【完結】ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~ (からんBit)
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序章~草原の少女(前編)~

どこまでも続く青い空。大地を覆うのは緑の海。走りぬける風が葉を揺らして旋律を奏でていく。

 

ここは草原だった。

そこを一人の青年が行く。いや、「行く」という言葉を使うには彼の足取りは相当におぼつかなかった。

それもそのはずだ。彼は既に飲まず食わずで三日三晩この草原をさまよっていた。体力はとうの昔に限界をこえ、彼の足を進めるのは気力のみ。

 

だが、既にそれも限界にきていた。

青年の口から呻き声ともとれる弱弱しい言葉が漏れる。

 

それは、己への嘲笑か、神への弱音か、それとも運命への罵倒か。

 

しかし、それすらも吹き抜ける風がさらってゆく。

足は震え、瞼が落ち、手にしていた杖さえも握れなくなっていた

それでも彼は前へ前へと体を傾ける。彼を動かすのは気迫か、意地か、それとも運命なのか。

 

そんな彼の足が止まる。ついに彼の身体が地に伏せる。

 

そこは草原の端。隣国との国境に近いその場所は草原の民であるサカの人々に「草原の入り口」と呼ばれる場所だった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

俺は暗闇の中を走っていた。小さな手足をバタつかせ、大事な人の名を叫びながら走っていた。

 

『父さん!母さん!』

 

今より少し高い声で自分が叫ぶ声がどこか遠くで聞こえていた。

 

「あぁ・・・またか・・・」

 

耳から近い場所で今の自分がそう呟いた。その声が自分の意識を覚醒へと近づける。

俺はこの暗闇から逃れるために、瞼に力を込めて目を開いた。

 

そこには一人の少女が立っていた。

 

「あっ、気がついた?」

 

俺は何度か瞬きを繰り返す。

自分のおかれている状況が今一つ理解できていなかった。

とりあえず、目の前にいる人物を観察する。

 

遊牧民であるサカの民によく見る出で立ちに蒼に近い翠色の髪をひとつに束ねている。目鼻立ちの整った容姿は凛とした風を髣髴とさせた。

綺麗な目だな。

それが俺が抱いた彼女への第一印象だった。

 

自分の上体を起こすと額から湿った布が滑り落ちた。

よくよく見ると目の前にいる彼女の手には水を張った桶が抱えられている。

 

彼女が俺を看護してくれたのか?

そんな疑問が胸を過ぎ去ると同時に、身体の節々が針に刺されたかのように痛み出す。その痛みを隠すように俺は右手で片目を覆った。

 

「俺は・・・」

何をしていたんだ?

 

いまいち今の状況が理解できていなかった。

 

「あなたは、草原の入り口に倒れていたのよ・・・大丈夫?顔色はもういいみたいだけど」

 

頭の上から降ってくる声に純粋な優しさを感じながら、目だけで自分が目覚めた部屋を見渡す。調度品を見る限りどうやら俺は遊牧民族の暮らす『サカ』の文化圏にいるらしい。その部屋の隅には見慣れた自分の荷物が置いてあった。

 

その荷物を持って俺は旅をしていた。最後に俺が旅をしていた場所はどこだったか。

 

思い出そうとした途端、脳裏を駆け抜ける景色があった。

 

青と白と緑の世界。

 

澄み切った空、頭上を過ぎる雲、どこまでも続く草原。その風を体が思い出した。

そうか・・・俺、また行き倒れたのか・・・

彼女が俯く俺の顔を覗き込んできた。

その仕草に俺は『平気だ』という意味を込めて小さく微笑みを向け、顔を上げた。俺のその表情に安心したのか彼女も安堵の表情を返してくる。俺が『綺麗』と称したその瞳には彼女の声と同様に真っ直ぐな優しさが見て取れた。

 

彼女は桶を脇に置いて座り、俺に視線を合わせてきた。

 

「私はリン。ロルカ族の娘。あなたは?あなたの名前を教えてくれる?」

「ハングだ・・・」

「ハング?・・・不思議な響き。でも、悪くないと思う。」

「ありがと・・・俺も自分の名前は気に入っててな」

 

そうして何がおかしかったのか、二人で小さく笑いあった。なんだか心地のよい空間だった。

朗らかな空気に包まれた中でリンは話を再開した。

 

「それで・・・見たところ、あなたは旅人みたいだけど。このサカ草原には何をしにきたの?よかったら話を・・・」

 

だが、その空気はすぐに一変した。俺とリンはほぼ同時にこの住居の出入り口に視線を向けた。

外から流れてくるのは濁った声と騒ぎ声。そしてそこに混じる濃厚な殺気と異臭。

どう考えても穏やかではない気配だった。

 

だが、その中でも異彩を放っているものがあった。

 

リンの殺気だった。

 

「外が騒がしい・・・ちょっと見てくるハングはここにいて」

 

有無を言わせない鋭く低い声に俺は素直に頷いた。

 

リンが家を出て行く。

俺はその間に自分の体を確認した。

肩まで伸ばしている髪は癖があり、薄い黒色をしている。上背のある体には特に動かない箇所は見受けられず、不健康な程に白い肌にはたいした傷も無い。自分では確認できないが瞳の色は明るい茶色をしている。

そして、俺は左腕の袖をたくし上げた。そこには、肩から指の先まで隙間なく布が巻きつけられていた。

 

「解かれた形跡は無いな・・・」

「大変!ベルンの山から山賊どもが下りてきたわ」

 

俺が袖を戻すのとほぼ同時にリンが家に飛び込んできた。彼女は先程と同じ殺気を抱えたままだった。

 

そして、俺は彼女の瞳を見た。それを見た俺は思わず息を止めてしまった。

 

視線だけは俺の方を向いている。だが、彼女の目は俺を見てはいなかった。

 

「また、近くの村を襲う気ね・・・そうはさせない・・・あれくらいの人数なら私一人で追い払うわ!ハングは隠れて・・・」

「いや、俺も戦う」

 

俺は立ち上がって、足の筋肉を平手で軽く叩く。問題なく動きそうだ。

 

「え!?あなた、何か武器が使えるの?」

 

俺は自分の荷物をあさりながら背中越しに会話を続ける。

 

「一応、俺は見習いの軍師でな。そっちで手伝わせてもらう・・・まあ、護身術程度になら剣も使えるから足手まといにはならないと思うぞ」

 

俺は自分の剣を腰に帯びリンに向き合った。

俺の姿を見てリンは説得を諦めたのか、すぐに考えを切り替えた。

 

「わかったわ・・・二人で行きましょう」

 

リンがこらえ切れないように家を飛び出していく。俺もそれに続いて外に出た。

出入り口の幕を押し上げながら俺はリンの背中を目で追う。さっき垣間見た彼女の瞳を俺は思い出していた。

 

似たような目を俺は知っていた。

 

何も見ず、何も捉えず、ただ薄暗い光を宿したあの瞳

目先のことを見ているようで、決して届かない過去を見つめる目だ。

 

俺が思い出したくない類のものだった。本当は二度と見たくない。

 

俺はそんな身勝手な葛藤を押し込め、リンの隣に並んだ。

 

そこからは付近の草原を一望できた。遠くに小さな集落が見える。そこに向かって山賊の一団が突撃しようとしていた。ここからは集落の連中が応戦しているのがわかる。

 

「はやく加勢に行きましょ!!」

「まて、その前に目の前の敵を片付けてからにしよう」

「え?」

 

俺は草原の中を指さした。やや背の高い草むらの中に不自然な跡が線のように伸びていた。

この位置から目をこらせばその中に潜む山賊達が見て取れた。

 

「あそこで戦ってるのは確かに本隊だろうが、そこの草原に身を潜ませながら、数人の山賊が奇襲をかけようとしている。まずはその脅威を排除しておくのが先だ。幸いこっちは風下、向こうは気づいていないだろう」

 

草原に刻まれた線の数は5本。中央の大男を中心に5人の山賊が分かれながら集落の方へと向かっている。

 

「山賊にしてはまあまあだが、猿の浅知恵だな・・・どうせならまとまって突っ込めばいいものを」

「どうするの?」

「その前に一つ聞きたい。リン、あの集落の連中と山賊がぶつかり合って負けることはあるか?」

 

リンは少し悩むような表情を見せたが、すぐに断言した。

 

「それはないわ。あそこの人達はよく知っているけど、山賊に後れを取るような人はいない」

 

それを聞き、俺は安心した。だったら、目の前の5人を蹴散らせば十分だ。

 

「なら奇を狙っても仕方ねぇな・・・左右から崩していくぞ。リンは右端から、俺は左端から行く。一人ずつ確実に仕留める。奴らが浮き足立ったらすぐに中央の奴を狙え、そいつがリーダーだ」

「わかった」

「よし!行くぞ!」

 

俺はそう叫ぶと同時に駆け出した。並走していたリンが離れていく。

俺は滑るように草原を疾駆し、腰に帯びた剣に手を掛ける。物音に気づいた山賊が振り返った。

だが、遅い。

剣を抜きながらの初太刀で山賊を両断した。視界の隅ではリンが一人目を切り伏せたのを確認する。俺は剣を振った勢いのまま右にいた山賊に体を向ける。

 

「くそっ!なんだてめぇ!」

 

気が付かれた。

 

ハングは自分の剣を一振りして血を払った。ハングの手に握られた細身の剣は見るものを唖然とさせるような剣であった。細さは普通の剣の1/2、その長さは普通の剣の二倍。まるで剣を無理やり縦に引き延ばしたような不思議な剣であった。

 

ハングは揺れるような動きから体を前傾にして間合いを詰めた。やけくそ気味に振り下ろされた斧をかわし、剣を振る。だが、山賊はわずかに体を後ろに逸らしてそれを回避した。

 

「ちっ・・・浅いか」

 

ハングの剣先が山賊の胸板をわずかに切り裂く。悪態をついて剣を構えなおすハング

 

「くそ・・・このガキィイイ」

 

山賊が上段から斧を振り下ろしてきた。

 

「斧の扱いがなってねぇな」

 

ハングは剣を逆手に持ち替え地面を蹴り、山賊の懐に飛び込んだ。間合いを詰めて斧をかわし、腕を振る。

 

「なっ!」

 

わずかな呻き声が転がった首から発せられた。ハングはその首を草むらの中に蹴飛ばした。

 

「さて、リンはどうなったかな・・・」

 

ハングが草原を見渡すと、リンが最後の一人に向かって走っていくのが見えた。ハングは剣を鞘にしまい、その動きを追った。

ハングは戦いながらも、リンの剣技を視界の隅でとらえていた。彼女の剣は山賊はもとより、自分よりは遥かに上であった。ここにいる山賊の相手など余裕であろうとハングは思っていた。

 

だが・・・

 

「まずい!」

 

ハングの身体から冷や汗が噴き出した。

 

リンの剣が空を斬ったのだ。空振りのため流れたリンの体に斧が迫る。

 

ハングはとっさに包帯に包まれた左腕の指を地面に突き刺した。肉がきしむ音、骨がしなる音。そしてハングは腕の力のみで『飛んだ』

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リンは自分の身体が重力に負けてゆっくりと流れていくのを感じていた。

 

勝利を急いだ。ハングが敵の二人を倒し、首領格を潰せば勝てると焦ってしまった。私は走りの勢いのまま剣を振り、間合いを読み違えた。そのせいで剣の軌跡が大振りになり、造作もなくかわされてしまった。

 

「このバッタ様をなめるなよ!」

 

頭上から斧が迫る。走馬燈で引き延ばされた時間の中で私は自分に問いかける。

 

なにがいけなかったのだろう?私は何を間違ったのだろう?

 

そして、一つの疑問が浮かび上がる。

 

私は殺されるのかな?

 

無感動にそんなことが頭をよぎった。私は目の前に迫る脅威に何も感じていなかった。

 

ただ、ハングはこの山賊から逃げられるのかということだけが心に残っていた。

彼は本来ならここで戦う理由はない。なのに、彼はサカの民のために剣を取ってくれた。そんな優しい彼には生きていて欲しかった。

 

その時だった。

 

突然何かがぶつかってきて私の走馬燈は唐突に終わりを告げた。斧じゃない。ぶつかってきたそれには人の体温があった。

そして、気づけば私は草原に押し倒されていた。見上げると、そこにはさっきまで心配していた人の顔があった。

 

え・・・?

 

目の前にハングがいた。

 

そんなはずはない。

彼と私の距離は把握していた。

走って間に合う距離ではなかった。

 

あなたは『どうやって』ここにきたの?

 

「ハング・・・」

「怪我ねぇか?」

 

ハングは私を背にかばいながらそう言った。

 

「う、うん・・・かすっただけ」

 

左の二の腕の薄皮が一枚切れていた。

 

私達は山賊の間合いのぎりぎり外にいる。ハングは片膝をついたまま剣を構え、私を山賊から守るような姿勢を維持していた。

 

不意にその背中が、別の人と被って見えた。

 

また・・・私は・・・

 

唇をかみ締める。

 

こんなことじゃ・・・ダメなのに・・・

 

私は剣を握りなおしてハングの側に立った。

 

「私が仕掛ける・・・」

 

目の前の山賊を見据える。

 

「ハング、もし私がやられたら・・・」

「お断りだ」

 

言葉が遮られた。

 

「てめぇは、この俺の経歴に泥を塗る気か?」

「え・・・え~と」

 

意味がよくわからない

 

「この俺の指揮下の戦いで、『山賊に仲間を討たれた』なんて無様な結末はいらねぇつってんだ!さっさと終わらすぞ!リン!斧は気にすんな!突っ込め!」

「は、はい!」

 

体が動く。否、体が動いた。

 

ハングの指示に背中を押されるように私は前に飛び出していた。

気が付いたときには私は山賊を間合いに捕らえていた。

 

剣を振り切った。

 

確実に山賊の身体を捉えた。だが、感触がおかしい。

 

「っつ!鎖帷子・・・」

 

振りぬいた腕がしびれる。

 

「へへへ!観念しな!」

 

斧が迫る。回避できない。その時、鈍い音がした。

私の頭上で斧が止められていた。ハングが包帯を巻いた『左手』で斧の刃を止めていた。

 

「あんた・・・なかなかの力だな・・・だが・・・」

 

ハングが左手に力を込めたのが腕の鼓動と共に伝わってくる。

 

「俺には劣るな・・・」

 

斧の刀身が握りつぶされた。

鉄のかけらが頭上で弾けた

 

「リン!ぼおっとすんな!叩っ斬れ!」

 

私は再び彼の声に動かされた。彼の声に従うように剣を構え、地を蹴る。二閃。すれ違いざまに鎖帷子ごと剣戟を刻む。

 

「な、なにぃ・・・」

 

後ろで人が倒れる音がした。剣を構えながら後ろを振り返る。

血を流して倒れる男はもう立ち上がってくることはなさそうだった。

私は大きく息を吐き出して剣を鞘にしまった。

 

「・・・あぶなかった」

 

もっと強くならないと。

 

私は胸の内でそう思う。

 

もっと・・・もっと・・・誰にも負けないくらい強くならないといけない・・・

 

「お疲れ様~」

 

ハングが剣を鞘に戻しながらこっちに歩いてきた。さっきまで戦闘中だったとは思えないほど軽い足取りだ。

 

「おつかれさま、ハング」

「いや~まったく・・・誰かさんが勝利を焦るからこの様だ・・・随分時間がかかっちまった」

「う・・・」

 

どうやら一連の私の挙動は見られていたらしい。

 

「ま、お互いたいした怪我はないし。まぁ善戦ってことにしとくか。」

「怪我?そういえばハング!腕見せて!」

「え・・・あ・・・なんで?」

「なんでって・・・さっき斧を手で!」

「あ・・・あ~平気だって」

「平気なわけないでしょ!見せて!」

「いいって」

「見せて!」

 

私は後ずさるハングの左腕を無理やりつかんだ。

 

堅い感触がした。

 

すぐさま掴んだ左腕が払われる。

 

「大丈夫だって・・・それより向こうも終わったみたいだぞ」

「あ、うん・・・」

 

集落の方では山賊を撃退したらしく、鬨の声があがっていた。

ハングは興味を失ったかのようにそこから目を逸らした。

 

「帰ろうぜ・・・悪いけど腹減っちまった」

「う、うん。それじゃあ。家にかえりましょ」

「ああ」

 

そう言って、私より前に立って家に向かうハング。

 

その背中を追っていた視線を外し、私は自分の手を見下ろした。

 

布が巻きつかれた左腕を握った掌。彼を看護したのもこの手だ。だが、あの時は彼の左腕のことを気にしてる余裕はなかった。だから、彼の左腕に意識して触ったのは今が初めてだった。

 

彼の腕の感触は堅かった。それは筋肉とか、骨とかそんな次元ではない。

あれはまるで蜥蜴に触れたかのような鱗の感触だった。

そして、さっきの戦闘で指先の布が僅かにほどけていた。そこから覗いていた彼の指がかすかに見えたのだ。

 

それは緑の色をしていた。

 

私は自分の指を握り締めた。

 

ハング・・・あなたは・・・いったい・・・



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序章~草原の少女(後編)~

リンの家の中でハングとリンは食事をとっていた。夕食は羊肉の燻製とミルクで作ったシチューだ。

 

リンは向かい合って食事をしながら、ハングの手の動きを常に追いかけてしまっていた。さっき触れた彼の左腕の感触がどうしても忘れられなかった。

今、ハングは羊肉の燻製を噛み千切っている。使っていたのは右手だった。

 

「ハング・・・」

「んあ?」

「腕・・・大丈夫なの?」

 

リンは探りを入れるようにそう聞いた。それに対してハングは特に気にした様子もなく答える。

 

「そんなら、お前のほうは大丈夫なのか?特に手当てしてないみたいだが」

 

そう言ってハングはリンが山賊に切り付けられた傷を指さす。

 

「私のはかすり傷だから大丈夫。あとでなにか巻いとくわ」

「そうか、ならいい・・・しかし、このミルクうまいな」

「あ、でしょ!これは・・・じゃなくて!ハング!あなたの話よ!」

 

ハングが小さくため息をついた。彼は悪戯がばれた子供のような顔をしは笑っていた。

それから、彼は少し視線を落として呟くように言った。

 

「まぁ・・・命の恩人だしな・・・」

 

そうやって俯く姿は、なんだかとても頼りなく見えた。

その姿はさっきまで快活に指示を飛ばしていた人と同一人物とは思えない。

 

「わかった・・・食後にちゃんと話すよ・・・」

「約束よ」

「了解・・・」

 

ハングはそう言ってまた燻製に噛み付いた

 

食事が終わり、一息ついた後。ハングがおもむろにマントとシャツを脱ぎだした。露わになった彼の左腕は肩から指まで隙間なく布が巻かれていた。ハングは何も言わずにその布をほどいていった。

自分の腕を見つめるハングの瞳がリンにはとても空虚に見えていた。

 

そして、布が全て床に落ち、彼の左腕が剥き出しになる。

 

「・・・・・・・・」

 

リンの全身に鳥肌が立っていた。

彼の左肩から先。そこには・・・

 

「占い師が言うには・・・竜の腕・・・らしい・・・」

 

そこには緑の鱗に覆われた腕があった。

 

肩口から指先に至るまで薄い鱗がびっしりと敷き詰められている。五本ある指の先には黒ずんだ鋭い爪が備わっていた。

『竜の腕』とハングは言ったが、リンからしてみればこれは『悪魔の腕』のように見えていた。それほどまでに一目で異形とわかる腕だった。

 

「これは・・・どうして・・・」

「生まれつきこうでな・・・圧倒的な力と異常なまでの強度・・・生半可な武器じゃ傷一つつかない・・・だから斧ぐらい受け止めても大丈夫だ・・・」

「触っても・・・いい?」

「構わないぜ」

 

左腕がリンに向かって伸びる。

 

一瞬、リンの体が動いた。

 

リンは反射的にそれを避けるように体が退いていた。それを見てハングは差し出した左腕を止めた。

その時のハングはとても酷い傷を負ったかのような、痛みを無理にこらえているような顔をしていた。

 

「ち、違う!そうじゃ・・・なくて・・・」

 

リンは弁明する言葉を探そうとした。だが、口からは続きが出てこない。

それもそのはずだ。彼女の態度は彼女の内心と何も違わなかったのだ。

 

リンは怖がっていた。鳥肌がおさまらないのがいい証拠だった。

 

「いや、いいんだ・・・それが自然だ・・・そういう態度が普通なんだ・・・」

 

引っ込みそうになるハングの左腕。

 

ダメだ。

 

リンはそれを直感的に感じていた。

 

今ここでハングの手を下げさせたら、彼の心にまた一つ傷を作ることになる。

リンは即座に決意し、行動に移した。リンは素早くその左腕を掴んで、引き寄せていた。

 

ハングはリンの行動に一瞬驚いたように目を見開き、すぐに優しい目に変わった。

 

「無理すんなよ」

「無理・・・させて・・・」

 

ハングの腕の感触を手の中に置きながら、リンはそう言った。

リンのその態度にハングは肩から力を抜いていく。

 

「ありがとな」

 

リンは小さく首を横に振った。

 

リンが握ったハングの手は堅くて角ばってはいたが、しっかりとした人の温かさを持っていた。

それがわかっただけでリンには十分だった。

 

これは『悪魔の腕』でも『竜の腕』でもない。私を救ってくれた『ハングの腕』だと思いながらリンはその鱗のついた左腕をしばらくの間握りしめていた。

 

しばらくして、ハングが口を開いた。

 

「もう、いいか・・・」

 

左腕が引き抜かれていく。指をすり抜けるようなハングの動きにリンはその人となりの優しさを見て取った。

 

『体も心も傷つけないように』というぎこちない気遣いがリンには嬉しかった。ハングは再び布を巻いていく。リンは布に隠れていくその左腕を黙って見つめていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

夢は見ない。

 

目をつぶった先で現れるのは真っ暗な闇だった。

どんな形になっても、どんな姿になっても、闇は闇。

 

だが、今日はそれが少しだけ居心地がよくなった気がした。

 

それが良いことなのか、悪いことなのかは俺にはわからなかった

 

 

 

「おはよう!ハング!」

 

ハングが瞼を上げると昨日と同じようにリンが立っていた。

 

「ん・・・あ・・・う~」

「やーね、ねぼけてるの?」

「朝は弱くないはずなんだがな・・・」

「昨日の戦いでつかれた?」

「かもな」

「朝ごはんはパンとバターでいい?」

「ああ」

 

ハングはそう言って起き上がる。リンの家に泊めてもらって二度目の目覚めであった。

リンは素早く朝食の準備を整えていた。さすがに遊牧民であるサカの民は手際が良かった。

ハングとリンは向かい合って朝食を済ませる。

 

濃厚なバターの味わいは羊乳から作るこの地方特有のもの。ハングは知識でのみ知っていた事実を自分の五感で確認する感動を噛みしめていた。

 

そうやって朝食一つで感動に浸っていたハングだったが、一つ気になっていたことがあった。

 

リンの表情である。

 

ハングが自分の左腕を見せたことのある人間は多くない。

そのほとんどが妙によそよそしくなるか、まるで気にしないように表面を取り繕うかのどちらかであった。

 

本当に心の底から『どうでもいい』と思ってくれている人などはごく少数である。

 

リンはそのどれに当てはまるのか、ハングにはまだわからなかった。

 

「ね、ハング。ちょっと話があるんだけど。」

「ん?」

 

リンの表情に何か言い知れぬ決意のようなものを読み取って、ハングは背筋を伸ばした。

 

「ハングは、軍師の修行でエレブ大陸中を旅してるのよね?」

「まぁ・・・そうだが・・・」

 

それがハングの目的の全てというわけではないが、そこに嘘は無い。

 

「・・・私も、いっしょに行っちゃだめかな?」

「・・・・・・・・は?」

 

ハングの口から間抜けな声が出ていた。

 

驚いた。心底驚いていた。軍師を志す者としてはあるまじきことだが正直な話、頭の中が真っ白になった。

 

それぐらいハングにとっては想定外の選択肢だった。

ハングはそんな自分の中の動揺を取り繕うために質問で時間を稼ごうとした。

 

「・・・家族はいいのか?」

 

だが、帰ってきた答えは決してハングを救ってはくれなかった。

 

「父も母も・・・半年前に死んだわ」

「・・・・・・・」

 

ハングは口を噤んだ。

 

「私の部族・・・ロルカ族は本当は、もう存在しない。山賊団に襲われ・・・かなりの数が死んでしまって・・・部族はバラバラになっちゃった。私は・・・父さんが族長だったこの部族を守りたかったけど・・・こんな子供・・・しかも女に・・・誰もついてこなかった・・・」

 

リンが僅かに鼻をすする。静かな草原ではその音がやけに大きく聞こえた。

 

「えへへ・・・ゴメンずっと一人だったから・・・うーん、ダメだもう泣かないって決めたのに・・・」

 

リンは目を閉じた。泣くまいという決意を守るためにその瞼の内側に涙を閉じ込めているのだろう。

ハングにはそこになにが浮かぶのかわかるような気がした。

 

それと同時に彼女の強さの理由や、こんな異形の左腕に手を伸ばした心や、あまつさえ共に行きたいなどと言い出すその気持ちもハングにはわかってしまった。

 

そのどれもが、ハングには眩しすぎるものだった。

 

しばらくして、ハングの方からリンに声をかけた。

 

「大丈夫か?」

「ありがとう。大丈夫、落ち着いた」

 

瞼の下から現れた瞳には涙の欠片も乗ってはいなかった。昨日戦闘の時に垣間見せた暗闇も、先程覗かせた痛みも今はない。そこにあるのは真っすぐに目標を見定める澄んだ瞳だった。

 

「ハング、私、父さんたちの仇を討つためにも強くなりたいの!」

 

その瞳には強い力が満ちていた。無法者に対する憎悪を隠し、道を決して外さんとする誠実さが同居している。だから彼女の瞳は綺麗なのだろう。

 

それは、ハングが持てなかった瞳だった。

 

ハングは心の中でぼやく。

 

『あ~あ・・・こんな話振るんじゃなかった。こんな話聞かされたらどうしようもねぇじゃねぇか・・・』

 

リンは言葉を続ける。

 

「昨日、ハングといっしょに戦ってわかった。一人でここにいても強くなんてなれない・・・だからねハング、私といっしょに修行しない?」

 

リンの語った強くなるための目的。

それは、ハングをを決心させるには十分すぎる理由だった。

 

「わかったよ」

「いいの!?」

 

リンは大きく目を見開き、こちらに身を乗り出してきた。

 

「ありがとう!!すごく、うれしい!!ぜったい一人より二人のほうが心強いって思ってたの。あなたは一人前の軍師!私は一人前の剣士!!がんばろう!ね?」

「ああ・・・よろしくな」

 

ハングが右手を差し出す。

 

「うん!」

 

強く握り返してきたその手からは昨日のような震えは伝わってこなかった。

 

 

なあ・・・リン・・・知ってるか?

 

お前のその強さってのは・・・本当は・・・すごく・・・

 

脆いものなんだよ・・・

 



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間章~最初の約束~

旅をすることに決めたリンの行動は早かった。

 

リンの持つ家である『ゲル』は遊牧民が使う住居で、折りたたみ可能な移動式の家だ。だが二人旅でその荷物は大きすぎる。リンは旅に不要なものを近くの集落で路銀に変えた。彼女が連れていたわずかな家畜も一頭の馬を残して全て売ってしまう。

その思い切りの良さは、彼女の中に旅に出ようという気持ちが最初からあったからだろうとハングは思っていた。

 

そして数日後にはハングとリンは一頭の馬に荷物を乗せ、近くの街であるブルガルへと出発していた。休憩を挟みつつ東へと歩き、二人は旅の最初の夜を迎えていた。

 

「この調子なら明日の昼頃にはブルガルに着けそうね」

 

リンが星明りの下でそう言った。

二人は草原の草を刈り、簡単な野営地を築いて食事を取っていた。今日はここで野宿だった。

 

「なぁ、なんで火を焚いちゃいけないんだ?」

 

ハングはさっき火種を引っ張り出した時にリンに軽く叱られていた。

 

「火を焚くと野犬が集まってくるのよ、山賊に場所を教えることにもなるしね」

「なるほど・・・だから俺は犬に襲われたのか・・・」

「え?」

「いや、こっちの話」

「ふ~ん・・・」

 

リンの視線をいなしながら、スープを口に運ぶ。

 

「あ、そうだハングの剣見せてくれない?」

「ん?いいけど」

 

ハングは腰から鞘ごと剣を引き抜き、リンに手渡した。

リンは剣の重さを確かめるように両手で持ち、鞘から少しだけ剣を引き抜いた。

 

「この前も思ったんだけど随分長い剣ね。刀身が普通の倍はありそう」

「でも軽いだろ?」

「うん」

 

リンは鞘から剣を引き抜いた。磨かれた両刃の剣が星明りを反射してかすかに常闇の中に存在を浮かび上がらせる。

 

「細い・・・戦闘で折れない?」

「まぁ、その剣で武器を受け止めることは出来ないな」

「攻撃専門の剣ってことね」

「防御には左腕があるからな」

「そっか」

 

リンはしばらく剣を眺めていたが、満足したのか鞘に戻した。

 

「ねぇ」

「ん?」

 

ハングはリンから剣を受け取りながら返事をする。

 

「私と勝負しない?」

「勝負?」

「うん。剣で勝負・・・というか練習かな?」

「別にいいぞ・・・」

 

ちょうど食事も終え、腹ごなしの運動にはちょうどいい具合だとハングも思っていた。

 

ただ一つ問題があった。

 

「ただな・・・」

「ただ?」

 

ハングは身体の筋を伸ばしながら、剣を手の中で回す。

 

「俺は弱いぞ?」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

数刻後、体のあちこちに打ち身を作って草原に倒れていたハングがいた。

それを頭上からリンが見下ろしてくる。星明りの下でも彼女の顔が呆れているのが見て取れた。

 

「本当に弱いわね」

「うるせぇ・・・左腕が使えればもうちっとマシなんだよ」

 

起き上がりつつ、軽く咳き込むハング。

 

鞘をつけたままとはいえ、リンの鋭い突きを腹部に受けて夕食が逆流しそうだった。

まったく相手にならなかった。剣速も力も技も何一つリンに勝てるところがなかった。

護身術程度の剣技ではこの程度だということだろう。

 

「だったら左腕も使ってみたらいいじゃない」

「この辺、跡形も残らないぞ?」

「うん・・・使わないで」

 

ハングの冗談にリンは軽く笑いながら彼の側に腰をおろした。

 

ハングの言葉はただのハッタリだった。実のところ、左腕を使っても大したことにはならない。剣と腕ではリーチが違い過ぎる。ハングが玉砕覚悟で相手の胸元に腕を突っ込まない限り、こんな腕は戦闘では使い物にはならない。

 

しかも、リン程の手練れが相手なら無理に剣の間合いの内側に入るのは自殺行為であった。

ハングが心臓を鷲掴みにするより、リンの剣が首を落とす方が確実に速いだろう。

 

リンは打ち身を治療するハングを見ながら、眉に皺を寄せていた。

 

「でも、こんな剣技じゃ危なっかしいわね。例え左腕が使えて防御できたとしても、ハング自身の体は丈夫じゃないんだし」

「まぁ・・・戦闘は本来専門外だからな」

 

彼女はしばらくなにか考える仕草をした後、唐突に両手を打ち合わせた

 

「ねえハング!」

「なんかいやな予感がするんだが」

「私と毎晩剣の練習しましょ!私の練習にもなるし!」

「で・・・毎晩打ち身を作れと?」

「大丈夫!すぐに慣れるわよ」

「それのどこが大丈夫なんだよ・・・」

 

リンは既に目を輝かせて迫ってきていた。

まだ付き合いの浅い関係のハングとリン。そういった交流を持つことは今後旅を続ける上で大事なことには違いない。

ハングは断る理由を見つけられず、こっそりと溜め息をついた。

 

「じゃあ交換条件」

「なに?」

「俺も毎晩お前に軍師としての知識を教える。これでどうだ?」

 

その瞬間リンがあからさまに嫌そうな顔をした。

その表情を前にハングは満足してほくそえんだ。

 

「お前、勉学とか苦手そうだもんな。読み書きはできるよな?」

「バカにしないでよ!それはできるわ!」

「つまり、それ以上はできないということだな?」

「う・・・」

 

どうやら図星だったらしい。

 

「よ~し!決まりだ決まり!俺は毎晩お前から剣技を教えてもらう。お前は俺から勉学を習う!いいな?」

 

ハングは全力で顔面に笑みを貼り付ける

 

「う・・・わかったわよ」

 

勝った。

 

そして、数刻後。

「じゃ、山地を背にして布陣した場合はどうするの?」

「下手に押し込まずに引き込むのが上策だな。出来るだけ相手より高い位置を維持して動く。弓兵はもちろん、騎馬兵の突進力を生かすなら高所は確実に有利がとれる。逆側の立場を考えてみればいい。だけど、さっきも言ったように一つの戦術にだけこだわるのも危険だからな」

「ふ~ん」

 

意外とリンは結構熱心に話を聞いていた。勉学は苦手かもしれないが、学ぼうという意思自体は結構持っているようだった。

こうして、二人の最初の夜は更けていく。

旅はまだ始まったばかりだった。



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1章~運命の足音(前編)~

ブルガル

 

この町はサカの中でも比較的東に位置している大きな町だ。

昔からこの町はベルンとサカの間の物品の集散地として発達してきた町であり、小さな村や遊牧民が多いサカの中では最大の町である。

旅の商売人が主な客である分、旅支度を整えるにはちょうどいい町であった。

だが、この町に集まってくるのは商売人だけでは無かったらしいことを俺達は知ることになる。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングとリンは馬を宿屋に預けて買出しに向かっていた。

 

「ハング!こっちよ。向こうのほうに市場があるの。そこで旅に必要なものを揃えましょ。」

「だから待てっての!市場は逃げやしねぇんだから!」

 

ブルガルの勝手を知るリンがどんどん先に行ってしまいハングは見失わないようにするので精一杯だった。あんまり顔にはださないが彼女もそれなりにはしゃいでいるらしい。

ハングは彼女の翠色の髪を目印に人ごみを掻き分けていった。

 

そんな時、高らかな声があたりに響き渡った。

 

「おお!これはっ!!なんて美しい女性なんだっ!!あなたは野に咲く薔薇か、天に舞う白鷺か!」

 

ハングの足が止まった。周囲の人々も何事かと声のした方へと顔を向けている。

ハングが追いかけていたリンの髪もふわりと一瞬立ち止まる。

 

そして、どこからともなく現れた騎士がリンの前に馬を止め高らかに叫んだ。

 

「待って下さい!美しい方!よろしければ、お名前を!そして、お茶でもいかがですか?」

 

現れたのは緑を主体とした鎧に、茶色の髪を持つ男だった。背格好からしておそらく騎士であろう。

 

しかし、お前の女性に対する情熱はわかったが、町中で馬を駆けさせるなよな。危ないだろ。

 

ハングの頭にそんな少しズレたことがよぎった。

そんなことを考えてハングの足が止まっている間にリンがその騎士へと顔を向けた。

後ろ姿からでもわかるほどに不機嫌そうな様子だった。

 

「・・・あなたどこの騎士?」

 

その質問にその緑の騎士は待ってましたと言わんばかりの得意顔で馬から降り自己紹介を始めた。

 

「よくぞ聞いてくれました!俺は、リキアの者。もっとも情熱的な男が住むといわれるキアラン地方出身です。」

 

ハングは往々にしてキアランにそんな呼称がついていたことを知らなかった。

そして、熱血的な自己紹介をされたリンはというと、明らかに気持ちが冷え切っているようだった。

 

あいつ、軽薄な男嫌いそうだもんな・・・

 

「『もっともバカな男』の間違いじゃないの?」

「うっ・・・冷たいあなたもステキだ。」

 

騎士がリンの放つ冷気を自分の熱気でこらえているうちに、やっとハングはリンに追いついた。

 

「遅いわよハング!」

 

リンの機嫌最悪。

ハングは溜め息が出そうだ。

 

「もしや!あなたはお連れの方ですか!ならば、あなたも一緒にお茶でも!」

 

彼はリンと一緒にいられればなんでもいいらしい。そして、そんな身も蓋もない彼の最終手段がリンの機嫌をさらに悪化させた。

 

「行きましょ、ハング。相手にしてらんないわ。」

「あ!待って・・・」

 

ハングと騎士を置いて歩き出したリン。だが、その前方をまた馬が塞いでしまった。

 

「セイン!いいかげんにしないかっ!!」

 

怒鳴り声と共に現れたのは、紅色の鎧を着た赤毛の騎士だった。

しかめっ面をする紅の騎士に対し、緑の騎士は朗らかに声をかけた。

 

「おお、ケント!わが相棒よ!!どうした、そんな怖い顔で?」

 

このお調子者はもしかしたら他人の『怒』に対する感覚がにぶいのかもしれない。

 

簡単に言うとバカなんだろう・・・

 

「貴様が真面目にしていればもっと普通の顔をしている!セイン!我々の任務はまだ終っていないのだぞ!!」

「わかっているさ。だが、美しい女性を前に声をかけないのは礼儀に反するだろう?」

 

ハング達を挟んで舌戦を繰り広げる二人。リンじゃないがハングもいい加減苛立ってきていた。

そんな苛立ちがあったからなのか、ハングの口をついて咄嗟に言葉が出ていた。

 

「何の礼儀だ!」

「何の礼儀だ!」

 

紅の騎士と発言が被る。なんとなく、ハングと紅の騎士と目が合う。

その微妙な間にリンが言葉を割り込ませた。

 

「あのっ!どうでもいいけど、道をあけて。馬が邪魔で通れないわ。」

「すまない、すぐに・・・」

 

紅の騎士が一礼して馬の手綱を握った。

 

「ありがとう。あなたは、まともみたいね」

「あ・・・俺と・・・お茶を・・・」

 

後ろから聞こえたまともじゃない騎士の声を黙殺。これでやっと市場に向かえると思った。

 

だが、そうもいかなかった。

 

不意に紅の騎士が何かに驚いたかのように目を大きく開いたのだ。それはまるで、死んだと思っていた友人を見つけたかのような態度だった。

 

そして彼はいきなりリンの肩を掴んだのだ。

 

「失礼だが君とは、どこかで会った気が・・・」

「え?」

 

いきなり紅の騎士がそう言った。ハングも驚いてリンの顔を見る。だが、リンも困惑しきった顔をしていた。その場の空気が突如として張り詰める。今にも堰が溢れ、大事な何かが溢れてきそうな感覚をハングの肌が感じ取っていた。

 

そんな空気を高らかな声がぶち破った。

 

「おい!するいぞ、ケント!俺が先に声をかけたんだぞ!!」

 

その瞬間、揺らいでいたリンの瞳が据わった。ついでに、リンの苛立ちが臨界点を突破した音も聞こえた気がした。おそらく発信源は彼女のこめかみあたり。

 

「リキア騎士にはロクな奴がいないのね!行きましょ、ハング!気分が悪いわ!!」

「あ!おい!リン!」

 

ハングの右腕を握り締めて引っ張り出すリン。万力のようなその握力がハングの骨を軋ませ、激痛を走らせる。本物の剣士の握力はクルミを片手で割ると聞いたことがあるが、あながち嘘でもないらしかった。

 

「っぅ・・・・・」

 

言葉にできない痛みに苦しみながらも、ハングの目は騎士達を追っていた。

 

「待ってくれ!違うんだ・・・」

 

ハングは後ろから届く騎士の声を聞きながら思考を巡らせていた。

ハングには紅の騎士が緑の騎士の発現が同じ目的だったとは思っていなかった。

あの時の紅の騎士の顔にはそんな浮ついた感情は乗っていなかった。

 

本当は詳しい話を聞くべきだった。今すぐ戻って紅の騎士の情報を引き出したかった。

 

だが、ハングは無力だった。

 

今のハングは自分の肩が抜けないようにするのに必死だった。

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リン達が去ったその場所では紅の鎧を着たケントが鬼の形相で相方の胸倉を掴みあげていた。

 

「セイン・・・貴様!」

「え?違うのか?おまえも、てっきりあの方の美しさに見ほれたのかと・・・」

「貴様と一緒にするな!だいたい彼女には連れがいただろう!」

「あの二人ってそんな関係なのか!」

「私が知るか!!」

 

ケントはセインから手を乱暴に離し、自分の馬に跨った。

 

「それよりも、今の娘を追うぞ。彼女は多分・・・」

 

そこまでケントが言うと、セインの顔つきが騎士としてのそれに変わる。

 

「まさか・・・俺たちの『任務』か!?ウソだろ?おいっ!!」

 

慌ててセインが馬に飛び乗る。

 

「急ぐぞ!相棒!!」

「当然だ!」

 

二人が馬を駆っていく。街中の喧騒を越えて。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンに引っ張られながら歩くハング。リンは市場を素通りし、家が立ち並ぶ通りを抜け、道をまっすぐ歩いていく。その間も一度もハングを振り返ることはなく、掴まれた右腕からは彼女の熱量が火傷しそうな程に伝わってきていた。

 

完全に頭に血がのぼってるなこりゃ。

 

ハングはなにか言葉をかけようとしたが、止めることにした。どうせなら、このまま町の外に出ようと考えていたのだ。そのほうが『奴らの人数』を確認できそうだと踏んだのだ。

リンは町のはずれを抜け、目の前に広がる草原を見て、ようやく足を止めた。

ハングにはその背中からは陽炎が立ち上っているような錯覚が見えたが、きっと気のせいであろう。

 

「落ち着いたか?」

「ええ・・・まったく・・・」

 

落ち着いていないらしい。ハングは苦笑いをして、喉の奥で笑う。

 

「ところで、腕離してくれないか?」

「え?」

 

リンが自分の手に視線を滑らせた。

 

「あ!ごめんなさい!」

 

リンが慌ててハングの手を離す。

 

どうやら、怒りに我を忘れてハングの腕を掴んでいたことを忘れていたらしい。

手が離され、握り締められていたハングの手首が風に晒される。その部分は赤を通り越して若干青くなっていた。手首を何度か振ってみる。さすがに骨は折れていなかったが、たいした力であった。

 

「ごめんなさい!痛かった?」

「ああ、次握るときは左腕にしてくれよな」

「軽口が叩けるなら大丈夫そうね・・・あ~・・・市場に戻りましょうか?」

 

若干きまりがわるいのかリンの声は遠慮がちだった。

 

「そうしたいとこだけどな・・・」

 

ハングは小さく息を吐き出した。

 

「その前にやることがある」

 

ハングの声音がいつもより数段低いものに変わる。目線が鋭くなり、頬が高揚から桃色に染まる。

 

「やること?」

 

ハングは顎で今来た道を示した。

 

リンがそちらを向く。そこには明らかに『一般人』とは言えない人相と服装をした男達がゆっくりと近づいてきていた。

 

「殺気がすごい・・・あいつらは・・・なに?」

「あいつら、町に入った時から俺達をつけてた」

「え?」

 

奴らもさすがに市場付近の人込みの中で騒ぎを起こすのを嫌ったのだろう。

ハング達がこうして人のいないところに移動してきた途端に殺気をギラギラと振りまきだしている。

 

「リン、俺が合図するまで剣を抜くなよ」

「う、うん」

 

ガラの悪そうな連中が約十人。ハング達を町に戻らせないよう横一列に並んで道を塞いでいる。

その中でも一際顔の悪いなやつが一歩前に出てきた。

 

「ぐへっ、ぐへへへ。カワイイじょうちゃん!あんた、リンディスってんだろう?」

 

『リンディス』?

 

ハングは眉間に皺を寄せる。ハングはその名前に聞き覚えがなかった。

 

「何者!?」

 

だが、隣のリンが明らかに動揺を見せた。

 

どういうことだ?

 

ふとハングが隣を見ると、彼女の横顔からは血の気が引いていた。

それでいてその瞳に以前垣間見た暗い煌きが灯っている。

 

「・・・もったいねー。まったくもったいねーが・・・これも金のためだ。消えてもらうぜっ!!いくぞ!野郎どもっ!!」

 

奴らが武器をかまえた。放たれた殺気が俺達の体を突き刺してくる。リンの体にわずかに力が入ったのを感じる。ハングには彼女の中に不安が見え隠れしているのがわかっていた。

なにせ相手は10人前後に対しこっちはたった2人。しかも、ハングという半ばお荷物のような存在付き。

リンからしてみれば、状況は最悪に等しい。

 

「これだけの人数、私達じゃあ・・・」

 

リンが小さな声でそう呟いた。不安気な声と気弱な台詞だ。とはいえ、彼女を臆病者だと言うつもりはない。数の暴力に対する恐怖はハングも同等のものを抱えていた。

 

早い話が俺もリンも10人を相手にビビっているわけだ。

 

だが、俺はあえてそれを鼻で笑ってみせた。それが軍師の役目の一つだった。

 

「でもま、やるしかねぇに決まってんだろ!」

 

ハングのいつも以上に強い声が周囲に降り注ぐ。リンが一瞬ハングの顔を見た。そこには勝利を確信しているかのように笑う軍師がいた。

リンはそんなハングに驚いたような顔をしたが、次の瞬間には力強く頷いていた。

 

「ええ!そうね!私達は負けられないもの!!」

 

リンは自分の剣の柄に手を置いた。彼女の手に震えはない。

 

不思議な気分だった。

 

さっきまでの恐怖や不安が嘘のように消えていた。

隣に余裕で笑う人がいるということが、今はとても頼もしい。

 

ハングは自分の視界の端でリンの顔を見て、ほくそ笑む。

 

戦いの最中に味方を鼓舞する能力。それは戦術を担う軍師にとって必要不可欠な力だった。

もちろん、ただのハッタリの場合もあるが、今回ばかりはそうじゃない。

 

ハングとリンの二人は戦闘体制に入りながら開戦の時を伺った。

 

「リン、下がりながら間合いをはかるぞ」

「わかったわ」

 

ハング達は静かに後退しつつ相手の出方を伺う。

 

ハングとしては2人同時に目の前の相手に切りかかり、一点突破で町に駆け込んで姿を隠すという手を考えていた。だ

が、ハングとしてはあまりとりたい作戦ではない。彼らの狙いがリンの命である以上、それが不意になってしまえば彼らの怒りの矛先がどこに向くかわかったものではない。怒りに任せて町で暴れられでもしたら気分が悪い。

 

ならばと、ハングは別の方法を考える。

 

靴裏の感覚が石畳から踏み固められた土へと変わる。ハング達は草原へと足を踏みいれようとしていた。

僅かな距離を保ったままでの移動。お互いに牽制しつつのにらみ合い。

 

だが、その均衡はすぐに破られた。

 

二人が草原に足を踏み入れた時、奴らの足がわずかに止まったのだ。

その小さな異変を敏感に感じ取ったハングはそれと同時に自分の足を止め、リンの足も強引に止めた。

 

「いたっ!ハング、足踏んでる!」

ハングは文句を黙殺する。

戦闘において追う側が足を緩める理由は主に二つ。

 

諦めたか、もしくは・・・

 

ハングは後ろに注意を向ける。

そこには、人が移動した痕跡が残されていた。それと同時に近くの茂みから息を殺している人の気配も感じる。

 

やっぱり伏兵か。

 

ハングはリンに耳打ちする。

 

「リン・・・後ろに二人いる」

「え・・・」

「振り向くな・・・合図したら自分の真後ろを斬れ」

 

リンが小さく頷いたのを視界の隅で確認し、ハングは再び思考の渦を回しだす。

さて、どうすっかな。ここで後ろの二人を切り捨てて三十六計を決め込むってのもありだが・・・少し『リンディス』についての情報が欲しいところだ。幸か不幸か、こいつら程度なら俺の剣技でも対応できそうだ。

 

ハングは左腕を握り締めた。

しゃあない、暴れるか・・・

ハングは後ろの伏兵の二人を釣りだそうと足を一歩下げようとした。

その時だった。その場に高らかな声が割り込んだ。

 

「あーーーっ!見つけたっ!!」

 

町のほうからだ。ふと、視線をやると二騎の騎馬が疾駆してくる。その突然の乱入者がその場の緊張の糸を切った。後ろの気配が動く。

 

「リン!!」

 

そう叫びながらも、ハングは自分の後ろの敵を切り捨てた。隣ではリンが目にも止まらぬ抜刀からの一閃で敵を両断している。その間に騎士達は道を塞いでいた奴らを一人ずつ仕留めながら列を突破してきていた。

 

騎士達はハング達をかばうように反転し、馬を止めた。

 

「ハアッハアッ、お、追いついた・・・」

 

緑の騎士が息を切らしながら、山賊共に槍を向けた。

 

「こら!そこのヤツら!この方に、なんの用だっ!女の子相手に、この人数は卑怯だぞっ!!」

「あなたたち、さっきの!」

 

リンの声に棘があった。

 

まださっきのことを根に持っているのだろうか。

 

紅の騎士が剣を構えつつ、こちらを振り返った。

 

「お話は後で。この者たちは、どうやらあなたに危害を加えるつもりらしい。だったら、我らがお相手しよう。」

 

紅の騎士がそう言って剣先を敵に向けた。

緑の騎士も槍を大袈裟に振りかぶった。

 

「下がっててください!パパッと片付けますから。」

 

だが、それを見るリンの目はいまだ剣呑だった。

 

「いやよ!私が受けた戦いだわ、勝手なことしないで!」

「えーっ・・・そんなこと言われても、困るんですけど」

 

緑の騎士が槍を下げながら、変な顔をした。それでも、敵への牽制を欠かさないところを見ると腕だけは相当の騎士なのだろう。性格はともかく、こんな騎士に力を貸してもらえるなら断る理由など無い。

 

ハングは問答無用でリンの頭に拳骨を落とした。

 

「イタッ!ハング!何するの!」

「面倒だから、お前はもう黙ってろ」

「なん・・・」

「黙ってろ!」

 

強い声と有無を言わさない一睨み。リンの口が強引に閉ざされた。その間にハングは騎士二人に向き直る。

 

「お二人さん、戦うってならこっちに従ってくれるか?」

 

答えたのは紅の騎士の方だった。

 

「・・・わかりました。あなたが指示をだして下さい。私は、リキア騎士のケント。連れの男はセイン。我らは、あなたの指揮に従った戦いをします。それで、構いませんか?」

 

最後の問いはハングでは無く、リンに向けられていた。

リンは渋々といった感じながらも、小さく頷いた。

 

「・・・いいわ。ハングに任せる」

 

拳骨と怒鳴り声を浴びたせいか、声が若干拗ねたものになっていた。

 

「行くわよ!!」

「はいはい・・・そんじゃ、頼みますよ!」

 

ハングは三人に指示を出しつつ動き出す。彼が剣を抜いて戦う必要はなさそうであった。



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1章~運命の足音(後編)~

リンが最後の一人を切り伏せる。彼女は残心を解いて息を大きく吐き出した。

 

「・・・これで全滅!さすがね、ハング!」

 

結局のところ、ハングが剣を抜く必要はなかった。奴らは刃物を持っただけの悪漢にすぎない。人数が多くても連携を取ることができなければただの烏合の衆だ。

ハングがやったことと言えば、仲間の3人に動き方を説明しただけだった。セイン、ケントの両名が騎馬で駆け回って相手をかく乱して、リンが一人ずつ仕留める。

単純だが、強力な戦術だ。騎馬の機動力と突進力はこういった障害物の無い平原でこそ力を発揮する。

 

ハングは騎士二人を眺めた。彼らは今も新たな敵影が出てこないか警戒を続けていた。

 

彼らの戦闘力はハングが思っていた以上に高かった。

 

よく、訓練している。草原育ちの為に粗削りの感が否めないリンの剣に比べて、安定感の高さは彼らの方が上だろう。

 

ただ、単純な戦闘での活躍は別だが。

 

特にセイン。剣は忘れる。槍はすっぽ抜ける。反撃をかわし損ねる。いいところ見せると意気込んでいたくせに空回りもいいとこだ。いつか死ぬぞ、あれ。

 

騎士二人は敵の増援がこれ以上ないと判断し、ハングとリンに馬を寄せてきた。

 

「それで・・・リキア騎士のお二人さん」

 

ハングは馬から降りたセインとケントに声をかけた。

 

「話を聞かせてもらえるんだったよな?」

「はい」

 

返事と共にケントが一歩前に出た。

 

「我らは、リキアのキアラン領より人を訪ねて参りました。」

「リキア?・・・えと・・・」

「西南の山を越えたところにある国だ」

 

わかってなさそうなリンに俺ハングが説明してやる。

 

「そうです。16年前に遊牧民の青年と駆け落ちした、マデリン様への使者として」

 

リンの瞳が揺れた。そこに宿した色は先ほど賊が『リンディス』の名を出した時のものに似通っていた。その瞳を知ってか知らずかケントが続ける。

 

「我らが主人であるキアラン侯爵のたった一人のご令嬢です。マデリン様はずっと消息が知れず、侯爵も娘はいないものとあきらめておりました」

 

セインが一歩前に出て言葉を引き取る。

 

「しかし、今年になって初めてマデリン様より便りが届いたのです。『サカの草原で、親子三人幸せに暮らしている』と。そのことに侯爵はとても喜ばれ、自分には『15になる孫娘がいる』『知らぬ間に、おじいちゃんになっていたようだ』と、それは、幸せそうな顔で発表なさいました。孫につけられたという名前『リンディス』は、侯爵が早くに亡くされた奥方様のお名前だったのです。」

「リンディス・・・」

 

リンが小さくその名前を呟いた。その声に郷愁が乗っているのが俺にはわかった。まるで、無くした過去を拾い上げた時のような声音だ。

 

セインが続ける。

 

「娘夫婦の思いやりに頑なだった心もとかされたのでしょう。なんとかひと目なり娘たちに会いたいと願われ、我らがここに来たんですが・・・」

 

セインは表情を曇らせた。

 

「マデリン様は手紙を出した直後、亡くなられていて・・・そのことを、数日前にこのブルガルで知りました」

 

わずかな沈黙。その後、ケントが口を開いた。

 

「・・・ですが希望は残されていました。娘は生き延びたというのです。一人で草原に残り暮らしていると・・・」

 

ケントが真っすぐにリンを見た。

 

「私は・・・すぐに分かりました。あなたこそ、リンディス様だと。」

「・・・どうしてそう思うの?」

 

ケントの頬がわずかに緩んだ。

 

「・・・あなたは、亡き母上によく似ておられる」

「母さんを知ってたの?」

 

リンの表情が一変した。ケントを見つめるものに宿る火は生半可なものではなかった。

その目に自分の家族を知っているかもしれないという期待が深く刻み込まれていた。

 

一人残されてしまった者にとって、誰かと思い出を共有しそのことについて語り合うということは非常に大事なことなのだ。それは、他者の中に亡くなった人を見つけるということであり、失われた人にもう一度出会うというものに等しい。

 

それが出来る人はまだ救いがある。

 

ハングは自分の脳裏に蘇る記憶を振り払った。

 

「私は直接お目にかかったことはありませんが、キアランの城で絵姿を何度も拝見しました。」

 

それを聞いたリンの表情が少し曇る。だが、彼女は少し表情を戻し、胸の前で手を握り締めた。

 

「部族での私の呼び名は『リン』・・・でも・・・父さんも母さんも家族3人の時は

、私を『リンディス』って呼んでたわ。」

 

彼女がそのまま目を閉じた。湯に浸る赤子のような優しい笑みを浮かべていた。

 

「なんだか、ヘンな感じ。もう一人ぼっちだと思ってたのに、おじいちゃんが・・・いるんだ。『リンディス』・・・って呼ばれること、もうないって思ってた・・・」

 

その姿に皆は黙り込む。だが、すぐにリンが目を強く見開いた。

 

「ちがう!さっきのヤツも、私を『リンディス』って呼んだわ!!」

「まさか・・・」

 

ケントが何かを思い立ったようにセインを見た。それに応じるようにセインも口を開く。

 

「ラングレン殿の手の者・・・だよな?」

「ラングレン?誰?」

 

騎士の二人はハング達に視線を戻し、ケントが口を開いた。

 

「キアラン侯爵の弟君です。マデリン様は戻らないものと誰もが思っておりましたので、その場合、ラングレン殿が次の爵位を継ぐはずでした。」

 

あぁ、なるほど。

 

ハングは納得の表情を浮かべていたが、リンは『だからなに?』と言いたげな顔をしていた。どうやら自分がどういう立場にいるのかわかってないらしい。

ハングはそれを簡潔に説明する。

 

「つまり、リンの大叔父はお前に生きてられると困るってことだ。今はお前がキアラン領の第一の爵位継承権を持ってる。お前は次期領主様ってわけだ」

「そんな・・・だって私、爵位になんて興味ないわ!」

「俺に食って掛かるなよ」

「あ、ごめん・・・」

 

ハングは騎士に話を振る。

 

「まぁ、そんな言い分が通じる相手じゃないんだろ?」

 

ハングの質問に神妙な顔で答えたのはセインだった。

 

へえ・・・こいつ、こんな顔もできるのか・・・

 

その感想を口の中だけに押しとどめてハングはセインの言葉を待った

 

「はい。これから先も、リンディス様のお命を執拗に狙い続けるでしょうね」

「イヤだね・・・権力に固執する貴族ってのは。で、どうする?」

 

リンに話を振ると明らかな困惑が帰ってきた。

 

「どうするって・・・どうすればいいの?」

「一つ質問」

「なに?」

「お前のおじいちゃんに会いたい?」

「会いたいわ!」

 

即答だった。いい答えだ。

 

「なら、迷う必要は無いだろ?会いたいなら・・・会いにいこうぜ」

『お前は会いにいけるんだから』

 

ハングはその言葉をなんとか飲み込んだ。

リンはそんなハングの一瞬の葛藤に気づいた様子もなく、小さく頷いた。

 

「キアランに行く。それしかなさそうね・・・」

 

ケントとセインが一礼した。

 

「我々がお守りいたします」と、ケントが堅い表情で言った。

「大船に乗った気でいてください」と、セインが朗らかに笑う。

 

リンはそんな二人の騎士のほうへ一歩踏み出した。

 

だが、動かない人影が一つ。

 

ハングはそこに根が生えたかのように立ち止まっていた。

そんな彼に気づきリンが視線を向ける。

「ハング・・・ごめんね。おかしなことになっちゃって」

「まったくだ」

 

その言葉にリンが心無し小さくなった。

 

「でも・・・ま・・・約束したもんな・・・」

「え・・・」

「俺は一人前の軍師、お前は一人前の剣士・・・だろ?」

「ハング・・・」

 

リンの目に柔らかい期待が光った。

 

「どうせあてのある旅じゃ無かったんだ。修行の旅にはちょうどよさそうだ」

「いいの?本当に!?」

「ああ、とことんまで付き合うよ」

「ありがとう!」

「気にすんなよ、リン・・・っと、これじゃ失礼かな?リンディス様」

「え・・・ちょっ・・・やめてよハング!」

 

ハングははカラカラと快活に笑った。リンの必死な表情が面白かったのだ。

 

「冗談だ冗談。俺にとっちゃお前はロルカ族のリンだよ。」

「もう・・・」

 

リンは小さくため息をついて、手を差し出した。

 

「・・・あらためて、よろしくね」

「ああ・・・」

ハングとリンはまた握手を交わした。

「で・・・だ!」

 

その瞬間、ピシリと空気が固まった音がした

リンは直後に自分の危険を感じ取った。だが、握手で手を握られては身動きが取れない。

 

周囲の温度が急激に下がっていくのをその場にいた全員が感じた。

ハングは笑顔だ。にも関わらず、彼が激怒しているらしいことは誰の目にも明らかだった。

 

リンのハングを見る目におびえが走り、ケントが反射的に一歩足を下げ、セインは既に何歩か逃走していた。

ハングがリンに向かって一歩足を出した。ほぼ同時に全員が一歩足を後ろに下げた。

 

彼の目に見えぬ圧力にその場が支配されているようだった。たとえ、見知らぬ誰かがここに入ってきたとしても同じ反応をしていただろう。それほどまでに今の彼には周囲に有無を言わせぬ迫力が宿っていた。

 

「リン・・・俺はお前がただのロルカ族のリンだから言うんだけどな・・・」

 

笑顔で迫るハング。だが、それが恐ろしくてたまらない。この笑顔が嵐の前の静けさだというのは誰かが説明するまでも無かった。

 

リンはこのとき心の端で彼の激怒の波から救ってもらえるなら例え世界を滅ぼした竜とでも戦ってもいいとまで思っていた。

 

「リン・・・どんな危機に陥っても気に入らない相手に頭を下げないその心は立派だ。なぁ?せっかく助力してくれるっていう騎士二人の手を無碍に払うとはまぁ・・・見上げたもんだ・・・お前はいったいいつからそこまで強くなったんだろうな?」

「ご、ごめんな・・・さい」

 

ハングの笑みが消える。表情が全て消え去っていた。今まで以上に恐ろしい顔になった。

周囲の気温を吸い込んで、ハングの体温が上がっていくのが握った手から伝わってくる。

 

「『ごめんなさい』?」

 

来る・・・来る・・・来る・・・

その予感をここにいる三人は全霊で感じ取った。

リンがわずかに視線を落とした。今のハングの顔を直視などできるはずもない。

 

「リィィィン!」

 

怒声が草原を駆け抜けた。それと同時にハングの形相が竜のそれに変わるのを確かにリンは感じ取った。

 

顔を上げられる訳が無い。視線など合わせられるはずが無い。

一度下がった視線が更に下がる。先程感じたハングの圧力は確実に物理的な力でもってリンの後頭部を押さえつけていた。

 

「正座しろ!」

「はい!」

 

反射的に正座するリン。その向こう側では騎士二人も正座していた。

 

「いいか!この野郎!俺はな!そうやって自分の意地とか矜持とか、そんなんで命を粗末にする奴らは大嫌いだ!そりゃ、死んでいく輩はそれでいいかもしれねぇけどよ!自分の気持ちがただ楽になった上あの世に渡れるんだらからよ!!」

 

ハングの怒鳴り声が響き渡る。そんな彼に言葉を割り込ませる無謀な勇者はいなかった。

 

「くだらねぇもんで人の助けを蹴って、死地に飛び込んで・・・そんなんで、てめぇの命を繋ぎ止めた奴らの思いはどうなるんだ?えぇ!」

 

俯くリンの顔に影が差す。

 

「お前のじいさんだってそうだろうが!たった今、お前のじいさんは大事な最後の家族を本人の意地で失うとこだったんだぞ!」

 

そこに声を差し込む勇者が現れた。

 

「あの・・・ハウゼン様を・・・『じいさん』などと・・・」

「あぁっ!?なんだ!?なんか文句あんのか?」

「い、いえ!すみません!」

 

一蹴。仮にも騎士として厳しい訓練を受けてきたケントを一蹴。

 

縮こまるケントを見て、セインは今のハングに言葉を挟んだ勇気に心の底から敬服したそうだ。

 

「リン!お前は自分一人で生きてきた気でいんのかよ!?自分の命なら自分で捨てていいと思ってんのかよ!?甘ったれてんじゃねぇ!!お前の命は色んな奴らの思いの上に成り立ってんだ!『生きて欲しい』っつう誰かの願いを経てここで生きてるんだろ!違うのか!お前の周りにはそんな奴らがいなかったのか!?どうなんだ!?」

 

リンは俯いたまま。ただ、その両手は強く握り締められていた。どちらにしろ、恐怖で顔はあげられない。

 

「答えろ!!お前に生きて欲しいと思ってる奴はいたのか!?いなかったのか!?」

「い、いま・・・いました」

 

搾り出すようなリンの声。リンの中に浮かぶのが誰のことなのか。

それを察知したのはハングだけだったであろう。

 

「お前は今日そいつらの思いを捨てた!その人達の期待を裏切った!」

「ち、ちが・・・」

「違わねぇ!そんなこともわからないのか!?」

「・・・・・・」

リンは答えることができなかった。だが、その胸の内を見透かしたようにハングの怒鳴り声が飛ぶ。

 

「わかってんなら行動でしめしやがれ!しがみついて!食らいついて!無様に生きて見せやがれ!わかったか!」

「は・・・い・・・」

「聞こえねぇぞ!!」

「はい!」

 

悲鳴のような返事。それを聞いてハングは鼻から息を吐き出した。

それと同時に彼から圧力が消えていく。それを肌で感じながら、リンは俯いていた。

 

その頭にマントがかけられた。彼女の表情が完全に隠れる。少し埃っぽい臭いがしていた。

 

「俺は街で買い物してくる。騎士は一人残しておくから、落ち着いたら宿に戻って来いよ」

 

布の上からリンの頭を優しく二度叩いて、ハングは街へと足を向ける。

 

「ハング!」

 

その背中にリンの声がかかった。

 

「ありがとう・・・」

 

消え入りそうな声だったのに、なぜかハングの耳には確かに届いた。

ハングはセインとケントを見比べ、ケントをこの場に残すことに決めた。

 

「えぇっ!?リンディス様の護衛は俺がしますよ~」

「ダメだ。お前がそばにいた方が面倒が多そうだ。あぁ、それと俺との買い物中に軟派な真似したら罰金とるからな」

「そんな殺生な!ハング殿~」

 

ハングはセインを引きずるようにして町へと戻って行った。

ケントはそれを見送り、その場に直立した。周囲を警戒し、護衛を務める。 決して、今のリンを邪魔しないように。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンは今まで一人だった。リンは今までずっと耐えていた。

 

それをハングは少なからず理解していた。

 

 

彼女は親を失い、部族を失い、それでも自らを『ロルカ』と名乗った。名前という最後の証が失われないように。

 

1人で暮らしながら、泣かぬように心を硬くし、それでも他者を思いやる心を忘れずに、孤独と戦いながらあの草原にいた。

 

 

ハングはそれがどれほどに辛いことであるかを痛い程によく知っていた。

 

そして、そういった人間の行きつく未来もまた、知り尽くしていた。



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2章~精霊の剣(前編)~

いつも見る暗闇

 

真っ暗で・・・冷たくて・・・悲しくて・・・

そんな世界を永遠と彷徨い続ける

朝が来るまで

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

「ハング、ちょっとだけ寄り道させてくれない?」

リンがそう切り出したのは、朝食をとりながら旅の予定を立てていた時だった。

「寄り道?どこにだ?」

「この町の東にある祭壇なの。そこには宝剣祀られていて、サカの民が長い旅に出る時にはそこで無事を祈っていくのよ」

「ほほぅ、それは興味深い。」

 

セインが身を乗り出してまで興味を示した。

 

「へぇ・・・セインってそういうのに興味があるんだ」

「当然ですよハングさん!俺だって一人の騎士!宝剣っていったら興味もわきます!」

 

昨日の戦闘で剣を忘れた奴が何を言ってんだか。

 

そんなセインにリンがやや厳しい口調で口を開いた。

 

「セイン、一応言っておくけど、サカの民の祭司は基本的に男性がやるのよ」

「え!!そうなんですか・・・って!違います!俺は純粋に宝剣を・・・」

 

ハングの包帯に覆われた左腕がセインの座っていた椅子を引き倒した。セインが机の下に消えたのを確認して、ケントが話を再開した。

 

「エレブ大陸で信徒が一番多いのはエリミーヌ教ですが、この地では、太古の慣わしが受け継がれているのですね。」

「ケントはそういうの詳しいのか?」

「はい、私は仕官学校で古代文化に関する授業を専攻していましたので」

「セインは?」

「わ、私も当然素晴らしい文化を学ぼうと・・」

 

やかましかったので、腹に肘を叩き込んで再び沈めた。それを見ずにケントが話を続ける。さすがに慣れていた。

 

「同じ授業を受けてはいましたが、その時の教官が女性だったので」

 

なるほど。セインらしい。

 

ハングもリンもその姿を容易に想像することができた。ケントは士官学校時代の苦労を思い出したのか、小さく溜息を吐いた。そんなケントに少し同情しながらハングは逸れた話題を戻した。

 

「まあ、道のり的には問題は無いだろう。俺も宝剣って見てみたいし」

「本当!ありがとう!」

 

明るい笑みと煌めく瞳。いつものリンだった。

昨日あった色々なことはもう吹っ切れているようだった。

 

「リン・・ディス様・・・私は、決して・・」

 

這い上がってきたセインをケントが頭を押さえつけて机の下に押し戻した。

その後、旅の計画を少し調整しながら朝食は滞り無く進んだ。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

高く伸びる柱に支えられた天井。周囲を囲む石壁にはサカの民がよく用いる模様が刻み込まれていた。丁寧に敷き詰められた敷石にも精巧な彫刻が施されている。

そこは空から差し込む光に暖かく見守られ、吹き抜ける風に静かに清められ、大地の匂いを存分に感じられる場所であった。

 

サカの草原に佇む祭壇。そこには一振りの剣が祀られていた。

精霊の加護を受けたとされるその剣は鞘の中に収められたままでも、確かな存在感を放っていた。

 

母なる大地と父なる空に見守られ、彼らの息子たる精霊の集まるその場所はいつもなら静かな時が流れている聖なる土地であった。

 

だが、今日はその様子は大きく異なっていた。

 

「さぁ、ジジィ!おとなしくそこをどきな!」

 

引き締まった体と大振りな剣を見せびらかせながら祭壇の中央に迫る男が一人。

その周囲を取り巻くように、ガラの悪い男達がサカの戦士達を叩き伏せていた。血を流す戦士達はわずかに息があるものの、早く手当をしなければ命に関わる状態だった。

むせ返るほどの血の臭いの中でその男と荒くれ者達は下卑た目で祭壇の中を物色していた。

 

そんな男達から精霊の剣を守るように一人の御老人がその両手を広げて立ち塞がっていた。

 

「・・・どんなに脅されようとも、【マーニ・カティ】を渡すわけにはいかん」

 

足は震え、声も震え。それでも、その御老人は毅然と目の前の男に立ち向かう。

サカの祭司たる彼にはそれをするだけの理由があった。

 

「【マーニ・カティ】は精霊の加護を受けた尊き剣。ここより、動かすことなどできぬ!」

 

この剣は数多くのサカの民の心の中心なのだ。特定の土地を持たず、この広大な草原で旅をしながら暮らす遊牧民達は時折帰る場所が存在しない生き方に恐怖を覚える。

そんな時、旅立ちの場所としてこの祭壇へと戻ってくる。

それを守るのが祭司である彼の役目だった。

 

そんな老人の姿に僅かに笑みを口元に浮かべて男は笑いながら喋り出す。

 

「頭の悪いジジィだな。剣ってなぁ、使ってなんぼのもんだろう?」

「使う!?な、なんとバチあたりなっ!!」

「この辺りでは一番の剣の使い手、このグラス様がもらってやろうって言ってんだ」

 

グラスと名乗った男は一歩足を前に出し、御老人の肩に手をかけた。

 

「おら!そこどきな!!」

 

力任せの一撃で壁まで吹き飛ばされた老人を尻目にグラスは目の前の剣に手をかける。

 

「予想通り、いい剣じゃねぇか!こういうのは俺様が使ってこそだ」

 

グラスは柄に力を込めた。剣を鞘から刀を取り出して、その素晴らしい剣の姿と対面するつもりだった。

 

「・・・ん?なんだ、こいつぁ?鞘から・・・抜けん!」

 

だが、いくら力を込めども剣はびくともしない。その様子を見ていた祭司は力無く笑った。

 

「・・・その剣は・・・おまえなどには・・・精霊が・・・おまえを拒否しておるのじゃ」

「あぁん?精霊だぁ?寝ぼけてんじゃねぇぞ、このおいぼれ!!」

 

この男はサカの民ではないただの暴れ者だ。精霊だの神様だの、目に見えない存在など信じてすらいなかった。

 

「死にたくなければ奥の部屋にでもすっこんでろ!!」

 

祭司を近くの小部屋に放り込んだグラスは手元に残った精霊の剣を床に叩きつけた。

木製の鞘が石の床を跳ねて音を立てた。

 

「ちくしょう!なにが精霊だっ!!てめぇら!かまやしねぇこの祭壇ごと叩き潰してやれっ!!」

 

男は転がった剣を更に蹴り飛ばし忌々しげに天井を睨み付けた。

 

「精霊なんてもんがいるならな・・・守ってみろってんだ!」

 

グラスがいくら怒鳴ろうが、そこにいるはずの精霊は決して姿を見せはしなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「なんだか、落ち着かないわね」

「そう言うなよリン。セインやケントにとっちゃお前は主君みたいなもんなんだ。これぐらいは我慢しろ」

 

ハングは少し高い位置にいるリンにそう声をかけた。

 

「でも、納得いかないわ!」

「そうは言っても、城に着いたらこんなもんじゃねぇぞ。どいつもこいつも『リンディス様~リンディス様~』って」

「とりあえず、あなたの裏声は気味が悪いわね」

 

顔をしかめるリンに笑いかけながらハングは荷物を背負い直した。

 

「リンディス様は大事なお方、歩かせるわけにはいきません」

「そうですよ!でも、どうしてもというなら私がリンディス様の馬に同乗しましょウべかラぶ!」

 

セインはケントの拳骨を頭に喰らって草原に倒れた。ケント、セイン、ハングの3人は皆徒歩でこの草原を進んでいる。唯一の例外がリンであり、それがリンの気に食わない理由であった。

 

ハング達がこの旅に連れている馬は3頭だ。最初にリンが連れていた馬とセインとケントの軍馬を加えた3頭。リンとハングの荷物に関してはリンの馬の背に収まり。ケント達の荷物はもとより少なく、邪魔にならない程度に軍馬に吊るされていた。

つまり、3頭のうち2頭の背中が空いている。その1頭には皆が当然のようにリンを乗せた。

 

そして、もう一頭は・・・

 

「リンディス様と視線を並べるわけにはいきません」と、ケントが言い。

「いや~さすがに騎士ですから主君の顔は立てないと~」と、セインがケントの顔色を伺いながら言い。

「二人が乗らないなら、いざって時にすぐ乗れるようにその馬は空けといたほうがいいだろ」と、ハングが言った結果リンだけが騎乗している今の状況に至ったのだ。

 

それが、リンは気に食わない。

 

「皆が歩くなら私も歩く」と、言い張ったもののほとんど無理やりに馬の上に押し上げられたのだ。

 

というわけで不貞腐れ気味のリンなのであったが、祭壇に早く行きたかったのもあって今は大人しく馬の上におさまっていた。

 

「あれよ、あれが祭壇」

 

リンが指差した先、ブルガルに近い位置ながらも丘に隠れて見えていなかった祭壇が姿を見せ始めていた。

 

「ほぅ~」

 

思わず溜息を漏らしていたのはハングだった。

 

「宝剣を祀る程度だと侮ってたな。思ってたより大きい」

 

それは丘の一部を切り崩して作られていた。丘の半分は石積みの壁に変わり、丘の上に入り口らしき場所が見える。

 

「どんな構造になってるんだ?」

「丘の上が入り口になっていて、そこから階段で下に降りたところに祭壇があるわ。父なる空に近い場所から母なる大地へと精霊の存在を感じ取りながら降りていくのがサカの習わしよ」

「へぇ・・・面白い考え方だな・・・」

 

ハングはサカの民の文化様式についてあまり詳しくなかったが、なかなかに興味深そうに聞いていた。

 

「サカの祭壇はそのほとんどがあれぐらいの大きさね。でも、エレブ大陸にはもっと大きな祭壇があると聞いたわ。どうなの?」

 

その質問に答えたのはケントだった。

 

「それは、祭壇というより教会ですね。エリミーヌ教のものとなればかなり大きなものもあります」

「ヘェ~、いつか行ってみたいわね」

「なんで俺を見ながら言うんだよ。今のところ観光をする予定は進路には無い」

 

ハングはリンを見上げながら剣呑に目を細めた。

 

その時だった。

 

「ちょ、ちょっとおまえさんたち!」

 

緊迫した声がした。ケントとリンが同時に剣に手をかける。一拍遅れてセインが馬に駆け上がり、ハングが槍をセインに放り投げた。

声のほうを見れば、近くの民家から恰幅のいい女性がこちらに向かってきていた。

 

「おまえさんたち!もしかして、東の祭壇に行く気かい?」

 

どう見てもラングレンの刺客では無さそうだった。真っ先に警戒を解いたリンが女性に応じた。

 

「ええ、そのつもりだけど・・・」

「だったら、中にいる祭司さまを助けておくれよ。今さっき、この辺りでも評判のならずもの一味が祭壇に祀ってる剣を奪いに向かっていったんだ」

 

リンの顔色が一瞬だけ青く、そしてすぐに赤く変わっていく。

 

「剣を奪うですって!?そんなこと許せないわ!」

 

リンが馬から飛び降りた。

 

「私達が祭司さまを助けます。任せてください!」

「あんたらなら強そうだ。あたしは街にこのことを知らせに行ってくるよ」

 

そう言って、ご婦人はブルガルの方に走り去ってしまった。どうやら、戦闘は避けられそうになさそうだった。

ハングはすぐにリンに質問をした。

 

「リン、あの祭壇は丘の上の入り口から入って下に降りるって言ってたな・・・他に出入り口はないのか?」

「残念だけどあそこ一つだけ・・・どうしても丘を登るしかない」

 

ハングが小さく舌打ちをした。

 

「それだと時間がかかり過ぎる・・・」

 

ハングはほんのわずかな間に思考を巡らした。

 

「人命には代えられんだろ、祭壇の壁を壊して侵入しよう。ケント、セイン。あの祭壇の壁まで先行しろ!周囲にいる敵の排除と脆そうな壁の探索を頼む」

「はっ!」

「了解しました!」

 

ケントとセインが馬を駆けさせて走り去っていく。

 

「リン!俺たちもいくぞ!」

「ええ!」

 

駆け出した二人だったが、ほんの数歩も走らないうちにハングが小さくリンに尋ねた。

 

「精霊って祭壇の壁を壊しても怒らないよな?」

「大丈夫よ・・・多分」

 

心の中で少し不安になったハング。

今の戦力ならば、数人の荒くれ者などは怖くは無いが、精霊の怒りというのはハングとしても恐ろしい。人知の届かない存在に対する恐怖心はハングも人並みに持っていた。

後で精霊の怒りを収める祈りでも教えてもらおうと心の片隅に置いたハングだった。

 



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2章~精霊の剣(後編)~

セインとケントの二人を先行させたことで、ハング達は難なく祭壇の壁に到達した。

 

「ハングさん、一応ここの壁が脆そうではありますけど・・・壁を壊すのはちょっと無理そうですよ。斧でもない限り破れそうにない!」

 

セインがヒビの入った神殿の石積みを前にそう言った。

 

「ハング殿、やはり入り口に向かったほうがよいのでは?」

 

ケントが馬に乗りながらそう言う。騎士二人の意見を聞きながら、ハングは石壁に触れた。軽く叩いて奥行を確かめる。そして、ハングは騎士二人に向けて不敵に笑って見せた。

 

「いいから下がってな」

 

その笑みに気圧されるように、セインとケントはハングのそばから離れる。

 

「さて・・・」

 

ハングは左肩を回す。包帯に包まれた左腕の筋が鳴る音がした。

 

「ケント。俺が壁をぶち破ったら飛び込め、そのまま敵を蹴散らしつつ入口を抑えろ」

「は、はいっ!」

「リンがその後に続け、祭壇の中の敵を片付けろ」

「ハングはどうするの?」

「お前と一緒に突っ込む。俺も戦った方がよさそうだ。あまり俺と離れすぎないでくれよ」

「わかったわ」

「それからセイン!」

「まってました!俺はなにをすればいいですか?」

 

暑苦しいまでの張り切り具合にハングの頭に『セインをブルガルに伝令で走らせる』という案が掠めた。

 

「セインは外を警戒しつつ殿を任せる」

「え~~俺最後ですか~」

 

切り捨てたろかこいつ?

 

ハングは割と本気でそう思案した。視界の隅ではケントのこめかみが動いてるのが見て取れる。ハングは諸々の憤りをなんとか押し留め、効果的な台詞をくれてやることにした。

 

「セイン、背中はまかせたからな」

 

その一言で、セインの顔色が急激に変わる。

 

「お任せあれ!このセインめが、リンディス様の美しいその背中に迫る悪漢共をわが槍で突き崩してご覧にいれましょう!」

 

本当に大丈夫か、こいつ?

 

出かかった溜息を押しとどめるのに随分と苦労した。

 

「そんじゃあ、はじめるぞ!!」

 

ハングは気合と共に息を吐き出し、左腕を振りかぶる。大地を踏みしめ、大気を割き、渾身の力を持って左腕を目の前の壁に叩きつけた。重低音が響き、確かな手ごたえが布地を通して鱗に響いた。腕の付け根から伝わる力が拳の先で爆発する。

 

「ウオおぉおお!」

 

口から漏れる裂帛。そしてハングは一気に腕を振りぬいた。

石が裂け、風が吹き抜ける。崩れ去った目の前の空間で砂埃が旋風に乗って踊り出す。

 

「ケント!突っ込め!」

 

ハングが叫び、馬が嘶き、ケントが驚いた顔のまま祭壇の中に駆け込んだ。

 

「リン!行くぞ!」

 

ハングはリンを引き連れ、砂埃の先に飛び込んだ。

そこでは完全な奇襲で取り乱した一味がケントの馬に追い立てられて右往左往していた。

 

ハングとリンは同時に剣を抜く。二人は近くにいる連中を片っ端から切り刻んでいった。

背後からセインが現れて、ハング達の後方を埋める。

ハング達に気づいて剣を抜く奴を切り、背を向けて逃げようとする者を貫く。

ハング達はならず者の一団の戦力を確実に削り取っていった。

 

「リン!あれだ、あいつが頭だ!!」

 

ハングが指さしたのは台座の前で必死に指示を飛ばして状況を収拾しようとしている男だ。

あの首を落とせば、この戦いは終わる。

 

リンが祭壇の中を駆け抜け、一気にその男に肉薄する。

 

「てめぇなにもんだ!このグラス様と勝負しようってのか!!」

 

背中から取り出した大剣。だが、何もかもが遅い。

彼が剣を振ろうとした瞬間には既にリンの剣戟が刻まれた後だった。

 

「こ、こいつ・・・つぇぇ・・・」

 

一度も振られることのなかった大剣を取り落とし、グラスと名乗った男はその場に崩れ落ちた。

 

「頭がやられた!逃げろぉ!!」

 

散り散りになろうとする奴ら。だが、出入り口は既にケントが固めている。

人に仇なす悪漢共だ。情けをかけてやるつもりはハングには最初からなかった。

 

しばらくして、祭壇から戦闘の音が消える。

 

それを確認して、ハングはようやく息を吐き出した。

 

ケントは残党の片付けを終えて既に戻ってきている。

リンは何かを見つけたのか、厳かな手つきで鞘に入った剣を台座に戻していた。

そして、セインはというと、どこからか祭司と思われる御老人を連れていた。

 

「あっ!祭司様!」

 

リンがその老人に駆け寄った。

 

「おお、そなたは確かロルカ族の・・・」

「族長の娘リンです。祭司様、おケガは?」

 

リンと祭司が話し始める隣でセインは妙に鼻高々である。

そんなセインにハングが歩み寄った。

馬から降りたセインとハングの視線の高さはさほど変わらない。

 

「どこであの御老人を見つけたんだ?」

「いや~逃げる敵を追いかけてたら勢いで扉を壊してしまいまして。そしたらその奥の小部屋に祭司様がいらっしゃるじゃ無いですか!騎士たるものの役目として、動けぬ御老人をお護りするのは当然です!」

「そうか?」

「はい!」

 

ハングはその顔にほんのりと笑みを浮かべた。

 

「なるほど、それで俺の指示を無視したと」

「へ?」

 

そこまできてようやくセインは理解する。

ケントは途中から、リンは最初から気づいていた。

 

「いや、で、ですがハングさん。祭司さまをお護りするのは・・」

「ああ、それは正しい判断だった」

 

ケントが見回りと称してこの場から消えた。

リンが冷や汗をかきながら会話を途切れさせないように必死に昔話に興じていた。

 

「だがな、なんで俺達の背中を任せていた奴が敵を深追いしてんだ?」

「あ、えと、そ、それはですね・・・」

 

ハングが更に笑みを深めた。

 

「軍師ってのは信頼されてなんぼなんだよな~まぁ、会ってまだ間も無い俺の指揮なんて信じられないのもわからないわけでは無いけどさ~」

「い、いえ!私はハングさんのことを間違い無く信頼しております!」

「なのに、俺の指示を無視したと」

 

笑顔のまま、ハングが一歩前に出る。セインはもはやハングから視線を外せない。ハングの圧力がセインの視線を完全に釘付けにしていた。

 

「ここじゃあなんだからさ、ちょっと外で少し話そうか?」

「は、はい!」

 

セインが先に歩き出し、笑顔のハングがその後に続いて祭壇の外へと続く階段を上っていった。

 

「セイン!てめぇなぁあああ!!俺の言ってる意味が理解できねぇぇのかぁあ!!」

「す、すいませぇえええん!!」

 

雷が落ちた。形容では無く、本当に一発の雷が落ちた。少なくとも、その場にいた全員がそう錯覚していた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ――――――

 

 

「ハング殿、終わりましたか?」

「おう、セインも理解してくれたみたいだしな」

「は、はぁ」

 

ハングは軽快な足取りで祭壇の入り口から階段を下りてくる。その後ろにセインはいない。ケントも彼がどうなったかはあえて聞かないことにした。今回はセインの自業自得ではあるので同情の余地はない。

 

「あ、ハング。もういいの?」

 

祭司様と話をしていたリンの顔は若干引き攣ったものになっていた。

 

「おう、待たせたな」

「壁の件だけど、祭司様は精霊の怒りは感じられないって。良かったわね」

 

例え精霊であろうと、さっきの怒鳴り声を聞いた後では意見も変わるだろうなとリンは思っていたが口には出さない。

 

「そりゃ助かるけど。後で祈りの一つでも教えてくれ」

「ええ、わかったわ」

 

ケントはそこかしこに倒れているサカの戦士達の手当をはじめている。ハングとリンもそれを手伝う。皆は傷だらけで動けそうにはなかったが、祭司の杖の加護により一命は取り留めているようであった。そうこうしているうちにブルガルからの応援が来て、祭壇の中は一時的に野戦病院のような有様になっていた。

 

人の手が増え、状況が一区切りついたころを見計らい、祭司はリンやハング達を祭壇の台座へと呼んだ。

 

「さて、リンよ」

「はい」

「助けてもらった礼といってはなんじゃが、おまえさんたちには特別に【マーニ・カティ】に触れることを許そう。剣の柄に手をあてて旅の無事を祈るがいい」

 

その途端にリンの頬が高揚で赤く染まった。彼女の興奮が後ろにいたハングとケントにも伝わってきていた。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

大きな所作で頭を下げるリンを見ながら、ケントがハングにしか聞こえないような声で呟いた。

 

「余程嬉しいようですね」

「ま、剣士にとっちゃ一生の思い出だろうな」

 

軍師にはその気持ちはあまり理解は出来ない。騎士には多少理解できるものの、それ以上に大事なものが多かったりする。

それでも、二人とも剣を扱う者の端くれ。リンの興奮にあてられ、二人も少し血を熱くしていた。

 

「で、では・・・」

 

リンが堅苦しい動きで差し出された剣を手にとった。

 

その時だった。

 

空気が明確に変わった。

祭壇の中に漂っていた血の匂いや、死体の腐臭が一蹴され、清浄な空気が吹き抜けた。

 

そして、それ以上に目に見える大きな変化があった。

 

「今・・・」

 

リンが呟く。

 

「剣が光った?」

 

ハングも呟く。その言葉が終わらぬうちに、再び祭壇内に光が満ちた。ブルガルから来た人達も手を止めて、光の差す方を何事かと見つめていた。

 

リンが手にした剣から強い光と弱い光が交互に放たれ、次第に光が収束していく。

 

「おお・・・おお・・・」

 

その剣の姿に誰かが感嘆の声を漏らした。ハングもまた目の前の光景に半ば茫然としていた。

 

「これこそ、精霊の御心じゃ・・・」

 

祭司がそう言った。

 

「リンよ・・・そなたは精霊に認められたようじゃ」

「どういう意味ですか?」

 

リンの声が震えている。その声には恐れよりも興奮に満ちていた。そんなリンに祭司は優しく声をかけた。

 

「【マーニ・カティ】の持ち主になるがよい」

「そ、そんなことできません・・・」

 

その声は悲鳴に近かった。だが、祭司は首を横に振り、諭すように言葉を重ねる。

 

「剣がそれを望んでおる。その証拠に・・・抜いてみるがいい」

 

リンが手の中の剣に視線を落とした。柔らかな手つきで柄を握り、横に滑らせる。

 

「あ・・・」

 

封印がされたはずの鞘から鮮やかな刀身が姿を見せた。

現れたのは小波のような刃文。反りの少ない片刃の刀剣。そして、その剣は喜びを表現するかのように薄っすらと光を帯びていた。

 

「抜けた・・・」

 

未だ信じられぬものを見るかのように、リンは手元を見つめる。

祭壇の中にいる人達も皆目を大きく見開いていた。

誰も声をあげない。今、この祭壇が特別な神聖な場所になっているということを誰しもが頭ではなく肌で理解していた。

 

「生きてる間に【マーニ・カティ】の持ち主にめぐり会えるとは・・・わしは果報者じやな」

 

その言葉がリンの耳に届いていたかは怪しい。リンはまだ惚けたまま剣を見ていた。

 

「私の剣・・・」

 

そんなリンに祭司が強い声で言い放つ。

 

「さ、旅立つのだリンよ。この先、どんな試練があろうとも、その剣を握り、運命に立ち向かっていけ」

「は、はい!」

 

リンの強い声が祭壇の中に響き渡る。優しい風がその中を駆け抜けていった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

祭壇を出てしばらく、リンは鞘に入った【マーニ・カティ】を見つめ続けていた。

リンだけではなく、ハングやケントもリンの手元の剣に視線を置いていた。

そこに、祭壇の入口で合流したセインが最初の声をかけた。やっと精神的怪我から立ち直ったらしい。

 

「これが【マーニ・カティ】ですか・・・なるほど、珍しい剣ですね」

 

セインは剣を抜いた瞬間には立ち会っていない。それゆえの感想である。

 

「・・・なんだか、信じられない気分だわ。サカで1、2を争う名剣が・・・この手の中にあるなんて」

 

リンは腰に帯びるのも畏れ多いといった感じだ。

 

「優れた武器は、己の持ち主を選ぶ・・・それは、サカだけでなく大陸中でよく耳にする話ですよ」

 

ケントがそう言った。

 

「私は、リンディス様の剣技を拝見して常人ならざるものを感じていました。あなたこそ、剣に選ばれてしかるべき方だと思います」

 

ハングはケントの言葉に目を細める。

 

「それはいくらなんでも褒め過ぎじゃないのか?」

「ハング殿はリンディス様の剣の腕を信じていらっしゃらないのですか?」

「そうは言わねぇよ。まだ荒いが、リンの剣の才はいずれエレブ大陸に響き渡ると俺も思って・・」

「や、やめてよ二人とも!」

 

褒めちぎる二人に悲鳴をあげるようにして、リンは言葉を遮った。

ケントは生真面目な顔を、ハングは悪戯が成功したかのような無邪気な笑みを向けてきた。

リンはハングのその笑顔を見て、からわかわれていたことを悟ったが、悔しいのでそのことは黙ってておく。

 

「私は、そんなんじゃ無いわよ。ただ、少し剣が弓より得意なだけで・・・」

 

決して部族の中でも一番ではなかった。だから、自分が剣に選ばれるなんて大層な存在になってしまっていたことがなかなか受け入れることができない。

悩むリンにセインが声をかけた。

 

「こう考えてはどうでしょう。武器にも、使いやすいとか使いづらいとか自分との相性ってありますよね?この【マーニ・カティ】はリンディス様の気にとても合う・・・そんな風に思っていればいいんじゃないですか?この剣、俺たちには使えないみたいですし」

 

なかなかに弁が立つ。ハングはそんなセインに少なからず驚いていた。

 

「ほう、たまには言いこと言うじゃねぇか。闇雲に女性を口説いてきたわけじゃないんだな」

「そ、そんな言い方はないですよ~」

 

セインが熱苦しく抗議の声をあげる横でリンは再び手元の剣を見つめた。

 

「私に合う、私にしか使えない剣・・・そうね・・・それなら、なんとなく理解できるわ」

 

そう言って、リンは再び剣を抜いた。

 

「ハングも見て。これが【マーニ・カティ】・・・私だけの剣よ。大切にしないとね」

「そうだな。まぁ、少なくともセインを切ることは無いように注意しないとな」

 

セインが再び声をあげ、リンが笑い、ケントが僅かに頷いて同意を示した。

 

「さぁ、いきましょう。予想より時間もとっちゃったし」

 

剣を鞘にしまい、腰に帯びたリン。

そのもとに再び馬がひかれてくる。

 

「もう!私は歩くって言ってるでしょ!」

「いえ、そういうわけにはいきません!」

 

ケントが直立し、セインが身を乗り出し、ハングがカラカラと笑った。

 

彼らの旅はまだ始まったばかり。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

キアラン

 

土地はさほど豊かとは言えぬものの、リキア同盟の中心近くに位置し、交易の盛んな領地と言えるであろう。現在の領主であるキアラン侯爵ハウゼン様の善政は有名であり、税とは別に民達からの献金まであるほどであった。その為、キアラン城は質素ながらも清掃が行き届き。全ての場所が明るい光に満ちている。

 

「何!?マデリンの娘がまだ生きておるだと?」

 

だが、どんな場所にも常に例外は存在した。

 

ひと気の無い廊下。この先には見張り用の塔しか無い。見張りの人間を少し調節するだけでここは何の変哲もない廊下から密会の会場へと早変わりする。

 

「部下よりの報告です。マデリンの娘はケント、セイン両名と行動を共にしているとか。いかがいたしましょう?このままではいずれ・・・」

 

キアラン侯弟ラングレンにそう報告をする兵士は見張りの格好をしているものの、その身から出る気配は一般兵とは随分とかけ離れていた。密偵と思われる男を傅かせ、ラングレンは苛立ちを露わにした。

 

だが、それも束の間。彼はその案件を頭から追い出した。

 

「ベルン北域は山賊どもの横行する地と聞く。ただの小娘が、ここまで来られるはずもないわ」

 

鼻から息を強く吹き出して、自分の気持ちを入れ替える。可能性程度の未来の不安要素など、目先の問題に比べれば瑣末なことであるとでも言いたげであった。

 

「それより、早く兄上の・・・奴の息の根を止めねばならん・・・例の毒・・・ぬかりはあるまいな」

 

ラングレンの声が一際に低いものとなる。それは傍から聞けば地の底より這いだしてきたかのような声であった。

 

「疑う様子もなく、口にしております。侯の病死は時間の問題かと・・・」

「くく・・・もうすぐじゃ。もうすぐこのキアランはわしのものになる!・・・フフフフ・・・ハハハハハハハ!」

 

乾いた笑い声は廊下を僅かに反響し消えていく。残った音の余韻が唸り声のようにいつまでともその場に響いていた。



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3章~小さな傭兵団(前編)~

ブルガルを出てから十日程の日が過ぎようとしていた。

ハング達からしてみれば、リンだけが馬に乗る状況というのが当然になってきていた。

もちろん、リン本人は隙あらば歩こうとするのだが、ケントとハングに阻まれて未だに成功していない。

 

そして、その鬱憤は知らず知らずのうちに随分と溜まってきているらしかった。

 

「ったく、最近お前加減を忘れてないか?」

 

ハングは左腕の青痣をさすりながら、リンの顔を見上げる。

 

「ハングの鍛え方が甘いんでしょ」

 

リンは突き放すようにそう言った。

リンが侯爵家の令嬢であったことを知った後も、ハングとリンの最初の約束は続いていた。その昨晩の稽古で、ハングはリンに滅多打ちにされていた。

 

「もともと俺は軍師だろうが、そこまで鍛える理由はないだろう」

「あら?なら戦闘中に軍師を一人残して、私たちは敵に当たっていいのね?」

 

最近、リンの言葉に棘が混じるようになってきている。それもおそらく馬に乗せられている腹いせだろう。

 

「しかし、毎晩よくやりますよね」

 

ハング達の会話に空気の読めない男、セインが割り込んできた。

 

「昼は休憩を挟みながらとはいえ、ずっと歩き通しなのに。二人とも夜には結構本気で打ち合ってますし」

 

本気。まさしくその通りだ。少しは加減しろ。

 

と、心の中でぼやいたのはハングだけであり、リンには関係のない話であった。

なにせハングとの夜の打ち合いでリンは実力の半分程度しか出していない。

 

「俺の場合、本気でかからないと訓練にならないからな。教わる側なんだから。まぁ、教える側は常に手心を加えてるんだろうけど」

 

そんな愚痴ともつかぬハングのぼやきにリンが食って掛かった。

 

「それは勉強会でも一緒でしょ。昨日の戦術の話なんて私はさっぱりわかんなかったんだから」

 

それも、まさしくその通り

 

普段ならハングもリンの段階に合わせて難度を調節しているのだが、昨日の生徒は一人ではなかった。

 

「まことに申し訳ございません。臣下である私がでしゃばった真似を」

 

ケントがハング達の後方から頭を下げた。

実は昨晩は熱心な生徒が一人増えていた。

 

ケントは毎晩行われるハングとリンの姿を見張りの合間にいつも眺めていた。その生真面目で向上心のある性格からして、剣の打ち合いは割って入れずとも勉強会には少し顔を出したくなったのは無理も無い話である。

 

「ケントが謝ることじゃないさ。熱中しちゃった俺も悪い」

 

しかも、リンと違って予備知識が多少はあるものだからハング自身も教えていて楽しかったのもまた事実であった。

 

その結果、昨日はリンが完全に置いてきぼりになっていたのである

 

二人に悪意が全く無かったのはリンも知っていたので文句も言わずに昨晩からいたのだが、それで置いてきぼりにされた感情が消えるわけではない。

 

「リンも悪かったな」

「別にいいわよ、もともとあんまり勉強って好きじゃないし」

「拗ねんなよ」

「拗ねてない!」

 

ムキになって言いかえすも説得力はあまりなかった。

 

『毎晩の勉強会が少し面白くなってきた』

 

と、言っていたのは本人である。

その矢先に締め出しを食らったもんだから拗ねかたも激しい。

 

いろいろなことが合わさってリンの本日の機嫌はあまりよろしくはないのだ。

それに、この旅の面子では感情を発散させられるような気楽なやり取りができるのはハングしかいない。ハングはそのことを理解して、甘んじてリンの捌け口役を引き受けていた。

 

「本当に申し訳ございません」

 

ケントが今日何度目かわからない謝罪をしてくる。

 

「だから、ケントがそんなに謝んなくてもいいんだって」

「そうだそうだ、ハング殿がこう言ってるんだ。しつこい男は嫌われるぞ」

 

3人の視線が一斉にセインに向いた。

 

『お前だけには言われたくない』

 

誰も口には出さなかったが心は一つであった。

 

皆の心が一つとなっている間も一行の足は止まらない。

リン達は山脈のふもとの町へと辿り着こうとしていた。旅路は順調であり、この町では立ち止まらずに素通りする予定であった。

 

だが・・・

 

「これは・・・」

 

その町を前に絶句するリン。目の前に広がる廃墟のような建物群を『町』と呼ぶのはなかなかに難しかった。

 

「こりゃ、ひでぇや・・・」

 

ハングの言葉に異を唱える者はいなかった。

 

壁の一部が盛大に壊された家、もはや消し炭と化した瓦礫、家畜の死体が異臭を放っていた。輝かしいステンドグラスがあったであろう教会はすでに荒れ果てている。道端に捨てられた錆びた斧には血の跡がまだ残っていた。人の死体が目に見える所にないだけまだマシだった。

 

「そこらじゅう荒れ放題ですね。ここの領主は、何やってんでしょう?」

 

セインがそう言いながら馬に駆け上って槍を手に取った。まだ賊が周囲に潜んでいる可能性があるので、周囲を警戒しているのだろう。

リンもすぐに馬から降りて、ケントと代わる。

 

「そう簡単にどうにかできる場所じゃないんだよ。特にこの辺はな」

 

町に足を踏み入れながらハングは右手に見える山を睨みつけた。

それはサカの草原とベルン王国を分ける山脈。その中でも一際大きな山がハングの視線の先にあった。それを追うようにしてリンもその山に視線を移す。

 

その眼には煌々と仄暗い炎が宿っていた。

 

「・・・この山、タラビル山には領主たちも手出しできないような、とても凶悪な山賊団が巣食ってるの。山を挟んで、ちょうど反対側に私達の部族がいたわ」

 

ハングの視線がリンに戻る。

 

「私の部族は・・・タラビル山賊の一団に夜襲をかけられて、一晩でつぶされたわ・・・運良く生き残ったのは、私をいれて、10人に満たなかった・・・血も涙もないヤツら・・・絶対に・・・許さない・・・!」

 

似たような感情をハングは知っていた。

言葉にしてしまえば同じものになってしまうその感情。だが、ハングのそれとリンのそれは全く別のものであることもハングはよく知っていた。

 

二つと同じ復讐なし。

 

誰が言ったか知らないが、その通りだとハングは思っていた。

 

「・・・リンディス様」

「・・・・・・」

 

セインが囁くように名を呼び、ケントは黙ってそのリンの瞳を見つめる。ハングも何の言葉もなくリンを見ていた。

 

「私は・・・ここから逃げるんじゃない・・・いつか必ず戻ってくるわ。強くなって・・・あいつらなんか歯牙にもかけないくらい強くなって・・・みんなの仇をとってやる。そのためには、なんだってするわ!」

 

『殺してやる!絶対に殺してやる!お前だけは絶対に許さない!』

 

声変わりをする前の自分の声がどこか遠くから聞こえた気がした。

 

『使えない強さなんていらないんだよ!俺はあいつを殺せる力さえあればいい!』

 

リンと同じ決意。だが、全く違う決意。それでも、求めている『強さ』は一緒だ。それは決して『優しい強さ』では無い。

 

ハングはリンに引きずられるように思考の渦へと深く沈み込んでいく。

 

そこに囚われそうになる直前、ハングの意識を気楽な声が掬い上げた。

 

「その時は・・・俺も連れて行って下さい」

 

セインが遊びにでも行くような感覚でそう言っていた。

 

「・・・セイン」

 

彼の名を呟いたリン。その顔はハングと同じようにどこか拍子抜けしたようなものになっていた。そこに、少し笑顔になったケントが言葉を差し込んだ。

 

「私も、お忘れなきよう」

「・・・ケント」

 

ハングは小さくため息を吐きだした。

 

「俺も付いてくからな」

「ハング、あなたまで?」

「当然だろ」

 

リンの口元にはほんのりと笑みが広がっていた。

もう、彼女の目に暗いものなどありはしない。そこには感謝の念だけが残っていた。

 

「・・・みんな・・・ありがとう・・・」

 

呟くような声はしっかりと全員の耳に届いていた。

棘付いた空気が和らいでくのを肌で感じる。

 

「でも、ハング殿は付いてきてどうするんですか?山賊相手に小細工してもあんまり意味無いんじゃないですか?」

「セイン、てめぇな・・・」

 

一度こいつには戦術と戦略の意味を叩きこむ必要がありそうだった。

 

ハングとリンに笑顔を届けてくれた男だが一瞬だけ切り捨ててやろうかとも思う今日この頃である。

物騒な顔をするハングの隣でリンはくすぐったそうに笑っていた。

 

「ならその時のためにも、ハングも少しは剣の方もましにならないとね」

「そりゃ・・・まぁ、使えるにこしたことはないけどさ・・・」

 

どうしてもハングは剣の扱いが苦手だった。槍や斧を手に取る気は今のところない。

 

「俺は・・・サカの我流に近い剣術より理に適った騎士の剣術を学んだ方がいいと思うんだが?」

 

そう言うと、ケントがすぐに反応した

 

「なら、今度は私と手合せしてみませんか?」

「ケントと?でも、お前絶対に加減できないだろ」

「それはセインを相手にするときだけです」

「えっ!相棒、それはないだろ~」

 

セインの訴えを無視して話は続く。

 

「あ、だったら今夜はケントに少し手伝ってもらう方向でどうかしら。私も騎馬相手の戦い方ってのも少しやってみたいし」

「あ、それじゃあ、ケントは俺と稽古だな。リンはセインと手合せしてみたらどうだ?」

 

ハングが面白い悪戯を見つけたかのような笑顔でそう言った。リンはそれを斜目に見ながら眉をひそめた。

 

「おぉっ!いいですねその案!リンディス様!今夜は俺がたっぷりと稽古を・・・」

「セイン、やるなら遺書は書いておいてね。それとハング、稽古の時に【マーニ・カティ】を預かっててくれない?間違って抜いてしまわないように」

「リンディスさま~~」

 

情けない声を出す騎士。町の中を歩きながら、和やかに話す4人。

 

その時、彼らは町の奥から穏やかではない怒鳴り声を聞きつけた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ガラの悪い男が二人。彼らは一人の女の子にガンを飛ばしながら威嚇の声をあげていた。

 

「おう、おう、おう。おねえちゃん!この落とし前はどうしてくれんだ?ああ?」

 

そう言った声の主は背中に情けない程にはっきりとした蹄の跡がついていた。だが、その声の威勢の良さだけは間違いなくゴロツキのものだった。

それをまともにくらった小さな女の子は怯えたように肩をすくめてしまった。

 

彼女の身体は小刻みに震え、肩まで伸びた少し癖のある髪が揺れていた。その髪は色素が薄く光加減で紫のようにも見える。それと、同じく色素の薄い肌と相まり、彼女は全体的に薄明に見えた。整った顔立ちと触れれば折れそうな程の細い体つきは殴り合いなど到底できそうもない。身なりを整えて、然るべき場所に出席すれば貴族の箱入り娘のようにも見えるであろう。

 

だからこそ、こんな町に一人でこんな子がうろついていれば、遅かれ早かれゴロツキに絡まれることになったであろうことは想像に難くない。彼らからしてみれば彼女は良いカモである。

 

だが、本来なら彼女はそんな対象からは外れてしかるべきなのだ。

 

彼女が身につけている衣服は町娘のそれではない。必要最小限の鎧と槍を携え、彼女の後ろでおとなしくしているペガサスがいる。それを見れば彼女の生い立ちの想像はつく。彼女は『ペガサスナイト』。白い天馬を操る騎士である。

 

「・・・あ、あの・・・私・・・その・・・」

 

だが、そんな事実を全く感じさせないのが彼女のおどおどとした態度と小さな声だ。もう、今にも泣き出しそうである。

 

それを見ながら、ゴロツキの一人が下卑た笑みを浮かべた。

 

「アニキ、この娘なかなか上玉ですぜ。連れて帰ったらボスに褒美がもらえるんじゃあ?」

「そうだなぁ。このねえちゃんはオレにケガをさせたんだ。それぐらいしてもらってもバチは当たらんだろうさ?」

「・・・あ、あの・・・その・・・ご、ごめんな・・・さい・・・」

 

彼女は目に涙を浮かべ始めた。こうなれば彼女もただの女の子であった。

 

「それで、こっちのペガサスはどうします?」

 

だが、その一言で彼女の目の色が変わった

 

「その子にさわらないでっ!!」

 

強い口調と共に彼女はペガサスに伸びた手を叩き落とした。

 

「いって!なんだこのアマ!」

 

こめかみに青筋を立てて彼女の前にゴロツキが立つ。今度は彼女は怯えなかった。

 

「・・・私はどうなってもいい・・・から・・・その子は・・・逃がしてあげてください・・・お願いです」

 

彼女はペガサスの前に立ちふさがる。先程のように目に涙を浮かべてはいるが、その眼には強い意志が見え隠れしていた。

ただ、それでゴロツキが引き下がることはない。むしろ、逆に嗜虐心を刺激されたかのようだった。

 

「へっへっへ おねえちゃん!ペガサスってなぁ、イリアにしかいねぇめずらしい生き物だからな。売り飛ばしゃあ、高い金になる。逃がすなんて、とんでもないぜ。」

 

容赦の無い言葉が暴力のように繰り出される。

 

「そんな・・・」

「おらっ!行くぞ!!」

 

ゴロツキが少女の細い手につかみかかろうとしたその時だった。

その場に新たな乱入者が現れた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハング達がいる場所からは建物の影になって騒ぎの場所は伺えなかった。

その場に寄るか否かをハングが考えている間に、リンはその建物の隙間から白い羽のようなものを見つけていた。

 

「・・・あれは、ペガサス?まさか・・・!!」

 

独り言のようにそう呟いてリンが駆け出した。

 

「あっ!リンディス様!!」

 

慌てて追いかける、セインとケント。

だが、彼らの静止も聞かず、彼女は一目散にその騒ぎの現場に駆け込んでいった。

 

「フロリーナ!フロリーナ!?フロリーナでしょ!?」

 

その場にいるペガサスナイトの女の子にリンは大声で叫ぶ。

 

「リン!?」

 

女の子が振り返る。その先にリンの姿を見つけた拍子に、女の子の目から涙の堰が決壊しそうになる。リンはすぐさま彼女の傍に駆け寄った。

 

「フロリーナ!あなた、こんなところでどうしたの?」

「リン!ほんとうにリン?私、私・・・」

 

リンを前にしたことで、彼女の『決壊しそう』が『決壊した』に変わった。

大粒の涙を流す彼女の目元をリンはやさしく拭ってやった。

 

「もう・・・ほら、泣かないの!」

「うん」

 

感動の再会の傍にケントとセインが駆け込む。ケントは抜け目なくごろつきを警戒し、セインもまた抜け目なく儚げな印象のペガサスナイトを観察していた。

ケントがごろつきに睨みをきかせながら声をかけた。

 

「お知り合いですか?」

「私の友達よ。イリアの天馬騎士見習いのフロリーナ。この子、ものすごく男の人が苦手で・・・」

 

リンは子供をあやすようにフロリーナに尋ねた。

 

「ね、フロリーナなにがあったのか私に話してちょうだい」

 

フロリーナは涙を止めて話し出した。

 

「・・・あの、ね・・・私、リンが旅にでたって聞いたから・・・追いかけてきたの。それで、この村が見えたから・・・リンのこと聞こうと思って、下に降りたら・・・この人たちがいたのが見えなくて・・・その・・・」

 

そこまで聞いてリンには結末がわかった。

 

「またペガサスでふんづけちゃったの!?」

 

リンは『また』と言った。実は前科持ちのフロリーナである。

小さく頷くフロリーナにリンは出そうになる溜息をなんとか押しとどめた。

そこで、ようやくゴロツキ共が声をあげた。

 

「ほらっ、聞いたろうが!悪いのは、その女なんだよっ!!アニキを踏みつけた落とし前をつけてもらわねぇとなっ!」

 

リンは押しとどめた溜息を吐きだして、自分の後ろに逃げたフロリーナに声をかけた。

 

「ちゃんと謝った?フロリーナ」

「うん。ごめんなさいって何度も言ったけど・・・その人たち、聞いてくれなくて・・・・・・」

「泣かないで。大丈夫よ」

「リン・・・」

 

感謝と感動が入り混じり、フロリーナの頬を一筋の涙が伝う。それを指で拭いてやったリンは毅然とした態度でゴロツキに向き合った。

 

「ねえ!ちゃんと謝ったんならそれでいいじゃない。見たところケガもないようだしもう許してあげて」

 

だが、ごろつきももう我慢の限界だったようだった

 

「そうはいかねぇ。力ずくでも、その女はもらうぞ!」

 

二人に伸ばされたごつい腕。その腕を槍先がかすめた

 

「こらぁ!お前らこんな美しい花に素手で触れるとは何事だぁぁ!」

 

何の話をしていたのかわからなくなるのでセインには黙ってほしいのだが、それを咎めてくれる人はここにはいなかった。

 

「ちっ!」

 

舌打ちをしたゴロツキ共が数歩後ずさる。ケントとセインを前にして歯ぎしりをする。頭の悪い人間でも2対4の不利は悟っていた。それならば、ゴロツキの思考回路は単純である。仲間を増やせばよいのだ。

 

ゴロツキは町の中心に向かって、叫んだ。

 

「おい!みんな町を囲め!!女は傷つけるな!男はやっちまえ!!」

 

瞬時に町が殺気に包まれた。やはりこの町にはまだ山賊が潜んでいたらしい。

その殺気を肌で感じてリンは剣を引き抜いた。

 

「へへっ!お前ら、生きてこの町から出れると思うなよ!!」

「待てぇっ!!」

 

セインが追いかけようとするが、ゴロツキ共は崩れた塀をよじ登って町の奥へと消えていった。

これでは馬では追いつけない。周囲からは複数の足音が聞こえだしており、ケントとセインは深追いを諦めて防御を固める判断を下した。

 

その考え方は正しい。だが、問題は次の行動である。それに関して彼らは策を有していなかった。

 

「ハング!応戦するわよ!!」

 

リンの声に返事は無い。

 

「ハング?」

 

リンはその場を振り返った。いるのはフロリーナのみ。前方には馬に乗ったケントとセインだけ。ハングの姿はどこにもない。

 

「リン・・・私・・・」

 

フロリーナがリンに話しかけようとした。だが、リンはその先を制した。

 

「フロリーナ、あなたも天馬騎士のはしくれでしょ。戦えるわね?」

「・・・うん!」

 

元気な返事だった。それはそれで頼もしい。だが、リンの中の不安が消えない。

この町はあちこちが塀で区切られ、瓦礫が散乱している。まるで迷宮のようになっているこの場所ではどこから攻めるべきなのか、どこから攻められる可能性がるのかがまるで見当がつかない。

 

「こんな時にどこいったのかしら」

 

声に混じるのは苛立ちというより不安のほうだった。

 

いつから彼はいなかった?

私がフロリーナに駆け付けたときにもういなかったのでは?

潜んでいた山賊に襲われでもしたのだろうか?

 

リンの中に最悪の思考が渦巻く。

 

「ハング・・・」

「呼んだか?」

 

後ろから突然声がして、驚いて振り返る。

そこには左腕でゴロツキの1人らしき男の首を掴んで引きずるハングがいた。

 

「ハング!どこ行ってたのよ!」

「悪い悪い!手近なとこにこいつがいたからちょっと情報を集めてたんだ」

 

引きずられるゴロツキにはかろうじて息はあったが、顔にひどく殴られた跡があった。

 

「拷問してたの?」

「失礼な!俺は丁重に扱ったぞ。こいつが俺の拳骨に殴られないと喋りたくないって言い張ったから、しょうがなく、殴ってやることにしたんだ」

 

『それを世間一般では拷問と呼ぶのでは?』と、この場にいた誰しもが思ったが口には出さなかった。

とりあえず、ハングが無事に指揮を執ってくれる。そのことがリンを安堵させた。

 

「もう、勝手にいなくならないでよ」

 

リンからすれば何気ない台詞であっただろう。だが、その言葉にハングの眉がピクリと不自然に動いた。

それに気が付いた者はいない

 

「悪い、心配したか?」

「少しだけ・・・」

「悪かった。本当に悪かった。けど、お前が駆け出した時にトラブルに首突っ込むのがわかってたからさ。これぐらいの情報は欲しかったんだ」

 

なんだかリンが悪いような言草に少し引っ掛かりを覚えながらも、リンは気持ちを切り替えた。

 

「じゃあ、ハング。指示を頂戴」

「了解したよ」

 

ハングは意味ありげにニヤリと笑ってみせた。



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3章~小さな傭兵団(後編)~

ハングは不敵に笑い、皆を見渡した。

 

「相手はどうやら俺達の包囲殲滅を狙ってる。だったらこっちが取るべき方法はそう多くない。一点突破して奴らの背後を取るか、方陣を築いて針鼠と化すか。今回は前者でいく。ケント、セイン。馬の機動力を存分に生かせるのは街の中央広場しかない。お前たちは馬の突進力を生かせる大通りから中央広場になだれ込め、優先すべきは弓兵だ、一気に突っ込んで殺しきれ」

「わっかりました!このセインにお任せあれ!」

「了解しました!最善を尽くします」

 

騎士二人の敬礼を横目に、ハングはリンとフロリーナへと目を向ける。

 

「この騎士二人が中央広場までなだれ込めば、敵の戦力はそこに集まると踏んでいい。お前たちは小道を通りながら敵を確実に仕留めて、中央広場に奇襲をかけろ。どの時点で仕掛けるかはリンに任せる」

 

ハングのその指示にリンは疑問符を浮かべた。それはついこの間、ハングに教えてもらった戦術の基本にそぐわない内容だったからだ。

 

「戦力を二つに分けるの?」

「そうだ。人数不利の俺達が戦力を分散するのは確かに下策とされている。だが、今回ばかりはそれを考慮する必要はない。この町は瓦礫と塀で囲まれた狭い道が多く、数の有利不利はほとんど関係ない。その上、敵が包囲殲滅を狙ってくれてるおかげで、散兵ばかり。敵が散っている今のうちに手分けして頭数を確実に減らす。視界が悪く、相互の連絡手段も薄いこんな場所じゃ、平地の戦術なんてもんはほとんど役に立たないんだよ」

 

ハングはまくし立てながら、周囲の様子をつぶさに観察していた。彼の耳には周囲のゴロツキの足音や話し声が入ってきており、敵の位置を探るのに余念がない。

 

「セイン、ケント。敵が中央広場を越えてこっちに来たみたいだ。今が絶好の機会だ一気にいけ!派手に暴れろ!」

「はいっ!」

「おっしゃぁあ!いくぞぉおお!」

 

ケントとセインが走り去る。それを見送りながらフロリーナはリンの袖を引っ張った

 

「・・・リン、この方は?」

 

リンや騎士に指示を出す男の人。しかも、リンと親しげである。フロリーナが興味を持つのも当然だった。

 

「彼はハングよ。まだ見習いだけど私専属の軍師。ね?」

 

最後の疑問符はハングに向けられていた。それを受けたハングは少し肩をすくめて頷いた

 

「そうなの・・・あ、あの・・・ハングさん・・・?よ、よろしくお願いします・・・」

「おう、こっちもよろしくな。と、まあ挨拶はこれぐらいにしてさっさと行くぞ。ケントが派手に動いてくれている間が肝なんだ」

「セインは?」

「あいつは終始戦い方が派手だから、今更言及する必要はない」

 

扱いが徐々にひどくなっていくセインであった。

 

「あっ、そうだ、ハング」

「あぁ、そうだな。リン、行ってきてくれ」

 

しばしの沈黙が流れた。

 

「まだ、私何も言ってないんだけど」

「この辺の家にはまだ人の気配がある。下手に戦闘に巻き込まれる前に知らせたいんだろ?急いでるんだから手短にいくぞ。お前とフロリーナは向こう側から、俺はこっちの方から行く。合流はしない。さっき説明したルートでさっさと奇襲を加えろ。フロリーナは弓兵に注意を怠るなよ。他に何か言いたいことは?」

「あなたのその嫌味ったらしいぐらいに相手のことを見透かした言動は時には控えてほしいかな」

 

ハングはリンを無視して、近くの民家の中に侵入していく。

 

「すごい人だね」

 

フロリーナがキョトンとした顔で言った。

リンは小さくため息を吐き出す。

 

「すごすぎて付いていくのが大変なのよ」

 

そんなことを言いながら二人もまた目の前の民家に入っていった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

民家に足を踏み入れたハングは飛んできた皿を回避したところだった。

 

「『誰かいませんか?』なんて言ってる場合じゃないなこりゃ」

 

随分と歓迎されているようだった。家の奥には簡素なバリケードが築かれ、その隙間から鏃がこちらを狙ってるのが見えていた。

下手なこと言えば次は脳天を打ち抜かれそうだった。

 

「村からでていけ!山賊どもめ!!」

「帰れ!帰れっ!!もう、金目の物なんかないっ!」

 

バリケードの奥から聞こえる複数の声、間違いなく自分を山賊と勘違いしているのだろう。

 

そんなに人相は悪くないはずなんだが。疑心暗鬼とはよく言ったものだ

 

ハングはそんなことを思いながら、すぐに両手をあげて戦いの意志がないことを示した。

 

「待ってくれ!俺たちは山賊なんかじゃない!!町を助けたいんだ。話を聞いてくれ!」

 

そう言うと、自分の眉間を狙っていた鏃がバリケードの裏に消えた。

そして、若い声が聞こえてくる。

 

「・・・みんな、ここにいてください。おれが見てきます!」

 

バリケードの向こう側から、矢をつがえながら一人の男が出てきた。

短い髪は茶色。青を主体とした旅人の服装。少し童顔気味だが年はハングやリンと大差ないだろう。鋭く、険しい顔付きの中にこの人物の人の好さがわずかに覗いていた。

 

「君は何者だ?」

「俺はハング、旅の者だ。今から山賊団と戦いになるからその間に町の人たちに避難してもらおうと思って来た。できれば弓を下してくれないか?命を狙われながら喋るのは慣れてないんだ」

「あ、すまん。そうだったのか」

 

慌てて弓をおろす青年。

 

ハングは少し呆れてしまった。もし、ハングが嘘八百を述べていたら今頃彼は殺されていた。そんなことを思うハングに青年は自己紹介を始めた。

 

「おれはウィル。同じく旅の者だ。この町には世話になったんだ。俺もこの町を守りたい。よかったら協力させてくれないか?」

 

とりあえず、そのすぐ人を信じるのはやめたほうがいいぞ。

 

出かかった言葉を飲み込む。今は時間がもったいない。

 

「戦力は多い方がいい!よろしく頼むぞ、ウィル!」

「こっちこそよろしく頼む」

 

ハングが差し出した手にウィルの手が重なる。満面の笑みのウィルには警戒心の欠片も無い。

 

ウィルは家の中の人に二言、三言言葉をかけてハングと共に家を出た。

 

「この辺りの住人はみんなあそこにいたのか?」

「ああ、そうだよ。そこを最終防衛線にして、奴らを追い払うつもりだったんだ。それよりさ、あの人達が山賊だよね?」

 

ウィルが指さした先は中央広場だった。そこでは複数の男達が武器を手に騒ぎ立てていた。

 

「囲め囲め!囲んでぶっ殺せ!!」

 

まごうことなく山賊であった。

 

「そうさ。あいつらがこの町を荒らした奴らだ」

「でも、あいつらどこに向かってんだ?こっちに気付いてないのかな?」

 

ウィルの言うとおり山賊達はこちらには気付く様子は無い。

ハングが見渡す限り、周囲の敵は全て中央広場に集いつつあった。

 

「陽動がうまくいってる証拠だ」

「陽動!?すごいな!ハングって戦術家かなんかか?」

「細かい話は後回し、今は手薄になった奴らの側面を叩く。ウィル援護は任せたからな」

「了解!」

 

ハングが走りだし、ウィルもそれに続くように走り出す。

 

中央広場では緑の槍と赤の剣が踊り狂っていた。彼らは中央広場の中で騎馬を縦横無尽に走り回らせて戦っている。

駆け抜けざまに剣で切り、突撃と共に槍で貫く。その動きは見事としか言いようがない。ケントとセインは誰も寄せ付けない勢いで駆け回っていた。その激しい動きでは弓矢で狙いを定めることもできないだろう。

 

正直、加勢がいるかどうかは疑問だったが、二人が疲れて動きが鈍る可能性もある。

決着は早めにつけるにこしたことはない。

 

ハングは目の前で中央広場に向けて弓を引き絞っている男めがけ、剣を引き抜いた。

その瞬間にハングの後方からウィルの援護射撃が放たれた。風を切る音がして二本の矢がそいつに突き刺さる。痛みにうめく山賊。その怯み切った顔をハングは剣で切り飛ばした。

 

周囲の山賊達が新たな乱入者に色めきたった。

 

「なんだお前!」

「くそっ!新手が来たぞ」

 

中央広場に生じた混乱。それに乗じて騎士の二人はすぐさま動いた。

ハング達に注意が向いた山賊を片っ端から切り捨てていく。

 

「うわぁぁ、騎士も来たぞ!」

「くそぉ、なんなんだこいつら!」

 

ハングは飛んできた矢を左腕で叩き落とし、次の弓兵に狙いを定めた。

後方からのウィルの矢が敵の動きを止めてくれる。それにより生じた隙を逃さず、ハングは広場を駆け抜けた。顔の前に構えた左腕が矢を弾く。ハングは一気に間合いを詰めた。

 

一閃

 

弓兵の弓ごと腹を両断する。

 

「死ねやおらぁぁ!」

 

ハングの後ろに迫る山賊。その山賊の斧が紅の騎士に止められる。

ハングは背後をケントに任せ、もう一人の弓兵の喉に剣先を突き刺した。

 

「ハング殿!セインが・・・」

「わかってる、あいつが敵の頭に突っ込みたがってるんだろ!?」

 

ケントの動きが止まる。

 

「セインが突っ込む前に周囲の掃除が先だ。行くのはいいが、横やりを入れさせるな!」

「広場の外にいる山賊達はどうします?」

「そいつはリンが対応してる!どうせ、すぐに合流するさ」

 

ハングの言った通り、リンとフロリーナは既に中央広場の外にいた山賊達の排除を終えていた。

 

フロリーナが槍で敵を牽制し、そこにリンの剣が走る。リンの剣が振り切られた直後はペガサスの体とフロリーナの槍が隙を埋める。二人は互いの呼吸をピタリと合わせ、狭い通路内を十二分に利用して立ち回っていた。

 

その二人もすぐに中央広場に現れた。そのせいで混乱がさらに増していく。

その中ではすでに数の有利などもはや無意味だ。 遠距離攻撃や外からの援軍といった不測の事態を呼び込む要因はハングは徹底的に排除している。

 

もはや、負ける要素はどこにもなかった。

 

そして、その戦いは敵の首領に突っ込んだセインが終止符を打った。

 

「ぐ・・・後悔・・・させてやる・・・ガヌロン山賊団の・・・兄弟たちが・・・黙ってねえからな・・・」

「くるなら来い!ガヌロンだろうが何だろうがこのセインがいる限り至高の宝玉には手を出させはしない!」

 

セインの高らかな宣言を聞きながら、崩れ落ちるごろつき。

その死体に背を向けたセインは中央広場から山賊が逃げ出していくのを見て、満足そうにうなずいた。

 

セインは今の自分のいる部隊に確かな手ごたえを感じていた。

 

頼れる相棒、美しき貴族の姫君、そして最高の軍師。これはなかなかに良い部隊じゃないか。山賊相手とはいえ、ここまで安定した戦いをしたのはいつ以来だ?いやぁ、本当にリンディス様はいい軍師を連れてきてくれたもんだ。おかげで、リンディス様にこのセインの素晴らしい姿を見せることができた!

 

セインは鼻高々に皆が集まる場所へと戻っていった。

そこではさっきから弓で援護してくれていた若者の紹介が行われていた。

 

「こいつはウィル、頼りになる援護はこいつのおかげだ」

「やめてくれよハング」

 

ウィルは照れたように頬をかき、改めてみんなに頭を下げた。

 

「ウィルって言います。今回はありがとうございました。しかし、皆さんお強いですね!俺、驚いちゃいましたよ」

 

その丁寧な口調にハングは引っ掛かりを覚えた。

 

「あれ、なんで俺にだけタメ口なんだお前?」

「え?ハングって年上なのか?」

「あぁ・・・タメでいいや」

 

そうしてウィルは一人ずつ握手を交わしていった。だが、ある人物の前で止まった。

 

「あ、あれ?なんか、固まってる?」

 

フロリーナの前だ。

ウィルは手を差し出すもフロリーナはぴくりとも動かない。いや、多少動いてはいた。小刻みに震えているのだ。

女の子を怖がらせていることに、さすがのウィルも動揺していた。

そこにリンが助け舟を出す。

 

「ごめんなさい、ウィル。この子、フロリーナっていうんだけどもともと男の人が苦手なのに加えて、あなたが弓を使うアーチャーだから・・・」

「ああ!そうか!それじゃ、弓が怖いの仕方ないよな」

 

ウィルは朗らかな笑顔に戻って手を引っ込めた。

 

「・・・あ、あの・・・・・・ごめ・・・んなさい・・・でも・・・弓を見たら・・・どうしても・・・ふ、ふるえて・・・・・・」

「いいよ、いいよ!気にしないで」

 

一通り挨拶が終わったところでリンがフロリーナに向き合った。

話は今回の事件の発端へと遡った。つまり、フロリーナがリンを追ってきてこんなところまで来てしまった理由だ。

 

「フロリーナ・・・どうして追ってきたの?危ないじゃない」

 

厳しい口調だったが、友達を心配する感情が見て取れた。

そんなリンにフロリーナは体を縮こまらせながらもはっきりとした声で言った。

 

「イリア天馬騎士が、一人前になるための儀式・・・覚えてる?」

 

少し間をおいてリンが口を開く。

 

「確か、どこかの傭兵団に所属して修行を積んでくる・・・だったわよね?」

 

頷くフロリーナ。

 

「じゃあ、フロリーナあなたも旅を?」

 

フロリーナは再び頷いた。

 

「私・・・傭兵団をさがす旅にでることをリンに話しておこうと思って。それで、サカに行ったらリンが変わった雰囲気の人と旅に出たって聞いて・・・だから・・・」

 

ハングとリンの目が合う。ハングは頭をかいてウィルに問いかけた

 

「なぁ、ウィル。俺って人相悪いか?」

「悪くはないけど、妙に均整が取れすぎなんだよね。地味ってわけじゃないんだけど、なんか『ただものじゃない』って思わせるって感じかな。なんかそのせいで初対面の人はちょっと警戒しちゃうんじゃないかな」

 

苦笑するハングを横目にリンは再びフロリーナに視線を向ける。

 

「心配してくれたのね?ありがとう。でも私は・・・あなたの方が心配」

 

フロリーナはその台詞にきょとんとして自分を指さす

 

「私?」

 

そんなフロリーナの肩に手を置いてリンは諭すように言葉を続ける。

 

「いい?フロリーナ。傭兵団っていうのは普通男ばかりなのよ?フロリーナが1人でそこに入って修行だなんて・・・むちゃだわ」

 

縮こまらせていたフロリーナの体がさらに小さくなったように見えた。

 

「・・・やっぱり、そう思うよね・・・天馬騎士になるのは小さい頃からの夢だったから、必死で頑張れば、なんとかなるかと思ったんだけど・・・私も今日のことで自信がなくなっちゃった・・・」

 

彼女の目に、ほんのわずかの涙が浮かんだ。

 

「・・・あきらめたほうが・・・いいのかなぁ・・・・・・」

「フロリーナ・・・泣かないで・・・」

 

助け舟を求めるようにリンはハングとケントを交互に見やる。

だが、リンが求めていた答は意外な場所から訪れた。

 

「そう!あきらめる必要はありません!俺に名案がありますっ!可憐なフロリーナさん!!」

「セイン!」

 

ケントが制しようと前に出たが、すでに時すでに遅し。走りだしたセインの口は止まらない。

 

「フロリーナさん!あなたも、俺たちと一緒に旅をすればいいのです!我らは、このウィルを加えて今や立派な傭兵団も同然!!」

「お、おれもっ!?」

 

突然振られた話題に戸惑うウィル。それを無視して、セインは大仰に地に膝をついて天に祈りをささげながら喋り続けた。

 

「ここで、お会いしたのも神のお導き!運命だったのです!!ささ、このリンディス傭兵団で、ともに修行を積もうではありませんか!」

「・・・セイン・・・この、お調子者が・・・!」

 

下心しか見えないセインに対し頭痛がしてきたケント。労いの意味をこめてハングがその肩に手を置いた。

 

「『リンディス』?ねえ、リン・・・『傭兵団』ってどういうこと?」

「・・・詳しい話は、追い追いね。ちょっと乱暴な気もするけど、セインの言うとおり、いっしょに来る?フロリーナ?」

 

その言葉の効果は絶大だった。瞬時に笑顔を取り戻すフロリーナ。

 

「・・・リンと旅ができるの?本当に?だったら私・・・すごく嬉しい!」

 

そして、最大の笑顔を見せる男がもう一人。

 

「やったー!! 美しいフロリーナさん!俺はキアランの騎士、セインと申しま・・・」

「きゃあっ!ち、近よらないで・・・ください」

 

セインが握手しようと近づいた途端にペガサスの影に隠れて逃げるフロリーナ。

その姿に何かを感じたらしく、セインはウットリした顔で掌を自分の胸にあてて感動を表現した。

 

「ああ・・・なんて奥ゆかしいんだ!」

 

ケントは我慢ならず拳を振り上げたが、その前にすべきことがあると思い至った。

ケントはリンに向かって丁重に頭を下げた。

 

「すみません。『傭兵団』だなどとふざけたことを・・・」

 

それに、リンは笑って答えた。

 

「ううん、私は賛成よ。フロリーナのことほっとけないもの。それより、面倒をかけると思うけど頼んでもいい?」

「はっ!おまかせ下さい」

 

生真面目にも再び頭を下げるケント。

 

「わっ!わわわっ!ハング殿!何するんです!!このセインめが何か悪いことをしたでしょうか!

「とりあえず、お前は・・・しばらく何も出来なくなるまで殴ったほうがいいと判断した」

「そんな!俺はフロリーナさんと、お茶でもと・・・って、うわぁ!」

 

ハングの左腕で後ろ襟を掴まれて引きずられるセイン。

 

「ハング殿!ハング殿!ハング様!離してぇぇ!」

 

視界からセインが消えて、すぐにセインの悲鳴が聞こえてきた。少しの間続いた悲鳴は夕焼けの中に消えていった。しばらくして、ハングだけが戻ってくる。その手は少し赤い染みが付いていた。

 

そんなハングにウィルが遠慮がちに口を開いた。

 

「あの・・・おれも、本当についてっていいのかな?」

「あ~・・そうだったな。ウィルが良ければ来てくれるとありがたいんだけど」

 

今回はウィルは完全に巻き込まれた形である。彼にはハング達の旅に同行する理由はない。

だが、ハングは戦略的にも心情的にも彼と一緒に旅をしてみたかった。今の旅では騎士達は『リンディス様の専属軍師』として接してくるし、女性であるリンとは気を使うところもある。気楽に話せる同性の友人が欲しかったというのがハングの本音である。

 

「いや、それなら俺としてもむしろ助かるよ。実を言うと、旅の途中なのに金を盗まれて途方にくれてたんだ」

「どうせ、騙されたんだろ?」

「えっ!なんで?なんで、わかったんだ!?」

 

だって、良いカモだもん。

 

ハングはそのことを口には出さず、適当に言葉を濁してすませた。

 

「まぁ、いいや。じゃあ、おれも今日から傭兵団の一員ってことで、よろしくお願いします!!」

 

頭を下げるウィル。

 

「おう、よろしくな!」

 

その時、フロリーナがリンの背後に駆け込んでいった。

 

「り、リン・・・助けて・・・」

「あぁ、待ってください!愛しのフロリーナさん!」

 

まだ、こりてなかったらしい。

剣の柄に手をかけるリンとケント。

ハングに至っては既に抜いていた。

 

セインの悲鳴が再び周囲に響き渡る。山から帰ってきた木霊も加わりセインの声はいつまでも響いていたという。

 

「まったく!本当に本能で生きてるんだから!」

「申し訳ありません、次からはこんなことが無いようにしておきます」

 

ケントは気絶したセインを足で脇にどけながら頭を下げた。

 

「なぁ、ハング。セインさんていつもあんな感じなのか?」

 

ウィルがそう尋ねる。

 

「いや、今日はまだマシなほうだ。なぁ、ケントさん」

「はい、いつもはもっと見境がありません」

 

雑談しながらも荷物を整理して持ち物を馬に乗せる一行。

騒がしいながらも楽しいひと時。

 

その中でスッとリンがハングに言葉を漏らした。

 

「リンディス傭兵団、か・・・なんだかにぎやかになってきたわね、ハング」

「あぁ、そうだな」

 

リンから向けられた笑顔。

 

ハングはなんとか笑顔を取り繕った。耳奥に響いていたのは『あの言葉』

 

『もう、勝手にいなくならないでよね』

 

ハングの中にその言葉が染み込んでいった。

 

 

『俺らの前から勝手にいなくなるなんて許さないからな!』

『いいか、貴様がここを抜けることは隊長の私が許さん!』

『ハング、背中は任せるからな。後ろにちゃんといろよ!』

 

 

かつての居場所が、今の居場所に重なって見えた。

 

ハングは胸の奥で決意を新たにする。

 

もう二度と・・・失ってなるものか・・・

 



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4章〜生業の影で(前編)〜

サカとベルンを分ける山脈を右手に見ながら『リンディス傭兵団』はひたすら西へと進んでいた。その行軍の先頭ではケントとハングが今後について相談を繰り返していた。

 

「今後の進路はどういたしましょうか?」

「山賊に目をつけられたからな、なるべく最短で国境を越えたい」

「ですが、それだと山脈沿いを歩くことになります。危険では?」

「注意しとくのは奇襲だけでいい。真昼間での白兵戦ならそんなに警戒しとくことは無いはずだ」

 

ケントとハングは緊急時の行動や、逃走経路について話を詰めていく。

その後ろでは女性2人が談笑にふけっていた。

 

「それでね、ハングが草原の入口に倒れていたの」

「ハングさんって、行き倒れだったんだね」

「最初に抱えた時、やけに軽くてびっくりするほどよ。でも。最近じゃ私の方が軽いけどね」

「なんでわかるの?」

「打ち合いをしてればなんとなくね」

 

そして、この一団の更に前方

先行して今夜寝床となりそうな場所を探しているのはセインとウィルであった。

 

「まったく、ハングも人使いが荒いですよね」

 

そう、ボヤくのはウィルの口だ。

 

「何を言うんだ新入り君!俺達が信頼されてる証拠じゃないか!」

 

やけに張り切るセインの口は止まることを知らず、更に喋り続ける。

 

「俺達は美しき姫君達が安心して横になれる場所を任された騎士!半端な男では任せられないと我らが軍師が判断したのだ!」

「リンは確かに姫様だけどフロリーナは違いますよ~」

 

明後日の方向に話を持っていくセインに対してこれまた少しズレた返しをするウィル。

 

「それに、ハングは目についたから俺らを使いっ走りにしただけですし」

「何を言うか!ハング殿は誰にでもできる指示など出しはしないぞ!」

「そうですか~?」

 

ウィルはこの仕事を任された時のことを思い出した。

 

『あ、そうだ。ウィルと・・・セイン。今日の寝床探してきてくれ』

 

ハングが談笑していたウィルに放った一言である。

どう好意的に解釈してもそんなに深い意味は無さそうだ。

 

「さぁ、ウィル!今宵、安らかな眠りを得られる場所を探そう!」

「はいはーい」

 

ウィルとセインは草むらを掻き分けて少し細い道へと入っていった。

その遥か後方では、ハングとケントがちょうど彼ら2人のことについて話をしたところだった。

 

「しかし、ハング殿。なぜウィルとセインを共に行かせたのですか?」

「ウィルも旅が長いから寝床探しの嗅覚はあるだろうし、弓使い一人じゃ山賊に出くわしたらマズイだろ?」

「なるほど。しかし、それでしたら私でも良かったのでは?」

「いや、それは違う。セインに行かせなきゃならなかった」

 

ハングは少し後ろを振り返る。

 

「ん、ハング?どうしたの?」

「何でもねぇよ」

 

天馬に乗りつつ、地上を行くフロリーナと馬に跨ったリン。

フロリーナと視線が並ぶので最近は馬に自分から乗るリンである。

 

「あいつがいると、フロリーナの気が休まらん」

「それは・・・申し訳ありません」

「いやいや、俺に・・・というかフロリーナに謝るべき人間はセインだろ?」

 

これがセインにしかこの仕事ができない理由である

 

小道を抜けたウィルとセインは廃墟となった大きめの砦を見つけていた。

 

ひび割れ、崩れかけの石の壁に囲まれた砦。かろうじて屋根はあるものの、夜風までは防げないことが予想できる。それでも森の中に無防備に寝るよりははるかに良いだろう。

 

「ここでいいんじゃないですか?今夜の寝床!」

 

ウィルは満足気に自分の発見物を眺めた。

砦の中に有象無象共がたむろしてる気配も無いし、獣が寝床にしている雰囲気もない。

一晩明かすには十分である。

 

だが、それに引き換えセインは少し不満気味である。

 

「こんなボロ砦しか寝るところがないなんて・・・あんまりじゃないか?ウィル!我らにはうら若い乙女が二人もいるっていうのに!それなのに!それなのに!こんな隙間風どころか突風すら突き抜けてきそうなボロ砦でしか眠るところがないなんて!ああ・・・神は我らを見放したのかぁぁ!」

「この辺は、山賊団が荒らしつくしてて、旅人をもてなす余裕はないんですよ。ましてやこの人数ですしね。それに普通に野営するよりは全然いいじゃないですか?一部壊れているとはいえ屋根も壁もあるんですから」

 

セインは演劇じみたことを続けて言おうとしていたが、それはウィルとは別の声に遮られた。

 

「ウィルの言う通りだ。しかも、ここなら敵襲があった時でも楽に対応できる」

 

ウィルとセインが振り返るとハングを先頭に『リンディス傭兵団』の面々がやってきていた。

 

「ハング、気付いてくれたか?」

「ああ、分かりやすかったから助かったぞ」

 

そう言ってハングが一本の矢を差し出した。

矢羽を黒い斑がある白い羽で統一しているウィルの矢だ。

ウィルはこれを目印のために道に落としてきたのだ。

 

「ですがハングさん!俺は声を大にして言いたいことがあるんです!」

「やかましいから黙ってくれるか?」

 

ハングの指示を無視してセインが百万語を語り出そうと口を開こうとした矢先。

 

「そうよ、ここで充分じゃない」

 

ハングが振り返ると馬から降りたリンが腰に手をあててそう言った。

 

「ちゃんとした建物の中より、風を感じられるくらいのほうが私は好きだわ」

 

さすが、草原での遊牧を生業とするサカの民だ。

その背後からフロリーナが現れて更に言葉を足す。

 

「私は、リンと一緒ならどこでも平気よ」

 

女性2人が賛成され、さすがのセインも口を閉ざしかけた。

だが、完全には閉じなかった。

 

「では、護衛のためこのセインも女性たちの横で・・・」

 

一歩踏み出したセイン。そのめげない姿勢は街中では評価に値するかもしれないが、今は旅の途中である。

セインの前にケントが立ち塞がった。

 

「お前は私と交代で寝ずの番をするんだ。まさか、サボる気では無いだろうな?」

「・・・・・・」

 

もはや、ぐうの音もでないセインであった。

渋面を作りながら身悶えするバカを放置し、ハング達は小さな裏口から砦の中に入っていった。

そこは回廊のような作りの狭い廊下になっていた。

 

「こういう砦なら中心あたりに大きな部屋があるはずだ。とりあえずそこに荷物を置こう」

 

先導するハングに続いて砦を進む一向。静かな砦の中に足音と蹄の音が響く。

廊下を曲がり、更に大きな通路に出る。そこには夕焼けが壊れた天井から差し込み、美しい景色を作り出していた。

 

「ケント、向こうに正面入口があるはずだから、見張りを頼む」

「わかりました」

 

馬に跨り、廊下を駆けていくケント。

 

「ずいぶん詳しいのね」

「軍師たるもの、各国の砦の基本的な構造ぐらいは頭に入れとかないとな」

 

いくつかの小部屋の前を抜けて、彼らは廊下を進む。

 

その時、不意に声をかけられた。

 

「あの・・・」

「誰っ!?」

 

咄嗟に剣に手をかけるリン。だが、抜こうとした剣の柄をハングが掴んで止めた。

 

「ハング?」

「大丈夫だ」

「え?」

 

ハング達が向かっていた中央の部屋。そこに続く廊下から一人の女性が姿を見せた。

長い髪を束ねて肩に垂らした小柄な女性だ。服は貧相であるが清潔感があり、盗賊の類ではなさそうである。

 

「あ、ごめんなさい・・・驚かせてしまって。私、ナタリーっていいます。この近くの村の・・・」

 

そう言って、ナタリーと名乗った女性が進み出る。その瞬間崩れ落ちるように彼女の体が倒れた。

 

「きゃ!」

「大丈夫!?」

 

慌てて駆け寄るリン。一呼吸遅れて皆もナタリーの側に駆け寄った。

リンが丁寧に抱き起こして、ナタリーを壁際の瓦礫に座らせる。

 

「あなた、足が・・・」

 

座らせたが為に剥き出しになった足首。

そこは、およそ成人とは思えない程にやせ細り、ほぼ皮と骨だけのように見えた。

彼女自身は多少痩せているものの健康そうに見える。それにも関わらず足だけが極端に痩せ細っているのだ。

 

「あ、平気です。小さい頃からの病ですから。あまり、遠くまでは行けないんですけど・・・」

 

大丈夫なはずは無いだろう。

だが、それでも気丈に微笑む彼女からはある種の強さが感じ取れた。

 

「ウィル、セイン。とりあえず先に奥の部屋に荷物を置いてきてくれ」

「うっす!」

「わかりました!」

「フロリーナも頼む、リンとかの荷物をセインに預けるのは不安だ」

「は、はい!」

 

生真面目に背筋を伸ばすフロリーナの隣でセインが泣きそうな顔で抗議の声を上げた。

 

「ハング殿!私はそこまで信用無いんですか!?」

「少なくとも私生活においてお前を信じるってことは無い」

 

ピシャリと言い放ったハングにウィルが笑い声をあげた。

 

「アハハハ、確かにそれ言えてるかも」

「ウィル、フロリーナの護衛も任せたからな」

「了解しました!」

「あの・・・よ、よろしくお願いします」

「うん、フロリーナには指一本触れさせないよ」

 

馬とペガサスを伴って奥に消える三人。

まだセインが何か言っていた気がしたがそれはもうどうでもいい。

それを見届けてから、リンはふとした疑問を口にした。

 

「ナタリー、あなた一人なの?」

「そうです。私の夫が・・・この近くにいると聞いたんです。夫は私の足を治すためにお金を稼ぐと言って・・・村を出たきり戻りません・・・おひとよしなあの人のこと、なにかやっかいなことに巻き込まれたんじゃないかと・・・心配で・・・」

 

リンがちらりとハングに視線を送った。それを受け取ったもののハング自身も少し困惑していた。

 

手助けしたいというリンの気持ちは汲む。だが、できることはあんまりない。

 

無言の中でそんなやり取りをかわす。

 

「あの、これ夫の似顔絵です。・・・あまり上手くないですけど」

 

差し出された少し黄ばんだ羊皮紙には黒炭で体格の良い男性が描かれていた。

無表情で、いかつい顔にも関わらずなぜか優しい印象を受ける。おそらくそれが彼女の知る夫の姿なのだろう。

 

「夫の名前は、ドルカスっていいます。ご存知ありませんか?」

 

リンが受け取ったその似顔絵をハングに渡した。

だが、受け取ったハングも首を横に振るだけだった。

 

「会ったこと無いな」

「そう・・・」

 

リンが少し気落ちしたまま、似顔絵をナタリーに返した。

 

「ごめんなさい。会ったことのない人みたい」

「そうですか・・・もし夫に会ったら伝えてください。ナタリーが・・・探していたと・・・」

「わかった、必ず伝えるわ」

「後で、他の仲間にも聞いてみるといい。誰か知ってるかもしれない。それで、ナタリーさんは村に帰るのか?」

「はい、そのつもりです」

「そうか、誰かに送らせたほうがいいかもな。もうすぐ日も暮れるし」

「あ、そんな・・・お気になさらず」

「つってもなぁ・・・だったらここで一緒に一晩過ごすのはどうだ?面白いことしか言わない騎士とか、礼節を知らない侯爵家の御令嬢とかいろんな奴らが・・・リン、目が恐いんだが」

「悪かったわね、どうせ私はガサツですよ」

 

ハングとリンのやりとりにナタリーがクスリと笑いを漏らした。

 

「ありがとうございます。お気持ちだけで十分です」

「そう?でも・・・」

 

まだ、何か言おうとするリン。それをハングの切迫した声が遮った。

 

「リン!」

 

一気にあたりが緊張に包まれた。それを包括するかのように、砦の周囲からざわめきが流れ込む。

 

「これは・・・!」

「ちっ!厄介なことになったな」

 

全身に殺気をみなぎらせ始めた二人の元にケントが駆け込んでくる。

 

「リンディス様!砦の外に山賊の一団が迫っています!」

「ええ、そのようね」

 

そこに通路の奥から、やはり戦闘体制に入った三人が現れた。

 

「山賊か?くそお、しつこい奴らですね。どうします?でていきますか?」

 

セインの問いはハングに向けられる。

 

「本来ならそうしても構わないんだが、今は動けないナタリーがいる。守りに徹するしか無いな」

「ハング殿、ナタリーとはどちらの方ですか?」

「説明は後回しだ。ケント、そこの彼女を奥の部屋に。その後セインと共に正面入口を固めろ!」

「はっ!」

「セインは先に正面入口を確保。フロリーナ、ウィルを連れて入口の上方に飛べ。援護射撃用の窓がいくつかあるはずだ。そこにウィルを置き去りにして戻って来い。その後は周囲を警戒しろ」

「は、はい!」

「って、え?俺は置き去り?」

「戦闘が片付いたら迎えに行かせる。それまで耐えろ」

「ま、いいか」

「リンは俺と一緒に裏口を固める。間違いなくそこからも山賊が来る」

「わかったわ」

「よし、かかれ!」

 

皆が一つの流れのように動き出す。

 

「ハング、行きましょう!」

「ああ」

 

ハングとリンは素早く廊下を駆け出した。

 

「おらおらおら!ここを通りたけば俺を倒してから行けぇえい!」

 

後方からのセインの挑発を聞きながら、ハングは「あいつ大丈夫か?」と小さく呟いた。



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4章〜生業の影で(後編)〜

砦の廊下をひた走るハングとリン。周囲からは戦闘音が既に聞こえ始めていた。

2人が廊下を曲がる。その先は裏口まで一直線だ。そこには山賊らしき男が既に入り込んでいた。

それを見つけた2人は立ち止まることなく剣を抜き放った。

 

「へへへへ、いい女がいるってのは本当だな」

 

それを目に留めた山賊は下品な笑顔を浮かべて斧を片手に突っ込んできた。

リンとハングは一瞬目配せを交わす。次の瞬間にハングが一気に加速した。

間合いを詰め、大上段から剣を振り下ろした。

 

「そんな剣が当たるかよ!」

 

山賊は身を開いてかわした。態勢が崩れ、流れるハングの体。

 

「死ねぇい!」

 

ハングに斧が迫る。刹那、ハングの後ろから人影が飛び出した。夕焼けを照らす刀身が一筋の軌跡を生む。

目の前で山賊の首から上が吹き飛んだ。

リンは身体だけになって血を吹く山賊には目もくれず、裏口に向けて駆け出す。

だが、その腕をハングが掴んだ。

 

「戻れ!」

 

腕を引っ張られ、強制的に引き返させられたリン。

ハングに抱き止められるのとほぼ同時に隣の壁に斧が突き刺さった。

石礫が飛び散り、散乱する。

 

「リン、大丈夫か?」

 

耳元から聞こえるハングの声

 

「うん、平気。ありがとう」

 

ハングから離れたリンの視線の先、裏口付近に体格の良い男が立っていた。

 

「あいつの投げた投擲用の手斧だ。一撃でも喰らえばただじゃすまないぞ」

「ええ、そうみたいね」

 

刺さった斧は壁にめり込んで簡単には取れそうにも無い。

剣を構える二人の先でその男も新たな手斧を取り出していた。

 

迂闊に近づけない二人。それに対して山賊も無理に前に出てくる様子はなかった。

裏口の出入り口を確保して、後続を安全に砦内に入れるつもりなのだろう。

 

ハングは舌打ちをしたいのをこらえた。

 

山賊にしては随分と腰の座った戦い方をするじゃねぇか。

 

しかし・・・

 

睨み合ったままの時間が流れる。

その間にリンはわずかな違和感を覚えていた。

 

「ねぇ、ハング。私、あの人に会ったことある気がするんだけど」

「ん?あぁ・・・俺もなんか初対面って感じがしなくてな。旅の途中でどっかで会った・・・か?」

 

ハングは人の顔を覚えるのは得意な方だと自負してはいるが、今まであった人間を全て覚えていられる訳ではない。

だが、それにしても目の前の人物に見覚えがあるような気がしてならない。

 

ハングは喉に引っかかりを覚えるような、違和感を感じていた。

 

そして、その違和感の正体にリンが気がついた。

 

「ナタリーさんの似顔絵に似てるんじゃない?」

「あ!そうか・・・だが、本物か?」

「聞いてみればいいじゃない」

 

ハングはわずかに間を置いて答えた。

 

「まぁ、そうだな」

 

本当はリンに色々と言いたいことがあった。

 

相手が本当のことを話す保証がない状況下、しかもここは戦場だ。その場で何を質問して、どう答えさせるのが正しいのかという作業は本来はかなり危険な綱渡りなのだ。そういった戦場における交渉術の諸々について事細かに説教してやりたかった。

 

だが、ハングはリンに任せることにした。

 

理由の一つはそれを語ってやるだけの余裕がないこと。そしてもう一つは目の前の男性に悪意を感じられないことがあげられた。

 

この男から攻撃を受けたにも関わらず、そう思わせる何かがあった。

それは悲しそうな瞳だとか、纏う悲壮的な空気だとかを引っ括めた彼の第一印象がそうさせるのだろう。

 

リンはわずかに息を吸って彼に話しかけた。

 

「ねぇ・・・あなたドルカスさん?」

 

それで十分だった。男の顔にありありと驚きが浮かぶ。

 

「・・・なぜ、俺の名を?」

 

ほんの少しだけハングとリンが目を合わせた。

 

「・・・ナタリーから聞いたの」

 

ナタリーの名前を出した途端に男は悲しそうに顔を伏せた。

 

「どうして山賊団に加わってるの?」

「・・・金の為だ」

「だからって!山賊なんてっ!」

「このあたりで稼ぐには・・・これしかない。汚い仕事でも・・・俺には金がいる」

 

リンが青眼に構えていた剣をおろし、更に声を張った。

 

「お金のためなら、奥さんを傷つけてもいいって言うの?ナタリーは今、砦の中で震えているのに!!」

 

今度こそドルカスの表情がはっきりと変わった

 

「なんだと・・・!?あいつが・・・ナタリーがここに・・・!?」

 

斧を取り落とす程の衝撃を受けたドルカス。

ハングはそれを見ながら自分の位置を微妙に変えた。近くの覗き窓から砦の外を確認する。

 

今、ここに新手が来たらまずいことになる。

 

意識を裏口に集中するハングを他所にまだ会話は続いていく。

 

「ナタリーはあなたが心配で、あの足でここまで来たのよ。こんなことをして、ナタリーが喜ぶと思うの!?」

 

リン言葉にドルカスは押し黙る。少しの間、聞こえる音が遠くで聞こえる騎士と山賊の声だけとなる。

ドルカスはおもむろに顔を上げ、差し込む夕焼けに目を細めた。まるで、始めて今が夕暮れに気付いたかのように・・・

 

「・・・あんたの言うとおりだ」

「だったら!」

「・・・わかってる。今、この時を境に山賊団からは抜ける」

「本当!?」

 

リンの少し上ずった声は喜びに溢れていた。

 

「・・・ああ。それから、ナタリーが世話になった分、おまえたちを助けよう。俺も仲間に加えてくれ」

「よろこんで!」

 

剣を鞘にしまい、リンはドルカスに駆け寄った。片手を差し出すリン。その手を大きな手が握り返した。

 

「ハングさん!」

 

その時、上空からフロリーナの声がした。

見上げた先には天井の隙間から降りて来る天馬の姿があった。

 

「どうした?」

「あ、あの・・・に、西側に、人が・・・」

 

西側に出入り口はない。それでも敵が集まってるってことは強引に出入り口を作ろうとしているからに他ならない。今侵入を許せば、ケントの背中が危ない。

ハングが激しく眉をしかめた。その形相にフロリーナが縮み上がった。

 

「ごご、ごめんなさい!」

「え?」

 

突然謝られたハングは困惑するしかない。

 

「なんで、謝るんだ?」

 

本気でわかってなさそうなハングにリンが呆れた顔で言った。

 

「あなたの顔が怖いからでしょ、それよりハング。西側に人が集まってるらしいわよ。どうするの?」

 

だが、ハングに後半の話は聞こえていなかった。

 

「ドルカスさん、俺って人相悪いですか?」

「・・・悪いとは言わんが、良くはないな」

 

少し沈んだハング。ハングはため息一つで気持ちを切り替え、リンとフロリーナに指示を出した。

 

「お前ら二人にここを任す。ドルカスさんは一緒に来てくれ。できれば侵入させたくない」

 

了解の返事を受け取って、ハングは廊下をドルカスと共に戻って行った。

 

「もぅ、ハングは人相を気にしすぎよ」

「でも、時々すごい怖いよね?」

「まぁ、なんていうか。表情が無くなる時とかはそうかもね。それより!」

「うん!」

 

その時、リンの頭をよぎったのはハングの声。

 

『敵の数がこっちより多いなら本来は逃げるのが定石だ。だが、敵を隘路に誘い込めれば数の有利不利は幾分か軽減される。最高なのはこっちが隘路の出口に陣取ることだ。局所的に見れば数の差すら逆転できる』

 

この裏口は人が1人2人通れる程度。裏口から入ってきた相手を1人ずつ相手取ればフロリーナとリンの2人で止めれない相手はそういない。

 

「フロリーナ、私から離れないでね!」

「うん!」

 

リンは鞘にしまった剣を再び引き抜いた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

斧を握りなおすドルカスに続いてハングは元来た道を駆け戻っていた。

正面口で戦うセインとケントの後ろを横切って、さらに西側へと走る。

そして、彼らが廊下を曲がるのと、岩が崩落するかのような破砕音が響くのはほぼ同時だった。

 

「間に合わなかったか・・・」

 

ハングはそうぼやく。

 

「軍師!どうする!?」

「どうもこうもありませんよ。一人たりとも後ろに通さない・・・」

 

皆殺しだ。

 

そう言いかけたハングは少し考えるような顔をした。

 

「ドルカスさん。あんた、あそこに顔見知りとかいるんじゃないのか?」

「・・・気にするな・・・所詮、悪党共だ。情けをかける程の奴はいない。あいつらも・・・俺も」

 

ハングはそれ以上はもう何も言わなかった。

 

「来るぞ!!」

 

風を裂く音がして矢が足元に突き刺さる。

ハングとドルカスはすぐさま近くの瓦礫に身を隠してやりすごした。だが、そうやって廊下の壁にくぎ付けにされている間に山賊がわらわらと侵入してくる。

 

 

「ったく、後でリンにどやされるかもな」

「軍師・・・ハングと言ったか?」

「ああ、んじゃ。おっぱじめようか?」

 

ドルカスは小さく頷いた。

 

「牽制してくれ。弓兵が最優先目標」

「任された」

 

 

2人は矢が途切れた瞬間を狙って、駆け出した。

 

ドルカスの手斧が飛んでいく。弓兵を狙った手斧は剣を持った男に叩き落とされる。

だが、そのおかげで弓兵の射線が潰れた。

 

ドルカスとハングは敵の集団へと躍りかかった。

 

ドルカスは手斧を防御した男に飛びかかり、その丸太のような太い腕で相手の手を捻じりあげた。そのまま、相手を強引に引き寄せて防御を崩し、斧で確実に頭を叩き割った。飛んでくる矢を男の死体を盾にして防ぎ、次の男に襲いかかる。

 

その隣で、ハングは刀身の長い剣で次々と敵の体を刻んでいた。

毎晩のようにサカの剣士と打ち合いをしているハングだ。今更、山賊程度に遅れはとらなかった。

だが、三人目の首を切り落とした時にハングの左腕の肩口に矢が二本吸い込まれた。

 

「ぐっ!」

 

そこは左腕の繋ぎ目、強靭な鱗がない。焼けるような痛みと骨に響く衝撃。鏃の一つが鎖骨を直撃したらしい。膝をつきこそしなかったが、痛みで反応が鈍る。

 

「おらぁぁぁ!」

 

左側から横殴りに繰り出された斧。痛みを堪え左腕を曲げて盾のように備える。

だが、強靭な腕とはいえ大男の全力の斧を防ぎきるのは無理だ。ハングは咄嗟に体を小さくして、ぶつかってきた斧に呼吸を合わせた。力に逆らわずに斧の力に腕を乗せるようにして自分から横に飛ぶ。衝撃を殺しきることはできたが、瓦礫に全身を打ち付ける羽目になった。

 

「しぶとい野郎だな!死んでろ!!」

 

追撃の斧が迫る。

 

「ハング!」

 

ドルカスがそんなハングの盾になろうと寄ろうとするが、ハングはすぐさま動き出した。

瓦礫の下から剣を突き出す。男の喉元めがけた突きはものの見事にその男を貫いた。

 

「がっ・・・がはっ・・・・」

 

滴り落ちる血の生暖かさを感じながら、ハングはその男の身体に足をかけて一気に剣を引き抜いた。

 

「俺はいい!それより、あの弓兵をなんとかしてくれ!」

「・・・わかった」

 

ドルカスが再び前進を始める。その背後を狙う男をハングは切り捨てる。

ドルカスが最後の一人を片付けるまで、ハングは肩に矢を生やしたままで戦っていた。

 

そして、夕焼けの赤い空が黒い碧に変わりゆくころ、ようやく敵の気配が無くなっていった。

 

「はぁ・・・はぁ・・・終わった・・・のか?」

 

ドルカスが息を切らしながらそう言った。彼の手にしている斧は血を吸って赤黒く光っていた。

 

「わからないと、言いたいが・・・正直今日はもう戦えないかもな」

 

ハングはマントと上着を脱ぎ捨てて手近な瓦礫に腰を下ろした。肩に刺さった矢の具合を確かめる。

 

「ああ、くそっ・・・骨に食い込んでないのが幸いかな」

「大丈夫なのか?」

「ああ、多分。この位置なら平気だろう」

 

ハングは鏃の返しが引っかからないように矢が刺さった場所の周囲を剣で切り開く。

 

「ドルカスさん、抜いてくれ。真っすぐ力をかけるような感じで、矢を折らないように頼みます。肉を開いて鏃を取り出すのは勘弁ですからね」

「ああ、わかった」

 

ドルカスさんは矢に手をかける。ハングはこれからくる痛みを想像し、歯を食いしばった。

肉が裂けるような音がして、矢が引き抜かれる。

 

「っつ!!」

 

矢が刺さった瞬間よりも痛かった。

ドルカスは続けてもう一本も引き抜く。

 

「ってぇ・・・やっぱ痛いな・・・」

 

傷口から黒い血が流れてハングの肌に筋を残す。夕闇が迫り、青く染まりだしたこの世界では色を確かめることはできない。

ハングは自分の傷薬を取り出し、軟膏を傷口に塗り付けて覆った。

その上から手際よく包帯を巻き、ハングは上着を着る。

 

「さて、そろそろ戻りましょう。奴らも本当に撤退したようだ」

 

治療を行いながらも周囲の様子を気にしていたハングは辺りが完全に静けさを取り戻していることを確認した。

ハングは剣の血を拭って鞘にしまいその場を後にした。

 

ハングが座っていた場所には肩からわずかに垂れた血が点々と床に落ちていた。

古びた石畳に染みこみ、黒く塗りつぶされていく。その血の色が何色だったのかを確かめる術はもうない。

ハングは一度だけその血痕を振り返り、すぐに視線を逸らした。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ナタリー!」

「あ、あなた!?」

 

再開を果たした2人。ハング達が見ている前で、ドルカスは恥ずかしげもなくナタリーを抱きしめた。ドルカスのその巨体にナタリーはすっぽりと隠れてしまう。そんな姿がなんだか微笑ましく見えるのは、ナタリーもドルカスも幸せそうな顔をしているからだろう。

 

「ナタリー!大丈夫だったか!?こんな所までなんて無茶を・・・」

「あなたが心配だったんです。私の足のことなんてもういいから・・・危ない仕事は止めて。お願い・・・!」

「・・・すまん!俺はどうかしていたようだ。あの、リンとかいう娘に言われて・・・目が覚めた」

 

積もる話もあるだろうと思い、ハング達はその場に2人を残して席を外すことにした。

 

廊下を歩きながらフロリーナがリンに声をかけた。

 

「あの人達が再会できてよかったね・・・リン」

「そうね・・・でも、夫婦か。仲睦まじそうでいいわね」

 

リンはどこか遠くを見るような目をしてそう言った。遠い過去を見つめる先に何があるのかを親友であるフロリーナは知っている。フロリーナはリンが戻ってくるのを待つかのように、一緒に遠くを見つめていた。

 

「夫婦・・・か・・・」

 

それに対してハングは苦笑いをするばかりだった。ハングは自分の左肩をさする。鱗と皮膚の継ぎ目を引っかくようにハングは爪を立てていた。

 

「お前たち・・・」

 

そんな時、すぐ後ろからドルカスに声をかけられハング達は驚いて振り返った。

 

感動の再会はもういいのだろうか。

 

ドルカスの背後では、腰かけたナタリーが小さく会釈をしていた。どうやら、あの程度でもナタリーにとっては十分らしい。

 

「・・・村はこの近くだ。ナタリーを送って、明日の朝、戻ってくる」

 

ドルカスにそう言われ、リンは驚いたような顔をした

 

「え?お別れなら別に今でも・・・」

「・・・いや、そうじゃない・・・」

 

ドルカスがハングに視線を送る。それを受けたハングは意味ありげに頷いた。

 

「ハングに事情は聞いた。あんた、俺を傭兵として雇ってくれないか?」

「でも私たちはリキアに行くのよ?ナタリーさんを一人残してそんな遠くまで・・・」

「まともに金を稼ぐには・・・どうせ遠出しなきゃならん。あんたらが助けを必要としていて、おれが役にたつなら・・・雇ってくれ・・・妻を助けてくれた、礼がしたい」

「ドルカスさん・・・」

「前金が払えないこともわかっている。金を保証できないこともハングから聞いている・・・それでも・・・おれはおまえらの助けになりたい・・・頼む」

 

ドルカスはそう言って頭を下げた。

 

そこまで事情がわかっていながら、ドルカスは力を貸してくれようとしている。

リンにはその気持ちが一番嬉しかった。

 

だが、やはり足の悪いナタリーを残して良いものか。

 

山賊の横行するこんな世の中だ。

家族はなるべく一緒にいて欲しいというのが、リンの気持ちでもあった。

 

そんなリンにナタリーも頭を下げた。

 

「リンさん、私からもお願いします。夫を・・・ドルカスをよろしくお願いします」

 

2人に頭を下げられ、リンは自分の専属の軍師に意見を求める。

 

「お前が決めろ。ここは『リンディス傭兵団』団長はお前だ」

 

ハングはそう言った。リンの決断を待つ構えだった。

リンは一呼吸置き、小さく笑顔を作った。

 

「わかったわ。これからよろしくお願いするわね。ドルカスさん」

「・・・ああ」

 

その時、ハングとリンはドルカスの笑った顔を初めて見たのだった。

 




というわけで、4章終了でございます。
思った以上に多くの方から感想をいただき、『烈火の剣』は人気だったんだなぁと思う今日この頃です。

さて、今回のお話で原作プレイヤーは会話が少し足りないことに気が付かれたかと思います。その辺りは次回の『間章』でやらせていただきます。原作にはない章と章の間の話。自分の妄想が炸裂している箇所です。

では、また次回。


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間章~それぞれの夜~

村へと帰るドルカスとナタリーの二人を見送り、各々の武器の手入れと周囲の偵察も終えた頃。

ハング達はようやく眠ることができそうな時分となった。

 

「我らが交代で見張りを務めます。みなさまはお休みください」

 

直立するケント。その頼もしい姿に懸念は無い。あるとしたらもう一人である。

リンは緑の鎧の騎士に怪訝な目を向けた。

 

「まかせていいの?大丈夫?セイン」

「は、はい!モチロンですとも!!」

 

わずかに裏返った声は信じろという方に無理がある。

 

「言っておくけど、夜中に忍び込んできたら問答無用で叩き斬るから。その覚悟でいてね」

 

物騒なことを物騒な表情で言うリン。

それに気圧されセインが一歩足を下げた。

 

「い、いやですね~俺は、誇り高き騎士ですよ?そんな心配いりませんって!な、ケント!」

「・・・少しでも不審な動きをすれば私が始末します。どうか、ご安心下さい」

 

ケントがそこまで言ったところでリンもようやく安堵の表情を浮かべた。

 

「そう?じゃあおやすみなさい。ハングとウィルもまた明日ね」

「おう」

「ういっす!」

 

フロリーナを伴って寝室とした小部屋に足を向けるリン。

それと反対側へと歩いていくウィルとハング。

 

「セイン。我らも行くぞ」

 

そして、ケントも見張りへと消えた

 

「とほほ・・・俺って、信用ないな・・・」

 

その後を追い、重い足取りでセインも消えていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

山賊を追い払って。心身共に疲れた体。

それを引きずるようにして自分の寝具に転がり込んだのはウィルだった。

 

「随分疲れてるな?」

「そりゃそうだよ。弓を引くのってけっこう体力いるんだぞ」

 

ハングは小部屋の隅に背を預けて苦笑した。

 

「ハングは眠らないのか?」

「なんだか、まだ身体が起きててさ。まだ眠れそうにないんだよ」

「ああ、あるよね。そういうこと俺も昔よくあったよ」

「昔?」

「うん、大きな猪を狩った夜とか、親友と村中にこっそり悪戯しかけた夜とか。身体は疲れて眠れそうなのに、妙に心臓の音が大きくてさ・・・」

「お前、どんな少年時代を過ごしてたんだよ」

「え?普通だろ?」

 

小さく笑うハング。それを見てウィルもつられたように笑った。

 

「そういや、ハングってどんな子供だったんだ?俺全然想像つかないんだけど」

「俺か?う~ん、そうだな・・・」

 

壁に後頭部をつけて上を見上げるハング。壊れかけた天井からはわずかに星明りが見えていた。

 

「やっぱ、昔から本ばっか読んでたのか?」

「いや、戦術を身に着けたのは結構最近だ。昔か・・・やっぱ、妹に付き合わされてよく遊んでたかな」

「へぇ~ハングって妹いるのか?」

「正確には妹が『いた』だけどな」

 

過去形。その意味を掴んだウィルは申し訳そうな表情を浮かべた

 

「悪い・・・いやなこと思い出させたか?」

「いや、気にすんなよ」

 

ハングは笑ってそう言った。

 

「そうだな、妹に連れられて森に遊びに行ったりしてたかな。木の実とったり、花摘んだり、巣穴に忍び込んで卵を拝借しようとしたこともあったな」

「へ~俺とあんま変わらないんだな」

「どこがだよ、俺は結構優等生だったんだぞ。勝手に弓持ち出して無茶したり、村中のドアを釘で開かなくしたりなんてことはしたことないぞ」

「うえ!」

 

ウィルが慌てて飛び起きた

 

「なんでそんな細かいことまで知ってんの!?もしかしてハングってフェレ出身なのか?」

「いや、違うけど。どんな場所でも悪ガキの考えることはいつも一緒ってわけだ」

 

ハングは控えめに笑った。

 

その後、ウィルとハングはお互いの子供時代の悪戯に関して少しの間話していた。だが、結局ウィルの大あくびでお開きになった。

 

「俺、もう限界かも。先に寝るな」

「おう、おやすみ」

「おやす・・・み・・・」

 

最後の挨拶を交わす前にウィルはほとんど落ちる寸前であった。彼が木の枕に頭を付けた途端、規則正しい寝息が聞こえてくる。

それを聞きながら、ハングは自分の過去に思いをはせる。

 

小さな村、小さな家、小さな畑。

貧しいながらも家族4人で幸せな日々を過ごしていた。

 

『ハングって妹がいるのか?』

 

ウィルの声が脳裏に響いた。

 

『悪い・・・いやなこと思い出させたか?』

 

そんな心配はいらねぇよ・・・ウィル

 

「忘れたことなんて無いからな・・・」

 

感情のこもらない声。感情が浮かばない顔。感情を漏らさない体。

心無い人形のように生気を感じさせないハング。ただ、目の奥で光る茶色の瞳だけが冷たい宝石のように光っていた。

 

「つっ!」

 

だが、すぐにハングに感情が戻った。左腕の付け根を掴む右腕。

矢を受けた個所が焼けるように痛んでいた。そして、それに応じるように心臓が激しく鳴り響く。

血が熱いのか肉が熱いのかわからないほどにハングの体が熱を帯び始めた。

 

「くそっ・・・随分とまぁ・・・遅いおでましだったな・・・」

 

ハングは傷を抑えて前のめりになる。身体の中に燃え盛る薪でも放り込まれたような灼熱の痛みが全身に広がっていた。ハングは歯を食いしばり、必死に声を抑え込む。

 

ハングは痛みに唸る体を無理やり持ち上げた。ウィルを起こさないように注意しながら、ハングはその場を後にした。

 

壁を伝い、震える身体を強引に支えて一歩ずつ歩く。吐き出した息は自然と荒いものになっていった。酷い耳鳴りが頭の奥から響いてくる。自分の心音がやけに大きく聞こえて頭が割れそうだった。動けるのが信じられない程の激痛。だが、ハングは人の目を避けるようにして砦の中を歩き続ける。

 

そして、ハングは砦の片隅にしゃがみこんだ。

砦の一部が崩れ、瓦礫がハングの身体を隠してくれる。夜空を見上げれば、なんの役にも立たない満月が静かに自分を見下ろしているばかりだった。

 

ハングはマントと上着を脱ぎ棄て上半身を夜風に晒した。ハングは自分の左腕に巻かれた布を解いていく。

解かれた布の中身は以前と変わらない。鱗に覆われた異形の腕。本来なら緑色をしているはずのそれは少し青みを帯びていた。

月明かりのせいでは無い。彼の血がそうさせていた。

 

ハングの腕の付け根。矢に射抜かれた傷口が開いていた。できたばかりの瘡蓋が割れてその隙間から血が噴き出る。黒く濁った彼の血は赤にも青にも見えていた。

 

「っつぅ!!」

 

ハングは腕の付け根の辺りを掴んだ。激痛の波が一際強くハングの心身を削り取っていく。それでも声をあげることもせず、ハングは丸くなってその場で耐え続けた。

 

そのうち、傷から流れ出る血の色が明らかに変化していった。赤黒い血の色が、深い藍色のように青を帯びてきたのだ。

 

ハングは自分の身体のことを一部しか話していなかった。左腕が鱗に包まれていることなど、ハングにとってはまだ序の口であった。

 

『血を造るのは骨である』

 

その手のことを少しでも齧ったことのある人の中では常識だ。

ハングの左腕は外見だけでなく、その中身もまた人からかけ離れていた。彼の左腕の骨から生成される血は青い色をしているのだ。普段はその血が身体の中で混ざり合ううちに赤い血の中に消えてわからない。

 

だが、今日のように少し大きな傷を負った時にはその限りでは無い。

 

誰にも言わなかったが、ハングに刺さった矢は深いところにまで達していた。強引に圧迫して止血していたのだが、それももう限界だった。鎖骨の下を通る大きな血管を切断された運の無さをハングは悪態をついて紛らわす。

 

彼の顔が徐々に青白く変わっていく。

頭から血が引いたのではない、青い血が全身を巡り出していたのだ。

 

心臓が高鳴り、左腕が鱗に締め付けられるような感覚が激痛と共に訪れる。

小さなうめき声がハングの口から漏れていた。全身の血管が破裂しそうなほどに脈が高鳴る。

 

ハングは高鳴る自分の心臓の上を掴み上げた。その場所は胸の中心では無かった。

ハングの拍動を最も強く感じる場所は左胸の上部。肩の付け根のすぐ傍で高鳴る音がハングの心臓だ。

 

心臓の位置も、流れる血もハングは普通の人間とは異なる。

つくづく、人間離れした身体だと自分でも思う。だが、ハングが自分が人間からかけ離れていると思うの理由がもう一つある。

 

しばらくして、ハングは激痛との戦いがようやく終わりに達したことに気が付いた。

 

ハングの顔色が赤味を帯びる。心音の音が爆音から遠のき、全身に気怠さを残して痛みが引いていく。

 

「はぁ・・・・」

 

ハングは大きく息を吐き出した。そして、自分の右肩にできていた傷を眺める。青い瘡蓋を右手の爪で剥ぎ取れば、矢が貫いたはずの場所は僅かな傷痕を残して青白い肌に戻っていた。

 

ハングの青い血は深い傷を瞬く間に消してしまっていた。

この瞬間こそ、ハングは自分が化物なんじゃないかと強く思ってしまうのだ。

 

ハングは痛みとの戦いで消耗した体を休めるように身体を砦の壁に預けた。

明るい満月が自分を小馬鹿にしているような気がして、自分の左腕に視線を移す。

 

ハングは産まれた時からこの腕が嫌いだった。

 

鱗を剥いでもたこともあった。爪をへし折ってやったこともあった。刃物を突きたてた時にはさすがに後悔したけれども。

 

だが、今でもこの腕はハングの左肩から先にくっついている。

 

妬まれたことも、羨まれたこともあった。蔑まれたことも、褒められたこともあった。

この腕に助けられたことあった。この腕のせいで苦しんだこともあった。

 

様々な感情のうち、この腕はいくつを理解しているのだろうか?

 

ハングの内心の問いに答えはない。

 

『腕そのものに意識などありはしない。何かを感じるなら、そいつは紛れもなくお前の意志だ』

 

いつの日か言われた言葉を反芻してみる。だが、やはり結論は出ないままであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

女性陣の寝室は月の明かりが壊れた天井から差し込み、妙に明るかった。

その中に寝具を広げた二人はいまだに眠れずにいた。

 

「ねぇ、リン」

「どうしたの?フロリーナ、眠れないの?」

 

リンが寝返りをうつと目の前にフロリーナの心配そうな顔があった。

 

「リンこそ大丈夫?」

「私?なんで?」

 

リンが心底驚いた顔を浮かべる。

 

「なんでって・・・えと・・・わかんないけど・・・なんだかリンが落ち着かないように見えて」

「落ち着かない・・・か・・・」

 

リンは天井を見上げて大きく息を吐き出した。

 

「セインさんを警戒してるの?」

 

リンはくすぐったそうにクスクスと笑った。

 

「セインねぇ・・・確かに警戒はしてるけど、思いっきり殴ってやればいいんだから問題ないわ」

 

そう言って寝具の中から鞘に入った剣を取り出す。それにフロリーナも笑う。

 

「よかった、本当に斬っちゃうのかと思ってたもん」

「さすがに私だってそこまではしないわよ、限度を超えない限りね」

 

リンは剣を再び寝具の中にしまう。その時、リンがほのかに溜息をついた。

 

「ハングさんのこと?」

「うん、ちょっとね」

 

リンはフロリーナに笑顔を向けるだけで、言葉を重ねない。

 

「リン・・・」

「ごめんね、なんだか今の感情を説明できなくて」

「感情?」

 

リンは小さく頷いて、天井に向けて自分の手を伸ばした。

 

「ハング・・・多分だけど・・・怪我してたのよ」

「え・・・?」

「何も言わないからそれほど大きな怪我じゃないんだろうけど。でも、ずっと左肩を気にしてたし、戦闘が終わってからはほとんど喋らないし・・・なんか・・・それで・・・ね?」

「心配してるの?」

 

リンはわずかに首をかしげて悩む。

 

「心配も・・・してるけど・・・なんか、無性に・・・」

「無性に?」

「腹立たしい!」

「え?お、怒ってるの?」

 

リンは怒ると結構怖い。友達であるがゆえにそれをフロリーナは知っていた。

本当はそれ以上にハングを怒らせた時の方が怖いのだが、それはフロリーナはまだ知らない。

 

「本当に、いつもあんなに周囲に頼りにさせといて。あいつはこっちに頼ってこない。そりゃ、戦闘中の援護とか連携とかその辺では頼ってるけど。それ以上は・・・何もしてこない」

 

リンは言葉に熱を込めてまくしたてる。

 

「私はハング程頭もよくないし世間のことも知らないけど・・・頼りになるとかそういうのは別だと思うの。だって、そういうのって信頼関係じゃない。それをハングが感じてくれてないのかな・・・って思うと。なんか、やっぱり腹立たしいかな。ハングにも腹が立つし、そんなハングに頼ってもらえない自分にも腹が立つ」

 

握り拳を作ってまでそう言いだすリン。だが、その拳は溜息と共にほどかれた。

 

「って、こんなのただの私の身勝手な考えなんだけどね」

 

フロリーナは何も言わなかった。何も言えなかった。

話の途中で寝落ちしてしまった状況では何も言えるわけがない。

 

その規則的な寝息に気付いてリンは苦笑をこぼす。

 

「相変わらず寝るときは一瞬ね・・・今日は頑張ってたから仕方ないか、おやすみ・・・」

 

リンはフロリーナの寝具を肩までかけてあげる。そしてそのまま大きく伸びをした。

 

「ふぅ、なんか目が覚めちゃった」

 

リンは剣を一本腰に差し、その小部屋から抜け出した。

部屋の外でこちらの様子をうかがっていたセインの首筋に一撃を加えて昏倒させ、リンが向かったのは正面入口の方だった。

 

「リンディス様、どうかなさいましたか?」

 

そこでは槍を携えて直立したケントがいた。

 

「ちょっと、外の空気が吸いたくてね」

 

はっきり言って砦の中も外も空気は変わらないが。ケントは余計なことは言いはしなかった。

リンはその場に腰掛ける。ほのかに夜風が吹き抜けた。

 

「ねぇ、ケントはハングのことどう思ってる?」

「ハング殿ですか?そうですね・・・」

 

ケントは直立したまま少し考え込む

 

「頼りになる軍師ではありますが、多少何を考えているのかわからないところがありますね。彼と話していても語ってくれるのはおそらく頭の中のほんの一部でしかない。そう感じる時がまれにあります」

 

行軍の際によく相談を重ねているケント。彼もまたリンと同じようなことを思っていたようだった。

 

「ですが」

 

ケントは力強く言葉を続ける。

 

「私は彼に命を預けて戦えます。彼は兵を駒とは考えていない。それだけは自信を持って言い切れます」

 

真っ直ぐ前を見つめるケントの視線に迷いは無いように見えた。それがなんだかリンには羨ましく見えていた。

 

「リンディス様はハング殿を信用していらっしゃらないのですか?」

 

リンは膝をたてて、そこに自分の顎を乗せた。

 

「信じてるわ、ハングが私達を切り捨てたりしないことぐらいはわかってる」

 

月明かりの中でリンの髪が少し流れた。

 

「でも、ハングが私達のことをどう見ているのか・・・時々わからなくなる」

 

わずかにケントの視線が揺れる。だが、彼は前を向いたまま見張りを続けていた。

ケントにも思い当たる節がいくつかあった。

明確にどうとは言えないが、ハングの言葉の端々にそういった違和感を覚えたことが一度や二度はあったのだ。

 

そのたびにケントは時々考えてしまうのだ。

 

ハング殿にとって私たちは単なる旅の道連れ程度の存在なのか。

それとも、本当に肩を並べる仲間だと思ってくれているのか。

 

ケントはそんな自分の疑問を口にすることはしない。

 

だが、ハングの感情が見えなくなる瞬間があることは確かなのだ。

 

それでもケントは沈黙を守る。深く静かな時間が二人の間に流れた。

 

「ハング殿のことといえば・・・」

 

その深さに溺れる前にケントが自ら口を開いた。

 

「以前、サカの祭壇で拳一つで祭壇の壁を崩壊させていましたが。ハング殿はなにか武術の心得でもあるのでしょうか?」

「それは・・・」

 

リンが言葉に詰まる。ハングの左腕のことは知っているが、自分が言っていいものか判断がつかない。

初めてあの腕を見せてくれた時のハングの痛そうな顔がリンの口を重くしていた。

 

「私からは・・・ちょっと言えないかな」

「そうですか」

 

あっさりと引き下がったケント。

リンにとっては少し拍子抜けした感じである。

 

「いいの?あなたは知らないままで」

「興味が無いとは言えませんが。リンディス様がご存知ならば問題無いのでしょう。それだけで私には十分です」

 

君主が信じるならば、それに従うのが騎士の役目。騎士とはそういうものだという宣言を言外に感じたリンは若干苦笑した。

 

『私にそこまでの価値があるとは思えないわ』

 

それは胸の中だけに留めて、全く別のことを口から出した

 

「私はもう寝るわね」

「はっ!見張りはお任せください!」

 

セインのことは明日言えばいいか

リンには自分の一撃の手応えからセインが朝までは起きないであろう確信があった。

来た時よりも少し重くなった瞼をこすりながら、リンはフロリーナの眠る一室へと戻って行った。

 

ハングに対する疑問は消えはしない。

それでも、明日がある。明後日もある。

この旅が終わらない限り、ハングはここに居てくれるだろう。

 

それまでに、ハングのことが少しでも理解できてればいい。

 

そんなふうにリンは考えていた。

 

少しだけ軽くなったものを抱えて、リンはフロリーナの寝顔を見ながら横になったのだった。



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5章~国境を越えて(前編)~

砦での一夜を越え、リンディス傭兵団は進路について大幅な変更を余儀なくされていた。

 

「しかしまぁ、あんな道通ることになるとは・・・」

 

頬に小さな切り傷をつくったセインが林の中を歩きながらそうボヤいた

 

「そんなに辛かったですか?獣道だって立派な道ですよ」

 

矢筒を担ぎ直したウィルは軽い足取りだ。

 

砦での一件で山賊を確実に敵に回した以上、追撃は確実に迫ってきているはずだ。大きな道を行くのは危険と判断したハングは森を抜けて最短で国境を抜ける道を選択した。

草原育ちのリン、上空から見張りを務めるフロリーナ、旅が長いハングとウィル、様々な場所を渡り歩いたドルカス。森だろうが山だろうが楽に踏破できる連中の中で馬を連れた騎士二人は苦戦を強いられることとなった。

 

特に問題だったのは馬である。木の根や岩で凹凸の激しい地形では馬の行軍速度は格段に落ちてしまう。普段は凛々しいケントも今日は顔に疲れを浮かべていた。

 

「森の中の行軍訓練はしてきましたが、ベルンの山々は思っていた以上に険しいですね」

 

そんなケントのほうを前方で談笑していたハングとリンが振り返った。

 

「それでも予定通りに森を抜けれたんだから上々じゃない。ねぇ?」

「そうそう、ドルカスさんがいてくれたおかげで邪魔な木々も楽に退けれたからな」

 

話を振られたドルカスは無表情のまま小さく頷く。

森を抜けるのにあたって斧は結構便利な品なのである。

 

「それより・・・ハングは肩は大丈夫なの?」

「お前、何回それ言ったか覚えてるか?」

 

少しの間があってリンが答える。

 

「かれこれ13回目かしら?」

「数えてたことには素直に感心するが、自覚があるならもう少し改善できるんじゃないのか?」

「あなたがはぐらかしさえしなければ今回で聞くのをやめられるのだけれど?」

 

リンがハングの怪我の話を聞いたのは砦から出発する直前であった。それ以降、リンは事あるごとにハングにこの話を振っていた。

 

「だから、怪我は浅かったんだから、気にすんなって言ってるだろ」

「ハング、草原の民に嘘ついたらどうなるかわかってて言ってるんでしょうね?」

「部族内で嘘をついた罪は重い。知ってるよ、お前から教わったんだからな」

「なら・・・いいけど」

 

納得がいかないながらも渋々引き下がるリン。

このようなやり取りも同じく13回を数える。

 

「お、みんな!そろそろ林を抜けるぞ!」

 

そう言って駆け出したウィルに続いて皆の足取りも速くなる。

足元の腐葉土を踏みしめ、馬を駆けさせ、上空のフロリーナに合図を送りつつ、彼らは林の中を駆け抜けた。

 

強い光に目が眩む。それが林を抜けた合図だった

 

「抜けたぁ!」

「やったぞぉ!」

 

はしゃぐ弓使いと緑の騎士の後ろで残りの団員は地図と周囲の景色を見比べていた。

 

「湖が向こうに見えてる、少し東に流れたか?」と言って、ハングが首を捻る。

「いやハング、あれはこの地図に載ってる湖とは別のものだ」と、ドルカスが湖までの距離を目測で測りながらそう言う。

「ここに載ってる湖はもう少し巨大なものです、おそらく・・・向こう側ですかね?」周囲に見える山から場所を探るケント。

「でもフロリーナにある程度先導してもらったのよ。そんなに大幅に進路がズレてるとは思えないんだけれど」上空のフロリーナに手を振りながらリンもそう言う。

 

しばらく頭を捻っていた面々であったが、ハングはさっさと地図を放り投げた。

 

「フロリーナに聞いたほうが早いな」

 

ハングは色のついた布地で合図を出した。

フロリーナはペガサスを螺旋状に走らせながら降下してくる。彼女を迎えて早速意見を聞く。

 

「えと・・・東にもっと大きな湖が見えました・・・多分予定通りだったかと・・・」

「と、なるとだ」

 

ハングはもう一度周囲を見渡した。

 

「目の前の湖の東側の森を越えていけば明日には国境に辿り着けるはずだ」

 

その言葉を聞いてリンが安堵のため息を吐いた。

 

「そこを抜ければ山賊たちともお別れね?」

 

度重なる奇襲に張り詰める毎日だった。それが、やっと終わるのだ。

 

「多分そうだろ。さすがに国境をこえてまで山賊も追ってはこないだろう。あまり自分達の寝ぐらから離れたがらないのはどの獣も一緒だ」

 

もっとも、それで安全が保障されるわけじゃないけどな。

 

ハングは今後想定される事態に頭を巡らせていたが、その内容を口に出すことはしなかった。

 

「やっと、リキアか!長かったなぁ」

 

盛大に伸びをしながらセインが叫ぶ。

 

「これで、明日の夜には名物のタル酒とあぶり肉を口にできるぞぉぉ!」

 

槍を振り回さん勢いで気分が高まってるセインに対し、ケントの視線が徐々に剣呑になっていく。

 

「それに国境の宿の女主人は評判のリキア美人だったな。酌をしてもらいながらゆっくり疲れをとって・・・」

 

少しの間空を見上げて自分の空想に浸るセイン。口の端に滴る涎が間抜けさを五割増しにしていた。

 

「うーん、これはたまらん!なぁ、ケント!!」

 

よく、今のケントに話題が振れるよな・・・

 

この場にいた全員がそう思っていた。

青筋を立てた今のケントにはハングでさえ避けたくなる程の炎がまとわりついて見えた。

 

「なぁ!なぁ、そうだろ!ケント!」

「貴様がそのつもりなら宿は別の場所にとる。我々は物見遊山の旅をしているわけではない」

「そっ、そんなぁ!あんまりだぞ、おまえ!た、頼む!後生だから!」

「貴様の『後生の頼み』は聞き飽きた。今回で何回貴様は生き返ってくる予定になるんだ?」

「そ、そんなには使って無いだろ!せいぜい・・・3回ぐらいだ!」

 

後生の頼みとは本来は一生に一度するものだ。それが3回あるだけで十分であろう。

 

「いや、士官学校内でさえ8回は使っている。特に勉学のことについてな」

「い、いや・・・まぁ・・・うん・・・だが、相棒!これまでブルガルを出てからろくな宿に泊まってないんだ。今回ぐらいいいだろ?」

 

セインはもはや泣き出しそうである。

いいのか?誇り高き騎士がこんなことで?

 

その姿はあまりにも滑稽だった。そして、哀れであった。

 

リンがクスリと笑い、助け舟を出した。

 

「ケント、私たちはいいわよ、その宿で」

「・・・リンディス様がそうおっしゃるのでしたら」

 

渋々といった感じで認めるケント。

 

「リ、リ、リンディス様!!あなたは女神様です~~!!」

 

舞い上がり、拝め倒すセイン。

 

「いいのよ、気にしないで」

 

苦笑するしかないリン。

 

「ハング殿、今日の俺は最高ですよ!どんな敵にも負ける気がしません!さぁ、指示を!」

「じゃあ、さっさと移動の準備をしろ!」

 

セインが一喝されている場所から少し離れ、リンとフロリーナが小さな声で会話していた。

 

「・・・これで、夜ゆっくり眠れるね」

「毎晩、毎晩忍び込もうとする根性は認めるけどね」

 

セインがまだ生きているのが少し不思議である。

 

「さぁさぁ!皆の衆!いざ行きましょうぞぉ!!」

 

元気満点のセインを前に皆は苦笑しながら、荷物を担ぎなおした。

 

「ほんと、現金なんだから・・・ハング、行きましょ」

 

リンはハングに声をかけた。だが、ハングはその場から動こうとしなかった。

 

「ハング?」

 

ハングは周囲へとせわしなく目を動かしていた。平原に目を細め、空を飛ぶ鳥を見つけ、今しがた通ってきた林を振り返る。

 

「・・・くそっ・・・」

 

小さく悪態をついたハング。彼は剣の柄に手を置いていた。ハングだけではない。ドルカスとウィルもまた、その林を見つめていた。3人がみつめる一点。林の奥の茂みの中。

 

その茂みが不自然に揺れた。

 

「ドルカスさん!」

 

ハングに言われるより早くドルカスの手から手斧が飛んでいく。

 

「みんな!構えろ!」

 

指示を飛ばすハングの腕をリンが半ば強引に引っ張った。

 

「ちょっ、ハング!今の本当に山賊なの?もし、普通の人なら・・・」

「細かいことは後で話してやる!いいから剣抜け!来るぞ!」

 

その言葉通りに林の中から斧が飛んでくる。

ケントが剣で弾き飛ばして、馬に飛び乗った。

 

「林に戻ろうとか考えるなよ!タコ殴りにされるぞ!」

 

飛び出す気満々だったセインにかけられた言葉は他の数名の動きも止めた。

そんなハング達に林の中から矢や斧が次々と飛んでくる。

 

ハング達は林から距離を取らざるおえない。だが、ハングはその山賊達の動きに違和感を覚えていた。

 

「ハング殿!このままではなぶり殺しにされます!平原に逃げましょう!そこなら騎馬の機動力も存分に生かせます!!」

 

ケントの意見は正しい。が、今回の場合それはあまり有効な手とは言えない。

ハングは平原を見渡す。地図の上からでもそうだったが、単純な平原に見えて起伏が大きく、ところどころに雑木林が点在している。

 

「奴らは林から出てきやしねぇよ・・・」

 

ハングはそう言った。ケントがハングを横目に見ると、そこには不敵な笑みが浮かんでいた。

 

「何か策があるのですか?」

「むしろ、山賊側に策があるってことだ。そこに俺の策を乗っける」

 

ケントには疑問を口にする余裕は無かった。林の隙間を切り裂いて、再び矢が駆け抜けてきた。ケントは籠手で矢を弾く。

 

「くっ!」

 

自分達の後方にフロリーナやリンがいる以上、回避という選択肢はない。

だが、このまま守勢に回っていても埒が明かないのも事実。

 

「ウィル!敵を狙えるか!?」

「無茶言うな、どっから射られてるのかもわかんないんだぞ!」

 

それでも手当たり次第に矢を放つウィル。

ただでさえ狙いが定まりにくい上に木々が邪魔で有効打とはならない。

 

もちろん、それは想定内。

 

そろそろいいか・・・

 

ハングは乾いた唇を舌で湿らせる。

 

「リン!セイン、ケント、フロリーナを連れて離れろ!姿勢を低くして最速で丘を越えろ!伏兵を蹴散らせ」

「伏兵?」

「いるんだよ。どこにいるかは・・・」

 

ハングは矢を左手で受け止めて振り返り、楽しそうに笑って言った。

 

「教えたろ?」

 

リンは一瞬、ハッとした表情になる。

 

「わかった!セイン、ケント行くわよ!」

 

リンはそう言ってフロリーナのペガサスの後ろに飛び乗った。

矢の届かない距離にまで3人が達したのを確認して、ハングは手の中の矢をへし折った

 

「さぁて、お前ら。ここの山賊を一人でも行かせたら、あいつらが挟撃を受けることになる。気張れよ!」

「たった3人でかよぉ!しかもハングはほとんど戦力外みたいなもんじゃん!!」

 

ウィルが悲鳴を上げる。

 

毎晩毎晩リンに打ちのめされているハングを見ているウィルからすれば、ハングの剣技はまったく信用ならないのだ。

 

「うるせぇな・・・どうせあいつらは林から出てこないんだよ!いいから集中しろ!」

「しょうがないなぁ!」

 

そう言いつつもウィルは手あたり次第に矢を放つ。ドルカスもまた隙あらば手斧を投げ込むつもりでいた。

ハングは2人が戦いに集中できるよう、その左腕で飛んでくる矢や手斧を片っ端から叩き落としていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リキアとベルンの国境付近。湖の側に広がる森は深いとは言えない。だが、そびえ立つ木々は天高く、伸びるままに任せた枝葉は容易に空を覆ってしまう。暗がりの中の景色は行けども行けども変わることはなく、何の備えの無い人を惑わすのは容易なことであった。

 

そして、ここにもそんな旅人が二人

 

「うーん・・・迷っちゃったかなぁ。もう!やんなっちゃう!!」

 

誰へとなく文句を垂れるのはツインテールに髪をまとめた女性。

シスターの服を着ているものの、未だ幼さが顔に出ていることからさほど神聖には見えない。むしろ、活動的な印象を周囲に与えている。

 

そんな彼女のそばに呆れた顔の男性が一人。

 

「・・・君がこっちの道だと自信満々に言ったんだよ」

 

黒に近い癖のある髪と上等そうなマント。ローブのような服は魔道士の特徴である。その顔は明らかに美形の範囲に含まれるのだが、今日は疲労が色濃く出ていた。

 

「何よ、エルク!文句でもあるの?」

 

凄んでくるシスター。本当に神に仕えてるのか疑わしい程の迫力だった。

それを楽々と受けながす魔道士。そこに慣れた様子は無いものの、どうも諦めているような溜息がこぼれた。

 

「・・・君の護衛なんて引き受けるんじゃなかった」

「なによ!どういう意味!?」

 

説明する程のことでも無い気がするが、エルクと呼ばれた魔道士は律儀にも答える。

 

「リキアの "かよわい" シスター がオスティアに戻るための護衛を探してるって・・・聞いた」

 

オスティアとはリキアの中の領地の一つである

 

「あら、その通りじゃない」

 

堂々と言い切った"かよわい"シスター。

 

「・・・かよわい?セーラが?」

 

そのシスターはセーラという名のようだ。

 

エルクの言葉は続く。

 

「大丈夫、君のその性格を知ればどんな悪者も逃げ出すよ。お金は返すから、一人でオスティアに戻ってくれないか?」

 

散々な言いようであったが、セーラは全く応えた様子も無かった。

 

「いやよ!エルクはやっと見つけたむさくるしくない護衛なんだもの!第一、高貴な女性が一人の共も連れてないなんて、おかしいでしょ?」

 

高貴な女性が誰なのかを聞きたそうにしたエルクだったが、藪から蛇を掴みとる趣味は彼には無かった。それを良いことにセーラは更に喋り続ける。

 

「あんた、性格はイマイチだけど。見た目は、まあまあだから」

 

エルクの深い溜息は深刻さを帯びていた。

 

「それは、こっちの台詞だよ・・・このままリキアまでなんて、僕の神経がたえられない・・・」

「なにブツブツ言ってんの。暗いわねっ!あら?」

 

森の中に金属が響き渡る音や気合の声が響いていた。

何か嫌な予感を感じたエルクを他所に、セーラは既に興味津々であった。

 

「向こうがやけに騒がしいわ。行ってみましょ!」

 

そう言って駆け出すセーラ。

 

「あっ・・・ちょっ・・・はぁ・・・」

 

森の奥へ進んでいく背中に言いようのないため息を吐きだすエルク。このまま見捨ててしまう案をつい実行してしまいたくなるが、エルクの中の責任感が邪魔をする。

自分の中で折り合いをつけるために、エルクはひたすらに文句を並べたてた。

 

「・・・ついでに、その、すぐにやっかいごとに首を突っ込むところ・・・追加料金をもらってもいいぐらいだ・・・」

 

何度目かもわからない溜息を吐き出してエルクはセーラの後を追っていった。

セーラとエルクが音を頼りに向かうと、たどり着いたのは森の端だった。まったくの想定外の方法で森を抜けることには成功したが、エルクの胸中は決して平穏にはならなかった。

 

平原で戦いが起きていた。

 

丘の近くに陣取った騎士二人とペガサスナイトが正面の森から飛び出してくる山賊達を次々になぎ倒していた。

3人の動きは軽快そのもので、平原においてその機動力を存分に生かして山賊達と渡り合っていた。

あれでは有象無象が挑みかかっても勝機はない。

 

だが、それ以上にエルクが感心したのは3人の位置どりであった。

 

森から絶妙な距離を保つ布陣。

あの位置では森からの矢や手斧は届かない。だが、走れば一瞬で距離を詰められそうな位置に見える。

森から出てくる山賊達はそんな距離感に騙されて次々と森から飛び出しているのだろう。

 

山賊達もいざとなったら森に逃げ帰る想定ぐらいはしているのだろうが、騎馬やペガサスの機動力がそれを許さない。

 

指揮をとっているのは、どうやらあのサカの民族衣装を着ている女性らしい。

 

このままなら、彼女達が森に潜む山賊達を全滅してくれるだろう。

しかし、自分達が先にあの山賊達に遭遇してなくてよかった。

 

などとエルクは考えていたのだが、そんなことを意に介さずに喋り出すシスターが隣にいることを失念していた。

 

「うっわー!やってる、やってる。ねぇ、見てよエルク!山賊と戦ってるの、若い女の子よ!」

「バカ!そんな大きい声で・・・」

 

慌てて口を無理やり塞ごうとしたのだが、後の祭りだった。

 

「おっ!なんだ?おまえらも、あの女の仲間か!?」

 

彼女達が森の中にまだ伏せていた山賊に目をつけられるのは当然の結末だった。

 

「へ?」

「あー・・・もう、いやだ・・・」

 

間抜けな声を出したのは当然セーラで、疲れきった声はエルクのものだ。

 

「うらぁっ!一撃で始末してやるよ!!」

 

気合の入った構え、山賊にしては隙の無い、いい構えだった。

その姿には老若男女誰を問わずに震え上がり、次の瞬間には斧の錆びと化すだろう。

 

「テめぇらの墓場は・・・」

 

まだ何か続けようとした山賊。それを遮るように大音量の悲鳴が響き渡った。

 

「キャーキャーキャーキャァーーーーッ!」

 

セーラの悲鳴だ。絹を裂くような悲鳴。

だが、なぜかそこには恐怖が欠片も感じられなかった。明らかに形だけの悲鳴だとわかる声。

セーラは悲鳴をあげながら、エルクの後ろに逃げ込んだ。

 

そして・・・

 

「ちょっとエルク!私が悲鳴あげてんのよ!早く助けなさいよっ!」

 

まったく悲壮感のない台詞を吐いてくれた。

少しは怯える態度を見せるとか、神妙に震えてくれるとか、〝かよわい”シスターらしくしてくれればエルクも守りがいがあるというのに。

 

「うるさいなぁ・・・」

 

エルクはため息とともにそう言った。

山賊でさえ、肝のどっかり座ったシスターに動揺を隠せないでいた。

 

「そこの人!僕が相手だ!!」

「お、おう!一撃で始末してやるよ!!」

 

他に言い回しが無いのか?

 

そんな感想を胸に秘めてエルクは魔道書をその手に開いた。

 

中に描かれた幾何学模様と幾重に張り巡らされた古代の文字。

そこに秘められているのは精霊との契約の印。

 

エルクの口から紡がれる言葉の渦が、不規則な風と共に魔道書をめくりあげる。

 

聞き覚えのないはずの言葉

聞き覚えのあるはずの言葉

 

彼の調べは精霊の歌声。彼が開く魔道書に赤い光を宿す。

 

「燃えて無くなれ」

 

エルクの手から突如として現れた火球。

 

「なっ!お前、魔道士か!?」

「遅いよ」

 

打ち出された炎が周囲を焼き尽くさん勢いで山賊の身体にぶつかった。

 

「ギャァーーーーーーー!」

 

断末魔をまだ焼き尽くせないことが、エルクには不満であった。



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5章~国境を越えて(後編)~

炎に包まれ、炭化した山賊を斜に見やりながら、エルクは自分の護衛対象を振り返った。

 

「セーラ!まだ森に山賊がいるかもしれない!だから・・・」

「エルク!前!」

 

エルクはその場から飛びのいた。

背中にわずかな痛みが走ったのを感じながら再び魔道書を手の中で開く。振り向きざまに手のひらから炎を放った。

山賊は斧を盾のように構えて炎を阻む。逸れた一撃は山賊の服を少し焦がして消えていった。

 

「エルク!しっかりしなさいよ!ほら!次!撃ちなさい!!」

 

簡単に言うな!

 

と、言いたかったが先に目の前の敵に集中する。

山賊はこっちが魔道師であることを察して、すぐさま間合いを詰めてきた。

 

「くっ・・・」

 

接近戦は苦手だ。身をかわしながら、護身用の短剣へと手を伸ばした。

 

「へっへへ・・・その女と金目の物を置いていけ!」

 

この女で良ければ喜んで差し出したいところだ。

エルクは魔導書を閉じる。この距離で詠唱に入るのは自殺行為だ。

 

格闘戦は苦手なんだけどな・・・

 

次の瞬間だった。突如、その山賊の胸元から剣の先が突き出た。

 

「ぐっ、な・・・んだ・・・」

 

剣が引き抜かれる。傷口から血を吹き出しながら山賊の巨体が倒れていった。

 

「・・・・・・・」

 

唖然とするエルク。視線の先には一人の女性が剣の血を払っているところだった。

 

「あなたたち、大丈夫?」

「え、ええ・・・大丈夫です」

 

エルクは短剣をしまう。よく見れば、先程騎士達の指揮をとっていた女性である。

 

「あの・・・それで、どうして、あなた達は山賊と戦ってるの?」

「・・・なりゆきです」

 

エルクが律儀に、そして曖昧に答える。

だが、そこにセーラが食って掛かった。

 

「違うじゃないっ!私たち、あなたたちの仲間だと誤解されたのよ!!もう、いい迷惑!なんとかしてちょうだい!!」

「なんとかって・・・」

 

リンは対応に困ってしまった。こういうときにハングがいないのが痛い。こんな相手には彼の方が強そうだ。

泳ぐリンの視線を見かねて、エルクが口を挟んだ。

 

「君がヤジ馬根性を出さなければ巻き込まれてないだろ?・・・すみません、僕らのことはおかまいなく」

 

頭を下げるエルクにリンも少し落ち着いて考えをまとめ、話しだした。

 

「・・・でも、せっかく戦うんだったら手を組まない?その方が早く済むでしょ?」

「それもそうね。うん!それがいいわ。エルク、彼女たちと組むわよ!」

 

ほぼ間髪入れない発言にエルクが圧倒される。

 

「え・・・」

「よかった。私は、リン。とりあえず、私たちに合わせて動いてもらっていい?」

「ええ、まかせて。私はセーラ。彼は護衛のエルクよ。さ、エルク、ちゃんと戦うのよ!」

 

自分が関わらないところで進んでしまった会話。溜息もそろそろ尽き果てた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

「ハング!まだか!?」

「まだだ!もう少し耐えろ!」

 

飛んできた手斧を左手で受け止めて投げ返す。

エルクとドルカスを連れての防衛戦。それもそろそろ限界になってきていた。ハングの手足にはいくつもの傷がつき、ドルカスは肩から血を流していた。

 

「・・・遅いぞ・・・リン!!」

 

文句を垂れ流しながら、ハングが振り返る。そこで、フロリーナが赤い布地を槍に付けて振っていた。

 

「きたか」

 

ハングはウィルに目配せを送る。それと同時に林に背を向けて走り出した。

 

「もう、無理だぁ!お前ら逃げるぞ!」

 

それに続くようにウィルとドルカスも後を追って駆け出した。

林からは動揺するような気配が伝わってくる。追ってこないならそれでよし、追ってくるなら・・・

 

「ハング、向こうの森には伏兵がいるんじゃなかったのか?」

 

ウィルが走りながらハングにそう尋ねた。

 

「ああ、それはもういいんだよ。リンが伏兵を始末した。意外と遅かったがな。それよりも・・・」

 

ハングはその場で立ち止まった。それに続いて隣のドルカスも立ち止まる。

林から山賊が釣りだされてきていた。

 

「林から出てきやがったか。しょうがないな・・・この位置で少し粘る。そう時間はかからない」

「勝利を確信してる顔だな」

「ははは、いい顔だろ?」

「悪人面だ」

 

少しヘコむハングに山賊は少し間を空けて停止した。

堂々と戦場に立つ二人にさすがに罠の可能性を探ったのだろう。

これだから中途半端に頭がいい奴は罠に嵌めやすい。

 

「まったく、お前らもしつこいねぇ」

 

ついでなので少しお喋りといこう。時間を稼ぐ意味もある。

 

「いい加減、諦めてくれねぇか?」

「うるせぇ!おまえらを逃がしたとあっちゃガヌロン山賊団の名折れなんだよ!」

「・・・おまえらの顔が潰れようが俺たちには関係ないんだよ。もっとも、既に潰れたような顔だけどな」

 

小さく笑ったのは隣のドルカスだった。一応、目の前の敵は10人程いる。本来ならこの戦力差なら笑う余裕など無いはずである。それでもドルカスが笑えたのはひとえにハングが余裕でいるからだ。

 

「俺たちは結構急ぎの旅でね。できるだけ不安はないにこしたことはない。お前らが国境を越えてくるとは思ってはいないが、万が一ってこともある。ここでお前らが全滅すりゃ、がろ・・・えー・・・がる・・・えと・・・・こいつらの名前何だっけか?」

「俺も忘れた」

 

二人して首を捻るハングとドルカスに怒りの声があがる

 

「ガヌロンだ!バカにしてんのか?」

「ああそうだ。で、お前らが全滅すれば他の山賊団にも恐怖を与えられるからな。俺たちは何の心配も無くリキアに入れるってことだ」

 

怒声など無かったかのように受け流して、ハングは更に続ける。

 

「お前らが半端に策を巡らしてくれて大助かりだったぞ」

「な、何言ってやがる!お前は・・・」

 

ハングの大きな溜息が山賊の言葉を遮った。

 

「お前らねぇ・・・わざわざこっちが天馬騎士なんつう目立つ凧を揚げてんのに真っすぐ追ってきやがって、少しは罠の可能性を疑えよ。しかも、俺たちの場所がわかってるからって余裕ぶっこいて部隊を二つに分けて伏兵なんて用意すっから各個撃破されるという最悪の状況に陥ってるしさ。ついでだから指摘しとくけど、俺らが逃走を見せるなんてわかりきった挑発に乗って林から飛び出してくるなんざ愚の骨頂だからな。本気で伏兵に頼るんならここまで追撃する必要なんかねぇ、せいぜい追うふり程度でいい。出てくるなら、伏兵に襲われたのを見計らって攻勢を仕掛けるのが上策だ。誰がたてた作戦かは知らないがお粗末にも程がある」

 

 

一気にまくしたてるハング。圧倒される山賊を目の前にして、ドルカスすら口を半開きにしていた。ウィルに至っては今の内容を理解することを諦めた顔をしていた。

 

「ハング、お前はいつからこうなることを予測してたんだ?」

「さてな・・・まぁ、リキア国境手前のこの平原地点での戦闘は予定通りだ」

 

あの古砦を出発した段階で、この位置での戦闘を予測してたということか。

ドルカスは驚きを隠せなかったが、無表情を装って斧を構え直す。

 

「お前が味方でよかったよ」

「褒め言葉は素直にありがたいがな。他にも言いたいことがありそうな顔だぞ」

「それはリンの役目だ」

「ハハハハ、違いない!」

 

ドルカスに続いて武器を構えるハング。だが、本当はもう自分が戦う必要が無いことがわかっていた。

 

「てめぇ!バカにすんのも・・・」

「ああ、一つ言い忘れてた」

 

ハングが剣をおろし、もう一度講義の時間に入る。

 

「この辺りはな、周囲を低い丘に囲まれてんだよ。遠くまで見通せる気がするかもしれないが、実は一定の距離に死角がある。そこを通ればあっつう間に・・・」

 

馬の嘶きが戦場に割ってはいる。次の瞬間、左右の空間に突如として赤と緑の騎兵が現れた。

 

「奇襲の完成ってわけだ」

 

授業をその言葉で締めくくったハングは浮き足だった山賊の一団に特攻を仕掛けた。

ほぼ同時に、左右の騎士も駆け込んでくる。

 

一人、二人、三人

 

確実に山賊を薙ぎ倒しながら、縦横無尽に駆け回る四人。そこにウィルの援護射撃が正確に刺さる。

 

「逃げろ!こいつらにはかなわねぇ!」

 

最後の生き残りである数人がもときた道を駆け戻り、林に逃げ込もうと走り出した。

 

「ハング殿!追っかけましょうか?」

「少し待ってな、セイン。あいつらは林までたどり着けはしないからな」

 

目の前の最後の一人を切り倒したケントもハングのもとに近づいてくる。

 

「ケント、リンは?」

「行く場所があると言って別れましたが・・・」

「なら上出来だ」

 

ハングが小さく唇を歪めたのと同時に山賊の悲鳴があがった。

 

「ギャァァーー」

 

三人の山賊は林から飛び出してきた剣士とペガサスナイトに切り伏せられていった。

 

「よしよし、毎晩の成果はしっかり出てるらしいな」

 

ハングは林の方から手を振るリンに右手を上げた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

杖の先端の水晶の輝きと共に傷口がみるみる塞がっていく。

まさに時を遡ったかのような目の前の現象はさながら神の奇跡といったところだ。

 

「はい、おしまい!あなたの雇い主である『ご主人さま』の私がわざわざ治してあげたんだからね。しっかり感謝しなさいょ」

 

エルクの背中をあらん限りの力で叩いた音が周囲に響いた。

 

「それにしても・・・」

 

セーラは後ろで様子を見ていたリン達を振り返った。

 

「驚いたわ。リン、あなたって強いのね!」

「あなたこそ、不思議な杖を使うのね。回復できるなんて、すごいわ」

「神に仕える者にだけ許されるのよ」

 

セーラは鼻高々にそう言った。

その隣ではハングがエルクのマントを広げていた。

 

「うわぁ・・・こいつは修繕は難しいかもな」

「そうみたいだね・・・」

 

マントは斧で盛大に切られ、大きな穴があいていた。

切れ味の鋭い得物なら綺麗な切れ目になるのだが、鈍い物だと繊維が破壊されて大きな穴になる。

山賊が丁寧に斧を研いでくれてなかったのが原因である。

 

『なりゆき』でリンに手を貸してくれた魔道師とシスター。彼らからハング達は詳しい話を聞いていた。

 

「エルク、だったか?代えのマント持ってるのか?なんなら予備を貸してもいいぞ、俺達の戦いに巻き込んじまったみたいだし」

「いや、そんなに気を遣ってくれなくてもいいよ。この程度の穴ならなんとか着られるしね」

「大事なものだったのか?」

「・・・まぁね・・・」

 

その時、セーラの声が高らかに響いた。

 

「まぁ、この私にかかれば、この程度の困難なんて軽々と蹴散らせるのよ。心配ご無用なんだから!」

「へ、へぇ・・・」

 

隣でリンが曖昧な苦笑いをしている。

 

「ハァ・・・」

 

エルクの口から大きなため息がこぼれた。

 

「大変そうだな」

「まぁ・・・ね」

 

視線だけでハングがセーラを示した。

エルクは何も言葉を返さなかったが顔に答えが書いてあった。

 

「ずいぶん苦労してるみたいだ」

「それは君たちも一緒じゃないのかい?山賊に追いかけ回されてるぐらいだし」

「山賊だけなら楽な話なんだけどな」

「訳ありかい?」

「そっちと同じだよ『なりゆき』ってやつだ」

 

エルクが控えめに笑う。ハングは片手を差し出して握手を求めた。

 

「エルク、旅の無事を祈ってる」

「ありがとう、僕も君たちの無事を祈っておくよ」

 

その隣でもやはりリンとセーラが別れの挨拶を交わしていた。

 

「それじゃあ私たち、もういくわね」

「こちらこそ。じゃあね、リン。」

 

セーラとエルクは西に向かい、リンとハングは近くで待っていた仲間と合流して南へと足を向けた。

そしてすぐさまケントが話を切り出した。

 

「ハング殿は今回の戦闘を予測していたと聞きました」

 

そこには僅かながら非難の色が含まれていた。ケントとしては大事な君主が危険に晒される戦闘は避けたかったのが本音なのだろう。

 

「そう言うなよ、奴らは国境を越える前に一掃しておきたかったんだ。いくら国境をまたぐっつてもこっから先も背後に怯えるのはいやだろ?」

「でしたら、一言ぐらいいただきたかったです」

「奴らが『凧』に気づいて追ってくれるかどうか確信が無かったんだ。不安要素を話して悪戯に脅したくなかったんだよ」

 

ケントとハングの会話を聞きつけたリンも話に参加してくる。

 

「『凧』って?」

「ああ・・・それは・・・」

 

ハングとしては一番リンに聞かれたくなかった話題である。

 

「フロリーナのことだよな?彼女を目印に山賊が追ってきやすいようにしたんだろ?」

「ウィル!余計なことを・・・リン、目が怖いぞ?」

「フロリーナを囮にしたの?」

「だから、そう剣呑な声を出すんじゃない。戦闘はもう終わってんだぞ?」

「答えなさい」

 

今、リンは馬に乗っている。鋭い目つきで見下ろされるというのはなかなか迫力がある。

ここで、軽い冗談の一つでも言えるのはせいぜいセインぐらいだ。

 

「囮にしました」

「嘘をつこうとも、はぐらかそうともしなかったことは立派ね」

 

ハングはリンから視線を逸らして前を向いた。

 

「しょうがないだろ、街道通って待ち伏せを警戒し続けるよりも森の中を追っかけさせたほうが向こうの動きを予想しやすい」

「だったら一言言えばいいじゃない!」

「だから、悪戯に脅したくなかったんだよ!フロリーナをな!」

 

リンの口が閉じた。フロリーナが狙われていることを知っていれば彼女が恐怖に晒されながらの移動を余儀なくされていたことは自明の理。ハングが誰にも策を話さなかった理由は主にこれである。

 

「でも、私には言えたんじゃないの?」

「言ったら、言ったで反対しただろうが。お前が親友を危険な目にあわせることに目を瞑れる奴じゃないことくらいわかってる」

 

返す言葉のないリンにハングは小さく溜息を吐き出した。

 

「悪かったとは思ってる。けど『敵を欺くにはまず味方から』っつってな、山賊をここまで誘い出すには出来るだけ気取られたく無かったんだ」

 

声音にも反省の色が見える。いつもながら謝る時だけはしおらしくなるのがハングという人だ。

 

「あ、あの・・・」

 

そんなハングにためらいがちにフロリーナが声をかけた。

 

「ど、どうして・・・そこまでして、ここで迎え討つ必要があったんですか?」

 

ハングは歩を速めて、先頭に立ち、後ろ向きに歩きながら全員の姿を見た。

 

「一つはさっきも言ったように、背後の恐怖を減らしておきたかった。奴らが国境をこえてくるとは思わないが、万が一がある。一部隊を潰せば、確実に追ってこなくなるだろうって判断だ」

 

ハングは全員の顔色から皆が納得したことを読み取った。

 

「で、ここは多少凹凸はあるが平原だ。狭い街道でぶつかるより騎馬の動きが制限されにくい。それが二つ目の理由。んで、三つ目の理由がリンだ」

「え?私?」

 

ハングの視線を受けてリンの目が大きく見開かれた。

 

「そう、おまえが実戦でどこまで俺の授業を活かせるかがわからなかったからな。お前に指揮を任せていいがどうかを決めたかったのが三つ目だ」

 

早い話がテストである。リンに毎晩教え込んだことがどこまで身についているかを、ハングは知りたかった。

特に国境を越える前にそれを知っておく必要があった。

 

「まぁ、山賊が伏兵使ってくるってのは驚いたが。おかげで楽に壊滅できたしな。で?他に質問は?」

 

誰からも声があがらない。しばらくの間は各々の脚が草を踏みしめる音のみがハングの耳に届いていた。

 

「よし、じゃあこの話は終わりでいいな?」

「ハング!」

 

前を向きかけたハングがリンの声で踏みとどまる。

 

「ん?」

「それで・・・私は・・・どうなの?」

 

ハングは口元に笑みを浮かべて前を向いた。

 

「ハング?」

 

不安そうな声を背中に浴びて、ハングは笑い出した。

 

「ハハハ、安心しろ。今日のお前の指揮は合格だ。こっから先、指揮を任せることもあるかもしれないからな。覚悟しとけよ?」

「う、うん!!」

 

後ろからの気持ちのよい返事を聞きながら、ハングは少し別のことに思いを馳せる。

ここから先はリキア。多分、本当に厄介なのはこれからなんだろうな。

 

リキアの勢力図を頭に浮かべながら、ハングは少し眉をひそめる。

一番先頭を行くハングのその顔を見れる者はいない

 

内心で考えていることをおくびにも出さず、ハングは別のことを口にした。

 

「そういや、さっきからセインがいねぇけど。誰か聞いてないのか?」

「え!?」

「あれ?」

「なっ!」

 

後ろから聞こえる驚きの声。後で説教かな、などと思ったハングの元にそのセインの声が届いた。

振り返れば、意気揚々としたセインがやけに楽しそうなセーラとさっきの八割増しの疲れた顔になっているエルクを連れてこちらに向かってきていた。

もはや、結末が見えたハングは旅の道連れが増えたことと、セインに単独行動の危険性について説教をしなければならないことを確信した。

 

その晩、フロリーナの中で怒らせてはいけない人の頂点にハングが据え置かれたという。



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間章~国境の宿~

「カンパーイ!!」

 

盛大な音をたてて、ジョッキ同士がぶつかり合う音がする。

周囲の酔っ払い達のひょうきんな土産話を耳に感じながら、ジョッキの中に注がれたタル酒に口をつけたのはリンディス傭兵団の男衆だった。

 

ここはリキアとベルンの国境付近に位置する町。

昔から2国間の交易の中心として栄えた町であった。

ガヌロン山賊団を撃退した翌日、ハング達はこの町の市壁をくぐったのだった。

 

宿屋の一階にある酒場で酒を飲み交わそうと言い出したのはセインだった。

ハング達に断る理由もなく、こうして6人が同じテーブルを囲んでいた。

 

タル酒の独特で豊潤な香りを感じながら、一気に中身を空にしていく4人。それを見ながら、一口だけ口に含み、付き合い程度に酒を交わすのが2人。

 

「いやー!美味い!」

「酒なんて久々だ」

「こっち、おかわり下さ~い」

 

ケントとエルクを除く4人は二杯目にとりかかる。

 

「セイン、程々にしておけよ」

「わーかってるって!この程度、俺にとっちゃ酒じゃないから大丈夫だ」

 

ケントの忠告を軽く受け流してセインは二杯目を喉に流し込んだ。

その隣でハングも三杯目の取り掛からんとしていた。

 

「お~ハング殿もイケる口ですな?」

「昔からいくら飲んでも酔えなくてね、こんなの水みたいなもんだ」

「いいますね~でも、挑発には乗りませんからね」

「もし、乗ってきてたら朝まで説教してたとこだ」

 

そして、言葉通りにセインは三杯目からはペースを落として飲みだす。

それに合わせるようにハングもペースを落とした。

 

「しかし、残念ですねハング殿」

 

セインが身を乗り出すようにしてハングの目の前に迫る。

ほぼ反射的に鼻っ柱に一発かましそうになる拳を抑え込んで、ハングは酒から口を離した。

 

「リン達のことか?」

「他にないでしょうが」

「嫌がってんのに付き合わせるわけにはいかないからな」

 

ハングを含めた数人がこの席に誘ったのだが、リンとフロリーナが首を縦に振ることはなかった。

セーラはシスターなので最初から除外だ。

本人は来る気があったらしいが、エルクがなんとか説き伏せたらしい。

 

「ハングはリンに甘いな」

「はぁ?俺がか?」

 

ハングの驚いた顔がドルカスへと向けられる。

 

「あ、それは俺も思った。ハングってリンにはあんまり無理させないもんな」

 

ウィルも無責任にそんなことを言い放つ。

 

「それは当然でしょう。リンディス様は大事なお方です。軍師たるハング殿がリンディス様を中心において考えるのは当然です」

「相変わらずカチコチな頭してるな~相棒!ハング殿がリンディス様を中心に考えてるのはなグじブガぶば」

 

余計なことを言い出しそうだったセインを無言で黙らせたハングはセインのジョッキを奪い取って喉に流し込んだ。

 

皆の会話を一通り聞いていたエルクが静かに呟いた。

 

「ハングさんとリンさんはご結婚されてるんですか?」

 

ハングの口から酒が噴射された。

そのせいで目の前のウィルが酒をかぶった。

 

「違うのかい?」

「なんでいきなりそんな結論に飛ぶんだよ!いろいろすっ飛ばしすぎだろ!」

 

エルクを除く4人はこの時密かに感動していた。

ハングが動揺している姿などなかなか見られない。

 

「いや、昨日今日で二人の雰囲気が僕の師匠・・・というか、夫婦の雰囲気に似てたものですから」

「お前の師匠とやらはよっぽど殺伐とした夫婦関係を持ってるらしいな。どこの世界に妻に毎晩滅多打ちにされる夫がいるんだよ」

 

戦闘した昨日の晩も、そして今日の夕刻にも体中に青痣を作る羽目になったハングである。おそらく、昨日の戦闘でフロリーナを囮に使った腹いせだとハングは思っている。

 

「でも、お互いのことを認めてはいるだろ?」

「それがどうして結婚なんつう話に飛ぶのかはわかんねぇままだけどな」

 

セインのジョッキをテーブルに置き、今度は自分のジョッキを口に流し込むハング。

 

「ハングって恋したことある?」

 

ハングがむせ返り、盛大に咳を繰り返した。

 

「いきなりなんなんだ!ウィル!」

 

そして皆は確信を深めた。

 

ハングは色恋ざたの話に弱い!

 

ハングの弱点を見つけた皆は喜々としてそこを攻め始めた。普段、なかなか隙を見せないハングを攻撃できる機会だ。ケントでさえ、目には好奇心を浮かべていた。

 

「ハングの初恋っていつ?」

「初恋?んなもんねぇよ!こちとらそんなもんに溺れられる程余裕のある人生送ってねぇんだよ!」

 

そこにドルカスも合いの手を挟む。

 

「つまり、リンが初恋の相手か?」

「なんでそうなる!俺がリンに惚れるなんざ天地がひっくりかえってもありえねぇよ!」

 

セインも満面の笑みで参加する

 

「ハング殿!そういうことならこのわたくしにお任せを!ハング殿であればわたくしもあえて道をお譲りしまブほグぐる」

 

反論するのが面倒で、ハングは鼻っ柱をぶん殴った。

 

「でも、リンさんはハングさんのこと悪く思ってないはずですよ」

「なんで、エルクは俺とリンをそんなにくっつけたいんだ!」

 

皆が口々にハングを責め立てる。ハングは隙を見せてしまった自分を呪いつつ、なんとか受け流そうと努力していた。だが、なぜか喋れば喋る程に周囲は過熱の一途をたどっていった。

最後にはケントまで面白そうに口を挟んできた。

 

「ですが、我々と出会う前はハング殿とリンディス様は二人で旅をされてたんですよね?」

「たった二日だけだ!ケントまで何言い出しやがる!」

「いえ、私も二人の関係について少々思うところがありまして」

「このやろ・・・色恋なんて欠片も理解してなさそうな面してるくせに・・・」

「それをハング殿に言われたくありませんな」

 

その時、セインがようやく復帰してきた。

 

「ハング殿!このセインめは最初からダァッ!」

 

口を開く前に黙らせる。

 

「ダァー、いい加減にしろ!お前ら酒が回ってんのか!俺とリンは別にそんな関係じゃねぇ!」

 

かといって、じゃあ何なのかと聞かれればハングは答えを出せずにいた。

 

間違いなく恋人ではない。ただの友人というには付き合いは深い。戦友とは少し違う気がする。

 

ハングは答えを探す時間を稼ぎたくて、話題を変えようとした。

 

「だいたい、男女2人の旅って言ったらエルクとセーラだって・・・」

 

そう言いかけ、ハングの言葉尻はしぼんでいく。

そして少しの間を置き、ハングは落ち着いて自分の言葉を完結させた。

 

「それはねぇか」

 

しみじみと頷く面々。

エルクの溜息がやけに大きく聞こえた。

 

その後もしばらく、ハングはリンとの出会いや毎晩の訓練を行うことになった経緯などを事細かに説明させられる羽目になったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「クシュン!」

 

リンディス傭兵団の女性陣が集まる宿の一室。

3人は一つのベットに集まり、温めたミルクを皆で啜りながらそれぞれの旅について話をしていた。

 

「クシュン!」

 

その中で何度かクシャミをしているのはリンだった。

 

「ん~誰か私の噂してるのかな?」

 

リンは鼻をすすりながらそう言った。

 

「してるとしたら・・・ハングさん達かな?」

 

フロリーナがそう言って笑顔を見せる。

 

「それはありうるわね!どう?今からでもあっちに参加しない?」

 

いきり立つセーラに二人は苦笑で返した。

 

「私は遠慮するわ」

「わたしも・・・」

「もう!つまんないわね!男たちの本音とか聞いてみたくないの?あの、いつもスカしてるハングが酔い潰れてるところとか、ドルカスさんが妻のノロケ話してるところとか!」

 

ドルカスさんのノロケ話はともかく、ハングが酔い潰れるなんてことはないだろうな。

 

などと、リンは思っていたがわざわざそれを口にすることは無かった。

 

「まぁ~でも~・・・私はリンの本音も聞いてみたいしね~?」

「え?私の本音?」

 

セーラはリンのベットに寝転がるようにして、リンに近づいた。

 

「そうそう、皆の目は誤魔化せてもこのセーラ様の目は騙されないわよ」

「何のこと?」

「リンってハングのこと好きでしょ」

 

一瞬、部屋の中の音が消えた。

次いで声をあげたのはフロリーナだった。

 

「え、えーーー!そ、そうなのリン!?」

「あら?フロリーナは気づいてなかったの?」

 

コクコクとものすごい勢いで首を縦に振るフロリーナ。

 

「な、何言ってるのよセーラ。私は別に・・・」

「ふーん『別になんとも思ってない』 の?」

「え、ええ!そうよ!別にハングのことなんて・・・」

「じゃあ私、ハングの方の気持ち聞いてくるね」

「待って待って待って!」

 

本当に立ち上がろうとするセーラをリンは必死に押しとどめた。

既に顔は真っ赤である。

 

「え~いいじゃない。それに、こっちに気がないんだったら相手に期待させとくのも悪いでしょ?」

 

その理屈の成否は置いておくとしても、リンとしてはそんなことをされてはたまらない。明日からどんな顔でハングと顔を合わせろと言うのか。

 

無理やりベッドに引きずり落とされたセーラにフロリーナが話しかけた。

 

「え?あの?セーラさん・・・」

「セーラで良いわよフロリーナ。もちろんセーラ様と呼んでも構わないけどね」

 

胸を張るセーラは一見すれば高貴で高慢な女性のようにも見える。

フロリーナの方が物理的には視線が高いのだが、一瞬でも背の高さを錯覚させてしまう程の堂々とした態度は確かなものではある。

もっとも、それを褒める人はここにはいないが。

 

「セーラさん、ハングさんもリンのこと・・・もしかして・・・」

「ええ、当然じゃない!私の目に狂いは無いわ!」

 

そう言い切るセーラ。隣ではリンが茹蛸のようになっていた。

 

「ねぇねぇ、どう思う?そこんところ?」

 

楽しそうにリンの顔を覗き込もうとするセーラに、リンは必死に顔をそむけた。

 

「そ、そんなわけないじゃない」

「とか言って、リンもまんざらでもないでょ?ねぇ、ねぇ!ハングのどこがいいの?」

「どこって・・・だから私は別にハングのことは・・・」

「でも、この中でハングとの付き合いが一番長いんでしょ?友達としてでいいからさ~ハングのいいとこ教えなさいよ」

 

迫るセーラとたじたじなリンの図はなかなか珍しい組み合わせだ。

 

「いいとこって言われても・・・」

「じゃあ悪いところは?」

 

不意に空気が変わった。

 

リンの顔から赤みがサッと消え去り、目が据わる。

その瞬間こそセーラが見たかったものだった。人の気持ちが急激に変化する瞬間こそ、心の奥底が垣間見える。セーラは畳み掛けるように言葉を重ねる。

 

「ハングだって人間なんだから悪いところの一つ二つあるでしょ?ほら、この際だから言っちゃいなさいよ!」

 

そして、低い声がリンの口からこぼれた。

 

「一つ二つじゃすまないわよ」

 

ドスの効いた声に部屋の気温が数度下がったような感覚をフロリーナは感じていた。

そんなことを気にしないセーラは興味津々でリンの言葉を待った。

 

「ハングは本当に自分勝手よ。こっちの都合なんか全部無視して話を進めちゃうことが多いし。私たちに何も言わないで策を仕掛けることもあるし。私たちがどんな想いでハングを頼ってるのかまるでわかってない!それに、とっても狡い。私たちに嘘つくことは無いけどわざと勘違するように言葉を選らんでたり、思わせぶりな態度をとって騙したり。本当に性悪な狐みたいな奴よ!」

 

まくしたてるリンの言葉を聞きながらセーラは満足そうに微笑み、フロリーナは驚いたような表情をしていた。

 

「なるほどね~ハングってそんな人なんだ」

「そうよ!もう、どうやったらハングに勝てるのかしら!?」

「でも、信頼してるのよね?」

「え?」

 

セーラの質問に少しリンの顔が固まった。

意味を図りかねているのか、答えがみつからないのか。

どちらにしろ、リンの思考は一瞬止まった。

そこにセーラが割り込んでいく。

 

「それでも、ハングと旅を続けてるんでしょ?彼を信頼してなきゃできない芸当よね~」

「そ、それは・・・ハングは・・・」

「あーっと!『リンディス傭兵団の軍師だから~』とか言ってはぐらかすのは無しよ。だって、リンとハングはそんなものができる前から一緒だんでしょ?つまり、リンはハングのこと一人の男として信頼してるんでしょ?」

「男として・・・え?」

 

頷きかけたリンは少し躊躇った。

 

「別に男としてというわけじゃなくて・・・」

「そんなの同じことよ!大事なのはリンがハングがただ軍師だから信頼しているわけじゃ無いってことよ」

「それは、そうだけど・・・」

「でしょ!だったら、二人は相思相愛よ!」

「それは・・・おかしいんじゃないかな?」

「なによ、だったら他にあなた達の関係をどう言い表すの?」

 

リンは何かを言い返そうとして言葉を詰まらせた。

 

私達の関係?そんなこと考えたこともなかった。

 

信頼しているのは確かだ。だが、それは軍師として?友人として?男として?

正直言ってどれもしっくりとはこない。

 

最初は旅の道連れ程度だった。でも、今もそうかと言われると正直わからない。

 

悩むリン。その姿にセーラは満足したらしくそれ以上の追求は無かった。

 

「クシュン!や~ね~誰か私の噂してるのかしら?もう、本当に私って罪な女よね」

 

一人盛り上がるセーラを他所にフロリーナがリンの近くで口を開いた。

 

「珍しいね・・・リンが人の陰口言うなんて」

 

昔から一緒にいるフロリーナにとってはそれは少し不思議な光景だった。

いつもリンはそういった陰口をとても嫌っていた。

 

『文句があるなら堂々と言ってみなさいよ!』

 

そう言って自分を守ってくれたことも何度かあった。

だから、リンがハングがいないところであんなに言うのがとても違和感があったのだ。

 

「え?ああ、ハングのこと?いいのよ、もう面と向かって言っちゃったから」

「え?今の台詞、ハングさんに言ったの?」

「ええ」

「それで、ハングさんは?」

「『いいじゃねぇか、そうやって欠点を指摘してくれる奴がそばにいるんだから。俺がなんか人として間違ってたら教えてくれよ。そん代わり、俺もお前が間違ったら教えてやるからさ』って」

「リンの声真似、結構上手だね」

 

変なところに感心したフロリーナを軽く小突いてリンは微笑んだ。

リンの話に満足したセーラは今度はフロリーナに狙いを定めた。

 

「じゃあ、次はフロリーナの番よ~誰か良い人いないの?」

「え?え?え~?」

 

その様子に微笑むリン。だが、その時彼女はわずかに胸の奥に小さな痛みを覚えていた。

それはほんの一欠片の罪悪感。

実はハングに言われたことにはまだ続きがあったのだ。

 

『俺達はお互い半人前なんだ、俺達は二人で一人。だから、その一人は誰よりも大きいだろ?支え合ってなんぼだ』

 

ハングはリンにそう言ったのだった。

リンは嘘をついたわけではない。さっきフロリーナに語った内容も確かにハングは言っていた。ただ、言わなかったことがあっただけ。

なんでそんなことをしてしまったのか、リンにも自分のことがよくわかっていなかった。

ただ、フロリーナに勘違いを促した自分が少し嫌だった。こういうのはハングの専売だったはずなのに。

 

「私、ハングに似てきたのかな?」

 

あんまり良い兆候ではない気がした。なのに、あんまり悪い気がしないのはなぜなのか?その答えはわからない。

 

「じゃあじゃあ、ウィルとエルクだったらどっちが好み?」

「ウィルさん・・・」

「うそぉ!」

 

 

彼女たちの夜はまだ続いていく。



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間章~旅路の途中で(前編)~

リンディスことリンはサカの民であった父親の血と、リキアの貴族だった母親の血を受け継いでいる。

しかし、母の生まれた土地であるリキアの地を踏むのは初めてのことであり、また、リキアという国のこともさほど知識は無かった。

 

「ねぇ、ケント。リキアってどんな国?」

 

リキアの国境を越えてしばらくの後、リンはケントにそう尋ねた。

 

「リキアとは正確には『リキア同盟』と言います」

 

ケントは生真面目に正面を向いたまま、馬上のリンの質問に答えた。

 

「いくつかの細かい領地を各々の領主が治めている国です。故にリキアという国には明確な国王はおりません。有事の際は各諸侯が団結してことに当たるような取り決めがされております」

「へ~・・・つまりその領地の一つがキアランなのね?」

「その通り!もっとも情熱的な男が住むといわれているのがキアランです!」

 

馬を挟んでケントの反対側にいたセインも大げさに答える。

そこに一瞬だけ冷たい視線を送ったリンは小さく溜息をついた。

 

そして、視線を前に送る。

 

マントを羽織った、騎士に比べれば少し小さな背中。

ほんのりと頬が上気したのを感じて、リンは目を背けた。

 

セーラが変なこと言うから意識しちゃうじゃない・・・

 

国境の宿でのひと時のせいで、リンは今朝からまともにハングの顔を見ることができなかった。

それどころか、視界に彼を捉えるだけでなんだか妙に気恥ずかしい思いをしなければならない。

 

その原因であるハングはちょうどウィルに声をかけられたところだった。

 

「ハング」

「ん?」

 

振り返ったハングの口には一本の草の茎が咥えられていた。

 

「何食べてるんだ?」

「サルマリアっつう多年草だ。茎の中に蜜を貯める変わった種類の植物でな、茎を噛んでると甘い汁が次々出てくんだ。口がさみしい時なんかは重宝するぞ」

「へー、美味いの?」

「ほれ、一本やるよ」

 

そう言ってサルマリアを差し出したハング。

ウィルは恐る恐るといった感じでその茎の根元をかじった。

 

「おっ、ホントだ。甘い!」

 

それを聞きつけたセーラが物欲しそうな目をハングに向けた。

 

「あ~いいな~わたしもほしいな~」

「まったく・・・セーラとエルクもいるか?」

 

ハングは少し呆れたように笑いながら、サルマリアを配っていった。

リンも興味があったが、今はハングと話をできる状態ではなかった。

 

「おいしい~!ちょっとハング!こんなのあるなら教えときなさいよ~」

 

セーラが頬を緩めながらそう言った。

 

「っつてもな、さっき偶然見つけたんだよ。探してもいいけど、アブラムシがたかってることが多いから気をつけろよ。そういうのはあんまり蜜も残ってないから美味くないしな」

「どうやって探すんですか?」

 

そう尋ねたのはエルクだ。彼はどちらかというと、この植物の植生について興味があった。

 

「特徴はこの細長い茎と青い花だ。花は一本の茎に一輪だけで、花弁が一枚だけだからわかりやすいと思うぞ。群生してることが少ないけどリキア中に生息してっから、すぐみつけられるはずだ」

 

雑学を披露しながら茎を口に含んむ笑顔のハング

そのハングがリンを振り返った。

 

「あと、二本残ってっけど誰かいるか?」

 

ケントとセインが真っ先に手を横に振り、遠慮の意志を示した。

 

「私は結構です」

「俺も。レディたちを優先してくれハング殿」

 

ドルカスもまた小さく首を横に振った。

 

「リンは?」

「え?」

 

裏返った声がとても恨めしい。

 

彼女は顔が熱くなるのを感じていた。

 

「いや、だからサルマリアいるか?って、話聞いてたか?」

「聞いてたわよ!」

「怒鳴らなくてもいいっての。んで、いるのか?いらねぇのか?」

「あ・・・えと・・・」

 

リンは妙に上気してしまった頭を抱え、言葉を探す。だが、なぜか口からは一言も出てこない。曖昧な返事をしたまま、リンは俯くようにして目を逸らした。

 

「そうか、ほれ。フロリーナは?」

「あ、えと・・・も、もらえ・・・ますか?」

「おう」

 

リンは熱くなった耳をなんとかしようと指でこする。そうして、周囲の会話が上手く聞き取れないうちに、ハングはもう前を向いていた。

 

「リンディス様?」

「え!?な、なに?ケント」

「いえ、口にしないのですか?」

「へ?」

 

リンが自分の手の中をみれば、いつの間にか一本の茎が乗っていた。

隣に目を向ければフロリーナがペガサスの上で茎を咥えている。

 

思わず溜息がこぼれた。

 

「私・・・なにやってんだろ・・・」

 

リンの声は様々な周囲の音にまみれて誰にも届かなかった。

リンはフロリーナを真似て茎を口に咥えた。

一噛みすると、茎の中からほんのりと甘い香りがあふれてきた。

 

 

しばらく、道なりに進み小さな民家の側で昼食を兼ねた小休止をいれたリンディス一行。彼らは食事もすんだ後の休みの時を迎えていた。

 

ウィルとドルカスが井戸から水をわけてもらっているそばでハングとケントが話し込んでいる。そこから少し離れてセインがその民家の女性に暴走し、セーラとエルクは近く木陰で休んでいた。

 

近くの草むらには馬たちとペガサスの世話をしているリンとフロリーナがいた。

 

「ねぇ、リン。大丈夫?」

 

馬たちの世話の間にフロリーナはそう尋ねた。

 

「ん、なにが?」

 

とぼけようとしたリンだったが、その声が疲れ気味なのは隠すことができなかった。

 

「今日、溜息ばっかりついてるよ」

「そうかな?」

「うん・・・」

 

フロリーナの心配そうな視線を受けて少し俯きがちになるリン。

 

「らしく・・・ないよね・・・私・・・」

「え?」

 

その時、ハングの声があがった。

 

「お~い、そろそろ出発すんぞ~」

 

遠くから聞こえたその声がリンの中に少し染み渡る。

空を見上げて大きく息を吸い込んだリン。そして、息を吐き出した後、彼女は屈託のない笑顔をフロリーナに向けた

 

「さ、行きましょう。フロリーナ」

「う、うん」

 

少なくとも上辺だけは元気になったリンを見ながら、フロリーナも出発の準備に取り掛かった。

 

再び道を歩みだした一行に、ハングは今の行程を伝えた。

 

「これなら、明日にはアラフェンに入れそうだ。ペースはこのままで進む」

 

アラフェンとは文字通りリキア同盟の一つであるアラフェン領の中心ともいえる街だ。

アラフェン侯爵の居城を始め、領地として機能するための様々な施設を包括する街である。

 

「どんな街なの?」

 

ハングにそう訪ねたのはリンだった。

ハングは少しだけリンと目を合わせて前を向いた。

 

「オスティアに次ぐリキアでも二番手の街だ。領地の豊かさも二番手だから結構でかい街だぞ」

 

リンはそっと胸を撫で下ろした。

 

よかった、普通に喋れる・・・

 

「ハング殿、『豊かさ』とは?」

 

そんな折にケントが質問を挟んだ。

 

「ん?文字通りの意味だよ。ま、俺の基準で二番手って意味だがな」

「へぇ、ハング殿はアラフェン領に行ったことがおありで?」

 

セインも参加してきて、ハングの周りが少しごった返す。

 

「リキアは一通り回ってるよ。まぁ、キアランは四番手ってとこだ」

 

ハングの話題を聞きつけてセーラとウィルもやって来る。

 

「なになに?面白そうなこと話してるわね」

「ハングがつけるリキア侯爵領の順位か。少し興味あるな」

 

そんな皆にハングが苦笑する。

 

「いいのか?俺の独断と偏見に満ちた順位だぞ」

「私も興味ありますね」

 

ケントのその一声が鍵となり、ハングが講義の時間へと入って行った。

 

「まぁ、一番は当然オスティアだろうな」

「そりゃあ、そうよ!」

 

セーラが胸を張る。

決してセーラの手柄ではないのだが、余計なことは誰も言わなかった。

 

「最近即位した新侯爵の勤倹尚武の政治は今の堕落しがちな貴族社会に風穴を開けるだろうしな。こっから更に伸びると思うぞ」

「きんけん?しょうぶ?」

 

ウィルが首を捻る。

 

「勤倹尚武。『無駄な贅沢をするな!体と精神を鍛えよ!』ってことだ。それに基づく平民、貴族問わない徴兵制度と評価制度。堅牢な重装歩兵と装甲騎馬部隊はリキア同盟の一大戦力だろうな」

 

皆が感心の声をあげるなかでハングは次の話に移る。

 

「二番手はさっきも言った通りアラフェン領だ。土地が豊かで人材も豊富。交易も盛んだしな、傭兵部隊を遊撃手とした変幻自在の戦術もなかなか見所がある。ただな~・・・」

「なにか、問題でもあるんですか?」

 

エルクがそう尋ねた。

ハングは腕を組み、苦虫でも噛み潰したかのような顔をした。

 

「今の領主がな~・・・結構、無能なんだよな」

「ん?でも、さっきは人材が豊富って言いましたよね?」

「いや、それがな・・・領主の唯一の才能でさ。人の才能を見抜くのだけは上手いんだ。周囲を優秀な人材で固めて傅かせるのが至高の楽しみっつう人なんだよ」

「なにそれ?変なの~」

 

セーラの不満そうな声にハングは苦笑する。

 

「ま、税率も悪くないし。暮らす住人は豊かではあるな」

 

自分を納得させるように頷くハングにケントが続きを促した。

 

「ハング殿。三番手はどこですか?」

「フェレ領だ」

「え!!」

「えっ!?」

「え~」

 

セイン、ウィル、セーラはそろって驚きの声をあげた。

声にこそ出さなかったものの、ケントもエルクも少し面食らった顔をしていた。

わけがわからないのはリンとフロリーナだ。

 

「フェレ領ってどんなとこ?」

 

リンの質問に答えたのはケントだった。

 

「リキア同盟の東のベルン国境の近くの小さな領地です。中央から外れた、悪く言えば田舎の領地です」

 

その説明を受けて二人は周りが驚く理由を理解した。そこにハングが講義を挟む。

 

「まぁ、間違っちゃいないがな。確かにあそこは少し田舎だが、そのぶん腐りやすい貴族社会がもうほとんど残ってないんだよ。領主だけが少し偉くてそれ以外は上下がほとんど無い。しがない村人でも領主に提言できて、役人も威張りちらして鞭打つことも無い。自然、民に近い目線での政治となるからなかなかいい領地だぞ。もともと山の幸も海の幸も豊富だしな。まぁ交易はひどいもんだが」

 

セインたちもハングの言葉に頷いている。

言われてみれば思い当たる節があるのだろう。

 

「ベルンとの国境付近だからな。山岳戦闘を想定した軽装歩兵と他の国境への救援可能な騎馬部隊は少数精鋭。山賊や海賊もあの辺じゃ大人しいもんだしな。それになにより今の領主がいい」

「現フェレ侯爵と言いますとエルバート様ですか?」

 

その名前を聞いてハングは思い出したように少し笑った。

 

「ああ、気さくな人でな。話してて面白くてしょうがない。まぁ、奥さんと息子さんの話が八割を占めるんだけどな」

「会ったことがあるんですか?」

「ああ、こんな旅人の俺でも簡単に会えるぐらい領主の敷居の低い土地だよ」

 

そう言う、ハングにリンが一言。

 

「どうせ、行き倒れてたんでしょ」

「んで、四番手にキアランが入ってくるわけだ」

 

リンの言葉を見事に黙殺して、ハングは話しを続けた。

 

「キアランは政治も悪くないし、人も集まって悪い領地じゃないんだが。どうしても土地が痩せてるんだよな。そのぶん交易で栄えてるからそんなに民が困ることは無いが、やっぱり有事のことを考えると順位が下がるから四番だ」

「軍備は他とは劣りはしませんけどね」

 

拗ねたようなセインの言葉にハングは声を出して笑った。

 

「ハハハ、まぁな!あの領地の機動力を高めた軽装騎兵と歩兵部隊は素晴らしい。なんでも、キアランには門外不出の兵士強化の訓練があるとかないとか・・・」

 

不敵な笑みを浮かべてセインとケントを順に見るハング。その二人は気まずそうに前を向いていた。できれば話したくない。というか、思い出したくもない。といった感情がありありと浮かんでいた。

 

「なるほど、まぁ、深くは聞かんよ」

 

もう一度笑ったハングは講義を再開する。

 

「んで、後は大概横一列だな。カートレー、トスカナ、サンタルス、ラウス・・・」

「えっ!ラウスがそこに入っちゃうんですか?」

 

再び驚きの声をあげるセイン。そこに呆れ返った目を向けたハング。

 

「あそこは土地は豊かで交易も盛んだよ。外から見りゃいい土地だけどな。あそこは無い、下手すりゃ最下位だ」

「ずいぶんな物言いですね」

「あそこは侯爵とその周囲が酷い。貴族社会の弊害だけが残ってて、威張れんのが血筋だけって連中ばっかりだ。侯爵は若い女を囲うのが大好きなだけのジジィだし、次期侯爵の息子も負けず劣らずの無能っぷりだ。ああそうだ・・・リン!」

「なに?」

 

突然話を振られたリンは内心では結構動揺していたが、それでも冷静を装う。

そこにハングの視線が刺さった。

 

「こっから先、ラウス侯爵家と会うことがあったら隙を見せんなよ。お前ならそれこそ『嫁によこせ』って言われることもあり得るからな」

「そんな・・・」

 

バカな話は無いわよ

 

と、言おうとしてリンは口をつぐんだ。

ハングの目が真剣そのものだったからだ。冗談を言っている顔ではない。

リンはその目に気圧されると同時に、抑えていた照れが顔にあがろうとしてるのを感じた。

 

「わ、わかったわ。心に留めとく」

「よろしい」

 

緩んだ顔でハングが笑う。

 

「まぁ、お前なら多分剣抜けば向こうも諦めるだろうから、そんな心配は無用かもしれないけどな」

 

そう言って前を向いたハング。男性陣がなぜかハングの顔を見ていた。ハングは気づいていないのか、気づいても無視しているのか、特に何の変化も見せずに飄々と歩き続けていた。わずかにドルカスが何かを呟いていたがそれもハングは反応しなかった。

 

リンは熱くなった顔を仰ぐ。そして出そうになったため息を飲み込んだ。

 

「もう・・・ダメね・・・これじゃあ・・・」

 

今日の夜も変わらずハングとの剣の打ち合いや軍略の講義がある。

それをこんな状態で乗り越えられるとはリンも思っていなかった。

 

リンは手綱を握りながら、自分の頬を二、三度叩いて気合をいれたのだった。

 



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間章〜旅路の途中で(後編)〜

日も暮れてきて、リンディス傭兵団は小さな村で一泊することとなった。

宿は今日の客は彼らだけだということもあり、ハングの交渉の結果、部屋を四つ程格安で確保できた。

 

「ハングさんは世界中の国々を回ってるんですね」

 

ハングと同室になったエルクがそう切り出したのは夕食を済ませた後だった。

 

「まだサカの北にあるイリアと西方三島の方は行ったことないけどな。エルクはどこ出身なんだ?」

「僕はエトルリア王国の出身です」

 

エトルリア王国とはリキア同盟の西に広がる芸術の国として有名な土地である。

 

「エトルリアか、あそこはちょっと苦手だ」

「なんでですか?」

「あそこは堅苦しくて困る。食事一つとっても祈りだとか作法だとか」

 

エルクが控えめに笑う。

 

「芸術も俺にはよくわからん、戦術も魔道士の援護ありきで考えるから応用がきかんしな」

「なんだか、ハングさんって人がようやくわかってきた気がします」

「どういう意味だよ?」

「いえ、意外と人間臭い人なんだなと」

「今までの俺はどう見えてたのか気になるとこだけど、なんか怖いからやめとく」

 

エルクは笑いながら「ハングさんにも怖いものがあったんですね」と言ったが、ハングは無視した。

そんな折、部屋のドアがノックされる。

 

「ハング、いる?」

 

リンの声だ。

 

「それじゃ、俺はちょっと行って来るよ」

「傷薬用意しときますね」

 

ハングは苦笑を返し、剣を持って部屋を出た。

ハングとリンが向かったのは宿の裏手。馬小屋と井戸のある小さな裏庭だ。その中でも少し広い場所を選んでハングとリンは剣を手に向き合った。

 

「今日こそ私から一本とってみなさいよ」

「ああ!やってやらぁ!」

 

リンが剣を青眼に構え、ハングも片手で剣を構える。

先に仕掛けたのはハングだった。わずかに踏み込んで突きを放つ。

それに対するリンの動きは無駄が無かった。最小限の動きでハングの剣を受け流してそのまま下段からの攻撃に繋げる。

ハングは下から迫る攻撃を左手の掌で受け止め、再び突きを繰り出した。

次の突きはさっきより数段鋭い。だが、リンにとっては対処可能の範囲だった。リンは体を開いて回避し、そのままの勢いで上段への一撃を繰り出した。それはハングの防御をすり抜け、見事にハングの額に叩きつけられる。

 

「っつ!!」

 

まともに頭部に一撃をくらったハング。あまりに強烈な衝撃に目の奥に星が散った。

ハングは額を抑えながら数歩後ずさった。

 

「ったく!加減しろよ!」

「してるわよ」

 

そう言われてはぐうの音も出ない

ハングとリンの剣は長さに差がある。ハングの方が間合いが長いことを考えれば、間合いを正確に読み取り、寸分違わずに剣を振ればハングのほうが有利である。にも関わらず、ハングが押され気味なのは純粋に実力の差であった。

毎日のようにこうやって打ち合いをを繰り返していても、その差が埋まる気配は無い。

ハングにはリンから一本とる自分の姿が全く想像できなかった。

 

「くっそ!」

 

ハングはふらつく頭を横に振って気合いを入れ直した。

いくら軍師とはいえ、毎日負けっぱなしは男の矜恃に関わる。

 

「ぜってぇ、勝つ!」

 

ハングは一気に間合いを詰めた。

剣を盾にするようにして肉迫し、リンの剣の間合いを潰した。

この距離ならまともに剣を振るえない。特に力で劣るリンならなおさらだ。

お互いの顔が近づく。激しい吐息が顔にかかる。

 

ここまではいい・・・

 

ハングも既に何回かこの手は試している。リンに対して鍔迫り合いから強引に力勝負を挑む戦術は間違っていないはずだ。

 

だが、結局一本も取れたことは無い。

 

リンは力押しの相手を受け流す技が特筆して上手かった。相手の力の逃がし方、自身の体力を削らない柔軟な姿勢。ハングは時々水のような存在を相手にしているような錯覚に陥る。

鍔迫り合いの緊張感。だが、ここでわずかでも後ろに引いたら剣が短いリンのほうが有利なのだ。一度ここまで押し込んだ以上、離れるという選択肢は取れない。

 

「なぁ、リン?」

「なに?降参する?」

「まさか、それよりもちょっと聞いておきたいことがあんだけど」

「後に・・・してくんない!」

 

一瞬でリンが後方に飛んだ。その瞬間に手首と腹に衝撃が走った。これが実戦なら、俺の手首と胴体から下が消えるところだ。

 

「くぅぅ!」

「まだいくわよ!」

「にゃろ!」

 

再び二人の間に緊張が走る。

 

結局この夜、ハングは一本も取ることができなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「いてててっ!」

「もう、そんなに大袈裟に反応しないの」

「痛いもんは、痛いんだよ!」

 

自室に戻り、エルクが用意してくれていた軟膏を打ち身の箇所に塗りつける。

自分でやってもよかったのだが、背中だけは届かないので一緒についてきたリンに頼んでいる次第である。

 

「いつまでたっても私に勝てないわね」

「うるせぇよ」

 

エルクはセーラに呼ばれてどこかに行ってしまい、今部屋には二人しかいない。

 

「はい、おしまい」

「つっ!」

 

お約束のように背中に張り手を受けて、うずくまるハング。

 

「ハングは動きに無駄が多いのよ。片手で剣を振るから体が流れやすいし」

 

ハングは剣を両手で握らない。左腕の異常な筋力のせいで、両手で握ると左右の力がズレて余計に身体が流れやすくなる。

 

「って、言われてもな・・・」

「まぁ、そのうちね」

 

軟膏が乾くまで服を着れないので、ハングはしばらく上半身を晒してなければならない。その格好のまま、ハングはリンに向き合った。

 

「んじゃ、勉強会のほうも始めるか」

「はい!よろしくお願いします」

 

馬鹿丁寧なリンに苦笑しながらハングは講義を始めた

 

「っと、今日は市街地戦の続きだったな」

 

市街地、特に今日は城下町。

ようするに、家々に被害をあまり出したくない時の戦術と戦略である。

椅子に座り、向き合ってハングの講義を聞く。

 

だが、今日のリンはとことん集中できなかった。

 

リンはハングのことを昼間から意識し続けていた。

さっきの打ち合いでハングに接近された時も内心では剣技どころではなかった。

リンは早く離れたい一心で、後方に飛んだにすぎない。そこに技を絡められたのは彼女の実力の一端でもあるのだが。

 

だが、それを除いても今日の打ち合いではリンが危ない瞬間が何度もあった。それらは全て、ハングに接近された時だった。そのことにハングが気が付いていないのがリンにとってはまだ救いだったであろう。

 

そして、今、リンは目の前で剥き出しの引き締まった身体を見せつけられている。集中できるはずがなかった。

 

「リン?聞いてるか?」

「え?あ・・・ごめんなさい、なんの話だっけ」

 

ハングは小さくため息をついた。

 

「ったく、今日はここまでにしよう」

「え?で、でも。始めたばっかりで・・・」

 

言いかけた言葉はハングの刺さるような視線に塞がれた。

 

「今日のお前に何か言う気はないけどさ。調子の狂ってる日もあるだろうし」

 

ハングが少し肩を落とす。比喩ではなく、実際にハングの肩が下がった。

力を抜いてる証拠だった。

 

リンは俯いてしまった。

 

ハングは怒っていない。もし、そうなら今頃とっくに雷が落ちてる。

彼は純粋に心配してくれていた。それが、今はリンの胸には痛かった。

 

そんな時、唐突にリンの額に軽い痛みが走った。

 

「あいたっ!」

 

痛みに目を閉じる。痛み自体は大したことはなかったが、『驚き』がその衝撃を何倍にもしているかのようだった。リンが目を開けると目の前に笑顔のハングがいた。

 

「な、なにしたの?」

「弾いただけだよ」

 

そう言ってハングは中指を親指で弾く仕草をした。

 

「意外と効くだろ?」

 

リンは額をさすりながら頷く。それに満足そうに笑みを浮かべて、ハングは上着を身につけた。

 

「なぁ、リン。お前フロリーナと喧嘩したことあるか?」

 

ハングが左手の包帯を一度外して蒔き直す。

 

「え?そりゃ、一度か二度ぐらいは」

「俺らはしょっちゅうしてるよな」

「たいがい、私が負けるけどね」

「暴力が絡むとお前が勝つだろうが」

 

ハングがしていたのはなんの意味もない与太話だった。

 

「でもよ・・・」

 

ハングが左腕を布で覆い隠して軽く動かす。

 

「俺たちはすぐに仲直りできる」

「うん」

 

ハングの言う通りであった。2人は少し言い争ったり小突きあったりしても、それが一晩跨ぐことは一度も無かった。たいがい、食事を挟めば元通りだ。

 

「だからよ、なんか気になることがあればぶつかってこい。どうせ、明日には忘れちまうからよ」

 

額を弾かれて、気持ちが切り替わった。くだらない話をして心が落ち着いた。

そして、本題。

自分の言いたいことをまとめるにはちょうどよかった。

 

リンは一度深呼吸をした。

 

自分の中だけでは答えが出ない問題をハングに尋ねる。

 

「ねぇ、ハング」

「ん?」

「私のこと信頼してる?」

「当然だろ」

 

ハングは怪訝そうな顔でそう言った。『いまさら何を言っている』とでも言いたげだった。そんなことはリンもわかっている。

 

本題は次の質問だった。

 

「私のことどう思ってる?」

 

ハングが一瞬虚を突かれたような顔になる。だが、すぐさま彼は不敵な笑みを浮かべた。

 

「そうだな・・・頼りになる相棒ってとこか」

 

『相棒』

 

その言葉に今度はリンが虚を突かれたような顔になった。

 

「相棒・・・相棒・・・か」

 

言葉にしてみて、納得がいく。

自分の胸の中で結論が音を立てて器に収まった気がした。

 

 

「私達は・・・2人で1人」

「そうだな。お互い剣士の半人前と軍師の半人前だ・・・ちょうどいいだろ?」

「でも、2人で1人なら、その1人は誰よりも・・・大きい」

 

それは以前、ハングがリンに言った台詞だった。

 

「そうか・・・そうだったんだ」

 

リンは自分の心臓の上を叩いた。さっきまで高鳴っていた拍動が今や心地の良いリズムを刻んでいた。

 

「2人で1人・・・相棒・・・か」

 

リンはもう一度その言葉を呟いた。

自分達の関係を言い表すのにこれほど適切な言葉はないだろう。

 

「ようやく、いつもの顔になってきたな」

 

ハングがそう言った。

 

「そう?」

「ああ」

 

そして、ハングはリンに同じことを聞いた。

 

「お前は俺のこと信頼してるか?」

「当たり前じゃない」

「俺のことどう思ってる?」

「頼りになる相棒」

 

ハングはそれを聞き、弾けるような笑顔を見せた。

いつもの余裕をかます時に見せる不敵な笑顔とは違う、向日葵の花が太陽に向かう時のような笑顔だった。

リンは膝を叩いて立ち上がった。

 

「明日はちゃんと講義してね」

「ああ、今日のぶんもやってやるから覚悟しとけよ」

 

リンは少し苦い顔をしながら、部屋から出ていこうとする。そして、ドアノブに手をかけたところで彼女は立ち止まった。

 

「そういえば、さっき何を言おうとしたの?」

「さっき?」

「打ち合いの時に何か言おうとしたじゃない」

 

ハングは少し考える。

そして最初にリンに鍔迫り合いを仕掛けた時のことを思い出した。

 

『それよりもちょっと聞いておきたいことがあんだけど』

『後に・・・してくんない!』

 

「ああ、あれか。お前の注意を逸らすつもりで言ったから、特に何も考えてなかったな。なんか言おうとしてたのは確かなんだがもう覚えちゃいねぇよ」

「そう・・・」

 

リンはそれでもしばらくハングの顔を見ていた。目を細め、ハングの表情から何かを読み取ろうとしている。

 

「お前な・・・」

「ハングが普段からはぐらかしたり、わざと勘違いさせるようなことばかり言うからでしょ」

 

結局、リンはハングの顔から嘘をついている様子を見つけることができなかった。

 

「わかった。信じてあげるわ。それじゃあ、おやすみ」

「はいよ・・・おやすみ」

 

そして、リンは部屋から出ていった。

静かな安宿に足音が響く。リンが廊下を歩く音。ドアが開き、閉まる音。遠くからリンとフロリーナと思われる話し声が聞こえてきた。さすがに内容までは聞き取れない。

 

その声を聞きながらハングはベットの上に寝転がった。

 

「まったく、何やってんだ俺・・・」

 

ハングは小さな声で独り言をつぶやいた。

 

『俺がリンに惚れるなんて天地がひっくり返ってもありえねぇよ!』

 

国境の宿で宣言した自分の声がどこからか蘇ってきていた。

 

「腐ってるね。俺ってやつは」

 

ハングはそう言って寝返りをうち、目を閉じた。

 

「そういや・・・」

 

ふと、ついさっきの会話を思い出し、ハングは目を開いた。

 

「俺、何を言おうとしたんだろ?」

 

天井を見つめながらそう呟く。

今回は珍しく、ハングの言葉は額面以外に意味を持っていなかった。

普段ならリンが疑った通り、事実の一部を隠したり、はぐらかしたような言い方で嘘をつかないままにやり過ごすことが多い。

 

だが、今回はリンに何を言おうとしたのかこれっぽっちも思い出せない。

 

注意を逸らそうとしたのも事実だ。

何かを言おうとしたのも事実だ。

 

だが、やはり何を言おうとしたのかだけがぽっかりと抜け落ちていた。

 

ハングはしばらくの間思い出そうとしていたが、結局諦めた。

忘れたということはそれほど重要ではなかったということだと結論付け、ハングは再び寝返りをうった。

 

打ち合いの疲労に旅の疲れも重なっているのだ。ハングの意識は急速に遠のきはじめていた。

ハングは背中に感じる軟膏の冷たさに癒されるようにして、瞳をその瞼の下に覆い隠した。

 



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6章~誇り高き血(前編)~

アラフェン領主の居城に見下ろされるようにしてその町は存在していた。

町は常に賑わいを見せ、争いとは無縁そうな穏やかな場所だ。焼き石で作られた建物はどれも生き生きとしており、路地裏では子供達が走り回り、市場に行き交う人達の笑顔は途絶えることがない。今、この街に来た人は十人中九人が豊かで穏やかな活気に満ちた良い町だと言うだろう。

 

だが、その片隅

 

「リンディスがこの街に近づいているとの報告が入った。騎士二人にペガサスナイトが一人。あとは歩兵が5人、その内で戦力になるのは斧使いと弓使いの2人だ」

「街で直接動けば警備隊を敵に回すことになる。なにか、別の事件で注意を引きつける必要がある。それにアラフェン領主だ・・・」

「ならば、常套手段といくか」

 

不穏な風はすぐそこまで迫っていた。

 

 

そして、この町を良い町と称さない十人の中の一人。

 

この町は少し嫌な気配がする。

 

そう、言ってのける軍師に導かれた一団がアラフェンの道を作る石畳を踏みしめた。

 

「ここが、アラフェン。本当にすごい賑やかね」

 

街に入った途端にリンが馬から降りた。彼女は早くも興奮しているようだった。

ブルガルでもそうだったが、リンはこういった賑やかな場所が好きらしい。それは草原育ちの反動のようなものだろう。人の多い場所が物珍しいのだ。

 

「うっはー!なぁハング!俺、自由行動していいか?なんか、ワクワクしてきた」

「ウィル、落ち着け。しばらくお前は俺らの周囲にいろ」

「えー・・・」

 

文句を垂れるウィルにこっそりとハングは耳うちした。

 

「お前は黙って弓に弦はってろ。すぐに必要になる」

 

ウィルの目の色が変わった。

 

「ハング!それって!」

 

思わず大きな声をだしたウィルにハングは小さく声をかけた。

 

「あんま、興奮すんなよウィル。賑やかな街にあてられてんじゃねぇ。黙って周囲を見渡してろ」

 

その声に余裕の無さを感じ。ウィルは言われたとおりに弓を取り出した。

その様子を見ていたドルカスもまた、手荷物の中の斧に手を伸ばしかけていた。

 

「ハング・・・」

「ドルカスさんも俺らについてきてください。なんだか嫌な予感がする」

 

そう言った、ハングにドルカスはかすかに笑った。

 

「なに笑ってるんですか?」

「予感などと言うな。ある程度の事実に基づいた確信が無いと、お前は動かん」

 

ハングはすこし頭をかいた。

 

「まいったな・・・」

 

軍師とは軍の要。

人となりを見破られるのはあまり良いことでは無い。

 

「年の功という奴だ。俺はどうすればいい?」

「フロリーナの側に、城の方角に注意を」

「任せろ」

 

ウィルとドルカスが気を張り詰める中、町の大きさに見惚れていたリンがふと何かに気がついたかのように振り返った。

 

「ハング、エルクとセーラが見当たらないんだけど」

「ついでに言うとケントもいねぇぞ」

「あ、本当ね。ハングの指示?」

「ケントは確かに俺の指示だが、セーラとエルクは知らん。まったく、どこ行きやがった。このクソ忙しくなる時に」

「え?どういうこと?」

「リン、武器はもってるな?」

「え、ええ」

 

ハングは少し目元に険しさを滲ませた。

 

「少し、笑ってられない事態になりそうだ。今すぐ仕掛けてくるかどうかはわからんがな」

 

ハングの声に真剣な感情を読み取って、リンは緩んでいた気持ちを引き締めた。

 

「ケントは先に城に行かせた。少し失敗だったかとも思ってる」

 

ハングは傍目には落ち着いているように見える。

だが、リンにはハングが焦ってるように見えていた。

 

それは、握りしめたハングの拳だったり、少し大股で歩く姿だったりする彼の癖のようなものであった。ハングは平常心でいられない何かを感じているようだった

 

だが、その緊張感は突如として破られた。

 

「おー!そこの美しいお方。あなたの名前をぜひ教えてください!」

 

セインが道端に跪いていた。

 

「ぶっ殺したろか・・・」

 

ハングの物騒な声に、隣にいたリンは少し苦笑い。

 

「はぁ・・・ま、あいつはいっか。いざとなったら働いてくれるだろう。それに、町中で急に仕掛けてくるとは思えない・・・」

 

そう言ったハングの声は心なしかさっきより少し丸くなっていた

 

「あ、あの・・・」

 

そんな折、ペガサスを引き連れたフロリーナがハングとリンに近づいてきた。

隣には指示通りにドルカスもいる。

 

「フロリーナ、どうしたの?」

「あ、あのね。リン、ヒューイが少しおかしいの」

 

ヒューイとはフロリーナのペガサスの名前だ。

 

「おかしい?どんなふうに?」

「なんだか、妙に興奮してて・・・なんだか、落ち着きがなくて。こんなこと、今まで無かったのに」

 

ハングの目からはヒューイの姿はいつもと変わらないように見える。

だが、フロリーナの意見を無視することはできないとハングは判断した。

 

「多分、空気が悪いんじゃないか?空を飛ぶ奴らってのは風とかそういうのに敏感だって聞いたことがある」

「へぇ~そうなんですか?」

 

ウィルが興味を示した。ウィルは背中にある弦を張った弓をなるべくフロリーナの死角にするようにして近づいてきた。ウィルなりの気遣いだった。

 

「俺はペガサスは専門外だから細かいことはわかんねぇけど。どうなんだ?」

「は、はい!そ、そそそうです」

 

なんだか、怯えられてるような気がした

 

「今日のハングは顔が怖いのよ。すこしは気持ちを落ち着けなさい」

「む?そうか?」

 

自分の顔を少し揉むハング。その仕草は猫が顔を洗うような仕草に似ていて妙に愛嬌があった。

 

「ペ、ペガサスは羽根で風を感じてるので、空気が汚れてると違和感を感じるんです。せ、戦闘中にこの子が気になるほどでは無いんですけど。少し手綱を調整しなければならないんです」

 

顔から手を離したハングは人差し指の先を舐めて風を調べた。

 

「風は城のほうから流れてるな。なんだろ?」

 

ハングたちはなんの気もなしに、アラフェンの城を見上げた。

ちょうどその時だった。

 

「リンディス様!」

 

城のほうからケントが馬に乗ってこちらに向かってきていた。

側に来たケントはすぐさま馬から降りた。

相変わらず、生真面目な奴だ。

 

「リンディス様!城に参りましょう。ここの領主殿に、キアランまでの道中の援助を承知していただけました」

 

そのケントの台詞に皆の中に皆の中に驚きと喜びが入り混じる。ここから先、ラングレンからの刺客が大量にやってくることをハングから聞かされていた彼らからすればこれは朗報であった。

 

「・・・ここで、少しなり兵を借りることができれば、キアランまでの道中はかなり安全なものになります」

 

ケントはそう言ってリンに頭を下げる。

 

「これまで、不自由な思いばかりさせ、本当に申し訳ありませんでした」

「そんなこと・・・」

 

まだ、こうやって臣下に頭を下げられるというのに慣れないリンである。

皆の顔に喜色が浮かぶ。

 

その中に一人例外がいた。ハングだけは少し難しい顔をしていた。

 

「ケント、ここの領主は俺達を助けてくれるのか?」

「はい。ここアラフェンは、昔からキアランと親交が深い土地です。アラフェン候に事情をお話ししたところ、力添えを約束して下さいました」

 

それは喜ぶべきことであった。ここから先、ラングレンの刺客が増えていくことは自明であった。兵を貸してもらえるのはありがたいはずだ。

 

なのにハングの表情は固い。

 

ハングは頭を強くかきむしった。今のハングは焦っているというよりも苛立っているように見えていた。

 

「ハング?」

 

リンはその姿に不安を掻き立てれられた。喜びに浸っていた他の皆にもそれは伝播していく。

 

なにか問題があるのか?もしかして戦闘になるのか?兵を借りることに危険があるのか?

 

私達は生き残れるのか?

 

一同の中に様々な疑問が駆け巡る。

 

ただ一人だけ、そんなハングの様子を察することをしない男がいた。

 

「それだったら、ここから先は楽ができるな!いやー!よかったよかった!」

 

頬にモミジを叩き込まれたセインが陽気に頷いていた。どうやら先程の女性にお茶のお誘いをしたのは失敗だったらしい。

 

そんなセインを見たハング。

 

「ん?ハング殿、俺の顔になにかついてます?」

「失敗の痕がありありとくっついてる」

 

うろたえるセインを尻目にハングは毒気を抜くかのように息を吐き出した。

 

「まぁ、なんとかすりゃあいいか・・・」

 

ハングはそう言った。

その真意を汲み取れた者はいなかった。

だが、ハングの表情が緩んだので皆も安堵の息を吐き出した。

 

その姿を見渡したハング。彼は何かに気が付いたかのようにハッとした表情を見せ、すぐさま自嘲するように笑った。そして、誰にも気づかれないようにハングは小さく息を吐いた。それは、小さな溜息だった。

 

「・・・・・・・・」

 

そんなハングの様子を遠目にリンが眺めていた。

 

ハングは軽く首を回して気持ちを入れ替えた。

 

「ケント、少し聞きたいんだが」

「はっ!なんでしょうか?

「ケント、俺はこの先の税関を通る際の偽造書類を作ってくれるように頼めと言ったよな?」

「は、はい」

 

確かにケントはそういった指示を受けて城に向かった。

だが、その指示を達成することはできなかった。

ケントの背中に緊張が走る。今のところ、ケントはハングの雷を受けたことは無かったが恐ろしさはよく知っていた。

 

「偽造書類?ハング、どういうこと?」

 

リンがそう尋ねる。

 

「こっから先、ラングレンの密偵がうようよしてる。それに感付かれないようにできるだけ内々にキアランに入りたかったんだ」

 

ハングとしては普通の旅人としてキアランに入って、城に忍び込むようにしてキアラン候に会えればそれが一番だった。余計な戦闘はしないにこしたことはない。

 

「で、ケント。なんでこんな話になったんだ?」

「侯爵様は私兵を道中に付ける、と。それならば密偵に知られても戦闘を楽に進めると仰ったので」

「ったく・・・だから、ここの侯爵は無能なんだよな・・・大人しく奥に引っ込んでりゃいいものを・・・出しゃばりやがって」

 

ハングは眉間に皺を寄せて不快感を露わにする。

 

「まぁ、いいや。仕方ない・・・ああ、それと。そんなにケントはビビるなよ。仕事に失敗したからって俺はそうそう怒ったりしねぇから。今回は予想外の戦果が得られたとも言える。ケントは有能だよ」

「『ケント』は?ですか?」

 

セインがそう言った。

 

何を言ってんだこのバカ野郎は?という目をハングが向ける。

 

「ああ、まぁ・・・セインも、かな」

 

見事な棒読みであった。

 

「そうでしょうとも!」

 

これ以上は面倒だったので、ハングは何も言わなかった

 

その時だった。

 

「たっ、大変だ!城が燃えているぞぉっ!」

 

町中に叫び声があがった。

 

「戦争だぁ!戦争になるぞ!」

「キャアーー!」

 

方々からあがる悲鳴。突如巻き起こる混乱。

 

「なんだ?どうしたんだ?」

「うろたえんな!」

 

セインに一喝し、ハングは周囲を見渡した。城からは黒い煙がもうもうと上がっていた。何かが焼ける臭いがここまで漂ってきている。周囲からはあちこちから警邏の兵隊が表通りに飛び出し、城へと一目散に戻っていく。

表通りから見える城門には見覚えのない鎧を着た兵隊が居座っていた。

 

「なんだ!あいつらは!?」

「ベルン兵よ!ベルンが攻めてきた!」

「違う、あれは山賊だ皆殺しにされる!」

 

混乱が混乱を呼び、阿鼻叫喚が連鎖して広がっていく。

そんな中で警邏をしていたアラフェン軍がそいつらと交戦を始めた。

 

ハングは全員に道の真ん中に固まるように指示を出した。

 

「ケント!セイン!警戒を怠るな!この町を脱出する!!」

「了解だ!」

「わかりました!」

 

戦闘体制に入った二人。町中の入り組んだ地形ではどこから奇襲を受けても不思議ではない。とにかく、逃げることが最優先だった。

 

だが、一瞬ハングの頭に疑問が掠めた。

 

城の大きさに比べて煙が少なくないか?

 

ハングは空を見上げ、そう思った。彼の頭の中に情報が交錯しだす。

 

ヒューイが感じた違和感は城から煙があがる前だった。ということはあの煙自体はさっきからずっと流れていた?じゃあ、なんで今になってあんな半端な煙があがっている?

 

考えられる理由はなんだ?

 

恐怖を煽る演出か?誰に対して?なんの為に?

 

疑問はまだある。城壁付近に派手に現れた敵兵だ。なんでわざわざ城壁の上という有利な場所を捨てて下で戦っているんだ?城を確保したいのなら城門を落とせばいいはずだ。まるで、街の警備隊に見つかって騒ぎを大きくしたたいみたいじゃないか。

 

もしそうなら・・・何のために?

 

ここまでのことがハングの頭を巡るのはほんの瞬きをした間だった。そして、ハングの冷や汗が吹き出したのはセインが馬に乗ろうとした時だった。

 

ハングは一つの結論に達していた。

 

それは、陽動。

 

ハングが剣に手をかけて振り返る。ハングが視線を向けた先、斧を取り出したドルカスの向こうに1人の男が立っていた。ハングはその男から殺気を感じた。その男がリンに向かって突進していく姿がフロリーナの天馬の羽ばたきで見え隠れする。

 

「リン!後ろだ!」

 

ハングは声を張り上げた。

 

「えっ?」

 

リンが振り返る。その時にはその男が構えた短刀が彼女の目前まで迫ってきていた。

 

ハングの見ている世界が色を失った。時が引き伸ばされたように流れる。

ハングには自分の身体も、男の身体も、ヒューイから落ちていく羽根さえもゆっくり流れて見えていた。

 

リンの目が驚きで見開かれる。男の口元が歪み、何かを呟いた。

ハングは必死に手足を動かした。だが、届かない。一歩、間に合わない。

 

「覚悟しろぉっっっ!!」

「リイィン!」

 

白黒に映る世界。リンと男の2人の姿が別の存在に重なって見えていた。

小さなお下げ髪の女の子とそこに覆いかぶさろうとする黒いマントを着た男。

 

「やめろおおぉ!」

 

今の自分と昔の自分が同時に叫んだ。

 

その刹那、風を切る音が聞こえた。

 

「うがっ・・・・」

 

わずかなうめき声をあげ、男の動きが止まる。

その一瞬が、足りない一歩を埋めた。ハングの時の流れが元に戻る。

 

ハングは左足を踏み込み、足裏で大地を掴んだ。

右肩を起点に肘、手、そして剣先にまで力を送り込む。右足を蹴り出し、その勢いで全身をしならせる。上体を倒しながら己の体重を剣に加えて一気に加速する。

ハングは剣を振り切った。

男の服、皮膚、そして肉を切断したかすかな手応えを感じる。生暖かい何かを頬に受け、身体が止まった。

 

「はぁっ・・・はぁっ・・・はぁっ・・・」

 

ハングの息が上がる。その目の前で男がゆっくりと倒れていく。世界に色が戻っていた。



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6章~誇り高き血(中編)~

「ハング!」

「はぁっ・・・はぁっ・・・大丈夫だ」

 

ハングは息を荒げ、剣をしまう。身体に無茶な駆動を強いたせいで息があがってしまった。

ハングが切った男。その身体には一本の矢が刺さっていた。

ウィルの矢ではない。

 

ハングは道の先へと目を向けた。そこにはサカの服装をした青年がいた。彼は馬に乗り、静かにこちらを見ていた。

彼はリンと同じような色の髪をバンダナで覆い、鋭い目元と固く結ばれた口元はこれまで一度も笑ったことがないかのように強張っていた。彼が手にした弓は馬上で扱いやすい短さをしており、その弦はまだ少し震えていた。

 

ハングとその青年の目が合う。

 

凄い・・・

 

ハングはわずかに息を飲んだ。

 

その瞳はどこまでも深い闇のように沈んでいたのだ。それにも関わらず、その中には鈍く輝く黒曜石のような澄んだ心が座っている。老人のように全ての苦悩を見てきた目の中に、少年のような純粋な心が宿っている。

 

ハングはこんな目をした人間を見たことがなかった。

 

 

「リンディス様!ご無事ですか!?」

「大丈夫よ・・・彼が助けてくれた」

 

リンとケントの声を背中で聞きながらハングは剣をしまった。

敵にとどめを刺したのはハングの剣だったが、彼の援護がなければ間違いなく間に合わなかったことはハングが一番理解していた。

 

ケントは剣を抜き、そのサカの青年に険しい目を向けた。

 

「失礼だが、あなたは?」

 

ケントの声は固い。警戒心剥き出しである。

その声に臆したというわけではないだろうが、青年は馬首を巡らそうとした。

その彼に向かってリンの慌てたような声が飛ぶ。

 

「待って!どうして私を助けてくれたの?」

 

馬が半ば後ろを向いたので、馬上の青年は首だけで振り返り言葉を返した。

深く静かで、落ち着いた声だった。

 

「・・・サカの民が襲われているように見えた」

 

そう言った、青年は視線をリンからケント、そしてセインに向けた。

 

「だが、違ったようだ」

 

その結論は当然である。見るからに騎士と思われる二人を従える女性がサカの民のはずはない。普通はそう考える。

 

「違わないわ!私はサカの者。ロルカ族長の娘。リンよ!」

 

青年の眉が少し釣り上がる。だが、その表情全体に動きは無い。

 

「ロルカ?・・・生き残りがいたのか」

「ええ」

 

その時、どこからか建物が崩れるような大きな音がした。

そして、女性の悲鳴も同時に聞こえる。

 

ハングはその悲鳴にどこか聞き覚えがあるような気がした。

 

頭痛を抱える魔道師の顔が浮かぶようであった。

だが、そんなことを知らないサカの青年は周囲に危険が迫っていると思ったようだ。

 

「・・・早く立ち去るがいい。城を中心に火の手があがっている。せっかく助かった命、無駄にすることはない」

 

それは、特にリンに向けて発せられた警告であった。残念ながら、リンはそれを受け取らなかった。

 

「あなた、お城からきたの!?だったら教えて!アラフェンの城が・・・領主様がどうされたのか!」

 

青年は少し躊躇うように喋り出す。それはあまり余裕がないように見えた。

 

「俺は領主に雇われている護衛隊長だ。今、街を騒がせている者どものの仲間が城を襲い、城主を捕えている・・・俺は、奴らを倒し城を取り戻さねばならん」

「そう・・・」

 

リンの納得したような声を背後に聞きながら、ハングは少し自分の考えをまとめる。

 

「じゃあ、私たちにも手伝わせて!」

 

ハングはその決断を聞き、目を閉じた。

 

「リンディス様!?」

「・・・なぜだ?」

 

大声で驚くケントと静かに疑問を口にする青年。

ハングは内心でため息を吐いていた。

 

「あいつらの狙いは私だった・・・」

 

リンは自分を襲ってきた輩を見やる。

 

「あいつらが城を襲ったというなら、それは私に関係あるはず。だったら助けないと・・・」

 

ハングは気づかれないように舌打ちをした。

 

リン、その考え方じゃ、奴らの意図を読み切るのは難しいぞ。

 

ハングは口の中だけでそう呟いた。

 

「・・・何か事情があるようだな。ならば・・・手を貸そう」

「いいの?」

 

その時になって始めて青年は馬から降りた。

 

「俺はクトラ族のラス・・・他部族とはいえ、同じ草原の民の女を見捨てておけん・・・」

「ありがとう、ラス!」

 

リンはハングの隣を通り過ぎて、ラスの前で両手を変わった形に組んだ。

 

「あなたに母なる大地の恵みがありますように!」

 

そして、ラスもまた似たように両手を組む。

 

「そして、敵に父なる空の怒りを・・・!」

 

草原の民の独特な言い回しを終え。リンがこちらを向いた。

 

「ハング、指揮をお願い!」

「五点だな」

「え?」

「だから、五点だ」

 

十点満点の評価。

 

それは毎晩、ハングがリンと行っている勉強の点数の付け方であった。渋い顔をしたリンにハングは不敵に笑ってみせた。

そして、改めてラスに視線を移す。

既に馬上に移っていたラスにハングは手を伸ばした。

 

「よろしく頼む、ラス」

「・・・ああ」

 

ハングの予想に反してラスは素直に握手に応じた。

どうやら、見た目程無感情な男ではないらしかった。

 

簡単に自己紹介を終え、ハングたちは対応に乗り出した。

ドルカス、フロリーナ、ウィル、ケントの四人には街に散らばっている敵兵の対応を任せ、セイン、ラス、リンとハングの四人は城壁へと向かっていた。

 

「そんで、ラス。このまま行っても城を取り戻せはしないぞ。城門の白兵戦を乗り越えるのは無理だ。城壁の一部を破壊でもしない限り難しい。何か当てがあるのか?」

 

セインの後ろに乗り、隣を駆けるラスに声をかける。

 

「・・・領主さえ助け出せれば俺の傭兵隊が動かせる」

「問題はどうやって城に入り込むかだが?」

「隠し通路がある」

 

ラスの後ろに乗ったリンが疑問符を浮かべた。

 

「隠し通路?」

 

それに羨ましそうな視線を向けるセインをぶん殴って、手綱に集中させる。

 

「城の玉座の間へと続く地下通路だ。本来なら城からの脱出経路なのだが、逆の道も使える。そこを左だ」

 

ラスの指示に従い、セインは道を曲がる。

 

「あそこだ。あの兵舎に仕掛けがなされている」

 

適当な位置で立ち止まり、ハングとリンが馬から降りた。

リンは剣の具合を確かめながら、ラスに声をかけた。

 

「通路を使って玉座の間に行き、侯爵を救い出す・・・そうすれば、敵を追い出せるのね?」

「・・・ああ、仕掛けさえ解除できれば。後は、俺と傭兵たちがなんとかする」

 

弓と矢を構えるラスにハングが一つ質問をした。

 

「いいのか?俺達にそんな城の大事な秘密を教えても」

 

その問いにラスは変わらず感情の読めない顔を返してきた。

 

「・・・草原の民は嘘はつかない」

「それはリンを信じる理由であって、俺たちを信じる理由にはならないだろ?」

 

2人の間に緊張感が走る。リンとセインは2人の会話に口を挟めずにいた。

ハングはラスの視線を追い続ける。

 

「ならば、なぜお前は俺を信じる?」

「・・・・・・」

「俺も奴らの仲間かもしれないぞ。草原の民でも誇りを失った者は・・・嘘をつく」

 

少し間があいて、ハングが口を開いた。

 

「多分、お前と同じ理由だ」

 

ラスがわずかに目を見張った。そして、口元に笑みが走る。

共に小さな変化だったが、ハングは見逃さない。それは空気を弛緩させるには十分な変化だった。

 

「ならば、もういいだろ」

 

ラスがそう言った

 

「みたいだな」

 

ハングもつられたようにわずかに笑う。

リンとセインも止めていた息を吐き出した。

 

「で、隠し通路の仕掛けってのは?」

「仕掛けは全部で三ヶ所ある。そのどれもが欠けても、隠し通路への扉は開かない・・・」

「だが、問題があるな・・・兵舎の全てに鍵がかかってる」

 

ここから見える扉には巨大な閂がかかっていた。

扉の方は壊せないことはなさそうだが、時間がかかりそうだ。

 

「・・・奴らが兵舎の中に入り込んだ。扉を開け、奴らを始末せねば・・・仕掛けにはたどり着けん」

「まるで・・・仕掛けのことを知っているみたいだな」

 

ラスはその疑問には答えなかった。

ハングは少し頭をかいた。

 

おそらく、左腕を使えば出入り口を開けることはできるという確信があった。だが、できれば目立つ行為は避けたいというのが本音だ。兵舎に入ったはいいが、町に散っている敵の仲間が集まってくるという事態はあまり面白くはない。

 

さて、どうするか・・・

 

「リン!ハング!ここにいたのね?あら?何かお困り?」

 

ハングの口から溜息が出た。背後からの声だったがその声の主が誰かを特定するのには振り返る必要すらなかった。

 

「おお、セーラさん!先程の悲鳴を聞いて心配しておりました!私としてはすぐにでもあなたのもとに馳せ参じたいと思っていたのですが、私は仕える者でありガッ!」

 

ハングはセインに問答無用で空中回し蹴りを叩き込んでいた。

馬上にいたセインの腰に叩き込まれたハングの蹴りは見事にセインを大地に引きづりおろした。

 

「すごい。今の蹴り・・・とても綺麗だったわ」

「あんがと」

 

ハングはリンに感謝を述べて、セーラの方を振り向いた。

そのセーラの後ろには疲れた顔の男性が2人いた。

 

一人は当然エルク。なぜが、顔が煤だらけになっていた。

 

そして、もう一人。

 

茶色い髪に落ち着いた紅色のマント、袖の無い上着は活動的というより、無駄を嫌うような印象を与えている。

 

やはりこちらも疲れた顔だ。しかも、エルクより酷い。

 

「セーラ、その人は?」

「ああ、こいつ?こいつはね、私の知り合いの盗賊なの」

「盗賊?」

 

それを聞き、隣のリンはわずかに眉をひそめた。

セーラはそれが目に入らなかったらしく、喋り続ける。

 

「こいつは見た目はこんなんだけど、見た目通りだから大丈夫よ。バッチリ役に立つから雇っといて損は無いわ!」

 

ハングとエルクの目が合った。軽く苦笑いを交わす。

そして、ハングはその盗賊と目を合わせた。やはり、こちらも苦笑い。

 

「えーと、名前を聞いてもいいか?」

「マシューよ」

 

なぜかセーラが答えた。

『お前には聞いていない』と喉まで出かかった言葉を飲み込む。

その一言が百万語を誘発することぐらいハングは知っていた。

 

「それじゃあ、マシューさん・・・」

「さん付けはよしてくれ。それと手早くいこう。兵舎の扉を開けたいんだろ?」

 

マシューはそう言ってニヤリと笑った。

驚いたのはリンだ。

 

「ど、どうしてそれを・・・!!」

「やっぱり図星か」

「っ・・・・!」

 

リンの身体が強張った。その動揺が正解であることのダメ押しだ。

それを前に飄々とした雰囲気を見せるマシュー。

 

食えねぇ奴だな。

 

ハングはそう思ったが、彼もさほど人のことを言える立場ではない。

ハングは要件だけを簡潔に聞きたいことを聞くことにした。

 

「開けられるか?」

「もちろん!任せてくれ、安くしとくよ」

「金とるのかよ」

「本来ならそうしたいんだけど・・・今回はいいや」

「そうか、じゃあ早速頼むとしようか。雇われてくれるか?」

「おう!っと、その前に雇い主の名前を聞いとかないとな」

「俺はハング。この傭兵団の軍師だ」

「ハングさんね、よろしく!」

 

握手しようと手を伸ばしたハングの前にリンが立ち塞がった。

 

「待って!」

「リン?」

 

リンの顔は険しいままだ。

 

「どうして、私たちに味方するの?」

「ん?ああ、あんたらの方がなんだかおもしろそうだからな。ただ、それだけ」

 

納得いかない。リンのそんな顔が、マシューの顔を睨みつける。

 

「・・・変なやつ」

 

今回はそれでリンが引き下がった。リンも時間が惜しい現状を理解できない程バカではない。

少なくともセーラと知り合いのようだから最低限の信頼は置けるだろうと、リンは判断した。

 

「さっさと始めるか、マシュー任せるからな」

「じゃあ、早速お仕事といきますか!兵舎にお宝とかあったらどうする?」

「お前の自由裁量に任せる」

「話がわかるねぇ。いやぁ、これで誰かがいなければなぁ・・・」

 

セーラにその声は届かない。エルクの同意するようなため息を黙殺し、ハングは周囲に指示を出しはじめた。

 

マシューの腕は確かだった。二ヶ所の扉を鮮やかに開け放つ。

兵舎の中の制圧も滞りなく進み、仕掛けのうち二ヶ所は問題なく解除できた。

 

残る仕掛けはただ一つ。

 

ハング、マシュー、エルクの三人がそこを目の前にしているのだが、どうにも問題が生じていた。

 

「リンディスどもの一団か・・・!いつの間に入り込んだのだ!?」

 

何の因果か知らないが、明らかに親玉と思われる人物が仕掛けの真ん前に陣取っていた。全身を覆う鎧は一分の隙もない。フルプレートと呼ばれる全身鎧を身にまとった重装歩兵だ。

よりにもよって前線を張ることのできるセインやリンがいない状況下でこんな強敵に出くわしてしまった。

 

まったく・・・今日はつくづく酷い一日だ。

 

リンとセイン、ラスは外でセーラの治療を受けている。

今までの傾向から、たいした戦力は無いだろうと踏んでハングはマシューと共に最後の仕掛けの兵舎に飛び込んだのだ。城の中の状況が刻一刻と悪化している状態もあり、ハングにも焦りがあったことは否定しない。

それを踏まえても、お粗末としか言いようのない行動であったことをハングは剣を構えながら後悔していた。

 

ハングは重装歩兵を前に口の中でぼやく。

 

街中でリンを始末するつもりだったんなら、なんで重装歩兵なんかがトップなんだよ。普通は機動力に優れた軽装歩兵だろうが・・・

 

文句を言っても仕方ない。目の前に敵がいる。それが現実だった。

ハングは剣を構えながら、マシューに声をかけた。

 

「マシュー、さっきなんか見つけてたよな?」

「これですか?」

 

マシューが取り出したのは、波のような刃が特徴的な刀剣。

鎧を切り裂く為に研究された剣で、その形状ゆえに少し脆いのが特徴。

通称「アーマーキラー」「鎧殺し」と呼ばれる剣だ。

 

「よし、頑張れ」

「あれ?俺が使うんですか?ハングさんじゃなくて?」

「俺よりお前のほうが腕が立つ」

 

マシューが肩をすくめて、アーマーキラーを逆手に握った。

それは攻撃よりも防御を重視した構えだ。

 

その構え方をハングは視界の隅でとらえる。

 

だが、すぐにハングは目線を目の前の重装歩兵へと向けた。

 

「エルク、俺たちが奴を引きつける。魔法をぶち込んでやれ」

「わかりました」

 

どんなに分厚い鎧で身を固めていても、燃え盛る炎に勝てる奴はいない。

ハングは息を吐き出して呼吸を図る。

 

「よしっ・・・いくぞっ!!」

 

まずはハングが仕掛けた。

一気に接近し、首を狙って剣を振る。

激しい金属音がして、敵の構えた槍とハングの剣がぶつかった。その音と手応えから、槍に鉄芯が仕込まれていることをハングは悟った。鉄芯のある槍は穂先以外にも十分に重量が乗っており、一撃の重みが大きい。下手に打撃を浴びるだけで命取りになる。

そのハングに槍が迫る。左腕で槍を逸らす。

 

その隙をついてマシューが駆け込んできた。

下から切り上げるようにアーマーキラーが走る。

だが、それを奴は腕で受け止めた。

 

「ぬるいな!!」

「ぐっ・・・ぐぐぐ・・・」

 

奴はマシューの腕を抑え、刃を止めていた。体格差でマシューが叩き潰される。敵は手元に引き寄せた槍を手の中で半回転させた。

 

「おっと!」

 

マシューに向けて振り下ろされる槍先。マシューは身軽な動作で回避したが、首の薄皮一枚を犠牲にしていた。

 

「あぶねぇ!」

「まだまだ!!」

 

マシューに向けて続けざまに槍が振られる。

その横からハングが回り込んでいた。

 

ハングは腰を落とし、剣を振りかぶる。どんな頑丈な鎧でも、防げない場所はある。

関節の内側はその一つだ。

二度、膝裏に剣を走らせる。埃の匂いが鮮血に混じる。だが、浅い。

 

「くそっ!貴様ら!」

 

膝をつきながら奴が槍を強引に振った。

 

やばい。

 

ハングがそう判断するのと、脇腹に槍の柄が食い込むのはほぼ同時だった。

ハングはものの見事に吹き飛ばされ、背中から木箱に激突した。

木の破片が散る。殴られた脇腹の痛みに吐き気が沸き上がる。

 

「ハングさん!」

 

マシューの声がやけに遠い。耳の奥の唸り声が邪魔をする。

 

「まずは、お前からだぁ!」

 

槍が投げられる。遠近感を失う世界。槍の穂先が真っすぐに自分めがけて飛んできていた。

 

ああ、本当に最悪な日だ。

 

ハングは左腕を木屑から抜き去り、その槍先に拳を叩き込んだ。

穂先が砕けるようにして目の前で飛び散る。咄嗟に目を覆った右腕に破片が刺さる。痛いなんてもんじゃなかった。

 

「っつぅ!」

 

激痛に言葉を失う中、兵舎の中に熱風が吹き荒れた。

 

「ぐわぁぁあ・・・ラングレン・・・さまぁぁ!!」

 

右腕をどけたところで断末魔が響き渡った。肉が燃える音と煙の香り。対象のみを焼き尽くす精霊の炎が燃えていた。

 

「ハングさん!大丈夫ですか!」

「ああ、なんとかな」

 

エルクに助け起こされた時、歯車がはまるような音がした。

 

「こっちは仕掛けの解除が終わりました!」

 

マシューの声は石が擦れるような音に隠れてやけに聞こえずらかった。

右腕に刺さった一番大きな破片を引き抜きながら、目の前で下に沈んで行く壁を見つめていた。

 

「やけに大仰な造りだな・・・」

「ええ、まったく・・・」

「ハングさん!俺はみんなに知らせてきますねぇ!」

 

マシューの声を後ろに聞きながら、ハングはまた一つ腕に刺さった破片を引き抜いた。

 



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6章~誇り高き血(後編)~

ラスが隠し通路に突入している間にハングはセーラの治療を受けた。言動はまるでシスターには程遠いセーラだが、やはり腕は確かだ。ハングは自分の心臓が暴れ出す前に傷を癒すことができた。

そんなことをしているうちに城内の鎮圧は完了した。

城下で様子を見ていたハング達は再び姿を見せたラスに玉座の間での謁見に呼ばれた。

 

ハング、リン、セイン、ケントの四名が玉座へと向かう。

玉座の間は赤い絨毯と装飾的な柱と壁に囲まれたやけに豪華な部屋だった。その再奥に金箔によって輝く玉座が鎮座している。ふんだんに羊毛を使った椅子は随分と座り心地が良さそうだ。

ハングは個人的な意見として玉座は座りにくいぐらいがちょうどいいと思っている。

 

ハングはその玉座に座る人物に頭を下げた。

 

彼がアラフェン侯爵だ。

 

年老いた細長い顔は狡猾な狐を思い起こさせる。

ハングはこの顔を過去に一度見たことがある。アラフェン領を訪れた時に馬上から見下ろす姿を見たことがあるのだ。ハングはこの顔が嫌いだった。

 

アラフェン侯爵は開口一番、自らの手駒を褒めた。

 

「おおっ!ラスか!よく来た。そなたのこの度の働き、見事だったぞ!」

 

それに対するラスは冷静だ。

 

「・・・侯爵、礼ならば、この者たちに・・・」

「誰だ?」

 

そして、侯爵の目がこちらを向く。

両腕に包帯を巻いたハングを一瞥し、騎士の二人、そしてリンへと視線が移る。

ハングはなるべく表情を顔に出さないように努力していた。

 

今の現状はハングとしては最悪の展開である。

ハングはアラフェン侯爵とリンを会わせるつもりが最初から無かったのだ。その為にわざわざ通行証の偽造などという事務的に済む方法を取った。

 

だが、その思惑は全ては無駄だったようだ。

 

「はじめまして、リンディスと申します」

 

丁寧に頭を下げるリンの隣でハングは思考を巡らせる。

この謁見の着地点をどこに持っていくのがより良いのか。その結論がまだ出ていなかった。

 

「・・・・・・そうか。そなたが、キアラン侯の・・・ラス、少し下がっていろ。この者たちに話がある」

 

ラスが何も言わずに退出する。音も無く消えたので、ハングはラスが影に溶けたかのような印象を受けた。

アラフェン侯爵はわずかに目を細め、リンを見下ろした。

その視線に、微かな悪意が含まれていることをハングは見逃さなかった。

 

「・・・さて、リンディス殿。騒ぎを起こした連中の正体を知っておられるか?」

「・・・祖父の弟、ラングレン殿の手の者かと・・・」

「そのとおりだ。つまり、わしの城は君の家の相続争いのとばっちりを受けたというわけだ」

 

そうきたか・・・

 

ハングは想定されうる状況を頭の中で絞っていく。

そして、ハングの中で一つの結論が固まった。

 

『帰りてぇ・・・』

 

ハングはもはやここにいる意味を見出せなくなっていた。

そんなハングのことなど周囲にわかるはずもなく、リンは律儀に平身低頭の姿勢を貫いていた。

 

「す、すみません・・・」

「マデリン殿の娘ごが難儀していると聞いて、力を貸してやるかとも思ったが・・・悪いが、わしは手を引かせてもらう」

 

ハングはアラフェン侯爵を見やる。ハングの目には期待など僅かにも宿っていなかった。ハングは既にこの領主を見限っていた。だが、周囲はハングが足を後ろに下げることを許してはくれない。

 

ハングの隣ではケントが色めき立っていた。

 

「アラフェン侯爵様っ!それでは、お約束が・・・!!」

「・・・ケントと言ったか?そなたは、わしに肝心なことを言わなかったではないか」

「・・・と、申されますと」

 

ケントが顔をしかめる。

アラフェン侯爵が余計なことを言わないことを祈りながらハングはその場で待った。

 

「この娘、確かにマデリン殿に似ておるが、まさかここまでサカの血が濃くでておるとは・・・」

 

その時、リンの顔色が変わった。

 

「この娘はもはやリキア人ではないだろう。野蛮なサカ部族の孫娘に戻られては、キアラン侯爵もさぞ迷惑するのではないか?」

 

アラフェン侯爵の言葉には明らかに侮蔑の意味合いが含まれていた。

リンの頭に血が上り、耳が真っ赤に染まっている。

謁見の場ということもあり、武器は所持していないのが幸いであった。もし、剣を腰に帯びていればこの場で抜き放っていたかもしれない。

そして、感情的になってしまったのは何もリンに限った話ではなかった。

 

「それはどういう意味だっ!」

 

飛び出そうとしたセインの足をハングが払った。無様に顔から床に激突するセイン。

 

「動くなよ、セイン。謁見の場だぞ。一応な」

 

ハングの足の下でフガフガともがくセイン、

その一連を眺めていたアラフェン侯爵が鼻で笑った。

 

「しつけがなっておらんな」

 

ハングは『そろそろ帰るか』と再び思ったのだが、ケントがまだ粘りを見せた。

 

「アラフェン侯爵様!どうか、どうかお力添えいただきたく・・・」

 

ハングがもしキアランの正式な軍師としてこの場にいるなら、リンに頭を下げて適当に挨拶を交わして退出すべきだと進言していただろう。これ以上話をしても、お互いの関係が悪化するだけであるとハングは結論付けていた。

 

頭を深く下げるケントにアラフェン侯爵は顔を背け、呟くように言った。

 

「・・・キアラン侯爵は病に倒れたと聞く」

 

ハングの眉が少し動いた。それと同時にケントとリンの顔から驚愕が覗いた。セインの顔はまだ床にくっついている。

 

「その娘が戻るまで、果たしてもたれるかどうか・・・だとすれば、次の侯爵を継がれるのはラングレン殿。わしは面倒はごめんだ・・・」

「このっ!」

 

再び駆け出そうとしたセインの体を踏みつけて、ハングはリンを見た。

リンもまたハングに目だけを向けていた。ハングはリンに向け、小さく首を横に振った。

 

「しかし、マデリン殿の娘だ・・・どうしてもというなら・・・」

 

何か条件を付与しようとした侯爵。その先を聞くまでもなくリンは頭を上げた。

 

「・・・わかりました。セイン、ケント、ハング、戻りましょう」

「リンディス様!ですが・・・」

 

まだ粘るケントをリンは手で制し、侯爵に向けて強い視線を送った。

 

「私は、自分に流れるサカの血に誇りをもっている。だから、それを侮辱する人の力なんて借りたくないわ!」

 

リンははっきりとそう言い放った。後ろめたさなど微塵も感じさせない凛とした声音であった。ハングはそれを聞き、唇の端で笑った。リンは再度頭を下げ、そのまま玉座の間を出て行く。

 

「リンディス様!」

「お、お待ちくださいって!」

 

ケントとセインもそれに続く。

そして、その場にハングがだけが残った。

 

「では、私もこれにて失礼します」

 

もはや、アラフェン侯爵はハングなど見てもいなかった。

ハングも早々に退出したかったのだが、言っておきたいことがあった。

 

「侯爵様」

「なんだ?」

「言いたいことは一つだけ」

 

ハングは道端で酔いつぶれた男でも見やるような軽蔑した視線をアラフェン侯爵に投げかけた。

 

「いい歳こいて、嫉妬は見苦しいですよ」

 

アラフェン侯爵の顔色が一気に赤みを帯びた。ハングはマントを翻し、侯爵に背を向ける。

背後で何か喚き声が聞こえたが、ハングは振り返ることなくその場を後にした。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングが三人に遅れて城を出ると、ケントがリンに頭を下げているところだった。

おおかた、リンの心を煩わせたとかなんとかだとハングはあたりを付ける。

リンはそんなケントの肩を叩いて顔を上げさせていた。

 

「・・・だから、あなたは胸を張ってればいいのよ」

 

その様子はまるで騎士と姫君のようで随分と形になっていた。

 

そういえば、リンは一応侯爵家の姫君にあたるのか。

 

そんなことを思いながら、ハングは仲間たちの輪に入った

 

「ハング、何してたの?」

「ん?厠を探してた」

 

ハングの言ったことは嘘ではない。アラフェン侯爵の謁見室を出た後で、厠にも行ったのだ。

 

「さて、こっから先のことは後で考えるとして・・・問題はキアラン侯のことだな」

 

皆が頷く。キアラン侯爵が病で倒れたという情報は決して楽観視できるものではなかった。

 

「急いでキアランにたどり着かないと・・・!」

 

リンが意気込みを新たにそう言った。

 

「キアランに近づくほどラングレン殿の妨害は激しくなるでしょうが・・・守り抜いてみせます!リンディス様!」

「頼りにしてるわ、ケント」

「俺も、お守りしますよ!」

「ありがとう、セイン」

 

熱くなる騎士達を前にハングは肩をすくめた。

 

「俺のことは守ってくれよ」

「ハング・・・そこは『俺も守ってやる』じゃないの?」

「自分の実力は知ってるよ、俺はお前を支えてはやれる。でも、守ってはやれねえからな」

 

リンは少し笑った後、微笑んだ。

 

「ハング」

「ん?」

「いつもいてくれて、ありがとうね」

「おう」

「みんながいてくれるから・・・私・・・」

 

そんなリンの頭にハングはそっと手を置いた。

 

「頑張ろう。お前の爺さんが待ってるんだ」

「うん!くじけてなんかいられないわ!」

 

顔をあげたリンの顔には少し陰があった。

自分の血筋を言われたことは少し痛いものがあったらしい。

 

ハングはもう一度城を見上げる。

 

「余計なことを言いやがって・・・」

 

ハングは誰にも聞かれないような声でそう呟いた。

 

 

ハング達はその後、皆を集めてアラフェンを後にしようと街の南門に向かった。その時にはもう空は茜色へと変わっていた。

夕日を右手に受けてハングたちは門をくぐり抜ける。その先に見覚えのある姿を見つけたのはハングだった。

 

「あれ?ラス?」

「・・・・・」

 

彼からは沈黙が帰ってきくる。

 

「ラス!どうしたの、こんなところで・・・」

 

リンが声をかけてようやくラスは口を動かした。

 

「・・・城主との話を聞いていた」

 

ハングは納得した。サカの民を侮辱する発言を許しておけなかったのだろう。

ラスは馬から降り、リンに声をかけた。

 

「ロルカ族のリン、誇り高き草原の民よ・・・その同胞として俺は、お前に力を貸そう・・・」

「本当!?」

 

リンが喜ぶと同時に仲間にもその波紋が広がった。

同じ弓を使う者として敬意を払うウィル。単純に美形が軍に入って来て喜ぶセーラ。それを見て同時にため息を吐くエルクとマシュー。フロリーナはまた震えている。セインも新たな仲間を歓迎し、ドルカスが少し笑ったように見えた。

 

「不満か?」

「いえ、そういうわけでは」

 

ただ、一人。ケントだけは少し眉に力が入っていた。

 

「なに、あいつは信頼できるよ。隊長だったってことは指揮能力もありそうだしな」

「ハング殿がそうおっしゃるのであれば・・・」

 

そんなことを話していたハングたちにラスが近づいてきた。

そして、無言で布袋を差し出してきた。

 

「これは、金か?」

「ああ、俺には無用の長物。お前が役立てるがいい」

 

ハングはそれを素直に受け取った。

 

「ありがとうな」

「礼は・・・まだ、言うな。俺はまだ何もしていない」

 

ラスはそう言ってすぐさま背を向けてしまう。

 

新たな仲間を加え、ハング達は進路を南へと向けて歩き出した。



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間章~湯気に紛れて(前編)~

アラフェンより南の地。山岳地帯の狭間にネコハという町がある。

産物は岩塩のみ、街道からは外れ、地の利も無く、アラフェン領の地図の中で忘れられたようにある町だ。だが、実はそこはなかなかに賑わいがあった。

 

そこは、地下から湯が湧き出るという。世にも珍しい土地であった。

ここの湯は万病に効くと言われ、各国の貴族や権力者が集う。

そして、長い距離を歩き続ける旅人たちの良き宿町でもあった。

 

夕暮れが近づいているにもかかわらずにハングたちがアラフェンを後にしたのは、ここで一泊したいという要望が多かったからだった。

 

「ふぅ~」

 

ハングは右腕の包帯を緩めながら、宿の前の長椅子に腰掛けて一息ついていた。空にはもう星が瞬いていた。夜風が体を冷やしてくるが、この土地は土が暖かく、さほど寒さは感じなかった。

ここは一般の旅人も泊まれる安宿が集まる通りだ。目の前にある酒場からは景気良く明かりが灯り、随分と賑わっている。

 

ハングは大きく伸びをする。強張っていた身体の節々がうめき声をあげた。ここしばらく強行軍を続けていたために疲れが溜まっていた。

ハングは長椅子に寝転がって夜空を見上げた。

 

ハングの頭に去来するのは昼間の戦闘のことだった。

 

色々な失敗を思い出し、反省点と改善策をまとめていく。

その中でハングの心に深く残っていたのが、あの白黒の世界だった。

 

リンに迫る短刀が今も脳裏にこびりついていた。

 

「結局、俺は何も守れないままか・・・」

 

ハングの声は深く響く。それは普段よりも一段と感情が抜け落ちたように聞こえた。

 

「エミリ・・・」

 

ハングはその名を呟いた。

 

その名を呟くと、懐かしい笑い声が耳の奥へと聞こえてくるようだった。

だが、聞き慣れたはずなのに、もうこの声が本物と似ているかどうかもわからなくなってしまっていた。

忘れたことなどなかった。なのに、もう霞んでしまっている。

 

時間とは残酷なのかもしれないとハングは思った。

 

あれから随分遠くまで来たとも思うし、まだ離れてすらいない気もする。

あの時から何かを手にしたのかもしれないし、何かを手放してきたかもしれない。

 

だが、未だ『あいつら』の情報がつかめないうちは、『進んだ』とは言えそうもなかった。

 

「ハング?」

「ん?」

 

首を上に向ければこちらを覗き込む逆さまのリンがいた。

 

「よう」

「ここにいたんだ」

 

ハングは長椅子から起き上がり、腰掛ける。

 

「隣、いい?」

「ああ」

 

ハングの隣に腰掛けたリン。遠くで虫の鳴き声がした。

 

「ハング・・・」

「ん?」

 

リンは何かを言いかけたが「やっぱりいい」と言ってやめてしまった。

リンが躊躇う理由を察したハングは自嘲するような苦笑いを浮かべた。

 

「さっきの独り言、聞いてたのか?」

 

リンの顔が気まずそうに歪んだ。

 

「お前は、本当に顔に出るな」

 

ハングはそう言ってケラケラと笑う。

 

「そっか、聞かれたか」

「ごめんなさい。立ち聞きする気は無かったの」

「わかってるよ」

 

酒場の方からの賑わいがハング達の沈黙をかき消していく。ふと風が吹き、木の葉が一枚落ちて来た。ハングはそれを捕まえて、手の中で弄んだ。

 

「あの、ハング・・・」

「今日の俺はダメだったな、本当に。お前に説教できる立場じゃねぇや」

 

ハングはリンの話を逸らすかのように自分から口を開いた。幸い、今日のハングには話題は事欠かなかった。

 

「軍師としても、やっぱり未熟だよな・・・ケントが戻ってきたときに俺イラついてたろ?あれはまずかった。周りを不安にさせちまったしな」

「『上に立つものはいつもどっしり構えて負の感情を表に出すな』って言ってたよね」

「ああ」

 

上に立つものが揺れればそれに兵士の不安が反応する。

逆に司令官が自信満々なら、どんなに無謀と思える作戦でも戦えるというものだ。

軍師という軍全体の命運を握る者にとって表情というものは最重要な事柄である。

 

「それにその後もだ。敵の陽動に嵌ってお前を危険に晒した。ラスが助けてくれなかったら、本当にお前を失うとこだった」

「でも、ハングが助けてくれたじゃない」

「そいつは結果論だ。あれは・・・俺があらかじめ注意してれば防げた危険だった。ついでに、最後の戦闘でも不用意に飛び込んで自分の仲間達を危険にさらしている。本当にいいとこなしの一日だったよ」

 

ハングはその結果、右腕の数か所に金属片が刺さり、背中に擦り傷を多数負うことになった。セーラに一通り応急処置はしてもらったが、ひりつくような痛みがまだ残っていた。

 

「まぁ、ラスとマシューっつう戦力も得られたしな。結果からみれば上々かもしれん。そんでも2点ってとこかな」

「そういえば、私は5点だったわね」

「ああ、そうだったな。俺より上だ」

 

戦闘が始まる前のやり取りを思い出し、2人は小さく笑いあった。

 

「ねぇ、どうしてあれは5点だったの?」

「ああ、あれか?お前はあいつらの目的をはき違えてたからだ」

「目的?あの兵士達はアラフェン城を落とすつもりじゃなかったの?」

 

ハングは手に持っていた木の葉に息を吹きかけて吹き飛ばす。

もみくちゃにされた葉っぱは風に乗らずに、すぐ近くの地面に落ちた。

 

「奴らが城を本気で占拠する気だったと思うか?あの程度の兵数じゃ、城を維持はできない。それに、ラングレンがアラフェン城を欲する理由がそもそもない」

「じゃあ、どうして、彼らは城を襲ったの?町中で私達だけに標的を絞ったら良かったんじゃない?」

「一つはさっきも言ったが、陽動だろう。俺たちの視線を城に向けさせ、確実にお前の首を刈り取るつもりだったんだ。そして、もしそれが失敗したとしても大きな特典がある。見せしめだ」

「見せしめ?」

「リンに協力するものには容赦しない。そういったラングレンからのメッセージさ」

 

アラフェン侯爵は今回の事件の黒幕を知っていた。城を襲った兵士の鎧には特徴もなく、旗印すら持たない相手だったにも関わらずラングレンの手の者達であることをアラフェン侯爵は確信していた。

それは、やはり内々にラングレンから話が回っていたと考えるのが自然だ。

 

「そういう意味でも俺はミスをしたわけだ。アラフェン侯爵はラングレンにビビって力を貸してくれなかった」

 

リンは「なるほど」と言って頷く。

ハングは今の講義を噛み締めて自分の血肉にしようとしているリンの横顔を見て、開きかけた口を噤んだ。

 

ハングはアラフェン侯爵が兵を貸してくれなかった理由がそれだけではないと踏んでいた。だが、それは口に出すことはしない。リンが知る必要は無いことだった。

 

その時、突如轟音が響き渡った。

 

「な、なにっ!」

 

咄嗟に腰の剣に手を伸ばすリン。

ハングは静かにその手を制した。

 

地が揺れるような激しい音がしていた。周囲を見渡せば、遠くで夜の闇に紛れて水柱が上がっていた。遠目には滝のように見えるかもしれないが、あれが地面から吹き上がっていることをハングは知っていた。

 

「あれ、なに?」

「『竜の寝息』とか呼ばれてるやつだ」

 

ハングは地中から湯が定期的に湧き上がるこの現象の言い伝えと真実について、しばらくリンに教えた。

 

「へ~そんなことがあるの?」

「この地方独特の地形でな、珍しいから近くで見るのに金をとってるらしい」

「へ~・・・」

 

そんな話をしているうちに夜風の冷たさが少し増したようだった。

ハングの隣でリンが小さくくしゃみをした。

 

「冷えてきたか?」

「うん、少し」

「そろそろ戻るか?」

 

リンが小さく頷いた。

ハングは先に立ち上がり、リンに手を伸ばす。

 

「ほれ。お手をどうそ、リンディス様」

「ふふ、ありがと」

 

ハングの腕を取って立ったリン。

ハングは「こういうことにも慣れておけよお姫様」と言って、先に宿の中に入ろうとする。

そんなハングの背中を見て、リンは意を決して声をかけた。

 

「ハング・・・」

「ん?」

 

ハングは後ろを振り返った。そして、反応してしまったことを半ば後悔する。

ハングはリンの表情を見て、話題を逸らしきれなかったことを悟っていた。

最後の最後に隙を作ったのはハングのミスであった。

 

本当に今日は失敗してばっかりだ。

 

ハングは心の中でぼやく。

そんなハングにリンが尋ねた。

 

「『エミリ』って、誰?」

 

そう聞いたリンは幽霊の真偽でも確かめようとしているかのような顔をしていて、ハングの苦笑を誘う。

この話題を深く掘り下げたくないハングは手短に答えることにした。

 

「妹だよ・・・死んだけどな・・・」

 

そう言ったハングはリンに背を向け、続けて小さな声で何かを呟いた。

それは、再び吹き上がった『竜の寝息』の音に紛れ、誰にも聞き取れはしなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンとハングはそのまま部屋に戻らずに直接湯の方へと向かった。

リンは先程の話題を続けることはせず、すぐに話を湯の効能の方へと変えた。

ハングはその気遣いに乗り、自分の知りうる知識をリンに教えていた。

 

「まぁ、だから病気の元がここの湯の中で生きられないんだと。それで万病に効くとされてるが、逆にこの地特有の病みたいなものもあるらしい」

「へぇ、そうなんだ?」

「まぁ、ほとんど気にしなくていい程度の確率だけどな」

 

ハング達は旅の間は川や泉などで行水をしたり、桶に水を汲んで体を拭くことはするが、広い空間に湯を張ってつかるなどすることは無い。貴族の館や大きな城などにはこういった物が常備されてるらしいが、少なくともハングやリンには無縁だった。

 

たどり着いた湯の入り口は男女別だ。暖簾の向こうは脱衣所へ続いていた。

 

「それじゃあね」

「ああ」

「・・・のぞかないでよ?」

「馬鹿言うな。セインじゃあるまいし」

 

セインという名前にほぼ反射的に笑ったリンとハングはその場で別れた。

脱衣所の中には『ご自由に』と書かれた手ぬぐいがあり、ハングはそれを手に取る。

服を脱いで籠に入れ、ハングは左腕に巻いた包帯を眺める。

 

湯に浸かるなら外した方が良いのだが、やはりこれを周囲に見せることに抵抗があった。

結局ハングはその包帯の結び目を確認して、そのまま湯の方へと出ていった。

 

脱衣所から一歩外に出て、ハングは目を丸くしていた。

 

そこには湯気がもうもうと立ち上る巨大な湯舟が広がっていた。地面に穴を掘って、石を敷き詰めた場所に大量の湯が溜まっている。そこはハングが思っていた以上に大きく、湯気で湯舟の反対側が霞んでいる。

 

「はぁ〜・・・」

 

ハングは感嘆のため息を漏らした。

 

これでこの辺りでは安い宿なのだから恐れ入る。

 

湯船の周囲は高い板壁に囲われて中が覗かれないようになっていた。

ハングは左隣の板壁の向こうからも湯気が昇っているのを見て、向こうが女湯だとあたりをつけた。

案の定、すぐに隣からリンとフロリーナが驚く声が聞こえてきた。

 

「すごーい!なにこれ!!こんなにお湯が張ってあるのなんて初めて見た!!」

「小さな湖みたい・・・」

 

2人のはしゃぐ声がする。ハングはわずかに赤面した。

ハングとて男だ。2人の声から、壁向こうにいる女性2人の姿を想像してしまうぐらいには人並みの想像力を持ち合わせていた。

 

「おーい、リン。こっちに声届いてるぞ」

「えっ!?あっ、そっか、男湯が隣なのか・・・あぶないあぶない・・・」

 

このまま2人を放置していたら何の話していたのかは興味あったが、ハングはそれ以上は考えまいとした。

ハングは自分の煩悩を流すつもりで、桶で湯をすくい体の垢を落とした。

心身ともに清めた心持ちになり、ハングは湯へと体を沈めた。

 

肩まで身体を湯に沈めると、長旅で凝り固まった筋肉が湯の中で解れていくのがよくわかる。

 

「くあぁ~こいつは効くな~」

 

今日の戦いでついた傷に湯がしみこんで痛みがあったが、それを我慢すれば最高に気持ちがよかった。

 

「ハング~そっちはどう?」

「最高だよ~ここまで良いものとは思わなかった・・・セインやウィルの意見を聞いてて正解とはな」

「ほんとね~」

 

壁向こうから聞こえてくるリンの声は呆けたように間延びしていた。

彼女も湯に浸かって旅の疲れをいやしているのだろうとハングは思う。

 

フロリーナの声は一切聞こえてこなくなったが、それも恥ずかしがり屋の彼女なら仕方なしであろうとも思った。

 

「・・・・はぁ・・・・」

 

自然と漏れたハングのため息。それは、湯から湧き上がる湯気の中に紛れて消えていく。

 

白濁した湯の中に浸かりながら、ハングは自分が溶けていくような錯覚を覚えていた。

 

このまま、ずっとここにいれば自分の抱えるなにもかもが流れ出していってしまうような気がした。その感覚はどこか不安でもあり、どこか懐かしいような気持にハングをさせていた。

 

「・・・永住したくなる人が多いってのも・・・頷けるかもな・・・」

「そうね。でも、私はそれはいいかな・・・草原の中に寝転ぶ方が好き」

「お前は本当に根っからのサカの民だな」

「当然よ」

 

どこか誇らしげなリンの声を聴きながら、ハングは自分の故郷にも思いを馳せる。

 

家族4人で過ごした森の中にある小さな村。

 

ぬるま湯の中に浸りながら、ハングは自分の頬が緩んでいくのを自覚していた。

それは決して悪い気分ではなかった。



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間章~湯気に紛れて(後編)~

ハングは肩まで湯に沈めて、呆けた顔で夜空を見上げていた。

 

「おや、ハングさん」

「マシュー。いたのか?」

「ええ、さっきからずっと」

 

湯の中を泳ぐように近づいてくるマシュー。ハングがここに来てからこの湯船に入ってきた人をハングは見ていない。

ということは、ハングが入る前からマシューはいたことになる。

 

「いやー、ハングさんもそうやって雑談とかする人なんですね」

「どういう意味だ」

「いえいえ、深い意味はありませんよ」

 

マシューは機敏な仕草でハングの隣の場所に居座る。

湯は濁りがあるために体を隠す必要はないが、ハングは警戒心を込めて少しマシューから離れた。

 

「マシュー、今持っている短刀は後でしっかり手入れしとけよ。こういう場所の湯は金属を錆び易くするらしいからな」

「ハハハハ、やだなぁ。短刀なんて持ってませんよ」

「盗賊ともあろう人間がやけに無用心だな」

「俺だって気を休めたくなる時もあるんですよ」

 

ハングは湯を手のひらですくい上げる。湯舟一杯に満たした温泉は白く濁って見えるが、手元にすくってみるとそれほど湯に色はついていない。

 

「ただ一つの嘘なら見通すのは意外と簡単だ。問題は、真実の中に少量の嘘を混ぜた場合。どこを探せばいいのかまるでわからなくなる」

 

マシューは何も言わなかった。

 

「こいつは俺の独り言でお前に向けられた言葉でもなければ、別の誰かに伝えたいことでも無い」

「や~長い話になりそうですね。俺、あがろうかな~」

「まっとうな盗賊がわざわざどちらかの軍に入ろうとするとは考えにくい。本来なら戦いが起きたのを見計らって火事場泥棒でもするのが関の山だ。もちろん、別に目的が無ければの話だが・・・」

 

マシューは気のなさそうに湯の中で沈んだり浮いたりして波を起こしていた。

 

「ついでに言えば、剣を逆手に持つ構えの訓練を受けてる奴は少ない。アーマーキラーなんつう難しい剣でそれをこなせる奴は更に限られる」

 

波が高くなり、ハングの顎の近くまで湯がやってきていた。

 

「あとは、言葉遣い。あまりにも訛りが無さ過ぎる。盗賊にしては礼儀も知り過ぎだ」

 

マシューは浮き沈みの周期を変え、今度は波を打ち消しにかかった。

 

「で、決め手はあのお喋りシスター。あいつの事情を鑑みれば自ずと答えは出る」

「うーん、やっぱりそこなんだよな~なぁ、ハングさん。今からでもあのシスター追い出せません?」

「俺が聞きたいことはただ一つ。お前や・・・後ろにいる誰かさんは俺たちに見返り無しで手をかしてくれる。それで、間違いないな?」

「いやいや!それは困りますって。俺は雇われものですよ。仕事したら金をもらわないと」

 

ハングはマシューを斜目に見る。

その鋭過ぎる目元にもマシューは何も応えた様子は見せなかった。

 

「お前に対する報酬。それだけでいいんだな?」

「他に何かくれるなら貰っときますよ。最近は『力のしずく』とかの値が上がってますしね」

 

ハングは湯の中で人差し指を突き出し、マシューの脇腹にあてた。

それでもマシューの表情は変わらない。

 

「信頼していいんだな?」

「ええ、もちろん」

 

ハングは軽く脇腹を殴った。

 

「いってぇ!暴力はんたーい!」

「うるせぇ、そんなに強く殴ってねぇだろ」

 

その時、脱衣所に続く扉が開く。

 

「おほ~すげぇ!」

「確かにな」

 

セインとケントだった。なぜか、セインの鼻が腫れており。誰かに拳骨で殴られた跡があった。

 

「それじゃあ、俺はあがりますかね」

「勝手にしろ」

 

湯からあがったマシューはハングに手を振る。マシューはその掌の中に小さなナイフを隠し持っていた。

それをハングにわざわざ見せて磨く仕草をする。

 

「食えない奴だ・・・」

 

ハングはそう呟いて再び肩の力を抜いたのだった。

 

「うわー!!なにこれ!すっごーーい!!」

 

女湯の方からセーラの声が響く。

また、姦しくなりそうだと察したハングは湯舟から上がろうかと思案する。

 

「ウィル、セイン・・・覗こうとか考えるんじゃねぇぞ」

 

ハングがそう言うと、ウィルが乾いた笑い声をあげた。

 

「そんなことしないよ。ねぇ、ケントさん」

「もちろんですとも!私は誇りある騎士ですよ、そんなことをするわけが」

 

そんな時、隣からリンの小さな悲鳴があがった。

 

「ちょっ!セーラ、どこ触ってるの!!」

「えぇーいいじゃない。ちょっと見せなさいよ減るもんじゃないんだし」

「そういう問題じゃないでしょ!!」

 

ハングはその時、ウィルとセインの目に好奇心が光るのを見逃さなかった

 

「ハング、お前はもうあがらないのか?」

「・・・もう少し浸かっていく」

 

ウィルが女湯の方をちらちらと見ていた。

 

「では、ハングさん。蒸し風呂にいきません?あそこの小屋がそうなんですよ!」

「へぇ・・・蒸し風呂か・・・面白そうだな」

「でしょ!さぁさぁ!!」

 

ハングは二人を豚を見るような目で眺める。

そんな視線など全く意に介さずに二人は男湯の中で使えそうなものを目で探し回っていた。

 

「・・・・・・」

 

ハングはひとまず湯舟からあがった。

蒸し風呂の方へ向かう様子を見せる。

 

その背後ですぐさまウィルとセインは行動を開始していた。

 

「ちょっ・・・セーラさん!やめてください!」

「あら、フロリーナも意外と・・・」

「セーラ、いい加減にしなさいって!!」

 

すぐさま板壁に張り付き、わずかな隙魔を探して右往左往する。

 

「セインさん!これ、この桶使えますよ!!」

「おう。でかしたぞウィル。ならば上から・・・」

 

その背後に忍び寄る影。

 

「お前ら・・・さっさと・・・風呂入れ!!」

 

ハングはセインに足払いを仕掛け、その頭蓋を鷲掴みにした。後頭部から石畳の地面に叩きつけて昏倒させる。

 

「は、ハング!お前、蒸し風呂行ったんじゃ・・・」

「お前らがいると、俺の精神衛生上良くねぇんだよ!!」

 

ただでさえ、これから厳しい戦いが増えてくるというのに余計な心労を増やされてなるものか。

ハングは動揺するウィルの顎をかすめるように拳を振った。

 

「がっ、なっ・・・ぬぁあ!!」

 

頭を揺さぶられ、ウィルの膝が砕ける。

ウィルは女湯を仕切る板壁に激突し、そのまま大の字に横たわった。

 

「ったく・・・」

 

2人がしばらくは回復しないであろうことを確認するハング。

女湯からリンの声が降ってきた。

 

「ハング、そっちからすごい音がしたけど。大丈夫?」

「ああ、ウィルとセインが滑って転んだだけだ」

 

ハングはため息と共にそう吐き捨てる。

 

「それよか、セーラ!時と場所をわきまえろ。声こっちに筒抜けだぞ」

「あら?知ってるわよ」

「・・・お前な」

 

後で説教でもしてやろうかと思案するハングだった。

 

ハングは自分の心労を癒すかのように蒸し風呂の方へ改めて足を向けた。

蒸し風呂は板張りの質素な小屋であった。そこに長椅子が数台設置され、床下から湯気がもうもうと上がっている。

 

「はぁ・・・」

 

蒸し風呂の中の熱量が湯気と共に体内に入っていく感覚。ハングの身体にはすぐに玉の汗が浮かんでくる。それは自分の中の不純物を絞り出しているかのよう。

ハングは蒸し風呂に入ったのは初めてであったが、かなり気に入った。

 

しばらくすると、ケントも蒸し風呂の中に入ってきた。

 

「よう、ケント」

「ハング殿・・・」

「ここは風呂場だ、裸の付き合いといこうぜ。敬称は省略しろよ」

 

そう言って、笑みを浮かべるハング。

ケントは一度息を吐き出し、蒸気を多分に含んだ空気を吸い込んだ。

 

「わかりました。ハング」

 

ハングは唇の端で笑う。堅物一辺倒と思われがちなケントであるが、こういったところの柔軟性は持ち合わせていた。

 

「セインとウィルはまだいたか?」

「女湯の方を覗こうとしてましたので、成敗しておきました」

「またやってんのか、あいつらは・・・」

 

ケントはハングと同じ長椅子に座る。

2人は無言で蒸し風呂の熱量を浴び続けていた。

蒸気の満ちる蒸し風呂は呼吸がしずらく、考える機能が次第に麻痺していく。ここしばらく、頭を全力で使い続けていたハングはここぞとばかりに思考を停止していた。

ハングは緩み切った顔を見せ、小屋の天井を仰ぎ見ていた。

 

そんなハングに対して、ケントの方は逆に何かを思案する顔をしていた。

しばらくして、ケントが口を開いた。

 

「ハング、少し聞きたいことがある」

「ああ、聞かれるんじゃないかと俺も思ってた。思ったより口を開くのに時間がかかったがな」

 

ハングは緩んだ顔のままそう答えた。

 

「ハング、どうしてアラフェンで兵を借りるのが嫌だったんだ?」

 

ハングは右手の爪で頬をひっかく。

アラフェンで偽造通行書を作ってもらう命令を受けたのは他ならぬケントであり、その命令を発したのはハングだ。

ハングはそのうちケントに聞かれるんじゃないかと思ってはいたのだ。

そして、それこそがケントをアラフェン侯爵への使いに選んだ最大の理由でもあった。

 

「ケント。お前、口は固いか?」

「相棒よりは・・・」

「なら十分だ」

 

セインはああ見えて約束は守る男であると、ハングは評価していた。時に調子に乗ることはあるし、信用ならない瞬間もあるが、大事な場面でその根底が揺らぐことはない。

そのセインより信頼してくれというのなら大丈夫だろう。

ハングはケントの言葉を信じ、語りだした。

 

「俺はな・・・できればアラフェン侯爵とリンを会わせたくなかった。そして、それ以上にあまり力を借りたくなかったんだよ」

「なぜ?」

「理由は・・・あんま言いたくねぇな」

「言いづらいことなら、無理には聞かないが・・・」

「そういうんじゃねぇんだよ。あんまりにも・・・その・・・くだらない・・・かな?」

「くだらない?どういう意味だ?」

 

ハングは前かがみになり、大きく深呼吸をした。

息を吐くと胸の奥底からハングの中の冷たい空気が流れ出してくる。

 

「なあ、ケント。どうしてアラフェン侯爵がサカの民を毛嫌いしているか、考えたことあるか?」

 

首を横に振るケント。

 

「それは、アラフェン侯爵が兵を貸す約束を覆したことにも関係があるんだが・・・時系列を追って話すか・・・」

 

ハングはそう自問し、改めてアラフェンに関する話を始めた。

 

「まず、リンの母親であるマデリン様の駆け落ち騒ぎにまで遡る。その当時、マデリン様には求婚する侯爵が大勢いたってのは確かセインが言ってたな」

「ええ、私もそのような話は何度か耳にしました」

 

ケントの口調が戻りつつあるのも気になったが、今は話を切りたくなかったので話を続ける。

 

「その中の一人がアラフェン侯爵だったらしい。なんでも地位とか領地とかそんなん関係なく、純粋に懸想してたそうだ。で、その中で起きたサカの青年との駆け落ちだ。サカの民が嫌いになる原因だよ」

「それは・・・」

「まぁ、早い話が嫉妬だよ。で、昔愛した女性の娘が頼ってきた。そりゃ、二つ返事で兵を貸すことは了承するだろうさ」

 

ハングの首筋から汗がしたたり落ちる。そろそろ一度外に出ようかとも思いながら話を続ける。

 

「そんで、俺は二つの可能性を考えていた。まず、本当に兵を貸してもらえた場合。そこにはアラフェン侯爵の裏が確実に存在する。『ラングレンを倒せたのは自分が力を貸したおかげ』だとかなんとか言い張って、次期侯爵となりうるリンに恩を売ろうって魂胆だったろうさ。なにせ、リンはマデリン様の娘だ。リンにマデリン様を重ねて結婚を迫ることもありうる。つまり、俺が嫌だったのは『アラフェンの兵がリンの命を救う』ってことだ」

 

現に今回の戦いでアラフェン領の傭兵であるラスがリンの命を救っている。

ラスはそのことを些細なこととしかとらえてなかったようだが、状況が異なればハングとしては面白くない状況になっていただろう。

 

「それこそ、リンがマデリン様の生き写しとかだったら間違いなく大量の兵を貸し付けてきてただろうな」

 

ケントの眉が寄る、なかなかに凄い顔になっていた。

おそらくセインはこの顔を毎日のように眺めているんだろう、などとハングは思った。

 

「まぁ、そん時はアラフェン兵には背後の警戒とか見張りとかを押し付けるつもりだったけどさ。向こうの思惑になんか乗る気はない。それでも兵を借りたって事実がなくなるわけじゃないから、多少の恩義は覚悟してたが」

「そういうことは先に言っていただければ」

「お前は相手によって顔を取り繕うことはできるけど、露骨に態度が悪くなる。交渉時にそれはまずいだろ?」

「ん、んむ・・・」

「お、自覚があったか?」

「自覚というか・・・信頼しない相手に態度が固くなるとは何度か言われました」

「誰に?」

「リンディス様に・・・」

 

へぇ、あいつ・・・

 

後でなんか奢ってやるかと、ハングは心の中で呟く。

 

「そんで、もう一つの可能性ってのが実際に起きたことさ。リンがサカの血を色濃く受け継いでたから、アラフェン侯爵はマデリン様よりも駆け落ちした相手、愛する人を奪ったサカの青年を思い出したんだろう。で、あの結果さ」

 

ケントは溜息を吐いた。

それが侯爵に対するものなのか、リンに対するものなのか、ケント自身に対するものなのか、ハングには分からなかった。もしかしたら、ハングに対してのものかもしれないと思ったが、深くは聞くことはしなかった。

 

「つまり、どっちに転んでもいいことがない。とりあえず、最低限の協力だけで済ましてさっさと抜けようと考えてたってわけだよ」

「ハング殿・・・ああ、失礼。ハングはいったいいつからそれを考えていたんだ?」

「さあな、いつからだと思う?」

 

ハングはそう言って長椅子から立ち上がった。

 

「全く、恐ろしい人だ」

「褒め言葉として受け取っとくよ。それよりも、今の話は他言無用だ。時には知らない方がいい真実ってのもある」

「わかりました」

 

ハングは額から流れ落ちる汗をぬぐいながら、外へと出た。夜の風が火照った身体に心地よかった。

そこではなぜかセインとウィルが正座させられていた。二人を怖い目で睨むドルカスが妙に印象的だった。

 



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7章~旅の姉弟 ① ~

『許さない・・・あいつらを・・決して許さない・・・』

 

それは全ての色を混ぜた絵の具のように混沌としたどす黒い感情。

 

怒りと呼ぶには深過ぎる。

悲しみと呼ぶには苛烈を極める。

苦しみと呼ぶには少し冷たい。

 

『憎悪』

 

そのような一言で片付けられないのはよくわかっている。

 

だからといって他になんと言えばいい?

 

心という海に激しく渦巻くようなこの感情を、全ての想いを暗い海底に引きずり込むこの想いを、常に轟音を以て問いかけてくるこの記憶を、どうやって、表現すればいい?

 

それを可能にする言葉を残念ながら持ち合わせてはいない。

 

誰の話かって?

 

少なくともリンのことではない・・・

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

アラフェン領を抜けてカートレー領へと足を踏み入れた一行。この領地を抜ければ次はいよいよキアラン領へと入ることになる。

急いでもまだ十日はかかる位置。祖父の身が危ないとの話を聞き、リンは日に日に焦りを見せるようになっていた。

 

「ハング、少し行軍を速められない?」

 

豆を挟んだパンを食べているハングの背中にリンがそう声をかけたのは、まだ日も登らない朝早い時分であった。

ラスとマシューが参加したことで、全員で11人、馬4頭、ペガサス1頭という大所帯になっている『リンディス傭兵団』。

泊まる宿も自然と大きなものになり、ハングが今いる食堂もかなり広いものであった。

食堂の中にはハング達以外にもまばらに人が座っていた。

 

「リン、それは無理だ」

 

ハングは振り返ってそう言った。

 

「これでも予定以上の速度で進んでる。これ以上急ぐなら危険な近道を通らざるおえない」

「・・・近道があるの?」

 

ハングはリンの顔を見上げた。

不安と焦りで今にも泣き出してしまいそうな顔だった。それでも、必死になって希望を探そうとしているのがハングからは手に取るようにわかった。

 

「山間部で見通しが悪く、馬の行軍速度を生かせない隘路だ・・・それでもいいか?」

 

リンは咄嗟に「それでもいい!」と言いかける。

 

「リン」

 

だがそれは、ハングの静かな声に遮られた

リンは出かかった言葉を飲み込んだ。ハングの目が酷く冷たいものになっている。

まるで、育ちの悪い家畜でも見るような目。リンは身体が瞬時に強張るのを感じた。

 

ハングは感情が張り詰めたかのような声音で続ける。

 

「口に出したら・・・答えと受け取るぞ」

 

ハングの鋭い視線がリンを射抜く。その目にリンの浮足立った考えもまた冷たくなっていく。

リンは唇を噛んで俯いた。

 

「ダメね・・・待ち伏せでもされたら・・・」

「そうだ。わかってくれて助かるよ」

 

ハングの声が弛緩していった。

それはハングが毎夜の講義で何度も繰り返し説明してきた戦術の一つだ。

隘路を通る相手への奇襲の有効性はリンも頭の中に叩き込まれている。

それでもなお、進むという答えを出していたなら、ハングは間違いなく雷を落とすことになっていた。

 

「リン、焦る気持ちはわかるが、無茶をしても仕方ないぞ」

 

ハングはリンを宥めようとする。だが、返ってきた答えは固いものだった。

 

「わかってるわ」

「リン・・・」

「わかってる・・・」

「・・・だと、いいんだけどな」

 

ハングはパンの最後の一欠片を口に放り込み、席を立って食堂を後にした。

食堂の出入り口で後ろを振り返ると、リンがハングが座っていた椅子に沈み込むように座ったところであった。

 

「わかってるかね・・・ほんと」

 

ハングはそのまま宿の玄関へと向かい、外に出た。

 

ここは市壁の無い宿町だ。目の前には山々が姿を見せた朝日に照らされて、神々しい姿を見せてくれている。左手に視線を移せば遠くに川が見え、光が反射して煌きを放っていた。もし、ハングがエリミーヌ教の信者であれば、この美しい光景に恭しく祈りを捧げた場面であろう。

 

だが、彼はそういった宗教とは無縁の人だった。

ハングは朝の幻想的な風景を堪能しに外に出てきたわけではなかった。

ハングは周囲を見渡し、一人の仲間の名前を呼んだ。

 

「マシュー」

 

どこからも返事は無い。

 

「マシュー・・・いないのか?」

「ここッスよ!」

 

その声はなぜか後ろから聞こえた。

ハングが振り返るとなぜかマシューは宿の中から出てくるところだった。

 

「お前な・・・もっと密偵っぽく登場できないのか?こう、突然跪いて現れて『ここに・・・』とか」

「だから、俺は密偵じゃないですって」

 

ため息をついたハングは早速本題へと入った。

 

「で、どうだった?」

 

ハングのその問いにマシューは肩をすくめた。

 

「キアラン国境まで行ってきましたが、やっぱりハングさんの言うような噂はありませんよ。ハングさんの読み違えってことはありませんか?」

「それは無いだろう。ここまでやって、これだけとは考えにくい」

「俺もそう思います」

 

だったら最初から質問するな。

 

ハングはマシューを睨みつけた。やはり、マシューはどこ吹く風だ。

 

「まぁ、いい・・・しかしなぁ・・・」

 

ハングは少し考え込む。

 

ハングが悩んでいるのは行軍速度だった。

ハングがリンに言った通り、ここに至るまでの道のりはハングの予想以上に順調であった。この町に到着したのも予定より2日程早い。

 

問題はまさにそこであった。

 

「やっぱり、問題はリンだな・・・」

 

ハングが頭の内部で思考を回転させている。

その最中、不意にその思考回路が断ち切られた。それは怒鳴り声だった。

 

「ん?なんでしょう?」

 

マシューが振り返る。怒鳴り声は宿の中から聞こえてきていた。

 

「・・・さぁな」

 

普通の喧嘩であればハングは無視したであろう。だが、その怒鳴り声から並々ならぬ気迫をハングは感じ取った。必死に何かを追い払おうとしている迫力。言葉の端々には明確な拒絶の意図が含まれていた。

 

ハングとマシューは顔を見合わせる。

 

ハングとしてはこの騒ぎが傭兵団の誰かであった場合はあまり喜ばしい事態ではない。ハングは状況を確認するためにも再び宿に戻って行った。

 

玄関から入った場所は少し広いロビーのような造りになっている。そこで、この宿の主人が淡い緑色の髪をした少年を怒鳴りつけていた。

それは、親見習いの小僧を叱っているような生易しいものではなかった。

 

「早く出ていけ!揉め事はゴメンだっ!」

 

そう言って、少年を太い腕で突き飛ばす主人。少年は尻もちをつきながらも、拳を握り、必死に何かを訴えようとしていた。

 

「おじさん、どうして?昨日は・・・あんなに・・・」

 

ロビーには怒鳴り声を聞きつけた人が、あちこちから人が集まってきていた。その中には『リンディス傭兵団』の面々も混じっていた。

 

「子供二人の旅芸人だからと思って親切にしてやったが・・・あんな奴らに追われてるなんざろくなことをしてないはずだ!とっとと出ていけ!この疫病神がっ!」

 

倒れた少年に向けて振り上げられる足。ハングはそこに加減というものが欠片もないのを瞬時に悟った。

大人の蹴りがあの華奢な体格の子供にとってどれだけの威力があるのかなど想像に難くない。

 

「おいっ!!」

 

咄嗟にハングの体は動いていた。そして、彼が少年の前に立ちふさがるのと、その腹にブーツの先がめり込むのはほぼ同時だった。

 

「ぐふっ!」

「ハングさん!!」

 

マシューの驚いたような声を聴いたところで、ハングの膝が崩れた。

そして、蹴りを放った店主はというと、突然割り込んできたハングに困惑したような表情を浮かべていた。

 

「な、なんなんだあんた」

「目の、ま、前で、子供が、蹴られるとこを、見たくない、だけだ」

 

ハングはなんとかカッコいいこと言ったつもりだが、息が絶え絶えなのでしまらない。

だが、痛みを耐えるハングの姿は周囲の人達の空気を変えた。自然と非難の視線が店主に集まる。その状況を目の端で確認したハングは痛みに耐えながらほくそ笑む。店主とて、ここまで周囲に客がいる中で暴力を振るうことはできない。店主はきまりの悪い顔をしながら、最後に少年に向かって怒鳴った。

 

「と、とにかく!さっさと出ていけ!」

 

店の主人はそう言い残して、奥の部屋へと消えていく。

 

「はぁ・・・」

 

ハングはなんとかこの場を収めたことに安堵のため息を漏らした。

 

「ハングさん!」

 

真っ先に寄ってきたマシュー。

 

そういう優しさが盗賊とはかけ離れてんだよ。

 

と、思ったハングだが、今も息は絶え絶えであり、言葉にはできなかった。

 

「ハング、大丈夫なの?」

 

リンもまたすぐにハングの隣に膝をついた。他にもハングの周りには心配した仲間達が集まってきている。

ハングは鳩尾を蹴り飛ばされて呼吸が一時的にとまっただけで大事には至っていない。だが、それを説明する前に、ハングにはやることがあった。ハングはマシューを押しのけて怒鳴りつけられた少年と目を合わせた。

 

「大丈夫だったか?」

 

ハングはかすれ気味の声になりながらそう言った。

 

その少年はハングとマシューの間で視線を行き来させ、その隣のリンと腰に帯びている剣を見た。少年はそれから自分達を見下ろしている傭兵団の顔触れを見る。そして、少年の視線が再びハングの元へ戻ってきた時、ハングはその目の中に小さな決意が宿っているのを見定めた。

 

「あ、あの・・・ありがとうございます」

「なに・・・子供がぶちのめされるのを、見ないふりができなかっただけだ」

 

ハングはそう言うが、強がりであるのは誰の目から見ても明らかだった。

少年は続ける。

 

「あ、あの・・・お兄さんたちもしかして、傭兵団かなにか?」

 

ハングはその質問を聞き、内心でこの少年を見る目を変えた。

 

ハングの周囲にいる人達は寝起きで武装は最小限だ。それでも、セーラなどの例外を除き、戦いを専門とする空気を帯びている者がいる。この少年はそれを敏感に感じ取ったのだ。

 

なかなか聡明な子供のようだとハングはこの少年を評価した。

 

「・・・だと・・・したら?」

「力を貸して欲しいんだ!」

 

少年と目が合う。ハングはそこに必死の願いを感じ取った。

 

「ハング殿、子供とはいえ気をお許しになりませんよう」

 

食堂の入り口あたりからケントが水を刺してくる。

ハングは息苦しさを緩めようと、肺に大きく息を入れながら喋った。

 

「わかってるよ・・・なぁ、リン?」

「え、ええ・・・」

 

まだ息の整わないハングに変わり、リンが少年に向けて口を開いた。

 

「・・・悪いけど、私たち急いでるの。他を当たってもらえる?」

 

リンの声は非常に硬い。

 

本当はそんなこと言いたくないのだろうと、ハングは思った。リンの性根が真っすぐであることをハングは疑ったことはない。子供に助けを求められ、リンは応えたいに決まっている。

だが、状況はそれを許さない。リンの祖父が病という噂を聞いた今、時間は有限なものに変わってしまっていた。

ハングが見たリンの横顔は努めて感情を殺しているかのようだった。そして、それは迷いがあることの証明でもある。

 

「今すぐじゃないとだめなんだよ!」

 

床についた少年の手は強く握り締められたままだ。

叫ぶように、訴えるように、少年は続ける。

 

「ニニアンが・・・ぼくの姉さんが、あいつらに連れていかれてしまうっ!!」

「お、お姉さんっ!君のお姉さんが誰かに捕まってるのか?」

 

セインがいち早く一部の単語に反応した。

状況が状況だったので誰も表情を変えなかったが、ケントだけは眉間に皺を寄せた。

だが、ハングはリンの顔色が変わるのも見逃しはしなかった。

 

「セイン!」

 

怒りを露わにするケントだったが、少年は脈ありと見たのかセインに詰め寄った。

 

「うん!すごく悪いやつらなんだ。ニニアンを連れていかれたら・・・ぼく・・・どうしたらいいか・・・」

 

セインは大げさに顔を真面目にして、リンとハングを振り返る。

 

「リンディス様!ハング殿!人助けですっ!!」

 

やかましい、馬鹿野郎

 

と、言おうとしたがハングが口を開く前にケントの怒鳴り声が飛ぶ。

 

「セインッ!我らは急ぎの旅なのだぞ!!」

「待って、ケント」

 

それをリンが遮った。

 

「ケント、ごめんなさい・・・でも、私・・・この子を助けてあげたいわ」

「リンディス様!」

「・・・私も・・・おじい様のことは心配・・・」

 

リンの声は少し沈んでいた。バカなことを言っている自覚があるのだろう。

 

「だけど!子供から家族を奪うような奴らを許してはおけない・・・!」

 

それがリンの単純な正義感や慈善の心から来るものであるとはハングは思えなかった。

ある種の敵討ち、もしくは憂さ晴らし、八つ当たりとも言えるかもしれない。

リンはおそらく少年と自分を重ねているのだろうとハングは思った。

 

『家族を理不尽に奪われた少年』

 

ハングにはリンが救いの手を伸ばしたくなる気持ちは理解できた。

もちろん、納得できるかと言われればその限りではなかったが。

 

人としては正しくても、傭兵団の上に立つ者としてどうか、という話だった。

 

「・・・わかりました」

 

ケントが硬い声で返事をした。

それに、リンが申し訳なさそうな顔をする。

 

「ケント・・・ごめんなさい」

 

ケントは静かに息を吐き出して表情を緩めた。

 

「謝らないでください。私は、あなたの臣下です。リンディス様はお心のまま動かればいい。その決断がどんなものでも私はついて行きます」

 

さすが騎士だな。

 

ハングはその姿勢に賞賛の意を込めて拍手を送ってやりたいと思った。

騎士はそれでいい。

君主の心に従い、正と義の道を踏み外さない限り剣と盾として共にある。

 

だが、『軍師』はそういうわけにはいかないものだ。

 

そして、そんな中でリンは集まっていた皆に声をかけた。

 

「それじゃあ、みんな。戦闘準備をお願い!」

 

その一言で傭兵団の面々が散って行く。

馬を使うものは外へ、武器を準備するものは部屋へ。

セインは一際気合を入れて外に飛び出していった。

急に慌ただしくなったロビーにはハングとリン、少年が残された。

 

「ありがとう!よろしくお願いします、リンディス様!」

 

少年はリンのことを『リンディス様』と呼んだ。ケントがリンのことをそう呼んでいたからだろう。少年にしてはやはり洞察力が高い子だとハングは思った。

 

だが、今はそんなことよりも大事なことがあった。

 

「リンディス様・・・相手はすごく強いやつらだから気をつけてね」

「大丈夫、まかせておいて。ね、ハング」

 

リンはハングの顔を覗き込む。

 

そして、後悔した。

 

そこには面を被ったように凍りついたハングの満面の笑みがあった。

温和な顔のはずなのに、リンの顔が引きつったように強張る。

いやな汗が流れ落ちるのを止められない。

 

「あ、あの・・・ハング?」

「あとでな・・・」

 

リンの背筋に戦闘に対する恐怖とは全く別の種の恐怖が駆け抜けた。

確実に激昂してるであろうハングの表情はすぐに消え、いつものものに変わった。

ハングはようやく整ってきた息を吐き出し、少年に声をかけた。

 

「そういや、少年。まだ、名前聞いてなかったな」

「ぼくは・・・ニルス。吟遊詩人だよ」



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7章~旅の姉弟 ②~

「よし、全員そろった・・・なかなか素早くなってきたな」

 

ハングは宿の前に集まった皆の前で一人ほくそ笑んだ。

準備を始めてから、完了までの時間は短ければ短い程良い。『リンディス傭兵団』を預かる軍師として、ハングは全員に素早い行動を日頃から心がけるように指導してきた。

その成果がキアラン領に入る前に実感できたことにハングは満足だった。

 

そんな時だった。

 

「あ、あの・・・」

 

不意に一人の女性が声をかけてきた。

金髪の長い髪と女性にしては少し低い声、そしてスッと通った目鼻立ち。

まさに美人を絵に描いたような人だ。

 

だが、ハングにはなぜか違和感があった。

その理由がわからぬままに真っ先に対応したのはセインだった。

 

「おお、どうかされましたか美しい方!私でよければ・・・ああ!ダメだ!今はダメなんです!ですが、今の案件を片付けたらその後に・・・うわぁぁ!」

 

やかましかったので、ハングが投げ飛ばした。

その隣でセーラもボヤく。

 

「フン、私程じゃないけど・・・そこそこ美人ね」

 

あのセーラをここまで言わしめる程の美形。

セインを背中から地面に叩きつけたハングは改めてその人を見る。だが、まだ違和感の正体がわからなかった。リンも同じように感じているのか、首を捻っている。

そんな中でフロリーナがさりげなくリンの後ろに隠れた。

 

「どうしたの、フロリーナ?」

「え、えと・・・私、緊張して・・・」

 

フロリーナの反応に疑問符を浮かべるリン。

 

「す、すみません。驚かせるつもりでは・・・」

 

控えめにそう言った彼女。

そして、リンがふと呟いた。

 

「僧服・・・?」

 

その一言でハングは自分の抱えていた違和感の正体に気が付いた。

この人はエミリーヌ教の僧服を着ていた。『尼服』じゃなく、『僧服』を着ている。

 

つまるところ・・・

 

「神父さまですか?」

「はい」

 

男性である。

一同に一瞬、沈黙が流れた。

そして、セーラが叫ぶ。

 

「ええええええ!男の人!うっそ!私より美人なのに!」

 

あ、認めた。

 

ハングは心の中でそう呟いた。

そして、地面から這い上がろうとしていたセインが崩れ落ちる音がした。

 

「う、嘘だ・・・そんなことって・・・」

 

セイン程ではないが、全員がかなり大きな衝撃を受けていた。あのラスでさえ驚愕で目を見開いているほどだ。

おそらく、フロリーナは彼が男性であることを敏感に感じ取っていたのだろう。

 

驚愕の最中にあるハング達を前にしてその男性は慌てて手を横に振った。

 

「あ、いえ違います・・・まだ修行中の身ですから神父ではありません。エリミーヌ教の修道士、ルセアと申します」

「で、その修道士が俺たちになんか用か?」

 

ハングがそう言うと、ルセアはもうしわけなさそうに目を伏せた。

 

「その少年と宿の主人のやりとりは見ていました・・・助けてあげることもできず、申し訳ありません」

 

ルセアが小さく頭を下げた相手はニルスだった。

謝罪を受けたニルスは困ったような苦笑いを浮かべていた。

 

「いいんだ・・・別に、慣れてるから・・・」

 

ハングはそのニルスの返事に目を細めた。

宿の主人は『子供二人の旅芸人』と言っていた。そんな生き方をしていながら、怒鳴られて追い出されるような日々に『慣れている』とはどういうことだ?

ハングはニルスの赤い瞳を見やる。

この歳で姉を攫われ、何者かに追われる『何か』をこの子供は抱えているということだ。ハングは内心で舌打ちをする。

 

これは思った以上に厄介な案件かもしれない。

 

そう思案するハングの隣で話が進んでいく。

 

「・・・わたしも、手伝わせていただけませんか?少しでもその子の力になりたいんです」

 

ルセアはそう言って力強く胸元の聖印を握りしめていた。

エリミーヌ教の根本は『隣人愛』

見ず知らずの人でも、少しでも関わったのなら愛を持って接しなさいという教えだ。

 

このルセアという人は『修道士』の名に恥じない敬虐な信徒であるようだった。

 

「私も光魔法でなら戦う力があります。どうか、お願いします」

 

頭を下げるルセアにリンが応えた。

 

「もちろんよ。こっちからもお願いするわ」

「あ、ありがとうございます。あなたに聖女エミリーヌのご加護を」

 

その直後だった。リンを押しのけるようにしてセーラが前に飛び出してきた。

 

「あ、あの!わたし、セーラっていいます」

「はい、セーラさんですね」

「ああ、『セーラさん』だって・・・声も素敵・・・瞳もキレイ・・・」

 

うっとりとした表情でルセアを見るセーラ。完全にルセアしか見えていないようだった。

ハングは視界の隅でエルクが無視を決め込んだのを確認したので、マシューを呼ぶ。

 

「あれ、頼む」

「ええ!マジですか!?」

「マジだ、軍師命令、さっさと行け」

 

しぶしぶ、セーラの排除というか、ルセアの保護に向かったマシューだった。

 

「おい、ルセアさんが困ってんだろ」

「え、やっぱり困ってくれたんですか!?わたしが可愛いから!」

「ほら、お前は今回はルセアさんとは別の部隊だ。こっち来い」

「ええー!なんでよ!って、ちょっと!離しなさいよマシュー!」

「いいから来いってば!!」

「は~な~せ~~!!」

 

マシューはセーラを力技で引き剥がしにかかっていた。

盗賊としてそれでいいのか、とも思うハングであった。だが、盗賊らしく騙したところで結果の面倒さは変わらない気がした。

 

「なるほど、ああすればいいんですね」

 

ハングの隣でエルクが感心したように頷いていた。

 

「エルク、お前の腕力じゃ逆にセーラに引っ張り回されるぞ」

「う・・・それは・・・確かに・・・」

 

エルクのマントの下から覗く腕は女性と見間違うほどに細い。

魔道士としては普通ではあるが、その腕で暴れるセーラを引きづるのは難しいだろう。

自分の腕を見てため息を吐くエルクの肩をウィルが叩いた。

 

「それならエルクさん、今度一緒に訓練しません?筋力向上を目指して」

「誘いはうれしいけれど遠慮しておくよウィル」

「えー・・・じゃあハングは?」

「俺もパス。リンとの剣の稽古だけで腹一杯なんだよ」

 

これから戦闘だというのにやけにのんびりしているリンディス傭兵団。

 

その光景を見ていたニルス。

姉が攫われ、今にも追ってが現れるかもしれない今の状況。だが、不思議とニルスには焦りが湧いてこなかった。

 

この人たちなら大丈夫な気がする。

 

ニルスはなぜかそう思えたのだ。

 

だから、突如として自分の直感が危機を感じ取った時もニルスは冷静でいられたのだ。

 

「皆さん!!来ます!!」

 

直後、突如彼らから少し離れた場所に黒衣の男が現れたのだった。

 

濃厚な殺気、隠しもしない悪意。

目深に被ったフードの下からしゃがれた声がこぼれ出てきた。

 

「くくく、見つけたぞ」

 

目線は見えない。だが、彼の標的が誰であるのかは明白であった。

 

「さあ、おとなしくこちらに戻ってもらおう」

「いやだっ!ニニアンを返せ!!」

 

ニルスは誰かの影に隠れることなどせず、真っ向からその男に向かってそう叫んだ。

武器を持っていたら今にも駆け出しそうな勢いだ。

 

ハング達はそんなニルスを守るように武器を構える。

 

「・・・命さえ残っていれば、多少傷ついても問題なかろう・・・他の奴はいらぬ・・・行くぞ」

「構えろ!」

 

ハングの叫びに皆が殺気をみなぎらせた。

 

「足掻いたところで無駄だ!」

 

開かれた魔道書。ハングは直感する。闇魔法だ。

ハングたちの足元にすぐさま不気味な魔法陣が浮かび上がった。

 

「この世はネルガル様の掌の上なのだ」

「・・・・・・・え?」

 

『ネルガル』

 

その名前が鼓膜を貫いて脳裏まで刻まれる。ハングの奥底に眠る記憶が一気に吹き上がった。

ハングは自分の中で一際強い拍動が生じるのを感じた。加速する心臓の鼓動を聞きながら、ハングは呆然と呟いた。

 

「ネル・・・ガル・・・だと?」

 

ハングの見ている世界が暗転していく。

 

それは闇魔法のせいではない。

 

ハングは全身の血が沸騰を始めるのがわかった。自分の筋肉が否応なく怒張していく。目の前の景色が消えて、過去の幻影が横切った。ハングが自分の体を理性的に動かせたのはそこまでだった。

ハングは自分の左腕を地面に叩きつけた。

突如、リンディス傭兵団の間から爆音が生じた。土煙があがり、強い風が吹く。そして、人々の間を放たれた矢のようにハングが駆け抜ける。

 

人間の出せる速度をはるかに超える跳躍。『竜の腕』と称される左腕で地面を掴み、己の身体を投げ飛ばす荒業。

その急激な加速を目で追える人はいない。

 

過去にリンを山賊の斧から救ったのもこの技だった。

 

ハングが飛んだ先はその男の目の前。

ハングは男の目の前に滑り込み、相手が反応するよりも速くその左腕で黒衣の男の首を握りしめた。

 

「なっ!」

「ネルガル・・・って、言ったか?」

 

黒衣の男は混乱の最中にいた。

 

突如として目の前に現れた誰かに首を締めあげられている。その現実を受け入れるだけでも精一杯であった。

首を締めあげてくる腕は万力のように固い。魔道士の細腕では抵抗する術はない。

首を掴んだ『竜の腕』はギリギリと締め上げる力を増していく。気道がふさがり、血管が潰れ、黒衣の男の身体はすぐに酸素が不足しはじめた。全身の血流が悲鳴をあげていた。目の奥から圧力が加わり、眼球が飛び出しそうになる。

圧倒的な死の恐怖が黒衣の男を包んでいた。

 

「ぐっ・・・あ・・・あ・・・あぁ」

 

男の体が浮き上がる。首を掴む左腕一本で男の身体が持ち上げられていた。

黒衣の男は辛うじて自分を持ち上げる男を捉えることができた。

 

「ぁがっ・・・ぐっ・・・・」

 

そこにいるのはハングだ。だが、そこにはいつものハングはいない。

薄く黒い髪は逆立つように膨らみ、明るい茶色の瞳は燃えたぎる炎の中のトパーズのように揺れている、造形美の整っていた顔は今や仄暗い影を落としていた。

 

「今・・・ネルガルっつたよな・・・」

 

地の底から湧き上がってきたような、低く、冷たい声だった。

 

「奴は・・・どこにいる・・・」

「ぐぅ!ぐうううぅ!」

 

首の骨が軋む音がする。黒衣の男の口から泡がこぼれはじめる。

 

「どこにいるかって聞いてんだよっ!!」

「うぅ・・・う・・・うう」

 

必死に首の腕を外そうとする黒衣の男。

だが、その腕はまるで鋼鉄の首枷のように全く外れる気配は無かった。

 

「答えろよ・・・答えろよっ!!」

 

ゴキリと、音がした。

首を構成する骨がずれ、そして砕けた音だ。

抵抗していた腕が重力に従って下がる、黒衣の男の全身の筋肉がわずかに痙攣を始めていた。

 

男はもう死んでいた。

 

ハングは大きく舌打ちをした。

 

「役立たずが・・・」

 

そう言って、ハングは死体を地面に叩きつける。その衝撃で男の首が曲がる。力なく投げ出された四肢はまだわずかに痙攣を繰り返している。

 

「・・・・・・・・」

 

 

誰も声をかけない。否、かけられない。

傭兵団の誰しも、リンでさえ、彼に声をかけられなかった。

 

言葉がみつからないわけでもなく、彼に恐れをなしていたというわけでもない。

 

彼らは突如としてわからなくなったのだ。

 

目の前の青年、ハングが一体誰なのか?

 

快活に笑い、冗談を飛ばし、力強い声で不安を蹴飛ばしてくれる、いつもの頼りになる軍師はそこにはいなかった。そこにいるのは、全身に黒い影を背負い、触れるものを全て傷つけるような研ぎ過ぎた妖刀を思わせる殺気を纏った男だ。

 

彼らは何も知らない。その無知が今は限りなく恐い。

 

地図も無く暗い森を歩くような不安と砂嵐の中で方角を見失ったかのような恐怖がそこにはあった。

漠然とした不安が足を踏み出すことを躊躇わせる。彼らは踏み込んではいけない領域に来てしまった感覚を味わっていた。

 

だが、その沈黙はそう長くは続かなかった。

 

「リン・・・」

 

リンの体が一気に強張る。ハングは背を向けながら空を仰ぎ見た。

 

「こっから先はお前が指揮をとれ、奥に二つの橋がある。騎馬部隊を東の橋、歩兵部隊を西の橋に向かわせろ。そこからは丘を一つずつ占領して敵が兵を伏せられる場所を一つずつ潰していけ。フロリーナは遊撃手。状況に応じて伝令と援護をこなせ」

 

それはさっきハングが放った低く冷たい声ではなかった。

だだ、静かで、抑揚のない、沈黙よりも無味乾燥な淡々とした声だった。

 

「ハングは・・・どうするの?」

 

リンの問いにハングは答えない。代わりに、リンを振り返った。

 

そのハングの表情にリンは息を飲んだ。

 

ハングは微笑んでいた。

 

口元だけで微笑み、目を鋭く細めて彼は微笑んでいた。

 

リンの拳が手のひらに食い込んだ。

 

「みんな!いくわよ!」

 

ハングの隣を真っ先に駆け抜けていくリン。

すれ違いざまにリンは一言、ハングに声をかけた。

その言葉がハングに届いたかどうかはわからなかった。

 

だが、言わずにはいられなかったのだ。

 

何も言わなければ彼がもう二度と戻ってこないような気がしていた。

 

それを錯覚だと思う為にリンは必死に頭を巡らせて、皆に指示を出しはじめた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「う・・・ああ・・・」

「ぐう・・・」

「うああ・・・う」

 

命が尽きる直前のうめき声がこの場に満ちていた。

 

ここはカートレー領の中継基地だった城。だが、それが機能していたのははるか昔。この場所が廃墟となってかなりの時が経っていた。城壁はとうの昔に崩れ落ち、城の建物自体も既に原型などほとんど残されていない。

わずかに残る石壁がかつての残滓のように影を作り上げていた

 

その廃墟の正面入口に黒衣の男が立っていた。

その周囲には同じ黒衣を着た男たちが倒れている。その男達は既に、自らの血だまりの中に沈んでいた。

 

「さて・・・あとはお前だけだ」

 

左腕をむき出しにしたハングが槍を抱えて立っていた。

そのハングに向けて黒衣の男はフードの下で余裕の笑みを浮かべる。

 

「なるほど、橋のやつらは陽動か」

「まぁ、そういうことになるかな」

 

ハングは槍を肩に担ぎながらそう言った。

その口調はいつもの調子に戻っているようであったが、やはりどこか感情が欠落してる

 

ハングはリン達が戦線を構築した頃を見計らい、たった一人でこの地に奇襲を仕掛けたのだった。

最初に騎兵を一人倒して槍を奪い、その武器でもってハングは闇魔道士を二人なぎ倒したところだった。

 

「何者だ?子供を助けて英雄気取りか?」

「ああ、そんなんじゃねぇよ・・・少なくとも俺はな」

 

ハングは槍を体の周りを回してもてあそびながら間合いと呼吸を計る。

 

先程、感情に任せて暴れていたあの時のハングとはまた別人である。だが、いつものハングと同一とは言い難かった。

 

「俺は今は私怨でここにいる」

 

普段は明るい茶色のハングの瞳。それが今や強い炎を抱えて黄金色に見えていた。

 

「お前らの頭に用があるんだ。ネルガルの居場所を吐いてもらおうか」

「吐くと思っているのか?」

 

ハングは武器を構える。

拳を作った左腕を顔の前に、槍を携えた右腕をやや後方に。

それが槍を持った時のハングの戦闘体制だ。

 

「安心しろ、全身に穴穿ったら嫌でも喋りたくなる」

「できるとでも?貴様の動きはまるで素人だ」

「随分な自信だな、その素人に部下は負けたってのによ」

「私をそこらの雑魚と一緒にしないことだ」

 

その男の言っていることは奢りでもハッタリでもない。それは漫然たる事実であった。

だが、ハングはわずかに笑って言った。

 

「だが、所詮闇魔道士だ」

 

ハングの足元に巨大な魔法陣が浮かぶと同時にハングは駆け出した。飛んできた黒球を首を傾けてかわして、槍の間合いに詰め寄る。ハングは体を振り子のようにしならせ、槍の切っ先を走らせた。

肉を引き裂いた感覚とむせ返るような血の臭い。だが、手応えは薄い。

 

振り切ったことで流れたハングの周囲に再び魔法陣ができる。

ハングを取り囲んだのは暗闇を宿した風だった。

ハングは地面に左腕を突き刺して後方に飛ぶ。

 

そのハングを追うように巨大な闇の塊が飛んでくる。ハングは最小限の動きでそれをかわした。後方へと飛んで行った闇の塊が城壁の一部を粉砕した。過去の遺物が崩壊していく音を聞きながら、ハングは再び戦闘体制を取った。

 

「どういうことだ・・・」

「何がだ?」

「なぜ、ここまで私の技がかわされる?それにその槍の技、貴様は槍兵ではないな」

 

ハングが俯いた。そして震える。

彼が笑っているのだと気づくのにそう時間はかからなかった。

 

「何がおかしい」

「いや、別に・・・ただな。お前の魔法はネルガルには程遠いな」

「なに?」

「俺はあいつを殺すため、闇魔道士を殺すために特訓を続けた。お前程度の技を見切るなんて容易い」

 

ハングは槍を握りなおす。

 

「お前らの手の内はわかってる。闇魔法の距離的、時間的間合い。独特の攻撃法。隙ができる瞬間。呼吸法まで。俺は徹底的に調べ上げた」

 

そして自嘲する。

 

「おかげで、闇魔道士のヌルい動きに慣れ過ぎてな。他の兵には全く歯が立たない奴になっちまった」

 

闇魔法の真髄は魔法そのものの動きの奇抜さによるところが大きい。闇魔法と始めて対峙する者は、どこから攻撃が来るのかが全くわからずに死を迎える。だが、その特性を深く理解しているものならば回避は容易だ。

ハングはその動きに慣れたがために、人間のわずかな動きにも目が動く。闇魔法の動きに比べれば人間の動きは一辺倒で単純だ。そして、それはハングの欠点でもあった。相手の動きに目が先に動くために体の反応が遅れてしまうのだ。

 

それでも、闇魔道士を殺すのには問題はない。

 

「お前がどれほど強かろうと、俺の敵じゃねぇ。さっさとネルガルの居場所を吐いてもらおうか」

「断る・・・」

「そうか・・・なら・・・試してみるか」

 

ハングは一気に間合いを詰めた。飛んでくる闇の風を回避しつつ、ハングは槍を突き出した。

肩口を槍で貫く。骨まで達した手応えを槍から感じ、ハングはそのまま足を止めずに突進した。

 

「ぐっ!!」

 

ハングは怯んだ闇魔道士の首を締めあげながら、相手を組み伏せた。

馬乗りになったハングは肩に刺さったままであった槍を引き抜く。

 

「まずは・・・目だ!!」

 

その槍の切っ先が男の眼球を貫いた。

声にならない悲鳴があがる。

 

「鼻はどうだ?歯はどうだ?もう片方の目も試すか!!」

 

一言毎に槍が振り下ろされ、人体が破壊される叩打音が城内に響く。ハングは何度も何度も顔面に槍先を突き刺した。だが、顔面をことごとく潰されてなお、黒衣の男は一言もしゃべらなかった。

 

「・・・そうかい」

 

顔面に潰す場所がなくなり、息も絶え絶えの男を見下ろすハング。

 

「お前らの組織・・・『黒い牙』だったか?」

 

黒衣の男は答えない。そもそも、声を出せるかどうかすら怪しい。

だが、鼓膜を潰した覚えはハングにはない。

耳が聞こえているなら、宣言の意味もきっとあるだろう。

 

「覚悟しとけ・・・てめぇらはいつか俺が潰してやる・・・」

 

ハングは槍の切っ先を胸の中心へと据えた。

 

「・・・地獄で仲間を待つんだな」

 

ハングは槍を振り下ろした。皮膚を突き破り、筋肉を破壊し、肋骨の隙間を通した切っ先は心の臓を切り裂いて止まった。槍を持ち替えて引き抜く。飛び散った返り血がハングの口元を赤く染め上げた。

雑にひかれた口紅を拭い去り、ハングは槍を投げ捨てる。

 

ハングはその男の上からゆっくりと立ち上がった。

そして、一つ息を吐き出す。

 

「まだ、人の気配がするな・・・ニルスの姉の方は間に合ったと、考えていいのかもな」

 

ハングは周囲の音を探りながら古城の中へと入っていく。

 

「闇魔法士以外がいたら・・・どうするか・・・」

 

思案しながら歩くハングは普段のハングへと戻っていた。

 



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7章~旅の姉弟 ③~

ハングは古城の廊下を慎重に歩いていった。すると、不意に金属のぶつかり合う音がした。

 

ハングはその場で耳を澄ます。

 

反響する音は四方八方から聞こえる。

その中から一本の音を見つけ出し、駆け出す。

廊下を走り抜け、中庭を突っ切り、回廊を横切る。

さらに廊下を走り抜けた先、城の裏口に黒衣の男たちが溜まっていた。

 

その中に二人の色違いがいた。

 

一人は女性だ。ニルスに似た淡緑色の髪を視覚化した風のように靡かせ、黒衣の男に麻袋のように担がれている。

ハングは彼女がニルスの姉であるニニアンだろうと当たりをつけた。

 

そして、もう一人の色違い。

 

燃えるような赤髪と青い服。フェレによく見かける整った顔立ちは青白い剣のような精悍なものだ。

そんな彼が突剣を用いて裏門に陣取り、黒衣たちを相手取っていた。

彼の剣の技量そのものは悪くない。多勢に無勢だが、周囲の地形をうまく利用して囲まれない戦い方を心がけている。

 

ハングは柱の陰に隠れながら様子をうかがっていた。

 

「・・・・・槍兵が1、剣士が2・・・闇魔法が4・・・荷物持ちが1か・・・」

 

口の中でそう呟き、ハングは静かに剣を引き抜いた。

息を大きく吸い込み、吐き出す。そして身体の中の空気を8割程吐き出したところで、息を止めた。

 

そして、ハングは一気に駆け出した。

地面を這うように頭を下げ、前のめりに突進するかのように走る。ハングは敵の間をすり抜けつつ、目標とした相手の背中へと飛びかかかった。

 

剣先を頸椎めがけて突き刺す。骨の隙間を貫いた手応えを感じ、すぐさま剣を引き抜いた。

ハングが殺した男は手に持った槍を落とし、身体を痙攣させながら重力に従って倒れていった。

 

ハングは倒れた相手には見向きもせず、横にいた剣士の脇腹へと左腕を突き刺した。

黒く尖った爪先が肉に食い込み、内腑をかき回す。ハングは黒衣の男の身体に足をかけて腕を引き抜いた。

噴き出てきた血を浴びながら、ハングは赤髪の男に向けて声をあげた。

 

「助太刀するぞ!赤いの!」

「助かる!」

 

赤毛の男のレイピアが最後の剣士の身体へと突き刺さった。

これで残りは闇魔道士が4人とニニアンを抱えた奴が1人だけ。

 

ハングはほとんど勝利を確信していた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングは唇の端でにやけ顔を演出しながら、ニニアンを担いだ男に向けて言い放った。

 

「さぁて・・・てめぇで最後だな」

 

ハングと赤毛の彼は闇魔道士達を切り伏せ、残るはこの男だけとなっていた。

2人程敵を逃がしていたが、手傷は負わせたので、再び襲って来ることは無いだろう。

 

「その娘を渡してもらおう、そうすれば命まではとらない」

 

赤髪の青年もハングの隣に立ち、突剣を向ける。

 

「く、くそっ!」

 

ナイフが飛ぶ、ハングは左腕で、赤髪の青年は剣でそれを弾き飛ばした。

その一瞬で黒衣の男は消え、ニニアンが残された。

さすがに少女を一人担いだまま逃げることはできなかったようだ。

 

古城に静寂が訪れる。

 

罠の可能性を警戒してしばらく気を張っていた二人はしばらくしてほぼ同時に息を吐き出した。

赤毛の青年がハングに向き直る。

 

「ありがとう。君が来てくれて助かった」

「なに、大したことはしてないよ。不意打ちしかしてないしな。それよりもこの子を城にいれよう。さすがに野ざらしで寝かすのは可哀想だ」

「ああ、そうだな」

 

ハングはまだ意識を失ったままのニニアンに近づく。だが、ハングはその身体に手を伸ばしたところで動きを止めた。それを見た青年はわずかに首を傾げた。

 

「どうしたんだい?どこか、怪我でも・・・!」

 

青年の目がハングの左腕を捉えた。

 

その腕は黒衣の男達の血で真っ赤に染まっていた。

この腕で人の肉体を破壊したのだがら、それは当然のことだった。

ハングはこの腕でニニアンを抱き上げるのに躊躇い、立ち止まったのだ。

 

「そうか、僕が運ぼう。君は彼女の持ち物がないか探してくれるか?」

「悪いな」

「気にしないでくれ」

 

そう言って、微笑む青年。ハングはその笑顔に既視感を覚えたが、それより死体を探ることを優先した。

 

「なんもねぇな・・・」

 

ハングは黒衣の男達の荷物を漁る。だが、彼らは彼女の持ち物らしきものどころか、麦一粒持っていなかった。持ち物は戦闘に必要な最低限のものばかりだ。

 

ハングはそのことに眉をひそめる。

だが、青年が城に戻ったのを見てそれ以上の捜索を諦め、城の中に戻っていった。

 

青年はニニアンを適当な床に寝かせて、呼吸や心音を確かめた。

 

「大丈夫、気を失ってるだけだ」

「そうか・・・」

 

ハングは安心して胸に溜まった息を吐き出した。

青年もホッと胸をなでおろしている。

 

ハングはその青年を改めて眺める。やはりハングは既視感を覚えた。

 

彼の持ち物は全て上質の品だ。おそらく、それ相応の身分だと思われる。

だが、ハングには貴族の知り合いなどいない。過去に会った記憶もない。

しかし、やっぱりどこかで見たような気がするのだ。

 

「え~と・・・以前、どこかでお会いしました?」

 

ハングは言葉遣いを変えておいた。さっきまで普通に喋っていたが、それは肩を並べての戦闘中での『つい』で済まされる。だが、今はそうもいかない。相手が貴族なら念のために礼儀を通しておくことに損はなかった。

 

「君もそう思うかい?僕もなんだか君の容姿を知っている気がするんだが」

 

二人して首を傾げる。

 

青年の特徴はやはりその燃えるような赤髪だ。でも、別に赤髪の人間は珍しいわけではない。ハングも実際に旅の中で沢山会って来た。

 

その代表格といえば、それはやはりフェレ侯爵のエルバート様であろう。

しかし、あの人はもっと歳上の人だ。ちょうどこれぐらいの子供がいると話をしていた。

そう、エルバート様と同じ赤髪で、青い瞳と精悍な顔立ちをしており、レイピアの剣術が得意だと聞いたエルバート様のご子息の話をハングは何度も聞かされていた。

 

「もしかして、エリウッド様?」

 

ハングは半ば当てずっぽうでそう言った。

 

「僕は確かにエリウッドだが・・・君はどうして僕の名を?やっぱりどこかで会ってるかい?」

 

この人はエルバート侯爵の息子、フェレ侯公子エリウッドその人であった。

 

「いえ、フェレ侯爵にお会いしたことがありまして・・・」

「父上に・・・もしかして・・・ハング殿ですか?」

「はい、そうです。私の名はハングです」

 

ハングはそう言いながらも背中に気味の悪い感触が走るのを感じていた。

エリウッドという貴族に『殿』という敬称をつけて呼ばれることに痛烈な違和感があったのだ。

 

「あなたがハング殿ですか。以前、父の山賊討伐戦に策を貸していただいたと聞いております」

「あ、ああ・・・そんなこともありました」

 

ハングの歯切れは悪い。自分より遥かに身分が上の人物に敬意を払われる喋り方をされることがやはり慣れない。

 

「ハング殿は素晴らしい知恵をお持ちだとか。父がフェレの軍師に欲しかったと冗談を言っていました」

「光栄です。あ、あの、それよりもエリウッド様?」

「なにか?」

「え~とですね・・・俺はしがないただの旅人です。そんな敬語など使わなくても」

 

そう言うとエリウッドはくすぐったそうに笑った。

 

「だったら君も、僕に敬語をつかうのはやめてくれ。僕は君に敬意を払われることなどしていない」

「・・・・・それは・・・」

「でなければ、僕の方も言葉を改める必要はないと思いますよ。ハング殿」

「・・・まいったな・・・」

 

ハングは頭をかいた。確かにエリウッドが言ってることも正しい。

ただ、その理屈だとこの世の貴族の何割かは敬語を使うに値しないのとになるのだが、それはこの際捨ておくことにした。

 

「そう言うなら、お言葉に甘えるとするか・・・」

 

ハングは堅苦しい言葉遣いをやめ、普段の粗雑なものに戻した。

 

「エルバート様は元気か?」

「ああ、元気すぎるぐらいだ。当分は倒れられることも無いだろう」

 

その後、ハングとエリウッドは少し程世間話をして過ごした。

だが最後まで、エリウッドは血まみれのハングの左腕の話には触れなかった。

 

どうも、俺の出会う貴族はどいつもこいつも気の使い方が下手くそだ。リンにしかり、エリウッドにしかり。

 

ハングはその不器用な優しさに甘えながら、しばし穏やかな時間を過ごしていた。

その後、この城の中に他の人の気配を感じる頃になるまでそんなに時間はかからなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ニニアン!ニニアンっ!!」

 

古城へとたどり着き、ニルスの叫びを聞きながら、リンの視界は別の人物を探していた。

古城の表に散らばっていた死体。おそらく、それをやったのはハングだとリンは直感していた。

 

古城の中を探している間に、リンの脳裏に先ほどの見知らぬ姿のハングが蘇る。

 

「あんなのが、最後なんて・・・絶対に嫌だからね・・・」

 

リンが不安の中で漏らした台詞はニルスの叫びにかき消されていった。

リンは気持ちを切り替えた。

この戦闘はハングから託されたものなのだ。ならば、やり遂げなければならないという思いがリンにはあった。

リンはニニアンを探してニルスと共に声を張り上げた。だが、古城の奥から返事はない。それどころか、周囲には人の気配がまるでなかった。

 

「いない・・・どうして・・・?」

 

ニルスが茫然と呟く。その時、古城の外から慌てふためいた騎士二人が飛び込んで来た。

 

「リンディス様!付近の村人が南へ逃げていく集団を見ています!」

「その子の美人のお姉さんもきっとそいつらが・・・!」

「大変!すぐに追いましょう!」

 

駆け出そうとしたリンたち。

だが、それは力強い一言で止められた。

 

「待ちな!」

 

全員の足が凍りついたように止まる。

声のした方を振り返れば、血にまみれたハングが赤毛の青年と歩いてきていた。

そして、その赤毛の青年の腕に抱かれていたのは・・・

 

「ニニアン!ニニアン!」

 

ニルスが一目散に駆け寄った。

 

「大丈夫、彼女は気を失ってるだけだ」

 

青年がそう言って、ニニアンを床に降ろした。青年の出した声は暖かく、人を安心させる響きがあった。

それがこの人の性根を雄弁に語っているようだった。

 

「よ、意外と早かったな」

 

軽く片手をあげるハングはいつもの様子だ。

 

「フロリーナとルセア・・・あと、ケント。ニルスと一緒に彼女をどこか楽な場所に移してくれ。ドルカスさんとラス、ウィルとマシューは二人組で周囲の警戒。セーラとエルクは怪我人の治療にあたれ。セインはここで俺らの護衛。下手にどっかに行くようなら俺がこの手でぶった切るからな」

 

的確な指示を出して歩き回るハングはやはりいつものハング。

そこには先ほどまでの負の気配は微塵も残ってなかった。

 

「リン、ちょっとこい」

「なに?」

 

ハングのもとに寄ったリンは彼から漂う濃い血の臭いにむせ返りそうになる。

だが、それを我慢してハングの言葉を待った。

 

「ありがとうな、リン」

「え?」

 

わけがわからなそうなリンにハングはケラケラと笑う。ハングはそれ以上のことは何も言わずにエリウッドを紹介した。

 

「こちら、フェレ侯公子のエリウッド。まぁ、見た通りニニアンの奪還に力を貸してもらった」

「・・・フェレの公子」

 

リンの顔がわずかに強張る。そこにきてハングは彼女が最後に会った貴族がアラフェン侯爵だったことを思い出す。だが、何事も無かったかのように紹介を続ける。

 

「エリウッド、こいつはリンディス。サカ出身でキアラン侯爵の孫にあたる。まぁ、そうは見えないかもしれないけどな」

「キアラン侯の?」

「ああ、話せば長くなるんだが。少し時間あるか?」

 

エリウッドは少し空を見やった。もう夕暮れ時となり赤く染まった空を見ながらエリウッドは何かを呟いた。

そして、ハングに「大丈夫だ」と言った。

 

多分、大丈夫じゃないんだろうとハングは思った。

だが、彼の気遣いを無碍にするのも悪い気がして、ハングは話し出すことにした。

そして、リンの出生からブルガルでの騎士との出会いまで省略せずに語った時には日は落ち、外は薄暗い世界となってしまった。

 

「・・・っつうわけだ」

 

ハングがそう締めくくったのに合わせてリンも言葉を重ねる。

 

「・・・とても信じられるような話ではないと思うけど」

 

だが、エリウッドはゆっくりと頭を振る。

 

「いや、僕は信じる」

「え?」

 

リンは驚いたがハングは涼しい顔だ。

 

「一見、サカの人だなって、そこに目がいくのだけれど、注意してみると君の目元はキアラン侯によく似ている」

「おじいさまを知ってるの?」

「キアラン侯ハウゼン殿は父上のいい友人だ。それに誇り高きサカ民は嘘などつかないと聞く。後は・・・」

 

エリウッドの目線がハングを捉え、クスリと笑った。

 

「ハングが君を信じている。ならば疑う余地は無い・・・そうだろ?」

 

リンは虚をつかれた気持ちになった。

そして、やはり笑いがこみ上げる。

 

「ありがとう・・・確かにそれは重要ね」

 

二人して笑ってるそばでハングは素知らぬ顔を決め込んでいた。

 

「ハング、リンディス。僕になにか力になれるかい」

「・・・ありがとう。でも、これは私の問題だから。とにかく、頑張ってみる」

「そうそう、今してもらえることはない。気持ちだけで十分だ」

 

エリウッドは少し考えるような間を置いて頷いた。

 

「そうか。でも、僕はしばらくこの近くの宿にいる。もし、僕の助けが必要になったらいつでも訪ねてくれ。僕は君達の味方だよ」

 

エリウッドはそう言って別れの言葉を述べた。ハングとリンも引き留めることはせずに、エリウッドを見送った。夜闇の中に消えていく後姿を見ながらぼんやりとリンが呟いた。

 

「貴族にも色々いるのね」

 

失礼な物言いではあったが、ハングは同意した。

 

「まぁな、エリウッドみたいな人は少数派だけどな」

 

リンとハングはセインを連れて城の奥へと入っていった。

奥に行くと手際よく野宿の準備をしているケントと濡れた手拭いをニニアンの額に乗せているフロリーナ、彼女の汚れた手足を拭っているルセアがいた。

 

この面子にして良かったとつくづく思う、ハングだ。

 

エルクはセーラのお守りで除外、マシューも今回の相手が謎であるために警戒役に回す、ドルカスやラスでは気配りが足りないだろうし、覗きの前科を作ったウィルとセインという選択肢は無い、セーラに至っては・・・ちょっと考えたくない。

 

「ハング殿・・・」

 

ハングが部屋に入ったところで、ケントが少し顔をしかめた。

なんだろうかと思ったが、すぐに自分が血まみれであったことを思い出した。

 

「リン、匂うか?」

「うん、すごく」

 

頭をかいてハングは引き返す。城内の井戸で返り血を洗うつもりであった。

リンはセインと共にケントを手伝いながらマントを数枚敷いた上に横たわるニニアンを見た。

ニルスよりも薄い淡緑の髪と白い肌。丈の長い服は淡碧と白をを基調としており。それに包まれた体は今にも折れてしまいそうなほどに細い。それに合わせたように腕も指も細い。

 

なんというか薄幸そうな少女だ。

 

リンは時々物欲しそうな顔をするセインを睨みつけて牽制する。

そんな中、手拭いで体を拭いていたルセアがフロリーナに声をかけた。

 

「フロリーナさん、水を汲んできてもらえますか?」

「は、はい!」

 

やはり緊張気味の声はフロリーナのものだ。このルセアを男性と感じ取れるフロリーナは意外と凄いのかもしれないと思うリンだった。

 

そして、フロリーナが桶を手に立ち上がったのを見てリンは慌てて待ったをかけた。

 

「あ、ちょっと待って。今、ハングが体を拭ってるはずだから」

 

つまり、ハングは少なくとも半裸。下手をすれば全裸ということもありうる。フロリーナには無理だ。

そういうことならと、ルセアは小さく笑ってリンの方を向いた。

 

「それでは、リンさんにお願いしてもいいですか?」

「ええ、わかったわ」

「あ、僕も行く」

 

立ち上がるリン。それに続くニルス。

なんの躊躇いもなく、木桶を持ったリンは二人で部屋から出て行った。

 

「あ、あの・・・冗談のつもりだったんですけど・・・」

 

ルセアは困惑するも、他の人は何も言わない。

と、いうかセインに至っては苦しそうに笑いを堪えていた。

すぐに、静かな古城にハングの声が聞こえてきた。

 

『おう、リン。どうした?』

『水を汲みにきたの。それよりハング、服を脱ぎ散らかさないの』

『誰か来るとは思わなかったんだよ』

 

遠くで桶が着水する音と、滑車の回る音がした。

 

『ハングさんって凄い筋肉だよね。太腿とか丸太みたい』

 

ニルスの声だ。

 

『俺なんかたいしたことねぇよ。ケントやセインの方が凄いぞ。あいつらは馬に乗る機会が多いもんな』

『へ~』

『リンだって結構いい筋肉してるよな?』

『これでも遊牧民ですからね』

 

なぜ、リンの大腿の筋肉をハングが知っている?

 

余計なことを言わずに想像力を働かせた、室内の一行。

 

少し間が空いて再びニルスの声がする

 

『ハングさん、右腕を怪我してますよ』

『ああ、掠り傷だ。舐めときゃ治るよ』

『私が舐めてあげようか?』

『ああ、頼む』

 

沈黙。そして笑い声

冗談だとわかって、胸を撫で下ろしたのはむしろ部屋の中の人たちだった。

 

『ハング、じゃあ私たちいくね』

『おう』

 

足音が近づいてきた時に部屋にいた人たちは作業の手が止まっていることに気がついたのだった

 

 



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7章~旅の姉弟 ④~

ハングが服を着て部屋に戻るのとほぼ同時にニルスの大きな声がした。

 

「ニニアン!気がついた?」

 

ニルスがニニアンの顔を覗き込んでいた。開かれた彼女の眼はニルスと同じ紅色をしていた。

 

「・・・ニルス!ああ、無事だったのね!?」

「うん。この人たちが助けてくれたんだ」

 

そうして、ニニアンは初めて周囲を見渡した。

ルセアの柔らかい微笑み、フロリーナの緊張した面持ち、セインの締まりのない顔、ケントの無骨な無表情を順に見ていく。

 

「どなた?」

「えっとね・・・」

 

ニルスはどう説明したもんかと少し悩んだ。

 

彼らは傭兵団で、でも、正確にはそうじゃなくて、今はキアランに向かってる途中で・・・

 

と、頭の中で情報を整理していたところにリンが助け舟を出した。

 

「私はリン、それとこっちが・・・」

「ハングだ。よろしく」

「リンさまとハングさまですね」

 

ニニアンは二人にお辞儀をしながらそう言った。

 

「ありがとうございます。私はニニアンと申します。弟のニルスと、芸をお見せしながら旅をしています」

 

「へぇ、旅芸人か・・・」

 

ハングはそう呟く。

 

「二人ともなの?ニルスは笛を吹くみたいだけど。ニニアン、あなたは?」

 

リンの質問にニニアンは小さく答えた。

 

「わたしは、踊りを・・・」

「お、お、お、踊り子さんですかーーーっ!!!」

 

セインが過剰な反応を見せた。

 

「きゃっ!」

「っ!」

「ぎゃわーーーー!!!」

 

小さな悲鳴はフロリーナとニニアンのもの。大きな悲鳴はハングとケントがセインにあげさせたものだ。

 

「ごめんなさいね、気にしないで」

「は、はい・・・」

 

セインの断末魔を聞きながらリンは話を戻した。

 

「踊り子なの?でも、服とか・・・そんなふうには見えないけど」

 

その質問にはニルスが答えた。

 

「ニニアンはね、もともと神に捧げる踊りの舞い手なんだ」

 

ニルスは誇らしげだ。それだけ、彼が姉を敬愛しているのだろう。

 

「神に・・・特別なものなの?」

「はい。旅をするのに舞っているのは普通の踊りですが・・・」

 

その後、ニニアンは少し考える仕草をして悲しげな表情を作った。

 

「・・・リンさまたちにお礼をしたいのですけど、捕まったときに足を挫いてしまい・・・踊りすらも・・・すみません」

 

それにリンは笑って答えた。

 

「気にしなくていいのよ。あなたが無事だったんだもの、それだけで私たちも嬉しいわ」

「そうそう、ニニアンを助けられてニルスが笑ってる。それが一番だ」

 

戻ってきたハングもそう言って微笑んだ。

 

「ありがとうございます。リンさま、ハングさま」

 

深く頭を下げたニニアンにハングは困ったような声を出した。

 

「さっきから気になってたんだけど、その『ハングさま』ってのはやめてくれ。なんか・・・こそばゆい・・・」

 

そう言って身悶える仕草をしたハングがおかしかったのか、ニニアンはクスリと笑った。

 

「わかりました、ハングさんでよろしいですか?」

「ああ、ちなみにリンは血筋だけは高貴だから『リンさま』のほうがいいぞ」

「ちょっと!勝手なこと言わないでよ」

「いいじゃねぇか、減るもんじゃないし」

「私だって、『リンディス様』って呼ばれるの結構我慢してるんだからね!」

「ついでだ、『リンさま』も慣れとけ」

「どういう理屈よ!」

 

ああだこうだ言い合った後に、ハングが勝った。

 

「じゃあ、私はリンさまのままでいいわ」

「はい、わかりました」

 

クスクスと控えめに笑うニニアンはやはり年相応の女の子である。

 

「お二人は仲がよろしいんですね」

「どこがよ・・・」

 

少し不貞腐れているリンだった。その隣でハングは笑いをかみ殺していた。

一息ついた後、ハングは話題を変えることにした。

 

「だが、ニニアンの足はちょっと心配だな。それじゃあ旅も出来ないだろうし・・・」

「そんな・・・お気になさらないでください。助けていただけただけで十分なのですから」

 

ニニアンはそう言って微笑む。それが無理をして作った笑顔だというのは誰の目に見ても明らかだ。

ハングは自分に視線が集まってくるのを感じた。セインの無言の期待、ルセアの慈悲を願う瞳、フロリーナの訴えるような眼差し、ケントだけは無表情を貫いていた。

 

その時、ニルスが元気良く発言した。

 

「ねえ!もしよかったらぼくらも、リンさまたちについていっちゃだめかな?」

 

本人は最高の提案をしたつもりなのだろう。だが、それをリンは慌てて却下した。

 

「ダメ!私たちの旅はとても危険なの!私は命を狙われていて、いつ刺客が襲ってくるかもわからないような状態だから・・・」

「それなら、ぼくらすごく力になってあげられるよ!」

 

身を乗り出すようにしてリンの言葉を遮ったニルス。彼は振り返って姉にも同意を求めた。

 

「ね?ニニアン」

「そうね、私たちの"特別な力"でご恩返しができるかもしれない・・・」

「"特別な力"・・・?」

 

疑問符を発して聞き返したのはハングだ。

 

「わたしたちは、自分たちに起きるキケンを・・・少し前に感じることができるんです」

 

ハングの眉がわずかに動いた。

ニルスが姉の言葉を引き継いで続きを話す。

 

「・・・わかったところで、防ぐ力がないとどうしようもないんだけど。リンさまたちだったら、その点は心配ないでしょ?」

「・・・本当にそんなことができるのか?」

 

ハングはニニアンに向けてそう尋ねた。

 

「はい。信じていただけないかもしれませんが・・・」

「ニルスも使えるのか?」

「うん。僕はニニアンより少し力が弱いんだけどね」

 

二人には嘘をついている様子はない。もちろん、旅の仲間に取り入るためにこういった虚言を繰り返している可能性は否定できない。

だが、ハングは先の戦闘でニルスが素早く敵の出現を察知したことを思い出していた。もし『黒い牙』がこの二人を狙った理由もその辺りにあると考えるなら、いろいろな疑問点にも納得がいく。

 

「・・・ハング。どう思う?」

 

ハングは少し悩むような仕草を見せたが、すぐに笑顔を見せた。

 

「いいと思うぞ。食料資金諸々は問題ないだろう。ラスから貰った大金が生きてる」

「ケントは?」

「そうですね、このまま置いていくよりは同行させる方が心配は少ないように思います」

「セインは・・・まだ、口を開ける状態じゃないわね」

 

打ちのめされて床でへたっているセインはルセアの看護を受けていた。

 

「まぁ、答えはわかってるけどな」

「それも、そうね」

 

ハングの意見に同意して、リンは二人に向きなおった。

 

「じゃあ、二人ともいっしょにいく?」

 

ニルスとニニアンはほぼ同時に笑顔になった。

 

「もちろん!」

「リンさま・・・よろしくお願いします」

 

やっぱり、姉弟だと改めて思うほどに二人の笑顔はよく似ていた。

 

改めて旅の仲間として足の具合を確認するハング達。

彼女の足を見てルセアは顔をしかめた。リンもまたその足に触れ、苦い顔をする。

ニニアンの足首は全体が赤く腫れあがり、一部は青く変色していた。

 

「っつ!!」

 

リンが足を軽く動かすだけでニニアンは身体を強張らせるほどの痛みを感じていた。捻挫か、もしくは骨が折れている可能性があった。

 

「ニニアン、この足で『置いてって構わない』って言うのはさすがに無謀よ」

「すみません」

「これ・・・杖で治せたりしないのかしら?」

 

リンの疑問にルセアは首を横に振る。

 

「神の杖は傷の治りを早めたり、毒を浄化することはできますが、こういった捻挫や骨折の治癒には向いてないのです。2週間で治る怪我を10日にするぐらいの力はありますけど」

「そっか・・・しばらくは馬に乗ってもらった方がよさそうね。ニニアン、馬は乗れる?」

「・・・少し・・・でも、あまり自信は・・・」

「それでしたら、このセインめが!!このわたくしめが!御一緒に同乗いたしまジョバアァア!!」

 

ハングが全力で投げ飛ばしてセインを沈黙させる。

この男は怪我人の傍に寄らせてはならない。セインの突拍子のない行動に驚いて、変な姿勢になったりなどしたら怪我を悪化させかねない。それはここにいる全員の共通認識だった。

 

「まったくもう・・・ニニアンは私の馬に乗せるわ」

「そ、そうです・・・か・・・わかり・・・まし」

 

地面に叩きつけられて息も絶え絶えのセインをハングは見下ろす。

 

「なんだお前、まだ意識あったか。少し丈夫になってきたな」

「おほめ・・・いただき・・・ありがとうござい・・・ます」

 

ハングはこのまま過度の制裁を加え続ければ良い肉壁が作れるのではないかと本気で思案するのだった。

 

「・・・あ」

 

そんな時、不意に小さくニニアンが声を出した。

ニルスがそんな姉に声をかけた。

 

「どうしたの?ニニアン」

「・・・指輪が無くなってるわ」

 

ニニアンはそう言って自分の細い指をさすった。確かにそこには何の装飾品もない。

それを見て、ニルスが余裕をなくしたかのように声をあげた。

 

「も、もしかして【ニニスの守護】?」

「ええ・・・」

 

答えるニニアンも元気を無くしていた。もともと白い肌をさらに青白くして、目が悲しく揺れていた。

 

「大事なものなの?」

 

二人の様子にただならぬものを感じてリンはそう尋ねた。

 

「・・・亡くなった母の形見でした」

 

その言葉に二人が反応を見せた。

リンは顔に痛みを堪えるような表情を映し。ハングは少し遠い目をしていた。

 

「氷の精霊ニニスの守護を受けた・・・この世に一つしか無い指輪なんだ・・・でも・・・やつらに持っていかれたならあきらめるしかないよね」

「・・・そうね」

 

二人して沈む姉弟。

その姿はとても寂しそうに見えていた。

まるで、母を亡くしたばかりの子供のように。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

周囲は安全とみなしたハングは見張りに立てていた人達を呼び戻した。

食事には少し早いうちにハングは持ち物と食糧の整理、旅路と所持金との照らし合わせなどいくつかの雑務をこなしていた。

そのもとに、リンがやってきていた。

躊躇いがちな顔の中に少し諦めに似たものが混じっている。その姿はまるで欲しいものをねだろうとする子供のようだった。

 

「ハング・・・ちょっといい?」

 

そんなリンをハングは笑顔で迎えた。

 

「さっきの二人の話か?指輪だったな」

 

頷くリン。

 

「私は、ニニアンの指輪を取り戻してあげたいけど・・・」

「ニルスの言うとおり強敵を追っかけるのは危険だ、と」

 

リンはまた頷いた。

 

「・・・それで、どうするか相談しにきたんだけど」

 

ハングは困ったように頭をかいた。

本当はもう自分の中では意見が固まっていたが、リンに質問をしてみる。

 

「お前はニニアンの為だけを純粋に思って、そう言ってるのか?」

「ええ・・・当たり前じゃない・・・」

「嘘はよくないぞ」

「嘘なんて!」

 

ハングは手のひらをリンに向けて黙らせた。

 

「俺が言ってるのはニニアンの為『だけ』を純粋に思ってこの提案をしてるのかということだ」

「それは・・・」

「どうなんだ?」

 

リンはしばらく黙っていたがそんなに間を置かずにため息を吐き出した。

 

「私は、何も持っていない・・・」

 

何のことだと聞くほど、ハングは無粋ではなかった。

形見の話だ。

 

「父さんも母さんも・・・何も・・・だから・・・」

 

泣き出すかとも思ったが、彼女は目をわずかに伏せただけだった。

 

「私は取り戻してあげたいの。せっかく、手に届くとこにあるんだから」

 

私には何も無いから・・・

 

言わなかったその言葉がハングには聞こえてきたような気がした。

 

「お前ならそう言うと思ってたよ」

「え?」

「セインとケント、マシューを既に情報収集に走らせた。明日には奴らの居場所もわかるはずだ」

 

ハングはのんひりとそう言った。

 

「奴らの持ち物は武器だけで食糧を誰一人持ってなかった。近くに補給基地があるはずだ。そんなに大幅な遅れにはならないと俺は踏んでる。それぐらいの寄り道は構わないだろう。だから、安心して取り戻しにいこう」

 

それを聞いているうちにリンの目がすわってきた。

 

「ねぇ、なんで私が言い出す前に既に話が決まってるの?」

「お前なら、指輪を取り戻したいと言い出すとわかってたからだ」

 

リンは何度目かわからないため息を吐きだした。

 

「もういいわ・・・」

「そうか」

 

ハングは悪戯が成功したかのように笑う。

リンはその笑顔の中に暗い影など微塵もないことを確かめた。

 

「ってなわけだ。しばらくは待機になる。身体を休めておけよ、念のために今日の打ち合いと勉強会は無しってことでいいか?」

「ええ・・・」

 

ハングはそう言って雑務へと戻っていく。

仕事をするハングの背中を見て、リンはその場を離れようとした。

だが、数歩も行かないうちに立ち止まり、振り返った。

 

「・・・・・・」

 

リンの中に去来していたのは昼間のハングの姿だった。

 

殺意に溢れ、理性を飛ばし、衝動のままに左腕を振るうハング。

 

今日のハングの姿を思い出すたびにリンの背中には嫌な汗が流れる。

そのことについて聞いたほうがいい気もする。だが、踏み込んでいいものかどうかわからない。

 

ハングが反応した『ネルガル』という名前。見たことのないハングの姿。

もしかしたらあれは今まで知らなかったハングの過去を垣間見た瞬間なのかもしれないとリンは思っていた。

 

ハングのことを知りたい気持ちと、知ったが故にハングが変わってしまうかもしれないという思考がせめぎ合う。

 

リンはその一歩を踏み出せずにいた。

 

「ありがとうな・・・」

 

不意にハングが声を発した。ハングはリンに背中を向けて作業をしながらそう言った。

 

「・・・お前の言葉に救われたよ・・・」

 

ハングの台詞にリンは胸を突かれたような気分になる。

 

「あん時、お前の言葉で少し頭が冷えた。あのまま敵陣に斬り込んでたら死んでたかもしれない。本当に礼を言う」

 

後ろを向いたハングの表情は見えない。

 

だが、その後姿はいつものハングのものだ。

それなのに、今の彼はとても疲れているような背中をしていた。

 

その姿を見てリンは肩の力を抜いた。

 

「おやすい御用よ・・・ハング、今は何も聞かないわ。ハングが話したい時に話してくれればいい」

 

ハングの表情は見えない。

それでもよかった。

 

彼が見ているものなど私は知らなくていい。彼が見えない場所を私が見てあげればいいのだ。そのために私達は2人でいる。

 

「私たちは二人で一人、でしょ?」

 

ハングがわずかに笑った気がした。

 

「そうだな」

 

静かな夜は感情を阻害しない。

 

「お前に会えて、よかったよ」

 

ハングの声が静かな世界に染み込んでいく。

それが、今のリンにはなんだか嬉しかった。

 

だが、振り返ったハングの顔を見てリンの表情は凍り付くことになる。

 

「で、だ。最近、勝利が続いてるせいか自分たちを過信して、勝手に実力もわからない相手と戦うと後々の責任やらなんやらも考えずに簡単に口約束して戦闘を決定した相棒に俺は言っておきたいことが多数あるんだが。今、時間はあるか?あるよな?無くてもあるよな?」

 

一瞬でリンの体の中を悪寒が駆け抜けた。

戦闘前のハングの凍った笑顔が走馬灯のように駆け抜ける。

 

ハングの顔に青筋を見つけ、自分がいつの間にか正座していたことに気がついた。

 

その夜、月を沈める勢いの怒鳴り声は偵察に出ていた三人が戻るまで続いていたそうだ。



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7章外伝~黒い影(前編)~

「では、弟にはまんまと逃げられ。一度は捕らえた姉の方も何者かに奪われた・・・そういうことですね?」

「はっ・・・思わぬ伏兵がおりまして・・・」

 

青藍色をした短い髪と藍染めの魔道士の服。自分の体の線を惜しみなく出す彼女。妖艶と冷酷を併せたような氷のような瞳。放たれる声は巨大な雪山から吹き降ろされる風のように威圧的な響きを孕んでいた。

 

その前に跪く一人の男性。筋肉質な身体つきと背中の大剣。纏う雰囲気は手練れのそれだ。だが、そんなものを歯牙にもかけず、女性は見下したような態度を崩しはしなかった。

 

「言い訳はおよしなさい。結果が全てです」

 

彼女がその手の中の魔道書を開いた。そのわずかな動きだけで跪く男は震えあがる。

 

「姉妹を取り戻す策は?」

「手の者に探らせましたところ、我らを阻んだ一団が姉妹を伴いこちらに向かっていると報告がありました」

「ここに?」

 

彼女が魔道書を閉じる。パタン、という音を頭上に聞きながら男はわずかに安堵の吐息を漏らした。

 

「どういうことですか?」

「この指輪が目的ではないかと・・・珍しいものだったので娘の指から抜き取っておいたのが役に立ちました。これをエサに奴らを一網打尽にしてみせます」

 

少しの間があり、衣擦れの音がした。彼女が移動している証拠はそれだけだ。足音一つ聞こえない。顔を下げたままの男性には彼女がどこにいるのかわからない。

 

自分の背後で雷を放とうとしているのか首筋に短刀を突き立てる気なのかそれとも、既にこの場から離れているのか。男はただ震えて待った。

 

「わかりました・・・少しだけ時間をあげましょう」

 

予想していたよりも遠くからの声。だが、その位置からでも彼女は自分を一撃で消し炭にできることを男はよく知っていた。

 

「私はこれから別の任務をこなし。それからここに戻ります。刻限は明日の夜明け・・・いいですね?」

「はっ・・・」

「私が戻った時に姉弟がいなかったら・・・この手で【牙】の制裁を下すことになります。よく覚えておきなさい」

 

そう言い残し、その女性はなんの気配もなく消えた。だが、その場に残された男はしばらくの間そこで固まっていた。

 

古城の裏から外に出た女性。そこに繋がれた馬に乗り、周囲を見渡した。

 

「【疾風】」

「なんだ?仕事か?」

 

揚々とした落ち着きのある声がどこからともなく降ってきた。

 

「先の戦闘で逃亡した者がいます。始末しなさい」

 

返答は無い。気配は最初から無い。

【疾風】と呼ばれた者がどこからどこに移動したのかを見たものはいない。

 

そして、それは女性も同じ。

 

次の瞬間には最初からそこに誰もいなかったかのように女性の姿は跡形もなく消えていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンディス傭兵団は逃亡する一団の情報を元に、その行方を追っていた。

 

道なき道に生じたわずかな人の気配を辿りながら、彼らは一つの古城にたどり着いていた。ベルンでハング達が一夜を明かした古城よりも更に古い。

その中は不気味な程に静まり返っていた。

 

「ここね・・・」

「ああ、うっさんくさそうな連中が何人か出入りしている」

 

リンとハングが森の中よりその古城を見上げていた。

 

「・・・リンさま、あの・・・本当に取り返しにいくの?」

 

不安を露わに声をかけてきたのはニルスだ。

 

「ええ、行くわ」

 

対するリンに迷いはなさそうだ。

 

「でも、ここは奴らのアジトだよ?もっともっと強いやつがたくさんいるんだよ?」

 

声を殺しながらも強い口調で訴えかける弟に半ば泣きそうな姉が言葉を足した。

 

「・・・指輪のことはもういいのです。ですから・・・」

 

そんな二人にリンが振り返る。そこには自信のある笑みが浮かんでいた。

 

「ハングが賛成してくれなかったら私も無理するつもりは無かったの。でも、ハングは戦うことを選んだ。勝算がなければそんな選択をする人じゃない。私は・・・」

 

リンはハングの横顔を少しの間見つめた。

 

「ハングといっしょなら勝てると思う」

 

「かいかぶりすぎだ」と、ハングから声がかかるが肯定してくれる者はいなかった。

 

「だから、私たちに任せて。ね?」

 

リンの言葉に少しだけ二人の顔に生気が戻る。

それでも、やはり彼らの中ではまだ不安が渦巻いていた。

そんな四人のもとに周囲の偵察に出ていた人たちが戻ってくる。

 

周囲には他に拠点も無く、外部からの援軍は考える必要は無いというのが総合的な意見だった。

 

「ハング殿、中は思っていたより数が多そうですよ。どうしますか?」

 

古城の偵察を行っていたセインとケントは険しい顔を浮かべていた。

 

「通路も狭く入り組んでいます。向こうの拠点ということもあり、背後を取られる可能性が高いです」

 

セイン、ケントの報告を頭の中に入れて。面倒そうにハングは頭をかいた。

 

「やっぱ自分の目で見る必要がありそうだな・・・」

 

各国の城の特徴や基本的な形状はハングの頭には既に存在している。だが、古城となると話は変わる。長い年月で壊れた壁や、崩れて通れない通路、新たに作られた地下道などはハング自身が確認せねばならない。

 

もちろん、全ての戦闘でそれを確認をするわけではない。

 

今回は向こうが待ち伏せを企んでるのが見えている上に、相手の目的もはっきりしている。多少時間をかけて下準備をしても大丈夫だろうという判断のうえだ。

 

「ラス、マシュー。一緒に来てくれ」

 

頷くラス、気軽に「了解」と返したマシューを引き連れてハングは一団から離れて城の偵察へと動き出した。

 

「ハング、気を付けてね」

「ああ、わかってるよ。隠密は得意な方だ」

 

リンに見送られ、三人は森の茂みに身を隠しつつ移動していった。

 

森は古城の近くまで迫っており、身を隠すのに不便はない。頭上の木々は少しだけ雑に天を覆っている程度だが、その隙間を縫って降り注ぐ光が下草をしっかりと茂らせてくれていた。ハング達はその草木の陰に隠れながら古城へと近づいて行った。

 

「さすがにマシューは音をたてねぇな・・・そういうとこから密偵の姿が見え隠れすんだ。次からはもっと盗賊らしくしろよ」

 

もう何度目かわからない指摘に苦笑を返すことさえしなくなったマシュー。

 

「だ~か~ら~俺は密偵なんかじゃないですってば」

「ま、いいけどさ」

「・・・二人とも、少しは緊張感を持て」

 

ラスが二人をたしなめる。ラスは草原育ち故に音を立てずに草の中を移動するのには慣れていた。

ハングは身を低くして古城の方を見る。

 

「緊張感ねぇ・・・奴らが城から出てくる気がねぇんだ。正直多少の挑発じゃ出てこないと思うぞ」

 

ハングの言葉に疑問符を浮かべたのはマシューだった。

 

「あれ?俺たちって挑発役なんですか?」

「そんなわけあるか。でも、敵に襲われた時に一番逃げ方が上手い三人ではあるだろ?」

 

ラスはハングとマシューの顔を見比べて納得したように目を細めた。

マシューも少し笑うようにして同意した。

ハングは見える範囲で城の中身を観察する。そして、ハングは自分の目で見にきてよかったとつくづく感じた。

 

「こりゃ、面倒だな・・・」

 

城の中身はその大半の通路が破壊されていた。崩れたのではない。意図的に道を絞っている形跡がありありと見えた。道を限定することで侵入してくる相手の行動を読みやすくし、狭い空間で戦うことで相手との数の差を極力埋める。

 

理想的な戦場を作り出す手腕は間違いなくそこらの山賊にできる芸当ではない。

 

「城って言うより、拠点って感じですね」

 

マシューが目を細めてそう言った。

 

「ただの古城を堅牢な拠点に作り変えてる。ニニアンたちの言うとうりだったな。相当に危険な奴らがあの集団を率いているらしいな・・・」

「・・・どうする?」

 

ラスにそう聞かれて、ハングは肩を竦めた。

 

「まぁ、平気だろう。本当にできるやつがあの黒衣の集団を指揮していたとしても、少なくともあの城の中にはいない」

「なんでわかるんですか?」

「奴らの配置を見ればそんなに難しいことじゃない。あれじゃ、この城を生かしきれない」

 

マシューの問に答えながらも城の観察に余念がなかったハングだが、しばらくして息を一つ吐き出した。

 

「さて、だいたいわかったから俺とラスは戻ることにする」

「えっ?俺はこのままここで待機ですか?どうすればいいんです?」

「お前は俺たちが攻撃をしかけたら奴らの倉庫を探せ。火種は持ってるな?」

 

マシューは合点がいったように笑みを浮かべた。

 

「はっは~ハングさんも悪だねぇ」

「お前ほどじゃねぇよ」

 

マシューを残してハングはラスと、もと来た道を戻っていった。

沈黙に耐えかねたというわけではないだろうが、ハングはほどなくしてラスに声をかけた。

 

「なぁ、ラス」

「・・・なんだ?」

 

ラスの声は緊張しているように聞こえたが、迷惑を感じているようではなかった。

 

「お前・・・リンのことどう思う?」

 

ラスはわずかに目を見張る。だが、すぐにその目元は元に戻った。

それは質問の内容に驚いたというよりも、敵陣に近いこんな場所で呑気に話を切り出したハングに対して驚いたというほうが正しかった。

 

ラスは少し言葉を選ぶ間を置いてから話し出す。

 

「・・・強い。だが、脆いように見える」

「だろうな」

 

納得したように頷くハング。

 

「そして、それはお前も大差無い気がする・・・」

「・・・だろうな」

 

やはり、頷くハング。だが、少しだけ自嘲するような笑みが頬を緩ませていた。

 

「ハング・・・」

 

ラスの表情はわかりにくい。皆がそう言っているのはハングも何度か耳にしていた。だが、ハングにとってはそれは当てはまらない。

ハングの名を呼んだラスに少し痛みを堪えるような影がチラついているのをハングは見逃さなかった。

 

「お前は・・・なんのために旅をしている?」

 

一人前の軍師になるため・・・

そう、答えようとしてハングはやめた。それは目的の一つではあるが、真の目的ではない。ラスを相手にしてその手の誤魔化しが効くとは思わなかった。

だからハングは端的な言葉を使ってラスに説明した。

 

「復讐・・・かな・・・」

「・・・そうか・・・」

 

ラスはそれだけを言い、押し黙った。不意に吹いた風が頭上の木の葉を揺らしていた。

 



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7章外伝~黒い影(後編)~

皆の集合地点へと戻ったハングは手早く指示を出していった。

 

 

「二組にわけて戦う。ケント、ラス、エルク、セーラ、東側から牽制しろ。ラスとエルクが遠距離から牽制して、ケントが護衛だ。セイン、リン、ルセア、ウィル。お前らは南側の正面口から一気に急襲。リン、前線の指揮は任せる。部屋は必ず一つ一つ丁寧に制圧しろ。隠れてた敵を見落として背後を取られるなんて馬鹿なことになるなよ。フロリーナはニニアンとニルスの護衛でここに残れ。ヤバいと判断したら二人を連れて逃げろ。安心しろ、そんな状況は万が一にも起きねぇよ。あくまで念のためだ。ドルカスさんは俺と一緒に来てくれ、護衛を頼む。さぁ、さっさと始めるぞ。攻撃開始の合図は俺が出す。散れ!」

 

一斉に行動を開始した一同。皆の顔に不安は無い。

その場に残ったのはハングとドルカス、フロリーナとニニアン、ニルスの五人だった。

 

「さて、俺らもいくか」

 

無言で斧を構えたドルカスに笑いかけるハング。

 

「あ、あの・・・ハングさん・・・こんな時・・・なんですが・・・」

「ん?」

 

フロリーナの声に振り返ると、彼女がなんだか困った顔をしていた。

 

「どうした?」

「そ・・・その・・・」

 

全員に指示を出した以上、手早くいきたい。

セインあたりが暴走するのはともかく、セーラが暴走したら手がつけられなくなる。

だが、フロリーナ相手に苛立つのは逆効果だということぐらいハングはわかっていた。

だから、ハングは優しい声音でもう一度尋ねた。

 

「どうした?」

 

その声を聞いたフロリーナは意を決したように顔をあげた。

ハングはフロリーナと出会ってから、初めて真正面から彼女に相対しているのかもしれない。

 

「ハングさんはリンのこと好きですか?」

 

ハングの表情が固まった。その側でドルカスも素っ頓狂な顔をしていた。ニニアンは少しだけ微笑み、ニルスは楽しそうな笑みを浮かべた。

ハングはその固まった顔のまま、フロリーナから視線を逸らした。

 

「さて、いくかドルカスさん」

「こ、答えてください!リンのこと本気なんですか!?」

 

フロリーナに押し負けるハング。

その非常に珍しい構図を他の誰も見ることができなかったのが残念である。

 

「ほ、本気か・・・って、別に、俺とあいつはそんな関係じゃ・・・」

「・・・・・・・」

 

無言で見つめるフロリーナをハングは怖いとは思わなかったが、威圧感を感じたのは事実だった。

 

「だ、だから・・・別にお前が心配する必要はだな・・・えーと・・・」

「・・・・・・・」

 

言葉を探すハング。今のフロリーナは『相棒』だとか『二人で一人』とかそういった話を求めていない。

ここでそのことについて事細かく話すつもりはハングにはなかった。それは時間的にも心情的にも厳しい選択肢なのだ。

 

ハングは周囲に助けを求める。

 

だが、ドルカスは静かに話の行く末を見守っており、ニニアンは微笑ましい光景に心を落ち着かせている。ちなみにニルスは興味津々である。

ハングにはどうにもならない。走って逃げてもよいのだが、あいにくとフロリーナの愛馬であるヒューイが完全に道を塞いでいる。

 

ハングはどうするか思案し、そして一つの結論に至った。

ハングは表情を引き締める。

 

「どうもこうもない・・・」

 

その声は水の底から響いてくるような重く、人を震わせるものだった。

 

「俺には・・・やらなきゃならないことがある」

 

フロリーナの意を決した表情が揺らぐ。ニニアンやニルスはハングの突然の変調に表情を無くしていた。

ハングはこの世の全てを憎んでいるかのように目を細めながら続けた。

 

「それを成し遂げるまで、余計なことは考えたくねぇんだ。リンのことは憎からず思ってる。だが、それだけだ。それ以上でもそれ以下でもない・・・」

 

ハングはわざと苛立ちを抑えずに舌打ちをした。

 

「・・・これでいいか・・・もう、行くぞ」」

 

ハングはフロリーナの顔を見ずに歩き出す。道を譲ってくれたヒューイの鼻面を少し撫で、ハングは森の中を歩いて行く。

 

だが、数歩進んだところで立ち止まった。

 

「ニニアンとニルスを・・・任せたぞ」

 

ハングはそれだけを言ってまた歩き出した。

その隣にすぐさまドルカスが並ぶ。そしてドルカスは誰にも聞こえないような小さな声で呟く。

 

「お前は本当に不器用だな・・・」

「うるさいです・・・」

 

ハングは自分の中に少し罪悪感を抱えながらそう言った。

 

二人の姿が見えなくなるまで見送ったフロリーナ。ハングの背中が森の中に消え、彼女はようやく大きく息を吐き出した。その隣にヒューイが顔を寄せる。

 

「ありがとう・・・ヒューイ・・・」

 

ヒューイを撫でる手が震えていた。指先が酷く冷たくなっている。

ともすれば泣き出してしまいそうな程に色を無くしたフロリーナはヒューイに寄りかかるようにして自分を支えていた。

 

「・・・こわかった・・・」

 

フロリーナはハングの雷を直接落とされたことはなかった。だが、今のはセインやリンがしょっちゅう落とされている雷とはまた別のものだった。

どちらかと言えば、つい先日にハングが『黒い牙』に向けて発せられた不可視の圧力に近かった。

 

あの黒衣の集団でさえ足をすくませてしまうようなハングの殺意だ。その片鱗とはいえ、フロリーナは真正面からそれを受け止めたのだ。彼女は立っているだけでもやっとなほどに膝が震えてしまっていた。

 

そんなフロリーナの後ろからニルスが顔をのぞかせた。

 

「フロリーナさん・・・ハングさんて・・・時々、ああなるの?」

 

フロリーナは静かに首を横に振った。

 

「・・・今まではそんなことなかったの。でも、『黒い牙』に会ってから・・・あんなふうに・・・」

「ふぅん・・・」

 

ニルスはハングが消えていった方を見やる。

 

「ねぇ、フロリーナさん、ハングさんって、もしかして・・・」

 

だが、何かを言いかけようとしたニルスをニニアンがたしなめた。

 

「ニルス、憶測でものを言ってはいけません・・・」

「あ、はーい、姉さん」

 

そして、ニニアンはフロリーナの傍に寄り横顔を見つめる。

 

「フロリーナ様・・・大丈夫ですか?」

「あ、はい・・・」

 

フロリーナはヒューイから身体を離した。自分の手はまだわずかに震えていた。

その自分の手を頑張って睨みつける。

 

フロリーナはこれでも一つの決意を持ってイリアを離れてきたのだ。一人前の天馬騎士になるために傭兵団に入って、生き残って、そして錦を着て凱旋するのだと、その華奢な身体になけなしの勇気を注ぎ込んで出てきたのだ。

 

『ニニアンとニルスを・・・任せたぞ』

 

フロリーナの耳朶にはまだハングの声が染みついていた。

フロリーナはその白く細い手を握りしめ、頬にあてる。そして、勢いよく平手にして自分の頬に叩きつけた。

 

「大丈夫です・・・私は・・・皆さんの護衛なんですから」

 

見習いといえど天馬騎士。ハングの態度にあてられても槍を取ればその姿勢は戦いを生業とする者の雰囲気を帯びる。

 

今は弱虫の自分でいるわけにはいかないのだ。ここには親友のリンはいない。何かがあればフロリーナが判断して逃げなければならない。それを見失ってしまう程、フロリーナは柔ではなかった。

 

「よかったです・・・フロリーナ様」

「あ、あの・・・私なんかに様をつけなくても・・・フロリーナって呼んでくれればいいです・・・」

「はい・・・フロリーナさん・・・」

 

そんな会話のさなか、轟音があたりを響かせた。

 

「わっ!びっくりしたな・・・なんだろ?まるで、土砂崩れでも起きたみたいだ」

 

驚くニルスとニニアンだったが、フロリーナはやけに落ち着いていた。

 

 

大丈夫・・・だって・・・私達には・・・ハングさんがいるから・・・

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

古城の奥、昔は指令室としてそこで策が練られていたであろう部屋も、今では柱が倒れ、天井も失い、外の陽光が差し込んでいた。

だが、その中の人物達には感傷に浸る暇も無かった。

 

「伝令!西側の壁が次々と崩され、兵士が混乱しております!」

「東側から攻撃!」

「南から侵入を許しました!これが本隊と思われます!」

「食糧庫から火事です!このままじゃ飯が焼けちまう!」

 

次々と入ってくる情報。周囲の混乱が全てこの場に流れ込んできていた。

 

「煙が地下道に!逃げ道がありません!」

「西側は罠です!」

「東の部隊が忽然と消えました!」

「北に増援!」

「敵の進撃が止まりません!」

 

その指揮を取ろうとするのは大剣を担いだあの男。

 

「何故だ・・・奴らは何故ここまで戦える・・・!くっ、全ての配下を投入しろ!!我らに後は無いのだ・・・!!」

 

そんな叫びもさほどの間もなく無駄だと知る。

 

「増援部隊が待ち伏せにあいました!全滅です!」

「東に再び部隊が!侵入されます!」

「逃走経路が潰されてます!」

「西側が手薄だ!逃げろ!」

「な、なんだ・・・なにが起きている」

 

正攻法は通じず、奇襲も読まれた。逃げ道は既に一本に絞られてしまい、食糧も無い。

追い詰められている焦りは単純な死への恐怖を加速させ、浮足立った兵士が逃亡を始めていた。

 

「ぐわっ!」

「うわぁ!来たぞ!」

「迎え撃て!」

 

部屋の中にいた兵士が大量の矢を受けて次々と倒れていった。

 

そして、現れたのはサカの服装をした女と二人の騎士。

 

男は背中の剣を抜き放つ。刹那、背後から矢を打ち込まれた。

男は振り返る。いつの間にか、背後の壁が破壊され、そこに弓兵と魔道士が立っていた。背後から飛んで来た火球の熱に朦朧としながら、男は迫ってきた騎士に取り押さえられたのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「く・・・まさか・・・われらが・・・」

 

 

首領格と思しき男に剣を突きつけて、この戦いは終了を迎えた。

 

ハングはマシューに火事を起こさせることで相手の城からさらに動ける範囲を限定したのだ。敵が誘い込みたい場所ではなく、こちらが攻め込みたい場所を戦場にする。

 

攻城戦において火付けはあまり推奨されるものではない。奪った城はその後自分の城になるのだ。全てを燃やし尽くす火を使うことは最終手段に等しい。だが、ここは古城でハング達は旅の途中である。この城がどうなろうと知ったことではなかった。

 

そして正面からリン達がハングの思惑通りの通路を使って敵陣に突っ込めば、後はただの殲滅戦だ。増援がやってくるタイミングも、敵の逃げる方向もハングには全てが手の上であった。

 

この場をケント、セイン、リンにハングを加えた四人で制圧し、残りの人達は残兵がいないか、周囲の偵察を行っている。

 

「ルセアにフロリーナ達を迎えに行かせた。そう心配すんな」

「わかってるけど・・・」

 

ハングは残してきた親友の安否を気遣うリンを見ながら、そのリンの親友にやってしまったことを思い出した。

 

あれリンに言われたら。後が怖いよな・・・

 

半ば脅すような形になってしまったことをハングは後悔していた。他にいくらでもやりようはあったはずなのだが、どうも自分はリンが絡むと最善手を選べなくなることがあるらしい。

 

ハングはそんな自己分析にため息が出る。

 

「不器用・・・ね」

「ん?なにか言った?」

「なんでもねぇよ」

 

そして二人は床に座り込んだ男を睨みつけた。

 

「指輪を返しなさい!・・・それから。これからは、あの姉弟に手を出さないと約束して!!そうすれば、命だけは・・・」

 

だが、リンの言葉が終わる前に男は行動を起こしていた。

 

「・・・失敗には・・・死を・・・」

 

袖口から小瓶が男の手に滑り落ちた。ハングはすぐにその男の目的を悟った。

 

「ケント!止めろ!」

 

だが、一瞬間に合わない。

ケントが小瓶を弾き飛ばしたが、その中身は既に男の口の中に注がれていた。

床に倒れる男のそばにハングは駆け寄る。そして、苛立たしげに舌打ちを繰り出した。

 

「死んでやがる」

「・・・毒?みずから命をたつなんて・・・」

 

ハングはそのまま男の死体をまさぐる。

 

「この者たちは・・・ただの賊ではありませんね。かなり訓練された組織の一団でしょう」

「ただ、毒を持たされてるってことは下っ端もいいとこですね」

 

ケントとセインの言は正しいとハングも考えていた。それを踏まえた上でハングは死体をあさり続けた。ハングは男の懐から一つの指輪を見つけることはできたが、他の死体同様になんの手がかりも残されていない。

 

ハングは誰にも気づかれない程に小さな声で怨嗟の言葉を吐き出した。

 

ハングは最後に死体を整えた。そして、その体の上に石を三つ置いた。見る人が見れば墓石ともとれるだろう。だが、それはハングの善意などではない。

 

これはただのメッセージだ。

 

そしてハングは立ち上がった。

 

「まぁ、いいさ。ここの食糧は相当な量だ。ここを潰せば、当分この組織がここら一帯で活動することはできない。さ、行こうぜ」

 

そしてハングたちは古城を後にした。

向かうべきキアラン領はもう目の前に迫ってきていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

次の日の早朝。青藍色の髪を持つ魔道士はその古城の惨憺たる様子にその美しい眉をひそめた。

そこにいた配下は全滅、食糧は燃やされ、地下道や城壁ももう防御に使えないほどに破壊されていた。

 

しかも丁寧に死体は一箇所に集められて燃やされている。この場所に攻め込んできた奴らの手がかりは残っていないと考えてよい。

 

「ここの拠点はもう使えんな」

 

ここには念のために彼女の直属も置いておいたのだが、戻ってこないことを見れば探す必要も無いのだろう。

 

奴らの行き先を手の者に探らせるつもりだが、望みは薄いと彼女は考えていた。この短時間で拠点の最重要の部分をことぐとく使用不能にした相手だ。しかも、敵の全容を知っている人間はことごとく殺されている。そう簡単に捕まるとは思えない。情報収集を怠っていたのが仇になったが、あの時の状況でこれ以上手を広げることはできなかっただろう。彼女は今も他にもやらなければならない事柄を多数抱えていた。

 

「・・・ネルガル様に判断を仰ぐか」

 

そう呟きながらも彼女の足は古城の中心へと近づいて行った。

彼女が向かったのはかつての指令室。

この一団を任せていた男が死んでいた。

 

胸の上で手を組まれた死体。格式ある葬式でも行ったかのような男の顔。そして、胸の上に置かれた三つの石。

 

それはとある地方特有の簡略化された葬式の形だった。

 

その地方とは・・・ベルン

 

「・・・何者だ・・・お前は・・・」

 

彼女が呟いた言葉は開いた天井からどこかへと飛んでいった。

 



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8章~謀略の渦(前編)~

カートレー領を抜け、リンディス傭兵団はとうとうキアラン領へと足を踏み入れた。それは旅の終わりが近いことと同時に侯弟ラングレンの支配下に入ったことを意味する。

ハングは相当に用心を重ねて進軍を続けていた。

 

そんな旅の最中、ふと後ろを振り返ったリンがハングに声をかけた。

 

「見て!ハング!山が遠くなってきた・・・ずいぶん遠くまで来たのね」

「だな・・・サカの草原が懐かしいか?」

 

そう尋ねるとリンは小さく肩をすくめた。

 

「少しだけ・・・ね」

「ま、故郷を懐かしまない奴はいないよな」

 

ハングも少しだけ自分の故郷に思いを馳せる。

 

税の取り立ては厳しく、土地は痩せ、交易も特に無い田舎だった。

それでも、笑っている人たちこそがその町の特産品だった。

 

「リンさまはサカの出身なのですか?」

 

足を動かせないため、リンの後ろに乗ったニニアンがそう尋ねた。

彼女の鈴を転がしたような声にハングは現実に引き戻される。

 

「ええ。ニニアンとニルスは?」

「イリアです。一面の雪に覆われた白い山々・・・私たちはそこで生まれました」

「ほ、ほんとですか?」

 

話題に食いついてきたのは同じくイリア出身のフロリーナだ。

 

「じゃあ、私とニニアンさんは同じ故郷なんですね。なんだかそう聞くと身近に感じちゃいます」

「はい・・・私もそう思います・・・」

 

同郷ということで友情を交わす二人。恥ずかしがりやのフロリーナと物静かなニニアンの二人の組み合わせは女性のお淑やかさを象徴しているようでハングとしては非常に癒しである。

 

ハングは馬上のリンを見上げた。

 

「なに?」

「いや、別に」

「ハング・・・何か失礼なこと考えてたでしょ」

「さぁな」

 

竹を割ったようなリンの性格もハングは嫌いではない。

 

「ハングさん・・・」

「よう、マシュー」

 

そんなハングにマシューが後ろから追いついて横に並ぶ。

背後ではセーラがまた口やかましくルセアに迫っていた。

マシューは逃げてきたと思われる。

 

「ハングさん。あいつなんとかしてくださいよ」

「お前がどうにもできないもんを俺になんとかしろと?無茶を言うな」

「どうして、俺が対セーラの切り札扱いなんでしょうか?」

「そりゃ、お前が一番付き合い長そうだからだ」

 

マシューが一際大きなため息を吐き出した。

 

「付き合い長くてもあれはどうしたらいいのか全然わかんねぇッスよ」

 

ハングがマシューの肩を軽く叩いた。

 

「まぁ、今回はエルクに任せることにしよう」

「ハクション!?」

 

どこからか聞こえてきたクシャミを黙殺して、ハングはマシューに指示を出す。

 

「例の件、わかってるな?」

「もちろん!任せてください」

 

そう言って、マシューは消えた。

文字通り、いつのまにか視界から消えていた。ハングはマシューが最初からいなかったかのような錯覚を受ける。

 

「相変わらず、いい腕してるよな」

 

最近、腕の良い盗賊という肩書を自分でも忘れているのではないかと思うハングであった。

 

「ハング、キアラン城まであとどれぐらいなの?」

 

馬上からのリンの声にハングは頭をかきながら地図を心の中に浮かべる。

 

「ここからなら・・・急げば二日かな・・・」

 

それを言った途端にリンの顔が明らかに陰った。

 

「急いでも、二日・・・か」

 

俯いた彼女が小さく「おじい様・・・」と、呟いたのがやけに大きく聞こえた。

彼女の顔から表情が消える。握りしめた手綱が、やけに痛々しく見えた。元々、白い彼女の肌が血の気を失って青白くなっていた。

 

ハングを含めて傭兵団の皆がそんなリンの姿を深妙な顔で見つめた。

胸が締め付けられるような感覚を皆が感じていた。

 

そんな中でリンに声をかけたのはフロリーナだった。

 

「リン、元気出して」

 

ペガサスをリンの馬に寄せて、フロリーナにしては大きな声でリンを励ます。

 

「リンが暗い顔をしてるとみんなまで悲しい気持ちになるわ・・・」

「フロリーナ・・・」

 

そう言ったフロリーナ。それを見つめるリン。

少しだけ、リンの顔に生気が戻ってきていた。

 

「そうね、悩んでても仕方ないわね。それより一歩でも確実に前に進まないと!」

「そう、その調子」

 

リンの元気な声。空元気だとはわかっていた。

フロリーナも他のみんなもそれはわかっている。

 

それでも、彼女の言う通りなのだ。一歩ずつ進んでいくしかない。

 

それを一番もどかしく感じてるのはリン本人だ。それでも、リンは笑顔で顔をあげたのだ。

 

だから、周囲が焦るわけにはいかない。

彼女があそこまで気丈に振舞うのなら、自分たちは不安になるわけにはいかない。

 

そんな思考が伝染していく。いつの間にか傭兵団の皆が顔をあげていた。

 

「やっぱ、お前は侯爵の孫娘なんだな・・・」

 

ハングはそう心の中で呟いた。それは、単純な尊敬の念であった。

 

 

それからしばらく、キアラン領の街道を歩くハング達。

ここらの街道は低い山に挟まれた広い谷のような場所にある。馬を駆けさせる分には問題はないが、見通しはあまり良いとは言えなかった。

 

日も天頂へと差し掛かり、ハングたちは小休止を入れることにした。

 

「エルク!私、お腹すいたわよ!」

「・・・・・・」

 

無言ながらも焼き菓子を差し出すエルクはさすがだ。多分、ハングには真似できない。

そんな、ほのぼのとした空気はニルスの強い声でぶち破られた。

 

「リンさま、大変だ!なにか危険が・・・!」

 

一同に緊張が走る。

 

「なんですって!?」

 

念のために剣を腰に帯びたリン。

 

「・・・っと言っても。今のところ何も見えませんが?」

 

そう言ったセインも馬に飛び乗って戦闘体制をとっている。

確かに周囲一帯に敵の気配は無い。東に村、東南に少し高い山。

兵を伏せられる箇所があるとしてもここからは程遠い。

 

そこにニニアンが低い声が加わる。

 

「でも・・・強く感じます」

 

何かに集中するように目を閉じたニニアン。だが、すぐにその紅い瞳を大きく見開いた

 

「リンさまっ!動かないでっ!」

「え?」

 

風を切る音。鈍い音がした。土が掘り返され、土砂が降り注ぐ。

いくつかの音が連続して聞こえた後、残されたのはリンの隣を通り過ぎていった一本の矢だった。

だが、ただの矢ではない。矢とみなすこと自体が不可能だと思えるほどにそれは巨大な矢だった。

長さはおよそ人の丈程。太さは握り拳並み。それを体に受けようものなら存分に風通しのよい姿になってしまう。

地面に突き刺さった矢は大きく土を抉り、そのまま畑にしてもよさそうな深さまで大地を掘り返していた。

 

その破壊力に生唾を飲み込んだのは一人や二人では無かった。

 

「これは・・・いったい・・・」

「リン!怪我ねぇか!?」

「リン!」

 

まさに、危機一髪。ハングとフロリーナが駆け寄った時、リンの体は少しばかり震えていた。

 

「【シューター】です!」

 

ケントがそう叫ぶと同時に前に出た。

 

「ラングレン殿も必死だな。こんなものまで持ち出してくるとは」

 

セインがボヤくようにしてケントの隣に並ぶ。

それと同時に山の影から敵の姿が続々と現れる。どうやらこの街道で一戦交えようというつもりらしい。

 

「【シューター】?それは、なに?」

 

リンの質問に答えたのはハングだった。

 

「見てのとおり、この巨大な矢を打ち出す兵器だよ。シャレにならん飛距離と破壊力を持った機械仕掛けの弓みたいなもんだ。【バリスタ】って言えばお前にもわかるか?」

 

バリスタ、弩砲、ロングアーチなどと他の名前はいくらでもあるが。最近は【シューター】という名前が通称となりつつある。

 

「本来なら攻城兵器だ。城を攻めたり守ったりすんのに使われるんだがな・・・よっぽど俺らを殺してぇらしいな」

 

そう、言ったハングにリンはわずかに笑みを漏らした。

 

「『俺ら』というより『私』だけどね」

「冗談が言える余裕があんなら問題ねぇな」

 

ハングはフロリーナに目を向ける。

 

「フロリーナ!下手に飛ぶなよ、相手は弓だ。制空権はあちらにあると思え!」

「は、はい!」

 

ハングが「戦闘準備!」と叫ぶと同時に傭兵団が一つの流れを辿るように動き出す。

 

「・・・ハング。【シューター】に対する有効な戦略はあるの?」

「【シューター】の弱点は三つ。その巨大さ故に動き回れる範囲が極めて小さい。森や山、細い橋なんかも通れない。もう一つはその矢の重さのせいで所持できる矢に限りがある。最後に至近距離の敵の対応ができない。つまり・・・」

 

それだけを言って、ハングはリンを見つめた。

ハングが答えを要求していることをリンは悟った。

そして、少しだけ考えた後にリンは口を開いた。

 

「誰かが囮になって矢をうち尽くさせるか・・・使っている者を直接倒す・・・」

 

ハングは口元を歪めて笑みを作った。

 

「ご名答!」

 

リンの笑顔を見ながらハングは指示を出した。

 

「全員、一人で決して動くな!複数行動、必ず一人がシューターを含めた周囲の警戒をしろ!」

 

ハングは傭兵団の合間を走り回りながら、更に指示を飛ばしていく。

 

「ルセア!セーラ!俺と一緒にいろ!俺とニニアンの護衛と、負傷兵の保護。ラス!ドルカス、エルク、ニルスを連れて西回りで攻めろ!ニルス、お前の危険感知の力ってやつはあてにしていいんだな?」

 

ハングが不敵に笑いながらニルスにそう尋ねた。

ニルスはその紅い瞳で真っすぐにハングを見返して、頷いた。

 

「任せて」

「いい返事だ」

 

ハングは先程の【シューター】を予知した時点で、ニルス達の力を信じていた。

だが、それは前線に出る覚悟の有無には関係がない。ニルスはハングが要求するものを正確に読み取り、そして返事をしていた。

 

ハングはその事実に微笑み、他の皆に指示を出す。

 

「フロリーナ!ウィルを乗せて山を越えろ!限界ギリギリまで高度を下げて飛んで【シューター】に奇襲をかけろ!今回の戦闘の肝だ。フロリーナ、言い訳はきかねぇぞ。ウィル【シューター】を奪ったら敵後陣を集中的に攻撃しろ」

 

軍師という立場と有無を言わさぬ声。ハングの声は次々と皆を動かしていった。

 

だが・・・

 

「ケント!セイン!お前らはラス達の側面から援護しろ。リンを連れて東回りで山を越えていけ、山賊共が動き出してる!」

「お断りします」

「それは嫌ですよ」

 

ケントとセインは二人ともハングの言葉を拒絶した。

 

それはハングを軍師として迎えてから初めてのことだった。

 



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8章~謀略の渦(後編)~

「押し問答してる余裕はねぇんだ・・・従え」

 

ハングの怒りを内包した声がケントとセインを襲った。

その場に走り抜ける緊張。それでも、ケントもセインも臆することもなくハングに立ち向かった。

 

「ハング殿。敵は西回りで来ると予見しているのですよね。でしたら我らをそちらに配置していただけないでしょうか」

 

そう言ったのはケントだ。

 

「いただけねぇよ」

 

そう言って腕を組み仁王立ちしたハング。その背後に鬼神を見たのはケントだけではなかった。

 

「アハ、ハハハ、ケントさん、ハングもこんなことしてる場合じゃないだろ?」

 

ウィルが愛想笑いを浮かべながらなんとか仲介をしようとする。

 

「ちょ、ちょっと!ハングの指示に従いなさいよ!ハングは軍師でしょ!」

 

セーラもまたその険悪な雰囲気になんとか割って入ろうとした。

だが、2人の涙ぐましい努力をケントがくみ取ってくれることはなかった。

 

「ハング殿にはハング殿の考えがありはするでしょう。ですが、我らにも我らの考えがあります」

 

ハングのこめかみに青筋が走った。そこにいた一同に戦慄が駆け抜けた。

他にも仲介をしようとしていた者たちも足がすくむ。

その2人の間にセインがいつもの調子で進み出た。

 

「ハング殿は俺たちに前線から外れろと言う。それは俺らがキアラン出身だからですか?」

 

ハングが眉をひそめてセインをねめつける。仲間たちの間に少しだけ動揺が広がった。

キアランの騎士である彼らがこれから戦う相手はキアラン兵。

 

同じ訓練で汗を流し、同じ釜の飯を食い、同じ酒で夢を語ったであろう同胞。そんな彼らとの戦場だ。

 

ハングはそれを避けたのだ。

 

敵対する相手に手心を加えるようなことを2人がするとはハングも思っていない。

だが、顔を知る相手に対して慈悲の一欠片もなく剣を振り下ろせる奴などそういないのも事実だ。そして、その一瞬が生死を分ける隙になってしまうことだってありうる。

 

だからこそ、ハングは2人を前線に送り出すことを良しとしなかった。

もちろん、2人の気持ちを慮ったのも有りはするが、それを前面に出すハングではなかった。

 

「ハング殿、失礼ながらあなたには少し失望いたしました。我らをそこまで見限っていたのですか?」

「俺たちは今はリンディス様の臣下だ。その邪魔をする奴らをただで済ますわけにはいかない。遠慮なんてしないでくれ」

「お前らいい加減にしろよ」

 

ハングは憤りを見せながらも実のところ心の中はずっと冷静であった。自分の顔や態度が仲間達にどういった意味合いを持つのかがわからないハングではない。だが、騎士2人は頑なに前線に出ると言ってきかない。今回ばかりはどうも逆効果であったらしい。

 

「ハング・・・」

「リン・・・てめぇも文句があんのか?」

「文句はないわ。でも・・・言いたいことはある」

「そういうのを一般的には『文句』っていうんだよ。で、なんだ?」

「私が前線に出ない。それでどう?」

 

音がした。ハングのこめかみ付近である。ハングは自分でも驚くほどに一瞬で頭の中が燃え上がったのを自覚した。

 

怒りで思考が麻痺し、理性というタガが外れかける。

 

だが、ハングが感情に任せて怒鳴り返そうとした矢先、ハングの背後を【シューター】の矢が駆け抜けた。飛び散った土の欠片の落下音の中で大きな舌打ちの音がした。

 

「これ以上喋ってる余裕はねぇか・・・」

 

ハングは敵のキアラン兵の配置が完成したであろうことを悟った。

 

「ハング・・・」

「ハング殿」

 

リンと騎士達が見つめる中、ハングは大きく息を吸い込み、吐き出した。

 

「だめだ」

 

ハングのその声にケントとセインの顔が苦痛に耐えるようにゆがむ。リンが悲しそうに目を伏せた。

 

「リン、お前が前線に出ないというのは無しだ。だから、お前がケントとセインを率いて戦え。前線は任せる」

 

ハングはそのまま背を向けたのでそう言われた三人の表情を見ることはなかった。

だが、彼らが満足したような寂しげな笑みを浮かべていることは何の根拠もなくわかっていた。

 

「ラス、山を迂回して、山賊を蹴散らしながら相手の側面を突け。速度が命だ。機の見定めはお前に任せる」

「お前も苦労してるようだな・・・」

「さっさと行け!」

 

ラスは口元にだけわずかに笑みを浮かべた。

 

「ドルカス、エルク・・・ニルス、行くぞ」

 

そして、ラスは三人を引き連れて動き出した。

それを見送ってハングは一つ息を吐き出した。

 

「ルセア、セーラ。予定変更だ。リン達の後詰を頼む」

「え・・・ハングさんの護衛はどうするんですか?」

「心配ない・・・後方に敵が抜けてくることはまずねぇよ」

 

ハングは忌々しげにそう吐き捨てた。

ルセアはまだ何か質問をしたそうにしていたが、ハングの顔を見て口を閉じた。

 

「行くぞ、戦闘開始だ」

 

ハングは自分の背後で騎馬が駆けだしていくのを音だけで聞いていた。

フロリーナやウィルがハングの顔色を見ながら前線へと走っていく。

 

ハングはこの時に少し後悔をしていた。

リンの『挑発』に乗ってしまった自分が少しだけ恨めしかった。

 

『リンが前線に出ない』それは『リンが全軍の指揮をとる』という宣言に他ならない。

『ハングより私の方がこの戦場を冷静に見ている』そう言われて、ハングの頭に血がのぼってしまったのだ。

 

「ったく・・・リンの奴・・・いらねぇとこばかり吸収しやがって・・・」

 

人を挑発する言動は時に戦場で極めて有効に働くと教えたのは一昨日の晩であった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

前方でリンとケントとセインが縦横無尽に駆け回るのを見ながらハングはさらに大局を見つめていた。

 

キアラン兵たちはなんのためらいもなくケントとセインに襲いかかっている。

そこにルセアが光魔法で牽制を加え、セーラが引いてきた者に杖で癒しを与えていた。

ケントが下がるならセインが援護し、リンが下がるなら二人が壁となる。

騎士二人の状況判断もさることながら、リンの指揮が少し板についてきていた。

 

そこに一抹の苦悩を抱えてハングは戦場の更に奥を見た。

 

少し先に川が見える。そこには細い橋がかかっている。

おそらく、そこが戦場の後端にあたる。あの橋まで敵を押し込めればこちらの勝利は間違いない。

 

上空からこちらに飛んできた巨大な矢をハングは左手で受け止めた。

 

「そろそろ、フロリーナに合図を出すか・・・」

 

その声は何の抑揚もなく、まるで友人との待ち合わせを待つかのような、緊張感の欠片も無い声だった。

ハングは矢を持ち出す。矢の先には目立つ赤い布が巻きつけてあった。

ハングはそれを左腕で力の限り投げ上げた。『竜の腕』の筋力で矢は天高くまで飛んでいき、赤い布地を青い空に輝かせる。

 

「ハングさん」

 

ふと、戦場で声をかけてきたのは自分と同じく後方待機のニニアンだった。いざとなればハングはニニアンを抱えて逃げるつもりであった。

 

「ん?」

「ハングさん、辛そうです。大丈夫ですか?」

 

ハングは少し肩から力を抜く。そして、彼女の頭を軽く叩いた。彼女の髪はまるで上等な絹のような感触で手触りがとても良い。それがなんだか気持ちよかったので意味もなく撫で続けてみた。

 

「あ、あの?」

「どうした?」

「いつまで・・・」

「いやか?」

「あ、いえ・・・その、でも・・・」

 

ニニアンが前方を見やる。その先では指揮を執りながら戦うリンがいた。

 

「その・・・リンさまに悪いです」

「その言葉に関してはいくつか言いたいことがあるけど、まあいいや」

 

さすがに迷惑かと思う直前あたりでハングは手を引っ込めた。

おそらく、後方に敵が抜けてくることはない。戦場荒しに山賊共が出てくる可能性はあるが、それはラスが抑えている。

【シューター】にさえ注意しておけば、雑談するのはさほど難しくはなかった。

 

「まったく、リンも随分と言うようになりやがった」

 

ハングは溜息を一つ吐き出した。

 

「ハングさんが毎晩指導しているからだと聞きました・・・」

「にも関わらず、俺の剣技はまったくリンに届かない。あいつの成長が早いのか俺の成長が遅いのか。どちらにせよ少し嫉妬せざるをえないよ」

 

さっきからわずかに感じる苦悩の原因である。それが他人からは少し辛そうな顔に映るのだろう。

 

「リンも戦術に関しては随分とまあよくなってるからな、そろそろ一個師団同士を想定した戦術でも教えてやるか」

「あの、前々からお尋ねしたかったんですが・・・」

 

ニニアンが少し言葉を選ぶようにして切り出した。

 

「なんだ?俺とリンの間の事柄以外なら大概答えてやれるぞ」

「・・・・なら、いいです・・・」

 

ニニアン、お前もか・・・

 

この間、そのことを話題にしたフロリーナを脅した現場にニニアンはいた。

それにも関わらずその話を持ちだせるニニアンは案外豪胆な性格を持ち合わせているのかもしれない。

 

しかし、そんなに俺達は仲良く見えるのだろうか。

 

ハングはそんなことを思いながら空を見上げた。

 

その空を一本の矢が駆け抜けた。

放たれた矢は放物線を描いて敵陣のど真ん中に突き刺さる。

 

「来たか・・・ルセア!セーラ!下がれ!」

 

戦場の騒音に負けないハングの声が戦場を駆け抜けた。

 

「ケント!セイン!左右に広がって両翼を撃破しろ。リン、その場で戦え。ここが踏ん張りどころだ!きばれよてめぇら!」

 

鬨の声があがる。

 

その瞬間、敵の陣の後部に火球が飛び込んだ。次いで矢が降り注ぐ。

その隙をついてドルカスが陣の中に怒涛の勢いで切り込んだ。そこに再び【シューター】の一撃が放たれた。

 

ハングはその様子を見ながら、ほくそ笑む。

 

「さすが、ラスだ。絶好の機会に飛び込んできやがった」

 

そう言ったハングの横顔。やはり、そこにも辛そうな表情が浮かんでいた。

ニニアンは彼に向けて言いたくなった言葉を飲み込んだ。

 

それは多分自分が言ってもハングの心にまでは届かない。彼女はそう直感していた。

 

ラスの横撃により、敵は一気に崩れた。

なんとか味方を鼓舞して戦場を立て直そうとする敵将にリンが切り捨てれば、もはや敵に戦う気力は無くなっていた。逃げる者は無理に追わず、ハングは橋の手前で進軍を止めた。

 

「・・・これで・・・終わり?」

 

肩で息をしながら、少し喉を枯らしたリンがケントにそう尋ねた。

前線で指揮を執りながら剣を振るうのは思った以上に気力を消耗していた。

 

「はい。敵はいなくなりました」

 

そう答えたケントはそのまま少しだけ目を伏せる。

ハングはそのケントに向けて声をかける。

 

「顔見知りでもいたか?」

「はい・・・」

「そうか」

 

ハングはそれだけを呟いてケントの肩を軽く叩いた。

戦闘前に啖呵を切ったのもあってケントもセインもあまり顔には出さない。だが、決して傷ついてないわけがないのだ。

 

だから、嫌だったんだ。

 

ハングは内心でそう呟く。

 

ケントとてハングの気持ちはわかっている。

だからこそ、ケントはすぐに前を向いた。ハングが労ってくれるのなら、自分達がくよくよとするわけにはいかない。

 

「ハング殿、少し気になることがあります」

「奴らがなんのためらいもなく襲ってきた理由だろ?」

「はい」

 

ハングもまた、ケントの意志をくみ取り、いつもと同じような態度を保った。

 

「おおかた、ラングレン殿に寝返ったんだろ?薄情なやつらだ。いいじゃないか。城に着けばラングレン殿も手を出せないだろうし」

 

お気楽ご気楽なセインの意見にハングはこれ見よがしに溜息をついた。

 

「だから、お前はバカなんだ。今の状況はそんなに単純な話じゃねぇんだよ」

 

顔なじみというのはこちらが一方的に感じている感情ではない。

向こうもケントやセインの人となり。そして、キアラン領の後継の優先順位ぐらいは知っている。

 

それなのに、彼らの戦闘には迷いの一つも無かった。【シューター】を持ち出しているのがよい証拠だ。

 

彼らはなんの躊躇もせずに前線に出てきたケントとセイン、そして自らが忠誠を誓った侯爵の孫娘に攻撃をしかけた。というよりも、彼らを集中して狙っていたという方が正しい。

 

「どういうことです?」

 

質問してきたのはケントだ。そして、疑問符を浮かべているのは彼だけではなかった。リンとセインも同様の質問を抱いていそうな顔。だが、ハングは明確な答えを返さなかった。

 

「まだ、裏がとれてないんだ。その辺のもろもろを含めてマシューに情報収集を任せたんだが・・・」

「と、いうわけで町で情報収集してきました」

 

不意にハングの背後からマシューが顔をのぞかせた。

周りの人間はそのあまりにも突然の登場に少なからず驚いたが、ハングは涼しい顔で応じた。

 

「で、どうだった?」

「少しは驚いてくださいよ・・・まぁ、いいや」

 

マシューは改めて皆の前に立つ。

 

「それなんですが、悪い報告と更に悪い報告と最悪な報告、どれから聞きたいですか?」

 

いい報告が一つも無い。ハングはある程度予想していたがツッコミを入れたくなる。

 

「なんでもいい、とりあえずお前が話しやすい順で話せ」

「んじゃ、悪い報告から」

 

マシューは軽く咳払いをして話し出した。

 

「まず、キアラン候の病気の話。これは真実のようです。もう月三つ分は寝込んでいるとのことです」

「三月前っていうと・・・」

 

ハングがケントを見るとその意図をくみ取って彼は頷いた。

 

「ちょうど、我らがキアランを離れた直後にあたります」

「・・・ああ。おじい様」

 

何かに祈るように目を閉じたリン。

生憎、ハングはサカの民がこういう時に何に祈りを捧げるのかを知らない。

マシューは話を続ける。

 

「それに関して更に悪い報告が一点。キアラン候爵のご病気は誰かに毒を盛られているからだ・・・と」

「毒っ!?」

 

リンの顔色が変わる。そこに含まれる怒気の中にわずかに怨恨の欠片をハングは感じた。

 

「その誰かさんは・・・あ、みんな怖がって名前を口にはしませんがね。そいつは、侯爵が病気になった途端に、我がもの顔で、キアラン城を仕切っているらしいッス」

 

そこまで聞けば十分だが、マシューはそのまま話し続けた。

 

「酒場のオヤジに、金を握らせて聞き出した名前は・・・侯弟ラングレン」

 

その瞬間にリンの顔が一気に灼熱と化した

 

「どうしてっ?どうして、そんなことが許されるのっ!?おじい様は、毒を盛られていてその犯人もわかってる!なのに、どうして誰もやめさせないの!?」

 

髪を逆立たせ、強く力が込められた目元。

 

フロリーナが『リンを怒らせると怖い』と言っていたな

 

などと、場違いな考えがハングの頭をかすめた。

 

「・・・証拠がないのでしょう。民のウワサだけではどうにもならない」

「そういうことです」

 

ケントの答えを補足するようにしてマシューは報告を続ける。

 

「まずいことに、証言できそうなキアラン侯を慕う家臣たちはこのところ姿を見せなくなったということです」

 

ハングはため息を吐きだした。

 

「口封じってわけだ。生きていれば儲けもんだな」

「なんということだ・・・」

 

絶望するようなケントを後目にハングはマシューに先を促した。

 

「最悪の報告がまだ残ってたな。聞こうか」

 

マシューは神妙な顔をして、頷いた。

 

「ある噂が流れてました。『キアラン侯爵の孫娘を名乗るニセモノが現れた』と。ラングレンは、領地中にふれまわったそうです」

 

ハングの目が細まる。

 

「・・・やっぱりか」

「どういうこと?」

 

納得するハングと意味がまだ飲み込めないリン。

彼女の質問にはマシューが答えた。

 

「裏切り者のケント、セインの両騎士がニセモノの公女を連れて城の乗っ取りを狙ってるんだとか」

 

簡潔明瞭な説明を前に一瞬だけ沈黙が降りた。

 

「なっ、なっ、なんだとぉっ!?」

 

セインの驚きの叫び。

 

「我らが、裏切り者だと!?ばかな!!」

 

ケントも珍しく悪態をついた。

 

「私が・・・ニセモノ?」

 

そしてとうのリンはその衝撃に気圧されているように見えた。

 

戦争において情報というのは一つの武器である。

『敵の一割を戦場にて無効化するのは難しい、だが、情報にて三割を無効化するのは容易い』

過去には噂話一つや手紙一枚で戦争を勝利に導いた例がいくらでもある。

 

戦争を行う国々が自国の大義名分を確立させるために敵国の欠点を繰り返し強調し、自国の素晴らしさを説くのもその一環だ。それにより、周辺国からの支援や人民の支持を集めることができればそれだけで戦争を有利に進められる。

 

そういう意味ではもうこのキアランの相続問題はすでに戦争と言って構わないようだ。

 

「リンディス様、何か証明できるもの持ってないんですか?」

 

マシューはためらいがちにそう尋ねた。彼もリンの出自はおおまかに聞いている。あまり、辛い思い出を呼び起こしたくはないという気持ちが声に乗っていた。

 

何度も繰り返すのだが、こういう細かい気遣いができるところがただの盗賊とはかけ離れているのだとハングは思う。

 

「母さんは・・・リキアの物は何も持ってなかったわ」

「顔だっ!リンディス様の顔はマデリン様にそっくりなんだろ!?一番の証拠じゃないかっ!!」

 

セインがヤケクソ気味に叫ぶ。それには二方向から物言いが入った。

 

「人相なんてあてにならんものは証拠には程遠いっての」

「ハング殿の言うとおりだ。似た娘を連れてきたと言われるに決まっている!」

 

ケントは思い悩むように目を伏せた。

 

「私たちの騎士としての誓いも『裏切り』の一言で、意味を持たない。残された方法と言えば、侯爵にお会いし・・・リンディス様を認めてもらう他はない!」

「それに時間もないわ!早くしないと、おじい様が・・・・・・」

 

リンの声にも焦りがある。当然といえば当然だ。

 

「お会いする!たとえ、力ずくでも!!」

 

リンは目に殺気をたぎらせてそう言った。

 

「今すぐ出発しましょう!!」

 

さらに燃え上がるリン。

 

「ハング!みんなを呼び戻して!」

 

ハングの目の前にまで迫ったリン。ハングはその額を中指で弾いた。

 

「っ!」

 

子気味の好い音があたりに響いた。

 

「な、なによハング!」

「落ち着け」

「私は落ち着いてるわよ!」

 

油断しているリンの額にハングはもう一発中指を打ち込んだ。

 

「っつ!」

「馬鹿野郎、いきなり城を攻めても他の領地から援軍がきて包囲、殲滅されんのがオチだ。なにしろ、世間的にはこっちが『悪者』だ。頭を冷やせ」

 

ハングの説明にリンは額をさすりながら眉をひそめた。

 

「じゃあ、どうすれば・・・」

「お前の頭に俺がなんのために学を叩き込んだと思ってんだ。少しは考えろ、今の俺たちに力を貸してくれる貴族がいんだろ」

 

リンはさほど考える間も置くこともなく気が付いた。

 

「そうだわ、エリウッド・・・彼なら話を聞いてくれるかもしれない。今なら、まだカートレーにいるはずよ」

 

ハングは口元に笑みを浮かべて、頷いた。

 

「正解だ・・・マシュー!」

「大丈夫です、エリウッド様が滞在している宿の調べはついてます」

「おし!さっさとここを離れるぞ。もう一度カートレーに引き返す。見張りに行った連中を呼んでくれ!強行軍になる!へばんなよ!」

「はい!」

「任せてください!」

 

散っていく仲間達を見ながらハングはほくそ笑む。

一人になった彼は口の中だけで呟く。

 

「ラングレンもなかなかやってくれる・・・でも、これで無駄足にならずにすんだってわけだ」

 

その眼からはどこまでも深い思考が覗いていた。

 



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間章~雨降る世界で~

音がする。雨の音だ。

 

雨粒が天井をうつ音。水滴が大地に触れる音。水が草木にしみ込む音。

窓から眺める外の景色はかすかに霞んでいた。ここから見える町の広場は静まり返り、世界が終わってしまったような錯覚を受ける。

 

今日は恵みの雨でさえ気が滅入る。気分は曇天だ。

 

リンは一つ溜息をこぼした。

 

窓際の席に座ったまま、もう何刻の時が過ぎたかわからない。だが、まだ昼の鐘も鳴っていない。結局、さほどの時間は過ぎていない。それでも、千年の時を待っているように感じるのは焦っているからに他ならない。

 

「リン、ここにいたのか・・・」

 

聞き慣れた声にリンは食堂の入口に目を向ける。そこから入ってきたのはハングだった。

 

「ハング!エリウッドは!?」

「来てたらお前に真っ先に知らせてるよ」

 

ハングの指摘にリンは拳を握りしめた。

 

「そう・・・よね・・・」

「白湯でも飲むか?」

「貰っていい?」

 

ハングは手を振って肯定の意を示して、厨房に向かった。

エリウッドと一度合流して事情を説明したのが一昨日のことだ。エリウッドに周辺諸侯への連絡を頼み、ハング達はキアラン領の端にあるこの町に宿をとっている。

 

諸侯からの返答がくる間、エリウッドは監視が比較的少ないカートレーに滞在してもらっている。手紙が揃えばこちらに報告にくることになっていた。

 

ハングは木製のコップに白湯を注いで戻ってくる。

 

「大丈夫か?」

 

それに対してリンは力なく首を横に振った。

 

「だめみたい・・・頭の中に嫌なことばかり浮かぶの・・・もう・・・気が滅入って・・・変になりそう・・・」

「リン・・・」

 

三日前から降り続ける長雨もその一因であろう。

湿気た空気と薄暗い世界はそれだけでも人の気分を下げる。

 

「・・・ったく。ほら、飲め」

 

ハングがコップをリンの側に寄せる。

ほんのりとあがる湯気が所在無さそうに漂っていた。

 

「ありがとう・・・」

 

ハングも椅子に座って湯を啜った。世界が雨音に包まれた。そのまま過ぎていく時を数えて、およそ半刻。

 

二人は何も語ることなくその場に座っていた。

 

だが、不意にハングが声をかけた。

 

「リン・・・外に出るぞ・・・」

「へ?」

「いいから来い」

「ちょっ、ちょっと!えっ?」

 

ハングはリンの腕を掴み、食堂から連れ出した。そのまま廊下を横切り、抜けた先は宿の裏庭だった。雨に濡れるのもかまわずに、ハングは裏庭の真ん中までリンを連れ出した。

 

「ど、どうしたの?」

 

ハングはリンの手を離して、鞘をつけたまま剣を手にとった。

 

「構えろよ、リン」

「え・・・」

「忙しくてここ数日は全然打ち合って無かったろ?やろうぜ」

 

ハングは晴眼に剣を構える。リンも最初は少しだけためらっていたが、すぐに鞘をつけたまま剣を抜いた。

 

その瞬間にハングが仕掛けた。

 

鞘同士がぶつかる音がする。二度、三度の打ち合い。それだけで二人はあっという間にずぶ濡れだ。

 

「い、いきなり仕掛けないでよ!」

「ふざけんな!いつもお前はこれぐらいで仕掛けてくんだろうが!」

 

リンは後ろに飛んで間合いを取ろうとするが、ハングはそんな隙すら与えない。

鞘がぶつかる音が辺りに響く。

 

滑りやすい足下、視界に入る雨粒、服が水を吸って重くなる。

ハングは力任せに前に出続ける。普段ならリンから返し技の一つでも浴びるところだが、初撃でリンは態勢を崩しており、対応が後手になっていた。

 

ハングはここぞとばかりに攻め続けた。

 

受け流し、受け止め、かわし続けながらもリンは後退していく。

 

突然、リンの動きが止まった。リンが裏庭を囲む板壁にぶつかったのだ。

 

「っ!」

 

ハングが踏み込む。草に付いた雫が跳ねる。

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

雨の中で二人の息遣いがやけに大きく聞こえる。熱を帯びたお互いの肩から湯気がもうもうと湧き上がっていた。

 

「一本・・・だよな?」

 

ハングの声。

 

ハングの剣先はリンの喉元のわずか手前で止まっていた。

 

「ええ・・・」

 

リンがそう言った。ハングはゆっくりと剣を引く。

 

「かった・・・・」

 

ハングは大きく息を吐き出して、力無く両腕をおろして空を仰いだ。

ハングは剣から手を離す。剣が地面に転がる。そして、それに釣られるようにリンの剣も地面に落ちた。

 

「負けちゃった・・・」

 

ハングの頬を灰色の空から落ちる雨粒が打つ。前髪をかきあげれば、頭から水を被ったかのように濡れきった髪がやけに重く感じた。

 

ハングは立っているのが面倒になり、仰向けに地面に転がった。空が少しだけ遠くなる。左肩のあたりにある心臓が強い拍動で高鳴っていた。

すぐに、ハングの隣に誰かが倒れこんできた。リンの体温がわずかに触れる。

 

「ああ、気持ちいい・・・」

 

ハングがそう呟く。火照った身体には雨の冷たさがよく染み込んでいた。

 

「ハング・・・」

「ん?」

 

リンの声が耳のすぐそばから聞こえていた。ハングは空を見上げたまま目を閉じた。

世界が雨音に包まれる。

 

「ありがとう」

「俺はなんにもしてねぇよ」

 

くすぐったそうな笑い声を聞きながら、ハングは満足そうに微笑んだ。

 



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間章~余暇~

しばらく、雨に濡れていた二人だったが、ハングのクシャミで宿へと戻って行った。

雨の中で寝ていたので、二人揃って完全な濡れ鼠だ。

 

「うわ!ハングもリンもずぶ濡れじゃん!何してたの!?」

「おぉ、ウィル。いいところに、手拭いをありったけ持ってきてくれねえか?」

 

首肯して、飛んでいくウィルを見て二人でまた笑みを漏らす。

 

「っ!!」

 

そして、ハングは何かに気づいたように顔をリンから背けた。

ハングは自分の服の裾を絞るふりをしてなんとか気持ちをやり過ごす。

 

「身体の芯までびしょ濡れになっちゃった」

「あ、ああ・・・」

 

今のリンは服のまま川に飛び込んだようにずぶ濡れだ。そして今は曇天の空の下ではなく、油の火で明るい宿の中だ。そのせいでハングはリンを直視できなかった。

 

「あ・・・鞘の中にも水が・・・後で手入れしとかなきゃ・・・」

 

前髪から滴り落ちる雫がリンの頬を伝い、首筋を駆け下りる。彼女の長い睫毛についた雫が宝石のように光っていた。

だが、そんなことを全て吹き飛ばすのが濡れて張り付いた彼女の服だ。

彼女の体の線を主張してくるのと同時に彼女が胸に巻いたサラシが透けて見えている。

 

はっきりいって目の毒だった。

 

そう思いながらも垣間見てしまうのが悲しい男の性である。

 

「ハング!手ぬぐい持ってきたぞ!」

 

ウィルの声に身体を強張らせるハング。

 

「お、おう。ありがと」

 

そして、ハングはウィルとリンの間に体を挟み込み、ウィルの視界からリンを隠す。そして、手拭いを半分掴んでリンに放り投げた。

 

「リン、しっかり髪拭いとけよ。風邪ひくからな」

「ハングもね」

 

そして、ハングはウィルを連れて早足でその場から離れた。

その明らかに不自然な行動にウィルは少し思考を巡らせる。

 

そして、ニヤリと微笑む。

 

「ハングって意外と純情だな」

 

ハングはウィルの首を腕と脇で挟み込んだ。

 

「余計なこと言ってんじゃねぇよ!」

「いたいいたいいたい!ハング!本当にいたい!あと、濡れた服が冷たい!」

「やかましい!」

 

ハングは頬を少し赤く染めながらウィルの首を極めたまま部屋へと戻った。

 

「ハングさん、絞め技の練習ですか?」

 

エルクが魔道について書かれた本から目をあげてそう言った。

 

「似たようなもんだ!」

「いたい!いたいです!いたいって!エルク!ハングを止めてくれ!」

「どうせウィルが悪いんだろ?」

「誰か助けて!!ニルス!!」

「ニニアンのとこに行ってていないよ」

「ラスさん!ドルカスさん!ケントさん!」

 

ラスはウィルの訴えを無視して宿から借りた書物に視線を落とした。ドルカスは少し微笑するだけだった。ケントも少し笑みをもらしたが、なんの対応もしなかった。

 

この宿では大部屋を借りたので傭兵団の男衆全員がここにいた。

 

「誰でもいいから助けてください!」

「あきらめろ!大人しく食らっとけ!」

 

ハングはウィルの首を固定したまま体位を変える。

そしてウィルの足を払って腹を抱えて逆さに持ち上げた。

 

「うわぁ!」

「おらぁぁぁあ!」

 

そして、そのままハングはベットの上にウィルの頭をねじ込んだ。

 

「ふん、そこで少し反省してろ」

 

沸き起こる笑い声はなんの隔たりもない。

今まで重ねてきた時間がそのまま形になっていた。

 

「ハング!よくもやってくれたな!」

「うっせぇ!お前が余計なこと言ったのが悪い!」

「何を言ったんだい?」

「ケントさん、聞いてください!ハングはリンの・・・」

 

言い終わる前にハングはウィルの首根っこを掴んで足を払った。背中からベットに叩き込んで確実に黙らせる。

 

「かはっ!」

「はぁ、はぁ、はぁ・・・」

 

ハングの顔が赤いのは今しがた運動したからではないだろう。その様子を見て、傭兵団の面々はなんとなく事情を察した。ハングがとり乱すことといえば大概の原因はわかっている。

 

「あれ?そういやセインは?」

 

ハングが改めて視線を巡らせてみるといつもいる顔が見当たらない。

返事はルセアがした。

 

「セインさんなら先程買い出しに行きました」

「この雨の中か?」

 

ハングはずぶ濡れの服を着替えて、体を拭きながら窓の外を見る。

 

「はい、なんでもセーラさんに頼まれたそうです」

「ああ、まぁ・・・納得した・・・あいつも頑張るね」

「ハングだって、リンのために外で打ち合いしてたじゃん・・・」

 

ベットに寝そべってぼそりと言ったウィルの腹に肘をめり込ませた。

変な音がしてウィルがようやくおとなしくなった。

 

「・・・ほどほどにしておけよ」

 

手加減はした、とラスに返したハングは代えの服を着込んだ。

 

その時、部屋のドアが思いきり開け放たれた。

 

「ちょっと!さっきからドシンドシンうるさいわよ!」

 

セーラが部屋に踏み込んできた。

 

「セーラ、君の声の方が周りの迷惑になってるよ」

「エルクは黙ってなさい!」

 

そう言ったセーラの後ろからリンとフロリーナ、ニニアン、ニルス、そしてずぶ濡れのセインが顔をのぞかせた。ゾロゾロと皆が入ってきて。結局この大部屋に傭兵団が集合していた。

ハングはウィルが倒れるベットに腰掛けて笑う。

 

「悪いなセーラ、俺がウィルで遊んでたんだ」

 

ハングが顎でさした先にはベットの上で未だ悶絶しているウィルだった。

 

「もう!次からは静かに暴れなさい」

「それは無茶だろ」

 

『暴れるな』とは言わないのがセーラだ。彼女が神に仕える女性とはもう誰も思っていない。そして、セーラは乱暴にエルクのベットに腰掛けた。

 

「エルク、私は退屈してるのよ」

 

遊べと、彼女は言っていた。

ハングが視線を部屋の中に滑らせると、さっきまでいたマシューが消えていた。

エルクは先程閉じた本を脇の棚に置いた。ついでにため息も漏らした。

 

「それで・・何か案はあるのかい?」

「もちろんあるわよ!」

 

セーラはセインを呼び、買ってこさせたものを差し出させた。

 

「どうせみんな暇なんでしょ?これで遊びましょ」

 

セインが差し出したのは52枚の札を用いたゲーム。トランプであった。

本来なら数占いの道具だったものが様々なルールを付けたして遊びへと変わった品だ。

 

「この人数ならポーカーでどう?ルールは知ってるわね?」

 

わからないと首を横に振ったのはニニアンとニルスだった。

 

「あれ?知らないの?」

「はい・・・」

「他の人がこれを使ってるのは見たことあったけどね」

「だったら、何回か見ときなさい。そしたらルールもわかるでしょ」

 

そして、セーラがセインに何事かを命じる。

セインは敬礼を一つして床に大量の石ころをばらまいた。

 

「お金を賭けるのは面倒だからこれをチップ代わりにしましょ。やらない人はいる?」

 

ケントとルセアとドルカスが辞退し、ラスも仕草で不参加の意図を示した。

ウィルは動けず、マシューはいない。というわけで残った面子がエルクのベットに集まった。

 

「ニニアン達はともかく、リンもルール知ってたのか?」

 

ハングがそう尋ねた。

 

「ええ、父さんがロルカの皆とよくやってたから」

 

ハングの隣に腰掛けたリンの髪からはまだ雨の匂いがしていた。

 

「それじゃ、親はハングにやってもらおうかしら」

「いいぜ、イカサマ禁止か?」

「当たり前でしょ」

 

ハングのカードを切る手つきは淀みがない。

皆にカードを配る音が雨の音に溶けていく。

 

皆は無理にでも明るく振舞おうとしている。それは、誰が言い出すともなく伝染した空気だった。

 

誰しもがわかっていた。これがおそらく最後の大休止であることを。

 

この先に待つのは敗北かもしれない。死が目の前に迫ってるかもしれない。

 

それでも、彼らは自分の意志で付いてきてくれるのだ。そんな思いを噛み締めながらハングはカードを配っていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

諸侯からの返事を携えてエリウッドがこの宿を訪れたのは日も暮れかかった頃のことだった。再会の挨拶もそこそこにして、ハングとリンは宿の一室でエリウッドの話を聞いていた。

 

「結論を言えば・・・キアランに隣接する5つの領地。ラウス、トスカナ、カートレー、タニア、サンタルス・・・全ての領主殿に、キアランへの干渉はしないとの意志を確認した」

 

その報告を聞いて、ハングの隣でリンが大きく息を吐き出した。

 

「エリウッド、なんてお礼を言えばいいか・・・」

 

それに対してエリウッドは力無く首を横に振る。

 

「僕がやったのはどちらにも手を貸さないということだ。つまり、僕も君たちに力を貸すことができない」

 

そんなエリウッドにハングは笑顔を見せた。

 

「それでも、俺たちの軍力を五分五分にしてくれた。礼は言わせてくれ。ありがとう」

 

エリウッドは少し困ったように頬をかいた。

エリウッドは謙遜しているがが、ハングはエリウッドが動いてくれなかったら結構危なかったと思っていた。

 

キアラン周囲の領主までもが、あの噂に踊らされるとは考えにくい。

ラングレンに兵を貸すということは早い話がラングレンに『賭ける』ということだ。

この相続問題でラングレンが勝利し、次期侯爵と相成った時の為に恩を売ろうという算段だろう。

 

実際に現在の単純な戦力比は圧倒的にラングレンが有利である。周囲がラングレンに兵を貸そうとする要因がここにある。

 

だが、エリウッドの口添えにより、それが五分五分となった。

 

領主が兵を出さないというのはそういう訳だ。本当にこちらが有利だと思っていれば、彼らはこちらに兵を貸してくれる。エリウッドが領主に何を言ったのかはわからないが、今の状況は決して悪くはなかった。

 

なにより、リンがこの戦いに勝利したとしても、キアラン領は他の領地に貸しができない。

それはリキアという国で今後もキアランが存続していくにあたり、大事なことであった。

 

そういう意味でハングはエリウッドに礼を言ったのだ。

 

「・・・勝算はあるのかい?」

「・・・勝つわ」

「それしかリンの爺さんを救う手立ては無いからな」

 

そう言うとエリウッドはクスリと笑った。

 

「ん?今、俺変なこと言ったか?」

「いや、ハングにとってはキアラン侯でもそういう扱いなんだなと思っただけだ」

 

エリウッドの物言いにリンが首を傾げた。

 

「どういうこと?」

「ハングはキアラン侯ではなく、リンディスの祖父を助けたいんだね」

「・・・ったく、言葉尻をとらえやがって。狸貴族め」

 

そう言ってハングは負けを認めたかのように笑った。それを見てリンも嬉しそうに笑顔を浮かべた。

 

「友人として・・・君たちの勝利を願っているよ」

「あんがとな」

「あなたの思いやり・・・決して無駄にしないわ」

 

三人は立ち上がり握手をかわす。

 

「エリウッド、今日はここに泊まるのか?」

「いや、父上から呼び出しがあってできるだけ早く戻らなければいけないんだ。今日はこのままリキアに向けて出発するつもりだ」

「そうか、エルバート様によろしく伝えといてくれよ」

「ああ。いい土産話になったよ」

 

宿の入口に三人で向かい、そこでエリウッドはフードを被った。

その時、彼は思い出したように二人を振り返った。

 

「そういえば、ハングたちは運がよかったね」

「え?」

「なんのことだ?」

 

フードの下のエリウッドはわずかにほくそ笑んでいた。

 

「例の噂、広がり具合から見て、君たちがあと少しでも速く進軍してたら困ったことになっていたんじゃないかい?」

 

ハングはエリウッドが言わんとしていることを悟って、苦虫を10匹程噛み潰したかのような渋面を浮かべた。

 

「もっと早くキアランに入っていたら、キアラン領の奥で君たちは例の噂に取り囲まれることになった。そうしたら、いきなり四方が敵だ。きっと、僕と連絡をとることもできなかっただろうね」

 

エリウッドの話を聞きながら、リンは目を徐々に丸くしていき、ハングはどこか明後日のほうに視線を向けた。

 

「僕と別れた後でどこかに寄り道でもしてたのかい?軍師さん」

「うるせぇよ、この狸貴族・・・」

 

エリウッドはまたクスリと笑う。

 

「それじゃあ、またどこかで会おう」

「はいはい、さっさと行け」

 

貴族相手とは思えないほどにぞんざいな言葉を放つハング。それを背中で聞き、エリウッドは夕闇迫る雨の世界へと去って行った。

 

「ハング・・・」

「ん?」

 

その時、リンの頭に去来していたのは、エリウッドと別れた直後のひと時のことだった。あの時ハングはニニアンの指輪を取り戻すために『黒い牙』を追いかけると言ったのだった。

 

「もしかして・・・あのとき・・・」

「俺がたかだか指輪だけの為に軍を動かすと思ってたのか?」

 

ハングはそう言って鼻で笑う。

 

「お前は俺を見くびりすぎだ」

 

ハングは寝室に向けて歩き出した。それを慌ててリンが追いかける。

 

「ちょ、ちょっと待って!あの時点でどうして噂が流れてることを知ってたの?」

「んなもん、知るわけないだろ」

 

千里眼じゃあるまいし、とハングは笑った。

 

「ただ、もし俺がラングレンの立場ならお前を襲撃すると同時にそういった流言で追い詰めると思ったからな。下手にキアランに飛び込むのは危険だとは思ってたよ」

 

ハングは少し歩幅を緩めてリンに追いつかせる。

 

「マシューを走らせて、国境付近にその種の噂が届いていなかったことがわかってたからな。どこか別の場所で数日潰す必要があった。それで、ちょうど軍内部の誰にも真意を悟らせずに寄り道できる口実を探してたんだ。特にお前に気を遣わせることなく寄り道できる口実をな」

 

あの時、祖父の病気の話を聞いて一番焦っていたのはリンだ。

そのリンにどう寄り道を切り出すか、それがハングの悩みの種だったのだ。

 

ハングの隣に並んだリンは少し剣呑な顔をした。

 

「いっつも思うんだけど、どうしてそういうことを全く私たちに言ってくれないの?」

「あれは情報戦だったからな、口にする言葉は少なければ少ないほどいいのさ」

 

ハングはリンの視線など、どこ吹く風と受け流した。

 

「まぁ、まさかあそこまでの戦闘になるとは思ってなかったけど。『誰かさん』が不用意に戦闘を承諾しちまったもんだからな」

 

満面の笑みを浮かべたハングにリンはほぼ条件反射で背筋を伸ばした。

 

「っと、何か質問は?」

「ハングの頭の中ってどうなってるの?」

「お前と一緒だよ」

 

ハングは大部屋のドアを開けた。

 

「8からのストレート!これでどうだ!」

「フルハウス・・・」

 

セインが見事に撃沈していた。

 

「うわ・・・降りといてよかった~」

「ニニアンさん・・・三勝目です・・・」

 

呆然とするセーラとフロリーナ。照れたように俯くニニアン。その横では完全に打ち負かされたセインとそれをケラケラと笑っているニルスがいた。

 

「意外な才能ってあるもんだな」

「本当に・・・」

 

外では雨がやみ始めていた。

だが、雲はまだ分厚く空を覆っていた。

 



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9章~悲しき再会(前編)~

それはキアラン領に本格的に入る前の事だった。

 

「キアラン城に辿り着くには大きく二つの道がある」

 

宿を出る前に今後の進行方向について会議を開いたリンディス傭兵団。

ハングは地図を前にして一同に問いかけた。

 

「まず、一つはラングレンの息のかかったキアラン領内の城を一つずつ各個撃破していく道だ」

 

ハングは地図の中に大きく曲がった線を書いた。

 

「この道ならラングレンの私兵を確実に潰せる。キアラン城付近でも周囲を気にする必要は無くなるが、同時に時間がかかる」

 

そして、ハングは比較的真っ直ぐな線を地図に書き込んだ。

 

「そして、もう一つ。このまま南下して城を一つ抜き、一気にキアラン城に駆け込む。短期で決着をつける方法だ」

 

ハングは改めて一同を見渡してリンの前で視線を止めた。

 

「どうする?」

 

答えは最初からわかっていた。

 

「できるだけ、早くキアラン城に着きたい。南下しましょう」

 

その時、ケントとセインがわずかに痛みを孕んだ顔になっていたのをハングは気づかないふりで通していた。

 

窓の外は未だ曇天。数日続く長雨は今も降ったり止んだりを繰り返していた。

 

ハングは地図の上に視線を落とした。インクのみで地形の描かれた地図だが、ハングはその姿を明確に思い起こせる。

 

荒い山肌、川沿いの林、見通しのよい街道。

 

『この時期は霧が多いのでな、街を巡回するのも一苦労だ。山賊を相手にするに至っては骨ばかり折れる。さっさと隠居したいもんだ』

 

そこは少しだけハングにとっても思い出のある土地だった。

 

かつて、一度訪れた。リキアを巡るその旅の途中で寄ったのだ。

ハングはその時の出来事に思いを馳せる。

 

「さぁ、行きましょうみんな!」

 

ハングはリンの声に現実に呼び戻された。

彼に夢を見る間は無かった。

 

「今日は霧が出るかもしれない、準備を怠るなよ。ケント、松明をありったけ買い込んどけ」

「はい、わかりました」

 

ハングは口から出た己の言葉がいつもより空虚であることを自覚していた。

そんなハングにリンが声をかけた。

 

「ねぇ、ハング。その抜かなきゃいけない城ってどんな人が治めているの?」

「イーグラー将軍、キアランの中でも古参の将軍の一人さ・・・本当は戦いたくない相手だ」

「強いの?」

 

リンの質問にハングは少しだけ笑って答えた。

 

「・・・ああ・・・強いよ・・・」

 

 

その言葉に潜む感情はハング本人にしかわからない。

ハングの内心など誰も気づかない。その術をハングは嫌という程に心得ていた。

 

そして、キアランを南下して1日目。

 

曇天の灰色の空が頭上に満ちていた。空気に混じる湿気が肌に絡みつく。山岳地帯に吹く冷たい風が体温を徐々に奪っていった。

 

「こりゃ、本格的に霧が出て来そうですね」

 

ハングの隣に突如現れたマシューがそうぼやく。ハングは声をかけられるまで、そこにマシューがいることに気づかなかった。相変わらずいい腕をしている。

 

「お前なら見通せるか?」

「夜目も霧目も効きますよ。頼りにしてください」

「霧目ってなんだ、勝手に言葉を造るな」

 

ハングのその台詞にマシューは少しばかり笑った。

 

「よかった、いつものハングさんだ」

「あ?なんだそれ?」

「いえいえ、こっちの話です」

 

そして、マシューはやはり忽然と消え失せた。

 

「なんだったんだ?」

 

その、単純な疑問に答える者はいなかった。

土地勘があるからと軍の先頭を一人で歩いていたハングの小さな声に反応できる者はいない。

 

ハングは再び視線を前に集中する。

 

見覚えのある山がある。

見覚えのある町がある。

見覚えのある橋がある。

 

ハングは吐き出しそうになったため息を押し殺した。気を引き締めなければならない。

今朝から感じていた虫の知らせが既に大音量で警告を鳴らしていた。ここまで嫌な予感がすることは珍しい。

 

だが、ハングは気づいていた。

 

これは『予感』などではなく、『確信』であると。

 

戦いが避けることのできないものであることをハングは『確信』していたのだ。

 

だからこそ、ハングはこのまま何事もなく過ぎてくれと願わずにはいられない。

霧が自分達を覆い隠してくれないかと期待せずにはいられない。

 

それが希望的観測であることはハング自身が一番わかっていた。

 

それでも、とハングは何度も自問自答する。

 

軍師が感情に流されるなどあってはならない。冷静に冷徹に戦場を見渡し、戦局を見通し、戦闘の結末がこの先にどう影響を与えていくのかを考え続ける。そこに感情や希望を挟んではならない。

 

そんなことはわかっている。

 

でも、それがどうしたというのだ。俺は人間だ。感情に流されて何が悪い。

だが、同時に心の奥が冷たく囁くのだ。

 

『悪いに決まってるだろ』

 

ハングは奥歯を噛み締める。

 

だが、ハングにはもう悩んでいる余裕は無かった。

 

「止まれ!」

 

山々に木霊する嗄れた強い声が響いた。

わずかに霧の出てきたこの谷に一人の男が立ちふさがっていた。

 

白銀の鎧に身を包んだ中年の騎士だ。武器は地面に付き立った荘厳な槍と、背中に担いだ重厚な斧。騎士独特の鋭くも誠実な眼光と髪の無い頭が歴戦の騎士であることを物語るかのように光っていた。

 

いや、頭は関係ないか。

 

ハングは自分の考えを即座に否定した。

 

「ハング殿!敵ですか!?」

 

後方から真っ先に駆け込んできたセインとケント。

その二人がハングの後方で急停止するのが聞こえた。

 

「げっ・・・」

「あなたは・・・」

 

セインの呻き声とケントの驚愕する声。

 

「ワレス殿!」

 

ケントの呼んだ名前に反応するかのように目の前の騎士が笑って体を揺らした。鎧同士がぶつかる金属音のみがあたりに響いた。

 

「ケント・・知り合いか?」

 

精神的に持ち直したケントにハングはそう尋ねた。

 

「はい、キアラン騎士隊の隊長を務めておられた方です」

「でも、今は引退されて畑を耕してるはずじゃ・・・」

 

今だに持ち直せないセインは呻くようにそう言った。

その問いにはワレス本人が答えた。

 

「わしもそのつもりだったがな。ラングレン殿から騎士隊に命が下った。公女リンディスをかたる不届き者を討つべし、とな」

 

隣でケントが背筋に緊張を走らせた。

 

「あなたまで、我らを疑うのですか!?」

 

そう言いながらもケントは腰元の剣の柄に手をかけている。それを見て、ハングは一歩足を引いた。この状況で戦闘となれば自分が足でまといになるのはわかりきっていた。

 

ハングは目だけで周囲の様子を確かめる。

近くの林に目を向け、空を見上げる。

どうやら、伏兵の様子はない。このワレスという人は単身でハング達を待ち構えていたようだ。

それは自分1人でも問題を解決できるという自信の表れだ。

 

「リンディスを名乗るその娘をわしの前に差し出せ」

 

ワレスはわずかに殺気を込めた声でそう言った。

 

「リンディス様をどうしようというんです?」

 

セインが一歩前に出た。だが、ワレスはそれに臆することなど微塵もなく言い放った。

 

「返答いかんによってはここで討つ」

 

その場にいた三人の背筋にゾクリと全身に悪寒が走った。

ワレスは槍を構えたわけでも、斧を取り出したわけでもない。

だが、その身に滾った純然たる殺気に完全に当てられていた。

 

逃げ出したいほどの緊張感だったが、三人は歯を食いしばって耐える。

ここで、足を下げるわけにはいかなかった。

 

「ならば、我らも従うわけには参りません」

 

ケントが気丈に振舞ってそう言った。

 

「そうか、ならば・・・」

 

ワレスが槍を構えた。戦闘は避けられない。ハングがそう直感した時だった。そこに聞き慣れた声が飛び込んだ。

 

「待って!」

 

ハング達の後ろからリンが歩み出る。

 

「リンディス様!ちょっ!!」

「何してんだ!前に出てくんな!」

「お下がりください!」

 

セインとケント、ハングの三人がリンとワレスの間に立つ。

だが、それを押しのけるようにしてリンは前に出た。

 

「私よ。私がそうよ!」

「ほう」

 

リンが前に出て、ワレスが槍をおさめた。

だが、ハング達3人はいつでも飛び出せるように全身に気を巡らせていた。

 

「信じてくれないならそれでもいい。でも、仲間同士で戦うような真似はやめて!」

 

リンの澄んだ声が周囲の山々に響き渡った。その間に後方にいた仲間がこちらに追いついてきた。

 

「すんません、リンを押さえておけなくて・・・」

「ごめ・・んなさい・・・」

 

ウィルとフロリーナの謝罪を聞きながらもハングの視線は常にワレスを捉えている。

ワレスは顎に手をあてて、少しだけ考える素振りをした。

 

「・・・ふむ」

 

そして、ワレスは納得したように頷いた。

 

「きれいな目をしているな・・・」

「え・・・?」

 

そして、ワレスは何を思ったのか急に笑顔になった。それは長い年月を経た岩石が丸く削られたかのような笑顔だった。空気が突然に弛緩していく。

 

「わしは三十年騎士として生き、一つ学んだことがある。こんな澄んだ瞳をもつ人間に悪人はいない」

 

そして、ワレスは声をあげて笑い始めた。

 

「ふはははは、いいだろう、気に入った!わしも、お前たちと戦わせてもらうぞ」

 

そして、豪快に槍を振りかざす。

 

「ほ、本気ですか?」

 

ケントが驚きを隠せずにそう言った。

あまりにもな鞍替えに動揺してしまったのはむしろこちら側だ。

 

「このわしは、キアランに忠誠を誓った身。正当な君主に仇なす輩を許してはおけん。さぁ、いくぞ!イーグラーの私兵も動き出している!この軍の指揮官は誰だ!?」

 

雰囲気に呑まれながら、ハングが名乗りをあげた。

 

「俺です」

「ふむ、なかなかにヒヨッコのようだが?ほう、リンディス様が信頼を置いてると?ならば良いだろう!さぁ、どう動く!さぁ、さぁ、さぁ!」

 

詰め寄り、肉体的な圧力で迫るワレス。ハングはそのあまりの積極性に身を引きながらもいくつか指示を出し始めた。

 

その後ろでケントがリンにこっそりとワレスの感想をこぼしていた。

 

「・・・相変わらずだな、あの方は・・・」

「でも・・・いい人みたいね」

 

リンもワレスの悪意の無さはよくわかっていた。

 

「はい。尊敬できる方です」

 

ワレスは手近にいたセインを引きずりながら、豪快な態度で道を進み始めた。

 

「さあ!行くぞ!このわしが全ての攻撃をはじき返してやるわ!」

「ワレス様!道はそっちじゃありません!」

 

セインの声と、ハングのため息が同時に聞こえた気がした。

そして、ハングの声が飛ぶ。

 

「総員!聞け!こっから先は霧の中の戦いだ!俺の指示は不明瞭になる。今回の策の全貌を今からお前らに叩き込む。間違った動きをすれば仲間が死ぬことになるぞ!」

 

 

ハングは皆を集めて策を伝授した。

 

もう、引き返せない。

 

そんな思いを押し殺しながら。

 



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9章~悲しき再会(後編)~

深い霧に閉ざされた山間にその城はあった。

カートレー領から続く街道に佇む城。ここを抜ければキアラン城までは一直線。ここは有事の際におけるキアランのアキレス腱なのだ。

 

それゆえに、ここの兵は頑強を極め、専守防衛に特化していた。

そして、それを指揮するイーグラー将軍もまた百戦錬磨の古強者。自らの肉体と戦術をもってキアランの壁となれるだけの風格と技量を兼ね備えた将であった。

 

そんな彼は霧に閉ざされた白い世界で城門の前で馬に跨っていた。

後方には二人の近衛兵のみ。必要最小限の兵しかその場にいないのは、ほんのわずかなイーグラー将軍の悪あがきだった。

 

「リンディスを騙る一団はどうなった?」

 

彼は深い声で隣に直立する部下に声をかけた。

 

「はっ!北の森から北西の橋にかけて歩兵部隊が展開しているとのことです」

 

その報告にイーグラー将軍は眉をひそめた。

 

「歩兵隊だけか?騎馬は?」

「確認されておりません」

 

イーグラー将軍の頭にはこの周囲の地図の詳細が浮かんでいた。

橋から森にかけて広がる狭い平地はその南を山脈、北を高い山に挟まれている。

そこに騎馬部隊を展開させるには不向きである。

 

では、彼らはどこにいった?

 

敵に騎馬部隊がいることは報告を受けている。なにせ、あのケントとセインがいるのだ。彼らを馬から降ろして地上で戦わせるなど愚の極み。

 

ならば、確実にどこかで仕掛けてくる。

 

この霧の中、下手に斥候を放っても発見は困難だろう。だが、騎馬部隊が動ける箇所は限られている。

 

「歩兵隊はどんな様子だ?」

「一進一退を繰り返して攻めあぐねているようです。こちらは専守防衛を徹底しております。そこらの傭兵では歯がたちますまい」

 

ならば、余計に騎馬部隊の存在が気にかかる。

騎馬の機動力とこの霧による隠密行動を合わせて考えれば自ずと選択肢は絞られる。

 

「奇襲・・・といったところか」

 

イーグラー将軍はそう呟く。

その考えを裏付けするように伝令が駆け込んできた。

 

「伝令!北の方面に複数の松明を掲げた騎馬部隊を発見しました!」

「やはりか・・・その騎馬部隊が本命だ。歩兵隊は囮。おそらく、北の山を大きく回って我が部隊に側面に出るつもりだろう。北方方面に重点的に斥候を放ち、騎馬部隊の位置を炙り出せ。敵の姿が見えれば対応が可能だろう」

「はっ!」

 

後方にいた兵の一人が復唱して駆け出していく。

そして、イーグラー将軍は小さく、本当に誰にも聞き取れぬぐらいに小さく、ため息を漏らした。

 

その時だった。

 

わずかに霧の中から足音がした。甲冑の音がしない。部隊の者ではないようだ。

 

将軍と後方の兵士は身構えた。

 

そして、霧の中からおぼろげに一人の影が浮かび上がった。その影はゆっくりとした足取りで徐々に近づいてきた。

 

そしてはっきりする容姿。

 

くたびれたマント。黒い髪、白い肌。そして薄茶色の瞳。

 

イーグラー将軍の後ろに控えていた兵士が槍を構えた。

 

「何者だ!!」

「お久しぶりですね、イーグラー将軍。俺のこと覚えてますか?以前、行き倒れたところを助けていただいたハングというものです」

 

ハングはそう自己紹介をした。わずかに口元に寂しそうな微笑を浮かべながら。

 

そんなハングを見て、イーグラー将軍は目を大きく見開いた。まるで亡霊でも見つけたかのような反応だった。

 

「ハング殿か?お主、本物のハング殿なのか?」

 

それを見てハングは笑みを深くする。

 

ただ、ハングの顔は少しだけ泣きそうな顔に見えた。霧の中の薄明りがそう見せるのか、それとも彼が本当にそういう気分なのかは誰にもわからない。

 

「ええ、覚えてていただけましたか?」

「当たり前だ、お主のことはそう簡単には忘れん」

 

まるで、旧友に出会ったかのような戦場に似つかわしくない表情を浮かべ、イーグラー将軍は馬を降りてハングに駆け寄った。

 

「ハング殿、例の件では本当に世話になった」

「ほんの少しだけ知恵をお貸ししたにすぎませんよ。ほとんどはイーグラー将軍の手腕によるものです」

 

二人は握手を交わした。ほとんど親と子程の隔たりがあるのに、イーグラー将軍にはある種の敬意が滲み出ていた。

 

「しかしハング殿、ここは戦場ですぞ。旅の途中であるなら早々に立ち去った方がいい。いつここが鉄火場になるかわからんのですからな」

 

イーグラー将軍の言葉にハングは苦笑を漏らす。

その態度にイーグラー将軍は不審な目を向けた。

 

「いえ、イーグラー将軍が部隊を展開しているとお聞きしまして。少しでも役にたてればと思いまして・・・それで、奥方はお元気ですか?」

 

イーグラー将軍の表情が固まる。お互いに手を握り合ったまま、時だけが固まったようだった。だが、それも一瞬。

 

すぐに二人の顔には動きが戻った。

 

「ああ、元気にしているよ・・・なにかと、不便をかけてはいるがな」

「そうですか?僕はてっきり厨房にこもりきりなんじゃないかと思ってました。以前、窯で焼いていただいたパイは美味しかったですからね」

 

再び、空気が固まる。だが、ハングはそのまま話し続けた。

 

「それと、ご子息はどうです?室内に閉じこもって勉学ばかりしておいでですか?以前はしっかり監視しておかないと、よく逃げ出す子でしたけど?今はいかかがです?」

 

イーグラー将軍は何も言わない。その沈黙こそがハングにとっては何よりの答えであった。

 

「・・・そうですか・・・わかりました」

 

ハングはゆっくりとイーグラー将軍から手を離す。それが、何かの合図だったかのようにイーグラー将軍の顔にはみるみると笑がこみ上げてきていた。それを見ながらハングはただ寂しそうに微笑み続けた。

 

「くくくく、くはははは・・・ハハハハ!なるほど。ラングレン殿の策がことごとく破られるわけだ。ハハハハハ」

 

空を見上げるようにして笑うイーグラー将軍。

そして、ハングは目を閉じるようにして自分の足元に顔を向けた。

 

「ということは、北の方面の騎馬部隊はもしや罠か?」

「・・・俺が北に向かわせた騎馬兵は一騎だけです。大量の松明を抱えてはいますけどね・・・」

「なるほどな」

 

ハングの拳は強く、ただ強く握られていた。

ハングは口の奥から絞り出すかのように話し続ける。

 

「イーグラー将軍は北からの横撃を警戒してくると踏みました。ですから、騎馬部隊は歩兵隊の後方にて待機。そろそろ、歩兵隊が道を開けて騎馬部隊の突撃が行われる予定です」

 

そして、ほぼ同時に霧の中をこだまして怒涛の音が響いてきた。

それは騎馬の蹄が大地を打ち鳴らす音だ。それと同時に人々の阿鼻叫喚もまた山々に反響する。

 

「なるほど、霧に紛れた横からの奇襲ではなく。霧に紛れた歩兵の中からの奇襲・・・説明を受けるまで全く予想もつかなんだ」

「ワレス様という鉄壁の守りが加わりました。うちの歩兵隊がそう容易く崩れはしません。それ故に可能な策です」

 

本来であればハングはこの策を使用するつもりはなかった。リン達は個人の戦闘技術は別としても、軍隊としての動きはまるで訓練をしていない。戦いながら陣の中心に騎馬の通り道を開けるなどという器用な真似はできない。

これはワレスという巨大な防壁があってこその策だ。

 

「でなければ、私が部隊を抜け出してここに来ることはできなかったでしょう」

 

ハングは今までも『運命』というものを幾度となく恨み、憎み、そして跪いてきた。

そして、今日という日もまたその屈辱を味わうことになった。

 

「そうだな、それも教えてもらいたいものだ。どうしてわざわざこんな所まで来て私に挨拶をしようとしたのだね」

「そんなもの決まってるでしょ・・・」

 

ハングは自嘲するように笑った。

 

「命の恩人に・・・ご挨拶をしたかっただけですよ・・・」

 

ハングはそう言ってイーグラー将軍に背を向けた。

もう、これ以上この場に留まる必要はハングにはなかった。

 

「リンディスを騙る賊軍についた墜ちた軍師、ハング殿!このまま私が行かせるとお思いか!!」

 

振り返れば既に馬上へと移っていたイーグラー将軍が槍先をハングに向けていた。

ハングはそれを一瞥し、再び背を向ける。

 

貫けるものならやってみるがいい。

 

その背中が言葉よりも雄弁に語っていた。

 

「将軍・・・」

 

後ろに控えた兵士が槍を構えたままどうすべきかわからずにイーグラー将軍を見上げる。将軍は穂先を向けたまま、投擲の動作に移ろうとはしなかった。

 

そして、ハングは霧の中へと消えていく。

 

それと入れ違うかのように新たな伝令が駆け込んできた。

 

「伝令!前線が突破されました!敵部隊はその勢いのままにこちらに前進しております!!」

 

イーグラー将軍は槍を降ろし、ため息を吐く。

 

そして、最後の命令を下した。

 

「皆の者に伝えろ・・・」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングは万が一の為に霧の中で待機していてくれたマシューとすぐに合流した。

 

「戻りますか?」

「ああ・・・」

 

お互い、多くのことを語ることはしない。ハングは自分から話すつもりはなく、マシューもまたわざわざ聞くようなことはしなかった。

だが、ハングが進軍中止の命令を出さないということの意味は言わずとも伝わっていた。

 

二人は霧の中を歩いていく。そして、さほど進むことなく自軍の連中と合流することができた。

先陣を務めていたのはリンとセイン、ケント。そしてワレスであった。他の連中は霧の中からの奇襲に備えて後方を固めている手はずになっていた。

 

「ハング!どこ行ってたの!?」

「・・・ちょっとな・・・」

 

それ以上は何も言わないハング。

リンは質問をしたそうに数度口を閉じたり開いたりを繰り返したが、結局口を閉じることを選んだようだった。

 

ハングは皆に囲まれながら、再び今来た道を引き返す。

 

もう一度訪れた城門前。

 

そこにはなぜかイーグラー将軍しかいなかった。

イーグラー将軍は霧の中から現れたリン達を見てもまるで表情を変えなかった。

そこに、ハングが混じっているのを見てもやはり一緒。ハングもまた努めて無表情を貫いていた。

イーグラー将軍は槍先をリンに向ける。

 

「ふん、貴様がリンディス様の名をかたる不届き者か!ここを通すわけにはいかんぞ!!」

「私は、嘘なんてついてない!信じてくれ・・・と言ってもムダでしょうけど」

「セイン、ケントだけではなく。ハング殿までたぶらかしておきながら、まだそんなことが言えるか」

 

殺気立つイーグラー将軍にリンも剣を抜く。

 

ハングは唇を噛み締める。お互いにお互いの立場が分かっている。それでも戦い、どちらかが死なねばならない。

ハングはリンの肩が少し震えているのを見ながら幕の降りていない舞台をただ眺めていた。

 

「イーグラー将軍!」

「ケント・・・か」

「イーグラー将軍!我らは侯爵の命令どおりリンディス様を見つけ出し、ここまで戻ってきたのです!ですから、どうか槍を・・・」

「それはできぬ相談だ。なにせ、それを証明する手立てはない。そうだろう?」

「それは・・・」

 

言葉を返せないケントに代わり、セインが声を張った。

 

「何言ってるんですか!ケントの性格は将軍もご存知でしょう!!頭が固くて融通が利かない!そんな奴が裏切りなんてするわけないでしょ!」

「・・・・・・」

「ケントも・・・俺も、ちゃんと主人の命令に従ってますよ。ラングレン殿なんかではなく本当の主人のね」

「言いよるわ・・・」

 

ハングは目を伏せたくなる衝動をじっとこらえていた。

 

罪悪感に泣きたくなってなにが悪いのかと自問する。

 

ハングは確かにイーグラー将軍には幸せになってもらいたいとそう願っていた。

それと同時に仲間たちのの道の上の障害を全て取り除いてやろうという覚悟も持っていた。

 

ならば、選べる結末などたかがしれていた。

 

この戦いを選んだのはハング自身だ。

もっと別の道を選択する方法もあった。隠密に抜ける手段もあった。

 

だけど、それをハングはしなかった。

 

もし、イーグラー将軍を無視して進んだ場合。キアラン城を目前にしてハング達はイーグラー将軍の部隊を常に背後に抱えなければならなくなる。その上で戦力に勝るラングレンに勝つことはできない。

 

それがハングの下した決断だった。

 

その決断の結果が目の前にある。そこからハングは背を向けてはならないのだ。

 

人の両腕に全ては収まらない。例え竜の腕を持っていようとそれは変えられなかった。

 

「ワレス殿・・・」

 

イーグラー将軍はセインやケントの後ろにワレスの姿を認めて、口の端で小さく笑った。

 

「あなたがついているのなら・・・もう思い残すことはない」

「この・・・馬鹿者が・・・」

 

イーグラー将軍が馬の手綱を引く。彼の馬が嘶き、目線を正面に据えた。

 

「さあ裏切り者共よ!かかって来るがいい!このイーグラーの首を取ってみせよ!!」

 

リンが【マーニ・カティ】を抜き、セインが槍を構え、ケントが剣を手に取る。その一歩前にワレスが斧の刃をイーグラー将軍に向けていた。

 

そして、動き出す。

 

四対一の戦いは一瞬だった。

ワレスが槍を受け止め、セインとケントが左右から突き刺し、リンが正面から切り捨てる。

三つの傷をその身に受け、舞台の幕はあっけないほどに鮮血で染め上がった。

 

馬上から倒れるイーグラー将軍。悲しみと苦しみを湛えながらそれでも騎士の誇りを宿し、優しさに満ちた家族思いのその瞳がハングを見ていた。ハングはその瞳から決して目を逸らさなかった。

 

地面に倒れた将軍をリン達が見下ろす。

 

その誰しもが泣きたいような顔をしていた。そんな顔を見渡し、将軍は最期に振り絞るかのように言葉を世界に放つ。

 

「馬鹿者め・・・早く・・・行け・・・侯爵は何も知らぬまま・・・病と見せかけ・・・毒で・・・命を削られている。侯爵を・・・キアランを・・・家族を・・・頼む・・・」

 

誰に向けた言葉でもなかったはずだ。それなのに皆の視線はただ一つに集まった。

 

「必ず・・・」

 

ハングのその言葉に安堵したかのように、イーグラー将軍は満足げにその眼を閉じた。

もう開かれることのないその瞳を見つめてハングはまた言葉を重ねる。

 

「必ず・・・成し遂げます・・・」

 

その言葉はいつまでも、いつまでも霧の中を漂っているような気がしていた。

 

その後、仲間達の合流を待っている間に城の制圧は終わった。とはいえほとんど抵抗らしい抵抗はなかった。イーグラー将軍の命令により、既に投降の意志が決定されていたのだ。

 

後でハングがケント達の話を聞いたところ、彼の直接の部下と思しき兵達は戦闘には参加していなかったという。彼等は皆、城の防備を固めていた。それは、イーグラー将軍なりのラングレンへの意趣返しだったのかもしれない。

 

だが、その真意はもう明らかになることはないのだろう。

 

ハング達は悲しみに暮れる城の人達に弔いを任せて、早々にその城を後にした。

 

「・・・必ずや、将軍の無念を晴らしてください!!」

「お願いします!!せめて、あのお方の御家族を無事に返してあげてください!」

「将軍の亡骸とこの土地は我々が・・・我々が・・・お守りいたします!!」

 

背中に涙の願いを聞きながら、少し晴れだした霧の中を彼らはまた歩き出した。

 

「・・・イーグラー将軍ってどんな人だったの?」

 

程なくしてリンから向けられた問いにはケントが答えた

 

「私とセインが初めて配属された部隊の隊長で・・・恩師でした」

「私たちのこと・・・わかってたみたいね。なのに、どうして戦いを?」

 

その問いにはハングが答えた。

 

「ラングレンに、弱みを握られた。家族を・・・人質にとられてたんだ・・・」

 

ハングが握手を交わしながら行っていた何の気もない世間話。これはその中からハングが得た情報だった。

 

「見張りにラングレンの私兵をつけられてたから、俺たちに少しでも手を貸すような真似はできなかったみたいだ」

 

誰かが何かをへし折る音を立てた。視界の隅でセーラが自分の杖を真っ二つにしていた。それと同時に近くの古木が切り倒されていた。ワレスが切ったようだ。

 

「・・・ラングレンに母なる大地の怒りを!!」

 

目の前のリンも憤怒をあらわにする。皆、大なり小なり感情をぶつけていた。

 

「誰にもできないのなら私たちが、あいつを倒す!!ハング、最後の決戦よ!」

「ああ・・・」

 

ハングは空を見上げた。今もなお霧に覆われながらも太陽の光が薄っすらと見えていた。

ハングはあの頃の思い出になんとなく思考を巡らせた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

霧が出そうな曇天の下を馬に乗った騎士と旅人が橋を渡っていた。

 

「ハング殿、すみませんな治水工事や城壁の改修まで手伝ってもらってしまって」

「いえいえ、自分にとってもいい勉強になっております。それに、イーグラー将軍のお役に立てるのならこれぐらい。行き倒れていたところを助けていただいたお礼です」

 

イーグラー将軍とハングは馬を並べて近くの村まで巡回をしていた。

 

「ふむ、しかし働かせすぎだと家内にも言われてな。この前など自分で焼いたパイを夕食に混ぜるとの脅しまでうけてしまった」

「ははは、奥方様は料理の下手さはもはや暴力ですからね」

「あれはもはや兵器だ。他の家事全般はこなせるのに。なぜ料理が上達しないのか・・・」

 

下手すればこのまま永遠と続くのろけ話になる可能性もあるのでハングはさっさと話題を変えた。

 

「ご子息も勉学はさっぱりですしね。何かと大きな欠点があるのは家系なのでしょうか?」

「全くだ、ハング殿に教えてもらっているというのに・・・あいつときたら」

 

武術に長けて騎士道精神あふれる素晴らしい息子なのに勉学をさぼる腕前は盗賊並み。ハングとしてはその手腕を褒めるべきなのか叱るべきなのか悩みどころなのであった。

 

「ハング殿はこの後はどうするのですか?」

「そうですね、ベルンを経由してサカの草原のほうにでも行ってみます」

「そうか、惜しいな。このキアランに留まってくれはしないのかね?」

 

ハングはそれに笑うだけで明確な答えは返さなかった。

 

「そうだ、次に来たときには私にも娘ができているかもしれん。そうしたら、嫁にもらってくれないだろうか」

「さっきから面白い冗談が多いですね将軍」

 

半ば本気なのだがなぁ・・・とつぶやくイーグラー将軍にさすがにハングは苦笑せざるおえない。

 

「よくもまあそんなことが言えますよね。俺の左腕は異形ですよ」

「そんなもの、何の意味がある。人間はその内面にこそ価値がある」

「胸に刻んどきますよ」

 

ハングとイーグラー将軍は村に足を踏み入れる。

心優しき将軍と治水や治安に貢献してきた軍師はあっという間に人々に囲まれてしまう。

 

その暖かさを感じながらハングは何度も思ったのだ。

 

『ここは居心地がよすぎる』

 

それは心の中に復讐という魔を飼うハングには、甘い毒であった。

それは良くも悪くもハングの心を掴んで離しはしなかった。

 



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10章~遥かなる草原(前編)~

相変わらずの曇天。今にも雨粒が落ちてきそうな空の下をハングは険しい顔で周囲を観察していた。

 

キアラン城が近い。

 

その為に自ずと皆の口数も少なくなっていった。既にケントとセインは馬に乗って戦闘体制。ウィルもラスも弓に弦を張っている。馬のわずかな嗎も、足音の草を踏みしめる音もやけに大きく聞こえる。

 

「ニルス・・・」

 

ハングは少しだけ歩きを緩めてニルスの隣に並んだ。

 

「なに?ハングさん」

「なんか一曲頼んでいいか?」

「え?今?」

「ああ、今だ」

 

ニルスはハングを見てそして隣の姉を見た。

 

「どうも気分が滅入る。もうすぐ戦闘が始まると思うと余計にな」

「いいの?」

「構わねえさ、できれば歌があるようなのがいいんだが。なぁ、ニニアン」

「わ、私ですか?」

「歌は専門外か?」

「いえ、そういうわけではないんですが。突然だったもので・・・」

 

ハングは二人に笑いかけた。

 

「頼めるか、二人とも」

「うん!」

「わかりました」

 

ニルスは一呼吸おき、歩きながら唇を横笛にあてた。何時の間にか、傭兵団の皆の視線が二人に注がれていた。ハングは張り詰めていた緊張の糸が緩めるかのように息をついた。

 

そして、横笛の調べが流れ出す。

 

梟の鳴き声のような、風の囁きのようなそんな音色。

山から草原を見渡した時のような高揚と厳かな教会で静かに祈りを捧げる時のような静謐。矛盾した様々な感情を包括したようにして曲が始まった。

 

そこにニニアンの歌声が同調していく。

 

どこぞの国の言葉とも知れぬ歌。それゆえに声という楽器を奏でているかのような印象を周囲に与えていた。

 

その歌声は耳朶を介さず、直接心に届くかのように自然と各々の中に染み込んでいった。世界の音が彼女の歌声の裏に隠れたかのように静まり返る。今この時だけはニニアンの歌声だけを皆が聞いていた。

 

昂ぶるでもなく、沈むでもなく。

 

ただ、滔々と流れる一つの曲が心地よくあたりに流れていた。

 

ある者は眉を緩め、ある者は目を閉じ、またある者は涙ながらにその流れる音楽を聞いていた。

 

これからくる戦いを忘れるかのように・・・

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「リンディス様、山を迂回すればキアラン城が見えるはずです」

 

そう言ったケントの声はやはり緊張感に包まれていた。イーグラー将軍の城からここまで、一度も敵兵に遭遇していない。ラングレンは私兵を一点に集めて確実にこっちを撃滅する気であろう。

 

「全てはこの戦いにかかっています」

 

ケントが強い声で言った。

 

「あてにしていた近隣の領地からの援軍も出ない今・・・ラングレン殿も死力でかかってくるでしょうから!」

 

セインはこんな時でも相変わらずの軽い口調だ。

 

「俺たちがイーグラー将軍の城を抜いたことでラングレンの息がかかっている地方の部隊にも揺らぎがある。叩けるとしたら今しかねぇだろうな」

 

ハングの声もいつも通りだ。

 

「おじいさまにお会いする・・・それだけのためにここまで来たんだもの!」

 

リンの声は少しだけ上ずっていた。

 

「ですがハングさん、数は向こうが圧倒的に有利です。まともにぶつかれば勝ち目は無いですよ」

「ちょっと、エルク!これから戦いだっていう時になんでそんなこと言うのよ!」

「いや、僕は単なる事実を・・・」

 

エルクはうめき声をあげながら、セーラに首を揺さぶられていた。

セーラは徐々に静かになっていくエルクを無視して、ハングへと向き直る。

 

「そんなもん!突撃してぶっ飛ばせばいいのよ!ねぇ、ハング!」

「いや、さすがにそれは策とも呼べねぇぞ」

 

ハングはため息混じりにそう言った。そうこうしてるうちに、半ば首を締められていたエルクがのっぴきならない状態になっていた。

心配したフロリーナがセーラに近寄る。

 

「あ、あの・・・セーラさん・・・エルクさんが・・」

 

だが、フロリーナの小さな声など聞こえるはずもなく、セーラは変わらずハングに正面突破を進言していた。

 

「ほっときましょ、フロリーナ。いつものことよ」

 

リンそう言って視線をハングに移す。

 

「ハング、策はある?」

 

その返事はハングではなく、ワレスから来た。

 

「なーに、リンディス様!敵兵の十人や二十人、ワシが盾となって防ぎ、この槍で吹き飛ばしてくれよう!」

 

そう言って高笑いしたワレスだが『さすがにそれは無理だろう』との心の声が複数聞こえた気がした。

 

「ワレス殿の能力は買いますが、さすがにその動き方では時間がかかり過ぎます。今回は短期決戦でいきます」

「むぅ、そうか・・・ならワシは何をすればいい?」

 

ハングはニヤリと口元を歪め、目元をわずかに細めた。

 

「まともにぶつかれば勝ち目はない。だったら、戦う必要なんてないってことだ・・・ラングレンの戦略には先手を取られた。なら、戦術ぐらいはこっちが先手を取らないとな」

 

ハングはそう言って不敵に笑う。

これから戦場に向かう彼等にとってこれ程に頼もしい笑顔はない。

ハングは降り出した雨を飲み込むかのように空を見上げた。

 

「後世に伝えることもないくらいにさっさと終わらせてやるさ」

 

ハングは空に鳥の群れを見つけ、敵兵の位置を大まかに予測する。

ハングは後ろを振り返り、声を張り上げた。

 

「さぁ、行くぞ!!リンディス傭兵団の最後の戦いだ!」

 

皆から帰ってきた返事にはもはや一片の緊張感もなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

『俺達はキアラン城の東側に広がる森を主戦場にする。そこに何がなんでも敵兵を誘い込む』

 

ウィルとエルク、そしてマシューの三人は先行し既に森の茂みに姿を隠していた。

おまけに付いて来たセーラには念のために木片を噛ませている。そうすればどうあっても無駄口を叩くことはできない。

 

四人は息を潜め、その時を待つ。

 

降り出した雨が草木に当たって音をたてていた。この天気では火攻めを行われる可能性は皆無。この雨はハング達にとって恵みの雨であった。

 

『ワレス殿、あなたはガタイがあってよく目立ちます。陽動を任せます。できるだけ平原で暴れてください。ラス、ドルカス援護してやれ』

 

森とキアラン城の間の平原。川にかかる橋から森まで続くわずかな平地でワレスとドルカスが敵軍と接触していた。

 

「ウハハハハ!貴様ら、それでも誇り高きキアラン兵か!?ぬるい!ヌルいぞ!!」

 

ワレスの斧が飛び、槍が血しぶきを描く。一人で前に出ているように見えて、ドルカスとラスが確実に死角を防る立ち位置を維持する。暴れながらでもそこまで行う手腕は歳の甲と言えよう。

 

比較的無口な二人を従え、ワレスはその場で暴れまわっていた。

 

『ルセアとフロリーナはニニアンとニルス姉弟の警護をしながら後詰を頼む。ワレス殿が危険なら援護を、危険が無いならまだ待機だ。まぁ、ワレス殿が危険に陥るなんてせいぜい撤退時ぐらいだろうがな。ニニアン、ニルス。この視界の悪さで敵が【シューター】を持ち出してくるとは思えないが、念のためだ・・・お前らのチカラ、あてにさせてもらうぞ』

 

ワレス達が暴れる場所から離れた場所でフロリーナとルセアは息を潜めていた。

目立つ純白のペガサスは更に後方だがフロリーナの指笛一つで駆けつけられる位置にいた。

 

『奴らがワレス殿に対して数の圧力をかけてくるなら、援護しつつ後退。戦線を維持するようならワレス殿が疲労するまで待機してから後退だ。とにかく、敵に森の中に逃げ込んだという印象を与えろ。できるだけ気取られるなよ』

 

そして、敵は前者の方法をとった。ワレス達が少数であると高をくくり、他の仲間と合流される前に各個撃破せんと数を投入し続けてきた。

 

「くっ!!まだ・・・まだまだだぁ!!」

「・・・ワレス殿・・・」

「むっ」

「下がるぞ」

 

ワレスは敵の攻撃を受け止めながらも冷静に状況を見極める。自分の闘志はまだ衰えていない、倍の敵兵に囲まれてもこの無口な斧使いと弓使いが後ろにいるならばこの場で戦える自信があった。

 

だが、二倍は相手にできても三倍は無理だ。

 

「確かに潮時か。ワシが殿をつとめる。森へ逃げ込め」

 

ワレスに対してラスとドルカスは小さく頷いて徐々に後退を始める。そこにルセアとフロリーナも加わり撤退を援護する。そして、彼らは予定していた地点まで来ると脱兎のごとく森へ駆け込んだ。

 

「逃がすな!追え!!」

「ここが手柄の稼ぎ時だ!!進め進め!!」

 

次々と森へ飛び込んでいくラングレンの兵達。

 

『敵が森に入ってこなかったら、ワレス殿にはもうひと頑張りしてもらいます。とにかく注意を引いて森へ逃げる。その繰り返しです。そして、敵が森に入ってきたら、後は単なる【隠れ鬼】だ。見つけた奴から確実に消していけ』

 

最後尾が森に入ったのを確認したマシューとウィル。彼らは木の上からその最後尾の敵兵に狙いを定めた。

マシューが合図を出した途端、、ウィルが弓矢が掃射を開始した。さらに別の木の上からエルクの炎が降りそそぐ。エルクの炎は雨で木々に燃え広がる危険が少なく、容赦ない火力を注ぎ込む。

 

「うわぁ!」

「なっ、どこから・・・」

「後ろからだ!」

「やめろ!固まるな!!一網打尽にされるぞ!馬を捨てて散れ!」

 

退路を断たれたラングレン兵は森の中に散り散りになっていく。それでも味方の位置を確実に把握する距離を保ったままの行動。さすがに訓練された騎士である。

 

『そうなったときに奴らの取れる選択肢は多くない。一団になって逃げるか、それとも散会して危険な範囲を潰しつつ森全体を制圧するかだ。どっちにしろ、戦力の投入が不可欠だ』

 

キアラン城の城門にて佇むラングレン。そのもとに伝令が駆け込んできた。

 

「ラングレン様、敵兵は森の中に逃げ込んだようです。森の中には伏兵多数。入った部隊がことごとく消息を断ちました」

「ふざけるな!ならば森から確実に燻り出せ、そんなに広い森ではない!全勢力でもって逆賊をうち滅ぼせ!」

 

ラングレンはその場にいる近衛の兵達も繰り出して前線へと投入していく。ここで戦力の逐次投入は愚策だ。見通しの悪い森ではただでさえ各個撃破される危険性が高い。

ラングレンの決断は決して間違ったものではない。

 

『もし、敵が増援を送ってきたらその後は【逃げ鬼】だ。できるだけ時間を稼いでくれ。その間に、俺たちは・・・』

 

「まったく・・・使えぬ奴ばかりだ。たかがサカの小娘に率いられた傭兵すら潰せぬとは・・・」

 

ラングレンは雨に煙る森を見ながらそう呟いた。その森に自分の兵達がなだれ込んでいく。敵兵の総戦力は把握している、あの数の有利を覆すことなど天地がひっくり返ってもあり得ない。

ラングレンはそう確信していた。

 

「部下が使えないんじゃなくて、指揮官が無能なんじゃないのか?」

「誰だ!!」

 

ラングレンは槍を構えた。

 

『皆が敵を引き付けてる間に、俺たちは南の川を渡ってラングレンに奇襲をかける。戦いを素早く終結させる方法は昔から二つだ・・・糧食を断つか、敵の指揮官を殺すかだ』

 

キアラン城の城門前。ラングレンの周囲には最低限の護衛が二人。対する正面には四人。

 

「よう、あんたがラングレンか?リンとは似ても似つかない嫌な面してるな。本当に親戚か?」

 

ハングはセインの馬から降り、からかうような口調でそう言った。

 

「貴様ら!一体どうやってここへ!?」

「南の川からだよ。しかし、橋を落としてるとは思わなかったぞ。全く、おかげで大分遠回りする羽目になった。しかしラングレン殿、予想通りに動いてくれて本当に大助かりだ。お前の戦術次第ではあと何通りか動きようがあったんだが。最低限の損害ですみそうだ」

 

ハングは剣を引き抜く。それに応じるように周囲の殺気が否が応でも高まっていく。

 

「普段は神なんか信じねぇけど。祈っといてよかったかもな・・・さぁ・・・終わらせようか。この糞ったれな内乱をよ!」

 

ハングのその言葉が最後の号砲であった。

ケント、セイン、そしてリンが手に武器を取り、心に鎧を纏った。

 

降り続く雨がただひたすらに音をたてていた。

 

 



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10章~遥かなる草原(後編)~

武器を構えるラングレン。彼は油断なくリンの周囲にいる人間に視線を巡らせた。旅人と騎士二人。ラングレンは知った顔に声をかけた。

 

「おまえは・・・ケントか」

 

ケントは相変わらずの生真面目な表情だ。

 

「ラングレン様、これまでの妨害の数々・・・もはや、言い逃れかないませんぞ!」

「愚か者め!」

 

唸るようにそう言い、ラングレンはセインにも声をかける。

 

「セイン・・・おまえは、堅物のケントと違って話のわかる男だな。リンディスを裏切ってこちらにつけ。地位は保証してやるぞ」

 

対するセインはやはり相変わらずの軽薄な笑みを浮かべたままだ。

 

「・・・ありがたいお申しで、痛み入ります」

 

セインのその一言に心を動かしたのはラングレンだった。

 

「では・・・」

 

ハング達に動揺はない。セインの答えなど聞くまでもなくわかっていた。

 

「でも、俺、その堅物との相棒関係解消する気ないんですよ。それに、仕えるんならあんたより、断然リンディス様がいい!」

「はははは!それでこそセインだ」

 

ハングが笑い、そしてラングレンはわずかに唇をかむ。

 

「痴れ者共が!その選択後悔させてやるわ!!名門キアラン家に、サカ部族の血などいらぬ!!ここで、わしが貴様らもろとも討ち取ってくれる!!」

 

ハングは剣先をラングレンに向ける。

 

「ふざけんなよ、血に色でもあるのか?お前の血もリンの血も変わらねぇ赤だ!誰が継ごうがな、仕事さえこなせりゃ領主なんて誰でもいいんだ!てめぇは、自分の欲望にそれらしい理屈をつけてるだけだ!!」

「なんだと・・・」

 

怒りで顔を赤くするラングレン。

ハングの隣でリンもまた剣を向ける。

 

「あなたが自分の欲のためにおじい様やこの領地を巻き込んだこと、私は・・・私は絶対に許さないっ!ラングレン! 覚悟っ!!」

「小娘が!!」

 

ラングレンの持つ槍が怒りで震えていた。

ハングは一呼吸置き、声を張り上げる。

 

「いくぞぉ!」

 

ハングのその声に応じるように騎士両名がラングレンめがけて駆け出した。

金属音が響く。二人の武器はラングレンの側近に止められた。だが、二人はすぐさま次の行動を開始していた。ケントとセインは武器を操って、その側近を外へ外へと押し出す。

 

ラングレンはその瞬間に騎士両名の意図を察した。最初から側近を引き離すことが目的だ。ならば、本命は・・・

 

次いで生じた乾いた音。ラングレンの槍を持つ手が軽い衝撃と痺れを訴える。既にリンが剣の間合いにラングレンをとらえていた。

 

騎士二人は援護、本命はリンだ。

 

再び振られるリンの剣。ラングレンはその剣戟を槍で大きくはじき飛ばした。

 

流れたリンの体に今度はラングレンが持ち出した斧が迫る。だが、そのわずかな隙にハングが切り込んだ。絶妙の間合い。ラングレンは攻撃を手元で止めざるおえなかった。ハングの攻撃を防ぐために、間合いを取ったラングレン。そこに、リンの突きが繰り出される。

 

ラングレンは苦い顔をして、斧を手放し、盾を取り出してそれを受け止めた。ラングレンは空いた手で槍を再び突き出す。リンはそれを頬の薄皮一枚を犠牲にして回避した。

ハングが横から剣を振るうもラングレンの装甲の前に防がれた。

 

ハングは不利を悟り、リンの服をつかんで後方に飛んだ。

 

間合いを取って呼吸をはかる。

 

状況を察したセイン、ケント両名も後退してくる。

 

雨が石畳をうつ。はるか遠くで戦いの音がまだ響いていた。

 

「あんまり時間かけてられねぇんだけどな」

 

ハングの小さな声は雨に煙って断片的にしか聞こえない。だが、不思議と何を言ったのか周囲の三人はわかっていた。左右の騎士二人は大怪我こそしていないものの、多少の傷を受けていた。そしてそれはラングレンの側近も同等である。

 

さすがになかなかの手練れだった。

 

本当なら素早く側近を片付けて四対一に持ち込みたかったのだが仕方ない。そう易々とはいかないようだった。

 

緊張の糸が張り詰め、そして切れる

 

ラングレンが斧を拾い上げて投げつけてくる。回避が面倒で、ハングが左腕で弾き飛ばした。

その隣でリンが爆発的に加速した。一気に間合いに踏み込み、切り上げる。

 

「ぐっ!」

 

【マーニ・カティ】は精霊の宿る剣。それはラングレンの装甲を易々と切り裂いた。

 

「小娘がぁぁぁ!!」

 

だが、浅い。ラングレンの反撃がくる。その槍をセインの槍が阻む。

リンに群がろうとする側近の一人をケントが、もう一人をハングが受け持った。

セインが槍でラングレンを止めている間にリンが再び懐に飛び込んだ。

 

「覚悟ぉぉ!」

 

ラングレンの首を飛ばさんと白銀の軌跡が描かれる。

 

「甘いわ!」

 

槍の柄でリンの剣を受け流したラングレン。その勢いのままセインを吹き飛ばし、槍の切っ先をリンに向けた。

 

「死ねぇぇぇ!」

 

激しい音がした。

 

「痛ぇえなぁあ!」

「なっ!バカな・・・」

 

ハングがラングレンの槍の切っ先を左手で受け止めていた。その間、ケントが側近二人を抑え込んでいる。

 

「リン!」

 

ハングが名前を呼ぶより早く、ハングの肩に重みが加わった。ハングの肩を踏み台にしたリンの足裏の感触が消える。リンがラングレンへと至る最後の間合いを潰した。

 

大上段に構えた剣。【マーニ・カティ】を一気に振り下ろす。肩口に入った一撃は袈裟斬りにラングレンの鎧ごと切り裂いた。

 

降り注ぐ雨に赤き水滴が混じる。誰しもの呼吸も雨音にかき消される。ラングレンが己の血だまりに膝をつく。

 

「いまいましい・・・サカの小娘めが・・・キアラン侯の座は・・・ワシの・・・」

 

身体から噴き出す血。それでもなお、ラングレンは槍を支えに立ち上がろうとしていた。

だが、それも長くは続かない。雨に濡れたラングレンの身体はゆっくりと地面へと吸い込まれていった。

 

武器が落ちる音がした。それはラングレンの側近が投降した音だった。

 

「ケント!セイン!早急に城内の制圧及び救援部隊の組織を急げ!仲間がまだ森で戦っている!」

「はっ!」

「お任せお!」

 

投降した二人を引き連れてケントとセインが城内に駆け込んで行った。

残されたのはラングレンの遺体、そしてサカの民と旅の軍師だった。

 

「終わった・・・のね・・・」

「ああ・・・」

 

ハングが自分の剣を鞘にしまう。そして、おもむろにマントを脱ぎ、遺体を覆った。

 

「彼は・・・どうして・・・」

「『兄に毒を盛ったのか』か?」

「うん・・・」

 

ハングは今も見開かれているのラングレンの目を閉じさせる。

 

「権力は衣の上から着るのだと王は言い、野心を持たず民に尽くせと神父は言った。だが、彼らの言葉はいつの世も真に聞くべき者に届かない」

 

ハングはそう言いながらも死装束を整えていく。

 

「知らないか?アムロス・ラーダっつう学者の言葉だ」

 

リンは首を横に振る。

 

「権力に取り憑かれた人間はいつの時代にもいた。彼らは更なる権力を求めて愚行を犯す。戦争ってのはな、突き詰めていけば権力の奪い合いでしかないんだ・・・土地を治める権力、兵を率いる権力、税を取り立てる権力・・・」

 

ハングはリキアの流儀で簡単に祈りを捧げた。

 

「リン・・・お前は・・・こうなるなよ」

 

ハングの隣でリンがサカのやり方で死者の弔いを行う。

 

背中を打つ雨は何時の間にかやんでいた。

祈りを終え、見上げた空からは何の因果か眩しい光が降り注いでいた。

 

「終わったのね・・・」

「ああ・・・終わったんだ・・・」

 

こうして、リンの大伯父であるラングレンはその生涯を終えたのだった。

 

その後、さほど時を待たずして城門から一人の男性がこっちに歩いてきた。見るからに文官の出で立ちの人間であるが、その懐に何を忍ばせているかはわからない。リンとハングは警戒心を持って対応した。

 

「リンディス様・・・ですね」

「あなたは?」

 

リンの問いにその男性は失礼を詫びるかのように頭を下げた。

 

「キアラン侯爵家の宰相を務めます。レーゼマンと申します。ケントとセインからお話しはお聞きしております。そちらの方がハング殿ですね」

「ああ・・・」

 

ハングはそう言って、強い視線を送る。

 

「レーゼマンさんは今まで何を?」

「ラングレンに監禁されておりました。私が信用できないのでしょうか?」

 

ハングは肩をすくめた。

 

「まぁ、そうだな・・・レーゼマンの名前はキアランの善政の中でも有名だ。あんたが本人であるなら、信用に足るわけだが・・・」

 

ハングは奥でセインが親指を立てて合図するのを遠目で見やる。

 

「まぁ、平気そうだ」

 

レーゼマンは静かに微笑んだ。

 

「それで、キアラン侯爵の容体は?」

「ラングレンが侯爵のお食事にこれまで毒を盛っていたようで、すっかり体を壊されて・・・ずっと床に伏せっておられます」

 

ハングはリンの方を向いた。

 

「会って来い・・・」

「うん・・・」

 

リンはレーゼマンを引き連れて城内に駆け込んで行った。

一人、取り残されたハング。だが、すぐに城門の中から大量の蹄の音がしてケントとセインが飛び出てくる。

その後ろには装備を固めた騎馬部隊が続いていた。

 

「ハング殿、お一人ですか?」

「今、俺が必要なのはあいつじゃない、ウィル達だ。さぁ、いくぞ・・・戦いは終わったが、皆の命の危機は去ってねぇんだ」

 

ハングはセインの馬に飛び乗った。

 

「この内戦の立役者は随分働きますね」

「ここは、リンの土地だからな」

 

セインの軽口に一発くらわせ、ハングは後ろを振り返った。

 

「んで、こいつらはその立役者に従ってくれるわけだ」

「はい、信用してください!!」

 

ハングは後ろにいるおよそ百名の兵隊に素早く指示を送り出した。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「・・・誰じゃ」

 

そこは悲しみに満ちていた。

 

「わしは、誰にも会わぬと言っておるだろう」

 

レーゼマンに案内されて入ったキアラン侯爵ハウゼンの居室。

空気は淀み、すえた臭いがこもっていた。だが、それ以上に部屋の主の悲しみが池の底の泥のように溜まっていた。

 

「なにをしておる!早くでていかんか・・・」

 

やっと会えた家族。だが、その人は横になったまま扉の方を見ようともしない。

その声の端々にはもう絶望が顔をのぞかせている。

 

床の周りをとりまくものが死の影だと錯覚してしまう程にキアラン候ハウゼンはやせ細っていた。眼窩は落ち込み、顔の皺一つ一つが痛みをはらむかのようにひどく歪んでいる。

 

その死の臭いの中にリンはためらうことなく足を踏み入れた。

 

「・・・あの!私・・・リンディス・・・です」

 

小さい声ながらはっきりと、その声は部屋の中に響いた。

 

「リンディスじゃと・・・まさか」

 

ハウゼンが体を起こす。

 

「父の名はハサル、母の名は・・・マデリン」

 

リンの言葉の一語ずつがハウゼンの体に力を与えているかのようだった。

 

「十五の歳まで草原で育ちました」

 

リンの言葉は震えている。流すまいと決めた涙も、振り向くまいと決めた心も、今は何も関係が無かった。

 

「・・・まことなのか?こっ、こっちへ顔をよく見せてくれ・・・」

 

リンはハウゼンの寝る床(とこ)の傍にまで踏み込んだ。

窓から差し込んだ日の光が彼女の顔を照らし出した。

 

「おお・・・ま、間違いない・・・マデリンによく似て・・・おお、おお・・・」

 

ハウゼンの目元から零れ落ちる雫は頬を伝い、寝具に黒い染みを残して消えていった。

もう、リンに我慢するものなど何もなかった。

 

「おじいさま!!」

 

彼女は家族の胸に飛び込んだ。涙で頬を濡らし、固めた心を溶かしながら、彼女はしっかりと祖父の腕の中で抱きとめられた。彼女はやっと家族に出会えたのだ。

 

「ラングレンは、娘は死んだと言っておった。孫の・・・おまえも・・・死んでしまったと・・・よくぞ・・・よくぞ生きて・・・・・・おお・・・神よ・・・!」

 

とめどない涙を流しながら、ハウゼンは天を仰ぎみる。孫娘の温もりをその全身で感じて、愛すべき者の命に心から感謝をささげていた。

 

「父と母は昨年、山賊によって・・・命を奪われました・・・私だけ・・・こうして・・・生きて、お目に・・・」

 

時折しゃくり声をあげながら、リンは語る。

 

「リンディスよ、この愚かな老人を許してくれ。わしが、二人を認めていれば・・・山賊に襲われることなどなくこの地で、平和に暮らせたろうに」

 

ハウゼンもまた涙ながらにそう語った。リンは祖父の腕の中で首を横に振った。リンディスはもう一度祖父の顔を見るかのように彼の腕の中から離れた。

 

「おじいさま。私たち親子は家族三人、ずっと・・・幸せに暮らしてました。悲劇はおきてしまったけど、でも・・・それまでは本当に本当に幸せだったんです」

 

赤く目を腫らし、それでも過去の草原での日々を思って笑うリン。

 

「そうか・・・マデリンは幸せに生きたのだな・・・それを聞けただけでもよかった・・・・・・」

 

そこには確かに幸せがあったのだ。心の奥底からのリンの言葉にラングレンは再び涙を流した。

 

そして、そこには別の意味合いが込められていた。

 

「ありがとう、リンディス。これで思い残すことはない・・・」

 

途端、リンの頬に赤みがさした。

 

「そんなこと言わないで!!」

 

だが、ハウゼンは力なく首を横に振るだけだった。

 

「リンディス、わしはもうだめじゃ・・・長く毒に蝕まれた体はもとには戻らん・・・・・・」

 

うつむいてしまうハウゼン。そこにはまだ色濃い影が居座っていた。リンはそれを払拭するように一度頭を振る。そして、彼女は祖父の手を取った。

 

「心を強くもって、おじいさま!治るって信じるの!!」

 

節くれだった固い手であり、皺だらけのやさしい手。痩せてしまっても確かにそこには温もりが残っていた。

 

「草原では、心の強さが病を払うと言われているわ!私がついているから負けないで、おじいさまっ!!」

「・・・おまえが一緒に?」

「そうよ」

 

リンは包み込むようにもう一つの手を重ねた。

 

「これから一緒にお話したり散歩したり、音楽を聴いたり・・・!たくさん、たくさんしたいことがあるわ!」

 

強い瞳で、強い意志で、彼女は語りかける。自分の命を分け与えん覚悟で、彼女は思いの長けを解き放った。

 

「それは・・・楽しそうだ・・・」

 

ハウゼンの目元に皺がよる。今までの痛みや老いを背負った皺ではない。希望と喜びを蓄えた、柔らかな皺だった。

 

「そうでしょう!?それから、元気になったらおじいさまにも、草原に来てほしいわ。どこまでも広がる空、風わたる草の海・・・母さんが愛した大地をおじいさまにも知っていただきたいの!」

「マデリンの愛した大地・・・そうだな。わしにはまだ、たくさん、やることがあるな」

 

リンが包む手に力がこもる。それに呼応するようにハウゼンの手にも力が宿っているようだった。

 

「がんばって、おじいさま!!」

「リンディス・・・」

 

ハウゼンが差し出した腕の中に、リンはすっぽりと収まった。

 

己の意地のために家族を手放してしまったハウゼン。

他者の欲望のために家族を失ってしまったリンディス。

 

家族を失った人生。そんな二人はお互いの何かを埋めるかのように、お互いの命の間にある絆をただ感じ続けていた。

 

 



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間章~キアラン城にて(前編)~

戦いは終わった。だが、残念ながらそれで全てが終わったわけではなかった。もちろん、それはキアランの文官や武官の仕事。彼らにはあまり関係は無い。

 

「それじゃあ、もう行ってしまうの?」

「ええ、かなり寄り道しちゃったから早くオスティアに帰らないと」

「色々とお世話になりました」

 

城門前ではセーラとエルクがリンとハングに別れを告げていた。

 

「他の連中も見送りにくればよかったんだが。悪いな」

「いえ、いいんですよ。昨晩済ましましたから」

 

エルクがそう言って笑顔を見せる隣でセーラが腰に手を当てていた。

 

「マシューは戦いの最中にどっか消えちゃったし!まったく、団体行動のできない奴よね!」

 

お前が言うな!

 

と、言いたかったがやめておくことにしたハングである。

 

「んじゃ、道中気をつけてな」

「ありがとうございます。ハングさんはしばらくキアランに?」

「ああ。まだラングレンがめちゃくちゃにしちまった税率やら訴訟やら整備やらが大量に残ってる。働けるもんが働かないとな」

 

ハングはそう言って肩をすくめた。

 

「また、お会いしましょう」

「ああ、またな」

 

エルクがハングに手を差し出す。ハングは迷わずその手を握り返した。

その隣でリンにセーラが耳打ちしていた。

 

「いい、あんなこと言ってるけどハングは少しでも長くあなたの側にいたいだけなのよ!絶対に逃がしちゃだめだからね!」

 

国境の宿からセーラのこの話題はリンは聞き飽きていた。

そして、あしらい方もよくわかっていた。

 

「忠告は聞いておくわ」

「実行しなさいよ、いいわね!?」

 

リンは明確に返事はせずに曖昧に頷いた。嘘をつかずにやり過ごす方法はハング仕込みの賜物である。

 

「お前らは何話してんだ?」

「なんでもないわよ!ハングはエルクと漫談でもしてなさい!」

 

むしろ、お前の会話の方が漫談に近い。

 

そうは思ってもやはり、ハングは何も言わなかった。

ハングはセーラにエリミーヌ教流の礼を送った

 

「それじゃ、またどっかで会えることを祈ってるよ」

「ええ。リンもまたどこかでお会いしましょう」

「うん、またどこかで」

 

手を振って二人は西方面、オスティアへと向かって行った。

二人の後ろ姿を見送りながら、ハング達は最後の最後までエルクがセーラに向けてため息を何度も吐き出しているのが見て取れていた。

 

「仲いいわね、あの二人」

「本人達は否定してるけどな」

 

ハングはそう言って、城内に戻って行った。笑いながらリンもそれに続く。

 

「そういえば、ラスを見なかった?まだ、私お礼を言ってないんだけど」

「ああ、ラスなら戦いの後でキアラン城に入らずにどっかいっちまったよ・・・お前に『よろしく』だってさ」

「そう・・・」

 

彼女もなんとなく予想をしていたのだろう。リンはそっけなくもそう言った。

 

ハングは森で別れた彼との最後の会話を思い出した。

 

『いくのか?』

『ああ・・・もう、リンに命の危険は無い』

『そっか、お前とはまたどっかで酒でも酌み交わしたいもんだ』

『そうだな・・・同じ人間を信用した者同士・・・な』

 

ハングとラスの初めての会話。

お互いをなぜ信用するのか?

答えは簡単だった。

 

『リンに信頼された者同士・・・か・・・話のネタは尽きることは無いだろうな』

『彼女によろしく言っといてくれ』

『ああ、また会おうぜ』

『その話だが、酒は断らせてもらう』

『なんでだ?』

『俺は下戸だ、酒の入ってる物は基本苦手だ』

 

ハングはキアラン城の石畳みを歩きながら思い出し笑いをした。

 

「何笑ってるの?」

「ちょっとな。それよか、俺はこの辺でな」

「あ・・・」

 

一瞬、リンの手がハングを呼び留めるかのように動いた。

だが、すんでのところでそれを思いとどまる。

 

「どうかしたか?」

「ううん・・・なんでもない」

「悪いな、まだ仕事が残っててな」

「うん、またね」

 

そして、ハングは西棟の方へリンは中庭の方へと向かっていった。

 

リンが向かった先、そこでは彼女の祖父であるハウゼンがニルス、ニニアンと談笑していた。

 

「ふっふっふっ、そんなことがあったのか」

「うん!僕はねやっぱりあの二人は怪しいと思ってるんだ」

 

三人は丸テーブルを囲み、お茶を楽しんでいた。その中でニルスとハウゼンが何やら楽しそうに笑っていた。

 

「あ、リンディス様」

 

ニルスが気づき、すぐにニニアンがリンに椅子を勧めた。

 

「ちょうど、リンディス様のこと話してたんだよ」

「私のこと?」

「うん、ハングさんにお説教をされてた時のこと」

 

リンの表情が曖昧に固まった。できればあまり思い出したく無い旅の思い出だ。

 

「ハングくんは怒るとそんなに恐いのかね?」

「はい、それはもう」

 

ニニアンが微笑みながらそう言った。

 

「恐いなんてもんじゃないよハウゼン様!僕は初めて聞いた時、本当に雷が落ちたかと思ったもん」

 

ニルスもそう言い、ハウゼンはより一層に笑みを深めた。

 

「リンディスが一番雷を受けていたと聞いたが本当かね?」

「はい・・・」

 

リンの渋い顔を見て、ハウゼンはますます顔の笑みを深めた。

 

「そうか、そうか・・・どれ、ニルスくん。もう一曲お願いしてもいいかね?」

「うん、任せてよ」

「ニニアンさんも歌を頼みます」

「はい、喜んで」

 

ニルスが唇に横笛をあて、ニニアンが優雅に喉を振るわせれば、キアラン城はたちまち劇場と化した。歌声は城壁に反響し、廊下に木霊し、城の中で根を詰める人々に潤いを届けていった。

 

その音楽が届く西棟の一画。

 

「ハング殿、イーグラー邸付近の村々から申請書が届いてます」

「ハング殿、城壁の修理の件でお話が・・・」

「これが昨年の予算の書類ですハング殿」

「ハング殿!」

 

右から左からと次々に飛び込んでくる書類と格闘しながらハングは必死に羽ペンを走らせていた。

 

「レーゼマンさんにこの書類を回してくれ。ああ、あとワレス様に城の警備隊の再編成を頼め」

「ワレス将軍は昨日消えました」

 

周りの文官達と共に文机に向かって書類を片付けていたハングはその言葉に顔をあげた。

 

「消えた?あの巨体がか?」

「なんでも、血が騒いだので戦いの勘を取り戻すために旅に出るとか・・・」

 

ハングはもう少しで頭を掻き毟りそうになった。

 

「あんの人は、今の状況わかってんのか!まぁ、いい。なら・・・ダントレン将軍に頼め!今は訓練所にいるはずだ」

「わかりました!」

「ハング殿、この訴訟について告訴が出ておりまして」

「あん?」

 

ハングはその羊皮紙に書かれた内容を一読し、噴煙をあげた。

 

「っざけんじゃねぇよ!なんだこの訴訟!ラングレンが下した裁判か!しかも、極刑だと・・・ラングレンの野郎!もっぺんぶっ殺してやろうか!!」

 

目の前の書類を引きちぎってやりたい衝動を抑え込み、ハングはため息を吐きだした。

 

「この保証、国庫から出すしかねぇよな・・・店一つ潰すとか何考えてんだよ・・・あぁ、なるほど資財没収してんのか」

 

ハングは新たな書類を作成しながら、周囲の人達に向かって的確に指示を出していく。

そして、荒々しい仕草で書き上げた羊皮紙を突き出した。それは契約書なので、もう少し丁寧に扱って欲しいのが周囲の人の本音なのだろうが、今はそんなことを言う余裕など誰にもなかった。それほどの殺人的な忙しさを乗り越えながらハングは新たな仕事をこなしていく。

 

彼等の耳にも中庭からの音楽は聞こえているのだが、残念ながらゆっくりお茶を飲む気分にはなれなかった。

 

「ハング殿!宝物庫から『力のしずく』が・・・」

「そいつはほっとけ!必要経費だ!!」

 

ハングは口の中だけで「マシューの野郎・・・」と呟いて羽ペンをまた動かしはじめた。



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間章~キアラン城にて(後編)~

楽しい時間も、忙しい時間も早急に流れていく。

少し冷えてきたと感じる頃にリンは祖父を床につかせた。

 

「ありがとう、リンディス。お前が帰ってきてから楽しい毎日だ。最近、夕食に出てくる臭いのキツい食材だけは勘弁してほしいがな」

 

ハウゼンはよく笑うようになった。それはずっと仕えてきた人々から教えてもらったことだ。とても良い兆候だと、リンは単純にそう思う。

 

『笑うことはいいことだ。それが悪魔を祓うってのはどこの国の教えだったかな?』

 

ハングの声が頭の奥から響く。リンは思わず首を横に振った。

 

最近、本当にハングのことを思い出すことが多い。この頃ハングが文官の仕事を手伝ってるために会う機会が減ってしまっていたからだろうか。今日もハングに出会ったのは三日ぶり、というか戦いが終わってから初めて会った。

 

だからといって、彼のことを思い出すのもなんだか変な話のような気がする。

 

「ハングくんのことを考えていたのかね?」

「えっ!!」

 

リンは驚いて顔を上げた。ハウゼンはまたくすぐったそうに笑った。

 

「リンディスは彼のことを考える時にいつも悩むような顔をする」

 

リンは目を大きく見開いて何度も瞬きをした。

 

まったく自覚が無かった。

 

「ハングくんは面白い人だ」

「おじいさまはハングとお話を?」

「ああ、どうしても私の判断を仰がなければならない書類はだいたい彼が持ってきてくれてるんだ。レーゼマンのはからいでね」

 

リンは少しの間呼吸を忘れてしまった。完全に初耳だった。

 

「彼は良い青年だ。彼なら私も依存はないよ」

「な、ななんの、話ですか?」

 

ハウゼンは堪えきれずに大きな声で笑い出した。そこで、リンはからかわれていたことをようやく理解した。

 

「ハングくんの言う通りだ。リンディスはからかうといい反応をしてくれると」

 

ハングのやつ・・・

 

物騒な文句を心の中でいくつか並べ立て、リンは立ち上がった。

 

「おじいさま、最近は冷え込みますから暖かくして眠ってくださいね」

「わかっているよ。なんだかリンディスは祖母に・・・私の妻に似てきたな・・・」

 

リンはそれを聞き、嬉しそうに笑った。リンはハウゼンに手を振って部屋を後にした。

 

「本人達に自覚が無いこともそっくりだなぁ・・・」

 

外から見える夕焼けを見ながらハウゼンは終始子供のように笑っていた。

 

「ハウゼン様、お食事です」

「むぅ、またこの臭いか・・・」

 

刺激臭とも違う、腐敗臭ともちがう。大蒜の臭いというのはどうも慣れない。

 

「ハウゼン様、残さず食べてくださいね。ハング殿からきつく言い渡されてるんですから」

「むぅぅ・・・」

 

ハウゼンが飲まされていた毒物を調べた結果、その解毒薬として大蒜が候補にあがったのだ。ハング本人も何度もハウゼンに言い含めているが、ハウゼンはどうしてもこれが苦手なのである。

 

ハウゼンは渋い顔をして、大蒜を口に運んでいった。

それはハウゼンが一日のうちで苦い顔をする数少ない機会だった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

夕闇の迫る城内であったが、リンはなんとなく居室に戻る気がせずに、ぶらぶらと城内を歩き回っていた。そんなリンの耳によく聞き慣れた音が飛び込んだ。

 

木剣を打つ音、馬の嗎、気合いの叫び。鍛練の音だ。

 

リンは音を頼りに訓練所へと足を踏み入れた。

 

「リンディス様!」

「リンディス様がいらしたぞ」

「お美しい・・・」

 

リンはすぐに失敗だったと思ったが後の祭りだ。基本的に洋服を着るリキアではサカの民族装束はよく目立つ。注目を集めてしまったリンはその場で踵を返してしまうことまで考えたが、さすがにそれを実行はしなかった。

 

少し愛想笑いを浮かべて手を振る。ぎこちないながらも誠意だけは伝えようとした。

 

「リンディス様、こちらに何か御用でしょうか?」

「あ、ケント。いえ、特に用は無いのだけど、散歩してたら鍛練の音が聞こえたものだから」

 

見知った顔に出会ってようやく息が吐ける。

 

「そうですか、ではこちらにどうぞ。人目につく所は気が安まらないでしょうから」

「ありがとう」

 

リンはケントに連れられるままに、訓練所の中でも人気の少ない場所へと向かった。広々とした訓練所には見知った顔ぶれが並んでいた。

 

「リンか・・・」

「おおぉ!リンディス様!今日もお美しい!」

 

打ち合いをしていたドルカスとセインがこちらに来た。

 

「ドルカスさん。ナタリーのところに帰らなくていいの?」

 

汗を拭いながら、ドルカスは訓練用の斧を地面に放り投げた。

 

「傭兵で金を稼ぐと決めたんだ。学べる時に学んでおかねばな・・・だが、それも今日で終わりだ。明日にはここを発つ」

 

リンは少しだけ寂しそうな表情を浮かべたが、すぐに笑顔に戻った。

 

「リンは城に残ると聞いたが・・・」

「ええ、おじいさまが元気になるまで・・・お側を離れられないわ」

 

それを聞いたセインが視界の隅でいく度も勝利の雄叫びをあげてはケントに睨まれていた。セインの一際大きな叫びにかき消されないように、ケントが少し声を張った。

 

「ハウゼン様の容体が見違えるように良くなったと医師が申しておりました。すべて、リンディス様のおかげですね」

「私の大切な・・・ただ一人の家族だもの・・・長生きしてもらいたいわ」

 

リンは手近な椅子に腰掛ける。

 

「それにしても、ここは静かね・・・」

「はい、かつてワレス将軍が作ったんですが・・・井戸が遠く、宿舎も遠く、不便極まりないので使う人があまりいないのです」

 

ケントはそう言って、まだ叫び声を上げ続けていたセインに拳骨を振り下ろした

 

「いってぇ!相棒、最近加減忘れてないか?ああ、そうそう、リンディス様の父君と母君が逢瀬を重ねたのもここだそうですよ」

 

頭部にコブを作ったセインの情報にリンは目を丸くした。

 

「それ、本当?」

「はい、確かな情報筋です」

「お前はそういうことをどこから集めてくるんだ?」

 

ドルカスのもっともな質問にセインはもったいぶって首を横に振る。

 

「情報は最大の武器である。その武器の出どころをわざわざ・・・」

「リンディス様!」

「ウバブばば!!!」

 

何か語ろうとしていたセインはヒューイの足元に消えた。

 

「あっ!!セインさん!ご、ごごごめんなさい!!」

 

笑の渦が巻き起こる中で、セインは砂埃にまみれた姿で下から這い出した。

 

「いいえ!大丈夫ですよ!はっはっはっ!それよりもフロリーナさん、今晩の夕食でも・・・」

「きゃぁ!」

 

急に迫って来たセインから逃げるようにフロリーナがヒューイの陰に逃げ込んだ。

 

「ああ・・・なんと・・・可憐な・・・」

「あははは、相変わらず寝ぼけた台詞ですね」

 

ウィルも笑いながら現れた。ショックから立ち直ったフロリーナは大事な要件を思い出し、リンへと顔を向けた。

 

「あ、あのですね!リンディスさま!わ、私、このキアラン侯爵家で雇っていただけることになったの!これからも、リン。いえ、リンディスさまとずっと一緒にいられるわ!」

「本当!!」

「ふぎゃ!!」

 

リンは喜びのあまりにフロリーナに駆け寄った。そのために、まだ立ち上がれずにいた騎士を一人踏み潰したがそれは些細なことだ。

 

「それはすごく嬉しい・・・けど、『リンディスさま』はやめて『リン』でいいじゃない」

 

リンの言い分はわかる、だがフロリーナにとってはそうもいかなかった。

フロリーナは静かに首を横に振った。

 

「・・・私は、ここで雇っていただきあなたの臣下になったのよ。けじめはつけないといけないわ・・・あなたと一緒にいられることが私の・・・一番の幸せなの。それは呼び名よりもっと大事なこと・・・」

 

フロリーナの声は落ち着き払っていた。彼女の目に宿る真剣な光を見せつけられ、リンにはこれ以上我儘を言えなかった。

 

「・・・だからお願い、ね?」

「・・・一緒にいるためにはガマンするしかないのね?わかったわ」

「ありがとう!大好きよ。リン!!」

 

親友の二人はその場で固く抱き合った。

 

「・・・じゃなくって、リンディスさま」

「クスッ、もうフロリーナったら」

 

湧き上がる笑いにフロリーナは頬を染める。

 

「あ、そうそう。リンディス様、俺も城に残りますんで」

「え!?ウィルは故郷に帰るんじゃなかったの?」

 

痛いとこ突かれたなぁ・・・と、ウィルは頭を軽くかいた。

 

「それが、俺すっかり『リンディス傭兵団』が気に入っちゃって。ケントさん、セインさんとも離れがたいし。故郷に必ず便りを送ることを条件に雇ってもらえることになりました。フロリーナと同じくリンディス様の専属部隊です。ってなわけで、俺も『リンディス様』です」

 

リンは一つため息を吐いた。

 

「なんか、ハングの言う通りになっていくわね」

「と、言いますと?」

「キアランについたら誰しもが『リンディス様~』ってことになるぞって」

 

あれはまだサカの草原にいる頃だった。セインも目を閉じてその時のことを思い起こした。

 

「ああ、そんなことも言ってましたね・・・でも、今はそんなことより!さぁ、フロリーナさん!同じ方に仕える者同士これから親睦を深めまジョォアバぁああ」

 

ケントに殴られて間違いなく昏倒したところで、ケントが少し城壁を見上げた。

 

「ハング殿はいつまで、ここにいてくれるのでしょうね」

 

それに笑いながら答えたのはドルカスだった。

 

「あいつのことだ・・・何時の間にかいなくなっていたりしてな・・・」

「それ、あり得るわね。見張っとこうかしら」

 

リンは半ば本気の目をしながら赤く染まってゆく城壁を見つめていた。

 

 

その後、リンはまだ訓練の残る人達と別れ、フロリーナと共に城へと戻ろうとした。

その途中、リンは城門付近で少し変わった組み合わせに出会った。

 

「ルセアさんとニニアンじゃない」

「こ、こんにちわ」

 

リン達に気づいた二人も丁寧に挨拶を返してきた。

 

「こんにちわ、リンディス様・・・」

 

『リンディス様』と呼ばれて、内心少し複雑なリンであった。

 

「ニルスはどうしたの?」

「はい・・・先に街に帰りました。私はまだ足が本調子ではないので・・・」

「私はそこでニニアンさんに偶然お会いしましたので、街までお送りすることに」

 

ルセアはこんな美しい成りでも男性だ。魔法も嗜んでいるので、夕闇迫る時間帯でも大丈夫であろう。

 

「そういえばルセアさんは今どこに?」

「街のエミリーヌ教会で修行を行えることになりましたのでそこで寝泊まりをしています」

「ふーん、そうだったの」

 

リンにとっては方向は逆だが、ここで別れるのも味気ないので城門までなんとなく一緒に歩いていく。リンとルセアが並ぶ後ろではフロリーナとニニアンが仲睦まじく喋ってる。

 

「あ、あの・・・・ニニアンさんはこんな時間までなにを?」

「ハングさんに呼ばれましたので、ハングさんの手が空くまで待ってたらこんな時間に・・・」

 

途端、教会について喋っていたリンが食いついた。

 

「ハングに呼ばれたの!?」

「え・・・えと、はい。あの、これからの予定についてとか・・・リキア内で使える通行証とか・・・足が完治したら、また旅芸人を続けますので・・・その・・・リンディス様?」

 

リンの表情が僅かに曇りだす。そして、少しだけ寂しそうに目元が下がった。

 

「私とは・・・全然・・・」

 

小さく呟いたその声を聞きつけられたのは隣のルセアだけだった。

 

「リンディス様も大変ですね」

「え、何が?」

 

ルセアは微笑んで素知らぬふりをした。

 

「それでは、私はこの辺で。しばらくはキアランにいますので」

「ちょっと、ルセア!なんなのよ!?もう!!」

「フロリーナさん、リンディスさま・・・また・・・お会いしましょう・・・」

「ニニアンさん、またね」

 

城門でルセアとニニアンは手を振って別れた。

 

「本当に・・・もう・・・」

「リン・・・ディスさま、冷えてきましたよ」

「そうね、戻りましょう・・・」

 

一つ息をついて、戻るリン。頭上に輝く一番星が笑っているように煌めいていた。

 



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エピローグ~軍師と剣士~

キアランの相続問題が解決して、もう一週間になる。ニニアンとニルスはリキアを周ると言って旅立ち、ルセアもなんだか慌てた様子で旅立って行った。

その間にもハングを初めとする文官たちが寝る間も惜しんで働いたおかげで、キアランは落ち着きを取り戻していた。

 

そんなキアランで明け方から城内を歩く公女の姿があった。

 

彼女が向かう先はハングの居室である。

 

教えられた部屋の目の前で、リンは少しだけ戸を叩くのを躊躇する仕草を見せた。

 

この城内に共に暮らしているとはいえ、ハングはやけに忙しく走りまわっていた。四日ほど前にエルクとセーラの見送りで顔を合わせて以来、彼と一度も言葉を交わしていなかった。

 

それだから緊張するというのも変な話だった。ハングとは旅の間ずっと共にいたのだ。今更、遠慮なんていらない。

 

リンはそう自分に強く言い聞かせて戸を三度叩いた。

 

「・・・?」

 

返事は無い。寝ているのだろうか?

とりあえず、もう一度戸を叩いた。

 

やはり返事は無い。

 

「リンディス様」

「え、あ、レーゼマンさん。おはようございます」

「おはようございます」

 

廊下の先から挨拶をかわしたのはこのキアラン領の宰相であるレーゼマンだった。

 

「ハング殿に御用でしたか?」

「え、ええ。でも、なんだか留守みたいで・・・」

「この時間でしたらハング殿は書庫にいらっしゃるかと思いますよ」

「書庫・・・ですか?」

「ええ」

 

ハングらしい

 

リンはそう思った。

 

「ありがとうございます。行ってみます」

「リンディス様。失礼ながら、ハング殿に言伝を頼んでもよろしいでしょうか?」

「ええ、構いませんけど・・・」

「『ハウゼン様に頼んだ書類が戻ってきた』と、それと『もう、大丈夫である』と伝えて下さい」

 

リンは口の中で復唱して、頷いた。

 

「はい、伝えておきます」

「ありがとうございます。では、私はこれで」

 

レーゼマンは軽く会釈をして、去っていった。

 

「書庫は確か・・・東の方だったかしら?」

 

リンは気分を持ち直して足を向けた。

 

キアラン城の書庫はいくつかの小部屋からなっている。各部屋ごとに書物の分類がなされており、それらの小部屋は一本の廊下から続いている。その廊下の入り口には小さな部屋があり、常に武官が常駐していた。

 

「あの・・・」

「これはこれはリンディス様!書庫になにか御用ですか?」

 

今日はモノクルをつけた女性である。立ち振る舞いからして、おそらく魔道士と思われた。

 

「あの、ハング来てます?」

「あぁ・・・ハング殿ですか・・・」

 

モノクルの女性の声音がわずかに硬くなったのをリンは聞き逃さなかった。

それはリンの直感だったが、この女性はハングのことをよく思っていないような気がした。

 

「先程まで中にいましたが、今しがたどこかに行きましたよ」

「そう・・・あの、どこにいるか心当たりは無い?」

「そうですね・・・多分、執務室だと思いますよ。この時間から皆さん仕事に取り掛かりますから」

「ありがとう。それじゃあ・・・」

 

立ち去ろうとした背を向けるリン。その背中に声がかかった。

 

「あの!リンディス様!」

 

リンは後ろを振り返る。

 

「なに?」

「あ、あの。一介の武官が口出しすることでは無いんですが・・・ハング殿は・・・何者なんでしょうか?」

 

彼女の顔にはは明らかな不信の色があった。やはり、リンの直感は正しかったようだ。

 

「ハング殿はリンディス様を助けた軍師だとは聞いています。内政を手伝い、キアランの復興に尽力していることも知っています・・・ですが・・・」

 

女性は言葉を選ぶ時間が欲しくてひと呼吸置いた。

 

「ハング殿は宰相や侯爵に気に入られ、いまや領内での発言権も大きくなっています」

 

そこまで聞いて、リンは彼女の心配の種を悟った。

 

「・・・つまり、あなたは、ハングがこの領地の乗っ取りを企てている。それを危惧しているのね?」

「い、いえ!そ、そこまで明確に疑っているわけでは・・・」

 

言葉を濁そうとするモノクルの女性。

その後、彼女はハングの危険性についてなんとか説明しようと、いくつか言葉を重ねた。

 

 

「ハング殿とて人間です。リンディス様と旅してた時とは状況が違います。権力を手にした人間はすぐに次の権力を求めるものです。今、執務室にてハング殿の指示を仰がずともよい書類まで彼のもとに集まっていると聞きます。それにより、あの人が間違った万能感や独占欲など・・・あ、あの、リンディス様?」

「・・・クフフフ、フフフフ」

 

リンディスは腹を抱えていた。抑えようとしていた笑い声が口から洩れていた。

 

「ふふふ、ふぅ・・・それはあり得ないわよ。ハングはそんなことを望んでない。このキアランに地位を築こうとも思っていない」

 

リンははっきりとそう断言する。

そこにはハングに対する信頼を飛び越えた確信があった。

 

「ど、どうしてそう言い切れるんですか?」

 

リンはまだ少しだけ笑いの余韻を残しながら言った。

 

「ハングがその気なら・・・」

 

リンはこれ以上ここにいる理由はないと思い、モノクルの女性に背を向けた。

 

「キアランはとっくに彼の物になってるわよ」

 

書庫に沈黙が流れる。リンが立ち去る足音だけがやけに大きく響いていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リンは書庫を後にして執務室に向かった。

 

「ハングが乗っ取りねぇ・・・」

 

リンはまた思い出して少し笑う。

 

ハングと野心

 

これ程に似合わぬ言葉があるだろうか?

ハングと少しでも話をすれば彼が望んでいるものがそんなものでは無いことぐらいすぐにわかる。

 

リンはハングが玉座に踏ん反り返っている姿を思い浮かべてまた笑った。

 

「リンディス様、やけに楽しそうですね」

「あら、セイン」

 

執務室へ続く廊下で旅の仲間に出会った。

 

「なにか良いことでもありましたか?」

「いいことというか、面白い小話を聞いたわ」

 

リンはハングがこの城の政治的乗っ取りを企てているとの話を聞かせた。

 

「はははは、確かにそれは面白い」

「でしょ、私も笑っちゃって」

「それで、リンディス様はどちらに?」

「執務室よ。ハングに会いたくて」

「ハング殿なら先程すれ違いましたよ。訓練がどうとか言って、外に・・・訓練所の方かと思いますけど」

 

リンは足を止めた。そして、足先の方向を変える。

 

「ありがとう、セイン。無駄足を踏まずにすんだわ」

「でしたら、今度お茶でもご一緒に・・・って、ありゃりゃ。もう、いらっしゃらない・・・」

 

セインは「負けたねぇ」と、呟いて自分の向かう先へと足を進めた。

 

対するリン

 

彼女は真っ直ぐに訓練所へと向かっていた。

 

「リンディス様!」

「リンディス様!」

 

敬礼をしてくる兵士達に適当に挨拶を返すのも最近では慣れ初めていた。

その中で見知った顔を求めて、視線を走らせる。だが、あのくたびれたマントと黒い髪を見つけることはできなかった。

 

「リンディス様、今日はどうされました?」

「ケント、ハングが来なかった?」

 

馬から降りたケントに矢継ぎ早にそう尋ねた。

 

「いいえ・・・今日はお会いしておりませんが」

 

リンの口からため息がこぼれた。

 

「もう、どこ行ったのよ・・・」

 

ついでに弱音もこぼれた。

 

「ハング殿をお探しで?」

「ええ、今朝からずっと」

 

城の中をあちこち歩き回り、時刻はそろそろ正午にさしかかる。

 

「先程、ウィルが城壁でシューターの調整に呼ばれてました。ハング殿が関わってる案件だと思いますが・・・」

「場所は?」

「城門付近の城壁です」

「ありがとう!」

 

リンは駆け足で訓練所を後にした。

 

「さぁ、いつまで惚けている!まだ訓練は残っているぞ!」

 

背後からはケントの空気を割くような強い声が聞こえて来ていた。

 

その後、彼女は城壁に向かったのだが・・・

 

「惜しい!さっきまでここにいたんですけどね。少し寝るっていってたんで居室じゃないですかね?」

 

 

 

「ハング殿でしたら、資料室への入室許可が降りたのでそちらへ」

 

 

 

「手元に必要なものが揃ったので、仕事に向かいました」

 

 

 

「侯爵様にお会いするとのことです」

 

 

もうため息も出なくなりかけて、リンはハウゼンの寝室の戸を三度叩いた。

 

「お入り」

 

寝室の中に入るとそこには寝台の上で資料を読んでいるハウゼンが一人いるだけであった。

 

「おじいさま・・・ハングを知りませんか?」

 

ハウゼンはリンの顔を見て、少し微笑んだ。

 

「リンディス、少し落ち着きなさい。今しがたお茶が入ったんだ、飲んでいくかい?」

 

リンは無言で頷いた。肉体的にはそうでもないが、精神的にもうへとへとだった。

リンはハウゼンの寝台の隣の椅子に座り、一息ついた。

 

「さぁ、リンディス。お飲み」

「ありがとうございます」

 

リンは差し出された紅茶を啜る。

 

喉にくる熱と、程よい苦さが心地よい。香りが心を刺激して、舌にくる仄かな甘みが演出を心得ていた。だが、それ以上に今まで味わったことの無い不思議な味がした。それは、なんだか様々な果物が混ざったかのような味だった。

いくつかのハーブを使っているのだろうが、リンにはその配合まではわからない。

 

ただ、嫌いではない味であった。

 

「いいお茶だろう?やはり、お茶は入れた人の心を映してくれる」

「おじいさま・・・これは?」

 

ハウゼンはそっとカップを置いて、悪戯好きの子供のように微笑んだ。

 

「リンディス、この紅茶をどう感じたかね?」

「え・・・えと・・・」

 

リンディスは思ったままを口にした。

 

「なんだか・・・掴みどころの無い味です。でも・・・少しだけ・・・私には苦いです」

 

ハウゼンは楽しそうに頷く。

 

「それが誰が淹れたお茶かは・・・わかるね?」

「ハング・・・ですね」

「ご明察だ」

 

ハウゼンはそう言って、自分の口にも紅茶を運ぶ。

 

「あの青年は常に本心を隠している。いや・・・見せないようにしている・・・といったほうがいいかな・・・」

 

『隠す』と『見せない』

 

そこに含まれる微妙な違いはなんだかハングをそのまま言い表しているようだった。

 

「彼は聞けば必ずと言っていいほど答えてくれる。だが、聞かれないことは決して喋らない。必要最低限だけだ。それが、この紅茶にはよく出ているとは思わないかい?」

 

リンは無言で頷き、もう一度味わうように口に紅茶を含んだ。

 

見た目は普通の紅茶。だがその内側には様々な味を隠している。どの種の味とも言い切れず、それでいて少しだけ苦味をもってこちらに問いかけてくる。

そして、それはこちらから近づいて口をつけてみないことにはわからない。

 

「追いかけていく方は苦労するぞ・・・」

「立ち止まってる男なんてつまらないですよ、おじいさま」

 

そうリンが言うと、ハウゼンは喉の奥でクックッと笑った。

 

「紅茶、ご馳走様でした」

「ハングくんはもう身体が空いてるはずだ。どこか、彼が暇つぶしをする場所を当たってみるといい」

「はい、わかりました」

 

そう言って、リンは出ていく。ハウゼンは自分のカップにもう一杯紅茶をついだ。

 

「さて、わしも頑張るか・・・」

 

ハウゼンの口元には無邪気な笑みが浮かんでいた。

 

ハウゼンの寝室を出たリンが向かった先は書庫だった。

 

ハングの自室で寝ていることも考えたが、それなら起こしてしまうのは可哀想だ。

ここに居なければ、今日会うのは諦めようかとも思いながらリンは書庫の廊下に続く部屋へと足を踏み入れた。

 

「おや、リンディス様ですか。書庫に御用ですか?」

 

出迎えてくれたのは今朝のモノクルの女性ではなく、体格のしっかりした中年の男性だった。

 

「あ、あの・・・ハング・・・来てますか?」

「ええ、先程三番書庫に入られましたよ」

 

リンは大きく息を吐き出した。

 

「やっと見つけた・・・」

「お会いになりますか?」

「はい。入ってもいいですか?」

 

そう言うと護衛の男性は思わせぶりに言った。

 

「それは・・・中の人の気分次第です」

 

ついでに、不器用なウィンクまで飛んで来た。

リンは一度息を大きく吸い込んだ。

 

「それなら大丈夫。多分ね・・・」

 

そして、リンは書庫の廊下へと歩いて行った。三番書庫はすぐに見つかった。戸を開けると、すぐにカビ臭い湿った臭いが鼻をついた。

 

「すぅ~・・・すぅ~・・・」

 

そして、部屋の中から規則正しい寝息も聞こえてきた。

リンはそのまま三番書庫に足を踏み入れる。

 

書庫の中でまず目に入ってきたのは三方の壁に備え付けられた天井まで届く本棚であった。その全てに本が詰め込まれており、更に溢れた本が無造作に積まれてあちこちで山を作っていた。

 

そして、その部屋の隅で本を枕に倒れている人がいた。

 

それは今朝から今まで探し続けたその人だった。

 

薄い黒髪にスッと通った顔立ち。くたびれたマントと左腕に巻かれた黄ばんだ包帯。不健康なまでに白い肌はちゃんと食事をしているのか心配になる。

 

そして、今はその瞼に隠れている薄茶色の瞳。

彼が激昂すると黄金色に燃え上がるその瞳。

 

リンはハングの隣にしゃがみこんで寝顔を覗き込んだ。

 

「まったく・・・どんだけ探したと思ってるのよ・・・」

 

彼の貧相な頬に指を突っ込む。その瞬間にハングが目を開けた。

 

「う、お・・・」

 

しまった、と思った時にはもう遅かった。

 

「ふぁ~・・・あぁ・・・くそっ!寝ちまってた」

 

リンはもう少し油断しきった寝顔を見たかった。

 

「ハング」

「ん?」

「おはよう」

 

何を言ってんだ、とハングの顔に浮かぶ。

 

「俺の記憶が正しければ、もうすぐ夕飯の支度に市場が賑わい出す頃のはずだが?」

「こっちはハングを朝から探してたのよ。少しは合せてくれてもいいじゃない」

 

ハングは身体を起こしてあぐらをかく。

 

「それは失礼しました、リンディス公女様」

 

仰々しくお辞儀をしたハングだったが、目が笑っている。

 

「ハングはここで何をしてたの?」

 

ハングはあくびをかみ殺しつつ体を伸ばした。

 

「ここは、リキア諸侯との小競り合いや他国との戦争の記録が残ってる場所だ。キアランのその手の歴史書の貯蔵量はリキア随一」

 

ハングは唸りながら背筋を反らしてつづける。

 

「だが、それも今日で終わりだ。だいたい読み終えた」

「え!?ここにあるの全部?」

「一週間もあったんだぞ、これぐらいたいしたことじゃない」

 

ハングは膝をついて立ち上がり、崩れた本を直しはじめた。

リンもすることもないので、それを手伝っていた。

 

しばし沈黙が続く。その静けさは決して重いものではない。それはただ単に言葉を用いる必要がないからだ。そんな居心地のよい沈黙をハングは少しだけ切り裂いた。

 

「明日、ここを発つ」

「そう・・・」

 

それだけだった。二人の間にはそれだけで良かった。

 

 

 

 

書庫を後にしたリンとハング。廊下を歩く二人は終始穏やかに話をしていた。

 

「そういえば、レーゼマンさんにはお会いした?」

「ああ、伝言も受け取ったよ『もう、大丈夫』ってな。内政もある程度落ち着いたからな。雇われ軍師の出番は終わりだ」

「旅の軍師にまた戻るのね」

「ああ・・・止めないのか?」

「止めて欲しい?」

 

ハングは苦笑して肩をすくめた。

 

「いや、困るだけだな」

「私もハングを困らせたくはないのよ」

「礼を言った方がいいのか?」

 

リンはハングを真似て少し肩をすくめた。

 

「いいえ、困るだけよ」

 

ハングは大口を開けて笑った。

 

「そんで、お前の用件をまだ聞いてなかったな」

「用件?」

「朝から俺を探してたんじゃなかったのか?」

「あ!そう・・・それでね・・・」

 

リンは少し悩む仕草をした後、躊躇いがちにハングの目を見た。

 

「ちょっと付き合って欲しくて。今日の夕方・・・今からになっちゃうんだけど」

「いいぜ、どうせもう仕事も無いしな」

 

ハングがそう言うとリンの顔が一瞬だけ輝いて、また躊躇いがちに戻る。

 

「どうかしたか?」

「ううん、違うの・・・これは、私の問題だから」

 

ハングには意味がよくわからなかった。二人の仲ではあるがまだ以心伝心とはいかないことも多い。

 

「とにかく、一緒に来て。最近、剣の稽古してなかったから付き合って欲しいの」

「私でよろしければ」

 

ハングがそう言うと、リンは少し速足になってハングを案内した。

城から外に出て、普段使われてる訓練所を通り過ぎ、二人が辿り着いたのは井戸からも宿舎からも遠いあまり使われていない訓練所だった。

 

「なぁ、リン。なんでここなんだ?訓練なら向こうの井戸に近い方が・・・」

「いいの」

「でも、むこうは城の明かりも入ってて明るいし」

「いいの・・・」

「向こうの方が・・・」

「いいの!!ここでいいから!さぁ、やりましょう」

 

ハングには暗くて彼女の顔色まではわからない。だが、声の感じからなんだか彼女が照れているような気がした。もちろん、その理由まではハングは窺い知ることができなかった。

 

もし、ここにセインがいたらすぐにタネを明かしてくれただろう。

 

だが、残念ながら彼はいない。

 

ハングは何も知らぬままに剣を構えた。

リンも同じように剣を抜く。

 

闇に乗じてハングが仕掛けた。それが始まりの合図。二人の稽古は空が白むまで続いていた。

 

ここはかつて、ある二人が逢瀬を重ねた場所。

そこに、また新たな二人がその地に跡を残していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

翌日

 

「結局、この時間になっちまったな」

「ハングらしいわね」

 

二人で馬を進めてきたのは小高い丘の上。

日は沈みかけ、あたりを紅に染め上げていた。

 

ハングの出発が遅れたのは単純に今朝方から生じた鍛冶組合とのごたごたのせいだ。朝からその手伝いに奔走し、気が付けばもう夕刻だった。

 

「これからどうするの?」

「もう少しリキアを回るつもりだ」

「たまには顔見せてね」

「さてな、それは保証しかねる」

 

ゆっくりとした歩調だった馬の足を止めて二人は地面に降り立った。

ここから先はハングは徒歩で向かうつもりだった。

 

「・・・草原であなたを助けたときはこんなに長くいっしょに旅するとは思わなかったわ」

「そうだな、俺もこんなにお前に肩入れするとは思わなかった」

 

風が吹いた。どこから夕食の香りを運んでくる。

 

「二人で一人だって言ってくれたけど、私に教えられることはないし・・・」

 

ハングは小さく笑ってリンの額を指で弾いた。

 

「いたっ・・・」

「ばーか、逆だよ」

「逆?」

 

リンは額をさすりながらそう尋ねた。

 

「俺にお前が必要ないんじゃない・・・どちらかといえばお前にはもう俺が必要ないんだろ?」

「そ、そんなことない!」

 

ハングがもう一度額を弾いた。

 

「あいた・・・」

「そうじゃないっての」

 

ハングが笑う。それは今までよく見てきた、ハングの快活な笑みだった。

 

「お前はもともと、『一緒に旅をする道連れ』が欲しかった・・・そうだったよな?」

 

リンが一瞬言葉に詰まった。それを見逃すハングではない。一気に言葉を畳み掛ける。

 

「別にお前が俺のことを無用だと思ってないことぐらいわかってる。でもよ、今のお前にとって俺は本当に一緒にいて欲しい人間じゃないだろ?」

 

ハングは笑みを消して、少しだけ優しげな表情を作った。

 

「大事な家族だ。傍にいてやれよ」

 

その意味するところに気づき、リンは俯いた。

 

「ごめんね・・・」

「なんで謝るんだよ」

「だって、旅に誘ったのは私なのに・・・」

 

更にもう一度額が音をたてた。

 

「いったぁ・・・」

「ったく、お前・・・一人前の剣士になったのか?」

「え?」

「また一緒に旅に出ようぜ・・・俺たちは二人で一人・・・だろ?」

「うん!」

「よし!」

 

ハングがリンから一歩離れた。

 

「最後にお前に餞別だ」

 

ハングがリンにめがけて何かを親指で飛ばした。

 

「わ!っとっと!」

 

リンはそれを落としそうになりながら、両手でつかみ取った。

リンが手を開くと、掌に一枚の鱗が乗っていた。それは翡翠色をした硬くて薄い半透明の鱗だ。リンはそれを夕焼けにかざした。鱗の中に液体が細い筋となって流れ続けていた。

 

「ハング・・・これ・・・」

「ああ、俺の鱗だ。なんかあったらそいつを握りしめな。なんも力なんかもっちゃいないが、そいつは常に温もりがある。それがお前を助けると思うぜ。そいつには俺の血が通ってる。記念品だよ」

 

そして、ハングは皮肉気な笑顔を浮かべた。

 

「ま、いらなかったら捨ててもいいぞ」

 

リンは小さく首を横に振って強くハングを見据えた。

 

「捨てないわ」

「そうか・・・」

「うん、ありがとう」

 

ハングは弾けるような笑顔を見せた。

 

「じゃあな」

 

ハングがリンに背を向ける。

 

「ハング!」

 

その背中にリンが声をかけた。ハングが首だけで振り返る。

 

「また・・・どこかで会えるよね」

「当然だろ」

 

ハングは笑って手を振る。リンもそれに笑って振り返した。

 

ハングは平原を行く。あたりが徐々に夜の闇に飲まれていく。

ハングはリンの姿が夜の闇にのまれて見えなくなったとき一度だけキアランを振り返った。

 

「・・・じゃあな・・・相棒・・・」

 

マントを翻し、闇の中を行くハング。

 

そして、一歩進むごとにその身に纏う雰囲気が徐々に変わっていく。

穏やかだった表情は次第に険しいものに変わる。目元が鋭く細められ、瞳の奥に静かな炎が揺らいでいた。

 

月もなく、風も無い、静かな夜。

 

「ネルガル・・・『黒い牙』・・・」

 

怨嗟のこもった声が闇の中に溶けていく。

 

彼の声を聴く者はいない。彼の歩みを止めるものはいない。

 

 

彼の復讐は今もなお終わってはいない。

 

 




リン編はこれにて終了!
ここまで怒涛のように駆け抜けてきたような気がします。

数多くの感想、評価、お気に入り登録ありがとうございました。

当然、続きます。
エリウッド・ヘクトル編が続きます。

しかし、リアルが忙しくなってきましたので来週は少しお休みをいただくかと思います。そこを乗り越えればまたいつもの更新頻度に戻れる予定ですのでご了承ください。

では、また次回にお会いしましょう。


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11章~旅の始まり(前編)~

1週間程、お待たせいたしました。

いよいよエリウッド編を再開したいと思います。
とはいえ、4月からはまた忙しくなりそうなのでペースが落ち込むこともあるかもしれません。
どうか、ご了承ぐださい。


かつて人と竜が相争った【人竜戦役】

その戦いにおいて、竜を討ち倒し人に勝利をもたらした八人の英雄がいた。

 

【八神将】と称えられる彼らはエレブ大陸に平和をもたらし、人々はさまざまな国に分かれながら、ゆるやかな繁栄をとげていった。

 

エレブ新暦980年

長きに渡る大陸の安定は、このまま保たれるかに見えた。

 

【八神将】が一人、勇者ローランを祖先にもつ諸侯たちの【リキア同盟】。

 

その中のひとつ、フェレ侯爵領。

ベルンとの国境付近に位置しながらも長らく争いとは無縁だったこの地に今、重苦しい不安の影がさしていた。

 

名君と称えられ、民たちに慕われていたフェレ侯爵エルバートが、配下の騎士たちと共に謎の失踪をとげたのだ。

 

一月たってもフェレ侯の行方は知れず、もはや、命はないものと噂されていた。

 

そして、混乱のさなかのフェレ領に一人の男が流れ着く。

 

彼の名はハング

 

旅の軍師は導かれるかのように運命の渦中に身を投げていく。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「いや、本当に助かりました」

 

簡素なベットの上で礼を述べたのは黒い髪と青白い肌をした人だった。左腕に包帯を巻きつけ、薄い茶色の瞳をもった旅人。

名前はハングである。

 

「ここ数日ほとんど何も口にできなくて」

「いいんですよ、困ったときはお互い様です」

 

フェレの城下町に比較的近い小さな農村。特産品らしいものは何もないが、豊かな森に獣が豊富で毛皮と木材の取引で生活をたてている人々の暮らす村である。

その村の村長の家でハングは差し出されたスープをすすっていた。

 

村長は髪の毛の無くなってしまった頭頂部をさすりながら、笑顔を浮かべた。

 

「ハングさんはどこからいらしたんですか?」

「あちこちを回ってる旅烏です。強いて言うならオスティアの方から来ました。最近、フェレはどんな感じですか?」

 

ハングは朗らかにそう尋ねた。だが、村長は真逆の表情に変わる。

 

「ハングさんはご存知でしょうか?」

 

ハングは顔の表面に人畜無害な世間知らずの旅人の顔を装った。

 

「何かあったんですか?」

「フェレ侯爵様が失踪したんですよ」

 

なんだ、結局その話題か・・・

 

ハングは内心落胆していたが、もちろん顔には出さない。

 

一年前のあの旅で自分の表情がどんな効果を持つかはよく学んでいた。

 

 

「あれは、ひと月程前です。直属の騎士を引き連れてどこぞに姿を消してしまったんです」

「それで、領内は大丈夫なんですか?」

「はい、侯爵家の方々が尽力してくださいますから今のところは平穏です」

 

ハングはその言葉の行間に『今後はわからない』という不安を感じ取った。

 

確かに今のフェレは薄氷の上で暮らしているようなものだ。

フェレ軍から主力部隊が消えた今、治安は徐々に悪化していくだろう。

 

「それで、捜索は?」

「ええ、ご子息のエリウッド様が近日中に侯爵様を探す旅に出ると非公式に私に使いが参りました」

 

使いの内容は自警団の強化と城内への連絡網の強化要請だろうとハングは予想をつけた。

エリウッドは次期侯爵だ。彼まで領内を離れるなら領内の不安はより一層高くなる。治安維持のためにも内密に旅に出ることにしたのだろう。

 

「ところで、その話・・・俺に話してもよかったんですか?」

 

村長の顔が見事に固まった。

その顔を見てハングの中に悪戯心が沸き上がる。

 

今の話をネタにして、村長をゆすってみようか?

 

だが、ハングがそのことを口にしようとした時、ちょうど外からあどけない女性の声が聞こえてきた。

 

「お父さ~ん、帰ったわよ~」

「あ、れ、レベッカが帰ってきなようだ・・・私はちょっと、出迎えに」

 

ハングは小さく笑って口の中に言葉を押し込んだ。

 

「別にあなたが口外してしまったことをどうこう言いはしませんよ。命の恩人に仇を返すような真似はしません」

「そ、そうですか・・・ふぅ」

 

村長が安堵のため息を吐きだすのと、部屋の扉が開くのはほぼ同時だった。

 

「あ、ハングさん。もうお元気なんですか?」

「ああ。おかげさまで」

 

お下げ髪に緑のバンダナ、子鹿のように可愛らしい目と背中に背負った弓は町娘というより森を駆ける狩人だ。そんな彼女の名はレベッカという。

彼女こそが森で倒れていたハングを発見してくれた張本人である。

 

「お父さん!今日は大量だったよ!兎が三羽に子鹿が一頭!質もよくっていい値段で売れた!はいこれ、お金と今日の晩御飯」

 

レベッカはそう言って、財布と血抜きを済ませたウサギの差し出した。

村長はそれを笑顔で受け取り、部屋を出て行った。多分、外で解体するのだろう。

そして、父親が出ていくや否やレベッカは目を興奮で輝かせた。

 

「ハングさん、ちょっと聞いてください!実は村に騎士の方がきてたんですよ!」

「へぇ、そいつは見ものだな」

「やっぱり騎士様って素敵ですよね。颯爽と馬に跨る姿、綺麗に磨かれた武具、そして凛とした立ち振る舞い・・・夢ですよね」

「夢・・・ねぇ」

 

弓を背負う姿は熟練の狩人でも、こういう姿はただの村娘である。

ハング自身は騎士物語に憧れたことがないので、あまりそういった感情とは縁がなかった。特に『騎士』という存在がどれだけ千差万別かというのを知っていたからだ。

 

「ハングさんって、リキアを回ってたんですよね。騎士様とかとお話されたこととかあるんですか?」

「ん?ああ、まぁな」

「騎士様ってどんな方々なんです?」

「ええとな・・・」

 

ハングは口の中で言いよどむ。

真っ先に頭に浮かんでしまったのは軟派でいつもヘラヘラと笑っている男である。

そしてハングは首を横に振る。

 

少女のいたいけな夢をわざわざ壊すこともないだろう。

 

ハングは堅物だけが取り柄のような男の話をすることでレベッカを満足させることにした。

 

「ああ、やっぱり、騎士様ってそういう質実剛健のような方なんですね!」

「まぁ・・・そういう人が・・・多いと思うな・・・」

 

例外も多いけどな。

 

ハングは頭の片隅に浮かんできた軽薄な笑顔を素早く振り払った。

 

「ところで、騎士がこんな村に何の用だったんだ?」

「ああ、それですか?傭兵を募集してたみたいです。なんだか、随分と人選にこだわっているみたいでしたけど・・・」

「来たか・・・」

「え?」

 

ハングはスープの椀を脇のテーブルに置き、おもむろに立ち上がった。

 

「ハングさん。身体はもういいんですか?」

「ああ、問題なく動きそうだ」

 

ハングは軽く体操をして自分の体の調子を確かめる。

一週間程森を彷徨い歩いた割には身体は随分と好調である。多分、レベッカが作ってくれた熊鍋のおかげだろう。

 

「え、えと・・・どうしたんですか、突然」

「騎士が傭兵を探してるんだろ?俺は・・・もともとその為に来たんだ」

「えっ!?ハングさんって傭兵だったんですか?」

「いや、俺は・・・」

 

ハングは唐突に会話を打ち切った。

 

「ハングさん?」

 

ハングは窓から家の外へと視線を向けていた。レベッカがそちらを見るが、外は見慣れた村の景色が広がっているだけで何の変化もない。

 

「レベッカ」

「はい?」

「今すぐ弓に弦を張れ」

「え?ここでですか?」

「ああ、今すぐだ」

 

ハングの声に走る緊張感を感じてレベッカは言われた通りに弦を張る。

ハングはそれを確認しながら自分の剣を腰に帯びた。

ちょうどその時だった。

 

「おい、お前ら!」

 

大音量のだみ声が村の中に響いた。明らかに友好的な雰囲気ではない。ハングは耳だけをその声に傾けて、一目散に家の出口へと向かった。

 

「今日からこの村の支配者はこのおれ、グロズヌイ様だ!とりあえず金目のものをありったけ持って来やがれ!」

 

絹を裂いたような女性の悲鳴があがった。ハングが扉を開けると、様々な音が村に溢れかえっていた。物が破壊される音、誰かの『逃げろ』という叫び、赤ん坊の泣き声。

ハングは乾いた唇を舌で湿らせた。

 

「ハングさん。どこに行くんですか!?」

「山賊退治だ!ついてくんのか?」

「はい!」

「だったら俺が突っ込む!援護しろ」

「わかりました!」

 

ハングは既に剣を抜き放っていた。

 

「おらぁ!俺様がグロズヌイ山賊団の一番槍だぁ!怪我したくなかったらさっさと金目のもんを持ってこい!!」

 

村の大通りには既に山賊共が入り乱れ、暴行を働こうとしていた。

ハングは大通りを滑るように駆け出した。

 

「あぁ?なんだぁ?俺様達に歯向かうってのか!!」

 

ハングは目の前の男に狙いを定め、さらに加速する。

ハングを迎え撃とうと振り上げられる斧。ハングは剣を槍のように真っすぐに構え、突撃の構えを見せる。

 

「死ねぇぇぇ」

 

真正面から突っ込んでくるハング。その脳天にめがけ、山賊が斧を振り下ろした。

ハングはその瞬間、疾駆している両足を交差させた。

 

「なっ!」

 

自分の身体のバランスを強引に崩し、身体を傾ける。その突然の姿勢の変化に斧が対応できるはずもない。

斧はハングのすぐ隣で空を切る音を立てた。

 

ハングの目の前に無防備な首があった。ハングは剣を大上段に振り上げ、その首筋に叩きつけた。

 

確かな手ごたえを感じ、剣を振り切る。首の無い死体が地面に倒れ、首から上が道端に転がっていく。

 

「リンに比べりゃ相当遅いな・・・」

「てめぇ!!よくも仲間を!!」

 

ハングへ向かってくる山賊。ハングが剣を構える。その直後に、その山賊の身体に矢が数本突き立った。

 

「ぐわっ!!」

 

絶秒のタイミングである。ハングは一気に接敵し、すれ違いざまに左腕の上腕を叩きつけた。鱗に覆われた腕で顔面を粉砕する。腕を振り切り、自分の背後で山賊が華麗に空中を舞った。地面にたたきつけられた男の心臓にハングは剣を突き立てる。

 

「さて、騎士とやらに見つけてもらうまで。暴れるとするか」

 

ハングは不敵に笑い、口元に飛んでいた返り血をぬぐったのだった。

 



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11章~旅の始まり(後編)~

ハングが山賊と戦っている時より、遡ることほんの少し。

 

「エリウッド様、出発の準備が整いました。」

「そうか。ありがとう、マーカス」

 

赤毛に蒼い瞳、精悍な顔をしたフェレ公子であるエリウッドは今まさに旅立とうとしていた。

 

「母上、そろそろ出発します」

 

エリウッドが振り返れば、城門には心優しそうな女性が女騎士を従えて立っていた。彼女はフェレ侯爵夫人。エリウッドの母君であった。

普段であれば、朗らかに笑っているはずのその女性の顔は今や心労で疲弊しきっていた。

 

「エリウッド・・・無事で戻るのですよ。お父様のことは心配ですが・・・このうえ、おまえまで失うようなことがあれば、この母は、生きてなどいられないでしょう」

「わかっています。ですが、大丈夫。父上は、きっと生きています。かならず、僕が捜しだし母上のもとに戻ると誓います」

 

エリウッドはそう言って安心させるように微笑む。

 

「約束ですよ」

「はい」

 

そして、エリウッドは母の傍に控える騎士にも視線を移した。

 

「イサドラ、僕のいない間、母上を頼むよ」

「はっ、お任せください」

 

その確かな返答にも柔らかな笑みを浮かべて、エリウッドは顔を一度引き締めた。

 

「では、母上どうか、お体をお大事に」

 

エリウッドはそう言って、用意されていた馬の鐙に足をかけた。こうして、エリウッドの旅は始まったのだった。

 

城門でエリウッドが見えなくなるまで見送っていた母親に最後まで挨拶を返し、エリウッドは城下から離れていく。

その隣に控えているのは百戦錬磨の堅物騎士を絵に描いたような人物、マーカスであった。髪に白いものが混じるようになったのが最近の悩みの種らしい。

 

「さて、マーカス。当分は二人旅だ」

「いえ、私の直属の部下ロウエンもお供します」

「ロウエンが?それはたのもしいな」

「ロウエンにはこの先にある村で腕に覚えのある男を数名雇っておくように命じました。本来なら、一小隊も連れて行きたいところですが・・・エリウッド様たってのご希望がございますからな」

「・・・すまない。だが、兵は一人でも多く母上の護衛に残しておきたい。なにしろ、フェレの精鋭部隊も父上とともに、いなくなってしまった。僕が留守の間になにかおきた時のためにも・・・」

「わかっております。ふむ、しかしロウエンのやつめ遅いですな」

 

そう言いながら馬を歩かせる彼らの間には十分な信頼関係が見て取れた。君主と部下というより、教師と生徒のような関係にも見えるがエリウッドはそれでも良いと思っていた。マーカスはエリウッドが幼い頃より剣や学問の良き師でもあった。

 

そうやって街道で歩を進めていた二人だったが、しばらくして前方から騎馬が駆けてくる姿を見つけた。

 

「エ、エリウッド様っ!マーカス将軍っっ!!」

 

遠くよりにその騎士は大声をあげた。前髪がやけに長く、目元がほとんど隠れている。彼はフェレの紋章のついた鎧を纏う騎士であった。

 

「ロウエン!」

 

彼がマーカスの部下であるロウエンである。マーカスは彼にいきなり説教を行おうとした。

 

「何をそんなにあわてておるか!!騎士たるものいかなる時も落ち着きを・・・」

「村に山賊があらわれましたっ!!」

「な、なんじゃとっ!?」

 

あまりの情報に取り乱すマーカス。だが、その君主たるエリウッドは冷静だった。

 

「本当か?ロウエン」

「詳しい話はこの者から・・・」

 

ロウエンはそう言って、馬から二人の人間をおろした。

 

「エリウッド様ですか?わたしは、村長の娘でレベッカといいま・・・」

「まて、レベッカ。俺が話す」

 

少女を押しのけて、後ろから癖のある黒髪と薄茶色の瞳を持つ旅人が姿を見せた。

 

「まさか・・・ハングか?」

「よう、エリウッド。久しぶり」

 

朗らかな挨拶だったが、エリウッドの後ろに控える人にとってはそうは聞こえない。

 

「お主!フェレ侯公子であるエリウッド様に対しその口のききかたは何だ!」

「いいんだ、マーカス」

「し、しかし・・・」

「彼は僕の友人だ。それに、父上も世話になったことがある。彼に敬意を払わないのは僕が許さないよ」

「待て、エリウッド!俺がお前の友人なのは確かだ。それに、エルバート様に手を貸したことも事実だ。だからといってこの方に敬意を払われるほどのことをした覚えはないぞ!」

 

抗議するハングだったが、それは見事に黙殺された。

マーカスはエリウッドに尋ねた。

 

「この方はどなたなのですか?」

「ハングとは、昨年のキアラン内乱で会ったんだ。すぐれた知略の持ち主で、彼がいなければキアラン侯と、孫娘リンディスの命はなかった・・・そのハングが、どうしてこのフェレに?」

 

ハングはそう言って自分に視線を向けるエリウッドの表情を見て、既に自分の抗議に話を戻すことができないとわかった。相変わらず、狸貴族ぶりは健在のようだった。

ハングは諦めて、キアランからこれまでのいきさつを簡単に説明した。

 

「なるほど・・・偶然の再会に感謝するよ。力を貸してくれるかい?」

「当然だろ、友達は助ける」

 

ハングとエリウッドは手をあげ、高い位置で手を打ち鳴らした。

 

「それでハング。敵勢は?」

「見た感じただの山賊だ。この人数でもなんとかなるだろう」

 

ハングは改めて指示を出そうとする。その時、横から物言いが入った。

 

「ハング殿、敵が山賊なら略奪と共に村を占拠しようとするのでは?平地での戦闘ならまだしも、市街地戦ではこちらが不利と言わざるおえませんぞ」

 

そう進言してきたのはマーカスだった。少し固いその声音に苦笑しながらも、ハングは笑ってみせた。

 

「その点は大丈夫、奴らは一人残さずこっちに向かってきますよ。ほら」

 

ハングの指差した先。そこには村を出てこちらに向かってくる、というか突進してくる山賊の一団がいた。

 

「ハング、なんだか彼らの殺気、というか怒気が尋常じゃない気がするんだが」

「挑発したからな」

 

その横でなんとなくロウエンが難しい顔をして、レベッカが頬を赤らめていた。その様子を見てエリウッドは少し複雑な表情になった。

 

「どんな挑発をしたんだい?」

「俺の挑発術はまた今度指導してやるよ。それより今はあの怒髪天を衝いてる山賊共を一掃する」

 

ハングは不敵に笑い、皆に指示を出し始めた。

とはいえ、複雑な戦術は必要ない。この街道を何のためらいもなく突撃してくる相手だ。敵の初撃を騎士二人でいなして、ハングとエリウッドが踊りこみ、レベッカの援護と後に加わった傭兵二人の働きで山賊は容易に撃退できた。

 

「はっはっー!どうだ、山賊共!弱きを襲うような不貞な輩はこのバアトルが許さねぇぞ!!!」

 

豪快に斧を振り回していた傭兵はバアトルという名だった。体格もでかいが声もでかい。しかし、態度はでかくないので付き合いやすそうな人だった。彼はロウエンが雇った傭兵の一人だ。

 

そして、もう一人

 

これはハングとしても意外な人物だった。

 

「ドルカスさん!?」

「ハングか・・・お前とはなにかと縁があるらしいな」

 

一年前に旅を共にしたドルカスがそこにいた。

 

「久しぶりです!ナタリーさんは元気ですか?」

「ああ、今はフェレ領内に住んでいる。お前の言ったとおりいい土地柄だ。お前はどうしてここに?」

「相変わらずの修行の旅ですよ」

「また、行き倒れたのか?」

 

ハングは言及を避け、笑って誤魔化した。誤魔化しきれているかどうかは極めて怪しかったが。

ハングとドルカスが握手と近況報告をかわしてる隣では村長とエリウッドが挨拶をかわしていた。

 

「これは、これはエリウッド様ですな?このたびは村を救っていただき誠にありがとうございます」

「礼にはおよびません。領民を守るのは当然ですから」

 

エリウッドは事も無げにそう言ってのける。

だが、それが当然のようにできる領主は実は驚くほど少ないのが今の世の中であった。村長はその代表例をよく知っていた。

 

「いやいや、そんなことはありませんぞ。西の方にあるラウス領・・・あそこはひどいもんですじゃ。領主ダーレンは戦の準備に忙しく、領内の村々が山賊や盗賊どもに襲われても知らぬふりとか」

 

いつの間にかハングもエリウッドの隣に戻ってきて話を聞いていた。

 

「戦の準備ねぇ・・・まさかとは思うけども」

「ウソではございませんぞ。つい先日のことですがラウスに住んでいた、わしの弟が住む家を焼かれ、どうにもならなくなりここまで逃げてきましてな。弟の話ではもうすぐにでも戦をおこせるような状態だとか」

 

信憑性は置いておくとしても、そんな噂がある時点で少々無視できない事態と言えた。

そこにマーカスが口を挟む。

 

「エリウッド様!今の話が事実だとすると、ちと厄介ですな。この時期に戦をおこすとなれば・・・相手は、同じリキア内の領地である可能性が高い。もしかすると・・・エルバート様はそのことに巻き込まれたのでは!?」

「・・・父の失踪と関係があるか分からないが、他に有力な手がかりがあるわけでもない・・・」

 

エリウッドは一度ハングの表情を盗み見た。

だが、生憎なことに、ハングは少し別のことを考えており、エリウッドと視線が合うことは無かった。

 

エリウッドは己で結論を出した。

 

「よし、ラウスへ向かおう。調べたほうがよさそうだ」

 

エリウッドの言葉にマーカスとロウエンが「はっ!」と返事をして姿勢を正した。

 

「ところでハング」

「ん?」

 

改めてエリウッドはハングに声をかけて、彼を思考の渦からこちらに引っ張り戻した。

 

「ハングはこれから何か予定でもあるのかい?もし、なければ僕の旅に同行してもらえるとありがたいんだが」

 

ハングは口の中で小さく笑った。

 

「こっちにエルバート様への恩があるのは知ってるだろ。最初からそのつもりでここまで来たんだ」

「本当かい?」

「ウソついてどうするんだよ。ダメって言ってもついていくからな」

「ありがたい。これからよろしく頼むよ」

 

ハングとエリウッドはその場で固く握手をかわした。

その隣で、マーカスが怖い顔で睨んでいるのをハングは感じながら笑顔を保っていた。

 

素性の知れない相手と自分の忠誠を誓う君主が握手しているのだからその反応も当然といえば当然であった。

 

ハングは針の筵に座らされているような居心地の悪さを感じながら、エリウッドから手を離した。

 

「それじゃあ行く先は決まった。さっそく出発しよう」

「はっ!」

 

マーカスの指示のもとでエリウッドのもとに馬が引かれてくる。

一年前に馬での移動をやたら嫌がっていた貴族の孫娘を思い出し、ハングはまた少し笑う。

 

そんな中で聞こえてきたのは少し焦ったような村長の声だった。

 

「レベッカ! 待つんだ!!いったいどこへ行く?」

 

振り返ると旅の用意を済ませたレベッカが村長と言い争っていた。

 

「父さん、わたし・・・このままエリウッド様についていきたいの!」

「ばっ、ばかなことを言うんじゃない!!エリウッド様たちは、危険を承知で旅にでられるのじゃぞ!?」

 

ハングとエリウッドはことの成り行きを見守っていた。

 

「わかってる。だから、お手伝いしたいの!エリウッド様は、この村の恩人よ。わたしにできるお礼なんてこの弓で戦うことぐらいだけど、それでも、お役に立ってみせる!」

「じゃが・・・」

「・・・それにもしかしたら、旅先でお兄ちゃんに会えるかもしれない。父さんには村長の役目があるしわたしだって、一人で旅なんて無理。だから、お願い!わたしを行かせて!!」

 

ハングとエリウッドが互いに顔を見合わせた。お互いの顔に拒絶の色合いがないのを読み取り、二人は視線を戻した。

 

「・・・やれやれ。死んだ母さんに似て頑固な娘だ」

「・・・ごめんなさい」

「・・・エリウッド様がいいとおっしゃるのなら・・・好きにすればいい・・・」

「ありがとう、父さん!」

「あの方のお父上・・・侯爵様には本当によくしていただいた。おまえも心をこめてお仕えし、エリウッド様のお力になってさしあげるんじゃよ」

「はい!」

 

ハングはそのまま背を向けた。

 

「ハング?」

「仲間が出そろったんだ。長居は無用だ」

 

エリウッドは少し肩をすくめ、やってきたレベッカを出迎えた。その近くで、バアトルとロウエンが荷物を馬に積み込んでいる。ドルカスはマーカスの指示でいくつかの物資を皆に配っている。

 

「今回は仕事が少なそうだな・・・」

 

ハングの楽しそうな声が風にさらわれて、なびいていった。

 

 

いまだ何も知らぬまま、新たなる旅はこうして幕を開けたのだ。

 

先に待つ、本当の絶望も知らずに・・・

 



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11章~もう一つの旅の始まり~

フェレにてエリウッドが旅路を歩み出したその時よりも遡ること数日前。リキアの西に位置するオスティア領。

隣国であるエトルリア王国との国境を構えるオスティアはリキア内において領土、経済、軍事のどれをとっても首位の座を保っていた。

 

そんなオスティアにもフェレ侯爵の失踪の話は届いている。

 

だが、盟主であるオスティア侯ウーゼルは表だって何ら動きを見せなかった。

 

そんな領内に一人だけ、盛大に動き回る人物がいた。

 

変わり者、と民たちに噂されるオスティア侯弟ヘクトル。

 

彼はフェレ侯公子エリウッドの幼い頃からの親友である。気性の荒い彼がこの事態を静観できるはずもなかった。

 

後に猛将と恐れられるこの男。彼の戦いの道は、苛烈を極めるものとなる。

 

その第一歩が踏み出されようとしていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「兄上!兄上っ!!」

 

大声を挙げてオスティア城の廊下を大股で歩いているのは青い短髪と胸板の厚い体格を持つ男性であった。身につけた服から彼が貴族なのはわかるのだが、その態度はとても教養があるようには見えない。

 

かといって品が無い訳ではない。青年としての若さの中に貴族としての大人の容姿がほんの微かに混ざっていた。

 

彼がこのオスティア侯ウーゼルの実弟ヘクトルである。

 

「兄上!!いるんだろ!?」

 

その彼は玉座からオスティア侯の書斎までの廊下をどでかい声をあげながら、速足で歩いていた。

 

「ヘクトル様!少し落ち着きなさい!!」

「うるせーっ!これが落ち着いていられかっよ!!」

 

ヘクトルに申し立てをしたのはオスティアの重装歩兵。

それも、数々の歴史を経験してきたかのように深い彫りが刻み込まれた顔をしかめる重装歩兵だ。

 

彼の名はオズイン。

 

オスティア侯爵の近衛兵を率いる一人である。

 

「騒々しいぞ、ヘクトル!いったい何用だ?」

 

騒ぎを聞きつけて現れたのは鋭い眼光と戦いの傷を持つ人物。

 

オスティア侯ウーゼルだ。

 

いつもはもう少し近寄り易い柔和な顔をしているのだが、今は少し硬い。弟の騒ぎに対し思うところがあるのだろう。

彼はヘクトルの実の兄でもある。

ヘクトルは兄に向けて気炎を上げた。

 

「決まってんだろ!フェレ侯爵失踪のことだ!!」

「その件なら何度も話しただろう。今回の件はオスティアの預かり知らぬこと。くれぐれもよけいな手出しはならん」

 

声を荒げるでもなく、呆れるでもなく、ただ滔々とオスティア侯爵は事実を言った。

 

それが、逆にヘクトルに怒りを注ぐ。

 

「エリウッドの親父さんが行方不明なんだぞ!ラウス侯があやしいのはとっくにわかってんだ。オスティア軍を動かして白黒はっきりさせりゃいいじゃねーか!」

 

掴みかからん勢いで兄に迫るヘクトル。

 

「落ち着かんか、バカもの!!」

 

そんなヘクトルをたった一喝でウーゼルは鎮めた。

そして、彼は再び事実を告げる。

 

「他の諸侯の領地は不可侵が原則・・・特に、今のリキア内部の情勢では絶対に兵を出すことなどできん。おまえにもそれぐらい理解できるだろう」

 

それは揺るがない事実。それゆえにヘクトルには我慢ならない。

 

お国の事情で動けない。

 

それは彼にとって苛立ちを募らせるには十二分に条件を満たしていた。ヘクトルは軽く舌打ちをする。

 

「よくわかったよ。だったらその大事な玉座にずっと座ってりゃいいさ!俺は一人で勝手にやるからな!」

 

ヘクトルはそう言い捨ててウーゼルに背を向けた。

 

「ヘクトル様っ!侯爵になんて態度を・・・」

「よい、オズイン。放っておけ」

 

残された二人がそう言っている間にヘクトルは廊下を曲がり、姿が見えなくなってしまった。

 

「まったく・・・あやつはああなったら何を言っても聞かん」

 

ヘクトルの足音が遠ざかる。ウーゼルは大きく息を吐き出した。

仕方がなかったとはいえ、弟と喧嘩をした。

やはり、気分の良いものではなかった。

 

激務で疲れた顔をさらに窪ませるウーゼルを傍目にオズインは眉間に皺を寄せるのであった。

 

一方、ヘクトルはウーゼルに啖呵を切ったその足で、オスティア城の離れへと来ていた。昔から城を何度も抜け出していたので、城の外へ出るための勝手は知り尽くしている。

 

だが、今回の目的はただ市民に混じって市場で買い食いしたり、流れ着いた傭兵達と闘技場で戦うということではない。フェレ侯爵がその部下と共に消えたとなれば、荒事に巻き込まれた可能性が高い。ある程度の長旅と激しい戦闘の備えが必要だった。。

 

その為、ヘクトルは重装歩兵並の鎧を身につけてこの場にいた。

 

あまり人のいないオスティア城の離れ。

がらんとした広間でヘクトルは待ち合わせの相手を呼んだ。

 

「マシュー!マシュー・・・いねぇのか?」

 

その途端、音もなく人影が現れた。

 

「ここに」

 

片膝をつき、首を垂れ、それでも口元には少し笑みを浮かべた男。

 

現れたのはやはり『あの』マシューであった。

 

茶色い髪と感情を読ませない食えない笑顔。お調子者の盗賊であるはずのマシューだ。

 

「おまえな・・・悪の親玉とその手下じゃねぇんだからもっと普通に出てこい」

 

そう言われてマシューは意外そうな顔を作ってから普通に立ち上がった。

 

「あれ?密偵っぽくなかったですかね?ハングさんはこれで満足してくれたのになぁ・・・」

「何をブツブツ言ってんだ?」

「いいえ~こっちの話です」

 

マシューは気を取り直して要件に入る。

 

「若さまの指示どおりの旅支度にご愛用の斧。それから離れの衛兵と門番に金を掴ませて裏口から抜け出せるように手配しておきました」

 

この程度で簡単に出られるオスティアの警備に思うところが無いわけではないが、本来城は外部からの侵入を防ぐものだ。内部から脱出する方には少し甘くても問題はないだろう。

 

と、都合のよい結論をつけてヘクトルは頷いた。

 

「よし、ご苦労。兄上に当分ばれないよう上手くやっとけよ」

 

その途端、マシューは拍子抜けしたような間抜けな顔をした。

もちろん、どこまで本当の感情なのかはわからない。

 

「へ?おれもお供しますけど?」

「バカ野郎!ついてくんなっ!!兄上の密偵のおまえを連れてったらいつ裏切って報告にいくかわかりゃしねー!!俺は一人で行く!」

「しー!そんな大声をだしたら城の警護兵が聞きつけて飛んできますって」

 

マシューの言葉の方が正しい。ヘクトルは舌打ちをして声を落とした。

 

「とにかくついてくんな」

「信用していただけないのはかなり心外ですけど・・・ま、しかたないですかね。んじゃ、これにて」

 

そしてマシューは現れた時と同様に音もなく姿を消した。

煙玉等を使ったわけでもないのに視界から突然に消える技術はたいしたもんである。

 

だが、密偵ならばこれぐらいできて当たり前。

本当の手練れともならば一対一の戦闘中であっても相手の視界から消えるぐらいやってのける。

 

だからヘクトルが不思議に思ったのは別のことであった。

 

「なんかやけにあっさりしてんな」

 

マシューとヘクトルは決して短い付き合いではない。普段のマシューから考えて、こんな簡単に引き下がるのは少し妙であった。

 

「まぁ、いいか・・・」

 

だが、考えても仕方ない。ヘクトルは改めてマシューが用意した荷物を確認した。

 

「とっととここを抜け出して、エリウッドに合流しねえとな・・・って、なんだよ、荷物えらく多いじゃねーか!」

 

マシューが置いていった荷物はどう考えても三人分、下手すれば四人でしばらく旅ができる程の量があった。

 

「二人分にしてもなんだってこんな・・・」

 

その時、ヘクトルは荷物を確かめる手を止めた。襟をただし、愛用の斧を持つ。

 

『ヴォルフバイル』

 

普通の斧より柄が長く、先端部分の重量を増した戦斧。

長柄武器と近接武器の中間に位置するような半端な長さ。

 

両手で持つには短い、片手で待つには長い。

 

だが、それは常人の背格好を基準にした場合だ。ヘクトルの体格でそれを持てば絶好の位置を確保できる斧。

 

それを構えて、ヘクトルは近くの柱の陰に佇む気配に意識を集中する。

 

「・・・・・・・・・でてこいよ。そこにいるのはわかってんだぜ?」

 

そして現れたのは全身を黒い服で覆い尽くした槍兵だ。

 

ご丁寧に顔の大部分も黒い布で覆っている。

ヘクトルは相手の顔すら見えなかった。

唯一見えていたのはその眼光。

 

手練れだった。

 

「何者だ?」

 

返事は無い。

 

既に相手は完全な戦闘態勢を取っていた。おそらく敵は一呼吸で懐まで飛び込める技量がある。

 

「・・・だんまりかよ」

 

ヘクトルは構えを変えない。例え相手が誰だろうと関係は無い。

 

「いいぜ、たとえおまえが何者でも俺の行く道をふさぐんなら叩き潰して通るのみだ!!」

 

突然、ヘクトルが仕掛けた。その巨体に見合わないとんでもない瞬発力でヘクトルは一気に間合いを詰めた。

 

「おらぁぁぁあ!」

 

斧を横に振り回す。その速度がこれまた異常だ。敵が反応して防御しようとした時にはすでにその刃が首にめり込んでいた。

 

振り切られた斧が首を綺麗に切断する。だが、ここにいる敵の気配は一つではない。ヘクトルは次の気配に斧を向ける。

 

「そこかぁ!」

「わーっ!待った待った!!」

 

振り下ろした先から慌てて飛びのく影。

壁に飛びついて尻もちをついたのはさっき別れた相手だった。

 

「おれ、おれですって!!!」

「・・・なんだ、マシューかよ。てっきり奴らの仲間かと思ったぜ」

 

ヘクトルは緊張を解き、斧をおろした。

 

「なんだじゃないっすよ!もうちょっとで、おれ真っ二つじゃないっすか!!」

「いきなり出てくるおまえが悪い。それより、どうして戻ってきた?」

「え? いや。不穏な空気を感じとってこうして助太刀に・・・」

 

ヘクトルは胡散臭そうにマシューを一瞥する。

 

簡単に消えたと思ったら、襲撃と同時に助太刀。あまりにタイミングが良すぎる。

最初からヘクトルを囮にして敵をあぶりだす気だったのだろう。

だが、それをここで問い詰めてもマシューにはぐらかされる未来がヘクトルには見えていた。

 

「・・・まあ、そういうことにしといてやるぜ」

「・・・それで、どうします?」

「なにがだ?」

「この離れに忍び込んでる敵の気配が増えてきてます・・・ざっと七、八ってとこでしょう。しかも、かなりヤバイ雰囲気のヤツばっかりだ。いくら若さまが腕に自信あるって言ってもほとんど戦力外のおれと二人じゃあきびしくないっすかね?」

「・・・言いたいことがあるなら、はっきり言え」

 

敵は既にヘクトル達のいる広間を囲むように動きだしている。暗殺が失敗したら、今度は数で押すつもりなのだろう。状況判断と機動力を十分に見せつけられた形だ。

 

「裏口から出るのはあきらめて城の警備兵に助けを求めに戻るってのは・・・」

「ありえねぇ!!」

「はは やっぱりっすか。んじゃぁ、気合入れて死ぬ気でがんばるとします」

 

マシューはニヤリと笑い、懐から短刀を取り出した。

 

「おまえは抜けてもいいんだぜ?」

「それこそ、ありえませんって。お供しますよ、どこへなりとね」

 

ヘクトルは苦笑いをし、それを自信に溢れた笑みへと変える。

 

「よし、奴らを蹴散らして城から抜け出すぞ!!」

「了解!!」

 

ヘクトルが敵の気配のする廊下に突っ込み、マシューがそれに続く。

 

二人の動きは即興にしては十分だった。

 

正面突破を主とするヘクトルと不意打ちを得意とするマシュー。

ヘクトルが手斧による牽制と戦斧による突撃で敵を蹴散らし、背後や側面などをマシューが補う。

 

二人の相性は意外と良好だった。

 

しかも、地の利は完全にヘクトル達にある。

なにせ、度重なる脱走経験のあるヘクトルと密偵マシューの二人だ。柱の位置や廊下の構造、隠れられる場所の一つ一つまで知り尽くしていた。

 

二人は次々と迫りくる敵を難なく突破していった。

 

「ハングさんだったらもう撤退してるだろうにな」

 

相手が完全に引き際を見失っているのが手に取るようにわかってマシューはほくそ笑む。

 

そして、少しだけ自分を叱る。

 

『また、あの人達との旅を思い出してるよ。良くないな~俺は密偵なんだから、あんまり思い入れを持っちゃいかん』

 

「なんか言ったかマシュー!?」

「こっちの話で~す」

 

マシューは目の前の戦いに再び集中する。すでに離れの中の敵の気配は無い。あるのは裏門付近に陣取った男の巨大な威圧感。

 

二人は裏門へと続く階段を駆け下りた。

 

そこに立つ男は、気配といい、殺気といい、今まで相手にしてた奴らよりも一回りぐらいはできそうだった。

 

「オスティアの密偵とオスティア候弟ヘクトルか・・・わざわざ死に急ぐこともなかろうに」

 

その男はそう言って槍を構えた。

 

マシューは隣を軽く見やる。そして、自分の殺意を軽く抑えた。隣にいる人物が放つ殺気だけで十分だった。

 

ヘクトルが暴れるなら、荒事は専門外であるマシューは後ろに回ろう、ということだろう。

 

ヘクトルが斧を肩に担ぎ、目の前の男を睨みつける。

 

「なぁ、おまえらラウス侯の刺客じゃねーな?身のこなしといい手ごたえといい・・・あそこのボンクラどもとはわけが違う」

「・・・知る必要はないな。オスティア侯弟ヘクトルよ。一人で国を抜け出した愚か者のお前は・・・行方不明になったまま二度と戻ることはない・・・死体は、決して見つからん。そういう筋書きだ。クク・・・」

 

少し笑った敵兵を前にマシューは少し呆れた。

 

奴は勝利を確信している。なら、自分は完全に相手を過大評価していたらしい。

獲物を前に舌なめずりなど三流もいいところだ。

 

「やれやれ、てめーら、運がなかったな」

「・・・なに?」

 

マシューはさらに一歩足を引いた。

 

邪魔しちゃいけない。というより巻き込まれたくはなかった。

 

そんなマシューのことは意にも介さずヘクトルは斧を大きく構えた。

 

「今、俺は最高にムカついてる。てめーらの腕の一、二本じゃおさまらねえぜ・・・手加減はしねえ!!」

 

そう言い終わるのとほぼ同時にヘクトルが飛び出した。大上段からの一撃。激しい金属音と共に二人が接近した。

両者の力は拮抗しているように見える。だが、マシューは傍観を続ける。

 

突如ヘクトルの手が動いた。ヘクトルの腰の手斧に手が伸びる。

 

「なっ!!」

「遅いんだよ!!」

 

敵が防御するより早く、手斧によるヘクトルの一撃が見舞う。

金属が割れる音とともに衝撃が脳天に走った。兜で刃は防げても衝撃は通る。ヘクトルの膂力を込めた一撃に敵はよろめいて後退する。

 

左手に手斧、右手に戦斧を構えたヘクトルが追撃をかける。

手斧で相手の得物を弾き、戦斧を再び頭頂部に叩き込む。

兜が二つに砕けて、頭蓋を割った感触を確かに感じとる。苦悶の表情で身体をくの字に曲げる敵の腹に更に斧をめり込ませた。

 

「お・・・許し・・・を・・・」

 

わずかな断末魔と共に最後の一人はそのまま地面に倒れていった。

 

 

敵がこれ以上増えないことを確認し、二人は荷物を担いで改めて裏口から城壁に向かって駆け出した。

 

「やー、あぶなかった。二人とも無事でよかったすね。さ、若さま!急いで脱出しましょう。今の騒ぎで、城の兵に気付かれたかもしれません」

 

さっきの戦闘など、ただのつむじ風が過ぎただけのように意気揚々と語るマシュー。

納得いかないのはヘクトルである。

 

「・・・マシュー、てめぇ最初っからこうなると分かってやがったな?」

 

それに対してマシューはあっけらかんと対応する。

 

「仕方ないじゃないすか。あいつら、若さまが一人になるまで姿現さないって感じだったし」

「・・・まあな」

 

ヘクトルの返事に少し間があったのは反論が思いつかなかったからだ。

 

「おい、マシュー!ついてくるってんならおまえ、兄上の密偵じゃなく俺の配下になったって思っていいんだろうな?」

「もちろん!騎士の誓いでもしましょうか?」

「いらねぇ。自分の言葉に責任持ってればいい」

「了解!」

 

マシューはわざとらしく敬礼などして見せる。

 

「じゃあ、行くぞ!エリウッドのところへ!!」

 

まぁ、こんな旅の道連れも悪くない。ヘクトルも少しそう思っていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

そのおよそ数刻後。

 

「侯爵様、大変です!ヘクトル様が!」

 

オスティア侯爵のための書斎に伝令が走ってきていた。

 

「やはり、行きおったか」

 

溜息混じりにそう呟いたのはウーゼルその人であった。

 

「は・・・?はい!す、すぐに部隊を編成し後を追います!」

 

ウーゼルは手元の書類から顔も上げずに対応する。

 

「よい。あれの好きにさせよ」

「は・・・はいっ」

 

伝令が走り去り、しばらく羽ペンを動かしていた侯爵。

彼は一区切りついたところでようやく顔をあげた。

 

そこには本日の護衛を務めるオズインの姿があった。

 

「フッ・・・まったく仕方のないやつだ」

「仰る通りですな」

 

ウーゼルは侯爵の顔から兄の顔になって少し笑った。

 

「うっ!ごふっごふっ」

 

だが、すぐに咳き込んでしまう。それも少し周りを不安にするような苦しみかただった。

 

「ウーゼル様っ!大丈夫ですか!?」

 

血相を変えるオズイン。ウーゼルは咳を飲みこむようにしばらく喉を抑え込んでいた。

 

「・・・・・・案ずるな。もうしずまった。大したことはない」

 

そうだろうか?

 

そう思わせるほどに今の侯爵の顔色はすぐれなかった。

そして、それ以上に顔から血の気が引いているオズインだった。

 

「・・・己の体力を過信するべきではありません。このところは特に眠る時間もとれぬほど政務に追われる毎日・・・無理をすればいつか倒れることに・・・」

「・・・わかっておる。明日にでも医師を呼び病ではないか診させる。それで構わんだろう?」

「はい。必ずですよ」

 

まるで父親のようだな

 

そんな言葉を飲み込んでウーゼルは本題に入る。

 

「・・・オズイン、ヘクトルのことだが・・・おまえにまかせてよいな?」

「もちろんです。この命にかえてもお守りいたしましょう」

「休暇は取っておいてやる」

「できれば有給は使わないでいただけますか?」

「善処するよ」

 

敬礼して出ていくオズインを見送り、ウーゼルは一人になった書斎で笑った。

 

いつまでも自分はまだこの『父親』に頼ってしまっている。

 

実の父を幼くして亡くしているウーゼルは物憂げな視線を窓の外に向けたのだった。

 

 



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12章~比翼の友(前編)~

リキア同盟の中の一つ。サンタルス領。

 

領主のヘルマンはもう相当の歳であった。髪の色も白くなり、皺も多く深い。だが、それゆえに時代を経て得た判断力と深い懐を併せ持つよき領主であった。

 

だが、少し流されやすいのが玉に瑕だというのが領民が酒場で話す笑い話のオチとなっていた。

 

だが、今のヘルマンにはそんな平和なひと時が似合うような状態ではなかった。

 

「なにっ!?エリウッドが来たと?」

 

驚きのあまりにかすれ気味になった声を絞りながらヘルマンはその情報をもたらした人物に詰め寄る。

 

だが、一定の距離以上は近づかない。

 

 

『近づけない』と言った方が正しいだろう。

 

墨染めのローブを身にまとい、フードを目深にかぶっているためにその顔を伺い知ることはできない。だが、その金色に光るその瞳だけが、影の中に浮かび上がっているかのようにはっきりと見て取れた。

 

その男が身に纏う雰囲気は明らかに異質であった。

 

彼は唇をほとんど動かさずに、言葉を放った。

 

「はい。今は南の丘にとどまり領地通過の許可と侯爵への謁見を希望しているとか」

 

発する声は耳障りの良い、落ち着いた男性のものだ。だが、その声音は滔々としていてつかみどころはなく、どこか無機質に感じられた。

 

「もしや・・・エリウッドは父親のことを聞きにきたのであろうか?だとすれば・・・わしはは・・・なんと答えればよいのだ」

「知らぬ存ぜぬで通していただきましょう」

 

その男の名はエフィデル。

 

ヘルマンはそれ以外は知らない。

 

正直、知りたくもなかった。

 

「しかし・・・わしは、エリウッドを良く知っておるのじゃ。あやつの父エルバートとは古くからの友人で・・・わしには子がおらんから幼い頃より可愛がってきた。エリウッドを目の前にしてウソをつきとおす自信が・・・わしには・・・ない」

 

泣き崩れることさえしなかったものの、ヘルマンの顔にはある種の絶望感が漂っていた。

 

「・・・仕方ありませんね」

 

溜息を吐いたようにエフィデルはそう言った。だが、そこには決して同情のような感情は乗っていない。付きまとう羽虫を追い払うがごとく冷静な苛立ちのように見えた。

 

「では、ごろつき共を使いましょう。エリウッド殿と顔を合わせなければ、ヘルマン殿がウソをつく必要もない」

「エリウッドを襲わせるというのか!?」

「少しケガをさせ、怖い思いをしていただきます。そうすれば、フェレに逃げ帰りもう旅をしようなどと考えないはず・・・なにしろ、フェレには彼しか残されていないのですから」

 

血相を変えるヘルマンにも身動き一つとることはなく、エフィデルの声にも動揺は無い。

 

ただ、その黄金色の瞳だけが闇の奥で静かに燃えていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「お前らはダニだ!蛆虫だ!この世界で最も劣る生き物だ!」

 

ハングの声が谷に響く。

 

「この○○○○野郎!父親の○○○の残りカスと母親の○○○の染みでできたのがのがお前らだ!」

 

ハングの怒声に近い声は周囲の山々に反射してさらに大きく聞こえる。

内容といえば子供の耳をふさぎたくなるほど下劣なものだった。

 

「てめぇんとこの山にいるのは腰抜けか○○○野郎だけだ!?てめぇらは腰抜けか?○○○○か?斧すら振り上げねぇとこ見るとお前らは腰抜けだな?えぇ?お?くんのか?だったらてめぇらは○○○○野郎だ!!馬の小便で顔を洗って、隣の男の○○○でもしゃぶってろ!」

 

ハングが熱烈に叫ぶ隣でエリウッドは苦笑いを浮かべている。

その少し後方ではマーカスが苦行に耐えるような顔でついてきていた。

そのマーカスのさらに後方でレベッカが真っ赤な顔で耳をふさぎ、ドルカスの後ろで声なき悲鳴をあげていた。

ドルカスは表情を変えず、バアトルは大笑いだ。

皆の前方ではロウエンが周囲を警戒しながら進んでいるが、その表情は見えない。

 

「と、こんな感じで前回は挑発した」

「ハングの口からそんな言葉が出るとは驚きだよ」

「俺としてはエリウッドに真似して欲しくはないね。お前ならもう少し健全な挑発ができるはずだ」

 

先日の戦闘で山賊を挑発した方法を具体的にハングは教えていたのだ。

 

「ガハハハ!今度俺も使ってみるか!?」

 

そう言ったバアトルに対してドルカスとレベッカが渋い顔だ。

 

「やめとけ・・・」

「そうですよ。その場にいる人みんな敵にまわしちゃいますよ」

「望むところではないか!!軍師殿!今度詳しく教えてくれるか?」

 

後方から聞こえてくる会話に今度はハングが苦笑いだ。

ハングは後ろを振り返る。

 

「やめときましょうよ。バアトルさんに変な口癖がついたら嫌ですから」

「むぅ、そんなもんか?」

「そうですよ」

 

ハング達が向かっている先はサンタルス領の侯爵であるヘルマンの居城であった。

 

サンタルス領はリキアとラウスの中間に位置する領地である。エルバート侯爵がラウスに向かったならこの地を通過した可能性は高い。また、領主であるヘルマン侯爵はエリウッド、エルバート共に付き合いが深く兵を多少なりとも借りれないかというハングの案もあった。

 

エリウッドは笑顔で同意し、マーカスが意見そのものは正しいと渋々認めてこの進路を取っている。

 

だが、ここにきてハングは嫌な予感を覚えていた。

 

いい予感も悪い予感も分け隔てなくよく当たるハングであるのだが、最近は悪い予感が連続している。

 

今、エリウッド達はサンタルス領内の関所に向かっている。

 

実のところ、これは二度目の道なのだ。

先日、一度関所に向かったのだがどういうわけか通行出来なかった。こちらの身分を証明し目的も明確に告げたにも関わらず『自分達では判断できない』の一点張りだった。

その為にエリウッドはヘルマン侯爵に直接書状をしたためて、返事を待っていた。

 

そして、ようやく通行許可が降りたとの話を受けて関所に向かっている。

 

ラウスが戦の気配を匂わせている今の状況下であるなら、これぐらいの警備も納得はいく。

エリウッドはそう考えているようだが、ハングとしてはどうもきな臭い。

 

ハングは顎に手をあてて空を見上げた。

 

「ハング、まだ気になってるのかい?」

「まあな、最悪を想定しとくのは悪いことじゃない?」

「だからといって全ての可能性を潰していては前に進めないだろ?」

「それは昨晩、俺がお前に言った台詞だ」

 

エリウッドのことを『お前』呼ばわりする度に後ろのマーカスの視線が温度を下げるのだが、初めから気にしなければどうということは無い。

 

今はそれよりも気になることがある。

 

一行は関所へと続く道に差し掛かっていた。

 

ここから先は左右の山に挟まれた細い谷間の地形が続く。森と山に囲まれた峡谷であり、あまり大きな兵が動員できない。その途中に関所が組まれている。だが、そこは関所というより出城と言ってもよさそうな代物だった。

この道は一直線にヘルマンの居城へと続いている。ここはいわばサンタルス領のアキレス腱なのである。

 

そんな関所に続く道を歩きながら、ハングは未だ拭えない嫌な予感を胸に抱いていた。

 

そして、道に入ってすぐさまその予感が的中することになる。

 

「エリウッド様!お下がりを!」

 

マーカスが素早く前に出て、ロウエンも武器を構えた。

目の前の道にわらわらと人が溢れ出てきたのだ。

 

「へっへっへっ、ダンナがた。あわれな村人にお恵みくだせぇ」

 

目の前の道を塞いだのは、手に武器を、目に殺気に濁らせた男たちだった。ざっと数えても二十は下らない人数だ。対して、こちらは七人。

 

ハングはこぼれそうになったため息を押し殺す。

 

「おまえのどこをどうみたら村人に見えるというのだ!おとなしく道を開けてもらおう。さもないと・・・」

 

マーカスも殺気をみなぎらせて武器を構えた。ただの山賊程度なら震え上がるであろう殺意。

だが、男たちはへらへらとした笑いを収めることはなかった。

 

「さもないと?へへっ大変なめにあうのはどっちですかねぇ」

「なにっ!?」

 

そうして、その男は人差し指を向けてきた。

 

「そのぼっちゃんに生きてられると困る人がいるんでね」

 

指の先にいたのはエリウッド。

 

「かわいそうだが、消えてもらうぞ!やろうどもっ、始末しちまえ!」

 

そして地鳴りとも思える程の叫び。

 

「いくぞぉ!おらぁ!!」

「しねぇぇえ!」

 

叫びと共につっこんでくる山賊。

 

その叫びに水を刺すかのように、レベッカの指から一本の矢が放たれた。

その矢は空を裂き、先頭に突出していた山賊の眉間に突き刺さった。敵の出鼻をへし折る見事な一撃。

 

その一本の矢に両軍の動きが一瞬だけ止まる。

 

その間隙を縫うようにバアトルの手から手斧が飛び、2人目の頭を顔面からかち割った。

更に広がった動揺を回復させる暇など与えず、後方からドルカスの巨体が躍り出た。

 

斧を両手で握りしめて力の限り肉を切断し、骨を砕いていく。

そして、そのドルカスに続くようにロウエンとマーカスが敵集団につっこんだ。

 

「さて、ここまではいいかな・・・」

 

あらかじめ出しておいた指示が功をそうしたことをのんびりと確認していたハングの隣をバアトルが走り抜けた。

 

「うおりゃぁぁあ!蛆虫共!かかってこいや!この・・・この・・・うおぉぉおおぉ!」

 

なにか挑発しようとしていたが諦めたらしい。

 

「エリウッド!お前は俺についといてくれよ」

「え?」

 

隣で駆け出そうとしているエリウッドをハングは止めた。

 

「ハング、どうしたんだい?僕が貴族だから前線から外したということは無いようだが」

「お前は本当に変なとこだけは勘がいいな」

 

ハングは後退しながら前方の戦場を含めた全体を見渡した。

山から下りてくる敵影は無い。天馬部隊などの飛行部隊もいない。

 

更に、敵の後方に増援あり。

 

完全に多勢に無勢だった。

 

今は狭い谷の合間ということで数の有利はそれほど影響しないが、あまり時間をかけるとやっかいだ。

人間の体力は無限ではない。

 

ハングは少し考える。

 

「ハング、どうにかして敵の後方に回り込めないか?」

「いい案だ。さて、それじゃあどうやって回り込む?周りは高い山に囲まれている上に、相手には増援が見込まれる。下手をすれば挟まれるのはこちらだ」

「関所に応援を頼むんだ。山賊が暴れているなら向こうも黙っているわけにはいかないだろ?」

 

エリウッドの案は正しい。正しいがそれは間違っている。エリウッドにはまだ状況の全てが掴めていない。

 

奴らは関所側から来たのだ。これだけの武器を携えた人間に衛兵が気づかなかったとは考えにくい。

ならば考えられる可能性は2つ。関所の衛兵はこいつらに既に殺されたか、もしくは衛兵がこいつらを素通りさせたかだ。

 

どちらにせよ、関所に救援を求めることはできない。

 

「どうやら、ダメらしいね」

「なんでエリウッドは俺が言い出す前に俺の結論を先取りできるんだ?」

「なんでだろうね。僕にもわからないよ」

「とぼけやがって、狸貴族め」

 

自分は完璧な善人ですという面をしながら、人の腹の中を読む術はしっかり身に付けている。

腐っても貴族。いや、この場合は『腐らずとも貴族』と言うべきか。

 

「それで、ハングこれからどうするんだい?」

「当然、勝つさ」

 

ハングは懐から火種を取り出した。

疑問符を頭に浮かべるエリウッドをよそにハングは火をくべる。

そしてマントを脱ぎ、それに水を染み込ませた。

 

「それは・・・」

「まぁ、備えあれば憂いなしってことだ」

 

ハングは煙をマントで一度覆い、一つの塊にしてから空に放つ。

それを何度か繰り返した。空に煙の塊が次々とのぼっていく。

 

狼煙だ。

 

エリウッドは首をひねる。

それは退却の合図であったはだった。

 

エリウッドは隣のハングを見やる。そこには自信に満ちた不敵な笑顔が浮かんでいた。

 

 



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12章~比翼の友(後編)~

空に狼煙があがるころ、関所を挟んで反対側にも動きがみられていた

 

「若さま!わかりましたよ。エリウッド様の一行はちょうどこの先のサンタルス領に入ったようです」

 

マシューがどこからともなく現れて情報を持ち帰ってきた。ヘクトルはとりあえずその情報に満足して荷物を背負い直した。

 

「そうか!だいたい俺たちの読みどおりだな。よし、それじゃあこのまま南下して合流するぞ」

 

勢いよく関所に向けて前進したヘクトル。

 

「読みどおりって・・・進言したのは俺なんですが・・・」

「なにボヤいてんだよマシュー」

「こっちの話で~す」

 

その時だった。

 

「あっ、いたいた!ヘクトル様ぁーっ!」

 

突然、聞こえてきた女性の声。ヘクトルとマシューの身体が硬直する。二人はさび付いたからくり人形のようにぎこちない仕草でお互いの顔を見合わせた。

 

一瞬で三十六計を決め込むことまで考えた二人だったが、後が面倒なのは目に見えている。二人はお互いの顔に諦めが浮かんでいるのを確認した。

二人は示し合せたかのようにため息を吐き、振り返った。

 

「うわ・・・」

「・・・・」

 

そして、二人の目の前に予想通りの人物がいたのであった。

 

「セーラ、おまえ・・・なんでこんなとこにいるんだよ」

 

ヘクトルが疲れ気味に声をかけた。

 

「エリウッド様のところに行くんですよね?だったら、私もついていかないと!」

 

誇らしげに無い胸を張るセーラ。活動的なツインテールと淑やかの欠片もない行動。どこを見てもエリミーヌ教のシスターには見えない彼女がそこにいた。

彼女を前に無駄だとわかりつつも、ヘクトルは声をかけた。

 

「ついてくんな!遊びじゃねぇぞ!」

「でも、オズイン様がいいって言ったんですもーん!」

「オズインが?」

 

セーラの後方に改めて視線をやるとそこには見慣れた堅物の顔があった。

 

「はい、侯爵の命令です。私とセーラもお供させていただきます」

 

兄の命令。ヘクトルは苛立ちを隠そうともせずに舌打ちをした。

 

「なんだよ。余計なまねしやがって・・・」

「何とおっしゃられてもヘクトル様のことが心配なんですよ。お二人きりの兄弟なんですから」

 

ヘクトルはオズインから視線を外して言った。

 

「・・・わかってるよ」

 

わかってる。わかってるからこそ腹が立つのだ。身勝手なことをしてる自分に。

 

だが、ヘクトルはそれを飲み込んででもやらなければならないことがある。もし、それをないがしろにしてしまえば、自分がもっと許せなくなる。

 

そんなヘクトルのことをよく理解しているからこそ、こうやってオズインが来たというわけだ。

 

そんなヘクトルの思考を遮って、マシューが声をあげた。

 

「ヘクトル様!前方で戦いが始まっているようです。しかも、何か狼煙もあがってますよ」

「エリウッドか!?めんどくせぇことは後回しだ。いくぞ!オズイン、マシュー!」

 

短く返事をして駆け出した三人。

 

「え!ちょっと!?私もいきますってばーーー!」

 

少し遅れてセーラも走り出した。

 

4人が訪れたサンタルス領の関所。

 

関所はその大きさにもよるが、緊急時の防御の拠点になることもあり日頃からそれなりの数の衛兵が詰めている。

 

ヘクトルは関所に駆け込む。関所の向こう側の谷では騎士と思われる人達と山賊が戦いを繰り広げていた。

ヘクトルは手近な衛兵に掴みかかった。

 

「おいっ、あそこでハデに戦いがおきてるのにここの役人どもはほったらかしかよ?」

「なんだ、おまえたちは!?ここはサンタルス領、なにが起きようともよそ者の知るところではないっ!貴様達こそ何者だ!?拘束するぞっ!!」

「へぇ・・・」

 

槍を持ち出した衛兵に対し、ヘクトルはニヤリと口の端に笑みを浮かべた。

 

「やれるもんなら・・・やってみろぉ!!」

 

ヘクトルは素早く拳を握りしめ、その顎先を掠めるように振り切った。

 

「ぐっ、ぐわっ!!」

「悪いな、急いでるんだ。あそこで戦ってるのは、どうやら俺様の親友みたいなんでね」

「なにもんだ!!」

 

わらわらと詰所から飛び出してきた衛兵に次々と拳を叩き込んでいくヘクトル。時に投げ飛ばし、時に蹴り倒し、瞬く間にヘクトルは関所の衛兵をことごとくのしていった。

 

関所をここまで難なく突破してしまっていいのかどうか怪しいものだが、ここはサンタルス領。ヘクトルの知るところではない。

 

「やっだー!らんぼう~っ!暴力はんたーい!!」

 

そう言うセーラはオズインの後ろに隠れるようにして抗議する。

 

「あははは、さすがは若さま!兵士が一発でのびていっちまう」

 

マシューは足の先で兵士をつついてみる。

ヘクトルが気絶させた兵士達はうめき声をあげるばかりで起き上がってくる様子はない。

 

「・・・すぐに力に頼るのはあまり感心できませんな」

 

オズインは腕を組んでそう言った。

 

「小言はいいから、まずは野盗どもを蹴散らせ!エリウッドを助けるぞ!!」

 

ヘクトルは斧を構えた。そろそろ、気絶で済ますわけにもいかなくなった。

 

「助ける・・・ですか。暴れるには、おあつらえむきの言い訳ですな」

「オズイン!」

「はい、はい。わかっておりますとも」

 

オズインは鉄製の槍を携え、短めの手槍を背中にする。

 

「マシュー!おまえは、セーラと遅れて来い」

「うっ!セーラと・・・ですか?」

 

あからさまな顔をするマシューだが、セーラは気づかない。

 

「えーっ!私もいっしょに行きますー!」

「くるんじゃない!足でまといだ」

 

ごねるセーラを一喝する。

 

「ひっどーいっ!!」

「いくぞ!オズイン!!」

 

後ろから次々と追いかけてくる百万語を無視して、ヘクトルとオズインは目先の戦場へとくりだした。

 

ヘクトル達は目先の敵を蹴散らして谷を進んで行く。

そして、ヘクトルは突撃していく山賊の背後をとらえた。

 

その先にエリウッド達がいるのは予想はついている。

山賊の背中に斧の刃を叩き込まんとヘクトルの足も早まる。

 

「ヘクトル様!お待ちください!」

「あぁ!?オズイン、追いつけないなら遅れてこい!!」

 

オズインの顔も見ずにヘクトルは叫ぶ。だが、今度はマシューからも声がかかった。

 

「違いますって!ヘクトル様!下がりましょうよ!ここはまずいですって!!」

「まずいだと?どういうことだ?」

 

ヘクトルは足を一旦止めた。

 

「とにかく、あいつらを追うのはやめましょう!」

「そうです。このままではこちらが・・・」

 

オズインが言い終わる前にそれは訪れた。

突如、鳴り響いたのは轟音。音の先は山の上。

 

谷の入り口、ちょうど山賊の一団の真上。

 

左右の山から巨大な岩々が雪崩のように斜面を下りおりてきていた。

 

「やっぱり!ヘクトル様!ここは危険です!」

 

今度はヘクトルもごねたりはしなかった。

 

「ったく!無茶苦茶しやがる!」

 

ヘクトルは今来た道を駆け戻る。

 

「文句はこの策を仕掛けた当人に言いましょう!」

「ほら、お二人共!走ってください!」

「え!?なに?戻るの?やっと追いついたのに!」

 

面倒なセーラをマシューは肩から担ぎ上げた。

 

「ちょっ!なにするのよ!」

「いいから黙って担がれとけ!!」

「って、なにあれ!!岩が落ちてくるじゃない!!キャーーーー!!!」

 

セーラの悲鳴を聞きながら、三人は走り続ける。

 

そして、その策を仕掛けた当人はというと、山腹で落石の惨状を眺めていた。

 

「ふぅ、まぁこんなもんかな・・・」

 

落ちてきた岩や土砂の下敷きとなっていく山賊共にかける情など持ち合わせないハングである。ハングが同情するとしたら、今後この道の後片付けをしなければならない人達に対するものだ。

 

落ちてきた岩の量はそこまでのものではないので旅人や行商人の荷馬車ぐらいが通れるようになるにはそんなに手間はかかるまい。だが、軍隊が通るには相当の時間と金がいりそうだ。

 

ハングは土砂から逃げ延びた敵兵の掃討を行っている仲間に加勢する為に山を下りはじめた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「無茶苦茶してくれましたね、ハング殿」

 

全てが終わったところで苦笑混じりにそう言ったロウエンにハングは笑って答えた。

 

「まぁな。あの数をいちいち相手にできないだろ?」

「俺は戦えたぞぉ!あんな策を労せずとも勝てたはずだ!!」

「・・・うるさい」

 

ドルカスの静止があったが、バアトルはそれでも止まらなかった。

 

「ハング殿!お主は確かによい軍師かもしれぬが、俺はだな・・・」

「あ、バアトルさん。この道先行してもらえます?まだ、敵兵が残ってる可能性もあるので」

「むぅ、承知した」

「ドルカスさんもお願いします」

「・・・静止役か?」

 

さすがに付き合いが長いのでこちらの考えはある程度筒抜けのようだ。斧を担いで谷の道を歩き出したバアトルに続くようにしてドルカスも歩き出した。彼らが行く先は関所である。

 

本当の問題はまだ片付いていない。

 

そんなハングにマーカスが近づいてきた。

 

「しかし、ハング殿。あのような荒業に出るのならあらかじめ指示を頂きたかった」

 

その顔と声音に嫌味がこれでもかというほど塗りたくられていた。

 

「すみませんね。まだまだ未熟な者ですから。ここで待ち伏せされるなんて考えてもいなかったもので、臨機応変に対応せざるおえなかったもので」

「だが、あの仕掛けをしていたのならそれくらい教えることもできたのでは?」

 

明に暗に軍師失格だと言われるハング。

ハングは苦笑でそれに応えた。

 

「そもそも、あの仕掛けをしたのは俺じゃないですよ」

「ほぅ・・・詳しく知りたいですな」

 

圧力が音をたてているような気もしたが、そんなことをいちいち気にするハングではない。

 

「あれはこの領地を外敵から守るためにサンタルス侯爵が仕掛けたものです。今回はそれを勝手に使用したんですよ。あまりここで皆を疲れさせたくなかったですしね」

「兵を消耗したくなかった・・・と、いうことでしょうか?」

 

ハングはまた苦笑いだ。まさに軍人らしい言い方である。

 

しかし、この部隊がどういう人に率いられ、どのような目的で動いてるのかを考えて言葉を選んだというのにマーカスはお構いなしである。

 

「有り体に言ってしまえばそんなとこです」

 

ハングはわざとらしく咳払いをして皆にこの策の可能性を伝えなかった理由を話し出す。

 

「これを使うなら相手を引き付けるために本気で撤退する必要があった。使わないなら近隣領地の手の内である罠をここで明かす必要はない。そういう判断です」

「なるほど・・・戦いの直後に撤退の合図が来たのはそういう理由でしたか」

 

ハングがあげた狼煙は撤退の合図だった。

マーカスは少しうなったように頷き、背を向けて周囲の警戒へと出かけて行った。

 

「はぁ・・・」

 

古参の将軍を相手にするのはやはり難しいものである。

 

「さて、関所をまだ通れなかったらそろそろ強行突破も考えねぇとな・・・」

「ハングさん、なんか考え方が物騒ですね」

 

弓に張った弦の微調整に四苦八苦しながら、レベッカはそう笑う。

 

「ハングは時々力押ししかしない時があるね」

 

エリウッドも乗ってきた。だが、それにはいくつも言いたいことがある。

 

「あのな、俺が一度でも『突撃!』なんて単純な命令で済ましたことがあったか?」

「とは言っても、まだハングと一緒に戦ったのは三回目だからね。まだ、ハングがどんな策を主体にしてるのかはわからないよ」

 

ハングは返す言葉を探そうとしたが、それを遮るように別の人の声がした。

 

「よぅ、ここにいたのか」

 

聞きなれない声にもハングは身構えることはしなかった。

それより先にエリウッドが行動を起こしたからだ。

 

「ヘクトル!」

 

現れたのは青髪の青年。ハングの第一印象は『なんだか面白そうな人』だった。

 

「よぅ、久しぶりだなエリウッド」

 

固い握手を交わす二人。それだけでお互いの関係をハングはすぐに想像できた。

それでなくとも、フェレ侯公子とオスティア侯弟が親友だという話は少なからず耳にする機会が多かった。

 

「でも、どうしてここに・・・」

 

手を放した直後のエリウッドの質問にヘクトルは一歩間合いを潰して答えた。

 

「・・・水くせぇよ、お前。親父さんを探すんだろ?だったら俺にも一声かけろよ」

 

エリウッドは一瞬だけ図星をつかれたように顔に緊張を走らせた。

だが、すぐにいつもの柔和な笑みに戻った。それは悪戯がばれたばかりの子供がごまかす為に笑っているようであった。

 

「だが、オスティアは今新侯爵ウーゼル様のもと、体制づくりで大変な時じゃないか。侯爵には、弟である君の支えが必要なはずだ」

 

間違いなく正論であるその意見をヘクトルは鼻で笑い飛ばした。

 

「兄上は、そんなにやわな男じゃねーよ。表向きはなんだかんだ言ってたが・・・俺が動くの、全部わかってて見逃してくれたみてーだからな」

 

その答えはエリウッドには想定の範囲だったらしい。

エリウッドは今度は素直に安心した笑みを浮かべて再び握手を求めた。

 

「そうか・・・ ならばウーゼル様のご厚意に甘えよう。ありがとう、ヘクトルとても心強いよ」

「まかせとけって」

 

そして、ヘクトルが部下の紹介を始める。それから程なくしてバアトルとドルカスが帰ってきた。

 

ハングは貴族二人から離れ、そちらに声をかけた。

 

「どうだった?」

「全員寝ていたぞ」

 

バアトルの単純明快な答えに少し苦い顔をしてハングはドルカスに視線を向けた。

 

「・・・その通りだ。今、関所の衛兵は皆気絶していた」

 

大方、ヘクトルの一行が関所をつぶしたのだろうとあたりをつけてハングは二人をねぎらう。

 

「ヘクトル?なにか知っているのか?」

 

その時、エリウッドの大きな声が聞こえてきた。

どうもただならない情報があるらしい、ハングはそちらに注意を向ける。

 

「・・・特に、どうってんじゃねえが最近、嫌なウワサばかり耳にする」

 

ちょうどヘクトルが核心を話すところだった。

 

「ベルンの暗殺団が、リキアで不審な動きをしてるとか、腕に覚えのある賞金稼ぎや傭兵なんかが、失踪してるとか、な」

 

ハングは自分の顔が少し固くなるのを自覚した。傍から見ればまずその変化を見抜ける者はいないである程の小さな変化。ハングは静かに呼吸を繰り返して揺らいだ感情に蓋をした。

 

「・・・そういうことなら、さっき襲ってきた男も気になることを言っていた」

「なんだ?」

「エリウッド様、ここは、私から」

 

いつの間にかマーカスがエリウッドの隣にいた。

 

「マーカス!ひさしぶりだな」

「ヘクトル様、おなつかしゅうございます。この度のご加勢、感謝いたしますぞ」

 

さっきまでハングに向けられていた声とはえらい違いである。

 

「かたくるしい挨拶は抜きだ。それで、その怪しい男ってのは?」

「はい。さきほどの野党の首領とおぼしき男・・・やつめはエリウッド様が生きていては都合が悪い者がいる・・・と、そう申しておりました」

「ふん・・・くさいな。そういえば、ここの役人の態度もおかしかったぞ。貴族のおまえが目の前で襲われてんのにわかってて見殺しにしようとしてたぜ」

 

エリウッドは少しだけ考える仕草をして、誰かを探すように視線を周囲に巡らせた。

その視線がハングのところで止まると同時に、マーカスから不信な目が向けられる。

 

「ハングは、どう思う?」

 

ハングは首の後ろを少し指で掻きながら、目元を険しくした。

それだけで、場の空気が一段冷たくなったような気がした。

 

「ここはサンタルス侯爵領。エルバート様がここを通過した可能性が高い。それの手がかりを探しているエリウッドが狙われた。しかも、衛兵もその片棒を担いでいる。考えられる可能性はいくつかあるが、どれをとってもサンタルス侯爵であるヘルマン様になにかしらの虫が付いているのは間違いないだろうな」

 

多少はエリウッドもその結論に達していたのだろう。

彼の驚きは少なかった。

 

「そうだね。やはりすぐに城に向かった方がいいだろう」

 

そう簡単にもいかんだろうがな。

 

そう言いそうになった口をハングは閉じる。

 

「エリウッド、こいつは?」

 

ヘクトルがそう尋ねてくる。そういえば、まだヘクトルとオズインにハングを紹介していないことにエリウッドは思い立った。

 

「ハングだ。父上の行方を捜すために、知恵を借りている」

「へえ、フェレ軍師ってとこか?なるほど、さっきの土砂はこいつの策ってわけだな」

 

なんだかヘクトルの顔が引きつっているようにも見えなくもないがハングは無視した。

ヘクトルは「まあ、いいか」と独り言のように呟いてハングを値踏みするような視線を向けた。

それが、あまり高慢に見えないのはヘクトル本人の人柄がさほど気位が高くないのだろう。

 

「しかし、ハング。ずいぶん若いな。オスティアにも何人か軍師がいるが、お前ほど若い奴はいないぜ。エリウッド、ほんとに大丈夫なんだろうな?」

 

本人を前にあんまりな物言いだったがハングは嫌な気はしなかった。

なんとなく、ハングは自分がこの人物を気に入りだしているのを感じた。

 

「ハングはまだ軍師見習なんだ。でも、僕たちにいつも的確な指示を出してくれる。信頼できる方だよ」

「へえ、じゃあこれからお手並み拝見といくか。よろしく頼むぜ、ハング!」

 

差し出された手をハングは快活な笑みと共に握り返した。

 

「こちらこそ、よろしくお願いしますヘクトル様」

「おいおい、お前は俺の部下じゃあねぇんだ。そこは普通にしてくれ」

「了解。そんじゃよろしく!ヘクトル」

「おう!」

 

エリウッド共々、親しみやすすぎる貴族である。

ハングはつくづく自分の出会いが恵まれていると思った。

 

「それじゃ、マーカスさん。ロウエンを連れて関所までの道を確保してください。関所にまだ残存勢力が残っているなら制圧もお願いします。オズインさんはドルカスさんと共に殿を。関所で一旦合流するのでそのつもりで」

 

ハングの指示のもとに散っていく人達を見ながらヘクトルは早速ハングの評価を変えたのだった。

 

「っと、それと・・・・・・・マシュー」

 

ハングは見知った顔に声をかけた。

 

「ん?ハング、お前マシューと知り合いだったのか?」

「まあ、少しね」

「よっ!元気だったか?ハングさん!」

 

どうやら、マシューは誤魔化すのは無理だと判断したのだろう。

『人違いです』などと言い出すこともなく、普通に接してきた。

 

「で?やっぱり密偵だったわけだ」

「あははは・・・そう、謎の腕利き盗賊は世を忍ぶ仮の姿・・・その正体は、オスティアの密偵だったってことだ」

 

先のキアランの相続問題。

 

そこに潜り込んできたオスティアの密偵。後々の調べで、あの戦いをオスティアが警戒していたのはリンに恩を売るどうこうではなく、危険分子たるラングレンの排除だったという結論にたどり着いた。

 

それがわかり、ハングは大きく息をついたのだ。

 

「ま、これからまた一緒の旅になるみたいだし、またよろしく頼むぞ」

「はいはい、人使いは緩めでお願いしますよ」

「却下だ」

「うへ~・・・あっ、やば」

「逃がすか!」

 

逃げようとしたマシューの奥襟をハングが掴んだ。

 

「あ~~~っ!あなたってば、ハングじゃない!やだ、すっごいひさしぶり!私に会いたかった?会いたかったのね?でしょ、やっぱりね」

 

左右に束ねた髪と止まらない口。ハングは再びセーラと出くわすこととなってしまった。

 

「・・・ようセーラ。元気そうだな」

「あったり前よ!前みたいに助けてあげるから、期待していいわよ」

「ああ、そうさせてもらうよ」

 

ハングが改めてマシューを見ると、疲れた笑顔が返ってきた。

 

「あ、そうだ!ハング、リンとはどうなったのよ!というか、なんであんたがここにいんのよ!ちょっと!あんたリンから何も言われなかったの!?」

 

ハングの顔が苦虫を100匹程噛み潰したような顔になるのを間近で見たマシューは苦労を分かち合える仲間を見つけたかのように笑ったのだった。



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間章~野営の夜~

ハングは剣を片手に戦闘態勢を取る。目の前には赤毛の青年。向けられているのは白銀の突剣。

レイピアを体の正面に構えるエリウッドに対しハングは剣を構える。

 

剣身が通常の剣よりも長いハングの剣。左腕のことを知るエリウッドは右手で握る剣よりも左腕に注意を向けていた。

 

夕刻が近く、辺りは薄暗い。見物人はヘクトル一人。焚火の近くに他に人影はなかった。

 

エリウッドが先に動いた。しなりのある剣がハングに迫る。ハングは体を開いて躱し、反撃。エリウッドはそれを素早く後退して避けた。

 

エリウッドの前に出てくる速度と後退する速度にハングは舌を巻く。

これが突剣の厄介な点なのだ。すなわち、間合いである。

 

ただでさえ、長めの間合いに加えて上体を倒すことで更に間合いが伸びる。

しかも、伸び切った身体に一撃加えようとする時にはエリウッドはもう後退してこちらの間合いから外れてしまう。

 

長い剣を持っているだけのハングとは根本的な間合いの長さが違う。

 

しかも、よくしなるレイピアはただでさえ防御が難しく、捌き方を間違えれば容赦ない一撃がハングを襲う。

 

ハングは既に一回剣を振っただけで敗北を覚悟した。

いくらリンに鍛えられたからといってもリンの剣は斬撃を基本とする剣だ。

突剣を相手にするのは初めてだった。

 

エリウッドが再び切りかかってきた。ハングの頬を剣先が掠める。今度はエリウッドはハングの間合いの内側まで入り込んできていた。

 

この位置なら剣が届く。

 

そう思って剣を振り切ろうとした時、右の肩甲骨付近に感触があった。レイピアの先についた木の覆いの感触だった。

 

エリウッドは剣をしならせ、ハングの背中を斬りつけていたのだ。

その感触を感じた時にはエリウッドは既に後方に飛んでいた。

 

ハングはため息を吐いて、構えを解く。

 

「今ので俺の右肩は上がらなくなってたかな?」

「骨までは達した感触はあったけどね」

 

となると、既に右手は使い物にならないだろう。

 

「俺の負けかな」

「なら、もう一本やるかい?」

「上等!」

 

ハングは再び剣を構え、今度は自分から前に飛んだ。

 

それからも二人はしばらく稽古を続けた。

切り傷、打ち身多数とまではいかないまでも、そこそこに身体が疲れたところでハングは剣を鞘に戻した。

 

「くぁ~・・・」

 

ため息とも奇声とも取れる声をあげてハングは仰向けに倒れた。

その顔を額に汗を浮かべたエリウッドがのぞき込む。

 

「疲れたかい?」

「いや、ただ敗北感に打ちのめされただけだ」

 

エリウッドはにこやかに笑い、ハングの隣に腰をおろした。

ヘクトルもその近くに腰をおろす。

 

「ハング、お前意外と戦えるじゃねぇか」

「何言ってんだ?実戦なら散々ぶった切られてたぞ」

「確かに、腕は間違いなくもいでたね」

 

笑顔で物騒なことを口にするエリウッドである。

 

「それでもだ。エリウッドはこれでも結構やるほうだからな」

「よしてくれ」

 

照れるエリウッドだが、それにはハングも納得である。

ヘクトルは腕を組み、思い出にふけるように続ける。

 

「まぁ、だからこそ見てねぇとこで無茶なことしてないか心配なんだけどな。」

 

そう言ったヘクトルに、ハングは体を起こして言った。

 

「その点ならむしろヘクトルの方が心配だけどな」

「俺はいいんだよ。丈夫にできてるからな。少しくらい無理したってどうってことねぇ」

「まぁ、それもそうか」

 

今は普段着てる鎧を脱いで身軽になっているヘクトルだが、やはりその線は太い。

生半可な傭兵達などよりもよっぽど体格が良く、彼が疲労で倒れる姿など想像もできない。

 

「でも、エリウッドは生まれつきあんまり丈夫な方じゃねぇし、旅にも慣れてねぇんだ。無理を続けると、そのうちぶっ倒れるぞ」

「まぁ、ヘクトルからしてみれば大半の人間はひ弱になると思うけどな」

「ははは、ちげぇねぇ」

 

大声で笑うヘクトルと微笑を浮かべるエリウッド

ハングは二人を見比べる。

 

「とはいえ、戦いは体力だけが勝敗を決めるわけじゃないだろ。エリウッドとヘクトルが手合わせしたら互角だとは俺は思うけど」

 

ハングのその言葉にエリウッドとヘクトルは顔を見合わせた。

 

「ん?どうした?」

「僕とヘクトルは12の時からふた月に一度手合わせをしてるんだ」

 

『ふた月に一度の手合わせ』

 

エリウッドの言葉にハングはふと一年前のことをを思い出した

それはエリウッドと初めて出会った時のことだ。

 

「あぁ、あの時」

「うん、あれはちょうどヘクトルとの手合わせの為にカートレーにいたんだ」

 

そう言えばエリウッドは誰かと待ち合わせをしていることを匂わせていた。

 

「一年前っていうとエリウッドが大遅刻したやつだな」

「なるほど、やっぱり間に合わなかったのか・・・」

 

その原因は主に自分なのでハングとしては苦笑いだ。

 

「で、手合わせではどっちが上なんだ?」

「14勝12敗4分けで僕が勝ち越してるよ」

 

まぁ、ほぼ互角だな

 

などと、ハングが思っていたら横から物言いが入った。

 

「ちょっと待て!確かこの間の勝負で13勝13敗5分けのはずだぜ?」

 

勢いずくヘクトルはそこらのゴロツキよりも余程迫力があったが、ここにいる二人は何処吹く風である。

 

「いや、僕が正しい」

「なんだよ。その自信はどこからくるもんなんだ?」

「学問所での算術の時間、必ず大いびきで寝ていたのは誰だ?」

「・・・・」

 

ぐぅの音もでなくなったヘクトルに対しハングは大口を開けて笑いだした。

 

「ははは!なんだろ、すごい勢いで目に浮かぶな」

「そのせいでいつも木板で叩かれていた。一回は僕もとばっちりを受けた」

「なるほど、ヘクトルが打たれ強いのはそのせいか!」

「お前ら!言いたい放題言いやがって!」

 

飛びかかってきたヘクトルと軽くじゃれあってるうちに出かけていた仲間が戻ってきた。

 

「ハングさ~ん!今日は猪の肉で鍋ですよ~」

「大物だぞぉ!」

 

レベッカを先頭に巨大な猪を抱えたドルカスとバアトルが森から帰ってきた。

 

「おう、んじゃ晩飯の支度といくか」

 

ヘクトルを押しのけて立ち上がれば、まるで見計らっていたように周囲の偵察を行っていたロウエンとマシューがセーラを連れて帰ってきた。

 

「ハング!わたしお腹すいたわよ!!」

「お、すげぇ猪。今日の晩飯は期待できそうだな」

「ハング殿、手伝います」

 

ロウエンの手を借りつつハング達は猪鍋の準備をはじめた。

ハングは地面に降ろされた猪を相手に包丁を構える。

 

「マシュー、オズインさんとマーカスさんも呼んできてくれ。『飯にしよう』ってな」

「了解」

 

そう言ってマシューは夕闇に乗じて消えた。ただの伝令でわざわざそんな芸当をする必要はない。だが、密偵は密偵らしく、である。

 

「ハング、何かできることはあるかい?」

 

そう言ってきたエリウッドの後ろにはヘクトルも控えていた。

 

やって欲しいことは山ほどある。

 

「んじゃ、エリウッドはバアトルさんと竈の支度を頼む。ヘクトルはこっちで解体手伝ってくれ」

「わかった」

「おう!任せろ!」

 

ハングは猪の腹から包丁をいれて皮を履いで行く。慣れた手つきは昔つちかった経験だった。その間にもロウエンとレベッカは二人で鍋の下準備をしている。

 

その様子は仲睦まじい夫婦にも見えないこともない。

 

フェレを出てからこの部隊の食事係となっている2人であるが、なんとなく一緒にいる時間が長くなっているように思う。

 

「騎士様、山菜持ってきました」

「レベッカさん何度も言っている通り、私は従騎士なんですが」

「いいんです!気分なんです」

「は、はぁ・・・」

 

ハングは猪の内臓を丁寧に抜いていく。腸管や膀胱を傷つけてしまえばせっかくの肉が台無しになる。ハングは手際よく解体を進めていく。

その手捌きにヘクトルは驚いたように目を見開いた。

 

「お前、随分と慣れてるな」

「昔はこういうのが日常だったからな」

「なんだ?食えない傭兵団にでも居たのか?」

 

傭兵団

 

その響きにハングは真っ先にリンディス傭兵団を思い出したが、あそこでは解体はあまりやらなかった。

 

これを学んだのはもっと前のことだ。

 

ハングがリンに出会うもっと前。

 

「ま、似たようなもんかな」

「ふぅん」

「あ、ヘクトル。首のほう持ち上げてくれ」

「おう」

 

ヘクトルとドルカスに手伝ってもらいながら解体は進む。

 

なんだかこうしてると深刻な理由で旅をしているようにはまるで見えない。それでも、こんな日があってもいいとハングは思う。こんな、ただの野宿のような日々も決して悪くはない。

 

細かく分けた肉から水を張った鍋に放り込んで竈にかける。火の調節はエリウッドが買って出た。煮立ったところで食材を追加していけば、あっという間に周囲に食欲をそそる香りが満ち満ちる。

 

「美味しそうな匂いがしてますね」

 

伝令から戻ってきたマシューが口の周りの涎をぬぐう。

それに続くように、オズインとマーカスも戻ってきていた。

 

「エリウッド様!竈の番など!!そのようなことはこのマーカスめがやります」

「いいんだ、これは自分から言い出したんだ。マーカスももう少し待ってくれ」

 

エリウッドは楽しそうに竈の火に風を送っていた。

エリウッドは話しやすい相手であるとはいえ、貴族の端くれである。普段からこんなことはしないからこそ、新鮮で面白いのだろう。

 

「ハ~ン~グ~お~な~か~す~い~た~」

「だったら手伝えセーラ」

「私にお肉の解体をやれっていうの?」

「あ~・・・無理だな。もう少しおとなしく待ってろ」

「う~・・・・」

 

そんなセーラの唸り声の間を縫って、ロウエンが話しかけてきた。

 

「ハング殿!こちらの部位はどうしましょうか?」

「保存食にしたいとこだよな」

「はい、となるとやはり燻製ですかね。竈をもう一つ作りましょう」

「ドルカスさん、こっちはいいからロウエンさんを手伝ってくれ」

「・・・わかった」

 

 

野宿の夜はふけていく。

 

夕飯の香りを漂わせながら。

 



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13章~真実を求めて(前編)~

「嫌な空だな・・・」

「え?」

 

関所を抜けて更に西へと足を進めたエリウッド一行。

突然、呟いたのはハング。それに反応したのが隣を歩いていたレベッカであった。

 

「どうかしたんですか?ハングさん」

「ああ、うん。ちょいと空がな」

 

レベッカそっちのけで再び空を眺めるハング。

その視線は鋭く、何かを凝視しているように見えた。

 

「ハングさん?」

 

少し不安げな声をレベッカがかけてもハングは振り向かない。

突如、挙動がおかしくなったハングを隣にして、レベッカは助けを求めるように周囲を見渡した。それに気が付いたのは後方を歩いていたドルカスだった。

 

「・・・どうかしたのか?」

「あ、そのハングさんが・・・」

 

ドルカスはガタイは大きいが、そこから威圧感などが発せられることは日常では稀である。彼はどちらかというと大樹のような静かな存在感を持っている。

そんなドルカスが隣に来てくれてレベッカは安心感から息をつけた。

正直、今のハングの側は空気が重かった。

ドルカスは何も言わずにハングの横顔を見つめた。

 

「・・・放っておけ」

 

その答えがこれであった。

 

「え、でも?」

「ああ、ちょいと黙っててくれるか?」

 

ハングからもそう言われ、レベッカは単純に驚いた。

完全に明後日の方向を向いていたハングがこちらの話を聞いているとは思ってなかったのだ。

 

「すぐ済む」

 

ハングのその言葉を最後に沈黙が訪れる。

 

『沈黙』とはいえ、前方ではロウエンがマーカスになにやら説教を受けていて、後方ではセーラがなにやらマシューとヘクトル、ドルカスの三人を相手に騒いでいた。

更にその後方ではエリウッドとバアトルというなかなか奇妙な組み合わせが今までのバアトルの傭兵人生の話をしていた。

 

この度の面子はなにかと騒がしい。だが、ハングの周りだけはなんだか妙な静けさに包まれていた。

ハングは普段からお喋りというわけではないが、彼が黙るとなんだか音が減ったような気になるのだ。

 

しばらくして、ハングはため息を吐き出した。

 

「・・・少し、天気が荒れるかもな」

「雨か?」

 

最もありそうな答えをドルカスが提示した。

 

「雨だけなら・・・まぁ、いいんだけどな」

 

ハングは渋い顔をしながらそう答えた。

ハングは占い師ではなく軍師である。天候が戦局をひっくり返した事例など枚挙にいとまがないことを知っている。雨で地面が泥濘となれば、騎馬部隊や重装歩兵の機動力は激減する。この部隊にとっては非常に『嫌な空』である。

 

「ハング、さっきから何を考えている?」

「知りたいですか?どうしても、というなら教えますけど?」

 

ハングはそう言って不敵に笑ってみせた。

ドルカスは苦笑ともため息ともとれる息を漏らした。

 

「俺にはそんなに学は無い。お前がやりたいようにやればいいさ」

「その台詞をこの軍のお偉いさんが言ってくれれば苦労はないんですけどね」

 

 

ハングが目を向けたのはこの軍の大黒柱とでもいえるようなお人。マーカス将軍である。

いまだロウエンに説教を続けるマーカスにレベッカも少しきつい視線を向ける。

 

「しかし、言っても仕方ないですね。俺は本当に部外者だから」

 

自嘲気味に笑うハング。そんなハングに対してドルカスは口を開いた。

 

「ハング、お前は旅の軍師だ。信頼は実力で勝ち取れ・・・お前にはその力があると俺は思ってる」

 

ハングは驚いたようにドルカスを見上げた。

 

「・・・・・・」

 

ドルカスの顔はいつもと同じだ。だが、その目には真剣な光が宿っている。それは絶対的な信頼の裏返し。ハングは困ったように鼻の頭をかいた。

 

ハングはいつものらりくらりと自分を話題の中心から外すように話をもっていくものだから、こう真正面から評価されることに慣れていないのだ

 

「・・・まいったな・・・」

「お前は・・・時々、自己評価が低すぎる」

「・・・実際半人前ですしね」

「そうなのか?」

「そうですよ」

 

肩をすくめるハングと硬い表情を崩さないドルカス。

その横顔を見ながらレベッカは少し安心していた。

 

レベッカはハングの人間らしい部分を見た気がしていた。

 

「さて、問題はこっから先だな」

 

ハングはいよいよ近づいてきたサンタルス城に向けて気持ちを切り替えた。

既に、遠くで雷鳴が響き出していた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「エフィデル殿!これはいったいどういうことだっ!!」

 

雷鳴が響くサンタルス城内。

稲光に照らされる室内には二人の人影が映し出された。

 

一人はサンタルス侯ヘルマン。普段は温和な顔を赤く染めて憤怒にかられている。

 

「どうなされた、ヘルマン殿。少し落ち着かれよ」

 

 

そして、もう一人。黒いフードを目深に被った男

 

エフィデル

 

彼は迫り来るヘルマンを無感情な声で迎えた。

普段は気味が悪いそれも、今日この時だけはヘルマンの神経を逆撫でする要因にしかならない。ヘルマンは更に一歩エフィデルに詰め寄った。

 

「そなたは、エリウッドを脅かすだけだと言ったはず!それを始末するだなどと・・・」

 

ヘルマンとて侯爵の一人。その程度の情報を集めることなど造作も無い。

 

関所にいる兵の壊滅。谷の仕掛けの使用。エリウッドと山賊の戦闘。

 

情報を整理すればエリウッドが何をしたのか、目の前の男が何をしようとしたのかは明白だった。

 

「もう、我慢できん!」

 

ヘルマンの怒りの声に雷鳴が混じる。

 

「わしはエリウッド何もかも打ち明け、詫びることに決めた」

 

窓から差し込む雷光。その光の下でエフィデルの瞳が陽炎のように揺らめいた。

 

「我らを裏切るおつもりか」

 

先程までと何ら変わらぬ声音。なのに、それは聞く者の神経を逆撫でし、畏怖を抱かせる。それは人の声というよりも闇より迫る怨嗟の唸りのように感じられた。

 

だが、頭に血を登らせたヘルマン気づかない。

 

「そなたにも、【黒い牙】にももううんざりだ!!ただちに、わしの城から姿を消されよ!目障りだ!!」

「ヘルマン殿・・・どうあっても、お考えは変わられませんか?」

「くどい!!」

 

窓の外が光る、そして雷鳴がとどろく。

 

「ならばあなたにも用はない」

「なにっ!?」

 

ヘルマンが気づいた時にはもう遅かった。

エフィデルはヘルマンの目前にいた。

 

次いで生じたのは焼けつくような痛みだった。

 

「ぐっ・・・」

 

わき腹がやけに熱い。痛みが衝撃となって神経をかけあがり、脳へと伝達される。

 

ヘルマンには覚えがあった。これは身を刃に貫かれた時の痛みだ。

 

臭いがした。鉄の臭いと血の臭い。

 

それが自らの口から溢れる血のりだと気づいたのはエフィデルが少し離れてからだった。ヘルマンの足から力が抜けて、立ちくらみのようにその場に座り込む。

 

だが、その姿勢すら保つことも出来ずにヘルマンは前のめりに倒れた。

 

「ふむ、裏切りには死の制裁を・・・か」

 

エフィデルの呟くような自嘲するような言葉を頭上で聞こえてくる。

 

ヘルマンの眼から涙がこぼれ落ちた。

 

死への恐怖からなどではない

 

『ヘルマンさま!みてください!こんな生き物を見つけました』

 

あぁ、懐かしい・・・

 

幼き頃のエリウッドが視界中に浮かんでは消える。

 

『こら、エリウッド。失礼だろう』

『そう言わずともよいではないか、エルバート殿』

 

遥か昔という程ではないのに、思い出は色褪せ、細部を思い出すことができなくなっていく。

 

あの時、エリウッドが見つけた生き物はなんだったのだろうか?

 

自分も歳をとった。涙に霞む世界で、色合いが近い時代の記憶に成り代わる。

 

『ヘルマン殿!一体何を考えているのですか!そんなことになれば・・・』

『エルバート殿、少し黙っていただけるか。今はヘルマン殿とは私が喋っておるのだ』

『くっ!失礼する!!」

 

ラウス侯・・・ダーレン・・・

 

悔やんでも・・・悔やみきれぬ・・・

 

エリウッド・・・

 

どこか、遠いところで再び雷鳴が轟いた

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

エリウッド一行は山を迂回し、ようやくサンタルス城が見える平原へと辿り着いた。

 

「エリウッド、城が見えたぞ」

「なんとしてもヘルマン殿にお会いしなくては・・・」

 

 

サンタルス城はその東と北を川に囲まれている。

山間の為に道が限定される上に橋を落とせば渡河を余技なくされ、防御しやすそうな土地に建てられた城だ。

しかも、栄養が豊かな泥を上流から流してくれる川のおかげで肥沃な土地が広がり、籠城するための食糧にも事欠かないだろう。

 

ハングの第一印象はそんなとこだった。

 

普段であれば穏やかな麦畑と豊かな自然が目を楽しませてくれそうな土地であるが、曇天の空の下ではその景観も沈んだものに変わっていた。

 

遠くの山間で一本の光が地に落ちる。

しばしの間の後、鼓膜を突き破るような爆音が響いた。

 

「キャッ!!な、なにごと!?」

 

可愛い悲鳴と共にその場に腰を抜かしてしまったのは予想外にセーラだった。それに対してレベッカはケロリとしていた。

あのセーラが怯えている様子はなかなか見ものだった。

 

ハングはしゃがみこんでしまったセーラに手を伸ばした。

 

「ったく、セーラ。大丈夫か?」

「へ、平気よ!たかが、雷でしょ?」

 

再び雷鳴。

 

「キャー!」

 

本物の悲鳴をあげてしゃがみこむセーラ。

 

そこまで苦手なのか・・・

 

ハングはしばし目を丸くしていたが、すぐに眉間に皺を寄せた。

これでは戦闘どころではない。これは御守りに誰かつけるべきかと思案する。

 

ハングはオスティアの面々の顔を見ていく。

 

ヘクトルは何も考えてなさそうな顔で、マシューはあからさまに嫌な顔をしていた。

 

それでは、と、オズインと目を合われば、意外にも首肯を返してきてくれた。

 

「そんじゃ、オズインさん。後は頼みます」

「わかりました、軍師殿」

 

固い声で返事がくる。

 

ハングはヘクトルに対しても敬意を払っていない。その点から、オズインもマーカス同様にハングに比較的いい感情を抱いてはいなかった。

もちろん、マーカス程に敵意まで向けてくることは無いがハングとしては気が詰まる。

 

かといって、今更敬語に戻しても今度はあの変わり者の貴族二人が嫌な顔をするのだ。

だったらハングとしては過ごし易い方を重要視するしかない。

 

「さて、サンタルス城に向かうとするか」

 

再び稲光。叫んで動かなくなるセーラ。オズインさんとセーラには遅れて来てもらおうということで、ハングは歩を進めた。

 

だが、数歩もいかないうちにハングは足を止めることとなった。

 

「ハング?」

「ハングさん?」

 

すぐに声をかけてきたのは後ろを歩いていたエリウッドとレベッカ。

ハングはゆっくりと周囲を見渡した。

 

「これは・・・なんか臭いな」

 

後ろから複数名が臭いをかぐ仕草をした

 

ハングは苦笑をする。

 

そういことじゃねぇよ・・・

 

ハングがそう口に出そうとした時、エリウッドが突如ハングの前に出た。そして、すぐさまヘクトルもハングの前で斧を構えた。

 

「伏兵だな・・・ハング、敵がこの程度の人数で俺達を相手取るわけねぇよな?」

「お見事、いい勘してるな」

 

まるで、動物並みだ

 

そんなハングの心の声が聞こえたわけではないだろうが、ヘクトルは鋭い視線を向けてきた。

ハングはそんなことを気にとめずに片手をあげ、後続に停止と戦闘準備を伝える。

 

「こんなヘルマン様お膝元まで来て、敵に出会うなんてな・・・」

 

エリウッドの眉間に鋭い皺が刻まれていた。

 

「それだけ、状況は切迫してるってことだ・・・エリウッド、時間がないかもしれない」

 

エリウッドはわずかに頷いた。

ここはサンタルスの最深といってもよい。そんな場所に潜む明らかな殺意。それは指揮系統の頭にヘルマンがいない可能性を示していた。

 

『いない』というのが、どこかに捕らわれているだけなのか、それともそれ以上に悪い状況に陥っているのかはわからないが。

 

ハングも自分の剣を引き抜く。

 

ハング達はそれぞれが距離を置き、全包囲を警戒するような陣形を整える。

わずか傾斜の影や、小さな茂みの裏。そこかしこに潜んだ殺意が見え隠れする。

 

しかし、こちらがあからさまた戦闘態勢を取っても飛び出してこない。どうやらある程度は頭の回る指揮官がいるようだ。

 

「ハング・・・どうする?」

 

ハングは一つ小さく息を吐き出して頭の中で現在の状況を組み立てていく。

相手は相当な人数だ。全部に付き合うわけにはいかない。

 

「エリウッド、ヘクトル」

 

ハングに呼ばれ、前方を警戒しながら歩み寄る二人。彼等にハングは今回の作戦を告げた。

 

「ハング・・・君って人は・・・」

「よくもまぁ、そんな策が浮かぶもんだ。ついでに言うとそいつをよく実行する気になったな」

「『定石は思考の果てにたどり着く、奇策は発想の果てにたどり着く』」

 

ハングは有名な戦術家の言葉を引用したあとに口元で不適に笑った。

 

「両者を備えてこその軍師ってわけだ。さぁ、それぞれの部隊は任せたぞ。俺は念のためにヘクトルと行く」

 

ハングは後ろを振り返る。

 

「レベッカ」

「は、はい!」

 

甲高い返事が聞こえる。

 

「挑発には先制攻撃で返すのが俺の流儀だ」

 

レベッカはハングが見せる笑みに釣られて笑顔で返事をした。

 

「わかりました」

「よし、戦闘開始だ」

 

風を切り裂くような音を奏でて、矢が走って行った。

 



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13章~真実を求めて(後編)~

戦闘が始まってまだ間もない。

だが、明らかに血の匂いが風に乗りだした。

 

この臭いが好きか嫌いかと聞かれれば多分自分は嫌いだと答えるのだろう。自分が好きなのはもっと澄んだ風だ。それは『澄みきった』と言い換えてもよいかもしれない。

 

透明感に満たされ、触れる者を切り裂くようにして駆け抜けていく風。

 

故郷では乾季が訪れるといつもその風が吹いていた。

 

馬に乗ってその中を駆ければ目は開けてられないし、あっというまに唇がひび割れる。

だが、そうやって人を拒絶しながらも同居することのできる草原の風が自分は大好きであった。

 

風と共にいつもあった昔を思い出して、少年は一つ溜息をついた。

 

「おい!そこの新入り!!ヘマしたら、すぐにでもクビだからな!!」

 

そんなつまらない感傷に浸っていた自分を現実に引き戻したのは明らかにガラの悪い男だった。

 

少年の名はギィ

 

まだ、幼さの残る顔立ちにサカの民族装束に身を包んでいる。サカの民によく見られる緑がかった髪を後頭部付近で三つ編みにして一本にまとめ、手には幅の広い片手剣を持っている。

 

少年はうんざりしたかのように言い返す。

 

「わかってる!おれだって、やっと見つけた仕事をなくしたくないからな!!」

 

戦いの騒乱が近づいてきている。敵は確実にこちらに迫ってきていた。

今回の敵はなんでもフェレの貴族だとか。その首一つで相当の賞金が出るという。

 

「お!まだ、狩られてねぇらしいな!大金は俺のもんだ!!」

 

周り似る連中が威勢よく飛び出していく。

どいつもこいつもろくでもない奴らばかりだ。

 

「うさんくさいヤツらだ。本当は、関わらないほうが利口なんだろうけど・・・稼がないと、メシにありつけないしな」

 

少年は自分の愛剣を鞘にいれたまま手の甲でクルリとまわした。

 

「仕事選り好みしすぎてキアランで行き倒れた時のことを思うと・・・アー!しゃれになんねー!」

 

一人でぶつぶつと呟く間も剣をくるくると回すギィ。まるで一種の曲芸のようだ。

 

「あの男・・・マシューっつったかな?あいつがいなければ、おれ飢え死にするとこだったもんな・・・」

「おい、なにブツブツ言ってやがる!さっさと来ねーか!!」

「はい、はーいっと!」

 

少年は自分の背中で剣を投げ上げ、肩から滑り落ちてきた柄を受けとめる。

そして、流れるようにして鞘から刀身を抜き放った。

 

「ま、とにかく仕事だ、仕事!!」

 

剣を肩に担ぎ、走り出すギィ。

だが、その直後。

 

「な、なんだ、ありゃ!?」

 

ギィはすぐさま足を止めてしまった。

 

「オラオラ!どうしたてめぇら!こんな腰抜けしかいないのか!」

「ヘクトル様、あまり前に出ませんように」

「そうっすよ、若様!若様の体がいくら丈夫で打たれ強くて、盾にも壁にも最適だとしてもしてもあまり前に出ないでください」

 

目の前に敵集団が足を一切止めずに突撃してきていた。

その進軍速度は尋常じゃない。

こちらは数十人単位で展開していたはずなのに、まるで歯牙にもかけずに突撃してくる。

 

「マシュー・・・お前な・・・言いたい放題・・・」

「ヘクトル!前見てろ!お前が肉壁にならねぇと俺らがあぶねぇ!」

「キャーーー!ハング!ハング!また雷落ちたぁ・・・もう・・・やだぁ・・・」

 

二人の重装歩兵と剣士二人、それとシスターという五人の集団に押されている。

突撃してくる重装歩兵がまるで止まらない。周囲のゴロツキ共をまるで枯葉のように吹き飛ばして進んでくる。

 

斧を持った男が突撃し、その周囲を槍と剣が埋めていく。こちらが少しでも攻撃を加えても、中心のシスターがたちどころに治癒してしまう。固まって動く集団はまるで一匹の獣だ。

 

ギィは瞬時に勝てないことを悟った。

 

一対一の一騎打ちならまだしも、敵味方入り乱れての白兵戦。有象無象の集団じゃ絶対に勝てない。

それは剣士の勘というよりも部族全体で狼や山賊と戦っていた頃の遊牧民の経験だった。

 

「こりゃ、本当にやばいかも・・・」

 

だが、目の前の集団はあろうことかこちらに向かってきている。

 

ここで奴らに背を向けるのは簡単だ。

だが、逃げようとする足をギィの中の矜持が押しとどめる。

 

「くっそ!逃げ傷だけは絶対につくんねぇって決めたんだ!やってやらぁ!」

 

そうやって自分を叱咤するギィ。叫びをあげているうちに敵はもう目前まで迫ってきていた。

 

「うぉおおおおおおお!!!」

 

やぶれかぶれの突撃。重装歩兵は相手にできない。ギィの狙いは剣士の方だ。

ギィは持ちうる最速の剣を黒髪の男に向けて振り切った。

 

「ったく・・・」

「なっ!!」

 

だが、あろうことかその男はギィの剣を左腕の前腕で受け止めたのだ。

ギィはその行動に戦慄する。例えその服の下に籠手を巻いていたとしても、一歩間違えれば腕と首が飛ぶ。

そして、その一瞬の動揺がギィの戦いを終わらせたのだった。

 

「邪魔ぁ!」

「うわぁぁ」

 

ギィの剣を止めた男は左腕で剣を跳ね上げ、無防備な顔面に拳を叩き込んだのだった。

 

ギィの視界が突然真っ白になり、吹き飛ばされて無様に大地に転がる。鼻っ柱が焼けるように痛み、鼻の下から顎にかけて生暖かい液体が流れ落ちていた。

 

「ふがぁ・・・」

 

鼻の奥から口に流れ込んできた鼻血を吐き出し、地面にうずくまる。息が詰まる衝撃とはこのことだった。それほどにきつい一撃だった。

ギィは戦いの音が遠ざかっていくのを耳だけでとらえる。奴らはギィを雑兵の1人として跳ね飛ばし、そのまま前進を続けていた。

 

ギィは服の袖で鼻血をぬぐった。

 

「負けたままで・・・終われるかよ!」

 

立ち上がろうとして膝が砕け、手で身体を持ち上げようとして肘が砕けた。

剣を杖替わりにしてなんとか立ち上がる。

ギィは目に闘志を燃やして、敵を振り返った。

 

「あれ、なんだお前ギィじゃないか!」

 

自分の体が硬直したのがわかった。

 

「久しぶりじゃねぇか、おい!剣の腕はすこしはマシになったか?」

目の前に、考えの読めない笑みを浮かべてこちらを覗き込む人がいた。

 

マシューだ。

 

「っと、ハングさんに殴り飛ばされるぐらいだからあんま成長してないな。こりゃ、失敬」

 

『今の物言いの方がよっぽど失敬だ』と、言おうと思ったがうまく口が動かない。

 

「まぁ、お前さんとこうやってまた会えたのも何かの縁だろうな」

 

一人勝手に頷くマシュー。ギィは言いたいことは五万とあったがそれ以上に体が動かなかった。さっきの一撃は自分が思っていた以上に効いていたらしい。

そんなギィを見据え、マシューは後ろを振り返って声を張り上げた。

 

「ハングさ~ん!俺のことは気にせずにお願いしま~す!」

 

そして、マシューはギィが杖替わりにしていた剣を蹴り飛ばした。

 

「ぐえっ!」

 

まだ足腰のおぼつかないギィは重力に引っ張られるまま地に伏せる。そしてマシューはギィの背中に腰掛けたのだった。

 

 

ハングはそんなマシューを見ながら片手をあげて全員の進軍を止めた。

強引な攻めを繰り返したおかげでヘクトルとオズインの息があがっている。これ以上前進して敵に包囲されれば危険だった。

 

仕込みは十分。ハングはそのまま少しずつ後退するように指示を出す。

敵はこちらが限界だと思ったのか、残りの兵力をつぎ込む勢いでこちらに群がってきていた。

 

だが、ハングにはそのさらに奥に展開している部隊が見えていたのだ。

 

エリウッドに率いられた部隊が敵の裏手から城門の指揮官に突撃しようとしていた。

サンタルス城の城門に陣取っていた敵指揮官は6対1という絶望的状況に陥っていた。

 

今から兵を呼び戻してもとても間に合わない。

 

ハングは敵指揮官の首が宙を舞ったのを見届け、声を張り上げた。

 

「おいっ!てめぇら!てめぇらの雇い主はもう首だけになったぞ!てめぇらに報奨金はもう二度と出ねぇ!!」

 

まさに狙いすましたかのようなタイミングだった。

ハング達が後退したおかげで、敵は包囲しようと輪を広げる途中。頭に僅かばかり冷静な部分を残している時にそんなことを言われれば誰しもが後ろを一度振り返る。

 

そして、ハングの言った通り、指揮官は打ち取られ、エリウッドの部隊に挟撃されようとしている。

敵が三々五々に散っていくのにそう時間はかからなかった。

 

「ふぅ・・・ま、上々かな・・・」

 

ハングは逃げていくゴロツキ共を見送りながら息を吐いた。

 

ハングは最初から敵を全て相手取る気はなかった。サンタルス候に一刻も早く会う必要があるのに、そんな悠長なことはしていられない。

そのため、敵指揮官に自軍の半分を割いて突撃するなどという強硬策に出たのだ。

ヘクトル達はいわば囮、派手に暴れて目立って敵の注意を引き付ける。その間にエリウッドの部隊が機動力を生かして回り込んで敵指令を討つ。

エリウッドとハングという優秀な指揮官が二人いるからこそできる芸当だった。

 

そんな前線を見届け、マシューは楽しそうに自分の下にいるギィに笑いかけた。

 

「いつまで乗ってんだぁぁあぁ!」

「おっと」

 

突然飛び起きたギィにマシューは軽々と跳び退く。

もちろん、その時に背中を踏み台にすることは忘れない。

再び地面に叩きつけられたギィ。彼は回復してきた手足を突っ張り、なんとか立ち上がることに成功した。

 

「なんなんだいきなり、気が短い奴だな」

「うるせぇ!俺とあんたは今や敵同士だ!馴れ合うつもりはないからな!」

 

そうは言うものの、既にここは戦場とは離れており、戦いの優勢は既に覆らないものになっている。

そんな中でギィが殺気を放つものの、滑稽としか言いようがなかった。

 

「へえ、お前、俺とやるってのか?」

「ああ。今のおれの剣ならあんたにだって負けない」

「ほうほう、で、剣はどこにあるんだ?」

「はぁ?んなもんここに・・・」

 

ギィは自分の鞘を見るが、そこには空っぽの空間が広がっていた。

改めてマシューを見ると、彼の人差指の先で均衡を保っている剣が一本。違うことのなき、ギィの剣だった。

 

「あ、てめ!返せ!」

「ほらよ」

「っと!わぁぁ!」

 

抜き身の剣がいきなり投げつけらギィは大慌てで後ろに飛びのいた。

 

「あ、危ないだろ!」

「ははは、わるいわるい」

 

完全に弄ばれているのだが、それでもギィはめげない。剣を急いで拾い上げて、改めて剣を構える。

 

「さぁ、勝負だ!!」

「勇ましいな。それじゃあ・・・」

 

マシューは懐に手を入れた。短剣を取り出すかとギィは身構える。

だが、マシューが取り出したのは一本の茎だった。

 

「へ?」

 

唖然とするギィに見向きもせずにマシューはそれを口に咥えた。

 

「ん~・・・甘い。ハングさんもいいこと教えてくれたよな。間食にはちょうどいいや」

 

明らかに戦う気のないマシュー。茫然とするギィを見てマシューは口元で笑った。

それはまるで獲物を見つけた悪魔のような笑みだった。

 

「さて、ギィ。あん時の貸しでも払ってもらおうか」

「・・・え?」

 

ペースを乱した状態からいきなり話を切り出され、ギィの頭は白紙のまま交渉の席に付かされた。こうなってしまっては、交渉は負けも同然である。

 

「忘れたとは言わせないぞ。行き倒れてたお前にメシめぐんでやったろ?」

 

ギィの顔から途端に血の気が引いて行く。

 

「あの時、お前『なんでもいうこと聞く』って言ったよな?」

「そ、そう言ったら食わせてやるってあんたが言ったからだろ!十日食ってない俺の目の前で肉焼きやがって・・・や、やり方がきたねぇぞ!」

 

もちろん、そんな反論で手を緩めるマシューではない。

 

「確か・・・サカの民はウソつかないんだよな、ギィ?」

「ぐぅ・・・」

 

かろうじてぐぅの音は出たが、ギィに逃げ場は無かった。

 

「わかったよ!あぁ!これでせっかく見つけた傭兵の仕事がパァだ!」

「ははは、安心しろよ。俺らについてる限りメシは世話してやるからよ」

「・・・・」

 

最早、ぐぅの音すら出なくなってギィは打ちのめされたのだった。

 

 

 

ギィでマシューが遊んでる間にもハング達はサンタルス城に到着していた。

 

「マーカスさん!オズインさん!周囲の制圧をお願いします!ヘクトル、エリウッド!中に入るぞ!」

 

各々の返事を待たずにハング達は城に飛び込んだ。

城の中には残党などはいない。城の廊下を駆け抜けていると、城の文官に出会った。こちらの身分を告げると、文官は慌ててヘルマンの居室に案内してくれた。

 

「ヘルマン様!!」

 

飛び込んだエリウッドは息を飲んだ。

部屋の中は既に血の海だった。

 

ヘルマンは医師やシスターの応急手当てを受けていたが、その人達の顔を見れば今の状況がすぐにつかめた。

 

「・・・エリウッド・・・か?」

 

弱々しい声はともすれば風の音にすらかき消されそうな程に小さい。雷鳴が時折響く中ではならなおさらだった。

 

「しっかりしてください!」

 

エリウッドがヘルマンの側に駆け寄る。

ヘクトルとハングは入口に佇んでいた。

 

「わしは・・・おまえに謝らねばならない・・・おまえの父・・・のこと・・・だ」

 

その言葉を聞くだけで、エリウッドとヘクトルは表情を激しく変えた。

 

「何か、知っておられるのですか?」

「わしが・・・・・・ダーレンの企みを・・・・・・エルバートに話したり・・・せねば・・・こんな・・・こと・・・には」

 

ヘルマンが咳き込む。その吐息一つ一つに朱色の霧が混じる。

息も絶え絶えにヘルマン最期の力を振り絞ってエリウッドの目を見つめた。

 

「ラウスへ・・・行くのだ・・・・・・・ダーレンなら・・・全て・・・知っている・・・」

「ラウス侯が!?」

 

再び酷い咳が起こる。ヘルマンが呼吸をするたびにヒューヒューという音が混じる。息苦しそうない吐息を無理やり押さえつけ、ヘルマンは再び口を開いた。

 

「すまない・・・エリウッド・・・わしは・・・もう・・・」

「しっかりしてください!!」

「黒い・・・牙に・・・気を・・・つけ・・・」

 

雷が鳴り響く。手を尽くしていた者たちが手を止める。

 

「・・・亡くなった・・・」

 

ヘクトルのその声がやけに大きく響いていた。

その隣でハングは胸に手を当てて頭を垂れていた。

『感謝』と『弔い』を兼ねて。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ヘルマン様・・・・・・どうして・・・・・・・・・こんなことに・・・」

 

あてがわれた部屋で意気消沈するエリウッド。

 

「ちくしょう!・・・どうなってんだよ」

 

共にいたヘクトルは腹立ちまぎれに手近な椅子を蹴り飛ばした。椅子の足がもげ、気の無い音がカラカラと部屋に響いた。ハングはヘルマンの死を確認した途端に宰相と共にどこかへと消えた。他の仲間もそれぞれ部屋に案内されている。

 

部隊の皆はハングが状況を説明したようで、この部屋には皆遠慮して入ってこない。

沈黙を破るように時折雷が落ちるのみで部屋の中は静かなものだった。

 

エリウッドは胸の喪失感を激しく感じていた。

祖父のように慕っていたヘルマンが目の前で無残な最期を遂げたのだ。その衝撃は大きいだろう。

 

そんなエリウッドに何もしてやれないヘクトルもまた苛立ちのやりどころが見つからず、普段はこぼすことのない溜息を何度も吐き出していた。

 

「ったく、ハングの奴は何をしてやがる!」

「彼はこの領地に混乱を残さないように手伝ってるんだよ」

「でもよ!こんな時こそ軍師が俺達の隣でこれからのことについてあれこれ助言するもんんじゃねぇのか!?」

 

ヘクトルのぶつけどころのない怒りがハングに向かっていく様子にエリウッドは苦笑した。

 

「ハングはもう内心では次の行動を決めてると思うよ」

「あぁ!?どういうことだよ?」

 

ヘクトルは山賊もびっくりするほどドスの効いた声をあげた。だが、幼少より度々聞いているエリウッドからすれば何のことはない。

エリウッドは苦笑したまま続ける。

 

「僕達が進むか否かに関わらず、彼はきっと進み続ける・・・ハングには・・・なんだか別に目的があるみたいなんだ」

 

ただ、行く先が同じだから共にいるだけ。

 

もちろん、それが全てではないだろうが、その意味合いが最も強いのだとエリウッドは感じていた。

だからこそ歴戦のマーカスやオズインに受け入れてもらえないのだ。

 

「ハングは僕が次の行動を決めない限り、助言はしてくれない」

 

ハングは今回のことでエリウッドを試しているのだろう。

 

『ここで引き返すような腰抜けに用は無い』

 

ハングはきっと『進むか否か?』の質問は最初から聞く耳を持ってくれない。

それを決めるのはこの旅を始めたエリウッドの責任だとでも返してくるに違いない。

 

彼が求めているのは『今後どうすべきか?』『どこに向かうべきか?』という質問だけだ。

 

彼はいつもこちらの意志を問うてくる。

その上で道を歩くことを選べば、彼は常に背中を押してくれる。

 

エリウッドは疲れた顔で少しだけ笑った。

 

こうやって彼の考えを読むからハングはよく嫌味のように言うのだ。

 

『狸貴族』

 

耳元でその声が聞こえたような気がして、エリウッドは顔をあげた。

 

「・・・ラウスへ行こう。ラウス侯ダーレン殿に話を聞かなくては・・・」

「ああ、そうだな」

 

こうと決まればヘクトルの動きは早い。

 

「よし、すぐに発とうぜ。今日中に、どこまで行けるかわかんねーけど・・・じっとしてらんねぇ」

 

 

そして、ヘクトルが扉に足を向けた直後にまるで見計らっていたかのようにハングが現れた。

 

「お、決まったって顔だな。エリウッド・・・どうすんだ?」

「ラウスに向かう」

「そうこなくっちゃな」

 

それだけ言い残し、ハングは再び廊下に飛び出していく。

 

「ハング!てめぇ今までの会話絶対聞いてただろ!!」

「はぁ?なんのことだよ?」

 

そんなハングをヘクトルが追いかけていく。

エリウッドも後に続こうとして、もう一度部屋を振り返る。

ここは、エリウッドが子供の頃から案内されていた部屋である。

 

この部屋にはヘルマンとの思い出が色濃く残っていた。

 

「・・・・・・ヘルマン様・・・どうか、やすらかに・・・」

 

その言葉を最後にエリウッドは扉を閉めた。

 

雷鳴はまだ鳴りやまない・・・

 




ここ数日で急に閲覧者数やお気に入り登録が増加して不思議に思っていたんですが、いつの間にか日間ランキングに入っていたようです。

多くの方の感想・評価・お気に入り登録ありがとうございます。
これを励みにまた、書き続けていきます。

とはいえ、4月に入り、リアルが忙しくなりそうなので更新頻度が多少落ちるかもしれません。ご了承ください。


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13章外伝~行商人マリナス(前編)~

リキアは大小様々な領地が色分けされた地図のように隙間なく土地を埋めている。

この世に誰の物でもない土地は存在せず、どの大地にも権利書による取り決めがなされている。その中には細長く伸びた領地や、飛び地になっている領土も存在する。

 

エリウッド達が通過しようとしてるのも、そんな領地片隅にある村だった。

そこはキアラン侯ハウゼンの治める土地である。

 

「暗くなっちまった」

 

舌打ちと共にそう吐き出したのはヘクトルだ。

サンタルスとラウスはさほどの距離があるわけでもない。

だが、一日足らずでたどり着くのは土台無理な相談だ。

 

それでも、一刻でも早くたどり着きたい身ではその距離さえも苛立ちに変わる。

 

「今夜はここに泊まるしかないな」

 

ハングの判断にエリウッドも同意する。

 

「マーカス、宿の手配を頼む」

 

エリウッドの指示には素直に返事するマーカスに苦笑して、ハングは視線を少し北の方に向けた。その先にはキアラン侯の居城があるはずだった。

 

「キアランを通過するわけだが、ハウゼンの爺さんには挨拶抜きでいいよな?」

 

ヘクトルがそう言い、ハングの中に思い出が蘇る。

 

あれから一年が経った。ハングはあれから一度もキアランを訪れることはしなかった。

あちこち飛び回るのに忙しかったのもあるし、また行き倒れたのかと皮肉を言われるのも嫌だったのだ。

 

「領地の端を通過するだけだ。問題ないだろう」

 

ヘクトルにエリウッドがそう答えていた。

 

「リンディスがどうしているかは少し気になるが」

「リンディス?」

 

ヘクトルには聞きなれない名前だったのだろう。

だが、ハングからすれば呼びなれない名前だ。

 

ハングにとっては彼女は今もサカの部族の一人『リン』だ。

 

「キアラン侯の孫娘だよ」

「ああ、あれか。一年前の相続争い。お前が俺の伝記に残るぐらいの大遅刻の原因の」

 

苦笑するエリウッド。

 

ハングは二人の声を聞きながら、リンもこういう貴族の一人なのだなぁ、とも思う。

 

「確か、お前も一役買ったんだろ?」

「ああ」

「で?その孫娘ってなぁ美人か?」

 

ハングはエリウッドとヘクトルの会話を聞き流しながら彼女のことに思いを馳せる。リンが貴族だからといっていつものサカの装束ではなく、綺麗に着飾ったドレスを身に纏ってる姿を想像しようとしたが、どうにも上手くイメージが出来ずに諦めた。

 

彼女にはどう頑張っても村娘の恰好がお似合いだった。

 

「美人・・・なんだが・・・なんというか・・・サカ人の血を引くせいかとても印象的な子だった」

 

エリウッドはハングの方を少し見やる。だが、彼はいまだ一つの方向を見つめているだけだ。エリウッドは彼の考えていることが手に取るようにわかり、肩をすくめた。

 

そんなエリウッドにヘクトルは逆に少し軽薄そうな笑みを浮かべた

 

「ふーん・・・残念だったな」

「なにが?」

 

ヘクトルは親友の肩を抱き、意味もなく耳打ちする。

 

「今は会いにいってる暇はないぞ、色男」

「なっ!」

 

エリウッドは顔を少し赤くする。だが、月と星の明かりだけでは周りには判断できないだろう。

 

「リンディスとはそんな仲じゃ・・・」

「照れんなって」

 

からかわれているのはエリウッドもわかっていた。

昔からこの手の話でやられたことは何度もある。そして、この話でヘクトルに口で勝てた試しがないのもわかっている。

 

だから、エリウッドは矛先を変えることにした。

 

「ハングがいるのに、僕とリンディスがそんな関係になる訳が無いだろ」

「なに?ハングと孫娘はそういう間柄なのか?」

「はぁ!?お、おい!エリウッド!!」

 

今までの会話を聞くともなしに聞く程度だったハングは話題をふられて急に現実に引き戻された。

 

「一年前もハングは一役どころか準主役を演じていたんだから」

「ほうほう、貴族の姫としがない旅人か。どこかで詩になりそうな二人だな」

「ち、ちげぇっての!別にリンとはそういう関係じゃねぇ!」

 

エリウッドとヘクトルはこんな夜闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にしたハングに最初は少し驚いた。

 

普段から全く隙を見せずに『軍師』を保っていたハングの意外な一面。

その弱点を発見した二人は喜々としてそこを責め立てる。普段冷静すぎる奴ほど取り乱した時は案外隙だらけだ。

 

「ほう?ハングはその貴族の姫様を略称で呼ぶ許可をもらってるわけか?」

 

ヘクトルがニヤニヤと笑ってハングに詰め寄る。

 

「しかも、敬称も付けず」

 

エリウッドも悪乗りしながらハングの顔を覗き込んだ。

 

「だ、だから。それは・・・」

 

ハングはしどろもどろになりながらもなんとか言葉を探す。

だが、そうしている間にも二人の話はどんどん進んでいく。

 

「それで、ハングと孫娘はどれくらいの付き合いなんだ?」

「確か、彼女が自分の出自を知る前からの出会いだったはずだよ。彼女の旅を最初から最後まで明に暗に支えてきたんだ」

「エリウッドぉぉおぉ!」

 

ハングは我慢できずにエリウッドの胸倉につかみかかった。

 

「なるほどな、そりゃあ友情が愛情に変わるのはそんなに時間はかからん訳だ」

「彼女が運命の階段を登って行くのを、時に手を引いて、時に背中を押して、時にきつい一言を言いながら隣で奮闘していたんだ。本当に後世に伝わるような物語だ」

「馬鹿野郎!!そんなんが残るわけねぇだろ!」

 

胸倉を掴まれているエリウッドは涼しげだ。ヘクトルも笑いを堪えるのに必死。

慌てたハングはからかっていてとても楽しい。

 

「まぁ、旅の伴侶が生涯の伴侶になった話なんざいくらでもあるしな」

「愛で身分を乗り越えた話もね。そして、ハングはそれができるだけの能力もある」

「は、はぁ!?け、けけ結婚だと!!それこそ、あり得るか!!だいたい、あいつが俺を相手にするわけないだろ」

「相手にしてきたら?」

 

蛙が潰れたような声を最後にハングが黙り込んだ。

 

「お、確かにそうだな。向こうが求婚してきたらどうすんだ?ん?ん?」

 

言葉が返せないハングの後ろからヘクトルが覆いかぶさるようにじゃれつく。

 

「そ、そんときは・・・」

「その時は?」

「その時は?」

 

途端、ハングの目がゆっくりと細まる。

エリウッドはその瞬間に攻防が入れ替わったことに気がついた。

 

「そりゃあもうエリウッドがニニアンにしたみたいに両腕でしっかり抱き上げて応えてやることにするさ」

「ニニアン?誰だ?」

「ちょっ!ハング!!」

 

かつて、知略で国を五つ滅ぼした神策鬼謀の軍師は自らの葬式を用いて敵国を罠に嵌める策を遺したという。朽ちるなら一人でも多い道連れを。

ハングはエリウッドとニニアンの一件をさんざん誇張し、かつ嘘ではない範囲の内容をぶちまけた。

 

その後、騒ぎを聞きつけてきたセーラに連れられてマシューやドルカス、レベッカという者たちもやってきてハングとエリウッドはさんざんからかわれる羽目になった。

 

やっと解放されたのは、マーカスが宿の手配を終えて戻ってきた時だった。

 

「ふぅ~・・・」

「ため息つくなよ、色男」

 

ヘクトルはさっきからハングのことを『色男』と呼ぶ。

 

「お前も大丈夫か?優男」

 

ちなみにエリウッドは『優男』である。ハングとしてはエリウッドを完璧に巻き込めたので満足だった。

 

「だから、ニニアンとは話したことも・・・」

「やめとけ、エリウッド。またからかわれるだけだぞ」

 

ハングは少し労いの意味を兼ねてエリウッドの背中を叩いた。

そのせいで飛んでくるマーカスの鋭い視線も最近は慣れてきた。

 

そんなマーカスに対し、ロウエンは気さくに話しかけてくれる。

 

「でも、意外ですね。ハング殿が純情だなんて」

「俺が遊んでるようにでも見えてたか?」

「なるほど、そう言われれば納得かもしれません」

 

そんな時、ハングはふとロウエンの持ち物に気がついた。

 

「あれ?松明ってこんなにあったか?」

 

ロウエンは「あぁ・・・」と、呟いてから従騎士らしい顔つきになった。

 

「報告が遅れて申し訳ありません。ハング殿がこのところ忙しそうであったので、報告が後に回ってしまい・・・」

「前置きはいい。どうしたんだ?」

 

厳しい言葉だが、ハングの声は苦笑混じりだ。

 

こういう生真面目な性格なのが騎士のあるべき姿なのかとも思うし、やはり自分には向かないとも思う。

『休め!』と、言われた騎士のようにロウエンは姿勢を崩した。

 

「サンタルス領の北の村にて拾いました」

「拾った?」

「はい」

 

松明といっても、それが一本ずつ売られていることは稀である。

だいたいは五本から十本単位でまとめて売り買いされる。

そして、今回増えていた松明もそういった類の商品であることは一目見ればわかる。

 

そんな木の束が街に落ちてたというのは、ちょっと考えにくかった。

 

「なんで、落ちてたんだ?」

「わかりません」

 

ロウエンは前髪が長く、ハングはいまいち彼の表情が見ることができなかったが、彼も困惑している様が見て取れた。

 

「戦闘中であったので村の人々に尋ねる余裕もなく、エリウッド様が『何かの役にたつかもしれない』と・・・」

 

ハングはもっともな判断だと思う。

だが、エリウッドがそれを言っている姿を想像したら笑いがこみ上げて来た。

 

多分、ネコババすることに罪悪感を覚えながらも急がなくてはという焦りを浮かべつつそう言ったのだろう。

 

ハングは前をいくマントを身につけた背中を見た。

 

「ん?どうしたんだい?」

 

視線に気づいて振り返ったエリウッドにハングは笑ってひらひらと手を振った。

 

「なんでもねぇよ」

 

エリウッドは頭の上に疑問符を浮かべていた。だが、どうせまたさっきの話だろうかとあたりをつけたのかすぐに前を向いた。

 

 

そんな時だった。不意に風が変わった。

向きの話ではない。風の中の雰囲気が変わった。

今までの静かな夜の中に突如として、不穏な騒ぎが混じり出した。

 

ハングは頭の中を軍師としてのそれに切り替えた。

 

「ん?なんか、聞こえねぇか?」

 

先頭を歩いていたヘクトルが歩みを止める。

ヘクトルの視線の先には松明の明かりが複数見えていた。

そして、男の人の悲鳴も聞こえてくる。

 

ハングは眉を顰めた。

 

「二人とも、迂闊な行動をするんじゃ・・・」

「助けるか?」

「もちろん」

 

ハングが何事か言い終わる前に走り出した二人。

 

「全く、仕方ありませんな」

「相変わらずです」

 

慣れた様子のマーカスとオズイン。

 

だが・・・

 

「っ!」

「・・・!」

 

二人は突然、武器を手にして振り返る。

 

「あいつら・・・」

 

そこから聞こえてきたのは腹の底に響くような深いハングの声だった。

 

熱気というか殺気というか、簡単に言うと怒気に包まれたハングがいた。

普段は薄い茶色の瞳が今は爛々と輝いており、まるで暗闇の中で光る二つの火球である。

 

既にマシュー、セーラ、ドルカスといった以前の旅の仲間はどこかへと消え失せている。

取り残された者たちは突然に豹変したハングを前に動くことができない。

 

レベッカは涙目で、ギィは腰を抜かしかけ、バアトルはなぜか斧を振り上げたまま固まっていた。

さすがに騎士の名を持つ者たちは無様を晒すことはなかったが、皆自然と直立の姿勢になっていた。

 

「さて・・・」

 

そんなハングの口から聞こえた声は不気味な程に朗らかだ。

 

「あいつらに追いつくか」

 

ハングは笑顔だ。

 

「はっ!」

「了解です!」

 

ほぼ、反射的に答える騎士の面々。

 

「それで、お前らもいつまで固まってんだ?ん?」

 

やはり、ハングは笑顔だ。

 

「は、はひぃ!」

「わ、わかりましたあ!」

「う・・・うおおぉお!」

 

ハングは駆け足になる部隊の人達を見ながら笑みを深める。

それはまるで、仮面を無理やり曲げたような恐ろしい笑顔だった。

 

ハングが後方で静かに怒りをつのらせている間にもヘクトルとエリウッドは騒ぎの元へと向かっていた。

周囲は夜の闇に支配されていたが、剽軽な叫び声が聞こえているので方向を見失うことはなかった。

 

「ひぇーーーー!お、お、お、お助けーーー」

「ちっ、このオッサン!チョロチョロ逃げまわんじゃねぇ!!」

 

そこでは、ガラの悪い二人がちょび髭の中年のオッサンを追い回していた。

だが、逃走虚しく、オッサンは背負っている大きな荷物を奪われてしまった。

 

「わ、わしの大事な荷物になにするんじゃー!」

 

取り返そうと奮闘するも、容易に片手で突き飛ばされ尻もちをつく。

ゴロツキ共はそれを尻目に奪った荷物の中身を確かめていた。

 

「おい、これを見ろよ。このオッサン結構金持ちだぜ」

「へっへっへっ、ついてましたねぇ」

「返せ!返さんかーー!」

 

簡単にあしらわれながらも未だ荷物を取り返そうとするその姿勢。

彼は行商人のようだ。

 

「うっせぇなぁー!こいつ、もうやっちゃいましょうか?」

「そうだな、別に生かしとくこともねぇか」

 

ゴロツキ共は武器を持ち上げる。

それを見て、ちょび髭のオッサンは額に冷や汗を流した。

 

「ひっ!ひっ!!ひぇ~~~!」

 

そして、いよいよオッサンが捕まった時、ヘクトルがその騒ぎの中に躍り出た。

 

「おい!その手を放せ!」

 

いい鎧を着ているヘクトルだが、この夜闇ではよくわからない。

 

「なんだあ?」

「てめーらに用はねぇ。用があるのはそこのオッサンと、荷物だ。命が惜しけりゃ全部置いてさっさと消えろ!」

 

それを斧を構えて言うものだから、その姿はどこから見ても二人組の同業者である。

 

「な、なんだと!てめぇ、どこの組のもんだ!」

 

ヘクトルは一瞬だけ驚いたが、すぐに抗議の声をあげた。

 

「ばか野郎っ!俺のどこをどー見たら賊に見えんだよ!」

「多分、その姿と台詞じゃないかな?」

 

追いついてきたエリウッドは開口一番そう言った。

 

「くっそ!こいつら、仲間を連れてやがる!てめぇら、出て来い!縄張を荒らされて黙ってられるか!」

 

その声と共に二人組闇へと消えていく、そしてすぐに粘り気のある殺気が周囲に現れた。

おそらく囲まれているが、この暗がりでは敵の数は確認できない。

だが、エリウッドはそんな状況などまるで気にもとめずに腕を組んだ。

 

「しかし、僕も賊の仲間なのかな?」

「おまぇなぁ・・・そんな呑気なことを・・・」

 

本気で悩んでいるようなエリウッドにヘクトルは眉に皺を寄せた。

 

「呑気はどっちだい?」

 

不意に聞こえたのはとても柔らかな声だった。

なのに、エリウッドとヘクトルはほぼ同時に背中に氷塊を滑り落ちたような感覚が襲っていた。

 

「やぁ、二人とも」

 

夜闇の中から後ろに仲間を引き連れてやってきたハング。

彼の顔は笑っている。

 

笑っているはずなのに、エリウッドとヘクトルは無形の圧力を確かに感じた。

 

エリウッドとヘクトルはこの顔を拝むのは初めてのことだ。その意味は知らない。知らないはずなのに、それが危険だと本能が知らせていた。『逃げろ!』と、叫ぶ身体の骨肉達を叱りつけてエリウッドはハングに一歩歩み寄った。

 

「ハング・・・その・・・」

「ん?」

「・・・えと」

「ん?」

「・・・・」

「ん?」

 

ハングが声を出すたびに彼の体が膨れ上がったような気がした。

エリウッドとヘクトルは自分達の顔が引きつっていくのを自覚した。

今、目の前にしているのが、明らかに危険な存在であることを否が応でも思い知らされる。

 

「まぁ、今はこのくらいにしておいてやる。とにかく、今は賊を追い払おう。話は後だ」

 

ハングはそう言っていつもの表情に戻った。

動かない笑顔と刺すような雰囲気から解放され、一同は同時に息を吐き出した。

ハングは気を取り直し、さっきまで逃げ回っていたオッサンに声をかけた。

 

「さて、あんたは・・・戦える?」

「むむむ無理ですじゃ!このマリナスめはただの商人!ど、どうかお守りくだされぇ~~」

 

とりあえず、彼の名はマリナスという名らしい。

どこまでも、剽軽な人だ。

 

「さて、マシュー!」

「・・・なんすか?」

 

マシューがいつの間にか隣にいることにはハングはもう慣れていた。

 

「ここ一帯は川の中州みたいな場所だな?」

「えぇ、北に二箇所、南に一箇所橋がありますがそれ以外は川に囲まれています」

 

夜目の効くマシューに確認させてハングは戦術を組み立てる。

 

「さて、ギィ」

「へ、へい!」

 

未だハングの怒気にあてられて萎縮したままのギィ。

ハングはあえてギィと適度な距離を置いて話しかけた。

 

「マシューから聞いたけどギィはサカ一の剣士になりたいんだな?」

 

その話題が出た途端にギィの目に光が灯った。

 

「ああ、そうさ!今はとにかく手近な相手を打ち破って腕をより高めるのがその近道だと思ってる」

「楽な道じゃないぞ、手当たり次第に戦いを挑むのは」

 

その道は下手をすれば今はまだ届かない相手とも戦うことになる。時を重ねれば確実に勝てる相手だとしてもだ。目の前にいる敵に必ず戦うという覚悟は生半可なものではない。

 

「わかってる!だが、俺は・・・強くなりたいんだ」

 

いつものハングならその台詞に思うところもあっただろうが、生憎と今はそれどころではない。

抑えているだけで、彼は怒り心頭であった。

ハングは務めて冷静な振りをしてギィと会話する。

 

「なるほど、その為ならどんな苦労を辞さないと」

「そうだ!」

「戦えるならどんな状況にも飛び込むと」

「そうだ!」

「仲間の助けなんかいらない。一人で全てをなぎ払うと」

「そうだ!」

「守る者がいると余計燃えるよな?」

「そうだ!」

 

 

売り言葉と買い言葉。

 

だが、言ってしまってからギィは今言われた内容を思い返した。

 

「・・・え?あの・・・ハング?今のって・・・」

「さぁて、みんな!ギィがこの中州でマリナスさんを守りながら迫る敵を全てなぎ払ってくれるらしいから。残りの連中は遊撃部隊とする。近くの村々に片っ端から声をかけていけ。戦える者を叩き起こしてここら一帯から賊を叩き出す!」

 

ハングの声が中州に響き渡る。

 

「松明は全てここに置いておけ!ここに奴らをおびき寄せる!オズイン!マシューとバアトルを連れて南に向かえ!ロウエン、お前はレベッカとドルカスと共に北を任す!マーカスはセーラを連れて走り回り援護にあたれ。エリウッドとヘクトルは俺と来い!」

「あ、あの・・・ハング・・・」

 

有無を言わせぬハングの指示に皆は既に動き出していた。

 

「よし、ギィ!死にそうになるまでは耐えろよ。なるべく長く時間を稼げ!じゃあな」

 

駆け出して行く仲間達。

中州に残された大量の松明は火を付けたまま放置されている。

 

「あそこだぁ!あそこに奴らはいるぞ!」

「ぶっ殺せぇ!」

「ひぇ~~~!どうしましょう!どうしましょう!」

 

ギィは何がいけなかったのかを考える余裕すらなく、とにかく目の前に迫ってくる手斧を必死に躱すしか無かった。

 

「うひぁぁぁあぁあ~~」

 

マリナスの叫びは戦乱の中へと消えて行く。

 

「ちくしょーーーー!やってやらぁぁああああ!!」

 

ギィは剣を抜き放ち、必死の思いで敵に突撃していった。

 

 

 



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13章外伝~行商人マリナス(後編)~

ギィが奮闘してる最中

ハングはエリウッドとヘクトルを連れて敵の首領がいる箇所を襲撃していた。

 

「おらぁ!今日の俺は機嫌がわりぃぞぉ!」

 

その中でハングが鬱憤を飛ばすように暴れていたのがエリウッドとヘクトルには少し印象的だった。

 

ハングの話では周囲の村に行った連中もすぐに引き返してギィの援護に入るとのことなので、中洲に残してきた彼のことはあまり心配しなくていいようだ。

と、いうよりもハングの般若のような戦いを見る限り心配すべきはエリウッド達本人なのかもしれない。

 

「なぁ、エリウッド」

「どうしたんだい?」

「あいつの腕って小手でも巻いてんのか?」

「ああ・・・あの腕か・・・」

 

戦闘中にも関わらず会話する余裕があるのは、単にハングがほとんど一人で暴れているからだ。

訓練した騎士達程ではないにしろ、ハングの剣の腕は確かだ。

時に騎士のように堅実に、時に剣士のように素早く。ハングの剣が走るたびに空中に赤い軌跡が刻まれる。

 

そして、彼はその所々でその左腕を使っていた。

ボロ布を巻きつけているその腕で敵の武器を受け止め、破壊し、時に相手に風穴を開けている。

 

エリウッドはその動きを一年前に目撃している。

 

「ごめん、僕も知らないんだ」

「そっか・・・」

 

ヘクトルはそれ以上は追及しない。

ハングが言ってないのなら、それは言いたくないということだろう。

エリウッドとヘクトルにだって、お互いに知られたくないことの一つや二つはある。

 

ハングのその腕はやけに目に付くから気にならないと言えば嘘になる。

それでも礼儀を忘れないだけの分別ぐらいはヘクトルも持ち合わせていた。

 

「まぁ、今は俺は俺が心配だな・・・」

「それは僕も同じだよ・・・」

 

二人はため息を吐き出して、ハングが撃ち漏らした敵に向かって行った。

 

「てめぇが親玉だな!」

「けっ、てめぇの動きなんか止まって・・・」

「さっさと来い、速く済ませてぇんだよ!」

 

ハングは動き出した相手の顔面に剣を横殴りに叩きつけた。

間一髪で賊が防ぐも、ハングはそこから素早く下段の蹴りに転じる。

 

「ぐわぁ!」

 

膝を潰して、揺らいだところに腹に直線的な蹴りを叩き込む。

身体を折り曲げながら後退した相手の顔面にハングは再び横殴りに剣を叩きつけた。

 

頭蓋に食い込んだ剣を引くようにして抜きされば、それは頭蓋を更に切り裂き致命傷にまで至る。

 

血を噴出して倒れる首領を蹴り飛ばし、ハングは周囲に残る賊共に喝を放った。

 

「おい!てめぇらはまだやんのか!?」

「う、うわぁ!お、お前・・・俺たちのシマを荒らしてただですむと・・・」

「あぁ?」

「お、お、覚えてやがれ!!」

 

一睨みで有象無象を追い払ったハングは血を拭ってから鞘に戻す。静寂を取り戻した夜に剣が鞘と擦れる音がする。エリウッドとヘクトルには永遠にこの音が続いて欲しいと思った。ハングが剣をしまっていくにつれてその身体から不可視の何かが湧き上がってきていた。

 

だが、無情にもハングの剣はキンという澄んだ音を最後に鞘にしまわれた。

 

「さて・・・」

 

振り返るハング。エリウッドとヘクトルはほぼ無意識に足を一歩下げた。

 

「足を下げたってことは、俺が怒ってるのはわかってるらしいな」

 

多分、誰でもわかると思うよ。

 

などと、エリウッドが言える状況ではない。

 

「さて、では俺がなんで怒ってるかぐらいはわかってるよな?」

 

ハングが笑顔で二人に一歩近づく。今度は足を下げられなかった。何かに縫い留められたかのように体が動かせなかった。

 

この圧力はなんなんだ?

 

ヘクトルはそう思わざるおえない。

 

エリウッドと共に学んだあの頃もこんな教師に出会ったことは無かった。オズインの説教でもここまでの恐怖は感じない。兄を怒らせた時ももう少し余裕があった。

 

なのに、なんだこの空気の重さは!?

 

正直、ハングがなんで怒ってるのかは多少理解はある。視界の悪いこの状況下で単身で山賊に喧嘩を売ったからだ。あの判断はあまり良いとは言えないものであるのは確かだ。

 

だが、ヘクトルにも言い分はありそれはエリウッドも同じだろう。

しかし、現在のハングを目の前に言い訳などできるわけがなかった。

 

「それで、わかってんのか?」

 

少し間があく。悪夢の時間だ。

 

「わかってんのか!?」

「は、はい!」

「はい!」

「そうか、それがわかるぐらいには分別があるらしいな・・・だけどな・・・」

 

ハングの顔から笑みが消えていく。ついでに、表情も消えていく。出来上がった顔は今まで以上に恐ろしいものだった。

 

「エリウッド・・・」

「はい・・・」

「ヘクトル・・・」

「・・・・はい」

 

ハングが二人の目の前にまで迫る。

 

「それが俺が説教をやめる理由にはならないことぐらいわかるよな?」

 

二人はもう指一本、毛の先一つでも動かすことができなかった。

ハングが何かの準備をするかのように息を吸い込む。

 

次いで生じた爆発音のような怒声にエリウッドは全ての思考を吹き飛ばされたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ズタボロのギィの救出に入りつつ、中洲の制圧を終えた一同はハング達が戻ってくるのを待っていた。

途中でここまで響くほどの怒声が聞こえてきたので三人が無事だとはわかっている。

もちろん、あの説教を乗り越えてもまだ無事であるかどうかは別の問題ではあるが・・・

 

ハングの説教を一度ならず目にする機会があった連中は総じてそんな想いを抱いていた。

 

「まさか、ハングさんの説教をまた聞く機会になるとは思わなかったな」

「そうだな・・・」

 

しみじみと言うマシューにドルカスも渋い顔で返す。

 

「俺はあれを直接受けたことはないんだけど、ドルカスさんは?」

「俺もない・・・」

「あれだけはやっぱ勘弁っすね。上官に逆らうよりも怖い」

「同感だ・・・」

 

数少ない返答にも、やはりその恐怖がしみこんでいる。

その隣では全身に軽傷を負ったギィがセーラから治療を受けていた。

 

「はい!これでおしまい!ちゃんと感謝しなさいよね!」

「ぐっ!ううう・・・」

 

この短い時間の戦闘でギィは何度も危ない瞬間を潜り抜けた。

首筋に走る赤い傷を撫でるたびに身体の奥底に戦慄が走る。

だが、この臨死体験でギィは確かに自分が強くなっているのを感じていた。

 

「あの中で生き残るとは、なかなかやるな若造!こんど俺と一戦交えようではないか」

 

バアトルに背中をばしばしと叩かれながら、ギィは自分の剣を握りしめる。

そんな時、ハングがエリウッドとヘクトルを引き連れて帰ってきた。

 

「おう、今帰ったぞ」

「お、おかえりなさい・・・」

 

出迎えたレベッカの顔は恐怖で引き攣っていた。

 

「レベッカ、あの商人はどうした?」

「あの人なら、今向こうでオズインさんが事情を聴いています。それと、マーカスさんはロウエンさんを連れて見回りに行きました」

「ふぅん、やっぱりあの人達はわかってるな」

 

ハングはそう言って、振り返る。

 

「んじゃ、俺たちも話を聞きに行くか」

「う、うん・・・」

「おう・・・」

 

疲れ切った二人を引き連れて、ハングはマリナスの陣取る中洲の隅へと向かっていった。

 

「さすがにあの人はすごいな。さっきまでの激怒が嘘みたいだ」

 

マシューはそう言ったが、その意味を理解できる人は周囲にいなかった。

 

「あれのどこが、『さすが』なんだ?」

「ギィ、相変わらずお前のおつむは未熟だな」

 

ギィは自分の頭の出来には多少なりとも自覚があるので、何も言い返せなかった。

 

「軍師は常に冷静に物事を見定めなきゃならない。できるだけ感情を表に出してる時間は少ない方がいいのさ」

 

マシューの講釈に「へ~」とか「ほ~」とかの声があがる。

 

「マシュー、なんであんたがそんなこと知ってるのよ」

「これでも、俺はオスティアに仕える身なんだぞ。一応、地位ももらってるし」

「なによ!私だってねオスティアの司祭様から祝福を頂いてるんだから」

 

セーラがなぜか張り合ってくる。雷鳴が落ち着いているのもあり、いつものかしましいセーラが戻ってきていた。

 

「それなら俺だって、精霊に加護をだな・・・」

「ギィ、お前はもう黙ってろ。面倒くさい」

「なっ!」

「だいたい、そんな自慢をする暇があるんだったらさっさと借りを返してくれよ」

「ふ、ふざけんな!この軍に入ったんだ、メシの借りは返しただろ!」

 

エリウッドの軍に協力する。それで貸し借りなしということだったはずだ。だが、相手はマシューだ。ぬかりはない。

 

「おいおい、忘れたのかギィ。肉一切れにつき、貸し一つって約束だろ?貸しはまだ三つ残ってるんだぜ。ほら、この証文にお前の字でそう書いてある」

 

懐からひらひらと証書を振りかざすが、確かにそこにはギィの署名があった。

 

「ぐぐ・・・あ、あんた悪魔か!?」

 

密偵である。

 

「お、おれになんか恨みでもあんのかよ!」

「とんだ言いがかりだな。これは正当な取り立てだぜ?」

 

「なぁ?」と周囲に呼びかけるマシューは高利貸と見間違いそうになる程の手際だ。

そこに、レベッカが曖昧に頷いてしまうものだからギィの逃げ場はもはや無い。

 

「くっ・・・絶対、認めねえ!」

 

それでも諦めない姿勢だけは評価してもいいかもしれない。

 

「その証文を賭けて、おれと勝負しろっ!!」

「やだね。なんでおれがそんな面倒な」

 

マシューは証書を風になびかせにべもなく断りを入れた。

 

「そ、そんなこと言っておれに負けるのが怖いんだろ!?」

「・・・ギィ、今時そんな挑発に乗るバカいねえって」

 

それでもギィは食い下がる。

 

「うるせぇっ!男なら、正々堂々勝負しろっていってんだ!!」

 

マシューは呆れたように溜息をついた。

いや、実際呆れたのだろう。

 

「はいはい。わかった。だったら今度、相手してやるよ。お前が勝ったら、貸しはチャラにすればいいんだな?」

「ほ、本当か!?」

 

簡単に食いついたギィに笑いかけて、マシューは条件をつけた。

 

「そのかわり、いつ勝負するかはおれが決めるぜ?」

「いつ勝負したっておれの剣は負けない!おれの修行の成果、見せてやるからな!」

 

意気揚々とするギィだが、マシューからしてみれば、本当にただのカモである。

 

この世の全てが剣の腕だけで決まるのなら、それこそハングには力など無いに等しい。

それでも、ハングがこの軍でも重要な存在だというのは周知の事実。

 

「戦いはもっと複雑なんだぜ、ギィ」

 

マシューは小さく呟いてにやりと小さく笑う。

 

「マシュー、あんた悪人面してるわよ」

「悪そうな顔です」

 

セーラとレベッカにそう言われてもマシューはどこ吹く風である。

 

「むぅう・・・」

「バアトル、何を悩んでいる?」

「俺は、何か自慢できる祝福を受けていたかと思ってな・・・むぅう・・・何かあっただろうか・・・」

 

ドルカスはバアトルを放っておき、戻ってきたロウエンにねぎらいの言葉をかけたのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「と、いうわけでここで立ち往生しているところを襲われた次第でして・・・」

 

 

サンタルスからラウスに向かう途中の旅路であった行商人マリナス。

その人の話を一通り聞いているのはハングとエリウッド、ヘクトル、オズイン、マーカスの五人である。

 

「なるほど、話はわかりました」

 

エリウッドがそう言ったのを契機にハングは腰をあげた。

ともすれば、ラウスの現状について何か知っているかとも思ったが、彼の行商の道を考えればそれは無いことがわかった。ならば、このオッチャンを引き留めておく理由は無かった。

 

「では、近くの町まではお送りいたします」

 

エリウッドがそう言ったので、ハングはその護衛要員を決める。

 

「マーカスさん、ロウエンさんをこの人の護衛に付けても?」

「構いません」

「ま、待ってください!なにかお礼を!」

 

話しが進む前にマリナスが話を割り込んできた。だが、こちらも余計な荷物をしょい込む気はない。金ならあればあるだけいいが、この商人から金を巻き上げるのも少々心苦しいものがあった。

そのハングの考えを読んだわけでもないだろうが、エリウッドは断りを入れた。

 

「お気にならないでください。たいしたことはしていません」

「そうそう。こんな、しょっぼいおっさんから物もらえねぇって」

 

ヘクトルの物言いにハングは内心でクスリと笑った。

 

「しょっ、しょぼいっ?」

 

驚くように聞き返すマリナス。

 

「ヘクトル!」

「おっと」

 

エリウッドの一喝にヘクトルは逃げるように足をひいた。

ハング程ではないにしろ、エリウッドも怒らせると実は怖かったりする。

 

そんな空気をマリナスは咳払いで切り替えた。

 

「ウォッホン!わしはマリナスという者で色々な品を売り歩く旅の商人でございます。こう見えましてもそれなりに裕福でして・・・」

「へぇ~、おっさん金あるのか」と、ヘクトルが驚く。

「人は見かけによらないってとこだな」と、ハングもしみじみと頷いた。

「ヘクトル、ハング!失礼だぞ!」

 

エリウッドにそう言われ、二人はほぼ同時に肩をすくめた。

 

「マリナスさん、どうか、この者達の言うことはお気になさらず・・・」

「いや、その気にしておるわけでは・・・」

 

再び空気がなんだかゆるんできていたので、マリナスは咳払いを繰り返して自分の威厳を保とうとした。

正直、無駄な努力だとハングは思う。

 

「ウオッホン!と、ところでお三方とも、身分の高い方とお見受けいたしますがお名前だけでも教えてはいただけませんかな?」

 

ハングは自分のことも指差してみせる。

 

『俺っていつから身分が高くなった?』と、言わんばかりである。

 

その隣でエリウッドとヘクトルが自己紹介を始めたのでハングも後に続いた。

 

「僕は、エリウッド。フェレ侯公子です」

「俺はヘクトル。オスティア侯の弟だ」

「ハングだ。俺に身分は無い。ただの旅人だ」

 

そのハングの自己紹介に少し面くらうもマリナスは何か納得したように頷いた。

 

「おお!オスティアにフェレ、それにお忍びの方まで・・・!!ああ・・・そんな立派な貴族の方に救っていただけるとはこ、光栄でございますっ!!」

 

ハングは別に身分を隠すためにこんな恰好をしているわけではないが、もう面倒だったのでそのままにしとくことにした。

 

「そんなたいそうに喜ばれると悪い気はしねーな」

 

ヘクトルは後頭部をがしがしと掻く。それが照れたときの彼の癖らしい。ヘクトルはマリナスに声をかけた。

 

「なあ、マリナスさんあんた、これからどうすんだ?」

「え?わしでございますか?リキアをまわって商売をと思っておりましたが・・・こう物騒では、ちょっと無理かもしれませんなぁ」

「もし、あてがないんだったら俺たちと来ないか?」

 

その案にハングはヘクトルのことを少し見直したのだった。

 

「なるほど・・・輜重隊ってわけか」

「ああ、思ってた以上に旅は長引きそうだし仲間も持ち物も増えてきてるだろ?荷物の管理とか、やってくれると大助かりなんだがなぁ」

 

その案にマリナスはもちろん大賛成だった。

 

「おお!それは名案ですな!!それこそは、わしの得意とするところですぞっ!」

 

ハングもヘクトルも満足そうだが、エリウッドはまだ渋い顔だ。

ここからの旅は厳しいものになる。そこに、こんな商人を連れて行ってもいいものかと思っていたのだ

 

「マリナスさんはいいんですか?」

「もちろんでございます!実は、貴族の家にお仕えするのがわしの長年の夢でございました。その夢が、こんな形で実現しようとは・・・ くっ感涙を禁じえませんぞ。ヘクトル様!エリウッド様!ハング様!!どうか、このマリナスめを末永くお可愛がり下さいっ」

 

エリウッドは少したじろくようにしてハングの顔を見た。

 

「いいんだよ。輜重隊ってのは俺たちが思っている以上に儲けに繋がるんだろ?」

「は、はい!商人は損得勘定の生き物。そこは信用していただいて結構です!」

「商人ってのは大金が落ちてたら、暖炉の中にも手を突っ込むもんさ。エリウッドが気にする必要はない」

 

マリナスも必至に自分を売り込もうと首を何度も縦に振る。さっきの貴族に仕える話もあながち嘘ではないようだ。

 

「やばくなったら勝手にトンずらするだろ?それぐらいでいてくれないとこっちも困る」

「はい!お任せください!このマリナス、逃げることに関しては一家言がありますぞ」

 

その自信が正しいか間違ってるかは別として、エリウッドの心が軽くなったのは確かだった。

 

「わかった。よろしくお願いします」

 

エリウッドがそう言うと、マリナスの顔に喜びが広がっていく。本当に嬉しそうだった。

 

「じゃあ、さっそく荷物を預かってもらおうか。手始めに今日の宿まで頼むぞ」

「はいはい。なんなりとこのマリナスにおまかせあれ」

 

そうして、この剽軽なちょび髭のおっさん。マリナスが旅に加わったのだった。



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14章~うごめく者たち(前編)~

「なにっ!?フェレのこせがれが来たと?」

 

慌ただしく玉座から立ち上がった中年の男。たるみきった腹回りとその身にまとう高価な装飾品が典型的な貴族の容姿そのものだ。

 

ここはリキアのほぼ中央に位置するラウス侯爵領。そして、玉座に座るのはラウス侯ダーレンその人である。

 

「はい、父上。今、見張りの者から報告がありました。まだ丘の向こうですが数十分後にはこの城に・・・」

 

その男を父と呼ぶのはその息子エリック。

やはり彼もやたら高価な衣類を身につけ、傍から見れば鬱陶しい程の煌びやかさだ。

 

そして、もう一人。

 

この玉座の間には少し場違いな服装の者がいた。

その男に向けてラウス侯ダーレンは責めるような目を向ける。

 

「どういうことだ?エフィデル殿」

 

目深に被ったフード、その奥に光る金色の瞳。

全身を黒で統一した喪服のような服装をした男。彼がエフィデルである。

 

彼は何の感情も見せぬまま、声音だけで熟考しているかのような雰囲気を作り出す。

 

「もしかすると彼らが城に辿り着いた時、サンタルス侯ヘルマンはまだ生きていたかもしれません」

 

エリウッドがここに来た道のりを考えれば自ずと選択肢は絞られる。

エフィデルにとってはほとんど考える必要のない質問であった。

それを勿体ぶるのは単に目の前の人物の器を図るがため。

 

「な、なんだとっ!?」

 

そんなエフィデルを前に何の恥じらいもなく取り乱すダーレン。

 

これでよく領主が務まるものだとエフィデルは思う。

 

人は器に合わせて大きくなっていくもの。器に見合わぬものが高い地位についた時、それに器が追いつくことは稀である。

 

もちろん、このダーレンがそんな男だからこそエフィデルはここにいる。

 

「なんということだっ!では、今回計画が台無しではないか!!」

 

ダーレンはもはや目の前のエフィデルも息子のエリックも視界に入っていない。

彼はただ慌てているだけだ。何か打開策を考えているとは思えない。

 

こんなものか・・・

 

エフィデルは胸の内で冷たく呟く。

 

「なに、そうあわてることもないでしょう。彼が・・・エリウッド殿がたとえ何かを知ったとしても今のフェレには何の力もない」

 

『エリウッド殿』とエフィデルは口にした。

 

エフィデルが人の名前を覚えるのは極めて珍しい。それだけのものがエリウッドにはあると彼は考えていた。ただの田舎貴族とは言い切れない、と。

 

なにせエリウッドは少数の兵でエフィデルの送った部隊を二度も退けている。

そう簡単にいくような手勢を送った覚えはエフィデルには無い。

 

だが、あくまでエリウッドの兵力は少数。この現状を簡単に覆す力が無いのもまた事実。

 

「せいぜい、オスティア侯に知らせるのが精一杯でしょう」

「オスティアに!?それがまずいのではないか!!新オスティア侯ウーゼルは若いながらも、かなりのやり手なのだぞ!」

 

ダーレンは『リキアという国をわかっているのか!?』と、まで言い出しかねない雰囲気。

 

「ヘルマンめが臆病風に吹かれよって」

 

挙句、死者にまで文句を垂れる始末。

 

この男は本当に何もできないのだとエフィデルは確信し、ほくそ笑む。

 

「ですから、オスティア侯の耳に入る前に始末してしまえばよいのです」

 

その進言により、ダーレンはようやく落ち着きを取り戻した。

 

「なるほど、その手があったか」

 

悪知恵も働かないのなら悪役にすらなれはしない。なれるのは道化だけだ。

 

「オスティアに進路をとるにはここを通過するしかない。まだ、口を封じる手はあるというわけだ」

 

玉座にふんぞり返り、顎を撫でるダーレン。そこだけは、偉そうな王の姿を保っていた。

 

「・・・よし、ならば手だれの兵を差し向けて・・・」

「父上!」

 

その王の言葉を遮るものはその息子。

 

「よろしければ、その役目は私に」

「できるのか?わが息子よ」

「エリウッドの奴めとはオスティアの学問所で一緒でした。私が一人でいれば、お人好しのあいつのこと、きっと油断するでしょう・・・そこを一気に・・・」

「なるほど」

 

目の前で繰り広げられる茶番劇。エフィデルは始めてその瞳に感情を映した。

 

嫌悪感だ。

 

エリウッドは生きてるか死んでるかもわからない父親を探すために単身で危険に飛び込んできた男だ。そんな彼がそう簡単に罠にかかるとは思えない。

それに、未確認ながらオスティア侯弟ヘクトルも参列している情報もある。

 

エフィデルは見下すような話し方をしそうになる自分を抑え、平坦な声を出すのに少々の努力を要した。

 

「失礼ながら・・・ご子息には荷が重いのでは?万が一うち漏らすとやっかいなことになりますぞ」

「いやいや、親のわしが言うのもなんだがこのエリックはなかなかの策士でな。フェレのひよっこごときひねり潰すのは、造作もないこと。任せたぞ、エリック」

「・・・・・・」

 

エフィデルは目の前で戦いが一任される様を黙って見ていた。

エフィデルにとって、このラウスの兵がいくら損なわれようがさほど問題は無い。

彼らに求めるのはただの時間稼ぎとエリウッドの始末。

 

その為にもまだ踊ってもらう必要があった。

 

傀儡は見事に操られてこそ観客の目を引く。

だが、糸が絡まった踊りなど見るに耐えない。

 

『自ら動くとこの程度か・・・』

 

エフィデルは満足に踊れもしない道化に対し、そう思ったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

エリウッド達はハングの指示で大きな街道を中心に最短距離でラウス城へと向かっていた。そして、ついに城まで川を一つ越えればよいというところまで迫っていた。

 

城まで続く平原は北を崖、南を海に囲まれている。そして、その平原を貫く街道には人っ子一人いなかった。

 

戦争は必要となる物資が極端に多い。

糧食の備蓄の為に街から食べ物が消え、鉄鍛治に使う薪の値段が跳ね上がる。

 

民が食うに困り、暖炉から火が消え、町にある金が無くなっていけば自然といなくなるのは街から街へと物を売り歩く行商人だ。

 

この人気(ひとけ)の無さこそが、戦争の前触れであった。

 

「本当に戦の準備が進んでるらしいな・・・」

 

ハングは眉を潜めながらそう言った。

独白のような台詞だったが、エリウッドが同意する。

 

「そうだね・・・」

 

そう言ったエリウッドの声は心なしか沈んだものだった。

 

「ハング・・・」

「ん?」

「戦いになると思うかい?」

 

ハングは何も言わない。沈黙がそのまま肯定にならないのがハングだが、今回はそうではない。

純粋になんと返事をしたものかわからなかったのだ。

 

代わりに答えたのはヘクトルだった。

 

「・・・城に行きたくないって顔だな」

 

その言葉にエリウッドは更に表情を曇らせた。

 

「行って・・・真実を聞けば戦いになるかもしれない」

「望むところじゃねぇか」

 

ヘクトルらしい返答である。そこにハングが横槍を入れる

 

「戦わずにして勝つのが(いくさ)の上策とも言われるぞ」

「う・・・ああ・・・俺はそういう戦略とか戦術とかは苦手なんだよ」

「未来のオスティアを背負って立つもんが何を言ってんだ。なぁ、マシュー」

「ええ、全くです。少しだけハングさんを見習ったらどうです?」

 

君主に皮肉の一つでも言えるぐらいが国を回すにはちょうどいい。

そういう意味でもオスティアはよい土地だ。

 

そんな掛け合いを終えてハングはエリウッドの肩を軽く叩いた。

 

「あんま、考えすぎんなよ。エリウッド」

 

ハングの視界の隅でマーカスが『気安く触るとは何事か!?』とでも言わんばかりに手槍に指をかけてるのが見えていたが、今は無視することにした。

 

「戦いなんてやりたくない。そりゃ、誰しもが必ず思うことだ。家族や友を失うのは身を削られる以上の苦しみだ」

「・・・ハング?」

 

エリウッドは改めて旅の軍師の横顔を見る。今の台詞は正論や一般論を語ってるいるだけのようには聞こえなかった。

 

「ハングは・・・何かを・・・失ったのかい?」

 

ハングは大きくため息をついて、エリウッドから離れた。

 

「さぁな」

 

ハングはそう言って言葉を濁す。聞けば大概のことには答えてくれるハングが珍しく口を噤んでいた。

 

「まぁ、なんていうかな。俺もいろいろと戦いで失ってきた。同じ思いを他人にはして欲しくない」

 

ハングの声はいつもと変わらない。陽気でもなければ、悲壮感も無い。エリウッドの目には逆にそれがなんだか苦しそうに写っていた。

 

「だから、俺は戦うんだよ。自分なりのやり方でな。お前も似たようなもんだろ?」

 

エリウッドはただ頷いた。

 

「だったらあんま根詰めんな。そのうち、自分の中で答えも出る」

 

ハングはそう言って、笑う。戦いを前にした時の不敵な笑みではない。他人を安心させる弾けるような笑顔だ。

その顔を見てエリウッドは言葉を飲み込んだ

 

『ハングには・・・答えが出たのかい?』

 

それは、今は聞くべきではない事柄だと思った。

 

「さて・・・」

 

ハングは不意に深呼吸をした。

 

お喋りはここまで。

 

それを態度で示し、ハングは周囲を大きく見回した。

 

「エリウッド、ヘクトル。ラウス侯爵家について、何か知ってるか?」

 

その質問に最初に答えたのはエリウッドの方だった。

 

「ラウス侯子のエリックならオスティアの学問所で一緒だった」

「学問所?」

 

次のハングの疑問に答えたのはヘクトルだ。

 

「エリウッドは昔、オスティアに留学してた時期があったんだ。他の侯子も同じ時期に留学してた」

「ふぅん・・・で、そのエリックってどんな奴だ?」

 

ハングはこのラウスを訪れたことがあり、民の噂程度にはエリックのことを知っている。評価は総じて『威張り散らすしか能の無いボンボンだ』というものだった。

 

対してヘクトルは「見栄っ張りで、鼻持ちならない、自信家だ」と言った。

エリウッドは「貴族であることに誇りを持っていて、少し苦手な人だ」と言った

 

だいたい、民の噂通りの人柄らしい。

ハングはふと、後ろを振り返り、そのまま空を見上げた。

 

「一雨きそうだな・・・」

 

数日前から続く曇り空を前にハングはそうボヤいた。

 

その時、周囲を警戒していたマーカスの声が辺りに響いた。

 

「エリウッド様!ラウス城から騎兵が出てまいりました」

「数は?」

 

そう質問したハングにマーカスは露骨に不審の目を向けてマーカスは答える。

 

「一騎のみです。先触れの者によりますと、ラウス侯公子エリック殿とのこと。エリウッド様に会見を求めております」

「噂をすればなんとやらだな」

 

ハングはそう言って唇の端で笑う。その隣でヘクトルは眉間に皺を寄せていた。

 

「俺ははずすぜ、昔からあいつはどうも虫が好かねぇ」

 

ヘクトルが背を向けて、それに続くようにハングも背を向けた。

 

「んじゃ、俺も見回りでもしてくるよ」

「ハングもかい?」

「貴族同士の会見に、俺が混ざるのもよくないだろ」

 

ハングはひらひらと手を振って、ヘクトルの後を追った。

その背中を見送り、エリウッドはマーカスに改めて向き直った。

 

「・・・会おう。呼んでくれ」

 

エリウッドは自分の腰に差したレイピアに視線を落としていた。

 

ヘクトルと共にその場を離れたハングはすぐに残りの仲間を集めた。

エリウッドの警護の為にロウエンとマーカスをつけ、それ以外は皆会見の場から離れる。

 

ギィが会見を始めようとするエリウッドの方を見てぼやいた。

 

「ったく~さっさと城に行っちまえばいいのに。貴族ってのは面倒だなぁ」

「ギィの頭ってちゃんと脳みそ詰まってんのか?」

「へ?」

 

間抜けな返答をして、ギィは更に醜態をさらした。

それを見て、マシューは乾いた笑い声をあげる。

 

「ははは、やっぱなんかありますか?貴族が単騎で来るなんて『罠ですよ~』って言ってるようなもんですもんね」

「マシューは察しがよくて助かるよ」

「むっ、私だって気づいてたわよ!」

「なんで張り合う」

「だって悔しいじゃない!マシューのくせに!」

 

憤懣やるかたなしのセーラをレベッカがなだめる様子を横目に、ハングは仲間に現在の状況と今後の展開を簡潔に説明した。

 

ハングが一通り話し終えるとセーラやギィが唖然とした顔でハングを見ていた。ドルカスは変わらずの無表情、バアトルは最初から思考を放棄しているような顔だった。

納得したように頷いているのはヘクトルやオズインと言った戦いに精通する者達である。

 

「オズインさん、どう思います?」

「確かに、この辺りは草木が豊富な豊かな土地。その可能性は十分あります」

 

オズインのお墨付きを得て、ハングは確信したような表情を深める。

 

「で、どうすんだ?ハングの推測が正しけりゃ敵は相当の数になるぞ」

「そこは俺が何でここにいるのかをお忘れなく」

 

ハングは皆に指示を出していく。各々は自分の役目をしっかり理解し、行動を開始した。

ハングはその中でも一番ヘマをしそうな男に向けて声をかけた。

 

「ヘクトル、気取られるなよ」

「わーってるよ」

「オズインさん、よろしくお願いします」

「任せてください。ヘクトル様の手綱は握り慣れてます」

 

オズインの口から冗談が出るのをハングは初めて聞いた。

 

少しは認められきてるのだろうか?

 

などと思いながらハングはエリウッドのところへ戻る二人の背中を見送った。

 

 



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14章~うごめく者たち(中編)~

「やぁ!久しぶりだなエリウッド!!」

 

それがエリウッドが対面したエリックの第一声であった。

これが、城の一室ならばとても友好的な会話が続きそうなもんだが、ここは戦の臭いがする平原だ。エリウッドには違和感しか感じられない。

 

「エリック、用件はなんだ」

「用件?どういう意味だい?」

 

ぬけぬけととぼけて笑うエリック。

それを見て、エリウッドの脳裏に浮かんだのはハングの表情を読ませない笑み。目の前の彼とは雲泥の差だ。

 

「僕はただ、旧友の君がこのラウスに来ていると聞き、こうして挨拶に出向いたんじゃないか」

 

ならば、城に招いても良さそうなもの。

 

エリウッドは『さて、どうしたものか』と、エリックの会話の間合いを探る。

 

「ところで、どのような用向きでこのラウスに?オスティアに向かう途中なのかな?」

「・・・どうしてそう思うんだい?」

「君は侯弟のヘクトルと仲が良かったからだよ」

 

ほぼ間髪入れずの返答。あらかじめ答えを用意していたと思われる程の速度だった。

 

「・・・僕のほうは彼が苦手だったけどね。貴族だというのにあの下品な振る舞い、口のききかた・・・まったく、信じられないよ」

 

君の煌びやかで派手な鎧や他人を平気で見下す喋り方は人の上に立つ者としてどうなのか、とエリウッドは問うてみようかと半ば本気で考えた。

だが、今そんなことをしても意味はない。エリウッドは微笑をとりつくろう。

 

なんの返事もしないエリウッドに対し、エリックはこれ幸いと話を続けた。

 

「エリウッド・・・ヘクトルとは今でも付き合いがあるんだろう?一番最近会ったのはいつだい?連絡はどうやって・・・」

 

段々と会話の誘導が露骨になってきた。

エリウッドはそろそろ潮時かと思い、無理やり口火を切ることにした。

正直言ってエリックとの腹の探り合いは面白みがなかった。

 

これならハングと雑談している時の方が余程刺激的である。

 

「エリック。いったい、何を探りにきたんだい?」

「え?」

「このラウスでは、どこを向いても戦の準備をしている。君たち親子はいったい何を企んでいるんだ」

 

エリウッドは足を一歩前に出した。それに合わせるようにエリックが一歩足を下げる。

 

「はっきり答えてもらおうか!」

 

はっきりと敵意をもってにらみつけるエリウッドに対し、エリックは友人としての仮面を脱ぎ去った。

 

「・・・オスティア侯と連絡をとったかどうか・・・聞き出してからと思ったがな。仕方ないな・・・」

「なにっ!?」

「エリウッド!僕は昔からおまえも大嫌いだった。僕の槍で、おまえの善人面を苦渋に歪ませたいと・・・ずっと思っていた!やっと・・・願いが叶う」

 

エリウッドは腰元のレイピアに手をかける。

周囲にいる騎士達も色めき立つ。一触即発の空気。

 

その時だった。

 

「そうはさせるかよっ!!」

 

後方から飛び込むようにしてヘクトルがエリウッドとエリックの間に割り込んできた。

 

「ヘクトル!!」

「お、おまえっ!ヘクトル!!まさか・・・もう、オスティア侯と連絡をとったのか!?」

「さぁ、どうだろうな?」

 

更にオズインもこの場に参加してくる。

ヘクトルは少し不自然なほど大きな声でエリウッドに呼びかけた

 

「エリウッド!こいつ、あちこちにかなりの兵を伏せてるぜ。しかもラウスの正規兵ばかりだ。かなり頑張んねぇと・・・やべえな」

 

エリックは瞬時に馬に飛び乗り高らかに笑う。

 

「クククハハハ・・・おまえたちがいくら必死になっても逃げられはせん!なにせ数が違う!!それも、わがラウスが誇る精鋭の騎馬部隊の攻撃だ」

 

その時、エリウッド達の後方から既に戦いの音と混乱する人の気配が流れてきた。

 

「ハハハ!さっそく、罠にかかったな!!さて、おまえ達は何分生きられるかな?」

 

エリックが素早く立ち去るのと同時に平原から湧き出るように騎馬部隊が姿を見せた。

 

戦闘態勢に入る一同。

 

そんな中で、エリックが十分に離れてからヘクトルはエリウッドに一言二言耳打ちした。

 

「・・・それは・・・ハングらしいね」

「だろ?なんだかんだ言って、あいつ性格悪いよな」

 

エリウッドとヘクトルはこの危機的状況にも関わらず笑い合った。

 

「それじゃあ・・・」

「ああ、敗走しにいくとするか」

 

エリウッドとヘクトルは武器を取り、騎士達は戦いを始める前から退却の鐘の準備を始めた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ったく、見事なもんだな」

 

平原の中央付近で激突したエリウッド達とラウス兵をハングは平原の北にある小高い丘の上から見ていた。

足元には崖があり、下からはまず登ってはこれない。この距離なら矢や魔法も飛んでくることはない

 

戦場を見渡せる安全地帯からハングは自信満々に指揮をしているエリックを眺めた。

そこに続々と仲間達が集まってくる。

 

「ハング!後方の兵は叩き潰したぞ!」

「どうもです。バアトルさん」

「はっはっー!隠れるしか能の無い奴らなど敵ではない!」

 

豪快に笑うバアトルに頼もしさを感じながらも苦笑を禁じ得ない。

ハングはバアトルを労い、空を見上げた。

薄暗い曇天から雨粒が落ち始めていた

 

それを肌で感じ、レベッカが小さく呟く。

 

「雨・・・降り出しましたね」

「ああ・・・」

 

その隣でセーラが渋い顔をしていた。

 

「ちょっと、ハング。そのマント貸して」

「へいへい」

 

抵抗するのが面倒で、ハングは自分のマントをセーラに手渡した。

 

「ふぅ、これで濡れずにすむわね」

 

マントを頭から被るセーラ。代わりにハングはあっという間にずぶ濡れだ。

これでセーラが静かになるなら安いものだがいささか納得いかない。

 

その時、いきなり雷鳴が轟いた。

 

「きゃー!な、なに!!」

 

雷が落ちた。しかも、相当に近い位置だ。

 

「最近、よく鳴りますね」

 

レベッカは平気な顔をしてそう言った。

ハングは雷の落ちた方向に視線を走らせ、眉間に皺を寄せた。

しばらくしてもう一度雷が落ちる。

 

ハングは何かを確認するかのように空を見上げた。

 

「あれは自然のもんじゃないな」

「へ?ど、どういうことよ・・・雷は雷じゃない!?どういうことよハング」

 

雷に驚いて半ばパニックになっているセーラを見て、ハングはこのまま雷が鳴るに任せれば静かになるのだろうかと思ってた。

 

だが、いざという時には動いて貰わなければやはり困る。

ハングはため息を吐いて、立ち上がった。

 

「バアトルさん、二人をお願いします。すぐに戻りますので」

「任されよう!存分に暴れて来い」

 

暴れるつもりはあまりなかったのだが、訂正する暇が惜しいのでハングは例の雷に向かって走り出した。

 

雨に煙る中から見えてきたのはハングが予想していた通りの絵が繰り広げられていた。

一人の魔道士がラウス兵だか山賊だかと戦っていた。やはり、あの雷は精霊の一撃だったらしい。

 

魔道士を追い払うか殺すかして雷魔法を止める気だったハングはもう一つの選択肢を選ぶことにした。

 

すなわち、こちらの味方に引き込むという案だ。

ハングは剣を引き抜き、魔道士の敵に切りかかった。

 

「魔道士!助太刀するぞ」

「助かります・・・」

 

お互いに声をかけ、共に戦う

 

そのはずだった・・・

 

「え?」

「ん?」

 

ハングは目の前の山賊を切り捨てたまま一度止まった。そして魔道士の顔をまじまじと見やる。

 

「お前・・・エルク・・・か?」

「ハングさん?」

 

そこにいたのは、癖のある髪と少し童顔に分類される顔。一年ぶりだが、見間違うことは無い。そこにたのはセーラを一年前に護衛していたハングの友の一人だ。

 

「あ、危ない!」

 

エルクの手元で魔道書が開かれ、精霊が応える。ハングの背後で閃光と共に雷が降り注いだ。

 

「ぐあぁああ!!」

 

そしてハングが虫の息となった山賊を切り捨てる。

ハングの出現に山賊は素早く反転し、雨の中へと退却していった。

 

「くそっ!増援だ!引け」

 

山賊にしては見事な引き際だ。あっという間に戦いの気配が無くなり、ハングは剣を鞘に戻した。

 

「エルク、どうしてここに?」

「話せば長くなるんですが・・・」

「じゃあ後でいい」

 

その早急な会話のしかたから、エルクはさっきから聞こえている騒乱の音にハングが関わっていることを察した。

 

「とりあえず、エルクはラウスとは敵対してるか?それとも協力関係か?」

「どちらかと言えば、敵対ですかね。南の港町に僕の今の主人がいまして。その彼女がラウス侯に目を付けられてしまっているんです」

 

ハングはそれだけでだいたいの事情を察した。

ラウス侯が金品、食糧だけでなく麗しい女性を城に蓄えてるのは有名な話だ。

 

「おかげで、この領地を出ることができずに困っていたんです」

「なるほどな」

「向こうの町は戦いに巻き込まれたりしないでしょうか?」

「それは平気だと思うぞ、向こうはマシュー達を向かわせて制圧させている」

「マシューさん・・・って、あのマシューさんですか?」

「おう、あとドルカスさんとセーラもいるぞ」

 

セーラの名を聞いた途端にエルクの眉間に皺がよった。ついでに顔も頭痛をこらえているかのような険しいものになる。

 

そんなエルクを前にハングは声をあげて笑った。

 

「安心しろ。セーラの弱点を見つけた」

「弱点?」

「ああ、だが詳しい話は後だ。こっちも忙しくてな」

「ラウス侯と戦うのなら協力します」

「当然!期待してるからな」

 

ハングとエルクが再び握手を交わす。

 

「それで、私は援軍に向かえばいいのですか?」

「いや、その前に・・・」

 

ハングは手近にあったラウス兵の兜を持ち上げた。

 

「ちょいと、手伝え」

 

ハングは不敵に笑い、その兜や鎧を身に付けはじめた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

その頃、南の町の付近では

 

「見たか、マシュー!俺の剣の腕を!」

「海賊相手に勝ったこと自慢されてもなぁ~」

「ぬぬぬぬぬ・・・」

 

町の付近のラウス兵と海賊を駆逐しながらマシューとギィは進んでいた。

目標はあらかじめ伝えられている。そこまでは極力目立たないようにすることがハングの指示だが、ギィは知ってか知らずかバカみたいに暴れまわっている。

 

「マシュー・・・」

「おりょ?ドルカスさん、敵の伏兵はもう始末したんですか?」

「ああ・・・」

 

エリウッド達の後方に伏せられていた兵を叩くのがドルカスとバアトル役割だった。

 

「おっし!これで戦力は揃ったな!さっさと仲間の為に戦場に飛び込もうぜ!」

 

いきりたつギィ。そこに、冷たい視線が二組刺さった。

 

「な、なんだよ・・・」

「ギィ・・・おまえなぁ・・・」

 

マシューはこれみよがしに何度もため息を吐く。

 

「な、なんなんだよ!」

「ギィ、ハングさんの策を聞いてなかったのか?」

「え?策?」

 

ギィは頭をひねる。ハングからこの戦闘の前に言われたことを思い出す。

 

『お前はマシューについていけ』

「俺はあんたの護衛を任された」

 

解釈が間違っている。マシューもその場でギィに下されたハングの指示を聞いていたので、ため息五割増しだ。

 

「ハングはマシューの剣の腕が頼りないからってことで俺に護衛を頼んだんだ!あのハングに俺は認められてんだ!だから、諦めて証書を渡せ!」

 

マシューは明日あたりにでも痛い目みせてやるか、と物騒なことを考える。

 

そんな時だった。町の方から女性の悲鳴が聞こえてきた。

マシューとギィがほぼ同時にその方角を見る。

 

まず目に入ったのは、赤毛の少女だ。肩で切り揃えた短くて癖の無い髪。シスターに似た服装は宗教国家であるエトルリアでよく見るものだ。

 

目の良いギィとマシューにはその少女が幼げながら気品のある顔立ちをしてるとこまで見えていた。

 

そして、その少女が馬に乗り、町の入口でラウスの兵士と思われる者に乱暴されかけているのはドルカスにもわかった。

 

「くそっ、あいつら!あんな女の子に・・・って、おい!マシュー!」

 

マシューが駆け出し、ドルカスも続く。ギィが呆けている間に二人は兵士を瞬く間に叩き伏せてしまった。

 

「あーあ・・・余計なことした・・・ハングさんから説教されるかもな・・・」

「その時は俺も一緒だ・・・」

 

マシューとドルカスは武器を構えながら周囲を警戒する。

二人とも愚痴はこぼしているが自分のやったことに後悔はないようだった。

マシューは周囲にラウス兵がいないことを確認し、赤毛の女性に声をかけた。

 

「そんで、大丈夫かい?」

「は、はい・・・ありがとうございます」

 

手を伸ばし、彼女を助け起こすマシュー。

 

「・・・この時期の雨は体に触る・・・」

 

ドルカスはそう言って、少女に雨具を差し出した。

 

「え、そんな・・・私は大丈夫です」

「受け取っとけ・・・どうせ、俺には不要だ」

 

激しく動き、体から湯気を立ち上らせるドルカス。

雨具を引っ込める様子の無いドルカスに少女は深く礼を言いつつ、雨具を受け取った。

 

そこにギィがようやく登場する。間抜けもいいところだった。

 

「それじゃあ、俺たちはこれで。ほら、ギィ。バカみたいな顔してねぇでいくぞ」

「お、おう・・・」

 

マシューとドルカスがギィを引きずるようにして背を向けて市壁に沿って歩き出す。その背中に声がかかった。

 

「あ、あの・・・私も連れて行っていただけませんか?」

「へ?」

 

声を出したのはギィ。マシューとドルカス一旦視線を合わせて振り返った。

 

「やめときなよ、俺たちはこれからラウスの正規兵と戦うんだ。危険だぞ?」

 

マシューの声音が少し冷たいものになる。拒絶の意味合いを多分に含ませたのは当然、意図的である。この少女はどう見ても戦えるようには見えない。そんな娘を戦場に連れていくわけにはいかなかった。

 

だが、その少女はまるで怯んだ様子を見せずにマシューを見返した。

 

「私は・・・旅の途中でラウス侯に引きとめられて困っていたのです」

 

マシューはドルカスともう一度顔を見合わせた。ドルカスも困ったような表情を返すしかない。

 

「私は杖を使えます。必ずお役に立ちます。どうか、連れて行ってください」

 

二人はため息をなんとか堪える。原因は目の前の少女にあった。

彼女は可憐な見た目と裏腹にその芯の強さが見て取れた。これではちょっとやそっと脅しただけでは引き下がりそうにもない。

 

「どうします?」

「・・・・うーむ」

 

二人にとっては判断に困る案件だ。確かに衛生兵はいてくれるとありがたい。だが、それは衛生兵に護衛を割く兵力が必要になるということでもある。

 

それはこれからの作戦に支障をきたすかもしれない。

 

マシューとドルカスとしてはハングの意見を仰ぎたいところだった。

 

だが、そんな二人の思考などまるで知らずに思ったままを口にする馬鹿がここにいた。

 

「よっし、わかった!一緒に来なよ」

 

ギィが地面に引きずられたままそう言った。

 

「本当ですか!?」

「ああ、サカの民は嘘はつかねぇ!俺はギィ、よろしくな」

「私はプリシラといいます。よろしくお願いします」

 

話を素早くまとめたギィを見下ろし、マシューは冷たく呟く。

 

「ハングさんに言いつけていいっすかね?」

「・・・かまわんだろ」

 

俺が護ってやると豪語するギィの冥福を祈り、マシューとドルカス黙祷したのだった。

 



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14章~うごめく者たち(後編)~

中央平原では激しい戦いが繰り広げられていた。

 

エリウッドとヘクトルを中心に、騎士達が的確に脇を固める。

ラウス兵との元来の実力差はわずかながら五人の動きの一体感は一朝一夕で得られないものだ。

この雨によりラウス騎兵の動きが鈍り追撃が来ないことも重なり、五人は数で勝るラウス兵と一進一退を繰り返していた。

 

「くっ、思ったよりやるじゃないか・・・」

 

歯ぎしりするのはエリック。

 

一進一退といっても敵の本隊を一人でも打ち取れたという報告はまだない。対してエリウッド達は確実にこちらの兵達に損耗を強いている。膠着状態とはいえ、このまま行けば数の差が埋められていくのは時間の問題だった。しかも、エリウッド達は適度に後退して深入りしてこない。

 

このままではまずい。雨に紛れて逃げられでもしたら目も当てられない。

 

先程やってきた伝令によれば、伏兵により敵の後詰は崩壊させることができたとのことだった。

だが、結局のところエリウッドを生かして帰せばこちらの負けなのだ。

 

このまま包囲を完成させることができたとしても、今の兵力では決定打にどうしてもならない。

それだけエリウッド達の部隊としての完成度が高いのだ。

 

エリックは近くの兵を呼び寄せ、城へと伝令に走らせる。

 

「おい、誰か城へ!ありったけの援軍を連れてくるんだ」

「はっ!」

 

エリックのいる本陣から城に走っていく兵士。

 

それを見つめる視線が二つ。

 

崖の上から戦況を見ていたハングと城壁から見ていたエフィデル。

ハングはその伝令を見て唇を舐め、エフィデルは逆に唇を噛み締める。

 

このラウス兵の伝令がどちらの思惑に沿っているのかは明白であった。

 

冷静に戦局を見つめるこの二人の視線かかち合うことはまだ先である。

 

エフィデルは伝令が城内に駆け込むのを見て、玉座の間へと戻った。

それはちょうど、ダーレンが伝令からの報告を受け取ったところだった。

 

「早く援軍を送らねば・・・」

 

顔を青くしているダーレンに向け、エフィデルはため息を吐きだした。

 

「この程度の数も抑えられないとは・・・」

 

エフィデルの声が玉座の間に響く。そして、エフィデルはすぐさまその場から背を向けた。

その背中にダーレンから焦った声が飛ぶ。

 

「エフィデル殿?ど、どちらにいかれるのだ?」

「・・・リキア全領地の乗っ取り、あなたには荷が重かったようだ。我が主にこのことを伝え、我ら【黒い牙】もここから引き上げることにします」

 

その言葉にダーレンが勢いよく立ち上がった。

罵声でも浴びせてくるかと思いきや、その顔は今にも泣きそうである。

 

「ここにきて、我らを見捨てると言われるのかっ!?」

「オスティアに知られるとやっかいだと言われたのは、あなたではごさいませんか?ラウス侯ダーレン殿」

 

嫌味のように名を呼ばれ、ダーレンは震える体で答える。

 

「そ、そうだ。わしは今さら後戻りできんのだっ!!た、頼むっ!もう一度・・・もう一度だけ機会をくれ!!必ずや、ネルガル殿に満足していただける結果を出してみせよう」

 

ダーレンの縋るような目からはもはや思考を全て放棄しているような様子が伺えた。

ここにいるのは自分の主に向けてご機嫌を取ろうと、尻尾を振るだけの猥雑な獣だ。

 

エフィデルはフードの下で歪な笑みを浮かべた。

 

やはり、傀儡はこちらの思うがままに動いてくれなければ困る。この男に価値はなくとも、この城に蓄えられた戦いの準備は役に立つ。なにせ、まだしばしの時間がいるのだから。

 

エフィデルはフードの下の闇に全ての思考を覆い隠し、ダーレンを振り返った。

 

「・・・では、ただちに城の兵をまとめ、別の場所で態勢を整えましょう」

「わしに・・・息子と城を・・・捨てろといわれるのか?」

 

エフィデルの言った言葉の意味するところをダーレン明確に読み取った。

説明する必要があると思っていたエフィデルにとってはほんの少し誤算であった。

 

エフィデルは続ける。

 

「あなたのご子息の失態で共倒れになれとでも?我が主ネルガル様の後ろだてでつかむリキア統一の玉座・・・それと引き換えにするほどのものとは思えませんか?」

 

エフィデルの疑似餌。針に餌などつけなくとも、魚は釣りあげられる。

見せかけの餌とほんの少しの挙動で虚構の存在ですら本物であるかのように見せかける。

エフィデルは自分が垂らした針にダーレンが食いつく(さま)を見ていた。

 

「そう・・・か。そうだな。わしには・・・リキア王になるという大事な使命があるんだったな」

「・・・子の一人や二人、また作ればよいのです。一時の感情に惑わされるほど愚かなことはありませんよ」

 

道化はもう一人で十分だ。

 

「そうだな・・・ああ、そうだ!」

 

玉座に座り、自分に言い聞かせるように繰り返すダーレン。エフィデルはその愚かな男に背を向けた。エフィデルは玉座の間を出ながら行く先を吟味する。

 

現在の位置とエリウッドの人柄、そして我が主の目的。

 

最も有効と思われる土地はどこか。

そして、エフィデルは一つ答えを出した。

 

 

その頃、平原の北にある崖の上では・・・

 

「妙だな・・・」

「どうかしたんですか?」

 

戦況を眺めていたハングが呟いた。セーラを牽制する為に度々無意味に雷魔法を放っていたエルクは手を止めてハングのそばに寄る。

 

「いや・・・多分、エリックは援軍を要請したんだろうけど・・・援軍が来ない」

「え?」

「あ、また伝令が走った。本当に来ないらしいな、本陣も相当動揺してる」

 

エルクは平原の戦況を見渡すが、本陣が動揺してると言われてもよくわからなかった。

 

「よくそんなとこまでわかりますね」

「これでも、軍師だからな」

 

ハングは何気なくそう言って、長考するかのように顎に手を当てた。

 

「ちょっと、エルク!雷出すのやめなさい!お願いだからやめなさい!お願いだから・・・」

「セーラさん!崖から落ちちゃいますよ!」

 

エルクに縋りつこうとして崖に近づくセーラをレベッカが必死に抱き留めていた。セーラは本当に雷が苦手らしい。それを見て、さすがに少し気の毒になってきたエルクである。

 

エルクはどうしようかとハングの方を見た。

 

「まぁ、その辺にしといてやれ・・・そろそろ、雷もお役御免だろうしな」

「え?」

 

ハングは顎で平原を示した。そこではエリックまでもが戦線に参加してエリウッドに向かっていたところだった。

 

「ここまでかな・・・レベッカ、合図だ」

「はい!」

 

レベッカは矢筒から一本の矢を取り出す。その先には鏃は付いておらず、その代わりに笛のようなものが付いていた。

 

「放て」

 

レベッカが空に向けて矢を放つ。周囲に甲高い音が響いた。耳に触る程の高音は戦闘中でもよく聞こえる。

その矢の音が雨の中に消えると同時に退却の鐘が鳴り響いた。

 

「いけぇ!敵は崩れたぞ!追えぇい!」

 

エリックの勝ち誇った声を聞きながらハングは次々と仲間に指示を出していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

エリックは後退していくエリウッドの本隊を見ながら顔に浮かぶ勝利の笑みを抑えきれずにいた。

 

自分が参戦した途端に、エリウッドもヘクトルも尻尾を巻いて逃げ出した。

 

やはり、自分の槍の腕は恐れられていたのだ!学問所では剣ではエリウッドに、斧ではヘクトルにまるで歯が立たなかった。だが、槍なら。この槍でなら、僕は決して負けるわけがないのだ。

 

エリックは追撃戦に移った戦いに歓喜しエリウッドの背中を追い続けた。

 

「フェレも・・・オスティアも・・・滅ぼしてやる!我々ラウス侯爵家がこのリキアの王なのだ!」

 

馬に鞭を入れるエリック。その隣に近衛兵が寄ってきた。

 

「エリック様!」

「なんだ!?援軍か?」

 

これで、駄目押しだ。しかもエリウッドの逃げる先にはあらかじめ伏兵を配置している。これで袋のネズミ。

エリックは自分の仄暗い願望が叶う瞬間を目の前に息をたぎらせる。

 

騎士達はどうでもいいが、エリウッドとヘクトルはこの手で殺してやる。

 

だが、その興奮は近衛兵の言葉で一気に冷めることとなった。

 

「ふ、伏兵です!」

「は?何を言っている?我々の伏兵はエリウッドの背後に・・・」

「違います!!敵の伏兵が我が軍の後方に!!」

「なんだと!!」

 

バカな、という思いと共に背後をみる。

そこには明らかにラウス兵ではない部隊が北と南から現れ、背後に陣取ろうといているところだった。

 

「そ、そんなバカな・・・敵は・・・我が伏兵に壊滅したと・・・残るはエリウッド達のみだと・・・」

 

確かにエリックはその伝令を受けた。

伝令の相手の顔をエリックは思い出そうとする。

 

見慣れぬ兵士だった。髪で癖毛のある茶色い瞳のやや人相の悪い兵士。

 

エリックは慌てて周囲を見渡す。自分の周りにそんな容姿の兵はいなかった。

 

『釣り野伏せ』

 

退却を偽装して敵を陣の深くまで誘い込み、伏兵で挟撃する。

エリックの頭にその戦術が浮かぶ。背筋に雨粒の冷たさとは別種の冷気が訪れていた。

 

「エリック様!前方の隊が反転してきます!」

「む、迎え撃て!」

「背後から雷が!魔道士です!」

「むむむ、む、迎え撃て!」

 

前後からの攻撃に足が止まる騎馬部隊。そこにエリウッド達が一気に突っ込んだ。

瞬時にラウス兵達の陣形が切り崩されていく。その直後、後方からハング達が突っ込んだ。

雨の中、足を止めた騎馬兵になすすべはない。エリックの部隊は馬を捨てて逃げだすか、地面に叩き伏せられていくかの二択を迫られるに至った。

 

近衛兵が次々と倒されていくなか、エリックは陣のど真ん中で震えることしかできなかった。

 

「てめぇがエリックか」

 

背後から名を呼ばれ、エリックは反射的に振り返る。その顔面に飛び蹴りが叩き込まれた。

 

「ごばぁ!!」

 

馬から転げ落ち、泥だらけの地面に背中から激突した。

それでも、槍を手放さなかったところにエリックの騎士としての最後の誇りが見えていた。

だが、今更その程度の抵抗など無意味でしかない。

 

「こ、このぉ!」

 

エリックは銀製の槍を襲ってきた人物に向ける。

 

「はん!この程度かよ」

 

その槍先は足で簡単に蹴り飛ばされ、すぐさまもぎ取られてしまう。

 

「ったく・・・エリウッドの奴でももう少し槍を上手く扱えるぞ」

 

エリックの視線の先。雨に濡れて張り付いた髪は黒く、癖がある。見下ろされ、影になった顔なのに薄い茶色の瞳と不気味に笑う口元だけがはっきり見えた。

 

その顔にエリックは見覚えがあった。

 

エリウッド達の後詰を始末したと報告してきた伝令の兵士の顔だった。

 

「き、貴様!あの時の・・・」

「マシュー!梱包しちまえ!」

「はいは~い」

 

どこからともなくマシューが現れ、一気にエリックの体に縄を巻きつけていく。

 

「はっ、放せ!この私が捕虜になど・・・ぐ、ぐわっ!」

 

ハングはエリックを見下ろし、冷たくほくそ笑む。

 

「いいか、三流策士。伏兵ってのはなこう使うんだよ」

「くっそぉおおおおお!」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

マシュー曰く、両手足の親指を一つに縛って逆関節を軽く決めておけばどんな手練れでも絶対に抜け出せないそうだ。エリックは綺麗に縄で梱包され、うるさい口には猿轡をかまされ馬に縛り付けられていた。

 

エリックが捕らえられたことにより、戦っていたラウス兵達はすぐさま投降に応じている。

ハングは彼等を一箇所に集めて、監視をマシューとバアトルに任せた。

 

エリックには念入りにドルカスを追加で監視に付けておく。暴れるようなら、首を切り落とせとエリック目の前で宣言しておいたのでそう心配はないだろうが念のためである。

 

ハングはロウエンに被害状況を尋ねる。

 

「んで、こっちの被害は?」

「怪我人が少々出ましたが軽微です」

「了解」

 

城の周囲の偵察に向かったマーカス達を待つわずかな間。エリウッドとヘクトルは最前線で敵の攻撃をさばき続けたため、怪我を多数負ってセーラの治療を受けていた。

 

雨はあがり、戦闘の臭いももう無い。

 

今後のことを考えるハングにロウエンが苦笑いをしながら話しかける。

 

「しかし、ハング殿もなかなかに人が悪いですね」

「さっき、エリウッドとヘクトルにも言われたよ」

 

伏兵を用いる相手を伏兵で破る。他にも方法はいくらでもあったが、ハングはあえてそのような策を用いた。

性格が悪いと言われても仕方ないかもしれない。

 

「もちろん、良い意味でです」

「そうは思えんがな」

 

ハングが傷薬を支給しているマリナスの所まで戻ると、エルクが皆に挨拶をしているところだった。

エルクの主とはマシュー達が保護したプリシラという少女だった。

詳しくは聞いていないが、どうやら旅の途中のようだ。

 

「プリシラ様を護っていただき、ありがとうございました」

「いいってことよ。俺は強いからな!」

 

鼻高々のギィ。ハングはその輪の中に入った。

 

「んで、エルクはこのあとどうすんだ?」

「プリシラ様がエリウッド様の隊に協力したいとのことなので、僕も彼女に同行します」

「で、本音は?」

 

ハングがそう言うとエルクは邪気を感じさせない笑顔を浮かべた。

 

「ハングさんと一緒なら旅も安全かと思って」

 

エリウッドの旅はまだ続く。エルク達の旅は明確な目的はあるが、行く当てが無い。そんな旅なので、このエリウッドの部隊で仕事をするのは渡りに船と言ったところだったようだ。

 

「そっか、それじゃあ、またよろしくな」

「はい!」

 

ハングとエルクは何度目かわからない握手を交わす。

 

そして、その主のプリシラはと言うと・・・

 

「よろしくお願いします」

「は、はい!こちらこそ!私、レベッカって言います」

「セーラよ、セーラ先輩と呼びなさい」

「は、はい。セーラ先輩」

 

雷がやみ、再びいつもの元気を取り戻したセーラ。

ハングはエルク背中を叩く。

 

「あれ、やめさせとけ」

「はい・・・」

 

エルクは頭痛をこらえるような顔をして、プリシラに絡むセーラの方へと歩いていったのだった。

 

そして、ハングはロウエンに今回の自分の手柄を自慢しているギィに視線を向けた。

 

「さて・・・」

 

ハングは笑った。いつもの不敵な笑みではない。他人を安心させる弾けるような笑みでもない。

 

それは他人を凍りつかせる微笑だ。

 

ハングがその顔をした瞬間にロウエンが立ち去った。エルクがいそいそとプリシラを連れてその場を離れた。セーラは既にいない。レベッカは逃げ遅れたのか、それともハングに当てられたのかその場に取り残されていた。

 

「ギィ、ちょっと話があるんだが・・・」

「ん?なんすか?」

 

頭上には雨上がりの虹がかかっていた。

 

巨大な蛇にも見えるそれは昔は凶事の兆候だったらしい。



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間章~戦後の城(前編)~

ハングがラウス城へと入った時、城の中はもぬけの殻であった。食料庫や武器庫を含め、全て空っぽ。残っていたのは領主が消えて喜ぶ守護兵と使用人だけだった。ダーレン侯爵もラウスの主力兵の姿も無い。

 

ハングは投降した兵を使い、素早く城の内情を把握して領内の安定化に務めた。そのおかげでラウス領内の見かけは今までと変わらぬ様相を呈していた。

 

そんなラウス城の一室。

 

エリウッドとヘクトルが部屋の中央を睨みつける。彼らの視線の先で縛られているのはかつてこの城を我が物顔で練り歩いていたラウス侯子エリックである。

エリウッドはエリックに柔らかな物腰で話しかける。

 

「エリック・・・話してくれないか?」

「・・・・」

 

エリウッド達はエリックから父のことや【黒い牙】の情報について聞き出そうとしていた。だが、先程からエリックは黙秘を貫いたままだ。業を煮やしたヘクトルが声を荒げる。

 

「おいっ、なんとか言えよ!ここで死にてぇのか!?」

「・・・・」

 

エリックは目を逸らし、不遜な態度を取り続ける。

 

エリックにはエリウッド達が自分を殺すわけがないという確信があった。

 

自分は貴族であり、ダーレンがいない現状ではこのラウス領の実質的な統治者だ。さらに投降した兵の中にはエリックの部下達もいる。ここで自分を殺して彼らに反乱の意志を植え付けるようなことはしないはず。

 

エリックはそう高を括っていた。

 

そんなエリックに対し、エリウッドやヘクトルもなんとか口を割らせようとあの手この手を用いてはいたが、どうにも上手くいかない。

 

そんな時だった。突然ドアが盛大に開けられた。

 

「よう、順調か?」

 

ハングがやけに上機嫌で部屋に入ってきた。

その後ろにはこの城の元使用人らしき女性が大きな包みを持ってついてきていた。

ハングはその包みを受け取り、その女性に労いの言葉をかける。

 

「悪いね。なんか、荷物持ちまでやらせちまって」

「いいんです。やっと私も村に帰れますから。それに、あんなに退職金を貰えるなんて」

「なぁに、この城には高価な品がいくらでもあるからな。あの騎士と恋仲なんだろ?前祝いも兼ねてるから気にすんな」

 

ハングは弾けるような笑顔を見せ、彼女を見送ってからドアを閉めた。

 

「おう、エリウッド。話は進んでるか?」

「ハング、今は尋問中だぞ」

 

ヘクトルの声が苛立っているのは単にエリックが話さないからではなく、この真剣な場にそぐわぬ雰囲気でハングが現れたからだ。ハングのもたらした朗らかな空気の中ではらいくらヘクトルが凄んでもなんら効果を示しそうにない。

 

「悪いね。俺も用がすんだらすぐ帰るから、気にすんな」

「用って、なんなんだ?」

「・・・ほれ、こいつをだな・・・」

 

ハングはヘクトルに包みの中を見せる。エリウッドはそれを無視して再びエリックに視線を合わせた。

 

「エリック・・・頼むから君の知っていることを教えてもらえないだろうか?」

 

エリウッドは真剣だ。だが、その後ろではハングとヘクトルが何やら話し合っていた。

 

「それなら、この真上の梁がちょうどいいんじゃないか?」

「だな、ヘクトル。そこの椅子持ってきてくれ」

「よしきた」

 

エリウッドの背後で二人がゴソゴソと何かをやっているが、それもエリウッドは無視した。今はエリックの話が先決である。エリウッドは再び語りかける。

 

「僕は・・・父のことを知りたいだけなんだ」

 

それでもなお、背後での動きは続く。

 

「ヘクトル、ちょっと抑えててくれるか?」

「ああ・・・・・・にしても、お前やけに手際がいいな」

「まぁ、昔な・・・ちょいとあってな」

「ま、いいけどさ」

 

いまだ、何かをやっている二人。エリックはなぜかそちらに視線を奪われてる。これでは尋問どころではない。

 

「こんなもんか?」

「もう少し、短くていいんじゃないか?」

 

しまいにはハングが鼻歌まで歌い出した。

エリウッドもさすがに我慢の限界だった。

エリウッドは一言言ってやろうと思い、振り返った。

 

「よし、完成だ!さぁエリック、この椅子に立ってみないか?」

 

エリウッドはそのまま言葉を失ってしまった。

 

「視点が少し高くなれば今まで見えないものも見えてくるって言うしな。冥土の土産にはちょうどいいだろ?」

 

どこから持ってきたのか、ハングは太い綱を梁からぶら下げていた。しかも、垂れている綱の先は輪っか状に結んである。

 

要するに絞首刑用の舞台が整っていた。

 

それはエリウッドもフェレで時々見たものだ。結び方も輪の大きさも見事なまでに本物のようだった。

 

「ま、待て!わ、私にそんなことをしてみろ!城の兵が黙ってないぞ!」

「ああ、それなら心配いらねぇよ。今、俺の指示で治安維持の為の見回りに行ってもらったところだ。よく訓練された兵士達だ、人柄もいいしな。お前の死体さえ公にならなきゃ問題ない」

 

ハングは縛られたエリックを左手でつかみ上げる。

 

「お前は尋問中に逃げ出した。そして行方不明になったまま二度と戻らず。死体は決して見つからない。そういう筋書きだ」

 

ヘクトルは似たような台詞を以前聞いたのを思い出し、喉の奥で笑う。

これではどちらが悪者かわかったものではない。

 

「ふざけるな!わ、私の遺体をどうやって処理するつもりだ!!絶対に見つかる!だから考え直せ!!」

「じゃあ、こういうのはどうだ?お前は捕虜という身分を恥に思い、俺達の目を盗んで自殺・・・なんなら貴族らしく毒酒でも煽るか?」

 

ハングはエリックを投げ飛ばすようにして椅子に座らせる。

エリックの真上では絞首刑用のロープが揺れていた。

 

「ほれ、準備は万端だ。口を開けろよ」

 

ハングはどこからともなく酒瓶を取り出す。

 

「ま、待てと言っているだろ!貴様は情報が欲しいんじゃ・・・ふがっ!?」

 

ハングはエリックの言葉を遮り、鼻をつまんで口を開けさせる。

 

「喋る気無いんだろ?口を開かないなら生きてても死んでても対して変わらん。ってなわけで、もう永遠に黙ってていいぞ・・・それで?最期に言い残すことは?」

「喋る!喋るから!こ、殺さないでくれ」

 

ハングのあまりの手際よさに、エリウッドはもう言葉も出ない。

ヘクトルは部屋の隅でこの一連のやり取りに笑いを堪えるのに必死なようだった。

 

ハングは鼻から手を離し、酒瓶をエリックの目の前の床に置いた。

 

「それで?」

 

ハングが酒瓶を足先で小突きながらそう尋ねた。たったそれだけの仕草でエリックは堰を切ったように喋りだした。

 

「え、エフィデルという男がいる。一年前、突然ラウスに現れた。あいつが来て、父上は変わってしまった」

 

エリックは自分の頭上で揺れる縄をチラチラと見ながら矢継ぎ早に喋っていく。

できるだけ早く椅子から離れたい気持ちは傍から見ててもよくわかった。

 

「父上は・・・以前から、オスティアがリキアをまとめてることに不満をもらしていたが・・・まさか、反乱を起こそうとまでは考えていなかった」

「反乱だと!?」

「ヘクトル、黙ってろ」

 

有無を言わさないハングの言葉にヘクトルは押し黙る。

 

「続けろ」

 

エリックは命じられるままに更に情報を吐き出す。

 

「・・・とにかく、あいつは何か強い切り札を持っていてそれで父上を虜にしてしまった。父上は反乱を決意するや、諸侯の何人かに使いを走らせ協力を要請した」

 

そこで、エリックは言葉を切りエリウッドの方を見た。

ハングは目を細める。エリックの目に一瞬だけ、起死回生の光を見たような気がしたのだ。

 

そして、その直感は正しかった。

エリックは口元に小さな笑みを浮かべて言った。

 

「フェレ侯爵は反乱に賛同した一人だ」

 

ヘクトルが息を飲む声が聞こえてきた。

 

「まさか!父にかぎってそんなことはない!」

 

声を荒げるエリウッド。そして、それを待ってたかのようにエリックがあざ笑いながら口を開いた。

 

「信じようが信じまいが勝手にすればいい。だが、最初にサンタルス侯、その次にフェレ侯が返事をよこした。半年前、フェレ侯がここを訪れたのも、反乱意思の最終確認だったんだからな」

 

ハングの視線はエリックを捉えて動かない。

 

「そんな・・・ばかな」

 

エリウッドの驚愕の声に被せるようにエリックは喋り続ける。

 

「あの日、父上とフェレ侯は激しく言い争いをしていた。フェレ侯はエフィデルが気に入らなかったようで、エフィデルが連れてきた暗殺集団【黒い牙】とともにリキアから追い出すよう父上に求めた・・・結局、父上はそれを承知せずフェレ侯はこの城を離れた。そして・・・例の失踪騒ぎだ。もう、生きてはいないだろう」

 

エリックが顔をいやらしく歪める。

 

卑屈な笑みだった。

 

「黙れ!」

 

ヘクトルが声を荒げて、エリックに掴みかかる。

エリックは縛られているので何の抵抗もできずに襟を持ち上げられた。

それでも、その顔から笑みは消えない。

 

「エリウッドが聞きたいと言ったから僕は話したんだ」

「てめぇ!」

 

ヘクトルが拳を振り上げる。

 

「やめろ!ヘクトル!」

 

ハングの声がヘクトルの拳を止めた。ヘクトルはエリックの顔を暫し睨みつけ、舌打ちと共に突き飛ばした。再び椅子に座らされたエリックはまだ喋り続けた。

 

「父上はエフィデルの操り人形だ。あいつの言うことであればどんなことだって聞く。それがたとえ・・・実の息子を見殺しにすることでも・・・・・・」

 

エリックは笑い続ける。そこにあるのは、自分より不幸な者を見つけた喜びだった。

人は他人を蹴落とす時にこんな風に笑うのかと、ハングは胸の奥から吐き気が湧き上がってくる気持ちを覚えていた。

 

「そんな奴らのすることだ。自分たちに逆らったフェレ侯を生かしとくわけがないさ」

 

エリックの乾いた笑い声が耳をつんざくように聞こえてくる。

エリウッドは耐えられなかった。

 

「待て!エリウッド!」

 

エリウッドが部屋を飛び出して、ヘクトルも彼を追って部屋を出て行く。

だが、ハングはその背中を見送るだけでその場から動くことはしなかった。

 

「お前は・・・いかないのか?」

 

エリックの視線が一人部屋に残ったハングに向けられる。

 

「あんな田舎貴族に仕える軍師だそうだな。君の伏兵の策は見事だったがエリウッドには・・・」

「黙れ・・・」

 

ハングは突然エリックの胸に蹴りを叩き込んだ。

 

「かはっ!」

 

何の抵抗もできないエリックは椅子ごと床に倒れた。

 

「エリウッドはそこまで弱かねぇ」

 

ハングは剣を引き抜き、エリックの喉に突きつけながら、またがる。

 

「あいつは放っといても勝手に立ち直る。っつうわけで、俺は俺の用件を済ます」

 

ハングの話し方は多少威圧的であったが、その声音はいつもとさして変わらない。

だが、その瞳だけは普段とは大きく違っていた。

 

「【黒い牙】・・・」

 

仄かに揺らぐハングの瞳。

 

「ネルガルと呼ばれてる奴はいたか?」

「ね、ネルガル?それが、おまえとどうい・・・」

 

ハングは首の皮を剣先で切り裂く。

 

「余計なことは聞きたくない」

「ひっ、ひぃ~」

 

ハングの目の奥が燃えていた。

 

「言えよ、俺にエリウッドの学友を殺させるな」

「し、知らない!本当だ!ネルガルという名前は父上とエフィデルが時折漏らしていただけだ!ぼ、僕は本当に知らないんだ!」

 

恐怖に裏打ちされた証言には信頼がおける。

ハングは一つため息をついて剣を引いた。

 

「マシュー、いるんだろ?」

「ここに・・・」

「とりあえず、こいつは牢屋にぶち込んどけ」

「はっ!」

 

ハングの後ろで平身低頭を貫く密偵。

と、ここまではよかった。

 

「・・・・っていうか、俺はハングさんに仕えてるわけじゃないんですがね」

 

余計な台詞にハングの気持ちも萎えていった。

 

「いいからやれよ。せっかくの空気が台無しじゃねぇか!」

 

マシューはケタケタと笑いながらエリックを担いだ。

 

「ハングさんはそれぐらいに笑っててくださいよ。じゃないと、怖くて喋れませんからね」

 

一年前と変わらず自分の人相は悪いのだろうか。

 

ハングは頭をかいて、ため息をついた。

 

「さてと・・・」

 

マシューはいつの間にか消えており、この部屋にはハングしかいない。

 

「どうするかな」

 

ハングは少し頭を捻りながら部屋を出て行った。

首吊り用のロープだけが意味もなく揺れていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ラウス城の前に広がる平原。先程まで激しい戦闘が行われていたその場所は雨上がりの静けさに包まれていた。そろそろ日も傾こうかという時分、まもなく世界は夜の闇に閉ざされる。

 

エリウッドは城壁の上からその平原を眺めていた。

 

『行って・・・話を聞けば戦いになるかもしれない』

 

そんなことを言っていたのが遠い昔のようだった。

エリウッドは平原の空気を胸の中に吸い込んだ。

 

死体の腐敗臭は無い。ただ、雨上がりの湿った空気が肺の中を満たしていった。

 

「エリウッド・・・」

 

ヘクトルがエリウッドの名を呼ぶ。泣きそうなのはエリウッドの方なのに、ヘクトルの声の方が少し潤んでいる。エリウッドはもう一度雨上がりの空気を大きく吸い込んだ。

 

「・・・父上は生きている・・・」

 

口からこぼれ出たのはそんな言葉だった。

 

「それに・・・反乱に荷担するとは・・・どうしても思えない」

 

厳しくも優しくもあった父。母を心から愛していて、それと同等に自分も愛してくれていた。そして、何より陽だまりの中の平和を望む人だった。

 

「何か・・・きっと何かがあったんだ・・・」

 

それは確信よりも深いところに根付く思い。証拠なんてなにも無い。それでも信じるのはなぜなのか?

 

家族愛?信頼?絆?

 

そのどれもが言葉にしてみれば違うような気がしていた。

 

これはもっと根本的ことだった。

フェレ公子として、父の息子として、一人の男としての信頼。『憧れ』と言い換えてもいいかもしれない。

 

「そうだな。わかってる」

 

ヘクトルがエリウッドの後ろで頷いた。

 

「俺も、親父さんにかぎってそれはないと思うぜ。兄上も、フェレ侯を一番信頼していた」

 

ヘクトルが歩を進める。ヘクトルが立つのは後ろでも前でもない。彼はエリウッドの隣で肩を並べた。

 

「だから・・・まずは、親父さんの生存とことの真偽を調べようぜ。兄上への報告は、その後でいいだろう」

「ヘクトル・・・すまない・・・」

 

エリウッドの顔をヘクトルは見なかった。エリウッドもまた隣を伺うことはしない。

 

「そんな声出すなよ。親父さんは、きっと生きてる」

「ああ、もちろんだ」

 

二人は沈みゆく夕日を最後まで見つめていた。



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間章~戦後の城(後編)~

ヘクトル達は城内に戻り、それぞれにあてられた部屋へと戻っていった。ヘクトルはその途中でオズインと会った。『会った』と、いうより『待ち伏せ』されていたと言ったほうがよいようだった。

 

「ヘクトル様、少しお時間を頂いてもよろしいですか?」

「なんだ、オズイン?」

 

いまだ戦闘用の鎧を脱いでいないオズイン。普段と変わらないしかめっ面だが、今日は一段と皺が深い。

 

ああやって、皺くちゃのじじぃになっていくだろうな。

 

ヘクトルはそんなことをつらつらと考えながらオズインの言葉を待った

 

「一度オスティアへ帰還いたしましょう」

 

ヘクトルは少し溜息をついた。

そして、両腕を胸の前で組む。

 

「これ以上、エリウッドさまへの・・・フェレへの助力は賛成いたしかねます」

 

先程のエリックとのやり取りを聞いていたのは自分とエリウッドとハング。

 

「マシューに聞いたのか?」

「いえ、ハング殿から直接お聞きしました」

 

あの、野郎・・・余計なことをしやがって

 

ヘクトルは胸の中で毒づく。

 

オズインにあの話を黙ってるつもりはヘクトルには無かった。だが、物事には切り出す機会というものがあり、それを逸脱するとあらぬ誤解を招くことがある。

 

今回の内容は見事にそれだった。

 

「我々は、オスティアの今後を考えるべきかと。フェレ侯に反乱の疑いありとなった以上は・・・」

 

そんなハングへの苛立ちも重なり、ヘクトルは低い声で言った。

 

「オズイン。今の言葉、取り消せ」

 

怒気を顕わにするヘクトルに対し、オズインは眉一つ動かさずになだめるように言う。

 

「ヘクトル様、お気持ちはお察ししますが・・・」

 

ヘクトルはオズインを一度睨みつけた。

本来なら戦場で敵に使うような睨み方だ。

 

「俺はエリウッドの親父さんをよく知っている」

 

さすがのオズインもその殺気を帯びた視線に口を閉じた。

 

次いで生じたのは既視感。オズインにはこんな視線を向けられた経験が今までの人生の中で一度あった。それは人生の契機であった。

 

ヘクトルは続ける。

 

「その俺が、あの人は信じるにたる人物だと言っている。おまえも、俺に仕えるのなら誠を示すべきじゃないのか?」

 

オズインは黙る。それと同時にオズインは自分の手のひらに汗がにじむのを感じていた。目の前のヘクトルから感じる圧力。

 

ハングの雷とはまた違う種類の圧。彼のあれは頭上から物理的な圧力をかけられているような支配力だ。

それとは別種の威圧感。オズインは巨大な城壁を目の前にしたような、覆いかぶさるような力を感じていた。

 

「・・・なんてな」

 

その幻覚はヘクトルの肩をすくめる仕草で霧散していった。

 

「おまえは兄上の臣下だ。いくらお守りを任されたからってそこまでしなくてもいい。オスティアに戻れよオズイン。これまで、助かった・・・・・・礼を言う」

 

頭を下げるヘクトル。

 

オズインは自分が三度目の人生の契機に立っていることを自覚した。

 

目の前にいるお方はやはり・・・

 

オズインは片膝をつき、頭を垂れる。

 

「フェレ侯爵に対する非礼の言・・・心からお詫びします」

「オズイン!わかった!もういい!!だから、俺の前にひざまずいたりすんな!!」

 

ヘクトルの慌てふためく声がオズインの頭上から聞こえる。こういうところはまだまだだと思う。

 

オズインは自分の槍を両手で横に持ち、頭上にまで持ち上げた。

 

「ここで騎士の誓いをさせてください」

「騎士の誓い・・・だと?」

 

それは騎士が忠誠を誓う儀式。ただの口約束とは格式がまるで異なる。その重みは騎士の命運すら左右する。

 

「どうかこの槍をお受けとりください。そして、祝福ののち私にお返しを」

「オズイン、おまえ・・・」

 

ここはただの廊下。だが、今だけはこの場所はどんな玉座の間よりも厳かな場所である。

 

「私は、オスティアに仕える騎士。これまで槍を捧げた方はウーゼル様お一人でした」

 

ヘクトルはオズインの一言一言に耳を傾けていた。

 

「しかし・・・今、心からあなたにもお仕えしたいと思います。どうか、私にその栄誉を」

 

ヘクトルはその言葉に感動を受け、そして不安に襲われる。

 

自分に兄程の価値があるのか?

 

それは、ヘクトルの内側に常にくすぶっている疑問だった。

 

「オズイン・・・」

 

地位を追うように器が大きくなることはまれ。だが、背負う物の重さが人を成長させるのもまた事実であった。

 

ヘクトルは一度深呼吸をする。

 

ヘクトルは差し出された槍に手を伸ばした。その穂先をオズインの両肩に順にあてていく。

 

ガラではない。そんなことはヘクトル自身が一番理解していた。

それでもやらなければならないことはある。

 

それが、オスティア侯弟としての責務だった。

 

「オズイン、リキアの祖ローランの名の下に汝を我が騎士とする」

「はっ!」

 

人は何かを背負ってこそ、強くなれる。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ハングさん、こっちの書類をお願いします」

「はいはい。そういや、例の訴訟はどうなってる?」

「今、手配してます」

 

ラウスの地下牢には予想しているより多く人間がいた。リキア転覆に反対した穏健派である。

ハングは地下牢の記録とエリックから『丁寧』に聞き出した情報を照らし合わせ、何人かをラウスの政務や軍務に当たらせていた。さすがに地下牢から出てすぐなので、各々が情報の整理をする時間がいりハングの出番はあまり無かった。

 

ハングは適当なところで、切り上げることにした。

 

「んじゃ、手が足りなくなったら呼んでくれ。しばらくは手伝えるから」

 

いくつかの方向から礼を受けながらハングは執務室をあとにした。

 

「あ、ハングさん」

「ハング殿!」

 

廊下をさほど歩くでもなく、ロウエンとレベッカに遭遇した。

 

「よう。二人は逢引きか?」

「あ、ああ逢引き!?」

「ち、ちが、違いますよ!」

 

二人揃って顔色を変える様は見ていて面白い。

 

なるほど、動揺すると周囲からはこういうふうに見えるのか

 

ハングはどうにかして自分がからかわれる回数を減らせないかと考えた。

 

「んじゃ、何してたんだ?」

「皆さんの食糧について、少し話をしてたんです。次にお城で一息つけるのなんていつになるかわからないですから」

 

レベッカはまだ少し頬を赤らめながらそう言った。

 

「最近、二人の糧食係が板についてきたな」

 

行軍中も食糧の節約の為にレベッカが鹿などを狩り、ロウエンが調理するという状況が度々あった。

 

「ロウエン様は料理が御上手ですもんね」

「いえいえ、レベッカさんの弓の腕も素晴らしいです」

 

アホくさ・・・

 

お互いを褒め合う二人ははたから見たら、『ご馳走様』としか言いようが無かった。

いや、食べ物を取り扱う二人ならこれでいいのかもしれない。

 

「まったく、フェレ領がどっかに吸収されたら二人で店でも開いたらどうだ?」

 

ハングは半ば嫌味のように言った。だが、それは予想外の反応を呼んだ。

レベッカの目が突如として真剣味を帯びた。

 

「フェレ侯爵様の反乱というのは・・・ハングさんは・・・信じているんですか?」

 

レベッカに睨まれ、隣のロウエンの雰囲気が途端に鋭くなる。

そんな二人を前にハングは取り繕うことはしなかった。

 

「ありえない、とは言い切れない」

「ハング殿、失礼ながら一発程殴らせてもらってもよろしいですか」

「よろしかねぇよ」

 

ハングは苦笑し、手を軽く払う仕草をした。落ち着け、という意味合いだった。

 

「ありえない、とは言えんけど。俺はありえないと思ってる」

 

判断を偏らせると、その逆をつかれたときに動揺する。それでは軍師は失格だ。

 

「だから、そう殺気立つな。俺はエルバート様を少し知ってる。そんなことする人じゃないくらいわかってるさ」

 

そこまで、言ってようやくロウエンは拳を解いてくれた。

 

「・・・失礼しました」

「全く、まだまだだなロウエン。マーカス将軍は眉一つ動かさなかったぞ」

「う、うう・・・」

「そして、注意を受けて唸り声をあげるようじゃ騎士とは言えん」

 

ハングは歩き出しながら笑った。後ろから二人もついてくる。

 

「ハング殿・・・このことはマーカス将軍には・・・」

「当然、伝える」

 

ハングがまた笑うとレベッカが非難の視線を送ってきた。

 

「俺から言っとかないと俺のほうに説教がくるからな。諦めてガミガミ言われとけ」

 

そこに、不貞腐れ気味のレベッカが言葉を挟んだ。

 

「マーカス様は厳しすぎます」

 

レベッカはそう言うが、上官なんてだいたいどこもあんなもんである。

 

「とんでもない!俺が未熟なだけですよ」

「だな、槍の素振り千回で満足してるようじゃあな」

「うぐ・・・聞いていらっしゃったので?」

「おう、ばっちり」

 

前回の説教の原因はロウエンの毎日の素振りの回数である。マーカスに言われた回数は千回。それを指示通りやっていたらロウエンは説教をくらった。

 

『半人前は人の倍動かぬかっ!最低限の訓練しかせずに強くなれるつもりか!』

 

と、言われていた。

 

理不尽に聞こえるかもしれないが、騎士としてはマーカスの言っていることが正しい。

 

騎士は単なる兵隊ではない。時に自分の判断で動き、処罰を受けて部下を救った騎士の話など枚挙すればキリが無い。騎士に求められるのは指示を受けるだけの一兵卒ではなく、臨機応変な対応ができる、将としての器だ。

 

「マーカスさんの説教は常に合理的だ。あの人についてる限りロウエンはいい騎士になれるさ」

 

レベッカは不思議そうだったが、ロウエンは清々しい笑顔だった。

 

「はい、自分もそう思います」

「で、今日の素振りの回数は」

「一万回です」

 

ハングは上等という意味をこめて笑ったのだった。

 

その後二人と別れ、ハングは暗くなった城内を歩いていく。

 

ハングはフェレ侯爵に反乱の疑いがあることはとりあえず全員に伝えていた。

騎士達は主君に従うものだから心配はしていなかったが、マシューやセーラも腹をくくったのには少し驚いた。

 

あんな二人でも、忠誠という言葉は知っているらしい。

 

まぁ、ヘクトルの人望だろう。

 

ハングは心の中だけてヘクトルを褒める。決して口には出すことはしないが。

 

他の連中だが、ギィに関してはマシューがいる以上自由は無い。また、本人もこの旅の目的などあまり気にしないと言っていた。戦えることこそ傭兵の意義だと言わんばかりである。

バアトルも似たような意見であった。

 

ドルカスは金さえもらえればよいとのこと。

それだけ言うと守銭奴だな、とハングは笑った。

 

マリナスも同じことを言っていたが、こちらは建前だろう。彼は将軍と共に戦場を支える立場に憧れがあるらしく、付き従うことになんの葛藤もなさそうだった。

 

エルクとプリシラは少し困った顔をしていた。旅の目的が国家を転覆を企む反乱者の捜索となれば尻込みするのは当然である。だが、エルクはハングのことを信頼すると言っていた。

 

『マズイ状況になったら、さっさと逃げ出します。ですからその状況になったら教えてください』

 

そう言ったエルクにプリシラは面食らっていた。助けてくれた恩人を見捨てると言っているのだからその反応は間違いではないが愛憎渦巻くエトルリアの貴族にあるまじき素直さだ。そんな彼女を前にハングはあえて自分の中の推論を話した。普段なら聞かれない限り答えないようなところまで話し、ハングはプリシラを納得させた。

 

結局、離脱者は無し。

 

悪いことではないが、ハングには少しばかり懸念は残る。

ハングは少し頭の中を整理したくて、城壁の上へと登った。

 

今日は満月。松明などなくても月明かりで夜の世界はよく見えていた。

ハングは石の床に横たわり、夜空を見上げた。

 

【黒い牙】

 

この城に奴らがいたという痕跡は一切残されていなかった。エリックの話が無ければ、この城にそんな奴らが滞在していたことにすら気づかなかっただろう。ハングは腕を伸ばして、月を隠してみた。

 

尻尾を掴んだと思ったのだ。

 

この一年、【黒い牙】の影を追ってリキアの中を歩き回った。それでも、奴らの姿など欠片も見つからなかった。そして、もう本拠地のベルンにいくしかないかと思った矢先のエルバート様の失踪騒ぎ。

 

何かある。

 

そんな漠然とした思いに引っ張られてハングはフェレを訪れた。

 

エリウッドの軍に参加し、得られたサンタルス侯爵の最期の言葉。

そのおかげでこの事件に【黒い牙】が関わっている確信が持てた。

 

だが、このラウスまで来ても奴らの全貌はまるで見えてこない。

ハングは腕をおろして、出そうになったため息を押しとどめる。

 

ネルガル・・・全てを奪ったあの男・・・

 

奴は【黒い牙】に深く関わっている。

 

ハングは鱗に包まれた左腕を強く握りしめた。

だが、すぐに先程殺したため息を吐き出して体の力を抜いたのだった。

 

ハングは自分の中の感情をひとまず心の片隅に押し込める。

今は目先の問題の方が重要だ。それは現状での【黒い牙】の動きが読めないことだ。

 

次に奴らがどう動くか?

 

ラウスの兵が加わり、彼らの目的がリキアの玉座なら選択肢は限られる。

 

だが、もし前提が崩れればどうなるか?

 

ハングはもう一度ため息をついた。

そこから先は考えるだけ無駄だ。本当にわからない。

 

だが『わからない』ではまずい。

 

ハングは軍師であり、次の進軍先を決めるために意見を出さなければならない立場にある。

 

ハングは深い思考の渦の中に沈み込む。リキアの地形、富、各地の兵力、自軍の位置、敵の目的、想定される糧食の量。ハングは様々な情報からこれから先に起こりうる状況を想定していく。

 

月が天頂に達する頃、ハングは起き上がり、自室へと戻っていったのだった。



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15章~舞い降りる鉤爪(前編)~

ラウス城を占拠して四日目の朝。

 

それはギィの絶叫で始まった。

 

既に目を覚まして、紅茶を片手に書類に目を通していたハングは少しだけ顔をあげて、すぐに視線を落とした。

 

だが、すぐに廊下の外からドタバタと足音がして、三回程ノックがなされ、ハングはため息をはいた。ハングは書類を机の上に置いて声をかける。

 

「開いてるから入っていいぞ。マシュー」

「おはようございます!」

 

マシューは笑いながらハングの部屋に滑り込み、耳をすませた。

 

「マシュー!くっそおぉ!今の無しだぁ!勝負しろおおぉ!」

 

廊下から響いてくるのはギィの声。その声は部屋の前を通り過ぎ、城のどこかへと消えてった。

 

「例の証書を賭けた勝負か?」

「さすが、話が早い」

 

ギィとマシューの一方的な確執はハングも聞いていた。

 

「大方、明け方に一撃食らわせたんだろ?」

「不意打ちは戦術の基本です」

 

ハングはマシューを一瞥して再び書類を眺める。

 

「ギィで遊ぶのもいい加減にしとけよ」

「軍の雰囲気が悪くなるからですか?」

「いや、俺が遊ぶ余地がなくなるからだ」

 

マシューは喉の奥でクツクツと笑い、部屋から出て行った。

そして、すぐさま別の来訪者が現れた。

 

「ハング!マシューが来なかったか!?」

「知らん」

「そうか!くっそぉ!どこ行ったぁぁ!勝負しろおおおぉ!」

 

叫びながら去って行くギィにあとで説教するかどうかハングは真剣に考えたのだった。

 

そんなことで始まった一日が温厚に過ごせるわけもない。

 

ハングが朝食をとりに城の食堂に行ったところ、なんだかまたひと騒ぎ起きていた。

 

「ここにいたか、ドルカスよ」

「・・・お前か」

「よし、なら勝負だ!」

 

バアトルとドルカスだ。朝から元気なのはどうやらギィだけではなかったらしい。

 

「バアトルさん。せめて外でやってくださいね」

「む、軍師殿か」

 

ハングはパンとチーズを持って、ドルカスの隣に座った。

 

「だがな、軍師殿。このドルカスはここから動こうとせんのだ。ならばここで戦うしかあるまい」

「・・・単純に朝飯食ってるからじゃないんですか?」

「朝飯など勝負の後でよい!ドルカス、勝負だ!」

 

いっそ、昏倒させた方がゆっくり朝食をとれそうな気もしてきた。

 

「貴様とは57勝58敗だったな!今日こそは負けんぞ!さぁ、勝負だ」

 

がなるバアトルに一瞥もくれずにドルカスはハングに視線を移した。

なかなか、慣れているようだ。

 

「ハング、出発は近いのか?」

「ラウス侯爵の行く先がわかりません。情報を集まるまでは待機ですね」

 

後ろでまだ喚いていたバアトルを無視してハングもそう答えた。

ドルカスが行軍の予定を聞いてくるのは珍しい。だが、ハングには少し思い当たる理由があった。

 

「ナタリーさんに手紙を出す余裕ぐらいはありますよ」

「・・・悪いな」

 

ドルカスは少し苦笑したようだった。わずかな変化だったが、ハングにはドルカスが楽しそうにしているのがわかった。ドルカスの愛妻ぶりは一年たった今でも衰えを見せることはないようだ。

 

そんなドルカスはハングに向けてぼそりと言った。

 

「・・・お前といると、飽きん」

 

ハングはチーズをパンに乗せてかぶりつく。

 

「見目麗しい女性から言われたら俺もうれしいんですけどね」

 

そう言うと、ドルカスは驚いたように目を見開いた。

 

「あれ、俺なんか変なこと言いました?」

「いや・・・」

 

ドルカスは最後のパンを口の中に放り込み、立ち上がった。

 

「お前はリン一筋だと思っていたんだが、そうでもないのか?」

「っ!!」

 

ハングの顔が一気に真っ赤になった。その顔を見てドルカスは肩を揺らして笑った。

 

「おう、ドルカス!ようやく勝負する気になったか」

「・・・一戦だけだぞ」

 

わが軍の斧使い二人が食堂を出ていき、代わりに貴族の二人が姿を見せた。

 

「おはよう、ハング」

「おっす!どうした?顔が真っ赤だぞ」

 

ハングは一度深呼吸して、朝食にとりかかったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

朝食を終えたハング達は、ラウス城の玉座の間へと移動した。

これから軍議の予定である。マーカスやオズイン、マシューと軍の核を担う人が集まることになっていた。だが、ハング達が到着した時にはマシューしかいなかった。

 

ハングはこの広間で嫌でも目に付く絢爛豪華な玉座を見て顔をしかめた

 

「ふん、羊毛をふんだんにつかってやがる。全くどこまでも悪趣味だな」

 

ハングは主のいなくなった玉座に座ってみた。

 

「やけにすわり心地のいい玉座だな」

「ハングさん、前もそんなこと言ってましたよね。玉座は座りにくいぐらいがちょうどいいとかなんとか・・・」

 

マシューにそう言われ、ハングは首をひねる。確かにハングはそういう考え方を持っており、一年前のアラフェン領でも似たような感想を抱いた。

 

「あれ、俺口に出して言ってたか?」

「ええ、ぼそりと一言」

「盗み聞きとは趣味が悪いな」

 

そんな話をしていたところで、エリウッドから声がかかった。

 

「どういうことだい?玉座が座りにくい方がいいって?」

 

ハングは玉座に寝そべってみた。随分と行儀が悪いがそれを気にする者はいない。

 

「俺の持論だがな。玉座は角ばって、冷たくて、窮屈なぐらいでちょうどいい」

 

ハングのその持論にヘクトルも少し興味をそそられていた。

 

「どういうことだ?俺には話がさっぱり見えねぇぞ。玉座ってのは国の威信だ、それがそんな質素な方がいいってのは・・・」

 

ハングは首だけをヘクトルに向けて笑う。

 

「だから俺の持論だって、普通はそっちが正しい」

「俺はその持論の理屈を聞いてんだよ」

「僕も知りたいな」

「俺もっす」

 

マシューは関係なかろう。

 

ハングは口元だけで笑って、玉座に座りなおす。

 

国の権力を一身に集める椅子に座るハング。エリウッド達は『似合わないな』と感想を持ったが口には出さなかった。

 

「まぁ、なんていうかな・・・そんな大それた話でもないんだが」

 

ハングは玉座の座り心地を確かめるように、軽く体を動かした。

 

「単純に玉座の椅子は長いこと同じ人物が座ってないほうがいいからな。歳を取って座りにくい椅子が苦痛になってくるようなら、後世にさっさと変わってやれってな」

 

なるほど・・・

 

エリウッドとヘクトルはそんな考え方もあるのかと少し感心した。

 

「ハングさんって普段どんなこと考えて暮らしてるんですか?」

「お前とたいして変わらないっての」

「え!?ハングさんって変態だったんですか?」

「お前はいったい何考えて生活してんだ!!」

 

マシューの冗談に付き合ってると、廊下の方から声が聞こえてきた。

 

「はぁ、はぁ、マシュー!どこだぁぁぁあ!隠れてないで、はぁ、でてこぉおい!」

 

ギィの声だ。朝からずっとこの調子だ。

 

「あいつも、諦めが悪いですね」

「マシュー・・・いい加減黙らせろよ」

 

呆れ気味の二人だが、エリウッドとヘクトルは詳しい話を聞いていない。

 

「マシューは何をしたんだい?」

「そういや、朝からなんか絶叫が聞こえてきてたが。あれもマシューのせいか?」

 

質問されたのだから答えなければならない。

 

「マシューとギィの一方的な喧嘩の売り買いは知ってるか?」

 

二人は曖昧に頷く。

 

「んで、その勝負ということでマシューが明け方にギィの寝込みを襲った」

「あれ?ハングさん、それって意味合いが変わりませんか?」

「日頃から何考えてるのかわからないからないのが、俺らしいからな」

 

笑うマシューとハングにエリウッドは躊躇いがちに口を開いた。

 

「それは・・・」

「卑怯だとでも言う気じゃないだろうな、エリウッド」

「う・・・」

 

ハングは一つため息をついた。

 

「あのな、エリウッド。昔の名剣士の逸話なんだがな・・・」

 

ハングは玉座に座り直した。

 

「ある時、彼は他の剣士から挑戦を受けた」

 

ハングの昔語りは妙に抑揚があり、やけに上手かった。

 

「相手は勝負の日時と場所を告げ、彼は承知した。そして、相手がその場を去ろうと背を向けた瞬間、そいつを斬った」

「えっ!?」

「なっ!そ、それはいくらなんでも卑怯じゃねぇか!?」

 

エリウッドに加えてヘクトルまでそう言い出した。

 

「敵とわかってる奴に背を向けた野郎にかけてやる情は俺は無いけどな」

 

ハングのその言葉に二人は黙ってしまう。マシューは少し笑っていた。

 

「戦場で卑怯もへったくれもあるもんか、勝った奴が全てだ。そういうことはな、騎士の決闘の場で言いな」

 

ハングの声も表情も終始柔和だ。いつものような物理的な力を感じるほどの圧力もない。だが、エリウッドとヘクトルは押し黙ってしまう。

 

「ま、そんな深く考えるなよ。上に立つものはそれぐらい潔癖でいい。泥は裏方が被ってやるよ」

 

「なぁ?」とハングはマシューに話を振る。

「ですね」と返してきたマシュー。

2人を前に貴族二人は苦い顔だ。

 

そんな時にマーカスとオズインが部屋に入ってきた。

 

「さて、始めるか」

 

ハングは勢いをつけて玉座から立ち上がった。

 

適当な机を引っ張り出してきて、オズインがリキアの地図を広げた。

 

「ラウス侯爵が姿をくらまして、もう四日になる」

 

エリウッドはそう言って、机上の地図を睨んだ。

 

「サンタルス侯の死、ラウスの落城・・・全て、ウーゼル様の耳にも届いてられるだろう。動かれる様子が無いのはなぜなんだ」

 

返事をしたのはハングだ。

 

「今、オスティアは動くわけにはいかない事情があるからな」

「それは?」

「ベルンだ」

 

ハングはヘクトルに目で続きを話すように促した。ヘクトルはハングの意図を察し、今のオスティアの現状について説明する。

 

「実はな、ここ数か月ベルン王国が嫌な動きを見せている。現国王デズモンドはリキア同盟が少しでも隙を見せたら最後これを好機と、すぐにでも攻め込んでくるだろう」

 

ハングもその内部情報は知っていた。正確には少し昔の内部情報であるが国の態勢というのはそう簡単には変わらない。ハングは説明の残りを引き取った。

 

「と、言うわけでオスティア侯爵としては現在の内部のいざこざは絶対に漏らしたくはないってことだ」

「表向きだけでも平穏無事を装う必要があると」

「理解が速くて助かるよ」

 

エリウッドの苦笑と共にヘクトルが補足をする。

 

「今、オスティアには各国の密偵がわんさか来てる。新オスティア侯爵の動向からその手腕をはかろうってな。少しでも変な動きをしようものなら、即お国に報告というわけだ」

「ん?」

 

ハングは疑問の視線をヘクトルに送った。それをエリウッドが代弁する。

 

「侯爵の弟が、この時期に傍にいないのは『変な動き』に入らないのか?」

「侯弟はかわりものだと有名だからな。こういう時こそ日頃の行いが役にたつんだぜ」

 

ヘクトルは笑いながらそう言った。

その言い草にハングも喉の奥で笑う。

 

「それは自慢するところじゃないだろうが」

「ちがいねぇ」

 

少し話が逸れた。オズインの咳払いで一同は再び気を引き締めて軍議に戻った。

 

「そういう事情があるので、こちらも大っぴらに動くわけにはいかない。自由に使える斥候の数は多くありません」

 

オズインはそう言い、マシューも頷く。

 

「情報収集の範囲が狭い以上、動きを掴むのは難しいわけですが、どうにかして方向ぐらいは絞れないですかね?」

 

渋い顔をしているのは皆同じ。マーカスの一際険しい顔がハングに向けられた。

 

「だが、現状でのラウス侯爵についてわかってることと言えば目的がリキアの征服ということだけ。軍師殿はどうお考えか?」

 

『軍師殿』

 

マーカスの堅苦しい表現に苦笑したかったが、ハングは口元を引き締めた。

 

「自分がもし、リキア征服を狙うなら行く先は・・・」

 

ハングは顎に手をあてて少し考える。様々な要因を合算した結果、ハングは一つの結論に達していた。

 

「サンタルスです」

 

エリウッドの目元が少し険しくなった。それと同時にマーカスの質問が飛ぶ。

 

「根拠は?」

「現在、サンタルスの戦力は相当削れてます。そして、エフィデルとかいう奴がサンタルスにいた可能性も高く、地形を熟知している」

 

ハングはサンタルスの城の上に目印となるように短刀を突き刺した。これはラウスの備品なのでおかまいなしだ。

 

「そして、サンタルスを落とせれば次に狙うのは弱体化しているフェレ領。つまり、今ここにいる俺達への牽制としては十分だ」

 

敵がリキアの王となることが目的ならば、この道しかない。エリウッドの動揺が空気を介して伝わってきた。表情を動かさないようにしている努力は見られたが、まだまだである。

 

ハングの話は続く。

 

「そこから、戦力を整え、キアラン、カートレーを落とせば戦力はオスティア、アラフェンと並ぶ。三つ巴に持ち込めば野望が現実味を帯びる」

 

マーカスのうなり声が聞こえてきそうだ。

 

「現状、仮にラウスがこのように駒を進めてサンタルスとフェレは落ちるのか?」

「少なくとも、もし俺がラウスにいたら落とせる。これは間違いなく言い切れる」

 

ヘクトルがハングの返事に困惑したように顔をしかめた。

 

「ラウス侯の部下にお前ほどの奴がいるとは思えねぇけどな」

「褒め言葉として受け取っておくとして・・・今、ラウス候の傍にいるのは直属の部下だけじゃない」

「【黒い牙】・・・エフィデル・・・」

 

エリウッドが呟くようにそう言った。

 

「問題はそこだ・・・正直に言うと奴らの目的が俺にはわからない。エリックの話だと、奴らが反乱を扇動したみたいだが・・・そこに何の意味がある?」

 

その意見に同意したのは意外にもマーカスだった。

 

「単にリキア征服のおこぼれを啜りたいならラウスよりもアラフェンに話を持ちかけた方が早いですからね」

「そういうことだ」

 

ハングからしてみれば、野心しかない愚鈍に話を持ちかける意味がわからない。

なんというか大規模な戦いを起こしたいだけのようにも見える。

 

「相手の真意が読めない以上、奴らがどう動くのか正直さっぱりわからない」

「だが、それでも何もしないのは癪だぜ。下手したらフェレがあぶねぇかもしれねぇのに」

 

懸念はそこである。

 

フェレ候公子に率いられたこの軍。フェレが危機に陥れば、取るべき行動は1つしかない。

 

「だが、サンタルスが攻撃を受ければ嫌でもわかります。そのためにも情報を発信しやすいラウスには留まっておきたいものですが・・・」

 

オズインが言ってるのはオスティアへの救援要請の話だろう。確かにサンタルスが落ちた後でもオスティアの兵力ならフェレの救援には間に合うだろう。

 

「その案はありだとは思う。で、エリウッドはサンタルスを見捨てることを許容できるか?」

 

エリウッドは困ったように笑った

 

「無理だ」

「だろうな」

 

ハングはこう言われることを予想していた。

 

「と、なるとだ・・・」

 

ハングはマシューを見る。

 

「サンタルス付近にラウス候の目撃情報があれば、俺たちは救援に向かう。情報収集は任せていいか?」

「もちろん。他に要件は?」

 

マシューが周囲を見渡す。だが、他の意見は現れなかった。

ハングがさらに続ける。

 

「ラウス侯爵がここから距離的に向かえる領地はキアランとオスティア。オスティアはいいとして、キアランにも多少は斥候を送れ」

「采配はどうします?」

「マーカスさん、斥候部隊の編制と方角を任せていいですか?」

「ご命令とあらば」

「オズインさんはしばし、この城の軍部を任せます。守備と治安維持に全力を注いでください」

「わかりました」

「エリウッドとヘクトルは内政の方を手伝ってもらう。どうせ暇だろ?」

「・・・ああ」

「他に言い方ねぇのかよ」

 

ハングは笑う。気持ちのよい笑顔だった。

 

「さて、解散すると・・・」

 

その時、城内に大きな声が響き渡った。

 

「敵襲です!!敵襲!!」

 

ハングの顔から笑みが消える。

 

「今日は本当に荒々しい一日だな」



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15章~舞い降りる鉤爪(後編)~

遡ること少し前。平穏な城内を堂々と練り歩いていたのはセーラだった。

彼女は廊下を歩き、見知った顔に出会った。

 

「あら、エルクじゃない」

「・・・・」

 

嫌な奴に捕まった。

 

エルクの顔に苦々しさが浮かぶ。エルクはほぼ反射的に雷魔法を放ちたくなった。

だが、ここは城内。戦闘でもないのに、いきなり雷を落とすわけにもいかない。

 

「ふっふ~ん。エルク、あんたは私より後にこの軍に入ったんだからわかってるわよね?」

「・・・なんだい?」

 

無視すればよいものを生真面目に答えるエルク。こういうところが苦労の種なのだ。

 

「もちろん!私には絶対服従ということよ」

 

既にこめかみが少し痛み出したエルク。

 

「・・・相変わらず無茶苦茶な論法だね」

 

一年前からなんら成長していない。だが、それに律儀に答えているエルクも成長してないとも言えるかもしれない。

 

「大体、その話はハングさんが承諾してるのかい?」

「ええ、したわ」

 

エルクの思考が止まった。ついでに表情も固まった。

 

「私はちゃーーーんと、ハングに許可貰ってるんだから。わかってるでしょうね?」

 

エルクは恐慌状態に陥った。

 

そんな・・・バカな・・・ハングさんに限ってそんなことを言うわけが・・・

 

だが!だが、しかし!

 

ハングさんはあれで結構人をからかうのが好きな人だ。ありうる・・・のか?

 

いやいやいや!それは無いはずだ!

 

エルクは震える声でセーラに尋ねる。

 

「ち、ちなみにハングさんにはなんて言われたんだい?」

 

それはエルクにとって最後の頼みの綱だった。

 

「えーと『しばらく、戦闘ではエルクの近くにいろ』って。これって、私があんたの上司になったってことでしょ?」

 

あ、そっちか・・・

 

エルクはため息をついた。

だが、1度引いた頭痛がぶり返してきたのを感じた。同じことはエルクも言われた。

そして、ついでに『雷魔法を撃ちまくれ』とも言われた。

 

ようするに、自分がセーラの抑制係を任されたのだ。

 

「・・・君と話してると頭痛がひどくなる一方だ」

「ちょっと!なによそれ、失礼しちゃうわね!こんなかわいいシスターをつかまえて」

 

エルクは話の途中で切り上げてセーラに背を向けて歩きだした。

 

「あ!ちょっと待ちなさいよ!エルクってば!」

 

エルクは追いかけられる前に角を曲がってセーラをまきにかかる。

 

「あ、エルク・・・」

「プリシラ様・・・」

 

そこで現在の雇い主に出会い、エルクは大きく息を吐いた。

 

「エルク?どうしました?」

「いいえ、それよりもプリシラ様」

 

エルクは少しだけ自分の信じる神に感謝を捧げながら言った。

 

「プリシラ様は今のままでいてください」

 

突然、そんなことを言ったエルクにプリシラは曖昧に頷いた。

 

「は、はい・・・?」

「いいんです。プリシラ様はこのままで」

「エルク?大丈夫ですか?」

 

エルクは今プリシラという明確な雇い主がいたことを本当に嬉しく思ったのだった。

 

その時、遠くで金属がぶつかり合う音がした。

 

「プリシラさん!エルクさん!」

「レベッカさん?」

 

その直後に廊下を飛ぶように駆け抜けてきたのはレベッカだ。

 

「敵襲ですハングさん達が玉座の間にいます!集まってください!」

 

それだけを言ってレベッカは廊下を駆け抜け、更に加速していく。

 

「行きましょうプリシラ様。僕がお守りします」

「はい・・・」

 

エルクはプリシラを先導するように走りだした。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ハングさん!皆さんを連れてきました」

「どうも」

 

レベッカに声をかけられて、仲間が続々と玉座の間に集合していた。

 

「マシュー!やっと見つけたぞ!勝負しろおぉ!」

「ドルカス!あれは納得いかん、もう一度勝負だ」

「やかましいわ!」

 

ハングはギィをぶん殴り、バアトルを投げ飛ばして黙らせる。

 

「ったく!状況は?」

 

城の中にいる文官は地下牢に逃げ込むように言ってある。ラウス領の兵は要所要所の守りを固めるように指示を出しているのでここにいるのは仲間だけだ。

 

「敵の装備は正規兵ではないようです。おそらく、ラウス侯に雇われた傭兵かと」

 

そう言ったロウエンは少し敵と応戦したのか、鎧の所々に返り血がついていた。

 

「敵軍の動きは極めて迅速・・・城の警備を混乱させながら既に城内への侵入を許しています」

 

急造の指揮系統では限界がある。だが、それを踏まえてもただの傭兵にしてはえらく手際がいい。

 

「ラウスにここまで部隊があるとはな・・・」

 

やはり、腐っても一領地を任されてきただけはある。

 

「そういえば以前、父から聞いたことがある」

「ん?」

 

エリウッドの言葉に全員が耳を傾けた。

 

「ラウス侯に忠誠を誓う傭兵騎士団があると・・・隊長は【荒鷲】と異名をとるユバンズという男。素早い奇襲と一撃離脱に長けた精強な傭兵部隊だと」

 

聞くからに手強そうだ。今の状況でラウス兵に頼るのは無理だ。つまり、戦える人間はこれだけということ。

 

「敵の狙いはおそらく玉座だろうな」

 

ヘクトルの意見に横からハングがぼやく。

 

「こんな椅子に価値が出る世の中ってどうなんだろうな?」

「ハング殿、倫理の講義はまたにしてもらいたい」

「ですね・・・」

 

マーカスからそう言われ、ハングは指示を飛ばしだした。

 

「敵が玉座に集まってくんなら話は早い。迎撃戦だ、ぬかるなよ!」

 

方々からの返事を受けてハングは細かい指示を出していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ラウス城に入り込んだ傭兵部隊。その隊長であるユバンズは既に敵の情報を得ていた。

 

ラウスの精鋭騎馬部隊を破った奴ら。生半可な相手ではないことは予想できていた。その為、ユバンズは兵を固めて一気に突入し、各個撃破を防ぐ方策を取った。

 

だが、城内に攻め入った後、状況は決して芳しくはなかった。

城の守りを任されているラウス兵達とは明らかに毛色が違う。

 

攻撃の部隊長を任されたシレンは攻めあぐねるこの現状に対し、眉間に皺を寄せていた。

 

「シレン」

「・・・ヒースか」

 

名前を呼ばれ、シレンは後ろを振り返る。そこにいたのはドラゴンに跨り、槍を手にした青年だった。体格は中肉中背、髪の一部が白髪になっているのが特徴的な男だった。

ヒースと呼ばれた男は空飛ぶ蜥蜴に乗る竜騎士だ。太古に暴れた伝説の『竜』にあやかって名付けられた竜騎士はベルンの軍事力の核であった。

 

「ユバンズ隊長の指示通り、退路は確保した。万が一攻めあぐねるようなら・・・」

「わかっている」

 

シレンはヒースの台詞を途中で遮った。

 

「お前に言われるまでもない。奇襲の利を失った時点で兵は退く」

 

ヒースは遮られたことに不快感を示すことなく、再び口を開いた。

 

「敵にはオスティアの重騎士もいるようだ。シレン、くれぐれも気をつけろよ」

 

ヒースはそう言い残してドラゴンを操り、後方へと飛んで行った。その後姿を見ながらシレンは呟く。

 

「赤の他人の身を案じる甘さ・・・ヒース、お前は傭兵には向かない」

 

シレンは広めに作られたラウス城内を駆け抜けていった。

 

その頃、玉座の間では・・・

 

「ん?」

「どうしたんだい、ハング?」

「あ、いや・・・」

 

エリウッドに適当な返事を返しながら、ハングは目を凝らす。

大きく扉を開け、城の正面入口まで一気に見通しがよくなった城内を見ながらハングは少し顔をしかめた。

 

「いや・・・気のせいだろう・・・」

「どうしたんだよ?気になるじゃねぇか?」

 

斧を構えるヘクトルにハングは苦笑いをしただけで何も答えなかった。

もう一度聞けばハングは答えるかもしれないが、ヘクトルはあえて聞かなかった。

 

「集中しろよ!ハング!」

「言われなくてもやってやるよ」

 

ハングは一度深呼吸をして視野を広げる。人の配置と壁や柱の位置、馬蹄の音が壁の向こうから聞こえる。そして、この戦場から遠ざかって行く、一対の羽の音。

 

集中しなければならないのに、やはりその音をハングの耳は捉えてしまう。

 

ありえない・・・

 

ハングは心の中だけで言い聞かせる。ハングは目の前の戦場を脳裏に焼き付けて、余計な考えを追い払った。聞き覚えのある音は次第に消えて行き、戦いの音がその耳を満たしていく。

 

失った場所を回想する必要はない。今の自分には居場所があるのだから。

 

ハングは敵の動きを読み切り、指示を飛ばしていった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

敵の攻撃を三波まで防いだ段階で、傭兵部隊は撤退を開始していた。その引き際は素晴らしく、「波が引く」というよりも「霧が晴れる」ような感覚だった。後方から見ていたハングですら、奴らがいつ頃から撤退を開始していたのかわからなかった。戦っていたエリウッド達には突然人がいなくなったように感じただろう。

 

「ハング殿、敵はもう大半が城から撤退しております。おそらく、最初から退路を確保していたものかと」

 

敵ながら見事な引き際だ。ハングは報告してきたオズインに指示を渡した。

 

「追撃はさせるなよ、その程度で削れる相手じゃなさそうだ」

「はっ!」

 

オズインが去っていく。それと入れ違いにヘクトルとエリウッドが戻ってきた。

 

「損害は?」

「ドルカスさんが腕に軽い怪我、マシューが背中を少しやられたけど二人とも杖の治療で十分だ」

 

衛生兵が二人に増えたのはやはり喜ばしい。

 

「ハング!」

「軍師殿!」

 

次いで戻ってきたのは裏手に回していたギィとバアトルだ。

 

「どうした?」

「敵はどこだ!?あいつら、急にいなくなったぞ。こっちに来たんじゃねぇのか?」

「表に回ったのであろう!このバアトルが粉砕してやる!」

 

いきりたつ、ギィとバアトル。

 

ハングは少し頭痛を覚えた。

 

まさか、奴らが撤退していたことも気がつかないとは・・・しかも、こちらからの指示もなく持ち場を離れやがって。もし、奴らの撤退が偽装だったら今頃裏口は完全に抜かれてる。そうなれば玉座まで一直線だ。

 

「お前らなぁ・・・」

 

ハングは一喝しようと口を開いた。

 

その雰囲気を察し、エリウッドとヘクトルが半歩程逃走を開始した。

 

「っ!!」

 

だが、今にも飛び出そうとしていたハングの怒声は放たれることはなかった。

ハングの身体が電流に打たれたように震え、動きが止まる。

 

「おっ?あれ?ハング?どうした?」

 

心配そうなギィの声がした。だが、今のハングにはそれも雑音にしか聞こえない。

 

ハングが聞いていたのは左腕の付け根あたりで拍動する自分の心臓の音。ハングの心臓が痛い程に高鳴っていた。ハングは自分の左の上腕を握りしめる。自分の頭から血が引いていくのがわかった。

周りに他の仲間も集まってくるも、ハングの目は焦点が定まらないまま固定されていた。

 

そして、皆がいよいよ心配になり声をかけようとした時。

 

「マシュー・・・」

「な、なんすか?」

「キアランに斥候を送れ・・・」

 

突然に出された命令にマシューは驚く前にたじろいでしまう。

 

「へ?キアランですか?サンタルスじゃなくて?」

「急げっ!!」

 

キツい一睨みと切り裂くような声にマシューは飛ぶように城内を駆けていった。

 

「ハング、大丈夫かい?」

 

エリウッドがハングの肩に手を置く。

 

「ああ・・・平気だ」

 

そうは言うもののハングは自分の左の前腕を握りしめたままだ。顔色はよくなる兆候は無い。

 

「どうしたんですか?今、マシューが駆けて行きましたが」

 

そこに、ラウス兵の統率を行っていたマーカスが帰ってきた。

ハングは深く息を吐き出し、ようやく仲間の顔に焦点を合わせた。

 

そして、ハングははっきりと言い放った。

 

「キアランが襲われてる可能性があります」

「なっ!?」

「はぁ!?そんなバカな」

 

エリウッドとヘクトルが同時に声をあげた。だが、マーカスは怪訝な顔だ。

 

「勘・・・というわけではなさそうですが・・・確信があるので?」

 

今のハングにただならぬ様子を感じたのか、マーカスの声はいつもより柔らかい。

 

「正直、わかりません。ですが、キアランに何らかの危険が迫ってる可能性が高いです」

「信じても・・・よろしいので?」

「もし、何らかの不手際があった場合はいかようにでもしてください。去れと言われれば軍を去りましょう」

 

さすがに、それには軍全体が動揺した。

 

「ハング!?何を言ってるんだ!」

「勝手にんなこと言ってんじゃねぇぞ!」

「そ、そこまでしなくてもいいじゃないですか!」

「ちょっと!何考えてんのよ!」

 

エリウッドやヘクトルだけでなく、レベッカやセーラまでハングを止めようとする。

 

「黙れっ!!」

 

ハングの一喝が城内に響いた。壁が震える程の大音量は周囲の口を一撃で閉ざしてしまう。

そしてハングはマーカスに視線を合わせた。

 

「言質はいただきましたよ」

「一度口にした言葉の重みを自覚することは軍師の第一歩です」

「そこまでする程には自信があるということですか?」

 

ハングは自嘲するように笑う。

 

「キアランに危険が迫ってはいるようですが・・・それがラウス侯と関係があるかどうかまでは・・・」

「それでも、なお軍部を動かした・・・あまり、褒められたことではありませんよ」

「知っています」

 

そう言うもののハングの意志は揺るがない。その瞳に迷いはなかった。それを見ながらマーカスはため息をついたのだった。

 

「まったく、エリウッド様はとんでもない軍師を友に持ったものだ」

「すみません・・・マーカスさん・・・」

「かまいません。それを含め、あなたは我が軍の軍師だ」

 

ハングはほんの少し驚いた。だが、ハングはそれを表に出すことなく笑う。

 

「わかりました・・・それではマーカスさん。城の護りをお願いします」

「任されました」

 

マーカスは城外へと駆けて行く。

 

「ったく、勝手に話を進めやがって・・・」

「悪いなヘクトル」

「説明は、してくれるんだろうね?」

「エリウッドが凄むと少し怖いな」

 

ハングは軽口を叩いて皆の怒りをかわしていく。その間もハングは自分の左の上腕を握りしめた手を離しはしなかった。ハングが握りしめている場所。誰も知らぬことであるが、その下にはまだ真新しい鱗が一枚程あった。

 

そこはかつて、ハングがリンに渡した鱗が生えていた場所である。

 

今、その場所はほんのりと熱を持っていた。

 

まるで・・・誰かが不安を堪えて握りしめているかのように・・・



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間章~月夜に照らされて~

後方から聞こえる阿鼻叫喚を振り払うように走り続けた。

 

後ろには護衛を務めてくれる仲間がいる。だから自分は振り返らずに先頭を行く。

 

私を護るのが皆の役目。ならば、道を示すのが私の役目だ。

平原を走り抜け、森に駆け込み、それでもなお走り続ける。

何度か木の根につまづき、生い茂る枝葉で手足を切り、目に入る汗を拭いながら、ただ走る。

 

左手を剣の柄にかけ、右手で『御守り』を握りしめて・・・

 

リンはただ走った。

 

生き残る為に・・・

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングは城壁の上に来ていた。

 

さすがに眠れなかった。

 

左腕の鱗は熱に浮かれたまま。そんな状態で心が落ち着くわけがない。

 

ハングは城壁の端に寄りかかり、自分の左腕を握りしめる。焦ってはいけないと思うものの、やはり焦る。持て余した感情が溢れ出しそうだった。

 

今すぐにでもキアランに向けて馬を走らせたい衝動を抑え込む。

 

今の自分はただの旅の軍師ではない。一軍を預かる軍師だ。勝手な行動はできない。

 

鱗から放たれる熱がそのまま全身に伝わったかのようにハングは自分の身体が興奮しているのを自覚した。

 

それは自分でも驚く程の熱量だった。

 

仇敵に対するものとは全く別の炎。

あれを怨嗟の泥炭で燃える墓場の鬼火とするなら、これは人家を温める暖炉のかがり火だった。

 

この一年、リンのことを思い出す度にそれは感じていたことだった。

あのリンとの旅は胸の奥に横たわる薪のように赤く、静かに燃えている。

 

それが今や全身を消し炭にしかねないまでの炎へと育っていた。

ハングにはこの火の消し方がわからない。自分の身体と鱗からの熱。どちらの方が熱いのか、もうハングにはわからなかった。

 

自分が知らないことが世に溢れていることは知っているが、自分の中にまで知らないことが溢れているなんて思いもしなかった。

 

「軍師失格だよな」

 

腕が熱を帯びた途端に、自分の頭の中から一度全てが吹き飛んだ。何もかも捨てて駆けつけたいと思った。それを押しとどめたのは単に自分一人で何もできないという現実だった。

 

この時期にリンに危険が迫るなら、それは政治的な問題ではない。軍力が無ければリンの危機を救えない。一介の軍師が一人で突撃したところでただの犬死だ。そんな自分の無力さに絶望しかけてハングはギリギリの所で踏み止まったのだ。

 

もし、自分が一騎当千の猛者ならば良かったのにな・・・

 

そんなあり得ない仮定をして、そんな力が無い自分に苛立ち、くだらないことを考えたと後悔する。

 

ぐるぐるとハングの思考は回り続ける。そのうち、そんな輪の中にいる自分に呆れ果てる。それでもハングの中の火は消えない。

 

ハングは感情を抑えることもせずに舌打ちを繰り返した。

 

『お前はリン一筋だと思っていたんだが、そうでもないのか?』

「どうやら、そうらしい・・・」

 

ドルカスに昼間言われたことを思い出して、今更答えてみる。

これがどういう名前の感情なのかがわからない程にハングは鈍感ではなかった。

 

不意にハングは城壁の淵から離れた。

 

そして、自分の中の熱を吐き出すかのように、月に吠えた。

息が切れるまで吠え続け、息を吸い込んでまた吠える。

 

気持ちばかりが逸り、ここに留まるしかできない自分に焦り、感情に弄ばれて浮かれる。

 

その全てを吐き出すかのようにハングは空に向かって吠え続けた。

 

狼の遠吠えのような叫びを月だけが冷たく見下ろしていた。

 

ハングは声が枯れるまで叫び続けた。

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

 

肩で息をし、乱れた呼吸を整える。

額に滲んだ汗をぬぐい、ハングは城壁にもたれかかった。

 

「やぁ、ハング」

 

突然、声をかけられ、ハングはそちらに視線を向ける。

そちらからエリウッドが楽な服装で歩いてきていた。

 

「起きてたのか?」

「というより、起こされたという感じかな。狼の遠吠えが聞こえてきたからね」

 

ハングは眉間に皺を寄せた。

 

「何言ってやがる。寝てなんかいなかったくせによ」

「それは、カマかけかな?」

 

エリウッドはそう言ってくすぐったそうに笑う。

 

「ったく、狸貴族が・・・」

 

ハングは諦めたように舌打ちをした。

 

そのハングの顔からは焦ったような表情は消えていた。その代わり残っていたのは疲れたような、諦めたような、そんな笑みだった。

 

「ヘクトルは・・・いないのか?」

「僕だっていつもヘクトルと共に過ごすわけじゃないよ」

「まぁ、そうだな」

 

ハングは城壁に肘を付いて城の外を眺めた。夜もふけ、月明かりに照らされた世界の中。光るのは南に見える海面の煌めきだけだった。

 

「俺も戦えればな・・・」

 

ポツリとハングはそんなことをこぼした。ともすれば、夜風に飲まれてしまいそうな程に小さい声だったがエリウッドは聞き取った。

 

「ハングは戦えるじゃないか」

 

エリウッドはハングの隣に並んで一緒の方角を眺める。

 

「お前らっつう手駒を使ってな。だが、俺自身が闘えるわけじゃない」

「僕だって軍師がいなければ、どう軍を進めていいかわからない」

「そこは自慢するな。お前はいつかは領主になるんだろうが」

 

エリウッドは笑わなかった。彼はいつもの優しげな顔を少しだけ鋭くした。

ハングは隣のエリウッドを盗み見る。エリウッドはどこか遠くを見つめているようだった。だが、ハングにはエリウッドの視線の先を読むことはできなかった。

 

「ハング・・・キアランの・・・リンディスの危機に立ち上がる君を僕はカッコいいと思う」

 

突如、エリウッドはそんなことを言った。急に褒められたハングだが、眉一つ動かしはしない。エリウッドは話を続ける。

 

「ハングはリンディスの危機を察した途端にすぐさま行動を開始した・・・・」

 

ハングとしてはなんだかバカにされてるような気もした。エリウッドはハングの行動は無計画な思い付きだと言っているようなものだ。

 

だが、不思議と腹はたたなかった。エリウッドからは後ろ向きな感情が読み取れない。

そんなハングの印象を証明するように、エリウッドは言った

 

「ハング・・・僕は躊躇わずに行動できる君が羨ましいよ」

 

そう言って、エリウッドは笑った。疲れたような、諦めたような笑みだった。

 

「僕はだめだ・・・僕は色々と考えすぎてしまう・・・そして、どうすればいいかわからずに迷う」

 

ハングはエリウッドの方を見ない。その代わり、やけに大きな月を見上げていた。

 

「でも、ハングは止まったりしない・・・君は・・・ずっと前に進み続けている」

 

ハングは月に向かって肺の中の空気を吐き出す。

 

「ハング・・・君は悩むことはするけど・・・本当に大事な目的を見失って迷ったりしない・・・僕はそれがうらやましい」

「そんな大層なもんじゃねぇよ・・・俺は・・・」

 

ハングはエリウッドに自分の過去も自分の目的も、左腕のことさえ一切話したことはなかった。なのに、どうしてこういう言葉が出てくるのだろうか。

 

「なんでお前はそう人の心を簡単に言い当てるかね?」

「狸だからかな?」

 

エリウッドの笑い声が聞こえた。ハングも笑った。月明かりに二人の笑い声が溶けていくようだった。

 

「落ち着いたかい?」

「ああ、冷静さを保てるぐらいにはな」

「それはよかった」

 

エリウッドは城壁から身体を離した。

 

「ハングにも感情を制御できない時があるんだね」

「俺をなんだと思ってる?俺だってただの人間だ、焦りもするし動揺だってする・・・ハハッ、英雄への道はまだ遠そうだ」

「なら、まずは一人前の軍師にならないとね」

「・・・だな」

 

それも遠そうだ、とハングは独り言のようにつぶやいた。

 

「エリウッド、もう寝とけよ」

「ハングは?」

「さすがに眠れはしねぇよ」

 

「それもそうか」とエリウッドは笑い、城壁から去って行った。

その後、すぐにヘクトルと会話する声が聞こえてくる。

 

彼も心配して様子を見に来ていたらしい。

 

つくづく、人との出会いには恵まれていることを実感する日々だ。

 

ハングは少しだけ軍師を志した日を思い出した。

 

大きな書庫の中で、仲間から笑いかけられながら、貪るように軍略を学んだあの日々を。たった一つの目的のために

 

遠くから狼の遠吠えが響いてきた。

 

ハングにもう焦りは無い。あるのはリンや昔の仲間の無事を祈る心。

さっきよりも幾分か落ち着いたまま、ハングは狼の遠吠えを聞いていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

城の廊下で狼の遠吠えを聞いたマーカスは、仕事を終えてようやく自室に戻るところだった。

 

「マーカス殿」

「これは、オズイン殿。今、終わりですか?」

「ええ」

 

オズインの手には安物のぶどう酒が握られていた。

 

「少し飲みませんか?」

 

騎士にも休息の時はいる。

 

それに。オズインと共に飲む酒ならば、度が過ぎることは無いだろう。マーカスに断る理由は無かった。

 

オズインとマーカスは月の見える一室で酒を酌み交わした。

 

「ふむ、悪くはない」

「そのようで」

 

お互いにまだ若い主に仕える騎士。自然と話題はそちらへと向かっていった。

エリウッド様は甘いだの、ヘクトル様は身勝手だの。

本腰を入れて改めさせなければならないことでは無いので、二人の顔は笑顔である。

 

「しかし、たった一度戦いを共にしただけで旅の軍師を雇ったというのはいささか心配ですな」

 

この旅の始まりの話を聞いて、オズインはそう言った。

 

「ええ、全くです。エリウッド様の人を見る目を疑うわけではありませんが、あれは早計に過ぎます」

 

マーカスは愚痴をこぼしながら酒に口をつけた。

 

「ですが・・・さほど心配せずとも良かったようです」

 

マーカスは窓の外を見ながらそう続ける。

 

「私もそう思います」

 

オズインは同意して、空になったマーカスの盃に酒を注いだ。

 

「最初は感情の無い、冷静過ぎる軍師に思えたが・・・」

 

マーカスのハングへの第一印象はこれである。

そのような男が自らの主の側にいるのはさすがに許容できない。

真意が見えぬ者程、いつ、どのような理由で裏切るかわかったものでは無いからだ。

 

「だが・・・」

 

マーカスの台詞は続く。

 

「時にあのお二方を叱り飛ばし、時に自らの感情にも呑まれることもある」

 

思っていた以上にハングは人間臭い人物であった。

動揺すれば常人と代わりなく、仲間の危機には思考も読みやすい。

 

「それでも、皆は彼の指揮を信じ切って動く」

 

それは今まで目にしてきた事実であった。

 

「軍師としてはまだまだ半人前ですが、ハング殿には人を惹き寄せる力がある。そのような友を主が得られたことを我々は素直に喜ぶべきです」

 

まだ、手放しで信じるわけにはいかない。それでも、多少の信を置いても良いだろう。

 

マーカスは今日のハングを見て、そう思ったのだ。

 

彼には彼の目的があり、彼には彼で大事な人がいるらしい。

人を愛することを知っているなら、裏切ることの難しさもわかっているだろう。

 

年の甲とでも言うべき判断だが、マーカスは少しだけいい気分だった。

 

「随分とハング殿を買っていらっしゃるようで」

「ああ、そうかもしれん」

 

彼の目的はわからない。だが、聞かなくてもいいだろう。

 

マーカスはそう思って再び酒に口をつけたのだった。




いよいよ、次回はリンディスとの再会。

と、言いたいところなんですが・・・

申し訳ないです。諸事情により明日よりしばらく更新が難しくなります。
隙があれば投降するかもしれませんが、1週間程間が空くかもしれないのでご了承ください。


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16章~キアランの公女(前編)~

東から伝令が届いた

 

「キアラン城がラウス侯の奇襲により、陥落したとのことです」

 

エリウッド、ヘクトル、ハングの三人が集まる部屋にマーカスが報告に来た。その報告に対して驚きは少ない。

 

「キアラン侯爵と孫娘リンディス様の生死はわかっておりません」

 

この部屋の者たちはハングの姿を追った。ハングは部屋の片隅の椅子に腰掛けていた。

 

「ハング殿の勘が当たったというわけですが・・・」

 

マーカスの言葉にハングは反応を見せない。背もたれに体重を預け、わずかに下を向いたまま一言も発しなかった。

 

「ハング・・・まだ生きている可能性だってある」

「気を落とすにはまだ早いぞ!」

 

二人の叱責にも、ハングはまるで答えない。寝ているかとも思ったが、昨晩から左腕を握りしめ続ける右手に緩みは無い。

 

「ハング殿、これからの指示を」

 

少しの間が空いた。

 

「ふぅ・・・」

 

ハングが小さく息を吸い込む。そして、彼はようやく顔をあげた。その瞳に力が宿っているのを見て、一堂は安堵の息を吐く。

 

ハングは一息に立ち上がり、有無を言わせぬ声音で言い放った。

 

「これより、キアランの救援に向かう。キアラン城まで必要最低限の装備で一直線に駆け抜ける。今日の分の糧食を残して、後は置いていく。飯はキアランにたかる!」

 

一言毎にハングの言葉に籠る力が増していく。それは戦場にいる時のハングと同じだった。この声で仲間の気を引き締め、士気を上げる。

それを聞いていた三人は身体の奥から湧き上がる熱を感じた。

 

「出発は半刻後!今日中にキアラン城を取り戻すぞ!あわよくばラウス侯もとっ捕まえる。落とし前はキッチリつけてもらおうじゃねぇか!」

 

ハングはそう言って不敵に笑ったのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

キアラン城の南側。

 

 

そこはわずかに平野が広がり、すぐに急な崖となっている。その崖下は西側には深い森が見え、南側には細い街道が走っていた。

 

ここから城へたどり着く方法は二つだ。決死の思いで崖を登るか、森を抜け、出城を抜き、坂を登っていくかのどちらかだ。

 

その崖下の隅に岩陰に隠れるようにして身を休める一団があった。

緑の鎧を着た騎士と短い髪の弓使い。そして、儚げな印象の天馬騎士とサカの民。

リンディス傭兵団を結成した時の面々だった。

 

「リンディスさま、大丈夫ですか?」

「ええ、私は大丈夫。ありがとう、フロリーナ」

 

一年前と変わらずサカの民族装束に身を包んだリン。彼女の腕や足にはいくつかの生傷が浮かんでいた。中にはまだ血が滲み出し続けている傷もあったが、彼女は手当てすらしていない。

 

彼女は剣を手近な所に置き、膝を抱えて森を見つめていた。

 

その手には小さな布袋が握られていた。

 

「リンディス様、ケントさんが戻ってきましたよ」

 

そう言ったウィルの声にもいつもの元気は無い。昨晩から夜通しで敵陣の中を駆け抜けたのだ。疲れていないわけが無かった。

 

西の森から現れたケントは目立たぬように徒歩でこちらに向かってきた。

 

「ケント、戻りました」

「おう、相棒。無事でよかったぜ」

 

セインがそう言って、斥候に出ていた相棒を労った。二人とも鎧には返り血がこびりついており、いつもよりもくたびれた印象を受ける。

 

「城のまわりからあの森の入り口まで、いたるところにラウス兵が配置されています。その数、およそ50」

 

敵は50。対するこちらはわずか5人。絶望するには十分な差であった。

 

リンは不安を押し殺すように、手の中の布袋を強く握りしめる。

 

そんなリンにセインは少し軽い口調で言った。

 

「リンディス様、本気ですか?せっかく脱出できたのに城へまた戻るなんて・・・死ににいくようなものですよ」

 

城の秘密の抜け穴から逃げ出し、追っ手を暗闇と森でなんとか撒こうとした。神経をすり減らし、身体に疲労を溜め込み、やっと敵の追撃が止んだのが夜明けの少し前。

 

敵が近くにいるので休もうにも休めず、長い時を過ごした。

 

それでも、リンは背を向けることができなかった。

 

「城にはおじいさまがいらっしゃる。一度は言われるまま城の外に逃れたけど・・・」

 

リンはここからは見えぬ城の方角に視線を向けた。

 

「このまま放っておくわけにはいかないわ!!」

 

リンの意見に反対するものはいない。彼らとて思いは同じだった。

だが、状況が厳しいのは変わらない。

 

「でも、この人数ではハウゼン様を助け出すことは難しいですね」

 

ウィルは弓の張りを確かめながらそう言った。

 

「城の裏手にまわったりできないか?」

 

セインが言ってみる。

 

「そもそも、近づくことが難しい」

 

ケントがそれを一蹴した。

 

「この崖を・・・登りましょうか?」

 

フロリーナが相棒のペガサスを撫でながらそう言った。

 

「飛んでるうちに狙い撃ちされるわ。ただでさえ、こちら側の【シューター】が相手の支配下になってる」

 

リンはそう言って【シューター】のことを考えた。正確には、一年前にそれを大幅に改良した人物のことを思い出していた。

 

それは、リンディス傭兵団を結成した時のメンバーであり、唯一ここにいない人物。

 

『ここに・・・ハングがいてくれたら・・・』

 

口にしかけて、リンはそれをなんとか押しとどめた。

 

いない人のことを頼ってもしかたない。

 

リンは自分の頬を叩く。

 

しっかりしろ。

 

私はハングから毎晩色々なことを学んだ。ハングの指揮を間近で見てきた。

 

考えるんだ。

 

『多面的に戦場を見つめ、重厚的に策を考えろ。逃走も偽装降伏も頭にいれときゃ、八方塞がりなんて状況は不運が重ならない限りあり得ない』

 

ハングはそう言っていた。

 

リンは布袋に入った『御守り』を握りしめた。その中にはハングから貰った鱗が入っていた。その鱗はもらった時からずっと仄かな拍動を保っていた。

 

リンは手の中から聞こえるもう一つの音に耳を澄ます。その音を数えて、リンは気持ちを落ち着けた。

 

「援軍を・・・どこかに頼めないかしら?」

「援軍ですか・・・」

 

セインも頭を捻らせた。考えうるのは近隣領地。

 

そこにケントが口を開いた。

 

「・・・ラウス兵が話しているのを盗み聞いたのですが。どうやらラウスに攻め入ったのはエリウッド殿のようです」

「エリウッドが!?」

 

リンは驚きの声をあげた。それは『エリウッドが攻め入る』という姿が想像できなかったからだ。

 

リキアに来てから度々出会う機会のあったエリウッドはそんな荒事を好む質じゃなかった。

 

「詳しい事情までは・・・ですが、エリウッド殿の率いる部隊はラウスの精鋭騎馬部隊を半分以下の兵力で打ち破ったそうです」

「すげぇ・・・」

 

セインの感嘆を無視して、ケントは話を続けた。

 

「ラウス侯は城だけでなく実の息子であるエリック殿も捨て、このキアランに逃れてきたようです」

「ひどいな・・・親が子を捨てるなんて・・・」

「ああ・・・まったくだ」

 

リンも眉間に皺を寄せた。

親子の愛情に感しては一家言のある彼女だったが、今はそこに言及していてもしょうがない。リンは話を戻した。

 

「・・・とにかく、エリウッドは隣のラウス領にいるということね。だったら助けをだしてくれるかもしれない・・・なんとか、連絡を取らないと」

 

リンは視線をウィルに向ける。

 

「そうですね。奴らに見つからないようにするなら俺が森を抜けるのが確実です」

「少し時間がかかるけどウィルは身軽だしね、それじゃあ・・・」

「リンディスさま!」

 

突然、リンの声は遮られた。声のした方を見ると、フロリーナがリンを見つめていた。

 

「わたしが行きます。ペガサスなら森を越えられるから、一番早くラウスに着けるはずです」

 

はっきりとした口調でフロリーナはそう言った。

 

「そんな・・・あなたが一人で行動するなんて無茶よ!!」

 

リンは止めようとするが、フロリーナの方も意思は固い。

 

「ケントさんたちのおかげで私の男性恐怖症もましになってきたし・・・エリウッドさまにはお会いしたこともあるから。一人でもきっと大丈夫です」

 

リンはフロリーナの顔を見て、小さくため息をついた。

リンとフロリーナの付き合いは長い。リンは既に彼女を止めることを半ば諦めていた。

普段はおっとりしているのに、いざとなると頑固なところのある親友のことをリンはよく知っていた。

 

「すごく危険なのよ・・・わかってる?」

「ええ・・・でも。私、リンディス様のために強くなるって決めました。もう以前の弱虫フロリーナじゃない・・・だから、安心して任せてください。ね?」

 

リンは小さく肩を落とし、微笑んだ。

 

「わかったわ・・・あなたにお願いする。ただし!絶対に無理はしないこと。いいわね?」

 

リンがそう言うと、フロリーナの顔が興奮で少し赤く染まった。

 

「はい!では」

 

言うが早いかフロリーナはペガサスに飛び乗り、あっという間に森の向こうへと飛んで行く。早駆けで飛んでいくペガサスの後姿はすぐに見えなくなってしまった。

 

「あの気弱なフロリーナちゃんが精一杯、強気の発言を・・・ステキだ」

 

薔薇色の世界へと飛んで行ったセインの背中を蹴り飛ばそうかどうかケントは逡巡したが、とりあえず無視することにした。

 

「もう一人前の天馬騎士ですね」

「そうね」

 

そう言ったリンの声は少し調子が下がっていた。

 

「リンディス様のためになんて、健気じゃないですか!」

「おお、わかるかウィルよ!そうだ、あの健気さこそがフロリーナちゃんの美徳でありドどガぁら!!!」

 

結局、ケントはセインを蹴り飛ばした。リンもウィルも何事も無かったかのように話しを続ける。さすがに見慣れてきていた。

 

「なんか、寂しそうですね。リンディス様」

「・・・草原にいた頃はずっと私が守ってきたのよ・・・でも、そんなこと言ったらバチが当たるわ」

 

リンはそう言ってもう一度フロリーナが消えていった方角を見やる。

 

「ま、待て!相棒、これからの戦いに備えて過剰な制裁は止めた方がいい!」

「安心しろ、加減はわきまえている」

 

セインの悲鳴を聞きながら、ウィルとリンはフロリーナの去った空を見ていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

キアラン城の西側から山一つ隔てた位置にまで進軍してきたエリウッド一行。ハングはマシューとレベッカを先行させて、敵の様子を探らせながらここまで進軍していた。

さすがに、城を落として昨日の今日だ。ラウス侯に領地の境界や街道を守らせる余力は残っていないようだった。

 

「斥候、勝手に帰還しました」

 

マシューとレベッカが予定より早く戻ってくる。

 

「どうだった?」

「城の外に展開してる敵の数はおよそ50。森から城門にかけてびっしりですね。まともに突破するのは骨ですよ」

「あ、あと。森の中には仕掛けとかもありませんでした。ラウス兵はあそこには手を出してないみたいです」

 

密偵の嗅覚と狩人の嗅覚。実は斥候に向いてる二人からの情報にハングは考えを巡らせた。

 

こちらの戦力は実質十名。まともに戦っても苦しいだけだ。

 

森に引き込んで各個撃破していくか無いか・・・

 

ハングはひとまずそういう戦術を頭の中で組み立てた。

わずかに空を見上げながら思案するハングにエリウッドが声をかけた。

 

「ハング、焦ってないかい?」

 

そう言ったエリウッドに対しハングは不敵な笑顔を返した。

 

「エリウッド、気負ってねぇだろうな?」

 

笑い合う二人。エリウッドとヘクトルの関係とは違うがまたこの二人も段々と息があってきていた。

 

「お、なんだ。ずいぶんと仲良くなったらしいな」

「知ってるだろ。昨日の城壁でのやりとり、どうせ、ヘクトルも聞いてたんだろ?」

「んだよ、そこまでわかってたのかよ。気ぃ使って損したぜ」

 

ヘクトルは鼻を鳴らして前を見た。

 

「おいっ、敵が見えてきたようだぜ」

 

ヘクトルの声に反応して、ハングも前を見る。

 

ここからは目の前の森が一望できていた。その森からキアラン城へと伸びる街道沿いに敵の部隊が展開していた。だが、その部隊の行動を見てヘクトルは眉間に皺を寄せた。

 

「ん?なんか、戦闘体制取られてるぞ。もしかして、俺らの動きがばれてたか?」

 

ヘクトルの視線はそのままマシューに向く。

 

「うおぇ!お、俺ですか?ちょ、ちょっと待ってくださいよ!おれが見つかるようなヘマするわけないじゃないですか!?」

 

マシューは視線でハングに救援を求めた。ハングには少し無視してみたい気分にもなったが、時間がもったいないので弁護してやる。

 

「マシューがそんなミスするとは思えねぇよ」

「ま、それもそうか」

 

ハングにそう言われ、あっさりと納得したヘクトルだがマシューとしては複雑だ。

 

「ちがう、今のは絶対に本気で疑ってた・・・くっそー・・・こうなったら・・・」

 

ブツブツと何か言いながらマシューは後方へと下がって行った。

ハングはそれに気づいていたが、さすがに味方に被害のあることはしないだろうから放っておくことにした。

 

「ここまで監視らしい監視もいなかった。俺らの動きが漏れてるとは考えにくい。本当にあれは俺らに対しての戦闘態勢か?どっかから義勇軍でも・・・ん?」

 

ハングの目の前で敵部隊が陣形を変えていく。

 

「弓部隊が前に出てきたね」

 

エリウッドがそう言った。

 

「ああ、何やってんだ?しかも狙いが随分と上だが・・・」

 

ヘクトルが視線を上に向ける。ハングとエリウッドも同じように彼らが矢を番える方向に視線を向けた。

 

「エリウッド様!」

 

真っ先に声をあげたのはマーカスだった。

 

「東の空に、天馬騎士が!!」

 

それはハングもすぐに見つけた。だが、ハングの顔は驚愕に満ちていた。

 

「あれはフロリーナかっ!!」

 

ハングは全身の毛が逆立つような悪寒を感じた。

 

「エリウッドさまっ!!」

 

上空からフロリーナの声が降ってくる。彼女はこちらに夢中だ。地上の弓兵に気づいていない。奴らの狙いは間違いなくフロリーナだ。

 

「フロリーナ!!」

 

ハングは周囲が震える程の声量で叫んだ。

 

「え!?あ!ハング・・・さん・・・え?え、えぇ!?」

 

ハングは息をつく間も惜しんで更に叫んだ。

 

「フロリーナ!!避けろ!」

「え?」

「放てぇぇ!」

 

第一射がフロリーナの下から放たれた。

 

「キャアッ!」

「フロリーナ!!」

 

フロリーナが矢を回避しようとして、バランスを崩した。彼女の身体が天馬の背中からずり落ちる。そして、フロリーナの身体は重力に従って落下していった。

 

「ヘクトル!そこを動くな!」

「えっ?うおっ!!おおおおおお!!」

 



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16章~キアランの公女(中編)~

街道の片隅。そこではエリウッド達が野営地を築いていた。野営地と言っても、少し食事ができてフロリーナを寝かせる為だけの簡単なものだ。

 

『フロリーナが見つかってるからな。これで俺たちの動きは決まった』

 

ハングの指示で部隊の皆はそれぞれ散って行った。

野営地に残っているのはハング、エリウッド、ヘクトル、護衛としてのマーカスとオズイン、補給隊のマリナスだった。

 

「・・・う・・・ん・・・」

「気がついたかい?フロリーナ」

 

ぼんやりと薄目をあけたフロリーナ。

彼女は何度か瞬きして、自分を覗き込んでいる赤毛の青年に焦点を合わせた。

 

「エリウッドさま?・・・私・・・」

 

ハングもその後ろから彼女の顔を覗き込む。フロリーナの顔色は悪くない。だが、少し記憶が混乱しているようだった。

 

まぁ、あんな着地をしたら記憶も飛ぶだろうな。

 

ハングはそう思いながらフロリーナにゆっくりと近づいた。

 

「フロリーナ、お前は弓兵に射られたんだ。覚えてるか?」

「え・・・え、あれ?えっ!!ハングさん!?」

「なんだよ、幽霊でも見たような声出しやがって」

 

そう言って、ハングは笑顔を見せて話を続けた。

 

「ヒューイが上手く避けてくれたんだよ。だけどバランスを崩してお前は落下したんだ。ペガサスに感謝だな」

「え・・・あ・・・」

 

フロリーナの隣にヒューイが鼻先を摺り寄せてきた。

フロリーナは自分の愛馬に怪我がなさそうなことを確かめ、安堵のため息を吐いた。

 

「ありがとう。ヒューイ」

 

小声でペガサスに礼を言うフロリーナ。

そして、彼女は自分の身体を確かめるかのように手足を動かした。

 

「あれ?でも、私なんともないみたいです。あんな高いところから落ちたのに」

 

フロリーナがそう言うと、ハングとエリウッドは苦笑いを浮かべた。

 

フロリーナの言う通り、彼女が落ちたのは相当の高さだった。まともに地面に激突すれば骨折や捻挫程度では済まなかっただろう。

 

「まぁ、もう一人感謝する相手がいるってことだ」

 

「なぁ?」とハングは自分の後ろで不機嫌そうにしているヘクトルに声をかけた。

 

「お前が『動くな!』って言ったからだろうが」

 

ヘクトルはこめかみに青筋を立てながら怒鳴り返す。

ハングはそんなものどこ吹く風とでも言うようにフロリーナに視線を戻した。

 

「ってわけで、このむさい男がフロリーナを受け止めてくれたわけだ」

「おい!今、さりげなく俺のこと『むさい』っつたか!?」

「そう聞こえたか?でもほとんど事実だろ」

「てめぇなぁ!!」

 

目の前で繰り広げられる掛け合いにフロリーナはポカンとしてしまう。そんな彼女にエリウッドがクスクスと笑いながら状況を説明した。

 

「彼はオスティア侯弟のヘクトルだ。彼が落ちてきたフロリーナを受け止めてくれたんだよ・・・ついでに天馬もね」

「時間差でこられちゃ避けようがねぇってんだ!」

「きゃあっ!」

 

突然、矛先をエリウッドに向けたヘクトル。

その迫力にフロリーナは思わず悲鳴をあげて後ずさった。

 

「おい、さっき説明しただろうが。フロリーナは男性が苦手なんだから、汗臭い男代表みたいなヘクトルは下がってろって」

「ってめぇ!言わせておけば・・・」

「とにかく、そろそろ与太話も終わりにするぞ。今は別件が立て込んでる」

 

ハングはまだ何か言いたげなヘクトルを押しのけるようにして、フロリーナの近くから排除する。

ハングはフロリーナの隣に膝を折った。その目にはいつの間にか鋭い光が宿っていた。

 

「んで、フロリーナ。リンは森の東で城に攻める機会を伺ってると予想してるんだが、あってるか?」

「は、はい!その通りです」

 

フロリーナのお墨付きにハングは静かに深呼吸を繰り返しながら頷いた。

 

「よし、なら予定通りにいくぞ」

「ったく・・・しゃあねぇ・・・」

 

ヘクトルはハングがどれほどリンディスを心配していたかを知っている。

軍師の顔に戻ったハングの雰囲気にさすがのヘクトルも百万語を飲み込むことにした。

 

「ほら、ヘクトル。さっさと行け。お前がいると暑苦しくて仕方ない」

「ハング!やっぱてめぇ、後で覚えてろよ!」

 

ヘクトルは怒りで顔を赤くしながら、オズインと共に森に向けて駆けて行った。

 

「エリウッド、お前も予定通りに」

「ああ、任せておいてよ」

 

エリウッドもヘクトルの後に続く。

残ったのはフロリーナとマーカスとハング、そして輸送隊のマリナス。

 

「さて、マーカスさん。俺らも行くとしようか」

「はっ!」

「フロリーナ、手伝えよ。お前にも働いてもらうからな」

「は、はいっ!」

「あ、あの!ハング様っ!このマリナスめはどうしたらよろしいのでしょうか?」

「とりあえず、この野営地の撤収。荷物まとめてどこかに隠れててください。後で迎えをやりますから」

「ははぁーー!!」

 

まだ、ハングのことをお忍びの貴族だと思っているマリナスに苦笑しながら、ハングはもう一度戦場を見渡す。

 

「さて・・・策がはまるといいんだが」

 

その言葉と裏腹にハングは自信に満ちた顔で唇を舐めた。

 

 

その頃キアラン城では・・・

 

「誰か!先ほどの天馬騎士を上手く仕留めたかどうか調べてくるのだ!もし、息があるようなら止めをさしておけ!」

 

城門を預かるのはバウカー将軍。優男風ではあるが、その声は指揮官独特の威圧感があった。

 

そこに一人の兵が駆けてくる。

 

「申し上げますっ!西方より敵襲!!フェレ侯公子エリウッドです」

「・・・来たか」

 

重装備に身を包んだバウカーは槍を高く掲げた。

 

「ラウス侯に、われらの忠誠心をお見せするとき。相手は寄せ集めの雑兵に過ぎぬ!我らの敵では無いぞ!!」

 

兵士達の野太い返事を聞き、バウカーは伝令に尋ねる。

 

「それで、エリウッドの居場所は?」

「はっ!奴らは今は東に移動し、南の森へと姿を隠しました」

「ふん、我らを引き込んで各個撃破するつもりか。安直な戦術だ」

 

バウカーはもう一度声を張り上げた。

 

「獣狩りだ!鹿を追い込むように森の中に踏み込み、じわじわと追い詰めてやれ!」

 

森の中の戦いにはラウス兵の方に分がある。バウカーは勝利を確信した。

 

当然、伝令に来た兵士も同じ思いだ。もっとも、その兵士が思い描く勝利の形はここにいる誰の物とも違うものだったが。

 

「さぁて・・・上手く踊ってくださいよ・・・」

 

ラウス兵の兜に隠した茶色い前髪に触れながら、マシューは小さく呟いた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

崖下のリンディスの一団。

 

「なんだか、騒がしくなってきたわね」

 

リンは風に混じる戦いの気配を感じ取りながら、そう呟いて剣を取った。

 

「どこかの義勇軍が戦っているんですかね?」

 

ウィルの問いに明確に答えられる者はいない。

 

「俺らの味方だといいんだけどな」

「敵の敵が味方とは限らんからな」

 

セインとケントは念のために馬に乗っておく。いざという時はリンとウィルを乗せて逃げ出せる状態だ。

 

「フロリーナ・・・大丈夫かしら・・・」

「大丈夫ですよ。彼女を信じましょ」

 

ウィルはあっけらかんとそう言った。それは、ただの能天気な考えでは無い。フロリーナの弓の回避の練習にウィルは最も付き合っていた。神はよく人を裏切るが、時間は人を裏切らないとウィルは思っていた。

 

そんな時だった。

 

「あ、本当にここにいた!」

 

ふと彼らに向けられた声がした。反射的に皆が武器を手に取る。

 

「わっ!!ちょ、ちょっと待ちなさいよ!いきなり剣を向けることないでしょ!」

「君がいきなり声をかけるのがいけないじゃないか」

「なによ!だったらエルクが声をかければよかったんじゃない!」

「君がリンディス様を見つけた途端に声を張り上げなければ、僕だってそうするつもりだったよ」

「・・・いい加減にしろ。二人とも」

 

本気の殺気を向けられたにも関わらず、その当人達は呑気な会話を続けている。

森の茂みから現れた彼等を見てリンディス傭兵団の面々は目を丸くしていた。

 

「と、言うわけでお久しぶりです。リンディス様」

「リン!無事で良かったわね!!」

「・・・・・」

 

エルク、セーラ、ドルカス

 

かつての戦友を前にして、リン達は体の奥から冷たい塊が溶け出したような感覚を覚えていた。

 

「みんな!来てくれたの!?」

「あったりまえじゃない!だって大親友のピンチなんだもの」

「大親友?」

 

リンにはセーラの大親友にまでなった覚えは無かった。

 

「また、勝手なことを・・・リンディス様、無事でよかったです」

「エルクも・・・どうしてここに?」

「事情があってエリウッド様の部隊に身を置いています。エリウッド様と共にこのキアラン救出に来ました」

 

エリウッドの救援。

 

その情報に一同は息を大きく吐き出した。それは少しでも気を抜けば眠ってしまいそうなほどに、心地のよい知らせであった。

 

「・・・リン」

「ドルカスさんもエリウッドの部隊に?」

「ああ、今度はまともな仕事だ。キアランのことを聞いておまえを心配していた・・・間に合ったようだな」

 

少しだけ微笑んだドルカス。一年前に比べて多少表情がわかりやすくなっていた。

 

「リキアには、ナタリーも一緒に?」

「ああ、家族みなで今はフェレに移り住んでいる」

「そうなの、良かった」

 

リンは少しだけ感傷的な気分になった。ここまで、かつての仲間が集まってきているのだ。リンは1年前の旅の面々に無性に会いたくなってきていた。

 

「懐かしいわ・・・また会いたいなぁ」

「あれも、お前に会いたがっていた。いつか・・・暇になった時にでもフェレを訪ねてやってくれるか?」

「ええ、早く戦いを終わらせて・・・きっと会いにいくわ」

 

ドルカスとリンが話している間にも他の皆も再会の挨拶を交わしていた。

 

「おー!セーラさん!何度見てもすばらしく可憐なお姿だっ!」

「あら、セインさん。前から思ってたけど、あなたって正直者ね」

「正直さは我が一族に代々受け継がれる美徳の一つ・・・それを見抜いてしまわれるとは、やはりセーラさんと俺は結ばれずにはいられぬ運命!」

「結ばれるかどうかはまだわかんないわよ」

「ああ、連れない人だ」

 

やかましい二人を無視して周りの人達は握手を交わしていた。

 

「ひっさしぶりだな、エルク!なんか縮んだ?」

「ウィルが伸びてるだけだよ・・・気にしてるんだから、言わないでくれ」

「アハハハ、こりゃ失敬」

 

「ドルカス殿。またご助力をお願いします」

「・・・ああ」

 

挨拶を手短にすませ、エルクが話を区切るように咳払いをした。皆がエルクに視線を移す。

 

「リンディス様、幾つか朗報があります」

「朗報?」

「まずは、エリウッド様の部隊がキアラン奪還に動いてること。昔の仲間のマシューもこちらにいるということ」

「マシューも?」

「まあ、詳しくは本人に聞いてください。そして、もう一つ」

 

エルクは再び咳払いをした。心なしか、頬が赤い。エルクは一度息を吸い込み、喋り出した。

 

「『リン、戦えるならこっちの指示に従え。絶対にキアランは奪還してやる』だそうです」

「似てないわね~」

「うるさいよ!」

 

リンディス傭兵団はしばし固まった。

それは突然の再会を予見する言葉。

彼らの頭の中で昔聞いた声が反芻されていく。

 

弾けるような笑みが脳裏を駆け抜けた。

力強い鼓舞が耳元で響いたような気がした。

 

「まさか・・・」

「ええ、ハングさんが来ています」

 

皆の中に興奮が走り抜けた。

 

「マジで!?」セインが目を丸くしていた。

「やったー!これで、怖いもんなしだ!」ウィルが思わず万歳の姿勢になった

「・・・良かった」ケントも天を仰いだ。

 

各々が喜びを噛み締める中。リンはただ自分の持つ御守りを強く握りしめていた。

 

『なんかあったらそいつを握りしめな。なんも力なんかもっちゃいないが、そいつは常に温もりがある。それがお前を助けると思うぜ』

 

「バカ・・・あなたが来てくれるなら・・・必要ないじゃない」

 

リンは布袋を首からさげ、服の中に押し込んだ。

 

「それで、ハングの指示って言うのは?」

「このまま崖沿いに北上。頃合いを見て出城を落とせとのことです」

「頃合い?」

「それはリンディス様に一任すると」

 

随分と働かせてくれる。だが、不思議と疲労は消えていた。

リンは剣の柄を撫でる。気力が十二分にみなぎってきていた。

 

「いいわ。ところでエルク達はどうするの?」

「リンディス様の部隊に合流しろと言われました」

「わかったわ。行きましょう!」

 

力強い返事を聞いてリンディスは足を踏み出した。

 

「ちょっと待ちなさい!」

 

その足をセーラが止めた。

 

「セーラ、どうしたの?」

「どうしたの?じゃ無いわよ!リン、あなたそんな格好でハングに会いにいくわけ!?」

 

リンはセーラの発言の意味を掴みかねた。

 

リンはいつものサカの民の格好である。ハングと会うならむしろこちらの方が正装みたいなものだ。戦闘で少しは汚れてはいるが、それは仕方のないことだ。

 

「セーラ、今は君の与太話に付き合ってる暇は無いんだ」

「エルクは黙ってなさい!」

 

反射的に雷の理魔法を出そうとしたエルクだったが、それより早くセーラがリンに詰め寄った。彼女はリンの腕を取りながら言った。

 

「ほら!こんなに傷だらけじゃない!」

 

リンは驚きの表情を浮かべた。

 

確かにリンの腕には無数の生傷があった。

中には瘡蓋になって醜く固まっているものもある。

 

「大丈夫よ。このくらいなら平気」

「大丈夫なわけないでしょ!」

 

セーラが強くそう言った。今度はエルクも言葉を挟まなかった。

 

「こんな姿でハングに会ったら感動の抱擁どころじゃないわよ!せっかく、白馬のナイトが助けに来たのにお姫様がこれじゃカッコがつかないじゃない!ちょっと待ってて!」

 

そして、杖を取り出して治癒を施すセーラ。それ程に深い傷も無かったのでリンの肌はすぐに元のきめ細かいものに戻っていった。

 

「はい、これで大丈夫」

「あ、ありがとう」

「いいのよ。ただし!今度こそハングを放しちゃだめだからね!」

 

リンは曖昧に返事を返すにとどめ、皆に出発を告げた。

 

「さあ、改めて出発しましょ!」

 

歩き出すリン達。

 

その最後尾につけたエルク。

彼はセーラの隣でそっぽを向きながら呟いた。

 

「君も・・・たまにはいいことするんだね」

「ん?エルク、何か言った?」

「・・・なんでも無いよ」

 

エルクは少しだけ頬を赤らめながら、進軍に遅れないように歩き出した。

 



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16章~キアランの公女(後編)~

キアランの西にそびえる山の麓。民家の影に隠れるようにしてその部隊はいた。ヘクトルを中心とする部隊である。

 

「ったく、いつまで待ってりゃいいんだ」

「ヘクトル様、忍耐も強さの一つです」

「わーってる。だから、そんな睨むな」

 

ヘクトルの後ろにはオズインとギィ、それと衛生兵としてプリシラがいた。

 

「ギィさん。怪我してますよ」

「ん?ああ、さっき森を通った時に枝で切っちまってさ」

「ちょっと待っててください・・・はい、これで大丈夫です」

「こんなの怪我のうち入らねぇってのに・・・まぁ、いいや・・・ありがとうな」

 

そんなことをしてるうちにも、ラウス兵は動きを始めていた。ラウス兵は円を作るように陣を組み、森の中に入っていく。各々が確実に連携を取れる距離を保ち、森を確実に進んでいく。視界の悪い森で各個撃破されるのを防ぎつつ、敵を包囲殲滅する戦術だ。確かに理にはかなっている。

 

「それじゃ、そろそろ移動するか」

「ああ、そうだな・・・って、うおわ!ハング!いたのか!!」

「でかい声だすな。フロリーナがビビってるだろうが」

 

ハングの隣にはフロリーナいた。どうやらペガサスに乗って山を越えてきたらしい。

 

「しかし、ヘクトル。お前の荷物やけに重そうだな」

「あ、ああ、そうなんだよな。ハングの指示か?」

「いや、そんなことを頼んだ覚えはねぇぞ」

「そうか・・・まぁいいや」

 

ヘクトルが敵の部隊に視線を移すと、敵の後続が森に入ったところだった。

 

「さて、いくか」

「おう」

 

ヘクトルとハングは散歩にでも行くかのように気楽に立ち上がった。

 

「敵の砦まで走り抜けて一気に制圧する。送れたやつは自然と俺らの背中を守る肉壁になっから頑張れよ」

 

ハングの最後の言葉はヘクトルとオズインに向けられていた。当然二人もそうなることは覚悟していた。

 

「んじゃ、行くか」

 

ハングは一気に物陰から駆け出した。それに続くようにギィが走り出し、低空でフロリーナが駆けていく。

そして、ハングはほぼ同時に紅の鎧をまとった騎士と緑の鎧を着こんだ騎士が飛び出してくるのを見つける。それを指揮しているのはサカの民。

 

「さすがに心得てるな・・・」

 

ハングはほくそ笑む。

 

「遊撃隊が出てきたぞ!」

「出城を落とす気だ!引き返せ!」

 

森の中から多数の声が聞こえてきていた。

 

だが、残念だ。もう手遅れだ。

 

「火だ!火の手があがってるぞ!」

「奴ら、森に火を放ちやがった!退路が断たれた!このままじゃ焼き殺されるぞ!」

 

随分と派手に森から煙があがっていた。

 

「逃げろ!焼け死ぬぞおぉ!」

 

森からは混乱している気配が伝わってくる。

それを見ながらギィが口を開いた。

 

「エリウッド様はうまくいったみたいだな」

「そりゃな・・・」

 

ハングは少し難しい顔をしながらそう答えた。

森の中からは盛大に煙はあがっているが、炎自体は見えない。

そして、恐怖を煽る声は森のいたるところであがっていた。

 

「あのマシューを敵兵に潜り込ませてる。さすがに流言の類は上手いな」

「あぁ、なるほど!あの野郎か」

 

すぐさま頭に血を上らせたギィを横目にハングは目を細める。

 

「・・・・・・・」

 

確かにマシューの声はよく通り、敵兵を混乱させるのに十分な効果がある。

 

だが、ハングとしてはそれ以上にエリウッドの手腕の方が恐ろしかったりする。

火をつけるタイミング、煙をあげる位置。全てが完璧だった

 

「狸貴族め・・・」

「なんか言ったか?」

「いやなんでもないよ。とにかく、役割を果たすぞ。さっさと砦を制圧しちまおう」

「おっし!先行くぜ!」

 

ギィは門が開け放たれたままの目の前の出城に突っ込んでいった。隣の砦にもすでにセインとケントが飛び込んでいる。ハングも剣を引き抜き、混乱の中にある出城へと飛び込んだ。

 

ギィが素早い動きで確実に衛兵を仕留め、ハングがその後方を支援。フロリーナが高所を制圧していき。後詰のヘクトル達が確実に安全地帯を広げていく。

 

ここからは策はいらない。ただの制圧戦である。

 

砦という要所を攻略し、そこを足掛かりにすればキアラン城への道は開けたも同然である。

森に入った部隊は既に混乱の中で離散している。統率を失い、地の理を失ったラウス軍に勝ち目などなくなっていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

バウカー将軍を粉砕し、城門の制圧を行ったのはリンディス達であった。

ハング達は森の中で散兵となったラウス兵達を確実に仕留めるために一度後退している。

城門前に集まるリン達。そこでフロリーナとリンは再開を果たしていた。

 

「リンディスさま!」

「フロリーナ!!無事だったのね。よかった!・・・本当に」

「私、少しは役にたてた?」

「もちろん!助かったわ、ありがとう」

 

ハングの配慮でフロリーナだけこちらに先行させたのだ。

 

そして、戦いを終えたエリウッド達もすぐにリンに合流を果たした。

まず、城門前に現れたのはマーカスとオズインを護衛に引き連れたエリウッドとヘクトルだった。

 

「リンディス、『久しぶり』になるのかな?」

「エリウッド!」

 

リンはエリウッドに駆け寄る。

 

「ありがとう。助かったわ」

 

リンはそう言いつつもエリウッドの周囲に視線を回す。だが、見慣れた癖のある黒髪を見つけることはできなかった。

エリウッドは彼女が探す相手を知っていたが、あえてそのことには触れなかった。

 

「僕らがラウス侯を追い詰めたせいでこうなった・・・助けるのは当然だ」

「そんな、キアランに起きたことはあなたのせいじゃない。気にしないで」

「ありがとう。でも、城を取り戻すまでは僕の責任でやらせてくれ」

 

そんなエリウッドの強い誠実さをを目の当たりにして、リンは苦笑しながらもエリウッドに甘えることにした。

 

「ええ、お願いするわ」

 

二人が会話している間にも他の人達も続々と戻ってきている。

彼等が挨拶をかわす中、やはりそこにあのくたびれたマントは無かった。

 

「あ、あの・・・エリウッド・・・」

 

リンが軍師の所在を聞こうとしたその時。

 

「おい、エリウッド!さっさと城に入ろうぜ」

 

少し離れた所から豪胆な声がした。リンがそちらを見ると黒い鎧で身を固めた男が立っていた。

 

「エリウッド・・・あの人は?」

 

リンがエリウッドにそう尋ねる。それで、エリウッドは二人が初対面であることを認識した。

 

「ああ、そうか。紹介するよ。ヘクトル!」

 

彼の名はヘクトルというらしい。

 

まだリキア諸侯の詳しい人物関係を把握していないリンはそれだけではどこの誰かは判断できなかった。

 

「ヘクトル、彼女はリンディス。キアラン侯爵の孫娘だ」

「ん?へぇ・・・」

 

そのヘクトルがリンをまじまじと見つめた。彼から下心は見えなかったのでリンは特に気にはならなかったが、なんとなく興味の対象になっているらしかった。

 

「ふぅん・・・なるほどな・・・」

 

そして、一人で納得してしまう。

 

なんだろう?なにか前情報でもあったのだろうか?

 

リンはそう思いながら首を傾げた。

 

「リンディス、彼はヘクトル。オスティア侯の弟だ」

「え?侯弟!!?本当に?」

「ああ?」

 

リンの驚き、その反応にエリウッドは驚いた。

 

「リンディス、どうしたんだい?」

「あ、えと、ごめんなさい。戦い方とか、振る舞いとか貴族に見えなかったものだから」

「ハハハハハ!」

 

笑い声がした。三人がそちらを見る。

坂の下から二人組が登ってきていた。

ハングとマシューだった。

 

「ハング!!」

 

リンが名を叫ぶ。

 

その声を聞いただけで、エリウッドとヘクトルは顔を見合わせた。

ヘクトルが苦笑いし、エリウッドが肩をすくめる。

 

なにせ、リンの声は今までとはまるで違っていたのだ。

 

リンには今まで疲労感が溢れていた。夜通し逃げた後での戦いだ。それが当然である。

だが、ハングが姿を見せた途端に顔には生気が戻り、声には疲れが見えなくなった。

 

見る者が見れば一発でわかりそうなものである。

 

「よう、リン。なんだ、生きてたか」

 

そんなリンに片手を上げて軽口を叩くハング。

 

エリウッドとヘクトルは再び顔を見合わせた。お互い、笑を堪えるのに必死である。

 

なにせ昨日からずっと取り乱しっぱなしだったハングだ。

その彼が今や『何の心配もしてなかったぞ』という態度でいる。

 

内情を知ってるエリウッドとヘクトルは可笑しくて仕方がなかった。

もちろん、ハングの矜恃の為に二人は何も言わなかったが。

 

「マシューも久しぶりね」

「人違いです!・・・って言いたいんですけどね・・・まぁ、またよろしくお願いします」

「マシューはオスティアの密偵だ」

「え!?」

「冗談に決まってるじゃないですか~!やだな~ハングさん」

 

挨拶も終わり、ハングはヘクトルの姿をもう一度視界に収めた

 

「まぁ、やっぱり山賊の方がしっくりくるよな」

 

さっきのリンの話の続きだ。

今すぐにハングの暴露大会を開きたくなったヘクトルである。

 

「しかし、若様。リンディス様の言い分ももっともですよ」

「ヘクトルはただただ力押しって感じだしな。無意味に斧を振り回すから周りが大変だしさ」

「お前らなぁ!」

 

声に怒気をはらませるヘクトルだが二人は全く気にしない。

 

「まぁ、二人とも。ヘクトルの戦いは確かに力押しで、危なっかしくて、近くで戦うのは少し怖いけど」

「助け舟になってねぇぞ、エリウッド」

 

ヘクトルを黙殺してエリウッドは続ける。

 

「だけど、彼程頼りになる味方はいないよ。周りを全く見てないような素ぶりだけど、ちゃんと見ているしね」

「お、おい・・・そこまで褒めすぎると逆に嘘くせぇぞ。エリウッド」

 

ヘクトルは褒められて自分の後頭部をかきむしる。

そんなヘクトルにハングが一言。

 

「ヘクトルは肉壁役だよな」

「お前はもっと言葉を選べねぇのか!」

 

がやがやと言い争う三人を見て、リンは笑った。

それが合図だったかのようにして、ヘクトルがリンに手を差し出した。

 

「まぁ、そういうわけだ。よろしくな」

「ええ、あらためてお願いするわ」

 

固く手を結ぶ二人。

 

その二人を見ながら、ハングは城の方を一瞥する。

 

ここにいるのは総勢20人。ハングにはキアラン城を落とす算段は既についていた。



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間章~二刻の間(前編)~

キアラン城門は制圧した。だが、全員が少なからず傷を負い、キアラン勢は夜通しの戦闘である。休息と情報収集を兼ねてハングは次の戦闘を二刻後と定めて城門前に陣を張った。

その間にハングは昔の仲間と再会を果たしていた。

 

「ハング!」

「よう、ウィル!息災そうだな」

「見ての通りさ」

「ハング殿、今回のご助力には感謝します」

「ケント、堅苦しい挨拶はやめてくれよ。そんな仲でもないだろうが」

「それもそうですね。しかし、ハング殿、本当によくきてくださいました」

 

皆が無事な様子を見てハングは心の中で安堵のため息をこぼした。

 

「そういや、ウィル。お前、家族に手紙書いたんだろうな?」

 

それは彼をキアランで雇う条件だった。

 

「・・・あ!あんなところにリンディス様が」

「だからなんだ?リンとはさっき挨拶をすませた」

 

しらばっくれるウィルにハングは片方の目を釣り上げた。

 

「ウィル、どういうことだ?」

 

ドスのきいたいい声だ。

 

「ごめんなさい。書いてません」

 

ウィルは素直に頭を下げた。というか、この声を前にして他の選択肢はあり得ない。

ハングはあからさまにため息をついた。

 

「ウィル、お前は楽天家だが約束は守る奴だと思ってたんだがな」

「・・・返す言葉もございません」

 

昔とあまり変化の無いウィルだが、少なくとも多少の軍隊的言い回しは学んだようであった。

 

「・・・ったく、今すぐとは言わねぇけどさ。ちゃんと書いとけよ、お前には帰る場所があるんだからよ」

 

そう言ったハングの声は少し感情的だった。それが逆にウィルの罪悪感を煽る。

 

「わ、わかったよ・・・そのうち・・・な・・・」

 

その顔を見てハングは満足そうに頷いた。

 

「ったく・・・で、ケント。セインはどうした?」

「奴なら・・・」

「おおー!美しいお嬢さん!あなたの名前を教えてください!」

 

レベッカに絡むセイン。

 

「その憂いを秘めた眼差し、高貴かつ繊細な儚さ!あなたはエトルリアの方では!?」

 

プリシラに声をかけるセイン。

どうやら、彼も一年前となんら変わってないようである。

ハングは軍の風紀を乱す輩に鉄拳制裁を加えることにした。

 

「おお!ハング殿!お久しぶり・・・って、うおわぁぁあ!」

「ケント、手伝え」

「ご命令が無くともやりましょう」

「うぎゃああぁぁぁあ」

 

セインの断末魔を聞きながらハングは手の土埃を払う。セインだったものを陣の隅に放り投げた時、リンがハングに近寄ってきた。

 

 

「あ、ハング」

「ん?何かあったか?」

「何か無いと会いにきちゃいけないの?」

「おまえも言うようになったな」

 

リンを前にしてケントは「では、私たちはこれで」とウィルを引きずるようにして離れていった。

 

余計な気をまわしやがって。

 

ハングは腹立たしいやら少し嬉しいやらで曖昧な視線をケントに向ける。だが、そんな浮ついた感情はリンの表情を見るなり吹き飛んでしまった。

 

今、キアラン城内にはリンの祖父であるハウゼン様がいる。この状況でリンが平常でいられるわけがないのだ。リンの表情には心労が確実に浮かんでいた。

 

ハングは自分をぶん殴ってやりたい衝動にかられた。それも、左腕で思い切り。

 

「あのな・・・リン・・・」

 

ハングはそんなリンにかける言葉を探したが、結局口に出すことをやめた。

代わりにハングはこう言った。

 

「・・・少し歩かねぇか?」

 

リンは静かに頷いた。

 

 

リンとなんとなく陣の周りを散歩する。

 

「よくみんなで話してたのよ。ハングはどこで行き倒れるかな、って」

「行き倒れること前提かよ」

「行き倒れなかったの?」

「あ、あんなところに狐がいる。かわいいなぁ」

 

クスクスとリンが笑う。無理しているようには見えないが、心の底から笑っているとも見えなかった。

 

「まったく、ハングは変わらないわね」

「お前もな」

 

下手な芝居をやめ、ハングは少しだけ声の調子を落とした。

 

「リン・・・」

「大丈夫よ」

「まだ、何も言っていないぞ」

「大丈夫。焦ってないわ」

「そうは見えねぇけどな」

 

ハングはため息と同時にそう言った。

 

「だって、ハングが来てくれたんだもの。何とかしてくれるんでしょ?」

 

俺だって万能じゃない。

 

ハングはそう言ってしまいたかったが、なんとか飲み込んだ。

ハングは視線をキアラン城へと向けた。キアラン城は妙に静まり返っている。

 

「まぁ・・・相棒の頼みだからな」

「そう言うと思った」

 

ハングはキアラン城から目を逸らして歩き出す。その隣にリンはついていく。しばらく無言で歩き続けた二人。行く先はお互い最初からわかっていたようだった。

 

「この辺だったわよね」

「そうだったか?」

「ええ、ここで別れたのよ」

 

一年前に二人が別れた場所。小高い丘の上から広い平野が見渡せる。

 

「あの時貰った鱗。本当に役にたったわ、ありがとう」

「俺は何もしてねぇよ」

 

リンは微笑んで話を続ける。

 

「ハングはあの時、この鱗には何の力も宿ってないって言ってたけど。あれ、本当?」

「ああ、鱗には何の力も無いよ。お前には嘘はつかねぇ」

 

『鱗』には力なんか無い。切れば割れるし、叩けば砕ける。

もし力があるとするならそれはハングの『腕』の方だ。

もちろん、そのことをリンが知る必要は無い。

 

「・・・そう」

「ああ」

 

ハングとリンはそう言って平原を眺める。

ここで別れてから1年。お互い、何も変わってはいないようだった。

 

ハングは旅の軍師であり、リンはサカの民のロルカ族。

 

「・・・戻るか」

「・・・ええ」

 

歩く二人のそばを風が通り過ぎていく。

少しだけ、風が冷たかった気がした。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「あ、若様。どうかしましたか?」

 

陣の中心付近でマシューはヘクトルに声をかけた。

ヘクトルは陣の中を見渡して誰かを探しているようだった。

 

「マシュー、ハングを知らないか?さっきから見当たらないんだが」

「・・・ハングさんですか?」

 

マシューは珍しく渋い顔をした。

 

「・・・えーと・・・あの、ですね・・・」

 

口ごもるマシュー。普段なら主君相手にもズケズケとものを言うマシューの珍しい言動にヘクトルは首を傾げた。

 

ハングの居場所を聞くだけでなんでそこまでのことになる?

 

しかも、言い渋った結果、マシューの返事は「馬に蹴られたくなかったらしばらく探さない方がいいですよ」であった。ヘクトルの頭の中は疑問符だらけになった。

 

ハングは馬の世話にでも行っているのだろうか?

 

「まあ、いいか」

「何の用だったんですか?」

「ああ、たいしたことじゃないんだが・・・食糧の配分で少しな」

 

要するにヘクトルは腹が減ったのだろう。

 

自分の主君がこんな要件で陣の外までハングを探しにいかなかったことにマシューは胸をなでおろした。

 

あの二人の姿を偶然目撃したマシューからすれば、あの空気の中にそんな話題を持ち出せばどうなるか考えたくもない。甘い空気では無かったが、あれは他人が踏み込んではいけない場所だ。

 

若様が怒鳴られたり冷たい態度とられるぐらいなら別にいい。

ただ、せっかく再会を果たしたハングさんに意味もなく不幸な思いはさせたくはなかった。

 

マシューはこれでもあの軍師を気に入っているのだ。

 

「まあ、腹が減ってるなら保存食でも食べますか?」

「お、マシュー。持ってきてたのか?」

「まかせてくださいよ。こんなこともあろうかと、ちゃんと戦いの前に準備しときました」

 

そう言ってマシューは荷物を取り出した。それはヘクトルの荷物である。

 

「この中に・・・ほら、ありました」

「お、気が利くな」

 

ヘクトルはその保存食に手を伸ばしかけて、ふと思い直す。

 

「・・・ってお前!俺の荷物に入れてたのかよ!?」

「若様は力持ちですから」

 

ケロリと言ってのけるマシュー。

 

「そういう問題じゃねぇだろ!?やけに今回の俺の荷物が重いと思ったら・・・」

 

保存食が入ってたのならそりゃ重いだろう。しかも、保存食は二人分だ。ヘクトルの分とマシューの分

 

「仮にも自分の主君に荷物持ちさせんじゃねぇっ!」

「まあまあ」

 

マシューはそれでも取り乱すことはない。それどころか、口の端には笑みを浮かべている。

 

「そういうとこが、若様のいいところじゃないですか」

 

雑用を押し付けられるのがヘクトルの『いいところ』らしい。

 

ヘクトルは湧き上がる百万語を押しとどめて、変わりに大きく息を吐き出した。

 

「・・・俺にはロクな臣下がいねぇぜ」

 

マシューしかり、セーラしかり

 

ヘクトルは釈然としない気持ちで保存食を口に運んだのだった。

 



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間章~二刻の間(後編)~

縁とは不思議なものだ。レベッカはそう思わざるおえなかった。

 

「おい!レベッカ?レベッカじゃないか!?」

 

自分の名前を呼ばれているが、レベッカは振り返らない。

そして、遅れて現れたのはその声の主だ。

 

「・・・どちらさまでしたっけ?」

 

自分の隣に並んだのは短髪の弓使いであった。

 

「なに言ってんだよ。おれおれ、隣ん家のウィル!」

 

元気満点、喜色満面。レベッカはあえて冷たい態度をとる。

 

「・・・さぁ?そんな人知りません」

 

ずっと笑顔だったウィル。その表情が初めて曇った。

 

「本当に?」

「・・・・」

 

レベッカは返事をしない。

元気だったウィルは急に萎れるようにしてうなだれてしまった。

 

なんだか、自分が悪者のようだ。

 

レベッカはそう思ったが今更態度を変えるつもりは無かった。

 

「・・・ええ。勝手に田舎を飛び出して何年も連絡を寄越さないウィルなんて人。私は知りません」

「あは!知ってんじゃん」

 

つくづく自分は甘いと思った。

 

「やっぱりレベッカだ。久しぶりだな!あ、おれなキアランに仕官したんだ」

 

レベッカは立ち止まった。

 

「仕官?ウィルが??」

 

それはあまりにもレベッカが知っているウィルには不釣合いな姿だった。空を飛べる魚の方がまだ信じられる。だが、ウィルはそれが当たり前かのように話を続けた。

 

「旅先でいろいろあってさ~ハングを敵と勘違いしたりしたのが始まりで、結局今はリン様の直属なんだ」

 

あのハングさんを敵に回してなぜウィルが仕官なんてことになるのだろうか・・・

 

だんだんレベッカは頭が痛くなってきた。

 

「リン様・・・って、もしかしてリンディス様?」

「そうそう。って、いけね。もうリン様じゃないんだ。俺ももうキアラン騎士団の一員なんだからちゃんとお呼びしないと」

 

勝手に村を飛び出して、勝手に面倒に巻き込まれて、今は騎士団の一人。

レベッカは体の奥底から熱が湧き上がってくるのを自覚した。

 

「でもな~・・・ハングも帰ってきたし昔みたいに呼びたいよな・・・ハングは『リン』って呼んでるし。しかもエリウッド様とまで普通にしゃべってるし・・・あれ?レベッカ、どうしたんだ?腹でも痛いのか?」

 

レベッカの中で何かが切れた。

 

レベッカは足を一歩前に出した。

 

足の指先まで力を込め、地面を掴むようにして重心を移動させる。

そして、片足で溜め込んだ力をもう片足に移しながら痛烈な足刀を無防備な腹に叩き込んだ。

 

もちろん加減など一切しない。

 

「バカっ!!」

 

呼吸困難に陥った幼馴染に背を向けてレベッカはずんずんと歩いていった。

 

「ウィル!どうしたんだい!?誰にやられたんだ!!」

 

エルクの声が聞こえた気がしたが今のレベッカには聞こえなかった。

そのままレベッカは目的の場所まで大股で歩いていった。

 

「あ、レベッカさ・・ん・・・」

「なんですか!?」

「な、なんでもありません!」

 

レベッカがやって来たのは陣内に設置された簡易竈である。

 

そこではロウエンが兎の皮を剥いで下処理をしていた。

ハングの指示で食糧の殆どをラウスに置いてきたので現地調達するしかなかったのだ。

 

「ロウエン様!」

「は、はい!なんでありましょう!」

「手伝います!何をしたらいいですか!?」

「そ、それでは。さ、山菜を刻んでください!」

 

触らぬ神に祟りは無い。なら、向こうが勝手に近づいてくる場合はどうするか?

 

ひたすら平伏するしか無い。

 

物凄い勢いで山菜を刻んでいくレベッカを見ながらロウエンはそんなことを考えていた。

 

「ロウエン様!」

「な、なんでしょう」

「手が止まってます!やることはまだまだあるんです!」

「は、はいぃ!」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

エリウッドは陣の片隅で一冊の本を読んでいた。

 

「エリウッド様、ここでしたか」

「マーカス・・・マリナスさんも」

 

エリウッドは本に栞を挟み込んで閉じた。

 

「申し訳ありません。エリウッド様、少しお時間をいただきます」

「構わないよ。たいした読み物じゃないからね」

 

エリウッドが脇に置いたその本。それは古い本であったが、皮表紙に鋲まで打ってあり、一目で高級品だとわかる代物であった。そんな本に商人のマリナスが反応を示した。

 

「ややや、これはなかなかの一品ですなエリウッド様」

「そうなのかい?」

「ええ。本の皮も紙も擦り切れておりますので良い値はつかないとは思いますが、元々は素晴らしい物であったと思いますよ」

 

エリウッドは改めてその本を眺める。

 

題目は剥げ落ちて既に解読不可。所々が手垢や染みで汚れており、鋲は一本残らず錆び付いている。

 

確かにこれが高級品と言われてもピンとはくるまい。

 

「はて、エリウッド様。このような本をお持ちでしたかな?準備した荷物には無かったように思われますが」

「ああ、これは僕のじゃないんだ」

 

エリウッドはその本を開いてみせた。

マーカスとマリナスはその本の中身を見て、これは本では無く雑記帳かと思った。開いたページは癖のある字が縦横無尽に埋め尽くしていたのだ。

だが、よくよく見ればその本の中には規則正しい別の字がある。

 

この本は余白部分に誰かが大量に書き込みをしている本だった。

 

「これはハングの本なんだ」

 

エリウッドはその中の一部を読み上げた。

 

「『敵を追い詰める時は必ず逃げ道を用意しろ。逃げ場を失った相手は死に物狂いで向かってくる』」

 

これは元々は戦史書であった。様々な場所で起きた戦を時系列でまとめた物だ。ハングはそこに大量に書き込みをして、戦術書にしてしまっていた。

 

「ハングに戦術を教えてくれと言ったらこれを渡されてね。『エリウッドは多分こっちで学ぶ方がやり易いはずだ』だってさ」

 

エリウッドは手遊びのように本をめくる。

 

どの箇所もやはり書き込みで真っ黒である。中には何度も書き込みをしたからなのか、本文が読めなくなってる箇所もあった。

 

「ふむ、少し見ただけでもなかなかに学ぶことが多そうですな」

 

マーカスに向けてエリウッドは驚いた顔を作った。

 

「マーカスがハングを褒めるなんて珍しいね」

「私はハング殿のことを嫌っているわけでも敵視しているわけでもありません。評価すべきところは評価します」

 

ついこの間までハングがエリウッドに声をかけただけで殺気を漏らしていた男が言う台詞では無い。

 

だが、エリウッドは微笑んだだけで何も言いはしなかった。

 

「さて、それで僕に用があったんじゃないのかい?」

「おお!そうでした!エリウッド様、現在所持している武器の類のことなんですが」

 

エリウッドとマリナスが話し込む隣でマーカスはハングの本をペラペラとめくっていた。

 

書いてあることは戦術戦略の基本的な事柄ばかりである。だが、その基本が歴史でどのように使われてきたかが実にわかりやすく書かれていた。読みやすいかどうかは別ではあるが。

 

そして、マーカスは最後のページをめくった。

 

そこには印が二つ押してあった。一つは署名の印。そして、もう一つはというと・・・

 

「っ!!これは・・・」

 

マーカスは瞠目した。そして少なからず動揺した。

 

「マーカス?どうしたんだい?」

「いえ・・・なんでもありません・・・」

 

マーカスは本を閉じる。それは今見たものを隠すような仕草だった。

 

「エリウッド様、続きをよろしいでしょうか?」

「あ、ああ。続けてくれ」

「では」

 

マリナスが咳払いと共にキアラン城内戦に向けた装備を確認していくのを傍目に見ながらマーカスはもう一度ハングの本の最後のページをめくる。

 

そこにはやはり先ほどと同じ印が押してあった。

 

円形に複雑な幾何学模様。

 

これはベルン王国の印。

 

この印が押されたものは全てベルン王国の持ち物であることを示している。

 

それを持ち出し、あまつさえ書き込みまでしているハング。そんなことができるのはベルンの中心部にいる者だけだ。

 

まさか・・・ハング殿は・・・

 

マーカスはそこまで考えて息を吐き出した。

 

やめよう・・・

 

私はつい先日ハング殿を信用に足ると決めたばかりではないか・・・

 

マーカスは頭の中から何かを追い出すかのように自分の側頭部を小突く。

 

「わかった。それじゃあさっきの通りに手配を頼むよ」

「お任せあれ」

 

マリナスとエリウッドの話は終わったようだ。

ならば、長居は無用。

マーカスは何も言わずにマリナスと共に陣の中心へと戻って行った。

 



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17章~謎の行方 ①~

「ば、馬鹿な・・・バウカーまでもが」

 

キアラン城最奥にある王の居室。そこで伝令の話を聞くラウス候ダーレン。度重なる敗北の報告を受けて、彼はもはや憔悴を隠すことすらできなくなってきた。

そのダーレンに軟禁されているキアラン候ハウゼン。

彼もまたその部屋にいた。

 

「ダーレン殿。もはやここまでじゃ、あきらめられよ。これ以上の抵抗は無意味・・・」

 

ハウゼンは滔々と語る。

 

「そなたのやったことは決して許されることではないが、まだ間に合う・・・すべてをエリウッドに打ち明け、オスティア侯へとりなしてもらえば悪いようにはせんだろう」

「わしの・・・負け・・・か」

 

精鋭部隊はラウスに置き去りにしている。城の外に散会させた兵達は散り散りなって潰走。既に城を保つだけの兵も残ってはいない。逆転は不可能。それは火を見るよりも明らかな事柄であった。

 

「さぁ、間もなくエリウッドたちがここに来る」

 

ハウゼンはそう言ってうなだれるダーレンの肩をたたく。

 

「わしからも口添えを・・・」

 

だが・・・

 

「グフッ・・・!!!」

 

突如として、ハウゼンか口から血をしたたらせた。

背中に刺さる一本の短刀。 それは内腑にまで達する傷だった。

 

「困りますね。ラウス侯につまらぬ入れ知恵などされては」

 

血を吐きながら倒れるハウゼン。その背後から現れた黒衣の男。

 

「エ、エフィデル殿っ!?」

 

【黒い牙】のエフィデル。エフィデルはフードの下から光るその目を少しだけ細めた。

 

「今さら何をしようとも、ダーレン殿は後戻りなどできないはずですよ。なにしろ・・・」

 

彼は笑っていた。

 

「サンタルス侯爵に続き・・・キアラン侯爵まで手にかけられたのですから」

 

始めて見せるエフィデルの笑み。それはこの世で最も冷たい吐息を吐き出しているかのような笑顔だった。悪魔の微笑みの方がまだ愛嬌がありそうだった。

 

「な!?どちらもそなたがやったことではないか!!わ、わしが望んだのではない」

「ええ。私が・・・あなたのために」

 

ダーレンは顔面蒼白になって、声を震わす。

 

「わしを・・・はめたのか?」

 

その言葉にエフィデルは目から笑みを隠す。残ったのは別の生き物のような金の瞳だった。

 

「滅相もない。私は、我が主の命に従いあなたの野望をかなえて差し上げようとしているのです。あなたを統一リキアの国王に・・・そしていずれは、この大陸を支配する王に・・・そうでしょう?」

 

エフィデルの甘言。ダーレンはその言葉に含まれる毒を受け、思考することを放棄したかのように呟く。

 

「・・・そうだ。そのために、多少の犠牲は仕方ない。そうだな?」

 

もはや、ダーレン本人に意思は無い。

他者から見ればそう思ってしまうであろう程に、ダーレンはエフィデルの言葉を肯定してしまう。

 

「そのとおりです。・・・予定は大幅に狂いましたが、我が主の力があるかぎり・・・我々に、敗北はありえません。さ、うるさい虫どもが来る前に脱出しましょうラウスから連れてきた兵は全てここでお捨てなさい。やつらの足止めに使うのです」

 

兵を全て捨てる。さすがにそれにはダーレンも躊躇いを覚えた。

 

「兵を全て・・・置いて?」

 

本来王というのは土地と民、そしてそれらを守る為の兵を携えての王である。

時には王たる印である玉座や玉璽が重要とされることもあるが、その本質は変わらない。王は人を従えてこその王なのだ。

 

「では、わしの身は・・・誰が守るのだ?」

 

だが、ダーレンが先んじて心配したのは保身の話。

もはや、彼には王たる自覚すら欠落していた。

 

「私と【黒い牙】がいればことは足ります。もはやなにも必要ありません」

「う、うむ、わかった。それで・・・次はどこへ行くのだ?」

「【竜の門】へ・・・あそこには、我が主がおられる。主からの知らせによれば、この間、捕えたあの男・・・うまくいけば、あやつ一人でも『儀式』ができるかもしれません」

「おお!そうか。ならば、もう何の心配もいらんな」

 

わかっているのだろうか?

 

国を捨て、土地と民を失い。

今も兵という武力を捨てようとしている。

 

それが一体何を意味するのか。

 

「そのとおりです。では、一足先にお逃げ下さい。私はここで、二、三指示をだしすぐに追いつきます」

「うむ。そうしろ、フフフ・・・これで・・・わしが・・・世界の・・・」

 

ダーレンは一人で笑いながら玉座の間を去っていく。

黒衣の暗殺者に囲まれながら・・・

 

「・・・おろかな男だ」

 

瀕死のハウゼンを残し、エフィデルもその場を離れる。

 

「レイラ、いるか?」

 

エフィデルは辺りを少しだけ見渡しながら呼びかけた。

 

「ここに」

 

現れたのは赤毛の女性。長い前髪で片目を隠している彼女はその身から暗殺者独特の重い空気をこぼしていた。

 

「エリウッドたちが城内の敵と戦っている間にキアラン侯にとどめをさし、死体を隠すのだ。二重の足止めになろう・・・」

「仰せのままに」

 

跪き、頭を垂れたままレイラは答える。

その上からエフィデルが声をかける。

 

「・・・おまえは、【黒い牙】に入って日が浅い。だが、その手際はなかなかのものだ・・・これからの働き期待しているぞ」

「はっ」

 

短い返事にエフィデルは少し頷き、マントを翻す。

目指す先は【竜の門】

エフィデルの主の待つ場所である。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

キアラン城の城門。どんな手品を使ったのかわからないが、ハングはいとも簡単に開門させてしまった。

 

「以前、ここの補修工事を手伝ったからな」

 

ハングはそう言ってニヤリと笑ってみせたが、それがたった一人で城門を開ける理由にはならない。

だが、そのことを尋ねている余裕は無かった。既に城内に残っていたラウス兵達が殺到しつつあった。

 

「キアラン城の玉座まではここから一直線よ」

 

リンがそう言って剣を抜く。

 

「ハング、なんか策はあるか?」

 

ヘクトルがそう言って斧を手に軽く肩を回す。

 

「狭い廊下の一本道で戦術も戦略もあるかよ。こっから先は単なる力勝負だ」

 

ハングも剣を抜く、戦力としては微々たるものだが、今はいないよりはましである。

その隣でエリウッドもレイピアを構えた。

 

「それは単純でいいね」

「へぇ・・・エリウッドがそう言うか。俺はその台詞はヘクトルの専売だと思ったんだがな」

「なるほど、否定はしないね」

 

エリウッドは随分と落ち着いている。

気負いのない、良い状態であった。

 

「リン、地下牢への入り口は変わってないよな?」

「ええ、大幅な改修はしてないわ」

 

城の状況から考えてキアラン兵の約半数は殺されたとみていい。残りはリンのように外に出て逃げのびたり、投降してどこかに捕らわれていると思われる。もし、彼らが捕虜となっているのなら閉じ込められる場所は地下牢しかない。

 

「戦力にはならないだろうが、助けない理由にはならねぇ」

 

ハングはそう呟き、唇を舐める。

 

城の人達の中にはハングが前に世話になった人間もいる。ラウス侯爵も文官や使用人まで手は出していないとは思うが、心配ではあることには変わりがなかった。

 

もし手を出してたら、ハングとしては文字通りの八つ裂きにしてやるつもりだった。

 

ハング達の見据える廊下の先からラウス兵達が槍や剣を持って突っ込んでくる。

 

「あいつら!どうやって城門を!!」

「とにかく迎え撃て!!」

 

真正面に現れた敵兵にハングは少し身震いした。それに目ざとく気づいたのは隣にたエリウッドだった。

 

「ハング、震えてるよ?」

「武者震いだこのやろう」

「珍しいね、ハングが気負うなんて」

「俺だって人間だ。そういうこともあるんだよ」

 

ハングがぼやく隣でヘクトルも少し身震いしていた。

 

「どうしたんだいヘクトル?」

「ああ・・・いや、なんか悪寒がしてな。な~んか、俺を狙ってる濃厚な殺気を感じる」

 

まるで動物並みの勘だな。

 

ハングは心の中でそう呟いた。

 

「ハング、今失礼なこと思わなかったか?」

「気のせいだろ」

 

ハングは眉一つ動かさずに言い切った。

 

ハングは少し後ろを振り返って皆の顔を確認し、不敵に微笑んだ。

 

「さぁて!戦闘開始だ!」

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

所変わり、キアラン城の地下牢。そこはハングの予想通り、キアラン兵の生き残りが数人ごとに地下牢に放り込まれていた。負傷兵として寝かされている者、名誉の死より生への希望にかけた者。様々な理由で降り兵となった彼らの中にはキアランに雇われていた傭兵もいた。

 

「おい、お前。俺をここから出せ」

 

その傭兵の一人。茶色に近い赤毛と鋭い目元。その体は無駄な肉をそぎ落とし、必要な筋肉のみで構成されていた。彼は牢の外にいたラウス兵に声をかけた。

 

「な、何だと?」

「お前らの敵の中にオスティア侯の弟がいるな?お前らに力を貸してやるからその侯弟をやらせろ・・・オスティアに恨みがある」

 

その声は深く、暗い。そこには深い怨嗟の塊が巣食っていた。

 

「バ、バカを言うな!お前はキアラン侯に雇われたのだろうが!!そんな言葉が信用できるはずが・・・!」

「・・・ならば、ここで扉を破りお前を倒して出るまでだ。お前らが人質にしたルセアは今、こちら側にいるしな・・・」

「う・・・」

 

ルセア

 

そう『彼』である。

 

「い、いけませんレイヴァンさま!ご恩のあるキアラン侯を裏切るなんて・・・」

 

長い金髪と柔らかな物腰。高めの声と上品な顔のせいで女性に間違われることの多い修道士。一年前にハング達と旅をしたルセアだ。

 

「黙れ、ルセア」

 

レイヴァンと呼ばれた傭兵はルセアを制し、牢屋の外にいるラウス兵と会話を続ける。

 

「こちらは無駄な戦いはしたくないのだが・・・・・・どうする?」

「・・・よ、よしいいだろう。お前出ろ!ただし、妙な真似をしたらお前の連れの命はないと思え」

「ああ・・・だが、その時はお前の命もないだろうがな」

 

衛兵はレイヴァンの眼光に押されるようにして、彼の要求をのんだ。

門を開ける衛兵。そこから出ようとするレイヴァンにルセアはすがるように手を伸ばした。

 

「ま、待ってください!お一人では危険です!!」

「ルセア、お前はそこでおとなしくしてろ・・・後で迎えに戻る」

「レイヴァンさまっ!!」

 

だが、その手は再び閉じられた門にさえぎられてしまう。

去り行くレイヴァンの足音を聞きながら、ルセアはエリミーヌへと祈りを捧げることしかできなかった。

 

 



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17章~謎の行方 ②~

「おらぁぁぁああぁ!」

「死ねやこらぁぁぁあ!」

 

金属のぶつかり合い。むせ返る血の匂い。本来なら厳格さの中に人の営みを感じさせるキアラン城の廊下が血なまぐさい戦場へと変わっていく。

 

戦っては引き、戦っては引く。ハングの指揮のもと、エリウッド達は代わる代わる前線を受け持ちながら回転するように部隊を動かしていた。

 

狭い廊下での戦闘。人数差ができにくい状況であれば、戦いの勝敗は個人技と数人単位の連携に左右される。ハングは傷を負った者、息の上がっている者を見落とさず、的確な指示を飛ばして部隊を操っていく。

 

「ドルカス、エリウッド!下がれ!ウィル、レベッカ援護しろ!」

 

魔法や弓などの遠距離を放つ瞬間を見極め、敵の隙をついて味方を移動させる。

寸分の狂いが前線の崩壊に繋がるような綱渡りをハングは見事にやってのけていた。

怒声と断末魔が入り乱れるこの場所で自分も剣で敵の攻撃をさばきながらそれをやってのける技量は流石の一言に尽きた。

 

次第に戦局はエリウッド達に傾き、敵の波が廊下から引いていく。

 

「ヘクトル!追撃だ!地下牢の入り口までもう少しだ!」

「おう!」

 

よい返事を聞きハングは後方の様子を確認しようと足を止めた。

だがそれと同時に走り出そうとしたヘクトルの足もまた止まってしまった。

 

「ヘクトル!どうした!?」

「ヘクトル様!下がるならさっさとお願いします!こっちは手一杯なんですから!」

 

ハングと回復役のセーラの声が揺らぐ。

そこまで決して止まることのなかった進軍が止まる。

 

「ああ・・・わりぃな・・・どうやらおでましみたいだからな」

 

ヘクトルはにらみ合うの一歩手前で斧を構えた。そして、構えた得物を見てハングは眉間に皺を寄せた。

 

ヘクトルが持っていたのは安物の鉄製の斧ではなく、愛用のヴォルフバイル

 

ヴォルフは『狼』バイルは『斧』

『狼の斧』を構えるオスティア候弟。

 

それを持ち出すほどの強敵。

 

ハングは前線の方を見る。

廊下から一時退却し、戦線を立て直そうとするラウス兵。

その手前に地下牢への入り口が開いていた。

 

そこから聞こえる一対の足音。

 

そして、その足音の主が姿を見せる。

赤毛の短髪、肩に担いだ大剣。

 

だがそれ以上に、彼の放つ雰囲気がその場の空気を凍りつかせた。

 

「随分と濃厚な殺意だな、おい」

 

ヘクトルがそう言って額から流れる汗をぬぐう。

ハングもまた自分の背筋に一筋の冷たい汗が流れ落ちるのを感じていた。

 

そして、その青年がヘクトルの方を向く。

 

一際強烈な圧力が場を制圧した。

 

「・・・こりゃまた・・・」

 

ハングはその殺意に既視感を覚えていた。理由は考えるまでもない。

 

胸の奥底で醜い泥のように溜まり腐っていった感情。その沼地から湧き上がる燐を燃料として仄黒く燃え上がる憤怒。

 

復讐心に支配された殺気だった。

 

ハングはその殺気と過去に何度も出会ってきていた。

 

一つは自分の中に巣食うものとして、もう一つは草原で出会った人が抱いていたものとして。

そして今回出会ったこの殺意は自分の友人に向けられていた。

 

「ヘクトル、いったい何をしたん・・・」

 

ハングは何か言い出そうとしてあきらめた。ヘクトルを見ればわかる。

 

「思い当たる節が多すぎてわからんか」

「おいこら!勝手に俺を悪人認定してんじゃねぇ!」

「けど、あるだろ?」

「・・・・無くはねぇ・・・で、でもよ!命を狙われる程までのことはしてねぇぞ!」

「どうだか・・・」

 

ハングは戦場を確認する。

今までの戦闘で削りに削ってきたラウス兵は廊下で防衛の構えだ。

ハングの後方に控える自軍の面子は体力と気力を回復しつつあった。

 

「ヘクトル。あの餓えた獣みたいな奴だけどよ」

「・・・ああ」

「勝てそうか?」

「どうだかな。武器の相性もイマイチみたいだしな」

 

その男は身の丈はありそうな大剣を携えていた。

 

「勝負に絶対はないだろ?一応、複数人数で押しつぶせばあれを止めることぐらいはできそうだが・・・ああいう輩と対峙するのは避けたい」

 

復讐心に支配された人間の思考回路はハングはよく理解していた。

 

こういった輩は己が身を顧みず、捨て身の攻撃で一滴でも相手の血を多く流させることを至高とする。切り傷一つだけでも構わないのだ。相手が苦悶の顔を浮かべるのならばそれでいい。

 

そんな相手を敵に回してもいいことなど一つもない。

 

「ヘクトル、頼めるか?」

「餓えた獣に餌を与えて足止めってわけか」

「わかりやすい例えだ」

「俺は罠用の肉塊ってわけだ」

「いや、骨付き肉だ」

 

ハングはそう言って笑う。骨のある戦いをしろという意味らしい。

ヘクトルはその意図を読み取って、斧を肩に担ぐ。

 

「そいつは俺の得意分野だ」

「時間を稼ぐだけでいい。あいつは・・・強いぞ」

 

ヘクトルが神妙な顔で頷いた。

 

戦場に突如として現れた一騎打ちの場。それは戦場の流れを大きく変えた。

 

「退却だぁぁ!玉座まで後退しろ!」

 

こちらの足が止まるのを待っていたように崩れ去るラウス部隊。

 

「深追いはすんな!」

 

ハングの一声で、全軍の動きは緩やかになった。

 

ここまで来れば玉座まで今一歩。焦りを見せるキアランの面々にハングは睨みをきかせて立ち止まらせる。

 

その間も赤毛の男は動かない。向こうも一騎打ちを望んでいるのだろう。

 

ハングは敵のいなくなった廊下を歩き、その男の前に立った。そのすぐ後ろにはヘクトルが続いている。

 

「よぉ、あんた。なんか怖い顔してるな」

「・・・貴様に言われたくはない」

 

ハングは胸の奥にチクリときたが、それをなんとか無視した。

 

「あんたの狙いはこのオスティア候弟ただ一人。異論は?」

「・・・・」

 

沈黙はすなわち肯定である。

 

「お前らの戦いにここにいる他の連中は手を出さない。その代わりに条件がある」

「言ってみろ」

「一つはそこの地下牢への道を開けてくれること、もう一つはヘクトル以外はここを素通りさせてもらうこと」

「・・・いいだろう」

 

男はほとんど考える間もなく、道をあけた。

それほどにヘクトルに執着があるようだ。

 

それに、どうやらラウス兵というわけでも無いらしい。

 

「リン、キアランの皆と共に地下牢へ行くぞ。マシューとエルクも俺達についてきてくれ。エリウッドは残りの奴らを連れて玉座の間の制圧。マーカスさん、エリウッドの補佐を頼みます」

「任されましょう」

 

ハングは後方を振り返る。

 

「念のためにオズインさんとプリシラはここに残ってもらう」

「はっ!」

「わかりました」

 

そして、ハングはヘクトルの方を向く。

 

「死ぬなよ」

「へっ、誰に言ってやがる」

 

ハングはリン達と共に地下牢への階段を下って行った。

 

「ヘクトル、先に行ってるよ」

「おう、必ず追いついてやる」

 

エリウッド達もいなくなり、廊下に残るのは四名。

 

「さてと、てめぇ・・・名前は?」

「レイヴァン」

「そうか・・・」

 

2人が武器を構えて相対する。

 

「それじゃあ。始めるか!」

 

次の瞬間、武器のぶつかり合う音が激しく鳴り響いた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

目の良いマシューを先頭にして階段を駆け下りるキアラン勢。

マシューは律儀に牢屋の見張りを続けるラウス兵を階段の下に見定めた。

 

「止まれぇ!貴様、ラウスじゃないな!」

 

槍を向けるラウス兵。マシューはそのまま階段から飛び降りて、そのラウス兵の頭上に着地した。

ラウス兵を踏みつけながら鎧の隙間に短刀を差し込み、首筋にある血管を確実に引き裂いて仕留める。

 

鎧の隙間から血を噴出して倒れる男を蹴り倒し、マシューは冷たい石の床に着地した。

1人目をやられて周囲の兵が動揺したところに階段の上からウィルの矢とエルクの火球が降り注いだ。

 

そして、怯んだ隙に剣士と騎士が踊りこめば地下牢の制圧は容易だった。

 

「リンディス様!ケント隊長!」

「戻ってきてくれたんですか!?」

 

口々に感嘆の声をあげるキアラン兵。

牢屋に捕らわれている兵士の数はハング思っていたよりも多かった。

 

さすがに半端な鍛えられ方はしていないようだ。

 

「フロリーナ!ウィル!無事だったか!!」

「先輩方も!よかったです!」

「・・・あ、あの・・・えと」

 

牢屋を次々と解放していくハング達。

 

「って、うおぉい!副隊長であるこの俺!セインには誰にも声無しなのかよ!」

「貴様らぁあぁああ!なにをしている!」

「うおっ!くっそぉラウス兵の生き残りかよ!!ここで、俺の必殺を・・・」

 

組み合うセインとラウス兵

 

「お前ら邪魔!!」

 

ハングがラウス兵の首に左腕を叩きつけた。強烈な一撃にラウス兵は空中を一回転して、床に叩きつけられた。

 

「あ、あれ・・・」

「セイン!遊んでねぇで、さっさと地下牢を解放しろ!俺じゃ誰がキアラン兵かまではわかんねぇんだ!」

「なんか最近俺の扱い酷くないか・・・」

 

涙目になるセインを尻目にハングは城の地下牢をざっと見渡した。

 

「あ・・・」

「え?」

 

その時、輝くような碧眼と目が合った。

 

「ルセアさん!?」

「ハングさん!?」

 

鉄格子越しにいたのはルセアだった。

 

「あ、と、とにかくこの牢屋を・・・」

「鍵は開いてますよ」

「そうか・・・って、なんで開いてんだ!?」

 

あまりにも突然の再会にハングの思考は一旦停止してしまっていた。

 

「私と共に捕らえられていた人たちが鍵を隠していたらしく、自力で開けてケントさん達と合流しまして」

「あ~・・・なるほど・・・」

 

ハングは牢屋の扉を開けて中に入った。

 

「ハング、こっちは終わったわ・・・って、え!!ルセアさん!?」

「なんだ、リンも知らなかったのか?」

「ええ・・・」

 

もし、ルセアが捕らわれていることを知ってたうえでハングに情報提供を怠っていたとなればハングの雷は免れない。リンは図らずも危険を回避したのだった。

 

「数日前から傭兵としてお世話になっておりまして」

「そうだったの。だったら声をかけてくれればよかったのに」

「あのな、今のお前は常に『リンディス様』なんだぞ。おいそれと声をかけられるか」

 

唸るような声をあげるリン。お姫様扱いを嫌う彼女らしい反応である。

 

「・・・しかし・・・」

 

ハングは少しルセアの様子を観察する。

 

「えと・・・なんでしょう?」

 

見た目は美女であるルセアを観察すると、変な気分になってくるのだがそれは置いておく。

 

「手、震えてんな」

「・・・あ」

 

ルセアは修道士。十分な戦力ではある。戦いの場に怯えるような人でないことはハングも知っていた。

 

「ルセアさん。鍵のかかってない牢から出なかったのもなんか理由があるんだろ?」

「・・・はい」

 

ハングはリンと顔を見合わせた。

 

「理由は聞かねえけどよ・・・ま、戦えるなら追っかけてこい。俺たちはキアラン城を取り戻す」

「・・・申し訳ありません」

「謝んなよ。そういうこともあるさ」

 

ハングはその牢から出ようと扉に手をかけた。

 

「り、リンディス様!ハングさん!」

 

ルセアが少しだけ声を張った。

 

「神のご加護を・・・」

 

ルセアらしい鼓舞であった。

 

「ありがとな」

「行ってくるわね」

 

ハングとリンは笑顔を作り牢屋を離れた。

牢屋のすぐ外には解放されたキアランの兵士達が集まっていた。

 

「リンディス様、戦えるのはおよそ二十人。動けぬ者がその倍程おります」

 

リンディスはケントから報告を受け、そのまま視線をハングに送る。

その意図を察し、ハングがリンに代わり指示を出した。

 

「五人は怪我人と共にここを護衛、十人は城外の警戒、残りは城内の掃討。人選は任せる」

「はっ!」

「よし。ケントとセイン以外はエリウッド達と合流する。行くぞ!」

 

ハング達は階段を駆け上がり、キアラン城の戦いへと戻って行った。



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17章~謎の行方 ③~

廊下に響く激音。ヘクトルとレイヴァンの一騎打ちはその打ち合いが何合目かを数えられる段階はとうに越えており、ただ集中力と持久力の勝負となっていた。

 

「ハァ・・・ハァ・・・やるじゃねぇか」

「・・・・・・」

 

レイヴァンが仕掛けた。間合いギリギリからの上段への攻撃だ。

ヘクトルはわずかに体を逸らしてかわす。

 

レイヴァンは返す剣で更に追撃。

ヘクトルはヴォルフバイルの柄でその攻撃を受け止めた。

一瞬、お互いの動きが止まる。

 

「うおらぁぁぁあぁあ!」

 

雄叫びと共にヘクトルは力任せにレイヴァンとの間合いを潰し、膝蹴りを繰り出した。

ヘクトルの膝がレイヴァンの腹にめり込む。腹部にかかった圧は肺へと至り、レイヴァンの身体から空気を抜き出した。

 

「ぐふっ・・・」

 

レイヴァンの表情が揺らぐ。ヘクトルは剣を弾き、追撃で斧を横に振るった。

 

レイヴァンは回避は不可能と判断し、剣を盾のようにして構えてそれを受け止める。斧の刃で大剣の剣腹が激突する。レイヴァンの潰された肺が荒れた息を繰り返す。

だが、レイヴァンはただ守勢に回ったわけではない。柄の長いヴォルフバイルを振り切った直後の防御が手薄となったその瞬間にレイヴァンは踏み込み、最速で頭突きを見舞った。

 

ヘクトルの視界に星が舞う。

 

危険を察したヘクトルは後方に大きく飛んだ。レイヴァンの追撃はない。ヘクトルの膝蹴りが確実に脚の力を削っていた。

 

ヘクトルは頭を振って気を取り直す。

 

「なかなかやるじゃねえか・・・」

 

レイヴァンからの返事は無い。

ヘクトルはそんな彼を見てニヤリと笑ってみせた。

 

「ここまでの奴とはなかなか会えねえ。どうだ、俺たちの仲間にならねぇか?」

「・・・・・・」

「ま、そんな顔になるよな」

 

レイヴァンは目を細め、顔を強張らせる。有体に言えば、呆れていた。

命を狙う相手を仲間に加えようとするなど、正気ではない。

 

「まぁいいや。それじゃ、そろそろ疲れてきたんでな」

 

ヘクトルはヴォルフバイルを構える。

 

「決着付けさせてもらうか」

「・・・望むところだ」

 

レイヴァンも剣を青眼に構えた。

 

「おらぁあああぁあ!」

「うおおおおぉお!」

 

お互いが踏み込む。得物を握る手に力がこもる。

 

最後に二人が選んだ戦法は同じだった。

 

あえて防御を捨て、お互いの急所を狙う一撃必殺。

 

速かったのはヘクトルだ。

 

攻撃速度の話ではない。反応速度の話だ。

 

ヘクトルは反射に近い速度でレイヴァンの攻撃に反応し、腕に巻いた手甲でで剣を受けとめた。

剣が金属を割る歪な音がした。防ぎきれなかった切っ先がヘクトルの腕の皮と肉を切り裂さく。

だが、その攻撃はそこで止まった。

 

対してヘクトルの攻撃はもう止まらない。ヴォルフバイルの重量にヘクトルの剛腕を乗せた一撃がレイヴァンの首へと迫っていた。

 

取った!

 

ヘクトルはそう確信した。

 

その瞬間、信じられないことが起きた。

レイヴァンが剣を手放したのだ。それは咄嗟の行動とは思えない。あらかじめ準備していた速度だった。

 

極限状態の殺し合いの中、ヘクトルはわずかな一瞬が何分にも引き延ばされたような感覚に陥った。

走馬燈のような世界でヘクトルはレイヴァンの手に短剣が握られているのを見た。

 

こいつ!刺し違える気か!

 

ヘクトルは踏み込んだ足をずらして無理やり半歩下がる。

 

短剣をかわすことを最優先するヘクトル。そのせいで斧に余計な力が入り、軌道が逸れる。

ヴォルフバイルはレイヴァンの首をとらえきれず、胸板を切り裂くにとどまった。

鮮血が飛び散る。だが、出血が派手な割に手応えがない。

 

ヘクトルは飛びのくようにその場から離れる。レイヴァンの短剣が空を切った。

レイヴァンは追撃ができずにその場に片膝をつく。ヘクトルの手甲に食い込んだままだった剣が外れ、血が滴り落ちた。

 

それでも両者は目を離さない。それはまるで二匹の獣だ。

 

二人は自分の体を叱咤し、震える脚で立ち上がる。

 

「まだ・・・まだだ!!」

 

レイヴァンが吠える。

 

「ああ、まだまだぁぁ!!」

 

ヘクトルが気合の裂帛を放つ。

 

そして、二人が駆けだそうとしたその時。

 

「はいはいはいはい!そこまでだ!」

 

そこに手を叩いて注目を集めながら現れた人が一名。

 

 

レイヴァンの後方から堂々と歩いてくるのはハングだった。

突然の来訪者に二人の動きが止まる。

 

ハングはレイヴァンとすれ違いざまに脚を払って床に倒す。

 

「のわっ!!」

 

既に疲労困憊であったレイヴァンはあっけなくその場に横たえられてしまった。

 

「貴様!!手を出さないと・・・」

「ああ『他の連中は手を出さない』って俺は言ったな。だから『俺』以外の他の連中は手を出してない」

 

レイヴァンの顔が苦々しく歪んだ。

そして、そんな顔をしているのはレイヴァンだけではない。決闘の場を邪魔されたヘクトルもまた、ハングに対して険しい顔をしていた。

 

「ハング!なんで戻ってきた!」

「んなもん、お前が必要だからだ」

 

あっさりと即答されて、ヘクトルは唖然とする。

 

「俺は『時間を稼げ』と言ったろうが決着付ける必要はない。プリシラ、さっさとそこのバカ貴族とそこのバカ傭兵を治癒してやれ」

「は、はい!」

 

ハングはプリシラに向けてそう言った。

 

「プリ・・・シラ・・・だと?」

「ん?どうした?バカ傭兵」

「・・・・・・」

 

変な渾名を付けられて下からハングを睨むレイヴァン。

ハングもそれを睨み返す。

 

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

そのにらみ合いはヘクトルの回復を終えたプリシラがレイヴァンに近づいていたことで一時中断となった。

 

プリシラは殺意を剥き出しにするレイヴァンになんの躊躇いもなく近付いていく。

一応ハングとオズインが見張っているとはいえ、その肝の据わり方はそこらの深窓の令嬢とはわけが違う。

ハングはオズインにプリシラの護衛を任せて、ヘクトルに近づいた。

 

「で?まだ戦えるか?」

「あ、ああ・・・まぁ戦えはするが・・・」

「ならさっさと前線に行け!グズグズすんな!」

「お、おう!」

 

ヘクトルは不思議なものを見るような目をしながら、前線へと戻っていく。

ヘクトルにはハングがなぜか怒っているように見えていた。

 

そんなハングにオズインがこっそりと声をかける

 

「それで、なにかありましたか?」

「・・・まぁ・・・そうですね」

 

ハングは自分の感情が妙にささくれ立っているのを感じていた。

 

その原因は主にルセアにあった。ルセアが外に出ない理由はハングにはだいたいの予想がついていた。

ルセア本人は何も喋ろうとしなかったが、状況証拠が整いすぎている。

 

地下牢から出てきたレイヴァンと一人地下牢で待つルセア。この二つを繋ぐのはそれ程難しいことではない。

 

ハングはレイヴァンへと視線を向けた。

 

彼は治癒の杖を受けて回復した体を起こしたところだった。

 

「あの・・・大丈夫ですか?」

 

レイヴァンは体を回して節々の動きを確かめてみる。

完全では無いが、体は思うように動くまでに戻っていた。

 

「プリシラと・・・言ったか?」

 

レイヴァンはハングの方を警戒しながら小声で尋ねた。

 

「は、はい・・・あの・・・あなたは・・・」

「・・・俺がわからないか。無理もないか」

 

レイヴァンが息を吐く。途端にその顔から硬さが消える。

その顔になって初めてプリシラは思い出と重なる姿を見た。

 

「・・・もしかして、レイモンド兄様、ですか?」

「大きくなったな、プリシラ」

「兄さま!兄さまなのですか!?」

「感動の再会を邪魔して悪いが」

 

ハングが突然に声をかけた。それはあからさまに狙って声をかけたものであった。

 

「レイモンドとかいったか?バカ傭兵」

「その名は捨てた。今はレイヴァンだクソ剣士」

「悪いが俺は剣士じゃなくて軍師だ。ついでに名前はハングだ」

 

罵詈雑言の応酬とまではいかないが、殺伐としたやり取りだった。

そこに居合わせたプリシラとオズインは珍しい生き物でも見るようにハングを見ていた。

ハングがここまで短絡的な侮辱をするのを二人は初めて見ていた。

 

「でだ、バカ傭兵。お前はヘクトルに恨みがあるらしいが、お前の・・・妹・・・なのか?まぁ、いい。とにかくお前の大事な人らしいプリシラはこちらの庇護の下にある」

 

随分と直接的な交渉である。オズインはそう思った。

 

要約するとプリシラを人質として投降しろと言っているのだ。

 

「・・・それで、条件はなんだクソ軍師」

 

憎々しげなレイヴァンを前にハングはあっさりと言ってのけた。

 

「お前を傭兵として雇う」

「・・・は?」

「え?」

 

目を丸くするレイヴァンとプリシラ。その顔は確かに似ていた。

 

「バカ傭兵、お前はヘクトルと互角の勝負ができるだけの腕がある。その戦力が俺たちは欲しい。そして、お前は妹のプリシラと共にいられる上に標的の近くに常にいられるんだ。悪い取り引きじゃねぇはずだが」

「正気か?クソ軍師?」

「正気だ。バカ傭兵」

 

視線を合わせる二人。

 

プリシラはその二人に交互に視線を送っていた。

レイヴァンはハングの目から真意を読み取ろうとしていたが、結局のところ眉間に皺を寄せて頷いた。

 

「・・・いいだろう・・・後悔しても知らんぞクソ軍師」

 

ハングは口の端で笑う。

 

「はぁ?捨て身の攻撃を軽々しく防がれるような奴なんざ、別に脅威でもなんでもねぇんだよバカ傭兵」

 

悪口を言いながらも握手をかわす二人。

 

「契約金の話は後回しでいいか?」

「ああ、俺はどう動けばいい?クソ軍師」

「とりあえず、ルセアさんを迎えに行けバカ傭兵」

 

レイヴァンは少しだけ笑う。随分とつまらなそうな笑みだった。

 

「なんだよ、後悔してんのか?バカ傭兵」

「ぬかしてろクソ軍師」

 

レイヴァンが剣を担ぎなおし、地下牢へと向かう。

ハングはその背中を見送りながら、プリシラとオズインに声をかけた。

 

「プリシラはこっちに来てくれ、玉座に向かう」

「は、はい・・・あの、ハングさん」

「ん?」

「ありがとうございます!」

「別にいいんだよ・・・」

 

随分と元気なプリシラを連れてハングはオズインと共に廊下を走り出した。

ハングは並走するオズインを横目に見ながら拗ねたような声で呟いた。

 

「反対しなかったですね?」

 

当然、レイヴァンの話だ。ハングはオズイン主君を狙う傭兵を雇ったのだ。

ハングとしても小言の一つは覚悟していた。

そんなハングにオズインは笑って答えた。

 

「ハング殿は反対しても思い留まりはしなかったでしょう?」

 

ハングは黙る。沈黙はすなわち肯定である。

オズインはまだ見習いであるこの軍師の肩を軽く叩いたのであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ここを抜けば玉座よ!」

「踏ん張りどころだ!押し込め!」

「どけぇぇええ!」

 

戦場は後詰で参加したヘクトルが玉座の扉を押し切り、集結を迎えた。

その後、ハング達も合流したが、辿り着いた玉座の間にはダーレンはおろかハウゼンの姿もなかった。

 

「おじいさまっ!おじいさまっ!!どこ!?」

 

リンがあげる叫びが虚しく城内に響く。

 

「どこか別の城に移動させられたのか?」

「そんなはずあるか!城から出る連中は全部マシューが抑えてるんだ!城内を探せ!少なくともハウゼン様はどこかにいるはずだ!」

 

皆が散っていくなか、ハングの声にも焦りが見えていた。

ここにいないことが何を意味するか、ハングにはわかりすぎる程にわかる。

 

「・・・おい・・・」

 

その時、玉座に近寄っていたヘクトルが皆を呼んだ。

 

「どうしたの!?」

「ヘクトル、何か見つけたのか!?」

 

エリウッドとリンが近づく。ヘクトルは玉座のすぐそばの地面を指さしていた。

 

「ここを見ろ・・・血の跡だ」

 

玉座にこびりついた血。黒く変色していてもわかる。それは間違いなく血の跡だ。

 

「いやっ!ウソよ!!」

 

取り乱すリン。目の前の現実が霞んでいくように揺らいだ。自分の足にまるで力が入らない。

彼女はただその場から逃げるように数歩後ずさった。

その時、リンの背中が誰かにぶつかった。

 

「・・・・あ」

 

リンが見上げると真剣な顔のハングがいた。リンの体がハングの腕に掴まれる。

 

「落ち着け、バカ」

 

短く、それでいて冷静な声。そこに熱を吸い取られるかのようにリンの頭に登っていた血が引いていく。

 

「まだ、死んだと決まったわけじゃねぇんだ」

「そ、そうね・・・そうだわ・・・」

「お前が落ち着かなくてどうする」

「え、ええ」

 

ハングはリンを掴んだ手を離さずに、リンの呼吸が落ち着くのを待った。

しばし静かな時が流れる。

 

「・・・ハング」

「平気か?」

「うん・・・大丈夫・・・」

 

リンはハングに預けていた体重を自分が取り戻す。ふらつきそうになる脚を叱咤してリンは自分の両足で立った。

 

「とにかく、おじいさまを探しましょう」

「ああ!」

 

その時、激しい音がして扉が開き、誰かが玉座の間に飛び込んで来た。

 

「ハングさん!ヘクトル様!」

「マシュー!?」

 

息を切らし、頬を高揚させて走り込んで来たマシュー。

 

「どうした?」

「はぁ・・・はぁ・・・えーと・・・と、とにかくこっちへ来てください!」

 

ハングはすぐさま駆け出した。

 

「僕らも行こう」

「ああ」

 

ハングを追って走り出した三人、マシューに先導されて向かったのは城の片隅にある部屋だった。

そこはかつてハングがこの城に滞在していた時に使っていた部屋であった。

 

「・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

部屋に飛び込むハング。そして、部屋の中の様子を見てハングは力なく笑う。

 

「は・・ははは・・・はははははは!」

 

その部屋の寝台にハウゼンが横になっていた。規則的に上下する胸部から生存も確認できる。

ハングは安心して力が抜けたかのように、半開きのドアにもたれかかった。

 

「・・・お待ちしておりました。ハング殿ですね」

 

突然声をかけられ、ハングは驚いて声がした方を向く。そこに他に誰かがいるとは思わなかったのだ。ハングに気配の一切を悟らせなかったその声の主は女性であった。

 

「おじいさま!」

 

追いついて来た三人が部屋に入ってくる。リンは一直線に寝台の側へと駆け寄った。

ハウゼンの意識は無かったので、感動の再会とはいかなかったが祖父が無事な様子にリンの目頭が熱を帯びる。

リンは自分の信じる神に感謝を捧げていた。

 

その様子にヘクトルとエリウッドも安堵したのか、大きくため息を吐きだした。

 

「・・・良かった・・・」

 

リンとハウゼンの様子を見ながら、ハングもまた気が抜けそうなほどの安堵が胸に広がっていくのを感じていた。

 

これ以上、あいつには家族を無為に失って欲しくない。

 

それがハングの偽りのない本音であった。

ハングは目元に柔らかな笑みを浮かべながら、寝台の隣に膝をつくリンの背中を見つめていた。

 



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17章~謎の行方 ④~

リンの祈りがひと段落するのを待ち、ヘクトルがまず話を切り出した。

 

「で、なんでお前がここにいるんだ?」

 

その問いはこの部屋にいた女性に向けられていた。

 

「誰なんだ?」

「ああ、こいつはレイラ・・・うちで雇ってる密偵だ」

 

彼女はほんのりと微笑む。他人から警戒心を解くような優しい笑みだった。

 

それは、まさに密偵らしい笑みであると言えた。

 

「フェレ侯公子エリウッド様、キアラン侯公女リンディス様ですね?レイラと申します。お見知り置きを」

 

頭を下げる所作まで滑らかで淀みがない。自然と人の輪に溶け込む術を心得ているようだった。

 

ハングはこのわずかな動作だけで彼女が密偵として凄腕なのを悟った。

どんな場であろうと素早くその風景に溶け込むことこそが密偵の本分である。

 

「マシューはまだ下手だもんな」

「ハングさん、レイラと比べないでください・・・・・・自覚してますんで」

 

本気で落ち込んでるようなので、ハングは話を戻した。

 

「それでレイラさん」

「レイラで構いません。お話は伺ってます」

 

ハングは情報源はマシューだろうと当たりをつける。

どう伝わってるのか聞きてみたかったが、今は好奇心より優先すべき事柄があった。

 

「それで、オスティアの密偵がどうしてここに?」

「・・・私はウーゼル様の命によりフェレ侯失踪の謎について単身で調べておりました」

 

フェレ侯失踪。そのことを聞き、エリウッドの顔に緊張が走る。

 

「父上の!?何かわかったのか?」

「はい、詳しくお話ししますが・・・よろしいですか?」

 

レイラは問う。だが、エリウッドは答えない。

わずかに息を吸い込んだまま、彼の時間が停止していた。

 

「おいコラ!」

 

その背中をハングは平手で軽く張った。

 

「・・・痛いじゃないか」

「悩んでても変わらんだろうが。さっさと腹決めろ」

 

エリウッドは少し笑う。

 

「さっきのリンディスの時と随分態度が違うね」

「男を抱き留めて優しい言葉をかけてやる趣味はねぇ」

 

とりあえず、ハングの顔が瞬時に真っ赤になったのを確認できたのでエリウッドは満足だった。

 

「ありがとう、ハング」

「・・・なんの礼だ、それは?」

「さぁ?」

 

ハングは憎々しげにエリウッドを睨みつける。『狸貴族め』という心の声が聞こえてきそうだった。

エリウッドは一度深呼吸をした。そして、彼はレイラの方を向く。

 

「・・・教えてくれ」

「はい・・・では、まず結論から報告させていただきますと・・・」

 

ヘクトルの唾を飲み込む音が大きく聞こえた。

 

「フェレ侯爵は生きております」

 

その情報に一同から安堵の声があがった。

 

「やったな!エリウッド!」

「よかったわ!」

「・・・ふぅ・・・これを聞くだけで随分苦労したな」

 

各々が勝手な感想を述べる中、エリウッドは放心したようにレイラに再度問う。

 

「間違いないのか?」

「はい。私はこの数ヶ月【黒い牙】の一員になりすましております。そこで入手した情報ですので間違いないかと・・・」

「【黒い牙】・・・エリックが言っていた暗殺集団のことか」

 

 

エリウッドは自分の視界の隅でハングの拳が強く握られるのを見やる。

エリウッドはあえて気づかないふりをした。

 

「はい、その存在自体は以前から確認されてました。【黒い牙】はブレンダン・リーダスという男が作り出した暗殺組織です。その活動はベルンを本拠地として十年以上も前から始まり、次第に各国へと広がっていきました。・・・【黒い牙】の思想は、弱者を食い物にする貴族のみを狙うというものだったので民衆からは義賊と目され、活動の指示は高かったようです」

「義賊、ねぇ」

 

ヘクトルがなんだか呆れたようにその言葉を繰り返す。

確かに、今の現状を見る限り【黒い牙】とは程遠い言葉だ。

 

レイラの説明は続く。

 

「一年程前にブレンダンが後妻を迎えたことをきっかけにその活動は少しずつ変わってきたようです。金を払えばどんな難しい暗殺もやってのける。その標的は悪人から無差別なものへと・・・」

 

その最たる例は目の前にあった。

キアラン侯ハウゼンの善政は内外に広く知れ渡っている。それにもかかわらず、ハウゼンは【黒い牙】の凶刃に倒れた。

 

「おじいさまをこんな目に合わせたのも【黒い牙】の連中なのね?」

 

リンの声はなだらかだ。だが、それ故にそこに含まれる憤りがよく伝わってくる。

レイラは首肯する。

 

「そのとおりです・・・後妻の影にはネルガルという謎の男がいるのがわかっています」

「ネルガル・・・っ!」

 

ハングは痛みを庇うかのように左腕の付け根を握りしめる。

 

「続けてもよろしいですか?」

「・・・ああ」

 

ハングは務めて表情を保とうとした。だが、その身体から湧き出ている衝動は全く抑えられていない。

その燃えたぎる気に当てられないようにレイラは一度深呼吸をして続けた。

 

「【黒い牙】はネルガルの指令によりリキアで暗躍しているようです。ネルガルの腹心であるエフィデルはラウス侯をそそのかし、オスティアの反乱を企てさせました。ラウス侯の反乱の呼びかけにまず動いたのはサンタルス侯爵ヘルマン様でした」

 

少し重い沈黙が流れた。

 

「・・・ヘルマン様・・・」

 

エリウッドの小さな声がやけに大きく聞こえた。

 

「・・・そして、次がフェレ侯爵エルバート様です」

 

やはり・・・そうなのか・・・

 

「やはり父は反乱に賛同したというのか?」

「・・・それは・・・わかりません」

 

レイラはそれだけを言い、口を閉ざす。

確かに、ここまで状況が進んでいてエルバート様が賛同していないとは思えないのも事実なのだ。

だが、エリウッドはどうしてもそれだけは信じることはできなかった。

 

苦しそうな表情を浮かべるエリウッドにハングは努めて普通の声音を保った。

 

「・・・まぁ、それは会えばわかるだろう。で、居場所は?」

「今、ラウス侯達と共におられることは確かです。場所はヴァロール島、【竜の門】と呼ばれる場所です」

 

その情報を聞き、ハングの眉間の皺が一層深くなる。

 

「ヴァロール島・・・」

「くっそ!よりにもよってあそこかよ!」

 

顔をしかめるエリウッドとヘクトル。

 

「どこなの?」

 

唯一知らないリンディスはハングに質問を向ける。

 

「リキアの南の海に浮かぶ島だ。一年を通して深い霧に覆われる海域の中にあり、樹海に閉ざされた島さ。一度上陸した奴が二度と戻ってこないことから別名【魔の島】とも呼ばれている」

 

ハングはそう言いながらも自分の言葉に納得していた。

 

言われてみれば、ネルガルが隠れるにはうってつけではないか。

 

「もちろん、行くだろ?」

 

ハングはエリウッドに水を向ける。

 

「ああ、父上がおられるなら僕は必ず辿り着き、探し出してみせる!」

「そう言ってくれると思ってたよ」

 

目を合わせ、何かを企む子供のように笑ってみせる二人。

当然空元気だ。だが、こんなことでへこたれるようならこんな苦労はしていない。

 

そんな二人の肩をヘクトルがその大きな手で叩いた。

 

「俺も行くぜ。言っとくが、止めても無駄だからな」

「まぁ、ヘクトルは止めないよ。というより僕には止められない」

「突進が猪並みだもんな。今度捕まえてきてやるから勝負してみてくれ」

「あのなぁ!」

 

悪友二人に声を荒げるヘクトル。

 

「私も行くわ」

「リンディス、君の気持ちは嬉しいけどキアラン侯についていなくていいのかい?」

「・・・ラウス侯たちをなんとかしないと、またおじいさまの命が狙われるかもしれないわ。それに・・・」

 

リンは胸の前で少し手を握りしめた。

 

「それに、エリウッドのお父さんも助けたいの。親を失うのは・・・堪え難い痛みだから・・・」

「でも・・・」

「やめとけエリウッド。こいつはこうなったらテコでも動かねぇよ」

 

「な?」とハングが問いかけるとリンは曖昧に笑った。

 

「・・・ご馳走さん」

「ヘクトル、それは何に対する礼だ?」

 

ハングとヘクトルの掛け合いに空気が弛緩していく。

 

「リンディス、ハング、ヘクトル・・・ありがとう・・・」

「よせよ、友達だろうが」

「そうよ、気にしないで」

「こうすんのが当然だっての」

 

三人にそう言われてエリウッドは目を閉じる。

エリウッドはハングが以前言っていた言葉を思い出していた。

 

『自分は人の縁には恵まれている』

 

それは本当エリウッドの台詞なのでは無いだろうか。

エリウッドは心の底から彼らとの出会いに感謝していた。



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間章~軍師の長い一日(前編)~

キアラン城の事後処理と皆の休息の為に丸一日城で休むことにしたエリウッド達。

 

そんな城でハングは戦闘の傷の手当てをする間も惜しみ、キアラン領の軍部の編成や滞りまくっている政務に忙殺された。

 

そんなキアラン城の夜。

 

休む間もなく仕事を続けていたハングは夜中を少し過ぎたあたりで多少の書類と共に自室に戻ってきた。

 

「あら、おかえり」

「おう、ただいま」

 

レイラの進言によりキアラン侯の生存は隠すこととなった。

 

【黒い牙】が関わっているのだ。生きていることがわかればまた命を狙われかねない。ことが落ち着くまでそうしておくのが賢明である。

 

そういうことを踏まえた上でレイラはハウゼンをハングの部屋に運んでいた。

 

ハングが使っていた部屋は今も空き部屋のままであり、ハングがこの城にいる間は使われるのは不思議ではない。また、祖父を失ったリンディスが悲しみにくれてハングの部屋を頻繁に訪れるのもさほど不自然はない。

 

レイラにそう説明されて、ハングは赤面しつつも渋面を作った。

 

余計な情報を吹き込んだマシューに鉄拳をぶち込んだものの、ハングは代案を提示することもできず、言われるがままにハウゼン様と同室という現状を受け入れた。

 

そういうわけで、今この部屋はリンとハング、ハウゼンの三人が使用していた。

 

「お疲れ様。お茶入れるわね」

「ありがとな」

 

ハングは礼を言いながら自分の机に書類を広げた。

 

「何の書類?」

「予算だよ。俺らが壊した城門やら扉やらの修繕費」

 

ハングは過去の予算を見比べながら新しい羊皮紙にいくつかの項目を書き込んでいく。

その隣でリンは紅茶の準備を進める。

 

こうして見ると、明らかに二人は『そういう』関係にしか見えない。

だが、それを言う者はいない。

 

「ハウゼン様の容体は?」

 

インクを乾かすために羊皮紙に砂をかけながら、ハングはリンに尋ねた。

 

「先程、目を覚まされて少しお食事をとられたわ。でも、途中で戻してしまわれて・・・」

 

ハングの前に紅茶が運ばれてくる。

 

「そうか・・・」

 

ハングは羊皮紙を丸めて、別の書類を手にとった。

 

「・・・どうして・・・おじいさまばかり・・・」

「・・・ほんとにな・・・」

 

リンは祖父の側に椅子を寄せてそこに座った。

しばらくハングの走らせる羽ペンの音が部屋を支配してしまう。

 

「・・・ふぅ」

 

半時の程を置き、ハングはため息と共に羽ペンを置いた。

 

「・・・終わったの?」

「ああ・・・」

 

ハングは書いていた羊皮紙を広げたまま放置して、椅子から立ち上がった。

腰を回して、凝り固まった筋を伸ばすといい音がなる。

 

「お疲れ様」

「ああ、でも・・・俺にはこれしかできない・・・」

 

ハングはリンの後ろに回り、椅子の背もたれに手をついた。

 

「・・・十分よ・・・キアラン領で政務が滞ってしまえば・・・一番悲しむのはおじいさまだから・・・」

「・・・そうか・・・」

 

ハングはハウゼンの様子を見やる。

皺が刻まれた顔は一年前より少し窶れたようだった。

土気色だった顔色には多少の色味がさしているが、ここ数時間で一段と老けたようにも見える。

 

ハングはリンの背中に目を移した。

 

彼女の背中からは悲壮感は見えない。

 

草原で孤独を長く味わったリン。今更、悲劇のヒロインを気取れる程に幸せな人生を歩んではいない。不幸との付き合い方も、悲しみの抑え方も、涙の止め方も彼女は知り尽くしていた。

 

ハングはその肩に手を置こうと手を伸ばし、途中でやめた。

今のリンには生半可な慰めなど必要ない。

 

今の彼女にとって大事なのは心を落ち着ける休息の時間なのだ。

 

「さて、そろそろ寝るか?」

「・・・ええ」

 

そして、二人は部屋を見渡した。

 

寝具はある。寝床ではハウゼンが寝ている。接客用の柔らかい長椅子は一つ。

 

二人の視線が交差した。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ウィル!やめなよ!」

「いいじゃん、別に。風呂を覗くわけじゃないんだから」

「でも・・・」

「そういうエルクだって付いて来てるんだから、興味あるんだろ?一緒に見てみようぜ」

 

ハングの部屋の窓の外にて、リンの待つ部屋にハングが戻ってきた気配を敏感に感じたマシューの報告により、野次馬部隊が出動していた。

 

「でも、ウィルの手際には驚いたわね」

「これでも弓兵ですよセーラさん。高い位置を確保するのは基本です」

 

窓の外に簡易な足場を作り、安定した態勢での覗き。これの設置するまで殆ど時間はかかっていなかった。それには空中で静止し、資材を運ぶことのできるペガサスナイトの協力なしでは達成えなかっただろう。

 

「って!フロリーナさんまで来てるんですか!?」

「・・・エルク、大きい声はあまり・・・」

「すみません、プリシラ様・・・・って!えぇ!」

「うるさいぞエルク!男なら腹決めろ」

「セインさんまで・・・」

「エルクさん、お茶いります?」

「・・・・・・」

 

レベッカにお茶を差し出され、エルクはため息をつくことも忘れてしまった。

いつの間にかかなりの大人数になっている。

 

皆の気持ちはただ一つ。

ハングとリンがどこまで進んでるのか確かめてみたいだけだ。

 

その心はエルクとて同じ。

 

「さぁて、今夜は二人っきり。しかもリンディス様は傷心気味だ。ここでいかなきゃ男じゃないぞ!」

 

無責任な台詞を放ちながら、ウィルが一番のりで窓から部屋の中を覗き込んだ。

 

「あれ?なんか喧嘩してる?」

「え!?」

 

一同がほぼ同時に声を出した。そして、窓と言わず壁と言わず、とにかく会話を聞こうと耳をくっつけた。

 

『わからずやめ!そんな固い頭してっから戦術の一つも身につかねぇんだ!』

『ハングこそ、頭でばっかり考えてるから剣の腕がいつまでも底辺なんじゃないの!』

『そんな俺に一本取られてるお前はどうなんだ?』

『一年前の話でしょ!昔のことを蒸し返す男は嫌われるわよ』

 

紛れもなく喧嘩している。ハウゼン様が寝ているので極めて小さい声だが、皆が寝静まっているこの時間帯だ。二人の声はよく通る。

 

「ハングが声を荒げるなんて・・・」

 

エルクがそうぼやく。

 

ハングは怒る時にはよく声を荒げる。特にあの物理的圧力まで感じる威圧感を放ってるときにはよくそうなる。ただ、その時は必ず相手がしてはならない失敗をした時だ。

 

日常でそんな態度をとるのは珍しい。

 

「リンディス様が相手か・・・ある意味仲が良い証明なんだろうけどな」

「でも、以前も喧嘩というか口論ぐらいは毎日のようにやってましたけどね」

 

ウィルとセインが分析している隣ではプリシラ、フロリーナ、レベッカが僅かに頬を高揚させて語り合っていた。

 

「・・・わぁ・・・これが夫婦喧嘩というものなんでしょうか?」

 

プリシラが不思議そうにたずねる。

親友が結婚なんてまだ考えたくないフロリーナは必死に否定する。

 

「・・・ふ、二人はまだ結婚してないです!」

「じゃあ、痴話喧嘩?」

 

レベッカはそう言って頭をひねる。

 

「倦怠期?えーと、なんだか違うような・・・」

 

本人達が聞いたら猛烈に言いたいことがあるだろう単語を並べるレベッカ。

 

いつの間にかこの女性三人の距離が少し縮まっているようだった。

 

「でも、原因は何かしら?ハングはともかく、リンが譲らないのは珍しいわね」

 

セーラの言った言葉に一年前の面子は頷く。

ハングのことをまだよく知らないプリシラがエルクに尋ねた。

 

「そうなんですか?エルク」

「ええ。というより、ハングさんにリンディス様が常に丸め込まれていましたので」

 

それを聞き、レベッカとプリシラは頷いた。その様子は容易に想像できる。

 

「でも、今日はハング殿が感情的すぎるな」

 

セインが冷静に分析する。

 

「やっぱり疲れてるんだろうな。今日の仕事量も半端じゃなかっただろうし」

 

そして、部屋の中で二人の戦いは続いていく。

 

『だから・・・お前が上でいいって言ってるだろうが!』

『ハングは疲れてるのよ!あなたが自覚してないだけ!そんなハングを下になんかできないわ!』

「えーと・・・何の話かしら?」

 

セーラの言葉には誰も返事しない。もはや、皆が一字一句を聞き漏らすまいと耳を押し付けて、想像力を全開で働かせていた。

 

ハング達の口論は続く。

 

『お前だって女の端くれなんだ!俺が疲れてるの知ってるなら大人しく従ってくれ!』

『だめよ!これだけは譲れないわ!今日はハングがソファで寝て!』

「ソファ?あ、寝る場所の話みたいですね・・・」

「なぁんだ。そういうことだったのか」

 

一同は拍子抜け半分、安心半分といったところでため息を吐き出した。

 

「寝る場所で喧嘩なんて子供みたいですね、エルク」

「お互いが譲り合って喧嘩になってるみたいですし、そう一概には言えないと思いますよプリシラ様・・」

 

エルクはそういって壁から耳を離した。

 

「あ~あ、つまんない。二人がもっと進んでるのかと思ったのに」

「まぁ、まぁ、今日はお二人共戦いで疲れてるんですから」

「でもね、セイン!私は退屈なのよ!」

 

リンとハングの喧嘩もそろそろ終幕を迎えそうだった。

 

『このままじゃラチがあかねぇ。お前はどうすりゃ満足なんだよ』

『ハングがソファで寝てくれないなら、私は黙らないわ』

『だったら、二人で床に寝るって選択肢は無しか?』

『無しよ』

「私達も戻りましょうか?」

「そうだね、これ以上面白くならなそうだし」

 

レベッカとウィルを筆頭に皆が足場から降りようとした。

 

その時、ハングの苛ついた声がした。

 

『・・・だったら、二人でソファに寝るか?えぇ?』

 

外にいた人達の脚が止まる。そこにリンの苛ついた声も聞こえてきた。

 

『いいわね、それでいいんじゃない?もっとも、それだとハングの方が緊張して眠れないかしら?』

『何言ってやがる?お前が隣に寝てるだけだろ?』

『じゃあ、それでいいわね?』

『ああ!望むところだ!!』

「え?それでいいんですか?」

 

エルクの口から思わずこぼれた台詞に一同は胸の中で同意する。

 

彼らは明かりの消えた部屋に向かい、手を合わせた。

 

「ご馳走様でした」

 

何人かは明日のハングの表情を楽しみにし、何人かは話のタネを得られた喜びで頬を緩め、何人かはリンディスを少し心配しながら中の様子を想像する。

 

どちらにせよ、皆は得られた物に満足してそれぞれの寝室に帰っていったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

翌朝、食堂に朝食をとりに来たエリウッド。

彼はそこでなんだかやけに疲れているハングに遭遇した。

ハングは半分程目を閉じながら眠そうにパンをかじっていた。

 

「やあ、ハング。おはよう」

「お~・・おは・・おは・・・おはよ~・・・」

 

挨拶をしながらハングの向かいに座るエリウッド。

それに対し、ハングはあくびをかみ殺しきれず、大口を開けて挨拶した。

 

「どうしたんだい?やけに眠そうだけど」

 

ハングは気まずそうに目を逸らす。

 

「どうかしたのかい?」

「・・・いや・・・その・・・」

 

ハングはちらりとエリウッドを見る。そのエリウッドの目が純粋に心配してくれてるのがハングにはとても痛い。

 

普段のハングであればエリウッドの口元が絶妙に笑っているのに気が付いていただろう。だが、今のハングは心労と寝不足でそれどころではなかった。

 

ハングは身体ごと顔を横に向けながらぼそぼそと話す。

 

「昨日・・・俺の部屋でリンも寝たろ?」

「ああ、なるほど。わかったよ」

「ちょっと待て!お前は多分勘違いしてるぞ!!今お前が考えたことを言ってみろ!!」

 

思わず体をエリウッドに向けるハング。

 

「色々あって眠れなかったんじゃないのかい?」

「ちげぇえええぇえぇ!」

 

ハングの心からの叫びが食堂に響き渡る。

 

「違うのかい?」

「突然何を言い出しやがるかこの狸貴族は!いくらなんでも順序をすっとばしすぎたろうが!」

「でも、じゃあどうして?」

「う!それは・・・その・・・」

 

その時になってハングはようやくエリウッドが終始楽しそうに笑っていることに気が付いた。

完全にエリウッドに弄ばれていることを悟ったハング。だが、ハングにはこれをひっくり返せるだけの手持ちが無かった。

 

 

「で、どうしてなんだい?」

「えーと・・・だから・・・その・・・その・・・二人で・・・長椅子に寝たんだ」

「二人で?」

「・・・二人で・・・」

 

エリウッドはハングの皿に乗っていたパンを手にとった。

 

「それはまた思いきったことをしたね」

「違う!違うぞエリウッド!あ、あれは売り言葉に買い言葉でそうなっちまっただけだ!決して下心があったわけではない!」

「それで、眠れなかったわけだ」

「う、うー・・・ちくしょう!寝られるかよ!ソファの幅なんてたかがしれてるんだぞ!リンと・・・リンと・・・うわぁぁ!俺の馬鹿野郎!」

 

そのまま崩れるように机に突っ伏すハング。見ていて飽きない反応をしてくれるのはエリウッドとしても嬉しい。

 

「それで、リンディスは何か言ってたかい?」

「・・・なんか気まずくて顔見れねぇんだよ」

 

ハングは腕の隙間から顔だけをあげてそう言った。

 

「昨日は体のほとんどをくっつけて眠ってたのにかい?」

「・・・誤解を招く言い方はやめろ」

 

ハングは再び腕の間に顔を埋めてしまう。余程、昨晩のことを引きずっているらしい。

 

確かに普段から隙を見せないようにしているハングにしては随分と致命的な失敗だ。

そんなことをして、自分が平常心でいられないことぐらいわかっているだろうに。

やはり、疲労が溜まっていたのだろう。なにせ、フェレ領を出てから連戦に次ぐ連戦なのだ。いくらハングといえども、気の緩む瞬間もあるというわけだ。

 

エリウッドはパンを齧りながらそう思う。

 

とはいえ、からかう側としてはそうでなければ面白くない。

 

実は昨晩の部屋での話はエリウッドは既に知っていた。

 

朝からお喋りなシスターが朝から所構わずしゃべりまくっていたので嫌でも耳に入る。

既にこの城の中で昨晩の話を知らない者を探す方が難しいであろう。

 

おそらく、ハングは今日一日皆からからかわれ続けるのだろうとエリウッドは予想していた。

 

多少は同情もあるが、そんなものは今のハングを目の前にしたらすべて消えていった。

それ程に今の弱り切ったハングは楽しみがいがあった。

 

「おう、ハング。おはよう」

「おう、ヘクトルか・・・おはよう・・・」

「昨晩はリンディスを抱きしめて寝たって聞いたけど本当か?」

 

ハングの絶叫が再び食堂内に鳴り響く。

 

相手にしなきゃいいのに

 

などとエリウッドは思いつつ朝食のパンを再びかじったのだった。

 



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間章~軍師の長い一日(後編)~

「つかれた・・・」

 

日が天に昇り切ったあたり、城壁の上で壁にもたれかかる人物が一人。

本日はどの仕事場にいっても同じ話題を振られ続けて、さすがに喉が枯れだしてきていた。

 

「おろ、ここにいましたか」

「おう、マシュー・・・」

「疲れてますね」

「理由はわかんだろうが」

「まぁ、同情はしますけどね」

 

マシューはそう言って笑う。

 

「んで、なんか用か?」

「とりあえずご報告。例の人は港町バドンにいました」

「そっか」

 

ハングは淡泊に返事をする。今はそれ以上の反応を返す気力が残ってなかった。

 

「で、ハングさん」

「なんだよ、まだいたのか?」

「ひどいですよ。俺だってここに休憩に来てるんですから」

「まあ、そういうことにしてやる」

 

マシューは本日は明け方に情報収集に出ただけで残り時間は非番のはずだ。休憩もへったくれもない。

 

「しかし、ハングさんも大変ですね。でも、これが恋人ができるってことですよ。からかわれるのも通過儀礼みたいなもんですって」

「あのな・・・別に俺とリンはそういう関係じゃない」

「こういうのは本人がどうこうじゃないんですよ。若い男女が同じ部屋で、しかも同じソファで寝たんですよ。周りからどう見られるかぐらいわかるでしょ?」

「否定はしねぇけどさ・・・」

 

そのせいでハングは本当に馬鹿なことをしてしまったと一日中後悔にさいなまれているのだ。自分はともかく、リンにまで迷惑をかけてしまった。

 

本来なら同意したリンにも責任があるのだろうが、言い出したのはハングである。

 

やはり、自分でもどうかしていたとしか思えなかった。

 

「しかし、お前はずいぶん理解してるな」

「へ?なんのことですか?」

 

ハングは言葉を足す。

 

「男女についてだ。経験豊富なのか?」

「豊富・・・とまではいかないですけど、ハングさんよりかはあると思いますよ」

 

ハングは少し体を起こして、マシューの横顔を眺める。いつも通りの読めない笑顔だ。

 

「確か・・・レイラだったか?あの密偵」

「あれ、やっぱりわかりました?」

 

図星をついたはずなのに、平然と返される。

 

経験の差・・・というやつか

 

ハングはなんとなく敗北感を味わってしまう。

 

「やっぱりあれですか?軍師の勘というやつですか?」

「そんなもんじゃない。ただ、まぁ・・・なんとなくそう思っただけだ」

 

色恋沙汰にも多少の目利きはできるハングだが、あまり自信があったわけではない。

 

「付き合ってるのか?」

「いやいや、実はですね。この一件が片付いたらあいつを家族に紹介するつもりなんですよ!」

 

実質の結婚宣言みたいなものだ。しかし、あのマシューがよく喋る。

 

ハングはこれが恋というものなのかと漠然と感じた。

自分の中にも芽生えてるはずだが、今のところ態度には出てない

少なくとも自分ではそう思っている。

 

「ほら、レイラも最終目標はエルバート様の救出でしょ。上手くいけば俺らと一緒にオスティアに帰れるし。ちょうどいいかなって」

 

ハングの方に身を乗り出してまで喋るマシューは心底嬉しそうだ。

 

「結婚式にはちゃんとハングさんも呼びますからね!」

「密偵同士の結婚式を盛大にやっていいのか?」

「神様の前では皆平等に迷える子羊ですって。まぁ、神様は貴族には特に祝福を与えちゃうんでヘクトル様とかは呼べないですけどね。あくまで一般市民の結婚式です。あ、でもオズイン様は呼んでもいいかな・・・セーラは・・・」

「そりゃ、呼んどかないと後が面倒だろ」

「ですね。あぁ、でもレイラっていつもは結構地味な服着てるからな~・・・あいつ、着飾ったら綺麗なんだろうな・・・」

 

惚気るマシューを横目にハングも少し考えてみる。

 

花嫁姿ってことは白いドレスだ。

 

薄いベールを被り、いつもは縛ってる髪をおろしたリン。

 

「って!ちげぇだろうが!!!」

「うわ、どうしたんですかいきなり・・・」

「い、いや・・・すまん・・・」

 

驚いた。自分が自然と彼女を想像していたことに心底驚いた。

 

「さては、ハングさん。リンディス様のことでも頭に浮かびましたか?」

「・・・なんのことだ」

 

マシューはケラケラと笑う。

 

「図星をつかれても、笑って受け流せたら一人前ですよ」

 

ハングは小さく舌打ちを繰り出す。

 

「ところで、最初の質問に戻るんですけど・・・」

 

マシューが少し声を落とす。

 

「バドンにいた例の人。ハングさんと関わりがあるんですか?」

 

ハングは惚気た頭を振り払うように髪をかき上げ、軍師の顔となって頷く。

 

「ああ、ヴァロール島に行くには絶対に交渉が必要な相手だ。一応、信が置けるぐらいにはあの人のことは知ってってる」

「それって、リンディス様には?」

「言ってねぇよ。聞かれてねぇからな」

 

マシューは鼻から呆れたように息を吐き出した。

 

「それは・・・喧嘩ですまないですよ」

「わかってはいるんだがな。まぁ、そん時はそん時だ。俺はあの人との関係を恥じたことはない」

 

マシューは頭頂部をぽりぽりとかいた。

 

「ハングさんも変に強情ですから、説得しようとは思わないですけどね」

 

マシューはそう言ってハングに背を向けた。

 

「でも、からかう余地を残してくれると嬉しいですね」

「うっせぇ!」

 

再び赤くなるハングに手のひらを振って去るマシュー。

ハングは大きくため息をついて城壁から離れる。

 

ハングもまた仕事へと戻っていった。

 

冷やかしが飛び交う仕事場に戻ったハング。

そのハングの仕事が一区切りついたのは日が沈んだ直後に近い時間だった。

昨日に比べればかなり早い時間だった。

 

既に明日の朝一で近くの港町に移動することが決まり、皆がハングは早く休むべきだと言い張ったのだ。

 

だが、完全に目が笑っていたので本音は『早くリンディス様のところに帰ってあげたら』といったところだろう。

 

ハングは追い出されるようにして出てきた執務室に後ろ髪を引かれる思いを抱えていた。

 

正直、いまだハングはリンの顔をまともに見れない。

彼女は一日祖父の看病についていたのでずっとハングの部屋にいる。

 

ハングは自分の部屋の前で立ち往生していた。

 

「ん?クソ軍師か、こんなところで何してる?」

 

ハングのことをそう呼ぶ奴は一人しかいない。

 

「うるせぇな、関係無いだろうがバカ傭兵」

 

悪態と共に声のした方をみれば、やはりレイヴァンだった。

 

「れ、レイヴァン様!失礼です!も、申し訳ありません、ハングさん!」

 

さが、その隣にルセアもいたのはハングとしては少し意外だった。

 

「ふん、ルセアはこんな奴の肩を持つのか?こいつは薄暗い部屋で育ったような、もやし野郎だぞ」

「なんだよ、男の嫉妬は見苦しいぞ。ま、顔が見苦しいからしょうがねぇか」

 

ハングとレイヴァンの間で火花が散る。

 

男2人に美人1人。何も知らない第三者がこの場に居合わせたら、間違いなく修羅場だと思っただろう。

残念なのは、この場に女性が一人もいないことである。

 

「二人とも、やめてください!今はもう同じ部隊じゃないですか!」

 

止めようとするルセアの説得は綺麗に流された。

 

「聞いたぞ、何でも女にうつつを抜かしてるらしいな?頼むからそれで頭が一杯で編成が思いつかないとかはやめてくれよ」

 

ハングのこめかみに青筋がたつ。常人なら絶対に逃げ出すであろう顔になっていた。

 

「はん、復讐そっちのけで妹に声かけた軟派な野郎に言われたくはねぇな。そんなんだから、捨て身でもヘクトルに勝てねぇんじゃねぇのか?」

 

レイヴァンが自らの剣に手をかけた。もはや、顔も殺気に溢れている。

 

「やめてください!!二人ともおかしいですよ!!」

 

二人は間に立つルセアに視線を向ける。もちろん、その顔は殺意を抱いたままだ。ルセアはその二つの顔に挟まれ、ほぼ無意識に足を引いてしまった。

 

そして、二人はまた視線をお互いに戻す。

 

「復讐の話は持ち出すな・・・クソ軍師」

「だったらてめぇも、女の話は持ち出すなバカ傭兵」

 

それだけを言い、ハングは青筋を引っ込め、レイヴァンも剣から手を離した。

 

そして、二人は落ち着いた顔でルセアの方を見る。

 

それでもルセアは反射的に足を下げてしまう。

それほどに先程の二人の顔は恐かった。

 

トラウマになりそうな気がするルセアに二人は労うように声をかける。

 

「止めなくていいですよ、ルセアさん。だいたい、本気でお互いを挑発したら間違いなく俺が死ぬじゃないですか。加減はわかってます」

「全くだ。こいつを殺すのは造作もないが、そんなことをして俺に何の得がある」

 

確かにそうなのだろうが、そんなことを度外視せざるおえないほどに感情剥き出しだった二人である。

 

「あ、あの・・・だったら、どうして最初から悪態をつくんですか?」

 

ルセアの質問はもっともだ。二人は一度お互いの顔を見て目を細めた。

 

「このクソ軍師が嫌いだからだ」

「このバカ傭兵が嫌いだからだ」

 

その台詞を聞き、ルセアは唐突に理解した。

 

あぁ、この人たち似てるんだ。

 

同族嫌悪という奴だろう。

 

似てるからこそいがみ合う。似ているから認めている。

 

相反する二つが同居して、こんなちぐはぐな二人は仲が悪く見える。ルセアは自分がいらぬ心配をしていたことを理解した。

 

「・・・クソ軍師。くだらないことで悩んでないで、さっさと部屋で休め」

「うるせぇなバカ傭兵。お前も剣の手入れしてさっさと寝ろ、明日は早いんだ」

 

最後まで悪態をつく二人。

 

「私達はこれで失礼します」

「ああ、そうだな・・・またなクソ軍師」

「おう、バカ傭兵」

 

レイヴァンとルセアが廊下から去りハングは再び自分の部屋の扉と向き合う。

 

その扉が小さく開いた。

 

「あ、ハング」

「・・・おう」

 

中から顔を出したのは当然リンである。

 

「やっぱり騒がしかったか?」

 

小さく頷くリン。お互いに気まずいのは一緒だ。

 

「・・・仕事は?」

「終わった」

 

短いやりとりを終えて、リンは扉を開ける。

 

「おかえり」

「ただいま」

 

そして、ようやくハングは自室に入ったのだった。

 

部屋の中はハングが今朝出かけた時と変わりない。

寝台にはハウゼンが寝ており、調度品も何も変わっていない。

 

当たり前のことのはずだが、ハングはそんなことが気になってしまっていた。

 

ハングはすることがなく手持ち無沙汰な感じで自分の机に座る。さすがにソファに座る気にはなれなかった。

 

「お茶いれるね」

「ああ」

 

お茶を淹れるために背を向けるリン。

ハングはその背中に声をかけた。

 

「リン・・・」

「な、なに?」

 

リンの背中が強張ったように揺れた。ハングは一度深呼吸をする。

 

「昨日は・・・ごめん」

 

ハングは少しぶっきらぼうにそう言った。

 

「私こそ、ごめんなさい」

 

控えめな返事が聞こえ、ハングはもう一度大きく息をつく。

 

「迷惑、かけた・・・よな?」

「私は平気。ほとんどこの部屋にいたから。ただ・・・」

 

ハングが盗み見るようにリンを見ると、同じようにこっそりとこっちを伺ったリンと目が合う。

 

慌ててお互い目を逸らした。

 

「た、ただ、ど、どうした?」

「え、えっと」

 

なんだ、この気恥ずかしさは!

 

ハングは心の中で叫ぶ。自分の心臓の鼓動がやけに大きく聞こえていた。

 

「じ、実は・・・昨日の口喧嘩なんだけど・・・」

 

リンの声もわずかに震えている。

 

「おじいさまに聞かれてたの・・・」

「は?」

 

ハングの思考が止まる。ついでに心臓も止まるかと思った。

 

「昨日の口喧嘩って・・・どこで寝るかって・・・やつだよな?」

 

恥ずかしさも、気まずさも、全て吹き飛んでハングはリンの顔を見た。

 

「・・・うん、一部始終を全部聞いてたって」

「最後まで・・・か?」

「私達が横になるところまで全部」

 

ハングは頭を抱えて悶えたい自分をなんとか抑え込む。本当にこの城の中で2人のやりとりを知らない人などいない気がしてきた。

 

「ハング・・・その・・・おじいさまが『ほどほどに』って・・・」

 

そう言ったリンの顔は赤い。ハングは我慢できず、自分の机に突っ伏した。

 

周りの連中が冷やかしてくるのは別にいい。それは半ば冗談のようなものだからだ。

 

だが、それがお互いの近しい身内からだと意味合いは大きく変わってくる。

 

ハングは自分から城の外堀を埋めた気分を味わっていた。

 

「ハング・・・私達って・・・そう見えるのかな?」

「まぁ・・・そうなんだろうな・・・今日も散々言われたし」

 

ハングは体を起こしてリンの目を見た。今度はお互い逸らしはしなかった。

 

「迷惑・・・か?」

 

噛みしめるようにハングはそう言った。それは、今朝からずっと思っていることだった。

 

問われたリンは少し目を伏せる。

 

ハングはリンの返事を待つ。その時間がやけに長い。自分の視界が回転しそうになるのを抑えて、ハングは浅い呼吸を繰り返した。

 

そして・・・

 

「・・・そこまででも・・・ない・・・かも」

 

それがリンの返事だった。

 

「・・・そっか・・・」

「・・・うん」

 

ハングは沈み込むように椅子に体重を預ける。

 

「・・・そっか」

「うん」

 

目の前に差し出されてくるお茶。

ハングはそれに口をつけた。

 

苦味と香りがハングの心音を正常なものに戻していった。

 

ハングはようやくいつもの自分に戻ってこれたような気がしていた。

 

「少し早いけど・・・寝るか」

「うん、そうね。今日は二人で床に寝ましょう。そのほうが楽だし」

「いろいろな意味でな」

 

ハングとリンは寝具を床に並べる。昨晩は狭い場所で横になったせいでろくに眠っていない。

 

睡眠不足による疲労が重なっている今日はゆっくり眠れそうだった。

 

「おやすみ」

「おやすみ」

 

お互いに背を向けつつ、二人は適度な距離で眠りについたのだった。

 

「ねぇ、今のって」

「はい・・・多分・・・」

「本当ならそうなんでしょうけど・・・」

「でも、ハングだしな~」

「ハングだしね」

「ハング殿ですしね」

 

昨日の面々が今日も部屋の外で覗いたことは中の人の知る由もない。



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17章外伝~港町バドン(前編)~

まだ朝靄の残るうちに城を出れば、荷揚げ市の賑わいが少し収まった頃に港町にたどり着ける。

『その時間は船主と船が共にいる時間であるので交渉をしやすい』とはハングの談である。

だが、交渉そのものが上手くいきやすいかというとそれは違う。

 

「だからよぅ!ヴァロールに渡る船を出してくれって!」

 

いくつかの船が並ぶ港にヘクトルの苛立つ声が響き渡る。

 

普通の農民なら無条件で首を縦に振りそうなものだが、相手は漁師。

竜の羽ばたきと比喩される巨大な嵐にさえ立ち向かう者たちにはその手の脅しは通用しなかった。

 

「【魔の島】に渡ろうなんてお前さんたち、正気か!?ムダじゃ、ムダ!あの島へ船を出す者なんて奴はこの町には一人おらんぞ」

 

今朝方から片っ端から声をかけてきているヘクトルを含めた軍の上層部。

ハング、リン、エリウッド、ヘクトルの四人はその台詞を何度も聞いていた。

 

リンは諦め半分でもう一度尋ねた。

 

「私たち、すごく急いでるんです。お願いですから船を出してくれませんか?」

 

エリウッドも加勢する。

 

「あなかだダメなら他の船を紹介してくださるだけでもいいんです。お願いします」

 

ついにはエリウッドは頭まで下げた。

それに倣いハング達も頭を下げる。

 

「お願いします!」

 

一つ、ため息が聞こえた。

 

「おまえさんたち・・・余程の事情があるようじゃな・・・」

 

皆が顔をあげれば、困ったような悩んだような曖昧な顔が出迎えてくれた。

 

「・・・一つだけ。手がないこともない」

「なんですか!?教えてください!」

「・・・海賊じゃよ」

「か、海賊!?」

 

驚いた声はリンのもの。ハングはそれを横目に見ながら港に視線を滑らせる。

 

「そうじゃ、恐れ知らずの海賊どもなら金を出せば【魔の島】へおまえさんがたを送るぐらいのことはしてくれるかもしれん」

 

ヘクトルとエリウッドは一度お互いの顔を見て、肩から力を抜いた。

 

「海賊か・・・ま、仕方ないか」

「本気で言ってるの!ヘクトル!海賊に頼るなんて・・・信じられないわ!」

 

わずかに殺気立つリン。ヘクトルは気づかない。

 

「本気も本気。なぁ?エリウッド」

「・・・他に道がないのなら。それしかないだろう」

「エリウッドまで!見損なったわ・・・私は絶対に嫌よ!他の船を探してくる!」

 

リンはそう言って町の中へと駆け込んで行った。

ハングはその背中を見送りながら頭をかく。

そして、小さく呟いた。

 

「・・・やっぱダメか・・・」

 

その声は少し憂鬱そうだった。

 

「なんだ、あいつ?」

 

ハングはリンの消えた先から目を逸らしてヘクトルの問いに答える。

 

「あいつは両親を含めた部族の仲間を山賊に殺されてるんだよ。海か山かの差だけじゃ無法者の存在を許せないってことだ」

 

ほぼ、無感動にそう言ってのけたハング。そこに二対の視線が突き刺さった。

 

「な、なんだよ」

 

妙に冷たいエリウッドとヘクトルの視線。

 

ヘクトルが先に口を開いた。

 

「お前はリンディスを追いかけなくていいのかよ?」

「なんで俺が追う必要がある。あれはただのあいつの我儘だ。憎む気持ちは理解できるが、清濁併せのむ時も必要ってわけだ。潔癖だけじゃ、生きていけねぇってことを学ぶいい機会だろ」

 

そう返事をしても二人の視線は変わらない。居心地の悪いことこのうえないハングである。

 

「なんだよ?」

「だったら余計に追いかけて叱ってやりゃいいだろ?例みたく鬼のような顔して、悪魔のような声で、血に飢えた獣のような目で睨みながら・・・」

「俺、ヘクトルになんか悪いことしたか?」

 

ハングはそう言って頭をかく。

ヘクトルは友人の罪を咎めるかのように話を続ける。

 

「まぁ、とにかく。いつもみたく圧倒的な威圧感で叱ってやれよ」

「だから、あいつが賊を嫌うのは根が深くてだな・・・」

 

身振り手振りまで交えて話すハング。その肩をエリウッドが叩いた。

 

「エリウッド・・・」

「とりあえず、惚れた女性を泣かせたままにしとくのは男としてどうかと思うよ」

「エリウッドおぉぉ!」

 

突然の爆弾発言にハングは全てを投げ捨ててエリウッドに掴みかかった。

 

「取り込んでるとこ悪いが・・・」

 

そんな中で、声をかけたのは置いてきぼりをくっていたさっきの漁師だ。

 

「お前さんがたは海賊に会うんじゃないのかい?」

「あ、そうでした。海賊に会います。彼らはどこにいますか?」

「海賊なら、いつもそこの酒場にたまっとる。彼らは何ごとも金と遊びじゃ。心していくがよい」

「離せヘクトル!こうも毎日のようにからかわれてもう黙ってられるか!あの狸貴族のツラァ一発殴らせろぉぉぉ!」

 

物騒なことを言う軍師をヘクトルは肩に担いで動きを封じる。

そんなハングのことなどまるで気にかけずにエリウッドはヘクトルに声をかけた。

 

「とりあえず、会いに行こう」

「だな」

「ちきしょう!おろせヘクトル!人を布袋みたくかついでんじゃねぇ!」

 

ハングは酒場の前までにヘクトルに担がれたまま頭を冷やす羽目になった。

 

漁師に教えられた酒場は朝方というのに騒がしい声が聞こえてくる。

猥雑な怒鳴り声と、陽気な音楽が漏れるなんの変哲もない酒場。

 

エリウッド達はそれを前に気を引き締めた。

 

「ヘクトル、降ろせ」

「もう、暴れねぇな?」

「ああ・・・」

 

極めて不服そうなハングだが、これから無法者との交渉である。

それは貴族を相手取るのとは別の緊張感を孕んでいた。

 

貴族相手の交渉での失敗は社会的地位など、計り知れない資産価値を失うことになる。

だが、無法者との交渉の失敗はそのまま死を招く。

 

命が無ければ、失敗を挽回するために金を数えることも、理を説くこともできない。

 

3人は意を決して酒場へと入っていった。

 

途端、むせ返るような酒の臭いが鼻をつき、怒声のような耳障りな笑い声が鼓膜に響いた。酒場の中はいくつもの丸テーブルが置かれ、その周りを筋肉の盛り上がった連中が固めていた。

あちこちで、酒のジョッキを飲み干され、ポーカーで小銭が移動していた。

 

 

雑然としたこの場所で、最初はこの場違いな侵入者に誰も気づかなかった。

だが、一人が入り口を指差し、一人が呆気に取られたように黙り、一人が目を大きく見開くうちに酒場の中は静まりかえっていった。

 

「おう、ガキども!お前たちか、俺に会いたいってのは?」

 

酒場の奥。一際大きなテーブルの上に大量の空の酒瓶を置いて、その男はいた。

老齢とまでは言えないながらも少し髪に白いものが混じった大男。全身で放つような威圧感はその男の修羅場の数を物語っていた。

 

三人は一度顔を見合わせ、酒場の奥へと歩いていった。

 

彼等の動きを追い、酒場にいる連中の視線が動く。

その監視の目に臆することなく、三人は店の奥にまで進んだ。

 

「あなたが、海賊団の船長殿ですか?」

 

エリウッドが代表してそう聞く。

 

「ガッハッハッハッ!『船長殿』かいかした呼び方だな」

 

船長は笑ったが、周囲の海賊達は笑わない。固唾を飲んでその成り行きを見ていた。

 

「ぼうず!お前は余程の世間知らずかそれともバカかどっちだ?ああ?」

「なんだとっ!?」

「ダメだ!ヘクトル!」

 

エリウッドが止め、ハングが強めにヘクトルの脇を殴りつけた。

 

「ぐおっ!てめ・・・」

 

ハングは素知らぬ顔を決め込む。さっきのことを根に持っているらしい。

 

「・・・僕の言葉遣いがおかしいのなら改めます。なんとお呼びすれば?」

 

エリウッドが再度船長に話しかける。

その一連のやり取りを視界に収め、その男はつまらなそうに酒を一度あおる。

 

「ふん・・・怒りもヒビリもしねぇか、少なくともバカではないようだな」

 

男は酒を置き、そして名乗る。

 

「『かしら』だ、ぼうず。俺はファーガス海賊団の『頭』ファーガスだ」

「ファーガス・・・さん?それとも『お頭』とお呼びしたほうがいいですか?」

「お前はオレの手下じゃねぇ、ファーガスでいいだろう。で?用はなんだ?」

「僕らをヴァロール島に連れて行って欲しいんです」

 

ファーガスは少し目を細めた。

 

断られるか・・・

 

そうエリウッドが覚悟した時、ファーガスは考えるようにこう言った。

 

「・・・いくら出す」

「相場がわかりませんので、あなたの望む額をお聞かせください」

「10万だ。金貨10万枚」

「じゅ、10万だと!?ふざけんなこのオヤジ!」

 

ヘクトルが憤慨する。金貨10万枚など、下手すれば小さな砦ぐらいなら作れる額だ。当然、そんな手持ちなど彼らには無い。

 

「どうする?やめるか?」

「・・・わかりました。手持ちでは足りませんので、お金を用意してすぐ戻ります。行こう、ヘクトル」

「お、おいっ!エリウッド!」

 

そして、足早に酒場を後にするエリウッド、それに付き従うようにヘクトルも酒場の外に出て行ってしまった。

 

残ったのは海賊団とハング一人。

 

いまだ静まり返る酒場。

 

ハングはエリウッド達を見送り、緩慢な仕草でファーガス船長を見据えた。

ゆっくとした動きで椅子を引き寄せ、ファーガスの目の前に座る。浅く腰かけ、背もたれに背中を預けるハング。

そして、あろうことかハングは足を振り上げて、ファーガスのテーブルの上に足を載せた。

 

テーブルが揺れ、料理が飛び散り、酒が揺れる。

 

「・・・どういうつもりだ?」

 

ハングは答えない。薄ら笑いを浮かべたまま、更に足を組む。

 

「ったく、相変わらず食えねぇ奴だ。ハング」

 

その一言を皮切りにハングは堪えきれないように笑い、足を下ろした。

 

「・・・なんで一度も顔出さなかった?バカ野郎」

「ははっ!お久しぶりです、お頭!お元気そうでなにより」

 

ハングは満面の笑みでファーガスの手を握りしめた。

 

刹那、酒場に大歓声が巻き起こった。

 

「うおぉぉぉ!久しぶりだなこの野郎!」

「なんだよなんだよ!近くにいるなら一報寄越せや!」

「会いたかったぜぇぇ!」

「ったく、相変わらず下品な連中だな!おい!」

「ハッハッハッ!それが俺らのいいところじゃねぇか!」

「ちげぇねぇ!そうだハング!こいつ、ついに結婚したんだぜ!」

「マジか!ってことは・・・アンナさん!!」

「ハァイ、久しぶりねハング!」

「相変わらずのここの看板娘ですか?」

「ええ、サービスしちゃうわよ」

 

和気藹々とした空気が酒場を満たしていく。

 

「誰っすか?あの人?」

「そっか、ダーツは知らねぇのか。お前が入ってくる少し前までこの海賊団の一員だった奴だ」

「今も一員だっての!俺はハング!あんたは?」

「ダーツだ」

 

そう、ハングはここにいたことがある。この輪の中にいたことがある。

酒場がいつもの活気を取り戻したところを見計らい、ファーガスは声をかけた。

 

「ったく、ハング。お前のおかげでこちとら日々商人の真似事だ。腕がなまって仕方ねぇや」

「でも、海の上で見知らぬ船を追いかけるよりは儲かってるでしょ?」

「まぁな・・・」

 

ファーガスはハングに酒を差し出す。ハングはそれを受けとって、口に付ける。

『お頭』から渡された酒は必ず飲み干すのが『ファーガス海賊団』のしきたりだ。

 

「で、どうしたんだ、いきなりヴァロール島に行きてぇなんて。しかも、見るからに貴族のぼうず共と一緒ときた」

「ぷは・・・俺の旅の目的、覚えてますか?」

 

ハングは口元を拭いながらそう言った。

 

「確か、村を焼き払った奴への仇討ち・・・だったか」

「ええ」

「ってことは・・・そいつがいるのか?」

「おそらくは」

「ふん、なるほどな・・・お前の仇ってことは俺らの仇みてぇなもんだ。お前をヴァロールに運ぶのは別にやぶさかじゃぁねぇ」

 

ハングは笑みを少し引っ込めた。これからがハングにとっての交渉である。

ファーガスは続ける。

 

「・・・だが、あいつらを連れて行くのには即断できねぇ。お前が連れて来た連中だ。信用できる奴らなのはわかるが、俺は俺の基準でしか判断しねぇ」

「それでさっきの額ですか?」

「ん?額?あぁ、10万ってやつか。あれはただの口実だ。あいつらを追い出したかった」

「なるほど。で、どうすればあいつらを乗せてくれるんですか?」

 

ファーガスはニヤリと笑う。傷だらけの顔にひび割れるようにして皺ができた。

 

「まずはお前が提案してみろ。それがお前の役目だったろうが」

 

ハングは考える仕草を見せた後、わずかに微笑みながら話出す。

 

「ここにいる海賊団であいつらを襲う。奴らのうち一人でも港にいるお頭のとこに辿り着ければ奴らの勝ち、ってのは?」

 

ファーガスの目が据わる。

 

「面白ぇ、それじゃあこっちからも条件だ。ハング、お前はこっち側で戦え」

「最初からそのつもりだったんですけどね」

 

ファーガスとハングは交渉成立の意味を込めて手を握り合う。

そしてハングは不敵な笑みを浮かべて酒場を振り返った。

 

「うぉし!野郎ども!いっちょ暴れるか!」

 

酒場から男達の歓声があがる。ハングは頭に手拭いを巻きつけてマントを放り投げた。

 

少し海賊らしくなったハング。彼は大雑把に海賊団に指示を送りはじめる。その顔は心底楽しそうであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「エリウッド!待てって!」

 

酒場から飛び出して一直線にどこかに向かう親友の背中をヘクトルは怒鳴りつけた。

 

「エリウッド!」

「なんだい?」

 

ようやく歩を緩めてくれたエリウッドにヘクトルは並び、質問をする。

 

「おまえ、10万なんて大金をどうする気だ?」

「この町には確か闘技場があったはずだ。そこでなんとしても稼ぐ」

「はぁっ!?マジかよ!」

「他に手段はないだろ?」

 

確かに闘技場で勝てれば金は入る。だが、相手の強さもわからぬ上に命の保証は無い。しかも、その稼ぎの割合は決して高くは無いのだ。賭博にしてはあまりにも分が悪い行為。そんなことはエリウッドも百も承知だが、短時間で稼ぐにはこれしか無いのもまた事実。

 

繊細なように見えて、存外大胆なエリウッド。ヘクトルはこの親友に今までも散々度肝を抜かれてきたことを思い出した。

 

「まったく、お前には時々驚かされるぜ」

「ヘクトル、何か言ったかい?」

「いや、なんでもねぇよ。んじゃいっちょ稼ぐとするか。ちょうどうちの軍には腕を磨きたくてたまらない奴が何人かいるしな」

 

エリウッドの軍にはギィやバアトルなど何も言わなくても闘技場に参加しそうな人達がいる。頭数を揃えるだけならそう苦労はなさそうだ。

 

そして、二人が闘技場へと足を向けた時だった。

 

「おい!ちょい待ちなガキども!」

 

不意に後ろから声をかけられた。振り返れば海賊によく見かける楽な服装の青年がいた。ファーガス海賊団の一員だというのはすぐにわかった。

 

「なんだ?まだ金はねーぞ」

「バカ野郎!そんなこたぁ、わかってんだよ!!」

 

彼の声は必要以上に大きい。だがそれは悪意や敵意の表れではなく、海賊にとっては常識内の声量であった。

 

「それよりも、うちのお頭から伝言がある」

「伝言?」

「この町にいるファーガス海賊団全員がお前らを襲ってくる。それを全て倒し、無事に船まで辿り着けたら乗せてやる・・・だとよ」

「お金は・・・いいんですか?」

 

エリウッドの疑問ももっともだ。それに海賊は困ったように笑う。

 

「うちのお頭はかわりものでね・・・ついでに航海士も変わってる。金よりもお前らと遊びたいんだとさ。ま、がんばんな」

 

ポン、と肩を叩きその海賊は港の方へと走っていった。

 

そして、街中に鳴り響く甲高い笛の音。

 

「おーい!!兄弟たち!こっちだこっちにいるぞ!!」

 

それが合図だったかのようにわらわらと斧を持った奴らが港への道を塞ぎ出す。

 

「マジかよ」

 

ヘクトルが呟くより速く、エリウッドが鐘を鳴らした。街中に散っていった仲間への集合の合図だ。

 

「エリウッド様、いかがいたしましたか?」

「マーカス、実は・・・」

 

逸早く駆け付けてきたマーカスいエリウッドが状況を説明しようと口を開いた時、再び大声がした。

 

「おーい!!船着場までいったらお頭がいる!頭に話しかけたらお前らの勝ちだかんなー!!間違っても攻撃すんなよーー!!お頭を怒らせたら取り返しつかねぇからなーーー!」

「なるほど、大体の状況はわかりました。海賊船でヴァロールに渡る、ということですかな?」

 

さすがのマーカス。状況把握が早い。

 

「そういうことだ。マーカス、皆への説明を頼んでいいかい?」

「承知致しました」

 

続々と仲間が集まってくる中にはリンの姿もあった。少し意気消沈気味のリンにヘクトルが声をかけた。

 

「リン、船は見つかったかよ?」

「あったら、言ってるわよ。海賊船でも我慢して乗るしかなさそうね」

「嫌なら無理して来なくてもいいんだぜ?」

「それこそ、我慢ならないわ。自分の親友に背を向ける気は無いからね。それで、船着場まで行けばいいのよね」

「ああ、そういうことだ」

「わかったわ」

 

そして、リンは少し集まっている仲間の顔を見渡す。

 

「あら?ねぇ、ヘクトル。ハングは?」

「は?その辺に・・・いねぇな・・・エリウッド!ハング知らねぇか?」

「え?あれ?そういえば姿が無いね」

「ったく、ヴァロールに渡れるかどうかの瀬戸際だってのに。どこ行きやがった」

 

エリウッド達が眉間に皺を寄せる中、ハングは港に浮かぶ海賊船の前にいた。

そこに繋がる桟橋の前にファーガスは陣取っていた。その周囲に護衛はおらず、巨大な斧をその傍に控えさせているだけである。

 

「奴らはどう動くと思う?」

 

そのファーガスが問いかけたのは隣の樽に座るハング。

 

ハングは誰が指揮を取るかを考える。

 

あの中で指揮が取れるのは何人かいるが、ハングがいない中でそれを分担するとしたらどうなるか?

 

ハングは内心ほくそ笑む。

 

指揮を執るならエリウッドかリン。

 

彼らの動きは予想が立てやすい。

 

なぜなら、彼等に軍略を叩き込んだのはハングなのだ。

 

「あいつらなら、部隊を三つに分けてくるかな。一つは正面で時間稼ぎ。もう一つは町の外からの迂回路を通ってくるだろう」

「迂回してくるってんなら北か。それが奴らが本命か?」

「いや、それは陽動。本命は・・・」

 

ハングは南の方角に楽しそうな視線を向ける。

 

「『木を隠すなら森の中、人を隠すなら町の中・・・』」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「『・・・騒ぎを隠したい時はより大きな騒ぎの中へ』というわ。この町で一番騒がしい闘技場の方面の部隊が奇襲をかけて、船着場まで一気に制圧する。こんな感じでどうかしら?」

「いいじゃねぇか。ってか、ハングがいなくてもなんとかなるもんだな」

 

リンの提示する策に大喜びで賛同するヘクトル。リンも満更でもないように微笑む。

 

「一年前はハングの講義を毎日受けてたからね。これぐらいなら朝飯前よ」

「いいな。僕なんか本を渡されてそれっきりだよ」

「本?それってもしかして、大量の書き込みがある歴史書!?」

「そうだよ、今は宿に預けてるけど・・・どうしたんだいリン?」

「・・・私には触らせてもくれなかったのに・・・」

 

ハングの本は古く脆い。ハングがリンに何と言ったのかを想像するのは容易だった。

 

「さぁ、それじゃあ始めようぜ」

 

ヘクトルの率いる部隊。オズインやドルカスなど、機動力はないが打撃力のある人達と騎兵などの突進力のある連中が正面を担当。

 

エリウッドが率いるギィ、ウィル等の身軽な歩兵隊が町の北側を迂回して陽動。あわよくばここで船着場まで駆け抜ける。

 

そして本命のリンの部隊。索敵能力の高いマシューとフロリーナや魔法による牽制が可能なエルクとルセア、護衛の為のレイヴァンとついでのセーラ。入り組んだ街中から奇襲を狙う。

 

そして、これらの動きは全てハングの予想を越えることは無かった。

 



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17章外伝~港町バドン(中編)~

「なるほど、ロウエンさんは従騎士なのですか」

「はい!ケントさんとセインさんはもう騎士なのですね。ご指導ご鞭撻よろしくお願いします」

 

キアラン城ではあまり話す機会が無かった若い騎士三人。

ロウエン、ケント、セインの初の共闘を前にして馬を並べて軽く自己紹介を済ませていた。

 

「自分も一日でも早くケントさん達に肩を並べられるように努力します!」

「ロウエンさんの槍の腕は十分自分たちに並ぶかと思いますが」

「槍だけの話ではありません。騎士としての立ち振る舞いや信念のあり方。自分はまだまだ未熟なのです」

 

熱く語るロウエン。それにケントは少し納得したように笑う。

 

「それは・・・まだ、私も会得してるわけではありません。未だによく悩みます」

「そうなんですか!?でも、ケントさんは隊長にまでなったと・・・」

「それは、単なる努力の結果と幸運によるものです。あとは・・・そうですね、ハング殿のお陰でもありますね」

「あぁ・・・ハング殿ですか」

 

彼なら何をしても不思議ではない。

 

「ハング殿は昔から『ああ』なのですか?」

「ええ『ああ』いう感じです。決して悪い人ではありませんが、どこまでも掴めない人です」

 

ケントはそう言って苦笑いを浮かべた。

 

「ロウエン殿はハング殿と良好な関係を築けているようですね」

「はい。しかし、まだ私はハング殿に認められているわけではないようです。この間も少し程お叱りを受けましたし」

 

『槍の素振りに意図がありすぎる』

 

そう言われたのはつい先日である。

 

「それはハング殿なりの激励ですよ。伸び代の無いものにハング殿が手を貸すとは思えません。しかし、『素振りの意図』ですか」

「はい。『素振りは動きを身体に染み込ませてこそ意味がある。頭を使うな』とのことでした」

「なるほど・・・」

 

槍を突き出す基本の動きを身体に覚えさせるのは初歩の初歩。その基本が出来て始めて槍の派生技が生きてくる。確かに『頭を使わずとも出来るようになる』というのは大事なことかもしれない。

 

ケントはハングが言わんとしていることをケントも読み取り、納得したように頷いた。

 

そんな若い騎士二人の雑談を少し離れたところで見ていたマーカス。

彼はわずかに目元を緩めた。

 

「嬉しそうですなマーカス殿」

 

オズインにそう言われ、マーカスは顔を引き締める。

 

「この旅でロウエンにはもっと成長してもらわなければなりません。共に切磋琢磨できる存在は必要ですからね、この出会いには感謝すべきかもしれません」

 

それは『部下思い』と言うより『父性』に近い感情などだろうとオズインは思ったが、口には出さなかった。

 

「では、ケントさんは素振りは日に五千回ですか?」

「翌日が非番であれば、槍が握れなくなるまで追い込むこともあります。セインは・・・」

 

真面目に語り合う二人はセインの姿を追った。

だが、彼の姿は馬の上から忽然と消えていた。

 

「おお!プリシラ姫!ここで出会えたのも何かの運命です、私が御守り致しましょう!」

「運命・・・ですか?」

「そうです!我々は運命によってここで出会うことが決められていたのです!」

 

ケントは何も言わずにこめかみを抑えた。

 

「え、えと・・・」

 

無言で握りこぶしを固めて馬から降りるケント。ロウエンは隊長というのも大変なのだな、と思わざるおえなかった。セインが殴り倒され、馬の傍まで引きずられてくる。それとほぼ同時にヘクトルが斧を肩に担いだ。

 

「おい、遊んでねぇでそろそろいくぞ」

 

指揮官であるヘクトルに騎士達は短い返事をして馬にまたがり、戦士は手に斧をとった。

 

「がははは!腕がなるなドルカス!」

 

バアトルが斧を振り回しながら顔を赤らめていた。

 

「・・・そうか」

「そうだとも!海賊となればその腕一つで海を駆け抜けると聞いた!あの広大な海を泳いで渡る猛者共だ!戦えるとは楽しみではないか」

 

説明するのが面倒なので、ドルカスは黙っておくことにしたのだった。

 

「いくぞぉぉお!」

 

ヘクトルが斧を振りかぶって先陣を切る。そして、町の中央で力比べが始まったのだった。

 

対する北側を迂回する陽動部隊。

 

「向こうは激しいね。よかった~俺こっちで」

 

ウィルはそう言って胸をなでおろした。

 

「なんだウィル、情けねぇぞ」

「ギィは剣があるからいいだろうけど、俺は弓しか無いんだよ。ガンガン突っ込んでくる奴は苦手だ」

 

ギィとウィルがうだうだ言いながら町の外を警戒しながら先行していく。

それにわずかに遅れてエリウッドとレベッカが後に続いている。

 

「エリウッド様、本当にこれだけの人数でよかったのですか?」

「僕らの目的は陽動だ。一撃離脱できて、逃げたり隠れたりできる人数の方が都合がいいんだよ」

 

わずか四名。しかも前線に立てるのは二名。そんな部隊ではレベッカが不安に思うのも仕方ないとも思う。

 

「大丈夫だってレベッカ。何かあったら俺が守ってやるからさ」

「・・・ウィルに守ってもらわなくても結構です!」

「それじゃあ、俺も守ってやるよ!なーに、弓兵の一人や二人守るぐらい簡単だ!」

「・・・・・・」

 

ウィルとギィという能天気な二人組。

 

レベッカは少し遠い目をした。

 

自分に厳しく、常に上を目指し、地道な努力を積み重ねる頼りがいのある従騎士との会話が懐かしかった。

 

「どうして、男の子ってこうなのかしら・・・」

 

部隊を分けてからまだ一刻もたたないうちにそう思うレベッカであった。

 

その時である。

 

「お、本当に来た。あいつの読みはいつも冴えてるな」

「なっ!?」

 

エリウッドが驚嘆の声をあげる。突如、海賊達が姿を見せたのだ。その数八人。

 

「うおぁ!なんでこんなに手勢がいるんだ!?」

 

ギィが慌てて剣を引き抜くも海賊達は余裕の笑みを崩さない。

 

「悪りぃがここは通行止めだ。さっさと回れ右してもらうぜ」

 

海賊達はそれぞれが剣や斧を構えて道に立ち塞がっている。

 

「そ、そうはいくか!このサカ一の剣士!ギィが相手だ!」

「あれ?ギィっていつの間にそんなに強くなったの?」

「き、気分だ!気分!いいじゃねぇか!名乗りぐらい気持ちよくやって!」

 

二人の間の抜けたやりとりを冷静に聞き流し、エリウッドは剣を抜いた。

 

「レベッカ、ウィル!援護してくれ。状況が悪い。戦いながら一度引く」

「了解!」

「わかりました」

「ギィ、君と僕でなんとか堪えるよ!」

「おぅ!任された!」

 

突剣を体の前に構え、エリウッドは海賊の台詞を考えた。

 

『あいつの読みはいつも冴えてるな』

 

向こうには頭の切れる策士でもいるのだろうか。

 

エリウッドはハングがいないことに唇を噛み締めざるおえなかった。

 

そして、町の中央でもまたヘクトルが同じことを考えていた。

 

「ヘクトル様!」

「わかってる!海賊達の様子がおかしい!」

 

一番突破を狙われやすい中央がやけに手薄だ。それなのに、なぜか突破できない。狭い町の通路を有効に活用して、敵が入れ替わり立ち代わり相手をしてくる。

 

「くっそ!なんなんだこいつら!軍隊みたいな動きしやがって・・・こんな時にハングいれば・・・」

 

ヘクトルは苛立ちを抑えきれずに再び前に出た。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ふふふ、焦ってる様子が手に取るようにわかるな」

 

樽に腰掛けているハングは楽しそうに笑う。

 

「ったく、相変わらず性格が悪りぃな」

「軍師ってのはそれぐらいがちょうどいいんだよ、お頭」

 

ハングは一度伸びをして周りを見渡す。

 

予想通り、北のエリウッドは後退を始めている。

このままヘクトルと合流してくれたら後はリンだけを気にしてればいい。

 

中央に人数を増やしつつ後は闘技場を警戒すればいい。

 

ハングは町の南側に目を向けた。

 

「・・・・・・なぁ、お頭」

「どうした?」

 

不意にハングの声の調子が一段階落ちた。

今までの楽しそうな雰囲気から一転、冷たく尖った氷のような声に変わる。

 

「ファーガス海賊団に騎馬部隊なんか作ったのか?」

「はぁ?んなわけねぇだろ。馬なんざ船の上でどう使うんだ?」

「だよなぁ・・・」

 

ハングは闘技場方面の一点を見つめたまま動かない。

ファーガスもハングの態度の変化に気づき、町の南側に視線を送った。

 

そこには明らかに戦闘準備を終えた騎馬部隊が殺気をみなぎらせて町中へと入っていくところだった。

 

「なんだ、部外者か?」

「まぁ、そんなとこなんだけどさ・・・ったく、興がさめちった」

 

ハングは自分の後頭部の髪の中に手を突っ込んだ。

 

「お頭、何人か借りていいっすか?野次馬は蹴散らしとかねぇと」

「別にかまわねぇが、おまえが出張る必要はあんのか?」

「まぁ、もともとあっち側は俺が迎え撃つ気だったしな」

 

ハングは剣を腰にさし、誰を連れ行くかを思案する。

 

「そろそろ、ケジメつけとこうかと思ってな」

「ケジメ・・・か」

「ああ」

 

ファーガスにはハングの考える戦術やらなんやらはまったく理解できない。

だが、ハングの心の内は手に取るようにわかる。

 

「惚れた女でもできたか?」

「・・・俺ってわかりやすいんですかね?」

「ガハハハ、男がマジな顔でケジメなんて口にしたら、それは『一生に一度の女』か『人生を賭けた男との対決』かのどっちかだ」

 

ハングは少し肩の力を抜く。

 

「お頭にはかなわねぇや」

「俺に勝つやなんざ二十年はえぇ」

 

ハングは声を張り上げて笑った。

 

「さて、ダーツ!ボルグ!デコメ!ついて来い!闘技場へ向かう!」

 

野太い返事を聞き、ハングは闘技場に向けて駆け出した。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「エリウッド!どうした!?」

「街の外には兵が伏せていた。この人数じゃ突破できない」

「くっそぉ!どうなってやがる、まるでハングを相手にしてるみたいだぜ」

「・・・・・・」

「・・・・・・まさかな?」

 

ヘクトルとエリウッドは顔を見合わせて、眉間に皺を寄せる。

北は封鎖されている状況、残る選択肢は中央突破で時間を稼ぎ、リンの部隊に期待をかけるのみとなっていた。

 

エリウッドの指揮によりギィとウィルも前線に参加する。

 

「この俺が撤退なんて、チクショウ!海賊共!かかってこいやぁ!」

「ギィ!無闇に突っ込むと・・・」

「うわあ!やべぇ!魔道士がいる!こ、ここは一旦後ろに前進する」

「そういうの後退っていうんだぞ」

「うるへぇ!後ろ向きに前進なんだよ!」

 

長引く戦闘は最前線で戦う者達にも苦戦を強いていた。

特に魔道士の出現は前に出ていたバアトルやドルカスにとって大きな負担となっていたー。

 

「・・・バアトル、おまえも下がれ」

「熱!熱い!う、うぉぉ!俺も後ろ向きに後退するぞ!」

「・・・それは前進だろうが」

 

戦士と入れ替わるように騎士部隊が前に出る。

 

「セイン!無理するなよ!」

「大丈夫だ相棒!まだいける!おらぁ!プリシラ姫を後ろに置いてる俺は最強だぞぉぉお!」

 

海賊達は優勢の流れに乗り、突撃の構えを見せるがセインとケントがなんとかその場に踏みとどまって前線の崩壊を防いだ。

 

「私もご助力します!」

「感謝する!ロウエン殿!」

 

そこに更に弓の援護が飛び、ようやく陣形を立て直す。

 

エリウッドは眉間に皺を寄せる。このままでは押し切られるのも時間の問題だった。

 

それほどまでにこの海賊達は厄介だった。

 

「エリウッド様、リンディス様の方へ増援を送った方が良いのでは?」

 

マーカスの助言に対してエリウッドは静かに首を横に降る。

 

「いや、人数がここにかけられてるのは好都合なんだ。向こうに注意を引きたく無い。このままでいく」

「承知しました。では私も前線に行くとしましょう」

「僕も出る。マーカス、背中は任せる」

「はっ!」

 

エリウッドが剣を引き抜き、その隣にヘクトルも並ぶ。

 

「オズイン!俺らも前に出る。後方の奴らの回復する時間を稼ぐ」

「わかりました」

 

エリウッドとヘクトルは肩を並べて前に出た。

 

「ったく!ハングの野郎、あとでとっちめてやる!」

「ヘクトル、いまは目の前に集中しよう」

「ああ、わかってるよ!」

 

 

戦闘は加熱していく。

 

その頃、リンの部隊がようやく動きを見せだした。

 

「リンディス様、どうやら中央での戦闘が激化してるみたいですよ」

「そろそろかしらね」

 

町の南側で飛び出す頃合いを見計らっていた、リンディスの部隊。

マシューが耳をそばだてている側にフロリーナが着地した。

 

「フロリーナ。周りはどう?」

「敵も見方もほとんどいないわ・・・でも、なんだか変な騎士みたいな人たちがいたの」

「変な騎士?」

「うん・・・紫の鎧のへんな人たち」

 

リンはマシューに視線を送る。

 

「うーん、確かにちょっとヤバめの奴らがいそうだな」

「気配がするの?」

「むしろ逆ですね、気配がなさすぎる。半端な連中じゃなさそうだ」

 

マシューのその言葉が終わらぬうちにレイヴァンが部隊の前に出た。

 

どうやら切り込み隊長を担ってくれるらしい。

 

少し躊躇いがちにリンがルセアを見ると、柔らかな微笑みが帰ってきた。

 

「大丈夫ですよ。無愛想なだけで、いい人ですから」

「ルセア、余計なことは言うな!」

 

強い言葉にフロリーナが身を竦ませる隣で、リンはレイヴァンに笑ってみせた。

 

「・・・なんだ?」

「いいえ、なんでもないわ」

 

リンはレイヴァンの言葉に甘える形で歩き出す。

だが、突然その足が止まった。

 

「・・・・?」

 

リンは町の中の音に耳を澄ます。

遠くから聞こえる戦いの喧騒。こんな時でも歓声のあがっている闘技場。海賊達の喧嘩騒ぎに沸き立つ野次馬。

 

様々な音が入り乱れる中でリンの耳に残るものがあった。

 

「リンディス様?どうかしましたか?」

 

ルセアが尋ねるもリンはそちらに返事をしない。

そして、マシューやレイヴァンもまた周囲の気配に注意を張り巡らせていた。

 

「なに?なに?どうしたの?エルク、わかる?」

「・・・セーラ、少し黙っててくれないか?周りの音が聞こえない」

 

エルクも魔導書に手をかけた。周りの人間が徐々に戦闘体制をとっていく。

そして、一番最初に気が付いたのはレイヴァンだった。

 

「あいつ・・・何をやっている」

 

レイヴァンが剣を引き抜いて走り出す。

 

「これって・・・まさか!!」

 

次いでマシューも何かを察してレイヴァンの後を追った。

 

「おい、マシューだったな」

「はいはい、俺ですか?」

「戦えるか?」

「えーと・・・正直やりたくないなぁ・・・でも、やるしかなさそうですね・・・」

 

後方に置き去りにしてきた人達のことはこの際、後回しだった。

今は他にもっと重要な出来事がこの町で起きていたのだ。

 

「ちょっと、マシュー!どこいくの!?」

 

リンが遅れて走り出す。草原で培われた耳や目や勘も町中の喧騒の中では鈍ってしまう。

リンは今だ状況をつかめぬまま、レイヴァンとマシューを追った。

 

頭の片隅でハングに教えてもらった軍略の話を引っ張り出し、走りながら次の行動を考える。

 

前を行く二人の行動は褒められたものではないが、あの二人が何の意味もなくこんな行動を取るとは思えない。

リンディスは現在起こりうる状況を必死に考える。

 

【黒い牙】からの刺客。他の部隊の危機。海賊が市民に暴行を加えている。

 

様々な可能性を考慮しつつ、リンは後ろについてくる仲間に最悪を想定した指示を出す。

 

「セーラ、怪我人がいるかもしれないから準備してて!フロリーナ、不用意に高い位置に出ない!エルク、ルセア、左右の道を警戒しながら後方からついてきて!!」

 

リンは必死に前の背中を追う。

 

「・・・何が・・・起きてるの?」

 

リンは服の上から胸元を握り、かきむしる。たいした距離を走ったわけでもないのになぜか息があがる。

 

リンは自分がなぜか苛立ちを覚えていることに気づいていた。

 

「・・・どういうこと?」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

闘技場の裏口付近。人気のない路地裏にハングを含めた海賊が四人。

そこには黒い鎧を着こんだ人達が周囲を警戒するかのように佇んでいた。

ハングは海賊達と雑談をしながらその道を歩いていく。

 

「だから言ってるだろ。海で獲物を探すより、航海で商売を繰り返す方が断然儲かるんだよ」

「いや・・・でも・・・それって『海賊』なんですかね?」

「あのな。この辺の海を航海する連中から『用心棒代』とか言って、金を集めてる時点で俺達は十分海賊だ」

「はぁ・・・」

「まぁ、シノギのことなんざ下っ端は気にすんなっての。お前は肉体労働しとけばいいんだ」

 

ハングはまだわかってなさそうなダーツの肩を気楽に叩いた。

そんなハング達の一団に路地の入り口を警戒していた兵士が槍向けた。

 

「おい、貴様らここは今通行禁止だ。海賊はさっさと消えろ」

「おや。そうかい・・・」

 

ハングはそう言いつつ、素早く槍の下に潜り込んだ。

 

「なっ!」

 

ハングは低い姿勢から剣の柄に手をかける。そして、兵士の手元目掛け、自身の持ちうる最速の抜刀の一撃を叩き込んだ。

 

確かな手応え。手首が飛び、血飛沫が舞う。

 

ハングは剣を捨て、落ちてくる槍を手に取って振り回した。

槍の柄で側頭部に一撃、そのままの勢いで身体を回し、槍の切っ先を首筋に叩きつけた。

鎧の隙間への正確無比な一閃。ハングは兵士の首をものの見事に吹き飛ばした。

 

ハングは何事もなかったかのように剣を拾って鞘にしまう。目指す先は騎馬部隊の隊長。

 

「ダミアン様、部下が一人やられました」

「見ていたとも」

「いかがいたしましょう?」

 

敵の騎馬部隊は目の前で仲間が倒れたというのに随分と平然としていた。

余裕を感じる程に自分達の実力が高いと思っているのだろう。

相手は十分な装備を持った騎馬部隊。ハング達はほとんど着の身着のままの海賊連中。

 

ハングは唇の端を舐め、不適に笑った。

 

騎馬部隊の隊長は厚顔不遜な態度を崩さない。

 

「ふぅむ、我々の姿を見られたからな・・・皆殺しでよいだろう」

「わかりました。そのようにいたしましょう」

 

ハングの歩幅が少し大きくなる。歩きが駆け足に変わり、更に加速していく。

 

「では、始めよう。叫びたまえ、死を前にした絶望を」

 

馬を操り、馬首をこちらに向ける騎馬部隊。

ハングは槍を持ちながら更に加速。全力疾走にまで達する。

 

「構えろ、突進してくるぞ」

 

騎馬部隊が武器を構える。ハングは走りながら腹の底から気合いの裂帛を絞り出す。

 

「うおおおぉおおぉお!!!」

「来るか、いいだろう。その身に恐怖を刻み込んで死ぬがいい」

 

騎馬部隊が殺気をみなぎらせる。それはハングがこの旅で時々垣間見た、暗殺者特融の殺気だった。

 

ハングは姿勢を落とす。お互いの間合いまであと5歩の距離だった。

 

突進の姿勢のままハングは間合いに入ろうと構えた。

 

「なんてな・・・」

 

ハングはいきなり立ち止まる。敵の間合いギリギリの線で踏みとどまる。

 

そして、加速した力で地面を勢いよく踏みつけてそこに力の起点を作った。そこを軸に今までの瞬発力に筋力のしなりを乗せ、左腕の一点に集中させる。

 

「おらぁぁっ!」

 

ハングは手に持った槍をその場からぶん投げた。この槍は投擲に適した手槍ではない。普通の槍をハングは左腕の『竜の腕』の馬鹿げた腕力で強引に投擲したのだ。

 

槍が風を切る。切っ先が鎧を貫く。胸板を貫かれた身体が硬直する。そして、ダミアンと呼ばれた隊長格の男の表情が固まった。

 

「悪りぃな、俺は荒事には向いてないんだ。正面衝突なんてやるわけねぇだろ」

 

ダミアンは一度自分の胸を見下ろす。彼の脳が現実に追いつく。

自分の鎧から突き出る槍の柄を見つめ、次いでハングに視線を送る。

 

「くたばれよ、ホモ野郎」

 

ダミアンは茫然とした表情のまま馬の上から転がり落ちていった。

 

「今だ、兄弟!皆殺しだあぁぁぁ!」

 

ハングの叫びに続いて海賊達の高らかな吠え声が響き渡る。それに呼応するかのように、隣の闘技場から歓声が上がったのだった。

 



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17章外伝~港町バドン(後編)~

レイヴァン達が戦闘音を頼りに闘技場を回り込んで裏路地にたどり着いた時、すでに騎士部隊は全滅。

今はハングが連れてきた海賊三人が金になりそうなものを死体から漁っているところだった。

 

「おう、予想よりも遅かったな」

 

ハングは隊長格の男の持ち物を漁っていた手を止めて、レイヴァンとマシューに向き直る。

 

「・・・何をしている。クソ軍師」

「何って・・・お前らがここに来るだろうなと思って待ってたんだよ」

 

レイヴァンは溜息をついて剣をしまった。同じように武器を構えていたマシューも短剣を服の内側にいれる。

彼らは戦闘の音とハングの声を聴きつけて駆け付けたのだ。敵対勢力が全滅している今、武器を構える意味は無かった。

 

「いいのかよ?武器しまっちって。今、お前らの目の前には海賊がいるんだぜ?」

「ん?あれ!!もしかして、敵か!?やべっ!兄弟!いつまでも漁ってねぇで、戦え!」

「うおっ!」

「わ、わかった!」

 

慌てて斧を構える海賊達。ハングはその会話を聞きながら喉の奥で笑う。

 

「ずいぶん楽しそうですね。ハングさん」

 

マシューはそう言って、腕を組んでハングを睥睨した。不躾な視線を受けてもハングは不敵な笑みを崩さない。

 

「そりゃ、俺の想像通りにことが進んでるんだ。楽しくないわけないだろ?」

「成程、エリウッド様や若様が苦戦するわけだ」

 

ハングとレイヴァン達は約二十歩分の間合いをあけて対峙していた。詰めようと思えばつめられる距離だ。だが、その絶妙な距離がお互いが内包する緊張感そのものだった。

 

ハングが海賊側にいる。

 

その意味がわからない程に二人は馬鹿ではなかった。

 

「で、クソ軍師一つ聞きたいことがある」

「まぁ、そう焦んなバカ傭兵。お前の質問を一番にしたい奴がいるんだからよ・・・」

 

ハングはそう言って顎でレイヴァン達の後方を示した。

 

「ようみんな。戦いは順調か?」

 

レイヴァン達が振り返ると、リン達がようやく追いついてきていたところだった。

 

「ちょっとマシュー!いきなり走り出さないでよ!!ほら、エルク!あなたも何か言いなさい!」

「セーラ・・・少し黙っていた方がいいよ」

「え?なに?・・・ん?あれ?ハング、なんであんたがここにいるのよ?」

 

間抜けに口を開けるセーラ。その隣ではエルクが何かを察したかのようにため息を吐いた。その後ろではルセアが息を切らしており、フロリーナが付き添っていた。

 

そして、彼らの前には茫然と現状を見ているリンがいた。

 

「・・・ハング・・・」

 

ハングはリン達に向かって少し歩きながら口を開いた。

 

「なんだよ、リン。化け物でも見たような顔だな。それにしてもお粗末な作戦だったな、思ってた通りの・・・」

「ハング!!!」

 

強い声がハングの言葉を遮る。ハングは口を閉じ、足を止め、リンの言葉を待った。

 

「・・・どうして・・・どうして・・・そっち側にいるの?」

 

ハングはわざとらしく自分の背後を振り返る。

 

そこには殺気の行き場をなくしたダーツ達が曖昧な顔で突っ立っていた。

その表情がなんとも愛嬌があり、ハングは小さく吹き出してしまう。

 

ハングは咳払いをして、再びリンのいる方へ首を向けた。

 

「俺がファーガス海賊団の一員だからだ。他に理由があるのかよ?」

 

ハングは悠然とそう言い放った。

 

「え・・・」

 

リンの目が強く見開かれ、顔が青ざめる。

遠目からでもよくわかるほどに彼女の顔に動揺が浮かび上がった。

 

「どういう・・・どういうことよ!!」

「どうもこうもねぇさ。俺はお頭と杯を交わした。まだ、杯は返してねぇから俺はファーガス海賊団の一員だ」

 

微笑を浮かべて語るハング。

それを前にして、リンはふらつく足取りでハングに歩み寄ろうとしていた。

 

「じ、じゃあ・・・ずっと・・・」

「そうだな、お頭に世話になったのがだいたい五年前だからな。お前と会ったときも例外じゃない」

 

リンの唇が震えていた。その後ろでは場の雰囲気に呑まれたフロリーナが泣きそうになっていた。

 

「リ、リン・・・」

 

立場を忘れてフロリーナが昔の呼び名で後ろから声をかける。

だが、そんなか細い声など今のリンには届かない。

 

「ずっと・・・海賊だったっていうの・・・う、嘘よね・・・いつもの・・・冗談でしょ?」

「俺がお前に嘘ついたことがあったかよ?」

 

リンが彷徨い出るように前に出る。ハングは微笑を浮かべたままそれを見ていた。

 

「それじゃあ・・・ハングは・・・海賊なの?間違い・・・ないの?」

「ああ」

 

リンが立ち止まる。

ハングは笑いをひっこめた。

リンの拳が強く固まる。

ハングは目を閉じた。

 

「私を・・・私を騙してたの!!?」

 

ハングは静かに息を吐き出す。閉じた視界の向こう側からリンの叫びが木霊した。

彼女の痛みを乗せた声を胸の内で反芻しながら、ハングは口の中だけで独りごちる。

 

『やっぱ・・・そうなるか・・・そうだよな・・・』

 

覚悟していたとはいえ、ハングは奇妙な喪失感を覚えていた。

暗闇の向こうからリンの言葉が飛んでくる。

 

「私やエリウッドを騙してどうするつもりなの!?一年前の旅も、今回の旅も、何が目的なのよ!!ファーガス海賊団との今回の追いかけっこもあなたが仕組んだんでしょ!!」

 

リンは声を張り続ける。

 

「私は・・・私はハングを信じてた!エリウッドも!ヘクトルも!みんなもハングを信じてた!!なのに、なのに・・・ハングが海賊ってどういうことよ!今までいくつの村を襲ったの?いくつの船を沈めたの?あなたは・・・どれだけの人を苦しめたの!?そんな人だったなんて思わなかった!!ずっと、私たちを嘲笑ってたんでしょ!『バカな奴らだ』って・・・ふざけないでよ!」

 

ハングにはリンの表情が手に取るようにわかっていた。彼女からの殺気と熱がハングの全身に伝わってくる。

 

「あなたみたいな海賊が・・・こんなクズみたいな海賊団なんかがあるから、今もこの世界には苦しんでる人がたくさんいる!どうせこの町でも略奪や殺人を繰り返してるんでしょ!そんな人に助けられてたなんて・・・吐き気がするわ!剣を抜きなさい!海賊!」

 

剣が引き抜かれる音が聞こえる。リンが抜刀したのだろう。

ハングは目を閉じたまま頭をかいた。

そして、気怠そうに下を向いた。

 

「どうしたの!怖気づいたの!!」

「・・・リン・・・」

 

ハングが口を開いた。

 

ハングは心臓が左肩の付け根で強く拍動しているのを感じていた。

自分の全身に走り抜ける鳥肌が体内の熱量を発散しようとしていた。

 

自分が悪いことをしたのは理解している。リンを傷つけることになることは予想ができていた。

 

それでも、彼女は言ってはならないことを言った。

 

ハングは自分を自制している枷が外れていく音を聞いた気がした。

 

「まぁ・・・なんだ・・・言いたいことが二つ三つあるんだけどさ・・・まぁ、それはあとでいいや・・・ただ・・・」

 

ハングが目を開ける。ハングの目の奥に炎が燃えていた。

 

「一つだけは・・・言っておく」

 

ハングの声は無理に感情を殺しているかのように平坦なものであった。だが、その内面から溢れかえる怒気は抑えきれない。リンはハングの後ろから陽炎が立ち上っているかのような錯覚を受けた。

 

リンは反射的に足をさげる。

 

「俺のことはどうでもいい。ただ、ファーガス海賊団に対する発言は・・・取り消してもらおうか」

 

冷たい声と共にハングが発する威圧感。

物理的な圧力こそ感じないが、それでも周囲の温度が急激に上がっていく感覚が確かにあった。

 

リンはその激しい熱量に全身の鳥肌を抑えきれなかった。

 

リンだけではない。

レイヴァン達やファーガス海賊団の一員まで、ハングに対し腰がひけていた。

 

「リン・・・お前は言ったな『クズみたいな海賊団』だと・・・ふざけてんのはてめぇだ・・・」

 

ハングは自分の剣に手をかける。

 

「お前がこの海賊団の何を知ってる?無法者とみりゃ、ところかまわず喚きやがって・・・」

「何よ・・・」

 

わずかに震えていたリンの剣が再び定まった。

 

「何よ偉そうに!あなたが私の何を知ってるのよ!」

「お前が俺の何を知ってんだ!!!」

 

ハングが吠える。空気が震える程の大音量が周囲に響き渡った。

 

「お前にこの海賊団のなにがわかる!?お前に俺の何がわかる!」

 

ハングが抜いた剣がハングの体から伝わる震えでカタカタと小刻みに揺れていた。

 

「お前にわかんのか!?生まれた村を失い!孤独の中で出会った仲間に裏切られ!最愛の相棒の死体にしがみついて、もう死ぬしかないと絶望しながら海を漂っていた俺の気持ちが!!こいつらはそんな俺を掬い上げてくれた大恩人だ!!」

 

ハングの瞳が黄色の炎のように強くきらめく。

 

「お前が俺を憎いなら切られてやる!俺に償いを求めるなら死んでやる!だが、俺の恩人を侮辱するってんなら、もうお前は知り合いでもなんでもねぇ!剣を構えろ!例え首一つになってもてめぇの喉笛噛み千切ってやらぁ!」

「なによ・・・何よ!!海賊はしょせん海賊でしょ!」

「そうかよ・・・そうかよ!!!」

 

剣を構える二人。

 

「おめぇら!この女に手ぇ出すな!こいつは俺の喧嘩だ!」

「みんなも・・・ここは私がやる。私がハングを切る!!」

 

二人の殺気があたりに満ちていく。

 

「私と戦って勝てると思ってるの!?」

「知るか!命の恩人をけなされて黙ってられるほど、俺は腑抜けじゃねぇんだ!!」

 

二人はほぼ同時に駆け出した。

 

一合、二合と剣がぶつかりあい、すぐに数えきれない程の剣戟が二人の間に舞い始めた。

金属同士が切り結ぶ甲高い音と二人の気合の裂帛が街中に響き渡る。

 

それを周囲の人達は黙って見守っていた。

 

「・・・あ、あの!と、止めなくていいんですか?」

 

フロリーナが泣きそうな顔で周囲に尋ねる。それにセーラはあっけらかんとした顔で答えた。

 

「え?いいんじゃないの?たまには喧嘩するぐらいがちょうどいいのよ」

「セーラ・・・君だってそんなに男女経験があるわけじゃないだろ?」

「失礼ね!エルクよりはあるわよ!」

「はいはい・・・あ、フロリーナさん、心配しなくても大丈夫だと思いますよ」

「あ!こら!無視しないでよ!」

 

エルクはため息を吐いてセーラを諫める仕事に戻る。

 

その間にも二人の打ち合いは続いている。

 

だが、フロリーナを除く周りの人達は皆気楽にかまえていた。

それを信じられない気持ちで見ながら、フロリーナは自分にできることがないか探そうとする。

 

そして『強引に仲裁する』という結論に至ったのか、フロリーナは手槍を手に取った。

 

「私が・・・止めます!」

「いやいやいや、大丈夫ですよ」

 

それを慌てて止めたのはマシューだった。

 

「で、でも・・・」

「大丈夫ですって。少なくとも、ハングさんはリンディス様を傷つけたりはしないでしょうからね」

 

マシューの言葉に同意するようにエルクとセーラが頷いた。

 

「で、でも・・・それじゃあ、ハングさんが・・・リンに殺され・・・」

 

フロリーナはその先を言いかけて口を閉じた。

自分の言った未来が実現するか、疑問が湧いたのだ。

 

自分の知っているリンは確かに怒ると怖い。

部族を失ってからは時々本当に暗い目をすることもあった。

 

でも、本質的には彼女は心優しい人だ。

 

自分の親友がハングを殺してしまう姿など、フロリーナには想像できなかった。

 

「・・・まぁ、そういうわけですよ」

 

フロリーナの胸の内を正確に読み取り、マシューはそう言ってこの場をまとめた。

 

そうこうしてる間にも、二人の戦いは優劣が確実に出現しだしていた。

 

「ハァ・・・ハァ・・・くそがぁぁ!」

「はぁぁっ!」

 

確実にハングが押されだしている。リンの剣を無理やり受け流し、強引に回避しているもののハングの体にはあちこちに切り傷が生じ始めていた。そのどれもが浅いものの、ハングは痛みで動きが鈍りだしている。

 

次第に防戦一方になるハング。既に彼の息があがっていた。

 

そして、リンの剣先がハングの左の大腿を切り裂いた。

 

「ぐっ!」

 

ハングが痛みに膝をつく。そこにリンがさらに剣を振る。

ハングの右手を剣の峰で打ち、彼の武器を叩き落とす。そして、そのまま右足を切りつける。

 

ハングは遂に立っていることができずに、腰から石畳みに崩れ落ちた。

仰向けに倒れるハング。

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ」

 

ハングの呼吸器官はもう限界だった。息切れによる倦怠感と全身の疲労でハングにはもう立ち上がる体力が残っていない。

 

そんなハングの隣にリンが立つ。

ハングはその顔を見上げて、笑った。

 

「ハァ・・・ハァ・・・なんて顔してんだよ・・・バカ」

 

それはいつもの弾けたような楽しげな笑みだった。

ハングの目からはさっきまでの激しい光は消えていた。

 

「ハング・・・」

 

対するリンもまた勝者とは思えない顔をしていた。

彼女の瞳はその端に涙を蓄え、顔は水滴をこぼすまいとくしゃくしゃに歪んでいた。

 

「ハング・・・本当に・・・あなたは・・・」

「海賊団の一員さ・・・否定はしねぇよ・・・」

 

ハングの体からの出血はまだ止まらない。だが、死に至る量ではない。それがリンの殺意の低さを何よりも物語っていた。

 

「・・・・くそっ・・・」

 

ハングは小さく悪態をついた。

 

心臓が一際強い拍動を始めたのだ。

 

それは、ハングの中に流れる青い血が治癒を始めようとしている前兆だった。

間もなく、ハングの身体は激痛を伴いながら傷を治しはじめる。

 

そうなる前にはっきりさせておきたいことがあった。

 

ハングは自分を見下ろしてくるリンの目を正面から見つめた。

 

「お前は・・・俺が憎いか?」

 

リンの顔が更に歪む。

 

「・・・ずるい・・・」

 

リンにそう言われるであろうことはわかっていたが、ハングにはそれを聞かずにはいられなかった。

 

わずかの間を置いて、リンが答える。

 

「・・・そんなわけ・・・ないじゃない・・・」

 

ハングが目を閉じる。

 

「・・・そんなわけない・・・そんなわけないのに・・・どうして・・・どうして・・・」

「ははは・・・悪いな・・・」

 

ハングは自分の心臓が暴れ出すのを感じた。

 

「悪いけどな・・・現実だよ」

「私からも一つ・・・聞いていい?」

「なんだよ?」

「ハングは・・・私達を裏切って・・・」

 

その質問にハングは喉の奥で笑ってしまった。

 

「くっくっくっ・・・」

「な、何がおかしいのよ!?」

「泣きそうな顔で何聞こうとしてんだよ?」

 

全身血管が脈打つ音を聞きながら、ハングは笑う。

 

「んなわけねぇだろ。バァカ」

 

ハングは笑う。楽しそうに笑う。

 

「俺はお前達の軍師だ・・・お前らを勝利に導く旅の軍師だ」

 

リンの顔が一段とくしゃくしゃに歪んだ。

 

「ぐっ!やべ・・・」

 

だが、そこでハングの身体は限界に達した。

 

「くそ・・・もう来たか・・・ぐぅううううう!ああぁああああ!!」

 

全身に走る激痛。ハングは歯を食いしばって身もだえる。

ハングの『竜の腕』が作る青い血が傷の治癒を始めていた。

 

「ハング!!ハング!どうしたの!?セーラ!」

 

セーラを呼ぼうとするリンの手をハングは掴んだ。

 

「いい・・・大丈夫・・・だっ!ぐぅっ!あぁ、くそったれ!ぐううううううう!」

 

ハングは体をよじらせるようにしてのたうった。意思の力で抑えきれない程の痛みが全身を支配していた。

 

「あぁぁぁあああ・・・うぁぁぁああ!!」

 

ここまでの激痛は久々だった。

過去にも太い血管を矢に貫かれたとか、剣で足を深く切られた経験なら何度かある。だが、全身を十何か所も切り付けられた経験はハングには少ない。

 

それの治癒がこれ程の激痛になるとはハングも予想できなかった。

 

ハングは身体を治そうとする痛みにのたうちまわる。

その様子は外から見れば明らかにただ事では無い。

 

「ちょっとリン!ハングに何したの!?」

「わ、私は・・・私は・・・」

「兄弟!どうすれば良い!?薬か?杖か?」

 

痛みで耳鳴りがして、眩暈もする。

 

それでもハングは周りの声をしっかり聴いていた。皆がどんな顔をしているかも見えていた。

 

ハングには集まってきた仲間たちに輪の外に弾き出されて、オロオロしているリンの姿がよく見えていた。

 

『あぁ、そんな顔すんな・・・お前は何も悪くねぇ』

 

そう口にしたいが、それより先に自分の唸り声が出てくる。

 

「ううぁ・・・あぁぁぁ!!」

 

そして、自分の身体に一際大きな波が来た。

 

「ハングさん!」

「クソ軍師!!死ぬなよ!死ぬんじゃねぇぞ!!」

 

傷薬の軟膏が既に治りかけているハングの傷口に塗られていく。

既に瘡蓋だけとなりかけている傷跡にセーラの杖が当てられる。

 

『ったく・・・縁起でもねぇこと言うなバカ傭兵。それとリン、マジに受けてんじゃねぇよ。フロリーナに縋るな、彼女も困ってんだろ』

 

安心させときたい、そんな思いでハングはリンに震える手を伸ばした。

 

「・・・どうした?兄弟?」

「リンディス様!ハングさんが」

 

ルセアの声に呼ばれてリンとハングの間の人垣が割れた。

ハングの視線の先には本当に泣いているリンがいた。

 

『ああ、もう・・・本当に・・・絶対にリンを責めたセーラと大げさに言ったバカ傭兵のせいだ』

 

ハングは震える体を押しとどめ、なんとかリンに笑いかけた。

 

「あぁ・・・あぁ・・・ハング、私・・・私・・・」

 

痛みを堪えた疲れた笑顔は完全に逆効果だったらしい。リンの涙腺が完全に崩壊してしまった。

 

「私・・・私・・・」

 

リンはよろよろとハングの側に膝をつき、手を取った。

その手を大事そうに握りしめ、手の甲に大粒の涙こぼしている。

 

「私は・・・こんな・・・つもりじゃ・・・あなたを・・・殺すつもりなんて・・・」

『死なねぇよ・・・』

 

そう言ってやりたかったが、まだ痛みが引かない。

口からこぼれるのは泡となった吐息とわずかな呻き声だけだ。

 

「いやよ・・・いやよ・・・ハング・・・お願い・・・もう・・・一人は嫌なの・・・」

『わかってるっての・・・』

 

ハングは痛みの山を既に越えていた。次第に静かになっていく心臓の音を聞きながら、ハングはこれからのことを考える。

 

『どうするよ・・・この状況・・・』

 

全身の傷の大半が治った状況なのに、まだハングを治療しようとする面々。

ハングの手を握り、必死に精霊に祈りと懺悔を続けるリン。

 

『・・・・・・・・どうしよう』

 

ハングとしてはかつてない難題であった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「まったく・・・紛らわしい」

「お前らが勝手に勘違いしたんだろうが!だいたい、あの程度の傷で人が死ぬか!バカ傭兵!」

 

そう言われてみれば当然のこと。だが、ハングの苦しみ方も異様ではあったので一概には言えない気もするレイヴァンだった。

ハングとレイヴァンの後ろでは無駄に杖を使うことになったセーラが気炎をあげていた。

 

「だったら最初から言っときなさいよ!意味のない時間を過ごしたわ」

「あのな・・・セーラなら言いたいか?こんな身体・・・明らかに人間離れした異常だ。気味悪がられるのがオチだろ」

「私なら言うわよ。それは間違いなく神の奇跡。天からの贈り物に違いないわ」

 

ハングはため息を吐いてエルクとルセアに視線を送る。

2人は困ったような笑みを返すだけだった。

 

結局、痛みの引いたハングは自分の体のことを素直に説明した。

皆が口を半開きにしてこちらを見つめる顔は生涯忘れられそうになかった。

 

「だいたいな!ダーツはともかくお前らは知ってるだろ」

 

ハングは仲良く同行している海賊仲間にそう言った。

 

「あぁ・・・その、流れで・・・な?」

「ああ、なんか。お前死にそうに見えちった」

「ったく・・・」

 

ハング達は今更戦いをするような気分になどなれず、全員揃って船着き場へと向かっていた。

 

「・・・・・・」

 

ハングはエルク達の後ろに視線を一瞬だけ送った。

そこではペガサスを連れて歩くフロリーナと俯くリンの姿があった。

 

喧嘩を中途半端に終えた手前、ハングは気まずい気持ちを抱えたまま前を向いた。

その隣からマシューが苦笑いを向けてくる

 

「ハングさんって、変なところで間が悪いですよね」

「うるせぇな・・・わかってるよ」

 

そうこうしているうちに船着き場についた。

 

「おう、帰ったかバカ息子」

 

ファーガスが片手をあげてこちらに挨拶する。その周囲にはエリウッド達が疲労困憊の様子で膝をついていた。

 

「エリウッド、おつかれさま」

「疲れたよ。まさかハングが敵にまわってるなんて・・・」

「思いもしなかったか?」

「いや、途中からなんとなく予想はついてた」

 

さすがエリウッドだ。どっかのヘクトルとはわけが違う。

 

「ハング!お前、今なんか失礼なこと考えたろ!」

「気のせいだろ。それにしてもよく突破できたな。絶対無理になるように戦力を配置したのに」

「それは・・・ああ、ちょうどいいところに」

「ん?」

 

ハングはエリウッドが手招きする方角に視線をやった。

そこにはローブをまとい、モノクルをつけた男性が会釈をしていた。

齢は若くはなさそうだが、中年と呼ぶには少し早い感じだった。

 

「ほう・・・闇魔道士か」

「なんでもヴァロールに渡りたいそうだよ」

 

ハングは訳あって闇魔道士に詳しい。気配だけで闇魔道士を判別できる。

その男性はゆっくりと歩み寄り、どこかのんびりとした口調で自己紹介を始めた。

 

「私はカナスといいます。古代魔法・・・闇魔法の研究をしていまして、戦いに協力する代わりにヴァロールに渡る船に便乗させてもらうことになりました」

「そうか・・・まぁ、エリウッドが許可したんなら俺から言うことはあまりない・・・って、どうしました?俺の顔をじっと見て?」

「え?あ、すみません。なんというか・・・不思議な空気の方だと思いまして」

「空気?」

 

リンが時々口にする、その人の周りに吹く風のようなものだろうか?

 

ハングは首をひねる。

 

魔道士の中でも闇魔道士は他の人間と少し違うものを見ていることをハングは知っていた。彼らには彼らの法則があり、規則がある。

 

多少、不可思議な物言いをしてくる人間もいるだろう。

 

ハングはそう結論付けて、特に気にすることもなく手を差し出した。

 

「まぁ、なにはともあれ、お仲間は歓迎します。ちょうど魔道士が不足してたんです。これからよろしくお願いします」

「あ、はい!こちらこそ」

 

お互いに握手をかわした後、ハングは改めてファーガスに視線を移した。

 

「んで、出航はどうなります?」

「急いでんだろ?今すぐ出してやる。なに、二日後にはお前らは【魔の島】に上陸だ」

 

それからファーガスは立ち上がり、部下達に指示を送り出す。

 

「おい、ハング!メインマストにつけ!」

「は!?俺も手伝うのか?」

「おめぇはうちの一員だろうが、だったら働け!」

「うえ~・・・まじか・・・」

 

ハングは後ろを振り返り、エリウッドに苦笑いを向けた。

 

「ってなわけで、俺はこっちを手伝う。後の処理は任せる。あ、そうそうマリナスさんが昼頃に食料抱えてやってくるはずだから忘れるなよ」

「ああ、わかった」

 

そうして、甲板へとあがっていくハング

ハングは船の縁から港を見下ろした。

 

「リンディス様、私はずっと傍にいますからね」

「ありがと、フロリーナ」

 

二人の会話を唇の動きで読み取ったハング。

ハングは一度溜息をついて、船の仕事にとりかかった。

 

『なにがケジメだ・・・臆病者が・・・』

 

ハングは酷い自己嫌悪に浸りながら、船の上で仕事にとりかかった。



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18章~海賊船(前編)~

海をゆく海賊船。空は快晴、帆に風を受けて船は進む。

甲板は仕事をする人達で溢れ、活気のある声が響く。

その甲板より一つ下、そこに船室などという洒落たものは無く、柱だけが並ぶ空間にハンモックが吊るされていた。

優雅な船旅とは程遠い船室。その片隅には簡単な厩があり、騎士達の馬やペガサスが繋がれている。

 

そこから少し離れたところで小さな樽を抱えている男がいた。

 

「オロオロオロオロ・・・」

「大丈夫ですか?」

 

真っ青になって小さな樽を抱えているのはギィ、その背中をさすってやってるのはプリシラであった。

 

「まったく、情けねぇな。船の上で襲われたら一発であの世行きだな」

「う、うるせぇ・・・」

 

青い顔をしているギィ。

その隣でエルクは自分の主人のことを心配していた。

 

「プリシラ様は平気ですか?」

「はい、私は大丈夫みたいです。むしろ、この船の揺れは少し好きです」

「え、エルク・・・俺の心配を、おっ!ウェー~~・・・」

 

ギィの腹の中はとうの昔に空っぽ。吐き出しているのは胃液が大半である。

 

「しょうがないですね。ウィル、そっちの小樽もとってください!」

「はいは~い」

 

手渡された新たな樽をギィに抱えさせ、エルクはマシューに胃液の入った樽を手渡す。

マシューは呆れたように肩をすくめて、中身を捨てるために甲板に上がっていった。

 

「うぅーーーぎぼぢわるい・・・」

 

ギィを看護する一同の近くでは同じように体調を崩してしまったレベッカを看護する人たちもいた。

ギィは完璧な船酔いだがレベッカはもう少し複雑だった。

 

ハンモックの上に寝かせられ、ルセアが濡らした手ぬぐいを取り替えている。

真水は船の上では貴重なので、海水で代用せざるおえないが無いよりマシである。

 

実のところ帆船というのは相当にやかましい。

 

船体が軋む音、綱が擦れる音、帆がはためく音、ネズミが走り回る音。

様々な音で溢れかえる船室は慣れない者にとっては眠れたものではない。

 

フェレからの長い旅路や度重なる戦闘の疲れもあり、レベッカは体調を崩してしまったのだった。

 

「ルセアさん一応薬草茶はできましたが・・・」

 

ロウエンが差し出したお茶はドロリとしていてお茶と称していいのかどうか微妙だった。

だが、火を極力避けなければならない船の上ではこれが限界だった。

 

「仕方ないです、今はこれしか無いんですから。レベッカさん、起きれますか?」

「・・・はい・・・」

 

気怠そうに体を起こすレベッカ。

不安定なハンモックの上ではそれすらも体力をかなり消耗する。

フロリーナに支えてもらいながら、薬草茶を飲むレベッカは相当辛そうであった。

 

「あぁ、レベッカさん!おいたわしグわな!」

「すみません皆さん!セインを取り逃がしてしまいました。今、止めを刺したのでもう安心してください」

「あ、相棒・・・お、れを・・・」

 

このクソ忙しい時にはセインには大人しくしてもらった方がよいというケントの判断だった。

 

「カナス殿、手を貸していただいてよろしいですか?」

「は、はい!わ、わかりました」

 

状況がよくわからず、ケントの指示に従ってカナスはセインを引きずるようにして移動させていた

普段なら笑いを誘う光景だが、レベッカにはそれをする体力も残っていない。

 

「レベッカ・・・大丈夫かい?」

「・・・レベッカさん・・・」

 

それを見てるしか出来ないウィルとロウエンは地団駄を踏みそうになるのをなんとか堪えていた。その二人の後頭部に衝撃が走った。

 

「あいた・・・」

「いてっ!なにすんだよヴァっくん!」

「ヴァっくんはやめろ!それと・・・」

 

二人の後頭部に拳をぶつけたのはレイヴァンだった。

 

「辛気臭い顔で病人の側をウロつくな・・・治りが悪くなる」

 

レイヴァンの言葉にロウエンとウィルは気まずそうに顔を見合わせた。

 

「・・・それは・・・そうなんだけど・・・」

「ですが、心配ですし」

「だったら遠くで眺めてろ。レベッカの視界に入るな。ついでに俺の視界にも入るな。見ていて鬱陶しい」

 

あんまりにもな言い方だが、自分達が鬱陶しいのは紛れもない事実なので二人は船の片隅へと追いやられていった。

 

「・・・レイヴァンさん・・・」

「あいつらがいると・・・休めんだろ」

 

レベッカは弱々しく笑い、再び横になった。

しばらくして規則正しい寝息が聞こえてくる。

 

レベッカが落ち着いたのを確認して、ルセアは隣で眉間に皺を寄せたままのレイヴァンを見上げた。

 

「・・・なんだ、ルセア」

「いえ、なんでもありません」

 

楽しそうに微笑むルセアから目を背け、レイヴァンはその場にあぐらをかいたのだった。

 

「ルセアさん!真水を少しだけわけてもらってきました~~!」

「え?セーラさん、よくわけてもらえましたね?」

「海賊なんて私の魅力にかかればイチコロですよ!はい、どうぞ」

 

そう言ったセーラの持つ杖の先端には赤黒い染みが滲んでるような気がした。

彼女の言った『イチコロ』は本当に文字通り『一殺』だったのではないか。

 

そう思ったルセアだったが、現実を直視してしまうと変な心労が増えそうな気がして、目を瞑ることを選んでしまった。

ルセアは祈りを捧げながら革袋に入った水を受け取る。

 

「ありがとうございます」

「いいえ、これくらいお安い御用です!!・・・・って、そうだ!フロリーナ!若様にちゃんとお礼言ったの!?」

「ふ、ふへ!え、ええ、えぇぇと」

「もう、しっかりしなさい!ああ見えて若様は流されやすいとこあるんだから!お礼にかこつけて、押し倒しちゃえば絶対大丈夫よ!勇気出してドーンといってきなさい!」

「あ、あの・・・もう少し練習してからじゃ・・・ダメですか?」

「練習って、あのペガサス相手に?もう・・・しょうがないわね・・・いい!私が教えた通りにやるのよ!」

 

その一連の流れを間近で見ていたレイヴァンはプリシラの方に視線をやる。

 

「お兄様?どうかしましたか?」

「・・・いや」

 

そして、次にルセアを見てみる。

 

「レイヴァン様?」

「・・・・あれが、例外か」

 

だが、あの姦しい娘でも杖の技を使えるという。

 

少しエリミーヌ教の教えというものに興味が出てきたレイヴァンであった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

甲板は人々で溢れていた。帆を張る為に綱を握る者、汚れやすい甲板の拭き掃除をする者、見張りの為にマストに登ろうとする者。

それぞれの動きはよく統率がなされており、まるで一つの川の流れを見るかのように滑らかであった。

 

一通りの仕事を終え、非番を手に入れたハングはその甲板を縫うように歩き、船の舳先へと向かった。

 

その途中でバアトルとドルカスが甲板で働いていたのを垣間見た気がしたが、些細なことだ。

 

「よう、エリウッド。船酔いなんかしてねぇか?」

「ハング。大丈夫だよ」

 

ハングはエリウッドと共に舳先の方から船の行く末に視線をやる

水平線の彼方に小さなシミのように島が見えていた。

 

それがヴァロール島である。

 

「しかし、立派な船だね」

「ファーガス海賊団の歴史は意外と古いんだ。まぁ、お頭の歳を考えればわかるだろ?」

 

ハングがそう言うと、エリウッドは怪訝な顔をしながらハングを見た。

 

「な、なんだよ?」

「いや、その格好でハングが『お頭』なんて言うから少し違和感があってね」

「あぁ、なるほど」

 

ハングは今の自分の服を引っ張る。

ハングは港町で見せたような動きやすい格好ではなく、いつものくたびれたマント姿に戻っていた。

 

「リンディスに気を使ってるのかい?」

「そういう訳じゃないさ。単にあの格好だとこき使われるのが目に見えてるからな。俺はもうこの軍を預かる軍師だ。船の仕事ばかりやってるわけにはいかない」

 

そのハングの言葉に嘘は無いようにエリウッドは思えた。

だが、まるっきり本当ではないだろう。

 

ハングは明後日の方向を見ながら頭をかいた。

ハングが何を話そうとしているのか、エリウッドには手に取るようにわかっていた。

 

「それでさ・・・お前は気にしないのか?」

「何がたい?」

 

わざととぼけてみると、ハングは苦虫を数匹噛み潰したような顔をした。

 

「ほら・・・俺が・・・」

「君が?」

 

エリウッドには助け船を出してやる気は毛頭なかった。

ハングは絞り出すかのように自分の言葉で言った。

 

「だから・・・俺が海賊だったことだ」

「ハングが海賊だろうと僕は君を信じてるよ」

「・・・・・・」

 

まるで準備していたかのような答えにハングは追加で50匹程苦虫を噛み潰したような顔をした。

 

「・・・お前な・・・」

「なんだい?」

 

微笑を浮かべるエリウッドにハングはため息を返した。

 

「なんでもねぇよ・・・」

 

ハングは自分が『海賊』であったことを告白するのに躊躇いと罪悪感を抱えていた。それがわかっていながら、エリウッドはわざとハングの口からその言葉を言わせたのだ。

ハングは口に中だけで『狸貴族め』と呟いた。

 

「一応、単なる感情論だけではないよ。例えハングがどんな過去を持っていようと、君が僕達を助けてくれてるのは事実だ。それに、ハングには目的がある。それは僕達の目標にも近い・・・それを達成するまでは僕達に協力してくれる。違うかい?」

 

ハングは答えない。

 

エリウッドの言葉を胸の内で噛み締める。

 

そんなハングを見て、エリウッドは口角を上げる。

 

「・・・と、言って欲しいんだろ?」

「・・・・・・・・・お前な」

 

ハングは力尽きたように船の縁に項垂れた。

そんなハングの隣でエリウッドは満面の笑みを浮かべていた。

 

「ハングが考えることはわかりやすいよ。戦場以外ではね」

「本当は交渉ごとも軍師の役目だからそういうわけにはいかないんだが」

 

ハングは青い空に向けて大きく伸びをした。

 

「特に、今のハングは本当にわかりやすいよ」

「・・・それは否定しないね・・・」

「『できない』の間違いじゃないのかい?」

 

ハングはエリウッドの台詞を黙殺することにした。

 

「好きな人に嫌われるのはきついかい?」

「別に嫌われちゃいない・・・はずだよ」

 

エリウッドは楽しそうに笑う。

 

そして、不意にエリウッドの表情が真剣味を帯びた。

 

「それで、ハングは何しにここに来たんだい?」

「・・・・・・・・さぁな」

 

ハングは再びヴァロール島を眺める。

エリウッドもそれに倣うようにヴァロール島の方を見た。

 

遠くに見える島は深い樹木に覆われ、霧の中に霞んでいて、島の全容を見ることはできない。

船が進んでいるので、次第に近づいているはずだ。

だが、エリウッドにはその島との距離がいつまでも変わらないような錯覚を覚えていた。

 

「ハング、ありがとう」

「なんだ突然」

「少しは気が楽になったよ」

「何のことだよ」

 

エリウッドは大きく息を吸い込んだ。

潮の香りが胸の奥深くまでしみこんでいく。

 

「父が無事であることを祈るしか今の僕にはできない」

「・・・・・・」

「それで様子を見に来てくれたんだろ?」

 

ハングはため息をついた。

 

「本当に俺ってわかりやすいのか?」

「ハハハ・・・そうかもね」

 

ハングはリンとの一件で少し気が滅入っていた。

だが、それ以上にエリウッドが参っていることに気が付いていた。

 

エルバート侯爵の居場所はわかったが、居場所は【魔の島】だ。それに、暗殺組織や反乱の話まで絡んできている。

 

気もそぞろになるのは当たり前だ。

 

ヴァロールが見えてきて、心労が重なっているんじゃないかと思い、ハングはエリウッドを探したのだ。

 

「以前・・・」

「ん?」

 

エリウッドは真っすぐに前を見つめ続けていた。

 

「以前・・・ハングは言っていたよね・・・戦いを好きになれない僕に『そのうち答えが出る』と」

 

それはラウスでの戦闘をする前のことだった。ハングも覚えている。

 

「それで、答えは出たか?」

「いや・・・今もどうすればいいかよくわからない・・・でも、父上が生きていらっしゃると知った・・・それ以降、父を助けるためだと思うと・・・迷わない自分に気がついた」

 

エリウッドはそれが良いこととは思っていなかった。

 

戦いの意味を考えなくなってしまったらそれは領主の息子として失格だ。だが、今はそんな理屈など頭の中には残っていなかった。

 

「父上を助けるためなら・・・僕は・・・なんでもしてしまう気がする。それが少し・・・怖い・・・」

 

そう言って項垂れるエリウッド。

 

『殺してやる・・・殺してやる・・・一人残らず・・・貴様ら全員・・・必ずぶち殺してやる!』

 

不意に自分の中に響く怨嗟の声。小さい頃の甲高い声は今も体の内側に刻まれている。

 

ハングは戦いに対して迷いを覚えたことはない。立ち止まろうと思ったことなどない。

 

そんな自分を不安に感じたことなどなかった。ハングはむしろそんな自分を頼もしく思っていた。これがあれば時と共に憎悪を風化させずにすむからだ。

 

血を求める心身。

 

エリウッドはそんな自分を恐れている。

ハングはそんな自分に依存していた。

 

「俺とお前の差は・・・そこなんだろうな・・・」

 

ハングは小さく声に出してそう言った。だが、その言葉は船上の喧騒に飲まれて消えてしまう。

 

「なにか言ったかい?」

「いや・・・でも、俺はエリウッドはそれでいいと思ってるぞ」

「そうだろうか・・・」

 

俯くエリウッドにハングは自嘲するように笑ったのだった。

 

その時だった。

 

「お頭!十時の方向に小舟が漂ってますぜ!中に人が乗ってるみたいだ!」

「引き上げろ!」

 

甲板の方から飛んできた声にハングは振り返る。

 

「十時の方向?」

 

ハングはその方角が見えるよう船の端へと移動した。

 

「あれか・・・」

 

ハングが視認する。エリウッドも同じようにハングの隣に並ぶ。

 

「小舟か・・・よくあることなのかい?」

「なくはないが・・・」

 

ハング自身も海を漂っていたところを拾われた身だ。

 

「・・・問題はそこじゃない」

「どういうことだい?」

「この付近の潮の流れから考えるとあの船は【魔の島】から来たとしか思えないからな」

 

上陸した者は生きては帰れないといわれるからこその【魔の島】だ。

そこから流れて来た小舟。

 

ハングは嫌な予感を覚えていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

時は少し遡り、船の後部。そこは普通の甲板より高い位置にある。船楼と呼ばれ、船室や舵輪などが置かれる場所である。

甲板を見渡せるその場所は船の中では比較的人が少ない。

 

そこにリンはいた。

 

何をするでもなく。ただ一人でそこから海を眺めていた。

 

「エリウッド・・・っと、あれ?」

 

そこにヘクトルがあがってきた。

 

「エリウッドなら舳先の方で・・・海賊と・・・何か話してるわ」

 

『海賊』

 

ハングのことかとあたりをつけたヘクトルは「んじゃ、心配ないか」と独り言のように呟いた。

 

となれば、もう一つの問題を解決する必要がありそうだった。

 

「・・・まだ、なにか用?」

 

ヘクトルの方を向きもせず固い声を放つリン。

ヘクトルは渋い顔をした。

 

「お前な・・・その不機嫌はなんとかしろよ。別にハングが海賊だったからって・・・」

「その人の名前は出さないで!!」

 

こいつは重症だ。

 

ヘクトルは出そうになるため息をなんとか押し殺した。

 

ハングとリンが大喧嘩したというのはセーラやマシューから聞いている。

それが随分と曖昧に決着となってしまったということも知っている。

 

一晩立てば少しはマシになるかとも思っていたが、時間をあけたことが逆効果になっているらしい。

 

ヘクトルは誰にも聞こえない程に小さく舌打ちをした。

 

これは明らかにあの『海賊』の責任である。

 

喧嘩の後で膝を付き合わせて腕の一本でも捧げてればここまでこじれはしなかっただろう。どうせハングの腕の骨など戦闘では役に立たない。首から上が動いていればいいのだから、大人しくリンディスに差し出すべきだったのだ。

 

ヘクトルは『こいうのは苦手だ』と思いながらも言葉を選んでいく。

 

「お前の両親が山賊に襲われた話は・・・聞いた」

 

『ハングから聞いた』という台詞は堪える。

 

「だけど、ここの『海賊』はそんな悪い奴らじゃ・・・」

「・・・親だけじゃない!部族の仲間も・・・ほとんどが殺されたわっ!」

 

リンがヘクトルに向かって吠えた。その声もまた甲板の騒音に紛れて遠くまでは届かない。

 

「奴らは私たちの飲み水に毒をいれた・・・みんな、もがき苦しんで立って歩くこともできない・・・それを待ち構えてた奴らに集団で襲われたのよ!」

 

ヘクトルは黙り込んでしまう。

リンのその怒鳴り声に気圧されたわけではなく、下手に言葉をかけられなかったのだ。

それだけ、今のリンは不安定に見えた。

 

「私は・・・一人・・・馬の背に乗せられた。父さんも・・・苦しいはずなのに・・・最後の力を振り絞って・・・震える腕で・・・私を・・・馬に・・・」

 

感情の爆発の後に紡ぎ出されていく昔語り。

その物語は涙で潤んだ声に変わっていく。

 

「・・・近くの部族に助けられ・・・十日目に目を覚ました。その時・・・私が・・・どんな・・・思いだったか・・・」

 

リンの瞳から水滴が一筋の道をつくった。

 

「死体は・・・もう葬られてたから・・・別れの言葉一つ・・・かけることもできず・・・最後に見た・・・父さんの姿は・・・くずれて・・・その上に山賊の斧が打ち下ろされ・・・る・・・そんな・・・そんな・・・」

 

泣きながら語るリン。

 

その涙を拭ってやるべきなのだろうか。

 

ヘクトルは少しだけそんな思いに囚われた。

だが、それを行動に移しはしない。

彼女が誰の胸の中で泣くべきなのかがわからないほど、ヘクトルは朴念仁ではなかった。

 

「でもよ、ハングはそのお前の仇の山賊と一緒に戦うって約束をしたんだろ?」

「そんな言葉が信用できるの!?」

「お前は出来ねぇってのか!?」

 

ついヘクトルは声を張り上げてしまう。

 

「あいつは今まで一緒に戦ってきた仲間じゃねぇのか!?」

「わかんないわよ!!私にも・・・わかんないのよ!!ハングは・・・ハングは・・・海賊で・・・大事な人で・・・仲間で・・・もう・・・わかんないのよ!」

 

再び泣き出すリンディス。

ヘクトルはくだらない話題を振ったことを後悔した。

 

目を伏せて大粒の涙を流すリン。

ヘクトルはそんな彼女を見ないように背を向けた。

 

「・・・なに・・・してるの?」

「・・・お前みたいな気の強い女は・・・泣き顔見られるの嫌がると思って」

 

ヘクトルは背を向けたまま動かない。

 

「バカじゃないの!だったら背中なんか向けてないでどっかに消えてよ!!」

 

ヘクトルは罵声ともとれるそれを背中に浴びながら静かに言葉を紡いだ。

 

「俺も・・・親・・・どっちもいねぇから」

 

次に始まったのはヘクトルの物語。

 

「おまえんとこみたいにそんな・・・ひどい話じゃねぇけど。それでも、すげぇガキみたいに泣きたかった。でも、人の目があると泣けなぇし、一人になったらなったで泣けなかったからな」

 

ヘクトルは少し言葉を切った。

 

例え大切な存在を失っても、その喪失感はいつかは薄れる。悲しみを乗り越える術は歳をとっていくうちに覚える。

 

だが、あの時の涙を流せなかった日々は早々忘れられるものではなかった。

ヘクトルが真っすぐに立つことができたのはあの辛かった日々を涙以外のもので埋めることができたからだ。

 

それは周りの大人の気遣いであり、兄の愛であり、そして友の優しさであった。

 

「・・・だから・・・まぁ・・・そういうことだ・・・」

 

彼女が当時は泣けなかったのもヘクトルにはなんとなくわかる。

そして、今は泣ける理由もなんとなくわかる。

 

だからこそ、ヘクトルにできることはこれぐらいだった。

 

「・・・ほんと・・・ばかね・・・そんな気の使いかた・・・はじめて聞いた・・・」

 

背中越しのその声を聞きながらヘクトルは唇を噛んでいた。

 

ヘクトルは仲間をここまで追い詰めた『海賊』に苛立ちを禁じえない。

とりあえず、あいつを一発殴っても誰も文句を言われないような気がするヘクトルだった。

 

「おーい!!小舟が漂ってるぞ!十時の方向だぁ!!」

 

マストの上から聞こえてきた声。

 

「・・・なにかしら?」

 

流した涙を拭いながら、リンは努めて普通の声を出した。

 

「行ってみようぜ」

 

少なくとも騒ぎになれば『海賊』は来るはずだ。

ヘクトルは拳を固めて、リンは深呼吸をして甲板へと降りて行った。



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18章~海賊船(中編)~

船の甲板では小舟の引き上げが行われていた。ロープで小舟を固定し、滑車で小舟ごと甲板に引き上げる。なぜかバアトルとドルカスもそこで働いていたがハングは放っておくことにした。

 

それよりも、ハングにとっては隣にいるリンとのなんともいえない距離感の方が重要だった。確実に泣いていたであろう彼女の顔はハングの気分を落ち込ませるのに十分だった。

 

「どうしたんだい、ヘクトル?リンディスが今にも泣きそうな顔になってるんだが」

「いや、あの野郎が悪いのがよくわかってな」

 

エリウッドとヘクトルが話している内容も今のハングにとっては耳が痛い。ハングは助けを求めるような視線を送ったが、ヘクトルの冷たい一睨みで迎え撃たれた。

 

ハングは息をつくのも忘れるぐらいの緊張感のもと、小舟が甲板に降ろされのを見ていた。

 

「・・・ん?」

 

だが、その小舟が甲板に降ろされた時、ハングはそんな状況さえも忘れそうになった。

人ごみの隙間から小舟の中がわずかに見えたものがあったのだ。それは淡緑色の長い髪だった。

 

「女の子?」

 

ハングの疑問は甲板の騒ぎの中でもよく聞こえた。その声を聞きつけ、ダーツが振り返った。

 

「おい、そこの嬢ちゃん!」

「私?」

 

リンが自分のことを指さすとダーツが何度も首肯する。

ハングはリンの横顔を盗み見る。そして、目が合いそうになり、慌てて視線をダーツに向けた。

 

「ちょっと手伝ってくれねーか?どこを持ったもんか・・・困る」

 

ダーツと同じように周りの海賊も弱り切った顔をしている。

男ばかりの船で女性に耐性がなくなるってのも海賊としてどうかと思うハングである。

 

リンは存外紳士的な海賊の頼みに少々驚いていた。海賊とはいえ無法者にも色々といるらしい。リンは自分の隣にいる『海賊』の横顔を見た。

そして、目が合いそうになり、慌てて視線をダーツに向ける。

 

「何やってんだ、あの二人」

「見ていて飽きないのは確かだね」

 

エリウッドとヘクトルの小声の会話に言いたいことがいくつかあるリンだったが、後回しにすることにした。

 

「・・・いいわ」

 

リンはぶっきらぼうにそう言って小舟に歩み寄った。

 

「意外と紳士な奴らだな。誰かと違って」

 

少し棘があるヘクトルの声は明らかにハングに向けられていた。ハングは返事はしなかった。

 

その時だった。

 

「ニニアン!?」

 

甲板を切り裂くようにリンの声が轟いた。

 

「・・・は?」

「・・・え?」

 

エリウッドとハングの表情が固まる。

 

そして、二人は周りの海賊を押しのけて小舟の側へと駆け寄った。

その中を覗き込むと、確かにそこには見知った顔があった。

 

淡緑色の髪、透けるような白い肌、薄幸そうな顔。

 

そこにいたのはハング達が一年前に出会った旅芸人の姉弟の一人、ニニアンだった。

 

「ちょっと!しっかりして!ニニアン!!」

 

小舟の中に入り込み、ニニアンを抱き起こすリン。

だが、ニニアンはその腕の中で微動だにしない。

 

ハングも小舟の中に入り込む。

 

「リン、動かすな!」

 

ハングの指示にほぼ反射的に従い、リンは揺すっていた手を止めた。

ハングはニニアンの脈、心音、呼吸などを確かめて唇に触れた。

 

口の表面は乾いているが口の中の粘膜は湿っている。

 

海の上で最も危険なのは脱水である。

 

真水を得られる機会が少ない上に海水は容易に体の中の水の均衡を崩し、その体の中に塩分を刷り込んでしまう。

 

それが露骨に出るのが口の中だ。そこが湿っているなら緊急性は薄い。

 

その他の命の危険性もないと判断したハングはようやく一息ついた。

 

「大丈夫、命に別状はない。気を失ってるだけだ」

「そう、よかった・・・」

「・・・お前ら、知ってんのか?」

 

話題に乗り遅れているヘクトルが小舟の側のエリウッドにそう尋ねた。

 

「一年前、リン達と出会った時に助けた女の子の話をしたろ?それが、彼女だ・・・でも、なんでこんなところに」

 

エリウッドが再び目を向けるのと、ニニアンが薄っすらとその瞼を持ち上げようとしていた。

 

「・・・・あ・・・・」

「ニニアン!気がついた?」

 

彼女の瞼の裏側から現れた紅色の瞳。

それも一年前と変わりはない。

 

だが・・・

 

「・・・・・・?・・・・あの・・・・わたし・・・?」

「大丈夫?どうして小舟に乗ってたの?ニルスは一緒じゃないの?」

「・・・・・・・・・あ・・・・あ・・・・」

「ニニアン?」

 

彼女の瞳の焦点が定まらない。霧の中にでもいるように、彼女の視線はあちこちに泳いでいた。

 

「リンディス、彼女・・・様子が変だ・・・」

 

エリウッドも小舟の中に入り込み、ニニアンの側に膝をつく。

 

「ニニアン、僕だ。わかるかい?」

「いや、エリウッド・・・お前は一年前に会った時をよく思い出せ」

 

エリウッドとニニアンは直接会ってはいない。あの時、ニニアンは意識を失ったままであった。冷静に見えて、完全に動揺しているエリウッドの頭をハングは叩きかけた。

 

そうしなかったのは、さらに状況が動いたからだ

 

「お頭!4時の方向に海賊船発見!こちらに近づいてきます!!旗は・・・見たことねぇ柄です!」

 

マストの上から降ってくる見張りの声。ハングは立ち上がって、マストへと続くロープを駆け上がった。マストの上の見張りから引ったくるように望遠鏡を奪い取り、ハングはその船をとらえた。

 

「おかしい・・・」

 

ハングは正面から受ける風を感じながら、独白をくりだす。

 

「ここはファーガス海賊団の縄張りだぞ・・・そう易々と知らねぇ船が出入りできる場所じゃねぇ・・・」

 

ハングは望遠鏡から目を離した。その船は肉眼でももう十分に確認できる距離にいた。ハングは背筋に粟が立つのを感じた。相手の船足が早すぎる。

 

「おい!野郎共!迎え撃つぞ、取り舵一杯だ!」

 

下からお頭の怒鳴り声がして、海賊達から返事の怒声があがる。

 

「違う!!お頭!!舵を切るな!!」

 

ハングはマストから身を乗り出して下に向かって叫んだ。

 

だが、遅かった。海賊船の船先が変わる。

 

その瞬間を狙ったかのように敵の船の左右から幾本もの櫂が伸び、水面を叩き始めたのだ。風力に人力が加わり、敵船が加速する。

 

「来るぞぉぉ!!」

 

ハングがマストに括り付けられたロープを握ったのと、ファーガスの船に敵船が突っ込んできたのがほぼ同時だった。

 

船に横向きの衝撃が走る。激しく揺れる船。

 

「くっそぉお!」

 

ハングはマストの上から投げ出されそうになる体をなんとか押さえつけた。

 

敵船はこちらの船の横っ腹にぶつかり、そのまま向きを変えた。

敵船は並走するように船をつけ、接舷してきた。

 

刹那、更に衝撃が走った。

 

油断していたハングはマストの上から完全に投げ出された。

 

「ハング!!」

 

下から誰かが金切声をあげていた。

だが、ハングは冷静に最初から握っていたロープにつかまって下を観察していた。

 

「くっそ・・・いつの間に・・・もう一隻・・・どこから湧いて出やがった」

「ハング!大丈夫かい!?」

 

エリウッドが下から見上げてきている。

 

「おう、平気だ!」

 

ハングは体を揺らして勢いをつけて別のロープに飛び移る。そのまま、いくつかのロープを渡って、ハングは甲板へと辿り着いた。

 

「お頭!船底に水が入ってきた!」

 

ハングは舌打ちをした。先程の敵船の動きから、奴らの船の海面下に巨大な杭が設置されていることは予想できていた。おそらく、その杭でこの船の船底を切りさいたのだ。

 

「お頭!かなりひでぇ!全員でかからねぇと船が沈んじまう!」

「てめぇらだけでなんとかしろ!俺はこいつらのどたまかち割ってやらねぇと気がすまねぇんだ!」

「無理ですって!食料庫にまで水がまわってる!おりてきてくだせぇ!」

 

ハングがファーガスに駆け寄った。

 

「お頭!奴らの相手は俺らがする!船を頼む!今船が沈んだら全員海の藻屑だ!」

「っち・・・なま言うようになったじゃねぇかハング!いいだろう、任せたぞ」

 

ファーガスは不敵に笑い、ハングもまた不敵に笑ってみせた。

 

ファーガスは下へと降りて行く。

 

「・・・お前はもう、そっち側なんだな」

 

ハングはファーガスがそう呟いたのを聞いた気がした。

 

ハングは急いでニニアンの傍にいるエリウッド達のところに戻る。

 

「エリウッド、ニニアンを下の甲板へ!リン、ヘクトル!敵が船板を渡してくる。そいつを外すことに集中しろ」

「おう!」

「わ、わかったわ」

 

喧嘩していてもハングの言うことには従うリン。戦場ではそれが一番信頼できる指示であるのは身体がわかっていた。

 

ハングはエリウッドと共に一度甲板の下におり、たむろしている連中に向けて指示を放った。

 

「船上じゃ馬はつかえねぇ!騎士の連中はここで待機!甲板から降りてくる奴らの迎撃に当たれ!船底にいるお頭のところに敵を1人でも行かせてみろ!頭かち割られるのは俺達だぞ!!フロリーナは俺が合図するまで出てくるな!それ以外の奴らは上へあがれ!」

 

ハングの指示に従い、仲間が次々と甲板に上がっていく。

 

「うっぷ・・・ハング・・・俺もたたか・・・」

「邪魔だバカ野郎!」

 

登ろうとしていたギィをハングは蹴り落とす。

 

「ロウエン!そいつとレベッカは頼むぞ!船上に出すな、邪魔くさい!」

「了解しました」

「マーカス、ニニアンを頼む」

「任されました。この命に代えても御守りいたします」

「エリウッド、行くぞ!」

「うん」

 

二人が甲板にあがる。

 

ハングは船上を見渡した。

 

右側の船からは剣士や弓兵。

左側の船からは独特の嫌な気配が流れてきていた。

 

「左の船は闇魔道士か・・・」

 

ハングのつぶやきが聞こえたわけではないだろうが、隣にカナスがいた。

 

「随分と濃い気です。私よりも深く闇に足を踏み入れいるようですね」

「だろうな・・・濃い臭いだ」

 

ハングは手のひらで覆うようにして口元を隠した。

 

「ですが、海での戦いに向いてるとは思いませんがね」

「そいつは同感だ。もちろんカナスさんも例外ではないでしょ?」

「そこはそこ、ハングさんがうまく指示をください」

 

そう言って微笑を浮かべるカナス。

 

いい度胸をしている。

 

ハングは口の端で笑った。そして、ハングは潮の香りのする空気を体に大きく吸い込んだ。

 

「ルセア!カナス!バカ傭兵は俺と共に来い!それ以外は右の船を防げ!こっちの船に乗られると面倒だ!敵船を制圧する気でいけ!細かい指示はエリウッドに一任する!行くぞ!」

 

ハングは後ろを振り返ることなく、剣を引き抜いた。

 

船と船をつなぐために渡された船板。横幅は人一人がようやく渡れる程度のもの。ハングはその一枚に足をかける。下は海。だが、ハングにとってはこの船板はまだ渡り易い部類だった。ファーガス海賊団が敵戦に接弦するときに使う船板はもっと細い。

 

ハングは揺れる船板の上を突っ走り、渡ろうとしていた闇魔道士に突っ込んだ。

一気に間合いをつめて前蹴りを放つ。そして、相手の態勢が揺らいだところを素早く切り捨てる。

 

その時、別の船板を渡ろうとしている闇魔道士がハングに気づき、横から攻撃を加えてくる。

 

「遅いんだよ・・・」

 

ハングはそう呟き、その船板に一気に飛び移った。

ハングが着地した勢いで激しく揺れる船板。足場を揺らされて闇魔道士の動きが鈍る。

 

「どけぇ!」

「なっ!」

 

ハングはそのまま回し蹴りで闇魔道士を海へと叩き落とした。

 

その時、ハングは自分の周りに不可思議な幾何学模様が浮かび上がったのに気づいた。

相手の船にいる魔道士が闇魔法を放とうとしていた。

 

「・・・ったく・・・」

 

ハングは船板の端を掴んで、船板の裏へと回り込んで魔法を回避する。そして、その勢いで別の船板に乗り移る。

ハングは不安定な足場を次から次に飛んでいき、渡ろうとしている魔道士達を海へと叩き落としていった。

 

その間にルセア、カナス、レイヴァンの3人が敵船に乗り込んだ。

 

それを確認したハングもすぐさま船板を渡って敵船の甲板を踏みしめる。

 

「さて、ファーガス海賊団に喧嘩を売ったこと・・・後悔させてやるよ!」

 

ハングは揺れる船の上で暴れるように戦いだした。

ここにいるのは貧弱な軍師ではない。

闇魔法の動きを把握し、不安定な足場で戦い慣れた『海賊』だ。

ハングの死角はレイヴァンが埋め、ルセアやカナスの魔法の援護もあって、ハングの周りには次々と屍がつみあがっていく。

 

「うおっと!」

 

そのハングが立ち止まった。

 

「傭兵ね・・・混じってはいたか・・・」

 

ハングは切られた胸元に指を添わせる。その目の前には大剣を携えた傭兵。

 

「ハングさん!」

「クソ軍師!」

 

カナスとレイヴァンも助けに来れる位置ではない。ルセアは別の闇魔道士と交戦中だ。

 

まずいかな。

 

敵が動いた。ハングは剣を体を開いてかわす。更に上段から追撃がくる。回避が不可能だと判断したハングは左腕で大剣を受け止めた。

だが、体格差でハングが押し込まれる。

 

「死ねぇぇぇえ!」

 

その傭兵が短刀を取り出した。刃先が脇腹に迫る。

 

「ああ・・・くそっ・・・」

 

ハングは体を捻り、腰に差した剣の鞘で短刀を受け止めた。紙一重の防御だったが、今回は運がよかった。短剣が鞘に刺さり、抜けなくなる。傭兵は短剣を捨てて、拳を振りぬいた。ハングは鼻っ柱に一撃を見舞われて後方に飛ぶ。仰向けに倒れつつも腕で跳ね上がってなんとか態勢を整える。

 

鼻を伝い生温かい感触が口元へと流れ落ちた。ハングは鼻血を拭って剣を構える。

 

背を向けるわけにはいかない。

 

今度はハングから仕掛けた。

 

横薙ぎに剣を振るう。傭兵は大剣を盾のように使い、易々と防ぐ。ハングは更に接近して鍔迫り合いに持ち込もうとしたが、大剣を振られて吹き飛ばされた。

 

「・・・っくそ!」

 

力も技も敵が上回っていた。唯一勝っている剣の速度も決定打になるとは思えない。必殺の一撃のある左腕も敵に届く間合いまで踏み込めなければ意味がない。

 

「うらぁぁ!」

 

敵が再び前に出てきた。ハングの反応が遅れる。

 

その時、ハングの顔に返り血がかかった。

 

「え?」

 

目の前の男の首から上がずれる。首を切断された男の体が仰向けに倒れていった。ハングは自分の命がまだあることに感謝しつつ息を吐き出した。

 

「まったく・・・無茶をするな」

「悪いなバカ傭兵」

 

ハングはレイヴァンに感謝述べる。

 

「これで貸し一つだ」

「何言ってやがる、お前にはまだ貸しがある。そういうことはそれを返してから言え」

 

ハングは不敵に笑ってみせた。

そこにカナスとルセアも合流する。

 

「ハングさん。無事ですか!?」

「ああ、なんとかね」

 

ルセアの傷薬を分けてもらい、ハングは船先を見据える。

 

「カナスさん、こっから先は特に援護がいります。お願いしますよ」

「わかりました」

 

船の先には一際大きな気配がある。闇に深く呑まれた者の気配だ。

傍からみたら少しちぐはぐな四人組。彼らは一気に船上を蹂躙していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「なんだ?もう片付いてんのか?」

「悪いですね、お頭。獲物は全部刈り取っちゃいました」

 

甲板にあがってきたファーガスにそう返し、ハングは不敵に笑ってみせる。

特に被害を出すでもなく、戦闘は終了を迎えた。途中、ペガサスナイトの部隊が奇襲をしかけてきたがフロリーナとウィルの気転で大事には至らずにすんだ。

 

もう間もなく日が暮れる。

 

夜の上陸は危険だと判断し、ファーガス海賊団はこの場所に錨をおろしたのだった。

 

海賊達はそこらに転がる死体を海に投げ込む作業中。他の仲間は敵の船から使えそうな物がないか探す手伝いに行った。

 

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・」

 

だが、なぜかリンディス、エリウッド、ヘクトルの三人はこの場に残っていた。

 

気まずい沈黙の中、ハングは出そうになる溜息をぐっとこらえた。これ以上状況を悪化させることだけは避けなければならない。

 

そんな中、甲板の下からふらふらと彷徨い出るかのように細い影が姿を見せた。

 

「・・・・・・あ」

「ニニアン!まだ出てきちゃだめ!そこらじゅう血まみれなんだから!」

「血・・・?」

 

ニニアンが足元の赤い血だまりを見る。

ニニアンはわずかに首を傾げ、そのまま足を踏み出した。

 

「あぶない!」

 

当然、彼女は足を滑らせる。いち早く反応していたエリウッドがなんとか彼女を抱きとめた。

 

「あ・・・ごめん・・・なさい」

 

彼女を受け止めたエリウッドは何事もなかったかのように微笑む。

 

こういうことは自分にはできないな、などとハングは場違いなことを思った。

 

「大丈夫かい?ニニアン」

「・・・ニニアン?」

 

「あれ?」とハングは眉間に皺を寄せた。彼女の名前を呼んだはずなのに、反応がにぶい。

 

「ニニアン?」

「ニニアン・・・・・・それは私の・・・名前・・・ですか?」

 

一同に衝撃が走った。

 

「ニニアン・・・あなた記憶が・・・」

 

そんな周りの様子をどう見たのか、ニニアンは少し怯えたように言葉を紡いだ。

 

「・・・わたし・・・頭が・・・はっきりしなくて・・・わたし・・・海に?」

 

ニニアンの不安をリンは素早く見抜いた。リンは肩の力を抜いて、優しい表情をつくる。

ニニアンはそんな彼女を見て、ほっと一息ついた。

 

「ニニアン、あなたは小舟でこの近くを漂っていたの。覚えてない?」

 

穏やかな口調で話しかけるリン。

 

こういったところの気遣いがリンは上手い。年がら年中怯え続けているフロリーナの親友をやっているわけではなさそうだ。

 

ニニアンがリンに心を開いている後ろでは男三人が額を突き合わせいた。

 

「さっきのやつら、どうもあの娘を狙ってたようだな。どうする、連れていくのか?」

 

そう言ったのはヘクトルだ。

 

「ニニアンを置いていくというのか?」

 

わずかに難色を示したのはエリウッドだ。

 

「・・・さすがに、一緒には連れていけねーだろ?俺たちの行き先は、【魔の島】なんだぜ」

「だからといって、ここに残しておくわけにもいかないだろう」

「それはここが海賊船だからか?」

 

二人の会話にハングが不機嫌そうに割り込んだ。

 

「あ、いや、ハングの昔の仲間が信用できないというわけではなくて・・・」

「冗談だ」

 

ハングは軽く笑ってから真剣な顔になる。

 

「それはさておき、俺も連れて行くことに賛成だ」

「理由は?」

「・・・以前、ニニアンに会った時・・・彼女とその弟は、黒衣の一団に追われていた。そいつらは一応同じ組織の名前を口にしていた」

「【黒い牙】か」

「そうだ・・・」

 

ハングは足元の死体から黒のマントをはぎ取った。

 

「奴らの裏にはただの暗殺組織では手に余るでかいことが隠れてる。奴らの手の内がわからない以上、彼女から目を離すべきじゃない」

「ハング・・・」

 

少し鋭さを帯びた口調のエリウッド。

 

「ハングは彼女を・・・ニニアンのことを疑っているのかい?」

「さすがにそこまでは言わねぇけどな、関わりがあるのは確かだろう。それに、ニニアンが【黒い牙】の内部の人間である可能性も否定できない」

 

護衛と監視が必要である。それは、少なくとも海賊に任せにくいことであることは確かだった。

エリウッドはそんなハングに向かって微笑を浮かべた。

 

「でも、結局のところ。不安定な彼女を放っておくのは気が引けるだけなんだろ?軍師があまり感情論で語るわけにはいかないから建前を言ってるようにしか僕には聞こえないけど」

「うるせぇな、この狸貴族・・・そういうのは言わぬが花だろうが」

 

ハングのことを見透かしてくるエリウッド。

最近、苦笑いを通り過ぎて睨みつけるようになってきているハングである。

 

「せっかく、こっちが軍師らしくしてんだから皆まで言うことないだろ」

「あぁ、それもそうかな。ごめんね」

 

挑発するような謝罪。ハングは少し苛立ちを覚えた。

 

「なんだよ。俺が何かしたのかよ」

「何もしてないのが問題なんだろ」

 

ヘクトルにそう言われてハングはようやく何の話が始まろうとしているのかを悟った。

 

「ハング、どうして彼女を一晩放っておいたんだい?時間ならあっただろう?」

「それは・・・そうなんだけど・・・」

 

ハングが船の仕事にかりだされたからと言って、不眠不休で働いていたわけではない。リンと膝を合わせる時間ぐらいなら作れた。

 

それはハングの落ち度と言えた。

 

そこにハングの反論の余地はない。だが、言い訳の余地はあった。

 

「お前らなら・・・」

「ん?」

「なんだい?」

「お前らなら・・・平気か?」

 

ハングは二人と目を合わせないようにしながら、静かに語りだした。

 

「お前らは・・・その・・・あ、相手に・・・その・・・『裏切った』とか『騙してた』とか言われて・・・・それでも・・・」

「俺は平気だ」

「僕も平気だよ」

 

ハングは無性に目の前の友人を殴りたくなった。

 

「自分がその人を思うなら、その程度の痛みは乗り越えるべきだ」

「多少の傷を受け入れてこその男だぜ」

「・・・・お前らなぁ・・・他人事だと思って適当なこと・・・」

 

ハングは先程までこらえていたため息を吐きだした。

 

「話は終わった?」

 

その時、リンがニニアンと共に男の輪に入ってきた。

 

更に気分が滅入っていくハングを横目にエリウッドはニニアンに話しかけた。

 

「僕らは、今からあの島に行くけれど・・・君も来るかい?」

「はい・・・どうか、いっしょにお連れください・・・」

 

ニニアンは少しも悩む素振りもみせずそう言った。その目にはリンやエリウッドに対する信頼が見てとれた。

 

「僕はエリウッド、何か困ったことがあったら何でも言ってくれ」

「はい・・・ありがとうございます・・・エリウッド様」

 

もう一度自己紹介のやり直しである。ハングは一歩前に出た。

 

「俺はハングだ。一応一年前に会ってるんだけど・・・」

「・・・あ、すみません・・・」

「無理しなくていいさ。そのうち思い出すだろう」

「・・・はい・・・わかりました・・・ハングさま」

「『ハングさま』はやめてくれ・・・なんかこそばゆい」

 

身悶えるハング、クスリと笑うニニアン。

 

「わかりました・・・『ハングさん』でいいですか?」

「ああ・・・そうだな・・・」

 

それはハングが一年前の出会いを再現した形だったのだが、彼女の様子に変化はない。

ハングは頭をかいた。

 

順に自己紹介をすました四人はひとまず下の甲板にいくことにした。

 

「・・・なぁ、ハング」

 

その途中でヘクトルはハングにだけ聞こえるような声量で喋りだす。

 

「実は俺、国を出るとき謎の一団に襲われたんだが・・・」

「あぁ、マシューから聞いてる」

「なら話は早い。俺はそいつらも・・・」

「【黒い牙】・・・か・・・可能性は高いだろうな・・・」

 

ハングは少し考え込む。

 

この時期にオスティア候弟を狙う理由。いくつか考えられるものはあるが、どれもこれも筋が通らない。

 

ハングには【黒い牙】の動きの全容がまるで見えていなかった。まるで、あまりに巨大な岩の前に立っているような気分だった。

 

「なぁ、ハング・・・リキアになにが起きているんだ?」

「・・・俺にもわからん」

 

甲板の下へと降りて行くと、そこには慌てた顔のマーカスがいた。

 

「申し訳ありませんエリウッド様、少し油断しておりニニアン殿を上の甲板に・・・このマーカス、一生の不覚!」

「いいよマーカス、そんな思いつめなくても」

「いえ!自分の主君の将来の伴侶も見守れぬようでは騎士としてあってはならないこと!」

「マ、マーカス!何を言ってるんだ!!」

 

エリウッドの面白い反応に表情を緩めつつ、ハングは頭の中の複雑な事象を追い出した。

 

「あ、そうだ。ハング、とりあえず一発殴らせろ」

 

今は目の前の案件のほうが面倒だ。

 

ハングは頬にヘクトルの拳を受けながら、リンのことをどうしようか真剣に考えていた。



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18章~海賊船(後編)~

日が沈んだ海。

 

夜闇の中に満天の星空が光を降り注いでいた。

 

ハングは船室から甲板へとあがり、リンの姿を探した。ハングの頬には拳骨で殴られた痕が今も残っている。

先の戦いで受けた体の傷や鼻血は杖で治療してもらえたのだが、ヘクトルに殴られたところは誰も治してもらえなかった。

 

『自業自得でしょ』

『すみません・・・私もそう思います・・・』

 

セーラとプリシラの言い分はわかるが、それとこれとは話を分けて欲しいハングである。

 

ハングは辺りを見渡す。ハングは船楼の上に彼女の姿を見つけることができた。

 

ハングは階段をあがる。

 

船楼の上には彼女以外の人影はいなかった。

彼女は船の端に寄りかかり、海の外を眺めていた。

 

ハングは後ろから声をかけようとして、口を開いた。

 

だが、喉が潰れたかのように自分の口からは言葉が出てこない。

 

ハングは結局そのまま口を閉じてしまう。

 

正直、今にも逃げ出したかった。

リンの顔を見たくなかった。彼女の冷たい言葉を聞きたくなかった。

ハングは彼女に否定されることを何よりも恐れていた。

 

こんな思いはハングにとって始めてだった。

 

奇怪な腕を持ち、幼くして一人世間に投げ出されたハング。周囲からの拒絶の姿勢はいつでもあった。

孤独が平気な人間はいる。

ハングは自分がそうだという自負があった。

 

だが、今は彼女に拒絶されることが怖くてたまらない。

 

『私を・・・私を騙してたの!!?』

 

先日のリンの叫びが今更ながらに蘇る。

 

ハングは軍師だ。本音と建前を使い分け、真実を隠しつつ本質を掴むことを本分としている。それでも、自分を信じてくれる者には誠実であるつもりだった。

 

策を伝えなかったり、誤解する言い方をすることはあるがそこは曲げたことはない。

 

だからこそ、その台詞は聞きたくなかった。

 

仲間に信頼されない軍師など、詐欺師と大差ないのだから。

 

その台詞をまた聞かされるかもしれないという思いがハングの行動を制限してしまう。

 

ハングは一度深呼吸をする。

 

そして、背を向けたくなる足を全力で叱咤した。

 

ここで逃げたらハングは本当の詐欺師になってしまう。

ハングは腹の奥に力を込め、意を決してリンの隣に並んだ。

 

「・・・・・・」

 

リンは少しその横顔を見ただけで、すくに海に視線を戻してしまう。

ハングは潮の匂いを腹の中に溜めてからなんとか声を絞り出した。

 

「言い訳を・・・させてくれるか?」

「・・・・・・・」

 

リンは何も答えない。

 

「わかった・・・だったらこれは俺の独り言だ・・・」

 

ハングは視線を海から空へと向けた。

 

「俺は・・・無法を働いたことはない・・・この海賊団も・・・俺が乗っている間はそんなことをさせたことは無い・・・」

 

リンはやはり何も反応を示さない。ハングの話は続く。

 

「この海賊団は元々は街の自警団が発展したものだ。金を貰い、用心棒をする・・・その本質は今も変わってない。この船も普段は商人を乗せて商売をする輸送船だ。確かに・・・役人相手に戦うこともあった・・・でも、それだって不正を働いていたのは向こうだ。この船は・・・曲がってない・・・それだけは・・・言える」

 

ハングは途中で自分が何を言いたいのかわからなくなっていた。ただ、リンには自分の仲間を誤解して欲しくなかったのだ。

 

それでもハングを許せないというなら・・・

 

ハングはそこまで考えて、底知れぬ不安に取り付かれた。それを何とか押し殺してハングは話し続ける。

 

「だから・・・その・・・」

 

口の中がカラカラになっていた。ハングは自分の手足が小刻みに震えていることを自覚した。

 

「その・・・・その・・・・」

「許さない」

 

ハングはリンの顔を見た。彼女の横顔は先程と変わらない。

 

「私は・・・許さないわ・・・」

 

リンの表情からは何も読み取れない。ハングは本気で泣きたくなってきていた。

 

「この海賊団の人達が悪い人じゃないのは、今はわかる・・・だから、この海賊団への言葉は取り消してもいい。でも、あなたは別・・・」

 

ハングは自分の拳を握りしめた。その拳に視線を落とす。

 

「私は・・・」

 

ハングは唇を噛みしめる。

 

「私は・・・港であなたが苦しみだした時・・・あなたを失うかもしれないと思った時・・・本当に後悔した」

「・・・・・・・・・・・え?」

 

ハングは思わず疑問符を放ってしまった。

 

「まだ私はあなたのことを何も知らない。ハングのことを何も知らない。それなのに、あんな形でお別れになるのかと思ったら・・・私は本当に後悔したの・・・」

 

ハングは顔をあげた。そこにはリンの強い視線が待っていた。

 

「あなたが海賊だったって聞いて、混乱もした。私の仇とハングが被って頭の中がぐちゃぐちゃになった」

 

半端にあった時間がリンに余計なことを考えさせた。

 

そんな時にヘクトルが来てくれたのだ。

 

自分の中の感情を吐き出しながら泣いて、喚いて、叫んで、罵倒して。

それでも側に立っていてくれたヘクトル。

そのお陰でリンは自分の中に残ったものを整理することができたのだ。

 

「でも、私は・・・やっぱりあなたを信じたいの・・・」

 

ハングは彼女とヘクトルとのやり取りの内容を知らない。リンの中でどんな葛藤があったのか、どう折り合いがついたのかはわからない。

それでも、自分には出来なかったことを誰かがやってくれたのはわかった。

 

殴られた頬は今も熱を帯びている。そのおかげで夜風がやけに心地よく感じた。

 

「だから・・・いつも、色んなことをはぐらかして・・・自分をさらけ出そうとしないハングを・・・」

 

リンが言葉を切る。波の音が静かに流れていた。

 

「私は許せない・・・」

 

ハングはリンを見ながら肩の力を抜いたのだった。

 

「・・・そうか・・・」

「ええ・・・」

 

真っ直ぐにハングを見つめるリン。

 

ハングがリンと初めて出会った時、その綺麗な瞳が強く印象に残ったものだ。

澄んでいながらも、その奥に仄暗い感情を沈め、それでも真っ直ぐに前を見ているその瞳。

 

もしかしたら、あの時から惚れていたのかもしれないと、ハングはふとそんなことを思った。

 

今、自分が何をすればいいのか。さすがのハングにももうわかっていた。

 

「何が・・・知りたい?」

 

答えはわかっていた。

 

「『ネルガル』・・・ハング・・・その人はあなたに何をしたの?教えて・・・くれるわよね?」

 

ハングは自分の目的を口にしたことは無かった。

 

それは自分の業に周囲を巻き込みたくなかったからだ。復讐の連鎖に共に捕まって欲しくなかったからだ。それがハングの利己だということはわかっていた。

 

「あぁ・・・わかった・・・」

 

だが、それも、今日までだ。

 

彼女や仲間達はハングに巻き込まれることを欲している。

 

ハングは近くで様子を見守っている仲間にも聞こえるように、少し大きな声で語り出したのだった。

 

「昔・・・話をしたことがあったかな・・・俺には妹がいたって」

「『エミリ』だったかしら」

「ああ、よく覚えてたな」

「少し印象的だったから」

「・・・そうか」

 

ハングは一度深呼吸をする。

 

「あの時は『死んだ』と言ったがな・・・正確には少し違う」

 

ハングはリンから目を逸らす。

 

「エミリは『死んだ』・・・『殺された』んだ」

 

多少の予想はついていたのか、リンは驚きはしなかった。ハングの話は続く。

 

「理由は今もわからない・・・ネルガルは数人の闇魔道士を連れて突然俺たちの村を襲った」

 

ハングは星空を見上げた。

 

「あとは阿鼻叫喚の地獄絵図だ・・・村人は手当たり次第に殺され、家は全て焼き払われた」

 

もう、あれから何年経つのか。だが、薄れゆく記憶の中でもあの時の映像は今も鮮明に残っていた。

 

「村の外にいた俺は慌てて駆け戻った。村は火の海だったよ。俺は周囲を火に囲まれながらも大通りを駆け抜けた。周りには生きながらに火をつけられ苦しむ村人が何人もいた。そんな大きな村じゃない・・・みんな顔見知りばかりだ・・・」

 

ハングは視線を甲板の上に戻す。

 

「そして、俺の家の前だった・・・あいつが・・・いた」

 

誰のこととは言わない。ネルガルしかいない。

 

「あいつは燃え盛る家から妹を引っ張り出し・・・結界の中に・・・」

 

今でも目を瞑れば鮮明に蘇る。

 

「閉じ込められた妹が・・・俺に気づいた・・・でも、見えない壁に阻まれて出られなくて・・・そこでネルガルが何か呟いた。そして、妹の足元に魔法陣が浮かび上がった。俺は・・・走った・・・でも、どうしようもなくて・・・全然足が動かなくて・・・結界にたどり着くこともできず・・・エミリは・・・俺の目の前で・・・」

 

ハングは自分の腕を掴んだ。左手の爪が食い込む。

 

「エミリの上半身が・・・消し飛んだ・・・」

 

息を飲む音が聞こえた。それが、誰のものかはわからない。

 

リンかもしれないし、他の誰かかもしれない。

 

だが、今はどうでもよかった。

 

「俺は・・・もう・・・何も考えられなくなって・・・ネルガルに噛り付いた・・・」

 

『なんだこのガキは?・・・ふむ、いい余興を思いついた・・・』

 

「そして、ネルガルは何を思ったのか・・・俺を結界の中に閉じ込めて・・・手当たり次第に魔法を放っていった・・・家が消し飛び・・・人が消し飛び・・・俺は結界の中で・・・何も出来ずにそれを見ているしかなかった・・・」

 

爪が食い込むハングの腕から血が滴る。リンはそれに触れようとしたが、途中で手を引っ込めた。

 

「全てが終わった時・・・村は無くなってたよ・・・文字通り・・・跡形も残らずにな・・・今となっては地図にすら載ってない。まぁ、もともと小さな村だったけど・・・」

 

ハングは笑う。どうにもならない絶望を語り、ハングは笑った。

 

「そこからだ・・・俺の目的が決まったのは・・・俺は全てを奪ったあの男を・・・殺す為にここにいる・・・」

 

ハングは疲れたように笑いながらそう言った。

 

「これが、俺の復讐の全てだ・・・」

 

ハングとリンの目が合う。

 

波の音がする。船が揺れる。ロープが風に流され、音を立てていた。

 

「そういうことだったの」

「ああ」

「ありがと、話してくれて」

「ああ・・・」

「話して・・・辛かった?」

「・・・・ああ」

 

二人は大きく息を吐いた

 

「リン・・・ごめんな」

「私も・・・ごめんなさい」

 

そして、二人は顔を見合わせてへらへらと笑った。

 

「なんだか、随分遠回りした気がするわね」

「だな・・・」

 

リンは手を伸ばして、ハングの腕から爪を外した。

 

「大丈夫?」

「こんなの、放っときゃ治る」

 

リンは引き離したハングの左腕を手遊びするかのように軽く叩いた。

 

「でも『死んだ』と『殺された』か・・・私はあの時から、私はハングに嘘を付かれてなのね」

「嘘はついてねぇよ」

「これからは言葉を減らして誤解させたり、勘違いしやすい言葉を選ぶことは全部嘘とみなすわ」

「・・・さて、他に何か聞いておきたいことはあるか?」

「だめよ、まずは約束して。『これからは、嘘を付かない』って」

「・・・嫌だ・・・と、言ったら?」

「・・・・・・・泣きたくなってきた」

「約束します」

 

女の涙はつくづく卑怯だと思うハングである。

それは、裏で話を聞いていた男性陣も同じ感想であった。

 

「ハング、もう一つ聞いていい?」

「今更、渋ることなんてなんもねぇよ」

「あの・・・」

「ん?」

「その・・・えと・・・」

「どうした?」

 

ハングにはリンがしたくない質問をしようとしてるように見えた。

 

「無理して聞くことなのか?」

「うん!・・・ってほどでもないのかな」

「・・・どっちだ?」

 

いまだハングの左腕を弄ぶリン。

 

「その・・・港で言ってたじゃない・・・その・・・『最愛の相棒』って・・・」

「え・・・言ったか?」

「うん・・・」

 

ハングは眉をひそめた。記憶をなんとか掘り返そうとするも、そのような事実が確認できない。

 

「言ったのか?」

「うん」

「俺が?」

「うん」

「お前に?」

「うん・・・・・・・って、違う!!違う!!私じゃなくて!」

 

ハングは胸をなでおろした。

いくら色々あったとはいえ、そこまで言った覚えはなかった。

 

「ハングが怒ったときに言ってたじゃない。『最愛の相棒の死体にしがみついて海を漂ってた』って」

「ああ・・・あぁ!あれか」

 

確かに言った。思い出した。

 

「それって・・・誰?」

「誰・・・ん~~~・・・」

 

ハングはなんと説明したものか悩む。

 

「誤魔化す気じゃないでしょうね」

 

リンの視線が痛い。

 

「違うっての・・・そうじゃなくて・・・どう説明したもんかな」

 

ハングはそれを『誰』だと言えばいいのかわからないのだ。

 

「どこから話すべきか・・・とりあえず・・・って、近い!」

「あ、ごめんなさい」

 

いつの間にか、リンがハングの目前まで迫っていた。慌てて離れるリン。

それでも、ハングの腕は掴まれたままだった。逃がしてはくれなさそうだった。

 

「何をそんなに焦ってんだ」

「ご、ごめんなさい・・・ただ・・・その・・・『最愛』なんて言うから気になって・・・」

 

どうとでも受け取れる発言だったが、ハングは聞き流すことにした。

 

「でも・・・説明しにくいってどういうこと?」

「ああ・・・そいつは・・・」

 

ハングはふとあの『背中』を思い出した。

 

「そいつは・・・」

「バカ!それ以上押すな!」

「きゃっ!どこ触ってるのよ!」

「うわああぁぁ!」

 

ハングの口が開き、一つの単語と一つの名前がつむぎだされていく。リンの目が驚きで見開かれた。

 

だが、ハングの言葉は誰かの叫びに掻き消えてしまい、遠くまでは届かない。

 

大きな音がして、近くに積み重ねてあった樽の影から何人もの人間が倒れてきた。ハングはため息をつき、彼らの所へ足を向ける。

 

「ま、待って!あの・・・ハング・・・それって・・・・」

 

リンはハングの左腕を掴んだまま離さない。

 

「じゃあ、ハングは・・・」

「皆まで言うな。あれは・・・ちょいと・・・話したくない・・・」

 

リンは押し黙った。

 

「安心しろ・・・多分、このことで喧嘩になるとは思えない」

「どうしてそう言い切れるの」

「そんなに悪いことはしてないからだ」

 

ハングはリンの手の中から左腕を引き抜いた。

 

「あ・・・」

「まぁ、そのうちな・・・俺が話せるようになったら話すよ」

 

ハングはリンにそう言って折り重なって倒れている仲間の隣に立った。

彼等を見下ろし、ハングは息を大きく吸い込んだ。

 

彼等が近くにいるのはわかっていたし、盗み聞きしているのも知っていた。

だが、彼等が隠れていることをバラしてしまった以上、ハングにはケジメをつける必要があった。

 

「お前らぁぁぁぁ!」

 

海の上に雷が響き渡った。



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19章~魔の島(前編)~

【魔の島】

常に深い霧に閉ざされたその島は海の中に亡霊のように佇んでいた。

霧の切れるわずかな時間を狙い、ファーガス海賊団の船は島へと近づいていった。

そして、エリウッド達はついに【魔の島】へと足を踏み入れたのだった。

リンとヘクトルは大地を踏みしめながら大きく伸びをした。

 

「ふぅ、ようやく着いたわね」

「なんか、動かねぇ地面ってのが変な感じになるな」

 

二日とはいえ船の上での生活は慣れない者にとってはやはり辛い。リンとヘクトルだけに限らず、揺れない地面に降り立った時の感覚は皆一緒だった。

 

「やっぱ、いいな・・・大地・・・」

 

完全に船酔いにやられたギィはサカの流儀で大地に感謝を捧げていた。

 

「さて、これで全部か?」

「はい!ハング様の御指示通りであります!」

 

ハングとマリナスの周りには水やら食糧やらが大量に並べられていた。

ここは何が起こるかわからない未開の地。普段なら不要なものでも必要な場合があり、その為の大荷物だ。

 

船から縄梯子を使って浜辺に降り立ったハングは【魔の島】の全容を眺めた。

見渡せるのは浜辺からわずかな距離だけ。視界の大半は巨大な樹海に塗りつぶされていた。

 

「おい、ハング」

「あ、お頭。ありがとうございました」

「とりあえず、俺たちは船を修繕しなきゃならん。二週間はかかるからな・・・それまでは待ってやれる」

「まぁ、それだけあればなんとかなるかな。戻らなきゃ全滅したと思ってください。墓標には適当に彫っといてくれれば十分です」

「はっ!どこぞで野垂れ死にする奴にかける時間も金もねぇ。彫りたいなら生きて帰って自分でやれ」

「はいはい、わかりましたよ」

 

ハングは楽しそうに笑う。

 

「ついでなんだがダーツが島の見物したいってんでな。連れてってやってくれるか?」

「戦力に数えられるなら大歓迎です」

「それだけは保証してやる。何せ丈夫なだけが取り柄だからな、ガハハハハ!」

「お頭~それはないっすよ」

 

船から降りてきたダーツ。持ち物は食糧と斧二本。また、騒がしくなりそうだ。

 

「よろしく頼むぜ兄弟!」

「おう、こき使わせてもらうぞ」

 

そんなこんなしてる間にも手の空いている仲間達は荷物を馬に乗せている。

 

皆の口数が多いのは不安の裏返しであろう。

 

これから、見るからに危険な場所へと足を踏み入れるのだ。不安にかられるのは人間として自然な反応と言えた。

 

ハングはその中でも最も不安要素の強い存在に目を向ける。

 

それはニニアンだった。

 

「・・・ありがとうございます。エリウッドさま」

「これぐらいお安い御用だよ」

 

ニニアンは馬の背に乗る方法をエリウッドから教えてもらっていた。

彼女の記憶はいまだ戻らない。常識的な事柄もいくつか抜け落ちているのもわかっている。旅路に同行させるのは酷ではあるが、エリウッドが率先して世話をやいている。

 

「えと・・・ニニアンさん・・・・ここをこうしてください」

「すみません。フロリーナさんにも・・・ご迷惑を・・・」

「そ、そんな。わたしなんか気にしないでください」

 

男性たるエリウッドの手の届かない諸々は一年前の旅で仲良くなったフロリーナが手伝っている。

その他にもレベッカ、セーラ、プリシラといった女性陣も手を貸しており、軍の中でもそこだけはやけに華やかだ。

 

そして、そんな華の香りに虫が一匹引き寄せられていく。

 

「ああ、ニニアンさん!なんとおいたわししししししーーーーぃぃいぎゃああ!」

 

ニニアンに近づこうとしたセインが闇の塊に引きずり込まれるように吹き飛ばされる。

その闇を作り出したカナスは困り果てた顔でケントと話をしていた。

 

「あ、あの。ケントさん。こんなことを毎回してよろしいのでしょうか?」

「カナス殿はお気になさらず、ぞんぶんにやってかまいません」

 

セインの抑制役がケントに加えて一人増えていた。おかげでセインを初動の段階から始末できている。ハングとしては嬉しい誤算だった。

 

「でも・・・ニニアンって肌綺麗よね・・・どんな手入れしてるの?」

 

ふと、セーラがそんなことをニニアンに聞いていた。

 

「手入れ・・・ですか?・・・多分・・・何もしてないかと・・・」

「えぇ!じゃあ、もしかして髪も何も手入れしてない・・・・とか?」

「はい・・・」

 

「羨ましい・・・」という溜息は複数の方向から聞こえてきた。

 

そんな女性ならではの会話から自然な所作で身を引いてきたエリウッドはハングに声をかける。

 

「ハング。それで、どこに向かうんだい?」

「わからん」

 

エリウッドの顔が固まった。なかなか間抜けな顔だった。エリウッドがここまで油断した顔を見せるのも珍しい。ハングは笑いをこらえるようにして、言葉を足した。

 

「わからないからな。とりあえず帰る方向を見失わないようにしながら、樹海に入ろうと思う」

「驚かさないでくれ、本当に対策がないかと思ったじゃないか」

「悪い悪い、少し俺も・・・飲まれそうなんでな」

 

ハングはは笑顔を引っ込め、視線を樹海へと向けた。

 

そこに佇む暗く、深い森。

 

人間には生理的に足を踏み入れることを拒絶したくなる場所がある。

 

それは、臭いのこもった洞窟であったり、廃墟と化した洋館だったり。

そして、この森も間違いなくその類の場所だった。

 

ハングは背筋に走る悪寒を感じながら、その森を睨みつけていた。

 

ただ、世の中にはそういった嫌悪感に囚われない人種もいるのだ。

リンとヘクトルはまさにそういった人間だった。

 

「ハング!偵察に行きましょ!」

「エリウッド!何やってんだよ!置いてくぞ!」

 

軽快な足取りで周囲の探索の準備をすませた二人を見て、ハングは呆れたように目を細めた。

 

「あの二人はなんであんな元気なんだ?」

「ヘクトルはいつもああだけど、リンディスは誰かさんと仲直りできたからじゃないのかい?」

「・・・・・・・うるせぇ」

 

ハングはエリウッドを軽く睨みながら足を樹海へと向けたのだった。

 

リンとヘクトルに並んで、ハング達は樹海の近くへと歩いていく。

ハング達はあまり仲間達と離れないようにして、樹海の手前から様子をうかがい、森の境界に沿って歩いていった。

 

「ん?」

 

だが、その足がふと止まった。

森の中に人影を見つけたのだ。

 

ハングが最初に気づき、すぐにリンもそれを見つけた。

 

「どうしたんだい。二人とも」

「なんだよ、もう戻んのか?」

 

まだ気づかない二人をハングは手をあげて二人を黙らせた。

 

「あそこ・・・誰かいる・・・」

 

リンの静かな声。彼女の指差した先には霧に紛れつつ、誰かが木に寄りかかるようにして立っていた。

 

「先客か?・・・・ん?」

 

その時、少し風が吹いたせいか、霧が少し晴れた。

そのわずかな間で確認できたのは、赤毛と長い前髪。その顔には見覚えがあった。

 

「なんだ、レイラじゃねぇか」

 

ヘクトルが安堵した様子で斧から手を離す。

キアラン城であったオスティアの密偵であり、マシューの思い人だ。

 

「なんだ。緊張して損したわ」

 

リンもまた剣から手を離す。ハングとエリウッドもお互いの顔を見て笑顔をこぼした。

 

自分達は予想以上に気を張り詰めていたらしい。

 

「よう、レイラ。お前、よくここに来れたな?」

 

ヘクトルが緊張を解いて声をかける。だが、返事がない。

 

「レイラ?どうした?」

 

一歩踏み出したヘクトル。ハングも少し首をかしげていた。

 

「ヘクトル・・・」

「ああ、様子が変だ」

 

ハングとヘクトルは緊張感を取り戻しつつ、更に歩を進めた。レイラにはもうハング達の姿が見えているはずだ。なのに彼女はまるで微動だにしなかった。

 

刹那、強い風が霧をさらった。

 

「んっな!!!」

「・・・・っ!!」

 

二人が瞠目する。

 

「どうしたの!?」

「来んなぁ!!!」

 

足を踏み出そうとしたリンをハングが怒鳴って止めた。

 

「なんだよ・・・なんだよこれは!」

 

ヘクトルの叫びが霧の中を反響する。

 

ハングは思わず胃袋の中身をぶちまけそうになった。それでもハングは彼女から目を逸らさなかった。否、逸らせなかった。

 

ハングとヘクトルの前には目をうっすらと見開いたレイラがいた。だが、その瞳は何も映していない。

 

彼女の首には両側から大きな切れ込みが入っていて、白い骨が覗いている。胸の中心に空いた大きな穴から木の枝が突き出ており、それが彼女の身体を木の幹に磔にしていた。それだけではない、彼女の身体はありとあらゆる関節が破壊され、あらぬ方向に曲げられている。

 

それは、明らかな悪意と敵意をもってやられた所業だ。

 

「ヘクトル・・・これは・・・」

 

エリウッドが口元を抑えながら近づいてくる。

 

「エリウッド・・・リンディスはどうした?」

「後ろにいるよ・・・でも、見せないほうがいい」

 

ハングは頷きつつ、剣を引き抜き彼女の胸から突き出た枝を叩き切った。

ハングはヘクトルと二人がかりで彼女の身体を木から降ろしてやる。

自分の知人を殺されたのはヘクトルだが、ハングもまたそれに近い程の怒りを覚えていた。

 

「くそったれ・・・どこの、どいつだ!こんな・・・こんな!」

 

ヘクトルが血を流さんばかりに歯を噛み締めていた。

それだけ、レイラの状態は酷いものだった。

 

「拷問でも受けたのか・・・」

「いや・・・違うな・・・」

 

ハングは吐き気をこらえながら死体の状態を調べる。

 

「関節が壊されてる割には内出血が少ない・・・胸の大穴の断面の色もおかしい・・・死因は首への一撃・・・それ以外は死んだ後にやられたもんだ」

 

こんなことする理由など決まっている。

 

「ネルガル・・・また・・・てめぇなのか・・・」

 

ハングの村にやったことと同じだ。

 

『見せしめ』と『余興』

 

ハングは震える手で彼女の瞼を閉じてやる。冷たくなった彼女の体は、痛烈な違和感を手のひらに残していった。

 

ハング達は彼女の歪められた身体を1つずつ丁寧に戻していく。

手足の関節を整え、胸の穴や首の傷を包帯で覆う。

そうして、最後に彼女の両手を胸の前で組ませた。

 

『この一件が片付いたらあいつを家族に紹介するつもりなんですよ!』

 

城壁の上で饒舌になっていたハングの友人。

そのことを思うと、胸がはちきれそうだった。

 

「リンディス・・・もういいぞ・・・」

「ええ・・・」

 

ヘクトルに促され、リンが近寄ってくる。

 

彼女はようやくレイラに対面する。レイラは彼女の祖父であるハウゼン様を救った。

彼女には言葉にできない程の恩があった。マシューとの関係も知っていた。自分にできることなら幾らでもしてあげられると思っていたのだ。

 

リンはレイラの傍に膝をつき、サカの民に伝わる言い回しで言葉を紡いだ。

 

それは、サカ流の葬儀だった。

 

肉体は母なる大地に帰り、魂は父なる空へと戻っていく。

 

彼女の祈りを聞きながら、ヘクトルがその場から背を向けた。

 

「マシューを・・・連れてくる」

「僕がいこうか?」

「いや・・・それはだめだ。これでも、俺はあいつの主君だからな」

 

そう言われることはエリウッドにもわかっていた。だが、声をかけずにいられなかった。

ヘクトルは親友の視線を背に受けて皆の待つ方へと戻っていった。

 

その時、轟音があたりに響いた。

 

エリウッドとリンが驚いてその方を見る。そこではハングが左腕で木を殴りつけていた。

 

「ちきしょうが・・・ちきしょうが・・・」

 

ハングの胸に過去の記憶が去来していた。

辱められたレイラの遺体が様々な人間と重なって見えていた。

 

「ネルガル・・・ネルガル・・・ネルガル!!」

 

怨嗟の声が響き渡る。

 

「ハング・・・」

「エリウッド・・・悪い・・・今・・・俺は自分を抑えられない・・・少し・・・頭冷やしてくる」

 

そう言って去ろうとするハング。

それを遮るように陽気な声がした。

 

「だめッスよ。ハングさん」

 

ハングが振り返るとそこにマシューがいた。ヘクトルも一緒だ。

 

「ハングさん。そうやって現実から目を背けないと頭冷やせないんじゃだめでしょ。理不尽も非情理もこの世には溢れてんです。それに直面するたびに八つ当たりしてたんじゃ軍師失格ですよ」

 

マシューは軽い足取りでハングに近づいていく。

 

「レイラは仕事でドジった。ただそれだけのことですよ」

 

そう言ってマシューはへらへらと笑う。

 

「マシュー・・・てめぇ・・・何笑ってやがるんだよ!」

 

そのマシューにハングが掴みかかった。

 

「レイラは・・・レイラは・・・お前の・・・」

 

マシューはそれでも飄々と笑ってみせる。

 

「何ですかハングさん。もしかして、自分と俺を重ねてません?」

「っ!!」

 

ハングの目が強く見開かれるのをマシューは間近で見ていた。

 

「自分の恋人が殺されたら、まぁそうですよね。それに、どうも・・・相当凄惨なことになってましたか?」

 

ハングが息を飲む。それが、いい証拠だった。

 

「そうですか・・・ハングさん、ダメですよ。下の者が死んだからって取り乱してたら身が持ちません」

 

ハングの腕から力が抜ける。それに比例するように彼の頭も垂れ下がっていく。

 

ハングの体が震えていた。だがそれも、次第に静まっていく。マシューにはハングが自分の中で憤りを無理やり消化していく様子が手に取るようにわかっていた。

 

そして、ハングは最後には小さく言葉をもらした。

 

「・・・・すまん・・・・」

 

それが、ハングの精一杯だった。

 

「わかってくれてよかったですよ・・・それにしても・・・へへへっ・・・この仕事が終わったら足洗わせるつもりだったんですけどね。間に合いませんでしたか・・・」

 

マシューの目に悲しみは無い。それが、密偵として感情を殺しているだけなのか、それとも現実に心が追いついていないだけなのかはハングにはわからなかった。

 

ハングはマシューから手を放す。

 

「ようやく、落ち着きましたね。いや~でも、これは本当はリンディス様の仕事なんですよ。夫を支えるのは良き妻の第一歩ですから・・・・なんちって」

 

珍しく饒舌になり、冗談を飛ばすマシュー。誰も笑いはしなかった

 

「ふぅ・・・ハングさん、若様。俺ちょっと抜けていいですか?こいつ、弔ってやんねぇと」

「ああ・・・」

「わかった」

 

大きく深呼吸したハングと神妙な面持ちのヘクトル。

彼らはリンディスとエリウッドを引き連れて皆の待つ場所へと戻っていった。

 

二人きりとなったマシューとレイラを残して。



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19章~魔の島(中編)~

皆がいる場所戻ってきたハング達。そこでは未だに出発の準備が行われていた。戻ってきた四人の空気を感じ取ったのか、全員の口数はさっきより減っている。

 

「・・・エリウッド様・・・なにか・・・あったのですか?」

「いや、ニニアンは気にしなくていい」

 

記憶を失っても彼女の優しさは損なわれてはいないようだ。おぼつかない足取りでも、彼女は真っ先に近づいてきた。

 

「それよりも、嫌な森だな」

 

ハングは自分の気持ちを切り替えるためにも、努めて明るい声をだした。

 

「薄暗いし、湿度も高そうだ。季節がいいからあまり暑さを感じないのが救いだな」

「ん?この島は普段は暑いのか?」

 

ヘクトルもまた自分の中の何かを振り払うかのように妙に元気の良い声を出していた。

 

「多分な。木の種類と下草の状態でその土地の気候はだいたいわかる」

「へぇ、軍師ってのはそんなことまでわかんのか」

「まぁな、気候が変われば人の体調も変化する。不慣れな土地の気候がすぐわかるってのは大事なことなんだ」

 

 

少しの雑談で何かを忘れられるわけではない。だが、それでも少しでも気が紛れる。

今はそれが必要だった。

 

だが、ここは【魔の島】

 

休息の時間は与えてもらえなかった。

 

「!!・・・何か、来ます!!」

 

ニニアンが叫んだ。

 

「は?」

「構えろ!ヘクトル!」

 

ハングは素早く剣を引き抜いた。

 

それはニニアンの『力』だ。自分達に迫る危機を少し前に知る能力。

だが、今回は彼女の警告はあまりにも遅すぎた。

 

ハング達が構えた直後、突如として霧の中から騎兵が躍り出てきた。

 

「ぐおっ!」

 

騎馬の進行方向にいたハングが弾き飛ばされる。

その騎兵は芸術的なほどの手綱さばきでエリウッド達の間を駆け抜けていく。

そして、ハングが頭を抑えながら体を起こした時、既に事は終わっていた。

 

「リンディス!」

 

エリウッドがレイピアを構え、その騎兵と向き合っていた。騎兵の腕の中にリンがいた。

彼女の首に太い腕が回され、更に刃の幅の大きな剣があてられいる。それは、サカの遊牧民がよく使う青龍刀に似た剣だ。

 

リンを人質にとられ、武器を構えた者たちの動きが止まる。

 

全員の動きが止まったのを確認して、その騎兵は馬上から厳かな声を放つ。

 

「この女の命が惜しくば・・・」

 

その言葉を遮るかのように風を切る音がした。ハングは突如として奇襲をしかけていた。

交渉が始まる前なら何をしても文句は無いだろうと言わんばかりの先制攻撃だった。

『竜の腕』の跳躍で背後に一気に飛び込み、頭上から切りつける。だが、振ろうとしたハングの剣は騎兵の迎撃に簡単に弾き飛ばされてしまった。

 

「ってぇ!」

「ハング!!」

 

ハングは頭を抑えながら地面に転がる。リンが騎兵の腕の中で暴れようとするが、再び突きつけられた剣に動きを封じられた。

 

「・・・・・・・・」

 

騎兵は今しがた奇襲をしかけてきたハングと腕の中のリンを見比べた。

だが、結局何も言わずにエリウッド達へと再度向き合った。

 

「この女の命が惜しいなら、その娘をこちらに渡せ」

 

騎兵が見ていたのはエリウッドの隣に佇むニニアンだった。

エリウッドがその視線からニニアンを守るように一歩前に出た。

 

「君は・・・草原の民か・・・」

 

霧の中に佇む騎兵。独特の幾何学模様の折り込まれた服装と光加減で深草色に見える髪はサカの民族の特徴だ。

 

「そうだ・・・俺は【黒い牙】のウハイ。その娘の身柄捕獲と・・・おまえたちの命を奪うよう命令を受けた。だが、もしも・・・その娘をおとなしく引き渡しこの島から立ち去るのであれば見逃してやってもいい」

「そんなこと・・・私たちが従うとでも?」

 

腕の中のリンがかすかに笑いながらそういった。

彼女が気丈に振る舞えるのは肝が据わっているからなのか、それともウハイが同郷だと知ったからか。

ウハイはリンの首を少し締めながら抑揚のない声でしゃべる。

 

「おまえたちは無知だ。ネルガルの恐ろしさも・・・なにも知らないから、立ち向かおうとなどと思うのだ」

 

ネルガルの名前にハングの眉が跳ねる。だが、ハングはそれ以上の行動を見せない。

 

「おまえたちが動いたところで事態は何も変わらん。悪いことは言わんここから立ち去れ!!」

 

ウハイが声を張り上げる。

剣先がわずかにリンの首筋からずれる。

そのわずかな変化をハングは見逃さなかい。

そして、エリウッドもまたその隙を見定めていた。

 

エリウッドはハングと目配せをして間合いを計る。

ハングは剣に寄り掛かるようにして足に力を込めて立ち上がった。

 

エリウッドは自分に注目を集めるかのように剣を身体の前で構えた。

 

「・・・確かに僕たちは何も知らないかもしれない・・・」

 

ウハイの死角でハングが剣を再び構える。

 

「だが、ここで逃げても何も変わらない・・・だったら、どこまでもあがけるだけ、あがいてみせる!」

 

エリウッドはウハイを睨み付ける。その気迫にウハイの視線が固定される。

 

「・・・愚かな」

 

今だ!

 

ハングはその場から一気に加速した。

 

「って!うおっ!!」

 

だが、その直後、ハングの腕の中に馬上からリンが投げ込まれた。

ハングが彼女を受け止めるそのわずかな間にウハイは馬を駆けさせて間合いを取ってしまった。

 

「リン!大丈夫か?」

「うん」

 

リンはハングの腕から離れウハイの方に向き直る。

 

「・・・どうして、私を解放するの?」

「女を人質にとったまま戦うなど、恥だ」

 

リンが解放されたことにより、仲間たちが一様に殺気立った。

 

「リンディス様!お怪我は!?」

「貴様ぁぁ!美しい花に素手で触れるとはいい度胸じゃねぇか!」

 

ケントとセインが前に出る。それを一瞥して、ウハイは馬首をめぐらした。

 

「よかろう。では、せめてもの情けだ・・・ここで全滅させてやる。この先の地獄を、見なくて済むようにな!」

 

ウハイの言葉にセインが鼻の下をこすって啖呵を切った。

 

「なめるなよ!こちとら毎日地獄を見てるんだからな!!」

 

高らかに宣言するセインに仲間たちが冷たい目を向けた。

 

「それは貴様が原因だろ」と、ケントが冷静に突っ込む。

「ケントの言う通りね」と、リンも冷たく言い放つ

「同意だ」と、ハングがとどめを刺した。

 

もはやどっちが味方だかわかったものではない。

そセインが精神的に打ち砕かれている間にウハイは霧の中に紛れて消えてしまった。

 

「さて・・・冗談はさておき、ちょいと面倒なことになりそうだ・・・」

 

ハングは周囲に敵兵の気配を感じながらそう呟いた。

 

奇襲なら地の理がある向こうが圧倒的に有利だ。しかも、周囲の視界が霧に覆われているこの状況では警戒を続けるだけで精神的消耗を強いられる。戦闘が長期化すればジリ貧になっていくのは目に見えていた。

 

「・・・・・・あの」

「ニニアン、君は隠れているんだ。迎え撃つぞっ!!マーカス!彼女は任せたぞ!」

「お任せあれ!」

「・・・・あの・・・エリウッド様!」

 

マーカスに連れられて後方に消えていくニニアン。

そのエリウッドにヘクトルがわずかに笑みを浮かべて肩を並べた。

 

「・・・・お姫様を後方に下げたか。エリウッド」

「ああ、彼らが彼女を狙ってるのは間違いない」

 

エリウッドは他意など何も無いと言わんばかりにレイピアを引き抜いた。

 

「なるほど、あのお嬢さんが『私が向こうに行きます』とか自己犠牲を言い出す前に自分の声の届かぬ場所へと下げたってわけだ」

 

エリウッドは決してヘクトルの顔を見ないようにしていた。

 

「あの娘からの頼みは断れなさそうだもんな、エリウッド」

「ヘクトル、そろそろ戦いに集中しないか」

 

エリウッドは顔色一つ変えずにそう言い放った。親友のその態度にヘクトルは肩をすくめ、我が軍の軍師の方へと顔を向けた。

 

「そんで、ハング。策は?」

 

今のやり取りを見ながら策を張り巡らせていたハング。既に結論は出ていた。

 

「奇襲には奇襲・・・と、言いたいところだがそうもいかなさそうだ。かといってこの霧に突っ込むのも自殺行為だ。槍衾と、いくか」

「は?槍衾?」

 

頭に疑問符を浮かべたヘクトルと納得したエリウッド。ハングは二人に策の内容を話す。

 

「ヘクトル、今回はお前が指揮を取れ、俺は遊撃部隊を率いる」

「わかった。任せろ」

「念を押しとくが、お前が指揮官だからな・・・無暗に前線に立つんじゃねぇぞ」

「わ、わかってるよ・・・」

 

少し自信のなさそうなヘクトル。

ハングは不敵に笑って部隊の編成を始める。

 

そんな時、どこからともなくマシューが姿を見せた。

 

「ハングさん。戦闘ですか?」

「・・・マシュー・・・もう、いいのか?」

「ええ・・・こう霧が深くて、なんだか薄気味悪い場所こそおれの出番なんですからそうそう落ち込んでもいられませんよ」

「でも・・・」

「・・・自分のことで任務さぼったって知ったらそれこそレイラの奴が許しちゃくれませんって。おれは、大丈夫です」

 

ハングは自分がいつの間にか拳を握りしめていることに気が付く。

ハングは小さく息を吐いて、その拳を緩める。

 

「・・・わかった。こきつかってやるから覚悟しろよ」

「それは勘弁してください。できれば楽で命のかからない仕事がいいです」

「んじゃ、セーラを任せる」

「いやー、難しい仕事最高!面倒事でもなんでもどんどん来てください!なんなら前線だって張っちゃいますよ!」

 

そう言って笑ってみせるマシューの顔からは何の感情も読み取れない

 

嘆くことも、悲しむことも、憎むこともしていない

 

ただ、ハングの目は誤魔化せない。

ハングはマシューの瞳の中に一つの決意が宿っているのを見抜いていた。

 

『どうして・・・俺のまわりには復讐を求める奴ばかり増えていくのだろうか』

 

周囲を全力で警戒しているマシューを見ながらハングはそう思わざるおえなかった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ハング、遊撃隊って言ったよね」

 

エリウッドがハングの隣で眉をひそめていた。

 

「ああ、そうだけど」

「これって遊撃隊なのかい?」

「そりゃそうだろ。少人数による機動力を生かして戦場を駆ける遊撃隊だ」

「それにしても、人数が少なすぎないかい?」

「いいんだよ別に・・・今回はむしろそれがいいんだ」

 

ここにいるのは、ハングとエリウッド。そして、周囲の警戒にあたっているリンの三人だけだ。軍の主要人物の三人による遊撃隊。だが、これはある程度の理にはかなっていた。ここにいるこの二人は軍内部でもバランスのとれた足と技を持っている。

 

「エリウッド、ハング、向こうが始まったみたいよ」

 

リンにそう言われ、ハングとエリウッドは耳を澄ませた。

確かに、霧の中からくぐもった戦闘音が聞こえてきていた。

 

「始まったわね」

「ああ・・・」

 

ハング達もそろそろ行動を開始すべきだ。

 

「だけど、やはりこちらにこの三人がいるのは問題があるんじゃないかい?」

「まだ言うか」

 

疑問があったら、それを惜しみなく質問にぶつける態度は立派ではある。ハングとしてもその方が教えがいがある。だが、戦闘が始まってからもその態度が続くのはあまりよろしくはなかった。

 

「ヘクトルの部隊の指揮官が一人だ・・・これだとヘクトル一人に負担が・・・・」

 

そこまで言って、エリウッドは何かに気が付いたかのように押し黙った。

 

「そうか・・・それで、こういう配置か・・・」

 

エリウッドは納得したように頷く。

 

「今のヘクトルは・・・前線には立たせられないから・・・か」

「そうだ。今は・・・な」

 

ハングは疲労を帯びた声でそう言った。

 

今のヘクトルは前線に出すよりも指揮を取らせた方がいい。そして、できるだけ指揮に忙殺されるぐらいでちょうどいいのだ。

 

なんとか態度を誤魔化してはいるが、ヘクトルの内心はレイラの死でかなり不安定だ。斧を持って前線に出ようものなら、血の滾りが抑えきれないだろう。そんな時にハングやエリウッドが傍にいるのはこの場合逆効果だ。

 

『自分が我を失っても指揮は大丈夫』

 

ヘクトルにそんな保険すらかけさせまいと、ハングは遊撃隊として軍から離れたのだ。

 

「ハングもヘクトルの扱い方を随分と心得てきたね・・・」

「あんまり嬉しくないやり方だがな・・・」

 

ハングは頬を軽く叩いて気持ちを切り替えた。

 

「さて、こっちも行くぞ。目標は敵背後。二人とも、松明は持ったな」

 

ハングの問いに二人は松明を取り出して火をつけ、適当な木の棒にくくりつけて手近な場所に差していく。

 

これが今回の作戦の肝であった。

 

ハング達は周囲を警戒しながら、松明を放置して進んでいく。当然、霧の中で松明の明かりは目立つ。光に誘われる虫のようにハング達の方にも敵が寄りだしていた。

 

「おっと、お出ましだ」

 

ハングがその気配にいち早く気が付いた。

 

ハングがリンより先に敵の気配を察知できたのは理由があった。相手が闇魔道士だったのだ。闇魔法の独特の気配をハングは肌で感じ、霧の中に突っ込んだ。魔法陣が完成してから魔法が発動までのわずかな時間差。そのわずかな間でハングは敵の攻撃の当たらぬ位置に飛び込み、闇魔道士の懐に潜り込んだ。

 

「じゃあな・・・」

 

ハングは下から切り上げるような一撃を見舞う。手応えを十分に感じた。

その後ろで、リンとエリウッドが周囲に注意を向けている。

 

「ハング、羽の音がする!敵に天馬部隊がいるみたい!」

「さすがに、ただで後ろは取らせてくれないか」

 

視界が悪い中で目に頼るのは逆に危険だ。ハングは聴覚に神経を集中する。

聞こえてくるのは鳥にしては大きな羽音。そして、遠くから聞こえる戦いの喧騒と闇魔道士の気配。様々な情報の中からハングは必要なものを取り出した。

 

「エリウッド、天馬騎士を頼む!リン、向こうの橋を陣取れ!遠隔攻撃は気にすんな。目の前の敵に集中しろ!」

「了解」

「わかったわ」

 

ハングは一度剣を振って血を払い、この霧の中でもはっきりとわかる闇魔道士の空気をたどって走り出した。

 

自分ができることをこなす。

 

ハングは胸の奥に潜む怨嗟の熱さをなんとか忘れようと、ただ剣を振り抜いた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

『槍衾』

 

ハングが提示したその言葉の真意は四方八方の迎撃に特化した防御陣形のことである。

 

「前方より、騎馬の突撃!来ます!」

「オズイン!ロウエン!守りを固めろ!」

「任されました」

「はい!」

 

四角く作った陣形を切り替えながら、霧の中からの襲撃に対する迎撃を繰り返す。

この陣形は一見すると指揮を取るのは簡単そうに見える。確かに、これは方陣の応用であり、軍術の基礎さえ学んでいれば構築するのは容易だ。だが、問題はこの陣形を維持することの方にあった。

 

「左翼の森から弓です!」

「エルク!ちょっと!それ雷の魔道書じゃない!」

「エルク、威嚇で一発!ウィルとレベッカが援護にまわれ!ドルカス!あとは任せた!」

 

雷が轟き、一瞬世界白く染まった。

 

この陣形、方陣と同じく押しても引いても形が崩れる。統制を失った陣は隙を産み、そこに敵の攻撃を受けようものならすぐに潰走に繋がる。『槍衾』を維持したまま迎撃と移動を続けるのは相当に神経を張り詰めるのだ。

 

ヘクトルは戦況を全神経を使って見極めながら指示を出し続ける。一応、オズインを始めとした騎士達が補佐をしてくれているとはいえ、その精神的疲労はバカにならない。

 

ヘクトルは戦ってもいないのに玉の汗をかいていた。

 

だが、そのおかげで余計なことを考える暇もなく、本人としては多少気が楽ではあった。

 

「敵の第三波が見えます・・・でも、距離が遠いです」

「よし、前進だ」

 

フロリーナの助言を元に指揮を執るヘクトル。この霧の中では高所からの情報収集も大した役には立たないが、全方位を見渡せる視野というのは極めて大事だった。フロリーナは周囲に気を配りながら、指揮を執るヘクトルの背中を見ていた。

声を張り、汗を飛び散らせるヘクトル。傍目には戦場に忙殺されているだけのように見えるが、フロリーナにはその背中がなぜか泣いているように見えていた。

 

それはフロリーナの親友がサカの草原で時折見せていた背中によく似ていた。

 

そのヘクトルが突如フロリーナを見上げた。

 

「おい!オメェ!?」

「ひゃ、ひゃい!!」

 

ヘクトルの鋭い声に変な声を出してしまうフロリーナ。それでも、逃げなかったのは彼女なりの成長の証であろう。

 

「そろそろ頃合いだ!エリウッドと情報共有に行って来い!」

「は、はい!」

 

フロリーナは素早く反転、霧の中を飛んで行く。

ヘクトルは彼女が霧の中に消えて行くのを待たず、すぐさま指揮を執る。

今のヘクトルに何かを察する余裕は欠片も無かった。

 

一方、霧に紛れて空を飛ぶフロリーナ。

 

その途中で彼女に問題が生じていた。フロリーナの愛馬が鼻をひくつかせて止まってしまったのだ。

 

「ヒューイ?どうしたの?」

 

ヒューイはわずかに嘶き、背中に乗るフロリーナの目を見た。

フロリーナはヒューイの澄んだ眼の中に少しばかりの懐古と喜びの色が含まれているのを読み取った。

 

「え?どうしたの?こんな場所で・・・」

 

フロリーナは必死に視線を巡らす。

 

そして、フロリーナの耳がその羽音を捉えた。

 

「え・・・・」

 

霧の中から姿を見せる一人の天馬騎士。

それはとても、とても懐かし姿だった。



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19章~魔の島(後編)~

「あらかた片付いたかな」

 

ハングは剣についた血を拭いながらそう言った。

 

「こちらの動きが気付かれたと思うかい?」

「別に今は気付かれてもかまわねぇさ。問題はここからだ」

 

エリウッドとリンも同じように剣の血を払い、剣を鞘に納める。

そんな時、リンがエリウッドに声をかけた。

 

「さっきから見てたけどエリウッドのその剣技って相当なものね。私知らなかったわ、エリウッドがそんなに強いなんて」

「あの戦闘の中で観察する余裕があったのかよ・・・」

 

ハングの驚いた個所はそこであった。

だが、ハングの反応は二人に黙殺された。

 

「それなりに訓練は積んできたよ。ただし、実戦で役立つかは少し不安なとこがあったけどね」

「その剣、どこで学んだの?」

「基礎は、父上に教わった。後は、マーカスから訓練を受け、ヘクトルとも、ふた月に一度手合わせをしている。ハングと一緒に旅するようになってからは彼とも時々手合せしてるよ」

「へぇ・・・それで、戦績は?」

 

リンがハングの顔を覗き込む。

ハングは自信満々に鼻を鳴らした。

 

「今のところ俺の26連敗中だ」

 

情けないが事実だ。というか、情けない事実だ。

 

「ハングは相変わらずね」

「うるせぇよ」

 

ハング自身も自分が弱いことは十分に自覚していた。

軍師だからそれほどの剣技はいらないのも事実だが、リンの手前あまり弱すぎるとハングの矜持に関わるのだ。

 

「それじゃあエリウッド。今度は私と手合わせしてみない?」

「リンディスと?もちろん、構わないよ」

 

そんな約束を交わすエリウッドにハングが釘を刺す。

 

「言っておくが、手加減しようなんて思うなよ。こいつ、常に本気でくるからな。気を抜いたら、ひどい目に合うぞ」

「知ってるよ。ハングは一年前の相当煮え湯を飲まされたらしいね」

「誰に聞いた?」

「セーラだ」

「やっぱりか・・・」

 

あのお喋りシスターの口はそのうち縫い閉じた方がいいと思うハングであった。

 

「おっと、そろそろフロリーナから連絡が来るはずなんだが・・・」

 

ハングは新しい松明を地面に差し込んで霧に包まれた空を見上げた。

 

「遅いね」

「まさか、何かあったんじゃ!」

「それは否定できんが、多分大丈夫だ」

 

ハングは再び目を閉じて聴覚を研ぎ澄ませる。その耳に羽音が飛び込んできた。

 

「ん?羽音が二対あるな・・・」

「あ、私も聞こえた・・・ペガサスが二羽?敵かしら?」

 

リンとエリウッドが再び警戒態勢に入る。

その直後、霧の中からフロリーナの声が降ってきた

 

「エリウッド様!リンディス様!」

 

霧の中から現れた姿はまさしくフロリーナのものだ。

だが、ハング達が聞きつけてた音の通り、フロリーナの隣にはもう一騎天馬騎士がいた。

 

ハング達の傍に危なげに着地したフロリーナ。それに続いてもう一人の天馬騎士も着地する。

 

見るからに真面目そうな顔立ちと肩までかかるぐらいで揃えられた髪。

彼女はその髪が視界の邪魔にならないように額のあたりを細い紐で縛っていた。

 

その顔を見て、リンが声をあげた。

 

「あっ・・・フィオーラお姉さん!!」

「え?リン、お前姉妹がいたのか?」

 

リンが思わずといった感じでこぼした一言。それに目の前の女性は眉一つ動かさずに答えた。

 

「フロリーナの姉のフィオーラと申します。以後、お見知りおきを」

 

その挨拶はハングというよりエリウッドに向けられていた。軍主にまず挨拶する礼儀をわきまえているようだ。

それに加え、彼女の頭の下げ方にハングは思い当たる節があった。

 

「フィオーラさんは・・・傭兵部隊ですか?」

「はい・・・もう・・・部隊はおりませんが」

 

ハングの顔が真剣味を帯びる。

 

「・・・・・・詳しく話を聞かせてもらえますか」

 

フィオーラは感情を見せることなく静かに頷いた。

 

「私は・・・ある人の依頼で【魔の島】の調査をしていました。ですが、島の者達からの攻撃を受けて部隊が全滅してしまい・・・今は私一人です」

 

淡々と語る彼女の声音は無理やり自分を抑えつけている響きがあった。

だが、それでも彼女の目は死んではいない。

 

それは復讐や怨嗟ではなく、今もなお自分の仕事に取り組もうとする責任感の輝きだった。

 

強い人だ・・・

 

ハングはそう思わざるおえない。

 

復讐に走る俺やマシューなんかより、この人はずっと強い。

 

「なるほどな。ってことはここに来たのは、自分一人で任務はこなせないから、俺達の軍で調査を続けようという狙いですか?」

「はい。その通りです。その為に私を貴軍に雇っていだたきたいのです」

 

悪びれた様子もなく言い放つフィオーラ。

その態度は清々しい程に真っすぐだった。

 

「もちろん、自分が傭兵であることに変わりはありません。この部隊に参加させていただけるなら、戦闘には全力で取り組みます」

「なるほど・・・」

 

ハングはフィオーラの武器をやペガサスの毛並みを眺めた。

 

「ちなみに、フィオーラさんは部隊長でしたか?」

「はい」

「部隊長としてこの島に入り、部下を全滅させたと」

「返す言葉もありません」

 

その時、ハングは自分の後ろから強烈な殺気が放たれるのを感じた。

おそらく、リンのものだ。

 

フロリーナの親友である彼女なら、その姉であるこの人とも関わりが深いのだろう。『姉さん』と呼んでいたことからもその辺は明らかだった。ハングはそのフィオーラを追い詰めるような発言をしているのだ。リンの剣が抜かれてないだけ御の字なのかもしれない。

 

ハングは嫌な汗がうなじから流れ落ちるのを感じていた。

だが、そんなことをおくびにも出さず不敵な笑みを浮かべていた。

 

「なるほど・・・随分な申し出だ」

「はい。私もそう思います」

 

彼女は一言も言い訳をしなかった。バカが付くほど真面目で愚直。

 

ハングはなんとなくその態度からケントのことを思い出していた。

多分、ケントが女性として生まれていたらこんな感じだったのだろう。

 

そして、二人のやり取りを聞いていたエリウッドがたまらずに口を挟んだ。

 

「ハング、今はどんな戦力でも欲しい。彼女を雇ってもいいんじゃないかい?」

「エリウッドがこの軍の主だってのはわかってるが、結論はちょっと待って欲しいね」

「・・・わかった」

 

ハングは自分とほぼ同じ身長のフィオーラと目を合わせた。

 

「それで、フィオーラさんのお値段は?」

「はい、部隊内では契約ごとに6000です」

 

妥当な値段だが、フィオーラの今の現状を見れば値切るのことはできそうだ。

 

そこまで考え、ハングは自嘲するように笑った。

 

「フィオーラさん・・・」

「はい」

「とりあえず・・・なんというか・・・あなたの堅物加減はよくわかりました」

 

ハングはそう言って弾けたような笑みを彼女に向けた。それは先程までの不敵な笑顔とは違う、親しみのある笑顔だった。

 

「それで、あなたの堅物さを踏まえて言うんですが。どうです、しばらく私達の部隊に来ませんか?その間の食事等は保障します」

「契約内容はどうなりますか?」

 

ハングはため息を吐きそうになった。本当にどこまでも真っ直ぐな人のようだ。

 

「とりあえず、今後どれだけ戦闘が行われるかわかりません。一戦毎ではなく期間契約ということで、その間の戦闘回数と状況で金額を決めるのはどうでしょう。今は戦闘中なので、細かい契約の内容は後回しということで」

「・・・わかりました」

 

終始、フィオーラの表情は変わらない。まさに『傭兵』だった。

ハングは諦めたように笑い、フィオーラに手を差し出した。

 

「と、固い挨拶はここまでですかね・・・俺はこの軍の軍師を預からせてもらってるハングです。以後、よろしく」

「こちらこそ」

「フロリーナには随分と世話になってます。その辺りの礼も今度させてください」

「・・・そう・・・ですか。それは良かったです」

 

フロリーナの話題を出し、フィオーラはようやく笑顔を見せた。

数年かけて育った花がようやく花開いたかのような笑顔だった。

 

ハングは後ろを振り返ってフロリーナに声をかけた。

 

「フロリーナ!いい姉を持ったな」

「は、はい!」

 

挨拶が終わり、ハングは気を引き締めて軍師の顔に戻った。

 

「フロリーナ。向こうの状況は?」

「え、あ、はい!ヘクトル様が指揮をとっていて、順調に進んでいます!」

「フィオーラさん。さっそくで悪いんだけど、一緒に来てくれ。できれば霧で視認できない程の上空にいてほしいんだが」

「わかりました」

 

ハングはリンとエリウッドに目配せをした。

 

「さてと・・・」

 

ハングは川を挟んだ向こう側の平原へと視線を向ける。

霧の中でもわかる程の軍勢がゆっくりと前進してきていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

道中での奇襲をことごとく撃破してきたヘクトルの部隊

ウハイはこれ以上の戦力分散は愚策と考え、本隊に戦力を集めていた。

 

だが、ウハイは全軍による正面からの攻撃に踏み切れずにいた。

 

それは別動隊の動きだった。

 

戦場全体の動きが読み取れないのはハング達に限ったことではない。

ウハイもまた、ハング達の行動の全てを読み取れるわけではなかった。

 

しかし、普段であればこの程度の霧でも敵の動きを読み取れるだけの訓練をウハイは部下にしていた。

【黒い牙】という暗殺集団であれば視野の悪い戦闘などそれこそ十八番であった。

 

「・・・敵のかく乱にまんまと乗ってしまったな・・・」

 

ウハイはそう呟いた。

 

ハングは要所要所に松明を設置していた。半端な光があると人は視力に頼ってしまう。完全な霧の中である方が逆に五感が研ぎ澄まされて、敵を把握しやすいのだ。そのせいでウハイは敵の別動隊の正確な位置や軍隊の規模が計れずにいた。

 

それがズルズルと全軍突撃のタイミングを逃してしまう原因になっている。ウハイは姿の見えぬ軍師の掌の上に乗せられているような錯覚を覚えていた。

 

「ウハイ様・・・もうこれ以上引き込んでしまえば・・・敵の有利な戦場で戦うことに・・・」

「ああ、わかっている」

 

だが、これ以上はもう限界だった。敵の本隊は今にもこちらに突撃をしかけようとしている。

 

霧の中で奇襲を警戒しながらだからこそ、牛の歩みで進んできているヘクトルの部隊。

だが、一度敵本陣を目前にしてしまえば、『槍衾』にこだわる必要はない。

騎兵と重装歩兵による正面衝突では暗殺部隊である【黒い牙】に勝ち目はなかった。

 

ウハイの選択肢は敵がこちらを認識する前に先制攻撃を加えて混乱状態に陥れるしかなかった。

 

「仕方あるまい・・・全軍、突撃!!」

 

ウハイは自分の周囲にいる部隊に命令を下した。

 

そして、動き出す敵兵を霧の中から見つめる視線が一つ。

その瞳はウハイの部隊が黒い影のように霧の中で動く様を追いかけていた。

ウハイの部隊がヘクトルの部隊と衝突する。

 

だが、霧の中からの大部隊による奇襲にも関わらず、ヘクトルの部隊は微動だにしなかった。

 

その瞬間、1本の矢が空に上がった。矢の先端につけた笛の音が霧の中を木霊する。それが最後の合図だった。

 

「今だ!行くぞ」

 

ハングが手を振り下ろすと同時に周囲の霧の中から二羽のペガサスが飛び出した。

フロリーナとフィオーラのペガサスがそれぞれリンとエリウッドを後ろに乗せて戦場を駆け抜けていく。

目標はヘクトルの部隊に食いついたウハイの背後だった。

 

ハングはその戦場を安全な場所から眺めていた。

 

「伏兵か、そんなとこにいたか・・・」

 

ウハイの声が聞こえてくる。

この戦場の中だというのに、ウハイの弓が絞られる音が聞こえてきそうだった。

長距離に攻撃を可能とする巨大な弓、長弓を構えているのだろう。

 

「だが、空を飛んできたのは迂闊だったな!!」

 

ハングは口元でニヤリと笑った。

 

「そんなわけねぇだろ・・・」

 

ウハイの弓が放たれる直前、突如二羽のペガサスナイトが忽然と姿を消した。

 

「なにっ!!」

 

ウハイが気付いたときにはペガサスナイトは一気に急上昇し、霧の中に消えていた。

そして、二羽はウハイの頭上を通り越して、前線の兵士へと襲い掛かる。

 

「な!?後方からだと!!」

「うわぁあああ!」

「くそっ!『ランスバスター』を使え!!槍を止めろ!」

「違う!弓だ!弓持ってこい!!」

 

フロリーナとフィオーラは幾度となく一撃離脱を繰り返す。

後方への退路を防がれた、兵士達が活路を見出すのは当然『前』だ。そして、その場の混乱に乗じるようにヘクトルが部隊を『引いた』

 

集結していたはずのウハイの部隊が次第に縦長になっていき、そしてついに前と後ろに分断される。

 

「今だ・・・」

 

ハングの呟きが聞こえたわけではないだろう。

だが、リンとエリウッドはハングが期待した絶妙のタイミングでペガサスから飛び降り、敵兵をさらに攪乱していく。そして、その動揺に付けこむように今度はヘクトルが部隊を『押し上げ』た。

 

伸びきった部隊に今更連携など取れるはずがない。

 

ヘクトル達はウハイの部隊の前衛を完全に揉みつぶした。こうなれば残るのはウハイ達を含めた後方支援部隊のみ。

 

既に勝敗は決していた。

 

ハング達は潰走した部隊は追わず、全員でウハイとその親衛隊を取り囲んだ。

いくら強くても数の暴力には決して勝てない。それでも、ウハイは毅然として包囲網の中心で武器を構えていた。

 

「ふ、ここまで強いとはな」

「こっちだって、戦術戦略を駆使してやっとあんたにたどり着いてんだ。弱いわけがないだろ」

 

戦線に再び参加したハングがそう言い放つ。

 

ウハイはやけに静かだった。

 

絶体絶命でも、慌てず動じず。いい指揮官だとハングは思う。

 

そのウハイは静かに周囲の親衛隊に向けて言った。

 

「皆、逃げろ」

「ですが!ウハイ様!」

「ここでその命を無駄にする必要は無い。後方で再び勝機を見いだせ。隙は私が作る」

 

だが、ウハイのその言葉に従う者はその場に誰もいなかった

 

「嫌です!自分達はこの命、ウハイ様に捧げます!」

「私達の上司はあなただ!ネルガル共じゃない!!」

「ここまで付いて来たんだ!地獄まで付き従うさ!」

 

ウハイの部下は誰一人として武器を降ろすこともせずにハング達を睨みつけていた。

 

「ウハイ・・・いい部下を持ったな」

「今はそれが残念でならない」

 

ウハイは馬上で剣を構えた。

ハングは小さく首を振ってため息を吐きだした。

 

「最後に一つ。どうして誇り高きサカの民が【黒い牙】にいる?」

「・・・ブレンダン・リーダスの思想に共感したからだ。首領は、弱き者を助けおごれる者をくじく・・・首領はもちろん、その志を受け継ぐ彼の息子たちと技をみがき、理想を語り合い・・・【黒い牙】は、俺にとって初めての・・・やすらげる居場所だった」

 

そう語るウハイの目はどこか遠くを眺めているかのようだった。それは、彼の周りにいる部下達も同じだった。彼らは過去の美しい夕焼けを思い出すかのような表情をしていた。

 

「『だった』ねぇ・・・今はそうじゃないってことか?」

「・・・【黒い牙】は変わった。ネルガルがあの女と【モルフ】を・・・いや、もはやどうにもならないことだ」

 

女?【モルフ】?

 

ハングは聞きなれない情報に目を細める。だが、ハングの思考を遮るようにウハイの殺気が伝わってきた。

 

「我が名はウハイ【飛鷹】のウハイ・・・いざ!!」

 

向かってくるウハイ。迎撃するハング達。制圧はあっけないほどに容易だった。

 

それは、本当に何の感慨も残さない程に容易だった。

ハングはウハイの身体に幾本の矢や槍が突き立つ姿から決して目を逸らしはしなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

『南に行き朽ちた大木の横を西に進む。【竜の門】へ続く道はそこにある 』

 

死に際に残したウハイの台詞。ハングは彼らを簡単に弔いながらその言葉を反芻していた。

サカの手法をよく知るリンとギィが祈りを捧げている隣でハングはウハイの剣を墓石代わりに塚に突き立た。

 

「ハング、準備がすんだよ」

「おう」

 

エリウッドに呼ばれ、ハングは最後にウハイの墓をもう一度みつめた。

その様子を見ていたエリウッドもハングの隣に並ぶ。

 

「ウハイ・・・できれば敵としてではなく会いたい男だったな・・・」

「だな・・・俺もそう思うよ」

 

ハング達はウハイの遺言を信じることに決めた。

 

彼が草原の民ならばその誇りにかけ、嘘はつかない。少なくともハングはそう判断したのだった。

 

「【黒い牙】にも・・・こんな人がいるんだな」

「ウハイが特殊なのか・・・それとも・・・」

 

ハングはレイラからもらった情報を頭の中で繰り返す。

 

『一年程前にブレンダンが後妻を迎えたことをきっかけにその活動は少しずつ変わってきたようです。金を払えばどんな難しい暗殺もやってのける。その標的は悪人から無差別なものへと・・・』

 

先程、ウハイが言っていた『女』とは後妻のことだろうか?

ネルガルはその後妻を利用し【黒い牙】を動かしている?

 

「ウハイのように義賊と呼ばれていた時代の人間が【黒い牙】にはまだ残っている。【黒い牙】も一枚岩じゃないってことかもな・・・」

 

ハングは祈りを終えたリンを見て、呟くように言った。その隣からエリウッドの喉を詰めたような呼吸が聞こえてきていた。

 

「戦うのは苦しいか?」

 

ハングはエリウッドのことを横目で見ながらそう尋ねた。

だが、エリウッドはハングの予想に反して随分と静かな顔をしていた。

 

「いや・・・・そうでもない・・・」

 

その表情はやせ我慢などではなさそうだった。エリウッドは力強く続けた。

 

「父の居所を見つけるためなら、僕は全てを全力で払いのける。例え相手が・・・どんな相手でも」

 

いい覚悟だ。

 

ハングはエリウッドの肩を軽く叩き、ウハイの墓に背を向ける。

ハングに続き、エリウッドもまたその場から離れていく

 

ハング達はもうウハイの墓を振り返ることはしなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その頃、【魔の島】内の【竜の門】にて

 

「・・・あの姉弟を逃がすとは、やってくれたなフェレ侯爵よ・・・」

 

赤い髪とフェレによく見かける精悍な顔立ち。

 

フェレ侯爵、エルバート。

 

彼はある男にきつい一撃をもらい。冷たい石畳みに膝をついていた。

 

エルバートを跪かせた男は頭と右目をターバンのようなもので覆い、重厚なローブに身を包んでいた。

 

彼の放つ声音は深い水底から響くような冷たさを持ち、彼の細かな所作一つ一つが不安感を駆り立てる。

そして、なによりも、彼の瞳に映る深淵こそがそれを見る者に底知れぬ畏怖を与えていた。

 

それは闇に深入りしすぎた者に特融の空気。

 

彼こそが、ネルガル。

 

そんなネルガルをエルバートは肩で息をしながらも、気圧されることなく睨み返す。

 

「・・・おまえたちの好きにはさせん!」

 

ネルガルの口元が忌々しげに歪んだ。

そして、その隣ではダウス侯ダーレンが額に玉の汗をかいていた。

 

「ど、どうするのだ・・・ネルガル殿っ!あの姉弟を逃がしてしまったのでは例の儀式がおこなえんのではないか?」

 

取り乱すダーレンにエルバートは一喝を放つ。

 

「何度言えばわかるのだダーレン殿っ!!貴殿は、この男に利用されているだけだ!!この世界に【竜】を呼び戻す手伝いをするなど、人を滅亡に導く行為だとなぜわからんのだ!!!」

 

だが、ダーレンはその警告さえも一笑にふす。

 

「ふ・・・ははは・・・人が滅亡・・・滅亡・・・か!はるか昔【竜】は人にとって脅威だったかもしれん。だが、このネルガル殿がいれば何も恐れることはない!ネルガル殿は、竜を操ることができるのだから・・・はは・・・はは・・・」

 

狂ったように笑いを続けるダーレン。

 

「ダーレン殿・・・もはや正気ではないのか?」

 

そんなダーレンを見ながらネルガルは退屈そうに口を開いた。

 

「・・・リキア全土に戦いを起こさせ、一度に大量の【エーギル】を手に入れる計画・・・この程度の男では不足だったか。まぁ、他にもあてがないわけでもない」

 

エルバートの目が見開かれる。

 

「貴様・・・っ!」

 

だが、ネルガルは機先を制して軽めの魔法をエルバートの腹に叩き込んだ。

 

「・・・おとなしくしろ。おまえには、まだ役立ってもらわねばならん」

 

意識を手放し、石畳に横たわるエルバート。それを一瞥しながら、ネルガルは薄暗い【竜の門】の深部に向かって声を張った。

 

「エフィデル!リムステラ!」

 

はせ参じる二人。

 

フードをとったエフィデルとその隣に現れた女性。

二人は兄妹でもあるかのように同じ容姿をしていた。

 

黒い髪、金色の瞳、青白い肌、赤い唇。顔の均整があまりにも整っているのでまるで絵画にでも直面しているような印象を受ける。

 

「・・・可愛い【モルフ】、私の芸術品たちよ・・・おまえたちに、新しい仕事を与えよう。まず、リムステラ。おまえは、ベルンへ行きソーニャと連絡をとるのだ・・・国王と会合できるよう手配させろ。いいな?」

「御意」

 

短い返事と共にリムステラと呼ばれた女性は姿を消した。高位の闇魔法である転移魔法であった。

 

「エフィデル、おまえはこの男・・・ラウス侯を連れて行け。この島に上陸したネズミどもを始末させるんだ」

「はい」

 

そしてエフィデルもまた姿を消す。いつのまにかダーレンの姿もない。

 

ネルガルとエルバートのみとなった【竜の門】。ネルガルがエルバートを見ると、驚いたことにまだ意識があった。ネルガルとしては嬉しい誤算だった。

 

ネルガルは余興を楽しむかのようにエルバートに話しかける。

 

「さて、フェレ侯爵よ。おまえの血筋はどうやら、しぶといのが特徴らしい」

 

自分の血筋。

 

その言葉にエルバートが思い当たる人物は一人しかいない。

 

「・・・リキア攻略を邪魔したネズミの名はエリウッド。この島にまで来るとは、さすがと言ったところか?」

 

エリウッドの名前がネルガルの口から出る。

 

それだけでエルバートの体に力が入った。

 

「エリウッドが!?息子が来ているというのかっ?やめろ!わしはどうなってもいい。息子には手をだすなっ!!」

 

激しい音がして、エルバートの背中に闇の魔力による一撃が襲った。今度こそ立ち上がる力を奪われ、床に叩きつけられたエルバートを見ながら、ネルガルは喉の奥で笑う。

 

「くっくっくっ、おまえが逃がした姉弟・・・その姉の方も、今、エリウッドと一緒にいるという・・・運命というものは、なんと気が利いていることか」

「・・・そんな、ばかな・・・!!」

「・・・この森でエリウッドは死ぬ。そして、あの娘を連れ戻し次第儀式を始めるとしよう。長い責め苦にも屈することのない強い肉体と精神・・・おまえは最高の生贄だ、フェレ侯爵・・・くっくっく」

 

ネルガルはエルバートの身体に更にもう一撃魔法を叩き込む。

さすがのエルバートの肉体も限界だった。

 

エルバートの意識が闇に落ちていく。

 

その最中、彼は胸の内で叫んだ

 

『エリウッド・・・ここに来るんじゃない・・・娘を連れ、逃げるのだ・・・神よ・・・・・・!!』

 

声に出した願いすら神は聞き届けない。

口に出ない願いなどなおさらであった。

 

【竜の門】にネルガルの高笑いが吸い込まれていった。

 



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19章外伝~魔封じの者(前編)~

樹海とは木が天を覆うがために日の光が森の中には届かない。その為、下草などは十分な日光を得られずに育つことができない。木の根にさえ注意しておけば人が進むのはさほど苦労はない。

 

だが、馬はそうもいかないこともある。

 

「うぉぉぉ!」

 

急な岩場を登るために一頭ずつ馬の尻を押しあげるダーツ。

敵がどこに潜んでるかわからないので、できれば叫ばないで欲しいのがハングの本音だったが、あえて言及はしなかった。

 

そもそも、馬の嗎がうるさいので同じことだった。

 

「よし、もうひと頑張りだ。押せぇ!」

 

ハングの掛け声と共にダーツが力を振り絞り、最後の一頭を押し上げる。

 

「ふぅ・・・やっと終わった」

 

ハングは額に滴る汗を拭ってその場に座り込んだ。その隣にダーツがまだ余裕そうな顔で座る。

 

「いやぁ・・・馬の扱いってこんな大変なんだな兄弟」

「海賊やってたら、なかなか知らねぇことだろ?」

「だな!だが、力仕事には変わらねぇ、それなら俺の得意分野だ!」

「んじゃ、あの荷物担いで前の部隊に合流してくれるか?」

「よっしゃ!」

 

ダーツはハングの指示に従い、大きな樽を肩に担いで走っていった。

その身のこなしは流石に半端な鍛え方ではなかった。伊達にファーガス海賊団の切り込み隊長を勤めているわけではないようだ。

 

走っていくダーツの背中が見えなくなる。そのダーツと入れ違いにマシューが前から駆けてきた。ハングは休憩もそこそこにして立ち上がる。

 

「ハングさん、お疲れ様です」

「マシュー、みんなは?」

 

周囲では坂を登り切った馬達に皆が一休みをいれさせていた。

 

ここにいるのは馬の扱いに長けたリン、フロリーナ、フィオーラだ。

三人は手綱を引いて馬を一列に並べていた。遊牧民のリンはもちろん、天馬騎士二人の手際もよい。ペガサスは普通の馬より神経を使う。この程度なら天馬騎士にとっては朝飯前であった。

 

ハングは喉の渇きを覚えたが、水を飲むのは控えた。ここは慣れない土地であり、しかも水源を確保しにくい森の中だ。水は貴重品なのだ。

 

マシューはハングに報告を行う。

 

「斥候に三組。レベッカとロウエン、レイヴァンとルセア、ギィとウィルの組です。そろそろ戻ってくるはずですけど」

 

ハング達はウハイの言葉に従って歩き始めて二日目になる。慣れない樹海での行軍速度としては上々であった。

 

「後ろの人達は周囲の警戒をしてます。前軍にエリウッド様とヘクトル様、後軍はマーカス様が受け持っています」

 

ハングは今部隊を三つに分けている。視界の悪い森で少しでも早く危険を察知する為に、人の目を届く箇所を広げているのだ。

 

追いつくのは造作もない距離ではあるが、この森の中では前も後ろも他の人の姿は見えない。その為、密な連絡を欠かすことができず、マシューは伝令役として走り回っていた。

 

そのマシューはいつもと変わらぬ軽薄な笑みを浮かべていた。

 

「それにしても、あれから襲ってきませんね」

「だな」

 

ハング達はこの【魔の島】に上陸した直後にウハイに襲撃を受けてからここまで、敵の気配を一度も感じることはなかった。視界の悪い場所で襲撃してこないということがハングには納得いかない。

 

「考えられるとしたら、広範囲魔法で待ち構えてる場合だな・・・重装歩兵と魔法部隊の大部隊でもどこかで展開しているのかね。もしくは騎馬部隊・・・いや、この島でそれはねぇか」

「それでも、夜襲もないってのはおかしくないですか?こっちが行軍で疲れることぐらい、向こうも理解しているでしょうし」

「ナメられてるか、誘われてるか・・・それとも・・・」

「ニニアンさんを誤って殺してしまうことを恐れているとか?」

「多分、それが大きいだろうな・・・」

 

正直なところ、ハングはニニアンを連れてきたのは間違いだったかもしれないと今更ながらに思い始めていた。ハングは彼女を危険の真ん中に連れ込んでいるかのような胸騒ぎを覚えていた。

 

今更、遅いのも事実ではあるが。

 

「・・・だが、襲撃が無いからってだからって警戒を解くわけにもいかないだろう。しばらくは慎重に進まないとな」

 

ハングはマシューに二、三指示を出しておく。マシューはそれを受けて前方へと駆けていった。

 

ハング汗をもう一度ぬぐい、馬の管理を手伝う。

 

「ハング!そっちお願い!」

「って、うお!」

 

そしていきなり、解けかけた荷物の相手をさせられた。

 

ハングはそれを何とか受け止めて馬の背に押し戻す。やけに重いと思ったら、水樽だった。

 

「あぶねぇな・・・」

「ありがとうございます。女手だけでは限界がありまして」

 

律儀に頭を下げるフィオーラ。

 

「いや、たいしたことはしてないですよ」

「そうですよフィオーラ姉さん。ハングは普段は肉体労働しないんですから、こういう時に働かせないと」

 

リンの物言いにいくらか言いたいことはあるハングだった。

ついでに、その隣で猛烈に頷いているフロリーナにも言いたいことがあった。

だが、その百万語を飲み込んでハングは別の疑問を口にした。

 

「リンが『姉さん』って単語使うのはなんか違和感があんな」

「そうかしら?」

 

首をひねるリン。それを見てフィオーラがクスリと笑った。

その瞬間だけ、彼女の『傭兵』としての顔が剥がれ、『姉』としての顔が垣間見える。

 

「フロリーナが度々お世話になりましたので、それがいつのまにかリンにも移ってましたね」

「へぇ・・・」

 

フロリーナとリンが親友同士ならその関係も不思議はないのだろう。

 

「あっ、今は『リンディス様』ですね・・・申し訳ありません」

 

すぐさま『傭兵』の顔に戻るフィオーラ。リンの寂しそうな苦笑いに、ハングもまた苦笑いだった。

そこでハングには新たな疑問が湧いた。

 

「ん?リンとフロリーナっていつから知り合いなんだ?」

 

ハングは二人の関係については聞いたことがなかった。

 

「え~と・・・いつだったかしら?」

 

リンもフロリーナも同じように首をかしげた。

 

「そんなに昔じゃないわよね。あっ!そうそう!最初に会った時は確かフロリーナがペガサスから、んぐ!」

 

リンの声が突然くぐもった。フロリーナがその両手で、リンの口を塞いでいた。

 

「り、リンディス様!そ、その話はし、しないでください!」

 

珍しいフロリーナの必死な姿だった。フロリーナは余程聞かれたくないらしい。そんなフロリーナにリンは目元だけで笑いかけた。

 

そして、二人は目だけで会話をし、フロリーナはその手をどけた。

 

「ぷは、そうね、あの話は二人だけの秘密だもんね」

 

何度もうなずくフロリーナ。

 

「なんだよ、教えてくれないのかよ」

「私も少し興味がありますね」

 

どうやら、姉も知らないことらしい。ハングとフィオーラは二人でリンに詰め寄った。

 

「だめよ。フロリーナが嫌って言ってるんだから私は口を割らないからね」

 

だが、リンの決意は固そうだ。ハングはすぐに諦めて矛先を変えてみた。

 

「フィオーラさん」

「はい」

 

彼女の顔から固さが消えて、また姉の顔になっていた。

 

「天馬騎士にとって一番恥ずかしいことってなんですか?」

 

フロリーナがあからさまに身体を強張らせた。

ハングは満足そうに頷く。

 

「姉さん!それは・・・」

「お姉ちゃん・・・」

 

リンも動揺してるので間違いないだろう。

 

そんな二人にフィオーラは優しく微笑んでから、ハングの質問に答える。

 

「さぁ・・・いろいろありますので、どれとは言えませんね」

「そうですか。それは残念」

 

リンとフロリーナが同時に安堵の息を吐き出した。

 

これ以上追及するのは酷というものだろう。

 

ハングは追求をやめ、とある荷物を縛り付けている馬の背を叩いた。

 

「ん・・・あれ?ここは?」

「よう、セイン。気分はどうだ?」

 

馬の背に縛り付けられたセインがキョロキョロと周囲を見渡していた、

 

「それで、覚えてるか?自分が何したか?」

「えーとですね・・・そうです!自分の愛を伝えようとしました!」

 

ハングは容赦なく無抵抗のセインに一撃を叩き込んだ。

 

「ぐはっ!」

「ハング!やりすぎないでよ!また気絶されたら大変なんだから!」

「安心しろ、加減はしてる」

 

ハングは苦笑する女性陣を背にして、再びセインに一撃を見舞った。

 

「ぐはっ!こ、今度はなんです!?」

「いや、気絶してたから殴って起こしてやろうかと」

「今は意識ありましたよ!!」

 

フィオーラはそれを見ながら、『意識を取り戻させる方法として、殴りつけるというのはいかがなものか』と思ったが何も言いはしなかった。

 

「で、お前は反省したか?」

「いやですね、ハングさん。俺は常に前を向いて生きる男ですよ!過去にはこだわらなイタイイタイイタイイタイ!痛いです!!」

 

ハングはセインを縛り付けているロープをより強く締め上げていた。

 

どうやら、懲りてないらしい。

 

「セイン、お前が周囲に愛を振りまくのはもう諦めた」

「にしては、毎回容赦無く折檻されてる気がしますけど・・・」

「それはそれだ。だが、相手が逃げ出すまでやるのはこっちとしても許容しかねるわけだ」

 

ハングの後ろで、フィオーラがわずかに頬を赤らめて目を瞑った。

 

彼女が今回の被害者である。

 

『おー!あなたがあのフィオーラさん!お噂はかねがね!ですが、その噂程度ではあなたの美しさは収まりきれていないようだ!』

『どうして、私の名前を?』

『それはもう!軍内の女性の名前は暗記ずみですとも!』

『私はフィオーラ。イリア傭兵騎士団の所属です。どうかよろしく』

『俺はキアランに仕える蒼き情熱の騎士セイン。セ・イ・ンです!どうかお見知り置きを!』

『はい、どうかよろしく・・・』

『フィオーラ殿!あなたはこのセインが熱烈にお守り致します!どうかご安心を!さぁ、遠慮せずもっと近くに!!』

『遠慮しておきます。私は一人でも戦えますから』

『ああっ!フィオーラさん、空を飛んで逃げてしまうなんて・・・そんなに照れなくてもいいのに・・・ハッ!殺気!』

 

そこで後頭部に一撃をくらい、セインの意識は途切れる。

 

そして、気絶したセインを放置していくわけにもいかず、荷物の一つとして今まで扱われていたのだった。

そのセインは縛り付けられたまま、声を落としてハングに話しかけた。

 

「でも、フィオーラさんに声をかけるよう言ったのはハングさんですよ?」

「・・・まぁな」

 

ハングも声を落とす。フィオーラ本人には聞かれたくない話題になっていた。

 

「お前のフィオーラさんの第一印象は?」

「イリアに咲いた美しき白椿!」

 

ハングは無言でセインの頭頂部を殴りつけた。

 

「あいった!!」

「第二印象は?」

「そんな言葉あるんですか?あぐぅ!な、殴らないでくださいよ!!」

「いいから言え」

「えーとですね・・・あぁ、相棒に似てると思いました」

「それだ」

 

フィオーラは本当にケントによく似ている。

 

「で、お前の相棒が部下を全滅させたとしたらその後でどうなるかなんてだいたいわかるだろ?」

「あぁ・・・確かに・・・」

 

きっと、誰にも何も悟らせず、ただひたすらに背負い込んむ。

それでも前を向き続けて次に進むのだ。その重石を一生手放さない覚悟で。

 

「そんなんだから、少しでも彼女の肩の力を抜けるようにと思ったんだが・・・見事に撃沈しやがって」

「何言ってるんですか、ハングさん?彼女は間違いなくこのセインを意識しだしてます!この作戦は成功でテテテテテテ!痛いです!!」

 

ハングがセインの腕を捻りあげていたら、前方からマシューが再び駆けてきた。

 

「どうした?」

「ハングさん!ウハイが言ってた『倒れた巨木』が見つかりました。エリウッド様が一旦全部隊を合流させたいそうです」

「わかった」

 

そのままマシューは後続へ伝える為に走っていく。

ハングはセインに最後の一発を加えて、リンを振り返った。

 

「聞いてたか?」

「うん」

「それじゃ出発するか」

 

ハングはリンの指示に従って馬の手綱を握り、歩き出した。

 

「あ、あの~ハング殿・・・俺は降ろしてくれないのでしょうか~・・・」

 

セインはもうしばらく馬の背に乗っててもらう予定であった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ハング、来たか」

「おう」

 

先行していたエリウッド達の部隊は巨木のかげで小休止を入れていた。ありがたいことに近くに小川も見つかり、水の補給もできているようだった。斥候から帰ってきたレベッカとロウエンが昼食の準備を始めているので、少し腹に何か入れられるらしい。

 

「ハング、とにかく来てくれ。見せたいものがある」

 

エリウッドはハングを手招きし、樹海の奥へと誘う。

 

「リンディスも来てくれ、意見を聞きたい」

「わかったわ」

 

エリウッドに連れられ、ハングとリンは巨木から西へと向かった。

 

「ここから先、樹海を抜けて視界の開けた平原になる。注意してくれ」

「了解」

 

エリウッドにそう言われる前にハングとリンは森の外の明るい平原をとらえていた。

そして、不意に森が途切れた。

 

ハングは目の前の平原を眺め、そして納得したように頷いた。

 

「・・・なるほど」

 

そこではヘクトルが既にハングを待っていた。

 

「よぉ、ハング」

「これは、さすがに予想外だったな・・・」

「ここまで予見してたら、俺はハングをここでぶった斬ってたよ。流石に気持ち悪い」

 

ハングは唇の端で笑い、ヘクトルの傍に膝をついた。

 

「それで、どう思う?」

「随分古い・・・100年かそこらじゃなさそうだ。」

 

ハングは指で地面をなぞる。

 

ただ、『地面』という表現が正確であるかどうかは意見が分かれるところであろう。

 

「石畳・・・これは道だろうな」

 

ハングは滑らかな石の表面を指先でこすった。

この平原の真ん中を突っ切るかのように森から石畳が続いていた。

 

「これがウハイの言ってた【竜の門】に続く道に間違いないな・・・」

 

石畳は西に見える山を迂回し、そのまま北へと向かっている。

 

こんな未開の地にある石畳。さすがにネルガルが作ったものとはハングには思えなかった。

 

何せ、その石の摩耗は百年二百年じゃ出来ないものだ。これはもっと古くより続く文明の跡であろうとハングは予想した。

 

「どうやら、この島はただの秘境ってわけじゃないらしいな。【竜の門】って名前もこけおどしじゃなさそうだ」

 

ハングは石畳の継ぎ目の構造や、石の切り口などを観察していく。

 

「ハング、この道から何かわからないかい?」

 

エリウッドとヘクトルの目が向けられる。

二人はこの石畳からこの島の情報を得られないか期待してハングを呼んだのだ。

 

「正直、考古学は専門外だ。専門家を連れてこよう」

「専門家?」

「闇魔法は別名『古代魔法』。闇魔導士の中には単なる闇ではなく、古代の研究の末に魔法の領域に足を踏み込んだ輩も少なくない。運の良いことに、ちょうどこの部隊にいるだろ?」

 

ハングはリンに目配せをした。いち早くそれを受け取った彼女は皆のいる方角へと駆け出した。

しばらくして、彼女が連れて来たのはカナスだ。

彼は石畳を見るや否や興奮した足取りで調査を始めた。

 

手頃な石をひっくり返し、震える手で砂を払っていく。

 

「うわぁ!これはすごい。皆さん、ここを見てください!ここ、わずかに字が彫られてます・・・ヴァル・・・ロー・・・なるほど・・・これは・・・ルー・・・ルー・・・ルーランかな」

「おーい、カナスさーん。わかるように説明してくれ」

「あ、すみません。つい夢中になってしまいまして」

 

ハングはそんなカナスの様子に苦笑を浮かべた。カナスは魔導士というよりも学者気質の方が強いようだ。

 

「えーと、ですね。ここに彫られている文字は古代文字・・・つまり【竜】が使っていた文字です」

「つまり、この道は千年以上前のものってことなのか?」

 

ハングの質問にカナスはモノクルの位置を少し直してから答えた。もはや学者というより教師だ。

 

「彼らが去った後の時代にもしばらくこの文字はしばらく使われてました。ですが、ここに書かれているのは道の工事で使われてる程度の雑記です。その程度の部分にこの文字が使われていることをみると、やはり【人竜戦役】の前に作られたものかと思います」

 

『人竜戦役』

 

人と竜がこの大陸の覇権をかけて戦った遥か昔の一大戦争。今では神話並みの扱いの出来事であった。

 

「マジかよ・・・」

「はい、間違いないと思います」

 

人竜戦役が単なる神話ではなく実在の出来事であったことは近年の学者が証明した。その程度、今では子供でも常識の範囲で知っている。だが、その証拠をいざ目の前にするとやはり感慨深いものがあった。

 

「これが、千年前の・・・」

 

ハングはしゃがみ込んで石畳に触れる。

これはただの石だ。だが、その歴史の重みを知った今ではそのただの石を踏みつける気がどうしても起きなくなってくる。

 

「はい、貴重ですよ。ここまで保存状態の良い遺跡はなかなかありません」

「それで、この道はなんの為に作られたと思う?」

「森に続いてることから、木材の搬送路では?」

「ってことは、ここから先には何らかの居住区があると考えていいのか」

「いえ、それはどうでしょう・・・これだけの石の加工技術です。わざわざ木材を建築に使う必要は無いと思います・・・となれば、木材は建築用ではなく儀式用ではないでしょうか?」

「燃料って可能性は?」

「この道がどこまで続いているかはわかりませんが、燃料用にしてはいくらなんでも遠すぎるかと」

 

カナスとハングがああだこうだ意見を交換する。

最初の方は良かったが、いつの間にかエリウッド達には理解できない内容になってきた。

 

「・・・と、なると少なくともこの森に対する何かの信仰か・・・竜の文献では確か自然の中に霊的なものを見出す宗教概念があったとか・・・」

「いえ、それは近年別の意見がありまして。むしろイリアに見られる宗教様式に酷似した文献が・・・」

 

ハングとカナスに置いて行かれ、エリウッド達は手持ち無沙汰になってしまう。

熱中して話し合う二人に悪いので三人はこっそりとその場を後にしようと背を向けた。

 

ハングはそんなエリウッド達に気付いていたが、カナスとの話が異様に盛り上がっていたため、素直に甘えることにした。人竜戦役は戦術戦略の基礎が築かれた時代だ。矮小な存在である人が多大な力を持つ竜に立ち向かう為に様々な学問が発展していった。その為に人竜戦役に関してはハングとしても並々ならぬ関心があった。

 

そのことについて意見を交換できることはなかなか出会えない。

しかも、その時代の遺跡を目の前にしての検討なのだ。それが今は楽しくてしかたなかった。

 

だが、エリウッド達の背中が森に消えかけようとしたその時、その空気は不意に変異を遂げた。

 

「ん?」

「・・・なんでしょう?」

 

ハングとカナスが同時に口を閉ざした。

二人は示し合せたかのように北西の方向へと視線を向けた。

 

その方向から不思議な気配を感じていた。

 

「妙ですね・・・」

「ああ」

 

二人は周囲を漂う空気にわずかな違和感を感じていた。

 

それは『生ぬるい風』とでも形容されそうな、人に不快感を与える空気。

それが山脈を越えた北西の方角から流れてきていた。

 

カナスとハングはその空気を捉えようと意識をこらす。

 

だが、二人は顔をすぐさま顔をしかめる。自分達の感覚がその空気に捕らわれ、狂わされているような気がしていた。

 

「ハングさん・・・戻りましょうか・・・」

「・・・ああ」

 

二人はその場から逃げるように背を向けた。

 

二人は森を目指して歩き出した。

 

最初は早歩きだった彼らの足取りはすぐさま小走りに変わり、いつの間にか駆け足になっていた。

だが、いくら急ごうとも周りの空気から逃れられるわけではない。二人はそれがわかっていながらも走らざるおえなかった。

 

身体の奥底にある本能が逃げることを欲してやまなかった。

 



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19章外伝~魔封じの者(後編)~

ハングとカナスが森に飛び込んだところではエリウッドが待ってくれていた。

 

「どうしたんだい、そんなに慌てて」

 

大きな木の傍に立っていたエリウッド。リンとヘクトルの姿はなく、先に戻ったようであった。ハングは呼吸を落ち着けて背後を振り返る。そこにはまだ重苦しい空気が満ちている気がしていた。

 

「エリウッド・・・お前は何も感じないか?」

「ん?何をだい?」

 

エリウッドは怪訝な顔をした。ハングとカナスはお互いの顔を見合わせた。二人の顔には同じような不安が渦巻いていた。

 

「どうしたんだい?」

「いや、なんでもないんだ。なんでもない」

 

ハングは胸の奥を鷲掴みにされたかのような圧迫感を感じていた。

そのせいか、次から次に嫌なことを思い出す。のしかかる不安で気が狂いそうだった。

 

ハングは深呼吸をしてみる。

 

だが、重い空気が更に体に入っていくような気がして余計に気が滅入るだけであった。

 

「ハング、本当に大丈夫かい?なんなら、肩を貸そうか?」

「平気だ・・・それより・・・いや、その前にエリウッド。お前も随分とひどい顔だぞ、なんか気になることでもあるのか?」

 

ハングはほとんど当てずっぽうにそう言った。

ハング自身にも既に他人を観察している余裕がなかったのだ。

 

ただ、この言いようのない嫌悪感を感じているのが自分だけだとはどうしても思えなかった。

 

そして、それに対するエリウッドの返事はハングの予想を裏切ることはなかった。

 

「・・・わかるかい?」

 

そんな返事とともにエリウッドはいつもより数倍疲れた笑顔を見せた。

 

ハングはカナスと小さく目配せを交わした。

 

「でも、これは僕自身の話だ。今はハングの体調の方が・・・」

「いや、今話せ・・・」

「え・・・でも・・・」

「いいから、話せ」

 

真剣に訴えるハング。エリウッドは逃げられないことを悟ったのか、笑顔のまま話し出した。

 

「父上のことだ・・・」

 

ハングはそれを聞き、逆に安堵したようなため息を吐いた。

 

エリウッドがエルバート侯爵の無事を心配しているのは今に始まったことではない。そのことで不安を覚える程度の話なら、やはり自分達が感じているこの感覚は闇魔法を学んだ者が感じ取れる特有のものなのだろう。

ならば、敵の闇魔法部隊が近いだけかもしれない。もしかしたら、このヴァロール島内に大きな闇の魔術に関する遺跡が眠っているだけなのかもしれない。

 

だが、そんなハングの予想は次のエリウッドの一言で吹き飛んでしまった。

 

「エリックが言っていた・・・父が謀反に参加したと・・・」

「は?」

 

ハングは思わず間抜けな声を出した。

 

「エリウッド・・・今の心配事は・・・それなのか?」

「・・・心配事というほどではないんだが・・・」

 

ハングは茫然とするようにエリウッドの顔を見つめた。

その顔に浮かぶ疲労と焦燥。

 

だが、ハングが知る限り、エリウッドはここしばらく謀反の話など忘れたかのようだった。彼が心配していたのはエルバート様が無事でいることだけ、その一点だったはずだ。

 

なのに、なぜ今更ここに来て謀反の話が噴き出す?

 

「いや、ちょっと待て・・・エルバート様に限ってそれはないだろう?」

「僕もそう信じてる・・・でも、父上のことを思うと・・・息が苦しくなる・・・なんで、こんな不安なのだろうな・・・」

 

『不安』

 

ハングはもう一度カナスと目を合わせた。カナスは何かを察したかのように小さく頷いた。

 

ハングはエリウッドに向き直る。

 

「エリウッド」

「なんだい?」

 

その時、エリウッドの額から子気味の良い音がした。

ハングが中指でエリウッドの眉間を指弾した音だった。

 

「っつ!な、なんだい?」

「何悩んでるかと思えば・・・くだらない」

「く、くだらないって・・・」

 

そして、ハングは弾けるような笑みを見せた。

 

「そんなもん、ただの勘違いだろ」

「え・・・勘違い?」

「お前が本当に心配してんのはエルバート様の安否だったろ。その不安が妙に後ろ向きな考えを誘発してるだけだ」

 

エリウッドは額をさすりながら、ハングの声に耳を傾ける。

 

「エルバート様に限って、そんなことがあるわけがない。まぁ、戦い続きだったしな少し混乱しちまったんだろ」

 

ハングはそう言って労うように笑った。エリウッドはその顔に少し溜息を吹きかけた。

 

「なんでそうやって、ハングは僕の内面を見透かすようなことが言えるんだろうね」

「さてな・・・」

「『狸軍師め』」

「なんだ?俺の声真似か?リンの方が上手いな」

 

エリウッドはハングの笑顔に釣られるように笑った。そこにはもう先程までの疲労は見えていなかった。

 

ハングはエリウッドに気付かれないように緊張感を吐き出した。

 

「少しすっきりしたよハング。ありがとう」

「いいっての・・・それよかリンとヘクトルはどうしたんだ?」

「ああ、二人は先に・・・」

 

その時、森の中から二人の声が聞こえてきた。

 

「まだガチャガチャいってる」

「無茶言うな!この重装備なんだぜ。これ以上、どうやって静かにしろってんだよ!?」

 

ハングは眉間に皺を刻んだ。

 

「なんだか、言い争ってるみたいだね」

「なにやってんだあいつらは・・・」

 

その時だった。

 

ハングは自分の視界の隅に違和感をとらえた。それは見過ごしてはならないものが視界を掠った時に感じる虫の知らせだった。ハングは頭上を覆う枝の隙間から上空へと目を向けた。

 

「天馬部隊・・・偵察だ!」

 

ハングの声にいち早く反応して、エリウッドとカナスは木の陰に身を隠した。

そして、ハングはまだ言い争ってる声を頼りに森の中を駆け抜けた。

二人はハングが思っていたほど遠くにいなかった。

 

「どならないでよ!そんな鎧をつけてるならそれ相応の動きが必要だって言ってるだけでしょ!」

「だから、俺だって努力はしてん・・・」

 

言い合う二人にハングは一気に間合いを詰め、ヘクトルの奥襟を左手で掴んで地面に叩きつけた。

 

「だろうがブこぼバ!」

 

それと同時にハングはリンに体当たりをかまして強引に押し倒す。

 

「え、え、ハング?」

「静かにしてろ」

「ふ、ふご」

「静かにしてろ」

 

ハングはヘクトルの顔面を土の地面に突っ込みつつ、リンを自分の下敷きにして空いた手で彼女の頭を抑え込んでいた。

ハングは木々の隙間から空を睨みつける。そこから、天馬騎士が四騎程の隊列を組んで飛行しているのが見えていた。天馬騎士は森の上を旋回していた。

 

ハングは身じろぎ一つせず、呼吸すら最小限にとどめる。ハングの耳に届いているのは自分の下にいるリンの拍動だけだった。

 

だが、ハングの努力虚しく、天馬部隊が去るまでに何度もこちらに視線を向けていた。ハングは天馬騎士達が山脈の向こう側に消えるまで待ち、ヘクトルの頭から手を放した。

 

「いきなり何すんだ!!」

 

ヘクトルの第一声は予想ついていたので、ハングは憮然とした表情で迎え撃った。

 

「何って、お前らを地面に伏せさせただけだが」

「やり方ってもんがあんだろ!」

「確かに顔から地面に叩きつけるのはやりすぎだったとは思いが、一刻を争ってた。尊い犠牲だ」

「お前な・・・」

「俺に男の体を丁寧に扱う趣味はない」

 

リンとヘクトルの二人を抑え込むとして、どちらかを乱雑に扱うならヘクトル一択であるハングであった。

 

「ん?リン。お前さっきからやけに静かだけど。どっか痛めたか?」

「・・・・べ、べつに・・・」

 

リンはそう言って顔を背けた。

 

いつものハングであれば、彼女の態度が少しおかしいことに気が付いたであろう。よくよく目を凝らせば薄暗い樹海でもリンの耳が真っ赤に染まっていることも見えたはずだ。

 

だが、ハングは今それどころではなかった。

 

「さて・・・」

 

ハングは二人に笑いかけた。

 

ヘクトルは少し不機嫌な表情で土まみれ。リンは仄かに頬を赤らめていた。

 

「なぁ、お前ら・・・」

 

その時、二人の顔が硬直した。

 

「お前らがなんで言い争ってたかは今更きかねぇけどさ」

 

ヘクトルの顔から流れる冷や汗が土を溶かして茶色くなる。先程まで火照っていたリンの頬が急速に冷えていった。

 

「多分、今敵の偵察に発見された・・・・お前らのせいでな」

 

ハングは笑顔だ。そして、その笑顔のままハングの表情は変わらない。

乱暴な扱いを受けて腹がたっていたヘクトルも、突然ハングと密着することになって緊張していたリンディスも、その全てが頭の中から吹き飛んでいた。

 

「お前ら・・・わかってんだろうな?自分達が何したのか?」

 

静かに怒るハング。それが嵐の前の静けさだというのはヘクトルもリンもよく知っていた。二人の身体が恐怖ですくみ、歯の根があわなくなる。

 

だが、ハングが噴火する手前で森の中からエリウッドとカナスの声が聞こえた。

 

「ハング!敵部隊が確認できる!」

「ハングさん、向こうの部隊の展開が早いです。みなさんを呼んでください!」

 

ハングはそれを聞き、顔から笑みをひっこめた。

 

「早いな・・・最初から待ち伏せするつもりだったかな・・・」

 

さっきより低い声。それがヘクトルとリンには何よりも安心できた。

 

「仕方ない・・・二人共。みんなを呼んできてくれ。戦闘準備だ」

「お、おう!」

「ま、任せて!」

 

ハングは二人のやる気に満足して頷いた。

 

そして一言呟く。

 

「続きは後でな」

 

ヘクトルとリンは本気で泣き出したくなっていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ハングさん。なんだかリンディス様とヘクトル様がこの世の終わりみたいな顔してたんですけでど。何かあったんですか?」

 

ハングにそう尋ねてきたのはハングと共に後方で支援体制にあるエルクである。

 

ここは平原と森の境目。前方の平原にはエリウッド達の騎馬部隊と歩兵部隊が展開している。その指揮はエリウッドとマーカスに任せ、ハング達は森に身を隠しつつ、いつでも援護射撃を行う距離を保っていた。ここにいるのは杖を使うプリシラとセーラ、魔法や弓を使う面々、そして護衛のレイヴァンであった。

 

ちなみにニニアンはルセア、マリナスと共に更に後方に下がっている。

 

「ま、あの二人は放っておけ」

 

ハングは気楽にそう言ってのける。それを聞きつけ、ウィルが会話に加わってきた。

 

「また、リンディス様はハングを怒らせたのか?」

「『また』ってなんだ『また』って。そんなに俺はしょっちゅう怒ってるわけじゃないだろ」

 

そう言ったハングにエルクは苦笑いを浮かべた。

 

「そう思ってるのは多分ハングさんだけだと思いますよ」

「俺もエルクに一票」

「そうか?」

 

ハングは少し自分の記憶を探る。

 

確かにセインにはしょっちゅう打撃を加えてる気もするが、リンに対して威圧感をもって叱ることはそこまで回数が多いような気はしない。

 

「クソ軍師の怒鳴り声はよく耳に残るからな。数が少なくても印象が強いだけだろ」

「そんなもんか、バカ傭兵」

「そんなもんだ、クソ軍師」

 

最近はレイヴァンとハングはこの呼び名で定着しつつあった。

子供の喧嘩のようなやり取りだが、二人は改める気はなかった。

 

「あ、あの・・・こんな悠長に会話してていいんですか?」

 

レベッカがそう尋ねる。それに対し、ハングは軽く言ってのけた。

 

「まあ、平気だろ」

 

事実、今無理に攻めるのは愚策であった。

 

ハングは目の前の平原に展開する敵部隊を眺める。

 

マシューとフィオーラの偵察により敵は魔道士と重装歩兵の混成部隊であることが判明していた。重装歩兵を盾にして、魔道士による遠距離攻撃で仕留める。

 

基本かつ強力な布陣である。

 

そして、何より厄介なのは超遠距離魔法の存在だった。

敵の首領格と思われる人物を中心に雷の精霊が渦を巻いているのがここからでもわかる。

 

敵がこの地で待ち伏せしてきた理由はハングの予想通りであった。

すなわち、視界の開けた平原でこそ十二分に戦力を発揮できる敵部隊がいるというものだ。

 

戦線をこちらから開くのは愚策だと判断したハングは距離を保ったにらみ合いをエリウッドに指示していた。

そして、この状況が続くなら、問題は天馬部隊である。この密集している状況で上を取られるのは極めて危険だった。ハングはそれに対応するために遠距離部隊を集めていた。

 

現状はとにかく待ちに徹することだった。

 

ハング達も時間に余裕があるわけではなかったが、夜まで粘ればそれはそれで勝機が見えてくる。

 

ハングは長期戦も半ば覚悟していた。

 

そんな時に、フィオーラが前方から飛んでくる。

 

「ハング殿、私とフロリーナで先行して山を越え、敵の背後を突くという案があがったのですが」

 

その作戦の提唱はおそらくヘクトルだろうとハングは予想を付けた。確かに、その意見にも一理ある。

 

「だめだ」

 

だが、ハングは強く意見を否定した。

 

普段であればそれも確かに策の一つだ。しかし、今回はそれを許可できない事情があった。

 

ハングは自分の心臓の上を掴んだ。ハングはいまだ例の重苦しい空気を感じていた。

その空気は今も北西の方向から強く感じている。山を越えるように飛ぶということはその空気の発生源に向けて飛ぶということだ。

 

さすがにハングはそんな策を許可できなかった。

 

とはいえ、軍師としてそんな曖昧な理由を口にすることはできない。

ハングは言葉を選びつつ、フィオーラに指示を出す。

 

「少数で離れるのは危険すぎる。ただでさえここは【魔の島】なんだ。敵の支配地域を飛ぶことの危険性は理解できるでしょう」

 

フィオーラは小さく頷いた。部下を全滅させた彼女はこの島の恐ろしさをよく知っている。

 

そんな時、ハングの後ろからやかましい声が飛んできた。

 

「それじゃあ、どうすんのよ!?」

「セーラうるさい」

「何よ、エルクは黙ってなさい!」

 

ハングは無言でエルクに合図を送った。エルクは素早く魔道書を開く。雷魔法で黙らせるつもりだった。

 

その時だった。

 

「っつ!!」

 

ハングは息を飲み、目を見開いた。

今この瞬間に明らかに『重い空気』の密度があがった。

 

「あれ・・・なんだこれ」

 

エルクが魔道書を開いたまま呪文を唱えない。

 

「な、なにこれ?精霊の声が・・・聞こえないじゃない!えっ!?なに?何が起きてるの!?」

「いったい・・・なにが・・・」

 

セーラとプリシラもその変化を敏感に感じていた。突如として。彼女達の持つ杖の先に付けられた宝玉の輝きがくすんでいく。

ウィルやレベッカと言った魔法を使わない者達でもその場の雰囲気が急激に変わったことを感じ取っているようだった。

 

ハングはカナスを呼んだ。

 

「カナスさん・・・これはいったい」

「わかりません。ですが・・・この『場』そのものの魔力が歪んでいます。これでは古代魔法も自然魔法も使えません」

 

ハングが最初に思ったのは後方のニニアンのことだ。今の護衛はルセアだけだ。

 

「クソ軍師、俺が下がる」

「頼む」

 

それをいち早く察したレイヴァンが後方へと駆け出していく。

 

「ハング、ヴぁっくんだけで大丈夫か?」

 

ウィルが魔法を使えなくなった面々の代わりに前に出ようとしていた。

 

「・・・そうだな・・・レベッカも一緒に下がってくれ」

「はい、わかりました。ヴぁっくん、私も行きます!!」

「ヴぁっくんはやめろと言っているだろ!!」

 

レイヴァンが叫ぶのをハングは初めて聞いた気がした。

 

「それでハングさん、どうします?これでは自分はただの非力な少年です・・・」

 

エルクは魔道書を閉じてそう言った。今、彼は戦力として数えることができない。エルクだけではない、カナスもだ。それに、杖による回復もみこめない。

 

ここにいる戦力は実質ハングとウィルだけだった。今ここにフィオーラがいたことは救いだろう。

 

「ハングさん!」

 

そこにマシューが駆け込んできた。

 

「敵に動揺が見られます!それに・・・魔法が飛んできません」

 

ハングは眉間に皺を寄せた。

 

この『力』は敵味方関係なく魔法を閉ざしているのか。

 

そして、ハングは一つの結論に達した。

 

「好機と見るべきだな」

「はい。エリウッド様が突撃の許可を求めてます」

「よし、ここから戦線を切り開く!俺らも合流して一気に叩きつぶす!」

「了解!」

 

マシューが駆けていく。

 

「エルク、カナス、セーラ、プリシラ。お前らは俺達から離れるなよ。一緒にいてくれる方が守りやすい。このまま前軍に合流する」

 

各々からの返事を聞き、ハングはフィオーラに指示を出す。

 

「フィオーラさんもこの部隊で動いてください。敵の発見に全力を注ぎ、伏兵は絶対に見落とさないように!」

「了解しました」

 

ハングは一度屈伸をする。

 

移動中の近接戦闘はハングが主に受けることになる。荒事に自信は無いが、そうも言ってられない。

 

ハングは胸の中の不安を押し殺して顔をあげた。

 

「行くか!」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

敵の魔法部隊は完全に機能停止していた。そうなれば残るのは重装歩兵と天馬部隊。極めて連携の取りにくい二つの部隊だ。騎馬部隊の突撃により一度混乱を起こさせれば、敵が部隊を立て直すことはできなかった。

 

そのまま敵が拠点にしてた遺跡跡を奪い取り、ハング達はそこを本日の野営地と定めて腰を降ろしたのだった。

 

戦闘が長引いたせいで、周囲はもう日が沈みかけている。夕食の準備が始まる遺跡にはシチューのよい香りが漂っていた。

 

そんな遺跡から北東に位置する小さな砦。

ハングとカナスは今そこに来ていた。

 

「ここです」

 

ハングはカナスの指差す場所を見た。そこには真新しい足跡が複数残っていた。

 

「ここで、ヘクトル様率いる遊撃隊が敵と接触しました」

 

先程までこの戦場を支配していた奇妙な空気はもうない。魔法も通常通り使えるようになっていた。

 

ハングは石造りの床に膝をついた。

 

「相手は全員顔を覆う鎧を身につけ、練度も他の敵部隊とは一線を画していたそうです。そして、その中心にいたのが皺だらけの老人」

 

ハングもヘクトルからのその報告は聞いていた。

 

「そして、周囲の部隊を倒した段階で老人は転移魔法でどこぞへと消えてしまいました。老人の転移と共に例の空気も消失したそうです」

 

今、ハングとカナスは例の空気を作った要因と思われる人物の痕跡を探しに来ていた。

 

ハングの足元には転移魔法が行われた跡が残っていた。転移魔法を使うとその場に特融の文様を刻む。カナスが言うには別空間を捻じ曲げて移動する高位魔法らしいがハングも細かい魔術理論までは知らなかった。

 

どちらにせよ、この場からその老人を追跡することはできないようであった。

 

「なんなんだ・・・一体・・・」

 

謎はまだあった。ハングは手元の砂埃を払って周囲を見渡す。この場には血痕一つ、肉片一つ残っていない。しかし、ここでは先程までヘクトルと老人の部隊が戦闘を行っていたのだ。にも関わらずに戦闘の痕跡がまるでみられない。

 

そのハングの疑問に気付いたのかカナスが報告を続ける。

 

「敵の兵士は事切れると同時に・・・体が崩れた・・・と、言っていました」

「化け物ですかね?それとも闇魔法による幻覚かな?」

「・・・わかりません」

 

ハングはしゃがんだまま器用に頬杖をついた。

 

「何かわかりましたか?」

 

カナスは諦めたような口調でそう尋ねた。

 

カナスも一度ここを訪れているのだが、結局何もわからなかった。

 

本当はハングも戦闘直後にここに来たかったが、斥候の手配やら遺跡での警備の位置などの確認やらで忙しかったのでようやく体の空いた夕食前にここに来たのだ。

 

「とりあえず、相手が得体のしれない相手だってのはよくわかりました」

「ははは、それは私もわかりました」

 

ハングは膝を叩いて立ち上がる。

 

「とにかく、この場でできることはなさそうだ・・・こっから先もこういう状況になったらそん時考えよう」

 

ハングは眉間に皺を寄せつつ、頭をかいた。

 

「それにしてもハングさんも知的好奇心が旺盛ですね」

「軍戦術戦略なんてもんは常に千変万化、それを一つ一つ知ることこそが軍師の成長の方法ですからね。知的好奇心の塊じゃないとやってられませんよ」

 

その時、一際強い風が吹いて夕食の香りをここまで運んできた。

空腹が刺激され、ハングの胃袋が鳴き声をあげた。

 

「さて、戻りましょうか。早くしないと晩飯がなくなります」

「そうですね」

 

ハングとカナスは遺跡に向けて歩き出した。

 

「そういえばカナスさんは家族はいるんですか?」

「ええ、妻と子供が一人」

「えっ、カナスさんってご結婚されてたんですか!?」

「ええ、言ってませんでしたっけ?」

 

初耳だった。そして、改めてハングはカナスさんを見た。

 

彼の見た目の年齢はまだ若い。年などエリウッドやヘクトルよりも多少上ぐらいだろう。でも、まさか結婚までしてるとは思わなかった。しかも子供までいると言う。

 

ハングは自分の眉間を抑え込んだ。

 

「ど、どうしました」

「いや・・・カナスさんもやることはちゃんとやってるんですね・・・」

「え?え?え?今、ハングさんの中でどのような理論が展開されたのでしょうか?」

「いえ、お気になさらず。それで、後学のために聞いておきたいんですけどカナスさんと奥さんのなれ初めからプロポーズに至るまでを詳しく聞かせてください」

「きょ、興味深々ですね・・・」

 

ハングの前のめりな姿勢に若干引き気味のカナスである。

 

「その話は僕も気になりますね・・・」

「あれ、エルク。いつの間に」

「ハングさん達の帰りが遅いから様子を見に来たんですよ。それよりカナスさん、僕にも少しその話を聞かせてもらえますか?」

「え、ええ。構いませんけど」

「じゃあ、食事の後にしましょう。もうすぐ準備が整いますから。それにハングさんも済ましときたい用事もあるでしょ」

「ああ、そうだった」

 

三人は遺跡の入口から中に入る。

 

ちょうど目の前にハングが会いたかった二人がいた。

 

「リン、ヘクトル。食事が始まるまででいい。ちょっと顔貸せ」

 

ハングの満面の笑み。ヘクトルの引きつった笑顔。リンの泣きそうな笑い。

 

エルクはカナスを連れていち早く避難を開始した。

 

その晩、ハングの怒声が遺跡の壁の一部を崩壊させたので警備配置をわずかに変更することになったというのは余談である。



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19章異伝~時の垣間(前編)~

樹海の中

 

木剣が力強くぶつかる甲高い音が響き渡る。

その音は警戒を続ける日々の嫌気を霧散させるかのごとく周囲に溶けていく。リズム良く打ち鳴らされる音が張り詰めた空気を弛緩させるように心地のよい韻を刻んでいた。

 

「がんばれ~」

「が、がんばってください~」

 

そこに気の抜けた応援も重なり、音は更に加速をみせる。

その音はしばらく続いていたが、それも遂に止まった。

 

「ほぅ・・・」

 

ヘクトルが驚いたように声を漏らした。

 

「ま、そうなるわな」

 

ハングは肩をすくめて結果に納得していた。

 

「終わり・・・ましたね」

 

ニニアンは興奮で少し頬を赤らめていた。

 

三人の視線の先。

 

鞘のついた剣の先がリンディスの首元で止まっていた。

 

「・・・勝負ありかな?」

 

エリウッドはそう言って剣を引く。

 

「ええ、そのようね」

 

なんでもないようにリンは言っているがその表情は憎々しげだ。

 

「これで一勝一敗ってことだな」

 

リンとエリウッドの手合わせ。先日行った時はリンの勝利であった。そして今日の手合わせは見ての通りエリウッドの勝利となった。

 

前回の手合わせはハングは用事で見ていなかったので、今回の手合わせが初見学だった。

 

ハングは軽く拍手をして、両者に賞賛を送る。二人の剣技はハングが三十年は稽古を続けないとにたどり着けないであろう領域であった。

ハングの拍手につられたようにヘクトルとニニアンも手を叩く。

 

今は昼の小休止。

 

ハング達が見つけた古い道を歩き続け、彼らは森の中へと再び踏み込んでいた。

周囲数里に渡り、警戒を行っていたが敵影はなし。ハング達は安全を確認して、駐屯地から少し離れた場所で手合わせをしていたのだった。

 

ハングは腰掛けていた木の根から腰をあげた。

 

「エリウッドは今日はレイピアじゃないんだな」

 

エリウッドはハングと手合わせをする時は常にレイピアだったが、今日は普通の剣を使っていた。

 

「前回、レイピアで見事に負かされてしまってね」

「それもそうか」

 

リンはサカの古き良き剣技にリキア騎士の用いる技を織り交ぜている。

その剣を相手に間合いが命のレイピアは少しやりにくいだろう。

その為、エリウッドは突の動きに斬を含ませた攻めと、剣を盾として扱う守りで勝機を生み出そうと考えた。

 

結果は見事な勝利。エリウッドは自分の選択を上々の出来だと評価していた。

 

だが、安全に勝ちを拾ったというわけではなかった。

 

「あと少しだったのに」

 

リンが悔しさを隠そうともせずに呟く。確かにハングから見てもあと一息といった感じだった。

 

「俺も昔からそんな感じだ。エリウッドに負ける時はいつも紙一重の差で負けた気がするんだよな」

 

昔からよく手合わせしてるヘクトルもそう言う。

実のところ、二人がそう感じる理由はハングにはわかっていた。

 

「つまり『あと一手足りない』って感じなんだろ?」

「そうそう!それそれ!!」

 

ヘクトルは的確な表現を見つけたかのように頷いた。

 

「エリウッドは常に相手の攻撃の先の先を読んで間合いを計ってるんだよ。自分の攻撃による間合いの変化、相手が踏み込んでくる位置の予測・・・エリウッドはその辺の駆け引きがやけに上手い。一瞬でも隙があれば打ち込めるけど、その一瞬を決して許さない間合いの保持・・・エリウッドってチェス得意だろ?」

「よくわかったね」

「そりゃわかるっての」

 

つまるところ、エリウッドは読み合いが上手いのだ。敵の剣の一手二手先を読んで先手を打ち、布石を打つ。

ハングも盤面を見ながらならできるが、それを1対1の剣技の中でやりこなす自信はなかった。

 

打ち合いを終えたリンにニニアンが手ぬぐいを渡していた。

 

「あ、あの・・・どうぞ」

「ありがと、ニニアン」

 

そのまま、ニニアンはもう一枚の手ぬぐいをエリウッドにも持っていく。

 

「エリウッドさまもどうぞ」

「ありがとう」

 

ニニアンに笑顔を向けるエリウッド。ニニアンも嬉しそうに笑顔を返した。

 

「ニニアンから見て、僕たちの剣はどうだった?」

「え・・・わたしですか?」

「うん、君の率直な感想が聞きたい」

「えと・・・」

 

ニニアンは戸惑うように一度視線を泳がせて、エリウッドの目に視線戻す。エリウッドはそんな彼女にもう一度優しく微笑んだ。

 

「あ・・・あの・・・リンディスさまは綺麗でした」

「へ?」

 

間抜けな声をあげたのはリン本人だった。

 

「はい、流れる風みたいで・・・舞を見てるようでした・・・」

「あ、剣のこと・・・ね・・・そうよね・・・」

 

リンの声はほとんど消え入りそうだった。隣にいたハングにも聞こえるかどうかという程度の声。ハングは何も言わずに彼女の頭に手を置いた。

 

「なに?」

「いや、別に・・・」

 

何か気の利いたことを言おうかとハングは思ったが、言葉が口から出る前にどこかに消えてしまった。

 

「それで・・・エリウッドさまは、少し・・・危うい気が・・・しました・・・」

「危うい?僕の剣がかい?」

「・・・はい・・・すみません・・・」

「ニニアンが謝ることはないさ、素直な意見が聞きたかったのは僕なんだから。それにしても・・・危うい、か」

「あ、あの・・・わたしの言うことなど気になさらないでください」

 

あたふたとするニニアンの隣でエリウッドはハングに視線を送った。

 

「いや、俺に意見を求められても困るんだが・・・」

「あ、すまない。つい・・・ね」

 

はっきり言って剣に関してはハングは門外漢だ。人間に対する観察力には自信もあるが、剣そのものに関しては素人に近い。

 

それに、ハングにはエリウッドの剣が危ういと思ったことは無かった。ニニアンが何をどう見てその判断を下したのかハングにはわからなかった。

 

「ふぅん、危うい・・・ねぇ」

「ヘクトルは思いあたる節があんのか?」

「んー・・・どうかな。なんかこうしっくりこないんだけどな。『危うい』じゃねぇんだよな・・・こぅ・・・なんつうか・・・なぁ?」

「わかんねぇよ」

 

ヘクトルは自分の語彙の乏しさに少し反省する。こういう時に学問所でもっと真面目にやっとけばよかったと思うのだ。

 

「まぁ、だが、そうだな・・・少なくともエリウッドの剣は悪くはねぇと思うぜ」

「随分、ざっくりした意見だな」

「うるせぇよ」

 

少し拗ねるヘクトルの周りで皆が笑う。

 

「そういや、ヘクトルとリンは手合わせしてないのか?」

 

ハングがそう尋ねた。リンは少し考えるような顔をしたが、すぐさまやる気になったようだった。

 

「そうね・・・ヘクトル、やってくれない」

 

リンが意気揚々と剣の柄に手をかけた。

だが、ヘクトルの方はそれ程乗り気ではなさそうだった。

 

「お前と?やめといた方がいいぜ。お前の細腕じゃ俺に傷はつけられねーよ」

 

その時、空気が音をたてて固まった気がした。ついでに、ハングの手が置いてある彼女の頭の方から変な音がした。

 

あ、やばいかもしんねぇ・・・

 

ハングは慌てて手を引っ込めた。

その直後、リンの口から放たれた声音は明らかに低いものになっていた。

 

「女だからって力が無いって言う気」

「違うって、男だの女だのは関係ねぇ。ただ、俺の鎧は重騎士並なんだぜ。剣士のお前じゃ相手にならねーよ」

 

なぜ、お前は竜の逆鱗をゴリゴリと削りたがる。

 

ハングは胸の中でヘクトルに盛大に危険信号を送っていた。口に出さないのは矛先がこちらに向くのが怖いからだ。

 

「そう、そういうこと・・・」

 

ハングは遠い目をした。

 

俺も似たようなこと言って怒らせたことがあったな・・・

 

あれは、まだエルクにも出会って無かった時だった。

あの時は確か朝から晩までリンは不機嫌なままで、寝る前にひたすら謝って許してもらったのだ。それも今となっては良い思い出だ。

 

そんなハングの現実逃避を妨げるように、リンの地を這うような声が聞こえてくる。

 

「へぇ・・・ヘクトルは私の力量をそう判断してるわけね」

「だから、意味が違うって言ってんだろう!オズインの奴から昔訓練中に教わったんだが、重騎士と剣士ってのはどうしたって相性が・・・」

 

もう手遅れだろう。ハングは諦めて目を閉じた。

 

「決闘を申し込むわ!ヘクトル!!見てなさい!その言葉後悔させてあげる!」

「おい・・・」

 

ハングは素早くリンとヘクトルから距離を取った。その隣にエリウッドとニニアンが並ぶ。

 

「止めなくていいのかい?」

「ああなったら、俺には止められねぇよ」

 

ハングとしては抜き身の剣で決闘を始めたリンの前に立つ気は無かった。

 

「ま、心配なのはむしろこの後だけどな」

「・・・・そうなんですか?」

「見てればわかるよ」

 

ハングの言葉にニニアンが視線を二人に戻す。ちょうどその時、二人が動きだし一合目が鳴り響いたところだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

自分たちの拠点に戻る途中。

 

「おい・・・」

 

ハングの左側からヘクトルが小突いた。

 

「ハング・・・」

 

右側のエリウッドもハングを小突いた。

 

「ハングさん」

 

右後ろの方向からニニアンがハングのマントの裾を引っ張った。

 

ハングはため息が出そうだった。

 

ハングは意を決して首だけで後ろを振り返る。

 

「・・・なに?」

 

そこには不機嫌真っ只中のリンがお出迎えしてくれた。

 

『やはり』と言うか『予想通り』と言うか、リンとヘクトルの一戦はヘクトルの勝利に終わった。そのせいでリンの機嫌は過去最悪にまで落ち込んでいた。

 

ここで下手に声をかければ噛み付かれるのは間違いない。できることなら彼女の血の気が下がるまで知らぬ存ぜぬを通したい。

 

そんなハングの願いは周りの三人が許してくれなかった。

 

「いや・・・その・・・」

「慰めならけっこうよ」

「そんなつもりはねぇよ」

「だったらなに?」

 

それが思いつかないから困ってる。

 

さすがにそのことを口にする勇気は無かった。

 

「あー・・・機嫌なおせ」

 

そして、ハングにしては随分と直接的のことを言ってしまっていた。

 

周囲からため息が聞こえた。普段の交渉術はどうした、と声が聞こえてきそうだった。

 

ため息をつきたいのはこっちだ。だいたい、原因であるヘクトルが何もしないのはおかしいだろ

 

そんな憤りを胸の内に留めている間にも、リンとの会話は続く。

 

「別に私はいつもと変わらないわ」

「いやいや、明らかに機嫌が悪いだろ。ってか、拗ねてるだろ」

「・・・・なんですって?」

 

矛先がハングの方に向きそうだった。言い方が悪いのは認めるが、他になんと言えばいいのかハングにもわからない。

 

「お前のことだから仲間に負けるのも我慢ならないんだろうけど・・・おい、目が据わってるぞ」

「ハングと一緒に一人前になるって約束は当分無理そう。本当にごめんなさいね」

「話を聞け、コラ」

 

リンは拗ねた子供のようにそっぽを向いてしまう。

そんな彼女にハングはなおも言いつつのろうとした。

ハングの頭の中では気性の野生動物を手懐ける方法が色々と浮かんでいた。

 

「あのな、リン・・・」

「わかってるわよ」

 

ハングはそのリンの声音に「おや?」と思った。

 

「わかってる・・・だから放っといて」

 

そう言ったリンの声からはわずかに険が取れていた。

 

「ったく・・・」

 

どうやらハングが考えていた様々な方法を実行に移す必要はなさそうだった。

 

リン自身も自分が聞き分けがないことぐらいわかっているようだ。

それでも、一度拳を振り上げた手前、降ろしどころがわからなくなっていた。

ハングに苛立ちをぶつけたことが良い落としどころだったのだろう。

 

ハングはこれなら爆発することはないと判断し、リンに軽く釘を刺すにとどめることにした。

 

「あんま、気を詰めるなよ。こんな島で余計な疲労を抱え込むと死ぬぞ」

「わかってる。そのうち自分で折り合いつけるからしばらく放っておいて」

「わかったよ」

 

リンは目を逸らしてあらぬ方向に目を向けたままだ。硬い表情は変わらないが、こうして苛立ちを露わにすることが彼女なりの甘え方なのだろうとハングは結論付けることにした。

 

ハングはため息を吐いて前を向く。そこには少し残念そうな顔が二つあった。

 

「なんだその顔は」

「いや、喧嘩にならなかったな・・・なんて」

 

エリウッドがそう言った。ハングは渋面を浮かべる。

 

「お前らは俺らが喧嘩するのを望んでいたのか?」

「まぁ、それが気持ちの抜きどころになればいいかなって」

「・・・・・」

 

エリウッドに向けてハングは喉奥に迫った百万語ぶつけるところだった。

だが、エリウッドの考え方は決して間違ってはいなかった。

 

ハングはなんとか言葉を飲み込んだが、今度はヘクトルが軽い口調で言った。

 

「それに、お前らの痴話喧嘩は見てて楽しいからな。機会があればけしかけてみたいってのもある」

 

ハングは目の前のこの二人を殴れば全てが解決するような気がしてきた。

実際、ハングが拳を固めるまであと一歩だった。

 

それを止めたのは後ろからのリンの声だった。

 

「エリウッド。ニニアンは?」

「え?」

 

ハングはすぐさま後ろを振り返る。ニニアンはさっきまでエリウッドの三歩程後ろを歩いていたはずだった。だが、そこには誰もいない。

 

ハング達は慌てて周囲を見渡した。

 

「あっ、いた!あっちだ!」

 

ハングが指さした先。ニニアンは森の中をふらふらと歩いていた。

それを視認した直後、エリウッドはすぐさま駆け出した。

 

「ニニアン!」

「ちょっ!待て!エリウッド。あぁくそ・・・軍主がすぐさま脇道に逸れるんじゃねぇよ!!」

「とんでもない速度ですっ飛んでったな」

 

エリウッドはニニアンを追って森の中を走っていく。

その背中をハングは睨みつけていた。

 

「あの野郎・・・」

 

リンとヘクトルはハング顔を見て、エリウッドの背中に両手を合わせた。後でハングの雷が間違いなくエリウッドに向けて放たれるだろうと思われた。

 

「放っておくわけにもいかねぇしな・・・マシュー!」

「なんすか?」

「お前がどこから湧いて出てきたかはもう聞かないからな」

「人をボウフラみたいに言わないでくださいよ」

「とにかく、皆を連れてきてくれ。どうせそろそろ出発だ。エリウッドとニニアンを追いかけつつ進んでく」

「了解しました」

 

マシューが森の中へ消えていく。

それを見ながらヘクトルが呟いた。

 

「あいつって俺の部下だった気がするんだがな・・・」

「余計なこと言ってないで二人を追うぞ」

「へーへー」

 

ハング達はエリウッドの後を追い、森の中へと進んで行った。



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19章異伝~時の垣間(中編)~

森に消えそうになるニニアンを追いかけ、エリウッドは走る。

後ろに残してきた仲間のことも気がかりだが、全軍の指揮にはハングがいる。彼なら適切な判断をしてくれるはずだという信頼がハングにはあった。

 

「ニニアン!」

 

エリウッドが何度も声をかけるがニニアンは相変わらず森の中をふらふらと進んでいく。

エリウッドも森の中を走るが、慣らされていない地面は予想以上に走りにくい。あちこちに木々の根が突き出し、地面にはあらゆる箇所に大きな岩が転がっている。ここ数日、舗装された道を歩き進んでいただけにその走りにくさの感覚は一段と強く感じた。

 

だが、それはニニアンも同じのはず。なのに、エリウッドがいくら走っても距離が一向に縮まらない。

彼女の姿は樹海の中をふらふらと漂い続ける。エリウッドはまるで幻覚でも見ているかのような感覚に陥っていた。

 

「・・・そんな馬鹿な・・・」

 

ニニアンは何かに導かれるように進んでいく。樹海の中で揺れるニニアンの姿。それはまるで森に潜み旅人を惑わせる妖精のようであった。エリウッドの中に森の奥に誘い込まれているかのような不安が募る。

 

エリウッドは何度も躓きながらも目の前のことを現実だと信じて走り続けた。

 

森を進んでいくと、次第にエリウッドの足運びが安定していく。

それは森にエリウッドが慣れたのではなく、足元が慣らされた地面に変わっていたからだった。

 

しかし、ニニアンを追うのに夢中になっていたエリウッドはそのことに気づかない。

 

そして、不意にニニアンが森の中で立ち止まった。

エリウッドは急いでそこの駆け寄り、彼女の肩を掴んだ。

 

「ニニアン!」

 

だが、彼女の反応は薄い。彼女は何かを真っ直ぐに見つめていた。

 

エリウッドはニニアンの背中越しに、『それ』を見た。

 

「・・・・ここは・・・」

 

エリウッドは息を飲んだ。

 

そこは樹海の中に突如として現れた陽だまりであった。

 

その場所には木々が空を覆っておらず、太陽暖かな光が降り注いでいた。

地面には草木が生い茂り、花々が命の息吹を放っていた。静謐な風が吹き抜け、乾いた風を運んでくる。

そこには暖かな命に満ち溢れていた。

 

エリウッドはふと後ろを振り返った。

 

そこには暗く湿った樹海が広がっている。

だが、目の前のこの場所はまるで別の世界から切り取ってきたかのような空気に満ち溢れていた。

 

そして、その中心に石造りの建物が静かに佇んでいた。

森の中に佇む洋館のような建造物。

 

エリウッドはその建物がこれまでに見てきた遺跡とは根本的に造りが異なっていることに気がついた。

 

目の前の景色に呆然とするエリウッドの耳にニニアンの鈴を転がしたような声が滑りこんできた。

 

「・・・わたし・・・ここ・・・知ってる気がします」

「え?」

 

ちょうどその時、後方からハングの声がした。

 

「エリウッド!ニニアン!二人とも、こんなところで何を・・・ってなんだこれ?遺跡なのか?」

 

追いついてきた人達もエリウッドと同じように息を呑む。

それだけ、この場所は異質であった。

 

「・・・ここ・・・何か・・・懐かしいような・・・そんな気がします」

 

呟くように語るニニアンに疑問の声をあげたのはヘクトルだった。

 

「ここをか?【魔の島】の建物に覚えがあるってのも、妙な話だな」

 

ヘクトルには疑うような響きが含まれていた。

そのヘクトルにエリウッドがこっそりと鋭い視線を送ったのをハングは見逃さなかった。

だが、そんな些細なことは放っておき、ハングは改めてその場所を眺めた。

 

「妙なのはむしろこの場所だろ・・・なんだよここ」

 

その場を眺めるハングの目は鋭い。ハングはこの場に満ちる温もりの中に違和感を感じ取っていた。

それと似たような感覚を抱いていたのが、リンだった。

 

「なにここ・・・これだけ気持ちの良さそうな場所なのに・・・私・・・なんだか・・・嫌・・・ここ、嫌な風が吹いてる」

 

リンはそう言って、凍えているかのように自分の両腕を摩る。

ハングもまた体の奥底に氷の塊を流し込まれたような怖気を覚えていた。

 

その理由は明確であった。ハングははこの場所から闇魔法の気配を感じていた。

 

「けど・・・普通のもんとは違うな・・・これは・・・」

 

ハングは手近な枝を拾い上げ、その空間の中に放り込む。

投げ込まれた枝は何事もなく、下草の間に落ち、見えなくなった。

 

周囲に動く気配はなく、敵が潜んでいる可能性はなさそうだった。

 

「あ・・・・ハング!」

 

ハングは周囲が呼び止めるのも聞かず、その場所に一歩踏み込んだ。

 

「これは・・・」

 

ハングは呆然としたように周囲へと視線を巡らせた。

不思議なことに、この場所の内側はさっきまで感じていた闇魔法の気配が唐突に変化していたのだ。

それは、人を引き摺り込む闇ではなく、暑い夏の日に昼寝の場を与えてくれる大樹の影のような温もりが宿っていた。

 

「結界・・・なのか?」

 

ハングはこれほどまでの優しい闇魔法に出会ったことが無かった。

 

しかも、この結界は一つではないようだった。

ハングは建物に目を向ける。その建物の中心からより強い結界の力が流れ出していた。

 

ハングは仲間達に手招きして安全を伝える。

 

真っ先にニニアンが足を踏み入れた。

 

「あっ・・・」

 

エリウッドの手を擦り抜けるようにニニアンは草木の中を進んでいく。

その目には今までに無いほどの強い意志が見て取れた。

 

「おい、いいのかよどうすんだ?随分と道から外れちまったぞ」

 

ヘクトルが苛立ちを隠さずにそう言った。そのヘクトルにリンが素早く噛み付く。

 

「もう!無神経ね!ニニアンの記憶が戻るかもしれないんだから少しぐらい待ちなさいよ!!」

 

先程の屈辱はそうそう消えはしないようだ。だが、ヘクトルにも言い分はある。

 

「あのな、俺達は一刻を争ってるんだぞ。こうしてる間にもエリウッドの親父さんが・・・」

 

そんなヘクトルの言葉はエリウッド本人によって遮られた。

 

「いいんだ、ヘクトル・・・少しだけ様子を見よう」

 

エリウッドはそう言いながらもその空間に足を踏み入れる。

その言葉が聞こえたのか、ニニアンが申し訳なさそうな顔で振り返った。

 

「あ・・・ありがとうございます・・・」

「いいんだ、まだ出発する刻限じゃないし」

 

本当はそろそろ刻限なのだがハングは何も言わず、ニニアンに尋ねた。

 

「ニニアン、あの建物に何かあるのか?」

「わかりません・・・でも、何故か・・・惹かれるんです・・・とても、惹かれるんです」

 

ハングはもう一度周囲を見渡した。

 

「リン、変な奴らはいないと思うけど念の為だ。ニニアンについて行ってくれ」

「わかったわ。行きましょ、ニニアン」

「は、はい・・・」

 

二人はゆっくりと陽だまりの中を建物に向けて歩いていく。

ハングは後ろから追いついてきた仲間にもここでしばらく休憩を続けることを伝え、雑務をこなしに行った。

 

「お前は一緒に行かなくてよかったのか?」

 

周りに人がいなくなり、ヘクトルはエリウッドにそんなことを言ってみた。

 

「リンディスがついているんだから大丈夫だろう」

「ほうほう・・・」

「ニニアンが惹かれるというのも気にかかるが、無理に女性の過去を詮索するものじゃない」

「ふぅん・・・」

「第一、ここでまた休憩するならハングを手伝った方がいいだろう。僕らには仕事がある」

「なるほどな・・・」

 

ヘクトルはエリウッドが一言言うたびに大袈裟に頷いてみせた。

 

「だから俺は『ハングと』一緒に行かなくて良かったのか?って聞いたつもりだったんだがな」

「あ・・・・・・・」

「俺は『ニニアン』なんて一言も言ってねぇし。俺たちは軍の指揮官として仕事をしなきゃないけねぇよな、ってぐらいで聞いたんだが・・・まぁ、お前の気持ちはよくわかったぜ」

 

ヘクトルはそう言って満面の笑みでエリウッドの背中に張り手を何度も叩きつけた。

一発ごとにエリウッドの肺から空気が飛び出ていくが、ヘクトルは御構い無しだった。

 

「そんなに気になるのか?ん?」

「不安定な女性を心配するのは普通だろ」

 

エリウッドは真顔のつもりでそう言った。だが、ヘクトルから見れば表情を隠そうとしてるのが見え見えであり。

「で、今のお前は誰のことを思って言ってる。俺は『気になるのか?』とだけしかきいてねぇんだけどよ」

 

エリウッドの身体が強張る。わかりやすく動揺してくれた親友にヘクトルは御満悦であった。

 

「・・・彼女のことを考えていた」

「リンディスとハングの間に入るのは苦労すると思うぞ」

「それは違う!!僕はニニアンの・・・」

 

乗せられた。

 

エリウッドがそう思った時にはもう遅かった。

目の前にはエリウッドが今まで一度も見たことがないくらいに嬉しそうに笑うヘクトルがいた。

 

「ほう・・・『ニニアンの』・・・で、続きは?」

「一回、ヘクトルとはやれるところまで戦ってみたいと思っていたんだが、今からどうだい?」

 

ヘクトルはからからと笑った。手が出たら、口喧嘩の勝負は終わりだ。今回はエリウッドの負けである。

 

「お楽しみのとこ悪いんだが」

 

その二人の背後にハングが立っていた。

 

「ヘクトル、お前の荷物が行方不明だ。マリナスさんが休憩地点にあったもんを片っ端から持ってきちまってな。できるだけ早く探してくれ」

「へーい、それじゃハング。あとはよろしく」

「おう、任された」

 

ハングとヘクトルが高い位置で手を打ち合わせて交代する。

 

「さて、エリウッド・・・さっき、勝手に部隊を離れたことに関して言いたいことが複数あるんだがどうせニニアンが戻ってくるまで暇なわけだし俺とお喋りでもして過ごすってのはどうだ?ん?」

 

エリウッドは苦笑せざるおえない。まだ、ヘクトルにからかわれているほうがよかった。

 

目の前のハングの笑みはとても怖かった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ったく、反省したか?」

「・・・はい」

 

仁王立ちするハングと正座するエリウッドの構図も最近では見慣れてきた部隊の面々だった。

あの声量で正論を永遠と聞かされ続けていたら反省も更生も容易いだろう。

 

反省の姿勢を示すエリウッドに許しを与え、ハングはは改めてその建物を見上げた。

 

今までも遺跡らしいものは度々見かけた。

 

だが、その全てに共通するのが、人の大きさに見合わない巨大なものばかりということだった。

 

それに対してこの館は随分と普通なのだ。

 

大きさも創りも普通の人間に建設できる程度のもの。

それがこの【魔の島】では随分と違和感があった。

 

「ん?」

 

ハングはふと違和感を感じ、眉をひそめた。

ハングはこの場所に新たな闇魔法の気配が現れたことを悟った。

 

「・・・ハング・・・誰か出てきた」

「ああ・・・わかってる」

 

その洋館の裏の方から歩いてくる人がいた。彼もこちらに気づいたようで。軽い足取りで近づいてきた。

ハングは剣の柄に手をかけながら声をかけた。

 

「お前・・・この館の人間か?」

「いいえ、旅の者です。樹海を歩き疲れてここで一休みしていました」

 

ハングは目を細めた。

エリウッドが隣で立ち上がり、ヘクトルも寄ってきた。

 

「この館に詳しいのか?」

「いえ。ですが長い間無人だったのは確かでしょう。不思議なことに建物とは人がいない方が傷みが速くなりますから正確にはわかりませんが」

 

ハングはその男からわずかに距離をとる。

代わりにエリウッドとヘクトルが前に出て、この男と会話を続ける。

 

「ここは何なのでしょう?」

「人竜戦役時代の・・・闇魔道士が住んでいたようですね、いくつか興味深い古文書を見つけましたよ」

 

そう言った旅人の顔は掛け値無しの笑顔だった。

 

「あれらの知識を吸収できれば私はもっと闇に近づけるかもしれない・・・もっもとも、それなりの代償は必要ですが」

「代償?」

 

エリウッドが怪訝な顔をして疑問符を放つ。その質問にハングが二人の後ろから口を挟んだ

 

「闇魔道を歩むもんの宿命・・・だろ?」

 

その声は普段よりも数段固い。エリウッドとヘクトルはそこで何かに勘づいたかのように、何気なく姿勢を正した。

 

「あなたは闇魔法に詳しいので?」

「詳しいだけだ。使いはしない」

 

その男はハングを値踏みするように足先から頭までを眺める。

ハングはそれを無視するように話を再開する。

 

「『闇を覗く者は己が闇へと変わることを心せねばならない。なぜなら・・・」

「なぜなら、お前が闇を見つめる時、闇もまたお前を見つめ返すからだ』・・・チェーンの言葉ですね」

 

その男に台詞を取られ、ハングの顔に影が潜む。その男はエリウッドとヘクトルに向けて言葉の意味を説明する。

 

「闇を求める者は、みずから闇に入らなければならない。再奥の闇を求めようと思うなら、いずれは人間をやめることになる・・・いうなれば力に対して器がついていかないんですよ。人間が天災を止められないのと同じことで、それはある種の摂理です。闇というものはそれほどに深くて広い。大して資質を持たない者が強大な力を持とうとして自我を無くしてしまう。資質を持っていたとしても、そもそもなぜ力を求めていたのか、それすら忘れてしまうこともしばしばです。しかも、それらを乗り越えたところで、力を手にできるのは魔道士のほんの一握り。ですが、手にした力の素晴らしさに比べたら些細な代償と言えるでしょう」

 

立てかけた板に流れる水のように澱みなく喋るこの男。その視線はエリウッド達からハングの方へと向けられる。

 

 

「何か言いたいことがありそうな顔ですね」

「闇を求めた結果失う代償を些細と呼べるかは人によるんじゃねぇのか?」

「そうでしょうか。かの【八神将】ブラミモンドは己の全てを闇に委ねた者だそうです。感情も記憶も全て闇に溶かし、そうして竜を倒す力を得たとか」

「昔話の英雄を同列に並べて何の意味がある。それに、少なくともブラミモンドには理由を与えてくれる仲間が七人もいた。一人でなすべきことに対してはその代償は重い」

「それでも力を得たいとは思わなかったんでえすか?いえ・・・思っていたらあなたはとっくに闇に飲まれていますね」

「本当は似たようなことは常々思ってる。何を捨てでも得たいもんがあるってな。だけど、そいつは俺の感情と記憶に支えられている」

「力は得たい。だが、自分の中の戦うべき理由を失いたくはない・・・闇に頼ってもそれを失わない可能性だってありますよ」

「失う可能性だってある。俺は自分の思い出を賭け金にあげるつもりはない」

「『思い出』ですか」

「世の中には色んな『思い出』があるんだよ」

 

二人の視線が鋭さを増していく。

 

ハングが一歩前に出る。

それに呼応するように男が足を下げた。

 

ハングの周囲の空気が張り詰めていった。

 

「いい加減・・・名乗ったらどうだ」

 

ハングは剣の柄を握りしめた。エリウッドとヘクトルもそれが合図であったかのように素早く武器に手をかけた。

 

「ハング、どういうことだい!?」

「こいつは一体誰なんだ!」

 

 

二人はハングの左右を支えるように、男の前に立つ。

 

「おやおや、どこで気づかれたのでしょうか」

 

ハングは強く噛み締めた口の中から絞るように声を出した。

 

「俺は闇魔道士の気配に敏感なんだ。お前は間違い無くここに突然現れた。転移魔法でも使ったんだろう。なのにお前は『歩き疲れた』なんて言いやがった。それに、この周囲は一応探索してんだ。中に入る足跡なんざ一つなかったことぐらいこっちは把握してんだ。嘘をついているのは明白。だったら警戒しとくのは当然だろ!」

「最初からですか・・・さすがに驚きましたね」

 

男には全く驚いている様子は無い。ハングは更に強く歯を食いしばる。

 

「ウハイとアイオンを倒してくれたのは好都合だったんですがね。予想以上に疲労していない・・・流石と言っておきますか・・・」

「御託はいい!名乗れ!」

「私の名はテオドル。フェレ公子を討ち取る手柄は私がいただきますよ」

 

ハングは一気に間合いをつめて、抜刀と同時に斬りつけた。リン直伝のサカ流抜刀術。

だが、ハングが抜きさった剣は空を切る。テオドルの姿は無い。

代わりに残されたのは黒い煙のような靄であった。

 

「くそっ!」

 

微かに漂うだけだった靄は次第にその量を増やし、一気にこの場所を覆いつくしてしまった。

 

「黒い・・・霧か!?」

 

爆発的に広がった黒い霧が周囲に立ち込め、昼日中だというのにこの場は夜のように真っ暗だ。

 

「さすが【黒い牙】・・・暗闇に慣れてる連中ならこっちの方が戦いやすいってわけかよ」

 

ハングの声が霧の中に木霊する。ハングは剣を一旦鞘に戻し、エリウッドの方を見る。

エリウッドはなかなかに情けない顔をしていた。ハングも苛立ったように頭をかく。

 

二人は焦っていた。その理由をヘクトルが丁寧に指摘した。

 

「ハング!リンディスとニニアンはどうすんだ?」

「それだよ、それなんだよ・・・」

 

ハングは悪態をついて、地面に唾を吐く。

 

ハングは敵とわかっている相手と悠長に闇魔法の主義思想についてお喋りしていたわけではなかった。

 

ハングの狙いは会話を続けて時間を稼ぎ、先手を取って一撃で決めることだった。

それが、リンとニニアンの二人が館にいる状態で戦う最善の策であった。

 

だが、それは見事に失敗し、こうして敵は霧の中からハング達の命を狙いにくる。

ハングとしては最悪の形の開戦であった。

 

ハングは舌打ちをして自分が性急な行動をしたことを悔やむ。

 

相手が闇魔道士とはいえ、剣の地力で劣るハングが真っ先に切り込むべきではなかった。

エリウッドの素早い突剣による先制攻撃を待つべきだったのだ。

 

唯一の救いはニニアンの傍には勘の鋭いリンがいることだ。彼女なら黒い霧が蔓延した時点で下手に動くことはしないだろう。だが、危険な状況には変わりがない。

 

「ハング・・・」

「ああ、わかってる」

 

エリウッドとハングの視線が合う。二人は自分達が同じ結論にたどり着いたであろうことを悟った。

 

「ヘクトル・・・頼みがある」



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19章異伝~時の垣間(後編)~

「ヘクトル様!東に敵部隊です」

「ロウエンの部隊を向かわせろ!後方に弓部隊を送れ」

「ハング達が洋館に入りました!!マシューとドルカスも侵入できております!!」

「オズイン!援護にむかえ!洋館の中に敵を一人も入れんじゃねぇぞ!」

 

幾つもの指示を出しながら入ってくる情報を整理して戦場を組み立てる。

 

ヘクトルが総指揮を任されるのはこれで二度目だ。ヘクトルは後方で指示を出すより、前線で味方を引っ張る方が得意である。あの時は二度とやりたくないと思ったものだが、人生というものはいつもままならない。

 

「・・・・・・・」

「ケントとセインは南の離れを確保しろ!」

「・・・・・・・」

「宝箱だぁ?んなもん勝手に開けて使え!!」

「・・・・・・・」

 

そして、ヘクトルがままならないと思うものがもう一つ。

 

「・・・・で、お前はなんで震えてんだ?」

「あ、あああ、ごごごめんなさい!!」

 

フロリーナに涙目で謝られたヘクトル。これでは見るからにヘクトルが悪役である。

 

なんでこんなことになったかというと、実は自然な流れであった。

この場所は多少開けているとはいえ、樹海の内側であることには変わりがない。

空は分厚い木々に覆われており、しかも今は黒い霧が視界を塞いでいる。中途半端に空にあがれば、樹木に突撃する危険が高いのは明白であった。

 

結果、フロリーナとフィオーラはヘクトルの護衛役という任務が与えらていた。

 

そして、フィオーラはヘクトルの指示でやや高所からの監視を行ってもらっているのでヘクトルの近衛兵としてフロリーナが残ったのであった。

 

「・・・・・・」

 

だが、そのフロリーナといえば物言いたげな視線を永遠に送ってくるだけでひたすらに黙っている。ヘクトルとしてはその視線が非常に困っていた。苛立たしく思う程ではないのだが、どうにも気にかかってしまうのだ。

 

「ったく・・・」

 

ヘクトルは愛用の斧を地面に突き立てた。

この暗闇の中で下手に動けば純白で目立つペガサスは恰好の的である。

それは、動きたくて仕方のないヘクトルにとっては良い枷となっていた。

 

「・・・どうすりゃいいんだよ・・・」

「ああああ、あの!」

「あ?」

 

震えた声は当然フロリーナのものだ。

 

「わ、私が左翼に出ましょうか?」

 

ヘクトルのさっきの愚痴を戦場の話だと思ったらしい。

確かに左翼は苦戦しているようだが、もうすぐ騎馬部隊が合流する手筈になっている。

特に問題は無い。

 

「いいんだよ。おめぇはここで待機してろ。敵が抜けてきた時に備えてりゃいいんだよ」

「わかりました」

 

普段はグズグズとしているくせに戦闘のこととなると、途端に顔色が変わる。

物言いもはっきりとし、視点も的確だ。涙を浮かべてても戦う時は戦う。

 

『いつもそれぐらいの気概でいりゃいいものを』

 

だが、ヘクトルはすぐにその想いを打ち消した。

ヘクトルは自分の親友のことを思い出していた。

 

エリウッドは普段は温厚を絵に書いたような人物だ。だが、一度戦闘となると先陣を切って仲間を引っ張る。

それは昔から変わらない。虫も殺せないような柔和な顔をしていながら、いざ喧嘩沙汰となるとヘクトルと肩を並べて拳を振っていた。

 

戦場にいる時と、普段の時の彼は随分と異なる。

 

だが、もしエリウッドが普段の時も戦場のような行動をする人間であったなら、ヘクトルは決して彼のことを生涯の友とまでみなさなかったと思っていた。

 

人の心というものはいつも不可思議で、掴み所がなく、だからこそ歯痒くもあり、面白くもある。

 

ヘクトルはどうしても単純に物事を考えすぎる。

そのせいで私生活で失敗したことも、決闘で負けたこともある。

だが、どうしても自分というものを変えられない。

 

ヘクトルはフロリーナを横目で見やる。

 

フロリーナは暗闇の中で常に目を凝らし、耳を澄まし、敵の動きを捉えようと必死であった。身体は今も小刻みに震えているものの、戦いから目を逸らすことは決してしない。

 

ヘクトルはそんなフロリーナの姿を興味深そうに眺めていた。

 

「ヘ、ヘクトル様!敵です!!」

「おっと!」

 

飛んできた斧をフロリーナが持っていた槍で叩き落とした。

いつの間にか、フロリーナは戦闘態勢にあり、目の前には敵が迫っていた。

 

「ったく!らしくねぇな、俺も!!」

 

ヘクトルは自分に一喝を入れ、斧を構える。

 

「おめぇは援護しろ!俺が前に出る!伝令が来たらてめぇが話聞いとけ!!」

「は、はい!」

 

フロリーナのはっきりとした返事に苦笑し、ヘクトルは気持ちを引き締めた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

洋館の中に入ったニニアンとリンはこの館の中央にある大きな部屋へと来ていた。

ふらふらと進んでいくニニアンを見ながら、リンはその部屋の中の不思議な風を感じ取っていた。

 

リンが最初に感じていた怖気を呼ぶような風はもう感じない。

その代わり、火照った身体を冷ましてくれるような心地よい冷たさを持った風がこの場には満ちていた。

 

部屋の中には様々な本があちこちに積み上げられ、壁には本棚が所せましと並んでいる。部屋の真ん中にある机の上には羊皮紙が散らばり、様々な記号や術式が描かれていた。

 

リンは手近な本を手に取り、一冊開いてみた。中は見たことの無い文字が書かれていた。その文字の形が気味が悪かったのもあって、リンはすぐに本を元に戻した。

 

「ニニアン・・・ここって、いったい・・・」

「・・・・・」

 

返事がない。リンは顔をあげ、ニニアンを探す。

 

彼女は一枚の絵を見ていた。

 

さほど大きなものではない。本棚の隙間に何かの気晴らしに飾ったかのような絵だ。

ニニアンはその絵をなぜか食い入るように見つめていた。

 

リンは埃のついた手を払う。

 

その時だった。

 

「よう、ここにいたのか」

「あ、ハング・・・エリウッドも・・・私達を迎えにきたの?」

「まぁ、そんなところだ」

 

リンは首をひねる。ハングもエリウッドも剣を引き抜き、しきりに後ろを警戒していた。

ヘクトルに追い回されでもしたのだろうかと思ったが、それにしては目が笑っていない。

 

「ハング、何かあったの?」

「あったっていうか・・・あってるっていうか・・・でも・・・なんだここ」

 

ハングは今しがた自分が入ってきた扉から一歩外に出てはもう一度入るということを繰り返していた。

 

「・・・ハング・・・これは一体・・・」

「俺にもわかんねぇよ・・・これも結界なのか?」

 

二人は切羽詰まったように小声で話をしている。

 

本当にどうしたのだろうか?

 

リンには二人の態度がまるで理解できなかった。

リンは疑問に思っていた。

 

『なぜ二人はこんな静かな場所で殺気をみなぎらせているのだろうか?』

 

「・・・あの、二人とも・・・」

「まったく、軍主と軍師が二人で単独行動するとは・・・」

 

ハングとエリウッドが瞬時に後ろを振り返って剣を構えた。リンもほぼ反射的に剣を引き抜く。

ハング達が入ってきた扉に一人の男が立っていた。背格好からして闇魔道士だとリンは推測した。

 

エリウッドが剣を構えながら声を張り上げた。

 

「ニニアン!」

「は、はい!・・・・あ、皆さん・・・どうしたんですか?」

 

エリウッドの声が届いたのか、ニニアンの意識がこちらに戻ってきた。

 

「僕の後ろにいるんだ!」

「は、はい」

 

エリウッドはニニアンとテオドルの間に立つ。

 

「ハング!どうなってるの?この人はなに!?」

「敵襲だよ」

「敵襲!?」

 

リンは驚いてハングを見る。冗談を言っている雰囲気ではない。

 

「そんな・・・でも・・・」

「この場所・・・やっぱなんかおかしいんだよ。外の気配がまるで感じられねぇ!」

 

この部屋は静かだ。静かすぎる。

外ではヘクトルが指揮を執り、兵が走り回り、武器がぶつかり合っているというのに、この部屋に入った途端にその全てが聞こえない。

 

リンは自分の中の感覚にかなりの自信があった。それは長年山賊や狼の脅威を身近に感じながら遊牧を続けるサカの民ならではのものだ。その直感ですらまるで何も掴むことができていない程であった。

 

テオドルは困ったように顔をしかめていた。

 

「しかしあなた達は命を狙われている自覚が足りないんではないですか?追う方のことも考えていただきたい」

「でも、こうやって予想外の動きをしたからこそ。敵の大将を誘い出せたんじゃねぇか」

「そうですね。まさか既に屋内に伏兵を配置しているとは思いませんでした」

 

テオドルはそう言ってリンの方を睥睨する。

 

テオドルはエリウッドとハングを相手にするなら二対一でも勝てる自信があった。少なくとも、どちらか一人は確実に始末できると思っていた。だが、三対一で勝てると思うほど愚かではなかった。

 

本来なら三十六計を決め込みたいところだが、できない理由がある。

 

「・・・なんなんですか、ここは・・・」

「俺が知るか」

 

テオドルは高位の闇魔道士であり、転移魔法も使用できる。だが、テオドルはそれを使えない。この空間が転移魔法を阻んでいるのだ。

 

この部屋は外の雑事を全て遮断し、それでいて中にいる者を護ろうとする意思が働いていた。

 

ハングはこの部屋こそがこの館を包む不思議な程に優しい結界の中心地だと判断した。

 

「こんな時・・・」

「あ?」

「こんな時、思うんですよ。もっと力があれば、とね」

 

ハングが一気に間合いを詰める。それに対してテオドルが片手を突き出した。二人の間に闇の塊が生まれる。

ハングはそれを予想していた。ハングは姿勢を落とし、右前方に足から滑り込む。そのままハングは剣を構え、下からテオドルを切り付けた。

 

「おらっ!」

「くっ!」

 

しかし、浅い。血飛沫すら飛び散らない。皮を切り裂けたかどうかも怪しい。

だが、隙を作れれば十分だ。

 

「はあぁぁっ!!」

 

左からリンが斬りかかった。

 

「そうはいきません」

 

テオドルの周囲に黒い煙が激しく渦巻いた。近くにいたハングとリンが吹き飛ばされる。

ハングは背中から本棚に激突し、リンはなんとか床に受け身を取って立ち上がった。

 

「私をナメないでいただきたい」

 

テオドルはそう言ってエリウッドに狙いを定める。

その直後、テオドルの耳元で声がした。

 

「それはこっちの台詞だ」

 

テオドルが振り返るより速く一本の剣がその身体を貫いた。

 

「ば・・・ばか・・・な・・・」

 

後ろにいたのはハングだった。

 

ハングは激突した直後に左腕で床を弾き、テオドルの後方に飛んでいたのだ。

 

「俺は・・・闇魔道士に負けるわけにはいかねぇんだ・・・」

 

崩れゆくテオドルの身体。貫かれた剣で支えられながらテオドルは霞みゆく視界の中でハングの顔を見ていた。

仄暗い天井を背景にしてテオドルを見つめるその顔の中に、二つの双眸が輝いていた。

 

「ああ・・・・なる・・・ほど・・・・あなたは・・・そうか・・・」

 

それを見てテオドルは笑う。自分の死が訪れようとしてるのに、彼は笑う。

 

ハングを見ながらテオドルは笑う。

 

テオドルは力を欲っしていた。だが、その力は手に入らなかった。

 

だが、満足だ。

 

『お前が闇を見つめる時、闇もまたお前を見つめ返す』

 

闇に見つめられたまま死ねるのなら、それも悪くない・・・悪くない・・・

 

意識が消えていく中、テオドルは最期までその闇を見ていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングは剣を手放し、テオドルの死体を床に沈める。このまま剣を引き抜けば返り血で部屋が汚れてしまう。

ハングはテオドルの死体を部屋の外に押し出してから剣を抜いた。この珍しい結界の部屋をわざわざ血で汚したくなかったのだ。

 

そして、ちょうどそこにマシューとドルカスが通りかかった。

 

「おっ、その様子だとお探しのもんは見つかったみたいッスね」

「ああ、なんとかな。そっちは?」

「・・・あらかた片付いた」

 

ドルカスがいつもの抑揚の無い声でそう言った。

 

「しっかし、ハングさんもなかなか酷なことしますね。何度も若様に指揮を一任するなんて」

「あいつは実戦で身につけさせるのが一番手っ取り早い」

「違いないですね」

 

人にはそれぞれ、学問の分野に得意不得意があるように、学び方にも得意不得意というものがある。

 

リンは対話を挟みながらの授業の方が覚えが良い。

エリウッドは本を熟読し、一つ一つ消化していくことで知識を身に付けていくのが得意。

そして、ヘクトルは実戦で呼吸を身につけるタイプだ。

 

ハングは三者三様の指導で確実に指揮をとれる人間を増やしていっていた。

 

よく見ている。

 

マシューはいつも素直にそう思うのだ。

 

「外の戦場ももうすぐ終わりそうです。というわけでイチャついてる暇はありませんよ」

「・・・エリウッドにそう伝えとくよ」

 

マシューはケラケラと笑った。

 

「・・・こっちの戦闘が終わったら迎えをやる。それまではおとなしくしてろ」

「了解です。二人も気をつけて」

 

マシューとドルカスにそう告げてハングは部屋へと戻って扉を閉めた。

 

『・・・からかうのも程々にしとけ』

『え~だってエリウッド様をからかうわけにはいかないじゃないですか。若様は鈍感すぎる上に男前すぎて全然面白くないし』

『・・・面白かったらやるのか?』

 

そんな会話がドアの向こう側から聞こえてくる。あの二人はあれで意外と気が合うらしかった

 

部屋の中ではリンがなんだか所在なさげに佇んでいた。

 

「どうした?」

「入れないのよ」

「は?」

 

リンの視線の先にはエリウッドとニニアンが並んで立っていた。

二人は先程ニニアンが見つめていた絵を眺めている。

 

その二人の間にはリンの言う通り、割って入れる隙間は無いようだった。

 

 

二人が見つめる一枚の絵。そこには、人と竜が描かれていた。

 

森のような場所に光が差し込み、その中で人と竜が並んでいる。

人はその手を竜の頬にあてて優しく微笑み。竜も静かにその場に座って澄んだ瞳で人の目を見つめていた。

 

人と竜。

 

かつて人竜戦役という戦争があったということが信じられない程に、その絵には優しく、強い想いが詰まっていた。それはこの場所に満ちる不思議な結界の象徴のようにも思えた。

 

「不思議な絵だな」

「ええ・・・」

 

仲良く並んで絵を見つめるエリウッドとニニアンに気を遣い、二人の声は小声だ。

 

「人と竜っていったら、戦ってる絵しかないと思ってたが。こんな絵もあるんだな」

「私も始めて見たわ。ねぇ、ハング。人と竜はこんなふうに寄り添うことってあったのかな?」

 

ハングはその絵と、絵の前で寄り添う二人を見ながら答えた。

 

「こんな絵があるんだ。そういうこともあったんだろうな・・・だってあの絵・・・」

 

ハングは戦闘で強張った肩の力を抜き、自然な笑みを浮かべた。

 

「随分と幸せそうじゃないか」

 

ハングはその場に腰を下ろす。その隣にリンも腰掛ける。

ハングとリンはいつしか、その絵を見つめるエリウッドとニニアンの後ろ姿を眺めていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングがテオドルを倒した直後から黒い霧は晴れはじめ、戦闘が片付く頃には跡形もなく消えていた。

そして、迎えと共に館から出てきたハング達4人を見て、ヘクトルは不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「なんだ、ヘクトル。ずいぶんなお出迎えだな」

「戦場をほっぽり出した軍師が何ほざいてやがる」

「まぁ、言い訳はできないけどな」

 

それでも悪びれることなく笑うハング。ヘクトルはとりあえず彼の腹に一発いれておいた。

 

「エリウッド!お前もだぞ!俺に全部仕事押し付けやがって・・・って、あれ?あいつ・・・どこいった?」

「さっきマーカスさんに連れていかれたわよ」

 

最近は説教はもっぱらハングの仕事だったが、久々にマーカスの説教が始まるだろう。

ハング程ではないがマーカスのあれもなかなかに恐ろしい。

 

「ま、とにかくお疲れさん」

「ああ、疲れた」

 

ハングは改めて自分の出てきた洋館を眺める。

 

「どうした?まだ、心残りでもあんのか?」

「いや、そういうわけじゃない」

 

結局、ニニアンの記憶は戻ることはなかった。だが、ハングにはいくつか気になることがあった。

 

ニニアンが歩いた道をたどったところ、草木の中に石畳の跡を見つけた。

彼女は覚束ない足取りのように見えたが、実は誰よりもしっかりとした地面の上を歩いていたのだ

それに、ニニアンは何かに導かれるようにあの部屋にたどり着いたとリンは言っていた。

 

ハングの中にいくつかの推論が浮かび上がる。

 

「ハング、行きましょう」

「【竜の門】は近いぞ」

 

ハングは仲間の声に振り返る。

 

「ああ、そうだな、でも、その前にエリウッドが解放されるのを待たねぇとな」

 

どこからかマーカスの懇々とした説教が聞こえてくる。

 

「それもそうね・・・って、あぁあ、ニニアン、埃だらけになっちゃったわね」

「あ・・・はい・・・」

 

途端にすっ飛んでくるセイン。

 

「ニニアンさん!この愛の下僕!セインめがブゴぉあ!」

 

フィオーラとケントが見事な手際でセインを打ちのめした。

 

「フィオーラさん、お手数おかけしました」

「いえ、私にも個人的な理由がありましたから」

 

引きずられ、再び馬に括り付けられるセインを見ながら、ハングは自分の中の推論を振り払った。

 

それは今は重要なことではない。今はネルガルのことが先決なのだから。

 

ハングはそう思いながら、最後にもう一度だけその洋館を振り返ったのだった。




いつもご愛読ありがとうございます。

実はまたもやリアルが忙しくなりそうで、また1週間程更新が滞りそうです。いや、下手したら2週間かも・・・

なんとか1週間で収めようと頑張りますが、その時はご容赦ください。


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20章~竜の門(前編)~

上陸から五日目

 

石畳で作られた道を辿り、彼らはその終点を目の前にしていた。

 

木々の隙間から空を見上げれば、そこには巨大な建築物が見え隠れしていた。到底、人の手に負えるものでは無いほどに巨大なもの。いや、巨大という形容すら陳腐に聞こえる程に圧倒的な古代遺跡がエリウッド達の目の前へと迫ってきていた。

 

否応無しに高まる緊張。

 

ここに父がいると気負うエリウッド。

レイラの仇がいると打ち震えるヘクトル。

 

だが、それ以上に昂ぶっている者がいた。

 

「・・・・・」

 

ハングはその目に鋭い光を宿して歩き続けていた。その姿はハングの内に巣食う怨嗟の念が周囲に漏れ出ているかのようだった。海賊船の上でハングがリンに語った過去。それを知るならば、ハングの情動は理解できないものではない。

 

そんなハングの背中に全力で平手打ちをする奴がいた。

 

「ハング!」

「ってぇ!」

 

ウィルだった。

 

「てめぇ、何すんんだ!」

「ほらほら、そう怒んなって。俺のおやつの干物やるから」

「んなもんいるか!!」

「いらないのか?じゃあ、この干しブドウは?」

「いらねぇっつってんだろ!なんなんださっきから!」

 

殺気立つハングと能天気な笑顔のウィル。そこにエルクも顔をのぞかせる。

周囲の面々は三人のやりとりを遠巻きに見ていた。

 

「ハングさんが怖い顔してるからですよ」

「あぁ?」

「ハングさんのそんな顔見てたらそりゃ苛立っているのがわかりますからね。ウィルなりの気遣いですよ。そうですよね?」

「そ、そんなんじゃねぇって!俺はただ腹減ってんのかなぁって思っただけだ」

 

ウィルは慌てた様子で否定する。だが、ハングはその物言いが理解できない。

 

「なんで俺が腹減ってるって思ったんだよ」

「そりゃあそうでしょ。人間なんだから」

 

あっけらかんと言い放つウィルにハングとエルクは目を細めた。

 

「ウィル、それは説明になってないと思いますよ」

「そんなことはないぞ!腹が減っては集中力が落ちる。集中力が落ちると失敗が増える。失敗が増えると苛立つ。見ろ!やっぱりごはんは大事だ!」

 

ハングはウィルの理屈に呆れて溜息を吐き出した。

 

「誰だよ、そんな三段論法吹き込んだのは」

「ロウエンさんです。ロウエンさん曰く『腹満たされずして心また満たされず』です!」

 

ロウエンが食事に並々ならぬ情熱を持っているのは軍内でも有名な話だ。

確かに彼ならばそんな格言を放ってもおかしくはない。

 

だが、ハングとしてはその理屈を自分に当てはめては欲しくなかった。

 

「だからといって俺をそんな基準で判断すんな。そんな理屈が通るのは他の連中だ」

「例えば?」

「セーラとか」

 

エルクがほぼ反射的に眉間を抑え込んだ。最近、セーラの世話係が板についてきたことをプリシラに指摘され、エルクは頭痛が絶えない日々を送っている。

 

「ったく・・・」

 

ハングは自分の身体の力を抜く。

すると、自分が思っていた以上に肩の位置が下がった。今まで肩肘を張って歩いていた証拠である。

 

ハングは自分の頭を数度叩いた。

 

自分の中の憎しみはなくならない。体内で燃え盛る仄暗い炎は決して消えない。

だが、それを冷静な頭と同居させるのは不可能ではない。

 

今のハングは多くの命を預かる軍師だ。自分の感情をむき出しにするわけにはいかない。

 

ウィルとエルクとの会話は気持ちを切り替える良い機会となった。

 

ハングが放っていた不可視の圧力が消えたことを感じ、エルクとウィルは改めてハングに笑いかけた。

 

「ありがとな・・・エルク、ウィル」

「へへ、礼なんて言うなよ」

「はい、僕らは友人なんですから」

 

二人を前にハングは気合を入れるためには頬を叩いた。

 

「よし!!」

 

ハングは気を取り直して歩き出す。

ウィルとエルクの視線を背中に受け、エリウッドとヘクトルに肩を並べる。

 

「もういいのかい?」

「ああ・・・大丈夫だ」

 

そのハングの背中に気負いは一切なかった。

 

その少し後ろにいたリン。

彼女はぼそりと呟いた。

 

「・・・いいな、男の子って」

「リンディス様?」

「あ、なんでもないの。行きましょフロリーナ」

 

決戦の時は近い。彼等の行軍の足音が【魔の島】に響いていく。

 

 

それから程なくして、ハング達は【竜の門】と称される遺跡へとたどり着いた。

 

長い間打ち捨てられているはずなのに、建物はまだ形を保っており、入り組んだ形状の地形をつくっていた。【竜の門】の周囲に点在する建物群は『町』というよりも戦争に備えた『城下町』のような雰囲気があった。

 

その建物群の入り口付近でハング達は周囲を警戒していた。

 

ここまでの樹海の中では罠や奇襲はなかった。

それはハング達を舐めているのではなく、相手方が戦力を一極集中させているとみて間違いない。

 

ハングは高い位置から大まかな建物の配置を頭に叩き込み、全体像を組み立てる。

ハングは頭を野戦から市街戦へと切り替えた。

 

そんな中、エリウッドがニニアンの異変に気が付いた。

 

「どうしたんだ、ニニアン。震えているのかい?」

「・・・ここ・・・とても、怖いです・・・何か・・・大きな力が・・・」

 

ハングは手早く周囲の人たちに警戒態勢を命じた。

 

ニニアンの直感は信用にたる。それは一年前の旅で経験済みだった。

ハングはニニアンの背中をさするリンに目配せを送った。

 

「”特別な力”ね」

「なんだそりゃ?」

 

そういえば、ヘクトルとエリウッドには詳しく話をしていなかった。

リンが二人に説明する。

 

「ニニアンが持っている危険を少し前に察知する力のことよ。記憶を失っても力は健在みたいね」

 

ハングは震えて膝をついてしまったニニアンの前にしゃがみ込む。

 

「ニニアン、何か感じるか?」

「ひっ・・・・」

 

だが、ニニアンはハングと目があった途端に目を伏せてしまった。

ハングはそのニニアンの反応に怪訝な顔をしたが、彼女の後ろにいるリンの表情で全てを察した。

 

「・・・・・エリウッド、頼む」

「あ、ああ・・・ニニアン、大丈夫かい?」

「エリウッドさま・・・」

 

エリウッドを前にしてニニアンが顔をあげる。

 

ハングは自分の頬をもみほぐした。その肩をヘクトルが慰めるように叩いた。

 

「おめぇはそろそろ自分の人相の悪さを自覚したほうがいいぞ」

「山賊と勘違いされるヘクトルに言われたくはねぇな」

 

ハングは自分の真顔が人にどんな印象を与えるかを理解している。

ネルガルを目の前にして気がたっている自覚もあった。

 

だからといって、この反応はあんまりだろう。

ニニアンの露骨な反応にハングは胸を抉られる思いだった。

 

だが、落ち込んでいる時間はなかった。

 

「ニニアン・・・何を震えているんだい?」

 

エリウッドの質問にニニアンの白い肌が更に色を失う。

死人のように青白くなったニニアンは震える声で言った。

 

「・・・ここに・・・来ては・・・いけなかった・・・わたしが、ここにいると大変なことが・・・・ああっ!!」

 

そして、ニニアンがいきなり天を仰いだ。

次の瞬間にはニニアンの身体は糸の切れた傀儡のように地面に倒れた。

 

「ニニアン!?しっかりするんだ!」

「ニニアン!!」

 

エリウッドとリンが二人で彼女を抱き起す。

 

「ここはダメ・・・わたしは・・・わたしは・・・」

 

彼女はうわごとのようにそう繰り返す。目の焦点は合わず、唇まで真っ青だ。

 

「錯乱してるわ!ここから離れましょう」

「ヘクトル!手を貸してくれ!!」

 

二人が周囲に手助けを求めたその刹那、聞きなれない声がした

 

「・・・そうはいかない。二度逃げ出した小鳥が再び戻ってきた・・・今度こそ逃がしません」

「転移魔法だ!!」

 

ハングが叫ぶのと、警戒態勢にある皆の中心に誰かが出現するのは同時だった。

 

現れたのは死人のように白い肌を持った男だった。黒い髪を後ろで束ね、黒いローブを着ている。

だが、彼を特に象徴づけているのはその瞳だった。生気を持たない体躯に対しそこだけが別の生き物のように光を放っていた。

 

「お前は誰だっ!?」

 

エリウッドが剣を抜きながら叫ぶ。

 

「お初にお目にかかります。私はエフィデルという、とるにたらぬ者。どうか、お見知りおきを」

 

周囲を警戒していた他の皆が武器を突き付けている中で、エフィデルは平然と会釈をした。

ハングも剣を引き抜きながら、その男を睨みつける。

 

「てめぇがエフィデルか・・・とるにたらねぇと自称するなら記憶に残す必要はねぇなぁ!今すぐこの世からご退場願おうか?」

「なるほど、あなたがこの軍の軍師ですか?お噂はかねがね。サンタルス、ラウス、キアラン、そして海上戦、この魔の島でもことごとくこちらの軍隊を破っていただいたようで」

「ぬかせ!」

 

ハングは奥歯をかみしめた。

 

確かに軍を用いた局所的な戦術においてはハングは勝利を続けてきた。

だが、戦略的な観点から言えばハングは常に後手に回っていた。

 

それはサンタルス侯爵の暗殺から始まり、ラウスでは侯爵であるダーレンを取り逃がすことになった。キアランへの進行に至ってはハングは完全に裏をかかれ、海上戦ではファーガス海賊団の船を潰されたせいでハング達は補給が制限されて【魔の島】を歩くことになった。【魔の島】で起きた戦闘もイレギュラーな事態に救われただけだ。

 

それらの戦略を操ってきたのがこのエフィデルだ。

ハングは彼を目の前にして言い知れぬ不快感が湧きあがるのを感じていた。

 

エフィデルはハング達の軍のど真ん中で平然と立っている。それを見てハングは顔をしかめた。

 

「随分とまぁ・・・染まってるじゃねぇか」

 

彼が纏う闇魔法を使う者特融の闇に触れた空気。

ハングはそれを読み取り、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。

 

エフィデルの闇はあまりにも濃かった。

 

否、濃すぎる。

 

それは人間で成し遂げられる限界をはるかに超えた闇の臭いだった。

ハングがエフィデルの空気に飲まれている隣でヘクトルが気焔を上げていた。

 

「エフィデル・・・てめぇに会いたかったぜ!」

「・・・勇ましいことで。貴方のことは、もちろん存じておりますよ。オスティア侯弟、ヘクトル殿」

 

エフィデルの瞳がゆるやかに動きニニアンのそばに佇むリンに向けられる。

 

「そしてそちらはキアランの姫、リンディス様」

 

リンは答えない。

 

そしてエフィデルは世間話でもするかのように唐突に話しだした。

 

「そういえば、森に置いておいた贈り物・・・お気に召しましたか?赤毛の薄汚い女狐の死体・・・」

 

ハングの目が強く見開かれる。ヘクトルは全身の毛が逆立つのを自覚した。

 

「・・・てめぇ!!」

 

ヘクトルが吠える。

 

「なるほど、オスティアの間者でしたか。ご安心なさい、苦しまずに逝きましたよ」

 

エフィデルの口角がつりあがった。笑っていた。

 

「なにせ・・・たった一撃で片付くような弱輩でしたので」

 

ハングとヘクトルが同時に動いた。

ヘクトルの斧が上段から、ハングの剣が下段から迫った。

 

二人は完全に先手をとったと確信した。そのはずなのに、二人の武器は空を切る。

 

「消えた!?」

 

ヘクトルは動揺したがハングはエフィデルの次の行動を瞬時に読み切った。

 

「リン!!後ろだぁ!!」

「え!?」

 

リンが振り返るのとエフィデルの握った短刀が突き出されるのはほぼ同時だった。

 

だが、エフィデルはリンを甘く見過ぎていた。

 

甲高い金属音が響く。エフィデルの手から短刀が飛び、リンの剣が振り切られていた。

 

リンの扱うサカ式抜刀術。その剣速は他の剣術の追随を許さない。

エフィデルは一瞬だけ驚いたような顔になったものの、すぐさま余裕の表情を見せる。

 

リンは剣を持ち替え、追撃に移る。だが、それは再び空を切った。

 

リンとニニアンの距離がわずかに空いた瞬間をエフィデルは見逃さない。ニニアンの隣にエフィデルの姿が霞のように映ったかと思ったその時には、エフィデルはニニアンの手を取り、素早くその場から掻き消えた。

 

そして、次の瞬間にはエフィデルとニニアンは近くの建物の屋上へと移動していた。

 

「ニニアン!!」

 

エフィデルの腕の中にとらえられたニニアン。彼女は暴れるも、その細い体では抵抗らしいこともできない。

 

「この娘は我が主の儀式に必要なのです。それではご縁があればまたお会いしましょう」

 

すぐさま駆け寄ろうとするエリウッド。それを見つけ彼に向かって手を伸ばすニニアン。

 

「ニニアン!!」

「エリウッドさまっ!!」

 

しかし、二人の距離はあまりにも遠い。

 

エフィデルが転移魔法で再度消える。エリウッドが伸ばした手は空を掴むばかりだった。

 

「畜生!!」

 

ヘクトルの罵声だけが、むなしく響いた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

【竜の門】へと続く遺跡の入り口。

 

「エフィデル殿!娘は、戻りましたかな!?」

 

そう声をかけたのはラウス侯ダーレンであった。

彼の前にはエフィデルと気を失ったニニアンがいた。

 

「このとおり・・・」

「おおっ!ではとうとう儀式が!!」

「ええ。ただし、例のネズミどもがそこまで来ています・・・間もなくこの遺跡の中に進入してくるでしょう。儀式までに奴らの始末を・・・お願いできますか?」

 

エフィデルの声にはもはや感情はない。

先ほど、エリウッド達と邂逅した時のほうがまだ人らしさがあった。

だが、それを知る術はダーレンにはない。例え知りえたとしても今のダーレンが正常な判断をできるとは思えなかった。

 

「もちろんだ。わしを誰だと思っておる!ラウス侯ダーレンだ!この世界を支配する者だ!!」

「では、おまかせします」

 

ただ淡々とエフィデルはそう言い残し、遺跡の奥へと消えていく。

 

「わしは世界の・・・フハハハハハ」

 

ダーレンの耳障りな笑い声を背中に受けながら、エフィデルは退屈そうにつぶやいた。

 

「・・・人とはもろいものだな」

 

エフィデルは遺跡の最奥へと足を進めた。

 

彼が奥に進めば進む程、周囲の石壁の様子が徐々に変化を見せた。

 

手前の壁は廃墟のような風化した石だったものであったが、奥の方へ進めむ程に切り出したばかりのような滑らかな石に変わっていく。

 

それは、まるで時を遡ってるような感覚であった。

 

だが、エフィデルにとってはそんなものは無価値でしかない。

 

彼にとって大事なのことはこの先に自分の主がおり、この場所が主にとって重要な場所であるということだけであった。

 

エフィデルは最深部へとたどり着く。

 

そこにはあまりにも巨大な門があった。

 

閉ざされた扉に描かれた装飾は美しく。調和のとれた造形が見ているだけで畏怖を与えるようであった。

 

それこそが【竜の門】だった。

 

「ふっ よくやったぞ、エフィデル」

 

その前に1人の男が立っていた。

 

頭と右目をターバンのようなもので覆い、重厚なローブに身を包んでいる男。

 

彼こそがネルガルであった。

 

「では、儀式の用意にかかるか。エフィデル、準備を」

 

エフィデルは何も言うことなく、ニニアンを抱えて暗がりへと身を溶かしていった。

この場に残されたのはネルガル。そして、その隣にはもう一人の客人がいた。

 

「ネルガル・・・!!」

「悔しいか?フェレ侯爵よ」

 

冷たい石畳の上に横たわるエルバート。

 

「だが運命とは、あらかじめ結末が定められたもの。どれだけ悪あがきをしようとも、この娘は、我が手に戻るよう定められておるのだよ」

「・・・息子は・・・エリウッドはどうした!?」

 

上体を起こすこともままならいエルバート。だが、その声は決して死んではいなかった。

 

「まだ生きている。【黒い牙】の手にかかるのは時間の問題だとしてもな」

 

ニヤリと顔をゆがめるネルガル。その時、エルバートの体に力がこもった。

 

「・・・ネルガル!覚悟っ!!」

「!?」

 

突然の急襲。これにはさすがのネルガルも対応できない。エルバートの持つ短刀がネルガルに突き刺さる。

 

その、はずだった。

 

「グ・・・グ・・・ハ・・・!!」

 

だが、倒れたのはエルバートの方だった。

 

「・・・これは驚いたな。いつの間にいましめを?くくく、人の忠告は素直に聞いてはどうだフェレ侯よ。運命に抗うことはできん。無駄なことはやめておくがいい」

 

ネルガルは何もしていない。だが、エルバートは確かに自分の脇腹に殴打を受けたような衝撃を感じていた。

 

「・・・グ・・・ググ」

 

その衝撃の重みにエルバートは呼吸もままならならず、再び石畳へと横たわってしまった。その背後には一人の男が立っていた。

 

「ジャファルよ、このままフェレ侯を奥の間へ連れて行け」

 

『ジャファル』と呼ばれた男。

血のように赤い髪、羽織った黒いマント。その立ち振る舞いに一切の隙はなかった。

その双眸は視力こそあるものの、既に光はなく、何かを見ているようで、何も捉えてはいない。

 

その男は濃厚な血の臭い、そして死の臭いをまとっていた。

 

彼は【死神】

 

【死神】のジャファル

 

【黒い牙】の有する最強の暗殺者の一人。

 

レイラを一撃で屠ったのもこの男だった。

 

 



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20章~竜の門(中編)~

【竜の門】へと続く遺跡の前でハング達は敵と相対していた。

 

「・・・待ちかねたぞ。フェレ公子よ」

「誰だてめぇは!?」

 

遺跡に続く道を塞いだ騎馬にヘクトルがそう尋ねた。

 

「私はカムラン。この場の副指令をあずかるものだ」

 

エリウッドが十分な間合いを保ったまま前に出る。

 

「父はどこだっ!?」

「奥だ・・・この奥にいる。だが、お前たちは会えないだろう・・・たとえ、ここを突破できたとしても奥の間への通路は、ラウス侯によって守られている。・・・あきらめないのか?まぁ、たとえ、あきらめたとしても今さら許してはやらぬがな。ふははははは」

 

腹の立つ高笑い。ハングはそれを見ながら、剣に手をかけた。

 

「言いたいことはそれだけか?」

「なに?」

 

次の瞬間、ハングの手から剣が飛んだ。強靭な左手によって放たれた一撃。

投げられた剣は回転しながら、カムランの喉首に突き刺さった。

力なく下がっていく槍を持つ腕、そしてその男は剣の重さに従って馬から滑り落ちていった。

 

「敵陣の前に単騎で突出してきて、ただで済むわけがねぇだろうが、バカが」

 

ハングは死体となった首から剣を引き抜き、血を払った。

 

ハングは指示を出そうと後ろを振り返る。すると、なぜか妙な視線を集めていた。

 

「な、なんだよ」

「いや、今のはちょっとだけこの男に同情の余地があるかな~って・・・」

 

そう言ったのはギィだった。

その意見をハングは鼻で笑う。

 

「化けて出てきたら謝罪しとくさ。それよりも、ニニアンが連れ去られた以上もたもたできねぇ。敵の戦力がわからない以上、無暗なことはしたくねぇが状況が一刻を争う。部隊を三つにわけてできるだけ早くこの建物を制圧する。エリウッドは西側の建物を経由して遺跡に侵入しろ。壁をぶっ壊してでもなだれ込め。ヘクトル、正面は任せる。力押しでダーレンの部隊を粉砕しろ。リンは東の離れから侵入、制圧しろ。各個撃破だけはなんとしても避けろ。いいな!!」

 

短い返事を聞き、ハングは部隊を編制していく。

 

「温情は無用だ!!叩き潰せ!!」

 

ハングの発破が激しく響き渡った。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「おい、お前!そこで何をしている!?」

「何してるとはごあいさつだなぁ?」

 

そんな会話がなされたのは西側の遺跡内部だった。

両者は暗殺者の空気をまとっているが、その片側にはどこか別の風が香っていた。

 

「オレのこと知らないなんてお前、新入り?」

「え?あ・・・ひと月まえから【竜の門】の配属に・・・」

 

その男は色素の薄い長髪と左目を跨ぐような大きな切り傷が特徴の優男だった。

飄々とした空気でありながら、秋の木枯しのような雰囲気を持つその男はラガルトという。

 

「だろうな。オレはラガルト。聞いたことないかい?」

「ラガルト・・・?ま、まさか【疾風】のラガルト!?その実力は【四牙】に次ぐとも言われる・・・?」

「そうそう、それだ」

「し、失礼しました!!」

「いーよ、別に」

 

愛想笑いのような軽い笑み。暗殺者でありながら、今の彼の立ち振る舞いはどうも緊張感に欠ける。

 

「それでは、私は持ち場につきます」

「おう、そんじゃ適当にがんばりなよ~」

 

軽く手を振って見送るラガルト。その男が角を曲がって見えなくなる。

その時、ラガルトの雰囲気が変わった。彼は手元の短刀を手の中で一回転させた。

 

「・・・さてと。持てるだけお宝とったら【黒い牙】ともお別れだ。沈む船にいつまでも乗ってる義理はないってね」

 

軽い口調で呟くラガルト。だが、その中には割り切れない思い、そして積み重なった疲れが見え隠れしていた。

 

「確か、宝物庫は東側に・・・」

「ぐわぁぁ!!」

「うおっと!」

 

突然、ラガルトの足元に男が飛んできた。その顔を見てラガルトはため息を吐く。

 

「だから『適当に』って言ったのにな・・・」

 

その男はさっきラガルトと会話した男だった。

だが、先程まで輝いていた目は虚ろに変わり、胸には風穴が開いている。

彼は既にこと切れていた。

 

ラガルトはこの男が飛んできた方向の気配を探る。

 

「・・・もう来たのかよ。いくらなんでも早すぎるだろうが」

 

既にラガルトのいる東側に続く道は戦闘の気配に満ちていた。

ラガルトは足音で敵の戦力を把握しようとする。

 

今、攻めてきてるのはリキアの連中。ウハイを倒した相手だということはラガルトも知っていた。

 

「まぁ、俺も仇討ちってがらじゃねぇし。しかたねぇこのままトンずら・・・」

 

その独白が終わらぬうちに今度はラガルトの右側の壁が粉砕された。

 

「おいおい、こっちもかよ」

 

ラガルトは砂埃にせき込みながらその場から距離をとった。予想通り、砂埃が収まらぬうちに巨大な火球が飛んできた。瞬時に周囲が地獄の底のような光景に変り果てる。

 

ラガルトはここで背を向けるのを愚策と踏んだ。逃げれば追うのが人の心理だ。

 

そこで、ラガルトは逆の手段をとった。

 

警戒態勢を解き、意気揚々と声をかけることにしたのだ。相手にこちらの戦意のなさを伝えて見逃してもらう魂胆だった。

 

「おやおやこれは珍客だ」

 

ラガルトはそう言った。

 

「ん?誰だ・・・」

「こんなところまでわざわざご苦労さん」

「てめぇは?黒い牙か?」

 

砂埃の向こう側にいたのは黒いくせ毛の男だった。

くたびれたマントが風になびいて揺れていた。

ラガルトはその男を前に口端を釣り上げる。

 

ラガルトは自分の運命も捨てたものじゃないと思った。

なにせ、敵の軍師とこうも早く交渉できる機会が得られたのだから。

 

ラガルトは世間話でもするかのように話を続ける。

 

「ああそっか、あんたは俺のこと知らねぇのか。まあ、とりあえずその物騒なもん下げてくれるか?」

「・・・・・」

 

ハングは構えていた剣を下げた。

 

ハングはエリウッド達と共に壁を破壊し、建物の中に強引に道を作ってここまで進軍してきた。

相手が想定しないであろう道を通った奇襲は敵の防御線を乱し、敵の統率の攪乱が狙える有効な手段だ。

 

だが、それは進軍するハング達にも同じことが言えた。

こちらが予期していた以上に敵に突如遭遇することもありうるのだ。

 

そしてハングはこうして予想外の相手と対面していた。

 

ハングは剣を下げつつも素早く反撃できる位置に構える。

そんなハングにラガルトは笑顔を崩さずに言った。

 

「違う、そっちの剣じゃなくてさ、その左腕を下げてくれって言ってんだ」

「・・・・・・」

 

ハングは平静を装いつつ、構えていた左腕をおろした。

だが、内心は自分の今までの記憶を全力であさっていた。

 

ハングがこの奇怪な左腕のことを教えた人物なんてそうはいない。

 

「で、てめぇはなんなんだ?」

「俺か?俺は・・・元【黒い牙】かねえ?」

「【黒い牙】か!!」

「いや、だから“元”だって。今はただのドロボウだよ。あんた以外と今余裕ないみたいだな」

 

ハングは押し黙ってしまった。そして、すぐにそれが失敗だと気付く。

 

「図星か」

「・・・・だったらなんだ」

 

ハングはラガルトが敵だろうとそうでなかろうとぶった切っておくべきではないかと思案していた。

その時、ようやく後続がやってくる。

 

「ハング、どうしたんだい?」

 

エリウッドを先頭にギィ、エルク、レベッカ、ドルカスが現れる。

 

「いや、敵じゃねぇらしいが、油断ならない奴が目の前にいたから、とりあえずぶった切るか串刺しにして嬲り殺そうかと思ってただけだ」

「あんた、なかなかえぐいこと考えてたんだな」

 

ラガルトはそう言って薄ら笑いを浮かべた。

 

「彼は敵ではないのか?」

 

エリウッドもまた剣を軽く構えながらラガルトに向き直る。

 

「元【黒い牙】だってよ」

「そう、だからお互い見なかったってことで・・・それじゃあ」

 

ラガルトが背を向けようとする。その彼にエリウッドが声をかけた。

 

「待ってくれ!」

「ん?」

 

首だけで振り返るラガルト。

 

「敵でないなら力を貸してくれないか?」

「オレが?お前に?」

 

ハングはエリウッドの行動に少し眉をひそめたが、口をはさむことはしなかった。

 

「僕は・・・【黒い牙】のことを知りたいんだ・・・頼みます」

「驚いたな。本気で【黒い牙】と戦う気か?」

「はい」

「相手が義賊のブレンダンじゃなくてネルガルって気味の悪いヤツだとは・・・」

「分っています」

 

しばし、目で会話する二人。

ハングはラガルトをもう一度観察する。

 

飄々とした雰囲気と気楽な態度に騙されそうになるが、彼の動きにはまるで隙がない。

そして何より、動いたときの物音がほとんどしなかった。

 

彼は自分のことを“ドロボウ”だと名乗ったが、その動きの端々から暗殺者としての技術が漏れ出していた。

 

そして、ラガルトは不意に笑った。

 

「・・・いい度胸だ。気に入った!だが、オレは今の【黒い牙】のことはほとんど知らないがねぇ。それでもいいってんなら」

「ありがとう!僕はエリウッドだ」

「オレはラガルト。ま、死なない程度に協力させてもらうかな」

 

握手を交わす二人。ハングはそれを待って、ようやく口を挟んだ。

 

「一つ、聞きたい」

「なんだ?」

「数日前、レイラを・・・ここに潜っていた間者をやったのはお前か?」

 

エリウッドの視線がハングからラガルトへと移る。

ラガルトは一瞬驚いたような顔を見せたが、すぐさま首を横に振った。

 

「・・・いや、違う。俺はここ一月はこの島で仕事はしてない」

「・・・わかった」

 

ハングはそれだけを言って引き下がる。

 

ラガルトの言葉が真実かどうかはわからない。

だが、今はその言葉を信じることにした

 

そして、今度はラガルトが質問をする番だった。

 

「なあ・・・俺からも一つ聞いていいか?」

「なんだ?」

「ウハイは・・・どうやって死んだ?」

「・・・・・・」

 

ハングがその質問に答えるのに少し間が空く。

 

「・・・ウハイは・・・誇り高く・・・死んでったよ」

「・・・そうか」

 

それを聞き、ラガルトはため息を吐き出した。

 

「そうか、ならいいんだ。それならな」

 

ラガルトの表情から先程までの飄々とした雰囲気が消えていた。

無味無臭の薄ら笑いの下から現れた顔は少しだけ疲れているように見えていた。

 

「・・・・話し合いは終わったか?」

 

その台詞はドルカスの口から放たれた。

何事かとハングが聞くまでもない。西側から増援が来ていた。

 

ここまではハングの想定通りだった。

 

ドルカスが前に出て、細い廊下に陣取った。

その後ろでエルクが魔導書を開いた。

 

「ここは僕らが食い止めます。ハングさんとエリウッド様は先に行ってください」

 

精霊がエルクの周囲に渦巻く。その隣にラガルトが短剣を片手に並んだ。

 

「それじゃ、俺もここで働くかね。フォローはしてやるよ」

「エルク・・・大丈夫だとは思うが・・・こいつが裏切るような仕草を少しでも見せたら、構うことねぇから、瞬時に焼き殺せ。その許可は与えておく」

「わかりました」

「・・・おいおい・・・」

 

嫌そうな顔をするラガルトをハングは斜目に見やる。

 

「念のためだ。お前が変な行動をしなけりゃ問題ない」

「仕方ない・・・か。それじゃあ信頼は行動で勝ち取るとしますか」

 

敵に向き直るラガルトから視線を外し、ハングはエリウッドに目で合図を送り、駆け出した。

 

二人が目指すのは【竜の門】。

敵は既にヘクトルとリンの対応に追われていて手薄。

 

ハングとエリウッドは警備の少ない遺跡内の敵を蹴散らしながら進んでいく。

 

そして、その遺跡の奥部。

 

【竜の門】の最奥へと続く道の前にはこの騒動を巻き起こした中心人物が鎧を纏って立っていた。

 

「ダーレン!お前の野望もここまでだ!!」

「フハハハハハ。貴様ごときにこのわしは倒せん!!」

 

ラウス侯ダーレン。

 

ネルガルの甘言に惑わされ、エフィデルに踊らされ、このリキア全土に戦乱の種をばらまいた男だった。

エリウッドが一歩前に出てレイピアを構え、ダーレンも槍を構えた。

ハングもまたエリウッドの隣に並んで険を構えた。

 

「初めまして、だな。ダーレン」

「誰だ、貴様は?」

「俺は軍師・・・軍師のハングだ。とりあえず、キアラン候の仇討ってことにしとくか」

 

ハングは姿勢を落として戦闘態勢を取った。

 

「ああ、あの老いぼれのところの部下か・・・あのジジィめ、わしに意見などしおって!いなくなってせいせいしたわい」

「・・・・ぶち殺す」

 

ハングは自分がダーレンの言葉に意外な程に怒りを覚えたことに驚いた。

だだそれは自分で操ることのできる範囲の感情だ。ハングは怒りを左腕の血流に乗せ、筋肉を躍動させる。

 

ハングが真っ先に仕掛けた。続いてエリウッドも前に出る。

 

袈裟切りに剣を振り下ろすハング。最速の突きを差し込もうとするエリウッド。

 

「ふん!甘いわ!」

 

二人の攻撃は甲高い金属音に阻まれる。

ダーレンは槍を手元で回転させ、ハングの剣を弾き、エリウッドの突きを逸らした。

 

「くそっ!」

 

そして、ハングが再び武器を構えるより早く、ダーレンは槍を手元に引き戻していた。

剣を弾かれ、ガラ空きのとなったハングの足元から槍の切っ先が駆け上がる。

 

血しぶきが舞い、ハングの身体が飛ぶ。

 

「ハング!!」

「大丈夫だ!かすっただけだ!」

 

ハングは受け身を取って着地し、素早く身体を起こした。

ハングの頬につけられた切り傷から血が滴る。ハングは無理に受けることは危険と判断し、攻撃を避けるために自分から後方に飛んでいた。

 

「ふふははは、貴様は口だけのようだな!!剣の腕も身体の捌きを悪い!」

「うるせぇ。俺は軍師だって言ってんだろ!」

 

年老いた愚鈍とはいえ、貴族として十分な教養と剣技は積んできたであろうダーレン。

案外手ごわい相手に二人は間合いをはかるように後退する。

 

ハングは切り裂かれた頬の血を左手で拭った。左腕に隙間なく巻かれた包帯に血がつく。

 

ハングは左右や後方の気配を探る。

リンやヘクトル達が確実に進軍してきている。戦闘の気配が徐々に強まってきていた。

 

予想以上に進軍が遅い。

 

ハングは左腕の動きを確かめるかのように肩を回した。

 

「エリウッド・・・暴れるぞ」

「ああ」

 

一年前、エリウッドとハングはニニアンを取り戻すために共闘した。

今更、隠す必要もない。ハングは左腕の包帯をほどき、地面に落とす。

 

むき出しになったどす黒い爪。深緑に輝く鱗。異形の左腕が風に晒される

左肩から突き出した歪な肉体を見てダーレンは不快感に顔を歪ませた。

 

「なんだ・・・貴様は・・・」

「だから、さっきから軍師だって言ってんだろ!」

 

ハングは左腕を前に突き出して、右手で剣を構える。

エリウッドはそれを軽く一瞥しただけで、何も言いはしなかった。

 

「さて・・・こっからは本気・・・なんて言うつもりはねぇけどさ」

 

ハングの隣でエリウッドが再びレイピアを構えた。

 

「覚悟を決めてもらおう。ダーレン!!」

 

威勢よく啖呵を放つ二人を前にダーレンは笑う。

 

「フハ・・・フハハハ!世界を統べる王・・・このダーレンにあくまで逆らうか!」

「当然だ。例え全世界がてめぇを崇めても。俺は絶対に抵抗してやる。例え世界中がてめぇを肯定しても、俺だけはてめぇを否定してやる!」

「同感だ。ダーレン、あなたはリキアに悲しみと痛みを振りまいた。その罪は決して消えはしない」

「御託はよい!かかってこい!!」

 

ハングが駆け出す。それに合わせるようにダーレンが槍を突き出した。

ハングはその槍に切っ先から目を逸らさない。ハングは右足を踏み込み、左腕の拳で槍先を迎え撃った。

 

「っっつ!!」

 

槍先が鱗を貫通するようなことはなかったが、衝撃が骨を駆け巡る。

 

しかし、間合いは詰めた。

 

ハングは素早く手を開き、槍の穂先を握った。ダーレンの槍を封じる作戦であったが、そこはダーレンも心得ていた。ダーレンは素早く槍を振り、梃子の原理でハングの手から槍を取り戻す。

 

だが、既に隙は作った。

 

エリウッドが突っ込む。槍を引き戻して防御する時間はない。

 

そのはずだった。

 

「やはり甘いわ!!」

 

ハングとエリウッドは信じられないものを目撃した。伸びきっていたはずのダーレンの槍が目にも止まらぬ速度でダーレンの手元に戻ったのだ。

 

ダーレンは槍を振ってエリウッドの剣の軌道を逸らす。そして、そのまま攻撃に転じ、槍を突き出した。

エリウッドは素早く後退して回避する。

 

ハングとエリウッドは再び間合いの外で武器を構える。

そして、二人はダーレンの武器を改めて観察した。

 

「歯車仕掛けの機械槍かよ・・・」

「実物は僕も初めて見た」

 

ダーレンの槍には細い鎖が繋がっていたのだ。

ダーレンは鎧の中の仕掛けでその鎖を巻き取ることで槍を引き戻した。

 

「やっかいだね」

「なぁに、そうでもねぇさ」

 

ハングは不敵に笑ってみせた。エリウッドはその様子を不思議そうに見た。

 

この状況でよく笑える。

 

そう思ったエリウッドの口元も自然と笑みの形に変わっていた。

 

感情は伝染する。ハングはそのことをよく理解している。

だからこそ、厳しい状況の時ほど笑ってみせるのだ。

 

それに、決して策がないわけではなかった。

 

ハングは左腕を振り上げ、石畳に叩きつけた。激しい音がして、爪が石畳に食い込む。

 

「先行くぜ!!」

 

ハングはそう叫び、腕の力で無理やり飛んだ。向かった先はダーレンの頭上。

ダーレンの上空を飛び越え、ハングは通路の奥へと着地した。

 

「なにっ!!」

「機械仕掛けってのは歯車の重みで動きが鈍い。それに、精巧な作りのせいで急激な運動についてこられない。狭い場所なら確かに有利だがな、背後が・・・」

 

ハングは着地と同時に再度腕を突き立てて自分の身体を『投げる』。

 

「がら空きだぁ!!」

 

ハングの剣は細い。その攻撃では鎧を切り裂くことはできない。ましてや鎧の間隙を狙うような芸当もできない。

だからハングはがただの体当たりをぶちかました。

 

必要なのはダーレンをその場から動かすことだった。

 

「重い鎧は・・・年寄りは効くだろう!!」

 

一歩踏み出すだけで重厚な鎧がガチャガチャと不快音を響かせる。

ダーレンが呻く声をハングは確かに聞いた。

自身の体重と鎧の重量、そしてハングの突進の重みの負担は全て膝と腰に集中する。

 

その隙を逃すエリウッドではない。

 

ダーレンが二歩目を踏み出す前にはエリウッドの最速の突きがダーレンの体に吸い込まれていた。

 

「ぐふっ・・・?」

 

エリウッドの体重移動と蹴り足による突進力。それをレイピアの切っ先に集めた一撃はダーレンの鎧の隙間を縫い、骨と筋肉を貫通して喉を貫いた。

エリウッドは素早く剣を引き抜く。創口から血が吹き出た。

 

「これは・・・わしの血か?」

 

気道を気づ付けられてラングレンの口から血が逆流する。

 

「エフィデル!早く来ぬか!!お前の主が・・・」

 

ダーレンは誰かを探すように周囲を見渡す。

だが、彼の周囲には誰もいない。

 

自分の息子も、ラウス領の兵士もいない。

 

ダーレンはそれでもエフィデルを呼び続ける。

 

「エフィデル・・・お前の・・・主が・・・呼んでおるのだ・・・わしは・・・」

 

ダーレンの身体から徐々に力が抜けていく。

 

「わしは世界を・・・統べる・・・王・・・ぞ・・・」

 

ダーレンの身体がゆっくりと崩れ落ちる。

 

「わしは・・・・世界の・・・・王・・・・」

 

それでも彼はうわ言のように自分を『王』だと言い続けていた。

血だまりが床に広がっていく。次第に静かになっていくダーレンに向けてハングは呟いた。

 

「あんたの下に仕える者はもういねぇんだよ・・・自分で捨ててきたんだ。今のあんたは裸の王様だ」

 

ハングの声が聞こえたかどうかは定かではない。

エリウッドが祈りを捧げるように目を伏せていた。

 

その直後、遺跡の正面扉が粉砕され、ヘクトル達が飛び込んできた。

 

「ダーレン!!・・・って、エリウッド。もう終わってたのか」

「ああ、今しがたね」

 

エリウッドはレイピアを鞘にしまった。

ヘクトルの背後から騎馬部隊や天馬部隊も流れ込んでくる。

 

ハングはすぐさま次の指示を出した。

 

「リンの方でまだ戦闘音が聞こえてる。ケント、セイン援護にまわれ。マーカスさんと、ロウエンは西側の援護に。フロリーナとフィオーラさんは上空を旋回、周囲の警戒にあたってください。プリシラはここで待機」

 

ハングの指示に従い、皆が行動を開始していく。その背後で、エリウッドとヘクトルはダーレンが塞いでいた通路の奥を見つめていた。

 

「この奥に父上が・・・」

 

エリウッドは胸元で拳を握りしめていた。

居ても立っても居られない気持ちはハングにも理解できていた。

そんな二人を前にしてヘクトルが痺れを切らしていた。

 

「ハング、早く行こうぜ!!」

「待て、まだ面子が揃ってねぇ」

「面子?」

「ああ、あと一人・・・そいつがいないことには許可は・・・」

 

そのハングの背後から声がかかった。

 

「それって私のこと?」

 

ハングは振り返ることなく、その声に答える。

 

「随分と早い到着だな?」

「誰かさんの予想より敵が多かったから仕方ないでしょ」

 

ハングの後ろに立つリンはかすり傷一つなく立っていた。

彼女はエリウッドとヘクトルの顔を見渡し、表情を引き締めた。

 

「私が最後みたいね、行きましょうハング」

「・・・ああ・・・行こう!!」

 

そう言ったハングの瞳は既に燃える炎のように揺れていた。

 

この先にエルバートがいる。ネルガルがいる。

 

この先にいる。

 

四人は通路の奥へと駆け出した。



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20章~竜の門(後編)~

遺跡の奥へと向かうハング達。徐々に美しい石組になっていく通路を走り抜け、四人は広い空間へと飛びだした。

 

そこは祭壇のような場所だった。

 

目の前には長い石段があるが、それ以外は深い闇に閉ざされて見えない。

周囲の壁すら目視することはできず、上空は暗き虚空となっていて天井も確認できない。

 

深い闇の中、その石段の頂上付近がわずかに灯りを放っていた。

 

「父上っ!」

 

暗闇に気圧されたのか、焦燥にあらがえなかったのか、エリウッドの声が放たれる。

 

「父上っ!!」

 

エリウッドの声は暗闇の中に反響することなく消えていく。

 

「僕です!エリウッドですっ!!父上ーーっ!!」

 

あらん限りの叫びをあげるエリウッド。だが、その声は闇の中に溶けていく

 

「暗いな。周りが見えねぇ・・・」

 

ヘクトルがそう言って、石段を何段かあがる。ヘクトルの金属製の軍靴が石段を踏みしめる音がした。

その時、闇の中から声がした。

 

「・・・エ・・・エリウッド・・・」

 

その声にエリウッドは聞き覚えがあった。

それは間違いなく慣れ親しんだ父親の声だった。

 

「父上っっ!どちらにおられるのですかっ!?」

「エリ・・・ウッド・・・」

「奥よ!エリウッド!!奥の方から声がするわ!!」

 

ハング達はリンの耳を信じ、石段を駆け上る。

そして、ハング達は石段の頂上にたどり着いた。

 

そこは何かの儀式の場のようだった。

石畳に刻まれた装飾、広い場に対称に置かれた松明。そして、その最奥には装飾のなされた扉があった。

 

それを見て彼らは直感する。【竜の門】だ。

 

しかし、今の彼らにそちらを気にするだけの余裕はなかった。

その儀式の場の片隅に一人の男性が倒れていたのだ。

 

「父上っ!!」

 

見間違うはずもない。それはエリウッドが探し求めた実の父親の姿だった。

エリウッドが真っ先に駆け寄り、力なく横たわるエルバートを抱き起した。

 

「よくぞ・・・よくぞご無事で・・・!!」

「エリウッド・・・」

 

エリウッドは久々に父と対面を果たす。そこには陽だまりのような笑顔はなく、疲れ果て、やせ細った顔があった。

 

それでも間違いなくエルバート様である。

 

フェレで待ち焦がれ。旅立ち、戦い、そしてようやく出会えた、エリウッドの父親である。

だが、その余韻に浸る間もなくエルバートは指先を祭壇の中央に向けた。

 

「わしのことはいい!その娘を連れて・・・逃げろ!」

 

エルバートの指差した先。そこには先程までいなかったはずの存在が佇んでいた。

 

「ニニアン!?」

 

祭壇の中央で立ちすくむ少女。陶磁器のような白い肌と儚げな表情。だが、その瞳だけはいつもの彼女ではない。彼女の目は暗闇の中を見たまま動かない。

 

その瞳は生物の持つ意志の力が全く見て取れなかった。

 

明らかに様子がおかしい。

 

「その娘は・・・【竜の門】を開くカギ・・・ネルガルが気付く前に・・・早く!」

 

そう訴えるエルバート。エリウッドは腕の中の父とニニアンの間で一度視線を巡らせる。わずかな逡巡の末、エリウッドは父の言葉に従うことにした。

 

「ニニアン!こっちへ!逃げよう!」

「・・・・・・」

 

エリウッドの呼びかけにニニアンの反応がない。

それを見てヘクトルはすぐさま行動を開始した。

 

「エリウッド!親父さんは俺が!!お前は、ニニアンを!」

「わかった!」

 

ハングもネルガルを探していた自分の感情を横に置き、ヘクトルに手を貸す。

 

「リン、エリウッドを手伝え、俺はヘクトルに手ぇ貸す!」

「ええ!!」

 

それぞれが行動を開始する。ヘクトルがエルバートの片方の肩に腕を差し込んだ。

 

「エルバート様!ちょっと動かすけど、我慢してください」

「ヘクトル・・・君も来てくれたのか・・・ありがとう」

「気にしないでください。ハング、そっちの肩を」

「ああ!!」

「ハング?」

「エルバート様・・・俺のこと覚えてますか?」

 

ハングは剥き出しの左腕をエルバートの脇の下にいれて、立ち上がらせた。

 

「以前、盗賊退治でお会いしたことがあるんですけど」

「あの、ハングか!?」

「どのハングかは知りませんけどね。さっ、行きますよ!」

 

ハングとヘクトルはエルバート様を支え、石段と足を向けた。

 

その時だった。

 

「・・・・・・ここは通さん」

 

石段との間にいつの間にか男が立っていた。

 

「・・・おい、ヘクトル・・・」

「わかってる・・・」

 

短い髪、血塗られたマント。だが、その男の容姿など、ハングとヘクトルにとってどうでもよかった。

その男を前にしてハングとヘクトルは反射的に足を引いていた。直感よりももっと深い場所にある生存の本能がその男の危険性を全力で訴えていた。

 

その男は比喩でもなんでもなく『死』を纏っていた。

 

「この男と戦ってはいかん!!」

 

突然のエルバートの声にニニアンに向かっていたエリウッドとリンも足を止めて振り返った。

 

「その男は・・・危険だ。まともに戦っても勝ち目はない」

 

エルバートの言葉を聞くまでもなく、ハングとヘクトルは既に数歩後退していた。

それほどまでにこの男の持つ空気は危険すぎた。

 

だが、直面していないエリウッド達にはそれが伝わっていなかった。

 

「父上、時間がないのです。多少の危険は・・・」

 

エリウッドの言葉はもっともだとハングも思う。

だけど、これはそういった次元の話ではなかった。

 

この男は危険過ぎる。

 

「・・・親の忠告には従うものですよ、エリウッド殿」

 

その声に今度はハングとヘクトルが後ろを振り返る。

目の前の男から視線を外す恐怖はあったが、その男の声にハング達の意識が惹きつけられたのだ。

 

そこに立っていたのは先程ニニアンを攫った男。

 

「エフィデル!!」

 

ハング達とエリウッド達の中間にその男が出現していた。

 

「この男は【黒い牙】でも一流の使い手・・・いまのあなたたちでは、たばになってかかっても相手になりませんよ」

 

そう言い残してエフィデルの姿が掻き消える。

ハングは素早く前を向く。エフィデルが『死』の男の隣に立っていた。

 

「・・・ジャファル、よくやった。ここはもういい。ベルンに戻り、次の仕事に入れ」

 

ジャファルと呼ばれた男は何も言わずに石段を駆け下り、通路の奥へと消えていく。

 

「さて、みなさん!」

 

そして、エフィデルが仰々しくその両腕を広げた。彼のマントが翻り、妙に大きな音をたてた。

 

「我が主からの招待です。ここまであがいてきたあなた方に敬意を表し、今から、面白いものをお見せするとのこと」

 

面白いもの?

 

ハング達がその言葉に警戒を強めるなか、エルバートだけがその意図するところを悟って声を張り上げた。

 

「やめろ!【竜】を呼び出してはいかんのだっ!!」

「父上?なんのことですか!?」

 

【竜】

 

ハングの頭にその単語が駆け抜けた。

 

「竜ってまさか・・・人竜戦役の・・・」

 

ハングがその結論に達した直後、エフィデルが仮面のような顔に笑みを宿した。

 

「・・・すぐに分かります。あなたの父上の命と引きかえにね!」

 

エフィデルが手のひらをエルバートに向けて突き出した。

 

「ぐわっ!」

「え?エルバート様!?」

 

エフィデルは何か闇魔法を使ったわけではない。もし、そうなら闇魔法に敏感なハングが気づいたはずだ。

そのはずなのに、エルバートは胸を抑え、苦しそうな呼吸を繰り返していた。

 

「・・・がっ・・・がはっ・・・」

「エルバート様っ!しっかりしてくれ!!」

 

倒れ込むエルバートをヘクトルとハングが支える。

 

「父上っ!どうしたんです!?父上っ!!!」

 

エリウッドとリンも戻ってこようとするが、その間にいるエフィデルがそれを許さない。

その間にも状況は悪化の一途を辿る。

 

「・・・ぐわぁぁ・・・・」

 

エルバートの苦しむ声だけが祭壇を埋め尽くしていく。

 

その時だった。

 

「さあ、ニニアン・・・【竜の門】を開くのだ」

 

酷く掠れた声がした。

 

それは聞くものの不快感を煽り、神経を逆なでする声だった。

耳障りな不協和音が声の端々に潜み、人の耳朶を強引に拒絶させる独特の発声法。

それは、闇にその身を溶かし込まなければ発音することすらできない。

 

その声はまるで闇の奥底で何かが蠢いているかのような声だった。

 

その声を聴いた直後、エルバートに気をとられていたハングの体が硬直した。

 

「・・・・・・今の・・・声・・・」

 

ハングは緩慢な動作で背後を振り返った。

 

「!?・・・ニニアン?」

 

エリウッドの声がした。

ニニアンの様子が変わっていた。

 

「チ カ ラ・・・チカラ・・・」

 

ニニアンの紅色の瞳がエルバートをとらえていた。

 

「がはぁっ!!」

「父上っ!!」

 

エルバートの苦しみが激しさを増していく。動揺するエリウッド達。

 

だが、ハングにはそれらの全てが見えていなかった。

ハングの頭は既に思考を放棄していた。

 

何も見ることをせず。何も考えることせず。ハングはただ、ニニアンの隣に現れたターバンを巻いた男だけを見ていた。

 

「・・・モン・・・ヒラケ・・・イマ」

「いいぞニニアン・・・そのままだ・・・そのまま」

 

その時、何かが祭壇内を駆け抜けた。

 

ハングが走りながら、左腕を地面に叩きつけ、反動で宙に浮かび上がる。

 

「ハング!ダメ!!!」

 

背後から静止する声が放たれたが、既にハングの耳には届いていない。

 

ハングは暗闇を背景に全身全霊がこもった拳を目に見えない障壁へと叩きつけた。

巨大な火花が散り、空間が爆ぜる。

だが、ふんばりのきかない空中では拳の威力は次第に消える。

勢いが削がれたハングの体は見えない障壁の淵に沿って地面に降り立った。

 

次の瞬間、ハングは鋭く足を踏み込み再び左拳を叩き込んだ。

 

またもや生じた衝撃。

 

拳と障壁がせめぎ合い激しい火花の嵐が吹き荒れる。ハングのの左腕の鱗が割れ、青い血が滲む。

それでもハングは腕を引かない。

ハングは一度拳を戻し、さらに勢いをつけてその左腕を叩きつけた。

 

「ネェェルガァァァァル!!!」

 

ハングの叫びが爆音を切り裂いて吹き抜ける。

そんなハングにネルガルは心底邪魔そうなものを見るような目を向ける。

 

「・・・・なんだ、貴様は?」

「俺は・・・ハング・・・てめぇを・・・殺してぇ奴だよ・・・」

 

ネルガルが無造作に手を振った。障壁が膨れ上がったような衝撃が放たれ、ハングが吹き飛ばされる。

 

「このおおおぉおおおお!」

 

ハングは左腕で強引に床を掴んで衝撃を受け止める。

そして、体勢を整えることもせず、ハングは再びネルガルに向かって突っ込んだ。

 

そこに、いつもの冷静な軍師としてのハングはいない。

突き刺さるような冷気を放ち、抜き身の刀のような殺気を巻きちらす。

 

ハングの拳は障壁に再び阻まれる。

何度も突撃を繰り返すハングをネルガルは一瞥した。

 

ネルガルの隻眼に映ったのは障壁の向こうで燃える瞳だった。

爛々とどす黒く燃え盛るハングの瞳。

純然たる怨嗟のこもったその視線を受け、ネルガルは顎に手をあてた。

 

「・・・・ハング・・・ハング・・・」

 

ネルガルはぶつぶつと何かを呟く。

 

そして・・・

 

「・・・ハング・・・ああ!貴様、ハングか!?」

「さっき、そう言っただろうがぁぁあああ」

 

ハングが拳を振りかぶる。それとほぼ同時にネルガルが再び手を振った。

その時、ハングの目の前で障壁が掻き消えた。

 

「なっ!!」

 

力の行き場を失ったハングの体が流れる。

その目前にネルガルが移動した。

 

「ハングか・・・そうか・・・まさか生きていたとは」

「くっ!!このぉぉ!!」

 

ハングは膝をついたまま、やぶれかぶれの一撃を放つ。

だが、ハングの左腕はネルガルの小さな闇魔法にからめ捕られ、止まってしまった。

 

「くそっ!このっ!!」

 

ハングは腕が動かないとみるや、その喉首を噛みちぎらんばかりに前に出た。だが、その動きも闇魔法で食い止められる。

ハングは目前にまで迫ったネルガルを射殺さんばかりの視線で睨みつけた。

 

「ネル・・・ガルゥ!!」

「ふん。思い出したぞ。確か貴様の村を消したのだったか?」

「村だけじゃねぇ!!人も・・・親も・・・妹も!!全部てめぇが消したんだぁ!!!」

「くっくっくっく・・・そう、だったな」

 

ネルガルの手のひらから闇が放たれた。

それをまともに受けて、ハングの体が吹き飛ぶ。

 

受け身を取る余裕すらない衝撃にハングは石畳の上を激しく転がり、祭壇の壁の一つに激突した。

 

「がはっ!!」

 

肺の中の全ての空気が吐き出され、胃がねじ切れるような感覚が襲い掛かる。

ハングは壁際に横たわり、こみあげてきた胃液を抑えきれず、嘔吐を繰り返した。

 

「ハング!!」

 

リンが駆け寄ってくるのを気配だけで感じながら、ハングは遠く離されたネルガルを睨みつけた。

 

ハングの左手の爪が石畳をこする不快な音がする。

 

「くそっ・・・たれ・・・・」

 

噛みしめた奥歯から血の味がした。胃酸で酸味を帯びた口の中に塩気が混じる。

 

「くそが・・・くそがぁ・・・」

 

力なく漏れる悪態。握りしめた右拳に爪が食い込む。

 

「ネル・・・ガル・・・」

「ハングのバカ!何してんのよ!?」

 

リンに体を支えられ、ハングは壁に寄り掛かる。

 

視線で人を殺せるなら・・・・

 

熱くなる目頭。涙で視界が霞む中で、ハングは心の底よりももっと深い場所で切実にそれを願っていた。

 

そんなハングに見向きもせず、ネルガルは再びニニアンに呼びかけていた。

 

「ニニアン・・・」

 

そして、ネルガルは唇を歪ませ、その言葉を紡ぎだす。

 

「ニニアン・・・【竜】をこちらへ・・・・」

 

その言葉が、引き金だった。

 

「うわっ!なんだこの地響きはっ!!」

 

さっきのハングが巻き起こした爆音など比較にならない程の地響きが駆け抜けた。

そして、エリウッド達は目撃することとなる。

ニニアンとネルガルの背後の重厚な門が開こうとしていく瞬間を。

 

「・・・オイデ・・・ヒノ・・・コ・・・タチココニ・・・オイデ・・・」

 

ニニアンが歌うようにその門の奥に向かって呼びかける。

 

門が更に開く。

 

そして門の向こう側から、まばゆい光の道を辿ってその姿は現れた。

 

「・・・嘘だろ?」

 

ヘクトルが茫然と呟く。

 

「あ・・・まさか・・・そんな・・・」

 

ハングを支えていたリンがうわ言のようにそう言った。

 

「あれは・・・本当に・・・・・・太古の・・・【竜】なのか?」

 

エリウッドの声はやけにはっきりと皆の耳に届いていた。

 

門の向こう側。

 

そこから、あまりにも巨大な姿が形を作ろうとしていた。

力強い四肢、鋭く並んだ牙、きめ細やかな鱗はその竜自体が放つ炎の揺らめいていた。

圧倒的。ひたすら圧倒的な存在感が顕現する。

 

それは復讐に取り憑かれていたハングの視線すら釘付けにしてしまう程の存在だった。

 

「ハハハハハハ」

 

そこにネルガルの高笑いが重なった。

 

「いいぞ!力を使い切れ!!体中の力を出し尽くし【竜】を呼び寄せるがいいっ!」

 

ネルガルの言葉に何かを訴えることができるものは誰もいない。

目の前で起きる出来事にただなす術もなく圧倒されるだけだった。

 

誰もが声もなく震えていた。非現実的な世界に思考が麻痺していた。

だが、次の瞬間、彼らの戒めを破るような甲高い声が響き渡った。

 

「・・・そんなこと!絶対させないっ!!」

 

一斉に皆の視線が声のした方に集まる。

 

「ニルス!」

 

ハングとリンの声が重なった。

石段の下からニニアンの弟である、笛吹きの少年が駆け上がってきた。

ニルスはよく通る声でニニアンに呼びかけた。

 

「ニニアン!目を覚ますんだ!!あんな奴の言いなりになっちゃダメだ!!」

 

神聖なる鐘の音は魔を払い、闇を退けるという。

今、この場におけるニルスの声はまさしくそれだった。

ハング達の硬直した心身が再び動きだした。

 

「・・・ニ・・・・・・・・・ルス・・・」

 

ニニアンの呪縛が揺らぐ。ネルガルの顔が忌々しげに歪む。

 

「今この時に・・・やっかいな!くっ・・・エフィデル!やめさせろっ!!」

 

ネルガルの焦ったような指示。ハングとリンが目配せ一つで動き出した。

エフィデルが転移でニルスの傍に出現する。

 

「やめろニルス!!力が・・・暴走するぞっ!!!」

 

ニルスに覆いかぶさろうとするエフィデル。だが、その動きは既にハングが読み切っていた。

 

「させねぇよ!!」

「ニルスには触れさせない!!」

 

エフィデルが転移してきた位置には既にハングとリンの斬撃が迫っていた。

紙一重でそれを回避して後退するエフィデル。

 

「くそっ・・・よくも邪魔を・・・」

「今まで俺に手の内を見せすぎなんだよ!」

 

エフィデルの転移魔法を何度も目撃してきたハングがその動きを予想できないわけがない。

リンとハングはエフィデルを牽制するように剣を構える。

そして、その背後からこの世界を切り裂くように、ニルスの声が響いた。

 

「ニニアンッ!!」

 

その声がニニアンの瞳に再び光を宿した。

 

「・・・ニルス?」

 

彼女が正気に戻ったのをいち早く察したニルスが一気に祭壇内を走り抜け、ニニアンの腕を掴んだ。

 

「こっち!早く!!」

 

ニルスの目には【竜の門】から出現した【竜】の姿がわずかに霞んでいくのを目撃した。

 

「みんな!竜の実体が崩れるよっ!早く逃げて!!!」

「ま、まて!ニル・・・くっ!いかん!」

 

ニルスを追おうとしたネルガルに【竜】が目を向けた。

【竜】がその顎を大きく開く。

ネルガルはその【竜】の口の中に広がる虚空に言い知れぬ不安を感じ、素早く転移魔法で消えていった。

 

ヘクトルとエリウッドもエルバートを抱えて距離をとる。

リンとハングもエフィデルを押し返して走り出す。

 

そして、竜の前に放り出された哀れな存在が一人。

 

「ヒッ・・・!やめろ・・・くるんじゃない・・・っ!!」

 

エフィデルが祭壇の中を後ずさる。

転移魔法は大きな集中力を必要とする。伝説の【竜】を目の前にしてエフィデルにそんな余裕が残されているわけがない。

エフィデルが逃げるにはその足を動かすしかないのだ。

 

「ネルガル様っ!ネルガル様っ!!どうか・・・・・・!!!」

 

だが、目前に迫る【竜】の恐怖を前に身体が動かない。

 

「ぐわぁぁぁぁぁあああっっっ!!!!!」

 

エフィデルの絶叫か、それとも断末魔か。

そして、それも竜の実体と共に掻き消えていった。

後に残ったのは再び静けさを取り戻した祭壇だった。ただ、石畳に残る爪と火炎の跡がそこに何かがいたことを証明していた。

 

静まり返った祭壇の下で皆は石段の上を見つめていた。

 

「・・・なにが、起きたんだ?」

 

ヘクトルがそう言った。だが、その質問に答えられる者はいない。

現実が理解の範疇を超えているのは皆一緒だった。

 

その祭壇の上に転移してくるネルガル。

ネルガルはハング達を歪んだ顔で見下ろしていた。

 

「くっ・・・!失敗か!!おのれニルス!お前さえ、邪魔をしなければ・・・!もう一度だ!来い!お前たちっ!!」

 

次の瞬間、ネルガルは再度転移魔法を用いてハング達のど真ん中へと現れた。

ネルガルの手がニルスとニニアンへと伸びる。皆もそれを阻止しようと動く。

 

「そうは・・・させんっ!」

 

その中で、より早く動く人物がいた。

 

「な・・・!?」

 

それはエルバートだった。ネルガルの脇腹からエルバートは短剣を突き刺していた。

 

「・・・ばかな・・・この私が、貴様ごときに・・・・・・」

「・・・言ったはずだ。お前の・・・好きには・・・させんと・・・・・・」

「・・・こ・・・の・・・死にぞこない・・・め。ぐっ・・・!!」

 

ネルガルの顔が苦痛に染まる。

 

それは致命傷であるはずだった。

少なくとも、普通の人間なら確実に急所である場所をエルバートは突き刺した。

 

ネルガルは死ぬ。そのはずだった。

 

だが、ネルガルの姿はいつの間にか消えていた。まるで最初から何もいなかったかのように跡形もなくネルガルの姿が消えていた。

 

だが、エルバートは自分の握った短剣の手応えを感じて小さく微笑んだ。

死力を使い果たしたエルバートの身体が傾き、そして倒れる。

 

「父上!!」

 

それをエリウッドが受け止めた。

 

「父上・・・」

「・・・エリウッド・・・油断するな・・・奴は・・・また現れるぞ・・・」

 

エルバートの体から力が抜けていく。エリウッドの腕にかかる父親の重みが徐々に増していく。

それが、死神に引き寄せられているかのように感じ、エリウッドは必死に父の身体を抱え上げた。

 

「はい・・・でも今は・・・この島から脱し・・・リキアへ戻りましょう」

 

エルバートは自嘲する。

 

「わしは・・・もうだめだ・・・エリウッド・・・後のことは・・・頼む」

 

エリウッドの瞳に大粒の涙があふれる。

 

「父上!!しっかりして下さい!」

 

エリウッドの声が震えていた。

 

「フェレで、母上が・・・父上を待っているんです!」

「ふ・・・エレノアか・・・また、怒られそうだ・・・」

 

エルバートは寂しそうに、それでいて楽しそうに笑う。

エルバートは昔を懐かしむような顔で目を閉じた。

 

「エリウッド・・・母さんに・・・すまない・・・と・・・・・・」

 

エリウッドの手の中からエルバートの手が滑り落ちる。

 

「父上っ!?」

 

慌ててその手を握りなおすエリウッド。

 

「いやだ・・・死なないでください・・・」

 

だがもう何も変わらないのだ。

 

何も変わらない。

 

生者はもう何も変えることができない。

 

「父上・・・どうか・・・目をあけて・・・・・・」

 

逝ってしまった者に生者は何もできない。

 

「父上ーーーーーっ!!!!」

 

エリウッドにはもう何もできない。



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間章~向かい風(前編)~

ヴァロール島からの帰り道。修理をすませたファーガス海賊団の船に乗り込み、ハング達は港町バトンを目指していた。

 

だが、この海域の風は女神のキスより気まぐれだ。

あいにくの向かい風の中、海賊船は少し長い船旅としゃれ込んでいた。

 

「ふぅ~・・・」

 

そんな船のマストのてっぺんの見張り台。

 

訪れるのはカモメと甲板の喧騒だけというその場所でハングは口から煙を吐き出した。

見張り台の中に座り込み、古い友人から借りたキセルを咥え、慣れないタバコの煙を体の中に入れながらハングは青空を仰ぎ見た。

 

平和な海域での見張りという仕事をくれたのは、他ならぬファーガス船長だった。

今は、忙しい甲板も仲間のいる船室もハングにとっては苦痛であった。

ハングは【竜の門】からここまでほとんど仲間達と顔を突き合わせていなかった。

 

キセルの放つ甘い匂いに鼻をくすぐらせながら、ハングはもう一度溜息を吐き出した。

 

『思い出したぞ。確か貴様の村を消したのだったか?』

 

ネルガルのしゃがれた声が脳裏から離れない。

 

ハングは目を伏せた。視界が空から自分の靴に移る。

 

【魔の島】で起きた諸々が頭の中を駆け巡っていた。

 

果たせなかった復讐。失わせてしまった家族。

そして、竜の門から現れた火炎を纏った巨大な容姿。

 

後悔ばかりが身体を巡る。

 

ハングは震える体をいなすようにキセルをもう一度ふかした。

 

染み渡る煙に肺を燻す。

 

「ふぅ~・・・」

 

喉の奥からこぼれ落ちた吐息は煙なのかため息なのかはわからない。

ハングの頭の中も煙の中だった。

 

「おや、ハング。あんた、ここにいたのか」

 

見張り台に姿を見せたのは飄々とした盗賊。ラガルトだった。

 

「勝手にマスト登ってくんな。甲板より上は船乗りの聖域だぞ」

「御挨拶だな」

「無礼を詫びる仲でもねぇだろうが」

「そりゃ、そうだ。でも、一応許可はもらったんだ。そうつっけんどんにしなさんな」

 

ラガルトは堪えた様子もなく、そう言って懐から皮の水筒と干し肉を差し出した。

 

「俺が来たのはこいつを届けにきたってわけ。サカの恰好した御嬢さんからのお気持ちだそうです」

 

ハングは顎でそれを置いておくように指示する。

 

「こらこら、あんな美人からの贈り物だぞ。ぞんざいにしてやるなよ」

 

そう言いつつラガルトは布を床にしき、その上に干し肉を置いた。

 

「そんなの俺の勝手だろうが」

「おまえさん・・・わかってないね」

 

ラガルトは芝居がかった仕草を交えながら続ける。

 

「あんな美人で器量も礼儀も兼ね備えてる上に剣の腕もたつ、しかも良家の姫さんなのに特にしがらみも無し。ちょっと直線的な考え方が傷だがそれでも余りある誠実さがある」

 

ハングはだんだん苛立ってきた。

 

こいつは一体何しに来たんだ?

 

ハングは口からキセルを離し、中身を足元の水たまりに捨てる。

 

「そんな人を散々心配させてるんだぞ。少しはあんたの良心ってのは痛まないのか?」

「裏切り者の盗賊に説教くらうとは俺は夢でも見てんのか?」

「だったら、あんたは寝てるんだね。寝言だと聞き流すことにしよう」

 

ハングは舌打ちをした。

 

誰かから一本取られたのは久しぶりな気がする。

 

「わかった、わかった!!」

 

ハングは声を荒げた。

 

「わかったよ!で、なんか伝言でも受け取ってんのか?」

「ん~・・・受け取りかけたんだけど、断った。お前さんを呼んでくる方が手間がなさそうだったからな」

 

この野郎・・・

 

ここから突き落としてやろうかとハングは本気で考えた。

 

だが、すんでの所で思い直すことにした。

 

「そういや・・・」

「なんだい?」

 

ハングはラガルトに聞いておきたいことが一つあったのを思い出した。

 

「ラガルト、どうしてお前。俺の左腕のこと知ってた?」

 

ハングは自分の記憶のどこをどう探してもこの男のことを思い出すことができなかった。ハングは産まれてからこれまでこの左腕を晒したことはほとんどない。

 

ラガルトを突き落とす前にそれを聞いておいてもいいと、ハングは思ったのだった。

 

「え?ああ、そりゃ見たことがあるからだ」

「いつ?」

「ん~と、一年前だったかな。うち捨てられた城で旅人と貴族が可憐な女性を助けようとした事件があってな。俺はそこにたまたま居合わせたんだ」

 

1年前、リンとの旅の中でニニアンを助けた時のことだ。

確かにあの時はエリウッドと二人で共闘するときに腕を晒していた。

 

ハングの視線が剣呑さを帯びる。

 

「おいおい、そんな目でにらむなよ。俺はあの姉弟をどうこうするつもりはねぇんだから」

「だったらなんであそこにいた?」

 

ラガルトは両手をあげて無抵抗を示しながら軽々しい口調でこう言った。

 

「裏切り者をね・・・始末するためさ」

 

ハングの目が見開かれた。

 

そして、脳裏に浮かんだ記憶。

 

確かあの時、逃げ出していた連中が何人かいたのを思い出した。

 

「まさか・・・」

「失敗には死を・・・【黒い牙】の掟でね。ドジを踏んだ連中は制裁を恐れて逃げ出した。その後始末をしてたってわけだ」

 

ハングはラガルトの目をまじまじと見る。

だが、その眼から返答はなかった。

 

「お前は・・・仲間を・・・暗殺する仕事を・・・」

「まぁ簡単に言うと」

 

あくまでラガルトの返答は飄々としていた。

 

「そんな神妙な顔もしてほしくないな。同情が欲しいわけじゃないんだ」

「だったら、何が欲しい?」

「『友情』ってのは少し綺麗すぎて性に合わない。と、いうわけで『信頼』ってのはどうだろうか?」

 

どっちも綺麗事だろうが

 

ハングはそう言いかけてやめた。こいつの手のひらで踊るのはこっちの矜持に関わる。

 

だから、ハングはこう言った。

 

「『友情』『信頼』もくれてやるわけにはいかねぇ。だが、『礼儀』は改めてやるよ」

 

ラガルトは「なるほど、そうきたか」と言った。

 

ハングはその段になってようやく、ラガルトの持ってきた干し肉に手を伸ばしたのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングが甲板に降りてくると、相変わらずドルカスとバアトルが船の上での仕事を手伝っていた。今回はその間にマシューも挟まっている。

 

「おや、ハングさん」

「なんでマシューまでここにいるんだ?」

 

力仕事は向かないであろう、マシューがここで働いている理由がハングにはわからなかった。

 

「そりゃ、俺も体を鍛えたくなる時だってあります」

「で、本音は?」

「本音ですとも」

 

密偵って人種はどいつもこいつも扱いにくい。

 

「うん!いつものハングさんだ」

「なんだよそれ」

 

マシューはハングの顔を見てなんだか納得したように頷いた。

 

「今のハングさん、いい顔してますよ」

「そうなのか?」

「ええ」

「人相と中身がようやく合った。そんな感じです」

 

ハングは眉間に皺を寄せた。

 

「そいつのどこが『いい顔』なんだ?」

「そりゃ、芸術的に絵になるって意味です。人の心を動かすのはいつの世も直線的な感情ですから」

 

ハングは疲れた溜息を吐き出した。

 

「あれ?ハングさん、タバコ吸うんですか?」

「まだ臭い残ってたか」

「へぇ~意外ですね」

「そうか?人相が悪いならちょうどいいだろ?」

「ああ、それもそうか」

 

この野郎、ラガルト共々前線に送ってやろうか。

だが、こいつらならのらりくらりと生き残りそうだ。

 

ここはいっそこの船上で屠るってのも・・・

 

「ハングさん、ハングさん、顔がのっぴきならないくらい怖くなってきましたよ。何考えてますか?」

「何のことだ?」

「いやいや・・・わかってるでしょうに」

 

ハングは後頭部を掻く。その仕草にマシューは口を閉ざした。

 

なんだかんだでハングとは付き合いの長いマシュー。

ハングの仕草で彼がこれから話そうとしてることの想像はついた。

 

「エフィデルは・・・死んだ・・・」

「ええ、聞きました」

「レイラの仇はあれだと思うか?」

 

マシューが肺の中の空気を一気に吐き出した。

ハングはマシューの溜息を初めて聞いた気がした。

 

「わからない・・・と言いたいとこなんですけどね・・・ハングさんにはお見通しなんでしょ?」

 

マシューが竜の門にいた【黒い牙】の残党を拷問していたという話は既にオズインから聞かされていた。

 

「それで・・・わかったことは?」

「あれ、俺っていつからハングさんの専属になりましたっけ?ハングさんに伝える義務は・・・・そんなに睨まないでくださいよ。話しますよ、話します」

 

マシューは今やっていた船上の仕事を別の人に任せ、船の縁へと移動した。

聞かれて困る話題ではないが、聞かせたくない話題だった。

 

「レイラを直接やったのは【黒い牙】の中でも凄腕の暗殺者。【四牙】と呼ばれる連中の中の一人だそうです」

 

前置きはなし。マシューらしかった。

 

「【四牙】・・・」

 

【黒い牙】を知ろうとすれば、必ずと言っていい程に知ることのできる情報だ。

多数の暗殺者を抱える【黒い牙】の頂点に君臨する四人。

 

ハングが【黒い牙】を調べる段階で知りえたのはその中の二人だけだった。

 

最も古くから在籍するリーダス兄弟。

 

兄の【白狼】のロイド。

弟の【狂犬】のライナス。

 

そして、おそらく・・・

 

ハングは竜の門で出会ったあの男を思い出した。

死そのものを纏っていたようなあの男。

 

奴も【四牙】の一人だろう。

 

と、いうよりあれ以上に強烈な暗殺者が他にいるとは考えにくい。

 

あいつはそれほどの男だった。

 

「心あたりがあるんですか?」

 

ハングの長考をマシューは敏感に感じた。

 

「ないことは無いさ。【黒い牙】の話はあらかた調べたんだ」

「そうですか・・・」

 

だが、ハングはその男の情報を口にはしなかった。

 

ハングは喋らない。マシューは聞かない。

ハングは言いたいとも思わない。マシューも聞きたいとは思っていなかった。

 

ここでハングが喋らなくてもいつかは分わかることだ。

 

だったら、自分の手で掴み取りたいだろう。

復讐を考える者の考え方をハングは知り尽くしているほどに、知っていた。

 

ハングはネルガルのことを思い出し、拳を握りしめた。

 

「そういや、ハングさんはどっかに向かってたんじゃないんですか?」

「あ、ああ。リンをちょっとな」

「なんですか?ついに告白ですか?」

 

マシューの表情に火が灯る。こっちの元気な顔がマシューにはあっている気がした。

 

「こんな命の擦り切れる旅、伝えられる思いは今のうちに伝えておこうというその気概。しかも、今回はハングさんが傷心気味。そこに漬け込ませて距離を向こうからつめさせて一気に」

「お前、最近セーラに似てきたな」

 

マシューの顔に言いようのない衝撃が走ったのを見れてハングは満足であった。

 

「そんな・・・バカな・・・」

「三文芝居はいい。んで、聞きたいことはなんだ?」

「告白するんですか?」

「しねぇよ」

 

あっという間に平常心を取り戻したマシューにハングは平然と返した。

最近は経験値が増えたお蔭で、この程度では動じなくなってきたハングである。

 

「なんだ、つまんねぇ」

「人を娯楽に使うなよ。そんじゃな」

「ほ~い、あ!そうだ、ドルカスさん達がこの船で働いた分の給金はハングさんが受け取る手はずになってますんで。よろしく」

「はいはい」

 

ハングは甲板の下の船室に向かいながら、手を振ってマシューに別れを告げた。

甲板を降りると、行きとは打って変わり元気一杯のレベッカに遭遇した。

 

「わぁ!!ハングさん」

「なんでそんなに驚くんだよ」

「暗がりから急に出てくるんですもん、驚きもしますって」

 

ハングはそんなもんかとも思う。

ハングにとっては甲板の一階層下というのは慣れた明るさではあるが、他の人ではそうもいかないのだろう。

 

「あ、そうだハングさん。あのダーツって人ですけど」

「あいつがどうした?まさか・・・」

「大丈夫ですよ。何もされてません」

「ならいいんだが」

 

今もファーガス海賊団に所属しているハングにとってダーツは弟分にあたる。

何かしたとあれば、筋を通させるのはハングの役目だ。

 

「あの人、まだしばらく私達に同行したいそうです」

「そりゃまた・・・随分な物好きだな」

 

海賊船の上で墓まで暮らす海賊も多い中、陸にあがりたがるのは随分な変わり者の部類に入る。つまりはハングも海賊としては十分変わり者だが、それはいい。

 

「それでですね。あのダーツさん、私に似てません?」

「は?ダーツとレベッカが?」

 

ハングは二人の顔を頭に浮かべる。

 

「似てるか?」

「あれ、やっぱり違います?みんなにもそう言われたんですが」

「ふぅん、気になるのか?」

 

レベッカにはもう思い人がいるものとばかり思っていたが、女心と秋の空ってやつなのか。

 

「あ、違うんですよ。そうじゃなくて・・・ん~・・・なんて言うんでしょ?」

「俺に聞かれてもな」

「ですよね」

 

レベッカはそう言って笑った。少し疲れたように笑顔だ。実際疲れているのだろう。

 

【魔の島】での帰り道はできるだけ【竜の門】から早く距離をとりたくて、随分な強行軍になってしまった。

 

ハングのように旅慣れしてる連中でも随分堪えていたのだ。レベッカには酷だったのだろう。

 

だが、彼女は持前の明るさでむしろ周囲を温めてくれていた。

 

「ロウエンに忠告しとくか」

「え?何か言いました?」

「いいや。それよか、その桶は?」

「ギィさんが・・・またですね・・・」

「あいつ、本当に船に弱いな・・・」

 

またこの船のどっかでオロオロと吐き出しまくってるのだろう。情けない野郎だ。

 

「それと、ニニアンさんの看護です」

「・・・ニニアンはまだ目を覚まさないのか?」

「はい・・・」

 

ニニアンは【竜の門】からこっち、気を失ったままだ。

ハングは彼女の世話をプリシラとセーラに丸投げしてしまっていた。ここ数日はそこにレベッカとルセアもついていると話だけは聞いていた。

 

そもそも、ハングはここ最近仲間とほとんど接触していなかった。

 

「ニルスは?」

「ニルス君は元気ですけど・・・元気がないです・・・」

 

体に問題は無い。それでも心に傷を負っている。

 

そういったところだろう。

 

ハングは頻度の随分と増えてしまった溜息をまた吐き出して、話題と自分の感情を切り替えた。

 

「レベッカ、リンを見なかったか?」

「リンディス様ですか?」

「ああ、なんか言いたいことがあるらしくな」

「お説教でしょうか?」

「会いに行く気がなくなるようなこと言うなよ」

「す、すみません。リンディス様なら、前の方に・・・」

「厩か?」

「はい、多分」

「ありがとう」

 

ハングはそのまま、船首の方へと向かった。

 

「レベッカさん。桶の替えはまだですか~」

「あ、は~い!今行きます!!」

 

ルセアの声に引っ張られるようにレベッカはギィの寝るハンモックへと向かった。

 

 

 



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間章~向かい風(後編)~

船首に向かったハング。レベッカの言葉通り、そこにはリンがいた。

 

船で馬を運ぶ時に使う小さな厩で彼女は馬の世話を焼いていた。

そこには最近馬の管理が仕事となりつつあるフロリーナとフィオーラ、ついでにヘクトルもいた。

 

「なんで、馬の世話のできない役立たずがここにいるんだ?」

「てめぇ!開口一番に喧嘩売ってんのか!?」

「おっと・・・本音が出た」

「売ってんだな。言い値で買ってやるから表でろ!!」

 

ヘクトルの会話で自分の口の回り具合に満足したハングである。

 

ヘクトルは荒く鼻息を吐き出して、干し草の山に座り込む。

そんなヘクトルの様子をフロリーナがチラチラと盗み見ては百面相をしていた。

 

ハングはフロリーナがヘクトルに言いたいことを抱えているのを知っていたが、下手に口は出さない。

フロリーナをヘクトルに近づけるようなことを言えばリンの怒りの矛先が向いてきてもおかしくないからだ。

 

だが、基本的に鈍感なヘクトルを相手にするとはフロリーナもなかなか苦労するだろうな。

 

ハングはそんなことを思いながらリンに声をかけた。

 

「リン。なんか話があるんだって?」

「え、ええ・・・」

 

ハングを前にしてリンは少し躊躇うような顔になる。

 

「フロリーナ、私達は・・・」

「う、うん・・・」

 

フィオーラに連れられるようにフロリーナはこの場から去って行った。

フィオーラに気を遣わせたことにハングは軽く目礼をする。

 

この場に残ったのはハング、リン、ヘクトルの三人だった。

 

ヘクトルは干し草の上に座り込み、リンはおざなりな手つきでブラシをかけている。

そして、ハングは一本の柱に寄りかかった。

 

ハングはしばらくリンを見ていたが、彼女には口を開く気配がなかった。

 

ならば今は別の要件から片付けることにした。

ハングは干し草の上へと視線を移した。

 

「ヘクトル、エリウッドはどうしてる?」

「相変わらずさ・・・」

「そうか」

 

エルバート様の遺体に防腐処理を施した後、ご遺体はファーガス船長の心意気で船長室に安置してもらえることとなった。エリウッドはこの船に乗ってから、一度もその部屋を出てくることはなかった。

 

ヘクトルが訪れたり、ロウエンが食事を持っていったりしてるが、どうやら父親の手を握ったまま離さないという話だった。

 

ハングは今の自分が行っても逆効果だと思い、エリウッドのもとには一度も行っていなかった。

 

「なぁ、ハング。俺はな、一つだけ聞きたいことがあってここでおめぇを待ってた」

「俺を待つのにどうして厩なんだ?」

「リンディスがいるからに決まってるだろ」

 

ヘクトルがそう言うのはわかっていたし、それに対する返しもハングは用意していたが、ハングは何も言わなかった。

 

「それで、聞きたいことって?」

 

ヘクトルは寝転がっていた体を起こした。ハングを見つめる視線は鋭い。

 

「俺はな・・・お前の口から聞いておきてぇんだ。お前は今・・・何がしたい?」

「・・・それを聞いてどうする?」

「どうもこうもしねぇよ。ただ、お前の旅の目的が今どうなってるのかを知っておきてぇんだ。場合によっちゃ、お前がこの軍を去る可能性もあるじゃねぇか」

 

ハングは目を閉じて頭をかく。

 

ハングの瞳の裏側には様々な死が潜んでいた。

 

ハングの暮らした村の人達。消し飛んだ両親と妹。

魔の島で殺されたレイラ。エリウッドの腕の中で息を引き取ったエルバート様。

 

そして、それらを塗りつぶすようにネルガルの顔が浮かんできた。

 

ハングは後頭部を柱にぶつけた。

 

ハングはネルガルに向かっていった。全身全霊、掛け値なく全てを賭して向かっていった。

それでも、ハングには指一本触れることができなかった。

 

そして、ネルガルが呼び出した一匹の竜。

ネルガルは誇大表現でもなんでもなく世界を滅ぼしかねない力を持っていた。

 

絶望するだけの材料はいくらでもある。

心が折れかけていたことも否定はできない。

 

仲間に顔を見せたくなかったのは敗北者となった自分を見せられなかったからだ。

 

ハングは小さく息を吐く。鼻の奥にタバコの臭いが残っているようだった。

 

ハングは目を開いてヘクトルを見据えた。

 

「俺の目的は変わらない・・・ネルガルを殺す・・・」

 

ハングは鋭く目を細めながらそう言った。

 

ネルガルという強大な奴を目の前にして復讐に対する覚悟が揺らいでいる。

戦っても勝ち目がないのではないかという恐怖が胸の中に蠢いている。

 

そこで諦めてしまえば楽になれるのかもしれない。

 

そんな思いがハングの中にあった。

 

だが、結局のところハングの中にある『死』がそれを拒むのだ。

ネルガルに殺された人達の『死』がハングを駆り立てる。

 

それに、今のハングにはネルガルを追いかける理由が他にもあった。

 

「奴が竜を呼び出して世界を滅ぼしかけてるなら猶更立ち止まってなんかいられない。俺は・・・戦い続ける」

 

ハングはそう言って口元を緩めた。

 

「だから、俺を厄介払いしようとしても無駄だからな・・・俺は・・・この軍の軍師だ」

 

ハングはそう言って不敵に笑う。

 

口にしてみてようやく腹の奥が据わった気がした。

たったこれだけのことに随分と時間がかかってしまった。

 

「そうか・・・ならいいんだ」

 

ヘクトルもそう言って笑った。

 

「これからも頼むぜ、軍師さんよ」

「言われるまでもねぇよ」

 

ヘクトルは干し草の山から立ち上がった。

 

「んじゃ、俺の用はすんだ。ハング、たまにはエリウッドんとこも行ってやれよ」

「ああ、わかってる」

 

本当に大した器だよ。

 

去りゆくヘクトルを見ながら、ハングはそう思ったのだった。

 

ヘクトルが去り、ハングはようやくリンに向き合うことができた。

彼女はもう、ブラシがけをやめていた。

 

「なんだか、久しぶりね」

「そうかもな」

 

ハングが意図的に避けてきたとするなら、それは間違いなくリンだった。

彼女はハングが折れかけている自分を一番見せたくない相手だった。

 

「少し・・・疲れたかな・・・」

「うん・・・」

 

ハングは柱から離れ、リンがブラシ掛けをしていた馬に近づく。

随分と見慣れた馬だと思っていたら、その馬はサカの草原からずっと一緒にいる馬だった。

 

今も荷物運びが主な仕事であることはその馬の鞍で予想がついた。

その背を撫でながら、ハングはリンの側に寄る。

そして、少しだけその体を彼女の肩に乗せた。

 

「わりぃ・・・ちょっと・・・支えてくれ・・・」

「うん」

 

しばしの間、船体の軋む音だけが二人の間に流れていた。

しばらくして、ハングが口を開いた。

 

「ごめんな、お前だって大変だってのに」

 

リンだって抱えてるものが少なからずある。

祖父は傷つき、エリウッドは傷心し、つい先程までハングも泥の底にいた。

 

それでもこうして支えてくれている彼女に、ハングは頭があがらない。

 

「大丈夫。これぐらいへっちゃらよ」

 

ハングは体の位置を動かして、彼女と背中を合わせになって体重をかけた。

 

「お前の背中、ちっせぇな」

「ハングの背中だって小さいわ」

「誰と比べてんだ?」

「ケントとか、ヘクトルとか」

「あれらは鍛えまくってんだ。俺と比較すんな」

 

ハングはわざと体重を強く彼女にかけた。だが、リンは難なく耐えてしまう。

 

鍛え方がそもそも違うのでそれは仕方ないことであった。

 

リンが少し鼻をひくつかせた。

ハング自身の風の匂いに加えて、甘い匂いが漂ってるのを感じたのだ。

 

「これ、タバコの匂い?」

「ああ、さっき少し吸ってた。やっぱり臭うか?」

「私もきついのは苦手だけど。これぐらいなら好きよ」

「そっか」

 

今度はリンも押し返してきて、体重同士でお互いを支える。

お互いの背中から感じる鼓動がとても心地よかった。

 

また言葉が途切れる。

 

波の音がする。

甲板の喧騒が聞こえる。

馬が一頭嘶いた。

 

「俺には・・・復讐だけだった」

 

そんな中でハングはぼそりとそう言った。

 

「復讐さえできれば・・・後はどうでもいいと、そう思ってた・・・」

 

ともすれば、船上の喧騒に飲み込まれそうな声なのにリンにははっきりと言葉が届いていた。

 

「今は・・・違うの?」

「さぁな・・・ネルガルを殺してやりたい、その気持ちは確かに残ってる・・・」

 

ハングは右手を握りしめる。

リンがその拳を柔らかく包んだ。

 

ハングはその温もりを感じ、無意識に息を吐き出した。

 

「でも今は・・・ネルガルから世界を守りたいって気持ちも確かにあるんだ」

「・・・・・」

「竜を見た時、俺は・・・これを世界に放っちゃいけないと思った。ネルガルを殺せなくても止めなきゃならないと思った」

 

それはハングの中に芽生えた新たな気持ちだった。

 

「お前は・・・こんな気持ちだったのか?」

「・・・え?なんのこと?」

「・・・いや・・・やっぱりいい」

「え?え?」

 

初めてリンと会ったあの日。リンの復讐を聞かされたあの日。

ハングはリンのことを同類だと思っていた。

復讐に捕らわれ、ただひたすらにそこに突き進むだけの強さは脆い。

 

そんな彼女を1人にしてはいけないと思ってハングは一緒に旅立つことを了承したのだ。

 

だが、彼女はハングとは違うことを旅をしながら知った。

 

ハングには復讐だけだった。

リンには強くなり、山賊からサカの草原を守りたいという想いがあった。

同じ目的を持っていても、ハングには憎悪しかなく、リンには愛があった。

 

ハングにはその強さが眩しかった。

彼女の持つ強さが羨ましかった

 

それはハングが失ってきたものだった。

 

ハングにも仲間を守りたいと思っていたこともあったのだ。そのために技を磨き、戦術戦略の術を身につけた日々が確かにあった。

 

色々なことがあり、忘れてしまっていたそれをハングはようやく思い出した気がしていた。

 

ハングは最近思うことがある。

本当に一人になってはいけなかったのは、自分自身だったのではないかと。

 

「俺は・・・仲間を・・・皆を・・・守りたい」

 

ハングの背後でリンが大きく息を吐き出した音が聞こえた。

 

「全部、ヘクトルに取られちゃったわね」

 

リンが言いたかったことも、聞いてみたかったことも。

ヘクトルの一言ですべてを済まされてしまった。

 

リンの中には少しだけ敗北感が居座っていた。

ラガルトにまで声をかけて、ハングを呼んでもらったというのに自分は何もできなかった。

 

ハングは口の中だけで笑う。

 

「あいつは、どうしてこういう時だけは頼りになんのか。普段は山賊みたいな野郎なのに」

 

ハングがそう言うと、リンがクスクスと笑った。

彼女の小さな笑い声がハングの耳に心地よく響いていた。

 

「ハング、私からも一つ聞いていい?」

「ん?」

 

ハングはコツンとリンの後頭部に自分の頭をぶつけた。

 

「ハングの家族ってどんな人だったの?」

「そうだなぁ・・・」

 

ハングは遥か昔に思いを馳せる。

 

森を駆けて遊んだ日々。妹を理由もなく殴ってしまった記憶。母親に叱られ泣いた夜。父の冗談に笑いあった食卓。

 

だが、そのどれもこれもがやはりあの忌まわしき記憶に辿り着いてしまう。

ハングは自分の業の深さにつくづく呆れる。

 

どこまで行っても、自分の過去にはこれしかないらしい。

 

ハングはそれでも自分の記憶にある限りをその場で語ったのだった。

 

「ハングは・・・幸せだった?」

「ああ・・・多分な」

 

その時、船の帆が風を掴んだのか、急に船脚が増したようだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングは日の傾きかけたころに船長室を訪れた。

 

ハングが【竜の門】から纏っていた疲労と失意に彩られた煙ったような気配は消え、いつもの抜け目のない雰囲気が戻っていた。

 

ハングがドアをノックする。

 

返事は無かった。

 

だが、それで引き返していてはこの船が沈むまでエリウッドには会えないとヘクトルから聞いていた。

 

「入るぞ」

 

ハングは船長室に足を踏み入れた。

 

海賊時代には度々訪れていた船長室。そこは、相変わらず不気味なほどに明るかった。窓の多い船長室には夕焼けの光が強く差し込んでいた。泣く子も黙るファーガス海賊団の船長は太陽の光が何よりも好きなのだ。

 

その光の中でエリウッドはベッドの傍に座り、ハングに背中を向けていた。

ベッドにはエルバート様の亡骸が横たわっていた。

 

ハングはとりあえず深呼吸をした。

 

覚悟を決めてかからないと今のエリウッドに話しかけられなかった。

 

「エリウッド・・・」

「ハングかい?」

 

背中越しに聞くエリウッドの声は普段より掠れているようだった。

ハングはファーガス船長がいつも座っていた椅子を引き寄せて腰かける。

 

「エリウッド・・・俺・・・」

「謝らないでくれ」

 

ハングは機先を制されてしまった。

 

「ハングが何のために戦ってきていたのかは知っていた。それが、今回失敗したんだ。少しぐらい皆と離れる時間があってもたいしたことじゃない」

 

ハングはバツが悪そうに頭をかいた。

 

こんな時でもよく人を見ている。いつもなら『狸貴族め』と言うところだが今のエリウッドにそんなことを言っても意味はなかった。

 

「それだけじゃねぇさ」

 

ハングはエリウッドの背中に話しかける。

 

「それだけじゃねぇだろ。俺が謝ることはさ・・・」

「まさかとは思うが」

 

エリウッドの語気がわずかに強まったのをハングは感じた。

 

「父の死を自分の責任だと言うつもりじゃないだろうね?」

 

ハングは答えない。エリウッドは警戒するように間を置いた。

不意に船が減速したのをハングは感じた。船が不規則に揺れる。

 

その揺れが消えてからハングはようやく口を開いた。

 

「全てが俺の責任と言うつもりはないさ」

 

そこまでハングは万能ではない。そのことはハング自身が一番知っている。

ハングはどこにでもいる普通の個人にすぎない。その個人のできることには常に限界がある。

 

だが、やはりその『個人』の連携を指揮する立場にあったハングには責任があった。

 

「だから・・・まあ・・・それは謝らない。謝ってもお前は受け取ってくれないだろ」

「・・・うん」

 

謝罪は相手に受け取ってもらってこそ意味がある。

だから、ハングは言葉を堪え、胸の中だけで後悔を繰り返す。

それを次に生かせなければ、反省の意味がない。

 

だから、ハングが謝りたかったのは別のことだった。

 

「悪かったな・・・ここに来たのがニニアンじゃなくて・・・」

 

エリウッドが思わず振り返った。その先には力を抜いたハングの笑みが待っていた。

 

「ようやく、振り返ったな」

「なっ・・・」

 

ハングは動揺したエリウッドの前で足を組んだ。

 

「どうした、エリウッド?怒ったか?」

「怒りはしない。驚いただけだ。いきなりそんな冗談がハングから飛んで来るとは思わなかったからね・・・」

 

エリウッドは驚いたまま、あることに気が付いた。

いつの間にか、父の手を放していた。

 

ずっと握りしめていたその手は思った以上に冷たくなっていた。

 

エリウッドはその手を反対側の手で温める。

ハングはそれを見ながら、顔から笑みを引っ込めた。

 

「ハング・・・聞きたいことがある」

「俺も、聞かれると思ってたよ」

 

エリウッドはエルバートの遺体から目を離し、ハングへと視線を向けた。

 

「ハング、君は父と会ったことがあると言っていた。その話を聞かせてくれないか?」

「ああ、そうだろうな」

 

ハングとエルバートの出会い。

 

ハングは懐からキセルを取り出して、火をつけた。これが、最後のタバコだった。

 

「・・・多分、予想はついてると思うけどな」

 

ハングは煙を吐き出して、語り始める。

 

「俺は、フェレで行き倒れた」

「・・・やっぱりかい?」

「悪いかよ」

 

ハングはもう一度キセルに口をつけ、煙を吸い込む。

 

「・・・俺がファーガス海賊団から離れて。最初にまわろうと思ったのはフェレだった」

 

ハングはあの頃に思いを馳せる。

 

「そこで、行き倒れた時に森に巣食う盗賊集団の討伐に来ていたエルバート様に出会ったんだ」

 

ハングはその時にエルバート様から貰った水の味を今でも鮮明に思い出せる。

ハングが初めて一人で旅をして、初めて感じた他者の親切だった。

 

「それで、俺はその盗賊退治に参加した」

 

その先の話はエリウッドも知っている。

その当時、ハングは軍師として本当の本当に駆け出しだった。

だが、ハングは机上で予想される事象を完璧に現実に変えた。

 

その活躍で、盗賊の一団だけでなく、彼らの根城まで潰すことに成功したのだ。

 

「その数日の間、何度も正規で雇いたいと言われたよ」

 

『私には息子がいてな。多分、君と同じぐらいの年齢だ。強い子なのだが、あまりに優しすぎるきらいがある。ハング君が支えてくれると嬉しいのだが』

 

何度となく、ハングはそう言われた。

 

『これがな妻のエレノアの作ってくれた手拭なんだ。いい刺繍だろ?私の自慢の品なんだ』

 

たき火を囲み、野営を繰り返してる間にもハングにとても気安く話しかけてくれた。

 

『先日、城をあげての祭りがありましてね。侯爵様ったら奥方様に引きずられて倒れられるまで踊ってらしたんですよ』

『こら、エナーフ!!そんな話はせんでいい!!』

 

部下に慕われ、町の人に慕われ。そんな姿がとても似合う人だった。

 

「そうか・・・そんな風に僕のことを言っていたのか」

「ああ・・・」

 

別れる段になっても最後までハングにフェレで働かないかと声をかけてくれた。

 

『自分はまだ、世間を知りません。もっと学ばなければならにことが多すぎます。それに・・・』

 

その続きを話そうとして言葉に詰まってしまったハングの肩に優しく手を置いてエルバート様はこう言った。

 

『ならば、いつでもよい。私は待っているよ。もちろん、収穫祭に来てくれるだけでも大歓迎だ』

 

ハングはこの人は本当に貴族なのかと何度も疑った。まるで、親戚のおじさんだ。

 

「そんな人だったからな・・・エルバート様の失踪騒ぎを聞きつけて、俺はフェレに行ったんだよ」

「そうだったのか・・・」

 

人望や器という言葉はエルバート様には堅すぎて似合わない。

 

あの人はとても・・・

 

「優しい人だったよ・・・」

「うん」

 

ハングはキセルの中身を捨てた。

 

「優しい・・・人だった・・・」

「うん・・・」

 

どこか遠くで、カモメの鳴き声が聞こえたのだった。

 

ハングとエリウッドはしばらくの間、沈んでいく夕陽を見つめ続けていた。



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21章~新たなる決意(前編)~

港町バトン

 

エリウッドと共にエルバート様のご遺体を見送ったのはつい今朝のことだった。

既に周囲は暗く、ハングは宿屋の食堂で一人白湯をすすっていた。

 

フィオーラやカナスも加わり、だいぶ大人数となってきたハング達だが、ハングがファーガス海賊団の名前を持ち出せば宿の心配は無かった。

 

夕食も済ましたが、寝るにはまだ早い。

ハングは地図を前に次の目的地を思案していた。

 

そんな時、ふと食堂に一人の少年が入ってきた。

 

ニルスだ。

 

「よう、ニルス」

「ハングさん」

 

ニルスは笑顔で答えてくれた。ニニアンが今日の昼頃に目を覚ましたのだ。

目が覚めた彼女は意識も記憶もはっきりしており、もう自己紹介も必要なく、顔を見られる度にビクつかれることもなくなった。

 

そして、今晩にでも彼女から【魔の島】での詳しい話を聞くことになっていた。

 

「こうして落ち着いて話すのは再会後は初めてだな」

「うん、そうだね。ハングさん、ずっとなんか怖かったもん」

 

ネルガルとの邂逅以降、ハングが皆を避けてたのと同じくらい周りもハングを避けていたらしい。そのことを知ったのはついさっきだ。

 

『・・・ごめんなさい。近寄りがたかったものですから』

『あんたが、怖い顔でうろついてるからこんなことになってるんでしょ!プリシラをビビらせてるんじゃないわよ!』

 

ハングはプリシラとセーラに言われたことを思い出して頬を揉む。

 

「なぁ、ニルス。俺ってそんなに怖い顔か?」

「うん」

 

即答されたことに感涙を禁じ得なかった。

 

「普段はそうでも無いんだけど、考え込んでる時とかはやっぱり怖いよ。『近寄るな』オーラがすごい出てるし」

「傷口に毒を塗り込むな。痛いだろうが」

「それって、痛いですまないと思うよ?」

 

一年前より少しは返し方も上手くなっていた。

 

「しかし、まぁ・・・少しでかくなったか?ニルス」

「そうなのかな?リン様にも言われたけど。自分じゃわかんないや」

 

そういうものだろう。ハングが自分の人相を確認できないのと一緒だ。

 

「でも・・・」

 

不意にニルスの目元が陰った。少し目尻が光ったような気がした。

 

「本当にハングさんなんだね。なんだか凄く懐かしいや」

 

ニルスは震えそうな声でそう言った。

ハングは弾けたように笑ってみせる。

 

「大げさな、せいぜい一年ぐらいだろ?」

 

だが、ニルスの表情が好転することはなかった。

 

「ぼくら、ハングさん達と別れてから・・・いろんなことがあったんだ」

 

『いろいろなこと』

 

ニルスの苦労の中にどれほど【黒い牙】の情報が含まれているのか。

ハングはそれを思い、一瞬考え込みそうになったが、思いとどまった。

つい先程、その行為が『近寄るな』オーラを噴出させると言われたばかりだ。

 

だから、ハングは笑ったままニルスの頭に手を置いた。

 

「わっ、なに?」

「なんでもねぇよ」

 

そしてぐしゃぐしゃと頭を撫でまわす。

最初は驚いていたニルスも徐々に撫でられるままになっていった。

 

体を拭くこともできない船の旅もあり、ニルスの髪は固くなっていたがハングは構わずに撫でまわす。

 

「ハングさん・・・」

「ん?痛かったか?」

 

ニルスは首を横に振る。ハングの手の下にはもう泣きそうな顔は無かった。

 

「ありがとう」

「礼を言われることは何もしてないよ」

 

ハングはニルスの頭から手を放した。

ちょうどその時、食堂にフィオーラとギィという珍しい組み合わせがやってきた。

 

「ですから、傭兵という稼業というのはきついですよ」

「むぅ・・・よくわかんねぇけど。大変だってのはよくわかった」

 

ハングはニルスを膝に乗せて、二人に声をかけた。

 

「二人が一緒とは珍しいな」

「あっ、ハング!お前、俺と勝負しろ!!」

「順を追って話せ」

 

いきなりギィに噛みつかれた。ギィが最近、手当り次第に軍の連中に喧嘩を売って自分を鍛えているのは知っている。

今の実力ではマシューに勝てないので腕を磨こうとでも考えたのだろう。

ギィにしては珍しく正しい判断だった。

 

だからと言って、ハングにはギィの勝負を受ける理由がない。

 

「とにかく勝負だぁ!」

 

ハングは隣のフィオーラに視線だけで訴えるが、彼女も困ったように肩をすくめただけだった。

 

「よし、いいだろう」

「そうか?よし、じゃわぁあああああぁぁぁ!!」

 

ハングは白湯の入っていた木製のコップをギィの眉間に投げつけた。

紙一重で避けられてしまったが、それはそれでいい。

 

「危ないじゃねぇか!?」

「だろうな」

 

木製とはいえハングは左腕で投げたのだ。

コップはなかなかの速度で飛んでいった。

 

「『だろうな』・・・って。畜生!ハング今すぐ勝負しろ・・・お・・・お・・・」

 

意気込んでいたギィが前のめりに倒れていく。

床に無様に横たわったギィの目は虚ろ。彼は気絶していた。

 

「ハングさん、これでよかったのかい?」

「悪いな。世話かけた」

 

ハングはギィの後ろに立っていたラガルトに軽く頭を下げる。

 

ハングがコップを投げたのはギィを攻撃する為ではなく、彼等の後ろにいたラガルトの注意を引く為だった。

そして、ラガルトは見事にこちらの意図を察してくれた。

 

「で、フィオーラさん」

「あ、はい」

 

ニルスがケラケラ笑いながらハングの膝から飛び降りたのを見届けて、ハングはフィオーラに声をかけた。

 

「なんで、ギィと一緒に?」

「私も、最初はハングさんと同じように勝負を挑まれたのですが。いつの間にか傭兵稼業の話になってまして」

「そういうことか・・・」

 

そんな時、食堂にセインが顔をのぞかせた。

 

「ハング殿、ここにいらっしゃいましたか」

「セイン?どうした?」

 

セインは珍しく随分とかしこまった態度だった。

 

「リンディス様とヘクトル様がお呼びです。ニルス君も一緒にと」

「ああ、わかった」

 

これから、ニニアンとエリウッドを交えての【魔の島】での思い出話をすることになっていた。あまり愉快な話になるとは思えない。

セインの顔がしかめっ面なのはその為だ。流石のセインでもこんな時に軽薄な態度を取るべきでないことぐらいは心得ていた。

 

「ニルス、行くぞ」

「・・・うん」

 

床に這いつくばったギィで遊んでいたニルスも神妙な面持ちで顔をあげた。

ハングはラガルトにギィの後始末を頼み、食堂を後にしたのだった。

 

「セイン殿」

「なんでしょう、フィオーラさん」

「あなたはそんな顔もできるのですね」

「これでも・・・努力してます」

 

フィオーラは思わずといったように噴出したのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングとニルスは2階にある部屋に向かった。

そこには既にエリウッド、ヘクトルが難しい顔をして座っていた。

 

「よう、ニニアンは?」

「リンディスの奴が連れてくるってよ」

 

ヘクトルが仏頂面のままそう言った。

それを見て、ハングは隣のニルスがなんだかむっとしていた。

 

「この人、誰?」

「ん?まだ自己紹介してないのか」

 

どうやらニルスは見ず知らずの人物がリンを呼び捨てたのが気に入らないようだった。

 

「見た目と口と中身があれな奴だが、一応オスティア候弟のヘクトルだ」

「おめぇ、最近俺に喧嘩売る頻度があがってねぇか?」

「まぁ、悪い奴じゃない。少なくとも信頼は置いていい」

 

ヘクトルが間に挟んだ台詞などなかったかのごとく、ハングは言ってのける。

ヘクトルの向こうでエリウッドが疲れたように笑っていた。

 

「あ、みんな揃ってるわね」

 

そんな時、ニニアンを支えながらリンが入ってきた。

 

「ニニアン、こっちの椅子に。リンディスも」

「ありがとう、エリウッド」

「・・・ありがとうございます」

 

こういう時に自然に女性を労わる行動できるエリウッドはやはり貴族なのだなぁ、などとハングは思った。

ハングは椅子に腰かけたニニアンに話しかける。

 

「それで、ニニアン。落ち着いたのか?」

「はい・・・ご迷惑をおかけしました」

 

彼女の顔色は相変わらず真っ白だが、以前よりは頬に赤みが戻っている。

 

「ならいい・・・それで・・・本題に入りたいところなんだが・・・」

 

本題。それはネルガルの真意だ。

だが、早急に話を進めるべきではないようにハングは感じていた。

 

エルバート様を見送ったのは今朝のことだ。エリウッドがまともな状態ではないのはわかっていた。

ハングはヘクトル、リンと順に目配せを送り、最後に隣のニルスと視線を合わせた。

 

「ニルス・・・」

 

不意にエリウッドが声を発した。

 

「父とはどこで?」

 

エリウッドの視線はニルスをとらえている。表情も船の上よりかは柔らかい。

だが、声に染みこんだ感情はそう簡単には隠すことはできていなかった。

 

ハングがもう一度ニルスを見る、ニルスもハングのことを見上げていた。

 

ハングは小さく頷いた。ニルスはそれを見届けてから、エリウッドへと視線を戻し、語りだした。

 

「【竜の門】で・・・だよ。捕まってたぼくらを逃がしてくれたんだ・・・」

 

静寂の中にニルスの声だけが響く。

 

「それから小船で海にでたんだけど、ぼくだけ投げ出されちゃって。気がついたら・・・ヴァロール島に逆戻りだった。それから、ずっと一人で・・・島の遺跡に隠れてたんだ。そしたら・・・ 突然大きなキケンを感じて、【竜の門】に駆けつけたら・・・あんなことに」

 

ハングはニルスの頭の上に手を置いた。

 

「俺達が船でニニアンを助けた時・・・記憶を失ってた。逃げてたことは予想できたことだったんだが・・・俺のミスだ・・・ニニアンを連れ戻しちまった・・・」

 

ハングは胸の内で溜息を吐く。全ての責任があるとまでは言わないが、ハングの判断で竜の出現の一歩手前までいったのは間違いなかった。

 

唇をかみしめるハング。

 

そんなハングに、ニニアンがわずかに首を横に振った。

 

「・・・いえ・・・ハングさんはなにも悪くありません・・・・・・ニルスが海に落ちた時、わたしは・・・どうしていいか分からず・・・心を閉ざしてしまった。わたしがしっかりしていれば・・・この事態は避けられたはずなのに・・・もうしわけ・・・ありませ・・・ん」

 

頭を下げて、目を閉じるニニアン。目元が光ったように見えたのは錯覚ではないはずだ。リンがそんな彼女の背をさすってやる。

 

「・・・ニニアンは、ぼくより強い力の持ち主だけどその分、心も体も弱いんだ・・・ネルガルは、そこにつけこんで・・・」

 

乾いた音がした。ヘクトルが自分の手のひらに拳をぶつけた音だった。

確かに胸くそ悪い話だった。

 

「・・・やつらが君たち姉弟を狙うのは【竜】を・・・呼び出す力があるからか?」

 

エリウッドがそう尋ねた。その質問にはニルスが答えた。

 

「・・・正確に言うなら、【竜の門】を開く力を持つから・・・かな。一度開けてしまったら、ネルガル一人ででも竜を呼び出せるよ」

「マジかよ」

 

ハングはそう呟いて天井を仰いだ。

 

既に人外のような奴だとは思っていたが、そこまでの存在になっていたとは思っていなかった。戦慄を禁じない皆に向かってニルスは更に言葉を続けた。

 

「・・・ただし、どちらの行為もたくさんの【エーギル】が必要だけど」

「【エーギル】?」

 

聞きなれない言葉だった。

 

「ネルガルは、そう呼んでいた。人間の心の強さとか・・・生きる力そのもののことで・・・ネルガルは、その【エーギル】を奪うんだ」

「・・・【エーギル】を奪われた人間はどうなるんだ?」

「・・・すぐに死んでしまう・・・」

 

ハングの脳裏に【竜の門】で苦しみだしたエルバートの姿がよみがえる。

エフィデルが手のひらを向け、苦しみ出したエルバート様。

あれはその【エーギル】を奪われていたということか

 

「ニニアンも、ぼくもそんなに力があるわけじゃない。ハングさんも知ってる、あの“特別な力”だけだ・・・だからネルガルは、かなりの量の【エーギル】を手に入れる必要があった。それで、まず腹心の部下であるエフィデルを野心のあるラウス候に近づけてリキアに争いの種をまいたんだ・・・」

「・・・なんのために?」

 

そう問うたのはエリウッドだ。

 

「・・・【エーギル】は人によって強さが全然違うんだって。心と体が強い人なら、一人でも普通の人の何百倍の力を持つらしいよ。でも、そういう人の数は本当にわずかで・・・『さがしだすのが困難だ』っていつもこぼしてた・・・手間はかかるけど、戦争を起こさせるのが一番確実な方法なんだって・・・」

「そういうことか・・・」

 

ハングは吐き捨てるようにそう言い、苛立ちを紛らわせるように頭をかいた。

 

戦争になれば、人が集まり、戦う。残るのは常に強き者だ。

戦争の果てに残った連中を回収すれば確かに確実だろう。

 

「・・・つまり、篩にかけるためにリキアに内乱起こす気だったのかよ!?」

「たまには理解が早いじゃねぇかヘクトル」

「やかましい!・・・畜生!俺たちの国をなんだと思ってやがるっ!!」

 

リンも唇をかみしめる。

 

「それじゃあ、ラウスがキアランを襲ったのは・・・」

「俺達が動いたことで内乱が不意になったからな、せめて一戦交えて使えそうな人間を選別したんだろう。そのために一番歯ごたえのある相手を狙ったってわけだ。後は・・・時間かせぎ・・・そんなとこか」

 

無理にオスティアを攻めたり、守りの手薄な地方に進軍しなかったのはそのためだ。

そのことを読み切れなかったハングを誰も責められはしない。

今回はあまりにも軍略に関する規則を相手方が無視しすぎだ。

 

ハングは先程胸の内に留めておいた溜息を吐き出した。それを合図にニルスが話を戻した。

 

「・・・エフィデルが、エルバートおじさんを【竜の門】に連れてきたんだ。『理想的なエーギルの持ち主を見つけました』って・・・ネルガルは、戦いを起こす手間がはぶけたって・・・上機嫌だった。おじさんの連れてた騎士たちからも【エーギル】がいっぱい取れたから・・・おじさんからならもっと強い【エーギル】が・・・」

 

それ以上はまずい!

 

ハングが止める前にリンが声を張った。

 

「ニルス!」

 

ニルスの体がビクリと震える。そして、ニルスの視線がエリウッドをとらえた。

 

「あ、ごめんなさい・・・エリウッドさま」

「いいんだ・・・【竜の門】で、父を見つけた時部隊の者たちは・・・もう、生きてないだろう・・・とわかっていたんだ・・・」

 

それがどうして『いいんだ・・・』なんて言葉につながるんだ。

これ程に説得力の無い言葉は久々に聞いた。

 

部屋の中の空気が曇っていくようだった。

 

「・・・おじさん、言ってたよ」

 

ニルスがそれを破ろうと、務めて明るい声を出した。

 

「息子が1人いるんだって。せっかく剣術の才能があるのに戦うことがキライで・・・でも心の優しい、人の痛みのわかる子だから自分よりも、いい領主になるはずだって・・・」

 

それはエリウッドのことだろう。

 

「家族の暮らすリキアを戦火に巻き込むくらいなら・・・自分が犠牲になってでも、なんとしても止めてみせるって・・・」

 

エルバート様がこの内乱の渦中に飛び込んだのはその辺が理由なんだろうとハングは思う。残念なのはその真意をもう知ることはできないことだ。

 

「【竜の門】で生きる希望を無くしてた、ぼくらに・・・ずっと明るく話しかけてくれた・・・自慢の息子と美人の奥さんの話ばかりだったけど」

 

そういうところは相変わらずだったようだ。

 

「でも、ぼくもニニアンも・・・おじさんが大好きだったよ。おじさんの話す、家族の話に・・・すごく力づけられたよ」

 

それで、ニルスの話は終わりだった。

エリウッドは自然と俯いてしまっていた。

 

心に空いた穴はそう簡単には埋まりはしない。

 

ヘクトルが不意に席を立った。

 

「・・・ヘクトル?」

「今は、一人にしてやらねぇと」

 

リンはまだ涙をこぼしていないエリウッドを見て、やはり席を立った。

ハング達がいたのでは泣くに泣けないだろう。

 

「そうね・・・ニルス・・・ハング・・・」

「ああ」

 

ハングはニルスの背に手をあてて、部屋を後にした。



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21章~新たなる決意(中編)~

ハング達はこのまま食堂や自室に戻る気にもなれず、星でも見ようかと宿の外に出た。

今日の空は曇りではないが、快晴とまではいかない。頭上の星空は約半分だった。

 

宿の外からはハング達が先程までいた部屋の明かりが見えていた。

 

その窓を見ながらリンがヘクトルに話しかけた。

 

「・・・よかったの?ヘクトル」

「ん?」

「あなただけでもついていてあげたら?」

「んー・・・そう思ったんだがな・・・」

 

ヘクトルが目だけでハングに同意を求めてくる。ハングは肩をすくめてその返事とした。

 

「横にもう一人、泣きそうな面したやばいのがいたからな・・・」

 

ヘクトルが言いたいのはニニアンのことだ。それを聞いてニルスは姉がいないことにようやく気がついたようだ。

 

「え?あれ!ニニアンがいない!ぼく探してくる」

「ちょい待ち」

 

駆け出そうとするニルスの襟首をハングは捕まえて持ち上げた。

 

「ちょ!ハングさん!?降ろしてよ!!」

 

俗に言う『猫掴み』という奴だ。ニルスはじたばたとしてみたが、足が地面に届いていないのでどうしようもない。ハングはそのニルスをヘクトルに向けた。

 

「お前の姉貴も大変だったんだ。そっとしておいてやれよ」

「そ、そんなこと・・・」

「わかってないから、俺がこうやって吊るしてるんだからな」

「う、ううう・・・・」

 

ようやく大人しくなったニルスをおろし、ハングは首を一度、二度とならした。

 

「さて、これからどうするかだな・・・」

 

そうハングが言うと、リンが躊躇うように口を開いた。

 

「ネルガルはどうしたかしら・・・」

「そんなに気を遣わなくていい。名前ぐらい普通に言え」

 

ハングは苦笑いをしながらニルスの答えを待った。

 

「・・・あいつは死なないよ」

 

リンとヘクトルが同時にハングの表情を追った。

だが、ハングの苦笑いは揺るがない。

 

ネルガルがそう簡単に死なないということはハングにもなんとなくわかっていた。

 

「あいつは・・・ネルガルは、自分の体にも【エーギル】を使うんだ。だから、傷もすぐに治る・・・老けることもない」

 

ハングはエルバート様があの時に使った短剣を思い出していた。

あれは確かにネルガルの身体に刺さっていたというのに、血が一滴たりともついていなかった。

 

「生きている人間の血は赤い。ネルガルはもはや人間じゃないってことか」

「・・・少なくとも、今は・・・」

 

そんな奴の野望を止める。そして、できることなら息の根も止める。

ハングは頭を振って頭の中から余計なことを放り出した。

変に考えこめば、固めたはずの決意が揺らぎそうだった。

 

ハングは気分を切り替えるために別の話題を出した。

 

「それよりも・・・」

 

ハングはエリウッドの部屋の窓を見やる。

 

「どうなってんだろうな?」

「気になるっちゃ気になるな?」

 

ハングの意見にヘクトルも同意する。

普段は覗かれる機会の多いハングだ。たまには覗く側にまわってみたいものだった。

だが、無言の圧力がリンとニルスからあり、ハングとヘクトルは断念したのだった。

 

その頃、話題の中心であるエリウッドの部屋では涙を流していたエリウッドがようやく顔をあげたところだった。

 

「・・・エリウッド様・・・」

 

エリウッドはその声に驚き、目元をぬぐった。

誰か部屋に残っているとは思ってなかったのだ。

 

「ニニアン・・・居たんだね」

 

エリウッドは少し赤くなった瞼をさすって、笑う。

 

「すまない、みっともない所を見せた」

 

エリウッドはそう言って笑顔を見せる。

 

エリウッドは痛みを抱えている。心を抉るような傷を負ったのだ。痛みがあって当然だった。

それなのに、笑いかけられたニニアンの方が痛そうな顔になっていた。

エリウッドはそんなニニアンの心の機微がわからないようなつまらない男ではない。

 

「起きていて大丈夫か?あんな目に遭って・・・顔色が悪いようだけど、休んでなくていいのかい?」

 

エリウッドは優しく微笑む。

 

彼自身も辛い。でも、自分よりも他者を優先するその行動力こそがエリウッドの良さなのだ。

エリウッドはふとニニアンの手元についた傷に気が付く。

 

「・・・よく見たら、あちこち傷だらけじゃないか・・・」

 

切り傷、擦り傷、打ち身。彼女の手の甲だけでもそれだけの外傷が見られた。

先程まできちんと包帯を巻いていたのだが、あまり大げさにしたくないニニアンの要望で今は外していた。

 

「きちんと手当てしないと・・・かわいそうに」

 

エリウッドは部屋に置いてある傷薬の口をあけて中の軟膏を取り出した。

 

「ほら、手を出して」

 

エリウッドはそう言ってニニアンに近づく。ニニアンは少し躊躇うような仕草を見せた。

 

そんなニニアンに対してエリウッドは安心させるように笑みを深めた。

 

それはハングとは違う方向で人を安心させる笑みだった。

 

ハングの笑みは人の元気を掻き立てるような、祭りに誘うような笑みだ。

エリウッドは陽だまりの中に誘い込むような、そんなとても暖かな笑みだった。

 

ニニアンはその陽気に誘われるように、差し出されたエリウッドの手に自分の手を重ねた。

 

その手に軟膏が塗られる。

 

傷を持ち、火照った皮膚にはその冷たさが心地よかった。

その手つきは常に懸命で、動き一つ一つにエリウッドの心遣いがしっかりと染みこんでいた。

 

「・・・どうして」

 

ニニアンが不意に呟いた。

 

「え?」

 

彼女の手に向いていたエリウッドの意識が彼女の瞳に移る。

 

「どうしてエルバート様も・・・エリウッド様も・・・こんなにやさしい・・・の・・・?」

 

ニニアンの目尻に大粒の涙が溜まっていた。

 

「わ・・・わたしっ・・・わたしのせいで・・・こんな・・・こんな酷いことに・・・!」

 

ポロリと、涙がこぼれる。それが決壊の合図だったかのように彼女の瞳から次々と新たな水滴が零れ落ちていく。歯を食いしばり、目を閉じて、必死に何かを懺悔しようとするニニアン。

 

エリウッドは懐から手巾を取り出した。

 

「ニニアン、そんなに泣いたら体に障るよ」

 

エリウッドは彼女の涙を拭いてやる。自分の涙は乱暴にこすって拭いていたエリウッドだったが、ニニアンの涙は吸い取るように丁寧に丁寧に拭いていく。

 

「ニニアン、僕はもう大丈夫だから・・・泣かないでくれ・・・」

「ごめんなさい・・・ごめん・・・なさ・・・」

 

エリウッドはしばらくの間、ニニアンの瞳から溢れる涙を根気よく拭い続けた。

 

「落ち着いたかい・・・」

「・・・はい・・・」

 

エリウッドは手巾を懐にしまい、やりかけていた彼女の手当を再開した。

そして、それも終盤に差し掛かったころにエリウッドは少しだけ強い声で話し出した。

 

「・・・これだけは言っておこう」

 

エリウッドは包帯の先を二つに裂き、それで結び目を作る。

 

「父のことは・・・君の責任じゃない」

 

緩まないように結び目を調節するその手際はやけに手馴れていた。

 

「君だって辛い思いをしたんだ」

 

エリウッドは手当を終え、彼女の目を真っ直ぐに見つめる。

 

「ニニアンが気に病む必要は無いんだよ」

「・・・エリウッド様・・・わたし・・・わたしは・・・」

 

その時だった。ニニアンの表情が変わる。

 

「どうしたんだ?」

 

そして、何かに集中するかのように目を閉じた。

 

「・・・あ・・・」

「ニニアン?」

「・・・敵・・・・・・来ます!!」

 

エリウッドは立てかけてあった剣をとって部屋を飛び出した。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ニニアンが感じたものも当然ニルスも感じた。

 

「みんなを呼んで!敵が来る!!」

 

ヘクトルが舌打ちと共に、悪態を吐いた。

 

「少しくらいエリウッドを休ませてやれよ・・・!」

 

リンも自分の剣に手をかけながら、周囲を警戒する。

 

「仕方がないわ、私達だけでやりましょう。ハング!・・・・ハング?」

「ハングさん?どうしたんですか?」

 

ハングは皆から少し離れ目を閉じて、空を仰いでいた。

 

「ハング!!・・・どうしちまったんだ、こいつ?」

 

ハングは自分の耳に全神経を集中していた。様々な音がする。

 

今は夜とはいえさほど遅い時間でもない。周囲の民家、獣の声、波の音などがハングの耳に飛び込んでくる。

その中にわずかだか羽ばたき音が混じっていた。

 

鳥の類にしては力強すぎる。ペガサスにしては重い。

 

「やっかいだな・・・」

「ハング!聞いてる!?」

 

リンが隣で叫んでいたのは知っていたが無視していた。

 

「ヘクトル」

「ようやく帰ってきたか」

 

ハングはヘクトルの皮肉を無視して、話を続ける。

 

「竜騎士だ。やっかいだぞ」

 

ヘクトルの表情が変わる。

 

竜騎士とはベルンに生息するドラゴンにまたがる騎士達のことだ。

 

彼等の特徴は空中からの攻撃もさることながら、ドラゴンそのものの凶暴性と鱗の硬さがある。厄介な相手であることに意見を挟む奴はいなかった。唯一の弱点は魔法と弓だが、こう暗い中で天高く舞い上がられると手が出せない。

 

しかも、運のないことにファーガス海賊団も急ぎの仕事で港を開けたとこだ。

 

さて、どうするか・・・

 

「みんな、ここに居たか!」

「エリウッド!」

 

宿からレイピアを抜いたエリウッドが飛び出てきた。

宿の中から仲間達が動き出している声も聞こえてきており、準備はすぐに整いそうだった。

 

「みんなも戦う準備はできてるね!よし、応戦態勢にはいろう!!村の人々に迷惑がかからないよう戦いを長引かせないようにしたい。首領格の者を討って敵を追い払うんだ!!ハング、できるね?」

「簡単に言ってくれるな。だけど、お前がやるって言ってんだ。やるさ。それが俺の仕事だ」

 

ハングは拳をエリウッドの胸板に叩きつけた。

 

「大丈夫か?」

「ああ、僕は大丈夫だ。ハングこそ大丈夫かい?」

「当たり前だ」

 

エリウッドの拳がハングの胸を打つ。

 

二人には悲しんでる暇も、振り返っている暇も、痛みに縮こまる暇もない。それが今はこんなにも心地良かった。

 

「それでハング、策は決まったかい?」

「決まらないことがあったか?任せろよ」

 

ヘクトルが斧を取り出し、ハングの傍に控えるようにしていたニルスに声をかけた。

 

「おい、チビ!おまえは宿に隠れてろよ!」

「やだよ、ぼくだって役に立てるんだから!」

 

確かに一年前の戦いでニルスの力をハングは知っている。ハングとしてはその言葉は否定はしにくい。

ニルスの説得に少し難儀するかと思ったとき、リンが助け舟を出してくれた。

 

「ニルス、あなたがいると助かるけど・・・でも、今はニニアンの近くにいてあげたようがいいんじゃない?」

「あ・・・うん!」

 

先程までニニアンが気がかりだったニルス。

リンの言葉を聞くや否や脱兎のごとく、宿へと駆け込んでいった。

 

「助かった」

「これぐらい」

 

リンと手を打ち合わせる。ハングは一呼吸置き、後ろに仲間が続々と集結してるのを確認した。

 

「そんじゃ、行こうか。踊るにはいい月だ」

 

珍しい冗談を放ちながら、ハングは戦いの指揮を始めた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ニニアン!ダメだよ、どこに行くんだ!?」

 

ニルスの声が宿の廊下に響く。ニニアンの様子を見ようと戻ったその先で、外に出ようとするニニアンと鉢合わせたのだ。

 

「わたし・・・お手伝いするわ」

「無理だよ!まだフラフラしてるのに!」

 

服の下は傷だらけ、度重なる出来事で疲労も限界に近い。

 

だが、ニニアンは折れない。

 

「少しでも・・・」

 

ニニアンは自分の手を握りしめる。そこにはエリウッドに手当してもらった包帯が巻かれていた。

 

「少しでもエリウッドさまを助けてあげたいの」

 

軟膏の冷たさとエリウッドの指先から伝えられた温もりが包帯の下に包まれている。

ニニアンはそれを握りしめて、瞳に光を宿した。

 

「おじさまの命・・・わたしが奪ってしまったから・・・こんなことでつぐなえるとは・・・思わないけど」

 

紅の瞳がきらめいていた。

 

「ニルス!お願いよ・・・」

 

ニルスは姉のことをよく知っている。

 

今の彼女がぼろぼろだということも。彼女の中で本人がまだ気づいていないであろう真意も。

ついでに、強情な時はどうやったって揺らがない姉だということも百も承知だ。

 

「・・・わかったよ」

 

ニルスが折れないと、この姉は意識を失わない限り止まりはしないだろう。

それはニルスの望むところではない。

 

「じゃあ、手を出して」

「ニルス?」

「ぼくの力をわけてあげる。そんな動けない体じゃ足手まといになるだけだろ?」

「ニルス、ごめんね」

「いいよ、もう諦めてるから」

 

力を分ける。それは感情論ではない。

彼ら姉弟にとってそれは感情論などではない。

 

二人は手を胸の前で絡めるようにして繋いだ。

 

薄らと二人の間に光が纏われた。

 

神々しい光とは言い難く、優しい光とも違う。

それは精霊の放つ光に極めて近いものだった。

 

「・・・フゥ」

 

光がおさまり、ニルスが近くの壁にもたれかかった。

 

「これでいい。ぼくの分も、がんばって」

「ありがとう」

 

駆けていくニニアン。それを見ながら、ニルスはその場にしゃがみ込んでしまった。

 

「疲れた~・・・」

 

気怠そうなニルスの声が聞こえた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

街では既に部隊が展開し、戦闘に入っていた。

その最後尾にいたエリウッドにニニアンが駆け寄っていった。

 

「エリウッド様!」

「ニニアン!?出てきてはだめだ!!」

「・・・わたしも、お手伝いさせてください」

「エリウッド・・・っと、あれ、ニニアン?」

 

指示を出そうとした、ハングの動きが止まる。

 

「手伝い?君にまで戦わせる気は・・・」

「・・・わたしは、神の舞い手。踊ることで・・・エリウッド様たちをお助けできます」

 

そして、ハングとエリウッドの目の前でそれは始まった。

 

ニニアンが舞う。足を滑らせ、風に衣を乗せ、指先に至るまで研ぎ澄まされ、見る者の意識を一気に引き寄せる。

それは、散りゆく粉雪のような繊細な舞だった。言うならば、風に吹かれ、揺れ惑う、春先にふる、名残り雪。

 

そして、ハングは気が付いた。

 

彼女の指が光っていた。よく見れば、光っているのは指輪だった。

そして、踊りが終わる。それと同時にエリウッドに変化が訪れた。

 

「・・・これは・・・・・・体が・・・何かの力に包まれて・・・?」

「【ニニスの守護】を使ってエリウッド様のために踊りました」

 

【ニニスの守護】

 

一年前にハング達が取り返した指輪だ。

 

「ほんのひと時ですが、体を守る力が上がっているはずです・・・・・・どうかお願いです・・・わたしもお側に・・・!」

 

その時、ハングは頭をはたかれた。

 

「いって!なんだ?」

 

振り返るとリンが怖い顔で睨んでいた。

 

「ぼうっとしないの!!」

 

リンに怒鳴られる。ぼうっとしてたのは確かだったが、ハングは首を傾げた。

 

「何怒ってんだ?」

「怒ってない!!」

 

そう言いながら、彼女は明らかに怒ってた。

その後ろではエリウッドとニニアンの間で意見がまとまっていた。

 

「わかった、それで君の気が済むのなら・・・さ、戦いを続けるぞ!僕から離れないで!!」

「はい!」

 

ハングはリンの機嫌はとにかく後回しにすることにした。

 

「エリウッド。ニニアン連れてくなら、お前の裁量に任せる」

「ああ・・・わかってる」

「姫様は大事にしろよ」

 

エリウッドはそれには意味ありげに笑って答えた。

 

「ハングもね」

「ん?どういう意味だ?」

「答えは自分でみつけな」

 

ハングはその言い方が少し癪に触ったが、余計なことを言っても藪蛇になりそうだったので無視することにした。

 

「とにかく、お前の身体が何かに守ってもらえるなら好都合だ。前線まで飛び出す、はぐれるなよ!!」

 

ハングはエリウッドと共に大通りで展開される戦闘の前線へと飛び出した。



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21章~新たなる決意(後編)~

今回のハングの策は囮作戦だった。とはいえ、今まで時折使用してきた敵を釣る『誘い伏せ』の類ではない。今回は単純に空中からの敵の経路を絞る為の策だった。

 

ヘクトルを初めとする巨体の持ち主やエリウッドやリンなど派手に動きまわれる奴らを前線で暴れさせ注意を引く。

 

夜間で視界が悪いのは向こうも同じ。弓兵がどこに潜んでいるかわからない状況で飛行部隊は単独行動はしない。地上部隊が目立てばそちらの援護にまわる。そこを町民が自衛の為に所有している防衛用ロングアーチで狙い撃ちにするのが今作戦の肝だった。

 

「次、行きます!!」

「おっと、待て角度修正。右に5度だ」

 

ロングアーチの部隊は二つ。

レベッカを射手とし、ロウエンとギィを護衛につけ、目にはラガルトを置いた。

 

「レベッカさん、もうすぐ矢が尽きます。次のシューターに移りましょう」

「は、はい。ロウエン様」

「畜生・・・俺も前線がよかった」

「そうぼやくな少年。命のかからねぇこういう仕事こそやりがいがあるんだよ」

 

そして、もう一つはウィルを射手とした部隊。

護衛にはレイヴァンとルセア、夜の目はマシューだ。

 

「ヴぁっくん!次の矢お願い!!」

「その呼び名はやめろと何度言えば・・・」

「いいじゃいですか・・・ヴぁっくん」

「ルセア・・・お前な・・・後で覚悟しておけよ」

 

三人の掛け合いにけらけら笑いながらもマシューは仕事をきちんとこなす。

こちらはこちらで良い部隊だった。

 

この二つの小隊で飛行部隊の頭を抑え、狙い撃ちを避けて高度が下がってきたところに大本命のエルクとカナスが待っているのだ。

 

飛行部隊を基礎としていた敵部隊が浮足立つのにそう時間はいらない。

ハング達の前線部隊は町になだれ込んできた敵部隊を押し返し、敵本陣まで食い込んだ。

 

敵部隊の首領格は筋骨隆々の男だった。

 

夜襲の手際は良かったが、引き際を見誤っている。

少なくとも軍略に関してはハングの方が何枚か上手だ。

 

「こっから逆転は無いと思うぞ」

「逆転などする必要ない。姉弟さえいただければいいのだからな。どちらにせよ、失敗には『死』あるのみだ」

 

【黒い牙】

 

相変わらず、わけのわからない連中だった。

 

「それとネルガル殿からの挨拶だ。『子供は二人とも近いうちに返してもらう』だそうだ」

「あんな悪党が保護者面とはな。いい冗談だ」

 

ハングが笑ったのをきっかけに仲間が動いた。

 

それと同時にハングも前に出る。ハングが左腕で斧を受け止めるのと同時に複数の剣が目の前の男を貫いた。

 

「・・・まったく・・・どんだけ手駒がいるんだあの野郎。おちおち眠れもしねぇ」

 

ハングは追撃を仲間に指示して、一旦その場を後にした。

 

「で、エリウッド。大丈夫か?」

 

エリウッドはレイピアの血をぬぐってから鞘にしまう。

顔をあげた時、彼は少しはまともな顔になっていた。

 

「ああ。三人とも心配をかけた」

 

ハングの後ろにリンとヘクトルも並ぶ。

 

「無理はしなくていいのよ?」

「・・・悲しむのはすべてが終わってからだ」

 

リンの問いにもエリウッドははっきりと答えた。

 

「今は、父上のためにも・・・ネルガルから、この大陸を守ることに全力を尽くす!」

 

ハングはニニアンとエリウッドが部屋の中でどんな会話をしたのか気になったが、藪を突いて馬に蹴られるのはごめんだ。

 

そんなエリウッドとハングにヘクトルが質問をする。

 

「それで、これからのことだが何か考えがあるか?」

「これから・・・か」

 

ハングは答えるより前にエリウッドを見やる。

エリウッドはその視線に応え、次の行き先を提示した。

 

「・・・オスティア候にお会いしよう」

 

ハングは軽く頷く。

 

「兄上に?」

「これまでのこと・・・報告しないわけにはいかないだろう?」

「あー・・・まあな」

 

ヘクトルが苦虫を数十匹噛み潰したような顔をした。

 

「ヘクトル?どうしたんだ?いつものヘンな顔がよりひどくなってるぞ」

「ハング、お前とはいい加減決着をつけといたほうがいいと思ってんだが?そこんとこどう思うよ?」

 

ハングはけらけら笑ってヘクトルの拳を躱す。

その一連を無視して、エリウッドがやり取りの意味を理解していないリンにオスティアの事情を説明していた。

 

「ヘクトルは、ウーゼル様に頭が上がらないんだ。今まで報告を怠ってたから顔を合わせにくいんだよ」

「あぁ、なるほど」

 

その隣ではハングとヘクトルがじゃれ合うように拳を振るっていた。

 

「てめっ!避けんじゃねぇ!」

「んじゃ受け止める方向で」

 

ヘクトルの拳にハングは左手を合わせて受け止める。

得物を用いての殺し合いならともかく、ただの喧嘩ならこの腕の使いごこちは良好だった。

 

「ヘクトル、押し負けてるよ」

「くっそ!エリウッド!手貸せ!!」

「ははは、それは嫌だよ」

「この薄情もの!」

 

怒鳴るヘクトルにハングは眉間に皺を寄せた。

 

「軍師相手に貴族が二対一でやろうとしてんのはいいのかよ?」

「お前みたいな性悪は一度ぶちのめした方が世のためだ!!」

「どんな理屈だよ」

「ハング、ヘクトルに理屈を説いてもしょうがないよ。屁理屈で道理を蹴っ飛ばすのが彼のやり方だ」

「なるほど。つまり、いつものやり方か」

「おまえら、言いたい放題言いやがって!!」

 

三人の漫談だか寸劇だかわからないものを見て、リンはこっそりと溜息をはいた。

 

「男どもは元気ね・・・元気ないよりよっぽどいいけど」

 

彼女としてはそんな彼らに混ざれないのが少し残念であった。

 

そして、ハングとヘクトルの喧嘩が終わった頃、追撃の指揮をとっていたマーカスが戻ってきた。

 

「エリウッド様・・・落ち着かれましたか」

「ああ、今決着がついたよ。ハングも殴り合いならなかなかやるね」

「は?」

 

マーカスは呆気にとられ、エリウッドの顔を見る。

エリウッドは戦いの前までは完全に意気消沈していたので、そのことについて質問したつもりだった。

マーカスはもう一度質問しようと口を開く。

 

「マーカス・・・」

 

それを遮るようにエリウッドが言った。

 

「僕は大丈夫だ。心配をかけたな」

 

そして、エリウッドは楽しそうに笑ったのだ。

マーカスはそんな主君に苦笑いを返しておいた。

 

マーカスは一呼吸おいて、騎士の顔に戻る。

 

「エルバート様のことですが・・・私の独断で、早馬にてエレノア様に伝令を送りました」

 

そして、エリウッドも候子としての顔になった。

 

「・・・そうか。ありがとう、マーカス。よく気が付いてくれた」

「・・・少しでも早くお知らせすべきだと思いましたので。侯爵の・・・最期はご立派であられたのだ・・・と・・・」

 

ハングは少し離れたところでそんな二人を見ていた。

 

ヘクトルに殴られた頬が痛む。その隣でヘクトルも大の字に寝転がって荒い呼吸をしていた。こちらもハングに貰った頭突きが随分と痛みをひいていた。

 

お互い引くに引けなくなって結局半ば本気で殴り合った結果だった。

 

「まったく!男っていうのは!!」

 

そして、リンにお小言をもらいながら痛む個所を冷やしてもらっている次第だった。

 

その時、暗闇の中から馬が駆けてきた。

 

「エリウッド様っ!マーカス将軍っ!!」

 

やってきたのは白銀の鎧を着こんだ女騎士。その胸元にはフェレの紋章が光輝いていた。

 

「おお!おぬしイサドラではないか!」

 

イサドラと呼ばれた女騎士。純白の鎧と白馬。肩にかかるぐらいの髪は適当な切り揃え方ではあったが、それが彼女本来の美しさを損ねることは無かった。

 

「やっとお会いできました。ご無事でよかった・・・」

「イサドラ、どうして君がここに?まさか!母上の身に何か・・・」

「いえ、ご安心ください。エレノア様はお元気です。昨日、エルバート様の訃報が届いた時も・・・声ひとつ荒げず・・・ただじっと・・・報告に耳を傾けておられました」

 

どうやら、彼女はエリウッド達がフェレ城に残してきた数少ない精鋭だったのだろう。

そんな彼女とハングは以前会ったことがあった。

 

彼女はエルバート様と共に盗賊討伐に出ていた一人だ。

あの頃はまだ見習いであったが、今や立派な騎士であるようだった。

 

「そして、すぐ私に命じられました。エリウッド様に、この剣を届け、そのまま側近く仕えよと」

「そんなことをすれば、城の警護が手薄に・・・」

「エリウッド様・・・どうか母上様のお心をお察し下さい。エルバート様が戻られない今、エレノア様にとってあなた様のご帰還だけが心の支えなのです。『父上の遺志を守り通しなさい』エレノア様はそう伝えるよう申されました」

 

話の流れを聞いていたハングは口を挟んだ。

 

「エリウッド。念のため確認しておきたいんだが、オスティア侯とは懇意なんだな?」

「あ、ああ・・・」

「なら、フェレ城を守るための兵を借りたらどうだ?こっちはそれ以上の案件に関する情報を持ってる。同情票は買えると思うぞ」

 

ハングの言い方が少し辛辣なのは、まだ頬が痛んでいたからだ。

エリウッドはわずかな間考えたが、結局はハングの案に同意した。

 

「そうだな。僕よりも・・・母上のお心にかなうよう努めるべきだな。わかった、マーカス、すぐに早馬の手配を」

「御意に」

 

マーカスが去った後、イサドラがようやくこちらに気付いたようだ。

 

「・・・・もしかして・・・ハング殿?」

「『殿』って敬称はいらないって、昔も言いましたよね?」

 

イサドラとハング。二人の接点に一番驚いていたのは多分エリウッドだったろう。

 

「二人は面識が?」

「ああ、俺がエルバート様と会ったときに従軍していた一人だったんだよ」

「はい。その際にはハング殿には随分とお力添えを・・・」

「堅苦しい言い方はしないでください、イサドラさん」

「いえ、そういうわけにはいきません」

 

最初からハングを突っぱねていたマーカスとはえらい違いである。

 

「ハング殿は例え非公式といえども、エルバート様に認められたお方です。私が敬意を払うべき相手と思ってのことですので、お気になさらず」

 

ハングは面倒そうに頭をかいた。

 

エリウッドといい、マーカスといい、敬意を払う相手というのを自分で決めるというのは悪いことではない。上司の話をただ鵜呑みにするど阿呆よりは何倍もましだ。

 

それでも、自分が敬意を払われるというのは別問題である。

 

しかし、それを言いだしても平行線をたどるであろうことはハングもわかっていた。ならば、真摯に受け止める他ないだろう。

 

「徹底的に働かせますから・・・覚悟はいいですか、イサドラさん?」

「はっ。この命尽きるまで戦います!」

 

いい返事だ。

 

ここに冗談の一つでも混じらせてくれたらハングの好みなのだが、それを騎士に期待するほうが間違っている。

 

兎にも角にも、今日は疲れた。

 

ハングは皆に指示を出し、一日を締めたのだった。

 

「ハング・・・」

「どうした、リン。怖い顔して?」

「あの人と・・・どんな関係?」

「は?」

 

だが、ハングの一日はなかなか終わらないようだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

どこぞとも知れぬ宮殿。深く不快な闇に満ち足りたその宮殿。そこにネルガルはいた。

 

「と、いうわけで本日の夜襲は失敗に終わりました。逃亡兵の始末も終えております」

 

バトンでの戦闘の報告。ネルガルはそれを楽しそうに一笑にふしていた。

 

「そうだろう。あの程度の男では勝てるわけもあるまいよ」

「随分と評価なさるのですね。ネルガル様」

 

そう言ったのはネルガルに報告を行っていた女性。

 

黒い髪と妖艶な体。扇情的な仕草と高圧的な瞳。大罪の一つである色欲を周囲にばらまくために生まれたような姿をした女性。

 

名をソーニャと言った。

 

「ククク、当然だ。あのフェレの子鼠だけなら造作もないが。あれには優秀な頭脳がついている。この程度破ってもらわねば面白くもない」

 

エルバートによる一撃は確かにネルガルの力を奪っていた。

だが、それ以上に今のネルガルには楽しいことがある。傷を癒す間の暇つぶしにはちょうどいい。

 

「お言葉ですが、ネルガル様。あの・・・ハングとかいう者、それほどに警戒すべき男なのでしょうか?」

「ソーニャよ。わしのが信用ならんのか?」

「め、めっそうもございません!」

 

平伏するソーニャ。だが、ネルガルはそれすらも笑って見過ごした。

 

「まぁ、よい。今のわしは気分がよいのだ」

「はっ!ありがたきお言葉です」

 

ネルガルは軽く手を振って、更に笑う。

 

「ふふふふ、このように人間を超越してもなお。余興というものには心が躍る。それが、わしにも予想がつかぬ余興であればなおよい。楽しみだ・・・楽しみだよ・・・」

 

暗い宮殿の中に笑いが響きわたる。

そんな宮殿にまた一人、影があらわれた。

 

「リムステラ。戻ったか」

 

リムステラ。エフィデルと共に【竜の門】にいた一人だ。

 

「はい」

 

ネルガルは笑いを止め、そこからは厳しい表情を保った。

 

「ソーニャ。私の傷は未だ癒えない。力を取り戻すには時間がかかるだろう。私の肉体に傷をつけたフェレ候は死んだ。代償は、息子の死でつぐなってもらう。だが、奴には先程も言った通り頭脳がついておる。おまえは、ブレンダンをうまく使って【黒い牙】を動かすのだ。今までのような雑魚ではない、【四牙】を向かわせろ」

「ふふっ、おまかせを。奴らの首を、あなた様に捧げてみせましょう。それで、ハングというものは?」

「邪魔立てするなら始末してかまわん。そう簡単にはいかぬはずだがな・・・」

「御意」

 

ソーニャはそれ以上言葉を挟むことなく消えた。その場には転移魔法特融の紋章が残されていた。

 

そして、ネルガルはリムステラに視線を送る。

 

「リムステラ。お前は、私のために【エーギル】を集めよ。この傷が癒えるには・・・時間と【エーギル】が必要だ。お前は私の作り出した中で最も強い【モルフ】。力ある者すべてに死を与えよ」

「御意・・・」

 

短い台詞だけを残してリムステラも消える。

 

残されたネルガルは一人、笑う。

 

「ハングよ・・・私の傷が消えるこの間・・・踊るがよい・・・【黒い牙】・・・【四牙】・・・・さて、楽しみだ・・・フフフフフフフフフフフフフ・・・」

 

不気味な笑い声がいつまでも響いていた。



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間章~現在地不明(前編)~

オスティアへと進路をとり、旅路を急ぐハング達。

しかし、本日は思わぬ障害に出くわしてしまい、彼らは森と平原の境で野営せざるおえなくなってしまっていた。

 

「まさか、道を間違えるとはな」

「俺の責任じゃねぇっての。だいたい、俺だって言いたいことは五万とあるんだ。黙って働けバカ傭兵」

 

ぶつくさと文句を垂れつつも、ハングとレイヴァンの二人は薪拾いに精を出していた。

 

生きている木の枝を折ると木の精霊に祟られる。

薪にするのは落ちている枝にするというのは旅人の常識だ。

 

だが、今は青草の生い茂る季節。

手頃な枝の収集はなかなかに難儀する。

 

「おまえが注意してればこんなことにはならかったんじゃないのか?」

「それに関しては全員が同罪だ。上の命令に疑問持たなくなったら人間お終いだぞ」

 

ハングとレイヴァンは森の深いところに入らないように注意しながら、歩き回る。

 

「上に意見できる奴などそう居ない」

「この部隊にそれが当てはまるとでも?少なくとも俺には全員気兼ねなく話しかけてくんぞ」

「それもそうか」

「なんだよ、やけに素直だな。気持ち悪い」

 

酷い言い草だが、この程度で腹を立てていてはハングには付き合ってられない。

レイヴァンは後でハングの指の一本でも踏んづけてやろうと思いながら足元の枝を拾った。

 

「この程度の人数だ。全員の戦い方を熟知してないと軍師は務まらんだろ」

「・・・バカ傭兵に軍師を語られるとはな」

「やかましいぞ、クソ軍師」

 

ハングは枯葉の下から乾いた枝を掘り起こした。

 

「おい、バカ傭兵」

「なんだ、クソ軍師」

「お前・・・俺達が次に接触しようとしてる人物。わかってるよな?」

 

不意に風が吹いた。木の枝が揺れ、木の葉のこすれる音が森に鳴り渡る。

ハングは脇に抱えた枝の束の中に新たな枯れ枝を差し込み、レイヴァンに背を向けた。

 

レイヴァンから返事はない。

 

「お前がオスティア家に恨みを抱いてんのは知ってる」

 

ハングは木の根元からまた一本薪を拾う。

 

「今回の会談はオスティアの隅のさびれた砦で内々に行われる。暗殺には絶好の機会だ」

「・・・・だからなんだ?」

 

ハングは脇に抱えた枝を地面に置く。

 

「俺がな、復讐についてどうこう言える立場じゃないことぐらいわかってるさ。ただな・・・」

 

ハングはゆっくりとレイヴァンを振り返った。

レイヴァンは森の獣に襲われることを考え、いつもの大剣を背負っていた。

 

「相手がオスティアとなると、話は別だ」

「・・・・だから・・・なんだ?」

 

ハングは左腕を前にだし、右手で剣の柄を握る。

 

「本当のところ・・・聞かしてもらおうか」

 

レイヴァンが眉をひそめて、剣に手を伸ばす。

レイヴァンの抱えていた薪が重力に従って落ち、地面に散らばる。

 

「こっから先、お前はどうするつもりだ?」

「・・・・答える義務はない」

「かもな・・・」

「やけに素直だな。気持ち悪い」

「お前に皮肉が言えるとは驚きだ。首の上に載ってるのは帽子の置台じゃなかったわけだ」

 

お互いの間合いを図りつつ、二人はにらみ合う。

 

「クソ軍師、お前が俺に勝てるとでも?」

「さぁな。でも、俺の左腕がどんなもんかは知ってんだろ?容赦はしねぇぞバカ傭兵」

 

空気が張り詰め、そして・・・

 

「・・・やめとくか・・・」

「だな・・・」

 

ハングは剣から手を放した。

それは、レイヴァンも一緒だった。

 

「俺が勝てるわけねぇや」

「当たり前だ、俺はこれで食ってるんだから」

 

ハングとレイヴァンは自分の落とした薪を再び拾い集める。

 

「おい、クソ軍師」

「なんだ?」

 

同じく自分の足元の枝を拾っていたレイヴァンは声だけで呼びかける。

 

「今度のオスティアとの会談。俺は接触しない」

「・・・へぇ・・・どんな風の吹き回しだ?」

「・・・俺の勝手だろ。なんならお得意の洞察力で見破ったらどうだ?」

「あのな、俺は読心術なんざ使えないんだ。人の頭の中なんて読めるか」

 

顔をしかめるハングをレイヴァンは鼻で笑った。

ハングは後で足の指の一本でも踏んづけてやろうと思案する。

 

レイヴァンは話を続ける。

 

「俺はお前が気に食わん」

「それは、俺も一緒だ」

「だが、最近はそうでもない・・・」

 

それを聞き、ハングは少なからず驚いた。

ハングはレイヴァンの顔をまじまじと見てしまう。

レイヴァンはその視線を浴びても、何の変化もなく立ち上がった。

 

「クソ軍師・・・お前は恵まれてるな・・・」

「・・・んなもん、言われるまでもねぇよ・・・」

 

ハングはレイヴァンに見下ろされる。

それがなぜか、悪い気がしなかった。

 

「・・・俺も・・・恵まれているんだろうか?」

 

ハングは押し黙る。その答えをハングは提示してはいけない気がした。

 

レイヴァンが何を思ってそんなことを言い出したのか、ハングにはわからない。

だが、失ってきたものを数えることを止め、得たものを数え始められるようになるには人の助けは役に立たない。

それは自分で気づかなければならないものだ。

 

ハングは結局何も答えない。そんなハングにレイヴァンはほんのりと笑ったのだった。

ハングはレイヴァンが目の前で笑ったのをはじめて見ていた。

 

「俺は・・・」

 

レイヴァンは再び口を開いた。

 

「まだ、わからん・・・」

 

そして、少し離れた場所に歩いて行った。

 

「まだ・・・な・・・」

 

そして、枝を拾う。

 

「そうか・・・」

 

ハングはそれだけ言って、止めていた手をまた動かしだした。

しばし、静かな時間が流れる。

 

「よし、この辺でいいか。そろそろ戻るぞ」

「ああ・・・」

 

その時、野営地の方から声が聞こえてきた。

 

「お~い、ハング!ヴぁっくん!どこだ~」と、ウィルの声だ。

「ヴぁっくんさ~ん」と、レベッカの声だ。

「ヴぁっく~ん!!」と、ロウエンの声だ。

「って、ロウエン!?あいつにもそう呼ばれてんのか!バカ傭兵」

 

レイヴァンを見ると、そこには全てを受け入れた男の顔が待っていた。

 

「・・・もう、諦めた」

「あ・・・うん・・・まぁ、頑張れ・・・」

 

ハングはレイヴァンと会ってから初めて彼に同情したのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

疲れた顔のレイヴァンに何か声をかけることはできず、ハングはそのまま野営地へと戻ってきた。

 

「ハング殿。ここでしたか」

 

そこで真っ先に声をかけてきたのはマーカスだった。

後ろには先日からこの部隊に加わったイサドラがいた。

 

こうやって声をかけてもらうことが随分と久々に感じる。【竜の門】の出来事の後から本当に避けられていたんだと実感する。

 

「先程まで薪拾いに出てまして。何か問題でも?」

「ああ、いえ。姿が見えないので気になっていただけですよ」

 

マーカスの後ろに控えるイサドラは眉一つ動かさない。

ロウエンは言うに及ばず、ケントにも並ぶ騎士だとハングは感想を抱いた。

 

「それにしても・・・」

「ええ・・・それにしても・・・」

 

ハングとマーカスは同時に空を見上げた。

 

「ここ・・・どこですかね・・・」

 

ハングとマーカスは同時に溜息を吐いた。

さすがのイサドラも少し遅れて溜息を吐いた。

 

確かにここはオスティアとの国境付近であることは間違いないのだ。

それなのに、ここがどこだか皆目見当がつかない。

 

目印となる山もなく、近くに村もない。

自分達の進んできた道を地図をたどればこのまま北東に向かう道があるはずなのだが、残念ながらその道がない。

 

「イサドラさんもすみません、従軍そうそうこんなことになってしまって」

「いえ、ハング殿が謝罪なさることではありませんよ」

「それは・・・そうなんですが・・・」

 

実のところ大罪人は別にいる。

今頃その彼は天幕の中で懇々とお説教を食らっているところだろう。

 

「残念なのは、これが急ぎの旅だってことですよね。景色を楽しむわけにもいかない」

 

リンに出会う前は旅から旅への生活だったハングにとっては旅とはそういうものだった。風の向くまま気の向くまま。

 

「とにかく、朝一でこの森を抜けるしかありませんな。東に進んでいけばどうあがいても街道にぶつかるでしょうから」

「どちらにせよ、強行軍になりますね」

 

ハングは少し憂鬱だ。少人数であった昔ならいざしらず、ここまで大所帯になったこの軍を上手く動かして森を抜けるのは大変だ。

気が滅入るハングにイサドラが笑いかけた。

 

「ハング殿、我々もお手伝いいたしますので。そう気を落とさないでください」

「え?あれ?顔に出てました?」

 

イサドラに指摘を受けて、ハングは頭をかく。

 

「いえ、それほどではないですよ。ですが、なんだか疲れたような顔になりましたので」

「まぁ、否定はしませんが」

「しかし、ハング殿は随分と変わりましたね」

「そうですか?」

 

ハングはエルバートの部隊に従軍した時に彼女に出会ったことはある。

だが、その時はイサドラとはあまり話す機会が無かった。

 

ハングは自分がどう見えているのか怖さ半分、興味半分で尋ねた。

 

「それで、どう変わりました?」

「昔はもっと、こう・・・意地の悪い、皮肉屋な人でした」

「フハハハハハ」

 

イサドラのその台詞を聞いて笑い声をあげたのはマーカスだった。

マーカスの視線にハングは両手をあげて降参を示した。

 

「ええ、ええ。そうでしょうとも。私は性悪で皮肉屋で腹の中真っ黒ですよ」

「誰もそこまではゆうておりませんよ」

 

そして、マーカスはまた笑った。

ハングとしてはいささか面白くない。

 

確かに度々誤解を与える発言をしたり、わざと何も言わなかったりして勘違いさせるぐらいはやってきたが、そこまで言われるほどではないはずだ。

 

「だが、イサドラ。今のハング殿は印象が異なったのだろう?」

「はい」

 

確かにそうだ。ハングはそっちも気になった。

 

「まだまだ半人前・・・と、言ったところでしょうか」

「こりゃ手厳しい」

「軍師というのは他者に本質を悟らせないぐらいでちょうどよいのですから、性悪で皮肉屋になりきれてなければいけませんよ。それに、あの時のあなたは腹の中にいくつもの秘密を抱えて生きているように見えました。自然とそんな評価にもなります」

「・・・・・・・・」

「ですが、今のハング殿は本音を土の中に埋めていないように見えます」

 

イサドラの視線が真剣味を帯びてハングを射抜いていた。

 

ハングは素知らぬ顔をしながらも、喉の奥に何かが詰まったかのような息苦しさを感じていた。

自分の根幹が見抜かれる瞬間というのは何時でも何処でも緊張が走り抜ける。

 

しばしのにらみ合いの後、ハングは負けを認めたかのようにフェレ流の敬礼を返した。

 

「不詳、ハング。これからも精進することにします」

「がんばってください」

 

まったく、手ごわい人が軍に加わったもんだ。

しっかりしてないと、戦死扱いで厄介払いされてもおかしくない。

 

「それでは、この薪をかまどに届けないと今日の飯が遅くなりますんで。俺はこれにて」

「はい。それでは我々は周囲の警戒にあたります」

 

そうして、ハングは二人に別れを告げて野営地の中心へと向かった。

 



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間章~現在地不明(後編)~

いくつかの天幕を半円の円周上に並べ、その中心に大きな竈を置く。

それが典型的な野営地の組み方だ。

そも中央の竃にハングは薪をくべた。

そこには一足先に戻ってきていたロウエンとレベッカが大きい鍋の中にウサギの肉を放り込んでいるところだった。

鍋の中からはミルクの濃厚な香りがしている。本日はウサギと香草のシチューだった。

 

「ハングさん。ありがとうございます。薪はそれぐらいでいいですよ」

「そうか、そんじゃ。飯は任せたぞ」

「はい」

「レベッカさん、そっちの塩をとってくれますか?」

「はい、ロウエン様」

 

相変わらず、仲のよろしいようで。

 

馬に蹴られるのは嫌なので、ハングは何も言わずにその場から退散した。

そしてハングは竈からの火の明かりでカードに興じている集団に向かった。

 

「おら!こんどこそ!!ストレートだ!」

「フラッシュです」

「あ、私もフラッシュです。数字は・・・ごめんなさい、私の勝ちみたいです」

「づわわあああああ!!」

 

そこでは、見事にダーツが撃沈していた。

 

「よう、兄弟。景気はどうだ?」

「兄弟!!なんなんだこの御嬢さん方は!!引きがありえねぇ!!」

 

ダーツの指差す先にいたのはニニアンとプリシラの二人だった。

 

「え、えと・・・」

「私達・・・なにか・・・」

「こら、兄弟。二人がびびってんだろ。喚くな」

「くぅ・・・」

 

その隣ではルセアが丸太に腰かけて微笑んでいた。

それを見てケラケラ笑っているたのはセインとセーラだった。

 

「へっへ!ダーツ、だからやめとけって言っただろ?」

「二人が意味ありげにカードを持ってたら危険信号よ。それぐらい読みなさい」

 

そう言ったのは一年前にニニアンに煮え湯を飲まされたセインとセーラだ。

 

「セイン、お前が偉そうにすんな。それよか、お前はそろそろ見回りの交代の時刻だろう」

「おうそうでした!では、ハング殿、この席はお譲りいたします」

「はいはい」

 

去っていくセインの背中が妙にウキウキなのは、見回りをイサドラと共にできるからだろう。

 

「わかりやすいわね。セインって」

「個性なのか、成長していないのか」

 

もちろん、それはセーラにも同じことが言えることのだが、ハングは決して口にはしない。

 

「プリシラさんはカードの経験は?」

「・・・今日、ニニアンさんに教えてもらいました・・・これ、楽しいですね。なかなか勝てませんけど」

 

初見のプリシラと二回目のニニアン。どうやら、プリシラは引きはかなり良いのだが、ニニアンにはなかなか勝てないらしい。

 

そして、ダーツはそんな二人にぼろ負けしてる。

ハングは笑ってセインが座っていた席に腰かけた。

 

「ダーツ、言っとくがここはお前が楽しんだ飲んだくれ共の賭場じゃねぇ。天運と心理戦を勝ち抜ける猛者共のたまり場だ。生半可に手を出すと火傷じゃすまねぇぜ」

「そ、そんな・・・大げさな・・・」

「いいや、ニニアン。お前の引きの強さは女神の域にあること自覚しとけ」

 

下手をすればハングですら太刀打ちできない。

ハングは一枚目のカードを引いた。

 

「そんじゃ、ニニアン、プリシラ。お手柔らかに」

「は、はい」

「こちらこそ」

 

今回のカードは最初の一枚の手札だけを公開し、その後引く五枚の合計六枚で役を作るルールだ。

 

「あ、ハング。またカード?」

 

ハングは頭の上から降ってきた声に反応して首をあげた。

そこには逆さまの世界に二人の女性が立っていた。

 

「おう、リン・・・と、フィオーラさんか。見回りご苦労さん」

「あら?セインは?交代を知らせようと思ったのだけれど」

「あいつなら、さっき追い払った。イサドラさんと一緒だからやけに上機嫌でな」

 

ハングはそう言いながら首を戻して二枚目を手札に加えた。

その時、後方からわずかに何かを強く握る音が聞こえてきた。

振り返ると、そこにはフィオーラがいた。

 

「なにか?」

「い、いや」

 

ハングは首をかしげた。隣のリンも同じように首をかしげていた。

彼女も同じ音を聞いたのだろうか?

 

「それでは、私はこれで。リンディス様、お腰のものをお預かりしておきます」

「え、ええ・・・」

「それではハング殿。失礼します」

 

なぜかフィオーラは見回りが終わったばかりだというのに、緊張した傭兵の顔のままであった。ハングはリンと目を合わせた。彼女もやはり困惑気味だった。

普段は切り替えをしっかりとしているフィオーラがなんであんな顔をしているのか二人にはわからなかった。

 

「ハング、あんたの番よ」

「お、おう」

 

とりあえずハングは三枚目を引いた。加えた札を並べてみる。

公開されているカードはハートのA。

 

悪くない。悪くない札ではあるが勝てないだろうと、この時点で確信がいった。

ハングは後ろから札を覗き込んできたリンに話を振った。

 

「そんで、なんか変わったことはあったか?」

「いいえ。綺麗なものよ、山賊の類も全然いなかった」

 

リンは少し離れ、そのままルセアの隣に腰かけた。

 

「そいつは難儀だな。道を聞くこともできない」

「リスならいたんだけど」

「誰が話をするんだよ」

 

ふと、ハングが周囲を見渡すとカードを引いたプリシラの顔が高揚していた。

彼女は一枚引くごとに掛け金を上乗せしてきている。この時点で降りるのも選択のうちの気がする。とはいえ、賭けているのはチップ代わりの小石だが。

 

「ハング、今晩の稽古なんだけど」

「ああ・・・」

「勉強の方にエリウッドとヘクトルが参加したいんだって。構わないわよね」

「いいんじゃねぇのか」

 

ハングは四枚目を手に取る。その時点でハングは笑った。

 

こりゃいかんな・・・

 

ハングはその視線だけで周囲に自分の手札が悪いことを伝えた。

 

「・・・・」

「・・・・」

 

そうするだけで、頭の良い奴は疑心暗鬼に放り込まれる。プリシラとセーラがいい例だった。ダーツはあまり値を張ってこないので弱い札とほぼ断定。

 

だが、問題は彼女だった。

 

ハングはこの一連にも動じないニニアンの方を向いた。

彼女と目があったが、ニニアンは首をかしげるだけ。

 

ニニアンにはこの手の仕掛けが通用しない。彼女は駆け引きに鈍感なのだ。

それで勝手に潰れてくれれば楽なのだが彼女の引きの強さは本物。

 

ハングが勝てるかどうかは半々だった。

 

「・・・・札はどう?」

 

その時、いつの間にかまたリンが札を覗き込んでいた。彼女にそれを見せる。

リンもそこは心得ているようで、表情を崩すことはしなかった。

リンは立ち上がり、今度はニニアンの札をこっそりと覗いた。

 

そして、戻ってルセアに耳打ち。

ルセアも表情を崩さない。その辺りは皆心得ていた。

 

そして、ハングはこの時点でほぼ腹を決めた。

五枚目、六枚目を引き、それは確信に変わる。

 

「降りる」

 

ハングは真っ先に札を伏せて、その場から退散した。

 

「へぇ、本当にひどい札だったんだ。それじゃあ、私は乗るわよ」

「私も・・・」

「俺もだ」

 

残った面々がさらに掛け金を上乗せする。

ハングは移動してリンの隣に腰かけ、大きく溜息を吐いた。

 

「乗らなかったのですね」

 

ルセアがリンを挟んでそう言った。

 

「乗るか。あんな勝負」

 

ハングはそう言って苛立たしげに首を鳴らした。

 

「乗らなくて正解ですよ」

「だろうな。俺の札じゃ太刀打ちできない」

 

ハングの物言いに違和感を覚えたのはリンだ。

 

「ハング、もしかしてニニアンの役がわかってる?」

「ああ、多分・・・これじゃねぇのか?」

 

そう言って、ハングはリンに耳打ちする。

 

「!!・・・く、くすぐったいわよ!」

「お、悪い」

 

そんな二人を見てルセアは微笑んでいた。

 

「で、当たってたか?」

「ええ、ばっちり。相変わらずの洞察力ね」

「今回は、はなっから負け戦のような気がしてたんだよ」

 

そう言っている間に掛け金が決まり、皆が札を公開していた。

 

「そんじゃ、俺から・・・スリーカードだ」

「ふふん残念、フルハウスよ」

「な!!まじか」

 

セーラとダーツ。この二人はいい。次はプリシラの番だ。

 

「私は・・・フォーカードです」

「うそ!!」

「ははは!お前も負けじゃねぇかうがあぁぁ!!」

 

セーラの杖がダーツの頭を直撃した。だが、ダーツは腐っても海賊、すぐにもとの位置に戻ってきた。

 

「そんで、蒼い御嬢さんは?」

 

ダーツがニニアンに振る。

 

「え、えと・・・これ、何と・・・いうんでしたっけ?」

「ん?見せてごらん」

 

席の近いセーラがその札を覗き込む。そして、硬直した。

 

「・・・・うそ・・・」

「セーラさん?あの、この役は・・・」

 

ハングはセーラの代わりにその札の役を言ってやった。

 

「ニニアン」

「はい」

「そいつはな『ロイヤルストレートフラッシュ』っていう役だよ」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

夕食を終え、ギィとバアトルの勝負というイベントが広場で行われ、リンとようやく稽古の段になった。ハングは自分の天幕から出てきて、腰をならした。

 

野営地の中は夜の心地よい静寂が満ちていた。今日は空気が澄んでいるのかやけに月が明るい。

 

「遅いわよ」

「こっちも仕事でな」

 

その中に一人佇んでいたリン。月に照らされた彼女の髪が光る。

 

「そんじゃ、行くぞ!」

「ええ」

 

ハングは姿勢を落として、リンの懐に駆け込んだ。

そこから抜刀術の要領で鞘をつけたままの剣を振る。

 

「甘い!」

「知ってるよ」

 

何度太刀を合わせてきたと思ってる。ハングは受け止められた剣を更に押し返す。

 

だが、その瞬間を狙われた。

 

リンの体が横に揺れ、こちらの体が流れた。

その時にはハングと鍔迫り合いを演じていた剣が消え、身体の複数個所に痛みが走っていた。

 

「いって!くそっ・・・」

「どうして剣となるとハングは読みあいが下手になるのかしら」

「余計な・・・世話だ!!」

 

ハングは気を取り直して更に斬撃を加える。

 

「ふっ!」

「ぬぉ!!」

 

いい加減、自分の剣の才能の無さに嫌気がさしてきている今日この頃である。

ハングは更に頭に二回、足に三回、背に一回、腹に八回の攻撃を受けた。

 

「はぁぁっ!!」

「うがぁ!!」

 

頭に一発追加だ。

 

「ハング、弱くなった?」

「お前が強くなってんだよ!!」

 

視界にチラつく星を追い払い、ハングは怒鳴った。

 

これ以上弱くなってたまるか。それこそ、男の矜恃が本当に底を付くぞ。

 

「・・・嬉しいこと言ってくれるわね」

「だったら、もう少し優しく微笑んでみやがれ」

 

どこからどう見ても、腕試しをしたくてたまらない笑みだ。

 

今度はリンが仕掛けた。ハングは剣での対応ができず、左腕で防御した。鞘と鱗がぶつかり合う。そこから更にリンの追撃だ。

 

下段から切り上げ、返す刀で肩口を狙われる。

ハングがたまらず後方に避ければ、その空間を一気に埋められて肉迫された。

 

腹に一撃。あまりに強烈な衝撃に体が前に傾く。

その隙をリンが逃すわけもなく、後頭部から見事に打ち据えられた。

 

「がっ!!」

 

ハングの意識はそこで途絶えることとなった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

「お~い、起きろ!!」

 

ハングは冷水の感覚で目が覚めた。

 

「え?あれ?ん?」

 

後頭部付近への衝撃で記憶が混乱しつつある。

 

「起きてっか?記憶はあるか?」

「えーと、俺は旅の軍師でハングって名前だ。で、目の前にいるのは『この辺は俺の庭だ』とか言い張って強引に道を決めた挙句、わけのわからない場所に連れ込んだ元凶で、さっきまでオズインさんの説教を長々と受けていたオスティア侯の弟がいる」

「・・・記憶は確からしいな」

 

苦虫を噛み潰したような顔をするヘクトル。

ハングが体を起こすと、先程リンと打ち合いをしていた場所だった。

 

星を見て時間を確かめると、あまり時間は過ぎてはいないようだった。

 

「で、目が覚めてからむっさい男しかいないってのはどうよ?」

「リンディスなら今しがた水を取りに行ったぞ。ノドが渇いたんだと」

 

酷い話だ。というか、酷い奴だ。

 

「ハング、目が覚めた?」

 

ハングが打ち据えられた箇所を確かめる前にエリウッドとリンが姿を見せた。

エリウッドが火種を持参しているところを見ると、このまま勉強会に参加するらしい。

 

そういえば、食事の前にそんな話をしていた。

 

「それじゃ、始めるか」

 

ハングはヘクトルが担いできた丸太に腰掛けて、本日の授業を始めた。

 

「今日は三人だからな・・・少し問題を出そう」

 

ハングは手近な枝で、地面に絵を描いた。

中心に街、東に海、北に山、南に森、西に平原。

 

「さて、敵の国のど真ん中に部隊が取り残された。山からは竜騎士が、森からは歩兵隊が、平原からは騎馬部隊が近づいている。しかも、海からは火事場泥棒を狙って海賊まで動き出している。さて、どうすればいい?」

 

三方向を敵に囲まれ、一方向からは賊がやってくる状況。

 

それが今回の課題だった。

 

「ハング、これって・・・」

「昔、リンにも出題したことがあったな。覚えてても答えは言うなよ」

 

ハングが視線を送ったのはエリウッドとヘクトルだ。

 

「味方の戦力と敵の戦力は?」

 

質問があったのはエリウッドの方だ。

 

「敵の戦力は多過ぎてわからん。味方の戦力はそれに太刀打ちできない程度だ」

 

場所は敵陣。情報は限られているのが常だ。

 

「そんなの、簡単じゃねぇか」

「ほぅ、ヘクトルからその台詞が出るか」

 

やけに自信満々なヘクトル。

 

「そんで、どうするのが一番だ?」

「賊はどうせ訓練なんか受けてねぇんだろ?だったらそっちをぶっ倒して逃げる!」

「五点だ馬鹿野郎」

 

ある意味、期待を裏切らない答えだった。ちなみに十点満点での評価である。

 

「ヘクトル、例え賊を打ち破ったとしてもそっちは海なんだ。自分から袋小路に突っ込むようなもんだよ」

「エリウッドは理解が早くて助かるよ」

 

水場を背負うのは最終手段。普段なら避けるべき事態だ。

 

「じゃ、じゃあよ。賊を倒した後で一つずつ潰していけばいいんじゃねぇのか?賊を潰して、森の歩兵を狙えば・・・騎馬と竜騎士は森の茂みで攪乱して・・・」

「三点だ。要するに敵部隊を全滅させるってことだろう。確かに盤の上ならそれもありだ。だが、人間はチェスの駒と違って疲労すんるだ。被害は増えるだろうし、全滅もありうる」

 

ハングはそう説明して、リンの方を見た。

やけに気まずそうに目を逸らしたのは昔ヘクトルと全く同じ答えを導いたからだった。

 

「さて、エリウッドはどうする?」

「・・・そうだな」

 

エリウッドは顎に手をあてて少し考えた後、一つの答えを出した。

 

「敵部隊に賊の襲来を伝えて、一時の休戦とするなどの交渉を行うというのはどうだろう?」

 

ハングは納得したように頷いた。

 

「さすがはエリウッドだ。できるだけ戦わずに済ます姿勢は悪くない」

 

そして、ハングは満面の笑みでこう言った。

 

「0点だ、エリウッド」

 

その時のエリウッドの表情は見ものだった。

 

「まず第一に敵の司令がどこにいるかが全くわからない。奴らの部隊が単独で動いているのか、それとも連携してるのか、協力する気があるのか、お互いを出し抜こうとしてるのかもわからない。更に悪いことに向こうの戦力が圧倒的である以上、向こうに交渉の机の前に座る利点が何一つ無い」

 

交渉にも武器がいる。それは剣や槍などではない。

相手に何か利点を提示できるだけの何か。それこそが武器である。

 

「今、この部隊にはそれが無い。交渉の場を設けるのは今この場で武装解除するのと同じことだ」

 

ハングの厳しい意見にエリウッドは神妙な顔で頷いた。

自分の間違いを素直に受け入れられる人間は伸びる。

ハングはその姿勢に満足して、もう一度皆に意見を出すように促した。

 

「騎馬を奪って逃げるってのは?」

「竜騎士がいる。そう簡単にはいかないよ」

「んじゃあドラゴンを奪えば・・・」

「あれは気難しい生き物だ。簡単には乗れないぞ」

「船を・・・」

「誰が操縦できる?」

「街で雇うのはどうかい?」

「街の人にそんな余裕があると思うか?その街はすぐに戦場に変わるんだぞ」

 

沢山の意見は出るには出るが、答えにはなかなか近づけない。

リンには出せなかった方法もいくらか出たが、どれも状況を打開できるものではなかった。

 

「クッソ~・・・・」

「わからないな、どうしたらいいんだ?」

 

そろそろ意見も出尽くしたのだろう。

潮時だと判断したハングは顎でリンに『言ってやれ』と合図した。

 

「え、私?」

「覚えてるんだろ?」

「覚えてるには覚えてるけど・・・」

 

リンは地面に描かれた図を見て、微妙な表情を浮かべた。

 

「・・・これは正解というわけではなくて、この場を逃げ出す方法の一つという意味なんだけど・・・」

 

リンは一つため息をついて、解説を始める。

 

「相手はどんなに攻め込むつもりでも所詮敵の国の軍隊。街が襲われてれば、多少なりとも対応せざるおえない」

 

リンの口調はハングに似ていた。自分の言葉で答えを言いたくないんだろう。

 

「だから、賊を街に引き込んで混乱を起こす。交渉すべき相手は軍じゃない、賊よ」

 

賊に街を襲わせる。その答えに、エリウッドとヘクトルは一斉にハングを見た。

 

「ちょっと待て、それって街の人はどうなる?」

「そりゃ被害が出るだろうな。むしろ、混乱を起こしたいんだから被害が出てもらわなきゃ困る」

 

ハングは事もなさげに言ってのけた。

 

「で、こっちはその隙に森にでも逃げ込めば逃走完了。殆ど戦わずに済むって寸法だ」

 

笑顔を崩さずに言ったハング。目の前の三人は渋い顔をせざるおえない。

 

確かに、この戦略は正しい。正しいが納得できない。

 

そんなところだろう。

 

「何の罪もない人達を巻き込むのは・・・どうかと思う」

 

エリウッドがそう言った。ハングはそれに笑ったまま答える。

 

「それで、仲間を死なせていいとでも言う気じゃないよな?博愛主義もほどほどにしとけよ」

「でも!」

「エリウッド」

 

ハングの声の調子が数段下がった。その低い声に場の空気が冷える。

実際、彼らは肌が粟立つような感覚を覚えていた。

 

「どうして、俺がこの問いを出したかわかるか?」

「・・・・・・」

「敵の国のど真ん中に取り残される。その状況はあまりに不利だ。それを打開するにはそれ相応の犠牲がいる。部隊を犠牲に市民を救う。聞こえは良いが、笑えない方法だと言わざるおえないよ」

 

ハングは低い声音で続ける。喋り口調そのものは変わらないのに、その話し方の印象は普段とは明らかに違っていた。だが、説教をしている時とも違う。冷たく乾いている声だ。エリウッド達はそう思った。

 

「お前は部隊の命を背負ってる。彼らを家族へと生きたまま帰宅させる責任がある。それを踏まえたうえで、言ってやる。生きるにはな、戦うにはな、犠牲がいるんだよ」

 

それが事実だ。それが現実だ。それは痛いほどにわかっている。

わかっているが、やはり納得はできない

 

「それでも・・・僕は・・・嫌だ・・・」

「嫌だろうよ」

 

ハングは冷たく突き放した。ヘクトルは何も言わないが、やはり気持ちは一緒だろう。

その二人を見て、ハングはようやく表情を緩めた。

 

「嫌なんだろ?だから、俺がいるんだよ」

「え?」

 

ハングは足で地面に残った図を消した。

 

「嫌なことなら、俺にやらせればいい」

 

そして、新しい図を描き始める。

 

「お前らが勘違いしてるのはそこだ。全てを自分の責任で考えようとする」

 

ハングは今度はもう少し救いのある戦場を描いた。

 

「押し付けていいんだよ。泥を被るのは、軍師か密偵ぐらいがちょうどいい」

 

人の上に立つというのはそういうことだ。

ハングが顔をあげると、やはり納得いかないといった面々が待っていた。

本当に貴族らしくない人達だ。

 

「お前らはいずれ国を背負う。もし、こんなことをしたくないって言うならな・・・」

 

ハングは弾けたように笑った。

 

「俺に、見せてくれ。お前らの答えをな」

 

風が吹く、虫が鳴く、そしてエリウッドとヘクトルが胸に詰まっていた空気を吐き出すように大きく深呼吸した。

 

「・・・そうだな、確かに今はこの問題に別の答えが出せない。でも、必ずもっと良い答えを出して見せる」

「いつか、お前に『その答えじゃ三点だ』って言ってやるからな」

「おう、楽しみにしてるぞ。お二人さん」

 

ハングは朗らかに笑い、次の問題を出題したのだった。

 



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22章~二つの絆(前編)~

春・夏・秋・冬

 

巡り巡る一年。だが、その土地に四季は存在しなかった。

ベルンの山の頂に残る一面の雪。

遥か昔、一匹の氷竜が羽を休めた時に雪を全て踏み固めてしまったとの伝説が残るその土地。万年雪の大地に建てられた石の砦。

 

それは【黒い牙】の本拠地の一つだった。

 

今、その砦の一室に四人の人間が集められていた。

 

一人は部屋の隅で影に同化しているように佇み、もう一人は壁に寄りかかり、窓の外の雪を見ていた。そして、残り二人は部屋の中にある椅子に腰かけ、杯を重ねて時間をつぶしていた。

 

そんな部屋の扉が開く。

 

四人の視線が一旦そこに集まった。

 

入ってきたのは、筋骨隆々の大男。全身に走る傷は今までくぐってきた修羅場の数と同義であった。城壁を破るための巨大な破城鎚すら受け止めたとの話まである男。

 

【黒い牙】の首領。

 

ブレンダン・リーダスその人だった。

 

だが、四人の視線はその男から更に後ろへと向けられた。

 

黒い髪、妖艶な体、扇情的な仕草、高圧的な瞳。彼女がソーニャだ。

 

「ジャファル」

 

そのソーニャが部屋の隅にいた男に声をかけた。ジャファルは微動だにしない。まるで、彫像のようだ。

 

「ウルスラ」

 

ウルスラと呼ばれたのは壁際の青藍色の短い髪の女性。藍染めの魔道士の服を着た冷静と冷酷の間にいるような美しい女性だった。

 

「ロイド」

 

ロイドは酒を飲んでいた男の一人だった。精悍な顔つきをした優男風の男。

殺伐とした【黒い牙】に似つかわしくもない男だったが、彼も立派な暗殺者だった。

 

「ライナス」

 

ロイドと酒を交わしていた男が眉をしかめる。彼がロイドの弟のライナスである。ブレンダン程ではないものの、盛り上がった筋肉が服の上からもわかる。彼

 

「全員そろったようね?おまえたち【四牙】を集めたのは、他でもないわ・・・始末してほしい標的がいるのよ」

 

『標的』

 

その言葉で、全員の目の色が変わった。

 

ソーニャは続ける。

 

「名は、フェレ侯公子エリウッド」

 

ジャファルがそれだけ聞ければ十分だと言いたげに目をソーニャからそらした。

 

「・・・フェレと言うとリキアの領地の1つですね?」

 

質問したのはウルスラだった。

 

「そう。でもただの田舎貴族だと見くびらないことね。奴には仲間がいるわ。同じリキアの公子どもが。一人一人の力は、お前たちに遠く及ばないにしても・・・油断は死を招くわ」

「・・・心しておきます」

 

ウルスラは最低限の礼を欠かさない程度に頭を下げた。ウルスラもソーニャも魔道を進むもの。ウルスラはソーニャと自分の実力差は知っていた。

 

ソーニャは椅子に腰かけたままの兄弟にも話を振った。

 

「ロイド、ライナス。あなたたちリーダス兄弟にも動いてもらうわ。いいわね?」

 

ロイドは持ったままになっていた杯を置き、ソーニャを睨みつけた。

 

「ひとつ聞きたい。これは親父の・・・【黒い牙】首領の命令なのか?」

 

暗殺者が放つ混じり気の無い殺気。それをソーニャは笑って受け流した。

 

「ふふ、当然じゃないの。ねえあなた、そうですわよね?」

 

ソーニャはブレンダンに体を押し付けるようにして、寄りかかった。

ブレンダンは眉一つ動かさなかったが、ロイドとライナスは眉間に皺を刻む。その二人から目を逸らし、ブレンダンは曖昧に頷いた。

 

「む・・・ああ・・・そうだ」

「ほら、わかったでしょう?エリウッドを始末するのは【黒い牙】の首領ブレンダン・リーダスの意志・・・おまえたちも一員ならその忠誠を示しなさいな。それとも・・・相手が怖くて動きたくないの?ロイド」

 

これには吠える者がいた。

 

「ソーニャ!てめー兄貴に向かって・・・!」

 

ライナスがいきり立つ。だが、それはロイドが無言で止める。

 

「・・・わかったよ」

 

ロイドはソーニャを睨みつけた。

 

「ソーニャ、あんたに言われるまでもない。親父の下で、【牙】の掟を果たしてきたのは俺たちだ」

 

ロイドもまた、父親であるブレンダン程ではないにしろ、いくつもの夜を越えてきた。

彼の持つ覚悟も生易しいものではない。

 

「そいつが悪人なら、ためらう理由はない。【牙】は何者も逃さない。俺たちリーダス兄弟が【牙】の裁きを下す」

 

ロイドはそれだけを言い放ち、ソーニャから視線を背けた。

ソーニャはそれをつまらなさそうに兄弟を眺めた後、残る二人にも声をかけた。

 

「ウルスラ、ジャファル。おまえたちもわかったわね?標的を見つけたら、最優先で始末するのよ」

「ソーニャ様のご命令であらばなんなりと」

「・・・命令は受けた。それを果たす」

 

ウルスラとジャファルの返事にソーニャは満足そうに頷いた。

そして、ソーニャは一度部屋を見渡し、改めて今回の目標を宣言した。

 

「標的の名はフェレ侯公子エリウッド!必ず仕留めるのよ、【黒い牙】の名にかけてね!」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

春・秋・夏・冬

 

 

巡り巡る一年。四季折々の花に囲まれてその砦は存在していた。

 

この場所で戦いがあったこともあったが、それは遥か昔のこと。ここに国境がまだ在していた時代の遺物である。同盟領地が減り、境界線が変わり、今となってはその存在意義をなくしてしまった古城。

 

普段は多少の兵を置いている山間警備の拠点ではあるが、平和を享受し続けたおかげで今となっては知る人ぞ知る憩いの場である。

 

そんな城に失われたはずの緊張感が漂っていた。

 

「・・・兄上から連絡がきた。すでに、こっちへ向かってるから俺たちは待ってるようにだとさ」

 

城の一室でヘクトルはそう言った。

森を抜け、吊橋を渡り、道とは呼べぬ道を越えて彼らはようやくこの城に辿り着いた。

ここで丸一日の休憩を取り、オスティア侯爵ウーゼルの伝令が飛び込んできたのが今しがたであった。

 

「ウーゼル様が、直々に来られるのか?」

 

机の上の地図と睨めっこをしていたエリウッドとリンが顔をあげる。

ハングが出した問題に苦戦する二人を面白そうに眺めていたハングも視線をそちらに送った。

 

「前にも言ったが。今、オスティア城と城下町あたりには各国の密偵がうようよいる。ゆっくり話すならこの砦の方がいいって判断だろ」

 

そう言ったヘクトルにエリウッドが質問した。

 

「・・・侯爵ご自身が動かれる方が目立つのではないか?」

 

その問いをヘクトルは一笑に付す。

 

「供を2名ほど連れての隠密行動は、兄上の得意技だ。心配いらねーよ」

 

堂々と言い切ったヘクトルに皆は苦笑いだった。

 

「さすがは、ヘクトルの兄さんね。行動が型破りだわ」

「・・・なんか文句あんのか?」

「いいえ、別に。お会いするのが楽しみだなって思っただけよ。ね、ハング」

 

振られた話題にハングは肩をすくめた。

 

「俺は会わないぞ」

「え?どうして?」

「あのな、忘れてるかもしれないけどお前ら三人は名家の生まれで、俺はただの旅人。非公式とは言え、そう簡単に領主と謁見なんざできない」

 

呆れたようにハングはそう言った。

だが、リンは納得がいかない。

 

「そんな・・・だって私たちとは普通に話してるじゃない」

「お前らは別だ。初対面でいきなり敬語を使われるいわれが無いと言われたんだぞ」

「まぁまぁ」

 

ほっとけばいつまでも続く論争の間にエリウッドとヘクトルが入る。

これが、旅の間ならよい暇つぶしなのだが今はそういうわけにもいかない。

 

「リンディス、ハングにはハングの考えがあるんだよ。確かにウーゼル様は僕達とは身分も名声も違いすぎる。さすがにハングも看過できないんだよ」

「こいつなりの敬意の表しかたってことだ。それぐらい飲んでやれ」

「・・・・んぅぅ」

 

エリウッドとヘクトルに言われてリンが曖昧に返事をする。

肯定とも否定ともとれない返事だ。やはり、どうも納得がいかないらしい。

貴族社会というのが肌に合わない彼女にはある程度は仕方ないのだろう。

 

「と、いうか二人共」

 

あとはリンの本人の問題だと投げ捨てて、ハングは仲介してくれた二人に声をかけた

 

「なんでいつもこんな感じで俺を助けてくれないんだよ」

 

普段からこうしていてある程度仲裁してくれればハングの仕事は減る。

 

「・・・そりゃぁ・・・なぁ?エリウッド」

「ねぇ、ヘクトル」

「あぁ、もういい。それ以上何も言うな」

「・・・夫婦喧嘩は犬も喰わないってな」

「痴話喧嘩は見ていて楽しいし」

「何も言うなと言っただろうが!!」

 

からかわれることに耐性がつきつつあっても、苦手なものは苦手である。

 

「クッソ!いつか絶対に復讐してやる」

「はっはっはっ、俺は当分はねぇだろうから、無駄な意気込みだぜ」

 

ヘクトルがそう豪語した。それを怪訝な目で見つめる視線が一つ。

 

「な、なんだよ、リンディス。なんか文句あんのか?」

「・・・・いいえ、別に」

 

あまりにも、冷たい一言。次の瞬間に剣が抜かれてもおかしく無いほどの殺気がリンの周囲に渦巻いていた。その時、一人の少女が部屋に飛び込んできた。

 

「リンディス様、あ、あの、ケントさんとウィルさんが・・・」

 

フロリーナが入ってきた途端にリンの殺気がかき消える。

 

「ええ、わかったわ。いきましょ」

「・・・・・」

 

フロリーナから返事が無い。

 

「フロリーナ?」

「あ、あの・・・」

「どうしたの?」

「あ・・・あ・・・」

 

フロリーナはぐずぐずと部屋の入り口にいる。彼女は何かを言おうと口を開いて、閉じるを繰り返していた。

そんな彼女にヘクトルが声をかけた。

 

「おい、どうしたんだ?大丈夫なのか?」

 

ハングはやれやれと首を横に振る。エリウッドも似たように肩をすくめていた。

 

「きゃっ!す、すみませんでした!!」

「あ、フロリーナ。待って!」

 

リンは飛び出していったフロリーナを追って駆け出していった。

もちろん、出て行く時にヘクトルに一睨みを飛ばすことを忘れてはいない。

 

「なんだったんだ?あいつ?」

 

それでもヘクトルはこれである。

ハングは『つまらん』とでも言いたげに背筋を伸ばした。

そんなハングにエリウッドが耳打ちする。

 

「ハング」

「なんだよ」

「僕らであの二人を何とかできないかな?」

 

何を言ってんだこの野郎は。そういうのは本人の問題だろう。

 

ハングはそう言いかけたのを喉元で止めた。好奇心が勝ったのだ。

 

「悪くない話だけどなぁ・・・」

「だって、このままじゃくっつくものもくっつかないじゃないか」

「確かにな・・・」

 

フロリーナとヘクトルがお似合いかどうかはこの際放っておく。

極めて好意的な見方をすれば、可憐な野花とそれを愛でる勇者の図にも見えなくもない。

 

「それに、友人としてはヘクトルにはああいう女性が似合うと思うんだ」

「それも、ごもっとも」

 

城の中に閉じこもりっぱなしの姫様がヘクトルに合うとは思えない。

もっと言ってしまえば、戦場であれぐらい頼りない女性に共をさせればヘクトルも下手には暴走しないだろう。

 

「でもよ。本人の意思はどうなんだ?ヘクトルがフロリーナに気があるなんて話聞いたことないぞ」

 

もっともな意見をハングは言ったつもりだった。それなのに、エリウッドは意外そうな顔を見せていた。

 

「あれ、俺変なこと言ったか?」

「ハング、ヘクトルを見ててわからないかい?」

 

そんなことを言われ、言葉の意味を考えるのにハングの思考が一瞬止まった。

 

「はぁっ!?」

 

そして、解答に辿り着いた。

 

「それって・・・えぇ!!」

「なんだよ、さっきから二人でこそこそとしやがって」

「ヘクトル・・・」

 

ハングは悪友の顔をまじまじと見つめた。

 

「な、なんだお前まで」

「ヘクトル、ごめん。俺はお前を見誤っていた」

「はぁ?なんの話だ?」

「まさか、お前がそこまで奥手な人間だとは思わなかった」

「何の話をしてやがる!!」

 

 

ヘクトルのフロリーナに対する態度が好意の現れだとするならば、なんとわかりにくい。エリウッドが心配になるのも大いに頷ける。

 

「ヘクトル、俺らにまかせとけ・・・お前の幸せは俺達が守る」

「ハング、お前エリウッドに何吹き込まれたんだ・・・」

 

ヘクトルが親友を見ると、エリウッドはなんでもない様子を保ちながらも体を震わせて笑っていた。

 

「ハング、目を覚ませ!!お前はこいつの手のひらで踊ってるだけだぞ」

「ああ、そうだ。時には踊るのも悪くない」

「理解した上だったのか・・・」

 

つまり、からかわれたのはヘクトル一人であった。

 

「はぁ・・・もういい」

「ヘクトル、諦めるなよ。おもしろ・・・じゃなくて、相談のしがいがないだろ」

「お前・・・わざとか?」

「当然」

「てめぇ!!今日という今日は勘弁ならねぇ!!目に物見せてやらぁぁぁ!」

「まぁまぁ、ヘクトル。ハングも冗談が過ぎただけで・・・」

「エリウッド!!てめぇも同罪なんだよぉぉぉ!!」

 

ハングとエリウッドは大笑いしながら、ヘクトルを抑えにかかったのだった。

 

「それで、エリウッドはどうなんだよ?」

「え?なにがだい?」

 

ハングは気絶させてしまったヘクトルの上で胡坐をかいていた足を崩し、片膝をたてて座った。

 

「どうって・・・思い人とかいるのかって話」

「あ、それか。僕は今はいないよ」

 

完全に断言した。

 

「いないって本当にか?」

「ここで嘘をついても仕方ないよ」

「そりゃそうなんだが・・・」

 

となると・・・

 

「不憫だな・・・」

「ん?誰がだい?」

 

そう尋ねたエリウッドは本当にわかっていないようだった。とぼけてる様子もない。

 

だが、本当にわかってないのだろうか?

 

「もしかして、僕に好意を持ってる人がいるのかい?」

「ほんっっとうに・・・気づいてないのか?」

「・・・・?」

 

ハングは肩の力を抜いた。

 

「いや、いいや。俺が口出すことじゃない」

「そうなのかい?」

 

なんとなく、手を貸す必要があるのはヘクトルじゃなくてエリウッドのような気がしてきたハングであった。

 

 

 



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22章~二つの絆(中編)~

エリウッド達が年頃の会話を終えた頃。

砦の一室では皆が休んでいた。

 

「ニルス、大丈夫?とても・・・辛そう」

「だいじょうぶ、ちょっと疲れてるだけだよ」

 

部屋の隅にいるニルスとニニアン。そのニルスの顔色は悪い。

 

「ちょっと、大丈夫なの?」

 

そんなニルスに声をかけたのは意外なことにセーラだった。彼女はニルスの額に手をあてた。

 

「うーん、熱は無いみたいね。どこか、痛いとことかない?」

「うん、平気だよ」

「すみません、セーラさん。お気を使わせてしまって」

「いいのよ、これぐらい」

 

今のセーラにいつもの高慢な感じは無い。なんだか、普通の面倒見のよいお姉さんだ。

だが、そこにはいつもの彼女には似つかわしくない悲壮感も漂っていた。

 

「いいのよ・・・怪我じゃないなら・・・どうせ、私の杖じゃ治せないもの・・・」

 

彼女のいつもと違うそんな雰囲気に周囲の空気がわずかに沈み込んだ。

そんな雰囲気を打ち崩したのは冷静で少し皮肉の混じった声だった。

 

「君の杖じゃ役にたたないものね」

「なんですって、エルク!」

 

一気にセーラの声に覇気が宿る。

 

「君の杖は人と人の戦いによってもたらされた傷を治すことしかできないものね。それ以外は効果ないんでしょ」

「何よ、エルクのくせに!知ったような口きかないでよ!」

「少なくとも僕は君よりも魔道を学んでる時間が・・・」

「うるさいわよ!ごちゃごちゃ言ってないでかかってきたらどうなの!!」

「かかってきたら・・・って・・・君は一応聖女・・・もういいよ、頭が痛くなってきた」

「軟弱ね、そんなんだからどんどん根暗になってくのよ」

 

それを見て、ニニアンとニルスは顔を見合わせた。

 

「お二人は仲がよろしいのですね」

「どこがよ!!」

「どこがですか!!」

 

息もピッタリである。そんな二人を他所にルセアとプリシラもニルスのことを気にかけて近寄ってきた。

 

「やはり顔色がよくありませんね」

「私・・・白湯でももらってきましょうか?」

 

二人の親切。セーラも含めれば三人分の親切。それはとても嬉しい。

だが、ニルスは自分のこの身体の気怠さが決してそういった類のものではないことを理解していた。

 

「大丈夫だよ。今晩一晩、じっとしてればすぐによくな・・・る・・・・・・」

 

その瞬間、ニルスの体が傾いた。

 

「ニルス!!」

「ニルスさん!!」

 

プリシラとルセアが手を伸ばすが間に合わない。ニルスは吸い込まれるように床に倒れて行った。

 

「いやぁっ!ニルス!ニルスっ!!」

 

ニニアンが倒れたニルスに覆いかぶさるように側に寄った。

 

「ニルス!?」

 

ニニアンの金切り声を聞きつけてリンが部屋に駆け込んできた。

 

「どうした!大丈夫かっ!?」

 

ヘクトルとハング、エリウッドも駆けつけてきた。

 

「ニルス!目を・・・目を開けて!!」

 

取り乱すニニアンの側であたふたしている皆を瞬時に掻き分け、エリウッドが真っ先に駆け寄った。

 

「ニニアン!落ち着いて!」

 

エリウッドはニニアンの肩を掴んで半ば無理やり抱き起こした。

 

「・・・あ・・・わたし・・・」

 

肩から伝わる体温は確かにニニアンの中に入っていった。

 

「落ち着いたかい?」

「・・・・あ・・・はい」

 

ニニアンが落ち着き、ハングとリンが周りの連中に指示を出す。

そして、ヘクトルがこの場を代表してとして指揮を執った。

 

「まず奥の部屋に運んで医者を呼ばせよう」

「動かしてはダメ!」

 

ヘクトルがニルスを持ち上げようとした途端、ニニアンが叫んだ。

 

「ニニアン?」

 

彼女にしてはやけにはっきりした物言いにヘクトルの手も止まる。

 

「すみません、わたし・・・あの・・・」

 

そんなニニアンが自分の声に一番驚いているようだった。

だが、その意見は変わらない。

 

「でも今は・・・弟を動かさないでください。お願いします・・・」

「・・・ニニアンの言うとおりにしよう。何か、考えがあるんだろう?」

 

エリウッドがニニアンを援護する。

 

「・・・どうか一晩このままに・・・それで・・・治るはずですから」

「治るんなら、別にいいけどな。じゃあ、ニルスを動かさねえよう他の奴らにも言っておかねーと」

「・・・ヘクトルさま・・・・すみません」

 

親切で言ってくれたことを無下にしてしまった詫びなのだろう。

それをヘクトルは笑って流した。

 

「おい、ヘクトル」

「ん?どうしたハング」

「諸々のこと・・・ちょっと後回しだ・・・」

 

ハングの声が低く響く。その隣のリンが剣の柄に手をかけていた。

それだけで、部屋の空気が引き締まる。

 

「気づかないか。耳をすましてみろ」

 

ハングのその言葉に従い、周囲が静まり返る。だが、周囲からは何も聞こえない。

 

「何も聞こえないぞ?」

「それが、問題なのよ」

 

リンがため息混じりにそう言った。そこにハングが補足する。

 

「ここは森の中の古城だぞ。鳥や獣の音で溢れ返ってなきゃおかしいんだよ。それが、一切ない」

 

エリウッドも周囲の雰囲気に気が付いたのか、緊張感をみなぎらせた。

 

「囲まれた・・・と、考えるべきかな?」

「それだけならいいんだけどな・・・」

 

ハングは手のひらに汗が滲むのを感じた。

それと同時に部屋の中に伝令が駆け込んできた。

 

「伝令!東門より敵襲!既に城内に侵入を許しました!!」

「なっ!もう攻め込まれたのか!?」

 

驚くヘクトルに対し、ハングは「やっぱり」と笑った。

 

「ハング、相手に心当たりがあんのか?」

「この手際のよさ、一度味わっただろ?ラウス城でな」

「ユバンズとかいうやつの傭兵部隊か!?」

 

【荒鷲】と称されたユバンズの遊撃隊。

 

「ダーレンめ・・・死んだ後も迷惑残しやがって」

 

亡きラウス侯の忘れ形見といったところだ。

 

「くそっ!ハング、どうする?」

「ニルスが動かせない以上、逃げるって選択肢はねぇ!それに・・・」

 

ハングはヘクトルを見て笑った。

 

「ウーゼル様が来て、城が奪われてましたじゃ格好がつかないだろ?」

「・・・・むぅ」

 

ハングは笑い、息を吸い込んだ。

 

「いくぞ!!ここで奴らとの因縁をぶった切る!!」

 

城壁が震える程の大音量。ハングの鼓舞が響き渡った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

東の門を突破したユバンズの部隊は、南の広場まで攻め込んで戦闘の速度を緩めた。

 

「・・・ここに、フェレ侯公子とその仲間どもがいるのだな?」

 

そう尋ねたのはこの部隊の隊長であるユバンズその人だった。

 

「はい、ユバンズ隊長」

 

そして、その傍に控えていたのはヒースだ。一部が白髪となった髪が特徴的な青年。

槍を手に、ドラゴンに跨っているものの彼からは傭兵としての威圧感は感じられない。

 

それは彼本来の持つ(さが)なのだろう。

 

「よし、ヒースよ、おまえの部隊は砦の西より攻め込むのだ。目的はエリウッドと仲間全員の命。ぬかるなよ」

 

ユバンズの命令に、ヒースは渋い顔だった。

 

「・・・本気ですか?ラウス侯は、我らを切り捨てて姿を消した。ここにいる奴らとは戦う必要がないでしょう?」

「ラウス侯の求めに応じオスティアへの謀反に加わった我ら傭兵騎士団は・・・これ以上、リキアには残れん。奴らを討ち、その首を持ってベルンの【黒い牙】に合流するしかない」

 

ユバンズの言ってることは正論だ。

しかし、ヒースにはそれが正しいことだと思えなかった。

 

「俺は反対です。奴らの仲間には、女や子供がいた。それをどうこうするなんて騎士の・・・いや、男のやることじゃないですよ!」

 

熱くなるヒース。だが、それをかき消すようにユバンズは静かに答えた。

 

「よく聞け、ヒース・・・やつらの代わりにベルン逃亡兵のおまえをベルン竜騎士団に引き渡してもいいんだぞ?そうすれば、我らも正騎士へと仕官の道が開けるかもしれん」

 

ヒースの体が固まる。逃亡兵の末路など絞首台か断頭台だ。

押し黙ったヒースの姿にユバンズほくそ笑んだ。

 

「それでいい。誰しも我が身がかわいいものだ。では、仲間を呼び寄せろ。突撃するぞっ!!」

 

ヒースはそれ以上は何も言えず、同じ部隊の者達と西側へと飛んで行った。

 

それに対して、城の内部ではハングの指示で【シューター】の稼働に全力を注いでいた。

 

「おい!ドルカス!これはこっちでいいのか?」

「・・・そこに置け」

「ドルカスさん、そこ抑えててください」

 

ウィルとレベッカが中心となり、それを指揮していた。

 

それ以外の騎馬部隊とオズインやヘクトルなどの重装歩兵は激戦場となることが予想される、南の出入り口に固まっていた。

 

「ヘクトル様」

「なんだオズイン、また小言か?」

 

道を間違えたことについて永遠と小言をもらったのはまだ記憶に新しい。

 

「いえ、ここ最近の見事な戦いぶり・・・このオズイン、我が眼を疑わんばかりです。本日は先日の非礼を詫びるのと同時にそれをお伝えしようと思いまして」

「お!めずらしくわかってんじゃねーか!」

 

久々に褒められて調子をあげるヘクトル。

 

「特にその斧さばき、相当な訓練の賜物とお見受けします。どちらで習われたのですか?」

「そりゃ、おまえ闘技場にきまってんだろ!連日、学問所を抜け出しちゃー戦士どもと腕を競い合ってたからな」

 

そう言って胸を張るヘクトル。オズインがわずかに目を細めたのに彼は気付いていなかった。

 

「ほう・・・闘技場に通われてたと」

「そうそう、兄上に告げ口されないよう教師どもを脅して・・・」

 

そして、ようやく気付いた。ヘクトルが改めてオズインを見るととんでもない形相のオズインがいた。

 

「あれ?ヤベ・・・」

「とうとう尻尾をつかみましたよ!やはり、ウーゼル様のお言いつけを破っておられたか!」

 

しまった、と思ったがもう後の祭りだ。

 

「オスティア侯弟ともあろう方が連日、闘技場に入り浸られるなどウーゼル様がこの場におられればなんとおっしゃったことか・・・これは、報告せねばなりませんな」

 

そういうことか!

 

ヘクトルは質問の意図に今になって気付いた。これから兄との久々の会合なのだ。

 

「わかった!わかったから兄上は勘弁してくれっ!!」

「・・・2度と行かないと約束されるのでしたら考えなくもないですが?」

「もう絶対に行かねーから!男同士の約束だ!!」

「では、そのように」

 

土下座まで考えていたヘクトルはようやく一息ついた。

そして、ぼそりと呟いた。

 

「ちくしょう!この性悪じじいめ」

「思い違いを正すならば・・・」

 

ヘクトルはギョっとしてオズインを見た。聞こえたらしい。

 

「私はまだ30代です。ですから“性悪じじい”ではなく“性悪おやじ”が適当ではないかと。では、失礼」

 

オズインはそのまま前線へと移動していった。ヘクトルも続く予定のはずなのだが、それができる精神状態ではない。

 

「へ?30代・・・って嘘だろう??」

 

オズインはどこをどう見ても五十には手が届いてそうな顔だ。それが三十代って・・・

 

「ん?」

「・・・・・ふぇ・・・」

 

ヘクトルは自分の周りにフロリーナしか残っていないことに気が付いた。

 

「うおっと!ぼぉっとしてらんねぇ!おい、お前も行くぞ」

「・・・・・」

 

無言で何度もうなずき、ヘクトルに続いてフロリーナも駆け出して行った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

戦闘が始まる。それをハングは後方から見ていた。

周囲には横になっているニルスとそれを見守るニニアン、そして護衛のレイヴァンとルセアがいた。

渋い顔をするハングにレイヴァンが声をかけた。

 

「どうだ、戦況は?」

「お前に話して理解できんのか?」

 

憎まれ口は相変わらず。ハングはいつものやり取りを終え、戦況を伝えた。

 

「南は互角だな、シューターが相手に回ってるのが痛いが、なんとか持ちこたえられそうだ。だが、西は防御に徹するしかないな。そっちまで手が回らん」

 

南にもうひと押し戦力を投入できれば話が変わるが、そのひと押しがない以上この布陣でいくしかない。

 

「伝令だ」

 

そこにラガルトが突如現れた。

 

「お前、どっから湧いて出た」

「人をボウフラみたいに言うなっての」

 

密偵ってのはどいつも同じ返答をするものらしい。

 

「それより、伝令は?」

「西に回っている敵の戦力が思った以上に多い。今はいいがそのうち間違いなく崩れる。頭数をそろえないとどうしようもないぞ」

 

ハングは「仕方ない」と呟いた。

 

軍師が戦場に出るのはよくはない。居場所が不明となり指揮系統が乱れればそれは軍全体の生死に関わる。

だが、今の状況ではそうも言ってられない。ハングとラガルトという二人でもいないよりましだ。

 

「ラガルト、俺とお前の二人で西の援護に向かうぞ。お前はマーカスさんにその旨を伝えてから合流しろ」

「了解」

 

そして、ラガルトは来たときと同じように突如として消え失せた。

 

「そんじゃバカ傭兵、ここは任せた。そこの姉弟に指一本触れさせんなよ」

「当たり前だ。それが仕事だ」

「ルセアさん、後よろしくお願いします」

「はい」

 

ハングはマントを翻してその場を後にした。

 

その西口ではエリウッドとリンがギィとマシューを連れて何とか持ちこたえていた。

ギィが息を切らしながら、敵の鎧ごと切り捨てたところだった。

 

「おらやぁぁぁ!見たかマシュー!!」

「はいはい、すごいねすごいね。それより、エリウッド様、ひとまず息を整えましょう」

 

狭い出入り口は既に突破され、小さなホールでの乱戦となっていた。

それでも、敵の第一陣をしのぎきり、ちょうど小休止を迎えていた。

 

「はぁ・・・はぁ・・・そうだね。さすがにこの人数だけでは厳しい」

 

汗をぬぐうエリウッド。リンも息を整えて壁に寄り掛かっていた。

 

「はぁ・・・ハングに応援を頼んだほうがいいかしら?」

「そうだね・・・マシュー、伝令を・・・」

 

その時だった。

 

「きみがこの軍の指揮官か?」

 

不意に出入り口から飛び込んできた竜騎士。反射的に剣を構えた四人。

 

「待て、戦う意思はない」

 

その竜騎士は槍を置いて、ドラゴンから降りた。

その相手の行動にエリウッド達の剣は行き場を失ってしまう。

 

「あなたは・・・?」

 

それでもエリウッドは剣をおろさず、警戒したまま質問した。

 

「俺は・・・」

「エリウッド!加勢に来たぞ!!」

 

来訪者というのは重なるものだった。今度はラガルトを連れたハングが入ってきた。

一瞬、全員の注意がそちらに向くが、敵兵を目の前にしているエリウッド達は決して相手から目を逸らさない。

 

「ハング、実は今この人が・・・」

 

エリウッドが剣を向けたまま状況を説明しようとした。

しかし、エリウッドの言葉は尻切れになってしまった。

 

その理由は一つ。

 

「えと、ハング?」

 

ハングが部屋に入ってきたその場で棒立ちになっていた。

目を見開き、無防備な姿勢を晒して、ある一点を見つめていた。

 

ホールの中が不可思議な沈黙に包まれていた。

 

戦闘音は聞こえる。戦場のうめき声も混じる。

だが、それをかき消す沈黙。

矛盾しているようなその状況をハングは作り出していた。

 

リンもギィもマシューもラガルトも、その空気にのまれ、無意識に息をのんだ。

 

その沈黙の中でハングの声が響く。

 

「・・・・ヒース・・・なのか?」

 

彼の声が向かった先は今しがた現れた竜騎士。

 

「ハング・・・」

 

ヒースと呼ばれた竜騎士がハングの名を呼ぶ。

お互い、亡霊にでもであったような反応だった。

 

ヒースと呼ばれた男がハングの方に足を一歩踏み出した。

 

ハングは動かない。ヒースが駆け出す。

 

「・・・・っ!ハング!!」

 

一歩遅れてリンとエリウッドがハングを守ろうと動き出した。

その竜騎士は敵なのだ。ハングが危ない。

 

だが、反応が遅れたせいか間に合わない。

 

ヒースとハングが接近する。二人は手が届く距離まで駆け寄る。

 

そして・・・

 

「・・・・え?」

 

リンとエリウッドが手を伸ばした先で、二人はお互いの肩に顔をうずめて固く抱き合っていた。

ハングの表情は二人からは見えない。ヒースと呼ばれた男の表情もだ。

だが、そこには言い知れない感情が込められているのはすぐにわかった。

 

「あ・・・」

 

そして、リンは思い出した。

 

ハングがあの海賊船の上で教えてくれたことを思い出していた。

 

『『最愛の相棒』・・・そいつの名前はリガード、俺の最初で最後のドラゴンだ』

 

あの時は応えてくれなかった疑問。その答えが目の前にあった。

 

「生きてたのかよ・・・ヒース・・・」

「お前もな、ハング・・・」

 

涙ながらにそう言った二人。

 

そう、ハングは元竜騎士。

 



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22章~二つの絆(後編)~

「っと、感動の再開に浸ってても仕方ねぇ」

 

ハングはさほど時間をおかずにヒースの肩から体を離した。

 

「お前は投降しにきた。それでいいか?」

「ああ、異存はない」

 

ハングは袖で乱暴に涙をぬぐい、そしてはっきりした声で言った。

 

「俺はこの軍の軍師になった」

「軍師?ハングがかい?」

「細かいいきさつは後回し。とにかくここを防いでくれ」

「ああ、それなら従わない理由はない」

 

ハングはヒースに向けて拳を突き出した。ヒースもそれに応え、拳をぶつける。

 

「行くぞ」

「ああ」

 

そして、ハングは呆けている仲間にも声をかけた。

 

「お前らも、いいな。ここを通せばニニアン達の部屋まで一直線だ。確実に守りきるぞ!!」

 

ハングのよく通る声が皆の背筋を伸ばす。確かに呆けてる余裕はない。

 

「ヒース、出入り口を陣取れ、弓兵が来たら無理せず後退。ラガルト、援護してやれ」

 

ハングが適切に指示を飛ばす姿を見て、ヒースは苦笑した。

 

「随分とさまになってるな」

「あの後いろいろあってな」

 

ヒースがドラゴンに飛び乗り、出入り口へと移動した。

 

「エリウッド、リン。言いたいことはあるかもしれないが・・・」

「いや、僕は無いよ」

「そうか」

 

懐の大きい貴族だ。

 

「出入り口はしばらく俺とヒースに任せろ。体力が回復したら全員で城外の敵を蹴散らしながら回り込む。いいな!」

「ああ」

「リン、聞いてるか?」

「う、うん。大丈夫、外の敵を倒しながら回り込むのね」

「よし!」

 

ハングはマシューに傷薬を配らせ、そのまま出入り口に陣取るヒースに合流した。

 

「ハングと肩を並べるのも久々だ」

「並んでねぇだろ。俺にはもう相棒がいない」

「ドラゴンの魂は常に我らと共にある」

「ふん、古臭い言葉だ。槍借りるぞ」

 

ハングはヒースの持ち物から槍を盗み出し、それを構えた。

 

「知ってるだろうが、俺は足手まといだ。お前の援護に全力を注ぐ」

「もちろん、そのつもりだ」

 

ヒースが飛び出し、一撃離脱で出入り口に舞い戻る。

その退避の僅かな時間にハングの連続突きが叩き込まれる。

 

ハングがヒースの足を叩いただけで、ヒースが頭を下げる。その直後にヒースの頭上を矢が走り抜けた。

ハングが弓兵に目掛けて槍を投げつけた直後にはヒースが間合いをつめて確実に仕留める。

お互いに何も声をかけずとも、染み付いた動きを繰り返すように二人は動き回った。

 

二人の動きは完全に一致していた。

 

敵兵はその二人が出入り口で睨みをきかせた途端に浮き足立っている。

リンは二人のそんな動きを後ろから見ていた。

 

「・・・なんだろう・・・」

 

少し、胸のあたりがチクリとしていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

西側の敵を排除したハング達が回り込めば、側面と前面からの十字攻撃をくらい、ユバンズの傭兵部隊はあっさりと崩壊した。

 

もともと、一撃離脱に長けた部隊だ。相手を全滅させなければいけない状況ではその力を十分に発揮出来なかったようだ。

 

それに、新たな援軍の出現も大いに役に立った。

 

「まさか、お前と出会えるとは思わなかったぞ」

「・・・・俺もだ」

 

ハング達とは別に城の東側の別館を通って奇襲を仕掛けてくれた部隊があったのだ。

その中でハングは顔見知りを見つけていた。

 

「ラス、会えて嬉しいよ」

「・・・ああ」

 

一年前と変わらない姿のラス。相変わらず、語りに抑揚もなく、表情変化も乏しい。

だが、ハングには彼が喜んでることがわかった。

 

「どうしてここに?」

「お前達と別れた後も傭兵の日々だ」

 

必要最低限の言葉ですますラス。

 

「変わらないな、ラス」

 

ハングはそう思った。だが、ラスは違ったようだ。

 

「・・・お前は変わったな」

「そうか?」

 

ハングは自分の身なりを見てみるが、服装は一年前と大差無い。

 

「少し・・・柔くなったな」

「柔らかく?」

 

柔軟になったということだろうか?

 

「憑き物が落ちたような・・・そんな感じだ」

 

ハングは少しキョトンとしたが、すぐに照れ臭そうに頭をかいた。

 

「まぁ・・・いろいろあってな・・・昔みたく、ただ目的を果たす為だけに生きてないってとこか」

「・・・そうか」

 

わかりにくいがラスは笑ってくれたようだった。

それに答えるようにハングも笑う。

 

「・・・俺の手はいるか?」

「武器を持てるなら猫の手でも借りたいぐらいなんだ。力を貸してくれるか?」

「・・・わかった。後で傭兵契約を終わらせよう」

 

その時、伝令が損害報告にやってきてハングとラスはそこで別れた。

ラスが城の中に馬を連れて歩いていくと、そこではなんだか妙な騒がしさに包まれていた。

 

「ヒースさん、ハングとどういう関係なんだ?」

「逃亡兵と聞きました。どこでハング殿と・・・」

「ねぇ、ねぇ、ハングってどこ出身なの?」

 

竜騎士の格好をした青年が周囲から物凄い勢いで質問攻めにされていた。

なぜかその質問内容が本人のことではないのが、なんだか不思議な光景だった。

 

「ラス!?クトラ族のラスね!」

 

そんな時、ラスは聞き覚えのある声を聞いた。

 

「・・・リンか・・・」

 

ラスに驚きは少ない。

ハングがいたのだ、リンがいてもおかしくはない。

その理屈が正しいかどうかは別として、久しぶりなのは確かだった。

 

サカ特有の挨拶を交わし、ラスはこの部隊に入ったことを伝えた。

 

「そう、また一緒に戦ってくれるのね。ありがとう!!」

 

率直な感謝の言葉にラスが照れたのがリンにはわかった。

常人ではほとんど読み取れない変化だろうが、リンには関係ない。

 

「・・・それで、あれはなんだ?」

 

ラスが指差したのはさっきから起きている騒ぎだった。

 

「え!?じゃあハングさんはベルンにいたんですか?」

「元竜騎士・・・逃亡兵だったってこと?」

「死亡扱いだった!?どうしてそうなったんです!?」

 

そこではハングのことについて質問を受ける竜騎士がいた。

 

「ああ・・・あれは・・・ハングの過去を知る人・・・かな」

 

漠然としてるが、伝えたいことは伝わった。

一年前と変わらず、ハングは自分の過去を語って無い。

そこに、彼の詳しい過去を知る人が現れたのだ。

 

皆が餌に群がる野犬のようになるのは必然といえた。

 

ラスはさほど興味は無かったが、別のことが気になった。

 

「・・・お前は・・・聞きたいことはないのか?」

「・・・・・・」

 

目の前の女性がハングに今どんな感情を持っているかラスに知る術はない。

だが、ラスが知りうる限りでも二人の間には一定以上の繋がりがあった。

その彼女が彼等の話が聞こえるか聞こえないかのこの立ち位置にいるのが不思議だった。

 

「・・・・なんか・・・嫌なの・・・」

 

そして、リンは自分の胸の中心辺りをトンと叩いた。

 

「なんか・・・ここがね・・・嫌なのよ」

 

そのまま、リンは肉ごと抉る勢いでその場所を鷲掴みにした。

 

「・・・わかんないけど・・・嫌なの・・・」

 

困ったような顔をしているリン。ラスはその感情の名前を知っていた。

 

だが、何も言わなかった。そして、思うことは一つ。

 

後で一発殴っておいてもいいか・・・

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

戦の処理もひと段落ついた頃、ようやくオスティア侯ウーゼル様の到着となった。

ウーゼル様との会合にはエリウッド、リンディス、ヘクトルの三人によって行われた。

 

「生きておったか、我が弟よ!長く連絡の一つも、よこさぬからもうこの世にはいないかと・・・明日にでも葬式をだすところだったぞ」

 

感動の再会も冗談の一つから。エルバート様ほどではないにしろ、随分と親しみやすい領主様である。

 

「・・・悪かったよ。いろいろ忙しかったんだ」

 

ヘクトルはわずかに渋面を作ってそう返す。兄に頭が上がらない弟の絵はエリウッドには見慣れたものだった。

 

「・・・レイラからの報告で大体のことは聞いておる」

 

ウーゼルはエリウッドに向き合った。

 

「・・・エリウッド。エルバート殿のことは、わしも残念だ。すまない。何も力になれなかった」

 

それは真摯な言葉だった。だが、エリウッドはぞれだけで十分だ。

真実が別にあるとはいえ、エルバートがオスティア転覆を計った一団に所属したのは事実。

真実は自分の胸に秘めておけばいいことがらだと、エリウッドは割り切っていた。

それでも、オスティア領主にそう言って貰えたことはやはり大きかった。

 

「いえ・・・どうしようもなかったのです」

 

謝罪の言葉もそこそこにして、エリウッドは本題へと切り出した。

 

「・・・それよりも、ネルガルのことはご存知ですか?」

 

今度はウーゼルが渋面を作った。その表情はヘクトルと瓜二つだ。

 

「いや、報告されたことのみだ・・・1年前、突如として現れ。あっという間に【黒い牙】を掌握、そして、ラウス侯を抱きこみわがオスティアへの反乱を企てる・・・それだけだ」

 

そこまでは確かにレイラが持っていた情報に合致した。

そして、そこから先を伝えようとしてレイラは口を封じられた。

エリウッドは重い口を開き、真実を語った。

 

「・・・やつの狙いは・・・人竜戦役いなくなった【竜】を・・・もう一度、この大地に呼び戻そうとしているのです」

 

ウーゼルの目が見開かれる。

 

「そんなことができるのか?」

 

にわかには信じがたい。それでも、エリウッドがこの場で嘘や酔狂を語っているような人ではないことはウーゼルは知っていた。

 

「はい。詳しくお話しします」

 

そして、語りだしたエリウッド。

 

【魔の島】【竜の門】【エーギル】

目の前で確かに味わった【竜】の圧倒的な脅威。

 

度々、ヘクトルやリンディスに手伝ってもらいながら、エリウッドは最後まで自分の経験を語ったのだった。

 

そして、全てを聞き終えたとき、ウーゼルはこう言った。

 

「少し考える時間が欲しい」

 

エリウッド達はウーゼルを残し、部屋を後にする。そこにはハングが腰かけてニニアンと部屋の護衛のオズインを交えて談笑していた。

 

「どうだった?」

「さすがの兄上も考え込んじまった」

「だろうな・・・」

 

ハングは立ち上がってマントの埃を払った。

 

「なんでも即断即決が兄上の信条だったのに。こんなこと・・・初めてだ」

「・・・反乱騒ぎから一転して人類の危機なんだもの。目の当たりにした私たちでも・・・信じられないのだから」

 

リンはハングを見て、胸に小さな痛みが走った気がしたが、なんとか無視した。

 

「でも・・・そいつは残念なことに現実だ。放っておけば、取り返しがつかなくなる」

 

ハングがそう言うと、ヘクトルが疲れたように自分の希望を言ってみた。

 

「本来なら、大陸中の国々が手を結んで人竜戦役のやり直し!ってところなんだが・・・」

 

その続きをエリウッドが引き取る。

 

「肝心の【竜】の存在が見えなくば・・・どこの国も信用しないだろうな」

 

エリウッドの言葉の方が現実的だ。これまた残念な現実だ。

 

「【竜】が来てからじゃきっと手遅れね・・・」

「【竜】が来て、七日以内に全ての国がまとまれば可能だろうけどな」

 

それは絶望的な期限だ。

 

「今のうちに止めるしかないんだ・・・それは、この危機を知る僕らにしかできない」

「だろうな。それ以外にないだろう」

「おう!」

「そうね」

 

結論が出た。いや、それは最初から出ていた。

問題はそれを受け入れるかどうかだっただけだ。

 

「そうと決まれば、兄上に報告だ。行こうぜ二人とも!」

 

ヘクトルは今しがた出てきた部屋に舞い戻っていく。

それを見送り、エリウッドはハング達を振り返った。

 

「ハング、ニニアン。やっぱり、二人も一緒に来てくれないか?」

「は、はい・・・」

 

ニニアンは二つ返事だったが、やはりハングは少し困ったような顔をした。

 

「今後、どういうふうに動くのが一番なのかはハングが理解している。ハングがいてくれるた方がいい」

「・・・わかったよ、わかった。行けばいいんだろ」

「ありがとう」

 

そして、部屋に入ったハング。ヘクトルが既に説明を終えていたようで、ウーゼル様は結論を出しているようだった。

 

渋々といった感じで部屋に入ってきたハングに、ヘクトルが『待ってたぜ』といった視線を向けてきたのが無性に腹立たしい。

 

「話は聞いた・・・おまえたちだけにまかせるのは本意ではないが、それ以外に策はないとちょうど考えていたところだ。不肖の弟はともかく、エリウッド、リンディス・・・君たちの決意は変わらないのだな?」

 

ウーゼルは入ってきた二人にそう声をかけた。

 

「はい、覚悟はできています」

「私も・・・人まかせにして変化を待っているだけというのは・・・性に合わないので」

 

そして、次にウーゼルの視線が向いたのはエリウッドの後ろにいたハングだった。

 

「そして君がハング殿か。弟たちが世話になった」

 

『殿』という敬称。

騎士達からは度々言われるが、こんな目上の人に言われるとどうもこそばゆい感じがした。

 

「・・・君も、この者たちとともに苦難に立ち向かうことを選ぶというのか?」

「ここまで首を突っ込んで今更背を向けるつもりはありません」

 

もちろん、それだけでは無い。

いくらそちらが大事とはいえ、ハングは復讐を諦めたわけではないのだ。

 

「・・・そうか。では、もう何も言わん。できるかぎりの協力はする・・・がんばってくれ」

 

『がんばってくれ』

 

そこには、言葉しかかけられないウーゼルの悔しさが込められていた。

エリウッド達は真剣な顔で頷いた。ウーゼルの言外の意味はしっかりとエリウッド達に通じていた。

 

ウーゼルは一度咳払いをして空気を切り替え、もう一人の入室者に声をかけた。

 

「・・・それから、その少女が先ほどの話に出てきた子か?」

「ああ、ニニアンだ」

「・・・は、はじめましてオスティア侯さま・・・」

 

ニニアンは少々どもりながらそう言った。それでも、人見知りする彼女にとっては上出来だろう。

 

「・・・では、君に聞きたい。ネルガルが今、どこにいるかわかるだろうか?」

 

決して威圧的にならず、聞くものを安心させる声音でウーゼルは尋ねた。

 

「はい。とても遠いけれど・・・東に・・・気配を感じます」

「東・・・」

 

リンは一瞬ハングに視線を送る。

 

「次の狙いは、ベルンってことか」

 

そんな視線に気づかずヘクトルが結論を出した。

 

「それは・・・まずいな。ベルンは軍事大国だ。ネルガルに抱き込まれては・・・どうしようもない」

 

渋い顔のウーゼルにニニアンが言った。

 

「・・・まだ少し、時があります。あの人の気は・・・まだとても弱っています・・・今のうちに・・・なにか手を・・・・」

「ネルガル自身が動き出すには時間がかかるってことか?でも、何をすれば・・・」

 

エリウッドの問いにはヘクトルが答えた。

 

「とりあえずベルンに行くしかないか?」

 

ハングに話が振られ、彼は少し考え込む。

そのハングの答えを待たずに先に声をかけたのはウーゼルだった。

 

「・・・時間があるのなら行き先は、キガナだ」

「キガナ?ベルンとは正反対だぜ!?」

 

キガナとはオスティアの南西にあるナバタ半島の入り口にある町だ。

 

「ナバタ砂漠に向かえ・・・」

 

『砂漠』

 

昼は灼熱、夜は極寒。一滴の水も無い不毛の大地。

ナバタ半島にはナバタ砂漠と呼ばれる広大な砂砂漠が広がっている

 

「ナバタ砂漠で助けが得られるかもしれん」

「どういうことですか?」

 

その質問はハングから発せられた。

それに対するウーゼルの答えはこうだった。

 

「そこで、生きた伝説に会ってくるのだ」

「生きた・・・伝説?」

 

ハング達の疑問符にウーゼルは真剣に頷いたのだった。



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間章~巡り巡って(前編)~

ニルスが動かせないため、この砦で一泊することになったハング達。

ウーゼル様が帰り、砦の厳戒態勢は解除されている。穏やかな静けさを取り戻した古城の片隅で木剣がぶつかる音が鳴り響いていた。

 

日課であるハングとリンの稽古だった。

 

お互いの手の内をほとんど知り尽くした二人の剣はかち合うことが増え、隙を突くのが日々難しくなっている。二人は既に息を切らせ、心臓を高鳴らせつつあった。

 

不意にハングがリンの剣を外側に弾いた。ハングはここぞとばかりにリンに懐に潜り込み、竜の爪を持つ左腕をリンの喉元に突きつける。

 

お互いの動きが止まる。

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

「・・・勝った・・・のか?」

 

ハングの声に疑問符がつくのも仕方が無い。

 

こんな綺麗な形でリンから一本取ったのは初めてだった。

 

今まで何回敗北したかなど、とうの昔に数えるのを止めている。

ようやく掴んだまともな一勝。これは大いなる一歩であると誰もが思っただろう。

 

「・・・・・・・」

 

なのに勝った当人はどうにも浮かない顔だった。

ハングはゆっくりと左手をリンから離した。

 

「す、すごいじゃない。ハング、今日は私の完敗よ」

「・・・・・・」

「ハング、どうする?今日はもうやめとく?」

「・・・・・・」

 

ハングは何も答えない。

 

「ハング・・・その・・・」

「今晩の勉強会はやめとくか」

「え?」

 

ハングは剣を腰に戻しながらそう言った。

 

「ど、どうして?どこか痛めたり」

「いや、俺は平気なんだけどな・・・」

 

焦ったように言葉を繋ぐリンを遮って、ハングはそう言った。

 

「じゃあ、どうして!?何か他に約束があるの!?」

 

そう言ったリンの声音は妙に鋭さを帯びていた。一晩休むぐらいで随分ときつい物言いだった。

ハングは少し困ったような顔をして、自分のうなじのあたりに手を置いた。

 

「あぁ・・・まぁ、約束は・・・あるんだけどさ」

「え・・・」

 

リンがか細く声を漏らす。それはまるで親に見放された子供のようであった。

 

「まぁ、どっちにしろ。何やってもお前の頭に入らなさそうだしな」

「そんなことない!!」

「こんだけ毎日剣を合わせてるんだぞ。さすがにお前の体調ぐらいわかる」

「わ、私は平気よ!」

「・・・・あのな・・・一度鏡見て来い」

 

リンが言葉に詰まる。自分の状態がいつも通りでないことなど、彼女自身が一番知っていた。

 

「だから、今日は止めとこう。俺もちょっと約束があってさ。休むならちょうどいいだろ。お前も一晩ゆっくりしとけ、次はいつ屋根のあるとこで寝られるかわかんねぇしな」

「・・・・あっ、ハング・・・」

 

ハングはそのまま背を向けて歩き出してしまった。

無意識に伸ばしていた手が宙を彷徨う。

 

ハングが角を曲がり、姿が見えなくなった。

 

「・・・・ん・・・」

 

残されたリンはその手を胸の前にもってきた。心臓が真綿で締められているような鈍い苦しさで満たされていた。

 

「どうしちゃったのかしら・・・私・・・」

 

稽古に全く身が入っていなかったのはリン自身がよくわかっていた。さっき取られた一本はあまりにも不用意すぎた。ハングを相手にあんな隙を与えるなんてどうかしている。

それに、相手がハングでなくとも、相手が短刀を隠し持ってるだけでさっきのリンは殺されていた。

 

「・・・・う・・」

 

リンは自分の胸の真ん中を掴む。

 

苦しい、とても苦しい・・・

 

そんな時に星明かりの中からハングの声が聞こえてきた。

 

「おう、何だ?やけに疲れてんな」

 

微かに笑いながら、優しく、気遣う声音が耳をくすぐった。

 

周囲を見渡すが、ハングはいない。

彼の言葉はリンに向けられたものではなかった。

それだけで、リンの胸は苦しさを増してしまう。

 

本当に自分がどうなってしまったのかわからない。

 

そして、声をかけられた相手が返事をした。

 

「半分以上はハングのせいだぞ」

 

ヒースの声。

 

その瞬間、リンの胸に何かが刺さったような痛みが走り抜けた。

 

「・・・・っ!」

 

痛みは現れた時と同じぐらい急激に消えてしまう。だが、リンはその場に蹲ってしまった。

痛みは大したことでは無い。ただ、それ以上に苦しいのだ。

 

どこがどう苦しいかなど全くわからない。でも、泣きたいほどに辛かった。

 

ハングとヒースの会話が研ぎ澄まされた鏃のようにリンの胸の奥まで貫通していく。

 

「なんだよ。それじゃ、再会を祝うことはできなさそうか?」

「何言っている。竜騎士は祝いの席は断らない・・・よく生きててくれたなハング」

「お前もな、ヒース」

 

二人の会話をなぜか聞きたく無い。それなのに、いくら耳を塞いでも二人の声は鼓膜ではなく、胸に響く。ハングとヒースの穏やかな話声が果てしない痛みを伴った。

 

「・・・うっ・・・うっ・・・」

 

喉から嗚咽が漏れる。

 

気が付けば涙がこぼれていた。なんで自分が泣いてしまっているのか訳がわからない。それなのに、瞳から雫が次から次へと溢れでてくる。

 

遠ざかって行く二人の足音が混乱し続ける頭にガンガンと鳴り響いていた。

 

「・・・・ハング・・・」

 

弱々しく、彼の名前を読んでみる。

 

返事は無かった。

 

「・・・・リンディス様?」

 

そんな時に見張りを終えたフロリーナがそこを通りがかった。

 

「リンディス様!リン!どうしたの!?リン!!」

 

慌てて駆け寄る彼女。あまりに慌てていた為に話し方が素に戻っていた。

 

「リン!大丈夫!!?」

「フロ・・・リーナ・・・」

 

正面に回り、肩を掴む親友がリンの涙で霞む視界に映り込む。

 

「リン・・・どうしたの?」

「私・・・私・・・・・・」

 

こんなに弱ってるリンをフロリーナは初めて見た。

目元は泣き腫らし、手足は弱々しく投げ出され、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだった。

草原で悲劇を経験した時でさえ、彼女がこんなにも崩れ落ちてしまったことはない。

 

そんな二人の騒ぎを聞きつけたのかセーラとフィオーラも顔をのぞかせた。

 

「ん?フロリーナとリンじゃない?どうしたの、そんなとこで・・・って、リン!どうしたの!?」

 

セーラとフィオーラも慌ててリンに駆け寄る。

リンは地面に膝をついたまま、子供のように二人にすがりついた。

 

「セーラ・・・姉さん・・・」

「え、ええと!と、とにかく中!部屋の中に行きましょ!!ああ、でも・・・私じゃ・・・フィオーラ!リンを支えてあげて!」

「そうですね!リン、立てますか!?」

 

そして、リンは三人に支えられるようにして古城へと戻っていったのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

リンがそんな状態にあることなどまるで知らず、ヒースとハングはぶどう酒の瓶を一本拝借し、古城の城壁の上へとやってきていた。

 

「ハイペリオンも久しぶりだな・・・」

 

ハングは隣に降り立ったヒースのドラゴンの頭を撫でる。そんなハングにハイペリオンは甘えるような唸り声をあげた。

 

「相変わらず、ドラゴンに好かれる奴だな」

「他の動物にはなかなかもてないけどな」

「そんなこともないだろ。お前のことで随分と質問責めにされた。人間には好かれてるんだろ?」

「さてな・・・」

 

ハングは二つの盃にぶどう酒を注いだ。

 

「そんじゃ・・・お互い生きてたことを祝して、乾杯」

「乾杯」

 

静かに盃を合わせて一口目をすする。僅かに酸味のある苦味が口の中に広がる。

 

「ハング・・・お前は死んだと思っていたよ」

 

盃を揺らしながらヒースがぼそりとそう言った。

 

「実際、死にかけた」

 

ハングはもう一口ぶどう酒を口につける。

 

「リガードと人の縁が俺の命を結びつけてくれた。死亡扱いだったから逃亡兵の肩書きも無くなったしな」

 

村を失い、放浪した末に若かりし隊長に拾われ、戦闘の技術と知識を叩き込まれた。

ネルガルに何もかも奪われたハングはそこで大事な友と生きる術を得たのだ。

 

だが、そんな居場所も長くは続かず、ハング達の部隊は全員もれなく反逆の罪を被せられた。

なんとか生き残ったハングだったが、もう一度ドラゴンナイトに戻るつもりは無かった。

 

相棒であったリガードを失ったことも大きかったが、もう一つ理由があった。

 

「あの時・・・俺達はもっといい方法がとれた可能性だってあったはずだ」

「それで、軍師か・・・」

「笑うか?武芸一本のはずの竜騎士が軍師なんてな」

「そんなことは無いさ」

 

ヒースもまた盃に口をつける。

 

「昔からその手の軍略書や歴史書を読みふけっていたからな。既に俺達での中ではお前が参謀だった」

「なんだよそれ・・・初めて聞いたぞ」

「そういえば、あの城から本を借りてたんじゃなかったか?」

「死にかけたおかげで返し損ねた。あの城での長年の信頼が台無しだ」

 

ベルンに死んだと思われているならその方が都合が良かったので、本を送り返す訳にもいかない。

その本はそのままハングの持ち物になった。そして、今それはエリウッドの手の中だ。

 

「それに、ハングが武芸だけで生きていたらそっちが驚きだったよ」

「へっ!」

 

昔からハングの腕前は微妙だ。

ただ、左腕の怪力による遠投は竜騎士としては貴重な才能だったので隊長にはそれなりに重宝してもらっていた。

 

ハングは自分の盃にぶどう酒を新たに注ぐ。

 

「・・・隊長や・・・他の仲間は・・・死んだのか?」

 

ヒースの体がピクリと反応した。それだけでハングは全てを察する。

 

「・・・・・・そうか」

 

何年離れていても、変わらない親友に苦笑するハング。

だが、その目元には言い知れない程の悔しさが溢れていた。

 

「・・・そうか・・・そうだよな・・・」

 

ヒースに会った時、もしかしてと思った。だが、やはり現実はそこまで優しくない。

 

ハングを受け入れてくれたあの場所はもう戻ってこない。

 

「・・・・すまない」

「ヒースが謝ることは無いさ・・・俺が最初に脱落してたんだ。謝るなら俺の方だ」

 

ベルンからリキアへの逃亡劇。あの時、最初に舞台の袖へと消えていったのはハングだ。

 

「一番弱かった俺が生き残った・・・皮肉なもんだな」

 

ハングは盃を高く掲げた。

 

「アイザックに!」

「アイザックに・・・」

 

ハングの言葉にヒースが復唱し、盃を傾けた。

 

「ラキアスに」

「ベルミナードに」

 

一口ずつ、かつての同胞達に捧げていくハングとヒース。

そして、最後の一杯を前に二人は盃を並々と満たした。

 

「そして、俺らを鍛えてくれた・・・隊長に・・・」

「・・・隊長に」

 

二人は盃を打ち鳴らし、中のぶどう酒を一気に飲み干した。

 

ドラゴンに盃は捧げないのが彼らの流儀だ。彼らは常に竜騎士の傍にいる。

 

「・・・・ぷはぁ、さすがにキツイ」

「同感だ」

 

お互いこういう酒は初めてだ。

 

「ハング」

「ん?」

「ここは・・・どうだ?」

 

五年以上の付き合いになる二人。言葉は多くはいらなかった。

 

「・・・・悪くない・・・かな・・・」

 

そう言ったハングの顔にはとても優しい笑みが浮かんでいた。それを見てヒースも安心する。

 

「そうか・・・」

 

そんな笑顔もできるようになったんだな・・・

 

ヒースは出かかった言葉を飲み込む。なんとなく、それを口にするのはよくない気がしていた。

 

「それで・・・ハングはどんな旅をしてきたんだ?」

「俺か?いろいろやったぞ、海賊に加わったり、領主の山賊退治を手伝ったり、治水工事をしたり・・・それに・・・相続争いに巻き込まれたこともあったな」

 

どうやらハングの旅路は荒れ狂う道のりだったらしい。

傭兵として各地を渡り歩くだけだったヒースとはえらい違いだ。

 

それでも、今日まで生き残ってるのだから大したものである。

 

「そこで出会ったお姫さんってのが、まぁ~じゃじゃ馬でな!面白くて仕方ない。しかも妙に縁があるらしくて、今もまだ一緒に旅してんだ」

 

ヒースは杯に口をつけながら、ハングの口数の多さに微笑を浮かべていた。

 

『あの』ハングがよく喋る。

 

「ハングは・・・変わったな」

「・・・そうか?」

 

ハングは昔話を中断し、興奮していた気分を落ち着かせた。

 

「昔とそんなに違うか?」

「あの頃のハングは繋いで無いとすぐにどこかに飛んで行き、家畜を喰い荒らすような程の鋭さがあった」

「俺は狂ったドラゴンかよ」

「似たようなものさ」

 

ヒースは瓶の中の酒をハングの盃についだ。

 

「でも、今はそうじゃない。どこか・・・丸くなった・・・かな」

 

ハングは後頭部のあたりをかく。

 

「鋭さを失ってるってのは、まずいな・・・隊長にどやされる」

「それは俺も一緒さ。でも、今のハングは悪くない」

「そう言ってくれると嬉しいね」

 

ハングは一気に盃の酒を飲み干した。

そして、空になった盃の底をみつめながらハングは言った。

 

「ここは・・・居心地が良すぎる。誰かに・・・甘えてしまえるぐらいにな」

 

そして、ハングは自嘲するように笑った。

そんなハングを見て、ヒースは安心したように微笑んだ。

 

ようやく・・・そんな相手と巡り合えたんだな・・・

 

ハングの過去を知るヒースはそのことが自分のことのように嬉しかった。

 

「ハング殿、ここにいましたか」

 

そこに、ケントが通りかかった。

 

「ケント・・・どうした?」

 

ハングは眉をひそめた。ケントの眉間の皺がいつもの数倍の深さだ。

それはセインが余程羽目を外した時にしかお目にかかれない程のもの。

なぜかその視線はハングに真っすぐ向けられていた。

 

「ハング殿、これからの非礼をお許しください?」

「は?」

 

次の瞬間、ハングは吹き飛ばされた。殴られたことに気づいたには床に這いつくばり、頬に強い痛みを感じた時だった。

 

「は!?はぁ!?え?」

 

状況が掴めず痛みを覚える前に混乱してしまう。

 

「・・・・・・」

 

尻餅をついたハングをケントは無言で引っ張り起こした。

 

「今のはラス殿のぶんです」

「別の分があんのか!?」

 

ハングが覚悟を決める前に更にもう一発の拳が腹にめり込んだ。

 

「ぐふっ!!」

 

ハングの身体がくの字に折れ曲がり、悶絶しながら膝をつく。

 

ヒースはそれを止めることはしなかった。

 

ハングは軍師といえど元竜騎士だ。あの程度の拳なら左腕で防御ができるはずだ。

それをあえて受け止めているというのならそれに口出すのは筋違いだ。

 

「・・・・うぅ・・俺が、何したんだ?」

「自覚が無いのも問題ですね。立てますか?」

「ああ・・・ごほっ!」

 

ケントに再び引き起こされる。これ以上の愛の拳はなかったようで、今度は殴られるということは無かった。

 

「そんで・・・理由は・・・聞かせてくれんのか?」

「私からは言いかねます」

 

ケントの言い方からハングは自分がケントやラスに対して何かしでかしたわけではないことを悟った。

ケントとラスは『ハング』が『誰か』に酷いことをして、そのことに対して怒っているというわけだ。

 

ハングはそこまで思い立ち、勢いよく顔を上げた。

 

「リンに何かあったのか!?」

 

二人がここまでして怒るとなると、それしか無い。

 

ハングの目に真剣な光が宿った。

 

「ケント、どうなんだ?答えろ」

 

低く、他人を威圧するような声音。

 

一瞬で攻守が入れ替わる。

 

ケントは観念したようにため息を吐いた。

 

僅かなケントの一言でここまで状況を読んだハングの洞察力は流石としか言いようが無い。

 

「それが、どうしてこんな状況になるまで放置したんですか・・・」

 

能力が無いのならケントだってここまで怒ったりしない。ハングはこういった洞察力に十二分に優れている。だからこそ、どうして上手くいかないのかと周囲が苛立つのだ。

 

「ケント、リンに俺が何かしちまったのか?」

 

答えないケントにハングは焦ったようにそう言った。

ケントは背筋を伸ばし、伝令役のように感情を込めずに喋った。

 

「ハング殿との稽古の後、体調不良でしゃがみ込まれているところを発見されました」

 

ハングはその瞬間に駆け出していた。

 

取り残されたケントはその場でため息を吐きだした。

ハングの背中はあっという間に消え去り、ケントは残っている人物に声をかけた。

 

「貴公がヒース殿か?」

「ああ、訳あってこの軍に加わることになった」

「ハング殿の戦友だとお伺いしましたが」

「その話はまたにしてくれないか?ここに来てからその質問ばかりなんだ」

「これは失礼した。私はキアラン侯爵家に仕える騎士ケントだ、よろしく頼む」

「こちらこそ」

 

固い握手が城壁で交わされる一方、ハングは少し厄介な状況になっていた。

 

思わず女性の寝室に飛び込んでしまったハングだが、出入り口で瞬く間に複数の刃物を突きつけられて固まっていた。

 

「ま、待て。俺だ、ハングだ」

 

セインでは無い、という意味だった。

 

胸元に槍を二本、喉元に剣が一本、更に眉間目掛けて矢がつがえられているこの状況。

誰かの手が少し滑るだけで、笑えないことになる。

 

「ハング殿、何か勘違いをしていらっしゃいますね」

 

固い声音の持ち主はフィオーラだ。

 

「我々はハング殿『だからこそ』こうして武器を構えてるのですよ」

 

フィオーラの目が本気だった。ハングの背筋に冷や汗がこぼれ落ちた。

 

「わ、わかった・・・今日は俺が引く・・・」

 

ハングは彼女達を刺激しないようにすり足で後退する。

ハングの動きに合わせて複数の武器の切っ先が移動した。

 

ハングは歯噛みする思いだ。

 

先程の稽古の時も決して調子がよくなかったリンだ。

顔色だって赤味を帯びていたし、身体に疲れが溜まっていたのかもしれない。

 

やはり、あの時無理にでも寝床に運ぶべきだった。

 

いろいろなことがハングの頭を駆け抜ける。

 

せめてリンの状態だけでも聞かせて欲しかったのだが、未だ目の前の彼女達の逆鱗がわからない。

余計なことを言えば本当に手足のの一二本は持っていかれそうだった。

それだけの濃厚な殺気を浴びながらハングはそのまま女性の寝室から追い出されたのだった。

 

「・・・・はぁ」

 

目の前で勢いよく閉じられる扉。

それが拒絶の言葉のように聞こえ、ハングはため息をついた。

 

「・・・何をしている?」

 

ハングが目を向けると、昔と変わらず無表情のままのラスがいた。

 

「ラス。そう言えば、ケントからお前の分だと殴られたぞ」

「・・・そうか」

 

ラスの顔は随分と満足そうだ。

本当に彼がハングを殴りたかったのだということがよくわかる。

 

「それで、お前は追い出されたのか?」

「よくわかったな」

 

多分、わからない人間はいないだろう。

 

「・・・ハング・・・お前はリン状態を知らないのか?」

「ラスは知ってんのか!?」

 

ハングが噛み付くような勢いでラスに詰め寄った。

ラスはそれを本当に無表情で眺めた。

 

「・・・心配か?」

「当たり前だ!!」

 

ハングの怒鳴り声が廊下に響き渡った。

 

「・・・ここで騒ぐな」

「あ・・・すまん・・・」

 

ここはまだ女性部屋の隣。ハングは口を噤んだ。

普段は自信満々のハングのそんな態度にラスはほんの微かに笑ってしまう。

 

「・・・・おい、なに笑ってんだ」

 

そんな小さな変化もハングは見逃さない。

 

「・・・・なんでもない、とにかく場所を移すぞ」

 

ハングはラスに連れられて、仏頂面のまま移動したのだった。



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間章~巡り巡って(後編)~

女性陣の寝室。

リンを部屋の奥に座らせて、白湯を飲ませて、涙が止まるまで側でフロリーナが抱いてやり、ようやく彼女は喋れるようになった。

だが、その直後にハングの乱入劇。

 

彼女達が殺気立つのも無理の無いことだった。

 

「大丈夫ですか?リンディス様」

 

声をかけたのはつい先日合流を果たしたイサドラだった。ハングの乱入に真っ先に剣を突き付けた張本人だ。

 

「・・・はい・・・ご心配かけました・・・」

 

正確にはまだ心配をかけ続けている状況だ。だが、イサドラは優しく微笑んでくれた。

ふと、リンの手のひらに温もりが乗った。

隣のフロリーナが握りしめてくれていた。

 

プリシラやセーラも少し離れたところでこちらを見守ってくれてる。

フィオーラは白湯を作った竃の火の始末をしてくれている。

レベッカはリンの寝床を作る為にできるだけ柔らかい布団をかき集めて奔走してくれている。

ニニアンも弟をエリウッドに任せて飛んできてくれた。

 

皆が自分を心配してくれている・・・

 

『ったく・・・あんまり心配かけんなよ』

 

リンはハッとして声が聞こえたほうを振り返った。しかし、そちらは無機質な石壁があるだけ。

 

もちろん誰もいはしない。

 

「リン?」

 

いきなり石壁のほうを見たリンが心配になってフロリーナが声をかけた。

 

「うんん、なんでもないわ・・・空耳がしただけ・・・」

 

リンは安心させるように笑ったつもりだったのだろう。

だが、それは泣きだす一歩手前の顔にしか見えなかった。

 

「・・・空耳・・・ねぇ・・・」

 

部屋の隅でセーラがぼそりと呟いた。

 

「ねぇ、リン。どこか苦しいとことか・・・痛いところとかない?もしかしたら私の杖が効くかもしれないし」

 

それはセーラの建前だ。彼女の杖は外傷しか治せない。

だが、リンはそのことに思い当たる思考力もなくなっているのか、素直に答えた。

 

「・・・ここが・・・苦しいの・・・」

 

リンが抑えたのは胸の中心だった。

セーラが隣のイサドラを見ると困ったような視線が返ってきた。

 

「痛くなったりしない?」

「・・・・・・稽古の後から・・・時々・・・」

 

運動をした後に胸の痛みと息苦しさ。彼女の発言だけを信じるならかなりの重病に聞こえる。だが、稽古の相手を考慮に入れれば病名は一発で判明する。

 

幻聴まで聞こえているなら確かに重症に違いは無いのだが・・・

 

セーラはとりあえずイサドラにリンの世話を任せ、フィオーラとフロリーナを連れて部屋の外に移動した。

 

外にはもう誰もいない。

 

ハングがまだウロウロしていたら面倒だったので、その点では幸運と言っていいだろう。

セーラは周囲に誰もいないことを念入りに確認し、話を切り出した。

 

「あれは無理ね。まったく・・・」

「やっかいですね・・・」

 

しみじみと頷くフィオーラ。

だが、フロリーナはまだわかっていなかった。

 

「リンは病気なの!?」

 

焦るフロリーナにセーラが弱り切った顔で答えた。

 

「病気よ。しかも、めちゃくちゃ重症ね」

「そんな・・・お姉ちゃん!リンは!?助かるの!?」

「それは・・・」

 

フィオーラはその質問にどう答えたものか悩む。そんな彼女に代わり、セーラが続きを引き取った。

 

「どうだかね・・・相手はあれだし・・・リンも鈍感なとこあるし・・・」

「え?鈍感?」

 

目を丸くするフロリーナ。それに対してフィオーラは『その通りだ』と同意するかのように何度も頷いた。

 

「一番やっかいなのはそこですね。あれほど関係が近いのに、彼女自身に自覚がない」

「自覚があることが常にいいとは限らないけど、今回は罪よね」

「え?え?え?」

 

相手?関係?自覚?

 

フロリーナには何がなんだかわからない。

 

「ねぇ、お姉ちゃん」

「何?」

「リンって本当に病気なの?」

「ええ、あれは・・・」

 

フィオーラは溜息と共に答えを吐き出した。

 

「恋の病よ・・・」

 

ハングとリン。

 

口ではいろいろなことを言っているが、友情はとっくの昔に別の情に変わっていたのだろう。

だが、それはお互いあまり意識してこないようにしていた。今の関係が居心地が良いのもあったし、そんなことにかまけている余裕もなかった。

 

ハングは自覚はあったようだが、あの性格なので口に出さなかっただけだが・・・

 

「リンの方はあんまり考えたことなかったんでしょうね。いろいろ大変でしたから・・・」

 

フィオーラがしみじみと言った。

 

キアランが襲われ、魔の島に渡り、竜の出現とここまで駆け抜けるような日々だった。

その間にもハングとの大喧嘩やネルガルへの復讐の現場に居合わせたりと濃密な時間を過ごしてきた。

 

それが、ほんの小休止を入れ、気が緩んだところにハングの過去の親友の登場だった。

 

「ハングさんも息ぴったりであのヒースさんと戦ってましたし。それは、嫉妬もするでしょう」

 

ハングが生き生きと戦っていたのをフィオーラは間近に見ていた。そして、それは当然リンも見ている。

 

リンにしてみれば自分の立ち位置を奪われた形だ。

しかも、ヒースはリンの知らない頃のハングを知っている。

 

セーラもため息を吐きだす。

 

「なんだかんだ、自分が一番ハングと仲が良いって自負と自信があったんでしょう。そこにあのヒースさん。そりゃ男も女も関係ないわよね」

 

ここまでいろんなことが重なれば恋の病に侵されるに決まってる。

 

「・・・・はぁ・・・」

 

最後に溜息を漏らしたのは一連の会話を聞いていたフロリーナだった。

 

「・・・・ハングさん・・・」

 

名前をぼそりと呟いたフロリーナの声は随分と苛立っていた。

 

「・・・・やはり、連れてきましょうか?」

 

フィオーラがそう言った。

 

さっきは追い返したが、時と場所を選べば結果は変わる。落ち着いて話し合えば、解決するかもしれない。

 

だが、セーラは首を横に振る。

 

「今は無理よ・・・絶対に良い結果にはならないわ」

 

恋愛というもので一番大事なのはタイミングだとセーラは思っていた。

相思相愛の二人でも、お互いに心を通じさせるタイミングを逸すれば、結果はお粗末なものになってしまう。

 

リンの精神状態は既にボロボロだ。それに、今のハングは昔の仲間と出会って少なからず興奮している。その上、ハングは色恋沙汰の話に疎い。変なことを口走って売り言葉に買い言葉で喧嘩にでもなれば、これまで積み上げてきた関係が崩壊するかもしれない。

 

最低でもリンの感情が落ち着くまで、できれば自分の中でハングという存在がどういう相手なのかを見極めるまでは中途半端なことは逆効果になってしまう。

 

だから、やはり彼女らの結論は一つだった。

 

「しばらくは様子見ね。ハングにも釘指しとかなきゃ」

「仕方ないですね・・・」

 

フィオーラとセーラはヤキモキする思いを抱えながら、何度目かわからないため息を吐き出したのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

ハングがラスに連れていかれたのはニルスの休む部屋だった。

そこはニニアンから世話を受け継いだエリウッドが「どうせなら」とそこを男性陣の寝床にしていた。

 

「・・・すぅ・・・すぅ」

 

規則的な寝息をたてているニルスにハングはひとまず安心する。

寝室にはヒースとケントも戻ってきていた。

代わりに、本日の見張り役であるマーカスとロウエン、ヘクトルとオズインがいない。

 

「で、リンの状態は?」

 

ハングは真っ先にそれを尋ねた。その一言を聞きつけて他の皆も寄ってくる。

ウィルとエルクが深刻さを欠く顔でハングの近くに座った。

 

「ああ、リンディス様の話ですか」と、ウィルがニヤニヤと笑いながら言った。

「ハングさんは何も聞いてないんですか?」と、エルクは呆れたように言う。

 

それを見てハングはそれほど心配する状況ではないのだと予想をつけたが、落ち着かないことには変わりない。

そんなハングの肩にマシューが手を乗せた。

 

「その様子ですと、中に入れてもらえなかったようですね」

 

ハングはマシューの腕を払いのける。マシューは心底楽しそうだ。

そして、今度はセインが高笑いをしながらハングの反対側の肩を叩いた。

 

「はっはっはっ!ハング殿、女性の部屋に忍び込むにはコツがあるんですよ。今度お教えしましょうか」

 

セインに激しく容赦の無いツッコミを叩き込んでやりたいハングだが、それをぐっと抑え込んで目の前のラスに集中する。

 

「それで、どうなんだ?」

「・・・しばらくはお前がリンに会いにいかなければ平気だろう」

 

一瞬、何を言われているのかわからなかった。

 

「は?」

 

ハングが口を開けたままの姿勢で固まる。彼の時間がピタリと止まっていた。

今のハングに『呆然』という立て札をかけてやればお金が取れそうな程だ。

 

しばらくしてハングの顔の筋肉が動き出した。

 

「え?はっ?」

「・・・お前がリンと会わなければ平気だ」

 

聞き間違いではない。だからといって意味が理解できたわけではなかった。

そんなハングの背中をマシューがぽんぽんと叩く。

 

「ハハハハ、まぁつまりそういうことなんで、しばらくハングさんはリンディス様禁止というわけです」

 

ハングの表情が再び固まる。マシューは『呆気』というタイトルの立て札を作るかどうか割と真剣に思案していた。

 

「・・・・俺が会わなければ・・・・え?」

 

ハングにはどういうことだか全くわからない。

ハングは思わず自分の臭いを嗅いでみた。自分がリンに会ってはいけない理由がそれぐらいしか思いつかなかったのだ。

完全に明後日の方向のことを心配しているハングを見ながら、ウィルとエルクはコソコソと話をしていた。

 

「ハングがこの手のことに弱いのは知ってるつもりだったけど・・・」

「ここまでとは驚きですね・・・」

 

当然、今のハングにそれを構っている余裕はない。ハングはわけのわからないまま、思考の渦に投げ込まれていた。

 

「・・・・は?え?まさか・・・」

「ハング」

「・・・・でも・・・違う・・え?」

「ハング」

「・・・それもないし・・・まさか・・・いや」

「ハング」

「・・・・ん?・・・・どういう・・・」

「ハング!!」

「あ、エリウッドどうした?」

 

ようやく反応を見せたハングにエリウッドは何事も無かったかのように話を始めた。

 

「明日からの行軍のことなんだけど」

 

ハングはとりあえず頭を切り替えることに全力を注いだ。

リンの病態は気になるが、こちらはこちらで重要なことだった。

 

「三つに分ける部隊の面子を少し変えて欲しいんだ」

 

ハング達は道中の襲撃を考え、部隊を三つに分けて行動している。

その面子を変えてほしいという要求は初めてだった。

 

「別にかまわないが。誰と誰だ?」

「今、中軍にハングとリンディスが一緒にいるが、リンディスを前軍にして、ギィを中軍に入れたい」

 

ハングの呼吸が止まった。

 

エリウッドは極めて真面目な顔だ。エリウッドは伊達や酔狂でこんなことを言っているわけでないことはない。エリウッドは軍全体のことを考えた上でハングとリンディスを会わせない方が良いと思っている。

 

「え、あ・・・ああ・・・」

 

ハングの声が絞り出すかのようなものになってしまったのは呼吸が相当に苦しかったからだ。

それ程にハングは衝撃を受けていた。

 

「本当に・・・俺がいると・・・まずいのか・・・」

 

それは疑問というより、悪寒だった。

 

自分がリンに会えないのは良い。

決して良くはないが、それはこの際置いておく。

 

ハングが衝撃を受けていたのは別のことだった。

 

自分がリンディスに強い感情を抱いていることは自覚している。

だが、ハングはそのことをせいぜい友情の延長線上ぐらいにしか考えてこなかった。

 

それが『彼女に会うな』という宣言だけでこれ程までに自分が動揺してしまっていたのだ。それは自分がどれ程彼女に心を奪われているのかを否応なしに突きつけてくる。

 

それは軍師としては決して良い状態ではない。

1人を特別扱いすることは、軍全体を見渡していなければならない軍師にとっては最も避けるべき事態だ。

 

過去に何度かリンの危機に軍を動かしたり、エリウッドと共に単独行動を取ったりしたこともあったが、それは全て戦略戦術上での利点が少なからずあった。

 

だが、もし自分がそういうことを度外視してでもリンを助けに走ったら・・・

 

ハングはそこまで考え、首を横に振る。

 

「・・・くそっ・・・」

 

1番問題なのはその決断をしたところで、全く後悔しなさそうな自分がいることだった。

1人沈み込むハング。それを見ながらヒースは部屋の隅でぼやいた。

 

「この軍の軍主殿はなかなか容赦ないみたいだね」

 

ヒースはエリウッドを見ながらそう言った。

その呟きにはケントが返事をした。

 

「ヒース殿はハング殿とリンディス様の関係を聞いているのですか?」

「いや・・・だが、ハングが誰をどう見ているかぐらいはわかる。これでも長い付き合いだからね」

「そうですか・・・」

 

ヒース殿のそういうところがこの騒動の発端なのですが・・・

 

ケントはそれを胸の内に秘めて、自分の主の幸せを願うばかりであった。

 



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間章~キガナの町(前編)~

峠一つこえればそこから先は砂漠地帯。

そんな場所に位置する町、キガナ。

 

辺境とも言えるその位置の町が賑わうにはそれ相応の方法が必要だった。

 

町の住民が思い付いた方法は二つ。

 

近くの山々から豊富に取れる砂を用いた硝子工芸を町の特産品とすること。

そして軽業師や道化師達を優遇することによる大道芸の町にすること。

 

美しい工芸品と楽しい大道芸

 

その二つを大黒柱にした町を目指した。

そして、この町はいつの間にかオスティアで一二を争う観光の町になっていた。

 

そんな観光の町であるだけに、難なく馬やドラゴンを含めた全員が泊まれる宿を見つけられたハング達一行は砂漠に入る準備の為にこの町で一泊することを決めた。

 

旅を繰り返してきた仲間達もここでは見張りに立つ理由は無い。

思い思いに羽を伸ばすことを許可された彼らは友人達と徒党を組み、町を練り歩きに出かけていった。

 

それは久々に息を大きく吐き出せる瞬間だった。

 

だが、例外が一人いた。

 

「はぁ・・・」

 

ハングだった。

 

この軍の軍師は窓の外から漏れてくる陽気を振り払うようにため息を吐いた。

 

彼のため息はウィルやエルクの誘いを断ったことや、格闘している部隊の資金管理の書類が原因ではない。

 

彼のため息はもっと深くて重かった。

 

理由はただ一つ。リンのことだった。

 

ウィルやケントを経由して聞く彼女の近況はどれも決して芳しくは無かった。

 

元気が無い

食欲が無い

寝不足らしい

この前落馬した

 

そんな話を聞くだけでも十分にキツイ。

 

だがそれ以上に、ここ数日リンに避けられてるということが何よりもこたえていた。

そして今朝方、偶然出くわした途端に逃げ出されたのがハングにとっての決定打であった。

 

「はぁ・・・」

 

当然、日課の稽古も無くなった。

ハングの本職は軍師であるし、二三日稽古を休んでも困りはしないが、やはり調子が出ない。

 

「嫌われちまったのかな・・・」

 

口にしてみると腹に石でも埋め込まれたかのような気分になる。ハングは机の上の羊皮紙を脇にどけて机に突っ伏した。

 

窓の下から盛大な拍手が聞こえる。

 

この陽気がリンの気分を持ち上げてくれることを願うばかりだった。

 

その時、背後の扉からノックの音が聞こえた。

 

「どうぞ~・・・」

 

気の抜けた返事ぐらい勘弁して欲しい。ドアを開けて入ってきたのはエリウッドだった。

 

「やぁ、元気ではなさそうだね」

 

机に突っ伏したままだったハングは気の抜けた顔をあげた。

 

「エリウッド・・・・」

 

気分が滅入ってたので誰かと話をしたかったところだ。

そう思ったのだが、エリウッドの後ろに続いて入ってきた人物を見てたちまち無表情になってしまった。

 

「よう・・・ニニアン・・・」

「はい・・・こんにちは」

 

エリウッドの後ろに付き従う彼女。

 

二人は町を一通り見たのか、玩具を与えられた子供のようにふくよかな顔をしていた。

しかもニニアンの髪には今朝は無かった髪留めが刺さっている。

控え目な色合いの色硝子が埋め込まれた髪留めはニニアンによく似合っていた。

 

誰が選んだかは聞くまでもない。

 

なんだろうか・・・

 

ハングはなぜか胃の辺りがむかついてきた。

 

「どうだい?進んでいるかい?」

「・・・まぁな・・・」

 

ハングはなるべく普通の声音を保つ。

返事の内容が曖昧なのは本当に仕事が進んでいないからだ。

 

「・・・やっぱり・・・外に出れませんか?」

 

ニニアンはハングを案じるようにそう言った。

 

「そうだな・・・少なくとも今日の買い出しの集計を整理しないことにはここから動けない」

 

買い物はマリナスに一任した。そういう意味では彼が一番の貧乏くじだが、彼は商人なので買い出し一つでも収穫があるそうだ。

 

「ま、身体が空くのは夕飯後あたりだな」

 

どうせ、出かける気分では無い。

 

そう言外に言い放ち、ハングは肩をすくめた。

ニニアンとエリウッドは一度顔を見合わせ、頷いた。

 

そして、ニニアンはエリウッドから小さな布袋を受け取り、ハングへと差し出した。

 

「あの・・・これ、焼き菓子です」

 

差し出された布袋の口を開けるとハーブのかぐわしい香りがふわりと鼻をくすぐった。

焼きたて特有の温もりを含んだその空気は疲れた頭を隅々まで癒してくれる。

 

とても、嬉しい。

 

本当に嬉しいはずなのだが・・・

 

「気にいってもらえたかな?ニニアンが選んだんだ」

「そ、そんな・・・エリウッド様がお店を教えてくださって・・・」

「僕もマーカスから聞いただけだよ、これはニニアンからの贈り物だと思っていい」

「お金だって・・・エリウッド様に出していただきました」

「でも、ニニアンのおかげで少しまけてくれたんだから」

 

なぜだろう・・・

 

笑顔の二人を見てると、憎悪を覚えてしまう。

 

「どうしたんだい、ハング。やけに遠い目をしてるけど」

「あ、悪い。直視できないんだ」

「ん?何をだい?」

 

ああ・・・こいつ・・・

 

「エリウッドの頭に岩が落ちてこないかな・・・」

「嫉妬は見苦しいよ。ハング」

「エリウッドぉぉぉぉお!!!お前、わかってやってやがったな!!」

「さすがに自分達が周りからどう見えるかは承知してるよ。ニニアン、無理に付き合わせて悪かったね」

「い、いえ・・・私も・・・エリウッド様と一緒に町を回れたのは・・・楽しかったですし・・・」

 

ハングの目の前で再び繰り広げられる二人のやり取り。

 

エリウッドは男女の仲の良さの素晴らしさを見せつける為にこんなことをしに来たのだ。

しかも、わざわざニニアンと前準備してまでだ。

 

「いい度胸してんじゃねぇかこの狸野郎!外に出るまでもねぇ、ここでもつ鍋にしてやんよ!!」

「もつ鍋って食べたことないんだけど、美味しいのかい?」

「んなこたぁ、どうでもいいんだよ!!」

 

怒鳴るハングと微笑むエリウッド。取っ組み合いでもはじめそうな雰囲気だが、どちらかが手を出さない限り乱闘にはならないのはお互い承知している。

 

まくしたてるハングをエリウッドは飄々と受け流す。

それはハングが疲れ果てるまでしばらく続いたのだった。

 

「はぁ・・・はぁ・・・もういい!!」

 

負け惜しみのように言い放ったハング。

ハングは腹立ちまぎれにもらった焼き菓子をかみしめる。

 

少し冷めてしまっていたが、それでもしっかりとした味わいは保たれたままだった。

そして、美味しいのがまた腹立たしい。

 

ハングがエリウッドを睨み付けると柔らかな微笑が返ってきた。ハングは舌打ちを一発放って視線をそむける。

 

「ハングさん・・・」

 

そして、視線を変えた先にはニニアンがいた。

とりあえず、彼女には何の罪もないのでハングは一度深呼吸した。

 

「・・・・少しは元気、出ましたか?」

 

そして、息を大きく吸い込んだところでハングの体が止まった。

ハングは素早い動きでエリウッドの顔の方を向きなおした。

 

待っていたのは相も変わらない柔らかな微笑だった。

 

この野郎・・・

 

ハングはそこで止めていた息を吐き出した。

感情を吐き出して、肩の力が抜けている。

先程までの自分がずいぶんと後ろ向きだったというのがよくわかった。

 

「ハング、気が滅入るのはわかるけど。あまり思い詰めない方がいい」

 

エリウッドの言葉にハングは白紙のままの羊皮紙へと目を向ける。

 

「・・・わかってるよ。仕事に支障は出ねぇようにするさ。これは俺の問題だからな」

「違うよ。これは『君達の』問題だ」

 

ハングは目を細めてエリウッドのにこやかな顔を見上げた。

その優男風の顔の裏側に何が隠れているのか。

それはハングにも見通せない時がある。

 

「狸貴族め・・・」

「何のことだい?」

「とぼけやがって・・・」

 

ハングは確実に少し軽くなった胸を撫で下ろす。

 

「エリウッド・・・」

「なんだい?」

「下からチェス盤でも借りてこようか」

 

リンのことは気になる。だが、今ハングにできることは何もない。せいぜい待つことぐらいだ。

なら、せめて彼女が帰ってきた時に受け止められるぐらいの気持ちのゆとりは持っていなければならない。

 

エリウッドはハングに発破をかける為にニニアンとの仲を見せつけるという手段に出たのだろう。

その方法の是非は置いておくとして、少なくともハングは多少気が晴れた。

 

「いいね。言っとくけど僕は結構強いよ」

「そこは心配してない」

 

席を立ったハング。

ニニアンが気をきかせて「取ってきましょうか?」と言ったが、ハングはやんわりと断った。

 

「いや、俺が行くよ。言いだしっぺが働かないとな。なんかついでにいるものあるか?」

「あ、ありがとうございます。私は大丈夫です」

「僕もないよ」

「了解」

 

そして、ハングは宿屋の受付に行くために部屋を出た。

 

部屋の戸を閉めてふと思う。

 

「エリウッド、気になる女性はいないとか言ってたよな・・・」

 

あの時はその言葉をそのまま信じたが。相手はエリウッドだ。

どこまで本心で言っているのかわかったものではない。

 

「いつか、てめぇの化けの皮を剥がしてやるからな・・・」

 

ハングは物騒な文句を垂れながら、階段を一歩ずつ降りて行った。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングを誘ったウィルとエルク。

振られてしまった彼らは偶然出会ったダーツとニルスを連れて町に繰り出していた。

 

「おぉ!!」

「すげぇぇ!」

 

大道芸人達の技に見惚れて足を止めていた彼ら。

前で食い入るように見ているのはダーツとウィルだった。

 

「エルクさん、あの魔法は?」

「風の理魔法だね。結構高位の魔法だよ」

 

そして、舞台を盛り上げる為の演出を眺めているのがエルクとニルスだった。

 

傍から見ればどっちが子供かわかったものではない。

 

「ニルスはああいうのは興味無いのかい?」

「ううん。僕も好きだよ、凄いと思うもん」

「だったら、僕に構わず前で見てきていいんだよ」

 

それなりの人だかりができているのでエルクは遠慮していた。

 

「うーん・・・ほら、僕らって旅芸人でしょ」

 

ニルスとニニアンが来てから夕食の席では度々笛の音が流れていた。

 

「だから、こういうの参考にできないかなぁ・・・なんて思ってさ」

 

旅芸人の日々は決して楽ではない。

彼等の苦労を思い、エルクはニルスに対する評価を少し改めた。

 

「・・・しっかりしてるんだね」

「そうかな?セインさんからはもっと働けって言われたよ。姉さんを楽にしてあげるために」

「あの人は・・・」

 

変なこと吹き込んだ旅の同胞にエルクは頭を悩ませる。

 

後でハングさんにでも報告しておこうか・・・

 

そう思い、エルクはすぐに思い直した。

なんでもかんでもハングに頼る癖がついてる。

これはよくないことだ。

 

「いや~凄かった凄かった」

「よくあんなことできるよな、ダン」

「だから!俺はダーツだ、間違えんな!」

 

エルクが少し自分の世界に入ってる間に大道芸はどうやら終わったらしく、二人が前線から戻ってきた。

 

「それで・・・えーと・・・どこいくつもりだったんだっけか?」

「バカだなダーツは。ええとな・・・何だっけか、エルク?」

 

この二人は・・・

 

少し間の抜けた友人達にエルクは呆れた笑顔を浮かべた。

 

「二人とも、何か小腹がすいたんじゃなかったのかい?」

「ああ!そうだった!!」

「そうだそうだ、お腹減ってたんだ」

 

アハハハとお気楽に笑う二人を前にエルクとニルスは顔を合わせて苦笑いをしたのだった。

 

「あっ!エルクじゃない!!」

 

セーラの声がした。

 

「それじゃあ、俺らは先に行ってるぞ!」

「エルク、後よろしく!!」

 

一瞬でダーツとウィルが人混みの中に消えた。

 

「ぼ、僕も・・・」

 

逃げようとするニルスの手をエルクが素早く掴む。

 

「アハ、ハハハ・・・ハ・・・エルクさん・・・だめ?」

「頼む、一人にしないでくれ」

 

もうどっちが子供かわかったものではなかった。

 

「よかった、エルク。人手が足りなかったの。手伝いなさい!」

 

エルクは既に頭痛がしそうな頭を無理やり自分の後ろに向ける。

そこにはマシューとセインをつき従えたセーラがいた。

 

既に二人も男手がいて、これでもまだ人手が足りないのかと言いたいところだ。

 

「・・・それで、何のようだい?」

「決まってるじゃない、荷物持ちよ」

 

そんなに買い物ができる程の金銭をセーラが持っているとは思えない。

ニルスを含めて4人もいればそう重い物を持たされることもないだろう。

 

だが、そんなエルクの期待を裏切るかのようにセーラは高らかに宣言した。

 

「これで駒はそろったわね。それじゃあ、行くわよ」

「行くってどこへ?」

「決まってるじゃない。皆のとこへよ」

 

エルクは急いでマシューとセインに視線だけで問うた。

 

「多分、エルクの考えは間違ってないと思うぞ」

 

マシューの声は疲れ切っていた。それだけで、顔が引きつりそうだ。

そして、今後の具体的な予定はセインの口から伝えられた。

 

「これから部隊の女性達と合流だ!我らは可憐な花畑に土足で踏み込む無礼な輩を排除するために呼ばれたのだ!!」

 

一人息巻くセイン。

 

簡単に言うと・・・

 

「女性の買い物全部の荷物持ちってことだね・・・」

 

ニルスは逃げ出さなかったのを本当に後悔していた。

どこの世界に行っても女性の買い物が長いのは変わらない。

 

せっかくの休暇なのに・・・

 

エルクとマシューは揃って溜息を吐き出した。

 

「さぁ、行くわよ!!」

「はい!お供します!」

 

元気なのはセインだけだった。

 



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間章~キガナの町(中編)~

まだこの部隊に来て間もないヒース。

ハングが宿にこもってしまった状況では誰と過ごすもできないかとも思っていた。

そんな彼に声をかけてきたのはなんだかんだ話す機会の多かったケントだった。

 

「ヒース殿」

「ケントさん、今日は休暇ですよ、仰々しい敬称はいりません」

「ふむ、それもそうか・・・しかし、ハングにも昔同じことを言われたな」

「へぇ、あいつがね」

 

ヒースの知る昔のハングと今のハングには随分と差異がある。

だが、根本的なところはそうそう変わらない。

ヒースにとってはやはりハングはハングだ。

 

「おや・・・」

 

そんな、あてもなく観光をしていた二人だが、町の片隅の武器屋に見知った顔が入っていくのを見かけた。

 

少し気になって中を覗くと、ラスとギィというサカ二人組が武器を見にきていた。

せっかくの休みに仕事道具を求めにくるあたり、休暇を持て余す人種なのだな、とケントとヒースは思ってしまう。

そして、それはこの二人も同じであった。

 

ケントとヒースは興味深そうに武器屋の中へと入っていった。

そんな二人の足音に気づいてラスが振り返った。

 

「・・・・ケントか」

 

その言葉にギィもまた振り返る。

 

「うぉっ!ビックリした。いるなら声かけてくれよ」

「すまない、驚かせるつもりは無かった」

 

ケントは手近な槍を手にとってみる。

 

「ほう、鉄芯入りか・・・」

 

手に持つとずしりとくる重量を感じる。こうした槍は守りを重視した近衛兵がよく持つ槍だ。人によってはこちらを好む者もいるが、ケントは鉄芯を半分程まで入れている槍が好きだった。

 

「意外といいものがそろってるな」

 

同じように武器を物色していたヒースも槍を手に持ち、構えてみる。

重心の位置も申し分無かった。

 

「主人、これらはどこから仕入れているんですか?」

 

槍を戻しながらヒースが尋ねた。

 

「この町の職人は優秀ですからね。これぐらいの品でしたらそこらの鍛冶屋の親父に頼めばいくらでも作ってもらえますよ」

「・・・・本当か?」

 

食いついたのはラスだった。

ラスはしなりを確かめていた弓を戻し、店の主人に詰め寄った。

 

「・・・特注もできるか?」

「そうですね・・・堅物な人が多いですからね。こうして私達が仲介しておかないと、武器が出回らないぐらいですし」

「・・・・・・」

 

ラスは少し悩んだ後で、肩を落とした。

 

「・・・そうか」

 

一日の滞在では注文したところで、品を受け取ることはできない。

堅物の職人相手なら更に時間がかかることは請け合いだ。

 

「お客さん、旅の方ですね。残念ですが当店の品をお選びください」

「・・・そうしよう」

 

ラスはそのまま店の奥に消えてしまった。

そのラスの姿が見えなくなり、ぼそりとギィが呟いた

 

「ラスってなんか不思議だよな」

 

その台詞にヒースも同意する。

 

「俺もそう思う。傭兵・・・なのだろうが、彼には・・・なんというか・・・」

 

ギィと同じく傭兵あがりのヒースにもラスには感じるものがあるのだが、いま一つ言葉にできない。

 

それをケントが上手く言葉にした。

 

「頼れる・・・そう思わせる何かがある」

「あ、そんな感じだ!」

「それそれ!」

 

一年前も共に旅を共にしたケント。

 

最初はどうも信用の置けないと思っていた。

だが、いつの間にかケントはラスの援護ありきで先陣を切っている。

肩を並べてみると、ラスは驚くほどに他者と呼吸を合わせるのが得意だ。

 

上手く彼らを使ったハングの腕も確かにあるが、それはラス本人の援護能力を買っているからこそだ。

 

「サカの民はそういった訓練をしているのかい?」

 

ヒースがギィに話題を振ってみる。

 

「ん~・・・そんな特別なことはしてねぇけどさ・・・こう・・・風を感じるんだよ」

「風・・・ですか?」

 

ギィの答えにケントは覚えがあった。時折、リンディスが使う言葉だ。

 

「そうそう、他の人の風を感じてそれに合わせて動くって感じかな・・・上手く説明できねぇけど」

 

ギィは恥ずかしそうに頬をかく。

 

「いや、なんとなくわかった」

「そうか?ならいいけど」

 

ケント達は気を取り直して、武器屋を物色しだした。

 

「お!この剣いいな!重さもしっくりくるし。店主、これいくら?」

 

ギィが剣を手に取って興奮した様子で尋ねた。

 

「えと・・・これぐらい」

「えっ!!そんなに安いのか!?買った!」

「毎度ありがとうございます」

「店主、この槍だが・・・」

 

全員の目が活き活きとしだす。

今日は休暇だったはずだが、これはもはや職業病だろう。

 

そんな店に少し場違いな客が訪れた。

 

「あ、あの・・・」

「ん?」

 

その時、たまたま店の出入り口付近にいたヒースが振り返る。

そこには赤髪の女性が立っていた。

 

「あれ?君は確か・・・衛生兵の・・・」

「はい、プリシラと申します」

 

杖を専門に扱う彼女が油臭いこんな武器屋に訪れただけで十分に違和感があった。

ヒースはとりあえず、店の外で話を聞くことにした。

 

「どうしたんだい?」

「す、すみません・・・実は・・・」

 

小声でプリシラが呟いたが、それは周りの喧騒で掻き消えてしまう。

 

「えと、ごめん。聞き取れなかった」

「すみません、私・・・はぐ・・・」

 

どうもよく聞こえない。ヒースは少しかがみ、耳を近づけた。

少し顔が近くなってしまうが、この際我慢してもらうしかない。

 

「ごめん。もう一回」

「はい・・・私・・・はぐれてしまって・・・」

「はぐれた?」

 

ヒースが目を合わせると彼女はためらいがちに頷いた。

 

つまり・・・

 

「迷子か」

 

プリシラは顔を赤くして俯いてしまう。

それを見て自分が無神経なことを言ってしまったことに気がついたヒース。

 

「あ、すまない。他意はないんだ」

 

それはそれで助け舟になってない気もするが、ヒースにそれを気付くだけの余裕はなかった。

 

「しかし、参ったな・・・俺もこの町に詳しいわけじゃないし・・・」

「あの・・・セーラさんやレベッカさん達がこの辺りで買い物をしてるはずなんですが・・・」

 

つまりプリシラは皆との買い物の途中ではぐれたというわけだ。

ヒースはそれを聞き、一旦宿に戻ろうかという考えを改めた。

 

「そうか、なら大通りのほうへ行けば見つかるかもしれないな」

 

せっかく休暇に友人達と遊びに出てきたのに、迷子で宿に待機になって終わってしまうのはさすがに酷である。少し彼女の友人を探してみようとヒースは思った。どちらにせよ、彼女一人で見知らぬ街を歩くのは心細いであろう。

 

ヒースは武器屋の方を振り返った。

 

「ケント、すまないが俺はこの御嬢さんを送ってくる」

「ああ、大丈夫だ。私はギィとラスと共に周るとする」

「すまないな。せっかく誘ってもらったのに」

「構わんさ」

 

ケントには後で何か埋め合わせをしようとと考えながらヒースはプリシラと共に店を出た。

 

「それじゃあ行こうか。とりあえず君の連れに合流すればいいんだね」

「はい、お手数おかけします」

「気にしなくていい、僕らはもう同じ部隊の人間なんだから」

 

そして、ヒースはプリシラと共に大通りを目指して歩き出す。

 

「まだ名乗ってなかったな。俺はヒース、元竜騎士だ」

「うかがっています。ハングさんの旧友でしたよね」

「ああ、そっか。この部隊で俺の名を知らない奴はいないか」

 

謎の軍師の唯一の情報源は有名になる宿命だ。

そして、話題はやはりその『謎の軍師』のことになる。

 

「ハングさんは昔はどんな人だったんですか?」

「昔も今もそんなに変わらないかな。強いて言うなら、昔はもっと喋らなかったかな」

「へぇ~・・・」

 

ハングを話の肴にして、二人は『観光』を始めたのだった。

 

その頃、セーラ達の方ではいなくなったプリシラをどうすべきか話し合いが行われていた。

 

「ど、どうしよう・・・」と、フロリーナが呟く。

「一度宿に帰ってみませんか?プリシラさんが戻ってきてるかも」と、イサドラが一応提案してみる。

「戻ってきてなかったらどうすんのよ!それこそ時間の無駄じゃない!」と、セーラが息巻いた

「でも、これだけのものを持たせたまま探すのはさすがに」と、フィオーラがそう言って男性陣へと目を向けた。

 

視線の先にいるマシューやエルクは全身に様々な色の風呂敷包みを背負って疲れ切った顔をしていた。その中で唯一の例外がセインだ。

 

「気にしないでください!我らは貴方達の為なら石木と化して荷物を持ちましょう!!」

 

まだまだ元気がありそうなセイン。

マシューはその台詞を聞き、これ幸いと自分の荷物をセインに押し付けた。

 

「セインさんが石木になってくれるらしいんで、俺らの荷物もセインさんにお願いします」

「あ、僕も」

 

ニルスも便乗して荷物をセインの肩に乗せる。セインは少し冷や汗をかきながらも、満面の笑みを崩しはしなかった。

 

「さて、セインは放っといて、本当にどうしましょう」

 

目元に少し隈を作っているリンがそう言った。

 

町の中心部に設置された巨大な噴水。

彼女らの周りには大量の土産や服装品や装飾品が並び、随分と楽しんでいることがわかる。

ここから先に何が起こるかわからない今だからこそ、彼女らは散財していた。部隊に荷物の管理に定評のある行商人がいるので、多少高価なものでもためらいなく買えるのもその一因だ。

 

そんな彼女達がプリシラがいないのに気づいたのはついさっきだ。

一番目立つ場所に移動したものの、どうしたものか彼女は悩んでいた。

 

プリシラが戻ってくることに期待して宿に戻るのが最善なのかもしれないが、それはそれで困る。

 

買い物うんぬんではなく、別の問題がある。

 

女性陣の裏でセーラ、イサドラ、フィオーラがこそこそと話をしていた。

 

「どうしましょうか」

「とにかく、リンを絶対に宿に戻らせちゃだめよ」

「・・・ですよね」

 

彼女らが危惧してるのはリンのことだ。

 

せっかく気分転換に半ば無理やり町へと誘ったのに、ここで宿に戻ってはまるで意味がない。

そうでなくても、今朝方に問題の二人がばったり出くわした時で十分お腹いっぱいだ。

 

あれはあれで大変だった。

 

ハングから逃げて部屋に走りこんできたリンは逃げた自分に動揺するし、罪悪感に苛まれて泣き崩れるし、嫌われたかもと恐怖するしでおよそ平常心とはかけ離れていた。

 

そんな彼女をやっとの事で連れ出して、それなりに笑みも戻ってきたというのに今更宿に帰れるか。

 

と、彼女たちは目だけで会話する。

 

そしてセーラはマシューとエルクに目線で合図を送った。

 

彼らも状況は重々承知している。

 

「っつうわけで、俺らの荷物はセインさんに任せましたからね。俺とエルクで探してきますよ。宿にも一応顔出してみますし。皆さんは買い物を続けてください。これからは焼き菓子の方を周るんですよね?そんなに大きな町じゃないですから、プリシラさんを見つけたら合流します」

 

とりあえず、治安だけは抜群によい町なので急いで探す必要は無い。

もしかしたらどこかで大道芸人の見物でもしてるかもしれない。

 

「私も行きます。プリシラさんが心配ですし」

 

レベッカが機先を制するかのよううな速度でそう言った。

 

「わかりました。では三人で探しにいきましょう。皆さん、また後程」

 

そして、三人は一団から離れていく。

 

世話好きなリンが『私も行く』などと言い出す前に捜索隊を送り出せたのは僥倖といえた。

彼等の背中が人込みの中に消えるのを見送り、リン達は改めて買い物を再開することにした。

 

「さて、それじゃあ私たちも周りましょ。セイン、しっかり持ちなさいよ」

「はい!お任せください!あなた方の荷物はこのセインとニルスにお任せください」

「え?僕も?」

 

荷物持ちが減り。必然的に荷物の増えたニルス。そんな彼にリンが声をかけた。

 

「ニルス、少し持とうか?」

「いいよ、リンディス様に持たせたら・・・えと、ケントさんとかに合わせる顔がなくなっちゃう」

 

わずかな間があったのは『ハングさん』と言いかけたためだ。

ニルスでも今のリンの危うさはよくわかっている。

 

「お優しいリンディス様。その優しさをわずかばかりでもわたくしめに」

「セインは鍛えてるでしょ」

「そ、それはそうなんですが・・・これは・・・」

 

額に汗を流すセイン。砂漠が近いこの町の気温は比較的高い。

そんなセインにセーラが黄色い声をかけた。

 

「頑張って、セイン!この買い出しの是非はあんたの両肩にかかってるのよ!」

「はい!!頑張ります!!」

 

セーラの一言で持ち直したセイン。その単純ぶりにイサドラは苦笑いだ。

 

「それじゃ、あっちに行ってみましょ。マーカス様が太鼓判を押した焼き菓子屋ってのがあるらしいわ」

 

セーラに続いて、皆が移動する。

 

道を歩くだけで周りから客引きの声が入り、次々に試食を進められる。

この雰囲気は観光の町ならではだった。

 

「ここに何泊もしたら、太っちゃいそうね」

 

渡された菓子パンの一部をかじりながらリンがつぶやく。

 

「リンは平気だと思うよ」

 

休暇ということで『リンディス様』と呼ばなくていいフロリーナは随分と気軽に言ってのけた。

 

「フロリーナに言われたくはないわね。昔から全然体重が増えないんですもの」

 

子供の頃から、フロリーナに贅肉が付いているところを見たことがない。

 

「天馬騎士はそうそう体重を増やせませんから。フロリーナも随分気を使ってるんですよ」

「フィオーラ姉さんも?」

「私は・・・」

「お姉ちゃんはいくら食べてもお肉がつかないの」

「ええっ!!」

 

過度な反応をしたのはセーラだった。

 

「嘘でしょ?」

「あ、いえ・・・そんなことは・・・」

 

あっという間にやり玉にあがってしまうフィオーラ。

 

「わ、私は昔から訓練とかで忙しくしてたので必然的に・・・」

「私も稽古の日々でしたが、いくら食べてもということは・・・」

 

イサドラが羨ましそうな目を向ける。騎士はある程度の脂肪も維持しないと務まらないので、その辺の調整には時々苦労してきた。

 

「フィオーラ姉さん・・・ずるい・・・」

 

油断するとすぐにお腹や太腿に肉がついてしまうリンが呟くように言った。

このところ稽古が減っているので、特に気にしてるのだ。

 

「稽古・・・しなきゃな・・・」

 

リンがそう呟き、一瞬周囲の空気が固まった。

 

「今度、私がお相手しましょうか?」

「イサドラさんが?」

「ええ、これでも近衛兵の隊長です。お相手には申し分ないかと」

「・・・そうね、こちらからもお願いしていいかしら」

「はい、では今夜からでも」

 

セーラとフィオーラは一息ついた。

 

なんとか、あいつの名前が出る前に話がついた。

 

「あ、ここよここ。ここの蜂蜜を使った焼き菓子が最高においしいんですって」

 

店に入っていく女性陣を見送ってセインとニルスは同時に荷物を下ろした。

 

「なんか、蚊帳の外だね僕たち」

「ハッハッハ、この程度でへこたれていては男は務まらないぞ、ニルス」

「セインさんの男の基準ってどこにあるの?」

 

それでも、後で焼き菓子のおすそ分けが貰えそうなのでまんざらでもないニルスであった。

 



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間章~キガナの町(後編)~

別れたエルクとウィル、レベッカの三人はさほど歩くこともなく、プリシラを見つけた。

 

だが・・・

 

「な、なんだか声をかけにくいですね・・・あれ」

 

レベッカは頬を染めてヒースとプリシラの後姿を眺めていた。

マシューは少し軽薄な態度でエルクの肩に肘を乗せた。

 

「どうだ、エルク。護衛の相手があんなことになってる気分は」

「プリシラ様は師匠にとって大事なお方です。自分に友人として接してくれるのは感謝していますが、それだけです」

「にしては声が硬いんじゃないのか、エルク」

 

エルクはギロリという効果音が聞こえそうな鋭い視線をマシューに向ける。

マシューはそれを受けて肩をすくめ、エルクの肩から腕をどけた。

 

三人はプリシラを見つけた。

 

それはいいのだが、その側にはヒースがおり、2人の間にはどうも入りにくい空気が流れていた。

 

「あ、これ。綺麗な腕輪だね」

「はい、似合うと思いますよ・・・ヒースさんに」

「え、俺がつけるの?」

「違うんですか?」

「残念だけど、俺はこんな腕だからね。さすがに入らないと思うよ」

「わぁ・・・凄い筋肉ですね」

 

とりあえず、プリシラは自分が迷子になって迷惑をかけていることが本当にわかっているのかと一晩かけてじっくりと教えてやりたいものであった。

一応、プリシラ達は観光しながらも常に周囲を見渡して仲間達を探している様子なので、あまり細かいことは置いておくことにする。

 

「それで、どうしますか?護衛のエルクさん?」

「・・・・まぁ、とりあえず・・・いいんじゃないでしょうか」

 

エルクとしてはプリシラに変な虫がつけば容赦なく排除するつもりでいる。

ヒースがその『虫』にあたるかどうかはまだ答えは出ていないが、今のところハングの旧友ということで暫定的な信頼は置いている。

 

「ですが、少しでも不埒な行動をするようであれば・・・」

「え、エルクさん・・・目が怖いです」

 

レベッカ達はプリシラ達の後ろから尾行するようにして様子を伺っていた。

 

「とはいえ、このまま2人で回ってもらっても楽しそうではありますね・・・マシュー、どうします?」

「とにかく切り込むしかないだろ。プリシラさんが『自分が迷子』だって思ってたら、心底楽しめないだろ?」

 

そして、マシューは音もなく移動し、2人の間にひょいと顔を出した。

 

「おっす、お二人さん」

「あ、マシュー様」

「プリシラ様・・・俺に『様』なんて付けないでくださいよ」

 

苦笑いをするマシュー。こうしたところが浮世離れしているプリシラであった。

 

「君が彼女の連れかい?」

「連れの一部といったところですよ。探しにきたんです。でも、まぁ楽しんでるみたいなんで無理に俺達に合流しなくても・・・と、思ったんですけど」

 

マシューがそう言うと、2人は思わぬ一言をもらったという感じで表情が固まっていた。

 

おや?

 

と、マシューは胸の内でほくそ笑む。

 

「あれ、デート中じゃなかったんですか?」

 

マシューのその一言で2人は自分達がどう見えていたのかを自覚したのか、みるみるうちに赤くなっていった。

それを満足そうに見て、マシューは踵を返した。

 

「それじゃ、皆には探さなくていいって伝えてきます。それでわ~」

 

そして、言うが早いか、走るが早いかといった具合にあっという間に人混みの中へと消えて行っていまった。

後に残された2人に気まずい空気が流れる。

 

「・・・じ、じゃあ、これからどうしようか?」

「そそそうですね・・・えと・・・あ、あの・・・すみません・・・さっきの店・・・もうちょっと見てもいいですか?」

「う、うん、構わないよ」

 

歩き出した二人をやはり物陰から見る三人。

 

「マシューさん・・・遊んでますね」

 

レベッカが半目になってマシューを睨む。そのマシューはケラケラと笑っていた。

 

「ハングさんとリンディス様があんな様子なんで、からかう相手がいなかったんですもん。たまにはいいでしょ?まぁ、それはさておき・・・」

 

(くだん)の二人が見えなくなり、マシューは話題を切り替えた。

 

「それで、これからどうする?戻っても俺達は荷物持ちだしな」

「セインさんに全て任せてしまってますから、早く戻った方がいいのでしょうが・・・」

 

エルクがそう言って眉間に皺を寄せた。

 

別に荷物持ちぐらいしても良いとは思う。一緒に回る面子もリンには少し神経質にならなくてはならないが苦痛という程ではない。二人が危惧しているのはセーラの暴走だった。巻き込まれたらたまらない。

 

そんなふうに、今後のことをどうしようかと足を止めた三人。

彼等に声をかけてくる集団がいた。

 

「・・・お前達どうした?」

「あっ、ドルカスさんとカナスさん」

「どうも、こんなとこで奇遇ですね」

 

妻帯者の二人組。

 

その後ろにはレイヴァンとルセアもいた。

こんな町なのでレイヴァンとルセアが夫婦に見えてしまうのが不思議だった。

もちろん、それを言うとルセアが本気で落ち込むので決して誰も口にはしない。

 

それにしても不思議な組み合わせである。

そのことをレベッカが口にした。

 

「皆さんは何かお買い物ですか?」

 

レベッカの問いに答えたのはルセアだった。

 

「はい。私達はドルカスさんとカナスさんの買い物の付き合いですが」

 

妻帯者の二人の手には彼等には到底似合わない可愛らしい包装の袋が握られていた。

どうやら、家族へのお土産のようだ。

レベッカ達の視線が気になったのか、ドルカスとカナスは言い訳じみたことを言ってみる。

 

「・・・こういう物はよくわからん」

「私も恥ずかしながら、研究にしか興味が無かったものですから」

 

照れる男というのはあまり絵にならないと言われるが、家族の為の買い物をする姿は微笑ましいものだった。

 

「それで、私に助言を頼むのは間違ってる気もしますが・・・」

 

ルセアの嘆きは聞き流す。

 

「それで、ヴァっくんは?」

 

レベッカが後ろのレイヴァンを覗き見るが、彼の手には何も乗っていなかった。

 

「ヴァっくんは暇そうだったので、私が連れ出しました」

「なるほど。それでこれから皆さんはどこへ?」

 

最近は何か変な渾名に抵抗が無くなってしまったレイヴァン。

危険だと思う反面、深く考えないほうが自分の精神衛生上いいような気がする今日この頃だ。

 

「小腹がすいたので、何かお菓子でも買って宿に戻ろうかと思いまして。皆さんもどうですか?」

 

その時、マシューの頭にランプの明かりが灯る音が下。

 

「あっ、そうだ!俺達これからセーラ達と一緒にお菓子の方を見て回るんです!一緒に行きましょうよ!」

「そうなんですか?皆さんさえよろしければ、構いませんけど」

「いいんです!いいんです!ささっ、さっそく行きましょう!」

 

エルクは満面の笑顔を浮かべるマシューの横顔を呆れたように見つめる。

マシューの顔には荷物持ちの頭数とセーラの抑え役となるルセアを確保した喜びが笑顔となって浮き出ていた

 

そして、マシューはすぐさま動き出した。

 

「それじゃ、俺は先にいってリンディス様たちのこと探してきます!では皆さん、また後で!」

 

そして、マシューはいつの間にか消えていた。

 

相変わらずいい腕だった。

 

「ところで、ドルカスさんは何買ったんですか?」

「・・・筆だ・・・ナタリー・・・妻は絵を描くのが好きだからな」

 

薬代を貯めてるドルカスのお土産は控えめだ。

 

「カナスさんは?」

「私は耳飾りを買いました。妻も私と同じ研究者なので、少しでも外の気分を味わって欲しかったんですよ」

 

ニコニコと笑うカナスさんは幸せそうだ。

 

これが結婚の幸せというやつだろうか。

 

「いいな・・・」

「フフフ、レベッカさんにも騎士様がいるじゃないですか」

「な、なななな何言ってるんですかルセアさん!!!」

 

くすぐったそうに笑うルセアを見て周りも笑う。

 

「も、もう!皆さん、なんで笑ってるんですかぁぁ!」

 

この部隊の人達はからかうと抜群にいい反応をしてくれるな、とレイヴァンは密かに思ったのだった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ヘクトルは今日は一人だった。

 

理由はただ一つ。

 

この町には闘技場がある。

 

それだけだった。

 

「お、なんだあんちゃん。いいガタイしてんな。参加か?」

「ああ、急いでくれ」

 

そういう間にもヘクトルは周囲を警戒中だ。

 

この間、オズインと『闘技場には行かない』と約束を交わしたばかりだ。

さすがに今ばれるとかなりまずい。

 

「だが、この震える血潮が抑えらんねぇんだよ」

「ほう、血潮がですか?」

「おう!だが、オズインと交わした約束がな・・・まぁ、一試合だけなら・・・」

「一試合だけですよ」

「お、まじか!ありがとな・・・・」

 

ヘクトルは自分の隣を見た。

 

「ただし、対戦相手は私にしてもらいましょう。可能ですか?」

「ああ、大丈夫だ。んじゃ、カードを調節すっか」

 

そこにはヘクトルのお目付け役がいた。

 

「オズイン!!おめっ!」

「どうかいたしましたか、ヘクトル様」

 

しかも、今さらっと面倒な対戦相手が決まったような気がする。

 

「それじゃあ。あんたがたの対戦は一刻後だ。準備室に案内する。こっちだ」

「それではヘクトル様。後程」

 

去っていくオズインの背中がとんでもなく怒っている。

これは本格的にまずい気がしていたヘクトルだった。

 

「ほうほう、これは面白そうだ」

「って、マシュー、お前もいつからそこにた!?」

「ヘクトル様が大通りをこそこそ歩いてるのを見つけてからずっと」

 

つまり、こいつが密告犯だ。

 

対戦相手を今すぐ変更したいヘクトルだった。もちろん相手はマシューで。

 

「おい、そこのデカい鎧のあんちゃん、さっさと控室に入んな」

「だそうですよ、ヘクトル様。俺、みんな呼んでできますね」

「だっ!あぁ!!くそっ!!」

 

意味不明な短い叫びを繰り返すヘクトル。

 

どんどん状況が悪くなる。頭を抱えたい気分だった。

 

そして、一刻後。

 

マシューが声をかけた全員が客席の一部を陣取っていた。

 

リン達女性陣、武器屋で見つけたケント達、エルク達にも声をかけ、マーカス、ロウエン、ウィル、ダーツも噂を聞きつけてやってきていた。

 

ちなみに、ニルスは入場禁止だったので菓子を大量に持って宿に帰って行った。

 

「俺はオズイン様に十だな」

 

マシューがそう言って帽子の中に小銭を放り込んだ。

 

「じゃあ私はヘクトル様に二十。エルクはどっちに賭けるの?」

 

マシューとセーラのその一言がきっかけとなり、身内の中で賭けが始まる。

 

「マーカス様はどちらに賭けられますか?」と、イサドラが隣に座ったマーカスに尋ねた。

「当然、オズイン殿だ。イサドラは?」

「それではヘクトル様にいたしましょう。あ、マーカス様、教えていただいたお店、とてもおいしかったです」

「うむ、それは何より」

 

その隣ではレベッカが闘技場の中に満ちる独特の空気に酔ってしまったかのように、頬を染めていた。

 

「私、闘技場って初めてですけど・・・熱気が凄いですね・・・」

 

パタパタと仰ぐ、レベッカの前に水筒が差し出された。

 

「あ、ありがとうござい・・・」

 

そして、レベッカが差し出してくれた人物を見て、さらに頬を赤くした。

 

「いえ、闘技場では時々倒れる方がいますから。十分お気をつけ・・・あ、あの、どうして私から顔を背けるんですか!?俺何かしました?」

 

慌てふためくロウエンだったが、レベッカは決してそちらに顔を向けようとしない。

彼女は自分が耳まで赤くなっている自信があった。

 

そんな初々しい二人を見て、ルセアは口元を隠すようにして笑っていた。

 

「ルセア・・・お前のせいだろ、あれ」

「ふふふ、何のことでしょうかレイヴァン様」

 

後ろの方の席に座っていたドルカスは険しい顔をして、目の前に差し出された帽子を隣のカナスへと回した。

 

「・・・・俺は賭けは好かん」

「ドルカスさんはそうですよね」

 

彼からすればお金を遊びの道具に使うことはできないだろう。

カナスも無理には勧めず、隣のラスへと帽子を差し出した。

 

「ラスさんはどうします?」

「・・・・オズインに十」

「意外とお好きなんですね・・・では、私もオズインさんに賭けましょうか」

 

他の人達も口々に賭けに興じているなか、リンディスは前の方の席でこの町で手に入れたお菓子類をつまんでいた。

 

「リン、これ食べる?」

「ありがと、フロリーナ。それにしても、凄いお客ね」

 

リンは闘技場を見渡す。

 

ふと、その視線が止まった。

 

その瞬間、呼吸が止まるかと思った。

 

向かい側の席に、黒いくせ毛の男性が座っていたのだ。

 

だが、リンはすぐに安堵の息を吐く。似ているのは髪型だけで、雰囲気はまったくの別人だった。

 

「リンディス様、どうかしましたか?」

 

その様子を隣で見ていたフィオーラが声をかけた。

 

「い、いえ。なんでもないの。向かいにハングに似てる人がいただけだから」

 

リンは無理やりといった笑みを浮かべて、手をぱたぱたと振る。

 

「あはは・・ハングも・・来れば、よかったのに。ねぇ、フロリーナ?」

「で、でも、ハングさんも仕事があるみたいだししょうがないよ」

「そうよね・・・私・・・何言ってんだろ・・・な、なんか変だな・・・うん、大丈夫!」

 

この町の雰囲気がなんとか彼女の気持ちを支えている。

そんな状態だった。

 

「お、出てきた!!」

 

ウィルの明るい声が皆の視線を闘技場に向ける。

片方の門が開き、ヘクトルが堂々と入場してくる。

 

「ヘクトル様~~!!」

「がんばれ~!!」

 

マシューとセーラが無責任な声援を送る。

ヘクトルは遠目からでもはっきりとわかるぐらいに不機嫌な顔をしていた。

 

それでも、やはり場馴れしているのだろう。ヘクトルは歴戦の戦士を思わせる風格を保っていた。

 

そもそも、ヘクトルは斧、オズインは槍。武器の相性からヘクトルの方が有利。

せめて圧勝して面子を保っておかないと後の説教が怖いヘクトルだった。

 

ヘクトルは斧を足元に突き立てて、腕を組んだ。

 

そして、オズインの登場である。

 

「なっ!!」

 

ヘクトルの目が驚きに見開かれる。

 

使用する武具は闘技場側が用意したものを一つだけ。

 

なのに・・・

 

「それではヘクトル様、お手合わせ願います」

「おめぇ!なんで武器が斧なんだよ!!」

 

観客席でも同様の衝撃が広がっていた。

 

「こ、これって・・・」

「奇策?でも、オズインさんってそんな人じゃないよな」

「使い慣れない武器でヘクトル様に勝てるわけが・・・」

 

呟くように意見を口から漏らして考えをまとめようとする皆。

 

「使い慣れてないというわけでは無いのですよ」

 

そこに放り投げられた一言が皆の注意を一手に集めた。

皆の視線の先にいたのはマーカスだ。

 

「オズイン殿は私から斧の扱いを頻繁に習っていました。オズイン殿の斧の手腕は既に一般兵のそれではありません。この勝負、わかりませんぞ」

 

そして鐘の音が響いた。

 

試合開始だ。

 

まずはオズインが先手を取った。

 

間合いを詰めての斧での一撃。それをヘクトルは最小限で回避する。

 

命のやり取りをする闘技場。

 

管理がなっていないので切れ味はなまくら以下だが、まぎれもない本物だ。まともに当たればただでは済まない。

 

「降参するなら今のうちですよ、ヘクトル様」

「ぬかせ!!」

 

ヘクトルは斧をオズインの腰めがけて振る。

オズインはそれを受け止めるのではなく、逆に前に出てヘクトルに体当たりをぶちかました。

 

「ぬおっ!」

 

ただの体当たりだったが、鍛え上げられたオズインの身体から放たれるその威力は並ではない。重いヘクトルの体が一瞬中に浮いた。

なんとか体勢を崩さないように踏ん張ったヘクトルだが、既にオズインの追撃が迫っていた。

ヘクトルはそれを片手で握った斧で弾き、空いた拳でオズインの顎を突き上げた。

 

「ぐっ!!」

 

手応えはあったが、唸ったのはヘクトルだ。

オズインの斧を弾いた腕が痺れていた。

 

オズインは無理な攻めを嫌い、後退。

ヘクトルも前に出ることはできず、間合いをあけてにらみ合う。

 

「完全にヘクトルが押されてるわね」

「ええ。武器を使う暇も与えてもらっていませんね」

 

リンとフィオーラも手に汗を握っていた。

 

今、この時だけは誰もが色々なことを忘れて二人の対決に胸を高鳴らせていた。

 

歓声があがる中、ヘクトルが口を開いた。

 

「オズイン・・・」

「降参ですか?」

「ちげぇよ・・・」

 

ヘクトルは斧を構え、バカみたいにへらへらと笑った。

 

「お前の戦い方は騎士の戦いかただ・・・闘技場なら・・・俺の本場だ!!」

 

そして、ヘクトルが斧を投げた。

 

「なっ!!」

 

一つしかない武器をまさか投げると思ってなかったオズインは対応が遅れる。

なんとか、自分の斧で弾き落としたが隙だらけになってしまった。

 

その横っ面にヘクトルの拳が刺さった。

 

ヘクトルの全体重の乗った一撃にオズインの目に星が散る。

ヘクトルはそこから連続で拳を叩き込んでいった。

 

鈍い音が連続して続き、ついにオズインの体が闘技場の砂に投げ出された。

 

「はぁ・・・はぁ・・・ま、参った」

 

鐘の音と大歓声が鳴り響く。

 

「やったぁぁ!ヘクトル様が勝ったぁぁ!」

「セーラ!飛び跳ねないでくれ、危ないだろ!!」

 

狭い闘技場の観客席で飛びはねるセーラを抑えようとエルクが孤軍奮闘していた。

その周りでは皆がなんだか複雑な顔で拍手していた。

 

「あれってありなの?」

 

リンの疑問ももっともだ。

 

「まぁ・・・規則には従ってますから・・・」

 

フィオーラも複雑な顔だった。

 

「唯一の武器を投げるとは、いやはや」

 

マーカスは明らかに呆れている。

 

一度手放した武器が戦場で戻ってくるわけがない。

戦場では絶対にやってはいけない方法で勝ったヘクトルに皆、首をひねるばかりだ。

 

こんな戦い方を学べる場所はただ一つ。

 

「いったい、どれだけここで戦ってたのかしら?」

 

リンは頬杖をついてそう言った。

 

そして、すぐに次の対戦が始まる。

触れ込みでは2対2のタッグマッチだという話だった。

 

「さぁて、このバアトルと戦う奴はどんな奴だ!!」

「ひひぇぇぇ~~~~なんで私がこんなとこに~~~!」

 

入場してきたバアトルとマリナス。

 

歴史に残りそうな異色の対戦が始まりそうだった。



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23章~生きた伝説(前編)~

キガナの町から峠を1つ越えれば、そこから先は一面が砂に埋れた大地。

半島全てが砂砂漠というナバタ砂漠に彼らは足を踏み入れた。

 

ひと昔前までは『呪われた大地』だの『大賢者が宝を砂で覆った』などと様々な憶測が飛び交っていた不毛の地。

その実態は半島の周囲の海が寒流による冷たい空気が満ちていることにより、上昇気流が起こらず、雲が生じない海岸砂漠である。

 

英知の探求を主とする魔道士達がこの砂漠の現実を暴き出して既にかなりの時が流れていた。

 

だが、いくら噂が過去の歴史の中に埋もれようと、この土地が人が足を踏み入れてはいけない場所であることには変わりがなかった。

雲一つない空から放たれる直射日光は容赦なく肌を焼き、乾燥しきった大地は無尽蔵に水を吸い込んでいく。そして、いざ夜になれば氷点下へと至る極寒が待っている。

血液が沸騰する程の灼熱と全てが凍りつく冷気が人を拒絶するこのナバタ砂漠。

 

そんな場所にハング達は足を踏み入れてようとしていた。

 

砂漠の熱射の下では肌を晒すと火傷してしまうので、皆は露出を極力減らした服装に変えている。また、金属の鎧も異様な発熱をきたすので、厳重に梱包してまとめて馬の背の上に乗せられていた。

 

身軽かつ風通しのよい格好となった一行は広大な(すな)砂漠の目の前で留まっていた。

ここから先に下手に踏み込めば骨だけになるのに7日とかからない。

 

彼等が慎重になるのは当然だった。

 

これからの行動を苦心しているハングのことを知ってか知らずか、ごく何人かは初めて見る砂漠に随分と興奮していた。その中にはリンも含まれており、ハングはそれを見て少し安心していた。

 

元気なのはいいことだ。だが、目が合った途端にあからさまに目を逸らされるのはやはり辛いものがあった。

 

「ハング殿?聞いておられますか?」

「ああ、悪い悪い、あそこに見えてるのがこの山だな」

 

マーカスに注意を受けたハングをこっそりと見ながらリンは胸の鼓動を落ち着けようと深呼吸してみる。

熱気を持った乾いた空気が胸に入り、不思議な気分だった。

 

草原で育った彼女。サカの草原も乾季になれば草木は枯れ果てて似たような光景になるが、砂砂漠に特有の波打つような砂丘の数々を拝むことはできない。

それに加えて、細かな砂に覆われた地面というのもまた新鮮だった。

一歩足を踏み込めば、砂に足を取られて思ったように進めない。砂浜を歩くと時に似ているが、その時以上に足が砂の中に沈み込むような感覚があった。その感触がやはり物珍しく、リンは意味もなくその場で足踏みをしていた。

 

だが、誰しもがそんな元気あるわけではなかった。

 

「・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

ニルスはふらふらと揺れるように立っていた。どこかで休みたいものの見渡す限りで日陰は一切見当たらない。

 

「・・・暑い・・・ぼく・・・もう死んじゃう」

 

生まれは雪の降り積もるイリアだと言っていたニルス。暑いのはどうも苦手であった。

そんなニルスを見かねて、ヘクトルが声をかけた。

 

「おい、辛いならおぶってやろうか?」

 

そう声をかけられ、ニルスは目を見開いた。信じられないことが起きたといった表情だ。

 

「なんだ、その顔は?」

「ヘクトル様が優しくしてるなんて・・・ぼく、変な夢でも見てるのかな?」

「どーゆー意味だよ!!」

「そのまんまの意味でしょ」

 

楽しそうに肩を震わせて、リンがそう言った。

 

「俺はただ、お前がこの前みたいにぶっ倒れないかとだなぁ!」

 

つい先日、ウーゼル様と会った砦でニルスが倒れたのはまだ記憶に新しい。

 

「日頃の態度が雑だから誤解されてるんでしょ?」

「んだとぉ!俺のどの態度が悪いってんだ!?」

「まさしくそういう態度よ」

 

「うっ」と言葉に詰まったヘクトルを無視して、リンはいまだ辛そうなニルスに声をかけた。

 

「ニルス、遠慮しないで甘えちゃなさいよ」

 

リンディス様がそれを言いますか?

 

と、ニルスはとっさに思ってしまったが、あまりの暑さにそれを口にすることはできなかった。

口ごもるニルスを遠慮しているのだと勘違いしたヘクトルはニルスに近づき、その腰に手を差し込んだ

 

「ガキは素直が一番だぜ」

 

そして、ヘクトルはおもむろにニルスを一気に持ち上げた。

 

「うわっ!落ちる!!落ちるってば!!」

 

あわてるニルスを肩車し、ヘクトルは豪快に笑ってみせた。

子供らしい声をあげるニルスを巨体のヘクトルが肩車する様は随分と絵になった。

 

そんな男2人を見て、リンも愉快そうに笑う。

 

そんな彼女を見つめる視線が一つ。

 

「うおっほん!!」

 

視線の主であったハングは盛大な咳払いで我に返り、慌ててマーカスの方へと向き直った。

 

「ハング殿、気になるならそう言ってくださってかまわないですよ」

 

ハングはオズインにもそう言われて、反省する。

さっきから、地図も見ないでリンの笑顔ばかり追っていた。

 

「重症ですね、自分は・・・」

「それが自覚できてるなら、説教はいりませんね。こっちの話に戻しますよ」

「はい・・・確かウーゼル様は西を目指せば迎えが来ると仰ってましたね」

 

ハングが西に目を向ければそこから先は黄土色の砂と真っ青な空という二色に染められた世界が広がっている。そこは人が生きていける環境には到底思えない。この先から迎えが訪れるなどまるで信じられないが、ウーゼル様の言葉を信じる他に方法がないのも事実であった。

 

「もう少し先に行かないといけないのでしょうか?」

 

マーカスがそう言い、ハングが頭をかく。

 

「と、なるとだ・・・やっぱり少し荷物を整理しよう。砂漠で立ち往生だけは避けたいからな」

 

ハングはマーカスとオズインに荷物の整理を任せ、今後の細かい話をエリウッドと詰めていく。

そこに、ニニアンが伝令としてやってきた。

 

「あの・・・ハングさん。ヒースさんが呼んでましたよ?」

「あいつが?まぁ、いいや。エリウッド、ここは任せたからな」

 

ハングが任せたのはヘクトルのリンのことだった。

いくらあの二人でも、こんな砂漠の中に不用意に突撃していくことはないだろうが、万が一のことを考えての監視役だった。

本当はハングが自ら釘を刺しておくべきところだが、今はリンに近づきたくなかった。

 

ヒースのもとへ急ぐハング。その背中に向けてエリウッドは小さくこぼす。

 

「ハングは時々、すごく臆病だよね」

 

それを聞いたニニアンも控えめに笑う。

 

「そんなことを言っては、またハングさんに怒られますよ」

「『狸貴族め・・・』と、また言われてしまうかもね」

 

あまり似ていない声真似だったがそれはそれで面白く、ニニアンはくすぐったそうに笑った。

 

「・・・・」

 

そのニニアンを見ていたエリウッドだが、おもむろに彼女の横に並んで腕を差し出した。

 

「はい」

「え?」

「君もこの暑さが辛そうだ」

 

そして、エリウッドはニニアンに向けて微笑みかける。

確かにニニアンの頬は赤く、足取りも僅かに覚束ない。

 

「僕の腕でよかったらつかまるといい」

「そんな・・・」

 

ニニアンは逡巡してしまう。

 

確かにこの暑さは辛い。砂に足を取られて体力も使う。

 

でも、自分がエリウッド様に寄りかかるなんて・・・

 

嫌ではない。そんなことは決してない。

 

でも・・・

 

「ほら、早く」

 

その優しい声音を受けて、ニニアンは自分より高い位置にあるエリウッドの顔を見つめる。

 

そこには何の含みもない純粋な笑顔があった。

 

そんな顔を前にして、体力的に辛かった彼女はすぐに折れてしまった。

 

「・・・はい、失礼します・・・」

 

彼女はエリウッドの言葉に甘え、寄りかかるようにして腕をつかんだ。

エリウッドの腕は意外と筋肉で強張っていて、頼りがいのある腕だった。

体重を預け、身体の力を抜くと、予想以上に自分が疲れていることに気が付いた。

 

そんなニニアンの視線の先ではニルスがヘクトルの頭上で危なっかしげに揺れていた。

 

「ほら、暴れんな。本当に落っこちるぞ」

「うわ!うわぁぁ!」

 

バランスが取れずに前後に揺れるニルス。

そんなニルスにリンが声をかけた。

 

「ほら、ニルス。私が後ろにいるから安心して」

「あ、じゃあ大丈夫だ」

「お前、下ろすぞ!!」

 

それを見たニニアンは自分の隣にいるエリウッドを視界に収め、またニルス達に視線を戻した。

エリウッドが彼女の顔を見下ろすと、そこには何か疑問を抱いているような表情が浮かんでいた。

 

「どうかしたのかい?」

「・・・・不思議なのです」

「なにが?」

「エリウッドさまたちは、私達姉弟と・・・・普通に接してくださいます」

 

エリウッドは首を傾げた。

ニニアンは続ける。

 

「・・・気味が悪くないのですか?人と違う・・・力や・・・体のこと・・・とか」

 

危険を察する不思議な『力』のことを言っているのかと思い、エリウッドは肩をすくめた。

 

「なんだ、そんなことを気にしてたのか」

 

エリウッドはただの世間話をするように言った。

ニニアンはその台詞に驚いて、エリウッドの顔を見上げた。

 

「いいじゃないか、少しぐらい人と違うところがあったって。ニニアンはニニアンだろ?僕から見た君は心の優しい普通の女の子だよ」

 

エリウッドはただのお人好しではない。鋭い洞察力と確かな選別眼を持ち合わせた人物だ。そして、こんな時に嘘や狂言を交えて人を傷つけるような人でもない。

 

そのことはニニアンもよく知っていた。

 

エリウッドは心の底から彼女らのことを『普通』だと思ってくれている。

それでも、彼女はもう一度尋ねざるをえなかった。

 

「・・・本当・・・ですか?」

 

エリウッドはただ頷いた。

 

迷いない視線が真っすぐにニニアンを見つめていた。エリウッドの瞳には疑いの気持ちなど欠片も入っていない。

エリウッドの澄んだ想いが、ニニアンの胸の深いところへと沁み込んでいく。

 

「・・・エリウッドさま・・・」

 

ニニアンは自分の胸の中に温もりが広がっていくのを感じた。

だが、それは冷えた指先を暖炉で温める時に伴うわずかな痛みと引き換えだった。

エリウッドが溶かしてくれた氷の奥からガラスの棘が現れる。

 

見えない痛みが、ニニアンの心に流血を強いる。

 

だが、きっと、この胸が締め付けられるような想いはきっと偽物ではない。

 

ニニアンは様々な想いを抱え、胸の上を握りしめた。

 

そんなニニアンを知ってか知らずか、エリウッドはニニアンの耳元に口を寄せた。

 

「それに・・・」

 

彼女の耳をエリウッドの呼吸がくすぐる。

 

「ニニアンよりも、化け物じみた軍師がうちにはいるからね」

 

ニニアンはその台詞に驚き、そして自分の口元が緩んでいくのを感じた。

エリウッドの顔にも悪戯好きな子供のように無邪気な笑顔が浮かんでいた。

 

「フフッ・・・怒鳴られますよ」

「それは怖いな、彼の雷は本物よりも音が大きい」

「フフフ・・・」

 

楽しいと純粋に思える時間。

それがこんなにも暖かい。

ニニアンは笑いながらこぼれた涙を自分の指でぬぐったのだった。



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23章~生きた伝説(後編)~

部隊がそろそろ出発しようとしていたその時、エリウッドに掴まっていたニニアンが声をあげた。

 

「あの、エリウッド様。向こうで・・・誰かが襲われています」

「本当かい!?」

 

それはニニアンの持つ"特別な力"では無い。

それは戦う術を持たないニニアン本来が持つ直感のような感覚。彼女は僅かな戦闘の気配を敏感に感じとっていた。

 

「おっ!あれじゃねぇか?」

 

今度は獣のような感性を持つヘクトルが気がついた。

遅れてエリウッドの視界にも戦闘特融の緊張感を持った一団が見て取れた。

 

「男性一人と大勢のならずもの・・・といったところか」

 

そして、こういったことに一番敏感なはずのリンディスが最後に気がついた。

 

「助けましょう!大勢で一人にかかるってのは気に入らないわ」

 

そして『待った』をかける間もなく駆け出したリンディス。

 

「待てよ!俺も行くぜ!!」

 

ニルスを乱暴に砂の上におろし、ヘクトルも駆け出した。

 

「あ!!二人とも!!・・・・ふう・・・」

 

エリウッドが声をかけようとした時にはもう遅く、二人は砂漠を突き進んでいっていた。

こういった単独での突出はハングが最も怒る事柄の一つであった。

それを防ぐ枷になるようにエリウッドはハングに二人を任されたというのに。

 

エリウッドは説教の一つ二つを覚悟しておくことにした。

 

そして、間違いなくヘクトルとリンディスにも雷が落ちる。

今のリンディスの状態を加味して説教をやめるハングではないだろう。

 

いい加減、あの二人にも学習して欲しいエリウッドであった。

 

そして、ヘクトルに降ろされたニルスは大地から放たれる熱に立ち眩みを起こしかけていた。

 

「はぁ・・・なんでヘクトル様もリンディス様もあんなに元気なの?信じられないよ」

 

そんなニルスをマントの日陰に入れてあげながら、エリウッドは苦笑いを浮かべた。

 

「あの二人の体力は無尽蔵だからね・・・さて、突出した仲間を放っておくわけにもいかない。ニニアン、ハングに伝えてきてくれ。『二人はなんとしても連れ戻す』ってね」

「はい、わかりました」

 

エリウッドはその返事を聞き、すぐさま砂漠へと足を踏み出していった。

 

「ニルス、行きましょ」

「ニニアン、なんでそんなに平気なの?僕はこんなになってるのに」

「・・・・そんなにつらい?」

 

ニニアンも確かに何かに縋ってしまいたい程度にはきついが、やせ我慢ぐらいならできそうである。

 

「・・・・なんで・・・なんで・・・僕だけ・・・」

 

ふらつくニルスを支えるようにニニアンは歩いていった。

陣地に戻ったニニアンは一団の先頭で何やら指示を出しているハングを見つけた。

 

「あの、ハングさん」

「『二人はなんとしても連れもどす』か?」

「え?」

 

ハングはニニアンが抱えていた伝令を一字一句違えずにそう言った。

 

「違うのか?」

「え・・・あ、はい」

「はぁ・・・だろうと思ったよ」

 

ニニアンがあたりを見渡せば、なぜか既に皆が戦闘態勢にあった。

 

「ニニアン、ニルスを連れて後方の天幕で休んでろ。ルセアとレイヴァンが護衛についてる」

「あ、あの!!」

「ん?」

 

ニニアンは珍しく声を張った。

 

「ど、どうして?」

「リンとヘクトルが駆け出すのが見えた。後はヒースに少し飛んでもらったら確信がいった。それだけだ」

 

それだけで、伝令の内容まで予想できるものだろうか?

 

確かに化け物なのかもしれない。

 

ニニアンはそう思わざるおえなかった。

 

「さて・・・説教かましにいくとするか」

 

口元に浮かんだ笑みが痙攣するようにひくついている。背後に並ぶ仲間達も今回のハングには何も言えなかった。

砂漠に向かったリンディスとヘクトルに同情せざるおえないニニアンだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

問題の戦闘地帯に到達したリンディスとヘクトル。

二人は戦場の一歩手前といった辺りで立ち止まっていた。

 

「二人共、どうしたんだい!?」

 

そこにようやく追いついたエリウッド。

 

「おう、エリウッド」

 

ヘクトルが何か肩透かしにあったような呆れた顔をしていた。

 

「俺達、助けに来たんだけどよ」

「ああ、それは見ていたよ」

 

見ていただけになってしまったから、ハングの説教を多少覚悟しているエリウッドなのだ。

 

「それで、俺達が助けようとしてた人なんだけどよ・・・あれ、見てみろよ」

「え?」

 

エリウッドが視線を向けた先に巨大な火柱があがった。

 

「ぐわあぁぁぁ!!」

「た、助けてくれぇぇ」

 

そして、ごろつき達の断末魔。それを遮るように今度は数発の落雷が何もない空から降りそそいだ。

多分、ごろつきに襲われてる一人が応戦しているものと思われる。

 

だが、目の前に広がる光景を『応戦』という言葉に当てはめるかどうかどうかは疑問だった。

傍から見ているエリウッド達にとってそれは『殲滅』に近い程に圧倒的な魔法だった。

 

雷が砂漠の盗賊共を次々と貫き、灼熱の火球が悲鳴すら上げる暇なく消し炭に変えていく。

数の有利など些細なことだと言いたげに、次々と魔法が放たれていく。

 

「えと、どうする?」

 

リンディスが躊躇いがちに2人に尋ねた。

 

「どうするって・・・助けた方がいいんじゃないか?」

 

その必要性は横に置いておくとしても、多勢に無勢という現状に変わりはない。

だが、問題がある。それをエリウッドが口にした。

 

「それで、どうやって?」

 

既に盗賊共は潰走寸前。殲滅している魔道士は涼しい顔をしているのがここからでも見てとれる。

助ける方法を悩むという特殊な状況下。

3人は揃って首をひねった。

 

その後ろから声がかかる。

 

「とりあえず、お前らは砂漠での戦い方についてもう少し学べ」

 

エリウッド達が振り返る。そこには今しがたヒースのドラゴンから飛び降りたハングが立っていた。

ハングはヒースに一言二言指示を出す。ヒースはその言葉にうなずき、なにやら冗談を言った。

 

「ヒース!てめぇな!!・・・くそっ」

 

飛んでいくヒースに向かい、悪態をつくハング。

何を言われたのか非常に気になる3人であったが、そんなことを言いだせる雰囲気でないことをすぐに察した。

 

「さて、お前ら」

 

不意に周囲の気温が下がった。

 

リンはハングを見た瞬間に高鳴っていた心臓が瞬時に止まったかのような錯覚にとらわれた。

ヘクトルは過去のトラウマが蘇ってきたような冷や汗が背中に流れ落ちるのを感じた。

エリウッドは諦めたように青い空を見上げた。

 

「わかってんだろうな」

 

ここは砂漠だというのに、悪寒を覚えるなんて非常識にも程がある。

リンとヘクトルはあまりの畏怖に足がすくんだのを自覚した。

 

だが、それは長続きはしなかった。

 

突如、ハングは殺気を感じて左腕を構えたのだ。

次の瞬間、砂丘の陰から褐色の肌をした巨漢が躍り出てきた。

上半身を太陽の下に晒したその体は筋肉の鎧で包まれ、全身のいたるところの筋肉が盛り上がっている。砂漠の過酷な環境で削り取らたかのような深い堀のある顔がハングに向けられていた。彼は砂漠の上を駆け抜け、その手に握られた巨大な斧を煌かせた。

 

「くそっ!!」

 

横殴りに振られる斧。ハングは左腕でなんとか受け止めるも、そのあまりの衝撃に吹き飛ばされた。

 

「ハングっ!!」

 

リンが思わず叫んだ。

 

ハングは斧の威力を殺しきれずに砂漠の上を転げまわる。

太陽に熱せられた砂が皮膚に触れ、火傷を起こす。

 

だが、そんな些細な怪我など今は気にしてられなかった。

ハングは素早く起き上がり、自分の左腕を確かめる。

左腕に巻かれた布が切れ、腕がむき出しになっていた。ハングの左腕を覆う鱗は完全に粉砕され、赤く染まった傷口がパックリと口を開けていた。傷口に黒ずんだ血に満ち、溢れた雫が指先にまで滴る。既に青みを帯び始めたハングの血が砂に吸い込まれていった。

 

「嘘だろ・・・」

 

ハングは自分の左腕が傷を負った事実に衝撃を隠せずにいた。

ハングは腕に巻いた包帯を結びなおし、傷口を素早く縛った。

 

「おいっ!てめぇ!ゴロツキの仲間か!!」

 

ヘクトルが斧を構えて、褐色の男に向ける。

エリウッドとリンも既に剣を抜いていた。

 

だが、彼はそんな3人を歯牙にかける様子もなく口を開いた。

 

「客人」

 

放たれた声は深く、人の耳に響く。その声には敵意はまるでなく、むしろ幼子を包み込むような優しさが含まれていた。

 

「あ、あなたは・・・?」

 

エリウッドはわずかに震える唇でそう尋ねた。

 

「我はホークアイ・・・この砂漠を護る者」

「砂漠を守る・・・?」

 

ハングはその台詞を聞き、彼がウーゼル様の言っていた『迎え』ではないかと直感していた。

 

だが、ハングだけはどうも例外であるようだった。

 

「・・・賊どもは追い払う。客人たちは手出し無用」

 

あろうことか、ホークアイはハングに面と向かい斧を構えた。

 

「おいおい・・・俺はその『客人』じゃないのか?」

「そうだ」

 

ホークアイの殺気。ハングはそれに苦笑を隠しきれない。

 

いくら自分の面構えが悪いからって、この状況下でゴロツキ共と間違われるとは思わなかった。

それはいつもヘクトルの役目じゃなかっただろうか。

 

ホークアイが一気にハングの懐に飛び込んでくる。足をとられる砂漠の上だというのに異常な速度だ。

間違いなく一流の使い手だ。ハングは回避も攻撃も瞬時に選択肢から排除する。ハングの近接戦闘の技が通用する相手ではない。ハングは痛む左腕を持ち上げ、防御に徹した。

 

「っつつ!!」

 

あまりの威力に攻撃を流しきることができず、衝撃を叩き込まれる。斧の刃が突き立った左腕が嫌な音をたてた。骨まで至る激痛を感じ、ハングは再度吹き飛ばされる。

 

ハングは左腕を再度確認。鱗を粉砕された創口が1つ増えていた。傷が骨までは達していないことが唯一の救いだった。

既に痛みで意識が朦朧としている。心臓が爆音を鳴り響かせ、青い血が再生を始めようとしている。動けなくなるのは時間の問題だった。

 

そんなハングにホークアイの追撃。またもや左腕で受けるはめになり、盛大に吹き飛ばされる。

 

砂の上を転がりまわり、うつ伏せに倒れる。眩む視界で腕を見ると、またもや傷が一つ増えていた。

 

砂を踏む音がした。

 

ホークアイが近づいてるのがわかる。

 

「・・・くそったれ・・・」

 

体に力が入らなくなっていた。このままでは死は免れない。

だが、ハングはさほど心配していなかった。

 

「やめろ!!」

 

聞きなれた声がした。

見上げると、エリウッド達がホークアイとの間に滑り込んできていた。

 

「・・・遅いぞこの野郎・・・」

 

せっかく必要以上に吹き飛んで、ホークアイと距離を取っていたというのに。

せめて、2回目の攻撃の後に割り込んで欲しかった。

 

「どけ、客人」

 

ホークアイの台詞にリンが居合の構えを取った。

 

「どかないわ!この人は・・・ハングは・・・私達の大事な仲間よ!!」

「・・・・そいつは仲間などではない」

 

ヘクトルのこめかみに青筋が立つ音がした。

 

「それはてめぇが決めることじゃねぇだろ!!」

 

ホークアイは静かな瞳で3人を見ていた。

 

ホークアイは斧を降ろし、ゆっくりとエリウッド達に歩み寄る。

だが、その立ち姿に隙はまるでない。ホークアイの巨大な身体が近づいてくる圧力に、エリウッド達は思わず足を引いてしまっていた。

 

ホークアイの巨大な身体が太陽を覆い隠し、エリウッド達を見下ろす。

 

「・・・・仲間・・・・本当にそれでいいのだな・・・・」

「当たり前だ!!」

 

エリウッドはほとんど反射的にそう答えていた。

それを聞き、ホークアイは何かに祈りを求めるように目を閉じた。

 

しばしの時が流れる。

 

死刑宣告がいつ来てもおかしくない状況。

にも関わらず、ハングは笑いがこみ上げてくるのを感じていた。

 

「仲間・・・か・・・」

 

ネルガルを追いかけるためだけに参加した旅の軍師だったはずが、どうしてこうなったのか。

 

ハングは身体を無理やり起こして地面との接触面を減らした。

 

そして、しばらくしてホークアイがおもむろに目を開き、ハングへと目を合わせた。

 

「・・・・・・すまなかった」

 

頭を下げるホークアイ。その澄んだ瞳にはもう殺気は含まれていなかった。

ホークアイは何かを足元に投げ捨てた。

 

「薬だ。詫びには足らんが、使え」

 

あまり表情が動かないホークアイ。

 

だが、ハングにはなんとなく彼が気まずく思っているのがわかった。

 

ハングは無理やり笑ってみせる。

それはハングが時折見せる、人を安心させる弾けた笑顔だった。

 

「いいですよ。悪党と間違えられるのは慣れてますからね・・・命を残してもらえるならなんでもいい」

 

ハングがそう言うと、一瞬ホークアイが驚いたような顔をした。

だが、彼はすぐに大岩のような堅い表情へと戻り、もう一度謝罪の意を示した。

ハングはそれを手を振って『もういい』と返す。

 

ホークアイに敵対の意志が無くなったことを確かめ、エリウッド達はハングへと殺到する。

 

「ハング!大丈夫かい!!」

「ああ・・・でも・・・あああぁ!くそっ!きやがった!!!」

 

傷を修復するために青い血が全身を巡り、激痛と共に治癒を始める。リンは一度目撃しているが、エリウッドとヘクトルは苦しむハングを見て、動揺の声をあげた。

 

「お、おいっ!大丈夫なのかよ!!」

「この苦しみ方は普通じゃない!リンディス、本当に放っておいていいのか!?」

「え・・・ええ・・・」

 

頷くリンであったが、その表情は浮かない。

 

3人の視線の下でハングは激痛にのたうち回り、絶叫をあげているのだ。

リンディスがこれを初めて見た時に彼が死ぬのではないかと勘違いしたとの噂はエリウッドとヘクトルも聞いていた。

その時は『リンディスは心配性なんだな』と軽く思っていたが、いざ目の前にしてみるとその勘違いも仕方ないと思えてしまう。

 

「うううぁあああああああああ!あぁあああああああ!!」

 

左腕を抑え込んで砂漠の空に叫びを放つハング。

 

一度目の前にしているリンディスでさえ、本当に大丈夫なのかと疑ってしまう。

 

「我は賊の討伐に行く・・・ここには近づけさせん」

 

ホークアイはそれだけ言い残し、素早く砂漠の上を移動していく。

ハングは霞む視界でそれを見て、微かに笑った。

 

律儀なもんだ。

 

その台詞は次に湧き上がってきた痛みの渦に飲み込まれていった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングの激痛が収まる頃には戦闘は既に収束していた。

ハング達は最初に簡易天幕を設置した場所に戻ってくる。そこには新顔が一人増えていた。

 

エルクが興奮したような顔でハング達を振り返った。

 

「あ、ようやく来ました。あれがハングさんです。師匠」

 

『師匠』という聞きなれない単語。

 

そんな呼び方をされていたのは長い銀髪を一本に束ねた優男風の男性だった。

服装からして魔道士なのだろうが、それだけでは言い知れない風格がある人物だった。

 

それは先程、ゴロツキ共を殲滅していた魔道士であった。

 

「やあ、君がハング君だね。話はエルクから聞いたよ。僕はパントだ」

「あ、どうも・・・ハングです」

 

手を差し出され、握手してみる。

 

ハングは首をひねる。ハングはこの人に見覚えがあった。それにパントという名前も聞いたことがある。

だが、喉元まで来ているのにどうも思い出せない。

 

そんなハングにエルクが今まで見たこともない程に昂ったような様子で話しかけてくる。

その様子はまるで特注のケーキを前にした子供である。

 

「ハングさん、ここからは師匠が“生きた伝説”まで案内してくださることになりました」

「本当ですか?では、あなたが案内役?」

「いや、僕は・・・そうだな、居候と言ったところだ。本当の案内役は彼だよ」

 

パントが視線で誘導してくれた先は無表情で立つホークアイだった。

 

「ああ・・・ホークアイですか」

「彼と面識が?」

「ええ、先程随分と濃密な時間を過ごしましたよ」

「そうですか、それは何より」

 

事情を知らないパントさんは爽やかに言ってのけた。

初対面の人物に溜息を吹きかけるわけにもいかず、ハングは自分の肺の中で空気を飲み込んだ。

 

「それでは、先を急ぎましょう。砂漠の夜は物騒だからね」

「その場所は遠いのですか?」

「いや、日が暮れるまでにはつけるはずだ」

「それはホークアイの速度じゃありませんよね?」

「ハハハ、彼の足なら二刻で十分だ。僕らはそうもいかない。君たちには馬もあるようだしね」

 

そのことを考慮してくれているのなら、ハングには十分だった。

砂漠の太陽は少し傾き始めていた。



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23章外伝~創られし命(前編)~

ハングは目を覚ました。

 

「・・・は?」

 

そしてハングはその事実に驚いた。

 

何せ眠った覚えがまるでない。眠ってもいないのに、目が覚めるなんてことは有り得ないので確かに自分は寝ていたんだろう。

だが、どうして寝ていたのかが全く思い出せなかった。

 

この前後の記憶が飛ぶ感覚にハングは覚えがあった。

行き倒れた時によくある感覚だ。

 

しかし、今回は腹が満たされているし、渇きも少ない。また、道半ばでぶっ倒れたというわけでは無いはずだ。

 

ハングはその場に胡座をかいて座り直し、一度首を横に振って混乱する頭を切り替える。

 

ハングは混乱している頭で過去を思い出すことを諦め、とりあえず自分が目覚めた場所を見渡してみた。

 

ここは周囲が壁に囲まれた正方形の部屋だった。

床には砂が敷き詰められ、天井は普通の家屋程度の高さにある。

それぞれの壁はごく普通の石造りで、不可思議な幾何学的模様が並んでいる。

 

部屋に日の光が入り込む余地は無いのだが、どこかに光源があるらしく、部屋は薄暗いと感じる程度に照らされ、部屋の中はよく見渡せた。

 

「・・・・どこだ、ここ?」

 

結局、謎が増えただけだった。

 

しばらく周囲の壁を眺めていたハングだったが、あることに気がつき二度目の驚きがある。

 

「出入り口が無い・・・」

 

それは驚異というか、恐怖であった。

手持ちの食料も水も無い。脱出手段が無いということはここで飢え死にだ。

 

そのはずなのに、ハングはやけに落ち着いていた。

 

旅先でしょっちゅう行き倒れてるハングにとって、この程度のことは今までの人生で経験済みだ。

 

「とりあえず、俺がこの部屋にどこからか入ってきたわけだけだから・・・」

 

ハングは自分の座る砂の手触りを確かめた。床の砂は砂地というより砂漠のそれに似ている。

 

そういえば、ナバタ砂漠に足を踏み入れたんだった。

 

だんだんと記憶が揃っていく。

 

ハングは砂を均すように砂の表面を撫でる。

 

「ホークアイに襲われて、パントさんにお会いして・・・移動したんだよな・・・」

 

ふと、手遊びをするように動かしていた手が何かに触れた。

それはハングの真後ろ。

ハングはふと自分の死角を覗き込んだ。

 

「・・・・・・・」

 

本日一番の驚きだった。

 

「なっ!!なんで・・・」

 

ハングの後ろにはリンが横になっていた。

 

「はぁ!?な、なんだこれ、どういう状況!?」

 

見たままを表現するなら『密室でリンと寝ていた』になる。

あまりムードのある部屋ではないが事実は事実だ。

 

「って、んなわけねぇだろ!!」

 

自分の思考に盛大にツッコミを入れる。

 

「ん・・・」

 

リンが少し呻いた。

その途端にハングは喉が潰れたように黙りこんでしまった。

 

大声を出していた自分を内心で叱りつけ、一度大きく深呼吸をする。

 

「とにかく、落ち着け・・・おれ・・・」

 

ハングは静かにそう言い、念の為にリンの呼吸と脈を確認した。

外傷も見当たらないし、とりあえず異常は無さそうだった

 

「まぁ、いい・・・でも、なんで俺たちだけこんなところに?」

 

エリウッドやヘクトルはどうしたのか。

 

その時、ハングの鼻先に砂があたった。

ハングが見上げるとパラパラと天井から砂が降ってくる。

天井を支える石造りの天井には大きな割れ目があった。

 

「あ・・・・そうか・・・」

 

思い出した。

 

「そっか、落ちたんだったな」

 

ようやくハングの中で全ての記憶が出揃った。

 

ハング達は流砂に巻き込まれたのだ。

 

流砂とは砂漠の砂が地下水に流れ込んでいくことによってできる現象。

砂が一気に地下に流れ込み、巻き込まれたら外から引っ張りあげてもらわない限り抜け出せることはない。

 

砂漠では注意しなければならない重要事項の一つだった。

 

あの時、ホークアイに続いて砂漠を歩いていたハング達は全員まとめて巻き込まれたのだ。あまりにも突然のことで、おそらく誰も逃れられなかっただろう。

 

運がよかったとすれば落ちていく先が地下水でなかったことだろう。

もし、地下水だったなら皆まとめて砂の棺桶でおやすみなさいになっていた。

 

ハング達はどうやらこの地下空間に流れ込む流砂に巻き込まれたらしい。

 

ハングとリンが同じ部屋に辿り着いたのは偶然だろうが・・・

 

『リン!手を離すな!!』

『・・・う、うん!!』

 

偶然だったはずだ。

 

記憶の一部を都合よく忘れることにして、ハングは後頭部に手を置いた。

 

「・・・・どうすっかな・・・」

 

ここに閉じ込められたという事実に変わりは無い。

結局、他の仲間達が助けに来てくれることに期待するしかないだろう。

 

それまではすることがない。

 

ハングは暇つぶしを兼ねて、周囲の壁を調べ始めた。

 

ふと、ハングはもう一度リンの寝顔を見た。

その時、ハングは気がついた。

リンの胸元から小さな布袋がこぼれ落ちていた。

 

布袋は革紐に繋がれて首にかけられている。

薄汚れてはいるが、随分と上等な品のようだ。

 

その中身をハングは知らない。

 

だが、ハングにはわかってしまうのだ。

ハングは布に巻かれた左腕に触れる。

 

「ったく、後生大事にそんなとこに抱えなくてもいいだろうが・・・」

 

その中にハングが渡した左腕の鱗が入っているのだ。

ハングはリンを見ないように壁の調査に集中する。

 

誰もいないこの場所で、ハングの頬はわずかに緩んでいた。

 

いくら拒絶されていても、リンは変わらずに自分の『御守り』を持ってくれている。

それがたまらなく嬉しかった。

 

 

そして、この空間で分断されていたのはハング達だけでは無かった。

 

とある場所ではセーラが横たわる貧相な肩を必死に揺さぶっていた。

 

「ちょっと!エルク!あんた起きなさいよ!」

 

返事は無い。

 

「エルク!私、喉乾いたの!!ねぇ、起きなさいってば!!」

 

何度もエルクの肩を揺さぶってみるも、やはり返事は無い。

 

「エルク、起きてよ」

 

セーラは思わず彼の頬を張り飛ばした。

だが、エルクが意識を取り戻すことは無かった。

 

「起きなさいよ」

 

杖でエルクの腹に叩きつけてみた。

 

「起きてよ・・・」

 

エルクは起きない。

 

「起きて・・・よ・・・」

 

見知らぬ空間で一人きり。

周囲に人の気配はなく、頼れるのは同じ部屋で横たわっていたエルクだけという状況で彼の意識は戻らない。

 

セーラの目元に雫が溜まりそうになったその時。

 

「何を泣いてるんだい君は?」

 

エルクが突然に目を覚ました。

 

「ここはどこだい?ん?なんだか体が痛いんだけど、セーラ、君は・・・」

「バカぁぁぁぁぁ!!」

 

セーラの杖がエルクの横顔に叩き込まれた。

 

「なにするんだい!」

「うるさいわよ!エルクのくせに!何で今起きるのよ!!」

「はぁ?どういう意味だかさっぱりだ」

「根暗だからそうなるのよ!バカ!」

「あのねぇ、できれば人間の言葉で喋ってくれないか?」

「なんですって!?」

 

ごちゃごちゃといつもの痴話喧嘩を始めるセーラとエルク。

 

「そんな小難しい本ばっかり読んでるから、あんたが理解できないだけよ!」

「そういうことは僕の本を一冊でも読み切ってから言ってくれ」

「そんなの嫌よ!面倒くさい」

「そうやって、面倒事を遠ざけているからいつまでたっても・・・」

「もう、うるさいわよ!さっさとこの部屋から出る方法を探しなさい!」

 

そして、そこからさほど離れていない別の部屋ではエリウッドが目を覚ましていた。

 

 

「・・・うっ・・・・?石の壁・・・?ここは・・・どこなんだ・・・みんなは?」

 

自分の置かれた状況を確認するために口に出して考える。

 

それはハングの教えだった。エリウッドはとにかく、自分に起きた状況を整理しようと口の中で単語を並べる。

 

ナバタ砂漠、案内人、流砂・・・

 

「どこかに落ちたのか?」

 

独り言のように口にした結論に反応があった。

 

「やぁ、気がついたね。大丈夫かい?」

「・・・パント殿」

 

パントはこの不可思議な状況でも、笑顔を崩さない。

それどころか、どこか楽しんでいるようにも見える。

 

研究肌のパントにはこういった謎に満ちた場所こそ求めていた物だ。

エリウッドはパントの後ろにホークアイの姿を見つけた。

 

「あの・・・ホークアイ殿、ここはどこなんですか?」

 

念のために確認をしておくエリウッド。

もしかしたら、ここが"生きた伝説"の住まいであることも否定できないのだ。

 

それに対してホークアイは抑揚の無い声で答えた。

 

「・・・・・・わからん」

 

落胆するエリウッド。その隣でパントは不思議そうな声をあげた。

 

「わからないだって?この砂漠に、君の知らない場所があるとは意外だな」

「・・・このような場所のことは、主からも聞いたことがない」

 

『主』

 

"生きた伝説"のことかとエリウッドは当たりをつける。

 

「あ!エリウッドさまだ!よかった、見つかって」

 

その時、石壁が崩れた場所からニルスが顔を見せた。

壁の向こう側には同じく正方形の部屋が広がっていた。

 

「ニルス!みんなは?無事なのか?」

「うん、すぐ近くにいるよ」

 

ニルスの後ろからニニアンとイサドラが顔を見せる。

 

「エリウッド様、何人かは別の部屋に流れ落ちたようです。数人は場所を確認しているのですが、発見できない人も何人かいます」

「発見できてないのは、誰だい?」

「ハング殿とヘクトル様、リンディス様、フロリーナさんの四人です。エルク殿とセーラ殿、セイン殿とフィオーラ殿は壁越しですが、位置は把握しております」

「うん、彼らなら平気だろう」

 

エリウッドは深く考えることなくそう言い切った。

天馬姉妹とエルクを除けば三回ぐらい殺さないと死なないような人たちばかりだ。そう心配せずともよいだろう。

 

「エリウッド様・・・心配ではないのですか?」

 

そんなエリウッドを不思議に思ったのか、ニニアンがそう言った。

 

「心配は少ししてるよ。けど、それ以上に信頼してるからね。彼らなら心配ないさ」

 

本当のことを言うと多少の懸念はあるのだがそのことを言う必要はないとエリウッドは

思っていた。

 

今もっとも考えるべきことは『ここ』がどこであるかということだった

そして、『ここ』に『なに』がいるのかということだった。

 

「ここ、どうやったら出られるんだろ?」

 

ニルスが天井を見上げた。自分達はそこから落ちてきたが、そこに頭を突っ込んで砂の中を泳いでいくわけにもいかない。

他に出口があるのかもしれないが、それには少し問題がある。

 

「・・・何か、妙なモノがいるな。“気”が乱れている」

 

パントがそう言い、エリウッドが神妙な顔で頷いた。

 

「・・・人を不安にさせるようなこの嫌な感じは・・・【魔の島】でも一度ありました」

「【魔の島】で?」

「ええ、【竜の門】に近い遺跡で初めは妙な気配を感じ・・・それからいきなり、全ての魔法がかき消される空間が出現したんです」

 

エリウッドはそのことはよく覚えていた。

あの経験はそうそう忘れられるようなものではない。

 

その時、今まで黙っていたホークアイが反応した。

 

「・・・パント・・・それは・・・・・・」

「【魔封じの者】だな」

 

ホークアイとパントには心当たりがあった。

 

「・・・何者ですか?」

「詳しいことはわからないんだが・・・近づく者の魔力を封じるやっかいな奴だ」

 

【魔封じの者】

随分と解りやすい名前だ。

 

「・・・どうしてそれがこんなところに?」

「・・・理由は分からない。だが、私たちを警戒しているのは確かなようだよ」

 

その証拠にパントは先程から乱れていた"気"が更に強く歪んでいくのを感じていた。

そして、ある一点を越えた瞬間その"気"そのものに強い変化が起きた。

 

「“気”が・・・変わった!!!」

 

ニルスが叫ぶ。それと同時にニルスは気配の根を周囲に張り巡らせた。

 

「あいつ・・・仲間を呼びだしたよ。すごく・・・強いやつらだ」

 

少し遅れてパントもこの場の状況を理解した。

 

「・・・「召喚」を使うのか。どうやらこの“場”を作り出しているのは【魔封じの者】のようだ」

「・・・奴を倒せばここから出られますか?」

「おそらく」

 

それを聞き、エリウッドの目つきが変わる。

 

「・・・ならば、戦います!僕らには、時間がないんです・・・!!」

「・・・我も戦おう」

 

ホークアイも斧を手に、そう言った。

 

「パント、おまえは残りの者たちを守ってくれ」

「わかった」

 

【魔封じの者】から離れれば魔法は使える。エリウッドもそのことは経験則で知っていた。

「ニルス、パントさんと共にいてくれ。イサドラ、魔法を使う者を一箇所に集めて護衛を頼む」

「うん!わかった」

「了解です」

 

ニルスとイサドラが別の部屋へと走っていく。パントもそれに続いて部屋を去る。

その時、不意に妙な物音がした。

ニニアンが何かを察し、叫ぶ。

 

「エリウッド様!そこはダメです!!」

「っ!」

 

エリウッドはとっさにその場から飛んだ。

次の瞬間、壁を突き破って巨漢が現れた。彼の持つ斧がエリウッドが先程まで場所にめがけて振り下ろされる。地面に突き立った斧が砂を巻き上げる。

 

エリウッドはすぐさま剣を引き抜き、素早い突きを喉元めがけて打ち込んだ。

確かな手応えを感じ、エリウッドは素早くレイピアを引き抜く。

 

「ぐっ・・・ぁぁ・・・」

 

入ってきた敵はうめき声をあげながら、チリと化して消えていった。

これも【魔の島】で体験したことだ。

 

「・・・これは・・・」

 

エリウッドは返り血の付いていない剣を鞘にしまう。

 

「エリウッド様!お怪我は!?」

「大丈夫だよ、ニニアン。君のおかげだ」

 

ニニアンの警告が遅かったら無事ではすまなかっただろう。

 

「ありがとう、助かったよ」

「・・・はい」

 

エリウッドはそのままイサドラの後を追って隣の部屋へ足を向けた。

 

その時だった。

 

突然、轟音が聞こえ、瞬く間に通路が塞がった。

この部屋からの出入り口が突如として壁になってしまったのだ。

 

「壁が!?」

「・・・・・・奴の仕業だ」

 

ホークアイが眉をしかめる。『召喚』で呼び出せるのものは常に生物とは限らない。

術者の腕前次第では石像や武器でさえ呼び出す。

 

「・・・どこかで我らを見ているようだ」

 

エリウッド達に残された道は先程重装歩兵が突き破ってきた壁の穴だけ。

 

「エリウッド様!!ご無事ですか!?」

「マーカスか!?」

 

塞がった通路の向こうからマーカスの声がくぐもって聞こえてくる。

 

「こっちは平気だ、そっちはどうだ?」

「問題ありません。話はパント殿に聞きました。とにかくその【魔封じの者】とやらを探します」

「ああ、くれぐれも気をつけて」

「はい!では、後ほどお会いしましょう!」

 

マーカスの声がそれを最後に消える。

 

「さて、僕らも行こう」

「・・・ああ」

 

エリウッドは率先し、別の部屋への通路に踏み込む。

 

その後をニニアンが続く。

 

「ニニアン、足元に気をつけて」

「あ・・・ありがとうございます」

 

手を差し出すエリウッド。その手を取るニニアン。

 

殿を務めるホークアイ。

二人を見るホークアイの瞳には憂いの欠片が含まれていた。

 



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23章外伝~創られし命(中編)~

「セイン、そっちはどうなってる!?」

「問題なしだ、相棒」

 

出口の無い部屋に落ちてしまったセインは壁越しにケントに無事を伝える。

 

セインには怪我もなく、武器もある。

 

戦闘をするには問題はないが、面倒な事態が起きているのは事実だった。

 

「フィオーラさん、まだ救援には時間がかあるようです。ですが、心配には及びません!この情熱溢れる騎士、セインがいる限り・・・」

「それ以上近づいたら串刺しにしますよ」

 

険しい表情で槍先を向けるフィオーラ。

それに対してセインは大袈裟によろめいてみせた。

 

「ああ、その真剣な瞳も美しい」

「先程は油断しました。あれほどの接近を許すとは・・・」

 

フィオーラはさっきまでの失態を思い出して身震いした。

あれが戦場であればフィオーラは腕の一本でも持っていかれている。

 

「いえいえ、騎士たるもの、女性を守るのは当然です」

「むしろ、あなたに襲われかけてましたが」

 

この部屋に落下してきたフィオーラは意識を半ば失っていた。

周囲の世界に現実味がなく、絵画のように見えてしまう程に朦朧としていたところをセインに介抱されたのだ。

その時にセインが身体の色々な場所を必要以上に調べていたことは辛うじて覚えている。

 

「いえいえ、そんなことありませんよ!私はフィオーラア様の美しい身体に怪我がないかどうか・・・」

「それで私の尻を何度も撫でていたのですか?」

「え、あ・・・えーと・・・それは・・・不可抗力・・・」

「そんな言い訳が通用すると思いますか?」

 

セインに目は明らかに泳いでいる。そんな彼を見つめるフィオーラの目線は鋭いままだ。

 

「やはり・・・あなたとは早く決着をつけておくべきでしたね」

「いやいやいけませんよ!いくらフィオーラ殿が騎士道に則った上で申し込んでこようとも、私にはあなたのような美しいお方と決闘などできません!」

 

その時、フィオーラの眉がピクリと動いた。

 

「私は傭兵です」

 

その声音はやけに硬い。

 

その台詞にさすがのセインもその笑みを引っ込めた。

 

騎士とは(あるじ)に仕え、誇りを持って戦う人たち。その身に受ける名誉や名声は金のために戦う傭兵がいくら努力しても得られないものである。

 

『騎士』になりたくても、『傭兵』は決してその地位に手は届かない。

 

フィオーラの瞳に潜む、嫉妬と羨望。

セインはその冷たい視線を受けとめ、口を閉じた。

 

だが、それはほんの一時のことでしかなかった。

 

「何を言ってるんですか!」

 

セインは突然大声で叫んだ。その声にフィオーラは自分の身が竦んだのを感じた。別にセインの声に驚いたわけではない。セインの顔つきがいつもと変わっていたのだ。

 

セインの顔にヘラヘラした軽薄な笑顔はない。ましてや、戦闘中の少し殺気立った笑みもない。

 

彼の顔に浮かんでいたのは、引き締まった騎士としての顔だった。

そのセインの表情には彼の真っ直ぐな感情がそのまま写し出されているようだった。

 

「確かに、『騎士』という地位はそう簡単には得られません!ですが!」

 

セインは力強く続ける。

 

「向上心、誇り、優しさ。それらを併せる『騎士道』を持つことにはなんの壁がありましょうか!?いえ、そんなものはありません!!フィオーラさんは俺が尊敬してやまない程の騎士道を持っています!」

 

セインの眼はいつになく真剣だった。

その眼にフィオーラは射抜かれたように動けなかった。

 

そして、不意にセインの顔が緩む。

 

それは泣き出す直前の少年のような顔であった。

 

「ですから・・・自分をそんなに苦しめないでください・・・俺が悲しいじゃないですか」

 

セインはいつだって自分の気持ちに真っ直ぐだ。

それは過剰とも言える程に真っ直ぐだ。

普段、おちゃらけていてもその言葉には決して嘘は無い。

 

だからこそ、その言葉は本当の意味で人の心に突き刺さる。

 

「セイン・・・あなたは・・・」

 

フィオーラは無意識のうちに自分の拳を握りしめていた。

 

殴る為ではない。

 

そこにはフィオーラから溢れ出しそうな感情が篭っていた。

 

「あなたは・・・どうして・・・そんなことが言えるのですか・・・」

 

戦いを生業としながらも、対局にいるような存在の騎士と傭兵。

 

周囲からの冷たい視線。

偏見に満ちた態度。

浴びせられてきた罵詈雑言。

 

氷と雪に閉ざされ、傭兵としか生きられないイリアの人々。

 

戦いで身体を痛めつけ、雇い主と交渉で神経をすり減らす。

だが、溶けることの無い凍土は容赦無くイリアの人々を苦しめる。

 

どんなに辛くとも戦い続けるしか無いのがイリアの傭兵だった。

 

それをセインが本当の意味で理解してると思えない。

 

なのに、彼の言葉はフィオーラの奥深くまで染み渡っていった。

 

「ほっとけないんですよね・・・」

「・・・・・え?」

 

セインは照れ臭そうにそう言った。

 

「あ、いや・・・フィオーラさんって似てるんですよ。あの堅物に・・・だから、まぁ、なんていうか・・・」

 

それはフィオーラが初めて見るセインの姿だった。

 

「やっぱ、幸せになって欲しいというか・・・・いや!もちろん、相棒とフィオーラさんが似てるからって俺が特別なことしてるわけじゃないんですよ!俺はフィオーラさんだからこうして」

「わかってますよ」

 

そこを取り違えてしまう男ではない事は嫌という程わかっている。

 

フィオーラは一度深呼吸をしてみる。

 

砂漠の乾いた空気の中に胸の内が満たされる。

 

なんだか、自分の中に沈んでいた氷が一つ消えたような気がした。

 

「ありがとうございます、セイン」

 

面と向かい、礼を述べるフィオーラ。

セインの顔にはいつもの軽薄な笑みが戻っていた。

 

「いえいえ、騎士として当然です!そうだ、フィオーラさん!同じ騎士道を持つ俺と熱く語り合いまフガヤヤアアア!!」

 

半ば飛びかかるように突っ込んできたセインをフィオーラは固めていた拳で迎撃した。

 

ほんの少し前までは最高にかっこよかったのに、この人は・・・

 

「う・・・ぅぅ・・・」

 

少し強く打ちつけすぎたらしく、セインの意識は混濁していた。

その顔はだらしなく、まるで子供のようだった。

 

「本当に・・・あなたって人は・・・」

 

呆れたようにそう言ったフィオーラの目は随分と暖かかい。

 

今度はフィオーラが介抱する番だった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ヘクトルは参っていた。

 

壁から伝わる音で遠くで戦闘が行われているのがわかる。

 

この部屋に一人凄腕の弓兵が湧き出てきた時は本当に焦った。

そのせいで、いらない怪我までこさえてしまった。

 

おかげで壁を破る程の力が腕に入らない。仲間の救援には行けないし、腕は痛む。

 

だが、それ以上にヘクトルは参っていた。

 

ヘクトルが隣に視線をやると、怯えた兎のように小さくなっている女性がいた。

 

フロリーナだ。

 

「・・・・・だ、大丈夫・・・大丈夫・・・」

 

そして、自分に言い聞かせるためか『大丈夫』を繰り返す。

 

小さなその声がヘクトルまで聞こえるのは二人の距離がさほど離れていないからだ。

 

フロリーナはヘクトルの怪我を心配して、できるだけ近くにいる。だが、彼女にはヘクトルに近づける距離に限界値がある。そのせいで2人は中途半端な距離を保って座り込んでいた。

 

ヘクトルは参っていた。

 

彼女が恐る恐るといったように、ヘクトルに視線を向けた。

当然、彼女を観察していたヘクトルと目が合った。

 

「っ~~~~~!」

 

フロリーナに声にならない悲鳴をあげられてしまった。

 

俺は化け物かよ・・・

さすがに落ち込むヘクトルだ。

 

ここにはフロリーナの愛馬であるヒューイもおらず、彼女は最初から今まで震えっぱなしだ。ヘクトルの方からも何度か会話を試みたが、フロリーナが昏倒直前までいって諦めた。

 

それでも、フロリーナは常にヘクトルの方を気にしていた

 

それはフロリーナがヘクトルの怪我を自分のせいだと思ってることであった。

 

確かにこの怪我はフロリーナを弓兵から庇ったためにできたものであるが、決して彼女のせいではない。誰が悪いと言えばヘクトルが未熟だったからだ。

 

間違いなく叩き落とせた矢を判断ミスで怪我につなげてしまったヘクトルの落ち度だ。

だが、フロリーナからすればそう簡単に割り切れる話ではなかった。

 

ヘクトルは自分の腕に巻かれている包帯を一瞥する。

 

この怪我の治療でも既に一悶着起こしている。

 

自分でやると言い張るヘクトルに対して、どもりながらも譲らないフロリーナ。

結局フロリーナが押し切り、手当をしてもらった。

利き腕に穿たれた風穴にあてた布はフロリーナが自分の私物を引き裂いて作ってくれた。

 

ヘクトルは苛立ちを抑えるようにこめかみを指で押す。

 

ヘクトルはそのことに対して礼の一つも言いたいのだが、とうの彼女は鷲に捕らわれた子兎のような有様だ。

 

「なぁ、おい」

「ひゃぁ!!!ごめんなさい!!」

「・・・・・・」

 

ヘクトルが声をかけるたびにこの有様である。

 

ヘクトルはこういう面倒な人は苦手だ。

だが、ここで礼を返せないのは別の問題だ。

 

何が何でも礼を言いたい。そして、受け取ってもらいたい。

言葉で並べると簡単なはずのことなのに、現実は随分とややこしい。

 

ヘクトルはため息を吐き出そうとして、その直前で止める。

 

露骨にそんなことをすると、フロリーナが泣きそうになる。

 

既に二回経験済みだ。

 

あの目で見られるのは心底きつい。

 

しかし・・・

 

ヘクトルは現実逃避も兼ねて自分の手当をしてくれたフロリーナの姿を思い起こす。

 

『わ、私がやります!こ、ここここだけは・・・ゆずりません!』

 

震え、涙を溜め、それでも一直線にヘクトルの目を見てフロリーナはそう言っていた。

 

いつも、あれぐらいならいいのによ・・・ま、無理だろうけどな。

 

彼女が努力していることはヘクトルも知っている。羽馬相手に会話の練習しているのを何度か目撃している。

 

だが、人には向き不向きがあるのだ。

 

こんなことに無理する必要はないとヘクトルは思っていた。

度を越した努力はしんどいだけだ。努力する人間は嫌いではないが、ヘクトルは自分にそれをする価値のある人間とは思っていない。

 

もっと別のところに努力の方向を向ければいいのによ。

まったく・・・不器用な奴だぜ・・・

 

ヘクトルは思い出したようにフロリーナの横顔に視線をやった。

今度はフロリーナがこちらを見ていたらしく、目が合った。

 

「・・・・お、おう」

 

その時、フロリーナの体が揺らいだ。

 

「おい!大丈夫か!?」

 

慌ててヘクトルは彼女を支えた。

 

そして、その直後にヘクトルの背後の壁が突き破られた。

 

「ヘクトル!ここに・・・いたのか・・・・・」

 

ホークアイが壁を破り、エリウッドが入ってきた。

 

「おう、ちょどいいところに・・・」

 

そこまで言いかけて、ヘクトルの表情が固まる。

 

ヘクトルは状況を整理してみる。

 

ヘクトルは倒れたフロリーナの背と頭に腕を回して支えている。そのフロリーナは目を回している。エリウッドの位置からだとヘクトルがフロリーナに覆いかぶさっているように見える。

 

そして、フロリーナが男性を苦手としているのはエリウッドは当然知っていた。

 

エリウッドの表情が次第に呆れたようなものに変化していく。

 

「ヘクトル・・・・君は・・・」

 

エリウッドの後ろから顔をのぞかせたニニアンの目線が突然に冷たくなった。

 

「ヘクトル様・・・」

 

彼女の声は氷すら生温く感じるぐらいの冷気を帯びていた。

そんな現状を見てホークアイが状況を一言で表した。

 

「・・・・襲ったのか?」

「ちげぇんだ!!言い訳ぐらいさせてくれ!!」

「ヘクトル・・・さすがに僕も擁護できないよ」

「最低です・・・」

「違うって!話を聞け!!」

 

ヘクトルの叫びが虚しく響いていた。

 



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23章外伝~創られし命(後編)~

リンは夢を見ていた。それが夢だと思うのは現実でないことを理解しているからだ。

 

リンは使い慣れたゲルの中にいた。

 

ゲルとはサカの民が使う移動式の住居のことだ。

そのゲルはリンがまだ族長の娘であった頃に使っていたものだった。

 

リンは最初『あの夢』かと思った。

家族がいて部族の仲間がいる『あの夢』

楽しくて、暖かくて、幸せで。

 

そして、目が覚めた時に待っているのは静かで孤独なゲルの中。

泣きながら夢から目を覚ますことになる『あの夢』。

 

だが、リンが見たのは別の夢だった。

 

「おう、リンディス。今日は随分ゆくっり眠ってたな」

 

聞き慣れた声がする。

ベットから身を起こすと、ゲルの片隅で剣の手入れをする男性がいた。

 

「どうした?泣きそうな顔して、また変な夢でも見てたのか?」

 

サカの民族装束に身を包み、癖のある黒い髪を無造作に束ねている男性。

 

「ったく、こっち来いよリンディス。さっきデール作ったから、朝飯にしよう」

 

デールとは肉をパンで包んだ料理。サカの民がよく作る食事だ。

 

「今回は自信作だ。味見もすませてる。安心して食ってくれ」

 

そして、弾けたように彼は笑った。

 

今よりも少しだけ顔が大人びたハングがそこにいた。

 

「・・・・これは・・・夢よね・・・」

 

夢に違いない。

夢に決まっている。

 

だって、こんなことはあり得ない。

私達はナバタ砂漠に入ったはずだし、ゲルなんて持ってない。

第一ハングは自分のことを『リンディス』とは呼ばないのだ。

 

「本当にどうしたんだ、リンディス?どっか悪いのか?」

 

心配したハングが近づいてきた。

ベットに体を乗せて、リンの顔を覗き込む。

 

その時、リンの鼻にハングの匂いが流れ込んだ。

 

少し埃っぽい土の匂い。

 

夢だとわかっているのに、やけに現実感があるのは多分この匂いのせいだ。本当にハングがそこにいるような気がする。

 

「夢よ・・・これは、夢よ・・・」

 

自分に言い聞かせてないと、どうにかなってしまいそうだ。

何がどうなってしまうのかはわからないが、とにかくこれはまずい気がした。

 

リンが慌ててベットに手をつくと、そこにはハングの古ぼけたマントが皺になって置いてあった。それは、リンと同じベットでハングが寝ていた証拠。リンは自分の顔に一気に血が登ったのを自覚した。

そんなリンに向けてハングが手を伸ばす。

 

「んー・・・熱は無いな・・・でも、少し顔赤いか?」

 

いつの間にかハングの右手がリンのうなじにまわっており、ハングの額がリンのおでこに触れていた。

目の前にハングの顔がある。彼のまつげの一本一本が鮮明に見える距離にまで2人の顔が近づいていた。

そのあまりの距離にリンの心臓は爆発しそうだった。

 

「病気じゃなさそうだが・・・リンディス?大丈夫か?」

 

間近でそう言われ、リンディスはさすがに耐えられなかった。

 

「ど、どうして、私をリンディスって呼んでるのよ!?」

 

夢の中で怒鳴る。絶対に寝言になっていると思ったが、そんなこと言ってられなかった。

 

「は?」

「だ、だから・・・なんで・・・私を・・・いつもは『リン』って・・・」

「何言ってんだ?」

 

心底不思議そうにハングは答えた。

 

「家族だけの時はいつも『リンディス』って呼んでるだろうが」

「か、かか、家族!?」

「もしかして結婚前の夢でも見てたのか?」

「けっ、けっこん・・・・」

 

本当に心臓が破裂したかと思った。

 

私とハングが・・・結婚・・・

 

そんなこと・・・

 

あり得ない・・・のだろうか・・・

 

「寝ぼけてるのか?それとも、誓いの口づけをもう一回やりたいのか?」

「ば、バカ!!!」

「はっはっはっ、冗談だよ。そんだけ元気なら大丈夫そうだな」

 

快活に笑い飛ばして、ハングはリンから離れていった。

 

「あ・・・」

 

離れていくハング。その途端、今度は胸が締め付けられるように痛んだ。

欲しかったぬいぐるみが目の前で買われてしまったようなそんな気分。

 

その原因もわからずにリンは俯いてしまった。

 

なんなんだ・・・この夢は・・・

 

「あ、そうだ、リンディス」

「え?」

 

顔を上げた瞬間、何かが口を塞いだ。

先程以上の至近距離にハングの顔がある。

何が起きたのか理解した時には既にハングは離れていた。

 

「な、ななななな何を!!」

「何って、誓いの口づけはご所望じゃないみたいだったからな。『おはよう』の挨拶で口づけをしてみた」

 

ハングは悪戯好きの子供のように笑っていた。

リンは思わず張り手を振りかぶる。

 

その拍子に目が覚めた。

 

目を見開き、見知らぬ天井が目に映る。

慌てて上体を起こすと何かが身体から滑り落ちた。

 

「よう、気が付いたみたいだな」

 

声のしたほうを向く。そこには若い頃のハングが部屋の隅で背中を壁に預けて座り込んでいた。

 

こっちのハングが正しい姿なのだ。

さっきのは夢だ。夢なのだ。

 

リンは何度も自分に言い聞かせ、深呼吸を繰り返す。

リンはいまだ全力疾走を続ける鼓動を無視して、今いる部屋を確認する。

 

リンが気が付いた場所は砂の敷き詰められた正方形の部屋だ。

出入り口は見当たらず、右手の壁には拳の痕がいくつか残っている。

おそらくハングが道を作ろうとした痕跡だろう。

 

そうだ、これが現実だ。

 

気がついた場所はどうでもいい。とにかく、今のこの時間こそが現実なのだ。

リンはその時になってようやく、自分にかけられていたのがハングのマントだと気が付いた。

 

リンはこっそりとそのマントの匂いをかいでみる。

 

少し埃っぽい大地の匂い。

 

あんな夢を見たのは間違いなくこれが原因だった。

 

「・・・・・」

 

夢の内容を思い出し、リンの胸は再び高鳴った。

 

さっきの夢があまりにも生々しすぎたのだ。

あんなのを見せられて、何とも思わないわけがなかった。

 

私が・・・ハングと・・・

 

『大丈夫か?リンディス?』

 

声が聞こえた気がして思わず顔をあげる。

 

だが、ハングはさっきと同じ姿勢のままだった。

その横顔はいつものハングだ。

 

「そういや・・・・」

 

ハングが喋る。リンはその声が幻聴か現実か一瞬わからなかった。

それほどまでに、最近のリンは幻聴が多かった。

ハングは続ける。

 

「こうやって・・・二人になるのって随分と久しぶり・・・かな・・・」

「そう・・・かな・・・」

「ああ・・・」

「・・・・・・・」

「・・・・・・・」

 

沈黙が訪れる。それは圧力となって二人の肩にのしかかった。

 

ハングは苛立たしげに顔をしかめる。

リンはその圧力に屈して顔をさげてしまう。

 

その俯いたリンの手元にはハングの皺くちゃなマントが乗っていた。

 

どうしてこうなったんだろ・・・

 

ハングとは今まで長い時間を一緒に過ごしてきた。軽口を叩きあって、共に笑って、苦しんで、隣に立って歩いてきた。

それなのに、今となってはどんなことを話せば良いのかもわからない。

口を開こうと思っても、どこからか気持ちがこみ上がってきてしまって言葉を飲み込んでいく。

 

どうしてだろう・・・なんで・・・

 

2人の間の重苦しい沈黙。

それに先に耐えられなくまったのはハングの方だった。

 

「そうイや・・・んっ、んん!!」

 

声が裏返ってしまうハング。それを咳払いでごまかし、改めて続ける。

 

「そういや。随分と楽しい夢でも見てたのか?」

 

その瞬間、リンはビクリと身体を震わせた。

 

「わ、私何か言ってた!?」

「聞き取れるもんは無かったけど・・・なんか随分と楽しそうだったからさ・・・」

「ああ・・・やっぱり!」

 

これでも、リンだって女の子だ。

ハングに寝言を聞かれたと思うと恥ずかしくて仕方がなかった。

 

「忘れて・・・」

「え・・・あ、でもなんか・・・可愛かった・・・ぞ?」

「忘れてぇ!!じゃないと、何発か脳天にお見舞いしてでも記憶飛ばすわよ」

「忘れました。何も覚えていません」

 

リンの一撃を何発か貰ったら前後の記憶が飛ぶことはまれにある。ハングは素早く頭を下げた。

 

「・・・」

「・・・」

 

ふと、また沈黙がおりる。

だが、不思議とさっきのような圧力は無くなっていた。

その間合いは心地よく、そして感じ慣れた会話の呼吸だった。

 

「っくく・・・」

「ふふ・・・」

 

どちらともなく、二人が笑い出す。

 

「くっかはははははは」

「ふふふふ、ぁはははは」

 

それは、腹の中の何かを吹き飛ばすような笑い声。

聞いてる方が幸せになりそうな、そんな笑いだった。

 

「はぁ・・・なんか、久々に笑った」

「私も」

 

そしてリンはようやくハングとまともに目を合わせることができた。

 

さっきの夢のおかげだろうとリンは思っていた。

夢とはいえ、随分と現実感があった夢だ。

あの中であそこまで過激なことを乗り越えた直後ではハングと話すぐらいなんてことはなかった。

 

「それで、体調は平気か?」

「うん、今は随分といいわ」

 

今この瞬間によくなった。そんな感じだった。

ハングと普通に会話できる。それが今はこんなにもうれしい。体調が悪いわけがなかった。

 

不安とか焦燥感とか寂しさとか、今まで心の奥を濁らせていた淀みがどこかに流れ出していく。

 

「そうか・・・よかった」

 

ハングが笑った。

 

それはいつも弾けたようなものではなく、本当に優しそうな柔らかい、幸せそうな笑顔だった。

 

「あ・・・・」

 

その瞬間、リンの中で夢の内容が脳裏を駆け抜けた。

その笑みは忘れようもない。

その笑顔はハングと口づけした時、彼が浮かべていた笑顔に瓜二つだった。

 

リンは自分の唇に指で触れてみる。

 

匂いは感じてもあれはただの夢。さすがに口づけの感触はなかった。

 

してみたいな・・・

 

自然と視線がハングの口元の方へと注がれる。

 

「・・・って!え!?」

 

自然と浮かんできた願望にリンは驚きの声をあげた。

 

今、自分は何を考えた?

何をして欲しいって思った?

 

急に声をあげたリン。

 

「どうかしたか?」

 

気遣うようなハング。

 

その一声で体が熱くなる。

だが、それは制御のきかないものではなく、体の奥底を宙に浮かせるようなそんな気分を味合わせてくる。

 

「リン?」

 

ハングの声はもうリンの耳に届いていなかった。

 

リンの中では自分の感情と願望が溢れかえっていた。

 

血液が全身をめぐる。頭の中がのぼせたように火照っていく。

 

自分は今何を望んだ?どんな未来を期待した?

昔から欲しかったものはなんだったっけ?

 

その答えが一つの言葉に収束していく。

 

「おい?大丈夫か?」

「・・・・・・・」

 

ああ・・・そうだったんだ・・・・

 

リンは笑ってしまいそうだった。

 

私は・・・こんなことで悩んでいたのか・・・

 

「リン?」

「うんん、なんでもない」

 

リンはハングのマントを手に立ち上がった。

そこから漂う匂いを感じながら、リンは部屋を横切ってハングへと手渡した。

 

「これ、ありがとう」

「俺は・・・何もしてねぇよ」

 

ハングは怪訝な顔をしてそれを受け取った。

 

今まで散々避けられ続けてきたのだ。

それが急に態度を戻されたのではこんな顔にもなるというものだった。

 

リンはそんなハングを見て、クスリと笑った。

 

そして、リンはそのままハングの隣に腰かけた。

 

「・・・・お、おい」

 

狼狽えたようなハング。リンはその声を無視してハングの肩へと軽く身を寄せる。

半月ぶりぐらいに触れたハングの体温は汗が冷え、とても心地よい温度だった。

 

やっぱり・・・そうなんだ・・・

 

自分はハングの旧友に激しく嫉妬した。

ハングを見ると落ち着かなかった。

顔を見るだけで恥ずかしくなった。

 

そして、こうやって傍にいることで自分の心臓が強い鼓動をみせることが何よりの証拠だった。

 

ようやく答えが見つかったのだ。

 

満足そうに目を閉じているリンを見下ろし、ハングは天井を仰ぎ見る。

 

「ったく・・・最近、逃げられてばっかだと思ったら・・・今度はこれか?」

 

ハングは呆れたように、それでいて嬉しそうに言った。

 

「ごめんなさい・・・」

「謝るってことは、問題は解決したのか?」

「うん」

 

ハングは身体の中の空気を吐き出すかのように大きなため息を吐きだした。

寄り掛かったハングの筋肉が瞬時に弛緩していく。壁に寄り掛かったハングの背中がズルズルと滑り落ちていった。

 

そんなハングの顔には強い疲労の色が浮かんでいた。

 

「ハング・・・ごめんなさい・・・私の身勝手で・・・」

「まったくだ・・・でも、まぁ・・・もういいや・・・」

 

ハングとしても言いたいことはあった。文句や説教の一つでもかましてやろうかとも思っていた。

だが、こうして彼女が隣に座って、何気ない会話をしているとそんな気持ちもどこかへと流れ出ていってしまった。

ハングは眠りに落ちる直前のように疲れ果てた笑顔を浮かべた。

 

「それで、これからは今まで通りに接していいのか?」

「・・・うん」

「だったらいい・・・神は天に、人は地に、世は全てこともなし、だ」

「え?」

「お前もエリミーヌ教の聖書ぐらいは一度読んどけ」

 

ハングはそう言ってリンの頭を軽く小突いた。

 

惚れた弱みだよな・・・

 

ハングはそんなことを思い、自嘲するように笑った。

 

ハングは寄りかかりぎみのリンを自分の体重で押し返す。

触れた肩がとても暖かかった。

 

その時、すぐそばの壁が振動で揺れた。

 

ハング達は素早く剣を抜きながら立ち上がる。それとほぼ同時に部屋の壁の一部が崩れ去る。

そこから顔を出したのはマシューであった。

 

「おや、ハングさん。こんなとこにいましたか」

「よう、マシュー。お早い到着だな」

 

ハングは警戒心を解き、剣を鞘にしまった。

 

「あれ?もしかして、お邪魔でした?リンディス様」

「いいえ、ちょうど今終わったところよ」

「へぇ~・・・終わったところ・・・」

「マシュー、なんでそこで俺を見る」

「いいえ~なんでもありません。それより、ハングさん仕事がありますよ」

 

マシューの後ろから金属がぶつかり合う戦闘の騒音が聞こえてきていた。

 

「わかってるよ。リン、平気か?」

「ええ、今日は絶好調よ」

「んじゃ、行くか。マシュー、戦局は走りながら教えろ」

「了解です!」

 

リンが放たれた矢のごとく部屋から飛び出していく。

 

「ハングさん、顔がにやけてますよ」

「うるせぇ、いいだろ別に」

 

否定しないハング。その背中を見ながら、マシューは喉の奥で必死に笑いをこらえていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その後、ハングが戦闘に参加した途端、彼らは流れるようにこの空間を制圧していった。

だが、例の【魔封じの者】はハング達の目の前で転移魔法で消え失せてしまった。

 

「取り逃がしたか・・・」

 

ハングはその転移魔法の痕跡をなぞる。

行き先を悟らせない高位の転移魔法。

 

「やはり、【魔の島】で出会った者と同一でしょうか?」

 

隣ではカナスもその魔法を調べていた。

ハングは「さあな」と言って、立ち上がった。

 

「俺は今回、初めてあいつを見たけどな・・・あれは人間か?」

 

ハングが問うた先はエリウッドだ。

 

「人の形はしていたが・・・僕はそうは思えなかった」

「同感だ」

 

目深に被ったフードの下には頭部があったのかもしれないし、顔もあったように見えた。

だが、あれが本当に人なのかはと問われればハングは首を縦に触れなかった。

 

【魔封じの者】には生きている気配というのがまるでなかった。

 

暗殺者が自分の気配を消すのとは違う。

奴は気配そのものが世界から欠失しているような感覚だった。

 

お互い結論が出ない中、静かな声が二人の間を駆け抜けた。

 

「あれは・・・禁じられた者」

 

詩のような言の葉。それを唄ったのはニニアンだった。

 

「自然の理を曲げる・・・者」

 

謳うニニアン。彼女はどこも見ていなかった。焦点の合わない目で、ただ言葉を紡いでいた。

 

「ニニアン?」

 

エリウッドが呼ぶとニニアンは夢から覚めたように我に返った。

 

「・・・え、あ。エリウッド様・・・わたし・・・」

 

その時だった。

 

「おーい!エリウッド、終わったのか!?」

「・・・あ、ヘクトル」

 

部屋に入ってきたヘクトルに二人の注意が向く。

 

「だったら、さっさとここを出ようぜ。できるだけ早く、できれば今すぐな!」

 

二人の前に現れたヘクトルは汗だくだった。戦闘を終えた直後なので汗をかいてるのはいいのだが、どうもその汗に冷や汗が混じっているような気がした。

 

「何、慌ててんだ?」

「あ、慌ててねぇ!と、とにかく、逃げ場がねぇと・・・」

「ヘクトル!!ここにいたのね!?」

 

今度はリンが飛び込んできた。

 

「ま、待て!リンディス!てめぇは誤解してる!!」

「御託は後で聞くわ!とにかく、今は一撃浴びせないと私の気が済まないの!!」

「だ、だからって真剣取り出すんじゃねぇよ!!」

 

早い段階で危険を察知したハングとエリウッドはニニアンを連れて部屋の隅へ避難していた。

 

「何があったんだ?」

 

ハングはそうエリウッドに尋ねた。

 

「ヘクトルがフロリーナに襲いかかっていたんだよ」

「へぇ・・・なるほど」

「驚かないのかい?」

「いや、ヘクトルならいつかやると思っていた」

「コラぁ!!ハング!てめぇ、聞こえてんぞ!!」

「私の前で余所見とはいい度胸してるじゃない!!」

 

ヘクトルの悲鳴に近い叫びを聞き流し、ハングは冷静に状況を分析した。

 

「しかし、リンの耳に入るの早すぎないか?戦闘が終わったのはさっきだぞ」

「・・・私が教えました」

 

エリウッドの隣でニニアンがぼそりと言った。

そちらを見たハングは自分の体が強張るのを感じた。

 

今のニニアンは目が据わり、口を真一文字に閉じ、氷山のような冷気を放っていた。

 

ハングはニニアンが怒っているところを初めて見た。

 

ニニアンとフロリーナの仲が良いのは知っていたが、ここまで怒るとは予想外だ。

 

静かに怒る女性程恐いものはない。

 

今後は気をつけることを胸に刻んだハングだった。

 

「だ、だからそれは誤解・・・・って、危ねぇ!!」

「チッ」

「おい!キアランの公女が舌打ちなんかすんな!」

「女性を襲うオスティア侯弟に言われたく無いわ!!」

 

いつものように仲良く喧嘩する2人を眺めていたハング達。

そんな時、パントとホークアイが部屋の中央を避けてエリウッド達のところにやってきた。

 

「出口が見つかった。早くここから出よう。【生きた伝説】がお待ちかねだ」

「はい」

 

ハング達は剣が振り回される場所を避けて部屋を出る。

歩きながら、エリウッドはハングに声をかけた。

 

「それよりハング」

「ん?」

「リンディスと仲直りできたのかい?」

 

リンディスが元気になったのを見ると結果は良好だというのはわかるのだが、過程を知りたいと思うのは彼の好奇心だ。

 

「もともと喧嘩なんてしてるつもりは無かったけどな」

「それは、ハング一人で決めていいことじゃないだろ?」

「ごもっとも」

 

いつだって、喧嘩するには二人以上の頭数がいる。

 

「それで?」

「仲直りは・・・まぁ、できたと思うんだけどよ。いまいち俺が何をしでかして、何を許してもらったのかがさっぱりわからねぇ。だいたい今回の話は・・・」

 

笑顔で愚痴をこぼすハングを横目に、エリウッドは楽しそうに笑った。

後方から聞こえるヘクトルの悲鳴を環境音楽にして、ハング達は地下空間を後にした。



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間章~伝説の姿~

地下空間を抜け出し、ホークアイに連れられてやってきたのはオアシスの側に作られた巨大な神殿のような場所だった。純白に近い石はおそらく大理石。

地盤の無い砂漠にも関わらず、その建物はさも当然のように立っていた。

 

人が使うにしてはやけに大きなその建物は【生きた伝説】と呼ばれる者の住処に相応しいとハングは思った。

 

「それじゃ、僕は先に行くよ。妻を待たせているからね」

「え?あ、ちょっ、パントさん!?」

 

言うが早いか、パントさんは駆け足で神殿の中に入っていってしまった。

 

「ホークアイさん、あれ、良いんですか?」

「・・・構わん」

 

そして、ホークアイも神殿の入口から足を踏み入れた。

 

心のどこかで、敷居の高さを感じていた一行はその二人の様子を見て少し気が楽になったのだった。足を踏み入れた神殿内は思っていたよりも神殿らしく無かった。

 

廊下も扉も随分と大きいが、大きいだけで装飾の類も何も無い。

開いている扉から中を覗き込めば、普通の部屋が並んでいるだけで絵画や装飾品の類も無い。どの部屋も風通しがよく、涼しげな空気が流れていた。

 

「・・・ここで休んでくれ」

 

そして、ホークアイに案内されたのは食堂のような場所だ。広いスペースに長い机が並び、簡素な燭台による飾りつけがなされていた。

ハングは馬や食糧の管理についてホークアイに質問し、その場でマーカスとマリナスに指示を送った。

 

「・・・お前達は・・・こちらだ・・・」

 

ホークアイはエリウッド、ヘクトル、リンディス、ハングを呼んだ。

 

「俺もついていっていいのか?」

 

出会い頭に攻撃された為か、ホークアイを前にするとどうしても身がすくむハング。

そんなハングを前にしてもホークアイの態度は変わらない。

 

「・・・主が呼んでいる」

「そうかい、それじゃ同席するとするか」

 

ハングは細かい仕事を仲間に任せて、ホークアイに続いていくことにした。

4人が食堂を出ようとした時、ハング達に続いて外に出ようとする者がいた。

 

「あ、おい。ニルス、ニニアン。どこ行くんだ?」

「えと、ちょっと外に出ていい?」

「それは・・・」

 

ハングがホークアイを見上げると「構わん」と返事があった。

エリウッドは2人に視線を合わせ、砂漠の注意事項を繰り返す。

 

「2人とも、熱射病には気をつけるんだよ。喉が乾く前に水を飲むこと。それと、オアシスには飛び込まないこと」

「はい」

「うん、わかった」

 

ニルスとニニアンは皆の脇を抜けて外へと歩いて行った。

 

「・・・・・」

「気になるか、エリウッド?」

「少しね」

 

だが、今は大事なことがある。

 

ハング達はホークアイの大きな背中に付き従い神殿の更に奥へと入っていった。

 

「・・・お連れしました」

 

ホークアイに案内されたのはこの神殿の中心とも呼べそうな場所だった。

 

部屋の奥には祭壇のようなものがあり、厳かな雰囲気がある。

 

だが、それ以上にハング達の目を引く物があった。それはこの部屋に散らばった大量の本であった。祭壇も燭台も装飾品ですら覆い隠して本があちこちに山となって積まれていた。

それが逆に近寄り難い空気を押し殺し、どこかの城の図書館のような気安さを産んでいた。

 

ハング達が案内されたのはその部屋の隅にある丸テーブルだった。

 

そこに腰掛けていたのは三人。どうやらお茶の時間らしい。

先程、先に入って行ったパントが「やぁ」と声をかける。

 

エリウッド達はとりあえず会釈をしておく。

 

その隣にいたのは金髪の女性だ。しかも、街を歩けば十人が十人振り返る程の美人だ。

それは、こういうことに疎いハングでさえ思わず見惚れてしまう程だった。

 

「・・・フン!」

「っぁ!!」

 

リンに足を踏みつけられ、ハングは痛みに呻く。

 

「あら、お客さんですか?どうぞ、こちらに」

「あ、どうも・・・」

 

その彼女に椅子を勧められ、皆で腰掛ける。

やけに緊張感に欠ける光景だった。

 

「っくっくっく・・・」

 

そして、そんなエリウッド達を見て喉の奥で笑う1人の老人がいた。。

長い白髪と白い髭を存分に蓄えた男性だ。刻まれた皺は深く、どれほどの時を生きているかわからない。

 

そして、その老人がおもむろに話し出した。

 

「よくきた。ローランの末裔達よ」

 

深く、知性を称えた声音。

ハングは妙に背筋が伸びる思いだった。

 

「・・・俺たちがリキア人だってわかるのか?じーさん」

 

ヘクトルが驚いたようにそう言った。

 

「どういう意味?」

 

リンがハングにそう尋ねる。

 

「数千年前の【人】と【竜】の戦いは知ってるか?」

「ええ、【人竜戦役】でしょ。人が勝利して、竜たちはどこかへと姿を消した」

「そうだ。で、その時人を勝利に導いた八人の戦い手がいたことは?」

「【八神将】と呼ばれる伝説の英雄達のことね。私はサカで育ったから【神騎兵ハノン】なら知ってるわ」

「そうさ、サカはハノンの生まれた土地。で、エリウッド達のリキアは【勇者ローラン】が作った国ってわけだ」

 

ハングはパントや目の前の老人に視線を滑らせる。

すると『正解』とでも言われたかのように頷かれた。

 

「それで、私達を"ローランの末裔"と呼ばれたのですね?」

「そのとおりだ、ハノンとローランの血をもつ娘よ・・・・そして・・・」

 

老人の目がハングを捉える。

 

「ふぅ・・・・」

 

その老人が重々しいため息を放つ。

だが、何時まで待とうとその先の言葉が紡がれることはなかった。

 

ハングはエリウッド達の視線が集まるのを感じた。

 

だが、いくらハングでもこの老人が何を言わんとしているのかは読み取れない。

 

ハングはベルンの生まれ。ハング本人もてっきり【英雄ハルトムート】の名前が出ると思っていた。

だが、よくよく思えば自分は高貴な血筋とは程遠い、ベルンに住んではいたが、両親がどこの血を引いているかなどはわからない。

 

答えを待つだけ無駄なのかもしれない。

 

ハングはこの沈黙を突き破るかのように1つの質問をした。

 

「・・・あなたは、どなたですか?」

 

すると、老人は一呼吸置き、名乗った。

 

「・・・アトス。巷では【大賢者】の名で通っているよ」

「はぁ!?」

「アトス!?」

「まさか・・・」

 

エリウッド達が思い思いに驚愕を見せた。

 

「え?なに??」

 

唯一わけがわからないのはリン一人だ。

ヘクトルが興奮を隠せず早口で答える。

 

「【大賢者アトス】といったら八神将の一人だ。じーさんが本物なら1000年くらい生きてることになるぞ?」

 

アトスはどこか遠くを思い出すようにその疑問に答えた。

 

「・・・この世界には謎がいくらでもある。一つを知れば、またもう一つ・・・気がついた時には、人の理から外れておった。欲とは際限の無いものだ」

「だからと言って・・・1000年・・・」

「途方も無い時間だわ」

 

あまりのことに感嘆の声をあげるしかない、ヘクトルとリン。

 

「だが、そのおかげで僕らはこうして本物の英雄に出会えた」

 

エリウッドの意見にハングも同意する。

 

「それで"生きた伝説"・・・確かに上手いこと言う奴がいるもんだな」

 

と、ハングがそんなことを言ってると、目の前にティーカップが差し出された。

 

「さぁ、お茶をどうぞ」

「あ、どうも」

「ありがとうございます」

 

いい香りの紅茶だった。

 

なんだか、緊張感がまるで持続しない。

完全に調子が狂わされているのだが、パントさんも終始にこやかだし、アトス様は笑いをこらえているようなので皆は黙って紅茶を味合っていた。

 

とりあえず、一息つき。

 

アトスが本題へと切り出した。

 

「さて・・・おまえたちはネルガルを止める為にここに来たのだな?」

「はい」

 

力強い返事はエリウッドのものだ。

 

「オスティア侯からお聞き及びでしたか?」

「いや・・・だが、この大陸に起きることは大抵知っておるよ」

 

アトスはそう言って自分のあご髭を撫でる。

 

「しかし・・・ただ知るだけだ。防ぐ力があるわけではない」

 

その言い回しにハングとリンには聞き覚えがあった。

 

「ニルスも以前似たようなこと言ってたよな?」

「ええ、彼らの"特別な力"は前もってキケンを知らせるけど『わかったところで、防ぐ力がないとどうしようもない』・・・・と」

 

二人の話を聞き、アトスは子供の話をするかのようにぼそりと言った。

 

「ニルス・・・『運命の子』の片割れか」

 

『運命の子』

 

ネルガルに追われる『運命』とは、随分と不幸な運命をしょい込んだ2人だ。

 

「ここにも一緒に来てるんですけど。何か気になるものがあったようで、少し外に・・・」

「惹かれるものが、あるのじゃろうな・・・」

 

ハング達はお互いに顔を見合わせた。アトスの言っている意味がよくわからなかった。

 

「それよりも、ネルガルを倒す話じゃ」

 

アトスはそう言って話を本題に戻した。

 

「何かお知恵を拝借できるのでしょうか?」

「うむ、あやつもわしと同じく人の理を外れし者・・・普通に攻撃を仕掛けても倒すことは難しいだろう」

 

ハングはちらりと自分の左腕を見た。

殴りかかるという単純な方法なら返り討ちにあうことは実証済みだ。

 

「ネルガルが操るのは、その威力ゆえに禁じられた古代の超魔法ばかり・・・あやつを倒すには、こちらもそれ相応の用意が必要だ」

「用意とは?」

「・・・あやつが動けぬ今のうちに対抗できる力をつけるのだ」

 

対抗できる方法がある。アトスは確信を持っているように思えた。

ハング達はお互いの目を見て頷き合った。

 

「教えてください!どんなことでもやります!!」

 

エリウッドははっきりとそう言った。

 

「・・・決して楽な道ではないぞ。多大な試練がお前たちを待っている・・・絶望し、この選択を後悔するかもしれん。それでも進むのか・・・若き者たちよ」

「・・・僕達の意志は変わりません」

 

エリウッドは胸を張り、自分の覚悟を確かめるかのように小さく頷く。

 

「後戻りはできんぞ」

「もとよりそのつもりだ!」

 

ヘクトルが声高に吠える。

 

「どんなことだって乗り越えてみせる・・・みんなが一緒なら!」

 

リンが強い視線でそう言った。

 

「必ず、奴を止める。その為にここまで来たんだ」

 

ハングが握りこぶしを固めた。

 

そんなハング達を見渡し、アトスはゆっくりと頷いた。

 

「・・・よかろう。では、やるべきことを教えよう」

 

そして、アトスが示した方法は簡潔だった。

 

『ベルン王国にある【封印の神殿】を目指すこと』

 

「ホークアイを連れて行くがよい。きっと力になる」

「ありがとうございます」

 

そして、アトスは最初からテーブルにいた二人にも水を向けた。

 

「・・・それから、おまえたちはどうする?」

 

紅茶に口をつけていたパントは静かにカップを置く。

 

「アトス様に並ぶほどの魔道使いネルガル・・・そして、竜の復活ですか。実に興味深い話ですね」

 

そして、パントは立ち上がり、正式に名乗りをあげた。

 

「失礼、名乗るのが遅くなった。私はエトルリア王国リグレ公パント」

 

続いて、パントは隣の彼女も紹介する。

 

「彼女はルイーズ、私の妻だ」

「はじめまして」

 

恭しく頭を下げるルイーズ。だが、ハング達は今聞いた情報に耳を疑っていた。

 

「リグレ公爵!?本当・・・ですか」

「ただもんではねぇと思ってたけど・・・」

 

驚くエリウッドとヘクトル。

 

「だれ?すごい人なの?」

「お前は少しその知識の無さを自覚した方がいいぞ」

 

ハングは軽く説教してから、説明しだした。

 

「エトルリア王国屈指の名門貴族にして、現"魔道軍将"・・・ようは、エトルリア最強の魔道士だ」

「最強は言い過ぎだよ」

 

パントはやんわりと否定したが、それでも一二を争う実力者であることは間違いない。

そりゃ、砂漠の賊程度は軽く殲滅できるわけだ。

 

「でも、そんな人たちがどうしてこんなとこに?」

 

その質問にはアトスが答えた。

 

「ベルンでは間も無く世継ぎの王子が成人する。パント達は国の代表としてその祝賀の儀式に出席するのじゃが・・・まだ時があると言いおって砂漠に眠る魔道の品にうつつをぬかしておったのだ」

 

アトスは呆れたように、それでいて楽しそうにそう言った。

どうやら、アトスとパントには師弟のような繋がりがあるようであった。

 

「そして・・・時を同じくしてお前さんたちがここに来た。何かの導きかもしれんな」

「ならば、その運命に従うのみ・・・私と妻も君たちの仲間に加えてもらえるかい?」

「それは、もちろん。いいわよね?エリウッド、ハング?」

 

勝手にこういう話を進めるとハングに雷をもらうこともあるので、リンは念の為に確認をいれた。

 

「もちろんだ。こちらからお願いしたい程だ」

 

エリウッドの意見にハングも頷く。

 

「でも、国などへの報告などはどうされるのですか?」

「報告しても信じてもらえる内容ではないし。役目が終わって戻らなくてもいつものことだから。皆、気にしないだろう。ねぇ、奥さん?」

「クスッ、はい、旦那様」

 

仲睦まじい夫婦だ。

 

なんだか当てられそうなので、ハングは気分を切り替えるためにも別のことを口にした。

 

「・・・どっかの侯弟と一緒だな」

「悪かったな!」

「ともかく、パントさん、ルイーズさん、心から歓迎します」

 

ある程度話がまとまり、アトスが口を開いた。

 

「・・・あまり時間が無い。リキアまで送ってやろう。皆をこの空間に集めるのじゃ」

「はい」

 

荷解きをする前なので、集まるのは容易だろう。

ハングは皆のもとに行こうと席を立った。

 

その時、ハングはアトスに呼び止められた。

 

「ハングよ・・・お主に少し話がある」

「え?俺ですか?」

「そうじゃ」

 

ハングはエリウッドに視線を送る。

 

「僕が皆を集めてくるよ」

「悪いな」

「ヘクトル、リンディス。手伝ってくれ」

「おう」

「・・・あ、でも。私はハングと・・・」

「すまぬ、二人で話があるのじゃ。席を外してくれんか?」

「・・・あ・・・はい・・・」

 

リンが渋々といった形で部屋から出て行き、パントさんとルイーズさんもどこかへと去っていった。

静かになったそのホールにはアトスとハング、そしてホークアイが残された。

 

ハングは場の空気が緊張感に包まれていくのを感じた。

 

さっきまではルイーズさんのおかげでさほど気にならなかったアトスという人物の偉大さに体が萎縮してしまっていた。自分が『伝説』を目の当たりにしているという実感が肌を通じて伝わってくる。

 

「さて・・・ハングよ・・・」

「はい」

 

ハングと面と向かうアトス。

そのアトスの表情にハングは疲れた様子を感じとった。

 

「少し、目を瞑っておれ」

「え?あ、はい」

 

とりあえず従っておくことにした。

ハングが目をつぶり、世界が暗闇となる。

 

「開けてよい」

 

さほど時間もかけず、そう言われた。

ハングが目を開けるも、自分の体に変化は無い。

アトスもホークアイも何かをした様子は無かった。

 

ただ、ハングとアトスの間のテーブルに小さな小瓶が出現していた。

 

「おまえに、これを渡しておこう」

 

アトスはそれを手に取り、ハングに差し出した。

ハングはそれを両手で受け取る。

 

渡されたのは片手の手のひらに簡単に収まる程度の小瓶であった。中には青みを帯びた透明な液体が入っており、その口には硬く封印が施されていた。よくよく見ると、古代の文字による二重の封印もなされている徹底ぶりだ。

 

それが何なのかハングに知る術は無かった。

 

「それは『アフアのしずく』・・・ワシが加護を与えた御守りじゃ・・・お主が『最も信を置く者』に渡すがよい。お主が持っていても効果は無い・・・よく覚えておくのじゃぞ」

 

ハングはその小瓶に視線を落とした。神殿の中に差し込む光に照らされ、『アフアのしずく』は静謐な輝きを放っていた。

 

ハングはアトスの言葉を胸の中で反芻する。

 

『最も信を置く者』

 

ハングは手のひらに汗が滲むのを感じた。

 

「それでは、ここで待つがよい。皆ももうすぐ来るじゃろう」

「・・・・はい」

 

ハングは仲間達が戻ってくるその時までその手の中の小瓶をずっと見続けていた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

部屋に皆が揃い、エリウッドがアトスの前に出た。

 

「みな、揃いました」

「うむ」

 

祭壇の中の本は簡単に片付けられ、皆と馬や荷物が入るだけの空間が作られていた。ホークアイが短時間で片付けたのだ。

そんな部屋の片隅にいたハングの顔をリンが覗き込んだ。

 

「ハング、さっき、何の話だったの?」

「・・・・なんでもないよ。少し、贈り物をいただいただけだ」

 

ハングはそう言って、自分の懐に小瓶を押し込んだ。

 

「本当?」

「ああ。俺が嘘ついたことあったか?」

「似たようなことはいくらでもやってるじゃない」

「リンにはそういうことはしないと、海賊船で約束しただろうが」

「まぁ・・・そうだけど・・・」

 

ハングは自分の懐を軽く叩く。渡された小瓶は確かにそこにあった。

 

「最も信を置く者・・・・・か」

 

口の中だけでそう呟き、ハングは後頭部を軽く爪を立てた。

 

「さて、エリウッドよ」

 

アトスの声が聞こえ、ハングは顔をあげた。

 

「ベルンに一番近い領地はお前のところか?」

「はい、山間に国境があります」

「よろしい。フェレのどこか・・・広い場所を思い浮かべるのだ。あと、誰でもいいそこにいる者の名を念じるがいい」

「わかりました」

 

エリウッドが集中するように目を閉じた。

そして、アトスは他の面々に声をかける。

 

「では皆よ、しばしの別れだ。何としても【封印の神殿】に辿り着くのだ。そこで、運命は開かれていくだろう・・・」

 

その言葉を最後にアトスは詠唱に入る。

ハング達の足元に円を基礎とした不可思議な幾何学模様が浮かび上がった。

 

「・・・転移魔法・・・体験するのは始めてだな」

 

ハングはそう呟き、アトスをもう一度視界に収める。

 

ふと、アトスと目が合った。

 

その瞳はどこか悲しそうな色合いを帯びていた。

 

そして、次の瞬間には風景が様変わりしていた。

城壁に囲まれた中庭。周囲の木々や花壇は手入れが行き届いており、砂漠を歩いてきたハング達にとっては随分と新鮮な色合いだった。

 

「・・・ここは・・・」

「母上!ただいま戻りました!」

 

エリウッドの声を聞き、ハングはフェレ城に送られたことを理解した。

 

「エリウッド!本当にエリウッドなの?まぁ・・・なんて戻り方を・・・この子は・・・」

 

エリウッドとよく似た優しい瞳を持つ女性がエリウッドを熱く抱きしめていた。

母のエレノアであろう。エリウッドの容姿はエルバート様の生き写しだったが、その瞳は母譲りだったようだ。

 

「疲れた顔をしているわ。少し痩せたかしら・・・あぁ、もっと近くで顔を見せてちょうだい」

 

母を気遣い、しばらくされるがままになっていたエリウッド。

 

「・・・母上、父上のことですが・・・」

「・・・立派な最期だと聞きました。例え亡くなられたとしても、あの人は変わらず私達の誇り・・・そうでしょう?」

 

すごいな・・・

 

エレノアの言葉を聞き、ハングは純粋にそう思った。

 

夫を亡くし、息子もいつ帰ってくるかもわからない。

それでもしっかりと立ち続け、息子が帰ってきたら強く受け止める。

 

「母は強し・・・か・・・」

 

ハングは少し昔のことを思い出す。

最初に浮かんだのは本当の母ではなく、自分を鍛えてくれた隊長のことであった。

 

「それより・・・みなさんにくつろいでもらいましょう?あなた達は休息が必要だわ」

 

エレノアの提案。それはとても嬉しい。

だが、エリウッドの表情は固かった。

 

「いえ、母上。申し訳ありませんが、僕らは先を急いで・・・」

「わかっています!」

 

そんなエリウッドをきっぱりと遮るエレノア。

エリウッドは思わず口を閉じてしまった。

 

「でも、今夜だけはこの城に・・・エリウッド・・・どうか一晩だけでも」

「母上・・・」

 

ハングはヘクトルとリンに目配せを送る。

 

「今晩ぐらいはいいんじゃないか?次に戻るのはいつになるかわかんねぇんだ」

「そう!そうしましょ!私、すごく疲れてるし」

 

ハングはリンの頭を軽く叩いた。いくらなんでもわざとらしすぎる。

 

「まったく・・・ま、そういうことだエリウッド」

「ヘクトル、リンディス、ハング・・・ありがとう」

 

ハングは弾けたように笑った。

 

「ちょっと、ハング!叩くことないでしょ」

「礼はいらないぞ」

「しないわよ!」

 

ハングはリンと軽口を叩き合いながら、自分の胸の中の小瓶を意識していた。

 

『最も信を置く者』・・・

 

ハングはいまだ悩んでいた。



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間章~フェレ城(前編)~

「はぁ・・・」

 

ハングは城壁の上でため息をついた。

 

城壁の縁に寄りかかり、焦点の合わぬ目で城下に点在する民家の明かりを見ていた。

手の中にはアトス様からいただいた『アフアのしずく』があり、頭の中は悶々としたままだ。

 

「はぁ・・・」

 

そして、何度目かわからないため息。

 

悩みは一つ、結論は一つ。

問題は腹がくくれるかどうかだった。

 

「よし!・・・・でもなぁ・・・」

 

決まったと思えばまた悩む。

ハングは困ったように後頭部に自分の爪をたてた。

 

「なにしてるんだい?」

「うわぁぁぁ!!うおっ!おっ!!おっとぉ!!!」

 

突然声をかけられ、手の中で『しずく』が跳ね回る。

もう少しで『しずく』を城壁の下に落とすところだった。

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・危ねぇ・・・エリウッド・・・びっくりさせんなバカ!!」

 

なんとか『しずく』を掴み取り、ハングはその場にへたり込んだ。

 

「いや・・・そんなに驚いたハングに僕が驚いてるよ」

 

ここまで取り乱すハングは珍しい。

エリウッドはハングの隣に並び、町の明かりを眺めた。

 

「で、こんなとこに何のようだ?」

「いや、ハングが部屋にいなかったから、ここかと思ってね」

「別に高いところが好きなわけじゃねぇぞ」

 

ハングがそう言うと、エリウッドは小さく笑い声をあげた。

 

「それで、何をそんなに動揺してたんだい?」

「・・・やっぱ聞いてきたか」

「言いにくいことならいいけど」

「いや、むしろ逆だよ。話、聞いてくれるか?」

「僕でよければ」

 

ハングにこうして面と向かって相談されるのは初めてのような気がするエリウッドだ。エリウッドはこっそりとほくそ笑んだ。

 

二人は城壁の端に並んで腰掛けた。

 

ハングはそこでアトス様から受け取った品をエリウッドに見せた。

 

「これは?」

「『アフアのしずく』だとさ・・・」

 

そして、ハングはこの小瓶のことについて説明をした。

 

「・・・ふぅん、なるほど。それで、誰に渡すか悩んでいたと」

 

ハングは頷いて肯定の意を示す。

 

「ハング」

「なんだ?」

「臆病者」

「うぐ・・・」

 

気にしてることを言われてしまった。

 

「きついな・・・」

「どうせリンディスに渡したいんだろ?ハングもたいがいだね。いい加減にしなよ」

「わかってんだけどよ・・・」

「何か問題があるのかい?」

 

ハングは後頭部を何度もかき回した。

 

「いや、ねぇよ。ねぇけどさ・・・その・・・なんだ・・・」

 

心底参ったように俯くハング。

 

確かにこの小瓶はアトス様から頂いたものであり、ただの贈り物とするには意味合いが異なる。

だが、『誰に渡すか』という問題に対して慎重になるのならエリウッドも相談に乗る。渡す相手は決まっている現状で『いかにして渡すか』という問題は最早悩むようなことではない。

 

後は覚悟を決めるだけの話だ。

 

エリウッドはそんなハングに対して一つ言葉を贈ることにした。

 

「ハング、フェレには昔からこういう言葉がある」

「ん?」

「『恋と誇りは砕けた方が人を強くする』」

「・・・・・・」

 

ハングはエリウッドを殴るかどうか真剣に考察した。

 

「『恋と誇りは・・・」

「聞こえてるっての!こっちは反応に困ってんだバカ!!」

「どうしてだい?」

「どうしてって・・・そりゃ・・・」

「砕けるのが・・・怖い?」

「普通そうだろ」

 

ハングはそう口にして、自分の情けなさに嫌気を覚え出した。

ハングは面と向かうのが怖いのだ。今までの環境を変えるのが嫌なのだ。

 

ここから先に踏み出すことを恐れている。

 

「そろそろ、立ち向かいなよ。君らしくもない」

 

耳が痛い言葉だ。

 

「ハングは今まで数々の戦場で軍の犠牲を最小限に抑えてきた。それは決して守りに徹していたからじゃないはずだ。時には強烈な攻撃が味方の被害を減らすこともある」

 

ハングはため息を押し殺す。

 

「一歩でも先に敵の前に出ることが勝利を呼び込む。違うかい?」

「仰る通りだよ、エリウッド。わかってる。わかってんだ。でも・・・」

「結論を先延ばしにしない方がいい。今出来ることをやらない人は、明日も決してやろうと思わない」

「・・・そう・・・だな」

 

ハングは自分の手の中の小瓶に視線を落とした。

月明かりに照らされたそれは、ただ静かに光っていた。

 

「自分で持ってても意味が無いんだろう?それは」

「ああ・・・」

 

ハングは息を大きく吸い込み、吐き出しながら返事をした。

 

「今日、渡しなよ」

「おう」

 

短くも力のこもった一言。エリウッドはそれに満足して腰をあげた。

 

「それじゃあ、僕は自分の部屋に戻るよ。上手くいかなかった時の為に食事を用意しとくから」

「俺は酒の方がいい」

「酔えないのにかい?」

「酔えないからだ」

 

そして、エリウッドは笑いながらハングに背を向けて歩き出した。

その背中にハングは声をかける。

 

「ダメだったら、この『しずく』お前にやるからな!」

「ハハハ、僕には男趣味は無いよ」

「馬鹿野郎!俺もねぇよ!!いらないからやるだけだ!」

 

エリウッドは後ろ手に手を振り、城壁から去って行った。

 

「ったく・・・狸貴族め・・・」

 

ハングは周りから普段何考えてるかわからないとよく言われる。

だが、エリウッドはいつもこうしてに見透かしてくる。

その度にハングは獣に化かされた気分になるのだ。

 

「ま、それもいいか・・・」

 

それはハングにとっても気が楽だった。

 

「得難い友人だよ。お前は・・・」

「誰の話?」

 

独白に返事があり、驚いてそっちを見た。

 

「り、リン!!」

「そんなに驚かなくてもいいじゃない・・・」

「ど、どうしてここに!?」

「エリウッドが『ハングが話がある』って教えてくれたの」

「なっ・・・・」

 

あの狸野郎。後で絶対殴り飛ばす。

物騒な決意を固めたハングの隣にリンが腰をおろした。

 

「それで・・・私に話って?」

「えっ・・・あ・・・それは・・・」

 

『恋と誇りは砕けた方が人を強くする』

 

ハングは手汗の滲む手で小瓶を握りしめた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングと別れたエリウッドは中庭から城壁を見上げていた。

 

「上手くいくかな・・・」

 

心配だったが、ここから先は当人同士の問題。

エリウッドが出来ることはハングの為にお酒の用意でもしておくことぐらいだ。

 

「本当に必要になるとは思えないが・・・その時はヘクトルとでも・・・」

 

独り言を言いながら中庭を歩き出したエリウッド。

その中庭を困り顔でうろうろする女性を見つけた。

 

「ニニアン?どうしたんだい?」

「エリウッド様・・・」

 

月明かりの中で歩く彼女はさながら神殿の巫女のようだ。

そういえば、彼女は本当に神に捧げる踊りの舞い手なのだとエリウッドは思い出していた。

 

「ニルスでも探しているのかい?」

「あ、いえ・・・ニルスはさっき部屋で眠りました」

 

まだ日が沈んで間も無い時間だが、もう眠ったのか。

余程疲れていたのだろう。

でも、ニルスを探してるわけでは無いとなると道に迷ったのかな?

 

「ニニアン」

「エリウッド様」

 

二人の声が被った。

 

「あ・・・エリウッド様から・・・」

「いや、気にしなくていい。ニニアンから言ってかまわないよ」

「で、でも・・・」

「いいから」

 

騎士道精神を叩き込まれて育ってきたエリウッド。

女性を優先するのは当たり前だった。

ニニアンはしばし迷っていたが、エリウッドに引く気が見えなかったので甘えることにした。

 

「あの・・・」

 

ニニアンが深く頭を下げた。

 

「ありがとうございました」

 

彼女の長い髪が流れるように揺れる。

月明かりに光るその髪はまるで宝石のような輝きを持っていた。

 

半ばその美しさに見惚れていたエリウッドはニニアンが顔をあげたのを機に気持ちを落ち着かせた。

 

「どうしたんだい?急に改まって」

「リンディス様から聞きました・・・一年前・・・私を助けてくださったのはエリウッド様だと」

「ああ、その事か」

 

一年前、【黒い牙】に連れていかれそうになっていたニニアンを助けたのは確かにエリウッドだ。

ここ暫くリンディス本人に余裕が無かったのもあって、ニニアンがそれを聞けたのは今日のフェレ城到着後だった。

 

「申し訳ありません。私、気を失っていて・・・助けてくださったエリウッド様に、十分なお礼も出来ず・・・」

「ニニアン、気にしなくていい。僕が好きでしたことだから」

「でも・・・」

「それに、あの時はハングがいなければ君を助けることは出来なかった。お礼ならハングに言ってあげてくれ」

 

思い返してみればあれがハングとの最初の共闘だった。

その時の面々が今もまだ一緒にいるというのだから縁というのは侮れない。

 

「ハングさんには夕刻にもうお礼を・・・」

「あ・・・そうなのかい・・・」

 

ハングに先にお礼を言ったのか・・・

 

エリウッドは自分の中に突如湧き上がった嫌な気持ちを無理やり静めた。

 

「エリウッド様は・・・エレノア様と一緒にいらしたので・・・」

「ああ、そうだったね」

 

ならば、仕方ないだろう。

 

頭では納得したがハングにもう少し意地の悪いことをしても良かったと心のどこかで思う自分がいた。

 

「ちなみに、ハングはなんと?」

「『そういうことはエリウッドにしてやれ』と聞き流されてしまいました」

「ハングの言いそうなことだね」

 

あれで、なかなか人の好意を素直に受け止めるのが苦手な人である。

 

「あの・・・それで、何かお礼をと・・・私、出来る限りのことをします」

「ん~・・・困ったな・・・」

 

彼女の瞳に迷いはなく、強い意志が光っている。

ニニアンの方に引く気は無いらしい。

 

だからといって、エリウッドはニニアンに何か金品を要求するつもりはない。何か仕事をこなしてもらうのも違う気がするし。形だけのものになり、お互いに気を遣わせてしまっては『お礼』とは言えない。

 

二人が納得する案をエリウッドは考えた。

 

「そうだ!君の踊りを見せて欲しい。いつもの短いのではなく、とっておきのがあればそれを」

「とっておきの踊りを、ですか?」

 

自分では名案と思ったのだが、ニニアンは少し困惑しているようだった。

 

「ごめん、ちょっと図々しかったかな?」

「いいえ!全然!!」

 

即答だった。エリウッドは嬉しくて、自然と顔がほころんだ。

 

「私!喜んで」

「よかった。それじゃあ、少し広いところにいこうか」

「は、はい」

 

腕を差し出し、エスコートするエリウッド。

ニニアンに触れている腕がなんだか熱く感じていた。



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間章~フェレ城(後編)~

城壁の上で肩を寄せ合う2人。

 

「あ、あのな・・・リン」

「なに?」

「き、今日はいい天気だな!!」

「え、ええ、そうね」

「・・・・」

 

ハングは一人で頭を抱えて俯き、身悶える。

 

天気の話なんてどうでもいいだろ!

 

「大丈夫?」

「・・・ああ、大丈夫だ」

「とても、そうは見えないけど」

 

隣に座るリンはずっとハングを待ってくれている。

ハングは自分の情けなさに本当に嫌気がさしてきた。

 

自覚したのはいつからだったのかもう覚えてもいない。

自分の感情に驚かされ続けた今までの旅。

そして、アトス様から貰った『アフアのしずく』

 

覚悟を決める時間は山ほどあった。伝える機会だって何度もあった。

 

ここまで引き伸ばしてきたのは単に自分の中途半端な気持ちと復讐への渇望のせいだった。

それが今では復讐よりも大事な何かで胸を埋め、隣の彼女への想いは今までのままじゃいられないくらい強くなっている。

 

もう、躊躇う必要も何も無い。

 

「なぁ・・・リン・・・」

「なに?」

「あの・・・その・・・」

 

リンの顔をまっすぐ見れず、自分の膝の中に顔をうずめながらハングは言った。

 

「その・・・アトス様からさ、御守り貰ったんだ」

「うん。そんな話したわね」

「これが、そうなんだけどさ」

 

ハングは月明かりにかざすように手のひらを広げる。リンはそれを覗き込む。

 

「綺麗・・・」

「だろ?」

 

青みを帯びた液体の揺れる小瓶は月明かりの中でよく映える。

 

リンがハングの手のひらを支えるようにその指を優しく掴み、小瓶をまじまじと見つめた。内心では心臓が壊れそうになりながらも、ハングは平静を装った。

 

「これはアトス様が加護を与えた御守りでな、どうせ戦場に出ない俺が持ってても意味ないらしいし、えと、俺が一番信頼している奴に渡せとかなんとか言われて」

「え?」

 

リンが顔をあげた。

 

「あの・・・今誰に渡すって?」

 

月明かりでもはっきりとわかる程に彼女の顔は赤くなっていた。

わずかに火照った彼女の頬は逆に彼女の白い肌を強調しているようで、月明かりに輝くその姿にハングの思考は止まってしまう。

 

「だから・・・俺が・・・信頼・・・してる・・・奴に」

 

しどろもどろになりながらハングはそう言った。

さっき固めたはずの決意が既に揺らぎそうだ。

ハングの顔は耳まで真っ赤に染まっていた。

そして、口からは考えるより先に言葉が出ていた。

 

「あ、いや、だからな、その・・・誰に渡そうかな、なんて考えててさ。お前に相談しようと思って」

「あ・・・そう・・・そっちか・・・そうよね」

 

みるみるうちに血の気が下がっていくリンの頬。

それを見て、ハングは冷水に頭から突っ込んだ気分を味わった。

 

この世で最も死ぬべき奴はネルガルかもしれない。

だけど、次に真っ先に死ぬべきは自分であろうとハングは思った。

 

今すぐ自分の腹をかっさばいてやりたかった。

どうせその程度の傷で死ぬような体じゃない。剣を部屋に置きっ放しにしていたことが悔やまれてならなかった。

 

「あぁ・・・もう・・・なんなんだよ!!」

 

ハングの頭の中でついに何かが飛んだ。

 

「あぁもう!ちくしょおおおおおおおおおおお!!」

 

ハングは勢いに任せて立ち上がり、城壁の外に向かって吠えた。

 

「こんちくしょうがぁあああああああああ!!」

「は、ハング?」

 

驚いたのはリンの方だ。復讐以外の単なる感情に任せて荒れるハングを見たのは初めてだった。

 

「いつまで御託並べてんだ俺は!!いい加減にしやがれぇえええええ!」

 

ハングの声は徐々に熱くなっていく。ハングは息を切らすまで声を張り上げ、声が枯れるまで叫び続けた。

しばらく吠え続け、ようやく気がすんだのかハングは疲れ果てたように膝をついた。

 

「あ、あの、ハング・・・大丈夫?」

 

恐る恐るという感じに声をかけるリン。

ハングはそんなリンを睨みつけ、背筋を伸ばして立ち上がった。

 

「おい!リン!!」

「は、はい!」

 

ほぼ条件反射でリンの背筋が伸びる。

 

真っすぐに見つめ合う2人。

 

涼しい夜風が2人の間を駆け抜けた。

ハングは大きく息を吸い込んだ。

 

「お前に伝えときたいことがあった」

 

そして、ハングはリンに向けて真剣な顔を向ける。

 

戦場に向かう時の緊張感とは違う。偉い人との謁見に臨む姿勢でもない。

作戦会議で見せる余裕そうな笑みはなく、雑談をするときのような気の緩みは欠片もない。

わずかな気負いを口の端に忍ばせ、清々しい程に迷いの無い瞳でハングはリンを見つめた。

 

それは人が1つの決断を下した時に見せる顔。

誰しもが一生に何度か見せる決意の表情。

 

「リン・・・」

 

そんな顔でハングはこう言った。

 

「俺はお前のこと好きだ」

 

決して感情的にならず、それでも本心をはっきりとのせたその言葉。

若干照れたような声音ではあったが、それでもはっきりとハングはそう言ったのだった。

 

「だから、これ、受け取ってくれるか?」

 

ハングはリンに『アフアのしずく』を差し出した。

 

リンは動かない。

 

ハングから見たリンはなんだか呆然としているようだった。

 

断られるか・・・

 

ハングの頭の片隅にその恐怖がよぎる。

 

だがそれは最初から覚悟の上だった。その程度の腹も括れなければこんなことをしたりはしない。そのはずなのに、ハングの足は今にも震えそうだった。

 

どこまで弱いんだ、自分は。

ここまでくると笑えてくる。

 

ハングは静かに呼吸を繰り返す。

 

それからどれ程の沈黙が続いたのだろうか。

永遠にも感じられる静寂の中、ついにリンが口を開いた。

 

「一つ・・・お願いがあるの・・・」

 

審判の時。

 

ハングは逃げたしたくなる自分を必死に押しとどめる。

 

「なんだ?」

 

リンを真正面からみつめる。

 

「その・・・受け取るから・・・これからは・・・二人の時・・・リンディス・・・って呼んで欲しいの」

 

瞬きを繰り返すハング。ハングは今の台詞を一言ずつ分解して意味を考えた。

 

「リンディス様と呼べばよろしいのですか?」

「違う!!そうじゃなくて・・・そうじゃなくて・・・」

 

少し俯き気味になるリン。その耳が月明りの中でもわかる程に真っ赤に染まっていた。

 

ハングはもう一度その意味を考えてみる。

 

『リンディス』

 

その名は、リンの本当の名前だ。

その名を呼ぶのは貴族やキアランの人々、そして彼女の家族だけだ。

 

ハングはそのことに思い至り、目を見開いた。

 

「・・・い、いいのか?」

 

自分の口は震えていた。リンは黙って頷いた。

自分の頬が熱くなるのをハングは自覚した。

 

ハングは彼女の本当の名前を口にする。

 

「・・・リンディス」

「・・・はい」

「これ・・・受け取ってくれるか?」

 

ハングは再びリンに『アフアのしずく』を差し出した。

 

「よろこんで・・・」

 

その手のひらから小瓶を受け取るリンディス。

 

「いいのか?俺・・・なんかで・・・」

「当たり前よ・・・だって、私も・・・あなたが・・・」

 

リンディスが深呼吸をする。

そして、優しく、幸せに満ちた笑顔で彼女はこう言った。

 

「ハングが・・・好きだから」

 

その一連を遠視の魔法で見ていた人物がいた。

アトスは自分のあご髭を撫でながらぼそりと独り言を呟いた。

 

「そういうつもりで、渡したわけじゃなかったんじゃがな・・・」

 

アトスの表情は複雑だった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

中庭でニニアンの見せてくれた踊りは本当に『とっておき』だった。

少なくともエリウッドはそう感じた。

 

彼女の飛び上がる姿は空を舞う大鷲のように雄大で力強く。

彼女が天に向けて手を伸ばす姿は日差しの中で育つ草木のように伸びやかで、喜びに満ちていた。

 

祈りを捧げるでもなく

感謝を表すわけでもない

 

それは世界の生まれを表現するかのような舞。

 

彼女の動きに協調するように風が駆け抜ける。

彼女の舞を盛り上げるように木々が揺らめく。

 

彼女の周りに理が集うような錯覚を覚えるほどに、彼女の踊りは周囲の世界を巻き込んでいく。

 

間近にいたエリウッドにはまるでニニアンが別の世界で踊っているようにまで感じる程だった。

 

時に荒々しく、時にお淑やかに

 

まさに、彼女の『とっておき』だとエリウッドは思ったのだ。

 

「フェレにはね、年に一度、収穫を祝う祭りがあるんだ」

 

ニニアンの踊りに自分の持てうる全ての賛辞を尽くしたエリウッド。

彼はニニアンへの休息の意味を込めて中庭の片隅の長椅子に彼女と共に座っていた。

 

隣の彼女は長い舞をしたからか、まだ身体が火照り、白い肌をわずかに昂揚させていた。

 

「領地内に暮らす人が、みなお酒を飲んだり、踊ったり・・・」

「とても楽しそうですね」

 

汗ばんだ彼女はいつもより興奮しているのか、その声は少し上ずっていた。

 

「その時はぜひニニアンも来るといい。きみの踊りを見れば皆大喜びすると思う。僕はあれ程に心震わせたものに出会ったことがない」

 

エリウッドもとても興奮気味だ。

 

「ありがとうございます」

 

彼女は照れながらも嬉しそうだ。自分の得意とするものを褒められて悪い気分になる人はいない。

 

「ニニアンを見たら踊り好きの母はきっと喜ぶだろうな。もう眠られてしまったのが残念だ」

「また、機会があればよいのですが・・・」

「あるさ、きっと。全部解決したらまた君の踊りを見せてくれ。今度は、母や・・・友とも一緒にね」

「はい!」

「それじゃあ、約束だよ」

 

エリウッドはニニアンに向けて小指を差し出した。

 

「・・・?」

「知らないのかい?約束する時に、お互いの小指を絡めるんだ」

「こう・・・ですか?」

「そうだよ」

 

指を絡めて、エリウッドが呪文を唱える。おまじないに近い約束法だ。

 

「僕達二人の約束だ」

「はい、約束です」

 

ニニアンは離した自分の小指をそっと握りしめた。

そこがエリウッドと繋がってるような気がして、ニニアンは胸の奥が浮き上がりそうな気分だった。

 

「昔、ヘクトルとも約束をしたもんだよ」

「小指の約束ですか?」

「いや、もっと過激かな・・・お互いの掌を自分で傷つけて流れ出した血を合わせる。古代より伝わる勇敢な戦士の誓いの慣わしだよ」

「・・・・・」

「ニニアン!決してやっちゃダメだからね!!君は戦士じゃないんだから!」

「え、どうしてわかったんですか?」

「わかるよ・・・」

 

今にも刃物を取り出しそうな勢いの視線だった。

いくらなんでもこんな女の子と殺伐とした儀式を交わすわけにはいかない。

それになにより、ニニアンの肌に傷をつけるような誓いの慣わしなど決してやりたくないのだ。

 

「ニニアンって意外と思い切ったこと考える時があるよね」

「そうでしょうか?」

「そうだよ。本当に自分のことは大事にしなよ」

「・・・ごめんなさい」

 

謝るニニアンの頭を一回撫で、エリウッドは城壁の方に視線を向けた。

 

ふと、友人がどうなったのか気になったのだ。

さっき、狼の遠吠えが聞こえてきたので何かしらの進展はあったと思うのだが。

 

「エリウッド様?そちらになにか?」

「ちょっと、気になってね。でも、ここからじゃわからないか」

「ハングさんのことですか?」

「うん、明日には結果がわかると思うけど・・・」

 

結果次第ではハングはしばらく何も手につかないかもしれない。

 

その時は誰が指揮をとるか・・・

 

そんなことを考えていたエリウッドは服の裾をニニアンに引っ張られ、意識をそっちに戻した。

 

「どうしたんだい?」

「エリウッド様・・・あれ・・・」

 

ニニアンの指差す先、そちらに視線を動かす。

 

「ふぅ・・・まったく」

「結果が出ましたね」

 

視線の先にはハングとリンディスが二人で中庭を歩いていた。

しかも、二人の手は固く繋がれている。

 

「散々人を心配させておいて・・・」

「収まる鞘に収まりましたね」

「本当に・・・もう・・・なんというか」

 

エリウッド達が中庭にいることに気づいたのか二人は慌てて手を離し、こっちにやってきた。

 

「よう、エリウッド」

「ニニアン、こんばんわ」

 

呆れた二人だ。エリウッドとニニアンはそんな二人を前にクスクスと笑う。

 

「なんだよ、二人とも」

「いや、良かった、と思っただけだ」

 

ハングが気恥ずかしそうに視線を逸らした。

 

「リンディスも良かったね」

「・・・そう、かもね」

 

リンディスの方がまだ肝が据わっている。

 

「それで、ハング」

「ん?」

「お酒はどうする?」

「・・・少し、もらうかな」

「酔えないのにかい?」

「酔えないからだ」

 

エリウッドは楽しそうに笑い、ハングは鼻をならした。

 

それから、4人はエリウッドの部屋に移動し、軽めの酒を酌み交わす。

どこから話を聞きつけたか知らないが、いつの間にかヘクトルも参戦していた。

 

「しかし、ここまで来るのに随分遠回りしたな。ん?」

「何回その話をする気だ馬鹿野郎」

 

散々からかわれ続けてそろそろ飽きてきたハングだ。

 

「そういえば・・・」

 

踊りの疲れとお酒があいまって少しふらつき気味のニニアンがリンの方を向いた。

 

「ハングさんからは何か約束の品はいただいたんですか?」

 

ハングは口の中の酒を吹き出しかけた。

約束の品という想像が膨らむ話に動揺したのだ。

 

「約束の品・・・とは、少し違うのだけれど、これを貰ったわ」

 

そんなハングに気づかず、リンは自分の胸元から薄汚れた小さな布袋を取り出した。

その中から、リンは大事そうに小瓶を取り出す。

 

「綺麗ですね」

「ええ、とっても」

 

それを見ていたエリウッドはその布袋を見て、ハングを見て、そしてリンディスの顔を見た。

 

「リンディス、その布袋、随分と年季が入ってるみたいだけど。古いものなのかい?」

「これのこと?」

 

リンディスが自分の布袋を持ち上げた。

それを見て、ハングが気恥ずかしそうに顔を背ける。

 

「これは一年ぐらい前に買ったものなの。年季が入ってるのはいつも身につけてたからだと思うわ」

「へぇ・・・大事なもんなのか?」

「袋は別にたいしたものじゃないわ。中に大事なものをいれてるの」

 

ハングは皆から自分の顔を隠すように酒に口をつけた。

 

「リンディス様、何が入ってるんですか?」

「大切なものよ」

 

リンディスが中から取り出したのは緑がかった透明な鱗。

 

「これも、ハングから貰ったの」

「鱗・・・ですか?」

「鱗よ・・・私の大切な御守り」

 

今もなお鱗の中には細い筋が走り、一つの命のようにわずかな温もりを保っている。

 

「持ってみても・・・」

「ええ、構わないわよ」

 

両手で丁寧に受け取った鱗をエリウッドとヘクトルものぞき込む。

 

「ハングから貰ったってことは、竜騎士時代のもんかなんかか?ドラゴンの鱗とか」

「いいえ、ハング自身のよ」

「ああ、あの左腕か。鱗が剥げるってことはあれは脱皮もすんのか?」

「さぁ・・・それは見たことないわね」

 

ハングは皆からの視線を避けるように壁の一点を見つめていた。

 

「なるほどね・・・へぇ・・・」

 

エリウッドがさも面白い玩具を見つけたかのような顔をしていることはそちらを見ずともわかった。彼の言いたいことはわかっている。

 

『これだけ想われていながら、君はあんなに迷っていたんだね』

 

エリウッドの心の声が聞こえてきそうなハングであった。

ニニアンはリンディスに鱗を返す。

 

それから、しばらくハングへの攻撃が続き、酒も話もようやく一区切りついた頃合いだった。

 

「明日からベルンだな」

 

ヘクトルがふと漏らした。その一言にエリウッドとリンディスの目が変わる。

 

「なぁ、ハング。俺はベルンには行ったことがないんだが、どんな国だ?」

「どんな国・・・」

 

ハングは考える時間を稼ぐように酒を手にとった。

 

「そうだな・・・」

 

酒をグラスの中で揺らしながらハングは昔の自分に思いをはせる。

 

「今はどうか知らないが・・・あまり、いい国じゃなかった・・・かな」

「あ・・・悪い・・・無神経だったか?」

 

ハングは裏切られてベルンを追われた。あまりいい記憶があるわけがない。

 

「気にするな、ヘクトルにそんな気づかい求めてないよ」

「てめぇ!」

 

声を荒げるヘクトルをハングは乾いた笑いで受け流す。

 

「あそこは・・・賄賂が横行しててな・・・その為に町の人は搾取する側とされる側に二分されてることが多かった。俺の町では・・・」

 

ハングが言葉に詰まる。

ハングが最初に思ったのは自分が産まれた村。

 

それを語るにはあの時の自分はまだ幼すぎた。

そして、抱えている思い出は決して話したいものでは無かった。

 

そのわずかな葛藤を皆は察してくれた。

 

ハングはわずかに間を置いて、別の町を話すことにした。

 

「・・・まぁ、竜騎士時代の時は城下町に住んでたからな。そこそこ栄えてたけど」

「そういえば、ハングが竜騎士だった時の話って聞いたことないな」

「ヒースからは聞いてないのか?」

「噂程度だね。詳しくは聞いてないよ」

 

ハングは視線だけで残りの三人に問うたが、三人共首を横に振るだけだ。

 

「ちなみに、噂ってどんなんだ?」

「あまり喋らないけど目線だけは鋭かったとか・・・」と、エリウッド。

「殺気立ってたくせに槍の腕はいまいちだったとか・・・」と、ヘクトル。

「だいたい、当たってるかもな」

 

ハングは昔の自分に思いをはせる。

 

「良かったら聞かせてくれないか?どうして、ハングは竜騎士になったんだい?」

「どうしてって・・・」

「どうせ、行き倒れたとこを拾って貰ったんでしょ」

「・・・まぁな」

 

リンディスの言う通りだ。

 

「ま、でもやっぱり人の縁だよな・・・」

 

ハングは何となく、窓の外に視線をやる。

 

夜はまだ長い。

 

「・・・どこから話すかな・・・」

 

いろいろな思い出が駆け抜けていく。

相棒と共に舞った青い空。

訓練で駆け回った緑の森。

城壁で仲間と見た赤い夕焼け。

 

その全てはあの時の出会いに始まっている。

 

「やっぱり、隊長と出会ったところからか・・・」

 

そうして、ハングの昔話は始まった



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前章~竜騎士(少年編)~

「ハァ・・・ハァ・・・」

 

深い森の中を一人の少年が彷徨っていた。

ふらつく足取り、痩せこけた頬、力無く握られた杖にすがりつくようにしながら彼は歩いていた。

 

自分がどこに向かってるのかもわからない。

どこへ向かえばいいのかもわからない。

 

ただ、それでも少年は歩くことをやめることは無かった。

 

眼窩は落ち込み、髪は薄汚れ、着ている服は既にボロボロだった。

それなのに、少年の眼は決して死んではいない。

 

何を見るでもなく、何を捉えるでもなく。

ただ、その瞳を狂気に近い感情で尖らせて少年は森の中を彷徨い歩く。

 

少年を突き動しているのは胸の奥底で泥沼のように溜まった憎悪。

 

何もかもを奪って去って行ったあの男とその一味。

 

目を閉じるでもなく脳裏に焼き付いた映像はそのまま彼の視界の裏側に入り込む。

 

「ハァァ・・・ハァァ・・・あぁぁぁぁぁ!!」

 

命を燃やすように少年が叫ぶ。

その叫びを嫌悪するように森がざわめいた。

 

「あぁぁぁぁぁ・・・」

 

感情に任せた叫び声はすぐに枯れ果てる。

ただでさえ少ない体力が更に削られる。

 

それでも、少年は立ち止まらない。

立ち止まる時が死ぬ時だと少年はどこかで感じていた。

 

死の運命から逃れるように

死の運命を追いかけるように

 

少年は歩き続けた。

 

「ふん、なんだい。森が妙に騒がしいと思ったら。ただの死に損ないじゃないか」

 

突如降ってきた声。

少年は顔をあげた。

 

少年の目の前にはドラゴンを引き連れた女性が立っていた。

 

「ふぅん・・・でも、いい眼だな」

 

誰ともわからぬ相手。

少年はいきなり、その女性に飛びかかった。

 

「うあぁああぁぁぁぁ!!」

「少年、喧嘩の相手は選ぶもんだぞ」

 

槍の柄で瞬時に打ち返された少年。

地面に這いつくばった少年は左腕を地面に突きたてて立ち上がる。

 

その左腕を見て女性の眼が細められた。

 

「なんだいそりゃ?」

「ぁぁぁああぁあぁぁあ!!」

 

力任せに振り回した少年の左腕が近くにあった樹木にあたる。

その瞬間、雷鳴のような音を轟かせその樹が根元からへし折れた。

 

「おいおい・・・こりゃ・・・」

「ハァハァハァ・・・あぁぁぁ!!!」

 

そして、少年は再び女性に向けて突っ込んで行く。

 

「まぁ、いきのよさだけは認めてやるよ。それとその根性もな」

 

女性は軽く体を開いて左腕をかわし、手刀を少年の後頭部に叩きつけた。

 

「ガッ!!」

 

少年の視界が暗転していく。

薄れゆく意識の中、最後に少年が感じたのは、自分が地面に倒れないように支えてくれた逞しい腕の感触だった。

 

「まったく、変な拾いもんをしちまったもんだ」

 

女性は側に控えていたドラゴンの背に少年を乗せ、その場から離れていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「で、あんたの名前は?」

「・・・・・・・・」

「こら!食うのをやめな!!」

 

少年の目の前から食事を奪うと、途端に捨てられた子犬のような目を向けられた。

 

「・・・ったく・・・ほら・・・」

 

その眼に力負けしてしまい、彼女は再び少年の前に食事を戻した。

途端、全てをかなぐり捨ててかっ込む少年。

あまりの食いっぷりに呆れるを通り越して感心する。

 

「うっ!!んぐ、んぐ!」

「あぁ、もう。ほら水だ」

 

喉を鳴らして水を飲んむ少年。

胃の中に食べ物を流し込み、少年は再び口に食べ物を詰め込む。

 

夕刻少し前の城の兵士食堂では少年と女性の二人しかいない。

そんな食堂の中に一人の兵士が入ってきた。

 

「おい、ヴァイダ。訓練の時間・・・なんだ、そのガキは?」

 

ヴァイダと呼ばれた女性が振り返る。そこにはガタイのよく、人相の悪い男が立っていた。竜騎士の鎧をまとっていなければ、山賊と変わらない外見。

 

「まさか、ヴァイダの子供か!?」

「バウトには関係ないだろ」

「まぁ、そうだがな・・・ひっひっひっ、お硬く見えたお前がな・・・で、お相手は誰だ?もしかして『わかんねぇ』とかそういうことか?お前の夜のお相手は列をなしそうだもんな」

 

卑しい目を向ける男を無視してヴァイダは少年に視線を戻した。

すると、意外なことに少年は食事を止めていた。

 

腹が膨れたのかとも思ったが、彼の腹の虫が鳴り、それは無いと思われる。

 

「まぁなんだ。しっかり育てろよ。ガハハハハ!」

 

不快な高笑いと共に去って行ったバウト。

少年は彼が去ったのと同時に席を立った。

 

「っておい!どこへ行く気だ!」

 

その襟を掴んで、宙に持ち上げる。

視線を無理やり合わせると少年はフイと目を逸らした。

 

「なんだい?あいつの言ったこと気にしてんのか?」

 

少年は眼を背けたままだ。それがいい答えだった。

 

「ガキが変な気をまわすんじゃないよ!ほら、黙って食いな!」

 

そして、ヴァイダはもとの椅子に少年を放り投げた。

 

「・・・・なま・・・・」

「ん?なんか言ったかい?」

「なまえ・・・ハング・・・おれは・・・ハング」

「へっ!そうかいそうかい、あたしはヴァイダだ。よろしくな」

 

ヴァイダが頭をぐしゃりと撫でるとハングは鬱陶しそうにしながらもその手を払いのけはしなかった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

城で槍の素振りをしていたヴァイダはふと自分の手を止めた。

 

視界の隅で、一人の少年がチョロチョロと走り回っていた。

その背には少年がすっぽり入りそうな程の巨大な食糧袋が担がれており、少年はそれを左腕で持っていた。

 

 

「おい、ハング!」

「・・・ヴァイダさん・・・」

 

少年を拾ってから数ヶ月がたっていた。

まだ訓練生たるヴァイダには少年を養う余裕などなく、また少年も働くことを望んだ。

 

それに、どうもハングはドラゴンに好かれるらしく、ドラゴンの世話人見習いとしてこの城で雇われることとなった。

 

 

「どうだい?仕事にはなれたか?」

「・・・・・」

 

口では返事をしなかったが、ハングは無表情なまま頷いた。

 

「そうかい、それはよかった。今日は晩飯を一緒にもどうだい?」

「・・・・わかりました」

 

一礼してドラゴン小屋の方に去っていくハング。

そんなハングを見てヴァイダは溜息をついた。

 

無愛想で無口。しかも、何かに取り憑かれたような鋭い眼光は拾ってから全く変化を見せない。仕事は真面目でよく働くものの、他者を全く寄せ付けないとヴァイダは聞いていた。

 

だが、それは詭弁だろうとヴァイダは思っていた。

 

実際、ハングが他の人をわざわざ避けてるとは思えない。

小屋でドラゴンにじゃれつかれて少し微笑んでるハングをヴァイダは見ていた。

共に食事をすれば、ヴァイダの話に時には驚いたり、かすかに笑ったりもする。

彼は決して一人を望んでいないことは見ればわかる。

 

それなのに、そんな話が出るのは周囲がハングのことを気味悪がっているのだろうとヴァイダは思っていた。

 

ハングの左腕は明らかに異形だった。ドラゴンのような緑の鱗に覆われ、その爪は黒く鋭い。しかも、その怪力は明らかに人知を越えている。

 

そんなハングが孤立するのはむしろ当たり前のようにも思う。

 

「けどな・・・あいつに、それがいいとは思えないんだがな・・・」

 

城で働く以上は他者との繋がりは必要不可欠だ。

ハングがより責任のある立場になればなる程にそれは重要だ。ハングの歳で孤独に慣れてしまうのは決して良いことではない。

 

一人の時間を持て余してドラゴン小屋に篭るようにまでなったら、それこそ貧弱な男になってしまう。

 

それになにより、あの年頃なら遊び相手の一人でもいた方がいいに決まってるのだ。

 

「だがな・・・うーん・・・」

 

ヴァイダは腕を組んで唸る。

元来、頭を使うより身体を動かすことの方が得意なヴァイダ。

 

しかも、ヴァイダ自身がまだ娘の雰囲気を強く残してるぐらいの年頃だ。当然子育てなどしたこともない。

こういった時に相談できる両親でもいれば良かったのだが、生憎と既に他界して久しい。

 

そんな彼女にはハングをどうにかする方法がどうしても思い浮かばなかった。

 

「・・・そうだな・・・」

「どうした、ヴァイダ」

「隊長!」

 

顔を真っ黒に日焼けした壮年の男性。

彼がヴァイダの所属する部隊の隊長だった。

 

「例の少年か?」

「はっ!すみません、すぐに訓練に戻ります」

 

生真面目に敬礼するヴァイダに対し、隊長は軽く手を振った。

 

「ああ、いい、いい。お前にとってはあの少年の世話をする方がよっぽど訓練になる」

「・・・は?え、それはどういう?」

 

疑問符を浮かべるヴァイダに笑いかけ、隊長はまたちょこまかと走りまわっているハングに眼を向けた。

 

「しかし、こう見ると親子というより姉弟だな。ヴァイダの家族は?」

「既に他界しております」

「ふむ、そうか。それで、何を悩んでおったのだ?」

「はっ!ハングが他人との共同作業を行う為にどうしたらいいかと思いまして」

 

簡単に言うとハングに友達を作ってやりたいということだ。

その意味を言外から読み取った隊長は「そんなことか」と言った。

 

「簡単だ。仕事をさせるな。町の中の広場に放り込め」

「は、はぁ・・・でも、それではハングは避けられませんかね。あの左腕は少々・・・」

「うむ、避けられ、気味悪がられ、からかいの対象になるだろう。だが、それがどうした。それを乗り越えられん奴などここから先の人生で生きていけるものか」

 

ヴァイダはハッとした。

 

確かにハングはあの腕を切り落とさない限り、一生あの腕と折り合いをつけていくしかない。だったら、そのやり方を学ぶには今しかない。

 

それに気づいたことをヴァイダの表情で察した隊長は「それに・・・」と続ける。

 

「それに、子供の中にはな、そういう他人との違いってのを笑って吹き飛ばす奴が一人か二人いるもんだ。そう心配するな」

「そういうもんですか?」

「ま、ダメだったらそん時に考えるんだな」

 

快活に笑って去って行く隊長にヴァイダは一礼して、ハングに声をかけた。

 

「ハング!週末の予定はあけておけ!遊びに出るぞ!」

 

ヴァイダはそう言って弾けるように笑ったのだった。

 



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前章~竜騎士(青年編 ①)~

「お~い、ハング!」

「・・・・ん?」

 

ハングが顔をあげると、城の方から見慣れた顔が走ってきていた。

 

「どこだ~?ハング~?」

 

ハングは溜息をつき、手元の本を閉じた。

 

「ヒース、上だ」

 

ハングは城壁から身を乗り出すようにして声をかけた。

ハングの背格好は青年と少年の間程にまで成長していた。

ハングに気がついたヒースは城壁の上へと続く階段を駆け上がってきた。

 

「ハング!聞いたか!?」

「・・・何をだ?」

 

話すのも面倒だと言わんばかりにハングはぶっきらぼうにそう言った。

 

「俺たち、いよいよ竜騎士見習いになれるらしいぞ!」

「・・・で?」

「で・・・って、嬉しくないのか?」

「嬉しいさ、当然な」

 

ハングはそう言ったきり再び読書に取り掛かってしまう。

そんなハングにヒースは肩をすくめて隣に座った。

 

ハングはそんなヒースを無視して本を読み進める。

ヒースもそんなのはいつものことだと、鋭意制作中の木彫りにとりかかる。

 

決して楽しくは無いが、心休まる時だった。

 

「お?なんだ?」

 

そんな中に現れたのは最近正式な竜騎士になった、バウトだった。

ヒースは露骨に嫌な顔をし、ハングは無関心を決め込む。

 

「お前ら、明日から訓練生か?はっはっー!いいね、いいね。お前らは俺がみっちり鍛えてやるからな」

 

バウトは新しい玩具を眺めるようにハング達を見た。

こんなバウトでも先輩であることには違いないので、一応ヒースが反応した。

 

「バウトさんよりも、ヴァイダさんの訓練の方が自分は恐怖ですけどね」

「ほう?俺は怖くないと?」

 

その小さな器に反比例して肥大化したプライドを逆なでされ、バウトのこめかみがひくつく。

 

そこにハングがぼそりと言った。

 

「・・・少なくともヴァイダさんよりあんたは弱そうだ」

「てめぇ・・・すかしやがって!この売女のガキが!」

 

その瞬間、ハングの目が剣呑に光り、左腕が振りぬかれた。

ハングが背を預けていた城壁の縁が粉々に粉砕される。

 

「・・・・え?」

 

その一撃にバウトの頭はついてこれず、間抜けな声をあげてしまう。

 

「おい!ハング!」

「・・・・っち!」

 

ヒースに声をかけられ、殺気だっていたハングは舌打ちをしてから立ち上がる。

その眼は既にバウトの方へとは向いてはおらず、ハングは背を向けてその場から立ち去った。

 

「・・・なんだ・・・あのガキは」

「目つきの悪い、短気な俺のダチです」

 

ヒースはバウトにそう言って、ハングのあとを追いかけていった。

 

その後、夕焼けが西の空に消え失せ、既に真っ暗となった城の訓練場。

城の中からあふれ出る光に照らされて、その場は今も明るかった。

 

そこに正座させられてるのはハングとヒース。

仁王立ちで怖い顔をしてるのはヴァイダだった。

 

「で?」

「・・・・ごめんなさい」

「これで何度目だ?」

「・・・・32回目」

「数えてたことには素直に関心するがな。それと、ヒース!お前も傍にいたんだろ!なんで止めなかった」

「こいつを俺が止められると思います?」

「止めろ!諦めるな、バカもんが!」

 

昼間に破壊した城壁の件でのお説教だった。

 

「罰として、腕立て!ハングは五十!ヒースは二百だ!今すぐやれ!!終わったら城壁三十週!」

「・・・夜が明けそうだ」

「ハングのせいだぞ」

「ぐずぐずするな!!」

 

そして、ハングは左の竜の腕を背中にまわし、右腕一本で腕立てを始める。

ヒースはもちろん両腕である。

 

「まったく!明日から見習いだというのにこの体たらく。私が推薦したというのに」

「・・・疲れた」

「だから、ハングのせいなんだからな!」

「喋るな!!」

 

翌日。寝不足でふらつくハングとヒースは他の見習いと共に訓練場に整列していた。

ここで、現国王のデズモンドからありがたいお言葉をいただくことになってる。

 

ハングの視界の隅ではヴァイダもいるが、彼女も寝不足なはずなのに、そんな素振りはまったく見せていない。

 

退屈そうにはしていたが。

 

「・・・諸君は・・・つまりだ・・・国のために・・・」

 

デズモンドの演説がいつの間にか始まっていたがハングの頭にはまったく入ってこない。ハングとしてはさっさと訓練に入りたかった。

 

一刻でも早く人を殺す術を知りたかった。

 

ハングはこっそりと昨日城壁の一部を破壊した左腕を握りしめてみる。

 

この腕で既に何度も人を殺しかけた。

 

子供同士の喧嘩のつもりでもこの腕はそんなことはおかまいなしだ。

大きく振りかぶった一撃が木々をなぎ倒し、壁を破壊し、大地をえぐる。

そのせいで、一度ハングはヒースを本当に殺しかけた。

 

実際、もう一歩でヒースは死ぬところだった。

 

何日も生死を彷徨い、それでも何とか戻ってきたヒース。

それ以来、ヒースの頭部の一部には白髪しかはえてこなくなった。

 

そんなことがあったのにヒースはいまもハングの友人でいてくれる。

 

本当に得難い友だと思う。

 

周囲から拍手が起こり、ハングはようやく自分の世界から戻ってくる。

いつの間にか、ありがたいお言葉は終わっていたらしい。

 

「それでは、続きまして・・・・」

 

まだ続くのかとハングは溜息を吐き出した。

 

結局、昼過ぎまでありがたいお言葉達を頂戴し、ハング達はようやく槍を受け取った。

槍といっても、先端には刃物ではなく砂をつめた袋がつけられた訓練用の槍だ。

 

「見習いの間に槍の基礎とドラゴンの操舵を叩き込む!騎士に必要な精神論はその後だ!」

 

と、騎士長からハングにとっては最も「ありがたいお言葉」をもらい、ようやくハングは素振りを行うことになった。

 

なのだが・・・

 

「そこ!また、体が流れてるぞ!!最初から数えなおせ!」

 

周囲から含み笑いをもらい、ハングは素振りを最初から行う。

左腕と右腕の力加減が合わないハングにとってこれは難しい課題だった。

 

ヴァイダをはじめとする教官の何人かはそのことを知っていたが決して加減はしない。

今後騎士になりたいのなら槍の扱いは必ず習得しなければならない。

 

しばらく素振りが続き、周りで何人も指定された回数を終えた者がでてくるがハングは未だに数十回素振りをしては一に戻るということを繰り返していた。

 

そして、全体の大半が終了した時点で教官は全員の動きを一喝で止めた。

 

本日は初日ということで、全体で訓練の順序を全て教える。

明日からは一つの課題が終わらなければ次には進めない。

 

汗だくになり、肩で息をするハング。その周りの訓練生達はそんなハングを鼻で笑った。左腕を古ぼけたぼろ布で覆い、体の動かし方が変な奴。

 

優越感に浸るには十分な存在だった。

 

そもそも、この訓練生として選ばれた者達のほとんどが上流階級の者だ。

その身に着けている物もどれもこれも見るからに上等だ。明らかに庶民とわかる物を纏った者などほんの数人。このベルンで庶民が騎士の見習いになるためには生半可な努力ではたどり着けない。

 

そして、そんな庶民の面々はやはりまだ素振りを終えきっていない者ばかりだった。

 

続いて、城壁の周りを走り、筋力の鍛錬、槍の投擲などを行う。

もう少し槍に慣れれば模擬戦なども行うことになる。

午前中にはドラゴンの生態やベルンの歴史などの座学を行うことを最後に告げて本日の訓練を終了した。

 

もちろん、それでハングの訓練が終わるというわけではなかった。

 

「おら!また姿勢が崩れたぞ!!」

 

ヴァイダはそう言ったが、回数を一回目には戻さなかった。それはせめてもの情けだろう。

日は暮れ、訓練場に残った者はごく少数。当初、ハングがじたばたと槍を振り回す様子を蔑むように見ていた他の見習いも日が沈むと同時に消えている。

訓練所にはハングとヴァイダ、それとハングに最後まで付き合うことを決心し、一心不乱に素振りを繰り返すヒースしかなかった。

 

「・・・ハァ!・・・ハァ!」

「情けない!もう限界か!」

「・・・・・っ!」

 

ハングは重い手足を引きずるように槍を突き出した。

 

ハングの竜騎士見習い初日は散々だった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

見習いとなって一年と三月。

 

「・・・ハァァッ!!」

「ヤァァ!」

「おらぁ!!」

「そこまで!!」

 

一年経過した時点で、規則に従い彼らは少人数の集団にわけられた。

今後の行動はその集団で行い、誰かの失敗はその面子での連帯責任をとらされる。

 

簡単に言うと小隊のようなものだ。

 

そして、今日はその小隊同士の集団模擬戦。

 

ハング達の組は当然というか必然というか庶民出身者が集められた。この方が面倒事が少なくてすむという管理側の意向である。

 

どちらにせよ、この一年で竜騎士見習いは何人か脱落している。庶民の数はたかがしれていた。

 

「次!第三班対四班!前に!」

 

騎士長直々の号令にきびきびと騎士見習い達は前に出る。第三班がハング達の班だった。

今日の模擬戦はただの試合ではない。勝ち抜き戦を行う大会のようなものだった。

 

ここでの優勝すると、竜騎士の騎士長から褒美が出る。それは何にも代えがたい栄誉だった。

 

ハング達は訓練場に入る前前に全員で槍の柄を一点に集める。

カツンと良い音がする。全員が訓練場内に並ぶ。

 

「始め!!」

 

ハング達が動き始める。それは一つの陣形を保っていた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「アハハハハ!かんぱ~い!!」

 

城壁の上で杯を打ち鳴らすのは第三班。

 

「ぷっは~!いいね、勝利の美酒ってのは!」

 

夕刻時。空が赤く染まる時間に彼らは食堂から拝借してきた食事と酒で簡単な宴会を開いていた。

 

「どれもこれもハングのおかげだぜ~うりうり~」

 

お調子者のアイザックがハングの脇腹を肘で押す

 

「・・・やめろ。鬱陶しい」

「アイザック、ハングが照れてる!もっとやれ!」

 

ノリの良い優男であるラキアスが酒を片手にそう言った。

 

「ラキアス、煽るのは感心しませんよ」

 

生真面目そうなべルミナートが腕を組んでそう言った。

 

「いいだろ、ベルミナート。今日は無礼講だ」

「よっ、ヒース!さすが我らが隊長!話がわかる!」

 

普段は見張りしかいないのが城壁の上だ。

そして、今日の見張りの担当者は彼らの保護者とも呼ぶべき人だった。

 

「お前ら、あまり騒ぎすぎるなよ」

 

ヴァイダが釘を刺し、皆は明るい声で返事する。

理解してるのかどうかは今一つわからなかったが、ヴァイダは溜息を一つ吐き出すだけでそれ以上は何も言わなかった。

 

ヴァイダとしても、手塩にかけて育てきた彼らの優勝は内心とても嬉しく思っていた。

 

「でも、ハングはよく頭が回ったよな。もしかして、あれか?槍の腕の才能の代わりに神が与えた贈り物なのか?」

「・・・だまれ、ラキアス・・・これでも、努力してる」

「せめて、ハングさんも槍の投擲並みの腕前が欲しいんですがね。そうすれば、模擬戦で開始早々狙われることも無いでしょう」

「・・・・うるせぇ・・・」

 

今日の模擬戦では大体最初に死体役になるハングだ。

それでもハングの存在が勝利を導いたというのはこの班の誰もが認めるところだった。

 

「あいつらの顔ったら無かったな。俺らに負けた理由が全然わかってなかったって感じだし」

「・・・ほとんど奇策の連発だったからな」

 

今日の勝利は片っ端から試せる奇策を用いての勝利だ。

同じ相手に二度は通じない手ばかり。

ハングは既に自分の手を全て明かしてしまったことに顔をしかめていた。

 

そんなハングの肩をヴァイダが叩いた。

 

「なに、実戦なら相手は全員死んだ。それなら同じ手は何度でも使える。あれは悪くない手だったぞ」

 

全員が一斉にヴァイダの方を向いた。

 

「な、なんだお前ら」

「・・・いや、ヴァイダさんが褒めるなんて・・・」

「明日は雨ですか?槍ですか?飛竜でも降ってくるんでしょうか?」

「やばい、俺まだ遺書書いてない」

「お前らなぁ!!」

 

無礼講ということで、教官であるヴァイダすらからかい、皆は笑い合う。

ラキアスがハングの盃に酒を注ぎ込んだ。

 

「でも、あれだな。ハングは軍師にでもなる気か?まぁ、竜騎士になるよりは仲間の役に立ちそう・・・って、睨むなよ。怖いだろ」

 

ハングは怯えてくれたラキアスに免じ、眉間に寄せていた皺を戻した。

 

「でも、最近は休みの時間はずっと書庫に篭ってると聞いたぞ。何してるんだ?」

「・・・ちょいとな」

 

ハングは干しぶどうを口の中に放り込みながらそう言った。

 

「禁書の棚に忍び込みかけたとかも聞きましたよ」

「・・・気のせいだ」

「闇魔道士に立会いを挑んだとか」

「・・・そんなこともあった」

「食堂のカインさんに惚れてるって聞いたけど」

「それはない」

 

なぜか、その否定の声をあげたのはハング以外の仲間達だった。

 

「・・・お前らな・・・」

「こいつがそんなことにかまけるような奴かよ。そんな暇あったら槍の素振りでもするような奴だぞ」

「そうですよ、ましてやカインさんのような美人。根暗なハングには釣り合いません」

「こいつは昔から女にも男にも興味を持たん。そんな噂は一度も無かった」

 

ヴァイダさんにもそう言われてしまう。

 

「お前らなぁ!」

 

皆のあんまりな物言いにハングのこめかみに青筋が立つ。

 

「え?怒るってことはハングは好きな人っていたことあるの?」

「・・・・・・」

 

ハングは押し黙ってしまった。確かにそんなことは気にしたこともなかった。

皆は固まってしまったハングを笑い、ハングもつられるように笑い出した。

 

夕焼け空が、赤く、とても美しかった。

 



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前章~竜騎士(青年編 ②)~

今、ここには一匹のドラゴンがいる。

緑がかった蒼い鱗に覆われた力強い筋肉を持つ生物。

 

リガード

 

ハング名付けたドラゴンだった。

 

二年という長い訓練期間を終え、ハング達訓練生にも自分達のドラゴンを与えられるようになった。

もとよりドラゴンに好かれるハングはリガードともすぐに打ち解けた。

ヒースを含む何人かは今も苦戦しているようで、これだけはハングが班で一番乗りだった。

 

今も昼寝と洒落込むリガードの腹に背を預けて、ハングは書庫から借りてきた歴史書や闇魔道書を読み漁っていた。

ハングは本に栞を挟んで脇に置き、伸びをする。

 

髪も伸び、少し精悍な顔つきになったハング。だが、その鋭い瞳は相変わらずだ。

そんなハングもドラゴンと触れ合う時は少し頬が緩む。

ハングは寝息をたてるリガードの鼻面を少し撫でてやった。

 

その時、不意にリガードが眼を見開き、鎌首をもたげた。

 

誰か来たのだろうか?

 

ここは城の中庭の片隅だ。

 

自由に出入りしていい場所ではあるが、もとより文官や貴族の憩いの場なので、見つかると嫌味を言われるのは目に見えている。

ハングは本を自分の鞄にしまい込み、草陰から様子を伺った。

 

「・・・・うわ」

 

ハングはこっそりとうめき声をあげた。

 

中庭にいたのは国王デズモンドとハングの上官のバウトだ。

最近、うなぎ登りに地位が上がり、元より肥大していたプライドを更に巨大化させてるバウト。嫌味の一つですむ文官の方がまだましだった。

 

隣ではハングの気分にあてられたようにリガードが牙を剥き出しにしていた。

今にも威嚇の唸りをあげそうなリガードの頬を撫でるように触れて宥める。

 

ハングは逃げ出すのを諦めて、息を潜めることに全力を注ぐことにした。

禁書の棚に何度も出入りしているハング。隠れるのには慣れている。

 

「・・・・お前は・・・見所が・・・」

「いえ・・・お手合わせを・・・」

 

バウトは国王に胡麻でも擦ってるのだろう。

国への忠誠や地位への野心の無いハングには理解できない光景だった。

 

二人は程なくして戻って行く。ハングは二人が消えてようやく息を吐き出した。

 

「・・・嫌なもん見たな」

 

食後にまでとり残された嫌いな食べ物を無理やり飲み込んだ気分だ。

 

「グルルル・・・」

 

リガードもなんだか不機嫌そうに喉を鳴らした。今度は謝る意味をこめて、ハングはリガードの顎を撫でる。

 

「・・・グォォ」

 

気持ち良さそうにハングに頭を寄せてくるリガード。ハングは少し気分直しでもしようかと思い立った。

 

リガードの手綱を握り、中庭を後にする。

 

向かったのはドラゴン小屋。

 

リガードの寝床には鞍や鐙などドラゴンに乗るための品が揃っている。

 

ハングは薄手の鞍をリガードに手早く取り付けていく。牛革一枚程度の簡単な鞍だが、これが無いと鱗で内股が擦られて酷いことになる。

 

ハングは鞍をつけたリガードに飛び乗る。

 

「・・・行こうか」

「ガァァ!!」

 

不意にリガードがその場で羽ばたきだす。忙しない動きでは無く、準備体操をするように力強い羽ばたき。リガードの全身の筋肉がハングの下で躍動しているのがわかる。

 

そして、リガードはハングの方を一度振り向いた。

彼の燃えるような紅の瞳がハングに訴えかける。

 

『飛びたい・・・飛びたい・・・』

 

ああ、わかるさ。

俺だって飛びたいんだ。

 

ハングはそんな意味をこめて、リガードの首の付け根を撫でる。

 

ドラゴン小屋には竜騎士がすぐにでも飛び立てるように工夫がなされてる。ハングが小屋のロープを一本外せばリガードはいつでも飛び出せる。

 

ハングがそのロープに手をかけた時、不意にドラゴン小屋に人が入ってきた。

 

「あ!ハング!お前はまた勝手に!」

「・・・見逃せ、ヒース」

 

本当はハング達は教官の許し無しで飛ぶことは許されない。

もちろん、安全の為だがハングには関係無い。空で敵兵にでも出会わない限り、ハングとリガードの呼吸が乱れるわけがなかった。

 

「・・・んじゃな。見つかったら、よろしく」

「ちょっ!待てって!」

 

ハングはヒースの静止を無視してロープを解く。

突如開いた大きな出入り口に向けてリガードは走り出した。

 

「ハング!!罰は連帯責任なんだぞ!!」

「・・・だからなんだ」

 

後ろから今も追っかけてくるヒースを無視してハングはリガードの腹を軽く蹴る。

 

それを合図にリガードが勢いよく翼を広げた。

 

揚力が生まれ、リガードは低空を滑空するように走る。

そして、徐々に徐々にリガードの脚が浮き始める。

 

「・・・行こうか」

「グルルル」

 

リガードがドラゴン小屋を飛び出す。

その瞬間、ハングの身体は急激に背後に引っ張られた。

重力に逆らうような急上昇。身体をすり抜けていく風が突然に強くなった。景色が空の青と雲の白だけに変わる。

 

一瞬で大地を置き去りにしたリガードとハング。城壁を軽く越え、城の尖塔を通過点にしてハングとリガードはまだ上昇を続ける。

 

城の構造上ドラゴン小屋を出た直後には常に上昇気流ができている。

それに上手く乗れば素晴らしい高さまでリガードは到達できるのだ。

 

「はっはっー!!最高だぁぁぁ!!」

「グォォォォォォン!」

 

城が木彫りの置物のような大きさに変わり、空気が明らかに冷たくなる。

吐く息が白く変わる世界で、ハングは叫ぶように笑い、リガードは笑うように叫ぶ。

 

ここにいるのはただの二匹の生き物だけだ。

 

現在の柵も未来の不安も過去の苦悩もここでは全て関係ない。

 

何者もいない世界はハングの内側を簡単に消し飛ばしてしまう。

 

「うぉぉぉぉぉぉん!」

「ウォォォォォォン!」

 

どちらがハングの声で、どちらがリガードの声なのかもよくわからない。

 

ハングの耳に届くのは一種類の音だけ。

それはこの青い世界の一部となるように消えていく。

 

「ウォぉぉぉォぉォン!」

 

声は途切れることなく響き渡る。

寄せては返すさざ波のように二匹の叫びは広大な空の海を渡り続けた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングはリガードの背から、下の森を見渡す。

 

「哨戒任務なんて退屈ですね」

「・・・ぼやくなベルミナート」

 

ハングとベルミナートは翼を並べて森の上を巡回していた。今日は二人一組での城周囲の哨戒任務。簡単に言うと周囲の村や町への警邏活動である。

 

そろそろ騎士見習いとしては十二分に実力もついてきたハング達。

もちろん、地上でのハングの槍の腕前は今一つだったが、ドラゴンの上では多少様になるようになってきていた。

 

ハング達が竜騎士になるのに必要なのは授与式のための国王の日取りぐらいだった。

彼らは今となってはヴァイダを隊長とする中隊に正式に組み込まれている。

 

中隊長に就任したヴァイダはハングを拾った時の女性のような雰囲気は消え、獰猛な獣のような殺気をいつも放つようになった。中隊長としての責任と重圧が彼女を変えてしまったのだと、周囲の人は言っていた。

 

そんなヴァイダだが、ハングと食事する時には昔のような笑顔も見せる。

心をなくしてしまったわけではないことをハングは知っていた。

 

ハング達は目の前の山を越える為に手綱を引いて、上昇する。

 

その時だった。

 

「おっと」

「・・・山賊か・・・」

 

山を越えた先の村が襲われていた。家々に火が放たれ、もうもうとした黒い煙があがっている。

 

「ハング!」

「・・・わかってる」

 

ハングはリガードの背にくくりつけていた鐘を打ち鳴らす。

竜騎士部隊の緊急の合図である。

 

だが、この音を聞いたところで隊長や仲間がたどり着くには時間がかかる。救援としては遅すぎる。

 

「・・・ベルミナート。勝手な行動は慎むように言われてたな」

「はぁ・・・また、連帯責任ですか」

「・・・悪いな」

「いいですよ、それより行きましょう」

 

ハングは返事をするよりも早く、村に向けてドラゴンを駆けさせる。

一本の矢のような勢いでハングは村で最も山賊が暴れている場所にめがけて突っ込んでいく。

 

「・・・・・死ね」

 

挨拶代りの一発だ。ハングは左腕で手槍を構える。

 

槍の腕前は今一つ。

 

だが、そんなハングにも誇れることが一つ。

ハングが左腕で投げる手槍の投擲威力は竜騎士の中全体でみても最強といえた。

 

ハングの左腕から放たれた手槍は山賊の胸板を貫通し、後ろにいた男の喉にまで食い込んだ。

 

「・・・・がが」

 

奇妙な声をあげる死体の上をリガードがかすめるように通過する。

その隙に手槍を回収したハングは暴れる男達の間にリガードを着地させた。

 

こういう時は最初の奇襲で全てが決まる。

 

ハングは大きく息を吸い込んだ。

 

「我こそは竜騎士第4師団第三小隊ハング!死にてぇ奴からかかって来い!!」

 

直後、リガードの咆哮が轟く。

 

それだけでよかった。

数で圧倒してるのが山賊だといえど、堂々と降り立った姿とリガードの怒号一発で空気は完全に制圧した。

 

そう思っていた。

 

ハングの脇腹に衝撃が走り抜ける。

 

「・・・闇魔法」

「グルルルル!」

 

思わず手綱を放してしまい、ハングはリガードの背から転がり落ちる。

 

「くっ!!」

 

更に闇魔法の陣が度々現れ、ハングは避けるしかできない。

瞬く間にリガードと引き離されたハング。

 

「来るな!リガード!!」

「グゥ!!」

 

手元に槍があったのがせめてもの救いだ。

 

「ハング!大丈夫かい!!」

 

空からベルミナートがやってきていた。

 

「リガード!飛べ!!」

 

ハングはベルミナートを指差し、リガードに指示を送る。

ドラゴンが単体で地上にいてはいい的だ。

リガードをベルミナートに任せて、ハングは目の前に浮かび上がった黒球をかわす。

 

ハングは極めて冷静だった。

 

既に実践は何度か行っているハング。

他人の殺意も自分の殺意もそれを受け入れるだけの経験は積んだ。

今更本物の殺意に怯えたりしない。

 

だが、今回はいつもと違うとハングは直感していた。

 

相手に殺そうという意図が見えない。

そのつもりなら、ハングがリガードの背から落ちた時点で決着はついていた。

 

どういことだ?

 

ハングは足元の陣の一部をかき消して魔法の軌道を変える。魔法を別の方向に飛ばして相打ちを誘う。

 

だが、相手はこたえた様子もなく何度も闇魔法を放ってくる。

 

相手は一人。手数だけは撃ってくるが、最初からハングを直撃しないように闇を構築していく。どこかに誘ってるかのような動き。

 

ハングは軽く舌打ちをする。

 

相手の動きが見事すぎて、こっちは手のひらで踊るしかない。

 

何者だ?

 

ハングの背が何かに当たった。振り返るとそれは納屋だった。

 

ゾクリと背筋に何かが走る。

 

ハングは咄嗟にその納屋から体を放した。

 

次の瞬間、納屋の壁が突き破られ巨大な男が姿を見せた。

 

ハングが動くのが一歩でも遅れてたら確実にやられていた。

 

そこにまた闇魔法。ハングはその場に伏せるようにしてなんとかかわす。

前を闇魔道士、後ろを巨漢に挟まれた。

 

「お見事」

「・・・あ?」

 

不意に拍手が起きた。闇魔道士がマントの下で手を叩いてるようだ。

 

「我々は怪しいものではありません」

「・・・嘘つけ」

 

見た目からしてまず怪しい。

 

「我々はとある組織に属しております」

 

闇魔道士は続ける。

 

「あなたの左腕のお噂はかねがねより存じておりました」

 

ハングは自分の左腕を庇うように構えた。

頭の中でこの場を打開する方法を模索し続ける。

 

「我々はこの世の魔道を研究する組織。あなたの左腕は大変興味深い。ぜひとも我が組織に来ていただきたい」

「勧誘かよ・・・」

「もちろん。タダというわけではありません」

 

ハングは会話をしながらなんとか相手の隙をうかがう。

右手に見える家屋まで逃げ切れるだろうか。

 

だが、そんな考えは闇魔道士の言葉で全て吹き飛んだ。

 

「あなた・・・復讐が目的なのでしょう?」

 

ハングが何かを考えることができたのはそこまでだった。

 

眼の奥が真っ赤に染まる。全身の血が沸騰したように滾っていた。

 

「あなたの目的は復讐だそうで・・・ならば、我々はあなたに力を貸しましょう・・・私は・・・あなたの仇を知っているかもしれませんよ」

 

自分の身体が何かの反射行動のように飛び出した。

一気に闇魔道士の間合いに飛び込んで左腕を振りかぶる。

 

その直後、巨漢がハングと闇魔道士の間に割って入った。

 

関係ない。

 

ハングはその男の胸の中心めがけて左の拳を突っ込んだ。

骨や肉がひしゃげる音がして、ハングの左腕が肉の塊を貫く。

ハングは自分の左腕を引き抜き、巨漢の男の脇を抜ける。

大きな音をたてて巨漢が倒れるのに一瞥もくれず、ハングは闇魔道士を間合いに捉えた。

 

だが、相手の方が一歩早かった。

巨漢を相手にした分の時間が闇魔法の発動する時間を与えてしまっていた。

ハングの腹に闇の塊が直撃した。

 

「・・・ぐふ!」

 

ハングは吹き飛ばされ、地面を転がる。

たった一撃だというのに、とんでもない威力だった。

 

地面に這いつくばったハングは腹からこみ上げてきた反吐を吐き出す。

そのほとんどが真っ赤な血潮だ。

 

「予想以上の反応ですね・・・少し驚きました」

「て、てめぇ・・・まさか、ネルガルを・・・」

「ネルガル?それがあなたの仇の名ですか・・・申し訳ないですね。私はその方は知りません。とにかく連れていきますよ」

「ハァハァ!」

 

腕が震える、脚が揺らぐ。身体を起こすだけでも精一杯。

なのに、ハングの眼はいまだ殺意に溢れ、その瞳を黄金色に燃やしいた。

 

「まだ、そんな眼ができますか」

 

ハングの腹が蹴り上げられる。

 

「ぐふ!!」

 

ハングがぎりぎりで保っていた姿勢さえも崩される。

ハングは歯を食いしばる。

 

復讐どころか、目の前の闇魔道士一人に勝てない。

こんなんで、どうやって、あいつに勝てるというのか。

 

自分の弱さ、そして情けなさに噛み締めた口の中で歯が折れる音がした。

 

心の中で悪態をつく。声を出そうにも、腹に重い一撃をくらって呼吸もままならない。

 

「グォォォォォ!!」

「おや、あれは?」

 

突如、複数の咆哮が周囲から響き渡る。闇魔道士の表情が少し曇った。

 

「援軍ですか、思ったよりも早かったですね。それではさっさとズラかりましょうか」

 

ハングの真下に円陣が現れる。転移魔法。

このままでは本当にどこかに送られる。

 

その時だった。

 

「ハング!!」

「・・・ラキ、アス」

 

空からラキアスが降下してくる。

 

「邪魔ですよ」

 

そのラキアスに向けて闇魔道士が手のひらを向けた。

その手にハングが食らったのとは比べものにらない程に巨大な塊が構築されていた。

 

あんなのを受けたらひとたまりもない。

 

だが、ラキアスは構わずに突っ込んでくる。

彼は闇魔道士の実力を見切れていない。

 

「部隊との別れは永遠で、戦友との別れも永遠ですね」

「・・・・やめろぉぉぉ!!」

 

ハングの目の前でその闇が放たれた。その速度は普通の闇魔法とは明らかに常軌を逸し、ラキアスの回避は間に合わない。

ハングの視線の先で、ラキアスと相棒のドラゴンが闇に飲み込まれた。

 

「・・・・うそだ・・・」

「さぁ、別れはすみましたね。それでは」

 

俺のせいだ・・・俺のせいだ・・・

 

自分がつまらない挑発に乗らなければ・・・

 

こんなことには・・・

 

「別れは悲しいものです。ですが、その涙があなたを強くしますよ」

 

卑しく笑う闇魔道士。ハングは激痛を感じる身体で土くれを握るしかできなかった。

 

「何を泣いてんだい?」

「・・・え?」

 

ふと、顔をあげた。その瞬間、闇魔道士が一匹のドラゴンに吹き飛ばされた

 

「グォォォォォォ!!」

「リガード・・・」

 

見間違うわけのない、最愛の相棒。

そして、もう一騎ドラゴンが降り立つ。

 

「ハング、立てるかい?」

「・・・隊長」

「ラキアスは何とか生きてる。しっかりしな」

 

鋭い目線の中に隠れた一筋の優しさがハングを射抜く。

ハングはこらえきれなかった雫が目元から零れ落ちるのを感じた。

 

「貴様!!ヴァイダだな!」

「そうさ、あたしも有名人みたいだね!さぁ・・・私の愛弟子をいたぶってくれた礼をたっぷりしてやるよ!!」

 

ヴァイダが闇魔道士に突っ込んで行く。

ハングはリガードのざらついた舌で顔を舐められながら、その行方を追った。

 

圧倒的だった。

 

三次元的な動きでヴァイダは闇魔法をことごとく回避し、一撃離脱で確実に闇魔道士を刻んでいく。

 

脚を穿ち、肩を切り裂き、脇腹に一撃を見舞う。

 

あっという間に血まみれになった闇魔道士をヴァイダは鼻で笑った。

 

「悪いが簡単には死なせないよ!!」

 

その宣言通り、ヴァイダは出血の少なく、死ににくいところを狙って槍を繰り出し続ける。精神力が崩壊し、魔法を使えない無抵抗の魔道士を徹底的にいたぶる。

 

ハングが歯がたたなかった相手がまるで虫けらのように蹂躙されていく。

 

これが、隊長格の実力。

 

ハングは動くようになった身体で拳を地面に打ちつけた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「・・・・なんとか、一命は取り留めました。もう大丈夫でしょう」

 

賊を追い払った翌日。夜を徹して続いたラキアスの治療がようやく終わった。

 

「・・・ふぅ・・・」

 

ヴァイダが安堵のため息を吐く。その後ろでは仲間達も同じく肩の力を抜いた。

 

「一時はどうなることかと思いましたよ」

「そうか?あいつは殺しても死なねぇよ」

「それにしてはアイザックはかなり心配してたな」

 

喜び合う部隊の面々。それをハングは遠巻きに眺めていた。

頭の中を巡るのはラキアスに闇魔法が直撃したあの瞬間。

 

全てをかなぐり捨てて、自分の復讐の片鱗に飲み込まれた結果があの光景だった。

 

実際、隊長が助けに来てなかったらどうなっていたことか。その未来を考えるとハングの体に鳥肌が立つ。後悔の海に溺れ、どこまでも深く沈んでいくようだった。

 

「ふぁぁ・・・もう眠いな、ラキアスの顔を見て寝るか」

「お前ら、明日の非番届けは私から出しておく。ゆっくり寝ていいぞ」

「ありがとうございます!隊長!」

「ハング、宿舎に寄る前に・・・・あれ?ハング?・・・あいつどこ行った?」

 

ふと、ヒースが振り返るとハングの姿はもうどこにも無かった。

 

ハングはこっそりと城を抜け出し、ドラゴン小屋へと足を運んでいた。

 

「グルゥ・・・」

「なんだよ、その声は・・・まぁ、だいたいわかるけどな・・・」

 

ハングは丸まったリガードの内側で脚を抱えて座っていた。

 

「・・・俺は・・・何の為に・・・訓練してたんだろうな・・・」

 

強くなりたい一心だった。復讐を果たす為、ネルガルを殺す為にずっと努力してきた。

その結果がこれだ。

復讐に呑まれてピンチに陥り、仲間を危険に晒した。

 

そして、何よりも自分が最低だと思うのは、こんなことになった今でも憎悪を捨てきれないことだった。

 

もし、今復讐の手がかりが手にはいれば、死にかけた戦友も、恩のある隊長も、昔からの親友も全て投げ捨てて向かってしまう自信がある。

 

それがわかっていながら、何も改善しようとしない自分が本当に最低だった。

 

自分はやはり歪んでいる。どんなに取り繕おうと、それは事実だった。

復讐の為にしか生きられない。その為になら、目の前の全てがどうでもよくなる。

 

俺は何の為にここにいるのか?

 

強くなる為だった。だが、本当にただそれだけなら、俺は『仲間』と共にいてはいけないのではないだろうか?

 

悶々とした考えが頭を巡る。

 

「やはり、ここにいたか」

「あ・・・隊長・・・」

「今日は全員揃って非番だ。楽にしろ」

「・・・ヴァイダさん・・・」

「それでいい」

 

ヴァイダはそう言って頬を緩めた。それはハングが久々に見る彼女の笑顔だった。

 

「ハング・・・まさかとは思うが、隊を抜けるとは言わないだろうな?」

「っ・・・・」

「図星か。まったく・・・」

 

ハングは盗み見るように腕の隙間からヴァイダを見た。彼女は呆れたような顔をしていた。

 

「あたしがお前を拾ったのはな」

「・・・・」

「お前がふてぶてしい、いい目をしていたからだ」

「・・・どういうことですか?」

「お前のその鋭い視線が気に入ったんだ。幼くして全てを失い、憎しみにしか生きられなくなったお前の目があたしは気に入ったんだ」

「・・・・・」

「もともとそういう奴だと思ってお前を竜騎士に推薦したのは私だ。お前はそんな私の顔に泥を塗る気か?」

「でも・・・」

「でももなにもない!!」

 

雷鳴のような怒声にハングの背筋が伸びる。

 

「いいか!私は貴様の全てを見てきた!その上で私はお前を我が隊に迎えたのだ!それを今更1つのミスで弱腰になどなるな!私はそんな軟弱に貴様を育てた覚えはないぞ!」

 

ヴァイダの声の一つ一つが熱量となってハングの胸へと響いていく。

 

「いいか、ここを抜けることは隊長の私が絶対に許さん!いいな!」

「・・・・・・はい」

「返事っ!」

「はいっ!!」

 

ハングの声量に満足したのか、ヴァイダはハングに背を向けた。

 

ハングは自分の胸の上を右手で握りしめる。そんなハングの頬をリガードの尻尾が頬を撫でたのだった。

 

翌日、ラキアスが目を覚ましたとのことで、ハングは彼の部屋へと見舞いにいった。

 

「・・・入るぞ」

「お、やっと来た」

 

ハングが中に入ると既にアイザックが来ていた。

ラキアスはベッドに横たわっていた。その顔色は決して好色とは言えなかったが、少なくとも余裕はありそうな顔だった。

 

「・・・おう、元気そうでよかったよ」

「ハング」

「ん?」

「気にしてないよな?」

 

ハングはかろうじて動揺をこらえる。

 

「・・・なんのことだ?」

「それで嘘ついてるつもりかよ。ばればれだぞ」

「うっ・・・」

「あのな、この怪我は俺が回避しそこねたから受けた傷だ。お前が原因とか関係ねぇ!」

 

ラキアスがそう言い、アイザックも同意するように何度も頷いた。

 

「そうだそうだ、ラキアスが愚鈍でドラゴンの手綱捌きが下手くそで、何の遮蔽物も無い空から声をあげて奇襲するという愚かにも程がある作戦を決行した結果だ。ハングが気にすることは一つもねぇんだ」

「おい、そこまで言うか?」

「事実だろ」

「事実だけどよ!」

 

ハングはアイザックとラキアスの掛け合いを見て肩の力を抜く。

 

「ま、だからさ、勝手に俺らの前から消えるなんて許さないからな」

「そうそう、それが心配だったんだよ。お前、変なとこで無意味な程に義理深いからな」

「・・・うるせぇよ・・・」

 

ハングはこぼれそうになる涙をこらえながら、そう言った。

 

ヴァイダさんの厳しい優しさが、仲間達の大きさが心の隙間を埋めていく。

 

この居場所でずっと生きていきたい

 

ハングは本気でそう思っていた。



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前章~竜騎士(激動編)~

『東の町で反乱が起きた鎮圧に向かえ』

 

巡回中であった俺達の隊に師団長にまで格上げされたバウトから指令が届いた。

 

バウトがヴァイダより先に師団長になったことはハング達にとっては胸くそ悪い話だった。バウトよりもヴァイダほうが腕前も判断力も器も絶対に上のはずだ。バウトが勝ってるとすれば国王への世辞の数だけだろう。

 

だが、上官の命令に逆らうわけもいかない。

 

ハング達はヴァイダ隊長の指示に従い、東の町へと出発した。

 

あいにくの曇天で、空を駆けても爽快感はまるでない。

それどころか、全身にまとわりつくような湿気が鬱陶しい程だ。

 

そんな空を行く彼らの肩には騎士を示す勲章が鈍く光っていた。

 

正式に竜騎士となったハング達。いくつかの任務を経た彼らの顔は随分と引き締まっていた。

 

「なぁ、ハング。あんな辺境の町で反乱なんか起きるのか?」

「・・・どうだかな・・・反乱なんてもんに効率の良さとかそんなん考えねぇだろうし・・・ありえると言えばそうなんだがな・・・」

 

ほんの少し目の鋭さが緩んだハング。

ここで過ごす日々は辛いものではなかったらしい。

 

「・・・・・・・・」

 

ハングはふと、自分たちの前を行く隊長の横顔が少し陰っているような気がした。

 

「ってことは、明確な指導者がいない反乱でしょうか?」

「おいおい、『反乱』に指導者がいたらそいつは『革命』だぞ」

「はははは、確かに」

 

笑い声をあげるハング達。そんな呑気に雑談している面々に対してヴァイダが振り返った。また怒鳴り声が飛んでくるかと思い、ハング達は背筋を伸ばす。

 

だが・・・

 

「おい、お前ら・・・気を引き締めろ」

 

部隊の面々は顔を見合わせた。

 

いつもの隊長と随分と様子が違う。

 

だが、戦場は目の前だ。皆は気を取り直して声を張り上げた。

 

「おっし、ハング。俺の背中は任せるからな。後ろにちゃんといろよ」

「・・・いつもそうしてるだろうが、ヒース」

 

そして、ハング達は山を越える。ハング達の前に反乱を起こしたと言われた町が現れた。その至るところで黒い煙があがっている。

 

それは別に構わない。反乱が起きたというなら、国が統治するために設置した衛兵所や役所が襲われることはままある話だった。

 

だが、最初にベルミナートが異変に気がついた。

 

「あれ・・・あの煙・・・民家からあがってません?」

「え?あ、本当だ。飛び火でもくらったのか?」

「よく見ろ!煙の火元はむしろ住宅街だぞ!!」

 

ハングは前を飛ぶ隊長が唇をかみしめたのを見逃さなかった。

 

「って、え?あの竜騎士部隊・・・民間人を襲ってんぞ!どうなってんだ!?」

 

ハング達は更に町に近づいた。

 

逃げ惑う人、人、人。

 

町を囲う城壁の外に逃げ出そうと人々が通りを走っていた。

 

「・・・なぁ・・・敵は・・・どこにいる?」

 

返事は無い。

 

「みんな・・・ただの市民だぞ・・・戦意なんて・・・」

 

逃げようとする人々の群れに別の竜騎士部隊が襲いかかった。

ろくに武器もなく、逃げるしかない人々など、あっという間に血だまりと化してしまう。

 

「くそったれ!!」

 

隊長が突然悪態を吐き捨てた。

 

「やっぱりこういうことか!住民全てが反旗を翻した?一人も生かしてはならない!?くそったれがぁ!!」

 

隊長がくしゃくしゃに丸めた指令紙を投げ捨てる。

ハング達は一斉に手綱を引いた。ドラゴン達が驚いたように空中に静止した。

 

「・・・隊長?どういうことです?」

 

そんな彼らにヴァイダは鬼のような形相で振り返った。

 

「どうもこうもあるか!見たとおりだ!!奴は手柄を欲していた!将軍に上がる為の足掛かりとしてな!!そして、『反乱をほとんど兵を損ねることなく鎮圧する』という経歴が欲しかったんだろうよ!」

 

隊長はそれ以上は言葉の無駄だとでも言いたげに、視線を町へと向ける。

そこに広がってる光景は『戦闘』ですらない。ただの『虐殺』だ。

 

「つまりこの反乱はバウトのでっちあげってことだ」

 

町から一際大きな悲鳴があがる。竜騎士の本隊が山の向こうから姿を現していた。

 

「お前ら・・・どうする?」

 

その問いはヴァイダから発せられた。ヴァイダはその手に槍を握っている。

 

ヴァイダは虐殺に参加する気なのだろうか?

 

それは無いと、ハングは自分の考えを打ち消した。

 

隊長は冷酷だ。そして好戦的だ。だが、弱いものを無意味にいたぶることは嫌っていた。ならば、戦う相手は決まっている。

 

「あたしは戦うよ」

 

ヴァイダは静かにそう言った。

その槍先が向く先をハングはいち早く察した。

 

ヴァイダが道中驚く程に口数が少なかったのは決意を固めようとしていたのかもしれない。

 

「・・・付き合います」

 

ハングは槍を構えた。

 

「俺もです」

 

ヒースもそれに続く。

 

「んじゃ、俺も」

 

アイザックは手槍を手に取った。

 

「あれ?逃げないの?」

「お前は逃げてもいいんだぞ?」

「冗談だろ」

 

ラキアスは高く槍を掲げた。

 

「皆さんも物好きですよね。まぁ、私も人のことは言えませんが」

 

ベルミナートは静かに手綱を強く握った。

 

「いいのか?お前ら?」

「・・・当然」

「死ぬかもしれんぞ」

「覚悟の上ですよ」

「せっかく竜騎士になれたんだ。参加せずともここで見ているという選択肢もあるぞ」

「無抵抗の何の罪もない人を見殺しなんてお断りです」

 

ハング達は覚悟を決めた。ヴァイダは疲れたように笑った。

 

「・・・いい部下を持ったな・・・」

 

そんなかすかな褒め言葉が何よりも嬉しかった。

 

「これより!我が第三班は命令を無視する!!奴らの虐殺をやめさせろ!!」

「了解!!」

 

これが、最後の作戦かもしれない。

 

ハングは唐突にそう思い、頭を振ってその考えを打ち消す。

これで皆が死ぬと決まったわけではない。

 

ハングは不安を振り払い、阿鼻叫喚となった町に視線を落とした。

悲鳴が掻き消え、命乞いが無視され、犠牲の精神すら踏みつぶされる。

それはハングの幼い記憶と重なっていく。

 

あの日ハングは誰も救えなかった。

 

「今度こそ・・・」

 

リガードの咆哮が放たれた。それに続くように部隊のドラゴンも吠える。

それは戦いの太鼓よりも荒々しい鼓舞の叫びだった。

 

ハング達は町に向けて突撃していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ついに降り出した雨。燻っていた町の火は、それに次々と消されて行った。

遠くで雷鳴が鳴り響く。徐々に強まる雨足はこのまま豪雨と化すだろう。

 

ハングはそんなことを思いつつ、槍先を向ける。

 

「貴様!なぜ我々を襲う!」

「・・・襲ってんのはどっちだ・・・」

 

ハングは槍の柄を竜騎士の後頭部に強く叩きつけ、意識を刈り取る。

ハングとヒースは町を囲む防壁の出入り口を陣取っていた部隊を任され、彼らを次々とねじ伏せていた。

 

城門にいた連中を叩き潰し、はね扉の鎖を住民達の力を借りて降ろす。雨音の中に劈くような音が聞こえ、城門が開かれた。

 

「森へ逃げ込め!本隊は竜騎士部隊だ!身を隠せば、生き残れるぞ!」

 

ヒースが叫び、人々が門を抜けていく。

少なくともこれで何十人かの命は救えるはずだ。

この雨なら森を焼き討ちされることも無い。

 

「ハング、もう本隊が迫ってるぞ!そろそ俺達も逃げないと」

「・・・そうしたいが・・・新手だぞ!」

「おまえら!一体何をしている!!」

 

ハング達に向けて叫んだのは先行してきた本隊の一部だ。

手柄に目のくらんだど阿呆が既に町に入り乱れようとしていた。

 

ハングは躊躇わずに手槍を投げつける。

左腕による一発はドラゴンの翼の付け根の骨を貫いた。

 

「・・・ごめんな」

 

落ちていくドラゴンに謝る。乗っていた人間のことなど知ったことでは無い。

 

「ハング!ヒース!まずいことになった!」

「アイザック、どうしてここに?」

 

町の中で市民の護衛をしていたアイザックが雨の中を飛んで来ていた。

彼だけでは無い、他の部隊の面々もこの城門に集まって来ていた。

皆、どこかしらに傷を負い、返り血を浴びてる者もいた。

 

そんなハングも血まみれだった。元々は同朋とはいえ手加減していてはこちらが殺されかねなかった。

 

「あらかたの避難経路は確保したんです。これ以上は住人の運次第です」

 

ベルミナートは肩で息をしながらそう言った。

 

「まずいのはあたしらだよ」

 

隊長に視線が集まる。隊長が最も傷を負い、最も返り血を浴びていた。

 

「本隊に行って来た。あたしらに、正式に反逆罪で死刑宣告が出たよ」

 

覚悟はしていたが、やはり隊長の口からそれを聞くと戦慄が走る。

 

「・・・バウトめ・・・」

 

ヒースが口惜しいそうにぼやく。

 

「今更言っても始まらないよ。この町の住民が生き延びた以上、反乱の事実が無かったことはいつか判明する。虐殺を先導した奴らが必要になるんだ」

「それが俺たちか」

「そういう口ぶりだったね」

 

雨が肩を打つ。目に入った雨粒を頭を振って振り払った。

 

「お前らは西に逃げな。出来ればベルンを脱出しろ」

「隊長は!?」

「あたしは囮になる」

「そんな!ダメだ!隊長!!」

「それじゃあ皆で全滅するかい?はっ!それこそ笑えないよ」

 

ヴァイダは笑った。それは、見る人を元気付ける弾けたような笑み。

それを前にしてハングは泣きそうになる。

 

「でも・・・でも・・・」

 

そんなハングの頬にヴァイダは手を添える。

 

「ハング、泣くんじゃないよ。良い男が台無しだ」

「・・・ヴァイダさん・・・やっぱりダメです!そうだ!俺が、俺が囮に」

「ふざけんじゃないよ!!」

 

ヴァイダが怒鳴った。それに呼応するように雷鳴が轟く。

 

「お前はあたしが拾った命だ、それを粗末にしたら許さないからな!!」

「っっ!!」

「・・・それにな・・・」

 

そして、ヴァイダは残忍な笑顔を浮かべた。

 

「獲物が山程いる。そんな戦場を譲りはしないよ」

「・・・そう・・・ですね」

「ハング、お前ら、達者でな。生きてたらとこかで会おう!」

 

ヴァイダはドラゴンに乗り遠ざかっていく。彼女の姿は雨の中に消え、すぐに見えなくなった。

 

「ハング・・・行こう!」

「ああ・・・」

 

雨で冷えた頬に確かに温もりが残っていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングは必死に手綱を打っていた。雲の中に逃げ込もうとするも、何人かが周囲から寄り添うように追従してくる。

 

「クソッタレ!!」

 

ハングはリガードの翼を閉じさせ、自由落下の勢いでなんとか振り切ろうとする。

雲を抜けると、既に仲間達の姿はどこにもない。

 

やはり、逸れてしまった。

 

『背中は任せるからな』

「悪いな・・・ヒース・・・」

 

リガードの翼には数カ所穴があき、ハングの鎧も傷だらけ、右足の脛当ては先程ドラゴンの牙に持っていかれていた。

 

「リガード・・・踏ん張ってくれ、頼む」

「グォォ・・・」

 

その直後、また一本の槍がリガードの翼を貫いた。

 

「リガード!」

「ガルゥゥゥ!!」

 

なんとか、空中で踏ん張るリガード。

ハングが頭上を見上げると三人の竜騎士が次の槍の狙いを定めていた。

 

「・・・・ちきしょう・・・」

 

ハングは手綱を操り、さらに下降して加速する。

 

岩山が続く大地。身を隠せる場所がどこにも無い。

ハングは地面が足に触れる程に低い位置を飛ぶ。

 

その隣に次々と槍が突き刺さる。それでもハングはリガードを一直線に飛ばした。

蛇行なんかしてたら、疲れているリガードはすぐに追いつかれる。ハングは前かがみになって、一直線に飛んだ。

 

とにかく、身を隠せる位置を探さなければならない。

 

このまま岩山を越えれば川が流れている。そこを渡れば森が続いていたはずだ。

 

次の瞬間、ハングの右肩に槍が刺さった。

 

「っぁぁ!!」

 

運の悪いことに鎧の継ぎ目に直撃した。槍が刺さった肩が焼けるように痛んだ。

継ぎ目の鎖帷子が切れ、ハングの鎧が風で剥がれ落ちた。

 

ハングは邪魔な鎧を脱ぎ捨てる。少し軽くなったからか、リガードの速度があがった気がした。

 

大きな傷を負えば、激しい痛みと共に治癒が始まるハングの体だが、先程から身体の血は静かなものだった。今動けなくなれば即刻死ぬことになると身体が理解しているようだった。

 

だが、それももう少しの辛抱だ。もう一つ岩山を越えれば、森に入れる。

 

ハングは手綱を握りなおし、岩山を乗り越えた。

 

「・・・嘘だろ・・・・」

「グルル・・・グルル・・・」

 

森の手前に、竜騎士の二部隊が展開していた。

網を張られていたらしい。

 

「ハング!!引き返せ!!」

 

遥か頭上から声がした。見上げると竜騎士の部隊のさらに先に仲間達がいた。おそらく、雲の中に潜ってやりすごしたのだろう。

 

彼らはドラゴンの頭を巡らし、ハングを助けようと引き返そうとしていた。

 

「・・・バカ・・・逃げろよ」

 

唯一の救いは目の前の竜騎士達が彼らにまだ気づいていないことだろう。

 

「はなてぇぇえ!!」

 

次々と槍が投げられた。回避することも出来ない量だ。

ハングの体に、リガードの体に、槍が次々と吸い込まれていく。

 

「・・・ぐふ・・・」

 

ハングの口から血潮がこぼれる。リガードの背が激しく揺らぐ。

 

不意に重力が消え、落下していることに気がついた。

ハングはリガードの手綱を手繰り、その首に腕を回した。

 

力強い筋肉に覆われた太い首。確かにまだ脈打つ血管を感じる。

 

ふと、ハングの脳裏に青い空が浮かんだ。

 

駆け抜ける風と、遮るものの無い空。ハングとリガードだけの世界。

 

「・・・リガード・・・」

 

頬を当てた鱗はこの冷たい空の中でも確かに暖かかった。

 

「・・・また・・・一緒に・・・飛ぼうな・・・」

 

その瞬間、リガードの目に最期の命の火が燃えあがった。

 

「グォォォォォォァ!!」

 

リガードが地面に叩きつけられる直前に、わずかに羽ばたいた。

リガードが一瞬静止する。そして最後の力を振り絞り、リガードは川に飛び込んでいった。

 

冷たい水の感触を感じながら、ハングは決してリガードの首から手を放すことは無かった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ここはどこだ?俺はどこにいる?

 

潮の匂い、海鳥の鳴き声、風の音。

 

しがみついた硬い鱗の存在は腐臭を放ち出していた。

 

少し目線をあげれば、波に揺られるままになる頭があった。目は半分程に開かれたまま。眼から光は既に無い。開いた口から舌がだらしなく伸びていた。

 

ハングは力無く、鱗の上に頭を置く。顔をあげる力も残っていない。

 

身体を動かす力はない。涙を流す気力もない。

 

それでも、生きる為だけにハングは鼓動を失った相棒の背にしがみつく。

 

流されるままに海を漂うハング。

 

そんなハングのそばを一隻の帆船が差し掛かった。

 

マストの上には海賊旗が掲げられていた。




これにて過去編終了です。
次回からはついにハング達がベルンの地に足を踏み入れます。

そろそろ物語も終わりが見えてくる頃合いですが、残念なことに今月はリアルの都合で更新頻度がかなり落ちると思われます。
今は週3、4話程更新していますが、8月は週1、2程度しか書けないかもしれないです。今後の生活リズムがどうなるかまるで予想できないので、もしかしたら今まで通り投稿できるかもしれませんが、遅くなる可能性の方が高そうなのでよろしくお願いします。


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第24章〜四牙襲来 ①〜

ベルン

 

ハング故郷にして、アトスに示された国。

古くからリキアとは友好関係を保っているが、現国王のデズモンドは武力を背景に度々リキアに高圧的な姿勢を見せていた。

 

リキアの公子として入国すれば行動が極端に制限されるのは目に見えている。

エリウッド達は身分を隠し、旅人を装ってベルンへと潜入した。

 

「この先に待ち合わせの町がある。ベルンの玄関の一つだ」

 

ハングが地図も見ずにそう言った。

 

山に挟まれた間道を通り、国境を越えた一行。だが、その人数は随分と少ない。ここにいるのはエリウッド、ヘクトル、マーカス、ハングの四人だけだ。

 

「しかし、ヘクトル」

「なんだよ?」

「お前、ボロを纏うと本当に山賊にしか見えないな」

「喧嘩売ってんのかテメェ!だいたいテメェだって盗賊と大差ねぇじゃねぇか!!」

 

大人数で国境を越えるのは目立ちすぎる。顔を知られてる可能性の高い面々は分散させるに越したことは無かった。そして、一番に顔を探されてるであろうエリウッドとヘクトルは最も目立たないこの間道を進むことになった。

 

全員の集合地点はこの先の町である。

 

「しかし、意外でしたな。ハング殿もこちらに来るとは」

「そうですか?」

「私はてっきりリンディス様とご同行されたがるかと」

「・・・公私混同は控える努力をしてますから」

「はっはっはっ、それは大事ですな」

 

ハングはこうやってマーカスと軽口を叩けることが少し嬉しい。

最初にフェレを出た頃は警戒心剥き出しだったことを思えば随分と変わったものだ。

 

あれから、少しは成長できたのであろうか?

それこそ、この国で暮らしていた頃から自分は変わったのだろうか?

 

ハングの胸中を様々なことが巡る。

 

その背中を軽く叩かれた。振り返るとエリウッドがいた。

 

「ハングはベルンは久々なのかい?」

「いや、そうでもない」

 

軍師として旅立つことを決めてベルンは度々訪れている。一年前はリンディス傭兵団と共にベルンの端を通過した。

 

「この国は山賊やらなんやらが横行してるからな、仕事を得るにはちょうどいいんだ」

「行き倒れたことはないと?」

 

ハングは答えない。答えてやる必要も無い。

 

「しっかし、軍事大国の治安が悪いってどうなんだ?」

「軍事力が高いのと治安が良いのは必ずしも両立するわけじゃない。武器の扱い方がわかってても、そいつが善人とは限らないのと一緒だ」

 

その例えにヘクトルは納得したようだったが、エリウッドが反論した。

 

「でも、軍というのは国を守るためのものじゃないのかい?」

「軍事力が高ければそのまま国が良くなるわけじゃない」

「でも山賊が横行してれば、手柄欲しさに軍部は仕事するだろ?」

「エリウッド、それを俺に言うか?」

 

手柄を求めた上官のせいで、ハングはかつての居場所を破壊された。

ハングは「まぁ、間違ってはいない」と言って続けた。

 

「山賊は軍が出張ってくる程の大掛かりな悪事はしないもんさ。奴らだって死にたくないからな。それで小さい被害が続出して、全体で治安が悪くなってる。山賊の中には分け前の何割かを渡して、見逃してもらえるように取り計らってる奴らもいるぐらいだ。山賊を相手に命をかける奴なんてそういねぇよ」

「じゃあ、町の人達は泣き寝入りかよ。ひでぇ国だな」

「だから【黒い牙】なんてもんが出てくるんだろ」

 

ハングはふと前を向いた。

 

「見えて来た、あの町だ」

 

山の隙間から視界が急激に広がる。彼らの眼下には湖の畔に造られた町があった。小さいながらも賑わっているのがここからでもわかる。

 

「ここまでくれば、あと少しだ。さ、行こうぜ」

 

四人は少し軽くなった足取りで山を下り始めた。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その頃、その町では・・・

 

町の北に位置する街並みの一画で、一般市民と雰囲気を異にする連中の姿があった。

立ち込める空気は重く、放たれる風は独特の臭い。暗殺者特有の身のこなしをする彼ら。

 

【黒い牙】

 

その中でも特に強烈な存在感を持つ者が二人。

 

【白狼】ロイド

【狂犬】ライナス

 

【黒い牙】筆頭の実力者の二人がそこにいた。

 

そんな彼らの視界の隅を一人の少女が走っていった。

 

途端、彼らの纏う空気が霧散した。

 

「よ、ニノじゃねぇか」

 

朗らかに声をかけたのはライナスだ。それは【狂犬】などという二つ名を持っているとは思えない程に楽しげな笑顔だ。

 

「あ、ロイドにいちゃん!ライナスにいちゃん!」

 

ちょこちょこと走り寄って来た少女はそこらにいる年頃の少女達となんら雰囲気は変わらない。そんな彼女を前に、【黒い牙】の面々も随分と『普通』の気配になっていた。

 

「こんなとこでどうしたの?お仕事?」

「まぁな」

 

ロイドがそう答えて、ニノの頭をくしゃりと撫でる。手触りのよい短い髪は、ロイドの表情を緩ませた。

 

「で、お前の方は?そんな慌ててどこいくんだよ?」

「あたしもこれからお仕事なんだ。連絡係、母さんに言われてるから頑張らなくちゃ」

「そうかそうか」

 

ライナスもロイドと代わるようにニノの頭を撫でようと手を伸ばした。

だが、ニノはひらりとその腕をかわす。

 

「おっ・・・」

「へへ、お仕事失敗だよライナスにいちゃん」

「はははは、お前の負けだなライナス」

「ちくしょう、この!」

 

ニノはライナスから飛び退くように離れ、そこから走り出した。

 

「じゃあね!お仕事終わったらまた遊んでね」

「あ、おい!・・・ったく、勝ち逃げしやがって」

 

悔しそうに言いながらもライナスの顔は緩みきっている。

 

「相変わらず、いい子だな」

 

ロイドがそう言った。

ライナスは頬を叩いて自分を引き締め直してから、それに答える。

 

「ああ、あの女の娘とは思えねーな」

 

ライナスとロイドは仲間達に手で指示を出し、町の奥へと消える。

それは、忽然と闇に溶けたようで彼らがどこに去ったのかがわかる者はいなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

町に辿り着いたハング達は指定した宿屋へと向かう。

 

「っと、ここを曲がって・・・あった、あれだ」

 

指差した先には酒瓶とフォークがクロスした看板を掲げた宿屋があった。

ハングが率先して戸を開ける。

 

「あら、ハングさん」

「随分、早かったね」

 

そこにいたのはパント夫妻。宿の暖炉の前でお茶の時間を過ごしていた。

 

「あれ?エルクは一緒じゃないんですか?」

「私達に遠慮したのかな。今は上の部屋でシスターのお嬢さんと一緒にいるはずだよ」

「シスター?トルバートじゃなくて?」

「ん?確か、セーラというお嬢さんだったと思うよ」

「それは・・・」

 

休むうちには入んないだろうな、というのがハングの意見だ。

 

「それで、他の皆は?」

「ここへの到着は君達で最後だ。談話室を借りておいたよ」

「ありがとうございます」

 

随分と気の回る貴族だ。

 

「どういたしまして、と、言いたいんだが。手配したのは彼女でね」

 

パントの隣で丁寧にお辞儀をするルイーズ。

随分と良い奥方だな、とハングは心の中で訂正しておいた。

 

「皆さんお待ちかねですよ」

「ったく、いつ来るかわからねぇ俺達をよく待ってたな」

「談話室は寝室より過ごしやすいのでね」

「なるほど」

「では、わたくしが荷物の処理を」

「マーカスさん、お願いします」

 

そして、ハングはパント達と共に談話室へと向かった。

そこではリンディスとラガルトが何やら談笑していた。

 

「・・・だから・・・ここのお店を・・・」

「そうそう、で隣が・・・っと、ようやく到着したらしいな」

「え?あ、みんな。もう着いたんだ」

 

皆と挨拶を交わし、それぞれがテーブルの周りに腰かけた。

部屋の隅にはいつからいたのか、既にホークアイが佇んでいる。

 

談話室は大きな窓から日が差し込み、外の温もりを部屋の中に伝えている。

壁際には暖炉もあるが、それが必要になる時間はもっと遅い時間だろう。

 

ルイーズが気をきかせて窓を開けると爽やかな風と共に町の活気が流れ込んできた。

 

「町はにぎやかだな・・・」

 

ハングがぼそりとそう言った。

ここに来る途中で見た街中の賑わいは普通とは言い難かった。街の全てが浮足立っており、子供達よりも大人達の方が元気なぐらいだった。

 

「街の人達は『ゼフィール王子成人の儀式が10日後に迫ってる』って」

 

リンディスの台詞を聞いてハングは「あぁ、そうか・・・」と言った。

昔のことを思い出し、もうそんなに時間が経ったのかと感慨に浸る。

 

「裏で何が起こってるかしらねぇで。呑気なもんだぜ」

 

ヘクトルがそう言い、ハングは皮肉っぽい笑みを浮かべた。

 

「裏は裏だよ。表にしないために俺が動いてんだ。ぼやくなよヘクトル」

「わかってるよ」

 

ハングは視線をヘクトルからエリウッドに移す。

 

「さて、これからどうするか・・・だが」

「【封印の神殿】・・・だったね」

 

そして、二人の視線はホークアイへと移動する。

 

「ホークアイ殿はご存じありませんか?」

 

皆の視線もホークアイに移る。彼は眉一つ動かさずに話し出した。

 

「・・・ベルン王都から北の方角にあるとは聞いている。だが、その存在自体が秘密とされるもの。王家の者でもないと場所は知らぬだろう・・・」

 

ホークアイがハングと目を合わせた。

 

「お前も知らんだろ?」

「まぁな、というか初耳だったよ。そんなもんがあるなんてな」

 

ベルン出身のハングだが、そんな話は聞いたこともなかった。

そもそも、ベルンにいた頃は訓練にしか眼中に無かったハングだ。

噂話をかき集めてる暇はなかった。

 

「つまり、神殿に行き着くためには王族に接触しないとダメなのね?」

 

リンがそう言った。ヘクトルが渋い顔をする。

 

「身分も理由も明かせないのにか?どうにか場所だけでもわかんねえかなぁ」

「それがわかれば苦労は無いだろう」

 

部屋に沈痛な空気が立ち込めた。それを破ったのはパントの声だった。

 

「・・・だいたいの場所ならわかるのだけどね」

「パント様?」

「私も、エトルリアで最高軍事を司る者。【封印の神殿】の存在を知った時に何度か手の者をやって調べてみた・・・だが、一人も帰ってこなかった。ベルンは絶対に、そこへの侵入を許さない」

「神殿に着いたら、その場でベルンの捕虜ってわけか」と、ヘクトル

「もしくはその場で処刑・・・ってとこか」ハングがそう言った。

 

パントもそれに同意する。

 

「そうだ。それに、君たちの正体が知れればベルンはリキアに攻め込むいい口実にするだろうな」

「・・・それだけは絶対に避けなくては・・・」

 

エリウッドが深い声でそう言った。

 

「・・・そこで、私たちの出番だ」

「え?」

 

皆の視線が一斉にパントに集まった。

 

「本当は、儀式が終わった後の祝典にさえ出席すれば、役目は果たせるんだけどね。その前に、王妃に会って非公式に挨拶をしてこよう」

「そんなことができるのですか?」

 

ハングは思わず身を乗り出した。

いくらエトルリアの魔道将軍といえども、そこまで顔が利くものなのだろうか。

 

その疑問に答えたのはルイーズだった。

 

「ベルン王妃のヘレーネ様は、エトルリアから嫁いだ方で私たちとは、遠縁にあたりますの」

「なるほど・・・なのか?」

「挨拶のついでに、なんとか【封印の神殿】について聞きだしてみる・・・簡単には教えてくれないだろうが、なにもしないよりマシだろう?」

 

『簡単には教えてくれない』

 

ハングはその言い回しにひっかかりを覚えた。ハングは言葉を選ぶようにゆっくりと口を開いた。

 

「戦闘になるかも・・・と、思ってます?」

 

ハングのその台詞に周囲の目の色が変わった。

 

「ちょっと待て!なんでそうなる?」

「国の最高機密を尋ねられたら当然の反応だろうが、ヘクトル」

「そりゃ・・・そうだけどよ・・・」

 

心配する皆をよそに本人達は気楽に笑っていた。

 

「安心してくれ、失敗したとしても君たちのことは決して話さないから」

「パント様、そういう問題では!」

 

エリウッドが追い縋ろうとしたが、パントは軽く手を振って立ち上がってしまった。

 

「もし、明日になっても私たちが戻らなかった場合、君たちは、一度リキアに戻って別の策を考えるんだ。幸い、良い軍師もいるんだから。いいね?」

 

そして、手早くマントを身にまとい、旅立つ支度を整えてしまう。

 

「・・・失敗した時・・・パント様たちは、どうなさるのですか?」

 

ハングの問いにもパントの笑顔は揺らがない

 

「なんとかなるさ。身分を捨て、ルイーズと2人で逃亡する生活も悪くない」

 

ルイーズも朗らかに微笑んでいる。

 

「パント様と一緒でしたら私、どうなっても構いませんわ」

 

仲睦まじいのは良いことだ。

だが、それがこの場の空気を変えてくれはしなかった。

 

ハング達は2人を見送るために宿の外へと移動する。

 

「・・・成功を祈ってます」

「頼むよ。軍師君」

 

ハングは差し出された右手を握り返す。

 

「無事、戻ってきてくださいね。私たち、ここで待ってますから」

「リンディスさん、ありがとうございます。あなたも頑張るんですよ。大事な人を・・・守ってあげて」

「はい!」

 

そして、二人は宿から通りへと歩き出した。

 

「・・・パント少し待て」

 

それをホークアイが引きとめた。

ホークアイとパント夫妻は少しやり取りをしていた。

細かい会話は聞こえなかったが、三人が別れの挨拶をしているのはわかった。

 

考えてみればホークアイとパント夫妻の過ごした時間はハング達よりも長い。

何か伝えたいことでもあったのだろう。

 

ホークアイと別れたパント夫妻は街の人ごみに紛れていく。

ハング達は二人の背中が見えなくなった後も、その場でしばらく二人の姿を探していた。

 

「・・・待っている時間が惜しい。僕らにも、できることがないかな?」

 

パント夫妻を見送った後、談話室に戻ってきたエリウッドがそう言った。

 

「つってもなぁ。目立つこたぁできないし・・・」

 

ヘクトルがぼやく。ハングもヘクトルに同意するように頷いた。

そこに、どこからともなく声が降ってきた。

 

「なら、【黒い牙】について聞き込みってのはどうだい?」

「ラガルト、お前いつからいた?」

「最初からずっといたぞ」

 

最初からって・・・

 

確かにリンと談笑してたのは知ってるが、そこから先は談話室のどこにもいなかったはずだ。

ラガルトが談話室から出た姿を見てないのも事実ではあったが

 

「で、聞き込みだったか?」

 

神出鬼没の盗賊に何を言っても無駄。ハングはラガルトの意見を聞くことにした。

 

「そう。ここベルンには【黒い牙】の本部がある。といっても、オレも場所までは教えられてないんだが・・・本当だぞ?」

 

【四牙】に続く実力者であり、古参の人間でありながら、本拠地を知らないなんてことがあるのかどうか疑問は尽きない。だが、ハングはとりあえず先を促した。

 

「昔と様変わりしちまった今の【黒い牙】の情報を仕入れるのも有益だと思うから提案したんだけど、どんなもんかねぇ?」

「・・・それはいい考えだな。ありがとう、ラガルト」

 

ハングがどうこう言う前にエリウッドが採用を決めた。

 

「なぁに、おやすいごようだ」

 

そして、ラガルトはいつの間にか消えている。

 

目の前にいたはずなのに、なんの不自然さも感じさせずに消え失せる。さすが、暗殺者ってところだ。

 

「それじゃあ、手分けして調べよう。人数は・・・」

「目立ちたくない・・・かといって単独で動くのはまずい。何人か選んで二人一組がいいだろう。人選はエリウッドに任すよ」

 

そして、ハングはおもむろに立ち上がった。

 

「リン、一緒に行くか?」

「・・・・へ?」

 

素っ頓狂な声をあげたリンディス。そのせいで、周囲の注目が集まった。

さりげなく誘ったというのに、これじゃあ逆効果だ。

 

「いや、だから・・・」

 

ハングに集まるのは好奇の視線。

 

「もういい!」

 

ハングはそれに耐えることはできなかった。

 

「ヘクトル行くぞ!!」

「いや、俺は遠慮しとく」

「なっ!・・・ちっ!クソ!!」

 

ハングはにやにやするヘクトルに背を向けて談話室を出た。

 

「あっ!待ってよ!!ハング!」

 

それを慌ててリンが追う。

ヘクトルもなんだか楽しそうにそれを追いかけていった。

 

「まったく・・・」

「ふっ・・・」

「ホークアイ殿」

「・・・よい仲間だな」

「はい、自慢の友ですから」

 

エリウッドは少しだけ私情を挟んでもいいかとも思いつつ、誰を選別するかを決めていった。



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第24章〜四牙襲来 ②〜

「それじゃ、くれぐれも目立たないようにね」

 

なんだか、引率者になった気分でエリウッドは皆を見渡した。

 

エリウッドが選んだのは比較的素朴な人達だ。

 

レベッカやドルカスなどの元々農民だった人達や、情報収集に長けたマシュー、土地勘のあるヒース。

あとは彼らと相性の良い人達を組ませた。

 

その中にふくれっ面のハングと楽しそうなヘクトルの姿もあった。

その後ろにはどこか所在無さげな様子でリンがハングの顔色を伺っている。

ヘクトルはハングの肩に肘を乗せた。

 

「そんで、やっぱお前も来たわけか」

「黙れ、エリウッドに呼ばれただけだ」

 

そこにエリウッドがため息まじりに注意を促した。

 

「特に、ハングとヘクトルは騒ぎを起こさないように」

「どういう意味だよ!」

「っておい!俺もヘクトルと同列はねぇだろ!」

「ハングは自分が思ってる以上に目立つよ。人相が悪いからね」

「やかましい!!」

 

ハングはここにいても仕方ないとでも言いたげに、そこから背を向けた。

 

「そんじゃ行ってくるよ、夕刻までに戻ればいいんだろ?」

「お前が騒ぎを起こさなきゃな」

「ヘクトルにだけは言われたくはない」

 

ハングは後ろ手に手を振って、宿から出て行った。

それが合図になって他の皆も宿から出て行った。

 

「まったく、仲がいいのか悪いのか」

 

エリウッドがぼそりと呟くと、隣にいたニニアンがクスリと笑った。

 

「なにがおかしいんだい?ニニアン」

「だって・・・エリウッド様のつぶやき。まるで、お二人の保護者みたいなんですもの」

「え?そんな風に聞こえたかな?」

 

どちらかと言えば、ハングこそがこの部隊の保護者のような気がする。

 

「はい、そう聞こえました」

「参ったな」

 

エリウッドは照れ臭そうに頬をかく。触れた自分の頬は妙に熱くなっていた。

その仕草がまた可笑しくて、ニニアンはまたクスクスと笑う。

そんなニニアンの顔を見て、エリウッドは自分の目元が緩んだのを自覚した。そして、胸の中から湧き出てきた気持ちのままに言葉が口から溢れでた。

 

「・・・そうして、笑ってるほうがいい」

 

エリウッドは小さな声でそう呟いた。それは周囲のざわめきに容易にかき消えてしまう程の小さな声だった。

 

「え?」

 

それはニニアンには聞こえていなかったらしく、彼女はキョトンとしていた。

エリウッドはそんな彼女の様子に満足して、笑顔を浮かべた。

 

「いや、なんでもない。さぁ、僕らも行こうか」

 

エリウッドは自分の気持ちを抑え込む術を知っている。安易に言質を与えない会話術を知っている。

それでも、時には言葉に乗せてこの世界に本音を解き放ちたい時もある。

 

エリウッドはニニアンに腕を差し出す。ニニアンは当たり前のようにその腕に自分の手を乗せた。

 

ニニアンはエリウッドに寄りかかるようなことは決してしない。エリウッドも必要以上にニニアンに気を遣ったりはしない。2人はお互いの歩みに寄り添うようにして宿から出て行った。

 

その頃、情報収集へと出ていたハングはまだ仏頂面のままだった。

 

「・・・ハング」

「・・・なんだよ」

 

ハングの顔を躊躇うように見上げるリンディス。

 

「いつまで、ふくれてるの?」

 

ハングはそう言われ、顔をしかめた。

 

自分が皆の前で変な注目を浴びたのはリンディスのせいではない。いつまでも不機嫌でいるのはよろしくない。それに、せっかく望み通りに2人で町を出歩いているのだ。

 

経緯はどうであれ楽しまなければ損も良いところだ。

ハングは一度深呼吸をして気持ちを切り替えた。

 

「まぁ、そうだな」

 

軽くなった声と表情になったハング。

ハングは周囲を見渡す。人通りは多いものの、誰もがハング達など見向きもせずに歩き去っていく。

ハングは少しだけ勇気を込めて、リンに声をかけた。

 

「そんじゃ、情報収集といくか。な、リンディス?」

「う、うん・・・って、やっぱり照れるわね」

「言うな、俺だって結構恥ずかしいんだぞ」

 

呼び名を変えただけだというのに、随分な変化だ。

こうやって特別な呼び方をするのが、自分達が特別な関係になったような気がする。

いつになったら慣れるのか。ハングは自然にこの呼び方をする自分の姿というのがまるで想像できなかった。

 

「それじゃあ、私達は大通りに行く?」

「そっちはレベッカやドルカスが担当するだろうしな、俺達は俺達しかできないところに向かおうぜ」

「私達にしかできないこと?」

「こっちだよ」

 

ハングが向かったのは町の中でもあまり人気(ひとけ)の無い地区。

入り組んだ道が多く、過ぎ行く人々は剣や斧を背負い、地区全体の雰囲気が物々しい。ハングはそんな土地を何の躊躇いも無く進んでいった。そして、辿り着いたのは小さな食事処だ。

 

「ここは?」

「前に世話になった傭兵団の溜まり場だ」

 

リンディスもそこまで聞き、ようやく合点がいった。

ハングにしかできないのこと。それは、その長い旅で培った人脈である。

 

「どんな人達?」

「懐がでかいことしか取り柄が連中ってとこかな」

「いいのか、悪いのか」

 

苦笑いするリンディスを横目にハングはその扉を開けた。

 

そこは日の光をふんだんに取り入れた作りの食事処であった。調度品は質素ではあるものの品の良い装飾で飾られ、店全体の雰囲気に一つの調和を生み出していた。店内には食事処独特のスープの良い香りと僅かなアルコールの匂いが入り混じっている漂っていた。掃除が行き届き、清潔感のある店内は本当に傭兵団の溜まり場かどうか疑いたくなる程だ。

 

「ステキなお店・・・」

「だろ?まぁ、味は平凡だがな」

 

ハングは店を見渡す。店内には客はおらず、カウンター席の裏からは筋骨隆々の男がハング達を睨みつけていた。彼こそがこの店の店長だった。

彼は仕事をしながら、酒を煽っていた。

 

「ったく、真昼間から酒とはいいご身分だな」

「ふん、ここは俺の城だ。何しようが俺の勝手だろう」

 

ハングはカウンターに身を寄せながらニヤリと笑ってみせる。

 

「そんで、デウツはいるか?」

「まずは注文しろ。馬鹿たれ」

 

台詞は厳しいが、店長の声は優しい。

 

「ったく、久しぶりじゃねぇかハング。何年ぶりだよ?」

「元気そうでなによりだな。店は相変わらずらしいけど」

「うるせぇ。だったら少しは店の売り上げに貢献しろ」

 

ハングは促されるされるままにカウンターの席に座る。

リンディスもハングに続いてその隣に座った。

その彼女を見て、店長はハングとリンディスの間で視線を右往左往させた。

 

「おいおい、女連れか?まさかお前が引っ掛けたのか?」

「こいつに無礼な口をきくなよ、斬り殺されても知らねぇぞ」

 

リンディスが目を剣呑に細めた。

 

「そこまではしないわよ」

「どうだか?」

「ハングから先に斬ってあげましょうか?」

「ごめんなさい、心より謝罪します」

 

二人の掛け合いに店長は目を丸くしていた。

 

「・・・お前、随分と変わったな」

「いろいろとあってな」

「へへ、まぁ、悪いことじゃないな」

 

ハングは注文を促され適当なお茶を二杯注文した。

 

「で?デウツは?」

「もうすぐ、帰ってくると思うんだけどな。それまでのんびりしてな」

 

ハングは差し出されたお茶に口をつける。

リンディスも同じようにお茶を口に運んだ。

 

「あら?」

「どうした、リン?」

「このお茶・・・」

 

リンディスは確かめるようにもう一度お茶に口をつけた。

呼び起こされたのはキアラン城でのひと時。

 

「ハングって、お茶いれるの上手だったわよね?」

「・・・ん?あぁ・・・って、よくわかったな。そうさ、俺はこの店でお茶のいれかたを習ったんだ」

「私、そこまで質問してないんだけど」

 

リンディスは呆れたように笑う。

 

「リンはわかりやすいんだよ」

「ハングが鋭すぎるのよ」

 

ここで、『俺が鋭いのはリンディスだけだよ』などと歯の浮くような台詞が言えればいいのだが。

あいにくとそんな甘い台詞が自然に出るような男ではない。

誰かにナイフで脅されれば言えるかもしれないが、いくら待ってもそんな敵役は店に姿を見せてはくれなかった。

 

しばらく、難しい顔をして紅茶を啜っていたハングをリンが横から覗き込んだ。

 

「・・・なんだよ?」

「いえ、何か言いたいことがありそうな顔してるから」

「・・・お前も十分鋭いよ」

 

ハングがそう言うと、リンはクスリと笑った。

 

「ハングがわかりやすいのよ」

「ったく」

 

ハングは負けを認めて肩をすくめたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「で、なんで俺がお前と一緒に回らなきゃならないんだ?」

「いいじゃないですか、たまには若様のお供も悪くないです」

「それはお前の都合だろうが。四六時中、野郎しか周りにいない俺の立場にもなってみろってんだ」

 

ヘクトルはマシューと共に裏通りのあたりを回っていた。

大通りは別の人間がほっといても情報を集めると思ったマシュー達はこちらで金で解決する情報を探りにきたのだ。

 

「だってほら、俺一人だったら襲われたら一大事でしょ。若様がいればそれも安心だし」

「お前、心の中で俺を囮に逃げようって算段をつけてねぇだろうな?」

「やだなぁ、そんなことしませんよ」

 

マシューの笑顔はハングの笑顔以上に信用度がない。

今後起こりうるであろう展開を想像してヘクトルは溜息をついた。

 

せめてこれが可憐な乙女だったらまだ守りたくもなるのだが。

 

具体的に誰とは言わないし、言うつもりもないが少なくとも柳のように手応えのないマシューよりは幾分ましであろう。

 

「あ、若様。そこの酒場に入ってみましょうよ」

「あんな、薄汚れた店にか?」

「あんな店だから情報が入るんでしょ。さ、行きますよ」

「俺の部下はこんなんばっかか」

 

この組み合わせを決めたエリウッドを少し憎むべきか真剣に悩むヘクトルだった。

 

「ん?」

 

そのヘクトルの視界の隅を何かがとらえた。

反射的に顔を向けたが、そこには何もない。

 

「なんだ?」

「若様、何してんですか」

「わーってるよ!せかすな」

 

結局、ヘクトルは鼠か何かかと思い、そちらから目を背けた。

ヘクトル達はやけに大きな音を立てる戸をくぐり、酒場へと入っていった。

 

ヘクトル達が酒場に入ると裏通りは不気味な静けさに包まれてしまう。

家数軒分の距離を隔てたところに大通りがあるとは思えない程に閑散とした通り。

 

その通りの陰から一人の男がふらりと姿を見せた。

 

くたびれたマント、鋭い眼光。纏うのは死の香り。

 

【四牙】の一人【死神】ジャファル

 

彼はヘクトル達が入っていった酒場を一瞥する。

だが、彼はその酒場を素通りして、さらに裏通りを歩き続けた。

わずかに右足を庇うような仕草。彼が通った後には黒ずんだ液体が点々と続いている。

 

そして、ジャファルがたどり着いた民家。

 

ジャファルは中にいる人間の気配を感じ、敵はいないことを判断する。

 

中にいるのは一人の少女だけだ。

 

ジャファルは自分の体重を預けるようにして、戸を開け、家の中へと滑りこんだ。

 

「うーん!今日はいい天気だなぁ」

 

部屋の奥からは快活そうな少女の声が聞こえる。

 

「絶好の悪者退治日よりなのに、あたしの仕事ときたらおつかいばっかり。早く一人前になってみんなの役に立ちたいんだけどな」

 

奥から聞こえてくる鼻歌を頼りにジャファルは重い足取りで前に進んだ。そして、暖炉のある部屋で彼女を見つけた。

 

「わっ!お、おどかさないでよジャファル!」

 

少女はジャファルの姿を見て最初は驚いたものの、入ってきた人が誰だかわかると途端に笑顔になった。

【死神】と仇される自分に笑顔を向けてくるのはこの子ぐらいである。

 

「どうしたの?ジャファルが連絡に遅れるの、めずらしいね」

「・・・前の仕事が長引いた」

 

ジャファルはそういいつつ砕けそうになる膝に力を込めた。

 

「へぇ、ジャファルでもてこずることあるんだ。ちょっと意外だなぁ」

「・・・次の依頼があるなら・・・早く聞かせろ」

「あ、うん!母さんから、これ預かって・・・」

 

不意に体が傾いた。

 

激しい音がする。左肩に鈍い痛み。自分が隣の棚に激突したのだ。

それだけを認識するのに妙に時間がかかった。

 

「どっ、どうしたの!?血まみれじゃない!」

「・・・かすり傷だ気にするな・・・」

 

駆け寄ってくる少女から距離をとろうとしたが、足がもつれて動かない。

 

「そんなに血がでててかすり傷なわけないよ!ね、見せて!!」

「傷などどうでもいい」

 

少女の手を振り払おうとする。だが、自分が思っている以上に体に力が入らない。

少女の手はジャファルの袖をつかんだままだった。

 

「次の標的を・・・早く・・・く・・・」

 

ジャファルが意識を保ってられたのはそこまでだった。

 

「ジャファル!?ね、ねえ!しっかりしてっ!どうしよう・・・」

 

そんな彼女の声がジャファルの耳朶を打つ。

ジャファルは何も考えることなく、そのまま深い闇へと落ちて行った。



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第24章~四牙襲来 ③~

エリウッドは大通りで噂を聞くという名目のもとでニニアンと一緒に移動していた。

彼女の髪にはいつの日かエリウッドが選んだ髪留めが刺さっていた。ニニアンはこの街のお祭り騒ぎのような空気にあてられたのか、少し興奮気味であった。

 

そんな彼女は先程から街の片隅で踊っていた演者に夢中だった。

 

舞台も音楽も無く、大通りから続く細い路地で野良猫相手に踊っていた女性だ。

同じ動きを繰り返し練習し、気に入らない個所があるのか少し踊っては修正を繰り返していた。

彼女はエリウッドとニニアンが見ていることにも気づかないぐらい夢中で練習していた。

 

そんな彼女にニニアンに声をかけたのが始まりだった。

 

「腕の振りが少し弱いんだと思います」

 

彼女はこの町に来ていた旅芸人の一座で踊り子を務めている女性だった。

それからニニアンと彼女は意気投合。ニニアンが旅芸人だと知ると彼女達はお互いが渡り歩いた町について話に花を咲かせていた。一通り話が終われば、次は自分達の踊りの動きの話題だ。彼女達の話題は尽きることがない。エリウッドはニニアンがここまで長く語り続けるのを初めて見た。

 

エリウッドは完全に蚊帳の外だったが、ニニアンが楽しそうにしてるので満足だった。

 

エリウッドは念のために大通りに注意を向けておく。

ここは【黒い牙】の本拠地。ニニアンを狙う輩が現れてもおかしくない。

 

「それで、アタイは言ってやったのさ。『そんな男は【黒い牙】の制裁を受けるべきだ』ってね」

「・・・まぁ」

「ま、あんたは立派な旦那がついてるみたいだから心配なさそうだけど」

「だ、旦那!?ち、ちがいます」

「あり?違うの?」

「は、はい・・・私はそんな・・・あの人のお傍にいることさえ・・・」

「ふーん、わけありか・・・・いいかい、ニニアン。一つだけ忠告しとく」

「なんでしょう?」

「これはアタイが旅人から聞いた言葉なんだけどな『恋と誇りは砕けた方が人を強くする』」

「・・・・・・・・」

「『恋と誇りは・・・」

「聞こえてました」

 

つい最近も似たような話を聞いたことのあるニニアンだった。

その時、不意に路地の扉の一つが開いて髪の短い男が顔を出した。

 

「おい、ナナンダ。座長知らないか?」

「座長?さぁ、知らないね・・・居なくなってくれたんならそれに越したことはないんだけど」

 

彼女の笑顔の中にわずかに険が宿る。

エリウッドはその台詞の中に微かな憎悪が宿っているのを感じた。

その直感を裏付けるかのように、2人の会話の内容はあまり口に出したくないものへと変わっていく。

 

「そう言うな・・・今夜の公演の後の話は聞いたか?」

「ふん、私の役目はわかってるよ・・・それで、ガキどもの方はどうなった?」

「大丈夫だ。なんとか今回は見逃してもらった。まぁ、次はわからんがな」

 

それから2人は二言三言冗談を交わし、男性は家の中に顔を引っ込めた。ナナンダと呼ばれて居た女性は疲れたようなため息を吐き、ニニアンに笑いかけた。

 

「悪いね。嫌なこと聞かせた」

「・・・いいえ・・・」

 

エリウッドとニニアンは今の会話の裏に潜む内容を察していた。

厳しい旅を続けてきたニニアンは言うまでもなく、貴族であるエリウッドもそういう世界があることを知らない程に無知ではなかった。旅芸人の団員の仕事としては特別珍しい話でもない。

 

それが労働と対価の釣り合った仕事として扱われているならば、エリウッドとしても口を挟むつもりはなかった。実際、リキア国内であってもそういった職種の人間は少なからずいる。

 

だが、ベルンでは往々にして事情が異なるのだという話をエリウッドは聞いていた。

利益を得るのはたった1人。それ以外は身が擦り切れるまで働き、ボロ雑巾のように捨てられる。

 

そんな現実を目の当たりにしていても、エリウッドには何もできない。

 

彼女達を雇い主から1人ずつ買い取っていたら、金がいくらあっても足りない。

逃げ出すよう取り計らえばそれは立派な窃盗だ。

国外逃亡を手助けなどすれば、ベルンとの関係を悪化させる口火になりかねない。

 

フェレ侯子という立場ですら出来ることは限られている。身分を隠している今なら尚更であった。

 

「ごめんね。アタイ、もう行かなくちゃ。じゃあね、ニニアン。アタイの舞台見に来ておくれよ」

「は、はい!必ず行きます」

「そこの旦那と一緒にな」

「だ、だから・・・旦那では・・・ないんです」

「アハハハ、そうかい、そうかい。んじゃ、またどこかで会おう」

 

ニニアンは彼女が去って行った戸を少し見つめた後、自分の髪留めにそっと触れてみた。

 

「・・・エリウッド様・・・」

 

この小さな路地裏には日の光は届かない。

エリウッドはニニアンの肩に手を置き、いつもと変わらない柔らかな笑顔を浮かべた。

 

「随分と楽しそうだったね。僕にはよくわからなかったけど。有意義だったかい?」

「は、はい!」

 

はっきりと返事をしたニニアン。

あまり良い話の終え方は出来なかったが、演舞などに関しては随分といろいろなことを教えてもらえた。

彼女との出会いは決して不幸なことではなかった。

 

「ここの舞台を見に行く約束をしました」

「うん、そうだね」

 

エリウッドはここで見聞きしたことの一部を忘れたかのような態度を取る。笑顔の下に身の内にある「憤り」や「遣る瀬の無さ」を覆い隠す。

この旅を始めてからというもの、こういったことばかりが上手くなっているようだった。

 

「情報収集が一区切りついたら見に行こうか」

「いいのですか?」

「大丈夫さ。ヘクトル達が騒ぎを起こさなければね」

 

そう言うと、ニニアンは困ったように眉をハの字にしながら笑った。

 

「はい・・・よろしければ、お供します」

「うん、約束だ」

「やく・・・そく」

 

その言葉を聞き、ニニアンは自分の小指をさすった。

それが、なんだかおねだりをする子供のように見えてエリウッドは小さく笑う。

エリウッドは自分の小指を差し出した。

 

「それじゃあ、はい」

「はい!」

 

ニニアンはこの約束の仕方が随分と気にったらしい。

エリウッドはそんな彼女が決して嫌いではなかった。

 

「それじゃあもう少し話を聞いてまわろうか」

「はい」

 

エリウッドとニニアンは再び大通りへと戻っていく。

 

その一連を路地の奥から見ていた者がいた。

 

「・・・マジで奴らだ。ナバタに向かったって話だったがな?」

「いいじゃねーか、そんなこと。せっかく見つけたんだ、やろうぜ兄貴」

「そうだな・・・」

 

ロイドとライナス。そして【黒い牙】の暗殺者達。

だが、殺気立つライナスとは対照的にロイドは冷静だった。

 

「だが、今はまずいな。街中でことを起こすのは俺の流儀に反する」

 

ロイドは今しがたエリウッドが歩いていった大通りに視線を向けた。

そこをちょうど子供達の一団が走っていったところだった。

 

旅芸人の昼の公演がもうじき始まる。子供達はそこに向かうのだろう。

だが、残念ながらそこの一座はこの公演を最後にしばらく苦労することになるだろう。

 

孤児を集めて犬畜生のように扱う座長とその幹部には【牙】が制裁を下した。

この旅芸人の一座が今後も巡業を続けるか、それとも各々が独立して分解するかは残った人々次第である。

 

とにかく、今ここでもめごとを起こすのは街の人々に被害が及ぶ可能性がある。

 

「・・・親父に報告して指示を待つか」

 

ロイドはそう決断を下した。

 

「ライナス、報告には俺が行く。お前は奴らを見張ってろ」

「今やっちまうのはだめなのか?」

「ダメだ。今は我慢しろ」

 

ライナスは退屈そうに肩をすくめた。

 

「お前は奴らの行方を確かめるだけでいい。わかったな?」

「ああ」

 

ベルンで一、二を争う暗殺者であるライナスも兄貴には弱い。

 

だが、兄貴の目が届かないところで、いろいろと悪戯を企てるのも弟というものだ。

ロイドが姿を消したその後、ライナスは独り言のように呟いた。

 

「とは言うものの、獲物を前に、指くわえてんのもなさけねえよなぁ」

 

そして、ライナスは自分の部下を呼んだ。

 

「おい!イーゴリ!!」

「なんだい?ライナスさん」

「仕掛けるぞ!奴らを挑発して街の中心部に引っ張り込め」

「ちょ、ちょっと待ってくれ!まさか、ロイドさんの言いつけを破る気ですかい?」

 

慌てふためくイーゴリにライナスは不敵に笑ってみせた。

 

「・・・ようは、街の奴らにケガさせないよう注意しろってことだろ?そこだけは徹底するさ。そのために道の広い中心部に引っ張ってほしいんだ」

「だけどですねぇ・・・」

「頼むよ、イーゴリ!兄貴にいいとこ見せてーんだよ!な?頼んだぜ!!」

「・・・ったく、言いだしたら聞かねぇ人なんだから」

 

それでも、イーゴリの表情もまんざらでも無かった。

ライナスがこういう人だからこそイーゴリ達は付き従っているのだ。

 

イーゴリは準備を始めるために動き出した。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

食事処でお茶を楽しんでいたハングとリンディスは店の扉が開いた音を聞き、そちらに顔を向けた。

 

「今日もたいしたことのない敵だったな!」

「山賊なんて俺達には目じゃねぇぜ!!」

 

そこから一番に入ってきたのは筋骨隆々の大男だった。鼻筋に走る傷跡が特徴的な傭兵。彼がハングと交流のある傭兵、デウツであった。

ハングは声をかけようと片手をあげようとした。

 

「フハハハ!お主達も随分と様になってきたな!次はキアラン直伝の筋力増加訓練を・・・」

 

ハングの腕が硬直する。

デウツの後ろから続いて入ってきた人物を見て、驚愕に身体が硬直したのだ。

ハングとリンディスはほぼ同時に出入り口から目を背けて、額を寄せ合った。

 

「・・・おい、なんであの人がここにいる」

「私に聞いたってわからないわよ」

 

顔を突き合わせる二人をよそに、店長は傭兵団に声をかけた。

 

「おい、デウツ。お客さんだぞ」

「客?」

 

店長がハングを指差し、ハングも視線が自分に集まるのを感じた。

 

「・・・誰だ、お前?」

 

警戒心を纏った声を聞き、ハングは観念することにした。

 

「ここ数年で礼儀を学んだわけじゃなさそうだな、デウツ」

 

ハングはそう言って、気さくな態度で片手をあげた。

それを見て、デウツの強面な面構えが一気に綻んだ。

 

「ハングじゃねぇか!なんだよなんだよ!!生きてたのかこんちくしょう!!」

「変わらないな、お前は」

 

ハングは苦笑しながら、デウツの抱擁を受け止める。

 

そして、問題のもう1人に顔を向けた。

 

銀色の重装備で体を固めた将軍兵。髪の無くなった頭と歴戦の強者を示す筋肉。

その人はハング達を見て、岩山のような顔を綻ばせていた。

その表情はまるで子供のように愛嬌のあるものだったが、それを見れたからといってあまり得した気分にはなれない。

 

「ぉお!おぉぉ!!これはハング殿とリンディス様ではありませんか!!お久しぶりですな!」

「ええ、お久しぶりですね・・・ワレスさん」

 

デウツを跳ね飛ばしハングとリンディスの前に跪いた人物は一年前のキアラン内乱で戦線に復帰した重装騎士である、ワレスその人であった。

 

「フハハハハ!ハング殿、随分と良い眼をするようになりましたな!!リンディス様もより一層美しくなられた!」

 

相変わらず豪胆に笑う人である。

ハングは腕を振り回すようにして肩を叩いてくるワレスを全力でいなす。

まともにワレスの張り手を受ければ、「痛い」ではすまない可能性があった。

 

「あ、ありがとうございます。ワレスさんはどうしてベルンに?というか、なんでデウツの傭兵団に?

「なぁに、ちょっとした野暮用でベルンに来ましてな。その後、キアランへの帰り道がわからんくなってしまっていたところで、この者達が山賊と戦っている現場に遭遇そてしまった次第でありまして。しかも、この者達ときたら碌な訓練も受けてない荒くれ者の集まりと聞く。そんなものを前にして、騎士の血と指導者の血が滾ってしまいましてな、ガハハハハハ!」

「そんなことだと思ってましたよ・・・」

 

ハングはわずかに遠い目をする。

 

キアラン内乱が終わった直後、ワレスさんがいない事で軍部の仕事がどれだけ忙しくなったのかを思い出していたのだ。

頼むからこの人には自分のキアランにおける価値というものを自覚して欲しかった。

 

「ん?おいデウツ!何をそんなところで伸びておる!おぬしの前にいるリンディス様をどなたと・・・」

 

まずい!

 

ハングは慌てて今の現実に意識を引き戻した。こんな食事処でリンディスの素性をばらすわけにわいかない

 

「ワレスさん!俺達、最近面倒に巻き込まれてて、一人でも戦力が欲しいとこなんですが!!」

「なぬ、そうなのか?」

「はい!できればお力をお借りしたいと!」

「そうですか!それは是非もありませんな!このワレスも戦いましょう!デウツ、すまんな。ワシの契約はここまでじゃ!」

 

ハングは話題を逸らせたことに胸を撫で下ろす。

だが、床で胡座を組んでいたデウツは恨めしげな視線をハング向けた。

 

「てめぇ、引き抜きに来たのかよ」

「そういうつもりは無かったんだが。すまんな」

「まぁ、いいや。ワレスさんには部下も随分鍛えて貰った。あの人無しでもなんとかなるだろ」

「そう言ってくれると助かるよ」

 

ハングはデウツに手を差し出して、引き起こした。

上背のあるデウツの前に立つとそれだけで自分が小さくなったような気になるが、ハングはおくびにも出すことはない。

 

「で、本当は何しに来た?さっき面倒に巻き込まれてるとか言ってたな?俺たちを雇いに来たのか?」

「いや、少し聞き込みだ。情報が欲しいんだ」

「なんだ、そんなことか」

 

デウツは大剣を背中から外して、店長に手で合図する。

店長がそれだけで奥に酒を取り入った。

 

「飲んでる場合じゃないんだが?」

「酔えねぇんだろ?付き合えよ」

 

これも情報料の一部だろう。

ハングは高い酒を奢らされることを覚悟してデウツの隣に腰かけた。

 

その時だった。

 

「大変だ!戦だ!戦だ!!【黒い牙】が街中で騒ぎ出したぞ!」

 

ハングとリンディスの顔つきが変わる。

二人は視線だけで一瞬のうちに会話を終える。次の瞬間にはリンディスが店から飛び出していった。

ハングは金貨を一枚デウツに放り投げる。

 

「デウツ!そいつは前金だ!あとで話聞きに来るからな!」

「お、おう・・・」

 

素早く出て行こうとするハングにワレスは機敏に反応した。槍を担ぎ、鎧を締め直し、すぐさま走り出せる体制を整える。

その行動の早さは流石熟年の老兵である。

 

「ハング殿!戦ですか!?」

「ええ、ワレスさん。力を借ります」

「いいでしょう!リンディス様の御為ならこのワレス、いくらでも戦いますぞ!!」

 

ハングは思いがけない戦力の補強に唇の端を持ち上げる。

 

「デウツ!また来るからな!」

「って、おい!【黒い牙】って、一体どういう・・・」

 

ハングはデウツの話を最後まで聞かず、ワレスを連れて店の外に飛び出した。

 

店の外は大通りの方から逃げて来る人々に溢れていた。

ハング達はその流れに逆らうように走り出す。

 

「ワレスさん・・・」

「なんですか、ハング殿?」

 

ハングは走りながらワレスの顔を見上げる。

 

能天気そうに見えて、物事の本質を見抜く洞察力を備えた老兵。

彼がベルンでしていたという『野暮用』。

 

ハングはそのことについて尋ねるべきか悩んだ。

 

ワレスの人となり知るハングにはワレスがこのベルンで何をしていたのかをなんとなく察していた。

それでもなお、答えを求めたいのはただ自分が確信を得る為だけのものだ。

 

口にすべきでは無いと思う。だが、ハングは聞かずにはいられなかった。

 

「ワレスさん・・・ベルンでの野暮用って・・・まさかとは思うんですが」

「おそらく、お主の思ってる通りだ」

「・・・・・・・」

 

その言葉にハングは押し黙る。

それを見て、ワレスは大口を開けて笑った。

 

 

「フハハハハ、前にも言ったろうハング殿。お主は鋭すぎる。鋭い短剣は剣の幅しか布を割けん。もう少しだけ鈍く、大雑把であれば布に大穴を開けられるものを」

「・・・言いましたっけ、そんなこと?」

「む、言っとらんかったか?」

 

とはいえ、ワレスの言いたいことはわかる。

それでもそう簡単にいかないのが人間なのだ。

 

「まぁ、リンディス様に伝えるかどうかはお主に任すとしよう。ワシからは何も言わんからそのつもりでな」

「いいんですか?」

「好き合っておるのだろ?それなら、これを伝えるのはお主の役目だ」

 

ハングは走りながら後頭部を爪で引っ掻いた。

 

「かなわないな」

「フハハハハ!ワシから見ればお主もリンディス様もまだまだひよっこよ!」

 

ハングは人の流れから外れて小道へと走り込む。ワレスもそれに続く。

 

「ハング殿!それで、これはどこに向かってるんだ?」

「敵の裏を取りますよ!次の小道はワレスさんが前に出てください!」

「ふむ、任されよう」

 

ハングは小道を抜け、少し広い通りを横切って別の路地へとワレスを導く。

ワレスを先に行かせ、ハングは戦場になるであろう地点から距離を取りつつ走り続ける。

 

ハング達が躍り出たのは湖に面する中央広場の北側。

そこからは広場でエリウッド達が【黒い牙】に応戦してい様子がみて取れた。

 

「あれを蹴散らせばよいのか!?」

「いえ、ワレスさんの役割はこっちです」

 

ハングは中央広場の連中に気づかれないように移動。ハングが向かったのは広場に続く別の路地だった。

この道は【黒い牙】が増援を送り込んで来る格好の地点。

【黒い牙】が暗殺集団である以上、広場という見通しの良い場所で真正面から当たってくるとは考えにくい。

必ず、騒ぎに乗じてエリウッド達を狙う連中がやってくる。

 

この道はそれを食い止める最終防衛地点だ。

 

「ここで、敵を食い止めます!背後は気にせず、守りきります!」

「任されよう!専守防衛こそ我が真髄よ!!」

 

斧を構えたワレスの隣でハングは手持ちの赤い布を自分の剣の鞘に結びつけた。

ハングは左手で鞘を抜き、鞘を空中へと高々と放り投げた。

ハングの鞘に仕込まれた笛が甲高い音を響かせて天へと登って行く。

 

「誰か気づいてくれよ・・・」

 

ハングは頭上から落ちて来た鞘を掴み取り、ワレスの戦線へと参加していった。



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第24章~四牙襲来 ④~

ハングが投げ上げた合図。戦場の中でも響く甲高い笛の音。

それに真っ先に気が付いたのは息を整えるために一時下がっていたリンディスだった。

 

「エリウッド!今、空にハングの合図が!」

「本当かい!?」

 

南側で【黒い牙】と応戦しているエリウッド。

できるだけ、街の人々や建物を傷つけたくなかったエリウッド達にとっても広い場所での戦いは望むところだった。

 

広場の出入り口で一進一退を繰り返す。

 

だが、湖に面するこの大きな広場は物や出店で溢れかえり、物影が多く、待ち伏せにもってこいの場所だ。

 

エリウッドは正攻法で攻めきることを躊躇っていた。

 

「合図の色はなんだ!?」

「『赤』!」

 

リンディスが叫ぶと同時に部隊の面々に電撃が走ったような衝撃が起きる。

 

「イサドラ!マーカス!ロウエン!準備を!!」

「ケントとセインも補助にまわって!!」

「オズイン!俺らで前に出る!時間を稼ぐぞ!」

 

部隊が流れるように動いて行く。

ハングの指示一つで、彼らは自分達のすべきことを完全に把握した。

 

手遊びになっている者はおらず、全ての者が最大限の仕事をこなしていた。

 

「行くぞ!!突撃戦だ!!」

 

エリウッドのその言葉が皮切りとなる。

一旦後方に下がり、十分に助走距離をとった騎馬部隊が一気に戦線へと突撃を仕掛けた。

 

当然のように激しい迎撃に会うが、勢いにのる騎馬部隊の突撃は戦線を貫通する。

騎馬部隊が広場を一気に駆け抜けた。

 

その途端、ギィ、レイヴァン、ホークアイをそれぞれ背に乗せたペガサスとドラゴンが広場に上空から飛び込む。

 

膠着した戦闘から一転して、戦いは一気に白兵戦へと移行する。

しかも、【黒い牙】の増援は顔を見せない。ハングとワレスが的確に通路を塞ぎ、その鼻先を完全に抑え込んでいた。

 

局所的ではあるが、人数でエリウッド達が圧倒する。

わざと開けた広場西側の出口から【黒い牙】が撤退を始める。

 

ここまできたら、後は敵将の部隊だけだ。

 

「ハング!ここにいたのかい!?」

「エリウッド!気づいてくれて助かったぞ!」

 

広場の北でエリウッドとハングが合流した。

 

この合図に気がついて貰えなかったら、広場の敵と敵の増援部隊で挟撃されるのはハングとワレスだ。

最悪の場合はヒース達に救出してもらおうとは思っていたが、前線から空中戦力を引き離すのはかなりの痛手であった。

 

「気づいたのはリンディスだよ。愛の力かな」

「無駄口叩く暇はねぇぞ!!問題はこっからだ!!敵は【狂犬】ライナス!【四牙】の一人だろ!?」

「そこまで知ってるなら話は早いね」

「相手が声高々に名乗ってたからな・・・注意を引き付けたいんだろ」

 

そう言ったハングの眉間には深い皺が刻まれていた。

【黒い牙】のことを調査していたハングは【狂犬】ライナスの人となりを市井の噂程度には知っていた。

 

そして、彼らの行動を誰よりも見通せるからこそ、ライナスが何を意図しながら戦っているのかがわかってしまう。広場にある屋台や道端の荷物に至るまで彼等は気を遣っていた。

 

彼はおそらく、町の人の生活を崩さないように戦っている。

 

「ワレスさん、もう一踏ん張り頼みますよ!」

「任されよう!」

「ハング、この人は?」

「紹介は後回し!ドルカス!バアトル!ダーツ!戦線を押し上げろ!ただし、ワレスさんより前に出んなよ!命の保証ができなくなる!!」

 

ハングは更に細かく仲間一人一人に指示を飛ばす。

下手に【四牙】の前に立てば本当に命の保証が出来ない。

 

「ヘクトル!お膳立てはしてやる!【狂犬】の首を狩りにいけ!!」

「任せろ!」

「エリウッド、リン!俺たちで道を作る!駆け抜けるぞ!!」

「わかった!」

「いつでも行けるわ!」

「行くぞ!!」

 

ハング達はワレスと斧兵の部隊が維持する戦線の脇を抜けて目の前の敵を一気に斬り伏せた。

一瞬、人垣が切れ、道が開く。

 

「ヘクトル!」

「わーってるよ!!」

 

ヘクトルがその隙間を斧を振り回しながら突撃した。ヘクトルが戦線を突破する。

ヘクトルが見ているのはたった1人。

 

「おい!てめーがこの軍の親玉だな!」

「俺は【黒い牙】首領ブレンダンの息子!ライナス・リーダス!てめーら悪人に、俺が【牙】の裁きを下してやるぜ!」

「このぉぉぉぉ!!」

「うらぁぁぁぁぁ!!」

 

ヘクトルとライナスの斧が激突。鍔迫り合いの様相を呈する。

 

「何が悪人だ!?ネルガルの手先になった薄汚ねぇ殺し屋どもが!」

「へぇ・・・おもしれぇ」

 

ライナスが後方に飛ぶ。ヘクトルも間合いはかりながらじりじりと距離をとった。

 

「お前、おもしれぇなぁ!!俺たちの【牙】を・・・兄貴と親父を侮辱しやがったか!?」

 

ライナスが盾を投げ捨て、斧を右手に剣を左手に構えた。

 

「祈りな、そのくらいの時間はやる!おまえがこれまでやってきた悪事を悔い改めて眠れ!!」

 

ヘクトルも愛用のヴォルフバイルを持ち出す。

 

「ふざけんな!祈るのはてめぇだ!!俺は【黒い牙】を絶対に許さねぇ!!」

 

【狼の斧】を意味する斧を持つヘクトル。

【狂犬】と仇されるライナス

 

戦いに狂った二匹の獣がほぼ同時に駆け出した。

 

ヘクトルの斧とライナスの斧が再び激突した。だが、今回はヘクトルは両手持ち。それに対するライナスは片手持ち。ヘクトルが一時的に圧倒する。だが、ライナスはヘクトルの斧を食い止めている間に剣を上段から振り下ろした。

ヘクトルは体を回転させつつ、ヴォルフバイルの柄でその剣を弾いた。

次の瞬間、今度は下段からライナスの斧が再び攻撃をしかけた。ヘクトルは足でその斧の手元を蹴りつけて止める。

ライナスの武器を立て続けに止めたヘクトルは攻勢に移る。

ヘクトルは短く持ったヴォルフバイルでライナスの首を狙いにいった。

武器の動きを止められたライナス、防御は不可能と判断したライナスはあえて武器を構えなおさずにヘクトルに体全体で体当たりをぶちかました。

 

「ぐぅ!」

 

衝撃が受け流せず、まともに体当たりを浴びたヘクトル。

 

だが、その程度でヘクトルの攻撃は止まらない。ヘクトルは構わずに斧を振り切った。

ヴォルフバイルの刃を首に当たることはできなかったが、柄の部分がライナスの僧帽筋に叩きつけられる。

 

「っつぁぁ!!」

 

ライナスは堪らず転がるようにして間合いをとった。

 

追撃を仕掛けたいヘクトルだったが、体当たりが内腑にまで響いていてこちらも動けない。

 

「ハァ・・・ハァ・・・」

「やるじゃねぇか、お前」

 

息も絶え絶えのヘクトルに対し、ライナスはまだ涼しい顔をしてみせる余裕があった。

 

お互い、有効打は一撃ずつ。

むしろ、ヘクトルの方が急所を捉えた分有利なはずだ。

だが、この体に響く鈍い痛みがヘクトルに相手との実力差を訴えかける。

 

「さあ!続けようぜ!!」

 

斧と剣を構えるライナス。

ヘクトルも震えそうになる腕を叱咤し、ヴォルフバイルを構えた。

 

まともにやっても勝てなさそうだ。

 

ヘクトルは唇の端で笑った。

 

少し先の未来が手に取るようにわかった。

 

ライナスに突っ込み、肉弾戦で圧倒されて殺される。

 

昔の自分なら間違い無くそうだった。

それがヘクトルの戦い方だった。

 

ヘクトルは一度深呼吸をする。

 

脳裏に浮かんだのは利用できる物を全て利用して勝利を奪い取る腹の立つ軍師の顔。

 

「俺もやきが回ったな・・・」

 

ヘクトルはヤケになったかのように、その場からヴォルフバイルを投げつけた。

ライナスはそれを横に動いてかわす。

 

「おいおい、勝負を投げたのか?まぁ、いい!祈りは済ませたか!?死ねぇぇ!!」

 

ヘクトルはその場から一歩引いた。

 

「・・・いいね、ヘクトル。よく見てた」

 

そんな声が後ろから聞こえた。

次の瞬間、ヘクトルの隣を一本の矢が走り抜けた。

 

「なっ!!」

 

ヘクトルは戦いながらライナスを誘導していたのだ。そして斧を投げて微調整を加え、ラスの射線が空けたのだ。

 

ラスの持つ殺傷力を弓の限界まで高めた【キラーボウ】の一発がライナスの肩に突き刺さった。

 

その隙を逃すヘクトルでは無い。

ヘクトルは普通の手斧を投げつけ、でライナスの武器を吹き飛ばした。

 

勝負ありだった。

 

「てめぇ、真剣勝負しようって気概はねぇのかよ?」

「昔の俺ならそうしてただろうさ。そんで、てめぇに殺されてた」

「・・・・・だろうな」

 

それは揺るがない事実であった。ヘクトルとライナスの間にはそれ程までに大きな実力差があった。

 

ヘクトルがあのまま再度ライナスと打ち合っていたら、命の保証はなかった。

 

「そうか・・・なら俺が、似たような手を使っても文句はねぇよな?」

「なに?」

 

ライナスがニヤリと笑う。

次の瞬間、ハングの怒声が飛んだ。

 

「ヘクトル!そいつの足を折れ!!」

「はぁ?ハング、おめぇ何を・・・」

「もう遅いんだよ!!」

 

ライナスがヘクトルの斧を素早く拳で弾き、一気に駆け出した。

肩に刺さった矢などものともせずに突進し、目指す先はエリウッドただ一人。

ハングを蹴り飛ばし、護衛のマーカスの手をかいくぐり、エリウッドを羽交い絞めにして囲まれる前に素早く離脱する。

 

「俺はこのまま手ぶらで死ぬわけにはいかねーんだ!!死ぬならおまえも道連れだ!!」」

「エリウッド!!」

「エリウッド様!」

 

周囲が一気に殺気立つ。

ライナスが短刀をエリウッドの首筋に当てた。その目は本気であり、ライナスは自らの命を度外視してでもエリウッドを殺す気だった。

 

刃とエリウッドの頸動脈までの距離は数センチもない。魔法や矢を含めたどんな手段を用いても、エリウッドを助けるには間に合わない。

 

エリウッドを救うにはライナスが全く警戒していない手段を用いて、意表を突くしかない。

 

ハングは左手を地面に突きたてた。

 

「・・・好きにすればいい」

 

そんな中で、エリウッドはそう言った。

 

「っ!?」

「・・・なんだと?」

 

そのエリウッドの言葉はライナスだけでなく、仲間にすら衝撃を走らせた。

 

「・・・さっき、君たちと戦っていて気づいた・・・君たちは街の人々を巻き込まないようにしていた」

「・・・当たり前だ。俺らの標的はあくまでもおまえらだ」

 

周りの仲間は殺気立ち、ライナスはエリウッドの首筋に短刀を向けたまま。

それなのに、エリウッドは淡々としていた。

 

「僕には、君たち【黒い牙】が悪の組織だとは思えない・・・どうして戦わねばならないんだ」

「それはお前らが悪人・・・・」

 

ライナスはそこまで言いかけて口を噤んだ。そして舌打ちをする。

 

ライナスだってエリウッド達が街の人々を巻き込まないように戦っていたことに気が付いていた。

 

「くそっ!!」

 

ライナスはエリウッドを突き飛ばすように仲間の方に押しやった。

 

「エリウッド様!御無事ですか!!」

「あ、ああ。ありがとう、マーカス」

 

エリウッドの周りに護衛の輪が出来上がる。

だが、その誰もがライナスに攻勢を仕掛けようとはしなかった。

 

傷を負ってなお、踏み込めないだけの力がライナスにはある。

 

そのライナスは苛立たし気にナイフを投げ捨てた。

 

「わけがわかんねーんだよ!!ソーニャがお前を悪人だって言って!親父がそれを認めたからこの指令が来たんじゃねーのか!?」

「ソーニャ・・・」

 

ハングがその名前を確かめるようにつぶやいた。

ライナスはエリウッド達に背を向けた。

 

「・・・一度出直す。おまえのことがはっきりしたら、また来るぜ」

 

走り去る大きな背中。それを追おうとする者はいなかった。

 

ようやく、辺りが静かになる。

 

ヘクトルとリンディスは今しがた解放されたばかりのエリウッドに駆け寄った。

 

「ったく、焦ったぜ」

「すまない、どうしても一度話をしてみたかったんだ」

「いいじゃない。それで、相手のことがわかってきたんだし」

 

そこに声が割り込んだ。

 

「いいわけあるか!!」

 

ハングの低い声が鳴り響いた。三人の身体が一瞬で硬直した。

三人が恐る恐る振り返ると、そこには憤怒の形相をしているハングが佇んでいた。

ハングは三人が気づいたのを見て、一歩一歩を踏みしめるようにエリウッドに向かって歩いてくる。

 

エリウッドは思わず生唾を飲み込んだ。背筋に冷や汗が滝のように流れ落ちる。

ハングから放たれる圧力が今まで感じてきた比じゃない気がした。

 

『怒ってる』という程度の言葉で済ませられない程に今のハングは爆発寸前だ。

ヘクトルは反射的に道を開け、リンディスは泣きそうになりながら後退した。

マーカスやイサドラもハングに任せることを決めたのか、静観を選んだ。

 

今やエリウッドとハングの間には誰もいない。

 

ハングはエリウッドの目の前に立ち、エリウッドの胸ぐらを掴み上げた。

 

「いいか!このバカ貴族!!てめぇが【黒い牙】と話がしてぇってのはお前の勝手だ!!だがな!それで自分の命ごと危険に晒すんなんざ許容できるわけがねぇだろ!てめぇの命は、もうてめぇだけのもんじゃねぇんだぞ!!」

「・・・す、すまない・・・」

「すまないだぁ!?おい・・・甘いこと言うのも大概にしろよ!!」

 

ハングは鬼のような形相でエリウッドをにらみ上げていた。

いつもの人の腹を底冷えさせるような笑顔をすっとばし、いきなり大量の落雷が降り注ぐ。

 

確かに『構わない』という言葉を放ったのは流石にやりすぎだった。

 

エリウッドは雷を間近に聞きながら。

ハングの言葉を1つずつ噛み締める。

 

「おまえが生きてんのは、あの【狂犬】の気まぐれに過ぎねぇんだ!!それをよく自覚しとけ!バカ貴族!!」

 

ハングは投げ捨てるようにエリウッドの胸ぐらを離し、エリウッドから背を向けた。

 

「さっさと宿に戻るぞ!!パントさんたちから連絡があるかもしれねぇ!!」

「・・・・うん、そうだね」

「・・・・・」

「ハング・・・」

「なんだよ」

「すまない」

「謝るぐらいなら最初からやるんじゃねぇよ!」

 

ハングは鼻息を荒く吐き出す。ハングの肺の中から噴気が吐き出され、身体の中から熱量が消えていく。

ハングは何かをこらえるように空を仰ぎ、後方のマーカスに聞こえるように声を張った。

 

「マーカスさん!事後処理をお願いします」

「はい、任されました」

 

マーカスのはっきりとした返事を聞き、ハングは浅く呼吸を繰り返す。

その声の硬さからエリウッドはもう一度説教を受けることになることを悟ったのだった

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

裏通りに面したとある民家。その中でジャファルは目を覚ました。

 

「あ、気がついた?よかった・・・」

 

見上げた天井に少女の顔が逆さまに映り込む。

 

「お前・・・確か・・・」

「うん、もう何回か会ってるけど名前とか言ってなかったよね。あたし、ニノ!ソーニャの娘だよ」

 

ジャファルは横になりながら自分の懐から武器が抜かれていないことを確認した。

 

「・・・どういうつもりだ?」

「え?」

「【黒い牙】の掟を忘れたのか。共倒れを避けるため、自力で動けぬ者は切り捨てる」

 

口が重い。血を流し過ぎた。

だが、それでも言わずにはいられなかった。

 

「俺は、アジト以外の場所で意識を失うヘマをやった。掟に従い、お前は俺の命を奪って、即刻この場を離れなければならん。なのに、なぜだ?」

 

ジャファルは動かない自分の身体が疎ましい。

そんなジャファルにニノは叱られた子供のように身を縮こまらせた。

 

「だ、だって・・・仲間が死ぬとこなんて・・・みたくないんだもん」

 

ジャファルの腹の奥が何かが燃え上った。

 

「ふざけるなっ!!」

 

思わず体を起こしてしまった。次の瞬間、わき腹に空いた風穴が激しく痛んだ。

 

「っつ!!」

「動いちゃダメだよ!ほら、横になって!」

「・・・さわ・・・るな」

 

拒絶しようとするジャファルであったが、やはり体に力が入らない。

ニノはジャファルの背を支えながらまた彼を横に寝かせる。

ジャファルが動いたことで傷口が開いたのか、腹に巻いた包帯にどす黒い赤が鉄の臭いをまき散らせながら広がっていく。

 

「血が・・・また出てきちゃった・・・どうしよう・・・止まらない」

 

ニノはありったけの包帯や綿の布を傷口にあてがった。

だが、どれもが色を赤く変えていくだけで、何の効果も示さない。

 

「お願い・・・死なないで・・・死んじゃ嫌だよ・・・」

 

ジャファルは再び薄れゆく意識の中で、ニノのそんな声を聞いた。

それは、空っぽの器に水が満ちるようにジャファルの中に流れ落ちていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

街の外れに戻ってきた【白狼】ロイド。

その彼を待ち受けていたのは冷たくなった弟、ライナスの遺体だった。

 

街の近くの森に倒れたライナス。彼の肩には矢を受けた痕があり、戦闘の痕跡も残っていた。

 

そして、街で昼間に戦闘があったという。

 

それらを結びつけることはそんなに難しくはなかった。

 

「このバカ、あれほど言ったのに・・・」

 

兄のそんな説教にもライナスは当然動きはしない。

 

未来の無い弟の身体。

持ち帰っても、そこに意味は無い。

もう弟は帰ってこない。

ロイドはライナスをその場に残し、明かりの灯り出した街に背を向けた。

 

「・・・待ってろ、俺もすぐにいく。あいつらの亡骸を手土産にしてな」

 

そして、ロイドは夕闇の迫る世界へと消えていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

そこはベルン王宮より西に離れた離宮。豪勢な作りと豊かな土地、地の利により絶対の守りを誇るその場所に建てられた離宮。一見すると素晴らしい土地のように思われるが、それは戦略的価値を持たな場所。国に関わりの薄い場所に建てられた離宮はベルンという国から疎外された場所のような印象を人々に与えていた。

 

そんな離宮に住まうのはベルン王妃ヘレーネ、その息子ベルン第一王子ゼフィール。

 

成人の儀を十日後に控えたゼフィールに会うために彼の父親が訪れていた。

 

「王妃様!国王陛下、おなりです」

 

兵士の声を受け、離宮の謁見の間に国王が入ってくる。

 

「ゼフィールはおるか!」

「これは陛下・・・なつかしゅうございます」

 

答えたのはヘレーネ王妃、ゼフィールの姿は無い。

 

「離宮に足をお運び下さるとは、今日はなんと祝福された日でしょう?」

「・・・嫌味はいい。早くゼフィールを呼ばぬか!」

「あなたの息子は今、鷹狩に出かけておりますわ」

「わしが来ると知って外へ出したか。ふん・・・相変わらず食えぬ女よ」

 

これが、家族の、ましてや夫婦の会話であろうか。

 

「まあ、おまえでもよい10日後に予定している、王子の成人儀式について話しておきたいことがある」

「やっと・・・ですわね。成人の儀式を済ませれば、ずっと日陰暮らしであった我が息子が王位継承者として、世間に認められるのです・・・その日を、どんなに待ち焦がれてきたことか」

「聞こえの悪いことを申すな!おまえとゼフィールには、ベルン王妃と世継ぎ王子として何不自由ない生活をさせている!」

「・・・我らをこの離宮に押し込み、ご自身は王宮で、妾妃を傍らに・・・あの女の生んだのが王子ではなく姫で、さぞや落胆されたことでしょうね?」

「ヘレーネ!口がすぎるぞ!!」

 

愛憎満ち満ちるベルン王室。百鬼夜行の行列もここよりは居心地がいいだろう。

 

「・・・私に流れる、高貴なエトルリアの血をひく我が子が・・・あと10日で、正当なる後継者として第一王位継承権を得るのです。ホホホ 陛下がどのように溺愛されようと、妾腹のギネヴィアはいつかは陰の者となる運命・・・ベルンを手にするのは、正妃である私の子ゼフィールなのですから!ホホホホホいい気味ですわね」

 

勝ち誇るヘレーネ。

 

「・・・言いたいことはそれだけか?」

 

だが、デズモンドもまた勝ち誇った表情を浮かべていた。

 

「では、わしからもおまえに聞かせることがある」

「なんでしょう?」

「昨夜、我が王宮より【ファイアーエムブレム】が何者かによって盗み出された」

「まさか・・・オホホホ、これは、陛下も人のお悪い・・・そのような話、誰が信じられましょうか?」

 

一転して顔に焦りを浮かべるヘレーネ。

 

「【ファイアーエムブレム】は、『ベルンの至宝』と呼ばれるこの世に2つとない宝珠・・・常に厳重な守りの元に置かれ、盗み出すことなど不可能でしょう?」

「残念ながら本当の話だ」

「まさか・・・!」

「そなたも知っておるだろうが、【ファイアーエムブレム】はベルンの王位を継ぐ者の象徴・・・成人の儀式には欠かせぬ物だ。それがないとなると・・・儀式は中止するしかないな?」

 

 

デズモンドの口端が吊り上る。それは嘲笑するような笑みを形作った。

 

「あ・・・あなたが手引きなさったのですねっ?何ゆえ、それほどまでにゼフィールを憎むのですっ!?あの子も、あなたの血をわけた可愛い息子ではございませんかっ!!」

 

その言葉で初めてデズモンドの表情が苦悶に変わる。

 

「・・・ゼフィールは勉学、武術、なにをとっても優秀だと聞く。おまけに、できた性格で皆に好かれておるようだな?」

「ええ!ええ、そうですとも!自慢の王子ですわ」

「わしは・・・勉学、武術、どちらも苦手であった。性格も普通・・・国民からの支持もそれほどでもない・・・・・・わしと、ゼフィールは何もかも正反対のようだ。とても、我が子だとは思えん・・・」

「ゼフィールは陛下のお子ですっ!陛下は、よくご存知ではないですかっ!!」

「・・・たとえ我が子であっても、儀式ができなくば王位継承権は与えぬ・・・おまえも、そのつもりでおれ」

「陛下っ!デズモンド様っ!!どうか、どうかお待ち下さい!」

 

追い縋ろうとするヘレーネを振り払うようにデズモンドは謁見の間を後にした。

 

「後生ですからっ!どうか・・・!!」

 

泣き崩れる妻を残して。

 

「おお、どうすればいいの・・・ゼフィール・・・」

 

国王が去って数刻。

 

日も傾きかけた頃、謁見の間に再び衛兵が姿を見せた。

 

 

「失礼致します。王妃様、お客様がお見えですが・・・」

「・・・あいにく、人に会う気分ではない。帰っていただきなさい」

「はっ、しかし・・・」

 

その時、聞こえてきたのは風を愛でるような美しい声だった。

 

「いいわ、お下がりください。私からお話しします」

「はい」

 

王妃にはその声に聞き覚えがあった。

そして、姿を見せた女性はとても懐かしい故郷を思い起こさせる女性だった。

 

「ヘレーネ様、おなつかしゅうございます。私です、ルイーズです」

「ルイーズ!?まぁ、本当にあなたなの?ああ・・・ルイーズ・・・」

「どうなさったの?目が真っ赤に・・・せっかくの美しいお顔が台無しですわ」

「・・・悩みごとが・・・あって・・・」

「・・・よろしければお話をうかがえませんこと?私の主人も、ともに来ております。なにか、お力になれるかもしれませんわ」

「パント様も来られて・・・そう・・・・・・実は・・・」

 

 

そして、宿へと帰ったルイーズは皆にこう言った。

 

「人助けですわ!」

 

エリウッド達は図らずもベルン王室の権力争いに巻き込まれていくことになる。

 

与えられた試練は十日以内に『ベルンの至宝』【ファイアーエムブレム】を見つけ出すこと。

 

それが、【封印の神殿】へと繋がる道であった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ネルガル様。【四牙】の一人、ライナスの【エーギル】です」

 

リムステラと呼ばれるネルガルの僕。彼女はネルガルにそれを差し出した。

 

【エーギル】を吸い尽くされた人間は死ぬ。

それはライナスとて同じことであった。

 

「【四牙】が・・・負けたか・・・」

「はい、部隊を分断され各個撃破、ライナスも奇策によって敗北しました」

 

闇に覆われたどこかの神殿、その中央でネルガルは休んでいた。

あまりの暗さに誰もネルガルの姿をとらえることはできない。

 

そんな闇の中から、ネルガルのしゃがれた声がした。

 

「やはり・・・ハングの策か・・・」

「おそらくは・・・」

「ふーむ・・・やはり・・・奴を野放しにしとくのは得策ではないか・・・」

 

光の無い世界で何者かが動く気配がした。

 

「リムステラ。ソーニャを呼べ、やってほしいことがある」

「御意・・・」

 

リムステラが消え、一人残るネルガル。

 

「さて・・・やってみるか・・・」

 

ネルガルは神殿の奥へと、更なる闇の中へと溶けていった。




お久しぶりです。

ようやく、リアルの状況が戻ってきました。
今週からまた更新頻度を戻せそうなので今後ともよろしくお願いいたします。


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第25章~狂える獣(前編)~

「南だ!」

 

ルイーズとパントが帰ってきた翌日の早朝、ヘクトルは開口一番そう言った。

当然、ハングは無視してエリウッドとの話を続けた。

 

「・・・ってなわけで、俺は一度ベルン王宮まで行ってみるべきだと思うんだけど」

「話を聞けよ!ハング!」

 

ハングはため息をついて、ヘクトルへと向き直る。

ここは宿の談話室。今いるのはエリウッドとハングの二人。

彼らは地図と睨めっこをしながら次の目的地を決めているところだった。

 

「で、何の話だ?南は星占学的に言うとさほどいい方向では無いぞ」

「そうなのか?って、んなことはどうでもいい!南に向かうぞ」

「順を追って話せ、馬鹿たれ」

「酒場で高い金を握らせて得た情報だ。盗賊団がベルンのお宝を盗んでいったって話だ」

「・・・盗賊が?」

 

怪訝な声をあげたのはエリウッドだ。

 

たかだか盗賊程度が『ベルンの至宝』とまで言われる【ファイアーエムブレム】を盗めるとは到底思えない、ということで先程ハングと話がついたところだった。

 

「ほら!お前ら出発すんぞ!行き先は南の湖沼地帯だ。今から行けば昼過ぎには到着できる!ほら!立て二人共!盗賊に逃げられちまう!」

 

そんな二人にもヘクトルは御構い無しである。

急かすヘクトルにエリウッドは「やれやれ・・・」と言って立ち上がる。

 

こうなったヘクトルを止めるのは至難の技であることは常々知っている。

ハングもそのことには概ね同意だったが、だからこそ気乗りがしない。

 

期限は十日

 

一日たりとも無駄にしたくはない。

 

「ハング!立て!ぼやぼやすんな!!」

「・・・ヘクトル、罠じゃないだろうな?」

「あ?俺がお前らを嵌めてどうすんだよ」

「いや、そうじゃなくてな」

「いいから、行くぞ!俺はオズインを手伝ってくる!お前らもさっさと準備しろよ!」

 

まるで矢のように談話室を飛び出して行ったヘクトル。

猪突猛進とはこのことだろう。

 

目の前の情報に完全に踊らされている。

 

「・・・あれで、領主が成り立つのかね」

「まぁまぁ。ああいうところがヘクトルのいいところじゃないか?」

「否定はしないがな」

「それで、どうする?ヘクトルの情報を信じて南に行くかい?」

「南の湖沼地帯か・・・まぁ、いいか。どうせベルン王宮まで行くつもりだったんだ。少し遠回りになるが・・・まぁ、見るだけ見てみるとするか。一応、可能性が完全にゼロってわけでもねぇし」

「そうだね。なら、急ごう。ヘクトルに怒鳴られる」

「ああ」

 

エリウッドはそう言って談話室を出ていった。ハングも机の上の地図類を片付けてから身支度の為に椅子から立ち上がろうとした。

 

その時だった。ハングの視界がふらりと傾いた。

 

天地が回る感覚。大地が揺らぎ、世界が歪む。それは立っていられない程にハングの平衡感覚を狂わせた。

 

「おとと・・・」

 

たたらを踏み、思わず椅子にしがみつく。

 

「うお・・・あぁ・・・」

 

うめき声が漏れたのは急激な嘔気のせいだった。

馬車や船に酔った時のように腹の奥から酸味が一気にせり上がってくる。

 

ハングは唾を飲み込んで、目を閉じる。

立ちくらみというやつだろうか。

下を向いて俯き、ハングは吐き気が通り過ぎていくのをただ待った。

 

しばらくして、ハングは冷や汗を拭いながらしゃがみこむ。

 

「はぁ・・・ったく、疲れてんのかな・・・」

 

吐き気は消え、眩暈も止まった。だが、身体に残る倦怠感が身体の不調を訴えていた。

ハングは身体をひねり、節々を伸ばす。首をひねって筋を伸ばせば、少しは不快感が消えたような気がする。

 

ハングは自分の額に手を当ててみる。

 

「熱はねぇけど・・・」

 

食糧と水の欠如による行き倒れ以外たいした病気もしてこなかったハング。

 

「・・・朝飯、多めに食うか」

 

ハングはすっかり食事係となったロウエンとレベッカを探しに談話室を後にした。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

石造りの砦に靴の音が響いていた。

朝方だというのに差し込む光は無く、松明を燃やさなければほんの先も見通せないような廊下。

その廊下の左右には錆びた鉄格子が並び、小さな部屋の中を満遍なく見渡せる。

 

そこを一人で歩くのは【黒い牙】のソーニャ。

 

「そこのお前、牢を開けなさい」

 

ソーニャは最奥の牢を警備する男にそう言った。

 

「ソ、ソーニャ様!?」

 

こんな辺境の砦に彼女が現れたことでさえ驚くべきことだ。

だが、彼女の命令はそれを上回る驚異だった。

 

「し、しかし、奴には誰も近づけてはならぬと、首領から・・・」

「聞こえなかったのかしら?」

 

何かを言い募ろうとする衛兵を黙らせるように、ソーニャは淡々と繰り返す。

 

「・・・牢を開けなさい」

「は、はいっ!」

 

そこに含まれる氷よりも冷たい殺気を感じ、衛兵は素早く牢を開け放った。

風通しだけは極めてよい、牢の中。さほど、苦になる匂いも無い場所にソーニャは足を踏み入れた。中にいたのは壮年の男性。

 

「おや、これはこれは御美しい御婦人だ。狭苦しいところで恐縮だが、許してくれたまえ」

 

長いこと牢に入れられていたのか、その髪は薄汚れ、体は垢にまみれている。

だが、その目だけはまだ蘭々と輝き、ある種の生気を保っていた。

 

「ベルン王国ランツクロン伯パスカル・グランツァウ・・・」

 

ソーニャはその者の名と経歴を諳んじた。

 

「戦場ではその恐れを知らぬ戦いぶりで勇名を馳せるも、その興が過ぎて領民を城に招いては無差別に惨殺。爵位を失い、王宮の追ってを逃れて【黒い牙】の一人となる・・・これであってるかしら?」

「ふむ・・・きみは私のことをよく知ってるようだ」

「かつては【四牙】の一人まで数えられたおまえがこんなところで余命を終えるのはもったいないこと。ブレンダンはお前を【怪物】と呼んだそうね。一人を始末するために町一つ食い尽くす獣だと」

 

パスカルはそんなこともあったとでも言いたげに笑った。

 

「彼は仕事を楽しむということを知らんのだよ。『無関係な人間を殺めてはならない』『【黒い牙】は裁けぬ悪を裁くための組織だ』面白い冗談だと思わんかね?」

 

ソーニャは肯定も否定もせず、やはり淡々と目的を告げた。

だが、その口元は満足気に微笑んでいた。

 

「ここから出してあげるわ、伯爵。仕事をあげる。お前の大好きな仕事をね。悪い話では無いでしょう?」

「ふむ、いいだろう。願ってもない話だ。私にとって仕事と趣味は常に同義なのでね。さて・・・聞かせてもらえるかな?標的の名を」

 

そして、ソーニャは標的の名を告げる。

紡ぎ出された名に、パスカルはただ一つ質問をした。

 

「奴らは何人だ?できれば何人か捕虜にして遊びたい」

「標的さえ確実に始末してくれれば、他はどうしようと構わないわ」

「そうか、それはいい。女子供がいてくれるとよりいいのだが・・・あれらは刻む時にいい声を出す」

「希望には添えそうよ」

「そうか・・・楽しみだ」

 

パスカルはそう言って楽しげに笑った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「随分辺境まで来たな」

 

前を歩くヘクトルがそう言った。

 

「ああ、さすがにこの辺はほとんど人家も無いようだ」

 

エリウッドがその隣で周りを見渡す。ここは巨大な盆地であった。視界をいくら巡らせど遠くに見える山々が視界を途中で塞いでいる。そんな盆地の内側には北西に大きな湖、西には広大な森が広がっている。そして、エリウッド達の北には小さいながらも険しい山が視界を塞いでいる。地図上ではこの北の山を越えたところに小さな村があるようだが、今はそれを見ることはできない。

 

「本当にここに【ファイアーエムブレム】があるの?」

 

彼らと共に歩くリンディスが疑問の声をあげる。

 

「ほら、あそこにボロい城が三つ見えるだろ?あっちと、あれと、あそこに見えるやつだ」

 

ヘクトルが順に指差したのは森の中でわずかに塔の先が見える古城と湖の北と東ある古城。

 

「ここらを根城にする盗賊団がお宝を盗んだらしいぜ」

「盗賊?本当かしら?」

 

リンディスの疑問ももっともだった。

 

例え王宮内からの手引きがあったとしても、『ベルンの至宝』なんて宝を盗むなどそこらの盗賊が行えるはずがない。盗んだ後、ベルンが血眼になって探し回ることを考えれば余りにも危険すぎる。金に変えるにしても、保持してるだけで軍事大国を敵に回す品をどんな物好きが買い取ろうというのか。

 

城に盗みに入る危険性と得られる利益が余りに釣り合っていない。

 

そんなことをぼんやりと考えながらハングは皆の後ろを歩いていた。

 

いや、正確には歩いてるつもりだった。

 

さっきから、徐々に身体が言うことを聞かなくなってきている。

 

ハングは身体を前に傾け、それを足で無理やり支えるようにして動いていた。『歩く』と言うよりは倒れ続けているという方が正しい。

 

ハングは額から零れ落ちる汗をぬぐった。

 

おかしい、なんだこれ・・・

 

目の前でエリウッド達が何かを話しているようなのに、まるで頭の中に入ってこない。耳の奥に綿でも詰め込まれたかのようだった。

次第に視界も霧がかかったかのように霞んでくる。目の前では三人が何かを言い、笑いあっているようなのだが、その様子もぼんやりとしかわからない。

 

全身が気だるい。頭が熱い。喉の奥が焼けるように痛んだ。瞬きをするたびに涙がこぼれ落ちそうになる。

 

なんだ?なんなんだ?

 

行き倒れる時とは明らかに違う酷い倦怠感。

 

飯や水が足りなくなった時は全身が次第に重くなっていくのだ。

だが、今はむしろ身体は不思議な浮遊感に包まれていた。風にさえ流れそうに感じる程に足元がおぼつかない。

 

不意に視界が傾いた。傾いた視界はそのまま角度を増していき、一回転してなお傾き続ける。

世界が自分の中で何度も回る。そして、突如右半身に衝撃が訪れた。何かに身体をぶつけたような痛みが体幹に響く。自分が倒れたのだと気がついたのは視界の半分が野草に覆われてからだった。

 

「・・・・!・・・・・・」

 

誰かが叫んでるような気がした。

誰かに名前を呼ばれた気がした。

 

だが、今のハングには何の意味合いも無い音としてしか今は聞こえなかった。

 

誰かが自分を仰向けにした。

 

空が見える。

 

死にたくなるぐらい青い空と生き生きと形を変える大きな雲が見えた。

そして、ハングの意識は何かに飲み込まれるかのごとく、消えていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「酷い熱だ」

 

臨時に張った天幕の中から出てきたパントは皆に向かってそう言った。

 

「ハングは大丈夫なんですか!?」

 

声をあげたのはリンディスだ。パントは何と伝えるか少し悩み、そしてこう言った。

 

「今は・・・落ち着いている」

 

ホッと安堵の息が部隊全体から漏れた。

 

「とにかく、今は彼を動かせない。しばらくここに留まるしかないだろう」

「わかりました・・・」

 

エリウッドはそう言い、ここに簡単な野営地を作るように皆に指示を出した。

ハングが倒れた今、これらの仕事をするのは軍主であるエリウッドの役目だ。

 

エリウッドはハングの眠る天幕を名残惜しそうに一瞥した後、細かい指示を出すためにそこから離れていった。

本当はハングの状態が心配であったが、すべきことは確かに目の前に存在する。

エリウッドは後ろ髪を引く思いを断ち切り、自分の仕事に集中した。

 

皆が野営地の準備に取り掛かる中、リンディスとヘクトルはパントに詰め寄っていた。

 

「・・・・それで、どうなんですか?」

 

リンディスは小さな声でそう問うた。

質問の意図をパントは受け取り、彼は正確に答えた。

 

「今は落ち着いている。だけど、このまま熱が下がらなければ・・・最悪も覚悟しとかなければならないだろう」

 

リンディスとヘクトルの目が見開かれた。

だが、伝えられた内容に心のどこかでは『やっぱり』という確信があった。

 

ハングは軍の要だ。

 

危険な状態だと言ってしまえば、周りに与える不安は計り知れない。

だから、パントは曖昧な言い方をしたのだ。

 

「正直、今も生きてるのが不思議なくらいの熱が出ている。感染症などの疑いは無いと断定できたが、それ以外は・・・まったくと言っていいほど原因がわからない」

「じゃあ、治療法はねぇのか?」

「少なくとも、ここには無い」

 

そんな馬鹿な!!

 

そう叫びたいのをヘクトルとリンディスは必死に堪えた。

 

神の杖は外傷しか癒せない。このような病に対し正確な知識と技術があるのはこの部隊の中ではパントとルイーズだけだ。今も天幕の中ではルイーズが看病を続けている。

 

彼らがハングの状態をそう診断したなら、ヘクトル達にそれを覆す根拠は欠片もない。

 

「とにかく、今は安静にさせて様子を見るしかない」

「はい・・・」

 

沈痛な面持ちとなってしまった二人。

 

パントはそんな二人に何か言わねばと思った。

軍の中心人物である彼らがそんな顔をしてるのはよろしくは無いのだ。

 

だが、パントが口を開きかけた時、不意にヘクトルが自分の頬を両手で張った。

 

「ふぅ・・・なら、仕方ねぇ。俺らにできるのは耐えることだけだ。リンディス、お前もそんな面してんじゃねぇぞ」

「・・・そうね・・・ハングに怒鳴られちゃう」

「そういうこった。俺はエリウッドにこのこと伝えて、仕事を手伝ってくる」

 

そう言ってエリウッドの元に駆け寄っていくヘクトル。

 

パントは密かに嘆息した。

余計なことだったようだ。

 

彼らはちゃんと強い。

 

「私も何かできることを探してきます。パント様、ハングをよろしくお願いします」

 

リンディスも一礼してその場を去ろうとする。

だが、我に返ったパントは慌ててそれを止めた。

 

「リンディス、君は少し待ってくれ」

「え?」

「君にできることはここにある」

 

そして、パントが指差したのはハングの休んでる天幕だった。

 

「・・・・あ・・・」

「いってあげなさい」

 

リンディスは思わず自分の胸元を握りしめた。服の上から布袋を掴む。そこには、ハングから貰った品々が入れてある布袋が下げられていた。

 

行きたい。

 

今すぐにでも天幕に駆け込んでハングの姿を確かめたい。叶うなら、ハングの為に何かしてあげたい。

 

でも、自分がそこいいて何ができるのか・・・

 

そんな葛藤がリンディスを内側から苛む。

 

自分には医者や衛生兵まがいのことも出来はしない。ハングのそばにいたところで何も役に立てない。それよりも、この野営地で馬や天馬の管理をしたほうがずっと部隊の為になるのではないか。

体は天幕に走りこみたくてしょうがない。だが、頭がそれを拒んでしまう。

 

そうやって葛藤しているリンディスの内面が手に取るようにわかるパントは彼女の背中を押すように優しく声をかけた。

 

「リンディス、ハングは君に傍にいて欲しいはずだ」

「そう・・・でしょう・・・か」

 

ハングにロマンチストな側面があるということは否定しない。

でも、ハングならこんな時、『自分の仕事をしてろ!』と怒鳴るような気がするのだ。

 

動くことを躊躇ってしまうリンディス。

だが、そんな中、天幕の中から呻き声のような声が聞こえてきた。

 

「・・・リン・・・リン・・ディス・・・」

 

苦しそうな声。それは間違いなくハングの声。その声が自分の真の名前を呼んでいる。

その瞬間、リンディスの頭で渦巻いていた考えが何もかも消しとんだ。

 

「ハング!!」

 

リンディスは一息に駆けだした。

パントの横を駆け抜け、髪を振り乱し、天幕の中に飛び込む。

 

そして、目撃したのは・・・

 

「あ・・・すみません・・・ハングさんが離してくれなくて・・・」

 

何に対する謝罪なのか、ルイーズはハングの傍からリンディスに頭を下げてきていた。

 

「リン・・・ディス・・・そこに・・・いてくれ・・・リン・・・」

 

朦朧とする意識の中で薄眼を開けて、ハングがルイーズの手を握っていた。

 

「えと・・・あの・・・ごめんなさい」

「い、いえ・・・いいんです。ルイーズさんが悪いわけじゃないんで・・・」

 

だからといって、この複雑な感情の持っていき場を探すのは少し苦労するリンであった。

 



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第25章~狂える獣(中編)~

北の古城にて報告を聞いたパスカルは自慢の髭を指でなぞる。

敵が思わぬところで停止してしまった。こちらの伏兵に気付いた様子がないのは報告にあがっている。

 

どうやら内々で問題が発生したらしい。

 

思い出していたのはソーニャからの情報。

 

『奴らの動きは鈍っているはずよ。一気にきめてちょうだい』

 

鈍いのは確かだろうが、あんな遠方で停止するとは聞いていなかった。

彼らが野営を築いたのは森の手前。

 

これでは兵を伏せてる意味がない。パスカルは髭をなでていた指を止める。

 

「こうなれば、真正面からつぶすしかあるまい」

 

乱戦は大事な玩具を壊してしまうので好きではないが、この際仕方ない。

揉みに揉んで後に残った物で遊ぶことにする。

 

「さて・・・そろそろ始めるとしようか」

 

そんなパスカルにソーニャが連れてきた【黒い牙】の構成員が恐る恐る声をかけた。

 

「パ、パスカル様よろしいのですか?先に奴らのことを首領に知らせるべきでは・・・」

 

そんなことを言った団員をパスカルは睥睨した。

 

「わかっておらんな、きみ。上に知らせれば、動くのは【四牙】だ。若輩者たちに獲物を奪われるなど、私の名誉が許さんのだよ」

「で、ですが・・・」

 

なおも何かを言おうとする、団員にパスカルはほんのわずかに殺気を向けた。

 

「きみが敵前逃亡の罪で死にたいのなら止めはせんがね。せっかくの戦いだ、楽しんだ方が良いだろう?」

 

そのほんのわずかな殺気で団員の喉は潰れたように止まってしまう。

文句が出なくなったことに満足したパスカルは部下に号令をかけた。

 

「では、行こうか諸君?」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンディスはもやもやとした気持ちを飲み込み、ルイーズに言われるままに場所を入れ替わった。釈然としない思いは残っていたが、そんなことはハングの隣に座った時点でどこかへと消え去ってしまっていた。

 

ハングの意識はいまだ朦朧としており、呼吸は浅く、速い。

高熱というのも事実で、いつもは青白い程に真っ白なハングの頬が赤く染まっている。

薄らと目を開けているものの、その焦点は定まらず、本当に意識があるのかも疑わしかった。ハングの右手は何かを探すように宙をさまよう。その手は自分の腕の重さに耐えられないのか、小刻みに震えていた。

 

リンディスがハングの彷徨う手に触れる。その途端、ハングがその手を強く握りしめた。

 

「・・・やめろ・・・連れて・・・いか・・・ないで・・・」

 

ハングはうわ言のようにそんなことを繰り返す。

 

出てくる言葉は寝言のように曖昧なものばかりだったが、その合間にハングの妹の名前や自分の名前、エリウッドやヘクトルといった言葉が出てくる。

 

その中で、同じようにもう何度も出てくる名前があった。

 

「・・・やめ・・・やめてくれ・・・ネルガル・・・」

 

その名は哀願と同時に繰り出され、怨嗟の言葉と共に口にされる。だが、それはどれも楽しげな雰囲気であるはずがなかった。

 

その名前が出されるたびにリンディスの手を握る手に力がこもり、竜の腕とも称された左腕が何かを捕まえようともがいていた。

 

リンディスはそちらの手も握りたい衝動にかられたが、すんでのところで思いとどまった。

 

彼の左腕の筋力のことをリンディスは知っている。

 

もし、何かの拍子にその手がリンディスの手を粉砕してしまうようなことになれば、ハングがそれを知った時どれだけ苦悩するかは目に見えている。

 

リンディスは自分の中でそのことを何度も確かめ、その手を無視した。

だが、本当に温もりが必要なのは左腕の方なのだ。

 

リンディスは代わりにハングに昔貰った鱗をずっとその手に握りしめた。

ハングはこの鱗になんの力も宿っていないと言っていたが、リンディスにはそんなはずはないという確信があった。

 

自分の想いが少しでもハングに伝わればいい。

 

リンディスは祈るように鱗と共にハングの手を握りしめた。

 

「・・・リン・・・ディス・・・そこに・・・いるのか・・・」

 

リンディスはハッとした。ハングの目を見ると、彼の瞳にはほんの少しばかり焦点が戻っていた。

 

「ハング!大丈夫よ。私はここにいるわ」

 

リンディスは握りしめる手に力を込めた。

それに返答するようにハングの左腕がリンディスの手を覆った。ハングの左手の爪がリンディスの手の甲に食い込んだが不思議と痛みはない。

 

その代わり、奇妙な胸騒ぎと焦燥感がリンディスの心臓を鷲掴みにした。

 

「俺を・・・俺を・・・」

 

ハングの声がかすれていく。それは彼の呼吸と共に今にも消えそうだ。リンディスの手を握る彼の両手から力が抜けていく。

 

リンディスの中の不安感が激しく警鐘を鳴らした。リンディスは滑り落ちそうになるハングの手を強く、強く握りしめた。

 

「ダメ・・・ダメよ・・・ハング」

 

小さく、呪文のようにリンディスは口の中で呟く。

そして、ハングは儚げな声でこう言った。

 

「俺は・・・どこに・・・いる?」

「ここよ。ハングは・・・私の隣にいるわ!」

 

リンディスはハングの手に自分の手を重ねる。

握りしめていた鱗が手の中を滑り落ち、地面を跳ねる。

 

「大丈夫、大丈夫よ!私はここにいる!ずっと、ハングの傍にいる!!だから・・・」

 

目頭がやけに熱い。リンディスの頬を涙が伝う。

それを見て、ハングが笑ったような気がした。

 

「そっか・・・そう・・・だった・・・な・・・」

 

そして、ハングの右手がリンディスの両手から滑り落ちた。

 

「ハング!ダメ!ダメよ!!」

 

リンは慌ててその手を握りなおそうとする。だが、その手はリンの手をかわし、彼女の目元へと伸ばされた。

 

「え・・・・」

 

ハングの右手はリンディスの頬を伝った涙をぬぐっていた。

そして、そのままハングの右手はリンディスの頭をなでる。

 

「俺たちは・・・二人で一人・・・だよな?」

 

うわ言なのだろうか。それにしてはハングの一字一句は確かな意味を持っていた。

 

「うん・・・そうよ・・・だから、私はハングを見捨てない。絶対に、絶対にそばにいるから」

「ああ、俺も・・・お前を一人に・・・しない・・・」

 

そして、ハングは笑った。

 

疲れきった表情だったが、それでも自分の出来うる最大限の笑顔で太陽のように笑った。

 

次の瞬間、体力を使い果たしたのか、ハングの体から力が抜ける。

リンディスの頭に乗っていた手も地面に叩きつけられるように落ちていった。

 

「ハング・・・?ハング!?」

 

リンディスの中に最悪の結末が浮かび上がる。

だが、それも規則的に上下しだしたハングの胸郭を見るまでだった。

 

まだ浅くて速い呼吸だったが、深い眠りについたように安定した動きだ。

 

リンディスには医学の知識などないが、ハングが少し落ち着いたことは理解できた。

 

リンディスは思わず体全体の力が抜けそうだった。

まるで全力疾走を続けてきたかのような倦怠感が現れ、その場にへたりこみそうになる。

 

ハングの傍にいたのはほんの短い時間のはずなのに、まるで一晩傍にいたかのように疲労してしまっている。

 

このまま、ハングの体を枕にして眠ってしまえばどんなに気持いいだろうか。

 

リンディスは誘われるように、ハングに向かって倒れこみそうになる。

 

その直後、リンディスの目が強く見開かれた。

 

背中を這うような濃厚な風。体にまとわりつくような独特の臭い。

 

「リンディスさん?どうかされましたか?」

「ルイーズさん!ハングを頼みます!!」

「え?あ、リンディスさん!!」

 

リンディスが天幕を飛び出ると、その風はさらに確かなものと変わる。

リンディスは自分の中の疲労を忘れて声を張り上げた。

 

「みんな!敵襲よ!!完全に囲まれてるわ!!」

 

そこからの動きは速かった。

エリウッドが騎馬部隊で野営地の前の道を塞ぎ、ヘクトルの指示のもと森へとけん制するように陣が敷かれた。

 

こちらが動きを見せたところで、向こうも殺気を消す努力をやめる。

 

どこからか次々と敵がわき、周囲はあっという間に戦場へと変わってしまった。

遠目に湖の反対側に設置された【シューター】まで確認できる。

 

「ちっ、このまま戦っても負ける気はしねえが・・・この状況じゃ、さすがに・・・」

 

ヘクトルがぼやいた声が聞こえてきた。

そして視線が一斉にリンディスの後ろの天幕に注がれた。

 

「ちょっとばかし不利か・・・」

 

ちょっとだろうか。

 

ハングという頭脳を失い、この天幕にハングが横たわっている限り動けない。

そんな部隊の不安を蹴散らすようにヘクトルが叫んだ。

 

「よし!誰でもいいから、包囲を突破して城を押さえようぜ!いいな!3つとも城を押さえるんだ!攻撃は最大の防御!!奴らの補給を叩き潰せ!」

 

否定の意見は入らない。

 

「行くぞ!!」

 

それを合図に戦いが始まる。

 

だが、戦闘の口火が切られた直後、やはりエリウッド達は不利を悟った。

湖の対岸から【シューター】の巨大な矢が飛んでくる一方、敵の天馬部隊まで現れ、制空権が完全に相手に奪われている。

 

「っく!!」

 

騎馬部隊の先頭でレイピアを振るっていたエリウッドのもとには巨大な矢が降り注いでいた。注意さえ向けてれば当たりはしないのだが、動きにくいことこの上ない。

 

「エリウッド様!お下がりください!!」

 

エリウッドの前にイサドラが飛び出し、それに続いてロウエンも前に出る。

 

「エリウッド様、治癒を・・・」

「プリシラさん!僕よりもケント殿を優先してください!僕はまだ大丈夫です!」

「は、はい!」

 

プリシラが更に後方へと下がり、肩口に傷を負ったケントの元に駆け寄っていく。

だが、そこにも【シューター】の矢が絶え間なく降り注いでいく。

 

間一髪でケントが防いだが、彼らは野営地付近まで後退せざるおえない。

 

衛生兵が下がったことでエリウッドも戦線を下げるように合図を出す。

 

このままじゃ押し込まれる。

 

「エリウッド殿!!」

 

そんな中、竜騎士のヒースが低空で近づいてきた。

 

「俺が湖を突っ切って、【シューター】の射手を潰す。指示をくれ」

「なっ!それは・・・」

 

敵の【シューター】は当然敵陣深くに置かれている。

しかも、身の隠しようの無い湖の上では的もいいとこだ。

 

単体で突破することはまず無理だ。

 

「ダメだ!許可できない!危険すぎる!」

「でも、このままじゃジリ貧だ。敵の数が多すぎる!せめて制空権だけでも・・・」

 

その時、戦闘の音をつんざいて耳鳴りのような高い音が周囲に響き渡った。

 

「ヒースさん!!逃げて!!」

 

その声に反射的にヒースは手綱を思いっきり引いた。

 

「グァァぉ!」

 

ヒースのドラゴンが唸り、旋回するようにその場を離れる。

直後、その場所を巨大な光の槍が貫いた。

 

激しい轟音と共に、大地が抉れ、岩が吹き飛ぶ。

 

余波を受けたエリウッドもその破片を腕にくらう。

 

「これは・・・一体・・・」

 

膝をつくエリウッドの疑問に答えたのは先程危険信号をあげたプリシラだった。

 

「【パージ】断罪の槍・・・超遠距離の光魔法です」

 

エリウッドは湖の対岸に目をやる。東側の古城に修道士の部隊が見えた。

 

「ここにきて、まだ隠し球があるのか・・・ヒース、だめだやはり許可できない」

「くっ・・・・」

 

ドラゴンの頑丈な鱗といえども、魔法の貫通力の前には無力に等しい。

【シューター】と天馬部隊だけならまだしも、遠距離魔法まで飛んできたら上空の突破は不可能だ。

 

それは、フロリーナとフィオーラという天馬騎士二人を加えても結果は同じ。

 

「・・・どうすれば・・・」

 

ハングならこんな時どうする。エリウッドの頭の中にハングから習ったことが駆け巡る。だが、結論はどうしても出てこない。

 

エリウッドは唇をかみしめる。

 

何のために今まで軍略の勉強をしてきたのか・・・

 

「・・・耐えるしかない」

 

エリウッドは顔をあげ、再び前線へと駆け込んで行った。

悔やんでいる余裕も今は無かった。

 

 

対するヘクトル率いる歩兵部隊。

こちらは更に劣勢に立たされていた。

 

目の前の森には数々の罠がしかけられており、既にギィやバアトルが痛い目を見て後方へと下げられた。

 

迂闊に森に踏み込めず、だからと言って待ち構られる場所は野営地の前だ。

 

相手は隠密行動が基本の暗殺者集団。敵は攻撃をしかけてきた直後には溶けるように森の中へと消えてしまう。

 

「くっそ!!どんだけいるんだ!!これじゃ包囲を抜けるどころじゃねぇ!」

 

しかも、何人倒しても敵の数が一向に減る気配を見せない。

森に隠れられているせいで相手の全体像すら見えない。それは戦いが永遠に続くような精神的負担を皆に与えていた。

 

ヘクトルとオズイン、先日仲間になったワレスという重装部隊でなんとか戦線を保っているもののここを突破されるのも時間の問題だった。

 

奥歯を噛み締めてなんとか頭を回そうとするヘクトル。

だが、その思考こそが隙となった。ヘクトルは森の中から放たれた矢をかわし損ねてしまう。

 

「だっ!!チクショウ!!」

 

肩口に刺さった矢はやけに長く、鎧の継ぎ目から鎖帷子を貫いて身体を貫通していた。

弓と矢を大きくして、飛距離を伸ばした長弓という武器だ。

 

「ヘクトル様!お下がりください!!」

「ここで、軍の大将が潰されてはいけませんぞ!ヘクトル殿!!」

 

ワレスとオズインが前に出て、後方からの魔法や弓の援護がヘクトルの近くに集中する。

 

「大丈夫だ!俺はまだ・・・」

「ヘクトル!今は下がって治療受けて!!まだ戦いは続くのよ!!」

 

リンディスがヘクトルの代わりに指揮を出し始める。

 

ヘクトルは軽く舌打ち。

 

残念ながら今はリンディスの方が正しい。

 

「若様!下がりますよ!」

「マシュー・・・お前、いままでどこにいた?」

「細かいことは後回し」

 

ヘクトルはマシューの護衛を受けつつ、野営地へと下がった。

 

「矢を抜きますよ」

 

マシューは背中側に飛び出した鏃の部分を短刀で切り落とす。

鏃の返しを残したままだと、矢を綺麗に抜けないのだ。マシューが鏃を切り落とした直後にはヘクトルは自分で矢を引き抜いていた。

 

「セーラ!早くしろ!」

「わかってるわよ!さっきから次々と怪我人がくるんだから!私だって忙しいの!」

 

髪を振り乱したながらやってきたセーラは杖で傷の治療を行う。

 

「最低限だけでいい!すぐ、戦場に・・・」

「だめですよ!!若様!」

「そうですよ!そんで、すぐ戻ってきたらまた私の仕事が増えるじゃないですか!!」

 

やはり、それも正しい。自分が相当焦っていることをヘクトルは感じた。

 

これじゃだめだ。

 

いつでも、冷静に戦況を見ねぇと指揮官は務まらねぇってのに

 

ヘクトルは唇を噛みしめる。

 

脳裏に浮かんでいたのはハングの不敵な笑みだった。

 

「チキショウ・・・・」

 

打開策が何も思い浮かばない。

 

「このままじゃ・・・」

 

ヘクトルは治癒を受けながら、焦燥の嵐にもまれるしかなかった。

 

そんな時、不意に太陽が陰った。

 

思わず空を見上げる。すると、翼を広げた天馬の影が太陽を背にしていた。

 

「ねぇ、ちょっとそこのいかついお兄さん!」

 

どこか、聞き覚えのある若い女性の声が空から降り注いだ。

 



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第25章~狂える獣(後編)~

瞼が重い。そんな感想を抱きながらハングは意識を取り戻した。

 

「・・・・・あ・・・」

 

目が覚めると、目の前には天幕の天井を支える柱が見える。

体を起こそうとするも、全身に鉄塊でも括り付けられたかのように体が重い。

 

「ハァ・・・ハァ・・・」

 

自分の口から出る呼吸はやけに浅く熱っぽい。

何がどうなってる?とハングは自問する。

 

そして、最初に浮かんだのは倒れた時の記憶だった。

湖沼地帯に進み、行軍の途中で倒れた。

そこまでは思い出せるが、そこから先の記憶が今ひとつ曖昧だ。

 

どこまでが現実で、どこからが夢だったのかよくわからないような感覚。

だが、それを深く思考できるだけの体力が今は無かった。

 

自分は疲れている。

 

ハングがわかるのはそれだけで、それ以上を考えることすらできない。

 

だが、少なくとも自分はまだ仲間のもとにいる。

 

ならば、休んでもかまないだろう。多少のことならエリウッド達に任せても問題ないはずだ。戦闘にでもなったらそういうわけにもいかないだろうけど。

 

ハングは再び重くなってきた瞼に逆らうこのなく、その視界を覆うことを選ぼうとした。

 

だが、その時になって自分の五感にようやく違和感を覚えた。

 

血と鉄の臭い。

 

ハングは視線を天幕の出入り口へと向ける。

光輝く外の世界に見えたのは、そんな太陽をあざ笑うかのような光景だった。

 

ここから見えるのはヘクトルとマシュー。それでも、彼らの目を見れば今がどういう状況かを悟るのには十分すぎる。

 

ハングは自分が寝てる場合ではないことを瞬時に理解した。

自分に掛けられていた毛布をはねのけ、自分の足で立とうとする。

 

「あっ・・・・」

 

だが、自分が思っている以上に体は不調だった。力を込めたはずの足が膝から力が抜けて盛大に転んでしまう。

 

「ハングさん!なにしてるんですか!!」

 

音を聞きつけてやってきたのはルイーズだった。

 

「ハァ・・・今・・・どうなって・・・」

「戦闘中ですが、ハングさんは寝てないといけません!」

 

いつもの温和な彼女が鋭い顔でハングを諌めていた。

それほどに今の自分が動くことができないということだろう。

どこか他人事のようにハングはそう思った。

 

「とにかく・・・状況だけでも・・・」

「皆さんが奮闘してますから、ハングさんは・・・」

「お願いです・・・ハァ・・・状況を見たら・・・寝ますから・・・」

 

策を練るのは横になっていてもできる。だが、戦況は戦場に立たないとわからない。

 

「・・・ですが・・・」

「僕が支えよう、立てるかい?」

「パントさん・・・お願いします・・・」

 

ハングはパントに肩をかしてもらう。

体を起こしたことで、血の巡りが変わったのか、酷い頭痛と眩暈を覚えた。

だが、今は耐える。

ハングは歯を食いしばりながら、天幕の出入り口から外へと出た。

 

まぶしい光に目を細めると同時に、耳から伝わるような戦闘の地響きがハングの体に伝わる。

 

部隊は二つ。

戦場は二つ。

 

湖の対岸に敵の遠距離陣。

 

押されてるだろうな・・・

 

ハングのその結論を裏づけするように、味方は徐々に後退している。

 

その時、不意にまた視界が回転を始めた。

 

「ぅ・・・ぁ・・・・」

「ハング君!大丈夫かい!?」

 

顔を上げ続けることもできずにハングは地面へと視線を落とした。

その頭上から聞きなれない声がした。

 

「ねえ、ちょっとそこのいかついお兄さん!」

 

その声をぼんやりと聞き、ハングはなんとか顔を前に向けた。

今まさに空から駆け下りてきたのは天馬騎士。

 

蒼い髪に蒼い瞳、身にまとう鎧も蒼が主体だ。

イリアの女性に特徴的な雪のような白い肌は少し日に焼けているようで、自分の部隊の天馬騎士二人に比べてえらく行動的な印象を受ける。

 

だが、なぜかハングには彼女が他人のような気がしなかった。

 

間違いなく初対面なはずなのに、どこかで会ったことがあるような・・・

 

朦朧とする頭の中で様々なことが巡る。

 

「あん?俺か?」

 

そして、この集団の中で最も『いかつい男』のヘクトルが返事をした。

天馬騎士は地上に降り、やけに大げさな仕草を見せた。

 

「こんないっぱいの敵相手に、無謀なことしてるわね」

「好きでやってるわけじゃねぇ!・・・って、おまえ誰だよ?あいつらの味方じゃねぇのか?」

「私?私はちがうわ。いいもうけ口があるって聞いたからわざわざ来てあげたのに、とんだ期待はずれ!たった、あれっぽっちのお金でこのファリナ様を従えようなんて見くびられたもんだわ」

 

どうやら彼女の名前はファリナというらしい。

 

やはり、どこかで聞いたような気がする。

 

「なんだ、ずいぶんと自信ありげだな?」

「イリアの天馬騎士団第3部隊所属、“すご腕”の傭兵天馬騎士ファリナとは、私のことよ!」

「イリア傭兵は『一度契約を結べば雇い主を決して裏切らない』とか言うな・・・おまえを雇うにはいくら必要なんだ?」

 

ヘクトルとファリナという天馬騎士の話しを聞きながら、ハングは頭の中をなんとかたたき起こしていた。

 

倒れる前に見た地図、現在の状況、被害の大きな部隊、優先事項。

 

そして、勝利の方程式を組み立てる。

 

「この先、あなたの下で旅を続けるのよね?その場合、まず長期の不定時戦闘契約になるでしょ。この上に、死亡時に私の家族に支払われる見舞金がつくわ。さらに戦功に応じたボーナスと任務の危険手当も含めて・・・」

「ま、待て!もういい!!・・・とにかく、必要経費だっつーんだな?」

「そう、わかってもらえて嬉しいわ。それで、どうするの私を雇ってくれる?」

 

ハングが自分の頭を総動員している間に契約の話が進んでいた。

もちろん、ハングはその内容のほとんどを聞けていない。

 

今のハングに思考と状況把握を同時に行える程の体力は残されていなかった。

 

「さて、どうするかな・・・って!ハング!!お前こんなとこで何してんだ!!」

 

そんな時、ヘクトルがハングにようやく気が付いた。

 

「お前!自分の体がわかってんのか!今動いたらお前本当に死んじまうぞ!!」

 

目の前のファリナも傍のマシューも無視して、胸倉をつかまれん勢いでハングに詰め寄ってきたヘクトル。

 

「いいから、寝てろ!戦いは俺らに・・・」

「ヘクトル・・・」

 

だが、胸倉をつかんだのは逆にハングの方だった。

それは胸倉をつかむというより、ヘクトルに縋って立っているような姿勢だった。

 

「詳しい状況を教えろ」

「だ、だけど・・・」

「教えろ!」

 

ハングの落ち窪んだ目から、魂を射抜くような視線が放たれる。

それは今にも地面に倒れそうな病人とは思えない程に力を宿した瞳だった。

その目が一歩も引くつもりがないことを言葉より雄弁に物語っていた。

 

「・・・わかった。だから大人しくしてろ」

 

ヘクトルはハングを天幕に押し返すことを諦めて、地面に座らせた。

 

「とりあえず、現状は不利だ」

「・・・んなもん、わかってる!」

 

ハングは喉が焼けたかのような嗄れ声で吐き捨てた。

 

「そうじゃない!もっと詳しい状況を教えろ。敵の位置、味方の位置、周辺の地理・・・俺の頭は今ほとんど動かねぇからよ・・・俺の見てる世界が現実の世界と合ってるかすり合わせたい」

「わ、わかった・・・」

 

ヘクトルは手早く、だが正確に周囲の状況を伝える。

ハングは今にも意識が飛びそうになるのをなんとかこらえ、脳みそにヘクトルの話す内容を沁み込ませていく。

 

「・・・こんなもんだ。わかったか?」

「ああ・・・」

 

そして、ハングは1つの結論を出した。

 

「あの天馬騎士・・・雇え・・・」

「は?」

「いいから・・・雇え・・・」

 

そして、ハングは真っすぐにヘクトルを見据えた。

その顔を見てヘクトルは息を飲む。

 

「いくぞヘクトル・・・戦局を・・・ひっくり返すぞ!」

 

いつもは不敵な笑みや弾ける笑顔で覆い隠されていたハングの目。

疲れて無表情になりつつあるハングの眼は槍の切っ先のような視線を剥き出しにしていた。

 

「勝てる・・・勝つぞ・・・」

 

どこか、執念じみたその言葉がヘクトルの体を貫く。

 

それはいつもの感覚。

 

勝利を確信させる力。

ヘクトルの背筋に電撃が走ったような衝撃が駆け抜けた。

 

「頼りにしていいのか?ハング?」

「・・・知るか・・・はやくしろ」

「そうだな、さっさと病人は寝かしてやらねぇとな」

 

そして、ヘクトルはハングの体をパントに預けて、ファリナの方を振り返った。

照りつける太陽の光に眩むハングの目の前で2人が金のやり取りをしているのが見えた。

 

おそらく契約金だろう。

 

「俺はオスティア侯弟ヘクトル。で?受けるのか断んのかどっちなんだ!?」

「私のお金っ!!もちろん、受けるに決まってるわ!オスティアってリキアで一番大きい領地でしょ?よろしくね、侯弟さま!」

「ああ、頼むぜ」

「あ、それから武器や、きずぐすり!今手持の分は、料金内だけど新しいのはそっちで用意してよね!私、自腹切るのぜったいヤだから」

「しっかりしてんなお前・・・」

 

無事雇えたらしい。

 

ハングは荒い呼吸の中でほくそ笑む。

 

「・・・これで・・・手札が揃った・・・」

 

そんな独り言を聞いたパントはハングの顔を覗き込む。

 

今は見る者に勝利を確信させるような不敵な笑みをしているハング。

だが、疲れ切った顔の中には普段は見せないドス黒い切っ先が見え隠れしていた。

 

ハングの表情の中にそれを見つけたパントは鳥肌が立つのを感じた。

 

この青年は・・・

 

ハングはその場から部隊の再編成をヘクトルに指示する。

パントはその声の奥底に潜む執念のような何かを確かに聞いたのだった。

 

ハングが示した策。

 

それはマシューを介して、一気に前線の仲間にまで浸透した。

そして、最前線にいたリンディスにも指示が届く。

 

「え!?ハングの策って・・・・あのバカ・・・起きたの・・・」

「え、ええ、まあ・・・」

 

こりゃまた夫婦喧嘩になりそうですよ、とマシューは内心で思いながらハングは将来苦労するかもとも思ったのだった。

 

「ワレスさん!オズインさん!私、一旦下がります!」

「わかりました。ここはお任せを。しかし、ハング殿にはいつも驚かされますね」

「フハハハハ、血が騒ぐではないか!根競べの策などな」

 

皮肉じみた笑顔を浮かべる重装歩兵の二人。

リンディスとマシューはそんな二人に前線を託していったん後退。

 

野営地の近くまで下がると、既にそこにはハングが集めた面々が揃っていた。

 

リンディスの他にレイヴァン、エルク、ドルカス。

竜騎士のヒースもその中にいる。

 

そして、リンディスの目を何よりも引いたのは・・・

 

「あれ?リンちゃんじゃないの」

「・・・・ファリナさん!!」

 

フロリーナの姉にして、フィオーラの妹。

リキアの三人姉妹天馬騎士次女のファリナがそこにいた。

 

「うわー!ひっさしぶりじゃない!!美人になっちゃってまぁ」

「え?え?え?なんでファリナさんが!?確か・・・家出したってフロリーナが・・・」

 

そう言ったところ、ファリナの後ろからフロリーナとフィオーラも歩み出てきた。

フロリーナの目が泣き腫らしているところをみると、どうやら、姉妹の感動の再会は終わったようだった。

 

「あははは・・・やっぱりそう伝わってるんだ。あれはちょっと姉貴とケンカしちゃったから、売り言葉に買い言葉ってゆーか、そんな感じだったのよ。でも、もう、すんだことだから!!」

 

リンディスがフィオーラを見ると、彼女は何かを飲み込めていないような顔をしていた。怒っていいんだか、喜んでいいんだか、泣いていいだか、迷いに迷ってるといった感じだった。

 

どうやら、本当は『すんだこと』ではないらしい。

 

「でも、私は今からヘクトル様の隊で働くことになったから。また、よろしくねリンちゃん」

「あ、はい!!よろしくお願いしますファリナさん」

「挨拶は・・・終わったか?」

 

その時、ハングが天幕の中からよろよろと歩み出てきた。

その肩はパントに支えられ、いかにも病人といった感じだ。

 

だが、その眼だけは生気を十分に宿していた。

 

「ハング!!あなたねぇ!!」

 

だが、それもリンディスにとっては関係のないことだ。

 

「リン・・・説教は後で聞く・・・今は・・・行け」

 

ハングは疲れた声でそう言い返す。

 

「・・・・後で・・・覚悟しときなさい」

「わかってる」

 

ハングは指でここに集まっている人間に指示を送った。

 

「・・・いいか、問題は時間だ・・・できるだけ早く制圧しろ・・・」

「わかっている。お前は安心して寝てろ、クソ軍師」

 

レイヴァンがそう言った。ハングは唇の端で笑う。

そのハングを支えるパントにエルクが頭を下げていた。

 

「師匠、ハングさんをよろしくお願いします」

「ああ、エルクは自分の役割をこなしてきなさい」

「はい!!」

 

レイヴァンはフィオーラの後ろに、エルクはヒースの後ろにそれぞれ乗り込んだ。

 

「それで、あなたがドルカスさんね。私の後ろは荒れるから、よろしくね」

「・・・ああ」

 

ドルカスもファリナの後ろに乗り、フロリーナの後ろにリンディスが飛び乗った。

 

「山の稜線沿いに飛べ・・・奇襲だ・・・」

「わかってるわ。行ってくる」

 

リンディスがフロリーナを促し、最初の天馬が飛んで行った。

それに続き、フィオーラが飛び立ち、ファリナも空に舞い上がる。

ヒースのハイペリオンが最後尾を請け負った。

 

彼らは目の前の大きな山から頭を出さないように飛んでいき、ついに見えなくなった。

 

狙うは対岸の超遠距離部隊。

 

飛行部隊を大きく迂回させて敵の後方まで進み、地上部隊を降ろして一気に制圧する。

 

「電撃戦か」

「・・・はは・・・よく知ってますね・・・パントさん」

 

ハングの体は再び激しい疲労感に襲われる。ここから先は本当にまともな判断もできそうにない。

 

「あとは・・・任せるぞ・・・・」

 

ハングは誰に言うともなくそう言った。

 

そこで、ハングは膝をつく。

 

「ハング君、少し熱が下がったとはいえ君はまだ・・・ってあれ・・・」

 

ハングはその場で気を失っていた。

ハングは満足しきったような顔で、わずかに微笑んで眠っている。

恐ろしいまでの眼光が見えないと、ここまで変わるのかとパントは思っていた。

 

そういえば、似たようなことが以前にあったな。

 

あれはまだエルクが来たばかりのことだった。

 

エルクにもこんな時期があった。

 

そんなことを思い出しながら、パントはハングを背負って天幕の中へと戻っていった。

 

それからさほど時間がたつことなく、前線で奮戦をしていたエリウッドの騎馬部隊に変化があった。

最初は苦戦を強いられていたエリウッド達だったが、ある時を境にその戦況は明らかな変化を見せた。

 

対岸からの長距離攻撃が飛んでこなくなったのだ。

 

「ハング殿の策が的中したようですね・・・」

「マーカス!好機だ!一気に責め立てるぞ!!」

 

単純な兵の練度ならこちらの方が圧倒的に上なのだ。

エリウッドが率先して前に出れば、相手の騎馬の波状攻撃ですら敵ではなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

ガタゴトと不規則な音が背中からしていた。

ハングが再び目覚めた時、今度は真正面に夕焼けの空が見えていた。

 

自分の状況にとりあえず混乱する。

 

あたりを見渡すと、どうやら自分は馬車か何かの荷台に乗せられているらしい。

 

「気が付いた?軍師さん」

 

ハングが声のした方を見ると馬に乗ってこちらを見下ろしてくるリンディスがいた。

彼女は荷馬車に併走するように馬を歩かせていた。

 

「リン・・・ここは?」

「今はベルン王宮の方角に向かってるわ」

「・・・そうか・・・」

 

ハングが首だけ持ち上げて周囲を見れば、見慣れた仲間たちの行軍のただ中にいた。雰囲気からすると戦いには勝てたらしい。

 

だが、快勝とまではいってないようだった。

 

後方ではギィとバアトルが体のあちこちに包帯を巻きつつ、マシューとバアトルに皮肉をこぼされていた。

ロウエンは腕を激しくやられたのか、片腕をつった状態で馬の上にいる。

ハングと共に荷台に乗っているオズインの鎧は激しい破損を受けており、修復は難しそうだった。他の皆も差はあれこそぼろぼろのだった。

 

ハングは力尽きたように首を降ろした。

 

俺が倒れたからだろうか。

 

そんなことがどうしても頭を巡ってしまう。

 

「ハング、体調は?」

「・・・ん・・・気分は・・・悪くない」

 

右手を持ち上げて、自分の額に手の甲を乗せる。

自分の体からは浮かれるような熱は消え失せていた。

 

それでも、一度消耗した体力はなかなか戻っておらず、気怠い感じが残っていた。

 

「それで・・・もう説教してもいいかしら?」

 

ハングは小さく呻いた。

 

「やっぱり、それがあるのか・・・」

「ハング・・・」

「わかったよ・・・来いよ・・・」

 

ハングはため息を吐きだす。

そして、次に放たれたリンディスの声は親の仇でも前にしたかのように冷たく凍てついていた。

 

「どうして、倒れるまで体調が悪いことを黙ってたの」

「・・・・」

 

ハングは誰か援護してくれる人はいないだろうかと、周囲を見渡してみる。だが、いつの間にか荷台の周囲には人の気配が消えていた。馬車を引くマリナスにも助けを求めてみたが、小さな悲鳴と共に無視を決め込まれてしまった。

 

「まさか、気付かなかったなんて言うつもりはないでしょうね」

「・・・・・・」

「黙ってないでなんとか言ったらどうなの?」

 

正直、今言わなくてもいいだろうとハングは思う。

 

だが、疲れてる今でないとハングが素直にリンディスの意見を聞き入れないだろうというのも事実。

適当にはぐらかす体力のない今のハングは説教を浴びせられる絶好の機会なのだ。だからこそ、リンディスはここは心を鬼にしてでも言っておかなければならない場面だと思っていた。

 

「わるかったよ・・・」

 

ハングはそう言った。

 

今回ばかりは抵抗することもなく素直に謝る。

 

実際、これが一人旅の途中だったら本当に危なかったのだ。

旅の途中で病気に犯され、野垂れ死ぬ人などいくらでもいる。

 

「次はもっと早く言いなさい。倒れてからじゃ遅いんだから」

「わかった・・・」

「それに、体調が悪いのに無理して前に出てこないこと!」

「それも・・・悪かった・・・」

「本当に・・・心配したんだから・・・」

「・・・すまない」

 

いつになく素直なハング。

 

「・・・本当に?反省してる?」

「本当だ・・・」

「じゃあ、約束して」

 

また、約束か・・・

 

ハングは内心で苦笑する。

 

これで何個目だろうか。

 

「私はハングを見捨てない」

「・・・え?」

 

ハングが驚いてリンディスを見た。

彼女の頬は夕焼けに照らされて赤くなっていた。

 

「だから、ハングも私を1人にしないで」

「・・・・・・」

 

なんだろう?

 

その台詞にとてつもない既視感を覚える。

その言葉を自分はどこかで聞いたことがある。

 

なのに、全く思い出すことができなかった。

 

それを表情で悟ったのか、リンディスは小さく溜息をついた。

 

「やっぱり、覚えてなかったか」

「は?」

「いいの、今約束してくれればそれで・・・ね、約束して」

 

ハングを見下ろすリンディス。

その眼にはいつの日か見た暗い輝きはどこにも無かった。ただ、純粋な澄んだ瞳だけがハングを見つめていた。

 

いつからか、リンディスはそんな眼をするようになった。

 

この瞳も綺麗だな・・・

 

ハングはそう思った。

 

闇を内包しつつも、真っ直ぐな眼にハングは惚れた。

それは自分には手にできないものだったからだ。

 

だが、今のリンディスの純粋な眼もまた好きだ。

幸せを享受し、それを糧に生きようとする者の輝かしい眼だ。

 

それもやはり、今のハングには手に出来ていないものだ。

 

「・・・俺達は二人で一人だ・・・そんな約束・・・当たり前だ」

「ふふふ、そう言うと思った」

 

リンディスは嬉しそうに笑った。笑う彼女を見ながら、ハングも口元がほころびそうになる。

 

「・・・・・・」

 

だが、そんな彼女を見ていると心に引っかかるものがあった。

それはワレスがもたらした情報。

 

言うべきか・・・

 

それはいずれ知ること。彼女がいずれ知らなければならないことだ。

 

しかし、今の彼女に言っていいのだろうか。

自分の中ではやはり答えは出なかった。

それでも、決断は下さなければならない。

 

「リンディス・・・」

「え?ちょっ・・・ハング・・・」

 

リンディスは思わず周りを見渡した。

 

それはハングが『リンディス』と呼んだからだ。

皆は説教の気配を察して少し遠ざかっていたので今の2人の話を聞いている者はいない。

 

リンとしてはハングが自分のことを『リンディス』と呼んでいることぐらい周囲に知られても構わないとは思っている。だが、やはり気恥ずかしさが消えるわけではない。

 

幸いにも今回は聞こえた人はいないようだった。

 

「もう・・・まだ、熱があるの?」

 

少し照れたように言うリンディス。

しかし、ハングは笑ってくれなかった。

 

「ハング?」

「・・・リンディス、大事な話があるんだ」

「・・・え?」

 

リンディスの表情が固まる。

 

楽しい話ではない。

 

ハングの目がそう訴えていた。

 

「お前の仇・・・タラビル山賊団のことだ」

 

リンディスの心臓が強く鼓動した。

 

「ど、どうしたの?急に・・・今は・・・もっと大事なことが・・・」

 

ネルガルの打倒、竜の復活の阻止、そしてそのために今は消え失せた【ファイアーエムブレム】を求めてる。それは個人的な復讐よりも大事なことだ。

 

ハングでさえネルガルへの復讐を少し心の中に押し込めてこの部隊で奮戦している。

自分だってそのつもりだった。

 

そのはずなのに・・・

 

ハングはリンディスの瞳の奥から徐々に光が消え失せていくのがわかっていた。

 

それはそれで美しい。

 

人の弱さと強さを表裏に持つ彼女の瞳はやはり綺麗だ。

だが、そんなリンディスの眼を見てもハングの心は踊りはしない。

 

本当ならさっきまでの眼でいて欲しかった。

 

でも、言わなければならない。

 

それは、かつて1つの約束をかわした自分がやらなければならないことだった。

あの日、ケントとセインと共に復讐を手伝うと約束したハングが言わなければならないことだ。

 

ハングは一度深呼吸をして言葉を続けた。

 

「タラビル山賊団はワレスさんが全滅させた」

 

リンディスの目が強く見開かれた。

 

「お前の仇は・・・もういない・・・」

 

夜の闇が近づく。冷たい風が吹き抜けていった。



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間章~変化(前編)~

夜を迎えたエリウッド達。手近な街を見つけることができず、本日は野宿だ。

最近は野営地を築くのにも大分手慣れてきた。草を刈り、テントを張り、竈を作る。

そんな陣の中をふらつく足取りで歩くのはハングだった。

 

夕食もすみ、不寝番を除いて後は寝るだけといった時刻。

ハングは昼間から随分眠っていたので、いまいち寝る気にならずぶらぶらとしていた。

 

ハングは光に誘われるかのように野営地の真ん中にある焚火へと近づいて行った。

そこでは、エルクとウィルとニルスが焚き火を囲んで座っていた。

ゆらゆらと近づいてきたハングにエルクが目を丸くする。

 

「ハングさん、寝てなくていいんですか?」

「ん?まぁ、もう熱も無いからな」

 

ハングはひらひらと手を振って笑ってみせる。だが、ハングの目元には疲労が影を落としていた。熱は下がったが、体力を使い果たしたのは事実。実際、身体を動かすのも怠いのだが、どうにもじっとしてられなかった。

 

「また、リンディス様のことですか?」

 

ニルスが白湯を飲みながらそう言った。

それに対してハングは斜目でニルスを見やる。

 

「ニルスは占いまでできるようになったのか?」

「だって、ハングさんが悩むなんてそのことぐらいしかないもん」

 

そう言われては反論できないハングである。

なにせ、仲間達の前で今までどれだけ醜態をさらしてきたのか。

もう数えることもできない。

 

ハングは小さくため息を吐き、焚火に枯れ枝を放り込む。

そんなハングを見てウィルが弓の手入れをしていた手を休めて笑った。

 

「ハハハ、確かに。ハングっていつもなら即断即決だもんな。考え込んでうだうだしてたら、大概はリンディス様の話ってわけだ」

「ウィル、その弓珍しいな。長弓か?」

「えっ?これ?」

 

言われるがままに視線を手元に落としてくれたウィル。

だが、ハングの友人はそう簡単に誤魔化されてはくれなかった。

 

「ハングさん、話題の逸らし方が不自然すぎますよ」

「うるせぇ、エルク。自覚してるよ」

 

不貞腐れるハングと苦笑いするエルク。

そんな二人を見て、ウィルは自分が誘導されていたことを悟った。

 

「あっ、あぶねぇ・・・ハングの話術に乗せられるところだった」

「・・・お前は少しその単純な思考回路をなんとかしろよ」

「へへっ、単純なのが。俺の悪いとこであり、良いとこなんだよ」

「よく言う・・・」

 

ハングはニルスが差し出してくれた白湯に口をつけ、空を仰いだ。

ベルンの山が険しく、雨が多い。今日も生憎の曇天であった。

 

「喧嘩ですか?」

 

ニルスがそう言った。

 

「ん~・・・今回は違うかな」

「へぇ、珍しいですね」

「珍しいって・・・どういう意味だよ」

「だって、ハングさんとリンディス様の夫婦喧嘩は犬に喰わせられるぐらい数が多いって言ってたよ」

 

ニルスのその台詞にハングは鋭い視線で友人二人を睨みつけた。

 

「お、おい!ちげぇよ!俺じゃねぇ」

 

ウィルが慌てて否定する。

 

「僕でもありませんよ!」

 

エルクも手をあげて首を横に振った。

ハングはニルスへと視線を戻す。

 

「ニルス、それ誰から聞いた?」

「セーラさんから」

「エルク!お前じゃねぇか!!」

「ちょっと待ってくれ!!どうしてそうなるんだ!?」

 

冗談はさておき。

 

ハングが悩んでいたのはリンディスのこと。そして、誰かに相談しようと歩き回っていたのも事実であった。

そんな時、焚火の集いにまた一人参加者が現れた。

 

「・・・ハング、もう大丈夫なのか?」

「お、ラス。どうした?」

「・・・小腹がすいてな」

 

ラスが見せたのは木串に刺したパンだ。炙って食べる気なのだろう。

ハング達は腰を動かしてラスが座れる場所をあけた。

 

「・・・向こうで、リンが剣の打ち合いをしていたぞ」

「あいつ、今日もやってるのか」

 

病み上がりのハングには当然声はかかっていない。

それに、彼女は今は自分と顔を合わせたくないのではないかとハングは思っていた。

 

多分、相手はイサドラさんだ。

 

ハングとリンディスが喧嘩している間は彼女がリンディスの相手を務めてると聞いた。

 

「・・・また、喧嘩か?」

「違う。だいたいなんで皆すぐそこに飛びつく」

「・・・お前らの夫婦喧嘩は・・・」

「待て、ラス。それは誰から聞いた」

「・・・?皆言ってるぞ」

「・・・・・・・」

 

それは、それでどうなんだ。

ハングはため息を吐いた。

 

「違うのか?」

「まぁな、ちょっと昔の・・・」

 

『昔の出来事』

 

そう、言いかけてハングはそれは違うと思った。

 

「・・・いや、今の話か・・・」

 

皆の頭に疑問符が浮かぶ。

 

「特に、今回は俺に声をかける資格がないような気がしてさ」

 

そう言われ、ラスが答えにたどり着いた。

 

「・・・復讐か」

「ご名答だ」

 

ラスは炙ったパンを手に取り、囓る。その頬がわずかに緩んでいるのをみつけられたのはハングだけだったであろう。

 

ハングは話を続ける。

 

「俺の復讐はまだ続いていて。彼女の復讐はついさっき唐突に終わっちまったんだ」

 

そして、ハングは皆にワレスの一件を話した。

 

「なるほど、リンディス様の仇がね」

 

ウィルは唇を尖らせ、枯れ枝をそこに乗せる。

ふざけているようにも見えるが、これがウィルなりの考える仕草なのだ。

 

「俺は何も言えないだろ。というより、なんて言っていいか・・・」

「復讐・・・かぁ・・・」

 

ウィルがぼんやりとそう言った。

 

「俺はよくわかんないんだよな。仇がいなくなったから、それでいいんじゃないのか?」

「そう簡単にはいかねぇさ。あいつにとって、両親と一族の復讐は剣を極める目的の一つだったからな・・・」

 

ハングがそう言うと、ニルスが躊躇いがちに声をかけてきた。

 

「ハングさんも・・・そうなんだよね?」

「そうだな。ネルガルへの復讐が軍略を学ぶ理由だし、戦っていける理由でもある。だから、なんというかな・・・俺にはかける言葉がみつからなくてな。何を言っても寒々しく聞こえるだけだ」

 

ハングが『仇が死んで良かったな』だとか『これからは幸せに生きろ』だとか言えるわけもない。

それこそハングはそんな生き方を投げ打ってここにいる。目先の目標は今は少し変わったが、ハングの根本にはやはりそれがある。

 

「・・・リンが乗り越えるのを待つのか?」

 

ラスがそんなことを言い、ハングは頭をかいた。

 

「それがよくわからねぇ・・・あいつ、仇の話をしてから全然反応がなくてな・・・乗り越えようとしてんのか、塞ぎこんでんのか」

 

そんなハングにエルクが口を開いた。

 

「なるほど。リンディス様のことを信じきれないから、悩んでたわけですね」

「エルクって時々きつい言い方するよな」

 

だが、エルクの言うとおりである。

 

「ハングさんはどうして欲しいんですか?」

「・・・そりゃ・・・まぁ、仇がいねぇならそれにこしたことないし、その先の幸せを掴んで欲しいとは思う。とはいえ、そう簡単に割り切れるものでもない。まぁ、どうにもならないときは俺がなんとかするかと思ってるけど」

 

ハングは何気無くそう言った。

 

その途端、周りが驚いたように眼を見開いた。

 

「な、なんだよ・・・」

 

皆はそれぞれ顔を見合わせていたが、ウィルが代表するように口を開いた。

 

「・・・いや、今の台詞って・・・ようするにハングが・・・リンディス様を幸せにしてあげるってこと?」

「・・・・あ」

 

ハングはポカンと口を開いた。

 

今、ハングはなんと言った。

 

『幸せが掴めなかった時は俺がなんとかする』

 

それは当然、ウィルが言った通り、『自分がリンに幸せにする』という意味に要約できる。それを自覚した途端、ハングの頬は昼間に高熱でうなされた時のように熱くなっていった。

 

みるみる赤くなっていくハングを見て、エルクもラスもこらえきれずに噴き出した。

 

「いや、驚いた。もうそこまで話が進んでるんだね。おめでとうハングさん」

「いや、ちょっ、ちがっ、そうじゃなくて!」

「・・・末永く幸せにしてやれよ」

「そういう意味じゃねぇって言ってんだろ!!」

 

珍しくラスまでもが声をあげて笑う。

必死に否定するハングの肩にウィルが腕を乗せた。

 

「いや~リンディス様の幸せはハングが掴み取るのか~・・・あのハングが言うようになって俺は嬉しいぞ。昔はあんなに意地っ張りだったのに」

「うるせぇ!」

 

容赦なくウィルを投げ飛ばし、ハングは荒い息で仏頂面を作った。

そんなハングを見て皆は再び笑い声をあげた。

 

そんな中、ニルスがふと呟いた。

 

「でも、リンディス様が同じ気持ちだったらどうなんだろ?」

「え?どういう意味だよ、ニルス?」

「・・・だって、ハングさんの復讐はまだ終わってないんでしょ?リンディス様もハングさんに対して同じように幸せを願ってるなら、そのことをどう思ってるんだろう・・・って、あれ?僕、変なこと言った?」

 

焚き火の中で木が折れ、火の粉が舞う。

急に静まり返った野営地にどこからか馬の嗎が聞こえてくる。

 

ハングは胃袋に氷塊を放り込まれた気がしていた。

 

ハングは仇を失ったリンディス本人のことばかり考えていて、今の彼女から復讐を抱える自分がどう映っているのかなんて考えてもいなかった。

 

今まで、二人は似たような目標を持っていた。

だが、リンディスの復讐が終わった今、それは無視できない問題になっているような気がした。

 

「・・・俺は・・・」

 

何かを変える時期なのかもしれない。

ハングはそんなことを思っていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ケントとセインは今日の最初の不寝番であった。

 

キアランから長いこと続く二人の関係。騎士として叙勲を受けている二人は態度に差はあれど、根っこのところは誠実だ。不寝番というキツい仕事も、時折ケントがセインを窘めることはあれど、真面目にやる。

 

だが、今日の二人はあまり身が入っていないようだった。

 

「・・・なぁ、相棒」

「なんだ?」

「どう思うよ」

 

ケントはすぐには答えなかった。セインが言いたいことはわかっている。

 

「・・・・どうもこうもない、と言いたいところだがな」

「まさか、あのワレス様が山賊団を一人で壊滅させるとはね」

 

ケントとセインもタラビル山賊団の壊滅に力を貸すことをリンディスに約束した。その約束も無くなったのだ。

それを、彼らはハングの口から聞いた。

 

「残念・・・なんて、言っちゃいかんしな」

「当たり前だ。リンディス様のお心を患わしていた事柄が一つ減ったのだ。我ら臣下はそれを喜ばなければならん」

「じゃあお前はリンディス様にお祝い申し上げる気か?」

「・・・・・・」

 

ケントは答えられなかった。

 

「まぁ、まだちゃんとお話しした訳じゃねぇし。様子見て言ってみるしかないよな」

「・・・そう・・・かもな」

「お、珍しいな。相棒が俺の言うことを素直に受け入れるなんて」

「勘違いするな。貴様が普段のような態度なら私はこのように同意してはいない」

「うへ、相変わらず固い頭してんな」

 

そんな時、二人の耳に言い争う声が聞こえてきた。

 

「いいって、悪いのは私なんだしさ」

「いいえ、謝るのは私の方よ」

「ちよっと、姉貴ってばもういいって!私がバカだったんだしさ、姉貴は何も悪くないよ!」

「そんなことないわ。悪いのは私よ!私が甘かったの!」

「だから、それが間違ってるんだって!勝手に飛び出した私が全部悪いに決まってるでしょ!」

 

言い争う内容が『お互いが自分が悪い』と言い張るという内容だが口論は口論だ。

ケントとセインは視線だけで会話し、その二人の仲裁に入ることにした。

 

「ああ!フィオーラさんとファリナさんではありませんか!!ここで会ったのも何かの縁!喧嘩などやめて向こうで私とダラガボも!!」

 

仲裁どころか暴走しだした相方を打ちのめし、ケントは改めて二人の間に入った。

 

「差しでがましいようですが、お二人共落ち着いてはいかがでしょう。声がとても響いております」

「あっ・・・」

「す、すみません」

「よかったら、お話を聞かせていただけますか。何か力になれるかもしれません」

「そ、そうです・・・我々が力に・・・」

 

息も絶え絶えになりつつあるセインもそう言った。

フィオーラはそんなセインを冷たく見捨て、軍務についている時のような堅い顔で言った。

 

「いえ、これは家族の問題ですから、お気になさらず」

 

そんな姉とケント達を見比べ、ファリナはおずおずと声をかけた。

 

「姉貴、この人達は?」

 

ファリナの疑問を受け、ケントが直立する。

 

「これは失礼、私は・・・」

 

だが、ケントが自己紹介をしようとした矢先にセインが復活した。

 

「わたくしはセインと申します!!セ・イ・ンです!!ファリナさん!」

「え!え?え!?ちょっ、姉貴、この人なに?」

 

突撃してこんばかりのセインにファリナは思わず姉の背に隠れる。そんな姿はどこかフロリーナに似ていて、やはり姉妹なんだなとケントは思った。

 

「あなたはお美しい!姉君のような見目麗しさの中に妹君のようなお淑やかさも秘め・・・それでいて、自分を見失っておらず・・・」

 

それでもなお詰め寄ろうとるセイン。

それを見て制裁が必要と判断したケントとフィオーラが動き出す。

 

「失礼、少々お待ちください」

「ファリナ・・・ちょっと、待っててね」

 

二人掛かりでセインを動けないようにし、ようやくケントは自分の名を名乗った。

 

「私はキアラン侯爵家に仕える騎士ケントだ。共に力を合わせて主君を勝利に導いて行こう」

「うわっ!」

 

ケントが手を差し出した直後、ファリナは眉間に皺を寄せて飛びのいた。

 

「ど、どうかしたのか?」

 

セインが女性に引かれてるのを見てきたのは数知れず。だが、自分が引かれたのは初めてだったケントだ。彼女の行為に傷つくより先に驚いてしまう。

 

「ケントさんって、もしかしてすっごい真面目でしょ。いわゆる堅物ってやつ」

「・・・よく人に言われるが」

 

主に相方に言われる。

 

「私、真面目な人って苦手なのよね。なんか息が詰まるっていうか、肩がこるっていうか」

「ファリナ!初対面の人に向かって何を言ってるの!」

「フィオーラ殿、自分は気にしておりませんから」

 

だが、フィオーラは妹を叱るのは姉の仕事だと言わんばかりにお説教を始めてしまう。

それに辟易しているファリナは口を尖らせて、明後日の方向を向いていた。

 

「ほらもう!こういうちっちゃなことでガミガミ言う。もうちょっと優しい言い方すればいいのに」

「ファリナ!あなたはいつもそうやって・・・」

「まぁまぁ・・・」

 

また声が大きくなりつつある2人の間にケントが入る。

 

「ファリナ殿・・・フィオーラ殿は君のためを思って叱っていると私は思う。いい姉さんじゃないか。少しは話を聞いてあげても・・・」

「あっ!やっぱり姉さんの肩を持った!!」

「あ、いや、そういうつもりではなく」

「ケントさんって姉さんと同じ匂いがする。私とは絶対馬が合わないタイプね」

「それは・・・なんというか・・・すまない」

「ファリナ!あなたはまた・・・」

「やばっ!ケントさん!背中貸して!」

「えっ、いや、ちょっ・・・」

 

ケントの背中に隠れるファリナ。それでも詰め寄ろうとするフィオーラ。2人に女性に挟まれてしどろもどろになるケント。

 

セインは半ば意識を失いながら、不思議な生き物を見るような目でケントを見ていた。

どんな相手でも自分の間合いを崩さないケントがファリナを相手にペースを崩されっぱなしである。

 

「これは・・まさか・・・」

 

顔を持ち上げ、腕に力をいれて起き上がろうとするセイン。だが、目線だけはケントから切らさない。

 

「ケントさん!ファリナを庇いだてするつもりですか!」

「いえ・・・そういうわけでは・・・」

「あっ!やっぱりケントさんは姉さんの味方するんだ!!」

「えっ・・・いや・・・だからそういうわけでは」

「違うんだったら、ちゃんと行動で示してください!ほらほら、ケントさん頑張って!」

 

ケントの背中を押して、姉に押し付けるファリナ。

その姿を見て、セインはガバリと顔をあげた。

 

「相棒に春が・・・!!」

 

その直後、バランスを崩したファリナの尻がセインの後頭部を直撃して彼の言葉は永遠に大地へと埋められることとなったのだった。



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間章~変化(後編)~

野宿の場と定めた野営地の片隅。木剣がぶつかり合う乾いた音が響いていた。

 

額に玉の汗を浮かべているのはリンディス。

それを息一つ乱さずに槍で捌いているのはワレスだった。

 

そこから少し離れたところにはイサドラが座っており、二人の訓練を眺めていた。

 

汗を飛び散らせながら、剣を振っていたリンディスだったが、不意に彼女の三段突きがワレスの槍をかいくぐった。

 

「お見事っ!」

 

思わずイサドラが叫んでしまう。それ程に今の一撃は素晴らしいものだった。

 

「素晴らしい太刀筋ですなリンディス様。このワレス、久方ぶりに一本取られましたぞ!」

「ありがとう、ワレスさん」

 

リンディスは汗を袖で拭う。

 

一本取ったとは言うものの、本日はワレスに既に14本程先取されている。

だが、ワレスの鉄壁の槍捌きから一本もぎ取ったのは確かに進歩だった。

 

本当はハングと打ち合いをしたい気分だったが、病み上がりの彼を引っ張ってくるわけにもいかない。そこで、手を挙げてくれたのがイサドラだった。ワレスはいつの間にかそこにいて、いつの間にか目の前にいた。

 

「リンディス様、短い間に随分と上達しましたね」

「本当ですか、イサドラさん」

「はい、最後の攻撃は私でも危なかったと思います」

 

イサドラが世辞を言う人では無いことはリンディスはよく知っているので、その言葉を素直に受け止める。

 

「リンディス様は基礎ができておられますからな、その分上達も早いのでしょう」

 

ワレスもそう言ってくれる。

 

「剣は・・・父に習ったから」

「確かに、ハサル殿は弓だけでなく、剣の腕前も相当なものでしたからな」

 

ハサルとはリンディスの父親の名前だ。

キアランに同時期に仕えていたワレスとハサルは同輩にあたる。

 

リンディスはその場で何度か木剣を振ってみる。

 

無口で厳しいながらも、丁寧に根気強く教えてくれた父のことを思い出していた。

表情の変化の乏しい父の顔。大きくて温かな父の手。そして自分の名を呼ぶ深い声。

そこから芋づる式に両親やロルカ族の仲間のことが蘇る。

 

もう帰ってこない場所だけど、それは美しい思い出としてリンディスの中に残っている。

 

そして、リンディスはふと気が付いた。

 

記憶の中に『あの夜』のことが割り込んでこない。

 

いつだって家族の顔と共に頭から離れなかった仇敵の顔がなぜか浮かんでこない。

 

「やっぱり・・・そういうことなのかな・・・」

 

リンディスは小さく呟く。

 

「・・・お聞きになられたのですか」

 

その様子を見ていたワレスは静かにそう尋ねた。

 

「ええ、ハングから聞いたわ」

 

リンディスは木剣を手元に戻し、そこに視線を落とした。

そのそばにイサドラが寄り添う。細かい事情は知らないイサドラだが、今のリンディスには誰か隣にいた方がいいように思えた。

 

「もっと、お怒りになるかと思いました」

「・・・私も・・・そう思ってました」

 

リンディスは自分の髪を縛っている紐を解いた。長い髪が流れるように揺れる。

 

「私も不思議なんです。思っていた程に怒りとかそういうのが湧いてこなくて」

 

リンディスはこもっていた熱を払うようにゆっくりと首を振る。彼女の髪がその重みに従って風に揺れる。

 

「父さんや母さん・・・一族のみんなを忘れたわけじゃないの。あの悪夢みたいな夜だって、今も私の中に確かにある」

 

束の間、イサドラとワレスが顔を合わせる。

 

「ああいう無法者は嫌い・・・それは変わらなくて・・・でも、なんだろう・・・『仇討ち』って考えると・・・なんか、違うの・・・投げ出したわけじゃなくて、諦めたわけじゃなくて・・・でも、いないなら・・・もういいかなって思えて」

 

昔は『仇討ち』だけだった。

 

それだけが生きていく心の支えだった。

 

仇を殺すために強くなる。そして、サカの草原に二度と悲劇を起こすまいと誓ったのだ。

 

だが、今は違う。

 

キアランに祖父がいる。周囲を見渡せば大切な友人がいる。

 

そして、いつも隣には・・・

 

リンディスは人の不安を弾き飛ばしてしまう不敵な笑みを思い出し、小さく笑った。

 

「上手く説明できてませんね」

「わかりますよ、リンディス様」

 

イサドラは優しくそう言った。

 

「そう?」

「はい」

「そっか・・・って!わ、ワレスさん、どうして泣いてるんですか!?」

「うおぉおおおおん!いえ、いえいえ、よいのです。よいのすよ!私のことは気にせんで、うぅ、うぅぅぉおおん!私は嬉しいのですぞ!!リンディス様、あなたは立派になられました!!」

 

豪快に男泣きするワレス。

 

「もう、大げさなんだから」

「フフフ、ワレスさんは面白いお方ですね」

「うぉぉぉ!このワレス!リンディス様をこの力の限り助力いたしますぞ!!必ずや、リンディス様とハング殿の未来を守ってみせます!!」

「ちょっ!ワレスさん!!何言ってるんですか!?」

「いや、これで心残りの一つが消えました!ハサル殿とマデリン様へのよい土産話ができましたよ!!うぅぉぉぉ!!!」

 

慌てるリンディス。イサドラは口元に手を当てて笑っていた。

 

「リンディス様、照れなくてもいいじゃないですか」

「て、照れてるわけじゃ・・・イサドラさん!笑わないでください!」

「くっくくく・・・失礼・・・くく」

「もう・・・」

 

夜も遅くなっている。

 

そろそろ寝ようかと思う。

 

ふと、リンディスは自分の心臓の上を手を置いてその音を確かめてみた。

 

最近、よく夢を見る。父さんがいて、母さんがいて、部族の皆と暮らす夢を見る。

その夢はもう悪夢なんかではない。起きた時に頬を涙が伝ってることもない。

それは、自分の心を暖かく包んでくれる大切な夢。

 

草原で一人でいたら、きっとこんな夢は見れなかった。

 

ハングと出会い、旅に出て、いろんなことがあった。

 

「少しは・・・前に進めたのかな・・・」

 

見上げれば空は生憎の曇り空。

だが、その雲の隙間から欠けた月が朧気に光っているのを見つける。

 

「あとは・・・ハング・・・かな」

 

ネルガルの野望を止める。それはハングの復讐の終着を意味する。

 

「今は・・・それでいいか」

 

リンディスはそう言って首から下げた布袋を握ったのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

天幕の中で燭台の明かりのもと、本を読んでいたエリウッドはパタンと本を閉じた。

表紙は擦り切れ、手垢にまみれたハングから借り受けた本。エリウッドはこれを読みこめとハングに言われた。

何度も読み、どこに何が書いているのか索引を用いずともわかるようになっている。

 

だが・・・

 

「ふぅ・・・」

 

珍しく吐き出した溜息。思い出していたのは、昼間の戦闘

この軍がハングに依存しすぎていることが露呈した一件だった。

 

自分やヘクトルも兵は動かせるし、マーカスやオズインという歴戦の騎士もいる。

それでも、ハングの用いるような策を瞬時に捻り出せる者はいない。

 

ハングが今回のように指示が出せない状態になったら、この軍が生き延びる確率は間違いなく低下する。

 

それは、よくない。個人に頼る部隊は必ず崩壊する。

 

「くぅ~~・・・・」

 

エリウッドは大きく伸びをして腰をならす。

ハングに頼りきるのがまずいことはわかってるが、どうしたらいいのかわからないのが本音だった。こうやって学んでいても、自分の作戦立案能力はハングに劣ってしまう。

 

「一人で悩んでても仕方ないか・・・」

 

エリウッドは気分転換を兼ねて外に出ることにした。燭台の火を消すと、外からはたき火の柔らかな明かりが入ってきていた。エリウッドはそれにつられて外に出る。すると、探していた人がたき火のそばにいた。

 

「やぁ、ハング。一人かい?」

「ん?おう、ついさっき一人になった」

 

よく見ると、ハングの周囲には人のいた気配が残っている。

 

「逃げられたのかい?」

「どういう意味だよ」

 

ハングは手元の枯枝を二つに折り、火の中に投げ込んだ。エリウッドはその隣に腰をおろす。

「体調は?」「まずまず」などとあたりさわりのない話をし、エリウッドは話を切り出した。

 

「・・・ハング」

「軍略の話だろ?」

「・・・・・・」

 

図星を突かれたエリウッドはその突然の奇襲に対応できなかった。

その隙にハングは畳みかける。

 

「お前は随分とできるようになってるさ。俺がいなくても今日の状況下から五分五分まで持っていった。上出来だと思うぞ」

 

ハングはエリウッド相手だからと言って世辞や慰めの言葉をかけるような人ではない。

エリウッドは複雑な気分だ。ハングはまた一つ枯れ枝を二つに折って、焚き火の中に放り込んだ。

 

「今のまま進んでりゃいいんだよ。迷うな。自分を信じてろ」

 

ハングの横顔が焚き火に照らされ、橙色に輝く。その顔にエリウッドは溜息を吐きかけた。

 

「僕はまだ何も言ってないんだけど」

「言わなくてもわかるっての。お前はわかりやすいからな」

「狸軍師め」

「ハハハハハ!」

 

ハングは声をあげて笑ってしまった。

 

「いいね、ユーモアを持つことは領主にとって重要だぞ」

「お褒めに預かり光栄の至りだよ。ところで、ハング。もし、ハングが最初から今回の戦いに参戦していたらどうしてた?」

「ん?」

 

ハングが倒れてなかったら。ハングはその時の状況を考えてみる。

 

「とりあえず、あの森には伏兵がいたし。罠だと感じた時点で退却してたかな」

「・・・・え?」

「つまり、逃げてた。あんなとこで無駄に体力消費しても仕方ないしな。三十六計逃げるにしかず」

 

エリウッドはこの答えには少々困惑した。

 

「ちょっと、待ってくれ。だが、【ファイアーエムブレム】を探すためにも一応捜索を・・・」

「こんなとこにあるわけないだろ。あそこは盆地で、湖沼に囲まれた砦だぞ。そんな逃げ道のないところに宝を隠すもんか」

「いや、確かにそうなんだが。意気込んでいたヘクトルをどうやって説得するつもりだったんだい」

「『死人に口無し』」

「・・・・」

 

エリウッドは自分の軍の軍師には決して逆らってはいけないと思った。

意見を述べるのはいいとして、逆らうのだけは絶対にやめておこうと心に誓う。

ただでさえ、この軍師は怒ると果てしなく恐いのだ。

 

「ま、誰かが倒れて後退できなくなってたら・・・そうだな・・・多分、エリウッドと似たように陣を組んで、やっぱり飛行部隊で後方撹乱だな。ちなみに、ファリナを雇ったのは後方展開する戦力を少しでも増やすためだ」

「やはり、そうなるか・・・」

「古来より戦いってのは高い位置を確保した方が勝つもんだ。戦場の中の高い山を抑える、ペガサスやドラゴンによって制空権を確保する、そして今はそれを排除するために【シューター】なんて兵器もある。で、そういった戦術を軍の基本思想に置いてるのが今いるベルンだ。王宮に向かえばわかるんだがあの国は・・・」

 

と、ハングが講義に入りかけた時、その近くをファリナとフィオーラが通りかかった。

 

「あ、エリウッド様、こんばんわ!!」

 

夜だというのにやけに元気なのはファリナだ。フィオーラはその隣で軽くお辞儀をする。

そして、ファリナはハングの顔を見て、頭を悩ませた。

 

「それで・・・えーと・・・あの人は・・・ハングさんだ!」

「正解だよ」

「リンをフロリーナから奪った人」

「・・・・それは誰が言ってた?」

 

ケラケラと楽しそうにファリナが笑う。どうやら、彼女にからかわれたらしい。

 

「ファリナ!あなたは、いつもそうやって・・・」

「いいですよ、フィオーラさん」

「ですが・・・」

 

何か言おうとしたフィオーラをエリウッドが遮る。

 

「彼女みたいな人がいると、部隊が明るくていいじゃないか。ね、ハング」

「まぁそうだな。俺をおちょくる的にしなければだが」

「わっ!エリウッド様達、わかってる!!ケントさんとは大違い」

 

どうしてここでケントの名が出てくるのか。

フィオーラに目で問いかけると「先程、自己紹介をすましましたので」と返事があった。

 

「ケントだってそこまで堅物じゃ・・・あるか」

「でしょ!私とは絶対に合わない人よ!」

 

ファリナはそう言いきって一人で頷いていた。そんなファリナの隣で苦い顔をするフィオーラ。

ハング二人を見てふと思いついたことを聞いてみた。

 

「ファリナはフィオーラのことどう思ってる?」

「へ?なによ、突然」

「いや、いいからいいから」

「姉貴は・・・」

 

ファリナは自分の姉を横目で見て、小さい声で言った。

 

「そ、尊敬してるわよ。家族として・・・好きだし・・・」

 

とりあえず、ハングとしては満足な答えが得られた。

 

「そうか、そうか。それじゃ、これからも頼むぞ」

「ええ、任せといて。2万ゴールドの女の実力、見せてやるわ!」

「おう、頼むぞ」

 

ファリナとフィオーラはそうして天幕へと足を向けた。

 

「ちょっと待て!!ファリナ!!」

「へ?」

 

その後ろからハングが声をかけた。

 

「今の『2万ゴールドの女』ってどういう意味だ!!」

「え、えと、そりゃ、私の実力のことで・・・」

「この部隊の契約金の話か!?」

「・・・う、うんと・・・えと」

 

そのあまりの剣幕にファリナがしどろもどろになってしまう。

 

「そうなんだな!!?」

「そ、そう・・・だけど!!お金は返さないからね!」

「わかってるよ、んなこたぁ!差し出したもんを今更奪い返せるか!!それで、この部隊での契約金が2万ゴールド!それを了承したのはヘクトルで間違いねぇか!?」

「そ、そうです」

 

ハングは勢いよく立ち上がり、駆け出す。

 

「あ、ちょっ、ハングさん!」

「ファリナ、明日の朝、気持ちよく目覚めたいなら、耳を塞いでなさい」

「え?姉貴ってば、それどういう・・・」

「この部隊で誰を怒らせてはいけないかという話よ」

 

そして、その直後。

 

「ヘクトル!!!てめぇ!どういう了見だゴラぁぁぁ!!」

 

病みあがりとは決して思えぬ声量が野営地に響き渡った。



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第26章~届かぬ手、届かぬ心(前編)~

遠目からは美しく、いざ目の前にすると無骨な岩肌ばかりが目立つベルンの山々。

それは図らずも軍事大国というベルンの国を表現しているようで、ハングとしては結構好きな景色だった。

 

「ふぅ、やっと到着か」

 

ヘクトルが隣で息を吐くのを聞き、ハングは遠くを見ていた視線を手近なところに戻した。目の前にしているのはベルン王宮。

 

国王デズモンドの居城にして、かつてのハングの職場である。

感慨が無いと言えば嘘になるが、ハングとしてはあの頃の思い出は少し悲しい色をしている。強いて何かを思い出そうとするのはやめておいた。

 

「しっかし、よくこんな山間に城を作ったもんだぜ」

 

ヘクトルは自分が登ってきた険しい坂道を振り返り、腰を伸ばす。

 

「ベルンといえば竜騎士部隊だ。制空権を考えればこれだけ守りに適した城もないさ」

 

ハング達が通ってきた間道は荷馬車がすれ違える最低限の広さしかない。

こんな狭い道で空中から攻撃されようものなら、どんな精鋭部隊でもひとたまりもない。

 

「でもな・・・」

 

ハングは城壁の上を眺めてみる。そこを、誰かが警備している気配はない。なにせ、この城で『城壁警備をしている』というのは『サボっている』ことを意味するという隠語だ。

 

ハングとしては絶対に攻め込まれない自信と予算削減の為に城の外にほとんど警備を置かないというのはいかがなものかと常々思っていた。これなら、平時に少数の部隊で侵入するのは非常に簡単なんじゃないかと昔から疑問だったのだ。

 

そして、その疑問はようやく解決した。

 

「本当に簡単にここまでこれたな・・・」

 

ハングはそれが驚きだった。

道の途中で脇にそれ、岩場の陰から城の様子をうかがっていたハングとヘクトル。

ヘクトルはその警備の薄さに半ば困惑気味だった。

 

「いいのか?王宮の警護がこんなんで」

「これだけ環境に恵まれてるんだ。城内の警備に気をつけてればいいというのがこの城の一般常識だ。さて、そろそろ移動するぞ」

 

王宮の警備を確認していたハングとヘクトルはその場を離れ、更に山道を登っていく。

その先ではリンディスとエリウッドが城壁の周囲を探っていた。

 

「よう、どうだそっちは」

 

エリウッドは肩をすくめて「成果はなかったよ」と言った。

 

「予想通りといってはなんだけど。変な仕掛けとか、真新しい修理の痕とか妙な物は何も見つからなかった」

「だろうな。いくらベルン軍が腐敗しつつあると言っても、軍隊は軍隊だ。さすがにそんなものを見落としはしないだろう」

 

リンディスは高くそびえ立つ城壁を見上げた。

 

「こんな厳重な城の宝物庫から宝を盗み出すなんて本当に可能なのかしら」

「国王が手引きしたってのも・・・本当かもしれねぇな」

 

リンディスとハングが城壁を見上げ、ヘクトルとエリウッドもつられるように城壁を仰ぎ見た。

 

だが、実のところハングは城壁の上など見ていなかった。

見飽きたと言っていい城の眺めなど、ハングにとっては興味をそそられない。

ハングは城壁を見上げるふりをして、リンディスをずっと盗み見ていた。

 

彼女の仇がもういないと教えて以降、リンディスは憑き物が落ちたような顔を見せるようなった。

奥底で焼けていた憎しみの焦土はなりを潜め、代わりに先を見据える強さが宿るようになった。

 

もっと荒れるかと思っていたハングはそれがとても嬉しく、同時に少しだけ自分に失望した。彼女を疑っていた自分に罪悪感があったのだ。

 

「ん?ハング、どうしたの?」

「いや、なんでもないさ」

 

視線を降ろしてきたリンディスと視線がかち合い、ハングは何事もなかったようにごまかした。幸いにもエリウッドとヘクトルに気づかれずに済んだ。

 

「さて、これからどうするかな・・・」

 

ハングは城壁の石造りの壁に触れながらそう言った。

そんなハングにリンディスが「良いこと思いついた!」というような顔で言った。

 

「ね、このまま城に忍び込んでみない?」

「はぁ?」

 

それにすぐさま同意したのはヘクトルだ。

 

「お!賛成!!わかってんじゃねぇか」

 

乗り気の二人に対し、エリウッドが怖い顔で釘を刺した。

 

「絶対に捕まるわけにはいかない。無理だと思ったらすぐに退こう。いいね?」

「おう!」

「もちろん!」

「返事だけはいつもいいんだから・・・」

 

苦笑するエリウッドだが、そもそも止める気はないらしい。

とはいえ、ハングも『それもありか』と思い始めていた。

ベルン王宮なら『虎穴』と言う程危険な場所でもない。

 

「ハング、お前この城にいたことあるんだろ。どっから入ればいい?」

「そうだな・・・」

 

ハングはいくつか候補を思い浮かべる。

城へ運び込まれる積み荷に紛れるとか、城の高官共が大量の護衛を引き連れて出ていく瞬間を狙うとか、やりようはいくらでもある。

だが、ハングは最も手っ取り早く、最も確実な方法を選択した。

 

「正面からいくか」

「へ?」

「ついてこい」

 

ハングは困惑する三人を先導し、城の正門の方へと歩いていった。

戦時中でもないので城門は開いており、その両端には衛兵が気の抜けた顔で立っていた。その二人の顔に見覚えはない。ハングは相手が自分の顔を知らないであろうことを確信し、意気揚々と声をかけた。

 

「どうも、こんにちわ」

「止まれ。何の用だ」

 

当然のごとく槍を突き付けられたハング。

ハングは笑みを浮かべたまま、両手をあげて武器を持っていないことを表現した。

 

「本日は測量のご報告に来たんですが、話を聞いてませんか?」

「測量だと?ちょっと待て」

 

衛兵の1人が台帳に手を伸ばす。その間、もう1人の方は常に槍をハングに向けたままだ。そして、台帳を確認していた衛兵は眉間に皺を浮かべる。

 

「・・・話は来ていないな」

 

衛兵がそう言い、ハングの後ろでエリウッド達が身構えたのを気配で感じる。

ハングはそんな三人に苦笑しながら、衛兵の結論を待った。

 

「・・・まあいい、通れ」

「どうもです」

 

ハングの後ろから驚きに息をのむ音がした。

ハングは笑いながら、衛兵に手を差し出した。衛兵は何のためらいもなくその手を取る。

 

「まったく測量の仕事も大変だな。で、今回はどこの大臣の指図だ?」

「文官のサディスエさんの依頼ですよ」

「またあの人か・・・先週も来たぞ。お前さんと全く同じ文言でな」

「ああ、やっぱり・・・」

 

そして、ハングはもう1人の衛兵の方にも手を差し出す。

ハングに手を向けられた衛兵は嬉しそうな顔で槍を引っ込め、その手を握りしめた。

 

「お仕事お疲れ様です」

「それはお互い様だ。また来いよ。できれば今日中にな。もしくは来週の今の時間だ」

「ははは・・・」

 

ハングは手を放して、後ろの三人を手招きする。

 

「それじゃ、また後でここ通りますから」

「はいよ」

 

そして、ハング達は難なく城門を突破したのだった。

しばらく城内を進み、衛兵に声が届かなくなったころを見計らい、ヘクトルがハングに耳打ちする。

 

「ハング、お前どんな手を使った」

「なに、賄賂を少々だけさ」

 

この国での握手とはそういう意味合いが強い。

 

「でも、測量とか話をしてたじゃないか。あれはいったいどういう意味だい?」

 

エリウッドも興奮するように聞いてきた。

 

「ああ、あれか。この国の大臣の常套手段でな。地図の測量を行うという名目で軍事予算を手に入れるんだよ。測量士を城に招くだけ招いて、城門の台帳に後書きで来訪を記載させて証拠を残し、測量士にはお茶だけ出して帰す。んで、浮いた予算を懐に入れるわけだ。地図は軍を動かすためには重要なものだから何遍繰り返して測量してもいいしな。そのせいで、この城には月に五回は何もしない測量の業者が出入りするんだよ」

「腐ってんな・・・」

 

ヘクトルが溜息まじりにそう言い、ハングも笑った。

 

「でも、お前らが殺気立った時にはどうしようかと思ったぞ。あんな殺気は一般人のそれじゃないからな」

 

そう言ったハングにリンディスは渋い顔だ。

 

「先に種明かしをしてくれればよかったのよ。それならそんな心配もいらなかったんじゃない?」

「少しは信用してくれよ」

「ハングの行動は突飛すぎるのよ。時々、ついていけない」

 

ハング達はそのまま中庭のある一画へ移動した。

その中庭はハングがいたころと何も変わらない。花壇に咲く花の種類はいくらか変わったが、大まかな構造は変わっていない。

ハングがかつてドラゴンと共に読書にふけっていた死角も昔と変わらずそこにあった。

 

「少しここで待とう。この中庭はお偉いさん方がよく散歩にくる」

「さすが、詳しいな」

「当然だろ」

 

ハングがその場に腰を下ろし、仲間達もしゃがみ込む。皆はそれぞれ水筒の水で口を湿らせた。

 

「そういえば、前々から気になってたんだけど」

「ん?」

 

そんな時、エリウッドが躊躇うように話し出した。

 

「ハングが国を追われたのって確かその時の将官のせいだったんだよね?」

「ああ、バウトって奴が手柄欲しさにな」

「ハングはその人には復讐しようと思わなかったのかい?」

 

ハングは水筒の蓋を静かに閉じた。

 

「お前、本人にそういうこと聞くか?」

「あ、気を悪くしたならすまない」

「いや、まあいいよ。そうだな・・・復讐しようとは思ったよ」

 

ハングは普段は冷静沈着な顔を装ってはいるが、心の奥底の情は十分に苛烈で深い。

当然、バウトに対して復讐することも考えたことがある。

 

「でもま、死人には復讐できない」

 

口にしてからハングはリンディスと視線を交差させた。

一瞬だけリンディスは物思いにふける仕草を見せたが、ハングは構わず話を続けた。

 

「俺がある程度動ける体になってきた時に当然あの事件を調べた。その時にはヒースを含めた皆の生死は不明となっていた。まぁ、俺だけは死亡扱いだったけどな」

 

あれだけ大量の矢をこの身体に受けて、良く生きていられたものだと自分でも思う。

この左腕が作る青い血がなければ、確実に死んでいた。

 

「それで、どうなったんだ?」

「その時に知ったんだが、あの事件の最中にバウトは死んでいた。正確には俺らの隊長が殺したんだ」

 

あの騒ぎの中、囮としてどこかに去って行った隊長がどういった経緯で首領格を討ち取ったのかはわからないが、あの人なら『さもあんなり』と言ったところだ。

 

「それでまぁ・・・もういっかってなったわけだ・・・だからこの城には仲間の仇はいない」

 

何年も前のことのはずなのに、ハングの中ではいまだ鮮明としている仲間達。

特に育ての親といっても過言ではない隊長のことは今もはっきりと覚えている。

 

「いい隊長だったんだけどな」

 

ハングはぼやくようにそう言った。

ヒースも彼女の生死についてはわかっていないそうだ。

 

だが、こう何年も人の口に上らないということは・・・もう・・・

 

「ハング、その人って女性よね」

 

唐突にリンディスがそんなことを言った。

 

「へ?まぁ、そうだけど」

「ふぅん・・・そう・・・それで、どんな人だったの?」

 

次の瞬間、ハングの背に原因不明の悪寒が走った。

なぜか、リンディスの声から感情が欠落していたのだ。ハングはなぜか唇に震えを感じながら、隊長のことを話す。

 

「は?いや・・・その・・・苛烈な人でな。肩をシューターの矢が貫通しても平然としてる感じの・・・」

「それで?」

「え、えと・・・そんな人だけど・・・食事の時とかはよく笑う人で・・・」

「へぇ~・・・ふぅ~ん」

 

なんだ、この圧力は!?

 

リンディスは声を荒げてるわけでも、般若の形相をしているわけでもない。ただ淡々と薄ら笑いを浮かべてるだけなのだ。だというのに、ハングは冷や汗が止まらなかった。

 

「あ、あのリンさん?」

「ん?な~に?」

「いえ、別に・・・」

 

笑顔のリンと引き攣った顔のハング。

いつもと逆の立場になった2人の後ろでエリウッドとヘクトルが声を落として話し合っていた。

 

「こりゃ、ハングはいつか尻にしかれそうだな」

「でも、強い女性を嫁にもらうと家庭が落ち着くらしいよ」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハング達が城に行ってしまってる間、他の人達は目立たないように森に分散していた。そんな中で最近急速に仲を縮めていたヒースとプリシラはマリナスが手に入れた荷馬車を日陰にして小休止をしていた。

 

「ベルン竜騎士団にいた頃、隊長がよく言ってたよ『痛みを感じるくらいなら、大したケガじゃあないんだよ』って」

「そんな!」

 

 

ヒースの故郷でもあるこの地でヒースの思い出話が花を咲かせていたのだが、それを聞くプリシラは随分と青い顔だ。ヒースの語る話は箱入り娘であるプリシラには刺激が強すぎる。

 

「俺たちの隊長は、本当にすさまじい人だったから。俺たち部下を守るために敵のシューターに単騎突撃して、矢が肩を貫通しても平然と敵を・・・」

「あ・・・・・・」

 

そして、その過激さ加減がついにプリシラの限界点を超えた。

プリシラの身体が傾き、重力に従って倒れこむ。

 

「プ、プリシラさん!」

「グォ・・・」

 

ヒースのドラゴンであるハイペリオンが尻尾で支えたおかげでプリシラが地面に激突することはなかった。ヒースはハイペリオンに感謝しつつ、大慌てでプリシラを抱き起した。

 

「だ、大丈夫か?」

「すみません・・・すこし、めまいが・・・」

「ああ、女の子には刺激が強すぎる話だったか。すまない、気がつかなくて」

 

プリシラを支えつつ、ヒースは内心ドギマギとしていた。

彼女の体はヒースが今までに触れたことのある誰よりも柔らかく、そして少し力をこめれば折れてしまいそうな程に細かった。

 

こんな体で長い行軍をしていたのかと思い、ヒースは『もう、やめるべきだ』と言ってしまいたくなる。

 

だが、彼女が自分の意志でここにいることをヒースは知っていた。

 

「あの・・・ヒースさん・・・」

「え・・・」

 

物思いにふけっていたヒースは未だ自分が彼女を支えたままでいることに改めて気が付いた。

 

「あ・・・ご、ごめ・・・」

 

プリシラを支える腕を放そうとしたその時だった。

その場に思わぬ登場人が現れた。

 

「おい、プリシラ・・・向こうで村人が怪我を・・・・して・・・たんだが・・・」

 

レイヴァンだった。

 

ヒースの腕は変わらずプリシラの肩に回ったままであり、プリシラの身体はヒースの胸に支えられている。

レイヴァンの顔面がいつもより数倍硬いものになる。

その後ろからルセアも顔をのぞかせた。

 

「レイヴァン様、プリシラ様は見つかり・・・・あらあら・・・」

 

楽しそうに微笑むルセアに対して、レイヴァンは既に行動を開始していた。

 

「あ、あの・・・お兄様、どうして、剣に手をかけるんですか?」

「・・・・お前は知らなくていい」

 

そして、無表情のままレイヴァンはヒースへと向き直った。

およそ、動くことを許さない程の殺意をはらんだレイヴァンの視線。

 

ヒースは背筋に冷や汗が流れ落ちるのを感じた。

 

ヒースはこの感覚に覚えがあった。

 

とにかく、ここで目を逸らしたら大事な何かに負ける。

それがなんなのかはヒース本人にもわからなかったが、とにかくここで一歩でも引いたら決して取り戻せない何かを失ってしまう気がしたのだ。

 

「ヒースだったか?」

「・・・はい」

「死ぬ覚悟があるか?」

 

あまりにも容赦のない一言に、もはや目を逸らす逸らさない以前の問題のような気がしたヒースだ。

そんなヒースの背後にいたハイペリオンがこの緊張感にそぐわない大欠伸をした。まるで、自分は手出し無用とでも言いたげだった。

 

「貴様は・・・命を捨てる覚悟はあるか?」

 

とにかく、ここで次に口にする台詞を間違えれば次には本当にレイヴァンの剣が抜かれることだけはわかる。ヒースは慎重に言葉を選んだ。

 

「じ、自分はこれでも騎士の端くれです。元、ですが・・・でも、守るものの為になら全てを投げうちましょう」

「その言葉に嘘はないか?」

「誓いますよ」

 

なぜ、こんなことになっている。

ヒースは頭の片隅でそんなことを考えていた。

 

しばしヒースとレイヴァンの間で無言のやりとりが続いた。そして、先に目を離したのはレイヴァンだった。

 

「ルセア・・・最近、エルクとかいう魔道士が杖を学んでいるそうだ。そっちを探すぞ」

 

背を向けるレイヴァン。

 

「わかりました。プリシラ様、ヒース様。それではまた後で」

 

ルセアは柔らかな微笑みをたたえて、レイヴァンと共に去って行った。

 

「ふぅ~・・・・・」

 

二人がいなくなり、ヒースは大きく息を吐いた。

まるで、激怒したハングを目の前にしている気分だった。

 

「あの、ヒースさん?」

「なんだい?」

 

いまだプリシラはヒースの腕の中だったが、ヒースはそんなことは気にならなくなっていた。

 

「さっきの・・・その・・・『守るもの』とは・・・」

「え?」

 

途端、ヒースの顔が赤く染まった。それにつられるようにプリシラも頬を桃色に変える。

 

「あ、いえ!やっぱりいいです!」

「そ、そうか」

 

ヒースはようやくプリシラの体から手を離した。

 

「そ、それでですね。さっきのお話なんですが」

 

さっきというと、ヒースの昔話のことだ。

 

「余計なお世話かもしれませんが、どんな、ささいなケガでも・・・私のところに来てください。平気だなんておっしゃらないで・・・どうか、お願いします」

 

ヒースの妙に高鳴っていた心臓が急速に冷えていく。それは彼女に対する熱が冷めたのではない、むしろ逆である。ただ、そのプリシラの言葉はヒースにとってあまりにも眩しいものであったのだ。

 

「きみは優しいんだな。いくら同じ部隊だからってこんな流れ者にまで・・・」

 

ヒースの地位は逃亡兵。懸賞金目当てでいつベルンに突き出されてもおかしくない身の上だ。

 

「わかった。今度からそうさせてもらうよ」

「約束・・・してください」

「ああ、約束だ!」

「破ったら・・・ハイペリオンさんが保存食を食べちゃったことを皆に言っちゃいますからね」

「うっ!それはますます厳しい条件になったな」

 

そんな二人に対し『面白くない』とでも言いたげにハイペリオンが鼻から息を吐き出したのだった。



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第26章~届かぬ手、届かぬ心(中編)~

中庭に身を隠していたハング達は誰かが来る気配を感じてお喋りをやめた。

 

「あれは・・・ゼフィール王子か・・・」

 

美しい金色の髪と精悍な顔を携えた美丈夫が中庭へと歩いてきていた。

王位継承と成人を8日後に控えたゼフィール王子。彼の傍らには只者ではない気配を纏わせた将軍風の男が付き従っていた。

 

そこに一人の少女が駆け込んでくる。

 

「おにいちゃま!ゼフィールおにいちゃま!」

 

少女はゼフィールに体当たりするようにしてその胸元に飛び込んでいった。

 

「やあ、ギネヴィア。元気になったんだね?」

 

ギネヴィア。

 

確か、デズモンドの側室が産んだ娘だったはずだ。

 

ハングが頭の中で情報を探る。世間で言われている通り異母兄妹の仲は良好なようだった。

 

「うん!私、元気よ。でも、おにいちゃまが毎日会いに来てくださったらもっと、もーっと元気になれるわ!」

「毎日・・・は無理だけどなるべく来るようにするよ。かわいい妹のためにね」

「わあい!」

 

少々疲れた笑顔ながらもゼフィールはそう言った。それでも声音に含まれる愛情は本心から出ているのがわかる。無邪気に喜ぶギネヴィアも心の底から嬉しそうだ。

 

あのデズモンドからどうしてこういう人間が相次いで誕生するのか不思議でならないハングだった。

 

その時、中庭へと続く渡り廊下の方から声がした。

 

「ギネヴィア!ギネヴィア!!どこにおるのだ!?」

 

ふと、ハングの眉が歪んだ。

あの声は今も耳触りに変わりはない。

 

「あ、おとうさま!」

 

中庭に入ってきたのは国王デズモンド。ゼフィールから離れたギネヴィアは今度はそちらに向かって駆けていった。

 

「おかえりなさい!」

「おお、ここにおったのか。ただいま。いい子にしていたか?さあ、父にキスをしておくれ。おまえは、なんて可愛いのだろう」

 

ギネヴィアを抱きかかえたデズモンド。その顔はだらしなく緩んでいたが、もう一人の存在に気付いた瞬間に醜く固まることになる。

 

「父上、お久しぶりでございます」

「・・・ゼフィールか。ふん、母親と同じ嫌味を言いおるわ」

「え!?いえ私は・・・」

 

ゼフィールは心底驚いたような顔をした。いくら王子といえども、そういったところは年相応である。

 

「まあいい。この城になんの用があって来たのだ?」

「あ、はい。マードック」

「はっ」

 

マードックと呼ばれたのは将軍風の男だ。

無骨な彼が前に出ると、その逞しい腕の中から可愛らしい仔ギツネが顔を出した。

 

「先ほどまで、森で狩りをしておりましたところ、これを見つけたのでギネヴィアにと思いまして」

「きゃあっ!仔ギツネね!?かわいい!すごくかわいい!!これをギネヴィアにくださるの?ほんとうに?」

 

ギネヴィアは慌ただしくデズモンドの腕から飛び降りて、マードックに駆け寄っていった。マードックから仔ギツネを受け取ったギネヴィア。仔ギツネの方も彼女を気に入ったようで、ぺろぺろとその頬を舐めだした。

 

「気に入ったかい?」

「うん!ありがとう!おにいちゃま、大好きっ!」

 

それを面白くなさそうに眺めるデズモンド。

 

「・・・ギネヴィア少し向こうで遊んでいなさい」

「はーい!さ、いきましょうね。仔ギツネちゃん」

 

ギネヴィアが去ったのを確認し、デズモンドは冷たい視線をゼフィールへと向けた。

 

「・・・城には来るなと言っておるだろう」 

「は、はい・・・申し訳ありませんでした。ギネヴィアが病気になったと聞いたもので・・・心配で」

「ふん、妹が病死するかどうか確かめにきただけであろう?」

「父上・・・!?」

 

あまりにもな一言。それにはさすがのハングの胸の奥がざわめいた。

ゼフィールとギネヴィアの仲睦まじさを見て、どうしてそんな言葉が出てくるのか。

それは傍らに控えるマードックも同じだったようだ。

 

「恐れながら陛下、それは・・・」

「黙らぬかマードック!貴様が仕えるべきベルン国王はこのわしじゃぞ!」

「・・・・・・」

 

それを言われてはマードックは下がるしかない。

 

「いいんだ、マードック・・・」

 

ゼフィールもそう言い、マードックは無表情のまま身を引いた。

 

「父上、私はギネヴィアの死など望んだことは・・・」

 

ゼフィールがそう弁明しようとしたが、それすらもデズモンドは聞き入れない。

 

「おまえたち母子は、わしから王位を奪うことしか考えておらぬ。目障りだ。早く離宮へ戻れ!」

「・・・わかりました。失礼いたします・・・父上」

 

そうして、ゼフィールは中庭から去って行った。

その背が建物の裏に消えた後もデズモンドはゼフィールが出ていった方角を睨み続けていた。

 

「・・・どんなに踏みつけても立ち上がってきおる。あやつを目にするたびイライラさせられるのは、なぜだ?血を分けた息子だというのにな・・・」

 

その疑問に答える者がいた。

 

「クックックッ・・・それは嫉妬ですわ」

「誰だっ!」

 

ハング達はほぼ反射的に身を強張らせた。

声がするまでハング達ですらこの中庭に他に別の誰かがいることに気が付かなかったのだ。

 

「ソーニャでございます」

 

そう言って、物陰から現れた女性。黒い髪と扇情的な服装。そのあまりの美しさに見る者に畏怖の心を抱かせる様はまるでこの世から逸脱しているかのようだった。

彼女は恭しい仕草でデズモンドに頭を下げた。

 

「そなたか・・・それで?【エムブレム】は無事であろうな?」

 

ハング達は思わずお互いの目を見合わせた。

 

「はい。手はずどおり、私どもがお預かりしております」

「・・・まさかとは思うが王妃の手の者が取り返しに行かぬともかぎらん。それは大丈夫か?」

「ぬかりございません・・・我が【黒い牙】のアジトにて守りを固めておりますゆえ・・・」

 

【黒い牙】

 

まさか、という思いがハングを駆け巡った。

奥歯を折れんばかりに噛みしめたハング。

 

ここまで腐敗したかベルン王宮。

 

自分の古巣が憎き相手の托卵の場になっているなど、許せる話ではなかった。

 

「8日後の日暮れまで隠し通し、その後我が手に戻せ」

「かしこまりました」

「ところで、もう一つの依頼の方はどうなっておる・・・」

「【四牙】の一人に命じます。万が一にも失敗はありえませんわ。ただ、あの王子の警護をしているマードックという将軍・・・若いながら、かなりの腕との評判・・・ともに始末しても構いませんこと?」

 

ん?始末?

 

ハングは頭の中の冷静な部分でその言葉を反芻する。

 

「・・・あやつめは、末席ながら【三竜将】を名乗るほどの実力。失うことは、ベルンにおいて大きな損失となる・・・何かの理由をつけ、ゼフィールから遠ざけておく。それでよいな?」

「はい、ではそのように」

 

不意にソーニャが気配をめぐらせた。

 

「どうした?」

「・・・何者かの気配が」

「なに!?」

 

ハングは思わず呼吸を止めた。周りの皆も顔を青くして全ての動きを押し殺していた。できることなら心臓の鼓動すら止めておきたい気分だ。

 

その時だった。

 

「おとうさまー!おにいちゃまー!どこにいらっしゃるのー?」

「心配いらん、娘だ」

 

草葉の陰で、四人が一様に息を吐き出した。

 

「・・・なるほど・・・成功のあかつきには【黒い牙】おひきたての件、どうかお忘れなきよう」

「わかっておる。早く消えろ」

「では」

 

そして、ソーニャはその場から音もなく掻き消えた。

魔法陣を使用しない転移魔法とハングは推測する。とんでもない腕前の闇魔道士だ。

 

そして、ソーニャが残した緊張感をかき消すようにその場にギネヴィアが駆け込んできた。

 

「おにいちゃま!あのね、この子ね・・・あれ?おにいちゃまは?」

「用ができたとかでもう帰りおった」

「えーっ、いやよ!いやいや!もっと遊ぶのよ!」

「ギネヴィアわしが遊んでやろう、な?」

「いやっ!おとうさまよりおにいちゃまがいい!」

 

ハングの隣でリンディスが笑いをなんとか噛み殺そうとして変な顔をしていた。

 

「私、おにいちゃまにお願いしてくる。この子、もってて!」

 

ギネヴィアはデズモンドに仔ギツネを押し付けて、正門へと駆けて行く。

そして、先程まで大人しくしていた仔ギツネはデズモンドの手にくるや否や途端に牙を剥きだしにした。

 

国民だけでなく、動物にも嫌われるのはある種の才能じゃないだろうか。

 

「誰かおらぬか!」

「はっ!」

「この汚らしいケモノを始末せよ!くれぐれもギネヴィアには見つからぬような」

「かしこまりました!」

 

そして、兵士は仔ギツネを逃がさないようにやけに大事に抱えた。

 

「・・・ゼフィールめ。ギネヴィアを手なずけおって・・・己が分をわきまえさせてやる!」

 

そして、デズモンドはぶつくさ言いながら、中庭から去って行った。

取り残された兵士はそのデズモンドの姿が消えるのを確認して、仔ギツネの耳の後ろを撫でる。

 

「・・・ったく、そんなに娘の泣き顔が見たいのかね。なぁ、お前も災難だよな」

「クゥン・・・」

「大丈夫だって、そんな顔をすんな。殺しゃしねぇから」

 

その兵士もどこかへと去って行き、中庭が再び静寂に包まれる。

誰も来ないことを確認し、ハング達は大きく息を吐き出した。

 

「・・・あっぶねー見つかるところだったぜ」

「そんなことよりベルン国王がすでに【黒い牙】と通じていたことが問題だ。こん畜生が」

 

ハングはそう言って口の中に溜まった唾を吐き出した。

 

「リキアがダメになったから、今度はベルンってわけだ。ベルンほどの強国が動けば今の平和な世を一変させられる。ふざけた話だ」

 

ネルガルの目的は変わらない。

強い【エーギル】を集め、竜をこの世界に呼び戻して世界を混沌の渦に巻き込む。

その野望の一端を挫く為にもやるべきことは決まった。

 

「【ファイアーエムブレム】・・・そいつを見つけて、王妃に渡す。【封印の神殿】へ一歩近づくだけじゃねぇ。依頼に失敗した【黒い牙】の信頼も地に落ちれば、ネルガルからの介入も少しは減るだろう」

 

ハングの出した結論に各々が頷く。

 

「目標は【黒い牙】のアジト。とにかく、そこを目指すぞ」

 

ハング達はその場から静かに立ち上がった。

 

「ハング、帰り道はどうするの?」

 

リンディスの問いにハングは鼻で笑ってみせる。

 

「面倒だから門兵を気絶させて出る、以上」

「乱暴ね。ヘクトル並みだわ」

「そこまで言わなくていいだろ」

「どういう意味だよお前ら!」

 

軽口を叩きながら、ハングは少し心の片隅に引っかかっていることを思い出していた。

それはソーニャの台詞。

 

『ともに始末しても構いませんこと?』

 

『ともに』と言うからには標的は他にいる。

ハングはその台詞が内包する最悪の可能性をどうしても拭うことができなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ベルン王宮を頂きに持つ山の麓。そこにはニニアンとニルスが四人の帰りを待っていた。

 

「・・・エリウッドさまたち大丈夫かしら?」

「もう、ニニアンさっきから、そればっかりだ」

 

『エリウッドさまたち』と言いながらもニニアンが一番心配してるのは一人なのだ。

 

「そりゃ、エリウッドさまが心配なのは、わかるけどさ」

 

わざわざ言い直したニルス。その意味を悟ってニニアンはその頬を桃色に染めた。

 

「ニ、ニルス!わたしは・・・!」

「隠さなくてもいいよ。そもそも、その髪飾りだってエリウッドさまから貰ったものでしょ。毎日嬉しそうに磨いてるし」

「ニルス!!」

 

真っ赤になる姉をしたり顔で笑いながらニルスはケラケラと笑う。

 

「だって、エリウッド様優しいもんね。格好いいし、行動力もあるし・・・」

「いい加減にしなさい!!」

 

叫ぶようにニニアンは怒鳴った。

このあたりが姉をからかうギリギリのラインである。弟としての綱渡りは慣れたものだった。

 

だが、不意にニルスの表情が真面目なそれに変わる。

 

「・・・でも、本気で好きになっちゃダメだよ」

 

その台詞がニニアンの顔から急速に熱を奪う。

血の気が引いた姉を前にニルスは表情を崩さない。

 

「ぼくらは・・・みんなとは違うんだから」

「・・・わかってる」

 

理解している顔ではなかった。

 

ニニアンは自分の胸元を握りしめる。心臓の鼓動が痛い程に胸骨を打ち鳴らしていた。

そこに宿るのは積もった想いが起こす熱量と締め付けられるような痛みだ。

それはまるで、縄で縛られた箇所が熱を帯びるような感覚だった。ニニアンはたまらずニルスから背を向けた。

 

「ニニアン!どこ行くの?」

「・・・少し考えたいの・・・一人にしてくれる?」

「ニニアン・・・」

 

去っていくニニアンのことを思いながら、ニルスは頭をかく。

 

自分が酷いことを言ってしまっているはわかっていた。だが、これは弟である自分が言わねばならないことであった。ニニアンのことを一番よく知っているニルスにしか言えないことなのだ。

 

ニルスはそれでも他に言い方があったのではないかと、悩むしかなかった。

 

 

その頃、門兵の背後からとび蹴りをかますという荒業で外に出たハング達。おそらく、門兵達は自分達が誰に襲われたのかすらわからずに気を失ったであろう。騒ぎを一切起こさないままハング達は山を駆け下りていた。

 

だが、その表情が急に険しく変わった。

 

「おい、あれ!竜騎士じゃねーか!?」

 

最初に気付いたのはヘクトルだった。山道を駆け下りるハング達の後方から複数の竜騎士が飛んでくる。

 

「近づいてくる・・・見つかったか!?」

「いや、いくらなんでも反応が早すぎる・・・狙いは俺達じゃなさそうだぞ」

 

岩陰に身を隠したハング達の頭上を竜騎士達は目もくれずに飛んでいった。

その飛ぶ先を見てハング達は重大な危機が迫っていることを悟った。

 

「ちがう!奴らの向かってる先は私たちじゃない!!あれは・・・ニルスだわ!!!」

 

リンディスの言うとおり、その竜騎士の鼻先は麓のニルスに向いていた。

 

「まずい!」

 

エリウッドが真っ先に飛び出した。彼の脳裏に誰が浮かんでいるのか手に取るようにわかるハングだったが、今はそんなことを言っている余裕はない。

 

ハングもエリウッドに続いて飛び出した。

だが、その足は数歩も行かずに立ち止まってしまう。

 

「あ・・・」

「おい、ハング!どうした!?」

「いや・・・へへっ・・・ちょっとな・・・急ごう!」

 

再び動き出したハングの頬には不敵な笑みが張り付いていた。

 

先行するエリウッドは飛ぶようにして山道を駆け下りていったが、どれだけ全力疾走をしようともドラゴンの飛行速度に人間は追いつけない。

上空を飛んでいた竜騎士の一団の中で一際巨大な槍を構えていた女性がニルスを発見し、単独で地上へと降下していく。

 

「わぁっ!だ、誰っ!?」

 

ニルスが飛びのいたその場所に竜騎士が舞い降りる。

金色の短髪に赤みを帯びた茶褐色の瞳。だが、彼女を最も印象付けるのがその左のこめかみに走る大きな傷の痕だった。その傷が顔を引き釣らせているせいか、目尻が僅かに歪んでその眼光を際立たせる。

 

その女性はドラゴンの上からニルスを見下ろし、口端を釣り上げた。

 

「淡緑の髪、紅の瞳・・・間違いないおまえがネルガル殿の“失せ物”だね?あはは、やぁっと見つけたよ!!」

 

槍を振り上げ、頭上にいる部隊に向けて合図を出すその女性。

上空にいる竜騎士部隊はその合図を受けて、一気に散会した。

 

その女性に睨まれ、ニルスは身動きが取れない。だが、それは恐怖から来るものではなかった。ニルスが驚愕していたのは別のことが原因だった。

 

「・・・何者?気配も・・・予兆も・・・何も感じないなんて」

 

迫りくる危機を知らせる『特別な力』が何も知らせてくれなかった。この『力』のおかげでニルスは何度も危機を脱してきたのだ。それが、今回は何も知らせてくれなかった。

 

ニルスは武器を持つ力を持たない。魔法の才も持っていない。『力』が発動しなかった今、ニルスはただの子供だ。竜騎士を前に抵抗する術はない。ニルスは口に溜まった生唾を飲み込んで後ずさった。

だが、その竜騎士はニルスに襲いかかることはせずにゆっくりと周りを見渡した。

 

「ん?おい小僧」

「な・・・なに?」

「お守りの仲間どもはどうしたんだい?かなり強い奴らだって言うから楽しみにしてたんだけどねぇ。おまえが、ここにいるんだ近くにいるんじゃないのかい?」

 

彼女の声にはさっきまでの闘気や殺気が抜けていた。

それはまるで、迷子の子供に話しかけるような言い方だった。

 

「え・・・えと・・・」

「ほらぁ、早く叫ぶなりなんなりして仲間を呼び集めな!」

 

竜騎士が槍を威嚇するように振り上げた。

だが、そこに怒気は乗っていても、殺意はまるで感じられない。

 

「いらいらするね。あたしぁ、気が短いんだよ!!なんならあたしが叫ばせてやろうかぁ!?」

 

その時、マントを翻し、1人の男性がその場に割り込んだ。

 

「待て!!僕が相手だ!この子に手を出すな!!」

 

既にレイピアを引き抜いたエリウッドがニルスの前に立つ。

それを見て、竜騎士は嗜虐的な笑みを浮かべた。

 

「来たね!会いたかったよ!!」

 

竜騎士が槍を構える。さっきの脅しのような豪快な持ち方ではなく、武器をいつでも突き出せる本来の竜騎士の構えだ。エリウッドもそれに相対するためにレイピアを構える。

すぐさまヘクトルとリンディスもその戦いに加わった。

 

「エリウッド!加勢するぞ!!」

「この人・・・強い!」

 

ヘクトルがヴォルフバイルを持ち出し、リンディスも愛剣を引き抜く。

 

「いいね・・・いいねぇ!!随分と噛み応えがありそうじゃないか!」

 

四人が持つ武人としての闘気が風に乗って渦巻く。

一気に最高潮に達した緊張感。風に晒された頬が殺気でひび割れそうな程であった。

 

そんな四人の間に呑気に散歩でもするかのように、ハングが現れた。

 

「はぁ・・・ったく、お前らやっぱり全力だと足速いな・・・」

「なっ!!」

 

全員の意識が一瞬でハングに集まる。

 

「ハング!何してる!下がるんだ!!」

「ハングさん!そいつ何か・・何か普通じゃない!危ないよ!!」

 

エリウッドとニルスにそう言われてもハングはなんでもないと手をひらひらと振ってみせた。

そして、あろうことかハングはドラゴンに一歩近づいた。

 

「『会いたかった』ですって?それはこっちの台詞ですよ」

「・・・・・・お前・・・」

 

竜騎士の目が見開かれる。傷痕のある目元が細かくひくつき、彼女の口の奥から喉に引っかかりのあるような声が漏れた。

 

「・・・お前・・・ハングか!」

「久しぶりですね隊長・・・いや、ヴァイダさん」

 

ハングのその言葉は仲間達に衝撃を走らせた。

 

「え?隊長?」

「うそ・・・じゃあ、この人が・・・」

 

ハングの『隊長』の『竜騎士』。

それはハングがベルン竜騎士だった頃に隊長だったその人に他ならない。

ハングの育ての親であり、厳しい姉であり、尊敬する上司であり、同じ釜の飯を食った家族。

 

エリウッド達のヴァイダを見る目がわずかに変わる。

 

「・・・あはは・・・アッハッハッハ!!あんた、ハングかい?」

「ええ、当然ですよ」

 

ハングは冷静にそう言った。

 

「それで、ヴァイダさんは今何してるんですか?」

「・・・おまえたちを叩き潰し、それから子供をネルガル殿に引き渡す。そういう話だ」

 

『ネルガル』

 

その名を聞きハングの眉がはねた。

 

「へぇ・・・それでヴァイダさん・・・ネルガルにもう会ったんですか?」

「いや、あたしが会ったのはネルガルの子飼いだっていうソーニャって女だけだ。この槍も・・・」

 

ヴァイダは自分の槍を掲げて見せる。

ハングはその槍からわずかに立ち上る陽炎を読み取った。空間を歪ませ、光を吸い込む類の魔力の残滓。闇魔法による加護か強化がなされた槍だ。

 

「その女に借り受けた・・・あんたらを潰すためにね!!」

「おかしいな・・・ヴァイダさん・・・あんた、あいつの手下になったのか?」

「・・・“手下”って言い方は気にくわないね。確かに【黒い牙】と契約はしているが・・・あたしが忠誠を誓うのは唯一、ベルン王家のみさ・・・あんたと違ってね」

「まぁ、俺は別にベルンへの愛国心で騎士になったわけじゃないですからね・・・ヴァイダさんと違って・・・」

 

ハングはどこか諦めたかのように息を吐きだした。

現役の頃からこの話題は常に平行線だ。どれだけ時が経っても変わらないヴァイダにハングは逆に安心感を抱いていた。

 

「それじゃあ、あれですか、仕事をこなして【黒い牙】経由でベルンに引き立ててもらうというわけですか?」

「半分正解。半分は不正解だ。馬鹿もん」

 

ハングの顔にヴァイダのドラゴンが鼻息を吹きかけた。くすぐったい感触が頬を撫でる。

 

ハングはヴァイダの目を見た。

そこにはいつの日か見た、食事時の瞳がかすかに混ざっていた。

 

ヴァイダはハングの服装を眺め、腰に履いている細長い剣に目を止めた。

 

「見たところハングは兵士ってわけじゃなさそうだね」

「軍師を目指してますけど。それが何か?」

「まぁ、分相応とだけ言っておくよ」

 

ヴァイダの足がドラゴンの(あぶみ)を踏みしめる。

それは竜騎士がドラゴンを飛翔させる直前の仕草だ。

 

「それじゃあ、少しは噛みごたえがあるんだろうねぇ?ハング!!」

「やり合いますか・・・俺達と」

「当たり前さ。このところ強い敵に飢えてるんだ・・・少しでも長い時間あたしを楽しませとくれ!!」

 

その時だった。ハングの脇を駆け抜けてリンディスが飛び出した。

 

「このぉぉぉお!!」

「ふん!」

 

リンディスの剣が槍に弾かれる。リンディスは体勢を崩しながらも更に追撃。

だが、ヴァイダの槍捌きの方が幾分も早い。二度目の攻撃も容易く防がれ、リンディスはわずかに後退する。

だが、それは次の攻撃を仕掛ける前準備に過ぎない。再び切りかかる気でいるリンにハングは慌てて手を伸ばした。

 

「おい!リン!なにしてる!!」

「・・・・私は・・・」

 

リンディスは怒気を孕んだ瞳でヴァイダを睨みつける。

それを受けてヴァイダは相手を値踏みするような目でリンディスを見下ろした。

 

「なんだい、この火の玉みたいな娘は?」

「あなた・・・あなた・・・」

「リン!落ち着け!!」

 

ハングが再度飛び出そうとするリンディスの腕を掴む。

 

「離してハング!!私はこの人を許せない!!」

「落ち着け!どうしたんだ急に!!」

「だって・・・だって!この人はハングのこと知っていながら!ネルガルと・・・許せない!!」

 

ハングは舌打ちをした。

 

「ハング離して!!この人だけは・・・私が!!」

「リンディス!!」

 

真の名を叫ばれ、リンディスは驚いたようにハングの顔を見た。

 

「リンディス・・・大丈夫だ」

「え?」

「お前の考える方向性の心配はしなくていい」

「で、でも・・・」

 

舌打ちが聞こえた。今度はヴァイダの舌打ちだった。

ヴァイダは空いた手で自分の傷跡をポリポリと引っかいた。

 

武器を振るった興奮からか、その傷跡はわずかに朱色を帯びていた。

 

そんなヴァイダにハングは真剣な目を向けた。

 

「ヴァイダさん、忠告しときますよ。【黒い牙】はこれ以上まずい」

「どういう意味だい?」

「俺のことをもうネルガルが知ってる・・・それと・・・」

 

ハングはそこから先の具体的な内容を口にはしない。それでもヴァイダはハングが言わんとしていることを悟ったようだった。

 

「なるほど・・・そうかい」

 

ヴァイダは笑った。そこに宿るのは冷酷で残忍な凶器の笑み。

 

「だけど!あたしがあんたらを潰さない理由にはならないね!!」

「やっぱそうなりますか」

「当たり前だよ!さっきも言ったろ!あたしは噛み応えのある相手に飢えてるんだ!!それじゃあ、おっぱじめようか!!」

 

ヴァイダがドラゴンの腹を蹴り、宙に舞う。

 

「さーて、みんなぁ!王宮は一切手出ししない約束だ!思い切り暴れるがいいよ!!」

 

ヴァイダが槍で合図を出せば彼女の下につく竜騎士達が見事な陣形を展開していった。

ハングは一時距離を取るヴァイダを見上げて、心の底から楽しそうに笑ったのだった。

 



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第26章~届かぬ手、届かぬ心(後編)~

ヴァイダが遠ざかったのを確認し、エリウッドはすぐさまニルスの方へと顔を向けた。

 

「ニルス!怪我はないかい!?」

「う、うん・・・ありがとう、エリウッドさま・・・」

「良かった・・・」

 

エリウッドは安堵の息を吐き。改めて周囲を見渡した。

だが、ニルスと一緒にいるはずの姉の姿がここにはない。

 

「ニルス・・・ニニアンはどこに?」

「あっ!そうだ!ニニアンはさっき1人にしてくれって言って向こうに歩いていって」

「なにっ!!」

 

エリウッドの血相が変わる。もし、1人でいるところをさっきの竜騎士達に狙われていたら彼女の身が危ない。

すぐさま駆け出そうとしたエリウッドだったが、その心配はすぐに杞憂に終わった。

 

「おや、戦闘かい?」

 

警戒態勢に入ったハング達のもとにパントとルイーズが現れた。その後ろにはニニアンがキョトンとした顔で控えている。

 

「ニニアン!!」

 

すぐさま彼女に駆け寄るエリウッドとニルス。

 

「あ、はい・・・エリウッドさま、どうかされたんですか?」

「竜騎士の襲撃だ。襲われたりしなかったかい!?」

「は、はい・・・」

 

ニニアンは頷きながらも、どこか納得のいかないような様子だった。

 

「えっ・・・で、でも・・・私たちの『力』はなにも・・・予兆も・・・」

 

ニニアンが引っかかったのはやはりそこだった。『特別な力』が何も反応を見せなった。そんなことは今まで一度たりとも無かったというのに。

 

「ニルス・・・あなたは?」

「ダメだった・・・僕も何も感じなかった。きっとネルガルだよ!ネルガルが僕達の『力』を妨害してるんだよ!」

 

そんな2人の会話を背中で聞きながら、ハングは「そいつはどうかな」と口の中だけで呟く。

だが、ハングが想定している仮説に確証はない。ネルガルによる妨害という可能性の方が高いのも事実。

どちらにせよ、既に戦闘が始まってしまってはもう関係ない。

 

ハングは肩をすくめ、パントに声をかける。

 

「パント様・・・今までどこに?」

「なに、この近くに買い出しの用事があってね。それですぐそこで彼女に出会った。なんだか深刻そうだったけど、1人は危ないからね。連れてきたんだけど、まずかったかな?」

「いえ、ありがとうございます」

 

頭を下げるハングにパントは朗らかに笑う。

周囲では殺気だった竜騎士が現れているというのに、パントもルイーズも余裕に溢れている。

この状況を脅威などとは欠片も考えていないようであった。

 

「それよりも、大変そうだね。私たちも手伝おう。指示を出してくれ」

 

パントはハングに向けてそう言ったが、ハングとしては『はい、そうですか』とはいかなかった。

なにせ、パントは『私たち』と言ったのだ。

 

「え・・・ルイーズ様も戦うんですか?」

「もちろんですわ」

 

ルイーズはそう言って、背中から弓を取り出した。

 

「え・・・でも・・・」

 

困惑するハングにパントは微笑みを崩さない。

 

「心配しなくていい、彼女の弓の冴えはなかなかのものだよ。ベルン竜騎士に後れはとらないさ」

「私、こう見えましても歌やダンスよりも弓の扱いが得意でしてよ。お役に立てると思いますわ」

 

確かに、彼女の弓は随分と年季が入っており、使い込まれている形跡が見て取れた。貴族の暇つぶし程度の狩りに使っているようなものではなさそうだった。

なにより、パントのお墨付きがあるとならハングも引き下がるしかない。

 

ハングは二人を戦力と組み込むことにして、戦術を若干修正する。

 

「・・・わかりました。では、お願いします!」

 

ハングは改めてヴァイダが空に展開している陣形へと目を向ける。

それに加えて、方々から地上部隊も姿を見せてきており、随分と本格的な戦闘になりそうだった。

 

なんだかんだ言っても、ヴァイダと戦うのはどうも胸がざわついた。

 

そんなハングの手を強く引く者がいた。

リンディスだった。

 

「ハング・・・それで、どういうことなの?」

「俺はあの人を信じた。それだけだよ」

「でも、あの人は!」

 

ハングは溜息混じりにリンディスの言葉を遮った。

 

「あの人がその気だったら、俺達はとっくに地面に転がって冷たくなってるぞ」

 

ハングがそう言うと、リンディスの体が図星を付かれたかのように強張った。剣を打ち合わせたからこそわかることがあったのだろう。

 

「それは・・・そうだけど・・・」

「俺を信じろ。今はそれしか言えないけど。でも、信じろ」

「・・・・わかった」

 

口ではそう言ったものの、リンディスは上手く飲み込むことができないような顔をしていた。

ハングはリンディスの頭をくしゃりと撫でる。

されるがままに撫でられている彼女を見ると、一昔前ならここまで素直に頷いてくれなかったな、などと感想が胸の内からこぼれ出る。

 

自分達は確実に変わりつつある。

 

「それじゃあ、行こうか」

「戦うのか?」

「いや・・・その必要はねぇさ」

「え?」

 

疑問符を浮かべる仲間達に向けて、ハングは不敵に笑ってみせた。

 

「ヴァイダさんは『王宮は手出ししてこない』と言っていたが、それは短期決戦に限定される。デズモンド国王の姿は見ただろ。典型的な子悪党にしかなれねぇ心の小さな奴だ。そんな奴が王宮と目と鼻の先で激しい戦闘が起きてる状況で軍部を押さえつけられるものか。王宮の軍隊なんてただでさえ手柄が欲しくてうずうずしている奴らばかりなのによ」

 

ベルンという国を熟知しているハングはその確信があった。

 

特にベルンには指揮系統が独立している小部隊がいくらか存在している。それをデズモンドのカリスマで抑えきれるものか。

 

そして、彼らが動き出せばデズモンドも自分の部隊を動かさなければ体裁が悪い。

いくら手出ししない約束があったところで、自分の面子よりそれを優先させるような男ではない。デズモンドなら暗殺集団との口約束など軽く反故にしてみせるだろう。なにか問題が起これば武力を背景に無理を押し通せる自信があってこそだ。実際、デズモンド国王はその切り札で何度も面倒な局面を越えてきた。奴は拳を振りかざして脅すしかできない無能なのだ。

 

その辺りはヴァイダさんも理解しているはず。

 

「特に今回は俺達が門兵を昏倒させてるからな。城と無関係とは言い張れない。戦いを長引かせれば必ず軍部が出張ってくる。それまでは逃げて逃げて逃げまくる」

「まさか・・・あんな乱暴な脱出方法を取ったのはこのことを予想して・・・」

「あのな・・・」

 

ハングが呆れたようにため息を吐いた。

 

「お前は俺を予言者かなんかかと勘違いしてねぇか?今回のは完全に単なる偶然だっての」

「普段から予言じみたことをやってるからね。疑いたくもなる」

「ったく・・・」

 

ハングは逸れた話題を軌道修正する。

 

「ヴァイダさんは中央突破から敵陣を攪乱して白兵戦に持ち込む戦術を好む。乱戦はあの人の十八番だからな・・・特に俺を相手にするなら自分の最も得意な戦術を使ってくるだろう。俺達はそれをいなし続けるだけでいい。無理に戦うな。追い込まれるな。固まって動き、地形を利用して、戦わずして終わらせる。いいなっ!?」

 

エリウッドとヘクトルから頼もしい返事をもらい、ハングは南の方角へと目を向けた。その方向には仲間達が待機している。マーカスやワレスがいるからそう大事にはならないだろうが、素早く合流するにこしたことはない。

 

とにかく今は引く時だった。

 

「ん?リン、お前弓使うようになったのか?」

「ええ、今まであんまり好きじゃなかったんだけど。何事も挑戦してみないとね。せっかく、父さんに基礎を教わったんだから」

「ふぅん・・・そっか」

 

ハングはそのことを深くは聞かなかった。これもまた『変化』かと思っただけだ。

彼女が痛みを堪えていなければ、それでいい。

 

そんな2人の後ろではニニアンがエリウッドに頭を下げていた。

 

「エリウッドさま・・・申し訳ありません」

「ん?どうしたんだい?」

「私・・・狙われている身でありながら・・・1人で・・・」

「ああ、なんだそのことか。確かに少し不用意だったけど。普段なら『力』で危機を察知できているんだからしょうがない。それよりも、『力』で察知できない場合があることがわかったんだから、次から気を付けるんだよ」

 

優しく諭すような言い方だったが、ニニアンの反応は鈍い。

エリウッドが不思議そうに彼女の顔を伺うと、ニニアンの憂いを帯びた顔が今朝よりも一際強くなっている。その表情が他にも胸に抱えていることがあることを雄弁に物語っていた。エリウッドはその表情の意味を問い詰めておくべきかどうか少し思考を巡らせた。

 

聞いてしまいたい気もする。それが、彼女の憂いを取り除くことに繋がるのならそうすべきである。

だけど、今はその時間がない。

 

ならば、エリウッドの今の役目は彼女が思い悩んで結論を出すだけの余裕を作ってあげることだ。

 

「・・・ニニアン、ニルス」

「はい・・・」

「なに?」

「僕から離れないで。『力』が使えないのなら君たちは普通の人達となんら変わりはない」

 

エリウッドはそう言って唇の端で笑う。それはどこかハングを彷彿とさせる不敵な笑みであった。

 

「君たちは必ず・・・僕が守る」

 

エリウッドのその台詞を聞き、姉弟の2人はどこか虚を突かれたような顔になる。

その反応にエリウッドは照れたように頬をかいた。

 

「ははは・・・やっぱり、似合わないかな」

 

柄にもないことをしてしまったと思うエリウッド。

やはり、自分にはこういう人の気持ちを引き上げるような笑顔は上手くできないようだ。

頬をわずかに染めるエリウッドに対し、ニルスはゆっくりと首を横に振った。

 

「そんなことないよ。エリウッドさま」

「そう・・・かな」

「うん。やっぱり、エリウッドさまがいてくれてよかった」

「え?」

 

そう言ったニルスの顔は消え入るような微笑みを浮かべていた。

ニルスは姉の顔を下からのぞき込んだ。

 

「だよね、姉さん」

「・・・・・・・はい・・・」

 

ニニアンの返事はなぜか震えていた。

その瞳の端に滲む涙を見て、エリウッドは息を飲んだ。

 

「に、ニニアン?どうしたんだい?」

 

エリウッドは戦いが始まる直前だということも忘れてニニアンへと駆け寄った。

 

「ちがいます・・・ちがうんです・・・ただ・・・ただ・・・」

「ニニアン・・・」

「ただ・・・」

 

ニニアンは顔をあげた。

 

「ただ・・・嬉しくて・・・」

 

彼女はそう言って涙を流しながら穏やかに微笑んでいた。

 

エリウッドはその笑顔に一瞬呼吸することを忘れた。

次いで訪れたのは胸が締め付けられるような感覚だった。

 

彼女の涙を今すぐ拭いたい。彼女には陽だまりの中で笑顔でいて欲しい。

それは、エリウッドが産まれて初めて抱く想いかもしれない。

 

エリウッドはニニアンから一歩後ろに下がる。

 

「そうか、ならよかった・・・急に泣かれたからびっくりしたよ」

「・・・ごめんなさい」

 

エリウッドは表情筋を緩めるようにして笑顔を形作り、腹の奥の感情を吐息にして吐き出した。それはエリウッドが幼い頃から身に着けていた感情をコントロールする方法だった。

 

人に自分の気持ちを悟らせず、自分の気持ちを落ち着ける。

 

だが、今回はそれがどうにも上手くいかなかった。

深呼吸に乗せても吐ききれない熱量が心臓から血に乗って全身に回っていた。身体中を心地よい火照りが包んでいた。レイピアを握る手に自然と力がこもる。

 

ああ・・・ハングのこと馬鹿にできないな・・・

 

エリウッドは心の中でそう呟く。

 

その時、ハングの大声量が山々に轟いた。

 

「向こうが動いた!行くぞ!!」

 

エリウッドはマントを翻し、気持ちを切り替える。

 

「エリウッド・・・大丈夫か?」

「勿論。僕は誰かと違ってそこまで引きずったりしない」

「言ってろ」

 

そして、ハング達は一丸となって頭上から迫ってくるヴァイダ達の攻撃から逃げ出す。

 

撤退戦の始まりだった。

 

竜騎士は上空から槍を投げおろし、時折遊撃部隊が牽制のように降下しては一撃離脱を繰り返している。

 

竜騎士達は数では俺達を圧倒しているが、なかなか攻め切ることができない。それはハング達が逃げている方向が関係していた。ハング達は山と山の間でわずかに谷となっている道を逃げていた。

そのせいで、攻撃を仕掛けるポイントが限定されてしまう。不用意に攻め込めば魔法と弓矢の餌食となるのは目に見えていた。

 

「・・・まぁ、そうするだろうね・・・」

 

ヴァイダは逃げていくハング達を見下ろしてそう呟く。彼女にとってこの方向に逃げていくことは想定の範囲内だった。

 

「逃げろ逃げろ・・・その先は行き止まりだよ・・・さて、どうするんだ?ハング」

 

ヴァイダはどこか楽しむようにそう呟く。

 

ちょうどその時、ハング達の一団に別方向から竜騎士が一騎近づいてきた。

その姿にもヴァイダは見覚えがある。

 

「・・・そうかい・・・ヒース、あんたもそこにいたのかい・・・」

 

ハングと何か話をしたヒースはこちらを一瞥する。その顔立ちは最後に別れた時から随分と精悍なものになっていた。空を見上げたヒースは一瞬だけ躊躇うような顔をしたが、すぐさま好戦的な笑顔となる。

 

それが、ヴァイダには何よりも嬉しかった。

 

「くくく・・・くはははははははは!!」

 

ヴァイダはたまらず声をあげて笑い出す。

 

「た、隊長?どうされたんです?」

「はっ!なんでもないよ!今日は気分が良くてな!さぁ、お前らあいつらをもっと追い立てろ!!」

「はっ!!」

 

ヴァイダの指示に従い、周囲の竜騎士達はハング達を確実に南へと追いやっていく。

 

対して地上ではヒースからの伝令をハング達が受け取ったところだった。

 

「ハング!南に伏兵だ。山賊や傭兵ばかりだがこっちの手に余る!」

「さすが、隊長だな・・・伏兵の袋小路で空の開けた盆地に追い込んで竜騎士部隊で蹂躙するつもりなんだろう。相変わらずだな」

 

正面突破を成功させるための戦術。力押しを確実に押し通すための戦力配置。流石の一言につきる。

だが、こちらも戦術で負けるわけにはいかない。

 

「ハング!どうするんだ!?これ以上行けば隊長の罠の中に突っ込むことになる!」

「だろうな・・・でもな、ヴァイダ隊長は少し勘違いしてる」

「え?」

「制空権が自分達が常に握っていられると思っている。ヒース!自警団の品を引っ張り出させてこい。交渉はマリナスに任せろ。王宮の軍が動かないことをネタに散々に恐怖を煽れ」

 

ヒースはその言葉を聞き、ハッとしたような表情になった。

 

「なるほど・・・わかった!」

 

ハングの指示を聞き、ヒースは低空で飛んで行く。

ハングはすぐさま周囲に指示を出す。

 

「後退のスピードを落とす。ニニアンとニルス!なんでもいいから足手まといっぽい行動をしろ!!」

「えっ、ええ?足手まといっぽい行動?じゃ、じゃあ・・・」

 

ニルスがすぐさまその場で自分の足を踏んですっころんだ。

 

「上手いな・・・」

 

極めて自然な転び方に指示をしたハングの方が驚いた。だが、なかなかの出来栄えだ。

 

「ヘクトル!どうせてめぇは弓も魔法も使わねぇ木偶なんだから、ニルスを背負え!」

「他に言い方ねぇのかてめぇは!!」

 

文句を垂れながらもヘクトルは素早くニルスの腰をひっつかみ、肩に担ぎ上げた。

 

「エリウッド、ついでだ!ニニアンを抱えろ!」

「ハング、それは必要なことなんだな!」

「当たり前だ!」

「ニニアン!ごめん、ちょっと我慢してね」

「えっ!えっ!!あ、あの・・・」

 

エリウッドはすぐさま、ニニアンの後ろから膝裏と肩に手を入れて抱き上げた。

 

「ニニアン、首に掴まって!」

「は、はい・・・」

「行くよ!!」

 

ハングはパントとルイーズ、リンの3人の目となって迎撃する相手を選別する。

だが、行軍速度が落ちたことで敵の攻撃は激しさを増していく。

 

「今が好機だ!攻め込め!!」

 

ヴァイダさんの声が周囲の山々に響き渡る。

その懐かしさに、ハングは思わず今は亡きドラゴンの背中を思い出した。

 

昔はあの声で降下するのは俺の方だった。

 

この地で何度も訓練した。何度も山賊を相手にした。

 

「ハング!敵が勢いづいてんぞ!!どうすんだこれ」

 

ヘクトルがニルスを乱暴に揺らしながらも片手で槍を撃ち落とした。

 

「わかってる。これでいいんだ」

 

ハングは不敵に微笑む。

 

ここまで来れば、ヴァイダさんは最後の追い込みをかけるために総攻撃を仕掛けてくる。ここで俺達を盆地に追いやり、伏兵達と合流して一気に叩き潰すつもりなんだろう。

 

だからこそ、迎撃するにはここしかないのだ。

 

ヴァイダさんが一斉降下の指示を出す。

それに従い、竜騎士部隊が一気に突撃体勢に入った。魔法や弓を恐れず、真正面から噛み砕かんとする気迫がここまで伝わってくる。視界一杯に広がるドラゴンの群れが恐怖を煽る。

 

普通の思考なら仲間達と合流を急いで、逃げ足を速めて罠の中に飛び込んでしまうだろう。

 

だが、ハングは違った。

 

「さて・・・間に合ったかな?」

 

その時、風を切り裂いて巨大な矢が空にアーチを描いた。

 

「止まれ!!!」

 

ヴァイダさんの静止命令がかかる。だが、既に手遅れだった。

放たれた【シューター】の矢が敵陣を切り裂いた。命中はしなかったが、回避しようとバランスを崩した竜騎士が何人かいる。

 

「今だ!!撃ち抜け!!!」

 

ハングの撃が飛び、パントの魔法が宙に放たれた。

巨大な火球が空で弾け、竜騎士部隊の陣形が一気に崩れた。そこに新たな【シューター】の矢が降り注ぐ。

 

「援護射撃、ドンピシャだ!」

 

これは自警団の備品。対山賊用の【シューター】を無理やり引っ張り出させた。剽軽なマリナスが怯える様はさぞかし恐怖を煽ったと見え、手近にある【シューター】は全て稼働されているようだった。

 

【シューター】の矢の精度は低くとも、下にはハング達がいる。

竜騎士達は頭を上げれば【シューター】の矢を浴び、無理に前に出れば魔法と弓の餌食になる。左右に逃げようともここは山の合間であり、そう簡単には離脱できない。

 

竜騎士はたまらずに後退していく。

 

ハング達の後方ではマーカス達が伏せられている兵に襲い掛かっていることだろう。

 

「伏兵は本隊と連携が取れていてこそ効果がある。そうでなければただの遊撃隊に過ぎない。ヴァイダさんに教わったことですよ」

 

ハングはそう呟いて、空を見上げる。

 

「さて、どうします?」

 

その声が聞こえたわけではないが、ヴァイダにはハングが何を言ったかを容易に想像できていた。

ハング達はヴァイダが見ている前で本隊と合流した。伏せていた兵は既に潰走しており、ヴァイダ達の竜騎士は死者こそいないものの、戦える状態ではない者が数名出ている。

 

それに対してハング達の一団はすぐさま陣形を構築し、対空戦闘の準備が整っていた。

上空から見るハング達の部隊の淀みない動きはまさに一匹の獣を想像させた。

 

「ちっ、このあたしを、ここまで手こずらせるなんてね・・・随分と成長したじゃないか」

 

ヴァイダは自分が負けたことを悟る。だが、その顔には清々しい程の笑みが宿っていた。

 

さて、これからどうするか・・・

 

ヴァイダはハングの言葉を思い出す。

 

『【黒い牙】はこれ以上まずい』

『俺のことをもうネルガルが知ってる・・・それと・・・』

 

ハングはヴァイダの身を案じている以上のことを訴えていた。

その内容をヴァイダは想像し、1つの結論に達した。

 

「全員引き上げるよ!!地上部隊!遅れずついてきな!!」

 

ヴァイダは手綱を操って鼻先を巡らした。

向かう先は万年雪に閉ざされたベルンの山の一つだ。

 

そこには【黒い牙】の本拠地がある。

 

ヴァイダは最後にもう一度ハングの方を振り返った。

 

「ふん・・・いい顔をするようになったじゃないか」

 

ヴァイダは一瞬地上部隊に足跡をわざと残すように指示をしようと思ったが、やめておいた。

そこまでしてやる義理はないし、例えそんなことをしなくともハングなら勝手になんとかするだろう。

 

去り行くヴァイダを見送りながら、ハングは大きく息を吐きだした。

 

「・・・なんとかなったな」

 

なんとか本格的な激突をする前に追い返すことができた。

ヴァイダさんがあのまま突っ込んできたら、負けないにしてもかなりの犠牲が出ただろう。

だが、もしそうなったらこちらは容赦なく竜騎士を落とす気でいた。

 

ヴァイダさんはそれがわかっているからこそ引いてくれたのだろう。

 

「変わらないですね・・・」

 

好戦的で冷酷な戦い方とは裏腹に、あの人の性根は仲間想いで随分と温い。

変わらないヴァイダのことがハングは何よりも嬉しかった。

 

「ハング、これからどうする?」

 

ニニアンを降ろしたエリウッドがハングに向かってそう尋ねてくる。

降ろされたニニアンは赤い頬を抑えて震えていたが、エリウッドが見ないふりをしているのでハングもその気持ちを尊重した。

 

「まぁ、焦ってもしょうがない。とにかく今は【ファイアーエムブレム】が先だ。それよりもさっさとここを離れた方がいい。王宮が騒ぎ始めた」

「でも、どこに向かう?」

「近くの町で情報収集か・・・いや、でもな・・・離宮に戻るか」

「え?離宮にかい?」

「ああ、ちょっと気になることがあってな・・・もしかしたら【ファイアーエムブレ】なしでも交渉次第でなんとかなるかもしれない」

 

ヴァイダさんの後をつけてもいいのだが、ハングはヴァイダさんが足跡を残してくれてるとは思っていなかった。

彼女の部下が本気で痕跡を消しているならハングは追跡できる自信は無かった。

 

そんなハングの思考を遮るようにリンディスが声を張った。

 

「待って!私に考えがあるの。あいつらの後を追いましょう!!」

「リンディス?」

「私に任せてちょうだい。【黒い牙】の本拠地を突き止められるかもしれないわ!」

 

ハングとエリウッドは一度顔を見合わせる。

彼女の自信に満ちた顔を前に既に結論は出ていた。

 

「わかった。頼む」

「任せて!」

 

ハングが周囲に撤退の指示を飛ばす。

ハング達は出発準備をマーカスに任せて、リンディスを先頭にして身軽な面々を引き連れてヴァイダ達の逃げた方向へと走り出した。

そして、ベルン王宮の山を迂回して山岳の間道にリンディスは足を進めた。

 

「こっちよ。足跡は消してるけど・・・かなり急いでるこれならなんとか追跡できるわ!」

「本当かよ、おい?」

 

リンの密偵並みの手際にヘクトルは疑問符を浮かべる。それをリンディスは一笑した。

 

「あら、私だってサカの民よ。野外で人間を追うなんてウサギ相手より簡単だわ」

「・・・ハング、いいのかよ?」

「仲間は信じるもんだよ。上手くいかなかったらそん時は別の案がある。今は彼女に付いていこう」

「ま、ならいいけどな」

「みんな、こっちよ!」

 

ハング達はリンディスを先頭に山道を登って行く。

 

向かう先は万年雪が閉ざすベルンの険しい山岳地帯だ。



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第27章~闇の白い花(前編)~

完全に消されたかのように見える痕跡。それをリンディスは確かな足取りで追跡していく。高く険しい山を登るにつれ、道はいつしか雪に覆われ、気温は肌を粟立たせる程に下がっていた。

そして、数刻をかけて山を登った先にハング達は古めかしい砦を発見した。

 

砦の石壁に刻まれた年季と比較して荒れ方が少ない。

建物は人が住まないと劣化が早まる。この城には誰かが住み着き、手入れしている様子が伺えた。

 

ふと、空を見上げるとその城の一画から竜騎士の一団が飛び出していった。

その先頭にヴァイダの姿をみつけ、ハング達は確信を得る。

 

ここが【黒い牙】の本拠地だ。

 

「・・・どうやら、道は間違ってなかったらしいな」

 

ヴァイダはハング達には眼もくれず、一直線に西に向かっていた。

その方角に何があるかを悟り、ハングは唇の端をニヤリと持ち上げた。

 

どうやら、察してくれたらしい。

 

そのハングの後ろではリンディスが自慢気にヘクトルに声をかけていた。

 

「どう、ヘクトル?」

「へーへー、見くびってた俺が悪かったよ」

「ふふっ」

 

満足する返事をもらえたリンディスは今度はハングの肩を突く。

 

「ハングも私のこと少し疑ってたでしょ」

「まぁな、予備の案を用意するぐらいには疑ってた」

 

リンディスを信頼していなかったわけではなかったが、念のために二重三重に策を考えておくのは軍師の仕事だ。

だが、心の片隅では多少の疑念があったことは否定しない。

 

「見直した?」

 

リンディスはそう言ってハングの顔を覗き込んでくる。上目遣いの挑発的な瞳がハングを見上げていた。そんな彼女に素直に「見直した」と言い返すのはなんだか負けたようで、芸がない。

 

「ねぇ、見直した?見直した?」

「・・・・・・いや」

 

ハングはわざと間を置いて、こう言った。

 

「惚れ直した」

「・・・・っ!」

 

途端に耳まで真っ赤に染めるリンディス。見事に想定通りの反応をしてくれたリンディスにハングは「してやったり」と喉の奥で笑う。

 

「このっ!バカっ!!」

「なんだよ、誉めてやったんだから、『バカ』はねぇだろ」

「うるさい!もう・・・」

 

リンディスはハングから顔を背け、赤くなった頬をもみほぐしていた。

ハングはそれを見てまた笑う。

 

「さて、和むのはこれくらいにしよう。ラガルト、いるか?」

「へいへ~い」

 

いつの間にかハングの後ろにいたラガルト。相変わらずの腕前だ。

 

彼の登場にヘクトルが一旦険しい表情をしたが、何とか胸の内に留めたようだった。

とはいえ、ラガルトの出現位置があと半歩でもハングに近かったらヘクトルは瞬時に斧を引き抜いていただろう。

ヘクトルは元【黒い牙】であるラガルトを直接信頼したわけではなかった。エリウッドやハングが信頼しているから暫定的に信を置いているにすぎない。

 

ただ、それはヘクトルの問題だ。ハングは構わずラガルトに話しかける。

 

「お前、ここには初めて来るのか?」

「いいえ、何度も出入りしてますよ」

 

ハングはのこめかみが僅かに痙攣する。『拠点の場所は知らない』などとほざいていたのはどこの誰か思い知らせてやりたかった。

 

だが、とりあえずそれは後回しにする。

 

「それで、中の構造は?」

「中央の砦が俺たちの休憩所で指示を受ける場所だ。外にある残りの建物は宝物庫とか武器庫、食糧庫の類」

「武器庫が外にあるのか?」

「中央砦だけじゃ収まりきれなくてさ」

 

さすが暗殺団の詰所といったところか。

 

「守備機能は?」

「ただの拠点だからな、あんまり守ることは考えてないね。いざとなったら立てこもるよりさっさと逃げるように言われてたしな」

「罠の類は?」

「そっちは十二分に配置してる。月に二回は罠の配置を変えてるから俺は本当に知らない」

「それって外に出てた連中が戻って来た時にどうするんだ?」

「秘密の入り口があるんだよ。そこから入ってきた奴らは仲間とみなして罠の配置が伝達されるようになってる」

「なるほど」

「けど、そこから入ろうとか考えない方がいいぜ。その通路は一番死角が多い。暗殺者の本領が一番発揮できる通路だ。バレた時のリスクがでかすぎる」

 

やはり、不用意に建物内に突っ込むのは危険だ。

かといって外で迎え撃つのも考え物であった。

 

ハングは靴で足元の雪を軽く払う。

 

万年雪に閉ざされた山脈の雪は長い年月で固められ、氷のような状態になっている。このような場所では騎馬隊は十分な力を発揮できない。歩兵だって足を取られて集団で陣形を組むのも無理そうだ。

 

飛行部隊に頼りたいところだが、さっきから空の調子が悪い。上を見上げれば、今にも灰色の雲から雪が千切れ落ちてきそうだった。

 

「さて・・・どうするか?」

 

頭を悩ませるハング。

そんな彼にリンディスがさも当然のように言い放った。

 

「なら、早速中央砦に忍び込んでみましょう」

「おい・・・ちょっと待て、ここはベルン王宮とは話が違うんだぞ」

 

だが、ハングがリンディスを説得する前に別方向から同意が入る。

 

「おう!当然だ!!」

 

ヘクトルがかなり乗り気であった。

 

この二人には軍の重要人物の立ち位置について一晩かけて教え込む必要がありそうだとハングは微笑の下で考える。とはいえ、他に手段があるわけでもない。生憎、砦周辺の警備はかなり手薄だ。

 

「ハング、行っていい?」

「見つかるなよ」

「任せて。また惚れさせてやるんだから」

「楽しみにしてるよ」

 

ハングが手をひらひらと振って指示を出すと、二人は矢のような勢いで雪道を駆け抜けていった。

 

「ったく、なんで二人ともあんなに楽しそうなんだろうな?」

「根が単純だからじゃないかな」

 

エリウッドが涼しい顔で毒を吐いた。

ハングは「違いないな」と言って仲間達に離脱の用意をさせる。ここは土地勘のない敵地なのだ。何かが起きればいつでも離脱できる用意は常にしておかなければならない。

 

ハングとエリウッドは仕事をマーカス達に任せ、リンディス達の後を追った。

砦の周囲を囲っている門壁は既に崩れて防御拠点としての役割を果たしてはいない。見張りの配置もなく、ハング達は難なく敵の本拠地へと足を踏み入れた。

門の内側の構造はベルンによく見られる構造の砦である。ハングは外見や立地から古い城かとも思っていたが、むしろ様式は現在のものに近い。

 

近年、突貫で大量に造られて放置された砦の一つであろう。

 

雪に閉ざされた砦は異様な程の静けさに満ちていた。

 

「なんか・・・複雑な砦だな」

 

ヘクトルがそう言った。

確かに平城が主なリキアとは違い、山岳地帯の多いベルンの砦は建物が多い。そのせいで複雑な迷路のように感じるのだろう。建物が多いのはいざとなったら建物を打ち壊して瓦礫を山の上から投げ落とすためだ。

 

ハング達は人の目を避けるために砦の壁沿いを移動する。

そんな時、ふと砦の中から話し声がハング達の耳に届いてきた。

 

ハング達は手でサインを出し合って、話声の聞こえてくる窓の外へと集まる。

聞こえるのは女性と男性、それと女の子の声。

 

ハング達が耳を澄ますと、女の子の興奮したような声が聞こえてきた。

 

「・・・ほんとっ!?あたしに仕事くれるって・・・本当なの母さん!?」

 

ハング達は石組の隙間を探し出し、砦の中を覗き込んだ。

中では魔道士風の恰好をした女の子が女性に向けて期待を込めた目で見上げていた。

 

「そうよ、とても大きい仕事」

 

そう言った女性には見覚えがあった。

ベルン城で見た女だ。名前はソーニャだったと記憶していた。

 

「あなたに任せる仕事はベルン国王の依頼よ」

「国王の!?そんなすごい仕事をあたしにっ?」

 

興奮で声を裏返らせる女の子。その無邪気さは暗殺集団とは程遠く、普通に魔道を学ぶ少女と言った方がしっくりくる。そんな少女をソーニャはまるで感情を感じさせない瞳で見下ろしていた。

 

そんな時、年季を感じさせる声が割り込んだ。

 

「ソーニャ!?わしは反対だぞっ!!こんな小さな子にそんな危険な仕事を・・・」

「とうさん?」

 

父と呼ばれたのは筋骨隆々で顔に歴戦の傷痕を残す男。

その男の身体的特徴をハングは知っていた。

 

「・・・ブレンダン・・・ブレンダン=リーダスか・・・」

 

暗殺団の長であり、かつては傭兵として名を馳せた男。

彼の武勇伝はもはや伝説であり、話に尾ひれがついて眉唾ものばかりになっている。だが、いざブレンダンを目の前にすると、それらの噂もあながち嘘ではないように思えてくる。

ブレンダンはそれだけの体躯と風格を持っていた。

 

部屋の中では依然話は続いている。

 

「・・・そうね、本当ならあなたの息子達がやるべき仕事よ。だけど、先日の報告以来どちらも姿を見せない。だから私の娘にやらせるの。いくらあなたでも文句なんて言わせないわ」

 

理路整然とした話だ。

 

ソーニャが仕事を与え、ブレンダンは蚊帳の外。

ブレンダンは口の中で苦虫を噛み潰したような顔をして、その部屋から出て行った。

 

「とうさん・・・・」

「好きにさせればいいわ。それより仕事の話よ。ジャファル!出てきなさい!」

 

ソーニャの声に応じるように、部屋の隅から一人の男が歩み出てきた。

 

ハングはその男の出現に目を見張る。

 

「あの、男。【竜の門】にいた・・・」

「ネルガルの手下だ。間違いねぇ」

 

ヘクトルが憎々しげに小さく悪態をついた。彼の表情は今すぐにでもジャファルの首を捩じ切ってやりたいと訴えていた。とはいえ、忍び込んでいる以上、今仕掛けるわけにもいかない。ヘクトルは唇を噛み締めることで自分の衝動を抑えていた。

 

部屋の中のジャファルの持つ気配の鋭さは明らかに尋常ではない。それなのに、部屋にいる女の子は何の躊躇いもなしに声をかけていた。

 

「ジャファル!起き上がって大丈夫?傷は痛まない?」

 

そこには他意など微塵も含まれておらず、純然な温もりがある。あんな男でも心配してくれる人間の一人ぐらいはいるんだな、とハングは思った。

 

だが、ジャファルはそんな女の子にほとんど反応らしいものは見せなかった。

 

愛想の無い男だ。

 

それと同じ感想をソーニャも抱いたようだった。

 

「愛想の無い男ね・・・まぁ、いいわ。ジャファル、国王からきた依頼の内容は聞いてるわね?」

 

ジャファルは岩のように動かない頬をわずかに動かし、口を開いた。

 

「・・・王子ゼフィールの・・・暗殺・・・」

 

それを聞き、外で聞いていた四人、そして中の女の子の計五人に衝撃が走った。

 

「え!?王子!?国王は王子を暗殺しようとしているの!?」

 

女の子が放った疑問は外の四人の抱いた疑問と同じものだった。

だが、その質問の答えをソーニャは言わなかった。ソーニャは「ニノ!うるさいわよ」と言い放ち、少女を黙らせた。

 

とりあえず、女の子の名前はニノというらしい。

 

ソーニャはジャファルに向けて声をかける。

 

「ジャファル、その仕事をニノとお前に任せるわ」

「・・・・本気か?」

「ええ、本気よ。この子にも私の娘として早く一人前になってもらわないとね」

「・・・やめておけ。こんな子供には無理だ」

「お前がついていれば問題ないでしょう?嫌だとは言わせないわ。国王には恩を売っておけと、ネルガル様のきついお達しなのよ」

 

ネルガルの名前を出され、ジャファルが無言になる。

その沈黙を肯定と受け取ったソーニャはニノに向けてきつく言い放った。

 

「ニノ!失敗したらわかってるわね?」

 

失敗には死を

 

自分の娘に向けて随分な話だ。

 

「それじゃ、王子が暮らす離宮まで下調べにいきましょう。詳しい話は道中聞かせるわ。二人とも準備をなさい」

 

ソーニャはそう言って部屋からニノとジャファルを退室させ、廊下から別の人を呼び込んだ。

 

「ケネス、ジュルメ」

 

ソーニャの呼びかけに応じて、次に部屋から入って来たのは小太りの聖職者風の男と顔色の悪い盗賊風の男だった。ソーニャは彼等に向けて質問をする。

 

「首領は?さっき部屋から出て行ったけど?」

 

ソーニャの問いに答えたのは聖職者風の男。

 

「ヤンを伴い外へと向かいました」

「どういうつもりかしら・・・まぁ、いいわ。二人には留守を任せます。例の物も決して奪われぬように」

 

二人が同時に「かしこまりました」と返事をし、退室していく。

その後、ソーニャも部屋から出ていき、周囲に静けさが戻ってくる。

 

しばらく警戒のために耳をすませていたハング達であったが、完全に人気(ひとけ)人気がなくなり、彼等はその場で今聞いた話について議論を始めた。

最初に口を開いたのはエリウッドだった。

 

「・・・まさか、本当に王子を暗殺するつもりなのか?」

「ったく・・・本当に何年歳を重ねても無能は変わらねぇな」

 

ハングはそう言って、唾を吐き捨てる。

ハング程ではないが、エリウッド達もそれぞれ含むもののある顔をしていた。

 

両親より十分な愛情を持って育てられたエリウッド。

幼くして両親を亡くし、兄と共に強く生きてきたヘクトル。

自らを犠牲として、その命を繋いでもらったリンディス。

 

ハングも厳しいながらもそこに確かな愛のあった育ての親がいる。

 

皆、保護者という存在を心の中では絶対のもののように感じていた。

 

今回の話はそれを根本から覆す。

 

「とめよう」

 

エリウッドが簡潔にそう言い放った。

その単純明快な答えにリンディスが頷く。

 

「そうね、【ファイアーエムブレム】を取り戻しても即位する王子がいなければ意味がないもの」

「あのニノという子なら・・・話をすればわかってくれるかもしれない」

 

ハングはエリウッドのその考え方に同意しつつ、警戒すべき相手がいることを皆に思い出させた。

 

「あのジャファルとかいうのに邪魔されなきゃな」

「そうだね、それじゃあ早速・・・」

 

そう言って動き出そうとしたエリウッド。

だが、その動きは後ろを振り返った時点で止まった。

 

「こんにちは侵入者の皆さん」

 

聖職者の恰好をした男、ケネス。

 

「なっ!!」

 

こちらが動揺したその瞬間、ケネスが杖で雪の地面に軽く触れる。

杖の先を中心として巨大な魔法陣が浮かび上がった。

 

「まずい!!」

 

ハングが警告を発した時にはもう遅かった。

魔法陣がその場から爆発したように拡大していき、地面を駆け抜けていく。

 

次いで地が揺れる程の衝撃が襲った。

 

ハングはこの術を知っていた。

 

人間の心臓を触媒にして構築する闇魔法系統の結界術。

一度発動すれば、術者が結界を解くか、術者を殺さない限り外に出る方法が無い。

穴を掘ろうが、空に飛ぼうが決して出られない結界術だ。

 

奥歯を噛み締めるハングにケネスは余裕の表情を見せる。

 

「私たち暗殺者が、アジトに忍び込まれるなんて笑えない話ですよね。うふふふふふ」

 

品の無い笑みを浮かべるケネスにヘクトルが吠えた。

 

「笑ってんじゃねぇよ!だいたいてめぇ聖職者だろ!なんであんな暗殺集団なんかにいるんだよ!信仰心はどうした!!」

「神・・・神ですかあなたたち、まだそんな者にすがってるんですね。ネルガル様に会われたんでしょう?だったら、分かったはずだ。“神”なんて、人間の弱さが作り出したニセモノだと!神がいるとすればそれは、ネルガル様だけです」

「ばかな・・・」

 

エリウッドが絶句する。

 

その隣でハングはその意見を鼻で笑っていた。

 

「『金は力だ。少なくとも神よりは役に立つ』」

「・・・ん?」

「豪商タウメンの言葉だ。聖書とネルガルの言葉しか知らないような無知な奴にはわからないか?」

 

ケネスはある程度博識ではあったがその格言は知らなかった。だが、それを恥と感じる精神は持ち合わせが無かった。すぐに気をとりなおし、ハングを不躾な視線でなぞる。

 

「その背格好・・・あなたがハングですね」

「ほう、俺も有名になったもんだな」

「ええ、あなたは真っ先に狙えと言われてましてね・・・」

「それはそれは・・・いい気分とは言えんな」

 

その時、雪を踏みしめる音が近くの建物の陰から聞こえた。

ハング達の意識が一瞬そちらに向く。

 

だが、その音のした方向には誰もいない。

 

「お~いるいる。こりゃいいやよりどりみどりだなぁ、おい?」

 

声が聞こえたのは音のした方向の真逆。皆の意識の死角から足音を立てない独特の足運びでジュルメが現れた。

 

「ど、れ、に、すっかな~?いや、まてよ。中にはろくでもねぇクズが混ざってるかもな。そいつに当たっちまうと興ざめだ。せっかくのごちそうも台無しになる。なぁ、それがいいよな?おまえたちも!」

 

既に短刀を抜いている彼に対応するようにエリウッド達も武器に手をかけた。

そんな様子を歯牙にかけることなく、ジュルメの視線はリンディスをとらえた。

 

「お!そこの女!きれいな肌だなぁ!」

 

次の瞬間、突如としてジュルメが爆発的な跳躍を見せた。

 

地を蹴り、壁を蹴り、曲芸師のような動きでジュルメはハング達のど真ん中に飛び込んできた。

その奇抜な動きにハング達の対応が一瞬遅れる。

 

「なっ!」

「まずは味見だぁ!」

「しまっ!」

 

リンディスの背中にナイフが振り下ろされる。

彼女も反転しようとするが、間に合わない。

 

ジュルメがナイフを振り切った。

 

「おっ?」

 

ジュルメはそのナイフの手応えに眉を寄せる。ジュルメのナイフは確かにリンディスの背中を切り付けたはずだった。皮膚を割き、血が滴るぐらいの浅さの傷を残すはずだった。女の背中を切り裂く柔らかな感触を楽しみにしていたというのに、ジュルメが感じたのは魚の鱗に刃を立てた時の感覚だった。

 

「おい・・・」

 

ジュルメの頭上から怒気に満ちた低音が降ってきた。

ジュルメの肌に戦慄が走り抜けた。ジュルメは己の感覚に従うままその場から飛びのいた。

 

直後、包帯の巻かれたハングの左腕が万年雪の上に振り下ろされた。強烈な爆音が轟き、雪が散る。万年雪の氷が割れ、凍土となった地面までもがわずかに掘り起こされる程の衝撃が走り抜ける。

 

ハング達から距離をとったジュルメはそれを見て唇を舐める。

 

「・・・おいおい・・・なんだありゃ」

 

ジュルメが軽薄な笑みを浮かべながらそう言った。だが、彼の背中には一筋の冷や汗が流れ落ちるのは止めようがない。ジュルメが先程まで立っていた場所は大地が抉れ、小さな隕石でも落ちてきたかのような有様になっていた。

それを作り出した男は、激昂を隠そうともせずにジュルメを睨みつけていた。

 

「おい・・・てめぇ」

「俺かい?」

「他に誰がいる・・・てめぇ・・・」

 

ハングが拳を構えた。

 

「てめぇ!人の女に色目使ってんじぇねぇよ!!」

 

冷たい風が吹いた。

 

「・・・・は?」

 

ジュルメは状況を忘れて間の抜けた声を出してしまった。

ハングの後ろではリンが静かに頬を染めてハングの背中を叩き、エリウッドが感心したように頷き、ヘクトルが呆れ顔でハングの頭を殴りつけた。

 

「そんなことかよ!」

「そんなことはなんだよ!こいつは『きれいな肌』とか言って口説きやがった上に女の背中の肌まで晒させようとした糞野郎だぞ!!」

 

ジュルメは確かに『きれいな肌してる』とは言ったが、それはあくまで標的でという意味である。

 

ヘクトルが再びハングの頭を叩き、彼を中心に緩んだ雰囲気が流れる。

 

そんな空気を払拭しようとケネスが咳払いをしてから話を強引に戻そうとする。

 

「まぁ、とにかく。あなた達をここから出すわけににはいきません」

「こっちだってな・・・そいつを殺すまでここを出るつもりはねぇよ」

 

ハングの視線はジュルメを捉えて離さない。

ジュルメの背筋に悪寒が走る。ジュルメは乾ききった唇を舐め、ナイフを捨てて魔力による遠距離攻撃の可能な武器を懐から引き抜いた。

 

「ま、まぁ。というわけであなた達をここで始末させていただきます!さぁ、踊ってもらいましょうか!!」

 

ケネスは元聖職者ということもあり、高らかに宣誓するようにそう言った。

本人としては闘争に至るプロセスが欲しかったのだろうが、場の雰囲気が完全にぶち壊していた。

 

いまいち締まりきらない間にケネスとジュルメの二人は転移魔法でどこかへと消え失せていった。

 

残されたハングはジュルメが消えた空間を睨み、怨嗟を絞り出すかのように不気味な息の吐き方をした。

 

「ハング・・・大丈夫かい?」

 

エリウッドが躊躇いがちにそう声をかけた。

 

「ああ・・・なんとかな」

 

その声音はいつもの音域に戻ってきており、彼の顔も軍師の冷静さを取り戻していた。

だが、目尻に滲む怒りはどうあっても隠しきれていなかった。

 

「ハングがそこまで怒り狂うのも珍しいね」

「お前だってニニアンが変な男に詰め寄られて嫌そうにしてたら、問答無用な気持ちになることぐらい想像できるだろ」

「・・・否定はしないけどね・・・」

 

ハングは憤懣やるかたなしと言った雰囲気で荒々しく鼻息を吐き出した。

 

「とにかく、仲間と合流する・・・既に砦の中も殺気立ってるしな。行くぞ」

 

そう呼びかけ、走り出したハング。

彼に続いてエリウッド達も移動を開始した。

 

その最後尾を走っていたヘクトルは前を行くリンディスの耳元から首にかけてが真っ赤に染まっているのを目撃した。何か声を駆けようかとも思ったが、馬の後ろから近づいて蹴られるのは御免だ。ヘクトルはそっとリンディスの横に並べるぐらいに加速したのだった。



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第27章~闇の白い花(中編)~

皆のところに戻ったハングは腹立ちを抑え込みながら、空を覆う結界を見上げた。

空を閉ざすように張られた魔力の膜は俺達を閉じ込める鳥籠のようだ。

 

「今回は騎馬部隊は後方待機だ。雪道じゃ動けない上に砦の中じゃ馬を振り回すわけにもいかない。マーカスさん、騎馬部隊はマリナスさん達の護衛を頼みます。指揮は任せます」

「わかりました」

「結界がやけに高い。敵に飛行部隊がいると思って行動しろ!フィオーラさん!上空は任せましたからね!!制空権を抑えてくれ!」

「はいっ!!」

 

皆の間を走り回り細かく指示を送るハング。

ここは敵地であり、こちらは敵の物量がまるで把握できていない。ハングとしては最悪の開戦であった。

 

「ラガルト!」

「なんすか?」

「連中・・・守りに適してくるとは思えないが。どうだ?」

「そうだねぇ。【黒い牙】の面々の仕事は暗殺、諜報、破壊工作が主だ。専守防衛には程遠い。こっちが逃げられないなら向かってくるのが道理だが・・・」

 

ラガルトは言葉を切った。彼は涼しい顔でほくそ笑み、言葉を足さない。『言わずともわかるだろ』とでも言いたげだった。

ハングはラガルトが言わなかった言葉を継ぎ足した。

 

「・・・問題は時間か・・・」

「そう、商売でも軍事でも農作でもそいつがいっつも問題になる」

 

こちらの目的は【ファイアーエムブレム】をゼフィール王子の戴冠式までに手に入れること。

そして、ゼフィール王子の暗殺が既に動いている。それを知るのはハング達だけだ。今すぐ山を下りてソーニャ達を追いたいのが本音だった。

 

こちらに時間制限がある以上、向こうはただ耐えるだけで勝利を手にするのだ。

 

奴らが防衛を行う可能性は十分に考えられた。

 

しかし、こちらから砦の中に攻撃を仕掛けなけるなら罠の存在は無視できない。下手に正面から突っ込めば被害は大きなものになる。

 

やはり正攻法では無理だ。多少の絡め手も守りを固められれば効果は薄い。

なら、必要なのは盤面をひっくり返すだけの奇策だ。

 

「ラガルト、砦内の構造をできるだけ詳細に教えろ」

「いいけど。さっきも言ったが罠の位置とかは・・・」

「それはいい。通路とか部屋の位置とかはそう大きく変わらないだろ。そいつを教えろ」

「はいはい」

 

ラガルトは雪の上に素早く砦の見取り図を描いていく。

それはハングが想定していた砦の内部構造とほぼ同じだった。

 

「よし・・・ラガルト、お前は何人か選んで武器庫に連れて行ってやれ。暗殺者の詰所なら上等な武器はあるんだろ?」

「まぁ、確かにあるけど・・・それだけでこの局面は越えられねぇんじゃないか?」

「心配無用だ」

 

ハングは左腕の調子を確かめるように腕を振る。ハングが腕を回す度に鱗の下で筋肉が躍動する。心臓から送られてくる血の滾りが腕へと集中して熱を帯びていた。

 

先程、地面に大穴を穿ったハングの左腕だが、あれだけの無茶をしても疲労の欠片すら残っていない。

つくづく化物の腕だと思うが、今はこの異形の左腕が非常にありがたい。

 

「お前はとにかく良い武器を集めてきてくれ。できれば、重い一発が放てる奴がいい」

「ん?どういうことだ?」

「丈夫な壁でも一撃でぶち抜けるような奴がいい」

「あ・・・ああ、ああ・・・なるほどそういうことか・・・わかった、俺の責任で何人か連れて行く。それで、武器庫に良いもんがなかったら?」

「それはそれで構わない。俺が強引に事を進めるだけだ」

「なるほど。腕を使うわけだ」

「皆まで言うな。さっさと行け」

「はいはいっと」

 

ラガルトがすぐに消える。

ハングはエリウッドが統率している歩兵部隊へと足を進めた。ハングはその中で一際大きな背中を探していた。

 

「おい、ヘクトル。どこだ!?」

「あん?なんだよ、今戦いの準備で忙しいんだよ!」

 

ヘクトルは潜入の為に脱いでいた鎧を着こんでいる最中だった。

この寒さで冷えきった金属に触れているせいか、ヘクトルの指先は真っ白になっていた。

 

「ヘクトル、お前のバカみてぇな力と、無駄にでかい体躯に用がある」

「指示出すか喧嘩売るかどっちかにしろ!!」

「これ使え」

 

ハングはがなり立てようとするヘクトルを無視して武器を投げ渡した。

それを受け取ったヘクトルは一瞬『これを何に使うんだ?』という顔をしたが、すぐさまハングの意図に気が付いたようだった。

 

「あぁ・・・なるほどな・・・山頂の砦ってことはこれでも事足りるのか」

「そうだ。どうせ、【黒い牙】の拠点だ。存分にやれ」

「ったく・・・お前も乱暴なこと考えるな」

 

ヘクトルは肩にハングに渡された武器を担ぐ。

その自信に溢れた立ち姿を見て、ハングは皆に指示を出す。

 

「あまり時間はかけたくない。敵は俺達が真正面から来ると思ってるはずだ。その裏をかく・・・道なき場所を道にしていくぞ!!」

 

ハングは腕まくりをして不敵に微笑む。その隣でヘクトルが『ハンマー』を担いで好戦的な笑みを浮かべていた。

 

「ハング、何をする気だい?」

「エリウッド、この砦は敵が自分達の戦い易いように改造している。だったら、その基盤からぶっ壊してしまえばいいんだよ」

「え?」

「つまり・・・」

 

ハングはヘクトルと目配せして、片手をあげた。

それは皆に戦闘態勢を取るように指示する合図だった。

 

皆は敵がどこにいるかもわからないまま、武器を構える。

 

「目標・・・正面の窓!!一気に潜入して敵の背後を付く!!ヘクトル!中に入ったら重装部隊で通路を確保!エリウッド!軽装の奴らを連れて死角を潰していけ!リン!遠距離部隊の指揮は任せるからな!!」

 

ハングは皆が態勢を整えたのを確認して、ヘクトルと共に唇の端で笑う。

 

「いくぞぉおお!」

「おおおおおおお!!」

 

ヘクトルとハングは目の前の砦の壁へと突進した。

 

ハングが腕を引き、ヘクトルがハンマーを振りかぶる。

 

「おらぁああああああ!」

「こらぁぁあああああ!」

 

二人の重量級の一撃が砦の壁に突き刺さった。

 

地響きのような重低音が辺りに響く。【黒い牙】がいくら砦の手入れをしていても、正規の整備がなされていたわけではない。ハング達の一発で砦の壁はすぐさま崩壊寸前となった。

 

ハング達は壁を破壊せんと各々の武器を振りかぶる。

 

「うりゃぁああああああ!」

「おらぁあああああああ!」

 

気合の裂帛と共に放たれた二発目。脆くなった壁はハングとヘクトルの一撃に耐えきれず、石片をまき散らせて内側に吹き飛んだ。

 

「よっしゃぁああ!抜けたぁあ!!」

 

ハンマーを振った勢いのまま部屋の中に突入したヘクトル。部屋の中には誰もいないことは窓から確認済みだった。

 

「ヘクトル!次だ!!」

「へっ?」

「次の壁だよ!!」

 

ヘクトルと共に砦内部に足を踏み入れていたハング。

彼は歩みを止めることなく、部屋を横切って無機質な石壁へと向かう。

 

「は、ハング!そんなに崩して大丈夫なのか!!」

「この壁は・・・大丈夫なんだよ!!」

 

山頂の砦は部屋を細かく分けて石壁を増やしていることが多い。

それは籠城時に壁を崩して落石として使用する為に使用する石を少しでも増やしているのだ。

その為、こういった砦には天井を支えていない壁が多数存在している。

 

ハングはどこにその壁があるのかをおおよそ把握していた。それは【黒い牙】ですら知らないことだ。ハングがベルン竜騎士として学んだからこそ知っている知識であった。

 

ハングは走る勢いそのままに壁に拳を突き立てる。

その衝撃で天井から埃や小石がパラパラと落ちてきた。

 

「ヘクトル!この先は廊下だ!!敵が待ち構えてる!!壁の破壊と同時に一気に突っ込んで攪乱しろ!!」

「了解!!」

 

ハングは再び拳を構える。次の一撃で確実に壁を破壊できる手応えがあった。

 

その時だった。

 

部屋の扉が開いた。

 

「いたぞぉ!侵入されてる!!」

 

【黒い牙】の一人が部屋に踏み込んできた。

彼は素早く投擲用のナイフを構える。標的は装備の薄いハング。

 

ハングはその敵の姿を目の端でとらえていた。だが、対応はしない。ハングにはナイフが飛んでこないという確信があった。

 

ハングは踏み込んだ足の力を左腕に存分に伝え、壁に向けて叩きつける。爆薬でも使ったかのような轟音と共に石壁が弾け飛んだ。廊下に飛び散った石片が投石機から放たれたかのような勢いで吹き飛んでいく。

廊下で待機していた不幸な暗殺者がその石片を受けて昏倒した。石の破片を免れた人も突然の出来事に混乱が生じていた。

 

「行くぜぇえええ!!オズイン!ワレス!!ついてこぉい!!」

 

ハングが開けた穴からヘクトル達が突撃していく。

戦闘開始時点で敵は既に混乱の極みにいた。

 

重装部隊が突っ込み、エリウッド達がその後に続いたのを確認して、ハングはゆっくりとこの部屋の本来の入り口を振り返った。

 

ドアから一歩踏み込んだところで【黒い牙】が喉に矢を受けて即死していた。

 

「リン、ありがとな」

「任せてよ。私たちは二人で一人でしょ?」

「また惚れ直したぞ」

「うるさいっ!!」

 

ハングはすれ違いさまにリンディスと手を打ち鳴らす。リンディスは遠距離部隊を連れて、エリウッド達の援護へと向かっていった。

 

「バカ傭兵!ルセア!!お前達は俺とこの部屋の確保だ!味方の背後を守る!」

「黙れ、クソ軍師」

 

仏頂面のままそう言ったレイヴァンだがすぐさま部屋の調度品や崩れた石壁の一部を使って出入り口の封鎖を行っている。ハングも左腕の怪力を存分に使ってバリケードを築く。

二人の行動は無駄がなく、何も言わずとも呼吸を合わせて大きな荷物を運んでいる。

 

「バカ傭兵!そっち支えろ!!」

「クソ軍師!これを遣え!!」

 

ルセアは仲良く喧嘩する二人を見ながら、周囲の警戒にあたっていた。

 

そして、部屋の出入り口の封鎖が終わると同時にラガルト達がこの部屋へと入ってきた。

 

「ラガルト、随分早かったな」

「まぁ、勝手知ったる砦だしな」

 

ラガルトの後ろにはギィとドルカスが巨大な武器を抱えていた。

部屋の外では大量の武器の運搬を任されたのか、イサドラが馬に数多くの武器を乗せて待機していた。

 

「外はどうなってる!?」

「飛行部隊とサカの民の暗い奴がしっかり頭を抑えてる。戦局はまぁ有利ってとこだ」

 

ハングは後で自分の目でも確認しようと思いながら、ドルカスへと次の指示を出す。

 

「ドルカスさん、手に入れたハンマーで次にぶち抜いて欲しい壁があってですね・・・」

 

その時、ハングは説明しようとした口を閉じた。

 

「は?」

 

部屋の外から見知らぬ男が足を踏み入れてきたのだ。

サカの民族衣装に黒い長髪。美形に分類されるであろう整った目鼻立ち。

だが、彼からは抜き身の剣のような純然たる殺意が溢れていた。

 

それはハングやリンが持っていた憎悪や憤怒による殺気ではない。飢えた獣がただ獲物を探すかのような澄みきった感情だ。誰かを殺さなければ生きてはいけない。剣を振らなければ命に意味がないとでも言うような、渇望とも呼べる殺意の塊だった。

 

「・・・ラガルト・・・この人は?」

 

ハングが瞬時に攻撃に移らなかったのは、ラガルトが素直に背中を預けているからというのもあったが、自分では絶対に勝てないことを瞬時に悟ったことが大きかった。

 

「あぁ・・・この人は・・・えと・・・」

「俺の師匠だ!」

 

堂々とそう言い放ったのはギィだった。

 

「は?」

「この人はカレル。俺がサカ一の剣士になるために剣を教えてもらいたいんだ」

「もらいたい?正式に弟子になったわけじゃねぇのか?」

「まぁ・・・そうなんだけど・・・そのうち絶対弟子にしてもらう!!」

 

意気込むギィはとりあえず放置。

 

ハングはカレルと呼ばれた男に目を向けた。ハングはその名前に憶えがあった。

 

「カレルってまさか・・・【剣魔】カレルか?」

 

それは旅の間に度々聞いた名前だった。

以前、ハングが語った『決闘の約束の直後に背中から敵を切り捨てた男』とはまさにこの男の話だった。

強者を求め、血を求めて放浪する男。彼に目をつけられたら最後、骸を大地に晒すしかない。

 

「剣魔?」

「あんたの通称だよ。『剣をその身に宿した魔物』ってな。妖刀の化身だって話もあるぞ。剣が人の姿にその身を変えたのがあんただって噂だ」

「・・・ほう・・・」

 

カレルは面白い冗談を聞いたかのように笑みを浮かべた。だが、それで彼に親しみが湧くことはなかった。

 

「・・・そんで・・・その【剣魔】が何の用だ?」

「お前達を見た。赤毛の騎士・・・青髪の戦士・・・同胞の剣士・・・どれもまだ未熟ながら伸び代のある者達ばかり・・・ここで失うには惜しい」

 

ハングはカレルの言葉の裏を読み取る。

 

つまり、『いつか強者になったエリウッド達と斬り合ってみたい』ということだ。

それが何年先になるかはわからないが、とにかく今ここで死なせたくないのだろう。

 

「だから手を貸そう・・・お前がこの軍の軍師だと聞いたが」

「ああ、ハングだ・・・で?俺の指示に従ってくれるのか?」

「私からは一つだけ・・・最前線で戦わせてくれ。それだけだ」

「興奮して味方を切ったりしないでくれよ・・・」

「いいだろう・・・それは約束しよう・・・極上の御馳走を楽しみにするためならば、前菜の一つ二つは我慢することにする」

 

ハングとしては背筋に嫌な汗が流れる話ではあったが、協力してくれるならそれに越したことはなかった。

 

「わかった・・・それじゃあ・・・ラガルト、一緒に行ってエリウッド達に説明してやってくれ」

「はいはーい。そうなると思いましたよ。それじゃあ、カレルさん行きますよ」

「ああ・・・宴を楽しむとしよう」

 

そう言って、二人は戦闘が続く砦内部へと進んでいった。

 

「あっ!待ってください!!師匠!俺も一緒に行きます!俺の剣を見てください!」

「ちょっ、ギィ待て・・・ったく」

 

カレルに付いて飛び出していったギィ。あの顔はカレルの弟子として認めてもらうことしか頭にないようだった。

ハングは説教のリストにギィの名前を追加し、軽く舌打ち。

 

そして、ふと砦の外へと目を向けた。

 

砦の外ではフィオーラ達の天馬騎士三姉妹とヒースが縦横無尽に敵を翻弄している。

だが、問題は上空ではない。

そろそろ、敵がエリウッド達の背後を取るためにハングがぶち抜いた穴に殺到してくる頃合いだった。

 

「そろそろか・・・イサドラさん!悪いんですけど、このまま戦闘をお願いします!」

「わかりました。この壁の穴から敵を入れなければよろしいのですね」

「話が早くて助かりますよ・・・バカ傭兵も外でイサドラさんの援護を頼む!彼女の愛馬に敵を寄らせるなよ」

「わかっている、クソ軍師」

 

レイヴァンが外に飛び出し、剣を構える。

イサドラも芯の太い槍を構えて、穴の前に陣取る。

 

近衛兵でもあったイサドラにとって、狭い出入り口を死守する戦闘は十八番であった。

 

「あったぞ!あそこだ!!あそこから侵入されたんだ!!」

 

外から【黒い牙】の戦闘員が駆けてくる。

イサドラは馬上という高い位置から槍のリーチを存分に生かしてそれを迎撃していく。

懐に潜り込まんとする敵はレイヴァンが確実に切り捨てる。後方からはルセアの援護もあり、この三人を突破するのは至難の業となっていた。

 

ハングは彼等に背中を任せ、ドルカスに改めて指示を出す。

エリウッド達がどこまで制圧しているのかはわからないが、ハングの予想ではそろそろ膠着状態に陥るはずだった。だが、そこに別方向から風穴を穿てれば、砦の最奥にまで足がかかる。

 

「頼みますよ!ドルカスさん」

「・・・任されよう・・・しかし、相変わらず頭が切れるな」

「だから俺は軍師なんですよ」

 

ハングはそう言って不敵に笑ってみせる。

 

彼にはこの局面の詰みまでが、既に見え始めていた。

 



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第27章~闇の白い花(後編)~

ハングとヘクトルが空けた砦の穴。

そこを敵に通過されれば、中で戦っているエリウッド達が前後から挟撃されてしまう。

ハングは自ら剣を引き抜き、穴の防衛を担当していた。

 

「イサドラさん!一度引いて治療を!バカ傭兵!前に出過ぎるな、下がれ下がれ!!」

 

ハングは迫りくる剣を左腕で跳ね上げ、相手の喉笛を剣で突き刺す。剣先で軟骨を砕いた手応えを感じながら、素早く剣を引き抜く。噴き出た返り血を避けるように後退し、飛んできた投げナイフを剣先で切り落とした。

 

ハングの動きは【黒い牙】の暗殺者を相手にも引けをとらない。リンディスとの長年の訓練はハングの剣技を確実に上昇させていた。

 

だが、【黒い牙】の中にも手練れはいる。

 

敵の中から一人の兵士がハングに向けて一気に突進してきた。ハングは敵は迎撃しようと剣を構える。

だが、ハングの剣の間合いの僅か外側から敵が一気に更に加速した。

 

「なっ!」

 

攻撃のタイミングを外されたハング。剣の間合いの内側に入り込まれてしまう。

相手の武器は素早く振り切ることに特化した剣。この距離であれば敵の攻撃の方が出が早い。

 

「くそっ!」

 

運が良いことに敵の攻撃はハングの左側から迫っていた。

ハングは横凪に振るわれた剣を左腕で強引に防ぐ。だが、防いだ直後にすぐには次の攻撃が迫っていた。

恐ろしい程の剣速だった。

 

ハングは身体を捻りながら、なんとか次の攻撃を受け流す。

 

二度目の攻撃もなんとか防ぎ切ったものの、連続攻撃を受けた腕が痺れを感じていた。

 

「・・・・・・・」

 

フードを目深に被った敵が困惑している様子が伝わってくる。

今の連続攻撃でハングの腕が千切れ飛ばなかったのが不思議なのだろう。なにせ、ハングの腕は包帯を巻いているだけで、籠手すら巻いていない。その腕が斬撃を二度も受け止めたのだがら、トリックを疑うのは当たり前だったった。

 

「クソ軍師!大丈夫か!?」

「ああ、なんとかな・・・」

 

ハングは千切れかけた包帯を確認し、再び構えを取る。

他の敵はレイヴァンが大方片付けており、残る敵は目の前の男だけだ。

 

「・・・・・・」

 

だが、不思議なことに敵は急に攻撃を仕掛けてくる気配が消えていた。

 

一人でここの突破が不可能だと察したのだろうか?

それにしては逃げる様子もない。

 

ハング達には敵が困惑してくる様子だけが伝わってくる。

 

「ハング殿!私も再び加勢に・・・ハング殿?」

 

後方から治療を終えたイサドラが再び参戦してくる。

そのイサドラを見て、敵の様子が更に変化した。

 

「なっ・・・」

 

フードの下から驚愕している様子が見える。

そして、それを見てイサドラの方も相手の正体に気づいた。

 

「あなたは・・・!まさか・・・ハーケン!?」

「えっ!?ハーケンさん!?」

 

ハングは以前エルバート様に力を貸したときにハーケンと出会っている。

 

その男がフードを外す。

そこにいたのは、昔より多少老けたものの記憶と大差のないハーケンだった。

ハングの記憶が正しければ、あの時にはイサドラとハーケンの間に婚約騒ぎが持ち上がっていた。

 

あの後の経過をハングはまだ聞いていないが、追及は後回しになりそうだった。

 

「イサドラ・・・ハング殿・・・」

「生きていたんですか!?てっきり、全滅したと・・・」

 

そう言うとハーケンの体に動揺が走り抜けた。

ハングは剣を降ろし、声をかけた。

 

「ハーケンさん、今はエリウッド様もこちらにいらっしゃいます。力を貸してください」

 

ハングは説得を試みる。だが、その内心ではハーケンはすぐさまこちらに従ってもらえると思っていた。

そんなハングの考えを切り捨てるかのように、ハーケンは武器を構えた。

 

「ハーケンさんっ!何をしてるんですか!?」

 

ハーケンの対応にハングの動きが遅れる。レイヴァンも現状を把握できないせいか剣を構えるのまでに時間を要した。ただ、イサドラだけは今も武器を持つことが出来ずにいた

 

「主君を守れなかった私に・・・フェレに戻る資格は・・・ありません」

「えっ・・・」

「あの男の魔術によって・・・我々フェレ騎士団は壊滅した。エルバート様が連れ去られるのを私は・・・どうすることもできなかった・・・」

 

『あの男』

 

具体的な名前を出さずとも誰が何をしたのかを予想するのは容易だった。

それこそ、ハングはネルガルの魔術が村一つ容易に消したところを目撃している。

 

「エルバート様を連れ去ったあの男は【黒い牙】とつながりがあると知った。【黒い牙】の影を追って大陸をめぐり・・・せめて奴らに一矢報いようと、ここへ・・・生き恥をさらすより、私は騎士としての誇りを選ぶ。我が命と引きかえに、せめて一人でも多くの仇を・・・」

 

ハングはその言葉に奥歯を噛み締める。

 

『復讐』

 

その言葉に宿る怨嗟の熱量をハングは知りすぎる程に知っている。

しかも、相手はネルガル。それを追いかけるためにどれ程の覚悟を要しているのかをハングは痛い程に理解できていた。

 

今ここにいるのは『騎士』のハーケンではない。

悲しみと怒りと憎しみで復讐の『鬼』となった男だけだ。

 

そんなハーケンに声をかけたのはやはりイサドラだった。

 

「待って!お願い、ハーケン!馬鹿なことはやめて!」

「イサドラ・・・」

 

ハーケンの顔に色が戻る。

雪山の寒さの中で失っていた体温が戻るかのように、ハーケンの頬に赤みがさした。

 

「やっと、あなたに会えたのに・・・あなたはまた私の前からいなくなってしまう・・・ハーケン、お願いだから・・・もっと自分を大切にして。お願いだから・・・」

 

イサドラの瞳から涙が零れる。

彼女の頬から落ちた雫が雪の上に落ち、凍り付いた万年雪を溶かしていく。

 

ハングはハーケンを『騎士』に戻すために、言葉を畳みかけた。

 

「ハーケンさん。あなたは、ネルガルに騎士の誇りまで殺されたんですか!?」

「・・・ハング殿」

「少なくとも、俺が出会ってきた騎士達は命を賭ける場所をはき違えるような人は一人もいない。復讐なんてもんに取り付かれるような人は一人もいない!」

 

ハングは自分の言葉に自分の耳が痛くなる。

だが、建前と本音とは得てして使い分けるものだ。

 

「ハーケンさん。しばらく見ないうちに随分とかっこ悪くなりましたね」

 

そう言うと、ハーケンは胸に閉じ込めていた冷気を吐き出すように大きくため息を吐いた。

 

「ハング殿はかっこよくなられましたな」

「そんなことはないです・・・俺だって、かっこ悪いまんまです」

 

ハングは鼻で笑う。

ハーケンは力尽きたように武器を降ろした。

 

「わかりました。ハング殿、イサドラ。君たちの言うとおりにしよう。この命は、亡き主君とエリウッド様のためにある・・・命はそこに賭けるとする」

 

ハングはその言葉を聞き、構えていた剣をおろした。

 

周囲に敵はいない。ハングは闘争の音のする砦の内部を振り返った。

 

「さて・・・向こうはどうなったかな?」

 

ハングとしては、あのジュルメとかいう下種野郎は自分の手でみじん切りにしてやりたいところだった。

とはいえ、ハングも自分の『分』というものは理解している。

 

砦の内部の制圧はエリウッド達に任せておけばいい。既に戦場は詰んでいる。

敵に戦術を一人でひっくり返せるだけの猛者がいれば話は別だが、あのジュルメがトップな時点でたかが知れていた。

 

そのハングの考えを証明するかのように、周囲に張られていた結界が急速に力を失いだしていた。

 

「終わったか・・・エリウッド達も指揮官としては大分動けるようになってきたな」

 

成長しているのはハングだけではない。

ハングはそのことが無性に嬉しかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

リンディスは倒れたケネスの身体を見下ろしていた。

聖職者でありながら、こんなところにまで身を落とした彼を見て思うところがあったのだ。

 

「・・・みんな、ネルガルに狂わされている・・・」

 

それは、決して敵だけではない。

 

ハングもエリウッドもネルガルに人生を大きく狂わされてしまった。

ネルガルがいなければ、ハングはベルンで幸せな生活を送れていた。エリウッドも父を理不尽に失うような悲しみを背負うこともなかった。

 

「よう、終わったみたいだな」

 

そう言いながらハングがその場に現れた。

 

「ハング、そっちはどうだった?」

「ん?まぁ・・・問題ない・・・かな?」

 

ハングの視線の先ではハーケンがエリウッドと再会を果たしていた。

 

彼もまたネルガルに狂わされてしまった一人。

ハングが彼を見る目はどこか痛みを孕んでいた。

 

「それより【ファイアーエムブレム】だ。それが無いと、ここに来た意味がない」

 

ハングに言われ、皆は【ファイアーエムブレム】の捜索を開始する。

だが、それはさほど時間を置くことなく解決した。

 

「これ、何かしら?」

 

ケネスの懐を探ったリンディスが紋章の描かれた石碑のようなものを抜き取った。

 

「そいつだ!それが【ファイアーエムブレム】だ!文献で見たことがある」

 

だが、それを手に入れたとしても、問題がまだ残っている。

 

「せっかく取り戻したが、王子を暗殺されちゃあ、無意味になっちまう。急がないと」

 

ハングはエリウッドへと向き直る。

 

「エリウッド!これ以上の長居は無用だ」

「わかっている!急いで離宮へ向かおう!なんとしても暗殺を止める・・・!!親が子の命を狙うなんてそんなこと、あってはいけないんだ!」

 

ハングは全体に撤収を呼びかけた。

 

慌ただしく歩き回る中、ハングはヘクトルとオズインが何か話しているのを目撃した。

 

「そういえば、うっかり忘れるところでした。伝令を通して、ヘクトル様にウーゼル様からのお言葉をお預かりしております」

「お!兄上俺になんだって!?」

「『あまり我を張って、エリウッド様を困らせぬように』とのことです」

「ったく兄上のやつ、いつもそれだ。人をガキ扱いすんなって言ってんのによ・・・」

 

そんな会話の後、ヘクトルは撤収の為の仕事の為に呼ばれていった。

ハングは離れていくヘクトルの背中を見ながら、オズインのもとに寄った。

 

「何かありました?」

「・・・いえ、何も・・・」

 

そう言ったオズインの表情は動かない。

だが、ハングはその手の中に握られている手紙に押された印が見えていた。

 

「オスティアからの封書ですか?」

「・・・はい、ここまで私に指示を求める書類を送ってくるとは・・・働かせてくれますな」

 

指示を仰ぐ?

 

ベルン奥地に潜入していることはオスティア侯爵である、ウーゼル様も知っているはず。

そんなオズインにわざわざ手紙を送ってくるような案件があるのだろうか?

だが、それがオスティアから届いた封書であることは間違いない。

 

では、その内容は?

 

ハングは現在の状況を考える。

 

「オズインさん・・・」

「なにか?」

 

返事をしたオズインの表情はやはり硬い。

だが、ハングにとってはそれもまた一つの情報であった。

 

「オズインさん・・・指示を出して・・・特別手当は出るんですかね?」

「出ないでしょうな」

 

傍から見ればただの世間話かもしれない。

だが、ハングはそこから確かな情報を得ていた。

 

「そうですか・・・」

「そうですね・・・」

 

ハングは胸に去来する痛みをこらえ、ベルンの曇り空を見上げる。

 

ハングは時々、自分の無駄に回る頭が恨めしく思う時がある。

知らなくていいことを知ってしまい、考えたくのない可能性にまで頭が回る。

 

「辛くはないんですか?」

「そうですな・・・まぁ、ヘクトル様に気付かれないようには気を付けてますよ。疲れた顔を晒すわけにはいきませんからな」

「何か・・・自分にできることはありますか?」

「優しいですね、ハング殿は」

「オスティアに恩を売るのは見返りが大きそうですから」

「・・・今は、私を前線に出していただけるとありがたいです。ヘクトル様に悟られたくないもので」

「・・・わかりました」

 

ハングはこっそりと溜息を吐いた。

 

自らを押し殺すように無表情を取り繕い、そしていつもの表情を取り戻す。

 

「そんじゃ、撤収作業お願いします」

「わかりました」

 

去りゆくオズイン。その後ろ姿を見送る。

 

そして、皆が撤収の準備をするなか、ハングは砦の壁に背を預け、ずるずると座り込んでしまった。

 

「ふぅ・・・」

 

その場にへたりこむハング。ハングは乱暴に自分の髪をかきむしる。

 

「・・・まだまだな俺も・・・」

「なにが?」

 

声をかけられ、顔をあげるとそこにいたのはリンディスであった。

周囲に人はいない。

 

「リンディス・・・」

「どうしたの?なにかあった?」

 

リンディスはそう言いながらハングの隣に座る。

 

「なんでもなくないけど・・・なんでもない」

「そう・・・」

「聞かないのか?」

「聞いても答えてくれないんでしょ?なら聞かないわよ。嘘つかれたくないし」

「・・・ありがと・・・」

 

ハングはリンディスの肩に自分の頭を乗せる。

誰かに支えてもらえないと、この冷たい地面に倒れ込みそうだった。

 

「なんか・・・自分がどんどん弱くなってる気がするな・・・」

「そう?私はハングは強くなってると思うけど」

「そうかな・・・以前ほどいろいろと一人じゃ耐えられなくなってきてるぞ、俺」

 

ハングは自嘲気味に笑う。

 

昔は一人だった。仲間はいたし、居場所もあった。だが、それでもハングは常に一人だった。

苦痛も絶望も一人で抱えて生きてきた。

 

それが今はこうして一人で立っていることもできない。

 

「ハング・・・」

「なんだよ」

「それはね・・・一人で耐えられないような大きいことを背負うようになったからだと思うよ」

 

ハングはリンディスの横顔を見上げた。

 

「復讐は一人で良かった。だから一人で耐えられる・・・でも、今はハングはこの部隊の軍師でしょ?」

「・・・・・・・」

「ハングは強くなってる・・・だから、多くのことを背負うようになって、多くのことを抱えるようになって・・・そんなものを一人で耐えるのは無理よ」

「・・・だな・・・」

「肩でよければいつでも貸すから・・・無理はしないで」

 

その台詞は男の方が言うものではなかろうか。

ハングはそんなことを思ったが、腕っぷしを考えればこれでも良さそうな気がした。

 

「お前にはかなわんな」

「ありがと」

 

ハングはその場から立ち上がる。

 

意外と簡単に立てるものなんだなと思ったハングだった。

 

ただ、胸の内側に抱えた秘密の重さだけは変わりはしなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「・・・手はずはわかったわね?決行は、今夜よ!」

 

ソーニャが離宮付近の森でそう言い放った。そんな彼女にニノが歩み寄った。

 

「母さん・・・あのね・・・ちょっとだけ手を・・・握ってもいいかな・・・?」

「・・・私がそういうこと嫌いなのは知ってるわね?」

「う、うん・・・でも、最後かも知れないでしょ?」

 

失敗には死を

 

それが【黒い牙】の掟。幼いながらもニノはそれを理解していた。

だからこそ、今は少しでも甘えたかった。優しい言葉が欲しかった。

そこにいたのは暗殺者ではなく、年相応の女の子である。

 

「だから・・・」

「・・・いいわ」

「えっ・・・?」

「この仕事を成功させて戻ってきたら手ぐらい、いくらでも握ってあげるわ・・・抱きしめて、頭をなでてあげてもいい」

「ほんと!?だったら、あたし頑張る!ぜったいぜったい成功させるよ!!待っててね、母さん!」

「ええ、じゃあ気をつけて行きなさい」

 

ソーニャが見せた初めての優しい笑顔。

 

それを見たニノは顔に生気を張り巡らせたようだった。

 

「・・・!うん!!行ってくるね!!」

 

ともすればスキップまではじめそうなほどに喜んでいるニノ。彼女から離れるわけにはいかないジャファルはその背を追おうとした。

 

「あ、ジャファルは少しお待ちなさい」

 

ソーニャに言われ、ジャファルはその場に留まる。

 

「今回の仕事のことだけど・・・」

「・・・何だ?」

「標的は王子と・・・ニノよ」

 

その指示にわずかにジャファルの顔の筋肉が強張った。

だが、もともと無表情のジャファルのその変化を見抜くことはソーニャにはできなかった。

 

ソーニャは淡々と続ける。

 

 

「王子暗殺・・・国王の依頼には、その後始末も含まれているの。王子を失った事実が知れると国中が大騒ぎになる・・・暗殺者を捕らえて吊るさなければ騒ぎは収まらない・・・だから『生贄』が必要になるの」

 

ジャファルの強張った顔に嫌悪感が混ざった。

 

「わかるでしょう?」

「・・・ニノはお前の娘ではないのか?」

「ふふ あんなクズどうでもいいのよ・・・まぁ、あんなゴミでも使いようはあったってことね。『大好きな母さん』の役に立てるのあの子も、大喜びだったじゃない」

 

ジャファルの眉がわずかに歪んだ。そのジャファルの変化にはささすがのソーニャも気づいた。

 

 

「・・・なによ?何か言いたいことでも?」

「俺には・・・関わりのないことだ」

「・・・ネルガル様が孤児のおまえを拾ったのは、その非情な精神と剣の腕があってこそ・・・失敗は二度と許さないわ。覚えておくことね!」

 

失敗

 

先日、仕事をしくじり深手を負った記憶が蘇る。ジャファルは服の下でその傷の場所を掴んだ。

既に治ったはずの傷が酷く痛んだ気がした。

 



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第28章~夜明け前の攻防(前編)~

今回から、原作の改変が少々出てきます。

主にあのドラゴンナイトさんです。
既にかなり性格改変されてる気もしますが、今回で更に改変されております。


夜も更け、月は無い。静かな世界に漫然とたたずむベルン離宮。

 

戦術的価値の皆無のこの地の警備などたかが知れている。外の警備などは始末する必要もない程に薄い。今まで数々の暗殺を成功してきたジャファルはもちろん、初仕事のニノですらなんの抵抗も受けずに城の中枢にたどり着いた。

 

二人が向かったのはとある一室。

 

他の部屋と比べると多少の装飾がなされた扉。ただ、ベルン王宮と比べると驚くほどに質素だ。

その扉を廊下の端から確認しながらニノは小さな声で呟いた。

 

「王子の部屋は・・・あ、あの扉かな」

 

唇さえ動かさない程の小さな声だが、この静かな城にはその声さえ隣のジャファルに届いた。

 

「いつも王子を守ってるマードックって将軍は、国王の命令で今、ここにはいないはずだし・・・」

 

本人には言葉を発してる自覚はないのだろう。緊張感と仕事の重圧に自分の体が小刻みに震えていることすらわかっていないはずだ。

 

「衛兵も・・・いない。かんたんな仕事、だよね?あたし、絶対にうまくやってみせる!」

 

誰に尋ねるまでもなく、自分に問い、自分で答えるニノ。

 

「そりゃ、は、初めての仕事だから・・・ちょっとばかし、キンチョウとかしてる・・・けど。絶対、絶対っ失敗するわけにはいかないから・・・」

 

自分の初仕事の時はいつだったか。

 

ジャファルはガラにもなくそんなことを思い出そうとし、すぐさま諦めた。

そもそも初仕事をしたのは物心がつく前だった。それ以降の記憶も全てが血塗られた過去。わざわざ呼び起こす価値すらない。

 

「ジャファル、準備はいい?」

 

顔を強張らせてジャファルに声をかけたニノ。そんな表情で仕事を成功させてきた人間をジャファルは知らない。その顔はむしろ、殺される側がよく見せる表情だった。

 

「・・・俺は、おまえのヘマに付き合う気はない・・・失敗した時は、迷わず標的ごと、おまえを始末する・・・仲間だとか、助けてもらえるとか甘い考えはもつな・・・覚えておけ」

 

今夜のジャファルは妙に饒舌であった。

この程度の会話が饒舌なのかどうかは人によるが、一年のほとんどを口を閉ざすジャファルにとっては随分と長く喋ったことになる。

 

どうしてこんなにも口から言葉が出てくるのか?

 

それはジャファル自身にもわからない。感情が欠落してるという自覚のあるジャファルは自分を客観的に見つめることが上手くできないのだ。

 

「や、やだな・・・そんなの、わかってるよ。あたしだって【黒い牙】の一員だもん・・・はははは」

 

彼女は笑えてるつもりなのだろうか。

顔は引き釣り、頬は強張り、笑っているというよりも泣き出す直前のように見える。

 

ジャファルは思わず、その顔から目を背けた。

 

そして、背けた自分に驚いた。

 

対象から目を離すなど、暗殺者失格も良いところだ。ジャファルはそんな自分の失態を隠すように廊下を音もなく歩き出した。その後ろをニノが続く。

 

「・・・負けない。だって、あたし一人前になるんだから・・・母さんに自慢してもらえるようなそんな娘に、なるんだから・・・」

 

普段より研ぎ澄まされているジャファルの耳にニノの声が届いてきた。

ニノも廊下を歩き、部屋の前にたどり着く。

 

「・・・見張りもいない。約束どおりだけどなんか・・・へんな感じ」

 

相手は成人の儀を数日後に控える王子だ。国の重要人物の部屋だというのに、これは逆に異様ともとれるだろう。

 

部屋の中に耳をそばだててるニノ。

その耳に謳うような声が聞こえてきた。

 

「部屋の中から聞こえる!」

 

ニノの声を聞き、ジャファルも耳をすました。

 

「・・・祈りの声だ」

「本当だ・・・王子の声・・・だよね?なにを祈ってるんだろう?」

 

二人して部屋の扉に耳をつける。

 

「・・・神様、明日は私の成人の儀式です。これまで、ベルン王子として父上の恥にならぬようふるまってきたつもりです・・・ですが、まだまだ父上の期待には、そえていません。努力が足りないのでしょう・・・もっと頑張るようにします」

 

ジャファルは横目にニノの顔色を窺った。

 

「・・・・・・神様・・・明日からは大人になる愚かな子供の、最後の願いとして毎晩お聞かせしているこの願いを叶えて下さい・・・どうか父上と母上が仲良くなりますように。私と、妹のギネヴィアそして妹の母も・・・ みんなみんな仲良く王宮で暮らせる日がいつか来ますように・・・」

 

無表情になっていたニノ。

最初から無表情のジャファル。

 

ジャファルは無性に今この場にいることがとてつもなく嫌になった。

身の内側から沸き起こるのは焦燥。これ以上、この王子の言葉を聞きたくなかった。

 

聞かせたくなかった。

 

「・・・行くぞ・・・」

「あ!ジャファッ・・・!」

 

慌てたようなニノの声を背に受けて、ジャファルは部屋に飛び込んだ。

 

「な、くせもの・・・!!」

 

正面から入ったジャファル。気づかれて当然の動きだった。

足音を殺すこともせず、気配を断つこともせず、ただの押し込み強盗のような雑な侵入だった。

そのことにジャファルは内心で唇をかみしめる。それは自分が焦っていたのを理解した瞬間だった。

 

だが、相手はただの王子。

 

一騎当千の猛者共に比べたら十分にくみしやすい。

ジャファルは素早く王子の背後に回り込み、首を締め上げて意識を一気に刈り取った。

 

ニノが部屋に入った時には既に床に王子が倒れていた。

 

「・・・これで当分、眠っている・・・ここからはおまえの仕事だ・・・」

 

ジャファルの声に体を強く震わせたニノ。

 

初めての仕事。

 

初めての暗殺。

 

覚悟は決めていたはずだった。

 

「・・・早くしろ」

「・・・う、うん」

 

なのに、どうしても体が動かない。

 

それは単なる恐怖とは違う。命を奪う恐怖とは別種の感情がニノの中に芽生えていた。ニノは震える瞼を隠すように俯いてしまう。

 

「できない・・・よ」

「なんだと?」

「できない」

 

あの祈りを聞いてしまった今となっては、ニノは動くことができなかった。

 

「・・・この人、あたしといっしょだもん」

 

ジャファルの眉が揺れた。

 

「親に・・・愛してもらいたいって・・・ただ認めてもらいたいってそれだけなのに・・・」

 

ニノの声にジャファルの腹の底が揺れる。

 

「でも・・・どんなに努力しても、母さんは、いつも汚い物でも見るように・・・がっかりした目であたしを見るんだ・・・ただの一度も・・・抱きしめてもらえない・・・」

「ふざけるな!」

 

思った以上に大きな声が出た。

 

自分の口からこんな声が出るとは思わなかった。

 

ジャファルは息を飲み込むようにして腹の底を落ち着け、声量を落とす。

 

「・・・言ったはずだ、おまえのヘマに付き合う気はないと」

「わかってる・・・」

 

なにをわかっているんだ!!

 

怒鳴りだしたくなる自分を抑え込むジャファル。

彼の前でニノは静かに目を閉じて、体の力を抜いた。

 

「ジャファルの好きにすれば、いいよ。あたし、抵抗しないからラクにやれるよ」

 

ジャファルは思わず足を引いてしまった。

 

どんな相手をも一瞬で葬り去ってきた【死神】が尻込みしたのだ

 

「でも・・・この人だけは助けてくれないかな・・・お願い・・・だから」

 

まるで戦う気のないニノ。その瞳に映っているのは死を享受した諦めの色だ。

ジャファルの暗殺相手にもこのような目をする奴らはいた。

そんな相手を前にしてもジャファルは躊躇ったことなど一度もなかった。

 

なのに、今は手ににじみ出る汗をぬぐうことすらできない。

 

「・・・・・・さ、いいよ?」

 

ニノが目を閉じる。

 

殺せ

 

自分の中で殺意が鎌首を持ち上げた。

 

どうせ、最初からこの二人を殺す予定だった。順序と計画が少しズレただけだ。

 

殺せ

 

殺せ

 

殺せ

 

だが、その殺意は疼くような体の痛みに打ち消された。

 

それは未だ痛む治療の痕。拙い手で施されたが為にどうも治りが悪かった傷の痕だった。

とっくに傷は癒えたはずなのに、そこに鉄の枷でもつけられたかのように鈍い痛みが残り続ける。

 

だが、これは本当に『痛み』なのだろうか?

 

ジャファルは自分の体から力が抜けていくのを自覚した。

 

ジャファルは溜息を吐き出した。それは、彼の生まれて初めての溜息だった。

 

「・・・来い」

「え・・・?」

 

ニノの手をとり、ジャファルはその部屋の外へと飛び出した。

 

「ここから脱出する。急げ」

「ジャファル・・・?」

「・・・こっちだ、早く来い」

「で、でもこんなことしたら・・・ジャファルまで・・・」

「いいから、早くしろ」

 

ニノは何が起きてるかわからないといった表情だった。

そんな彼女を引きずるようにジャファルは本来の脱出口とは別の方向に走り出す。

 

そのジャファルの前を一騎の騎馬が遮った。

 

ジャファルは咄嗟に自分の背後にニノを押し込む。

 

「あら、ジャファル。もう終わったの?さすがは【死神】といったところかしら、見事な手際だわ。ソーニャ様から、あなたの動向がおかしいと聞いたのだけど余計な心配だったわね」

 

ウルスラ。

 

ロイド、ライナス、ジャファルと並ぶ【四牙】の一人。

【四牙】の実力はほぼ互角。裏を返すと【四牙】を単騎で殺害できるのは【四牙】だけだ。

 

「ごめんなさい!ジャファルは悪くないのっ!!あたしがあたしが王子を・・・」

「ニノ!」

 

ウルスラがジャファルに対して死の制裁を下すと思ったのか、ニノがジャファルの前に出てしまう。

ジャファルはそれを無理に背後に押し込むが、それでウルスラの視線までも防ぐことはできなかった。

 

「・・・どういうことかしら?どうして、その子がまだ生きているの?」

 

ジャファルは袖に隠し持った短刀を引き抜いた。

 

「え・・・」

「ソーニャ様に命令を受けているでしょう?その役立たずはここで始末するよう・・・」

 

背後から息を飲む音が聞こえ、ジャファルは殺気を漲らせた。

 

「だまれ。それ以上、その口を動かすな」

「・・・・・・そう、そういうこと」

 

それだけで何かを察したらしいウルスラ。

その頭の回転の速さはさすがと言っていいだろう。

 

「ジャファル、あなたネルガル様を裏切るつもりね?」

「ニノは・・・死なせない。邪魔をするなら、消す」

 

既に戦闘態勢に入ったジャファルを前に、ウルスラは余裕の笑みを浮かべた。

 

「フフ・・・あなたにも人間らしい感情あったのね。あの気味の悪い【モルフ】どもと変わりなかったのに。その様子じゃ、王子もやってないんでしょ?」

 

まだ戦闘する気のないウルスラを前にジャファルは一旦背を向け、ニノを連れて離宮の奥へと走りだした

 

「・・・・・・マクシム!」

「はいっ! ここに」

 

ウルスラの操る魔法は距離の概念を軽く飛び越える。だが、ウルスラはすぐさま魔法を叩き込むことはしない。

 

どうせ、出口は抑えた。奴はここからは逃げられない。ならば確実性を取るべきだ。

 

ただでさえ奴の名は【死神】現実にすら存在せず、闇の中からすべてを引きずり込む暗殺者。

下手をすればこちらが狩られる側にまわりかねない。

 

しかも、おかしなことに引き離したはずの警備兵がなぜか離宮に戻ってきていた。しかも、やけに竜騎士が多いのも気にかかる。不安要素の増えてきた戦場で不用意な行動はできない。

 

計算高いウルスラだからこそ、万全の局面を作り上げることに拘った。

 

「連れてきた部下どもを使って明かりをすべて消し、外へ出る通路をふさがせなさい。標的は、王子ゼフィールと裏切り者二名。警備の者に気取られる前に終わらせます。かかれ!!」

 

一瞬で離宮に音のない殺意に溢れかえる。

ジャファルはその離宮の一角で外へと続く廊下に押し込む。

 

「・・・早く行け!俺が時間をかせぐ」

「や、やだよ!ジャファルも一緒に・・・」

「ニノ・・・」

 

一瞬、ジャファルの脳裏に穏やかな風景が浮かび上がった。

 

暖かな木漏れ日と、静かな風の音で笑う人達。

そこにニノの姿があった。だが、自分はいない。いてはならない。

 

ジャファルはその景色が明確な形を持つ前に思考から追い出した。

 

「お前は、生きろ。お前には、その資格がある」

 

この周りにいるのは【四牙】には劣るものの、次点を争う手練れだらけだ。

余計なことを考えることは命取りになる。

 

ジャファルは無理やりニノが握る袖を振り払い、闇の中へと駆け出した。

 

「やだ!待って!!行かないで、ジャファル!!」

 

後ろ髪を引かれるというのもジャファルにとっては初めての経験だった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ここが、ベルン離宮だ!」

 

離宮の前。裏の城門は既に全開であり、離宮の手前に来るのに何の抵抗も妨害も無かった。

 

「明かりがついていないわ。それに、戦いの音。なにが起きているの?」

 

リンディスの言うとおり、中では金属と金属がぶつかり合う音が響いている。

 

「わかんねーけど、戦いが起こってんならまだ希望ありそうじゃねーか!急ごうぜエリウッド!!」

「中へ入ろうっ!王子を守るんだっ!!」

 

問題はどう侵入するかだ。相手が暗殺者集団なら出入り口は確実に固めてくる。

そこに真正面からぶつかっていくのは愚策でしかない。

 

策を巡らせるハング。その頭上から声が降り注いだ。

 

「遅かったじゃないか、ハング」

 

見上げると、一騎のドラゴンナイトが頭上から着地しようとしていた。

騎乗しているのは好戦的な瞳を持つ、短髪の女性。

 

「露払いはすませておいた。いつでも突入できるぞ」

 

槍を肩に担ぎ、頼もしい姿を見せる彼女。唐突に訪れたその人物に周囲が一気に色めき立つ。

その反応も当然のもの。彼女とは一度殺し合いを演じた仲だった。

その中で一人。ハングだけは別の意味で色めき立っていた。

 

それは、懐かしくもあり、嬉しくもあり、何より本当にこうやって会話ができることが感極まりそうになる。

ハングは周りの視線などお構いなしに、彼女に話しかけた。

 

「・・・ははは・・・やべ、泣きそう」

「私はお前をそんな軟弱に育てた覚えはないぞ」

「・・・ですよね・・・隊長」

 

ふん、と鼻を鳴らすのはヴァイダその人であった。

ハングの育ての親にして部隊の隊長。

 

「気付いてくれたんですね」

「当たり前だ。貴様のことならケツのほくろの位置まで知っている」

「た、隊長!?」

 

突如放たれた発言にハングは思わず声を震わせた。

 

「その他にも言われたくないことは多いだろう?暴露されたくなければ、その『隊長』というのはやめろ。お前はこの部隊の軍師で、私はただの元竜騎士だ」

「・・・ヴァイダさん・・・」

「それでいい」

 

ニカッと笑うヴァイダ。

 

その一連を見ていた周りの人達は驚いたようにヴァイダの表情を見ていた。

 

ベルン城付近で一度槍を交えたヴァイダだったが、その時は常に冷酷な笑みを浮かべていた。その竜騎士が、弾けるような笑みを見せたのだ。そして、その笑顔はハングがよく見せるものと非常に似通っていた。

 

「ん?なんだ?どうして、周りの連中は私を見てるんだ?」

「・・・俺は気持ちがわかる気はしますが。今は他にすることがありますよ」

「当然だ。ゼフィール王子を暗殺など冗談じゃない。本当ならさっさと蹴散らしてやりたいのだが単騎ではどうしようもない。子飼いの部下達もまだまだ実力が足りなくてな。出入口の確保で精一杯だった」

「戦力なら任せてください」

 

ハングは呆けたような顔のまま突っ立っている仲間達を振り返る。

 

「言いたいこともあるだろう。聞きたいこともあるだろう」

 

ハングの過去を知りうるのはエリウッド達数名だ。

いきなり敵将がハングの傍にいることに驚いている人達も多い。

 

「だが後回しにしてくれ!その時は俺のことは煮るなり焼くなり好きにしろ。こっから先は迅速さが全て。今は俺の指示を信じろ。暗殺を何が何でも阻止する。いいな!!」

 

マーカスをはじめとした騎士達はヴァイダにあからさまな警戒心を抱いていたものの、静かな返事があった。

ハングの言うとおり今は時間がないというのもある。だが、それ以上に『ハングが信じるなら』という気持ちがあるのも確かだった。

 

最初の頃ならこんなことは絶対無かったな。

自分も軍師として認められてきたってわけだ。

 

そんなことを思ってハングは満足するように頷いた。

 

ハングは気を取り直し配置を矢継ぎ早に指示していく。

名指しされた面々が次々と駆け出していくのを確認し、ハングはヴァイダを振り返った。

 

「ヴァイダさん、ヒースと一緒に上の窓から突破してくれ。背に一人ずつ、ヒースにはレイヴァンをヴァイダには・・・」

「私が乗るわ」

 

間髪いれずに声があがる。名乗り出た人にハングは少なからず驚きの声をあげた。

 

「リン?」

「問題ないはずよ」

「え・・・あ、まぁ・・・かまわんが」

「そう」

 

リンは見ている方が怖くなる程に強張った顔でヴァイダへと歩み寄った。

 

「よろしくお願いします」

「わかった。さっさと乗れ。足手まといになるようなら振り落すからな」

「御心配なく」

 

リンディスの声がやけに固い。

 

「ハング」

「ど、どうした?」

「後で煮るなり焼くなり好きにしていいのよね?」

「・・・・・・え?」

 

ハングの背中に嫌な汗が流れ落ちた。

 

「行くぞ、小娘」

「リンです」

「そうか、小娘。私はヴァイダだ」

「どうも」

 

ヴァイダとリンディスが飛び立っていく。

 

「ヒース!私に続け!!」

 

上空から声にヒースはほぼ反射的に従う。

 

ヒースはドラゴンに乗るためにハングとすれ違う時、彼の肩を軽く叩く。

ついでにレイヴァンもハングの肩を殴ってきた。

 

二人の言いたいことはなんとなくわかった。

 

『がんばれ』

 

なぜだ・・・なぜこうなった。

 

リンディスに何をされるのかは考えないようにして、ハングは指示を出す。

別のことで頭を埋め尽くすことによる現実逃避である。

全員に指示を送り、ハングはラスの馬の後ろに飛び乗る。

 

「足は任せるぞ」

「・・・背は任せた」

「期待すんなよ」

 

ラスは馬を操り、離宮の中へと駆け込んでいった。

 

夜明け前の攻防が始まる。



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第28章~夜明け前の攻防(中編)~

「まったく、暗殺するなら。少人数が基本だろうに」

 

あまりの人数を前にラスの背から降りて戦線に参加していたハングは思わず悪態をついた。

離宮の廊下には次々と暗殺者が現れてくる。この夜闇に何人潜んでいるのか見当もつかない。

王子一人を殺す予定のはずなのに、いったい何人連れてきてるのか。しかも相当の手練ればかり。雪山に残っていた『留守番組』とは根本的に練度が違う。王子相手にこの質と量ははっきり言って異常だった。

 

「ギィ!先行しろ!!夜目は効く方なんだろ!!」

「前に確かにそう言ったけどさ、これは」

 

これ程の敵を相手にハングが戦線に参加しても、さほど戦力にならない。

足手まといにはならない程度には戦えているが、だからと言って役に立ってるとは言い難かった。

 

「ハングさん、手伝います」

「エルク、正面を焼き払え」

「わかりました」

 

エルクが放った火球が廊下を照らし、その先にいた大男に直撃した。

 

「あれが暗殺者とは恐れ入る」

「まったくですね」

「エルク、もう一発だ」

「了解です」

 

再びエルクの火球が飛んでいき、また一人の敵にぶち当たる。

だが、一撃では倒れてくれなかった。

 

「ギィ!迎え撃つぞ!!」

「ああ!って、ハングは戦えるのか?」

「無理だ!だからお前が迎え撃て!」

 

堂々と戦力外宣言をするハング。ギィは嫌な汗をかきながら、剣を構えた。

 

「くっそぉぉぉ!いくぞ、【剣魔】直伝の必殺・・・蓮華!!」

 

と、ギィが動き出した直後、その敵が真横に吹き飛んだ。

 

「え?あれ?」

「ギィ、何もしてないよな?」

「あ、ああ」

 

敵を吹き飛ばしたのは脇から続く廊下から放たれた魔法だった。

 

「うう・・・うう・・・」

 

廊下から現れた子にハングは見覚えがあった。

【黒い牙】の本拠にいた少女、ニノだ。

 

「・・・君は・・・」

「だ、誰!?」

 

咄嗟に魔道書を開いた彼女に対し、ハングは慌てて両手を挙げた。

 

「待て!!俺達は敵じゃない」

「嘘だ!!」

「え?」

 

疑問の声をあげるまでもなく、ニノが呪文を唱え始めた。

 

「ちょっ!待て!!俺は本当にお前の味方だ!」

「嘘だ!!」

 

呪文を中断しつつもニノはそう叫んだ。

そうしてる間にも、彼女の手のひらには火球が収束している。

その行為にハングの背後でエルクが「ばかな」と呟いた。

 

彼女は魔法の詠唱を途中で停止しながら、魔力を分散させずに更に収束させている。

それは、生半可な能力で可能なことではない。

 

そして、それをやってのけたニノはというとハングに対して敵意をむき出しにしていた。

 

「俺はお前に危害を加えるつもりはない!」

「嘘だ!」

 

まるで取り付く島もない。

 

だが、ニノには彼女なりにハングを信用できない理由があった。

 

「だってあなたの顔、とっても怖いもん!!」

「・・・・・・・それは・・・うん・・・まぁ・・・」

 

ハングの背後でエルクが音もなく溜息を吐き出した。

 

「ハングさん・・・こればっかりは仕方ないですよ」

「そうだな・・・って!いや、ちょっと待て!話せばわかるから」

 

ハングは一瞬納得しかけた自分を押し潰す。

だが、ハングは自分がこの顔である限り、ニノを説得するのは不可能だと理解した。

 

「エルク!!お前が説明しろ!!」

 

自分がここで我を張っても仕方ない。ハングはエルクを前に突き出した。

 

「はいはい・・・ニノ、だったね。彼の言うことは本当だよ」

「本当?」

 

ニノと同じく魔道士の格好をしたエルクにニノの警戒心が緩む。

 

「うん、信用してくれないか?」

「なら、王子は部屋の中だよ!早く助けてあげて!!」

 

ニノは掌に集めた火球を霧散させつつ、エルクに王子の部屋の場所を教えている。

エルクがあっという間にニノを懐柔したのを目の当たりにしたハングはギィに向かって問いかける。

 

「なあ、ギィ。俺ってそんなに怖い?」

「暗闇だとやっぱこえぇと思うぞ。もし森でお前と出会ったら俺なら絶対に切りかかるね」

 

ハングは溜息を吐き出した。

 

だが、そんなことより有用な情報がニノの中にあった。

 

「ギィ、エリウッド達に防御の拠点を知らせろ。王子は部屋の中だ」

「え!?でも場所はわかるのか!?」

「エリウッドには離宮の地図を叩き込んだ。王子の自室と言えばわかる」

「わ、わかった!!」

 

ギィを後方に送る。

 

ハングは改めてニノへと視線を合わせた。

 

「信用してくれたかい?」

「・・・・」

 

ニノはエルクの陰からこちらを見ていた。

 

「嫌われたね」

「やかましい」

 

エルクに対し睨みをきかせる。そのせいで、余計に顔が怖くなったのか、ニノはエルクのマントの陰に素早く隠れてしまった。

 

「くくく、ハングさんって本当に・・・くくくく」

「笑うな!!・・・えと・・・俺はハングだ。君はニノだよな?」

「う、うん。どうして、名前を・・・」

「えと・・・どこから説明するか・・・」

 

ただでさえ、委縮させてる状態。ハングは助けを求めるようにエルクを見る。

すると『しょうがない』と無言の返事があった。

 

エルクはニノに対しこれまでの経緯や【黒い牙】の実態についてかいつまんで説明した。

 

「・・・そんな・・・そんな・・・ウソ・・・」

「残念だけど・・・本当の話なんだ。【黒い牙】は、もう君が思ってるような義賊団じゃない。ネルガルにいいように使われているんだ」

 

エルクが語った内容は事実。

だが、もちろんそれはこちら側からの主観でしか語れないことばかりだ。

 

ニノが内側からどのように【黒い牙】を見てきたかはわからない。

 

「・・・すぐに信じろとは言わない。だけど・・・真実は一つだけだ。僕たちと一緒に行かないか?王子の命を奪わなかった君ならきっとわかると思う」

 

エルクは語るようにそう言い聞かせる。

 

ニノは衝撃を受けてはいたが、その眼から頭の中を全力で回転させているのが見て取れた。

 

聡い子だ。

 

ハングはそう思う。

 

自分の価値観を覆されたとき、人はその本性が浮き彫りになる。

八つ当たりのように怒り狂うのか、受け入れきれずに嘆くのか、全てを投げ出して思考を停止してしまうのか。

 

ニノは考えることを選んだ。

 

ならば、時間はかかるかもしれないが、いつか結論を出せるだろう。

 

だが、今はその時間が無い。

 

ハングはニノは思考を遮るつもりで彼女の名を呼んだ。

 

「ニノ、一つ聞きたいことがある」

「えっ、なに?」

「もう一人・・・ジャファルだったか?」

 

その名を出した途端、ニノの顔が凍りついた。

 

「奴はどうした?」

 

そう尋ねながら、ハングはその結論の大部分を予想していた。

 

ニノは魔道士としての才能の片鱗を確実に持っている。だが、彼女はまだ原石だ。ジャファルを倒し、王子の命を救ったとはハングには思えなかった。

それに加え、暗殺集団がこの人数を投入していることを考慮すれば自ずと答えは出る。

 

「ジャファルは・・・私を・・・助けようとして・・・」

 

ニノの目尻がわずかに湿っていた。ハング達に出会う直前まで泣いていたのかもしれない。

 

だが、ハングは冷めた目を離宮の奥に送る。

思い出していたのはたった一つ。

 

【魔の島】で見せつけられたレイラの死体。

 

彼女を殺したのは【四牙】の一人。ハングはあのジャファルという男を疑っていた。

 

冷えた感情がハングの胸の奥にうごめく。

 

ここで死ぬならそれもいいか・・・

 

獣のような無慈悲な考えが脳裏を駆け抜けた。

 

「と、思えたら楽なんだがな」

 

ハングはそうぼやいた。

ハングの目が冷酷なものから感情を宿したものへと変わった。

胸の奥に現れた感情はに偽りはない。だが、今はその気持ちが表に浮上してくることはなさそうだった。

 

ハングは『見捨てる』という選択肢を排除する。

 

「なんとかなるかな・・・」

「え・・・」

 

ハングの呟きが聞こえたのか、ニノが顔をあげた。

彼女の視線の先でハングは不敵に笑っていた。

 

そこにロウエンが駆け込んできた。

 

「ハング殿、あまり突出しないでください」

「よう、ロウエン。いいところに来たな」

「え?」

 

ロウエンの背を見ればレベッカも一緒だ。

 

これで手勢は十分だ。

 

「ニノ、ジャファルはどう動くかわかるか?」

「助けてくれるの!?」

 

ハングはニノの頭をくしゃりと撫でた。

 

「助けるさ。必ずな」

 

ハングが戦場で見せる良い笑顔。

周囲の士気を否応なく上げていく軍師としての笑顔を前にニノはせりあがる熱い水滴を飲み込んだのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

ジャファルの息があがる。身体も先程から鉛のように重い。

だが、そんなことを相手が考慮してくれるはずもない。

ジャファルは手元の短刀を半回転させつつ、相手の動きに合わせて剣を受け流す。ジャファルはがら空きとなった敵の喉にでもう片方の短剣を突き刺す。肉を断つ手応えを感じ、ジャファルは短剣を素早く引き抜いた。

姿勢を落として返り血をかわし、すぐさま次の相手へと体勢を整える。ジャファルは低い姿勢から敵の懐に飛び込み、肋骨の隙間から心臓を突き刺した。

 

間髪いれず、左右から手槍が飛んでくる。短刀一本でそれらの軌道を逸らしながら、更に跳躍。空中で右の敵の首筋に鋭い蹴りを叩き込みつつ、左の敵に短刀を投擲。夜闇を裂いて飛んだ短刀は敵の眉間へと吸い込まれるように飛んでいった。蹴り飛ばした敵は首の骨が折れたせいか、痙攣を繰り返しつつ床の上でのたうっていた。

 

ジャファルはそこで一度息を整える。

 

既に周囲は複数の死体が血だまりをつくり、鉄と脂の臭いが立ち込めていた。

この場所がジャファルが生きてきた世界だ。感情を捨て、理性を捨て、自分すら捨ててジャファルはずっとこの泥の中にいた。

 

だが、今のジャファルは微かに笑っていた。

 

表情一つ動かさず標的を葬る【死神】

感情の欠落していたはずの男が今は笑っていた。

 

敵の増援が現れる。

 

「ここが貴様の死に場所だ」

「三下が・・・」

 

悪趣味な鎧を着た騎兵を睨みジャファルは手元で剣を一回転させる。

直後、ジャファルが爆発的に加速した。

馬の足元に踏み込み、騎馬の腹を掻っ捌く。

 

「なっ!!」

 

突如暴れ出した馬。

制御できず、隙だらけとなった馬上の敵。ジャファルは確実をきすため、馬の脚の腱を切断した。

倒れてくる馬の背を駆けあがり、馬上の将の首に短剣を突き立てた。

 

「ふぅ・・」

 

一人の将を殺したというのに、休む暇もなく新手が突っ込んできた。

 

この部隊の指揮官はウルスラだ。雑魚をいくら片付けたところで、何も変わらない。

だが、ウルスラはこの闇の中に息をひそめたままだ。ジャファルが生き残るには今離宮に入り込んできている敵兵を全滅させるしか方法がない。

 

ジャファルは今まで持っていた剣を二本共投げ捨てた。

返り血と人の脂肪で斬れなくなった刃を捨て、新たな牙を手にとる。

 

手持ちの剣はこれで最後。

 

ニノは逃げられただろうか。

 

それを確認できるまで、まだ潰れるわけにはいかない。

ジャファルは細く、短い息を吐き出した。

 

その時だった。

 

頭上から巨大な破砕音がした。

 

ジャファルが見上げると離宮のガラス窓をドラゴンナイトがぶち破ったところだった。

 

「・・・っく」

 

無茶苦茶だと、ジャファルは内心悪態をつく。

 

降り注ぐガラスの破片から逃れるように離宮内を走り抜ける。そのジャファルの傍に別のドラゴンナイトが着地した。乗っていたのは髪の一部が白髪になった精悍な男。ヒースだった。

 

「君は・・・離宮の兵士・・・じゃなさそうだね」

「・・・・」

 

ジャファルはこの男が暗殺者ではなく、敵意が無いことを感じ取った。

いつものジャファルであるなら、目撃者を始末しようと行動を開始していただろうが、今はそんなことをしている場合ではない。

 

既に疲労はピークを迎えており、敵の数は一向に減る気配を見せない。

そんな夜にわざわざ敵を増やす必要はなかった。

 

そう判断したジャファルはニノを追いやった方向に目を向けた。

 

「・・・【黒い牙】は・・・俺がやる・・・お前らは・・・部屋の王子と・・・それと・・・」

 

それを見たヒースは安心させるように微笑む。

 

「そっちには俺達の味方が展開している。心配いらない」

 

信用できるのか?

 

そう言いかけて、ジャファルは喉元でその言葉を飲み込む。

信用ならないのはジャファル本人だって一緒だ。

 

「ヒース!!世間話はその程度にしとけ!!敵がやけに多い」

「わかってるよ、レイヴァン!」

 

ジャファルはまた短く息を吐き出した。

 

「奴らの狙いは・・・王子の部屋と、この俺の始末だ」

「なるほどな」

 

レイヴァンが皮肉るように笑う。

ここは王子の自室へと続く道であり、ジャファルもいる。さすがに敵の層が厚い。

 

「この人数で何とかなるか?」

 

ジャファルはヒースにそう問いかけた。

 

「難しいかもね・・・ハングが救援を送ってくれるといいんだが」

 

背後では頭上から奇襲をしかけたリンディスとヴァイダが全力で暴れまわっている。

若干、二人の戦い方に怒気が混じっているのが気になるが、頼りになることは間違いない。

 

だが、敵は離宮内に構築された転移魔法の陣から次々と増援を送り込んでくる。

多勢に無勢であることは間違いない。

 

「君はジャファルだね。手を貸してくれるか?」

「・・・・・いいだろう」

 

ヒースとレイヴァンの間にジャファルが並ぶ。

どちらにせよ、今は戦うしかない。

 

ジャファルは剣を手元で半回転させ、間合いを一気に詰めた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ホールのような広い空間に陣取り、ヴァイダとリンディスは暴れまわっていた。

 

「なかなかやるじゃないか!!」

「そちらも!!」

 

槍の切っ先が夜闇を切り裂き、剣の刃が影を討つ。

お互いに背を預ける形で戦っているが、その間にはなぜか無言の火花が散っていた。

 

リンが踏み込み、隙を見て矢を放つ。

ヴァイダがドラゴンでかき乱し、手槍で風穴を開ける。

それぞれが別々の敵に相対しながら、決して邪魔にならないように動く。

 

仕草で合図を送っているわけでも、目線で会話してるわけでもない。

歴戦の二人組を思わせる戦いぶりは、この二人がほぼ初対面だとは思えないだろう。

 

だが、彼女達が目を合わせない理由は単に『目線での意思疎通すら必要ない』という信頼の表れではない。

 

それは口にするのも憚られるような女の戦いであった。

 

不意にリンディスのわずかな隙を縫うように矢が放たれた。

それはヴァイダの槍によって叩き落とされた。

 

「脇が見えてないな、小娘」

「くっ!!」

「そしてムキになるようではまだまだだ」

「・・・・」

 

恐ろしい程に無表情になるリンディス。ヴァイダは彼女のそんな表情を観察しながらわずかにほくそ笑んだ。

 

そこには幾つかの思惑が詰まっていたが、一番は『育てがいがありそう』である。

元々はベルン竜騎士の隊長として部下を育ててきたヴァイダ。これ程に今後が楽しみな逸材は久しぶりだった。

 

そして、もう一つの思惑は『あたしの愛弟子に相応しいか、どうか。ここで見定めるとしよう』というものだ。

なんだかんだ言ってもヴァイダも人の子である。息子であり弟のような存在の愛弟子のことは人一倍想っていた。

 

対するリンディスはというと、自分の中の嫉妬心をしっかりと受け止めていた。

 

自分がハングをどう思ってるか。

ハングの昔の知り合いをどう思ってるのか。

 

それはヒースの加入時にしっかりと自覚した。

 

だが、自覚したからといってすぐに変わるかというと、当然そういうわけにはいかない。

 

というか、最近は余計に酷くなっているようにリンディスは思っていた。

 

ハングが他の女性と喋ってるだけで剣に手が伸びそうになる。

下手するとハングがエリウッドと長いこと相談してるだけで嫉妬を覚える。

 

愛とは独占欲の錯覚にすぎないと囁く悪魔の声もあながち間違ってないような気がする今日この頃である。

 

ただ、それらは普通なら我慢できる範囲内だ。

夜にハングと訓練や勉強会をすることを考えれば感情に蓋をすることぐらいどうってことはない。

 

だが、我慢できることがあれば我慢できないことだってある。

 

今回はそういうことだった。

 

後でしっかりとハングを問い詰めてヴァイダとどんなことをしてきたのか細大漏らさず吐かせる算段であった。

 

そんな状態では目の前の女性に対していささか感情的になるのは仕方ないと言えた。

 

「次っ!!死にたい奴からかかってきなさい!!」

「オラオラ!そこに並びな!!」

 

背後に黒い炎が浮かび上がるような女性二人を前に歴戦の暗殺者達も足を引く。

 

その時、室内に巨大な落雷が迸った。

 

二人はほぼ同時にその場から飛んでかわす。

 

「遠距離魔法・・・」

「あのウルスラって女だな。ついに動いたか」

 

落雷が直撃した場所は僅かな焦げ跡を周囲に残し、床石に大きな亀裂を作り上げていた。

一撃でもその身に浴びれば致命傷だ。

 

回避は成功したものの、その隙を逃す暗殺者ではない。周囲にいた敵はその雷に呼応するように襲いかかってきた。

 

「そう簡単に・・・」

「いくわけないだろうが!!」

 

だが、女性二人は難なくそれらをはじき返した。

 

「はっ!!くぐってきた修羅場の数が違うんだよ!!」

「一昨日来なさい!!」

 

再び降り注いだ落雷をかわし、リンディスとヴァイダは再び暴れ出した。

 

今の彼女達は誰にも止められそうになかった。



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第28章~夜明け前の攻防(後編)~

ウルスラは離宮の奥で独り言を吐き出した。

 

「やりますね・・・」

 

先程から遠距離魔法を放っているが一発も当たらない。

 

ジャファル一人ならまだしも、こんな時にフェレの鼠共が参戦してくるとは完全に想定外だった。味方部隊は次々と無力化され、離宮内を制圧されつつある。

 

戦略的にはもう引き時だ。だが、ウルスラは暗殺者。

 

標的を殺す前に引くわけにはいかなかった。

どうせ引いたところで待っているのは死の制裁のみ。

 

残念なことに、あの【モルフ】はウルスラより腕が立つ。抵抗を試みても無駄であろう。覚悟はしているし、後悔は無い。ならば、一人でも多くの敵を地獄の旅路に付き合わせるしかなかった。

 

「残念だったな。地獄には一人で行きな」

「っ!!」

 

ウルスラが構える。その先にはくすんだ茶色の瞳がウルスラを睨みつけていた。

 

バカな・・・

 

ウルスラは驚愕する。

 

自分とて暗殺者。ここまで接近を許すなんて、自分もとうとうやきが回ったか。

 

「くくく、どうやってここまで来たかわからないって顔だな?」

「・・・あなた、ハングですね?」

「ご名答」

 

ハングは余裕の笑顔でそう言った。

 

ウルスラは彼こそがフェレの田舎貴族がこんな脅威になりえた元凶だと聞いていた。その人物を目の前にしてウルスラはその美しい眉間にシワを寄せる。

 

「軍師が単騎でここにいるなど、愚の骨頂とは思わないのですか?」

「一人ならな」

 

直後、ウルスラの背後に気配が出現した。

 

「なっ!!」

 

振り返ると、既に一人の弓兵が狙いを定めていた。

 

魔法は間に合わない、回避も不可能。

 

「ぐっ!!」

 

腕で心臓をかばい、何とか馬上で耐える。

 

すると、再び新たな気配。

 

今度は前から騎士の突撃だ。

 

どういうことだ

 

気配の無い場所から新たな兵が現れるなど、まるで・・・

 

そんなウルスラの思考を読んだかのように、ハングはほくそ笑んだ。

 

「あんたらがよくやる手だろ?転移魔法で敵の懐に兵士を送り込む」

 

ウルスラは目を見開く。

 

フェレの連中が転移魔法を使えるなどという報告は受けていない。だが、この離宮内には自分達が暗殺者を送り込むために用意した転移魔法の魔法陣が幾重にも張り巡らされていた。

 

「・・・なるほど・・・」

 

胸元に迫る槍を無感動に見つめながらウルスラは目線の先に不敵に笑う軍師をとらえた。

 

「・・・あなた、死ぬのは怖い?」

 

熱した鉄を押し付けられたような感覚と共に鉄の匂いがせり上がる。槍を引き抜かれ、赤い液体が自分の身体から噴き出す。

 

体温が一瞬で消え失せていく。身体が震え、酷い頭痛を感じ、耳鳴りが響くウルスラの聴覚。そこにハングの声が割り込んだ。

 

「死ぬのは怖い。だから生きるんだろ」

「・・・・・」

 

ウルスラは微笑みながら馬上から崩れ落ちた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

城に明かりが灯るのを離宮の外側で見ていたハングは自分の戦果に上々と評価をつけた。ゼフィールの暗殺は止め、ウルスラも討ち取り、こちらは誰も発見されていない。

 

そんなハングにロウエンとレベッカが非難の声をあげていた。

 

「ハング殿、あんな戦術は二度とやりたくないです」

「そうですよ!!ほんっっとうに生きた心地がしなかったです」

「文句はカナスさんに言え」

 

ハング達が気配も無くウルスラに接近することは本来なら不可能だ。

だからこそ『転移魔法』を使った。今のカナスにその陣を完成させる術は持ち合わせが無いが、既に完成されている陣を使うことぐらいなら可能だった。

 

【黒い牙】が離宮内を移動するのに使った魔法陣を用いての奇襲。

 

それがハングの提示した作戦であった。

 

「体が崩れるような感覚・・・二度と嫌ですからね!」

「レベッカさんの言うとおりです。本当にこう・・・気持ちが悪いんですから」

「俺もやったんだから説明しなくていいっての」

 

ハングも転移魔法を使ってみたが、感想は似たり寄ったりである。

二度とやりたくないというのも激しく同意だ。

 

「ま、おかげであの二人が再会できたんだけどな」

 

ハングがそう言うと、二人は神妙な顔で黙った。

 

ウルスラの遠距離魔法はかなりの脅威だった。回避自体はさほど難しくはないのだが、それによりこちらの行動が鈍ることの方が問題だった。手練れの暗殺者を相手にするなら一瞬の隙が命取りになる。

 

それを戦いの序盤で阻止できたのは大きかった。

 

そして、その結果が無表情の暗殺者とそれに抱きつく少女の命である。

 

「よ・・・かった・・・ジャファル・・・」

「ニノ・・・・」

 

ハングはエリウッドとリンディスに目配せを送り、その二人へと近づいていった。ヘクトルは何も言わずともついて来た。

 

一瞬、マーカスが止めようとしたが思いとどまる。自分の主の判断を信じるつもりなのだろう。

 

ハングは横槍が入らないことを確信し、二人の前に立った。

それに気づいたジャファルが声をあげる。

 

「・・・・どうして、俺をやらない?」

 

ジャファルの質問に答えたのはエリウッドだった。

 

「そんなことをしたら、ニノまで死んでしまう」

 

そのニノはジャファルにしがみつきながらもハング達に縋るような目を向けてくる。

 

「僕たちが今襲いかかったら、ニノは君を庇おうとするだろう。そんなことをさせたくはない」

 

そして、リンディスが話を続ける。

 

「それにあなた達は王子の命を奪わなかった。だから、私達もあなたの命を奪わない・・・それだけのことよ」

 

リンディスの声音はやはり固い。ジャファルは呆れたように二人に声をかける。

 

「・・・甘いな」

 

ジャファルは抑揚の無い声でそう言った。

 

「俺がお前達の仲間をどれだけ手にかけたと思う」

「こいつっ!!」

「落ち着くんだヘクトル!!」

 

ヘクトルが斧に手をかけたのをエリウッドが諫めた。ヘクトルの殺意も本物だったが、エリウッドの鋭さも本物だった。ヘクトルは舌打ちのみに留め、その場は引き下がる。

 

「・・・許せないこともある。だが、今は・・・ネルガルを倒すために一つでも多くの力が必要だ」

 

ネルガルを倒す。

 

その目標をジャファルは笑わなかった。

 

「・・・捨てるための命なんだろ?これまでのことを悔いる気持ちがあるのなら、一緒に戦おう」

「・・・悔いる・・・だと?俺にそんな感情が・・・」

「ジャファル・・・」

 

名を呼ぶ声に遮られ、ジャファルは口を閉ざした。ジャファルは今も自分にしがみつく少女に視線を落とし、再びエリウッドへと戻した。

 

「・・・・ニノが望むなら・・・俺は・・・従おう」

「ジャファル!!」

 

今度は歓喜を込めて名を呼び、ニノは更に強くジャファルにしがみついた。

 

「よかったわね、ニノ」

「うん!!ありがとう!!ありがとう!!」

 

ニノに優しく声をかけるリンディス。

 

どうやらもう仲良くなったらしい。

 

「決まったか?」

「うん、それで・・・これでよかったかい?」

「まぁな」

 

ハングは普段通りの仕草でそう言った。

 

「さて、ようやく一息つけるな。近くで野営の準備をしよう。まぁ、あんまり休む時間は無いけどな」

 

明後日にはもう成人の儀が始まる。【ファイアーエムブレム】を届ける為に明日は朝一でこの離宮を訪れなければならない。

 

ハングはそう言って、周りに指示を出した。

 

「そんじゃ、ニノ。お前も手伝ってもらうぞ」

「は、はい!」

「あ、ジャファルは残ってくれ。少し話がある」

「・・・・」

「ジャファル、また後でね」

 

ハングはリンディスに目配せを送った。

彼女はその意図を読み取り、ニノを連れだす。

 

「ニノ、行きましょ」

「うん」

 

ハングはエリウッドとヘクトルにも指示を出し、この場から退ける。

そして、ようやくハングはジャファルと向き合った。

 

「さて、聞きたいことはあるか?」

「・・・なぜ・・・俺をやらない?」

 

先と同じ質問。

だが、今回はハング一人に対して向けられた問いだった。

 

ハングは口元だけで笑いながら、ジャファルに近寄る。

その目は笑っていない。

そこには明確な殺意が見え隠れしていた。

 

ハングは周囲の誰にも聞こえないような小さい声で語りかけた。

 

「俺はな・・・死にたがってる奴を殺してやる程お人好しじゃねぇんだ」

 

ニノの安全が確保された今、ジャファルがここで生きている意味はもうほとんど無い。

少なくとも、ジャファル本人はそう思っていた。そもそも彼は今日、次の朝日を拝むことはないと覚悟して戦っていた。

 

それでも生きているのは単にニノの望みであるからだ。

 

「俺はな、自分の情が強くて、深いのをよく知ってる」

 

復讐心が強いのも。

部隊の誰も死なせない指揮も。

 

その全てはハングの情が成し得るものだ。

 

「今だって激情に任せてお前を殺してやりたいさ。でも、喜んで死なれちゃ、こっちも腹の虫がおさまんねぇ」

 

ハングは極めて低い声でそう言った。

 

「だから、お前は幸せになってもらう」

「・・・・・・・・」

「死にたくないと懇願するような人生を歩め。一緒に生きたいと願うような人と出会え。その果てに・・・苦しみながら死ね」

 

ハングはそう言ってジャファルから離れた。

 

「まぁ、安心しろ。俺が恨んでるのはお前だけだ。周囲の人間を傷つけるつもりはないさ。例えお前の子供でもな」

「・・・・・・」

 

無表情のジャファル。

 

ハングはそんなジャファルに指示を出す。

 

「周囲の警戒を頼む。ニノに刺客が来るとは思えんが念の為だ」

「・・・・・・」

 

ジャファルは何も言わずにハングから背を向けた。

 

その姿は夜の闇に紛れてすぐに見えなくなった。

ハングはその姿が完全に捉えられなくなるまで見送り、自分の後頭部をかいた。

 

「・・・俺って・・・やっぱ、甘いのかな・・・」

 

ハングはそうぼやきながら野営の準備へと取り掛かった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

翌日、再び離宮を訪れたパントとルイーズ。その後ろにはエリウッド、ヘクトル、リンディスが並んでいた。

ただの旅人にすぎないハングは流石にこの場に入れない。

 

「・・・お待たせしました。王妃様がお会いになるそうです」

「わかりました」

 

パントが返事をして部屋の扉に手をかけた。

 

「さ、参りましょう」

 

ルイーズはエリウッド達にそう言った。

 

「・・・ベルン王妃か。非公式つっても、格式ばった謁見つーのは苦手なんだがな」

「・・・同感。ハングと一緒に残ればよかったかも」

「だな」

 

そんな二人の愚痴もエリウッドが前に出たことで止まる。

 

「・・・・・・行こう」

 

謁見の間に入ったエリウッド達は随分と上機嫌なヘレーネ王妃に出迎えられた。

 

「おお、そなたたちよくやりました!【ファイアーエムブレム】を見事、取り戻したとか?」

 

そのヘレーネ王妃にエリウッドは面食らってしまう。

昨晩、この場で戦闘をしたのはエリウッド達本人だ。

 

「あの・・・ヘレーネ王妃。まだご存知ないのですか?昨夜、この離宮に・・・」

「ああ、なにやら賊が忍び込んだとか。まあ、そんな些事はどうでもよい」

 

エリウッドの後ろでリンディスは強く握りこぶしを握りしめた。

 

比喩でも何でもなく昨晩はゼフィール王子の命の瀬戸際だった。

なのに、ヘレーネ王妃はそんなことを知らないと言う。

親子の話に敏感なリンディスは腹の底が熱くなった

 

「さ、それより早く【エムブレム】を」

 

せかすヘレーネ王妃にエリウッドは無言でベルンの至宝を差し出した。

 

「おお、これぞまさしく【ファイアーエムブレム】!ホホ、これで王位は私のゼフィールのもの・・・あの忌々しいギネヴィアなどに渡してなるものか・・・ホホホ」

 

エリウッドは奥歯を噛み締める思いだった。

 

思い出していたのはベルン城の中庭での出来事。

 

子狐を間に挟み、仲睦まじく笑いあっていたゼフィール王子とギネヴィア姫。

そして、毎晩行っているというゼフィール王子の祈りの話。

 

しかし、これでは余りにも・・・

 

「・・・ヘレーネ王妃」

「ああ、そうでしたね。約束の褒美はとらせましょう。【封印の神殿】への道でしたね?」

 

そんなことはどうでもいい!

 

そう言いたげなヘクトルを視界の端に捉えたエリウッド。

気持ちは皆同じなのだ。

 

「・・・それより、お尋ねしたいことがあります」

 

これはこの場で言ってはならないことだ。今は言う必要のないことだ。

わかっているのに、エリウッドは言わずにはいられなかった。

 

「あなたにとってゼフィール殿下とは、何なのですか?」

「何・・・ですって?」

 

質問の意味がわからない、といったヘレーネ王妃にエリウッドは続ける。

 

「ゼフィール殿下は、あなたのご子息ですか?それともその【エムブレム】と同じ・・・王位を手に入れるための道具なのですか?」

「なっ・・・!?ぶ、無礼者っ!誰に向かってそのような口を!」

 

感情的になったヘレーネ王妃。

だが、エリウッドはそれ以上に感情的だった。

 

「あなたの身分など関係ない!」

 

エリウッドの怒鳴り声が部屋に反響する。

 

「あなたが何を望もうと、それはあなたの勝手です。でも、罪のない我が子を・・・殿下を傷つけるような事だけは、どうかやめてください!」

「何のことです!何を言って・・・?」

 

本当に知らないというのか。

 

リンディスは我慢できずに口を挟んだ。

 

「ご存知ないのですか? 殿下は暗殺者に・・・」

「リンディス、もういい」

 

今それを伝えても何も変わらない。

 

エリウッドは静かにリンディスを遮った。

 

「・・・失礼します」

 

そして、エリウッドは一礼してヘレーネに背を向けた。

 

「ま、待ちなさい!まだ話は終わっておらぬ!」

 

ヘレーネの金切り声を聞きつつも、エリウッド達は退出していく。

パントとルイーズも一礼してその後を追った。

 

「誰か!この無礼者を捕らえよ!誰かっ!」

 

その声に呼ばれて扉の前で騎士とすれ違う。

それでもエリウッドは逃げ出すような無様な真似は晒さない。

彼らはただ静かにこの離宮を後にした。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「・・・そいつは・・・まいったな」

 

離宮の前で待っていたハングは中での一部始終を聞き、苦笑した。

 

周囲には護衛の為にオズインとセーラ、そのセーラに連れてこられたエルクがいるだけだ。

連戦につぐ連戦で疲れ果てた残りの皆は近くの街に戻り、宿を確保してもらっている。

 

「・・・すまない」

「まぁ、仕方ないさ」

 

ハングも説教しようとは思わない。

むしろ、自分もその場にいたら何か言っていたと思うぐらいだ。

 

エリウッドはパントとルイーズにも頭を下げた。

 

「パント様、ルイーズ様せっかくの機会を台無しにしてしまい・・・申し訳ありませんでした」

「君が間違ったことを言ったとは思わないよ。気にしなくていい」

 

パントも思うところがあったのか、疲れたように笑った。

その隣でルイーズが悲し気に目を伏せた。

 

「・・・ヘレーネ様は、変わってしまわれました。お嫁入りされる前は・・・良き妻、良き母になるのだと、気持ちのお優しい方でしたのに・・・」

 

そんな妻の肩に手を置きながら、パントが話を引き取る。

 

「ベルンに来て、国王とそりが合わず苦労したようだね。王妃としてのプライドを保つため、王位に執着するようになったんだろう・・・悲しい人だ」

 

ヘレーネ王妃の昔を知る二人には最後の一言には万感の想いがあるのだろう。その表情は浮かない。

リンディスはもう一度離宮を振り返った。

 

「親がいるのに・・・両親ともが、あんなだなんて・・・ゼフィール王子が・・・可哀想だわ」

「親がいなくても、愛を注いでもらえる奴もこの世にはいるのにな・・・」

 

ヘクトルがそう言い、ハングも同意するように頷く。

 

「だが・・・たとえ・・・正しいことでも、言うべきことではなかった」

 

エリウッドの表情には激しい後悔があった。

 

「王妃を怒らせ、手助けを得るどころか、反対に追っ手を差し向けられるとは・・・せっかくの機会を、台無しにした」

 

そんなエリウッドの肩をハングは軽く叩く。

 

「・・・過ぎたことを悔やんでも仕方ないだろ?今は、先に進むことを考えよう」

「あてが・・・あるのかい?」

「なくはない」

「え?」

 

その時だった。

 

「お待ちなさい」

「へ、ヘレーネ王妃!?」

 

ヘクトルが素っ頓狂な声をあげた。

 

「え!?」

「なっ!」

 

慌てて振り返ると、確かにそこには先程謁見したヘレーネ王妃がいた。

 

ただ、その表情は先程と異なり、随分と穏やかであった。

それは本当に同一人物かわからなくなる程だった。

 

「・・・あなたは確か エリウッド・・・でしたね?この書と印を受け取りなさい。私からあなたへ授ける褒美です」

「・・・王妃?」

「【封印の神殿】へ安全に進める道は、この書に記されております。印は、私がエトルリアより嫁ぐ際リグレ公から贈られた祝いの品。ゼフィールにと、とっておきましたがこれは今、あなたたちにこそ必要ではないかと思います。それから・・・今より三日間だけ、神殿の人払いもしておきました。その間に何がおきようともベルン兵が動くことはないでしょう・・・ただ、国王の私兵については、約束のかぎりではないのですが・・・」

「いえ、それだけで充分です・・・お心遣い感謝します」

 

エリウッドが深々と頭を下げた。

 

「ですが、王妃・・・なぜ僕たちにここまで?」

「・・・王妃ではなく、母としてそなたに礼を言います」

 

そして、今度はヘレーネ王妃が頭を下げた。

 

「息子を救ってくれたこと ・・・心から感謝します」

 

顔をあげたヘレーネ王妃は「もうお行きなさい」とだけ告げて離宮へと戻って行った。

 

「・・・この国が・・・」

「え?」

 

ハングがヘレーネの背を見送りながら呟いた。

 

「・・・ああいう人も王族にいるからさ・・・この国が嫌いになりきれねぇんだよな・・・」

 

ベルンは土地が痩せており、気候も厳しい。時には弱者を切り捨てていかなければ生きていけない。それでも、助け合わなければ生きていけない瞬間が必ずある。そのせいか、ベルンに暮らす人々は皆、情に薄く、情に厚い。

 

他国から嫁いできたヘレーネ王妃も今では立派なベルン王妃だ。

 

「そうか・・・」

「ああ」

 

ハング達は受け取った品を丁寧にしまい込み、帰路へとついたのだった。



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間章~徒然なるままに(前編)~

ハング達が離宮へと向かった同日。

ハングは部隊のほぼ全員に休暇を言い渡していた。更には慰安の為の軍資金として、資金の一部の放出を許している。

それは今まで連戦だった皆への労いと同時に、今後やってくる激戦の為に気力を回復させておく目的があった。

 

そのことをハングは明言したわけではない。

だが、部隊全体にその緊張感は伝わっていた。

 

次の戦いはより激しくなる。

 

そのことを自覚しながらも、彼等は笑ってこの休暇を楽しもうとしていた。

それが、明日への生きる希望に繋がるのだから。

 

そんな、宿のキッチン。

 

石のオーブンや調理器具の揃いならこの町随一と噂される宿屋のキッチンをわざわざ借りていたのはレベッカをはじめとする女性の面々だった。

 

「はい、それじゃあ第一回クッキー作り教室をはじめます!」

 

レベッカが高らかに宣言し、周囲から拍手がわきあがる。

 

集まっていたのはニノ、フロリーナ、ニニアン、プリシラといった仲良し組。

イサドラとファリナという料理に疎い人達。

 

それと、彼らの中に混じってにこにこしているルイーズだった。彼女は離宮に行った後、真っ直ぐに宿に帰って来たのだが、さっきまでの離宮での出来事など何も無かったかのように楽しげに微笑んでいた。

 

「って、ルイーズさん!?なんで、こんなとこに」

 

レベッカはようやく彼女が列の中にいることに気が付いて飛び上がる。

レベッカにとってルイーズは理想の女性像そのものである。

優雅な立ち振る舞い、あふれ出る気品。同じ弓を扱う者としての親近感もあり、レベッカは彼女のことを非常に尊敬していた。

 

「あら?わたくしもクッキーの作り方を学びたいんですよ。それとも、迷惑でした?」

「い、いえ!とんでもありません!!」

 

少々緊張気味になったレベッカだったが、深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

 

「えと、それじゃあ、作り方を説明します」

 

レベッカが材料と分量を教え、かき混ぜるコツなどを説明する。

 

どうしてこうなったかというと、話は簡単だ。

新しくこの部隊に加入したニノのためにレベッカが開いた親睦会だ。

 

ニノ本人が学びたがってるということもあり、これを機に他の人達とも打ち解けてもらいたいというレベッカの思いにより集まってもらったのだ。

 

とはいえ、集まったんは意外な面子であった。

イサドラがこういった料理の場に参加するのは珍しかったし、ファリナが自分から声をかけてくるとも思ってなかった。

ルイーズに至ってはいつの間にかここにいた。

 

フィオーラは訳あって不在、ルセアはとある人物の監視、セーラはハング達の護衛に行ってしまい、こういった面子になっている。

 

ちなみに、ルセアは『女性達の親睦会です!良かったら来ませんか!!』と意気揚々と誘ってくるレベッカに複雑な表情をしたとか。

 

そんなキッチンでフロリーナは料理には疎い姉の参加に意外な顔をしていた。

 

「お姉ちゃんも参加してくれるとは思わなかったよ」

「え?まぁ・・・そうね・・・そうかもね。らしくないのは自分でもわかってるけどさ・・・アハハ」

 

歯切れの悪い姉というのは珍しい。

 

「まあ、ほら。親睦会なんでしょ、いい機会じゃん」

「あっ・・・お姉ちゃん・・・」

 

ファリナはそう言って、無理やり会話を切ってお菓子作りに取り掛かってしまった。なんだか隠し事をされている気がするフロリーナであった。

 

レベッカに教わった通りに、材料をかき混ぜていく女性陣。

 

砂糖や小麦粉はベルンではなかなかの高級品であったが、ハングはこの計画に喜んで賛同して宝物の売却まで決定していた。部隊間の友好関係は良好なことに越したことはない。特にニノがこの部隊に早く馴染んで欲しいというのハングの紛れない本音であった。

 

そのニノは材料を額に汗を浮かべながら材料をかき混ぜていた。

 

「フロリーナさん、私のもう少しかき混ぜた方がいいかな?」

「えと・・・ニノ・・・もう少し」

「うわぁ!フロリーナさんのタネ凄いサラサラだ。もっとかき混ぜよう」

「え・・・あ、うん・・・そうだね」

 

勢いに押されるように頷くフロリーナ。

それを隣で見ていたニニアンがクスクスと笑う。

 

「む・・・ニニアンさん・・・」

「あ、すみません」

 

口元を抑えて謝るニニアン。だが、その表情はまだ笑ったままだ。そうやってニニアンが明るい表情をしているのが嬉しくて、フロリーナも微笑む。

 

そんな彼女達を保護者のように見つめていたのはイサドラだった。

 

彼女も一緒になって笑っていたが、その隣にいたプリシラにはその彼女の笑顔はどこかぎこちなく見えていた。

 

「はーい、ちゅもぉーく!!」

 

レベッカが声を張り上げて形の作り方を説明して、皆が次の行程に移っていく。

皆はクッキーを色々な形に作り上げていった。

単なる丸にする人、星形やハート型を作っていく人、凝った意匠を見せる人。

クッキーの形一つでも色々と個性が出るものであった。

 

そんな中、エプロンに三角巾という貴族とは程遠い庶民的な恰好になっているルイーズが皆に聞こえるように質問をした。

 

「そういえば、みなさんはクッキーをどなたに送られるんですか?」

「へっ?」

 

全員からほぼ同時に呆気にとられたような声が上がった。

 

「この分量では一人で食べるには多すぎますし、誰かと一緒に食べるぐらいがちょうどいいのではと思っていたんですが、皆さんはいかがですか?」

「わ、私は自分で食べる分だけだよ!」

 

ファリナが焦ったように声をあげた。

 

「そうなんですか?」

「そ、そうそう。だから私のクッキーは別に見た目とか気にしないし!」

 

そうやってファリナはクッキーを再び練り直して何の変哲もない丸型にしていく。

だが、ルイーズは彼女が少し前まで何とか苦心して別の形を作ろうとしていたのを知っていた。

 

「ま、まぁ、姉貴の分は作ってやらないといけないかなぁとは思ってるけど・・・それだけだし!それ以外の人には渡す必要ないし!」

 

なぜか言い訳じみた言葉を並べるファリナ。

ルイーズはそんな彼女に優しく微笑み、他の人を見渡した。

 

次に目に付いたのは顔を赤く染めているプリシラであった。

 

「プリシラさんはどなんたに渡すんですか?」

「えっ・・・あっ・・・その、兄様と・・・ルセア様に・・・」

 

そう言ったプリシラであったが、クッキーは綺麗に4等分されていた。

自分用を含めたとしても一つ余る。そこを見逃してやる女性陣ではなかった。

 

「どなたに渡すんですか?」

 

レベッカが身を乗り出すようにしてそう聞いてくる。

レベッカも年頃の女の子。恋バナは人並み以上に大好きであった。

 

「う、うう・・・ひ、ヒースさんに・・・」

「うわぁ!好きな人にプレゼントだ」

「そ、そんな・・・大声で言わないでください」

 

プリシラは自分の髪色と同じぐらい真っ赤になって顔を伏せてしまった。

少しからかいすぎたと思ったレベッカはそれぐらいで勘弁して、次の狙いを定めた。

 

「フロリーナさんは誰に渡すんですか?」

「私は・・・その・・・リンとヘクトル様にあげようと・・・」

「ヘクトル様にも?」

 

フロリーナがリンディスに送るのはまだわかる。でも、ヘクトルにも送ろうとする理由が皆には今一つ掴めなかった。そんな中、レベッカには思い当たることがあった。

 

「もしかして、フロリーナさん。まだヘクトル様に謝ってないんですか?」

 

フロリーナは気落ちしたように頷いた。

フロリーナとヘクトルの出会いは極めて衝撃的であった。ペガサスから落下してきたフロリーナをヘクトルが受け止めたので、衝撃は一方的にヘクトルが受けただけであったが。

 

実はその時の礼をまだしてないというのだ。

 

「だから・・・これを・・・お礼にと・・・」

「渡せるの?」

「あぅ・・・」

 

今まで何度となく近づいては離れるということを繰り返してきたフロリーナだ。

今回は大丈夫という保証は皆無である。

 

皆が苦笑いを浮かべる中でニノが元気よくそう言った。

 

「私はジャファルにあげようと思うんだ。ジャファルってばずっと仏頂面なんだもん。甘いものでも食べてたまには笑って欲しいの」

 

ジャファルの話題が出てきても、ここにいる皆の雰囲気が変わることはなかった。

 

ハングが招き入れた新たな仲間。それは他の人達と何の変りはない。

ただでさえ、この部隊には海賊や元【黒い牙】の人達がいるのだ。

 

多少、思うところがある者もいるが、彼女らはそれを飲み込めるだけの度量を持っていた。

 

「そう、素敵ねニノ。だったらいろんな形にして、見た目も楽しいものにしましょうか?」

「うん!!」

「あ、あの・・・私も色々な形を作ってみたいのですけど・・・教えてもらえますか?」

 

その声は意外なところからあがった。イサドラだ。

 

「私も元気づけたい人がいるんです」

 

それは先日加入したハーケンだ。

イサドラの婚約者であり、共に切磋琢磨した仲間だった。その彼はこの部隊に所属し、再びフェレ騎士として動けるのだ。なのに、彼の表情はずっと沈んだままだった。

 

「私も・・・見ていて楽しいぐらいのクッキーを作りたいんです」

 

だったら無理やりでも笑わせてみせる。イサドラはそう思ってクッキー教室に参加したのだった。

 

「・・・私も・・・」

「ニニアンさんも?」

「はい・・・私も・・・元気づけたい人がいるんです」

 

エリウッド様か

 

ほぼ全員がその結論に至った。確かに最近綱渡りのような戦いが続いていた。

エリウッドの疲労もかなり溜まっているだろう。

 

皆から色々な形を作りたいという意見が出て、レベッカは少し思案する。

 

材料はまだ余っている。今度は別の材料を混ぜて色違いのタネを作って、彩りを加えるのもしれない。

 

そんなことを考えていたレベッカ。

 

だが、常に彼女が質問する側でいられるはずもない。

 

「ふふふ、それでレベッカさんは?」

「へ?」

 

レベッカが顔をあげると、ルイーズを筆頭にみんなの目が自分に向いていた。

 

「ですから、レベッカさんはどなたにこのクッキーを差し上げるつもりなんですか?」

「へ?へ?えぇぇ!!」

 

ルイーズの目は決して逃がしてくれそうにないのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

 

宿の裏手には馬小屋があるのが普通だ。

だが、ベルンだと大概その隣にはドラゴン小屋があるのが常である。

 

そんなドラゴン小屋で相棒であるドラゴンにブラシがけをしてやっているのはヒースだった。一心不乱にブラシをかけるヒース。彼は相棒の状態をつぶさに観察し、鱗の一枚一枚から健康状態を読み取る気概で手先の感覚に集中していた。

 

あまりに集中しているためか、ヒースはドラゴン小屋へと現れた訪問者に気づかなかった。

 

「・・・・・」

 

ドラゴン小屋の入口に背を預け、ヒースの手つきを見ているのは先日この部隊に参加することになったヴァイダだった。

 

ハングとヒースの師匠であり、【竜牙将軍】の称号を持つ実力者。

 

彼女の身元はハングが保障したものの、一時は敵対関係にあった者だ。手放しにほっつき歩かせることはできず、その隣にはレイヴァンとルセアが監視の意味で追従している。皆が休暇を取ってもらってる中、仕事を言い渡すのは気が引けたものの、二人は二つ返事で了承していた。

 

「ふん・・・」

「レイヴァン様?」

「くだらん、帰っていいか?」

「ちょっ、ダメですよ!彼女の監視はハングさんの指示でもあるんですよ」

「その当人はこの竜騎士を疑っていないんだろ。それこそ監視など必要ない」

 

そう言ったレイヴァンの顔には退屈の二文字があからさまに浮かんでいた。

ルセアも実のところヴァイダがハングの知り合いということで然程警戒もしていない。だが、真面目な性格ゆえか口には出さず、言われた仕事をこなそうという姿勢を貫く。

 

そんな二人を外に残し、ヴァイダはヒースの手つきを眺めていた。

 

昔に比べてだいぶ手馴れている。

 

別離してから何年経過したかなど、もう定かではないが、その間も決して怠惰な日々を過ごしてきたわけではないようだ。

ふと、ヒースのドラゴンであるハイペリオンがその首を持ち上げてヴァイダの姿をとらえた。

 

「ハイペリオン?」

 

ヒースはその視線を追い、入口に佇むヴァイダを見つけた。

 

「た、隊長!いつからそこに」

「隊長はやめろと言っているだろ。お前といいハングといい、公私の区別もつかんのか」

「それは、三つ子の魂はなんとやらというものですので」

「ふん」

 

ヴァイダはドラゴン小屋に足を入れる。

 

ヴァイダに鼻面を伸ばしてきたハイペリオンを撫でて、ヴァイダは懐かしむように目を細めた。

 

「他の奴らは・・・どうなった?」

 

ヒースはわずかに顔を伏せた。

 

「皆、ベルンを脱出する時に・・・」

「そうかい・・・ま、二人も生き延びてたら上出来だろうな」

 

ヴァイダはあの時の状況を思い出し「悔しいね」とつぶやいた。

 

「まあ、お前には逃亡兵として懸賞金がかかってたから、どこかで生きてるとは思ってたが」

「ハングが生き延びてたのは自分も驚きました」

「はんっ!人の度肝を抜くのはあいつの十八番だろう」

「確かに」

 

ヴァイダの声をききつけ、ドラゴン小屋の隅で寝ていた別のドラゴンも顔をあげた。

ヴァイダの相棒であるアンブリエルだ。

 

「なんだ?お前もブラシ掛けしてほしいのか?しょうがないね」

 

ブラシを手に取りつつも微笑むヴァイダを横目にヒースもまた手を動かしだす。

 

だが、その手つきは程なくして止まった。

ドラゴン小屋の外から鈴を転がすような声が聞こえてきたのだ。

その声はこんな堆肥臭い場所にはあまりに場違いであった。

 

「あ、兄様。ここにいらしたんですね」

「プリシラか?どうしたこんなところまで」

「えと・・・その・・・」

 

何か言いだしにくそうにするプリシラにルセアが小さく笑いながら助け船を出した。

 

「ふふふ、ヒースさんなら中にいますよ」

「えっ!あっ・・・はい・・・ありがとうございます」

 

いつの間にか、ヒースの視線はハイペリオンを離れ、ドラゴン小屋の出入り口に向けられていた。

ハイペリオンはブラシ掛けを催促するかのように鼻息を二、三度吹き鳴らしたが、結局諦めたのか大きな欠伸を見せた。

 

相棒の世話そっちのけとなったヒースの目を見て、ヴァイダは「おや?」と思った。

ヴァイダは自分も手を休め、興味本位でドラゴン小屋に入ってきた人物へと視線を向けた。

 

「あ、ヒースさん」

「プリシラさん」

 

彼女の名前を呼んだヒースの声音を聞き、ヴァイダは口角を釣り上げた。

 

「・・・ふん・・・なるほどな、お前もハングも戦い方が腑抜けるわけだ」

 

独り言のように呟いたそれはアンブリエルの鼻息で掻き消えてしまう。

ヴァイダは再びブラシを手に取り、アンブリエルに向き直った。

それは、強面の隊長としての威厳を保つためだった。今のヴァイダの緩んだ頬は部下に決して見せるわけにはいかないのだ。

 

その後ろではプリシラとヒースの話が続いている。

 

「どうかしたのかい?こんなところまで」

「い、いえ、その、ご一緒にお食事とも思いまして」

「え?もうそんな時間か。ごめん、もう少し待ってくれるかな。ハイペリオンのブラシ掛けが・・・って、あれ?」

 

ハイペリオンは大きく鼻息を吐き出して、ヒースに背を向けた。そのまま、尻尾をパタパタと振って、もう満足したとでも言いたげだ。

 

「あ・・・ハイペリオン?もういいのかい?」

 

ハイペリオンは返事をするように尻尾をパタンと軽く地面に打ち付けた。

 

「・・・・」

 

ヒースの感覚からすると、ハイペリオンはもう少しブラシ掛けをしてやらないと気が済まないはずなのだが。

 

まぁ、そういう日もあるのだろう。

 

ヒースはそう結論づけて、ブラシを桶の中に放り込んだ。

 

「あの、隊長。片付けはやっておくんで、ブラシはそこの桶の中に入れておいてください」

「隊長と呼ぶなと言ってるだろうが。まぁ、いい。片付けぐらいやっておいてやる!さっさと行け!」

「え、そんな。悪いですよ・・・自分が」

「さっさと行きな!!私の命令が聞けないのか!!」

 

ヒースはしばらく困惑したように佇んでいたが、プリシラを待たせるのも悪いと思ったのかヴァイダに頭を下げた。

 

「よろしくお願いします」

「はいはい」

 

適当に返事をして、ヴァイダはひらひらと手を振った。

二人はドラゴン小屋から出ていき、代わりにレイヴァンとルセアが中に入ってくる。

外からはプリシラとヒースの楽しげな会話が聞こえてくる。

 

「あ、あの、ヒースさん。先程の方がヴァイダさんなんですね」

「ああ、そうだよ。俺の師匠で元隊長なんだ」

「お強いんですか?」

「そりゃもちろん。俺の何倍もね。そういえば、なんかいい匂いがするね」

「あ、はい・・・今、オーブンでクッキー焼いてるところなんですよ。みんなで作ったんです」

「ああ、なるほど。それでプリシラさんからも甘い香りがするんだね」

「へっ・・・えっ・・・あの、匂い・・・ますか?」

「うん、少しね」

 

遠ざかる会話を聞きながら、レイヴァンの眉に皺が寄った。

いくらヒースのことを認めたものの、やはり面白くないことには変わりなかった。

 

「あの、レイヴァン様?顔が少し怖いですよ」

「余計なお世話だ」

「プリシラ様が心配なのはわかりますが、あまり気にかけすぎるのもいかがなものかと思いますよ。妹離れができてないなど噂になれば・・・」

「余計なお世話だ!!」

 

レイヴァンが怒鳴るとルセアは面白そうにクスクスと笑う。

最近、ルセアの保護者っぷりが随分と板についてきている。しかも時折、こうやって冗談を挟むようになった。

昔のように、ひたすら自分の殻に閉じこもっているよりは良いかもしれないが、ルセアがあの性悪軍師の影響を受けているようで、レイヴァンとしてはやはり面白くなかった。

 

そんな二人のヴァイダはブラシ掛けの手は休めずに、入口の二人に顔を向けた。

 

「あんた確かあの娘から『兄様』とか呼ばれてたね。ちょいと詳しい話を聞きたいもんだ」

「・・・話す理由はない」

「あるね。私のかわいい弟子が悪女に引っかかってたら一大事だ」

「・・・・なに?」

 

レイヴァンの顔に素早く青筋が立った。

実の妹を『悪女』呼ばわりはさすがに看過できない。

 

「それなら、あのヒースという男も怪しいもんだな。随分と女遊びを繰り返してそうな顔だ」

「・・・・なんだって?」

 

ヴァイダのこめかみにも青筋が浮かび上がる。

二人の間に火花が散り、熱量が高まる。

 

だが、それを見ていたルセアはもう傍観を決め込んでいた。

二人の雰囲気はレイヴァンとハングの関係によく似ていた。

 

最近、私も慣れてきましたね。

 

と、どこか第三者のような視点でルセアは遠い目をしたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

階下から沸き立ってくる甘い香りの誘惑に晒されながら、フィオーラは部屋の一室で桶から手ぬぐいを取り出して水を絞った。

 

「う・・・うう・・・ああ・・・花畑が・・・」

「しっかりしてください、セインさん。ここは宿ですよ」

「フィオーラさん・・・今日も一段と・・お美しい・・・」

 

フィオーラはベッドの上でうわ言のようにフィオーラを口説こうとするセインを振り返った。

彼の顔は赤く火照り、いつもの全身全霊から迸る気力は欠片もない。彼は熱に浮かされて、焦点の定まらない目でフィオーラを追い続けていた。

 

「その台詞、何度目か覚えておりますか?」

「・・・何度でも・・・何度でも・・・いいましょう・・・」

「はいはい・・・手ぬぐい代えますよ」

 

フィオーラはそう言ってセインの額に乗った手ぬぐいを交換した。

彼の額はまだかなりの高熱を持っていた。

 

セインは先の雪山での戦闘から体調を崩し、夜を徹した戦闘で完全にダウンしたのだった。

セインは宿へと帰るなりその場でぶっ倒れ、驚くケントとフィオーラに宿の一室へと運び込まれた。

おそらく、離宮での戦闘中もかなり状態が悪かったのであろうが、セインはまるでそれを感じさせずに戦っていた。それは、相棒のケントにすら悟らせない完璧な仕事ぶりだった。

 

フィオーラは無茶を押し通したセインを見下ろしながら、彼の首筋に落ちる汗を拭ってやった。

 

「ああ・・・フィオーラさんに看護していただけるなんて・・・このセイン・・・例え死んでもこの思い出は忘れません」

「ただの風邪です。まったく・・・縁起でもないことを言わないでください・・・お水飲みますか?」

 

セインは力無く首を横に振った。

 

「あ・・・でも・・・口移しでなら飲ませていただきたく・・・」

「あまり冗談ばかり言っていると、本当に困った時に信じてもらえなくなりますよ」

「ははは・・・これは手厳しい・・・でも、そんなあなたも素敵だ・・・」

 

ベッドの上で大人しくしていても、その口数の多さは相変わらずである。

 

病身であっても変わらないセインの態度にフィオーラは苦笑する。

だが、彼女はそんなセインにどこか安らぎを感じているようにも見えた。

 

「あなたも、こうやって弱ることがあるんですね・・・」

「え・・・なんですか?」

「いいんです。少し眠ってください・・・楽になりますよ」

「い、嫌です!お、俺は・・・こうして・・・フィオーラさんが俺を看病してくれてる姿を一秒でも長く目に焼き付けておく使命が!」

 

フィオーラはため息を吐きながら、昏倒させて強引にでも眠らせるべきかどうか本気で思案した。

だが、これ以上病人を痛めつけるわけにもいかない。

 

「なら、どうしたら眠ってくれるんですか?」

「手を・・・握ってください」

 

フィオーラは言われるがまま、セインの手を握りしめた。

 

「え・・・」

「なんです?そんな驚いたような顔をして。私があなたの手を取ったことがそんなに不思議ですか?」

「あ・・・いえ・・・いえ・・・そんなことはないですよ・・・ただ・・・嬉しくて」

 

なんとか言葉を取り繕うとするセインであったが、やはりフィオーラの行動はセインとしては予想外であった。

セインは冷たくあしらわれることを想定して、次の口説き文句を考えていたので、完全に虚を突かれたのだ。

 

そんなセインを見下ろしながら、フィオーラはクスクスと笑う。

 

「まったく・・・あれだけ散々女性に声をかけておきながら、手を握っただけでそんなに困惑するなんて、おかしな話ですね」

「あ・・・いや・・・これはフィオーラさんに握ってもらえたからでありまして・・・」

「わかりました・・・でも、約束は守ってください。こうして手を握っていれば傍にいることは目を瞑っていてもわかるでしょう?眠ってください」

「は・・・・はい・・・」

 

いつになく素直なセイン。

 

フィオーラは彼の瞳が瞼に隠れ、静かに寝息を立てるのを見守る。

 

そうしながら、思い出すのは幼き日の思い出だ。

 

妹達が風邪をひいた時、看病するのは姉である自分の仕事だった。

ある日、フロリーナが雪山で一晩過ごして風邪を引いた時もこうやって看病したものだった。

 

フィオーラは昔からそんな時間が好きだった。

 

雪に閉ざされイリアの地では生活の為に色々なものを切り捨てなければならない。そんな中で家族のことだけを考えていればいい時間というのは貴重であった。

 

そして、今は手を握ってあげている目の前の人のことだけを考えていればいい。

それは気恥ずかしくもあり、それでいて胸の奥を浮かれさせるような時間である。

 

フィオーラは穏やかな顔で眠るセインの頬に触れた。

 

「・・・あなたって人は・・・」

 

いつもは『自分に敵などいない!』と豪語しながら、味方を守るために率先して前に出るセイン。

だが、こうして眠ってしまえば弱った幼子と変わりない。

 

「無茶ばかりして・・・人の知らないところで頑張って・・・倒れるまで戦い続けて・・・騎士様・・・ですか」

 

軽薄な態度が目立つセインだが、その内面は驚く程に努力家で実直だ。騎士道精神を外すようなことはせず、自分の言葉に嘘はつかない。戦闘になれば仲間の為に槍を振るい、守るために剣を取る。セインは味方に放たれた矢を誰よりも叩き落していることをフィオーラは知っていた。

 

それはセインの視野の広さと、気配りの細やかさに起因した才能であった。

 

そして、それはフィオーラには欠けている才でもある。

 

「人は・・・自分にないものを他者に求めると言いますが・・・どうなんでしょうね・・・」

 

そんなことを考えていると、ふと宿の扉がノックされる。

 

「よろしいですか?セインに粥を持ってきました」

 

外から声をかけてきたのはセインの良き相棒であるケントであった。

フィオーラは扉を開けようかと思ったが、セインの手を離すことに些か気が引けたのか「どうぞ」と声をかけるに留まった。

 

「失礼します。セインの様子はいかがですか?」

「先程眠ったところです。熱はまだ高いですが、少し下がってきたようです」

「そうですか・・・しかし、なんとも情けない・・・我らは戦いの旅路の途中だというのに」

 

ケントはそう言いつつ、持ってきた粥の鍋をテーブルの上に置いた。

 

「自己管理を疎かにするとは、これではキアラン騎士の名が泣く。セインには後でたっぷりと説教をしてやらねば」

 

口でそんなことを言いつつ、ケントは桶に貼った水を手に取った。

 

「ケントさん」

「フィオーラ殿もあまり気にかけてやらずとも良いですよ。こんなことになったのはこやつの自業自得で・・・」

「ケントさん」

「な、なんですか?」

 

珍しく口数の多いケント。彼を前にフィオーラは小さく笑みを浮かべていた。

 

「先程とまったく同じ台詞を口にしていますよ」

「えっ・・・そ、そうですか」

「はい」

 

ケントは眉間に皺を寄せ、恥ずかしい場面でも見られたかのような顔をした。

 

「それと、桶の水も取り替えたばかりです」

「う、うむ・・・」

 

ケントは気まずそうに桶を元の場所に戻した。

 

病人を前にすると何かしてあげなければという思いが先行するケント。

その様子は昔のフィオーラ自身の姿にそっくりだった。

 

やはり、自分達はよく似ているようであった。

 

「ケントさんは休まれて結構ですよ」

「いえ、そういう訳にもいきません。こいつの失態は私が請け負わねばなりませんから」

「わかりました」

 

ならば自分が何か言ってもケントは聞き入れはしないであろう。

自分がそうであったのだから、間違いない。

 

椅子を引き寄せ、怖い顔でセインを睨むケント。だが、その表情には彼を心配している様子が見え隠れしている。

 

「そういえば、ケントさん」

「なにか?」

「前回の戦闘では妹のファリナを守っていただいたそうで。御礼を申し上げます」

「あ、いや、仲間を守るのは当然のことですので」

「それでも、姉として御礼を言わせてください。ありがとうございます」

 

ケントは照れ隠しのように頭をかく。

ケントは女性から真正面から礼を言われるのに慣れていないのだ。それは、元よりの性格のせいもあるが、そういった機会があれば無意味な突撃を繰り返して場をかき乱す相方のせいでもあった。

 

「いや・・・それほどのことをした訳ではないですが・・・彼女が入隊してから、どうも近くに配置されることが多く、そのせいでよく目に留まりまして」

 

フィオーラの脳裏に不敵に微笑む軍師の顔が浮かんだが、口には出さない。

 

「しかし、随分と活発な妹さんですね。彼女の近くにいると、元気がもらえるようです」

「そうですか?そう言っていただけると姉としても嬉しいですが、あれでは戦場で目立ち過ぎてしまいます。私としては少し心配で・・・いけませんね、また『心配性』だとあの子に言われてしまいます」

「いえ、私もそう思っていたところです。やはり少し注意を促しておいた方が良いかもしれませんね。フィオーラ殿、ファリナに話を聞かせるにはどうしたら良いでしょうか。彼女と話すといつも向こうのペースになってしまって・・・」

「そうですね・・・」

 

フィオーラは悩むふりをしながら、内心から湧き上がる笑みを押し殺そうとしていた。

 

ケントは気づいているだろうか?

 

彼はフィオーラを呼ぶ時は敬称をつけるが、ファリナ相手には呼び捨てであることに。

 

そして、思い浮かぶのは最近のファリナとの会話だった。

ファリナはこの部隊に来てからというものの、随分とケントの話題を口にするようになった。

 

『ケントさんって姉さんと同じ射手座の生まれだって!やっぱり私と馬が合わないと思った!でねでね、ケントさんってキアランで騎士隊の隊長してるんだって、それってお給料どれくらいなのか姉さん知ってる?』

『この前の戦いでケントさんに襲いかかってた敵を撃退したんだけど、これってなんとかして報酬に上乗せできないかな?』

『あぁ!もう!ケントさんに守ってもらっちゃった!これが上の人にバレたら報酬減らされちゃうかも!?姉さん!ケントさんを口止めする方法何か知らない!?弱味でも、恥ずかしい話でも、好きな女性のタイプでもいいからさ!』

 

「フィオーラ殿、私はなにか可笑しなことでも私は言ってしまったのでしょうか?」

「えっ、あっ、いえ。そういうわけではないです」

 

どうやら、自然と頰が緩んでしまっていたらしい。

フィオーラは気をとりなおして、ファリナのことをケントに話していく。

 

軍師に現在の配置を変えないように念押ししておこうかと考えながら。



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間章~徒然なるままに(後編)~

離宮から離れた後、マリナスと合流して食料や武器などの買い出しを終えたハング達。

彼らが宿に帰りついたのはもう夕刻だった。

 

「つかれたぁ!ヘクトル様が道に迷うからですよ!」

 

セーラが自分の荷物をエルクに渡しながら叫ぶ。

 

「うるせぇ!!あれはハングの道案内が悪いんだ!」

「悪かったよ。まさかここまで道が変わってるとは思わなかったんでな。俺だってゼフィール王子に文句言いてぇっての」

 

区画整理で歩きやすい町になったのは良いが、久々に訪れたハングにとってはかつての感覚が残っている分、余計に迷ってしまった。

ハング達は愚痴をこぼしながら、宿屋のドアを開けた。

 

途端、ハング達の鼻に甘い匂いが流れ込んできた。

 

「おっ、いい匂いじゃねぇか」

 

ヘクトルが鼻をひくつかせた。

 

「これは、クッキーかな」

 

エリウッドがそう言うと同時に談話室からルイーズが顔を見せた。

 

「皆さん、お帰りなさい。今日は皆でクッキーを作ったんですよ」

 

エリウッドの勘は正しかったようだ。談話室からは仲間達の騒がしい声が聞こえてきた。

ルイーズはそのまま自宅で帰りを出迎える妻の顔となり、パントの荷物の一部を預かった。

 

「良い匂いだ。僕の分もあるのかな?」

「はい、私が心を込めて作りました」

「それは楽しみだ」

 

奥へと進んでいく二人の間には既に他者が割り込める隙間がない。

一瞬で仲睦まじい夫婦の見本と化した二人の背中を見ながら、ハングはエルクの脇腹を肘で突いた。

 

「なぁ、エルク・・・あの二人って、いつもああなのか?」

「いえ・・・いつもは・・・もっと・・・」

「もっと・・・って、あれより先があるのかよ?」

「師匠達を直視してると、時々砂糖が吐けるんじゃないかと思うことがありますよ」

 

エルクはそう言ってウンザリしたような苦笑いを浮かべた。

ハングとしては既に腹いっぱいである。

 

そんな会話をしながら荷物を降ろしたハングとエルク。

そのエルクの背中を勢いの良い張り手が襲った。

 

「っつぅ!!」

「エルク!エルク!私もクッキー食べたい!!」

「だからって叩かないでくれ。食べたいなら食べに行けばいいじゃないか?僕は部屋に戻って少し休養を・・・」

「あんたも来なさい!!」

「えっ!ちょっ!!」

 

パントとルイーズに続くようにエルクが談話室に引っ張られていく。ハングは不幸な友人に片手で祈りを捧げておいた。

 

歓談の声が一層騒がしくなる。そちらに足を向けたい気持ちもハングにはあるが、それは無理な相談だった。

ハングは重要な荷物だけを手に持ち、エリウッド達を振り返った。

 

「お前らも行ってきな。細かいことは俺がやっとくからさ」

「そんな・・・悪いわよ」

 

リンディスがそう言って、ハングの荷物に手を伸ばそうとした。だが、ハングはそれをやんわりと押し返す。

その態度にヘクトルが眉に皺を寄せた。

 

「ハングも来ればいいじゃねぇか」

「今日の買い物の集計、貰った地図の解読、全体の進軍にかかる日数の算出、今後の食料配給の計算・・・やることは山積みなんだよ、腰を落ち着けられる今日中に済ましておきたい」

 

その仕事量の多さにリンディスとヘクトルは口を噤んだ。

そのどれもが重要事項であり、二人には代わりを務めるどころか手伝うことさえできない案件ばかり。

 

「エリウッドも今日の謁見は疲れたろう。いいから休んでこい」

「悪いね・・・」

「気にすんな」

 

そう言って、ハングは弾けたような笑みを見せた。

 

「後でお茶でも持っていくわ」

「おう、期待しとくよ」

 

ハングは最後にエリウッドからヘレーネ王妃に渡された地図を受け取り、階段を登っていった。

それを見送ったエリウッド達はハングの言葉に甘えることにして談話室に入っていった。

 

談話室の中はやけに賑やかだった。

中央のテーブルにはクッキーが積まれ、その周りに人が集って果実酒やミルクを口にしていた。

 

レベッカとロウエンは非常食としてクッキーを使えないかどうか審議している。

セーラはエルクとルセアを自分の両脇に引っ張り寄せて、中央のクッキーをかしましく咀嚼していた。

プリシラは部屋の隅に座ってるレイヴァンの隣でクッキーをつまんでいる。

音楽が聞こえると思えば、ニルスが笛の音を披露しておりニノが演奏中の彼をほうけた顔で見つめていた。

 

エリウッド達が部屋に入ると、真っ先にニニアンが気づいて皆に飲み物を運んできた。

 

「ありがとう、ニニアン。随分と楽しそうだね」

「はい。皆さん甘い物はなかなか食べられないですから」

 

エリウッドはニニアンの持つ盆を素早く引き取り、リンディスとヘクトルへと飲み物を配る。

 

「ニニアン、ニルスは演奏してるみたいだけど、君は踊らないのかい?」

「え・・・あ、き、今日はその・・・ちょっとお菓子作りで疲れてしまって」

 

そう言って、僅かに頬を赤らめて俯くニニアン。

そんな彼女の手のひらには可愛らしいリボンで飾られた袋が乗っていた。

 

それを目ざとく見つけたリンディスは気をきかせて、ヘクトルを談話室の奥へと引っ張っていく。

 

「いてて!リンディス!何すんだ!?」

「・・・ヘクトルって本当に無神経ね・・・ニニアンが何をしようとしていたのか気づかなかったの?」

「は?なんのことだ?」

 

本当に気づいていなかったらしいヘクトル。

リンディスは呆れ顔でニニアンとエリウッドを指さす。

 

そこではちょうど、ニニアンがエリウッドに袋を渡すところである。

離れたせいで、二人がどんな会話をしているのかは聞こえないが、二人の顔を見ればどういった会話がなされているか想像するのは容易であった。

 

「遠目で見てるだけでごちそうさまってとこね」

「さっきからお前は何言ってんだ?」

 

本当に理解していなさそうなヘクトルを見上げ、リンディスはため息を吐きだした。

これは鈍感を通り越して、木偶の坊の称号を与える必要がありそうだった。

 

そんなリンディスとヘクトルにフロリーナが歩み寄ってくる。

 

「リ、リンディス様」

「・・・どうしたの、フロリーナ」

 

やっぱり『リンディス様』と呼ばれることに違和感のあるリンディスだ。

 

「あのね、その、これ、リンディス様に」

 

そして、差し出されたのは先程ニニアンが持っていたのと同じくリボンで飾り付けられた品だった。

 

「ありがとう、フロリーナ。中身はみんなと同じクッキー?」

「うん、あんまりたくさん作れなかったけど」

 

袋を開けると確かに多くはない量のクッキーが詰められていた。

 

「お、いいじゃねぇか。手作りか?」

「ひぅ・・・・」

「ヘクトル!あんたはフロリーナに近づかないの!!」

「はぁっ!?なんでそうなん・・・」

「フロリーナが怯えるからに決まってるでしょ!行きましょ、フロリーナ」

「あっ、リン・・・ちょっと、待って」

「・・・どうかしたの?」

 

『リン』と呼んでくれたことに少し喜びを覚えつつ、リンディスは立ち止まった。

 

「あの・・・これ・・・・」

 

フロリーナの手の中には先程と同じ、包みが一つ。

 

フロリーナはそれをその場で差し出した。

 

一瞬、リンディスはそれが誰に向けられものなのかわからなかった。

そして、自分の目の前で手渡されたにも関わらず、その現実を理解することができなかった。

 

「ヘクトル様にも・・・クッキーを・・・」

「お、おう・・・おう!俺の分もあったのか!ありがとうな!!」

「い、いえ・・・その・・・それは・・・あの・・・お礼・・・」

 

フロリーナがなおも言いつのろうとするも、ヘクトルは既に包みを受け取って中身を頬張ってしまう。

 

「おおっ!うめぇなこれ!!あっ、エリウッド!お前も貰ったのか!?なんだよ、随分嬉しそうな顔してんじゃねぇか?」

「あ・・・・」

 

何かを言おうとするフロリーナを残してヘクトルはエリウッドの所へ行ってしまう。

 

結局、何も言えずじまいになってしまった。

 

「・・・・・・ふぅ」

 

フロリーナは気が抜けてしまったかのように小さくため息を吐いた。

それは、上手に行動できない自分に呆れているようにも聞こえたが、その吐息の真意は本人にしかわからない。

 

そんなフロリーナの額に手が当てられた。

 

「あ、あの?リンディス様?」

「熱は無いわね。フロリーナ、変なものでも食べたの?」

「えええ、な、何でですか!?」

「だって、フロリーナがヘクトルにお菓子なんて・・・まさか、何か脅されてるんじゃ」

「違います、違いますから!!リンディス様!待ってください!!」

 

既に剣に手をかけていたリンディスをフロリーナは割と必死に取り押さえたのだった。

 

そんな階下での騒ぎ声に後ろ髪を引かれながら、ハングは整理した荷物を抱えて二階へと上がっていく。

上の階では窓際に机を置き、酒を飲み交わす二人がいた。

 

「ん?随分珍しい組み合わせだな」

 

そこにいたのはヴァイダとワレスの二人であった。

 

歴戦の二人は酒を飲みながらでも隙は無い。

 

「おう、ハング」

 

ヴァイダに片手をあげて挨拶され、ハングは軽く会釈。

ヴァイダは酒に付き合わせようかとも思ったが、ハングの手に大量の書類が抱えられているのを見て諦めた。

 

「仕事か?あんま根つめるなよ」

「そうします」

 

絶対にそうしないであろう疲れた笑みを浮かべながら、ハングは自室へと引っ込んでいった。

 

「ほう、まるで息子を見るような目ですな」

 

ワレスがそう言いながらヴァイダの杯に酒をつぐ。

味は濃いが酒としては弱い類のこの酒は戦いを生業とする者には結構好まれる。

その酒を口に含みながら、ヴァイダは苦笑いを浮かべた。

 

「まったく・・・私も甘くなったもんだよ。あいつらが生きてると知って頬が緩みっぱなしさ」

 

そう言った、ヴァイダの顔は確かに嬉しそうだ。

もちろん、ハングやヒースの前では決して見せることはない。

 

それは鬼教官であった頃から続く最低限の矜持である。

 

「ふはは、親とは総じてそんなもんだ。儂もリンディス様が生きておられたと知った時は喜びで咽び泣いたもんだ」

 

ワレスも酒を飲み干して、大声で笑った。

 

「リンディス様・・・ねぇ」

「ん?どうかしたのか?」

 

昼間にレイヴァンからこの部隊の人間関係をある程度聞き出していたヴァイダは意味深に目を細め、酒で唇を湿らせた。

 

「いや、なに、あいつが姫さんと恋仲になるとは思わなかったからね」

「あぁ、なるほどな」

 

ヴァイダが久々にハングと会ってみたら、それはもう分かり易く一人の女を見つめてる。

よくよく聞いてみたら相手は貴族の姫様、しかも両想いとくれば驚くには決まっている。

 

森で拾った薄汚いガキがここまで不相応な相手と思いを通じ合わせることができることなど、いくらヴァイダでも予想できなかった。

 

「ふはは、愛は身分など軽く飛び越えていきますぞ。愛の力で小人が竜を倒した御伽噺があるぐらいですからな」

 

かく言うワレスもリンディスの母親の駆け落ち騒ぎに手を貸した張本人だ。

愛だの恋だのの可能性の無限さはよく知っている。

 

二人の間に流れる朗らかな空気。

 

だが、それはヴァイダの次の一言で崩壊した。

 

「まぁ、寄せ集めの弱小国の一つの姫さんだ。あいつにはお似合いかもな」

 

ワレスの顔が凍りつく。

 

「・・・なぬ?」

「キアラン、だったか?リキアの中の片田舎の。まぁ、それにしてはあのリンディスは骨がありそうだし、認めてやってもいいか」

「・・・・ほう」

「ん?どうしたい?」

 

ヴァイダはそこでようやくワレスの綺麗な頭から湯気が立ち上ってるのに気がついた。

 

「貴様・・・キアランを侮辱しおったか。ベルン竜騎士がどれ程のもんかは知らんが、このワレス、黙ってはおれんぞ」

「・・・へぇ。田舎騎士風情があたしに勝てるとでも?」

「そんなものハング殿の剣の腕を見てれば大概はわかる。それと、竜騎士の根性の悪さもな」

 

ハングと竜騎士の話題を出され、ヴァイダのこめかみの傷跡が真っ赤に染まり上がった。

 

「竜騎士をバカにされちゃあたしも黙ってられないよ。しかも、ハングを引き合いにするかい!?あいつの根性はあたしが鍛え上げたんだ。そこを貶されるのは我慢ならないね!」

「あのハング殿の根性など・・・蔦の茎の方がまだ真っ直ぐに見えるわい。儂はそのうちハング殿をリンディス様の婿に相応しい男に鍛え直すつもりでおるぞ」

「あいつはもう十分立派な男だ!そいつはあたしが保証してやるよ!それよかあのリンディスの方こそ酷い荒削りじゃないか。あんな火の玉みたいな女をハングの側に置いておけないよ」

「・・・言いおったな」

「・・・言ったがどうしたい」

 

激しく睨み合う二人。

 

「だいたい、小山がのっそりとうごめいてるような戦いしかできない男に鍛えられる程、うちのハングは柔かないよ」

「なにおぅ!弓兵に一々及び腰になるお主にこそ、リンディス様を鍛える資格などないぞ!」

「言うじゃないか、だったらここで決着付けるかい!?」

 

途端に殺気立つヴァイダ。

だが、それをワレスは制した。

 

「我は誇り高きキアラン騎士だぞ。戦を忘れて私闘に走る程愚かではないわ。それにお主も模擬刀などという不粋なものでの決着は御免だろう」

「そうだね、じゃあどうすんだい?」

「わしの力は敵との戦いの中で示してやる。お主も同じ方法で力を示してみるがいい」

「いいだろう。でも、誰が勝者を決めるんだい?私達だけじゃ戦い方が違いすぎて判断できないじゃないか」

「む・・・ならば他の者に判断を託すか。戦に詳しく、また公正な目を持った人物」

「なら、ハングで決まりだ。あいつはこの部隊の軍師だ。あいつが広い視野と的確な判断力があることはあたしより、あんたの方が知っているだろう」

 

満足気に自分の人選を決定しようとするヴァイダに待ったの声が入る。

 

「長くいるからこそハング殿は信用ならん!軍の指揮は確かだが、ハング殿は感情に揺さぶられ過ぎるきらいがある!それよりも我が主君のリンディス様の方が適任だ」

「馬鹿言うんじゃないよ。身内贔屓で負けてたまるかい」

 

身内と言えば、ハングもヴァイダの身内と言って過言ではない。しかも、ハングはヴァイダの一睨みに逆らえない可能性もあるので、この二人の対決の判断を正確に下せるとは思えないのだが、それを指摘する人はこの場にいなかった。

 

「なら、残りはあの糞真面目なエリウッドだね。あいつが一番、公正な判断がくだせるんじゃないか?」

「よかろう!こちらも異存は無い」

 

名前すらあがらなかったヘクトルに同情する声は無い。

 

「キアラン侯とリンディス様の名にかけて、負けるわけにはいかん」

「望むところさ。大陸最強のベルン竜騎士の強さ、見せつけてやるよ」

 

火花を散らす二人。

 

だがこの言い争い元をたどれば・・・

 

「・・・それはそうと、あのハング殿も元『最強のベルン竜騎士』の一員なのか?」

「まぁ・・・それは・・・剣の腕はともかくとして、あいつの目的に対する執念は十分な強さだ」

「それは否定せんな」

「それよか、あのリンディスってのもそこまで忠誠を誓える女なのかい?」

「もちろんだ。立場や見た目にとらわれず、真っ直ぐに人を見る誠実さはわしでさえ尊敬できる程だ」

 

単なる親バカである。

 

「ヘックシュ」

「クシュン」

 

この宿でほぼ同時に起きたくしゃみが誰によるものかは説明するまでもないだろう。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ジャファルは宿の外にいた。

襤褸を纏い、宿の出入り口が見張れる路地に座り込む彼の姿はあたかもただの浮浪者のようだ。

暗殺者たるもの、殺気を完璧に隠して潜伏するなどお手の物である。

 

ただ、そんなジャファルの手には場違いにも甚だしい可愛らしい包みが乗っていた。

中身はまだ暖かく、袋の口を開ければ香ばしい匂いが漂ってくる。

 

それはニノが持ってきたものだ。

彼女はクッキーを焼き上げた後、一直線にここに来た。

ここで見張りをすることは誰にも言ってなかったはずなのに、いつの間にか居場所を把握されていたらしい。

どうにも恐ろしい奴である。

 

ジャファルはクッキーを一つ口に含んで、丹念に咀嚼する。

食事など栄養補給にすぎないと思い、ほとんど飲み込むようにして食べるジャファルにしては随分と長い食事であった。

 

「・・・・甘いな・・・」

 

ジャファルの独り言。

 

それは誰の耳にもとまらずに夜の闇へと溶けていく。

 

突如、そのジャファルの目つきが鋭くなった。

 

クッキーの袋が素早くマントの内側に消え、代わりに手のひらで隠せる程に小さな短刀が握られる。

殺気を覆い隠しながら、周囲に警戒の糸を張り巡らせるジャファル。

 

そんな彼の真正面から散歩をするような気楽さで、歩いてくる男が一人。

 

「よう【死神】久しぶりだな」

「・・・・【疾風】」

 

現れたのはラガルトだった。

かつては同陣営を名乗っていたとはいえ、二人の間の空気は妙に張り詰めていた。

 

「お前がこっちの軍で見ることになるとはな。いやほんと驚いたぜ」

 

飄々とした空気に世間話のような軽い口調。

だが、その立ち姿に隙は無い。

 

「ネルガルの手先だったお前とここでまた出会うなんてな・・・」

 

この男が何をしにきたのかジャファルには掴めない。だが、何しに来たにしろジャファルには預かり知らぬこと。

向かってくるなら抵抗するまで。

 

「・・・だんまりか。雑談もできないのかよ」

 

沈黙を保ったジャファル。

ラガルトは無駄とわかりつつも、何か反応が返ってこないかもう少し試そうとした。

 

だが、それは別の人間の気配を捉えたことで断念することになった。

 

「おっと。他にも客も来たみたいだな」

 

そして、ラガルトとジャファルは路地の奥へと注意を向ける。

 

「・・・・お仲間同士で何の話合いだ?」

 

マシューだ。

 

普段の軽薄な笑みはなりを潜め、鋭い眼光と真一文字の口元が緊張感を放っていた。

 

「いやいや、俺は元『黒い牙』だって言ってるだろ。こいつとはもう関わりなんてないって。そもそも、こんな不気味な奴と一緒くたにしないで欲しいね」

 

薄ら笑いを浮かべてラガルトはそう言った。

ジャファルは先程の姿勢のまま動きはしない。

 

「どうだかな。身分を偽って敵の懐に潜り込む。それが俺やお前の仕事だろ?」

「そりゃそうだ。だけどそれは『俺やお前』の仕事だ。ここにいる【死神】は違う。それはお前もわかってるだろ?」

 

密偵と暗殺者

 

両者は似ているようでその間には大きな隔たりがある。

持ちうる技術も、剣捌きの能力も、対話の仕方一つとってもそれらは似ても似つかない。

 

「で、どうする?」

 

殺し合うか?

 

言外にそんな意味を込めつつ、ラガルトは苦笑いを見せた。

 

「あんたは敵だって証拠もないのにそんなことできるかよ・・・だが、お前は少し事情が違うぞ」

 

マシューは視線をラガルトからジャファルへと向けた。

 

「お前、【魔の島】にいたよな?」

 

マシューの声には抑揚もなく、淡々と紡ぎ出させる様には感情が無いように聞こえる。

しかし、聞く者が聞けばわかるだろう。

 

彼が感情を無理矢理殺していることが。

 

「レイラって名前の女。知ってるか?」

 

辺りを吹く風が彼らの服の裾を揺らした。

 

「その女はオスティアの密偵の一人だ。内情を探るために【黒い牙】に潜入し・・・死んだ。お前、何か知ってるか?」

 

やはり、沈黙を返すジャファル。

だが、彼の手の中で握られていたはずの短刀はいつの間にか服の下へと消えていた。

 

「レイラは俺たちの仲間内でも一二を争う使い手だった。あいつをやったのは【黒い牙】でも相当な腕を持った奴だということだ。組織の中で【四牙】と呼ばれてた暗殺者の誰か・・・お前だな?」

 

裏稼業に生きる三人の男達。

吹き抜ける夜風が彼らの体温を奪って行く。

月が雲に隠れ、日常のざわめきはここには無い。

 

そして、一つの返事があった。

 

「・・・そうだ」

 

その言葉に風さえも消え失せる。

放たれる殺気が身を切るような鋭利なものへと変わる。

 

そして、マシューは静かに声を紡ぎだす。

 

「・・・これは挨拶だ。若様やエリウッド様がどう思おうが、俺はお前を許さねぇ。俺に負けて死ぬ時・・・レイラの名を思い出せ」

 

唐突にマシューの姿は路地裏から消えた。

背を見せず、溶けるように姿をくらます動き方は密偵としては一流だ。

 

取り残されたジャファルとラガルト。

 

「随分、憎まれたもんだな」

「・・・・・」

「ま、お前には関係ないか」

 

ラガルトは警告の一つでもしてやろうかと思ったが、やめておいた。

そんな義理を抱く程ラガルトとジャファルの関係は暖かくない。

 

「そんじゃぁな」

 

ラガルトもいなくなる瞬間を見せずに路地から消えていく。

 

思い出したように吹き抜けていった夜風がジャファルの身を切り裂いていった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

窓際に置かれた机。

 

星明りと燭台に照らされた手元には格安の羊皮紙が何枚も広げられ、乱雑に並べられた数字で埋め尽くされていた。そんな物言わぬ相手と格闘を重ねていたハングは羽ペンを置き、大きく伸びをした。

 

首を左右に動かすと凝り固まっていた筋がいい音をたてた。

 

そろそろ夜も更けたという頃合い。階下の騒ぎ声も聞こえなくなって久しい。ハングの仕事もほとんど終わりかけであった。

 

いろいろと濃厚な旅を続けてきたハング。

仕事を素早く片付けるコツも否応なく身に付くというものだ。

量が量だけに時間がかかってしまったが、仕事は上々といったところだろう。

 

問題があるとすれば、ただ一つ。

ハングは羊皮紙のうちの一枚を抜き出す。

 

処分しにくく丈夫な羊皮紙には契約を、秘密の言葉は燃やしやすい紙に書く。

 

だが、この地図は羊皮紙に描かれていた。

それだけに信用を置かれていると考えていいのか、それとも偽の手紙をつかまされたか。

だが、この地図はハングの入手した情報で裏付けがとれている。

 

「信用は時に重いよな・・・」

 

思わず漏れた独り言に返事はない。

 

その代わり、ドアの向こうから声がかけられた。

 

「ハング、調子はどう?」

「まあまあだ」

「入っていい?」

「どうぞ」

 

入ってきたリンディスの手元にはさっきの言葉通り、良い香りを放つ紅茶とクッキーとが乗っていた。

 

「順調?」

「というかもうほとんど終わったよ」

 

ハングは羊皮紙を片付けて窓際のテーブルを開ける。

そこに置かれお盆からの香りを存分に吸い込み、ハングはクッキーに手を伸ばした。

 

「ごめんなさい。私はいつも手伝えなくて」

「そんなこと言ったら。俺は戦闘じゃほとんど足手まといだろう。気にするなよ」

 

ハングはクッキーを口に放り込む。

仕事で疲れた頭には甘い物がよく染みた。

 

ハングはもう一つクッキーを手に取り、リンディスへと差し出す。

 

「リンディスも食べるか?」

 

そろそろ彼女のことを「リンディス」と呼ぶことに慣れてきたハングである。

 

「下で食べたからいいわ」

「太るもんな」

「・・・・・」

 

怖い視線を笑って受け流し、ハングはクッキーを音を立てて噛み砕いた。

 

「ねぇ、ハング」

「ニノとジャファルのことか?」

「・・・・」

 

怪訝な顔を浮かべるリンディス。どうやら、当たっていたらしい。

 

「なんでわかったのかって顔だな」

「もういいわ。その辺のことを一々気にしてらんないもん」

 

リンディスは一つため息をついて、話を戻した。

 

「それで?」

「まぁ、十中八九レイラを殺したのはジャファルだろうな」

 

ハングはいきなりそう切り出した。

証拠はどこにもないが、ハングにはある程度の確信があった。

 

「それは多分、ヘクトルとマシューもわかってると思う。エリウッド達もな」

「・・・・・・」

「まぁ、本人達の中でどんな殺意が膨らんでるかは正直わからないよな」

「復讐だもんね」

「復讐だからな」

 

お互い、そのことに関しては並々ならぬ理解がある。

それと同時に人がどんな復讐心を抱いているかを理解することの難しさもよく知っていた。

 

「ハングは・・・どう?」

「俺か・・・俺はどうだろうな・・・」

 

ハングは自分の胸の内を探ってみる。

 

軍師としての自分は『戦力としていかなる相手も受け入れるべきだ』と言っている。

だが、リンディスが求めている答えはそうではない。

彼女はハング個人がどう思っているのかについて聞きたいのだ。

 

「ジャファルに対してある程度怒りを抱いてることは否定できねぇな」

「・・・・・・」

「マシューの奴とも付き合いは長いし、レイラはお前のじいちゃんを救ってくれた恩人だ・・・ジャファルを許せるかと言われると・・・少し困るな・・・けど、ジャファルを殺してしまえば、今度はニノが俺達に復讐を迫る気がする。そんなことをさせちゃいけない・・・」

 

幼くして復讐に取り付かれた末路がロクなものではないことはハング自身がよく理解している。

 

「・・・それに・・・ネルガルの野郎に比べると、憎悪もそこまで深くない・・・そんな感じだ」

「・・・そう・・・」

 

静かに呟いたリンディスの表情は穏やかで、ハングはその顔から彼女の内面を想像することはできなかった。

そういえば、彼女の復讐が唐突な終わりを迎えてからこうして落ち着いて話をするのは初めてであった。

話題はそのままハングの復讐へと移っていく。

 

「ハングはやっぱり・・・ネルガルだけは諦められないの?」

「まぁ・・・な・・・」

 

諦められたらどれだけ楽だろうか、とハングも考えたことはある。

リンディスの為にも自分を変えるべきなんじゃないか、と思ったりもした。

 

だが、無理だった。

 

ネルガルに対する憎悪は身体の深いところに根を下ろし、ハングの骨幹に絡みついている。

 

ハングは紅茶に口をつけ、わずかな苦味と芳醇な香りを口の中に満たした。喉から胃へと紅茶の熱が落ちていく。

その熱がハングの中の凍り付いた感情を際立たせた。

 

「後ろを振り返れば血塗られた過去があって・・・前を見ればネルガルの忌々しい顔が待ち構えてる・・・にっちもさっちもいきやしない・・・」

 

ハングはそう言って力無く首を横に振った。

 

「どうして・・・俺って生き物はこうなんだろうな・・・復讐にしか頭が向かない」

 

情けない話だった。

 

他の生き方を模索することなんて簡単なはずだ。全てを忘れて一から歩みだすことだってできるはずだ。

だが、ハングにはそれができそうにもない。

結局のところ、ハングは村を滅ぼされたあの日から一歩も前に進めていないのだ。

 

力無く項垂れるハング。

 

自分が幼き頃の姿に戻ったような気がしていた。

不敵に笑う軍師のハングはここにはいない。村を焼き出され、途方に暮れて森を歩き続けた少年が座っているだけだった。

 

そのハングの手を温かな手が包み込んだ。

 

「そうそう切り捨てられるものではないわよ・・・それは私もわかってる」

 

リンディスはハングの手をさする。

長い旅の中で風雨にさらされて擦り切れた手だった。

痩せ気味で、骨が張って、それでも剣や槍を握り続けて分厚くなった皮膚に覆われたハングの手だ。

 

「大丈夫」

 

そう言われ、ハングが顔をあげる。

そして、ハングは満面の笑みに迎え撃たれた。

 

「ハング。大丈夫」

「え?」

「大丈夫よ・・・私はいつでも傍にいるから。ずっと、ずっと・・・傍にいる。ハングが復讐したいって言うなら私も手伝う。忘れたいならハングの心が軽くなるまで待ってる・・・」

「リンディス・・・」

「私、これでも待つのは得意なのよ?草原の民はみんな忍耐強いんだから」

 

そう言って彼女は笑っていた。

 

その笑顔をハングは呆けた顔で見つめていた。

彼女の言葉の一字一句が胸に染みていた。

 

「・・・・・やべ」

 

不意にハングは目頭が熱くなるのを感じた。

ハングは慌てて、目元を引き締め、瞬きを繰り返す。

 

「なぁに?泣いてるの?」

「うるせぇ・・・ったく・・・」

 

ハングは左腕で乱暴に目元を拭う。

誰かの前で躊躇いもなく泣きそうになったのは初めてだった。

 

「ああ、もう・・・そんなにしたら腫れちゃうわよ」

 

リンディスの手がハングの目元に伸びる。

ハングは少し恥ずかしがりながらも、その手に瞼から溢れた水滴を拭ってもらった。

 

旅から旅への人生だった。

 

頼れる人などいない。誰も巻き込んではいけない。そう己を律して生きてきた。

ヒース達に背中を預けた日もあったが、この復讐に彼等を巻き込もうと思ったことはない。

 

その考えは今も変わらない。

 

彼女を自分の復讐に巻き込むつもりはない。

それでも、孤独な道を歩いてきたハングにとって、隣に誰かがいてくれることは涙が溢れる程に暖かかった。

 

「・・・リンディス」

「なに?」

「お前・・・いい女だな」

「あら、今更気づいたの?」

 

そうして、二人してクスクスと笑い合う。

 

静かな、とても静かな夜だった。



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第28章外伝~決別の夜(前編)~

それは、ハングとリンディスがお茶とクッキーを楽しみ、そろそろ寝ようかと思っていた矢先のことであった。

ハングは不意に窓の外へと視線を向けた。

 

「ハング?どうしたの?」

「もう動いたか・・・」

「え?」

 

ハングは窓の外から視線を一切動かさずに立ち上がった。

 

「リンディス、エリウッドとヘクトルに声をかけて裏口から外に出るぞ」

「え?どうして?」

「ニノが動いた」

「・・・それって・・・どういう・・・」

「話は後だ!急げ!見失ったら洒落にもならない!」

「う、うん!」

 

慌てて飛び出ていくリンディス。

そして、ハングもすぐさま後に続く。

 

ただ、残っていたクッキーを一つ残らず口に放り込むことは忘れなかった。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

静かに宿の表口を開けるニノ。

ドアの軋む音一つたてずに扉を開け閉めする技術はさすが【黒い牙】の一員といったところだ。

だが、そんな技術も路地で見張りをしていた人物には無意味だった。

 

「・・・こんな夜更けにどこへ行く?」

「・・・ジャファル」

 

彼が来ることは予想していたのか、ニノの驚きは少ない。

そして、ジャファルもニノが今夜あたり抜け出すんじゃないかと思っていた。

 

「・・・ソーニャの所か?」

「・・・うん」

 

ニノの母親。

 

ジャファルは無感動にニノに質問を繰り返す。

 

「・・・居場所は?」

「山の上のアジトがダメになったらしいから・・・きっともう一つの方にいると思う・・・」

「・・・【水の神殿】か」

 

川の流れを変えることで水位を調節し、建物そのものを湖の底に隠すこともできる【黒い牙】のアジト。

 

「・・・やつらには?」

「・・・言ってない。みんな・・・いい人だからウソなんかついてないって分かる。でも・・・あたし、母さんに会って母さんの口から、ほんとのこと聞きたい・・・だから・・・・・・」

 

ジャファルはため息をつくのをこらえるかのように、言葉を続けた。

 

「ニノ・・・あの女に、そんな感傷は通用しないぞ・・・」

 

ソーニャが下した非常な指令を聞いたのはジャファル本人だ。

あの女がニノのことを邪魔だと思っていたのは間違いない。そして、その彼女がニノに対して情の一欠けらでも抱いているか怪しいものだった。

抱いているか怪しいものだった。

 

そんなジャファルの心の中を読んだかのように、ニノは強い声を放った。

 

「わかってる!でも、母さんなんだもん!!血のつながった、たった一人の母さんなんだからっっ!!」

 

ニノに真っ直ぐに睨みつけられ、ジャファルは今度こそため息を吐き出した。

 

「・・・俺には、理解できん感情だな・・・」

 

ジャファルはネルガルに拾われた。

そして、暗殺者として育てられた。

 

だからといって、ネルガルが親だと思ったことはジャファルには皆無だった。

 

「あ・・・!ごめん・・・違うの・・・」

「・・・気にするな」

 

そう言ったジャファルの顔にはわずかに苦笑の色が浮かんでいた。

 

「ほんとに、ごめんね・・・ジャファル」

「・・・一人では行かせん。行くのなら、俺も一緒だ。いいな?」

 

ジャファルはそれを否定される前に北へと足を向けた。

止めても無駄だという意思の表れだった。

 

「・・・ジャファル」

 

それを追うようにニノも足を踏み出し、二人は村の外へと駆け出していく。

 

ふと静まり返る夜の町。

 

「・・・・ま、こうなるよな」

 

建物のかげから顔を出したのはハング達だった。

 

「なにごとかと思ったけど・・・・・・ニノ・・・」

 

リンディスはニノ達の去って行った方向を見つめていた。

今すぐにでも追いかけたいのか、何度もハングに意味ありげな視線を送ってくる。

その隣のエリウッドもまた今すぐに駆け出したい様子だった。

 

「・・・ジャファルが言うように、ソーニャにニノの思いが届くとは思えない。ハング、どうするんだい?」

 

ハングは後頭部をポリポリとかく。

 

「・・・さて、どうするか」

 

そして、ハングが水を向けたのはさっきから黙りこくっているヘクトルだった。

 

「ヘクトル、お前の意見を聞かせてくれるか?」

「・・・・・・」

 

沈黙で返すことは許さない。

ハングの目からその台詞を読み取り、ヘクトルは自分の言葉を噛みしめるかのように話し出した。

 

「・・・俺は、仲間をやったあいつが許せねぇ」

 

心の底から絞り出されたようなその言葉は悲しみや憎しみが存分に詰まっていた。

 

「なぁ、ハング。そこまでして・・・わざわざ助けに行くほどあいつの力が必要なのか!?」

 

ヘクトルの言葉を聞き、ハングは「やっぱりな」とつぶやいた。

 

「・・・なんだよ。やっぱりって」

「ヘクトル。俺がなんで旅を続けてるか知ってるよな」

「・・・復讐・・・だよな」

「そうさ。俺はネルガルを殺したくて旅をしてきた。『どうしても許せない』その感情だけを糧に日々を生きてきた。それ以外に生きる理由を知らなかったからだ」

「・・・・・・」

「そうさ。俺はそれを強さと信じて疑わなかった。仲間もいらない、親もいらない、失う物の無い強さこそが俺の生きる道だと信じてた・・・でもな・・・強さってそれだけじゃないんだよな」

 

ハングは思わずリンディスに向きそうになる自分の首を止めた。

 

「何かを護る強さとか、誰かと歩んでいけるからこそある強さとか・・・そういうのは確かに存在する。俺は本来の【黒い牙】はそんな強さを持っていた連中だと思う」

「あのジャファルってのも、そうだと言いたいのか?」

「わからないさ。でもな、少なくとも今のあいつは・・・ニノを護る為に行動している。それは【竜の門】で会ったあいつとは違う強さだ」

 

ハングは自分にも言い聞かせるようにそう言った。

それは今の自分にもそのまま当てはまる台詞だった。

 

ハングは同意を求めるように後ろを振り返った。

 

それにエリウッドとリンディスが答える。

 

「そうだね。僕もニノの隣の彼はただの殺人鬼とは思えない」

「・・・それは、私も感じた。風が少し変わってる気がしたわ」

 

ハングはそう言った二人に小さく頷き、再びヘクトルへと目線を戻す。

 

「・・・ヘクトル。お前はどうだ?」

 

そして、ヘクトルはたっぷりと時間を置いて答えた。

 

「・・・俺にとって、あいつは仲間の仇だ。なにがあってもそれは変わんねーよ」

「じゃあ、二人を見捨てるのか?」

「そうじゃねぇっ!」

 

自分に言い聞かせるような吠え声。

 

「・・・・あいつには生き延びてもらうさ」

 

ハングはその台詞を聞いて、顔をほころばせた。

 

「生きて・・・やったことを後悔させる!・・・それで、いいんだろ?」

「ヘクトル・・・」

「よく言った」

「おまえらのおかげでふっきれたよ・・・もうごちゃごちゃ言わねぇ・・・・・・悪かったな」

 

ヘクトルが笑う。屈託の無い良い笑顔だった。

 

「よし、なら行くぞ!行き先はラガルトとマシューに追わせてる。だけど、出発の前に仲間を集めねぇとな。みんな、別々の宿に泊まってるからな」

 

ちょうどその時を見計らったかのように、町の中からロウエンが駆けてきた。

ロウエンにはウィルやドルカス達が泊まってる宿に連絡に行かせたのだ。

 

「ロウエン!すぐに出発の準備を・・・」

「ハング殿・・・大変です!!」

「ん?」

 

そして、ハングはロウエンに連れられて彼等が泊まっていた宿へと向かった。

 

「くかぁぁぁ~・・・・」

「うおぉい、酒もってこぉぉい・・・」

 

ダーツがカウンターで酔いつぶれ、バアトルはまだ飲む気でいる。

姿が見えないと思っていたウィルとギィは店の片隅でぶっ倒れており、ホークアイがそんな二人を担ぎ上げたところだった。

そんな面々の間を介護して回っていたカナスとドルカスはハングが宿に入ってきたのを見て、表情を凍り付かせた。

 

「・・・・ふぅぅぅぅ・・・」

 

ハングの口から不気味な呼吸音が漏れる。

 

「おまえらな・・・」

 

確かに今日は休暇ということだった。慰安の許可もハングが降ろした。

だが、ここまで羽目を外して良いわけがなかった。

 

カナスとドルカスが生唾を飲み込む。

だが、結局ハングの怒りは爆発せずに収束した。

 

「まぁこいつらを放っておくわけにもいかんしな・・・カナスさん、ドルカスさん、後頼みます。ホークアイさんはこっちで戦闘をお願いします」

 

ホークアイは無言で頷き、ウィルとギィを床にそっと寝かせる。

 

「投げ捨ててくれてよかったんだかな・・・」

「・・・そうはいかんだろ」

 

ハングはホークアイを引き連れて外に出ようと背を向ける。

圧力から解放され、カナスとドルカスがホッと一息つく。だが、安心したのも束の間だった。

 

「俺が帰ってくるまでに、全員が土下座できるようにしておけ」

 

氷ですら生温い声音でハングがそう言った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ベルン王都の北部。

険しい渓谷と深い森の狭間に君臨する石造りの建造物。

古き時代に作られた森と水の神を祀る神殿だ。元々は神聖な場所でもあった土地だが、既に役目を終えて久しい。

美しかった壁画は長年の雨風が削り取り、意匠を凝らした装飾は見る影もなくなっている。

この神殿が廃墟と化して随分の時が流れていた。

神事を行うはずだったこの場所も、今となっては闇に蠢く者達の根城である。

 

「ソーニャ」

 

静かで感情の無い平坦な声が神殿の最奥から聞こえた。

それに対するのは高慢な気品を随所に滲ませる女性の声。

 

「フン、気安く人の名を呼ばないで。人形のくせに」

 

ソーニャは自分の元へと遣わされた【人形】に不躾な視線を向けた。

 

「・・・それで、話というのは何?」

「エリウッドはまだ生きている。ネルガル様の命令は未だ果たされていない」

「お黙り!!この【モルフ】め!!」

 

激昂した声が響いた。

 

「そんなことはわかってるわ。【四牙】が消えたってまだ私がいる・・・エリウッド達は私が始末してやる!」

 

殺意と怒気、そして渦巻く魔力を滾らせるソーニャ。

目の前でそれを微動だにせず受け止めているのはネルガルの側近であるリムステラであった。

 

火花を散らせる二人。その場に深く響く男の声が割り込んできた。

 

「ソーニャ!どこだ、ソーニャ!?」

 

この神殿の最奥に向かってくるのは【黒い牙】の首領、ブレンダン・リーダス。

 

「ソーニャよ、話が・・・」

 

ソーニャの姿を見つけたブレンダン。

だが、その足は最奥の手前で止まった。

 

「・・・何者だ。そいつは?」

 

ブレンダンが捉えたのは無表情に佇むリムステラ。

ソーニャがため息を吐き、リムステラは無感動な目をブレンダンに向けていた。

 

そして、ソーニャが吐き捨てるように言った。

 

「まぁ、いいわ。そろそろ消えてもらおうと思ってたんだし」

「なに!?」

 

殺気立つブレンダン。

ソーニャはこの状況を楽しむように笑ってみせた。

 

「クク・・・今まではあの忌々しい兄弟が邪魔で手出しができなかったけど」

「ソーニャ・・・お前・・・」

 

手元に愛用の斧を備え、ブレンダンは油断なくその場で構えをとる。

 

「お前に近づいたのは【黒い牙】を乗っ取る為。周囲を見渡してごらんなさい。昔なじみが一人もいないでしょう?少しずつ、少しずつ取り替えてあげたわ。ククク・・・ネルガル様の作った人形【モルフ】共にね!!」

 

ソーニャの背後に立つリムステラ。

その容姿を見て、ブレンダンは顔をしかめた。

 

黒い髪、青白い肌、そして特徴的な金色の瞳。

 

思い当たる者が多過ぎるくらいだった。

 

「やはり・・・裏切っていたんだな・・・」

「今頃気づくなんて愚かねブレンダン・リーダス!お前の息子達は最初から私を警戒していたというのに。本当はお前ごときに指一本触れられたくなかったのだけれど・・・全てはネルガル様の為・・・【牙】を手に入れるためだったのよ。ね、もういいわ。消えてちょうだいブレンダン。愛する妻の為にね!!」

 

突如、ソーニャの周囲に激しい冷気が取り巻いた。冷気は無数の刃と化し、氷の剣戟を形作る。その姿は古の御伽噺に登場する氷の魔女そのものだった。

 

「ソーニャ・・・貴様っ!!」

 

ブレンダンが動くより速く、氷の刃が降り注ぐ。無数の刃の雨を受け、一瞬で傷だらけとなったブレンダン。

だが、それでもブレンダンはソーニャに向けて突っ込んだ。

ブレンダンの足や腕や顔や腹に氷刃が次々と突き立てられていく。だが、それすらも無視してブレンダンはソーニャを間合いに捉えた。

 

そのブレンダンの捨て身の突進に冷徹な笑顔で眺めていたソーニャの顔に焦りが走る。

ソーニャは手を一振りして一際大きな刃を構築。それをブレンダンに向けて叩きつけた。

 

だが、その時には既にブレンダンは斧を振りかぶっていた。

 

斧が振られる。氷が地面に突き立つ。

 

血しぶきが舞った。

 

そして、膝をついたのはブレンダンであった。

彼の胸部に空いた風穴から血が吹き出す。

床を赤く染めて、【黒い牙】の首領の脳裏に息子達や共に【黒い牙】を作り上げてきた仲間の顔が浮かんでは消えていく。

 

「ロイド・・・ライナス・・・」

 

全身が重く、力が抜けていく。

皮膚から伝わる血溜まりの温もりに反比例するように身体から熱が奪われていく。

凍えるような寒さのなか、ブレンダンの口から最期の言葉がこぼれ落ちた。

 

「愚かな父を・・・許して・・・くれ・・・」

 

ブレンダンの身体の震えが止まる。それは、彼がもう二度と立ち上がることのできないことを意味していた。

 

「く・・・」

 

だが、ソーニャもまた無傷というわけにはいかなかった。

肩口から腹にかけて、斧の一撃が振り切られていた。

傷は比較的浅く、致命傷にまでは至らなかったがソーニャは確かに傷を負った。

 

「ただでは死なない・・・腐っても【黒い牙】の首領ってわけね・・・」

 

治癒の術を持たないソーニャは額に浮かぶ脂汗を拭いながら【モルフ】の一人を呼び寄せた。

そんなソーニャには一瞥もくべず、リムステラはブレンダンの身体に近づいた。

 

「・・・ブレンダン・リーダス。素晴らしい【エーギル】だ。早速ネルガル様にお届けしよう」

 

手を翳し、何かを吸い取るような動作を行うリムステラ。

杖による応急処置を受けながら、ソーニャは声を張り上げた。

 

「ブレンダンを始末したのは私だと、ちゃんと伝えるのよ!!・・・っつ!!」

 

身に走る激痛に身体を強張らせるソーニャ。

そんな彼女をリムステラは感情の無い目で見下ろした。

 

「負傷したようだな。これからの任務、私が変わるか?」

「馬鹿言わないでちょうだい!お前みたいな作り物に手柄は渡さないわ!」

 

ソーニャは傷を治療させてる【モルフ】を一度睨みつけ、リムステラへと視線を戻した。

 

「私は、ネルガル様に選ばれた優れた"人間"なのよ!」

 

リムステラは返事をしなかった。

 

ただ、その場から一転した。

 

瞬きをするまでもなく、リムステラは転移魔法で消えていった。

 

残されたソーニャは傷の応急処置が終わると同時にその【モルフ】を魔法で八つ裂きにした。

チリとなって消える【モルフ】の残骸で睨みつけ、ソーニャは怨嗟を込めて呟く。

 

「エリウッド達は私が始末するわ・・・【モルフ】共に渡してなるものか・・・このソーニャが・・・優れた"人間”である私が・・・必ず始末して、ネルガル様に・・・」

 

そう言ったソーニャの瞳が金色に燃えていた。



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第28章外伝~決別の夜(中編)~

水の神殿にたどり着いたニノとジャファル。

 

「こっちのアジトは久しぶりだな。ジャファルは?」

「・・・・・一月ぶりだ・・・」

 

入り口に差し掛かる二人、そこに一人の男性が走ってきた。

 

「ヤンおじさんっ!ヤンおじさんでしょっ!!」

 

それは【黒い牙】の古参の一人。

実力こそ山賊に毛が生えた程度だが、【牙】の中でも信頼されてる男だった。

 

「ニノじょうちゃん!?」

 

ニノの姿を見つけたヤンも彼女の側に駆け寄った。

隣にジャファルがいても臆さないのは彼がくぐってきた修羅場の数を物語っていた。

 

だが、そんな彼にも恐れるものはある。

 

「ど、どうして戻ってきたんだっ!!」

「・・・あたしね、お母さんと話をしようと思って・・・」

 

ニノがそう言うと、ヤンの顔つきが変わった。

青ざめつつも、ヤンは必死にニノの言葉を遮る。

 

「にっ、逃げろっ!!」

「おじさん?」

「首領がやられたんだ!あの女は・・・」

 

ヤンがそう言いかけた時、転移魔法特有の揺らぎがその場に出現した。

 

一番反応が速かったのはジャファルだった。

袖口からナイフを引き抜き、加減などせずに目の前の空間に投げつけた。

だが、そのナイフは壁にでも当たったかのような音を立てて空中で弾かれる。

 

「あら、ご挨拶ね」

 

一呼吸遅れてその場に転移魔法で現れたのはソーニャだった。

 

「母さん!」

「ひ・・・ソーニャ・・・うっ、うわぁぁぁぁぁ!」

 

逃げ出すヤン。それをソーニャはつまらなそうに見送った。

 

「・・・小物め。後でいぶり出してやるわ」

 

そしてその目はそのままニノへと向けられた。

 

「それよりも、ニノ・・・よくも私の顔に泥を塗ってくれたわね」

「あ・・・母さん・・・」

「お黙り!」

 

全てを拒絶する言葉にニノの身が竦む。

 

「とことん役に立たない娘だわ。こんなことなら、早々に実の親のところに送るんだった」

 

その言葉にニノの顔があがる。

 

「実の・・・親?」

 

かすれ気味の声。

 

「ふふっ、そうよ。本当のところを聞かせてあげるわ。お前はリキアで代々名門の魔道一族だった。竜の秘密を守ってる一族だとかでね。十三年前、ネルガル様と私はそれを奪いにいったの」

「あたしの・・・家・・・」

 

呆然と呟くニノの声を無視してソーニャは続ける。

 

「ククク、どんなに優れた賢者でも所詮はただの人間・・・子供を盾にとれば手も足も出ないのよ」

 

ソーニャは思い出し笑いを挟みつつ語り続ける。

目の前のニノの顔が徐々に絶望に染まっていくのを確かめながら。

 

「父親、母親、それから私が盾に使った子供・・・知ってる情報を残らず吐かせた後・・・みぃんなこの手で始末してやった」

 

ニノは涙をこぼしそうになる目を必死に抑え、震える声で尋ねる。

 

「あ、あたし・・・あたし・・・母さんの子供じゃないの?」

 

その質問にソーニャは笑いを止めた。

そして、どうでもよさそうな声音でその質問に答える。

 

「子供は男と女の二人いたわ。母親が必死に守ろうと、最後まで抱えていた女の方・・・それがニノ、お前なのよ」

 

たいした感慨も感動も持たず、ソーニャは忌々しげな表情でその時を振り返る。

 

「まだ口も聞けない子供だけれど何かの役に立つかもしれない。ネルガル様の気まぐれからお前を生かしておくことになったの。私は嫌だったけどネルガル様の望まれるとおり自分の娘として育てたわけ」

「・・・・・」

 

ニノの瞳から耐え切れずに一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

「だけどとんだ計算違い!頭の悪い、ただの役立たずなんだもの。お前みたいなクズ、邪魔にしかならなかったわ」

 

これまでの日々を思い出し存分に顔をしかめるソーニャ。

俯きそうになる視線を必死にこらえるニノ。

ここで視線を下げるわけにはいかなかった。

 

それは負けを認めるのと同じ。そう教わったのだ。

教えてくれたのは目の前のソーニャだった。

 

そんなニノの前にジャファルが立つ。

 

「・・・だから始末しようとしたのか・・・汚い女め」

 

ジャファルはニノをソーニャの視線から守るように自分の後ろへと押しやる。ジャファルは背中のマントをニノが握っているのを感じながら、手元の短刀を構える。

 

ソーニャはそんなジャファルを意外そうに眺めた。

 

「・・・お前の口からそんな言葉を聞くとは意外だわ。ネルガル様の望まれるまま顔色一つ変えずに標的を始末し、【死神】とまであだ名された男は誰だったかしら?」

 

ジャファルはソーニャを睨みつける。

相変わらずの無表情だが、その目だけは確かに感情を宿していた。

 

それは目の前の敵を打ち滅ぼしてやりたいという、暴力的な欲求だった。

 

「・・・ニノが俺を変えた。俺はもうネルガルの殺人道具じゃない。ニノの為に・・・ソーニャ!俺はお前を滅ぼす」

 

両手に短刀を構えたジャファル。

その本気の殺意を目の前にしてなお、ソーニャは笑ってみせた。

 

「アハハハハハ、とんだおままごとだわ!私に勝つ?それがどれだけ無謀なことかもわからない男だとは思わなかったわ!」

 

ソーニャは無挙動のまま自分の周囲に氷塊を作り上げた。

 

「さぁ【黒い牙】の流儀にのっとって裏切り者の処刑といきましょう?」

 

ジャファルが低い姿勢に移る。

 

それを見ていたニノはジャファルの背中側で涙を袖で拭った。

 

泣いてる場合じゃないのだ。

 

護りたいものの為に戦い、手を血で染める。それが【黒い牙】だ。

それは兄のように募っていた二人から教えてもらったことだ。

 

ニノは懐から魔道書を取り出した。

 

「ククク・・・死の制裁、たっぷりと受けてもらうわよっ!!」

 

ソーニャが腕を振る。鋭い槍先と変わった氷塊が一斉に動き出した。

ジャファルがそれらを弾く姿勢を見せ、ニノが対抗するための火の玉を呼ぶ。

 

その程度で防げるものか

 

ソーニャの自信に満ちた笑み。自分の一撃が間違いなく二人を切り刻むことを確信していた。

 

だが、致命傷は与えない。

 

死なないように切り裂き、生きたまま何度も痛みを与え苦しめて殺してやる。

残忍な笑みでそんな想像をしていたソーニャ。

 

だが、その顔は突如として凍りついた。

 

氷塊が降り注いだ巨大な雷に阻まれたのだ。

 

「これは・・・【サンダーストーム】!?」

 

そのソーニャに答えるように神殿の入り口の方から声がした。

 

「ニノ!ジャファル!無事か!!」

 

ソーニャの意識がそちらへと僅かに逸れた。

 

次の瞬間、ジャファルが一気に間合いを詰めた。短刀をソーニャの急所めがけて突き刺す。だが、捉えたと思った刃は空を切る。

 

ソーニャは既に転移魔法で間合いをとっていた。

 

そして、この神殿の中に新手がなだれ込んでくる。

真っ先に突っ込んできたエリウッドとヘクトルがジャファルと肩を並べた。

 

「間に合ったみたいだな」

「ったく、手間かけさせやがって」

 

そして、三人は少し離れた足場に移動しているソーニャに警戒の目を向ける。

 

その後ろでハングとリンディスがニノの頭に手を置いた。

 

「ニノ、勝手に飛び出すんじゃねぇよ」

「私たちはもう仲間なのよ?それを忘れないで」

 

その後も続々と見知った面々が遺跡の中に入ってくる。

そういった彼らを前にニノの口から涙声が出た。

 

「みんな・・・」

「・・・・・・」

 

ジャファルは相変わらずの無表情だったが、背後に向けて殺気を見せることはなく、目の前だけに集中していた。

 

「アハハハハハ!」

 

その神殿内に笑い声が響く。

 

「いいお友達じゃない、ニノ!」

 

ソーニャに向けて全員が武器を構えた。

 

「こちらから向かう手間が省けたわ。ククッ、逃がさないわ。ただの一人もね!!」

 

その台詞を残し、ソーニャが更に転移。直後、神殿が激しく揺れだした。

その揺れでソーニャがやろうとしてることに気がついたのは三人。

 

「皆!!何かに捕まって!!」

 

ニノが青ざめた顔で叫び、ジャファルが短刀を床の敷石の隙間に突き立てた。

そして、ハングも床の左手を突き立てる。

 

「上空部隊は空へ飛べ!!泳げねぇ奴を釣り上げろ!!」

 

その行動で皆が察したように動き出したのと、神殿内の水が巨大な波となって盛り上がるのは同時だった。

 

武器を持つ者はジャファルのように武器を床に突き立て、それができない者は柱に捕まったり、空に持ち上げられたりすることでその場をしのごうとする。

 

「来るぞォォ!!」

 

ヘクトルの声に言われるまでもなく、目の前まで津波が迫ってきていた。

 

ハングの隣でリンディスも武器を突き立て、ニノはフロリーナに連れられて上空へと飛んでいた。

 

「皆!固まれ!!」

 

エリウッドがそう叫び、ハングは隣のリンディスの身体を引き寄せる。

リンディスもまた、ハングの身体に腕を回した。

 

回避は不可能な衝撃がハング達に襲いかかった。

 

「・・・うぐっ!!」

 

あまりの衝撃にハングの鼻から水が逆流する。

突き立てた床石が剥がれんばかりの勢いだ。

 

ハングはリンディスを抱き寄せた腕にさらに力を込めた。

 

轟音と共にハング達に襲いかかった波。その一波は思ったほど持続せず、すぐに引いていく

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・皆!無事か!!」

 

ハングとエリウッドは後方を振り返る。

それぞれから返事があり、今の波で流された者はいないようだ。

 

騎馬が何匹か流されたみたいだが、彼らも少し離れた水面から泳いで戻ってくる。

 

「くそっ!!」

 

だが、ハングは悪態をついた。

津波の後、神殿内の構造が様変わりしていた。

 

さっきまであった出入り口はなぜか石壁となっており、通路は先へ進む分しか残されていない。

 

『逃がさないわ』

 

ソーニャの言った言葉がハングの頭で繰り返された。

 

「・・・やってもらおうじゃねぇか」

 

ハングはそう言って、不敵に笑った。

 

「あ、あの・・・ハング?」

「ん?」

 

耳元で聞こえた声に反応してそちらに目を向けたハング。目の前にリンディスの瞳があった。

 

「そ、その・・・」

 

ハングの腕はまだリンディスの腰に回ったままであり、彼女の細い身体にが密着していた。

 

「・・・もう、離して平気よ?」

 

彼女は当然全身濡れ鼠であり、それに接するハングの体もびしょ濡れである。

水で冷えた体には心地よい人の体温。

 

「・・・・・」

「・・・・ハング?」

 

反応の無いハングを不思議に思ったのか、リンディスはハングの顔を覗き込んだ。

 

長い睫毛に水滴がついており、前髪から垂れた滴が彼女の頬を通って首筋へと続く。

その視線を追いそうになるハングはしばし硬直した後、ゆっくりとリンディスの身体を離した。

 

「ハング?」

 

さっきから一言も喋らないハング。リンディスは不安を込めてハングの名を呼んだ。

 

「どこか怪我でもしたの?」

「・・・いや・・・とりあえず、これ着ろ。目のやり場に困る」

「え?・・・あ、うん」

 

抑揚の無い声で差し出されたマントを受け取り、リンディスはそれを身につけた。

 

「えと・・・ハング?どうしたの?」

 

ハングはそのことには返事をせず、リンディスに背を向けた。

そして、周囲の様子を伺い、現れた敵の位置を確認する。

 

なんだか挙動不審なハングの行動に疑問符を浮かべながらもリンディスは自分にできることを探しにいった。

 

指示を出し始めたハングの側にエリウッドが寄る。

 

「ハング、どう戦えば・・・ハング?」

 

エリウッドもすぐにハングの異変に気付いた。

やけに無表情で感情を押し殺してるようなハング。

 

「エリウッド・・・」

 

ハングは指示を出す声を一度止めて、エリウッドに向き直った。

 

「・・・リンディスは・・・女だったんだな」

「・・・は?」

「・・・そんで俺は男だった・・・」

「・・・えと、ハング?」

 

頭でもぶつけたのか。

変な物でも食べたのか。

 

そう言おうとしたエリウッドを遮るようにハングは呟いた。

 

「理性を保つのがこんなにきついとは思わなかった」

 

溜息と共に吐き出された言葉。それを皮切りにハングの表情に色がついてきた。

 

真っ赤な色だった。

 

「あ、そうか・・・そういうことかい」

 

同じ男として思うところのあったエリウッドはようやく納得した。

 

「全部忘れて押し倒しそうになった」

「・・・そうかい」

 

ハングにそこまで言わせるリンディスがすごいのか。

少し密着しただけでそこまでしたくなるハングの愛がすごいのか。

 

エリウッドは苦笑しつつハングの肩に手を置いた。

 

「・・・気持ちを切り替えなよ」

「言われるまでもねぇよ」

 

ハングは自分の頬を右手で張る。いい音がして、ハングの目に不敵な笑みが戻ってきた。

 

「ここは敵の本拠地で通路は細い一本道!ちまちま持久戦をやって、変な仕掛けを打たれても面白くない!一気に攻め落とすぞ!」

 

ハングはふと視線をニノに合わせた。

 

「【黒い牙】とネルガル・・・その関係も今夜までだ!!ここで全てを断ち切る!!」

 

ぞくぞくと地下通路から現れる敵を睨みつけ、ハングは声を張り上げた。



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第28章外伝~決別の夜(後編)~

神殿内は道が水路により細かく分断され、少数での戦いを余儀なくされていた。

そんな中、活躍を見せていたのがワレスとヴァイダの二人であった。

ワレスが道を陣取って敵の動きを制限し、ヴァイダが敵を確実に狙い撃ちしていく。

 

「おりゃぁぁぁ!!このワレス、何人たりとも抜かせはせんぞ!!」

「はっ!!その程度で竜騎士を止められると思ったら大間違いだよ!!」

 

二人は競うように神殿内を突き進んでいく。

一応、ハングの指示に従った進軍なので文句はないのだが、まるで自分達に敵を集めるかのように派手に立ち回るのは少し控えて欲しいのが本音だった。

 

「なんか、あの二人やけに気合い入ってるな」

「・・・そうだね」

「ん?エリウッド、何か知ってるのか?」

 

含みのありそうな返事にハングがそう尋ねる。エリウッドはただ苦笑を見せるだけだった。

その疲れた表情から、ハングはあまり深く聞かない方が良いと判断する。

 

ハングはワレスとヴァイダのことを頭から追い払い、レベッカに合図を送らせた。

別の道で進軍していたヘクトル達が前進を始める。

 

その時、再び地鳴りのような音がして目の前の通路が沈んでいく。

 

「ぬぉっ!!し、沈むぞ!」

「ったく、このウスノロ!!掴まんな!」

「すまん!」

 

ワレスをヴァイダがなんとか引き上げる。だが、その時にはもう進軍すべき道がなくなっていた。

 

「二人とも!下がれ!!魔法部隊だ!!」

 

通路が沈んだことで、敵との間に距離があく。

速攻で詰め寄って潰すつもりだった敵の遠距離部隊から攻撃が飛んできていた。

ハングは別の方向に現れた道を探し、頭の中で神殿内の地図を再構築する。

新たな進軍ルートを導き出し、自軍の陣形を編成しなおす。

 

それは複雑怪奇なパズルを解いている気分だった。

 

「まったく、これはどういう仕組みなんだ?」

「水の神殿と言われるだけのことはありますね」

 

そう言ったのはエルクであった。

エルクは超遠距離魔法である【サンダーストーム】で離れた敵の魔法部隊に牽制をしかける。

 

戦場の間合いを無視できるこの魔法はこの神殿では素晴らしい援護射撃であった。

しかも、雷が鳴るのを嫌がりセーラがはるか後方に待機してくれる。

 

やっぱり無理をしてでもこの魔道書をマリナスさんにかき集めてもらうべきかとハングは本気で思案していた。

 

「しかし、こう道が変えられるのはなかなか困りものですね」

「道が変わる時間の間隔も狭まってきている。消耗させようとしてるのが手に取るようにわかるな・・・」

 

だが、細い道での戦闘という前提が崩れることはない。

ならば、軍師の手腕の見せ所だ。

引き際と押し際を計り、前衛を素早く切り替える。戦場の空気を読み取って時に敵を引き込み、時に奥深くまで突出してかき乱す。

ハングの指示が飛ぶたびに敵の陣形が崩れ、ハングの合図一つで自陣が一匹の生き物のように動く。

 

長らくこの部隊を率い、幾多の戦場を越えてきたハングにとって、ここにいる有象無象の兵など既に敵ではなかった。

 

その頃、ソーニャは押し込まれてつつある戦局を特に興味もなく見つめていた。

 

今、この神殿内に展開しているのは【モルフ】達。

それは、ネルガルが闇の魔術で作りだしたただの人形だ。他者から奪った【エーギル】を用いて作り出されたネルガルの下部(しもべ)

ソーニャからしてみれば、【モルフ】のことなどどうでもよかった。エリウッド達を消耗させてくれればそれでいい。

 

ソーニャは奴らが嫌いであった。

 

あいつらは意志を持たず、ただネルガル様に従うだけの気味の悪い人形だ。真の意味でネルガルの崇高さなど理解してなどいない。ただ命令されるがままに動いているだけなのだ。

 

だが、私は違う。

 

私はネルガル様に見出された人間であり。傍に仕えることを許された選ばれし存在なのだ。

 

これからその力を見せつけてやる。

 

ソーニャはおそらくこの戦場のどこかで戦局を眺めているであろうリムステラへの侮蔑を込めて、神殿の高い天井を見上げた。

 

そして、この神殿に配置した最後の【モルフ】が叩き伏せられる。

ソーニャからは迫りくるエリウッドの部隊がよく見えていた。

 

ソーニャは緩慢に立ち上がり、彼らに向けて手をかざした。

 

それを見たハングが叫ぶ。

 

「散れぇぇ!」

 

ソーニャの魔法が発動するより先にエリウッド達は蜘蛛の子を散らすように分散した。その直後、エリウッド達が先程まで固まっていた場所に特大の落雷が降り注ぐ。

 

超遠距離魔法の【サンダーストーム】

 

だが、その威力はエルクの放ったものとは文字通り桁が違った。

その一撃は神殿の足場に巨大な穴を穿ち、地形すら変えんばかりの威力を持っていた。

 

ソーニャの魔法が空振りに終わった直後、神殿の最奥に向けて一つの黒い影が走りこんでいた。

 

ジャファルだ。

 

「・・・ゆくぞ」

「ネルガル様に拾ってもらった恩を仇で返そうなんて!おまえもあの小娘と同じただのクズだってわけね!いいわよ、その【エーギル】だけ残してくれればね。お前の価値なんてその程度なんだから!」

 

再びソーニャの周囲に氷の刃が浮かび上がる。視野一面が埋め尽くされる程の大量の刃。その量の魔法は一人を相手にするには余りに過剰であった。それは、ソーニャの頭に先程のブレンダンとの戦闘が残っているせいだ。

魔法を受けてまで前進を止めなかったあの男。彼に付けられた傷が鈍い熱を放っていた。

 

ソーニャは腕を一振りし、ジャファルに向けて氷塊を一気に叩き込んだ。

それは、どんな手練れでもそれを回避することは不可能な魔法量であった。

 

「・・・・・」

 

ジャファルがその場に立ち止まる。その周囲に魔法が次々と突き刺さり、床石を砕いて粉塵を巻き上げた。砕けた氷も白い霧となって舞い上がり、ジャファルの姿がその中に消える。

 

あれほどの魔法を受けて立っていられる者などいない。

 

ソーニャはジャファルの死を確信した。

 

「フフッ、まず一人ね」

「そう簡単にいくか」

 

その声は右側から聞こえた。ソーニャは反射的に魔法を向けた。

いつの間にか、そこには赤髪で目つきの鋭い傭兵風の男、レイヴァンがいた。

 

ジャファルへの攻撃に気を取られて接近を許してしまっていたのだ。たが、ソーニャにとっては問題は無い。この距離ならソーニャの魔法の方が早い。

 

「お前達もネルガル様に【エーギル】を捧げなさい!新しい世に生き残れるのは私みたいな選ばれた人間だけなのよ!!」

 

ソーニャは魔法を唱えだす。その時、異変が起きた。

 

「・・・・っ!!!」

 

ソーニャの呪文が途中で止まった。

声が出ないのだ。喉の周囲に何かが巻きついたような感覚。

息はできるのに、声帯が震えようとしない。

 

そこでソーニャはハッとした。まさか!という思いが脳裏を過ぎる。

 

ソーニャが周囲を見渡すと、遠方からツインテールの髪をしたシスターが杖を向けていた。

 

【サイレン】

 

他者の声を封じて魔法を止める杖だ。

 

そして、ソーニャは二度驚く。その隣には殺したはずのジャファルが佇んでいたのだ。

 

【レスキュー】

 

簡素な転移魔法を行う杖の一種だ。

移動距離も短く、視野の範囲内程度しか移動できない使い勝手の悪い杖だが、この場ではその魔法の力が遺憾なく発揮されていた。

 

その、二度の『驚愕』は確実にソーニャの集中力を削ぎ落とす。

 

「どこを見ている!」

 

迫ってきた剣をソーニャは身を開いてかわす。

 

だが、反撃はできない。【サイレン】の杖はソーニャから魔法を奪ったままだ。

 

勝利を確信したように唇の端で笑うレイヴァン。

それがソーニャの中の矜持を逆撫でした。

 

「なぁぁめるなぁああああ!!」

「なにっ!!」

 

自らの魔力を極限まで引き上げ、【サイレン】を打ち破るソーニャ。

だが、既にブレンダンから致命傷を受けた身ではその魔力の負担に耐えられない。

それでも、ソーニャは目を血走らせ、レイヴァンをにらみ上げた。

 

周囲に満ちる冷気。

 

「下がれ!バカ傭兵!!」

 

ハングの指示に反射的にレイヴァンが飛びのいた直後、地面から針山のような氷が突き出てきた。

命の危機に過剰なまでの魔力の乱発。それはソーニャの無尽蔵の魔力をも削っていく。

 

「くっ・・・この私が・・・」

 

氷の城のようになった魔法が砕けだす。

魔力を維持することも困難になっていた。

 

「うてぇぇぇぇ!!」

 

ハングの号令が轟く。

 

直後、氷の城が巨大な炎の塊に吹き飛ばされた。ソーニャの頬を氷の欠片が切り裂いた。

 

その魔力にソーニャは覚えがあった。

 

「あの・・・役立たずめぇええええ!!」

 

ニノの放った魔法がソーニャの最期の守りを打ち砕いた。

 

「うちまくれぇええ!!」

 

間合いをとって待機していた面々の手から武器が飛ぶ。

矢が風を裂き、投げやりが音を立て、雷、炎、光の魔法が降り注いだ。

 

ソーニャに降り注ぐ連続攻撃。

 

そして、その中を単騎で駆け抜ける黒い影。

再び突進したジャファルがソーニャの懐に飛び込んだ。

 

ジャファルが両手に構えた短刀を振りかぶり、ソーニャのその頸部めがけて振り下ろした。

 

遠距離から放たれていた連撃が止まり、皆がジャファルの背中を見つめていた。

 

「・・・やったか・・・」

 

誰かが呟く。

 

そして、ジャファルはゆっくりとその場から立ち上がった。

 

ジャファルの刃から血が滴る。だが、そこはもぬけの殻だった。

ソーニャがいない。ハング達は一瞬顔を見合わせる。言い知れぬ緊張感がその場に漂った。

転移魔法を使われた。次はどこに出現してくる?どこから狙ってくる?

 

それを否定したのはニニアンの躊躇いがちな声だった。

 

「・・・あの、危険は・・・もう去ったみたいです」

「本当かい?」

 

エリウッドの質問にニニアンは頷いた。

ハングとエリウッドはゆっくりと神殿の最奥に近づいていく。

そこにはソーニャが流した血と共に転移魔法の痕跡が見られた。

 

「・・・逃げたのか・・・」

 

エリウッドがそうぼやいた。だが、ハングはその場にぶちまけられていた出血の量を見て眉間に皺を寄せる。

 

「だが、この出血ならもう長くはないだろう・・・もっとも・・・あいつが人間だったらの話だけどな」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングはニノから【水の神殿】の仕掛けの場所を聞き出し、その前に立つ。

 

「これは・・・すごいな・・・」

 

ハングの口から思わずそんな声があがる。

好奇心と共についてきたパントとエルクも驚いたように目の前の仕掛けを眺めていた。

 

水を操り、神殿の出入り口まで隠してしまう仕掛け。

ハングは少なからず、魔法の力を起点にしてるものと思ってた。

 

だが、目の前にあるのは歯車に組み込まれたいくつもの装置だけだった。

 

「パント様、本当にこれ魔法は・・・」

「使われてないみたいだね」

 

パントがそう答え、エルクは装置の奥を覗こうとしていた。

下手に手を突っ込むと歯車にもっていかれそうなので、少々距離は置いてあったが興味津々といった様子だ。

 

パントは近くの石碑に描かれた内容を読み取っていく。

 

「これは・・・随分と古そうですね」

「【黒い牙】が付け足した仕掛けじゃないと?」

「むしろ、この仕掛けを見てアジトにしたんじゃないでしょうか?」

 

ということは、この神殿が作られた時代にはもうこの仕掛けが作られていたということになる。

 

「点検や修理が楽にできるように仕掛けの大半は手の届くようになってますし、この遺跡だけで本が一冊書けるかもしれませんね」

「カナスさんが悔しがるな」

 

酔っ払い共の処理の為に置いてきた仲間の顔を思い浮かべ、ハングは苦笑した。

 

「まぁ、とにかく出入り口を開こう。これだったな」

 

ジャファルからあらかじめ聞いていた装置を動かすハング。すると歯車が噛み合い、今まで止まっていた仕掛けが動き出す。目の前で装置が動き出すのを見ても、この仕掛けが本当に魔法を用いていないことがハング達は信じられない。

 

だが、これの原動力は水車の回転、力を伝えてるのは歯車のみだ。

そして、仕掛けが動き出すとみるみるうちに神殿内の水位と床の高さが変わり水面下に沈んでいた入り口が顔を出した。

 

「なんというか・・・」

 

隣で苦笑を浮かべるパントがぽつりと呟いた。

 

「【封印の神殿】より先にこの神殿を調べたくなってきたよ」

 

それにはハングも苦笑いだ。

パントはこれでもエトルリアの貴族。こんな自由にベルンを歩き回れる機会はなかなか無い。この神殿に次これるのはいつになるかもわからない。調べ尽くしたい気持ちはわからなくもないハングだ。

 

「だが、そういうわけにもいかないだろう。明日は【封印の神殿】に出発だ。今はそちらに期待しよう」

「ははは、国家秘密と暗殺団のアジトが同列ってのも不思議ですね」

 

ハングは知的欲求のまま動き続けていたエルクに声をかけて出入り口へと向かった。

 

その頃、エリウッドはある種の苦境に立たされていた。

 

「さぁ!さぁ!エリウッド殿!!どちらが上か決めてもらおうではないか!!」

「気遣いも遠慮も遠回しな言い方もいらないよ!さっさと結論を言いな!!」

 

ワレスとヴァイダにそう言って追い詰められているのはエリウッドだった。

 

エリウッドは表面では落ち着いた様子を醸し出していたが、内心では二人の勢いに押され気味だ。

本当は誰かに宥めて欲しいところだが、ハングやリンディスを呼ぶと余計に状況が悪化しそうだ。助けとなりそうなのはマーカスかオズインなどだろうが、二人は我関せずと視線を逸らしている。

 

この話の顛末を知っている彼らはあえて放っておいていた。

 

部下の戦いぶりや実力を把握するのは上に立つ者としては必要なことだ。彼等はワレスとヴァイダが必要以上に迫らなければ止めようとはしないだろう。

 

エリウッドは助けは無いものと判断し、心の中でそっとため息を吐いた。

 

「今回の戦いだけを見るなら・・・」

 

エリウッドが喋り出し、二人の口が閉じる。

 

「ワレスさんとヴァイダさんの力量は同列と言えます」

「なっ!」

「おい!」

「詳しくお教えします」

 

何か言いたそうな二人を遮り、エリウッドは説明をはじめた。

 

敵単体に対する武器の扱い関してはヴァイダの方が上だ。

複数相手の立ち回りならワレスの方が上。

それらが上手く機能する位置に二人がおり、各々の仕事は完璧にこなしていたと言える。

討ち取った首の数や、進撃速度などは戦い方が違うので評価には含めていない。

 

そこまで説明して二人はようやく黙り込んだ。

 

ああ、納得はしてないだろうな。

 

などとエリウッドは笑顔の下で思っていたが二人はエリウッドの評価を噛み締めているのかそれに気づかない。

 

「では・・・」

 

ワレスが尋ねる。

 

「どうすれば我々の実力差を浮き彫りにできるのだ?」

 

そこまでして、勝ち負けを決めたいのか

 

エリウッドは呆れ半分、感心半分でその言葉を聞いた。

 

「短い戦いでは難しです。もっと長期的な視点で見ないと判断は難しいと思います」

 

エリウッドの言葉はもっともなのだが、血気盛んな二人は納得しかねるようだ。

 

「くっそー・・・」

「うーーーん」

 

やはり納得できないのか二人はエリウッドの前から動こうとしない。

 

「そこまでして、勝ち負けを決めたいのですか?」

「当たり前だ!」

「当たり前だ!」

 

同時に言い放った二人に怯むことなく、エリウッドは更に質問してみた。

 

「どうしてですか?」

 

すると、二人はお互いの顔を見て、次に周囲を見渡し、再びエリウッドに視線を戻す。

 

彼らは少し小声になってこう言った。

 

「こいつが過度の親バカだからだ」

「こいつが過度の親バカだからだ」

 

どっちもどっちだよ。

 

と、エリウッドは苦笑の下でそう思ったのだった。

 

 

入り口が開くのを待っていたニノ。

水門の下から出入口が顔を出すと、そこからすぐさまニノの顔見知りが駆け込んできた。

 

「ニノじょうちゃん!無事かい!?」

「ヤンおじさん!私は大丈夫!ヤンおじさんも無事だったのね!よかった!!」

 

ジャファルは自分はいない方がいいと思ったのか離れたところで二人を見守っている。

 

「ああ、戦いもせず外に逃げ出してしまった・・・わしはもう臆病な年寄りだからな・・・」

 

かつてはブレンダンと共に各地を暴れまわったヤン。

だが、寄る年波には勝てず、今や事務作業に回る日々であった。

 

「首領があの女にやられた時も・・・飛び出すこともできんかった・・・」

「・・・父さん。死んじゃったんだね・・・本当の娘じゃなくてもあたしのこと可愛がってくれた。なのに・・・母さ・・・ソーニャが・・・」

 

母さんと言わずに言い直したニノを見てヤンは悲しげに目を伏せた。

 

「知っちまったんだな・・・」

「うん」

「・・・そうか」

 

ソーニャを討ち取った今となっては良かったことなのかもしれないとヤンは思った。だが、目の前で泣き出しそうなニノを見てるとどっちが良かったのかわからなくなってくる。

 

ヤンはそんな思いを抱えながら懐からペンダントを取り出した。

 

「こいつをじょうちゃんに渡しておくよ」

「・・・ペンダント?」

「じょうちゃんの本当の母親が身につけていたもんらしい」

 

その言葉に驚いたように見上げてくるニノ。

ヤンはその手にペンダントを握らせた。

 

「首領とな・・・ソーニャの動きが怪しいって調べてたんだ。それで・・・いろいろなことがわかった・・・じょうちゃんの家のこともな。その家に仕えていた侍女から話を聞くことができて・・・じょうちゃんの話をしたら泣いて喜んで、こいつを渡してくれって・・・」

 

ニノは手の中のペンダントに視線を落とした。

銀色の金属で作られたペンダント。そこには、魔道書などで時折見かける幾何学模様が小さく描かれていた。

ただ、首にかける紐の部分には茶色くくすんだ汚れがこびりついている。

ニノはそれが血の跡だと悟った。

 

「・・・あたしね」

 

そのペンダントを手のひらの中にしまいこみ、ニノは顔をあげた。

 

「【黒い牙】が大好きだったよ。ネルガルとソーニャが・・・ダメにしちゃったけど・・・父さんと兄ちゃん達がつくった【黒い牙】・・・みんなみんなあったかくて・・・本当の家族だと思ってたよ・・・・」

 

もう、戻ることのできない明るい日々。陽だまりの中のような温もりのあったあの日々。

 

徐々に目尻に涙を貯めていくニノ。ヤンもまた昔を思い出して涙した。

 

「ヤンおじさん・・・ありがとう。ペンダント、あたし大切にするね」

「じょうちゃん、元気でな」

「ヤンおじさんは・・・どうするの?」

「俺か・・・俺は・・・どこかで生きていくさ」

「・・・・・・」

 

ニノはいっそこの部隊に誘おうかと思った。

だが、悲しみをたたえたヤンの目を見てその言葉を飲み込んだ。

 

今のヤンおじさんを再び戦いの中に置くのは酷だと思われた。

 

だから、ニノは笑顔を見せた。

 

「ヤンおじさんも元気でね・・・また、いつか・・・どこかで会おう」

「ああ、じょうちゃんも元気に生きるんだよ」

「うん・・・」

 

ニノは笑った。

 

『ニノ、お前はいつも楽しそうだな』

『笑顔でいろよ。それが俺らを元気づけてくれる』

『ニノ・・・お前はいい子だな・・・』

 

皆に褒めてもらった笑顔でニノはヤンと別れたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ズルズルと片足を引きずり、ソーニャは森の中を歩いていた。

 

転移魔法は成功したものの、さほど距離を稼ぐことはできずネルガルの元へと戻ることもできない。

首筋や肩を切り裂かれた痛みと、敗北したことの痛み。苦痛で歪む顔を隠すこともできず、全身から吹き出る冷や汗が不快感を誘う。森の中に吹く小さな風が身体から熱を奪い去っていった。

 

全身が震えていた。

 

ソーニャは痛みに震え、寒さに震え、悔しさに震えていた。

 

「ソーニャ・・・」

 

名を呼ばれ、そちらを見る。

 

森の闇の中、ゆらりと現れた人影。

黄金色の瞳のみが強く光にソーニャは誰が来たか悟る。

 

「・・・・あ・・・あっちに行きなさい・・・人形め・・・・ネルガルさま・・・たすけ・・・て」

 

自分が拠り所にする人の名をつぶやく。

 

この痛みを、この寒さを、この恨みを。

自分の命が尽きるなら、せめて【エーギル】だけでも捧げなくては。

そして、望むならばネルガル様に直接お渡ししたい。

 

だが、それは叶わぬ夢であろう。

 

ソーニャはちらりとリムステラを見る。

【モルフ】が来たことは不快であったが、この際他に選択肢はない。

 

こいつがいるのならば、私が無駄死になることはない。

 

私は優秀な人間。その【エーギル】は必ずや、ネルガル様のお役に立てる。

自分の望みは叶わなくても、最期の希望は残っているのだ。

 

そんなソーニャに向けてリムステラが呟く。

 

「・・・人形からは【エーギル】は取れない」

 

その言葉がソーニャの鼓膜を打った。

ソーニャが勢いよく、リムステラを振り返る。

 

「お前はもうネルガル様の役には立たない」

「なに・・・なにを・・・言って・・・わたしは・・・人間・・・」

 

リムステラへと伸ばした手。ふと、その手についた血が乾いていることに気がついた。

首筋から溢れんばかりに流れていた血だ。それがこの短時間に乾ききるはずかない。

 

ソーニャは再び自分の傷に触れる。

 

血が止まっていた。塞がったのではない、血が出尽くしたのだ。

それなのに、なぜ自分はまだ動けるのだ。

 

その時、傷口から乾いた肌が崩れ落ちた。それは砂のような感触だった。

 

「・・・私は・・・・選ばれた・・・・にん・・・げん・・・」

 

傷口だけではなく、手の指が地面に落ちる。土塊を落としたようや音がして、指だったものは森の土と一体となった。

 

「・・・・・私は・・・」

 

その様子を一瞥し、リムステラは背を向ける。

 

「わたしは・・・にん・・・・げん・・・」

 

リムステラが去る。

 

吹き抜ける風がその場の砂をさらっていく。

 

ソーニャの姿はもうどこにも存在しなかった。



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第29章~運命の歯車(前編)~

冷たい岩肌に体を寄せ、息を殺す。それは長年の仕事で数多の修羅場をやり過ごすために何度も繰り返してきたことだった。

数歩先から重い鎧を身に纏った具足の足音が聞こえてくる。ふと、その足音が自分の近くで止まった。

 

手のひらに汗が滲んだ。足音がこちらに近づいてくる。

 

焦るな、落ち着け。

 

胸の中でそう呟き、緊張で強張る身体を静かな呼吸で落ち着けた。

いざとなれば、腰には剣もある、懐には短刀もある。

自分の技が優れているとは思わないが、一人ぐらい静かに葬るのことはできる。

 

そっと右手を懐に差し込みながら、その場にじっと伏せる。

 

足音が更に近づいてきた。心の臓が強く胸を打つ。

荒れそうになる呼吸を不動の精神を持って落ち着け、短刀の柄をそっと握りしめた。

 

岩を踏みしめる音、砂が蹴られる音。靴紐が揺れる音まで聞こえるのではないかというぐらいに接近される。

 

「おい、どうした」

 

別の方向から声がした。

 

「・・・いや、何か聞こえたような気がしてな」

「どんな音だ?」

「誰かの悲鳴・・・聞こえなかったか?」

「いや、俺は聞こえなかったが・・・鳥の鳴き声とかじゃないのか?」

「・・・違ったと・・・思うんだが・・・」

「・・・報告しとくか?」

「いや、そこまでしなくてもいい。戻ろう」

「おう・・・」

 

歩き出した二組の足音。

それが十分に遠ざかり、ラガルトは大きく息を吐き出した。

 

「・・・ふぃ~・・・助かった・・・」

 

いくら元【黒い牙】といえど、国王直属の正規兵との戦闘はごめん被る。

去ってくれた幸運に感謝しつつ、ラガルトは岩山を歩き出した。

険しい山路を軽々と登っていき、ラガルトは周囲を見渡せる場所にたどり着いた。

 

「いい景色じゃねぇか・・・」

 

そこからは幾つかの山々が見渡せた。

日はまだ高く、荒々しい山肌に太陽の光が強く降り注ぐ。

 

ラガルトはこういった景色が好きだった。朝焼けを受ける山も、夕暮れに消えゆく山もラガルトは嫌いでは無い。日陰者の自分の目にはそれがよい保養である。

 

「っと、こんなことしてる場合じゃない」

 

ラガルトは遥か下の谷から続く間道へと目を落とした。

 

谷の底から続く道は幾つかの山を迂回し、断崖の隙間を縫って更に遠くへと続いている。

 

その遥か先。

 

ラガルトは目を細めて、山の向こう側を見渡す。

 

山肌だらけの視界に青草の色がうつった。

 

山を越えた先にわずかばかりの草原が広がっているのだ。

険しい山間の中、ほんの少しの平原に草が茂り、驚いたことに街も見える。

 

そして、その中に一際異彩を放つ建造物が一つ。巨大な神殿が見えた。

 

遠すぎて大きさがわかりにくいのだが、周囲の山を見る限り相当の大きさのようだ。

それはあたかも山を削って作られたような印象を与えてくる。

 

「あれが・・・」

 

見せてもらった情報と一致したことを確認し、ラガルトは赤く染めた手拭いを谷底に向けて振った。

すると、橙の手拭いが振り返される。

 

「まったく、人使いの荒い奴だ」

 

ラガルトはそうぼやきながら、更に岩山を進んで行った。

 

その遥か下の谷底で歩を進めているのはハング達だ。

ここは、王妃から貰った地図に書かれていた王族のみが知る間道だ。

 

岩だらけの山々の隙間を縫うように作られた道。

周囲が同じような景色の山に囲まれているせいか少し油断するとあっという間に方向感覚を失う。

山々の細かい特徴を記した地図が無ければハング達でここを通過するのは無謀であっただろう。

 

「それにしても、随分とすんなりこれたね」

 

前を歩くエリウッドにハングは顔を向けた。

 

「だな、もっと警備が厳しいと思ってたぜ」

「国王の私兵はどうにもならないって言われたのにね」

 

ヘクトルとリンディスもエリウッドに同意する。

そんな三人の意見をハングはため息で片付けた。

ハングの無言の説教に押し黙る三人。彼らを代表して、エリウッドが尋ねた。

 

「・・・・えと、なにか間違えたかい?」

「お前らな、本当にこの程度の警備で済むと思うのか?」

「え、でも・・・ここは王族しか知らない道じゃ」

「道は知らなくても警備は置ける」

 

ハングはそれを確かめるためにラガルトを山を越える道を通らせたのだ。

 

「忘れたのか。パントさんもここを調べようと何人も間者を送ってるんだぞ。本当にこの程度の警備なら、誰でも通過できてる」

 

実際、ハングはここでの戦闘も十分視野にいれていた。

 

「でもよ、実際ここまですんなり来れたんだぞ?」

 

ヘクトルの意見にハングはまたため息を吐いた。

 

「だから、問題なんだよ」

「え?」

 

その時、先行していたはずのギィが前から走ってきた。

 

「ハング!ちょっと来てくれ!死体だ。死体の山があった」

 

わずかに青ざめたギィを見て、ハングは目を細める。

そして小さく「やっぱりか」と呟いた。

 

「ここで行軍を止めよう。小休止を入れる。ギィ先行してたやつらにもそう伝えろ」

「わかった!」

 

ギィが前方に伝令の為に駆けていき、後ろではエリウッドの命令でロウエンが後続に走っていった。

 

「・・・僕達もいこう」

「そうだな」

 

ハング達は少し早足となり、谷底を進んでいった。

 

死体の山は谷底の岩陰に積まれていた。

上から見ても、それとは気づかれないように色合いまで偽装している。

 

既に腐臭を放ちつつある山からハングは死体を何人か引っ張りだした。

 

「ハング・・・この鎧は・・・」

「ああ、ベルン正規軍の鎧だ」

 

ハングはその兜を取り、ひっくり返して中身を確かめた。

丁寧に鍛えられた金属を用いた兜。裏地には頑丈な牛革が使われ、一部は強度をあげるためにドラゴンの鱗も使われている。

だが、その鎧には一つだけ普通と異なることがあった。

 

ハングはこの部隊のことを知っていた。だが、それも噂話程度のことだ。

酒場での冗談話しとしてはあまり面白くもない。

 

「こいつらは正規兵だが正規兵じゃない」

「え?」

「彼らはもう死んでる」

 

ヘクトルとリンディスが「何バカなことを言ってるんだ」という目でハングを見る。

目の前の彼らは見るまでもなく死んでる。

 

だが、ハングが言っているのはそういう意味ではない。

 

「こいつらは何年か前に事故や病気で死んだことになってる連中だ。ベルンの暗部を守ってるって噂を聞いたことはあったが、本当に実在しているとはな」

 

ハングは探っていた手を止めた。ベルン製の鎧兜には必ず刻印されることになっているベルンの紋章がどこにも刻まれていない。

ハングは自分の予想が的中していることを確信した。

 

「でも、そんな彼らがどうして・・・」

「こんなところで死んでいるのかって?決まってるだろ」

 

ハングは死体をひっくり返してうつ伏せにする。

 

「見ろ」

 

ハングはそう言って首の一か所をさす。

 

「首筋を一撃、他に外傷も無い。別の奴らも同じだ。肋骨の隙間から心臓を一突き。背中側から脇腹をばっさり。どいつもこいつも全て急所を一撃で殺されている。こんなことができる奴らを俺らは知ってるだろ」

 

ハングは手を払い、立ち上がる。

 

振り返ると覚悟を決めたような顔が待っていた。

 

「【黒い牙】・・・奴らがこの先で待ってるはずだ。おそらく、最後の生き残り達がな・・・」

 

ソーニャを殺し、ネルガルとの関係を絶ってなおこちらに向かってくる連中。

 

私怨か任務か。

 

どちらにせよ、回避は不可能と見ていい。

 

「急いでもしょうがないが、急ごう。ここまで来て動きを見せないネルガルも気になるしな」

 

ハングがそう言うと、エリウッドが頷いた。

 

「ハング、戦いになると思うかい?」

「なるだろうな。むしろ戦いにならない方がおかしい気がする」

 

ハングはそう言って空を見上げた。

 

谷の底から見上げた空はあいにくの曇天。今にも泣き出しそうな空だった。

この季節、雲から千切れ落ちてくるのは雨ではなく、雪のことが多い。

 

「降らないで欲しいな。雪にはあんまりいい思い出がない」

「験担ぎとは珍しいね」

「担ぎたくなる日もあるさ。こんな日はな」

 

ハングは部隊の中にいる一人の少女を見た。

ニノはこの部隊で何かの役に立とうと、今はマリナスの荷物を一部背負っている。

 

ハングは素直に溜息をついた。

 

「厳しい戦いになる。体力的にも精神的にもな」

「今からできることは?」

「覚悟だけは決めとけ」

 

ハングはそれだけ言って、自分の荷物を担ぎなおした。

小休止を終え、ハング達は再び動き出す。

 

「行こう」

「うん」

 

重苦しい空気のなか、ハングとエリウッドは歩き出す。

空から白い綿のような雪が降り落ちてきていた。

 

 

その後、谷から脱し、峠を二つ程越えると山肌ばかりの景色が変わった。

 

山に囲まれたような土地に青草が広がり、所々に街や民家も見える。

そして、その草原の中に自分こそが世界の中心だと言わんばかりに一つの建造物が鎮座していた。

 

長い階段と祭壇によって構成された神殿。

重厚な造りと威風堂々とした佇まい。芸術に疎い人間でもそこが特別な場所だというのはすぐにわかるだろう。

 

ハング達は【封印の神殿】を遂に見つけたのだった。

 

「・・・辿り着けるかどうかは別だけどな」

 

ハングはそうぼやいた。

 

既に全身にまとわりつくような気配がする。

これまでに何度か感じてきた、手練れの放つ殺気だ。

 

「ね、ねぇ、ちょっと寒くない?」

 

鈍感なセーラでさえ、この場の雰囲気を感じている。

 

それほどまでに重苦しく、濃厚な殺意。

まだ姿は見えずとも、そこにいることがわかる。

 

ハングは片手をあげて合図を出した。

 

戦闘準備だ。

 

そして、ハング達が戦闘態勢を取ると、それに呼応するかのように草原に人が溢れ出てきた。

広く見通しのよい草原での戦闘。暗殺者の基本は相手に気づかれないことだが、それを投げ打ってでもここで戦う気らしい。

 

暗殺者集団らしくない戦いは、そのまま彼らの覚悟の現れなのかもしれない。

 

「ハング・・・」

「剣を取れ、エリウッド。あいつらはもう義賊なんかじゃない」

 

禍々しいとも呼べる程の気配を前にハングはそう言った。

その空気をハングは身をもって知っている。これは復讐者の気配だ。

 

「奴らにもう理屈は通じない。やるしかないんだよ」

 

ハングがそう言うとエリウッドは苦々しい表情を見せたが、何も言ってはこなかった。

 

彼らと戦わなければ封印の神殿までたどり着けない。

それはネルガルとの戦いにも関わることなのだ。

 

戦う理由がこちらになくとも、向かってくるならやらなければならない。

もはや、どちらが正しいかなどは問題ではなかった。

 

エリウッドは剣の柄に手をかけた。

 

「・・・・」

 

そんなエリウッドの思考が手に取るようにわかったハングは少し疑問を抱いた。

 

奴らの命を賭す程の覚悟は復讐心と考えることで説明はつく。ならば、それがなぜこちらに向けられているのか。

ソーニャの敵討ちとは考えずらい。

 

では、誰の?

 

そこまで考えたところで、敵の部隊が動き出した。

 

「来るぞ!!戦闘準備だ!!」

「ハングさん!」

 

大きな声に振り返るとジャファルとニノがそこにいた。

 

「ニノ・・・」

「わたしに行かせてっ!」

「・・・・」

「あの人達、ロイド兄ちゃんの部隊の人達なの!きっとロイド兄ちゃんがいる!!兄ちゃんと話をさせてっ!」

 

【白狼】ロイド

 

リーダス兄弟の兄がここにいると。

 

ハングはジャファルに視線を送る。ジャファルも無言で頷く。二人には確信があるのだろう。

 

となると、まさか復讐ってのは・・・ロイドの弟の・・・

 

「・・・無駄かも・・・しれないぞ・・・」

「わかってる・・・でも・・・!!」

 

ハングはジャファルにもう一度視線を送った。

 

「守れよ・・・」

「・・・・・・」

 

言われるまでもない、と言うかのように無言で頷いたジャファル。

 

「わかった。ただし、絶対に一人で突出するなよ」

「うん!」

 

ハングはニノの頭をくしゃりと撫で、視線を神殿へと向けた。

その神殿の頂上に一際強い闘気を放つ男がいた。

 

間違いない。ロイド本人がそこにいる。

 

ハングは息を大きく吸い込み、声を張り上げた。

 

「いくぞ!!【黒い牙】との最後の決戦だ!!」

 

後ろから聞こえた雄叫び。

 

決戦の火蓋は切って落とされた。



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第29章~運命の歯車(後編)~

『ライナス、お前また一人で暴れただろ』

『だってしょうがねぇじゃねぇか。血が滾っちまったんだよ』

『はぁ・・・まぁ、成功したんならいいが。気をつけろよ』

『へぇへぇ、兄貴は真面目だよな』

 

弟とのそんな日々。

 

『・・・・お前らはいつも騒々しいな』

『ん?ちょっと待て、今『お前ら』と言ったか。俺とライナスの両方が騒々しいとそう言ったか?』

『・・・ライナスがいるとロイドはよく喋るからな』

『ははは、よかったじゃねぇか兄貴』

『ウハイ、少し膝を付き合わせて話したいことがあるんだが』

『断る』

 

志を同じくする仲間もいた。

 

『そう言うなってのロイド』

『ラガルト、お前も同意するっていうのか?』

『さてな、俺にはわかりかねる。それよりライナス、お前は本当に失敗なんかするなよ。お前の後始末なんてごめんだからな』

『わーってる、わーってる!皆してうるせぇぞ!』

『本当にわかってるのかね』

 

笑顔が絶えない日々だった。

 

『あ、ロイド兄ちゃん。お父さんが呼んでたよ』

『よぅ、ニノ』

『ライナス兄ちゃん、お帰りなさい。お仕事どうだった?』

『あれぐらい楽勝だっての』

『・・・楽勝・・・か』

『ウハイ!言いてえことがあるならはっきり言いやがれ!!』

『あぁ!喧嘩しちゃダメだよ!ラガルトおじさんも止めてよ』

『さて、俺は仕事に行くかな』

『もう、逃げないでよ!!』

 

 

陽だまりのような暖かな場所。

 

ロイドは目を開けた。瞼の縁からこぼれ落ちた雫。

 

悲しいわけでも、苦しいわけでもない。

なのに、涙がこぼれ落ちた。

 

その理由がわからない程、ロイドは愚かではない。

ただ、今となってはどうにもならないことというだけだ。

 

後悔は当然ある。他に選択肢もあった。

 

だが、やはりそれも今となってはどうにもならないことなのだ。

そんな自分を静かに受け入れたロイドは涙を拭い、祭壇の下を見た。

 

広い草原でのぶつかり合い。

 

今もなお自分に付き従ってくれる同志達とエリウッドの部隊の衝突。

それがここからはよく見渡せた。

 

圧倒的だった。

 

圧倒的な差で負けていた。

 

もともとは野戦や連携などまったくやっていない暗殺者集団。

対して、相手はここ連日で幾つもの戦場をくぐり抜けてきた部隊。

 

こうなることは自明の理だった。

 

「ロイド様。我々も行ってきます」

 

ついに足下まで後退させられた戦場を見て、側近達もそう言った。

 

「今から逃げてもいいんだぞ」

 

そう言うと、側近はニヤリと笑った。

 

「我らは、リーダス兄弟の【牙】死など恐れはしません。みな、同じ気持ちです。ロイド様、どうか最後までお供させてください」

 

ロイドはそんな彼らを小さく笑った。

 

まだ、俺の前にはちゃんと同志がいる。

 

それがなんだかとても嬉しかった。

 

「・・・わかった」

「それでは、先にいきます」

「ああ・・・」

 

俺もすぐにいく。

 

そんな思いを込めてロイドは仲間の背中を見送った。

 

戦塵は目の前まで迫り、怒声は既に周囲の音をかき消すかのように周囲を侵食している。

そして、仲間が下に降りて行ってから、然程時が経たたないうちに誰かが祭壇を登ってきた。

 

「ロイドにいちゃん!」

「・・・ニノか」

 

ニノだけではない。

その隣にはジャファルが並び、ラガルトが後列にいる。

 

「あたしの話を聞いて!きっと誤解が・・・」

「何も言うな。今は敵同士・・・手加減はなしだ」

 

剣に手を伸ばそうと動かした手は柄で止まる。

躊躇ったのではない。

 

抜刀からの最速の剣こそが、ロイドの本領だ。

 

それを知っているニノはわずかに戦慄を覚えたが、それで尻込みしはしなかった。

なぜなら、目の前にいるのは紛れもない「ロイド兄ちゃん」なのだ。

 

「エリウッドさまは悪い人じゃないんだよ!?それでも、戦うの!?」

「・・・奴らはライナスの仇・・・理由は、それだけで充分だ」

「・・・ライナスをやったのはオレたちじゃない。と言っても?」

 

横から口を挟んだのはラガルトだった。

 

「よう・・・久しぶりだな」

「【疾風】か・・・おまえが【牙】をぬけた話は聞いたが奴らについたとは・・・」

「意外か?そうでもないぜ。ネルガルってたちの悪い悪霊にとりつかれた時点で、【牙】の終わりは見えてたからな。まあ、ニノに出会えたことには感謝してるけど」

 

ロイドは口をつぐんだ。その沈黙を肯定と受け取ったラガルト。

ラガルトはいつもの飄々とした口ぶりを変えずに話し続けた。

 

「・・・で?それがわからないおまえさんじゃないよな?ロイド、どうしてこんなことになってる?」

「さぁな・・・だが、弟はやられた」

「さっきも言ったろ、それは俺達じゃない」

「・・・俺がそれを信じるとでも?」

 

ロイドの茶色い瞳がラガルトの瞳とかち合う。

 

ラガルトは目を伏せるようにして、その視線を避けた。

 

「・・・・・・いいや。わかってるさ、今さらどうにもなんないってな」

 

溜息を吐き、自嘲するように笑うラガルト。

 

「・・・わかってても試さずにいられないのが、オレの悪いくせでね」

 

ラガルトはわずかに腰を落として、短剣を構えた。

それに合わせるようにジャファルも戦闘態勢へと入る。

 

明らかな戦いの雰囲気。

自分の見知った人達の殺し合いを前に、ニノの目から涙が零れ落ちた。

その優しい涙を前にして、ロイドの表情がわずかに緩む。

 

「泣くな、ニノ。おまえは前を向いて生きろ・・・俺を倒して前に進むんだ」

 

それはあまりにも優しい声だった。【黒い牙】の暗殺者ではなく、一人の兄貴としてのロイド。

 

「・・・やだ!やだよ!ロイド兄ちゃんっっ!!!!」

 

ニノが叫ぶ。

 

次の瞬間、その全てを断ち切るかのようにロイドが動いた。

 

腰に携えていたのは禍々しい闇魔法を携えた『ルーンソード』

ロイドの抜刀と同時に剣速の乗った魔法がラガルトとジャファルに襲いかかった。

 

ラガルトとジャファルは左右へと分かれてそれをかわし、ロイドを挟むように仕掛ける

対するロイドはジャファルの剣をルーンソードで受け止め、ラガルトの剣を体を開いてかわす。空を切ったラガルトは返す刀で更に追撃を仕掛けようとした。だが、ロイドはそこに蹴りを合わせた。敵の刃を避けつつ腕に蹴りを叩き込むという高等技術。寸分でもタイミングが狂えば足を切り落とされるような綱渡りをロイドはあっさりとやってのけた。

そして、そのまま身体の勢いに任せて体を反転。流れるような動きで、遠心力を乗せた蹴りをジャファルの腹に叩き込んだ。

 

足技をくらい、二人の足が止まる。その瞬間にはロイドは後方に飛んで剣の間合いをあけていた。

しかも剣は既に納刀されており、いつでも抜刀できる構えだ。

 

全ての動きが格段に速く、そして正確。それこそがロイドの真骨頂であった。

 

「相変わらず、化け物だな」

 

ラガルトが皮肉げな笑みを浮かべてそう言った。

 

「・・・さらばだ、ラガルト。かつての友よ」

 

ロイドの台詞だけを聞けば、これから死ぬのはラガルトのように思えるだろう。

だが、ラガルトにはロイドが生き残ろうとしてるようにはどうしても思えなかった。

 

「また会おうぜ、ロイド。ライナスとウハイと・・・たとえ、この世でなくてもな」

 

彼は燃え尽きるために燃えている線香花火だ。

ラガルトは剣を逆手に持ち変える。

 

そして、ロイドが再び動いた。

 

ロイドが抜刀と同時に放った魔法。それをジャファルとラガルトは避け、そのまま攻勢へと移る。

二人の剣に迷いはない。だが、ニノが魔法の標的にならないことが、どうもラガルトを泣きたい気分にさせていた。

 

 

一進一退の攻防が続く。神殿の周囲にいる敵を片付けたエリウッドとヘクトルがハングを連れて祭壇を登った時、彼らの戦いはまだ続いていた。

 

ラガルトとジャファルの攻撃をいなし続けるロイド。

その傍らで涙を流しつつも、決して目をそらさないニノ。

 

「おや、増援ですか」

 

ラガルトがロイドの蹴りで吹き飛ばされ、ハング達の足元に転がりながらそう尋ねてきた。

 

「もうちょっと、遅くてもよかったですよ」

「馬鹿野郎が・・・」

 

ジャファルも額に汗を流しつつ、ハング達のもとへと下がる。

対するロイドはいまだ呼吸一つ乱してはいない。

 

そんな彼は今しがた現れたエリウッド達を見て笑った。

 

「やっと会えたな、エリウッド」

「待ってくれ!話し合おう。僕たちは・・・!!」

 

何か言わんとしたエリウッド。

それを遮ったのは他でもないハングだった。

 

「やめとけ、エリウッド。その程度の言葉で止まるなら、ラガルト達がとっくに止めてる」

「だがっ!」

「やるしか・・・ないんだろ?」

 

ハングの言葉をロイドは鼻で笑い、剣を鞘に戻した。

 

「【黒い牙】首領ブレンダンの息子ロイド・リーダス・・・行くぜ」

 

そこから爆発的に加速したロイド。その剣戟からハングとエリウッドを庇うようにヘクトルが前に出た。

武器と武器がぶつかり合う。

 

「おらぁぁぁあああ!!」

 

体格差もあり、ヘクトルの一撃がロイドを後退させた。

 

「・・・おまえ、誰だ?」

「オスティア候弟ヘクトル!」

「・・・おまえ、俺の弟に似てるぜ。雰囲気とか、なにかがな」

「なんの話だ?」

「おまえたちにやられた弟、ライナスの話さ・・・おまえには、関係のない話だ・・・・・・」

 

ヘクトルの眉が寄る。険しい顔なのに、なぜかそこには同情するような感情が浮かんでいた。

 

「・・・俺にも兄がいる。兄上がやられたら、俺だって相手を絶対許さねぇ・・・」

「・・・・・・いい顔だ・・・兄貴を悲しませたくないなら全力でかかってこい」

「望むところだぁぁ!」

 

ヘクトルが切りかかる。

 

片手に剣、片手に斧を携えた変則二刀流。

 

つい最近、ようやくまともに扱えるようになってきた戦闘法。

それは、ライナスが使っていた技だった。

 

「つくづく・・・」

 

苦笑を止められないロイド。

 

数回、数十回と刻まれる剣撃を重ね、二人は再び間合いをとった。

その隙を埋めるように今度はラガルトとジャファルが参戦する。

 

連続した攻撃に、ロイドの足が止まる。

そこに正面から突っ込んでいくヘクトル。

 

複数からの攻撃。捌ききれないと判断したロイドはルーンソードの魔力を解放した。棘のように突き刺さる闇魔法。その魔力にラガルトとジャファルが吹き飛ばされた。ヘクトルは武器で受け止めることができたが、それでも足を止めざるおえなかった。

 

そのヘクトルの足元にロイドが滑り込む。

 

ロイドはいつの間にか剣を鞘に納めていた。この間合いから放たれる抜刀術に防御は間に合わない。

ヘクトルは刃を食いしばり、痛みに耐える姿勢を見せた。

 

そこに矢のような勢いでハングが突進した。

 

ハングはロイドを吹き飛ばしたわけでも、二人の間に飛び込んだわけでもなかった。

ハングは『ヘクトル』を吹き飛ばした。

 

「なっ!!」

「ぐえっ!!」

 

間合いが狂い、抜刀の機会を逸したロイド。ハングは『ヘクトル』を強引にロイドに叩きつけ、そのまま盾にしてロイドを一気に壁まで押し込んだ。

 

「ぐっ!!」

「ぐほっ!!」

 

壁にひびが入る程の衝撃。さすがのロイドも肺の空気を絞り出された。ヘクトルはそれ以上にダメージを負っていた気がしたが、死んでないなら問題ない。ハングは衝撃で目を回しかけているヘクトルの襟をつかんで後方に飛ぶ。

 

「ごほっ!ごほっ!」

 

むせ返るロイド。そこに迫る赤い影。

エリウッドがレイピアを構えて走りこんだ。

 

ロイドは一撃目はなんとか回避し、二撃目も抜刀と同時に弾き飛ばす。

ただ、三撃目をいなせる程に体が回復していなかった。

 

レイピアの切っ先が肩口をえぐった。さらに連続の突きが腕と足に風穴を開けた。

ロイドの膝が崩れ、剣が零れ落ちる。それでも、倒れまいとロイドは後ろの壁にもたれた。

ロイドには迫りくるエリウッドの剣を防ぐ手段はもう残されていなかった。

 

「あぁ・・・ほんと・・・待たせたな・・・」

 

そして、最後の一撃が、ロイドの胸の中心を貫いた。

 

「今・・・・やっと・・・」

 

心臓を貫いた切っ先。エリウッドがレイピアを引き抜くと同時に鮮血が溢れだした。

むせ返る血の臭いを浴びながら、エリウッドは崩れゆくロイドを最期までみつめていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

戦いは終わった。【黒い牙】の主戦力はこれで全て削り落とした。

ハング達はロイド達の遺体を封印の神殿から少し離れたところに埋葬してやることにした。全ての相手を丁寧に、尊厳をもって弔った。

広く地面を掘り起こして、一人ずつ遺体を並べて埋葬する。

数が多く、大変な作業だったが文句が出ることはなかった。

 

「【黒い牙】首領の息子・・・強者に敬意をこめ・・・どうか・・・やすらかに」

 

墓の前で祈るエリウッド。

ハングもまたその隣でベルン式の葬式をあげていた。

 

「ハング・・・ロイドは兄弟の仇討ちだと言っていた」

「そうだな・・・」

「復讐とは・・・なんなのだろうな・・・」

「俺にそれを聞くかよ・・・」

 

ハングは苦笑いを浮かべたい気分だったが、どうにも上手く笑えなかった。

エリウッドとハングは再度黙祷をささげて、墓の前から離れていった。

 

「ハング・・・彼とは別の出会い方をしてたら・・・」

「言うな・・・どうにもなんないことなんか、この世に溢れかえってる」

 

エリウッドは少し前まで戦場だった草原をみつめて、立ち止まった。

 

「人が戦えば敵味方に別れるのは当然だ・・・でも僕は・・・・・・慣れることができない」

 

エリウッドの表情はハングには見えない。

だが、彼の背中からはこの世の理不尽に対する悲しみと怒りがにじみ出ていた。

 

ハングはエリウッドの隣に並んでみる。

目の前には草原が広がり、遠くに山が見える。結局、エリウッドが何を見つめていたのかはわからなかった。

 

「お前は慣れなくていいさ。自分の行動の正の面しか見ない奴は道を踏み外しやすい。悩んでいい。エリウッド、それがおまえの生き方だろ」

「・・・僕の生き方・・・か・・・」

「ま、俺がどうこう言える立場じゃないけどな」

 

ハングはそう言って空を仰ぐ。雪は既にやみ、分厚い雲が覆った空は灰色のキャンバスとなってハングの頭上にのしかかってくる。

 

「ハングも復讐・・・なんだね」

「そうだな。今はリンも傍にいる。それだけが生き方じゃないのはわかるんだが・・・どうにもな・・・」

 

彼女が心のよりどころで逃げ道であることは確かだ。

だが、彼女は『待つ』と言ってくれたのだ。

だからこそハングは納得するまで自分の道を歩こうと決めていた。

 

憎しみも、恨みも、後悔も、全てがまだこの胸の内にあるうちは止まることなどできなかった。

 

「リンディスには感謝しなよ」

「わかってるって」

 

つくづく、自分にはもったいない女性だと思う。

 

「本当にわかってるかい?」

「ああ。お前こそニニアンから目を離すなよ。いつネルガルが本格的に仕掛けてくるのかわかったもんじゃねぇんだからな」

「うん・・・もちろんさ」

 

そう言ったエリウッドの声にハングは苦笑する。

彼がここまで気負った声を出しているのをハングは初めて聞いた。

 

ハングにネルガルを殺さなければならない理由があるように、エリウッドにもまたネルガルと戦う理由が育っているようだった。

 

いつの世も人を戦いに踏み切らせる感情は愛憎なんだなとハングは思った。

 

そして、ハングはエリウッドの背中に左腕を叩きつけた。

 

「ぐあっ!!!」

 

全力ではなかったものの、竜の腕の張り手だ。それは投石でも身に受けたような衝撃だった。

あまりに唐突な一撃にエリウッドが数歩よろめく。だが、数歩たたらを踏んだ程度で大きく体勢を崩しはしなかった。

 

「おっ、転ばなかったか」

「ハング!何するんだい!!」

「お前が固まってたからな。ほぐしてやったんだよ」

 

痛みに背中を曲げるエリウッドが恨みがましい目で見上げてくる。

その視線を受け、ハングは肩をすくめた。

 

「そうやって思考を凝り固まらせて身体まで強張らせるのはお前の悪い癖だぞ。たまには身体から先に動かしてみろっての」

「それは、軍師の秘訣かい?」

「まぁな・・・」

 

ハングはエリウッドに手を貸して起き上がらせ、聳え立つ神殿を見上げた。

 

「ここにネルガルを止める手段がある」

「ああ、その為にここまで来たんだ」

 

二人の間に身震いが走り抜けた。

 

遠くに稲光が落ちる。落雷の轟きが重低音となって二人の身体を揺らしていた。



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間章~封印の神殿~

ハングとエリウッドが皆のもとに戻ると、白髪をたくわえた老人がその輪に加わっていた。

 

「アトス様!」

「いつ、こちらにいらしたんですか?」

「ついさっき転移の魔法でな。お前たちの様子は水晶球で見ておった。ここまでたどり着いたようでなによりじゃ」

「なんだよ、だったら最初から魔法で送ってくれりゃいいのに」

 

ヘクトルが横から乱暴な物言いをしてくる。

だが、アトスが転移魔法でここに来れたのなら、ハング達を直接送り届けることもできたはず。

そう言いたくなる気持ちもわかる気がした。

 

そんなヘクトルにアトスはたしなめるように言った。

 

「それでは意味がない。おまえたちが自分の力で動くことそれが、なによりも大切なのだ」

 

アトスの物言いの意味をハングは少し考える。

 

「それは・・・単に戦闘経験を積むこと・・・だけというわけじゃないんですね?」

「いかにも、ハングの言うとおりじゃ。自分の力で動き、示さねばならなかった。あ奴にの」

「『あ奴』?」

 

アトスがぞんざいな呼び方をする人物。

それが誰を示しているのかはハングにもわからなかった。

エリウッド達も困惑してお互いの顔を見合わせる。

 

「それは・・・いったい」

 

エリウッドが代表するようにアトスに尋ねる。

するとアトスは杖で神殿の上を指した。

 

「さて。では、行くとするか。地下へ・・・あ奴・・・ブラミモンドに会うとしよう」

「ブラミモンド?あのブラミモンドが、ここに?」

「伝説もここまできたら神話だぞ」

 

驚くエリウッドとヘクトル。その隣で相変わらず疑問符を浮かべているリンディスにハングは教えてやる。

 

「ブラミモンド、八神将の一人だよ」

「そうじゃ。八神将で生き残るは、わしと、ブラミモンドの2人のみ」

 

その情報にエリウッド達は少し安堵したように息を吐きだした。

これ以上理を外れる存在が沢山いてたまるかという想いだ。

 

「おまえたちの力だけで、ここを目指させたのは・・・おまえたちが、神将器を手にするに足る器か、力を示す必要があったからじゃ」

 

『神将器』

 

その名を聞き、空気が引き締まる音がした。

 

「神将器・・・ですか?」

 

聞き間違いかと言いたげなエリウッドの質問。

アトスはそれに対して鷹揚に頷いた。

 

「そうじゃ。かつて我ら八神将が、竜を倒すために用いた武器・・・あれならば、ネルガルの【エーギル】、その根本を断つこともできよう」

「ネルガルを倒せる武器・・・」

 

ハングの喉の奥で音が鳴る。ケモノのうなり声のようなその声をハングは飲み込もうとはしなかった。

 

その武器があれば殺せるのか・・・あの男を・・・

 

ハングの脳裏に自分の村を消し飛ばしたあの男の顔が蘇る。

あの日に奴が村に放った炎は今もハングの胸奥の薪に火種を残している。

それが、一気に燃え上がったように身体中に熱量が迸る。全身の筋肉が強張り、息が詰まったように呼吸が浅くなる。

 

何度も経験してきた怨嗟の奔流。

慣れ親しみ、飼いならしてきたはずのそれが、腹の内で暴れまわっていた。

 

「ハング!」

 

声をかけられ、ハッと我に返った。

 

気が付けば、アトスやエリウッドが心配そうにこちらを覗き込んできていた。

 

「あ・・・わり・・・聞いてなかった・・・」

 

ハングがそう言うと、二人は眉間に皺を寄せた。

 

「わりぃ・・・」

 

そんなハングの左手を誰かが握りしめた。

ハングの身体が先程とは別の意味で強張った。

 

竜の腕と称されるこの左腕の怪力が人の肉体を容易に破壊してしまうのはハングが一番知っている。ハングは左手を引き抜こうとしたが、握りしめてきた手は指の隙間に絡みつき、決して離すまいと握りしめていた。

 

そして、握りしめてきた当人は責めるような目でハングを見つめていた。

 

「リン・・・」

「なにやってるのよ」

「え・・・」

 

繋いだ手から鱗を通じて彼女の体温が伝わってくる。

 

「ハング・・・私言ったよね。いつでも傍にいるって」

「あ、ああ・・・」

「でも、バカなこと考えてたでしょ?」

 

反射的に言い返そうとしたハングの口が止まった。

ハングを真っすぐに睨む彼女の瞳に胸を突かれたような気がした。

 

ネルガルを倒したいのはハングだけではない。

 

自分の周りに仲間がいることを忘れてないか?

隣にいるリンを無視しようとしてないか?

 

口よりも雄弁な彼女の目がそう物語っていた。

 

彼女の指にゆっくりと力が込められていく。

 

「はぁ・・・」

 

ハングは胸に溜まっていたものを吐き出すようにため息を吐いた。

そして、ハングは優しくリンの手を握りしめる。

彼女の手が壊れてしまわないように、ゆっくりと力を込めていく。

 

リンディスの手がここにあるうちは自分の怒りに身を任せるわけにはいかないな。

 

ハングはそう思った。

 

もし、憎しみに呑まれて力を入れてしまえば、彼女の利き手はたちまち砕けてしまう。

 

『あなたは一人前の軍師!私は一人前の剣士!!がんばろう!』

 

いつの日か交わした言葉が胸の中に蘇る。

ハングは彼女に利き手を失わせるわけにはいかなかった。

 

「リン」

「なに?」

「・・・ありがと」

「どういたしまして」

 

最近、つくづくリンディスに勝てなくなってきたな。

 

そんなことを思いながらハングは肩の力を抜いたのだった。

 

そんな二人の様子を微笑ましく見ていたアトスは咳払いをして話を戻した。

 

「神将器は、この大陸の各地に封印されている。そして、その封印を解けるのはブラミモンドのみじゃ。さて、力を貸してくれれば良いが・・・」

 

アトスはそう言い、エリウッドを指す。

 

「エリウッド、ヘクトル、リンディス・・・それと・・・ハングも共に来るがよい」

「はい」

「おう」

「ええ」

 

三者三様に返事をするなか、ハングは少し困惑した。

 

「え、俺もですか?」

「この旅の間に最も力を示したのはおぬしじゃ。ブラミモンドの説得には最適じゃろう」

「・・・わかりました」

 

全てを見通していたアトスに何を言っても無駄。

そう思ったハングは素直にそう言った。

 

「よし、それじゃあ向かうか」

 

アトスに続くように祭壇の階段を上った四人。

そして、アトスの魔法に導かれるままに彼らは祭壇の地下へと入って行った。

 

入ると言っても階段を下りたわけではない。アトスの指し示す転移魔法の陣に足を踏み入れただけだ。

転移魔法特有の違和感を経て、たどり着いたの場所には一面暗闇に覆われた場所だった。

 

「暗いな・・・」

 

闇の中からエリウッドの声が聞こえた。

音の反響がないせいか、随分とはっきりと声が聞こえてくる。

 

「薄気味わりいな・・・何も見えねえぜ」

 

ヘクトルの声もした。空気がこもってるのか、その声はどこか重い。

 

「しっ!・・・誰かいるわ」

 

リンディスがそう言った。

わずかに闇に眼が慣れてきたのか、他の皆にも闇の中に佇む目深にフードを被った人影が見えてきた。

 

ただそれを『見える』と称してよいのかは疑問だった。

 

周囲は相変わらずの暗闇で仲間の姿は輪郭ぐらいしかとらえられない。それなのに、そこに佇む人影の姿はなぜか異様は程にはっきりと視認できた。フードの色や、全身を包む服の皺まで見える。それは、あたかもその人物がこの世界から浮かび上がっているかのようであった。

 

「あなたが・・・ブラミモンド・・・」

 

そんな目の前の人物に最初に声をかけたのはエリウッドだった。

 

「・・・ああ、そうとも。僕に何の用かな?地上に生きる者たちよ」

 

暗闇の中でハング達が動揺した。

なぜなら、ブラミモンドの声はエリウッドと瓜二つだったのだ。

 

まさか、ブラミモンドはエリウッドの先祖にあたるか?

だが、エリウッドはリキア貴族だ。そんなことがあり得るのか?

 

いくつもの疑問が浮かび上がるなか、リンディスが口を開いた。

 

「お願いがあります。私たちはネルガルを倒すために・・・」

 

だが、それを遮る声がした

 

「・・・残念だけど、それはかなえてあげられないわ。封印を解くことは人にとって良いことではないの」

 

遮った声もリンディスのものだった。

その声にまたハング達に驚愕するが、その中でヘクトルが怒声をあげた。

 

「はぁ?今は、世界が滅びるかっていう瀬戸際なんだぜ!?」

「はっ!世界だと?だからなんだってんだ?世界がどうなろうが俺の知ったことじゃねーよ!」

 

言い返してきたのもヘクトルの怒声。

 

「な、なんだ!?こいつ、声も、しゃべり方も・・・いったい・・・何人いやがる?」

 

狼狽えたようなヘクトルの声。

それに答えたのはアトスの声だった。

 

「ブラミモンドは己を持たぬ。他者に対してはその者を映す鏡となりみずからの人格決して表に出ることはない。それゆえ、出会う人々の数だけブラミモンドはいるのだ」

 

その言葉にハングは思い当たる節があった。

 

「聞いたことがある。【八神将】ブラミモンドは己の全てを闇に委ねたと。感情も記憶も全て闇に溶かし、そうして竜を倒す力を得た・・・とかな・・・」

「・・・・・」

 

闇からの返答はなかった。

アトスの杖が堅い地面を突く音がした。

 

「・・・ブラミモンドよわしを覚えているか?」

「・・・アトスか。ふむひさしぶりじゃの」

 

最初にそう答えたブラミモンドはアトスの声をしていた。だが、次々とその声が変わっていく。

 

「君が何故、この者たちを連れてきたのか理解に苦しむよ」

 

エリウッドの声で呆れ。

 

「あれが、なぜ封印されたか・・・あなたは忘れてしまったの?」

 

リンディスの声で嘆き。

 

「神将器は、人が持っていい力じゃねーんだぜ」

 

ヘクトルの声で苛立つ。

そんなブラミモンドに応えたのはエリウッドだった。

 

「だけど!このままでは僕たちはネルガルの野望を止めることができない!この世を救うためにあなたの力が必要なんです!」

「・・・・・・」

 

闇が押し黙る。

 

「わしらも、人じゃよブラミモンド」

 

ブラミモンドの意識がアトスに向いたのがわかった。

 

「この者たちは、過ぎた力に心奪われるような者ではない。この者たちは、わしの力を使わずここまでたどり着いた。おぬしも、見ておったのだろう?」

「・・・・・・」

 

その時、ハングは肌が粟立つ感覚を感じた。

 

「・・・・・・っ!!」

 

声のない悲鳴があがる。

 

「ハング?どうかしたのかい」

「・・・・・・いや、なんでもない」

 

耳ざとく聞きつけたエリウッドにそう言って、ハングは呼吸を落ち着ける。

 

今の一瞬、ハングはブラミモンドの気配が間近に迫ったような感覚があったのだ。だが、その気配はすぐさま消え失せてしまい、ハングはこの異様な空間による錯覚だと結論付けた。

 

その間にも話は続いていく。

 

「確かに・・・」

 

エリウッドの声でブラミモンドがそう言った。

そして、再び目まぐるしく口調と声が変わっていく。

 

「他の人間よりはマシなようじゃ」

「だけど、人は弱いわ。その弱さに負けないと・・・」

「誰が保証してくれんだよ!?アトス!」

 

次々と入れ替わる声だが、ハング達はなぜか聞きづらさを感じなかった。ブラミモンドの言葉は鼓膜をすり抜けて脳へと浸透していくように闇の中を響く。

 

「保証は・・・何もありません」

 

控えめながらも、意志を見せるエリウッド。

 

「ただ、僕たちを信じてくださいとしか・・・」

 

エリウッドのその台詞。

 

ありきたりな言葉であったにも関わらず、闇がわずかに震えたような気がした。

そして、闇の奥から、聞きなれない声が放たれた。

 

「・・・かつて君によく似た男を知っていた」

 

それは、エリウッドともヘクトルともとれる声。

ハングはアトスから懐かしむような吐息が聞こえ、理解した。

 

これが、エリウッド達の先祖。勇者ローランの声なのか。

 

「迷いのない、まっすぐに先を見る瞳だ」

 

不意に暗闇が白く染まった。

 

光じゃない。

 

唐突に黒が白に変わったようなそんな感覚だった。

 

その証拠にやはり仲間達の姿は見えず、ブラミモンドの姿だけは視認できていた。

そして、またも突然に白は黒へと戻っていく。

 

「・・・これで封印は解かれた」

 

エリウッドの声はそう言った。

 

「後は、あなたたちの好きにするといいわ」

 

投げやりともとれるリンディスの声。

 

「俺は疲れた少し眠らせてもらうぜ・・・」

 

倦怠感を感じさせるヘクトルの声。

 

それを最後にブラミモンドの姿は暗闇の中に溶けるように消えていった。




長かったようで短かったようなこの連載。
とうとう、ここまで来ました。

ついに!ついに!ここまで書くことができた!!
そして、次回!いよいよクライマックスです!

え?ちょっとタイミングおかしくないかって?

いえ、合ってますよ。間違いなくここからがクライマックスです。

そして、念のために読者の皆さんに一言。
自分、バッドエンドは嫌いなんでそこだけは心配しないでください。


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間章~襲来~

地上に帰ってきたハング達。

ヘクトルが大きく伸びをして深呼吸をした。

 

「んー!やっぱり地上の空気はうまいぜ!」

 

こうして外に出てくるとわかるが、やはりあそこの空気は淀んでいた。

あの場所は闇が満ちており、そこには独特の空気の粘りのようなものがある。それが、空気の流れを悪くしてしまうのだ。

 

皆は階段を下りながら今しがたした経験のことを口にした。

 

「・・・ブラミモンド様不思議な人だったわね」

「ああ・・・結局、なぜあの人は封印を解いてくれたんだろう?」

「さて、な。あれは、闇。決して見通せぬ深き暗闇・・・その本質は、もとより常人に理解できるものではない」

 

そんなものだろうか?

 

リンディスとエリウッドは曖昧に頷いた。

相手は【八神将】だ。もとより常識が通じる相手じゃないのかもしれない。

 

「ん?ハング・・・どうした?さっきから浮かねぇ顔してっけど」

 

ヘクトルにそう言われたハングはわずかに目を伏せて、考え込むように顎に手を置きながら歩いていた。その顔は確かにどこか浮かないように見えた。

 

「何か気になることでもあったのか?」

「ああ、いや・・・たいしたことじゃあ・・・ないんだけどさ・・・」

「なんだよ、はっきりしねぇじゃねぇか」

「ん・・・まぁ・・・ちょっとな・・・」

 

そしてまた長考に入るような姿勢を見せたハング。

そんな彼にアトスは口を開いた。

 

「ハングよ、お前たちは急がねばならぬ。封印は解かれた。ネルガルも、すでにこの事を察しておるはず・・・一刻も早く【烈火の剣】を手にせねば・・・」

「アトス様・・・一つお伺いしてもよろしいですか?」

 

ハングはアトスを遮り、やや睨むような目を向ける。

 

「・・・・なんじゃ?」

「どうして・・・ブラミモンド様は俺の心だけ映さなかったんですか?」

「・・・・・さっきも言ったじゃろ。あれは闇だと・・・」

「闇なら・・・何もかも飲み込みます・・・誰一人欠けることなく」

「・・・・・・」

 

返答が無い。

 

アトスは何かを隠している。だが、それが何故なのかがハングにはわからない。

それが無性にハングの胸の内をざわつかせる。

 

「ハング?どうしたの?」

 

リンディスがハングの顔を覗き込んでくる。

ハングは彼女から目を逸らすように、遠くの山へと視線を向けた。

 

「いや・・・なんでもないさ・・・なんでもな」

 

そう言ったハングの声には苛立ちが乗っており、エリウッド達は顔を見合わせた。

そんな彼等にアトスは意を決したように声をかけた。

 

「皆、とにかく今は【烈火の剣】が先じゃ・・・今すぐ・・・」

 

その時だった。

 

「・・・残念だな。もう手遅れだ」

 

声がした。聞き覚えのある声がした。二度と聞きたくないと願った声がした。

ハング達が一斉に神殿の前に広がる草原に目を向けた。

 

そこに浮かび上がる魔法陣。そして、転移魔法で現れた男。

黒いマントにターバン。そしてこの重苦しくも禍々しい気配。

 

「ネルガル!」

 

エリウッドが叫ぶ。ヘクトルが武器を手に取った。すぐさま駆け出そうとしたハングの左手をリンディスが握りしめた。

 

「ようやく・・・ようやく、力が満ちた」

 

ここまで離れているはずなのに、耳触りな声がよく届いた。

いち早く危機を察したマーカスの指示のもと、一斉に戦闘態勢を取ったこちらの部隊。

 

だが、ネルガルはそんな彼らなどいないかのごとく緩慢に周囲を見渡した。

 

そして、見つけたのは淡い緑の髪をした二人の姉弟。

 

「さあ、ニニアン、ニルス・・・こちらへ。私のために竜の門を開け」

「・・・い、いやだ!」

 

叫んだのはニルス。ニニアンは何かを逡巡するような仕草を見せている。

ネルガルが二人に一歩近づいた。

当然、仲間達が庇い建てするように二人の前に出た。

 

「ここは通さねぇぜ!!」

「草原の花ってのは無暗やたらに摘むもんじゃねぇぞ!!」

 

ギィとセインが武器を構える。

 

ネルガルはそんな二人に向け、何かを払う仕草をした。その動きに合わせ竜巻のような黒い暴風が放たれる。

闇の魔力を宿した風はいとも簡単に周囲を吹き飛ばした。

部隊の面々が木の葉のようにその場から飛ばされ、神殿の上にいたハング達ですら何かにしがみついていないと、耐えられない程の強烈な暴風が襲いかかった。

 

だが、ニルスやニニアンにはかすり傷一つない。

 

ネルガルにとってはその程度造作もないことだ。

 

「くだらん・・・」

 

ネルガルには周囲に散らばった連中など眼中にない。

彼の興味はただ、姉弟の二人に絞られていた。

 

ネルガルは悠々と二人の前に立った。

 

「ニニアン!ニルス!!」

 

衝撃からなんとか立ち直ったエリウッドが階段を駆け下りていく。

だが、ネルガルはもうニニアンに向けて手を伸ばしていた。

 

「・・・ここで力を使ってもいいんだぞ?選ぶがいい、ニニアン。私に従うか、それとも・・・」

「・・・わたしが行けば・・・弟は・・・皆さんは・・・見逃してくれますか?」

「ニニアン!?」

 

ニルスが驚いたように叫んだ。

 

「駄目だ!!ニニアン!!」

 

神殿の階段を全力で駆け下りながらエリウッドが叫ぶ。

だが、状況は既に最悪へと向かっていた。

 

「・・・一人いればことは足りる・・・いいだろう」

「ニニアン!やめるんだっ!!」

 

エリウッドが必死に手を伸ばす。

ニルスが姉を引き留めようとその服を掴もうとする。

 

だが、二人の手は何もつかめずに空を切る。

 

ニニアンを連れ、素早く転移魔法を使ったネルガルは草原の中へと移動していた。

 

「ネルガルっ!!」

 

目の前でニニアンを連れ去られたエリウッド。だが、悔しがっている暇も反省している暇もない。ニニアンはまだそこにいるのだ。

それがネルガルの慢心か余裕なのかは知らない。

 

だが、僅かでも可能性があるのならそこに全力を貫くのみ。

エリウッドは素早くレイピアを引き抜く。

 

例え何の力を宿していない武器でも、ネルガルを一時的に退けることができるのはエリウッドの父親が身をもって証明してくれていた。

 

エリウッドはネルガルに向け、一歩踏み出した。

 

そのエリウッドの脇を一陣の風が通り抜ける。

 

「え・・・・」

 

次いで、雷のような爆音。

 

「ネェェルガァァァァァル!!」

 

草原の真ん中でハングがネルガルが構築した不可視の壁に左腕を叩きつけていた。

既にその眼には理性の欠片も残されておらず、その形相は獣と呼んで差し支えない程にゆがめられていた。

 

『憎悪』

 

彼の目にはそれしかなかった。

 

「くっそ!!リンディス!!なんで止めなかった!」

「止めてたわよ!でも!!」

 

先のネルガルが放った暴風。その僅かな隙を付いてハングはリンの手を振りほどいてしまったのだ。

 

例えどれだけ自分を想ってくれる人がいようと、どれだけ寄り添ってもらおうと、ネルガルを見た途端その全てが『復讐』の言葉に呑まれていってしまった。

ただ、ハングは目の前の男を殺したくてたまらなかったのだ。

許せなかった。この男が生きていることが、存在していることが、視界にいるということがどうしようもなく許せなかった。

 

「ああぁぁぁぁぁぁあああぁあ!」

 

打ち破れぬと悟ってなお、ハングは再び見えぬ壁に向けて拳を叩き込んだ。

 

再び巻き起こる轟音。障壁の向こう側にネルガルの顔が見えた。

それは、楽しそうな笑顔だった。

 

面白い余興を見つけたような楽しそうな笑み。

 

ハングの脳裏に一瞬だけ過去の記憶がよみがえる。

ハングの目の前で村一つ消し飛ばして見せた男。

 

あの時と同じ笑みだ。

 

ハングは再び拳を振りかぶって叩きつけた。

 

左腕の鱗が割れる。手から皮が弾け飛ぶ。だが、不思議と痛みはなかった。

 

「ふふふ・・・ハング・・・会いたかったぞ」

「ふざけんなぁぁぁぁぁああ!!」

 

視線だけで人が殺せないことをこれほど憎んだことはなかった。

胸に宿る憎悪の炎でこいつが焼け死なないことがなにより理不尽だと思った。

 

殺してやる。

 

それだけが頭の中にあった。

 

「・・・ククク・・・ハング・・・そう、ハングか・・・」

 

ネルガルの笑顔が一層深くなる。

 

「笑ってんじゃねぇえええええ!!」

「そうか・・・だが、これほどいい余興もなかったぞ」

「なにを言ってんだぁ!!」

 

ハングは何度も拳を叩き込む。

そんなハングに仲間達が集まろうとしているが、彼らは一定距離から前に進むことができずにいた。

 

「くそったれ!なんだこの障壁は!!」

 

ヘクトルが斧を何度も叩きつけるが、ハングとネルガル、ニニアンを囲うように構築された障壁はびくともしない。

 

「アトスのじいさん!なんとかならねぇのか!!」

「ぐっ!ネルガル・・・ここまで、力を取り戻しよったか」

 

アトスの魔力ですらその障壁を破ることはできない。

なにせネルガルが攻撃を捨ててまで作り上げた障壁だ。易々と突破できるものではない。

 

ハングが呼応して内側から攻撃すればあるいは突破できたかもしれないが、今のハングにはそんなことを考えている余裕は残されていなかった。

 

「てめぇは俺が殺す!殺してやる!!ネルガルっ!!」

「ふん・・・まだそんなことを言っていたのか?」

「何の話だ、クソ野郎!!」

「自分が何者なのかわかっておらんのか?それともあえて気付かないふりをしているのか?まあ、そんなことはどちらでも同じだがな」

「だから・・・何の話だぁ!?」

 

ハングは一度拳を引いた。

 

「てめぇの戯言に付き合ってる余裕はねぇんだよ!」

「戯言?戯言なものか。なにせハング、お前の話だ」

「御託はあの世で聞いてやる!!!だから、死ねぇえぇえ!!」

 

そして、ハングは再び前に出て拳を振るう。

愚直な突撃しか繰り返さないハングに冷静な軍師の姿はない。

 

「ハング、何をしてるんだ!!」

「そんな奴の挑発に耳を貸さないで!!」

 

仲間の声は遠い。ハングの拳と障壁がせめぎ合うも、一向にネルガルは涼しい顔のまま。

その隣ではニニアンが怯えたような顔で震えていた。

 

ネルガルはそのニニアンの前に立ち、マントを広げ、声を張った。

 

「貴様らも知っておくがいい。仲間だ友だと声をかけてきたこの男のことを」

「だから・・・」

 

ハングは一度距離を置いた。地を蹴り、加速の勢いを拳に乗せる。

 

「何の話だぁぁぁ!!」

 

再び障壁に阻まれるかと思われたそれは、なぜか空を切る。

あまりの突然の空振りにバランスを崩したハング。

 

両手をついたハングの頭上にネルガルが移動する。

 

「この!」

 

ネルガルに向けた拳は何か柔軟なものに受け止めらたかのようにして止まった。

 

「くっ!なっ!このっ!!」

 

ハングの腕ににまとわりつく黒い風。その影響からか腕がその場から一切動かなくなった。

ハングは左腕を動かすことを諦め、右手で腰の剣を引き抜く。

 

サカの民直伝の抜刀術

 

だが、その剣は引き抜かれた瞬間に何かに阻まれて根元からへし折れた。

長年付き添ってきた剣が砕け、破片がハングの頬を切り裂く。

 

「このぉぉぉぉ!!」

 

それでも残った根本の刃を突き刺そうと右手を突き出す。

今度はその右手にも黒い風がまとわりつき、動きを封じられる。

 

「くそっ!!くそっ!!」

 

それでもまだ体は動く。

 

拳がだめなら、爪で。爪もだめなら、歯で。

噛み殺すつもりで、ハングは突っ込んだ。

 

その頬に張り手のような衝撃が走る。

 

口の中が血の味に染まる。鼻の奥にくる鉄臭。

ハングは口の中から、血の塊を吐き出した。

 

「そう慌てるな、ハング」

「気安く俺の名を呼ぶんじゃねぇ!!」

「そう言うな」

 

そしてネルガルはにやりと笑う。

 

「なにせわしは・・・」

 

唇を歪め、目元を歪め、顔全体を歪めて笑う。

 

ネルガルの嗄れた声が否応なしに耳朶を打つ。

そして、ネルガルは言った。

 

「わしは・・・お前の『親』だぞ」

 

ネルガルが放った一言が草原に駆け抜けた。

 

不意に世界が静寂に包まれる。

 

ハングの動きが止まる。それを聞いたエリウッド達の動きも止まる。

世界の時間が動き続けていることを草原に吹く風だけが教えてくれていた。

 

そして、ほんの数秒の静寂の後、ハングは震える声で呟いた。

 

「はっ?何を・・・言ってやがる・・・」

「フフフ・・・いいぞ、いいぞ・・・その顔が見たかったのだ」

 

ハングの呼吸は浅くて早い。なのに、その心音は驚くほどに静かだった。

 

ハングの思考が停止していた。

ネルガルが何を言っているのか理解できなかった。

 

「お前は・・・なにを・・・言ってる?」

「理解できない程難解なことを言ったつもりはなかったぞ、ハング。それに、聞こえなかったわけではあるまい。それとも聞き間違いだったと思いたいのか?ならばもう一度言ってやる。ここにいる全員に聞こえるようにな」

 

ネルガルは自分の喉元に指をあてた。

 

「こいつは・・・」

 

魔法で拡張されたネルガルの声が響き渡る。

 

「このハングは・・・」

 

あり得ないと胸の内で誰かが呟く。

なのに、もう一人の自分がそれを否定する。

 

「こいつはわしが作り上げた人形・・・【モルフ】だ」

 

ハングはネルガルをただ見上げているしかできなかった。



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第 章~    (  )~

「こいつはわしが作り上げた人形・・・【モルフ】だ」

 

魔法で拡大されたネルガルの嗄れ声は何に阻害されることなく周囲の全てへと響き渡っていた。一字一句漏らすことなくその言葉が皆の耳に届く。

 

「え・・・・・・」

 

エリウッドがその場で固まった。

ヘクトルの振りかぶっていた斧が止まった

リンディスは足が動かなくなっていた。

ネルガルの隣にいたニニアンが悲鳴を抑えるかのように口元を抑えていた。

 

そして、ハングは目を見開いてネルガルを見つめていた。

 

「だから・・・なにを・・・言っている?」

 

ハングの声が震えていた。

 

そんなはずはないと頭が全力で否定にかかっているのに、なぜか反論の言葉が出てこない。

 

「察しが悪いのか?そんなはずはあるまい。お前には当時最高の頭脳を与えてやったのだからな」

「だから・・・なんの・・・話だ」

「お前の話に決まっているだろう?」

「あ・・・あ、あり得ねえだろ!!」

 

ハングが叫んだ。

 

「俺は俺だ!俺なんだよ!俺は・・・俺は・・・人間だ!!」

「ふむ、やはり同じ反応になったか・・・まぁいい・・・」

 

ネルガルは声を魔法で拡大したままその場で楽しそうに喋る。

その余裕にハングの声が揺らぐ。

 

「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ・・・嘘だ・・ウソだろ・・・」

 

否定したい。否定できるはずだ。

俺には親がいて、産まれた村がある。

 

そんなことはわかっているというのに、ハングは必至にネルガルに訴えかけることしかしない。

 

「間違いはないさ。お前はわしが作った」

「嘘だぁぁ!」

「嘘なものか。だが、わしも忘れていたがな。『失敗作』のことなど」

「は・・・はぁ?」

 

ネルガルは人差し指で自分の頭を叩いた。

 

「いかにわしと言えども、歩いてきた道で踏みつぶしてきた虫の数まで覚えておられんくてな。貴様を見るまで完全に忘れておったよ」

「だから・・・だから・・そんなこと・・・あり得ない・・・」

「あり得るのだよ」

 

ネルガルがハングの前に手をかざした。

何かをされたわけでもないのに、ハングはその威圧感で何も言えなくなってしまう。

喉の奥が痛い。目頭が熱い。ともすれば涙がこぼれ落ちそうになっていた。

 

「貴様はわしが人形作りに程よく手馴れてきた頃に作り出した【モルフ】の一体だ」

 

ネルガルの話など聞きたくもなかった。

 

だが、耳を塞ぎたいのに腕は動かぬまま。大声を出したくとも声はでないまま。自分の言葉で否定する気力は失せたままだった。

 

ハングの口からは乾いた呼吸音だけが響いていた。

 

「わしは当時、完璧な人を作ろうと試みていた。自我を持ち、飯を食い、自由に動く人形・・・それを作ることこそ神に等しい行為だとな。だが、それを作る過程で気が付いた。神に等しくなった程度のことで満足していいのかと?」

 

鷹揚に、抑揚に、ネルガルは話す。

 

「だから計画を変更したのだ。完璧な人ではなく完璧な新たな存在・・・それを作ろうとな・・・そして、捨てられた計画のあぶれた人形・・・それがお前よ・・・ハング」

 

ネルガルの顔面が目の前に近づいてきた。

そして、その眼を捕えられた左腕に移した。

ハングもそれにつられて腕へと視線を動かした。

 

何度も障壁に叩きつけたせいで腕を覆っていた黄ばんだ包帯の一部が破れ、その下の緑の鱗を晒していた。

 

「だが、せっかく作ったのだからな。ある程度の実験を兼ねて様々な魔法を試したのだ。だが、結果はこの中途半端な有様だ。竜の体を再現させるつもりが、腕だけが歪に変化した」

 

『歪』

 

その言葉がこの腕を表現するのに的確だというのはハングが最も知りうることであった。

 

「とっくに廃棄したと思ってたんだが。まさか、まだ存在しているとは思ってなかった。お前がわしの目の前に現れるまでは」

 

ネルガルは笑う。

彼の嘲笑が草原を駆け抜けていく

 

「楽しかったぞ。貴様がエリウッド達の間でのうのうと仲間面しているのはよい余興であった」

 

喉から声がでない。出てくるのは呻くような吐息と泣き声のような嗚咽だけ。

 

「一度、操れぬものかと試したのだがな。自我を持たせることを前提に作ったせいか。今一つ勘が掴めなかった。あの時の高熱はつらかったろ」

 

ハングが思い出したのは、あの湖畔での出来事。

ヘクトルが偽の情報に踊らされて向かった湖畔でハングは高熱を出した。そして、それを待っていたかのように敵が現れたのだ。

 

「嘘だぁぁぁ!!!」

 

俯きながら、ハングが叫ぶ。

眼からこぼれた雫は熱い塊となって右腕の甲に落ちる。

 

「貴様も気づいていたのではないのか?」

「なにを・・・」

「敵対していた者の中に自分に姿の似ている者が多いことに」

「っ・・・・」

 

黒い髪、白い肌、そして・・・

 

『ハングって怒ると瞳が黄金色に見えるよね』

『それが一番こえぇんだよ』

『あの眼を前にしたくはないわよね。怒られている状況じゃなきゃ綺麗だとは思うけど』

 

金色の瞳

 

「違う・・・・違う!!そんなわけがない!!」

「言われるまで気づかなかったというわけではあるまい?」

「っ!!」

 

違う!!認めるか!!そんなわけがない!!

 

そう反射的には返せなかった。

 

今まで敵対していた【黒い牙】の面々が記憶の中から蘇ってきていた。

エフィデル、ソーニャ。

それだけではない、【黒い牙】の中の暗殺者の中にも似たような容姿の者が紛れ込んでいた。

 

気付かなかったことが次々と見えてくる。どうして今まで気付かなかったのか不思議な程に鮮明に理解できてしまう。

 

もしかして俺は無意識のうちに考えないようにしていたんじゃないのか?

 

その疑問が浮かんだ瞬間、ハングはネルガルに向けて怒鳴り声をあげた。

その疑問の先を考えたら、もう二度と戻れないような気がしてしまったのだ。

 

「違う!違う!!俺は・・・ハングだ!ハングなんだよ!!」

 

ハングはネルガルの言葉を否定するものを必死に探した。

そして、自分の根幹を作っていた記憶に突き当たった。

 

「俺には・・・俺には・・・母さんと父さんと・・・」

「妹がいたんだろ?」

「っ・・・・!」

 

だが、それすらもネルガルは一笑にふす。

 

「それはそうだろう。記憶や感情をいじる魔法の実験台にしたからな。お前の実験成果はそれなりに貴重であったぞ。人に【モルフ】を溶け込ませる術として随分役にたった。お前のおかげで【黒い牙】に潜り込ませる【モルフ】の質がかなり向上したものだ」

 

ネルガルの言葉などハングのはもうほとんど聞こえていない。

ただ、『記憶と感情をいじった』ということだけが頭の中に残っていた。

 

「そして、お前に植え付けたのは『憎悪』とその理由となる『記憶』だった」

 

『憎悪』を植え付けた・・・だと?

 

ネルガルを前にすると、何も考えられない自分。

勝ち負けを度外視しても何度も殴り掛かってしまう自分。

『復讐』以外の生き方ができない自分。

 

そんな自分に俺は何度も苦笑してきた。

 

それは植え付けられた感情だったからなのか?

憎悪を消せないのはそんな理由だったのか?

 

「そんなわけが・・・ないだろ」

 

ハングがそう言うと、ネルガルが自信たっぷりの笑みを向けてくる。

ハングは尻込みしそうになった。

だが、動かぬ両手に阻まれて下がることもできない。

 

「ふふふ・・・まだ信じられぬか?なら、ここにいるお前の『お仲間』に言ってみるといい。お前の村の名はなんだ?」

 

ハングの口から短く呼吸が漏れる。

 

だが、その名前は出てこない。

 

「言えぬよな。地図に乗っていない村、もとより存在せぬ村だ」

『今となっては地図にすら載ってない。まぁ、もともと小さな村だったけどな・・・』

 

海賊船でハングはリンディスに自分の口でそう言った。

 

「そんなこと・・・覚えてない・・・だけだ!!」

「では、貴様の両親の名は?友の名は?村の住人の名前を一人でも言えるのか?」

「・・・・・・い・・・言える・・・言えるさ・・・両親は・・・両親の名は・・・」

 

震えるような泣きそうな声。だけど、やはりその先は出てこない。

 

「言えるわけがない。私がそんな細かい記憶の植え込みは省いたからな」

「妹のことは・・・覚えている!!」

「おう、そうだったな」

 

ネルガルは手を軽く振った。

 

その瞬間、ハングの視界が白く弾けた。

 

「お前の頭を操ることはできなかったが、まだ記憶をいじるぐらいなら可能なのだよ。ハング」

 

頭を振って、ハングは思考を呼び戻した。

 

そして、絶望に目を見開いた。

 

「・・・・そんな・・・そんな・・・」

「さあ!!もう一度言うがいい!!貴様にはどんな家族がいた!?」

「・・・・お・・・・おとうと・・・」

 

ハングは鮮明に思い出せた。思い出せてしまった。

弟の『テル』と野山を駆けまわった日々を・・・

 

「さあ、言うがいい!どんな家族だ!?姉か?」

 

再び視界が白く弾けた。

浮かんだのは転んだ幼い自分に手を差し伸べてくれる女性。

 

「兄か!?」

 

肩車してくれた兄さん

 

「双子の姉妹だろ!?」

『私達を見分けられるのってハング兄ちゃんだけだよ』

 

「いや、弟同然の捨て子と一緒だったか?」

『血の繋がりなんて僕らには・・・』

 

「ああぁぁぁぁぁぁぁああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁああああああああああぁあああ」

 

自分の口から叫び声が漏れていた。

 

次から次へと思い出が入れ替わり、直前のことを忘れ去っていく。

頭の中が本当にかき混ぜられたようだった。こみ上げてきた吐き気に逆らえずハングは腹のものを嘔吐した

 

「どうだ?家族が増えた気分は?」

 

ネルガルの勝ち誇った声が頭上から聞こえる。

 

もはや、疑う余地がなかった。

ハングは涙を流しながらネルガルを見上げた。

 

「絶望したか?だが、安心しろ。お前はわしのものだ。わしがお前に生きる意味を与えてやるぞ」

 

こいつが・・・この人が・・・俺を作った・・・

 

見上げたネルガルの顔。

 

今まで憎しみの対象でしかなかったそれは不思議と・・・

 

「ハングさん!!」

「しっかりしろ!クソ軍師!」

「なにやってるのよ!ハング!!」

 

周囲からの声がした。ハングは首だけで辺りを見回す。

皆は何かの壁に阻まれているらしく一定以上は入ってこれていない。

 

それでも、皆は一歩でもハングに近づこうとギリギリまで戦っていた。

 

「お前は俺達の軍師だろ!!」

「お主がおらんかったら、この部隊はどうなると思っている!!」

「そんな簡単に認めるんじゃねぇぇぇよ!!」

「ハングはハングだろうが!!」

「あなたの人生はあなたのものなのですよ!!」

 

いつの間にか拘束が解かれていた。

ハングは自由に動く両の掌をみつめた。

 

「俺は・・・・俺は・・・」

「ハング!!」

「ハング殿」

「ハングさん!!」

 

普通の右手と竜の左手。

歪な自分の肉体は闇から生まれた【モルフ】にふさわしいようにしか思えなくなっていた。

 

「俺は・・・誰なんだ・・・」

「ハング!!」

 

一際響いた声。

 

ハングは顔をあげた。

 

「何をしてるんだ!ハング!!」

 

エリウッドが怒鳴っていた。

 

「なに呆けてんだハング!!こっちに来い!!」

 

ヘクトルが呼んでいた。

 

「ハング!ハング!!」

 

リンディスが声を枯らして叫んでいた。

 

ずっと共にいた。ずっと一緒に戦ってきた。

 

肩を並べて戦ってきた友の姿。

共に笑ってきた悪友の姿。

想いを伝えた愛しき人の姿。

 

「ふむ、新たな余興を思いついたぞ」

 

それが、ハングの中から消えた。



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第 章~    (  )~

「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

 

ハングは膝をつき、空に向けて叫び声をあげていた。

そして、彼は糸の切れた人形のようにその場にうつ伏せに倒れる。

 

「わしの置き土産だ。せいぜい楽しむといい」

 

ネルガルがそう言い、震えるニニアンを連れてその場から転移していく。

ネルガルが消えると同時にハングを覆っていた障壁が解かれる。

 

「ネルガル!!」

 

エリウッドの声はもはや奴には届かない。

ニニアンが連れされたことに憤慨しながらも、エリウッドは今できることを優先した。

 

「ハング!」

 

リンディスが真っ先に駆け寄り、一瞬遅れてエリウッドとヘクトルもハングに寄った。

 

「ハング!しっかりして!ハング!!」

 

リンディスが抱きかかえたハングの体は全身の筋肉が弛緩し、異様な程に重く感じた。

ヘクトルが手を貸し、ハングを仰向けにさせる。

 

気を失っているかと思われたハングだったが、彼にはまだ意識が残っていた。

 

だが、彼はあまりにも憔悴していた。

 

口は半開きのままうわ言のように何かを呟く。彼の眼は開いているものの、焦点は定まらない。首の据わっていない赤子のようにその頭は不安定に揺れていた。

 

「ハング!ハング!私が見えてる!?」

「おい!!しっかりしろ!!」

「ハング!聞こえているかい!!ハング!!」

 

ハングの体を揺さぶる三人。

そのたびに、首が力なき人形のようにふらふらと揺れる。

 

「ハング!ねぇ・・・ハングってば!!」

「おい!!しっかりしてくれよ!!頼むからよ!!」

「ハング!起きてくれ!!」

 

泣き出しそうなリンディス。

縋るようなヘクトル。

必死に肩を揺するエリウッド。

 

「ハング!!」

「ハングさん!!」

 

ウィルやエルク、仲間達も駆け寄ってくる。

その時、ハングの目の焦点がエリウッドへと合わせられた。

 

「ハング、気がついたか!大丈夫なのか!?」

 

ハングの肩を勢いよく掴むエリウッド。

 

「・・・エリ・・・ウッド・・・」

 

ハングは呆けたような顔でエリウッドを見つめ、そして震える右手で自分の顔の半分を覆った。

 

「ハング!僕は君が誰だろうと気にしない!ハングが僕達の軍師で、僕の友であることは変わらない!!だから自分をしっかり持つんだ!!」

 

エリウッドが声を張り上げる。

ハングはいまだ震えていた。

 

「エリウッド・・・お前が・・・」

「ああ、僕達は君の友人だ!その事実は揺らがない!!」

 

一見会話が成立しているように聞こえる。

 

そこに違和感を覚えたのはリンディスだった。

 

「ハング・・・?」

 

リンディスの口から不安そうな声が漏れた。

 

その時、ハングが身体を起こした。

彼は右手で顔の半分を覆い、左手は力なく地面に垂らしていた。

 

「ハング、大丈夫だな!?大丈夫だな!?」

 

肩を思い切り揺さぶるエリウッド。

 

次の瞬間。

 

エリウッドが吹き飛ばされた。

 

投石機に投げ飛ばされたような勢いでエリウッドが転がっていく。エリウッドは何回か地面を跳ね、遠くの地面で横たわり、そして動かなくなった。

 

「・・・・・・・え?」

 

その事実に呆気に取られたヘクトル。

その胴体にハングの全力の左腕が叩きつけられた。

 

凄まじい衝撃がヘクトルを襲った。

 

鎧が凹むほどの一撃にヘクトルの巨体が浮き上がった。

そこに更なる追撃が迫る。ハングの左腕をまともに受け、ヘクトルはエリウッドと同じように吹き飛ばされた。

 

「・・・ハング?」

 

リンディスの声が震えていた。

 

「なにを・・・しているの?ハング?」

「俺に寄るなぁぁあ!!」

 

リンディスの背に寒気が走る。その衝動に任せてリンは素早く後方に飛んだ。

そして、その直後。リンディスが立っていた場所をハングの左腕がえぐり返していた。

 

「皆離れて!!」

 

リンディスに言われるまでもなく、皆はハングの手の届かない距離にまで後退していた。そんな皆をハングが黄金色にギラつく瞳で睨みつけていた。そこには純然たる憎悪が乗っていた。

 

敵意剥き出しのハングに皆の間に混乱が広がっていく。

 

「どうすんだよ!ハングを攻撃していいのか!?」

 

ギィは既に剣の柄に手をかけている。そんなギィにウィルとエルクが武器を向けた。

 

「ギィ!!てめぇ!ハングさんに攻撃したら俺が許さねぇぞ!」

「ハングさんを殺すというなら、先に僕が相手になります!!」

 

二人が珍しく声を荒げて、武器を構える。

 

だが、そうして牽制を行っていたのは彼等だけに限らなかった。

部隊全体がハングに武器を向けようとする者とハングを守ろうとする者に割れていた。指揮系統など既に蚊帳の外となった現状で、各々が勝手にハングに対応しようと行動しようとしていた。

 

そこに一喝が轟く。

 

「ハングがネルガルの手下なもんかい!!それはあたしが保証してやるよ!!」

 

ヴァイダだった。

 

「あいつはね!!あたしがガキの頃から世話したクソガキだ!!あたしの前でそんなこと言ってみな!!!まとめて串刺しにしてやるよ」

 

ヴァイダの落雷のような一喝が皆の中に生じた迷いを一時的に消し去った。ハングに向けて武器を構えようとしていた人達の動きが止まる。

 

だが、それで状況が好転したわけではない。

 

「ハング!しっかりして!!」

 

リンディスがハングを呼ぶ。

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・ハァ!」

 

ハングは荒い呼吸を繰り返し、左腕を構え、目を憎悪に滾らせてリンディスを見ていた。

 

「お前は・・・お前が・・・お前が殺した?・・・違う!!!」

 

自分の言葉を自分で否定するハング。

 

「違う違う違う違う!!こいつらは・・・仲間だ・・・違うんだ!!」

 

ハングは自分の左腕で顔を抑え込む。彼の黒い爪が皮膚に食い込んでいた。

 

「違うんだ!仲間なんだ・・・なのに・・・なのに!なんで殺したんだ!!」

 

ハングが左手を顔から離す、その下には狂気に支配された顔が張り付いていた。

 

「なんで妹を殺した!なんで俺の家族を殺した!!なんで・・・なんでお前らが俺の村を焼いてんだよ!!!なんなんだお前らは!!」

 

ハングの脳裏には幼き頃の記憶が蘇ってきていた。

 

燃え盛る村。道端に落ちた血痕。子供の泣き声。誰かの悲鳴。煤の臭い。血の臭い。

 

そんな略奪と殺戮の限りをつくしたのは・・・

 

「なんでなんだよ!!なんでお前らが・・・お前らが・・・なんでお前らが『仇』なんだぁ!!」

 

それは植え付けられた新たな記憶。

 

目の前にいるのはハングの仲間だ。ずっと旅をしてきた友だ。艱難辛苦を乗り越えてきた戦友だ。

だが、ハングの記憶の中で彼らはハングの村に残虐の限りを尽くした連中の姿になっていた。

 

「消えろ!!消えろ!!消えろ!!こんな記憶!消えちまえ!」

 

ハングは顔を覆い、膝をつき、『消えろ』と言い続ける。

 

「消えろ消えろ消えろ・・・消えてくれ・・・こんなの消えてくれよ・・・」

 

そして、ハングは左腕に巻き付いていた布を引きちぎった。

 

「消えてくれ・・・消えちまえ・・・」

 

陽光に照らされる鱗。黒く光る爪。

その腕を晒して息を飲む人がいる。唖然とする人がいる。

知らなかった者もいる。納得した者もいる。

 

そして、ハングの腕を知る数名が戦慄を覚えた。

 

ハングは地面に左腕を突き立てた。筋肉が躍動をはじめる。

 

「てめぇらなんか・・・消えちまえぇええええ!」

 

そして、ハングが跳躍した。

向かう先は先頭にいたリンディス。

 

リンディスは鞘をつけたまま剣を腰から引き抜いた。

 

「ハング!!私がわからないの!!」

「リンディスだろ!!んなことはわかってんだよ!!」

 

ハングは左腕を力任せに叩きつける。

リンディスはその怪力を剣の鞘で受け流しつつ後退していく。

 

「んなことは・・・わかってんだ!!だから・・・だから・・・殺してぇんじゃねぇか!!」

 

ハングが左腕を振る。その威力を物語るかのように、荒々しい風が巻き起こる。

 

「くっ!!これじゃ近づけないよ!!」

「ハング殿!!落ち着いてください!!」

「俺に・・・俺に話しかけるなあぁああ!!」

 

腕を振り回すハング。その間合いに巨体が入りこんだ。

 

「ハング!!てめぇ、よくもやりやがったな!!」

 

ヘクトルが斧を片手に踏み込んでいた。

 

「ヘクトル!何する気!?」

「殺しゃしねぇよ!!」

 

腕を振り回すハングめがけてヘクトルは斧を振る。ヘクトルの狙いはその左腕だった。鱗と刃が激しい音を立ててぶつかり、ヘクトルの斧がハングの腕を止めた。

 

「ちっ!止めるだけかよ」

 

ともすれば切り落とすつもりで振った斧だったが、やはりハングの腕は生半可な攻撃では傷つかない。

ヘクトルは次の一撃が来る前に少し間合いをあける。

 

ハングの弱点はその間合いの短さだ。

 

ハングの手には折れた剣しかなく、攻撃範囲は腕の届く範囲だ。

ならば武器を持つヘクトルの方が一方的に攻撃が可能。

ヘクトルは慎重に間合いをとりつつ、ハングを冷静に見つめる。

 

「ハァ・・・ハァ・・・ハァ・・・うあぁぁぁぁぁあああ!」

 

そのヘクトルに襲いかかるハング。だが、その動きは隙だらけ。ヘクトルは丁寧にハングの攻撃をさばいていく。そして、一瞬の隙をついてその首筋に手刀を叩き込んだ。

 

「がっ!!」

「ったく・・・」

 

気を失い、崩れ落ちるハング。

その襟をつかみ、ヘクトルはハングの体を支えた。

 

「世話のやけるやつだぜ」

「ヘクトル!乱暴しないでよ!!」

「だったら手綱はきちんと握っとけ、リンディス。お前ならこれぐらいできただろ」

 

だらりとぶら下がるハングの頭上で繰り広げられる会話。

 

「できるけど・・・でも、それじゃあ・・・」

「こいつが今状況を整理できる状態かよ。とりあえず気絶でもなんでもさせて、後で頭冷やさせたらなんとかなんだろ。だって、ハングだぜ」

「・・・・もう・・・乱暴な考えね・・・」

 

それでも否定はしきれないリンディス。

 

ネルガルが記憶を操れると聞いているハングならすぐに自分の記憶が偽物だと気づいてくれるはずだ。

その程度の思考ができない人じゃないのはリンディスもよく知っている。

 

落ち着いた会話に皆も安堵の息が漏れる。

 

それが誤りだった。

 

ハングの腕が再び動き出した。強烈な動きでヘクトルの胴を薙ぎ払う。

金属と鱗の激突音が響き、再度ヘクトルが吹き飛んだ。

 

「えっ!!」

 

リンディスの下から迫るハングの拳。

身を逸らして紙一重でそれをかわしたリンディス。

その一瞬の攻防の間にリンディスはハングの腿に刃物で刺したような傷があったのを見つけた。

 

ハングは自分の身体を刺して、気を失うのを防いでいたのだ。

 

「・・・・・死ね」

「っ!!」

 

風の音をうならせるハングの拳。

リンディスは自分を見上げるハングの瞳を見て、唇を噛み締めた。

 

「ハング・・・どうして・・・そんな・・・」

「お前が・・・俺の・・・家族を・・・殺したからだ」

 

純然たる殺意を秘めたハングの一撃がリンディスの耳元を掠めた。

 

ハングが今までにこの左腕を全力で振り切ったことはほんの数回だけ。

その相手は必ずネルガル本人だった。

その攻撃が今はリンディスに向けて放たれている。

 

それが、泣きたくて仕方がなかった。

 

ハングは泣きたくて仕方がなかった。

 

「ハング・・・どうして・・・どうして・・・あなたが泣いてるのよ・・・」

「お前が・・・お前らが・・・仲間だからだろうがぁぁぁ!!!」

 

自分の憎悪に振り回され、偽りの記憶に苛まれ、それでもなお残る仲間達との思い出がハングを苦しめる。

 

「なのに・・・俺は・・・俺は・・・お前らが憎くて仕方がねぇぇんだよぉぉ!!」

 

涙も出る。胸も痛む。全身全霊が『やめろ』と叫ぶ。

なのに、身に宿る衝動は止まらない。ハングは目の前の相手を殺したくてたまらないのだ。

 

そして、ハングが呟く。

 

「リンディス・・・頼む・・・死んでくれ!!」

 

ハングが足払いを放った。腕ばかりを警戒していたリンディスの対応が遅れる。

軸足をまともに払われ、リンディスの体が草原に横たわった。

 

間髪入れず馬乗りになってくるハング。

狂気を滾らせ、怨嗟に溺れ、鋭く尖るハングの眼から涙が零れ落ちた。

 

「ハング!!やめろぉぉぉ!」

 

誰かの声がした。だが、そんなことはどうでもよかった。

 

「やめてぇぇぇええ!」

 

悲鳴が聞こえる。やはりどうでもよかった。

 

これで、長かった復讐の一端が終わるのだから。

 

そして、ハングの拳がリンディスの胸元に振り下ろされた。

 

草原に骨の砕ける音が響いた。

肉の爆ぜる音がした。

飛び散った血が赤い雨となって地面を染めていく。

 

ポタリと雫が落ちた。

 

「・・・・・・・?」

 

眼をつぶっていたリンディスは頬に落ちる水滴の感触で我に帰った。

 

リンディスは自分が生きていること。そして、ハングの動きが止まっていることに気が付いた。

リンディスは自分の頬を伝う雫に右手で触れる。

 

それは赤い色をしていた。

 

「・・・ハング?」

 

自分に馬乗りになったハング。彼は不思議な恰好で固まっていた。

振り切った左手の拳を自分の右の前腕で無理やり止めたような姿勢。

 

リンディスの視線はそのままハングの眼へと移る。

 

黄金色に燃え上がる瞳と安堵したような笑みが同居し、狂ったような目元には涙が光っていた。

 

再び自分の頬にこぼれおちてくる赤い雫。

それは、ハングの右腕からこぼれ落ちてきていた。

 

彼の右腕は半壊していた。内側の骨が爆ぜたように半分に折れ、先端が皮膚を突き破って露出していた。その折れた骨の先からリンディスに向けて血が滴り落ちていた。

 

ハングは自らの右腕で左拳を止めていた。

 

「・・・ハング・・・あなた」

「ははは・・・なんでだろうな・・・なんでお前のことが・・・こんなに・・・憎いんだろうな・・・」

 

ハングは震える左腕でリンの頬に手を伸ばす。

優しく撫でるように触れ、彼女の頬の血を拭う。

 

「なんで・・・こんなに憎くて・・・愛しくて・・・」

「いたっ!」

 

ハングの爪がリンの首筋を切り裂いた。だが、裂けたのは薄皮一枚。リンディスの白い肌に赤い筋が走る。

 

「なんで・・・俺は・・・人間じゃないんだろうな・・・」

 

ハングは体を起こして、周囲を見渡した。

そこにはまた暴れ出さないかと警戒しながらも、心配する視線を向けてくれる仲間達がいた。

 

ハングの故郷を襲い、ハングの仇である彼ら。

共に戦い、共に笑い、同じ釜の飯を食ってきた彼ら。

 

ハングにとってはそのどちらもが、自分を構成しているものだった。

 

「ハハ・・・ハハハ・・・ハハ、ハハハハ」

 

ハングは空を見上げた。

 

「もう・・・わかんねぇや・・・ハハハハハハハハ!!」

 

最後に見上げたのはいつだっただろうか。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」

 

ハングは笑う。

 

「あははははは・・・あはは・・・アはははハはハハははは」

 

ただ一人で笑い続けた。

 



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間章~抜け殻~

エリウッドは薄ぼんやりとした視界の中で目が覚めた。

 

見慣れぬ天井とベットの温もり。

自分が気を失っていたのだと把握するまでに随分と時間がかかった。

 

だが、自分がなぜ気を失っていたのかをはっきりと思い出すことができない。記憶は霞がかかったように朧気ではっきりとしない。

 

そんな中、部屋の戸が開き親友の大きな体が入ってきた。

 

「気がついたか、エリウッド」

 

鎧を脱いだヘクトルは顔に怪我を負い、腹に目立つ程の包帯が巻かれていた。

それ以外も全身傷だらけだった。

 

「ここは?」

「宿だ。お前はネルガルの『置き土産』にやられたんだ。覚えてるか?」

 

ネルガル、『置き土産』、ハング

 

エリウッドは目を見開き、身体を起こした。

 

「っつ!!」

「無理すんなエリウッド。あいつの左腕をまともに食らったんだ。お前も身体中ボロボロだぞ」

 

そう言われて始めてエリウッドは自分の身体に幾つも包帯が巻かれていることに気が付いた。確かに節々は痛むし、筋肉もやけに強張っている。

だが、エリウッドは無理して起き上がった。

 

「ハングはどうなった!?」

「・・・・・・」

 

返事は無い。沈黙の意味。

エリウッドは息を飲んだ。

 

「・・・まさか!」

「いや・・・生きては・・・いる」

 

生きてる。エリウッドはひとまず安堵した。

だが、その言い回しに引っかかりを覚えた。

 

「ハングは・・・どうなったんだい?」

「・・・俺の口で説明するより・・・見た方がはやい・・・と思う」

 

歯切れの悪い物言い。

 

普段なら決してこんな言い方をすることのないヘクトル。

ヘクトル本人もまだ整理がついていないのだ。

 

「・・・会おう」

「・・・覚悟は・・・しとけよ・・・」

「・・・ああ」

 

エリウッドは軋む身体を持ち上げて、部屋の外へと出た。

薄暗い廊下に出たヘクトルは奥へと歩き、最奥の部屋の前で足を止めた。

 

そして、一度深く呼吸をしてドアを三回叩く。

 

「・・・俺だ・・・エリウッドを連れてきた・・・入っていいか?」

「ええ、いいわよ」

 

中から返事をしたのはリンディスだった。

だが、その声は底抜けに明るい。それは、今日が誰かの誕生日であるかのような明るさだ。

エリウッドはヘクトルに問うような視線を送る。

 

リンディスがこんな声を出せるということは、もしかしたらハングは軽傷なのか?

 

そんな質問を無言で問いかけるが、ヘクトルは小さく首を横に振るだけだ。

 

エリウッドはその返答に無性にこの扉の向こうが怖くなった。

 

この部屋の中でハングが生きている。

そのはずなのに、不安が胸を叩き潰しそうだった。

 

「開けるぞ」

「・・・ああ」

 

ヘクトルはそんなエリウッドの心情を察していたが、躊躇う仕草は見せなかった。

 

どうせいつかは知らなくてはならない。

そして、どんな覚悟を決めようとどうせ無駄なのだ。

 

少なくともヘクトルはそうだった。

 

ヘクトルはドアノブを回し、部屋の戸を開けた。

 

そこは明るい部屋だった。

角部屋になっているらしく、複数方向に向けられた窓からは柔らかい日差しが入ってきていた。その日差しを常に享受できる位置にベットがあった。

 

そこにハングはいた。

 

壁に背を預け、手を力なく投げ出して、そこにいた。

 

「ハング・・・エリウッドが来てくれたわよ」

 

リンディスはそのベットの傍に座り、ハングに声をかけた。

だが、ハングから返事はない。動きもしない。

ハングは虚ろな目でどこか遠くを見つめていた。

 

その瞳には生気の欠片もなく、その顔には生きている人の温もりすら残されていなかった。無造作に投げ出された腕は動くことはない。外からの声に耳を傾けることもない。

 

心臓は動いている。呼吸もしている。

 

彼は生きてる。

 

エリウッドは無言の下で奥歯をかみしめた。

 

ハングは生きている。

 

なのに、ハングは死んでいた。

 

「心を閉ざしておる・・・」

 

突然声が聞こえ、エリウッドが振り返る。部屋の隅にアトスがいた。

顔に刻まれた皺が一層深まったように見えるのは、錯覚ではないだろう。

 

「心を・・・閉ざしている?」

「うむ・・・」

 

疲れたような溜息をアトスがこぼした。

 

「あのままでは・・・ハングは・・・壊れておった・・・・・・」

 

エリウッドはあの場でハングが何をしたのかを知らない。だが、脇腹に強烈な衝撃が走ったことと、黄金色に燃えたハングの瞳だけを覚えていた。

 

それだけで、だいたいの結末は想像できる。

 

「ハングは自分の心が壊れるのを防ぐために・・・心を閉ざしたのじゃ・・・何も考えず、何も思い出さず、何も感じず・・・そうして己が堕ちるを防いだ・・・闇に堕ちるのをな」

 

エリウッドの後ろでヘクトルが溜息をついた。

リンディスは落ち着いた表情のままハングの手を握り、こちらを振り返りはしなかった。

 

「ハングは・・・何をされたのでしょうか?」

「言動から察するに・・・おそらく・・・過去の・・・自分の両親や村の人達を・・・お主らに殺されたとでも・・・思わされたのじゃろう」

 

ネルガルに向けていた憎悪が全てこちらに向いたのだ。

過去と今の板挟み。憎悪と信愛に狂わされたハング。

心を閉ざすのも無理のないことのように思えた。

 

「アトス様は・・・」

 

エリウッドは口に出そうと思ったが、その言葉は喉元で止まってしまう。

その言葉をアトスは拾い上げる。

 

「わしは・・・知っておった・・・」

 

エリウッドが息を飲む。

 

「ハングがわしの前に現れた時・・・この者には・・・人が本来持つ『血』を持っておらなんだ」

「『血』ですか?」

「正確には少し違うが、この言い方が適切じゃとわしは思っておる」

 

アトスはもう一度溜息をついた。

 

「この者に・・・親はおらん・・・産まれも存在せん・・・あるのはただ・・・歪な肉体と闇より産まれし自我のみじゃ・・・命と称してよいのかどうかも・・・わからん」

 

エリウッドの目が強く見開かれた。

咄嗟に何か言い返そうとしたエリウッド。

 

だが、何かを言う前にエリウッドの肩に手が置かれた。

 

ヘクトルの手だった。

 

振り返ると、苦々しげに眼を背けるヘクトルがいた。

 

止めたくはなかったけど、止めなきゃならない。

 

そんな気持ちが彼の手から伝わってくる。

 

その時、エリウッドは悟った。

こんな会話はもう終えた後なのだ。

 

きっと、色々と怒鳴って、喚いて、泣いた後なのだ。もう、納得した後なのだ。

 

エリウッドはその場にいれなかったことが、今の自分が何の力にもなれないことが、言い返すだけの言葉を持ち合わせていないことが、何よりも悔しかった。

 

そして、視線はリンディスへと向く。

 

彼女はハングの口から零れた涎を拭っているところだった。甲斐甲斐しく世話をするリンディス。その静かな笑みが泣き顔よりも心に刺さった。

 

「じゃが・・・願わくば・・・このまま何も知らずに・・・いてくれればと思っておったのだがの・・・」

 

エリウッドの憤りが胸の中を焦がす。

固めた握りこぶしが行き場を失う。

歯から血が滲むほどに悔しさを噛みしめた。

 

事実がなんだ。真実がなんだ。現実がなんなんだ。

 

ハングはここにいて、自分達は彼と共にいた。

それを否定することなど、誰にもできはしないはずじゃないか。

 

「・・・・くそっ!!」

 

後ろでヘクトルが悪態をつく。

 

視界の隅でリンディスの頬を光の筋が伝った

 

エリウッドは何かを言いかけた口を閉じて、息を飲み、大きく深呼吸をする。

 

そして、思ったことはただ一つ。

 

『こんな時、ハングならどうする?』

 

答えは簡単だった。

エリウッドの脳裏に不敵に微笑むハングの顔が浮かんできていた。

 

「アトス様・・・ネルガルを倒すには・・・どうすればいいんですか?」

 

ヘクトルが後ろで息を飲む音が聞こえた。

リンディスが思わず振り返った。

 

「・・・ニニアンがさらわれました。彼女を助けるには、力が足りません」

 

『思考を凝り固まらせて身体まで強張らせるのはお前の悪い癖だぞ。たまには身体から先に動かしてみろっての』

 

嘆くのも、思い悩むのも今は後だ。

膝をつくのも、蹲ってしまうことも今はできない。

 

『ハング・・・君がそう言ったんだ。だから僕は・・・動き続ける』

 

「僕は神将器を手にします」

 

そう言い切ったエリウッドにアトスは驚いたように目を見開き、そして懐かしむような顔になった。

 

「おぬしは・・・随分と・・・強くなったな」

 

アトスにそう言われ、エリウッドは笑顔を見せた。

それは、ハングが戦いの前によく見せていた不敵な笑み。

 

こんな戦い楽勝だと言わんばかりに、皆を鼓舞していたハングの笑顔。

 

それを見て、ヘクトルがハッとしたような顔をした。

リンディスが泣きながらクスリと笑った。

 

ハングの不敵な顔は優男風のエリウッドには随分と似合わぬものだった。




はい。いかがだったでしょうか。

あちこちに張っていた伏線をようやく回収しました。
ここまで来るのに本当に長かったですよ・・・

ひとまず、ブーストはここで終わりです。
次回の投稿は反動で少し空けさせてもらいますのでご容赦ください。


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第30章~狂戦士テュルバン(前編)~

神将器全てを回収してくるには時間が足りない。

なぜなら、神将器はただ持って来ればよいというものではないからだ。

神将器が安置されている場所には守護兵の魂が死してなお、主人の魂を護らんと待ち構えているという。

 

アトスの談により、エリウッドとヘクトルは【烈火の剣】デュランダルと【天雷の斧】アルマーズの二本に狙いを絞ることにした。

 

「人数は少ない方がよい。守護霊を刺激せんようにな」

 

エリウッドとヘクトルは自分の信頼する何名かを選出することを決めた。

 

そんな二人にリンディスは自ら名乗りを上げた。

だが、エリウッドとヘクトルはそれに首を縦に振りはしなかった。

 

「リンディス。君はここに残ってくれ」

「ちょ、ちょっと待って!私も・・・」

 

既に剣を腰に履き、出立する気満々であったリンディス。

その前にヘクトルが立ちふさがる。

 

「今のハングを放っておく気かよ」

「駄目よ!ハングならこんな時こそ気丈に行動しようとするわ!なら、私も・・・」

「駄目だ!」

「どうして!?」

 

エリウッドとヘクトルは顔を見合わせた。

無言のやりとりを終え、エリウッドがリンディスの説得にかかる。

 

「リンディスが傍にいる方が、ハングが嬉しいと思ってね」

「・・・嘘が下手よ。エリウッド」

 

ヘクトルはこっそりとエリウッドの足を踏みつけた。

普段の狸っぷりはどこに行ったのか。

 

ハングが心を壊しかけた理由は捏造された記憶によるものだ。ハングは俺達に憎悪を抱くようになっているというのだから、近くに仲間がいるという状況が好影響を与えるとは言い切れない。

 

だから、リンディスをハングの傍に残したい理由は別にある。

そのことはリンディスもわかっていたようだった。

 

「私が・・・ハングの監視をすればいいのね?」

「話が早くて助かるぜ・・・あんま、言わせたくなかったんだけどな」

 

もしハングが意識を取り戻した時、再び暴れ出さないとも限らない。その時、ハングと稽古を続けていた経験の長いリンディスが傍にいる方が御しやすいだろう。

 

ヘクトルが隣の友人を睨む。

エリウッドは疲れたような笑顔を返すにとどまった。

 

平気そうな顔をしていても、ハングがこうなってしまった現状は確実にエリウッドの心身を疲弊させていた。

 

「まぁ、それは本音だし建前だ。本当のこと言うと、君はハングの傍にいてやるべきだと思う。彼がギリギリのところで踏みとどまれたのはリンディスのおかげだと思うし」

「そう・・・ね・・・わかったわ、二人共」

 

リンディスはそう言って唇だけで微笑む。

 

ちゃんと笑うには今の状況は辛すぎる。

それはエリウッドとヘクトルも一緒だ。

お互いそれがわかったうえで、彼らは笑っている。

 

せめて、ハングが戻ってきたときに呆れられないように。

 

『お前らな・・・ちょっとそこに正座しろ!!』

 

怒られるのは勘弁だ。

 

エリウッドとヘクトルは最後にもう一度ハングのベットの隣に立った。ハングは今も虚空を見つめたままで、動く気配はなかった。ただの人形のようになってしまったハング。

 

だが、ここにいる皆は知っている。

 

彼と過ごしてきた時間は決して偽物なんかではないということを。

今は無理でも、もう一度あの不敵な笑みで僕らを導いてくれることを。

弾けたような笑みで一緒に喜びあえることを。

 

彼等は信じている。

 

「ハング、行ってくる」

「お前はそこでしっかり心を休めてろ」

 

返事は無い。

 

それでも、エリウッドとヘクトルの顔に悲壮感はない。

それは必ず彼が帰ってきてくれることを信じているからだ。

 

そして、エリウッドとヘクトルはアトスに向き直る。

 

「アトス様、出発はいつになりますか?」

「俺達はいつでもいいぜ!」

「うむ、一刻後に移動する。準備を」

「はい!」

「おう!」

 

勢いよく返事をしてドアから出ていく二人。

その背中を見送り、リンディスは小さく手を振った。

 

「行ってらっしゃい」

 

エリウッド達の姿が扉から消え、アトスも何かの準備をするために部屋を出ていった。

静かになった部屋でリンディスは振っていた手を握りしめた。

 

リンディスはハングを振り返る。

 

彼は呆けたように口を開け、うすぼんやりとした目は彷徨わせたまま。まるで抜け殻のようにだった。普段の彼をよく知っている分、その違いにリンディスの胸は痛くなる一方だ。

 

リンディスはベットに腰かけ、彼の頬に手をあてた。

 

「ハング・・・あなたが・・・人形なんてね・・・」

 

息もする。体温もある。粥を口にいれれば条件反射のように飲み込み、出すものも出す。

 

リンディスは動かぬ彼の体に頬を寄せた。

 

「生きてるよね・・・あなたは・・・生きてるよね・・・」

 

伝わってくる鼓動が確かにリンディスの身体を揺らしていた。

 

その時、外から大きな足音が聞こえてきて、リンディスは慌ててハングの身体から身を離した。

次の瞬間、ドアが盛大な音と共に開かれ、ウィル、エルク、セーラの三人がなだれ込んできた。

ハングが倒れてからというものの、この三人は毎日のように見舞いに来てくれていた。

 

「おうっす!!ハング!今日も来たぞ!!」

 

ウィルは明るい声でそう言って、片手をあげた。

その後ろではセーラがトランプ片手にエルクに何か文句を言っており、エルクは相変わらず頭痛を堪えるような顔をしていた。

 

リンディスは入ってきた面々に今できる最高の笑顔を見せた。

 

「みんな、いつもありがとうね」

 

リンディスがそう言うと、ウィルが照れ臭そうに鼻の下をこすった。

 

「当たり前ですよ。ハングとは友達なんですから」

 

その言葉にエルクも頷いて同意する。

 

「そうですよ。とはいっても、僕らは会いに来るぐらいしかできないですけど」

「何言ってんのよ!」

 

エルクの肩を素早くセーラがひっぱたいた。

 

「いたっ!セーラ・・・君ね・・・」

「エルクが後ろ向きな考え方してるからでしょ!まったく、根暗な考え方がハングにまで移ったらどうすんのよ!」

「移るわけないだろ。だいたい君は・・・」

 

いつものように喧嘩する二人を横目にウィルはせっせとお茶会のセッティングをすませてしまう。

いつもの光景であった。

 

時にはヒースやプリシラ、カナスやドルカスも来てくれる。

人の暖かさというのはいつの日も偉大だと感じる日々だった。

 

リンディスはハングの横たわるベッドを振り返る。

 

『ハング・・・はやく・・・戻ってきてね・・・』

 

リンディスは胸の内でそっと呟いた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ヘクトルはアトスの転移魔法に連れられて、西方三島と呼ばれる土地に降り立った。

リキアより北西の方角に成り立つ群島、西方三島。

現在はエトルリア王国の保護下にあるものの、航路も港も使わずにここまで来たので誰に許可を得る必要もないのが救いと言えた。

 

もし、エトルリアに話を通していたら数か月は身動きが取れなくなっていたことだろう。

 

そして、アトスに連れてこられたのは途方もなく大きな洞窟であった。

 

「おいおい、真っ暗じゃねーか妙な煙がふき出てやがるし・・・」

「え?これぐらい普通に見えません?若様」

 

ヘクトルの後ろからマシューがひょっこりと顔を出した。

 

「お前と一緒にすんじゃねぇよ。俺は一般そこらの視力しかねぇんだぞ」

「本は読まないから視力の落としようがありませんもんね」

「・・・てめぇな」

 

ケラケラと笑うマシュー。

その隣ではフロリーナがくすくすと笑いを見せていた。

 

「おめぇも笑ってんなよ!!」

「ふぇ!・・・・ごごご、ごめんなさい」

「若様!女性に八つ当たりなんて見損ないましたよ!」

「うるせぇ!お前らはもう少し緊張感を持ちやがれ!!」

 

ヘクトルが神将器のために連れてきたのはこの二人だった。

なぜかというと、真っ先に目についた二人が彼等だったというだけだ。

だが、今更ながらもう少し考えて人選すべきだったかと後悔しているヘクトルだった。

 

「ったく・・・マシュー、今日は随分口数が多いじゃねぇか」

「ハングさんがいないんですから、若様に注意を促すのがまた俺の役目に戻ったってだけですよ」

「は?」

 

そう言われ、ヘクトルはこの旅に出る前のことを思い出す。

そういえば、ハングと出会う前はマシューがヘクトルの静止役であった。

 

あれからそれ程時間が経ったわけでもないのに、随分と昔のことのように感じる。

 

「ああ、そうだったな」

「でしょ。ってなわけで、ハングさんがしゃんとするまで、俺がまた女房役をやらせていただきますよ」

 

マシューはそう言って不敵に笑ってみせる。

ハングと違って何か企んでそうな笑顔にも見えてしまうのはやはり本人の個性の問題だろう。

 

「ま、マシューさんが・・・にょ、女房役・・・ですか?」

「フロリーナさん・・・今どんな想像しました?」

「い、いえ。特には・・・」

 

などと言いつつ、フロリーナはなんだか真剣に思い悩むように顔をしかめさせた。

そんな彼女にヘクトルが声をかける。

 

「なぁ、おめえ」

「ひゃ、ひゃい!!なな、なんでしょう」

 

過敏な反応にヘクトルは頭をかく。

 

実はこれでも随分とましは反応になったものなのだ。

以前なら黙って震えられ、その挙句に逃げられるか緊張しすぎて気を失ったりされていた。対話が成り立つようになっただけ、かなりの進歩なのだ。

 

なんでこいつ連れてきちまったんだろうな・・・

 

ヘクトルはそう思いながら、無理やり気丈な顔をしてみせるフロリーナを見下ろした。

 

「ここまで来てもらってなんだが、お前はリンディスの傍にいなくてよかったのか?」

「・・・・・あ・・・はい」

 

返事をしたフロリーナの顔には真剣な光が宿っていた。

それは、彼女が戦場で時折見せる覚悟を決めた時の目だった。

 

「リンは・・・今・・・頑張ってます」

 

ハングが壊れた。

 

家族を度重ねて亡くしてきたリンディスにとって今回の出来事は生半可なことではなかっただろう。

彼女の祖父であるハウゼンとて、もう長くはないことはリンディスはわかっている。

 

ここでハングを失えば、彼女はまた独りになってしまう。

その不安を押し殺して、リンディスは今ハングの傍にいる。

 

フロリーナにはハングにもリンディスにも何もしてやることができない。

だが、竜の復活という世界の危機に立ち向かうことはできる。

 

「だから・・・せめて・・・リンの不安を取り除くために・・・・何か・・・したいんです」

「・・・・そうか」

 

ヘクトルは納得したようにそう言った。

 

だが、内心では彼女に苦笑していた。

 

この目の前のちっこい見習い天馬騎士はただ友の為に、世界を救いたいと言っているのだ。

ヘクトルはそれを笑いはしない。友の手助けをしたい一心でこの渦中へと飛び込んできたヘクトルも人のことは言えないのだ。

 

ただ、フロリーナに対する評価は少し改めることとしたのだった。

 

ヘクトルは頭二つ分程低い位置にあるフロリーナの頭を軽くたたいた。

 

「おめぇは、いつもそれぐらい言えりゃいいのにな」

「え?」

「おめぇ、俺になんか言いたいことがあるんじゃないのか?」

 

そう言った途端、ヘクトルの手の下の顔が急激に朱色へと変貌をとげた。

 

「あ、あ・・・・・・・あの・・・・・・えと・・・・・・」

 

途端に『いつものフロリーナ』に戻ってしまった彼女にヘクトルは「またか」と言って、苦笑いを浮かべた。

 

俺もいい加減こいつのこんな態度も慣れてきたな。

 

そんなことをヘクトルは思ったのだった。

 

「それで、アトスの爺さんはいつ帰ってくるんだ?」

 

その言葉を待っていたかのように、アトスが転移魔法でこの場に出現した。

アトスはヘクトルをここに送った後、エリウッドをオスティア郊外の山中にある洞窟に送り、再びここに戻って来たのだった。

 

「待たせたの」

「じいさん、それで、ここに本当に神将器があるのか?」

「うむ。狂戦士と異名をとったテュルバンの【神将器】アルマーズはここにある」

 

確かに何かを隠すにはうってつけのようにも思える洞窟だ。

並みの精神の持ち主なら生理的に入ることを拒む要素がてんこもりだ。

 

だが、ヘクトルにとっては今はそんなこと関係ない。

 

自分の親友の想い人がさらわれた。

ハングがひでぇ目にあわされた。

竜の出現で世界が危ない。

 

これだけ重なればここに足を踏み入れることをことを躊躇う理由はなかった。

 

「並の男では、持ち上げることすらかなわぬ巨大な戦斧だが・・・ふむ、お前ならばあるいは・・・」

「じゃ、行くか。とっとと取ってくるぜ!」

 

軽く言ってのけるヘクトルには全方向から止めの声が入った。

 

「こら!そう急ぐな」

「若様の猪突馬鹿」

「あ、危ないですよ」

 

マシューがあからさまな暴言を吐いていたが、ヘクトルが何かを言う前にアトスが言葉を続けた。

 

「ここはかつて我らとともに戦った守護兵の魂が死してなお神将器を守らん、その使命を果たさんと待ち構えておるのだ」

「・・・だから、そいつらをぶっとばして斧とってくんだろ?」

「ことはそう簡単にはいかぬ」

「若様の暴力馬鹿」

「ほ、本当にそれでいいんでしょうか」

 

やはりマシューがここぞとばかりに暴言を混ぜているのだが、ヘクトルはもう諦めることにした。

 

「心しておけ、ヘクトル。『おまえ』が力を示すことに意義があるということを・・・」

「わかってるよ。なにがあっても俺は退かねぇ!とっとと始めようぜ!」

 

ヘクトルは横の二人に目で「行くぞ」と言い、アトスに背を向けて洞窟に踏み込んでいった。

 

アトスは洞窟の奥へ消えていくヘクトルを見ながら、眉間に皺を寄せていた。

 

「ふむ・・・豪胆な男よ。それがお前の強さであり。また・・・弱さでもある。いずれその蛮勇はお前自身を滅ぼすかもしれぬぞ・・・」

 

アトスがこぼした独り言。

 

それははかつて共に戦った仲間にも言った言葉だった。

 

『上等だ・・・俺は戦うことでしか己を見つけられん。蛮勇の末に死ねるのなら・・・床で死ぬより遥かにましだ』

『お主も物好きよの。もう少し他のものに目を向けてみれば世界は広がるというのに』

『・・・・考えておく』

 

アトスはそんな昔の会話を思い出しつつ、ヘクトルの背を見送ったのだった。



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第30章~狂戦士テュルバン(後編)~

吹き出す熱風、蒸せる毒霧

洞窟の中はまさに地獄絵図と言えた。

 

「ヘクトル様!そそ、そ、そこはだめです!」

「おっと、助かったぜ」

 

そこで活躍を見せていたのはヘクトル達の中で最も風に敏感な存在であるペガサスのヒューイだった。

ヘクトルも最初は自身である程度警戒して進んでいたが、ヒューイの方が何倍も正確にこの場の危機を察することができた。

 

ヘクトルはすぐに場の安全に関する判断をフロリーナに任せ、自分は通路の前に立ちふさがる敵兵を切り倒すことに全力を注ぐことにした。

 

「・・・ったく、これじゃあもうバカ羽馬なんて呼べねぇな」

 

ヘクトルはそうぼやく。

先程、ヒューイにマントを引っ張られて噴火口に足を踏み入れそうになったところを助けられていた。

 

「ヘ、ヘクトル様!右側の穴は注意してください!」

 

フロリーナはヒューイの僅かな動作と周囲の環境を見渡して、的確な指示を送ってくれる。

若干どもるのは変わらないが、いつもの気弱な態度はどこにいったのかというぐらいにはっきりとした声量であった。

 

そのおかげでヘクトルは目の前の敵に集中することができる。

 

「おらぁぁあ!!」

 

両手で剣を構えたヘクトル。

洞窟内という狭い空間の中では突きを主体とした剣技が最も使いやすい。

 

その前に立ちふさがっていたのは、見た目は人間と然程変わらない姿の守護霊だった。

ヘクトルはその鎧の隙間を縫うように剣を突出した。

肉を裂いた感触は確かに手に残るというのに、倒したという感覚が妙に希薄だった。

 

人体の急所を貫かれた守護霊は呻き声一つあげることなく、鎧だけを残して消え去ってしまう。

そして、彼らが身に纏う鎧は地に散らばった途端に何百年もの間放置されていたかのように、酷い腐食を受けた物に変わり果ててバラバラになってしまうのだ。

 

この洞窟の中では常識がまるで通じない。

ハングが一緒に来ていたら、喜々として調べ周りそうだ。

 

『なあ・・・この守護霊って一人連れて帰れねぇかな?』

 

ハングはきっとそんなことを言いだすだろう。

言ってることは呑気極まりないが、表情だけは割と本気なので、冗談なのかどうか判別しかねるのだ。

 

「・・・・くそっ!」

 

ハングのことを思い出し、ヘクトルは自然と剣を強く握りしめた。

ヘクトルは力任せに目の前の敵の兜を叩き割った。

 

筋肉に任せて振り下ろした剣が兜にめり込み、抜けなくなる。

ヘクトルはその剣を放棄し、守護霊を殴り飛ばした。

 

後ろにひっくり返った守護霊肉体は消え去り、残された鎧は腐食していき、粉々となって地面に散らばる。

ヘクトルは破片の中から自分の剣を拾い上げ、素早く別の敵に向けて投擲した。

 

手元から離れた剣は守護霊の喉元を直撃した。

その守護霊は数歩あとずさり、崩れ落ちる。そのおかげで後方に控えていた守護霊は前に出れない。

ヘクトルはその足が止まった守護霊に向けて一気に間合を詰めた。

 

斧を取り出し、腰を落として守護霊の足を払う。片足が飛んでいき、守護霊が膝をつく。ヘクトルはその回転力を殺さずに裏拳を叩き込み、身体をその場で一回転させる。

そして、遠心力を乗せた斧を横殴りに叩きつけた。

 

激しい金属音が響く。

 

斧は守護霊の盾を粉砕し、その勢いのまま胴体を両断した。

 

「はぁ・・・はぁ・・・」

 

ヘクトルの息が上がっていた。息をつくことなく3体の守護霊を相手取ったのだ。

無駄な連戦がヘクトルの体力を削っていく。

 

そこにまたわらわらと守護霊が集まってきていた。

まるで、暴れるヘクトルへと引き寄せられているようだった。

 

なるほどな・・・『刺激する』ってのはこういうことかよ。

 

息が上がった体に鞭をうち、ヘクトルは武器を構えた。

 

その前をペガサスの白い身体が塞いだ。

 

「てめぇ!なにしてる!下がってろ!!」

「だ、だめです!ここは、私が戦います!!」

 

襲い掛かる守護霊の攻撃を槍でいなしながら、フロリーナはその場でヘクトルを守る姿勢を見せた。

 

「くそっ!!」

 

ヘクトルはペガサスの大きな体に阻まれて前に出ることはできない。

 

苛立つヘクトルには目もくれず、フロリーナは的確な槍裁きで守護霊を退けていた。

 

だが、フロリーナは牽制を加えるだけだ。下がる敵に深追いもしなければ、無茶な攻めも見せない。

ほとんど防御に徹しつつ、フロリーナは狭い道をふさいでいた。

 

「ああっ!もうそこをどけ!!」

 

ヘクトルが叫ぶも、やはりフロリーナは耳を貸すことはない。

ヘクトルは奥歯を噛み締め、仕方なく傷を負った箇所の止血を優先することにした。正確には今はそれしかすることがなかったのだ。

 

そんなヘクトルの後ろからマシューが現れた。

 

「いや~フロリーナさんもやる時はやりますね」

「・・・マシュー今までどこにいた」

「いえ、ちょっと偵察に。しかし、さっすが【神将】と言われた人達のねぐら。なかなかおいしい拾い物がありましたよ」

 

ほくほくとした笑顔でそう言ったマシューの背中には子供の一人でも入りそうな程の袋が抱えられていた。

 

ヘクトルは本当に頭痛がしてきた。

 

【神将器】が手に入るか入らないかという状況だというのに、なんだこの状況は?

 

本当に人選を間違えたんじゃないかと思うヘクトル。

 

「ですが、おかげでこの洞窟の地理は頭に入りましたよ」

 

ヘクトルが顔をあげた。

 

「この洞窟は随分と入り組んでますから調べみたんですよ。おかげであらかたこの洞窟の内部は把握できました。本当はあらかじめヘクトル様が指示出してくれなきゃいけないんですよ。まぁ、こういうのはいつもハングさんがやってましたからね」

 

マシューの顔を見ると、まるで鬼の首でもとったかのような顔をしていた。

 

「この洞窟で力を示さなきゃならないのは若様です。だから俺達のこともしっかり使ってください。俺達は若様の手であり足であり頭なんすから」

「それだと俺の要素が全くねぇじゃねぇか」

「若様は心ですよ」

「・・・良いこと言ったみたいにまとめやがって」

 

ヘクトルは深く息を吐き出した。

 

「そんで、どうします?迂回路見つけましたけど」

「はっ!俺の力を示すなら正面突破しかねぇだろ!!」

「・・・言うと思ってましたよ」

 

ヘクトルが再び斧と剣を手に取った。

 

その時、短い悲鳴が耳に届いた。

 

「きゃっ!」

 

槍を振り回しつつも後退してくるフロリーナ。

彼女の大腿から血が流れ落ちていた。

 

「このっ!!無茶しやがって!!あとでリンディスにどやされるのは俺なんだぞ!」

 

ヘクトルはそう言ってフロリーナと入れ違いに前に出る。

 

「マシュー!!」

「ほいきました!」

 

既に援護の準備は万端。

マシューに脇を固めてもらい、ヘクトルは一直線に目の前の敵を粉砕した。

 

「おいっ!!おめぇはもう下がってろ」

「・・・・あ、はい・・・」

「噴火口とか毒霧とかを見落とすんじゃねぇぞ!任せるからな!!」

「は、はい!」

 

力強い返事を受け、ヘクトルは両手に武器を構えた。

 

今のヘクトルは気負うでも苛立つでもなかった。

そして、高揚してるわけでも、消沈してるわけでもない

 

今はただ、目の前の敵を叩き潰すことに全神経を注ぐ。

 

純然たる戦闘意欲に身を染めて、ヘクトルは前に出た。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ここが・・・玉座か・・・」

 

洞窟の中に急に空間が広がったと思ったら、そこには巨大な神殿が居座っていた。

ベルンにあった【封印の神殿】よりは小柄ながらも、迫りくる威圧感は上回るように思う。

 

「ヘクトル様・・・後ろは私達が御守りします!」

「えっ!俺もやるんですか!?って、睨まないでくださいよフロリーナさん。普段の男性恐怖症はどこにったんですか!?」

 

そんなやり取りを聞きながらもヘクトルは迷いなく階段を駆けあがった。

後方の心配など最初からしていない。

 

神殿の上。そこには荘厳な玉座が据えられていた。

そして、その玉座の前に一人の守護霊がいた。

 

その守護霊は脇の斧に手をかけたまま悠然と佇んでいた。その存在感は驚く程希薄で、色をなくした人形のようだった。

 

だが、これがただの人形ってことはありえない。

 

なぜなら、この守護霊から放たれる圧力が生半可ではなかったのだ。

 

「・・・・・・さすがにそう簡単にはいかねぇか・・・」

 

ヘクトルはそこから一歩たりとも足を前に出せずにいた。

獣の勘と戦いの経験が全力で警鐘を鳴らしていた。

ここから一歩でも踏み出せば、一撃必殺の間合いに足を入れることになる。

 

一人の守護霊から放たれる闘気がヘクトルの足を縫いとめたかのように止めていた。

 

「・・・ん?そういや・・・」

 

今更ながら、彼らを『一人』と言っていいのかどうかヘクトルは少し悩んだ。

そんな戦場に似つかわしくない疑問にヘクトルは素早く結論を出す。

 

「戦えるなら・・・一人でいいだろう」

 

そんなヘクトルの独白が聞こえたからというわけではないのだろうが、目の前の守護霊が動き出した。

 

ゆっくりと斧を手に持ち、構えをとる守護霊。

緩慢とも思えるその動きだが、決して隙はない。

 

「ワレハ、カイム。チカラヲモトムルモノ・・・ナンジガ・・・チカラワガマエニシメセ・・・」

「へっ・・・俺はヘクトル!手加減はしねぇぜ!!」

 

そしてヘクトルは左手に持っていた剣を捨てた。

相手が一撃必殺を狙う戦士なら剣で受け流すのは不可能だ。

やるならば、こちらも斧による全力の一撃で迎え撃つしかない。

 

それに、『力を示せ』と言われたのだ。

 

ならば全力を持って応えるまで。

 

「これが俺の全力の『力』だ!」

 

ヘクトルは斧を構え、足を踏み出した。

 

二人の間合いが詰まる。それはカイムにとっても、ヘクトルにとっても一撃必殺の距離。張り詰めた空気が周囲を取り囲んだ。

 

付近で噴火口が火柱をあげる。

硫黄の吹き出る音がする。

 

だが、二人は微動だにしない。

 

人っ子一人、虫一匹入り込めないであろう世界。

触れれば切れそうな程に漲った緊張感。

 

決着は一瞬だった。

 

カイムが前に出た。ヘクトルも飛び出す。

お互いの斧が振り下ろされ、交差し、激突した。

 

金属が割れるような甲高い音がした。

 

宙に斧の刃先が飛び、重力に従って落ちてくる。

そして、近くの柱に斧が突き刺さった。

 

それはカイムの斧だった。

 

カイムは色をなくした顔のまま、目の前のヘクトルが再び斧を振り上げたのを黙って見ていた。

 

「これで・・・しまいだぁぁぁぁ!」

 

最速の斧がカイムの体に振り下ろされた。

 

「スサマジキ・・・チカラ・・・マサニ・・・アノ・・・オカタノ・・・」

 

崩れゆくカイム。

それを見ながら、ヘクトルは斧を地面に突き立てて、それに寄りかかる。

 

「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

ヘクトルの顔には玉の汗が浮かび、呼吸も荒い。

放った攻撃はたった二振りだけだったというのに、ヘクトルは酷く消耗していた。

それだけの集中力と体力を持って行かれた一戦だったのだ。

 

「ったく・・・」

 

それでも、ヘクトルが疲れを表に出していたのはほんの一分にも満たなかった。

なにせ、神殿の下ではまだフロリーナ達が戦っているはずなのだ。

 

休んでいる暇はなかった。

 

ヘクトルは重い体を引きずり、玉座の前に立った。

 

「よし!ここが玉座だな」

 

だが、あたりを見渡しても武器らしきものはどこにもない。

封印の神殿の時のように地下にでもおりるのだろうか。

 

それなら自分一人では無理だ。

 

ヘクトルはどうせ遠視で見ているであろうアトスに向けて声をあげようとした。

 

その時だった・

 

「・・・せろ・・・」

「何っ!?」

 

突如聞こえた声。

ヘクトルは再び斧を構えた。

 

だが、新たな敵影はない。

それでもヘクトルの頭に響くように声がし続ける。

 

「・・・戦わせろ・・・我を・・・戦わせろ・・・」

「な、なんだてめーは!?」

 

その声は玉座から発せられていた。

正確には玉座にいつの間にか座っていた一人の男から発せられていた。

 

何もんだ?

 

ヘクトルがそれを問う前に、男は名を名乗った。

 

「我が名はテュルバン・・・我が名はアルマーズ・・・」

「何だと・・・?」

 

一瞬、アトスやブラミモンドのように生きた伝説なのかとも思ったが、そうではないらしい。

この男からは確かに闘う意志のようなものは感じるが、生きているという心地を感じなかった。

 

「我は、力。この比類なき力こそ、我。我は、竜を狩るもの。肉を裂き、骨を砕き生命を断つもの」

「・・・・・・」

 

滔々と語るこの男。彼はテュルバン本人のようで、そうではない何かだ。

ヘクトルにわかるのはそれだけだった。

 

「我は、封印を望まぬ。平和という名の無為を望まぬ。使われぬ力は屍も同じ・・・誰でもいい・・・我に、戦いを与えよ」

「あぶねー奴だなこいつ・・・おい、テュルバン・・・いや、アルマーズか。どっちでもいい俺に力を貸せ」

「我を求めるか?ならば、心せよひとたび我が力手にすれば・・・安らかな床で生涯を終えることはかなわぬ。お前の死に場所は、戦場。血と鋼に満ちた狂乱の園となる」

 

脅しか、それとも忠告か

ヘクトルにとってはそれこそどっちでも良い話だった。

 

「・・・かまわねえ。俺は親友を助ける。そのためにここまで来たんだ」

 

エリウッドを

リンディスを

ハングを

 

彼らを助ける為にここにきた。力を得る為にここにきた。

 

「アルマーズ!お前の力、俺に貸せ」

 

それは自分の死に様などより、千倍も万倍も大事なことだった。

 

「・・・承知」

 

その言葉と共に戦いを求めていた幻影は消え去り、玉座に一振りの斧が残った。

 

【天雷の斧】アルマーズ

 

並みの斧とは桁が違う巨大さだったが、ヘクトルは尻込みすることなくそれを手にした。

 

肩に担ぐと確かな重みが足腰に響くが扱えない程ではない。

 

「これぐらいの破壊力が欲しかったとこだ」

 

ヘクトルはにやりと笑い、玉座に背を向けた。

階下では既に守護霊は消え失せていたようで、顔を見せたヘクトルにマシューとフロリーナが手を振っていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「だ~か~ら~さっさと傷見せろっつってんだよ!!」

「い、いい、いいです!自分でできます!!」

「そういうことじゃねぇんだ!さっさと手当させろっての!」

 

そんな会話が全てが終わった神殿の下でなされていた。

 

フロリーナの怪我の手当てに関してのことなのだが、フロリーナは手持ちの傷薬を切らしており、そのまま帰るつもりだった。

正確には切らしていたのではなく、少しでも身軽にするためにわざと持ってこなかったのだが、それはヘクトルにとってあまり関係はなかった。

 

問題なのは彼女が傷を作ったまま帰るということなのだ。

 

フロリーナに傷をつけたと知った時に阿修羅のごとく怒り狂う女性がいることをヘクトルは嫌というほど知っていた。

もしここで彼女の手当をせずに戻ったりなどしてしまった日にはもう一度全体力を使い果たす一騎討ちをやる羽目になる。

 

ヘクトルも必死になるというものだ。

 

今のリンディスにそこまでやる程の気力があるかどうかはわからないが、警戒しすぎて困ることはない。

 

強いてもう一つ理由をあげるなら、フロリーナの傷はヘクトルが見ていても痛々しかったのだ。

守護霊によって作られた傷はフロリーナの太ももを大きく切り裂き、足先まで血を滴らせている。

彼女の血でペガサスの白い毛並みが赤く染まるので余計に彼女の傷が目立ってしまう。

 

「とにかく、馬から降りろってんだ!!いてぇんじゃねぇのか!」

「い、痛いですけど・・・」

「変な強情張りやがって・・・オラ!!」

「キャッ!」

 

これ以上押し問答はできないと踏んだヘクトルは強硬策へと出た。

フロリーナを馬から担ぎ上げた。

 

「わっ!わっ!へ、ヘクトル様!」

「暴れんな。そこに座ってろ」

 

ヘクトルはそのまま玉座の階段に彼女を座らせる。

ふと横眼にペガサスを見ると、やけに暖かな眼差しが返ってきた。

 

ヒューイという名のこのペガサスはフロリーナを担ぐとき、邪魔にならないように羽を畳んでいた。

ヘクトルが自分のご主人の手当をしようとしたことをわかっていたかのような行動だった。

 

こいつが人間ならいい部下になったかもしれねぇな・・・

 

ヘクトルはついそんなことを考えてしまった。

 

「末期症状だよな・・・」

「えっ?」

「おめぇは気にすんな」

 

観念したのかしおらしく座っているフロリーナ。

 

ヘクトルが大腿の傷に指先で触れると、フロリーナの体がビクリと震えた。

 

「痛かったか?」

「へ、平気です」

 

ヘクトルの指先についた血。

 

ヘクトルはその色を見て眉をしかめた。ヘクトルは傷口からもう一度血を取り、舌にその血を乗せる。

その味にヘクトルは血相を変えた。

 

「てめっ!毒入りくらってたのか!!」

「へ?毒・・・ですか?」

 

自覚が無い毒。ヘクトルの顔が途端に青ざめる。

ヘクトルは籠手を外し、フロリーナの額に手を触れた。

熱が出てないことを確認したヘクトルは唐突にフロリーナのブーツを引き下ろした。

雪のように白い彼女の肌だったが、傷口の周囲だけはその色が青白く変色していた。

 

まだ毒は全身に回ってない。傷が浅かったからか、毒が大きな血管に流れなかったのだろう。

だが、このまま放置すれば足の筋肉が死んでしまう。

 

「マシュー!毒消しは!?」

「ここにありますよ」

 

ヘクトルはマシューの手からひったくるように毒消しを奪い取り、そのままマシューのマントまではぎ取った。

ヘクトルはそのマントを切り裂き、傷口より上で足を縛る。

 

「へ、ヘクトル様・・・」

 

ヘクトルの動揺具合と自分の傷の周囲の酷さを見て、自分の危機的状況を自覚したのか、フロリーナの眼には涙が浮かんでいた。そんな瞳と目があったヘクトル。

 

「大丈夫だ」

 

ヘクトルはただそう言った。

 

彼はエリウッドのように安心させるような笑みを浮かべることはできない。

ハングのように元気づけるような笑顔を作ることもできない。

 

だからヘクトルは特に何かをすることはしなかった。

ただ、落ち着いた声音でそう告げたのだ。

 

「大丈夫だ。問題ねぇ」

 

その一言は、一本の大樹を思わせるような安心感を放つ。

 

それがヘクトルのやり方だった。

 

「ちょいと痛むぞ」

 

そう声をかけてヘクトルは傷口を短剣で更に大きく開いた。

 

「っ!!」

 

微かに彼女の体が震えた。ヘクトルは溢れてくる傷口に口を当て、血を吸い出した。

ヘクトルは口に溜まった血を吐き捨て、また血を吸う。

毒血を吸い出したヘクトルはその傷口に毒消しと傷薬を塗りこんだ。

 

「っっっつ!!」

「いてぇよな・・・もうちょい我慢しろ」

 

目元に溜めていた涙が彼女の頬を伝う。

ヘクトルはなるべく素早く治療を施し、その上から包帯で縛った

 

「よし、とりあえずはこれでいい。どっか他に痛むところはねぇか?」

「だ、大丈夫です」

 

それが強がりだとはわかっているが、ヘクトルは言葉通りに受け取ることにした。

そもそも『痛い』と喚かれたところで今のヘクトルには他にできることはない。

 

「さっさとここを出るぞ。ちゃんとした治療には杖がいる。マシュー案内しろ」

「わかってますよ。最短でここから出ます」

 

ヘクトルはフロリーナを再び担ぎ上げた。

 

「おい、フロリーナ。あの馬は手綱握ればついていくるか?」

「え、えと・・・私の後をついてくると思います。ヒューイ」

 

フロリーナが名前を呼ぶと、ヒューイはフロリーナに寄り添うように近寄ってきた。

 

「よし、ならさっさと外に出るぞ。エリウッドの方も心配だしな」

 

ヘクトルは荷物とフロリーナを担ぎなおし、マシューの後に続いた。

 

「・・・・あの・・・」

「あ?どうした」

「あの・・・・ありがとう・・・ございます」

「当たり前のことをしただけだ」

「・・・・・・・」

「・・・・まあ、礼は受け取っとく」

「はい」

 

ヘクトルは空いた手の袖で口元を拭った。

彼女の血の味がまだ口の中に残っていた。

 

「・・・・あの・・・ヘクトル様・・・」

「なんだ?」

「・・・・その・・・あの・・・」

「なんだよ?どっか痛むのか?」

「い、いえ・・・そうじゃなくて・・・」

「ん?」

「・・・さっき・・・名前・・・」

「あ?名前がどうかしたか?」

「・・・えと・・・その・・・」

 

しどろもどろのフロリーナと頭に疑問符を浮かべるヘクトル。

 

「どうしたんだ?」

「・・・・私の・・・名前を・・・」

「は?フロリーナだろ?」

 

フロリーナは驚いたようにヘクトルの顔を見た。

だが、ヘクトルは未だに怪訝な顔だった。

 

「そいつがどうかしたのか?」

「えと・・・その・・・」

「若様!こっからまた噴火口が増えますんで注意してください!」

「おう!」

 

ヘクトルは後ろに続くペガサスも確認しつつ、慎重に周囲を警戒した。

 

「とにかく、話は後だ」

「は・・・はい・・・・」

 

フロリーナは自分を支えるたくましい腕にそっと触れた。

 

私のこと・・・覚えててくれたんだ・・・・

 

胸を高鳴らせる浮遊感と居心地の良い高揚感。それらを胸にフロリーナはヘクトルの横顔を見ていた。



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第31章~勇者ローラン(前編)~

オスティア郊外の山中にある洞窟。そこに、封印を解かれた神将器は眠っている。

だが、それを手にするには試練を乗り越えねばならない。神将器へ至るのは一本の長く険しい道のり。そこかしこで火柱があがり、地下を流れる溶岩が道行くものを阻む。

そんな洞窟にエリウッドは踏み込もうとしていた。

 

「この洞窟の奥にははるか昔・・・リキアが一つの国としてあった頃、祭壇が作られた」

 

エリウッドはアトスの言葉を聞き、耳を疑う。

 

「こんなところに?」

「・・・邪まな心を持つ者から守るべき物があるからな」

「それが、デュランダルですか?」

「そうだ。かつて、我らが使った武器はとてつもない力を持っていた。あの竜どもを、薙ぎ払うほどの恐ろしい力・・・今残っている物には昔ほどの威力はないが、それでも、悪用されぬようそれぞれが守ってきたのだ」

「その封印の大本がブラミモンド様というわけですか」

「さようじゃ」

 

アトスはエリウッドより少し前に出て、杖で奥を照らす。

 

「ここには、ローランの死後誰も足を踏み入れていないはずだ。この洞窟は、今も彼の気で満ちている。ここに巣食うのは、剣を守るかつての兵士たち・・・おまえの試練だ、エリウッド。わずかな仲間の助けを借り一人で祭壇を目指すのだ。デュランダルを手にするにふさわしい力を見せるがいい!」

 

ふと、後ろを振り返るエリウッド。

 

「左右の敵は・・・よろしく頼む」

「なぁに、シケた面してんだい。シャキッとそなよシャキッと!」

 

背中に張り手を受けたエリウッド。

叩いたのは槍を担いだヴァイダだ。

 

振り返るとハングに似た不敵な笑みを浮かべたヴァイダがいた。

 

「だいたい、なんだい!惚れた女が攫われたら奮起すんのが男ってもんだろ!これがハングのバカならとうに叱り飛ばしてたよ!」

 

ああ、ハングの雷ってのはこの人から受け継いだんだな。

エリウッドは苦笑いを浮かべながら、そんなことを思った。

 

「・・・ハングにも叱られそうです」

「ならシャキッとしな!」

「・・・はい」

 

その後ろを見るとヒースが苦笑いを浮かべていた。

 

「こうやってハングは鍛えられたんだね」

「・・・ハングはもっと厳しくされてました」

 

微かに笑い、エリウッドは自分の胸に手を当てた。

思い出すのはこれまでの旅路である。

戦って戦って戦って。

その中で、ほんの隙間にあった日常は輝くような光を持っている。

 

ヘクトルをからかって、リンディスと一緒に笑った。

苦しくて、悩み抜いて、ハングに叱られて、ハングを叱った。

 

『嫉妬は見苦しいよ。ハング』

『エリウッドぉぉぉぉお!!!お前、わかってやってやがったな!!』

 

キガナの街でからかったこともあった。

 

『『恋と誇りは・・・』

『聞こえてるっての!こっちは反応に困ってんだバカ!!』

 

フェレの城でけしかけたこともあった。

 

『特に、ハングとヘクトルは騒ぎを起こさないように』

『っておい!俺もヘクトルと同列はねぇだろ!』

 

不貞腐れてる彼とリンディスの仲を取り持ったこともある。

 

そんな楽しくも懐かしい日々。

そして、そんな日々の間に常に彼女が隣にいたのだ。

 

「ニニアン・・・すぐに助けに行くから・・・」

 

ネルガルはエリウッドから父を奪っただけで飽き足らず、大事な友と大切な女性をも奪い去ろうとしている。

 

エリウッドは決意を胸に真正面を見据えた。

 

「もう、何も奪わせはしない・・・」

 

エリウッドは大きく深呼吸をした。

 

「エリウッド様、槍をお持ちしました」

「ありがとう、マーカス」

 

マーカスが槍を差し出す後ろでは、ロウエンが一頭の馬を連れてきていた。

エリウッドは槍を手に取り、感触を確かめる。

 

目の前にある一本道。溶岩が噴き出すこの地に長居することはできない。

一秒でもこの場を素早く突破するには馬を用いるのが一番だった。

長いことマーカスの指導の下で訓練を続けてたが、もう苦手などと言っている場合ではない。

 

エリウッドは素早く馬に跨った。

 

背筋を伸ばし、槍を携え、気負いを晴らした表情で前を見つめるエリウッド。

エリウッドを見上げたマーカスはその姿にエルバートの面影が重なったように見えた。

 

「エリウッド様・・・この旅を通して、さらに成長なさいましたな」

「そうかい?自分では・・・よくわからないが」

「いえ。戦いに赴くその凛々しいお姿、お父上にも劣らぬ風格が漂っておりますぞ」

「そ、そうだろうか?」

「はい。このマーカス、不覚にも目頭があつく・・・」

 

そう言って目元を抑えるマーカスにエリウッドは苦笑気味であった。

 

「大げさだなマーカスは」

 

エリウッドはそう言って、槍を持ち直した。

 

「マーカス・・・また、力を貸してくれるかい?」

「はい、もちろんでございます!我が槍はエリウッド様の為にあります!!」

 

マーカスが素早く騎乗するのを横目にエリウッドは腹の底から声を張り、指示を飛ばした。

 

「ヴァイダさんとロウエンは右の通路を。マーカスとヒースは左側をお願いします!」

 

各々からの返事を聞き、エリウッドの握る槍に力がこもる。

 

そして、エリウッドは一呼吸を置き、馬の腹を蹴った。

 

「行くぞ!!」

 

エリウッドが通路へと足を踏み入れたのを合図に左右の部隊も突撃していった。

ヴァイダやマーカスが入っていったのはエリウッドの道を見下ろすように作られた通路だ。そこからエリウッドを狙う遠距離攻撃の部隊の制圧が彼等の役割だった。

 

「どきなどきな!!あたしわね、今さいっっこうに虫の居所が悪いんだ!容赦しないよ!!」

 

右手の方から今まで聞いたことのないような破砕音が聞こえてくる。

 

「なにが人形だい!!なにができそこないだい!!ふざけんじゃないよ!!あいつはね・・・あいつはね、あたしの自慢の息子だぁぁぁぁ!!」

 

ヴァイダの声が響いていた。

きっと、彼女は本人には一度もそんなことを言ったことがないだろう。

それをぶちまけてしまう程に鬱憤が溜まっていたのだろう。

 

「まだ暴れたらないんだよ!!お前ら片っ端から出てきやがれ!!」

 

そんなヴァイダにロウエンはついていくだけで必死のようだった。

それに対し、反対側はより堅実な連携の上で動いていた。マーカスが突っ込んで敵をしっかり引きつけながらも攻撃を捌き、ヒースがその頭上から一撃離脱で仕留めていく。二人は数で押されようが、周囲を囲まれようが危なげなく突破してく。それはマーカスの動きが熟練されているというのもあるが、ヒースの連携が的確だった。長年ユバンズ傭兵団で騎馬隊の援護をしてきたヒースの経験が生きていた。

 

「次は誰だ!エリウッド様の妨げになるものはこのマーカス!容赦せんぞ!!」

 

エリウッドは頭上からの攻撃を気にすることをやめ、目の前に立ちふさがろうとする敵に集中していく。

馬を駆けさせながらの戦闘は主に二通りのものがある。

一つは馬の足を止め、高い位置から攻撃を仕掛けるもの。

もう一つは馬の突進力を活かして敵を踏みつぶしていく方法だった。

狭い道であれば後者の戦い方の方が有効なのだろうが、生憎なことに敵はそう生易しい相手ではなかった。

 

敵は終わりが見えない程に次々と現れていく。そのおかげで十分な加速をつけることができない。槍の初撃に多少の貫通力を与えることはできるが、それだけで仕留められないことも多く、足を止めての打ち合いを余儀なくされていた。

 

だが、一対一での決闘方式の戦い方はエリウッドの十八番である。

迫り来る武器を時にいなし、時にかわし、堅実な戦いでエリウッドは一歩一歩進んでいく。

 

そんなエリウッドを壁際から狙う矢尻が一つ。

狙いを定めた矢がゆっくりとエリウッドを追いかける。

それを放つ直前、弓そのものが横に蹴り出された。

 

「そいつは俺の親友の親友でね。手出し無用で頼むよ」

 

そして、ヒースの槍が守護霊の頭蓋を貫いた。

崩れ去る鎧を一瞥しヒースはドラゴンの腹を蹴る。

彼もヴァイダ程ではないが、親友を弄ばれたことが腹の内で煮えくり返っていた。

槍に乗る殺意も増すというものだった。

 

守護霊を打ち倒しながら道を進んでいたエリウッド。エリウッドはふと通路の奥から清い風が吹いてくるのを感じた。

 

そして、エリウッドはついに細い通路を抜けた。

 

「これが、アトス様がおっしゃっていた神殿か・・・」

 

通路の奥に広い空間が広がり、そこに大きな祭壇があった。それは【封印の神殿】のような山を削ったようなものではない。

そこは均等な大きさの石が敷き詰められた平地であった。

周囲には規則正しく並んだ柱や飾りの少ない燭台が置かれ、それらには見覚えのある装飾がなされていた。

 

そこは、リキア同盟の城で一般的な玉座の間に似通っていた。

 

「・・・ここが、源流だということなのか」

 

自分の血の源流。はるか昔の祖先が作り上げた雛形。

エリウッドは身の危険があることを承知でその場に対し礼の形を取った。

 

そして、玉座と思しき場所に置かれた祭壇。

その前には一人の男が、祭壇の番兵のごとく佇んでいた。

 

「・・・ワレコソハローランサマノ・・・イチノセンシ・・・ゲオルク・・・フウインヲ・・・オカセシモノコノテニヨリ・・・サバク・・・」

「僕の名前はエリウッド!神将器が必要なんだ!そこをどいてくれ!」

「・・・サバク」

「ならば・・・押し通る!!」

 

エリウッドは槍を構え、馬を一気に駆け出させた。

足場が整った場所での騎馬の突進。だが、その一撃はゲオルグの持つ斧により弾かれた。

エリウッドは態勢を崩すことなく、その場を走り抜け、素早く反転。

そこにゲオルグが接近した。エリウッドは槍を回して敵の攻撃を確実に防いでいく。

一合、二合と火花が散り、あっという間に十合を越える打ち合いとなる。

 

「はぁぁ!」

 

気合の裂帛と共に打ち込んだ一撃がゲオルグの迎撃を凌駕した。ゲオルグの肩当てを吹き飛ばし、肩の骨をえぐる。だが、ゲオルグは怯むことなく斧を振り切った。

 

「くっ!!」

 

槍を引き戻し柄で受ける。

鉄心を仕込んであった槍が、激しい音を立てた。

まともに受けた為にエリウッドの腕が痺れる。

たまらず後退したエリウッド。だが、ゲオルグは追撃してこなかった。

 

「・・・・・・」

 

エリウッドが震える手を押しとどめて槍を構えると、ベオルグは斧の構えを変えた。

追撃をしてこなかったのは、エリウッドが咄嗟に反撃の姿勢を見せたからだ。

だが、実のところエリウッドの腕は痺れが抜けておらず、反撃できる状態ではなかった。

目の前の守護霊はエリウッドのハッタリに騙されたのだ。

 

「守護霊といえども。人間というわけか・・・」

 

彼は全てを見通してる訳でも、こちらの動きを感知しているわけでもない。

摩訶不思議な力は無く、彼らは単なる兵士。

 

「ただし、竜と渡り合った兵達だけどね」

 

しかも目の前にいるのはかの八神将の側近。

エリウッドは呼吸を保ったまま、心の中だけでため息をついた。

 

彼は百戦錬磨の兵士だ。

おそらく、この槍がもう使い物にならないこともわかっているはずだ。

それでも万全を期して警戒を怠らない。

護るべき物があり、なさねばならないことがある。

彼にとっては戦うことよりも生き残ることが重要なのだろう。

 

一時でも、一瞬でもここがここであるために。

 

だが、エリウッドはここを乗り越えなければならないのだ。

エリウッドは素早く身をひるがえし、馬から飛び降りた。

付け焼き刃で勝てる相手ではないことを悟ったエリウッドは槍を地面に放り投げ、自分が最も信頼している武器を手に取った。

 

「小細工をしかけても意味は無し・・・」

 

エリウッドはレイピアを眼前に構える。

それに合わせて、ゲオルグの構えも変わる。

 

静かに呼吸を整え、エリウッドは刺突の型を取った。

 

「・・・ふぅ・・・」

 

深く息を吐き出し、呼吸法を変える。

 

「・・・・・・・・」

 

静かに、小さく。

相手に隙を悟らせない呼吸法。

 

「・・・・・・・・」

 

両者の距離は三歩半。エリウッドのレイピアなら間合いの範囲だ。

対するゲオルグの武器では間合いの外。

 

緊張の一瞬。

 

エリウッドが地を蹴った。

 

ゲオルグの斧が動く。

 

突進する切っ先。迎撃する刃。両者が交差する。

甲高い音がした。

駆け抜けたエリウッド。振り切られた剣先が僅かに震えていた。

 

「・・・・・・ふぅ・・・」

 

エリウッドの吐息。エリウッドはレイピアを振り、納刀。

その背後でゲオルグが膝をついた。

 

「・・・・・・?・・・ナンダ・・・オマエ・・・・・・ナツカシイ・・・?・・・オマエハ・・・ナニモノ・・・ダ?・・・ローランサマト・・・オナジ・・・」

 

エリウッドはゲオルグの前にまわり、膝をついて視線を合わせた。

彼の虚ろな眼窩の底にはまだ、微かに生きる者の温もりが残されていた。

 

「・・・ずっと、守っていてくれたんだな。すまない・・・」

「・・・・ローラン・・・サマ・・・・」

 

崩れゆくゲオルグの体。散らばった鎧兜は腐敗して砕けてゆく。

その欠片をエリウッドは拾い上げた。

 

「・・・・ありがとう・・・」

 

そんな言葉が彼の口からこぼれていった。



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第31章~勇者ローラン(後編)~

「よくぞ突破したなエリウッドよ」

「アトス様!」

 

神殿に向かって歩いてくるアトス。

その背後には敵を突破してきたヴァイダ達もいた。

 

「さて、さあ、なつかしき対面といこう。エリウッド、下がりなさい」

 

言われるがまま、エリウッドは祭壇から一歩後ろに下がった。

 

「・・・我が古き友、小さき勇者ローランよ」

 

『小さき勇者』ローラン

確かに伝承ではローランは小柄であったと伝えられてはいる。そういう呼称が付けられていることもある。

だが、彼と実際に肩を並べたことのあるアトスがそう呼ぶのはなんとも不思議な光景であった。

 

「ローラン・・・目覚めて、我の呼びかけに答えよ」

 

突如、祭壇に光が集まった。命を宿しつつも、存在感が希薄な光。

それは精霊の放つ光によく似ていた。その光はエリウッドの前で次第に一つの形に収束していく。

 

それは人の形。

 

そして、形作られたのはエリウッドともヘクトルともリンディスとも似ている姿だった。

 

彼が勇者ローラン。

その勇者は伝承通り、意外なほどに小柄だった。

 

「・・・友よ・・・賢き者、全てを見る者アトス・・・」

「久しいな、ローランよ」

 

ローランと自然に会話するアトス。

旧知の友との再会にローランがかすかに笑ったように見えた。

 

「長い時が過ぎたように思う。また、会えるとは・・・【竜】たちとの戦い・・・なつかしき仲間たち・・・すべては、記憶のかなたにある・・・」

「千年に近い年月だ・・・だが、今また【竜】の力を狙う者が、世界をおびやかしている」

「・・・【竜】の力をだと・・・?」

 

驚愕したというよりも、呆れたような声音。

 

いつの世も変わらない。

自分が救った世界は何も学んでくれなかったというのか。

 

そんな心情が垣間見えた。

 

アトスもそれを察したのか、話を変えた。

 

「ローランよ。この子はそなたの血をひく者だ。どうか、その力を貸してやってほしい」

 

そして、エリウッドの方を顎で指す。

 

しばし、彼を見つめたローラン。エリウッドには彼が優しく微笑んだように見えた。

その姿が父の面影と重なった。

 

「我は・・・この世界にうつし身をもたぬ。だが・・・これを、持ってゆくがよい。この剣に、この地に残る我が精神のすべてを宿らせよう」

 

ローランの言葉にアトスが目を見開いた。

 

「・・・そんなことをすればこの世界から【おまえ】という存在の、全てが消えてしまうことになるぞ?」

「よいのだ。わが子らの力となるならばこれ以上のことはない・・・デュルバンの奴も・・・逝ったようだしな」

 

ふと西の方に目を向けたローラン。彼はアトスにわずかに目を向け、笑った。

 

「・・・後のことは頼んだぞ、友よ・・・」

「うむ・・・」

 

光が形を無くし、霧散していく。

その中で、どこか懐かしい面影がエリウッドに目を向けた。

 

『・・・・・・・』

 

口が動く。

何かを言わんとしているのか、エリウッドには聞き取ることができなかった。

 

そして、何事もなかったかのように光は消え古びた祭壇だけが残った。

 

「アトス様今の方は・・・」

「おまえにも姿は見えたか」

 

エリウッドがハッとして後ろを見れば。

三人は曖昧な顔をして首を横に振った。

 

「あれが、おまえの祖先。勇者ローランだ」

「あの人が、ローラン・・・」

 

その時、エリウッドが祭壇の上にあるものに気が付いた。

 

「祭壇の上に剣が・・・!」

 

駆け寄るエリウッド。それをアトスがゆっくりと追う。

祭壇の上にあったのは身の丈に迫らんとする長さの大剣だった。

刀身の幅は広く、柄も長い。

 

「とりなさい。おまえの剣だ」

 

アトスの声にエリウッドは恐る恐るその柄に手を伸ばした。

そして、エリウッドが手に触れた瞬間。

何かがエリウッドの体に流れ込んできた。

 

命の灯。記憶の欠片。

 

これは・・・ローラン・・・あなたなのか・・・

 

エリウッドは両の手で剣を持ち上げた。

 

「・・・不思議な剣だ」

 

燃えるような熱を持っているかのようで、握る柄は冷たい。

体の奥底の鼓動に共鳴するかのような躍動を手の中から感じる。

剣自体が生きているかのような感覚。

 

ふと、エリウッドの耳に声が届いた。

 

『・・・・・・・・』

 

ローランの声。エリウッドは手元の剣へと視線を落とした。

 

「デュランダル・・・【烈火の剣】とも呼ばれておる」

「・・・デュランダル・・・【烈火の剣】」

 

エリウッドは剣を強く握りながら、ローランの台詞を反芻していた。

 

『竜を切れ。我に任せ、竜を切れ。まだ未熟な我が子孫よ。我に任せよ』

 

エリウッドは震えそうになる手を抑え、前を向いたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

洞窟の外に出ると、ヘクトルが既に待っていた。

「フロリーナは?」と尋ねると、怪我をしていたので先に帰らせたのこと。その付添の為にマシューも一緒に帰ったそうだ。

 

「へぇ、これがお前の取ってきた神将器か」

「【烈火の剣】デュランダルだ」

「ふぅん・・・不思議なもんだな、はじめて見るはずなんだか、なつかしい気がする・・・ま、そんなことはいい」

 

エリウッドとヘクトルは神将器を肩に担ぎ、アトスに向き直った。

アトスは二人に向けてゆっくりと頷く。

二人はもう自分の使命を理解している。

 

「・・・これでネルガルとも戦える。さあ、【竜の門】へ・・・」

 

その瞬間だった。

 

不意にエリウッドの持つデュランダルが光を帯びた。

それは、先程見た命を灯した光だ。

 

「剣が・・・光を・・・」

 

そして、デュランダルから流れ込んできたのは警告と戦闘を告げる焦燥感であった。

 

「気をつけろ。何か来る・・・!」

 

不意に空から影が落ちてきた。

エリウッド達は反射的に空を見上げる。

 

「なっ・・・!?」

 

そこには天を覆わんばかり巨躯があった。

小さな山程もありそうな質量。その身を宙に浮かべる巨大な翼。

 

ヘクトルとエリウッドはこれを知っていた。

それは以前【竜の門】で垣間見た姿。

 

【竜】

 

圧倒的な存在感と絶望的な畏怖をばらまきながら、その獣が大地に足をつける。

 

「ばかな!?なんでこんな所に・・・!」

「みんな、下がれ!」

 

エリウッドの耳にローランの声が幻聴のように鳴り響く。

 

『竜を切れ。竜を切れ!我に任せよ!我が子孫を傷つけさせなどしない!!』

 

エリウッドは背にした剣を握り、大上段へと振り上げた。

体が動いた。エリウッドはデュランダルを抱えて走り抜け、飛び上がった。【竜】の肩口にデュランダルを突き立て、振り下ろす。手に鱗を砕く感触が走る。肉を裂いた手応えが残る。【竜】の悲鳴が鼓膜を打ち、吹き出た血の臭いが鼻をつく。

 

エリウッドは【竜】の返り血を浴びながら、【竜】の背後へと着地した

 

「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

 

エリウッドの背後で、巨大な体がゆっくりと倒れていく。

 

「大丈夫か!エリウッド!!」

 

駆け寄ってくるヘクトル。

エリウッドは今も震える手でデュランダルを握っていた。

 

「ああ・・・身体が勝手に動いた。まるで、この剣に導かれるみたいに・・・」

 

導かれたのか、それとも操られたのか。

エリウッドは少し手元の剣が頼もしくも、怖くもあった。

 

「【烈火の剣】は竜を滅ぼすためのもの・・・その力をもってすれば、不可能なことではない」

 

そう説明したのはアトス。

そのアトスは今しがた倒した【竜】へ少し不可解な目を向けた。

 

「しかし、この氷竜・・・まさか・・・」

「どうかなさったのですか?アトスさま」

「いや・・・」

 

何か悩んでいるようなアトス。いつもはなんでも知っているかのように振る舞うアトスのそんな態度はエリウッドの目には随分と不自然に映った。

 

アトスにとってなにが疑問なのか?

 

エリウッドが再度質問しようと口を開いたその時、答えは予想外のところから現れた。

 

「それは、私が答えてやろう」

「貴様っ!ネルガルっ!」

 

エリウッドが睨む先。距離の離れたところに黒装束の男、ネルガルがいた。

 

「何しに来たっ!!」

「ニニアンは使いものにならん。だから、替わりをもらいに来たが・・・ここにはおらんか・・・ふむ、我が『息子』のところか」

 

エリウッドは強くデュランダルの柄を握りしめた。

 

「ニニアンが・・・使い物にならない・・・だと・・・」

 

その意味することは一つ。

 

「貴様っ!ニニアンに何をした!?」

 

エリウッドは憤怒に任せて叫んだ。

 

「彼女に何かがあったなら・・・本当に・・・!!」

 

胸に秘めた殺意。純然たる炎が燃え上がる。

それをネルガルは羽虫でも払うかのように答えた。

 

「私ではない。お前がしたことだよ、エリウッド」

「何・・・?」

 

エリウッドの声が揺れた。

 

「エリウッド、お前は疑問に思ったことはないか?竜の門を開くために、なぜこの姉弟が必要なのか・・・?なぜ、ニニアンとニルスでなければならないのか・・・?」

 

エリウッドの顎から汗がしたたり落ちた。

 

「・・・・・・」

 

なんだ、なんなんだ?

この身を這うような悪寒は。

 

「答えは簡単だ。竜の門は、人間が開くことはできないのだよ。門を開く資格を持つのは、人にあらざる者・・・すなわち、竜のみだ」

 

なんなんだ、この背筋が凍るような感覚は?

泣きたくなるようなこの感情は?

 

いったいなんだと言うんだ?

 

「・・・な・・・なにを・・・」

「哀れだな、ニニアンという娘は。私の甘言にのせられ【門】を通ってこちらに・・・もとに戻ることもできず、私に協力することも拒み逃げさまよったあげく・・・」

 

ふと、エリウッドは自分の握ったデュランダルへと目を落とした。

流れ落ちてきた【竜】の血が柄から雫となって垂れていた。

 

「・・・愛するものの手にかかって死ぬことになるとは、な」

「何を・・・言っている・・・?」

「またその台詞か?察しが悪いのか?それとも認めたくないのか?」

 

いつぞや、聞いた台詞。

 

「いいだろう。教えてやるぞ、エリウッド。そこにいる一匹の氷竜が・・・お前がその手で倒した獣が・・・」

 

聞きたくない、知りたくない、認めたくない。

だが、耳をふさぐことも、目を瞑ることも、全てを放棄することも許されなかった。

 

「それがニニアンだ。 お前を愛していた娘だ。 お前が守ると約束した娘だ。そして、お前の手にかかって死にゆく娘だ」

 

卑しい笑みで笑うネルガル。

そのネルガルが顎でエリウッドの後ろを刺す。

 

「ほら、見るがいい。最後の力をふりしぼってもう一度だけ、人の姿に戻ろうとしているぞ。今なら別れの言葉でもかけてやれるのではないか?もっとも、もう助からんがな」

 

その言葉にエリウッドが吠えた。

 

「ネルガルッ!!貴様ぁっ!!」

「私ではない。お前だよ、エリウッドお前が死なせたのだ。お前がな・・・」

 

エリウッドの手からデュランダルが転がり落ちた。

その自分の掌にべっとりと付いた赤い血。

自分の身体を見下ろせば、全身を返り血が濡らしていた。

 

これは・・・誰の血だ?

 

「う・・・あああああああああああっ!」

 

悲痛な叫び。それを聞いたヘクトルの顔が蒼白となる。

その声は生きながらに死んでしまった友人の声に酷似していた。

 

「落ち着けっ!しっかりしろエリウッド!」

「僕は・・・!僕は・・・・・・!」

 

膝をつくエリウッドの肩をヘクトルがゆする。

 

「僕は・・・」

「エリウッド!しっかりしろぉ!!」

 

なんとか、なんとかならねぇのか!

このままじゃ、あいつの二の舞になっちまう!!

 

ヘクトルは周囲を見渡した。

そして、先程【竜】が倒れていた場所に1人の少女が横たわっているのを目撃した。

その少女は蒼白な唇でなんとか声を紡ぎだす。

 

「エリ・・・ウッドさま・・・」

「・・・ニニアン!?」

 

エリウッドはもつれる手足でなんとか駆け寄り、ニニアンの体を抱き上げた。

だが、その身体はあまりにも重い。元々軽かったはずの彼女の身体が今や鉛のように重くなっていた。

 

それは死神が彼女を地に引きずり降ろそうとしているからだろうか?

 

「ニニアン!ニニアン!」

「エリウッド・・・さま」

「ニニアン・・・お願いだ・・・死なないでくれ・・・僕は・・・僕はなんてことを・・・」

 

手が、体が、頭が覚えていた。ニニアンの体を切った感触や光景や臭いが全て焼き付いていた。

 

涙を流すエリウッド。その頬をニニアンの手がそっと撫でた。

 

「良かった・・・」

「え・・・?」

「エリウッドさまが無事で・・・良かった・・・」

「ニニアン・・・」

 

そして、ニニアンは小指をエリウッドに差し出した。

 

「ごめんなさい・・・約束・・・守れません・・・ね・・・」

 

『僕達二人の約束だ』

『はい、約束です』

 

フェレの城で月の下で交わした約束。

エリウッドの喉から嗚咽が漏れる。

 

「・・・エリウッドさ・・・ま・・・どうか・・・ど・・・うか・・・この・・・大地を・・・まもっ・・・て・・・」

「・・・・・・ニニアン・・・」

「・・・やく・・・そく・・・」

 

エリウッドは泣きながら、笑った。

震える手で彼女の小指と自分の小指を交わらせる。

 

「・・・ああ・・・やくそくだ・・・やくそく・・・だ」

 

腕の中で微笑むニニアン。

 

そして・・・

 

「ニニ・・・アン・・・ニニアン?」

 

彼女の瞳は開かない。

 

「うそだ・・・返事をしてくれ・・・」

 

彼女の声は聞こえない。

 

「・・・まだ言ってないことがあるんだ・・・君に・・・どうしても・・・」

 

彼女にまだ伝えていないというのに、彼女の耳はもう何も聞いてはくれない。

 

「ニニアンーーーーっ!!!!」

 

エリウッドの声が天へと吸い込まれていった。



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第32章~悠久の黄砂(前編)~

「・・・ハング、降ろすわよ」

「・・・・・・・」

「オスティアについたわ。できるだけ風通しのいい部屋にしてもらったの」

「・・・・・・・」

「本当に・・・気持ちい風ね・・・」

「・・・・・・・」

「・・・ハング・・・ニニアンが・・・死んだわ・・・」

「・・・・・・・」

「ハング・・・こんな時に・・・こんなこと言うのは間違ってるとは思うんだけど・・・」

「・・・・・・・」

「・・・帰ってきてよ・・・ハング・・・」

「・・・・・・・」

「あなたがいないと・・・みんな・・・」

「・・・・・・・」

 

リンディスは返事のないハングの胸に顔を埋め、涙を流していた。

 

『・・・うっ・・・うわあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!』

 

彼女の耳にはニルスの悲痛な叫びが今も残っていた。

 

ここはオスティア。

リキアで最も堅牢な守りを誇る城塞都市であり。各国の歴史を振り返ってもこの地が落とされたという記録はどこにも存在しない。いかなる敵も容易には手を出せぬ場所。

 

ネルガルがニルスを狙っている。それに加えてみんなの心も体も限界だった。

ヘクトルの提案で彼らはオスティアへと移動していた。

 

「・・・リンディス・・・入っていいか?」

 

外から聞こえたヘクトルの声にリンディスは我に返る。

彼女は慌ててハングの服で涙をぬぐい、気丈な顔を装った。

 

「・・・いいわよ」

 

一瞬、外で躊躇うような気配が伝わってくる。

 

「・・・入っていいわよ」

 

リンディスが再度促すと、ようやくヘクトルは中へと入ってきた。

 

「・・・あ・・・」

 

その後ろからは疲れた表情のアトスが付いてきていた。

 

「アトス様・・・」

「さぁ、じーさん・・・あんたなんか知ってんだろ?」

 

ヘクトルは中に入るなりそう切り出した。

 

「ヘクトル?」

「・・・こいつにも、聞かせなきゃなんねぇだろ」

 

そう言って、親指でベットの上を指すヘクトル。

彼はハングの為にここまで足を運んできたのだ。

 

ヘクトルはもう一度アトスに切り出す。

 

「教えてくれよ!俺たちは、どうすりゃいいんだっ!」

「そうじゃな・・・・・・おまえたちには知る権利があるだろうな・・・・・・」

 

リンディスが椅子を勧め、アトスが腰かける。

ヘクトルは床に胡坐をかき、リンディスはベットの端に座った。

 

ふと、アトスは目線をドアに向ける。

 

そして今度はどこか遠くを、遥か彼方を見つめるかのように空を仰いだ。

 

「・・・ネルガル、奴と出会ったのは五〇〇年も昔、ナバタ砂漠でだ」

 

吹き付ける熱砂、灼熱の太陽。だが、それに覆い隠された古代の知識はアトスのような探究者にとってはおおいに興味をそそられるものだった。

 

「奴も、わしと同じくこの世の真理に魅せられた者だった。自分と同等の力、知識を持つわしらは、すぐに意気投合した。二人でかかれば、この世の謎すべてを解き明かせると・・・・・・そう思った」

 

「若かったんじゃよ」そう言ってアトスは自嘲するように笑った。

 

五百年前のアトスが『若い』なら齢をいくつ重ねても自分たちは最後まで赤子同然だろうとヘクトルとリンディスは思ったが、口には出さなかった。

 

「それが、どうして?」

「究極といえる高みでの、思想の不一致だよ。わしらは、ナバタ砂漠を散策するうち、一つの不思議な村を見つけた・・・」

 

アトスは瞼を閉じる。

 

「信じられんことに、そこでは、人と竜が・・・手を取り合い、共に暮らしていた」

「人と竜が?いっしょに暮らしたり・・・できるものなのか?」

「わしらも、最初は目を疑ったよ。だが、それは本当に存在した」

 

リンディスは【魔の島】で見た絵画のことを思い出した。

 

暖かい視線を交わす竜と人の絵。

 

「それは・・・・・・すごいわ」

「目の当たりにする竜の姿・・・それは、かつてわしが神将の一人として戦ったものとは、似ても似つかないものだった・・・」

 

その時、ドアがきしむ音がした。

皆が目を向けると、そこにはやや憔悴したような顔をしたエリウッドが立っていた。

 

「・・・!エリウッド・・・おまえ」

「・・・・・・続けてください・・・」

 

声には張りがなく、かすれ気味だ。

眼窩は落ち込み、頬も少しこけた。

 

それでも、瞳に宿る光は失ってはいなかった。

 

その光を見初めたアトスは鷹揚に頷き、話を再開した。

 

「・・・彼らは、人竜戦役のとき人と戦うことを嫌い、そこに逃れてきたのだという。人目を逃れて暮らすことを望む彼らに、わしとネルガルは魔法で結界をはったオアシスを作り出し・・・そこに彼らを招き住まわせた。そこでの生活は・・・とても穏やかで、満たされたものだったよ。いつしかその村は【理想郷】と呼ばれ、迷い込む旅人のやすらぎの場となった」

「・・・理想・・・郷」

 

エリウッド声が響く。

 

人と竜の共存。

 

あったかもしれない未来。

あったかもしれない幸せ。

あったかもしれない笑顔。

 

エリウッドは拳を強く握りしめた。

 

「・・・竜族の知識は、わしらを夢中にさせた。むさぼるように彼らの言語、歴史を学んだ。一〇〇年、二〇〇年・・・時は瞬く間に過ぎてゆき・・・わしらの考えは少しずつ別の方向へと分かれていった」

「・・・どんな風に?」

 

リンディスの質問にアトスは苦悩をため込んだ表情をした。

 

「・・・わしは、竜の英知を他の者にも伝え、いつか・・・この理想郷をもっと広げていければと考えた」

「・・・ネルガルは?」

「竜の知識を使い・・・他の生き物から【エーギル】を奪い、己の力を増す術を発見した」

 

ヘクトルの肌に鳥肌が立つ。聞いただけでもおぞましい術だ。

 

「・・・恐ろしいことだった。それに気付いたわしと長老はネルガルにやめるよう、強く説いた・・・じゃが、力に魅せられた奴は耳を貸そうとはせんかった・・・・・・始めは小さな生き物から、小動物に・・・犬から馬になり・・・そして、その対象が人に移った時・・・・・・わしは、村の民と力を合わせ奴を・・・倒した」

 

アトスは首を振り、訂正する。

 

「いや、正確には倒したつもりだった、か」

 

誰からともなく吐息が漏れる。

 

それが、今回の事件の発端なのだ。

 

「・・・死を免れたネルガルは、ベルンに逃れ・・・わしらに見つからぬよう力をためていたのだ・・・たくさんの【エーギル】を使い、自分の意のままに動く【モルフ】という人形を作り出した」

 

アトスは視線をベットで横たわるハングへと向けた。

 

「人を魅了する容姿、人を越える頭脳・・・黒い髪に青白い肌・・・唇は血塗られたように赤い。・・・何より印象に残るのは金に光る双つの瞳・・・」

 

ヘクトルの拳が床板を撃つ。

 

エリウッドが唇を噛みしめた。

 

やはりそれは事実だというのか。

 

苛立ちを抑えられない二人に対し、リンディスはやけに冷静だった。

 

「確かにみんな・・・同じような特徴だったわね。そういえば、ヴァロールにいたエフィデル・・・【黒い牙】のソーニャも・・・・・・みんな創られたものだということ?」

「・・・神を冒涜する行為じゃよ・・・」

「・・・そうね・・・」

 

リンディスの手がベットのシーツを強くつかんだ。

そして、驚いたことに彼女はヘクトルとエリウッドに向けて笑いかけてみせた。

 

「でも・・・ハングが【モルフ】なら『人を魅了する容姿』っていうのは備わってないわよね」

 

一瞬、部屋にいる誰もが鳩が一石を当てられたような表情をした。

そして、ヘクトルが声を殺すように笑った。エリウッドも状況を忘れて笑いそうになる。

 

「・・・ちげぇねぇ」

「・・・そうかもね」

 

リンディスは二人に向けて、今出来得る最高の笑顔を見せた。

ハングがいたらもっと厳しく叱咤するだろうと思うのだが、今はこれが彼女の限界だった。リンディスは少し軽くなった二人の顔を見て、胸の内だけで溜息を吐く。

 

『だから、お願いだから・・・帰ってきて』

 

誰よりもそれを願うがゆえに、リンディスは笑うのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「ニルス、なにかありましたら、いつでも言ってください

 

フィオーラは部屋の中にそう声をかけ、食器の乗った盆を手に部屋を出る。

廊下では心配そうな顔をしているイサドラが待っていた。

 

「ニルスの様子はどうですか?」

 

部屋から出てきたフィオーラは力なく首を振るだけだった。

 

「そうですか・・・」

 

イサドラも悲しげな顔をして目を伏せる。

姉の死を知らされてから、ニルスはずっと部屋にこもったままだった。

 

食事にも手をつけず、水もほとんど飲んでいない。

そしてそれはニルスに限った話ではなかった。

 

「フロリーナさんの方はどうです?」

「・・・あの子も・・・似たようなものです」

 

ニニアンと仲の良かったフロリーナ。

彼女もあれからずっと目を泣き腫らしている。

 

ただ、フロリーナは戦いを生業とする覚悟がある。そのせいで、無理やり食べ物を口に突っ込んではいるが、その姿があまりにも痛々しくて見てられないとプリシラが言っていた。

 

「付いていてあげないのですか?」

「ああいう時は私よりファリナの方がいいと思っていますので、彼女に任せています」

「そうですか・・・ですが、できるだけ一緒にいてあげた方がいいと思いますよ。家族なんですから」

「・・・・・・そうですね」

 

イサドラはフィオーラから食器の乗った盆を受け取る。

フィオーラはニルスのことをイサドラに任せることにした。

 

「すみません・・・あとはよろしくお願いします」

「はい」

 

廊下を歩いていくフィオーラ。

イサドラが手に持った食器に目を落とすと、やはりほとんど手が付けられた形跡は無かった。

 

イサドラは溜息を飲み込み、そんなものが出そうになった自分を諌めた。

 

ハングとニニアンという二人を失い、部隊の雰囲気はこの下なく沈んでいる。

こんな時に溜息などついてはられない。

 

笑顔を見せる必要はないが、少なくとも毅然としているべきなのだ。

 

イサドラは「しっかりしろ!」と胸の内で叫ぶ。

 

今こそ、騎士としてしっかり立つべきなのだ。

 

エリウッド様の気持ちをこれ以上煩わせるこのの無いようにしなければならないのだ。

 

だが・・・

 

「あ・・・イサドラ」

「ハーケン」

 

ふと、ハーケンに出くわした。

少し体が強張るイサドラ。

 

ハーケンとイサドラは再会を果たした後も度々会話を重ねていた。

だが、ハーケンの顔から憂いは消えず、イサドラの顔にも悲しみの色は濃く残っていた。そんな二人の間で交わされる言葉はいつも上辺ばかりのものになってしまっていた。

 

ハーケンが何か口を開く気配がした。

だが、イサドラはそれを遮るように速足で歩きだした。

 

「イサドラ!待ってくれ!!」

「・・・・・・」

 

イサドラは止まることなく、廊下を歩いていく。

走れば簡単に追いつける。

 

だが、ハーケンにはそれができない。

 

彼女の背中が自分を拒絶していることぐらいわかっていた。

部隊がこんな状況で私的なことを話している余裕がないことはハーケンも理解している。

 

そしてなによりも、自分を見た時にイサドラが浮かべる悲しい顔を直視することができなかった。

 

自分が全てを捨てて【黒い牙】に潜入していた一か月という期間。

その間にフェレがどれだけ大変で、イサドラがどれだけの心労を抱えていたのかは想像して余りある。

彼女を見るとその現実が付きつけられるようで、ハーケン自身もまた心の底から再会の喜びに浸ることができない。

 

どうしてこんなことになってしまったのか。

これからどうしたらいいのか。

 

答えはいつも淀んだ胸の中だ。

 

唇を噛み、廊下に佇むハーケン。

 

その背中に声がかけられた。

 

「ハーケン殿、ここにいましたか」

 

ハーケンが振り返ると、キアランの騎士の二人が並んでいた。

ケントとセインは手に槍を持ち、剣を履いていた。要するに完全武装である。

 

「なにかあったのですか?」

 

その質問に答えたのはセインであった。

 

「いやなに、相棒がこの城の兵の訓練に付き合いたいって言い出しましてね。ついでなんで、うちの部隊の騎士連中を探してたんですよ」

「今は、少しでも力を付けるべきです。必ず自分達が必要となる時が来ます。我々は出来ることをすべきです」

 

ハーケンは生真面目な顔をするケントの方を見て少し驚いたような顔をした。

ケントはハングともニニアンともそれなりに長い付き合いがあったと聞いていた。

それでも、彼は今自分にできることを必死にこなそうとしている。

 

「ケント殿は・・・立派な騎士ですね・・・」

 

ハーケンの口からそんな言葉が零れる。

 

部隊の仲間や仕える主君を失ったハーケン。生き残ったことが罪に思えてフェレにも帰れず、自ら命を絶つにはまだすべきことが多すぎた。何をすべきかわからずに彷徨い歩いた挙句、全てを捨てて【黒い牙】の中に潜入したのだ。

 

今のハーケンからは普段と変わらずに訓練を続けようとする二人が眩しく映っていた。

 

だが、その言葉を向けられたケントは苦笑いを浮かべていた。

 

「ハーケン殿、それは買い被りですよ。私も・・・正直、自分が何をすべきなのか・・・わかっていません」

 

ケントの言葉に隣のセインも困ったように頷く。

だが、次の瞬間、ふとケントの口角が僅かに持ち合がった。

 

「ですが、私はこういった時にいつも不敵な笑顔で指示を出してくれる軍師を知っています。そして、彼ならきっとこうするだろうと考えて、行動しているだけなのです」

「それは・・・ハング殿・・・ですか?」

「はい」

 

ハーケンはかなら昔にハングと面識があった。

エルバート様の盗賊退治に一時的に参加してもらったことがあったのだ。

 

あの時はまだ彼も軍師として駆け出しだった。だが、それでも的確な策と指示を出していた。

彼の自信に溢れた声に導かれるようにして、盗賊退治は非常に滞りなく終わった。

 

あの時は本当にただの旅の軍師であった。

だが、今や彼の存在は数多くの人の根幹を支えている。

 

やはり、あの時、強引にでもフェレに来てもらうべきだったのかもしれない。

 

そんなことをハーケンは思った。

 

「君の言うとおりだな・・・すぐに自分の武器を取ってくる」

「わかりました、半刻後には始めますので」

「はい!」

 

敬礼をするハーケン。そんな彼にセインが口を開いた。

 

「それで、イサドラさんも訓練にお誘いしたいんですが・・・ハーケン殿から見て彼女はどうですか?」

 

ハーケンは一度イサドラの去った方向を見やり、二人に言った。

 

「イサドラは・・・今は、そっとしておいてくれないか?」

「・・・あぁ・・・やっぱりそうだよな・・・いいよな、相棒」

「ああ、彼女のことはいくつか聞いております。無理はさせない方がよろしいでしょう」

「聞いている?誰から?」

「ファリナだ」

 

ハーケンはまた少し驚いたような顔をした。

 

ケントとファリナ。

 

その二人が並んでいる姿というのが想像できないハーケンからすると、二人が話をしているというのは意外でしかなかった。

 

「どうかしましたか、ハーケン殿?」

「・・・・いや、別に・・・」

 

首を傾げるケント。

その方にセインが自分の腕を置いた。

 

「セイン?なんだ?」

「・・・相棒・・・俺は、俺は!お前に言いたいことが!!」

 

ケントは面倒になりそうだと感じ、踵を返した。

 

「って、おい!話を聞けよ!!」

「貴様の軽薄な話を聞く暇はない」

「いやちょっとだけでいいからさ!!お前の春についぶうベべあラら!」

「この非常事態に不謹慎な話をするな!!」

 

昏倒してぶっ倒れるセイン。

ハーケンもこのやり取りは何度か見慣れており、いつもの光景として流すことにした。

 

そんな時だった。

 

反射的にケントが剣を抜き、ハーケンが拳を振りぬいた。

その直後、一瞬で復活したセインが槍を振り回した。

 

三人が戦闘を終えた後、廊下には敵兵の身体が三人分転がっていた。

 

三人は敵を倒したことを確認し素早く左右に散って柱の影に身を隠した。

その瞬間、無数の矢が廊下を通過していく。

 

「敵襲だと!?どうなってんだ相棒!!」

「わからん!」

 

ケントはそう言いながら、廊下の向かいにいるハーケンに剣を投げ渡した。

受け取ったハーケンは剣の重さを確かめつつ、鞘を腰に履き、剣を引き抜く。

 

「ハーケン殿!魔法部隊です!!」

「見えています!」

 

次の瞬間火球と雷の嵐がそれぞれが隠れる柱に直撃する。

飛び散った欠片で髪を白く染めながら、セインとケントが後退する。

 

「くそったれ!これじゃあ突っ込めねぇよ!!」

「とにかく伝令だ!セイン!走れ!!後ろは私とハーケン殿が務める!いいですな!?」

「了解した!」

「了解だ相棒!!」

 

ケントはセインから槍を受け取り、構える。

 

「しかし・・・数が多いですね」

「厄介になりそうだ」

 

そして、二人は敵の攻撃をさばきながら、その場で戦闘態勢を取った。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「敵襲!敵襲ですっ!!」

 

ハングの部屋に血を流した兵士が飛び込んでくる。

 

「なん・・・だとぉっ!?」

「ヘ、ヘクトル様っ!大変ですっ!!謎の一団が城内に入り込みました!!」

「城に入り込まれるまでどうして気付かなかった!?」

「いきなり、何もないところからわいて出てきたのですっ!!突然の奇襲に、城の守備兵団は壊滅状態です!」

 

ヘクトルは舌打ちをした。

 

この奇襲には覚えがある。

 

「ネルガルじゃ・・・やつが手下どもを魔道の力によって送り込んできたのじゃ!!」

「ちくしょう・・・なめやがって!なんとしても玉座だけは死守するぞ!兄上の留守に城を奪われるわけにはいかねぇ!!」

 

ヘクトルはマントを翻して飛び出していく。

 

「待って!ヘクトル!!私も行くわ!!」

「・・・リンディス、だめだ」

「なに、エリウッド。また私はハングの傍にいろって言うの!?」

「・・・そうだ」

 

エリウッドは食いしばった歯の隙間からそう言った。

リンディスは胸の内から飛び出そうになった言葉を抑え込むのに随分と苦労した。

 

ここで、何もせずに皆が傷つくのに耐えてろと言うの!!

そんな役回りはもううんざりよ!!

 

リンディスはそう叫び出そうになる自分を無理やり押し込めていた。ハングの隣にいることだって大切なことなのだ。

 

それでも、リンディスは戦いたい。

ハングが前に出れない今、少しでも指揮が取れる人間は多い方がいい。

 

そのことはエリウッドもわかっていた。

だが、今ここでハングを無防備にするわけにはいかないのだ。

 

「・・・・・・頼む」

「エリウッド!!」

「・・・頼む・・・」

「エリウッド」

「・・・ハングを・・・頼む・・・」

 

何度もそう言うエリウッドにリンディスの方が根負けした。

 

「わかった・・・エリウッド・・・あなたも無理はしないで」

「・・・大丈夫・・・僕はそこまで弱くないさ」

 

部屋を出ていこうとするエリウッド。

だが、エリウッドが部屋を出ようとした瞬間、目の前に敵兵が立ちふさがった。

 

「なっ!!」

「エリウッド!!」

 

エリウッドの目の前で振り上げられた剣。防御も回避も間に合わない。エリウッドはそこで引くことはせず、あえて前に突っ込んだ。敵兵に肩から突撃し、剣の間合いの内側に強引に入り込む。

 

そのままエリウッドは足をかき、敵兵を廊下の壁まで押し込んだ。

その時、エリウッドは敵兵が無機質な言葉を繰り返しているのを耳にした。

 

「・・ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で、お前たちを待っている・・・」

 

平坦に、無感動にそう告げる声。

エリウッドが顔をあげると、意志の無い瞳がエリウッドを見ていた。

 

「ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で・・・」

 

エリウッドはそいつの胸倉をつかみ、体を巻き込むようにして力を込めて足を払い、床に叩きつけた。

 

「ネルガル様からの・・・」

 

エリウッドは剣を奪い取り、そいつの胸に突き刺す。

 

「お前を・・・待っている・・・」

 

そして敵兵の身体は絶命した途端に崩れて砂となってしまった。

 

【モルフ】

 

エリウッドは拳を強く握りしめた。

 

「・・・やっぱりこの部屋にも守りを割いた方がいい。後で何人か向かわせる。アトス様!ネルガルがこれ以上増援を送り込めないようにできますか!?」

「うむ、ここ一帯に障壁を張ろう。それで、転移は防げるようになるはずじゃ」

「お願いします。リンディス!ここは任せたよ」

 

リンディスは今度は何も言わずに頷いた。

 

「気をつけて・・・」

「ああ・・・」

 

廊下を駆け抜けていくエリウッドの背中。

障壁を張る準備をするために出ていくアトス。

それらを見送りながら、リンディスは剣の柄を握りしめた。

 

私も・・・しっかりしなきゃ・・・

 

強く前を見据えるリンディス。

 

彼女は前を向いた。

 

だからこそ気付かなかった。

 

背後で横たわるハングの指がわずかに動いたのを・・・



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第32章~悠久の黄砂(後編)~

真っ暗だった

 

真っ白だった

 

世界も、時間も、仲間も、敵も、戦いも、平穏も、何もかもが塗りつぶされてしまった。

自分が目覚めているのか、眠っているのかもわからない。

生きているのか、死んでいるのかすら定かではない。

 

俺は誰で、俺はなんなんだ?

 

その疑問に答えをくれる人はいない。

 

「・・・はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」

「どうしたんだい?もう降参か?」

「・・・やぁぁぁぁ!!

「おお、いい気合いだな」

 

俺は後ろを振り返った。

 

暗闇の中に切り取られた風景が浮かび上がっていた。

どこかの訓練場で短い金髪の女性が黒髪の子供に稽古をつけている。

だが、その景色は動く絵画を見ているかのような虚無感に溢れていた。

 

視界の隅で別の何かが動く気配がして、そちらを向く。

 

次の瞬間、俺の体が切られた。

だが、切られただけだ。痛くはない。

 

自分を切り捨てた相手を無感動に見つめ返す。

 

目の前にいたのは赤い髪と青い瞳を持つ青年。柔和な頬に冷酷な笑みを浮かべてエリウッドが剣を振りあげていた。

 

俺の身体に再度振り下ろされる剣。噴き出た血の温もりだけがなぜか明確に感じ取れてしまった。

 

ああ、またこれか。

 

周囲を見渡せばヘクトルが民家から略奪をはたらいていた。リンディスが笑いながら赤子を殺していた。ウィルが逃げる村人を射抜いて遊んでいた。エルクがそこらに火を放って恍惚に酔いしれていた。

 

俺はそんな人達に囲まれて道の真ん中で血だまりの中に倒れている。

 

ああ、またこれだ。

 

真っ暗で、真っ白な、地獄のような風景だった。

 

自分の体に刃物が振り下ろされるのも何度目だろうか。

矢を何本も打ち込まれるのも何度目だろうか。

俺の胸の中心を雷が貫いたのは何度目だろうか。

 

動くことも億劫で、恨むことにも疲れ果て、闘う意志は擦り切れた。

 

それでも俺はここから抜け出ることはできない。

 

俺はどこにいるんだ?ここはどこなんだ?

 

やはり答えはどこにもない。

 

ふと右に首を向けた。

 

地獄の中に別の景色がまた浮かんでいた。

 

「今日こそ私から一本とってみなさいよ」

「ああ!やってやらぁ!」

 

木がぶつかるような甲高い音を響かせて髪の長い女性と黒髪の男性が打ち合いをしていた。

 

あれは誰だ?

 

どこかで見たような気がする。

 

あの二人は誰だ?

 

「そのせいでいつも木板で叩かれていた。一回は僕もとばっちりを受けた」

「なるほど、お前が打たれ強いのはそのせいか!」

「お前ら!言いたい放題言いやがって!」

 

草むらに腰を下ろして笑い合っているあの三人は誰だ?

 

わからない。

 

俺はここにいる。エリウッドもヘクトルもリンディスもここにいる。

ここで俺の産まれた村を滅ぼしている。

 

なら、あそこにいる人達は誰だ?

そして、彼等の真ん中にいるあの黒髪の男は誰なんだ?

 

あれは誰だ?俺は誰だ?

 

その時だった。

 

不意に全く別の場所から声がした。

 

「・・・ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で、お前たちを待っている・・・」

 

その声はまるで自分が呟いたかのようにはっきりと耳に届いた。

 

唐突に周囲の村が歪んだ。世界が反転する。

そして、その中から浮かび上がる一人の顔。

 

痩せ細った顔に歪んだ目元。闇に落ち、闇に呑まれ、闇の中から見返してくる者。

 

ネルガル

 

俺は背後を振り返った。

歪んだ風景の中には誰もいない。

だが、そこで誰かが俺を呼んでいた。

 

俺の『仲間』が俺を呼んでいた。

 

「・・・ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で、お前たちを待っている・・・」

 

自分の体がようやく動いた気がした。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

真っ白だった。

真っ白なベットシーツだ。

俺は背もたれに上半身を預けた状態でその上に寝かされていた。

 

ハングは目だけで周囲を確認した。

 

「リン!私が来たからにはもう安心しなさい!どんな奴が来ても私の光魔法で追い払っちゃうんだから!」

「セーラ、君はまだそれほど上達していないだろ。どうせ返り討ちに会うんだから僕とウィルの後ろに下がってくれよ」

「そうそう、セーラのことは俺達がしっかり守ってやるからな。とはいっても、前線はリンディス様にお任せすることになりますが」

 

三人?いや、四人だった。

 

「もう、三人とも。もう少し緊張感を持ちなさい」

「でもリンディス様、ここに続く階段はヘクトル様達が抑えたみたいですし、もうここは安全地帯と言えると思いますよ」

 

体の感触を確かめる。

 

右手は動く。左手も動く。足は少し弱っている。呼吸はしている。

 

ハングは深く、深く息を吸い込んだ。

 

声は出るだろうか?

 

「・・・・り・・・・す」

 

掠れて出てこない。

 

「ちょっと待ちなさい!ネルガルの転移魔法があるんじゃないの!?そしたらこの部屋にいきなり現れることなんてことになるんじゃないの!?」

「アトス様が障壁を張ってくださってるからその心配はいらないよ」

 

もう一度試してみる。

 

「・・・りん・・す・・・」

 

少し出るようになった。

 

「なによ、それならそうと言いなさいよ」

「君が聞かなかったからだろ」

「相変わらず、二人は仲がいいな」

「ちょっ!ウィル!何を言ってるんだ!?」

「そうよ!私とこんな根暗のどこが仲がいいっていうのよ!!」

 

喉が湿ってきた。

 

「・・・りんで・・す・・・」

 

足が少し動いた。

 

「喧嘩する程仲がいいっていうじゃん?リンディス様もそう思いますよね?」

「ええ、そうね。二人とも大分息が合ってきたみたいだし」

「ええっ!どこがよ!?私とこいつのどこが合ってるって言うのよ!」

「そうですよ!いい加減なことを言わないでください!」

 

もう一回。

 

「・・・りんでぃす・・・」

「・・・え?」

 

不意に部屋が静かになった。

 

「誰か・・・私のこと・・・呼んだ?」

「・・・いいえ・・・私じゃ・・・ないわ・・・」

「俺も・・・違うぞ・・・」

「僕でもありません」

 

俺はもう一度声を出した。

 

「・・・リン・・・ディス・・・」

 

視線が自分に向いた。

 

「・・・え・・・今・・・」

 

俺の左腕に力が戻ってきた。

だが、体はまだ動かさない。

 

「・・・リンディス・・・」

 

部屋に風が吹き込んだ。

 

「・・・ハング・・・なの?」

「リンディス・・・」

 

駆け寄る影、衝撃、そして体温。

 

「ハング!ハング!!ハングハングハング!!」

 

肩にかかる重み、体に乗る痛み。

 

「ハング!!ハング!!今・・・私を呼んだの!?」

 

彼女が顔を覗き込んでくる。

 

俺は何も反応を示さない。

 

彼女はそれを見て一度は落胆したが、すぐに希望を見出したような顔をした。

 

「いいの・・・いいの・・・少しずつでいいから・・・ハング・・・ゆっくり・・・ゆっくりでいいから・・・戻って・・・きてくれるのよね?」

 

緩慢な動きで、無表情な顔のまま俺は彼女の瞳を見つめ返す。

 

「・・・ハング」

 

彼女の顔は喜びに満ちていた。

俺が反応を見せたのがそんなに嬉しかったのか。

彼女は無表情の俺に笑いかけてくる。

 

その時、彼女の笑顔が凍り付いた。

 

「ぐっ・・・は・・・はっ・・・」

 

鈍い音がして、彼女の目が大きく見開かれる。

そして、彼女の希望に満ちた顔が切り替わる。

現れたのは『絶望』の一色だった

 

「はん・・・・ぐ・・・どう・・・して・・・」

 

俺は彼女の腹に打ち込んだ左腕の拳を引き抜いた。

彼女は呼吸ができず、意識が遠のきかけている。

 

それでも彼女は倒れまいと、俺の服を掴んだ。

 

「・・・・どう・・・・して・・・・」

 

見上げる彼女の耳元に俺は口を寄せた。

 

「・・・ッ!!」

 

俺の返事に彼女がどういう顔をしているのかなど、見なくてもわかる。

彼女の全身が震えるほど動揺しているのを見れば十分だ。

 

そして、俺はもう一発左腕を鳩尾にめり込ませた。

 

「・・・ッァ・・・・」

 

彼女の体から完全に力が抜けるのがわかった。

俺は彼女の体を押しのけて、立つ。

 

弱っていた体だが少しは動けるようだ。

 

「・・・ハング!!君は・・・なにをしてるんだ!!」

 

エルクが魔導書を持ったまま開くことが出来ずにいた。

 

「・・・おい・・・おいおいおい!ハング!!嘘だよな!!今ならまだ冗談で済むんだぞ!」

 

ウィルは弓を持ち出しているが、矢を引き絞ることができない。

 

「なんで・・・なんでこうなるのよ!!!なんであんたはそんなことしてるのよ!」

 

セーラが泣きそうになりながら杖を投げつけてきた。

 

それに対するハングの答えはもう一つだけだ。

 

「・・・我は・・・ネルガル様のもとへ・・・」

 

ハングはベットから三人に向けて襲いかかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

マシューがいた。

 

「ハングさん!気がつい・・・嘘でしょ!!ちょっ!」

 

ヒースがいた。

 

「ハング!!・・・・・・どういうことだ!ハング!俺のこともわからないのか!?」

 

レイヴァンがいた。

 

「お前は・・・このクソ軍師が!」

 

ハングを相手に誰もまともに刃を向けられない。

ハングは左腕を使って暴れ、廊下を突き進む。

 

そして、両開きの扉に手をかけて、開いた。

扉の先は眩い光の中。

そこは戦いの激戦区へと続く道だった。

 

エリウッドとヘクトルが弓兵達との距離を詰めようと奮戦している。

相対するのは無表情というより、無感情と思われる【モルフ】達。

 

ハングはその戦闘の中心を進み、【モルフ】の側へと歩いて行った。

 

ハングに矢を射る【モルフ】はいない。

ハングに目を向ける【モルフ】はいない。

 

「・・・おい・・・あれは・・・」

「・・・ハング・・・だと・・・」

 

視界の隅でヘクトルとエリウッドが驚愕しているのがわかった。

 

だが、残念ながらそんなことはどうでもよかった。

 

ハングは【モルフ】の中でも首領格と思しき奴に向かって歩いていく。

 

「ハング!!お前、どこに行く気だ!!」

「行かせない!!君を・・・行かせるかぁ!!」

 

戦場の中を走り出した二人。安全性も確実性も度外視して無策な突撃へと至る。

二人は敵を薙ぎ払い、踏み越え、ただハングへと手を伸ばす。

 

「どけぇぇえぇぇぇえええ!!」

「邪魔だぁぁぁぁぁあああ!!」

 

ハングは彼らの絶叫を聞きつつも、決して歩幅を緩めはしない。

 

「ハング!!てめぇぇえ!止まりやがれぇぇぇ!」

「こっちを向いてくれぇえ!ハングぅううううう!」

 

それは無理な相談だった。

 

ハングは【モルフ】の前に立った。

 

「ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で、お前たちを待っている・・・」

 

同じ言葉を繰り返し続ける【モルフ】に対し、ハングは問う。

 

「ネルガル様のもとへ・・・連れて行け」

「ネルガル様からの伝言を伝えます。私は【魔の島】で、お前たちを待っている・・・」

 

永遠と同じ言葉を繰り返しつつ、その【モルフ】は城門の外を指差した。

ハングはその方向へと足を向ける。

 

「いくなぁぁぁあぁああ!」

「待ちやがれぇぇぇええ!」

 

城門の外。

 

そこにたどり着いたハングの足元に魔法陣が現れた。

 

ハングは最後に後ろを振り返る。

 

「ネルガ・・・様からの・・・伝・・・えま・・・」

「ハング!!」

「ハング!!」

 

【モルフ】を打ち倒し、必死に駆けてくるエリウッドとヘクトル。

 

ハングはその二人を冷めた目で見つめていた。

 

ハングに向けて伸ばされる手。ハングが掴めば、届く距離にまで二人は迫っていた。

それを見て、ハングは唇の端で笑い、消えた。

 

エリウッドとヘクトルの伸ばした手は空を切る。

 

彼等の目の前でハングは消えた。

 

「くそぉおおおおおおおおおお!!」

 

ヘクトルの絶叫がただ虚しくオスティアの城の中に響き渡っていた。



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間章~邂逅~

「よくぞ戻った・・・」

 

ここは【竜の門】

ハングはネルガルを前に片膝をつき、頭を垂れていた。

 

「・・・我が命は・・・ネルガル様の為に・・・」

「ククク、それでいいのだ。貴様はしょせんただの人形・・・奴らと共になどいられまい」

「・・・はい・・・我が存在はネルガル様の傍でこそ輝くと思い至りました・・・」

 

抑揚のない声、沈み込んだ瞳。

意志の光を宿さない表情はまさに人形と言えた。

 

ネルガルの隣に控えるのはリムステラ。

 

「それでいい・・・さて・・・」

 

そう言って、ネルガルは懐から橙の石を取り出した。

その中に炎でも閉じ込めたかのような温もりを持った石。

 

「ハング、これを見てみろ」

「これは?」

「あの姉弟・・・ニルスとニニアンの竜石だ」

 

その説明にハングはわずかに眉をひそめた。

 

「竜石?・・・力の源のようなものですか?」

「そうだ・・・今からこれに【エーギル】を注ぎ込む」

 

ネルガルの片腕が光り、石の中に吸い込まれていく。

 

「これは・・・」

「あの竜の娘・・・ニニアンの【エーギル】だ。すばらしい・・・まったくもってすばらしい・・・・・・」

 

陶酔したようなネルガル。ハングとリムステラは無感動にそれを見ていた。

 

【モルフ】にとって、感情とは不要なもの。

 

主人が成功しようがしまいが、動かす心は持ち合わせがない。

 

「これで、私はいつでも【竜】を呼び出すことができるのだ」

「・・・すぐに儀式を始められますか?」

「いや、アトスに受けた傷から幾分かの【エーギル】が流れだした」

 

ニニアンが死亡したあの時、ネルガルはアトスから地獄の業火を食らっていた。

傷を負っているようには見えないが、弱っているのだろうか。

 

「・・・充分な数を呼び寄せるにはもっと【エーギル】を得なくてはいかん・・・【竜】が相手なのだ呼び出す時には万全でなくては。逆にやられては、なんにもならんからな」

「・・・恐れながら」

 

一礼して、リムステラが口を挟む。

 

「【黒い牙】の者どもの【エーギル】は、使い尽くしました。次は、どこから調達いたしましょう?」

「こちらから出向かずとも、材料は向こうからやってくる」

「・・・なるほど、エリウッドたちですね」

「その通りだ。やつらを倒し、そのエーギルを奪って【竜】を呼び出すぞ」

 

ネルガルはそこでハングへと視線を移した。

 

「ハングよ、貴様の知識を使い、奴らを消耗させよ。【モルフ】の手勢はいくら使ってもかまわん、エリウッドの【エーギル】をわしに捧げよ」

「・・・おおせのままに」

 

ネルガルが背を向け、リムステラも退出する仕草を見せる。

 

ハングはゆっくりと腰をあげた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「リンディス!」

「お前ら、無事か!?」

 

ハングが寝ていた部屋へと舞い戻ったエリウッドとヘクトル。

部屋の中は嵐にでもあったかのごとく荒らされていた。壁には爪の痕が走り、拳にぶつかったのか陥没している個所もあった。家具がひっくり返り、へし折れた弓が転がり、床にはウィル達が倒れていた。

 

「くっそ!おい、おい!しっかりしろ!!」

「う・・・あ・・・」

「息がある・・・」

「皆無事だ」

 

全員の息を確認してエリウッドとヘクトルは安堵した。

下で倒れていた連中も皆無事だった。

 

ここまで来ると、わざと生かしたとしか思えない。

 

「・・・まさか・・・あいつ・・・【エーギル】取るために生かしたってことは・・・」

「ヘクトル!!」

「俺だってわかってるよ!!あいつが裏切るような奴じゃないってことはな!でもよ・・・」

「でももなにも無い!!彼はハングだ・・・ネルガルにつくなんてことは・・・あり得ない!!」

 

エリウッドの言葉にはなんの根拠もない。ただの盲信と言われればそれまでだ。

だが、彼等はこの軍を預かる存在。

希望的観測を行うわけにはいかなかった。

 

「けどよ・・・わかってんだろ・・・もし・・・あいつが・・・」

「・・・・わかっている!」

 

エリウッドは怒鳴るようにヘクトルの言葉を遮った。

 

神策鬼謀の軍師ハングが敵にまわったとしたら、ネルガルとの決戦にエリウッド達に勝ち目があるのかがかなり際どくなる。

 

そんなことはエリウッドも理解していた。

納得ができないだけだ。

 

その時、ベッドに寝かされていたリンディスが飛び起きた。

 

「・・・・・・ハング!!」

「リンディス」

「気が付いたか」

 

彼女は心配している二人と部屋の惨状を見て状況を悟った。

 

「・・・ハングは・・・止めれなかったのね」

「・・・ネルガルのところに・・・行ってしまった」

「・・・すまねぇ・・・俺達が・・・」

 

リンディスは目の前のシーツを握りしめた。

 

「・・・エリウッド達は・・・悪くないわ・・・」

 

歯を食いしばり、目に溜まった涙が視界を霞ませる。

リンディスは力任せに拳をベットに振り下ろした。

 

「お、おい・・・」

「リンディス・・・」

 

リンディスは何度も、何度もその拳を叩きつけた。

彼女はハングが寝かされていたベットを殴り続けた。

 

「・・・・バカ・・・・バカ・・・・」

 

溢れた感情とどうにもならない無力感がリンディスの中を暴れまわる。

噛みしめた歯の隙間から、嗚咽のような音が漏れていた。

 

「・・・バカ・・・バカ・・・あの・・・バカ!!」

 

一際強くたたきつけた拳が、ベットの骨組みにひびを入れた。

 

「リンディス・・・そんなに自分を責めないでくれ・・・」

 

そう声をかけたエリウッドをリンディスは睨みつけた。

そのあまりの気迫はエリウッドの体を硬直させるほどのものだった。

 

そして、気付く。

 

彼女は何かに激怒していた。

 

「・・・何か・・・あったのかい?」

 

リンディスは体を震わせながら、もう一度拳を固めた。

 

「・・・あのバカは・・・最後に言ったの・・・」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

去りゆくネルガルの背中。

 

ハングはもう一度、片膝をついて頭を下げた。

 

そして、そっと左腕を床につけた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

「あのバカは・・・」

 

 

『勝手にいなくなるわけじゃないから、許してくれよ』

 

 

「そう言ったのよ!!」

 



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間章~反逆~

ハングは左腕の爪で床石を掴み、飛んだ。

 

迫るネルガルの背中。左手を槍の穂先のように固めて、ハングは爪をその心臓めがけて突き出した。

 

ネルガルは気づかない。届くと確信するハング。

だが、残り数メートルといったところで、ネルガルが振り返ってしまった。

 

「くそっ・・・」

 

ハングの指の爪先はネルガルが張った障壁にぶつかり、止まる。

 

しかし、成果はあった。

 

火花が飛び散る障壁の向こう側でネルガルが驚愕に目を見開いていたのだ。

 

「くっはははは・・・いい、いいねぇ・・・」

 

ネルガルの顔を見下ろし、ハングは不敵に笑った。

 

「その顔が見たかったんだよ」

 

隣のリムステラから近接攻撃が迫る。

ハングと同じく、指先を槍の穂先のように固めた貫手の構えだ。

 

ハングは後ろに飛んでそれを避ける。

 

「くそっ・・・一撃で決めるつもりだったんだがな・・・」

 

ハングは十分に間合いをあけて、ネルガルと対峙する。

 

「ハング!なぜだ!!なぜ貴様は!!」

「あ?そんなに不思議なことか?」

「奴らは貴様の仇だろ!貴様の憎しみの対象だろう!!それなのに、なぜ貴様はエリウッド共に味方する!!」

 

ハングはその言葉を鼻で笑った。

 

「お前がいじくった記憶は、俺がヴァイダさんと出会う前の記憶ばかりだった」

 

ハングは隣のリムステラを油断なく見ながらそう言った。

 

「それに、お前は言ったな。俺を操ろうとして失敗していると・・・つまるところ、お前は俺を手元に置いてた期間のことしか俺に干渉することができない・・・今の俺がお前に逆らって、何の不思議がある」

 

そう言っても、ネルガルは納得いかないようだった。

そんなネルガルを前にしてハングは挑発的な笑顔を浮かべてみせる。

 

「反抗期ってやつじゃねぇのか?放任主義なんかにしているからそうなるんだ」

「なぜだ!なぜだ!なぜ、お前は従わん!!」

 

ネルガルが腕を振り、ハングの頭の中が白く染まる。

そのたびに凄惨な過去が見え隠れするが、ハングは平然としていた。

 

ハングは自分の手を持ち上げ、握ったり開いたりを繰り返す。

そして、ハングは左拳を強く握りしめた。

 

「へへへ、これで確信が持てた・・・やっぱりあんたは俺を操れねぇんだ」

 

ハングはその左腕を地面に突き立てる。

 

「あんたは俺の産みの親かもしれない。俺は造られた存在かもしれない」

 

深い夢の中。永遠に続く悪夢。

何度も見せられた自分の過去。

 

その合間に俺を魅せる、輝きを持った思い出達。

 

「でもな・・・俺が積み上げてきた時間は・・・この魂は・・・この心は・・・俺のもんだ!!この俺!『ハング』のもんだ!!」

 

ハングは再度、ネルガルに飛びかかった。

正面からの突撃に、ネルガルは障壁を張る。

 

「・・・そう何度も、防がれてたまるかよ!!」

 

ハングは左腕を地面に突き立てて、無理やり停止する。

そして、そのまま飛ぶ方向を変更し上へと飛び上がった。

 

「・・・・・・・・愚かな」

 

空中に飛び出したハングに対して、リムステラが魔法の狙いを定めた。

空中で身動きの取れないハングはいい的だ。

 

ハングは空中で姿勢を修正しながら、リムステラを見下ろす。

 

「・・・・いいぜ、来いよ」

 

リムステラの手のひらに収束した雷が放たれる。

その瞬間、ハングが空中を『蹴った』

 

「・・・・なにっ!!」

「なんだと!」

 

ハングが『蹴った』空間には魔法陣が取り残されていた。

持ち運び可能で、誰しもが発動できる結界術。光の結界だ。

ハングは空中に結界の壁を作り、そこを足場にネルガルへと飛び込んだのだ。

 

ネルガルの障壁はリムステラの魔法を通過させる為に解除されている。

ハングはネルガルの足元に着地し、その勢いを殺さずに足を踏み込んだ。

 

足裏から跳ね返ってくる反動を腰と肩の筋肉で更に加速させ、全ての力を左腕へと練り上げる。ハングは自分の持ちうる最大の一撃を叩きつけた。

 

激しい打撃音。

 

だが、やはりネルガルには届かなかった。

リムステラがハングの一撃を受け止めていた。

しかし、例え【モルフ】といえども、ハングの左腕の直撃を受けてまともでいられるはずがない。受け止めたリムステラの右腕の肉が爆ぜ、骨がむき出しになった。

 

しかし、リムステラはそんなことなどものともせず魔法を放つ準備を整えていた。

 

「・・・フィンブル」

「くそっ!」

 

ハングは慌てて後退。

それを追うように、足元から氷塊が突き上げてくる。

 

なんとか回避はしたものの、またネルガルとの距離を離されてしまう。

 

「・・・今のでも、だめか・・・」

 

なら次だ。別の戦術を頭の中で組み上げていくハング。

そのハングをネルガルは憎々しげに睨みつけていた。

 

「・・・貴様・・・正気だったのだろう」

「ん?」

 

ハングの頭では既に次の行動が決定していたが、ネルガルの言葉を待ってみることにした。

 

「まぁ、今の俺が正気だとするならな」

「なら、なぜここに来た?エリウッド達と共に来た方が、勝ち目があっただろうに。それなのに・・・なぜ、ここに単身乗り込んできた?」

 

その問いにハングは驚いたような顔をした。

 

「へぇ・・・」

 

そして、ハングの身体が震えだす。

 

「くっくっくく・・・」

 

ハングは喉の奥で笑っていた。

 

「くっくくくくははははははははは!!」

「・・・・・・何がおかしい」

「そりゃおかしいだろ。ははははははは!!」

 

ハングは目元に涙をにじませつつ腹を抱えて笑っていた。

 

「あんたが・・・全知全能みたいな物言いをしていたあんたが!自分の作り出した【モルフ】の思考も読めないとはねぇ!!ハハハハハ、こいつは傑作だ!!」

 

ネルガルの眉間に深い皺が刻み込まれる。

 

「・・・・・・・」

「ああ、おっかしい・・・んなもん、決まってるだろ。俺が独りでこなきゃ、こんな機会は巡ってこなかったじゃねぇか」

 

ハングはそう言って再び左腕を構えた。

 

「今、目の前に・・・全ての元凶がいて・・・こいつを殺せば何もかも終わる。そして、俺はお前が油断しきる場所に潜入できる。ここに来る理由はそれで十分だ」

「そんな危険を冒してまで・・・なぜお前は弱者に味方をする!なぜ儂に従わんのじゃ!!」

「それこそ愚問だろ・・・」

 

ハングは唇の端を持ち上げ、不敵に笑ってみせた。

 

「俺はな・・・別に世界どうこうなんて別にどうでもいいんだよ」

 

そして、ハングはもう一度左手を地面に突き立てる。

 

「ただな・・・守りたい親友がいるんだよ・・・」

 

時たま皮肉が出て、妙に俺のことを見透かすあの狸貴族がいる。

 

「それと・・・共に笑っていたい悪友もいる・・・」

 

ガタイばかりの脳筋馬鹿なのに、なぜか鋭い時がある山賊みたいな見た目の友人がいる。

 

「あとは・・・生きていて欲しい仲間がいる・・・」

 

長い旅だった。その中で数多くの得難い仲間と出会ってきた。

それは何物にも代えがたい宝だ。

 

「・・・そんで・・・惚れた女がいる・・・」

 

『あなたは一人前の軍師!私は一人前の剣士!!がんばろう!ね?』

『また・・・どこかで会えるよね』

『私も・・・あなたが・・・ハングが好きだから』

 

じゃじゃ馬で、お転婆で、暴力的で。

綺麗な瞳と優しい笑顔が眩しくて。

憧れて、護りたくて、幸せにしたいあいつがいる。

 

「・・・皆が生きるためには・・・てめぇが邪魔なんだ」

 

身体中の筋肉が躍動を求めて怒張する。自分の心臓が唸る。血管が爆発しそうな程に脈打つ。

これが、今生きているという実感なのかもしれない。

 

「だから・・・だから・・・俺はここに来た!俺が・・・お前を・・・・殺す!!!」

 

ハングはまたもや突撃をかました。

だが、今度は一直線に突っ込んだりせず、左右に飛びながら魔法を回避していく。

 

ネルガルとリムステラはここにきて威力の高い闇魔法に頼りだした。

しかし、それこそハングの思うつぼであった。

 

なぜなら、ハングはネルガルと相対するこの時の為に、ずっと闇魔法に精通してきたのだった。

ハングは床を破壊して魔法陣を崩し、魔法を左右にいなしながら距離を詰めていく。

そして、最大の障害であろうリムステラが立ちはだかる。

 

「どけぇぇ!」

「・・・・っつ!」

 

ハングのは盾になろうとしたリムステラを吹き飛ばした。

ここに来て、ハングは三度目の機会を得た。

 

八方向から迫る黒弾を最小限の動きでかわし、ハングはネルガルの懐に飛び込む。

 

「死ねよ!!くそ親父!!!!」

 

ネルガルの眼前に滑り込んだハング。

全てをもって確信する。

 

この一撃は届く!!

 

突き出した腕。黒い爪。その切っ先がネルガルのローブに触れた。

 

むせ返る程の血の臭いがした。



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間章~風穴~

「・・・・・・あれ?」

 

届くと思ったハングの腕。

 

だが、なぜかその腕が動かなくなった。

 

ネルガルのローブに爪の先がついているというのに、それ以上腕が前に進まない。

 

「・・・なんで・・・」

 

ネルガルはまだ無傷だ。だが、なぜか鼻の奥に鉄臭い血の臭いが広がっていた。

 

なんだ?なにが起きている?

 

ハングは動かなくなった自分の左腕へと目を向けた。

 

「・・・・・え?」

 

鱗に覆われた竜の腕は自分の肩から力なく地面へとぶら下がっていた。

右腕も同じく大地に引かれるまま体からぶら下がっている。

 

両腕が動いていない。

 

それじゃあ、目の前にあるこの腕は誰の腕だ?

ネルガルを突き刺さんとしているこの腕は誰の腕だ?

 

ハングは目の前の腕の根元をゆっくりと辿る。

 

その腕は、ハングの胸の中心から突き出ていた。

 

「・・・・・あれ?」

 

ハングはネルガルを見上げる。

ネルガルはもうハングなど見てはいなかった。

 

「・・・・よくやったぞ、リムステラ」

「はっ」

 

軽い衝撃が来て、腕がハングの身体から引き抜かれた。

背後からハングを貫いていたリムステラの腕が引き抜かれた。

 

「ぐふっ・・・」

 

臓器を派手に傷つけられて、気管や食道から血が逆流する。

口から零れた血反吐が顎を伝い、したたり落ちる。

 

足元が崩れ落ち、体の力が抜けていく。膝が床石にぶつかる鈍い痛みがした。

そのまま身体を支えることができず、ハングは冷たい地面に横たわった。

 

「・・・・はっ・・・・はっ・・・・はっ」

 

血流に合わせて胸から血が吹き出し、呼吸が風穴から洩れていく。

 

「・・・・・はっ・・・・・・・はっ・・・」

 

寒くて、痛い。

身体の震えが止まらず、悲しくもないのに涙が零れ出ていた。

身体に力が入らない。指一本、瞼一つ動かすことができなかった。

 

これが、死ぬってことなのか。

 

「・・・手間をかけさせおって」

 

頭上から聞こえるネルガルの声。

既に耳鳴りが邪魔をして、上手く聞き取ることもできなかった。

 

胸から血と共に身体の温もりが消えていく。呼吸ができずに意識が朦朧としていく。

 

「・・・・・エリ・・・・ウッド・・・・」

 

声が出るのが不思議なくらいだった。

 

「・・・・ヘク・・・・トル・・・・」

 

だが、きっとこの声もそのうち出なくなる。

 

「・・・リン・・・・ディス・・・」

 

俺は【モルフ】だ。肉の塊に宿った、ただの自我だ。

例えあの世があっても、俺は行くこともできない。

 

「ああ・・・く・・・そ・・・」

 

意識が次第に遠のいていく。

 

そんなハングの頭上ではネルガルとリムステラがハングの処分について話し合っていた。

 

「・・・いかがいたしましょう」

「心臓は壊れた。このまま放っておいても塵となって消えるがな・・・だがな」

 

目の前にネルガルのローブが見えた。

朦朧とする意識の中、ネルガルの声が頭の中に響く。

 

「【モルフ】は死ねば塵となってしまう・・・例えここで死んでもその証拠は残らない・・・そうなれば、お前が『生きているかもしれない』という希望がエリウッド達に残ってしまう」

 

ハングはその言葉に反応する体力など既に残っていなかった。

 

「ハングよ・・・儂は慈悲深い。貴様には『仲間』のもとで死ぬことを許可してやろう」

「・・・・・・・・・・・」

 

ハングの瞳に溜まった一滴の雫。

それはこぼれることもなく、どこぞへと消えていった。

 

「・・・・ふむ、これでいい」

 

ネルガルの足元には淡い光に包まれたハングの体があった。

 

「しばし、時を止めた。人間が触れればまたも時が動き出す。これを適当な場所に置いておけ。いつぞやの女狐のように、宣戦布告とせよ」

「・・・・わかりました」

 

瀕死のハングを抱え、リムステラが転移の準備をする。

 

ハングはきっとエリウッド達に触れられた瞬間に死に絶え、奴らの目の前で塵と化すだろう。

これまで頼りにしてきた軍師の最期に何もできない無力感と喪失感。

そして遺体すら残らないハングを前に、エリウッド達はハングが本当に人間でなかったのだと悟る。

 

奴らの精神にとってこれ以上ない打撃になるだろう。

絶望に身を持ち崩してもなんら不思議ではない

 

手土産としては十分すぎる。

 

「少しは・・・役に立ったな・・・我が息子よ」

 

転移されていくハングの体を見ながら、ネルガルはそうつぶやいた。



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間章~魔の島再び(前編)~

『・・・僕たちは先に【竜の門】へ向っています』

『なんと!?』

『だな。ネルガル自身には歯が立たなくても、奴の手勢を減らすことはできる。迎えに行かなきゃならないバカもいるしな』

『早くネルガルの招待に応じないと・・・今みたいに向こうから仕掛けてこられる。そんなことされる位ならこっちから行くわ!』

『ハングが先手を打ちに行った。僕らが行かなければそれも無駄になってしまう』

『・・・おまえたちは本当に・・・ローランによく似て・・・この歳まで生きてこんなに驚かされるとはな』

『・・・アトス様』

『定められた運命を変えるのは・・・結ばれた強い絆・・・行くがいい、若い者たちよ。【竜の門】を目指して進んで行くがいい』

 

そんなことがあったのは、およそ二日も前の話だった。

ハングが私達の前から姿を消してもう二日。

 

「・・・・・」

 

リンディスは海賊船の甲板の隅に立ち、海を眺めていた。

【魔の島】へと行くためにバトンへと赴き、ファーガスさんへと頼み込んだ。

 

『あのバカ息子がぁ!!んなことになってるなら話は別だ!!さっさと乗れガキ共!すぐに船を出す!』

 

危険な海流も縁起の悪い風も何もかも無視して海へと漕ぎ出してくれたファーガス。

その憤怒は海の神さえも青ざめさせる程だった。

彼等は寝る間の惜しんで船を進め、夜闇すらものともせずに最速で向かっている。

それでも、リンディスは焦る心を押しとどめることができなかった。

 

『勝手にいなくなるわけじゃないから、許してくれよ』

 

絶対に許さない。

 

リンディスは船の手すりを握った。

彼は一人でネルガルに戦いを挑みにいった。

何もかも全て一人で背追い込んで、彼は行ってしまった。

彼が何を思い、何をしようとしてるのかは想像に難くない。

 

それが今どんな結末を辿っているのかをリンディスは考えないようにしていた。

 

二日も経った今でも、アトスから連絡は無かった。

それはまだネルガルが生きていることを示している。

 

リンディスは震えそうになる身体を抑え込むように、自分の胸の上を握りしめた。

服の下にはハングから貰った品を入れた袋が下がっている。

 

『アトス様・・・ハングが・・・今、どうなってるかわかりますか』

『・・・すまぬ』

『そう・・・ですよね』

 

せめて、せめて、私達が行くまで行動を起こさないで。

リンディスはそれだけを思い続けていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

鬱蒼と茂る樹海。高い湿度と生温い風が来るものを拒む未開の地。

人間の根源的な恐怖を揺さぶる【魔の島】に彼らは降り立った。

 

「ハング!!いんのかぁぁぁ!!」

 

ヘクトルの怒声が響く。

 

「ハング!返事をしてくれぇ!」

 

エリウッドも声を張る。

敵に見つかる危険など完全に度外視していた。

 

「このバカ息子がぁぁぁ!」

「さっさと戻ってきなぁぁ!」

 

ファーガスとヴァイダも殺気を撒き散らしながら叫ぶ。

だが、森の中からの返事は無い。

 

「ハング!!」

 

それでも、声を張るエリウッド達。内心の焦りと恐怖が押し黙ることを避けていた。

 

「ハング!!」

「返事を・・・返事をして!!」

「返事しろぉぉぉ!!」

 

声は木霊することなく、森の奥へと吸い込まれていった。

エリウッドは再び息を吸い込み、声を張り上げようとした。

 

「エリウッド様!闇雲に叫んでも仕方ありませんぞ!」

 

それを止めたのは船から飛び降りてきたマーカスだった。

 

「マーカス!でも・・・」

「ハング殿が生きておられるなら、もし【モルフ】を率いてくるなら、ハング殿はどこに陣を敷きますか?」

「・・・・・・」

 

エリウッドは押し黙る。

そして、考える。

頭の中を回転させ、考える。

 

 

相手はハング、そして大戦力の【モルフ】

なら、それらを展開できる広大な土地に陣を張る。

もしくは部隊を森の中に少数に分けて潜伏させ、こちらを足止めして疲労を強いる。

 

どちらにせよ、ここで叫んだところで何もならない。

エリウッドは一度自分を落ち着ける。

 

「・・・わかった。ありがとうマーカス」

「いいえ、臣下の務めですから」

 

エリウッドはゆっくりと仲間を振り返った。

 

「とにかく、行軍の準備をしよう。その間、何人かでここら一帯を捜索する」

「私は行くわ!」

「俺もだ!」

 

勢い良く言い張る二人にエリウッドは仕方なしと頷いた。

 

「俺も行かせてもらいますよ」

「マシュー・・・君は、いいのか?」

「墓参りのついでですって、大丈夫ですから」

 

軽口を叩いてはいるが、マシューの顔は少し青白い。

この島への上陸に一番良い思い出がないとすれば彼とフィオーラであろう。

そのフィオーラはニルスの方についてもらっているので、この場にはいなかった。

 

エリウッドは目の前で意気込む三人を前にして眉間に皺を寄せた。

 

「わかった。三人に任せる。ただし!決して無茶はしないように」

 

三人はそれぞれ返事をして、三方に散って行った。

 

皆が海岸線の周囲を探索していくなか、マシューだけは真っすぐに『ある場所』を目指していた。

 

「うへぇ・・・相変わらず、生理的に受け付けない場所だよな」

 

ぶつくさと独り言を言いながらも、マシューは霧の中で目を凝らす。

 

「ああ、もう・・・思い出しちまうじゃないですか・・・」

 

この霧の中、樹海の入り口でレイラは殺されていた。

 

ヘクトルに呼ばれ、向かった先に横たわっていた無残な体。

トラウマのような記憶がマシューの身体を硬くする。

 

「頼んますよ・・・本当に・・・頼んますよ・・・」

 

祈っても無駄だとは知っている。

いくら祈ってもレイラは帰ってこない。

 

だが、祈らずにはいられなかった。

 

霧に濡れ、服が重くなる。

水溜りが靴に染みて、痛いほどの冷気を伝えてくる。

 

それでも、マシューは真っ直ぐに『その場所』を目指した。

 

レイラが倒れていた場所。

 

嫌な予感が胸をざわめかせる。

脚を止めたくなる自分を叱咤して、霧の中を進む。

 

「確か・・・このへん・・・」

 

そして、マシューは息を呑んだ。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ああぁぁぁぁあぁあぁっ!!」

 

聞きなれない絶叫。

 

それがマシューのものだと真っ先に気がついたのはヘクトルだった。

 

敵か?獣か?

 

わかっている。マシューが叫びをあげるなんて、そんなことが原因な訳が無いのだ。

 

理由などすぐに想像がついた。だが、それをヘクトルは必死に否定した。

 

信じたくない。そんなはずはない。

 

「マシュー!!」

「・・・ちくしょう・・・ちくしょぉぉぉぉぉう!!!」

 

マシューが何度も地面に拳を叩きつけていた。

そして、マシューの見ているものがヘクトルの視界にも入ってくる。

 

「そん・・・な・・・」

 

ヘクトルの膝が崩れ落ち、湿る大地に突き刺さった。

 

その背後で誰かが息を飲んだ。

 

「・・・・あぁ・・・」

 

マシューの声に呼ばれ、駆け付けたリンディス。

彼女の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。

 

「ああ・・・・ああ・・・ああ・・・」

 

三人の目の前の一本の樹。

 

そこには胸の風穴に枝を貫かれ、一人の青年がぶら下げられていた。

目を虚ろに開き、四肢を力なく垂れさせ、重力に抗うこともせず、ハングの身体がそこにあった。

 

「そんな・・・」

 

目の前のことを誰も信じられなかった。

心が『あり得ない』と叫び声をあげていた。

 

マシューが涙も流せずにうめき声をあげていた。

ヘクトルが奥歯を折らんばかりに噛み締めていた。

 

リンディスが小さく首を横に振った。

 

「そんな・・・そんな・・・」

 

ハングの声が記憶の中から呼びかけてくる。

 

草原で出会った記憶。夕焼けの中別れた記憶。危機に駆け付けてきてくれた記憶。

喧嘩して、仲直りして、何度もぶつかり合って。その果てに気持ちを確かめ合った。

『また一緒に旅に出ようぜ・・・俺たちは二人で一人・・・だろ?』

 

「ハング!!」

 

ハングへと駆け寄るリンディス。

 

リンディスは僅かな温もりを求めるかのように、ハングへと手を伸ばした。

そして、彼女がハングに触れようとしたその時だった。

リンディスは自分の指先が何か膜のようなものを突き破った感触を確かに感じた。

 

ハングの身体から緑の燐光が弾ける。

次の瞬間、止まっていた時が動き出した。

 

ハングの胸から鉄の血潮が噴き出る。

 

「・・・・え?」

 

ハングの口から血が溢れかえる。胸から吐息の残滓が笛のような音を響かせた。

死に絶えたと思ったハングが息を吹き返した。

 

だが、それが何を産んだかといえばハングが死に絶えるその瞬間が目の前で執り行われるというだけだった。

 

「・・・え・・・・・・え」

 

リンディスは目の前で繰り広げられている展開にまるで理解が追いつかない。

リンディスはハングの血を受け、茫然とその場に立ち止まってしまう。

 

「どけ!リンディス!!」

 

ヘクトルに押しのけられ、尻もちをつく。

 

「ハング!てめぇ・・・生きてんのか!?・・・でも・・・くっそ!考えるのは後だ!!」

 

ヘクトルは急いでハングを木の枝から降ろしにかかる。

だが、ハングを貫いていた木の枝は間違いなく胸の中心を抉っている。

頭の片隅に『無駄かもしれない』という考えが浮かんだが、それで手を休められるほど、ヘクトルの諦めは良くはなかった。

 

ヘクトルはハングを貫く枝を斧で切り落とす。

だが、頭の中の冷静な部分がハングの身体を樹から引き抜くことを押しとどめた。

風穴からの出血は酷い。だが、胸を穿つ木の枝が出血を抑えてくれている面もあるのだ。

もし、樹の枝からハングを外せば出血はあっという間に致死量に達する。

 

「うぅ・・・っ・・・・」

「ハング!?」

 

薄らと目を開けたハングの眼の端から涙が零れ落ちる。

呼吸のたびに苦しそうな風切り音が胸の風穴から噴き出る。

 

「・・・・ぁぁ・・・死ぬ・・・のか・・・」

「死ぬか!死なせるか!!マシュー!誰でもいい!!治癒が出来る奴を片っ端から連れてきてくれ!」

 

マシューからの返事はない。とうの昔に既に仲間達のもとへと走り出していたのだ。

 

「・・・・ヘク・・・・トル・・・・」

「喋るな!!」

 

ハングが動くのに合わせて胸部に空いた穴から血が吹き出ていく。

ヘクトルがそれをマントで抑え込みながら怒鳴る。

 

「死なせねぇぞ!!もう誰も!俺の前から消させはしねぇ!!」

 

吹き出る生暖かい血を閉じ込めるようにヘクトルはハングの傷を抑える。

 

「リンディス!おめぇも手伝え!!」

 

今もほうけているリンディスに一喝した。

 

リンディスはその声に雷に打たれたかのように身体を震わせ、手足をばたつかせながらハングへと駆け寄った。

リンディスとヘクトルはがむしゃらに風穴の隙間から洩れる血を抑えることに全力を注いだ。

 

「止まって!止まってよ!止まってぇっ!!」

「くっそ!くっそ!止まれ!!止まれよ!!」

「・・・・ぁぁ・・・ぁぁ・・・」

 

喘鳴のような呼吸。

吹き出る血。

消えそうな灯。

 

そもそもがその火がまだ消えてないこと自体が奇跡のようなものだった。

 

誰かが言っていた。

 

『奇跡は起きないから奇跡と呼ばれる』

 

「こん・・・ちくしょうがぁあああ!!」

 

包帯替わりのマントが血で重くなっていく。出血が止まらない。

溢れかえる血が止まるのはきっとハングの体の血が全部出尽くした時なのだろう。

 

「早く・・・早く・・・誰か!!誰かきてぇぇええ!!」

 

リンディスの叫びが霧の中を木霊する。

時間は刻一刻と近づいてくる。

 

「ヘク・・・トル・・・」

「喋るなって言ってんだろ!!」

「・・・わる・・・いな・・・」

「馬鹿野郎!!喋るなって言ってんだろ!!」

「・・・リン・・・」

「喋らないで!お願いだから!!」

「・・・ごめ・・・ん・・・」

「お願い!!やめて!!やめてよぉっ!!!」

「・・・それと・・・エリ・・・ウッドにも・・・」

「聞きたくねぇって言いたいのがわかんねぇのか!」

 

ハングは苦笑いをするように、いつもの満面の笑みのように、不敵に笑った。

 

「安心・・・しろ・・・よ・・・俺は・・・・【モルフ】・・・だぞ」

 

口の端に血の泡をつけ、鼻から血をしたらせ、ハングは言ってのける。

 

「お前らの敵が・・・減る・・・だけ・・・・・」

「ざっけんなぁぁぁぁああ!!」

 

ヘクトルの後方から近づく足音。

大勢の声とマシューの急かす声が霧の中を進んでくる。

 

ただ、ハングの体力はもう限界だった。

 

血を流し過ぎたのか酷く寒かった

穿たれた胸が酷く痛んだ。

 

それでも最期に仲間達の顔も見れた。

 

『だから・・・・まぁ・・・いい人生だったのかもな・・・きっと・・・モルフの中でこんないい死に方ができる奴は・・・俺だけだし・・・』

 

そんな、どうしようもない感想を胸にハングは目を閉じた。



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間章~魔の島再び(後編)~

俺は走っていた。小さな手足をバタつかせ大事な人の名を叫びながら、走っていた。

 

それはいつぞやの記憶。偽りの記録。

ネルガルにいじられた後でそうたいした記憶は残っていないのに、それでも浮かんでくるものがある。

俺が産まれ、物心がつき、共に遊び、叱られ、笑い、泣いた記憶。

それが闇の奥から蘇ってくる。

 

「・・・・ああ・・・そっか・・・夢か・・・」

 

耳から近い場所で今の自分がそう呟いた。その声が自分の意識を覚醒へと近づける。

俺はこの暗闇から逃れるために、瞼に力を込めて目を開いた。

 

そこには一人の少女が立っていた。

 

「リン・・・ディス?」

 

彼女が大きく目を見開く。

 

ふと、周囲を見渡すと、仲間の面々が俺を覗き込んでいた。

 

ハングは背中を木に預けた状態で地面に座り込んでいた。

ハングはやけに重たい左手を自分の眼の前に持ってくる。

 

そして、手を握ったり開いたりを繰り返す。

 

自分の意志で自分の思うままに体が動いていた。

 

「俺は・・・・死に損ねた・・・のか・・・」

 

ハングは生きていた。

胸の中心を抉られたにも関わらず、ハングはまだ生きていた。

 

次の瞬間、ハングの右頬に拳が突き刺さった。

殴られた勢いのままに体が地面に倒れ伏す。露のついた下草に身体が濡れ、酷く冷え込んだ。

だが、ハングの全身はどうしようもない倦怠感に包まれており、起き上がる体力すら残っていない。

 

意識が遠のきかけたハングであったが、その頬の焼けるような痛みがハングに生を実感させていた。

 

「・・・・・・」

 

無言で胸倉をつかまれ、体を起こされた。

再び木にもたれかかるような姿勢に戻されたハング。

 

そこにもう一度拳が刺さった。

 

ハングは一発目がエリウッド、二発目がヘクトルのものだったと予想する。

二発目の拳骨の重さが桁違いだった。

 

奥歯が折れたような気がしたが、口の中は既に血まみれであったので特に気にはしなかった。

 

ハングは再び地面に倒れ、胸倉をもう一度つかまれて起こされた。

ハングはせり上がってきた血反吐の塊を胃の中に押し戻す。

 

目の前にエリウッドがいた。

青筋を立て、目を血走らせ、顔を真っ赤にしたエリウッドがハングを殺意の視線で睨みつけていた。

 

「ハング・・・僕は君が生きていてくれたことが大変うれしい・・・」

 

『そういう顔じゃねぇな』

 

ハングはそんな感想を抱いたが言葉にはしなかった。

 

「二晩だ!二晩もの間!杖を使える人達が総動員で君の胸に空いた穴に祈りを捧げてふさぎ切り。人間の体重にも匹敵するかもしれない程の血を小便のように垂れ流し続けた君が生きていることはまさに奇跡だ!」

 

エリウッドにしては下品な例えが飛び出した。

余程頭に来ているらしい。

 

「この奇跡に対して僕は神に感謝を捧げたい気持ちだよ!今すぐ教会をここにおったてて!君の磔をそこに飾って!君の足元で一週間でも一か月でも祈りを捧げてやる!!」

 

ハングもこうなるであろうことは予想していた。

一つ計算違いがあるとすれば、生きて彼の説教を聞くことができたことであろう。

 

「だがね!僕はそんなことよりも!・・・今すぐに!・・・ここで!・・・この場で!君の顔面が凹むぐらいに殴りつけて!死なない程度に切り刻んで!手足の二、三本は父の墓前に供えないと気が済まない!!」

 

怒りなど遥か昔に通り越し、殺意の波すらとっくに過ぎ去り、エリウッドの中ではハングは既に憎しみの対象にまでなりつつあった。

 

「でも・・・今は・・・さっきの一発で勘弁しておく・・・・本当に君を一寸毎に刻んでやりたい人が他にいるからだ・・・」

 

ハングはエリウッドに乱暴に樹に叩きつけられた。

その拍子に先程飲み込んだ血反吐を吐き出す。誰もそれを拭きとろうとはしてくれなかった。

 

「あとは・・・彼女に任す・・・」

 

エリウッドはそう言ってハングに背を向けた。

ヘクトルがハングの足元に唾を吐きかけて去っていく。

 

それを見て、エルクがハングを睨みつけてどこかへと歩き去っていき、セーラが我慢しきれずに杖でハングを横殴りにし、プリシラも冷たい目を向けてきた。

ルセアがハングの膝を蹴り、カナスが握りこぶしを震わせてマントを翻した。

パントとルイーズだけはハングにほんの少しの慈悲の心を見せてくれたが、何か声をかけてくれることは無かった。

 

そして、ハングはリンディスとその場に残された。

 

しばし、沈黙が訪れる。

その沈黙に耐えられなくなったわけではないが、ハングは自分から口を開いた。

 

「生死の境から・・・生還したってのにな・・・・もう少しいたわってくれねぇかな」

 

そんなことを言える立場ではないことは重々承知していたが、ハングは思いつくままに口を開く。

 

「これでも・・・結構・・・身体が重くてさ・・・」

 

ハングの軽口にリンディスは反応を見せない。

俯いたリンディスの表情は霧の薄明りの中ではよく見えない。

 

「なぁ・・・水でも・・・」

 

抜刀の音がした。

ハングが背を預けていた木がハングの頭の上で切断されていた。

 

「・・・黙って」

 

ハングは黙りはしなかった。

 

「ごめん・・・」

「・・・黙って」

「ごめん・・・」

「・・・黙って」

「ごめん・・・」

「黙って!!」

 

再び剣が振られる。

その剣はハングの左腕の鱗を何枚か割って止まった。

 

「私に・・・・あなたを殺させないで・・・」

 

リンディスが剣を持ったまま、ハングの前に膝をつく。

ハングとリンディスの視線の高さが合う。

 

「・・・本当に・・・殺したいんだから・・・」

「わかってるよ。だから、ごめん」

「許さない・・・絶対に・・・許さない」

 

リンディスの手から剣が滑り落ちた。

彼女の体がハングの胸元に落ちてきた。

 

握りこぶしが軽くハングの肩を叩き、彼女の額が胸板に強くぶつけられる。

額と拳で自分の身体を支えた彼女。わずかに離れた彼女との距離がハングの胸に縋る気はないという気持ちの表れだった。

 

「一人で・・・何してるのよ・・・」

 

震える彼女の声。ハングはそんなリンディスの頭にそっと手を添えた。

振り払われ、強く胸を叩かれる。

 

「なんで一人で行っちゃったのよ!!」

 

霧の中、樹海の端、湿りきった下草の上に彼女の涙が零れ落ちた。

 

「どうして・・・どうして・・・立ち向うなら!ハングが立ち向えたんだったら!私達を頼ってよ!私達を使ってよ!!なのにどうして、一人で行ったの!!」

 

ハングは自分の選択を振り返る。

間違ったことをしたことはわかっているが、やはりそこに後悔はなかった。

 

「ハングが・・・真っ白になって・・・それでも・・・帰ってくると・・・いつか帰ってくると・・・それまでずっと待っていようと・・・お婆ちゃんになっても・・・ずっと・・・ずっと・・・待っていようと・・・なのに・・・ハングは・・・勝手に・・・勝手な言葉を残して・・・行っちゃって・・・なにやってるのよ!!」

 

リンディスの言葉を受け、ハングは目を瞑る。

 

少しの間沈黙が訪れる。

 

そして、リンディスは静かな声で言った。

 

「ハング・・・あなた・・・死のうとしてたでしょ」

 

それに対して、ハングもまた静かな声で返事をする。

 

「・・・ああ・・・」

「バカぁぁ!!」

 

ハングの胸に頭突きを繰り出すリンディス。

 

ハングは再びリンディスの頭に手を置いた。振り払われることはなかった。

 

「どうして・・・どうしてよ・・・」

「俺は【モルフ】だからだよ」

「そんなの!そんなの関係ないじゃない!だってハングは・・・ハングは・・・ハングじゃない!!」

 

その言葉はとても嬉しかったが、ハングは寂しそうに微笑んだだけだった。

 

「俺は【モルフ】だ・・・ネルガルの手駒なんだよ・・・俺が操られたらどうする?俺が変な指揮をしてお前らを全滅に導いたら?罠に飛び込ませたら?」

 

ハングは自分のことが一番信用できなかった。

再び自分がこの軍を指揮することが一番怖かった。

 

仲間達が危険に晒される可能性を排除するためには、ハングはここにいることはできなかった。

 

「俺は自分が信じられなかった・・・証拠が欲しかった・・・ネルガルに立ち向かうことができる証拠が欲しかったんだ・・・」

 

だからこそ、ハングはネルガルの懐に飛び込んだ。

 

自分が本当にネルガルと戦うことができるのか。

 

そんなことを軍を率いている立場で確かめられるはずがない。

これは、ハングが一人でネルガルの前に立たなければならないことだった。

 

「あわよくば・・・相討ちぐらい狙ってたんだけどな」

「ばかぁぁぁ!!」

 

彼女の額が再びハングの胸板に叩きつけられた。

 

「そんなの!そんなの身勝手よ!!」

「・・・身勝手だよな・・・でも・・・俺はさ・・・そうでもしねぇと・・・お前らの傍にいちゃいけないんだ・・・俺は・・・【モルフ】だから・・・いつ寝返ってしまうのか・・・俺にもわかんないから」

 

リンディスから返事はなかった。

 

「でも・・・ほら・・・【モルフ】って死ねば塵になるだろ・・・このまま、お前らの知らない場所で消えられれば・・・お前らに希望が残る。『ハングはきっとどこかで生きてるんじゃないか』ってな・・・」

「・・・そんなの・・・そんなの・・・」

 

ハングの身体をリンディスの拳が打ち付ける。

 

「それじゃあ・・・私は・・・残された私はどうすればいいのよっ!!」

 

ハングは疲れたように笑い、リンディスの頭を撫で続けた。

 

「忘れちまえ・・・何もかも・・・忘れて・・・思い出にしちまえ・・・」

 

人は時間の中で色々なことを忘れられる。辛いことも、悲しいことも、いつかは掠れて見えなくなる。そうして、時間が全てを癒してくれる。

 

「『ハングの奴、今頃どうしてるかな?』なんて考えながら・・・新しい恋でもして・・・幸せな結婚して・・・家族を作って・・・」

 

リンディスからの返事はない。

 

「お前なら・・・いい男がすぐにみつかるさ・・・ウチの軍なら・・・ケントは・・・もう相手がいるか・・・ラスとかどうだ?同じサカの民だし・・・あいつなら・・・」

 

再びリンディスの剣が振られた。

剣はハングの左腕の鱗を切り裂き、肉をわずかに断った。

 

「それ以上言ったら・・・この腕切り落とす・・・」

 

脅しではなく、警告であった。

 

ハングは力無く笑う。

 

「俺は・・・【モルフ】なんだよ・・・どこまで行ってもな・・・」

「なによそれ・・・」

 

リンディスの額から受ける圧力が増していく。

 

「だからなんなのよ!!それでハングが私達と過ごしてきた時間がなくなるの!?私と交わした約束になんの変わりがあるの!?私達にとって・・・私にとって・・・ハングは・・・この世界で・・・あなた一人しかいないのよ!!それなのに・・それなのに・・・」

 

言葉にならない想いが嗚咽と涙となってあふれ出てくる。

 

「勝手よ・・・本当に・・・勝手よ・・・」

 

ハングは死ぬつもりだった。

死ぬ方がいいと思っていた。

 

ネルガルの前に立ち、奴に立ち向かうことができずに寝返るぐらいなら、立ち向かった末に死んだ方がいいと思っていた。それならばハングは【モルフ】ではなく、この世界に生きた【ハング】として死ねる。

それに、例え自分が死んでもエリウッド達ならネルガルを打ち破れるという自信があった。

 

酷いことをしたと思う。信頼を裏切ってしまったと思う。

間違ったことをしたんだと思う。

帰ってくる資格など無いのだと思う。

 

だから、こうして彼女に触れることができるのは本当に奇跡なのだろう。

 

ハングは一度手放してしまった宝物を抱えるように、彼女の頭を胸元に抱き寄せた。

それが合図であったかのように、彼女の身体から力が抜け、ハングの腕の中にリンディスが収まる。

 

「もうこんなことしないで・・・お願いだから・・・もう・・・嫌よ・・・一人は・・・嫌なのよ・・・私を・・・独りにしないでよぉ・・・」

 

子供のように泣く彼女。ハングはその答えを示すように腕に力を込める。

 

「・・・俺って・・・ほんとに勝手だよな・・・」

「そうよ・・・」

「じゃあ・・・俺なんか見限って・・・」

「・・・斬るわよ・・・」

「・・・ごめん・・・」

「許さない・・・絶対に許さない・・・」

「・・・ごめん」

「許さないんだから・・・・許さないんだからぁ・・・」

 

そして、リンディスはハングの胸に顔を押し付ける。

ハングの胸に零れ落ちてくるのは彼女の涙。

泣かせてしまったことに痛む心が自分を『人間』であると錯覚させる。

 

「生きてて・・・良かった・・・ハング・・・また会えて・・・本当に・・・本当に・・・」

「ああ・・・俺も・・・本当に・・・また会えるなんて・・・」

 

ハングは一際強く彼女を抱きしめる。

彼女の存在を確かめ、輪郭を焼きつけるかのように強く、強く抱きしめる。

彼女を想う気持ちが自分を『人間』なのだと実感させる。

 

ハングの目から一滴の涙が零れ落ちた。

目頭の熱さと、頬を伝う涙の冷たさ。

これがきっと『生きることの喜び』なのだと思う。

 

「おかえり・・・ハング・・」

「ああ・・・ただいま・・・」

 

ハングの『左腕の付け根にある心臓』が強く拍動を繰り返していた。



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間章~再会の挨拶(前編)~

いくら心臓を直撃しなかったとはいえ、胸を貫かれたハング。失血も多く、杖で傷は塞いだとはいえ、まともに歩くことはできなかった。

 

だが、動くこともできず、ロクに反論する体力もないハングを今の他の人達が放っておくはずもなかった。

 

【魔の島】に物資を降ろし、出発の為の準備をする間にも、ハングの前には入れ代わり立ち代わりいろんな人が『再会の挨拶』へとやってきた。

マーカスとオズインの長々とした説教から始まり、ケントやロウエンから正座を強制させられ、ワレスからは出会い頭に鼻っ面をぶん殴られた。

 

命からがら助かった直後のハングに対して行うべき行動ではないと思いつつも、それらを止める人はいなかった。

部隊を裏切って一人行動したハングを許してくれるというだけで、御の字だとでも言わんばかりだ。

 

ハングには受け入れるしか選択肢はなかった。

 

自分がやったことの筋を通さなければ、指揮など取れるはずもないと思ったからだ。

 

そして、いろんな人に張り手や拳骨や飛び蹴りや関節技や木刀や模擬剣や真剣の制裁を受けたハングであったが、それでも最後の最後にやってきた自分の育ての親であり、元上官兼鬼教官のヴァイダからの『挨拶』だけは洒落にならなかった。

 

「・・・うぁぁ・・・いてぇ・・・」

「自業自得でしょ」

 

リンディスに冷たくあしらわれながら、ハングは荷馬車の荷台で虫の息で呼吸をしていた。

 

ヴァイダはこめかみの傷を真っ赤に染め上げ、身体中の血管が切れるのではないかと思うぐらいに憤怒に身を染めてハングの前に現れた。そして彼女が行った『再会の挨拶』は、ほとんど拷問であった。

 

ハングは槍を何度も叩きつけられ、奥歯を1本折られ、あばら骨も二本折られた。腹は打ち身多数であり、右腕や両足は切り傷だらけだ。その後、左腕で無茶をしないための戒めと称して、左腕の黒い爪を全て剥がされた。

最後には『足を切り落とされないだけましだと思え!』と言われる始末。

 

ハングは自分がまだ生きてることの方が不思議だった。

 

杖を扱える人に治癒をお願いしようとしたが、やはり『自業自得』と言って取り合ってくれず、ハングは全身に『挨拶』の痕を残したまま荷馬車の中に寝転がされていた。

 

その隣にはリンディスとルセアが乗っているものの、それは看病のためというより、また無茶をしないか監視する意味合いが強い。

 

そして、そんな荷馬車の片隅にはもう一人の同乗者が膝を抱えて丸くなっていた。

それは塞ぎこんでいるニルスだった。

 

ハングが自分の世界に溺れている間にも、物事は進んでいた。

 

ニニアンが死んだ。

 

ハングは少しばかりその現実をどう受け止めたものか、困惑していた。

 

喪失感?虚無感?悲壮感?

 

どれも違う。

 

むしろ、『信じられない』という感情が先行していた。

 

本当にいないのか?この部隊にいないのか?この世にいないのか?

 

ハングは未だそれを信じることができなかった。

 

彼女は竜。そして、ニルスも竜だという。

 

やはり実感がわかなかった。

 

ハングは自分の手の甲を額に当てた。ヒースに割られた額の傷が熱を持っていたが、それを差し引いても体温が少し上がっているようだった。

 

「冷やす?」

「そうしてくれ・・・」

 

体の倦怠感も相まってハングは素直にリンディスに甘えた。

額に乗せてもらった湿った手拭の冷たさが心地よい。

 

「なあ、リンディス・・・」

「なに?」

「最初に【魔の島】に来たときのことなんだが・・・あの絵・・・覚えてるか?」

「絵?」

「そうだ・・・森の奥の屋敷で出会ったあの絵だ」

「・・・ええ、覚えてるわ・・・」

 

それはニニアンが導かれるように足を踏み入れた館で見た絵。

竜と人が寄り添う姿を描いた絵画。

 

ただ、ハングとリンディスの思い出すあの絵には必ず別の登場人物が付いてくる

それはニニアンとエリウッドであった。

 

あの絵をみる二人の背中と竜の絵。

 

それがなぜか強く印象に残っているのだった。

どうしてそれが強く記憶に焼き付けられたのか、今ならばわかるような気がする。

 

「あの時・・・どんな気持ちだったんだろうな」

 

ニニアンは何を思ってあの絵を見たんだろうか。

何を思い続けて、エリウッドの傍にいたんだろうか。

何を遺して、死んだんだろうか。

 

エリウッドはまだハングに対する怒りが収まらないらしく、話をしてくれない。

『今日の夜までには頭を冷やす』と言っていたので、ハングはそれまで待つことにしていた。

 

ハングはため息をこぼす。

 

ニニアンが死んだ後、エリウッドが気丈に振る舞っていた様子は聞くまでもなく予想ができる。

彼は何か周囲が言うことはできなかっただろうし、悲しみ続けることもできなかっただろう。エリウッドの立場は感情を素直に吐露するには重すぎる。

 

だが、それはエリウッドだけではない。

 

ここにいる連中は無駄に強すぎる。心をすり減らして強引に前を向こうとする。擦り潰されて、無くなってしまうまで戦い続けてしまう。

 

だから、俺がいたはずだった。

 

誰も死なせないように智謀を張り巡らせ、策略を練りこんだ。

 

でも、結果を見ればこの有様だった。

 

そんなことを思っていたハング。

次の瞬間、ハングの額を何かが弾いた。

 

「いてっ!」

 

指弾したのはリンディスだった。

 

「なんだよ」

「なんか、余計なこと考えてそうな顔してたから弾いた」

「余計なことって・・・」

「そうじゃないでしょ」

「え?」

「ハングが考えるべきことはそれじゃないと思う」

「・・・・・」

 

見上げたリンディスはとても優しげだった。

 

「お前・・・俺の考えてることがわかったのか?」

「わかるわけないじゃない。【モルフ】じゃあるまいし」

「あのな・・・」

 

冗談にしては面白くもないし、笑えない。

 

「でも、ハング・・・失ったものを数えてちゃだめよ」

「・・・・・」

「ハングはこれから私達と一緒に世界を救って、無茶苦茶になっちゃったリキアの再興を手伝って。その後に、ようやく体が空いてからそういうことを考えた方がいいと思う」

「・・・・・」

「だから、今は体力を戻すことだけを考えて」

 

ハングは笑ってしまった。

 

「・・・・リンディス・・・お前・・・」

「ん?」

「・・・・バカだな」

「な、なんでよ!」

 

顔を赤くするリンディスを前にハングは笑っていた。

皮肉な笑みで笑っていた。

 

それからしばらくして、小休止を挟むらしく、荷馬車が止まった。

 

「いい、大人しくしてなさいよ」

「あいよ」

 

リンディスは荷台を降りながらハングに何度もそう言い聞かせた。

 

ここは敵地のど真ん中。リンディスの眼と勘は待ち伏せを見つけるのに適している。いくらハングとリンディスの関係を考慮しても、ずっと彼女に看護の仕事をしてもらうわけにはいかなかい。

 

ハングはリンディスを見送り、大きく息を吐いた。

 

「ハングさん、寝ててくださいね」

「ルセアさん・・・すみません。なんだか」

「いいんですよ、こうして再会できたのですから」

 

そう言いつつも、この細腕から繰り出された拳はなかなか痛かった。

 

「それにしても・・・」

「なんです?」

「ハングさんはいつから『リンディス』とお呼びになったんですか?今までは『リン』と呼んでいたと思っていたのですが」

「・・・・・・」

 

そう言えば、すっかり忘れていた。

ハングは色々と考えた挙句、黙秘権を行使することにした。

 

「・・・そうですか。では聞かなかったことにします」

「ありがとうございます」

「いいえ。神様も恋人同士の語らいの場を覗く趣味はありませんから」

「下世話な神様もいる、とも言いますが」

「では、報告しましょうか?」

「勘弁してください」

 

そんな会話をしていると、小さな笑い声が聞こえた。

 

「・・・ニルス」

 

ニルスは膝を抱えたまま、息を殺すように笑っていた。

それは心の均衡が崩れたように見えて、ハングは少し焦った。

 

「心配しないで・・・おかしくなったわけじゃないから・・・」

 

顔をあげたニルスは目元の涙をぬぐった。

 

「ハングさん・・・なんだな・・・って・・・思って」

「そりゃ、俺は俺さ・・・【モルフ】でも・・・人間じゃなくても・・・な」

「うん、そうだよね・・・」

 

例え竜でもニニアンはニニアンだった。

 

「ニルス・・・その場にいなかった俺が言えることじゃなと思うんだが・・・」

「うん、わかってる・・・大丈夫・・・僕は大丈夫・・・」

「そんな顔じゃないぞ」

 

元気になってくれ、などとハングが言えるわけもない。

 

それを言うべき人間は別にいるはずだ。

ニニアンの意思を最も知りうる彼が言うべきなのだ。

 

「ハングさん・・・死ぬのってどんな感じだった?」

「・・・生きてる俺にそれを聞くか?」

「そうだったね」

 

ニルスは微かに笑っていた。それでも、聞く姿勢は保ったまま。

ハングは少し間を置いて自分が死にかけた時のことを話しだした。

 

ハングは身体から熱が消えていく寒さと、身体を蝕む痛みと、独りで消えゆく寂しさを話して聞かせた。

 

「・・・だから、またここに戻れたことは本当に奇跡みたいなもんだと思った」

「・・・そう・・・か」

 

俺は帰ってきて、ニニアンは帰ってこない。

 

ハングにはニルスの心情を完全に慮ることができることはできない。

でも彼に救いを与えたいと思うから、言ってあげられることがあった。

 

「だから・・・エリウッドの腕の中で死ねたのなら、ニニアンは・・・寒さと寂しさは感じなかったと・・・俺は思うぞ」

 

ネルガルの前で独りで痛くて泣きたかった自分と比べるとニニアンは悪くない場所にいたんだとハングは思うのだ。

 

そう思うと、やはり生きていることは本当に奇跡のようなものだった。

 

「ありがとう、ハングさん」

「礼なんか言うな。旅は道連れ、世は情け・・・ってな」

 

ニルスに少しだけ笑顔が戻ってきていた。

ハングも小さく微笑む。

 

そんなハングの顔をルセアが見ていた。

 

「ん?どうかしましたか、ルセアさん?」

「いえ、やっぱり、帰ってきてくださったんだな・・・と、思いまして」

「・・・何をいまさら」

 

そう言うと、ルセアは静かに首を横に振った。

 

「いえ、ハングさんは自身が思っている以上にこの隊にとって重要な方ですよ」

「・・・まぁ・・・そうかもな」

「・・・否定なさらないんですね」

「自分ができないことを自覚するのは大事だけど、自分に何ができるのかを自覚しておくのも同じくらい大事だろ」

 

見上げたルセアは「なるほど」と言い頷いた。

 

「それをわかっていながら、自分をないがしろにしたわけですね」

「いや・・・それは・・・」

 

言い返すことのできないハングにルセアとニルスは笑う。

ハングはそんな二人を見ながら、どこか肩の力が抜けたような笑顔をこぼした。

 

「まったく、お前とも長い付き合いになったよな」

「そういえば、僕達同じ日に出会ったんだよね」

「ああ、そうかそうだったな。ニルスとルセアと戦ったのはあの時だったか・・・」

「懐かしいですね」

「ああ・・・」

 

あの日、『ネルガル』の一言で全てを投げ打った俺はもういない。

 

それは確かに良いことなんだろう。

 

ハングはルセアとニルスと共に昔話に花を咲かせたのだった。



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間章~再会の挨拶(後編)~

馬車が再び動き出し、ニルスは自分も歩くと言いだして馬車の外へと出て行った。

ルセアも交代ということで、やってきた杖使いはプリシラとセーラの二人だった。

更にセーラの暴走を抑える目的だと思われる、エルクが一緒だった。

 

「暴れる為に来たんならさっさと帰れよ」

 

ハングは開口一番にそう言ったが、言われた当人は視線をそのまま横に向けた。

 

「エルク、暴れないでよ」

「多分、ハングさんは君に言ったんだと思うよ」

 

セーラが話を受け流し、エルクが突っ込みをいれる。

相変わらずな二人である。

 

「それで、どっか痛いとこないの?」

「胸にぽっかり穴が開いた気分だ」

 

ハングがそう言うと、エルクが眉間に皺を寄せ、セーラの杖が腹に振り下ろされた。

 

冗談としてあまり面白くなかったらしい。

ハングはうめき声をあげつつ、苦笑いを浮かべた。

 

エルクがハングのそばに膝をつき、その両隣にセーラとプリシラが腰かける。

両手に花の状況だが、羨ましいとは思わなかった。

 

「ハングさん、起きていて平気ですか?」

「体は怠いし首は重いが、不思議と眠くはなくてな。もしかして【モルフ】ってのは眠らなくていいのかもな」

「旅の間もしっかり寝ていた人が言う言葉とは思えませんね」

 

それもそうか、とハングは自分のことを笑い飛ばし、セーラから更に一発腹に杖をくらった。

 

「いい?あんたが暴れ出したら私が責任もって昏倒させてあげるから」

「・・・そのお墨付きはいらなかったな」

「なによ、昏倒ですますつもりがあるだけましじゃない。ヘクトル様とか『次勝手なことしたら、問答無用で手足切り落として軍旗として飾ってやる!』って息巻いてたわよ」

 

そう言われ、ハングの笑顔が引き攣る。

その情景が頭の中にありありと浮かんだのもそうだが、何より悪鬼の形相で斧を振りかぶるヘクトルが妙に現実味を帯びて頭の中に浮かんだのだ。

 

「気をつけなさいよハング。ヘクトル様ならやりかねないから」

「・・・だな」

 

今度からはあいつにも一言述べてから行動することしようと思うハングであった。

 

「一応、今回は行動する前にリンには言っといたんだけどな」

「あの時ですね。ハングさんが気が付いた時」

「あの時は悪かったな」

「ですので既に一発殴ったじゃないですか」

 

『再会の挨拶』としてエルクに殴られた時のあれを『一発』と数えるのかどうか、ハングとしては甚だ疑問だった。

 

エルクに殴られた右の脇腹は今も赤い痕が残っている。

魔道士の細腕だと侮っていたら、エルクは殴ると同時にゼロ距離で炎魔法を叩きつけてきたのだ。

 

ウィルの飛び膝蹴りからの肘鉄落としもなかなかに痛かったが、エルクの『再会の挨拶』もなかなかに過激だった。あまり顔には出さないが、相当に頭にきていたようだった。

 

「まったく!この程度ですんで良かったと思いなさい」

 

そう言ったセーラからは杖で鼻血が噴き出すまで殴られた。

 

「お前らからの報復で死にかけてんだけど・・・」

「何よ!?今回は生きて帰ってきたから特別にこの程度で済ましてやってるんでしょ!死んでたらこの程度じゃすまさないわよ!!私、絶対にエリミーヌ教の祈りなんか捧げてやらないんだから!あんたの灰だって吹くに任せて勝手にするからね!!そしたら、天国にも行けないのよ!!永久にこの世とあの世の狭間を彷徨うといいわ!!」

 

そう言われ、ハングは死ななくて本当によかったなと心から思った。

 

シスターとは思えない行動を取る彼女ではあるが、彼女が神への祈りを欠かしたことはなかった。

そのセーラに祈ってもらえないのは少し寂しい。

 

ハングは二人に笑いかけ、手元に水袋を引き寄せようとした。

だが、身体に力が入らず、水袋すら持ち上げられない。

それをプリシラが手に取り、ハングの口へと持って行った。

 

「これでいいですか?」

「助かりますよ」

 

水を飲み、人心地ついたハング。

 

「まさか、カルレオン伯爵令嬢に酌をしてもらえる日が来るとはな」

「今の発言、リンディスに言いつけていい?」

「ちょっ、それは勘弁しろよ」

「相変わらず尻にしかれてますね、ハングさん」

「うっせ」

 

そんなことを言いつつ笑いあっている中、ハングはふとプリシラが笑っていないのに気が付いた。

 

「プリシラさん?どうかしたか?」

「え?プリシラ?お腹でも痛いの?」

 

セーラが心配そうに彼女を覗き込む。

だが、プリシラは曖昧な笑顔だけを見せて首を横に振った。

 

ハングはエルクに目線で問うたが、エルクも「わからない」と目線で返してきた。

 

ハングは彼女が自分を助けてくれた時の様子を思い出そうとしたが、あの時は意識が朦朧としていたこともありよく覚えていない。

 

とりあえず、ハングが想像できる範囲でプリシラが落ち込む原因を考え出してみる。

 

バカ傭兵かルセアさんに関わっていることだろうか?それなら、さっきルセアさんが何か言ってもよさそうなものだ。ハングに気を使ったとも考えられるが、それならそのプリシラをここに送り込んでくるとは思えない。

 

となると、ハングが思い当たる節は一つしかない。

 

「ヒースが・・・何かしたか?」

 

答えは無かったが、プリシラの微妙な笑顔が引きつった。

それは口に出されるよりはっきりした返答である。

 

ハングは胸の内で悪態をつく。

 

悪態を口にまで出さないのは、ハングが人のことを言える立場にないからだった。

恋人を悲しませることに関してはハングは人を責めることができない。

 

「何か言いたいことがあるんだったら・・・俺から言おうか?あいつとは古い仲だし」

「・・・いいえ・・・いいんです」

 

プリシラは少し俯いた後、取り繕うようにまた作り笑顔を見せた。

 

「ハングさんはお気になさらないでください・・・きっと・・・私が・・・何か・・・気に障ることでもしてしまったんです・・・」

「取り繕うなら表情も抑えた方がいいですよ、プリシラさん」

 

そう言ったのは意外にもエルクだった。

 

「いいのかエルク?そんな言葉使いで。契約主だろ?」

「護衛の契約は随分前に切れてまして、今は一人の旅の仲間として彼女の護衛をしてます」

「あ・・・そう」

 

戦闘ではセーラの護衛もしつつ、日頃はプリシラの護衛とやはり両手に花のエルク。

だが片一方が食虫植物なのでやはり羨ましくは感じなかった。

 

ハングはひとまずそれは置いておくことにしてプリシラの方に話を戻した。

 

「プリシラさん、そこまで言われたら俺も引き下がれない。ヒースが悪いなら俺からも・・・できることが・・・ある・・・かと・・・思うが・・・どうだろうな・・・」

「言える立場じゃないわよね、ハングの場合」

 

セーラが茶化してきたが、それを無視して話を続ける。

 

「でも、あいつの幸せがかかってる可能性があるんだ。自分を棚上げしても言わなきゃならないことかもしれない」

「棚上げの自覚はあるんですね」

 

今度はエルクがそう突っ込んだ。

 

「さっきからうるさいぞお前ら!」

 

エルクとセーラの息が合いだしてるのは友として喜ぶべきことなのだろうか。

エルクの幸せがかかってる気がしてならないが、今はやはり置いておく。

 

少し声を張ったせいで、ヴァイダさんに折られた肋骨が酷く痛んだ。

 

「てっ・・・いててて・・・」

「大声出すからそうなるのよ。そんなことより、プリシラ。本当にあなたの方は思い当たる節がないのね?」

 

プリシラはハングとセーラを交互に見つめた。

話すかどうか、まだ逡巡があるようだった。

 

「・・・・私は・・・何も・・・」

 

正直な話、プリシラが何かしたとは考えにくい。

ならば原因はヒースの方だろう。

 

「そんで、ヒースはどんな感じなんだ?」

「・・・避けられてるとしか」

 

ヒースがプリシラを避ける理由。

 

ふと思い立ったのは身分の差のことだ。

だが、今までヒースがそんなことを気にしていた様子は無かった。

 

「・・・あ・・・」

「何かわかったんですか!?」

「ぐっっ!ちょっ!プリシラさん・・・痛いです・・・」

「あ、す、すみません。取り乱しました」

 

咳き込みながらもハングは「愛されてるな」なんてことを思っていた。

 

だが、今から告げる話はあまり面白い話にはなりそうになかった。

 

「・・・あいつ、今までプリシラさんの身分を知らなかったんだろうな・・・」

「・・・・え?」

「あいつからすれば、プリシラさんはこの部隊の衛生兵の一人だ。実際、エルク以外はプリシラさんをそういうふうに扱ってたし・・・でも、最近あいつの耳にそれを入れた奴がいて。それを知ったヒースはプリシラさんを避けるようになった・・・そう考えれば筋は通るが・・・」

 

あいつの肩書は『逃走兵』だ。実は首には懸賞金までかかってる。

それでもプリシラに気にせず接していたのは肝が太くなったのかと、今までは思っていた。

だが、知らなかっただけだとしたら話は変わる。

 

「あいつ・・・変なとこで頑固だからな・・・戦いが終わったら、プリシラさんには挨拶もなく消えるかもな」

「そんなっ!」

 

悲痛な声をあげるプリシラ。

彼女の握り込んだ拳が震えていた。

 

「プリシラさん・・・一つ・・・聞きたいことがあります」

「なんでしょう、私にできることがあればなんでも・・・」

「ヒースを・・・諦められますか?」

 

ほろり、とプリシラの頬から涙が伝った。

その瞬間、ハングの頬を張り手が襲った。

 

「さいってぇ!!ハング!あんたがそんな人の恋路を平気で踏みつぶす人でなしだとは思わなかったわよ!!エルク!魔道書とって!!光で焼き殺して、今晩の夕食にしてあげるわ!」

 

いきり立つセーラ。これでは、ヘクトルと思考がそう変わらない。

 

ハングはそう言ってしまいたかったが、それより先に弁明を口にする。

これ以上、傷を増やされてはたまらない。

 

「違う!例え話だ!例えの話だっての!『諦める気がないなら』ってことを言いたかったんだよ!」

「言い訳無用よ!」

「エルク頼む!セーラを止めてくれ!!」

 

溜息を吐き出すエルクに連れられ、セーラは荷馬車の片隅に引きずられていった。

それを見送り、プリシラは涙をぬぐった。

 

「・・・ハングさん、諦める気が無い私は・・・どうすればいいのですか?」

「何年でも、待てるか?」

「・・・はい」

「本当に?」

「・・・・・・・はい」

 

その眼に覚悟が宿っているのを認めたハング。

ハングは間近にあるプリシラの頭の上に手を乗せた。

 

「それなら、その気持ちをぶつけてこい。何度でも、何度でも、諦めずにな」

「・・・・え?」

「それで、あいつと気持ちが通じたんだったら、俺がなんとかしてやる・・・だから、あいつに自分の気持ちを言葉で叩きつけてやれ。一緒にいたいんだろ?」

 

ほんのり頬を染めたプリシラにハングは不敵な笑顔を見せた。

 

「あいつは押しに弱い。押し切れ」

 

冗談半分事実半分のその言葉にプリシラは真剣な表情で頷いた。

ハングはそれを見て、太陽のような弾けた笑顔を見せたのだった。

 

「ねぇ、エルク?」

「なんだい、落ち着いたかい?」

「プリシラが貴族って・・・言っちゃまずかった?」

 

脱力するエルクが荷馬車の片隅にいたとか、いなかったとか。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングがふと気が付くと荷馬車が止まっていた。

時間の感覚は曖昧だったが、どうやら周囲が薄暗くなってきているらしく野営の準備が始まっているのだろう。

 

「寝たのか・・・俺・・・」

 

不思議なものだった。

俺は【モルフ】なんていう存在だってのに、ちっとも完璧なんかじゃない。腹は減る、眠くなる、糞も垂れる。

なのにやっぱり俺は『人間』じゃない。

 

それは自覚すればするほどに納得のいく答えだった。

自分が【モルフ】だという事実がすんなりと胸の内に落ち込む。それは、空いた穴に石がはまったような感覚に近かった。

 

「やっぱ、最初から知ってたのかな。どこかで・・・」

 

だからエフィデルやソーニャを見ても『似てる』とは絶対に思わなかった。

心理の奥底で、拒絶していたのだ。同族嫌悪と言えば分りやすい。

 

「何を考えているんだい?」

「・・・やぁ、エリウッド様・・・お目見えできて光栄ですよ」

「皮肉を言えるぐらいには回復したようだね」

 

エリウッドに続き、ヘクトルも姿を見せる。

 

「俺らにどう謝るか考えてたんだろ?」

「・・・なんだ、ヘクトルか」

「お前がどんな風に踊るのか見てみたくなってきたな」

 

約束通り彼らはきちんと頭を冷やしてはきてくれたらしい。

それでも、怒りは収まってるかどうかは怪しいものだ。

 

挑発してみたいという好奇心もあったが、せっかく拾った命を賭け金に乗せるのはさすがに怖かった。

 

「で?何を考えていたんだい?」

 

そう聞いたエリウッドの声はやや硬い。

返事によっては再び『再会の挨拶』を受ける羽目になりそうだった。

 

ハングは吐息を吐き出すようにその質問に答える。

 

「・・・まぁ・・・自分ってもんを考えてた」

 

そう言うと、エリウッドは怖いくらいに固まった笑顔を向けてきた。

 

「答えは出たかい?」

「レイピアの柄に手がかかってるぞ、エリウッド」

 

変なことを言えば、次は串刺しにされそうだ。

かといって、取り繕う気はハングにはなかった。

 

「出ないね。俺は【モルフ】で、お前らの仲間で・・・それ以上にっちもさっちも行きはしない。ただ、お前ら等と一緒にネルガルを倒しにいくのは悪くない・・・そんな程度さ」

 

それが、正直な答えだった。

 

「随分とたいそうなこと言ってのけたな」

「ヘクトルは自信がないのか?」

「へっ!ぬかしてろ、ネルガルは俺がぜってぇ止めてやる。そんで、必ず全員で生きて帰るんだ」

 

ハングの隣に腰をおろしたヘクトルにハングは視線を向ける。

 

「なんだよ、俺の顔に何かついてるか?」

「目と鼻と口」

「随分と古典的なこと言ってのけたな、お前」

「あと、三角形の形の葉がくっついてる」

「それは先に言えよ!」

 

ヘクトルが頬を払うとくっついていた小さな葉っぱが床に落ちて行った。

エリウッドも剣の柄から手を放して、ハングの傍に腰かけた。

 

「エリウッド!お前は葉っぱのこと気付いてたろ!?」

「うん、まあね」

「言えよ!」

 

エリウッドは笑って流すだけ。

ヘクトルは舌打ちをして、二人を睨みつけた。

 

ハングは改めてエリウッドへと顔を向けた。

 

「・・・エリウッド・・・」

「ニニアンのことをハングが気にすることはない」

「・・・・・・そう言うと思ったよ」

 

ハングとしては返す言葉は用意していたが、それを飲み込んだ。

どうせどう返しても、エリウッドはさらに一枚上回って返してくるだろう。

 

それができない奴じゃないのだ。

 

なら、この話はここで終わりなのだろう。

 

「またいつか、このことを話せる日が来るといいな」

「・・・・・・」

 

ハングがそう締めくくると、エリウッドが少しだけ痛そうな顔をした。

 

「そんで、ハング」

「ん?」

「お前がなんでネルガルのとこに行ったのかなんて聞きたくもねぇ。どうせ腹が立つ理由だろうからな」

「納得するかもしれねぇぞ」

「納得いかなくても腹が立つ、納得しても丸め込まれたような気がして腹が立つ。どっちにしろ変わらねぇし、くだらねぇよ」

「・・・ま、確かにな」

「だから、一つだけ聞かせろ。お前、もうネルガルに執着はねぇんだな?」

 

ハングは間を置かずに答えた。

 

「当然」

「ならいい」

 

そう言って、ヘクトルはようやくいつもの顔に戻って行った。

だが、その中に今まで見えなかった覚悟や疲労の色が見える。

 

それを見定めたハングは彼の身にも大きな喪失があったことを悟った。

 

「ヘクトル・・・俺からもいいか?」

「なんだ?」

「ウーゼル様は・・・元気だったか?」

 

そう尋ねると、ヘクトルの空気がわずかに固まった。

それと同時に『やっぱ知ってたか』という気配も伝わってくる。

 

ヘクトルは小さく肩を落とし、笑った。

 

「ああ・・・今回はエトルリアに行ってて不在だったけどな・・・」

「そうか・・・」

 

エリウッドを見ると、彼も察しているような雰囲気だった。

 

だから、ハングはそれ以上何も言わなかった。

これも、やはり終わった話なのだった。

 

ハングは息を小さく吐き出し、話題を変えた。

 

「それで、その【神将器】とやらはどんな武器なんだ?」

「君が真っ白になって、赤子のように世話されている間にリンディスが教えてくれていたはずだが?」

「・・・・・・・覚えてねぇよ」

 

ハングが憎々しげな顔でそう言うと、エリウッドが表情を読ませない柔和な笑顔となった。

 

「そうか、それじゃあハングは何も知らないわけだ」

「そうだよ。だから教えてくれ」

 

ハングがエリウッドとヘクトルに頭を下げるとヘクトルが意気込んでハングの顔を覗き込んだ。

 

「はっはっは!まさか俺達がハングにものを教える日が来るとはな」

「・・・ヘクトルは見張りに行ってもいいんだぞ」

「露骨に追い出そうとするんじゃねぇ!」

 

エリウッドが声を殺して笑い、ハングも疲れたように笑う。そして、肩をすくめてヘクトルが笑い出す。

 

「ったく、それじゃあ、お前もネルガルの戦力について教えろよ。まさか懐に飛び込んで手ぶらなわけじゃないだろ?」

「殺されかけた時に結構記憶飛んだ気がするが、まあ持ち帰ったもんはいくつかある」

「それじゃあ、まずはこっちの報告からするよ。最初は神将器についてだ」

 

ハングは重い体を起こし、まだ薄ぼんやりとする頭の霧を払う。

ようやく、ハングは軍師の顔に戻ってきたのだった。

 



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間章~樹海の中の一時(前編)~

樹海の中の行軍。【竜の門】までの道のりは前回来た際に目印をつけていたおかげか、滞りなく進んだ。

 

その間、ほとんどの時間を横になって過ごしていたハングであったが、3日目の夕方ごろにはある程度歩ける程には回復していた。

それが竜の腕が作り出す青い血の回復力のおかげなのか、【モルフ】であるからこその体力の賜物なのかはハング本人にもわからなかった。

 

日も傾きだしたころ。手頃な広さの平地を見つけたハング達はその場に野営地の設営を始めていた。

ハングはその野営地の片隅であぐらをかきながら、今日の斥候の統括をしているケントとセインに話をしていた。

 

「ここらの樹海の中で大部隊を配置できる場所はない。もうすぐ野原に出るからそこに至るまでに少人数で張るとするなら北東だろうな」

「なるほど、でしたらそこに向かうまでのルートは東側から回り込んだ方がよろしいですね」

「ああ、その辺は任すよ。その方向は森に慣れてる奴をいかせろよ」

「わかりました・・・ところで、ハング殿」

「なんだよ」

 

ハングは少し不貞腐れたような顔でケントの顔を見上げた。

生真面目な顔のケントの隣ではセインが大道芸人でも見ているかのような笑顔でハングを見下ろしていた。

 

「息苦しくはありませんか?」

「そう思うんなら外してくれねぇかな・・・」

 

ハングはそう言って、自分の首に括り付けられた縄を引っ張った。大きく息を吸い込んでも指一本分くらいの隙間はあけてもらっているが、結び目は固く、刃物を用いない限り外せそうになかった。

縄の先は一番近い大樹に括り付けられている。

ちなみに竜の左腕もロープで大樹に固定されている。しかも、3本。

 

この縄を結んでくれたのは帆船でロープの扱いになれているダーツであった。

彼はファーガスから『ハングがもしこれ以上ふざけたことをやりやがったら、これで問答無用でふんじばれ!!』との言葉と一緒にロープを贈呈されていた。

 

「申し訳ありません。リンディス様からの命令でありますので」

 

ケントはそう言って表情を崩さない。

隣のセインも軽薄な笑みを浮かべて、肩をすくめた。

 

「もし俺達が勝手に外したりしたら、お怒りがこっちに向きますので、例え脅されても外したりしませんから」

 

ハングは大きくため息を吐き出した。

 

「もう勝手な行動したりしねぇってのに」

「ははは、さすがにその言葉を信じることはできませんからねぇ」

「ネルガルにもう執着はないのにか?」

「こういう時は理屈じゃないんですよ。特に女性と接するときはそこをわきまえておかないと大火傷しますからね」

 

ハングは膝に頬杖をついて、苦虫を噛み潰したような顔をした。

そこにケントが言葉を重ねる。

 

「ハング殿、これでもまだ妥協案なのですよ。会議では『両足を切り落とすべきだ』との意見も複数人から出ましたから」

「誰が言ったかだいたいわかるけど・・・誰が言ったんだ?」

「筆頭はヴァイダ殿」

「それは知ってる。直接言われたからな」

「賛同したのがヘクトル殿」

「それもわかる」

「リンディス様も同意しました」

「・・・あいつもかよ・・・」

「『足を切り落とした後の介護は自分が請け負う』とまで言っておりましたので、かなり本気であったようですよ」

「・・・・・・・」

 

さすがに言葉を無くすハングであった。

 

「エリウッド殿がとりなして、首に縄をかけることで了承を得たのです。とはいえ、エリウッド殿も最後には『次同じことをしたら足を落とそう』とおっしゃっていましたので、無理に縄を外そうとしない方がよろしいかと。怪我をすることになりますよ」

「ご忠告感謝するよ」

 

そんな時、ケントとセインを探してた天馬騎士達が近くを通り過ぎた。

 

「あっ!いた!ケントさん!ケントさん!!」

 

ケントを見つけて駆け寄ってきたのは天馬三姉妹の次女であるファリナであった。

 

「ケントさん!探したんですよ!今日、斥候に出るの、私とケントさんの組なんですから!!」

「ああ、わかっている。そのことでハング殿と斥候に出る方角を検討していたんだ。もう間もなく出発しよう」

「ふーん・・・」

 

ファリナは唇を少しとがらせて、ハングの方に視線を向けた。

 

「ねぇハングさん」

「ん?」

「もしかして、だけど・・・斥候の組ってハングさんが決めてる?」

「以前は決めてたけど、戻ってきてから仕事がもらえなくてな。今はエリウッドかマーカスかその辺が決めてるんじゃないか?・・・なんか問題でもあったか?」

「いや・・・そういうんじゃ、ないんだけど・・・なんかさ、私、ケントさんと一緒になること多くて」

 

ハングはファリナの後ろからついてきていたフィオーラの方に目を向けた。

彼女は過剰なスキンシップを取ろうとしてきたセインを見事に投げ飛ばしたところだった。

甲冑を着こむ相手を投げ飛ばす技量も随分と上達しているようである。

 

彼女はこちらの話を聞いていたのか、小さく微笑んで人差し指を口に当てていた。

ハングは彼女からケントとファリナのペアについて何度か相談をされていたが、そのことはファリナは知らないらしい。

 

「・・・一緒だと問題あるのか?」

「えっ!いや・・・えと・・・ほら!私達って性格が違いすぎるからさ、いっしょにいたって気詰まりなのよ・・・だから・・・その・・・ね?」

「そうなのか?それなら変更を検討してもいいが・・・」

「え・・・あっ・・・え・・・」

 

ハングが少し悩むふりをすると、ファリナの顔からすぐさま血の気が引いていた。

そんなファリナを見て、ハングは腹の奥から湧き上がりそうになる笑いを押し殺すのに苦労した。

 

ここまでわかりやすい反応をしてくれると、からかうのも逆に気の毒になる。

 

ハングは軍師としての顔を崩さずにもう一人の当事者の方に目を向けた。

 

「で、ケントの方はどうなんだ?ファリナとのペアは問題あるか?」

 

ケントの表情はいつもの生真面目な顔のまま。その顔をファリナが真剣そのものの顔で見上げていた。

 

「ファリナがそう感じてるのなら申し訳ないですが、私は彼女と一緒にいるのは嫌いではありません」

「ほう?」

「性格は確かにまるで違うとは思いますが。それは自分にない考え方のできるということでもあります。彼女といると改めて気づかされることも多く、良い刺激になりますので」

「・・・・・・」

 

ハングは表情を取り繕いながらも、ケントのその意見に少なからず驚いていた。

 

「へぇ・・・あの堅物がねぇ」

「は?」

「いや、なんでもないさ・・・」

 

ハングは改めてファリナの方へと目を向けた。彼女はケントの言葉も特に興味のないような様子を取り繕っていたが、真っ赤になった耳が口よりも明白に彼女の心情を物語っていた。

 

「だとさ。ってなわけで、ペアはこのままでいいか?」

「えっと・・・そ、そうね。別に、わざわざ離れる理由もないし・・・お給金は変わらないし?ケントさんと一緒なら・・・まぁ・・・安心だし?」

 

明後日の方向を見てそんなことを言うファリナ。

ハングは口元を隠し、我慢できずに喉の奥でクツクツと笑った。

 

「そうか。それじゃあ、そろそろ斥候に行ってくれ。まぁ、伏兵なんていないと思うけど。用心してな」

 

敬礼するケント。

 

彼はセインを引きずりながら、ファリナとフィオーラに方角や距離について説明しながら斥候に出るための準備に向かった。

 

することがなくなったハングは再び頬杖をついて設営中の野営地を眺めた。

 

この部隊も気が付けばここまでの大所帯になっていた。

最初にエリウッドと一緒にフェレを出たのが遠い昔のようだった。

 

そこからヘクトルやリンディスが加わり、他にも様々なところから縁が繋がって仲間が増えた。

 

思い返せばあまり友好的な関係じゃなかった連中もいた。

 

レイヴァンなどその最たる例であるだろう。

それが今では薪を担いで竈の準備をしているのだから、人間変われば変わるものだ。

 

「ハングさん」

「マシューか」

 

突如背後から聞こえてきた声にハングは振り返りもせずに答えた。

 

「もう、張り合いないですね。もう少し驚いてくれてもいいじゃないですか」

「とりあえず、縄抜けの方法を教えてくれに来たわけじゃないんだろ?」

「ははは、それ教えたら今度は俺が足を切り落とされちゃいますよ」

 

ハングは憤懣を鼻息にして噴き出した。

 

「それで、何の用だ?」

「ああ、いえ。野営地設営の報告ですよ。以前はハングさんが歩き回って確認していた箇所を把握しておきました」

「はいよ」

 

ハングはマシューに野営地設営時にいつも自分の目で確認していた項目を伝えたことはなかった。つまり、マシューが普段のハングの行動をある程度監視していた事実が判明したわけだ。

だが、ハングはそのことについて言及するつもりはなかった。何もかも今更である。

 

「こんなとこです。いいですか」

「ああ、ありがとよ」

「いえいえ。あっ、白湯かなんか持ってきましょうか?」

「別にいいよ・・・そのうち、誰かが持ってきてくれるだろ」

 

ハングとしては厩に繋がれた馬になった気分であった。

 

「そういや、マシュー」

「なんですか?」

「最近、ギィの悲鳴を聞いてねぇけど。あいつはもうお前の証書を取り返すの諦めたのか?」

「ああ、そのことですか。いや、多分諦めた訳じゃないと思いますよ」

 

マシューはそう言って野営地の片隅へと目を向けた。

ハングがその視線を追いかけると、そちらの方で何人かが武器を手に鍛錬に励んでいた。

 

その中にはギィがおり、相手は【黒い牙】の本拠地で出会ったカレルであった。

殺気が人の形を取ったような男であるカレルであるが、ギィに稽古をつけている間はその殺気が緩んでいるように見えた。

だが、彼の剣の教え方はこの部隊の誰よりも苛烈であった。

 

剣を振る速度も圧もまるで実践さながらだ。

下手をすれば命に関わるかもしれない。

 

それでも、ギィが辛うじて防御できるギリギリの線で剣を振っているのだがら、あれでも手心を加えているのだろう。

ハングは心底あのカレルが敵対しなくてよかったと思った。

 

「あのカレルって人の弟子になってから、俺を追っかけることもしなくなりましたよ。もはやそれどころじゃないんでしょ」

 

マシューの言葉にハングも納得したように頷く。

それほどまでにカレルの稽古はギィの技量の限界で執り行われている。

その上で斥候や不寝番もこなしているのだから、ギィにマシューを追いかけている暇などないだろう。

 

「・・・ギィの奴、よくあの剣について行けるな」

「ハングさんなら一合も打ち合えそうにないですね」

「うるせぇっての」

 

リンディス相手にハングが打ち合えるのは長い間稽古をしてきて手の内をある程度知っているからだ。

ハングは自分が初見でカレルの剣に対応できるとはまるで思えなかった。それに例え最初の一撃を受け止めたところで、ハングにはカレル相手に攻勢に出れる姿が全く想像できない。

 

それだけ剣の才能がハングとカレルとでは乖離しているのだ。

 

そして、そんなカレルについて行けているギィとの才能の差も見えてくる。

 

「ギィも・・・やっぱ才能はあるんだよな」

「ですね・・・」

 

ハングとマシューはギィがカレルの鋭い突きからの三連撃を最小限の動きで回避したのを見て、同意に「おぉ・・・」と声をあげた。

 

「ハングさん・・・ハングさんは自分に戦闘の才能がないことに気づいた時、どう思いました?」

「・・・・・・そうだな・・・最初は努力すりゃ、いつかなんとかなるって思ってたよ」

「ですよね・・・」

 

ハングはマシューが何を言わんとしているのかを悟った。

 

きっと、マシューも知っているのだ。オスティア侯爵、ウーゼル様が既にこの世を去っていることを。

 

「・・・才能の壁ってのは・・・残酷だよな」

 

ハングがどれだけ時間を費やしたところで、リンディスに剣ではまず勝てない。

100回斬り合えば、100回負ける。模擬剣でなら1回ぐらい可能性はあるが、真剣勝負となれば絶対に勝てないだろう。

それは決して覆ることのない事実だった。

 

「努力しても努力しても、越えられない。だから俺は軍師を志したんだけどな。お前は?」

「俺も似たようなもんですよ・・・自分に都合のいい言い訳をして、密偵なんて仕事してます。まぁ、おかげで自分の才能に気づけたわけですが。レイラにも・・・出会うことができましたしね」

「あぁ、確かにな・・・俺も軍師を志したからリンに会えたわけだ」

 

そんな話をしている間にもギィは肩で息をしながらも、カレルの隙を見出してそこから攻勢に転じていた。

カレルの早業に対応してきている証拠であった。

 

才能の片鱗とはそういうところに現れる。

 

「ハングさん・・・俺、オスティアを頑張って支えます」

「そうか・・・」

「レイラの分まで・・・剣の腕はないですけど・・・俺の密偵の才能はオスティアの為に捧げます」

「そう・・・か・・・」

 

それはネルガルを止めた先の話。保障の無い未来の話。

だが、マシューの口調はこれから先に未来が待っていることを信じて疑っていなかった。

それは信頼の証でもある。

 

ハングがいるから、ネルガルに勝てる。

 

言葉の隙間からマシューの心の声を聞きとり、ハングは頭をかいた。

 

マシューとも随分と長い付き合いになった。

思えば、友好的ではない縁で最初に仲間になったのはマシューなのかもしれなかった。

 

そんな時、ギィの脳天にカレルの一撃が落ちてきた。

 

「あ・・・」

 

パコンという子気味の良い音がして、ギィが地面に顔から落下した。

そんな状態でも剣だけは手放さなかった姿勢は立派だが、根性だけでは如何ともしがたいものがある。

 

「まぁ、まだまだってわけだ」

「ですね。これなら俺から証書を取り返すのも先になりそうだ」

「それで、今の貸しはいくつなんだ?」

「8つに増えてます」

 

ハングは声をあげて笑い声をあげた。

 

「あっ、そうだ。マシュー、一つ気になってたんだが?」

「なんです?」

「あそこでバアトルと真剣でやりあってる、黒髪美形のサカの剣士だけど」

 

ハングは気絶しているギィの隣で私闘紛いの訓練をしている2人を指さした。

バアトルの斧を華麗な動きでかわし、鋭い剣筋を刻んでいるのはサカの服装をした女性だった。

どことなく、カレルと雰囲気が似ているが剣の腕も殺気の鋭さも少し劣る。

 

だが、その技量が非凡であることには変わらない。

 

「あれがオスティアでバアトルが仲間に引き入れたカアラで間違いないのか?」

「ええ、そうですよ」

 

そう言って、マシューは唇の端を僅かに持ち上げた。

それは獲物を見つけた狐を彷彿とさせるような笑みであった。

 

「ハングさん・・・」

「なんだ?」

「浮気はダメですよ」

「ちげぇよ!!」

 

ハングは一瞬で顔を赤くして声を張り上げた。

 

「そんなんじゃねぇよ!俺は戦力の把握のためにだな」

「いやぁ、やっぱハングさんってサカの女性が好みなんですね。綺麗系で、凛として、芯が通ってそうな感じの?」

「違うって言ってんだろ!」

「安心してください。リンディス様には内緒にしておきますから。というわけで一つ貸しに・・・」

「なるわけねぇだろ!!」

 

リンディスと恋仲になったとはいえ、そう簡単に色恋の経験値が溜まるわけではない。

ハングをからかいながら、マシューは『やっぱり、ハングさんは【モルフ】なんかじゃないなぁ』と改めて納得したのだった。

 

「あっ、そうそう。あのカアラさんってカレルさんの妹らしいですよ。なんか訳アリで殺し合うような雰囲気っぽかったですけど、とりあえず両者納得したみたいです。それ以降はだいたいバアトルさんとああやって鍛え合ってますね。部隊の人達との関係はまぁ良好です」

「そういうことを先に言えっての!!」

「ちなみにあのヴァイダさんと割と五分な関係を築けてるみたいです」

「だから!そういうことを・・・・・・・・」

 

直後、ハングは丸々数秒間固まった。

 

「え?マジで?」

「マジです」

 

ハングは改めてもう一度カアラの方を見た。

 

「バアトル。また、腕を上げたな。強くなるといったお前の言葉、偽りではなかったようだ」

「まだまだ!おれはもっと強くなるのだ」

「ふっ・・・殊勝なことだ。その気持ちでいれば、遠からず私を追い抜く日も来よう」

「何を言う!お前もまた、強くならねばならん!おれもお前も共に強くなり、互いに腕を高め合うのだ!」

 

猪突猛進のバアトルとの会話を柔らかい物腰でいなし、楽しげに会話している彼女を見ながら、ハングは眉間に皺を寄せた。

 

「ハングさん、今考えていること当ててあげましょうか?」

「やめろ・・・」

「リンディス様と出会う前にカアラさんと出会ってたら、とか思って・・・」

「それ以上口にすんじゃねぇっ!!」

 

ハング自身もあり得ない仮説だとはわかっていた。

 

復讐に目を滾らせていたハングに光を見せてくれたのがリンディスである以上、彼女より先に会っていたとしてもそんな関係に発展する可能性は皆無なのだ。

だが、ほんの僅かでもそんなことを考えてしまった罪悪感からハングの表情が渋った。

その顔をマシューの前で見せてしまった時点でハングの負けなのだ。

 

「安心してください、リンディス様には言いませんから。でも、貸し一つということで」

「ふっざけんな!今すぐその減らず口叩き潰してやる!」

 

マシューはハングが繋がれているのをいいことに、ハングの手が届かないところにまで素早く避難しケラケラと笑い声をあげたのだった。



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間章~樹海の中の一時(後編)~

樹海の中で野営地を設営したハング達。

夕餉の食糧の節約の為に数人が狩りに出ており、斥候や警戒の仕事の無い人達には少しの自由時間が与えられていた。

そんな部隊の中心から逃げるように離れていったのは一匹のドラゴンを連れた竜騎士だった。

 

「・・・なんだハイペリオン。その眼は?」

「グルルルル」

 

ヒースは律儀についてくる相棒のドラゴンの唸り声を聞き、足を止めた。

 

「腹でも減ったのか?」

「ガルウ!」

 

喉の奥から憤怒の声をあげるハイペリオン。

 

時々、ドラゴンはせいぜいトカゲ程度の知能しかないと言う人間がいるが、ヒース達ドラゴンナイトからすればナンセンスもいいところだった。

ドラゴンは時に人間よりも敏感に人の気持ちを感じ取り、人間よりも人間らしい仕草を見せることがある。

 

そして、今回ハイペリオンが言いたいことをヒースは正確に読み取っていた。

ヒースはハイペリオンの眉間に手を置いた。

 

「・・・・・・・いいんだ・・・これで・・・」

 

責めるようなハイペリオンの眼を受け、ヒースは言い訳じみた言葉を吐く。

後悔と未練の乗ったその声は樹海の底に飲み込まれ、消えていくはずだった。

 

だが、それを聞いている人がいた。

 

その人影を最初に見つけたのはハイペリオンであった。

そして、ハイペリオンの視線を追いかけ、ヒースもそこに誰かが立っていることに気が付いた。

 

「プリシラ・・・さん」

 

彼女は先回りしてたのか、樹海の木の陰からが姿を見せた。

 

「ど、どうやってここに・・・」

 

ヒースは逃亡兵として逃げ回る生活を送っていた、そう簡単に追跡されたり先回りされない術は知っていた。それでなくても迷い易い樹海だ。彼女が一人でこんな森の奥まで来れるはずがなかった。

 

つまり、プリシラがこうしてヒースを追いかけることができたのは協力者がいる。

 

ヒースが部隊から離れる時間帯も逃げ先の傾向も全て知りうる人物。

樹海だろうが山岳地帯だろうが容易に踏破してしまう人物。

 

「ハングと・・・隊長か・・・」

 

少し離れたところからヴァイダのドラゴンであるアンブリエルの息遣いが聞こえてきていた。

 

プリシラは意を決した表情でヒースに詰め寄った。

一歩後ろに下がろうとするヒース。その逃げ道をハイペリオンが素早く塞ぐ。

 

「くっ・・・」

「ヒースさん・・・どうして、私を避けておられるんですか?」

「別に・・・避けてるわけでは・・・」

 

間近にまで詰め寄られたヒース。

ヒースは押しのけることも逃げることもできずに、目をそらした。

 

「避けています!今だって、目をそらして・・・私、何かしましたか?」

 

ヒースは答えられない。

 

もっと言うなら、答えたくなかった。

 

口にしてしまえば、それが決定的な事実だと認めるしかなくなる。

今なら、楽しい白昼夢だったと思えるのに。

 

「ヒースさん!」

 

黙秘を貫こうとしたヒース。だが、胸元にまで迫り、見上げてくるプリシラに耐えられなくなる方が早かった。

 

ヒースは静かに話し出した。

 

「・・・あなたが、エトルリアの伯爵令嬢だと聞きました」

 

目を合わせず、未だに現実を見たくないと訴えるかのようにヒースは固い声で話す。

 

「知らぬこととはいえ、これまでの非礼の数々・・・どうかお許し下さい」

 

頭を下げるヒース。それが、プリシラの足を下げた。

そうやって開いた空間が、二人の間に立ちはだかる分厚い壁であるかのようであった。

 

「そんな・・・」

「あなたは、ご存知ないでしょうが・・・俺はベルン王国からの逃亡兵です。この首には少ないとはいえ、懸賞金までかかっている。普通なら、こうして並んで立つことも許されない」

 

ヒースは頭を上げる。

だが、最後までプリシラの方を見ようともしない。

 

「もう行きます。どうか今後、俺を見ても無視して下さるよう・・・」

 

ヒースはその場から離れようと背を向ける。

 

「ハイペリオン、行くぞ」

 

だが、手綱を引いてもハイペリオンは動かなかった。

 

「ハイペリオン!」

 

ハイペリオンが不服を漏らすように鼻息を噴きだした。

話を強引に切り上げたつもりでいるヒースに対して、ハイペリオンはプリシラの話がまだ終わっていないことを察していた。

 

「ハイペリオン!」

 

四肢をふんぱって耐えるハイペリオン。

 

その間、プリシラは俯き、唇を噛み締めていた。

 

こう言われるであろうことをプリシラは覚悟していた。

それでも、ヒースの口から実際に聞くことの衝撃は大きかった。彼から突きつけられた拒絶の意志に思考が硬直し、身体が強張り、行動する勇気がしぼんでいく。

 

だが、そんなプリシラの脳裏に蘇ってきた言葉があった。

 

『あいつは押しに弱い。押し切れ』

 

「・・・です・・・」

 

ヒースの動きが止まる。

 

「いやです・・・いやです!」

 

プリシラは顔をあげ、再度ヒースに詰め寄った。

ヒースは突進してくるような彼女に反射的に振り返ってしまった。

 

「そんなのいやです!せっかく仲良くなれたのに!」

「プ、プリシラ様」

「約束・・・しました!どんな、ささいなケガでも、私のところに来ると・・・あなたは、約束を簡単に破る人なんですか?身分が違うとか、知らなかったとか・・・そんなの、身勝手だわ!」

 

もうヒースには目を逸らすことはできなかった。

 

「私は・・・私の気持ちなんて・・・なにも・・・」

 

彼女の涙を無視できることなど、ヒースにはできなかった。

そして、一度視線がかち合ってしまえば、もう自分の気持ちに嘘をつくことはできなかった。

 

こうなることがわかっていたから、極力避けていたというのに。

 

「・・・泣かないでくれ。そんなつもりじゃなかったんだ。俺の素性を知れば、きみも迷惑なんじゃないかって・・・」

 

ヒースも自分が身勝手なのはわかっていた。

 

だが、それでもヒースには近づけなかった。

彼女のことを想えばこそ、ヒースはプリシラに近づくことができなかった。

 

「・・・プリシラ・・・さん。今は『さん』でも構わないよな」

 

これじゃあ、ハングにどうこう言えないな。

 

ヒースはそう思いながら、しゃくり声をあげるプリシラの体に手をまわした。

 

「きみを泣かすぐらいなら、俺、傍にいるから・・・この戦いの間だけでも・・・・・・いっしょにいるから」

「・・・ヒースさん・・・」

 

ヒースの革の胸当てに顔を埋めるプリシラ。

彼女の頭を抱えながら、ヒースは強く彼女を抱き締めた。

 

「このまま・・・時が止まってしまえば・・・いい・・・のに」

「・・・・・・ああ・・・本当に・・・」

 

そんな二人を見ながら、ハイペリオンが『疲れた』とでも言いたげに大きく欠伸をした。

少し離れたところで木に背を預けていたヴァイダもため息を吐き出す。

 

「・・・ったく、うちの馬鹿どもは本当に世話がやけるよ」

 

ヴァイダはこれ以上は無粋と思い、野営地へと歩を向ける。

 

「それと、そこにいる奴。護衛はもういいから、あんたも戻んな」

 

ヴァイダが樹海の奥に向かってそう呼びかけた。

夕闇の中、樹海の奥から湧き出てきたように姿を見せたのはジャファルであった。

 

「・・・・・・・・」

「あんたもお節介だね。ま、私も人のことは言えないけどさ」

 

ジャファルは衛生兵と竜騎士の二人が樹海に消えようとしていたので、勝手に護衛していた。この樹海はかつて彼の縄張りでもある。ネルガルが近くにいる以上、警戒するに越したことはないと思ったのだ。

 

ただ、ジャファルは誰の命令も受けずに行動を起こした自分に少なからず驚いていた。それはニノの命を救ってもらった恩義から来る行動なのか、それとも自分の中に人としての感情が残っていたからなのか。それは自分自身でもよくわからなかった。

 

ただ、あまり悪い気分ではなかった。

 

ジャファルはプリシラ達の行動を遠目に見ていたのだが、その結果目撃したのはジャファルの予想の範囲外の出来事だった。

 

ジャファルは今まで自分の世界には存在しなかったものを見て、自分の心臓の拍動を始めて聞いたような気がしていた。

 

ジャファルはヴァイダに向けて珍しく自分から口を開いた。

 

「・・・・・・・お前は、優しいのか?」

「はぁっ!?あたしがかい?そんなわけないだろ!あたしはね、部下があまりにも腑抜けの腰抜けになっちまってるから、発破かけてやるためにあの姫様をけしかけたんだよ!勘違いすんじゃないよ!」

「・・・・・・・・・」

「だいたいなんだい!ハングもヒースも女に恥かかせてばっかりで、まったくどういう育ち方すればあそこまでへそ曲がりになるんだい!見ているこっちがイライラしてくるよ!!」

「・・・・・・・・・」

 

ぶつくさと文句を言いながら、ヴァイダは足早に野営地へと戻っていく。

取り残されたジャファルは最後に、今も無言でお互いの存在を確かめ合っている2人を振り返った。

 

そんなジャファルの無表情の顔の中にわずかに赤みがさしているのを見た人は誰もいなかった。

 

ヴァイダに続いて野営地へと戻っていったジャファル。

その姿を見つけ、ニノが駆け寄ってきた。

 

「ジャファル!」

「・・・どうした?」

「これ、あげる」

 

そして、ニノが差し出してきたのは一つのペンダントだった。

 

「・・・なんだ、これは?」

 

受け取り調べてみるが、特に武器や毒薬が仕込まれているわけでもなかった。

護身用の武器ではなさそうであった。

 

「あたしの一番の宝物!綺麗でしょ?」

 

『宝物』

 

ジャファルはその言葉に改めてペンダントを見下ろす。

そう言われれば確かによく磨かれていた。

 

「これを・・・どうして俺に?」

「ジャファルに持っててほしいの」

 

そう言われるなら、持つことはかまわない。

 

ジャファルはそれを懐に仕舞おうとして、ふと目を引くものがあることに気が付いた。

 

「・・・このペンダントの紐にこびりついた汚れ・・・これは血か?」

「えっと・・・うん、そう・・・気持ち悪い?」

「いや」 

 

今更、血の汚れに気を使うジャファルではない。

 

「かなり古いものだな?おまえの血ではないようだが・・・」

「あたしの本当の・・・母さんの・・・なんだ。母さんが・・・ネルガルと・・・ソーニャにやられた時に、つけてたんだって」

 

それを聞き、ジャファルは受け取ったペンダントをニノに返そうとした。

 

「・・・大事な形見だ。自分で持っていろ・・・」

 

差し出されたペンダントを前にニノは首を横に振り、悲しそうに微笑んだ。

 

「・・・あたし、本当の母さんの顔ちっとも思い出せないんだ。命をかけて守ってくれた大事な大事な人なのに・・・だからそれを持つ資格ないよ」

「・・・小さかったなら仕方ないだろう」

「でも・・・」

 

どうしても受け取ろうとしないニノ。

その顔に映る寂しさや自責の感情をジャファルは読み取った。

 

ジャファルは暗殺者の訓練で人の表情や仕草から感情を読み取る手法を身に付けさせられていた。それは標的を暗殺するタイミングを決める為に必要な技術の一つに過ぎなかった。だが、今ではそこから得た情報から、彼女の気持ちを思いやることができるようになっている。

 

それはジャファル本人にはまだ自覚のない変化。

 

そして、『死神』が『人』に近づきつつある変化であった。

 

ジャファルはペンダントを握りしめ、懐の奥へとしまい込んだ。

 

「・・・気持ちの整理がつくまで・・・預かっておく。おまえは俺にとって・・・仲間で・・・大事な友人だ・・・ずっと側に居るから・・・安心してまかせろ・・・」

「大事な友人?あたしのこと、本当にそう思ってくれてるの?」

「・・・ああ」

 

ジャファルは『我ながら何を言っているのだか』とも思いはした。

だが、それは決して悪い気分ではなかった。

 

「ありがとう!ありがとうジャファル!!あたしすごく嬉しい!!」

 

ニノに飛びつかれたジャファルは胸の内で何かが浮きあがるような不思議な気持ちを味わっていた。



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第33章~背水の陣(前編)~

「・・・とうとう、ここまで来たか。あと少しで【竜の門】だな」

 

樹海を抜け、平原をいくらか歩き、そしてハング達はわずかに見覚えのある景色を目の前にしていた。それは以前、【竜の門】へと進んだ道。山の向こうにはかすかに【竜の門】の影が見えていた。

 

あと、山を一つ二つ越えればたどり着ける。

 

体力の回復したハングは馬を引きながら、周囲を見渡していた。

 

そして、ハングは不意に片手を挙げ、部隊全体を止めるように指示を出した。

 

「ハング、どうしたんだい?」

「エリウッド、ここで少し止まろう」

「え?」

 

ハングが見据える先。険しい山に囲まれた隘路が北、北東、東の三方向に向けて伸びている。これらの道は全てこの先の遺跡に繋がっている。

それは、ネルガルの下にいった時、わずかな時間で得られた情報の一つだ。

 

「もし、俺が本当にネルガルの下で戦ってたとするなら・・・ここで待ち伏せをしかける」

「偵察を出すか?」

 

ヘクトルの発案にハングは首を横に振る。

 

「それよりアトス様を少し待とう。偵察は今散っている斥候だけでいい。何も気づいてないふりを装う。向こうが焦れて出てきてくれたらそれもよし、ってとこだな」

 

そう言ったハングにリンディスは笑顔を向けた。

 

「なんだよ?」

「べつに。ハングが戻ってきたんだな・・・って、思っただけ」

「どういう意味だか」

 

その時、ハングは空を見上げてふと目を細めた。

 

「あぶない、ハングさんっ!!よけてっ!!!」

「っっ!!」

 

ニルスの声に反応し、ハングは後方へと飛んだ。

その直後、ハングのいた場所に雷が降り注いだ。

 

「理魔法・・・サンダーストームか・・・ニルスっ!!助かった!」

「・・・うん、ぼくももう逃げない!ニニアンのかわりに・・・ううん、ニニアンの分もぼくが戦って運命を変える!!」

「いいね・・・良い顔になったじゃねぇか!」

 

周囲は既に戦闘態勢を整えた。

敵が待ち伏せではなく、急襲を選んだ理由を考えてハングは不敵に笑って見せる。

 

「さて・・・隠れてんのか?それとも遠くで見てんのか?どっちでもいいが・・・出てこいよ!!」

 

ハングが声を張り上げる。

 

ハングには相手が誰だかわかっていた。

 

この魔法の持つ空気の歪みには覚えがあり、エリウッドやヘクトルではなく単体でハングを狙ったことで敵が誰なのかを考えれば、相手を予想するのは簡単だった。

 

「・・・・・・」

「何者っ!?」

 

リンディスが剣を向けた先、唐突に出現した【モルフ】

その【モルフ】にハングは長年の友人と出会ったかのような笑みを向けた。

 

「よう・・・リムステラ。どうした?随分とまあ、殺気を放ってるじゃねぇか」

「なぜ・・・生きている?」

「『生きてる』?その表現はおかしいだろ。俺達は死なない、消えるだけなんだ。『死なないものは生きてはいない』ってな・・・知らないか?バクスターの『死と罰』だよ」

 

睨みあうハングとリムステラ。

 

「・・・どうでもいい・・・もう一度・・・消してやる」

「さて、そう簡単に行くかな。今回は俺一人じゃねぇ。そして・・・お前は一人だ」

「・・・関係ない・・・おまえたちの【エーギル】をもらう」

「やれるもんならやってみな!」

「・・・出でよ我が下僕たち」

 

リムステラはそう言い残して素早く転移魔法で姿を消した。

 

その直後、周囲の森や山々が色めき立った。

鳥が飛び立ち、獣が騒ぎ出す。そして、次々と出現を見せる【モルフ】の軍勢。

当然、見えている敵が全軍であるはずがない。

 

この視界の通りにくい地形でどれだけの兵が伏せられているのか。

ハングは出現してきた敵兵の規模を考え、頭の中で敵の総数を計算してほくそ笑む。

 

「いいね。まだチャンスはありそうだ」

 

そう言ったハングにエリウッドが疑問の声をあげた。

 

「チャンス?」

「【モルフ】を作るのには【エーギル】がいる。目の前の軍勢は俺が把握している数とそう大差ない。ネルガルの野郎、【エーギル】をケチってやがる」

「それは・・・」

「【竜の門】を開けるためには大量の【エーギル】がいるんだろ?ネルガルの奴にも余裕はねぇってことだ」

 

ハングはそう言って不敵に笑う。

全てを見透かしたかのように不敵に笑う。

勝利を確信したかのように不敵に笑う。

 

それを見て、エリウッドも静かに微笑む。

 

「ハング」

「ん?」

「・・・おかえり」

 

エリウッドの言葉にハングは呆気に取られたような顔をしたが、すぐさま軍師の顔に戻った。

 

「ああ、そうだな・・・ただいまだ」

 

ようやく自分がいるべき場所に戻ってきた。

ハングはそのことを心の底から実感していた。

 

ハングは気を引き締め、目の前に横たわる三本の道を眺めた。

 

東の道は他の道に比べて平地部が広いが、右に左に曲がりくねり、敵拠点までの総距離が長い。

北東の道は砦が数か所に配置され、【ロングアーチ】も見え隠れする。森も深く、最も伏兵を警戒すべき道だ。

北の道は最も道幅が狭く、川もあるため大軍の展開はできない。だが、敵拠点までほぼ一直線に向かえる。

 

「ハング、部隊を集中させて一点突破を狙おう」

 

エリウッドの提案にハングは首を横に振る。

 

「それはだめだ」

「でも・・・ここで部隊を分けるのは各個撃破の危険があるんじゃないのか?」

「確かにその危険はあるが、それ以上に警戒すべきことがある」

「・・・挟撃か」

「そうだ。他に道から敵に裏を取られて前後から挟撃されるのがもっとまずい。ただでさえ、地の理は向こうにある。隘路で包囲殲滅されるのが一番危険だ。だから俺達は3方向の道を全て突破する。それができなきゃ、ここは勝てない」

「厳しいね」

「厳しいさ。敵はほぼ全軍をここに突っ込んできてる。ここが決戦場だ。死力を尽くせ!」

 

ここでハング達が負ければ【エーギル】を奪われ、【竜の門】が開く。

そして、行きつく先は地獄絵図だ。

ここで引くわけにはいかなかった。

 

「分ける部隊の面子はどうする?」

「ヘクトル、リン。二人にも部隊を率いてもらう。リンは身軽な連中を連れて北東へ、ヘクトルは川に注意しつつ北へ、エリウッドは騎馬部隊で東の道を制圧しろ。飛行部隊は俺が指揮する」

 

ハングはエリウッド達に流れるように指示を飛ばし、戦場を素早く整理していく。

 

「リン!できるだけ素早く【ロングアーチ】を抑えろ!3本の道で別々に戦う以上、横の連携は飛行部隊にかかってる!制空権は命綱だ!」

「わかってる!任せなさい!」

「ヘクトル!敵も重装部隊が突っ込んでくることはわかってるはずだ!魔法部隊に注意しろ!!」

「へっ!心配すんなよ!」

「エリウッド、お前の道が最も迎撃が激しいはずだ!やれるか?」

「当然!これでもハングのいない間は僕が指揮をとっていたんだ」

 

素早く陣形を整えていく自軍。

 

何度も一緒に戦ってきた仲間達はさほど多くの言葉を必要とせずとも、勝手に最適の位置に収まっていく。

 

軍を見渡すハング。

 

その隣にエリウッドが並んだ。

 

「さっき・・・」

「ん?」

「『死なないものは生きていない』・・・そう言ってたね」

「・・・ああ」

「『命とは人と人との間に築く関係性の蓄積によって成り立つ』そういう言葉もある」

「ああ、知ってる。チューナー・ベルの言葉だ」

「君は・・・生きている」

「・・・知ってるよ。心配するな」

 

エリウッドはハングの肩に軽く拳を当てた。

ハングもエリウッドの肩を一発殴る。

 

「行こう、ハング!最終決戦だっ!!」

「おうよ!ここで敵戦力を削り落とすぞ!」

 

今ここに最後の戦いの幕が開く。

 

人間と【モルフ】の決戦であった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

東側の道を馬で駆け抜けていくエリウッド率いる騎馬部隊。

エリウッド達は前を塞ぐ敵を突き崩しながら足を止めることなくひたすらに進んでいた。

 

「マーカス!イサドラ!先行して左右の山の伏兵を警戒してくれ!」

「心得ました」

「はっ!」

 

エリウッドの指示でマーカスとイサドラが左右に広がっていく。

その直後だった。

 

「・・・・・敵だ」

 

エリウッドと馬を並べたラスが一言そう告げた。

 

「どこだ?」

「・・・・・前方距離八十、岩場の影」

 

そういいつつ、ラスは弓を構えた。

馬上で素早く弓を連射するラス。

エリウッドは後方のプリシラにも魔法による牽制を指示する。

 

放たれた矢と火球が放物線を描いて、岩場の陰へと降り注ぐ。

すると、ラスの指摘通り敵の【モルフ】がぞろぞろと湧き出していた。

 

エリウッドが剣を引き抜き、後方でセイン、ケントの両名が同じく剣を引き抜いた。

 

「いくぞぉぉぉぉ!!」

「参ります!」

「うおらぁぁぁぁあ!」

 

岩場から平地に姿を現した敵をエリウッド達が駆け抜けざに薙ぎ払っていく。

なんとか回避することができた【モルフ】も後続を任されたロウエンの槍に突き崩される。

エリウッド達は素早く反転し、陣形など構築する暇すら与えずに一気に揉みつぶした。

 

敵を粉砕したエリウッド達は馬の呼吸を整えつつ、更に前進する。

だが、山の向こうには【ロングアーチ】があるため、そうそう突出することはできない。

馬を全力で駆けさせることができないもどかしさをエリウッドは冷静な自分で抑え込む。

 

今はハングの合図を待つ。

 

飛行部隊の位置を見ながら速度を調整するエリウッド達。

だが、山を一つ迂回した時にエリウッドは停止の合図を出した。

 

「迎撃の構えだな」

 

大きな遺跡の隣では弓兵と斧兵の混成部隊が迎撃のための陣を敷いていた。

先行したマーカスとイサドラと合流し、エリウッド達はその場で馬の息が整うのを待つ。

 

「いかかがいたしましょうか」

「あそこを抜ければ、そこから先に伏兵を置ける位置は少ない。多少無理をしてでも、突破する」

 

エリウッドは飛行部隊の位置を確かめる。

その直後、周囲に甲高い音が響いた。笛を先端に付けた矢が放たれた音だった。

 

「・・・来たか!!」

 

それは敵【ロングアーチ】を確保した合図。ほぼ同時に今まで牽制を続けるだけだった飛行部隊が敵のペガサス部隊に襲い掛かっていた。

一気に攻勢をかけるなら今しかない。

 

エリウッドは槍をかかげ、突撃の指示を出した。

 

「行くぞぉおおお!」

 

エリウッドを先頭にした鋒矢陣形。突撃に特化した陣形でエリウッドは敵に向けて突進を開始した。

それを見た【モルフ】の弓部隊が矢を引き絞り、放った。

 

空を覆う無数の矢。

 

エリウッドの手に汗が滲む。敵が待ち受けるところに真正面から攻撃を仕掛けることに恐怖を覚えていた。だが、鋒矢陣形の先頭にいるエリウッドがここで歩を緩めるわけにはいかなかった。

 

今、エリウッドが引き下がれば後方に続いてきている仲間達全ての動きが止まる。

矢の雨が降り注がんとするこの場で立ち止ってしまえば、敵の矢と斧兵の突撃を受けて甚大な被害となる。

 

エリウッドは沸き起こってくる恐怖を強引に飲み込み、歯を食いしばる。

 

そして、唇の端でニヤリと笑ってみせた。

 

エリウッドは素早く槍を振りあげる。

 

「陣形変更!直線陣形!!」

 

エリウッドの槍の動きを合図に騎馬部隊が素早くその並びを変える。

横に広がった鋒矢陣から縦一列の陣形に変わる。それは敵の攻撃の被弾面積を下げる直線陣。

 

エリウッドは左右に逸れる矢を全て無視し、頭上に迫ってきたものだけを槍で叩き落とす。

エリウッド達は速度を緩めることなく一気に敵陣へと駆け込んだ。

 

エリウッドは槍を構え、突き出し、敵の頭部を吹き飛ばした。

そのまま次の敵を突き倒し、左右の敵を槍の石突きで昏倒させる。地面に倒れた敵兵は後続の騎馬の足元に消えてすぐに見えなくなる。

 

エリウッドは目の前に立ちふさがる敵をひたすらに突き崩していく。

左右から迫る斧を弾き、人の群れを押し返す。

【モルフ】相手に決して敵に後れを取ることないエリウッド。だが、迫りくる人の壁が死の恐怖と重なることは止められない。

 

それでもエリウッドは槍を振り続ける。

 

何時までも続くと思われた敵の壁。

それは唐突に終わりを迎えた。

 

エリウッドの視野が一騎に開けた。目の前に広がるのは山に囲まれた平野。そこに敵影は無い。

 

敵陣を突破したのだ。

 

エリウッドはそのまま走り抜け。後続が抜けてくるのを振り返って確認する。

そして、殿(しんがり)であったイサドラが抜けてくるのを確認し、再び槍を振り上げた。

 

エリウッド達はその場で素早く反転する。

馬を駆けさせて大回りするのではなく、一人一人がその場で同時に反転するのだ。

全員の息が合わなければ混乱を引き起こしてしまう荒業であるが、エリウッド達はその芸当をやってのけた。

 

今まで長い間共に過ごした仲間達の呼吸は一糸たりとも乱れることはなかった。

 

「鋒矢陣!!」

 

イサドラを先頭に陣形が変わる。ケントとセインが両翼を固め、ロウエン、マーカスがラスとプリシラを挟みこむように守護する。

最後列となったエリウッドは味方が敵の背後にいる弓兵達に襲い掛かるのを見ながら、戦局をつぶさに把握していた。

 

再び騎馬の突撃を受けて混乱する敵部隊。だが、それでも離脱兵や四散する敵はいない。

【モルフ】達は恐怖など欠片も感じないような顔をしながら、エリウッド達に殺到してきた。

 

だが、敵は既に連携を取ることをやめていた。

隣の仲間を守ることもせず、ただ目の前の相手を見ることしかできない。

 

そんな相手に仲間と呼応して動くエリウッド達が負けるはずがなかった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ヘクトルが率いる重量部隊はその質量差にまかせて、次々と敵陣を粉砕していった。

その後方ではカナスとエルクが援護としてついてはいるが、ついていくのに必死だ。

特に【ロングアーチ】を確保してからの進軍速度は並ではなかった。

 

「ハァ、ハァ!まったく・・・あの人達は・・・」

 

エルクが息を切らせながらもなんとかくらいついてく。

その隣ではカナスも額に汗を垂らしながらついていっていた。

 

「困りますね・・・援護する側としては」

 

ヘクトル達は陣形も戦術もおかまいなしに、ただ一人でも多く敵を打ち倒すために前進し続ける。

 

「ドルカス!そっちは任せたぞ!!」

「・・・・どっちの敵だ?」

「うわはははははははは、本能に任せろ!!」

「・・・・やめろ」

 

バアトルが勝手きままに敵に切りかかり、ドルカスがなんとか左右をフォローする。

 

援護するエルク達からしてみれば、好き勝手に戦う仲間に攻撃を当てないようにするだけで一苦労なのだ。

 

しかも、そんな戦い方をするのは一人や二人ではない。

ダーツがファーガス海賊団の切り込み隊長を名乗りながら突っ込み、ワレスが敵の攻撃を弾き返しながら突出し、ホークアイが咆哮をあげながら敵の頭を粉砕していく。

その隙間をオズインやドルカスがなんとか埋めて戦っている。

 

それに加えて、戦闘にほぼ参加していないはずのセーラがちょこまかと動き回るのだから、たまったものではない。

 

エルクとカナスの溜息も漏れようというものだ。

そして、それらの中央で誰よりも多くの敵を相手にしているのがヘクトルだった。

その隣ではマシューがヘクトルに周囲の情報を逐一教えている。

 

「若様!敵影3!前方上空です!」

「ホークアイ!オズイン!そっちをあたれ!他の奴らは前進あるのみ、一匹残らず叩き潰せ!」

「若様!西に増援の気配があります!」

「バアトル、ドルカス!そっちを抑えろ!ダーツ!てめぇは俺と一緒に来い!!」

 

陣形も連携も度外視したように見える戦い。

だが、ヘクトルの指揮は極めて的確に作用して前線を保っている。

 

ヘクトルは全員が奮闘すれば、被害を出さずに戦えるギリギリの線で軍を動かしていた。

要するに『全力を費やせば勝てる』戦い方なのだ。そしてそれは『誰かがさぼった瞬間に仲間が死ぬ』ことを意味する。

 

ヘクトルは自分に割り当てられた部隊の面子を見て、正攻法は無理だと判断した。

傭兵上がりが多く、猪突猛進な人間が多い。

ならば、下手に陣形で縛るよりも各々が最善を尽くせる戦い方をさせるべきだと判断したのだ。

 

それは闘技場でこういった人種を数多く見てきたヘクトルだからこそ取れる選択肢であった。

 

「若様も・・・なかなか、上手くなりましたね」

「マシュー、無駄口叩いてる暇があんのか!?」

「ないですね、こんな無茶苦茶な戦いをしているんですから」

 

ヘクトル達はただ目の前の敵を屠ればいいわけではない。

連携を取っていないからこそ、周囲に目を配り仲間の背後を脅かす存在を優先的に潰さなくてはならないのだ。

白兵戦の様相を呈しながらも彼らが人的被害を抑えられているのは、それぞれが戦場に慣れ、乱戦に慣れているからだった。

それは海賊のダーツや傭兵のドルカス、バアトルはもちろんのこと、傭兵として過ごした期間のあるワレスなどの視野の広さの賜物であった。

 

ある意味、人選にあった戦い方ともいえるがやはりそれは補助に回る人間がいてこそである。

気苦労の多いオズイン達であるが、その中でも特に頭痛に悩まされているのがエルクであった。

 

「セーラ!あまりうろうろしないでくれ!それでなくても、大変なんだから!」

「何よ、ふきげんそうな顔しちゃって」

 

不機嫌なのではなく、必死なだけだ。

 

そう言いたいのをぐっとこらえ、エルクは魔法で敵を焼いていく。

 

「でも、ようやく私の命令を聞く気になったみたいね」

「・・・だから、きみの命令じゃないよ。僕がきみの傍にいるのは、ハングさんの指示。それ以外のなにものでもないから」

「とか言っちゃって、本当は嬉しいくせに。無理しなくていいのよ、エルク」

「してない。というかうるさい!こっちはこっちで本当に大変なんだ!」

「ふーん・・・・ま、いいわ。はいっ!!」

 

次の瞬間、セーラが放った眩い閃光が戦場を一閃した。

味方の隙間を縫うように放たれた一撃が、敵兵の何人かにまとめて手傷を負わせた。

 

「・・・・・」

「ふふん、上達したでしょ。これでもルセア様にご指導を・・・」

「あぶない!!」

 

エルクが素早く魔導書を開き、セーラに迫っていた【モルフ】に雷の電熱を浴びせた。

 

「大丈夫かい!?」

「ちょっ、ちょ・・・雷するときは・・・前もってなにか、い、言いなさいよ」

「本当に世話が焼けるな。そんなこと言う暇なかったじゃないか。それより、腰が抜けたならそこにいてくれ。後方にいてくれた方がまだましだ」

「何よそれ!あんたまだ私のこの部隊における偉大さがわかってないみたいね。覚悟しなさい、一からちゃんと説明してあげるから!」

 

そう言って立とうとするが、いきなり落ちた雷のせいで彼女の足は震えたままだ。

結局、セーラはエルクにすがるようにしてその場に立った。

 

「ちょっ、ちょっと!き、きちんと支えてよ!」

「あのさ・・・どうして僕に絡むのかな。僕が気に入らないなら放っておけばいいだろ?」

「いいでしょ、私の勝手!あ、あんたの根暗な性格わかってる人って、私しかいないじゃない!ケガしてもやせがまんして一人で死んじゃいそうだし・・・しょうがないから、傍にいてあげるんじゃない」

 

そう言いつつも、セーラの足はまだ震えている。

それでも去勢を張りつつ、魔法を放とうとしている姿は健気とも言えなくはないが、エルクとしては不安でしかなたない。

 

「僕だって同じだよ。君みたいな子ほっといたら、何しでかすかわからないからね。しょうがないから、守ってあげてるんだ」

「何よっ!」

「そっちこそ!」

 

火花を散らす二人。

 

「エルクさん!援護を!!」

「あ、すみませんカナスさん!君に構ってる暇はないんだ!おとなしくしてくれ!」

「この部隊の杖使いは私だけなの!皆が戦ってる前線にいないと意味ないじゃない!」

「ああもう!だったら僕から離れないでくれよ!」

「わかってるわよ!だから、しっかり守りなさいよ、エルク!」

 

仲が良いのか悪いのか。

 

きっと良い方なんだろうとカナスは思いつつ、次の魔法の狙いを定めていった。



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第33章~背水の陣(後編)~

別れた3つの部隊の中で最も進軍が早かったのはリンディスの部隊であった。

早急に【ロングアーチ】を確保する必要があった彼女らは半ば強引な手段で敵陣を突破していた。

 

ここは盆地と森が隣接する道。飛行部隊が周囲から湧くこの戦場で盆地に長居するのはどう考えても不利であり、正面からの力押しも難しい。

だからこそ彼女らは森を制圧することにしたのだった。

 

風が吹き、木の葉が舞う。

生い茂る枝葉が太陽の光を覆い隠し、真昼だというのに薄暗く揺らめく樹海の内。

 

そのいたるところに、待ち伏せの構えをとる【モルフ】が身をひそめていた。

 

息を潜め、獲物を狙う獣のような【モルフ】

【モルフ】は与えられた【エーギル】により動く。彼らは呼吸も鼓動も必要ない。止まろうと思えば全てを停止させてただの肉塊へと変わることができる。彼らは伏兵としては最高の兵であろう。

 

だが、最強ではない。

 

この森には心無き獣を狩る狩人が既に入り込んでいた。

 

草葉に隠れる【モルフ】の頭上に一人の影が落ちてくる。

落下と同時に首に全ての体重を押し付けてへし折る。武器も使わずに音もなく仕留めるのは暗殺者の必須技能だ。

 

「これで三人目っと」

 

ラガルトはそう言って着地し、肩にかかった葉っぱを払いのけた。

 

その直後、ラガルトの背後で肉塊が突如動き出した。

ラガルトは慌てず騒がず、振り下ろされる斧をかわす。

 

「あらら、首を折ったはずなんだが」

 

動いたのは先程殺したはずの【モルフ】であった。

その【モルフ】は他の連中と違って何らかの強化がされているのか、首を90度に折り曲げたままラガルトに襲い掛かってきた。

 

「やばいかな」

 

まるで危機感のない言い方でそう言ったラガルト。そのラガルトに迫る斧。

その時、横合いから斧がはじき出された。暗闇から現れたのはフェレ騎士のハーケンだった。

ハーケンは斧を素早く振り切り【モルフ】の首を落とした。

 

ハーケンの素晴らしい手際にラガルトは口笛を吹いた。

 

「お見事」

「ラガルト・・・北部はもうあらかた片付いた」

「へぇ、本当に手際がいいな。随分と暗闇に精通しているみたいだな」

「・・・・・・」

「そう怖い目で睨みなさんな。俺達は今は味方で、俺はあんたの過去に興味なんかない」

「・・・・ならいいが・・・」

「まったく、あんたといいイサドラといい。フェレ騎士にはつくづく信用がねぇな」

 

その瞬間、ハーケンの眼の色が変わった。

それを見逃すラガルトではない。

彼は飄々とした態度で続ける。

 

「しかし、イサドラってのはいい女だね。俺がもっと早くあいつと出会ってたならほっときはしなかったんだが」

「・・・貴様、イサドラと・・・」

「生憎、略奪愛は趣味じゃ無くてな。俺は泥棒じゃなくて暗殺が専門だ」

「・・・なら、いいが・・・」

「だけど・・・」

 

ラガルトはハーケンに向けて意地の悪い顔を向けた。

 

「あんたが、いらないって言うなら。もらっちまうぞ?」

 

ハーケンの手元から手斧が飛んだ。

ラガルトの手からも短剣が飛ぶ。

 

それらは、二人の脇を通過し木陰に潜んでいた【モルフ】へと突き刺さった。

 

「・・・話は後にしよう」

「それがよさそうだ。ただ一つ言っておく」

「ん?」

「オレたちも、あんたたち騎士も、根っこは人間だ。たまには恋人のことも考えてやんな。戦うためだけに生きるなんて、悲しいだろ?」

「・・・・」

「言いたいのはそんだけ。あんま悲しい顔させんなよ」

「・・・・お前は・・・良い奴・・・なのか?」

「くくく、さてな」

 

北西側の森で、ラガルトとハーケンが素早く敵を制圧していく。

そして、その反対側の森にはリンディスとニノ、ジャファルが動き回っていた。

 

例え心音や体臭を消していても、存在が消えたわけではない。

体重があれば足跡は残る、茂みを抜ければ枝が折れる。

 

リンディスはそれらを素早く発見し、伏兵のいそうな個所を特定して移動する。

 

ジャファルが音もなく敵を排除し、リンディスの剣が声を上げる暇さえ与えずに敵を切り裂く。

ニノも元【黒い牙】だ。隠密行動の基本は身体に叩き込まれていた。

 

リンディス達はそうやって森を制圧し、伏兵を頼っていた敵の陣形を根底から瓦解させてしまったのだ。

 

敵を引き込むはずの陣形はただの軟弱なものと化し、わざと見せつけていた弱点はそのまま突破口へとなり果てた。道の中央ではカレル、カアラ、ギィというサカの三剣士を筆頭とした戦力が暴れるだけ暴れていた。

 

ウィルとレベッカも【ロングアーチ】を素早く確保し、上空のペガサスナイトや砦内部の敵を確実に攻撃して敵の数を減らしている。

 

「ウィル、向こうの山に敵兵が見える!!」

「よっしゃ!そっちは任せ・・・って、あれ!?動かない!?なんで!?」

 

突如、動きを止めてしまったウィルの【ロングアーチ】

 

狼狽えるウィルを横目に護衛を務めていたレイヴァンが仕掛けの隙間に引っかかっていた小石を剣先で弾き飛ばした。

 

「・・・世話のやける・・・」

「あっ!動く!ありがとう!ヴぁっくん!」

「ヴぁっくんはやめろ!!」

 

ウィルとレベッカの御守を任されているレイヴァンとルセア。

レイヴァンは周囲の様子を見渡し、カレル達が敵の砦を制圧したのを確認した。

こうなれば、戦線は更に前に出ることになる。ならば、戦いはより深い森の中。ここまでくれば、【ロングアーチ】はお役御免であった。

 

「【ロングアーチ】はもう捨てろ。既に砦は抑えたようだ。そこまで走るぞ、遅れれば置いていく」

 

レイヴァンはそう言いつつ、武器を持って移動の準備を始める。

 

「は、はい!わかりましたヴぁっくん」とレベッカが返事をした。

「足には自信があるぜ、ヴぁっくん」とウィルが親指を立てた。

「私もなんとかついていきます、ヴぁっくん」とルセアが笑いをこらえながらそう言った。

「・・・お前らな・・・」

 

力が抜けそうになるレイヴァンだったが、なんとか持ちこたえてレイヴァンは砦へと走り出した。

 

砦を確保したらそこからウィルとレベッカに援護をしてもらうつもりであった。

だが、実のところその必要性はほとんどなかった。

リンディス達は既にここら一帯の森の制圧をほとんど終えてしまっていたのだった。

 

「ジャファル・・・他にいそう?」

 

ニノが魔導書を閉じてそう尋ねる。

ジャファルは周囲に敵の気配がないことを確かめ、ナイフを懐にしまった。

 

「・・・・・いない」

「うん、わかった。リンディス様、こっちは大丈夫だそうです」

「そう、とりあえず、今のところはこれで全部ね」

 

森の中の敵の気配をたどっていたリンディスもそう言って立ち上がり、膝についた土を払った。

森の中は静まり返り、遠くにエリウッドやヘクトルの部隊が戦う喧騒が聞こえてくるだけだった。

 

【ロングアーチ】を確保した後はハング達が制空権を確保してくれたおかげで頭上からの攻撃もない。

リンディスは肩の力を抜き、張り詰めていた気を緩めた。

 

「・・・・・じーー」

「どうしたの、ニノ?」

「あ、えと・・・リ、リンディス様?」

「なに?」

 

ニノはジャファルをちらりと見る。

彼は周囲を警戒しているのか、こちら側には注意を向けていなかった。

 

「えと・・・・」

 

そして、ニノは少し頬を染めながら小声でリンディスに尋ねた。

 

「ど、どうしたら、リンディス様みたいに綺麗になれますか?」

「へ?」

 

唐突で、戦場に似合わない質問にリンディスの思考は止まってしまった。

 

「え、ニノ?」

「リンディス様、すごい綺麗です。剣だって舞いみたいですっごく。それに魅力的な人だし。私、リンディス様みたいに・・・」

「ちょ、ちょっと待ってニノ」

「あ・・・・ごめんなさい」

 

ニノが落ち着いたのはいいが、リンディス本人はまだ混乱したままだ。

 

「えと、私・・・そんなに特別なことしてないわよ」

「じゃ、じゃあ、もしかして恋が人を綺麗にするってことですか?」

「えぇっと・・・」

 

確かに自分は恋をしているが、それで女を磨いた記憶はない。

自分がハングに認めてもらうためにやったことと言えばせいぜい、剣の腕を磨き、弓の練習をして、少し軍略の知識を身に着けたことだけだ。

 

「・・・ニノ」

「はい」

「・・・私は何もしてないわ。ありのままでいいのよ、ニノは十分可愛らしいわよ」

「・・・ありのまま、ですか?」

「ええ、私はずっとそうしてきた。だから、ニノも今の自分にできることを精一杯やりなさい。それが一番」

「はいっ!わかりました!」

「・・・話は終わったか?」

「わっ、ジャファル!」

「・・・後続が来る。もう少し先にいこう」

「ええ」

 

その時、ふとリンディスは視界の中に飛行部隊が入ったことに気が付いた。

森の中から空を見上げれば、竜騎士とペガサスナイトが頭上を越えて飛んで行くところだった。

 

「・・・・・・」

「リンディス様、どうかしたの?」

「ううん、なんでもないわ」

 

リンディスは剣の柄に手を置く。

 

今、ヴァイダの後ろにハングの姿が見えた。

とはいえ、そのことに嫉妬したわけではない。

 

「・・・本当に・・・行くのね・・・」

 

ハングがこれからやろうとしていることを思い、リンディスは自分の気持ちの置きどころを探していた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

それは、彼等が行動を開始する直前のことだった。

駆け出そうとするエリウッド、リンディス、ヘクトルにハングが声をかけた。

 

「あっ、ちょっと待ってくれ・・・」

 

振り返る3人に向け、ハングは少し困ったように笑っていた。

 

「一応、あらかじめ言っておく」

 

そう前置きしてハングは語りだした。

次に勝手な行動をしたら『なます切り』だと言い渡されていたので、ハングは先に彼等に話を通すことにしたのだった。

 

「俺はこの戦いの終盤で・・・・―――――――」

 

そして、その場で語られたハングの言葉に3人は目を丸くした。

 

「お前、正気か!?」

 

ヘクトルの言葉にハングは肩をすくめた。

 

「もちろん。とりあえず、これで『勝手な行動』じゃないからな。間違っても後で俺の足を刻んでくれるなよ」

 

ハングのその言葉にリンディスが険しい顔をした。

 

「・・・勝算はあるの?」

「さぁな・・・まぁ、死ぬようなことにはならないさ」

 

そう言ったハングをエリウッドが感情を読ませない目で見つめていた。

 

「・・・ハング」

「ん?」

「・・・無駄にならないことを祈ってる」

「ありがとよ」

 

そう言ったハングはどこか痛みを覚えているかのように笑っていたのだ。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ヴァイダのドラゴンの背から飛び降りたハング。

 

「よっと。ここまでありがとうございます、ヴァイダさん」

「ああ・・・ハング、気を抜くんじゃないよ」

「わかってますって」

 

ハング達は改めて目の前の敵へと視線を向けた。

 

「・・・もう・・・きたのか」

「おう、来てやったぜ」

 

そこにはリムステラがいた。

 

「それじゃ、ヴァイダさん。周囲の雑兵はお願いします」

「本気なんだな」

 

ハングは何も言わず、ベルン式の敬礼を行った。

それを見てヴァイダは眉間に皺を寄せ、ドラゴンの手綱を握りなおした。

 

「まったく・・・お前の考えることはあたしの手にもおえないよ。なんかあったら叫び声をあげな」

「そうならないことを祈ってますけどね」

 

ヴァイダは槍を振り上げた。それを合図に飛行部隊が飛び上がり、周囲の敵を制圧するために動き出す。

ハングはそれを見送り、リムステラに顔を向けた。

 

「・・・・」

「おいおい、そんな殺気だつなよ」

 

ハングはリムステラの攻撃範囲と攻撃速度を明確に覚えていた。

ハングはその距離の限界の場所にそっと胡坐をかいて座る。

 

「俺は戦いにきたわけじゃない。どうせ俺一人じゃお前を殺せない。俺にそんな実力がないのはお前もよく知ってるだろ」

「なら・・・何をしに来た・・・」

 

ハングは唇の端で笑う。

 

「あのな。俺達は同じ人間・・・ネルガルから生まれてんだ。そして、俺が先に産まれた・・・いわば俺らは兄妹なんだ。兄を敬うことを覚えたらどうだ?」

「・・・貴様にそれを言われるいわれはないはずだ」

「反抗期を迎えた兄に対しての態度としては正しいかもな」

 

ハングは懐に手をいれた。一瞬、リムステラが警戒心を見せる。

だが、ハングが出したのはただのキセルだった。

リムステラが拍子抜けしたような顔をした。

 

「お前、そんな顔もできるんだな」

「・・・・・・」

 

リムステラは完全な無表情ではない。

 

それは彼女にわずかでも人間に近いところがある証拠でもあった。

ハングは煙草に火をつけて煙を吸い込んだ。

 

「・・・何しに来た」

「兄が妹に会いに来るのに・・・冗談だから怖い顔をするな」

 

ハングはまた一息吸い、本題を切り出した。

 

「お前は【モルフ】俺も【モルフ】・・・なのに、俺達はこうも違う。不思議には思わないのか?」

「・・・思わない。私はネルガル様の為だけに動く。それだけだ。余計な思考も感情も無用だ」

「はっ、笑わせるな」

 

ハングは鼻で笑い、キセルの先をリムステラへと突き付けた。

 

「なら、お前はそのネルガルの為に働けなくなる瞬間を想像したことがあるか?」

「・・・・ない」

「嘘だな。完璧な思考回路を持つお前が、自分が負けた時のリスクを考えてないはずがない」

「・・・・・・・・」

 

リムステラからの返事はない。

 

その沈黙を肯定と受け取ったハングはそのまま話を続ける。

 

「お前を含めた何人かの【モルフ】に会った。彼らには物事を判断する力があった。自分の意志で行動を選択することができた」

「・・・・何が言いたい」

「意志を持つなら、そこには多かれ少なかれ感情は必ず入る」

「人間の都合だ」

「思考の基本が【俺達】と【人間】で何かが違うとは思わない。お前だって『ネルガルに忠誠を誓う』という意志によりここに立ち、『ネルガルの役に立ちたい』と思って行動している。違うか?」

「それは私が産まれた意味そのもだ。感情の有無とは関係ない」

「ははは、それだって妙な話だ。それじゃあ、一つ聞くが・・・」

 

ハングがキセルの口側を差し出す。

 

「煙草・・・吸うか?」

 

それに対するリムステラの返事に一瞬の間があいた。

 

「いらん」

「理由は?」

「もらう理由がない」

「毒なんか塗ってないぞ」

「そういう問題ではない」

 

しばしにらみ合うような間があり、ハングは諦めてキセルを再び口にくわえた。

 

「今・・・何を考えた?」

「・・・・・・」

「俺を信頼できるかどうか天秤にかける前に、動揺しただろ。意味がわからないと混乱しなかったか?」

「・・・・・・」

「なんで、わかったって顔だな?そりゃわかるさ。兄ちゃんなんだから」

「・・・・・・」

「だから睨むな。もう言わねぇよ・・・というか、苛ついてるか?それも立派な感情だぞ」

 

ハングは不敵な笑みを浮かべ、また煙草を吸い込む。

 

「・・・何しに来た」

 

何度目かの質問。

 

ハングはようやくその答えを言った。

 

「話をしにきた」

 

ハングはリムステラと話がしたくてここまで来た。

 

「だってよ・・・もういないんだろ?」

「・・・・?」

「エフィデル・・・ソーニャ・・・ある程度の自我を持って動く・・・対話の成り立つような【モルフ】はもういなんだろ」

「・・・・・」

「だから、話をしたくなった。最後の同種に会いたくなったんだ・・・この戦いがどう転んでも、もう話す機会なんて無いだろうからな」

「それに何の意味がある?」

「別にどうって意味はないさ」

 

ハングは溜息を吐いた。

 

「神は人を作り、人は神に近づこうとして【モルフ】を作った。なのに、俺達は何も産みだせない。できることは破壊と殺戮だけだ。俺達は所詮行き止まりなんだよ」

 

例え誰かと結ばれたことになってもな。

 

ハングはその言葉だけは胸の内だけに留めておいた。

それは口にしてはならない類の言葉だった。

 

ハングは小さく首を横に振り、話を続けた。

 

「それで、同じ存在がそれをどういうふうに考えてるのか聞いてみたかったんだが・・・答えてはくれねぇか?」

「私はネルガル様の命じられるままに動いているだけだ」

「それはもう聞き飽きた」

「他に答えなどない・・・」

「そうかい・・・じゃあ、最後に一つだけ」

 

ハングはキセルの中身を捨てる。草の表面についた露が煙草の残り火を消して白い煙を放った。

 

「お前は・・・暇な時なにしてる?」

「・・・・は?」

「時間が余った時は必ずあるだろ。眠らなくてもいいんだからさ」

「・・・・・・」

「そんだけ時間があれば、暇な時もあるはずだ。そん時に何をしてるんだ?星でも数えてるのか?」

「・・・・言う必要はない」

「だろうな。ただ、『言う必要はない』ってことは・・・なんかやってるんだな」

「・・・・・」

「そうか・・・お前にも、何か自分の意志でやってることがあるんだな」

「・・・・・」

 

ハングは立ち上がり、キセルを懐に仕舞い込む。

 

「・・・私は人間ではない」

「ああ、俺もだよ」

「この心も、この身も、全て偽りだ」

「俺もさ・・・」

 

ハングは周囲の様子を伺う。

ヴァイダ達は問題なく雑兵を片付けた。

エリウッド達ももうすぐこの場に殺到してくる。

 

もう、残された時間は多くなかった。

 

「残念だよ。少し期待してたんだがな」

「・・・期待?」

 

ハングは最後になるであろう言葉をリムステラに向けて放つ。

 

「お前、俺達と来ないか?」

 

一瞬、間があった。

 

「・・・断る」

「・・・そうか・・・そっか・・・」

 

即答ではなかった。

 

それだけでハングにとっては十分だった。

 

「・・・さてと、そろそろこっちの部隊が到着する。同情はしないぞ、それがお前の歩いてきた道なんだからな」

 

リムステラの耳が複数の物音を捕えた。三方向から迫る部隊の物音に加え、複数の翼の音も聞こえる

 

「ハング!まだ生きてたかい!上出来だ!」

 

ヴァイダがそう言いながら戻ってきて、ハングは自分達の対話の時間が終わったことを悟った。

 

「それじゃあな。リムステラ・・・墓にはなんて刻めばいい?」

「・・・勝手にしろ」

 

ハング達の後方から大量の足音が近づいてくる。

 

「・・・ハング・・・」

「ん?」

「・・・・・・編み物だ・・・」

「そうか・・・そっか・・・そっか・・・」

 

ハングは一呼吸を空ける。

 

そして、手を振りあげた。

 

ハングの後方から矢や魔法が飛び込んでくる。

その援護を受けて、ペガサスナイトの3人が一気にリムステラに肉薄した。

 

無数の刃がリムステラの体へと吸い込まれていく。

 

ハングは最期のその時までリムステラから目を離すことはしなかった。



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第33章外伝~生の価値(前編)~

リムステラの塞ぐ古い砦を突破した一行。

ハングはその最後尾で散って行った自分と同種の存在を弔っていた。

 

墓標を作り、塚となる土を盛った。だが、その下には何も無い。

墓標にはただ『リムステラ ここに眠る』とだけ書かれたいた。

 

ハングはその前に膝をつき、ベルン式の祈りを捧げる。

管理する者もいない墓場。この墓はいつか朽ち果て、自然の中に溶けていくだろう。

 

ただ、それでもいいと思う。

 

自然の理を外れた【モルフ】

ならば最期ぐらいは自然の中に還っても良いではないか。

 

ハングは最後に手で聖印を組んで、祈りを終えた。

 

周囲には敵影はないということで、ハングの護衛についているのは二人だけだ。

一人はカナス。彼も【モルフ】の墓作りに協力してくれた。

 

そしてもう一人は・・・

 

「レナートさんでしたね。お付き合いいただき、ありがとうございます」

「・・・気にするな」

 

レナート

 

司祭の恰好をしながらも、漂う雰囲気はどうも傭兵のそれだ。

ただ、何かを悟ったような姿勢のみが目立ち、老兵のような空気があった。

 

言動と雰囲気と姿勢の全てがちぐはぐで、なんだか不可思議な人だというのがハングの印象だった。

 

「カナスさん、行きましょう」

「ええ・・・それにしても、ハングさんが【モルフ】だったなんて」

「そういえば、ゆっくり話すのは初めてですね」

「ええ、そうですね」

 

歩き出すハングとカナス。

その後方にレナートが続いた。

 

「あ、あの・・・ハングさん・・・」

「【モルフ】について聞きたいんですか?」

「い、いえ!?・・・・いえ・・・やはり聞きたいことがあります」

「それでこそカナスさんだ」

「これを聞くのは失礼だとは思うんですが・・・ハングさんは夢を見るのでしょうか?僕たちのように考え、悩んだり・・・してましたね」

「そうですね・・・悩んで苦しんで傷つけて・・・そんなことばっかりだったですね」

 

ハングは何かを思い出すかのように空を見上げる。

 

「ただ、俺は・・・他の【モルフ】とは毛色が違います・・・感情と記憶を持ち、人の中に溶け込む為の実験台・・・それが俺ですからね・・・一般的な【モルフ】とは・・・」

「でも、ハングさんは自分を持っています。それはすばらしいことだと思いますよ」

「ありがとうございます。だからって俺を解剖したりしないでくださいよ」

「そんなことしませんよ」

 

ハングはふと視線を感じて振り返った。

 

「どうかしましたか?」

「・・・・・・・いや・・・」

「その返事は『どうかした』というように聞こえますよ」

「・・・・・・・・・・・・」

「答えにくいならそれもいいですけど・・・でもレナートさん・・・」

 

そして、ハングは少し皮肉を含んだ笑みを見せた。

 

「・・・俺が言うのもなんですが・・・顔が怖いですよ」

 

冗談のようにハングはそう言った。

 

だが、その直後、レナートは何か衝撃を受けたように目を見開いた。

 

「え・・・あの・・・レナートさん・・・」

「・・・すまない・・・」

「・・・え?」

「・・・すまない・・・」

 

ハングはカナスと目を見合わせた

レナートの足が止まり、ハング達も立ち止まる。

 

この際だとハングは思い、ハングはレナートに一つ質問をした。

 

「レナートさん・・・俺・・・聞きたいことがあったんですが」

 

それはハングが彼と出会った時に最初に抱いた疑問だった。

 

「俺・・・あなたに・・・会ったこと・・・ありましたか?」

「・・・・・っ」

「なんか、懐かしい・・・じゃないですけど、以前会ったような・・・そんな気がするんですが・・・」

 

ハングも何時出会ったのかは定かではなかった。

だが、記憶のどこかに引っかかるものがあったのだ。

 

それは遥か昔のこと。

 

旅をしていた時だろうか?

ベルンの竜騎士時代だろうか?

それとも、それよりももっと前?

 

その時のことを何度か思い起こそうとしたが、記憶は霞がかかったようにはっきりしない。

 

「・・・・・・気のせいだ」

「そう・・・ですかね?」

「私はここ数十年この【魔の島】から出ていない」

「それは・・・」

「だから、気のせいだろう」

 

言い切った彼はこれ以上の追及を断るような雰囲気だった。

 

「前の部隊に遅れてしまう。いこう」

 

ハング達に先んじて歩き出すレナート。

 

「レナートさん!」

 

その背にハングは声をかけた。

 

「あなたは・・・誰ですか?」

「・・・レナートだ」

「聞き方を変えます」

 

ハングは息を大きく吸い込んだ。

 

「あんたは・・・何なんだ?」

 

低く、地を這う声。それは軍師としての声。

 

レナートは信頼を置けるのか、軍に害を及ぼさないのか。

単なる興味ではなく、現実的な言葉としての言及だった。

 

「私は業を背負う者・・・お前に敵対することはない・・・」

「言葉を信じるにはそれなりに根拠がいるが?」

「・・・信じてもらえないのならそれもいい。だが、私がネルガルに協力することはない」

 

そう言ったレナートの背中はそれ以上語る気がないことを雄弁に物語っていた。

ハングはしばしその背中を見つめていたが、結局諦めたように肩をすくめて歩き出した。

 

「これ以上、咎めても仕方ありませんかね。本当に置いていかれる」

「そ、そうですね。急ぎましょう」

 

空気に飲まれつつあったカナスが慌ててそう言った。

 

ゆっくりと歩き出す三人。

 

ハングには先を行くレナートの背がなんだかやけに小さく見えていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ニルス、もしよかったら君たちのことを教えてくれないか?」

「・・・え?」

 

それは樹海の中の小休止内でのことだった。

リンディスやヘクトルと共に歩いていたニルスにエリウッドがそれを訪ねたのだった。

 

「話したくないなら無理強いする気はないが・・・」

 

ニルスは少し悩むように視線を彷徨わせ、決意を固めて顔を挙げた。

 

「ううん、いいよ。ぼくも知っててほしいからぼくとニニアンのこと・・・」

「俺達は・・・外そうか?」

 

ヘクトルがそう言うと、ニルスは首を横に振った。

 

「ううん、みんなに聞いてほしいんだ」

 

そして、ニルスは自分達のことを語り始めた。

 

「・・・ずっと昔、1000年も前・・・ぼくたち竜族は、人との戦いに敗れこの地から追われることになった。行き場を失ったぼくたちは・・・死を覚悟の上で、【竜の門】を使い別の世界へと逃げたんだ。時空のはざまをくぐりぬける時多くの仲間を失ったけど、ぼくらはなんとか別の大陸にたどり着くことができた。そこにも人間はいたけど、まだ、数が少なかったから・・・小競り合いをしながらでも、なんとか暮らせる場所を見つけたんだ」

「ちょ、ちょっと待ってくれ」

「なに?」

 

ニルスの話を遮るように、ヘクトルが声を挟んだ。

 

「ってことは、え?お前、1000年以上生きてんのか?」

「うん、そうだよ。まだ僕は若い方なんだけどね」

「それは・・・つまり、【竜】の中では見た目相応ぐらいの年齢ってわけか?」

「そうだね」

 

ヘクトルはそれを聞き、どうにも複雑そうな表情になった。

 

「話を戻していい?」

「お、おう。悪かったな」

 

ニルスはそのまま続きを話しだす。

 

「その地での暮らしが安定して、ぼくらがもと居た大地に思いをはせるようになった頃・・・その「声」は届いた。向こう側の地でニニアンは【竜の神殿】の巫女でとても強い力を持つ者だった。ぼくら姉弟がいつものように神殿で祈りを捧げていた時、【竜の門】から・・・ぼくらを呼ぶ「声」が聞こえた。それは、とても懐かしい仲間を呼ぶ声で・・・・・・ぼくらは、いけないとわかってたのに、門を開け・・・この世界に来てしまった。その「声」の主がネルガルであると気付かずに・・・」

「・・・・・・」

「だけど、そこで計算違いがおきた。ぼくらは、【竜の門】を開く時と・・・それからこちらに着いた時点で力のほとんどを失ってしまった・・・体に残る【エーギル】は普通の人間より少ないほどにね。ぼくらは、命をながらえるため、この世界の空気に合うように人の形になり、残った力を【竜石】というものに変えたんだ。だけど、その竜石を取り上げられ、奴の望むまま、竜を呼び出すための道具にされかけた・・・ぼくらは、逃げ出した。自分たちのせいで、仲間たちを危険にさらすわけにはいかない・・・踊り子と吟遊詩人の姿に身をやつし、各地を逃げ回った・・・リン様と出会ったのもその頃だったね」

 

ニルスがリンディスを見上げると、彼女はどこか悲しそうな顔をしていた。

 

「・・・ずっと奴らに追われていたのね?どうして、話してくれなかったの?」

「・・・リン様も、ハングさんも、いい人だったから。巻き込みたくなかったんだ。でも、ハングさんは自分からネルガルを追ってしまったし・・・」

「まぁ・・・あの時のハングは・・・ね・・・」

 

それでも、ニルスはハングには感謝していた。

ハングはニルス達を餌にネルガルに近づくこともできた。

だが、ハングはキアラン城で別れる時に通行証や偽装の身分証などで逃亡に力を貸してくれた。

 

ニルスが心の底からハングを信頼したのはあの時だったのかもしれない。

 

「でも・・・結局、僕達もまた捕まって・・・自分たちの命を絶つしか逃れる方法はないと・・・絶望しかけた時・・・エルバートおじさんに会った」

 

ニルスはそう言って、エリウッドの瞳を見上げた。

 

「おじさんは、とても強くてとてもいい人で・・・ぼくらの正体や・・・事情を知っても全然、責めたりしなかった。むしろ、ぼくらを少しでも和ませようと国にいる家族の話をしてくれた。ぼくもニニアンも・・・話を聞くうち、おじさんの奥さんや息子さんが・・・大好きになった。ひらめき・・・よりもかすかにだったけど・・・その息子さんならぼくらを救ってくれる・・・・・・そんな気がした」

 

そして、ニルスは優しく笑った。

 

「そして、エリウッド様は僕達を助けてくれた」

「・・・・・・・」

 

救ってはやれなかった。

 

それをニルスに言ってしまう程はエリウッドは弱くは無い。

だが、そこで笑い返してあげられる程には強くはなれなかった。

 

「だから・・・だからね、エリウッドさま!ぼくは、あなたを信じるよ。ニニアンがいなくなってもあなたを守り続けるよ。だって、それがニニアンの願いだった。ぼくら姉弟の願いだった・・・ネルガルを倒そう!それは、エリウッド様しかできないんだ」

「・・・ニルス」

「話はまとまったか?」

 

突如、声が降ってきた。

皆が見上げると、ハングがちょうどヒースのドラゴンから飛び降りてきたところだった。

 

「少し見回ってきたんだが、東に妙な遺跡があった。中に人影も見える。放っとくと背後が危うくなるから、叩いとこうと思う。出発しよう・・・ん?どうした?」

 

いきなり現れたハングに対し、エリウッドは少しためらうように口を開いた。

 

「ハング・・・」

「ん?」

「ニルスのことなんだが・・・」

 

そんなエリウッドをハングは制する。

 

「俺だって色物なんだ。今更、ニルスがどんな存在だったとしても興味ないね。こいつはただの吟遊詩人ってことで俺は構わん」

 

ハングは笑って、エリウッドの背を叩いた。

 

「ほれ、しゃきっとしろ!俺達はまだ戦える。必ずなんとかするんだ!」

「ハング」

「まずは目の前の邪魔者を排除する。いくぞ!!」

「それで、勝算は?」

「ないわけないだろ。任せとけ」

 

歩き出したエリウッドとハングにリンディスが並ぶ。

 

「頼りにしてるわよ。ハング」

「ああ、やってやるさ」

 

すぐさまヘクトルも歩調を合わせrた。

 

「無理はすんじゃねぇぞ」

「ヘクトルにだけは言われたくない」

 

ニルスは歩き出した彼らを見て、自分の内からもどこからか力が湧きあがるような気がした。

 



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第33章外伝~生の価値(後編)~

遺跡内部へと続く鉄扉。

錆びつき、軋む音をたてて開くその内側から流れ出した空気はこの旅路の間に何度か感じたもの。『生ぬるい風』とでも形容すればいい、人の感覚を逆なでする特融の空気。

 

「しかし、まぁ。随分と禍々しくていらっしゃる」

 

ハングはそう呟いて目の前の遺跡を眺めた。

 

「ハングさん!また、あのヘンな力だ・・・砂漠の地下でもあった、あの魔法が使えなくなる結界・・・」

「だろうな。ひしひしと感じてるよ」

「【魔封じの者】か!!」

「言われる前に気付けよヘクトル」

 

喚くヘクトルを無視してハングとエリウッドは話を進める。

 

「ハング、『あれ』は一体何者なんだろう?【人】ではない『あれ』は・・・やはり【モルフ】なのか?」

「・・・わからんね。あいつのことはなんにもな。だいたい、お前たちと一緒に旅してたんだぞ。なんかわかってたらその時に言ってるっての」

 

それもそうか、とエリウッドはニルスに目を向けた。

ニルスは目を閉じ、自分の力に集中していた。

 

「・・・なんだろう。なんだか、この間とは様子が違うみたい。砂漠で感じた、あいつの気配はむきだしの敵意だったのに・・・今、感じるのは・・・・・・・・悲しみ?」

 

ハングもまた自分の内側の意識に集中する。

だが、すぐに諦めた。

 

【モルフ】である彼だが、第六感が発達しているわけではない。

リンディスの感覚の方が数倍も有用だった。

 

遺跡内部の音や風の流れを探っていたリンディスがハングを振り返った。

 

「ハング、やつらが動きだしたわ!戦う気はあるみたいね」

「ふん・・・何者かはわかんねえが、それなら応戦するしかないだろうな」

 

ハングがそう言うと、ヘクトルが眉間に皺を寄せて首を傾げた。

 

「最初から戦う話だったじゃねぇか。今更何言ってんだ?」

「俺は奇襲をかけるつもりだったんだよ」

 

次の瞬間、遺跡内の方々で何かが爆発したような轟音があがった。

四方から黒い煙が立ち上り、場所によってはもう戦闘の粉塵も混じっている。

 

「ま、策に変更はないけどな」

 

ハングの指示通り、既に仲間達は行動を開始していた。

 

「今の音は魔法?でも、どうやって?」

「【魔封じの者】の効果範囲はさほど広くない、射程外から打ち込めば十分な効果を発揮する」

 

そう言い切ったハングにヘクトルが再び疑問の声をあげた。

 

「お前・・・効果範囲なんて、なんで知ってんだよ」

「過去にニ回も戦ってるんだぞ。それだけあれば十分だ」

 

そして、ハングは後ろの仲間に突入の合図を出す。

遺跡内部に突撃していく部隊の最後尾につきながら、リンディスは苦笑いを浮かべていた。

 

「相変わらず、恐ろしい頭してるわね」

「人を怪物みたく言うな」

「怪物じゃない」

「そうでした」

 

ハングとリンディスのやりとりに周りが少しの間凍りついた。

 

「ならどうなんだ?俺を振るか?」

「ハングが怪物だなんて今更驚きはしなかったわよ。むしろ納得したぐらいなんだから」

「へぇへぇ、ありがとうございます」

 

ただ、二人の穏やかな話し方に、気を使いすぎたことエリウッド達は悟った。

 

「ん?何見てんだお前ら。見せもんじゃねぇぞ!」

 

その直後、ハングの隣にラガルトが突然顔を出した。

 

「敵さんはこの通路の先に密集してますよ」

「ああ、そうか」

「え、それだけですか?せっかく死角から出てきたんですから、もう少し驚いてくれても良いんですけどねぇ」

「お前ら密偵は一体何を俺に求めてんだよ」

 

ハングが呆れたように目を細めるとラガルトは喉奥でクツクツと笑い声をあげた。

 

「敵の数は?」

「およそ5、6人の集団が3組程」

「そうかい・・・」

 

ハングは皆に手で合図を送った。

目の前には既に最初の【モルフ】が現れていた。

 

「悲しんでようが、怒ってようが関係ねぇ。今すぐ全員塵に変えてやれ!」

 

ハングの発破に声をあげ、仲間達は遺跡の中の敵に襲い掛かった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

様々な人間達の混成部隊とはいえ、既にいくつもの戦いを寡兵をもって乗り越えてきたハング達。特に狭い通路は寡兵で多数の相手を叩くのにハング達があえて選んできた戦場だ。戦い慣れた場所での戦闘でハング達が負けるはずがなかった。

 

しかも、今回は先手を打って混乱を誘っている。

ハング達が最奥部の老人のような男を討つのに、さほど時間はかからなかった。

 

「結界が消えたな・・・」

 

ハング達を取り巻いていた重苦しい空気が霧散する。

ヘクトルが斧を地面に振り下ろし、先程まで人の形をとっていた塵を見下ろした。

 

「ようやく倒したな。しかし、こいつ・・・いったい何だったんだ?前に【魔の島】で戦った時といい、あの砂漠の地下といい・・・」

 

リンディスがその場に膝をつき、床に残った塵に触れてみる。

それは、今まで倒してきた【モルフ】の塵と大差ないものだった。

 

「・・・とどめをさした途端、体が崩れてなくなった。やっぱり、【モルフ】なのかしら?」

 

ハングがゆっくりその場に歩み寄る。そして、【魔封じの者】が身に付けていたローブを持ち上げた。

 

「多分な・・・でも、随分と今まで戦っていた奴らとは姿形が違う・・・本当に【モルフ】だったんだろうかね」

 

今まで戦ってきた奴らは皆同じ特徴の容姿だった。

 

瞳、髪、肌。

 

どれをとっても今回戦った相手はそこからはかけ離れていた。

迷う面々の中、ニルスは一人確信があるようだった。

 

「・・・でも、モルフだよ」

 

そう言ったニルスにハングは肩をすくめてみせた。

 

「まぁ、ここに俺っていう例外がいるんだ。そう言われれば、そう信じるしかないが」

「いなくなる時・・・あいつの声が聞こえた・・・ネルガルの名を・・・呼んでた。悲しい・・・すごく悲しい声で」

 

ニルスは胸が締め付けられるような顔をしていた。

 

「死ぬ間際まで忠誠を誓う・・・か・・・俺には理解できない感情だな」

 

ハングは塵のつもる場所を足で払う。

 

「でも、ネルガルと連携を取ってるようには見えなかったわ」

「捨てたれらたんだろうな。俺と一緒さ、試作品とかいう奴なんじゃないのか?」

 

ハングは今しがた入ってきたレナートにわずかに目を向けた。

だが、彼はルセアと話しているようでこちらの視線には気付かなかった。

 

ハングは簡易の祈りを捧げる。

それに倣うようにエリウッド達もその場に祈りを捧げた。

祈りが終わり、ヘクトルがハングにぼそりとこぼす。

 

「お前みたいに自由に生きている奴もいるのにな」

「自分の産まれに従うのもまた自由・・・ってな」

 

ハングは最後にそのローブを短剣で地面に縫い留めた。

リムステラと同じだ。いつか風化して自然に還れるような墓標であった。

 

「さて、長居は無用だな・・・野宿を決めるにはまだ早い。出発しよう」

「ああ、撤収だ!」

 

エリウッド達が最奥の部屋を後にしていき、ハングは一人その部屋に描かれた壁画に目を向けた。

 

「・・・何が悲しくて。死ぬ前にネルガルの名前なんか呼んだんだよ」

 

そこに描かれていたのは神々しい姿をした大きな人間と、同じく神々しくも巨大な竜。そして、その両者の間には竜に襲いかかる人間達とそこに応戦する竜が描かれていた。

 

「・・・ハングは死ぬ時。私の名前呼んでくれる?」

「・・・いたのかよ」

「いちゃ悪い?」

「いや」

 

ハングは壁画に背を向けた。

 

「呼んでやるよ・・・というか、呼んだ。あの時にな」

「そう・・・」

「なぁ、リンディス」

「ん?」

「ありがとな・・・変わらないでくれて」

「どういたしまして」

 

ハングに向けて手を伸ばすリンディス。

ハングはその手を取って、部屋を出て行った。

 



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間章~最後の小休止~

【魔の島】のあちこちに散乱している遺跡群。巨大な【竜の門】を見上げるような場所に佇む遺跡の一つにハング達は野営地を築いていた。

 

ここから【竜の門】までは目と鼻の先だ。

おそらくここが最後の小休止になるであろうことを告げ、ハング達は腰を降ろしていた。

 

野営の時に『首輪』を外してもらう許可をようやく得たハングは、ロウエンと共に荷物降ろしを手伝っていた。

エリウッドやヘクトルが率先して指揮を執ってくれているおかげで、ハングは身体が空く時間が増えていた。

 

「ハングさん。そっち抑えてください」

「はいよ。っと、重いな。なんだこれ?」

「私の保存食袋です!ハング殿もお腹が減っていたらいつでもここからお好みのものをいただいてください!私はこの部隊の誰にも空腹など覚えさせません」

「ああ、なるほど・・・これが例の・・・」

「食料は大事ですよ!『腹満たされずして心もまた満たされず』格言にもあるでしょ?」

「悪いそれは初耳だ。誰から聞いたんだよ?」

「マーカス将軍です」

 

ハングの口が真一文字に結ばれる。

マーカスがそのような格言を真面目な顔で言っている様子が今一つ頭に浮かばなかったのだ。

 

眉間に皺を寄せ、ロウエン相手に「よいか、ロウエン。昔の格言に、こうある。『腹満たされずして心もまた満たされず』よいな、ゆめゆめ忘れるでないぞ」とでも言っているのだろうか。

 

ハングは保存食袋を地面に降ろして、口を開けてみる。

 

「・・・マジで保存食が詰め込まれてるんだな・・・」

「そりゃそうですよ。保存食袋なんですから!」

 

袋の中には干し肉から魚の干物、ドライフルーツ、乾パンなどのありきたりな保存食から、饅頭やクッキーなどの軽食までより取り見取りであった。

 

そして保存食袋の奥底にはハングが最も嫌悪する非常食も入っていた。

 

「うわ・・・これもあんのかよ」

「これもご存知ですか?『鉄の板』ですよ。食料がつきたときの最後の手段です」

「これでも一応海賊船に乗ってたからな・・・」

 

それはクッキーの一種であった。

長距離航海を行う帆船の倉庫に常に常備されている保存食だ。

 

帆船という場所は潮風が常にあたり、湿気が多いために食料が腐りやすい。

海に出て三日もすれば、野菜や肉はすぐさま腐臭を放ちだす。

通常の保存食もある程度はもつが、二週間が限度だ。そして、最後に船員が頼るのはこの『鉄の板』なのだ。

 

小麦粉をガチガチに固めて焼きを入れたもので、まともにかじりつけば歯が折れる程の硬さを誇る、まさに『鉄の板』だ。

食べる時は唾液でふやかしながら食べるのだが、船の上のこのクッキーは常に蛆がたかっているので、なかなかに難易度が高い。

ハングもこの食事に慣れるのに随分の時を要した。

 

さすがにロウエンが管理している保温食袋だけあって蛆がたかっているようなことはなかったが、それでも苦い記憶が消えるわけではなかった。

 

ちなみに『苦い』というのは蛆虫の味のことである。

 

「しかし、ロウエン。今更といえば今更なんだが、戦場でもこれを背負うのはどうなんだ?マリナスさんにでも預けた方がいいんじゃねぇのか?」

「えっ!それじゃあ、お腹がすいた時はどうすればいいんですか!?」

「耐えろよ」

「そんなっ!!」

 

その時のロウエンはまるで身内に不幸があったかのような衝撃を受けた顔をしていた。

 

「いやいや、そこまで衝撃を受けることか?」

「受けることですよ!お腹がすいたら力がでないでしょ!次第に目が回ってきて、ついには失神!戦場でそのような失態をおかすわけにはいきません!」

「えっ?それじゃあロウエン・・・お前、今まで戦闘中に飯食ったりしてたのか?」

「・・・そうですけど・・・」

 

ハングは思わず目頭を押さえた。

 

戦場を常に見渡してきたつもりでいたハングだが、ロウエンがそんなことをしているなんてまるで気が付いていなかった。自分の観察眼はまだまだ未熟だと思い知らされた気分であった。

 

「あ、あの。ハング殿?どうかされました?」

「いや、いいんだ・・・それより、今日の晩飯だけど」

「はい、レベッカさんとウィルさんが狩りに出かけていまして・・・」

 

ハングはロウエンの話を聞きながら、保存食袋の口を縛り、背中に担ぎ上げた。

その時、保存食袋の口から中の余分の空気が抜け、『くぅ』という犬の鼻息のような音がした。

 

ハングは特に気にもとめずに、非常食袋をどこに置くかを見渡した。

 

「おい、ロウエンこれ・・・ロウエン?」

 

ふと、ハングが振り返ると、ロウエンの顔から血の気が引いていた。

 

「ロウエン、どうかしたか?」

「は、ハングさん!敵襲かもしれません!!」

「はっ?」

「お、俺!レベッカさんの様子を見てきます!できれば警戒態勢を!!」

「はっ?お、おい!ロウエン!!!」

 

ロウエンは最早ハングなど眼中にない様子で脱兎のごとく森へと駆け出していった。

残されたハングは参ったように頭をかく。

 

敵襲もなにも、既に斥候から異常なしの報告を受け取ったばかりであり、ネルガルによる転移魔法はパントに封じてもらっている。

 

ロウエンが何を基準にそんなことを言いだしたのかはまるでわからなかったが、さすがに一人の意見で軍全体を動かすわけにはいかなかった。

 

ただ、あれほどの慌てようは只事ではない。

 

ハングはどうしたものかと、眉間に皺を寄せる。

 

「・・・とりあえず、念のために再度斥候を放っておくか」

 

ここがネルガルの本拠地のすぐそばであることには変わりなく、念には念を入れておくべきであるとの結論を出した。

その後、ハングはマーカスを探してそのことを伝えた。

再度斥候を放つことにはマーカスも異論はなかったが、その根拠については苦笑いをしていた。

そして、ハングはマーカスからロウエンの『保存食袋が『くぅ』と鳴いた時のジンクス』の話を聞かされたのだった。なんでもそれが起きると、ロウエンにとって一番大切な人に悪いことが起きるらしい。

 

「あぁ・・・それでレベッカを探しにいったのか・・・」

 

その時のハングは蛆虫を10匹程噛み潰したような顔をしたそうだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

野営地の仕事も落ち着き、ある程度の自由時間が与えられた彼等。

そんな人の輪から離れていこうとする人がいた。

 

「イサドラ・・・!待ってくれ、イサドラ!」

「ハーケン・・・」

 

婚約を交わした二人。

だが、ハーケンが戻ってきてからというもののイサドラはは明らかにハーケンを避けていた。

今日もハーケンが探して居ることを察して、いち早く見回りに出ようとしたのだが、今日はハーケンの方が一枚上手であった。

 

イサドラの手をハーケンは掴んだ。

 

その手からは『もう離さない』という強い意志が宿っていた。

 

「君に心配をかけたことは謝る。その償いは、どれだけ時間がかかってもするつもりだ。置いて行ってしまったことも、約束を違えてしまったことも・・・私は・・・」

 

握りしめたイサドラの手。

やけに冷たいその手は振り払われることはなかったが、握り返してくれることはなかった。

イサドラはハーケンに背を向けたまま言葉を紡ぐ。

 

「ハーケン・・・あなたは、本当にここにいてくれるの・・・?また、私を一人にしたりしない?」

 

ハーケンは一瞬答えに詰まってしまう。

 

自分は『帰ってくる』と約束し、それを破った。

 

それでもハーケンはもう一度約束を交わそうとした。

 

「ああ、もちろんだ。約束・・・」

「いや・・・言わないで!」

「イサドラ・・・?」

 

ハーケンからはイサドラの表情はわからない。

それでも、彼女が泣いているのはすぐにわかった。

 

わずかな仕草からでもお互いの調子がわかるぐらいにまで深く愛し続けた二人だからこそ、イサドラの胸の痛みが手に取るようにハーケンにはわかってしまう。

それは痛い程にハーケンの胸に突き刺さる。

 

「怖いの・・・『約束』が・・・怖いの・・・思い出してしまうから。あなたがエルバート様とフェレを旅立った時のこと・・・」

「イサドラ・・・」

「エルバート様とあなたがいなくなってから・・・フェレはまるで、死んでしまったようだったわ・・・あなたと一緒に、エルバート様に同行すればよかった・・・私、何度も何度もそう思った。あなたを失ったまま生きるくらいなら、いっそ・・・そう思ったこともあった」

 

気丈にふるまってきたイサドラであったが、その身の内には数々の心労が溜まっていた。

エリウッド達がフェレを旅立ってからの空虚なフェレ城。そして、届けられたエルバートと精鋭部隊の悲報。エリウッドの部隊に合流してハーケンには再会はできたが、そこからも怒涛のような日々だった。

ニニアンというエリウッドの想い人にしてイサドラの良き友であった人の死を経験し、頼れる軍師が軍を離れ、そして世界の滅亡がかかった戦いへと差し掛かっている。

 

一つ一つの出来事が過去の悲劇を思い起こさせ、後悔を蘇らせ、未来に恐怖の影を落とす。

その中ですり減ってしまった彼女の心。

 

ハーケンはそんなイサドラを見ていた。

見ていたはずなのに、まるで見柄えていなかった。

 

イサドラを掴むハーケンの手から力が抜けていく。

 

「イサドラ、もし君が望むのなら・・・私は君の前から姿を消そう。私の存在が君にとって重荷となるのなら・・・」

「違う・・・違うわ!」

 

イサドラが振り返る。

やはり、その頬は涙に濡れていた。

 

「重荷なんかじゃない。あなたは私の大切な人・・・私はあの時からずっと・・・あなたのことだけを思ってきた・・・」

「イサドラ・・・」

 

愛しい人からの言葉。

なのに、ハーケンの胸には冷たいイサドラの体温が染みこんでいくようだった。

 

その理由ははっきりしていた。

 

「ハーケン・・・あなたが出発の前、私に言ってくれた言葉・・・まだ、覚えてる?」

「ああ、もちろんだ。私はきみに約束した。必ず無事で戻ると。そして、フェレに帰還したら、二人で式をあげようと・・・」

「私、信じてたわ。不安でたまらなかったけれど、でも・・・ずっと信じてた」

 

ハーケンは言葉を返せなかった。

それは負い目だった。

 

ハーケンはその約束を破ったのだ。

 

主君を失い、【黒い牙】に身をやつし、刺し違える覚悟をして命を投げだしていた。

 

唇を噛みしめるハーケン。

 

『オレたちも、あんたたち騎士も、根っこは人間だ。たまには恋人のことも考えてやんな。戦うためだけに生きるなんて、悲しいだろ?』

 

ラガルトにかけらた言葉が今更ながらに蘇る。

 

仇を追いかけ、死を覚悟して戦おうとしていたハーケン。

あの言葉の意味はここにあったのだ。

 

では、今のハーケンは何をすべきなのだろうか。

 

ハーケンはイサドラを握る手に渾身の力を込めて、引き寄せた。

そして、涙を流す彼女を胸の内で強く抱きしめる。

 

抱きしめらた腕から伝わってくるイサドラの痛みも喜びも、全てを受け止める覚悟でハーケンは口を開いた。

 

「イサドラ・・・もう一度だけ、私に機会をくれないか?この旅が終わり、二人とも無事にフェレに帰還したら・・・二人で式を挙げよう。一度は果たせなかった約束だが・・・今度こそ、守ってみせる」

「信じて・・・いいのね?」

「ああ、もうどこへも行かない。私はずっと、きみと一緒だ」

 

抱き合う二人。

 

それを木陰で見ていた人がいた。

 

「くくく、これでようやく元鞘ですね」

「ラガルト、悪党みたいな笑い声が出てんぞ」

「これでも悪党ですし」

 

ラガルトと彼に連れられてきたハングであった。

 

「それで、なんで俺をここに連れてきた」

「わかってるくせに。あの二人、どっかの誰かに似てませんか?」

「・・・この野郎・・・」

 

『約束』を交わした男女。そして、一方的にその『約束』を破って死に向かっていった男。

ハングには思い当たる節が多すぎて、ため息も出ない。

 

「ハングさんに、こういうのをもう一度見せておこうと思いまして。最後の最後にネルガルに特攻されても困りますし」

 

ハングは木の幹にもたれかかりながら、ラガルトを横目に見やる。

 

「まったく・・・お前はいい奴か、それとも嫌味の権化かどっちかだな」

「くくく、いいでですねそれ『嫌味の権化』ですか」

 

楽しそうに笑うラガルトであったが、ハングが手を振るって追い払うと森の影の中に消えていった。

ハングは抱き合う二人を一度振り返り、そっとその場から離れた。

 

部隊へと帰ってきたハング。

 

野営地の中では皆が思い思いに過ごしている。

 

焚火を囲んでカードに興じている人達。

こんな時でも鍛錬を欠かさない人達。

最愛の人との時間を大事にしている人達。

 

そんな時、ハングは陣地の端で一人佇んでいる、ヘクトルを見かけた。

その背中は少しふさぎ込んでいるようにも見えた。

 

ハングはその背中に何か声をかけようとしたが、すんでのところで口を閉じた。

 

ヘクトルの兄の身に何が起き、今のヘクトルが何を思って行動してるのかをハングはおおよそ察している。

そして、ハングが気づいていることにヘクトルもまた気づいているのだ。

 

だから、ハングとヘクトルの間ではこの話は『既に終わっている』話だ。

今更ハングが何か声をかけたところで、話を蒸し返すだけに過ぎない。

 

だから、今のヘクトルは『まだ終わっていない人』に任せる方がいいとハングは思ったのだ。

 

ハングは近くでヘクトルに声をかけようとして縮こまっているフロリーナから視線を逸らし、野営地の中を歩いて行った。

 

遠ざかるハングの足音を聞きながら、ヘクトルは声をかけられなかったことに少し安堵していた。

感傷に浸ってしまっていた今の自分をハングには見せたくなかったのだ。

 

ヘクトルは大きく息を吐きだした。

 

ふと、後ろから足音がした。

足音の質は軽い。おそらく女性であり、ヘクトルに声をかけてくる女性はほとんど限られている。

足音が駆け足ならセーラであり、躊躇うように静かなものならフロリーナしかいない。

 

ヘクトルはなんとか普段の声を取りつくり、背中を向けたままフロリーナに声をかけた。

 

「・・・おう、なんだ。もう飯ができたのか?」

 

ニニアンを失って以降、フロリーナがふさぎ込んでいたことをヘクトルは知っていた。

だが、その時のヘクトルにも彼女に構っている余裕はなかった。

 

こうして、彼女と2人になるのはアルマーズを取りに行った時以来であった。

 

「お前はそろそろ元気になったのか?戦えはするらしいけど、あんま無理すんじゃねぇぞ」

「・・・ヘクトル様・・・」

「で、飯か?」

「・・・ヘクトル様・・・」

「・・・なんだよ?」

 

フロリーナはヘクトルの名を呼ぶばかり。

だが、ヘクトルは振り返らない。

振り返ったところで自分が情けない顔をしていることがわかっていたからだ。

 

「・・・ヘクトル様・・・」

 

何度もヘクトルを呼ぶフロリーナ。その彼女の声がわずかに涙ぐんでいた。

 

「なんで・・・泣いてんだよ?」

「・・・ぐすっ・・・だって・・・」

「・・・ったく・・・」

 

ヘクトルは自分の隣を手でたたいた。

フロリーナはそこに歩いていき、腰かける。

ヘクトルは彼女を見ることはなく、ただ夕刻が迫ってくる森の奥を見つめていた。

 

「・・・ぐすっ・・・えくっ・・・」

「だから、泣いてんじゃねぇって」

「・・・だって・・・」

「だってって・・・お前なぁ・・・」

「・・・だって・・・ヘク・・・トル様・・・泣いて・・・る・・・」

「あぁ?俺がか?」

 

ヘクトルは怪訝な顔をしてみせるが、それが無理やり取り繕った顔であることは誰の目から見ても明らかだった。涙を流し続けるフロリーナの横でヘクトルは頭をかく。

 

「・・・バカ野郎・・・だからって・・・お前が泣いても仕方ないだろうが」

「・・・えっく・・・でも・・・」

「まぁ・・・なんだ・・・」

 

そんなフロリーナをヘクトルは傍に抱き寄せた。

 

「ありがとな」

「・・・ひっく・・・」

 

ヘクトルは今は泣いてる場合じゃない。

 

だから、代わりに涙を流す。

 

ヘクトルは溜め込んでいた気持ちを吐き出すように大きくため息をついた。

 

まったく、なんでこんな面倒な女がいいんだろうな?

まぁ、やっぱり、こういうとこがいいんだろうな

 

そんなことをヘクトルは思っていた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

陣地での食事。

 

ハングは振る舞われたスープを食べながら空を見上げた。

太陽は沈みかけ【竜の門】へたどり着くころにはもう夜だろう。

 

夜にかけて遺跡内に突入するのは気が引けるが、どうせ内部は元々真っ暗だ。ハングは明日の朝を待つのは時間の無駄だと判断した。

 

だからこれは最後の晩餐だった。

そんなハングの後ろからエリウッドが声をかけてきた。

 

「ハング、隣いいか?」

「空いてるよ、いつもな」

 

エリウッドにそう言うと、エリウッドより先にハングの隣に別の人物が座った。

 

「こっちは私が埋めておくわね」

「そいつはありがたいね、両手に花だ」

 

ハングがそう言うと、エリウッドとリンディスは笑って木の実を口にいれた。

赤い実を咀嚼しながら、エリウッドが呟いた。

 

「これ美味しいな」

「そうか?俺には臭いがきつい」

「じゃあ私がもらうわね」

 

ハングの取り分から木の実を取りあげ、リンディスは一息に食べてしまった。

 

「はしたねぇ」

「いいでしょ、城にいる時は雁字搦めなんだから」

 

そんなリンディスにエリウッドが苦笑する。

 

「リンディスってつくづく『姫』って言葉から縁遠いよね」

 

そう言ったエリウッドにハングも同意する。

 

「ま、『族長』の方が似合ってるよな」

「でしょ」

「褒めたつもりはねぇよ」

 

何気ない会話。

それが本当にかけがえのない大事なものであることをこの旅で知った。

 

「長い旅だった」

 

ハングがそう呟いた。

 

「あっという間だった気もするがな」

「ほんと・・・いろんなことがあったわ・・・」

「そうだね」

 

いろんなことを乗り越え、いろいろな人と出会い、そしていろんな人と戦った。

 

「それも、もう終わる」

「違うわ」

 

リンディスがそう言い、エリウッドが頷く。

 

「そう、僕達が終わらせるんだ」

 

そう言ったエリウッドの肩に太い腕が回った。

 

「そして、全員で帰る!そうだろ!」

 

ヘクトルが何かを吹っ切ったような顔でそう言った。

 

「単純ね、ヘクトルは」

「声が大きいだけだ」

「それがヘクトルのいいところだよ」

 

この扱いももう慣れたもんである。

ヘクトルは自分の食事をとり、ハングの前に胡坐をかいた。

 

「決戦だ」

「気負うなよ」

「このぐらい屁でもねぇ」

「お前も大概『侯爵』って言葉が似合わないよな」

「うるせぇ」

 

昂ぶってるるわけでも、委縮してるわけでもない。

 

ただ、いつも通りに剣を振る。

自分の信念を貫き、大事なものを守るために武器を取る。

 

ただ、それだけなのだ。

 

「さぁ・・・やるか!」

 

ハングの短い言葉に皆は笑顔で頷いた。

 




長らくご愛読いただき、誠にありがとうございます。
いよいよ、次回最終章でございます。

タイトルは『終章~光~』

ただ、師も走る忙しい時期なので、今年中に完結は無理そうかな・・・

ただ、有終の美を飾れるよう精一杯気合を込めて書きますので、どうかよろしくお願いいたします。


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終章~光 ①~

辿り着いた【竜の門】

その遺跡の入り口でハングは立ち止まった。

 

「なんというか・・・懐かしいな」

 

ラウス候ダーレンが率いる部隊とここで戦ったのが遠い昔のようだった。

その戦いも、今は壁の黒い染みを残すのみである。

感傷にふけるハングの肩をエリウッドが叩く。

 

「・・・そして、今一度。僕達はここに立っている・・・あの時はリキア内乱を止める為。今は世界に起こる戦いを止める為に・・・」

「随分とまあ、出世したもんだ」

 

ハングは奥へと続く通路を見やる。

この先にネルガルがいる。

 

ハング達はいつでも前に進める準備があるが、まだ全ての役職がそろってはいなかった。

 

「アトス様を待つべき・・・かな・・・」

 

ハングのつぶやきが聞こえたのか、彼らのすぐ傍に魔法陣が出現した。

 

「わしなら、ここにいる」

「アトス様!」

「おせぇよ、じーさん!!」

 

アトスは既に準備の整ったハング達を見渡す

 

「・・・どうでした?なにか、手段はみつかりましたか?」

 

リンディスの質問にアトスは確かに頷いた。

 

「うむ・・・この魔道書を使うがいい」

「これは・・・?」

 

差し出された分厚い魔道書

魔法の知識が無いエリウッドでも、その魔道書に渦巻く精霊の気配を感じることができた。それと同時に、その魔力の中に別の人間の気配がある。

 

「神将器の一つ【アーリアル】。【聖女】エリミーヌが用いた最高位の光魔法だ」

 

それはエリウッドが手にした【デュランダル】と同じ【神将器】

ここにはあの【八神将】の魂が宿っている。

 

「これならばネルガルの闇の衣をはぎ、かなりのダメージを与えることができるだろう。それから・・・これらにもネルガルに通用するよう更なる術を施しておいた」

 

アトスが杖を一振りすると、さらなる魔法陣が出現した。

その輪の中に武器が現れる。

 

「【デュランダル】は、エリウッドに。ヘクトルには、【アルマーズ】を」

 

それはエリウッド達が一度手放した【神将器】

エリウッドとヘクトルは迷わずにそれらに手を伸ばした。

 

「これは・・・以前、手にした時より・・・はるかに・・・」

「すげぇっ・・・!確かに、これなら・・・!!」

 

敵を討たんとする意志と魂が二つ目の心臓のように拍動し、更なる力をエリウッド達の体へと送り込む。

 

「・・・そして、リンディス・・・これはおまえに」

「この剣は・・・?」

「【マーニ・カティ】と対になる精霊の宿る剣・・・名は【ソール・カティ】。神将器ではないが、力のある剣だ」

「ありがとうございます!」

 

リンが手にすると、【マーニ・カティ】を手にした時のように、武器が光を放ち、そして収束した。

 

「相変わらず、剣に好かれる奴だな」

「嫉妬しないでよ」

「バカ・・・」

 

そしてアトスはニルスへと声をかけた。

 

「ニルスよ、ネルガルはこの奥にいるな?」

「うん・・・すごい力だよ・・・・・・なんだろうすごく、変な感じがする」

「・・・奴は、先の戦いで部下のほとんどを失ったはずだ。じゃが・・・うむ。わずかだが・・・わしにも気が読めるな」

 

アトスは静かに呼吸をして、目を閉じた。

 

「・・・確かに、これまでとは様子が違うようだ。気をひきしめてかかれ。奴は・・・手ごわいぞ!!」

「そんなこと、最初からわかってるっての」

 

ヘクトルがそう言って【アルマーズ】を肩にかついだ。

 

「だな、さっさと片付けて夜食にしよう」

 

ハングが不敵に笑ってみせる。

 

「気軽ね。ま、気負われてるよりはいいけど」

 

リンディスが苦笑しながらそう言った。

 

こんな時でもいつも通りの仲間達を頼もしく思いながら、エリウッドは奥へと続く一歩を踏み出した。

 

「行くぞ、みんな!」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

【竜の門】の最奥部。彼等がここに来るのも二度目。ハングに至っては三度目だ。

 

「ネルガルっ!!」

 

そして、その中心にいるのはやはりネルガル。

逃げも隠れもしないのは自信の表れであった。

 

「フン・・・来たか。だが、遅い。すでに門は開かれた。私は、竜のより強大な【エーギル】を得る。そしてより強くより完全な存在となろう」

 

これまでも大量の人間を犠牲に【エーギル】を奪ってきたネルガル。

そして次は竜さえも手にかけるつもりでいる。

 

エリウッドが奥歯を噛み締めた。

 

「おまえは、己の力のために何人の命を奪えば気が済むんだ!死んだ者だけではない、残された者の痛みや悲しみをどう考えているんだ!」

 

エリウッドの声が静かな祭壇の中に消えていく。

 

「私は、私だ。他人の痛みなど、私は感じない。他人の悲しみなど、私は感じない。他人の死は、私の喜び私が得る【エーギル】の糧だ。貴様らも、ここで死骸になれ。この私のために」

 

ネルガルが手を横に振る。

そして浮かび上がる、魔法陣。

 

「よみがえるがいい、私のしもべたちよ!」

「また、モルフかよ。芸のない・・・・・・」

 

そう言いかけたハングの言葉は止まる。

現れた【モルフ】達の姿を見て、止められる。

 

「クソッ・・・てめぇ!ふっざけんなぁ!!おめぇはこの世界で最高のクソ野郎だ!!」

 

ハングの悪態が闇に呑まれる。

 

現れたモルフ。その姿は決して忘れることができない姿をしていた。

 

そそのかされ、リキア内乱を起こしたあの侯爵、ダーレン。

あの白い雪の舞う【黒い牙】の本拠で戦った闇に飲まれた男達、ジュルメ、ケネス。

王子暗殺事件の中で戦った、ウルスラ。

【黒い牙】を作りし男とその息子、ブレンダン、ロイド、ライナス。

その心に賛同した男、ウハイ。

 

死んだはずの彼ら。

戦い、殺したはずの奴らがそこにいた。

 

「これは・・・」

 

言葉を失うエリウッド。

 

「私の作品に感銘を受けてくれたようだな。それとも、見覚えのある顔でも見つけたか?」

「ラウス侯・・・!?それに・・・【黒い牙の】の連中・・・何のつもりだ、ネルガル!?」

 

ネルガルは卑しい笑みを浮かべた。

 

「この【モルフ】たちはそそいだ【エーギル】の持ち主と同じ力、容姿を持つよう手を加えたものだ」

 

姿形は同じでも、そこにいるのはただの【モルフ】

 

生き返ったわけでも、死体を動かしてるわけでもない。

 

それは紛うことなき、ただの【モルフ】だ。

 

「わかるか?私には力があるのだ、これだけの奇跡を行う力がな」

 

それが奇跡だなんて、言ってのけるネルガルにハングは心の底から嫌悪した。

同じ【モルフ】のハングだからこそ、その感情は人並みではない。

 

「おお、そうだヘクトルよ」

 

そして、ネルガルは何かを思い出したようにヘクトルを指差した。

 

「お前の兄、オスティア侯ウーゼルは死んだそうだな?」

 

エリウッドの眼が険しくなる。

リンディスが驚いたように息を飲んだ。

ハングはただ唇を噛みしめた。

 

「お前が望むのなら、兄の【モルフ】を創ってやってもいいぞ?お前のような心の脆い人間にはちょうど良かろう。心をもたぬ人形を相手にせいぜい傷をなめ合って・・・」

「黙れ」

 

ヘクトルが静かにそう言った。

その中には憎しみも、怒りも含まれてはいない。

彼は十分冷静だった。

 

「心のねぇ人形だ?それはてめーのことだろうが」

「・・・何?」

「力を手に入れること、自分のことしか考えられねえ・・・人の痛みも、苦しみも感じることができねえ・・・人形は、てめえ自身だ!ネルガル!」

 

そして、ヘクトルは口の端で笑った。

 

「お前が『人形』と呼んだ【モルフ】のハングの方がよっぽど人間らしいぜ!」

「フン・・・おまえたちのような弱き者には理解できんだろうさ。この世でもっとも意味のないものそれが善悪という“感情”であるとな・・・そんなものに縛られるから人は己の力を解放できずにいる愚かな・・・まったくもって愚かなり、人間どもよ」

 

その言葉を受け、ハングが一歩前に出る。

 

「ご高説どうも。善悪が“感情”かどうかは別だと思うが、今はどうでもいいな」

「・・・・・・・・」

「おいおい、無視かよ。俺の話も聴いたらどうだ?殺したと思ってたはずの俺がここにいるんだぞ?」

 

ハングの挑発にネルガルは応じる姿勢を見せなかった。

 

ネルガルにとって【モルフ】は興味のない存在だ。

それが失敗作であるならなおのこと。

生きていても、死んでいてもたいして違いはない。

 

ハングは語る意味はなしと結論付けてアトスに視線を向けた。

アトスはその目線を受けてネルガルに向けて語りかけた。

 

「ネルガルよ、あれからの長き年月・・・おまえの考えが改まることはなかったようじゃな」

「・・・アトス。おまえこそ、なぜ認めんのだ!生物は他の力を取り込んでより優れたものへと進化を繰り返す。我らは、竜の知識によって最高の進化への道を見出した。なのに、なぜ受け入れん!なぜ拒み続けるのだ!!」

「力を求めるのには反対せん。じゃが・・・他のものの命、それを奪ってまで手に入れる方法を許すわけにはいかん」

 

その台詞。気の利いた洒落でも聞いたかのように笑いだした。

 

「くくく・・・覚えている。覚えているぞ!おまえは、あの時もそう言ってこの私に手をかけた。神竜どもと結託しこの私を葬ろうとしたんだ!!」

 

そして、ネルガルは頭にかぶっていたターバンを振りほどいた。

 

「この傷を見ろ!」

 

その下から現れたのは、焼けただれ、無様に盛り上がった皮膚だった。

 

「おまえの魔法をまともに受けてできたこの傷を!誤算だったよ。唯一の理解者だと・・・友だと信じていたおまえが私を・・・滅ぼそうとするなどと。くくくく・・・おかげで確信できたがな。信頼などするから裏切られる・・・己の崇高なる目的の前に仲間の手など、必要ないのだと・・・!!」

「どうしようもないな」

 

それがハングの感想。エリウッド達もその意見に賛成だった。

 

「救いようのねえ馬鹿だな、てめえは!」

 

ヘクトルが吠える。

 

「友を手にかける時・・・アトス様が、何も感じなかったはずないんだ!どうしてそれがわからない!!」

 

エリウッドが声高に叫ぶ。

 

ヘクトルやエリウッドが何を言っても通じはしないであろうことはわかっていた。だが、言わずにはいられなかった。

エリウッドが【デュランダル】を構えた。

 

「ネルガル!僕は、おまえをここで倒す!!だけど・・・今僕の中にあるのは憎しみの感情ではない・・・人として生まれながら、人としての心を失ってしまったおまえに対しての『あわれみ』の感情だ」

「・・・『あわれみ』だと?くくく、おもしろいことを言う。貴様ごとき弱者が、この私に『あわれみ』を感じているのというのか?おもしろい・・・では、そのお手並みを拝見しよう。もしも・・・この【モルフ】どもすべてを倒すことができたらな!」

「やってやるさ!」

 

剣を抜き、斧を構え、全身の筋肉を脈動させる。

 

戦闘準備は整った。

 

そして、最終決戦の火蓋が切って落とされた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

こいつは一体、何の冗談だ?

 

それが、ラガルトの感想だった。

 

一度は戦い、そして決別した相手だった。

なのになぜ、またこんなことをしなければならない。

趣味が悪いったらありゃしない。

 

「・・・へっ 化け物になっても結構男前だぜ?ロイド。だけどな・・・こんなことは許しておけねぇんだよっ!!」

 

ラガルトは本来感情を表に出す人間ではない。

だが、これは例外だった。

 

短刀でロイドと渡りあうラガルト。

 

無表情のロイドを前に、感情が先走りそうになる。

それらを無理に奥底に沈めて、冷静にロイドの剣筋を見切る。

ロイドの剣戟を捌ききっていたラガルトであったが、先に短刀の寿命がつきた。

 

「だあぁぁ!くっそ!!」

 

根元から折れた短刀を投げつけ、ロイドの剣戟をかわす。

 

予備の短刀はあるが、取り出すためのわずかな暇さえロイドの連撃が許さない。

ロイドの攻勢にラガルトは体の数か所に傷を増やす羽目になった。

 

その二人に横合いから待ったがかかった。

 

イサドラとハーケンというフェレ騎士二人だった。

 

「させません!」

「あなたを一人では戦わせません!」

「ありゃ、これはなかなか頼もしい」

 

ラガルトは短刀とついでに鋼線も取り出した。

 

「久々の鉄火場だ。それに、ここは引けないんでね。奥の手も使わせてもらうよ」

 

この暗闇では視認できるかできないかの細さ。

これは、言わば見えない剣。

 

「ロイド、今楽にしてやるからな」

 

暗殺者を暗殺する【疾風】ラガルト。

その本気の力がこの暗闇の中で発揮されようとしていた。

 

そして、ラガルトがロイドと相対している近くで、その弟であるライナスを象った【モルフ】の斧が振り下ろされていた。

 

「くっ!」

 

斧の一撃を二本の剣で強引に受けたジャファル。

それでも殺しきれない威力の一撃にジャファルはたまらず後退する。

 

「ちっ・・・」

 

ライナスの斧で削られた剣が既に使い物にならなくなっている。

ジャファルは新たな剣を懐から引き抜き、背後にいるニノを庇っていた

 

「ライナス兄ちゃん・・・こんなことって・・・」

「・・・・下がってろ」

「ジャファル・・・でも・・・」

「・・・・・・・・これは・・・ダメだ」

 

普段は常闇のように動かぬジャファルの瞳が揺れていた。

それは憤怒の炎を目の奥に灯しているようにも見えたが、それは潤みだした瞳の揺らめきであった。

 

ジャファルはこれまでにない程に奥歯を噛み締める。

 

ジャファルにとってロイドやライナスは一種の『憧れ』だったのだ。

 

彼等は自分と同じ【四牙】と称された暗殺者。

だが、二人は陽だまりの中にいる存在だった。

 

酒を飲んで歌い、飯を食いながら笑う。

ニノや他の【黒い牙】の連中と楽しげに過ごす彼等は自分とはあまりにもかけ離れた存在だった。

 

自分と彼等で何が違うのか?

 

それを一度も考えなかったかと言えば嘘になる。

 

ジャファルにとって彼等は遠くに見えるが、自分の手では決して届かない場所にいる存在だった。

 

「・・・・・・・・」

 

そのライナスが今や顔色一つ変えず、ただ人を襲うだけの殺戮者になっている。

ジャファルは深く息を吸いこみ、息を吐く。肺の中の空気を七割程吐き出して、息を止め、姿勢を落とした。

 

「・・・・・こんなのは・・・許されるわけがない!」

 

ジャファルはこれまで生きてきた中で最も大きい声を放ち、ライナスへと立ち向かっていった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

方々で戦いが始まっていた。

だが、相手取っている【モルフ】は皆一騎当千の猛者達だ。一人に対し三人以上で戦っているものの、なかなかとどめを刺しきれない。

 

ネルガルが自信を持ってこの場に投入してきただけのことはある【モルフ】達だった。

だ今回、こちらは珍しく人数で有利だった。

悪趣味な【モルフ】共を味方が相手取りつつも、壁際に押し込んでいく。

 

そして遂に中央に一本の道ができた。

 

「ヘクトル!突っ込む!!ついてこい!!」

 

その隙をつき、ハングが腕を地面に突き立てる。

今までに何度も駆使してきた左腕で地面を強引に掴み、自分の身体を筋力で飛ばす荒業だ。

ハングはその勢いに任せ、ネルガルのもとへと飛び込んだ。

 

「バカの一つ覚えだな」

 

ハングは左腕を叩き込むも、例のごとく障壁に阻まれた。

だが、その表情は今までとはまるで違う。

 

ハングは清々しい程に不敵な笑みを浮かべて、ネルガルを見下ろした。

 

「だろうな。一人ならな!」

 

次の瞬間、ヘクトルがハングを踏み台にして飛びあがった。

向かう先は障壁のはるか上。

 

ヘクトルは大上段に【アルマーズ】を振り上げる。

 

ハングは素早く後退。そこにヘクトルの全体重の乗った一撃が振り下ろされた。

 

「おらぁぁぁぁぁああああぁぁ!」

 

ヘクトルと【アルマーズ】による一撃が、ついに障壁を破壊した。

窓ガラスが割れるような甲高い音がして、ネルガルの表情がわずかに歪む。

 

ネルガルは障壁を破って落ちてくるヘクトルへと魔法の狙いを定めた。

 

「ぬるい!」

「そうかな!?」

 

落ちてくるヘクトルを迎撃しようと、上を見上げたネルガルの眼が強い光にくらんだ。

ヘクトルの更に上から何かが降ってくる。

 

「ネルガル・・・貴様を止めるのがわしの役目じゃ」

「アトスか!!」

 

それは【アーリアル】の光。

障壁は間に合わない。

 

ヘクトルは空中で強引に【アルマーズ】を振り切り、重心をずらして体勢を変え、【アーリアル】の射線から逃れる。

直後【アーリアル】の日輪を思わせる程の熱量がネルガルへと降り注いだ。

 

「エリウッド!今だ!!」

「わかってるさ!」

 

ハングの指示が飛ぶのとほぼ同時にエリウッドが大剣【デュランダル】と共にネルガルへと切りかかる。

【アーリアル】により闇の守護がはがれたネルガルにエリウッドの剣先が迫った。

 

ネルガルはボロボロの体で身を引く。

【デュランダル】の切っ先が確かにネルガルの皮膚を切り裂いた。

 

手応えはあった。

 

だが、【デュランダル】に血痕は付いていない。

ネルガルの傷からは血の一滴も流れ落ちてはこなかった。

 

「人間の血は赤いんだ。ハングでさえね。お前はもう・・・」

「人間ではない!私は人間を超越したのだ!!」

「そんなのは・・・ただの幻想だ!!」

 

エリウッドが【デュランダル】を構える。

ネルガルが放つ闇魔法を躱し、弾き返し、両断する。

 

六発目の闇魔法をエリウッドが躱した瞬間、エリウッドの傍を駆け抜けて最速の剣がネルガルへと迫った。

 

リンディスの新たな剣。

 

【ソール・カティ】

 

反りがきつい、直刃の業物。

 

リンディスはエリウッドの刻みつけた傷跡に被せるように、逆袈裟の一撃を叩き込む。

 

「くっ・・・」

 

リンディスとエリウッドが追撃を仕掛けようとするが、ネルガルはまたもや障壁を築き上げ二人の接近を阻む。

だが、その障壁を目視した瞬間にはハングが既に行動を開始していた。

 

「ヘクトル!腹に力入れろ!!」

「おい、ちょっと待て!お前何する気・・・」

「問答無用!!」

「だぁあああああ!!」

 

ハングは言葉を挟む暇を与えずヘクトルをネルガルめがけて文字通り放り投げた。

 

「くっそぉぉおおお!」

 

投げられたヘクトル。もうここまで来れば取れる選択肢は攻勢のみ。

ヘクトルは勢いのまま、振りかぶった【アルマーズ】を叩きつけた。

 

その一発が張ったばかりの闇の境界をぶち抜いた。

 

「ハング!てめぇ無茶苦茶すんじゃねぇ!」

「生きてるんだから、別にいいだろ!」

「後でおぼえてろよぉおお!!」

 

目の前のネルガルは満身創痍。

 

それでも闇魔法を放とうとしてくる。そこにハングが滑り込み、魔法陣を強引にかき乱した。

闇魔法の術式を乱して、あらぬ方向へと攻撃を飛ばす。

 

「くっ・・・貴様らぁ!」

「御託を述べるか?それもいいぜ、言い訳ぐらいは聞いてもいいぞ!」

「黙れ!人形風情が!!」

 

【人形】

 

その言葉を受け、ハングは不敵に笑って一歩前に出た。

 

「黙らないぜ、わかってんだろ。親父と言えばいいか?それともパパ?死にかけてるお前を助けた方がいいのかね?」

「うるさい!!」

 

ハングの真下に出現した魔法陣をハングは左腕を使ってかき消す。

次いで出現した黒い空間を危なげなくかわす。

 

「貴様・・・」

「耄碌したらしいなクソじじぃ。俺はお前を殺すためだけに今までの人生を費やした。闇魔法は俺には通じないぞ」

「人形が!人形が!人形が!下等な存在が私をそんな目で見るな!!」

 

ハングは面白い洒落を聞いたかのように笑った。

 

「笑わせるな。俺はお前から生まれた・・・いわばお前の分身だよ。お前は俺と同じで、下等で下品な世界のはみ出しもんだ・・・違うことと言えば・・・」

 

ハングは後ろを振り返る。

 

そこには、いつもと変わらない親友が、悪友が、恋人がそこにいた。

 

「仲間がいることぐらいだ・・・」

「くだらん!!」

「そう言うのもお前の勝手だ。でも、現実を見ろ。お前は俺を殺しそこね、そしてそんな俺達に殺されかけてる・・・永遠の命を手に入れたにも関わらずな・・・」

「なぜだ!なぜだぁぁぁ!?」

「それが理解できないから・・・」

 

ハングは左腕を地面に突き立てた。

それに合わせて、後ろの仲間達が動き出した。

 

「お前はここで・・・死ぬんだよ!」

 

ハングが飛び、エリウッド達が切りかかった。

 

【デュランダル】がネルガルの腹を貫く。

【アルマーズ】が肩から腕を切り落とした。

【ソウル・カティ】が喉に傷をつくる。

 

「あぁっ・・・・・・」

「死ねよ・・・親父・・・」

 

ハングの腕がネルガルの胸を貫いた。

 

「今度は・・・届いたな・・・」

 

産まれ落ちてから憎しみ続けた相手。

 

生みの親である相手に致命傷を負わせたハングの心は自分でも予想していた以上に凪いでいた。

 

ここには憎しみも怒りも達成感もない。

 

ただ、大事な出来事が一つの終わりを迎えたような安堵が吐息と共に吐き出された。

 

ハングは倒れて来るネルガルの身体に右手をかける。

 

「なぜだ?なぜ私が敗れる・・・?」

「まだわからねぇのかよ」

「もっと力を・・・もっと強くならねば・・・私は・・・私は・・・」

「なんだよ・・・力って・・・」

「私は・・・何のために・・・力が欲しかったのだ・・・?」

 

その言葉にハングの動きが一瞬止まる。

 

『闇を覗く者は己が闇へと変わることを心せねばならない。なぜなら、お前が闇を見つめる時、闇もまたお前を見つめ返すからだ』

『大して資質を持たない者が強大な力を持とうとして自我を無くしてしまう』

『資質を持っていたとしても、そもそもなぜ力を求めていたのか、それすら忘れちまうこともしばしばだ』

 

いつぞやの会話を思い出す。

 

それを聞いたのはいつだった?どこだった?

 

『魔の島』にあった人の住んでいた気配のある家。

竜と人が手を取り合った絵。

そして、それを見つめるニニアン。

 

その瞬間、ハングの頭の中に光がともった。

いくつもの水路がつながったかのような感覚。

 

ハングはハッとして、ネルガルの顔を見下ろした。

 

今回だけは自分の頭を与えてくれたネルガルを恨んだ。

 

このことは知りたくなかった。

 

ハングは歯を食いしばり、左腕を引き抜いた。

重力に従うように、ネルガルの体が倒れていく。

 

地面に倒れたネルガルが何かを呟く。

 

「ぐっ・・・このまま・・・このままでは・・・死なんぞ・・・・我が最後の力・・・絶望に・・・震えるがいい・・・・フハハ・・・・・・ハ・・・ハハハ・・・・・・」

「・・・くそ野郎・・・」

 

ハングの悪態はネルガルの死に際の笑い声に被さって誰にも届かない。

 

「・・・お前は・・・お前は・・・・本当に・・・人だったのか・・・」

 

ハングは静かにそう呟くしかできなかった。



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終章~光 ②~

災悪をまき散らす者が倒れた。

世界は救われたのだ。

 

ネルガルが倒れると同時に周囲で戦っていたあの【モルフ】達も塵となって消えていった。

 

戦いは終わったのだ。

 

皆が一息つくなか、ニルスにエリウッド達が近寄って行った。

ニルスは涙を流していた。

 

「・・・ニルス?どうしたの?」

「・・・わ・・・からない・・・どうし・・・てだろ・・・涙・・・が・・・・・・」

 

ぽろぽろと両方の眼から落ちる涙。

ニルスの意図とは別に流れるそれをヘクトルは乱暴にぬぐってやった。

 

「無理もねーか、ずっと張りつめてたもんな」

「・・・気がゆるんだんだろうよく、がんばったね」

「大丈夫よ、これで世界はすくわれたの。ニニアンも、きっと喜んでくれる」

 

その様子を眺めていたハング。

 

ニルスが泣いている理由をハングは悟ってしまっていた。

 

ネルガルがどうしてここまで『力』に固執していたのか。

どうして頑なに【竜の門】を開き、【竜】を呼ぶことに執着していたのか。

 

どうしてニニアンとニルスへと声をかけたのか。

 

その他の様々な要素を全て線で繋げてしまったハング。

だが、このことは自分一人の胸に留めることにしていた。

 

ハングはニルスから目を逸らし、倒れたネルガルの体を眺めた。

 

黒いローブに包まれたその身体は彼が【人間】であることを示すかのようにその場に残っていた。

ハングは自分の耳に触れる。手に付いた塵を擦り、ハングは目をつぶった。

 

その時だった。

 

神殿の中が大きく揺れた。

 

「な、なんだ!?」

「いったい・・・何が起きたの?」

「まさか・・・!」

 

再び振動。この揺れには覚えがあった。

それは前回の【竜の門】での出来事にも経験した揺れ。

 

ハング達の目線は【竜の門】へと向けられた。

 

そして、彼等の予想がは最悪の形で的中することとなった。

 

「なっ!?【門】が開いてる!!」

「あ・・・あれは・・・竜・・・!?」

「そんな・・・どうして・・・」

 

そこでは【門】が既に開き、灼熱の炎を纏いし赤き【竜】が今にも顕現しようとしていた。

 

「くそったれ!ネルガルが言った最期の言葉はこのことだったのか!」

 

ハングが悪態をつく。

 

そして彼らの目の前で【竜の門】を越えて【竜】が現れる。

 

その数、3匹。

 

「なんということだ!竜がこちらの世界に入りこめば・・・この大陸を灰に変えるまで一月とかからぬぞ!!」

 

アトスのせっぱつまった声が焦燥感を駆り立てる。

そして、真っ先にエリウッドが前に出て【デュランダル】を構えた。

 

「・・・これが・・・竜か・・・なんとしても止める!止めてみせる!!」

 

その隣にすぐさまヘクトルが並んだ。

 

「ちっ・・・とんでもねえバケモノだな。こうして立ってるだけで足が震えてきやがる・・・」

 

男二人に負けずとリンディスも一歩を踏み出す。

 

「三体もいるなんて・・・正直、神さまにでもすがりたい気分ね・・・」

 

そして、ハングが不敵な笑みを浮かべることもできずに強引に冗談を吐き捨てた。

 

「でも・・・俺の腕には似ても似つかないな・・・あの占い師め・・・でまかせ言いやがった」

 

ハングは他の連中を後ろにさげさせた。

 

「だが、ハング殿!!」

「足手まといだ!!力ある武器じゃねぇとこいつの前には立てない!!お前達は背後を護ってくれ!【モルフ】の残党が残ってる!」

 

そう言って、仲間を後ろに追いやるハング。

これで竜の脅威にさらされているのはアトスを含めた五人だけ。

 

「まず、わしが行こう。竜達の動きを止める・・・そこを討つのだ!!」

「アトス様!!来ます!!」

 

竜の咢が開れる。

刃よりも鋭く並ぶ歯が見えたのはほんの一瞬だった。次の刹那、その内側から紅蓮の炎が噴き出した。

炎はまっすぐにアトスへと迫り、彼の姿を飲み込んでいった。

 

「アトス様!!」

「じーさん!!」

 

気温差で風が巻き起こり、熱風が嵐となって遺跡内を吹き荒れた。

 

ハング達は炎の熱に煽られ、近づくことさえできない。

 

「おいおい・・・一発の炎でこれかよ・・・」

 

吹き荒れる炎がやんだ時、その内側から小さな障壁に囲まれたアトスが現れた。

 

「ぐ・・・なんという力だ。動きを止めるどころか・・・」

 

アトスが力を絞って作り上げた障壁だというのに、既に崩壊する寸前だった。

アトスの力をもってしても、一撃を防ぐだけで精一杯だった。

 

「アトス様、逃げてください!竜が近づいてきますっ!!」

 

三匹の竜が一歩前に出る。

それだけで、地面が揺れ、大気が震える。

 

存在そのものが世界が怯えさせている。

 

これが【竜】

 

だが、アトスは下がらなかった。

 

「・・・・・・ここで踏みとどまらねば・・・勝機は・・・ない」

 

【竜】の脅威を知るアトスはここが、正念場だということを悟っていた。

 

既にここに【神将器】が四つもそろっている。

 

ここで討てなければ、次はない。

 

その為なら、この身を犠牲にすることぐらい厭わなかった。

 

その時だった。

 

この空間に、またしても転移魔法の陣が現れた。

 

「このクソ忙しいときに誰だ!?」

「・・・私だよ」

 

エリウッドの声がして、転移魔法の中からフードを目深に被った存在が現れた。

 

「ブラミモンド様!?」

「準備に少し手間取った・・・」

 

フードの下の闇の中からエリウッドの声を写したブラミモンドがアトスの横に並んだ。

 

「アトス・・・【アーリアル】と【フォルブレイズ】を・・・」

「うむ・・・」

「よし、みなの力を借りるときだ・・・ここに集え・・・神将の力・・・!」

 

ブラミモンドが杖を床に突き立てる。

そこを中心とした新たな魔法陣が出現した。

 

「・・・この陣・・・まさか・・・」

 

その陣の内容にハングは真っ先に気が付いた。

それは闇魔法が古代魔法と呼ばれていた時代の遺物。

 

物理的世界と精神的世界との境界を繋ぐことを前提とした魔法陣。

 

永久機関や錬金術と同じ、理論から否定され、不可能だと言われた術式のはずだった。

 

「・・・成功・・・するのか?」

 

ハングの呟きが聞こえたのか、ブラミモンドが振り返る。

 

その時、確かにハングにはブラミモンドがフードの下で笑ったように見えたのだった。

 

次の瞬間、魔法陣が光を放ちだす。

そして、それに呼応するようにエリウッドの【デュランダル】とヘクトルの【アルマーズ】が光を放った。

 

「この光は・・・?」

「うわっ!なんだよ!いったい!!」

 

そして、輝く光が球体を作り、【神将器】から離れて飛んでいく。

集う先は魔法陣の中心。

 

「見て!あれ・・・・・・!!」

 

リンディスが指差した先。

 

光が何かを形作っていた。

 

人の形のようにも、竜の形のようにも見える物。

 

その時、【竜】が動いた。

再び咢が開かれ、炎が吹き出る。

 

打ち出された炎の塊。

 

「させん!!」

 

それをアトスが迎え撃った。

 

「くっ・・・」

 

そのアトスの背後に魔法を使える人達が集まった。

 

「お手伝いします!!」

「アトス様、これでも少しは足しにはなります!」

「・・・すまん・・・助かる!!」

 

エルクとカナスが障壁をもう一列展開して、強引にアトスを支える。

それを見てハングは苦笑いを隠せなかった。

 

「下がれって言ったのによ・・・」

 

そして、ハング達のすぐ後ろにはパントが高位の魔法を展開して巨大な氷塊を作り出していた。

 

「背後の【モルフ】は私達が引き受けます!」

「ありがたいのう」

 

アトスの声でブラミモンドがそう言い、懐から橙色に輝く石を取り出した。

それは、ニニアンの【竜石】

ネルガルの懐から奪ってきたそれを、ブラミモンドは光の中心へと放り投げた。

 

「この娘・・・竜の娘に宿りて・・・魂の復活を・・・」

 

その言葉でハングはブラミモンドが誰を呼び出したのかを知り、笑った。

【竜】に囲まれ、世界の命運がこの瞬間にかかっているというのにハングは笑わずにはいられなかった。

 

「・・・さすが・・・【八神将】が一人・・・」

 

まさか、こんなところで死者蘇生が見られるとは思わなかった。

 

魔法陣の中心の光が徐々に正確な輪郭を紡ぎだし、光の中から一人の人物が浮き上がる。

雪のように白い肌、流れるような薄い蒼の髪、薄幸を称えたような顔立ち。

 

最早、それが誰であるかなど問うまでもなかった。

 

「ニニアン!!」

 

エリウッドの声がした。

それは間違いなくエリウッド本人の声であった。

 

「ここは・・・わたしは・・・・・・?」

 

ゆっくりと周囲を見渡す、ニニアン。

ハングは駆け寄ろうとするエリウッドを抑え込んだ。

 

「落ち着け!バカ!」

「だが!だけど!!」

「【神将器】を持ってるお前が無暗に動くんじゃねぇ!」

 

光が全て消え去るのを待ち、ブラミモンドはゆっくりとニニアンに近づいた。

 

「尊き竜の血を持てる娘よ。その力で、あれらを静めるがよい」

 

指差す方向はアトス達が侵入を防いでいるあの【竜】達。

 

「・・・あ・・・無理・・・です。わたしの力は・・・ここでは・・・・・・」

「・・・力が戻っているのを感じとれぬか?」

「・・・え・・・?」

 

ニニアンは自分の内に意識の手を伸ばす。

程なくして彼女は自分の中心へと辿り着いた。

 

そこにはこの世界にきて失われたはずの力が強い熱を放っていた

 

「・・・・・・あ・・・はい・・・・・・やってみます」

 

ニニアンが一歩前に進んだ。

 

「・・・・・・・」

 

ニニアンが手をかざす。

次の瞬間、この世界で最も冷たい空気が塊となって遺跡の中を走り抜けた。

 

それは紛れもない【竜】の力。

それも、神殿を守護してきた巫女の力だ。

いかに【竜】といえど、ひとたまりもなかった。

 

「・・・もういいの」

 

二匹の【竜】が霜を全身に張り付けて動きを止め、崩れ落ち、膝をつき、瞼が落ちた。

 

「ごめんね・・・あなたたちが悪いわけではないのに・・・・・・・・・ごめんなさい」

 

祈るニニアン。

 

その祈りを遮るように残る一匹の【竜】が吠えた

 

その【竜】もニニアンの一撃で動きが鈍っている。

だが、瀕死の重傷を負ったはずだというのにその咆哮はいまだ圧倒的な存在感を示していた。

 

私はまだ戦える。

 

そう言っているかのような【竜】を前にニニアンが崩れ落ちた。

 

「もう・・・これ以上は・・・・・・」

「ニニアン!!」

 

彼女に駆け寄るエリウッドとニルス。

 

ニルスは彼女の体の調子を確かめ、安堵の息を吐いた。

 

「だいじょうぶ、気を失っただけだよ・・・よかった・・・ニニアン・・・・・」

 

姉の蘇生。ニルスの眼から涙が溢れかえった。

だが、泣いている余裕はない。

 

「竜はまだ一体残ってるぞ!」

 

そう言ったのはヘクトルの声。本人ではなく、ブラミモンドのものだった。

 

「この娘のことは俺に任せておけ」

 

そう言い残してブラミモンドはニニアンと共に転移した。

 

ハングは今だ目の前の突拍子もない出来事の連発を整理できていはいなかった。

だが、やることは決まっているなら、動き出すことは容易い。

 

「エリウッド!まだ、終わってないらしい」

「ああ・・・神に感謝するのはまた後だ」

 

ハングが自分の左拳を右の手に叩きつける。

 

「・・・さぁ・・・これが最終幕だ!!この【竜】を倒す!!気合入れろ!!」

 

仲間達の腹の底から響く返事を見に受け、ハングは不敵に笑ってみせた。

そのハングの前にエリウッド達が武器を構える。

 

【竜】が再び吠える。

 

先頭に立つのはエリウッド。

 

既に【デュランダル】に体を勝手に動かされるような感覚は無い。

今、ここに立っているのはエリウッド本人の意志であった。

 

咢が開かれ、炎が飛ぶ。

 

その炎をエリウッドは【デュランダル】の裏に隠れることでやりすごした。

炎に煽られつつもエリウッドはその場から動かない。

巨大な【デュランダル】の守り。炎を受けたにも関わらず、【デュランダル】に損傷はなかった。

 

エリウッドは炎を振り払い、竜の足元へと切り込んだ。

 

エリウッドは【竜】の前腕へと【デュランダル】を突き刺す。

 

「うおぉぉぉぉおおおお!」

 

そして、エリウッドは鱗を足場に駆け上がる。

切り裂いた腕から血しぶきが吹きあがる。生暖かい返り血をその身に受けつつ、エリウッドはその足を根元から切り落とした。

 

 

「ギャアアアアアアアアア」

 

悲鳴をあげた竜。

 

そこにヘクトルが畳み掛ける。

 

「ヘクトル!持ち上げてやる!来い!!」

 

腰を落としたハングの左腕にヘクトルが足をかけた。

 

「行ってこい!!」

「ああ!!」

 

打ち上げるようにしてヘクトルを投げ上げたハング。

 

「【アルマーズ】!!もう一度力を貸せぇ!!」

 

【アルマーズ】がそれに応える。稲光が斧の周りを走り抜けた。

 

竜の頭上に飛びあがったヘクトル。

雷を帯びた巨斧をヘクトルは振りかぶった。

 

その時、竜の眼が頭上のヘクトルを捕えた。

 

空中では回避は不可能。顔が引きつるヘクトル。

 

その時、【竜】の足元で声があがった。

 

「つっこめぇぇぇ!!」

 

下から聞こえた声にヘクトルはにやりと笑った。

 

「はしたねぇぞ!」

 

既に竜の腹の下まで踏み込んでいたのはリンディスだった。

その加速の力を足の一点で止め、【ソール・カティ】の柄に手をかけた。

 

「はぁぁぁぁぁっ!!」

 

走り込んだ加速力と全身の筋肉の駆動を抜刀の一瞬に収束する。

 

一瞬にして三発の連撃が放たれる。

それが口を開きかけた竜の喉元を切りつけた。

 

「グォォォオオ・・・」

「おらぁぁぁぁぁあ!」

 

その直後、ヘクトルの攻撃が脳天を叩き割った。

鱗、頭蓋、その内側までをも破壊した感触が斧を通じてヘクトルの手に届いた。

 

そのまま落下するヘクトル。

 

「やったか・・・」

 

そう言って頭上を見上げたヘクトルと竜の眼が合った。

その眼はまだ死んでいなかった。

 

「やべ・・・・」

 

着地し、後退しようとするヘクトルに向け首が動き、顎が開かれる。

喉の奥から放たれようとする炎をヘクトルが避ける術はない。

 

「そうはさせないわ!!」

 

腹の下から駆け出したリンディスは再び抜刀。

まだ残る足を切りつけた。

竜は態勢を崩し、放たれた火炎はヘクトルをわずかにそれる。

 

炎が遺跡の中をを駆け抜けた。

 

「助かったぜ・・・・・って、あのバカ!!」

「・・・・・・くっ・・・」

 

そのリンディスが竜の右足の付近でたたらを踏んでいた。

さっきの炎に煽られて、動けないのだ

 

動きが鈍った者へと【竜】の目が向く。竜はその右足を振り上げ、リンディスめがけて振り下ろした。

 

「っ・・・・・・・」

 

息を飲むリンディス。

防御は無理、回避はできない。

迫りくる竜の腕。

 

リンディスは反応ができなかった。

 

「おらぁあああああああ!!」

 

そのリンディスの前に滑り込むハング。

ハングは足を踏み込み、その左腕を叩き込んだ。

 

「ぁあああああぁあぁあああ!!」

 

方や本物の竜、片や偽物の腕。

 

勝敗どころか勝負にすらならなかった。

ハングの鱗が飛び、腕の内から嫌な音がした。

左腕の骨が折れ、指が砕ける。

肉が裂ける音と共に、骨が前腕から飛び出した。

 

それでも、ハングは【竜】の足からリンディスを守り切った。

 

「ハング!!」

「気にするな!!」

 

ハングの腕に防がれた足が再び振り上げられる。

ハングと竜の眼が合い、足が再び振り下ろされた。

 

だが、一瞬でも時を稼げればそれでよかったのだ。

 

ハングは腹の奥から友の名を呼んだ。

 

「エリウッドォォォ!!!」

「待っていたよ!!」

 

エリウッドがその無防備な顔面の前に飛びあがった。

 

「これで・・・最後だぁぁぁぁぁぁああああ!!」

 

【デュランダル】の一撃が【アルマーズ】の作った傷跡へと叩き込まれる。

肉を裂き、骨を断ち、全てを切り裂く一閃の光。

 

「ギャァァアアアアァァァアッァアアアア」

 

竜の断末魔があがる。

 

悲しき音を響かせ、竜はついに崩れ落ちた。



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終章~光 ③~

「終わった・・・終わったんだ・・・」

 

エリウッドの手元の【デュランダル】の切っ先が石の床に当たる。

竜の血がしたたり落ち、そして乾いていく。

見上げたエリウッドと力なく瞼を閉じていく竜と目があった。

 

「・・・すまない・・・」

 

その言葉を聞き、竜は微かに笑ったようだった。

 

「やったな、エリウッド!」

「エリウッドさま!」

「ヘクトル・・・ニルス・・・」

 

エリウッドに駆け寄る二人。

 

「よくやった、ローランの意思を継ぐ勇者よ。ようやく終わった」

 

アトスのお墨付きを頂き、エリウッドとヘクトルは高い位置で手を叩き合わせた。

 

この長きに渡る戦いがようやく終わったのだ。

 

エリウッドはニルスやヘクトルと喜びを分かち合いつつ、この戦いの功労者の姿を探した。

 

「ハング!これも君のおかげ・・・あれ、ハング?」

「ん?ハング!?あいつ、どこいった?」

「ハングさ~~ん・・・」

 

彼等がいくら呼ぶも返事は無い。

エリウッド達は顔を見合わせた。

 

その背後にブラミモンドが転移してきた。

 

「アトス・・・」

「うむ・・・わかっておる・・・」

「アトス様・・・一体?」

 

その時だった。

 

「アトス様!!アトス様!!ハングが・・・ハングが!!!」

 

竜の遺体の傍から、リンディスに肩を支えられてハングが歩いてきた。

 

「アトス様!ハングが・・・ハングが・・・」

 

泣きだす直前のようなリンディスと疲れたように笑うハング。

 

「ハング・・・まさか・・・君は・・・」

「お前・・・」

 

そのハングの左腕は皮一枚で二の腕にぶらさがっている。

それは先の竜との戦いの際の怪我。

 

だが、問題はそれではなかった。

 

問題はそんなことではなかった。

 

ハングの頬には乾いた泥人形のようなヒビが走っていた。

 

「ネルガルが死んだ・・・俺だって【モルフ】なんだ・・・俺も消えるんだよ」

 

ハングの皮膚は所々がひび割れ、指は既に一本なくなっていた。

彼の体は崩れはじめていた。

 

「お前・・・こうなること知ってたのか!!」

「どうして言わなかったんだ!」

 

ハングに詰め寄る二人。

 

「言ったら・・・どうにかなってたのかよ・・・」

 

ハングはそう言って力無く笑う。

 

「言ってどうなった・・・ネルガルは殺さなきゃならなかったんだ・・・だから・・・これでいいんだ」

 

そう言ってる間にも指がまた一本落下し、砕け散った。

落ちた指は塵へと変わり、風に吹かれて消えていく。

 

ハングはそれを見下ろし、歯を食いしばるようにして喉の奥で笑う。

自分が【モルフ】である明確な証拠を目の前にして、笑うしかなかった。

 

エリウッドは首を横に振る。

 

こんなことは認められなかった。

諦めきれるわけがなかった。

 

それはヘクトルや他の仲間も同じ気持ちだった。

 

エリウッドは唯一の希望がそこにあるかのようにアトスを振り返った。

 

「アトス様なんとかならないんですか!!」

「ハングがいなけりゃ・・・俺らここまで来れなかった。なのに・・・こんなことって!!」

「アトス様!」

「アトス様!!」

 

肩を支えられたハングは皆の言葉を嬉しそうに聞いていた。

 

こんなことを言ってくれる友人が俺にはいるんだと実感していた。

 

「はは・・・やっぱ俺は【モルフ】で一番幸せ者だな」

「ハング・・・」

 

そんなハングの隣でリンディスがこらえきれずに涙を流していた。

その涙を拭ってやれる指はもう残っていなかった。

 

ハングは自嘲するように笑う。

自分が【モルフ】だと知ってなお、胸の奥から湧き上がってきた思いがあった。

 

ハングはアトスと向き合った。

 

「アトス様・・・俺、【モルフ】で・・・闇魔法の化身で・・・だれかの命を奪って産まれた存在で・・・そんなことはわかってるんですが・・・」

 

そして、ハングは弾けたような満面の笑みを浮かべて、アトスに言った。

 

「俺・・・やっぱ・・・消えたくないです・・・」

 

ハングの頬が割れ、耳が落ちた。

 

「ダメ・・・ですかね?」

 

切ない程に笑うハング。

その静かな笑顔は本物の人間のようだった。

いや、ハングが人間らしからぬ行動をとったことなど一度も無い。

 

感情の無い【モルフ】などでは絶対にない。

命の無い人形などでは決してない。

 

「アトス様!」

「じーさん!」

「アトス様!」

 

アトスはゆっくりと後ろを振り返った。

 

「ブラミモンド・・・」

「・・・・・・・・・」

 

ブラミモンドは頷き、ハングに向かって歩き出した。

そして、ブラミモンドのフードの奥から『ハング』の声がした。

 

「今・・・お前は何を見た?」

「え・・・俺が見たもの・・・」

 

この場で見て、そしてハングに関わるもの。

 

ハングはその答えに程なくたどり着いた。

 

「死者の・・・蘇生・・・」

「『奇跡は二度は起きないが、それが確立された技術なら正式な手順を踏むことで同じ結果を何度でも起こせる』・・・」

「ハハハ・・・ブラミモンドの言葉だ・・・」

 

笑った拍子にぶら下がっていた左腕が落ち、塵へと変わった。

 

「蘇生の陣はある・・・魂はここにあり・・・肉体は生成可能・・・そして精神は・・・アトスが準備していた・・・竜の娘を復活させるよりかは楽勝だ」

 

ブラミモンドの言葉に周囲は歓喜に息を飲む。

 

だが、そこにハングが待ったをかけた。

 

「ちょっ、ちょっと待ってくれ・・・俺は【モルフ】だ。『魂』や『精神』なんて・・・」

「ああ、普通の【モルフ】にそんなものはない・・・だが、お前のどこが普通なんだ?」

「・・・・・」

 

ハングは指を失った右手を自分の胸の中心にあてた。

 

「でも・・・普通じゃなくても・・・俺は・・・【モルフ】で・・・」

 

不安に陥るハングに、アトスはほんのりと笑いかけた。

 

「あったんじゃよ・・・お主の中にな・・・」

 

ハングは顔をあげた。

 

そこには穏やかに笑うアトスがいた。

 

「心身を持つ者全てに【エーギル】が宿る・・・お主の中から【エーギル】が確かに産まれておった・・・魂が育っておったのじゃよ・・・」

「・・・俺に・・・魂が・・・」

「心を育ててくれた者に感謝することだな」

 

ブラミモンドの言葉にハングは小さく噴き出した。

幼少の頃の思い出といえば鬼の形相のヴァイダの顔ばかりが浮かんでくるからだった。

 

「ハング・・・わしはお主の【エーギル】を液体状にして渡した」

「それって・・・あの時の・・・」

 

アトスに出会った時、渡されたあの品。

 

「・・・アフアの・・・雫?」

「その通り」

 

その言葉を聞き、ハングとリンディスは目を合わせた。

リンディスは空いた手で胸元を探し、それを取り出した。

 

あの時、ハングの渡した青みがかった『アフアの雫』は今は若草色の液体へと変わっていた。

 

「魂はお主の中にある・・・肉体は生成可能・・・それらを結びつける精神は・・・ここにある・・・お主が『最も信を置く者』が蓄えた【エーギル】とお主の【エーギル】が混ざっておる『アフアの雫』がな・・・」

 

そういう意味だったんだ・・・

 

ハングは少し気まずくなって、視線を逸らす。

 

「・・・とにかく・・・それでハングは・・・助かるんですね?」

「・・・絶対とは言えないわ」

 

リンディスの声でブラミモンドはそう言った。

 

「でも、可能性はある?そうだろ!?」

「・・・理論上はね・・・あとはハング次第よ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

 

皆の視線が集まる。

ハングはブラミモンドへと目を向けた。

 

「失敗したらどうなるんです?」

「・・・消える」

「なんだその程度か」

 

ハングは力無く笑った。

 

「どうせこのままいったら消えちまう・・・乗ったよ」

 

ハングはリンディスの肩から腕を外そうとして、躓くようにして倒れた。

足元を見ると、右足のひざから下が消えていた。

 

「・・・肩を貸すよ」

「・・・ったく、世話のやける奴だぜ」

「ありがとよ・・・エリウッド、ヘクトル」

 

既にハングの両足も崩れ落ちた。

まだ残る腕をつかみ、二人はニニアンを蘇らせた術式の上にハングを寝かせた。

 

「ハング・・・大丈夫だよな」

「必ず帰ってきてくれよ」

「死んだら・・・承知しないからね」

 

仲間達の視線を感じる

だが、ハングはもう体を起こす体力も残っていなかった。

 

「リンディス、そこにいるか?俺の声が聞こえてるか?」

 

もう、目も見えない。

体の感覚もなくなっていた。

 

「ええ・・・いるわよ」

「・・・そっか・・・・・・」

 

ハングは笑った。

 

「・・・・・・言いたいことがある・・・聞きたいか?」

「・・・後で・・・聞くわ・・・」

「・・・そっか・・・」

「だから・・・帰ってきて・・・」

「おう・・・」

 

差し出す手はない。

もうハングの体は胴体と頭しか残っていなかった。

 

体が崩れていく。

 

ハングは自分の存在が消えていくのを感じながら、静かにその意識を手放したのだった。



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終章~光 ④~

夢は見ない。

 

ただ、真っ黒で、真っ暗な世界で朝を待つ。

自分が眠っているのか起きているのかもわからない。

朧気な世界で俺はいつも意識の淵を漂っていた。

そんな夜は自分が【モルフ】だと知ってから、納得いくものではあった。

結局、俺はどこまで行っても化け物なんだ。

 

そう思ってた。

 

そんな世界に佇み、ハングは顔をあげた。

 

そこに誰かがいた。

 

そいつが口を開く。

 

『お前・・・人になったつもりか?』

 

聞こえてきた声は紛れもない自分の声のはずなのに、どこか別人のように感じる。

ハングは唇の端で笑ってみせた。

 

「俺は俺だよ、変わりはしない」

『化け物が人の振りをして生きていけると思ってるのか?」

「そんなつもりはないさ。でも、あいつらは俺がそんな『化け物』でも受け入れてくれた。そんな人がいればそれでいい」

『それは誰だ?』

「知っているだろ?」

『知ってる?』

「知ってるだろ?ずっと一緒にいたんだから」

 

【モルフ】は【エーギル】から生まれた。

つまり、誰かの命を奪って産まれた化け物だ。

 

だから、ここにいるのは多分・・・

 

「そんで、お前は誰なんだ?」

『さてな・・・世の中には知らなくていい事実ってのも多い』

「ははは・・・やっぱお前は俺だな」

 

ふと、風が吹いた気がした。

振り返ると、暗いだけの世界に光が見えた。

 

「・・・一緒にいくか?」

『お前は俺だ。付いてくよ・・・永遠にな』

「おお、怖い・・・でも、付き合ってくさ。永遠にな」

『お前は俺を抱えて生きていけ・・・例え【モルフ】でなくなっても』

「ああ・・・でも、俺は俺だ・・・俺として生きていくよ」

 

誰かが笑った気がした。

 

『勝手にしろ』

「そうするさ・・・でも・・・これからどうしようか?」

『わかってるくせによ』

 

ハングは溜息を吐いて、歩き出した。

 

光に近づいていく。

 

その向こう側に何があるのかわかる気がした。

 

『アフアの雫』は彼女のもとにあった。

だったら、この先に待っているものは決まっている。

 

ふと、ハングの視界が開けた。

 

そこにあったのは青い空と白い雲。

一面に広がる緑の草原。

 

「・・・・ありがとな・・・リン」

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ゆっくりと、目を開ける。

自分の眼の前に右手を持ち上げた。

 

五本の指がついた手のひらが見えた。

 

握り、開く。ひっくり返して、ながめる。

覗き込んできた顔はどれも泣き出す一歩手前だった。

 

「・・・ハング・・・だよね?」

 

エリウッドに向け、ハングは皮肉げな笑みを浮かべた。

 

「・・・また死に損ねたな・・・」

 

周囲に歓声が沸き起こった。

 

「ハング!!」

 

誰かが胸元に飛び込んできて、起き上がることもできない。

 

ただ、自分の胸の中心で音をたてる心臓が果てしなく心地よかった。



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終章~光 ⑤~

ハングは差し出された服を着込む。だが、左袖は中ぶらりんのままだ。

ハングの左腕は造ることができなかった。

 

「・・・はい」

「ありがとよ」

 

失った左腕の代わりにリンディスが右腕に袖を通してくれる。

気味の悪いあの腕が無くなったことが、今は少しさびしい。

 

だが、すぐに慣れるだろう。

 

ハングは自分の胸の中心を叩く。そこには確かに心臓があった。

 

これも、すぐに慣れるだろう。

だが、今はそんな感傷に浸っている時間はなかった。

 

ハング達の目の前でアトスが崩れ落ちるように倒れたのだ。

 

「アトス様!?」

「ふっ・・・力を使いすぎたな」

 

横になるアトスの傍にハングは駆け込んだ。

 

「アトス様・・・俺は・・・」

「ふふふ・・・成功したようだな・・・」

「・・・ありがとう・・・ございます」

 

ハングの頬を皺だらけの手が撫でた。

 

「ハングよ・・・お主は・・・ネルガルが・・・我が友が儂と産み出した奇跡だ・・・大事に生きてくれよ」

「・・・はい・・・必ず!!」

 

アトスの指が離れ、ハングは頭を垂れた。

アトスはブラミモンドを目だけで探す。

 

「先に逝く、友よ・・・」

「・・・私もほどなく追うだろう。だが・・・今しばし・・・また眠りにつくとしよう」

 

アトスは頷き、体から力を抜くようにして天を仰いだ。

 

「エリウッド・・・ヘクトル、リン・・・ハング・・・わしは長く・・・長く生きてきたが・・・もはや・・・これまでだ」

 

しゃくり声はニルスのものだった。

 

「嘆くことはない・・・先に逝った友らに会えるのだ・・・わしに悔いはない」

「アトス様・・・!!」

 

アトスは目を閉じた。

 

「さて・・・人よ、わが兄弟たちよ。わしがおまえたちにしてやれる最後の贈り物だ・・・死を前に・・・ 今のわしには・・・色々なことが見えるようだ。未来のことが見える・・・」

 

アトスは少ししてから目を再び開いた。

 

「おお・・・これは・・・なぜ・・・今ではないのだろう・・・わしもブラミモンドも・・・もはや人の子らを助けてやることはできんのに・・・」

「なにが・・・見えるんですか?」

「凶星は、ベルンの地よりくるだろう・・・その時、エレブの地は再び血にまみれることとなる・・・」

 

ハング達の眼に険が刻まれた。

 

「だが案ずるな子らよ。助けは、またリキアよりいずる。炎の子が・・・全てを・・・・・・」

 

そして、アトスの手が力なく、床に降りた。

 

「逝かれた・・・」

 

ハングがその手を握り、首を垂れる。

 

「・・・アトス様。最後まで・・・僕らのことを・・・」

「・・・じーさん・・・」

「・・・ね、でも見て三人とも。アトス様・・・微笑んでるように見えるわ」

「『嘆くことはない』そう仰られた。僕らが泣く必要はない・・・か・・・」

 

そんな時だった。

 

「・・・・・・この世界はまた闇に包まれる・・・でも・・・最後に・・救いの光を見られたのでしょう」

「ニニアン!」

「エリウッド様・・・」

 

ブラミモンドに支えられていたニニアンがふらつく足取りでエリウッドのもとに駆け込んだ。

 

「よかった・・・ニニアン。君が生き返るなんて・・・まだ、夢をみているようだ」

 

彼女の手を取ったエリウッド。

その小指にエリウッドは自分の指を添えた。

 

「失ってみて・・・はっきりとわかった。僕には君が必要だ。どうか、ずっと側にいてほしい」

 

約束した。でも、護れなかった。

だが、今度こそこの手を離しはしない。

 

「エリウッド様・・・わたしは・・・わたしは・・・帰らないと・・・・・・」

「っえ!?どういうことだ?」

「わたしが・・・すべての原因だから。わたしの弱い心が・・・すべての悲劇を招いたから・・・」

「ニニアン?」

 

手を離そうとするニニアン。

エリウッドはその力を認めるわけにはいかなかった。

 

「・・・このエレブの大地に・・・わたしたちの生まれ故郷にずっと、焦がれていました。人に破れ、よその地に追われ・・・それでも・・・この地を思わない日はなかった・・・・・・わたしたちの生まれたこの大地をもう一度だけ・・・見たかったんです。あの子たち・・・火の竜たちもきっと、そう・・・・・・」

 

エリウッドはより強く、彼女の手を握りしめた。

 

痛いかもしれないことはわかっていたが、エリウッドはその力を緩めることはしなかった。

 

「だけど、それはいけないことだったのです。わたしたちは、ネルガルの誘いにのって門を開けてしまった・・・一目だけ、この世界を見てそしてすぐに・・・戻るつもりでした。だけど・・・ネルガルに捕まり、そのまま・・・こんなことに」

 

エリウッドは隣のニルスにも手を伸ばした。

 

「・・・僕ら人間は、当然のようにこの大地を支配してきた。ここを去った者のことなど考えず・・・ニニアン、ニルス君たちだけのせいじゃない。なにも知らなかったからとはいえ僕たちにも、責任はあるんだ」

「・・・エリウッドさま。本当に、そう思ってくれるの?」

「ああ・・・」

 

エリウッドはニルスの頭を撫で、そっと抱き寄せた。

 

「父がここにいれば、同じことを言っただろう。僕らが、力を合わせてこれからのことを考えよう。この大地全てが、アトス様がおっしゃっていた人と竜が共存できる場所、【理想郷】となるように・・・」

 

竜の知識と人の知識。

できないことを補い合い、助け合う。

 

お互いの存在を認め合えるそんな場所を作っていきたい。

 

「・・・そうなれば。どんなに・・・すばらしいでしょう」

 

それでも、ニニアンはエリウッドから体を離そうとした。

 

「でも、それはきっと・・・ずっとずっと先の話になるのでしょうね。だから、わたしたちは・・・ここに留まることはできません。門はまだ、開いたまま・・・このままでは・・・他の竜にも見つかってしまうでしょう。その前に、わたしたちはもとの世界に戻って・・・力を回復させ、そして・・・あちら側から門を閉じます」

「もう会えないというのか?そんなことはだめだ!!」

 

そんなニニアンをエリウッドは強く抱き寄せようとした。

 

「エリウッド様・・・わたし、あなたにお会いできて本当に幸せでした。どうか・・・どうか・・・わたしのことを・・・忘れないでください」

「ニニアン!」

「・・・・・・さあ、行きましょうニルス。わたしたちの世界へ帰りましょう・・・」

「ニニアン!」

 

顔を背けようとするニニアン。

エリウッドは決して離さなかった。

 

そんな二人を見かねたようにニルスが声をかけた。

 

「ニニアン・・・この世界の空気は、ぼくたちが知っているものとまるで変わってしまったね。いつまでたっても力が戻らない・・・ここにいる限りぼくらは長く生きられないよ?」

「ニルス?どうしたの急に・・・」

「それでも・・・長く生きられないとわかっていても、ニニアン・・・ 本当はここに残りたいんだろう?ぼくには分かってるんだ・・・エリウッド様の近くにいなよ」

「ニルス!?」

 

ニルスはエリウッドの腕をすり抜け、ニニアンの背中を押した。

 

エリウッドに抱きとめられる形になったニニアン。

顔を少し赤くしたニニアンは驚いたように振り返った。

 

ニルスは悪戯が成功したように笑い、そしてエリウッドに真剣な瞳を向けた。

 

「エリウッド様・・・ニニアンのこと・・・いや、姉さんのことをお願いします」

「・・・わかっている。必ず幸せにすると・・・・・・誓うよ」

「ニルス!あなたまさか・・・」

「うん、一人で戻るよ。ぼくは長生きしたい、ニニアンみたいに物好きじゃないから」

「・・・ニルス・・・・・・」

 

エリウッドはニルスを安心させるように、彼女の肩を強く抱いた。

 

「・・・それじゃあ・・・ぼく、もう行くね」

 

ニルスは【竜の門】の前へと立った。

 

「元気でな、ニルス!」

 

ヘクトルがそう言ってニルスの頭をクシゃリと撫でる。

 

「ヘクトル様も元気で・・・って、ヘクトル様はいつも元気か」

「こいつ・・・」

 

ヘクトルは軽く拳骨を当てて、もう一度頭をなでた。

そして、リンディスがニルスの為に膝を折り、抱きしめた。

 

「さびしくなるわ・・・」

「・・・僕もだよ」

 

リンディスの細い指がニルスの頭を撫でる。

 

「リンディス様も・・・ハングさんと仲良くね」

「ええ・・・ありがと」

 

リンディスとの抱擁を終えたニルス。

ハングはニルスを右腕で抱きしめた。

 

「風邪・・・ひくなよ」

「うん・・・ハングさんも・・・」

「ああ・・・」

 

ニルスを離す。

 

本当に別れの時だ。

 

「君のことは、忘れない・・・」

「・・・・・・ニルス・・・」

 

肩を寄せ合うエリウッドとニニアン。

その二人に向けてニルスは笑いかけた。

 

「泣かないでニニアン・・・離れていても、もう二度と会えなくても・・・ぼくたちの絆が切れることはないんだから・・・それよりも・・・少しでも長く生きて・・・どうか一日でも 多く・・・幸せ・・・に・・・ね?」

 

ニルスはそう言い残して、門の中へと足を踏み入れる。

ニルスの輪郭が朧気になり、身体が揺らめき、次第にその姿が溶けて消えていく。

 

「・・・ありがとうニルス」

「ニルスーーーーッ!!」

 

向こう側へと行くニルスが笑顔で手を振り返したように見えていた。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

待ちに待っていた仲間達にもみくちゃにされながら、ハングは遺跡の外へと出た。

 

「お前らな!!いい加減にしろ」

「んだよ!いいだろ!うれしかったんだから!!」

「・・・ったく・・・このっ!!」

 

飛びかかるウィルを後ろに放り投げながら、ハングは外に出た。

そのハングに暖かな光が丘の向こうから差してきた。

 

「お、夜明けだ!」

 

そんなハングの肩をヘクトルは背後から抱いた。

その隣にリンディスが並ぶ。

 

「・・・キレイね・・・また、一日がはじまるわ」

「俺は少し・・・眠い・・・」

 

ヘクトルが欠伸をしながらそう言った。

 

一晩中戦ってたんだ。それも当然だろう。

その後ろからエリウッドがニニアンの手を握って現れた。

 

「おっと・・・邪魔者は退散するかな」

「そうしましょ」

 

そうやって離れていくハングとリンディス。

 

「・・・ねぇ、ハング」

「ん?」

「・・・あの時・・・なんて言おうとしたの?」

「・・・ああ・・・あれか・・・つまらない言葉だ」

 

ハングはリンディスの腕を取り、耳元に口を近づけた。

 

「・・・いつまでも・・・愛してんぞ・・・」

 

ハングが顔を離すと、顔を赤くしたリンディスがいた。

 

「リンディスは?どうだ?」

「わ、わ・・・わ、わたしは・・・わ、わたしも・・・」

 

どもるリンディス。感情が昂ぶりすぎて、言葉がでてこなかった。

結局、口にすることができないまま、リンディスはハングの胸の中に飛び込んで全身全霊を込めてハングを抱きしめた。

 

「・・・・・・・・・」

「こっちの方が・・・恥ずかしい気がするけどな」

「・・・バカ」

 

それに応えるようにハングもリンディスを抱き返す。

 

「・・・もう・・・いなくならないで・・・」

「ああ・・・ずっといる・・・ずっとな・・・」

 

ハングは自分を『人間』へと導いてくれた時と同じ香りを確かに感じていた。

 

そんな二人を遠巻きに見つめる二人。

 

「まったく・・・邪魔者が聞いて呆れるな」

「・・・・ヘ、ヘクトル様・・・」

「ん?どうした、フロリーナ?」

「あ・・・いえ・・・その・・・」

 

エリウッドやハングに放っておかれたヘクトルとリンディスの傍に近寄れないフロリーナ。

どうせこのままここにいても、馬に蹴られるだけである。

ヘクトルはフロリーナを二の腕に乗せるように抱き上げた。

 

「きゃっ!」

「おい、フロリーナ。礼がしたいんだ。なんか食いたいものとか、欲しいもんとかねぇか?」

「ひゃふ・・・はう・・・」

「ハハハハハハハ」

 

顔を真っ赤に染めてヘクトルの髪に顔をうずめるフロリーナ。

楽しそうに笑いながらヘクトルはその場を離れた。

 

そんな友人達を見渡しながら、エリウッドは彼女の手を握った。

 

太陽の光を浴びる。

そんな当たり前のことがこうも心地いい。

 

そして、隣に愛しい女性がいてくれる。

それだけのことがこうも世界を明るくしてくれている。

 

一度は失った。

 

己の過ちで失った彼女が、ここにいてくれる。

もう二度と出会えないと思った彼女のぬくもりが確かにある。

 

振れた手から、美しい髪が、彼女の香りが、その存在がエリウッドの中で大きくなっていくのがわかる。

 

「ニニアン・・・僕といっしょに来てくれるだろう?」

「・・・はい!」

 

そのはっきりとした返事を聞き、エリウッドはそっと彼女を抱き上げた。

 

もろく、儚い、大事な宝物。

どんな花も宝石も彼女には及ばない。

 

エリウッドの腕の中で確かに生きているニニアン。

 

エリウッドは静かに彼女と唇を合わせた。

 

 

 

世界は平和だった。




終わったーーーー

ようやく、ようやく、この物語をここまで語りつくすことができました。
今まで長い間ご愛読いただき、誠にありがとうございました。

ですが、まだまだこの小説は終わりません。

なぜならば、自分が物語の中で最も好きな瞬間が『エピローグ』だからです。
全てが大団円で終わった物語の『エピローグ』こそが一番好きなんです。

なんで、まだしばらくお付き合いください。

予定ではエピローグはヘクトル、エリウッド、リンディスの三人分書く予定であり、各章で1~2話は使う予定です。それに、『魔の島』からの帰り道の話もしたいですし、できれば『物語全体のあとがき』なんかも書きたいなと思っております。

ではでは、またお会いしましょう!


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閑話~夕暮れ~

今回のサブタイトルが『閑話』なのは誤字ではないです。
もう、次の戦いはないのですからこの話は『物語の間』ではなく、『全てが終わった後の無駄話』なので、『閑話』となっています。

ではでは、まだまだ彼等の物語をお楽しみください。


「・・・・くあぁ・・・」

 

口から欠伸を放ち、ハングは目を開いた。

霞む目をこすり、瞬きを繰り返す。

 

「・・・・・・・」

 

何があったっけ・・・

 

ハングは今見てた夢を思い出していた。

訳が分からない、とりとめのない夢。

初めて見た夢にハングは混乱していた。

 

「これが『人間』なんだな・・・」

 

声を出し、視界がはっきりしてくる。

ここは遺跡のすぐ傍だった。

 

ああ、思い出した。

 

【竜の門】での戦いが終わって、そのままそこら辺で倒れるように眠り出したんだった。

 

ハングは左腕を動かそうとして、既に失ったことに気が付く。

右腕を動かそうとして、今度は動かないことに気が付いた。

 

「・・・ん・・・んん・・・」

 

そちらを見ると、リンディスがハングの右腕を枕にして眠っていた。

 

彼女にかかる前髪をどけてやりたかったが、それができる手は彼女の頭の下だ。

ハングは自分の額を彼女の顔に摺り寄せた。

 

「・・・ん・・・あ・・・ハング?」

「おはよ・・・リンディス・・・」

「・・・・・・いい・・・夢・・・」

「おい・・・」

 

ハングの体に手を回すリンディス。

抱きしめられて悪い気はしないが、今は少し遠慮してほしかった。

 

「どいてくれるか?」

「・・・ん?あ・・・え・・・」

「リンディス?」

「・・・・・・・・・」

 

寝ぼけていた彼女の意識がようやく覚醒した。

 

「どいてくれるか?」

「・・・・・・う、うん・・・」

 

彼女が頭を少しあげてくれる。

ハングは右腕を引き抜き、リンディスの前髪を払ってやった。

 

「ありがと・・・」

「うん・・・」

 

ハングは彼女の額に唇を落とした。

 

「ゆっくり寝てろ・・・」

「うん・・・」

 

ハングは自分のマントを渡して、立ち上がった。

 

リンディスは今の出来事に少し頬を染め、ハングのマントに顔を埋めた。

埃っぽい太陽の匂いと、わずかに草原の香りがした。

 

それがとても幸せで、リンディスは再び深い眠りへと落ちていった。

 

遺跡の周囲を歩くハング。

至るところで何の規則性も無く眠る仲間達。

 

疲れ果て、その場で眠りこけた人達の末路である。

 

子供のように手を繋いで寝てるニノとジャファル。

見張りをしようとして失敗したマーカスとオズイン。

ドラゴンの背に身を預け、抱き合って眠るヒースとプリシラ

 

ハングはそれらを踏まないように気を付けながら、遺跡の裏へ回った。

 

「うぐっ!」

「・・・おっと失礼」

 

曲がり角で寝てたロウエンを踏んでしまった。

そんな彼も、レベッカと肩を寄せて寝ているのだから幸せそうなのでまあよしとしよう。

 

遺跡の裏には小川が流れている。

 

飲むと腹を下す類の水なので飲み水としては使えないが、顔を洗うぐらいは問題ない。

 

ハングは靴を脱ぎ、小川へと足を踏み入れた。

水を掬おうとして、左手が無いことにまた気付く。

 

「慣れないな・・・」

 

心臓が真ん中にあることも、あの気味の悪い腕がないこともまだ慣れない。

右手で水を顔にかけ、顔を洗う。

 

「やあ・・・ハング」

「エリウッド・・・お前も夕涼みか?」

「もうすぐ夜だよ」

「一日寝てたな・・・ロウエンの奴もそこで寝てたぞ」

「ああ、踏んでしまった」

「そうか・・・」

 

ハングは投げ渡された水筒に口をつける。

 

「終わったな・・・」

「ああ、終わった・・・」

 

水筒を投げ返し、ハングは水辺に腰を下ろした。

 

「・・・でも、これからが大変だ」

 

エリウッドはそう言って靴を脱ぎ、川に入っていく。

 

「フェレ、サンタルス、ラウス、キアランそしてオスティア・・・この一連の事件でいろんなものを失った・・・やることは山ほどある」

「お前ならできるさ」

「ハングもいるしね」

「あんまり期待するなよ」

 

エリウッドは大きく伸びをして、顔ごと川に突っ込んだ。

そして、髪を振りあげ、犬のように水をまきちらして空を仰いだ。

 

「ハング・・・あの時の質問覚えているか?」

「思い当たる節はいくつかあるが、どれのことだ?」

「君がだした宿題だよ・・・」

「四方を敵に囲まれたあの状況か?」

「それだ」

 

三方向を敵に囲まれ、一方向からは賊がやってくる状況。

 

「時々、考えてた・・・」

「そいつは殊勝な心がけだな」

「そして・・・答えを出した」

「・・・へぇ」

 

ハングは言ってみろ、とうながした。

 

「・・・海賊を説得し・・・船で逃げる・・・」

「・・・どう説得する?金貨を一万枚程積むか?」

「・・・いや・・・彼らをフェレの民にする」

 

ハングは一瞬だけ呆けたような顔をして、そして笑い出した。

 

「アハハハハハハハハハハハハ」

「・・・ハング?」

「アハハハハハハハッハハ・・・そいつはいい。お前にしかできないことだ!なるほど・・・ハハハハハ!」

「・・・そんなにおかしいかい?」

「おかしいさ・・・おかしいよ!賊を国民にするなんてな!・・・リンが激怒する顔が目に浮かぶ」

「言われてみれば、確かに」

 

エリウッドも笑い出し、ハングの隣に腰を降ろした。

 

「僕はこの旅で色んな人と出会った・・・」

「・・・だな」

「領地を渡り・・・国を渡り・・・様々な考え方を持つ人達に出会った」

「・・・・・」

「そして、世間では悪人呼ばわりされている人達が必ずしも悪人でないことを知った・・・戦わなくて済む方法もあったはずだった・・・」

「それで・・・賊を説得する・・・か・・・」

「彼らが住む場所と働ける環境・・・他者と生きることを・・・人らしく生きる方法を共に模索したい」

「・・・へぇ・・・」

 

ここで『与えてやる』と言わないのがエリウッドだよな。

 

ハングはそんなことを思いながら頬杖をつく。

 

「けど・・・そいつをやるには、条件が足りないんじゃないのか?」

「ああ・・・フェレはそこまで豊かではない」

「そういうことだ」

「・・・だから僕は・・・この戦術が取れるように良い国を作りたいんだ」

「・・・・・・・そっか」

 

そんなものは戦術とは呼ばない。

ハングはそう思ったものの、決して彼を笑わなかった。

 

これが、エリウッドがこれから挑んでいく戦いなのだ。

 

「ハング・・・」

「ん?」

「ダメ元で聞いてみるんだけど・・・」

「じゃあダメだ」

 

エリウッドはハングのその言葉を黙殺して、話を続けた。

 

「ハング・・・力を貸してくれないか・・・」

「回りくどい言い方すんな。はっきり言え」

「・・・ハング、フェレに来てくれないか?」

 

ハングはその質問が来ることを予想していた。

そして、その答えももう決まっていた。

 

「確かに・・・その質問は『ダメ元』だな・・・」

「来てくれないだろ?」

「まぁな・・・手を貸すのはいいが、そこで定住するのは・・・ちょっとな・・・」

「そう言うと思ったよ・・・君には旅が似合ってる」

「ああ・・・俺もそう思う・・・」

 

ハングにはもう復讐なんて言葉は無い。突き進む目的もない。

だから、ハングに残った道は旅の軍師に戻ることぐらいだ。

 

「・・・リンディスはどうするんだ?」

「・・・どうすると思う?」

「決めているんだろ?」

「お前もわかってんだろ。狸貴族」

 

ハングは笑って腰をあげた。

 

「まぁ、しばらくはリキアで働くよ。力になるから、こき使え」

「そうさせてもらう」

 

ハングはエリウッドに手を伸ばして、引き起こした。

 

「あ、そういや」

「どうしたんだい?」

「晩飯作る奴がいない」

 

エリウッドが苦笑いを浮かべた。

 

「・・・起こすのは忍びないな・・・どうする?」

「傭兵間で有名な野戦料理でいいか?味は保障しないが、栄養はとれる」

「手伝えることはないか?」

「あるある。手は何本あってもいい。」

 

久々の料理だ。

 

腕が鳴るというより、腕が心配だった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハング達は今樹海を歩いていた。

【竜の門】から船へと向かう道のりだ。

 

「・・・くぁああ・・・」

「・・・ふあぁぁ・・・」

 

大欠伸をしたハングにつられて、隣で歩いていたヘクトルも欠伸をした。

ヘクトルの手にはもう【神将器】は無い。

ブラミモンドが『また封印する』と言って元あるべき場所に戻したのだ。

 

ヘクトルが言うには『手放してもまだ繋がってる気がする』そうだ。

 

「欠伸するな・・・写るんだろ」

 

ヘクトルがそう言った。

 

「今のうちにしとけ。オスティアに帰ってみろ、玉座の上じゃそんなことできないぞ」

「だな・・・」

 

ヘクトルはそう言って再び大口を開けて欠伸をする。

 

「俺がリキア盟主か・・・」

「ガラじゃないな」

「言われなくてもわかってる」

 

襲撃の心配もない帰り道。

気楽な列を並べての道のりでハングとヘクトルは最後尾を歩いていた。

 

二人の前にはフロリーナとリンディスが肩を並べて歩いている。

 

そんな二人の背中を見て、ヘクトルが呟いた。

 

「それにしても・・・あんな女のどこがいいんだ?」

「あのな・・・聞こえたらもう一度竜と戦う羽目になるぞ」

「そいつは恐ろしい話だ。で、答えは?」

「答えて欲しいなら、俺にも教えろよ」

「わかったわかった・・・だから言ってみろ」

 

肩に腕を乗せてきたヘクトル。

 

こんなところでする話ではないとは思ったが、ヘクトルの表情には引く気はなさそうだった。別に隠す話ではないのだが、口にしようとすると気恥ずかしい。

 

だが、ハングも大きな戦いを終えた帰り道で気が緩んでいたのだろう。

ハングは小声で語りだした。

 

「美人で、器量も礼儀も兼ね備えてる上に剣の腕もたつ、しかも良家の姫さんなのに特にしがらみも無し。ちょっと直線的な考え方が傷だがそれでも余りある誠実さがある・・・とか、誰かが言ってた」

 

確か、そう言ったのはラガルトだったと記憶していた。

その言葉にヘクトルは眉間に皺を寄せた

 

「・・・そんな言葉じゃ納得できねぇよ」

「そりゃそうだ」

「で、本音は?」

 

ハングは『言いたくないな』と思いながらも正直に答えることにした。

 

「・・・憧れたんだよ・・・あいつにな・・・」

「憧れた?」

「あいつの中にはな・・・復讐で濁った炎があった・・・なのに、あいつは他人の為に戦える優しさを持っていた・・・家族とか、友達とか・・・そういうものの為に真っ先に動けるとこが・・・羨ましかったんだろうな」

「・・・羨ましい?」

「俺は復讐に取りつかれて・・・仲間も何もかも捨ててネルガルを殺すことだけに生きていたからさ・・・だからまぁ・・・憧れたんだよな。あいつの強さにさ」

 

ハングはそう言って楽しそうに笑った。

 

「で、情募と友情がごっちゃになって・・・最終的には愛情に変わった・・・それが・・・最初で最後だ。そこから感情が変わらず今に至る・・・『人間』になった後もな・・・」

 

そんな自分の気持ちを説明するなら『変わらなかった』と言うのが正しいだろう。

彼女と出会ったあの日から動きだした運命の歯車は今も噛み合ったまま回っている。

 

そんなところだった。

 

「で、結局・・・具体的にあいつのどこがいいんだ?」

「どこがいいのか?と問われたら少し困るが・・・」

 

前を歩く彼女を見て、ハングは言葉を選んだ。

 

「・・・やっぱ・・・そうだな・・・」

 

ハングの視線に気づいたのか、リンディスが振り返った。

 

「私の悪口言ってない?」

「言ってない」

 

ハングがそう言うと、若干納得してないような顔で彼女は前を向いた。

そしてハングは口元に微笑を浮かべた。

 

「勘が鋭くて、からかうと楽しくて、怒らせると怖い・・・だから一緒にいて飽きない」

「なるほど・・・そいつは大事だ」

 

他にも挙げれば色々ある。

 

すんでの所で何度も支えてもらった。

笑顔がまぶしくて、ずっと笑わせてあげたかった。

いつも傍にいてくれることが嬉しかった。

 

でも、やっぱりハングにとって一番のことはそこだった。

 

彼女となら旅ができる。

 

ハングはヘクトルが納得したのを見て、逆に話を振った。

 

「それで、ヘクトルはどうなんだよ?」

「ん?」

「だから、フロリーナのどこがいいんだ?」

「あぁ・・・えーとな・・・いざ言うとなると結構恥ずかしいなこれ」

「ああ、知ってる。さっき経験した」

 

ようやく攻守が交代だった。

ハングはヘクトルがなんとか喉奥から言葉をひり出してくるのを楽しそうに眺める。

 

「・・・あいつ・・・しょっちゅう泣くだろ?」

「まぁ、そうだな。ってか、お前が泣かしてた」

「それはしょうがねぇだろ!?あいつが男苦手だってんだから!」

「まぁな・・・それで・・・」

「で、そこが放っとけねぇってのが、最初だった」

「それって、飼い猫とかに対する感情じゃねぇのか?」

「だから、最初は、って言ったろ。んで、本格的に惚れたのは・・・・・・」

 

ふと、ヘクトルから言葉が続かなくなる。

ハングがヘクトルの顔を覗き込むと、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

 

「どうした?」

「あぁ、その・・・やっぱ、言うのやめていいか?」

「おいこら、侯爵に一番必要なのは誠実さだぞ!初っ端から躓いてどうする!ってか、言いだしたのはお前だろうが!」

 

ハングの左腕が残っていたら掴みかかってるとこだった。

 

「わーったよ!だから喚くな!」

「ほう・・・なら、さっさと吐け」

「ああっと・・・その・・・」

 

そして、ヘクトルはか細い声で呟いた。

 

「代わりに泣いてくれた時だ・・・」

「ん?」

「決戦の前にな・・・あいつ・・・兄上のことで・・・・泣いてくれたんだよ・・・それで、その・・・それを見て・・・なんつうか・・・少し軽くなったんだ・・・俺は・・・泣けてるんだ・・・ってな」

「・・・ああ、なるほど・・・」

 

その感覚はハングにも少し覚えがあった。

 

ハングがかつていた竜騎士部隊。

その仲間が死んだという話をヒースから聞かされた時、ハングは泣けなかった。

色々なことが積み重なっていたし、古い話でもあったから涙が出てこなかったのだ。

 

そして、感情が溢れないせいで、自分が仲間を軽んじているような気がしてしまうのだ。仲間が死んだのにのうのうと生きてる自分。それが許せなくなる時がある。

 

そんな時は本来なら泣けばいい。

泣いて、自分が悲しんでいることを実感すればいい。

 

でも、それができない時もある。

 

そんな時に代わりに悲しんでくれる人が側にいるのは心強いのかもしれない。

 

「んで、思った・・・こいつが傍にいてくれりゃあ・・・俺はちゃんと侯爵やれるんじゃねぇか・・・ってな・・・って、ああぁ!!俺はなに女々しいこと言ってんだ!」

「自分で言い出したんだろ」

「俺は女の涙に惚れた!これでいいだろ!!」

「いいのかよ」

 

騙された馬鹿な男、って感じだ。

 

だが、まぁ・・・

 

ハングはヘクトルの大声に驚いて振り返ったフロリーナを見て思う。

ヘクトルが猪だから、隣にいるのは寂しいと耐えられなくなる兎でちょうどいいのかもしれない。

 

「お前・・・なんか失礼なこと思ったか?」

「さぁな・・・それより、そろそろ日が暮れる。野営にしよう」

「おっ、昨日の野戦料理また食わせてくれよ」

「断る。大変だったんだぞあれ」

「俺も手伝うからよ」

「ロウエンとレベッカに相談してからな」

 

ハングはマシューを呼び、全軍に停止を命じたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ヴァロール島からの帰りの船。

ファーガス海賊船のマストの見張り台に上ったハングは西にに沈みゆく太陽をながめながら、煙草をふかした。

 

「ふぅ~・・・」

 

見張り台の淵に肘をかけて外を眺め、パイプを咥えて慣れないタバコの煙を体の中に入れる。

そんな時、ハングの後ろからリンディスが顔を出した。

 

「ハング・・・ここにいたの」

「よ、リンディス」

 

マストを登ってきたリンディス。ハングはの彼女の方を見ずにそう答える。

リンディスはハングの隣に並び、縁に肘を置いた。

 

「・・・勝手にいなくならないでよ」

「悪い悪い、お前の視線から逃げたくなったんだ」

「そんなに見つめてません」

「どうだか」

 

穏やかに笑いながら、ハングとリンディスは雑談にふける。

 

ハングは煙草の中身を捨てた。

 

「リンディス・・・少し話がしたい」

「奇遇ね。私も少し話がしたかった」

 

ハングとリンディスは少し視線を交わらせて、どちらが話すかを目で問いかける。

無言のやりとりの後、リンディスが先に話をはじめた。

 

「ハング・・・あなた・・・この後、どうする?」

 

ハングはその声音からこの質問は彼女の本題ではないことを悟った。

真に話したいことの前置きのつもりだろうか、だとしても話題の選択はあんまり良いとは言えない。

 

『キアラン公女』としては落第だ。

 

そう思いつつも、ハングは意地悪などせずに素直に答えることにした。

 

「そうだな・・・しばらく、リキアにいるだろうな。この一連の騒動の収拾のために俺の頭はまだ使える。動ける奴は一人でも多い方がいいしな」

「・・・その後は?」

「・・・その話は後でしよう。俺はそのことについて話したかったんだ」

「え・・・じゃあ、そっちの方を先に・・・」

 

ハングはゆっくりと首を横に振る。

 

「それよりも、お前の話を聞かせてくれ。本当に俺に言いたかったことがあるんだろ?」

 

ハングはそう言って笑みを向ける。

その表情を見て、リンディスは自分の気持ちを吐き出すように大きく息を吐いた。

 

「・・・何もかも・・・わかってるのね・・・」

「あのな。どれだけ一緒にいたと思ってる」

 

その言葉にリンディスは何か吹っ切れたような顔をした。

 

ハングは全てをわかっている。

なら、自分はそれに甘えることにしよう。

 

リンディスはハングに向けて、自分の奥底にある一つの『想い』を語りだした。

 

「私ね・・・草原に・・・帰りたい・・・」

 

リンディスは静かにそう言った。

 

「・・・身勝手だとは思うの。おじいさまは、あんなお体で・・・キアランを継げるのは、私だけしかいないって・・・わかってるけど・・・」

 

ハングは相槌を打ち、先を促す。

 

「でも・・・私の心はいつも・・・サカの草原にある・・・風の匂いと広がる大地・・・焦がれるぐらいに・・・帰りたいの」

 

いつか、彼女がそう言いだすことをハングはなんとなく察していた。頼られるだろうとも思っていた。

だから、既にハングの中の答えは決まっていた。

 

「ねぇ・・・ハング・・・私はどうしたらいいと思う?」

 

不安そうな顔をするリンディスの頭にハングは右手を伸ばした。

 

「・・・ハウゼン様はわかってくださるよ。以前そんな話をしたことがある」

「・・・え・・・」

「『リンディスには石の建物は合わない』ってさ・・・大丈夫、皆わかってくれるさ」

「・・・ハング・・・でも、キアランは・・・」

「そっちは心配しなくていい」

「え?」

「手は打ってる。そして、これから何手か差し込む」

 

ハングはそう言ってリンディスから手を離し、カンテラを手に取った。

下の連中に光の信号で『異常なし』と伝え、ハングはリンディスに再び顔を向ける。

 

「わかって・・・くれるかな・・・」

「・・・大丈夫さ・・・なんなら、駆け落ちするか?お前の両親みたいに」

 

ハングがそう言うと、リンディスは小さく噴き出した。

 

「・・・それでハングの話は?」

「ああ・・・リキアが落ち着いた後の話なんだけどさ・・・」

「うん・・・」

「俺は・・・また、旅に出ようかと思ってる」

「・・・え?」

「家族はいないってことはわかったが、俺には仲間がいた。その墓の場所もヒースから聞いたし、まずはそっちに顔を出そうかと思ってる」

「・・・ハング?」

「んで、その後は適当に・・・」

「ハング!!」

「ん?」

 

ハングがリンディスの方を見ると、物乞いでもしそうな勢いでこちらを見上げているリンディスがいた。

 

「どうした?」

「・・・ハング・・・あなた・・・・・・ん・・・いえ・・・なんでもないわ」

「『私を置いてどこかに行くの?』って言いたかったのか?」

 

リンディスの顔がわかりやすく硬直した。

 

「んで、『私にはハングを引き留める理由も縛り付ける力もない』そう思ったろ?」

 

それも、図星らしい。

 

ハングは本当に予想通りの彼女の反応に、『やれやれ』と首を振った。

 

「そういうことは口にしろよ。変に抱え込むと話がこじれるって学んだろ?」

「それ・・・ハングが言う?」

「ははは、違いない」

 

そして、ハングは息を大きく吸い込み、何かを決断したかのような顔をした。

 

「それで・・・旅をするにあたって・・・少し聞きたいことがある。リンディス、一つ教えて欲しいんだが・・・」

 

ハングのその表情にリンディスが息を飲む。

その顔は別れ話でもされるんじゃないかと思っているような顔だった。

 

ハングはマストに背を預け、夕陽とリンディスを見ながら弾けるような笑みを見せた。

 

「リンディス・・・サカの民に・・・他の地方の人間がなるにはどうしたらいい?」

「・・・・・・え?」

 

潮風が止まる。凪の世界に入った船の上。

ハングはこんな時間を作ってくれた、粋な海の神に心の中で感謝をささげた。

 

「墓参りを済ませて・・・迷惑かけた連中に顔出して・・・その後の俺は、もう・・・何も残ってない・・・」

 

音の消えた船の上は不思議なほどに声がよく通った。

 

「それでも俺は・・・旅を続けたい・・・ずっと・・・ずっと・・・」

 

リンディスはそこでようやくハングが言わんとしてることに気付いたようだ。

 

「俺はこれから一生・・・サカの草原を旅していたい」

 

それは『好き』だと告げたその一歩先。

『愛している』と言った先の未来。

 

「・・・それには遊牧民になるのが一番だろう?」

「・・・・・・うん・・・」

「だからさ・・・できれば・・・ロルカ族の一員にしてほしいんだ・・・」

「・・・うん・・・うん!」

「ダメか?」

 

リンディスが瞳を潤ませながらハングの胸に飛び込む。

それを受け止め、ハングの心臓は強く高鳴ったのだった。



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エピローグ~軍師と戦士 ①~

大きなノック音にハングは顔をあげた。

 

四回ワンセットのノック。

ハングが反応を返さず欠伸をすると、再度ノックが繰り返される。しかも先程よりも激しい。

その叩き方に焦りが混じっていることはすぐにわかった。

それでも、ハングはのんびりとした態度で体の筋を伸ばして返事をした。

 

「あいあい・・・なんで~すか?」

「ハングさん!!もう、さっさとしてください!こっちは急いでるんですから!」

「はいよ・・・」

 

ハングは自分の机の上の書類をまとめながら、また欠伸をした。

緩慢な動きのハングに扉の向こうでマシューが苛立ちを顕わにしていた。

 

「とりあえず・・・さっさとドア開けてくんないすか?」

「自分で開けろよ」

「開けていいんですか?」

「どうぞ」

 

次の瞬間、扉が蹴破られた。

 

「・・・普通、鍵を開けるもんじゃないのか?密偵さんよ」

「ハングさんにそんな気遣い無用でしょ!さっ、早く来てください!表にフロリーナさんが待ってます!」

「ったく、急かすなっての」

 

ここはラウス領の執政室。

本来なら領主が仕事をする部屋だが、ハングはもう一つ机を持ち込んで仕事をしていた。

 

ラウス侯ダーレンのリキア内乱を引き起こした罪は闇の中で処理された。そこを追求していけば、サンタルス領やフェレ領にも罪が飛び火する可能性があったからだ。

だが、だからといって手放しでこの事件の首謀者を放任するわけでにはいかない。

 

結局、オスティアから文官を派遣して統治にあたらせ、息子のエリックを監視することになった。

 

そして、そんなラウスに派遣された文官がハングだった。

 

ハングがラウスへ来て半年。

 

ハングはその間に戦乱の準備で疲弊した領地を本来の豊かな土地へと戻していった。

軍隊の強化による治安維持、税制改革や司法の領域に至るまで手を加えていった。

 

だが、その仕事も今日までであった。

仕事の引き継ぎは全てすましてあり、ラウス侯となったエリックもようやく多少の仕事はできるようになった。

 

ハングはマシューが真正面から怖い顔で見下ろされて、ようやく侯爵の使用する机から腰をあげた。

 

「久しぶりだなマシュー。元気してたか?」

「はいはい!挨拶は後!さっさと行きますよ!」

「だから急かすなっての。焦る旅じゃあるまいし・・・」

「焦ってるんですよ!俺は!!」

「・・・え?」

「いいから来てください!俺が八つ裂きにされちゃうんです!」

 

ハングを背中から押しやるマシューに促され、ハングは部屋を後にした。

その部屋からエリックの声が追いかけてくる。

 

「き、君!行くならこの首の縄を外してから・・・おおーい!!」

 

執務室に持ち込まれた予備の机の前に座り、首に縄をかけて無理やり政務をさせられていたエリックが情けない声をあげていた。

残念ながらハングはその縄を外してやる気はなかった。

少し目を離せば、予算を度外視した買い物をしたり、街で美人を物色したりするバカ息子には最後の最後まで苦しんで欲しかった。

 

そして、ハングはマシューに押されて城の外に出る。

 

そこで待っていた人を見て、ハングはなぜマシューがこんなに焦っていたのかを理解した。

 

「ああ・・・そういうことか・・・」

「遅いぞ、ハング!何分遅刻していると思ってるんだ!」

 

鋭い声にハングの背筋が条件反射のように伸びる。

 

「なんでいるんですか、ヴァイダさん・・・それとヒースも・・・」

「ははは・・・」

 

疲れたように笑うヒースと、厳しい顔のヴァイダがそこにいた。

その隣には緊張した面持ちのフロリーナが立っていた。

 

「二人はフロリーナの護衛ですか?」

「いや、違う。マシューはあたしに、ハングはヒースに乗ってもらう」

「え・・・フロリーナが護衛役?」

「・・・は、はい!私が御守りします!!」

 

ハングはマシューに横目で説明を要求する視線を送る。

予定ではハングはフロリーナの率いるイリアの天馬部隊に乗ってオスティアに戻ることになっていた。

 

それがなぜドラゴンナイト二人になったのか。

 

マシューはハングにだけ聞こえるような声でその訳を語った。

 

「・・・いや・・・さすがに侯爵の婚約者の後ろに誰か乗せるわけにはいかないじゃないですか」

「それでわざわざキアランにいたこの二人を呼んだのか?」

「・・・ああ、いや・・・それはフロリーナさんがキアランに行く口実をヘクトル様が作ったんですよ・・・ほら、今キアランにはリンディス様も姉さん達もいるんじゃないですか」

「気を使ったのか?あのヘクトルが?」

「・・・すごい進歩ですよね・・・」

 

侯爵として色んな場所に目がいくようになったか、それとも愛の力故か。

だが、そのどちらもヘクトルには似合わないような気がする。

 

「何も考えてないと思うけどな」

 

そう言ったハングにマシューから否定の声は入らない。

 

「いつまでくっちゃべってるんだい!さっさと乗りな!」

 

ヴァイダにそう急かされ、ハングはヒースの背に、マシューはヴァイダの背に乗った。

城の前にはラウスの文官や武官の人達が見送りに来ていた。

 

「ハング様!今までありがとうございました!」

「ラウスはきっといい領地になります!」

 

手を振ってくれる彼等に向けてハングは右腕を振り返した。

送別会は既に済ませてあるが、こうして見送りに来てくれるのはそれはそれで嬉しかった。

 

「こっちこそ、いろいろと教えてもらいました。ありがとうございます!」

 

今まで共に政務にあたっていた人達に別れを告げ、ハングはヒースの肩を叩いた。

 

「それでは、出発だ!!」

 

ヴァイダの叫びと共にハング達を乗せたドラゴンと、フロリーナのペガサスが地を離れた。

螺旋を描くように旋回して上昇していくドラゴン達。ラウス城が徐々に小さくなっていき、模型のような大きさになっていく。ヒース達はドラゴンの鼻先を北西に向ける。

ハングが半年程を過ごした城が遠ざかり、ついには山の稜線に隠れて見えなくなった。

 

ヒースのドラゴンであるハイペリオンの背中は快適であった。

ハイペリオンの飛び方の癖は昔と変わらない。ハングは久々に感じる大空の世界を堪能していた。

 

「そんで、なんでお前らが俺の迎えに来たんだ?」

 

ふと、ハングがヒースにそう尋ねた。

本当にヘクトルがフロリーナに気を遣ったならともかく、それだけの為にヒース達がわざわざキアランを離れてハングの輸送をするとは思えなかった。

 

そして、その問いに答える代わりにヒースは一枚の手紙を肩越しに差し出してきた。

それを受け取り、ハングは中の文字に目をこらす。

 

「・・・このバカ」

 

そして、ハングはヒースの背中を乱暴に殴りつけた。

 

「・・・ハングを送った足でそのまま国境を越えるよ・・・ヴァイダさんはその付添だ」

「・・・今更だろ・・・本当によ・・・」

 

ハングはヒースの背骨に向けて頭突きをかます。

これは祝福の一撃だ。

ハングは今こそあの左腕が欲しいと思っていた。

 

「・・・ハングのおかげだ・・・」

「半年もかかりやがって、お前ならもっと早くなんとかできたろ」

「無茶を言うな・・・でも、本当に感謝している・・・これで・・・ようやく・・・迎えに行ける・・・」

 

ヒースとは最も古い付き合いだ。

彼の呼吸や、声音でヒースが今どんな表情をしているかぐらいは手に取るようにわかるつもりだった。

 

でも、今日ばかりはハングはヒースの表情がわからなかった。

泣きそうな顔をしてるのか、嬉しそうな顔をしてるのか、それとも両方なのか。

 

「でも、こっからが本番なんだからな」

「わかってるよ・・・本当にありがとう」

「俺は少し手を貸しただけだ」

「それでもな・・・」

「ま、古い友人の恋だ・・・成功させてやりたかったんだよ・・・」

 

あの戦いの中で恋に落ちた二人。

プリシラはエトルリア貴族の令嬢、ヒースはベルンの逃亡兵

港町での別れの時、静かに涙を流すプリシラに、ヒースは「必ず迎えにくる」と約束の言葉をかけた。

 

そんな二人に待ったをかけたのはハングだった。

 

『ハング・・・』

『お前、このままで本当に迎えにいけると思ってるのか?』

『・・・・』

『・・・・』

 

押し黙る二人にハングは溜息と共にヒースに大量の書類を渡したのだった。

 

『まだ、押印されてないから効力はないが・・・オスティア、キアラン、ラウス、サンタルス、フェレ、それぞれの領地での身分証明書だ』

『え・・・』

『それと、キアランで歴代最高の騎士に与えられる騎士勲章の書類。キアラン侯爵家に通じる家系であることを記した証書。それと・・・』

『ちょっ!ちょっと待ってくれ!!』

『なんだよ?』

『これは、一体?』

『あぁ?お前がエトルリア令嬢と釣り合う身分になるための書類に決まってるだろ』

 

唖然とする二人にハングは当たり前のようにそう言ったのだった。

ハングはその時のことを思い出し、またヒースの背中を殴りつける。

 

「最初は反対してたな。『これは本当の僕ではない』とかなんとか」

「そうだったな・・・」

 

『こんなの・・・嘘じゃないか』

『バカ野郎!好きな女を一生独り身で待たせるよりよっぽどましだ!!』

 

「あの言葉は効いたよ・・・」

「当たり前だ。あれで納得しなきゃ、その場で殺してプリシラには次の恋を探させたところだ」

「それは怖いね・・・」

「本気だったからな」

「・・・・・・・・」

 

ハングは今回できたコネを最大限に活用して、ヒースの為の偽装書類を作り上げたのだ。

エトルリアという貴族社会が根強く残る場所で名も地位もないヒースがそれらの外敵を排除する方法は一つ。

エトルリアの軍である程度の地位に到達することだ。

せめて、プリシラと釣り合うところまでは昇進しなければならない。

 

「キアランでヴァイダさんやケント殿に随分と扱いてもらったからね。後は・・・やるだけやってみるさ・・・」

「そう気負うな。向こうにはパント様やルイーズ様もいらっしゃる・・・今、いるかどうかは知らないがな」

「ははは、それもそうだね」

「まぁ、いなくてもエルクや・・・それこそプリシラもいるんだ。お前はとにかくのし上がれ」

「ああ・・・」

 

向こうで障害にならない程度の地位と実力をハングは与えた。

利用できるだけの人脈の地盤も整えている。

 

後はヒースの頑張り次第である。

 

そして、そのことに関してはハングは不安を感じてはいなかった。

 

「それで、これからはお前のことを何て呼ぶ?」

 

ハングはヒースの背にそう問いかけた。

 

「ハングには本名で呼んで欲しい気もするが・・・どこからぼろが出るかわからないからな・・・」

「そうだな。けど、その言葉はプリシラにこそ言うべきだ。あの御嬢さんはどこか抜けてるからな」

「ははは・・・・・・そうだね」

 

少し真剣に吟味するヒース。

 

「うん。やっぱり、もう1つの名前で呼んでくれ」

「わかったよ・・・リガード」

 

それはハングが身分を作るために与えた偽名。

ハングの最初のドラゴンの名前。

 

この名前にしてくれと言ったのはヒース本人だった。

 

「リガード・・・もっと上昇してくれ」

「ああ!任せろ」

 

ハングの要求通り、ヒース改めリガードはハイペリオンの手綱を操作してさらに上昇していった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ラウスを後にしておよそ二日。

周囲の景色は徐々に見覚えのある風景になってきていた。

 

オスティア城はもう目と鼻の先であった。

 

「オスティアも久しぶりだな」

「なんだ?尋ねてなかったのか?」

「そりゃな・・・執務が忙しくてそれどころじゃなかったんだよ。キアランにも行けなかったぐらいだ」

「・・・それは俺がよく知ってる。お前がキアランに来たのは最初の一回きりだ」

「だな・・・で、今まで聞かないようにしてたんだが・・・その・・・どんな様子だった?」

 

ハングは躊躇うようにヒースの背中にそう問いかけた。

 

「一応、お前が心配するようなことはないぞ。ハウゼン様も・・・まぁ、完璧ってわけじゃないが、執務を行えるぐらいには回復してる・・・」

「そうか」

「でも・・・やっぱりもう長くはないと思う・・・」

「・・・・・・」

 

ハングは押し黙る。何かを考えるようなハングにヒースは苦笑いを浮かべた。

古い友人であるハングは『人間』になった後もやはり妙なところで不器用なままであった

 

「ハング、お前はできることが多い。だからリキアを復興する手伝いをしたくなる気持ちもわかるが・・・たまには顔見せた方がいいぞ。『よろしく』と託ってるしな」

「まぁ・・・だな・・・」

 

歯切れの悪いハング。彼がそうなるのは決まってリンディス絡みの時だ。

 

「会いたくないのか?」

「そりゃ会いたいよ」

 

即答するハング。だが、問題は別にある。

 

「軍師として・・・一人の文官として・・・この国にいる『人間』として・・・放っとけないような仕事が溜まってるからな」

「『人間』な」

「なんだよ、言いたいことがあるならはっきり言え」

「ハング・・・怖がってないか?」

「ん?」

「欲望に従うことをさ」

 

その言葉にハングは答えなかった。

 

「さ、お喋りは終わりだ。降下するぞ」

「はいよ」

 

そして、ヒースは周囲を飛ぶフロリーナやヴァイダに手で合図を送って降下を始めた。

腹の底が引っ張られるような浮遊感を味わいながら、軌道を下げていく。

 

城の衛兵が何か叫んでいたが、フロリーナが何か合図を送ると彼等はすぐに落ち着きを取り戻し、すぐさま中庭にスペースを開けてくれた。

 

城の中庭に着地した三人。

 

「ほら、降りな!」

「ちょっ!まっ!うわっ!!」

 

投げ出されるようにして地面を転がるマシュー。

 

「いててて・・・」

 

ハイペリオンから降りたハングはそのマシューに手を差し出した。

 

「はは、どうしたマシュー。いつもの飄々とした態度はどこ行った」

「・・・俺・・・どうも苦手です。あの人と・・・空の旅は・・・」

「ヴァイダさんが得意な人なんているもんか」

「なんか言ったかい!?」

「い、いえ!何も!!」

 

思わず背筋を伸ばしたハングにヴァイダは笑いかけた。

それは、ハングとよく似た笑み。

 

「ハング、あんたとはここでお別れだ」

「え?どういう・・・」

「あたしは、これからベルンに向かう・・・ヒースの首印を土産にね」

「あ・・・そっか・・・そうでしたね・・・」

 

今も懸賞金がかかるヒース。

賞金稼ぎや追手の手から逃れるには死んだことにするのが一番だ。

 

その為の小細工は既にマシューが整えた。

 

「もう・・・行くんですか?」

「当たり前さ。あたしが仕えるのは次期国王ゼフィール様ただ一人・・・あんたの忠告も気になるしね」

「そうですか・・・」

「なんて顔してんだい!シャキッとしな!!」

「いてっ!」

 

ハングは槍の柄で頭を強めに打ち付けられた。ここで痛みにしゃがこんでしまえば追加の槍が飛んでくる。ハングは身に沁みついた習性に従い、姿勢を正した。

 

「これからあたしの士官の道が開かれるってのに、辛気臭い顔するんじゃないよ」

「すみません」

 

ハングはそう言って、自分を育ててくれた大事な母親を見上げた。

 

「・・・それと、ありがとうございました」

「な、なんだい。改まって・・・」

「ははは・・・なんか、言いたくなったんです」

「ふん、まだまだガキのくせに生意気言ってんじゃないよ!」

「・・・すみません」

 

ヴァイダのこめかみにある傷が赤く染まっていた。彼女はそこを爪でポリポリとかいて視線を背ける。

『もしかして照れてる?』などとハングは思ったが、それを口に出すと今度は何が飛んでくるかわからない。

 

「ったく・・・達者でやんなよ」

「ヴァイダさんも、お元気で」

「あんたも頑張るんだよ、ヒース」

「はい、隊長も」

 

そして背を向けてドラゴンに飛び乗ったヴァイダ。

彼女はハングに背を向けながら言った。

 

「ああ・・・それと」

「なんです?」

「・・・・・・なんかあったら・・・呼べ」

 

ハングは嬉しそうに笑う。

 

「はい!」

 

その時、ヴァイダがどんな表情をしてるかはわからなかった。

でも上昇していくドラゴンを見ながらハングは幸せな気持ちを味わっていた。

 

「さて・・・俺も行くか」

「ヒースもか?」

「ああ、もう仕事もないしな・・・一刻も早く着きたいんだ」

「・・・そっか」

「ああ・・・」

 

ハングはヒースに向けて手を差出す。

握り返してきたヒースの腕を引き、ハングとヒースは抱擁を交わした。

 

「彼女・・・泣かせるなよ」

「お互い様だ」

 

二人は体を離して、拳をぶつけ合う。

 

「ヴァイダさんじゃないけど・・・なんかあったら呼べ。助けに行く」

「それも、お互い様だっての・・・また、会おうぜ」

「・・・ああ、そうだな・・・また会おう」

 

ハイペリオンにまたがったヒース。

 

「あっ!忘れてた。リンディス様からもう一つ伝言だ!」

「ん?」

「『行き倒れないように気を付けてね!』だってさ」

「・・・あいつ・・・」

 

してやったりという顔を向け、ヒースは上昇していく。

 

「早めに顔出せよ!」

「うっせぇ!とっとと失せろ!!」

 

ハングの叫びを背に、ヒースは城壁を越えて消えていった。

 

「ったく・・・」

 

幼い頃から一緒に過ごした二人が見えなくなり、ハングは少し寂しそうに笑ったのだった。

 



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エピローグ~軍師と戦士 ②~

フロリーナとマシューの案内を受けながらハングは城内へと入って行った。

侯爵が変わるという一大事があったのはもう6か月も前。

城内は落ち着いており、理路整然とした動きで文官達が歩き回っていた。

 

「で、ヘクトルはどうなんだ?送られてきた手紙の内容だけじゃどうにも様子がわからなかったんだが」

 

そう尋ねるとフロリーナが真っ先に答えた。

 

「ヘ、ヘクトル様は・・・頑張ってます・・・」

 

少し頬を赤らめてそう言ったフロリーナだが、彼女は贔屓目に見ている可能性もある。

ハングはマシューへと目を向けた。

 

「よくやれてると思いますよ。まぁ、今までの仕事を引き継ぐだけで3か月はかかりましたが」

「そうか・・・ならこっちに仕事を任せないでほしかったな。手が足りないのはわかるが、急ぎじゃない案件を俺に送ってくるのは勘弁してほしかったよ。ただでさえ忙しかったのに」

 

早馬にわざわざ護衛までつけてオスティアからラウスまで書簡を届け、様々な案件の質問をしてきていた。

あのお蔭でハングの仕事量はほとんど倍だった。

 

「そんなにあったんですか?」

 

マシューが呆れ気味にそう言った。

本来なら領土内の問題を外に漏らして解決を頼むなんてことは決して良いとは言えない。相手がハングだから許されているだけで、禁忌とさえ言ってもいいだろう。

 

それがハングを困らせる程に重なるというのはヘクトルの怠慢とも取れる。

 

「まぁ・・・ヘクトルの案件だけならたいしたことはないんだが・・・ヘクトル『だけ』ならな・・・」

「ああ・・・そういうことですか・・・」

 

それがリンディス、エリウッドと続くとなるとその量は一気に膨れ上がった。

ハングは書簡の山を思い出し、思わず身震いした。

いくら仕事を片付けても一向に減る気配を見せない山々。

 

あの時の感覚は竜を目の前にしたときのものと類似していた。

 

あれこそが真の恐怖だ。

 

そんな時、廊下の反対側から見覚えのある顔が歩いてきた。

 

「あ、オズインさん」

「おお、これはハング殿。お久しぶりでございます」

「こちらこそ」

 

オズインはそのまま怖い顔をしてフロリーナへと目を向けた。

 

「フロリーナ、それでは報告を聞こう」

「は、はいっ!」

 

ラウスからオスティアまでの旅路について簡潔に話をするフロリーナはもう立派な騎士だ。

リンディスが自分のことのように彼女のことを誇らしげに自慢する手紙を思い出し、ハングは思わず苦笑してしまう。

 

「わかった。では後日報告書を提出するように」

「はい」

「さて、堅苦しいのはここまでにしよう。ヘクトル様が執務室でお待ちだ。逃げ出してなければ・・・ですが」

 

侯爵になった今もその危険性が伴うヘクトルだ。

 

「抜け出すんですか?」

「いえ、今までは無かったので・・・そろそろ爆発する頃合いかと」

 

ヘクトルの信用の無さとオズインの予想にハングは声をあげて笑った。

廊下に響く自分の笑い声を聞き、ハングはふとオスティアの廊下が妙に静かなことが気にかかった。

 

「そういえば・・・セーラの声が聞こえませんね」

「・・・そう・・・ですね」

 

なんだか曖昧な言い方をするオズイン。

ハングが隣のマシューの顔を見るとこちらも複雑そうな顔をしていた。

 

「実は・・・セーラは・・・オスティアにはもういません」

「はぁ!?あのセーラが!?」

「はい・・・」

 

てっきりハングはオスティアでこれまでの戦いの武勇伝を誇大に表現して回っているものとばかり思っていた。鼻高々にあちこちで自分のことを吹聴しているセーラを想像していたハングは意表を突かれた。

 

なにせ、オスティアを離れるということはセーラが最も嫌う面倒な事柄が付いて回る。食料や水の準備、寝床の確保まで、護衛の一人でもいればいいかもしれないが、セーラに付き従おうとする酔狂な奴などセインぐらいしかいない。

 

そのセーラがオスティアを離れるなんて珍事が起きるとはハングには思えなかった。

 

「どこに行ったってんだ!?方向は?理由は?」

「エトルリアに・・・行きました」

 

ハングは思わず自分の額を叩いた。

 

「・・・どうりで・・・エルクからの手紙が無いわけだ・・・」

 

これまでの6か月の間、書簡の山から掘り起こした仲間からの手紙。

未開封のものも、開封済みものも、全てまとめてハングの手荷物の中にある。

 

その中で一通も送ってこなかった友人のことを思い出し、ハングは溜息を吐いた。

 

「セーラの別れ際の言葉は『エトルリアで愛に生きる!』でした」

「ヘクトルは快く送り出しただろう」

「・・・ええ・・・まあ」

 

城の中は少し物静かになったが、それ以上に平和になった。

それが皆の共通認識だった。

 

「・・・あいつは・・・大変だろうな・・・」

 

ハングは遠い地で苦労しているであろう友人に思いを馳せた。

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

「ちょっとエルク!いつまでこんなかび臭いところにこもってるのよ!ルイーズ様がお食事だって言ってるのよ!!」

「君ね・・・」

「御託はいいの!!はやく行くわよ!!」

「ちょっ!ちょっと!セーラ!マントを引っ張らないでくれ!」

 

ずるずると引きずられて書庫を連れだされたエルク。

咳き込んで立ち上がり、セーラに連れられるままに食堂に来ると、そこではルイーズが料理を運んでいた。

 

「早かったわねセーラ。ふふふ、本当にセーラはエルクを連れだす名人だわ」

 

柔らかに笑うルイーズにセーラは突然くってかかった。

 

「ルイーズ様!身重のお体で何してるんですか!!」

 

走るように食堂を横切り、手にした料理を奪い取るセーラ。

 

「ほら、もう座ってなきゃだめです!ミハネ!ヤーナ!ルイーズ様には絶対に仕事をさせないでって言っておいたでしょ!!」

「ごめん・・・断れなくて・・・」

「セーラでも多分断れなかったよ」

「うるさいわね!!それから、こういう場では敬語を使いなさいよ!!」

 

そんな話をしながらも手早く食事の準備を整えていくセーラにルイーズは相も変わらず笑いかけた。

 

「ふふふ、いいのよセーラ。そんなにかしこまらなくても」

「いいから、ルイーズ様は座っててください!!」

 

準備を行う給仕とセーラ。

彼女がここに来てからというもの、屋敷が騒々しくてしかたない。

 

エルクは頭痛を堪えるようにため息を吐きだし、椅子に座るルイーズへと目を向けた。

 

ルイーズがその身に子供を授かったのはあの戦いの直前だそうだ。

 

あれからもうすぐ7か月になる。

お腹のふくらみも目立つし、動きも緩慢になる。

それでも家の仕事をしようとするルイーズを止めるのがセーラの仕事と化しつつあった。

 

入り口で眉間の皺をもんでいたエルクの隣にパントが現れた。

 

「今日は一段と賑やかだね」

「あ、先生・・・これは・・・賑やかではなく、騒がしいと言うのでは?」

「これぐらいなら可愛い方さ」

「可愛い・・・ですか?」

 

食堂をちょこまかと動き回るセーラにエルクは頭が痛いのに。

 

そんな二人にルイーズとセーラが声をかける。

 

「パント様。お料理が冷めてしまいますわ」

「ほら、エルクもボーっと突っ立ってないで席に座りなさい!!」

 

パントは楽しそうな笑顔で、エルクは疲れた笑顔で4人掛けの小さなテーブルに座った。あの旅以降、リグレ公爵家はこうして小さな卓を囲むようにしているのだ。

 

こちらの方が楽しい、とルイーズが言い、セーラが強行したのだ。

食事をしながら、エルクはパントに来ていた手紙のことについて話し始めた。

 

自分も送っておきたい相手が何人もいるのだが、セーラに振り回される毎日でなかなかその時間が取れずにいた。

 

「先生・・・ホークアイ殿からお手紙が来てました。お子さんが生まれたら、ナバタ砂漠にまた来てくれと。娘さんも会いたがってるそうです」

「そうか、それは楽しみだ」

「カナスさんからも・・・そのうち魔道書を送ってくれるそうです」

「ああ、そうだった。エルク、こちらからも何冊か魔道の研究に関する書物を見繕ってくれるかい?」

「わかりました・・・それと・・・」

 

エルクはチラリとセーラの方を見て話を続ける。

食事中に露骨に仕事の話を始めると、セーラが猛烈な勢いで怒りだすのだ。

 

だが、この話は仕事の内容からギリギリ外れるだろうとエルクは考えて話を続ける。

 

「また、先生に魔道軍将の復職を願うお手紙が届いてました」

「またかい?いい加減諦めればいいものを」

 

魔道軍将を退役し、年金生活と魔道学者としての給金で悠々自適な生活を送っているパントに軍部はしつこく復職を願う手紙を書き続けている。

 

最近は金品や異国の珍味などの贈り物まで付いてくる。

 

「贈り物ごと手紙を送り返してはいかがです。迷惑だと思って諦めてくれるのでは?」

 

そう言ったエルクにセーラがテーブルの反対側から身を乗り出すようにして待ったをかけた。

 

「ダメよ!あんな高級品を捨てるなんて私が許さないわ!!」

「セーラ・・・あれは君の物ではないのだよ」

「うっ・・・そ、そうだけど・・・」

 

半ば居候のような状態のセーラであるのでそう言われると口を閉じざるおえない。

だが、そんなセーラにルイーズが微笑みかけた。

 

「セーラ、あなたは捨てない方がいいと思うのね?」

「はい、ルイーズ様!もったいないです!」

 

『もったいない』

 

貴族の間では貧乏くさいともとられるその言葉であったが、ルイーズはそんなセーラのことを慈愛をもった目で見ていた。

 

「パント様、わたくしもそう思いますわ」

 

ルイーズがセーラの意見に同意してしまえば、それはもう決定事項になったも同然だった。

 

「だそうだよ。エルク」

「・・・・はあ・・・わかりました」

 

エルクの気苦労は増える一方だ。

 

そんな時、セーラが「良いことを思いついた」といったように両手を打ち合わせた。

 

「そうだ!エルクが魔道軍将になっちゃえばいいのよ!」

「はぁっ!?セーラ、君は何を言ってるんだい!?」

 

突然の話の展開に目を丸くするエルクであったが、すぐさま隣のパントが同意した。

 

「なるほど、それはいい考えじゃないか」

「せ、先生まで!僕に先生の代わりなんか務まりませんよ!」

 

謙遜とも遠慮ともとれる言葉であるが、エルクは本気であった。

自分にはパントのような実力も思慮深さもない。

魔道軍将なんてなれるわけがないと思っていた。

 

そんなエルクに同意の声があがる。

 

「そりゃそうでしょ、エルクに代わりなんてできるわけないじゃない」

 

セーラにそう言われ、エルクの表情が固まる。

 

「え・・・」

「エルクがこんな素晴らしいパント様の代わりなんかできないって言ったのよ」

「それじゃあ、僕がそんな地位なんて無理に決まってるだろ」

 

そう言ったエルクの鼻先目掛け、セーラはピシリと指をつきつけた。

 

「でも、あんたはとにかくいい地位について、図書館の古~いところにこもれるようになった方が幸せなんでしょうが!?」

「え・・・まぁ・・・軍部の禁書の棚には興味はあるけど」

「だったら、魔道軍将になったらいいじゃない!どうせ、軍隊を率いるってなったら上の将軍たちの話を聞けばいいだけなんだから」

「あのね、セーラそうことは簡単に・・・」

 

『魔道軍将』の地位の重さについて聞かせようと思ったエルクであったが、その言葉は途中で遮られた。

 

「いい考えですわ」

「ル、ルイーズ様!?」

「エルクは研究熱心ですもの。そういう道に興味があるのでしょ?」

「そ、そうですが」

「セーラがいてくれれば、食事のときもエルクを図書館からすぐに呼んでくれますし」

「あ、あの・・・」

 

なんとか言い縋ろうとしたエルクであったが、ルイーズという最強の味方を手に入れたセーラはもう止まらない。

 

「ですよね!エルク、あなた魔道軍将になりなさい!!」

 

助けを求めるようにパントを見たエルクだったが、それは爽やかな笑顔に迎え撃たれた。

 

「よかったじゃないか、エルク」

「あ・・・・」

 

エルクは激しく頭痛がするこの状況を誰かに何とかしてほしいと強く願ったのだった。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

執務室へと通されたハングは大手を広げるヘクトルに出迎えられた。

 

「おお、ハング!よく来たな!まあ、ゆっくりしていけよ!」

「遊びに来たわけじゃないんだぞ」

「わーってるって」

 

執務机から立ち上がったヘクトルは今まで見慣れた鎧姿ではなく、公式の場にも出られるような整った服装をしていた。

 

「しかし、似合わないな」

「馬子にも衣装だろ」

「世の中には馬子にも褞袍って言葉もあるぞ」

「どてら?」

「知らんならいい」

 

マシューとオズインは一礼してその場を後にした。

フロリーナも去ろうとしたが、それはヘクトルが引きとめた。

 

「まぁ、座れよハング。フロリーナ、茶をいれてくれ」

「はい」

 

執務机とは離れたところにある接客用の席に座るハング。

 

「ああいうのは、女中とかがやるんじゃないのか?」

「俺が淹れて欲しいんだよ。ま、あいつも最近は忙しそうだからこういう機会じゃねぇとなかなかできないがな」

「のろけ話を聞くためにわざわざここまで来たわけじゃないぞ」

 

ハングは右手でお茶請けの菓子を一つまみ口に放り込んだ。

ハングの目の前に紅茶が運ばれてくる。漂う芳醇な香りがそれが高級品であることを告げてくる。

 

「ど、どうぞ」

「相変わらず緊張してるのな」

「すすす、すみません」

 

どこに行ってもフロリーナはフロリーナだ。

だが、そんな彼女の態度を見るのも随分と久々だった。

 

フロリーナはヘクトルの隣に腰かける。

肩が触れ合う程の距離で座る二人。仲睦まじい様子を喜ぶべきなのだが、半年程リンディスに会っていないハングからしてみれば目の毒であった。

 

ハングは紅茶を一口飲み、自分から面倒事の話を始めた。

 

「それで、ひと月後なんだろ・・・諸侯会議」

「ああ、それでお前に来てもらったんだ。その方がいろいろとやりやすいだろ?」

「まぁな・・・」

 

空席となってしまったサンタルス領。今後のラウス領の処置。そして、キアラン領のこと。

 

「会議の議題は事欠かないものな」

「頭がいてぇよ」

「しょうがねぇさ」

 

実のところ、その下準備はほとんど終わってた。

ヘクトルからハングに送られてきた案件は主にこのことだった。

だが、その諸侯会議のまとめ役をしなければならないヘクトルにとってはやはり頭痛の種なのであった。

 

「で、お前はリンディスに会いに行ったのか?」

「あぁ・・・いや・・・でも、諸侯会議で会えるだろ?」

 

そう言って苦笑いを浮かべるハングにフロリーナが怖い顔を向けていた。

そんな顔をされることはわかっていたが、ハングにもハングの事情があった。

 

「ったく・・・強情張りやがって・・・帰りにキアランに寄って諸侯会議に合わせてこっちに来てもよかっただろうに」

「お前がそれを言うか?俺に手伝って欲しい仕事が山をなしてるお前が」

「まぁな・・・」

「キアランには政務を行える文官、武官は揃ってる。でもオスティアは古い貴族の弊害が残ってるんだ。こっちの仕事が一番多いのは知ってる」

「・・・頭が下がるよ」

「ほう、頭を下げることを覚えたのか。んじゃ、次は逆立ちだな」

「てめっ!!」

 

そんなヘクトルを笑い飛ばし、ハングはお茶を口に運んだ。

 

素直な味のお茶だ。

ハングは割りと好きな味だった。

 

「そういや・・・葬儀はまだしないのか?」

「ああ、兄上の葬儀か・・・」

 

ハング達が戦っていたその時に、病魔にむしばまれていたウーゼル。

彼は執務の中でその命を落としていた。

 

その葬儀が行われたという話はハングは聞いていなかった。

 

「それよりも・・・やらなきゃいけねぇことが多くてな・・・それを俺がきちんとこなす前じゃ、兄上も安心して眠れねぇだろ」

「・・・そっか・・・」

「だから、このリキアが安定してから。ゆっくりと兄上を弔ってやるつもりさ」

 

ハングはそのことに関してはそれ以上深く聞くことはしなかった。

ハングもそれでいいと思ったし、ヘクトルが納得しているのなら口に出すこともなかった。

 

そんな時、フロリーナが口を挟んだ。

 

「あの、ハングさん・・・その・・・あの・・・」

「どうした?」

「あの・・・その・・・ですね・・・」

「あー、まだるっこしい!俺が頼んでやるから言ってみろ」

 

ヘクトルがそう言うと、フロリーナがヘクトルに耳打ちをする。

 

男が苦手だったフロリーナがよくもここまで気を許すもんだ。

色恋ってのは本当に人を変えてしまうのだなぁ。

 

そんなことを思ったハングの目の前でヘクトルが目を見開いていた。

 

「おめ・・・本気か?」

「うん・・・」

 

ヘクトルは頭をかきながら、ハングの方を向いた。

 

「・・・なあ、ハング。お前に頼みがあるんだそうだ」

 

ヘクトルの神妙な態度にハングも襟を正す。

 

「えらく気が早い話だが、生まれてくる俺たちの子供の名づけ親になってくれねえか?」

 

ハングはゆっくりと手元のお茶を口に運んだ。

そして、盛大にむせた。

 

「ごほっ、ごほっ!はぁ!?」

「いや、だから子供の名づけ親にな」

 

ハングは慌ててフロリーナの腹部に目をやった。

 

「ち、ちげぇ!今後の話だ!まだ何もしてねぇよ!!」

「はぅ・・・・・・・・」

 

二人揃って真っ赤になるヘクトルとフロリーナにハングは胸をなでおろした。

 

「そうか・・・ならいいが・・・名付け親?俺がか?」

「ぜ、ぜひ・・・わ、私とヘクトルさまのこと・・・全部、ハングさんのおかげですから・・・」

「俺、なんかしたか?」

「はい・・・リンの・・・こととか・・・」

「ああ・・・あれか・・・」

 

懐かしのバトンの港。

 

【魔の島】から帰ってきた直後にフロリーナがリンディスにヘクトルのことを告白し、リンディスがヘクトルを殺しかけるという事件。

 

あれを収めたのは確かにハングだった。

 

「・・・まぁ、あれは・・・娘を嫁に出すことに納得できない父親をいさめるようなもんだったが・・・」

 

ハングとヘクトルはあの時のことを思い出し、しみじみと頷いた。

 

「本当に殺されかけたもんな・・・」

「俺は残った右腕を切り落とされかけた・・・」

 

思い出としては早く忘れたい部類のものである。

 

「で・・・話を戻して、名付け親か・・・お前らは希望とかないのか?」

「男なら、兄上の名をもらってウーゼルにする。俺が戦い方を教えてやって、強い男に育てるぞ。将来はエリウッドの子とどっちが強いか勝負だな」

 

早くも名付け親としての意味が半分減ったハングだった。

 

「でも、女の子だったら?」

「エリウッドの息子にはぜってぇぇえ嫁にやらん!!」

「なんでそうなる・・・」

 

意気込みの仕方がよくわからない。

それでもヘクトルの眼が本気だったので、ハングはフロリーナに話を振った。

 

「あ、あの・・・じゃあ、ハングさん・・・もし女の子だったら・・・・・・名づけ親になってください・・・」

「・・・今、付けていいのか?」

「案があるのか?」

「二人の顔見てたら・・・なんとなくな」

 

ハングは手で紙とペンを要求した。

 

ヘクトルがすぐに差し出すと、ハングはそこに名前を書き連ねた。

 

「ぱっと、出てきたのはこれぐらいか・・・俺のおすすめは・・・これかな」

 

ヘクトルとフロリーナはその名前を見て、お互いに顔を見合わせた。

 

「・・・いいと思います」

「響きが気に入った」

「そうか、それはよかった」

 

ハングが書いた名前。

 

【Lilina】

 

「・・・リリーナ・・・良い名前じゃねぇか」

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

ハングはヘクトルと共に城壁の上にきていた。

そこからは夕飯前の買い物にざわめく城下町が一望できた。

 

「さすがに腹減ってきたな・・・」

「今日の飯は期待してろよ」

「そうするさ」

 

ハングはここ半年ですっかり癖になってしまったパイプを取り出した。

 

「そういや・・・お前、いろんな奴から手紙もらったんだったな」

「ああ、皆からな。これが人望の差ってやつだ」

「お前の方が送りやすかったんだろ」

 

ハングはラウスを統治していたとはいえ、名目上はただの客将。確かに『侯爵』となったヘクトルよりは送りやすい。

 

「ああ、そうそう。お前を恨んでたあいつからも来てたぞ」

「レイヴァンか?」

「ああ、ヴぁっくんだ」

「ヴぁ・・・え?」

「ははは・・・和解したんだってな」

「ああ、侯爵家の再建も申し立てたんだがな。丁重に断られたよ」

「今はルセアと一緒に傭兵として稼いで回ってるそうだ」

「聖職者が傭兵稼業って・・・いいのか?」

「従軍神父ってやつだろ。戦場で死ぬ傭兵を弔う神父さん」

「へぇ・・・」

 

手紙の最後には『資金を稼いだらどこかで孤児院でも開こうと思う』と書かれていた。

ルセアらしいといえばルセアらしい。

 

そうなれば、レイヴァンは資金繰りの為に傭兵を続けるのか、それとも保父になるのか。

 

「あの傭兵には・・・ちょうどいいだろうな」

 

レイヴァンが優しい保父という姿はいまひとつ想像できなかったが、あれでいてレベッカやウィルなんかの良い兄貴分になっていた。どちらにせよ、復讐を乗り越えたレイヴァンならなんとかやっていくだろう。

 

「ヘクトル・・・これは、お前の軍師として言うんだけどな」

「・・・なんだ?」

「今回できた知人とは連絡を絶やすな・・・特に、国外の連中とはな」

「・・・ああ」

「気が進まないか?公私混同だと思うか?」

「いや、きれいごとだけじゃ渡っていけねぇことぐらい、俺にもわかってる。そして、それが必要な時が必ずくることもな」

 

それは、アトス様が遺した言葉だ。

 

「俺はあのアルマーズを握った。あの戦いの化身みたいな武器は元通り封印したが・・・俺の中でも、確かにその鼓動を感じる。戦を・・・待ちこがれてるのがわかる。じっくり、時を待ってるのがな・・・」

「戦は起きる。いずれ、途方もない戦がな・・・」

「凶星は・・・ベルン・・・」

「お前も見ただろ・・・あの国には火種がわんさか眠ってる」

「その時が来たら、頼むぜ。俺や、俺の子たちを導いてくれ」

 

ヘクトルの言葉にハングは笑って、紫煙を吐き出した。

 

「その役目は俺の子供に託すさ」

「あ、そっか・・・それで、お前の方は二世のご予定は?」

「その言葉そっくりそのまま返してやる。だいたい、ずっと会ってなくて二世もへったくれもないだろ」

「いやぁ・・・お前のことだから、もう産まれる間近とか・・・」

「ないっての」

「リンディスと会ったら。『驚かせたかった』とか言いだりしたり」

「あり得ない。正式に挙式してねぇ相手に手を出せるかっての・・・まぁ、サカの文化圏の結婚の風習は知らねぇけどさ・・・」

 

そんな話をしながら日が暮れていく。

 

どこからか、濃厚なスープの香りが漂ってきていた。

 



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エピローグ~軍師と騎士 ①~

ハングは疲れた足を前に出す。

手持ちの品は最重要なもの以外は全て捨てた。

水筒はとうの昔にただの革袋と化した。中に石でも詰め込めば鈍器には使えるかもしれないが、今はその体力は歩くために温存したかった。

 

「もう少し・・・もう少し・・・なんだ・・・」

 

ハングは見覚えのある景色を前に、精神力を頼りに足を前に進めていた。

 

口からは神に対する祈りが漏れる。

祈りが出てくる間はまだ平気だというのが、ハング本人の感覚。

これが本当に命の危機を感じるとハングの口からは恨み言が出てくる。

 

そんな時、自分以外の誰かが森の土を踏みしめる音が聞こえた。

音が軽いことから、女性と判断したハングはそちらへと足を向ける。

 

そして、森の中に現れたのはハングの顔なじみの狩人だった。

 

「・・・だれか死にかけてると思えば・・・やっぱりハングさんでしたか・・・」

「・・・よう・・・レベッカ・・・」

 

ハングは掠れ気味の声を出しながら右手をあげた。

 

「・・・また、行き倒れたんですか?」

「その直前ってとこだ・・・」

「歩けます?」

「なんとかな・・・」

 

安堵のため息を吐きながら、ハングはようやくフェレにたどり着いたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

ハングはフェレにあるレベッカの実家で食事にありついていた。

 

「いやー・・・一時はどうなることかと思ったよ」

「それはこっちの台詞です。手紙が来てから完全に音沙汰なしだったんですから。エリウッド様は『どこかでまた、行き倒れたんだよ』って笑ってましたけど」

「だから、その直前だっての」

「たいして変わりません」

 

ハングはスープやパンを腹の奥に流し込みながら、ミルクで喉を潤した。

 

「そういや、まだここで暮らしてるのか?」

 

レベッカの実家はフェレにある村の一つ。

彼の父親が村長を務めていた。

 

ハングのその問いにレベッカは首を横に振る。

 

「いえ、今はお城でニニアンさんの身の回りの世話をしています。気心の知れた人が近くにいた方がいいと、エリウッド様が」

「なるほどな。でも、今のフェレに余計な女中はいらないだろ?そんなに大きな城でもないんだから」

「まぁ、そうなんですよね・・・エリウッド様もエレノア様も自分達の身の回りのことはほとんど自分でやっちゃうし・・・今は本当にニニアンさん専属みたいな感じです」

 

フェレで貴族的な血筋を持っているのはエリウッドとその母であるエレノアぐらいだ。高貴と呼べる人間がほとんどいないのがフェレの良いところであり、悪いところでもある。

 

「で、ニニアンの調子は?」

「今のところ特に問題はないですよ。お仕事もしっかりこなしてますし」

「政務をやってるのか?ニニアンが?」

「ああいうところを見ると、やっぱり何百年も生きてるんだなって思いますよね。あと時々踊りの練習をしていたるみたいです」

「健気だね・・・」

 

ハングはそう言って差し出された白湯に口をつける。

ニニアンの踊りは旅の間に度々見ることがあったが、今後はその踊りを間近で見れるのはエリウッドだけになるのだろう。

 

「で、ロウエンとはどうしてるんだ?」

「あ・・・えと・・・ですね・・・」

 

左指を見せるレベッカ。そこには銀色に光る指輪がはめられていた。

 

「おめでとさんと言えばいいか?それとも、ごちそうさま?」

「それなら食器下げていいですね」

 

笑顔でそう言ったレベッカ。

 

「・・・強くなったね・・・お前」

 

ハングは片付けられていくパンの入ったバスケットを少し残念そうに見送って、食卓から立ち上がった。

 

「・・・さてと、そろそろ城へ行くか」

「その前にドルカスさんとナタリーさんに挨拶に行った方がいいんじゃないですか?」

「そういえば、今はフェレにいるんだったか」

「はい。この時間なら広場にいると思います。私も後から追いつきますから、先に行っててください」

「わかった。世話になったな」

「いえ、私は今でもあの部隊の食事係ですから」

 

ハングは「なるほど」と頷き、マントを手に取り、外に出た。

 

あの戦いからもうすぐ一年の月日が経とうとしていた。

 

世代交代を済ませたリキアはようやく落ち着きを取り戻しつつあった。

 

ハングが一時的に統治していたラウス領はようやく繁栄の兆しを見せ始めている。オスティアはそろそろ新体制としての手腕が試される時期になり、サンタルス領は正式にフェレ領に統治が委託されることとなった。キアランではハウゼン様がご存命だが、もう永くはないだろうと言われている。今はリンディスが侯爵代行として頑張っている。

 

そして、ハングはというと、諸侯会議を経た後、そのままキアランに戻っていた。

ハウゼン様が執務が難しくなっているとの話を受けて、手伝いに出向いていたのだ。

それでも、オスティアやフェレやラウスから次々に飛び込んでくる案件は減ることはなく、忙しい日々だった。

 

そんなハングが今はフェレ領に出向いているのは単なるきまぐれではない。

今回はキアラン侯爵とリンディスの祝いの言葉を届ける使者である。

 

「俺も随分とまぁ毒された気もするな」

 

ハングは胸元にある手紙を思い出しながらそんなことを呟く。

 

竜騎士だった頃は『権力』というものに関わる気などまるでなかった。それが今やそのド真ん中で仕事をしている。

 

しかも、ハングの立ち位置は非常に曖昧だ。

 

身分は『客将』。だが、キアラン侯爵もその孫娘もハングに多大な信頼を寄せている。最近では宰相の案件も任されることも多くなってきた。権力闘争と言われるほどの競り合いはないが、嫉妬や羨望の視線にさらされているせいか、最近はキアランにいるのが少々息苦しいハングなのであった。

 

ワレスさん曰く

『有名税と思ってあきらめろ』

ケント曰く

『リンディス様との関係を公表したら少しは落ち着くかと』

セイン曰く

『え?そうなの?ハングも苦労してんだな』

ウィル曰く

『え?そうなんだ?へぇ・・・よくわかんねぇ』

 

何も考えてない後半二人は除くとしても、やはり経験とでも思うしかないようだった。

今後使える経験かどうかは差し置いて。

 

そんなことを考えながら歩いていると、村の広場へと差し掛かった。

 

「あ、いた。ナタリーさん」

「あら、ハングさん」

 

広場の片隅で椅子に腰かけていたナタリーはキャンバスへと絵筆を走らせていた。

 

「お久しぶりですナタリーさん。足の調子はどうですか?」

「おかげさまで、最近はすこぶるよくなりました」

「それはよかった」

 

あの戦いで得たお金で買った薬が効を奏したそうで、ナタリーは自分の足でキャンバスと絵具を運べるぐらいには回復していた。

 

「ドルカスさんは?」

「主人は今食事を買いに行ってもらってます」

「んじゃ、ちょっと待ちますか。隣いいですか?」

「はい」

 

ナタリーに差し出された椅子に腰かけて、ハングは絵を覗き込んだ。

フェレの景観を描いた絵。

ハングには絵心もなければ芸術に対する教養もないが、それでもその絵が放つ温もりというものは感じ取ることができた。

 

「柔らかい絵ですね」

「ありがとうございます」

 

ナタリーが見せた満面の笑みは本当に嬉しそうであった。

 

「ハングさんはいつからこちらに?」

「今朝方です。祝いの言葉を送りにね」

「ああ、なるほど・・・おひとりですか?リンディス様は?」

「今じゃあいつは侯爵代理ですからね。そう簡単にキアランを留守にできないんですよ」

「それは・・・おさびしいですね」

 

それはどっちのことだろうか。

 

リンディスと旅ができなかったハングに向けての言葉か。

それとも、ハングと一緒にいることができないリンディスに向けてのものか。

 

もしくは、両方に向けた言葉なのかもしれなかった。

 

ハングとしては自分は寂しくないので、きっとリンディスのことに違いないと勝手に結論をつけていた。

 

「1年ぐらい離れてた時間もあるんですから、それに比べれば平気ですよ」

「ダメですよ、奥様は大事にしないと」

「奥様って・・・まだ結婚してないんですが・・・」

 

ハングがそう言うと、頭上から別の声が降ってきた。

 

「・・・それは意外だったな」

 

顔をあげると、ドルカスの巨体が日陰を作っていた。

 

「意外ですか?」

「即断即決の軍師だったお前が、まだ踏み切っていないというのが・・・意外だ」

「・・・ああ・・・俺が忙しすぎて」

「・・・仕事を言い訳にしてないか?」

 

それに対しては少し思うところもあったが、ハングはそれを真っ向から認めることはできず、話題を別の方向に向けることにした。

 

「俺はあいつを愛してますよ・・・これでいいですか?」

「そういうことは本人に言ってやれ」

「ごもっとも」

 

ハングが唇だけの笑みを向けると、ドルカスは小さく笑った。

ドルカスも話題をズラされたことを察していたが、あえて追及はしてこなかった。

 

その時、広場の反対側にレベッカが姿を見せた。

彼女はハング達を見つけると手を振ってきた。

 

「ハングさん!迎えが来てますよ!!」

「おう」

 

ハングは右手をあげて椅子から立ち上がる。

 

「城にいくのか?」

 

ドルカスがナタリーに昼食を渡しながらそう言った。

 

「はい、今日はキアランの使者ですから」

「・・・そうか・・・ここにはどれぐらい滞在する?」

「・・・結構いる予定ですよ。任されてた案件を渡したりなんだりで、ひと月ぐらい」

「・・・時々・・・うちにこい・・・ごちそうする」

 

そう言ったドルカスにハングは太陽のような弾けた笑みになった。

 

「それは楽しみにしてます」

「・・・ああ」

「ハングさ~ん!行きますよ~」

 

ハングはレベッカに右手を挙げて合図し、ドルカス達と別れたのだった。

 

ハングはレベッカに連れられ街の入口に向かっていた。

そして村の大通りを歩いている時に意外な人物が似合わないことをしているのを目撃した。

 

ハングは足を止め、店の奥にいた男に怪訝な目を向ける。

 

「・・・・・・なんだ?」

「それはこっちが聞きたい・・・なにしてんだ?」

「・・・仕事だ」

 

ハングがのぞきこんでいたのは肉屋だった。

その店の奥で解体用の巨大な包丁を手にしていたのはジャファルだった。

 

「お前がそれ持つと別の仕事をしてるようにしか見えないぞ」

「・・・・・・この包丁は・・・大きすぎて不便だ」

「・・・いや、知らないけどさ・・・」

 

店先に吊り下げられているのは燻製済みの肉や、日持ちのきく干し肉。

もともと海の幸、山の幸が豊富なフェレ。

店に並ぶ肉の種類は豊富で、売上金を放り込む籠もそこそこの重さがありそうだった。

 

ハングはレベッカに一言告げて店に入って行った。

 

「・・・冷やかしか?」

「お前、その愛想でよく客が取れるな」

 

そう言ったハングに反論できる材料がなかったのか、ジャファルは黙って包丁を構えて鶏を解体していく。

そんな時、店の奥からこの店の看板娘が顔を出した。

それはエプロン姿でやってきたニノであった。

 

「あ、ハングさんだ!久しぶり!いらっしゃい」

「ようニノ。久しぶり」

「ハングさん、いつこっちに来たんですか!?」

「ついさっきだ。それより、肉屋なんか始めたのか?手紙にはそんなこと書いてなかったぞ」

「へへへ、エリウッド様から少し援助してもらったんだけど。正真正銘私達のお店だよ。へい!いらっしゃい!」

 

歴戦の店主のようにふるまおうとするニノ。残念ながら子供が背伸びをしているようにしか見えなかったが、客が集まるだけの笑顔であることは間違いなかった。

 

「でも・・・なんで肉屋なんだ?」

「私、アジトでよく保存食とか作ってたの。燻製にするために『ファイアー』で火加減を調節したりして。だから自分ができることをやりたいなって」

「へぇ・・・でも、肉を裁くのとか大変だろ。血抜きとか解体とか」

「それはジャファルがやってくれるの。ね?」

「・・・ああ・・・頸動脈を狙うのは・・・基本だ」

 

ハングは鶏の首をズバンと落として血抜きをしているジャファルの後姿を眺めて、曖昧な顔をした。ただ、魔法使いと暗殺者の肉屋というのは案外いい食い合わせだったようだ。

 

「二人はここで暮らしてるのか?」

「うん・・・ジャファルがね・・・私は特別って言ってくれたの」

 

ジャファルを見ると彼は何も言わずに羽をむしり、皮を剥いでいく。

照れた様子も、気まずそうな様子もない。

ハングからしてみればからかい甲斐の無い態度だ。

 

「そっか。まぁ、楽しそうでなによりだ」

「うん。楽しいよ。あっ!そうだ!ハングさん、お肉包むからもってって」

「いや、そんなことしてもらわなくても・・・」

「いいの!ハングさんはしょっちゅう行き倒れるんだから、一番日持ちするお肉包んであげる」

「・・・・・・・」

 

笑顔が引き攣るハングの後ろでレベッカが噴き出すのを必死にこらえていた。

ハングはニノからグぅの音も出ないぐらいに一本取られ、流石に自分の行動を改めようと考えた。

 

「はい、これぐらいなら邪魔にならないでしょ」

「・・・ありがたく受け取っとく」

「へへ、ハングさん。フェレにいるうちはまた顔出してね」

「そうするよ」

「毎度ありがとうございました」

 

元気な声に送られてハングは外に出る。

改めて看板を見るとそこには【狼と犬】と看板が掲げられていた。

 

【白狼】と【狂犬】か

 

「・・・犬の看板を掲げて羊の肉を売る・・・か、良い名前じゃねぇか」

 

ハングとレベッカはまた改めて町の入口に向かって歩き出した。

そこでは既にロウエンとマーカスのお二人が迎えに来ていた。

 

「お久しぶりですハング殿」

 

マーカスに気さくに手を差し出され、ハングはその手を握り返す。

 

「久しぶりですね。お元気そうでなによりです」

「なに、まだ若い者には負けませんぞ」

 

そう言って笑ってくれるマーカス。

 

出会った当初の警戒心むき出しだった頃を思い出し、ハングは自然と嬉しくなった。

最近はその時と似たような警戒心を向けられ続けている身としては救われる思いだった。

 

「それでは、城の方へ向かいましょう。馬は用意しております」

「了解・・・っと、レベッカはどうするんだ?」

「ハングさんの後ろに乗ります」

「え・・・」

 

ハングがロウエンを見上げると、そこには騎士としての面構えを見せるロウエンがいた。公私混同はしないということか。

それに、ロウエンという戦力がいざという時動けないのは困る。

 

ハングはそれも仕方なしかと思い、馬の背にまたがった。

手綱を操り、レベッカに手を伸ばす。

駆け上がるようにしてハングの後ろに乗ったレベッカを確認して、ハングはマーカスに目で合図を送った。

 

「それでは参りましょう。エリウッド様が首を長くしてお待ちですよ」

 

ハングは久しぶりに会う友人の顔を楽しみにしながら、馬の手綱を握りしめた。



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エピローグ~軍師と騎士 ②~

ハング達がフェレ城に向かうと、既に城門でエリウッドが待ち構えていた。

 

「ハング!久しぶりじゃないか!」

「諸侯会議以来だ。まだ半年だぞ、そこまで大声をあげることか?」

「そう言われればそうかもね。今まで毎日のように顔を突き合わせていた反動かな」

 

少し興奮気味のエリウッドと握手をかわし、ハングは城内へと招き入れられた。

 

「フェレは随分落ち着いたな」

「そう見えるかい?」

「町の人達の表情を見てたらすぐにわかる。治安も良いし、税金も安い、そして暮らす人々が笑顔で元気。これが善政と言わずになんという・・・ま、豪華絢爛には程遠いがな」

「質素倹約は徳に結びつくよ」

「そりゃそうなんだが、もう少し内装に気を使えないのか?」

 

フェレの城内は石壁がむき出しで寒々しい。

廊下に装飾品は何もなく、便利ではあるが少し味気ない。

 

「お前の目標は賊が会心するぐらい豊かな土地にすることだろ?」

「贅沢は心の敵だよ」

「・・・お前はそのうち宗教開けるぞ」

 

久々のエリウッドとの雑談にハングの口も軽くなる。

 

そしてハングは談話室のような部屋に案内された。謁見の間や応接室よりも簡素で気楽な雰囲気の場所だ。身分を気にせずに人と会いたい時にはこういう場所へと招き入れるのは、全ての国で共通である。

 

「座ってくれ。来てくれてうれしいよ」

「ハウゼン様からの正式な祝辞も預かってる。とはいえ、まずはリンの奴から伝言だ。『おめでとう。出席できないのは残念だけれど、キアランから祝福する』とさ」

「ありがとう」

「俺からも祝いの言葉を送らせてくれ。おめでと」

「いや・・・ハングのおかげさ」

「俺は何もしてないよ。特にここ一年はな」

「いや、君は僕にいろいろなことを教えてくれた。ハングの授業が無かったら、僕はまだ色々と悩んでしまっていただろう」

 

エリウッドはハングの眼をまっすぐに見る。

 

「でも、僕は決心できた。父の後を継いでフェレ侯になる」

 

その純粋で真っ直ぐな力強い眼。

 

その目はどこかエルバートに似ているようで、やはり全然違う瞳であった。

そんなエリウッドを見てハングは楽しそうに笑う。

 

「俺がいなくてもお前は決心していたさ。俺はそれぐらいお前のことを買ってるんだ。旅の軍師の評価だがな」

「世界を救った軍師の褒め言葉だ。ありがたく頂戴しておくよ」

「相変わらず口の減らない奴だ」

 

『狸貴族』

 

何度そう呼んできたことだろうか。

腹の内が読みにくく、笑顔で息を吐くように嘘をつけるくせに、誠実過ぎる程に真っすぐ。

そんなちぐはぐな男だからこそ、ハングも話をしていて楽しいのであった。

 

もし、自分が女であればエリウッドに惚れていたかもしれないと思ったりもするが、残念ながらハングは男で惚れた相手は女性であった。

 

「即位式に出席してくれるんだろ?」

「そのために来たんだ。遅れなくてよかったよ」

「どうせまた行き倒れたんだろ?」

「行き倒れてねぇよ」

「その直前かい?」

「・・・まあな」

「でも、渓流に流されて食料を失ったり、黒の森で道に迷ったり、山賊に追い掛け回されたりしたハングが、行き倒れなかったというのはすごいと思うよ」

 

ハングの口元がわずかに痙攣した。

 

「おや、図星かい?」

「てめ・・・なんで知ってる?」

「さぁ、なんでだろうね?」

「この狸貴族め・・・」

 

ハングは脱力して背もたれに体を預けた。

 

「見てたなら助けろよ」

「違うんだ、ラガルトがベルンに抜ける時に教えてくれたんだよ」

「ラガルト?・・・ああ、そっか・・・ニノやジャファルの様子でも見に来てたのか?」

「そうだね。彼はまた義賊としての【黒い牙】を復活させるつもりだと言っていたよ」

「ふぅん・・・ま、それの善悪はよくわからないな」

「・・・うん、それに関しては僕もよくわからない」

 

世の中はいつだってままならない。

許容してはならない殺しがあり、殺すことでしか救われない人がいる。

いつだって力と善悪は歪な秤の上だ。

 

「ベルンで起こることはできるだけ情報を流してくれるそうだ」

「ほう・・・」

「代わりに金銭を要求するそうだけど」

「高くつくぞ、それ」

「ある程度は覚悟してるさ。でも、ベルンに密偵組織を一つ作る労力に比べれば随分ましだと思わないか?」

「そりゃな」

 

その時、扉がノックされた。

戸が開き、入ってきたのはニニアンであった。

 

「エリウッド様、エレノア様がお呼びで・・・あっ、申し訳ありません。お話し中でしたか?」

「気にしないでくれ。ハングと話してただけだ」

「おい、それどういう意味だよ」

 

据わった目でエリウッドを睨みつけたハングを見事に黙殺し、エリウッドはニニアンを呼び、自分の隣に座らせた。エレノアからの案件はどうやら急ぎではないようだった。

 

「お久しぶりです・・・ハング様」

「『さん』付けでいい。なんだかこそばゆい」

「はい、ハングさん」

 

ニニアンと会うのは【魔の島】からの帰り道で別れた時以来であった。

だが、一年という歳月程度は竜の娘の容姿はそう変わらないようだった。

 

ただ・・・

 

「少し、ふくよかになったか?」

 

頬や腕の肉付きが少し良くなっているような気がして、ハングはそう言った。

だが、その言葉を受けてニニアンは酷くショックを受けたような顔をした。

 

「えっ!?」

「ハング・・・君は・・・」

 

怪訝な顔をするエリウッドの顔を見てハングは自分が何を言ったのか少しの間考えた。

そして、ニニアンが元々は神に仕える踊り子であったことを思い出したのだった。

 

「あ・・・いやいや!良い意味だぞ!今までのニニアンはちょっと痩せすぎだったぐらいだから!それが少し健康的になったと・・・」

「言い訳は見苦しいよ」

「だから話を聞けっての!!」

 

必死に言い訳を繰り返すハング。からかわれているだけだというのはわかっていたが、ハングはあえてその役割を甘んじた。抵抗する術もあるにはあったが、最終的にはニニアンが笑ってくれたのでまぁよしとしておいた。

 

「ああ、そうだ・・・リンディスからもう一つ伝言があるのを忘れてた。『ニニアンとお幸せに』だってさ」

「・・・あ・・・ありがとうございます・・・」

「俺からも同じ言葉を送らせてもらうよ・・・結婚するんだろ?」

 

その言葉にエリウッドは頷き、ニニアンの手を取る。

 

「即位式もあるし・・・またしばらく騒がしくなるから、その後にでも結婚式を挙げるつもりだ。まぁ、一年後か二年後になるかもしれない」

「・・・そうか・・・そこには出席できないかもな・・・」

 

そのハングの言葉だけでエリウッドはキアランの状況を大まかに察した。

 

ハウゼンがもう長くはなく、その後の統治はオスティアに任される。

その時、ハングはもうリキア同盟内にはいないだろうという意味であった。

 

「また旅に出るのかい?」

「ああ・・・引き留めるか?」

「無駄なことはしない主義だ」

「そいつは初耳だったな」

「僕も初めて言ってみた。違和感がありすぎるな」

「自覚してるならいい」

 

ハングとエリウッドの会話を聞きながら、幸せそうに微笑んでるニニアン。

ハングは少しだけ先程の意趣返しをしてみることにした。

 

「それで?後継ぎはいつごろ誕生の予定なんだ?」

「なっ!」

「は、ハングさん!!」

 

その言葉には二人揃って顔を赤く染めてくれた。

 

「ははっ、照れるな照れるな。あれからもう一年だ。そろそろじゃないのか?」

 

ニニアンの顔が耳の先まで真っ赤になっていく。

エリウッドが焦ったように動揺してくれた。

 

悪戯としては成功だった。

 

「くっ・・・ハングも随分とヘクトルに似てきたね」

「なっ!!それは言いすぎだろ!」

「いや、ヘクトルも必ずそう言うと思うよ」

「俺はあいつほど下品じゃないぞ!!」

 

とばっちりでヘクトルが貶められたことは余談である。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

即位式の当日。

 

ハングは城内を歩き、城壁の上という最も人の少ない場所を見つけて足を進めた。

だが、階段を上がった先には先客がいた。

 

 

「あら、ハング殿ではありませんか」

「エレノア様・・・あ、自分は失礼します」

「構いませんわ・・・というより、よろしければここにいてくださいませんか?話し相手が欲しかったところです」

「・・・仰せのままに」

 

仰々しい言葉使いをしつつもハングは笑顔でそう言った。

 

「ハング殿はどうしてこんなところにいらしたんですか?」

 

エレノアの質問にハングは肩をすくめた。

 

「談話室にいたんですが・・・痴話喧嘩に出くわしまして」

「痴話喧嘩?」

「イサドラさんとハーケンさんですよ。しょうもないことでああだこうだ。聞いてるこっちの腹が膨れそうだったので退散してきた次第でして」

「それで城壁まで?」

「自室には仕事が山になってますから、帰りたくないんです」

「あらあら・・・」

 

上品に笑うエレノア。ハングはその笑顔を見ながら『この人いくつだろ?』との疑問を持っていた。

エリウッドを産んだとは思えない程の若々しさだ。

 

「そうでした。ハング殿に言っておきたいことがあったのです」

「なんでしょうか?」

 

すると、エレノアはハングに向けて深々と頭を下げたきた。

 

「・・・ありがとうございます」

「あっ、ちょ・・・どうしたんですか。顔をあげてください」

「・・・息子を・・・エリウッドを支えていただいたこと・・・まだ、礼も言っておりませんでした」

「いや・・・自分は・・・」

 

何もしていない。

 

そう言おうとして、ハングは慌てて口をつぐんだ。

エレノアから礼は尽くされてしまった。ならば受け取らない方が失礼にあたる。

 

ハングは片膝をついて頭を低くして、仰々しい言葉を並べようとした。

 

「謹んでお受けし・・・」

「ハング殿、謙虚も度が過ぎれば失礼ですよ」

 

ハングの言葉が喉奥で止まる。顔を上げるとエレノアは腹の内を読ませない微笑を浮かべていた。

 

さすがはエリウッドの母親だった。

つくづく軍師としての自分の能力を疑わせてくれる一家であった。

 

ハングは騎士の真似事をやめ、改めてエレノアに向き直った。

 

「・・・では・・・なんといいましょうか?」

「お礼を言われた時は?」

「『どういたしまして』」

「よくできました」

 

完全に手玉に取られている。

 

エレノアにとってはハングもまだまだ雛というわけだろうか。

 

「ふふふ・・・冗談はさておき・・・本当にありがとうございました」

「礼も過ぎれば・・・なんて言葉もありますよ」

 

ハングの精一杯の切り替えしは笑顔で迎え撃たれた。

どうにもこうにも、勝てそうにない。

ハングはもう抵抗することを諦めた。

 

「ハング殿・・・あなたから見てこの領地はどう思いますか?」

「・・・俺の独断の意見ですよ」

「それはそうでしょう。私はその意見を聞きたいのです」

「・・・マーカス様が率いる騎馬部隊を中心とした軍部はとても充実してます。財政面もマリナス様が頭角を現してきていますし、人材としてはリキアの片隅に収まりきらないものはあると思っています」

「過大評価では?」

「一応、これでも文官の仕事もこなしてきてますから。土地を見る目はあるつもりです」

「・・・そうですか」

 

ハングはそのまま意見を続けた。

 

「土地は豊かで、サンタルスを統治することにより物流もまた豊かになりつつある。そして、なにより・・・」

 

ハングは城壁から下を見下ろした。

 

そこは既に今日の即位式の為に周囲の村々から集まった人達であふれかえっていた。

 

「そしてなにより・・・人望に優れ、責任感を持ち、成長する意気込みにあふれる人物が今日侯爵として即位します・・・ここの未来が明るくないわけがない」

 

ハングはそのまま視線をエレノアに戻した。

 

「俺は・・・そう思いますよ」

「・・・そうですか・・・ハング殿のお墨付きがあるなら・・・大丈夫ですね」

 

そこまで信用されても困る

 

そう思ったがハングは何も言わなかった。

なぜなら、ハングは自分の意見が間違っているとは思っていなかったからだ。

 

「エレノア様!ここでしたか!」

「あら、マーカス」

「女中が探しておりました。儀礼用の服の準備をお早くお願いしますぞ」

「ええ、そうするわ・・・すぐに行きます」

「はっ!」

 

敬礼をして去っていくマーカスを見送り、エレノアは最後にハングを振り返った。

 

「ハング殿」

「はい」

「・・・お話・・・楽しかったです。また、時間があれば・・・」

「ええ、今度はエリウッドとニニアンも交えて」

「それは楽しそうね・・・それでは、即位式でお会いしましょう」

「はっ!」

 

ハングは太陽の位置でおおよその時間を確かめる。

そろそろ痴話喧嘩も収まったかと思い、ハングも城内に戻って行った。

 

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

即位式の為の儀礼用の服を身に纏ったエリウッドが談話室を訪れたのはもう間もなく即位式が始まるという頃だった。だが、まだオスティア侯爵が来訪しておらず式の開始を遅らせるかもしれないという話になっていた。

 

エリウッドが談話室の扉を開けると、そこには椅子に深々と腰かけて疲れ切っているハングがいた。

 

「ハング、どうしたんだい?」

「よう」

 

ハングは呆れたような顔をして右手をあげる。

 

「さっきイサドラとハーケンが手を取り合ってここから出てきたが・・・それと関係あるかい?」

「・・・聞くな・・・バカバカしい・・・」

 

ハングは大きくため息を吐いて顔を覆った。

 

結局、喧嘩はなかなか収まらず、ハングが仲裁に入った。

そのはずなのに、途中からはハングは蚊帳の外。勝手に仲直りして、勝手に絆を再確認して出て行った。

 

仲が良いのは構わないが、できれば自分の目の届かないところでやってくれというのがハングの本音であった。

 

「・・・そういや、昔からよく喧嘩してはすぐ仲直りしてたな・・・あの二人」

 

二人と最初に会った時のことを思い出し、ハングはそう呟いた。

 

「そうか、ハングは僕と会う前にも彼らに会っていたんだね」

「エルバート様の手伝いをした時にな・・・まぁ、なんというか・・・遠い昔のような気がするな」

「実際、遠いだろ」

 

ハングはあの頃のエルバート様を思い出し、目の前のエリウッドと見比べようとした。

そして、それが無意味だと気付く。

 

エリウッドはエルバートの息子だ。外面や内面が多少似てるのは当然だろう。

その上で、エルバートを越えられるかどうかはこれからのエリウッド次第だ。

 

先代と比較するのはまだ先の話だ。

 

そんなエリウッドを頭からつま先まで見下ろし、ハングは腕を組んだ。

 

「それにしても、似合わないな」

「え?この服?やっぱり似合わないかな。儀礼用の服は堅苦しくて苦手だよ・・・」

「お前、ヘクトルに似てきたな」

 

ハングがそう言うとエリウッドは先日のやりとりを思い出して声をあげて笑った。

 

「で、ヘクトルは到着したのか?」

「さっき付近の村についたと連絡があった。今、迎えの馬を走らせた」

「まったく慌ただしい、即位式の当日に到着ってどういうことだよ」

「彼も忙しいんだよ」

「だからってな・・・」

 

談話室の窓の外からは既に大勢の人が集まっている雰囲気が伝わってくる。

城内でも色んな人が準備に奔走している。

そんな時、再び談話室の扉が開いた。

 

「・・・エリウッド様、ハングさんは・・・」

「ここにいたよ、ニニアン」

 

エリウッドが彼女を呼ぶと、開いたドアからやはり礼服に身を包んだニニアンが現れた。

その姿にハングは関心したように口笛を吹いた。

 

美しい髪や真っ白な肌に儀礼用の装飾が素晴らしく調和していた。

それなのに、エリウッドと並ぶと見事にエリウッドから一歩引く色合いにになっていて主役をきっちりと引き立ている。名のある絵描きに彼女を見せれば金を払ってでも描きたいという人が現れるかもしれない。

 

「ほう・・・こりゃまた見違えたな」

「驚いたかい?」

「いや驚いた」

「だろう?」

 

なぜか自慢げなエリウッドと褒められてる自覚のないニニアン。

 

「母が八方手を尽くして作らせた力作だよ」

「なるほどな・・・」

 

ハングはあの元気なエレノアのことを思い出し、さもあんなりというように頷いた。

 

「そういや、二人共、俺を探してたのか?」

「ああ・・・できれば即位する前に・・・まだ公子であるうちに君に会いたかったんだ」

「・・・つまり。まだ俺がお前の軍師であるうちに・・・ってことか?」

「察しがよくて助かるよ」

 

エリウッドとニニアンは目でお互いの意志を再確認し、話を切り出した。

 

「二人で話し合ったんだが・・・その、僕達二人の最初の子供の名前は・・・ハング、君に付けてもらいたいんだ」

「・・・お願いします」

 

ハングは困ったように右腕で頭をかいた。

 

「ダメか?」

「いや、それは構わないんだが・・・ヘクトルもお前も・・・なんで俺に頼むんだ?」

「それは決まってるだろ。君が僕らの軍師だからだ」

 

そう言われては何も返せない。

 

ハングは紙とペンを渡してもらい、男と女と両方の場合の名前をいくつか書こうとした。

だが、最初の名前を書こうとした瞬間にペンが止まった。

 

そして、こちらを見る二人の顔を交互に見やる。

 

「・・・そうだな・・・」

 

そして、ハングは一つの名前を書いた。

 

「これは・・・男の子の名前かい?」

「ああ、そうだ・・・なぜかこれが頭に浮かんだ。女の子だったら俺はお手上げとさせてもらうよ」

「ニニアン、どうだい?」

「・・・素敵な名前だと思います」

「僕もそう思うよ」

 

【Roy】

 

「ロイ・・・良い名前だ。ありがとう、ハング」

「お安い御用さ」

 

ハングは笑ってそう言った。

 

その時、盛大に扉が開け放たれ、礼服を着たヘクトルが現れた。

 

「おう!エリウッド!ニニアン!!・・・と、ハングもいんのか」

「ついでか。俺は?」

「そりゃついでだ。今日の主役はエリウッドだからな」

「ヘクトル、来てくれて嬉しいよ」

「親友の晴れ舞台なんだ。何があったって駆けつけるさ」

 

途端に部屋の中が騒がしくなる。

 

「ヘクトル様・・・おひさしぶりです・・・」

「ニニアンも久しぶりだ。そうやって二人並んでる姿、よく似合ってるぜ」

「はい・・・ありがとうございます・・・」

 

会釈をするニニアンの隣でエリウッドが微笑を浮かべる

 

「世辞が言えるようになったとは、随分成長したねヘクトル」

「お前の皮肉も随分成長したなエリウッド。ハングに似てきたぞ」

 

その評価にハングは眉間に皺を寄せる。

 

「おい、俺はここまで狸じゃない」

「どうだか、俺からいわせりゃハングもエリウッドも大して変わらねぇよ」

 

そんなものだろうか、ハングとエリウッドは顔を見合わせた。

そして同時に肩をすくめる。

本人同士にはよくわからない話だった。

 

「それで、エリウッド。後継ぎはいつごろ誕生の予定だ?」

「・・・ほらね、ハング」

「・・・・・・・・・はぁ・・・」

「くすくす・・・」

「あぁ?どうしたんだ三人とも」

「なんでもないよ。さぁ、そろそろ時間だ。いこうか」

 

部屋を出ようとするエリウッド。

ハングはその肩を右腕で叩いた。

 

「しっかりな」

「・・・ああ」

 

余計な言葉は不要。

ヘクトルもまた、エリウッドの背中に張り手を叩きつけた。

 

「頑張れよ」

「ありがとう」

「おう!」

 

前に進むエリウッド。

 

今日はハング達は一歩下がったところからそれを見ていた。

 



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エピローグ~結婚式~

ここはキアラン城。

 

ハウゼンの自室であった。

 

ハウゼンは既にやせ細り、食事も満足に取れない程に衰弱してしまっていた。

補助がなければ体も起こすことはできない。もう、(とこ)で死を待つばかりの状態。

 

だが、今のハウゼンの表情は決して暗いものではなかった。

 

「・・・レーゼマン・・・」

「はい、ハウゼン様」

 

ハウゼンは傍にいた自分の信頼する宰相の名を呼んだ。

 

「わたしは・・・幸せだ・・・」

「・・・ハウゼン様・・・」

「起こしてくれ・・・せめて・・・最後ぐらい・・・かっこつけさせて欲しい」

「仰せのままに」

「ふふふ・・・かしこまらないでくれ・・・友よ」

「・・・はい」

 

レーゼマンはハウゼンを支え、その背中に木枠で固めた枕を積んだ。

その部屋の隅には既にケント、セイン、フィオーラ、ファリナが並び、背筋を伸ばして屹立していた。

 

彼等は護衛ではない。その証拠に彼等は一切の武装をしておらず、鎧もつけていなかった。

彼等は皆、一人の友人としてこの場に立っていた。

 

ノックの音がしたのはその時だった。

 

入ってきたのは礼服に身を包んだハング。

そして、それと同じく礼服を着こんだウィルとフロリーナだった。

ハングはいつもより少し硬い顔をしていた。

フロリーナは随分と落ち着いた様子。

そして、ウィルはガチガチに固まっていた。

 

「失礼します」

「・・・し、失礼!します!」

「失礼します」

 

ハングはウィルに軽くひじ打ちを入れた。

 

「お前が一番に緊張してどうする。フロリーナでさえ落ち着いてるぞ」

「だってさ!だってさ!フロリーナはもう侯爵婦人なんだぜ!俺はただの一般人だ!こんな場所で緊張するなってのが無理だ!」

「うるさい」

 

ハングは問答無用とばかりにウィルの足を踏み抜いた。

 

「・・・・っ!!」

 

音にならない悲鳴をあげたウィル。

レーゼマンが呆れたように首を振り、ハウゼンは楽しそうに笑った。

 

そしてまたノックの音。

 

入ってきたのは聖職者。

 

「来ていただいてありがとうございます・・・ルセアさん・・・それと、レナートさんも」

 

ハングは入ってきたレナートの顔を見上げる。

ハングよりもわずかに高い位置にある彼の顔は【魔の島】で会った時と比べてどこか憑き物が落ちたような顔になっていた。

 

レナートは首を小さく横に振り、ハングの肩に手を置いた。

 

「無理を言ってすまなかったな」

「いえ。ただ、意外でした・・・レナートさんが俺らの祝福を担ってくださるなんて・・・」

 

今日は結婚式。

 

ハウゼンの病態が悪化した。

だからせめて、ハウゼンが存命のうちに孫娘の晴れ舞台を見せてあげたかった。

それが、この場を作ったのだった。

 

最初、ハングはルセアに声をかけた。

だが、そのルセアからレナートへと話が行き、彼が『是非やらせて欲しい』と願い出たのだった。

 

彼がどうしてそう言いだしたのかはハングも知らない。

知ろうともしなかった。だけど、きっとそれが良いことになると、ハングの中の『誰』かがそう訴えかけたような気がしたのだ。

 

「ルセアさんも、お忙しかったでしょう?」

「いえいえ。お二人の最高の舞台ですからね。微力ながらお手伝いさせていただきます・・・レイヴァン様が来られないのは残念ですが」

「あいつらしいですよ・・・」

 

そして、ハング達は静かにその時を待った。

 

三度目のノック。

 

ハングは息を吐き出し、気持ちを引き締めた。

 

扉が開いた。夕陽が差し込む。

 

その光の中に彼女がいた。

 

橙色の光の中で彼女は白く輝いていた。

 

純白のウェディンドレスを身に纏ったリンディス。

 

一瞬、ハングは自分を見失った。

彼女があまりにも綺麗で、あまりにも美しくて、自分が今何をしているのかハングは見失いそうになった。

 

見とれていた。

見惚れていた。

 

そんな表現すら陳腐に思える程に今の彼女は輝いていた。

 

彼女と目が合い、ハングはようやく我に返った。

 

リンディスが歩を進める。

エスコートするのは既に涙で顔面をぐちゃぐちゃにしたワレスであった。

 

楽器も歌もない、静かな結婚式。

 

リンディスはハウゼンのもとへ行き、頭の上のベールを降ろしてもらう。

 

「・・・綺麗だよ・・・リンディス」

「・・・おじいさま・・・」

 

リンディスが泣くまいとしているのがすぐにわかる声だった。

 

ハングはこっそりとほくそ笑んだセインと目があった。

多分、自分も同じ顔をしているのだろう。

 

そして、リンディスのもとへとハングは歩み寄る。

 

「ハング殿!ハング殿!このワレス!このワレスは!!うおぉおおおん!!」

 

最早、泣いてるのか叫んでるのかわからないワレス。

その腕からリンディスが離れ、ハングの腕に手を乗せる。

 

「お前も泣くか?」

「泣かないわよ」

 

ワレスが誰よりも声を上げて泣いているせいで、緊張が良い具合にほぐれていた。

ハングは部屋の中を少し歩き、ハウゼンの隣でレナートの前に立った。

 

「・・・それでは、これより・・・お二人の結婚式をとりおこないます」

 

レナートの宣言。

ただ、これから行う言い回しは本来のリキアの伝統のものとは異なる。

それは、リンディスの希望だった。

 

「ハング、あなたはこの者を妻とし、長き旅路の中、一欠片のパンを共に分け合い、一雫の水を共に啜り、父なる空のもと永遠に彼女を愛することを誓いますか?」

「・・・はい、誓います」

 

それはサカの民に伝わる誓いの言葉。

 

「リンディス、あなたはこの者を夫とし、長き旅路の中で、一欠片のパンを共に分け合い、一雫の水を共に啜り、母なる大地の上で永遠に彼を愛することを誓いますか?、」

「・・・はい、誓います」

 

かつて、彼女の父と母がサカの草原で交わした誓いを今ここで執り行う。

それがリンディスの希望だった。

 

実の娘の結婚式を見ることができなかったハウゼンへの彼女なりの気持ちであった。

 

「では・・・指輪をここに・・・」

 

ルセアがレナートへと二つの指輪の乗った箱を手渡した。

その指輪は決して高級な品ではない。

どこにでもあるただのシルバーリング。

ただ、そこに刻まれた模様は今ハウゼン様が身に着けている品と同じもの。キアランの家系のものであることを示す文様だった。

 

ハングはウィルに手袋を渡す。ウィルはその手袋がまるで爆弾でもあるかのように震える手でその手袋を受け取っていた。

 

その隣でリンディスは手にしたブーケと手袋をフロリーナに渡した。

 

「・・・リン・・・綺麗よ」

「ありがと」

 

ハングとリンディスは再びレナートへと向き直る。

 

「それでは・・・指輪の交換を・・・」

 

ハングは差し出された指輪を手に取った。

 

ただのシルバーリングのはずなのに、異常な程に重く感じた。

 

「これが・・・幸せの重さ・・・かな」

 

口の中だけでそう呟き、伸ばされたリンディスの左手を手に取った。

ハングは器用にその手の薬指に右手だけでリングを滑らせた。

 

「ハングも泣いちゃう?」

「泣くかよ」

 

小声で話し、笑う。

ワレスがまだ声をあげて泣いているので誰も気にしなかった。

 

「ハングは、右手になるのね」

「・・・しかたないさ」

 

左腕は過去に置いてきた。

ハングはリンディスに右手を伸ばす。

 

リンディスはその手を取り、薬指に指輪を差し込んだ。

 

「では・・・誓いの口づけを」

 

ハングは右手で彼女のベールを持ち上げた。

二人の間に遮るものは何も無い。

 

見上げててくる彼女の深緑色の瞳。

 

この瞳に憧れて、焦がれて、恋をした。

 

ゆっくりと瞼に隠れるその瞳を見つめ、ハングは彼女の顔に近づく。

 

ここに来たかった。

 

この場所に立ちたかった。

 

ハングはその思いを噛みしめるように、彼女の口元にそっと自分の唇を重ねた。

 

祝いの鐘も、飛び立つ鳩もいない。

 

それでもここにいる人の拍手に包まれたことがハングにとって何よりもの祝福だった。

 

 

キアラン侯爵ハウゼンが亡くなったのはその三日後のことだった。



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エピローグ~軍師と剣士~

ハングは以前よりハウゼン様亡き後はキアラン領をオスティアに統治をしてもらうように話を進めていた。有力者への根回しや、仕事の引き継ぎ作業も既にあらかた終えている。

葬儀やそれにまつわる雑務を終えれば、キアラン城はすぐに以前と変わらない落ち着きを取り戻していた。

 

唯一変わったことといえば、ハングとリンディスが同じ部屋で寝て、同じ部屋で起きるようになったことぐらいであった。

 

「ハング、今日は訓練場に付き合って」

「はいはい、どこへでも付き合うよ」

 

ハングがリンディスと共に訓練場を訪れると、ケントがちょうど休憩を宣言するところだった。

 

「これはリンディス様とハング様」

「俺に『様』なんかつけるなよ」

「いえ、ハング様は今やキアラン侯爵夫人です。これぐらいの敬称は当然でしょう」

「・・・名目上だ。それももう終わるんだし、せめて『殿』にしてくれないか?どうにもこそばゆい」

「ご命令とあらば従いましょう」

「・・・俺、ケントを怒らせるようなことなんかしたか?」

「いえ、そういうわけではありません」

 

ハングはセインが『あいつは頭が堅すぎる』と言っていた意味を最近ようやく理解してきた。

 

周囲を見渡していたリンディスであったが、探していた人物がおらず、ケントに尋ねる。

 

「ファリナ姉さんは?」

「ファリナなら巡回に出ています。もうじき戻ってきますよ」

 

その時、別の場所で訓練をしていたセインが戻ってきた

 

「おおお!!リンディス様おベらナアア!!!」

 

登場するなり退場してしまったセイン。

キアラン城に雇われているフィオーラの見事な投げ技であった。

 

それを横目にリンディスはなんでもなかったように話を続ける。

 

「ケント、みんなの予定を聞いておいてくれる?近いうちに、みんなで少し話がしたいの」

「わかりました。セイン!貴様はどうだ?」

「こ、今夜が・・・あ、空いてます・・・」

「フィオーラ殿は?」

「私も今夜でしたら大丈夫です」

 

この分だと、今日の夜にでも集まることになりそうだ。

ハングはそう思いつつ、セインの頭を踏みつけていた足を離した。

 

「リン、用事は終わったか?」

「ええ。だから、次に行くわよ」

「了解」

 

意気揚々とついていったハングであったが、次に連れてこられたのが多忙化している文官達の執務室であったため、その顔からすぐに表情を消した。

 

「それじゃあ、ハングを置いて行くから。存分にこきつかってあげて。夜には回収に来るから」

「ありがとうございますリンディス様!ささっ!ハング殿!こちらにすぐさま取り掛かっていただきたい案件が・・・」

「おい待て!こっちが先だぞ!!」

「ハング殿!!こっちを手伝ってください」

「ハング殿!!例の件ですが」

「くそったれぇ!!俺はもうすぐこの国の人間じゃなくなるんだからこういう仕事にはもう手を出さねぇってあれほど・・・」

 

ハングの悲鳴を聞きながら、リンディスはクスクスと笑いをこらえて扉を閉じたのだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

 

その日の夜にはハングを含めて昔の仲間達が集まることができた。

 

「それじゃあ、改めて。ハングとリンディス様の結婚を祝して。乾杯!」

 

セインの音頭に合わせて木のジョッキが打ち合わされる。

 

二人の結婚式の後は色々と慌ただしくなったため、昔の仲間がこうして集まるのは久しぶりであった。皆の話題は当然のようにあの時の結婚式のものへとなっていく。

 

「ウィルが緊張しすぎでさ。手袋受け取る時ずっと震えてんやがんの」

「緊張すんのはしょうがないだろ!」

 

顔を真っ赤にするウィルを見て、ファリナがケラケラと笑う。

 

「私達のところからでも震えてるのがわかったよ。あれでみんな笑っちゃって」

「ファリナもやってみろって!めっっちゃ緊張するから!!」

 

ひとしきり笑い合い、そして話題は先のことへと変わる。

 

「お二人はこれからどうするんですか?」

 

ケントがハングとリンディスに向けてそう言った。

 

「皆はもうなんとなく察してると思うのだけど・・・」

 

リンディスがそう言うと、セインとウィルは曖昧に頷いた。

 

「帰るん・・・ですね」

「ええ、私は・・・サカの民だもん」

 

キアランをオスティアに任せることを発表したのは生前のハウゼンであった。

リンディスの今後については正式な発表はしなかったが、多くの人がそのことを知っていた。

 

『皆は理解してくれる』

 

ハングにそう言われていたが、リンディスの中にはキアランから離れることに対してわずかに罪悪感が残っていた。

 

「ごめんなさい・・・無責任な・・・公女で」

「謝ってはだめですよ、リン」

「え?」

 

そう言ったのはフィオーラだった。

 

「リンが謝らなくていいように。ハング殿が奔走してくれたんです」

「・・・フィオーラ姉さん・・・」

「リンが謝ってしまえばその努力が無駄になります。だから、リン。謝ってはだめですよ」

「・・・・・・はい」

「よろしい」

 

そんな二人の会話を聞き『間違いなく彼女はリンディスの姉でもあるんだな』と、ハングはそんなことを思った。

 

「セイン、お前本当にいい女捕まえたな」

「いやぁ、そうでしょうそうでしょうとも!実は最近はフィオーラさんからもスキンシップを取ってくれるようにダギャアアカアガ!」

 

何かを口走ろうとしたセインが顔を真っ赤にしたフィオーラに吹き飛ばされる。

なんだかんだ言って二人の仲も少しは変わってきているようであった。

 

それに比べてケントとファリナの進行はまるでない。

 

ケントが鈍くて、ファリナが恋愛に慣れてないから全く進展しない

二人でいる時間は大分長くなっているらしいが、それが何か変化を産んだかといえば首を傾げるばかりだった。

 

「そんで、セイン、ここがオスティア領になったらどうするんだ?」

「お、俺ですか・・・」

 

椅子に這い上がってきたセインは酒を口にしてなんとか身体を起こした。

 

「俺は除隊するつもりですよ。俺が仕えるのはあくまでキアラン侯爵家ですから」

「で、行く先は?」

「イリアです!!!」

 

高らかに宣言するセイン。

その辺りはもう誰しもが予想できていたことなので、深く突っ込みはしなかった。

 

「ケントはどうするんだ?」

「・・・そうですね・・・私も二家に仕えるというのには少々抵抗がありまして・・・ですが、このキアランの今後も気になりますし・・・ヒース殿も除隊してしまい、隊長となれる者が今の中ではいないのも・・・」

「そこは気にするな、次期隊長の候補ぐらいはこっちで把握してる」

「そうなのですか?」

「これでも、侯爵夫人だからな」

 

ハングは少し笑い、真面目な顔に変わる。

 

「ケントは何かしたいことはないのか?」

「・・・そうですね・・・」

 

ケントは考えるように目を瞑り、苦笑いを浮かべた。

 

「・・・ないですね・・・私は今までキアラン家に仕えることだけを考えていましたから・・・そうですね・・・『したいこと』と言われると・・・なかなか・・・」

「お前は根っからの騎士なんだな・・・それが悪いとは思わないがな・・・」

 

騎士は誇りを胸に大事なものを護る者。

キアラン家という護る対象がなくなり、今はどう動いていいかわからなくなっている。

ケントも騎士として変わっていくべき時期なのかもしれない。

 

ハングはふとファリナを横目で見た。

 

彼女は難しい顔をしながらジョッキの中の酒を睨んでいた。

水面に映る自分の顔でも睨みつけているようだった。

 

このままでは埒が明かないだろうと思い、ハングは一つ提案をしてみた。

 

「ケント・・・自由騎士とかになる気はないか?」

「自由騎士・・・ですか?」

 

『自由騎士』とは特定の誰かに仕えることなく、給金をもらって自らの武力を提供する騎士達の総称だ。

やっていることは傭兵と変わりないが、騎士として受勲したことのある者に対しては敬意をもってこの呼称が使われる。

 

ハングの提案にファリナが勢いよく顔をあげた。

 

「そ、それならイリアに来たらいいよ!仕事もあるし!わ、私だって・・・そろそろイリアに帰るし・・・」

「ファリナ、君の契約が終わるのはまだ先のはずだが・・・」

「うっ・・・そ、そうだけど・・・」

 

ハングは隣のリンディスを小突いた。

その意味を的確に悟ったリンディスはハングに似た不敵な笑みを浮かべた。

 

「となると、ファリナ姉さんは違約金を払ってイリアに帰るつもりなのかしら?結構な額になりますよ?」

「うっ・・・うううう・・・」

 

悶絶しだすファリナ。

ハングとリンディス、そして状況を正しく理解したセインは笑いをこらえるのに必死になっていた。

 

「・・・違約金・・・違約金は・・・ううう・・・」

「・・・ファリナ?大丈夫か?」

「ケントさんの話なのよ!!一緒に悩んでちょうだい!」

「そ、そうなのか?」

「そうなの!私と離ればなれになってもいいの!?」

「いや・・・それに関しては私がキアランに残ればいいだけではないのか?」

「へっ?・・・あれ?で、でも・・・えと・・・そうだ!ケントさんは傭兵になるんでしょ?」

「そうと決まったわけではないが」

「そうね・・・あれ?なんの話だっけ?」

 

『違約金』

 

その言葉で色んな事が抜け落ちるというのは、ファリナらしいと言える。

 

この二人は絶対に今後苦労するだろう。

だが、経験豊富なセインが隣にいるならば変にこじれることはないだろう。

 

そんなことを思いつつハングとリンディスは笑いあった。

 

「ん?みんな何がおかしいんだ?」

 

キアランに残ることを決めているウィルは首をかしげるばかりだった。

 

 

 

――――――― ※ ――――――― ※ ―――――――

 

 

城門前。

 

 

「・・・さて・・・準備はいいか?」

「ええ・・・」

 

ハングとリンディスは自分達の荷物を馬に積み込んだ。

 

その馬はリンディスと共にハングが旅立った時にサカの草原から連れてきたあの馬だった。少し年老いた馬だが力強さはまだ健在だった。

 

ハングとリンディスはここからまた、二人の旅を始める。

 

向かう先はサカの草原。

 

見送りにはレーゼマンをはじめとした文官やケント達も集まっていた。

 

「うおぉぉぉん!うおぉぉぉん!」

 

ワレスはまた泣いていた。

 

二人の前に立った宰相のレーゼマンは深々と頭を下げた。

 

「・・・リンディス様、ハング様・・・お世話になりました」

「レーゼマンさん!顔をあげてください!」

 

ハングが慌ててそう言うが、レーゼマンは顔をあげてくれない。

 

それだけ彼の二人に対する感謝の念は大きかった。

後継者争いで無茶苦茶になりかけたキアランを正し、その後の度重なる戦火においてもキアランをすんでのところで救ってもらった。そんな二人にレーゼマンは感謝してもしきれなかった。

 

ハング達はレーゼマンから再三にわたって感謝の言葉を受け取った。

そして、レーゼマンが顔をようやく上げれば次は他の文官や武官たちからの御礼の嵐だ。彼等の手を一人一人握り、顔をあげてくれるまで根気よく宥め、ようやくハングとリンディスは昔の仲間達に囲まれた。

 

ウィルはハングの右手を握り、上下に何度も振った。

 

「ハング、俺!お前と出会えてよかったよ」

「俺もウィルと出会えて・・・よかったのかな?」

「うわっ!ひでぇ!」

「冗談だ。お前に会えて本当によかった」

「ほうほう、どんなふうによかった?」

「・・・・・・・・・」

「おい!!」

 

ウィルを毎日からかうのもこれが最後かと思うと少しさびしいハングであった。

その隣ではセインがリンディスの手を握っていた。

下心が無い彼の握手を見るのは久々であった。

 

「リンディス様、ハング殿と喧嘩したらいつでもイリアにいらしてください!フィオーラさんと一緒に味方になりますよ!!」

「セインに味方になられてもね・・・」

「ああ、つれない態度もステキです」

「セイン、フィオーラ姉さんが向こうで怖い顔してるわよ」

 

ウィルと入れ替わりにケントがハングに握手を求めた。

 

「ハング殿。私もイリアに行くことにしました。ファリナと・・・セインに誘われまして」

「へぇ、ってことはまたセインとの相棒関係は続くってわけか」

「そうなりますね」

「・・・そっか・・・そういやファリナの違約金はどうするんだ?」

「『そんなものいらない』とおっしゃったのはハング殿ではなかったですか?」

「そうだったかな」

 

そして、ハングは最後にケント達と拳を合わせた。

 

「ハング、また会おうぜ!」と、ウィルが言う。

「こちらからも会いにいかせてもらいます」と、ケントが珍しく笑顔を見せた。

「ハング殿!俺達の絆は永遠に不滅だぜ!!」と、セインがとりあえずカッコよさそうなことを言っていた。

 

ハングは「おう」とだけ返事をしてお互いの拳を打ち合わせる。

 

「いいな、男の子って」

 

そう言ったリンディスの脇をファリナが肘で突いた。

 

「リンも乙女になっちゃってまあ」

「ファリナ姉さんだってそうじゃないですか」

「うっ・・・まあ・・・確かに」

 

わずかに頬を染めたファリナ。

フィオーラはそんな二人に柔らかな笑顔を向けた。

 

「リン。いつでもイリアに遊びに来てね」

「はい、必ず行きます」

 

そして、ハングとリンディスは最後に集まってくれた皆に向けて頭を下げた。

 

「長い間、お世話になりました」

「また、いつでも帰ってきてください。ここは、お二人の故郷ですから」

「はい・・・」

 

レーゼマンの言葉に色々なことを思い出す。

 

リンディスと共にここを目指し、一度はここで別れ、そして危機に駆け付けた。

 

そんな城にハング達は背を向けた。

 

「リンディス様!!」

「ハング様!!」

 

その時だった。

 

「お幸せになってください!」

「またいつでも帰ってきてくださいね!」

「リンディス様!お元気で!」

「ハング!!姫様泣かせるんじゃねぇぞ!!」

「リンディス様!万歳!!」

「ハング殿!万歳!!」

 

城門から続く城下町。

そこに何人もの人が見送りに来ていた。

 

「・・・ハング・・・私泣きそう」

「俺もだ」

 

ハングとリンディスが歩を進めると、布で作った造花が頭上から降り注いだ。

 

「ハング様!お幸せに!!」

「リンディス様!笑ってください!」

「ハング殿!」

「リンディス様!」

「お二人の旅立ちに祝福を!!」

 

どこかから鐘が鳴り響く。

頭上を飛んでいく鳥は草原の方向へ飛んでいくのだった。

 

「ハング・・・」

「ん?」

「私達・・・幸せだよね」

「ああ・・・そうだな」

「こんなに・・・幸せになっていいのかな?」

「さぁな・・・でも・・・悪くないだろ」

「うん・・・」

 

二人は多大な祝福を受け、キアランを後にしたのだった。

 

 

 

それから、幾年の年月が流れた。

 



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ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~【完】

俺は暗闇の中を走っていた。小さな手足をバタつかせ、大事な人の名を叫びながら走っていた。

 

『父さん!母さん!』

 

今より少し高い声で自分が叫ぶ声がどこか遠くで聞こえていた。

 

「あぁ・・・またか・・・」

 

耳から近い場所で今の自分がそう呟いた。その声が自分の意識を覚醒へと近づける。

俺はこの暗闇から逃れるために、瞼に力を込めて目を開いた。

 

そこには一人の少女が立っていた。

 

遊牧民であるサカの民によく見る出で立ちに蒼に近い翠色の髪をひとつに束ねている。目鼻立ちの整った容姿は凛とした風を髣髴とさせた。

 

「・・・リン・・・ディス?」

 

声をかけると、彼女はこちらに気が付いたかのようにゆっくりと振り返った。

 

「・・・寝ぼけてるの?」

 

そこにいたのはまだ幼い少女だった。

 

その瞳はリンディスに良く似ている。だが、それ以外はどちらかというとハング似だった。彼女は癖のある深緑色の髪を三つ編みにして一本に束ねていた。

 

彼女の名前は『エミリ』という。

 

「もう、愛妻家なのはわかるけど。私とお母さんを見間違えないで欲しいな・・・お父さん・・・」

 

ハングはそんなことを言う愛娘に苦笑いを返した。

 

「悪いな・・・若いころのリンディスにそっくりだったんだよ」

「本当!?私、母さんに似てきた!?」

「ああ・・・」

 

そう言ってはみたが、この年の頃のリンディスのことをハングはよく知らない。

でも、間違っていないだろうという確信はあった。

 

「ふふ・・・やった。ありがと、お父さん!」

 

髪を揺らしながらゲルの外へと駆け出していくエミリと入れ違いに今度は自分の愛する妻が他の子供達を引き連れて入ってきた。

 

「エミリ、どこいくの?」

「見回り!でも、気分がいいからドラゴンで草原を見渡してくる!」

「・・・もう」

 

すぐにドラゴンの羽ばたく音がしてゲルの天井が風で少し揺れる。

あのお転婆娘が空へと飛んだのだろう。

 

その様子を二人の息子がゲルの入り口から見上げていた。

 

「相変わらず姉さんはすげぇよな。もう見えなくなっちった」

「・・・・・・・ああ」

「って、キールも乗れんじゃん!」

「・・・俺は・・・馬の方が好きだ」

 

双子の息子達、寡黙なキールと饒舌なベル。

キールの髪色はハングと同じ黒だが、その容姿は典型的なサカの民だった。

それに対してベルは昔のハングとほぼ瓜二つだ。異なるのは瞳だけ。

二人の瞳はリンディスの父親であるハサルに似ているそうだった。

 

寝起きのハングを見てリンディスが眉間に皺を寄せていた。

 

「ハング、やっと起きたわね。見張り明けとはいっても、ちょっと寝過ぎよ」

「悪い・・・」

 

そして、身を起こしたハングに息子たちが目を剥いた。

 

「あっ!?父さんからも言ってやってよ!」

 

ベルとキールが突進するような勢いでハングへと詰め寄ってきた

 

「母さん、また重いもの持とうとしたんだよ!!」

「・・・叱ってやってくれ」

「あっ!二人共それは言わない約束でしょ!」

 

慌てるリンディス。

その愛する妻のお腹にはもう一つの新しい命が宿っていた。

 

「って、父さん!何笑ってんのさ!!」

「・・・激怒すべき」

 

ハングはリンディスと目を合わせた。

 

「いや・・・幸せだなって思ってさ・・・」

「父さん何言ってるの?」

「・・・・・・?」

 

疑問符を浮かべる息子達にハングは笑いかける。

 

「・・・昔の・・・夢を見たんだ」

「それって、父さんと母さんの冒険譚?」

「・・・・竜との・・・激闘?」

「いや、それじゃない」

 

ハングは起き上がり、右腕で順に息子の頭を撫で、最後にリンディスを抱きしめた。

 

「え・・・あ・・・ちょ・・・ハング・・・」

「・・・俺が・・・お前と出会う前の夢だ」

 

その台詞を聞き、リンディスは「バカね」と言って、怖い夢を見た子供を慰めるようにハングの背中に手を回した。ハングはその温もりに安心するように微笑み、リンディスの唇に口づけを落とす。

 

「あ~あ・・・また始まった・・・熱い熱い」

「・・・・・・自重してほしい」

 

キールとベルがヤレヤレと視界から二人を外す。

 

「なんだ?お前らもしてほしいのか?」

「うわっ!父さん!ちょっと!!」

「・・・・・・・」

 

逃げようとするベルと黙って受け入れてくれるキール。

 

「あっ!ずるい!私も!!」

 

そして、いつの間にか戻ってきたエミリがハングの背中に抱き着いた。

 

「うわっと・・・ったく・・・」

 

そんな彼らを見て、リンディスは微笑んだ。

そこには彼女が取り返したくて仕方のなかった『家族』が確かにあった。

 

「・・・あ、そうだ」

 

ハングの背中にぶらさがっていたエミリがハングから飛び降りながら言った。

 

「クトラ族の族長が会いに来てたわよ。ギィさんも連れて」

「なっ、それを先に言え!!」

 

ハングはエミリの発言に慌ててサカの民族装束をまとった。

 

「あぁそうだ、忘れるとこだった」

 

そして、ゲルの入り口でハングはリンディスを振り返る。

 

「説教は後できっちりしてやるから、覚悟はしとけよ」

「あ、あのね。ハング、私そんなに重いものは持ってないのよ?」

「キール、ベル。母さんを逃がすなよ」

「・・・うん」

「まっかせて!」

 

がっちりと左右を固めてくれた頼りになる息子たち。

 

「エミリ、ラスのとこに案内してくれ」

「はいは~い」

「『はい』は一回」

「はい、族長!」

 

ハングはエミリを引き連れ外へと飛び出した。

 

目の前に広がる青い空と白い雲と緑の草原。

 

そこを吹き抜けていく風はどこまでも続いて行くのであった。

 

 

~Fin~

 



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あとがき

大変長らくお付き合いいただき誠にありがとうございました。

もしかしたら、今後更なる後日談的な話を書くかもしれませんが、『ファイアーエムブレム 烈火の剣~軍師と剣士~』はこれにてひとまず完結とさせていただきます。

ここまでこれたのも数多くの読者の方に支えられたお陰です。

本当にありがとうございました。

 

そして、ここからはただの『あとがき』

 

自分で書き上げたこの物語について、ぐだぐだと思いの丈を綴っていくだけですので興味のある方だけどうぞお読みください。

 

さて、まず最初は『どうして烈火の剣を書き始めたのか』という点ですかね。

感想欄の返事でも時々語っていたのですが、自分が最初に手を出したFEが『烈火の剣』だったことがやはり大きいと思います。

当初はSRPGに手を出すのも初めてで、今一つ進め方がわからないまま途中でマップに詰まって諦めたり、何度もやり直したりしながら試行錯誤しました。

そして、ようやく全クリして、ヘクトル編もクリアして、支援会話を埋めた後、頭の中に浮かんでいたのがただ一つ。

 

『軍師とリンディスの絡み少なくね?』

 

当時、自分が趣味で小説を書き始めたこともあり、二次創作の分野に手を出したのが始まりでした。

最初、この小説は別のサイトに乗せていました。更新頻度は今より遅く、内容もイマイチ洗練されていなくて会話の流れがおかしかったり、感情の動きが不自然だったりと読み返すとあまりよろしくなかった。

それを加筆修正したり、物語の流れを若干修正したりしながらこのサイトに上げようと思ったわけです。

 

おかげで高頻度の更新ペースを保ってやってこれました。

 

ですが、時々間が空いていたことからも予想できると思いますが、なかなかリアルが忙しく、失踪したくなることもしばしば。

それでも、読者から感想や評価を読み直してなんとか自分を奮い立たせてここまできました。

重ね重ね、応援ありがとうございます。

 

さて、感謝の言葉もこれぐらいにして本題に戻しましょう。

 

やはり次に語るべきは『ハング』

 

今作の主人公にして大胆不敵な軍師のことです。

神策鬼謀を張り巡らせ、戦場で堂々と立ち回るくせに、どこか人間関係では失敗の多いハング。そんな彼は実は敵の作った人形である【モルフ】であり、一度は絶望に身を持ち崩すもその葛藤を乗り越えて、最後は『人間』になって幸せを掴む。

 

王道と言えば王道の設定かもしれませんが、彼が【モルフ】であることは実はこの物語の当初のプロットでは決まっていませんでした。

どこかで書いたと思いますが、ハングは最初は『相棒であるドラゴンを失った元竜騎士』でした。ベルン兵出身だったり、海賊と面識があるのはこの段階で決まっていましたが、【モルフ】ではありませんでした。彼の左腕も最初は『相棒のドラゴンの腕』を闇魔法で強引にくっつけたものになる予定でした。

そんな彼がいつから【モルフ】になったかというと、序章でキャラクターの容姿を書いている最中でした。

ハングの容姿に関しては最初は割と適当だったです。読者が感情移入しやすいように黒髪で中肉中背の日本人体系、瞳の色は少し特徴をもたせたくて茶色っぽく、軍師なんだからあんまり活動的な印象がないように白い肌。

 

そして、書いている途中に気が付いたのです。

 

『あれ?これ【モルフ】に似てるな?あっ、そうだ!【モルフ】にしちまおう!!』

 

というわけで物語のプロットを大幅修正。

ハングとネルガルの因縁や人形である自分に対する葛藤なんかの場面が産まれたわけです。

個人的にもハングが【モルフ】であることを告げられてからの怒涛の展開は一番大好きなシーン。この辺りが書いてて一番楽しかった場面でもあります。

 

一応、序章から伏線は少しずつ張っていました。

序章で描いたハングの容姿は読み返せば割と【モルフ】の特徴そのままですし、激昂すると金色に見える瞳とかも伏線でした。リン編では【モルフ】の存在は欠片も出てこないので、おそらく気づかれないだろうなと思いながら割と描写は多めにしています。

そして、エフィデルが出現してからはハングの瞳が金色に光るという描写はほとんどしていません。

流石に【モルフ】が出現してきたうえで瞳の描写を入れると気づかれる可能性が高くなると踏みました。

 

個人的には感想欄で誰かに言い当てられたらどうしようと内心びくびくしていた次第。

気づいた方がいたかもしれませんが、黙っていていただき本当にありがとうございます。

 

ちなみに、ハングの左腕なんですが、実はこの腕、当初は『ネルガルを相手にする時にしか攻撃に使わない』みたいな『復讐者』であることを印象付けるような設定を付け加えていたのですが、どうにもこうにも話の流れで使わなきゃならない場面が多くて無かったことになりました。

1章あたりで腕を構えて「暴れるか」みたいな台詞もありますし、既にこの時点で諦めております。

この腕も何かの伏線にしようかとも思ったんですが、最初に述べた通り、これはハングの初期案からの名残であり、設定が【モルフ】に変わった時点で特に意味のないものになってしまってました。

人間に変わる時に無くなったことから【モルフ】であることの象徴という意味ぐらいは持たせていましたが、どうにも持て余した感じが否めないなと自分では思っております。

けど、この腕のおかげでハングが雑魚にはある程度勝てるが、手練れになるとまるで歯が立たなくなるという設定に説得力が産まれたような気もします。

上手くもう一つストーリーを組めればよかったんでしょうが、上手くいかなかったです。

 

そんなハングを語るうえで欠かせない存在がやはり、リンディスの存在でしょう。

 

最初はただの旅の道連れに過ぎなかったが、いつの間にか惹かれ合い、お互いに欠かせない存在になっていく。

二人のエピソードで自分の中で一番好きなのは『湯気に紛れて』と『雨降る世界で』の二つです。

自分の弱っている姿を相手に見せることになるシーン。こういった少しシリアスながら、ギリギリのところで笑顔を取り戻させる。どちらかが依存するのではなく、どちらもが支え合う。そんな関係が大好きなんです。

だから、自分の書くヒロインはいつも凛々しくなりがち。

 

たまには『守られるだけの姫様』とか『無条件で敬愛してくれる妹的存在とか』書いてみようかと思うんですが・・・

まぁ、上手くいきませんよね。やはりキャラクターを生み出すからには愛を注げないことには始まらないようです。

 

さて、ハングとリンディスの関係を進展させていくにあたり、良くも悪くも反響が大きかったのはやはりヒース加入直後の喧嘩ですね。この辺りでこういった反響が来ることは自分ではまるで想像していなかったので、けっこう驚きました。

 

この辺りはハングとリンディスの関係が安定しすぎてて、何かもう一つ山を越えなければと思って加えた展開でした。つまり、『魔の島から帰ってきて』から『ハングが告白する』の間にもう一つ何かイベントがないと、間が持たないということで突っ込んだ話。

ついでにハングの過去を語る上で欠かせないヒースの加入があることから、リンディスには男に嫉妬して恋煩いをしてもらうことになりました。しかし、この喧嘩を挟んだことで二人の関係が変わったかというと、『ん?』って気もします。リンディスが『ハングのことを好き』だと気づいてから『ハングの告白』まであまり時間がなかったせいもありますしね。

 

それはさておくとしても、問題だったのは『ハングは悪くないのに女性陣から冷たい態度を取られ過ぎ』という点だったようです。

 

自分としては半ばギャグ、そして『こういった時の女性の団結力とパワーってすげぇしな・・・』と思いながら書いていました。まぁ、女性陣全員+ケントとラスからの総攻撃はやはり『やりすぎ』でしたかね。

今から書き直すなら『セーラが出合い頭に杖でフルスイングを叩き込む』ぐらいに修正するかなと思います。

ただ、これも自分の作品の歴史の一部ということで修正はしない方向です。

 

そして、物語は『ハングの告白』に移るわけです。

 

エリウッド編の展開として、封印の神殿でハングが抜け殻になってしまう流れは既に決定しており、それ以前に告白を差し込みたい。とはいえ、【魔の島】が終わるまでは色々と立て込んでいるのでゆっくりしている時間はない。そして、『アフアの雫』を告白アイテムに使いたい。

 

この縛りを満たすのはフェレ城以外には考えられませんでした。

 

感想欄では『アフアの雫』を告白アイテムに用いたのは『思い付き』のように書きました。

実際に最初はただの思い付きでしたが、それは初期プロット案の間だけの話です。

ハングが【モルフ】であるという設定ができ、最終的に人間になるという話の展開を予定した時点で『アフアの雫』はハングが自分の魂を引き寄せる為の大事なアイテムにすることになっていました。感想欄に『思い付き』と書いたのは重要アイテムだと読者に悟らせないためでした。

この努力が報われたかどうかはさておき、ハングがリンに告白して渡した『アフアの雫』が最後の最後に奇跡を生み出すという展開は自分では割と満足できています。

 

ちなみに、ハングが人間になるための『肉体』『魂』『精神』の設定は有名な某錬金術師の漫画からそのままパクリました。だってちょうどいいんだもん。

 

ついでにハングが真っ白になったシーンの『心臓は動いている、呼吸もしている、だが心が死んでいる』は絵が緻密過ぎて話が進まない某エクソシストの漫画からお借りしました。だってちょうどいいんだもん。

 

しかし、ハングのことに関してはいくつか謎を残したまま終わらせてしまったのが心残りです。

 

『どうして心臓の位置が違ったのか』とか『青い血で怪我がすぐ治る設定はなんだったのか』とか。

簡単に説明すると、前者はクライマックスでハングには胸を貫かれるシーンを入れるつもりだったから、後者はただの完全に完璧な思い付きでした。そのせいで青い血に関しては全く掘り下げなかったんです。掘っても何も出てこないので。

この辺りもしっかり伏線として意味を持たせられればよかったんですが、まぁ何事もうまくいかないですね。

 

さて、そろそろ他のところにも目を向けていこうかと思います。

 

ズバリ、他のカップルに関して。

 

個人的に今回のカップリングでお気に入りはヒース・プリシアです。

原作では悲恋で終わる二人でしたが、そのエンドを見た時に自分はかなりショックを受けました。

 

支援会話を頑張って埋めたのに、この結末は悲しすぎる。じゃあ、俺がなんとかしてやる!

 

そう思って、ハングに大量の偽造書類を用意してもらうという形でこの2人を結ばせたわけです。

そして、ヒースとプリシラがくっつくとなると、必然的にプリシラとペアになりがちなエルクが余るわけです。

そうなれば、エルクはセーラとケンカップルになるしかなない、という流れになりました。

この2人は最初から最後まで暴走役と制御役という位置づけがしやすくて助かりました。しかも、喧嘩してれば仲良く見えるというオマケ付きです。

 

ちなみに、セーラが『雷が苦手』というエピソードは原作にはありません。

ただ、孤児院で生活して、『裕福な親がいつか迎えにきてくれる』と思って気丈にふるまっていた彼女の境遇を想うと、自然と『シーツにくるまって雷の夜を一人で耐えている』という絵面が浮かんできたので、こんな設定を付け加えました。

本当は本編のどこかに差し込むつもりだったんですが、実は途中で完全に忘れてしまっていたんですよね。

セーラに関してはこのことだけが心残りです。

 

なので、またどこかで再登場するかも・・・・・・まぁ、いつになるかわかりませんし・・・このまま書かなくてもいいかとも思ってますし・・・

 

そして、2番目に好きなカップルはケント・ファリナだったりします。

この2人の微妙に噛み合ってないけど、噛み合ってるような距離感が実は割と好きでした。

 

そもそも、どうしてケント・ファリナとセイン・フィオーラとなったかというと、全てが終わった後もケントとセインの相棒関係を継続するエンドが見たかったというのがあります。

原作では基本的にはセインは自由騎士になり、ケントはキアランに残るという流れになります。

その中でケントがキアランを離れるのは誰かと恋仲になった場合です。

そして、その候補は『フィオーラ』『ファリナ』『リンディス』の三人。当然『リンディス』は除外、そしてセインのペアエンドには『フィオーラ』があるので、ケントには『ファリナ』とくっついてもらうこととなりました。

 

原作の会話ではケント・フィオーラの堅物カップルの会話も結構好きなので、この辺りは悩みどころでした。

ケント・フィオーラで組ませて、セイン・ファリナを自作するという手もありましたが、そうなるとセインがファリナに貢ぎ続ける未来しか浮かばない上に、ファリナは絶対にセインに惚れないだろうという確信がありました。

結果、このような形で収まりました。

 

ちなみに、三姉妹の末っ子フロリーナに関しては当初からヘクトルとのペアエンドは決まっていました。

 

しかし、そのおかげでこの2人のイベントはかなり苦労しました。

いや、本当に進展しない。マジで2人がイチャつくシーンが浮かばない。

 

でも、ここを変えるわけにはいかなかったです。

理由は簡単。原作準拠です。

烈火の剣に収録されているイベント『未来の英雄』

ロイとリリーナがエリウッドとヘクトルに連れられて初めて出会う場面なんですが、ここでリリーナに対して、エリウッドが『奥方似で良かった』と述べていました。

その時のリリーナが割と引っ込み思案な態度を取っていたので、その姿を見て『奥方似』という言葉が出てくるなら相手はフロリーナしかいないだろうということで、このペアになりました。

 

エリウッド・ニニアンは言うことないです。

この2人はもう、くっつくしかないです。

 

少し話題を変えて、もう一つ語っておきたいことがあります。

 

このハーメルンという投稿サイトでは各話別の閲覧数が棒グラフで見ることがあるのです。

つまり、リピーターが多い話が一目瞭然なのですが。

 

その中で飛び抜けて多いのが『エピローグ~軍師と剣士~』つまり、リン編の最後です。

そして、周囲と比較すると多く閲覧されているのが

 

ハングとリンの絡みの多いリン編の間章各話

エリウッド編でリンディスと再会する16章

ハングとリンがイチャコラするだけの『軍師の長い一日』

告白シーンである『フェレ城』

そしてハングが死の淵からなんとか生還した『魔の島再び』から数話にかけて。

 

やっぱり、皆さん好きなんですね~

 

いや、気持ちは自分もよくわかります。

ハングとリンの会話が多い辺りが人気なのは納得ですし、読み返してニヤニヤしたい気持ちもよくわかります。

 

さてさて、ここまで長い間自分のダラダラとした『あとがき』にお付き合いいただきありがとうございました。

最後に皆さんが気になっているであろう『次回作の展望』について述べていきたいと思います。

 

感想欄にも書きましたが、既に候補は上がっていて、既にそれぞれ10話ぐらいは書きためている段階ではあります。ただ、それらはどれもこれも問題があって、まだまだプロットの練り直しがいるかなと思っているので、投稿はまだまだかかりそうな気がします。

 

ちなみに候補は3つ。

 

まずは、『ポケットモンスター』

 

ポケモンが生息するポケモン界と現実世界が繋がった世界。

主人公は10歳の地球の少年で、小学校のカリキュラムに導入された一年の『地方旅』に従って『カロス地方』を巡るお話。2部構成で、2部は高校生になった主人公が現実世界で『ポケモンバトル部』に入って全国大会優勝を目指す予定です。

多分、投稿する可能性が一番高いのがこれ。

 

次は、『デジモンアドベンチャー』

 

主人公や登場人物は完全オリジナル。オリジナルデジモンやオリジナル進化ルートが出現する予定。デジモンの『完全体』が少なすぎるのが問題なんだよ。

話の流れは初代デジモンアドベンチャーと似通ったもの。あまり仲良くない連中が突如デジタルワールドに飛ばされて、苦難を乗り越えながら成長していく王道ものです。

ただ、登場人物+パートナーデジモンが基本なんでキャラが多すぎる問題が。しかもデジモン達の名前が『・・モン』であるため、文字にすると把握しにくくて困る。

 

そして、『恋姫無双』

 

(レン)ルートです。

主人公は北郷一刀と名乗ってますが、なんかやさぐれてるし、言葉遣い荒いし、それなりに強いしで原作とは似ても似つかない別人になってます。

いつものごとく、武将が全員女性の三国志世界に吹っ飛ばされて、なんやかんやで国家の中枢に絡むことになります。完全に自分の趣味趣向をぶちまけただけの話のせいで、少々プロットの練りが甘くてなかなか先が書けない。

投稿の可能性がかなり低いと思います。

 

この中からどれかが連載されると思いますが、いかんせんリアルが来年度から忙しくなりそうなので、何時になるかは全くの不明です。

いつの間にかポンと乗ってるかもしれないので気長にお待ちください。

 

他にも『オリジナルスーパーロボット大戦』とか考えてはいたんですけどね。

参戦作品はゾイド、鉄血のオルフェンズ、ガンダムX、マクロス7、忍者飛影、アルドノアで。

ゾイドのルドルフもヴァース帝国の皇族にしたり、バサラの歌にゾイドが共鳴して『ゾイドが・・・歌った!』とか言わせたり、それを見て鉄血のミカが『すごい・・・』って感動して別のタイミングで『バサラ、なんで撃った?バサラは歌うんじゃなかったの』とか言ってバサラのミサイル撃ち落としたり、鉄血で出てきたダインスレイブをガンダムXのガロードが『過ちは繰り返させない!』って言ってサテライトキャノンで吹き飛ばしたり、バエルとマクギリスをちゃんとしたラスボスにしたりしたかったんですが

 

如何せんこれらのアニメを全てもう一度見直して、話の流れを上手く組み込んで、使いたい台詞を文字に起こしてなんてやってたら時間がいくらあっても足りない。まぁ、クライマックスの台詞を羅列している時点で書く気がまるで無いことを察していただけると幸いです。

 

ちなみに、皆さんはどれが読みたいですか?

 

要望が強いからと言って連載の優先度は変わらないと思いますが、参考までに感想欄にポンと書いていただけると私のモチベーションが僅かに傾いて、色々と動くかもしれないです。

 

長くなりましたが、この辺りで『あとがき』を締めようと思います。

 

繰り返しになりますが、この作品をここまで読んでいただいた読者の方には感謝してもしきれません。

お陰でここまでやってこれました。しかも、ハーメルンの日間最高順位で10位以内に2度も入ることができました。自分としては本当に感無量であります。

今後も別の作品を乗せていきたいと思いますので、またどこかでお会いすることもあるかと思います。二次創作を書く者として原作への愛を精一杯込めた作品にしていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

 

最後に、こういった二次創作を投稿する場所を提供していただいたハーメルンに感謝を込めて、この場を締めくくろうと思います。

 

どうも皆さん、本当にありがとうございました。

 

またどこかでお会いする日までお元気で。



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