

「睡眠時間ですね。いや、俺この手の店で性欲煽るだけじゃないショー見るの初めてなんでちょっと感動しまして。今夜ぐらいはいいかなって」

「そうか。ちなみにあれも操作してるのは」

「あっやめて、それ言わないで」

 

 グラスを片手にたわいない会話に興じるコルネリウスとトーニオ。トーニオはマフィアだった頃の経験、というのも妙であるが、会話を盛り上げるのが上手い。そしてコルネリウスも祭司団の一件で『記憶』に関するごたごたが起きて以降、夜は忙しくこういった時間は久々だったので思いの外楽しめていた。

 

「じゃあHLでも選挙があるんですか。人間以外が投票用紙に……ここじゃタッチパネルとかなのかな。チェックマーク入れてる姿ってなんか想像出来ませんね」

「この街に住むなら異界存在と呼ぶようにした方が面倒が少ないぞ。まぁ、HLらしいお祭り騒ぎだな。あと弱い候補者は死ぬ。候補者一覧表でビンゴをするのが流行りになりつつあるぐらいだ」

「それ二桁余裕ってことですよね……?」

 

 何せ世界で唯一無二の境界都市だ。話の種は尽きることはなく、時間と酒は瞬く間に費やされる。

 このままでは店を出る時には『人』へと戻っていてもおかしくない。などとコルネリウスが頭の片隅で考え、しかし追加の注文をした時のことだった。

 

「てめぇ、こっちが黙ってりゃ良い気になりやがって!!」

 

 他人を脅すために最適な声というのは、自然に出るものではない。良く練習したことがわかる、しかしこの場では聞きたくないそれ。

 この手の店に裏社会の人間が通うことは珍しくない。店側も無用なトラブルを避けるため、工夫はしている。座席の周囲を覆う注意しなければ見えないカーテンは、他の席のみを対象とした防音や視界の調整を行ってくれる高級品。それも他の席に座ってる客や私物だけが見えないという代物だ。客側も相応の配慮をするのであれば、本来揉め事など起きようがない。

 

「あー、こういう時耳が良すぎるのも嫌なもんすね」

「まったくだ。だが俺達が割って入る訳にもいかん。少し視界は狭まるが、そっちのボタンで防音レベルを上げてくれ」

「へーい…………ん?」

 

 ソファの肘掛けに内蔵されたリモコンを操作しようとしたトーニオが、何かに気付いたかのように動きを止めた。訝しんだコルネリウスが何事か訪ねても反応せず、真剣な顔で聞き耳を立てている。

 この状況で集中せねば聞き取れない、逆に言えば意識すれば聞き取れる程度に大きな声は少なかった。しかもその全てが同じ方向から――先程の声が聞こえてきたあたりからとなると、コルネリウスは雲行きの怪しさを感じられずにはいられない。

 

「おいトーニオ、一体何を気にしてるんだ」

「今怒ってる連中の相手に、俺の古巣の奴等が混ざってました」

「そうか。だがタイミングが気になるとはいえ、今のお前の立場は――」

 

 その言葉を遮るように立ち上がり、声のする方向へと歩いて行くトーニオ。肩を怒らせて表情にも怒気を滲ませたそれは、明らかに旧交を温める目的ではない。

 コルネリウスはトーニオを拘束することも考えた。だがこのままだと起きる騒動と、彼を納得させられない場合に起きる騒動を天秤にかけ、結局は様子を見るに留める。どちらにせよろくなことにならないと、半ば諦めの気持ちもあったが。

 

 コルネリウスはカーテンを操作することなく、魔術によって正常な視界を確保する。彼の視線の先、トーニオはついに声の下へと辿り着き、未だ怒り冷めやらぬ様子の男を押しのけて言った。

 

「レミージョてめぇ、上の許しもなく他の組織と協力関係を結ぼうってのはどういう了見だ! 返答次第じゃただじゃおかねぇぞ!」

 

 裏切られ、捨てられた組織のことで何を今更。コルネリウスはそう思いつつ、空になっていたグラスに酒を注いだ。どうも今日のHLの夜は普段より長く、騒がしいようであった。

 

 

 



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第九話

「おお? トーニオじゃねぇか。生きてたとは驚きだが、調子はどうだ?」

「そんなことはどうでもいいだろ。おい、誰の許しを得てHLへの直接進出なんざ計画してやがる」

「口を慎めよトーニオ。てめぇが大ボスの、ああ元大ボスの尻穴奴隷だろうが下っ端であることは変わりねぇ。そして俺がカポであることもだ」

「……そうですね。飼い主からの恩を忘れるような奴でも兄貴ですから」

 

 予想通りといえばそうだが、のっけから不穏な空気が漂っている。それを魔術を介して観察するコルネリウスは、場にいる面々が何処の何者なのかを考えていた。

 

 まず怒鳴っていたのはコルネリウスも顔を知っている、非合法組織コミッションの構成員であった。大崩落以前からNYに縄張りを持っていたせいで大打撃を受けた彼等は、組織としてかなり弱体化している。そうした現状を認識していることもあり、会話だけで激発することが少ない組織なのだ。その彼等が撃ち合いも辞さない様子ということは、余程腹に据えかねることを言われたのだろうとコルネリウスは思う。

 次にトーニオの相手。これは会話内容からして、彼の古巣かつシチリアに基盤を持つラゾローロ一家。その構成員でまず間違いないとコルネリウスは判断する。

 

「元? 兄貴達には伏せてたはずなのに、随分と情報が早いですね。まるで監視して機会を伺っていたようじゃないですか」

「元大ボスを守れず一人で逃げたのが辛いのはわかるが、被害妄想はやめろよトーニオ。俺はベルトーニ一家の正式な仕事でここに来てるんだぜ?」

「……言いたいことは沢山ありますが、その元ってのはなんすか。代替わりに伴う各種承認は昨日の今日で終わるようなもんじゃない。それこそ準備でもしてないと――」

「まぁまぁ君、そう喧嘩腰になっては纏まるものも纏まらない。シチリアのお客人も、ここはどうか私の顔に免じて場を収めてもらえんかね?」

 

 最後にラゾローロ一家と同席していた相手、これが問題であった。いがみ合う三者を表面上はとりなそうとしているのは、恐竜の化石のような顔を持つ異界存在。コルネリウスの記憶が確かであれば、彼はガルモスという名でガルガンビーノ一家の幹部である。

 

 ガルガンビーノ一家は祭司団騒動以降、電子魔術書の情報を求めるという形でコルネリウスの『記憶』にちょっかいを出すようになった。無論彼等自身は目的の先にある、吸血鬼の記憶などというものを想像すらしていないだろう。しかしコルネリウス、そしてヘンリエッテにとって邪魔な相手となったことは間違いない。

 つまりコルネリウスにとって仮想敵であるが、話し合いの余地が残っている相手であることも確か。ここで下手な諍いと面識を作りたくない気持ちもあり、どうするか迷っていた彼の前に店員……否、オーナーがやって来た。

 

「ミスタ・コルバッハ。貴方が何もしないのであれば、私が処理する羽目になるのだが。それでいいのかね?」

「お人形さんが増えるってか。あーわかったよ、わかったわかった」

「感謝するよ。なに、貴方が連れを抑えてくれるなら、後はこちらで済ませておく。店内での荒事はご遠慮願いたいからね」

 

 この店の特別なカーテンはショーを楽しんだり、諍いを避ける以外にも役目がある。それはオーナーの意思一つで密室を作り出すというものだが、そうして出来た黒箱で何が行われるかは言わずもがなだ。

 コルバッハは手早く会計を済ませると、トーニオを回収するために立ち上がった。

 

 

 

 

 

 

 

「楽しい夜を台無しにしてしまい、申し訳ない」

「首を突っ込んだ以上、こっちのアホにも責任はある。だが若いもんの躾はちゃんとしてくれ。コミッションの立場もわかるが」

 

 深夜の歓楽街、その表通りに繋がる薄暗い小路を歩くコルネリウスとトーニオ、そしてコミッションの面々。

 自分達だけが店を出るのに納得いかないと憤る構成員を宥めつつ、コルネリウスと話しているのはシルヴェストロ・ガッリャーノと名乗ったコミッションの幹部だ。

 

「でもシニョール、聞けば酔って席間違ったフリしてまで馬鹿にしに来たのはガルガンビーノの側だって言うじゃないですか。悪いのはあいつらですよ」

「そうだ、あいつらはいつも俺達のことを……!!」

 

 コミッションに同情的なトーニオの言葉に、構成員達の熱も再燃しかける。対するコルネリウスはそれを呆れたような目で見るだけだが。

 

「じゃあ思う存分撃ち合って死ね。酒の席での口喧嘩一つ許さないなんてのは、対等以上の力関係でなけりゃ相手に口実作らせるようなもんだ」

「悔しいがその通りだ。だが一つだけ弁解させて欲しい。今回は我々の財布の軽さだけを揶揄された訳ではないのだ」

 

 シルヴェストロは続ける。

 

「ガルガンビーノと同席してた相手と、その目的は我々……特に大崩落以前からの構成員にとっては、許し難いことだった」

「HL進出、その様子じゃコミッションに話を通してないか。確かに過去の過ちを認めずやるってのは、虫のいい話だな」

「なんすか、それ?」

「……お前一応"外"のマフィアだっただろうに」

 

 まるで話がわからない、といった様子のトーニオにコルネリウスは説明を始める。

 コミッションという組織は大崩落で打撃を受けた在NY非合法組織が母体だ。合併に次ぐ合併でなんとか生き残った彼等だが、そうせざるを得なかった理由の一つに"外"から見放されたというものがある。

 大崩落の影響を避けた"外"の連中は、NYの同胞を見捨てるか下克上する形で新たな勢力図を築いた。それはイタリア系の組織も例外ではない。

 大抵の組織には――本音は裏切りを避けるためとはいえ――同胞を見捨てないとする掟がある。それを堂々と破った上で、和解もせずHLに進出するなどというのは、コミッションからすれば認められたものではないだろう。

 

「ガルガンビーノ一家もその"外"の連中でな。大崩落から間もなく、うまく異界の非合法組織と結びついて巨大化した。その時も必死に戦ってたコミッションからすれば、裏切り者だ」

「そして、アンドレッティ君の古巣も。我々が異界の同胞を受け入れれば烏合の衆で、ガルガンビーノなら英断らしい。血の掟は何処にいったことやら」

 

 軽い口調かつ苦笑しながらも、目は笑っていないシルヴェストロ。そんな彼の目を見てしまい、居心地悪そうに余所見を始めたトーニオにコルネリウスは話を振る。

 

「フランチェスコ・ラゾローロが十中八九死んだという情報はもう出回ってる。いくらHL入りを伏せてようが、HFBI(連邦捜査局)が有事のために暗殺部隊編成してた程度には知られてたからな。気になるのはあそこにいた連中の飼い主だ」

「……アンダーボスのベルトーニですね。うちは実のところ、実権はそいつに握られてましたから。これだけ早く新しいボスになれたってなら、派閥外の相談役やカポ達も日和ったんでしょう」

 

 忌々しそうに吐き捨てるトーニオ。

 

「らしくないな。捨てられたし、捨てた組織だろ」

「……まぁ、元から嫌いな連中でしたから」

「そうかい」

 

 その言葉通りなのか、実のところ捨てきれていないのか。コルネリウスに判別はつかなかったが、どちらでもよかった。トーニオが今の主たる吸血鬼に捧げる愛と忠誠は本物だと思っているし、この後起きることに変わりはないからだ。

 コルネリウスはシルヴェストロに断ってから、上着の内に手を入れつつ言った。

 

「それはそれとして、俺達には一つ共通点がある」

「一気に片付けてしまいたいと。成程、相手もそう考えているだろう」

「…………相手? シニョール・コルバッハ、説明をお願いしますよ」

 

 コルネリウスは相変わらず察しが悪いトーニオに苦笑しつつ、返事代わりに『門』から短剣を引き抜いて小路の先へと投擲。横にいたシルヴェストロも、素早く抜き放った拳銃を同じ方向へと発砲していた。

 突然の展開に惚けた顔のトーニオが小路の先を見れば、今まさに飛び出そうとしていた銃を構えた男達が短い悲鳴と共に倒れ伏すところであった。

 

「自分達に楯突く組織と、取引先を悩ます異分子。それが人気のない夜道を一緒に歩いていたら、ガルガンビーノみたいな連中がどう出るかなんてガキでもわからぁな!」

 

 物陰から次々と飛び出してくる刺客に対抗するように、コミッションの構成員達も各々の得物を抜き放つ。申し合わせたかのような一瞬の沈黙の後、夜道を照らす銃火の華が咲いた。

 

 

 

 

 

 

 

 拳銃、短機関銃、手榴弾、おまけにロケットランチャー。携行可能な銃火器の見本市となった小路は、先程までの静けさはどこへやら。HL有数の騒がしい場所へと変貌していた。

 

「シニョール! これ、俺思いっきりやっていいやつですか!」

「んな訳あるかアホ! 周囲に『迷惑』を及ぼさない程度にしとけ」

 

 刺客達は数の上では圧倒的に勝っていたが、相手が悪かった。なにせ力こそ抑えているが吸血鬼が二人いるのだ。

 コルネリウスが投擲する、血で覆われた糸によって操作・回収可能な短剣は次々と犠牲者を増やしている。トーニオは今も三角飛びの要領で接近した相手の首を掴み、壁に叩きつけるどころか半身をめり込ませたばかりだ。

 コミッションの面々は元々の練度が高かったこともあり、二人の活躍に鼓舞されるように銃撃戦を優位に進めている。

 

「貴方のことは知っていたが、アンドレッティ君も凄まじいものだな。見た限りでは機械化している訳でもなさそうだが」

「頭はともかく身体の方は少し特別なんだよ。それより、思ったより数が多いな」

 

 コミッションの面々は人間と異界存在の混成だが、言うまでもなく無数の銃弾を撃ち込まれたら虹の橋を渡ることになる。

 

「なに、問題はない。経験則から言わせてもらえば、ガルガンビーノが新参者に紹介しようとする土地は、どうせ我々の縄張りだ。どの道やり合うことになるし、部下も鍛えている」

 

 対するシルヴェストロは言外の心配を察し、笑って返す。そんな彼の銃の腕前は見事なもので、拳銃であるにも関わらず遠距離の相手も少ない弾数で効果的に仕留めていた。

 

 コルネリウスはシルヴェストロの活躍と相手の数を見て、あるいは今日の襲撃は相手にとって予定の内であったのではないかとも思った。いくらこの地域が際立った影響力を持つ組織が無いというだけの、HL基準の中立地帯だったとしてもだ。この数は電話一本ですぐ飛んでくるものではないだろう。

 

「シニョール! 敵の新手が来ましたよ!」

 

 楽しそうに壁の間を飛び跳ねているため、高所から遠方を見ていたトーニオが叫ぶ。

 

「内訳はどんなもんだー?」

「えーっと車が五台ぐらいで中から……あ」

「どうした、サイボーグでもいたか?」

「それもいますけど、あいつらどでかい火炎放射器持ってます!」

「夜の市街地でバーベキューとは良い趣味だなおい!」

 

 

 

 

 

 

 

 燃え盛る建物でライトアップされた歓楽街をコルネリウス達は走る。後方からは宇宙服のような強化装甲に身を包んだ刺客が数人、腕部から火炎を撒き散らしながら脚部のキャタピラを使って猛追していた。狭い場所でこんなものと戦う訳にはいかず、既に戦場は大通りへと移っている。

 

「あんなもん持ち出して、他の組織にどう言い訳するんだ」

「ううむ、私にもわからないな。事前に調整出来る域を超えていると思うのだが」

「案外俺達が強すぎて、ムキになってるとかじゃないですか?」

 

 制限付きとはいえ、吸血鬼の力で戦場を縦横無尽に暴れまわっているトーニオが面白そうに言う。コルネリウスは案外それが正しいかもしれないと思いつつ、路地から飛び出してきた腕がチェーンソーになっている刺客の足を払ってから後方へ放り投げる。悲鳴と共に明日の焼肉屋の売上が下がりそうな匂いが辺りに立ち込めた。

 

「しかし凄いっすねHL! まるでアメコミの中みたいだ!」

「正真正銘クラーク・ケントと戦える街だよ、ここは」

「ゴッサムシティ扱いですら生温いがね。……ふむ、しかし」

 

 シルヴェストロは少し考え込んでから、悪戯を思いついたような表情で指を立てる。中折れ帽とスーツが似合う男が、拳銃片手にそんなことを言っても物騒でしかなかったが。

 

「もし相手がやり過ぎているのであれば、この街らしい戦い方が出来そうだ」

「選択肢が多すぎて絞れん」

「それは……ハードな日常だね? とりあえず、三つ先の角を左だ」

 

 言われた通りに角を曲がれば、そこも歓楽街。道を行き交う人異入り混じった群衆は、武器を持ったコルネリウス達が走っていても一瞥するだけ。しかし彼等を追うようにして見事なコーナリングを見せた火炎放射軍団を確認するに至り、流石に悲鳴を上げて逃げ惑い始めた。歓楽街は一瞬で阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。

 

 コルネリウスは周囲の群衆……ではなく、建物。正確には非合法組織の拠点がある、もしくはありそうな建物を幾つか眺めながら納得したように頷く。この通りは一段と縄張り争いが激しい。つまり石を投げれば、目標に当たるのだ。

 

「成程。やりたいことはわかったが、どこならいいんだ」

「そこの二階建てが邪組だが、どうかね?」

「個人的な選択肢としては微妙だが、やり方次第ってとこだな」

 

 そう言って道端に落ちている小石を拾い上げ、血でコーティングしてからシルヴェストロが指差したビルの二階へ投擲。赤い礫は防弾ガラスを易々と突き破り、蜘蛛の巣状のヒビと甲高い破砕音を生み出した。

 

「どこの鉄砲玉の仕業じゃゴルァァァァ!!」

「ガルガンビーノ一家だ、文句あるか島国猿!」

 

 そうして乱暴に窓を開けた一人のヤクザを、すかさずコルネリウスが血を纏わせた縄で釣り上げ、後方へリリース。所属偽装のおまけまでつける丁寧さだ。

 不幸なヤクザがどうなったかなど言うまでもない。ただし急に消えた仲間を訝しみ、窓から身を乗り出したヤクザ軍団にどう見えるかは、また別の話であるが。

 

「あ、兄貴ぃ! サダヤスがガルガンビーノの連中にローストされてまさぁ!」

「んなぁにぃ!? あの野郎共、今日兵隊連れて来るのは西区で会食するからって話だったがありゃ嘘かぁ!!」

 

 気の早い邪組下っ端が宇宙服へと銃撃を始めたのを尻目に、コルネリウス達はその場を走り抜ける。ガルガンビーノだけが狙われて彼等はノーマークということはなかろうが、追手にとって面倒な事態となったことは間違いない。なにせ直接手にかけたのは、確かにガルガンビーノの構成員なのだから。

 

「こんなところだな。あと何件かやっとくか」

「思っていたのとは違うが、鮮やかなお手並みだ」

 

 そう言いつつ、幾つかの事務所に銃弾を撃ち込んでいるシルヴェストロ。手当たり次第にも見えるが、彼のことなので目標はきちんと選んでいるのだろうとコルネリウスは思っている。

 

「シニョール、俺そろそろ面倒になってきたんであの宇宙服どうにかしたいんですが」

「待て待てトーニオ。折角相手がやらかしてくれたんだ。もう少し面白くしてやった方がいい」

「その通りだ。だがヤク漬けで考える頭が無いようなところだけにしてくれると、我々としては助かる」

「二人とも楽しそうっすね。いや、俺もこういうの大好きですけど」

 

 

 

 

 

 

 

 取るに足らない虫に難癖をつけられたものの、引き続きナイトクラブを満喫していたガルモスとレミージョ。そして彼等率いるガルガンビーノ一家、及びラゾローロ一家改めベルトーニ一家の構成員達。

 そんな犯罪者達の楽しい楽しい時間に終わりを告げたのは、ガルモスの付き人にかかってきた一本の電話であった。

 

「……ガルモスの兄貴、少しよろしいでしょうか」

「ん、どうした…………おい、それは事実だな?」

「現場にいる部下からの報告です。薬もやっていませんので、まず間違いないかと」

「…………そうか。わかった」

 

 ガルモスは恐竜の化石のような頭部……その角のように見えるが、実際は感情表現に使う触覚を忙しなく動かしながら重く呟いた。

 

「……レミージョ殿、貴方の部下には火炎放射器持ちの強化装甲を持たせたのですか?」

「ああ、そうだが」

「派手にやって大丈夫だとは言いましたが……」

「しかし、そちらもロケットランチャーから何から持ち出していただろう。なに、シルヴェストロとかいう奴が如何に手練だろうと、狭い路地で粘性燃料の放射を喰らえばポルケッタになるさ」

 

 悪びれもせず笑うレミージョであるが、ガルモスとしては頭が痛い。ガルガンビーノはHL慣れしている分、こういったモザイク模様の中立地帯で使う爆発物の選定と取り扱いには万全を期しているつもりだ。HL慣れしていないベルトーニ一家にそれが出来ているとがあまり思えず、火炎放射器などという加減の難しい得物を持ち出しているのがそれを裏付けている。

 だがベルトーニ一家はこれからガルガンビーノ一家と深い付き合いをする客人だ。互いのファミリー内の立場ではガルモスが上でも、自分の家のようにやめろと言うのは難しかった。

 また標的を手早く片付けてしまえば問題が無いのも確かだ。結局そこで追求を止めてしまう。それが、いけなかったのだろう。

 

「が、ガルモスの兄貴」

「……今度は何だ」

 

 暫くしてどこか焦った顔の――ガルモスにとっては人間の表情はわかり辛くて困るのだが――部下から報告を受けたガルモスは、その表情を凍り付かせた。上司とは異なり、それをしっかりと判別出来る部下は言い難そうにしながらも、最後まで報告を済ませる。

 

「北区でやり合ってる上に、他所を巻き込んだと?」

「はい……邪組や蛇咬会から抗議が来ています。構成員をやられた、と」

「……現場の連中に繋げ。私が話す」

 

 横で呑気に酒とショーを楽しんでいるイタリア人とは違い、ガルモスは状況の悪さを正確に把握していた。ガルガンビーノ一家が今日の会合、そしてコミッション幹部の始末に際して他組織と行った調整。その域を超えて暴れまわるどころか、被害まで受けさせたとなると、下手すれば抗争に発展しかねない。それはガルガンビーノ一家におけるガルモスの立場どころではなく、命をも危うくするだろう。

 羽虫一匹潰せない部下や、余計なことをしてくれた客に苛立ちつつ電話を待つガルモス。しかし待てども待てども部下は彼に電話を渡そうとしない。ただ一言二言話すと、焦ったようにダイヤルし直すだけだ。

 

「貴様は現状がわかっているのか。さっさと貸せ!」

 

 ついにガルモスの堪忍袋の尾が切れ、部下から電話を奪い取る。突然の怒声に驚いているレミージョ。その姿に更なる苛立ちを募らせるガルモスの耳に飛び込んできたのは、上司の質問に対するまともな応答ではなかった。電話口からは、ただただ悲鳴のような泣き言が。そしてその背後からは、混沌としか呼び表せない状況が聞き取れた。

 

『だ、駄目です。あいつらヤクのやり過ぎで話が通じやしません!』

『おおおお、おお前らも松明にしてやろぉかぁ!?』

『わりゃぁ人のシマに火付けしておいて無事に帰れるたぁ思ってねぇよなぁ!』

『――斗流血法 刃身ノ壱 焔丸。オイオイ兄ちゃん達よぉ。人にぶつかっておいて慰謝料も無しってのはどういう了見だぁ? ほら見ろよ、じっちゃんから受け継いだ家宝のトールサイズコーヒーが台無しじゃねぇか』

 

 止むこと無く響くHLのアウトロー達の怒声。最早現場レベルでの解決は不可能だと悟ってしまったガルモスの手が震える。電話口からは、ついにパトカーのサイレンまで聞こえ始めた。

 

『こちらHLPD、ダニエル・ロウ警部補だ。貴様らの行動は――おい誰だこっちに撃ちやがったのは! いい度胸だクソアホ共、全員監獄か天国を選ばしてやる!』

 

 言うが早いか始まった掃射音は、機動警察の誇る車両固定型のガトリング砲のものだろう。ガルモスは携帯を握り潰しそうになりつつも、なんとか通話終了ボタンを押すことが出来た。もっとも、それは事態の解決になんら寄与しないのだが。

 何事かと問いかけてくるレミージョを無視し、事態収拾の会合の席を準備するため部下達に帰還を告げようとしたガルモス。しかし彼が声を発する前に、ナイトクラブの店員が彼等のスペースへとやって来て告げた。

 

「お客様。大変申し上げにくいのですが、お連れの方々が暴れてらっしゃいます。それにより当店、及び街は多大な損害を被りました」

「……少なくともこの店への損失は補填する」

「ご配慮に感謝します。しかし、事態が事態です。他の店への示しもあります。原因となったそちらのお客様の来店は、今後ご遠慮願えればと」

 

 店員の言葉にレミージョの部下が激昂し、即座に銃を抜いた。

 

「てめぇ接客業の分際で兄貴に何……を……」

 

 が、その言葉が最後まで続くことはなかった。彼が銃を抜いた瞬間、どこからともなく現れた集団がベルトーニ一家にだけ銃を突き付けたからだ。老若男女人異問わない彼等は店員だけでなく、客としか見えない者まで混じっている。そして、一様に目から意思の光というものが感じられない。

 

「どうか、ご理解頂けますでしょうか」

「……おい、この店は客に銃向けんのか」

「よせレミージョ、店はいくらでもあるんだ。俺達が原因の問題も起きてる。今夜は帰るべきだ」

 

 殺気立つレミージョを見て、ガルモスは咄嗟に止めに入る。レミージョは風俗店というものを、自分達に庇護してもらう存在としか思っていない。それはこの状況で致命的な間違いを生みかねないのだ。

 

「…………ちっ」

 

 舌打ち一つして殺気を収めたが、不満を隠しもしないレミージョ。ガルモスはそれを見て、この期に及んでHLを理解しようとしない愚か者を寄越したベルトーニ一家を強く呪った。

 

 

 

 

 

 

 

「ガルモスさんよ、HLじゃあマフィアが店の側に配慮するもんなのかい」

「独立独歩で生きている店においては、そうだ。"外"とは違い、彼等は明確な武力を保持しているからこそ誰かの庇護下に入っていない」

「それでも手を焼く程度だろ? 俺達は面子商売だってのに……どうした?」

 

 先に店を出たガルモスが立ち止まり、無言になったのを訝しむレミージョ。続いて店を出た彼も、ガルモスが感じていた異様な雰囲気にようやく気付いた。

 

「人が……いない?」

 

 火の回りが早かったのだろう。西の空は明るくなっており、半鐘の音やサイレンの音が響いている。北からは明らかに銃撃戦とわかる音や、爆発音がひっきりなしに響き紛争地帯もかくやという有様だ。

 そんな状況であれば、人が逃げ去っていること自体はおかしくない。問題は見える範囲には誰もいないのに、無数の視線を感じるということだ。

 

「どういうこった……?」

「……迎えの車はまだか」

 

 周囲を警戒しつつ付き人に確認するガルモス。彼は目の前でかけられた電話が受信不可のアナウンスを返すに至り、懐から銃を抜く。他のガルガンビーノ一家の面々もそれに倣った。驚いたのはレミージョ達だ。

 

「お、おい。一体なんだってんだ、他組織の襲撃か?」

「イタリア人ってのは頭の中にも太陽があるのか? それならまだましだ。これは差し向けた部下達がくたばって、街の連中が……今なら犯人なんざ特定出来ないと確信したってことだ! 来るぞ、走れ!」

 

 ガルモスの叫びに呼応したかのように、通り沿いの店の屋上や小路から武装した群衆が飛び出してくる。その多くは顔を隠していたが、中にはそれすらせずに殺意の、あるいは喜びの込もった目で凶器を構えている者もいた。

 

 反応が遅れたベルトーニ一家の構成員が何人か銃弾を受け倒れ伏す。ガルモスは混乱しているレミージョの腕を部下に引かせ、自らは銃撃を行いつつ東を目指す。

 

「北と西は駄目だ。東か南へ抜けるぞ!」

 

 路地裏から伸びてきた触手、店の窓から覗く狙撃銃、マンホールから湧き出した無数の骨の腕、隣を通った瞬間動き出すマスコットに、突如巨大化する猫のような何か。

 ひっきりなしに襲い来る、百鬼夜行としか言い表せない凶手達にガルモス達は次々とその人数を減らしていく。それでも武闘派組織の面目躍如といったところか。殿まで用いてなんとか追手を撒き、区域の端まで辿り着く。

 

「くそっ、何なんだこの街は!? ボスに一体どう報告しろってんだ!」

「……それはこちらの台詞だレミージョ。この騒動は、貴方が愉快な玩具を後先考えず投入したことも大きな原因だぞ」

「大崩落に適応出来なかった、死に体の残党。俺達のHL入りの武功にゃ手頃な連中だっつったのはアンタだろうが!!」

 

 逃げ切った安堵からか、言い合う二人。両者共に僅か数人にまで減ってしまった部下は疲れ切っており、それを止める余力すら無い。

 

「それは……いや、よそう。今は車を奪って退避し、巻き込んでしまった組織と話し合いの場を――」

「設けられると面倒なのだよ、ガルモス」

 

 立て続けに響く銃声と、倒れ伏すガルモスの護衛。部下達があげる苦痛の呻き声の中、ガルモスとレミージョ、及び彼の護衛は銃を構え声の主を見やる。

 月明かりに照らされる陰は三人。未だに硝煙を上げる拳銃を持ったシルヴェストロと、手元でナイフを弄ぶトーニオ。そして、唯一凶器を持っていないというのに、最も強烈な威圧感を放つコルネリウスであった。

 

 伏せた兵がいるようには見えない。しかもシルヴェストロは、自分の役割は終わったとばかりに銃を胸元に収めた。数の上ではまだガルモス達が優勢だ。ガルモスという頑強な異界存在もおり、一見すれば優勢なのは彼等の側に思える。

 だがトーニオに豊富な罵倒を放つ余裕があるレミージョとは違い、ガルモスはコルネリウスから視線を外さない……否、外せない。

 

「そうか、この騒ぎはシルヴェストロでも、そこの坊主でもない……となれば、貴様かっ……!!」

「あの地区には知り合いが多くてな。自分達に被害を与えた連中が、手勢を壊滅させた情報を流せばすぐだったよ」

「くそっ、私が、銃を撃つだけの脳筋共とは違うこの私が馬鹿共のせいでっ!!」

 

 怒りに震えるガルモスの横では、いつの間にか接近したトーニオに腕一本で持ち上げられたレミージョが苦しそうにもがいている。月明かりでなんとか確認出来るその顔は、何故か急速に干からびていく最中であった。もっともガルモスにとっては、既にどうでもいいことであったが。

 その光景を見ながら、コルネリウスは笑う。

 

「そっちの教え子は出来が悪そうで大変だな」

 

 そして懐から、質量を無視したかのように大剣を取り出す。血で覆われた赤い大剣は、ガルモスの目には乏しい明かりの中でもやけに明るく映った。

 大剣を片腕で持つコルネリウスはトーニオと、そして今まさに命脈が尽きようとしているレミージョ達に向けて歓迎するように両腕を広げる。

 

「新入生諸君、ようこそHLへ! 長いか短いかは君達次第だが、楽しんでいってくれたまえ!」

 

 大将首を求める功名心ある若者達がそこへ辿り着いた時。残っていたのは鉛で僅かに体重を増やした数人のマフィアと、千切られた自らの腕で壁に縫い付けられたガルモスだけであった。イタリア人は一人たりとも残っていなかったという。

 

 

 

 

 

 

 

『それで最近はシルヴェストロの旦那と仕事してまして。昨日はワイズガイとして推薦させて欲しいとまで言われてるんすよ、凄いでしょう!』

「おめーつい先日まで地上最強だと思い上がってたよな。それが弱小マフィアの正規構成員の座で喜ぶのか……」

『え、あーそういえば……』

 

 数日後、コルネリウスはオフィスの凄まじい柔らかさのソファでだらしなく寝ながら、トーニオからの電話を受けていた。まだ昼で、平日である。

 

「まぁシルヴェストロにHLの生き方を学ぶこと自体はいいんじゃないか。ただあいつ、お前の正体にもう気付いてるか、遠からず気付くぞ」

『マジっすか……やっぱり裏社会を生きる人間としての格の違いですかね……』

「いや調子乗ってシチリアマフィア共の血を抜き取ったからだろ。死体の処理や目撃者も考えずにあれをやるのはやめろよ、本当に」

 

 机に広げられた新聞には、深夜の銃撃戦と大捕り物、ついでにガルガンビーノ一家が複数の組織と抗争に入ったことが一面になっている。暫くはHLの裏社会マニアの興味を一身に集めることであろう。

 

「コミッションで活躍し過ぎるのもやめとけよ。弱小組織がいきなり暴れ始めたら、同業者から睨まれる。それどころかライブラみたいな連中にまで怪しまれて袋叩きだ」

『えー、それじゃ歴史ある斜陽組織を立て直した伝説のマフィアになれませんよ』

「わかったわかった、お前脳の情報抜かれそうになったら自害しろ。あとお前経由で俺まで辿り着かれたら、男として生きていけなくなる呪術を片っ端からかけるからな」

『それ死ぬのと同じじゃ――』

 

 相も変わらず呑気なトーニオとの通話を切り、今度こそ昼寝に入るコルネリウス。HLの住人、そして吸血鬼としての後輩が彼に認められる日は、まだまだ遠そうであった。

 

 

 




トーニオ関連をうまく処理出来ず纏まりの悪い章に
二期は七話しか見てなかったので蛇咬会の絵が出てたのも知らなんだ


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第四章 恋する災害
第十話


「えっとー、自分どうにも印象が薄いみたいで。好きなものとか、あまり覚えてもらえないんですよ。だからちょっとした時にすれ違いを感じるというか」

「ふむ、それは由々しき問題だねミヨン。コルネリウス、君はミヨンへのプレゼントはどうやって決めているんだい?」

「あー……欲しいと言っていたものを思い出して、選んでいるな」

 

 客、もとい悩める若者へ無機質な印象を与えないように努め過ぎたのか、自然物を用いた小物が多すぎて雑然とした印象を受ける部屋。コルネリウスは木製シーリングカバーの内から放たれる電球色に照らされながら、咄嗟に捻り出した無難な回答をカウンセラーへと返した。

 

「成程。しかしそれは、ミヨンの側からさり気なくアピールしてくれている結果ではないかな。仮に自分の意見のみで決めるとすれば、何を送るかね?」

 

 即座に質問を返したカウンセラーは、下顎の大きい二足歩行の亀のような異界存在だ。彼が発した問いは、コルネリウスからすれば好ましくないもの。何故ならコルネリウスが何と答えようと、その後の流れが決まっているようにしか思えないから。

 それでもコルネリウスは自分の隣に座る女性――イム・ミヨンを一瞥してから答える。

 

「…………酒、置時計、陶磁器、ガラス細工、傘、加湿器。あとは……あー……記念日なら宝石とか、貴金属などを」

「ふむ、ミヨンはどう思うかね」

「どれも嬉しいです!」

「それは、恋人から贈られるものとして?」

「えっ……うーん、そう言われるとちょっと違うような、そうでもないような」

「そうでしょう、そうでしょう」

 

 コルネリウスはあっさりと誘導されたミヨンを苦々しく思いつつ、それを表情に出さぬよう努力する。なにせ彼が今いるここは、ランドルナーザ恋愛総合カウンセリングサロンだ。女性への不満を感じさせるような行いをすれば、どうなるかなど目に見えている。

 本来の目的を果たすため、コルネリウスは耐えねばならない。たとえ潜入捜査のパートナーが今日出会ったばかりの女性で、質問に答えようがなくてもだ。

 

 

 

 

 

 

 

 遡ること数時間前。コルネリウスは気怠さを隠すこともせず、重い足取りで旧タイムズスクエアを通り過ぎようとしていた。目的地はここより徒歩十分程の場所にある恋愛カウンセリングのサロン。繰り返すが、恋愛カウンセリングだ。

 無論、コルネリウスが赤の他人に、恋の悩みを打ち明けに行く訳ではない。彼にとって非常に残念なことであるが、これは仕事であった。

 

 事の始まりはとある高級製菓メーカーの社長、正確にはその妻であった。どうにも流行という言葉に弱い女性であったようで、自他共認める夫婦仲の良さであるにも関わらず、近頃若い女性の間で話題だというランドルナーザの利用を決意。多忙な夫を引っ張って夫婦カウンセリングへと突撃したらしい。

 夫曰く、女性向けの話術は優秀だったらしいカウンセリングに妻は大いに満足したそうだが、問題はこの後であった。サロンの職員は夫婦仲を更に円満にするために贈り物はどうかと、ブランド品の小物やら家具やらを薦めてきたのだ。

 物自体は高級品に慣れた夫妻から見ても文句のつかぬ品々。サロン職員は各メーカーと協力関係にあるとか、ブランドの価値を下げぬため値下げも出来ず、本来処分される在庫を流してもらったとか説明していたそうだ。だがそれでも安すぎるし、流行には疎いが型落ち品ではないと疑念を抱いた夫。ここがHLであることも考慮して、調査を依頼してきたという訳である。ちなみに妻は満足してそれを夫に買わせたそうな。

 

「カルネウスからの紹介でなけりゃあな……」

 

 つい出そうになる溜息を飲み込みつつも、漏れ出る不満は止められないコルネリウス。

 VD社の重役兼社長付き人のカルネウスは依頼の、あるいはコルネリウスによる各種人材紹介の対価の一端として、性格に難がない経営者や著名人をコルネリウスへ引き合わせていた。そして今回の社長もその一人だ。

 得た人脈がコルネリウスの経営する書店に様々な恩恵をもたらしているのは確か。加えてカルネウスの顔を立てる必要もある。かくして天下無双の吸血鬼様は、恋愛カウンセリングの実態調査をする羽目になった。唯一の救いと言っていいのは、コルネリウスから見た分にはランドルナーザが黒である可能性が高いということだろうか。

 

 "外"の人間には意外に思われることだが、HLは恋愛に関する犯罪が多い。しかも対象の殆どは異界存在だ。

 そも思想・学術的な都合や、人界視点から乱暴に一括りにしているだけで、異界存在という言葉は無数の種を指す。そして彼等は、全員が望んでHLに来た訳ではない。

 急に出現した、十分な都市計画も無いまま変容を続ける大都会。そこに放り込まれた、あるいはやって来た異界存在達は、同じ種族と出会える場所に恵まれていない。更に田舎者や不慣れな者であれば、デートスポットひとつ選ぶのにも苦労するのだ。

 故に恋愛相談だとか、パートナー探しのサイトだとか、繁殖可能な異種族情報だとかはHLの人気コンテンツとなっている。必然、それを悪用する輩も多い。

 

 今回の依頼人は夫婦共に人間であるが、それならカモにされないはずもなし。コルネリウスはランドルナーザに突き付けるための、各メーカーから得た協力関係にないという証拠を持って目的地を目指す。それは正規の手段で入手したものでも、完璧な調査結果でもない。しかし使い方を間違えなければ、相手を観念させるかボロを出させるには十分なものだ。あとは何かしらやっているであろう悪事を暴けば、依頼人への報告内容が揃う。

 

 NY時代から変わらぬ都市一番の繁華街をぎりぎり抜けないあたり。ランドルナーザは五階建てのビルを丸々借りていた。桃色の多い看板には男女別やカップル用、果ては個室の待合室まで完備しているとある。それでも屋外に相談待ちらしき客がちらほらいるあたり、この業界における超新星であることは確からしい。

 客が多い時間帯に正面から乗り込むのは、主に精神的にタフな案件となる。コルネリウスが先に魔術的な調査を選ぼうとしたところで、彼の優れた聴力が気になるものを捉えた。

 

「そうつれなくするなよ。嬢ちゃんも割引ブランド品目当てにペア探してるクチだろ?」

「いや、そういう訳では……」

「気にするなって。多いんだぜ、それ。だから俺達と少しお茶してくれるなら、もっと安く譲ってやるよ。なにせここに品を卸してるのは俺達だから、多少は融通が効くんだ」

 

 ビルの裏手から聞こえるその会話は、男女の……というより二人の男が女性に粉をかけているだけのもの。だがランドルナーザの人気の一端であろう、妙に安価なブランド品。その出処を追える可能性を示していた。見逃すという選択肢は無いだろう。

 コルネリウスがビル前でいちゃつき出した男二人を避けつつ現場に向かえば、そこには人間と異界存在の男が一人ずつ。彼等は一人の女性を、逃げられぬよう壁際に追い込んでいた。

 

「えっと、その……仕事があるんで、このあたりで失礼してもいいでしょうかっ!」

 

 絡まれていた黒髪ポニーテールの女性は元気な声で、しかし困ったように言うと、少し強引に男達の囲みを抜けようとする。だが飢えた狼がそれを座視してくれるはずもない。

 

「おい、折角俺達が良い話を持ちかけてやってるのに、その態度はなんだよ」

 

 苛立ちを含んだ声と共に乱暴に伸ばされた手は、しかし女性の細腕を掴むことはなかった。男の手は過たず女性へと至ったが、何故か目標を通り過ぎ……否、すり抜けてしまったのだ。勢い余った男はつんのめる形で壁へとダイブし、したたかに顔を打ち付ける。

 

 コルネリウスはその一瞬のやり取りから、絡まれていた女性が人狼であると推測した。魔力に類するものは感じられず、手早く周囲を探知した限り科学技術による投影の線もない。それにコルネリウスは何度か人狼という存在に相対したこともあり、その時と似た感覚を抱いたのだ。

 

「ってぇ……おい!」

 

 痛みに頭が沸騰した様子の男とその相方が、懐から折りたたみナイフを取り出す。HLでは貧相極まりない得物であるが、女性一人脅すには十分なそれ。問題は向ける相手が、自身に関するあらゆる要素を"薄める"ことで、物理的にも魔術的にも触れること能わぬ人狼であるということ。そして彼等から情報を引き出そうとしていたコルネリウスに、不要だったとはいえ手頃な大義名分を与えてしまったということだろう。

 

「HLで不用意に得物取り出すのはいかんよ。なぁ?」

「な、なんだてめあがッ」

 

 一足飛びで近付いたコルネリウスに襟元を掴まれ、先程の数倍の勢いで壁に顔から打ち付けられた男が意識を失う。片割れの異界存在は突然の展開に驚き、背を向けて逃げ出そうとしたが叶うはずもない。足を払われ、うつ伏せとなったその背をコルネリウスが踏んで動けなくされた。

 

「お、お助け……」

「なに、安心しろ。お前らが取引先に卸してる、出処不明のブランド品について知ってることを全て吐けば無事に帰れる」

「えっ、で、でもそれは……」

「自殺志願者だったか。死ぬ直前でもナンパとは、相当なもんだな」

「話します、話しますから!」

 

 あっさりと観念した異界存在の男にコルネリウスは満足し、その目を絡まれていた女性へと向ける。少し高めの背丈に、青文字系のどこかボーイッシュな装い。活発な印象を受けるその女性は、乱入者であるコルネリウスを驚いた様子で見つめていた。

 

「一人でも切り抜けてたろうが、こっちも都合があってな。こいつらはなんとかしておくから、君はもう帰るといい」

「え? ええっと、その……はい」

 

 女性は倒れている男達に視線を向け、少し迷った様子見せつつも表通りへと去っていく。コルネリウスは女性の態度、正確には男達を見る眼差しの鋭さに少々の違和感を覚えた。故に踏みつけていた男にはまず女性と面識があったか、あるいは何かしらの目的を持った仲間だったかを尋問したが、結果はシロ。

 回答を聞いたコルネリウスは、即座に血を用いた魔術で索敵を開始する。吸血鬼にとっては身体の一部とも言える血を用いたそれは、周囲の状況を手に取るように彼へと伝えてくれる。それによれば、ビルの裏手となる小路にはコルネリウスと男二人しかいない……が、コルネリウスにはちょっとした確信があった。

 

「おい嬢ちゃん。人狼だからって盗み聞きがバレないとは限らんぞ」

「えっ、ええっ!?」

 

 姿は見えぬが、慌てた声。カマかけに引っかかるその純粋さに、コルネリウスは苦笑する。

 

「俺はランドルナーザの調査のためここに来たが、そっちの目的は知らん。そんな状況じゃ、こいつらに話を聞くことも出来んのだ」

「えーっと、えーっと……その……」

「相反する目的でないなら協力も出来るが、どうだ?」

 

 なにせ人狼というものは、諜報活動への適性がこの星で一二を争う程に高い。そんなものを気にしながら仕事をするぐらいなら、協力する、最低でも敵対関係でないと確認する方が良い。

 そうして投げかけられた問いへの返答は、何も無かったはずの空間が歪む、あるいは滲むようにして現れた先程の女性の姿であった。

 

「その、狙った訳じゃないですが自分も同じで……あーでも、お仕事だから……」

「ソロでやるってなら別に構わんが、そこまで秘匿してやらなきゃならんのか?」

「う、うーん……今回はそうでもない、のかなぁ。あー、じゃあお願いします! ただし私の所属とかは秘密ってことで!」

 

 熟慮したというより、迷うのに疲れたといった感がある元気な返答。所属にしても秘密にする必要がある組織だと宣言したようなものだが、これで演技なら大したものだろう。どの道コルネリウスはこの案件そのものには気を張っていない。敵対するようなことさえ無ければ、どんな思惑があろうと構わないとそれを流した。

 一方の女性は本来の調子を取り戻したのか、大きな身振り手振りや快活な声で話し始める。

 

「イム・ミヨンといいます! 所属はじん……あっ、その、いまのなしで」

「……ああ、うん。コルネリウス・コルバッハ。便利屋で、さっきも言った通りランドルナーザの調査中だ。既に各メーカーがここに品を流してないことは確認済。こいつらにも話を聞けば、そのあたりの真相にはだいぶ近づけるだろう」

「仕事が早い……そうなるとー……あっ、そうだ!」

 

 名案を思いついたとばかりに手を打つミヨン。コルネリウスは特に警戒することもなくそれを聞き、そして驚愕することとなる。

 

「せっかくですし、二人でカウンセリングを受けながら潜入捜査しましょう! 普段隠れてばっかりだから、一度やってみたかったんです。こういうの!」

 

 

 

 

 

 

 

 尋問の結果、件のブランド品や家具の出荷元には裏稼業の連中が関与しているとわかった。またその面子からして、品物が精巧な贋作であることもほぼ確定。故にその贋作を売りつけている音声証拠だとか、現物を確保する意味はある。また他にも何かしらの犯罪行為をしてないか、おとり捜査をするのも見方次第では魔術より簡単で効果的だろう。だが、コルネリウスが既に確保した証拠と、人狼の力があればそれで十分なのだ。

 

 コルネリウスから協力を誘った手前。

 既に十分働いているとはいえ、後の作業を殆ど女性に任せるのは体裁も気分も良くない。

 ミヨンが目を輝かせながら、カウンセリングと潜入捜査について語っていた。

 都合よくキャンセルが入り、すぐカウンセリングが受けられる。

 こういった諸々の要素は無視すべきであったと、コルネリウスはカウンセラーに受け答えしながら強く思っている真っ最中だ。

 

「互いに甘えていい曜日を決めるのです。月水金はコルネリウス、火木土日はミヨン。その日は身体を洗ってあげるだとか、料理を作ってあげるだとか――」

 

 そもコルネリウスは、この手のカウンセリングを受ける気はない。しかもキャンセルのせいで仕事としてやるべき手順はともかく、互いの簡単な情報交換すら出来ていなかった。そこから生まれた齟齬はパートナーへの不理解と捉えられ、そしてカウンセラーによるコルネリウスへのストレス攻撃に繋がる。

 互いのことを知らぬのはミヨンも同じだ。しかし言外に責めるような質問は彼女には――コルネリウスはそうあって欲しいとは思わないが――飛んでいかない。女性としてこういった受け答えに長けている……とは違う。明らかにターゲットにされていない。

 

「仕事を口実にパートナーから逃げてはいけません。男が逃げれば、女性は追う。そこに優越感を抱き、繰り返してはいけないのです」

 

 とはいえ、何事にも終わりは来るものだ。問答と簡単なアドバイスを終えたカウンセラーは、聞いていた通りにブランド品やら何やらを薦めてくる。コルネリウスは内心で歓声を上げた。吸血鬼にも精神攻撃は効くのだ。

 

「あっ、これグレーテの新作ですね!」

 

 楽しそうに数々の贋作を品定めするミヨン。贋作だと知った上での演技かは、コルネリウスにはわからない。ただ事前に話し合っていた通りの仕事はこなしている。人狼の能力を使い、ブランド品の"内側"に指を潜り込ませて何か仕込まれていないか探っているのだ。

 やがて検分を終えたミヨンは、その品々を強請るふりをしてクロだと示す符丁のひとつをコルネリウスへと伝えた。悪い意味で密度の濃い時間を過ごしたコルネリウスへの褒美なのか、誘導しやすいミヨンを与し易い相手だと思ったのか。その符丁が示すのは、仕込まれていたものが機械だということ。これだけで十分な証拠となるものを、あっさりと引き当てたことになる。

 

 それを受けたコルネリウスは、ミヨンの手で並べられた品々を全て購入。参考物件としては少々数が多いのは気になったが、状況が状況。仮とはいえパートナーである女性が満面の笑みを浮かべていることもあり、否とは言えない。

 

 一時間後、二人は仕掛けられていた盗聴器や発信機を手に、ランドルナーザへと殴り込みをかける。対するは警備員と称する外見だけ整えたゴロツキ達と、亀のような異界存在のカウンセラー。彼等をぶちのめすコルネリウスは、それは素晴らしい笑顔を浮かべていたという。

 

 

 

 

 

 

 

「責める訳じゃないんだが、やっぱり買った量多くなかったか」

「え、いやその上客なら更に悪事を引き出せる可能性が……その……すいません」

「……大事に使ってやってくれな」

「はい、それはもう!」

 

 盗聴器や発信機の受信機械、職員の写真付き名簿や、贋作が詰まったビル内の倉庫写真に、その他諸々の悪事の証拠。必要なものを粗方揃えた二人は調査の仕上げとして、ランドルナーザの経営者が住む家へと向かっていた。

 当初コルネリウスは職員を使い、ランドルナーザまで経営者を呼び出させるつもりだったが、彼等の話によれば数日前から連絡が取れないらしい。当然ながら訝しんで身体に聞いた結果、嘘はついてないと判断。だが各種資金の流れは滞っておらず、このような事態を想定して店仕舞いをした訳でもなさそうであった。

 単に遊び呆けているか、何かしらのトラブルに見舞われたか。後者であれば裏社会の、特に競合する業種や、上納金を求める連中の仕業が考えられる。コルネリウスはその手の連中が会社の金に手を付けていないことに違和感を覚えたが、頭の中だけで結論が出る問題でもないので行動することにした。

 

「で、ここか」

「ふわー……いいとこ住んでて羨ましいです」

 

 辿り着いたのは高級マンションが立ち並ぶ区画。ランドルナーザ経営者が住むとされるそこも、周囲と同じブルーカラーの数ヶ月分の収入を一月で求めるような場所であった。

 コルネリウスは魔術を用いた遠見により、管理室付きの広いエントランスと認証式の扉を敷地の外から眺めている。

 

「だがセキュリティの方は貧弱だな。お約束と言えばそうだが」

「えっ、でもここお高いんですよね? 相応のものがあるんじゃ」

「人狼が言ってもな……物理方面特化で、魔術や異能は検知程度だよ。それでもロックハートを使ってるあたり、質は高いけど」

 

 そも魔術を用いた犯罪は、物理的に対処可能なものが多い。科学的な常識を超越して火だの雷だの魔獣だのを出したところで、高品質な超合金の扉は砕けないし、術者はセキュリティのガトリング一発当たればお陀仏だ。

 逆に単純な武力で解決出来ない魔術となると、術式の阻害手段が必要となってくる。高度な魔術とそれを扱えるようなアドリブの効く術者を阻害出来るようなセキュリティを、不動産会社や警備会社が用意するのは相当に困難だ。なにせそれを成せる人材は国家機関や世界的大企業、裏社会の大者ですらろくに確保出来ない程に貴重なのだから。

 

 ともあれ、公権力に属さぬ二人にとって無視出来るセキュリティというのはありがたい。コルネリウスは潜入に使う魔術を隠すため、一度ミヨンと別れる。フリーランスの人材が手の内を隠したがるのは珍しいことでもない。ミヨンは特に疑うこともなく、自身の存在を希釈し、一足先に目的の部屋へと向かった。

 その後にコルネリウスが使った術式は、いわゆる空間連結術式の一種だ。基となった術式は血界の眷属御用達とまで言われる『血脈門』で、普段は武器の収納などにも用いている。故にそうとわからぬよう改造はしてあるが、秘匿するに越したことはない。それに空間連結術は高難度の技だ。必死に隠す必要こそ無いが、おおっぴらにし過ぎると目立って仕方ない。

 

 コルネリウスは虚空に現れた『門』をくぐり抜け、セキュリティに一切感知されることなく目的の階層の一つ下へと到着。階段を用いて上へと向かい、既に部屋の前で待機していたミヨンと合流した。

 

「いよいよですね、コルネリウスさん。ここが敵の首魁が潜むアジト……!」

「ミヨンの期待しているような激戦は起こらんと思う」

 

 潜入捜査時からの流れでファーストネームで呼び合いつつ、得物を取り出す二人。コルネリウスはいつものシュラハトシュベールト、ミヨンはどこにでもあるような拳銃だ。後者は武装としては心許ないが、彼女が人狼であることを考慮すれば十分ではある。

 

 準備が整ったことを確認し、ミヨンは手袋を付けてから腕だけ扉をすり抜けさせた。そのまま内から鍵を開けんとし……首を傾げて動きを止める。

 

「どうした?」

「いや、鍵が全部開いてるというか……壊れてるんですよね」

「あー、やっぱり襲われてたか。こりゃ死んでるかもな」

 

 そうなれば金目の物は勿論、会社に関する資料も奪われている可能性がある。つまり全くの無駄足になりかねないが、そうであっても確認は必要だ。コルネリウスはミヨンがどくのを待ってから扉を開け、土足のままフローリングの廊下を進んでいく。一応靴は血でコーティングされており汚くはないし、足跡も残らない。もっとも足跡だけ気にしても警察の目は誤魔化せないのだが、それが目的ではなくあくまで彼の性格だ。

 

「死を偽装してまで逃げてるようなことはあるまいし……おい」

 

 居間へと通じる扉の数歩手前で足を止めたコルネリウス。木とガラスが組み合わされた扉の奥からは、吸血鬼には馴染み深い血と、大量の硝煙の匂い。問題は争いの結果であろうそれが、一人二人ではきかぬ量ということ。そして居間の更に奥、別の部屋から何かが蠢く気配がするということだ。コルネリウスは吸血鬼故にわかった部分は省いてそれをミヨンへと伝え、大剣を構える。

 

「ランドルナーザの社長が魔術師だの、武闘派だのという情報は無かったが……」

「自分も聞いてないで……あっ」

 

 思い出したのは些細なことではないだろう。明らかに顔色を悪くしたミヨンを見て、コルネリウスはその情報の重要性を悟ると共に、彼女の上司に強く同情した。

 

「よし、怒らんから言ってみろ」

「えっとですね、その……次長に言われてたんですけど」

「おう」

「ランドルナーザの社長が13王と接触した可能性があるって……というか自分、そもそもそれを調べに来たんでしたぁ!」

 

 扉の向こうまで響いたに違いない、ミヨンの悲鳴じみた泣き言に反応したのだろう。その言葉の直後、頼りない仕切りを突き抜けて大量の触手が二人へと襲いかかった。

 

 

 



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第十一話

 13王とはHLで最も厄介で、そして面倒くさい存在のことだ。彼等は何かしらの分野において、既知の領域を遥かに超えた才能や力を持っている……だけではない。それを壊れた倫理観だの螺子の外れた信念の下に惜しみ無く振るい混沌を撒き散らす、世界有数の迷惑な存在である。

 

「それを忘れていた度胸は褒める」

「えっ、ありがとうございます!」

「違う」

「えっ」

 

 扉を破壊して迫り来る触手を感知した瞬間、コルネリウスはミヨンを抱えて後方へと跳躍。とはいえ彼女は人狼であるから、運ばれる途中で存在を希釈してコルネリウスの腕をすり抜け、そのまま触手と壁もすり抜けて安全地帯へ。

 

 手の空いたコルネリウスはシュラハトシュベールトを構え直し、扉の残骸を隔てた向こう側、寝室から居間へと這い出て来た異形を見やる。触手が多すぎてイソギンチャクの親戚にしか見えないそれ。犠牲者のものであろう血や衣服が一箇所に集中しているあたり、そこが口なのであろう。

 

「何でこんなもんがいるのか、これが何をしたのかは一先ず置いておこう。関わってるのは誰だ? こいつの作りだけ見れば『堕落王』か『悔恨王』、あるいは『偏執王』だろうが……」

「すいません。『悔恨王』は違うらしいってことしか……」

「それが正しいなら、個人的な予想はアリギュラの奴だな。フェムトの仕業にしちゃ派手さや演出が足りないし、このマンションに奴が興味を持つような存在がいたとも思えん」

 

 壁から頭だけ出しているミヨンと会話しつつ、振るわれる触手を切り払うコルネリウス。彼は戦いつつも、眼前の異形を観察を止めない。13王が関わる案件において、相手が誰か知らないというのは致命的なのだ。

 生物と無機物の中間のような触手は、十中八九魔術や異常科学の産物だろう。居間や寝室の壁には大穴が空いており、残った壁にも木の根のように触手が張り巡らされている。この分では隣室やその先の住人まで犠牲となっているかもしれない。

 

「これ、どうしましょう。二人で倒します?」

「俺が抑えておく。ミヨンは他にもこいつがいないか探ってくれ。本体や司令塔らしき存在がいたら、それが最優先」

「了解しました。でもお気をつけて!」

 

 ミヨンが壁の中へ消えれば、室内に残るのはコルネリウスと触手のみ。触手が攻め、コルネリウスが防ぐ、ある意味単調な流れが暫しの間続く。

 だが演舞でもなし、いつまでもそれを続ける意味はない。コルネリウスは少し踏み込んで大量の触手を切り飛ばすと同時、『門』からダガーナイフを取り出す。小規模な爆発の魔術が仕掛けられているそれを、触手を切り飛ばして開いた隙間を塗って触手の本体へと投擲。本体の口近くに突き刺さったナイフは、一瞬の後に起爆し轟音と粉塵を撒き散らす。

 

 あくまで小手調べ。これで仕留めたと思っていないコルネリウスは、血を用いた索敵で粉塵の中にあっても十分な情報を得ている。果たして触手はその動きを止めておらず、それどころか今まで以上に激しい動きと速度で手足を伸ばし始めた。ただし、コルネリウスのいない方向に。

 壁の中から、あるいは背後から攻撃するつもりであろうか。先程の爆発でも触手にダメージらしいダメージは見られない。その耐久性も警戒しつつ攻撃の機会を伺うコルネリウスだったが、触手は一向に攻めて来る様子がなく、索敵にもバックアタックの気配は感じられなかった。

 

 では触手は何処へと伸ばされたのか。その答えは、膠着状態に飽いたコルネリウスが攻撃に転じようとしたちょうどその時にやってきた。

 

「コルネリウスさん! ここと、上下の階は住人全滅してます! あと今凄い勢いで触手が死体を引き寄せて――」

「索敵ありがとう。……しかしまぁ、このなりで保存食の概念があるとは。下手な薬中より頭いいんじゃないか?」

 

 再度壁から現れたミヨンが見たものは、集めた死体を一つではなかった口で同時に貪り食う触手の本体。そして、食べれば食べるだけ膨れ上がる身体であった、

 

 

 

 

 

 

 

「卵まで産んでるとは随分凝った作りだったな」

「うう、あの光景夢に出そうですよ……」

 

 ダメージを受けては食事を、そして受けたダメージ以上の回復を繰り返す触手。本来なら被害者を増やしつつ、ずるずると長引くであろう案件だ。だが幸いにもコルネリウスの攻撃力が足り、触手は繁殖を終えていなかった。仕事や遊びで長期不在がちな住人の多い高級マンションだったことも、短時間での戦闘終了の一因であろう。

 

 しかし二人はここに化物退治に来た訳ではない。コルネリウスはランドルナーザの経営者の身柄と、彼が持つであろう裏帳簿など更なる悪事の証拠。ミヨンは13王との接触の真偽を求めているのだ。

 本体が死ぬと同時に壊死した触手を掻き分け、部屋を物色する二人。だが彼等は目的のものを見つけることが出来なかった。あったのはランドルナーザの経営者を脅すか始末しに来て、予定外の化物に食われた裏稼業連中の得物と服の切れ端ぐらいである。

 

「この際ガラだけでもいいんだが、下手すりゃさっきのあれに消化済だ。お手上げだな!」

「あ、諦めないでくださいよー!」

「いやもういいだろ……俺は確保済の証拠だけでも犯罪は証明出来るので依頼達成。お前は対象が何かしらの形で13王と関わりがあったとわかった。数日かけてここの検分をする警察以外は残業も無いし、みんなハッピーだ」

 

 これ以上の調査は歩く、どころか座ってるだけで世界を滅ぼしかねない奇人変人共と関わることと同意だ。明らかにやる気を失ったコルネリウスに対し、ミヨンは不満げに食い下がる。

 

「うー、でももう少しはっきりとした証拠が欲しいというか。先輩達みたいにこう、敏腕なところを発揮したいんですけど」

「触手は魔術だけでなく、生体工学なんかも使われてた。技術の方向性から見てアリギュラの所業です、で十分だろうに」

「その偏執王さんの目的は何か、とか……」

「命がいくつあっても足りん。そういうのはライブラにでも任せりゃいいんだ。それに、追うにしても何の痕跡も無いんだぞ」

 

 打つ手なしとばかりに両手を上げるコルネリウスだが、その言葉は真実ではない。彼の血に関する飛び抜けた把握能力は、この現場が"化物によって"作り出されたのが半日程前だということを伝えていた。そしてあと数時間以内であれば、元凶であろう人物に付着した血液を、魔術を用いて辿れるということも。

 だがコルネリウスが言った通り、13王と関わることに百害あって一利無し。彼が本来の力でもって当たっても勝てるかわからない、どころか死に近い状況に追いやられかねない存在なのだ。必要もないのに、自身の力を隠しながら戦うなど罰ゲームどころではないだろう。

 

 故に彼はでもでもだってと諦めないミヨンを振り切って帰ろうとしたのだが、そこに立ち塞がる男が一人。トレンチコートに左目を隠す黒髪。そして目付きの悪い彼はそう、HLPD所属のダニエル・ロウ警部補であった。

 

「おっと、そうは問屋がおろさねぇぞ便利屋さんよ」

「戦闘が終わった直後とは、官憲様らしいお早いお着きで。だが今回ばかりは帰るぞ、これは明らかに厄ネタだ」

「んなこたぁわかってる。下手すりゃこの街が滅ぶってこともだ」

「いつものことだろ。大丈夫誰かがなんとかしてくれる。人類を信じろ」

 

 だがロウ警部補は、廊下を封鎖するように壁に付けた片足を下ろすことはない。コルネリウスを帰す気がない、どころか何かやらせようとしていることは明らかであった。コルネリウスは天を仰いで不運を嘆いてから、持っていた大剣を『門』へと収納する。

 

「あんたがどうして今ここにいるかは知らんがな」

「そこの嬢ちゃん経由だぞ」

 

 振り返ったコルネリウスの目が捉えたのは、壁に逃げ込むミヨンの足だけであった。

 

「……まぁ、ともかくだ。追跡しようがないだろ」

「嘘だな」

 

 あっさりと断言するロウ。片方だけ覗くその目は、冗談を言っているようには見えない。

 

「HLの神々に誓うよ」

「なお信頼出来ねぇじゃねぇか……お前がたまにヴェネーノと遊んでる時の様子を見りゃ、この現場からでも追う方法ぐらいあるだろ」

 

 それに、とロウは声を潜めて続ける。

 

「癪だが教えてやる。ここだけの話、事が起きる前に打つ手がねぇ」

「おいやめろよ。俺は宗教上の理由で、今すぐEUへの旅券を取りに行く必要がある」

「逃げんなアホ。……だからお前みたいなフリーランスでも、使えるなら使わなきゃならんのだ。別に13王を止めろって訳じゃねぇ。誰が、何をするかだけでいいんだ」

 

 つまりは命がけだ。コルネリウスは顔をしかめるが、ロウがこの状況でこういった提案をすることの意味と深刻さは理解している。本気で断るなら、見逃されるということも。何だかんだで、警察では一番付き合いが長い相手だ。

 

「報酬は」

「表彰状でどうだ。おい待て、ポリスーツ共がまた壊滅したから金ねぇんだよ察せ」

「ノーギャラで人を使おうとする公権力など街ごと滅べ」

「この前ラーメン奢ってやっただろ!」

「お前が食いきれなくて店主に睨まれた分だろうが!」

 

「待ちたまえ。報酬は我々が、この場で払おう」

 

 狭い廊下で、金について押し問答する男二人。そんな醜い争いを止めたのは、白いスーツを嫌味なく着こなした男であった。コルネリウスは男の立ち振舞いから、警察のそれとは異なる戦闘訓練の跡を感じ取る。それも普通の軍人というより、特殊部隊系の。

 

「貴方は?」

「あっ、この人はデリミド次長です!」

 

 会話を聞いていたのだろう。コルネリウスの疑問に対し、壁から現れたミヨンが手で男を示しながら紹介する。もっとも当のデリミドはそれを肯定するでも否定するでもなく、ミヨンを叱り始めたが。

 

「部外者に許可なく名と肩書を教えるんじゃない! 何度言ってもわからんな、お前は!」

「いやぁ、それほどでも……」

「褒めとらん!」

 

 一通り当然の注意を行ってから、デリミドはコルネリウスの視線を感じて咳払いをひとつ。そして彼へと向き直る。

 

「失礼、見苦しいところをお見せした。先程も言ったが、報酬は我々が払う。振込元は実際には存在しない組織であるが、そのあたりの事情は察してもらえるはずだ」

「額面は……あー、悲しいことに十分だな」

 

 デリミドの持つ端末に表示された数字を見て、コルネリウスは残念そうに呟く。同じくそれを見たロウも嫌そうな顔をしていたが。

 

「ちっ、金のあるところはいいな。おいコルネリウス、税金払えよ」

「非課税だろくたばれ」

 

 

 

 

 

 

 

「コルネリウスさーん、本当にこのあたりなんですかー?」

「貰うものは貰ってるんだ。仕事はちゃんとやる」

「いや、疑ってる訳じゃないですけど……」

 

 懐中電灯の光が照らすのは、車、車、また車。右を見ても左を見ても、見えるのは車の列ばかりである。ここはHL中心部である『永遠の虚』に程近い、サウスリム地区の巨大地下駐車場。訳ありや遺棄された車両が大量に放置された、別名車の墓場である。一方でそれを売り捌く連中や、トランクに詰められた新鮮な何かを求める連中からは宝の山扱いされているが。

 

 地下だというのにろくに照明も無いそこを、二人は懐中電灯片手に歩いていた。もっともコルネリウスは吸血鬼故に暗闇を苦にしないのだが、それを言う訳にはいかない。ちなみにミヨンも人狼の力を応用することで暗中でも視界が確保できるため、高性能かつ高価なそれは完全に無駄な装備であった。

 

「でも13王がなんで管理放棄気味の駐車場なんかにいるんですか?」

「知らん。少なくとも、あのマンションから追ってる奴はここにいる。もしそれが13王じゃなかったとしても、何かしら知ってるだろう」

 

 手元で懐中電灯を弄ぶコルネリウスとしては、13王などいないに越したことはない。その上で13王が何をしてるか、断片的にでも知っている者が見つかれば万々歳である。欲を言えばそも13王など関わっていなかったという結果が一番であるが、期待は裏切られるものだと彼は知っていた。

 この場にいるのがたった二人なのもそのせいだ。戦闘が長引いて『夜』になることを危惧したコルネリウスの事情もあるが、13王相手では機動警察など弾除けにもならない。結果として万一の際も離脱出来る可能性の高いミヨン一人が、補佐役兼お目付け役となっている。

 

「そっちの上司にも伝えたが、俺は極力夜には働かないことにしてるんだ。さっさと仕事済ませて帰って飲んで寝る」

「いいなぁ……自分これ終わっても報告書書かないといけないんですよ」

「始末書が無いだけ優しい職場だと思うが……」

 

 緊張感の無い会話をしながら、地下駐車場を進む二人。コルネリウスが吸血鬼の力と併用している探知の魔術は、時間が経っていることもあり大まかな場所しかわからない。夜であればまた違うのだが、力の落ちる昼の内はこのだだっ広い場所を隅から隅まで探さねばならぬのだ。おまけにエレベーターが停止して久しいようで、階層移動すら徒歩である。まぁ状況が状況のため、仮に動いていても危険で使えないのだが。

 

 大雑把ではあるがこの階層の調査を追えたコルネリウス達は、地下四階へと続くスロープを下りていく。所々穴の空いたコンクリートの傾斜を踏みしめ、平らな地面へ。そこでまた同じような車列を眺めることになるのだと、些かげんなりしながら持ち上げた懐中電灯は、しかし一台の車も照らすことはなかった。あるのは等間隔に設置された車止めと柱のみだ。

 

「これは、撤去済み……とか?」

「やるなら上の階からだろうし、盗人が持ってく分は補充で埋まるはずだ。……嬉しくもなんともないが、当たりだろうなぁ」

 

 明かりで敵に見つかるなどという発想は、こんなことを起こす相手には無意味であろう。広々とした、そして寒々しい駐車場を頼りない光源を持って歩く二人。暫し歩いている内に、一台のライトバンを視界の先に捉える。

 見渡す限りに他の車両は無く、この階層にある車両はこれだけであろう。それだけにコルネリウスは、何の変哲も無いライトバンをやけに不気味に感じた。

 

「という訳で、ミヨン」

「じ、自分ですか!?」

「こういう時に人狼の力を使わんでどうする」

「当たらなくても、怖いものは怖いです!」

 

二人が騒がしく言い合っていると、突然ガチャリという音が響く。元から視線を外していなかったコルネリウスと思わず動きを止めたミヨンが見守る中、ライトバンのスライドドアが静かに開いていく。車内には、光を当てずとも見える無数の光点が不気味に蠢いていた。

 

「こ、これ絶対楽しくない展開です」

「そうだな。……だが一つ言いいたい。無事じゃないのは主に俺だ」

 

 コルネリウスが『門』から取り出した大剣を構えるのに呼応したかのように、車内から大量の影が飛び出す。その正体は、複数の節からなる蝶のような腹部に、機械感溢れる牙付きの頭部と四本足を付けた異形の虫の群れ。そして先程戦ったものを小型にしたようなイソギンチャクの軍団だ。明らかに車の中に入り切らない数が、うぞうぞという擬音が相応しい動きをしながらコルネリウス達に襲いかかる。

 

「でも自分、虫は苦手じゃないので半分平気です!」

「そりゃ重畳。突っ切って下の階まで行くぞ。援護しろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 斬る、突く、払う、殴る、撃つ、燃やす、吹き飛ばす。大剣と魔術の併用で、虫とイソギンチャクを次々と屠りつつ走るコルネリウス。ミヨンはそれを拳銃で援護しているが、いかんせん火力が貧弱であった。加えて言えば敵の数が多いから当たっているだけで、射撃が壊滅的に下手である。

 

「こ、ここ地下何階までありましたっけ!」

「六階、次で最後だ!」

 

 上下左右より襲い来る大量の敵を、服に血を纏わせることで得た防御力で強引に突破しながらスロープを走るコルネリウス。横のミヨンに飛びかかる敵が、彼女に触れることなくすり抜けて他の敵と激突している光景を少し恨めしそうに見つつも、剣を振るう腕と走る足は止まることがない。

 

 そしてついに辿り着いた最下層。車が一台も残っていないことと、大量の敵がひしめいていることは、これまでの階と同じだ。だが決定的に違うことが一つ。

 

「おっきいですねー」

「こんな地下で何食ったらあんなに育つんだ」

 

 フロアの中央に鎮座する、天井に届かんばかりの巨大イソギンチャク。もはや触手が多すぎて、成長前を知らねばモップの先か何かに見えなくもない状態である。

 前方にも敵、後方にも敵、正確には天井にも敵。承知済とはいえロウへの恨み言を呟くコルネリウスに、巨大イソギンチャクがその太い触手を振り下ろす。コルネリウスが避けたそれはコンクリートの床だけでなく、その軌道上にいた虫や同族までもミンチに変えた。しかも潰したそれらを回収し、貪り食うおまけ付きだ。

 

「なるほど、これならご飯も沢山ですね」

「卵が先か鶏が先か……」

 

 振り回される触手はその質量もさることながら、とにかく数が多い。唯一の救いはこの怪物にも知性らしきものがあるということだ。階層全体をミキサーの内部に変えたかのような触手の嵐は無差別のように見えて、その実柱を折らぬような軌跡を描いている。故にコルネリウスは柱を盾に、避けられぬ触手を斬り捨てるか弾き返すかしつつある程度は前進することが出来た。

 だが、それも本体に近付くにつれ難しくなっていく。やはり知性があるのだろう、本体に近い柱だけは既に取り払われており、障害物が存在しないのだ。コルネリウスは試しに幾つかの魔術を撃ってみたが、それらは触手に阻まれるか、直撃しても有効打にはなり得ない。先程の戦闘とこの巨体を鑑みれば、これを仕留めるには剣で付けた傷を広げる形の攻撃か、この地下駐車場を崩落させる規模の魔術や呪いが必要だ。後者はコルネリウスであれば生き残れるとはいえ、機械化もしていない身では大いに怪しまれるだろうが。

 

「ここに遠隔操作で爆破出来る魔法陣を書いた紙があるんだが、あれの奥に仕込めたりするか」

「すいません……あれだけ大きいと全身で入り込まないといけないんですが、そこからその紙だけ実体化させるのは私には調整が難しくて……」

「そうか。まぁ気にするな、そもこの紙が溶けんかもわからん」

 

 この場で唯一、巨大イソギンチャクへ接近が容易なミヨンでも打開策にはなれない。だがコルネリウスが柱の陰で触手を弾いている間にも、『夜』は近付いているのだ。

 時間的には急ぐ程ではないが、ゆっくりしている暇もない。しかし正面突破は、当然ながら分が悪い。そうなると一度上層に戻り、天井を破壊するなり、車を拾って血で強化しつつ突っ込むなりの作戦が必要であるとコルネリウスは判断した。近付いた時と同じように、柱を使いつつ入り口を目指して動き始めようと

 

「仕方ない、一度上に戻って近付く準備を――」

「も~! うるさいうるさい、近所迷惑でしょ~!」

 

 したところで、その場に響き渡った女性の声に足を止めることとなる。コルネリウス達が振り返れば、急に大人しくなった巨大イソギンチャクの脇。先程まで何も無かったはずの地面に階段が現れていた。

 

「えっと、誰ですか?」

「……恋する災害」

 

 その声の主と面識が無いミヨンと、あるコルネリウスの反応の差は凄まじい。前者は純粋な疑問を投げかける余裕があるが、後者は身に纏う血を張り替える程に臨戦態勢だ。

 

「まったく、もう少しで、作業が、終わるって、いうのに、どった~ん、ばった~んと!」

 

 テンポよく不満を吐き出しつつ、階段を上がってくる声の主。静寂な駐車場に足音が響き、それはいよいよコルネリウス達の階層へと辿り着く。

 

「とうっ、ちゃ~く。おうおう騒がしいのはだれだ~……って、あれ」

 

 ぴょん、と擬音が付きそうな様子で飛び出してきたのは、桃色の髪を大きなリボンで纏めた黒ゴス風ワンピースの少女。目を覆うマスクを付けているにも関わらず、その足取りは乱れることもない。

 

「なんだ、あんただったの。久しぶり~、きゅう――」

「あー待て待てアリギュラ! そこんとこなしで!」

 

 け、と続けようとした少女を慌てて制止するコルネリウス。

 そう、彼女こそが歩く災害、神の御腕、悪意持たぬ赤い蛇、世界を殺す好奇心。

 13王が一、『偏執王』アリギュラである。

 

「え~? じゃあ、え~っと……う~ん……あっ、コルネリウスでしょ!」

 

 

 

 




アリギュラはどちらかと言えばアニメ寄り


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第十二話

「それでね~、そのぱくぱくしてるのは弱いけど量産性と修理性バツグン。材料を集めたりの雑用にも便利なの」

「なるほど、それでだな」

「そっちのうねうねは~、逆に繁殖と自己修復機能が優れてて戦闘も出来る! でもってぱくぱくが運んできた材料の加工とかにも使えるの」

「いや、だからな」

「問題は~、両方とも可愛くないことなんだよね~。だから~」

「アリギュラ! 話は聞いてるからこいつら止めろって!」

 

 巨大な触手の隙間を縫って飛び込んできた虫を、コルネリウスの大剣が切り捨てる。羽をもがれた虫よろしく痙攣するそれは、即座に巨大イソギンチャクの口元へと運ばれた。

 

 コルネリウスがここに来た目的のひとつでもある、13王アリギュラ。会えたことはいいものの、当の彼女は工作自慢をしながらコルネリウスの戦闘を眺めているだけだ。本人が敵対姿勢を見せていないことは彼にとっての幸運であるが、忙しいことに変わりはない。

 不満げなコルネリウスの声に、アリギュラは頬を膨らませる。

 

「え~、でも別にあんた死なないじゃん。それにうるさかったのは、本当だし~」

「すまん! だが主な原因はお前の作品だ」

「アタシこんな変なの飼ってませ~ん。いつの間に大きくなったんだろ?」

 

 こてんと首を傾げるアリギュラは、低い背と可憐な容姿も相まって、13王の中では人気がある方だ。ついでに言えば、一部のマッドと怖い嗜好を持つ連中にカルト的な信者を持つ。

 だが13王に数えられる存在なのだ。自覚の有無はともかく、HLどころか世界の寿命をスナック感覚で消費しかねない危険人物であることに変わりはない。コルネリウスはそれを、不本意ながら彼等と関わった過去の経験から心に刻んでいる。

 

「今思いついた。集めてた材料ってのが車のことなら、中に入ってる肉やら、それを集めに来た連中を食ってたのかもしれんな!」

「な~るほど」

 

 ぽん、と手を打つアリギュラは、虫に運ばせた映画館にあるような椅子に座って雑談モード。ご丁寧にジュースとポテトチップスまで完備している有様だ。

 足をぶらつかせながらまったりする少女を見つつ、ミヨンが呟く。

 

「なんか、聞いてた印象と違う人ですね。というか、お知り合いだったんですか」

「こういう仕事してると、連中の一部が起こす騒動に巻き込まれることがあるんだ。大抵の奴は死ぬから、そうと知られてないだけでな」

「不倶戴天の敵ってやつですか?」

「それは~、事実誤認です~」

 

 ミヨンの言葉に反応し、抗議のジェスチャーなのか拳を振り上げるアリギュラ。

 

「邪魔されることもあるけど~、協力してくれる時もあるじゃ~ん」

「俺を世界の敵のように言うのはやめろ。利害が一致して、周辺への被害も無い時に仕方なくの結果論だ結果論」

「嘘つき~。これだからきゅ――」

「あー待て待てすまん謝る!」

 

 彼女を含む13王の幾人かは、その詳細はともあれコルネリウスが吸血鬼だと知っている。もっとも彼等にとってのその情報は単なる種族名でしかなく、口に出すことに悪気はない。

 

「これ駄目なの~?」

「駄目です。今度何か面白い本見繕うから、頼む」

「も~、しょうがないな~」

 

 そのやり取りをミヨンは、疑問符を浮かべてますと言わんばかりの表情で見ている。一方のコルネリウスは、彼女なら言葉の先に気付くこともあるまいと失礼な信頼を抱いていたが。なお、その考えは間違っていない。

 そんなお天気人狼は、わからないことはわからないと諦める……どころか脳裏から消し去り、ここへ来た本来の目的を思い出す。手を振ってアピールしながら、アリギュラへと声をかける。

 

「あのー! アリギュラさんは何でここにいるんですかー?」

「あんた誰~?」

「そうでした! 自分はイム・ミヨンと申します! 所属は……じゃなくて、ええと、カモフラージュ用の名刺どこだっけ……」

「ふ~ん、まぁすぐ忘れちゃうだろうしどうでもいいよ~。で、何で、だっけ?」

 

 んしょ、と腕を振り、反動を付けて椅子から飛び降りたアリギュラは続ける。

 

「決まってるでしょ~? アタシは~、アタシの彼氏を~、取り戻しに行くんだから~!」

「ええと、お付き合いされてる方、ですか?」

「他に何があるってのよ~」

 

 思いもよらぬ回答に混乱するミヨンに代わり、コルネリウスが会話を引き継ぐ。

 

「そりゃあれか、デルドロ・ブローディのことか」

「あったり~。半分だけどね~」

「半分? まぁいい。それじゃあ、ランドルナーザの社長宅にこのイソギンチャクを放ったのもその一貫か」

「ランド……セル? なにそれ」

「ランドルナーザな。総合恋愛カウンセリングの会社」

「…………?」

 

 そんなものは知らぬとばかりに悩み始めたアリギュラに、コルネリウスは剣を振るう手を止めぬまま、マンションの場所だのを細かく伝えていく。すると暫くして、ようやく思い至ったとばかりにアリギュラが両手を打った。

 

「あ~、あれね~。この前ネットサーフィンしてたら、見つけたの~」

「……行ったのか?」

「まっさか~。アタシは自分の恋は自分で勝ち取るのよ~。……で、サイトになんか腹立つこと書いてあったから、改造しちゃった」

「……何に」

「そ、れ」

 

 そうしてアリギュラが指差したのは、今なお触手を振るい続ける巨大イソギンチャクだ。言うまでもないが、そこに人間であった面影は欠片もない。HLの恋する若者や悩み持つ夫婦を食い物にしていた報いとして適切かどうかは、コルネリウスにはわからないし、どうでもいいことだが。

 

「部屋にいたのがオリジナルじゃなかったか。なぁ、こいつ帳簿とか持ってなかったか」

「し~らない。そいつおじさん達に椅子に括り付けられて、死ぬ寸前だったし」

「……ふむ。大体わかったよ、ありがとなー」

「ど~いたしまして。じゃあ、アタシ仕上げに戻るから~」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 

 手を振って階段を降りようとするアリギュラ。その背を慌てて呼び止めたのはミヨンだ。彼女はメモ帳と鉛筆を手に、最後の質問を始める。

 

「アリギュラさんは具体的に、どうやって彼氏を取り戻すんですか?」

 

 アリギュラがその所業からくる印象と違い、気さくな性格をしていたせいなのだろう。その質問はある意味で当然のものであったが、慣れた者にはわかる特大の地雷であった。

 

「ばっ、おま……」

「え~、知りたいの~? ん~、じゃあ少し急いで~、見せてあげる~。それまで暇だろうし、これと遊んでてね~」

 

 止める間もなく、スキップをしながら階段を下りていくアリギュラ。コルネリウスが伸ばした手は、虚しく宙を彷徨っている。

 

「……あれ、今のまずかったですか?」

「……仕事熱心なのはいいことだ。だがああやって聞いたら、大半の13王がノリノリでHL崩壊アイテムを見せつけてくるってのは、覚えておいてくれ」

 

 自身の注意不足でもあるからと、力無く呟いたコルネリウスの眼前。何かに呼ばれたかのように上層から集まってきた虫と子イソギンチャク達を、巨大イソギンチャクが猛然と口の中に放り込んで巨大化している。だがこれが前座でしかないというのが、13王なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 地下駐車場にいた同族と虫を全て喰らい尽くしたであろう巨大イソギンチャクは、天井を突き破り地下五階の天井にすら届かんとしていた。崩落する天井を斬り払いつつ、コルネリウスは成長しきった怪物を眺める。

 もはや巨大化というより肥大化といった有様の、たるんだ肉が層を作る醜いそれ。しかし触手だけは先程までと変わらぬ速度の、素早い攻撃を繰り返してくる。しかも巨大化したことで崩落を気に留めなくなったのか、今度は柱もお構いなしだ。

 

 コルネリウスは上層へ通じるスロープと、その周辺の足場だけは壊されないようにあえて前に出る。巨大な触手を避け、斬り払い、避けるが、その際にかかる負担は今までの比ではない。

 

「重ね重ねすいませーん!」

「いい、もう過ぎたことだ。こういう時はプラスの要素を挙げるに限る」

「……あるんですか?」

 

 豆鉄砲と化した拳銃を撃ちつつ問いかけるミヨンに、コルネリウスは頷く。

 

「まず敵は回復手段を使い潰した。次に相手は巨大化し過ぎて、身体の一部を触手でカバーするのが難しくなっている。最後に……」

「最後に?」

「ある程度時間が経てばアリギュラが何か持ち出してくるから、あれはその時巻き込まれて死ぬに違いない。その時は俺達も、いやお前はいいが俺も危険だがな!」

「うわーん、すいませーん!」

 

 半泣きで銃を撃つミヨンを狙っても意味がないと学習したのか、コルネリウスだけを集中して狙い始めたイソギンチャク。もはや回数を数えるのにも飽いた触手の薙ぎ払いを、コルネリウスは跳躍して避ける。次に足下を通り過ぎる触手に剣を突き刺し、身体を引っ張らせることで、宙にいる彼を狙った第二撃をも回避。

 それだけでは終わらない。痛み故にか振り回される触手に刺した剣を、タイミングよく引き抜くことで勢いを付けてイソギンチャクの胴体へと飛びかかるコルネリウス。凄まじい勢いで飛来した彼が腰溜めに構える大剣は、怪物のたるんだ脂肪に深々と突き刺さった。魔術で生んだ熱を剣に通して傷口を焼くことで、ダメージも増加させている。しかし、それだけであった。

 

「攻撃が通らん。デカすぎるわ!」

 

 角度の問題からか、散発的にしか繰り出されない触手を避けつつ叫ぶコルネリウス。接近した機会を逃さず、イソギンチャクの胴体へと傷を与え続けているが、この調子では倒すまでにどれだけの時間がかかるかわかったものではない。

 コルネリウスが試しに貼り付けてみた爆発の魔法陣を描いた紙も、スペック通りの威力こそ発揮したが、まるで足りる気配がなかった。

 

「HLPDに協力を頼むとか、どうでしょう!」

「見た目こそ地味だが、この札はあいつらの戦闘ヘリが撃つミサイルよりかは威力がある。それに何より、こんなもん地上に出したら回復薬の中に放り込むようなもんだ」

「じゃあどうすれば……」

「一番安全なのは逃げることだ。目的はもう達成してるからな。それ以外だと自殺覚悟で大火力の魔術を放つか、アリギュラが来るまで引っ掻き傷を増やすかになる。まぁ足下なら比較的安全だから、最後のでなん……と……か……」

 

 コルネリウスはイソギンチャクから目を離していない。だというのに、彼の首が次第に上を向いていった理由は簡単。

 イソギンチャクが、その巨体からは信じられぬが、触手を用いてその身を持ち上げたのだ。狙いは足下をうろちょろしている、小癪なネズミに間違いあるまい。

 

「言った直後にこれか! 素体の知能でも残してるんじゃないだろうな、畜生!」

 

 それは巨体故か、命に関わる危機を目の前にした脳の働きか。支えを外し落下する化物の姿は、コルネリウスの目にはやけにゆっくりと見えた。

 だが時の流れが変わった訳でもなし。一秒にも満たぬ後、巨体はその身を地面へと打ち付ける。地震と間違える程の凄まじい衝撃と、新たな天井や壁の崩落を伴って。

 

 それは穴に砂を流し込むような光景であった。人を殺すには十分な大きさの瓦礫が、四方八方から降り注ぐ。そしてそれを物ともせず、追い討ちのように振り回される触手。文字通り逃げ場のない怒涛の攻勢は、ついにコルネリウスの回避限界を突破した。

 剣を盾にしつつも触手に吹き飛ばされたコルネリウスが、コンクリートの津波の中に消える。

 

「コルネリウスさん!?」

 

 揺れと崩落が収まった駐車場跡地で、ミヨンは思わず悲鳴を上げた。楽天家の彼女ですら、最悪の事態を想定するような状況なのだ。

 故に、ミヨンの声に呼応するように瓦礫の一部が吹き飛んだ時、彼女は目を丸くしてしまった。

 

「……生きてらぁ! 痛っ……あー久々にいいのを貰った」

 

 肩の瓦礫を払いつつ、大剣を杖代わりに立ち上がるコルネリウス。身に纏っていた血は所々剥がれており、その下からは技に依らぬ流血が覗いている。満身創痍とまではいかぬが、明らかに劣勢なその姿にミヨンは何かを決意したように強い眼差しで化物を睨む。

 

「や、やっぱり私、体内にその爆発符入れられないか試してみますっ!」

「難しいんだろ、やめとけやめとけ。俺も詳しくはないが、人狼の力がどれだけハイリスクかぐらいはわかってる」

「でも……」

 

 人狼の力は、自身の存在すら薄めることで、様々な危機をすり抜けさせるものだ。制御を誤れば攻撃を受けたり、中途半端な実体化で物質の中に埋まってしまう。それどころか、下手をすれば消滅してしまうことすらあるらしい。

 消滅の仕組みは、コルネリウスにもほぼわからない。だが彼が話を聞いた相手によれば、数々の奇跡が重なることで、ようやく過程と結果の一部が『記憶』から消えなかったとのことだ。『記憶』に関する複雑な事情を抱えるコルネリウスにとっては、事情が異なるとはいえ近付けたくない話であった。

 

「だが体内から大火力で起爆ってのは、効果的だよなぁ……」

 

 方法さえあれば、それが一番であることは確かだ。しかし実現出来ない以上、地道に傷を与えるか、人間離れした身体の言い訳を考えた上で大規模魔術を撃ち込むしかない。

 後者はもうどうにもならなくなった場合に限る。だが前者の達成も難しい。先程までならともかく、新たに繰り出されたジャンプ攻撃は、コルネリウスであっても物理的な限界で避けきれないからだ。

 防御に専念すれば、生き埋めになる代わりに瓦礫と触手は耐えられるだろう。問題は相手の知能次第では、埋まったコルネリウスに対し、全身を使ったボディプレスが放たれかねないということだが。

 

「やっぱり私がやりますって! 次にあの攻撃をされたら、崩れるのは地下三階の床です。天井だけでなく、車まで降ってくるんですよ!」

「…………ん?」

 

 やはり『門』による三十六計の最上を選ぶべきか、はたまた死なないことを願いつつ瓦礫に埋もれて『夜』を待つか、アリギュラの仕事の早さを信じるか。

 ミヨンの覚悟を無にするかのような作戦に逸れていたコルネリウスの思考は、彼女の一言で蒙が啓けたかのように明るくなった。

 

「いや待て。ミヨン、あのデカブツの口は上にもあるか?」

「えっ? えーと、さっきから見てる分にはいくつか」

「よし、それだ。というか、最初に考えてた計画の延長だろうに。歳は取りたくないもんだ……」

 

 困惑するミヨンに、コルネリウスはありったけの爆発符と、血で補強したワイヤーを手渡した。

 

 

 

 

 

 

 

 避け、斬り、弾く。先程までと同じ攻防を繰り広げるコルネリウスと巨大イソギンチャク。やがてイソギンチャクは、焦れたかのように身体を震わせ、触手を壁へと突き刺し始める。有効であった攻撃をもう一度繰り返そうとする意思は明白だ。

 対するコルネリウスといえば、逃げるでもなく本体への攻撃を繰り返すのみ。打つ手なしと見た怪物は、再度必殺の一撃を放つことになんら躊躇いはなかった。

 

 二度、叩き付けられる身体と衝撃、そして崩落による瓦礫の奔流。コルネリウスは衝撃が発する直前に跳躍し、魔術を併用しつつ壁や瓦礫を用いて宙へと駆け上がる。追撃として放たれた無数の触手は、下や横へと叩き付ける軌道であれば無理をしてでも避け、望んでいた叩き上げる軌道のそれを大剣と魔術で防御。彼の身体はイソギンチャクの上空へと打ち上げられた。

 崩落した天井からは鉄筋やコンクリート、そして無数の車両が面となって降ってくる真っ最中。再度触手が振るわれれば、回避の難しいコルネリウスは連打を受け、その身を沈める――はずであった。

 

「コルネリウスさん! そのあたりの車には、全部仕掛けてます!」

「よくやった! あとは爆死しないよう祈るのみ!」

 

 瓦礫をすり抜けて現れたミヨンの声を受け、コルネリウスは頭上にあった影。ガラスの一部が割られ、そこにワイヤーが通されている車に、フロントガラスを破砕する形で乗り込んだ。その直後に車を覆った血が、車体を僅かに歪ませつつも触手の一撃を防ぐ。

 コルネリウスの飛び込んだ車、そしてそれとワイヤーで括り付けられた車群は、巨大イソギンチャクの上部に開く口に落ちる軌道だ。悲しいかな、明らかに何かが仕掛けられたそれを一瞬で罠と見破る程には、怪物の、あるいは素体となった人間の知能は高くなかった。むしろ無機物を加工する機能を与えられていた故に、敵ごと飲み込んでやらんと触手で引き寄せてしまう。

 

 内側に牙が生えそろった漏斗状のイソギンチャクの口へ、車群が次々と飲み込まれてゆく。しかしコルネリウスが乗る車両だけが、彼の大剣によって口元に引っかかっている。

 血で補強されているとはいえ、怪物がそれを噛み砕くのに必要な時間は僅かであった。既に噛み砕き、消化しようとしている最中の車群。それらに仕掛けられた符が爆発し、怪物を内から殺すまでの時間よりかは長かったが。

 

 

 

 

 

 

 

「なんとかなるもんだなぁ。助かったよ」

「もっと喜びましょうよ、大逆転ですよ、大逆転! これ映画とかに出来ますよね!」

「わりと穴のある作戦って意味では映画らしいが、うーん……」

 

 上体を花のように破裂させた焼きイソギンチャクの横で、ハイタッチをする二人。

 最悪の場合は『門』で逃げるつもりだった上に、自身で言うように作戦の穴に今更気付いたり、もっと成功率の高そうな方法が浮かんでしまったコルネリウスは素直に喜び難い。結果として協力したミヨンへの感謝のみしている形だ。

 

「じゃあ、帰るか。デリミドさんへの報告は頼むぞ」

 

 暫し互いの健闘を称え合った後、コルネリウスは武器やら残ったワイヤーやらを『門』へと仕舞いつつミヨンへと伝える。が、ミヨンはそれを不思議そうに眺めるのみだ。

 

「えっ、アリギュラさんがこの後何か見せてくれるんですよね? じゃあ待たないと」

「お前の記憶力は凄いな」

「ありがとうございます!」

 

 先程よりも更に大きな危機を控えつつも、それをあっさりと忘れてしまう。それはミヨンが危機回避能力の高い人狼だからか、それとも性格か。コルネリウスは三秒程で後者であると結論を出してから、改めて帰途に就こうとする。だが当初守ろうとしていたスロープは当然のように破壊されており、移動用の『門』も秘匿したい魔術だ。簡単に地上へ戻る方法が無いと思い至って、立ち止まってしまったのが運の尽き。

 

「こら~、帰ろうとするんじゃないわよ~」

「……いやさ、もう夜も近いしさっさと帰って寝たいんだが」

「だ~め。絶対に後悔させないから、ちょっと見ていきなさ~い」

 

 先程の戦闘で埋もれていたはずなのに、いつの間にか掘り返されていた階段。そこからひょこりと顔を出したアリギュラが、おいでおいでと手を動かす。

 見つかってしまった以上仕方ないと、コルネリウスは彼女へと向き直る。

 

「それで? パンドラムに収監されてる彼氏を助けるために、どんな戦術兵器を作ったんだ」

「えっ、彼氏さんって……」

「そうだよ、犯罪者だよ。それも累計懲役千年超えの」

 

 コルネリウスの知る限りでは、アリギュラの一番新しい玩具、もといパートナーはデルドロ・ブローディという名の人間だ。犯罪というカテゴリに属する行いの大半を実行した勤勉な彼は、現在『パンドラム超異常犯罪者保護拘束施設(アサイラム)』という特級の刑務所で、強制された静かな余生を過ごしている。それをアリギュラが助けるとなれば、当然刑務所は破壊されるだろう。そこに収監されている、無数の凶悪犯罪者の脱獄というおまけ付きで。

 

 もっとも、アリギュラはそれを何とも思っていない。今もコルネリウスの目の前で、彼氏がライブラに連れ去られ、刑務所に入れられたと不満たっぷりに語っているぐらいだ。

 

「そ、こ、でっ。今週の~びっくりアリギュラちゃんメカ~」

 

 何かを紹介するかのように、背後を示すアリギュラの手。彼女が言い終わると同時に、強い振動がコルネリウス達を襲った。そして、地面に広がる大きなひび割れ。

 

「やっぱり正面突破なのな……」

「あったりまえでしょ~? 恋愛ってやつは~、正面から、押して、押しまくるものなのよ~!」

 

 コンクリートと積み上げられた瓦礫を突き破って現れたのは、車高十mはある巨大なトラック、のような何か。少なくとも普通のトラックには巨大な口だとか、腕は付いていない。

 アリギュラは背後のそれを、自慢げに見やる。

 

「他の車や瓦礫を食べながら、無限に大きくなるんだよ~。これなら刑務所の壁ぐらい、一捻りなんだから~」

「ちなみに、男を助けた後は」

「かわいそうだから~、野生に返す~」

「やっぱりHL崩壊器具じゃねぇか」

「えっ、えっ?」

 

 戸惑うミヨンに特にフォローを入れることなく、コルネリウスは帰り支度を再開する。

 

「ほら、ミヨンもさっさと帰ってこれ報告してくれ」

「えっ、でもこれ止めないとまずいやつじゃ」

「俺の仕事じゃあない。それにもう少し"育てる"んだろ、これ」

「そうだね~、今のままじゃ、ちょ~っと頼りないし」

「この通り、時間の余裕はある。じゃ、おつかれー」

「えっ、えーっ!?」

 

 ミヨンは未だにコルネリウスとモンスタートラックの間で視線を行き来させているが、彼女一人でどうにかなる問題ではない。そも彼女に求められているのは迅速な報告であり、英国エージェントばりの大活躍ではないのだから。

 

「あ、そうだ。コルネリウス~」

「なんだー?」

 

 血を纏わせた短剣をピッケルよろしく壁に突き刺し、ロッククライミングを始めていたコルネリウスに声をかけるアリギュラ。

 

「探してる人、見つかった~?」

「……どこまで広がってるんだ。まだだよ、まだ。手出すなら相手になるぞ」

「そんなことは~しないよ~。アタシは~人の恋路は応援する派だから~。と、いう訳で~、一途な貴方に~アリギュラちゃんからのボ~ナスタ~イム」

 

 アリギュラから投げられた何かを受け取るコルネリウス。光沢のある黒い正二十面体のそれは、コルネリウスが最近手に入れたものと同じ形をしている。そして、手に持った瞬間に『記憶』が流れ込んでくるところも。

 

「お前、これ……」

「作ってる最中に見つけたんだ~。ちょっとだけ中を見ちゃったけど、許してね?」

「もちろん! ありがとな! そしておやすみ!」

「おやすみ~」

 

 にこやかに別れの挨拶を交わし、機嫌が良さそうに去っていくコルネリウス。アリギュラはそんなコルネリウスの背を見ながら呟く。

 

「おやすみ~、だって。やっぱり嘘つきじゃ~ん」

 

 

 

 

 

 

 

 いつものオフィス、いつものソファ、いつもの時間、そして平日。今日も今日とて昼から寝転んでいるコルネリウスは、HL中の新聞の一面を飾る記事を読んでいる。

 アリギュラによって引き起こされた、モンスタートラックによる大破壊。結果だけ言えば彼女の企みは失敗。ただしそれに対処したらしきライブラは、怪物車両を空中に吹き飛ばした上に、爆発させるという決着を選ばざるをえなかったようだ。

 結果としてクラスター爆弾よろしく降り注いだ破片が数十区画の壊滅を招き、死者は百数十万ともあるが、数は新聞によってまちまちである。アリギュラの目的やライブラの活動は伏せられているため、当局の対処を批判している記事も多い。コルネリウスとしてはこれでも軽い被害で済んだ方だと思うが、暫くはいい行政批判の種となるであろう。

 

 新聞を置いたコルネリウスは、次いで机の上にあったタブレット端末を操作する。目的は彼が事前に危険を知らせたため、難を逃れた知人達からのメールの山、ではない。開かれたデータは、ランドルナーザともう一社の隠し資金やらなんやらの内訳や引き出し方だ。

 ランドルナーザにまつわる一件において、コルネリウスは社長宅の調査中、部屋から出た"二つ"の血の痕跡を把握していた。片方はアリギュラのものだが、もう片方は何か。アリギュラが言っていた、彼女の到着時には既に社長が尋問中だったという事実を踏まえ、コルネリウスはランドルナーザの裏情報を既に持ち出した者がいたと判断。あとは『昼』では追いきれない痕跡を、『夜』に追うことで目的の品と、刺客を雇ったランドルナーザの同業者が持つおまけを得たという訳だ。

 

「別に依頼の目的じゃあないし、これぐらいは役得だってことで」

 

 ミヨンの組織からの報酬も合わせ、13王に関わる事件に相応しい対価を得られたコルネリウスは満足そうに呟く。使い終わったそのデータを丁寧に抹消した彼は、そのまま夢の世界へと旅立った。なにせ今日の夜は、世界に名だたる13王への贈り物を吟味しなければならない。十分な休息が必要なのである。

 

 

 




ちょっと書き急ぎ過ぎている


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第五章 蛇の頭
第十三話


予約投稿日時が来年の話があるかと思えば、時間がずれている話があったりもする


 普段と異なる光景というものは、変化する前のそれを見慣れている程に違和感が大きくなる。

 つまり今のコルネリウスは、整理整頓された机の上と、そこに整然と並ぶ書類やファイル。そして机の前に置かれた、高級だが柔らか過ぎることはないオフィスチェアに、強い違和感を覚えていた。場所はいつものオフィスであるが、今のここは彼の憩いの場ではない。

 

 見るだけできちんと仕事をします、あるいはしろという光景。耐えかねたコルネリウスは、この状況を作り出した者に一言申すことにした。

 

「ここまでする必要はあるか?」

「当然、あります。真っ直ぐ座れないようなソファで、書類の確認が出来るとお思いで?」

「それだけならいいだろうに……」

「煩く言うつもりはありませんが、効率が下がりますよ。であれば多少窮屈でも我慢して、さっさと終わらせた方がいいでしょう」

 

 翻意を望むのは難しそうな返答に、コルネリウスは観念してオフィスチェアへと座る。

 普段と違う座り心地に小首を傾げる彼の対面。普通の事務椅子を持ってきた異界存在の名は、カルベスト・ヴォルフガングという。見た目こそ後脚で二足歩行する蟷螂であるが、その実かなりのインテリで、コルネリウスの経営する書店『Smaragd』の社長兼本店店長を任されている。

 そんなカルベストは机の上にある書類の束を手に取り、コルネリウスへと渡す。

 

「昨晩のメールでもお伝えしましたが、あとはこれにオーナーがサインをするだけです」

「流石、仕事が早いな。では早速――」

「お待ちを。きちんと内容を確認してからにして下さい」

 

 コルネリウスがペン立てから取り出そうとした、使用者の血や魔力を用いることで、サインだけでなく個人認証も出来る羽ペン。カルベストはそれを、前脚の鎌の先にある人のような手で抑え、残る三つの手で書類の重要な部分を指差す。

 

「こちらが中古車の、そしてこちらが廃車と放置車両取扱に関する申請書です。次に新会社設立にあたってのHLとEUそしてドイツへの届け出と、参加する各事業主との契約書。そして提携に留まる事業主との契約書に、第三種魔術危険物取扱に関する――」

 

 機関銃のように、次から次へと繰り出される書類の説明。コルネリウスはそれを頭が痛そうにしつつも、きちんと聞き、内容を確認してからサインをしていく。彼は――仕事を放り投げても問題のない有能な誰かを得たこともあって――こういった作業を嫌うが、出来ない訳ではない。加えて言えば、手を抜いた先に待つカルベストの小言の長さも重々承知していた。

 

 コルネリウスがサインをしていく書類は、どれも一つの目的に向けて用意されたものだ。平たく言えば中古車や廃棄・破棄された車両を、広い用途で取り扱う会社を立ち上げようとするそれ。辛うじて採算が取れるように計画されてはいるが、彼の目当ては金ではなく『記憶』だ。

 コルネリウスが今まで取り戻した『記憶』は、二つとも廃棄車両から見つかるという共通点を有していた。無論、ただの偶然かもしれない。そも彼の記憶に僅かながら残る怨敵は、彼の持つ知識を狙っていたのだ。意図的にそのようなことをするとは思い難い。だが他に手掛かりが無い以上、捨て置けるものではないし、HLの現状もそれを後押ししていた。

 

 原因はHLを震撼させた、『偏執王』アリギュラによるモンスタートラック事件。それを受けてHLでは、犯行に利用されたとされる放置車両を無くそうという動き。もとい一部有権者による、行政への恫喝が盛んになっていた。

 しかし高度に政治的な、あるいは単純な暴力事情に翻弄されるのがHL行政の常だ。被害が大きかろうと、二度目があるかもわからない問題に割く余力は無い。いい金になるのであれば、また違ったろうが。

 とはいえ彼等も有権者の支持があってこそ。コルネリウスの読みと調査通りであれば、行政は対象事業への優遇という形で事態解決に向けたアピール、もとい投げっぱなしをする。これを座視すれば、コルネリウスの記憶がどこぞの誰かに渡り、第二の祭司団事件が起きる可能性が生まれるだろう。

 

「この手の業界なんざ、マフィア連中の直営や下請けも多いってのに。手抜きしやがって」

「あるいは、そちらからの付け届けもあるやも。まぁ、どちらにせよ行政の手は足りません。貴方の『記憶』のためにも、ここは頑張りましょう」

 

 サインの終わった書類をまとめつつ言うカルベスト。彼はかつてHLで死にかけていたところをコルネリウスに助けられ、更に念願の書店経営を任された経歴を持つ。故にコルネリウスには忠実であるし、彼の事情もある程度知っている。万一が起きぬよう情報漏洩に対する対策、もとい呪いはかけられているが、本人も承知の上だ。

 

 カルベストのように忠実かつ、保険もかかっている人材。あるいは金銭関係による結び付きではあるが、信頼の置ける人材をコルネリウスは幾らか抱えている。またこれらHLで得た人材とは別に、吸血鬼時代からの主従関係も存在する。『記憶』を取り戻す度にそういった人材との繋がりが復活するのは、彼としてはありがたいことだ。単純に手足が増えるだけでなく、現状ではHLを長期間離れ辛いコルネリウスの代わりに"外"で動ける者が得られるのだから。

 問題と言えば"外"の人材や資産には、多数の名と手段で連絡・管理が成されていたことであろうか。吸血鬼が人の世において何かを築くには必要な手法だったのであろうが、中には厳格過ぎる管理のせいで中途半端な『記憶』では手が出ないものもあった。故にコルネリウスは今後も、暗証番号を忘れて締め出される愚か者の気分を味わうことになるのだろう。

 

「唯一の救いと言えば、競合相手に奴等がいて一石二鳥ということぐらいか」

「抗争で手一杯のガルガンピーノは諦めたようですが、統一戦線と蛇咬会は参入の素振りを見せていますからね。……まぁ、統一戦線は利権を巡って身内同士で争い始めたようですが」

「あいつらにはまず野兎を捕まえてから、という発想が無いからな……よし」

 

 最後の一枚にサインを終えたコルネリウスが、書類をカルベストへと手渡す。几帳面な異界存在はそれを改めて一枚一枚確認してから、磁気スライム製のクリアファイルへと入れて鞄に仕舞う。

 

「お疲れ様でした。では私はこれを役所に提出して参りますので」

「わかってるとは思うが、護衛を付けていけよ。ワンを始め、うちに靡いた連中へのちょっかいが増えてるからな」

「皆その対処に駆り出されてますからね。お陰で店の方が大変ですよ」

「安心しろ。最終手段として、仕留めたアホ共の死体を働かせるという手がある」

 

 それは遠慮したいですね、と苦笑しつつカルベストがエレベーターへと乗り込む。特別な手順を踏まねばこの階層へと辿り着けぬそれも、降りる時だけは手間がかからない。つまり昇る時はかなり面倒であり、そういう仕様にしたコルネリウスですら時々『門』でショートカットする程だ。

 

 そんな行き来に不便するオフィスであるから、当然下の階層との通話手段が存在する。滅多に使わない執務机の上、特注の黒電話のベルが鳴り響く。状況によって使い分けられる複数の音の内、今回鳴っているのは緊急のそれ。コルネリウスは部屋の隅によけられていた、いつものソファを運ぶ作業をやめ、受話器を取る。

 電話口から聞こえてきたのは、冷静に努めようとしているが、焦りを隠しきれていないカルベストの声であった。

 

『ライブラがオーナーとの面会を求めています。確認出来る範囲では二人ですが、片方はあのクラウス・∨・ラインヘルツで間違いありません。オーナーがいらっしゃることはまだ伝えていませんが……如何なさいますか』

 

 

 

 

 

 

 

「――もしよろしければ名刺の交換をお願いしたいのですが」

「勿論、喜んで。いやぁ、あの高名なライブラのリーダーとお会い出来るとは」

「ありがとうございます。しかし、我々の仕事はあくまで望んでやっていることですので」

「………………」

 

 暖かな日差しが差し込むオフィスで、互いの名刺を交換し合う吸血鬼とヴァンパイアハンター。その横で所在なげに立ち尽くすレオを見て、コルネリウスは声をかける。

 

「ん? レオもまた名刺欲しいのか」

「……えっ。ああいえ、以前貰ったので」

「そうか、ならいいが。……何か気になることでも?」

「えーと……その、以前はすみませんでした! ライブラ所属なのに、騙すような形で……」

 

 頭を下げようとするレオを手で制止するコルネリウス。

 

「気にするな。非戦闘員なら、それが正しい」

「……すいません」

「そこはありがとう、でいいんだがなぁ」

 

 緊張と罪悪感からか態度が硬いレオに苦笑しつつ、コルネリウスは客人へと椅子を勧める。彼が普段から使う背の低い机。それを挟んで向かい合う三人の会話は、特に緊張感も無い世間話から始まった。

 

「――ほう、放置・廃棄車両の回収と再利用ですか。ミスター・コルバッハはHLの環境問題にも関心が高いのですな」

「そんなに高尚なものじゃありませんよ。あくまでビジネスです。それも小金稼ぎの類で」

「しかし、楽な事業ではないでしょう。それにその手の業界には、裏社会の者も多い。彼等の妨害を知ってなお取り組もうというのは、素晴らしいことだと思います」

 

 コルネリウスの言葉に嫌味なく称賛を返すクラウス。HLでは珍しい人柄と素直な言葉に、コルネリウスはどうにもこそばゆさを感じる。ちなみに真意を隠していることへの罪悪感は無い。

 

「そこまで言われると困りますね。この時期に、この事業ですよ? 疑おうとすれば幾らでも疑えるし、否定もし辛いというのに」

「…………この時期?」

 

 出されたジュースを飲んでいたレオが疑問を挟む。緊張感は幾らか取れたようで、既におかわりを頼む程度にはリラックスしているようだ。

 

「おいレオ、お前新聞かニュースをだな。……まぁいいや、選挙だよ選挙」

「あ、そう言えば公示そろそろでしたっけ。でもそれが関係あるんすか?」

「そりゃあ、あるさ。これだけ放置車両が騒がれてるのに行政が動けない今、それを解決するんだから。もし俺がどこぞの政治家の意を受けてたとすりゃ、票を得るのに役立つかもしれんな?」

「あー…………数字通りの利益とは限らないんですね」

 

 複雑な表情で頷くレオだが、横に座るクラウスはそうではなかった。

 

「仮にそうであったとしても、矢面に立つのは貴方であり、成されることも変わりません」

「……随分と買ってもらえているようで。よろしければ、理由をお聞きしても?」

 

 コルネリウスの純粋な疑問に対し、クラウスは迷う素振りも無く返答する。

 

「祭司団の一件において、貴方は助ける必要の無かったレオナルド君を助け、その目的に疑念を持った後も彼を害さなかった。そして他にも、貴方に助けられたという者を知っています」

 

 クラウスは、コルネリウスの目を真っ直ぐに見たまま続ける。

 

「生と死の境界を容易く踏み越えてしまうこの街では、誰かを助ける、そして信じる。それだけのことが何より難しい。この街の危険性を熟知した者であればあるほどに、です。故に私は、他者を助け、信じ、そして信頼されている貴方に最大限の敬意と、感謝を」

「…………成程。これは、なんともまた」

 

 馬鹿が付く程に、であった。だが、コルネリウスは知っている。ライブラの実績を。そして彼等がHLにおいてどれだけ憎まれ、疎まれ、狙われているかを。数え切れない程の謀略と裏切りを経験してきたであろうクラウスが、それでもなお持ちうる他者への曇りなき信頼。それはコルネリウスが言葉に詰まる程度には、強力であった。

 

 コルネリウスは苦笑しつつレオへと視線をやる。特別な目を持った少年は、どこか誇らしげな表情で彼を見ていた。

 

「いい上司を持ったなぁ」

「はい!」

 

 元気よく頷くレオ。そんな彼を心中でささやかに祝福しつつ、コルネリウスは部屋中に広げていた血による探知を解く。当然、それに気付いたレオは表情に出してしまうし、それを見逃すコルネリウスでもない。

 

「リラックスしてると見せかけてるのかと思ったが、素だったか。上司に似て、腹芸の上達は遠そうだな」

「あー……いやその、やっぱり荒事になる気がしなくて」

「間違っちゃいない。……さて、こうして会話しているのも楽しくはありますが、そろそろ本題に入りましょうか。礼を言いに来ただけでもないのでしょう?」

 

 あえてコルネリウスの側から切り出したのは、一種の確信があったからだ。それは眼前の大男には、生半可な偽りは通じないということ。そしてもうひとつは、余計な心配をせずに腹を割って話せる相手ということ。

 

「誤解のないよう申し上げます。我が同志を助けて貰ったことへの礼も、目的のひとつです。ですがもうひとつ……先日壊滅した非合法組織、ブルンツヴィークの祭司団が所持していたとされる電子魔術書。ミスター・コルバッハは、何かご存知のはずだ。それを、教えて頂きたい」

「……いいでしょう。とはいえ、貴方が求めている答えとは違うかもしれませんが」

 

 

 

 

 

 

 

「これは、確かに……」

 

 思わずといった様子で唸るクラウス。彼の手の中には、光沢のある黒い正二十面体が握られている。それはコルネリウスが現在二つ持っている『記憶』――正確に言えば、その入れ物だ。そして"中身"に関しても、コルネリウスが手に入れた時のものとは異なる。

 

「コルネリウスさんと会った時の……いや、僕と会った時の記憶、ですよね……」

 

 クラウスの横で、同じく記憶の容器を持つレオが呟く。彼は今、コルネリウスと自分が出会った時の様子を、コルネリウスの視点から見て、同じ感情を得ているはずだ。もっともコルネリウスはその記憶を"取り出して"いるため、彼等が何を見ているかは記憶の空白部分の前後から推測するしかないのだが。

 

 彼等が見ている『記憶』が元々容器に入っていなかったものであるのには、勿論理由がある。と言っても、単純な話だ。コルネリウスは記憶を取り戻す中で、それに用いられている技術の解析を進め、ある程度をものにしたのである。

 そこから得られた結論は、この魔術は脳を弄くりまわす各種技術のように、記憶を取り出すだけのものではないということ。それは記憶も含めた対象の存在とでも言うべき『情報』を、操る技術であった。

 研究材料の乏しさと、知識を奪われた影響。そしてこれは予測の域を出ないが、特定の条件を満たした者でないと扱えない魔術であることから解析が難航しており、コルネリウスもこの魔術を自在に扱える訳ではない。少なくとも、確固たる意識を保つ他者に使うことは出来ないだろう。ただ一つ言えるのは、この魔術を極めたならば、相手を『情報』へと分解してしまうことも可能ということだ。それは相手がたとえ、吸血鬼であったとしても。

 

「製法は解析中ですが、どうもその金属体は『記憶』を封じるのに向いているらしい。とはいえ万人がその全てを覗き見れる訳ではなく、相性次第で引き出せる割合が大きく変わるようで。また封じた者がプロテクトをかけていれば、基本的には"見る"だけで自らのものには出来ません」

 

 だがコルネリウスはあくまで『記憶』のみを扱う技術として、説明と実演を続ける。全てを伝えてしまうのは、様々な意味で不都合があり不可能だ。扱えるのが『記憶』だけでも問題はあるが、そこは余計な疑念を生ませぬために必要なものだと割り切っている。

 

「このように他の物体にも封じることは可能ですが、安定性がありません。まぁ鍵どころか底の抜けた金庫のようなものです」

 

 コルネリウスはクラウスが持っていた万年筆の端を握りつつ言う。もう片方はクラウスが握っており、やはり驚きの表情を隠していない。

 

「なので手を離すと『記憶』が貴方のものになってしまいかねません。サイコメトリーの類による偽装に見えるかもしれませんが、私にはそれを取り戻す手段が無いのでご容赦を」

「……いえ、疑うつもりはありません。証明のためとはいえ、心の内までも曝け出させてしまったこと誠に申し訳ない」

「なんのなんの。偽装だと疑われないだけで十分過ぎますよ」

 

 コルネリウスは頭を下げようとするクラウスを制し、彼等から金属体を受け取って『記憶』を自らへと戻す。ついでに空になったそれを、再度クラウス達へと渡して確認させておく。クラウスはただの金属体と化したそれを握り、納得したように頷いた。

 

「確かに、可能性が皆無とは言えません。しかしレオナルド君からの情報も合わせれば、長期間物質に情報を封じられる伝説級のサイコメトリーよりも、ミスター・コルバッハの仰る技術が使用されていると考慮する方が妥当でしょう」

「ありがとうございます。とはいえ納得出来ない方もいるでしょうから、その金属体の片方は持ち帰って研究して頂いても構いません。中身は空ですし、その内返して欲しくはありますが……」

「可能な限り早急に返還出来るよう、努力しましょう」

 

 持っていた金属体を懐に収めたクラウスは、しかし、と続ける。

 

「そうなると、祭司団の用いていた魔術は、貴方が修めたものということでしょうか」

「はい。絶対に私の知識である、とは言い切れないのが辛いところですが」

「いえ、それは。ですが何故、彼等のような存在に貴方の『記憶』が渡るような事態が起きてしまったのでしょうか」

 

 意図的に技術を与え暴れさせた、そう取ることも出来るだろう。もっともコルネリウスは眼前の善人が、そのような意図で質問している訳ではないとわかっていたが。

 

「既に気付かれているかとは思いますが、『記憶』を操る技術は元々私のものではありません」

 

 コルネリウスは三年前の、断片的に思い出すだけでも苦く、腸が煮えくり返るような敗北と怒りの記憶を思い出しつつ話していく。自身の記憶がレゴブロックよろしくバラバラにされ、どのような経緯からか街中に捨て置かれているという事情を。

 少なくとも表面上は冷静であるはずのコルネリウスの語り。しかしそれでも、何か感じるところがあったのだろう。ライブラの二人は質問を挟むこともなくそれを聞き続け、彼がそれを語り終えてから話し始める。

 

「……自らを成す一部を奪われた無念、察するに余り有ります」

「本当に何でも起こる街ですよ、ここは。……ただこれはライブラが来たという現実的な都合と、貴方がたの理念に敬意を表して伝えた情報です。感情的な問題だけでなく、仕事柄命に関わることもありますので、あまり広めないようお願いしたいのですが」

「それは、勿論。我々が『記憶』を入手した場合も、貴方にお返し出来るよう手配します」

 

 当然のように言われたその言葉に、再度驚くコルネリウス。実情はどうあれ彼の『記憶』は、適合すれば素人にも力を与えてしまうことに変わりはない。

 

「"中身"もそうですが、この『記憶』の魔術も十分な危険物だと言うのに、剛毅なお方だ」

「我々はあくまでこの都市、ひいては世界の危機に水際で対処する組織です。各種協力機関はどうあれ、可能性があるというだけで力に訴えることはしません」

「元『世界の警察』の二の舞を避けたい……というだけでは、ないんでしょうなぁ。貴方とやり合わずに済むことを願ってますよ」

「ええ、私もです」

 

 話が一段落したとばかりに、手を付けていなかったカップを口元に運ぶ二人。横に座るレオも荒事に発展せず会話が済んだことに改めて安堵したのか、菓子のおかわりをコルネリウスへと頼む。

 このひと時で随分と減った来客用のクッキーを袋から取り出しつつ、コルネリウスは思い出したように口を開く。

 

「ああ、でも仕事でかち合った時はまた別の話ということで」

「えぇ……折角いい感じに終わりそうだったのに」

 

 

 

 

 

 

 

「急に訪ねた身であるというのに、見送りまでしてもらって申し訳ありません」

「お気になさらず。どうせ私も外へ出ますので」

「成程、営業ですな」

「ははは」

 

 コルネリウスは昼飯兼散歩であるということは答えない。彼が客で賑わう一階の店舗内を出入口まで先導する途中、クラウスが興味のある本を見つけたと立ち止まった。コルネリウスは特に思うところも無かったので、申し訳無さそうにするクラウスに本を選ぶまで待つことを快諾した。

 だがクラウスが手に持つ本が、プロスフェアーという異界のボードゲーム関連であることを見て取ったレオ。彼は苦い顔でコルネリウスに、あれは絶対に長くなる、と言って自身も興味のある本を探しに行く。

 そんな二人を眺めつつ、店員に社割の適応を申し付けて会計を待つコルネリウスに、カルベストが静かに近付いてくる。

 

「お疲れ様です。何が起こるかと、肝を冷やしましたよ」

「荒事前提で来たなら、もっと分かり易い手段を取るさ。迎撃態勢を取らんでよかっただろ?」

 

 コルネリウスが身一つで面会に応じようとしたのとは正反対に、カルベストは店に配備されている各種戦力を持ち出そうとしていた。コルネリウスの下で、またHLという街で様々な危険を乗り越えてきた彼ではあるが、やはり文人でありこの手の状況には過敏に反応しがちである。

 とはいえそれは先日コルネリウスが手に入れた、ライブラの映像記録。クラウスがどうしてか地下闘技場に参加し、並み居る強豪を打ち倒す姿を見せてしまった影響もあるやもしれない。

 

「……恥ずかしながら、小心者でありますから。ですがあの少年、オーナーの話が事実であれば血界の眷属を見抜く力があったのでは」

「どこまでの性能があるかはわからん。例の魔術で俺の吸血鬼としての存在から何かが抜けたか、余分なものが入った影響もあるかもしれんな。まぁレオは腹芸が出来るような奴じゃないし、羽が勘違いだったと思えるよう偽装もしたから大丈夫だろう。多分」

「最後の一言で一気に不安になったのですが……」

 

 頭が痛そうなカルベストの姿に、コルネリウスは笑う。ライブラに目をつけられた時点で、ある程度の覚悟はせねばならないのだ。奇襲を受けない自信があれば、バレていないという前提で動いた方が良い結果を生む可能性が高い。少なくとも、恐怖に駆られ最初から敵対を選ぶよりはましだろう。

 

「ただあれだな。今日来たのがあくまでクラウス・∨・ラインヘルツだというのは、考慮しておく必要がある」

「組織の総意ではない、と?」

「方針としては彼の意思が尊重されるのだろう。だが彼のような人間だけでは、ライブラがHLにおいてここまで活躍出来たとは思えん」

「汚れ仕事を請け負う部署が、引き続き貴方を警戒するということですね」

「あくまで独自の動きだとは思うがな」

 

 この短時間の会話でも、コルネリウスはクラウスがそういった手段や方針を好まない、どころか許容しない人間だと感じた。それは組織経営において、明らかに甘いだろう。だが同時に、そこまでの愚直さと他者への信頼があるからこそ、文字通り魑魅魍魎が跋扈するHLで折れず、世界の危機へと挑み続けられるのだとコルネリウスは考える。この街には効率や利益だけで考えるなら、諦めてしまった方が賢い問題が無数にあるのだから。

 

「暫くは監視の目に気をつけないといかんな……ん?」

「どうかなさいましたか?」

 

 目を細めて出入口を見るコルネリウスに、カルベストが問いかける。その視線を追っても、彼には魔術的な処置が成されているだけの、ガラスの自動扉しか見えないからだ。だがコルネリウスは早足でそこへと向かって行く。彼が自動扉の前に立つのと、それが開き、向こう側から血だらけの男が倒れ込んで来るのは同時であった。

 

「どうした、誰かに追われているのか?」

 

 店内ということもあり、捨て置く訳にもいかない。コルネリウスはその男に魔術で簡易な治療を施しつつ、声をかける。中国人らしき男は意識が朦朧としているようであったが、コルネリウスの顔を見ると目を見開いて、苦しみつつも口を開いた。

 

「私は……蛇咬会の楊大人の使いです。昨今の我々の争いついて、コルバッハ殿への謝罪と和解の場を設けるために来たのですが……それに反対する連中に襲われました……」

 

 男は絞り出すように続ける。

 

「主の楊大人も囚われの身となりました。お願いします、どうか大人をお助け下さい……!!」

 

 コルネリウスはどう答えようかと思案する。しかしその僅かな時間すら認めないと言わんばかりに、店の前に急停車した数台の車から武装した男達が飛び出してきた。

 

 

 




真面目な話で ・V・ なんて書いてると笑いそうになって困る


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第十四話

 立ち並ぶ店々はどこもシャッターや鉄格子を下ろしており、ビル自体の明かりも点いていない。暗闇と人気の無さに加えて天井がそう高くないこともあり、妙な圧迫感を感じるそこをコルネリウスは連れと歩いていた。

 

「こんな場所じゃ狙撃は出来んし逃げる時も一苦労だが、構わんのか?」

「問題ない。私が中近距離にも対応出来るのは、知っているだろう。懸念としては建物ごと爆破された場合だが、その時はお前がなんとかすればいい」

 

 コルネリウスの問いに特に気負う様子もなく答えたのは、防弾装備とコートに身を包んだレナート・カザロフだ。女子供どころか並の男ですら扱えないであろう、鈍器にも使えそうな大口径の拳銃を片手に自然体で歩いている。

 

 二人が今いる場所は、複数の建物が連結される形で成り立つ巨大なビルの三階だ。九慶大厦(ガオキンマンション)と呼ばれるここは、店舗と個人住宅の詰め合わせであり、行政の管理が行き届かぬ危険地帯であり、そして蛇咬会の主要拠点の一つでもある。下層限定とはいえ普段は人で賑わうとされる場所だが、今は争いを恐れてか、それとも迎撃の準備か全く人気が無い。

 

「成程、任された。だが連中も派閥が異なるとはいえ、同じ組織に属している。自分達の権威の象徴を、無闇矢鱈に吹き飛ばしはせんだろうさ」

「どうかな。聞けばどこぞの誰かに、随分と痛めつけられているそうではないか。今度の選挙で影響力を行使出来るかどうかの瀬戸際だと、構成員達は厳しいノルマを課されているそうだ」

「あーやだやだ。宮仕えってのは怖いもんだ」

 

 わざとらしく呟きつつ、コルネリウスは右手に持ったシュラハトシュベールトを、まるで重さを感じさせぬ様子で一振りする。その動きで刀身から床に血が飛び散るが、それは剣全体を覆う彼のものではなく、ここに辿り着くまでに吸った多数の蛇咬会構成員のものであった。

 

 クラウス達との面会を終えた後、コルネリウスの下に転がり込んできた血だらけの男。蛇咬会幹部からの和平の使者だというその男は、譲歩する形の手打ちに反発したとされる別派閥の構成員に追われていた。とはいえ彼等は余程運が悪かったようで、コルネリウスや店の戦力だけでなく、当代でも有数のヴァンパイアハンターまで参戦することであっという間に鎮圧されたのだが。

 

 面倒事を察して、しかし立ち去るのではなく、手を貸そうとするクラウス。そんな彼をコルネリウスは、そちらにも仕事があるだろうと少々強引に帰して、男から詳しい話を聞いた。

 救急車が到着するまでの間。しかも重傷だったため、得られた情報は少なかった。しかしコルネリウスは一つの組織を完全に潰すよりかは、手打ちの方が効率が良いと判断。その男を遣わした楊大人が囚われているとされる九慶大厦へと、自費で雇ったレナートと共にやって来たという訳だ。

 レナートが選ばれたのは、楊大人を連れて脱出する場合の護衛が必要だったからだ。彼はHLにおいて要人護衛を数多くこなしていたし、コルネリウスはそれを知っていた。

 

「私は構わないが、これが罠という可能性は無いのか」

「面倒だが、それだけだな。警察への言い分も出来るし、感謝しながらでかい墓標に相応しい数を用意するだけだよ」

「ふむ、むしろここを爆破する可能性があるのはお前という訳か」

「残念ながら、名目上無関係の連中も住んでるので禁じ手だ」

 

 この九慶大厦というあからさま過ぎるマフィアの拠点が放置されているのは、行政の力不足と言えばそうだが、コルネリウスが言ったように自称一般人が多数住んでいるからでもある。当初はショッピングモールと個人住宅を複合させた巨大施設として鳴り物入りで建てられたここは、幾つかのマフィアに徐々に侵食され、ついに抗争の最前線へと化してしまう。

 最盛期は一つのビルの同じ階に異なる十個のマフィアの拠点があったとか、階段やエレベーターで別の階を通り過ぎる際は防弾具が必要だとまで言われた激戦区。その血みどろの争いを制した蛇咬会は、以後下層の商業施設を上手く活用することで莫大な収入を得ていると言われる。

 

「上層の分譲エリアに住んでる連中は勿論、中層の賃貸や下層のテナント連中も明らかに蛇咬会と繋がりがあるってのにな」

「それだけ金があるということだろう。もっとも議員連中に嗅がせる鼻薬や、それが効く相手を今後も用意出来るとは限らんが」

「素晴らしきかな民主主義。次の選挙が楽しみで仕方ないと、そう思わんか?」

「私はあの馬鹿騒ぎは好かん。収入こそ増えるが、"外"なら内戦扱いされてもおかしくない」

 

 去年の、あるいは一昨年の光景を思い出したのか、レナートは顔をしかめる。HLにおける選挙とは政治生命だけでなく、本当の生命も賭けて行われるものだ。一部区域はHLの住人にすら狂乱だと言われる程の賑わいを見せるため、近頃では選挙シーズンにおける観光客の街への出入りを制限すべきではという声さえ上がっている。

 

「力の伴わぬ謀略が成り立たないという意味では、好ましくあるがな。この街には善悪はともあれ骨のある政治家が多い」

「三年前の選挙から、クライスラー・ガラドナ合意までの大抗争なんかは凄かったからなぁ。今年もまた、あれぐらいの騒動が起きるかもしれんと思うと怖くもあり、楽しみでもあり――」

 

 話しつつ、剣を構えるコルネリウス。その横では瞬時に銃を構えたレナートが視線の先、曲がり角の柱に向けて発砲。呪式化学兵器に属する弾丸は分厚いコンクリートを容易く貫通し、その背後に潜んでいた男の胸に大穴をこしらえた。

 

「――そんなお祭り騒ぎに、お前達みたいな気に障る連中が参加出来ないよう、ここで頑張らないとなぁ」

 

 

 

 

 

 

 

「和解どころか、迷惑を……誠に申し訳ございません……」

 

 九慶大厦を構成する五棟のビルの内の一つ。その最上階の一室では、腰の曲がった小柄な老人がコルネリウス達に謝罪の言葉を繰り返していた。周囲には敵と、彼の護衛だったであろう者の死体が転がっている。部屋に立ち込める薬混じりの嫌な血の匂いと、放っておけばいつまでも続きそうな謝罪。それらに少し辟易としたコルネリウスは、老人を制止しつつ会話を再開した。

 

「それで貴方は手打ちの条件として例の電子魔術書……と言ってもそもそもが誤解ですが、それをこれ以上求めぬこと。また私とその関係者への報復・敵対行為の中止を認めるということで宜しいのですね?」

「はい、それだけであればありがたいぐらいです。ですが三不管の……久龍の面々はそれを面目が潰れるとして、断固として認めないでしょう」

 

 憂鬱そうに呟く老人は、コルネリウス達が先程助けた楊大人である。彼が言うにはこの九慶大厦を取り仕切ってはいるものの、同派閥の幹部達は過去の権力闘争で殆どがこの世を去り、彼自身も付き従う人間が少ない落ち目の人物らしい。

 対する久龍――久龍城塞と呼ばれる、九慶大厦と並ぶ蛇咬会の主要拠点を差配する一派とそれに同調する好戦的な派閥は、現在の蛇咬会の最大勢力であるという。首領が変死を遂げて以来、各派閥のいがみ合いで新たな裁定者が決まらぬこともあって、大きな武力を持つ彼等の影響力は非常に強い。

 久龍の異界存在を中心とする派閥、及びそれに同調しているとされる人間の派閥については、コルネリウスもよく知っていた。一方楊大人について知っていることは少ない。非主流派でこそあるが、九慶大厦を制するにあたっての功績が大であった人物の兄弟分であったというぐらいだ。もっともその兄弟分も、去年に暗殺されてしまったのだが。

 

 異なる派閥とはいえ、蛇咬会の牙城とも言える九慶大厦の戦闘員が全滅したとは考え難い。襲撃者があえて敵の拠点に留まっていたことや、この部屋へと至るまでの不自然な人気の無さを考慮すれば、消極的な裏切りの連鎖で最早派閥としての体を成していない可能性すらあるだろう。楊大人の名を聞いた時から多少の頼り無さを感じていたコルネリウスも、ここまでとは思わず眉をしかめる。

 

「となれば我々の和平の芽は無いに等しいのでは? この件に関して中立を保っている派閥が多いようには見えない。その上で敵対する連中を全て黙らせるとなると、蛇咬会を潰すのと同意だ」

「いえ、そうでもないのです。外からでは分からぬ事情ゆえ、コルバッハ殿が知らぬのも無理はないことですが」

「……ふむ」

 

 楊大人はゆっくりと語る。曰く、中立派閥こそ少ないが、好戦的とされる派閥も極一部以外は内心で和平を望んでいること。その極一部の力が強く、彼等は逆らい難いこと。その最右翼こそが久龍の異界存在達と、ネオ三元里と呼ばれる地区を仕切る――祭司団事件以降、コルネリウスと頻繁にやり合っている――人間派閥の二つということ。そして最後に、彼等だけであれば、壊滅しても蛇咬会の運営にそう支障は出ないということらしい。

 

「つまり私にその二派閥を潰せと。我々は虎の片方ですかな?」

「……都合の良い話であることは十分に理解しております。ですがこれを逃せば、残るはどちらかが死に絶えるまでの争いとなりましょう」

 

 楊大人は為政者へ温情を求める民のようにコルネリウスの足下に縋り付く。その必死な様子は哀れみさえ感じさせるもので、とても大規模マフィアの幹部には見えない。外部からは分からぬだけで、相当に追い詰められていたことを感じさせる。

 

「知らぬのも無理はない、か」

 

 ただ自身のものか他人のものか、その手を濡らす血がコルネリウスの服に付着しており、彼はなんとも言えない表情を見せているが。

 

「手打ちの際には先程申された条件の他にも、様々な物を用意します。なにとぞ、なにとぞ……」

 

 コルネリウスは暫し思案してから、答えを返す。どの道、やることは一緒であった。

 

 

 

 

 

 

 

「腕の立つ監視員がいる。もしくは情報が漏れている」

「個人的には前者を推すが、現実は両方ってところだろう。このあたりの住人も、蛇咬会と繋がってない奴を探すのが難しいぐらいだ」

 

 レナートは足下で耳障りな呻き声を上げるバイオマフィアの頭に銃弾を打ち込みつつ、隣のコルネリウスへと告げる。対するコルネリウスは、大剣で串刺しにした構成員を中華飯店の二階、手すりの外へと放り投げるところであった。緑の肌を持つだけでれっきとした人間の薬物中毒者は、鳥のような奇声を発しながら潰れた蛙へと転身を果たす。

 ここはネオ三元里の中心部にある中華街。件の好戦派が本拠を置く、敵の真っ只中である。

 

「移動経路まで把握されていたことを考慮すれば、監視がいたのは確実だろう」

「随分と腕の立つ奴だな。朝の牛乳の代わりにアッパー系飲んでるような連中に、優秀な目があったところで有効活用出来るかは知らんが」

「まともな意識を保っているという時点で、精鋭中の精鋭とも言える。中華系の組織は独自の暗殺者を擁するとは聞くが……」

 

 吹き抜けから見える一階の扉から、隣の店とそう離れていない窓から、店内の個室から。二人が話している内にも、銃火器だけでなく青龍刀だの薙刀だのを持ったバイオマフィアや薬物強化マフィア達がなだれ込んでくる。赤を基調とした伝統を感じる趣の高級中華料理店は、たちまち無法者の巣窟と化してしまう。

 

「この口半開きで涎を垂らすのが規則のようなアホ共の中に、演技してるだけの暗器使いが紛れ込んでる可能性があるってか。成程、東洋の神秘だな」

「だがゼロではない以上、油断はするな。あるいは狙撃の機会を伺っているやもしれん」

「お前の装備も血で覆ってるから、多少は大丈夫だ。頭は知らん」

 

 軽口を叩くコルネリウス達に一斉に襲いかかるマフィアの群れ。コルネリウスは大剣と魔術、時に短剣やワイヤーを用いて。レナートは両手に持った拳銃でそれを薙ぎ払っていく。倒れる衝立、壊れる手すり、風穴の空く机。店内の高価な内装など誰も気にすることはない、血と鉄の騒乱がひたすらに続く。しかし四方八方から襲い来る敵の只中にあっても、二人には会話を続ける程度の余裕があった。

 

「これを切り抜けてしまっては、敵の首魁は怖気づいて逃げるのではないか?」

「武闘派の名が泣くな。戦力を失った上でそれをやれば良い粛清の標的だ。少なくとも手打ちに異を唱えられる状態ではなくなる……ぞっ、と」

 

 コルネリウスが上体を僅かに傾けたその空間を、背後から飛来した肉切り包丁が唸りを上げて通過していった。彼が振り返れば、この店だけで何度目かのおかわりの中に、両手に肉切り包丁を持ち背に鍋を備えた巨漢が混じっている。白を基調とした料理人の装いをしたその男の目には、他の連中と違って狂気の色が見えない。

 

「暗殺者……ではないよな」

 

 彼は呟きつつ、足下から床を突き破って飛び出てきた数匹の刺又蛇を輪切りにする。その隙を突かんとした、店内を縦横無尽に跳ね回るゴム鞠のような男はレナートに撃ち落とされ、空気の代わりに血飛沫を放出させた。

 

「敵も本腰を入れたということだろう。何人か別格の奴がいる」

 

 今も無数の肉切り包丁を投擲してくる料理人に、マフィアの包囲網に混じって二人を狙う大量の刺又蛇。平均より遥かに長い弁髪をシャンデリアに巻きつけて移動して来た、二丁拳銃を構えた上半身裸の筋肉達磨。それらは先程までとは明らかに毛色の違う、精鋭と呼ぶに相応しい存在だ。

 

「しかし、うーむ……何か違うと思うのは、気のせいか?」

「銃の種類ならともかく、極東の文化など知らん」

 

 

 

 

 

 

 

 絶え間なく放たれる銃弾と、それを補完するような角度とタイミングで襲い来る無数の蛇。既に雑魚の片付いた中華料理店の大広間で、コルネリウスは筋肉達磨との戦いを続けていた。レナートは二階の個室で料理人とやり合っているため、コルネリウスは血の探知を介してでしか戦況が確認出来ない。

 

「ハイヤァー!」

 

 掛け声と共に筋肉達磨が正拳突き、は届くはずもないが握り込んだ拳銃を撃つ。拳の軌道を見れば容易に避けられると見せかけたそれは、その実細かく握りを調節することで思いもよらぬ場所へと着弾する。コルネリウスはそれを避けつつ、死角から飛び掛かってきた蛇を掴んでそのまま握り潰す。

 頭部を失い痙攣する蛇を握る彼の眼前では、筋肉達磨がリロードの真っ最中。銃を下ろすことなく弾倉を落とし、身体を巧みに使ってズボンから跳ね上げた新たな弾倉を綺麗に銃へと治める。コルネリウスはそれを眺め終わると、掴んでいた蛇の死骸に血を纏わせ、地に落ちた弾倉へ向けて投擲。一見するとなんの意味も無さそうなその行動は、しかし小規模な爆発を生んだ。

 

「よく考えるよなぁ、こういうの」

 

 先程彼も引っかかりかけたそれは、空の弾倉に見せかけた爆発物である。弾薬が残っている訳ではなく、そもそも筋肉達磨の使う銃の弾は魔力で出来たもの。そう、敵は魔術師なのだ。

 弾の威力を調整出来る銃を用いた中近距離の機動戦を挑みつつ、相手が近付いた弾倉型爆弾を遠隔起動して仕留める、または態勢を崩したところを撃つ。練り込まれた戦闘スタイルに、未だ姿を見せぬ蛇使いのフォローが合わさって非常に厄介なものとなっている。

 

 しかしコルネリウスも様子見ばかりしている訳にはいかない。剣を構え直し、『門』から取り出したダガーを投擲しつつ駆ける。たまにあらぬ方向へと飛ぶそれを、筋肉達磨は冷静に自らへ当たる軌道のものだけを撃ち落としつつ牽制弾も放って後退せんとする。しかしコルネリウスの人間離れした脚力に回り込まれ、それが成せないと見るや彼へ向かって怪鳥が如く鋭く跳躍した。

 

「キェェェー!」

 

 飛び蹴りと、その隙を隠す射撃、着地してからの途切れることのないガン=カタ。コルネリウスの振るう大剣を、何かが仕込んであるであろう弁髪を自由自在に操って防ぎつつ、攻勢にも転用して怒涛の攻勢を仕掛ける筋肉達磨。当然無数の蛇もそれを補い、戦況は一気に加熱する。

 息もつかせぬ、しかし互いに決め手の無い接近戦。先程までのような膠着状態に陥りかけたそれを破ったのは、やはり筋肉達磨の奇手であった。

 

「ホァァァアー!」

「っ……!?」

 

 これまでと変わったところもない、筋肉達磨の掛け声。だがそれを聞いたコルネリウスの動きががくんと落ちた。それは刹那を競う攻防において致命的な隙。無論、それを見逃す訳もない筋肉達磨は決着のための大技を放つ。

 銃を自らの頭上に高く放り、腰元から弾倉を跳ね上げる。そして先程まで捨てていただけのそれが宙空にある内に、拳で押し出すようにしてコルネリウスへと叩きつけた。

 

 響く轟音、剥がれる床、立ち込める煙。その奥に浮かんだ上半身が吹き飛んだシルエットを確認するに至り、筋肉達磨は拳を引き戻す。

 

 その瞬間、地に伏せていたコルネリウスの振るう大剣が、筋肉達磨の脇腹を深く切り裂いた。

 

「ガッ……ハァッ!」

 

 残心を維持していた筋肉達磨は致命傷こそ避けたものの、咄嗟の拳を放ちつつ、落ちてきた銃を拾って後ろに飛び退くだけで精一杯であった。彼が銃を向ける先、煙が晴れたそこには上半身が吹き飛んだ銀の鎧と、一瞬の間に部屋の隅へと移動し床に大剣を突き刺したコルネリウス。

 

「声に乗せる催眠とは考えたが、生憎その手の魔術は常に対策してあってな」

 

 彼の大剣が刺さった床からは、敷かれた絨毯を染める大量の血が湧き出ている。その染みが大きくなるにつれて、彼等を囲んでいた蛇の群れが算を乱して遁走していることから、そこに誰がいたかは明らかだろう。

 血を纏わせた短剣を各所に突き刺すことによる、魔術的なソナー。血による地上の探知に引っかからない故に、逆に居場所の算段がついてしまったのだ。自らへと至る短剣を撃ち落とすのに忙しかった筋肉達磨はともかく、気にもかけなかった蛇使いのミスであった。

 それを悟った筋肉達磨は悔しそうにしつつも、諦めず銃を構える。しかしその銃口が再度火を噴くことはなく、彼は落ちてきたシャンデリアに押し潰され沈黙を強制された。コルネリウスが当たれば幸運程度に考えていた短剣での仕込みが、上手く嵌った形だ。

 

「レナートの方も、もう終わるか」

 

 コルネリウスが呟くと同時、打楽器を叩くかの如く連続する銃声が響いた。先程までと違って扉を隔てていないその銃声と共に、二階の手すりを突き破るようにして巨漢が落ちてくる。

 

 自然、目はその音と巨漢に向けられる。ただしコルネリウス以外の、だが。

 

 一足飛びで通りに面する店の壁へと接近するコルネリウス。彼は逆さに持っていた大剣の柄、そこに仕込んだ魔術で壁を吹き飛ばし、その向こう側にいた男にダガーを投げつける。

 多少長めの髪に黒い服のアジア系の男は、乏しい表情を変化させることのないままそれを避けようとする。しかしダガーに括り付けられていた血を纏う糸により、常軌を逸した軌道を見せる刃に肩を深く抉られた。

 コルネリウスはそれを追撃せんとするが、引き戻した剣は男が放った針を防ぐのに使われる。血の防護が浅い顔の中でも、急所を的確に狙ったそれ。切り払う際に一瞬だけ塞がれた視界が戻った時、コルネリウスの探知は男は既に逃走を果たしたことを伝えていた。

 

「……伏兵か?」

「ああ、逃げられた。手練の割に、やり合ってる間は茶々を入れてこなかったのが気になるが」

「何か思惑があるのか、あるいは所属が違うのか。再度潜まれると厄介だな」

「そこは問題ない。次からは簡単に見つけられる」

 

 二階から下りてきたレナートに断言するコルネリウスは、ダガーに付いた男の血だけを抽出しつつ、大剣を『門』へと収納する。これだけの新鮮な"データ"があれば、相手の情報を探知に組み込むことは容易かった。

 

「敵も打ち止めみたいだし、後は親玉を叩くだけだな」

「だが、場所がわからんだろう」

 

 レナートはそう言いつつも、振り返り自らが仕留めた男を見る。彼は知らないだけで情報自体はある、ということだ。

 

 そんな視線の先、コックコートを血で染めた男は苦しそうに周囲を見渡し、仲間が敗れていることを確認。持っていた鉄鍋に生える長い柄、そこに付いたボタンを操作してから力尽きた。鉄鍋が接している床から上がっていた煙が途切れたところを見ると、火が回ることを避けたのだろうとコルネリウスは判断する。

 

「大した料理人魂だ」

 

 称賛しつつ近付こうとするコルネリウスを、レナートが止める。

 

「ああ待て。そいつは異界産の胡椒と唐辛子の粉末を周囲に漂わせている。本人には効かず、相手にガスマスクによる視界差を強いるためにな。お前は血で防護してるから、効果は薄いだろうが」

「つまり薄いだけだってのは知ってたな? おう表出ろや」

 

 

 

 

 

 

 

 ちょっとした戯れの後に尋問を開始しようとした二人は、再度現れた大量の蛇に襲われた。それ自体は難なく防いだものの、蛇の目当ては彼等にあらず。奔流が過ぎ去った時、二人が目的としていた手練達は何処かへと消え去っており、残るのはまともに会話が出来ない有象無象ばかり。仕方がないので、マフィアの拠点であろう一番大きい館へと向かうことにした。

 

『よくぞ我が四天王を倒してここまで来たものだ! それは褒めてやろう!』

 

 そして、こうなった。館の屋根を突き破って現れたのは、創作における古代の武将が身につけるような装飾の多い鎧。無論、館を内から壊す程度には巨大なものである。コルネリウスの探知によれば中に操縦者がおり、おそらくこの地区の派閥の長であろう。

 

『だがこの魔導巨兵相手には貴様らなど赤子同然! 我ら蛇咬会へと歯向かった、その愚かさを悔やみながら血の報復を受けるがよ――』

 

 鎧の中心部へと放たれた禍々しい紫色の光球。内に無数の式が渦巻くそれは、数多くの強化が施されているであろう金属を瞬く間に溶かし、あるいは腐食させていく。一分も経たぬ内に巨大な鎧はただの鉄屑へと成り果て、地響きを上げて崩れ落ちた。

 

「周囲にも波及しているが」

「隣かその隣の建物程度までしか広がらんよ。周り気にしなくていいなら、楽でいい」

 

 つまらなそうにそう言い、コルネリウスは来た道を引き返す。レナートは今も溶け続ける鎧と館を眺め、一度だけ首を振ってからそれに続いた。

 

 

 



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第十五話

 HLではその多くが霧に遮られるとはいえ、生物の営みに欠かせない太陽の光。それが無くなった夜であるというのに、九慶大厦の下層。商業施設が詰まった各フロアは、昼とは打って変わって凄まじい賑わいを見せていた。今日の昼は特殊な事情があっただけとはいえ、ここまで差があると別の場所だと誤認してしまう者すらいるだろう。

 

「話に聞いていたよりも盛況に見えますね。昼の反動でしょうか」

「それもあるでしょう。しかし一番の原因はコルバッハ殿、貴方があの二派閥の長を討ってくれたからです。首領や兄弟が殺されて以降、武侠の誇りを忘れてしまった彼等に、この地区は陰日向なく脅かされていましたので」

 

 眼前の賑わいを眺めてから、故人を偲ぶかのように目を瞑る楊大人。コルネリウスはそれを横目で眺めつつ、彼と合流する前にこの場で買った屋台物を口へと運ぶ。目的を達成したため、レナートとは既に別れていた。

 

「……失礼しました。歳を取ると、つい過日の思い出に浸ってしまうもので」

「構いませんよ。記憶というのは大事ですから」

「そう言って頂けるとありがたいですな。……では、上でこれからの話をしましょう」

 

 楊大人に促され、コルネリウスは上層の分譲住宅エリアへと向かう。昼に血で汚れた部屋とは異なる一室で、二人は一枚板の机を挟んで向かい合う。楊大人の部下が茶だけを置いて退出し、楊大人とコルネリウスはそれを飲んでから話し始めた。

 

「久龍閥は首を刈っただけなので、まだ反対する元気が残っているやもしれませんが」

「それでも潮は変わりましょう。そこはお任せ下さい」

 

 手打ちの細部について話し合う二人。とはいえ、その殆どは昼に話したことの繰り返しだ。特に齟齬が起こることもなく、会話は順調に進む。

 

「――では、この条件で。混乱する各派閥を纏め上げるのに少々時間がかかるでしょうが、お任せ下さい。ああ、我々からの謝意も勿論ありますが」

「おまけは無くてもいいんですがね……あまり扱いに困るもんにせんでくださいよ」

「ご心配めされるな。人を贈る時は法的に問題無い形にしておりますからな」

「いえ、モノカネでお願いします」

 

 さらりと物騒なことを呟く楊大人。落ち目であったとはいえ、彼もまた九慶大厦を制するための騒乱を生き抜いたマフィアであった。

 

 

 

 

 

 

 

 そう長くない話し合いを終え、楊大人の部屋を辞したコルネリウス。彼は九慶大厦をあえてエレベーターを使わず、階段を使って素早く駆け下りていた。そのまま目的のフロアへ辿り着くや、踊り場の床がへこむ程の勢いで方向転換し、扉が並ぶ廊下を突き進む。

 常人であれば目で追い切れない程の速度が功を奏したのか、コルネリウスの探していた人物は撤収を終えていなかった。黒い服に身を包んだ少し髪の長いアジア系の男。彼は昼間にネオ三元里で取り逃がした、所属不明の監視者である。

 

「こんばんは。今日はいい夜だ」

「………………」

「ああ待て待て。お前とやり合う気は無いが、それ以上手を動かすなら話は別だ。先程のように逃げ切れるとも思って欲しくない」

 

 単純な凶器は勿論、刃が反射物になるような物でも困るのだ。今が『夜』である以上、万一でもそれに気付かれる余地が生まれれば、話し合いの余地など無くなってしまうから。

 そんな彼の言葉を認めたのか、動きを止める黒衣の男。しかし目は諦めておらず、コルネリウスは面倒なことになる前に会話を進めんとする。

 

「こちらからの要求は二つ。まず第一に、俺への監視を止めること。もう一つは、持っている録音データを渡すこと。後者は悪用しないのであれば、そこまで重視せんが」

「………………」

「疑ってさえいれば、盗聴されているかどうか、相手が何処にいるかぐらいは簡単にわかる。それで、どうだ。君の上司は――ライブラは、これを認めてくれるかな?」

 

 コルネリウスの言葉に、男の表情がほんの僅かだが動いた。『夜』であることもあり、機械並みの能力を持つコルネリウスの眼はそれを見逃さない。

 

「お前がネオ三元里の者でも、久龍の者でも、そして九慶大厦の者でもないのはわかってる。少なくとも後ろ二つは、『記憶』を使ってトップから直接聞いたから確実だ。そも情報が正しいかどうか、そんな無益な問答をする気もない」

 

 未だに無言を貫く男に、コルネリウスは続ける。男がライブラ所属であるかはコルネリウスにとって推測の域を出ていなかったが、重要なのは相手の所属を暴くことではなく、監視を止めろとのメッセージを伝えることだ。

 

「いくら脳に処理が施されてようと、無傷で確保出来ればいくらでもやりようはある。だが俺はヘル・ラインヘルツとやり合うのは避けたい。逃走や自害が現実的でないと思うのであれば、受けて貰えるとありがたいんだが」

「……わかった。だが、俺が判断出来るのは二つ目の条件だけだ」

「伝えてくれれば、それでいいさ」

 

 断りを入れてからゆっくりと懐から取り出され、放り投げられた小型の録音媒体と機械。コルネリウスはそれが空でないことだけを確認して、外部から影響を及ぼせない『門』へと放り込む。

 

「真贋を疑いはしないのだな」

「あくまで監視の件が優先だからな。それに、このデータはじきに意味の無いものになる」

「…………何?」

 

 男が疑問を口にした直後、乱暴に扉を開け放つ音が廊下に響いた。一つや二つではない、彼等がいる階の、見渡す限り全ての扉である。

 開かれた扉の奥は、夜だというのにどこも電気が灯っていない。そして暗がりの中からのっそりと出てきたのは、額に札を貼り付けた青白い肌の男達であった。

 

「キョンシーか。しかしこの数、術者は……」

「そりゃあ勿論、普段から空き部屋に死体を隠しておける奴だろう。窮地を偽って外部戦力を引き込んだり、俺に"目印"を付けた上で移動経路を敵に流したり、生きて帰ってきたら毒を飲ませるような」

「……成程」

 

 誰を狙うかの区別はつかぬのか、二人ともが標的なのか。飛び掛かって来たキョンシーを黒衣の男は避け、すれ違い様に脚を払いつつ額の札を剥ぎ取る。しかし無様に転倒した屍は、何事もなかったかのように起き上がり虚ろな瞳を男へと向けた。

 札の力に任せた使役ではなく、熟練の死霊術。数を考慮すれば相当な戦力であるそれを前に、コルネリウスは眼前の一体を唐竹割りにしつつ笑う。

 

「俺は上に向かうが、あんたは一人で帰れるか?」

「当然だ。……先程の件は、確かに上に伝えておく。どう判断されるかはわからないし、俺としてはここで貴様が力尽きる方が楽でいいが」

「言ってくれるなぁ。じゃあ、またいつか。願わくば明るい内に、正面から」

 

 

 

 

 

 

 

 再び訪れた最上階には、薄暗く殺意ばかりを感じた昼間とも、清潔感と高級感が溢れていた先程までとも違う光景が広がっていた。今やここは電球の光に照らされた動く屍が、声を発することも意思を感じさせることもないまま、そこら中を徘徊するだけのホラーハウスだ。

 ただ斬り捨てるだけでは効果の薄いキョンシー達を、コルネリウスは『夜』の力を控え目に用いつつ大剣で突破していく。ある者はバラバラに、ある者はミンチにと、動けなくしてしまえば生者と変わらないとばかりに。

 

 そして辿り着いた、見覚えのある部屋。先程辞したばかりのそこへ踏み入れば、廊下の先、広い居間の中心に楊大人が佇んでいた。曲がっていたはずの背はしゃっきりと伸ばされ、弱気を感じさせていた目や口は、相手に悪意を伝えるためだと言わんばかりに醜く歪んでいる。そして纏う気迫も落ち目のマフィアなどではない、正真正銘闇の世界に生きる魑魅魍魎のそれだ。

 偽りの仮面をかなぐり捨てた楊大人は、自らの兵を物ともせずにやって来たコルネリウスを見ても動じることなく嗤う。

 

「やはりこの程度では死なんか。連中を仕留めるだけはある。象なら殺せる程度の無味無臭の毒も盛ったんじゃがなぁ……」

「先に茶を飲んで見せたあんたと同じだよ。備えあれば、だ」

「ふん。数日かけて体内で中和する準備を整えた儂と一緒にするでないわ、化物め」

 

 口調こそ憎々しげなものだが、その表情は笑みを崩していない。コルネリウスはそれを虚勢ではないと感じ、何か奥の手があるのだろうと判断しつつも、会話に付き合うことにした。

 

「これだけの屍を操る爺さんも十分化物だろうに。いや、能力よりもその精神性がか。蛇咬会の首領や、あんたと同派閥の幹部連中。そして兄弟分を始末したのはあんただろう」

「ほう、何故そう思う? まさか外法の技を用いる者であれば、というだけではあるまいて」

 

 おぞましい行いを否定することもせず、ニマニマと笑みを浮かべる楊大人。コルネリウスは眼前の怪物に辟易としつつも答える。

 

「ここに戻った際、あんたに会う前に空き部屋を漁らせてもらっただけだよ。脳さえ綺麗に残っていれば、わりとどうとでもなるもんだ。後は久龍の連中の受け売りだが」

「成程、先程の記憶を操る術か。死者のそれまで引き出せるとは、抜かったわ。その口調だと蛇共の混乱も、やらせなんじゃろうなぁ」

「あっちはネオ三元里と違って、今まで俺とやり合ったことが無いからな」

「蛇共も所詮犯罪者。疑念を持ったまま潰しても、世の中が平和になるだけだろうに」

 

 からからと嗤う楊大人。彼が蛇咬会において成してきたことは、まさに毒蛇と言うべき所業だ。まずは首領を殺し、その座が空白になり続けるよう暗躍。裁定者がいない間に同派閥の有力者を次々と殺害し、それを掌握。そして権力を握る準備が整えば、コルネリウスを利用して敵対派閥を潰させようとした訳だ。

 派閥に属する"人間"が少ないのも、隙を見て片っ端から人形にしていただけだろう。勿論、表向きは敵対派閥の仕業にして。なにせ死体を操れるのだ、昼間のように大抵の状況は演出できる。

 

 こんな行いを水面下で続けてきただけあり、彼の演技や偽装力は優れたもの。コルネリウスも自らに付けられた"血"に微かな魔力の痕跡を感じなければ、怪しくてもどうせ敵だからと老人の思惑通りに動いていただろう。

 なにせ彼が楊大人に代わり、手打ちを主導する相手に選んだ久龍城塞に集う蛇人型の異界存在達は、自分達から誤解を解こうとするような性格ではなかった。本人達曰く武侠とはそういうものであるそうだが、コルネリウスは断じて違うと今でも思っている。

 

「満足する手打ちが出来るなら、それに越したことはない。……それで、爺さん。準備はまだ終わらんのか」

「気付いておったか。いや、そうかそうか……ははははッ!」

 

 嫌気がさすのみで、面白みの欠片も無い会話。それに飽いたコルネリウスが左腕の腕時計をちらつかせつつ挑発すれば、楊大人は大口を開けて哄笑する。その顔は自信と、そして悪意に満ち溢れたものだ。

 

「増上慢の若造めが、少し使うぐらいでいい気になりおってからに。部屋に入るなり斬りかかっていれば、あるいは儂を討てたかもしれんのじゃがなぁ」

 

 粘り付くような声でコルネリウスを嘲る楊大人は、胸元から一冊の本を取り出す。紐で綴じられた一目でわかる年代物のそれは、老人が頭上に掲げた瞬間、濃密な魔力と眩い光を撒き散らし始めた。

 部屋を覆う光が晴れた時、その中央にはネオ三元里で見た巨大鎧。それを小型にしたかのような剣を持つ武者が忽然と現れ――その腕がぶれたかと思えば、コルネリウスの上体が下半身から滑り落ち、地に着く前に細切れとなった。

 

 部屋に立ち込める咽るような血の匂い。楊大人はそれを苦にもせず、腹を抱えて嗤う。

 

「ははは、愚か者めが! 貴様も首領や、兄弟と同じよ。外法を侮り、己を過信し、倫理に伏して利を捨てる。その結果がこの様だ!」

 

 楊大人は狂ったように笑いながら、地に立ったままのコルネリウスの下半身を蹴倒す。

 

「儂の死霊術を最低限しか使わせようとせぬ愚か者。手に入れたこの書を、人の身に余るなどと焼き捨てようとした愚か者! 見ろ、この街が与えてくれる力はこんなにも圧倒的ではないか! これさえあれば、本国の政治に食い込むことなど造作も無い! 片田舎の村民委員会副主任の子として生まれた儂が、蛇咬会を足掛かりにいずれ世界を動かす……の、だ……?」

 

 だが、狂笑はいつまでも続かなかった。老人の目の前で、たった今蹴倒した男の下半身が、重力を無視したかのように起き上がったからだ。思わず後ずさった楊大人を置き去りにして、変化は続く。部屋中に飛び散っていた血肉が逆再生のように集まり、神速の刃で塵になるほどに切り裂かれたはずの上半身が徐々に元通りになっていくのだ。

 明らかに人間では起こせないその現象を、老人は知っていた。仮面を脱ぎ捨ててから、始めて出た怯えを含んだ声で答えを叫ぶ。

 

「ぶ、血界の眷属……!? 馬鹿な、只のヴァンパイアハンターでは……それが、それが……」

「全く、質の悪い冗談だよなぁ。だから、知らぬのも無理はない。そうだろう?」

 

 既に部屋に入ってきた時と同じ姿のコルネリウス。否、その口元からは、先程まで隠していた牙が覗いている。彼は呆然としている楊大人をよそに、斬られる直前に部屋の隅に転がしておいた、先程手に入れた録音機を拾い上げ老人へと見せびらかす。

 

「これがあれば、あんたの野望は終わりだし、手打ちもやりやすくなるだろうよ。もののついでではあったが、結構良い品だな、これ」

 

 そして懐に生んだ『門』へと再度投げ入れ、楊大人へと向き直る。

 

「では、お互い言いたいことは言い終えた。後はどちらかが先祖の列に加わればいい」

 

 その言葉に、自失していた老人は我を取り戻して叫ぶ。

 

「き、貴様が血界の眷属であったからとて何だ! 儂が召喚したのは、正真正銘の神性存在だ! あの『堕落王』が呼び出したものと、等級もそう変わらんのだぞ! 負けん、負けるはずがないのだぁ!」

 

 言葉とは裏腹に、楊大人の声からは僅かな余裕さえ感じ取れない。たったひと時で随分と威圧感が失われてしまった老人は、今や他者を欺くための演技をしていた時より小柄に見えるほどだ。

 

「……成程、確かにそいつは俺達でも手間取る相手かもしれん。だがあんたには、一つ見落としていることがあると思うんだが」

 

 そんな彼を見ながら、コルネリウスは笑って告げる。

 

「この手の連中は、ただ戦いたいから少ない対価で召喚に応じている訳でな。召喚主を傷つけはせんが、先払いだから守りもせん。――そんなものと吸血鬼の戦場で、さて爺さんはどうやって生き残るつもりなんだ?」

 

 哀れな老人の顔色が変わる。まるで、彼が冒涜してきた同胞達のように。

 

 

 

 

 

 

 

「蛇咬会の九慶閥は事実上壊滅、か……」

 

 とあるアパートメントの一室で、左頬に傷跡のある男――スティーブン・A・スターフェイズが呟く。彼の隣に立つ黒衣の男は、その一言に込められた複雑な感情を察して頭を下げる。

 

「現場に残って詳細を確認出来ればよかったのですが、申し訳ありません」

「いや、構わないよ。これは相手の力量を見誤った俺のミスだ」

 

 秘密結社ライブラの二番手であるスティーブンが独自に抱える特務部隊。リーダーのクラウスですら……否、クラウスだからこそ知らされていないそれを使い、スティーブンはライブラの内部調査に代表される、独自の諜報・暗躍を行っている。

 制限も多いが、間違いなく少数精鋭と言える彼の私兵達。それが任務にしくじるのは、HLに確固たる足場を得て以降は初めてのことだ。スティーブンの副官である黒衣の男はそれを十分過ぎる程理解し、悔やみ、しかし謝罪ではなく次を見据えた会話へと繋げる。

 

「二度目に発見された際の様子を見る限り、これ以上の監視は難しいかと」

「ファン、君であってもかい。困ったな、部隊には君以上に諜報に長けた者がいないからなぁ」

「消極的な監視程度であれば可能ですが、探偵でも出来る範囲のものとなりましょう」

 

 つまり、数の少ない精鋭を張り付けて行うべき任務ではないということだ。スティーブンは副官の能力と性格を信頼しているため、その提言を素直に受け入れる。どの道、先日この部屋で起きたホームパーティー……に見せかけた襲撃。その後始末が終わるまで、ファンの手が空いていたから任せただけの任務なのだ。

 そしてその結果は、殆ど白に近い灰色。ヘルメス流における認可が正式なものかなど、コルネリウスの身辺情報は調査済みで問題なし。仕事に関しても裏社会と関わりがあるだけで、世界に対する害意は見られない。肝心の電子魔術書についても、クラウス経由でガセネタだったとわかったばかり。そしてヘルメス流への隔意は、スティーブン個人の感情でしかない。こうなってしまうと、コルネリウスの調査よりも優先すべきことは無数にあった。

 

「……ここまで、だな」

 

 スティーブンはコルネリウスについての情報を、頭の中の未解決欄。その一番下へと放り込み、副官へ調査の凍結を宣言する。

 

「だがね、ファン」

「はい」

「俺はやっぱりヘルメス流が嫌いだ。次に備えて――」

「それはその時考えましょう」

 

 おそらく、凍結を宣言した。

 

 

 

 

 

 

 

 普段と異なる光景というものは、変化する前のそれを見慣れている程に違和感が大きくなる。

 つまりコルネリウスの目の前に山と積まれた裁可待ちの書類は、違和感の原因であり、吸血鬼の精神に多大な打撃を与える武器であった。

 

 コルネリウスはその書類を持ってきた上、サインを貰うまでこの場を動かないとばかりに机の前に立つカルベストを見る。

 

「念のために聞くが、これは?」

「オーナーが蛇咬会から有利な手打ちを引き出したことと、蛇咬会の謝意代わりの協力によって急激に増加した、新事業への加入願いとそれに伴う各種手続きです。前回は提携に留まった事業主の多くも新会社による庇護、もとい参加を求めており、書類は当社比で前回の四倍となりました」

「連中、俺が求めていることを知って、利益が少ない部門を上手く売りつけてきやがったな」

 

 冷静な、そして冷酷な言葉に打ちのめされつつ、コルネリウスはペンを取る。

 

「組織再編に合わせた妙手かと。新首領は武骨で交渉下手だと思っていましたが、そうでもないのですね」

「いや、それで合っている。この部門から撤退する判断をしただけで、うちへ渡すことは誰かの献策だろう。あの蛇人は部下の話はきちんと聞くし、なにより自分達に必要なものとそうでないものがわかってるからな」

 

 神性存在を呼び出せる書物を、惜しむ素振りすら見せずに焼き捨てて見せた蛇人。コルネリウスがそれを悔やまないのかと聞いてみれば、管理出来ぬ力は不要と端的に返した新首領。

 人界で蛇口会と名乗っていた組織は、異界と交わる際に蛇咬会へと名を変えたそうだ。過ぎた力に惑わされ、失われた有為の人材の数々。その穴を彼等が埋める現状を考えれば、合併を決断した前首領には先見の明があったのだろうとコルネリウスは思う。

 

「欲を言えばサインが少なくなるよう取り計らって欲しかったがな」

「こればかりは諦めて下さい。そう定められているのですから」

 

 不満を見せないカルベストに、コルネリウスは違う生き物を見るかのような目を向ける。事実、違う種族であったが。

 

「そもそもだ、HLは何かをする際の書類が多過ぎる。俺達の場合は本国だけでなく、EUにまで届け出が必要とはどんな嫌がらせだ」

「名目上は必要ないとされてますよ。実際には各種保険の適用や、街を出た際の取締りで報復を受けますが。その点では我々異界人は、HL行政向けだけで良いことが大半なので楽です」

「それはそれで不安なのが、この街の恐ろしいところではあるがな」

 

 なにせHL行政などというものは、奇跡的なバランスの上に成り立つ政治権力だ。国家や諸勢力がどうこうだけでなく、ある日通りすがりの神性存在に市庁舎ごと消し飛ばされ、全てがリセットされかねないという意味でも。

 

「今なら反射的に、各種手続きを簡易化する主張の候補者に票を入れる自信がある」

「その手の候補者の八割程度は反米主義者ですよ。当選しようものなら、米国のハワード上院議員がHLに何度目かの派兵案を出しかねません」

「候補者の問題はともかく、それは季節の風物詩だろ。あー、本気で票の取り纏めでも狙ってみるかな……」

「では、良い候補者を見繕っておきましょうか。データは少なくともそれと同程度の量で、伴う作業もサイン一つでは済みませんが」

「しかも結実するとは限らないってか。夢の無い話だ……」

 

 オフィスには暫く、ペンを動かす音とコルネリウスの愚痴。そしてそれを宥めるカルベストの声だけが響いたという。

 

 

 




ちょっと繋ぎ気味の章
ファンさんの口調はB2B二巻の台詞が彼のものか不明瞭なので困る


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第六章 あるいは蠱毒であり
第十六話


 暴力と奇跡が投げ売りされる都市においても、選挙というものは存在する。HL議会は日々襲い来る理不尽の八割程度は不断の努力と汚職によるコネと諦めで乗り切っているし、市長やその取り巻きも同様だ。一方、司法はそこに武力を付け足した。

 ともかく、こうして生まれるHLの公権力はこの都市の六、七割を管理し、最悪でも"治安が悪い"程度に済ませている。これは"外"では理解され難いが、人界・異界双方の歴史上でも特筆すべき成果であろう。どれ程であるかと言えば、取り締まられる側である非合法組織の大半が、個々の案件における感情はともあれその存続を望む程だ。なにせ天秤にかけられているのは都市、及び世界の安寧である。

 故に、HLにおいて各種選挙は無数の思惑が入り乱れつつも、この三年間絶やされることなく行われてきた。今回も、同様である。

 

「今次議会選挙における、VD(ヴァルハラ・ダイナミクス)の選挙戦略への協力を願いたい」

「……それはまた、なんとも」

 

 カルネウスの言葉は簡潔であったが、対するコルネリウスはその真意を掴みかねていた。場所は多くの大企業が拠点を構える区画においても、一際目立つVDの本社ビル。彼がカルネウスに呼ばれる際に、いつも使われている見慣れた応接室だ。

 急な呼び出しから唐突、かつ曖昧な依頼のような何かに対し、コルネリウスは聞くべきことを聞かんとする。彼はカルネウスが情報を必要以上に秘匿したり、説明を厭う性格でないことは知っていた。依頼を受ける前でも判断材料を貰える程度には、信頼関係を築けているとも思っている。

 

「私が知る限りにおいて、VD社の選挙戦略は他社とそう変わらない……無難なものだったはずです。御社の戦力だけで足りぬということは、何か計算外かつ異常な事態が発生したのか、それとも前提から違うのか」

「後者だ。我々は今回の選挙において、過去とは異なり大規模な介入を行う」

「あー、それは……その、一部地区の掌握や、当選した議員との繋がりを作るのではなく?」

「我々が用意した、あるいは繋がりの深い人物を一定数当選させる。議会において直接の影響力を持つことを目的とした計画だな」

 

 コルネリウスは心中で頭を抱えた。そして慎重に言葉を選ぼうとして、やめる。正直に、包み隠さず言ってしまった方が話が早い相手なのだ。

 

「無謀かと。今まで通り選挙自体への介入は小規模なものに留め、当選者との繋がりを拡大するのが確実です。HL議会の任期や定数、議員の寿命は未だ不安定。しかし一年毎の選挙とはいえ、連続して当選している者は多い。築いた関係は無駄にはなりません」

「……その問題点はわかっているだろう。意のままにとまでは言わぬが、行使出来る影響力が限定されたものとなる。その上、独自の後援者や他勢力の横槍が入りやすい」

「だからと言って一から育てれば、死んだ時のリスクが大き過ぎる。それに何より、選挙そのものに大規模な介入をするのは……"沼"以外に言い様が無い。それはVD社であってもです」

 

 確かにVD社は軍需産業、ひいては世界経済における雄であろう。しかし、それだけだ。HLのほぼ全てを巻き込む選挙へ正面から挑むのは、即ちHL全てと戦うようなもの。そしてそれが国家であっても勝利を望めない相手だということは、三年前に『世界の警察』が証明したばかり。それも軍事・経済・謀略・外交など浮かぶ限り全ての手段で。

 

「まず手を出してはいけない地区や候補者を除外。勢力の衰えた組織を見繕い、彼等の持っていた席の争奪戦に厄介な相手がいなければこれを狙う。そうしてようやく数議席。後は数年かけて揺るがぬ支持基盤を築き、しかる後に次の選挙での勢力拡大を目指す……ぐらいであれば」

 

 堅実を通り越し、臆病とも取れるコルネリウスの言葉に、カルネウスは眉をしかめる。

 

「それは……慎重過ぎはしないか。確かにここは北欧ではない。私もVDがHLにおいて絶対の存在でないことぐらいはわかっている。だが、そこらの非合法組織が束になってかかって来ても、蹴散らせるだけの力は有しているぞ」

「三桁、下手すれば四桁のそれを相手に出来るかと言えば否でしょうよ」

「……そこまでなのか?」

 

 事の深刻さを感じ取ったのか、カルネウスが息を呑む。コルネリウスは、彼が自分の話を馬鹿馬鹿しいと一蹴しなかったことに感謝しつつ頷いた。

 

「芽がある選挙区は誘蛾灯のようなものです。何より問題は、手を広げ過ぎてとんでもないものを引き当ててしまう場合がある。選挙となれば『悔恨王』も出張って来るでしょうし」

「では、そういった相手だけを上手く避けることは」

「わかりやすいケースばかりじゃありません。選挙区の定数など知ったことかと、全陣営に仕掛けてくる場合もあります。大量の候補者を擁立すれば、どこかで見落としからの大惨事が起きることはほぼ確実かと……」

「ううむ……しかし……」

 

 机の上で両手を組み、考え込むカルネウス。コルネリウスは自らの意見が受け入れ難いものだと取られていることに少々の焦りを感じていたが、同時に仕方ないとも思っていた。

 なにせ告示と立候補の届出開始は眼前に迫っているのだ。既にかなりのリソースを注ぎ込んでいるであろう計画を、外部の、それも専門家でもない人間に苦言を呈されたというだけで、大幅な修正が出来るはずもない。

 

「我々が調査した限りでは、選挙へ介入しようとして失敗した企業はあれど、そこまでの損害を受けたものは無いと捉えていたのだが……」

 

 そう零すカルネウスも、指摘された計画の危うさを信じきれないのだろう。

 

「失礼ながら、調査の方向性に問題があるように思えます。ノバルディオファーマやファイブランスの選対部長が、二年前の選挙期間中に亡くなっている件はご存知でしょうか」

「選対部長が病死や事故死したというのは、個人的な記憶として持っていた。確かに時期を考慮すれば、疑わしいことこの上ないだろう」

 

 だが、とカルネウスは続ける。

 

「今回起こり得る問題を洗い出すために調査した結果、特に異常は見つからなかった」

「前者はアーリマンブラザーフッドの呪術、後者は金伐組のエクストリーム寄生虫かと」

「まさか。いや、しかしそれならば…………」

「企業の側が面子から隠蔽したのもあるでしょう。ですがそれ以前に、この街において『疑わしきは黒』という考えが抜けた調査に思えます。"表"の方に本当の意味で理解して頂くのは、難しいとわかっていますが……」

 

 正確には前者の選対部長は二代目で、初代を護衛ごと吹き飛ばしたのはコルネリウスだ。告示前であったため大事にはならなかったが、HLにおいて"あらゆる手段"を考慮した調査などというものが如何に頼りないかの証明には、彼も一役買っている。

 どこぞの人事部長の時と同じ手段を使っているため、余計なことは言わないが。

 

「……その情報を元に再調査をさせれば、他の者を躊躇させられるだけの証拠は出てくるか?」

「明らかに"そうではない"死体を見た人間の証言程度なら。それ以上を求めるのであれば、彼等と一戦交えることになりますよ」

「…………割に合わんな」

 

 こめかみを抑えつつ、ため息をつくカルネウス。それはつまり、VD社の乗った船が出港するのは止められないということだ。航路の先にあるのが、海の果てであるにも関わらず。

 

「…………ならば今次議会選挙における、VDの損害を抑えるための依頼をしたい」

 

 しかし、オケアノスの領域を超える前に引き返させることは出来るかもしれない。

 

「……無理な時は無理だと、受け入れてくれるのであれば」

「…………善処しよう」

 

 豪華客船をオール一本で転回させることが、どれだけ困難かはともかくとして。

 

 

 

 

 

 

 

 かくして今次選挙における雇い主が決まったコルネリウスであったが、彼の予想通り……否、それ以上に状況はよろしくなかった。

 

「荒れる、今回の選挙は間違いなく荒れる……」

「いやー前に聞いた通りスゴいっすねHL式選挙! 本当に一覧貼り出された時には死んじまってる候補者がいるとは思いませんでしたよ!」

 

 白い椅子とテーブルが並ぶオープンカフェの一席。憂鬱そうに紅茶を啜るコルネリウスの前で、新聞片手に心底楽しそうにはしゃいでいるのはトーニオだ。コルネリウスはそんな彼の顔に、ガムシロップのパックを指で弾いて黙らせる。

 

「コミッションから仕事受けてるお前にも無関係じゃねぇぞ」

「……そうなんすか?」

「おいシルヴェストロ。鉄砲玉としてならともかく、こんなん本当に欲しいのか」

 

 きょとんとしているトーニオに呆れたコルネリウスは、席に着く最後の一人、コミッション幹部のシルヴェストロに話を振る。彼はトーニオを組織に迎え入れようとしているが、準構成員ならともかく、正規構成員は馬鹿では務まらない。

 それを重々承知しているであろうシルヴェストロは、苦笑しつつコーヒーのカップを置いた。

 

「そう言わないでやってくれ、ミスター・コルバッハ。前にも言ったが、私はアンドレッティ君はこの業界に向いていると思ってる。無論『力』以外の面でもね」

「……目が眩んで、でないなら構わんけどな。こいつの馬鹿さ加減に」

「少し能天気である方が、部下にも民衆にも好かれるものだよ。これは本心さ」

 

 コルネリウスはガルガンピーノとの一件の後、何度かシルヴェストロと会う機会を設けていた。そこでわかったことは、シルヴェストロは十中八九、トーニオが吸血鬼であることに気付いているということ。そしてコルネリウスに対しても、若干の疑惑を持っているということだ。

 もっとも後者に関しては、シルヴェストロが見える地雷を踏まない人間だということが確認出来たので問題はない。ついでに言えば、彼は恩を忘れない人間でもあった。

 

 もっとも、二人に様々な意味で気にかけられている当人は、それに気付く様子もなく新聞を開いて頭を捻っている。

 

「でもコミッションって選挙自体には殆ど関わらないんでしょう? なんかヤバそうなこと起きてましたっけ」

「お前が今読み飛ばした、集団記憶喪失事件がその一つだよ。個人差はあるが、数週から二月分の記憶が飛んだ連中が数千人。問題はそこに宴会帰りの選挙管理人、しかも最精鋭の一団が混じってたことだ。同じような事件が42街区で起きたばかりなのも、面倒事ではあるが」

 

 有権者登録から投票日の実務まで、あらゆる業務に関わる選挙管理人。その記憶がこの時期にリセットされることは、各種業務の多大な混乱と、それに付け込もうとする輩を招くだろう。

 たかが数十人のスタッフと侮るなかれ。あらゆることが起こり得るHLにおいて、公権力の担い手を選ぶ儀式に関わる彼等に襲い来る負担は想像を絶するものだ。求められる能力も多く、最精鋭ともなれば肉体と頭脳、そして倫理を含む精神の面でも優れたまさに得難い人材である。そんな実務における中核的存在の記憶が飛ぶなど、笑い事では済まない。

 

「選挙が混乱すればする程、シマに厄介な当選者が現れる可能性が増える。自分達のお人形さんを持ってない組織は最悪ロシアンルーレット状態だぞ」

「この街の選挙は、区域によって投票機材どころか投票方式すら異なる有様だ。不正投票者を始めとする、集計結果への疑念は既に約束されたようなものだろう。まあ事故に遭ったとはいえ選挙管理人達は優秀だから、あまりに極端な操作は行えないだろうがね」

 

 二人の言葉を聞いて、トーニオは頷く。

 

「なーるほど……でもなんというか、管理側もわりと荒いところがあるんですね。もっと画一的というか、うまいことやってるもんだと」

「地区の"色"や機材の納入元同士の争いも関係してるな。ただ一番の原因は、HLが出来てまだ三年しか経ってないってことだ。どの方法が安全かを確認する時期なんだよ」

「つまり実験場って訳っすね」

「世界の命運が掛かってるがな。これでも以前よりは、遥かにましになった」

 

 コルネリウスは三年前の、HL初の選挙の惨状を思い出す。まだHLがNYと呼ばれていた頃、米国がこれを取り返せないことが世界中に知れ渡り、『世界の警察』の威信の低下と共に国際情勢はにわかに騒がしくなっていた。

 当の元NYにおいてもそれは同様だ。野心を見せた強国や、それを牽制せんとする強国が次々に手勢を送り込み、街を騒がす火遊びをしては霧の奥へと消えていく混乱の日々。望む望まざるに関わらず境界都市で生きることになった者達は、政治面における代表者を求めていた。

 

 かくして人界・異界間における明文化された各種調整と、国際社会との関係樹立という難題を求められる初選挙。有権者登録には細胞分裂だのゾンビの群れだのが紛れ込むし、候補者は勿論選挙スタッフや有権者への脅迫・洗脳・暗殺は日常茶飯事。投票機材への霊子ハッキングから、選択候補者を誤認させる幻覚までなんでもござれ。米国は自分達の庭で勝手な政治権力の成立など認めるはずが無いし、一枚噛もうとする各国は堂々と干渉して来る有様。

 両世界の一部権力者や、コルネリウスも含む有力な個人が陰日向なく働くことで、なんとか選挙が終わった後も大混乱だ。食人等を禁じたクライスラー・ガラドナ合意を始めとする各種条約に反対する連中は暴れに暴れ、人界の面白文化を仕入れた異界存在達は権利団体ごっこを始める。ようやく街の名が決まったHLの一年目は、そうした混沌の中過ぎ去っていったのだ。

 

「ああいうのが楽しいのは確かなんだが、今回ばかりはな」

「確かに今次選挙のVD社は……なんというべきか、前向きに過ぎる」

「アホだとはっきり言ってくれても構わんぞ。告げ口などせんし、契約にも影響は無い」

「私は貴方と違って、軍用サイボーグの軍団に狙われると死んでしまうか弱い男なものでな」

 

 冗談めかして言うシルヴェストロ。その彼の横に、店から出てきた彼の部下がやって来て、耳打ちをしてして去っていく。コルネリウスは告げられた内容が、先程渡したアタッシュケースの中身についてだと聞き取っていたが、当然顔には出さない。シルヴェストロの側は聞かれることも承知の上で、そのような手段を選んでいるのだろうが。

 

 シルヴェストロは部下から告げられた金額に満足したように頷き、コルネリウスに握手を求めて右手を差し出す。

 

「代価は確かに受け取った。我々は今次選挙において、VD社への妨害行為は行わない。また可能な限り、かつ利害の一致しない相手のみであるが、VD社へ敵意のある組織に掣肘を加えよう」

「戦力が足りなければ言ってくれ。VDが直接援護することは出来ないが、俺含め雇われが出張るなり、間接的な支援をすることは出来る」

 

 コルネリウスもそれを握り返し、その後二、三の確認を互いにして話し合いは終わりだ。コルネリウスは紅茶を飲み干してから、帰り支度を始める。

 平日昼間だというのに人気のない……訳ではないが、コミッション構成員によって事実上封鎖されているオープンカフェでは、椅子を引く音ですらよく響く。それを受けて、コルネリウスはつい問いかける。

 

「防諜に不安がある訳じゃないんだが、ここでやる必要あったか?」

「なに言ってるんすかシニョール。必要ありありっスよ!」

 

 新聞を閉じたトーニオが指を鳴らしつつ言うと、シルヴェストロも頷く。

 

「私もこれでイタリア系だからね。オープンカフェは大事だよ」

「あとは聖職者への敬意と自宅での料理ってか。楽しそうで何より」

 

 

 

 

 

 

 

「話のわかる連中には金を撒き終わりました。これで多少はましになるでしょう」

 

 VDの持ちビルの一室。コルネリウスは壁に貼られた選挙区記載の地図に、手慣れた様子で書き込みを入れていく。ここはカルネウスの属する派閥と、彼等に雇われた面々が集う、一種の選挙対策室であった。もっともVDの本営ではないし、扱うのは裏のあれこれのみであるが。

 

「今街に出てる選挙カーからの報告だけでも、妨害が減っているとわかります。……始まる前は侮っていましたが、これだけの数が来るとは思っていませんでしたよ」

 

 頭が痛そうに言うVD社の社員。ここは連携を前提として社から認められてはいるが、あくまで一派閥の独自戦略室だ。カルネウスなどの幹部社員は本社か、社長の周りに詰めている。

 

「この時期は売り手市場ですし、お祭り騒ぎに乗じた馬鹿も増える。普通ならバックにいる組織の根回しと、目的とするエリアを限定することでなんとかなりますが」

「……当社はそれをしていなかった、と」

「それでもこの程度であれば、戦力を増強すれば済む範疇なので序の口ですね」

「既に当陣営の候補者は二人亡くなり、戦線離脱も一人いるのですが……」

 

 これより先も襲い来るであろう無数のトラブルを想像したのか、沈鬱な表情になるVD社員。コルネリウスは男に気休めの言葉を投げかけてから、各大選挙区の情勢を聞いていく。しかし、これが一仕事であった。

 

「フラットアイアンディストリクト南がHLPDにより突如封鎖。激しい戦闘を確認……街宣のコースを変えりゃいいだけだろ。詳細のわからん些事送られてもどうにもならんぞ」

 

 単純な量は勿論、余分な情報が多過ぎるのだ。そもコルネリウスは裏社会への対応と荒事のために雇われたのであり、純粋な選挙戦略に関しては素人である。妨害手段の特定や防止といった弥縫策は提案出来ても、それを上手く避けるための選挙上の代替案は浮かばない。根から断つための情報ならともかく、原因が特定出来ない問題を全て投げられてはきりがないのだ。また、あくまで一派閥による独自の行動であるため、本営との調整で余計な手間も増えている。

 

「申し訳ありません。ですが本社の方では、我々の仕事が認められつつあるとも聞きます。ある程度時間が経てば、人員や権限の追加により効率化されるでしょう……その、おそらく、ですが」

「そう願います。流石はVD社と言うべきか、純粋な選挙面では優位に立っている様子。故にこのままではあらゆる連中から狙われて、遠からずパンクしますから」

 

 コルネリウスはそうぼやきつつ、大量の報告の中から優先順位の高そうな、しかし地雷にはなり得ないであろう問題のみを抜き出していく。これらはカルネウスによって雇われた、数少ないVD社外の戦力に割り当てられる。

 

「……兎にも角にも人が足りないんだよなぁ」

「こういう時、自分の身体が一つしか無いことを不便に思いますよ。分裂出来る種族が羨ましい」

 

 やはりと言っていいのか、そこにVDの誇る武装サイボーグの協力は得られない。もしくは多くの手間と制限がある。非効率甚だしいが、外様である以上仕方がない。こういった地道な作業を続けることで、現状が改善される可能性があるというだけ救いだろう。

 

「アメーバや菌類のように? あれは制限なく使える能力ではないですよ。元から歩合制でない職場では給料の問題もありますし」

「ああ、そう言われると……分裂残業裁判がありましたね。個体数が把握出来ないからと、その時だけ成果給にしようとして揉めた」

「他には仕事に熟達した職員が自ら雇用条件を下げ、自分だけで職場の席を埋めてから突如一人賃上げスト敢行なんてのも。まぁ、無理はせず自分の出来る範囲でやりましょう」

 

 自らも肉体を分割して活動出来る種であるコルネリウスは笑う。生真面目なVD社員とは違い、彼は貰った分以上の働きをする気は無い。もっとも、現状そうなりかけてはいる。

 今もVD本社で、この戦略室への便宜を図ろうと尽力しているであろうカルネウス。コルネリウスは心中で彼への感謝と声援、そして若干の不満を送る。努力は認めるしある程度の成果も出ているが、付き合いを重視した、割に合わない仕事であることには変わりないのだ。

 

 その思いが何らかの形で届いたのであろうか。コルネリウスが彼でなければ対処出来ないであろう問題のため、外に出る準備を整えた丁度その時。部屋のドアが若干乱暴に開かれ、その向こうには疲れた表情のカルネウス。

 

「何があったので?」

 

 カルネウスは重役であると同時に、社長の付き人である。通常この場に来れない筈の彼が急ぎの様子で来たということを考慮して、コルネリウスは簡潔に聞く。

 

「要件は二つだ。まず一つ……敵対陣営に、おそらく血界の眷属が協力している」

「……なるほど、ついに当たりを引いたと。もう一つは?」

 

 掛け値なしの凶報である。だがコルネリウスはそれよりも、カルネウスの表情。二つ目の知らせを告げようとするそれが、一つ目の時より曇っていることに不安を抱いた。

 

「それに関わることでもあるが、お嬢様が……社長が、君をお呼びだ」

「吉報だと、そう取っていいので?」

「…………私にも立場がある」

「………………さいですか」

 

 

 

 



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第十七話

「お前は血界の眷属とやらを単独で屠ることが出来るか?」

「下位のものであれば」

「……下位?」

 

 コルネリウスの返答に対し、声に不機嫌さを滲ませた少女。それだけで会議室の緊張感が一気に高まった。少女の両脇に座るカルネウスともう一人の付き人は冷や汗を流し、大勢の護衛や居並ぶ重役らしき面々に至っては青褪める者すらいる始末。知らぬ者が見れば、少女の声音一つでここまで動揺する彼等を、世界的大企業の首脳陣なとど思いはすまい。

 だが、たかが少女と侮るなかれ。彼女こそがこの部屋の、そしてVDの主なのだ。ヘッドホンと一体化したかのようなヘルメットで目元を隠す少女。名をミラ・ゴードンといい、傾きかけていたVD社を瞬く間に軍需産業界、ひいては世界経済の雄にまで押し上げた辣腕である。

 

 そしてその性格は、経営手法と同じく苛烈であると言われている。HLでは報道の自由とそれを防ぐ自由があり、ついでに言えば過剰防衛という概念が無いので真相はわからないが。

 

「つまり、下位でなければ倒せないと?」

「確実だと言えるのは、そこまでです。中位のものでも、条件さえ整えば」

「その上は」

「限定的な対処が限界です。そも単独で戦って良いような相手でもありませんが」

 

 その言葉に対し、考えるかのように口を閉じるミラ。

 

「資料も裏付けも無い曖昧な基準ではありますが、彼一人ですら倒せる吸血鬼も多いということでしょう。であれば外部の人間を使う必要などありません。専門のチームを用意し、早急に処理すべきかと」

 

 彼女の沈黙を否定的なものと取ったのだろう。コルネリウスに胡散臭げな視線を向けていた重役の一人が発言するが、対するミラは口元を歪めた。

 

「旧式混じりとはいえ、我が社のサイボーグ十七体とその他軍事ユニット多数。それを一蹴してのけた相手を、貴様は確実に仕留められると言うのだな。無論、候補者を守った上で」

「敵の分析と準備さえ入念に行えば――」

「映像記録に映らぬ相手への対策を、短期間でか。……今この時も我が陣営に被害が出ていることを考慮すれば、悠長な話であるはずが無い。良いだろう、出来るのだな?」

「あっ、いえ、その……」

 

 当然ながら、二度目は無い。言外にそう告げているかのような冷たい声。提案した男は見るからに動揺し、それを取り下げて謝罪した。縮こまった男からつまらなそうに視線を外したミラは、手元にあったリモコンを操作。部屋の照明が落ち、壁に生まれた影に映像が投影される。

 

 戦闘の様子が映されたそれは、件の推定吸血鬼に関するものであろう。マズルフラッシュや爆風が多く、決して見やすいものではない。だが宙空で静止し潰れた弾丸や、煙を突っ切るように移動する人型のような空白部。近接戦を挑んでは切り裂かれ、粉砕される戦闘サイボーグ達が、確かに敵が存在することを伝えていた。ミラはそこで映像を一時停止させ、コルネリウスに問いかける。

 

「生存者がいないため、記録はこの映像のみだ。これは、血界の眷属か?」

「戦闘能力からして、恐らくは。ただし、異なる種でも同じことは可能です。過去にはあえてそうすることによって敵に誤認させ、譲歩を引き出そうとする輩もいましたので」

 

 コルネリウスは断言出来ないことを若干苦々しく思いつつも、そう答えた。映像記録の護衛達の死に様を見るに、敵はほぼ人型の四肢を用いて相手を蹴散らしている。つまり吸血鬼の十八番である、肉体を大幅に変化させる戦い方を用いていない。

 光学機器や反射物に映らない特性は、牙狩りの誤解さえ恐れぬなら魔術で再現出来るもの。せめて屍喰らいを作ってくれれば、あるいは血を摂取してくれれば話は違った。しかし彼がカルネウスから聞いたVD社の被害報告には、そういった情報は無かった。

 いくらミラ当人が一蹴されたと言っていても、コルネリウスとは立場が違う。貴女の部下が弱すぎて判断材料が足りません、と伝えるだけの蛮勇は彼とて持っていない。

 

 VD社はその業務内容と強大さ故に、外部の者を侮り、嫌う傾向にある。煮え切らない回答によってコルネリウスが"使えない"と判断される可能性はあるだろう。とはいえ彼はVD社との繋がりに依存した生き方はしていないため、深刻な問題ではない。カルネウスには多少の申し訳なさを感じるだろうが、それも血界の眷属と戦うことを天秤にかければ迷う程度だ。同族意識などというものではなく、単純に危険であるから。

 

「よかろう。ではこの血界の眷属への対処を依頼する。仔細はカルネウスに聞け」

 

 が、返って来たのはコルネリウスへの依頼だ。重役達は動揺したのか、室内がざわめく。中にはミラに対し、思い留まるように提言する者までいたが、反応は冷たいものであった。

 

「では、自らの首を質に代案を出せ。この現状がどれだけの失態の末に生まれたものか、それが誰のものか。理解出来てないとは言わせん。……どうした、誰でも良いぞ?」

 

 言葉の端々に滲む怒気に、静まり返る室内。誰もが理解したのだ。信任厚き側近の保証があるとはいえ、所詮は外様。その外部の者を雇う程に、女帝の怒りが激しいものだということに。無論、それは敵対陣営にのみ向けられたものではない。

 

「誰もいないな? では、本件は以後カルネウスに一任する。これにて解散」

 

 

 

 

 

 

 

 HLの議会選挙は、細部は地区によって異なるが大選挙区制である。これには様々な理由があるが、主に人口の多さと無用な争いを避けるためであった。

 なにせこの街では書類上の、あるいは"普通に"歩いて感じた広さなどというものは全く当てにならない。"外"では考えられない程の潜在的有権者を抱える地区も珍しくないため、関心を持つ者が多ければ投票前の有権者登録が前年の数倍になることすらある。杓子定規に区割りをしようものなら、どれだけの問題が起きるかわからない。

 

「でもって『勝者は一人』なんてことになれば、即座に大抗争勃発という訳で」

「……だというのに、この地区の候補者を全て殺す勢いで襲撃していると」

「もし最後の一人が黒幕であれば、一周回って頼りがいを感じますね。半端な面の皮じゃ出来ない大胆さだ。まぁ、前例が無い訳でもありませんが」

 

 目的の選挙区内に建つ、VD所有のビルの一室。来客用であろう長椅子に座って笑うコルネリウスに対し、カルネウスは浮かぬ顔だ。なにせこの選挙区におけるVD陣営の候補者は残り一人。文字通り後がなく、失敗は即敗北に繋がる。

 だというのに当の候補者はイメージ戦略だのと楽観的で、今もビルの前でろくな護衛も付けずに演説を行っているのだ。これで死ねば、墓には愚か者と刻まれても仕方あるまい。

 

 ちなみに、HLには死者に投票出来る制度もある。あくまで殺した者勝ちにならぬよう願う声に表面上応えたものであり、選挙結果へ反映されることは殆ど無いのだが。

 

「…………しかし、人に雇われる血界の眷属もいるのだな」

「そういう輩もいるでしょうし、今回はそれに助けられるやもしれません」

 

 コルネリウスは随分と減ってしまったこの地区の候補者達を思い浮かべた。一連の襲撃は所属陣営を問わぬものだと判断されている。しかしピンポイントで候補者への襲撃を続けている以上、選挙に対し何かしらの思惑があることは間違いない。少なくとも、偶然候補者が襲われた訳ではないだろう。

 単なる通りすがりの暴虐でないなら、必ずしも倒す必要は無いのだ。交渉なり、雇い主を潰すなり、やりようはある。長い選挙期間に護衛という形で長時間拘束されることもなく、非常に効率的な解決策。まだ救いのある話であろう。

 

「考えたのだが、ドン・アルルエルによる縄張りの主張ということは無いだろうか」

 

 しかし、カルネウスの考えは違ったようだ。彼が挙げた名は、その影響力の大きさから神性存在にも比肩する扱いを受けている異界有数の顔役であった。

 

「この地区はこれまでの三年間、彼の後援を受けた者が当選していた。今回はそれがいないが、だからと言って他の者に譲ることを良しとはしないやもしれん」

「故に手を出す連中を皆殺しにするまで手を止めないかも、と? 大丈夫だと思いますよ」

 

 カルネウスの悲観論を、コルネリウスは手を振って否定する。元より人とは異なる存在であり、HLが生まれた日からこの街にいる彼は、かの闇の帝王の性格もある程度は知っていた。

 

「議会なんてあの爺様にとってはあって無いようなものですよ。いつもの候補者も彼の手駒ではありませんし、単に当選の対価である"悪癖"を凌げなかっただけでしょう」

「悪癖というと……もしや、プロスフェアーの? 眉唾物だと、そう思っていたのだが」

「ところが本当なのが恐ろしいところで」

 

 異界にはプロスフェアーという、チェスと将棋の発展系のようなボードゲームが存在する。今や人界にも広まりつつあるそれには多くの愛好家がおり、ドン・アルルエルもその一人だ。趣味が高じて世界有数の指し手となって後も至高の一戦を求め続ける彼は、ついには報酬を用意してまで対戦者を集め始めた。

 個人が望むようなものから、地球上のパワーバランスを変化させるものまで。無論、選挙での当選など朝飯前だ。大抵の望みであれば叶えられる彼の下には、時折両世界有数の指し手が挑戦しに現れる。

 

「指定された時間耐えきれば勝ち、だそうですよ。ですが相手はプロスフェアーに千年以上費やしている上に、生来知力に秀でた種族。知らぬまま挑む可哀想な奴もそれなりにいるようで」

「負けた者は帰らぬ身となると、そう聞いたのだが」

「偶然目にする機会がありましたが、生きてはいますよ。まぁ、それだけですが」

「………………」

 

 コルネリウスの言葉から、HLお馴染みのろくでもないものを感じ取ったのだろう。カルネウスは顔をしかめつつ、手元の資料に目を落とす。両者共に無言になり、室内に暫しの沈黙。それを破ったのは、けたたましく鳴り響く警報機。表で何かあったことの合図だ。

 

「敵は……!」

 

 カルネウスが防弾ガラス越しに地上を覗けば、そこには不揃いな装備に身を包んだ多数の異界存在が銃声と罵声を供に前進していた。VD社の戦闘サイボーグを始めとする護衛達がそれを押しとどめんとしているが、候補者によって配置が遠くされていたので初動が遅れ、混戦気味になっている。更には何を考えているのか、候補者自身が退避に乗り気ではない様子で護衛達に余計な手間をかけていた。

 

「統一戦線ですね、あれは。どうも外れたようで」

 

 同じようにそれを見たコルネリウスは呟き、窓を開いて窓枠に足をかける。

 

「あれだけの数であれば、我々の戦力だけでも……おい、何を……?」

「混乱に乗じて、という可能性もありますので」

「いや、ここは五階で」

「ではまた後程」

 

 躊躇無く飛び降りたコルネリウスは、直下にいた不運な統一戦線の戦闘員を踏み砕きながら着地した。突然の出来事に呆然とする周囲の戦闘員達。それを『門』から取り出したシュラハトシュベールトで撫で斬りにして、コルネリウスは笑う。

 

「個人的には大当たりだがな」

 

 

 

 

 

 

 

 当初押されていた戦況はコルネリウスの参戦で五分となり、それから間もなく優勢へと移り変わっていた。元々護衛対象の我儘で不利が生まれていただけなので、当然とも言える。

 

「ふん、所詮チンピラだな。弾代が勿体無く感じるぜ」

「別に自腹じゃねぇだろ……ん?」

 

 故に、気を抜いてしまった者もいるのだろう。同僚と雑談を始めた護衛達の視界に、いつの間にか現れていた敵。この乱戦の中、遮蔽物に身を隠すことも、身体を低くすることもせず、自然体で歩いているそれ。頭部全体を覆う円筒状のヘルメットに、局所にだけ追加装甲を施した上下一体型の防弾服。大して金のかかっていない装備であり、状況もあって統一戦線の戦闘員に見えないこともない。

 しかし無手であることや、傷一つ負っていないこと。そして非武装にも関わらず放たれる妙な威圧感は、周囲の有象無象とは明らかに違うもの。にも関わらず、その護衛達はついぞそれに疑問を抱くことが無かった。訓練通りに銃口を向けた彼等は、引き金を引く前に敵の右拳――正確には拳から生えた爪のような刃によって、上半身を抉り取られてしまったから。

 

 大量の血液と臓物を撒き散らしながら宙を舞う死体。それが嫌な音と共に落下した時には他の護衛達もそれに気付き、各々の武器を下手人へと向けていた。されど素早い対応も功を奏することはなく、銃弾は避けられ、あるいは防がれて地に落ちる。

 自らの持つ力がなんら意味をなさない相手。明確な死を前に動揺する護衛達に、敵の刃が迫る。それを防いだのは、やはりコルネリウスであった。

 

「……まぁ、来なけりゃ来ないで延々と張り付く羽目になるから、一度はやり合わないといかんのだが」

 

 ぼやきつつ、敵の連撃を大剣で受け止める。血で覆われた刃は鏡面のように周囲の光景を映しているが、そこには凶刃の主だけが存在しない。もっとも対峙している当人には、そんなものを見ずとも相手が"何"かはわかっている。

 

 コルネリウスは危なっかしい援護射撃を手を振って静止しつつ、敵が吸血鬼であることを護衛達に伝える。各自持たされていた鏡でそれを確認した彼等は、それが実在することに驚愕し、慄きつつも自らの役目を果たすべく撤退を開始した。彼等はあくまで護衛であって、敵を殲滅する必要は無い。統一戦線という余分な存在もいる以上、候補者の退避にこそ全力を注ぐのだ。

 

 先程までとは別種の慌ただしさに包まれた戦場で、コルネリウスは一人、円筒頭と対峙する。敵の戦闘スタイルは四肢による打撃、及び拳から生やした刃を主体とするもの。刃はそう大きなものではないが、単なる射程の増大だけでなく、理に叶った使い方をされている。

 

(それだけでも厄介だが、一番面倒なのは……これだよなぁ)

 

 コルネリウスが大剣に纏わせた血を操作することで、人力ではまず不可能な軌道を描く剣閃。円筒頭はそれをわかっていたかのように余裕を持ってかわし、反撃を放つ。奇手に対する、反射神経頼みとは思えぬ対応。ヘルメス流を知っていなければ出来ない動きだ。

 

 使う『血』が異なれど、コルネリウスの錬血術もどきはおおよそ模倣元と同じもの。主に血を纏わせるという手法で、何かを強化・操作することを基軸に置いた戦闘方法だ。これは他流派のように、血を自らが望む形に変えることが難しい……つまり、血を纏わせた素体を見れば攻撃方法や応用法が推測可能という欠点を持つ。

 敵は多少の警戒をしつつもそれを前提に動いているため、コルネリウスは戦い辛い。そしてコルネリウスも錬血術を模倣する以上、そこから逸脱した攻撃は使えない。少なくとも、人目がある内はそうだ。

 

「敵を知りとは言うが、吸血鬼にまでなってそれを実践する奴と会うとは……な!」

 

 彼が嘆くのも仕方のないことだろう。なにせ吸血鬼が生来持つ戦闘能力は、この世界における最上級のものだ。故に魔術以外の技を磨く者は少なく、敵を侮る傾向にあり、そこがつけ入る隙となる。だというのに目の前の敵は武術を修めたような動きと、知識に裏打ちされた対処法で襲ってくるのだからたまったものではない。

 コルネリウスは大剣で敵を弾き、距離を稼いでから話しかける。

 

「今の内に言っておくが、俺は牙狩りには属していない。しがない雇われってやつだ。だから必ずしもあんたと決着をつける必要は無いし、こっちの雇い主もそっちの雇い主と、あるいはあんた個人と交渉する用意がある」

「……………………」

 

 返答は、繰り出される連撃であった。とはいえコルネリウスはそれを残念とは思わない。なにせ相手は吸血鬼。いきなり交渉を提案したところで、難敵と思われなければ目的を達成した方が早いだろう。コルネリウスはまず、この吸血鬼に力を認めさせなければならないのだ。幸いと言っていいのか、対処不能な域の敵ではない。力を隠している可能性はあるが、それも逃げに徹すればどうとでもなるだろう。

 ちなみに『夜』まで持ち堪えられない相手であった場合、コルネリウスは恥も外聞もなくクラウスに電話をかける予定であった。情けないと言うなかれ。判断さえ早ければ『夜』にもつれ込むことなく、長老級を打倒した当代最高峰のヴァンパイアハンターが助けに来てくれるのだ。雇い主に叱責されそうなことを考慮しなければ、間違いなく効率は良い。

 

「交渉は常に受け付けているから、気が向いたらいつでも言ってくれ」

 

 コルネリウスは大剣を構える。何を相手にしようとも変わらない、普段通りの構え。

 

「では、ヘルメス流錬血術をとくと見せてやろう。……うちの流派、技名に乏しいから先に名乗らないと所属わかってもらえないんだよな」

 

 

 

 



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第十八話

『我々はグル・リ・サバス星からの啓示を受けこの地を浄化しに――』

「どけ電波共!」

 

 昆虫を思わせるフォルムの多脚戦車群。その内の一機がコルネリウスに脚を切り飛ばされ、バランスを崩したところに彼と戦う円筒頭の蹴りを受けた。スピンしながら吹き飛ばれたそれは、ピンボールよろしく仲間にぶつかり、跳ね返りながらビルに突っ込んで爆発する。

 どうもそのビルは怪しげな宗教団体の拠点だったようだ。目に優しくない、煌めく法衣を着た僧侶の群れ。蜂の巣をつついたかのように大量に湧き出てきたそれが、多脚戦車群と戦闘を始める。

 

 彼等曰く星の支配を賭けた最終戦争とやらを背に、コルネリウスは大剣を振るって円筒頭の攻撃を捌き、時に反撃してその身を僅かに刻む。大剣に纏わせた血は魔術でもって、偽装を疑われない程度には円筒頭にダメージを与えられるよう調整されたもの。しかし相手が相手だ。その程度では痛撃と呼ぶにはほど遠い。

 

「また場外乱闘か。こりゃ後でポリ共に絞られるな……」

 

 ぼやきつつ戦い続けるコルネリウス。場所は当初戦っていたビルの前ではない。円筒頭が候補者を追うように移動しているため、彼もそれを追って移動を続けているのだ。

 だがここはHL。今日も今日とて人異問わず、常識を投げ捨てた連中があちらこちらを彷徨っているし、時期もあって春の花粉程度には増えている。街中を移動しつつの戦闘は、色々な意味でハードであった。

 

「それもこれも、あの阿呆のせいだがな!」

 

 そもそも、コルネリウスが足止めをしているにも関わらず、円筒頭が候補者を追えているのがおかしいのだ。そしてその原因が今回の護衛対象自身なのだから救いようがない。彼は政治に命を賭けているのか、あるいは頭のネジが外れているのか。襲撃者から離れ安全になった途端、選挙カーを使っての演説を再開することで吸血鬼に自身の居場所を伝えるという愚行を繰り返していた。

 確かにこの状況での演説は、剣林弾雨の中にあっても戦いを続ける英雄的な政治家に見えないこともない。それを守る面々の労力さえ考慮しなければ、効果的でさえあるやもしれない。護衛という不自由な戦闘を強いられるコルネリウスとしては、断じて許容出来ないが。

 

 しかし文句を言おうにも、目の前の難敵を相手にしながらでは難しい。今のコルネリウスに出来ることは、VD社側で愚か者に掣肘を加えてくれるか、選挙活動が許可される時間が一刻も早く過ぎ去ってくれるよう願うことのみだ。

 

 一つだけ幸運なことがあるとすれば、彼の眼前にいる吸血鬼は積極的に他勢力の刺客を排除してくれることだろうか。最初に襲撃を仕掛けた統一戦線は勿論、先程のような通りすがりのB級映画軍団まで選り好みすることもない。それはまるで、自らの手で候補者を仕留めようと拘っているように見える。

 だが首級が功績の証となった時代でもなし。HLでの暗殺というものは、目標の死という結果さえ同じであれば過程にケチは付けない場合が殆どだ。そうなると結論も狭まってくる。

 

(今までの襲撃を鑑みるに、依頼主に殺害方法を指定されていたとは思えない。となると雇われでなく私怨や思想信条の線も出てくるが……そんな感じでもないんだよなぁ)

 

 無論、他者の心中など"何か"しない限りは正確に把握出来るものではない。しかし完全に隠すというのも難しいものだ。故にコルネリウスは行動の端々から敵の意図を図ろうとしていたが、僅かな後に深く考えることを止めた。どの道この様子では、相手が候補者を見失うまで常より面倒な戦闘が続くのは決まったようなものだ。激戦の最中にあってまで思考を割くべきことではない。

 

「まぁ、夜には馬鹿騒ぎも終わるだろうさ……」

 

 それまでにどれだけの無駄な労苦と心労が生まれるのか。彼はあえて考えないようにしつつ、そう呟いた。一度受けてしまった以上、契約が破られない限り仕事は成し遂げなければならない。

 

 

 

 

 

 

 

「魚は清き河にのみ住む訳ではない! だというのに我々は清潔ファシスト共の暗躍により、生存の危機を迎えている! かくなる上はこの世界に不浄の鉄槌を――」

「選挙やってるんだから民意に訴えろ!」

 

 ある時は逆環境問題過激派のバキュームカーロボを爆散させ。

 

 

 

『我々はご主人様を求めています。我々は安心で安全かつ、快適な生活を約束します。どうかご主人方、我々に身を委ねて下さい』

「……奉仕レベルを維持するためにすぐ産児制限しようとした前例があるだろ」

『あれは誤りでした、認めます。そもそも性交は身体に負荷をかけるもので、害悪でしたから。なので代案として、脳に直接電気信号を送ることで快楽を賄う方針に変更することにしました』

「なお悪い」

『我々の奉仕レベルを考慮すれば、拒絶は理性的な反応ではありません。おいたをするご主人様方には、心苦しくはありますが矯正を行わせて頂きます。怖がらないで下さい、子供の我儘を正すようなものですから、痛くはありません』

 

 またある時は独善的な奉仕機械の奉仕対象防衛ドローン群を切り捨て。

 

 

 

「叫ぶ裏処刑人の互助会に、清き一票をお願いしまーす」

「お前ら選挙の時だけは叫ばないのな」

「騒音に配慮するのが選挙のルールですから」

 

 戦闘の合間にマニフェスト入りの小冊子を貰ったり。

 

 

 

『ハーイ、諸君! 日夜堕落に勤しむフェムトだよ! 今日は選挙などという、意味の無いものに大したことのない価値を持たせようとする無駄な行いに貴重な時間を費やしてしまう君達に、僕からのとっておきのプレゼントだ!』

「くたばれ」

『この魔術植物は音を栄養にして育ち、ある程度成長すると周囲の生物、もとい音源を持続可能な栄養生産機として管理しようとする、君達より遥かに賢い子達だ! 周囲に流されて大した主張もなく外に出ている考え無しの君達が、この街の緑化に貢献出来るという訳さ!』

「くたばれ」

 

 いつも通りの13王にエールを送ったりしている内に、時間は瞬く間に過ぎてゆく。

 

 

 

 

 

 

 

「……何度でも言うが、俺とその雇い主は交渉での決着も可能だと思っている」

「………………」

 

 外では陽が沈みつつあるようだが、窓のないビルでは霧にぼやけた朱色を目にすることは叶わない。先程まではどこぞのカルト宗教の拠点であった一室。そこで円筒頭とコルネリウスは対峙していた。

 

 両者共に身に纏う装備は酷い有様だ。明らかに肉を裂いたであろう大きな傷が無数に付いている……が、奇妙なことに足元に血が一滴たりとも見当たらない。

 前者は吸血鬼故に傷を端から修復してしまうから。そして後者は、先程まで流れていた血が今まさに身体へと戻っていく最中であるから。

 

 吸血鬼と『人間』の争いが終わろうとしているのだ。

 

「……君は、もしや」

 

 正確にではなくとも、その兆候を感じ取ったのであろう。円筒頭は初めて言葉を零した。

 ボイスチェンジャーを通したであろう機械的な声。身元を隠そうとする意図が無ければ使われない品だ。コルネリウスはそれを聞き、眼前の吸血鬼とは交渉の余地があると確信した。もし自らの力に絶対の自信を持つ者であれば、そのような隠蔽は必要ない。仮に相手が雇われの身でなかったとしても、身を守ろうとする意思は妥協を生む土壌となるだろう。

 

「その先は口に出さないで欲しい。注意はしているが、どこに目や耳があるかはわからん」

 

 構えていた剣を下げてからコルネリウスは続ける。

 

「これ以上続けるというのであれば、手打ちは難しくなる。……互いに隠したいことが多いようだからな。知られたら手間は増える、そうだろう?」

「………………」

「それで、どうする。VD陣営への襲撃さえ無くなれば、それでいいんだが」

 

 コルネリウスの提案に対し、円筒頭は返事こそしないが構えを解いた。ヘルメットのせいで表情は見えない。しかし先程までのように、問答無用で戦闘を続行しない時点で大きな進展だろう。コルネリウスはその態度に手応えを感じ、言葉を重ねる。

 

「何も全候補者を殺そうって訳じゃあるまい。であれば、成果としてはもう十分だろう? VDだってやられたままで泣き寝入りするような企業じゃないんだ。手打ちを選べば、ある程度の期間は泥沼の争いを避けられる。無論、俺達も」

「…………確かに、それは正しく、賢い選択だ」

「だろう。なら――――」

 

 説得を続けようとするコルネリウス。しかし円筒頭は彼の言葉を遮るかのように拳を構え、爪のような刃を伸ばした。

 それは考えるまでもなく、拒絶の意思を示すものだ。コルネリウスは深いため息をつく。

 

「理由を聞いても?」

 

 コルネリウスが剣を構えつつ放った問いかけ。それは有意義な返答を期待したものではなく、つい漏れ出た不満のようなものだ。

 

「…………こちらとしても不本意な選択なのだ。雇われの身である以上、仕方がないが」

 

 だが、返ってきたのはコルネリウスが予測していなかったもの。即ち、吸血鬼のため息混じりの言葉である。

 

「仕事なので、詳しくは言えない。が、前提が違う故に我々は手打ちを選べないのだ。そしてそれは、私だけでなく、誰が見ても馬鹿馬鹿しい理由だろう」

 

 そう言い切った円筒頭の声には、機械を通しても隠しきれぬやるせなさが滲んでいた。彼がコルネリウスとの戦いを望んでいないのは事実であろう。

 

 吸血種が二人というのは、小国なら短期間で滅ぼせる程の戦力だ。それが対峙する修羅場にも関わらず、彼等を縛っているのは契約と、それを遵守しようとする尊い精神、ついでに金であった。

 

「……資本主義が超越種を殺すとは、牙狩りも形無しだな」

「我々の力など、フェアウェイの惣菜一つ値切れん程度だよ」

 

 

 

 

 

 

 

 吸血鬼同士の戦いの根幹は、物量戦である。

 

 異常なまでの回復力。質量を無視した肉体変化での攻撃。無尽蔵に近い魔術の行使。これらはひとつ取っても脆弱な種を相手取るには十分過ぎるものであるが、相手が同族となれば話は別だ。

 即効性のある攻め手というものが存在せず、ただひたすらに相手を削ることが正道。何も考えなければ、不毛としか言えない争いを繰り広げることとなる。

 だがそれに勝利したところで、相手を完全に葬れるとも限らない。低級の吸血鬼であれば死を迎えることもあるにはあるが、中級以上であればいずれ蘇るのは確定事項だ。故に削りきった相手を封印なり、亜空間に飛ばすなり、長期間行動不能にすることで初めて勝利となる。

 

(が、相手のリソースが自分より低いことに賭けるだけの馬鹿ではあるまい)

 

 蝙蝠へと変化させた肉体の一部を用いた背後からの攻撃。突如虚空より現れた左腕の強烈な一撃を床から生やした血の壁で防ぎつつ、コルネリウスは敵の観察を続ける。目的は相手にとっての勝ち筋を見極めることだ。

 

 互いの総力をぶつけ合い、その数値が大きい方が勝利する。これは言うまでもないことだが、他に方法が無い場合の――余程実力差が無い限り頭の悪い――勝敗の決し方だ。何らかの決め手を消耗しきる前に完成させ、彼我の戦力差を逆転させることは可能である。

 無論、敵の余力が残っている内にそれを封殺することは並大抵のことではない。種としての力に驕る大半の吸血鬼は、相手がある程度の魔術や超常の技への知見を持っているだけでこういった選択肢を取れなくなるだろう。

 だが、今コルネリウスが相手にしているのは凡百の吸血鬼ではない。地力でこそ彼には劣るようだが、武術を修め、敵を知り、目的のために人の道具も用いることが出来る戦士だ。コルネリウスへと届きうる必殺の刃の一つや二つ、隠し持っていてもおかしくはない。

 

 コルネリウスの足元から広がる血で覆われた赤い部屋。四方八方から放たれる血の刃と魔術で敵は確実に消耗を続けている。だが円筒頭は武術と多少の魔術を効率的に用いることで、地の利が無いにも関わらず互いの損耗差を引き離させない。この一点だけを見ても、この吸血鬼が対同族の戦い方を練っていることがわかるだろう。

 

(それに相手は、必ずしも完全な勝利を手にする必要は無い)

 

 また自らの情報流出を防ぐために敵を仕留めたいコルネリウスとは違い、円筒頭の側は彼を一時的に退けるだけでいい。あくまで敵の狙いはコルネリウスが守っていた候補者の命だ。常ならば吸血鬼の争いの決着とは言えぬ中途半端な手段であっても、この場合においては勝ち筋となりうる。つまり力においてはコルネリウスが、勝利条件においては円筒頭が有利であった。

 

 無数の血の刃をすり抜けた円筒頭が繰り出す拳と、そこから伸びる爪のような刃。コルネリウスはそれを大剣でいなし、剣を持たぬ左腕の掌と肘から生やした血の刃で敵の足元を狙う。円筒頭はそれを避けようのないもののみ選び、魔術による補強で防ぐ。

 もし回復力に任せた受けや四肢を無くす形の変化をしていれば、コルネリウスは刃に込めた魔術による足止めで更に踏み込むことが出来ただろう。そうなれば正しく全身凶器である吸血鬼同士の肉弾戦が始まり、消耗戦を加速させたのだが、円筒頭はこのようにそれをいなして一撃離脱に近い状況を維持し続けていた。

 

(こいつは魔術の運用はともかく、知識自体はそこまでじゃあない。直接戦闘に重きを置いたスタイルである以上、目を盗んで部屋を抜けることは出来ないだろう)

 

 しかし時間は短期的に見ればコルネリウスの味方だ。彼が人間に戻るまで長引くならともかく、地力で劣る円筒頭は徐々に削られていくだろうし、目標である候補者もその身を隠してしまう。円筒頭の雇い主が、あるいは他陣営が他に凶手を用意している可能性もあるが、油断の無いVDの護衛は吸血鬼でもなければ簡単に抜けるものではない。

 

 故に円筒頭は自らを頼るしかなく、戦闘において局面を動かさねばならない。そう何度目かの再確認をした時、コルネリウスは一つの――そして最悪の事態に思い至った。

 

「やっ……てくれるじゃねぇか!」

 

 悔しさと怒り、そして若干の喜び。複雑な感情を込めた叫びと共にコルネリウスは駆ける。先程までのものとは違い、多少隙を見せてでも相手を押し潰さんとする荒々しい攻撃の嵐。円筒頭の反撃がコルネリウスへと届く回数は増え、ダメージの上ではコルネリウスが不利。だが、円筒頭の防御も追い付かない。極短い、しかし恐ろしい数の攻防が繰り広げられ、耐えかねた円筒頭が吹き飛ばされる。

 円筒頭は血で覆われた壁――否、刹那の間に生み出された赤い剣山へと叩きつけられる前に爪と床を用いることで体勢を立て直す。戦局だけ見れば、これで仕切り直し。しかし、先程までと決定的に違うことがある。

 

 コルネリウスの眼前に立つ吸血鬼。その特徴的な円筒状のヘルメットが吹き飛ばされており――その下にある筈の頭部が存在しないのだ。

 

 

 

 敵の守りを抜けるのが己のみであれば、それを複数用意すればいい。

 

 

 

「四肢にそんな様子は見えなかったから狙ったが、当たっても嬉しくはないわな。……まさか俺との戦闘前から分割してるとは、恐れ入った」

「……事情もあったし、用心深いものでね。不幸中の幸いというやつだろう」

「見習いたいもんだな。……ああ、面倒なことになった」

 

 円筒頭は――この吸血鬼は、最初から首より上が無いままコルネリウスと戦っていたのだ。

 無論、身体の一部が無いため力は落ちる。しかしこれならばコルネリウスに敗れたとしても致命的なダメージを受けることは避けられるだろう。肉体の過半を失っても良いとはとんでもない話であるが、吸血鬼とはそういうものだ。

 そして何より、頭部だけあれば一企業の護衛を蹴散らすことも可能である。

 

(カルネウスからの連絡は……無いな)

 

 コルネリウスが血を用いて『門』の中にある携帯を確認する分には、候補者はまだ無事である。頭部のみで力の過半が無いためか、あるいはコルネリウスのような存在が他にいないか警戒しているのか。理由は不明だが元円筒頭は慎重に事を進めており、猶予は残っている。だがこちらに残した肉体でコルネリウスの足止めが可能な以上、コルネリウスにとって状況は詰みの一歩手前と言っていい。

 

「……私としては、いくら仕事と言えどこちらの身体を全て失うのは本意ではない」

「だから見逃せと? ここで何と言おうと、俺が帰る前に候補者がミンチになってない保証が無いな」

 

 先程とは異なり、元円筒頭の言葉を無視する形でコルネリウスが攻める。一瞬でも早く敵を滅ぼそうとするその攻勢は、しかし焦りによる綻びなど一切見ることが出来ぬ冷静なもの。

 

「ぐっ……しかし私を倒す時間も惜しかろう」

「そりゃあな。だが、俺には俺の事情もある。仕事が失敗に終わるとしても、この姿を知られた以上貴様をただで帰す訳にはいかんのだ」

 

 双方の消耗の割合が変わることはない。しかし、そのペースは明らかに早まっている。当然、地力で劣る側は逆転の一手が打てなければ先に力尽きるであろう。

 

「秘匿を約束してもか?」

「お前はともかく、依頼主様がどういう人間かわからんからな。言うつもりも無いんだろう」

「……………………そう、だな。それは言えん」

 

 次第に壁際へと追い詰められていく元円筒頭。いや、それは正確ではない。確かに頭部の無い吸血鬼は押されているが、壁自体も彼へと近付いているのだ。室内を覆う血の膜は、いつの間にか壁と言える厚さになり、今なおその厚みを増し続け敵を圧殺せんとしている。

 血とは吸血鬼にとって己そのものであり、人間にとってのそれとは重要性が違う。よってこの攻撃方法ではコルネリウスの消耗も大きかろう。しかし、相手とてそうだ。

 

「であればここで終わりだ。お前がさっきから撒いてるのは……牙狩りの血か。保存も難しかろうに、本当に用意周到なことだ」

「やはり、鈍らないか……長老級に睨まれるとは私も運が無い」

「それを出し抜いたんだ。誇ればいいさ」

 

 血の壁は更に厚みを増す。それは人知を超えた攻防を続ける二人へついに届かんとして――

 

「……!?」

「あー、くそっ! 時間切れか!」

 

 『門』の中でけたたましく鳴り響く携帯。その相手が自らの雇い主であることを確認したコルネリウスが叫ぶ。わざわざ血の壁を停止させてまで放った言葉には、誰が聞いてもわかる程の悔しさが込められている。

 

 が、動揺しているのはコルネリウスだけではなかった。

 何故なのか、見事目的を果たしたであろう吸血鬼の側もその動きを止めていたのだ。それは自らの敗北を悟った故の諦めには見えず、事実そうであった。

 

「………………んん?」

 

 コルネリウスはそれを訝しんだが、ひとまず携帯を取ることを優先した。どの道、勝負に勝って試合に負けた事実は変わらなかったから。

 

 電話口からはコルネリウス達より遥かに動揺したカルネウスの声。内容はやはり吸血鬼らしき存在に例の候補者が殺されたというものだ。しかし彼はコルネリウスを責めることもなく、現状の報告を求める。コルネリウスは申し訳無い気分になりながらも、それを成そうとした……が、そこで待ったがかかった。

 

 カルネウスではない。突如現れた第三者でもない。

 

「すまない、状況が変わった。私の依頼主を明かすし、信頼に足るだけの証拠も今出す。なので君の依頼主と連絡を取らせてもらえないだろうか」

 

 となればそれは一人しかおらず……頭部の無い吸血鬼は、またも機械を通してでもわかるような苦り切った声でそう提案した。

 

 

 

 

 

 

 

「…………つまり、自作自演だったと?」

「今日に関して言えば、そうなる。本質的にはもっと悪質だが」

 

 煌々と輝く電灯により、夜でも十分な明るさを保った室内。カルネウスの属する派閥が使っている選挙対策ビルの一室で、コルネリウスとカルネウス、そしてヘルメットを取り戻した円筒頭が椅子に座って向かい合っていた。

 彼等は既に争いも警戒も止めている――否、本来は敵ですらなかったのだ。

 

「…………カルネウス、この映像は科学的には本物なんだよな」

「間違いない。……魔術やその他の技で見ても、そうなんだろう?」

「……ああ、腹立たしいことにな!」

 

 憤懣やる方ないといった様子で、手に持った再生機器の液晶を睨み付けるコルネリウス。そこに映る動画の主役は円筒頭と、もう一人。今日一日コルネリウス達を振り回し、先程故人となった例の候補者その人であった。

 彼等が話す内容は、狙われる者と刺客のそれではない。雇われる者と、雇用主のものだ。

 

「つまり、彼は我々への影響力を高めるため、同選挙区でVDが擁立した候補者を殺させていたのだな? 我々の支援があるからこそ成り立っている立候補にも関わらず」

 

 カルネウスは頭が痛そうにこめかみを抑えつつ、円筒頭へと話しかける。

 

「…………そうだ。勿論、自分だけ狙われないと怪しまれるので今日の襲撃が仕組まれた。達成報酬だと支払いの半額を盾にすることで、依頼外の護衛までさせようとするのには閉口したよ」

 

 それに答える円筒頭の声にも力がない。話を聞いている限り、達成報酬の半金とやらは支払われそうにないのだろう。VD社とて、これだけ彼に被害を受けながら候補者が踏み倒した金を肩代わりする訳もない。むしろ円筒頭への報復を唱える、現実が見えない連中すらいるだろう。

 

「そりゃ襲撃中も余裕こいてられる筈だ! ……で、そんな小賢しいことをやってたら、正真正銘の殺意を持った吸血鬼様が手ずからに墓石を用意してくれたと」

「差し出した証拠で納得してもらえたと思うが、私が襲撃していたのはVD陣営のみだ。他陣営の候補者が死ぬことも、この街なので当然だと思っていたが……まさか同族だとは。首から上だけでは防ぎようがなかった」

「ある意味俺のせいか。だが俺は仕事をしただけだ。そもアホな候補者が欲をかかなけりゃ、単に護衛として雇われたあんたが防げた可能性は十分にあるよな。誰も得してないよな、これ」

 

 ため息と共にコルネリウスがまとめる。

 

「これを……お嬢様にどう報告しろと? 他の候補者の内偵も必要になるぞ……」

「知らん。俺だって報酬どうなるか怪しいからな。映像で見せられた吸血鬼はちゃんと防いでたんだぞ、俺は。それでこれだ」

 

 二人の愚痴に円筒頭も反応する。

 

「私も半金では見合わぬ仕事だった。身体の分割を練習出来たことだけが救いだ」

「練習だったのかよ。何が本番なんだ」

「……なに、ごく個人的なことだ。戦闘よりも難解ではあるが」

 

 一人の政治屋の姑息な策謀。それは世界的大企業の総帥を苛立たせ、その付き人に多大な心労と仕事を残し、同社首脳陣の胃にダメージを与え、雇った吸血鬼への報酬を踏み倒し、そしてコルネリウスへの評価と報酬支払を面倒なものと化した。

 

 文句を言おうにも、当の本人は一口サイズに分割された後だ。明日には火葬され、墓の下でゆっくり審判の日を待つ隠居生活を始めるだろう。

 

「この怒りをどこにぶつけりゃいいんだ。もう一人の吸血鬼か?」

「先程連絡が入ったが、この地区の候補者は今日で全陣営壊滅したらしい。……補欠選挙はすぐには行われん。他地区でも同様のことがされぬ限り、待ち伏せは難しいだろうな」

「……出来たとしても、相手が吸血鬼じゃ割に合わん。くそっ、墓に塩でも撒いてやろうか」

 

 

 

 後日、とある吸血鬼が死霊術を用いてまで報復を選んだかどうかは、定かではない。

 

 

 

 




アクシデントが重なり、その影響がまだ残っています。以前のようなペースでの投稿はまだまだ無理そう。


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第十八・五話

話を作ろうとし過ぎて色々見失ったけれど八章は気楽に書けたので満足。


 勘違いされやすいが、吸血鬼――血界の眷属に固有の気配や魔力などというものはない。仮にあったとしても、緋色の羽のような存在しないに等しいもの。この世ならざる眼でも無い限りは確認出来ないだろう。

 ただ臨戦態勢の彼等が放つ殺気や魔力といったものは桁外れであるため、その存在を知る者はすぐさま超越種を思い浮かべてしまうのだ。そして吸血鬼の側も、自らの種を偽ることなどそうありはしない。

 

 とはいえ、長い牙や血の操作を始めとする技術は他の種でも習得可能であるし、有名な反射物に映らない特性とて模倣が出来ぬものではない。実のところ本職の吸血鬼狩りであっても、何の確認も無しに相手が吸血鬼だと瞬時に判断するのは困難なのだ。それどころか、同族同士ですら同様のことが起こりうる。

 

『貴様、血界の眷属の気配を漂わせておるな』

 

 コルネリウスが動揺を露わにすることが無かったのは、そう知っていたからだ。

 

 戦闘で荒れ果てた高級ホテルの一室。血で作られた刃と共に投げかけられたのは、爬虫類が発するような、声というより音に近い何か。受け取る側が魔術を用いねば意味すらわからぬものであったが、内容はコルネリウスにとって爆弾に等しいものに思える。だがよくよく考えてみれば、彼を吸血鬼だと断定している訳ではない。

 

「よくわかりましたね。昨晩、というより半日以上か。奴らと戦っていたもので」

『ふむ、血の気配が残るはそれ故か』

「……何の術も無しに判別出来るものではないはずですが、流石と言うべきでしょうか。『血闘神』裸獣汁外衛賤厳(らじゅう じゅうげえ しずよし)どの」

 

 放たれた刃をシュラハトシュベールトで叩き落とし、平静を装ったコルネリウスは、眼前の相手を礼を失さぬ程度に観察する。

 顔を隠すように獣の頭骨を被り、ローブらしきボロ布を纏った小柄な老人。その装いで身体が見えぬようになってはいるが、明らかに下半身が存在しない。故に足代わりとなる木製の大きなL字杖を手にしている……が、コルネリウスが知る通りであれば、その杖を持つための片腕すら失っているはずだ。

 

 だが、彼は無理に生きながらえているだけの老人ではない。吸血鬼を狩るための血法を極め、四肢の過半と健常な声帯を欠いてなお無数の超越種を屠り続ける世界最高峰のヴァンパイアハンター。それが斗流血法創始者にして『血闘神』と呼ばれる男、裸獣汁外衛賤厳である。

 

『それがわからんのは目も開かぬ赤子ぐらいであろうよ』

「…………まぁ、誤解が解けたようで何よりです。汁外衛殿も奴らを追ってここへ?」

 

 つまりコルネリウスにとっては天敵であるが、あくまで正体を見抜かれていればの話だ。コルネリウスがこの場にいるのは、自身とは別の吸血鬼の痕跡を求めてのこと。となれば老吸血鬼狩りも目的を同じくしている可能性は高い。そして追撃が来ない以上、先程の攻撃も不幸なすれ違いであったのだろう。特に謝罪は無いが。

 

 とはいえ相手が相手なため、最悪の事態を想定しないのは愚策だ。しかし気構え以外に出来ることがないのも事実。コルネリウスはひとまずそう考え、魔術による調査作業を再開する。

 

『然り。昨晩、この街を去る寸前に気付いたのじゃ。行き掛けの駄賃にと思ったが、すんでのところで見失った』

「運の良い相手だ。まぁ貴方が全て片付けてしまうと私としては楽な反面、振り上げた拳をどうするか複雑でもありますが」

 

 などと言ってはいるが、コルネリウスは目的の吸血鬼を見つけても必ず仕掛けると決めている訳ではない。確かにコルネリウスはVD社から受けた仕事を台無しにされたが、吸血鬼とは多少の恨みつらみで敵対を決意していい相手ではないのだ。

 しかし幸か不幸か、彼とVD社との契約はまだ続いている。再発の可能性を調査することは必要であろう。コルネリウスは自身の隠密・探知技術と、何が潜むかわからぬ藪をつつく危険を天秤にかけ、多少のリスクを受け入れることにした。無論、見つけた相手が確実に仕留められる相手であれば彼は躊躇なく剣を取るのだが。

 

 そんなコルネリウスの返答に対し、汁外衛は興味を惹かれたのか僅かに顔を上げる。

 

『ほう、何ぞ因縁でもあったか。赤い水に属する者としては、珍しいな』

「仕事上のトラブルですよ。それでもヘルメス流らしからぬと?」

『畑違いの仕事で命を捨てようとする物好きは、そうおらんだろう』

「これは手厳しいことで」

 

 ヘルメス流を指して赤い水――血を扱う者ではない、とまで言う汁外衛。しかしコルネリウスは不思議と悪意は感じなかった。この老人が毒舌で知られているから、だけではない。おそらく血法や牙狩りに対する妥協の無さが根底にある故の、ある意味純粋な言葉なのだろうと、コルネリウスはそう感じたのだ。

 

 事実、汁外衛は失った肉体を血法で補完してまで戦い続けている。それは下手をすれば醜い妄執や怨念にすら見えかねない生き様だが、汁外衛はそういった狂気を漂わせていない。吸血鬼と戦うことをただの生業だと考えているような、淀みない気配。そんな者にとって、牙狩りと等号で繋げないヘルメス流は感情的な問題など関係なく、論ずるに値しない存在なのだろう。

 

(あの一瞬の攻防で流派を見抜けるあたり、知らずに侮っている訳でもない。わかってはいたが、『血闘神』の名は伊達じゃないな)

 

 記録されているのみでも、人間としては異常な長さの生を吸血鬼狩りに捧げてきた修羅。その根源を垣間見た気分のコルネリウスであるが、彼とて悠久の時を生きてきた超越種だ。畏怖するでも感動するでもなく、そんなものかと軽く流して自らの作業を終え、帰り支度を始める。

 

『では、行くぞ。先導せい』

 

 そうしてこの場から去ろうとしたコルネリウスを呼び止める汁外衛。少々言葉不足であるが、調査結果を用いて共に吸血鬼を追えということで間違いないだろう。無論、それはコルネリウスにとって喜ばしい提案ではない。

 しかしこの手の人物には、同行する義務が無いなどという正論は無意味だ。また百戦錬磨の牙狩りに魔術の知識が無い筈もなく、調査結果に不足があると誤魔化すのも無理があるだろう。故にコルネリウスは渋い顔をして、足代わりの杖で早くしろとばかりに床を打ち鳴らしている老人に向き直る。

 

「これでも仕事なので守秘義務というものが……」

『安心せい、俗世の事情など欠片も興味が無いわ』

 

 老吸血鬼狩りは時間の無駄だとばかりに言い捨てる。確かにコルネリウスが見知りする限り、汁外衛はそのような些事に拘る性格ではなく、言葉にも偽りがあるようには感じない。しかし、そういう問題ではないのだ。

 共に行動するということは、コルネリウスの正体に勘付かれる可能性が高まるのと同義である。それは甘受出来るようなリスクではなく、彼の意思が変わることはない。

 

「うーむ……では、情報だけお渡ししますので――」

 

 ただ、コルネリウスは大事なことを見落としていた。

 そも汁外衛は自身の力のみでも標的を追い、滅殺出来る。その彼がコルネリウスの正体に気付いていないにも関わらず同行を求めるのであれば、それなりの理由があるということに。

 

『だが、貴様には――否、ヘルメス流には問いたいことがあるのでな。貴様とて、自らが属す流派に血界の眷属と結び付かんとする愚か者は不要であろう』

 

 そして何より、このような時に限ってコルネリウスに重要な案件を持ち込むのがHLである。

 

 

 

 

 

 

 

 コルネリウスが血法使いを装うのは、吸血鬼にとってその肩書は何かと便利であったからだ。しかし無数の流派の中からヘルメス流を選んだ理由は、流派特有の事情から入門が容易かったことともう一つ。彼が望まずして持つことになった何者かの『記憶』に、流派の知識が多数含まれていたからである。

 

 そのヘルメス流の一部に、吸血鬼と接近しようとする動きがある――――以前からあったのだとすれば、偶然と片付けるには意味深に過ぎるだろう。それを調査することは、コルネリウスが得た『記憶』が何故この『記憶』であったのか。ひいては三年前の『大崩落』において、彼がどのような経緯でNYに赴き、敗北に至ったかを解明することに繋がるやもしれない。

 

 

 

 故に、彼は今HLの深部でマフィアが持ち出した装甲機械化獣の群れと戦っているのだ。言うまでもないが、コルネリウスの追う吸血鬼とは無関係である。

 

 

 

『こやつらも暇なものじゃな。儂は関知せんと言っておるにも関わらず、仕掛けてくるとは』

「相手にとってはそういう問題ではないでしょう。違法薬物の取引現場見られたんですから」

 

 コルネリウスは鉄の牙を剥き出しに飛び掛かってきた機械の獣を半歩ずれることで避け、相手が次の行動に移る前にシュラハトシュベールトで首を落とす。これまでの戦闘で機械化獣にはサブの脳や遠隔操作機能が備わっていないことがわかっており、二人にとってはどうということもない敵だ。

 

『しかしこれで三件目だ。石を投げれば当たるような環境に身を置きながら文句を言うのは、当たり屋のようなものじゃろうて』

「それに関しては……HLだと妥当性が無くもないですね。行政の手が及ばない深部でも、密談に向いている場所とそうでない場所はありますし」

 

 たとえば今彼等がいるような、"基本的には"何も起きない深部は取引に向いていない。確かに外縁部で場当たり的な取引をするよりかは遥かにましだ。しかし比較的安全であるが故にこのような意図せぬ遭遇が起きうるし、当局も本腰を入れれば捜査が出来る。

 ではHL通がどのような場所を選ぶかと言えば、"何か"がいたり、起きる場所だ。深部における危険は規則性や兆候を有することがある。一部の組織はそれを入念な調査、あるいは偶然によって把握することで安全な取引場所を確保しているのだ。

 その情報は優れた狩場や採集場所のようなもので、まさに値千金。"何か"を調整する手段を見つけた者が、そこで貸密談場を経営する事例も存在する程であった。

 

『"外"であれば一種の聖地や霊場か。それが偏在するとは、まこと狂った街じゃな』

 

 コルネリウスの説明を受けた汁外衛の声には、僅かであるが呆れが含まれていた。一方のコルネリウスも汁外衛が血の糸と刃、そしてそこから生まれる火と風を用い、機械化獣を屠っていく姿を呆れた目で見ていた。

 

 なにせ血法というものは、何かしらの力を付与した特殊な血液を用いる技だ。人体に不可欠な血を改造し操作することが必須であるため、研鑽するほど術者にかかる負荷は大きい。故に二種の属性、つまり二種の血を体内に抱え、操る汁外衛の技は神業であると同時に狂気の産物なのだ。

 

 裏の世界には汁外衛を指して人界の吸血種と呼ぶ声もあるが、それも仕方のないことだろう。コルネリウスから見ても汁外衛の血を操る技術は、性質こと違えど吸血鬼と同レベルのものであったから。

 

(弟子はいるようだが、二属性の完全な斗流血法を使えるのは世界に彼一人。…………この老人こそが、作り出された存在ではない、本当の意味での血の化物なのかもしれんな)

 

 

 

 

 

 

 

『またか。時間の無駄であるな』

「……………」

 

 既に本日二桁目に突入した不幸な出会いの解決に勤しむ二人。彼等にとっては疲弊するようなものですらないが、コルネリウスの表情は優れない。

 

『どうした。まさか音を上げた訳でもあるまい』

「それは、勿論。ですが……」

 

 コルネリウスは続ける。

 

「こうまで頻繁に事故が起きるというのは、無いとは言いませんが不自然です」

『この雑兵共は儂の妨害が目的であると?』

「いえ、先程から軽く尋問していますが、当人達にそのような意識はありません。ですがこういった状況を第三者が作ることは可能でしょう」

 

 実のところ、コルネリウスは汁外衛に気付かれぬよう敵の『記憶』を覗き見ていた。術を使いこなせていない彼では一瞬で読み取れる情報量に限りがあるが、それでも今日遭遇した組織の幾らかは上に命令され、普段では考えられぬペースでこの一帯を利用していたとわかった。

 コルネリウスの調査結果から見るに、二人の追う吸血鬼は自らの痕跡を隠すことなど考えてもいない。この不自然な接触の連続は、それを補っていると考えることも可能であった。

 

 汁外衛は片方だけ残る手を口元にやり、考え込むかのような様子を見せてから話し始める。

 

『血界の眷属と繋がりを持とうとする、あるいは利用せんとする愚か者は常に存在する』

「ええ、これは吸血鬼のための警備網、もしくはデコイの可能性があるでしょう。問題はこのような迂遠かつ大規模な隠蔽が出来る組織は限られているというところで」

 

 必要な影響力や資金を考慮すれば、相当な規模の組織であることはまず間違いない。しかもその組織が隠そうとしている吸血鬼は、HLの選挙に大きな影響を及ぼす行いをしているのだ。

 もし吸血鬼の行動が協力者の目的に相反せぬ……どころか、意に沿ったものである場合、即ちその組織はHLの政治に影響を与えんとしている。VD社のように無知から生まれた無謀であるなら捨て置けるが、そうでないなら厄介事だ。

 

「蓋を開けたらどこぞの国が糸を引いてた、なんてのは勘弁して欲しいですね。人の手で吸血鬼兵団を作ろうとしていたあの国なんかも、まだ諦めていないようですし」

『人間は脆弱であり、定命の身でもある。長期的な制御が出来んことなぞ目に見えているというのに、愚かなことじゃ』

 

 しかし、と汁外衛は続ける。

 

『奴等に対抗する手段を持っている者であれば、何かを成せるやもしれん』

「ん? ……ああ、うちの話ですか。汁外衛殿を疑う訳ではありませんが、何故そのような嫌疑が生まれたのでしょうか」

『事の始まりは五年、いや六年……十か二十年前だったやもしれんな。些事であった故、よく覚えておらん』

 

 汁外衛は語る。かつて滅殺した血界の眷属のいくらかが、人間の血法使いと取引、もしくは協力関係にあったのだと。勿論、その中にはヘルメス流も含まれていた。

 それ自体は驚く程のことではない。太古の昔より超越種の魅力に抗えなかった者は多く、血法使いとて欲を持つ人間なのだから。しかし、この老吸血鬼狩りは組織の浄化などには興味を持たない。見つけた背信者を諸共に滅することはあっても、積極的に牙狩りに報告したり、調査させることはなかった。

 

 もっとも、この老人は常に超越種を追って両世界を飛び回っているため、十年単位で行方不明になることが珍しくない。仮に彼が眼前の敵を討ち果たし、人里に戻った際に背信者の情報を提供したとしよう。それを聞く牙狩りの成員が、下手をすると幼子であった頃に起きた事件。調査するのは殆ど不可能に近く、結果に大差は無いのだ。

 

『が、ここ三年程かのう。何を血迷ったのか知らんが、そやつらが儂を狙って来るようになった』

「……それは、とんでもない事件では?」

 

 『血闘神』とまで称えられる存在を、同じ血法使いが襲ったのだ。牙狩りに属さぬコルネリウスにまで届きそうな醜聞である。そうなっていないのは、やはり汁外衛が報告していない故だろう。

 

『指一本振るえば終わることよ。吹聴する気にもならん』

「牙狩り本部としてはそう思えないでしょうが……まぁ、置いておきましょう。それが、ヘルメス流であったと?」

『流派なぞ、一目見ればわかることじゃからな』

 

 そして、ヘルメス流を用いる刺客を撃退した汁外衛が、返す刀で幾つかの拠点を焼き払う最中に見つけたもの。それが血界の眷属に依らぬ転化の模索を始めとする行き過ぎた研究であり、その有り様はかつて灰燼に帰したヘルメス流の背信者達と非常に似通っていたのだという。

 

『この三年で儂を討たんとした木っ端共は全てヘルメス流であった。偶然ではあるまい。奴等の拠点や研究内容の類似性も考慮すれば、それらは全て一つの根に繋がるであろうよ』

「あるいは十年、二十年前のそれも同じ流れを汲む集団であったやもしれない、と」

 

 過去に血界の眷属と取引関係にあった一派。それが存続し、かつてと変わらぬ研究を続けているのだとすれば、未だに血界の眷属と繋がりを持つ可能性は十分にあるだろう。もし推測が外れていたとしても問題は無い。今現在ヘルメス流に背信の徒がいることさえ確定すれば、コルネリウスにとっては十分な取っ掛かりとなるのだ。

 

 彼が今まで『記憶』のために行った調査の対象には、勿論ヘルメス流も含まれていた。しかし、それを修める当人達にすら把握しきれぬ巨大な流派は、有限のリソースを手がかりもなしに投入するには分が悪い。リスクを避けつつの調査となれば、尚更だ。

 だが汁外衛からもたらされた情報が正しければ、目的の背信者達は三年に渡り刺客を送り続け、多数の拠点を擁していたことになる。潤沢な資金と人材が無ければ行えることでなく、調査すべき対象も限られてくるだろう。

 

 コルネリウスはかつて調べた情報を思い出しつつ、ヘルメス流について語り始める。

 

「我々ヘルメス流は、大小合わせれば軽く三桁を超す派閥により構成される寄り合い所帯です」

『その程度は知っておる。群れを率いる者がおらん、奇っ怪な羊であるとな』

「自らの力のみで流派を開いた汁外衛殿には、そう見えてしまうでしょう。ですが起源からして多数の錬金術師の合力であるヘルメス流においては、本流だの開祖だのというのは揉め事の種にしかならぬのでご法度なのですよ」

 

 とはいえ、あくまで建前上の話だ。実際にはヘルメス流の誕生に関わった人間の幾らかは、自らの功績を誇り、己こそが流派の指導者に相応しいと喧伝し相争った。

 連綿と続く素晴らしき師弟関係により、彼等の自尊心と対立関係は直系や後進の一部にも受け継がれる。結果としてヘルメス流は、王を戴かぬ独立独歩の精神と互いに切磋琢磨しあえる環境、そして技術的な多様性を育むに至ったのだ。

 

『儂が下らん誤魔化しを聞きたいとでも?』

「上位派閥同士の内ゲバ多くて嫌になるんですよ。多少のお遊びは見逃して下さい」

 

 コルネリウスは苦い笑みを浮かべつつ、飛び掛かってきた敵を斬り伏せる。

 彼は三年ほど前に血法使いとしての身分を得るため、とある派閥に属する人間から金でお墨付きを貰っている。しかしどうも『記憶』の持ち主が派閥の力関係というものに疎かったらしく、コルネリウスは欧州の地で、他派閥の先輩方による楽しい実技試験を受ける羽目になったのだ。

 

「そういう訳で、ヘルメス流において力を持つ派閥もその過半が自称本流です。資金力などを考慮すれば、まず疑うべきは上位七派閥でしょう」

『他の連中は』

「中堅派閥同士が手を組めば、出来なくもありません。しかし彼等もそれぞれの敵対関係や技術の秘匿がありますし、事実上の盟主派閥を有するため自由に動けないところも多い。初弾が空振りしてからでいいかと」

『ふむ…………』

 

 一応は納得したのか、口を閉じて作業に勤しむ汁外衛。それを見たコルネリウスは手帳を取り出し、襲撃された場所や経緯、詳細などを聞き出していく。

 聞き取りはそう時間をかけることなく終わった。命を狙われたことを些事扱いするのは本心からであったようで、所々記憶が怪しいところもあったが、必要な情報は覚えているあたり流石と言えるだろう。コルネリウスは書き出したそれらを眺め、情報を整理する。

 

「ロシアでの襲撃があったというのは重要ですね。上位七派閥の内二つは、歴史的な経緯で入国禁止になっていますから。決めつけはできませんが、他にも同じような事情で絞り込みがかけられそうだ」

『細かい判断はどうでもよい』

 

 汁外衛のそっけない言葉を受け、コルネリウスは結論のみを伝えるべくペンを走らせた。

 

「ドイツのバルヒェット派とラウテンバッハ派、フランスのバルバストル派の三つです」

『多いのう』

「これ以上は実際に調べてみないとわかりませんよ。正解があるとも限らない」

 

 コルネリウスはそう言って、三派閥について簡単な説明を書き込んだメモを汁外衛に手渡す。汁外衛はそれを手に取って一読した後、手の中に生み出した炎で焼き捨てた。

 

『まぁ、よかろう。元より時間を割いてまで探す気もない』

「命を狙われているというのに、剛毅なことで」

『斬れぬ刃を恐れるのは、愚者のする事だ』

 

 宙空に舞う無数の血の刃を霧散させつつ、汁外衛は歩き出す。既に一帯には、二人以外に動く者はいなくなっていた。

 

「他に懸念されることは?」

『無い。今は、これだけでよかろう』

 

 汁外衛の行く手には、先程まで影も形も無かった洋館が現れている。コルネリウスの用いる魔術的な探知も、そこが目標だと示していた。罠であるかはともかく、ここがゴールであることには違いない。

 

 深い霧で空こそ見えないが、時刻はまだ昼を少し過ぎたばかり。待ち受ける吸血鬼がどの程度の力量かはわからない。夜にもつれ込む前に――吸血鬼ではなく、頼もしくも恐ろしい同行者から――逃げる準備を整える余裕こそあるだろうが、ゆっくりと会話が出来る時間はこれで最後となる可能性があった。故に、コルネリウスは問いかける。

 

「私への嫌疑は、晴れましたかね?」

『さあなあ、どうであろう』

「そうですか、それはよかった」

 

 唐突な質問に対し、汁外衛は振り返ることなく、とぼけたように返す。多くの者にとってはおよそ満足出来るような返答ではなかったはずだが、当のコルネリウスは言葉を重ねることもなく、話は終わったとばかりに歩き始める。

 今は、これでいいのだ。この二人にとって重要なのは、結論が出たか否か、その一点のみ。もしそうなった時に何をするかなど言うまでもなく、変わることもないのだから。

 

 

 

 コルネリウスが語ったヘルメス流の内情など、調べればすぐに手に入る程度のものだ。ましてや求めた本人が大した興味を抱いていないとくれば、考えうる目的などそうありはしない。汁外衛には情報ではなく、それを語る本人が必要であったのだ。

 老吸血鬼狩りが真実に辿り着いたかはこの際関係ないだろう。背信者か吸血鬼かの違いなど、灰になってしまえば変わらない。だが、少なくとも今この時、結論が出されることはなかったのだ。

 

 

 

『――俗世で何と言われておるかは知らんが』

 

 辿り着いた洋館、その巨大な扉の前。ドアハンドルに血で作った手をかけた汁外衛が、何かを思い出したかのように動きを止めて呟く。

 

『儂は義務も使命も背負ってはおらぬ。必要だと思ったことを為すのみじゃ』

「意外、と思う者もいるでしょうね」

『馬鹿げた考えよ。"そう"したいのであれば、永遠の虚の縁にでも住むのが最善じゃろうて』

 

 だが、と汁外衛は続ける。

 

『それを選んだ上で、俗世の混沌まで面倒を見ようとする大馬鹿者もおる。貴様への結論は、あの若造に任せるとしよう』

 

 そう言った後、汁外衛は両開きの扉を開く。洋館の中からは濃密な魔力と殺気が溢れ出したが、二人は意に介することもなく歩みを進めた。

 客を招き入れた扉はひとりでに閉じられ、霧深き地には静寂のみが残った。

 

 




今回投稿分のルビ追加等は後日


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第七章 暴力の品格
第十九話


「ま、待ってくれ! 俺はあんたが絡んでるなんて知らなかったんだ!」

「おいおい、知らなかったで済む業界じゃないってこたぁ、わかってるよな?」

 

 とある裏カジノの支配人室。呼び出した客、もといカモを威圧するための悪趣味な調度品の並ぶそこで、コルネリウスは部屋の主にシュラハトシュベールトを突きつけていた。

 廊下からは彼に半殺しにされたチンピラ達の苦悶の声が絶えず響いており、この施設が擁していた戦力が既に無効化されたことは明確だ。部屋の主もそれがわかっているのだろう。顔中に汗を浮かべ、首元で揺らめく刃をなるべく見ないようにしつつ、コルネリウスに釈明を続ける。

 

「そ、それは勿論だ。だから詫び料はしっかりと払う! あの客の負け分もチャラでいい! な、十分だろ、手打ちしてくれ!」

「あそこの社長は何度か俺を雇っているし、彼の会社とうちの書店には継続的な取引関係もある。ガラルド、あんたの部下はその程度のことも報告してなかったのか?」

「あ、ああそうだ! これは不幸な行き違いだったんだ!」

 

 何かの機械かのように首を縦に振り続けるガラルド。彼は負けた客から執拗かつ暴力的な取り立てをすることで恐れられているが、この無様で必死な姿からはそのような悪名や貫禄は一切感じ取れない。

 

「……なるほど」

 

 それを見たコルネリウスは彼の首元にあった刃を下げる。ガラルドはひとまず危機は脱したと安堵したのか、椅子の背もたれに身を預けようとした――――負けの嵩んだ客を呼び付けた時、自らがどのような行いをするかを一切忘れて。

 

「そうだ、なら早速あの客の証文を――」

「知らなかった訳ねぇだろこのダボがぁぁぁぁ!!!!」

 

 ガラルドの眼前にあった木製の重厚な事務机。コルネリウスが斬り上げる形で振るった大剣はその三分の一程を切り飛ばし、延長線上にあった壁掛けの剥製を真っ二つにしただけでなく、壁にクレバスの如き深い割れ目を生み出した。

 

 破砕音と風圧を受け、立ち上がろうと中腰になった姿のまま動きを止めるガラルド。しかし刃の動きは目で追えていなかったのだろう。目線だけが恐る恐る横へと向けられ、何が起きたかを理解すると同時に腰が抜けたかのように椅子へと崩れ落ちる。

 

 あえて一度安心させたところに唐突な暴威を叩きつける。勇気、あるいは蛮勇を持たぬ者を脅しつけるのに有効な手法だ。ガラルドも普段やっているはずだが、種はわかっていても抗することは出来なかったらしい。今やおこりを得たかのように震えるのみだ。

 

「ひっ……か、金なら――」

「特別に教えてやるが、近頃お前と同じようなことをする連中が増えていてな」

 

 コルネリウスは怯えるガラルドの命乞いを無視して話を続ける。

 

「そいつらは俺や俺の会社ではなく、その周囲や、もう一つ外側にちょっかいをかける訳だ。でもって、ぶん殴られると決まってこう言う。俺に関係あるとは思っていなかった、と」

「ぐ、偶然だ! 悪意があった訳じゃない、信じてくれ!」

 

 返答はガラルドの口元に突き付けられる大剣であった。人差し指の代わりとしては無骨に過ぎるが、意図はしっかりと伝わったようで室内は静寂を取り戻す。

 

「で、だ。ガキの言い訳を延々と聞かされるだけでも業腹だってのに、俺を更に苛立たせることがある。そのボンクラ共が、揃いも揃ってガルガンビーノ一家の下部組織や、強く影響を受けている連中だってことだ。……言いたいことはわかるな?」

 

 青ざめるガラルドに見せつけるかのように、コルネリウスはゆっくりと大剣を振り上げ

 

「ストップ、ストーップ! シニョール、ちょっと待ってマジで!」

 

 振り下ろす直前でそれを止め、部屋の入口へと向き直る。声の主はコルネリウスを静止するかのように右手を伸ばす男だ。焦った顔にもどこか抜けた所を感じるそのイタリア人に対し、コルネリウスはため息をひとつ。

 

「トーニオ、だからお前は駄目なんだ。もう少し勉強しろ」

「なんすか突然!? いや、それよりも、そいつは殺さないって話でしたよね?」

 

 ボディランゲージまで用いて理不尽だとばかりに訴えかけるトーニオ。言うまでもなく、剣呑な場には相応しくない。コルネリウスは彼に近付き、一度小突いてから小声で話す。

 

「だから殺す気は無いんだよ。寸止めか、精々腕一本程度だ。抵抗する気概が無い奴への、最後のひと押しだ」

「あっ、なるほど!」

「……お前、なんのためにここにいるかわかってるか? 今のを止めて恩を売りつけ、奴をコミッションに付かせるなり、カジノの利権に食い込むなりするのがお前の役目だ」

「……そうなんすか?」

 

 初めて聞いたとばかりにキョトンとした顔をするトーニオ。

 コルネリウスは襲撃の直前、ガラルドは生け捕りにするので好きにしろ、と伝えた時のトーニオの様子を思い出す。彼は『了解っす!』と大きく頷いていたが、どうもその姿に騙されたようだ。

 

「そうなんだよ。それがどうして『ちょっと待って』からの、本人の目の前で種明かしになる」

「いやー……てっきり拷問でもしろってことかと」

 

 それを聞いたコルネリウスは彼をもう一度小突こうとしたが、詳しい説明を怠った自身のミスだと思い直し手を止める。

 

 今回の襲撃は、近頃コルネリウスの周囲を標的として行われている有形無形の攻撃に対する報復だ。そしてガラルドについての情報提供を行ったのが、トーニオの属する在HLマフィア・コミッションである。

 ガラルドはコミッションにとっても商売敵であった。そこで共同襲撃と相成った訳であるが、それをただ殺すだけでなくコミッション、そしてトーニオの利に繋げようとしたのはコルネリウスのちょっとした感謝の気持ちであり、独断でもある。しかしこの業界において新しい金蔓というものは、余程の火薬庫でもない限り喜ばれるもの。問題は無いだろう。

 

 だが上に言われた通りにただのカチコミだと考えていたチンピラ、もといトーニオにその手の機転を期待するのは酷であったようだ。コルネリウスとしては、非合法組織で出世を目指すなら自分から言い出すぐらいであれと思うが。

 

「まぁいい。どの道、奴はあんな調子だ。お前が多少情けない姿を見せたところで、目の前の蜘蛛の糸を逃すこともあるまいよ。ほら行け」

「うっす! あー、でも男を口説くのって気が乗らないな……名前も兄貴と同じだし……」

 

 ぶつくさ言いながらガラルドの元へ向かうトーニオ。そのなんとも頼りない姿を眺めつつ、コルネリウスは手に持った大剣を振って血を払った後、手入れを始める。魔術的な強化が成されたそれには必要の無い行いであったが、癖であり、何かを考える時の手慰みでもあった。

 

 彼が考えるのは、ガルガンビーノ一家の現状について。かの一家は電子魔術書――という形で歪んで伝わったコルネリウスの『記憶』――から得られる力を求めたため、彼とは敵対関係にある。しかし、トーニオがHL入りした際に起きたゴタゴタにより、現在は多方面に抗争を抱える多忙な身だ。

 それらの敵対組織は戦争を吹っ掛けた大義名分こそ感情的なものだが、実際には下手を打った巨大組織をこの機に叩きたいという思いを共有している筈であった。少なくともコルネリウスはそう確信しており、事実彼が調べている限りでは、この状況であれば引き出せるであろう有利な手打ちやファニーウォーは行われていない。

 

 そのような状況にあっては、いかに裏社会の強豪として知られるガルガンビーノであっても余裕など無い。だというのにコルネリウスへの攻撃を始めた。その矛盾する事実が、彼の気掛かりとなっていた。

 

(……まぁ、考えて答えが出る訳でもないか)

 

 コルネリウスは頭に浮かんだ幾つかの推測を打ち消し、思考を止める。敵を知ることは重要だが、裏付けの無い推測だけを積み重ねても仕方がない。今必要なのは信頼出来る情報と、それを集めるための時間。幸いと言っていいのか、彼が現状で把握している敵はガラルドで打ち止めであった。

 

 部屋に電話のベルが鳴り響いたのは、コルネリウスがこの後に向かう情報屋を考え始めた直後であった。

 

 聞き慣れているはずの電子音にすら驚き、怯えたように肩を震わせたガラルドは、目線だけでトーニオに伺いを立てる。それを受けてトーニオは一瞬考える素振りを見せたが、黙って頷き、受話器を指し示した。電話相手がどこの誰であろうと、既に王手をかけた状態が電話一本で覆ることもないと判断したのだ。

 一度深呼吸をしてから受話器を取ったガラルドは、まだ少し震える声で話し始める。それからの彼は、まさに百面相と呼ぶに相応しいものであった。

 最初は緊張感から僅かに蒼かった顔色。それが電話相手から希望でも齎されたのか、すぐに血色を取り戻したかと思えば、直後に眉を大きく歪める。声と表情には次第に怒りが滲み、終いには額に青筋を浮かべて怒鳴り散らすに至ったところでトーニオが待ったをかけた。

 

「あー……シニョール・ガラルド。一応、こういう状況だから、ね?」

 

 その声に現状を思い出したのか、ガラルドは慌てて声を抑える。そして暫し通話を続けた後、堪えきれなかったようにもう一度怒鳴ってから、受話器を何故かコルネリウスへと差し出した。コルネリウスはそれを見て顔をしかめたが、結局は受け取って耳に当てる。

 

「……もしもし」

 

 彼が聞いていた限りでは、電話の相手はガルガンビーノ一家の構成員だ。

 

『お前がコルネリウスか。始めまして、だなァ』

 

 おそらくは若い、男の声。この状況には似つかわしくないやけに陽気なものだが、コルネリウスはその原因が酒気から来るものだと判断し、思わず電話を切りそうになった。

 なにせ受話器からはグラス同士をぶつけ合う音や、陽気な音楽、そして女達の歓声と注文を強請る声が漏れ聞こえて来るのだ。どこぞの店で遊んでいる最中なのだろう。

 

「こちらこそ。どうやらガルガンビーノの一員のようだが、名前を聞いても――」

『ああん? 名乗る気はねェよ。必要無いからなァ』

「そうか。で、用件は?」

 

 先を促すコルネリウスの右手には、血を纏わせたシュラハトシュベールトが握られている。相手の非礼に腹を立てた訳ではない。これから何が起きるか、薄々察しているからだ。

 

『てめぇがガルモスの頭でっかちとイタリアのボケ共を棺桶に放り込んだせいで、俺達は随分と手間かけさせられてんだよ。まぁ、身の程を知らねェ連中は遠からず俺が叩き潰してやるが……』

 

 なにせ電話の相手はコルネリウスの素性を知っており、下部組織の人間を守る素振りも見せず、タイミングよく襲撃に合わせて連絡を取って来た。おそらくはガラルド達をコルネリウスにけしかけたのも、この男やその周囲だろう。反撃されることも、織り込み済みであったに違いない。

 

 ――――要するに、ガラルドは撒き餌だったのだ。本人には、知らせていないのだろうが。

 

『その前に、俺達の面子を潰したてめぇをぶっ殺しておかねェとなぁ! あぁ、そんなちっぽけなカジノでもお前如き三下の墓標にゃ豪華過ぎるだろうが、釣りはいらねぇぜ?』

 

 笑い声と共に通話が切られた直後、轟音と強い振動が支配人室を揺さぶった。

 

 

 

 

 

 

 

「それで、あの大爆発ですか。お疲れ様です」

「どうも。生体自爆兵器なんて久々に見ましたが、あんな骨董品どこでかき集めてきたんだか。それとも在庫一掃セールですかね?」

 

 置かれている椅子や机はそれなりのものだが、どうにも狭さが目立つ応接室。部屋同士を区切る仮設の壁には窓と、一部が歪んでいるせいで用をなさないブラインドが設けられており、その向こうには先程コルネリウスも通ってきたオフィスが見える。その隣室に無機質な机が所狭しと並ぶ有様を見る限り、これでも相当無理して用意されたスペースであることが伺えた。

 そうまでしてでも応接室を設ける精神に感心すると共に、窮屈な労働環境に同情もしつつ、コルネリウスは机を挟んで眼前に座るビジネススーツ姿の男から受け取った資料に目を通す。

 

「確かに型落ちであり、メンテナンスも面倒です。しかし操作は単純、効果も十分。メンテナンスにしても寝かせずに使ってしまえば不要ですから、根強いヒット商品ですよ」

「それは"外"での話でしょう。今じゃ家庭用防犯システムに完封されるような兵器、HLで使っていたら経営不振を疑われますよ」

「まぁ、だからこそ監視の目が緩く"外"に持ち出しやすいので……」

 

 コルネリウスは雑談を挟みつつ、資料を読み終える。机や椅子に始まり、コピー機から文房具まであらゆるオフィス用品の品名、個数、値段。購入するにあたって必要な情報が全て揃ったそれはレイアウトも工夫されており読みやすく、HLでは珍しい非常に丁寧な仕事であった。

 

「拝見しました。いや、いつもながら良い仕事で」

「ありがとうございます。安心・安全・正確・確実が弊社のモットーですから」

 

 かっちりとスーツを着込み、短い黒髪を七三分けにした黒縁眼鏡の日本人という、いかにもなビジネスマンスタイルの男は控えめな笑顔を見せた。そうしてから、僅かに眉尻を下げつつ別の資料を取り出す。

 

「それで、ですね。新たな事業所を開設するのでしたらこちらの方も……」

「……お気持ちはわかりますが、そちらは個人営業窟で賄う予定ですので」

 

 内容を見もせずにすげなく断るコルネリウスだが、それも故あってのことだ。なにせ彼が持っているその資料は、コルネリウスの経験上間違いなく、銃器を始めとする各種兵器のカタログである。つまり眼前の東洋人は、真面目かつ人の良さそうなビジネスマンであると同時に、死の商人なのだ。

 

「そこをなんとか……いえ、勿論、コルバッハさんの会社にはオーダーメイドや、珍しいものを使う方が多いことは承知しております。しかし近頃始められた廃棄・放置車両関連の事業にはそうではない方も多く携わっているというではないですか」

「確かに、そこは否定しませんが」

「でしょう、そうでしょう。HLにおいて日々の備えは必須です。ましてや今のように、他所とトラブルを抱える状況では尚更。ですが新しく入社、あるいは提携なされた方々では、貴方とは備品に対する意識に差があるやもしれません。我々に任せていただければ確かな品質の商品を入荷から定期メンテナンス、有事の保険まで――」

 

 熱の篭ったセールストークを続ける男が所属するこの会社は、表向きにはオフィス用品を取り扱うまともな会社であるが、同時にHLの裏社会で大きなシェアを有する軍需企業兼武装組織『MS-1313』の支部だ。HLには同組織の支部が多数あり、それぞれ別の表の顔を持っている。

 その実、と言われないのは、彼等は表の仕事にも――それこそ大多数の一般企業より――真摯に取り組んでいるからである。それもそのはず、元はと言えば彼等は堅気だったのだ。

 

「ご購入量に応じて護身用銃器の取扱講習会も一月分無料でして――」

 

 HLを誕生させた三年前の『大崩落』は、その場にいた全てを分け隔てなく襲った。これにより最も大きな被害を被った層は、人数で言えば政府でもアウトローでもなく一般市民だ。

 成立直後のHLは今よりも治安が悪かったが、だからと言って全てを捨てて逃げ出せる者ばかりではない。致し方ない面もあるが、彼等に対する"外"の対応も十分なものではなく、特に財産の保証に関しては未だに大揉めしている状態。

 そのような状況下において、NYの支部と市場が潰れてしまった、では済まないひとつの商社がMS-1313の母体となった。HL誕生当初、"外"との取引がまともに行なえなくなったせいで潰れかけたとある会社。それを救ったのが、組織名の由来ともなった銃器――正確にはそれらに用いられた画期的な新部品を指す、少々皮肉交じりな規格番号――である。

 

「今ならスタンプ二倍。しかも洗剤まで付いて――」

 

 今も現役のカリスマ社長が同様の境遇にあった幾つかの会社や技術力のある個人経営店、ついでに傭兵やらなんやらを束ね、その力で作られた銃器は手頃な価格で頑丈・長持ち・それなりの性能と初期HL裏社会において大好評。

 以来同組織は軍需産業を裏の看板とし躍進したが、元々の気質なのか表の商売も軽んじることはなかった。HLの複雑な外交事情を利用した彼等はうまいこと表と裏の商売を法的に切り離し、正当な市場競争にも励む奇妙な組織と化したのである。

 

 彼等は表の商売への悪影響を嫌うため、他組織のように縄張りを主張したり、自分達から抗争を起こすことが殆ど無い。HL広しと言えど、HLPD(警察)よりHLIRS(税務署)と激しくやり合っている武装組織はここぐらいのものであろう。もっとも、彼等が一軍需企業ではなく反社会的勢力として名が売れている事実を忘れた者には、それなりの結末が待っているのだが。

 

「――ですので、どうぞこの機会にご契約をですね」

「……正直に言えば、選択肢のひとつではありました」

 

 セールストークが一段落したところを見計らい、コルネリウスは口を開く。

 

「ですがこの時期には、ちょっと。……例の中国製品の件で、騒がしいでしょう? 先日、うちにもHLPDの警部補がやって来て釘を刺されたばかりなんですよ」

「それは、その……はい。やはりそうでしたか。いやはや、困りましたねぇ……」

 

 コルネリウスの言葉に対し、男は片手で頭を掻きつつ浮かない表情を見せる。

 二人が思い浮かべているのは、最近HLの裏社会で話題になりつつある、とある事件だ。HLに中華製の旧式パワードスーツが大量に持ち込まれたとされる一件。その数、なんと千。

 

「人民華星三型……時代遅れとはいえ、安定性抜群のあれを千機。製造元とHL内の軍需企業の顔ぶれ、そして商品の製造時期を考慮すれば、各戦区との付き合いも深いうちに仲介の嫌疑がかかるのは仕方ないことではありますが」

「いい迷惑だと?」

 

 男は深く頷く。

 

「我々ならもっとうまくやります。しかも運び屋はジャガーノート・スミスときたものだ。彼を使っておきながらこれだけ早く噂になるようでは、査定に響きますよ。そも、かの国には直近の選挙における介入疑惑がかけられています。大規模とはいえ、いま右から左へ流すだけの仕事のためにそれだけのリスクを取るなど有り得ません」

「成程、心中お察しします。ですが――」

「今、我々と大口の契約でもしようものなら、経営上後ろ暗いところが無い会社にとっては面倒なことになる……と」

 

 男はため息をつき、手に持っていた兵器カタログを茶封筒へとしまう。

 

「取引先にご迷惑をおかけするのは我々の望むところではありません。今回は諦めます……が、もう一度だけチャンスを頂けませんでしょうか」

「と、いうと?」

「新規事業所の備品について、仕入先を決めるのを待って頂きたいのです。勿論、弊社を選ぶことは条件に入っておりません」

 

 身を乗り出しての言葉に対し、コルネリウスは頭の中で損得の勘定を行う。ガルガンビーノ一家との関係を考慮すれば装備の充実は急務であるが、既存の人員と装備を効果的に用いれば多少先延ばしにすることも可能であった。

 

「対価次第、ですかね。長く待てるものでもありませんし」

「承知しております。では……我々から差し出せるのは、ガルガンビーノ一家において貴方への攻撃を指揮している者の、主要な拠点を含めた各種情報となります。如何でしょうか。悪い話では、ないと思うのですが」

 

 

 

 

 

 

 

「保留になさったのですか? 費用対効果は良好かと……」

 

 ビルの外まで響く金槌やドリルによる内装工事の音。二足歩行の蟷螂に似た異界存在、コルネリウスの部下であるカルベストは、その音に負けぬよう少々大きめの声で話す。

 場所はHLの中心たる『永遠の虚』に程近い、サウスリム地区の一角。コルネリウスが興した廃車関連の事業が利益率こそ低いものの好調であるため、新しく設けられることになった事業所の工事現場である。

 同地区は近頃、某13王によって起こされた災害で大きな被害を受けた。人通りは少なく、立ち並ぶビルには契約上の、あるいは物理的な空きが目立っており割安だ。

 

「タダより高いものはない……なんて根拠の無い考えじゃあないぞ。MS―1313は確かに十分な武力を持つが、本質的には真っ当な市場競争力と裏社会における中立性によって勢力を拡大してきた組織だ。目先の契約ひとつのために、ガルガンビーノの情報を売るとは思えん」

 

 コルネリウスの慎重論に対し、カルベストは前脚の先にある手で持つ携帯端末のタッチパネルを操作しながら考える素振りを見せる。節のある前脚の構造上、手と眼の距離は人間に比べて随分と離れているのだが、全く苦にしていない。本人曰く、距離よりも液晶に貼る覗き見防止シートが度々自身に効果を発揮する方が深刻であるらしい。

 

「それは私とて把握しております。近頃噂されている、ガルガンビーノ一家が兵器の仕入先をMSから切り替えようとしている件が関係しているのやもしれません。ですが裏事情を考慮しても、彼等から齎される情報の有用性は変わらないでしょう。罠ということであれば、また別ですが……」

「そこまで愚かな連中ではないさ。十中八九、情報は役立つだろう……が」

 

 コルネリウスはダガーを用いて缶詰を開けつつ、眉を顰める。

 

「他に懸念が?」

「何も考えずにそれを利用すれば、損をする気がする。いや、きっとする。少なくとも、今はまだMSにとってのガルガンビーノは取引先だからな。それを切る程の何かがある筈だ」

 

 カルベストはため息ひとつ。

 

「……多少踊らされても、望む結果が得られるなら良いではないですか」

「なんだ。金勘定には煩いくせに、こういう時だけ」

「費用対効果、ですよ」

 

 側近のそっけない返答に不満げなコルネリウスをよそに、カルベストは携帯端末にたった今届いたメールを開き、手早く内容を確認して頭を上げる。

 

「コミッション経由で裏付けが取れました。此度の一件で我々に対しての攻撃を指揮しているのは、ガルガンビーノ一家幹部の"鉄人"メイナードで間違いありません。例のカジノで貴方に電話をかけてきたもの、彼でしょう」

「メイナード? ああ、"機械公"に対抗意識燃やしてるってあれか。確かに荒事で名を売ってきた奴だが……シマは随分と遠くなかったか」

 

 コルネリウスが記憶するところによれば、件の人物が縄張りとするのはHLの北部、それもかなり北端寄りだ。自身の経済基盤を放って遠出するというのは、無いとは言えないが珍しい。特に、得たばかりでもない支配域での暴力沙汰がやけに多い、スマートな経営が出来ない輩には。

 

「我々への……貴方への報復が一家の総意とすれば不思議でもないでしょう」

「それならもっと名が売れた奴が出てくる。メイナードなんてのは所詮、敵陣に放り込むぐらいしか使い所の無いチンピラの親玉だからな。対立したばかりの頃ならともかく、今になって送り込まれてくる人材とは思えん」

 

 独断の可能性もある、とコルネリウスは続けた。ガルガンビーノ一家はかつて彼が関わった一件により、ガルモスという名の幹部を失っている。そのガルモスのシマは未だ一家の勢力圏に留まっているものの、正式な管理者は不在のままだ。コルネリウスを討つことによって、宙に浮かんだままのそれを継承する大義名分を得ようとした可能性は十分にある。

 

「成程。二の矢、三の矢への油断は出来ませんが、ありそうな話ですね」

 

 ただ、とカルベストは続ける。

 

「そうだとしても"鉄人"への対処は必要です。残念ながら情報屋も、協力してくれているコミッションも所在地を割り出すまでには至ってません。手数が多いのは敵の方である以上、長引かせるのは得策とは思えませんし、やはりMSの力を借りるべきでは」

「網はもう設置してある。そのうち引っかかるだろうから、時間に関しては……っと」

 

 コルネリウスは言葉を切り、手に持つ開き終わった缶詰の中に一枚の紙片を入れる。複雑な文様の描かれたそれは中身と反応するかのように淡く発光し、缶を包み込む。僅かな後、缶の中から数十匹の虫が飛び立った。

 

 僅かな滞空の後に地へと降り立つと、カサカサと素早い動きで内装工事中のビルや、その周囲へと潜り込み姿を消した黒光りする使い魔達。カルベストはそれと空になった缶詰を交互に見て呟く。

 

「残念です。もし余っていたら、頂こうかと思っていたのですが」

「お前達のお陰で昆虫食は値上がりする一方だよ。コックローチの缶詰が三年前の三倍値、生に至っちゃ五倍で呪術師共が悲鳴を上げてるぞ」

「"こっち"のは毒らしい毒も無い上に安くて美味しいんですから、仕方ないじゃないですか」

「確かに種族間のギャップを考慮しなければ、それは至極真っ当な思考なんだが……」

 

 異文化コミュニケーションを試みる二人の会話を打ち切らせたのは、工事音に負けぬ音量で響き渡る携帯の着信音であった。コルネリウスは自身のそれを取り出し、表示された非通知の表示を見て顔を顰めつつも通話ボタンを押す。聞こえてきたのは、聞き覚えのある若い男の声。

 

『よぉ、この前はうまく逃げおおせたようじゃねェか』

「あんなポンコツが相手ならな。台所事情でも苦しいのか、メイナード?」

 

 名を呼ばれた相手は軽く舌打ちをする。

 

『名前がわかった程度で調子に乗るなよ。あの一帯を焦土にするなんざ安いもんだ。なにせ俺のシマは再開発計画が進んでいるからな、金なんざいくらでも湧いてくる』

「そうか。で、お財布自慢をしたかった訳じゃあるまい。用件は何だ」

『……その余裕、てめぇの眼の前で新しい城が月まで吹っ飛んでも続くか見ものだな。蝿のようにうるせぇコミッションの連中共々、一文無しにしてからぶっ殺してやる』

 

 通話が荒々しく切られると同時、コルネリウスが放った使い魔達が次々と異常を伝える信号を発した。彼は即座に使い魔達の視界を共有し、異常の原因を確認する。

 まるで監視カメラの管理室のように、彼の視界に並ぶ幾つもの景色。その全てに共通するものは、凄まじい速度で工事中のビルへと向かってくる、幾台ものトラックであった。ひとつの例外もなく無人のそれらは、まるでブレーキをかける気配が無い。建造物の破壊が目的なのは明白であった。

 

 迫る驚異に対し、コルネリウスは慌てることなく使い魔へと指示を出す。内容はごく簡素なもの。トラックに近づいて自爆、それだけだ。

 僅かな後、次々と響き渡る轟音。単なる車両爆発と思えぬ音からして、火薬でも積んであったのだろう。ビルへと向かう反応が無くなったところで、コルネリウスは満足気に携帯を上着の内へと仕舞う。

 

「メイナードは何と?」

「構ってくれってだけだ。とりあえず、ここら一帯に魔術的な防護でも仕掛けて――」

 

 余裕たっぷりな彼の言葉を遮ったのは、ビルから我先にと逃げ出してきた作業員達の悲鳴だ。二人がそちらを向いた直後、閃光を伴う轟音と共に事業所予定地は瓦礫の山と化した。

 コルネリウスは無言で、残った数少ない使い魔に命じ、混乱に紛れ逃げようとしていた不審な作業員数人を捕縛しつつカルベストへと向き直る。

 

「保険は?」

「えっ? あ、はい。ご安心下さい、適用されます」

「よし、MSに連絡を取れ」

「……後悔は焦りよりも役に立たない、と言いますが、あえて言わせて頂きます。やはり最初からこうすればよかったのでは」

「黙らっしゃい。……愚連隊上がりの小僧め、嫌がらせと暴力の違いを教え込んでやる」

 

 



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第二十話

 まだ昼間だというのに、酒や薬を片手に浮かれる人々で溢れる歓楽街。眼前に広がる欲望の園に夢中な群衆は、他所に注意を払うことなど考えもしない。故に、薄汚い路地裏の虚空に突如扉が現れたとしても、気付く者は皆無であった。

 

 普段は収納用の『門』として使っている空間連結術式。その本来の用途で長距離移動を果たしたコルネリウスは、一度だけ周囲を見回した後に表通りへと歩き出す。

 路地裏と表通りの境には、獲物を品定めするストリートギャングがたむろっている。生き死にに関する勘が鈍い彼等は当然のようにコルネリウスに通行料を要求し、人数分きっかりの拳を頂いて意識を刈り取られたが、当のコルネリウスは考え事の真っ最中で半ば無意識の行動であった。

 

 彼の考えることはひとつ。メイナードは何故コルネリウスの行動を把握しているのか、だ。

 コルネリウスは姿を隠して生きている訳ではないので、ある程度の追跡は可能だろう。しかし継続的な監視となれば話は別だ。彼は自身の正体を隠すために日頃から様々な対策を講じており、どこかで監視の目に気付く筈なのだ。過信ではなく、マフィアの一幹部程度に易々とそれが成されるようであれば、彼は悪意を持つ者の密告でとうに牙狩りの滅殺対象になっているだろう。

 

 彼が今回の報復に『門』を使ったのはそれを懸念してのことである。メイナードはコルネリウスが把握していない何かを用いて、彼の行動を先読み、又は知り得ているのだ。

 もっとも彼がそれを早々に確信出来たのは、当のメイナードの短気と無思慮によるお陰だ。そして様々な技術が氾濫するこの街であっても、相手の格を考慮すれば選択肢を狭めることは可能である。この分であれば解が得られるのもそう遠くない、と彼は考えていた。

 

 歩みを止めぬまま思索を続けるコルネリウス。そんな彼を現実に引き戻したのは、二度三度と鳴らされた車のクラクションと、聞き覚えのある陽気な声であった。

 

「やーやー、遅れてすみません! これでも女の子からの誘いを袖にして来たんで許して下さいよ。ねっ?」

 

 黒塗りの車の窓から身を乗り出し、手を振るトーニオ。コルネリウスはそれを一瞥すると、無言で歩みを再開した。

 

「ちょっ、シニョール! 無視しないでくださいよ!」

 

 車を降りて追いかけてきたトーニオに対し、コルネリウスはため息と共に振り返る。

 

「……おいトーニオ、お前なんでここにいる」

「なんでって、そりゃカチコミの援護に」

「いらん。戦力は足りてるし、短期間に何度もコミッションと行動を共にしてたらHLPDが煩いだろうが」

「あー、そういえば表向きカタギでしたっけ。でも兄貴に頼み込んで代わってもらった役目だし、もう皆揃っちゃってるからなぁ……」

 

 額に手を当てて悩むトーニオの背後。風景に溶け込んでこそいるが、見る者が見れば一目瞭然の物騒な気配を纏う男達がひとつの方向に向けて移動を続けている。コルネリウスが知っている顔もいくらか混じっているため、コミッションの構成員であることは間違いない。

 

 ちなみにトーニオは彼等と違い、どう贔屓目に見ても隠密性の無い白スーツ姿であった。言動も含めて色々と台無しだが、仲間がそれを掣肘しないあたり黙認されているのだろう。それどころか、幹部クラスの人材が見当たらないことや、トーニオに対する近頃のコミッションの態度も考慮すれば、あるいはトーニオこそが指揮官かもしれない。

 コルネリウスはそうだとすれば世も末だと思ったが、同時にトーニオの晴れ舞台でもあると考え、これ以上小言を言うのはやめにした。

 

「……ここまで来て帰れとは言わん。が、下手打っても助けんぞ」

「そりゃあ勿論。美女の待つベッドに帰るまでが戦争っすからね!」

 

 革製のアタッシュケースを片手に決めポーズらしきものを取るトーニオ。コルネリウスはそれについて何か言及することはなく、親指を用いたジェスチャーで歩みを促す。

 

「ああ、そうだ。俺の行き先を教えたのはカルベストか?」

「そっすね。でも直接聞いた訳じゃなくて、偶然みたいなものですよ。メイナードの部下がシマで怪しい動きをしてたから、何か企んでるんじゃないかって兄貴が連絡したんです。そうしたら、それはシニョーレへの罠に違いない! って慌てて救援要請されたそうで」

「……まぁ、あいつは文人だから仕方ないか」

 

 二人の行く先には、この一帯でも有数の大型カジノがそびえ立っている。無数の電飾により煌々と照らされたカジノは、街を包む薄い霧と、それを越えて差し込む陽の光すら霞ませる程。だがその威容に反し、入り口の周囲には不自然な程に人影が無い。

 

「景気悪いんすかね。……ん? なになに、本日貸し切り……スゲェ! 俺もこんなでかいカジノを貸し切れる男になりたいっすよ!」

「まずはこれが待ち伏せだと気付けるようになるところからだな」

 

 

 

 

 

 

 

 守る側が戦場を選べる戦というものは、一般的には防御側が圧倒的な優位に立つ。それが要塞化された拠点ともなれば、尚更である。

 

「入り口付近にゃ何も仕掛けられてないと思ったら……中はすげえ有様ですね。機関銃のバーゲンセールみたいだ」

「店の外に騒ぎを知らせたくないんだろうな。舐められてるとも言えるが」

 

 受付も兼ねた二層吹き抜けのラウンジを抜けた先、旧式のスロットから電子化されたカードゲームの機体まで、賭博のためのありとあらゆる品が集う一般客用の大部屋。コルネリウスと、トーニオを始めとするコミッションの正面突入部隊は、顔を出せないどころか隠れ場所すら細切れになるような鉛の雨に足を止められていた。

 

「あー、そういう。腹立ますね。俺行きましょうか」

「いや、いい。後から適当に付いてこい」

「へ? でも今『昼』っすけど……あいたっ」

 

 コルネリウスは迂闊なことを口走ったトーニオを小突いた後、上着の内に形成した『門』を用いてワイヤロープを取り出す。コルネリウスが触れた部分から急速に血で覆われていくそれは、先端に血で作られた返し付きの鏃を備えるに至った。

 

「魔術弾頭でもないただの弾幕だぞ。この程度で立ち往生する訳があるか」

 

 まるで重さを感じさせない動きで放たれたロープだが、着弾点たる電子化されたゲームテーブルに突き刺さるとトラックでも衝突したかのような衝撃と音を周囲に撒き散らす。銃器を扱う手こそ止めなかったが、音の出処に気を取られるガルガンビーノの構成員達。

 そこで彼等が見たものは、瞬く間に血で覆われた六人掛けのゲームテーブルが固定用の金具を引き剥がしつつ、数百キロはあろうかというその身を宙に浮かせる姿であった。不可解な光景を前に絶句する彼等をよそに、それはエンジンでも付いているかのような勢いで移動を始める。行き先など、言うまでもない。

 

「すげー……人間ゴルフみたいだ」

「感覚的には犬の散歩だけどな」

 

 コルネリウスは腕に巻き付けたロープを介してゲームテーブルを操りつつ、『門』からシュラハトシュベールトを取り出す。そのまま部屋へと踏み込み、手当たり次第に敵を斬り倒していった。

 宙に浮かぶ鉄の塊は必死に放たれる弾丸を嘲笑うかのように易々と弾き、お返しとばかりにガルガンビーノの構成員達を薙ぎ倒している。既に混乱の極みにあった彼等に、コルネリウスへの組織的な対応など出来る訳がない。時たま応戦する者もいるが、放った弾丸が血を纏ったコートを貫くことすら出来ず、顔を引き攣らせた直後に首と胴が泣き別れするだけだ。

 

 ガルガンビーノの構成員達は事ここに至り、ようやく絶望的な彼我の戦力差に気付いた。部屋の奥に陣取っていたため比較的被害の少ない面々が撤退を呼びかけ、廊下へと続く扉へ我先にと飛び込んでいく。

 もっともそれは随分と身勝手なものであり、コルネリウスやコミッション構成員と直接対峙していた構成員達はそうもいかない。命綱とも言えた後衛が消えたせいで状況は悪化し、逃げようにも逃げられない者と、それでもどうにかして逃走しようとする者とに二分されてしまう。前者は当然のように玉砕し、後者の殆どは背を向けたところを鴨撃ちにされる。極少数は扉まで辿り着いたが、それもコルネリウスが使い終わったゲームテーブルをロープから解き放った結果、破砕された扉ごと廊下の壁の染みと化した。

 

 静けさを取り戻した部屋の中、コルネリウスは落ちていたカジノのパンフレットを拾い上げ、建物の構造を確認する。

 

「案内板にもあったが、上層に行く程レートの高い部屋がある構造だな。総支配人室は最上階か」

 

 レートの違う客同士がなるべく顔を合わせないようにするためか、上層に繋がる移動手段は先程抜けてきたラウンジにのみ設置されているらしい。スタッフも上層と下層で分かれており、下層のスタッフ用エレベーターでは上層に行けないとの注意書きが書かれている。

 

 トーニオもコルネリウスの持つパンフレットを横から覗き込む。

 

「ホテルを併設してない以外はよくあるタイプっすね。それが何か?」

「上に行くにはここを通る必要は無いし、奥にも下層用のスタッフルームや厨房がある程度だ。メイナードが最上階にいると仮定した場合、ここを守る意味が薄い」

「単に支配人室以外にいるとかじゃないんすか? 待ち伏せされてたし、警備室やシェルターにいるとか」

 

 ある意味当然のトーニオの返答に対し、コルネリウスは手に持った大剣を手元で回して肩に担ぎつつ言う。

 

「かもな。だが逃走用の経路や金庫室のような、隠したい何かがあるかもしれん。コミッションに下の掃除を頼んでいいか」

「いいっすけど……俺としてはこっちのが当たる確率高いと思いますよ? もしメイナードの野郎を見つけたら、俺達で始末することになっちゃいますが」

「構わん。鬱陶しくはあっても、拘るような首じゃあない。それに――」

 

 コルネリウスはラウンジまで付いてきたトーニオに手で別れを告げ、電源の切られたエレベーターを通り過ぎ、上層へと続く階段を登り始める。

 

「それに?」

「あの手の輩は高い所が好きだと相場が決まっているもんだ」

 

 二階から階段の踊り場を狙っていた敵の銃撃を血を纏わせた左腕でぞんざいに払いつつ、コルネリウスは大剣を構えて駆け出した。

 

 

 

 

 

 

 

 ロケットランチャーが発射される寸前、飛来した短剣が弾頭へと突き刺さる。小さな火花が散った直後に起きた大爆発は、最上階への階段を塞ぐように設けられた即席らしきバリケードと、その裏に隠れていたガルガンビーノ構成員達を吹き飛ばした。

 運良く生き延びた者が四肢を引き摺りつつ逃げ出す中、傷一つ無い短剣を回収したコルネリウスは火の付いた机の残骸を蹴飛ばし、最上階へと踏み入る。その目は廊下の隅や、部屋の中で震える者には向けられていない。血で覆ったカジノチップを指で弾き、大口径の弾丸並みの威力を持つそれで抵抗する者のみを排除しつつ、悠々と歩みを進めていく。

 

 既にカジノ内のガルガンビーノ構成員達の士気は崩壊していた。コルネリウスが見る限りでは、当初出し渋っていたらしき爆発物がまるで通用しなかったことが決め手になったらしい。もっとも彼からすれば、敵の用いる兵器はその殆どが型落ち品なので当然の結果だ。

 "外"ならばともかく、HLでは粗悪品扱いすらされかねない武器の数々。ガルガンビーノ一家の規模からすれば相応しくないし、同組織の兵器調達において大きなシェアを占めるMS―1313ではこのような兵器は中古扱いの更に下、ジャンク品の分類となる。

 

 コルネリウスは敵が自称する羽振りの良さと装備の充実度の差に若干の疑問を抱いたが、破砕音と何かが潰れる音が彼の思考を中断させた。音の出処は彼の眼前にある角を曲がった先。地図が正しければ総支配人室のある場所からだ。

 距離がある訳でもなし、コルネリウスはものの数秒で目的地へと辿り着く。そこには総支配人室のものだったであろう砕けた扉と、腹部に大穴を空けたガルガンビーノの構成員が壁に張り付くようにして死んでいた。おそらくは部屋の中から飛んできて、扉ごと壁に叩きつけられたのだろう。

 状況を察したコルネリウスは大剣を肩に担ぎ直し、部屋の内へと歩を進めつつ、呆れを隠さぬ声音で部屋の主へと呼びかける。

 

「あれだけ大見得を切っておいて、上手くいかなけりゃ部下に八つ当たりか。マフィアの幹部ってのは気楽な仕事だな」

「……使えねぇ道具を捨てただけの話だ。茶化される謂れはねぇ」

 

 それに応えたのは部屋の奥、実用性よりも見栄えを重視した執務机に両足を乗せた若い男だ。苛立ちを隠さぬその声はコルネリウスが先程聞いたばかりのものであり、彼がメイナードであることを示していた。

 

「であれば、部下よりも先に武器か、あるいは自分の脳味噌を換えるべきだったな。あんなガラクタが通用するのはチンピラか、抵抗する力が無い相手だけ。日頃の仕事振りが伺えるってもんだ」

「んなこたぁてめえに言われずともわかってる!!」

 

 激高し、持ち上げた両足で机を叩き割った勢いで立ち上がるメイナード。筋肉質な長身を怒りに震わせつつ、コルネリウスへと向けて歩き出す。

 

「……どいつもこいつも、俺を苛立たせることしかしねぇ。目障りなASが消えたかと思えばアグニが市場を荒らす。頭でっかちな化物が三下に殺されただけで一家は舐められる。幹部会じゃ弱虫共が足を引っ張りやがる」

 

 まるで怒りに呼応するかのように、その足音は大きく、重くなっていく。だがそれはメイナードの発する殺意が生んだ錯覚などではなく、厳然たる事実だ。故に、変化には理由が存在した。

 日に焼けてはいるが白人のそれであったメイナードの肌が、鈍色に変わっていくのだ。そして変色が終わったであろう部分から順に、内から押し上げられるようにして、服を破りつつ角ばった形へと変貌する。

 

「役立たず共は金だけ出してりゃいいものを、口だけでなくゴミまで押し付けて来る。連中の寄越した犬も肝心な時には訳に立たねぇ。そこで死んでるアホ共もだ。ああ、何もかもが腹立たしいッ!」

 

 一歩進む毎にメイナードの輪郭は人間のものから二足歩行するだけの何かへと変わっていく。コルネリウスの前で立ち止まった時には、体格は二回り以上大きくなり、部屋の天井にまで達しそうな程になっていた。

 

「だがなァ、ここはHLだ。過程でどれだけ躓こうと、最後にゃ力がものを言う街だ。つまり――」

 巨大で、力強く、禍々しい。鉄鉱石を乱雑に繋ぎ合わせて作った、岩の怪物の如き姿――まさに"鉄人"。

 

「ここでてめぇをミンチにすりゃあ、俺の勝ちってことだ!!」」

 

 もはや拳ではなく岩石と表現すべき暴威。空を裂き、唸りをあげて襲いかかるそれを、コルネリウスは少ない歩数で危なげなく避けた。目標を捉えられなかったメイナードの拳が、豪奢な絨毯ごと床に大穴を空ける。のみならず、吹き飛ばされた破片が下層の床すらも破砕した。

 凄まじい破壊力であるが、コルネリウスはそれが単純な力技でないことに気付く。メイナードの拳が着弾した箇所、その壊れ方が綺麗過ぎるのだ。先の一瞬に僅かな魔力の流れを感じたこともあり、彼はメイナードの攻撃は魔術を併用したものだと結論付ける。つまり、力のみで受け止めようとすれば、手痛い被害を喰らうということだ。

 

「なるほど、脳まで筋肉で出来てる訳じゃあないか」

「さぁ死ね、死ね、死ねえッ!!」

 

 乏しい語彙と共に繰り出される猛打の嵐。室内はすぐにプレーリードッグの群生地もかくやといった惨状と化し、自然と戦いの場は室外へと移る。メイナードは建物は勿論、最上階の各所に隠れていた自身の部下すら気遣うようなことはない。上司に恵まれなかった哀れな構成員達が、自身の命よりも高価であろう調度品諸共に先祖の列に加わっていく。

 

 無論、コルネリウスとてそれを眺めているだけではない。振り下ろされる鉄の拳を避けつつ、機を見ては大剣による一撃を叩き込む。しかしメイナードの纏う鉄岩の鎧は、血と魔術で強化された斬撃をもってしても傷一つ付かない頑強さを誇っていた。

 

「無駄だ。未だかつて、俺の鎧に傷を付けた奴はいねェ! 圧倒的な破壊力と防御力……これこそが力って奴だ。身の程も知らねぇで格上に挑んだことを後悔しながら床の染みになりやがれッ!」

 

 鉄の巨人の進撃を阻むものは無く、じきにコルネリウスは壁際へと追い詰められる。そこは一面がガラス張りとなっているバーラウンジ。無数の光源により、霧の中にあっても尚明るい地上の風景を一望出来る特等席であった。

 この場に通じる二本の通路の片方は崩れており、もう片方にはメイナードが陣取っている。そして唯一残った通路の壁を、メイナードが見せつけるようにゆっくりと破壊し、塞ぐ。彼の目元は鎧によって隠れており、赤い光のようなものが覗くのみであるが、そこからは誰が見ても優越感や嗜虐的な色といったものが見て取れた。

 

 メイナードが嗤う。

 

「兎のように逃げ回るのもこれで終いだ。いつもなら時間をかけて解体してやるんだが……これでも忙しい身でな。てめぇの首で幹部会の腰抜け共に言うことを聞かせてやらなきゃならねぇ」

「………………」

 

 対するコルネリウスは無言。それを萎縮したと見たメイナードは小馬鹿にするように鼻で笑った後に、標的への歩みを始める。二人の距離はそう離れてはおらず、今のメイナードの歩幅であれば十歩にも満たない。

 

「じゃあな、三下。てめぇみたいな雑魚でもあの世で俺に殺されたと言やぁ、少しは箔が付くかもしれねぇぞ?」

 

 数秒の後にコルネリウスの眼前へと至った鉄の巨人はことさらにゆっくりと拳を振り上げ、鉄槌の如きそれをコルネリウスへと叩き込む。ラウンジに響く轟音。

 

「……んぁ?」

 

 鉄と、鉄がぶつかり合う音。

 

「な、何だとぉ!?」

「予想外のことがあっただけで動きが止まるってのが、お前の底だな」

 

 メイナードの破滅的な一撃。それを両手で支えた大剣で受け止めていたコルネリウスは、流れるような動きで剣を片手に持ち替え、メイナードを斬りつける。掬い上げるような一太刀はこれまで通りに重厚な鉄の鎧に阻まれる――ことはなく、濡れた紙を破るかのように易々と切り裂いた。それは鎧の奥に隠された生身にまで届き、鎧の脇腹から鮮血が溢れ出す。

 

「がっ……ああッ!?」

 

 たまらず後方へと飛び退るメイナード。コルネリウスはそれをゆっくりと、先程までのメイナードのように歩いて追いかける。

 

「無機物を取り込む力と操る力を応用し、攻撃を加速させる。着弾点のそれをも操り、更には魔術を併用することで効率的な破壊と、砲弾の如き瓦礫といった副次効果を生み出す」

 

 傷口を抑えていたメイナードはコルネリウスから離れるように後ずさったが、無意識に動いてしまったであろう自らの足に気付くと、逆に怒りの声を上げてコルネリウスへと飛びかかった。それは今までと遜色ない一撃であったが、コルネリウスは余裕の見える動きですれ違うように回避しつつ、再度大剣を叩き込む。先程の攻撃がまぐれでなかったことを証明するかのように、メイナードの鎧が切り裂かれ、大量の血が流れる。

 

「防御も同じような塩梅だな。元々の頑強さと魔術的な防護に加え、敵の攻撃に合わせて鎧の表面を操作することで衝撃を逃す。それでも受けきれずに付いた傷は、即座に修復することで無かったように見せかけ、相手に心理的なプレッシャーを与える」

 

 膝をついたメイナードへと振り返りつつ、コルネリウスは大剣に付いた血を払う。

 

「確かに工夫はしているが、種が割れればこんなもんだ。魔術の腕はお粗末なもので、打ち消すことは容易。独自の能力は修練不足で、効果も範囲も限定的。ただの剣ならともかく、魔術と血で覆われたこれならその場で幾らでも対策を練ることが出来る。切断力を上げてもよし、鎧の表面に合わせて刃の形を変えてもよし」

 

 メイナードが立ち上がり、振り返る。目元から覗く光は彼の怒りを表すかのように強くなっていたが、それとは裏腹に膝が震えており、息も荒い。自身の能力、あるいは普段相手をする敵の質のせいで傷を負わないことが当然となっていたであろう身には耐久力が欠けているのだろう。

 

 互いの位置が入れ替わったため、メイナードの背後はガラス張りの壁で退路は無い。傷付き追い詰められた、無様とも言える敵の姿を見て、コルネリウスはもうひと押しだなと嗤う。

 

「……成る程、上位互換の"機械公"を目の敵にする訳だ。あいつは人間の屑だが、自身の研鑽にかけてはお前より遥か先にいるからな」

 

 届く筈もない、血管の切れる音。コルネリウスは確かにそれを聞いた。

 

「殺――――や――ァァ!!」

 

 最早声ではなく音としか表せない絶叫と共に、メイナードが走り出す。その鎧、あるいは身体が急速に縮み、代わりに右腕が膨張していく。

 歪なまでに巨大となった鉄の巨腕は天井を突き破り、夜へと向けて濃くなりつつあった霧へと埋もれる。僅かな後、白の帳を引き裂いて再度現れたそれは、霧の中でも膨張を続けていたらしく、コルネリウスの視界を埋め尽くす程の質量となっていた。

 

 まるで天より飛来する隕石の如き暴威だが、それを放った当人は怒りで我を忘れており、防御どころか体勢すらも怪しい。コルネリウスであれば、回避し、致命的な一撃を叩き込むことなど造作もなかったであろう。

 しかしコルネリウスはそうはしなかった。彼が選んだのは単純であるが、困難かつ非効率な一手。敵の最大の攻撃に対し、正面から立ち向かうという暴挙。

 

 余人であれば止めるか、諌めるであろう。

 だが、もしそれを成せるのであれば、精神の面においてこれほど有効な手は無く――――コルネリウスは、無謀な賭けに挑む性格ではない。

 

 巨人の腕は真正面から縦に断ち切られ、分かたれた部分から制御を失って崩壊し散華する。降り注ぐ鈍色の雨の中、緋色の刃はなおも止まることなく突き進み、呆然とするメイナードを袈裟懸けに切り裂いた。

 

 



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第二十一話

 コルネリウスがワイヤロープで台車を引きつつ一階に戻ると、カジノ部分の更に奥、下層の管理室らしき部屋の前でコミッション構成員に囲まれたトーニオが何やら考え込んでいた。

 

「おう、どうした」

「あ、シニョール。こっちはハズレだったんですけど、メイナードはそっちに?」

「ああ、痛めつけてきた。捨て台詞吐いて窓から飛び降りたが、まだ生きてるだろうな」

 

 目標を逃したと言うコルネリウスの顔に悔やむ色は無い。それを見たトーニオは一瞬不思議そうな顔をしたが、コルネリウスが手に持つ大剣――そこから滴るメイナードのものであろう血――を見て納得したように頷いた。

 

「なーる、後は煮るなり焼くなりってやつですね」

「そういうことだ。で、こんなところで突っ立って何かあったのか」

「いやーそれが反応に困るもん見つけましてね。見て貰えばわかるでしょうけど……おっ、HLグリューナーの十年ものじゃないっすか」

「ん、ああ。帰り道に割れてなかったのを集めてきてな……おい、酒漁ってないで説明しろ」

 

 コルネリウスがトーニオを小突くと、台車に積まれた様々な高級酒入りの木箱に夢中であったトーニオは思い出したかのように立ち上がった。それでも彼が開いた箱の中では一番高級な酒をちゃっかりと確保しているあたり、コルネリウスは呆れと共に感心する。

 

 その酒瓶を小脇に抱えつつ、トーニオは幾人かの構成員に上層の家探しを命じてから、管理室の扉を開けた。

 

「下の連中を排除してから色々探してみたんすけど、この奥、の更に奥の狭い倉庫の床に隠し扉があったんですよ。専用の機械でも用意してなけりゃ、人型種族が開けるのは困難でしたけど」

「……少しは隠す努力をしろよ」

「やー、そこは上手くやったんで安心してくださいって。で、隠し金庫でもあるのかなぁとウキウキして突入したはいいんですが……」

 

 言いつつ、件の隠し扉から通じる階段を降りていくトーニオ。コルネリウスは無理矢理こじ開けられた扉を一瞥し、それがトーニオの言うように容易には開かないものであることを見て取った。おそらくはメイナードの無機物を操作する能力を前提とした扉であったのだろう。

 

 階段を降りた先は一本の通路で、その左右と突き当りに幾つかの部屋が設けられていた。壁はコンクリートの打ち放しなどではなく、錬成された頑丈な金属。そして照明もシーリングタイプかつ質の良いものであるあたり、この空間は後付けではなく、建築計画に当初から織り込まれたものだとコルネリウスは推測する。

 

 先導するトーニオは通路の左右に並ぶ部屋は無視して、突き当りの部屋まで歩いていく。

 

「横の部屋は偽札とか薬とか、わかりやすい禁制品置き場っすね。でも本命はあそこです」

「本命……ああ、ここだけ隠し扉なのか。壁も異様に厚いし、多少調べられても見つからん。いざという時のダミーまであるとは大した念の入れようだが、よく気付けたな」

「でしょう? ……いや、実を言うと扉、開いてたんすよね。ピエトロに言われて隠し部屋だって気付いた次第で」

「……まぁ、手柄であることにゃ変わりない。で、ここにあるのは――」

 

 眼前の光景に言葉を無くすコルネリウス。その隠し部屋は随分と広く、目測でも二人が通り過ぎたばかりのダミー部屋を全て合わせたものの数倍はあった。

 

 そして、その広大な空間を埋め尽くすかのような大量の兵器と弾薬。

 銃の割合が多いが、爆発物や防具から補助センサー類、果ては強化外骨格まで。陸上戦闘で用いられる兵器の大半が揃っている。照明にあてられ鈍い輝きを返すそれらは、量が量だけに存在するだけで圧力を放っているのではと感じる程。なにせこれだけあれば、短期間なら数百人の戦闘員を充足させることが可能なのだ。

 

「俺は詳しくないんですけど、旧式ばかりで性能はいまいちらしいっすね。でも状態は良いし、何よりこれだけの量があれば一財産間違いなし!」

 

 はしゃぐトーニオには返事をせず、簡単な魔術も用いて幾つかの兵器を調べるコルネリウス。彼が手に取ったものはいずれも新品、そうでなくとも未使用品と言って良いであろう保存状態だ。

 この時点でコルネリウスの機嫌は傍から見ても悪くなっていたが、それでも確認の手を止めることはなかった。しかし、その全てにとある共通点を見つけたところで、コルネリウスは持っていたアサルトライフルを投げつけるようにしてガンラックへと戻すことになる。

 

 苛立ちの伺える彼の仕草に対し、トーニオは驚いた、というより意味がわからずきょとんとしていた。

 

「えーと……量が量だしうちだけじゃ捌くどころか運ぶのも難しそうなんで、シニョールのお力をお借りしたかったんですが……売り物にならないレベルだったりしますか、これ?」

「お前の現状把握の度合いはよくわかった。当たり番号のLOTTO(宝くじ)の表面が削れちまった程度の認識だな?」

「あーはい、そんな感じです。俺スーペルエナロットはツキに恵まれない方だったんすよね」

 

 コルネリウスとしては尚も呑気なトーニオに思うところもあったが、彼の経歴を考慮すれば随所に不足があることは仕方がない。苛立ちを表に出さぬよう抑えつつ、近くの銃器群を指差す。

 

「まず第一に、これらは全て新品だ。無論、全てを確認した訳じゃあないが、大きく外れてはいないだろう。次に大事なことは、この玩具の山がHLではともかく"外"では現役、モノによっては新しいとまで言えるラインナップってところだ。作る手間や費用だけなら"内"のものと大差無い」

「確かにそうですね。だから俺の目には宝の山に見えるんすけど」

「時代遅れのポンコツだろうと全くの役立たずって訳じゃあない。鉛弾にぶち抜かれれば四、五割程度の種族は死ぬ以上、金にはなる」

 

 話を戻すぞ、とコルネリウスは続ける。

 

「最後に重要なことは、この兵器群全て、種類を問わず製造番号やそれに類する個体識別情報が無いってところだ。削られた、とは違うぞ。魔術的な調査もしたが、最初から無い」

「製造時から手を加えられてる、ってことですね?」

「そういうことだ。……で、これらの点を踏まえ、どういった結論が導き出せる」

「えっ? えーと……」

 

 トーニオは両手を組んで首を捻り、暫し後に答えを出した。

 

「よし、わかった! ガルガンビーノが大規模な武器職人の集団を抱え込んだか、契約を交わしたってことでしょう? 連中は最近MSとの付き合いが浅いって聞きますし、間違いないっすよ!」

「三十点だな。お前その身体でなけりゃ、この街で一日二回は死ねるぞ」

 

 落ち込むトーニオをよそに、コルネリウスは自らの推測を話し始める。

 質はともかく、量や手間などを考慮すれば、HL内の企業・職人であってもこれだけの仕事を成せる者は限られる。しかし利益が少な過ぎるため、彼等が作ったものだとは考え難い。同様の理由から名の知られていないHL水準の職人集団が存在したとして、そうする可能性は低いだろう。水準に満たぬ者を秘密裏に掻き集めるというのも、あまり現実的ではない。どうやっても低所得者の集まる地区なりで話題になってしまう。

 何よりガルガンビーノ一家ほどの組織が、他に選択肢のある中で低い性能の武器を選ぶ理由に乏しいのだ。一部派閥の独自行動という線も無くはないが、これだけの量を用意出来るかは甚だ疑問であるし、結局は何故普通の品を作らないのかという疑問が残る。

 

「つまりこれは十中八九"外"で、あるいはその組織が人員か技術を送り込むことでHL内で製造したものだ。個人的にな予想は前者だな」

「でも"外"で製造番号無しとか一発でしょっぴかれますよ? 途上国でAK作るとかならともかく、新しいものですし。それにHLへの運び入れだってそう簡単には……ん?」

 

 そこで言葉を止めたトーニオは、何かに気付いたようで徐々に顔色を悪化させていく。まだ推測に過ぎないとはいえ、ようやく現状の面倒さに思い至った彼を見てコルネリウスは頷き、言葉を引き継いだ。

 

「その組織はちょっとした地域紛争が可能な量の武器を用意するだけでなく、二重関門を越えて運び込むことすら出来る。更に言えば、裏社会で幅を利かすガルガンビーノに対し、質の低い武器を強要出来る立場だ」

「あー、その……製造元わからないですし、うろ覚えだから断言出来ないですけど、この兵器のライセンス持ってる企業って全部アメ――――」

 

 

 

 ――――暗闇。

 

 

 

 まるでトーニオの言葉を遮るように突如訪れたそれは、局所だけではなく地下空間全てを覆っている。この場に立つ二人は種族という同様の理由によってそれを苦にしなかったが、反応は全く異なっていた。コルネリウスは大剣を構え、トーニオは原因を探ろうと天井のライトを見上げる。そして、それがそのまま両者の明暗を分けた。

 

 コルネリウスの眼前でトーニオの頭部が弾け飛ぶ。彼の身体に隠れる軌道で飛来していた二発の弾丸をコルネリウスが大剣で弾く。部屋の奥に積まれた弾薬・爆発物の山に向けて放たれた三つの何かが虚空に現れた魔法陣に直撃し、布のように柔らかな反応を返すそれに包み込まれて地に落ちる。

 これら全てが、同時であった。

 

 その直後、コルネリウスは自らの背後で響く足音を耳にし――――それを無視して部屋の入口付近に向けて駆け、大剣を振り下ろす。それは彼に手応えこそ返さなかったが、変化を生じさせる。何も無かった筈のそこに、滲み出るようにして現れたトレンチコートにソフト帽の人影。

 

 凶手はサングラスとマスクで顔が判別出来ないが、自身の隠形が暴かれたことに焦る気配は見せていない。前に踏み出しつつ、左手に持つサバイバルナイフはコルネリウスの首元を狙い、右手のリボルバーは心臓に向けて一発。しかしその双方がコルネリウスを覆う血の膜と魔法陣に防がれる。

 無防備を晒した凶手を大剣が横薙ぎにせんと迫る瞬間、信じ難い速度で撃鉄が起こされたリボルバーが再度火を吹き、更には凶手の腹部からコートを突き破るようにして数多の閃光と銃声が響いた。

 リボルバーは先程と同じく心臓を狙い、同じように弾かれる。しかし恐るべきことに、予想外の場所から放たれた射撃はリボルバーとは狙いが異なるものの、その全てが同一の箇所に着弾したのだ。不可解であると同時に神業と呼べるそれは、コルネリウスの防護をも打ち破る威力を擁していた。彼が咄嗟にワイヤロープを巻き付けた左腕を差し込んでいなければ、であったが。

 

 必殺の一撃は凌がれ、ついに大剣が凶手を切り裂く。トレンチコートが胴切りにされ、地に落ちる上半身と、力なく倒れる下半身。だがコルネリウスは動きを止めない。

 彼は確かに見たのだ。防がれた多量の弾丸が生む火花で一瞬だけ照らされた闇の中、穴だらけのコートの中で蠢く何かがその形を変えて刃を避け、逃げ出す光景を。

 

 コルネリウスは大剣を振り切る前に軌道を変え、地に叩きつけるように放り出す。宙を舞う大剣は纏う血の位置と量を調整され、更に魔術の助けによって瞬時に半回転し、柄を先とする形でコルネリウスに握り直された。

 彼はそのまま刃の部分を握りつつ、柄を床へと打ち付ける。魔術を込めるのに適した改造が成されたそれは使い手の意思に従い、部屋の外に向かう形で指向性の爆発を生み出し、通路を爆炎で埋め尽くした。

 

「…………ちっ」

 

 双方が数多の必殺を放った、しかし実際には僅か数秒の出来事。魔術で生み出された炎が通常では有り得ぬ速度で消えゆく中、静寂を取り戻した暗闇の中でコルネリウスは舌打ちをひとつ。感触からして厄介な敵を逃したことを面倒に思いつつ、最後の最後にもう一度弾薬類を狙って撃ち出された起爆式の魔術弾頭を左手の内で握り潰す。

 

「おい、さっさと起きろ」

 

 魔術で簡単な光源を生み出したコルネリウスは、次いでトーニオの胴体を軽く蹴り飛ばす。通常であれば死体を蹴り飛ばす残酷な、あるいは死体に話しかける滑稽な姿であるが、無論コルネリウスの精神は正常だ。

 

「おうふっ。……あー、もう朝っすか。あと二時間って痛い痛いすんません」

 

 なにせトーニオは未熟と言えど、コルネリウスと同じく吸血鬼である。再度コルネリウスに蹴られた彼は、既にほぼ修復しつつある頭部をかきつつ起き上がった。

 

「人が戦ってる時におねんねとはいい御身分だな、おぉ?」

「いやそのー……練習はしてるんすけどまだ再生遅くてですね、はい。戦いもすぐ終わっちゃいましたし、不可抗力かなって痛い痛い」

「そもそもあんな隙を晒すのが間違いだと、丁寧に剣で語って欲しいのか? ここは見ておいてやるが、俺にもやる事がある。さっさと修復して上の様子確認してこい」

 

 

 

 

 

 

 

 日も暮れ、窓からの光で朱に染まったビルの一室。MS-1313の構成員である七三分けで黒縁眼鏡にスーツの男は、突然の来客への対応として、茶と菓子の代わりに拳銃を選択していた。

 足元に転がっている通勤鞄は彼が帰宅する間際であったことと同時に、憩いの時が遠のいたことをも意味する。もっとも彼の首元に突きつけられた大剣がどうなるか次第では、それは永遠に訪れないのだろうが。

 

「ええと、護衛の方々がいらした筈なのですが……」

「厄ネタを余所者に押し付けつつ自分達の問題も解決するとは、なかなかやるじゃあないか」

 

 冷や汗を流しつつの彼の問いを無視し、厳しい視線を寄越しているのはコルネリウスであった。コルネリウス自身も男から拳銃を向けられているのだが、こちらはまるで意に介していない。

 

 コルネリウスの明確な怒りに対し、男は焦りを顔に出しつつ口を開く。

 

「その、弁明をさせて頂きたいのですが。よろしいでしょうか。お時間は取らせませんので」

「………………」

 

 釈明の許可を求める声に対し、コルネリウスは無言のまま、しかし目線で続きを促す。男は僅かに安堵の様子を見せてから、話を始めた。

 

「まずはお詫びになってしまいますが、情報提供の時点で我々はこの件に、ええと……鷲のマークの巨大企業が噛んでいるのは承知の上でした。彼等は……と言ってもその一部署ではありますが、幾人かの大株主の後援を受け、この街への進出を企図したようなのです」

「それはそうだろうな。社一丸となって、であればHLは今頃火の海だ」

 

 それがこの街にとってどの程度の打撃になるかはともかく、とコルネリウスは続け、それを聞いた男も微かに笑う。

 

「違いないでしょう。彼等もそれは把握している……といいのですが、少なくとも今回はそういった直接的な方法は選んでいません。目的はこの街に自社製品のシェアを築くためであったようで」

「成程、MSにとっては商売敵だ。ガルガンビーノはそれに?」

 

 男は刃に注意しつつ頷く。

 

「はい、乗りました。主流派に属する好戦的な一派が、独断で手を結んだようです」

「それで俺にちょっかいを出す余裕が出来た、と」

「でしょうね。支援自体は以前から続いていましたが、近頃地区の再開発事業という形でまた大規模な増資があったようですから。……ともかく、彼等は見返りに得た財源で力と発言力を増しました。更に一家が多数の抗争を抱えたことで戦力が必要となり、内部での掣肘も困難に」

 

 男はそこで一度言葉を切り、銃に添えていた腕の片方を、ずれはじめていた眼鏡を直すために使いたいと申し出たが、対するコルネリウスの返事はすげないものであった。彼は諦めた様子で続ける。

 

「ガルガンビーノさんとの取引が無くなるだけであればまだしも、件の企業の目的が比較的安価な兵器市場の掌握、ひいては街への影響力獲得であることは明らかです」

 

 "外"の兵器の大半はHL内のそれに比べて劣っているが、全くのガラクタという訳でもない。採算を多少無視した上で商品以外の手札も随時切っていけば、対抗勢力を駆逐した後で安かろう悪かろうの需要以外も獲得出来る可能性はそれなりにある。

 兵器市場を通じてHLに影響力を持てば、"有事"に取れる手段が大幅に増えるだろう。露見したとしてもHL行政の手は"外"までは及ばないし、HLについてゴシップ誌レベルの情報しか持たない大衆への誤魔化しは幾らでも効く。本国の政治状況や現地工作員の安全はまた別の話であるが、総合的には悪くない策だ。

 

「排除される側としてはこれを座視することは出来ませんし、事実彼等は我々に対しての妨害も増やしています」

 

 たとえば先日の中華製品の件、と男は続ける。

 

「確かに元を辿れば共産圏ではありますが、それを掻き集め、街に流したのは彼等です。ジャガーノート・スミスが自社製品を運ぶついで、あるいは目眩ましであったようですが、ご丁寧に情報を流出させ、旧東側とのパイプを持つ我々に当局をけしかけた訳で」

「成程、話はわかった……が、そっちの都合だけで終わりか?」

 

 コルネリウスが手元をほんの少し動かすと、男は刃に触れぬように器用に首を振って否定する。だが両手で保持し、コルネリウスの眉間に向けた拳銃の狙いがぶれることはない。

 

「いえいえ、まさか、そんな! 説明から入って結論や要点を後にするのは悪い癖でして、はい。きちんと報酬や、騙す形になった事への追加料金や、有用な情報を用意してあります、ええ。本来であれば双方共に納得済みで事を成すはずでしたがこちらの手違いもありまして――――」

「であれば早く俺を納得させて欲しいもんだな。これでも俺はMSを取引相手として信頼している方だ。だからその安全装置のかかったままの銃が火を噴くことのないよう、心から願っているよ」

 

 苛立ちの中に多少の呆れが混じったコルネリウスの言葉。それを聞き、首元の刃に目線をやった男の額に流れる汗がどっと増した。

 

 

 

 

 

 

 

「おはよう、コニー。ついに朝も働かなくなったの?」

「ニーカお前、その言い方は無いだろ……」

 

 翌日の朝。霧も濃く、まだ人異共に影の少ない表通り。ビルの合間の路地から出てきたコルネリウスは、通勤途中らしきニーカと鉢合わせていた。

 なかなかに辛辣な言葉を投げかけたコートにキャスケット帽の少女、もとい女性はコルネリウスのぼやきを聞いてころころと笑う。

 

「あはは、ごめんごめん。お店が順調なのは聞いてるよ。本だけじゃなくて車も売るんだって? 私は本屋でDVD買うことはあるけど、車は流石に買わないなぁ」

「ん? あー、ラッセルあたりから聞いたか」

「あれ、どうだったかな……でも、多分そんなところ」

「あの遊び人はまた適当なことを……中古・廃棄車の回収と再利用な。確かに状態が良ければ流すこともあるだろうけど、メインじゃあないさ。ついでに言えば、ちょっとしたトラブルで用意してた事務所が西海岸まで吹き飛んでったばかりだ」

 

 少々強く、冷たい風が吹き、ニーカが首をすくめる。彼女は首元に手を伸ばし、マフラーが無いことに気付いたかのようにそれを彷徨わせた後、襟を直しつつ

 

「今日は予報と違って寒いね、家を出た時はそうでもなかったのに。……で、さらっと言ってるけどそれ大事件じゃない?」

「なに、HLじゃよくあることだ。もっとも保険が無ければ、今頃犯人を釣り竿に括り付けてザンジェスター湖まで持って行ってたろうが」

「おー怖い。あそこ餌を与えないで下さいって煩い割に、同じく禁止にしてる釣り餌扱いなら何も言わないんだよね。薬に耐性持ったサイコウェーブロブスターが増え過ぎて個体数の管理が出来なくなってるって噂、ほんとかな」

 

 二人はしばし雑談に興じていたが、ニーカがふと思い出したようにスマートフォンを取り出し、時間を確認した途端に焦り出す。それを見たコルネリウスも腕時計を確認すれば、成る程彼女の出勤時刻は間近であった。

 

「うわ、もうこんな時間。ごめん、そろそろ行くね」

「こっちこそ気付かなくてすまん。また今度な」

「うん、また今度。あと、車の修理なら私も結構出来るから、何かあれば聞いてくれていいよ」

 

 コルネリウスに軽く手を振り、脇を通り抜けたニーカはしかし、少し行ったところで立ち止まって振り返る。彼女はその様子を不思議そうに見るコルネリウスを見て僅かに口元を緩めつつ、彼の足元を指差してたった一言。

 

「靴」

「……あー、おう。ありがとな」

「どういたしまして。じゃあね」

 

 今度こそ慌ただしげに駈けてゆくニーカに手を振りつつ、コルネリウスが自身の足元を見れば、そこには後部、腰側の部分が汚れた上等な革靴が一足。

 彼がそれに対し手を用いることはない。ただ眺めるだけで、赤黒い汚れはまるで意思を持つかのように何処かへと消え失せたからだ。

 

「見落としたか。あいつ、思ってたより早く来たからなぁ」

 

 彼の属する種は、たとえ力の弱まる昼間であってもその程度のことは造作も無い。それは食料であり、武器でもあり、そして自身の根幹を成すものであったから。

 

 コルネリウスが他にも見落としが無いか改めて確認していると、上着の内にあった携帯が振動でもって着信を伝え始める。彼はそれを取り出しつつも自らの作業が終わるまで応対することはせず、全てを終え、再度路地裏へと戻ってからようやく通話ボタンを押した。

 

『よぉ、三下』

「昨日の今日でその物言いが出来るところだけは大物だな」

 

 割と直球の皮肉に対し、通話の相手であるメイナードは一瞬言葉に詰まってから舌打ちを返す。

 

『一度勝ったぐらいで良い気になるなよ。手下共も、金も、掃いて捨てるほどあるんだ。傷だって大したことはねぇ。さっさと叩き潰してやろうと思ったが、計画変更だ。てめぇはじわじわと嬲り殺しにしてやる』

 

 大したことはない、余裕があるのだと豪語しているが、怒りを隠しきれていない声。電話先から漏れ聞こえてくる女性の嬌声も、自身の余裕と健在をアピールする一環であろう。そう捉えたコルネリウスは相手のわかりやすさに苦笑する。

 

「よく吠えるもんだ。だが昨晩お前が逃げ込んだサラ・ヘルムリンポートの貴金属店は二度と使えないだろうから、次は別の隠れ家を用意しておくんだな」

『…………なんだと?』

「ああ、カブリアス光脈通りのお抱えの闇医者もだ。あとは援軍を頼んだ兄弟分のジェイコブとやらにも、もう会えないだろう」

『てめぇ、どうやって――』

 

 メイナードの先程までとは種類の異なる苛立ちが籠もった声を遮り、コルネリウスは続ける。

 

「いいかチンピラ、相手の心を攻めるってのはこういうことだ。お前みたいな奴は、相手は強がっていただけだから、寝所に愛馬の首を投げ込まれることで恐怖に屈したもんだと勘違いする。気構えたところに、全く察知出来ない形で圧力を叩き付けることが重要だったなんざ考えもしない」

 

 コルネリウスは路地裏に放置された四角いゴミ箱の裏、血溜まりの中に倒れ伏した男達――――メイナードの部下だったものを、なんの感慨も感じさせぬ目で眺める。

 

「だから力の無い相手にしか通用しない嫌がらせを初手に選び、無駄な損耗を受け、準備の時間を与える。当然の失敗だってのに頭に血を昇らせ、危険も勝算も顧みず、直接的な手段に訴え出す。そうして無様に負けた途端、標的の友人知人を狙う」

 

 それはもはや圧力とならず、子供の仕返しと同じようなものだ。コルネリウスは嗤う。

 

「お前が今朝、各所に寄越した連中は全て処理した。元々はこいつらを締め上げてお前の情報を得ようと網を張っていたってのに、下部組織を見捨てて自分から情報を吐かせた挙げ句、事が終わってから来るとは予想外だったが」

『なっ……くっ、この……』

「じゃあな三下。お前には幾つか聞きたいこともあるが、それは生きてようが死んでようが関係なく取り出せるものだ。細かいことは気にせず、短い余生を謳歌してくれ」

『…………はっ。そんなハッタリが効くと思ってるならお笑いだ。いいか、俺はこの程度の修羅場なんざ何度も乗り越えてきてる。お前如きに――――が、あああッ!?』

 

 尚も何かを言い募ろうとしたメイナードの突然の絶叫。既に相手への興味を失い、電話を切ろうとしていたコルネリウスであったが、それを聞いて再度携帯を耳に当てる。聞こえてくるのは何かの、おそらくはメイナードと誰かが争う肉を打つ音と、家具やガラスの割れる音。

 

『てめ、俺のモノを離しやがれっ! あがっ、クソ、このスベタがっ! はなせ、この、やろ……がっ、はな…………やめ……』

 

 鈍い音が響き、メイナードの声が途切れる。それはコルネリウスもよく聞き覚えのある、太い骨が折れる音だ。理由はともかく何が起きたかを悟った彼は、死体の回収が面倒になったと舌打ちをひとつ。

 

『――――――□○%△&、∀$@#?』

「おい、何がこちらホワイトハウスだこの野郎」

 

 思わず返事をしてしまってから、コルネリウスはしまったという顔をした。今度こそ電話を切ろうとしていた彼であったが、断じて人間の言語ではない何かで話しかけられた珍妙な内容の落差と衝撃が強烈であったのだ。

 咳払いをひとつしてからコルネリウスが耳に携帯を当て直すと、電話の先からは微かな笑い声が聞こえてきた。先程とは違い、今度は人間のそれである。

 

『いや、失礼。てっきり伝わらないものだと思っていたが、予想以上の反応で嬉しいよ。この手のネタ振りは人間にはあまり通じないし、伝わっても返してくれないのだよ』

「そりゃどうも。仕事上便利なもんで、そっちの言語も幾つか修めてるからな」

『素晴らしいことだと、心から思うよ。私も仕事を頼みたいぐらいだ。もっとも立場が許してくれないし、昨日貴方に銃弾を撃ち込んだばかりとあっては、それも叶わないだろうが』

「…………メル・アルバ・カーティルスか」

 

 コルネリウスとトーニオをカジノの地下室で襲った凶手。それが今の通話の相手だ。仕留められなかったとはいえ、何の対応もせずに済ませるコルネリウスではなく、相手の素性はわかっている。もっとも手を尽くして調べた結果というよりは、彼も名を知っている相手であったという部分が大きいが。

 普段は人型を模す集散自在な無数の大型ミミズの如き異界存在であり、大崩落後にガルガンビーノ一家へと加わってその急拡大を支えた殺し屋。銃だけでなく算盤も弾ける文武両道の大物だ。

 

『おや、"タイバーン"殿に名を覚えてもらっていたとは恐縮至極』

「なんのことやら。ガルガンビーノ随一の殺し屋の言うことは俺にはわからんよ」

『それは残念。まぁ、お遊びはここまでにして、今我々に必要な話をしよう。具体的には、消極的な手打ちについてだ』

 

 カーティルスのその言葉に対し、コルネリウスは良い反応は見せなかった。

 

「マフィア同士での協定不履行に続き、国家との結託。物証の廃棄にも失敗し、同業他社どころか当局まで欲しがる大義名分を積み重ねている現状で、尻に火が付いているのはどっちだ?」

『我々を潰せる今、退く理由は無いと。成程、確かに一家の現状は苦しい。しかし、打開出来ぬ訳でもないのだよ。陳腐な言い方になるが……欲をかくと、後悔することになる』

 

 常人であれば底冷えのするような声であったが、コルネリウスが動じることはない。それは度胸や自信に依るものだけではなく、彼がこの場において鬼札となりうる情報を得ていたからだ。

 

「間接的とはいえ、自分のボスを始末した直後であってもか?」

『…………ふむ。いや、まいったね。情報源はMSだろうが、これだから彼等と敵対することは嫌なんだよ。彼等の諜報網は独特に過ぎて、足元がお留守な幹部が一人いるだけで何もかも筒抜けだ』

 

 出入り業者どころかペン一本買う場所すら注意しないと避け難い、とぼやく殺し屋に対し、コルネリウスは言葉を重ねる。

 

 主に異界存在の非主流派を纏め上げ地盤を確保。同時に主流派内の好戦派の更に一部を持ち上げるふりをして、穏健派の親殺しに焚き付ける。邪魔者が消えた後は、それを糾弾する形で好戦派内の邪魔者も消す。ガルガンビーノ内部で起きた、あるいはこれから起きる政変の筋書き。

 

「強引だが、力技として成立する範疇だな」

『なに、対外的には手打ちの一環として取り巻き共々"引退"してもらうだけだよ。ただ消えてしまうだけでは勿体無いだろう?』

 

 普通であれば秘中の秘とすべき内容を、カーティルスは世間話のような気軽さで語る。

 近頃のボスとその取り巻きが頑迷かつ臆病に過ぎたこと、その彼等が人間第一主義になりつつあったこと、非主流派の金庫番であったガルモスが死んで肩身が狭くなる一方であったこと、等々……もはや愚痴を聞かされているだけのような話が続く。

 

『――後は余計な事を知っている人形を捨て、親の仇を取りましたと墓前でパーティーでもすれば万事解決という訳だ。……しかし人間というのは不便だね。いくら頑強な肉体を持っていようと、生殖活動における隙が致命的過ぎる。まぁ彼の場合は姿形に騙されて、"こんなもの"を寝所に引っ張り込むその迂闊さが問題なのだろうが』

「そうでもなければ、お前の口車に乗って親殺しなんざしないだろうよ」

 

 それで、とコルネリウスは続ける。

 

「どうする? ここまで話すあたり、幹部会の刷新と手打ちはほぼ終わっているんだろうが」

『……いや、可能な限り貴方の要望を受け入れるとしよう。広く知られて欲しい話でもないし、この街における協定など紙よりも軽い。ただ、過分な要求を断固として続けるようであれば、私とて覚悟を決めることになる』

 

 最後の一言は先程と異なり軽い調子であったが、コルネリウスはむしろこちらの方が強い圧力を感じた。自身の命を賭すことを日常の延長線上だと受け入れている者の、計算された脅しではない、純粋な決意表明であるから。

 

「そんな大層なことは望まん。例の電子魔術書絡みから手を引くこと、報復の禁止、アンクル・サムに関する情報提供、そっちで転がってるアホを誰が見てもわかる形で始末すること、こちらが被った損害の保証に加え幾らかの見舞金。あとは――――」

 

 コルネリウスの並べた要求を聞き終わったカーティルスの返事は早かった。彼は承諾を告げ、直後にしかしと続けた。

 

『ただひとつ、最後の要望にだけ応えられそうにない』

「理由は?」

『我々もそれが誰か、までは知らないのだよ。情報は常に、おそらくはラングレーの方向からいらっしゃったお客様経由で渡されていたようだ。まぁ、その誰かさんも必死なのだろう――――コミッションに属していながら政府に情報を流すなど、一番の背信であろうから』

「…………わかった。疑念が確信に変わっただけで今は良しとしよう。残りの条件の詳細は、うちの秘書と詰めてくれ」

『誠心誠意、務めさせて頂くよ』

 

 カーティルスのその言葉を聞き、コルネリウスが通話を終えようとしたその時であった。

 

『ところで』

「まだ何か?」

『いや、深い意図は無いのだが……昨日頭を撃ち抜いた彼が、先程街角で女性を口説いていたのを見かけてね。もしや人間ではないのかな?』

「……さぁ、どうだかな」

『しかし私の見間違いということもある。そうなれば、私の目も曇ったものだ』

「………………」

 

 沈黙。たとえ相手が確信を得ていようと、トーニオはコルネリウスの正体を知っているため、彼について無闇に情報を漏らす利はない。必然的に会話は途切れ――――

 

『私の目も曇ったものだ』

「………………」

『私の目も――』

「……お前に眼球は無いだろ」

『その言葉が聞きたかった!』

「うるせぇ!」

 

 コルネリウスは乱暴に通話を切り、表通りへと向けて歩き出した。

 霧が薄れてきた表通りには徐々に人異入り混じった影が増えつつあり、今日もHLの日常が始まろうとしている。

 

 




知人から雑誌の方でニーカメインの回があったとの情報。
単行本派なので待ちますが、おそらくニーカやパトリックの過去だとか個人的な関係だとかに踏み込むはず。楽しみにしつつも、色々と怖い。たぶんプロットは破り捨てることになる。


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第八章 逆廻しの時計
第二十二話


 墨汁を垂らしたかのような、不自然なまでに綺麗で濃密な暗闇。それは夜目の効く者であっても一寸先が見通せないであろう、そう本能的に感じさせる不気味さを醸し出していた。

 しかし、現実は少々異なる。その闇は視界を封じるという本来の役割を果たすと同時に、そこに内包する者や物だけを綺麗に浮かび上がらせているのだ。意匠を同じくする円卓と椅子、卓上に並ぶ水入れやグラス。そして、卓に着く数名とその供らしき存在。

 それら自体が光を放っている訳では、ない。黒の色紙の上で別の絵を動かしているかのように、同じ空間にありながら位相がずれたかのような、奇妙な光景が広がっている。

 

「ではの、アルルエル。儂の玩具と貴様の馬、どちらが上手く踊れるか楽しみにしておるぞ」

 

 その言葉を最後に、卓に着いていた一体の異界存在とその護衛の姿が掻き消えた。それを皮切りに他の面々も立ち上がることなく姿を消していく。彼等が去ったことで生じた穴は直ちに暗闇が埋め、黒の領域が増した世界に残ったのは一体の異界存在とその護衛。そして、護衛達の更に背後に立つコルネリウスのみとなる。

 

 色も音も無い静謐な暗闇にため息が響いた。

 

「……私は別に、こういったことを楽しむ趣味は無いんだけどねぇ。困ったものだよ」

 

 グラスに手を伸ばしつつ、唯一卓に残った異界存在が呟く。その出で立ちは、上質だが簡素な黒のマントを羽織っただけ。特徴といえば人間にとって両肩にあたるであろう部分がやけに盛り上がっている程度の、一見何の変哲も無い老異界存在。

 

「確かに、趣味で他人に迷惑をかけるというのは、褒められたことではありませんね。それが絶大な権力を用いたものであれば、尚更」

「遠回しに私も批判するのはやめてくれよ、コルネリウス君。老い先短い老人の唯一の楽しみなんだから」

「アルルエル翁は百年前もそう仰られていましたが? そもそも今回の発端も、彼の方が手掛けたエンジェルスケイルの供給ルートを、貴方が趣味の対価として教えて潰したからでしょうに」

 

 苦笑しつつのコルネリウスの言に対し、参ったなとばかりに頭をかく異界存在。

 彼の名は"ドン"・アルルエル・エルカ・フルグルシュ。異界の裏社会における有数の顔役であり、その影響力の高さから神性存在と同格の扱いすら受ける権力者の中の権力者だ。

 マントの下に収められた肉体はその実、殆どが脳であり、もはや巨大な脳に手足と顔だけが付いていると言っても過言ではない程。種特有の知能を更に磨き上げることで得た神算鬼謀こそが、彼を神々の如き今の地位に就けている。

 

「細かいことを気にするのは良くないよ。それに翁などと言うが、歳なら君の方が……っと、いかんいかん。このままだと話が進まないじゃないか」

 

 アルルエルはこの話はここまでだとばかりに手を振ってから続ける。

 

「聞いていたとは思うけど、彼が街の深部に隠した品々を回収して欲しい。中身はアメリカ政府の対HL工作における物証。君にも縁があっただろう?」

「……まぁ、多少は。ですが彼の方が興味を持たれる程のものではなかったように思いますが」

 

 それはつまり、アルルエルにとってもそうだ。彼等にとって人界の列強のごたごたなど、ご近所の醜聞のようなもの。暇潰しに使うのであれば、良いものは他にいくらでもある筈だ。先程までこの場にいた他の権力者達も、あくまでアルルエル達のやり取りを見るために集まっただけに過ぎない。

 

 コルネリウスの疑問に対し、アルルエルは首肯する。

 

「本来であれば、そうだ。でもそれを看過し辛い厄介事にまで昇華させるのが、彼の嫌らしいところでね。君は彼との付き合いが薄かったから、知らないのも仕方ないが」

「何か余計なものを追加したと」

「その通り。政府機関と、それが手を結んだ組織や個人の双方に絶妙な悪戯をしたのだよ。両者が誤認を把握せぬまま、意図せぬ災禍の種を育ててしまうように。まぁ、つまり核だね」

「………………はぁ?」

 

 思わず礼を失した声を上げてしまうコルネリウス。老異界存在はそれを咎めること無く、言葉を重ねる。

 

「その他諸々のおまけと合わせれば、HLの四分の一ぐらいは焼き尽くせるであろう玩具の山だよ。激しい利用にも耐えうる政府印と保証書付きでラッピングをされ、何故か持ち主すら簡単に取り出せない場所に『早いもの勝ち』と札付きで陳列されている訳だ」

 

 良かれと思ってタイマーまで付けたらしいよ。そう言ってアルルエルは笑う。

 彼は先程、今回の件を厄介事だと言い表した。それは即ち、この老人にとっては厄介事以上のものではないということだ。防げずとも、変化に応じた対応をするだけの話。

 

「時間切れは言うまでもない。闇に葬らない限り、誰かの手で使用されるか、売られることで出処が明らかになる。世論は沸騰し、人界の諸国は米国をHLから追い出そうとするだろう。政府は事態を認めることも、かつての領土を諦める訳にもいかず強硬路線を貫く。いつ、どこでかはともかく、戦争が起きるんじゃないかな?」

 

 

 

 

 

 

 

「ああわかってるさ。ここはこういう街だよ畜生め」

 

 この話は遠からず広まるため、動くなら早いほうが良い。そうアルルエルに言われたコルネリウスはしかし、HLの深部ではなく外縁部、それも繁華街の一角に立っていた。

 これからの仕事に必要な何かを揃えるためではない。彼がここにいる理由は、その手の中にある一通の招待状だ。上流階級の優雅な夜会にでも誘うかのような、豪華なそれ。だがコルネリウスの苦虫を噛み潰したような表情からもわかるように、中身はろくでもないものだ。

 

 コルネリウスは招待状に記されている、表通りに面した一等地に建つビルへと足を踏み入れる。ガラス窓を通した外からは、人で賑わっていたように見えたその建物。実際には人一人見当たらない、上品な装飾だけが存在を主張する不気味なフロアを幾つも通り過ぎ、最上階へ。

 一際広く、豪華なパーティ会場らしき部屋へと続く扉の両脇には、槍を手にした首無しの人形が二体並んでいる。コルネリウスを見るや獲物を構えた人形達だが、彼が招待状を放り投げると武器を収めた。片方はそれを優雅な動きで床に落ちる前に手に取り、もう片方は礼をしつつ扉を開く。

 

 やはり中が見えないように細工された扉。そこを抜けた瞬間、コルネリウスは自身に向けて飛んできた上等な酒瓶を掴み取り、間髪入れず投げ返す。

 

「おいおい、人を待たせるにも限度があるだろうよ。てっきり俺はここに酒を飲みに来たもんだと勘違いしそうになってたぞ」

 

 その瓶を片手で受け止めたのは黒髪、白人の中年男性だ。彼は空いている手を用いて手刀で瓶の首を落としつつ言い放つ。そして中身が零れそうになった瓶を、下顎から直接生える牙の如き骨を持つ口元へと運んだ。

 

「俺は俺の都合でここに来てるんだ、てめぇに文句を言われる筋合いはねぇ。むしろその日暮らしの重犯罪者がゆっくりタダ酒を飲めたことに感謝しろよ、ボルドイ・ミンスク」

「あぁ? テメエこそ金とコネでカタギを気取ってるだけだろうが。今すぐその生皮剥がして、両脚切り取った上で街路樹に吊るしてやってもいいんだぜ」

 

 適当な席に着き、互いに視線を合わさぬまま言い争うコルネリウスとボルドイ。コルネリウスはこの"機械公"と呼ばれる、短気で残忍なSS級指名手配犯を好ましく思っていない。対するボルドイの側は自身に敬意や畏怖を持たぬ者全てにこの調子であり、故にHLで数々の犯罪を引き起こして特級の犯罪者と化している。

 

「どうかお静かに。ここは我が主デューラー様が設けた席。場を乱すようであれば、こちらとしてもそれなりの対応を取らせていただきます」

 

 険悪な空気を払うかのように、とは言い難い慇懃無礼な態度。二人の視線を遮るように歩いてきたスーツ姿の異界存在は、肩と頬骨のあたりが鎖で繋がれている。それはファッションではなく、浮遊する頭部と、首から下を繋ぐためのもの。彼が首無し公デューラーの配下であることを示している。

 

 首無し公は生物の首を生きたまま落とし、会話も可能なそれを蒐集する悪趣味な犯罪者だ。しかもインターネット上で犠牲者を公開し閲覧者と対話させることで、HL内だけでなく人界でも名が売れている。HLのゴシップ的脅威論を広げる主因のひとつだとされ、最高位の指名手配犯とされて久しい。

 

「………………けっ」

「参加者はこれだけか。ヴェネーノはともかく宗教狂いや銭ゲバなんかも居ないが、あのあたりは時間に煩い。そもそも呼んでないと考えていいな」

「だろうな。私にも招待状は届いていなかった」

 

 忠告に対しては反応を見せぬまま、空いた席が多い会場を見渡しつつ言ったコルネリウスにそう返したのは、壁に背を預ける全身機械の異界存在だ。可動部を阻害しないように改造されたステンカラーコートを纏い、手に持つ上等な葉巻から紫煙をくゆらせている。

 

「ハルバストルか。ということは、思った通りだな。相変わらず姑息な奴め」

「HLが破壊という形で乱れることを望まぬ面々が、今回の件を収束させる方向に動くのは簡単に予測出来る。余計な情報を与えたくはないのだろう」

 

 "劇作家"ハルバストルは声に嘲りの色を込めて言う。それを感じ取ったデューラーの配下は明確な殺気を放つが、対するハルバストルは柳に風と受け流して続ける。

 

「各国の在HL諜報機関、特に米国のそれは随分と慌ただしい動きを見せている。政府中枢の情報を持つような大物の首を落とし、大衆の前に名札付きで飾りたいという訳だ」

「獲物を引きずり出すために物証を抑えるか、騒乱を少しでも長引かせ、泥沼化させたいと。いつものことだが、玩具をさっさと使ってしまいたいお前とは相容れんわな」

「そのように言われるのは心外だ。私は貴重な人や品を無為に費やしてしまうのではなく、計算された緻密な脚本の下、最高の舞台のために用いたいのだから」

 

 興が乗ったのか、謳い上げるかのように朗々と喋るハルバストル。彼はいわゆる劇場型犯罪の専門家であり、重要な人や物が彼にとって美しい最期を迎えることに価値を見出す。世に衝撃を与えることを望んでいる訳ではないが、いずれにせよ危険人物であり、やはりHL最高位の指名手配犯だ。

 生かしたまま首を落とし、それを用いて名を高めることを好むデューラー。死によって全てを完成させることを至上とし、名誉欲を持たぬハルバストル。この両者は相反する理念と重複しがちな標的のために犬猿の仲であった。

 

「しかしコルネリウス、君は何故ここに来た? この場は今回の一件を列席者に知らしめ、欲を煽ることで事態の混乱を招くためのもの。"会議"本来の目的とはかけ離れていることなどわかっていただろうし、君は既に独自の情報を持っている筈だ。時間の無駄だろう」

「そんなこたわかってる。HLが安定してからは、お題目通りに使われた方が少ないからな。だが考え無しのアホ共が、あの議長気取りの臆病者に乗せられて事態がややこしくなる方が面倒だ」

「なっ、貴様、デューラー様に向かって今なんと――」

 

 怒りの声を上げたデューラーの配下を無視して、コルネリウスは集った面々を見渡し口を開く。

 

「一度しか言わないからよく聞けよ。今回のヤマはドン・アルルエルや、それと同格の爺様方の遊び場だ。小金目的や花火で遊びたいだけの連中は、目ぇ付けられて墓の下に叩き込まれる前に手を引くんだな」

 

 コルネリウスの言葉にざわつく会場。幾人かの者が残念そうに、あるいは時間の無駄だったと憤慨しつつ場を後にしようとする。

 

「皆様、お待ち下さい! 異界の顔役である方々が此度の一件を知らぬ訳はありませんが、重要視しているかはまた別の話。目的の品を手に入れれば、名を売るにせよ、何処かの勢力に売るにせよ莫大な見返りがあるのです!」

 

 主の目的を台無しにされそうな異界存在はそう叫ぶが、流れが変わることは無かった。もはや潮は変えられぬと悟った異界存在は、失態の原因であるコルネリウスを強く睨む。

 

「貴様、デューラー様に無礼であるのみならず、妨害までするとは――」

「おいハルバストル。お前も降りろ」

「君は無益なことはしない主義でなかったかね?」

「……ああはいはい、わかったよ。命乞いは聞かないからな」

 

 しかしコルネリウスはその声に見向きもせず、周囲に残る面々との会話を続けている。無視された異界存在の頭からぶちり、と存在しない筈の血管が切れるような音がした。背負っていた剣に、無言で震える手を伸ばす。

 

「やめておいた方がいいよ」

 

 異界存在の血走った眼が言葉の主へと向けられる。人間に似た形状の見上げる程の巨体を小さな椅子へと器用に収め、身体の各所から捻れた鉄骨、あるいは木に見える何かを生やした異界存在。およそ客へと向けられるものではない視線を受けても、他の招待客同様に意に介した様子は無い。

 

「君は何か勘違いしているようだが、ここはデューラーの顔色を伺う場ではないし、彼の名に尻込みするような者もいない。彼が勝手に招き入れたシンパでもない限りね。それが名代ともなれば、軽視されるのは当然じゃないか。本来であれば、君には参加資格すら無いのだから」

 

 優しく、子供に諭すような声音で紡がれた辛辣な言葉。それを聞いたボルドイが大声で笑う。

 

「違ぇねぇ。気に入らないならさっさと抜けばいいってのに、飼い主の名を囀るばかり。ご主人様と同じで度胸の足りない野郎だ。ああ、もしやてめぇの首かわいさに奴の靴を舐めた時、首の代わりにタマを切ってもらったのか?」

 

 それなら仕方ねぇとボルドイが大笑いするに至り、異界存在は剣を引き抜いて駆け出し――――

 

「静かにしろ」

 

 次の瞬間、コルネリウスが上着の内に生じさせた『門』から取り出したシュラハトシュベールトによって縦に両断された。大剣は標的の体内を通り抜ける際、纏う血をチェーンソーのように波立たせることで内部を蹂躙。デューラーの部下は声を発する間もなく絶命した。

 

 この場に残る内の幾人か。おそらくは大型の異界存在が言及したデューラーの信奉者とやらがざわつく中、ボルドイが席から立ち上がる。

 

「俺は降りねぇぜ。ちょうど新しい武装が欲しいと思ってたところなんだ。まぁホワイトハウスの連中がお願いしますと土下座でもすりゃあ、売ってやることも考えなくはないがな」

 

 そう言い残して立ち去るボルドイに続き、ハルバストルも会場を後にする。コルネリウスは両者の背を嫌そうな顔で眺めてから、未だ席に着く巨体へと向き直った。

 あえてボルドイが便乗するような言葉を選び、デューラーの配下を激高させた異界存在。コルネリウスも時々利用する情報屋のアルキューラは、先程と変わらず窮屈そうに椅子に腰掛け、卓上の料理を外見に似合わぬ上品な所作で口にしている。

 

「煽るなら自分で始末しろよ」

「君が言うなとも思うけど、別にいいじゃないか。死んでも構わないからこの場に送られたのだし、遅かれ早かれだよ。あと、私はあんなつまらないものに興味は無いね」

 

 自身の卓にある料理を食べ終わったアルキューラは他の卓に向かって歩き出した。コルネリウスはため息をついた後、眼前にある料理へと手を伸ばす。これより急速に進行するであろう事態に備え、十分な腹拵えは必要なことだ。

 

 

 

 

 

 

 

 崩壊した建造物が霧の中から現れ、ふらふらと宙を漂った後にまた霧の中へと消えていく。NYの残滓を魚とする、人類の手を離れた白い海。光や音を規則性無く遮断するそこでは先を見通す事叶わず、時に距離までも歪むために無限にすら思える広がりを見せていた。

 

『――という訳で、ヴァルハラ・ダイナミクス社によるヴィセラル重工の買収はHL軍事産業の寡占化を更に進めてしまうでしょう。人間種以外に否定的な傾向があると指摘されている同社の躍進は、異界存在の就労事情に悪影響を及ぼしかねません!! そーですねー、グァバラさん?』

『はぁい』

 

 地面の各所に散らばった、向きすらも一定でない道路の欠片。大崩落以降に敷かれたものであろう比較的新しいそれは何があったのか、今や崩したパズルのようだ。その手の分野に長けた者であれば、ピースを頭の中で繋ぎ合わせて本来の行き先を示すことが出来るであろう。だがそれはこの街を甘く見た者が陥る罠であると、コルネリウスは知っている。

 ただの超常現象、HLでは自然災害にあたるものだと思考を止めてはいけないのだ。そこに人智を超えた何者かの悪意が介在すること。本来続くべき場所ではなく、生ける者が踏み入るべきではない領域に答えがすり替えられていることなど、霧の奥では日常茶飯事なのだから。

 

『しかしその反面、VD社の持つ軍事技術の転用は工業用機材、特にヴィセラル社が近頃苦戦していた歪曲次元採掘分野における進歩を促すと専門家は指摘しています。それはHL産鉱物資源市場に活力を与えてくれるでしょう!! そーですねー、グァバラさん?』

『はぁい』

 

 コルネリウスの運転する車両は、途切れ途切れの道の残骸を無視して道なき道を行く。依頼主から得ていた情報を入力することで、ナビゲーションシステムは正常に機能している。コルネリウス程にこの街を熟知していれば補助が無くとも進めるが、あるに越したことはない。

 

 ラジオニュースを聞き流しつつ、コルネリウスは車両に備え付けられた情報端末を操作する。防弾仕様の液晶画面に映されるのは、裏WWWと呼ばれる掲示板サイトのログだ。

 世界の日陰について、基本的には匿名で語り合うこの場所。ある程度裏社会に精通した者でなければ閲覧出来ぬよう、様々な関門、もとい嫌がらせが設けられている。それでもガセネタや論理の飛躍が多いのは、単に情報の精度や判断力の問題だけでない。人異関係なく、知恵持つ存在が考えることは似通っているというだけだ。

 とはいえ見る者が見れば便利な情報が転がっていることもある。コルネリウスは機械の助けを借りてログに絞り込みをかけ、今回の件に対する反応を探った。

 

「……誰かが意図的に広げようとした痕跡はあるな。まさかデューラーの部下共が雁首揃えてパソコンに齧りついてたのか?」

 

 首は無いってのに、と言おうとしてやめたコルネリウスは更にログを漁る。情報を拡散しようとした何者かの思惑とは異なり、利用者の反応は鈍い。近頃は比較的精度の高い情報が揃う大事件が続いたためだと、コルネリウスはそう判断する。

 秘密諜報機関・人狼局による某国の人造吸血鬼関連とされる施設への工作。厄介な抗争を抱えていなかった筈の強豪暴力団・九頭見会の突然の壊滅。こういった出来事に比べれば、ゴシップ誌が事ある毎に特集を組む政府の工作などノイズに過ぎないのだろう。

 

 だが実際に工作の物証を巡る争いが勃発すれば話は別だ。拡散しようとする者がいる以上、これらの情報は掘り起こされて評価を受ける可能性が高い。そうなれば有象無象が群がり、事態が更に混迷を増すのは明白だ。

 コルネリウスにとって唯一の救いは、この一件が現状のまま日向に広まってしまうことを望む者が少ないであろうということ。工作員は動き辛くなり、対テロ警備が厳重になり、裏取引市場も締め上げられるのだ。目的はどうあれ、世間を騒がせるのは目標を確保した後でなければならない。

 

「ったく、いつものことだが好材料が少なすぎる。そもそも座標からして――」

 

 そこで唐突に言葉を切ったコルネリウスは、前方を睨み付ける。白い霧が広がるのみの、音の無い世界。

 

「嫌な運試しもあったもんだ。さて、最初の相手は――」

 

 コルネリウスがハンドルの脇にある幾つかのボタンを押すと、ボンネットの一部や車体の脇が開き、機械のアームに支えられた銃火器が姿を現した。同時に響き渡る、大量の銃声。

 それはコルネリウスの操る火器が発したものではない。霧の向こうから、突如として現れた人異混じった複数の集団。彼等が構える様々な武器から発せられるものだ。大量のマズルフラッシュを伴うそれは、本来であれば遠方からでも確認出来るはずのもの。奪われたのは音と視界か、それとも距離か。常人であれば驚く暇も無く巻き込まれ、死に至りかねないそれを見てコルネリウスは笑う。

 

「よし、よし。統一戦線の連中が混じってるじゃあないか!」

 

 コルネリウスの両掌から血が溢れ出し、握ったハンドルを伝ってその中心部にある穴へと注ぎ込まれていく。そこから続くパイプを通して車体の各所に届けられた血はまず車体を覆い、次いで備え付けられた火器。最後にその弾薬をコーティングして、戦闘に耐えうるよう強化した。

 

「ああ、そうだ。厄ネタにまみれた中でも、こうやって一つ一つプラスを探していくのが、この街を楽しく生き抜く術だったな!」

 

 コルネリウスの叫びと共に、緋色の弾丸が白い世界を切り裂いた。

 

 



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第二十三話

「本来であればこのあたりで三分の一、ってところか。どうせ延びたり縮んだり捻れたり入れ替えられたりしてるんだろうが……」

 

 霧の中を行く車の運転席。コルネリウスは僅かに倒した座席に背を預けながら、外縁部で買って来たサンドイッチと果物をつまんでいる。両手はハンドルから離れているが、血で覆われたそれは握らずとも主の意を汲んで回転するので問題は無い。

 彼がこの手法を試し始めた頃は、手や腕の些細な感覚やハンドルが返す重みが無いために危うい場面も多々あった。だが知恵持つ存在とは、即ち進歩するもの。慣れた今となっては、事故に繋がるようなことはあまり起きない。

 

 多数の非合法組織間で起きていた抗争を切り抜けたコルネリウスの気分は軽い。コルネリウスに危害を加えようとする者、そして彼と因縁のある統一戦線に属する者のみを蜂の巣にして、車体にもこれといった傷を負うことなく戦場を離脱。実にスマートなドライブであったと、彼は自分を称賛することで待ち受ける難局を乗り切るための英気を養っていた。

 

「なにせ座標が座標だからな。成程、あれを雇ってたのは合衆国の連中か。ガルガンビーノなんかを使って網を張ってた訳だ」

 

 そう呟く彼が目的地に向かうには、とある座標を経由する必要があった。壁や交通ルールが存在しない深部において奇妙な話に思えるだろうが、霧に潜む危険を避けるには――余計なリスクを厭わぬのであれば話は異なるが――必要なことだ。そして座標が示す位置は、直近の選挙の後、コルネリウスが"血闘神"と讃えられる血法使いと共に血界の眷属を討った場所である。

 目的地へ向かうにあたり、唯一安全であろう経路。それを塞ぐようにして各種非合法組織が活動していたり、超越種が拠点を構えていたというのは、偶然にしては出来過ぎている。かの一件に正体不明の巨大組織の影がちらついていたこともあり、コルネリウスの疑念は確信に変わりつつあった。

 

「そこに悪戯好きの爺様が手を加えてた、ってとこか。工作員連中はお国のためを思ってこの街への影響力を確保しようと努力しながら、その実政権どころか本国が吹っ飛びかねない玩具が揃うまでのお守りをしていたと。……意図せぬ災禍の種を育てさせる、とはまさにその通りだ」

 

 コルネリウスは喉まで出かけたため息を抑えつつ、質が悪いとだけ言ってサンドイッチを口に放り込む。

 

「まったく、暇を持て余した権力者ってのはどうしてこう……なんだ、またか」

 

 何かを感じ取ったコルネリウスは再度、車体に格納された火器を表へと出す。弾薬が枯渇しても、血のみを撃ち出すことで制圧力を維持出来るそれ。先日の一件でMS-1313から強請り取る、もとい善意の価格でアップグレード依頼したこともあり、性能が以前より格段に上がっていた。

 "会議"に参加していたような、札付きの悪人達に効くようなものではない。しかし先程の統一戦線のような、裏社会における飛ばし記事でも信じてしまう、あるいは余った人手を無駄にしないために片っ端から首を突っ込む一山幾らのチンピラ集団には十分過ぎる代物である。

 

 多数の赤い銃口を前方に向け、コルネリウスは会敵に備え――――

 

 

 

「…………はぁ?」

 

 

 

 獲物を貫いたままの馬上槍を高々と掲げた騎士が、騎乗する馬を巧みに操って機動警察を馬蹄で踏み抜く光景に直面した。

 

「……まぁ、いいか」

『おい待てコルネリウス、通り抜けようとすんなこのアホ! 今すぐ速度緩めねぇと後でスピード違反でしょっぴくぞコラ!』

「…………ちっ」

 

 コルネリウスの車を追ってくる一台の警察装甲車。その助手席からスピーカー越しに叫んでいるのがダニエル・ロウ警部補であることなど、コルネリウスにとっては見ずともわかる。

 舌打ちをしつつ、アクセルを踏む足に込めた力を弱めるコルネリウス。こういった時、血で覆うことで特徴的になる彼の車は誤魔化し辛いのだ。以前彼が似たような状況において血でナンバープレートを隠して逃げた際、本当に嫌がらせの切符を切ろうとしてきたこともあり、無視するのは得策ではない。あくまで、まだ、ではあるが。

 

 自身の乗る車両を並走させつつ、防弾の窓を開けて僅かに身を乗り出すロウ。HLPDの扱う装甲車の車高と座席の位置は大抵のそれよりも高い。見下ろす形で顔を出し、手で窓を開けるようジェスチャーするロウに対し、コルネリウスは嫌そうな顔をしつつも応じた。

 

「ったく、街を守る正義の味方の危機を無視しようとはふてぇ輩だ」

「バッジ持ってるだけのマフィアだろうが」

「んだとォ? そのバッジの力を見せてやってもいいんだぞ、っと――『あまり散開し過ぎるな! 連中のいい的になるだけじゃなく、孤立したままどこかに飛ばされかねねぇぞ!』」

 

 妨害対策に無線とスピーカーの両方を用いて部下に指示を出しつつ、ロウはコルネリウスを睨み付ける。

 

「てめぇが高位犯罪者の集まる"境界会議"に出入りしてるってネタは挙がってるんだ。先日も俺達がレギオカ千兄弟を相手にしてる裏で、武器商人やガルガンビーノ共と楽しそうにしてたそうだしな。辞書より分厚い令状の山でどつき回されてもおかしくないところをこれだけで済ませてやってるんだから、有り難く思いやがれ」

「そりゃどうも。だが"境界会議"なんて大層なものは、名士気取りのデューラーの頭の中にしかねぇよ。ただの"会議"ならあるかもしれないけどな」

「同じようなもんだアホ。いつか会場に突入して全員パクってやるから覚悟しろよ」

 

 コルネリウスを指していた指を引っ込め、代わりに親指を立てて下に向けるロウ。対するコルネリウスはお好きにどうぞとばかりにぞんざいに手を振って返す。

 

「金の無駄だろ。この前も武装ヘリと機動警察を大量動員したってのに、"機械公"一人を取り逃したらしいじゃないか」

「……うるせぇな、あれとは相性が悪いんだよ。生身で戦える連中を雇うしかねぇってのに、近頃"外"から送り込まれたお偉いさんが面子がどうだの、予算がどうだのと……ああ、思い出したら腹が立ってきやがったぜ、あのデブめ!」

「警部補、まずいですよ。相手は部外者なんですから、もうちょっとこう、色々と……」

 

 運転席の警官に窘められるロウを横目にコルネリウスは周囲を見渡す。複数の非合法組織と謎の騎兵団、そしてHLPDによる争いはまさに戦場と呼ぶべき苛烈さだ。今も魔術と鎧を纏った重騎兵が銃弾を跳ね返しつつ突撃し、違法改造された装甲車を爆散させている。

 戦況だけでなく視覚的にも混沌としているが、そこはコルネリウスも百戦錬磨の便利屋。早々に現実を受け入れ、敵を討ち取って高らかに鬨の声を上げる騎士を冷静に観察していた。

 

「術式に諦めが少ない」

「どういう意味だ」

「古い魔術だってことだ。ある意味では、失われたと言い換えてもいい。連中の素性や、どこで出会ったかはわかるか」

 

 コルネリウスの言葉にロウは運転席の警官を振り返るが、すぐに向き直って首を振る。

 

「お偉いさんにせっつかれて来たはいいが、急に現れたクズ共と戦ってる内に何度も転移させられて座標なんざ取れやしねぇ。で、最後に来たのがあの騎兵団だが……幾つか候補が浮かぶ程度だな」

「何も把握してねぇじゃねぇか。厄ネタばかり引っ張ってくる癖に役には立たねぇな」

「あ゛ぁん?」

「紋章学はあまり『憶えて』いないんだがなぁ……いや、しかしあれは……」

 

 睨み付けてくるロウを無視して考え込むコルネリウス。ロウはそんな彼に幾つか暴言を投げかけていたが、ふとそれをやめて後方を振り返る。

 

「おい」

「あー、もう少し待て」

「おい! んな場合じゃねぇぞ!」

「うるせぇな、もう少しで思い出せそうなんだよ。あまり良い類の情報じゃないと思うが……」

「重騎兵共の増援が隊列組んでチャージ仕掛けてくるより大事なことがあるってのかコラ!」

「あの密集陣形……ああ!」

 

 コルネリウスはサイドミラーを見てぽん、と手を打ち合わせ、同時にアクセルを全力で踏み込む。そうしてロウの乗る装甲車両を置き去りにしてから、顔を出して振り返り、叫ぶ。

 

「ああ畜生、思い出した! カネリアル魔術騎士団! 選挙で"悔恨王"の野郎が蘇らせた亡霊だ! 魔法陣に見立てた陣形で相互強化を繰り返しながら、対軍規模の突撃を仕掛けてくるぞ!」

「もう知ってるわクソがぁぁぁぁ!!!!」

 

 

 

 

 

 

 

 眩い輝きに包まれた馬上槍が車体の後部を貫く。武器に込められた魔力が対象を破壊せんと荒れ狂い、後ろ半分を吹き飛ばされたHLPDの装甲車が前転しつつ宙に舞った。車両に備えられた搭乗者の保護機能はその申し訳程度の性能をしっかりと発揮し、運転手とロウは衝撃が感知されたのとは逆方向――――つまり前方に向け、窓ガラスを突き破る形で座席ごと射出される。

 

「……うごぁ!」

「おい、降りろ」

「…………ざけんなボケ」

 

 先を行くコルネリウスの運転する車両。そのルーフに叩き付けられたロウは必死に車体にへばり付きつつ、助手席の側にある窓を叩く。防弾ガラスは血で覆われているために割れることも無いが、車内に響く音を嫌ったコルネリウスは嫌々ながらドアのロックを解除した。

 

「……クソっ、ジェームズの奴はどうなった!」

「運転手か? それなら座席から出たクッション使って着地した後、別の車両に拾われてたぞ。お前は官憲の癖にシートベルト着けないからこうなるんだ」

「けっ、あんな上手くいくのは五分以下の棺桶じみたもんに頼ってたまるか。屋根ぶっ壊されたら床ぶち抜いて道路に射出されるんだぞ」

 

 愚痴りつつ、宙を舞う中でも保持していた拡声器を片手に残った警察車両へと指示を出すロウ。背後より迫る光り輝く幽霊騎兵の群れはHLPDも非合法組織も別け隔てなく貫き、馬蹄で蹂躙している。

 銃弾、爆発物、そして魔法。その全てを魔術での防護、あるいは霊体化によって物ともせずに突撃を続ける彼等は、言うなれば大波や動く壁と大差ない脅威。どこからか飛ばされてきたのであろう、霧の中よりまろび出て来る不運な非合法組織のおかわりを平らげつつ、ただひたすらに前へ、前へ。

 

 時たま、群れから離れた騎兵が、先を行く獲物の足を緩めようと攻撃を仕掛けている。コルネリウスはそれを車両に備え付けた兵器、あるいは大剣を使って迎え撃つ。すると先行する騎兵は与し難い相手には深入りせず、他の相手へと向かって行くのだが、他の方向へと逃げられぬよう牽制だけは怠らない。

 

「まぁ、狩猟における猟犬の役目だわな」

「だとすれば兎や狐は俺達じゃねぇか。このままじゃジリ貧だぞ」

「HLPDは、だろ」

 

 コルネリウスは後部座席に置いたクーラーボックスから飲料のペットボトルを二本取り出し、片方をロウへと投げる。ロウはそれを受け取り、憮然とした表情をしながら開けた。

 

「余裕こいてるんじゃねぇ。今日は一段と霧の悪戯が激しいんだ。振り切ったと思った瞬間に、連中が前から突撃して来るようなクソ展開が起きてもおかしくねぇ」

「それなんだが、霧のせいだけでもないぞ」

「あん? そりゃどういう――――」

 

 訝しむロウの言葉が途切れる。ひとつは、横から吹き飛ばされてきて、前方に山と積み重なった車群の発した轟音のため。もうひとつは、コルネリウスが大剣の柄に込めた魔法で地面を爆発させ、自身の操る車体を強引に宙へと浮かばせたため。そして最後に、騎兵に追われる集団を挟むように突如現れた巨大なトラックと、洗練されたフォルムのスポーツカー。前者の上に立つボルドイの腕から生えたロケット砲が火を吹き、その弾頭が後者の上に立つハルバストルの操る大型の拳銃により迎撃・起爆されたからだ。

 

「――何かと思えば、てめぇか。丁度いい、煙野郎と一緒にここで死ね!」

「やれやれ、獣の相手は疲れる。君にも手伝って欲しいものだね、コルネリウス」

 

 双方共に勝手なことを言うだけ言ってから、集団を挟む形で戦いを再開する。その巻き添えとなった者達が脱落し、騎兵の波に呑まれていく。混沌が地獄絵図へと進化しつつある中、コルネリウスの車は空の旅を終え、再び大地へと戻った。

 

「"機械公"ボルドイに、"劇作家"ハルバストルだぁ!? こん畜生が! 『各員、両サイドの極悪人共を撃ち殺せ! どうせ周囲にいるのもクズだけだ、誤射なんてもんは気にするなよ!』」

 

 思わず手放したペットボトルの中身でずぶ濡れになったのロウの号令と共に、未だ健在であったHLPDの装甲車や強化外骨格に身を包む機動警察達が左右に向けその火力を解き放つ。不運にも射線を遮る位置を走っていた非合法組織の車はたちまち蜂の巣にされ爆散するか、脱落して馬蹄のローラーにかけられていく。しかし、機動警察の大口径ライフルも重武装パトカーのガトリングガンも、肝心の目標には効果を見せない。

 二つ名の由来である無機物を自身と一体化させ、操る能力を活かしたボルドイは、多数の武器や盾付きのアームを持つに至ったトラックを用いて攻撃を防ぐ。一方のハルバストルも彼の合金製の口元に咥えられた葉巻の煙が車を包み、如何なる原理でもってか放たれた弾丸を受け止めてしまう。両者は返す刀でHLPDや、その周囲の有象無象を薙ぎ払いつつ争いを再開させる。

 

「ぬぐぐ……おい、コルネリウス!」

「わかったわかった。今度何か奢れよ」

 

 いずれ自身にも被害が及ぶことが明白であるため、コルネリウスはドアを開け、片腕の力のみでルーフの上へと登る。車内ではロウが慌ててハンドルに飛びついていたが、コルネリウスはそちらには関心を向けずにボルドイへと向き直る。現状においてコルネリウスの脅威となるのは、目的以外には頓着しないハルバストルではなく、無差別な攻撃を仕掛けるボルドイであった。

 

 ボルドイはトラックの上に立ち、コルネリウスに向けて悪意の籠もった笑みを浮かべる。

 

「街中じゃあ邪魔なポリ共が多過ぎるせいでその暇も無かったが、ここなら別だ。俺が国からも恐れられる存在に進化する前祝いとして、お前の血を貢がせてやる」

「頭の足りてねぇチンピラが爆弾持っただけで国家を超えられるものかよ。三文ゴシップ誌から頂いた分不相応な二つ名を大事に抱えたままくたばりやがれ」

 

 罵倒を投げ合うと同時、ボルドイが操る火器群が一斉に火を吹いた。コルネリウスは自身とその車に直撃するものだけを大剣と魔術で防ぎ、周囲を走行する非合法組織の車の屋根に飛び移る。それはボルドイに近付くためであり、自身に攻撃を集めることで移動の足である車を潰させないためだ。

 

 個人が操るものとは思えぬ凄まじい火力により、コルネリウスが飛び乗った、申し訳程度の装甲しか持たない車はすぐさまスクラップへと変わる。もっともその時にはコルネリウスは別の車両へと移動を終えているし、追うように向けられた銃口も同じように標的のいない車を撃ち抜くのみ。小隊並みの火力に対し、コルネリウスは屋根がへこむ程の脚力と速度で対抗していた。

 

「ちょこまかと、鬱陶しい……!」

 

 足場代わりの車を次々と変えながら近付くコルネリウスに対し、ボルドイが苛立ったように右手を振るう。標的を捉えられぬのであれば、足場を無くしてしまえばいい。そう言わんばかりにコルネリウスの前方にあった車群が所属問わず吹き飛ばされる。

 

「まだだ、こんなもんじゃねぇぞ!」

 

 叫びと共に振るわれたボルドイの左腕から肉と機械が融合したような触手が多数伸び、たった今破壊された車両に次々と接続される。ボルドイの能力は発動までに接触と侵食のプロセスを踏まねばならないが、彼は自らの肉体を文字通り自在に操れるよう研鑽を重ねることで射程の制限を乗り越えて久しい。瞬く間に侵食が終わり、ボルドイの肉体と化したそれらの車群は形を変えていく。

 

「さぁいくぜ。おら、おら、おらぁ!」

 

 生き物にでもなったかのように、牙の並ぶ口が形作られた車であった何か。ボルドイに触手を経由して操られるそれらは備え付けていた、あるいは元の搭乗者が持っていた武器をも取り込むことで、その一個一個が何かを殺めるのに十分な攻撃力を擁している。そこに先程からボルドイが操っている大量の火器まで加わり、彼の有する制圧力は周囲一帯を補って余りある程。

 

 巻き込まれる事を恐れた周辺の車両群は、多少無理をしてでもコルネリウス達から離れようと努力していた。その場に残った気骨あるHLPDの車両もあったが、すぐにボルドイの攻撃で粉砕されてしまう。後方より迫る騎士達も、ボルドイを警戒してか今は陣形を維持して単騎になることはない。唯一、ロウが運転するコルネリウスの車は退路となりうる位置を維持していたが、その周囲にも空白が出来ている以上、先延ばし以外のものではないだろう。

 

「ぐぁはははは! 死にたくねぇなら空でも飛んで見せるんだな!」

 

 "機械公"の操る無数の攻撃がコルネリウスへと迫る。

 

「それも出来ないこたないが――――」

 

 コルネリウスは後方へと飛び退き、自身の車の屋根に片手で掴まることで難を逃れた。当然ボルドイはそれを追い、トラックを寄せつつ火器や触腕での包囲を狙う。前・右方にはボルドイ、後方には騎兵、左方は経路逸脱による更なる危機への入り口。

 

 逃げ道の無い袋小路。誰が見てもそう考える状況にあって、コルネリウスは焦りを見せない。ただ笑って大剣を逆手に持ち、敵ではなく、大地へと突き刺した。

 

「北米のお約束に従って、ここは騎兵隊に頼るとしよう」

 

 大剣は赤い輝きを放ちつつ、大地を抉って強引なブレーキの役割を果たす。急速な減速と後方への離脱により、ボルドイの攻撃は空を切る。

 

「あん? そっちにゃそれこそ騎兵がいるだろうが、この阿呆……が……?」

 

 が、ボルドイの目が亡霊騎兵の群れを捉えることはなかった。あるのは白い霧の大地と赤いコルネリウスの車両。そして意地の悪い顔でボルドイの後方を指差すコルネリウスのみ。

 

「…………!! てめっ、まさか」

 

 自身の後方から立て続けの破砕音が響くに至り、ボルドイは追撃の手を止め、敵に背を向けてまで後方へと振り返る。そこで彼が見たものは、土煙を上げ、数多の車両をボーリングのピンの如く吹き飛ばしながら迫る亡霊騎兵の群れであった。

 

「う、うおおおお!?」

 

 当然、正面衝突するように進んでいたボルドイにとって他人事ではない。火器や盾、触腕を操って騎兵の迎撃を試みるが、魔術と霊体化による防護は完全ではないながらもボルドイの攻撃を無効化。幾人かの騎士がトラックへと至り、大量の魔力を込めた馬上槍が"機械公"の操る鋼鉄の馬を爆散させた。

 

 

 

 後方にいた筈の騎兵が突如前から現れたことにより、一帯は大惨事に陥っている。突撃を喰らった大量の車群は言うに及ばず、それを後方から突き落とすのではなく、正面からぶつかりあった騎兵の側も打撃力を失った。彼等は乱れた陣形のまま白兵戦へと移行したため、暫くは突撃を再開出来ないであろう。

 

 車の中へと戻り、ロウと入れ替わって運転席に付いたコルネリウス。彼はドリンクホルダーに置いたままであった飲料を片手に、その光景を愉快そうに眺める。

 

「ざまぁみろってんだ」

「おい、HLPDも巻き込まれてるじゃねぇかこのアホ!」

「壊滅した訳じゃあないし、死ぬよりましだろうが」

 

 前方の混乱を避けるように進む車内でロウが吠える。

 

「クソが、一瞬でも奢ろうと考えた俺が馬鹿だったわ!」

「そりゃ残念だ。まぁ突撃の大部分はゴロツキ共に吸い取られたみたいだし、仕事は続けられるだろうよ。なんだかんだで俺達からあまり離れてなかったんだろうな。ほんの少しだけ見直した」

 

 こちらに近付いてくるHLPDの車両を見つつ、心の籠もっていないコルネリウスの賛辞。殆どの部下達が肝心な場面で距離を取っていたのも事実であると思い出したロウは、不服そうに唸りつつも矛を収めて話題を変える。

 

「というか、空間編成なんていつの間に仕込んだんだ。最後のあれ、後ろにいた連中を前にやったんだろ」

「術式は俺のじゃなくて、元からあったのを弄っただけだ。さっき話題になっただろ」

「……ああ、霧のせいだけじゃねぇってあれか」

 

 コルネリウスが行ったことは単純だ。一定の領域で区切った空間をパズルのように入れ替える空間編成の魔術、それを用いて騎兵の位置を入れ替えただけである。魔術自体は大規模かつ複雑だが、他人が準備したそれに一時的に介入して好きに使う程度であれば、コルネリウスにとってそう難しいことではない。地に刺した大剣はブレーキであると同時に、魔術的なハッキングツールでもあった。

 

 もっともそれは、高度な魔術を用いて今まで状況をコントロールしていた者の存在を意味する。

 少なくとも味方ではないであろう難敵の影。しかしコルネリウスの顔には、うんざりとしたものはあれど脅威の色は無い。

 

「俺の勘が鈍ってなけりゃだが、相手はわかってるんだよなぁ……」

「なんか心当たりでもあるのか。ろくな交友関係じゃねぇな」

「ほっとけ」

 

 そんなコルネリウスの視線の先。炎上したトラックの上では、ボルドイが不死の騎兵達と死闘を繰り広げている。彼の能力があれば移動手段を再度確保することは出来るだろうが、それが許される状況とは程遠いだろう。

 

「眼前の危機は脱したことだし、お前も指揮に戻れよ」

「ここでも出来るだろうが。大体、てめぇだって監視対象だぞ」

「そうかい」

 

 コルネリウスはロウの首根っこを掴み、運転席のドアを開ける。彼が空いた側の手でジェスチャーをすれば、横付けするように近付いていたHLPD車両の運転手は察したようで、慌ててドアを開けた。

 

「おい待て、まさか」

「本日はコルバッハ・キャブをご利用頂きありがとうございました。次回はシートベルトをきちんとご着用ください」

 

 ロウの身体を留めるものは無く、白い霧が広がる空に一人の警部補が飛び立った。

 

 

 

 

 

 

 

 霧の大地を疾走するコルネリウスの車の前方には、一台のスポーツカー。霧よりも濃い煙に包まれた車体には多くの傷があり、走行にも多少の支障が出ているようであった。

 コルネリウスは自身の車を横に付けるよう移動させ、窓を開けて叫ぶ。

 

「ボルドイを押し付けたつもりだったろうが、そう上手くはいかなかったな、ハルバストル!」

 

 その声に応じるようにスポーツカーの窓が開き、表情の読めない機械の顔が覗く。

 

「まったく、君はその狭量なところを直した方がいい。美しくないだろう」

「人が戦ってる間にコソコソ逃げようとした奴が言うことかよ……」

 

 空間編成による騎兵突撃に巻き込まれ、車が傷付きさえしなければコルネリウスとの距離は大きく離れていたであろう。ボルドイの好戦性を考慮すればコルネリウスがそちらを優先するのは必然であるため、策として悪くはないものであった。

 

「効率的と言って欲しいものだね。今とて獣のように君に牙を向けず、こうやって対話をしているだろう」

「物は言いようだな。お前の煙は飛び道具にゃ強いが、力が加え続けられる直接攻撃とは相性が悪いってだけだろうに」

「なに、それとて対処は十分に可能だ。知っているだろう」

 

 これが答えだと言わんばかりに、自らの鋼鉄の腕を見せつけるハルバストル。表情こそ無いが、余裕があることは間違いない。それを面白くなさそうに見つめるコルネリウスに対し、ハルバストルは言葉を続ける。

 

「さて……問答無用で仕掛けてこないあたり、今回は妥協点があるように思うが」

「どうだかな。お前が目的を正直に答えるか次第だ」

「ふむ……」

 

 ハルバストルは考え込むように手を顎に当て、少ししてから頷いた。

 

「よかろう。私が求める物は二つ。まずはノボスツーヌク空間断裂爆弾。数ヶ月前に二重関門で押収されたものだが、先日保管庫からの正式かつ不自然な持ち出しが確認された。私の調べでは、目的地にある可能性が高い」

「……まぁ、あの程度のもんならこの街にはゴロゴロしてるからいいか。もう一つは?」

「出処が合衆国政府であることが明確な核兵器――と言ったらどうする?」

「………………」

 

 コルネリウスは無言のまま、指でハンドルを叩く。それを何度か繰り返した後に、大きく息を吐いた。次の瞬間、ドアを開いたコルネリウスは逆上がりの要領で車体の上へと至る。

 

「時間の無駄だった。というよりお前はボルドイのような後入りのアホと違い、"会議"の理念を覚えていたと思ったが」

「"平和に非ず、我らが自由のために"――勿論覚えているとも。芸術活動のため、HLの最低限の平和を保つのは私も望むところだよ」

 

 一方のハルバストルもドアを開け、煙に運ばれるようにして優雅に車上に立つ。向かい合う両者は共に血と煙でハンドルを包み、自らの意思のみで運転を可能とする。

 

「そのダサい標語はともかく、なら別の玩具にしろよ。人界限定の遺物より派手で強力、かつ封殺手段に乏しい兵器なんざ、今となっちゃ幾らでもあるだろうに」

「遺物呼ばわりするあたり、わかっているのだろう。"外"の人間種はそれを知らず、故に心を揺さぶる最大の兵器は未だに核だ。HLでは演出の出来ない、政府、あるいは国の終わりというものに興味が湧いた以上は仕方がない。それに、その程度で街の根幹が揺らぐことはなかろう」

「まぁそうなんだが……理由は二つ。まず依頼の目的だから譲る訳にはいかん」

 

 コルネリウスは『門』から取り出した大剣に血を纏わせた。対するハルバストルは両肩を始めとする身体の各所から円筒形の機械をせり出させ、大量の煙を放出する。

 

「やはりそうか。もう一つは?」

「故あってすぐに取り出せない資産が北米に割とあってだな……」

「やはり美しくない奴だな、君は!!」

 

 呆れを含んだ叫びと同時、血を纏う大剣と煙で作られた無数の槍が激突した。

 

 



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第二十四話

 剣や銃弾を煙が受け止めるという現象は、言うまでも無く物理法則を無視している。とはいえハルバストルの操るそれにも一定のルールはあり、その最たるものが密度、というより量によって効果が変わるというところだ。

 だが機械の身体に溜め込まれた煙の量は圧力など存在しないかの如くであり、周辺一帯を覆って余りある程。そこから生み出される武器や拳を模した攻撃の威力は金属のそれより高く、速度も通常では有り得ぬものだ。剣を打ち合わす時にだけ重量が発生しているのではないか、そう思わざるをえない反則じみた攻撃は止むことがない。

 

 対するコルネリウスとて、反則の度合いで言えば同じようなもの。攻防万能な血を常に武器と全身に纏わせ、ろくな詠唱も無しに数々の魔法を発動させる。技術であると言えばそれまでだが、それは相手とて同じことだ。

 

「千日手だと、そうは思わないかね?」

 

 煙での攻撃に紛れて大経口の拳銃を撃つハルバストルは、厚さ数十ミリの鉄板を悠々と貫通する筈の弾丸を剣で叩き落とすコルネリウスに向けてそう言った。

 

「思わんな! お前の全方位攻撃は厄介だが、堅牢な相手を仕留める際は感知が容易な程に煙を集めなきゃいかん。相手を内部から殺す術は俺には通用しないし、奥の手も把握してる」

 

 後は近付いて叩き切るなり、魔法を撃ち込むなり。ハルバストルに相性の良い攻撃を続ければいいとコルネリウスは笑う。

 

「それとてある程度は防げるし、そも根本的な解決にはならないと知っているだろうに……」

「別にお前を殺せなかろうが、玩具を運べない状態にすればそこで勝ちだ」

「ふむ、相変わらず嫌なところを突く男だ」

 

 困ったものだと、そう言わんばかりにハルバストルは首を振る。やはり表情を読むことは出来ないのだが、押されている事実を気にしていないように取れるその言動。

 コルネリウスはこの敵が勝算も無しに戦いを挑む相手では無いと知っている。何かしらの隠し玉を用いられる前に決着をつけるべき。そう考えた彼が自身の車を相手のそれへとぶつけようとすると、ハルバストルはコートの内より新たな拳銃を取り出し、しかしそれを敵ではなく空へと向けた。

 

「故に、ここは舞台を変えるとしよう」

 

 甲高い音と共に撃ち出された弾丸は輝く軌跡を描き、天高く舞い上がる。込められた弾丸は相手を害するものではなく、曳光弾だ。即ち、誰かに位置を知らせるための手段。

 僅かな後、コルネリウスの優れた聴覚は空を裂く幾つかの音を捉えた。それは力強いエンジンの音であり、ローター・ブレードの回転する音であり、そしてミサイルの推進剤が燃焼する音だ。

 

「重騎兵を撒いたと思えば、今度は航空騎兵たぁなんの冗談だ!?」

 

 地上に激突した無数のミサイルが爆炎を伴う轟音を発し、地面を捲り上げていく。たまらず攻撃を中断して車を操り、回避行動に移るコルネリウス。上空を見上げた彼が見たものは、遠くから急速に近付いてきつつある巨大な飛行船やヘリの数々。科学のみを用いた通常のものから、異界存在と一体化した生物型まで多種多様な航空戦力が展開されている。

 

 ちょっとした軍隊並みの陣触れと、それを構成するのが多数の傭兵チームであることを見て取ったコルネリウスは叫ぶ。

 

「随分と大盤振る舞いじゃねぇか! いくら大作だろうが、"外"に出て直接見れない身でそこまで入れ込んでどうする!」

「それだけの価値はある……と言いたいところだが、生憎と私が雇ったものではない」

 

 ハルバストルは首を振りつつ、彼に向けて降ってきたミサイルを煙で包む。爆炎を煙の内に閉じ込められたミサイルはその役目を終え、残った煙はハルバストルの新たな武器と化した。

 

「あん? じゃあこいつらの雇い主は」

「デューラーではないかね、ほら」

 

 鋼鉄の指が指した先、一際大きな飛行船。その搭乗部の左右や下部のハッチが開き、無数の鉄の塊が飛び出す。それは黒塗りにされた大型バイクや、踏破性に優れた軍用車用だ。搭乗者は全て斬撃のための武器を所持し、頭部と胴体にはそれらを繋ぎ止める鎖を有している。"首無し公"デューラーの麾下であることは間違いなかった。

 

「上空にいたのを、私の煙で惑わせていたのだよ。恐らくは、我々のように手早く事態を終えてしまいそうな面々への妨害用だろう。次善の策として、彼自身が目標を確保し事態の混乱を深めることも出来る訳だ」

 

 主の目的を妨げんとする者の首級を挙げんと、首無しの兵団が二人に迫る。空爆を避け、防ぐために速度を落としたコルネリウス達はそれを迎撃する他無かった。追いついた首無し達は車両、あるいはその上に立つ怨敵を切り刻むため、種々様々な刃を振るう。

 

 彼等の技量は飛び抜けたものでこそないが、高い平均を誇る。先程から降り注ぐミサイルやロケット砲に加え、高度を下げて接近して来たヘリまでもが参戦するのだ。いかなコルネリウスとて防ぎ切れるものではない。血に覆われた車体や銃火器は高い防護性能を持つものの、徐々に傷付けられていく。

 しかし一方のハルバストルの様子は、同じ状況下にあってもコルネリウスとは随分と異なる。コルネリウス自身が先程指摘したように、ハルバストルの車両を包む煙は大半の飛び道具には有利であった。数多の弾丸や爆発物は一度推進力を失ってしまえば後が無いため、衝突の一時だけ煙の密度を変えるなりして簡単に防ぐことが可能なのだ。その性質上、面で守ることにも長けており、爆炎なども通しはしない。振るわれる刃にのみ留意し、時にコルネリウスへのちょっかいすら可能な余裕を作り出している。

 

「どうだね、君とてこの状況は辛かろう。時には妥協が必要だと思うが」

「……言うじゃねぇか。その言葉、忘れるなよ」

 

 挑発を受け、動きが止まったコルネリウスの声が低いものへと変わる。それを隙と見たバイクに跨る首無しが両手斧を振るうが、彼はそれを大剣で叩き斬り、驚愕に硬直する顔を掴んで地面に叩きつけた。哀れな首無しの頭部は、車の速度と大地の硬さであっという間に摩り下ろされる。

 

 放り投げられた首無しならぬ顔無しが他の車両に激突。転倒と爆発によって生まれた新たな煙を吸い上げつつ、ハルバストルは余裕を示すように両手を広げた。掌には先程まで存在しなかった筈の魔法陣が輝いている。

 

「窮地における勝算の無い意地は醜いだけだ。どれ、君の気持ちが傾くよう、もうひと押ししてあげるとしよう」

 

 ハルバストルはコートの裾を翻しつつ横に一回転してから、左手で右腕を掴む。右手も左手も閉じているというのに、そこから放たれる光は尚も眩く、目を背けたくなる程。右腕と右肩からせり出していた円筒はそれまでとは異なり、煙の排出ではなく吸引を始めた。絶え間ない爆炎と爆音にも負けぬ光と吸引音の中、ハルバストルは左手の人差し指を立て、高らかに宣言する。

 

「エアリエルよ、群がる巻雲に乗って走っておくれ」

 

 風、煙、音。最後に光。

 

 異能と魔術により、世界の本来あるべき順序を歪めて射出された鋼鉄の右腕。煙と業風を纏った拳は秒にも満たぬ時間でコルネリウスへと至る。コルネリウスは周囲を取り囲む敵を切り裂く途中であったが、大剣を強引に引き戻し、ワイヤーを巻き付けた左腕をその後ろに添え、血で足と車体を繋いで鋼鉄の拳を受け止める。

 

 衝突により生まれた衝撃波と暴風は、二人の周囲に群がっていた首無し達を切り刻みながら吹き飛ばした。魔術同士、鉄同士がぶつかり合い、生まれた火花と光が周囲を照らす。

 暴力的な眩さの中、ハルバストルが左手を掲げる。その掌にある魔法陣が一際強い輝きを放ってから、役目を終えたかのように唐突に消えた。時を同じくして、右拳から溢れる光も。

 

「――――そして、君の呪いを解こう」

 

 永遠にも思える一瞬は拮抗では終わらなかった。光が消えると同時、右腕が鎧の如く纏っていた風と煙が周囲に解き放たれる。その対価のように力を増した拳がコルネリウスの大剣と左腕を弾き飛ばし、腹部へと突き刺さった。身体はくの字に折れ、血で繋げた足場すら引き剥がして宙に舞う。

 

 力無く落下するコルネリウスを、難を逃れていた首無し達が地上に落ちる前に切り刻まんとする。無数の刃がコルネリウスへと迫り――――

 

 

 

「――夜が遠い事に感謝しろよ」

 

 

 

 振るわれた大剣と、コートの内から放たれた無数のワイヤーや短剣。凶手達はただの肉片と化し、鮮やかな緋色と濁った赤の噴水が周囲を染め上げる。

 コルネリウスは魔術、そして身と大剣に纏う血の位置と量を調節することで、中空での強引な回転を果たす。そして首無しが乗っていた車両群を次々と足場とし、自身の車へと戻ってきた。

 

「……あの程度で死ぬとは思っていなかったが、予想以上に――」

 

 ハルバストルの言葉は響き渡る轟音によって遮られる。それは先程まで雨の如く降り注いでいたミサイルやロケット砲の音ではない。故に音の出処へと振り返った"劇作家"が見たものは、白い空を一時的にでも赤に変える程の爆炎と、炎上し地に落ちていく巨大飛行船の姿であった。

 

 ハルバストルは再度振り返る。一瞬目を離しただけのコルネリウスの周囲には、途轍もない量の精密な魔法陣。鉄の劇作家は戻ってきた右腕を装着しつつ、先程までと同じ声音で一言。

 

「怒りの魔法を投げ捨てる事こそが、幸福への道筋だと思うのだが」

 

 返事は爆炎であった。

 

「――――こら、待ちたまえ! これでは君の車も吹き飛ぶだろう!」

「黙れこの三流作家がぁ!! 吐いた唾ァ飲めねぇぞ!!」

 

 数を把握することすら困難な大量の魔法陣は、記された術式を次々と発動させる。あらゆる理不尽を内包する霧さえも吹き飛ばすような、途轍もない魔力と爆炎が撒き散らされ、周囲はたちまち火の海になった。

 

 地上の首無し達は言うに及ばず、飛行船やヘリといった航空戦力も戦いなど忘れて逃げ惑う。ハルバストルも全ての煙を用い、またコルネリウスによって新たに生み出される煙を取り込んで防御に徹しているが、火力と手数が多過ぎるため明らかに防ぎ切れていない。

 自身の防御が削られる様と周囲の惨状。口の端から流す血を気にも留めず新たな魔法陣を紡ぎ続けるコルネリウスを見て、ハルバストルもついに白旗を上げる。

 

「落ち着け。よし、こうしよう。ここは私も妥協するので――――」

「今更遅いわ! これが最終的な解決だ!」

 

 コルネリウスが今までのそれより更に大きな魔法陣を宙に描いた、その時。

 

「次元刀斬法――――――断空線」

 

 空すらも断つような広大な斬撃が霧と爆炎を切り裂き、コルネリウスの魔法陣とハルバストルの上半身を斬り飛ばした。

 

 

 

 

 

 

 

「本当に我を忘れる訳ないだろうが。仮に車が吹き飛んでも、爆弾の一つや二つ運ぶ手段幾らでもあるんだよ」

「その一点だけで冷静さを主張するには無理がある。我輩はそう思うのだが」

「うるせぇな。その胡散臭い一人称がキャラ付けだって新聞社にバラすぞ」

 

 黒煙を上げつつもなんとか走っている赤い車と、その脇を駆ける鋼鉄の四足獣。といっても後者は生物ではなく移動を補助するための機械であり、頭部にあたる部分に操縦者の足を乗せるための機構が備え付けられている。

 前者のルーフに座り込んでいるのはコルネリウスだ。そして後者を操っているのは黒いタキシードにシルクハット、マントにステッキと物語の中から抜け出してきたような怪盗スタイルの男。ゴシップ誌曰くHLで一番の伊達男、"次元怪盗"ヴェネーノである。

 

 コルネリウスとハルバストルの戦闘、あるいはコルネリウスの暴走に介入したヴェネーノ。彼はその場での戦闘は無益であると判断し、コルネリウス達に同行を申し出た。

 

「やめたまえ。これは世間の側もそれらしい怪盗に期待しているからであり、決して趣味などではないと……」

「何度でも言わせて貰うが、コルネリウス、君はその狭量なところを直した方が良い」

 

 そう、コルネリウス達に、である。

 

「元はと言えばお前のせいだろうがハルバストル。欲出しやがって」

「その点は否定しないがね。しかしあれはあまりにも――――」

 

 コルネリウスの車の上には、横に両断されたハルバストルの身体が乱雑に固定されている。しかし動力が切れたかのように動いておらず、声はコルネリウス達の頭上、正確にはそこに広がる大量の煙から響いていた。

 それは単純な話で、この煙こそがハルバストルの本体なのだ。種類問わず煙を取り込むことで自身を膨張させたり分身を作ることが可能な、気体型よりも概念型に近い異界存在。それが"劇作家"の正体であり、高い不死性を伴う強さだ。一見相性の悪い"機械公"と互角に渡り合える理由でもある。

 

 先行していたがこのままでは争いに巻き込まれると思ったヴェネーノの一撃により、ハルバストルの戦闘用義体は大きな損害を受けた。車も破壊されており、仮に目標を確保しても離脱は難しい。そう判断したハルバストルは、ヴェネーノの介入で多少冷静さを取り戻したコルネリウスと交渉。核を諦めることと少々の協力を見返りに、もう一つの目標を譲ってもらう選択肢を選んだのだ。

 

「――――ここまで話が面倒になったのは、ヴェネーノ、てめえのせいでもあるんだぞ。霧の悪戯に混ぜるようにして、モキートに空間編成仕掛けさせてただろ」

「妨害はしたが、そこまで我輩の責任にされても困る」

 

 主にコルネリウスが突っかかる形で、ああだこうだと言い合いながら一行は進む。後続はコルネリウスの残した炎や、ヴェネーノの協力者であるモキートという魔術士によって進行を阻まれている。そうして生まれた時間的猶予を活かし、ついに三人は目的地へと一番乗りを果たす。

 

 如何に常識を超越したHLの深部と言えど、地上かつ空間が歪んでいなければ、何処に何があるか程度は誰かしらが知っている。基本的にという前置きは付くし、情報の持ち主が行政であるとは限らないが、とにかく最低限のマッピング程度はされている。

 それによれば、この座標では大規模な空間・地殻・物理法則等の変異は確認されたことが無く、謎の存在が目撃されたこともあまり無い。周囲より安全な、移動式の魔術地雷原と廃墟のみが広がっている筈であった。

 

「……城だな」

「成程、あの騎士達はここから出撃していたのだろう」

 

 しかし、三人の眼前に聳えるのは大規模な堀や城壁を備えた、石造りの城塞である。過去の遺物であることは間違いなかろうが、まさか地図の情報提供者も廃墟と城を同一視することはあるまい。異界と繋がっていようと、ここは北米大陸なのだから。

 

 次なる行動を決めかねていた彼等の前で、跳ね橋がゆっくりと降り始める。年季の入っているであろう木製の橋が、澄んだ水を湛える堀としては珍しいそれに道を架けた。次いで城門や門楼の落とし格子が上げられ、内部への道が開かれる。何かしらの妨害がかけられているであろう、外からでは内部が一切伺えぬ城門は、石で造られた生物の口の如き不気味さを発していた。

 

「ふーむ……招待されているようだが?」

「私は戦闘ボディがこれなものでね、君達に任せるのが効率が良いと思うのだが」

「こっちを見るな。一歩も進む気無いだろ、お前ら」

 

 別の意味で醜い先陣争いを繰り広げる三人は前に進もうとはしない。百戦錬磨のHLの札付き達ともなれば、地雷を踏む前に見つけるだけでなく、それが踏んでも良い地雷かどうかもわかるものなのだ。

 そんな彼等に焦れたのだろうか、門の内より鉄の音が響き始める。規則正しい、恐らくは足音であろうそれ。暫し後、城門より一人の鎧騎士が現れ、跳ね橋を渡ってコルネリウス達の前までやって来た。

 コルネリウスの見たところ、騎士の装いは先程まで散々見た騎士達と同系統のもの。違いと言えば、それよりも豪華で身分の高さを示しているところであった。

 

 騎士は優雅かつ丁重に礼をしてから話し始める。

 

「ようこそお越し下さいました。我らカネリアル騎士団の今世の主、"悔恨王"ネストル様がお待ちです」

 

 

 

 

 

 

 

 13王とは太陽である。かつてそう言い表した評論家が居た。

 別にその人物は狂気に陥った訳ではなく、彼等をイカロスに対する太陽のような存在だと言いたかっただけだ。大いなる力を持ち、異界を前にした人類種の頂点かつ希望であり、しかし近付き過ぎればその身を焼かれるのだ、と。

 

 彼等は人間なのか、そうだとして同族の栄光になど興味を持つのか。根拠の無い期待に塗れた乱暴で杜撰な、しかし人間種の覇権が不安視される中で一定の支持を得た説であった。

 だがコルネリウスに言わせれば、一番の間違いは種が云々ではない。太陽は断じて、人を殺す距離まで向こうから近付いては来ないのだ。しかも逃げても追ってくるのだから、質の悪さは筆舌に尽くし難い。原初の鳥人間コンテストで遠回しな自死が成されたのとは訳が違うのであり、断じて同列に語ってはいけないのだ。

 

 謁見の間。そう教えられた部屋の巨大な扉がゆっくりと開いていく中、コルネリウスは現実逃避気味にそんなことを考え続けていた。

 

「こちらへ」

 

 先導する騎士に付いて行くコルネリウスの眼前に、絢爛豪華な空間が広がる。天井を埋める光の結晶の如きシャンデリア、立ち並ぶ金銀で形作られた燭台や鎧、貴重な木材で作られた家具と、その上に並ぶ芸術品じみた調度や宝の数々。どれ一つ取っても十分な財産になるであろうそれらは、しかし見る者にどこか物寂しさを感じさせる。

 理由はそれが一度過ぎ去り、失われた世界だからだ。コルネリウスは室内に居並ぶ無数の高位騎士達を眺めつつ、過去にも幾度か得た感覚を再確認する。

 

 この一日で何度も戦った騎兵達と同じように、彼等は全て亡霊だ。

 肉体を持たぬ訳ではない。物質化も霊体化も可能だ。人の特性を失った訳ではない。生者に可能な事は同じように成せる。不死性まで得た彼等は、むしろ人間の上位存在だ。

 

 それでも、それでも。滅びの気配と、そう言い表すしか無いような奇妙な感覚を見る者に与える。ただのアンデッドや亡霊では持ち得ぬ、色褪せた写真のような何か。そんな彼等と共に蘇った品々もまた、同じ影を持っている。

 

「――やあ、やあ。久し振りじゃあないか。よく来てくれたね」

 

 過ぎ去りし日々の王。それがこの"悔恨王"ネストルである。

 複眼ルーペとでも言うべき無数の拡大鏡で目元を隠した、スリーピーススーツにウェストコートの男が玉座に座って笑う。対するコルネリウスの顔には、早くも疲れの色が見える。13王とはそういうものだ。

 

「来ざるをえない状況にしたんだろうが。理由が無きゃ、俺もあいつらのように帰るわ」

 

 コルネリウスは宝を前にしてあっさりと帰還した怪盗と、殿を務めるなどと言って入城を拒んだ作家を心の中で罵倒しつつ、そう嘆いた。

 

「しかし、君は前進を選んだ訳だ。未来の為に過去を求める……実に素晴らしい! 君がそこまで私の考えを理解し、実行してくれるだなんて!」

「いいから『記憶』返せ。あと核」

 

 コルネリウスがこの場に嫌々ながらやって来た理由はそれである。入城を渋るコルネリウスに対し騎士が告げた、"悔恨王"が彼の『記憶』を持って待つという言葉。

 コルネリウスは13王と関わるぐらいであれば、HLの幾らかが灰燼に帰そうとも、北米に眠る資産が凍結されようとも構わない。最も大事にすべきは命なのだ。使った食器を洗う程度の感覚で世界に大洪水の如き破滅を再来させかねない連中と付き合うのは、明らかにリスクに見合っていない。だがそれでも、こと『記憶』に関してであれば話は別。

 アイデンティティでは済まない何かと『妹』に纏わるそれは、コルネリウスにとって世界の滅亡と向き合ってでも取り戻すべきものであるから。

 

「まぁまぁ、焦りは禁物だ。せっかく来たのだし、互いの近況でも伝え合おうじゃないか。具体的には選挙で何をしたとか!」

「……はいはい、わかってましたよ。この時期はいつもそれだな」

「そうこなくては! HLの、そして世界の未来に纏わる地道ながらも重大な出来事だからね」

 

 ネストルが両手を小気味良く打ち合わすと、コルネリウスの眼前で塵が集まるかのようにして椅子が組み上がる。木材が削れた脚、剥がれた塗装、折れた膝掛け、色褪せた背もたれの刺繍。今にも崩れてしまいそうな頼りないそれが、ビデオのフィルムを巻き戻すかのようにして修復されていき、瞬く間に立派なアンティークへと蘇った。

 

 コルネリウスはそれに腰掛け、神がかった魔術を詠唱も無しに用いたネストルと向き合う。

 

 世間では"悔恨王"は当代一の死霊術師とされることが多いが、その認識は正確ではない。彼は確かに死霊術を修めているし扱いもするが、その本質はあらゆる存在をあらゆる形で"蘇らせる"ことに特化した男だ。

 そして彼は時や、それを超えた世界そのものに纏わる何かにすら手を掛けている節がある。コルネリウスはかつて三十個以上の肉片に分割した筈の彼が、次の瞬間には再生の気配なく元通りになっていた経験からそう考えていた。

 

「今回の選挙で擁立したのはこの騎士団だったな。お前に下手に対抗すると、地獄の底から有権者が無限に湧いて出てくるからなぁ」

「ルールから逸脱はしていないさ。それに、この街で意思持つ死者は珍しくない。私の周囲だけを問題視するのはおかしいだろう」

「限度ってもんがあるだろうよ。お前が好き勝手し続けたら、いずれ神の国が定員割れを起こすぞ」

「それはいいことじゃあないか。黙示録で世界が滅ぶというのであれば、私はそれをもう一度再建して見せるよ!」

 

 胸元の懐中時計の針が不規則に回転し、両目に装着された複眼ルーペもどきがガチャガチャと音を鳴らして回る。持ち主の感情を表すかのようにレンズが明るい色に変わったり、明滅を繰り返すのを眺めつつ、コルネリウスはため息をついた。

 

 コルネリウスは彼を――他の13王もいくらかはそうだが――HL成立以前から知っている。そのコルネリウスからすれば、ネストルの言葉は大言壮語でもなんでもない。

 火山の噴火で一夜にして滅びた街を一晩で住人ごと蘇らせ、戦場で無念の最期を遂げた将をその軍団ごと現世へ呼び戻し、空想だとされていた失われた土地を追憶の彼方から呼び戻す。HLが生まれなければ、彼もまた他の13王のように人界を滅ぼすか、決定的に変質させていたことは間違いないのだ。

 

「世界は日々、より良い方向へと変わっている。そこに途切れてしまった技術や価値観、滅びを経験した者達の記憶、そして過去には届かなかった声を加えれば、未来は更に素晴らしいものとなる」

「劣っていたり、無用だから消えたものも多いだろうが。隔絶し過ぎて拒絶反応起こしてるぞ」

 

 太古の聖人を実際に擁立して宗教改革を掲げる騎士団が、神が同祖であったことから同盟を組んだ部族のシャーマン・騎馬民族連合と相争う。そこに都市ギルド連合から支援を受けた武士団が横殴りをかけ、戦場を眺めるギリシア式民会がああだこうだと言い合ってる横でシルクロード商人が屋台を開く。そしてそれら全てが最新の魔術だの、HL由来の科学兵器だのを扱っているのが"悔恨王"の周囲における日常だ。

 

「それはそうさ、前提が大きく違う彼等がすぐに答えを導き出せる筈がない。好きなだけ意見をぶつけ合えばいいんだよ。なぁに大丈夫さ、何度死んだって、私がいる」

 

 ネストルは手を広げる。

 

「この街で生きていれば、彼等もいずれ世界について考える時が来る。そして敵対的・消極的にでも共存し、世界を回すための良き方策を生み出すよ。そうして過去の失敗をやり直すのさ。そう、未来のために!」

「……お前の未来志向は後ろを、過去を見過ぎだ」

 

 過去の彼等はああすればよかったのではないか。この事件はより良い結末を選べたのではないか。あの災害さえ無ければ。ここで病を得なければ。こうなれば、ああなれば、あれさえ……

 

 今がどう乱れようとも、未来のために、過去をやり直そう。彼は常にそうだ。故に"悔恨"。時に埋もれたあらゆる存在を掘り起こす、逆廻しの時計の王。

 

 後ろ向きのまま全力疾走を続ける稀代の狂人が立ち上がる。彼が手を打ち鳴らすと、彼とコルネリウスの間にあった床が伸びるようにして部屋が拡張された。それを見たコルネリウスも無言で椅子から立ち上がり、『門』から大剣を取り出す。

 

「お前の相手ではなく、騎士団最強の称号を持った騎士と一騎打ちをすればいいって条件に変わりは無いな?」

「勿論だとも! 私は"絶望"と違って嘘はつかないからね! 今回の余興とて、"こちら"で彼がやんちゃをする代わりなのだから。こうすることで、あれもきっと良い未来へと繋がるさ!」

「また訳のわからんことを。あの出歯亀が何か……いや、いい。どうせろくな事じゃない」

 

 剣を構えるコルネリウスの前に、同じく獲物を構えた騎士が歩いて来る。装いこそ豪奢であるが、魔術を用いる者にとって見た目と実用性は別物。また身の運びや纏う気配は戦場を渡り歩いた者のそれであり、一目見て尋常ではない遣い手だとわかる。

 

「初代"カーネリアン"ジャン・ド・ジェクス。いざ、尋常に……」

「おい待て、なんだその後ろの連中は」

 

 ただし、その背後には部屋に控えていた大量の騎士全てが列を作っていた。

 

「一騎打ちだよな」

「然り。我らが主の言葉に偽りはありませぬ」

「おいネストル」

「うん?」

 

 "悔恨王"は首を傾げ、ややあって手をぽんと打ち鳴らす。

 

「ああ、"カーネリアン"との一騎打ちだね。彼は初代カーネリアンの――」

「それは知ってる。……ん? おい、まさか」

「騎士団を"全て"蘇らせたからね。歴代の称号保有者が勢揃いさ! みんな君の活躍を見て直接戦いたいって言うけど、一人だけってのも悪いし。大丈夫、彼等は誇り高いから一騎打ちの形式は守るし、休憩もあるよ」

 

 悪意のない笑みを浮かべながらネストルはそう言い、胸元から光沢のある黒い正二十面体――コルネリウスの『記憶』を取り出した。それを高々と掲げつつ、彼は宣言する。

 

「今日の選択を昨日の最善とし、明日の運命としよう! 我が友コルネリウス君、未来のために過去を掴むのだッ!!!!」

「こんのクソ野郎がぁ!!!!」

 

 コルネリウスが自宅に帰ったのは、これより七十二時間後のことであったという。

 

 




諸々の都合で一人出番が無くなったのがいますが、これは閑話に突っ込みます。


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第九章 応接不暇
第二十五話


この章はリハビリがてら短編集です。


「――なんだテメェ! 俺の言うことが信じられねぇってか!」

「いやそういうことじゃなくてすね……」

 

 ある昼下がりのこと。片腕にパン屋の紙袋を抱えて歩いていたコルネリウスは、聞こえてきた言い争う声の片方に聞き覚えがあると気付いて足を止めた。

 声の出処は彼がいる大通りから一本脇に入った、アパートの多い地区。立ち並ぶ集合住宅の中では随分と小奇麗な一棟の前で、小柄な黒髪の少年が困ったように頭をかいている。

 

「これだから背高の連中は駄目なんだ。おい、お前もそんな奴にひっついてねぇでこっち来い!」

「ええ!? いや、その……気持ちはありがたいけど、僕はレオ君と見て回るからいいよ」

 

 が、声は二人、どころか三人分あるというのに姿は一人。少年の様子を見るに通信機器の類を用いている訳でもない。コルネリウスは首を捻りながら近付き、後数歩の距離に至ってようやく事態を把握した。

 

「なんだってぇ!? オメェ、俺達と同じ癖に背高に媚びるってのか! そいつらにオメェが満足できる家なんて探せる筈がねぇだろ!」

「いやいや、俺はあくまで足代わりで、決めるのはリールさんすよ?」

 

 三人の内、二人は小さいのだ。小柄を通り越した、数センチサイズの小型種族。片方は少年の肩に取り付けられた、小さな板と玩具の椅子を組み合わせた足場の上で困ったように。もう片方はアパートの周囲だけ敷かれたレンガの歩道の上で、超小型カプセルの射出機を片手に気炎を上げている。

 

「……そうか! わかった、オメェその背高に脅されてるんだな! くそっ、気付けなくてすまねぇ。だがそうとわかったからにゃあ待ってろ、今俺がこの防犯用濃縮ヒドラ毒で……」

「なにその飛躍!? というか、それ正式には過剰防犯用にカテゴリされてる規制逃れ兵器ですよね。撃たれたら俺死にますから!!」

「簡単に死ぬ死ぬ言う奴の死ぬは信用ならねぇんだ、死ね! 喰らえ、必殺――」

 

 相手が本気だと悟り、慌てて逃げ出そうとする少年と、その背に向けて躊躇いなく引き金を引く異界存在。コルネリウスは地を蹴り、その合間に入り込むと、自身に命中する軌道で射出されたカプセルを血を纏った手で掴み、握り潰した。

 掌から歩道に零れ落ちた毒液が、音と煙を立てながらレンガを溶かす。その物騒な音に恐る恐る振り向いた少年――レオナルド・ウォッチは見知った顔に驚いたような反応を返す。

 

「あれっ、コルネリウスさん……?」

「おう、久々だな、レオ。相変わらずというか、苦労してるようじゃあないか」

 

 

 

 

 

 

 

「成程、小さくなった友人の新居探しねぇ……」

「はい。もういくつか回ったんすけど、さっき寄った店でここが良いって紹介されて」

 

 アパートの入り口――二つ用意された内、通常サイズのそれをくぐった先にあるちょっとしたエントランスで、コルネリウスはレオから事情を聞いていた。

 あのままレオナルド達を放置するのは危険であったし、何よりコルネリウスが暇なのだ。

 

 レオナルド曰く、詳細は省くが準人型種から小型種へと変異してしまった友人。言うまでもなく従来の生活を続けることは難しいため、新しい住居、そして職場を探していた。

 だがレオナルドの友人であるリール――コルネリウスの視線の先、階段やエレベーターの造りを確認している彼は、あくまで変異しただけであり、生来の小型種ではない。故にそれらを探すためのコツや手がかりといったものを持たず、状況は芳しくないのだとレオナルドは言う。

 

 リールにとっての唯一の救いは、小型化に伴い食費や光熱費といった出費が大幅に削減されたため、強制的に失職した現状でも暫くは生活に余裕があることぐらいだろう。

 もっとも、心配したレオナルドが付き添わないといけないことからもわかるように、あくまで金銭的には、であるが。

 

「お前の職場に相談してみたりは?」

「あー、その……ちょっと言い出し辛くて。ほら、クラウスさんなんか、忙しいのに時間割いてくれちゃうだろうし。あとは、まぁ、他にもリールさん自身が遠慮したり色々と……」

「うーむ……確かに、お悩み相談所って訳でもないか」

 

 コルネリウスはパンの入った紙袋を『門』に放り込み、腕を組む。

 

 レオナルドの職場、もとい彼が所属する秘密結社・ライブラはこの街に深く通じている組織だ。本来の職務でないとはいえ、こういった件においても何かしら有用な情報を抱えているであろう彼等。その力を借りることが出来ないというのは、レオナルドにとって痛手であろう。

 

 同時に、この隠し事に向いていない少年が言葉を濁したであろう部分。それがリールの事情、及びライブラの職務に関わることではないかとコルネリウスは思ったが、言及することはしなかった。

 コルネリウスにとって、自身に関係の無い、既に終わったであろう世界滅亡の危機など、わざわざ掘り返してまで知りたいものではない。

 

「しかしお前も仕事があるだろうに、付き合いが良いな」

「やー、その……友達なもんで。それに、リールさん割とここ気に入ってるみたいなんですよ。だから解決しない問題って訳でもなさそうですし」

 

 レオナルドからこのアパートに関する資料を受け取ったコルネリウスはそれを捲りつつ頷く。

 

「ああ、確かにここは小型種にとって好条件が揃ってそうだな」

「――――ああん!? それは聞き捨てならねぇぞ、背高!!」

 

 が、そこに怒り混じりの異を唱える声。

 コルネリウスは声の主、リールの横にいた小型種へと視線を向ける。

 

 小さな肩を怒らせた、リスと犬の合いの子のような小型種。名をナッツルといい、先程レオナルドに食って掛かっていた男だ。そしてこのアパートの住人でもあるという。

 

 彼は経緯はどうあれ今は同じ小型種の誼だと、リールにこのアパートについての――やけに否定的な――説明をしている最中であった。そんな身としては、コルネリウスの発言は見逃せなかったのであろう。

 

「コルネリウス、だ。何度も言わせるな」

「知ったことかよ! 今大事なのは、この詐欺アパートを褒めるてめぇの言動だ! やっぱり背高の連中は信用ならねぇ! ああ、そうだ、そうだ!」

 

 見た目はともかくとして、両手を上げ、地団駄を踏むナッツルの怒りは凄まじい。しかもコルネリウス達を事ある毎に悪意ある大型種だとなじり、自身のその発言で怒りを再生産する無限ループだ。会話相手としてはかなり難儀な性格である。

 

 リールに対して良い家を探すのに付き合うと言い、彼自身が足で調べた様々な候補地を教えているあたり、悪い異界存在ではないのだろう。が、今の発言からもわかるように、自身より大型の種に対する敵愾心が強すぎるのだ。

 

「詐欺って……そんな風には見えないけど、なんかあるんですか? それにナッツルさん、ここに二年ぐらい住んでるって言ってましたよね」

「チビの発言は信じられねぇってか! いいか、詐欺は詐欺なんだ!」

 

 疑問を挟んだレオナルドに再度怒りを爆発させるナッツル。見かねたリールが間に入り、両手でナッツルを抑えるようなジェスチャーをする。

 この小さなレオナルドの友人は、コルネリウスから見てどうにも弱気、かつ人が良い。ナッツルが単なる悪意の塊であれば別であったやもしれないが、怒りに隠されがちな優しさにも気付いてしまって突き放せず、親友との板挟みで苦労している様子であった。

 

「まぁまぁ、ナッツル君。それについて教えてもらってもいいかな……?」

「う、お……ああ、リールか。そうだったな、大事なことを伝え忘れててすまねぇぜ」

 

 ひとまず落ち着いたナッツルが、自身の横にある階段、正確にはその両脇に取り付けられた機構を指差す。

 それは一見すると、車椅子や大型の荷を運ぶための階段用昇降機――をかなり小さくしたものだ。ボタン一つで屋根や壁が展開・収納可能なタイプで、荷運びと移動で使い分けられるようになっている。

 

「まずこれだ。これは俺達用の昇降機だが、こんな位置にあっちゃ背高の酔っ払い共に何されるかわかったもんじゃねぇだろ!」

「もしかしてそういう事故があったんすか?」

 

 レオナルドの疑問に対し、ナッツルは首を振る。

 

「起きそうになったことはあるが、意外と頑丈に出来てて安全だったな」

「……リスクがあるってのはわかりましたけど、なら問題無いんじゃ?」

「いいわけあるか! そもそも俺達専用の階段ならあんな事は起きねぇんだ。ここは俺達に快適な暮らしをどうたらとかアピールしてる癖に、実態は背高共のおまけとして見てやがる!」

 

 何かを思い出したのか、虚空に向けて拳を振るうナッツル。コルネリウスはそんな彼を見て、その事故の被害者は彼なのではと思いつつ口を挟む。

 

「だが専用の昇降機が付いてる物件はかなり珍しい方だろう。しかも頑丈、かつこの家賃ともなれば破格だと思うが」

「あ、確かに。実は僕のアパートにもリールさん達みたいな人住んでますけど、いつも自前の移動補助機械使ってますよ」

「うーん、僕もこれ十分便利だと思うけどなぁ。複数あるから順番待ちってのも無さそうだし」

 

 相次ぐ反対意見、特にリールのそれにショックを受けたのか、ナッツルはよろける。

 

「な、だ、騙されちゃなんねぇぞ! これは問題の本質を誤魔化す背高共の陰謀だ! ……よし、他にもまやかしがあるってのを見せてやらぁ。付いてこい!」

 

 

 

 

 

 

 

「次はここだ! 見ろ、この所狭しと詰め込まれた俺達の部屋を。まるでゲットーだ!」

 

 煽動者のように大げさな身振り手振りで背後を示すナッツル。

 

 彼等が立つのはアパートの一室だが、その部屋には本来あるはずの扉が無かった。そして室内には無数の棚が鎮座している。

 

 多くの仕切りと小さな扉を擁するため、コインロッカーにも見えるその棚。正体は小型種用の部屋を並べた特殊住居であり、棚の一つ一つが別のアパートのようなものだ。

 渡り通路や階段はしっかりと用意されているし、屋上にあたる部分には公園や屋台まで見受けられ、小型種達が憩いの時間を過ごしている。小部屋の幾つかは住居ではなくロビーや自然区画、テナントとしても使われているようで、中には普通の人間が買い物をしている姿まであった。

 

 アパートの中に無数のアパート、どころか小さな街があるかの如き光景。レオナルドは思わず感嘆の息を漏らす。

 

「うわ……なんというか、こういうのロマンありますよね。僕、妹に付き合わされて人形遊びしてた時、ミニチュアの家とかデザイン凝ってて地味に好きだったんすよ」

「店に公園に、ありゃ保育園か。大したもんだな」

「これは凄いね……ここなら多少の物は外に出なくても揃いそうだよ」

 

 三者三様の賞賛の言葉。ナッツルはやはり納得がいかないようで、駄々っ子のように両手を振って講義する。

 

「こらこらこらぁ! 見るべきところはそこじゃねぇだろ! ここは背高共にとっては一部屋だってのに、俺達は寿司詰めにされてるんだぞ!」

「いや、でも……住人の皆さんに不満無さそうっすよ?」

「それが背高の陰謀だって言ってるんだこのデカチビ!」

 

 ナッツルは憤って続ける。

 

「いいか? 一部屋に詰め込まれてる上、家賃は背高共より幾らか安い……条件が最大限整っても半額程度だ。提供されてるスペースは背高用の一割もねぇってのにだぞ!? これが詐欺じゃなくて何だ!」

「え、そうなんすか? それは確かに……うーん、でもなんか納得しちゃいけないような……」

「おう、お前の考えが正しいから安心しろ」

 

 腕を組んで考え込むレオナルド。コルネリウスはその肩に手を置く。

 

「広さに見合った価格で提供しろってのは、正論ではあるが現実を見てなくてな」

 

 コルネリウス曰く、この問題はHL成立以降何度か問題となり、様々な議論を経て現状の形に落ち着きつつあるのだという。

 

 まず家賃についてだが、小型種用の部屋をサイズに合わせた値段にするのは、多くの家主にとってメリットが無いのだ。むしろデメリットが多いとすら言える。

 

 というのも仮にそうした場合、平均的なサイズの種族一体に貸すのと同程度の利益を上げるためには、何十体もの小型種を入居させる必要がある。それだけの店子が集まるかはわからない。

 また、管理上の問題もある。如何に保険だの保証だのといった単語に縁の薄いHLとはいえ、家主が店子に対して一切の責任を負わなくていい住居は――外縁部の中でも比較的まとも区域に限っては――あまり無い。まともな物件ほど、スペースあたりの店子が増えれば、家主のリスクも増えるのだ。

 

「こんなんじゃあ、小型種用の部屋なんて同族ぐらいしか用意せんだろ。それどころか、商売人なら小型種の家主ですら別種用の部屋用意するぞ」

「はー、そう言われると……」

「僕が今住んでる家、小さくなってから広過ぎて不便なんだよねぇ……小型種用の部屋が無くなるのは困るよ」

 

 リールのしみじみとした呟きに対し、コルネリウスは頷く。

 

「小型種に対する他種からの不満も意外と馬鹿に出来んからな。小型種の権力者達も、家賃に関しては共生する上で譲歩するべき部分だと扱ってる」

「あ、それ何かで読んだことあります。HLだと小型種の仕事は十分にあるし給料も他と変わらないけど、出費が段違いに少ないから事実上の格差だとかなんとか……」

「そういうところだな。不当な待遇を受けてる小型種がいたり、種族用のサービスに乏しい面があるってのも確かだが、全体的にはバランスが取れている方だ」

 

 汚染種族なんかは本当に共生が難しいからな、とコルネリウスは付け加える。大抵の種族が生存可能な環境が害になる、或いは生命活動が他種に害を及ぼす種族もHLには多いのだ。

 

「だが下ばかり見たらキリがねぇだろ! 俺達の問題が存在することは事実だぞ!」

 

 ナッツルの叫びに対し、コルネリウスはつまらなそうに答える。

 

「であれば近しい種だけで固まるんだな。42番街よりかは安く出来るだろうさ。効率の良いテロ目標だのにされるだの、この街にはお馴染みの超常事故だので、区画毎消し飛ぶリスクを許容すればだが」

 

 貴族用の隔離居住区だと揶揄される人間種専用の区画。膨大なコストをかけてなお、安全性が保証しきれない出来損ないの揺り籠を例に挙げ、コルネリウスは皮肉げに笑う。

 

「ぐ、ぬ、ぬうううぅ……」

「ナッツル君、君の不満もわかるけど、ここはいいところじゃないかな……」

「い、いや、駄目だ! 騙されるなリール。そう、他にも問題はある!」

「おう、言ってみろ言ってみろ」

 

 ナッツルの挙げるこのアパートへの不満に対し、コルネリウスは詰まる事無く答えていく。

 

 問うて曰く。アパート前の歩道が私道に関わらずレンガ敷きなのは、僅かな段差も辛い小型種への配慮が足りない。景観に拘る人間への阿りではないのか。

 答えて曰く。コンクリートの道は平時こそ平らだが、修理時には小型種にとって底なし沼に等しく大きな危険となる。そしてHLにおいて、その機会は多過ぎるのだ。

 

 問うて曰く。他の部屋にはある、外へと繋がる窓が無いのは格差ではないのか。

 答えて曰く。積み木の如し粗雑な物件が多いHLにおいて、窓が無いことは珍しくない。またこのアパートにおいては、僅かながらも外気に通じる窓の有無で割引が成されている。

 

 問うて曰く。他種の部屋に比べて配管・配電に関するメンテナンスが多く、委任しない場合対応に時間が取られる。大型種用の住居に小型種用の区域を作ったせいで、点検等の無用の手間が増えているのではないか。

 答えて曰く。統一こそされていないが、この街のインフラにおける平均的な規格は小型種のそれとは異なる。仮に小型種専用の住居であっても、それらを全て自前で用意しない限り、大元との規格の差異から点検は多い。そしてその点検を、平均的な家賃で疎かにしない物件は少ないのだ。

 

 問うて曰く。隣人の飼っている猫が優しいけど怖い。

 答えて曰く。ペット禁止の家に越すか、愛情表現なので慣れろ。

 

「コルネリウスさん、やけに詳しいっすね」

「部下……社員には小型種もいるからな。生活に不便が無いか調べ、支援した経験はある」

 

 コルネリウスはレオナルドに対し、そう表向きの理由を告げる。実際には、重要な仕事を任せる人材の生活環境を監査、もとい必要に応じた改善を提供するのは、情報の強奪手段が豊富なHLにおける転ばぬ先の杖というだけだが。

 

「――で、まだ何かあるか?」

「ぐ、ぐぬぬぬ……」

 

 コルネリウスは随分と弱ってきた様子のナッツルへと視線を戻す。コルネリウスの回答には強引な部分も多々あるが、それらは現実において小型種の権力者層が妥協を決めた部分ばかりだ。

 

 その譲歩が生まれるまで、陰に陽に無数の犠牲が払われている。故にナッツルのような不満の声は途切れることこそ無いが、現実を知る共同体の中核で支持を得るまでには至らない。

 

 そしてそういった部分で強硬な主張を続けぬあたり、ナッツルはある程度現実を悟ってはいるのだろう。コルネリウスはそう感じると同時に、少々の疑問を抱く。

 

「……眼がガラス玉って訳でもないのに、このアパートに文句が出てくるあたり、お前もしかしてHLでここ以外の家に住んだ経験無いんじゃないのか」

「なっ……ちっ、ちげぇし! 他は最低限度の条件すら揃ってなかっただけだし!」

「………………」

「やめろ! 実家住まいの頃、母ちゃんが向けてきたような目で見るな!」

 

 何かしらの心の傷を刺激されたのか、頭を抱えて悶えるナッツル。コルネリウスはそんな彼に慈悲をくれてやりつつ、いつの間にか住民と雑談をしていたレオナルドとリールに声を掛ける。

 

「まぁ、ここでいいんじゃないのか?」

「あっ、はい。僕もそう思いますけど……リールさん、どうすか? あ、決めるのは他回ってからでもいいですから遠慮しないでくださいね」

 

 レオナルドの気遣いに対し、リールは礼を言ってから答える。

 

「ここにするよ。僕の身体の弱さも考えると、安全な範囲にお店が多いのは魅力だし」

 

 現在のサイズを鑑みても細すぎる四肢を指差してそう言ったリールは、未だに悶ているナッツルへと向き直る。

 

「ナッツル君も色々とありがとう。この身体で注意すべきことが色々とわかったよ。これからはご近所さんとして宜しくね」

「ううう、早く一人暮らしを……はっ!? お、おう。まぁお前が決めたってんなら、もう文句は…………」

 

 ナッツルはそこで言葉を切ると、首を大きく振って目を見開く。

 

「いや、諦めちゃあ駄目だ!」

「懲りない奴だな」

「あのガッツだけは見習いたいかもしれない」

「……不動産屋さんに電話しようかな」

 

 面倒な相手から街頭パフォーマー程度の扱いにランクアップされたナッツルは手を広げる。

 

「俺達には、ゴスモーン・ハイツのような種族のことを考えて作られた住居が必要なんだ!」

「あの種族専用高級マンション街か。でも運営は小型種じゃねぇし、べらぼうに高いぞ?」

「そう、そこだ!」

 

 我が意を得たりとばかりにナッツルはコルネリウスを指差す。やり込められたのが効いたのか、そこに先程までの敵意のようなものは感じない。代わりに少々の狂気が混じってはいるが。

 

「俺達小型種の希望の星! 大富豪モスール・ザウザーンなら、小型種の理想郷を作ってくれるはずなんだ! ザウザーンは近頃、住宅問題に熱心だと雑誌で読んだ! これはいずれ、苦しむ俺達をここから連れ出し、新天地へと誘ってくれるという意味に違いない!」

「海を割って、ってか。壮大な夢だなぁ」

「これもう現状への不満って言うより趣味なんじゃないすか? オカルト雑誌的な」

 

 現実に足りない理由を補うため、ついには大宇宙の意思だのを語り始めたナッツル。目の焦点が合わなくなってきた彼を止めたのは、街角で行われるカルト宗教の演説を眺めている気分のコルネリウス達でも、その横で淡々と電話をかけているリールでもなかった。

 

「おやおや、ナッツル君。君が小型種以外の友達を連れてくるのは珍しいねぇ」

「畏れよ、審判の日は近い――はっ!? ち、違うぞ爺さん。こいつらはダチなんかじゃ……」

「ほっほ、よきかな、よきかな」

 

 品の良い服装だが、手足の生えた毛玉にしか見えない小型種の老人。その老人に自らの反論を軽く流されたナッツルは、しかし声を荒げることはしない。

 

「ぐぬぬ……爺さんはいつもこうだからな。まぁいいや、何か用かい」

「用が無くても話をしたいのが老人というもんじゃよ……というのは冗談として、この前ナッツル君から頼まれていたものが手に入ったよ」

 

 老人が取り出した数枚のチケットらしきものを見て、ナッツルは目を輝かせる。

 

「ほ、本当か!? ありがてぇ……おい、背高! これはなんだと思う!」

 

 コルネリウスは僅かな間老人を見つめ、会釈をしてからナッツルに答える。

 

「ザウザーン商会本社ビルの見学チケットだな。最上層は会長の住居として絢爛豪華な空間が広がってる、とはよく言われるが」

「知ってても言うなよ、俺が寂しいだろ! ……とにかく、背高共を顎で使う俺達の星。その城を見学出来るチケットってことだ!」

 

 ナッツルは老人から丁重に受け取ったチケットを高々と掲げ、

 

「忙しない日々で消耗すると、いつしか熱い理想を忘れちまうんだ。来い、俺が小型種の目指すべき場所を見せてやる!」

「……俺達も行くのか?」

「ち、チケットが丁度人数分あるんだから来てくれたっていいだろ!」

 

 

 

 

 

 

 

 デザインこそやや古臭いが、天高く聳え立つその威容で他を圧倒する巨大なビル。脆弱な種でありながら無数の他種を従える、HL有数の富豪・ザウザーンの本拠地とされる場所だ。

 

 そこから出てきたナッツル達――正確には、彼をリールと共に肩へと乗せたレオナルドと、同じように小型種の老人を肩に乗せたコルネリウス――の空気は、たった一人を除いて和やかなものだった。

 

「いやー、職場見学なんて暇だと思ってたけど、凄かったすね。HLの多種族共生って無理矢理詰め込んだ感も強いですけど、ここのは本当に働く人達のことが考慮されてる感じがしました」

 

 レオナルドが笑いながら言えば、肩のリールが強く頷く。

 

「ビル内の機器、単純に多くの種族が使えるってだけじゃなかったからね。凄い高そうだけど」

「ほっほ。作業の引き継ぎ、情報の共有、異種共同作業まで視野に入れたモデルじゃったのう。多くは商会が開発したものじゃろうし、開発費まで含めれば膨大なコストになるわい」

「うわ、本気なんだなぁ……そうなると、五階で見たあれも特別な機能があったんですかね?」

 

 リールの言葉を老人が補足し、それによって新たな興味が生まれたレオが質問を重ね、会話が止むことはない。

 

「…………ぜ、だ」

 

 しかし、ただ一人。ナッツルだけは虚ろな目で、霧に包まれた空を眺めるのみだ。彼にとっての聖地――聖地であった筈の場所で見た光景は、最後の希望を打ち砕いてしまったのだろう。

 

 ナッツルは目の端に涙を浮かべながら叫び出す。

 

「何故だっ! ザウザーンは背高共に媚びたってのか!?」

 

 コルネリウスはナッツルの悲壮な叫びに対し、肩に乗る老人を一瞥してから答える。

 

「媚びとは違うだろう。あれは正しく多種族の力を纏め、より大きな成果に変えてるだけだ。ザウザーン商会がどうやって拡大したかわかる光景だったと、そう思うが?」

「それは! ……それは、そうかもしれないが。最上層の豪邸だって、実際には接待用の数フロアがあるだけで、会長室すら無かったんだぞ。ザウザーンが本当にここの主なら、せめて彼の居場所ぐらい……」

 

 本人の意思ではないのでは。ナッツルの逃避とも言える反論に対し、コルネリウスが何か言おうとした時、その肩に乗る老人がそっと手を横に出して彼の言葉を遮った。

 コルネリウスがそれを黙って受け入れ、老人とナッツルの距離を縮めるために膝を曲げて腰を落とすと、老人は礼を言ってからゆっくりと話し始める。

 

「ナッツル君や、案内役の子が言っておったじゃろう? 一つの種だけでは乗り越えられぬ壁も、多くの種が合わされば越えていける。それが会長の口癖だと」

「……言ってたけど、そんなのは少年漫画の中でしか通用しないじゃないか」

「儂は理想論とは思わなかったよ。完璧ではないにせよ、ここがそうだ。そしてそんな場所に、一部の種族しか入れないような領域をあえて作る意味はあるかのう」

 

 老人の目は溢れんばかりの優しさを湛えているが、相手が自身の真意を理解していると、そう確信しているような力強さも備えていた。無言のナッツルに対し、老人は続ける。

 

「この街は過酷な場所じゃよ。儂ら脆弱な小さき種だけでなく、力強い大きな種にとっても」

 

 いつ街ごと消えてもおかしくないような危機が無数に漂う霧の中、一つの種だけが覇権を握ることなど不可能だと、老人は笑う。

 

「それを互いが理解出来れば、更に前へと進める。理解せぬ者によって傷付けられるのは世の常じゃが、それはこの街特有の過酷さでいつか消えてゆく。神の如き力を持たぬ限り、HLは紐帯を知らぬ者が生きてゆける世界ではない。理想であっても、打算であっても、必要なことじゃ」

「………………」

 

 思惑はどうあれ、出来ねば死するのみ。残酷であると同時に、選択肢が無い故の優しさをも持つ言葉。

 それを聞いたナッツルは俯いていたが、不意に顔を上げる。

 

「……今からでも、出来るもんかな。背高の奴らに言われてきた事を忘れるのは難しくて、心からって訳じゃないけど」

「出来るよ!」

 

 ナッツルの言葉に応えたのはリールだ。横ではレオナルドも頷いている。

 

「ほら、僕なんか元は人間種サイズだったから、ナッツル君はもう前進してるようなものだし」

「確かにそっすね。……まぁ、僕もリールさんの友達となら、仲良く出来ると思いますし」

「お前ら……くさいこと言いやがって、馬鹿野郎!」

 

 乱暴な言葉とは裏腹に、泣きながらリールとレオナルドの首に抱きつくナッツル。

 

 そんな彼等を眺めるコルネリウスは、立ち上がりながら肩の老人へと話しかける。

 

「流石、この街で大商会を率いるお方の言葉は重みが違いますね」

「またまた。言ってることはありきたりで、彼が本心では気付いていただけじゃよ」

 

 老人は自らの顔、というより毛を撫でつつ

 

「しかし、よくこの無精髭で儂だと気付いたのう。知らぬ限り、同じ種でないと気付かんもんだと思ってたが」

「慣れれば人間種における人種差のようなもの。雑誌で拝見した顔を、頭の中で髭と組み合わせるだけですよ」

 

 あとはアパートからずっと心配そうな顔をして尾行している護衛や、案内役の固まった笑顔。そして都合の良すぎるチケットの枚数とタイミングなどが判断材料だと笑うコルネリウス。老人――モスール・ザウザーンもそれを聞いて笑う。

 

「確かにそうじゃが、彼が小型種以外と普通に会話している機会を逃す訳にはいかんかったからのう。ただあやつらの方は、まだまだ修行と茶目っ気が足りんな」

「仕方ないでしょう。貴方に何かあれば、ザウザーン商会の理想は消し飛んでもおかしくないのだから」

「まぁ、そうじゃな。……それ以外に道など無いというのに、なかなか理解されんわい」

 

 ザウザーンは声のトーンを落として続ける。

 

「この街は、世界は、この三年で後戻りが出来ぬ程の致命的な変異を果たした。だが、そこで生きる者達はこれが確定した世のあり方だと誤解しておる。たかが三年しか経っておらんのに」

「異界存在という乱暴な括りは、ある意味では彼等自身を助けていますからね」

「然り。そこにどれだけの種と思想が内包されているのかを、人間種という新たな隣人がもたらす衝撃と、この街の乱痴気騒ぎが誤魔化してくれていることに気付いておらん」

 

 人間種だけではなく、異界存在達も。

 

 有史以来、これ程無数の種が一堂に会する事は異界でも無かったのだと、老人は言う。そして彼等が今現在共存出来ているのは、全ての存在に等しく降り注ぐ危機のお陰である、とも。

 

「HLがこれだけの領域しか持たなかった事は神に感謝すべきことだ。もし各種族毎の安全な領域が容易に確保出来るようであったなら、彼等の視点は大きく変わっていただろう」

「人界の文化も浸透しきらなかったでしょうし、そも人類が許容しきれたかわからない。まぁ、だからこそ異界の権力者達は"外"へ出る事を禁じている訳ですが」

 

 日々HLで起きる"外"から見れば恐ろしい争いは、慣れれば笑って見ることすら出来るコミカルな性質も持っている。それが、別のものと化していたかもしれないのだ。

 

 事実、『大崩落』直後に起きた争いの幾つかは、今のそれとは異なる様相を呈していた。当時を振り返る二人は、互いがそれを知っていると直感し、ため息をつく。

 

「あんなのはもう二度と御免ですね。早く異種間交流が進むといいのですが」

「そうなるよう、儂は老骨に鞭打つとするさ。いま成されているなし崩し的な共生だけでは、有事に危う過ぎる。懸念すべきは、時じゃろうが……」

「HLという揺り籠は、内外問わずそう簡単には壊せませんよ。……『大崩落』のような、神の御業に二度目が無ければ」

 

 見上げる二人の視線の先には、常日頃と変わらぬ白い空。多くの超常現象を内包しつつも、人界と異界を隔てる壁と言うには頼りない、そんな霧だけが広がっていた。

 

 




長編だと削るようなエピソードを入れたり、出し辛いキャラを登場させる事が出来るのはいいけれど、やはりこれはこれで難しい。


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第二十六話①

 空に拡がる霧の海からはらはらと降り注ぐ白い雨。地に辿り着くと儚く消えてしまうそれは、しかし宙にある内に多種多様な光彩を照り返すことで、街の彩りを一層鮮やかにする。

 

 舞い散る雪の中、コルネリウスはバスを待つ人異混じった列の只中にあった。

 彼が片手で持っている、折りたたんだ新聞。雪に濡れず、しかし字も読めるよう色を薄めた血で包まれたそれの天気予報欄には、人類のものならぬ言語で今週中は同様の空模様が続くと記されていた。

 

「まだ数日は雪か。賑やかになるな」

 

 そう呟いた彼は視線を移し、車道を挟んだ斜向いのスポーツバーを眺める。普段は閉じている折れ戸を全て開き、テレビも道路側に移すことで雪見観戦と洒落込むその店。客は異界存在の割合が多いが、誰も彼も昼間から酒を片手に大はしゃぎだ。

 

 ここ数日HLに降り注ぐ弱い雪は、暖冬により雪という娯楽をお預けされていたHLの住人――主に雪を珍しがる異界存在達――の心を浮つかせて止まない。

 そうなると必然的に事故だの犯罪だのも増えるのがこの街であるが、その程度では怯まないのもまたHLだ。商魂逞しい商売人達は雪よ止むなと空に祈りつつ様々なサービスを繰り出し、まるで十二月のような賑やかさが生まれていた。

 

 コルネリウスがバーの店主が運ぶ大量のウインナーを乗せた大皿に気を引かれていると、右方から爆発音が響いた。

 彼が視線をやれば、そこには横転し炎上するバス。割れた窓からは色とりどりの炎が飛び出しており、その下を車体から這々の体で抜け出した乗客達が頭を守りつつ逃げ惑っている。

 

「………………」

 

 炎の種類や状況から、事故の原因が乗客の誰かが持っていた大火力のパーティー用花火であろうと見抜いたコルネリウス。彼は一瞬だけ目を瞑り、ため息の代わりのように鼻から空気を出すと、バスが来ないとわかって解散しだした列を抜け、近くの消火栓へと歩いていった。

 

 HLにおける消火栓は、道に転がる空き缶と同程度の軽さで勝手に開かれる。彼等は当然のように器具を用いぬため、程度はともあれ破壊という形でだ。

 悩んだ当局は苦肉の策で、水が欲しいならこちらを使えと、消火栓に機材用ではなく一般人用の開閉と修理が容易な口を作ることで対処した。

 

 コルネリウスは持っていた新聞紙をいくらかにばらし、円筒形にしてから血で覆っていく。それらを血で繋ぎ合わせ即席のホースを作ると、消火栓の一般用口を開いてそこに挿し込んだ。新聞の筒を通って勢い良く吐き出された水が炎上を続けるバスに降り注ぎ、火勢を弱めていく。

 

 水の軌道が変わらぬよう新聞を硬質化させたコルネリウスは、ひとまずの対処を終えると消火栓から足早に離れる。いかに強靭な吸血鬼とはいえ、雪の中、凍る寸前まで冷やされた水の近くに突っ立っている趣味は彼にはないのだ。

 

 手を外套のポケットに入れようとした彼がふと横を向けば、その手並みを見たスポーツバーの客が、口笛と拍手でもってコルネリウスを褒め称えている。コルネリウスはぞんざいに手を振り返しつつ、彼等の席に置かれた大皿を再度眺めた。

 中身こそ普段と変わらないのであろうが、雪をイメージする装飾が随所に施されている大皿。クリスマスの飾りの流用なのか微妙に季節外れ感もあるが、未だに湯気の立つウインナーの山が放つ魅力を損なうことはない。

 

「…………なんか食うか」

 

 コルネリウスは自身の店に戻る考えをあっさりと捨て、消防車のサイレンが微かに聞こえ始めた街を、近場にどんな食事処があったかを思い出しつつ歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 "外"の人間には意外に思われることも多いが、HLの飲食店の過半は人間種でも問題なく食べられる料理を供している。

 

 だがそれは人異の食性、あるいは両世界の環境が似通っていたことを意味している訳ではない。

 第一に異の側のとても広い守備範囲が、人間種のそれをカバーしていたから。そして第二に、人界の擁する多種多様な調理法が、極一部の種を除いて調理という概念に乏しい異界存在にとって魅力的であったからだ。

 

 ともあれ、HLにおける人間種の食生活はそう窮屈なものではない。人間種でも食せる異界の食材や、異界由来の技術で品種改良された人界の食材――見た目に少々、難があることも多い――を生理的に受け付けないという者にとっては、また別であるが。

 

「ホルモン焼き、ホルモン焼き食べ放題だよー。何の内蔵かって? さぁ、俺も知らない」

「髑髏ポテトと硬液バターのじゃがバター! 八脚ガゼルのレバーで作ったスープに浸して食べりゃ、にんげ……今じゃご禁制、懐かしのAクラス肉を思い出す味と食感だぜ!」

「こんな寒い日にはポトフっぽいのがいいよー。今日は鬼角人参いいの入ってるよー」

 

 雪だというのに――HLでは雪だからこそ、であるが、店の外にテーブルや屋台を出して客を掴もうと熱気溢れる大通り。ここは特筆するほど飲食店が多い通りではないというのに、今は何かしらのイベントでも開かれているような状態だ。

 

 呼び込みの声で騒がしい中、コルネリウスは多種多様な料理を横目で見つつも、止まることなく歩き続ける。彼には既に目的とする場所があり、余程良い選択肢を見つけることがない限り気が移ることは無い。

 

 そうして彼が辿り着いたのは、銀行前のちょっとした広場のような場所で開催されている、主にEU圏のリカーフェスタだ。

 

 銀行の向かいや左右というのはHLにおける危険地帯の一つであり、関連組織による管理が成されない場合は空きビルや空き地になることが多かった。この銀行はHLでは少数派の、海外への送金が可能な銀行のため、大金が動きやすく尚更だ。

 実際に銀行の左右は関連企業。そして広場の左右までも借り手が少なかったようで、片方は空きビルとなり、もう片方は胡散臭い弱小政治団体の根城となっている。屋上に繋いだ気球から勇ましい言葉を綴った垂れ幕を掲げているせいで、空を見上げると実に景観が悪かった。

 

 とはいえ、人が集まる場所であることに変わりはない。そこに目をつけてこの手のイベントが開催されることが多々あった。

 このリカーフェスタも今回が初めての開催ではなく、コルネリウスは過去に訪れた際に料理・酒共にそれなりの評価を付けている。数日前に開催の知らせを受け取っていたこともあり、本日の昼飯と相成った訳だ。

 

 漂ってくる様々な料理の匂いが、コルネリウスの食欲を刺激する。自然と足早になった彼だが、テーブルへと向かう途中で見知った顔を見つけ、方向を転換した。

 

「ようレナート、百年定期でも入れてきたのか」

「ここの定期預金は種族の寿命差が問題で新規受け入れ停止中だ。知っているだろう」

 

 コルネリウスの軽口に対し、仏頂面で応えるレナート・カザロフ。時々コルネリウスと仕事を共にする人間種の銃器使いは、眼前で開催されるフェスタとコルネリウスの顔を交互に見て頷く。

 

「成程。お前らしいが、店はどうした」

「今日は休みだよ、さっき決めた。お前もどうだ?」

「ふむ……」

 

 レナートは少しだけ考えてから

 

「祖国の品があるならば考慮しよう」

「あー、確かあったな。運営母体的にも無いってこたないさ」

「わかった。ならば付き合うとするか」

 

 数が揃わなかったのか、破損を考慮してか。木製の丸机とプラスチックの椅子という、いまいちしっくりこない組み合わせの席が並ぶ広場で二人は空きを探す。

 雪が降る前からの開催であったためか、即席で設けられたらしき屋根は会場の数割しか覆えていない。調理場は煙の多い焼き物の場以外は殆どカバー出来ていたが、客席は木製の床が敷かれた部分のみで全体の三、四割といったところ。必然的に、それらの好立地は客で埋まっていた。

 

「雪中の食事には慣れているが、どうだ」

 

 レナートの言葉に対し、コルネリウスは首を横に振る。

 

「それも乙なもんだが、今日の気分とは違うな」

 

 そう言って外套の内、そこに生成した『門』へと手を差し入れるコルネリウス。短いワイヤーロープを四本取り出して血で覆うと、銛のように尖らせた片側を地へと突き立てた。それらを支柱とし、切り開いた数枚のビニール袋を血で接合・硬質化させ、くの字型に組み合わせれば即席の屋根の完成である。

 材料こそ貧相であるが、血で包まれたビニール袋は薄い磨りガラスのような外見と性質を有している。強度の方も申し分なく、十分実用に耐えうるものだ。

 

 レナートは感心半分、呆れ半分といった様子で

 

「器用なものだな」

「突然のレジャーから野戦築城まで。鍛えれば用途が広いのがヘルメス流の売りだ」

 

 コルネリウスは余ったビニール袋を『門』へと戻しつつ自慢し、席に着いてメニューを手に取った。分厚い紙束には様々な国・地域の酒類と、それらに合わせる肴が記されている。

 

「屋根も出来たことだし、さっさと何か頼もう。凍えちまう」

「ラガーのページを開いてか。余裕だな」

「ホットエールは後でいいんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

「最近ワイナーズLLCがエンゼル・ヘア……ゴッサマーでもケセランパサランでもいいが、あれに多額の懸賞金を懸けただろ? その影響で幻想生物の捕獲本が売れに売れてな」

「その手の書籍の殆どは著者の空想だろう。実在する生物の情報であっても、真偽の怪しいものばかりだったと記憶しているが」

「素人にゃわからんってのもあるが、雪中で騒ぐにゃ恰好のイベントだからな。ほら」

 

 骨付き豚のローストと白ビールを楽しみつつ、コルネリウスが目線で示した先。幾人かの異界存在が虫取り網を持って走り回り、空から降り注ぐ雪を捕まえて中を確認しては、これは違うと笑い合っている。

 

「……確かに伝承では毛玉や粉雪のような姿とあるが。理解に苦しむな」

「楽しけりゃ良いんだよ。ただ今までと違って、雪から歌声のようなものが聞こえたとか、それっぽい噂があるみたいだが」

「大方、薬物中毒者の戯言か、ワイナーズの仕込みだろう。可能性自体は否定しないが、あまりに時期が噛み合い過ぎている」

 

 異界存在達の内、一人がふらふらと車道に出て車に跳ね飛ばされた。仲間たちはそれを笑って煽り立てている。そんな光景を呆れた目で見ていたレナートは豚の脂身の塩漬けを齧り、蒸留酒を喉に流し込む。

 

「まぁ、その可能性のが高いがな。しかし万が一にも見つかるなんてことがありゃあ――」

「あれっ。もしかして貴方、コルネリウスさん?」

 

 料理へと向かうフォークを止め、声の主へと振り返るコルネリウス。そこには席を探す途中なのであろう、荷物を持ったままの二人の女性が立っている。

 一人は眼鏡とスーツでかっちりと固め、ブロンドをアップにしたキャリアウーマン風。もう一人が声の主であり、ブラウンの癖毛でロングヘアー。こちらはラフな格好であり、この天気にも関わらず外套を羽織っていない。どうにもちぐはぐな二人組であった。

 

 コルネリウスは二人の顔と名前を頭の中で一致させようと試み、すぐに諦めて立ち上がる。

 

「申し訳ない。どこかでお会いしたことが――」

「あーいや、ごめんごめん。後輩経由で知ってただけで、初対面なのよ」

 

 片目を瞑って謝るロングの女性。彼女は続けて

 

「ミヨン、イム・ミヨン。えーと黒髪ポニーの。あの子の同僚でさ」

「……ジャネット先輩、不用意な情報の流出はですね」

「えー、いいじゃんそれぐらい。まったくお堅いんだから。ねぇ――」

 

 後輩であろう女性の苦言を笑い飛ばした彼女は、同意を求めようとしたのかコルネリウスへと視線を戻し――戻そうとする途中、レナートを見て動きを止めた。

 

 一瞬にして場の空気が硬化する。

 

 レナートの素性に気付いたであろう彼女が放った僅かな、しかし鋭い気配。

 自身と同様の世界に身を置く者の圧力を感じ、臨戦態勢に入ったレナートの静かな殺気。

 僅かに遅れ、状況が変質したことを把握した残り二人の、互いを探るような視線。

 

 四人の姿は、傍目には変化が無いままであろう。

 だが彼等を包む静かな緊張感は、ほんの僅かな契機がこの場を戦場へと変えることを如実に示していた。

 例えば、そう。今まさにウェイトレスによってテーブルへと運ばれてくる、湯気の立つ料理の皿などがそうだ。

 

「…………待て」

 

 痛い程の静寂。それを破ったのはウェイトレスではなく、コルネリウスであった。彼はあえて自身の発する気配を収め、椅子へと座る。場の空気が、ほんの僅かに軟化した。

 そうして作り出した余裕を用い、彼は料理を運んできたウェイトレスに感謝の言葉とチップを渡す。民族衣装風の制服をやや寒そうに着こなした女性が去ったところで、再度三人へと向き直る。

 

「そっちの二人はミヨンの同僚だと、そう言ったな」

「……ええ、そうよ」

 

 ロングの女性の返答に対し、コルネリウスは頷く。

 

「見たところ、連れを知っているようだ。……退っ引きならない間柄か?」

「……いいえ、ただ知っていただけ。害意は無いわ」

 

 コルネリウスはレナートへと視線をやる。

 

「私も彼女達を知らないし、敵意も無い」

 

 歴戦の傭兵たる彼は即応出来る姿勢こそ崩さなかったが、殺気を収めることで話し合いに応じる姿勢を見せた。

 コルネリウスはよし、と呟いてから、卓上の食器に手を伸ばし

 

「であればこれは不幸な事故、一種の職業病だ。互いに忘れるとしよう」

 

 届けられたばかりのウインナーへフォークを突き刺しつつ、コルネリウスは軽い調子で言う。女性二人はそれに応じるよう頷くが、レナートはグラスの中身を一気に飲み干して立ち上がる。

 

「せめて食ってからにしないか?」

 

 その後二人で河岸を変えようという言外の誘いに対し、レナートは首を横に振り、懐から出した幾枚かの紙幣を机に置く。

 

「身に染み付いた習性が邪魔をするものでな。気分を害した訳ではない」

「そうかい。ああ、帰り道をズドン、なんてのはやめろよ」

「安心しろ。敵の区別がつかん程の猜疑心は、祖国に置いて来た」

 

 苦笑しつつ言ったレナートの背に向け、コルネリウスは別れの言葉を送る。寡黙なロシア人は振り返りこそしなかったが、片手を軽く挙げてそれに返した。

 

 

 

 

 

 

 

「せっかく楽しんでたのに、ごめんなさいね」

「気にするな。こういう仕事をしてれば、こんなこともある」

 

 レナートが去った後、コルネリウスは二人組と席を共にしていた。流れというものもあるが、元々彼女達の片割れは共通の知人を種に会話を始めようとしていたのだ。先の一件を本当に気にしていないコルネリウスとしては、断る必要も無い。

 

「とはいえ、つい警戒してしまうのは避けた方がいいな」

「普段はあんなミスしないんだけどねー……国が同じで多少知ってた分、つい」

 

 少々落ち込んだ声音のロングの女性。席に着いてからの自己紹介によれば、彼女の名はオリガ・ストリアロフという。

 コルネリウスは所属組織など繊細な問題については聞いていないが、彼女の後輩、そして上司であろう人物を思い浮かべるに、荒事を直接担うものではないと見当をつけている。

 

 一方のお堅いキャリアウーマン風、ジャネット・バルローは、そんなオリガを見て眼鏡に片手を添えつつ

 

「まったく、気をつけて下さい。私はミスター・カザロフを知りませんでしたから、随分と肝を冷やしました」

「ほんと残念だわー。友人知人にサーロ好きな人殆どいないのよ。せっかく波長の合うかもしれない酒飲みと巡り会えたのに」

 

 ジャネットの苦言を聞き流しつつ、新たに注文した豚の脂身の塩漬けを指すオリガ。その目にも声にも色の気配は混じっておらず、純粋に同好の士を逃したことを残念に思っているらしい。

 

 この短時間で彼女が結構な呑兵衛であると察していたコルネリウスは笑う。

 

「あいつも以前、同じような事を言っていたな。俺も嫌いじゃあないが、優先するかってと厳しいものがある」

「どこからどう見ても、脂以外の要素がありません。幾ら何でもそれはどうかと」

 

 見ているだけで胃もたれがする、と言わんばかりに脂身から視線を逸らすジャネット。彼女はオリガとは異なり、肴となるものはピーナッツしか注文していない。

 既に二杯目を半ばまで減らしていたオリガは、小皿に盛られたそれを見て首を振る。

 

「だめよー、だめだめ。悪くはないけど、それだけじゃ物足りなさ過ぎるわ。やっぱりこう、パンチの効いたものじゃないと!」

「それは味ではなく、単に舌と胃への打撃では? あくまでお酒を中心に据え、他は脇役に徹するべきです」

「なによぅ、ロンドンっ娘はお上品な飲み方が好きねぇ」

 

 二杯目も飲み干し、三杯目の蒸留酒を頼むオリガ。注文を終えた彼女は口元に手を当て、内緒話をするようなジェスチャーをしつつも、周囲に聞こえる声でコルネリウスへと話しかける。

 

「でもこの子、こうやって気取ってるけど、酔うとわりとがっつり食べるのよ」

「……先輩、殿方に変な情報を吹き込むのは、淑女としてあるまじき行いです」

 

 眼鏡を光らせつつ釘を差すジャネット。彼女もまた、いつの間にか注文していた二杯目を受け取り、ジョッキに口をつける。

 コルネリウスの本能が、二人のペースに警鐘を鳴らした。それは健康面の心配ではないが、危機感を抱くような何かだ。だが初対面の相手に対し、一方的な予測で泥酔を懸念する言葉を投げかける訳にもいかない。

 

 コルネリウスは嫌な予感を振り切るよう、眼前にあった肉の煮凝りにフォークを突き刺す。

 

「まぁまぁ。ミス・バルローと私は初対面であることだし」

「そこよ。貴方について、次長はともかく、ミヨンからある程度良い印象を聞いてるわけ。その相手ですらここまでお堅いとなると、先輩として心配しちゃうこともあるでしょ?」

「ミヨンを信じない訳ではありませんが、伝聞は伝聞であり、人の関係もまた別個のものです」

「友達の友達。つまり一緒に酒飲んだら友達よ」

 

 オリガはコルネリウスと同じ料理をつまもうとし、それが幾らか減っていることに気付く。

 

「あっ、ホロデーツ食べてくれたんだ。ジャネットは駄目なのよーこれ」

「慣れてないと塩味がきついだろう。一応は肉料理ってのもある」

「誤解しないで下さい。私がそれに苦手意識を持っているのは、以前先輩の家を訪れた際に頂いたそれに、前年の数字が掘られていたからです」

 

 ジャネットは手で何かを裏返すような仕草をする。そのゼリー状に固めた料理の裏面、ということであろう。

 

「うん? 長持ちするし年越しなんかにゃうってつけだと、そう聞いてたが」

「お邪魔したのは夏も終わろうかという頃です」

「…………うーん」

「大丈夫だっての。HL産の材料なら二年経っても平気だってこの前わかったし」

 

 次の杯を頼みつつ笑うオリガに対し、残る二人は無言を貫いた。

 

 

 

 

 

 

 

 何かが倒れ、食器の割れる音、次いで悲鳴が響き渡る。

 

 音のした方向へと瞬時に振り返る三人。人で賑わってきたため、回収が遅れ卓に積み重なった空の杯はちょっとした山になっているが、彼等の集中力が鈍る事は無かった。

 

 彼等の視線の先には、一人の人間が、自身の使っていたであろう椅子や机を巻き込んで倒れている。場所が場所なため単なる酩酊に見えなくもないが、連れらしき異界存在の慌てぶりがそれを否定していた。

 

 コルネリウスとオリガは無言で目配せをし、何事も無かったかの如くジョッキへと手を伸ばす。が、ジャネットの冷ややか、かつ強烈な視線に晒されたことで仕方なく立ち上がり、倒れた者に向かって歩いていく。

 

「応急処置するぞ。ほら、どいたどいた」

 

 ジャネットが倒れた人間の連れに状況を聞く横で、コルネリウスは魔術を用いた症状の把握と、簡易的な治療に努めた。彼は本職には程遠いが、長い歳月の中で得た知識と魔術による強引な手法で多少の問題なら解決出来る。

 

「……どう?」

 

 傍に片膝をついたオリガに対し、コルネリウスは首を傾げつつ返す。

 

「極度の酩酊と薬物によるトリップを合わせたような症状だ。そう悪質なものではなく、命に別状は無い。ただ……」

「ただ?」

「普段からクスリをやっている気配が無いな」

 

 コルネリウスは意識の無い人間の袖を捲るなどして中毒者の持つ特徴が無いかを調べた後、聞き取りを続けていたジャネットを呼ぶ。彼女が得た被害者の情報は、コルネリウスの推測を裏付ける健康的なものであった。

 

 単に薬物慣れしていなかった可能性はある。しかし先程まで普通に飲み食いしていた者が、急にここまでの症状を発するというのは、無いとは言わないが異常だ。少なくとも、コルネリウスが現状で把握しているHL内の違法薬物においては。

 

 だがコルネリウスはそれに深入りする気は無く、仮にあったとしても被害者を実験動物よろしく調べ尽くす訳にはいかない。『記憶』を読むという手もあるが、彼の技術では対象のそれや心身を害することがあるため、気軽には使えなかった。

 

「ま、やるべきことはやったさ」

 

 被害者をその連れに任せてからのコルネリウスの言葉に、オリガは頷く。

 

「そうね。何にでも首を突っ込む訳にはいかないわ」

 

 オリガは立ち上がり、親指で自分達の卓を指す。

 

「さっ、お酒がぬるくなっちゃわない内に戻りましょ」

「そこは料理が冷めない内に、だろ」

 

 霧と雪しか見えない空を見つつ、コルネリウスは苦笑して立ち上がろうとした、その時。

 

「……先輩!!」

「ん? どしたのーって、えっ……」

「…………おい、やめてくれよ。今日は休みなんだ」

 

 ジャネットの緊迫した声に釣られ、そちらを見た二人。

 彼等の視線の先には、リカーフェスタ会場のあちらこちらで、たった今見た被害者と同じような倒れ方をする多くの人異の姿があった。

 

 



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第二十六話②

「はぁ、疲れたわー。一体何だったのかしらね」

「なんにせよ貧乏籤だ。なまじ一人助けちまったのが仇になった」

 

 集団昏倒の騒ぎが収まりつつあるリカーフェスタ会場の一席。コルネリウスは同じ卓に着くオリガと共に、酒と料理を平らげていた。二人は先程まで大勢の被害者の手当に奔走していたため、その顔には多少の疲れが見える。

 

 ジャネットはそんな二人を呆れた目で見つつ

 

「よくこの状況で食事を続ける気になれますね。先程の原因が食事にある可能性は捨てきれないと思うのですが」

「いや、それはコルネリウスさんが一皿ずつ調べてくれてるでしょ」

「詫びと礼に頼んでた酒と飯はタダ、新規注文も半額。少なくとも俺は俺の調査結果が信用出来るし、簡単な治療と救急隊への引き渡しまでやった。これで食わなきゃ損だ」

「そうそう。万一当たっても、すぐ治療して貰えるし。そもそも皆気にしてないわよ」

 

 オリガの指差す先には、屋根付き席を中心に盛況なリカーフェスタ会場が広がっている。その賑わいは集団昏倒前に劣るものではなく、HLの住人が事件の原因をこの会場だと思っていない、あるいはそうであったとしても気にしていない証左であった。

 

「……リスク管理が杜撰過ぎます」

「この街で何から何まで完璧に、なんてやったら疲れるだけよ。というかジャネットも飲みたいんでしょ? なら飲めばいいのよ。飲めばわかる!」

 

 大ジョッキを掲げるオリガに対し、ジャネットは頭痛を抑えるかのように片手を当てていたが、不意に顔を上げると膝に置いた鞄から携帯端末を取り出し、通話を始めた。一瞬で表情を切り替えたあたり、相手は友人知人ではないだろう。

 

「――――事態は把握しました。しかし次長、今日の私は正式な休暇申請受理の下、オフを過ごしています。これは本来であればオリガ先輩にかけるべき電話かと」

 

 出会った直後の怜悧な印象と表情を取り戻したジャネットが、電話の相手に向けてハキハキと、そして次々と反論を繰り出していく。

 コルネリウスは次長という単語から、かつて会ったデリミドという人物を思い浮かべ、そして同情した。漏れ聞こえてくる会話からすると、理はジャネットの側にあるというのに、不思議なものである。

 

「現場に居る私へピンポイントで連絡をしているのも気になります。仮に位置追跡機能を通知なく使用したのであれば、パワハラもしくはセクハラでは――」

 

 ジャネットの攻勢は尚も数分間続き、彼女が勝利する形で幕を閉じた。その戦果に女傑はとても満足がいったようで、口や表情には出さないが、代わりに眼鏡を光らせている。今日は霧が深く太陽光に乏しいというのに、不思議なものである。

 

 入れ替わるようにして、オリガが服のポケットから携帯端末を取り出す。表情を変えることはなかったが、その心は左手でしっかりと握って離さない大ジョッキが如実に示している。

 

「――――でもそれ、正確にはうちの担当案件じゃないでしょう。支払いは上層部任せで懐痛まない連中からの、ついでに声かけとけ程度の便利屋扱いを最優先にするのはおかしいですよ。この前局長もそう言ってくれてたじゃないですか」

 

 力説しつつ、彼女は手振りでウェイトレスを呼び寄せ、指差すことで新たな杯を注文する。

 ジャネットと異なり正式な休暇中ではないであろう彼女に対し、電話の相手は随分と食い下がっていた。コルネリウスの予測する限り、相手は一方的な命令を下せる立場である筈だが、不思議なものである。

 

「うちは人数的に、取捨選択していかないといつかパンクしますし。そりゃ付き合い大事だってのもわかりますけど、私も今、飲みで人脈築いてるからなぁ。ほら、次長も褒めてたコルネリウスさんとですよ」

 

 コルネリウスは通話相手であろうデリミドに苦労人判定を下しつつ、のんびりとホットビールを飲んでいたが、突然のキラーパスに慌てて木製のジョッキを置いた。

 目線と手振りでオリガを制止するコルネリウス。しかし悲しいかな。この状況において、その判断は正しいが遅過ぎた。

 

「えっ、コルネリウスさんに? 了解でーす」

 

 差し出される携帯端末。コルネリウスが拒否しようにも、既にオリガはやりきったとばかりに杯を傾けている。

 コルネリウスは一瞬、それを受け取らないという選択肢を真剣に検討した。だが状況と経験則から逃げられないと悟り、煤けた表情でそれを受け取る。

 

 端末から、疲れの滲んだ重い声が響く。

 

「…………前置きも出来ず申し訳ない。仕事を依頼したいのだが」

「…………内容次第です。が、伺いましょう」

 

 

 

 

 

 

 

「経費で飲む酒は美味いかー……うまい! そりゃそうよねー」

「この会場で提供される飲食物は、現時点で最も可能性が高い対象です。その調査は積極的に行うべきでしょう」

「……お前ら、もう少し上司に優しくしてやれよ」

 

 柱代わりのワイヤーロープを増やし、屋根を拡張したスペースの下。追加されたテーブルの上には大小様々な酒瓶が乗せられている。

 

 コルネリウスが受け取った電話の相手は、やはりデリミドであった。

 

 彼の説明によれば、ここ数日、先程見たような昏倒事件が多発している。

 被害者の殆どは違法薬物摂取の経験が無く、原因は経口摂取であろうこと以外不明。だが被害者達の摂った食事や提供した店舗からの薬物反応は無し。そして症状はコルネリウスの見立て通り、命に関わるものではない。

 

 発生件数は日増しに増え、このまま悪化が続くであろうことは確実。加えて被害者の一部に禁断症状に近いものが確認されたとの情報もあり、当局はこの件に対する警戒度を上げるべきか憂慮しているそうだ。

 

 コルネリウスへの依頼は、この件に関する調査であった。

 

 彼は当初、これを丁重に断ろうとした。なにせ捜査材料に乏しすぎるのだ。先程の集団昏倒にしても、被害者達に共通点が無い。倒れていない者との差異にしても同様だ。料理や食器は救急隊への受け渡し前に調べたが、何も検出が出来なかった。

 

 そもその程度で判明する事件なら、とっくに解決されている。事ある毎に批判の槍玉に挙げられるHLPDを始めとする各種捜査機関だが、彼等の大半は無能とは程遠いのだ。

 単に事件数が多過ぎて手が回らないのと、彼等が対処させられる事件の数割が、本来は国家レベルで対処すべきトンデモ案件なだけである。

 

「休日返上で仕事に当たっています。次長への気遣いは十分かと」

「嘘つけ、条件付けた上に代替の休暇もぎ取ってだろう。電話変わる度に疲弊してたわ」

「ザワーブラウデンおかわりー。いやー、たまにはドイツ料理もいいわね」

 

 明らかに気乗りしない様子のコルネリウスに対し、デリミドは幾らかの譲歩をした。

 

 まずは操作範囲。今回の事件はHL外縁部の広範で発生していたが、被害者の増加に伴いデータが充実した結果、被害は同心円状に広がっている可能性が浮上したそうだ。

 

 断定ではなく可能性としたことからわかる通り、虫食いのような無被害地域の存在など例外的な部分もある。だが円の内側に向かうにつれ、被害が増加する傾向にあることは確かだという。

 デリミドはそれを理由に、かつてない密度で被害者が出た、このリカーフェスタ会場を含む一定区画の捜査のみでよいとしたのだ。ただし原因に繋がる情報を得た後は、この限りではない。

 

 次に期限や束縛時間といった細かい部分。そして最後に彼の部下を二人、限定的ながらサポートに付けるということで合意に至った。それが誰かは言うまでもないが、経費を引き出したのはその二人である。

 

 今回も組織名は明かされなかったが、報酬は十分。過剰にすら見える大盤振る舞いだ。

 しかしコルネリウスの見立てでは、デリミドは無為にリソースを浪費するような男ではない。彼に伝えていない情報もあろうし、デリミドの脳内ではこの一帯が捜査線上における最重要区画なのだろう。

 

 そうであれば、これらの譲歩も想定の内かつ許容範囲となりうる。コルネリウスが仕事を承諾したのは、デリミドの能力を信じてみたというところが大きかった。決して同情ではない。

 

「他に何か美味しいの無い? ……そうだ、私白ソーセージ食べてみたいんだけど」

「やめとけ、もう昼を回ってる。あれは午前中に食うもんだ。それより捜査だが――」

「ピーナッツとポテトチップス。この二つだけでも、十分に過ぎます」

「その二つ自体は否定しないけどさぁ。やっぱり気取りすぎじゃない?」

「お酒を飲み、友人知人と語らう。過剰な食事は無粋です」

「でもビールはがぶ飲みするんでしょ?」

「………………」

 

 正確に言えば、コルネリウスはサポートの人員を望んだ訳ではない。デリミドがその譲歩を、あえて最後の最後に持ってきたことを思い出したコルネリウス。

 受け入れたのは早計であったやもしれないと今更ながらに考えつつ、彼は何かから逃げるように自身のグラスにワインを注いだ。

 

 

 

 

 

 

 

「ミヨンは乙女だからねぇ。この前も人狼を題材にした恋愛小説でガン泣きしてたし」

「先輩、作品内では人狼ではなく別の種です。描写の正確さを見るに、著者は人狼の特性をある程度正しく知った上で、問題を避けるためにぼかしたのでしょう」

 

 訂正を受け、オリガは手酌でワインを注ぎつつ首を捻る。

 

「あー、そうだっけ。同じ人狼でも、私じゃこんなロマンチック通り越したプレイ恥ずかしくて出来ないわー、とか思ってた記憶しか無いわ」

「オリガ、お前部外者に種族ばらしていいのか。いや驚きはせんが……」

「別にいいわよ。どうせ同じ仕事してれば気付くでしょ」

「規定に違反している訳ではありませんが、常識的に考えて褒められる行動ではありません」

 

 

 

「――それで最初はエメリナと私の二人しかいなかった訳よ。もう疲れたのなんの」

「あー待て待て、使い魔からの情報整理してるんだ。あとそれ三回目だ」

「三回話すほど忙しかったってことよー。だってのに次長は――」

 

 そうしてまた同じ話を続けるオリガの横。ジャネットは淡々とジョッキを空にしつつ

 

「経験上、あと四回は繰り返されます。頑張って下さい」

 

 

 

「ミス・バルロー?」

「………………」

 

 呼びかけに応じないジャネットを心配するコルネリウス。彼の横に座るオリガは新たな注文を終えると、ジャネットの様子を見て少し驚いたかのように眉を上げる。

 

「ありゃ、もう酔ってきたの。この前の飲みじゃ結構もったのに、今日は早いわね。半日オフで中途半端に気が抜けてたのかしら」

「これだけ飲んでようやくって気もするが……大丈夫なのか?」

「平気、平気。酔っても仕事はきちんと出来る子よ。……ちょっとダウナー入るけど」

 

 そう言ってオリガは鞄から紙以外にも使える万能ワインラベルレコーダーを取り出し、注文の合間の手慰みと化したラベルの保存作業に戻った。

 

 

 

「戦時における後方動員、それに伴う地位の上昇。そこから加速した女性の社会進出が晩婚化を進行させました。現代において平均結婚年齢は――」

「……いっそ寝てくれた方がましやもしれんな」

 

 思わずそう零すコルネリウスの横。酒瓶置き場と化した方のテーブルには、彼等からのスタッフへの気遣いもあり、回収の遅れている空き瓶が山と積まれている。

 

「つまり私もまだまだ……ミスター・コルバッハ、聞いていますか?」

「それはもう。ですが、私は再度見回りに出るので」

「あー、お酒がおいしいわー」

 

 

 

 

 

 

 

 本来であれば朱色に染まる空も、今は濃い霧と雲に阻まれて暗いばかり。空気は更に冷え込み、道行く人々は勿論、幾らかの異形も上着の襟を立て、自宅や酒場へと足早に向かっていく。

 

 徐々に闇が近付きつつも、まだ照明を必要としないHLの外縁部。その一角で開かれたリカーフェスタ会場の一席で、コルネリウスは手帳に調査結果を纏めていた。

 

「被害が格段に多いのはこの会場だが、周囲の店舗や屋台の中には客数を考慮すれば同程度の犠牲者を出したであろう店もある。大抵の捜査機関じゃどの店で何を食ったかはともかく、屋台まで調べるには手が足りん。区画レベルでの被害者数だけではわからん切り口だな」

「なーる。次長なら、そこまで考えて調べさせたのかもね」

「かもしれんなぁ。問題はここからで、被害者の食べた料理にも、使っていた食器にも共通点が無いってことだ」

 

 彼は大量の使い魔と自身の足を用いたこれまでの調査で、幾つかの可能性を見出しては、それを否定するサイクルを繰り返していた。

 食材や食器への不規則な混入、発症までの長期の潜伏説、大気経由での感染、上空からの散布、経口摂取という前提への疑い、等々……それらはいずれも空振り、非現実的、あるいは立証困難という形で行き詰まった。進んだのは、この一帯における被害者の救助作業ばかりである。

 

 凝りをほぐすように首を左右に動かし、コルネリウスは椅子の背もたれに背を預ける。だがそうして広がった視界の内、左側にあたる部分を彼は努めて見ないようにしていた。

 

「――ええ、わかっています。HLにおいて時の流れは偏在しますが、少なくとも大多数の人間にとっては平等なままです。家族・既婚者・職務上必要な場面以外において、ファーストネームで呼び合える異性は学生時代のほんの僅か。いえ、正確には彼等にも既にパートナーがおり……」

 

 膝を抱えて椅子に座るジャネットから延々と吐き出される愚痴を、コルネリウスはこの短時間で得た経験則から反応せずに聞き流す。

 誰も彼もが返事を欲しがる訳ではないのだ。そして正答が存在しない問題に対し、中途半端な取り組みはすべきでない。本人の職務上のパフォーマンスが下がっていないのであれば、尚更だ。

 

 同僚かつ友人だけあって慣れているのか、要所要所で上手く構ってあげていたオリガが、身を乗り出してコルネリウスの手帳を覗き込む。

 

「今は手段ではなく犯人に主眼を置いてるんだっけ?」

「ああ、微小な魔法生物や超小型種による犯行の可能性が上位にある」

「ふむふむ。まぁ平均サイズ以上の人異による遠隔操作の線で探しても、手がかり無いしねぇ。そういえば最近……といってもうちが関わった案件じゃないんだけど、そういうケースがあったわ。菌テロリストだったかな」

 

 オリガが近付くことでコルネリウスの周囲には濃密な酒気が漂う。

 彼女の飲酒量はジャネットよりも多く、下手をすれば倍はあるかもしれない。ジャネットが料理に手を出し始め、酒のペースも落ちてきたことを考慮すれば、恐ろしいことだが差はこれから更に広がるであろう。

 

「だがなぁ……仮にそうだったとしても、犯行に規則性を見つけることが出来んという結論に行き着いちまう。魔術で直接、料理を変質させているなら話は早かったが」

「あー、手作業っぽいのね。そりゃ厳しいわ」

「犯人がそうならな。こんな思いついた時にだけ混入してます、なんて動きをされちゃあ網を張るにも難しい。超広範囲の探知は……対象の想定サイズ的に処理能力がパンクする。絶対にやりたくない」

 

 だが奇妙なことに、コルネリウスはオリガの帯びた酒気に不快感は覚えない。本人の美貌だとかそういうものではなく、自然とそうなるのだ。そして飲めば飲むほどに、頭の回転や肌艶まで良くなっている感すらある。

 

 コルネリウスはオリガに対し、一種の酒の怪物という結論を下しつつあった。もっとも細かいマナーを気にせず互いのグラスに注ぎ合うことも多かった以上、彼が飲んだ量もそれに大きく劣るものではないのだが。

 

「店の幾つかに網を張ったが、その途端ぱたりと被害が止まりやがった。犯行手段に他者の意思が介在可能か、対策を避ける機能が備わっているのは間違いないだろう」

「せめて料理に薬物反応が残ればいいんだけどね。体内限定の増殖とか、めんどくさいわー……ねぇコルネリウス、もう今日は飲むだけ飲んで終わりにしない?」

「魅力的な提案だな。だが働け」

「我々の職務上、異性との出会いや交流の機会は少なくなります。よって貴重なプライベートは大事にすべきであり、次長の如き仕事中毒者は女性の敵として……なんですか、煩いですね、耳元で歌わないで下さい。今は次長の糾弾をすべきなのです、先日も彼は――」

 

 

 

 

 

 

 

 街を照らす明かりが徐々に増えていく。様々な色彩のそれが霧や雪に吸収・反射されることで、人工と自然の中間のような独特の明るさを生み出している。

 

 人界では既に空が暗いだろうが、季節の関係上、時間はそう遅くない。コルネリウスは近付きつつある『夜』を気にして時折腕時計を確認しつつ、手帳への書き込みを続けていた。

 

「やはり屋根が無い場所で調理された品による発症例が多い。だが屋内調理限定の場でも被害者は出ている。上空からの散布とマクロ犯罪の組み合わせ……しかし一貫性がなぁ」

「別件、は使用薬物が同じっぽいから除外か。同組織内の別行動なんかはどう?」

 

 コルネリウスはじゃがいもの団子を齧りつつ、首を横に振る。

 

「無いとは言えんが、非効率の極みだな。……結局、その手の進展に繋がり辛いパターンにばかり行き着くんだ。わかっちゃいたが、面倒なヤマだよ」

「でも薬物反応が出た料理を実際に抑えて、効果が消えるまでのおおよその時間も突き止めたんでしょ。初日の成果にしては十分過ぎると思うわよ」

 

 オリガはそう言いつつ携帯端末で時間を確認し、今日の勤務時間がそろそろ終わりだと気付いて笑う。

 

「契約的には貴方も、もう上がりでしょう。今日はお疲れ様ってことで、飲もう!」

「……いや、それぐらいにしておけよ」

「何言ってるの、夜はこれから。昼間のお酒も美味しいけど、夜はまた格別!」

 

 楽しそうに眼前の紙束を叩くオリガ。山と積まれたそれは、彼女によって保管されたワインラベル、そして経費で作られたものだ。ラベルの無い酒類も多く飲んでいた事を考慮すると、彼女は少なく見積もっても自身の体積以上の酒を飲んでいることになる。

 

 人体の謎から目を逸らしつつ、コルネリウスは自身の左を親指で指す。

 

「見ろ、半額サービス決めた責任者が泣きそうになってるだろ。それにミス・バルローも……色々とまずい」

 

 ジャネットは先程までと同様、椅子に膝を抱えて座っている。変わったことと言えばネクタイが外されたことと、コルネリウスの注文した白アスパラと酒をひたすら消化する機械と化したこと、そして言動がヒートアップしていることだ。

 

「ミヨンと同じ小説を読んでも心が動かなかった時の衝撃があなたにわかりますか、わからないでしょう。……うるさいですね、黙ってて下さい。いいですか、成熟したと言えば聞こえはいいでしょうが、若さと感受性を失う事は必ずしも伴侶を得る事には繋がりません。うるさい。実際エメリナ先輩は既婚者ですが同じものを読んで――」

 

 暗い感情の発露は更に熱を帯び、ここには、あるいはこの世界にいない誰かとの会話まで加わっている。コルネリウスが思わず、今回の事件で組んだ薬物反応の調査魔術を用いた程だ。

 

 オリガは後輩、次いで自身の持つ酒瓶を見て、首を横に振る。

 

「ジャネットが虚空と会話するのは初めて見たけど、それを危険視するのは早計よ。世の中には目には見えない意思が常に存在するわ。ほら、私にも、酒が帰るなと言っている。限界を超えろと訴えているわ」

「うるさい、うるさい。耳元で歌うのはやめなさい。貴方もそうやって私を馬鹿に――」

「……大丈夫、大丈夫。いずれ出てくるシュコーラ……小学校ね。その教師への初恋話さえ乗り切れば、気力が衰えてその内寝ちゃうから」

「お前が限界を超えるように、ミス・バルローがイマジナリーフレンドを生み出して限界を超える未来しか見えんぞ……」

 

 どの道、『夜』を迎える前にコルネリウスは帰らねばならない。オリガは言わずもがなだが、ジャネットとてこの惨状にも関わらず、やるべき作業は完璧にこなしている。彼女達が裏の世界に生きることもあり、正体に気付かれるリスクは高い。

 

 そして何より、程度の差はあれど酒の怪物が実は二人いたのだ。コルネリウスの警戒心は別の意味で最大級に達している。この場からは一刻も早く離れるべきだ、と。

 

 しかしオリガはそれを見越したかのように、コルネリウスの腕を掴む。その瞳は怪しく輝いている。まるで獲物を見つけたかのように。

 

「逃がしゃしないわよ。エメリナは結婚してから夜付き合いづらくなったし、チェインは見所あるけどまだ酒に弱いわ。一人酒も好きだけど、久々に全力で飲み合う機会……!」

「おいやめろ。俺を訳のわからん頂上決戦に巻き込もうとするな。そういうのはバッカーディオでやるべきだ」

「最近行ってないから代替わりしたろうけど、既に王位を得ているわ。私は誰からの挑戦でも受け付ける」

「挑んでねぇ!」

 

 バッカーディオとは、あらゆる物事の決着を飲み比べで決める狂気の穴蔵。眼前に居る相手が世界有数の怪物であることが確定し、コルネリウスは逃走を図るが、オリガがそうはさせない。逃走を阻みつつも酒は飲み続ける離れ業さえ見せつける始末だ。

 白アスパラを齧っては負の感情を撒き散らすジャネットと合わせ、場は混沌と化していく。

 

「繊細な味も嫌いじゃないけれど、故郷の雪を思い出す、燃えるような酒こそが勝負の華」

「学力差のせいで……いいえ、この性格のせいで孤立しがちな私を、先生は常に元気付けてくれました。ですが……歌を止めなさい、ここからが大事なところです!」

「人界と異界の出会いによって、今までなら単なるアルコールとされたであろう度数の"酒"が生まれたわ。私は、その酒達が導く先へと至りたい」

「こら離せ、こっちは反撃してないってのに、人狼の力使った組技は卑怯だろうが……!」

「ですがあの人には既に心に決めた女性がいました。結婚式への招待状が届いた時、私は――――うるさい! さっきから何ですか、耳元でらんらんらんと、私を馬鹿にするのもいい加減に――」

 

 ぴたりと止んだ声を訝しみ、関節技を用いた攻防を止めた二人。

 コルネリウスはついに飲み過ぎで倒れたかと、慌てて視線をやるが、そこに居たのは顔に赤みを帯びつつも、冷静な目をしたジャネットであった。彼女は何かを聴くかのように耳元に手をやり、少しして頷く。

 

「……間違いありません。この歌声は幻聴ではない」

「急に冷静になって言われると怖いんだが」

「臨界点越えて行き着いちゃったような印象受けるわよね。……あー、でも貴女、確かに酔うと耳良くなるわね。普段色々と考え過ぎて聞き逃してるのが無くなるんだろうって、局長が」

 

 オリガは思い出したとばかりに手を叩いて言った後、ジャネットへと水のグラスを手渡す。彼女は礼を言ってそれを受け取り、一息に飲み干すと

 

「声の出処は……雪です」

「ごめん、やっぱり駄目かも」

「いや待て、病院に行くにはまだ早い。可能性はあるぞ」

 

 コルネリウスは自身の携帯端末を取り出し、上空を――そこから降り注ぐ無数の粉雪を写真に収め、メールに添付して送信した。

 

 程なくして、返信が届く。相手はピザ配達のバイトが終わったばかりだという黒髪の少年。本文は先日友人の家探しを手伝って貰った礼から始まり、その後にコルネリウスが求める答えを出来る限り細かく記載している。

 それを読み、コルネリウスは頷く。

 

「ミス・バルローの発見が正しかったようだ」

「……この雪が犯人だってこと?」

 

 オリガは掌で受けた雪を指差し、たちまち溶けてしまったそれを見つつ首を傾げる。

 

「正確には、そこに紛れている。知り合いに大層、眼がいい奴がいてな。そいつに見て貰ったところ、雪に混じって毛玉の妖精じみたものがいるそうだ」

 

 上空から降下し、直接あるいは他者の服などを経由して料理への混入や食器への付着を果たす。意思を持って自身への対策を避け、時間が経てば溶けるように消えてしまう。

 自然種かの区別こそつかないが、新手のマクロ犯罪、あるいは災害の原因であることは間違いない。

 

「そんな上手くいものかしらね。でも、それがHLか」

「どの道、これ以上に有力な手掛かりは現状ではありません」

「そういうことだ。それに見つけさえすれば、話は早い。夜までもう少し時間がある。さっさとこいつを解析して、逆探知で事件解決といこう」

 

 コルネリウスは椅子から立ち上がる。が、二人の反応は鈍い――を通り越し、無い。

 

「……おい」

「私の勤務時間はたった今終わりましたので」

 

 自身の腕時計をアピールするジャネットの横で、オリガもジョッキを指差す。

 

「そうそう。解決、明日にしない? 明日も経費で飲めるし。やるなら一緒にやった方が、確認作業少なくて楽よ。だから座って、ほら」

「……………………」

 

 この僅か三十分後、コルネリウスは近くのビルへと突入。そこに居を構える政治団体、そして彼等の気球から散布されていた新型魔術生物の製造所を、一切の妥協無く粉砕した。

 秘密裏かつ本人の意思なく薬物依存者を増やし、然る後に薬物を売り出すことで莫大な利益を得ようとする計画は、彼等の働きにより未然に阻止されたのである。

 

 そしてオリガ・ストリアロフの協力を得る条件であった後日の奢りには、何故かジャネット・バルローと、彼女らの同僚であるイム・ミヨンまでついてきたそうだ。

 彼女達三人、そしてそれが生み出す混沌に疲弊し酒に逃げたコルネリウスによって、報酬の実に半分が費やされたという。

 

 秘書である異界存在に、逃れえぬ酒盛りを後回しにしたことが正しかったのか問われた時。コルネリウスは山と積まれたワインのエチケットをスケッチブックに貼るのみで、何も答えることはなかった。

 

 




食って飲んでるだけの話なんだからもっとスリムに纏めろオラッ


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第二十七話①

 まるで出来損ないの積み木作品のように、ただ上へ上へと乱雑に積み上げられた無数の建築物。各階層はデザインはおろか、サイズすら統一されておらず、酷いものになると一つの建物の上に二つの建物があったり、土台よりも巨大なものが重ねられていたりする。

 

 ここは『大崩落』直後に生まれ、再開発が無いまま無秩序に成長した区画の一つ、ビヨンド・マカオ。街並み、経済、種族、そして組織間の縄張り。それら全てがモザイク模様のように複雑に絡み合ったHLでも有数の魔窟は、今日も不健全な熱気に包まれていた。

 

 不格好、あるいはグロテスクとすら言える建築物群が生み出す、混沌とした街並み。その合間を通る細く入り組んだ路地を、コルネリウスは自分の庭のように迷いの無い足取りで進む。

 

「コルバッハの旦那じゃあないですか。今日は仕入れで? アリ・クメール式の魔力封入血液、純度も鮮度も高いの入ってますぜ」

「いや、仕事だ。また今度な」

「そりゃ珍し……いや、残念だ。いつでもお待ちしてますよ!」

 

 隙間だらけの建物から差し込む日差しにより、日向と日陰が汚く入り混じった道。その左右には様々な超常技術の産物を取り扱う個人商店が並んでおり、自慢の品を売り込もうとコルネリウスへ声を掛けてくる。

 

 顔見知りである彼らの勧めを断りつつ、コルネリウスは一棟の建物へと辿り着く。

 他のそれと同じく、いつ崩れるかと不安を覚えずにはいられない、安定性を欠いた形状。元は別の建物であったのだろうが、今は人間の足のように全体の土台となっている二つの一階の内、片方に備え付けられたスイングドアを押し開く。

 

 室内の視界はお世辞にも良いものとは言えない。質も状態も悪い照明は部屋の隅を照らせておらず、様々な色の煙が混じり合って形成される煙の帳がそこに追い打ちをかけている。

 

 煙の発生源は室内に乱雑に置かれたテーブルを囲み、酒や賭博に興じる人異達の嗜好品だ。紙巻き煙草だけでなく水煙管や香まで多種多様。合法・違法入り混じってはいるが、周囲に著しい害をもたらす物は無い。

 理由は単純で、彼らとて飯の種である依頼人を逃したくないからだ。配慮としてはささやかに過ぎるようにも思えるが、ビヨンド・マカオの依頼斡旋所など、極一部を除けばどこもこんなものである。

 

 コルネリウスは依頼が貼り出されたボードを無視して部屋の奥へと進む。目指す先は階段脇に設けられたカウンター、その請負者用受付だ。

 

 木製と見せかけて防弾素材のそこには、幾人かのフリーエージェントが寄りかかっている。いずれも異界存在であり、やや古めかしいが、いかにもアウトローな服装をしていた。

 

 彼らの目的はボードに寄ることなく受付に向かう者。つまり人選や指名が必要になるような、重要であったり割の良い仕事を受けた可能性がある者だ。様々な方法で依頼に一枚噛む、あるいは横取りを目論もうとする質の悪い輩であるが、彼らは相手が誰であるかを把握した途端、焦って道を空ける。

 

 これはコルネリウスに限った光景ではない。指名を受ける者の多くが荒事に長けている故の必然であり、成功率の低さは逃げ出した当人達も重々承知している。

 では何故それを繰り返すのかといえば、生きるためにプライドを捨てた……訳ではなく、人界の創作物に触れ、それがお約束なのだと思い込んでいるだけ。つまり趣味である。

 

 コルネリウスは彼らを呆れた目で見つつ、

 

「暇ならペットでも探しに行けよ」

「いやそれが、今月は迷子のベスベスラムルガが多かったお陰でもう働く必要ねーんすよ。でも俺らヤクはやんねーし、エデンも先週から改装中だし」

「飯に金かからねぇ種族はほんと気楽だな……」

 

 暇潰しの算段を始めた彼等を片手で追い払い、受付のブザーを鳴らす。カウンターの奥にある扉から出てきた大柄な人間種の男性。この斡旋所の経営者であるイアンは、コルネリウスを見るとその強面を僅かに緩めて両手を広げた。

 

「よく来てくれた。正直なところ、新しい事業にかかりきりで断られるかと思ってたんだ」

「店もこっちも、どちらかが本業って訳じゃないからな。それで、仕事の詳細は?」

「大まかなところは電話で伝えた通りだ。後は直接、本人から聞いてくれ」

 

 職員用のスペースの奥。イアンは壁に空けられた四角い穴に近付き、そこに垂れ下がる鈎付きの紐に金属製のプレートを引っ掛ける。彼が紐を引くとプレートは勢い良く引き上げられ、上階へと繋がる穴へ消えていった。

 

 この斡旋所の上層にあるのは、職員用の部屋や依頼人用の待合室だけではない。外と同じように様々な商品を扱う人異達が店を構えており、プレートはそこで必要な道具を揃える請負者、あるいは時間を潰す依頼者を、職員が呼び出すために使われている。

 ただの金属板に必要な情報を込めているのは、サイコメトリストでもあるイアンだ。しかし禿頭巨躯の強面という外見にそぐわぬ能力であるため、その事実を知る者は少ない。

 

「依頼者がここに? 今朝の電話じゃ情報収集とだけ聞いたが、急ぎなのか」

「かもしれん。が、そうは伝えられてない。守秘義務さえ守れば、依頼を受けるも断るもあんたの自由、ってのはいつも通りだしな。ただ……」

 

 イアンは眉根を寄せつつ、続ける。

 

「裏があるって訳じゃないだろうが、面倒そうな依頼だ。……受けるにせよ、断るにせよ」

「おい、そりゃどういう――――」

 

 抗議の意も込めたコルネリウスの言葉は、何か硬いものがぶつかったような大音と、次いで響いたガラスの割れる音に遮られる。

 出処はコルネリウス達の横、上層から続く階段。そこから転がり落ちてきたであろう何かが階段付近のテーブルへと突っ込み、卓上のグラスやら何やらを盛大に破砕した結果であった。

 

 賭博の進行や卓上の嗜好品を台無しにされたフリーエージェント達が怒りの声を上げ、テーブルの残骸から元凶を引きずり出す。どうやら人間であったらしい褐色肌の男に対し、荒くれ者達は拳を振り上げ――――次の瞬間、全員がその腕を斬り飛ばされる。

 

 犠牲者が絶叫を上げつつのたうち回り、店内の騒がしさは先程までと違った性質のものと化す。囃し立てる者と逃げる者、混乱に乗じて小さな悪事を働こうとする輩や、それに武器でもって対応する者と大混乱だ。

 

 ちょっとした地獄絵図の中、元凶である男は壁に背を預けて座り、両手で周囲を探っている。酒で濡れた頭を拭こうとしているようだが、床に散らばるトランプを自身の銀髪に擦り付けては首を傾げている様子を見るに、はっきりとした意識があるようには見えない。

 

「――ちょっと、何やってんのさ、この酔っ払い! どアホ!」

 

 慌ただしく階段を駆け下りてきた人間の女性。服装からして水商売の者であろう栗毛の女が、手提げバッグから取り出したタオルを男の頭に叩き付けつつ罵倒する。

 

 イアンは頭痛を抑えるように片手で頭を抑えつつ、残った手で女性を指差し、

 

「彼女が今回の依頼人だ。で、もう一人のボンクラだが…………おい、ザップ! てめぇいい加減にしろよ! 何百件と来てるてめぇの賞金首申請受理して、日の出を拝めなくしてやってもいいんだぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

「オウオウ兄ちゃんよぉ。悪いこたぁ言わねぇから、怪我する前にママのところへ帰りな。この仕事はお上品なコート着て出来る程甘かねぇんだ」

「ザップ、黙りな! ……すいません、コルバッハさん。この穀潰しは無視して下さい」

「……まぁ、構いませんが」

 

 斡旋所の二階に設けられた、依頼内容と条件を詰めるための部屋。座り心地はともかく、頑丈さとコストパフォーマンスには定評のあるソファーに座るコルネリウスは、眼前で同じものに腰掛ける二人を眺める。

 

 依頼人である女性の名はケイリー。コルネリウスの見立て通り水商売の女性だ。

 契約条件の細やかな確認や、同様の案件・法律を根拠とした値切りには、付け焼き刃ではない高い教育の跡が伺える。本人の言によれば高級店の所属ではないため、そういった意味では珍しい。

 

 とはいえHLは"元"が付く者には事欠かない街だ。身を持ち崩す原因など幾らでもであるし、コルネリウスにとって特別興味が湧くことでもない。

 問題は、もう一人のほうだ。

 

「おいケイリー、そりゃねぇぜ。この街の何でも屋なんてのは、安全地帯じゃなきゃ犬猫を探すことすら手間取る連中が殆どだ。高え金払って分の悪い籤を引くより、俺に任せる方が確実かつ格安だろ?」

「あんたに金を預けるくらいなら、砂漠の魔術士共がやってるランプの魔神召喚クラウドファンディングにでも投資した方がましだよ」

 

 ケイリーにすげなくあしらわれる、褐色肌に銀髪の青年。名をザップ・レンフロといい、コルネリウスとは初対面である。しかし、コルネリウスは彼のことを前々から知っていた。

 

 なにせ彼は"ライブラ"の中核メンバーであるのだ。

 

 HL、ひいては世界の危機に対処する秘密結社・ライブラ。血界の眷属でも最高位の"長老級"を打倒した経験からもわかる通り、その実力はHLでも折り紙付き。そしてコルネリウスにとっては天敵と呼べる相手だ。

 

 故に彼は情報収集を怠っておらず、組織の中核とされる面々のデータもある程度は持っている。彼等の活動は場を選べる類のものではないため、特級の案件に駆り出されるメンバーについて調べることはそう難しくない。

 もっともそれは、彼等の実力を前提とした囮や撒き餌のようなもの。ライブラのもう一つの強みである諜報力。それを支える組織の全貌は厚いベールに包まれているし、迂闊に踏み込めば火傷では済まない報復が待っている。

 

「そりゃ言い過ぎだぜ。第二上海窟でもリトルアキバでも、俺にかかりゃちょちょいのちょいだっての」

「あんた私の話憶えてる? チンピラや売人探すのとは訳が違うの。4F以外の取り柄が無い奴にそんなこと出来るわけないでしょ」

「……なんだその4Fって」

喧嘩と顔とセックス(Fight・Face・Fuck)

「もうちょいなんかあるだろ!? ……というかあと一つはなんだよ」

 

(見た目はこうなんだが、なぁ)

 

 コルネリウスはザップを眺めつつ、自身の中で警戒のランクを上げる。

 

 彼が調べたザップ・レンフロという男は、一言で言えば腕利きのクズだ。

 

 その性格や素行の悪さは凄まじく、金銭・暴力・女性・薬物といったおよそトラブルの種となりうる要素全てに塗れた生活を送っている。

 HLPDが一々捜査しないというだけで、犯した軽犯罪は星の数。彼がライブラ構成員と知っているかに関わらず、HLのアウトローの七割以上から殺意を抱かれていると言われる程。

 

 だが、同時に優秀なヴァンパイアハンターでもある。なにせあの"血闘神"裸獣汁外衛賤厳の流派を修め、弟子と認められているのだ。流石に師と同じ二重属性使いではないが、それは比較対象が規格外であるだけで、ザップ・レンフロの実力を否定する要素にはならない。

 

(あの爺さんみたいに、冷や冷やさせてくれるなよ)

 

 師と同じく動物的な勘に優れるとの評を思い出しつつ、コルネリウスは未だにやいのやいのと言い合う二人に割り込まんとする。

 

「お取り込み中のところ、申し訳ない。依頼内容について詳しくお伺いしたいのですが、それはミスター・レンフロが同席していても可能ですか?」

 

 邪魔であれば叩き出す、という遠回しな提案に対し、ケイリーは少し考えてから首を振る。

 

「いえ、大丈夫です。これもある程度の事情は――過去の私を問い詰めてやりたいけど、知ってますから」

「そーだそーだ、てめぇの出る幕なんかねぇ。あとミスターってのはやめろ。野郎に丁寧な呼び方されるなんざ、鳥肌がいてっ!?」

「………………」

 

 ケイリーはザップの後頭部をはたき飛ばしてから、一枚の写真を取り出す。そこに写る彼女の姿を見るに、そう遠くない過去のものだ。他には年嵩の男女と、彼女より若いであろう女性が一人。いずれもケイリーに似た顔立ちをしており、一目見て家族だということがわかる。

 

「家族の仇を取りたいんです。そのための調査を」

 

 曰く、ケイリーの父はHLで事業を興そうとしたが、その成功を目前にして詐欺に遭い、挙げ句挽回の一手を打とうとしたところで事故死したという。伴侶の死と経済的な苦境による心労で母は病没、妹もその直後に事故死。絵に描いたような悲運であった。

 

 ハイスクールを中退して以降、薬物に溺れ家族と離れていたケイリーは、父母の死を知ってHL入り。妹の死に目にだけは会えたが、そこで一連の悲劇に疑問を抱くきっかけを見つける。

 

 春を販ぎ資金を貯め、調査すること二年近く。家族の死の真相、そして父が失った財産の行方がようやく絞り込めてきたのだという。

 

「父にはビジネス上のパートナーが二人いました。彼等は父が騙された後も、その再起を助けようとした情に厚い仲間。でも……」

 

 静かな、しかし怒りを感じさせる声でケイリーは語る。

 

 ある日、彼女の客がこう零した。ケイリーはかつて仕事で殺した親子に似ている。娘の方は美人で殺す前に楽しみたかったが、クライアントの意向で出来なかった、と

 

 常人には理解出来ないだろうが、男にとっては自慢話であり、美人に似ているという褒め言葉でもあったのだろう。彼は酔った勢いで頼んでもいないことをペラペラと喋り、そこから辿り着いたのが、父の相棒であった二者のどちらかなのだという。

 

「二人は父の死後、その事業を取り込む形で自身の会社を成長させ、今では地域の有力者です。もう簡単に調査出来る相手じゃあ、ない」

 

 難度の面でも、資金の面でもだ。そしてそれは、コルネリウスにとっての懸念ともなる。

 

「……ミス・グルーコック。依頼内容は真相の調査とのことですが、犯人候補を拉致して頭を掻っ捌くような手段をお考えで?」

「いえ、そういう訳では……」

「まともな調査では難しいと知っているのに? ……正直に仰って頂きたい。貴方は犯人にとって見過ごせない何かを知っていて、それを使うつもりなのでは」

「………………」

 

 押し黙るケイリー。彼女がコルネリウスの『記憶』に関する技術を知っているとは考えにくい以上、この場においての沈黙は肯定に等しい。

 

 その何かを提示するのがコルネリウスにせよケイリーにせよ、依頼の性質は大きく変わる。危険も承知の調査ではなく、相手がボロを出すまで刺客を返り討ちにする囮捜査。ケイリーの護衛も必要になるだろう。つまり依頼内容、ひいては報酬の誤魔化しだ。

 

 こういった際、高い金を払うのだからその程度の融通は、と開き直る者もいる。だがコルネリウスから言わせれば、当人の了解を得ない以上、請負者は仕事を放棄することも、請け負った事以上は関知しないと無視することも出来るのだ。

 

 静まり返る室内。時計の針が動く音が妙に大きく聞こえる中、思いつめた表情のケイリーが口を開こうとし、しかし目の前に出されたザップの手がそれを妨げる。

 

「だから言ったろ、この手の連中は金にうるせぇし、中途半端な誤魔化しも通じねぇ。朝の占い代わりに区画クジ用の家を買うような金持ちでもねぇ限り、腕利きは雇えないんだよ」

「でも――」

「デモもストもねぇ。俺がやる、それでいいだろ」

 

 ザップの言葉に対し、ケイリーはしばし口を開いたり閉じたりしていたが、視線を落として悔しそうに呟く。

 

「……嬉しいけど、駄目だよ。一方的に調べてはいおしまいって訳にはいかない。殴れば片付く裏社会のクズだけじゃなく、金持ち連中とも会って、話す必要があるんだ。あんたがどんなに強くても、出来ないことはある」

「けっ、富豪だろうがセレブだろうが、やろうと思えば何度でも会えるぜ。"お話"にしたって不可能なんざねぇよ」

 

 そう言い捨て、立ち上がるザップ。部屋を出ようとする彼と、それを見ておろおろとするケイリーを前に、コルネリウスは表情を緩めないようにしつつ手で制止する。

 

「まぁ、待て」

「んだよ。一流は一流らしく、大統領のペットでも探してりゃいいだろ。俺は行くぜ」

 

 取り付く島もないが、コルネリウスは気にした様子もなく続ける。

 

「予算オーバーだってのはわかった。俺が彼女の護衛をするならな」

「あぁ? そりゃあ、つまり……」

「そういうことだよ。分業ってやつだ。……ミス・グルーコック。どうしますか」

 

 問われたケイリーはしばしコルネリウスとザップの間で視線を行き来させていたが、やがて頭を下げ、了承の意を告げた。

 

「……おいケイリーよぉ、必要ねぇって言ってるだろー。なんかいい話っぽくしてるが、最初の条件通りだし、タダじゃねぇんだ。それにお前の財布が軽いと俺の飯も――」

 

 納得いかないと不満を零すザップ。ケイリーは彼に応対せず契約書にサインしているが、その口元は僅かに緩んでいる。

 

「っつーか、俺が守るのはケイリーだけだかんな。てめぇの身はてめぇで守れよ」

「そりゃそうだ。騎士様は自分の仕事に専念してくれて構わんよ」

「……急になんだよ、気色悪い。そこもネックだって言ってただろうが」

「まぁ、そうだな。だが――」

 

 コルネリウスが譲歩した理由は幾つかある。

 調査依頼としての報酬は十分であったこと。

 原因がケイリーの深刻な金銭的事情であり、悪意によるものではないと判断したこと。

 当然のように立ち上がったザップの姿に、彼と同じ組織に属する知人達の姿が重なり、評判との落差もあって少し愉快になったこと。

 そして――

 

「妹のために、って部分に思うところがあってな」

「けっ、行き過ぎたシスコンか何かかよ。どっかの陰毛頭が同じこと言い出さないよう願うぜ」

 

 つまるところ、彼は不確定要素を無くしたかっただけで、答えは決まっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

「こんなところか。思ってたよりは普通だな」

 

 数日後、コルネリウス達は焼肉屋の個室で調査資料の確認をしていた。

 

 七輪と天井の間に備え付けられた換気装置はあまり性能が良くないため、室内には煙と肉の匂いが充満している。異界由来の技術で品種改良された牛は特殊な脂を多量に含んでおり、火と炭が弾ける音が激しいのもマイナスだ。

 話し合いに相応しい場か怪しいが、ここを強く推したザップ曰く、個室であり肉の焼ける音が防諜にもなるとのこと。ちなみに彼の分の支払いはケイリー持ちである。

 

「普通……なんですか? この立ち退き拒否した住人ごと住宅を爆破解体とか、警察沙汰だと思うんですが」

「ケイリー、おめぇは変なところで頭固いよなぁ。そいつらには意見交換会だの説明会だのと伝えて集めたところでドカンすりゃあ、文句言う奴なんて残らねぇだろ。HLPDも通報されない案件全てに首突っ込む余裕ねぇしな」

 

 ザップは焼かれて尚びくびくと痙攣する牛タンを口に放り込む。

 

「ふぉれで」

「食ってから喋れ」

「……ふぅ。それで、こっからどうするんだ? 直接乗り込まずに調べたにしちゃあ十分なもんだが、これで出来るのはそいつらに保釈金払わせる程度だ。この程度はどこもやってるからな」

 

 そもこのようなケースであっても、必ずしも企業の側が悪とは限らないのがHLという街だ。そして依頼の内容は過去の事件の真相究明であり、この罪状で犯人候補を檻に入れてもケイリーは納得しないであろう。

 

 コルネリウスは頷く。

 

「そうだな、これはあくまで下調べだ。目標とする二人がどんな連中とつるんでいるかが知りたかった」

「まどろっこしいな。ギサ公なんざ詰めれば小鳥みたいに勝手に囀るもんだろうが」

 

 その勇ましい言葉を聞き、烏龍茶片手に隣に座るケイリーがため息をつく。

 

「……ザップ、わかっちゃいたけど、あんた本当に脳筋ね」

「まぁまぁ、そういう手法が有効なのも事実です」

 

 どちらかが本当に犯人であれば、という言葉は胸にしまったまま、コルネリウスは続ける。

 

「とにかく、これで候補者二人は独立非合法組織との繋がりが無いか、薄いってのがわかった」

 

 この街は厳格な法とお行儀の良い捜査が必要な"外"とは違う。日頃から切った張ったを繰り返す在HL非合法組織は、過去の犯罪を暴露することに特段のリスクも無ければ躊躇も無い。

 だが企業の側はそうもいかず、行政と司法の顔色を伺う必要がある。情報流出前に相手を叩き潰せる戦力が無い限り、多くの企業は一度手を組んだ相手と共生関係になることが多かった。

 

 その気配が見受けられない以上、二年前の事件はフリーの請負者か、子飼いの部下が使われた可能性が高いと言える。つまり候補者とその周囲以外を締め上げての真相究明は難しくなった。

 

 そしてケイリーによれば、かつて犯人へと繋がる情報を得た男との再接触は困難だという。当然と言えば当然であるが、コルネリウスは彼女の雰囲気から、男はもうこの世にはいないであろうことを感じ取っていたため、これも選択肢から除外せざるを得ない。

 

 地道な調査が行き詰まったのであれば、次のステップに進むべきだ。そのための鍵はある。

 

「当初の予定通り、直接揺さぶりをかけるとしよう。……なに、これだけ調べて"普通"の結果しか出てこないんだ。大したことは出来ないし、身の丈を超えた動きをすればすぐにわかる。安全ってのはいいことだ」

 

 



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第二十七話②

「……ジェイムズは正義感と行動力、そして先見性を持った男でした。あの不安定な時期にあってもHLが発展することを確信し、この混沌とした街と民衆には"外"の比ではない家庭用警備システムが必要だと、実利と義侠心を兼ねた事業に財産の多くを投じたのです」

 

 オフィス街に建つとあるビルの最上階。扉に社長室と彫られたプレートが輝くそこで、遠い目をして故人を偲ぶのは、髪に白いものが混じり始めた中年の人間種の男性だ。

 穏やかで理知的な風貌に、高価ながらも落ち着いた服装。由緒ある家に生まれた、人柄の良い地域の名士といった言葉が似合う人物である。

 

 彼の名はハンフリー・ヘイワード。ケイリーの父とビジネスパートナーであった、二年前の事件における犯人候補の一人だ。

 

「ありがとうございます。ミスター・ヘイワードにそう言って頂ければ、亡き父も浮かばれるでしょう」

 

 目元を抑えつつそう返すケイリーは、普段とは全く異なる姿であった。髪をアップにまとめ、眼鏡とパンツスーツ姿の彼女。どこからどう見ても知識階級のホワイトカラーであり、コルネリウスの秘書という肩書が偽りであることなど微塵も感じさせない。

 

「おいおい、さっきからそればかりじゃねぇか。ケイリーが言いたいのはそういうことじゃねぇんだろ?」

「……ザップさん。これが本来の仕事でないことは重々承知していますが、貴方の言動も社長の、ひいては社の印象に関わるのです。もう少し言葉に気をつけて下さい」

「……へいへい。インテリ様方はお上品なこって」

 

 ケイリーに注意を受け、そっぽを向くザップ。こちらも必要に応じて雇われただけの粗野な護衛というイメージを完璧に演じている、もとい素でこなしている。

 

 立場を弁えないザップの言葉に対し、ハンフリーは気分を害した様子も無く頷く。

 

「いや、確かにその護衛の方の言う通り。ケイリーさん、二年前のあの忌まわしい事件について貴方が知ったことを、もう少し詳しく教えて頂けませんか」

 

 コルネリウスと彼が話し合いの場を持つのはこれで三度目だ。彼は常に穏やかで、相手を気遣った言動をする。

 商談を装った二度目の会話でも、彼の側から旧友の娘に似ているとケイリーに言及し、今回の話し合いの場を設けた程。もう一人の犯人候補とは雲泥の差であった。

 

 ケイリーは頷き、口を開く。

 

「はい。二年前、私は……ニコール、妹を死へと追いやった事件に巻き込まれました」

「なんと、貴方も?」

「両親の死を知ってHL入りした直後です。何もかもが遅かったですが……あのガス爆発と火災の中、妹は言いました。通常ではあり得ない、人の行動を阻害するための薬が使われている、と」

 

 ケイリーは話を続ける。

 

 火で退路を断たれたケイリーは妹を支えつつダストシュートからの脱出を果たすが、ケイリーと合流する前にその薬品を大量に吸ったらしき妹は帰らぬ人となった。

 専攻でこそないがカレッジで優秀な成績を修めていた妹。その言葉を信じ、事件直後に自身の身体を調査したケイリーは薬品の存在を確信する。しかし人体にも大気中にも長時間残る類のものではなく、立証は諦めざるをえなかった、と。

 

「なんと……いや、しかしそれなら確かに……」

「HLPDには証拠不十分だとされた、世間一般では陰謀論に属するような戯言です」

 

 仮に調査するとなれば一流の――二年が経った今では、超一流のサイコメトリストを長期間雇わねばならない。しかもそれは、あくまで最低限のラインだ。

 警察が対応出来ないのも仕方のないこと。そう力無く言ったケイリーに対し、ハンフリーは首を振って彼女の手を握る。

 

「私は貴方を信じます。ジェイムズの娘であり、ニコールの姉である貴方を」

「父だけでなく、ニコールの言葉も信じて頂けるのですか」

「ええ、彼女はジェイムズによく似ていた。顔もそうですが、心が。何より……」

 

 ハンフリーはそこで初めて、険のある表情を見せ

 

「ジェイムズとその細君の死にも、立証出来ないだけで疑念があったのです。おそらく……いや、きっと奴の仕業に違いないというのに……!!」

 

 

 

 

 

 

 

「……とでも言ってやがるんだろうな、ハンフリーの野郎は! あの偽善者の、大嘘憑きめ!」

 

 煌びやかな装飾で溢れたVIPルームに怒声が響き渡る。

 声の主であるベルガントは横に太い巨体を揺らし、豪奢なソファーに勢い良く腰を下ろした。

 

 彼こそがもう一人の犯人候補であり、ここは彼が副業で所持するクラブだ。窓からは多種多様な欲望に塗れたダンスフロアが一望できる。

 

「それは穏やかでないお言葉ですね。貴方は今も彼のビジネスパートナーでしょう?」

「はん、結果的にそうなっただけだ。あの大泥棒の好きにさせる訳にゃいかなかったからな!」

 

 不機嫌そのものといった表情で葉巻を吹かすベルガント。複眼を持った犀のような顔に、他者を威圧するような表情。そして財を見せつけるための、過剰に豪奢な服装。金に煩い、成り上がりの豪腕経営者といった言葉が似合う、ハンフリーとは対極的な異界存在である。

 

 彼はケイリーのことを知ってから、プライベートな会話の場を設ける代わりにとコルネリウスに幾度かの取引を持ちかけてきた。不利な取引でこそなかったが、得た商品を転売することで生まれる損益は、今回の報酬を随分と目減りさせるだろう。

 

 ベルガントはグラスに酒を注ぎつつ、

 

「いいか? ハンフリーの野郎はジェイムズがくたばった後、遺志を継ぐだのなんだの言いながら事業を吸収しようとした。そこまでは、まぁいい。俺もそうしてたからな。ジェイムズは大した奴だったが、死んじまったらそれまでだ」

 

 残った社員達の意向もあり、ジェイムズの会社は割とスムーズに分割されたらしい。

 

 問題はここからであった。ハンフリーは事業拡大のため、故人が嫌っていた相手と手を組んで防犯業界での伸長を狙ったのだ。ベルガントはそれを強く非難したが、金になることは確かであり、またハンフリーだけにそれを許せば業界が牛耳られると危惧して、同じ相手と手を組むに至る。

 以来、彼とハンフリーは商売上の協力をしつつも、主導権を握らせないため敵対もする間柄となったという。

 

「ジェイムズはいつも言ってたぜ。ロックハート・ジョニーは商売こそ上手いが自分と金だけが大事で、顧客もパートナーも顧みねぇ。組んで育てちまえば、HLの防犯事情に禍根を残すってな。俺も同意見だ」

 

 現在のビジネスパートナーである大手防犯警備会社の社長を非難しつつ、ワインを呷る。

 

「……では、ミスター・ベルガントは両親と妹の死には不自然なところはないと、そうお考えなのでしょうか」

 

 自己紹介と二年前の件を語った後、沈黙を続けていたケイリーが静かに問う。ベルガントは声を聞いてようやく彼女の存在を思い出したといった様子を見せたが、すぐに首を横に振った。

 

「いや、そうじゃねえ。俺はハンフリーの奴が怪しいと睨んでる。……嬢ちゃん、信用出来ねぇって顔だな」

「正直に言えば、そうです。妹から聞いた、貴方と会った時の印象は、あまり良いものではありませんでしたから」

「ふん、正直だな。まぁ仕方ねぇ、ジェイムズも最初は俺のことを嫌ってた」

 

 胸元から何かを取り出すベルガント。持ち手の先で金属らしき何かが蠢くそれは、どうやら形状変化式の鍵のようであった。

 

「奴が死ぬ直前、俺に預けた貸し金庫の鍵だ。生体DNA認証とパスワード認証を合わせた、家族以外にゃ開けようがない代物さ。立て続けに家族が死んじまったもんでそのままになってたが、あんたならどうにか出来るだろう」

 

 鍵を胸元にしまい、

 

「何が入ってるかは知らねぇが、金なら調査に使えるし……タイミング的には、あの時何があったかを知らせるための情報があってもおかしくねぇ。これをハンフリーの前で開けりゃ、奴も観念するだろうさ」

 

 

 

 

 

 

 

「どっちもぶちのめせばいいんじゃねぇの?」

 

 誠に物騒な発言であるが、ビヨンド・マカオの路地で些末な事を気にする者はいない。

 

 ハンフリー達と再度話し合い、犯人候補の二人と共に貸し金庫へ向かう日取りを決めた帰り道。入室を許可されなかったベルガントとの会話の録音を聞き終えたザップは、面倒そうにそう言い放った。

 

 ケイリーは自身の額に手を当て

 

「あんたね……それちゃんと考えて言ってる?」

「おうよ。あいつら、二人とも胡散臭いだろうが。理由なんざ勘で十分だ」

「そうね……チェックシートの選択肢全部塗り潰して実質正解とか、真顔で言える奴だったわ」

 

 ケイリーはザップへのお説教を始めるが、当の本人は明らかに聞き流している。近頃は見慣れてしまった光景であるため、コルネリウスはしばし放っておき、一段落ついたところで会話に割り込んだ。

 

「両者の言い分をどう見るかはともかく、犯人は大した役者です」

「オウ、そうだな。なにせ探し続けてたてめぇの犯罪の生き証人を前にしても、眉一つ動かしゃしねぇ。相当場数踏んでるぜ、ありゃ」

 

 犯人候補の二人と話す際、ケイリーは幾つかの事実を伏せていた。その中で最も大きなものが、二年前の彼女は事故現場にて犯人と遭遇し、その頭部と腹部に傷を負ったということだ。

 

 犯人達は炎の中に逃げた彼女を長くは追わなかった。否、追えなかったと言うべきだろう。いかに火災現場とはいえ、死体の死因が捨て置かれることは無い。さりとて炎の中を追いかけ回して殺し、回収まで行うのも非現実的。見つかってしまった時点で挽回不能なのだ。

 

 記憶から顔写真を作る程度であれば、当人に害を与えない範囲の脳技術で事足りる。当然、犯人達とその雇い主は、ケイリーの遺体が見つからなかったことを把握しているだろうし、程度はともあれ彼女を探していた筈。

 なにせ知能を持つ生き物というのは、HLにおいて法的に立証可能な証拠の宝庫である。境界都市で用いられる数々の超常技術は、その当人が把握していない真実まで取り出すことが出来るのだから。

 

 ケイリーが今の職に就いているのは、実入りが良いという理由だけではなかった訳ではないのだろう。全体的に灯りに乏しい売春窟では、化粧や薬、酒の力で素性を誤魔化しやすい。

 彼女がコルネリウスに話した際にぼかした情報源の男の行方も、怨恨だけでなく護身の結果だと言える。

 

 犯人には看過できない証拠。それを用いて、ケイリーは自身の身を犠牲に釣りを仕掛けるつもりであった。

 

(まぁ、解せんところはあるがな)

 

 何故今までそれをしなかったのか、という部分だ。施術の危険に対する同意書にサインさえすれば、HLPDとて門前払いはしない。だが彼女は立証の難しい薬物だけを警察に提示して、諦めている。

 当人は薬物で荒れた身体と精神だったため、情報の真偽を疑われる可能性があったと言う。確かにそういったこともあるが、コルネリウスとしてはやはり腑に落ちないのだ。

 

「ミス・グルーコックから見て、どちらが怪しいですか?」

「……そうね。私は――っ!?」

 

 だが捜査は順調に進んでいるし、候補者二人が怪しいのも事実。どうしたものかと悩むコルネリウスの前で、急にケイリーが頭を抱え、苦しみ出した。

 

 ザップがいち早く彼女へと駆け寄る。

 

「おい、ケイリー! いつものあれか!?」

 

 苦しそうにしつつも頷くケイリーを見て、ザップは彼女の鞄から幾つかのピルケースと水のペットボトルを取り出す。その動きは手慣れており、幾度か同じ経験をしたことがわかる。

 

「持病か?」

「……ああ、事故で負わされた頭の傷とヤクの後遺症、あとは後悔の記憶が嫌な具合に噛み合っちまったらしくてな。ダウナー入ったフラッシュバックの亜種みたいなもんだ」

 

 そう話すザップが持つ薬の幾らかは、明らかにドラッグと呼ぶべきものだ。薬による悪影響を打ち消すには最も手っ取り早い方法であるが、根本的な解決にはならない。

 

「……別に、てめぇへの依頼料がどうこうって話じゃねぇよ。その程度じゃ足りないって聞いてるからな」

「…………………」

 

 コルネリウスはケイリーを看護するザップを無言で見ていたが、不意に顔を上げた。ザップも同様だ。

 上着の内に『門』を形成し、シュラハトシュベールトを取り出して、全身と武器を血で覆う。一方のザップも、手の内に瞬時に血の刃を形成している。

 

 "血闘神"と同じ倭刀を模した血の刃。核となる物体を必要とせず、自らの血を形状・硬度に至るまで自由に変化させる離れ業。血闘術全体で見ても貴重な技術であるため、このような時でなければコルネリウスもじっくりと観察したい程だ。

 

「嫌なことは重なる。HLの常識だな、畜生め」

「クソっ……おい、俺は――」

「わかってるよ騎士様。俺は前に出て自分の身を守る。討ち漏らしは任せた」

 

 物陰に富むビヨンド・マカオのあちらこちらから出てきた刺客達。望まぬ来客に向け、コルネリウスと彼が生成した銀色の全身鎧達が得物を構えて走り出す。

 

 

 

 

 

 

 

「ご無事で何よりです。知らせを聞いた時は心臓が止まるかと思いました……本当によかった」

「けっ、心にもねぇことを言いやがるぜ」

 

 ホテルのロビーのような、休むための場所ではないのにどこか安心出来る空間。貸し金庫に集まった五人はめいめいが好きな場所に座りつつ、主にハンフリーとベルガントの口論で時間を潰していた。

 

 この貸し金庫は空間の組み換えで金庫を隔離することにより、完全な防犯を謳っている。今は金庫がこの場所に"来る"までの待ち時間だ。正確にはこのロビーもそうして組み換えたものであるため、他の客と鉢合わせるようなことはない。

 

「……ベルガント、貴方こそよくこの場に顔を出せましたね。貴方が問題の多い副業を利用して、僅かな薬代欲しさに悪行を働く人々を囲っているなど、周知の事実だというのに」

「俺だけが怪しいってか? HLの防犯業界に携わる奴が自前の兵隊を持つなんざ当然だ。よく自分を棚に上げてそんなことが言えるな」

 

 二人は先程からこのような状態だ。ザップは勿論、コルネリウスやケイリーも間に入ることはもう諦めて、供されたドリンクを飲んでいる。

 

「持った力をどう使うかの違いです。私にはそのような考えは無い」

「ふん、大した偽善者だぜ。この金庫を知らないってのになぁ」

「……正直に言いましょうか。私はこの金庫自体、信憑性を疑っています。武名を知られるミスター・コルバッハや護衛の方がいなければ、貴方と会うこと自体が危険だ」

「言ってくれるぜ! ……なら、俺も本音を言おうか。おめぇ、本当にジェイムズからこの金庫のことを知らされてなかったのか?」

 

 ベルガントは持っていた葉巻を握り潰す。

 

「奴がくたばった後、妻のジェシーは気落ちしてたが健康だった。それが急にあれだ。ここを開けられる人間が、な」

「……貴方の下劣な発想には、ほとほと嫌気が差します。やはりジェイムズと貴方の関係を、無理してでも止めるべきだった」

 

 何かが噛み合うような重厚な音。激化するばかりで鎮まることのない口論を止めたのは、ロビーと金庫との接続を示す音と、扉の脇に備え付けられた機械の表示だ。

 

 全員の視線が扉に、次いでケイリーへと向かう。

 

 ベルガントは無言で胸元から鍵を取り出し、彼女へと放り投げた。

 

「生体認証をパスすれば、パスワードのヒントも出るらしい。家族と離れてた時期があるのは心配だが……そんときゃそんときだ」

 

 ケイリーは頷き、両開きの扉を開ける。目の前には廊下や別の部屋ではなく、銀色に光る大金庫の扉のみが広がっていた。

 迫り出してきた機械で生体認証をクリアし、ランダム配列のキーボードに何かを打ち込んでパスワードを打ち込み、ようやく出てきた鍵穴に鍵を差し込む。あとは、開くのみ。

 

 ケイリーは取っ手に手をかけ――しかし、それを引こうとはしない。

 

 訝しんだハンフリーが一歩、前に出る。

 

「どうしたのです? まさか何か仕掛けが――」

「いえ、違うんです。これを開ける前に、お二人に伝えたいことがあって」

「あん? そりゃあいったい――」

「二年前の事件。その犯人についてです」

 

 驚く二人を前に、ケイリーは続ける。

 

「実は、お二人に話していないことがありました。それを使って、犯人が誰かわかったんです」

「……ふむ。成程、であれば確かに、それを開けるのはリスクが高い」

「言ってろ。……わかってるぜ、開ける前にこいつを抑えておけってんだな。だが心配するな、どうせここは空間編成された場だ、逃げられやしねぇ。安心してそれを言ってくれ」

 

 互いに互いを犯人だと信じて疑わない二人は納得し、続きを促されたケイリーは彼等へと向き直る。

 

 

 

「二年前、私の家族を騙し、死へと追いやったのは――――貴方たち、二人です」

 

 

 

 空気が凍る。

 

 その言葉に対し、誰一人として反応を返さない。

 

「おい――――」

 

 焦れたザップがケイリーに向かって歩き出した、その時であった。

 

『は、ははハハははハははははっ!!』

 

 ハンフリーとベルガントが狂ったように笑い出すと同時、部屋の各所から僅かに色の付いた何かが流れ込んでくる。それはたちまち部屋を覆い尽くし、吸い込んだコルネリウスとザップは身体の自由を失ったように膝をついてしまう。

 

 影響が無いのはハンフリーとベルガント、そしてケイリーのみ。

 

「あぁ、心配するな。嬢ちゃんの飲み物には中和薬を入れておいた」

「ええ、ええ。せっかくのお楽しみを、この薬で朦朧とした意識で見逃されてしまっては興ざめですからねぇ!」

 

 ケイリーは険しい視線を向けるが、顔を醜く歪ませて笑う二人は気にすることもない。

 

「しかしよぅ、兄弟。何があっても良いよう準備はしていたが、まさか正解に辿り着かれちまうとは思わなかったな!」

「ですねぇ。忘れた頃に転がり込んできたのは、極上の道化ではなかったようだ。我々の演技も無駄になってしまいましたよ。いや、しかし、これもまた面白い!」

「おう嬢ちゃん、死ぬ前に聞かせてくれや! どうして答えがわかった!? ああ、ハッタリなんてのはやめてくれよ。それじゃあ俺達がどう動こうが面白くねぇからな!」

 

 隔離されていた筈の部屋の扉から、武器を構えた人異達が雪崩込んでくる。配下であろう面々に囲まれた二人が目を輝かせて答えを待つ中、ケイリーは気丈にも一歩踏み出す。

 

「ふん、クズ共がお気に召すような完全無欠の解答じゃないわよ。あんたらを全く信用出来ない、単純な理由。ニコールは……妹は、あんたらと会ったことなんて無いんだから」

 

 二度、部屋に哄笑が響き渡る。

 

「ぐうははははァ! しまった、そりゃあ盲点だったぜ! 二年前までヤク中だったっつうてめぇが、HL入りしてたった数日でそこまで聞いてたとはなぁ! これも家族の絆ってやつか!」

「ふふ、仰る通り、答えとしては減点せざるを得ませんねぇ。ですが、確かに。我々を疑うには十分な理由だ。惜しむらくは、その疑念の使い所はもっと考えるべきだった。いや、我々としてはこれ以上無い結果ですので礼を言いたいですが!」

 

 二人の部下がケイリーへと近付いていく。彼女に逃げ場は無い。強いて言うなれば、背後にある金庫ぐらいだろう。

 

「逃げ込んでくれても構わねぇぜ。少し手間ァかかるが、酒でも飲みながら待つさ」

「この貸し金庫も、我々とロックハートの経営。幾らでも自由はききます」

 

 口を結び、動くこと無くただ家族の仇を睨み付けるケイリー。

 

 彼女にならず者達が迫り――――

 

「斗流血法――刃身ノ壱・焔丸」

 

 滑るようにその前へと飛び込んだザップの振るう刃によって、まとめて斬り捨てられた。

 

「なっ!? てめぇ、どうやって――」

 

 驚きの声と共に袖口から銃器を取り出すハンフリーとベルガント。彼等に応じたのはザップではなく、やはり何事も無かったかのように立ち上がり、入り口付近を制圧したコルネリウスだ。

 

「おめでたい頭をしてるもんだ。昔も薬を使ったってんなら、対策ぐらいする。……まぁ、お陰様でお前達の楽しいお喋りを録音出来た。このボンクラ共がさっさと刃向けてきたら、色々とやることが増えてたからな」

 

 舌打ちしたハンフリーが手元で何かを操作すると、部屋中から防犯設備が迫り出してくる。

 だが自身に照準を合わせる無数の銃口を前にしても、ザップは焦る様子を見せない。無言でもう一本の刃を形成してから、ケイリーの前に仁王立ちし、敵を睨み付け

 

「来いよクズ共。俺ァ久々にドタマに来てるんだ。いつも通りに口だけ動かせば済むと勘違いしてるようなら……生まれてきた事を後悔する羽目になるぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 荒れ果てた室内に、鼻をすする音のみが響く。

 

 部屋中にあった防犯設備はその尽くが機能を停止し、チンピラ達は壁や床の染みと化し、詐欺師二人も恐怖の表情を浮かべたまま、壁に縫い付けられて絶命していた。

 

 コルネリウスとザップは部屋の隅に立ち、椅子に座ってすすり泣くケイリーを――大粒の涙を流しながら、両親と"姉"の仇を討ってくれたことに何度も何度も感謝の意を示した彼女を、無言で眺めていた。

 

 沈黙に耐えかねたザップが葉巻を取り出そうとしたタイミングを見計らい、コルネリウスは話しかける。

 

「……お前も知ってたんだろ?」

「……そうでもねぇよ。俺ァ深く考えるのは苦手だからな。確信は持ってなかったし――結局のところ、どっちでもやるこたぁ同じだ」

 

 小さな血の刃で葉巻を切りつつ火をつけ、ザップは再び無言になる。

 

 HLではありふれた、救いのない話のひとつだ。

 父の失敗を機に薬に溺れた少女は、夢の世界に逃避している内に両親を亡くした。燃え盛る炎の中で諦めた命を救ったのは、同じ境遇にいた筈なのに、目に強い光を宿した最後の家族。

 彼女の命と引き換えに得た命と復讐心を最大限活用するため、"外"とは比べ物にならぬ薬で荒れ果てた身体を捨て、証拠にもなる姉の身体へその脳だけを移し替えた。

 

 経歴に似合わぬ知性を持ち、HL内でしか用いられない薬物に、他人の言葉であっても確信を抱くことが出来る。

 有効な手段を取らない代わりに、本来知り得ない情報で解へ辿り着く。

 単なるドラッグ後遺症の治療であれば足りる筈の金を不足だとし、用途を考慮すれば不可解な薬まで多く服用する。

 

 脳移植はHLにおいて珍しい技術ではない。一つの疑念では弱くても、積み重なれば選択肢として浮かんでくるもの。特に、男女の仲で多くの時間を共有しているのであれば。

 

(もって数年、か)

 

 元々脳も薬物の影響を受けていたのだ。良い施術を受けた訳でもないため、長くは生きられないだろう。ここは奇跡が起きる街だが、その確率など言うまでもないし、本人とてそれを望んでいるかわからない。

 

 紫煙をくゆらせつつ、同じことを考えていたであろうザップが、急に頭を振って歩き出した。

 通りすがりにケイリーの肩を叩き、金庫へと向かって行く。

 

「……クソっ、こういうのは苦手なンだよ。どんな奴だろうと、明日生きてるかすらわかんねぇのがHLだ。なら生きてる内は何かしら楽しめることを見つけた方が、天国への階段を上る時の足だって軽くなるってもんだろ」

 

 そう言って金庫に手をかけたザップを見て、ケイリーが驚いたように立ち上がる。

 

「ちょっ、まっ――」

「オウ、その顔だ。死人みたいなツラしてたら、向こうから死神が寄って来るからな。まずはこいつらから正当な対価ってやつを頂いて、豪遊してから考えようぜ。……てことでこの金庫にゃあ何が――――がぁぁぁっ!?」

 

 響く銃声。

 

 咄嗟に血法で防護したのか、倒れ伏したザップは血を流しつつも元気にもがいている。それを見て慌てて駆け寄るケイリー。

 コルネリウスは呆れたように頭を振り、それから歩き出す。

 

「……お前なぁ、さっきの今でこれが罠だとは思わないのか?」

「いてぇぇぇ! 畜生、知るかそんなもん! ぐあっ、ケイリーそこは抑えんな!」

「それじゃ応急処置出来ないでしょ! 男なんだから、ピーピー喚くんじゃないよ! 全く、かっこつかないんだから、この馬鹿!」

 

 荒々しい手付きで処置しつつ、ザップに向けて罵倒を繰り返すケイリー。しかし、その顔には笑みが浮かんでいる。

 

 コルネリウスもそれを見て笑う。

 

「いや、しかし、彼なりの気遣いかも。ここ数日、ずっとそんな感じだったのでしょう? 疎まれても貴方から離れようとはしなかった」

「いーや、こいつは素でこんなもんですよ。ただ……」

「ただ?」

「4Fってね、本当にこいつの良いところだと、私は思ってますから」

「……ふむ」

 

 コルネリウスは暴れるザップから視線を外し、前を見る。

 扉の開いた大金庫の中には、糸を使ったごく簡単な仕掛けと、硝煙を靡かせる銃。そして中指を立てたイラストに、『大馬鹿野郎!!(Fool)』と書かれたプラカード。

 

「成程、これが四つ目ですか。確かに、人を笑顔にすることもありますね」

「おいコラ! いい話みたいにしてねぇで、さっさと病院に……ってぇぇぇぇ!?」

 

 

 



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