その便意が物語を変えた (ざんじばる)
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第一章.竜王の弟子取り
01.便意、解き放つ時


「う○こぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」

 

 時は201○年3月下旬。まだまだ朝晩は寒いが日中はすっかり春らしくなったそんな爽やかなある日。

 大阪は福島区、『将棋会館』と壁に大きく書かれたビルの五階。

 窓から身を乗り出した漢はベルトを緩めると神速でパンツごとズボンをズリ下ろし、窓の外へケツを突き出しつつ咆哮した。

 

 

「清滝先生を止めろ!!」

 

「ええ大人が何しとんじゃぁぁ!?」

 

「う○こぉぉぉぉ!! う○こぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 

「やめろぉぉぉぉぉぉ!」

 

 将棋連盟関西本部の五階は、その漢───清滝鋼介九段(50)と彼を止めようとする職員や同僚プロ棋士達とのせめぎ合いにより大混乱に陥っていた。

 

 

「師匠!! 馬鹿な真似はやめてください!!」

 

「放せぇぇぇ! 八一ぃぃぃ! わしはここからう○こするんやぁぁぁぁぁ!!」

 

「何を言ってるんですか! ここは師匠のトイレじゃないんですよっ!」

 

 俺───九頭竜八一(17)は師匠にしがみつき必死に引き戻す。

 なぜ、我が師匠はこのように荒ぶっているのか……

 その原因はつい先ほど決着のついた対局にある。今日行われたのはとある雑誌で企画された俺と師匠の師弟対決である。初の師弟対決に師匠の胸を借りるつもりで意気込む俺。そして鷹揚に受けて立つ師匠。始まる前までは今日の対局が素晴らしいものになると誰も疑わなかった。俺が勝ってしまうまでは。

 記念すべき初の師弟対決で俺に敗れた師匠は持ち駒をぶちまけて投了を示し、しばし無言で怒りに震えていた。

 その、大人げない態度に周囲はみんなドン引きである。誰も声を発せず、ただ俺たち二人を見守っていた。

 その後、突然窓に駆け寄った師匠は何を思ったのか、そこから溢れんばかりの便意を解き放とうとしたのだ。

 

 そして、時は今現在に戻る。

 

「う○こでりゅぅぅぅぅぅ!!」

 

 さすがにう○こでりゅのを看過することはできない。

 もはやこれまで! 師匠相手にやりたくはなかったが……将棋界の、そして何より俺の師匠の名誉を守るため最後の手段をとるしかない!

 

「『竜王』として命じます!! 清滝九段! 大人しくトイレに行ってください!!」

 

「ッ……!!」

 

 凍り付いたように師匠は固まる。

 説明しよう! 将棋界では、伝統と格式が重んじられる。そして俺は先日、将棋界でも最も権威のあるタイトルの一つ『竜王』を得ている。格上のタイトル保持者である俺の言葉は例え師匠といえども無視できないのだ!

 

「さあ! 早く窓から降りて!!」

 

「…………クズ竜王」

 

「あぁ!? 今何って言った!?」

 

「何が竜王や! まともな竜王は11連敗もせんのや! おまえなんぞクズ竜王で十分や!!」

 

「そのクズ竜王にたった今負けたのはだれだよ! クソじじい!」

 

「何やとぉ!!」

 

「何だぁ!!」

 

 師匠も俺もヒートアップし、もはや収集がつかないかと思われたその時。

 

「八一」

 

「あっ! 姉弟子!!」

 

 年下の姉弟子である空銀子が話しかけてきた。

 姉弟子なら……姉弟子ならなんとかしてくれる!

 

「姉弟子! 姉弟子も師匠を止めるのを手伝ってください!!」

 

「もういっそ八一もそこで師匠と並んでう○こしたら?」

 

「あんたまで何言ってんすか!?」

 

「そうすれば師弟の絆が深まるかと」

 

「あるわけねぇだろ!!」

 

 くっそ使えねぇな! この姉弟子!

 

 

「ほあぁぁぁぁ」

 

 俺と姉弟子がアホなやり取りをしている横から気の抜けた声が聞こえてきた。

 そちらに目を向けると師匠がアルカイックスマイルを浮かべている。

 

「ッ……!!」

 

 その瞬間、俺の脳裏を嫌な感覚が走る!

 俺はとっさに飛び退き、同時にその嫌な感覚の正体を理解した。

 

 人がう○こを解き放つとき、多くの場合に同時に解放されるものがないだろうか?

 そうオシ○コである。

 

 師匠は窓の外で肛門を自由にすると同時に、こちら側へ向けて股間の蛇口を解放したのである。

 そしてその聖水は緊急回避した俺とは違い反応できなかった姉弟子を直撃した!

 

「ァッッッ………………!?」

 

 その時、確かに世界は一度死んだ。

 姉弟子は声にならない悲鳴を上げるとともに気絶し、窓の外はビック便の直撃や至近弾を受けた人が絶叫し、数多の人々が逃げ惑う地獄絵図と化していく……

 

 

 

「ほえぇぇぇぇぇぇ……」

 

 そんな中で我が師匠だけが満足そうな溜息を漏らしていたのだった────

 

 

 

 




■原作との違い
 ・便意が解放されたことにより、一般市民への被害重大化
 ・尿意も解放されたことにより、将棋会館にも被害発生
 ・尿意直撃により姉弟子離脱。翌日のVSの約束は発生せず

惜しくもアニメ版ではカットされた、師匠のオ○ッコシーンは原作でも屈指の抱腹絶倒かつ師匠のキャラクターを理解するための重要エピソードです。
アニメから入った方は是非原作にてお確かめください(ダイマ)


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02.苦行、育む絆

 その後、師匠の娘さんに将棋会館まで来てもらい、かろうじて新品のパンツのみ履かせた(もともと履いていたパンツは流れ弾を受け大破していたため、職員さんがコンビニに走った)師匠と気絶した姉弟子をタクシーに押し込み強制送還した。

 タクシーの運ちゃんが実に嫌そうな顔をしていたのが印象的だった。パンツ丸出しのオッサンと美少女とはいえ湿って何か得体の知れない異臭がするJCを乗せるのだ。無理はない。美人かつ巨乳(重要)な師匠の娘さんを乗せてこちらに来るときには思いもしなかっただろう。合掌。

 

 

 去りゆくタクシーを見送り放心状態の俺に、職員さんが申し訳なさそうに声をかけてきた。

 

「九頭竜先生、大変お疲れ様でした。後は我々がやっておきますので……」

 

「すいません! すいません! うちの師匠がまことに申し訳ありません!! 私にもいっしょにやらせてください!」

 

 本当は師匠の身内である俺が全てやるべきなのだろうが、偉大すぎる師匠の巻き起こした爪痕を前に、たった俺一人の力ではあまりにも無力。助けを求めるしかない。

 

 

 まずは、総出で一般市民の被害者の皆様に頭を下げて回った。

 竜王になったとはいえポッと出の俺の世間での知名度は低く、名も知らぬ若造に頭を下げられても多くの人は憤懣やる方ないようだった。

 また俺を知っている僅かな人たちからは「クズ竜王!」だの「失冠しろ!」だのといった心ない罵声が浴びせられたが、正当な怒りだとグッと涙を堪えた。

 彼らはう○こをぶつけられたのだ。仕方がない。

 

 

 そうして、何とか被害者への土下座対応を終えたら、次は汚物の撤去だ。

 

 

 将棋会館の五階には、師匠が放出した聖水が何十リットル分も広がっており、その中に師匠の履いていたズボンが浮かんでいる。右膝の部分に皺が寄っていたのかは、もう誰にも分からない。

 そして外には師匠の便意の結実たる茶色の物体が散乱している一方、人っ子一人いない。

 その光景に俺の脳裏には『兵どもが夢の跡』という、ある俳人の有名な句の一節がよぎった。芭蕉も墓から飛び出して助走つけて殴るレベルで失礼だったかもしれない。

 

 職員さんとともに、割り箸で拾い集めながら(何を集めていたのかは言及したくない)、俺は先ほどの師匠を思った。

 脳をフル回転させて将棋を指していると無意識に体が水を欲っする。そのため大量の水を飲むことが常の棋士にとって、尿意との戦いは切実な問題だ。

 とはいえ、尿意ではなく便意に負ける棋士というものを俺はこれまで見たことがなかった。

 いや、あるいは師匠は便意に負けたのではなく、むしろ勝ったんじゃないか?

 なぜなら師匠はあの惨劇の後も一切恥じ入ることもなく、逆に恍惚とした笑顔を浮かべていたではないか。誇らしげですらあった。

 俺の師匠は男の中の『漢』と言えるのかもしれない───

 ……真似したいとは決して思わないが。

 あと、聖なるシャワーを一身に浴びた姉弟子は立ち直れるのだろうか? それに師匠との関係に深刻な問題は生じないか?

 

 

 そんな益体のないことを考えながらも黙々と片付けを続け、夜も更けた頃になってようやく俺たちは師匠の偉業()を拭い去るという任務を完遂したのであった。

 

「お疲れ様でした。九頭竜先生」

 

「ありがとうございました」

 

「いえいえ、こちらこそありがとうございました」

 

 この世の苦すべてを集めたといって過言ではない、長い長い苦行をともにした職員さん達と俺は互いを称え合い、堅い絆で結ばれた。きっと。たぶん。

 師匠の凶行により、白い目で見られるはずだった清滝一門をこの俺──九頭竜八一が救ったんだ・・・!!

 

「竜王」

 

 そんな感慨に打ち震える俺は後ろから女性に声をかけられる。苦行を厭わない漢の後ろ姿に惚れたのだろうか?

 

「はい、何でしょう?」

 

 キメ顔で振り向いた俺の前にいたのは─────男鹿さんだった……。

 

「竜王、会長がお召しです」

 

 

 

 

 

 アイエエエ!?

 

 

 




■原作との違い
 ・姉弟子の不在かつ尿意ではなく便意だったため、被害者への謝罪の難易度上昇
 ・便意と尿意の同時解放による被害拡大のため、片付けの工数大幅増
 ・将棋連盟職員にも協力を仰ぎ多大な負担をかける
 ・連盟に借りを作り、月光会長の介入を招く
 ・原作よりもはるかに時間経過


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03.失着、見逃さぬ会長

 男鹿ささり。元女流棋士の将棋連盟職員であり、現在は日本将棋連盟会長、月光聖一の秘書を務めている。20代前半の美人さんである。胸も決して小さくはない(重要)

 

「あの、男鹿さん」

 

「はい、男鹿ですが」

 

「なぜ会長はこんな時間まで連盟に?」

 

「今日のうちに竜王とお話されたいことがあるということで、竜王の手が空くのを待っておられました」

 

「そうですか……」

 

 彼女の後ろをついて歩きながら俺は、今回の会長からの呼び出しの理由を必死に考えていた。

 会長と会うのは俺の竜王就位式で推挙状を受け取って以来、2回目である。これまで接点はほとんどなかったといっていい。

 そんな会長がわざわざ長時間待ってまで俺にいったい何の用があるというのか?

 

 これからの将棋界を背負う、若き竜王である俺に激励を?

 あるいは、いずれは戦うことになる強敵である俺への盤外戦術か?

 あるいはあるいは、目の前の男鹿さんを俺の嫁候補として紹介するためか?

(熱烈な会長Loveの男鹿さんだが、会長からは全く女性として見られていないことを連盟関係者なら誰でも知っている。適齢期の男鹿さんに有望な結婚相手を紹介してあげようと考えたのかもしれない)

 

 考えても考えても全く分からん。ええい! 聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だ!

「男鹿さん、なぜ会長は俺をお呼びに?」

「男鹿はそれを存じ上げません。ですが、タイミングから考えて先の清滝九段との一件では?」

 

 

 

 うん。知ってた。

 

 必死に目を逸らしていたけど、それしかないって知ってたよ! 畜生ッ!!

 警察沙汰にならなかっただけでも奇跡の凶行(う○こ爆弾)だ。何のペナルティもないと考える方がおかしい。

 桂香さん(師匠の娘さん)、ごめん……俺は清滝一門を守れなかった…………

 

 

 そしてついに、理事室というプレートがかかった部屋に着いてしまった。その部屋で───俺は『伝説』と対面した。

 ※なお『伝説』の詳細については原作(神)2巻でご確認ください。

 

「ご無沙汰しております。竜王就位式以来ですかね?」

 

「は、はひ! ここ、こちらこそ、ぼ! ぼぶ・・・・・・ご無沙汰しております!」

 

「そう緊張なさらずに。叱るために呼びつけたわけではありませんから」

 

 生きて鼓動する伝説は早速ジャブを放ってきた。

 

「このたびは! 私と私の師匠が連盟の皆様に多大なご迷惑をおかけし! まことに申し訳なく!」

 

 腰を180度に折って深々と頭を下げる。

 俺、平謝りである。心の中では華麗にスライディング土下座を決めていた。

 

「ははは。それを言うなら私は彼の兄弟子です。この件ではあなたと立場は変わりませんよ。竜王こそ、私の弟弟子の不始末の後を押しつけてしまい申し訳ない」

 

「いえ、そのようなことは……」

 

 さすがに言葉通りに受け取るわけにはいかないだろう。いかに兄弟弟子関係とはいえ、それぞれ独立して長い年月がたっている会長と現在進行系で師弟関係にある俺の責任を同列で語っていいはずはない。

 

「互いに謝り合っていても話が進みませんね。これぐらいにしましょう。実は今日は竜王にお願いしたいことがあって失礼ながらお呼びだてしたのです。立ち話も何ですから。まずは座ってください」

 

 来た! 会長の狙いはこれか……!!

 致命的な失態を犯した直後のこのタイミング。

 俺は、いや俺たち清滝一門は連盟、ひいては会長に多大な借りを作ってしまっている……!

 

 ソファーに腰を下ろしながらも、俺は緊張感に身を固くする。

 

「会長から私にお願いですか…… いったいどのような?」

 

「実は……弟子を取っていただきたいのです」

 

 

 ………………は?

 

 

「長く将棋界のために援助をくださっている実業家の孫娘です。年齢は9歳。小学三年生」

 

「ちょ、ちょっと待ってください! どうして俺……いえ、私なのですか!?」

 

「お好きではないですか? 小学生」

 

「なななな何を言ってるんです!? 俺の好みは年上の巨にゅu、いえ何でもないです」

 

「冗談です。先方の希望です。竜王の好みに添えず申し訳ないのですが」

 

 そんな平然と質の悪い冗談を言わないで…… そして好みの件は忘れて……

 

「どうもその娘さんが『弟子入りするなら現役A級棋士かタイトル保持者でないと嫌だ』と仰っているそうでしてね」

 

「ぜ、贅沢な…………」

 

 関西所属棋士でその条件に該当するのは、月光会長、生石充玉将、そして竜王の俺だけだ。

 

「私が会長職を務めながらこれ以上弟子をとることは難しい。生石君は現在護摩行中で連絡がとれません」

 

「ああ……なるほど、それで私ですか」

 

 理由はわかった。分かったが俺も運良く竜王になったとはいえ弟子などまだまだ早すぎるだろう。………連敗中だしなっ。

 

「会長のお話は分かりました。ですが私もまだまだ若輩。修行中の身です。だれかの師匠になるなど……」

 

「実はこの件は、事前に清滝君にも相談していまして。彼からも賛成してもらっています。若いとはいえ君もタイトル保持者。トッププロの仲間入りを果たしている。これからは師事するだけではなく、誰かを教え導くことで始めて成長できることもあるだろうと」

 

 外堀を埋められている……だと……

 

「清滝君も君や空さんを弟子に迎えることでより大きく、強い棋士となりました。名人位への挑戦者となるほどに。そういった彼の経験も賛成してくれた背景にあるのでしょう」

 

 ぐぬぅ……

 

「そうして棋士の輪を広げ、さらに君自身も一回り大きくなってくれたなら……私も『連盟』会長として、こんなに嬉しいことはありません」

 

「は! 非才の身ではありますが、九頭竜八一、弟子取りの件、喜んでお受けします!」

 

「ありがとうございます、竜王」

 

 今日、この日この時このタイミングで『連盟』を持ち出されたら断れねぇ…… さすが《月光流》。僅かな(僅かか?)失着を見逃さぬ、光速の攻めだ……

 

「早速、明日からお願いできますでしょうか。先方で宿泊の世話もしていただけるそうなので、数日泊まり込みでも構いませんよ」

 

「は! 喜んで!!」

 

 

 

 師匠ェ……

 

 

 




■原作との違い
 ・今が好機と見た会長の英断により、天ちゃんとの出会い前倒し
 ・前話の後始末と会長との面談により、八一の帰宅時刻は深夜に
 ・あいは一旦八一の家から撤収し、大阪ないし京都あたりの知り合いの旅館へ

まあ、あいなら深夜だろうが八一の家に居座って、出会いが発生していた気もしますが、そこは作者のご都合を許してください。<(_ _)>


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04.戦慄、鬼の住む家(印象)

 翌日、紹介された夜叉神さんのお宅へ早速行ってみた。

 

「なぁにこれぇ?」

 

 神戸、灘区。六甲山の麓の閑静な住宅地、その中にそのお屋敷はたっていた。まるで要塞と見紛うほどの大きさだが。

 

「おい」

 

 そのお屋敷のあまりの威容に圧倒されて立ちすくんでいた俺の後ろから女性の、しかしドスのきいた声がかけられる。

 振り向くと黒スーツにサングラスの若い女性。美人で胸が大きい(重要)。

 だがどう見ても『ヤ』のつく職業の方に見受けられる。辛い。

 

「九頭竜八一先生……でいらっしゃいますね?」

 

「人違いです」

 

 肩を掴まれ、俺の写った雑誌――将棋世界竜王特集を顔の横に並べられる。

 

「九頭竜八一先生……でいらっしゃいますね?」

 

「はい…… そういえばそうでした……」

 

「先生のご到着だ!」

 

 美人さんが声を張ると、門が開き出す。するとその中には──────

 

 

 なんということでしょう。玉砂利を敷き詰めた美しい石庭には、これまた折り目美しい、背広を着た精悍なお兄さん達が整列し、膝をついてお出迎えしてくれています。

 

 

「先生!お疲れ様です!!」

 

 うん。これあかんやつや。

 

 ビフォーアフター的に語って、現実から目を逸らそうとしたけど駄目だった。むしろこの屋敷に入る俺のビフォーアフターを心配しなければならない。

 俺は心の中で大切な人たち──師匠と姉弟子を思った。浮かんだのは最後に見た彼らの姿。全てを解放し恍惚とする師匠。そして悲劇に襲われ、白目を剥く姉弟子だった。

 勇気をもらおうとしてかえってげんなりとした俺は改めて桂香さんを思った。帰りたくなった。今すぐ桂香さんの巨乳に逢いに。

 

 さらには陣太鼓まで鳴り出すとあってはもはや誤解しようもない。ヤクザやさんだ。

 今すぐ帰りたい気持ちでいっぱいの俺を、黒スーツのお姉さんがグイグイ押し込んでいく。

 やめ─── やめろぉぉ───

 俺も懸命な抵抗をしたが、背中に何か硬いものが押し当てられるに至り、すべて流れに身を任せることにしたのだった。

 どうせなら柔らかいものを押し当ててほしかった。それでも俺は抵抗できなくなっていたであろう。

 

 そうして玄関まで来た俺を一人の老紳士が出迎えた。

 

「この度は遠路お越しいただき、ありがとうございます。九頭竜先生」

 

「こちらこそ、お招きいただきありがとうございます。それに私のような若輩者をこんなに歓迎していただいて。何だかかえって申し訳ないです」

 

 一縷の望みをかけて、俺は帰りたいオーラを滲ませる。

 

「いえいえ、月光会長と鬼沢さん、お二人揃ってご推薦いただけるほどの方をお迎えできるなど、本当に光栄です」

 

「あの二人が私を・・・・・・?」

 

 おのれぇ!鬼沢!お前もか!!

 俺の知らないところで何言っちゃってくれてんの!?

 ※鬼沢さんの詳細については原作(神)2巻を(以下略)

 

「ええ。私の孫娘の師としてこれ以上ない方だと。どうぞこちらへ――」

 

 夜叉神師に奥へと案内される。背後からはあの黒スーツのお姉さんがぴったりと着いてきている。即ち逃げ場はない。

 

「これが孫娘の天衣になります」

 

 夜叉と天女の描かれた襖を夜叉神師が開く。

 

 そして―――

 

 

 

 その日、俺は運命に出会った―――

 

 

 




■原作との違い
 ・夜叉神邸訪問前倒し。
 ・初JS効果で印象値原作比10倍

天ちゃんと邂逅した八一の心境は、セ○バーに出会ったシ○ウ程度とお考えください。
「問おう、貴方が私のマスター(師匠)か?」


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05.邂逅、漆黒と紅玉の少女

 その部屋には、一人の女の子がいた。

 小学生くらい――会長の話だと確か小学三年生――の女の子がいて、俺の顔をみると透き通った美しい声でこう言った。

 

「いらっしゃいませ。九頭竜八一八(818)段」

 

 ………………うぐぅ。

 

 状況を整理しよう。

 夜叉神氏が襖を開けたその部屋には、小さな女の子がいて、美しく輝く瞳でこっちを見ている。

 すごくきれいな女の子だ。小学生の女の子ではあるが、かわいいというよりきれいと表現するのがふさわしい。

 華奢な手足をきちんと折りたたんで正座したその女の子は、部屋の入り口で立ちすくむ俺を挑むように見上げていた。

 将棋盤の前で正座する姿は凛として、一枚の絵画のように美しい。

 そんなJS(女子小学生)が開口一番、強烈なパンチを叩き込んできたのだった。

 

 ……正式に弟子にしたら、師匠の名前でエゴサーチするのは禁止にしようと心に固く誓った。だって涙が出ちゃう。男の子だもん。

 

「月光会長や鬼沢のおじ様が揃って推薦するほどの方が、師匠となってくださると聞いて、私とても楽しみにしていたの」

 

「………………」

 

「楽しみ過ぎて少しあなたのことを調べたのだけど、今度は何だか不安になってしまったわ。あなたはまぐれでタイトルを一期取っただけのザコ棋士に過ぎないのではないかって」

 

「………………」

 

「もし本当にそんなザコ棋士なんだとしたら師匠ヅラされるなんて我慢ならないから、そうではないって証明してくれないかしら?」

 

 JSは目の前の将棋盤を指しながら、そうのたまう。

 

 可憐な姿からは想像できないほどのじゃじゃ馬だ。だが、俺は、というか棋士なら誰でも、実はこういう手合いには慣れている。棋士を目指す才能あるガキは大概、一度は天狗になるものだからである。天狗のままでいられるかは別だが。

 本気モードに必要な眼鏡と扇子を身につけつつ、念のため保護者に確認する。

 

「厳しくしてよろしいんですね?」

 

「存分に」

 

 こういう手合いを躾るには、本人が想定する以上のハンデをつけて、大勝するのが一番だ。駒を2枚落とした時には平然としていたが、さらに2枚追加で落とすと案の定、俺の侮りにJSの顔が怒りで赤く染まる。

 そして「殺す!」と息巻いて指し始める。怒り顔もかわいい。

 ただ、その瞳の奥には僅かに期待も見え隠れしている気がする。師匠となる俺が本当にそれほどの力を持っているのだろうかと。

 

 手を進めていくと定跡をしっかりと勉強していることが見て取れる。そこで今度はプロになる前、奨励会時代に培った駒落ち将棋の新手筋を用い、揺さぶっていく。

 

「っ…………!?」

 

 目に見えて動揺している。意外に素直な性格しているようだ。かわいい。

 さらに揺さぶる。

 

「え? …………ええっ!? こ、こんな手筋…………成立しているの……?」

 

 楽しくなってさらにさらに揺さぶる。

 

「ぐっ……! ま、まだよ!」

 

 屈辱に顔を歪める、キレイ系ツンJS。とてもかわいい。

 そしてそんなJSをいじめる俺氏、とても楽しい。

 実は俺はSだったのかも知れない。周りにいた女性がドSの姉弟子と母性満点系の桂香さんくらいだったのでこれまで発揮されることはなかったが。後は、曲者ぞろいの女流タイトルホルダーとかな。

 

 だがSとしての俺が満たされるその一方で、師匠になるかもという俺は不満を感じ始めていた。

 この綺麗な子は、とても綺麗な将棋を指す。だが、定跡頼りの綺麗すぎる将棋で泥臭さも粘り強さも感じない。結論、才能がない。

 

 この子ほどの器量持ちだ。下手に棋士を目指すよりアイドルなんかを目指した方がいいのではなかろうか。年上の男である俺に殺気を放って立ち向かえるほど度胸もあるし、大成するだろう。

 なんだったら俺がファンクラブNO.001になってもいい。竜王戦優勝賞金で個人スポンサーになるまである。

 

 天衣ちゃんファーストライブの最前列でオタ芸を披露することを夢想しながら、俺はこの対局を終わらせようと攻めに転じた。

 

「ッ!! きた…………!」

 

 逆撃を受けて恐怖に顔を引きつけらせるJS。とてもかわいい。

 うなだれた天衣をみて、心が折れた音を聞いたような気がした。傲慢JSお嬢様もこうなってしまうと憐れだ。

 きっとこれほどのことは、生涯初めての屈辱───初体験なんだろう。

 何かほの暗い喜びを感じた気もするが、それを振り切り一息で介錯するべく攻撃の手を強める。天衣の陣地はなすすべもなく、壊滅していく。

 

 だが…………

 

「ま……だッ!まだ、私は戦える!!」

「なに!?」

 

 投了を待つ気持ちでいた俺は、天衣の上げた顔をみて驚愕した。

 彼女の美しい瞳が紅玉のように爛々と輝き、俺を睨み付けていた。

 敗者の眼では断じてない。天衣の心を折ったと思ったのは俺の早計だったのだ……。

 

 そして始まった彼女の抵抗はさらに驚嘆に値するものだった。盤上、手持ち、全ての戦力を総動員し、俺の攻撃を紙一重で躱していく。堅固ではない、決して堅固な守りではないのだが、あと一歩俺の攻撃が届かないのだ。

 それは定跡ではない…… 彼女の才能が生み出した彼女だけの守りだ───

 そして守りだけではない。攻めにはやる俺を引きずりこみ、息を切らした瞬間に首を掻ききってやろうという鋼の意思を盤面から確かに感じる。

 

 これは……

 

 その時、俺は初めて彼女のことを正しく認識した。

 彼女のライブでオタ芸を打とうなどと考えていた先ほどの自分をぶん殴ってやりたい。

 彼女は持っていたのだ。決して折れない心とそれに支えられた『受け将棋』という圧倒的な才能を!

 

 

 ―――この子は強い!!

 

 

 

 

 

 とはいえ、俺はその後きっちり巻き返し、天衣を詰ましました。躾ははじめが肝心だからね。仕方ないね。

 ボロボロ涙をこぼしながらこちらを睨んでくるツンJS。尊い。

 

 これが俺と天衣の初めての出会い。これが将棋界に激変をもたらすことになるとは誰も予想していなかった。この出会いを演出した月光会長以外は。

 

 

 

 そしてそれ以上に誰も知るはずもなかったのである。Sの目覚めに戸惑う俺が、その裏で王道(年上系巨乳党)からダークサイド(ロリコン)に落ちていたことを。

 

 

 




■原作との違い
 ・八一にまだ弟子がいないことから天ちゃんの好感度特大アップ
 ・八一の連敗記録がまだ止まっていないことから天ちゃんの好感度若干ダウン
 ・八一、ロリに耐性がない状態のため、若干おかしくなる
 ・八一、ヤンロリに出会い尻に敷かれる前のため、Sに目覚める
 ・八一のSと天ちゃんの受け属性ツンロリが合わさり、八一深刻なロリコンに落ちる【朗報】

天ちゃんは小悪魔系天使だからね。ロリに耐性がない状態で会ったら落ちるのも仕方ないね


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06.成立、新たなる師弟

 悔しさのあまりこぼれたツンJSの涙、プライスレス。

 

「最後の最後まで俺の攻撃をしのぎ続け、逆撃を諦めなかった胆力は素晴らしい。だが実力はまだまだだな」

 あの後、行っていた感想戦を俺はそう締めくくった。死体蹴りではない。

 

 天衣はボロボロと涙を流しながら、無言で立ちあがる。

「挨拶!」

 立ち去ろうとする彼女にそう声をかける。重ねていう、死体蹴りではない。

 JSをいじめて俺のS心を満たしているわけではないのだ。

「・・・・・・ありがとうございましたッ」

 そう吐き捨てるようにいい、今度こそ部屋をでようとする彼女に最後の言葉をかける。

 いじめていたわけではない証拠に優しく、優しく。飴と鞭という言葉は聞きたくない。

「天衣、俺は、俺の力は君の師匠に相応しかったか?」

 天衣はこちらを振り返り、そして涙はそのままだが頬を上気させて答える。

「そんなの、言わなくてもわかるでしょうっ・・・!」

 そしてそのまま部屋から駆けだしていく。

 その後を黒服の女性が追いかけていき、部屋には俺と夜叉神氏が残された。

 

 俺は、彼女が最後に見せた表情に、不思議な感覚に襲われていた。

 紅玉の瞳、そこに輝く涙。そして赤らんだ頬。脳裏に浮かべると何かこう、もにゅもにゅする。

 この感情はいったい・・・。

 そう、いとしi、いや違う!相手は9歳のお子様だぞ。そして俺は由緒正しき年上系巨乳党!

 大小何でもよしの日本おっぱい党党首とは違うんだ!

 これはそう、保護欲だ、有望な弟子候補に対する!

 

 そんな葛藤をしている横で夜叉神氏が長い深い溜息を漏らし、俺は我に返った。

「すみません。少しやりすぎてしまったようで・・・」

「いやあれでよろしい。それに先生も手応えを感じていただけたのでは?」

 きっぱりと夜叉神氏は言った。

 

 そう。確かな手応えがあった。

 天衣の才能を確認し、そして弟子をとるという意思と覚悟も固まった。

「それで、先生。天衣を指導していただく件ですが」

「はい、天衣さんは非常におもしろい才能をお持ちです。私が是非育ててみたい。まだまだ若輩の身ではありますが、お任せいただけるのなら幸いです」

「ありがとうございます、先生。天衣のことなにとぞよろしくお願いします」

 夜叉神氏はそういって、深々と腰を折ったのだった。

 

 その後、夜叉神氏と天衣の指導方針について話をし、本人への伝達と、指導の初動のため、今日から数日泊めてもらうことになった。

 そして、弟子取りの件を会長に報告するため、一人にしてもらった俺は早速電話をかける。

「会長!何ですかありゃ?完全に極道ファミリーじゃないっすか!」

 開口一番、俺は会長にくってかかる。結果的にうまくいったが、それとこれとは別である。

 例え永世名人相手とはいえビシッと言ってやる。リュウオウエンリョシナイ。

 

『人聞きの悪いことを言わないでください。日本将棋連盟は公益社団法人です。反社会的勢力とつながりがあるわけないでしょう?』

「ですが―――」

『確かに夜叉神会長の過去にそういった経緯はありますが、現在は建設業、芸能プロダクション、警備会社、パチンコ遊技台開発などの事業を手広く営んでおられるまっとうな事業家です』

「・・・・・・まっとうと言うには、今会長があげた事業には偏りがありませんか?」

『偏見です。会社の役員には警察OBの方々も名を連ねています。何の問題もありません』

 これが大人のやり方かよぉ・・・・・・。

 

『それで?弟子取りの件、引き受けていただけましたか?』

「はい、それは滞りなく。本人もかなりの才能です」

『それはよかった。これからの貴方たちの活躍を期待していますよ。竜王』

 名人には勝てなかったよ・・・・。

 

 

 そして、この夜は夜叉神氏に用意してもらった部屋に泊まった。滅茶苦茶泣き寝入りした。

 

 




■原作との違い
 ・天ちゃんの好感度が増しているため、やや素直
 ・八一は(会長の策略で)弟子をとるつもりでいたので、無事天ちゃんが一番弟子に【朗報】
 ・会長の根回し+弟子取り成功により八一、数日間夜叉神邸に逗留
 ・あいちゃん、八一が帰宅しなかったため、また会えず【悲報】

天衣ちゃんのご両親情報開示は先送りすることにしました。
どこかで師弟の絆イベントとして使いたいと思います。
まあ、どこにも入れられず、しれっと改版して本章に付け足すかも知れませんが。


感想並びに評価を入れていただいた皆様、ありがとうございます。
また、個別の返信は改めて。取り急ぎここで御礼申し上げます。
初投稿への初体験に作者、感謝感激の舞を舞っております。


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07.無残、鏖殺の槍棋士

「刮目せよ!!我が奥義――『ライトウイング・ホーリーランス』!!」

「ぐっ・・・」

 

 神鍋流1五香―――歩夢きゅんが編み出し、その後、帝位リーグ蹂躙の原動力となった強力な一手だ・・・。

 が、今日に限って言えば望むところではある。関西ではこの一手を以前より研究してきた。

 だから敢えて、この手を出させるように誘導したのだ。

 

「歩夢、悪いがその槍、今日限りでへし折らせてもらうぜ!!」

「なにっ?」

俺は研究で出した結論を、盤面に再現する。

そして、歩夢きゅんは全てを悟ったかのようにうなだれる。

 

 俺は、勝利を確信した。

「ひゃっひゃっひゃー、やったー、俺の勝ちだー!!」

 

 だが・・・・。

「何勘違いしているんだ、八一」

「ひょっ?」

 

「まだ、我のバトルフェイズは終了してないぞ!」

「何をいってるんだ、歩夢きゅん。お前の手持ちの戦力じゃもうどうしようもないじゃないか」

「速攻魔法発動『バーサーカーソウル』!!」

 そう叫びながら歩夢きゅんは思いもよらぬ一手を繰り出してくる。

 俺は、その場しのぎの手しか返せない。

「ドロー、モンスターカード!!」

 歩夢きゅんは、そんな俺に追加攻撃を加えるかのごとく、駒を奪っていく。カード?何のことだ?

 

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

「ドロー、モンスターカード!!」

 

 もはや俺は何の抵抗もできず、なされるがままだ・・・。

 あまりの有様に観戦記者を務めていた鵠さん(巨乳)が見かねて止めに入る。

「もうやめてぇっ、神鍋六段!」

「HA☆NA☆SE☆我はゴッドコルドレンDA!!」

「もうとっくに竜王の駒は0よ!!もう勝負は着いたのよぅ・・・」

 

 そう、俺の王将以外の駒は全て取り尽くされ、いわゆる全駒状態だ・・・。

 最悪の負けパターンだ・・・。

 そうして歩夢きゅんは、もはや投了する気力もない俺を見て我に返り、そっと王将を取って勝負を終わらせたのだった。

 

 打ちひしがれていた俺はとぼとぼと帰路を歩いていた。

 そして、何を思ったか止せばいいのにWebサイトを見た。

 

 

【クズ竜王】九頭竜八一の八一八段への昇段を祈って鶴を折る109スレ【祝12連敗】

『今北。今日はどんな将棋だった?ライバル対決』

『スレタイが全てを物語ってる』

『いや、それは分かる。将棋の内容知りたし』

『クズ竜王が勝利宣言した直後に逆転。王将含めて全駒されて敗退』

『マジかwwwwww本物のクズだなw』

『いつもはすぐ諦めてたけど、今日は諦めきれず、最終的に投了する気力もなくなってた』

『おう、サンドバッグのこと歩夢きゅんのライバルって呼ぶの止めろよ(提案)』

『同歩』

『禿同歩』

『しかし連敗記録止まらねぇな』

『駒取られるの止まんねぇからよ・・・。だからよ、連敗記録も止まるんじゃねぇぞ・・・』

『希望の華生えるwww』

『これもう、八一八段昇段祈って鶴を折る必要もないな』

『果報は寝て待つべ』

 

 

 

「うわああああああああああああああああああああああああ!!」

 俺は泣いた!そして走った!!

 顔中からあらゆる体液をまき散らし、走るスプリンクラーとなった!!

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」

 悔しかったのだ!

 情けなかったのだ!

 恥ずかしかったのだ!

 負けたことが。自分の驕りが。弱い自分が情けなかった。

 ライバルだと思っていた相手に、いや俺のことをライバルだと思っていくれているだろう相手に全駒などという屈辱的な完敗を喫したことがどうしようもなく申し訳なかった。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!」

 気がつけば夜が明け、いつの間にか大阪を出て、神戸を過ぎ、淡路島に至っていた。

 でも、そんなことはどうでもいい!!

 山があれば山を越え、海があれば海を泳ぎ世界の果てへ。将棋のない世界へと走っていたのだ。

 俺は将棋を捨てるぞ!!J○J○ーーーーーー!!

 

 

 そんな俺の背中に声がかけられる。

「先生!?、九頭竜先生!?」

 この声は彼女の?

 なぜこんな時間に彼女がこんな場所に?

 そもそも一陣の風となっている俺に彼女が追いつけるはずが――――。

 

 

 

 だが、そのとき―――――

 

 




■原作との違い
 ・弟子の同席がなかった八一、歩夢きゅんに完敗
 ・八一将棋やめるってよ


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08.悪夢、癒やす天使

「先生!? 九頭竜先生!?」

「はっ!?はぁはぁはぁはぁはぁはぁ・・・・・」

 

 

 目を開けると、見知らぬ天井――。

 そして、心配そうに俺の顔をのぞき込む、黒髪の少女――――。

 そうか、昨晩は夜叉神邸に泊まったのだった。

 

 あ、特にお風呂で遭遇なんかのラッキースケベイベントはありませんでした。

 俺、リトさんじゃないしね。仕方ないね。

 むしろ、精悍なお兄様方といっしょに大浴場に入っていたまである。俺の未来はどっちだ。

 

 

 全てを理解した俺は、少女を安心させるためボケることにした。

「知らない天井だ・・・」

 だが、少女――夜叉神天衣には伝わらなかったらしい。

「・・・?何を言っているんですか、先生?」

 これがジェネレーションギャップか・・・。

 認めたくないものだな。自分自身の老いというものは。

 

「悪い、心配かけたな。天衣」

「なっ!?心配なんかしていないわ!朝食に呼びに来たら、滑稽に悶えている男がいたから、人として最低限の対処をしていただけよ!」

 照れているのか、真っ赤になって怒るツンJS。至高。

 

 だが、ニヤニヤしている俺に気付いたのか、天衣は強烈なカウンターを放ってくる。

「寝言で『歩夢』って名前を呼んでたけど、夢の中で今日予定されている帝位リーグ戦にボロ負けしていたのかしら?竜王、12連敗おめでとうございます」

「うぐっ・・・・」

 

 全駒からの八一スレのコンボは精神崩壊に至るほどキツかった・・・・。夢でのことではあるが・・・・。

 トラウマものの悪夢を思い出し、弱気になった俺はつい聞いてしまう。

「俺と歩夢どちらが強いと思う?天衣は」

「貴方と神鍋六段?さぁ、分からないけど。最近の実績だけ見れば神鍋六段じゃないの?」

 ツンJSは厳しい・・・・。でもそうだよね・・・・・。

 

 しかし、さらに落ち込む俺を見かねたのか、ツンJSは背中を向けながら一言だけ付け足してくれたのだった。

「でも・・・。どちらを私の師匠にしたいかと聞かれたら、貴方だって答えるわ」

 ・・・・・・俺の弟子マジ天使!

 

「くだらないことを言ってないで、さっさと起きなさい!食事を用意したといったでしょう!!」

 天使な弟子は照れたのか、そう言い放つと廊下へ駆けていった。

 

 

 

 その後、俺は夜叉神家の人たちとともに朝食を取り、天衣と指導方針を共有するため、オリエンテーションをすることにした。

 

 部屋の中には、天衣と黒スーツの女性――天衣のお付きで池田晶さんというらしい(巨乳)――と俺の三人だけだ。

 そして俺は考えていた天衣の指導方針について切り出す。

「当面、天衣は研修会に入れず、俺独自の手法で鍛えることにしようと思う」

「は?なんでよ?さっさと場数を踏むべきじゃないの?」

「俺の見立てでは、今の天衣でも、研修会の入会試験や下位相手なら問題ないと思う。だがC2辺りの女流棋士一歩手前レベルは厳しいはずだ」

 

「なんですって!?私が女流になるになれない程度の連中に劣るっていうの!?」

 案の定、激怒する高慢お嬢様。だが・・・。

 弟子のプライドのくすぐり方はすでに理解している。

 

「俺は自分の見立てに自信がある。だから天衣も信用してくれないか?現時点でC2と勝負にならないとは言わない。だけど一方的に勝てるとも思わない。どうせなら研修会デビューから女流棋士になるまで無双、のほうが格好いいだろ?」

「ええ、ええ。分かりました。私が選んだ師匠ですもの。育成方針には従うわ。でも私は女流になるまでなんて言わず、女流タイトルを総なめにするまで無双するわ」

 

 頼もしい弟子の更なるビッグマウスに俺は苦笑しつつ、告げる。

「天衣は定跡の研究なら自分一人でもできる。それ以外の部分を最初に徹底して鍛えれば後は勝手にどんどん強くなれるはずだ。俺が竜王防衛戦に追われて、手をかけてやれなくなる前までにその状態に持って行きたい」

「そうね。それじゃあ、早速今日は何をするの?」

 

「残念だけど今日はここまで。俺はこの後、対局があるから」

「そうだったわね。私の師匠が連敗中、じゃあ格好がつかないからさっさと止めてらっしゃいな」

「もう一声!かわいい弟子からご褒美があれば俺、頑張れるんだけど」

「もう!じゃあ連敗を止められたら正式な師匠と認めて、『八一先生』と以後呼んであげるわ!」

 弟子なりのエールを受け取り、ほっこりしながら俺は連盟ビルに向かう。

 

 

 

 だけど、どうするべ。歩夢対策。

 

 




ということで夢落ちでしたーからの完全オリジナルエピソードです。
ですので、毎度の原作との違いはありません。しいていうなら全てが違い。
天ちゃんの可愛さを補強するためにカッとなってやった。反省はしてない。

そして、竜王は死なぬ。何度でも蘇るさ!


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09.克己、清滝棋士の生き様

 関西将棋会館の五階――『御上段の間』、上位者のみに使用が許される関西将棋会館で最も神聖な場所。

 ちなみに、先日我が清滝師匠が窓から創世のビッグ○ンを放った場所でもあり、そういう意味でも神聖な場所だ。

 

 そこで正座し、俺は戦いに向けて気を高めていた。

 対面にはすでに対局相手である神鍋歩夢六段も着いており、紅茶をたしなんでいる。

 ※神鍋歩夢六段の詳細については原作(神)1巻を(以下略)

 

 今朝の悪夢を受けて、今日の作戦を変更すべきか否か、ずっと考えていた。

 だが結局、俺は自分の研究を信じることにした。

 というか、夢の内容を思い返してみると、あれは明らかに将棋ではなかった。あれは、何か異世界のゲームだ。途中から俺の手番はひたすら飛ばされていたし。

 気にする必要はないだろう。

 

 そうして、対局が始まった。

 序盤はどちらも定跡の通りにぽんぽん進めていく。

 

 そして・・・・、

 

「刮目せよ!!我が奥義――『ライトウイング・ホーリーランス』!!」

 ぐっ・・・、きやがった。だが問題ないはずだ。

 俺は念のため、じっくりと読みを入れ、その上で事前研究の一手――香車放置の桂馬取り――を打つ。

 

 まだ悪夢から完全には自由になれない俺は、歩夢が『甘いぞ!八一ぃ!!』とか言い出さないかと内心びくびくしながら歩夢の次の一手を待つ。

 

「フッ・・・・この色、この香り、紅茶こそまさに英国貴族の嗜み・・・・」

 当の歩夢は優雅に紅茶をすすっている。

 そして、歩夢が次の手を打たないまま、昼食休憩となった。

 ほっ。良かった。『バーサーカーソウル』なんてなかったんや。

 というか、将棋で速攻魔法ってなんだ。

 

 

 そうして、歩夢きゅんとのランチタイムの後、対局が再開される。

 悪夢を完全に払拭した俺は、事前の研究に沿って手を進めていく。

 歩夢の飛車を攻め、馬をかわし、中盤戦へ。

 だが―――。

 

「受けよ!隠されし我がもう一つの槍を!!竜殺!ゲオルギィィィィーーーーウスッ!!」

「やば・・・・・・ッ!!」

 ここで、新手・・・だと!?

 『神鍋流3六香』とでもいうべきこの一手はあることを意味している。

 歩夢は俺の事前研究すら飲み込む研究をしていたということだ。

 用意されていた技名といい、明らかに俺をターゲットに準備をしている。

 

 これは・・・・・。俺の脳裏には今朝の悪夢がまざまざと・・・。

 ・・・・悪夢を意味あるものと信じるべきだったか・・・・。

 こうなっては、全駒なんて無様をさらす前に、思い出王手なり何なりして、投了に向けた棋譜作りをすべき・・・か?

 

 

 すっかりネガティブにとらわれた俺。

 だがその脳裏に不意に黒髪の愛弟子の声と表情が蘇る。

『ま・・・・・・だッ!まだ、私は戦える!!』

『そんなの、言わなくてもわかるでしょうっ・・・!』

『でも・・・。どちらを私の師匠にしたいかと聞かれたら、貴方だって答えるわ』

『もう!じゃあ連敗を止められたら正式な師匠と認めて、『八一先生』と以後呼んであげるわ!』

『好き!好き!八一先生!天衣を師匠のお嫁さんにして!!』

 

 

 そうだ。俺はもう夜叉神天衣の師匠なんだ!

 竜王としての体面なんて関係ねぇ!

 俺はあの子の、受け将棋を極めようとしている弟子の師匠として、関西棋士の、清滝一門の棋士の魂『泥臭かろうが決して諦めない』将棋を伝えなきゃならない!

 こんなところで下を向いてる場合じゃねぇ!!

 

 

 

 後、俺の心象風景に捏造なんてなかった。いいね?

 

 

 

「・・・・・・悪いな歩夢。まだまだ付き合ってもらうぜ」

「なに?」

 歩夢の疑問には答えず、俺は盤面を泥沼化させる一手を放つ。

 記録係も観戦記者も顔をしかめる、見苦しいクソ粘りの一手。

 それに対して歩夢は・・・。

「我が竜殺しの槍を受けてまだ立ち上がるか・・・・。」

 これに勝てば、愛弟子に『八一先生♡』と呼んでもらえるもんでね!

「よかろう。それでこそ、我が永遠の好敵手。それでこそ悪のドラゲキン」

 ドラゲキン言うなしっ!

「『白銀の聖騎士』ゴッドゴルドレンに後退はない!いくらでも付き合ってやるとも!!」

「ありがとよ!親友!」

 だが、いくら騎士を気取ろうともお前は豆腐屋の倅!そこに勝機はある!

 

 

 そして、決着は翌日午前三時過ぎ。400手越えに及んだ熱戦は俺の勝利に終わった。

 超朝型人間である歩夢の睡魔という、盤外につけ込んだ泥臭い勝利ではあるけれども。

 

 

 女の子が俺を待っていると職員に告げられ、慌てて連盟ビルの玄関に向かった俺を待っていたのは天衣だった。

「何だ。そんなに師匠に会うのが待ち遠しかったのか?」

「Webで観戦していたら、負けそうだったから。真っ先にお悔やみと逆破門を言ってあげたかったのよ。こんなに待たされるとは思わなかったけど」

 俺と天衣は軽口をたたき合う。

「どうだ?勝ったぞ?」

「泥仕合の末のクソ勝利じゃない」

 Oh・・・。ツンJSは辛いね・・・。

「でも、まあ約束だから。これからもよろしくお願いします。八一先生?」

 Oh・・・。俺の愛弟子、マジ天使・・・。

 

 

 帰り支度をしながら、俺は晶さんからメールが来ていたことに気付く。

『どうしてもお嬢様が九頭竜先生を待ちたいと仰っている。だが私は明日、朝から組の仕事があり、戻らねばならない。九頭竜先生には申し訳ないが、くれぐれもお嬢様のことをお願いする』

 なるほど、晶さんがいないのはそういうことか。

 っていうか『組』って言っちゃってますねぇ、どういうことすか月光会長。

 

 

 連盟ビルを出ながら俺は天衣に提案する。

「まだ、始発も動いてないな。近くに俺の家があるからそこで時間を潰すか」

「八一先生の家?何だか汚そう」

「年代物のボロアパートだけど、この寒空の下にいるよりマシだろ?」

「そうね。お言葉に甘えるわ。八一先生」

 こうして俺はJSを家に連れ込むことに成功するのだった。

 いや、何もしないよ?俺はロリコンじゃないですし?

 

 

 

 そして、俺はこの日、第二のJSに出会う。

 

 




■原作との違い
 ・勝因、天ちゃん
 ・歩夢きゅん、対局室に放置
 ・JSを家に連れ込む事案発生
 ・Webで八一を確認したヤンロリ、八一宅で待機

深夜の連盟ビルにJS一人で待たせてもらえるものか怪しいですが今回もご都合主義で一つ。

次回、迫るヤンロリの闇。八一、暁に死す(誇張表現)


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10.遭遇、純白と蒼穹の少女

 関西将棋会館から歩いて10分もかからない場所に我が家はある。

 古く小汚いアパートではあるが、住めば都だ。

 

 ドアを開きながら、俺は天衣に声をかける。

「さあ、お嬢様。ようこそ我が家へ」

 だが、天衣は動かぬまま、怪訝そうに問いかけてくる。

 

「ちょっと、鍵をかけ忘れていたの?」

「鍵はいつもかけていないんだ。特に取られて困るものもないし。普段は清滝一門や、若手棋士のだれかが勝手に来てて溜まり場になっているんだけど、さすがにこの時間には誰も来てないだろうな」

「不用心ね。治安最悪の大阪でそんな暢気で居たら、命の一つや二つ失っていそうなものだけれど」

 

「おい。やめろ。そうやってすぐ大阪をディスるのは、神戸人・京都人の悪い癖だぞ?同じ関西、実際はそう変わらねぇよ」

「そうかしら?その意見には全く同意できないのだけど・・・」

 そう言って、決して動こうとはしない天衣を安心させるため、仕方なく俺が先に入る。

 

「ただいま~!だ~れもいませんねぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

 思わず、声が裏返ってしまう。

 見知らぬ女の子が――天衣と同じくらいの小学生に見える女の子が俺の部屋にいた。

 そして、溌剌とした声を俺にかける。

「おかえりなさいませ!お師匠様っ!!」

 

 あ・・・ありのまま今起こった事を話すぜ!

『俺は無人の部屋だと思って扉をあけたら、中にかわいいJSがいた』

 な・・・何を言っているのかわからねーと思うが、俺も何をされたのかわからなかった・・・。

 頭がどうにかなりそうだった・・・催眠術だとか超スピードだとか、そんなチャチなもんじゃあ断じてねえ。

 もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ・・・

 

 

 

 などと言っている場合かーー!!

 天衣は俺を幼女誘拐犯か性犯罪者かのような眼で見てくる。

 いや、事実そう思っているのだろう。

 俺だって師匠の部屋に突然見知らぬ幼女がいたら黙って110番する。そういうものだ。

 俺は必死に、自分は知らないということをボディランゲージで天衣に送った後、事実関係を把握するため、謎のJSへ向き直る。

 天衣とは雰囲気が全く異なり、どちらかといえば『カワイイ』を突き詰めたような天真爛漫系JSに見える。

 だが、なぜか俺の中のS心に違和感を感じる・・・。

 警戒している?――これは怯えているのか?

 

 なぜ、こんなかわいいJSに?―――いや、きっと気のせいだな。

 俺は、その違和感を追いやり、目の前のJSに話しかける。

「ええと・・・・きみは?どうして俺の部屋にいるの?」

「はい!あの、くじゅりゅうやいち!先生でいらっしゃいますよね!?」

 JSは若干噛みつつ、そう聞いてくる。

「そうですが・・・・・」

「約束通り、弟子にしてもらいにきました!!」

 

 

 ・・・・は?

「え?弟子?・・・俺が?弟子にするって約束したの?きみを?」

「はい!!」

 はっきり言い切る前門のJS。殺気を膨れあがらせる後門のJS。

 さらに焦る俺。

「え?いつ?」

「え?あの。去年の竜王戦最終局で・・・・」

「うん」

「廊下で倒れられていた先生にお水をさしあげて・・・・」

「そのお礼に、弟子にしてあげるっていった?」

「いえ、正確にはちょっと違って・・・・」

「うん?」

「『タイトル獲ったら何でも言うことを聞いてあげる』って」

「Oh―――」

 ついには背中に何度も蹴りがぶつけられるようになる。

 小さく、非力な足なのであまり痛くはないが、感情は伝わってくる。

 大変怒っていらっしゃる・・・。

 ※ちなみに過去の竜王戦の詳細については原作1巻(神)を(以下略)

 

 

 将棋の神様が『名人にしてやるから、う○こ食え』って言ったら、あの日あの時、師匠が放ったう○こ(ビッグ○ン)だろうと喜んで食える俺だ。

 タイトルがかかった、あの場面でならそんな約束をしていても全くおかしくない。

 それに、せっかく俺を頼ってきてくれたのだ。

 無下にはしたくない。が、後ろの愛弟子も気にかかる。

 何とか穏便にお帰りいただくとするか・・・。

 

 

「わかった。約束は守る」

「ほんとですか!?」

 喜びを露わにするJS。かわいい。が、良心が痛む。

「でも、まず試験してからだ」

「しけん・・・・?」

 一転、JSは緊張に身を固くする。かわいい。が、S心が軋む。

 

「将棋の世界は厳しい。君にやっていくだけの力があるか見せてくれ」

 そう言って、俺は部屋の中にJSを計2名連れ込んだ。だが、事案ではない。

 

 

 

 

 

 そうして、将棋の道を諦めさせるために仕掛けた対局で、俺は彼女の才能に驚嘆することになる。

 天衣の時もそうだったが、どうやら俺に将棋の才能を一目で見抜くような力はなかったらしい―――

 

 

 




■原作との違い
 ・本イベントの発生、3日遅れ
 ・八一、目覚めたてのS的直感を信じられず、修正力の介入を許す【悲報】
 ・八一、現時点で両手にJS状態に【朗報?】

今回は、天ちゃんとあいの直接対決はありませんでしたが、
次回から、バチバチやり合う予定です。こうご期待!


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11.予兆、軋む空気

「あ…ありのまま今起こった事を話すぜ!
『俺はラブコメを書いていたと思ったら、いつの間にかホラーになっていた』。
な…何を言っているのかわからねーと思うが、(以下略)」


 JS二人を部屋に招き入れる。

 

 うむ。いつもは殺風景な部屋に、今はキレイ系、カワイイ系、それぞれで頂点とれそうなJSが二人。

 うまく言えないがそう――

 

 胸が熱くなるな!

 

 俺は感慨を覚えながらも将棋盤を引っ張り出す。

 そして、弟子入り志願のJSを対面に座るように促そうとして、彼女の名前も知らないことに気付いた。

 

「そういえば、まずは名前を教えてもらえるかい?」

「あ!失礼しました。私は雛鶴あいといいます!小学三年生、9歳です!・・・あとあと、先生と初めてお会いした温泉旅館『ひな鶴』の娘です!」

 

 その言葉に俺は心底驚いた。竜王戦最終局の場となった旅館の娘だというのは、まあ分かるとしても――

「天衣と同じ『あい』で、年齢も同じ9歳か・・・」

 俺は、思わず天衣のほうを見る。

 

 そこで彼女――雛鶴あいちゃんも改めて、天衣について聞いてくる。

「同じ『あい』?その子も『あい』って言うんですか?・・・あの、先生の妹さんか、どなたかでしょうか?」

「いや、彼女は夜叉神天衣。俺の弟子だよ」

 

 

 

「・・・・・・・・・弟子、ですか?」

 俺は一瞬、誰がその言葉を発したのか分からなかった。先までとは異なるあまりに低い声。

 だが、部屋には俺と天衣と目の前のあいちゃんしかいない。消去法で理解せざるを得ない。

 

 部屋の空気が一変していた。重く息苦しい感じに―――

 

 

「・・・私がたまたまいなければ、この子と先生は二人きりだったんですよね?こんな小さな、かわいい子を、こんな時間に連れ込んで。何をするつもりだったんですか?」

 

 えっ!?君がそれを言うの!?

 

 そうとっさに突っ込みたかったが、俺を見上げるその眼に見つめられ、言葉を飲み込んだ。

 

 

 先ほどまでの溌剌とした瞳の輝きはどこにもない。瞳孔が開き、まばたきもせず、光を一切反射しない――死んだ魚か、あるいはガラス玉のような――

 

 

 何これ!?こわい!こわい!こわい!こわい!こわい!?

 

 

 

「ねぇ、先生?黙っていては何も分からないです―――」

 そう言って一歩ずつ近づいてくる。表情は仮面かのように微動だにしない。

 

 俺は後ずさりたかったが、金縛りになったかのように足が動かない!?

 ただ、歯を噛み鳴らし、首を左右に振ることしかできない!

 

 ひた、ひた、ひた、とあいちゃんは近づいてきて―――

 

 

 

 

「将棋を教えてもらおうとしていたのよ?私は弟子ですもの」

 あいが俺まであと三歩というところまで来たところで、天衣が俺をかばうように前に出てそういった。

 

 天衣ちゃんマジ天使、改めマジ女神!

 女神の守護を得、俺は九死に一生を得たのだ!

 いや、なぜJS一人にそこまで危機感を覚えているのか分からんが。

 

 

 

 そう一息ついていた俺の首に、天衣の腕が柔らかく巻き付いてくる。

 そうして、なぜか天衣は俺にしなだれかかるようにして―――

 

 

 

 あ・・・暖かくて、柔らかくていいにおひがする♡

 

 

 俺は恍惚につつまれる。

 

 

 

「いつも手とり足とり、色々と教えてくださるの。ね?八一先生♡」

 

 俺は絶望につつまれる。

 

 

 オィィ!?なに言っちゃってくれてんの!?

 そんな煽るようなことをいったら・・・もう駄目かも知れんね。

 

 

 だが、怒りの矛先は天衣に向かったらしい。

 

 

 あいちゃんは首を90度傾け、天衣の顔を無表情にのぞき込む。

 どうでもいいことだが、これペ○ルギ○スさんのポーズじゃね?

 

「先生、これからあいの試験をするんですよね。将棋で対局して」

 ふいに、あいちゃんはそう聞いてくる。

 

「ああ・・・そうだけど?」

 

「この子と勝負させてもらえませんか?この子に勝てれば、先生の弟子にしてもらうのに不足はないですよね?」

 

「いや、それは・・・」

 

 俺はあいちゃんの提案に戸惑う。だが――

 

「あら?私は構わないわ?判定方法としてとっても分かりやすいんじゃないかしら?」

 

 天衣が先に喧嘩を買ってしまったのだった。

 

 

 

 そして、後に唯一無二のライバルとなる二人の初めての対局が始まる―――!

 

 

 




■原作との違い
・弟子の存在にあい、ブチ切れ
・あいの対戦相手、天ちゃんに
・八一の胃、ストレスでマッハ
・姉弟子がアップを始めました

ところで、原作を読んでても思ったのですが、文中に『あい』って出てくると、前後の文字と混ざって読みにくいですよね。
原作と表記は変わるけど、””とかで囲おうかな?
当面はあいちゃん呼びなので大丈夫ですが。
ご要望あれば、お気軽に活動報告かメッセージまで。


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12.熾烈、二人の『あい』

将棋盤を挟んで二人の『あい』が向かい合う。

天衣は一昨日対局して知っていたが、あいちゃんも背筋を伸ばし綺麗に正座している。

今時の小学生としては珍しいのだろうが、やはり家が旅館だからというのがあるのだろうか。

 

 

 

俺の将棋盤は脚付きの七寸盤(ローン有り)なのだが、高さがあるため、二人の前に置くと対比でJSが非常にちんまりして見える。

なんというか、非常に――いい。

 

カメラを構えればインスタ映えする良い写真が撮れそうだ。

アップした瞬間、アクセス数はうなぎ登りだろう。

同時に俺への世間からのヘイトもうなぎ登りしそうなのでやらないが。

 

ただひたすら脳内シャッターを切り、目の前の光景を焼き付けるのみ。

 

 

 

先ほど、あいちゃんに感じた恐怖も収まっていた。そもそも俺の勘違いだろう。

小さな手で、あせあせと駒を並べる手つきも愛らしいじゃないか。

 

だいたい、大の男を金縛りにするほどの殺気を放つJSなどいるはずがない。

ほんと、俺って馬鹿。はは。

 

 

 

二人が駒を並べ終える。

 

「先手をどうぞ?」

先手を譲ってあげる天衣お嬢様。やさしい。

私が上手だというアピールの可能性も微レ存だが。

 

あいちゃんも頭を下げて好意を素直に受ける。

顔を上げる際に、天衣に対しメンチを切っていた気もするが勘違いだろう。きっと。

だいたい、あんなに愛らしいJSがメンチなんて切るはずが・・・ない。

ほんと、俺って馬鹿。ははは。

 

 

 

「「よろしくお願いします」」

いよいよ対局が始まる。

さて、あいちゃんはどのような将棋を指すのか。

 

「すー、はー・・・・・・・・んっ!」

あいちゃんは一つ大きく息を吸い込むと、凛とした表情を作り、飛車先の歩を突いた。

 

 

居飛車党かー。うん。振り飛車党でないのはポイントが高い。

俺の中では、『振り飛車=不利飛車』である。あんな将棋を指す連中の気が知れない。

そもそも、振り飛車党なんてのは指運に任せて適当に指してるだけの――いや、今は言うまい。

二人の将棋に集中しよう。

 

 

天衣はまず、角道を開ける。

三手目のあいちゃんはほぼノータイムで飛車先の歩をさらに突いた。

 

 

これは――全力でぶん殴りにいこうというのか?

意外に気の強い子だ。いや、意外じゃないか。

見知らぬ男に弟子入りしに石川県から一人で乗り込んでくるような子だ。肝は太い。

 

それ以前に俺に殺気を放ったり、天衣に喧嘩を売ってたりしたじゃないか?

ちょっと、何を言っているのか分かりませんね。

 

 

 

天衣は眉根を寄せ、小考した後、矢倉を指向した守りの手を指す。

 

 

天衣の性格上、二手目で飛車先の歩を突いていれば、喧嘩を買って相居飛車にしただろうが、既に角道を開けていたので、まずはお手並み拝見と決めたのだろう。

先ほどの小考はそういうことだ。

愛弟子の思考を正確にトレースした(つもりの)俺、マジ師匠の鑑。

 

 

 

そこから、あいちゃんが攻めかかる展開が続くが、天衣は正確に受け、いなしていく。

形勢ははっきりと天衣の優勢を示していた。

 

 

 

うん。あいちゃんは初心者だな。

駒を並べる手つきで薄々察していたが――最近はPCやタブレット、スマホ等で勉強する人も多いのでそれだけでは断定できない。

ここまでの展開を見る限り、あいちゃんは定跡もほとんど知らないはずだ。

無理に攻めかかっては、あしらわれ、涙目になってしまっている。

 

 

天衣も俺と同じ結論に達したのだろう。

「はぁ・・・」

一つ溜息を着くと勝負を決めるべく、陣形を崩しながらも攻め上がる。

 

 

 

そうして、天衣の駒組みが間延びし、敵陣を押し込み始めた所であいちゃんが長考に入る。

 

「・・・・・・・・・こう・・・・こう・・・・・・・・・こう・・・・」

 

何かをつぶやきながら、体を小刻みに揺すりながら、猛烈に思考を回転させている様子だ。

天衣は怪訝そうにあいちゃんを見ている。

 

「・・・・こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう・・・・・・・」

 

あいちゃんの体の揺れ幅大きくなり、前傾していく。

 

この揺れは、頭の中で腕を伸ばし、手を指している現れか・・・?

 

「こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こう、こうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこう――――――――――」

 

前傾はさらに激しくなり、もはや盤面をのぞき込まんがばかりになっている。

 

仮にこの『こう』と言うつぶやきが一手指すシミュレーションなのだとすると、あいちゃんは一体、何手何パターン読んでいるというんだ!?

 

「こうこうこうこうこうこうこう・・・・・・・・うんっ!!」

あいちゃんは目を見開き、瞳を爛々と蒼穹の色に輝かすと、長考の結果を盤面に放った!

 

「「っ!?」」

 

天衣と同時に俺も驚きのうめきをもらす。

 

ここで、手抜いて攻めの一手だと!?

 

 

攻めに対して、攻めで返す。

これは――天衣の攻めをなまくらと断じ、斬り合いになれば自分が勝つと主張している!

 

「・・・・・こう、こう、こうこうこうこうこう・・・・」

そして、俺たちを驚愕させた本人は、また盤面をのぞき込み膨大なシミュレーション作業に戻っていった。

 

 

「っ!!」

対する天衣は小考の末、手を進めた。

 

天衣の示した手は『守り』だ。

ここは長考していい場面だったが・・・この手は――

 

 

 

そこからは、猛烈に殴り続けるあいちゃんと攻め上がった影響で薄くなった守りを必死にたぐり寄せながら受け続ける天衣による攻防が展開した。

 

その様は俺に、死線に踏み込み無数の斬撃を放つ侍と羽衣を身にまとい紙一重で躱し続ける天女を連想させた。

 

 

熱い!!

 

いつの間にか俺は、目の前に座っているのが小学生の女の子たちということを忘れ、その熱に飲み込まれていた。

 

しかし、どれほど心沸かせる熱戦もいずれ終わりの時が来る。

 

 

 

侍と天女の決闘は――

 

 

 

斬撃を切らし、動きを止めた侍の心臓(玉将)を天女が一突きにすることで幕を降ろした。

 

 

 




■原作との違い
・JS同士の戦い
・八一、あいの心の闇を見なかったことに
・八一、現時点で振り飛車ディスが発覚
・あいの「こう」という台詞に一カ所う○こが異物混入(嘘)

感想戦まで一気に書こうかとも思いましたが、分量も多めになったので今回はここまで。


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13.追想、生死の分かれ目

「・・・・・・・・・・負けました」

 

 あいちゃんはぽろぽろと涙をこぼしながらも、なんとかそう言葉に出した。

 唇を噛み、鼻をすすって泣くのを必死に堪えようとするが、涙は止まりそうにない。

 

 まあ、気持ちは分からなくない。

 弟子入りの希望がかかった一戦。

 しかも自分からふっかけた喧嘩で返り討ちにあってしまったのだ。

 悔しくて、情けなくて───自分の弱さが許せないのだろう。

 俺にも経験がある。すごくある。

 

 そしてあいちゃんは立ち上がると俺に声をかけた。

 

「・・・・・くじゅりゅう先生、洗面所を貸していただけませんか?」

 

「ああ、洗面所なら向こうだよ」

 

 あいちゃんは俺が指し示した方に消えていった。

 そして水が流れる音に紛れて、そのすすり泣きも聞こえなくなった。

 

 一方、勝者である天衣は複雑な顔をして、盤面を睨んでいた。

 俺は先ほどの勝負の分かれ目となった一手を確認すべく、天衣に話しかける。

 

「お疲れ、天衣。さっきはよく踏みとどまったな。見えていたのか?」

 

 あいちゃんが手抜いてカウンターをしかけた場面。

 仮に天衣が無視して攻撃を続けていれば勝敗はひっくり返っていた可能性が高い。

 

「いいえ、見えていたわけではないわ。あの子の前後の様子から咄嗟にまずいと判断して手控えただけよ。でも八一先生がそう言うってことは、あのまま行くとやられていたのね?」

 

「ああ。あの時点で守りにシフトしないと間に合わなかった。一手対処が遅れれば、長手だけども詰みがあった」

 

「そう・・・・・・」

 

 天衣も唇を噛み、悔しそうな表情をする。

 しかしながら、俺は天衣の先の発言から逆に彼女の才能を感じ取っていた。

 

 

 この子は、対戦相手の表情や仕草、所作などからも情報を得て、形勢を判断することができている。

 それはつまり盤外まで活かした勝負に長けている、ということだ。

 盤外を勝負に持ち込むことについては賛否両論あるが、俺は諸手を挙げて肯定する。

 将棋が『人対人』のゲームである以上、そういった機微まで勝負に含むことに意味があると思うからだ。

 盤上真理だけが全てなのであれば、もはや人間が将棋を指す必要はないだろう。

 勿論、盤上真理を真摯に追い求めようとする棋士達を否定する気はないけれど。

 

 それに棋士として上を目指す以上、棋力が上の相手との対局は幾度となく訪れる。

 そしてトップ棋士として大成するにはどうしても上手食い(ジャイアントキリング)を成し遂げ、力をため込む必要がある。

 その時に盤上のみで戦う棋士と、盤外あまねくを力に変えられる棋士では自ずと勝率に差が出るものだ。

 天衣の盤外の才能は大いに彼女を助けるだろう。

 

 とはいえ、天衣の指導のため、俺はそのことはおくびにも出さず彼女を叱る。

 

「あの場面は長考してでも慎重に進めるところだったぞ。結果的にはうまくいったけども」

 

「私だって公式の一戦なら長考してでも読み切っていたわ。でも素人相手に長考するなんて格好が悪いことできないでしょう?私にも意地があるもの」

 

「もし負けていれば、それより遙かに格好悪かったけどな」

 

 口を尖らせる天衣には苦笑してしまうが、まあこの鼻柱の強さも天衣の才能だろう。

 

 

 ───それに、その鼻柱を折られて涙目になる天衣もカワイイシナ───

 

 

 自然とニチャリとした笑みが浮かんでしまい、振り返って天衣から顔を隠す。

 そうこうしているとあいちゃんが洗面所から戻ってきた。

 目は赤いが、涙は止まっている。

 

「失礼しました、先生」

 

「気にしなくていいよ、あいちゃん。それよりこっちにきて。さっきの将棋についていくつか聞かせてくれるかい?」

 

「え?・・・は、はい」

 

 あいちゃんを再び将棋盤の前に座らせ、盤面を巻き戻す。あの分かれ目の一手に。

 

「ここ。天衣がこう指していたら、どうした?」

 

「その次にこうしたら?」

 

「あ、えっと・・・こうです」

 

「それじゃあ、こうしていたら」

 

「その時はこっちです」

 

 うん。やっぱり読み切っている。

 

「・・・・なるほど。たいしたものだ。よく読んでいるし、特に終盤力は図抜けてる」

 

「えと・・・・その、ありがとうございます。えへへ♡」

 

「逆に序盤とかの定跡はあまり勉強できていない感じかな?」

 

「あ・・・いえ、その!・・・わたし、先生の竜王戦を見て憧れて!・・・それで将棋を始めたので、先生があの時していた、飛車の前の歩を進めていくやり方しか知らないんです・・・ごめんなさい」

 

 

「はへ?」

 

 

 いかん。一瞬意味分からなくて変な声出た。

 天衣も俺の後ろで、珍しく間抜けな顔をしている。

 

 えっと、竜王戦最終局からってことは───え、まだ三ヶ月くらい?

 三ヶ月であの詰みの手順を読んで、なおかつ攻めてくる相手にしかけたの?

 やだ、なにこの可能性の獣?

 

「・・・・・とんでもない才能だな」

 

 思わず口に出してた。

 

「え!?・・・あの、それじゃ、せんせぇ?」

 

「ん?」

 

「それじゃ、わたしの・・・試験・・・あの」

 

「あ」

 

 そうだ、そんなこと言われたら負けちゃっても、もしかしてって期待しちゃうよね。

 後ろで天衣が溜息着いて呆れている。『このお馬鹿』とでも言いたそうだ。

 

 そういやそうだ。断ろうとしていたんだった。しかし・・・う~ん。

 これほどの才能、捨てちゃっていいのか?

 将棋界にとって途方もない損失なんじゃない?

 

「負けちゃいはしたけど、色々惜しかったからもう少し見させてもらおうかな?」

 

「は、はい!」

 

 とりあえず、問題を先送りした俺にあいちゃんは元気よく答える。

 後ろで天衣がさらに呆れて果てているのが、空気で分かったが気づかない振り。

 

 今度は俺が相手をしようとする。その時───

 

 

 

『グ~』

 

 

 

 思えば、昨日の歩夢きゅんとのランチから何も食ってない。

 

 腹が─────減った─────

 

 

 

 




■原作との違い
・あい、泣いちゃう
・八一、エスというよりゲスに
・八一、腹の音でJSの手料理を要求

次回は下記の三本立てです。お楽しみに

「大阪市福島区 北陸育ちのJSが作る至高の和定食」
「大阪市福島区 JS二人から出汁を取った究極のスープ」
「私、銀子。今あなたのアパートの前にいるの」


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14.憧憬、地上の楽園

まずは、味噌汁を一口。
ズズズ、ほぉ~。これはうまい。きのこ~って感じがする。
続けてご飯をかきこむ。
ハグハグ、あぁ~。……ご飯がうまいって幸せだ。



前回のノリの続きで食事シーンを全て孤○のグルメ風にしようかと思ったが、ここまで書いた時点で、
うん。食事シーンだけでこの話数は終わってしまうと断念。
井之頭さんへの道は遠い……


「はぁ~あ……。いい湯だ~」

 

 腹がぺこちゃんになった俺にあいちゃんが料理を振る舞ってくれるという。料理を作っているのを待っている間に風呂で疲れをとってほしいとのことで浴室に送り出されたのだが、なぜか既に湯が張ってあった。明らかに異常事態だが腹が減って頭がうまく働かない俺はそのまま湯に浸かって、今に至る。

 

 普段シャワー派の俺が久しぶりの風呂に癒やされて浴室から出てくると、着替えとタオルが準備されている。

 俺、あいちゃんに着替えとかの場所教えてないよね? なんで把握されてるの?

 徐々に頭が回転しだし、俺の中に戦慄のようなものが走る。だが浴室を出ると、あまりにうまそうな匂いが鼻を突き、俺はあっという間に先ほどの違和感を忘れ去った。

 

「さあ、先生どうぞ」

 なめこたっぷりの味噌汁に、皮目パリッの焼き鮭、ふんわり卵焼き、名脇役の海苔の佃煮。そしてとどめはほかほかの白ご飯。

 そう。こういうのが食べたかったんだ。完璧な和定食だ。

 それもエプロン姿のJSの手作りとなれば、うまくないはずがない。

 

 天衣とあいちゃんも両脇の席に着き、声をあわせる。

「「「いただきます」」」

 かわいいJS達と囲む食卓。これでうまくないはずがないのだ。

 

 あまりのうまさに、ご飯をおかわりしてもあっという間に食べ終わってしまった。

「とっても美味しかったよ! すごいなきみ!?」

「えへへー♡」

 褒めてあげるとあいちゃんは、頬を染めて本当に嬉しそうな笑顔を浮かべた。

 子犬みたいに素直な子だ。

「そんなー。女の子として当然の嗜みですー」

 だが、その後ドヤ顔で天衣のほうをチラチラ見るのはなぜなのか?

 天衣は目を閉じてお茶をすすりながら無視している。眉がぴくぴくしている当たり無視ししきれていないようだが。

 

 それから、俺はあいちゃんがこの三ヶ月どのように将棋の勉強をしていたかを聞いていった。

 驚いたことにこの子は、詰め将棋を暗記しながら解いていたらしい。三十題ぐらいまとめて。それも詰め将棋の超難関『将棋図巧』をだ。もう乾いた笑いしかでない。

『ぅゎょぅι゛ょっょぃ』である。ネタでなく。

 ちなみに天衣も『将棋図巧』を解いていたらしい。JS二人でどのお題が良かったかで盛り上がっている。俺の弟子は読みの力でも棋士の適性を持っていたらしい。

 

 ことここに至ってあいちゃんの才能は疑いようがない。天衣と同じく破格の才能持ちだ。だからこそ悩んでしまうのだが。

 俺はあいちゃんの弟子入りについて、考えをまとめるため二人に席を外させることにした。

 

「あいちゃん。良ければお風呂に入ってきたらどうだい? 昨日からずっとそのままなんだろう?」

「え!? よろしいんですか? ありがとうございます!」

「ついでに天衣もいっしょに入ってこいよ。お前も昨日からそのままだろ?」

「はぁ!? なんで私が!? 家に帰ってから入るから私はいいわ」

「いいでしょ! 天衣ちゃんも一緒に入ろうよ!」

「ちょっと! 引っ張らないでちょうだい! 私はいいって言ってるでしょ!!」

「大丈夫! きっと二人の方が楽しいよ!」

「何が大丈夫なのよ!?」

 

 本気の対局と先ほどの共通の話題ですっかり(あいちゃんが一方的に)打ち解けたらしい。渋る天衣をぐいぐい引っ張って、二人は浴室へ消えていった。

 

 しばらくすると水音が聞こえてくる。二人して湯船に浸かったらしい。キャッキャという姦しい声も聞こえてきた。

 ここでロリコンであれば、『ごく、ごく、ごく、ごく、ごく』と動画サイトにコメントを打ち、二人の浸かった湯を飲み干せないことに血の涙を流すのだろう。だが、年上巨乳党である俺はそのようなことに興味はない。

 例え洗面所に二人の温もりが残る服と下着が残されていようが、二人の肌が湯の温度でピンクに上気していようが、湯上がりの二人の体臭がミルクのように甘い香りをしていようが興味はない。

 興味はないが、二人が出た後の湯は抜かないように言っておこうと思う。

 ほら? 残り湯は洗濯にも使えるしね? エコって重要じゃん?

 SAVE The EARTH!

 

 そんなことを考えていると、浴室から二人の会話が聞こえてきた。

「天衣ちゃん、肌白ーい。それにぷにぷに~」

「ちょっと! 触らないでちょうだい! それに雪国育ちなんだから貴方だって白いでしょう!!」

 別に耳を澄ましているわけじゃない。ただ二人の声が大きかっただけだ。

 

 しかし、こうして聞いていると見た目と本質が全く異なる二人だ。

 あいちゃんは大人しそうな外見だが、かなり押しが強い性格だ。絶対に自分の主張は曲げない、姉弟子に似たタイプだろう。まあ、女の将棋指しなんて九割九分そんなのですが。一方の天衣は一見気の強いお嬢様。まあ実際、気も強いんだが、弄られると弱い。そこがかわいい。

 

 そんな個性の異なるJSを両手に抱えた竜王───

 うん。駄目だろ。炉竜王(ロリ王)ってあだ名ついちゃうよね、それ?

 俺っち、社会的に死んじゃうよ?

 

 あいちゃんの才能は惜しいけど、やっぱり他の誰かに託すのが現実的か───

 と、そこまで考えていた時。

 

 ピンポ~ン♪

 玄関のチャイムが鳴った。

「はーい!どちらさんですかー?」

『私』

「え?」

『私』

「……」

 

 

 

 A☆NE☆DE☆SHI !?

 

 

 




■原作との違い
・JS二人と食卓を囲む
・二人の『あい』、和解
・JS二人がお風呂でキャッキャウフフ

次回、惨劇が降った日。
お楽しみに。


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15.暗転、渇望する力


今回で惨劇が起きると予告で言ったな!あれは嘘だ!



すいません。そこまで行き着きませんでした。
計画性のない作者ですまない……

あと、この回よりR-15のタグを入れてみました。
遅きに失した気がしなくもないですが。


『もっと先へ────《加速》したくはないか、少年』

 

 

 

 YES!!

 

 俺は(体感では)光以上の速さで駆け、ドアノブへ飛びついた!

 今は───今だけは、姉弟子に部屋に入られるわけにはいかない!

 

 湯上がりの時のまま、ほぼ肌着だけに近しい状態の俺とバスタイムを満喫中のJS二名。

 いかがわしいことはしていないし、考えてもいないが字面だけを捉えれば有罪(ギルティ)であることは理解している。

 

「いっ! いかがなさいました姉弟子!? ど、どどどっ、どのような御用向きで!?」

 

『将棋会館に用事があったから帰りに寄っただけよ。っていうか何、その変な言葉使い。何焦ってんの?』

 

「ッいえ! 決してそのようなことは! にゃ、にゃにも焦ってなんかないですよ……?」

 

『……? まあ、いいわ。暑い。早く開けて』

 

「いや、その……今はちょっと……都合が悪いといいますか……」

 

『は?』

 

「その……そう! お腹が痛くて!」

 

『だから何? さっさとトイレに行って大でも小でも好きにすればいいじゃない? 私も勝手に部屋で待ってるから』

 

「え!? ……いや、その、部屋の中に人がいると落ち着いて用を足せないといいますか……分かるでしょう!?」

 

『分かんないわよ。馬鹿じゃないの?』

 

 はい、馬鹿です。俺はなぜそんな意味不明のいいわけをしたのか。なんもかんもこの間の師匠(清滝九段の乱)が悪い。

 

『……私のことなんか、相手にしたくなくなった?』

 

「へ?」

 

『八一、竜王になったし…… 連敗も止めたから、今更奨励会員の私の相手なんかしたくないのかなって……』

 

 いかん。なぜか姉弟子がしおらしい。罪悪感がもりもり沸いてくる。

 でも『JSがお風呂に入ってるから出るまで待って』なんて言えないし……

 言った瞬間に惨劇の幕が開けることは間違いない。Nice boat.は嫌だぁぁ──────

 そんな葛藤に俺が苦しんでいるとき。

 

「くじゅりゅーせんせー。タオルとってくださいー」

 

 とんでもないタイミングで風呂場からあいちゃんが顔を出した。全裸で。

 

「おぃぃ! なんで裸で出てきてんの!?」

 

 やめろぉぉ!(建前)ないすぅぅ!(本音)

 大変惜しくはあるが人としての倫理観から俺は目を逸らす。

 

「ちょっと! 何やってんのよ!?」

 

 あいちゃんを引き戻すため天衣も風呂場から出てくる。天衣はさすがにタオルを巻いてた。

 先ほど俺が使って干していたタオルだろう。

 

 ────濡れた黒髪は柔らかな頬や肌に張り付き、JSにあるまじき色気を感じさせる。タオルから露出した肩は暖められて鮮やかなピンクに色づいており血色の良さを表していた。タオルをキツく巻き付けられた境目の肌はぷにっと反発し、その弾力と触感の良さをアピールしてくる。そして伸びるその手足は細くすらっとしており、彼女の豊かな将来性を予感させた。きゅっと内側に絞められたつま先の小さな指も愛らしく────

 

 上から下までガン見していた俺だが、裸ではないのだから倫理上問題はない。……ないよね?

 

『……今、女の声がしなかった? それも複数』

 

「してませんよ!? あるわけないでしょ!? と、となりの声じゃないですかぁ?」

 

 女はいない。女”の子”はいるが。俺は嘘は言ってない!

 天衣ー! 早くあいちゃんを連れて戻って! これ以上はいけない!

 

『……自分の目で確かめるから早くそこを開けなさい』

 

「せんせー?誰かいらしてるんですかー?」

 

 天衣も一旦あいちゃんを引き戻すのを止め、訝しげに俺を見てくる。

 

『八一! やっぱり誰かいるんでしょ!! さっさと開けろっ!!』

 

 確信を持ってしまったのかついに姉弟子は全力でドアノブを回し、ドゴンッとドアを蹴飛ばし始める。そして、

 

「………………また、女の人が来てるんですか?」

 

 あいちゃんの声が急に底冷えするようなものに変わる。

 やだ? なにこれ、こわい? ……でも何か既視感(デジャビュ)

 それに、またって……天衣のこと? 天衣のことも怒ってんの? なんで?

 

「また女ですか!? また女の人が来てるんですか!? ちゃんと私の目を見て説明してくださいっ!!」

 

「見れないよ!? きみ全裸じゃん!!」

 

『全裸!? 全裸の女がそこにいるの!?』

 

 だから、女じゃ────

 

 

 そして、終末を告げる笛の音(ギャラルホルン)が鳴らされた。

 

 

 起きたことは非常に単純である。

 ①あいちゃんが俺を振り返らせようと引っ張り

 ②その力にバランス崩して、俺が倒れ

 ③俺に密着していたあいちゃんを巻き込み

 ④延長線上にいた天衣に頭から突っ込んだ

 以上である。

 

 

 だが、それがもたらした結果は少々破滅的だった。

 俺の押さえがなくなったドアノブを回し、部屋に踏み込んできた姉弟子の目の前に広がるのは、

 ──あいちゃんを『これ絶対挿入ってるよね』という体勢で押しつぶし、尻餅をついている天衣の股間に(タオルの上からではあるが)顔を突っ込んだ俺の姿だった──

 

 

 以前、俺はリトさんではないと自分の不遇(第9話参照)を嘆いていたが、すまない。どうやら本当はリトさんの生まれ変わりだったらしい。この小説にも転生か憑依のタグを付けるべきだろうか?

 

 

 

 だが俺が今、切実に欲しい力はそんなもの(ラッキースケベ)じゃないんだ。

 俺が今欲しいのは、電話レンジ(仮)(タイムマシン)運命探知の魔眼(リーディングシュタイナー)なんだ──────

 

 

 

 




■原作との違い
・八一は全裸より半裸派?
・八一はリトさんの転成体だった?
・八一、オカリンになりたい
・JS二人で銀子の怒りも2倍

なお、VSの約束がないのに銀子が八一の家に来た理由は連敗を止めたお祝いのためです。
作者の脳内設定(後付け)では。
なんていじらしい姉弟子……

というわけで、次回こそ惨劇の幕開けです。
お楽しみに。


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16.顕示、私の先生

「飛べよぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 

 飛べませんでした。

 俺は世界線変動率1%の壁を破ることはできなかった。

 そして、人生にはCtrlキーもAltキーもDeleteキーもないのだ。

 

 だからこうして土下座している。

 なお、土下座する前に既に俺をサンドバッグとした3分1R×3R制のキックボクシングスパーが行われていることは言及しておく。そのボロキレ状態から土下座体勢に移行し、今に至る。俺はもうダメかもしれない。

 

 これから始まるのは俺の裁判だ。裁判官:姉弟子、検察:姉弟子、弁護人:姉弟子の。

 全部姉弟子じゃねぇか。

 だが俺は今、弁明をする機会を与えられている。やるだけはやってみようと思う。

 

「全ては事故! 俺は世間に恥じるようなことは何一つしていません!」

 

「で?」

 

 っうぐ……でも負けない!

 

「こちら、雛鶴あいさん。俺の弟子になりたいっていって、一人で! 北陸から! 出てきたんです。姉弟子ならそんな女の子を放り出せますか? この大阪に」

 

 大阪の治安をディスるなと天衣には言ったが、こういうときは便利に使える。最高だな大阪。

 姉弟子は一旦矛先を納めた。

 

「そう、じゃあそっちの子は?」

 

 今度は天衣か。こっちはある意味楽だな。

 

「こちら、夜叉神天衣さん。俺の弟子です」

 

「弟子? あんたに?」

 

「そうです。月光会長も師匠もご存じのことです」

 

「……そう。で、なんでその弟子が今日ここにいるの?」

 

 ……ん? これは微妙な一手だな。慎重に返さないとまずい気がする。

 整理しよう。あいちゃんは勝手にあがりこんでた。これは言い訳がつく。転じて天衣。俺が誘った。それはなぜか。電車が動いていなかったから。なぜそんな時間までいっしょにいたか。連敗ストップがかかった歩夢との対局を弟子として応援しに来てくれたから。うん丁寧に説明すれば十分理解してもらえるだろう。

 そうして俺が長考に入っている間に天衣が手をあげていた。

 

「わたしからご説明します。空女王。」

 

「……お願いするわ」

 

 え? ちょ、天衣?

 

「昨晩は八一先生とともに夜を明かしまして。それで交通機関が動き出すまでお家に誘って下さったんです」

 

 おぃぃぃぃぃ!? 間違っちゃいないけど肝心なところが抜けてるぞぉぉぉ!!

 案の定、姉弟子の殺気が膨れあがる。

 

「……八一?」

 

「歩夢です! 昨晩あった歩夢との対局! 連敗ストップがかかってた大事な一局。天衣はその応援に来てくれてたんです! それが朝までかかって!」

 

 ふぃー。セーフ。これで姉弟子も収まったろ?

 だが、天衣は依然挑発的な眼をしている。まだ何かあるのか……?

 

「師匠の大切な対局とは言え、小学生が一人で朝まで? なんで?」

 

 天衣の表情が我が意を得たりと微笑む。

 

「八一先生からお願いされたんです。昨日の対局に勝てたら私からご褒美がほしいって。そうしたら頑張れるからって」

 

 これは……まずいのでは?

 

「……それで?」

 

「だから、私。子供っぽくて恥ずかしいんですけど…… 八一先生♡って呼んであげるって。それで、対局が終わったら一番に呼んであげたくって……」

 

 天衣の表情が恥ずかしそうに、でも幸せそうにはにかむ。

 これはいけない。孔明の罠だ。

 

「……呼んだわけ?」

 

「はい。これからもよろしくお願いします。八一先生♡って」

 

 俺は全てを察していた。天衣が狙っていたのは俺を陥れることじゃない。いや、結果的に俺に被害は来るんだろうが。

 天衣が狙っていたのは姉弟子とあいちゃんへの強烈な先制パンチだ。

 

 結果として、この部屋に修羅が二人誕生する。

 しかし、あいちゃんはある意味露骨にすきすきオーラを出してくれているから分からなくもないんだが、なんで姉弟子が怒るの?

 

 俺は全てを諦め正座して二人を受け入れる。

 

「八一? かわいいロリ弟子に好かれてよかったわねー?」

 

 姉弟子はそういいながら、扇子で俺をビシビシ叩いてくる。痛い。

 

「師匠~? そんなに天衣ちゃんがいいんですか~?」

 

 あいちゃんは俺の耳元に囁きかけながら、正座している左足の小指だけを正確に踏み抜いてくる。小学生の体重でも非常に痛い。これ拷問の手管か何かじゃ……

 俺はただ無言で耐える。

 

「八一?何か言ったらどうなの?」

 

 姉弟子の打撃は上方向から横方向へ変化していき側頭部が殴られるようになる。

 って、この角度は!? 

 ちょtア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!! イイッ↑タイ↓メガァァァ↑ 

 急所への直撃に俺はのたうち回る!!

 

「師匠~? そんなに暴れちゃ危ないですよ~?」

 だが、俺の足の小指はあいちゃんにロックされたままだ。

 こりゅ♪

 う゛ぇぁぁういいいいいいいいいい!!!

 全力でタンスの角に小指をぶつけたような痛み!!

 

 芋虫となった俺に冷たい視線が二対注がれているのが分かる。

 冷や汗を流し、ただただ耐える。

 

 その時、俺の頭が優しく抱え上げられ、ふにょんとしたものに乗せられる。ストッキングに包まれたぷにぷにと弾力のあるJSの太ももだ。

 俺の痛みは一瞬で抜けていき、多幸感が押し寄せてくる。意識が奪われる……

 ああ俺の読みは一歩足りなかった。怒りに駆られて二人にボコボコにされた俺を自分で癒やすところまでして先制攻撃だ。

 二人が意気消沈するのが気配でわかる。

 

 先ほどの計算ずくの笑顔とも、いつぞや天使のようないじらしさとも違う。

 それでもひどく魅力的な、目の前の相手を全て支配してやるという獰猛な笑みだ。

 膝枕をした俺を撫でながら、天衣はそんな表情をしていた――

 

 

 




なぜこのような展開になったのか……

構想段階では荒ぶる姉弟子にWあいで対抗するはずが書き下ろしてみると天ちゃんが姉弟子裁判を粉砕し主導権を完全ゲット。
姉弟子とあいちゃんの横っ面を引っぱたいて、八一は私のもの宣言。
天ちゃんVSその他ヒロインという図式を作ってしまいました。

もはや原作との違いを論じる段階にないのでいつものはなしです。

ちなみにラストの天ちゃんは原作7巻のマイナビ準決の挿絵のような笑顔を浮かべているイメージです。こんな顔もいい。

次回、突撃清滝家の晩ご飯
お楽しみに


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EX.閑話、作者の脳内設定垂れ流し~ヒロイン編~

 前話の天ちゃんの荒ぶりに、


「馬鹿野郎! なんであんなこと書いた! 言え! なんでだ!!」


 と読者の皆様に迫られる夢を見たので、今回は弁解タイムとさせていただきます。

 弁解ですので、作者の脳内垂れ流し、ネタバレ多数でお送りします。


 好まれない方はブラウザバックを推奨です。



 警告しましたよ?


ここでは作者は原作の各ヒロインの性格、主に愛情にまつわる部分をどう理解しているのか(原作7巻時点)

また、本作では物語の(う○こに始まる)歪曲でどのように変化をしていると考えているか(本作16話時点)

をつらつらと記載します。

そういった設定資料的なものは想像の幅を狭め、本文の面白さを減退させるというご意見の方はブラウザバックでお願いします。

そうでない方は本作ヒロイン達のその時々の行動理由を押さえる一助にしていただければ幸いです。

そんなもん本文中で表現して読者に理解させろやというツッコミも当然あるでしょうが、ひとまずはご容赦いただきたく、よろしくお願いします。

 

 

 

 

ブラウザバックはよろしいですね?

それでは、あえて原作での扱いが大きい順に参ります。

 

1.雛鶴 あい

■原作■

基本的には原作1巻の『初めての朝』の章のまま理解しています。

『多分これが本来の性格~とか姉弟子とか。』の部分ですね。

1巻の情報だけで決めつけるのは乱暴かも知れませんが、作者としては以降7巻まで一貫しているんじゃないかなと思います。

 

愛情表現は素直に全力。いつでもどこでも八一のためにつくしたい。

ただし彼女のやっかいかつキャラクターを立てている部分はつくした分だけ相手からもつくされたいという部分に尽きると思います。

 

古いゲームの台詞からの引用で恐縮ですが、

『私はパンを焼いてあげました。だからあなたも私にパンを焼いてください。(中略)私はあなたを愛しています。だからあなたも私を愛してください』というやつです。

(※元ネタが気になる方は是非ググって購入、プレイしてみて下さい。名作です。ただし緑の悪魔にはご注意を)

 

なので、八一が他の女性にデレデレする(ようにみえると)強烈な攻撃性となって返ってきます。(自白剤とか拷問とか生動画での暴露とか)

自分が八一だけを見ているんだから、八一も自分だけを見ろということなのかと。

 

ただ、天衣だけには甘いかなともみています。原作4巻『プレゼント』の章で天衣をお膳立てしたりね。この辺りは同い年のライバルという関係性。あるいは”妹”弟子ということも影響があるのかも知れません。

 

総じて読者視点で見ている分には非常に楽しい魅力的なキャラクターだと思います。本人がカワイイ上に、八一爆発しろという読者の願いをタイムリーに叶えてくれますしね。

 

■本作■

基本的には原作と変えずに進めているつもりですし、今後も変えるつもりはありません。

 

いきなり石を投げられそうな総括ですが、作者にとって彼女は超豪腕型ヒロインなので、例え別ヒロインに大きく先行されていようが、諦めることなく組み付いてぶん投げにかかると考えます。彼女のやることは変わりません。

 

唯一手を加えるとすれば、天衣へのスタンスでしょうか。本作では天衣が”姉”弟子ですのでその辺りをどう味付けするか。作者のこれからの調理をお楽しみに。(自分の首を絞めていくスタイル)

 

 

2.空 銀子

■原作■

一言でいってハイスペックポンコツかわいいヒロインでしょうか。

この一言で全国50万の姉弟子ファンを敵に回したような気がしてビクビクです。

 

愛情表現は言い方は悪いですが稚拙。自分としては素直に愛情を示しているつもりだけど、やり方がまずいため八一には伝わらない。(八一自身もラノベ主人公の類に漏れず鈍感ですが)

 

この辺りは、これまで将棋に全てを費やしてきたためにそういった方面の知識が不足していたりするのかなとうっすら考えています。あとは、これまで長く八一と接してきたので、急には態度を切り替えられないとか。

ただ彼女的には既にかなりの努力しているという意識のようなので、これ以上の進展はやはり八一からの歩み寄りが必須でしょうか。あるいは、桂香お姉ちゃんがこれまで以上に超頑張るか。

 

ここまで更に姉弟子ファンに寝首を掻かれそうな感想を積み重ねてきましたが、これらの要素に、超絶美人、クール系という要素を足して=ハイスペックポンコツかわいいとしています。

 

彼女のアドバンテージはなんと言ってもこれまでの八一と積み重ねてきた時間ですので短期決戦なら彼女に分があるかと思います。

逆に 編集の都合で 20巻~30巻なんてあいちゃんがJC・JKあたりになるまでの大長編となってしまうと、差を埋められ挽回されてしまうのかもしれないですね。

 

6巻・7巻に続き8巻でも躍進があることに期待です。

まあ、彼女があいちゃん並の愛情表現ができていれば1巻でヒロインダービーは終了だったでしょうが。

 

■本作■

まだ出てきて数話ということもあり、ほとんど影響を受けていません。

 

それじゃあこの後はどうなるかですが、作者の認識では前述のとおり八一からの歩み寄りが必須です。

 

ですが、”豪腕”あいちゃんの他に、本作では”私が一番でしょ?”天ちゃんが八一の感情を翻弄しますので一番煽りを食らうことになるかも……

全国50万の姉弟子ファンのみなさん、すまない。

姉弟子頑張れ、超頑張れ。

 

 

3.夜叉神 天衣

■原作■

大天使。以上。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

では、あまりにあれなのでもっと書きます。

彼女の愛情表現は八一のことをとても思いやったものですが、基本的には表に出てきませんし、たまにバレても認めません。実にいじらしい。

例外的なのはやはり、あいに促された原作4巻『プレゼント』の章ですね。ここでヤられた原作読者の皆様も多いのではないでしょうか。作者は2巻の時点で既にヤられてましたが。(自慢げ)

 

さて、ではなぜそんな複雑な愛情表現の仕方なのかの考察です。

まず彼女は父親から物心つく前から、繰り返し『九頭竜君はすごい!』『天衣は九頭竜君の弟子になるんだ』と 洗脳 いい聞かされてきたナチュラルボーン八一Loverです(原作2巻『光芒』)。常に溢れんばかりの八一への愛情があるんではないかと。

 

一方で彼女は愛する両親を既に失っています。そこに来て自分は八一の一番弟子にもなれなかった。ということで自分の望みが叶うことはないとどこかで自分にブレーキをかけてしまうのではないかと。『光芒』のラストシーンの天衣の様子にもそれが現れているというのが作者の解釈です。

 

また、彼女は傲慢かつ自信家なお嬢様でもあります。そんな彼女が八一から忘れられ、あまつさえ自分より先に既に弟子になった女の子がいる。そりゃあプライドが邪魔して、素直に愛情を表現できないでしょう。

 

関係ないですが、過去の辛いエピソードといいその愛情の表し方といい、性格と強い意志といい、実に主人公向きのキャラクターじゃないかなと思います。あるいは八一以上に。白鳥先生、天衣を主人公にサイドストーリーを書いてくれないですかね?その時は本作みたいにのっけから天衣を救いにかかるんじゃなくて、原作通りつらいストーリーが続いてラストで大逆転、という形を希望。

原作5巻の『閃々散華』とか天衣の心情入りで書かれたら泣いてまう自信があるよ?

 

作者の欲望に塗れた余談でした。

 

■本作■

さて、原作からもっとも乖離した動きを本作では見せてくれる天ちゃんですが、突き詰めると作者の設定上の原因は一点です。

 

原作とは違い八一の一番弟子になれたことで、自分の望みはもしかしたら叶うのではないかという希望が持てたことです。

必然的な帰結として、女の子としても八一の一番になりたいという欲が出てきます。ナチュラルボーン八一Loverですから。

 

愛情表現としては、原作同様八一を慮った行動という形で出てきます。原作と違うのは、その姿を八一に見せる。表に出すというものです。お嬢様プライドから時々は反発するかもしれませんが。

 

基本的には行動で『自分が八一のことを一番深く思っているんだ』ということを八一・ライバル双方に示し、八一には魅了を、ライバルには牽制と威嚇をします。

 

本作16話の『目の前の相手を全て支配してやるという獰猛な笑みだ』でいう『支配』というのは、あくまで八一を魅了し『自発的に』自分以外に眼を向けられないようにしてやるという意図であり、『強制的に』他ヒロインと遮断するという意図ではありません。

 

天ちゃんの基本戦略は『北風(あい・銀子)と太陽(天衣)』です。

(あいちゃんと姉弟子に超失礼)

 

 

以上、作者の各ヒロイン考察と描く行動理念でした。

なお、異論・反論・オブジェクションは受け付けます。

感想欄に熱い思いをどうぞ。(ナチュラルに感想増量を狙う手口)

 

『おい、俺の黄金天使シャルちゃんがいねぇじゃねぇか?』とか『馬鹿野郎!桂香さんがいないヒロイン紹介なんて飛車角落ちの将棋だぞ!?』という方もいらっしゃるとは重々承知していますが、ご容赦下さい。まだ本作では登場もしていませんので。

 

 

 

 

 




さて、明日は朝早いので簡単に終わらせようと企画した今回ですが、気がつけば文字数はいつもの1.5倍超。脳内妄想を垂れ流すのに忙しく時間もむしろいつもよりかかっております。
実に気持ち悪いですね?(他人事)

次回は本編に戻ります。
ご安心下さい。


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17.門出、新生の清滝一門

1月30日23:50 日刊ランキング20位 UA:14,909 お気に入り:415件

連載10日目にしてここまで来ました。まことにありがとうございます。
これもひとえに、






アニメ版天ちゃん(CV.佐倉綾音)のおかげです。
……とんでもないビックウェーブがやってきやがった。

いやー、なんというか嬉しいんですけど、自分の力の小ささも痛感させられる一幕でした。
この感情はまさに『くやしい…!でも…感じちゃう!ビクビクッ!』でやつです。

ということで、慢心することなくこれからも一話一話積み重ねていきたいと思います。
本作『その便意が物語を変えた』、略称『便物語』を以前から応援してくださっている皆様、そしてアニメ版天ちゃんに導かれておいでになった皆様も引き続きお付き合いいただければ幸いです。

なお本作は西尾維新先生の物語シリーズとは何の関係もございません。ご注意下さい。(熱い風評被害)


ちなみに、ビックウェーブ(アニメ第4話)の作者の感想は、「お、鬼沢先生がでてねぇじゃねぇか!師匠のオ○ッコのことといい許せん!どういうことだ!?(ヒントBP○)」
ということで、本作では鬼沢さんを出します。
既に夜叉神氏に八一のことを紹介して用は済んでるんですが、出します。
至高のインテリアを前に天ちゃんはどういう反応をしめすのか。お楽しみに。




 

 

 我が家での大騒動を終えた俺たちは全員で師匠――清滝鋼介九段の家を前にしていた。

 姉弟子があいちゃんのことはひとまず師匠に相談して見るべきと提案したからだ。師匠から俺のことを弾劾してもらおうという意図が透けて見えたが、あいちゃんのことを師匠に相談するという点について俺にも異論はなかったので反対はしなかった。

 むしろ、姉弟子から師匠に相談しようという提案が出てきたことに俺は驚いていた。確かに妥当な判断ではあるのだが、今この時に限ってはあり得ないと思っていたのだ。

 なぜか?

 

 

 ション便ぶっかけられたからだ。

 

 

 姉弟子はほかほかの聖水浸しにされるという、人生に置いて普通は発生しないであろう最大級の恥辱を師匠から受けている。ほんの三日前のことだ。

 はっきりいって逆破門が起きていてもおかしくない破滅的なできごとだった。それが僅か三日で関係が正常化している? ありえないだろう。

 非常に疑問ではあったが、『ぶっかけ平気なんですか?』と本人に聞くのも気まずい。関係が修復されているに越したことはないのだ。後で桂香さんにでも事情を聞けばいい。俺は流れに身を任せることにした。

 良い機会なので、天衣を弟子にしたことも報告しようと、夜叉神邸に一報入れてから全員で向かった次第である。

 

 「「ただいまー」」

 

 声をかけて玄関をぐぐる。

 俺と姉弟子にとっては、人生の半分以上を過ごした第二の我が家だ。挨拶は『ただいま』こそがふさわしい。

 

「あら。お帰りなさい」

 

 迎えてくれたのは師匠の一人娘にして慈悲の女神、桂香さん(巨乳)である。

 

「お父さんも待っているから奥にどうぞ」

 

 姉弟子を先頭にあいちゃん、天衣と続く。最後尾を歩いていた俺は桂香さんに呼び止められた。

 

「お帰り八一くん。この間はうちの親が迷惑かけてごめんね?」

 

「気にしないで、桂香さん。師匠も下が緩くなってくる年頃だから仕方ないよ」

 

「いえ、まだそんな歳じゃないんだけど……」

 

 苦笑している桂香さんに、俺は気になっていたことを聞いてしまうことにした。

 

「それより師匠と姉弟子の関係は大丈夫だったの? 例の件、心配してたんだけど」

 

「それね……その……」

 

 桂香さんはしばし迷った後、再び口を開いた。

 

「銀子ちゃん……その、あの時のこと忘れてしまっているみたいなの」

 

「……へ?」

 

「あの後、気絶したままの銀子ちゃんをうちに連れてきて、綺麗にしてあげた後、安静にしてたんだけど。……起きた後、自分がなんで気絶していたのか覚えてなかったの」

 

 どうやら姉弟子はあまりの恥辱に耐えかねて、記憶を封印してしまったらしい。なんて不憫な……

 

「どうしようか迷ったんだけど、改めて思い出させるのも酷かなって」

 

「そりゃそうだ」

 

「だから八一くんも銀子ちゃんの前ではあの件、触れないようにしてね」

 

「分かりました。了解です」

 

そこで俺たちは会話を打ち切り、みんなの後を追った。

 

 

居間で机を囲んで皆で座ると、それを待っていたかのように師匠が話し出した。

 

「まずは……夜叉神天衣ちゃんやったね?」

 

「はい、ご挨拶が遅れました。夜叉神天衣と申します」

 

「月光さんからも話は聞いとる。八一の弟子になったそうやね」

 

「はい。その通りです」

 

「まだまだ頼りないやつやけど、こんなんでもわしにとってはかわいい弟子や。よろしく頼むで?」

 

「とんでもないです。八一先生は私にとって唯一無二の、これ以上ない最高の師匠です。私こそ清滝先生の一門の末席に加えていただくことになります。至らぬ身ですが、なにとぞよろしくお願いします」

 

 天衣は俺のことを立ててくれる。なんて良い弟子なんだ。

 

「八一、ええ子やないか。大事に育てるんやで。それがわしにとっても何よりの恩返しや」

 

「はい、師匠……」

 

 師匠の弟子になってからこれまでのことが思い出され、不覚にもうるっときてしまう。みんなほほえましそうに俺たちを見ていた。

 あ。姉弟子は超面白くなさそうにしていました。

 

「次は……君が雛鶴あいちゃんやね?」

 

「は、はいっ!」

 

「あの小さかった子が大きくなったなー」

 

「え?」

 

「まだあいちゃんが2歳のころか。会わせてもらっとるんやけど、覚えとらんでもしょうがないな」

 

「……はい」

 

「さて、あいちゃん。いくら将棋の弟子になりたくても家出なんかしたらあかんで?」

 

 へ!? そういえば親御さんが了解しているのかは聞かなかったな……

 

 あいちゃんは顔を真っ青にして俯いている。

 

「終業式のあった2日前にはこっちに来とったそうやけど、今日までどうしてたんや?」

 

「……その。……くじゅりゅう先生がいらっしゃならかったので、大阪の知り合いの旅館でお世話になっていました」

 

「ひな鶴の一人娘やからな。同業者の知り合いも多いか」

 

 なるほど3日前は俺が帰ったのは深夜だったし、2日前は天衣の家、昨日は夜通し対局だったから待ちぼうけしていたわけか。悪いことをしたな。

 

「家出してきたってことはご両親は?」

 

「反対されてます。……将棋をやることも……くじゅりゅう先生に弟子入りすることも。でも私は――――!」

 

 それからあいちゃんは将棋への思いを、俺への思いを切々と語ってくれた。

 俺は――俺の姿を見て、将棋をこれほど好きになってくれた子がいることが誇らしく、とても嬉しかった。

 姉弟子はまたも面白くなさそうだったが、天衣は意外なことに納得したような、共感したような、そんな顔をしていたことが印象的だった。

 

「師匠。あいちゃんの棋才はほんものです。なんとかしてあげられないでしょうか」

 

「そうやな。こんな子一人助けられんでプロ棋士は名乗れん」

 

「ええ師匠! 俺にできることなら何でもしますんでっ!」

 

「ん? 今何でもするって言ったよね?」

 

 へ? 何その返し?

 

「お父さん最近ネットとかスマホアプリとかにはまってるから……」

 

 桂香さんは苦笑している。

 

「八一。あいちゃんのご両親にはわしが話を通しとく」

 

「はぁ」

 

「お前はあいちゃんを内弟子にして『研修会試験』に通るように鍛えたげ」

 

「はぁ!? 内弟子!?」

 

「そうや。いつまでも知り合いの旅館へ迷惑をかけされるわけにもいかんやろ」

 

「でしょうけど、いくらなんでも内弟子って……」

 

「内弟子ってなんですかー?」

 

「あいちゃん、内弟子っていうのはね。師匠――八一くんの家に住み込みで修行をする弟子のことよ」

 

「いいです! それすごくいいですー!」

 

 さっきまで青い顔してたのに、あいちゃんは今やご満悦だ。

 姉弟子はものすごい勢いで舌打ちを連打している。あるいはボイパの練習中なのかも知れない。

 

「でもいきなり二人も弟子を持つなんて……」

 

俺は天衣のことを気にしつつ言う。

 

「まあ、いいんじゃないの? 八一先生」

 

 へ? いいの? 天衣の意外な反応に俺は驚く。だからその後のつぶやきを聞き逃していた。

 

「今更そんなことじゃゆらがないもの、この気持ちは」

 

 

「よし! 桂香! 新たな清滝一門の誕生を祝って宴会や!」

 

「宴会ですー!!」

 

「はいはい。それじゃ、お好み焼きを焼くわね」

 

 そして、一門(家族)の団らんが始まる。

 師匠はガハハと笑いながらビールを飲み干す。

 桂香さんから一門の関係は親戚と同じと教えられたあいちゃんが姉弟子を『おばさん』と挑発し、姉弟子は『小童』と切れながら返す。

 お嬢様育ちの天衣はお好み焼きを食べ慣れないのか、ちまちまとちぎっては小鳥が啄むように口に運ぶ。

 そんな天衣を桂香さんが優しく見守っている。

 幸せな一門(家族)の縮図がそこにはあった。

 

 そして楽しいひとときも終わりを迎え――

 

「天衣も泊まっていけばいいのに」

 

「昨日は家を空けてしまっているから。お爺さまに顔を見せてあげないと」

 

「そうか」

 

 車で迎えに来てくれた晶さんの元へ向かう天衣を俺は見送っていた。

 まだ他のみんなは居間で騒いでいるがこちらは静かなものだった。

 何か言わないといけない気がして俺は冗談交じりに言う。

 

「天衣もよければ俺の内弟子になるか? 大阪まで通うのも面倒だろう?」

 

「私はいいわ。家からここまで、近いものよ?」

 

「……そうか」

 

 このお嬢様はそう答えるだろうと分かってはいたが、どこか俺は落胆していた。

 

 

「でも――」

 

 天衣はこちらへ駆け寄り、俺を見上げる。二人の距離は一歩分というところだろうか。

 

「忘れないで。八一先生の一番弟子は私よ?」

 

 そう言い残して、天衣は帰って行った。

 

 

 

 さて、俺もそろそろ寝るとしよう。

 明日から弟子のいる新たな生活の本格的スタートだ。

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃん清滝一門にお披露目
・姉弟子、ボイパでyoutuberを目指す
・師匠、淫夢をたしなむ

16話から止まらない天ちゃんのヒロイン力よ。
そして姉弟子が空気に。すまない。

次回、弟子登録に行こう
お楽しみに。


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18.銘醸、違いの分かる男

久しぶりに天ちゃんのヒロイン力がなりを潜める日常回。
でもちょっとした行動はしてる模様。
俺でなきゃ見逃しちゃうね。




 

 

 師匠の家で朝食をいただいた後、俺はあいと連れだって家に帰った。

 家であいの当面の修行の方針を説明するためだ。

 あいは数をこなせばこなすほど強くなるはず。将棋道場に飛び込んで対局しまくるように命じた。その間、俺が天衣の方につくことに非難が飛んだが、あいと天衣のタイプの違い、朝晩は内弟子のあいについていることを説明し、しぶしぶではあるが承知させたのだった。

 

 

 

 その後、福島駅で天衣と合流して将棋会館『連盟』へ向かう。

 

「こ、ここが……しょーぎかいかん……!」

 

「そう、ここで弟子登録をすることで正式な弟子として認められるんだ」

 

「そ……そうなんですね。早く行きましょう!師匠!」

 

「そんなに焦らなくても逃げやしないでしょ」

 

 そう、俺たちは新弟子登録をするために連盟へ来たのだ。後は二人の研修会試験の申し込み。その後あいは連盟内の道場で修行もする予定だが。

 あいが真っ先に連盟へ踏み込み、俺と天衣が続く。

 自動ドアを抜けると、姉弟子がいた……

 

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

「……」

 

 

 超きまずい。姉弟子は俺達三人を冷たく睨んでいる。

 昨日天衣はおろかあいも俺の弟子と認められてしまい、目論見が完全に崩れた姉弟子は終始不機嫌だった。その後、あいから『おばさん、おばさん』と絡まれ続けた姉弟子はブチ切れ、『頓死しろッ!』と捨て台詞を残し、師匠の家に泊まらず一人帰って行ったのだった。

 

「……ロリ王」

 

 今日もご機嫌は斜めらしい。ひどく不名誉な捨て台詞を残し、連盟から出て行く姉弟子。

 

「おばさん、何しに来てたんでしょー?」

 

「さてな。ところであいさんや、姉弟子におばさんと言うのは止めなさい。師匠命令だ」

 

「えー? でも桂香さんは一門は親戚関係みたいなものだって言ってましたよー? おばさんでいいじゃないですかー?」

 

 君は本当に恐れを知らないね。痛い目に遭うのは俺なんだよ? それに桂香さんにはおばさんって言ってないじゃん。明らかに姉弟子への嫌がらせじゃん。

 

 

 

「天衣ちゃん、何見てるのー?」

 

 結局おばさん禁止令を了承しないまま、あいはいつの間にか物販コーナーを見ていた天衣のところへ駆け出す。

 

「扇子よ。プロ棋士のサインが入ってるの」

 

「ええー! もしかして師匠のもあるんですかー!?」

 

「いや、俺のは今は売り切れかな?」

 

「残念です。師匠、新しくサインしたら教えてくださいね」

 

「ああ、そうだな。……お、あい!あっちに藤○四段の29連勝記念ミニ屏風があるぞ!」

 

 字のうまさに(ネット上で)定評のある俺のサイン扇子を弟子に見せるわけにはいかない。

 

「ええー!? あい、その人は知ってます!」

 

「今、人気だからなー」

 

「29連勝ですかー。でも師匠ならもっと連勝してますよね!」

 

 う……あいちゃんがキラキラした目で見てくる。

 

「……ちょうど止まっちゃったところなんだよねー?」

 

 連敗がな。

 

「そうなんですか……でも師匠ならまたすぐに29連勝くらいしちゃいますよね?」

 

「そ、そうだね……」

 

 

 

「天衣ちゃん、なにをぎゅっと握ってるんですか? あ! 扇子!? 買ったの!?」

 

「ええ、個性的で面白い字の扇子があったからついね」

 

 個性的で面白いですと!? まさか……買ってしまったのか、アレを……

 

「そうなんだ! どんなの? 見せて見せて!」

 

「……そうね。そのうち対局で使うからそれまで内緒にしておくわ」

 

「ええー!?」

 

 天衣が意味ありげにこちらを見てくる。これは……

 

「さあ! そろそろ弟子登録にいくぞ! ふたりとも!」

 

 慌てて俺はふたりの話を切り上げさせた。

 

 

 

「失礼しまーす」

 

「あ、八一君……じゃなかった九頭竜先生。おはようございます」

 

 事務局に入ると子供の頃からの付き合いの職員さんが挨拶を返してくれた。

ついでに言えば、先日を苦行(う○こ拾い)ともにした人でもある。俺たちは堅い絆でつながれているのだ。

 

 このまま彼女が対応してくれるらしい。

 

「今日はこの子達のことでお邪魔したんですけど……話聞いてますか?」

 

「ええ、さっき空先生からうかがいましたけど……大丈夫なんですよね?」

 

「へ、なにがです?」

 

「いえ、その……九頭竜先生がロリコンになったとか、見かけたら警察に通報しろって仰ってたので……冗談ですよね?」

 

「冗談に決まってるじゃないですか!? 今日はふたりを俺の弟子として登録するためにきたんですよ。ほら、俺の師匠からの推薦状です」

 

「そうですよね。冗談ですよね。それじゃふたりとも、この用紙に記入してください」

 

 あのクソ姉弟子、俺たちの絆にヒビを入れようとするとは……腹が立って腹が立って震える。

 

「書けましたー」

 

「わたしもよ」

 

「はい、それじゃあ確認させてもらいます。ちょっと待っててね」

 

 職員さんがふたりから書類を受け取って確認を始める。そして────

 

「ひっ!?」

 

 職員さんは小さく悲鳴を上げると、青い顔をし、手を伸ばす。

 ガシッ

 

「ちょっと!? どうしたんですか!?」

 

 俺は受話器に伸びたその手を咄嗟につかんで、慌てて問いかける。

 

「やっぱり本当だったんじゃない!? 早く通報しないと!」

 

「何がですか!? ちょっと落ち着いてください!」

 

「何が落ち着いてよ!? 白々しい! 子供達を守らないと!」

 

「だから落ち着いてくださいって! 姉弟子が何をいったかしらないですけど、冗談を真に受けないでください!!」

 

「冗談!? 何が冗談なものですか! この書類が動かぬ証拠よ!」

 

「書類? とにかく少しだけ落ち着いて。 姉弟子は何ていったんですか?」

 

「愛に飢えてる九頭竜先生は、あいって名前の9歳(10年もの)の幼女達を狙って拐かしているって」

 

 

 

 

 

 

 

 Oh...

 

 名前(銘柄)年齢(ヴィンテージ)にこだわって幼女を集める変質者。

 

 とんだロリコンソムリエじゃねぇか!? 人聞きが悪すぎる!!

 

「名前と年齢がいっしょなのは偶然ですから!!」

 

「そんな偶然があるものですか! ごまかすにしてもひどすぎる! 師匠が師匠(う○こ)なら弟子も弟子(ロリコン)よ!!」

 

 いや、気持ちは分かるけども! 分かるけどもさ!

 っていうか、俺のことそんな風に思ってたの!? 俺たちの絆は偽物だった!?

 

 

 

 説得は超大変でした。姉弟子許すまじ。

 へとへとになりながらも新弟子登録と研修会試験の申し込みを終え、次にあいを道場へ送り出した。そこでも人気者な竜王の俺は子供達に囲まれ一悶着あったのだが、あいはすぐに慣れたようで楽しそうに次々と対局をこなしていく。

 

 

 

 それを見届けた俺と天衣は、あいを残し一路天衣の修行の地へ向かうことにした。

 目指すは 後半の海 新世界!!

 

 

 

 




■原作との違い
・藤○四段、介入(登場人物として出てくる予定はありません)
・天ちゃん、八一の扇子ゲット
・天ちゃんとあいちゃん、同時弟子登録

さて、次回はいよいよパンサー狩りが始まるわけですがどうしよう?
原作が完璧すぎて手の入れようが……


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19.深淵、潜む魍魎

 

 やってきました新世界はジャンジャン横町!

 大阪でもっともホットでソウルフルな場所だ。『新世界』の名は伊達じゃない。

 

「どうだ、天衣? お嬢様にはこんなところ初めてだろ?」

 

「ええ、日本にもこんなスラム街があったのね」

 

「そこまでひどくねーよッ! 大阪ディスんな!!」

 

 いや、確かに夜は一人で歩くのは危ないくらいには治安が悪いが……

 

「それで八一先生? こんなところにきて何をするの?」

 

「もちろんお前の将棋の修行さ」

 

 俺と天衣はあいを将棋会館へ残し、晶さんと合流して次なる舞台に来ていた。

 

「こんなスラムで?」

 

「だからスラムじゃないっちゅーに。通天閣はかつては大阪で一番の将棋のメッカだった。その名残からか今も新世界にはここでしか戦えない凄腕の将棋指し達がいるのさ。……さぁここだ」

 

『双玉クラブ』、明らかに場末感がただよう汚い将棋道場だ。

 

「凄腕って……単なる小汚い道場に見えるけど。そこらで指してる連中もたいしたことなさそうに見えるし」

 

「確かにプロ棋士や奨励会員に比べて棋力は落ちるかも知れないが、またそれとは違う魑魅魍魎たちさ。今のお前を鍛えるには最適なターゲットだ」

 

「……まあいいわ。八一先生を信じる。それで? どうすればいいの? とりあえず対局してくればいいのかしら?」

 

「いいや、普通にやったんじゃ意味がない。ここにはここの流儀がある。お前がこれから挑むのは『真剣』という名の賭け将棋だ。こいつを持ってけ」

 

「タバコ……じゃないわね。中身は丸めた千円札?」

 

「こいつが掛け金だ。負ければ渡す。勝てばもらう。今5本入っているから空になるか、いっぱいになるかすれば今日の修行は終わりだ」

 

「そう。7連勝すればいいわけ? 分かりやすくていいわね」

 

「そういうこと。奥の方で暇そうにしてるのと指してこい」

 

「奥の方? ……わかったわ。行ってくる」

 

 天衣はターゲットを決めたらしい。さすがにこの空気にはなれないのか、天衣には珍しくおそるおそる進んでいく。

 天衣が向かった先は────またとんでもないのを選んだな……

 ヒョウ柄の服。ブロッコリーのようなパーマ。そして色の入った金縁眼鏡。その奥では野獣の眼光を放っている。その姿はまさにヒョウ。パンサーとしかいいようがない。が、それより何より────

 

「おい先生。あれは……おっさんなのか? おばさんなのか?」

 

「どちらともいえません……」

 

 晶さんがそう聞いてきたのには訳がある。

 パンサーが着ているのはヒョウ柄の──ワンピース。そうパンチにワンピースなのだ。パンチは大阪のおっさん御用達。ヒョウ柄ワンピースは大阪のおばさんのトレードマークだ。格好から男女どちらかは特定できない。そしてここ新世界はかつて巨匠、三島由紀夫も愛したゲイ・タウンという一面も持つ。そう、第三の選択肢もありうるのだ。

 

 俺たちはしばしパンサーの性別予想で盛り上がる。予想では性別♂がやや優勢だ。そうこうしているうちに天衣対パンサーの戦いの火蓋が切って落とされた。

 振り駒の結果はパンサーの先手。まずはお互いに角道を開け、パンサーの次の一手は────

 

「っ!? ……はぁぁぁ!?」

 

 角頭の歩を突く一手にあいは驚きの声をあげる。

 

「本当にここって場所は……」

 

 だが、俺は期待通りの展開に思わず笑ってしまう。

 俺は早くも天衣の修行の初期段階について成功を確信していた。

 

 

 

 その後、結局天衣はパンサー相手にタバコの箱を空にして返ってきた。

 俺はたいそう悔しがる天衣お嬢様に真実を伝え、火に油を注ぐ。しばらく見てなかったけど、確かに初対面の時はこんな感じだったな。場末の道場にたむろする連中程度にカモにされたことに烈火のごとく怒る天衣お嬢様。いとかわゆし。いい具合に暖まったところでそろそろ前を向かせることにしよう。

 

「俺はお前に完璧を求める。完璧な将棋を」

 

 天衣の天賦の才は受け将棋だ。それを完成させるためのファクターをここ新世界の魑魅魍魎相手に奪い取らせる。

 連中が持つ盤外の技術。こと、焦り・不安・動揺といった相手の負の真理を操る手管に関しては、プロ棋士の上を行く。

 それを己のものとしたとき、天衣の受け将棋は『完璧』なものとなる。

 そうすれば────

 

「そうすれば────もう誰も、天衣、お前に勝てなくなる」

 

 

 

 

「…………それは女王も?」

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃん不穏な決意


やっぱり難しかったパンサー戦。
結局パンサー戦はキンクリしちゃいました。
いっそ、この話そのものをキンクリしようかとも思いましたが最後にフラグを仕込むためだけに書きました。

ということで今後も新世界での出来事はキンクリしていきますので、中身が気になる方は原作2巻(神)を買ってどうぞ。

次回、JS襲来
あ、明日は宴会のため一日空くと思います。よろしくどうぞ。


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20.幻想、幼精達の宴

 二人の弟子を持って数日。朝はあいと詰め将棋の速解き。昼はあいを将棋会館の道場に送り出して、天衣と合流。新世界にて修行。夕方はあいを迎えに行って夜にあいと対局および自分の研究といった生活のルーチンができていた。たまにあいのお手製金沢カレーを食べてはトリップする。そんな毎日だ。

 こうまとめるとまるで俺が、女二人をうまく掛け持ちしている二股野郎に聞こえるが、そうではないことをご理解いただきたい。俺はあくまで弟子二人を精力的に指導する熱意ある師匠なのだ。

 残念ながら連盟では理解されず、俺に対する『ロリ王』や『ソムリエ』などの風評被害が広まっているのを感じるが、事実無根である。

 

 そんなある日、日中の天衣の修行を終えた後、あいと練習対局してはどうだと誘い、家に連れ込むことに成功した。

 やらしい意味ではない。実は先日あいから、

 

「ししょー、道場で仲良くなった子達と家で研究会をやってもいいですか?」

 

との相談を受けて快諾していた。どうせなら天衣とも仲良くしてもらおうと本人には内緒で誘ったのだ。天衣には同年代の将棋仲間といえる存在がいないようなのでいい機会だ。

 

 

「ししょー、ただいまですー」

 

「「「お邪魔しまーす!」」」

 

 あいと一緒に入ってきたのは3人のJS。

 スポーティーな女の子、水越澪ちゃん。

 背の高いお嬢様風の女の子、貞任綾野ちゃん。

 そして────

 

「しゃうおっとぃずぁーうだよー」

 

 金色の天使、シャルロット・イゾアールちゃん(6)だった。

 柔らかそうな金髪に緑の瞳。小さくてふわふわで舌っ足らずなしゃべり方の次元を越えてかわいらしい女の子だった。

 外国の文化ゆえか、その幼さゆえか、俺に抱きついてきたり、膝の上に座ったりとスキンシップ過剰気味で俺もうロリコンでいいや。いやダメだ。

 

 心なしか天衣とあいの視線が痛い気がする。というか明らかにあいはこちらを睨みながらなにか呟いている。『だらぶち?』

 意識を保つため、心の中で般若心経を唱える。

 

 そして気持ちを切り替えるため彼女達と面識のない天衣を紹介することにした。

 

「こっちの女の子は夜叉神天衣。あいと同じで俺の弟子だよ。良ければ仲良くしてあげてくれ」

 

 天衣は一応ペコリと頭を下げる。

 

「うん。なかよぉくすぅよー」

 

「「……」」

 

 シャルちゃんは愛らしく返事をしてくれたが、澪ちゃん、綾乃ちゃんの二人は驚いたように顔を見合わせ何かを囁き合っている。

 ……天衣とは合わなかっただろうか?

 そう不安に思っていると意を決したように澪ちゃんがおそるおそる聞いてきた。

 

「あの、くじゅりゅう先生……ひとつ質問してもいいですか?」

 

「なんだい?」

 

「くじゅりゅう先生は……そむりえさんなんですか?」

 

「は!?……え!? なに!? どういうこと!? そんな話どっから聞いたの!?」

 

「あの……将棋会館で今日くじゅりゅう先生のお家で研究会だっていう話をしていたら、職員さんが先生はろり王さまだから、やめたほうがいいって」

 

ぉぉぉぉぉお!?

 

「そしたら別の職員さんが先生はそむりえさんで『あい』って名前の9歳の子にしか興味がないから問題ないって」

 

おいぃぃぃっ!? 浸透しすぎぃぃ!?

 

「ち、違うよ? 俺のところに弟子入りしたいって話があって、将棋の才能もあったのがこの二人だっただけで、二人が『あい』で9歳だったのは偶然だよ?」

 

JSに対して必死に弁明をはかる男の姿がそこにはあった。

 

 

 

 俺だった。

 

「そうなんですかー?」

 

「そ、そうだよ。ほら、あいの強さは君たちも知ってるだろ? それにソムリエっていうのはワインに詳しい人のことで俺はまだ16歳だからお酒は飲めないんだ」

 

 スマホでソムリエの項目について検索し、彼女たちに見せる。当然『ソムリエ=極めて特殊なロリコン』なんていう記載はない。

 

「ほんとです。じゃあじゃあ天衣ちゃんもすごく強いんですかー?」

 

 さすがWikipedia。いい仕事をしてくれる。そしてJS達の興味が別のところに逸れた。この好機を逃すな!!

 

「勿論! あいと同等以上には強いよ。ほら実際に対局してみるといい」

 

「わー! やってみたいですー!」

 

「わたしも、わたしも」

 

「しゃうもすうよー」

 

 これでよし。これで今後ソムリエって話がだれかから出ても彼女たちが否定してくれるだろう。

 

「はぁ? なんで私が!? 勝手に巻き込まないでちょうだい!!」

 

「まあまあ。そう言わず。同年代の子と将棋を指すのもいい経験だ」

 

 天衣を彼女たちの前に押しやり、半ば強制的に対局を始めさせる。一度始まってしまえばそこは将棋大好きガール達。対局しては感想戦をし、また対局とわいわい盛り上がっていく。天衣もぎゃあぎゃあ抗議しながらもすっかり打ち解けていた。良きかな良きかな。

 途中みんなお泊まり前提で来ていたことが発覚し、天衣も巻き込んだ(当然夜叉神氏には一報した。天衣が同年代の子達と仲良くしているということで快く許可された)。将棋大好きJS達(と)の宴は続く。

 

 

 

「ん……」

 

 どうやら寝落ちしていたらしい。

 昨晩は、みんなに指導対局をするうちに熱が入り止まらなくなっていた。

 俺の胸にもたれかかるように黄金天使が無垢な顔で寝ている。

 俺はそのやわらかな頬に触ろうとして手をだれかに掴まれていることに気づいた。

 そちらに目を向けると天衣が俺の指先を握って寝ている。

 

 俺はなんとなくその手を握り返し、そのままもう一眠りするのだった。

 

 

 

 その日、俺の家を本拠地として後に神話となるJS研究会が発足した。

 また、将棋会館ではJS研メンバーより『九頭竜竜王は未成年の16歳だからソムリエではないらしい』という趣旨の発言がなされ、なぜかそれが『九頭竜竜王は7歳差ならロリコンではないし、自分も未成年だから逮捕されることはないと主張している』と取られ、俺への風当たりが増した。解せぬ。

 そしてどこからかJS研発足の噂を聞きつけた姉弟子より俺は言葉にもできない凄惨な制裁を受けるのだった。

 

 

 




■原作との違い
・JSが5人
・八一の悪評広がる
・ロリ道に落ちている八一、桂香さんの気を惹くためのメールを発信しない
・桂香さんからのリークがないため、姉弟子の乱入発生せず
・天ちゃん、八一のシャルちゃんへの頬プニキャンセルに成功

竜王、一旦は姉弟子の突入を回避するも、後日しっかりと制裁をうけてしまう。
世界線は越えられなかった模様です。オカリンじゃないからね。仕方ないね。




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21.光陰、過ぎ去りし日

キンクリ!(挨拶)
ということで原作の数々の名エピソードを総集編ばりにぶっ飛ばしております。
天衣が先に弟子になっても影響が少なそうなエピソードや逆にパワーダウンしてしまうエピソードは作者が書いても劣化コピーとしかならないため思い切りました。
一部感想にて見たいとご要望のあったエピソードもありますが申し訳ない。
ひとえに作者の力不足です。
ということで飛んだエピソードが気になる読者の方は原作1巻・2巻(神)を買ってどうぞ(ダイマ)


 

 

 慌ただしい日々はあっという間に過ぎていく。

 光陰矢のごとしとは昔の人はうまく言ったものだ。

 

 早くも研修会入会試験当日を迎え、それも残すは天衣の残り一局のみだ。

 

 

 この数日の間にもいろいろあった。

 

 先ほど入会試験を終えたばかりのあいで言えば、試験前日の突然のご両親の襲来と将棋の道を目指すことへの反対。交渉の末の試験三連勝が将棋継続の条件という譲歩。そして長らく不明だった『だらぶち』の意味の判明。あいに乞われ、試験へのはなむけとして『勇気』と揮毫した扇子を送った(ちなみに天衣にも扇子を送ろうとしたが、既に持っているからまた別の機会にでもしてほしいと断られた。寂しい)。

 

 そして天衣でいえば、パンサーがピンクパンサーに進化し(何を言っているか分からないと思うがそうとしか言えない)、ピンクパンサーがおばさんであったことが判明したりもした。梅田の将棋道場で天衣の手を取っていい音の鳴る駒の指し方を教えていたらJS研と遭遇し、激怒したあいに俺が爪をはがされそうになった。そのJS研の中では天ちゃんとあだ名がついた(天衣が一番弟子ではあるが、”あい”はもじりようがなかったため、天ちゃんの誕生となったらしい)。そして最後にはピンクパンサーに圧勝を納めることができたのだった。

 

 試験前日にはあいのご両親襲来の他に姉弟子の訪問もあった。なんかしらんけどUSJの話をふってきた。クラスメイトが面白いと話をしていたとかなんとか。その後今日の予定を聞かれ弟子たちの研修会入会試験に付き添うと答えたらなんかしらんけどブチ切れられた。実に理不尽である。

 

 そしてこの研修会も波乱続きである。

 

 あいは研修会の試験で改善された序盤戦術とさらに磨かれた終盤力を武器に初戦の綾野ちゃん、第二戦の久留野先生(駒落ち)に対して危なげなく勝利したが、第三戦でのまさかの姉弟子登場に惜しくも敗れた。とはいえ、 大人げないまでに 本気の姉弟子と本当に良い勝負をしたあいのことを惜しく思った俺は、土下座外交を展開。中学生在学中の女流タイトル獲得という条件付きではあるが、ご両親(主にお母さん)の譲歩を引き出すことに成功した。同時にとんでもない約束(雛鶴家への婿入り)をさせられたような気がしたり、それに激怒した天衣に尻を蹴飛ばされるという一幕はあったが。

 

 そして、先ほどは述べ忘れたが天衣の修行にて予想外の成果が一つあった。あの修行のもともとの狙いは天衣に強い精神力を持たせ、受け将棋の才能を万全に発揮させるというものだった。だが最後のピンクパンサー戦、そして先ほどの入会試験第一戦で見せた『後手番角頭歩』。受け将棋という一言ではとても言い表せない、そして下手をしたらそれより遙かに強力な新たな才能を示していた。将棋の戦法・定跡が生まれた背景に共感し、創造の理念を吸収し、骨子を抽出し、天衣が持つ壮大なイマジネーションのもとに新たな戦法として現出させる。盤上を覆い尽くすような……次元が異なる圧倒的な才能だ。

 

 さらに天衣は初戦の勢いのまま、次戦の相手、桂香さん───女流棋士一歩手前のC2クラスの棋士を微塵に粉砕して見せた。桂香さんの香落ちという条件ではあったが、駒落ちであろうとなかろうと全く関係なかっただろうということを周囲に痛感させる一局だった。対局前にはひどく失礼な物言い──天衣にとっては自然に出てきた言葉なのだろうが──をしていたが、あそこまで圧倒的な力を見せられては周囲には咎めようがない。桂香さんはあまりにショックだったのかハンカチで口を押さえながら走り去ってしまった。

 

 そして今に至る。

「さて、天衣くんの三戦目の相手はどうしましょうか……C2の桂香くんを相手にあれだけの将棋を指すとなると私か──」

 久留野先生も天衣が見せた圧倒的な才能に悩んでいるようだ。

 確かに。今の天衣の力を測るには相応の相手が必要だ。下手な手合いをぶつけても一ひねりにされて終わるのは目に見えている。久留野先生自身か、それとも今入会が決まったばかりのあいか、あるいは──

 

 

 

「すいません。先ほど既に一戦されていて恐縮なのですが、もしご迷惑でなければ空先生にお相手を願えないでしょうか?」

 

 ──姉弟子か……だ。

 

 

 




■原作との違い
・あいちゃんの拷問初手はオーソドックスに爪剥がし
・八一、婿入り発言により天ちゃんに蹴られる(姉弟子が中座していて良かったね)
・天ちゃんの第三戦の相手、姉弟子に変更

天ちゃんの新?能力については、原作を読んでいてエ○ヤさん家のシ○ウ君にしか見えなかったのでこのような形に。

さて、レイニー止めの上で次回は天ちゃん対姉弟子戦です。
お楽しみに。
(※研修会試験の相手が一日二戦もできるのか知りませんが、話の都合上ご容赦ください)



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22.激突、女棋士の頂点


若干盛りすぎた気はする。
でも反省はしてない。
天ちゃん愛で充ち満ちた本作ですので。




 

「すいません。先ほど一戦されていて恐縮なのですが、もしご迷惑でなければ空先生にお相手を願えないでしょうか?」

 

「……わたしであれば構いませんが」

 

 天衣からのラブコールに姉弟子も応える。

 

「そうですね。では空さんにお願いしましょう」

 

 姉弟子が天衣の対面に着く。

 だけど大丈夫だろうか。先ほどの桂香さんとの対局の際には既に戻ってきていた姉弟子は、姉と慕う桂香さんへの天衣のあまりの態度に、あいとの対局との時よりボルテージをあげているように見えるのだが……

 

「それでは空さん、手合いはあいさんとの時と同じく──」

 

「重ねて申し訳ありません。失礼は重々承知しているのですが、よろしければ振り駒でお願いできないでしょうか?」

 

 さらにとんでもない要求が天衣の口から飛び出した。

 

「……」

 

「夜叉神さん、それはさすがに……それに今は試験中なのですよ?」

 

久留野先生もさすがに咎める意図も含め、暗にひどい負け方をすれば試験結果に影響すると伝える。だが、

 

「手合い違いは承知しています。ですが私も本気で上を目指しています。研修会の入会機会を一度棒に振ってでも、女流タイトルホルダーとの実力差を計る機会があるのなら逃したくないのです」

 

殊勝な物言いだ。だが、試験開始前や先ほどの桂香さんへの発言を聞いている周囲からすれば、慇懃な態度の裏に本気で女流タイトルホルダーを食らってやろうという意図があることに気づかないはずがない。

この場の空気は一気に一触即発の様相を帯びる。

 

「……分かりました。それでは私の振り駒で」

 

「ありがとうございます。お願いします」

 

「……仕方ないですね」

 

 姉弟子の承諾もあり、当事者間で決まってしまったことで久留野先生も根負けする。

 

 二人が駒を並べ始める。

 そんな中、久留野先生がつかれたような口調で俺に耳打ちしてきた。

 

「……君は本当にとんでもない子たちを連れてくるね」

 

「いや、なんというか本当にすいません」

 

 俺は久留野先生に謝罪し、二人に目を戻す。

 

 

 

 上位者の姉弟子が振り駒をし、結果は──歩が4枚に、と金が1枚。姉弟子の先手だ。

周囲の空気が弛緩する。天衣の先手ならもしかしたら……と考えていたが、後手番では万一もあるまいということだろう。姉弟子の殺気も若干緩んだだろうか。

 

「お願いします」

 

「……お願いします」

 

 天衣は気負いもなく挨拶し、それに姉弟子も冷淡に返す。

 姉弟子の第一手は、飛車先の歩を突く2六歩。天衣は角道を開ける3四歩を指した。姉弟子も角道を開けてそれに応じる。それに対して天衣は飛車先の歩をついて居飛車戦を明示した。

 居飛車党の姉弟子にとっても異存はなく、両者そのまま駒組みが進む。

 

「……横歩取りかな?」

 

 久留野先生が呟くが、

 

「いえ……これは──」

 

 そう、かの猛者ピンクパンサーを葬った一戦と同じ──

 

「『一手損角換わり』!?」

 

 姉弟子の角を奪って、そのあとに自分の馬を叩きつけた天衣の一手に周囲はどよめく。

 それもそのはず、一手損角換わりを打ち回すのは極めて難しいがゆえにプロでも指す人間は限られる。アマチュアの世界ではいわずもがなだ。

 究極の受け将棋とも言える一手損角換わりを天衣が指すのはある意味自然なのかもしれないが……

 

「まさか『一手損角換わり』とは……さすが九頭竜竜王の弟子というところでしょうか?」

 

「いえ、そんな……」

 

 久留野先生のからかい混じりの質問に曖昧な返ししかできない。

 確かに俺は一手損角換わりの数少ない差し手だ。スペシャリストとしての自負もある。だがそもそも──天衣に一手損角換わりなど教えてはいないのだ。

 にもかかわらず、天衣はピンクパンサー戦でも見事に指しこなしていた。どこでそんなものを学んだというのか。

 天衣は俺の一番弟子だ。その天衣の将棋の根底には、俺の知らない何かがある。それが天衣の力になっているのだから良いのだろうがなんとなく面白くない。

 俺は近いうちに夜叉神氏に、弟子入りする前の天衣がどのように将棋を学んでいたのか事情を聞いてみようと決めていた。

 

 

 ギリッ

 

 

 不意の物音に俺は意識をふたりに戻す。

 天衣の一手損角換わりに姉弟子が修羅もかくやというほどに激怒し、歯がみした音だった。

 え!? 何でそんなキレてんの!? というか殺気が俺のほうにも飛んできてるんですけど!? わけがわからんぞ!?

 何だろうか? 一手損角換わりなんて対処が面倒な手を俺が教えていたのが気にくわない? それ冤罪ですから。俺は姉弟子の胸中を慮り、必死に心の中で無罪を主張する。

 

 そんな俺の祈りが通じたのかは分からないが、姉弟子の殺気は俺から外れ、次の一手を指す。当然馬取りだ。

 そこから、互いに持ち駒に角を握った緊迫した状態での応酬が続く。姉弟子は天衣を押さえ込むように攻め手を繰り出し、天衣は薄い玉形のまま迎え撃つ構えを見せる。

 これから壮絶な駒のぶつかりあいが起きる──そんなタイミングで天衣はさらに姉弟子を煽った!?

 

「さあ……踊りましょ?」

 

 バサッと音をたて、隠し持っていたらしい扇子を開いて扇ぐ。そこには────

 

「『新鮮』? 変な言葉のチョイスですね? それに字もなんというか下手クソです。ね? ししょー?」

 

「あ、ああそうだな、あい……」

 

 

 うぉぉぉぉぉぉぉい!? 俺の黒歴史ーーーーー!?

 まさかの登場だった。天衣がなにやら俺のサイン入り扇子を買っていたのは知っていたが、まさかの第一弾、新四段となった時に揮毫したこの世に存在する初の俺のサイン入り扇子である。まだ売れ残っていたのか!?

 だれか俺を殺せーーーー! いっそ殺してくれーーーーーーー!!

 

 あいからは角度の問題か俺の落款が見えなかったらしいが、天衣の対面にいる姉弟子にはバッチリ見えてしまったのだろう。いやそもそもあの揮毫をした際に姉弟子にはさんざん馬鹿にされている。

 ということでおそらく、その間抜けな単語と扇子の出自に天衣と俺、師弟に揃って馬鹿にされたと感じたのだろう。あまりの姉弟子の殺気の高まりに空間が歪んでいるかのようだ。

 ※注)あくまで将棋の対局の情景描写です。

 

 さすがの天衣にとってもこの殺気はキツかったらしい。先ほどまで振るわれていた姉弟子のあい戦同様の盤外戦術は意に介していなかったが、今は冷や汗を流し出している。だけどやはりお嬢様のハートはスペシャルらしい。扇子を閉じ、ぎゅっと握りしめると平静を取り戻し、挑発的な笑顔すら浮かべて見せた。

 

「……殺すッ」

 

 天衣は姉弟子を激発させて冷静さを奪ったつもりかもしれないが、姉弟子にその手は……

 姉弟子は全面攻勢に転じ、盤上が一気に燃え上がる。対して天衣も薄い玉形ながら、バランスを取ってよく耐えている。姉弟子の重厚な繰り手を受け、いなし反撃のチャンスを待つ。

 

 一方の姉弟子もここが勝負所とみたのか容赦しない。奨励会で開発されたのだろう新手を縦横無尽に駆使しミスを誘い、その棋力のあらん限りで押しつぶそうとする。

 しかしながら天衣もこの局面を予測していたのだろう。以前新世界でも見せた読みの姿勢──前傾して盤に顔を寄せ、片目を手で押さえて矢のような視線で姉弟子を射貫き、一手一手の意図を丸裸にして適切な応手を見せる。

 

 

 

 終盤に至り盤上の形勢は今だ五分だ。圧倒的上位者であるはずの姉弟子に対して天衣の指し回しは驚異的の一言に尽きる。道中では奇跡のようなカウンターを見せ姉弟子もあわやというところまで迫りもした。その後、姉弟子の粘りにより五分までもどされはしたが。

 あまりに熱い一局に周囲は俺も含め皆魅せられてしまっていた。それを生み出しているのが女流二冠とまだ研修生ですらない小学生という事実はとうに忘れてしまっているだろう。

 

 そんな二人の熱戦の決着はどうやら盤外によって着くらしい。

 ビーッ!というデジタル式対局時計の無機質な音がその時を告げた。

 

 二人の差を分けたのは、結局は新手に関する知識の有無だった。頭の中から記憶を引き出すだけでいい姉弟子に対して、天衣は一つ一つに読みを入れ小考程度とはいえ時間を使わされていた。とうに持ち時間を使い切って、一分将棋になっての終盤だった。その場面で姉弟子が放った高難度の新手に対し、小考を入れていた天衣は対局時計の音に我に返り、パチリと一手指し、

 

「……負けました」

 

 と頭を下げた。

 

 

 

 その最後の一手は、これまでの奨励会でもみたことのないものだったが、指されてみればこれ以上ないというほどの正着だった────

 

 

 




名前:夜叉神 天衣
性別:♀
年齢:9
職業:竜王の一番弟子
   女子小学生
装備:扇子『新鮮』E.
   扇子『活』
   扇子『出世魚』

装備詳細
扇子『新鮮』
ステータス:攻撃力+ 1
      精神力+10
特殊効果 :『竜王の加護』装備者の職業が竜王の弟子の場合、『精神異常無効』のアビリティが付与される


ということで姉弟子戦でした。
まあ、受験者が望んだからといって平手で指してもらえるかは(以下略)
なお天ちゃんとあいちゃんの名勝負を見たい方は原作2巻を(以下略)



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23.胎動、新世代の産声

前回がボリュームが多かった分、今回はあっさりめです。



 

「ありがとうございました」

 

「……ありがとうございました」

 

 納得いく結果ではなかったのだろう。挨拶を終えると姉弟子は足早に道場を出て行った。

 追いかけるべきなのかも知れないが、今は弟子たちのことが気に掛かった。

 

 

「……ふぅ」

 

 姉弟子が去ったことで緊張を切らしたのだろう。天衣は大きく息を吐いた。その小さな額からも汗が噴き出し、艶やかな黒髪が湿って張り付く。

 そして試験官である久留野先生の方へ向き直り声をかけた。

 

「色々とわがままを聞いていただいてありがとうございました」

 

「いえ……」

 

 二人の熱戦に久留野先生も自分が試験官であったことを忘れていたのだろう。

 あいまいな返事を返す。そして天衣は更に問いかける。

 

「それで試験の結果ですけど、どうでしょうか?」

 

「ええ……その前に最後の一手ですが、この後どう展開すると読んでましたか?」

 

「それは────」

 

 久留野先生の問いかけに天衣は以降の姉弟子が指すであろう手順と自分の手順を数パターンしめす。あの一手が偶然のものではないことを証明してみせたのだ。

 

「なるほど。奨励会で研究されていた手とは異なりますが、確かにこちらのほうが良い。素晴らしい発想です」

 

「ありがとうございます」

 

「中盤での新手への対応も見事でした。奨励会の棋譜を手に入れていたわけではないのですよね?」

 

「ええ。どれも知らない手でした。空先生が時間を奪いに来ていたことには気付いてましたが、受け損なった瞬間にひねり潰されそうだったので狙いに乗らざるを得ませんでした。私の力不足です」

 

「そんなことはありませんよ。その感覚は正しい。君の判断は適切でした。むしろ短時間の思考で正解を導き出し続けたことを誇るべきでしょう。その判断力も読みの力も素晴らしい才能です。知識はこれから研究会で蓄積していけば済むことだ」

 

「ありがとうございます。それでは……?」

 

「あれだけの対局を見せられて不合格になんてできませんよ。ただ、これからは無理難題をぶつけるのを控えてもらえると助かりますけどね」

 

「そうね。善処するわ」

 

「……ふふっ、よろしくお願いしますよ」

 

 合格を受け取った瞬間に殊勝な態度を崩してしまう天衣お嬢様には久留野先生も苦笑するしかない。

 

 

 試験が終わったことで周囲の研修会員たちがわっと天衣を取り囲み、今の一局で放たれた数々の手について質問を投げだす。対局前に天衣の態度にいだいていた怒りよりも、見せつけられた将棋への興味・好奇心が優先する辺りはなんとも研究会員らしい。天衣も憮然としながらも、周囲に応えていく。やはり将棋は万能のコミュニケーションツールだ。

 

 

 だが、そうして場が盛り上がる中、輪の中に入っていけないものが一人。

 

「あいは行かないのか?」

 

「…………はい」

 

 あいは非常に悔しそうな顔をしている。同じく姉弟子と対局したものとして天衣との力の差を感じ取ってしまったのだろう。だが悔しいと思えること、それ自体があいの意思の強さを示している。悔しさを感じるということは圧倒的な才能を前にしても勝ちたいと思えているということだ。

 ここは師匠として弟子に道を示してやるべき時だろう。

 

「……天衣の才能は俺が思っていた以上に圧倒的だった。今の天衣と女棋士でまともに勝負できるのはおそらくタイトルホルダーくらいだ。……いや、姉弟子以外相手ならタイトルホルダーすらなぎ倒してしまいかねない。でもな、あい」

 

「師匠……?」

 

「姉弟子以外でもあいなら天衣を打倒しうると俺は思ってるぞ」

 

「え……?」

 

「あいは天衣に劣らないだけの才能を持ってる。だからあいのことも俺の弟子にしたんだ。……信じられないか?」

 

「……いえ! あいは師匠を信じます! 天ちゃんのライバルは私です!! だから私が天ちゃんに勝ちます!! もちろんおばさんにも!!」

 

「……そうか。ならあいも行ってこい! ライバルはお互いを高め合うもんだ!!」

 

「はいっ! 師匠! 行ってきます!!」

 

 

 

 そういってあいも輪の中へと入っていく。そして天衣と意見をぶつけ合う。

 その姿に俺は近くふたりを中心に女流将棋界に激震が起こることを確信していた。

 

 

 

 




■原作との違い
・Wあい同時合格
・姉弟子不本意な対局結果が2局に

波乱も無事終わり物語は1巻でいうところのエピローグへ。
次回もお楽しみに。


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24.誓約、竜王と愛しの悪魔

前回で波乱は終わりだといったな。あれは嘘だ!

そして君は知るだろう あの対局もまだほんの序の口だった
天ちゃんの創り出す波乱は むしろここからが本番なのだという事を




 

 そうして俺のふたりの弟子達の研修会試験は幕を閉じた。

 

 

 あいはJS研のみんなが合格祝いをしてくれるということで引っ張られていった。

 その後、あいはご両親と合流し一旦金沢に帰ることになっている。4月からこちらで本格的に将棋の修行を始めるために身の回りのものの発送や転校の手続きが必要だからだ。

 

 JS研の合格祝いには天衣も誘われていたが夜叉神氏に早く合格を報告したいとのことで断っていた。

 そんな天衣を送るべく俺も着いてきたわけだが────

 

「……ッ」

 

「天衣、大丈夫か?」

 

 みんなと別れたことで虚勢がはがれ落ち、一挙に疲れが押し寄せてきたのだろう。

 壁にもたれて崩れそうになった天衣を咄嗟に支える。

 

「まったく無茶をする。あんなに姉弟子を煽るなんて」

 

「…………」

 

「激発した姉弟子の隙を突くつもりだったんだろうけど、アレは悪手だったぞ? 姉弟子はどちらかと言えばむしろ──」

 

「いいえ、あれで狙い通りよ」

 

「──なに?」

 

「あなたの姉弟子の棋譜はすべて並べたわ。映像もあるものは確認した。彼女は一見クールなタイプに見えるけど実際は激情型。怒りとともにむしろ頭の巡りも良くなるタイプね」

 

「じゃあ、なんで……?」

 

「なんで? 対局前に言ったでしょうに。実力差を計りたいって。手合い違いの平手に『一手損角換わり』にこの扇子。たくさん燃料を放り込んだ甲斐あっておばさんも全力ではき出してくれたわ。持ってる棋力。揺さぶるための新手。追い詰められた時にどう粘ってくるのか……」

 

 

 や……ヤバすぎるだろ? こいつ……。あの一局は全部姉弟子を丸裸にするための威力偵察だったってのか?

 

 

 己の一番弟子への戦慄のあまり、おれは本筋とは関係ない言葉しか絞り出せない。

 

「……お前もおばさんって呼んでたのか? 心の中じゃ」

 

「そうよ。悪い?」

 

「姉弟子がおばさんなら桂香さんは?」

 

「ばばあ」

 

「おいッ!!」

 

 桂香さんには悪いが天衣に突っ込んだことで少し調子を取り戻せた。俺は話を本筋に戻す。

 

「だけど姉弟子に勝つのはたやすくないぞ」

 

「そうね。今回も勝てるに越したことはなかったけどあのまま続けててもむずかしかったでしょうね。でも次は勝つわ。弟子になるときにいったでしょう? 女流タイトルを総ナメにするまで無双するって。今回は公式戦じゃないからノーカンよ」

 

「本命はマイナビか。だけど女王戦までまだ一年以上ある。その時には姉弟子はもっと強くなっているはずだぞ?」

 

「当然そうでしょうね。でもおばさんが伸びる以上にその時には私も伸びている自信があるわ。道中には食べ応えのある獲物もたくさんいることだし」

 

「女流高段者やタイトルホルダーを獲物扱いか」

 

 大言壮語に俺は苦笑させられてしまった。だが次に天衣が放った一言に俺はまたもや凍らされてしまう。

 

「それにおばさんには女王戦に向けて毒も盛ったことだし」

 

「…………なんだって?」

 

「3六桂打つ」

 

「……最後の一手か」

 

「ええ。おそらく奨励会ではこれがあの新手に対しての応手なのでしょう? この手ならすぐ思いついたわ」

 

「…………」

 

「でも同時にもっといい手があるとも感じたわ。制限時間には間に合いそうになかったけど」

 

「…………」

 

「そしてあのまま対局を続けるよりもその一手を見せつける方がいいと直感したのよ」

 

「……それは」

 

「激情型は怒りとともに更なる力を発揮するわ。でも恐怖にはどうかしら?」

 

「…………」

 

「きっとおばさんは私のことを注視し続けてくれるわ。そして道中の戦いで私の力が増していくのを嫌でも知ることになる。自分で恐怖にえさをやり続ける。恐怖は時間とともに成長し続ける」

 

 俺の読みは本当に浅い。何度痛感させられても直ることはない。

 天衣は自分たちのことを面白く思っていない姉弟子が研修会試験に出てくることを予測していた。そして準備を積み上げていたのだ。

 姉弟子を丸裸にするための威力偵察? あの一局はそんなちゃちなもんじゃない。

 一年後に向けて天衣が女王をたたき落とすために仕掛けた壮大な盤外戦の始まりだ────

 

 

「八一先生…… あなたの姉弟子が誰かに敗れるところを見るのは嫌……?」

 

 ……そこでそんな不安そうな顔をするのはずるいだろう?

 

「……天衣。お前は竜王の一番弟子だ。立ちふさがるものは誰だろうと遠慮することはない。叩き潰せ。お前が最強なんだって皆に見せつけてやれ」

 

「はい! 八一先生!!」

 

 俺の言葉に愛弟子は本当に幸せそうな笑顔を見せてくれる。

 

 

 

 俺はとんだ悪魔と師弟契約を結んでしまったのかも知れない。

 ああ、だけど── そんな悪魔だからこそ竜王の愛弟子にふさわしいのだろう。

 

 

 




ということでエピローグでした。
原作の爽やかなエピローグやエピローグからつながっているのだろうプロローグは影も形もありません。
が、奇しくも原作と同じくヒロインの満面笑顔で締めです。
やりたいことは全部詰め込んだエピローグとなりました。

どうも作者は天ちゃんをダークな面を色濃く持つヒロインとして描きたかったようです。
エピローグまで書いて気付くのもいかがなものかという感じですけど。
ですが原作で最も好きな天ちゃんは7巻の大天使を粉砕した天ちゃんなので何か納得。
儚くいじらしい天ちゃんも大好物ですが。

というわけでここまで応援いただいた皆様ありがとうございました!


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第二章.麗しの悪魔の選択
01.天衣とインモラルな家具達



ぬるりと始まりました、第二章。記念すべきファーストエピソードは鬼沢家訪問です。天衣 meets ONISAWA's furniture 楽しみですね~
今回からタイトル形式もネタg ……一新しました。

ん? 前話で完結したんじゃないか? いえ? 全然そんなことないですけど?

やりたいことは全部詰め込んだって書いてたじゃないか? そうですね。あの話を考えてた時点で思いついたネタは全て詰め込みました。
ここまで応援いただいた皆様ありがとうございましたって書いてた? はい。引き続きこれからも応援お願いします。

……
……
……
……

君は知るだろう 
作者に担がれただけだということを
やつにあの時点で完結させるつもりなど全くなかった
思わせぶりな後書きも この話の投稿時間を少し遅らせたことも 
全て計算だった
それどころかこの話も昨晩の時点で完成していたということを 





 

 季節は巡る。

 春休みが終わり俺の弟子のひとり、あいは金沢から大阪へと転校して本格的に拠点をこちらへ移した。結局内弟子生活も継続中だ。

 一番弟子の天衣も小学校が始まってはいるが、放課後や休日は度々俺の家に顔を出している。

 

 

 ところが今日は俺とあいが神戸にきて天衣と合流していた。

 なぜ俺たちが俺の家や将棋会館がある大阪を離れ神戸に来ているのか。それは出張指導の依頼が舞い込んだからだ。

 長年の馴染みからの依頼で、まあ実際には俺の弟子達が見てみたいということなのだろうが。その証拠に弟子達を連れてこいという条件が含まれていた。ということで、九頭竜一門総出での訪問と相成ったわけだ。

 

「おぉぉぉ……おっきなお屋敷ですー……」

 

「なかなかのものね。さすが鬼沢先生」

 

 神戸は異人館街の丘の上に建つ、大きなレンガの館に二人の弟子達が関心している。

 

「師匠、今日指導する人はどんな方なんですか?」

 

「鬼沢先生は小説家のはずよ。どんな作品を書いているのかは知らないけど」

 

「小説家さんですかー。どんな作品を書かれてるんですか?」

 

「SM小説」

 

「S……M?」

 

「何かの略かしら?」

 

 いっけね。思わず普通に答えてた。

 

 だが幸い二人ともSMとは何か知らなかったらしい。

 俺は慌てて誤魔化す。

 

「Special Marriage つまり、特別な結婚生活を題材とした……いってみれば恋愛小説の一種だな」

 

「そうなんですか! 素敵です! 女王様とかそういうやつじゃないんですね。」

 

「へー、そうなの?私も地元の名士としてお爺さま経由で紹介されていたけど、どんな小説を書いているのかまではしらなかったわね。お爺さまも仰らなかったし」

 

 そりゃそうだろうな。教えていたら大問題だ。

 というかあい、SMも一応知ってるのね。小説とは紐付かなかったみたいだけど。

 ともかくなんとか誤魔化すことに成功した。それにあまり嘘でもない気がする。

 

 鬼沢先生の名前は鬼沢談。SM小説の大家だ。代表作は『花とへ、じゃない『縄と肉』。なお、俺は先生の本を読んだことがないことはここで言及しておく。

 

「鬼沢先生には俺が奨励会の頃からお世話になっているんだ。俺だけじゃなく清滝一門はずっと良くしてもらってる」

 

「そうなんですか!」

 

「鬼沢先生が愛棋家とは知っていたけどそんな経緯があったのね」

 

「俺が弟子を取ったってのを聞きつけたらしくてね。二人を連れてこいってさ。というわけで今日は二人が主役みたいなもんだ」

 

「そーなんですかー!?」

 

「そう」

 

 弟子達は初仕事に対照的な反応だ。

 

 

 そんな二人を横目に見つつ俺は扉をあける。そうすると正面には──

 

 木馬だとッ!?

 

「師匠! 木のお馬さんが置いてありますよ!」

 

「何で玄関に木馬……?」

 

 連邦のではなく、三角なやつである。

 良かった。俺の弟子達はこれが何なのかわかっていないらしい。小学生だもんね。

 

「でもこれ、どうして乗るところが三角なんだろう? お尻が痛くなっちゃうよね? 天ちゃん?」

 

「そうね。…………ってこれ!?」

 

 知っているのか、雷電じゃない天衣!?

 天衣は顔を真っ赤にして、木馬から離れる。

 この反応、どう見ても知っている。しかしそれにしては最初の反応が薄かったような?

 

「わぁ、こっちにはすっごく黒くて太くて硬い鞭が飾ってある。さっきのお馬さんとあわせてごっこに使うのかな、天ちゃん?」

 

「鞭?……それってまさか……」

 

 やはり顔を赤くするまでにタイムラグがある。これはもしや。

 

「こっちにはボコボコしたバナナ」

 

「……触るのは止めておきなさい」

 

 事態を理解した俺はむくむくといたずら心が湧いてくるのを止められない。

 

「ほら、二人ともこっちにはキノコの置物があるぞー」

 

「わ、ほんとですね。おっきい! 何でキノコなんでしょー?」

 

「はぁ? キノコ? ……ってちょっと!? それ!!」

 

「ん? どうしたんだ天衣? そんなに顔を赤くして」

 

 どうやら天衣の才能は将棋以外でも発揮されてしまうらしい。

 天衣は確かにこの淫、……遊具のことを最初知らなかった。だが、これら遊具が生まれた背景に共感し、創造の理念を吸収することで、遂にはこれらが何かを知ってしまったらしい。

 

「ただのキノコだぞ? なあ、あい?」

 

「そうですね? どうしたの天ちゃん」

 

「ちょっと!? そんなもの私に近づけるのは止めなさい!!」

 

「う~ん? これキノコじゃないのか? 天衣?」

 

「そうなんですか? 天ちゃん?」

 

「はぁ!? そんなの私が知るはずないじゃない!!」

 

 俺は楽しくて仕方がなくなってくる。

 

「そうなのか~? 何か知ってそうなんだけどな~? 師匠に教えてくれないかな~?」

 

「ちょっと!? ふざけるのも大概に──」

 

「それにこのキノコ、スイッチを押したら動くんだぞ?」

 

 ヴィィイン

 

「きゃあああぁぁぁ!?」

 

「すごいですー」

 

 動き出すバイ、キノコに悲鳴を上げる天衣。歓声を上げるあい。

 

 そこには無知なJSを巻き込み、恥ずかしがるJSに実に楽しげにセクハラする男がいた。

 

 

 というか俺だった。

 

 ひとしきり天衣へのセクハラを楽しんだ後、俺たちは対局室で待っている鬼沢先生の元へ向かった。

 

 

「鬼沢先生! ありゃ何ですか!?」

 

「何のことや」

 

「玄関にあったおもちゃのことですよ!」

 

「師匠? あれっておもちゃだったんですか?」

 

「楽しかったやろ?」

 

「そんなわけっ……」

 

「八一先生はとても楽しそうだったわ」

 

 一番弟子の恨みがましい声に途中で黙ってしまう。

 ……正直言うとスゲー楽しかった。

 

「なんや竜王も好き者やな?」

 

「その言い方は語弊があります」

 

「まあええ。それよりせっかくきてもろたんや。早速指そうや」

 

 そういって鬼沢さんはあいと天衣を将棋に誘い、対局を始めた。

 

「いやー。強い強い。天衣ちゃんが強いとは聞いとったけど、もうひとりのあいちゃんもえろう強い」

 

「そうですね。二人ともとても才能があります」

 

 鬼沢さんはふたりと平手・駒落ちと4局ほど指し、抜けてきた。今は二人が対局している。

 

「それに二人というんがええ。ライバルがいればよう伸びる。あんたと銀子ちゃんみたいにな」

 

「ええ。そうですね。……同年代の好敵手というのは得がたいものです」

姉弟子といい、歩夢といい……な。

 

「……これなら天衣ちゃんも大丈夫やな」

 

「鬼沢さんは天衣の事情を?」

 

「ああ、多少は聞いとるよ」

 

「それは……どんな?」

 

「それは他人が勝手に話してええことではないな。本人か弘天さんに聞くとええ」

 

「……そうですね。そうします」

 

 

 その後、俺たちは夕食をごちそうになり一晩泊めてもらうこととなった。

屋敷の中には、トイレにア○ルビーズ、浴室にマット&スケ○いすなど玄関同様ヤバいもの目白押しだった。

 よく分からずに喜ぶあいと一々顔を真っ赤にする天衣。そしてほっこりする俺。鬼沢屋敷での一晩はエンターテインメントに満ちていたのだった。

 

 

 




■原作との違い
・Wあいで訪問
・天ちゃん骨子解明してしまう
・八一楽しむ
・あいちゃん既にライバル有り

ということで始まりました。第2章。
2章は原作でいうところの2巻ですが、既に前倒してほとんどのエピソードを第1章で消化済みのため非常に短くなると思います。

次回、再動のJS研。お楽しみに


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02.春を愛する人

いやー。たまには朝に投稿するのもいいものですねー
(酔っ払って気付いたら寝ていたわけではない)




 

「ただまー」

 

 俺はお土産を手にアパートへ戻った。

 今日は弟子二人の他にJS研メンバーも勢揃いしている賑やかな日だ。

 

「あっ! くじゅりゅー先生! お帰りなさい!!」

 

「ただいま、澪ちゃん」

 

居間から顔を出して出迎えてくれたのはあいのクラスメイトにして将棋仲間の水越澪ちゃん小学四年生だ。

 

「お帰りなさいです、先生」

 

「はい、ただいま。綾乃ちゃん」

 

 続いて貞任綾乃ちゃん。京都出身のお嬢様風メガネJSだ。そして———

 

「ちちょー! おかえりー!」

 

「ただいま! シャルちゃん♡ 待たせちゃったね♡」

 

 金色のふわふわ天使ことシャルロット・イゾアールちゃん、御年6つだ。

 かわいくて、かわいくて、震える。

 

 この3人に弟子の『あい』2人を加えてJS研だ。

 月2回から3回、俺のアパートに集まってみんなで将棋を指すというシンプルな集まりなのだが、周囲の目は厳しい。

 世知辛いものだ。昭和の時代は地域皆で子供を育てるということが当たり前だったというのに。平成の世の人心の荒廃が俺のことをやれロリコンだとか性犯罪者だとか後ろ指ささせるのだ。

 ※八一は2000年生まれです。

 

 だが俺はその程度で屈しない。将棋界の未来のため子供達を教え導くことに何の躊躇があろうか。俺は竜王、九頭竜八一! 将棋界の最高位! 退かぬ! 媚びぬ! 省みぬぅ!!

 

「ちちょー。しゃうね? ちちょにね? おねがいがあぅんだよー?」

 

「うん? シャルちゃん、お願いって?」

 

「あっ! ちょっと師匠———」

 

「だめです。先生———」

 

 あいと綾野ちゃんの二人が止めに入るが時既に遅し。

 

「あのね。しゃうをね。ちちょーのね。でちにしてくだしゃい」

 

 へ?

 

「……シャルちゃん、俺の弟子になりたいの?」

 

「ん!」

 

 頷きながら俺に抱きついてくるシャルちゃん。

 だめ。のうみしょとろけちゃう。天使すぎんだろ、jk。

 だがぎりぎりのところで耐える。将棋の道は長く険しい。俺について弟子になるということは一生をかける覚悟となにより才能が求められる。

 シャルちゃんが天使なのはいうまでもないが、それとこれとは別の話だ。

 残念ながらシャルちゃんに天衣やあいほどの才能は感じない。俺が大成させてあげられるとも思えない。

 断腸の思いだ。だが伝えなければならない。

 

「ごめん。シャルちゃん……俺は君の師匠にはなれない……」

 

 天使の瞳に涙が浮かぶ。すまない……すまない……

 

「ふぇ……?しゃう……ちちょのでちぃになえないの?」

 

「……ああ。すまない」

 

「なんでぇー!? なんでしゃうはだめなのぉー!?」

 

 ああ、ついに天使が泣き始めてしまった……

 あいたちもおろおろとするばかりだ。

 

 たしかに俺にシャルちゃんの師匠になれるだけの力はない。

 だけど願わくば神よ

 俺に目の前の幼子の涙をぬぐうだけの力を──

 

 シャルちゃんの心に流れる涙を、俺の飛車で(以下略)

 雨模様のシャルちゃんの心に、俺の角で(以下略)

 ※略した部分は原作2巻を参照ください

 

「シャルちゃんを俺の弟子にすることはできない。だけど俺のよ」

 

「よ……?」

 

 

 嫁にしてあげるよと言おうとしたその時、俺の脳裏に閃光が走る!

 

『好き! 好き! 八一先生! 天衣を師匠のお嫁さんにして!!』

 

 そうだ! 俺には既に嫁がいるんだった! 

 これでは……シャルちゃんを……お嫁さんにしてあげることはでき……ない。

 一体どうすれば……

 

 そうだッ!!

 

「よし! おれの愛人にしてあげるよ!」

 

 そのとき俺とシャルちゃん以外の空気が凍った。

 

「あいじぅー?」

 

「そう。愛する人と書いて愛人だよ?」

 

「あいすぅー!! しゃうね! しゃうね! ちちょーのことだいすぅきなんだよー♡」

 

「はっはっはっ。俺もシャルちゃんのこと愛してるよ」

 

 よかった。天使が笑ってくれた。

 俺はドヤ顔であいを見る。泣き出したシャルちゃんになすすべもなかったあいも俺に尊敬の眼差しを……おっとゴミでも見るような目ですね。

 

 「ししょーのだら! 変態ッ!! ド変態!! DER変態!! 変態大人ッ!! 小学生の女の子を愛人とか、何考えてるんですか!? このロリ王ッッ!!」

 

 なぜ人はわかり合えないのだろう……

 俺は救いを求めて天衣を見る。……おっとこちらもゴミでも見るような目ですね。

 

「……きもっ」

 

 辛辣ぅー!

 

 そして他のJS達からも、

 

「そうだよ! くじゅりゅう先生!!」

 

「見損ないましたです!」

 

 OH……大惨事。

 

「だいたいですね———」

 

 まだ何かあるのか、あい? もう師匠のライフは0よ。

 

「シャルちゃんが愛人ってことは本妻は誰なんですかっ!?」

 

「「「えっ!? そっち!?」」」

 

まさかのあいの追求に思わず突っ込む一同。(天衣のぞく)

 

 

 

こうして、JS達と囲む夕べは賑やかに過ぎていくのであった。

 

 




■原作との違い
・天ちゃん、JS研メンバーの一員に
・天ちゃん、シャルちゃんの婚約をブロック
・八一、シャルちゃんを愛人にする

果たしてこのことが外に漏れたら八一の社会的命はどうなってしまうのか……

※2月10日12:37追記:活動報告にちょっとした新情報をアップしました。よろしければご確認ください。


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03.永世名人を討て

前回のロリ王から急転直下のどシリアス回です。
やだ、ロリ王かっこいい……

あと、章題を正式版に変更しました。



 俺はこの日、負けられない大勝負に必勝の覚悟で臨んでいた。

 

 相手は永世名人資格者、月光聖市。現代最強の盲目棋士にして将棋連盟会長だ。

 後手番の俺が選択した戦型は『一手損角換わり』。俺と会長はお互いにこの戦型のスペシャリストだ。『一手損角換わり』使いとしてどちらが上か。その意地のぶつかり合いでもある。

 

 一手損角換わり相腰掛け銀を経由して、互いに攻めては受け、受けては攻めるねじり合いの中盤戦を終え、はや終盤。

 戦況は会長が大駒三枚を手にし、圧倒的な火力でもって盤上の大半を支配しているものの、俺も端から手を入れ、搦め手から会長に迫っている。まだまだ分からない状況だ。

 だが———

 

「熱い……実に熱い。久しぶりに味わう感覚です」

 

 生きる伝説はそう言いながら、光を失っているはずの目を見開き、

 

「ぎりぎりのこの終盤。血湧き肉躍るこの感覚———滾る!」

 

 そう言って示した一手は、3一角打つ———王手!!

 

「まっ……!!」

 

 ———まさか、詰まされてるのかッ!?

 

 

 今俺たちが争っている対局は帝位リーグ最終戦第五局。

 以前の連敗が響き俺はこのリーグからの敗退が決定している。対して会長もリーグ残留は決めてはいるが帝位への挑戦権には既に届かないことが決まっている。まごうことなき消化試合だ。

 そんな消化試合になぜ俺がこれほど熱くなっているのか。その理由は数日前にさかのぼる。

 

 

 

 その日俺は天衣が登校している時間を見計らって夜叉神邸を訪れていた。

 以前から気になっていた、俺と会うまでに天衣はどのように将棋を学んでいたのかを知るために弘天氏に会いに来たのだ。

 

「九頭竜先生、ご足労ありがとうございます」

 

「いえ、俺こそ急にお邪魔して申し訳ありません」

 

「とんでもない。いつでもいらしてください。……して、今日の御用向きは?」

 

「実は……天衣さんについてうかがいたいことがあって来ました」

 

「なるほど。本人がいないほうが良い話ですな?」

 

「そうですね。おそらくデリケートな話かと思って。まずは内々に話させていただければと」

 

「承知しました。何なりとおたずねください」

 

「ありがとうございます。……天衣さんが俺の弟子となるまでどのように将棋を学んでいたのかを知りたいのです」

 

「それは……」

 

「彼女は少々特殊な将棋を指します。そのルーツを知りたいのですが」

 

「……あれは不憫な娘なのです」

 

 俯いた弘天氏は搾り出すように教えてくれた。

 天衣に将棋を教えたのは天衣の両親であること。天衣の両親が既に他界していること。それ以降ほとんど独学で学んでいたこと。

 将棋に強い執着を持っていること。それは理解できる。悲しい理由ではあるが将棋を深く学ぶことで、両親の残した棋譜から彼らの思いをくみ取ろうとしている、もっといえば死者と対話できるようになろうとしているのではないか。将棋を極めれば、それができてしまう。

 だが、それと『一手損角換わり』は結びつかない。あれは特殊な感覚が必要とされる戦型だ。いかに天衣の才能が圧倒的なものでも、それだけで何とかできるようなものではない。血も滲むような修練が必要だ。アマチュアにほとんど存在しない戦型である以上プロの棋譜をもとに気の遠くなるような研究をしたとしか思えない。

 

「天衣さんのご両親はプロ棋士という訳ではないのですよね?」

 

「ええ。そこまででは。ですがあれの父親は将棋のアマチュア名人でした」

 

「それは……」

 

 アマチュア名人。そして『一手損角換わり』。そこでようやくつながった。

 

 

 

 目的を果たした俺は夜叉神邸を辞してあと、連盟に寄り棋譜を漁ってから家に帰った。アマ名人には一つの特典が与えられる。それがプロ名人への挑戦権だ。果たして天衣の父親と時の名人———月光聖市との対局の棋譜は確かにあった。

 そして俺は一つの記憶を呼び起こしていたのだ。その対局の記録係は当時奨励会6級の俺だった。俺は見ていたのだ。二人の名人の対局はまれに見る熱戦の末、会長の勝利に終わった。その後のふたりの会話を覚えている。天衣の父親を弟子に誘った会長に対して———

 

「僕には幼い娘がいます。今からプロを目指す意思はありません。ですがもし僕の娘が大きくなって棋士になりたいと言ったら、その時は———」

 

 天衣が師匠を選ぶ条件に出した現役A級棋士かタイトルホルダーかという条件。あれは月光会長を指定するものだったのだろう。父親を破り、父親が望んだ相手。だけど俺は今更だれであろうと天衣を譲るつもりはない。だから———

 

 

 

「九頭竜先生。持ち時間を使い果たされましたので、一分将棋でお願いします」

 

「……はい!」

 

 この人だけには負けられねぇ!! 3一同玉!!

 

 そこから会長による怒濤の王手ラッシュが始まった。

 だけど、頭金を打たれるまで俺に投了はない!

 まずは命をつなぐため、入玉を目指して逃避行を始める。

 ノータイムで打ち込んでくる会長の攻め手を躱せ!

 

「……よし!」

 

 必死に会長の追撃を躱して入玉を完了。これで何とか攻めに移れるはずだが———

 

「2八銀」

 

「ッ?」

 

 まさかの連続王手! しかも遠方からの馬の支援を受けていて玉でとれない!?

 

「10秒、9・8・7……」

 

 ええい! 迷ってる時間はない! 

 銀の直下、隣と死角を抜けて自陣に戻る前代未聞の戦術。ようようと攻め上っておきながら尻を捲って逃げるようで格好が悪いが是非もない!

 そこからも延々と続く会長の王手を首の皮一枚で躱し続けて一五六手目。

 

 1五玉ッ!!

 

「ここまでですね」

 

 俺の玉が五段目まで退き、ようやく攻めが切れたところで会長が投了を告げた。

 

「あっ…………ます……!」

 

 俺は礼を述べるが、消耗のあまりまともに声が出ない。

 格好の悪い勝ち方だったが、それでも勝ちは勝ちだ。それにこの人の連続王手を15回も凌いで、あまつさえ勝ったのなんて俺が初めてじゃないか……?

 緊張から解かれ、永世名人を制した達成感に包まれていた俺。

 

 だけど会長は俺を凍り付かせる一言を放ってくれた。一二九手目に5八金と打っていたらその時点で俺の負けは決まっていたというのだ。

 つまり俺の勝利は相手のミスに救われた結果のものだった。会長は王手ラッシュをかけながらそれに気付いたのだ。

 この人が全盛期だったら……いや今でも目さえ見えていたのなら———

 圧倒的なタイトル獲得数を誇る現名人を差し置いてこの人こそが史上最強だという声が未だに大きいことにも頷ける。

 どう考えても今の俺より上だ。天衣の師匠に相応しいのも。だけど———

 

「これで、あの時の借りを返す事ができましたかね?」

 

「え?」

 

 露わになった実力の差に苦悶していた俺に不思議なことをいい、笑みながら会長は去って行った。

 俺と会長は今回が初対局だ。貸し借りなんてないはずだが……(師匠のう○こを除いて)。

 

 

 

 俺はしばし惚けていたが、ふと我に返る。

 そうだ。あいつを待たせている。俺もいかないと。

 

 

 




■原作との違い
・八一が燃えている理由

ということでVS会長戦でした。
だいぶオミットしてかいてますが、原作は遙かに熱いので原作を是非(以下略)

そしてシリアスに徹することができず、最後にう○こネタを挟んでしまいました。
憎い。笑いをとりにいかずにはいれない自分が憎い……

さて、次回は早くも2章のエピローグです。
果たして八一が待たせているのは……
いったいどっちの『あい』さんなんだ……
なお姉弟子の可能性はない模様。すまない。

ちなみに次回も既に予約投稿済みです。
レイニー止めで待て。


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04.俺は目を離せない

さて、エピローグです。




 

「永世名人への勝利おめでとう、八一先生。ちょっと格好悪かったけどね」

 

「……ありがとう。天衣」

 

 控え室で待っていてくれた天衣が開口一番勝利を祝ってくれたのに対し、俺も礼を返す。

 

「……それで? 話したい事って? この私を待たせてたんだからそれなりの内容なんでしょう?」

 

 そう。俺は天衣を連盟に呼び出していた。会長との対局が終わるまで傍で待っていて欲しいとお願いして。それもこれもこの話をするためだ。

 

「……ああ。まずは……この棋譜を見て欲しい」

 

「……これはお父様の?」

 

「そう。当時アマチュア名人だったお前の父親と名人だった月光会長との記念対局だ。その対局で俺は記録係をしていた」

 

「そう……それで?」

 

「……俺は聞いていたんだ。お前の父親がいずれお前を会長の弟子にしたいって言ってたのを」

 

「……」

 

「今日の対局で会長の方が俺より遙かに上手なのが分かった。いや前から知ってはいたんだけど、再確認したっていうか……」

 

「……」

 

「きっと俺よりお前の師匠にはあの人のほうが相応しいんだろう。だけど———」

 

「……はぁ、八一先生?」

 

「ん?」

 

 俯きながら搾り出すように話していた俺は、しばし無言だった天衣がふいに声をあげたことに反応し、顔をあげた。天衣は心底呆れたという顔をしている。

 

「たかが消化試合になんで呼び出すのかと思ったら……。まったく和装までして」

 

「え、えっと?」

 

 天衣がなぜそんな反応をするのか分からない。確かに和服まで着てきたのはやりすぎだったかもしれないが、これも俺の気合いの表れで———

 

「ちょっと、八一先生こっちにきて!」

 

「え、ちょっと? 天衣」

 

「いいから!」

 

 戸惑う俺の手を引っ張り天衣はどこかへ向かう。

 

 

 そして連れてこられたのは……資料室?

 そして天衣は何か新聞を漁っている。やがて目的のものを見つけたのかこちらを向き直る。相変わらず呆れ顔だ。

 

「うすうすそうじゃないかって気付いていたけど、本当に忘れていた訳ね?」

 

「何が?」

 

「はぁ……ここ。読んでみて」

 

「ん?これは『週刊将棋』か? お前のお父さんと会長の対局の時の?」

 

「そうよ」

 

『名人を超える大器』

 

 天衣が指した記事にはそうあった。

 プロアマ名人の記念対局の後の感想戦で俺が月光名人の詰みを発見した。そして———

 

「僕の娘が大きくなって棋士になりたいと言ったら……その時は九頭竜八一君に師匠になってもらいます?」

 

「ちなみに八一先生は快く承知したそうよ。お父様によると」

 

「……えーと、それは……」

 

「当の八一君はきれいさっぱり忘れていたようだけどね?」

 

「えろう、すんません!」

 

 俺氏、スライディング土下座である。

 

 

「私は『九頭竜君はすごい!』『プロになったら、真っ先に天衣を弟子にしてもらいに行こうね!』って耳にたこになるほど聞かされながら育ったわ」

 

 そしてこれで全ての謎が解けた。

 先ほどの会長の言葉の意味。借りとは以前俺が指摘した詰みに対して今回は自分が指摘したということだろう。

 さらに天衣の最初の攻撃的な態度。それにしてはその後の好感度が高すぎたこと。てっきり俺がイケメン竜王だったからだと思っていたが、お義父様の教育のたまものだったらしい。

 その他にもお義父様はおそらく会長経由で俺の奨励会時代の棋譜も入手し娘に披露していたらしい。

 何のことはない『一手損角換わり』も俺が発祥だったわけだ。たしかに薄い玉形のままバランスを取って戦いたがるのは会長というより俺の特徴だ。俺は過去の自分相手に一人相撲をしていたってことだ。

 

 

「以前、神鍋六段とあなたなら、師匠には貴方を選ぶっていったわよね」

 

「ああ」

 

「はっきり言っておかないと八一先生には伝わらないみたいだから言っておくわ」

 

「……」

 

「仮にそこに生石玉将と月光永世名人、おまけに現名人を加えて好きに師匠を選べと言われても……私は貴方を選ぶわ。八一先生」

 

 本当に行き届いた教育だ。お義父様には感謝の言葉もない。今度夜叉神氏に場所を聞いてお墓に花をお供えに行こう。

 

 

「だけど勘違いしないでちょうだい」

 

「えっ!?」

 

「別にお父様に言われたから貴方を選ぶわけじゃないわ。私はそんなに殊勝な女じゃない」

 

「……」

 

「貴方の過去の棋譜を見て、貴方のこれまでの対局する姿を見て、貴方の普段の将棋への取り組みを横で見て。それで”私が”いいと思ったから貴方を師匠に選ぶのよ。八一先生?」

 

 

 そういって天衣は艶然と微笑んだ。

 俺は目の前の悪魔に魅入られたかのように身じろぎもできず、ただその言葉を受け止めていた。

 

 

 




 まったく……小学生は最高だぜ!!



 って最後の八一のモノローグの代わりに入れようかと思いましたが、前回の反省からなんとか思いとどまることができました。作者、成長してる。

 一章のエピローグでこういう天ちゃんはやりきった気だったんですが、まだまだ書きたいことがあったようです。最終的にこんな感じに。
 すごいだろ? これでJSなんだぜ?

 さて前回同様、これまでの応援ありがとうございました。
 もうさすがに同じ手は通用しないと思うので、引き続き応援お願いしますと申し上げておきます。
 次回から原作三巻の領域に入ります。
 だけど桂香さんどうしようなぁ……(現時点でノープラン)



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第三章.竜たちの咆哮
01.survival


前話までのシリアスな流れに続き
八一の超熱い話をぶっ込んでやったぜ(UC)



 その日、俺は家路を急いでいた。猛烈に。

 だがいくら急いでいても走るわけにはいかない。

 

 スカートのプリーツは乱さないように、白いセーラーカラーは翻さないように。いや別に女装をしているわけではないが心持ちはマリア様の庭に集う乙女たちがごとく淑やかに。内股で。

 決して走ってはいけない。だが疾く! 疾く! 光のごとく!

 いつもなら内弟子に何かお土産でも買って帰る商店街も今日ばかりは足早にパスしていく。

 

 

 とはいえ別にリリ○ン女学園に入りたいわけではないし、競歩で記録を狙っているわけでもない。あくまで俺は男でプロ棋士なんだ。

 一つ一つ説明していこう。

 乙女だなんだという妄言は意識を逸らすために過ぎない。内股なのはちょん切って乙女になったからではなく決壊を抑えるためだし、走らないのも紅○薇さま(ロサ・キ○ンシス)の教えではなく衝撃を与えないためだ。

 

 説明が周りくどい?

 OK。結論から言おう。

 

 

 

 

 

 

 

 漏れそうだ。深刻に。

 

 

 対局中から強烈な尿意を我慢していた俺は、対局が終わるとともに連盟を飛び出し、この不毛なRTAに挑んでいた。(対局は悲しいことに俺の負けである)

 人としての尊厳を賭けてこの勝負に負けるわけにはいかない。

 ただでさえ、先日より師匠には『う○こたれ』という称号がついているのだ。ここで新たに俺が『しょん○んたれ』などという称号を受け取ってしまっては、師弟あわせて『糞尿○れ』という栄冠にノミネートされてしまいかねない。(そもそも師匠が両方たれてるじゃんってツッコミはなしだ)

 だから俺は何が何でもこのRTAをやりきらなくてはいけないのだ。

 

 

 だがこのおもらしRTAも既に終盤、俺も要領をつかんでいた。

 重要なのは二つ。

 一つは人の動きを予測することだ。前方にいる人達が前後・左右どちらに動こうとしているのか、人の交差するポイントではどう動くのかを先読みしながら余裕を持って躱すのだ。後方からの自転車の接近は車線(人線?)を変更するときだけ後方を確認して躱せ。

 もう一つはコース取りだ。とくにコーナーでの。

 そんなの壁際最短距離を最速で曲がるのがいいに決まっている?

 そいつは素人考えだ。in-in-inのコース取りは二つの意味で危険だ。

 第一に最高速度での急激な方向転換は体にGをかけ膀胱を圧迫しちまう。これだけでもどれだけリスキーか分かるだろう?

 そして本当に危険なのはこの次だ。壁際ぎりぎりから曲がろうとするってことは死角に飛び込むってことだ。もし飛び込んだ先に歩行者がいたらどうなる? 激突して一発ゲームオーバーだ。

 こいつがゲームのRTAならトライ&エラーで障害物の有無を確認しながら進めるのもいいだろう。だけど残念ながらこいつはやり直しの効かねぇ正真正銘1回きりの真剣勝負。いわばRRTAだ。そんな一か八かの博打に賭けるわけにはいかねぇんだ。

 だからこそ取るべきコースは車のレースと同じくout-in-out。最高速度を維持しつつ緩やかな弧を描いて、前方の障害物を確認しながら駆け抜けるんだ。そうすれば確実にゴールは見えてくる。

 

 

 

 なに? そもそも連盟でトイレを済ませてから出てくればよかったじゃないか?

 冗談はよしてくれ。俺がそんなことにも気付かないほどFOOLだと思ってたのか?

 だから要はそうできない理由があったんだ。

 

 そいつは俺の今日の対局相手だった。名前は山刀伐尽(なたぎりじん)八段。A級第四位の強豪だ。プロデビュー戦の俺を走る人間スプリンクラーに変え、また竜王デビュー直後からの11連敗、その最初の一敗目になった因縁の相手でもある。

 だけどだからブルっちまったってわけじゃねぇんだ。

 

 そう、やつにはホ○の疑いがあった。

 対局中も『対局って……いってみればふたりの共同作業ですよね……』とか『ここのところ……ずっとキミのことばかり頭から離れないんです……』とか『この胸の高鳴りがキミに伝わってしまわないか……不安だったんだョ?』とか囁いてくるんだ。

 おあつらえ向きにやつの二つ名は『両刀使い』だ。

 盤外戦術の一環なのかも知れない。むしろそうであって欲しい。だがアレは演技というには少々……。

 それは特定の趣味嗜好の人達へのヘイトじゃないか? ああ、分かってる。ダイバーシティ(多様性)が大事な時代だなんて事はこっちだって重々分かってるんだ。だけどあんた、それに自分の処女(ケ○の穴)をかけられるかい? 彼らだって普段はいいやつらばっかりさ。俺だって百合もいける口だ。だけど俺に性欲を向けられるとなったらそいつは別の話だ。そうだろう?

 俺が対局を中座してトイレに行こうとしたときやつはこともあろうにこう言い放ちやがった。

『ん!? トイレぇ!? トイレなのかい!? いっしょにイクかい!?』ってな。

 あれもやつの盤外戦術で、やつはファッション○モだったのかもしれない。ただ連れションにいきたかっただけで、用を足す俺を後ろからホってやろうなんて思ってもいなかったのかもしれない。だけどさっきのコース取りの話と同じさ。俺には一か八かに処女(ケ○の穴)をかけるクソ度胸はなかった。そういうことだ。

 

 

 だから処女(ケ○の穴)と人としての尊厳、両方を守るためこうしておもらしRRTAに挑んでるんだ。

 そしてようやくこのRRTAもゴールの時だ。俺の家は連盟にほど近い。さらに階段も少ない2階の部屋だ。これくらいの衝撃ならまだ内股の防御で耐えられる。今ばかりはこの部屋を選んでくれた姉弟子には感謝しかない。……いや、そもそも道中にコンビニがあればここまで苦労していなかったかもしれない。感謝は5割引だ。

 そして最後の難関を突破した俺は扉を開け放ち室内へ突入した。鍵をかけない習慣で本当に良かった。そして約束されし理想郷(トイレ)へ一直線に飛びこむと九頭竜ダムから放水を開始した。

 

「ほえぇぇぇぇぇぇ……」

 

 やがて恍惚が訪れ、極度の緊張から解放された。先ほどまでは緊張しすぎてキャラが変だったかも知れない。なんか気分はハードボイルドな刑事風だった。

 

 

 そうして意識がクリアになると、ドアの外から呼びかけられる声に気付く。

 

『先生! 八一先生! 大変早く来て!!』

 

 声の主はどうやらの一番弟子の天衣らしい。珍しく非常に焦っている。

 一体何があったんだ?

 

 最後の一滴まで出し切ってからトイレを出て、天衣の声のする和室へ入る。

 すると、天衣の傍、畳の上に———

 

 

 二番弟子にして内弟子のあいがランドセルを背負ったままうつ伏せに倒れていた———

 

 

 

 なんじゃこりゃぁぁぁぁぁ!?

 

 どうやらハードボイルドモードを解くのは少々早かったらしい。

 

 

 




■原作との違い
・八一、固ゆで卵になる
・天ちゃん、第一発見者に

1/4程度の分量で済ますつもりだったオシッコエピソードがなぜか1話丸々の分量に。
いえ、書いてて楽しかったんですけどね。

構想段階ではトイレに天ちゃんが入っていて、ハードボイルド八一がジャック・バ○アーばりに鍵ごとドアを引きちぎって突入。天ちゃんがいることに驚いて放尿というアイデアもありましたが、天ちゃんにヨゴレはさせられねぇという脳内会議満場一致でボツとなりました。良かった。


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02.愛の国 Gandhara(前編)


UA5万目前。お気に入り1千目前ということで
今回はラブコメ御用達のサービス回。
お楽しみあれ。

あと今回は場面展開が多いので◇記号を挟んでみました。



 

「……八一先生、彼女の遺言を伝えるわ」

 

「死んでねぇから!?」

 

 

 畳に倒れていたあいを抱き起こす俺にとんでもない冗談を飛ばしてくる一番弟子。

 天衣に条件反射的に突っ込んでからあいの様子をうかがう。

 ひとまず呼吸はしている。けれど息も絶え絶えだ。

 

「あい! どうした!? 誰にやられた!?」

 

「八一先生も乗ってるじゃない」

 

 いかん。前回の刑事気分がどこか抜けきってなかったらしい。

 

「あい? あい? おい、大丈夫か?」

 

「……ぉ……きぃ……ぉ……ふ……」

 

 あいは意味不明な言葉を呟いている。

 

「これは……ダイイングメッセージね」

 

「だから死なないって!?」

 

 まさか本当にダイイングメッセージじゃないよね……?

 

「あい!? 何を伝えたいんだ!?」

 

「……おっき……な……おふ…ろ……」

 

「おっきな?」

 

「お風呂?」

 

 なんだそりゃ?

 

 意味不明な ダイイング メッセージに俺と天衣は顔を見合わせる。

 

 

 そこから俺はひとまず患者へのヒアリングを続けた。

 結論から言うとあいは大浴場欠乏症らしい。嘘のような本当の話だ。温泉旅館の娘であるあいは生まれてからこの方、大きな風呂を長期間にわたって欠かすことはなかった。それが大阪に来てはや2ヶ月。慣れない環境(小さい風呂)にストレスがたまり、ついに倒れてしまったというわけだ。特殊な閉所恐怖症みたいなものだろうか。

 

 ともかく原因が分かれば後は簡単。あいを銭湯へ連れて行くことにした。もちろん嫌がる天衣も引き摺って。銭湯に行くことを告げるとあいも復活し、天衣の連行を手伝ってくれた。だがこのことが後に事件を引き起こすことになるとは誰もその時はしらなかったんだ……

 

 

 

 

 

 

「…………」

 

「…………」

 

「ふにゃぁぁぁぁ~~~~………♡」

 

 とろけるような二番弟子の甘い声が広い浴場に響き渡る。

 あいは久々の大浴場にご満悦のようだ。

 

「ししょー、大きなお風呂気持ちいいですねー♡」

 

「……そうだね」

 

「…………」

 

 俺はそれだけ何とか返す。

 天衣は無言だ。機嫌が悪いのだろう。

 

「どうしたんですかー、ふたりとも? せっかくのおっきなお風呂なんだからもっとリラックスしたらいいのに?」

 

「……そうだね」

 

「…………」

 

 残念ながらリラックスできているのはあいだけで、それ意外は重い緊張感に包まれている。それというのも————

 

「ししょー、こっち向いたらどうですかー?」

 

「こっち向いたら殺すわよ!!」

 

「向かないよ!?」

 

 

 

 なぜか俺は弟子二人と混浴していたからだ。

 ……どうしてこうなった?

 

 

 

 

 

 

 俺たち3人は清滝師匠の家から歩いてすぐの場所にある銭湯に来ていた。

 俺や姉弟子が桂香さんとよく一緒に来ていた古い銭湯だ。ちなみに桂香さんも誘ったのだが、今日は同窓会に出るとのことで断られていた。

 

 番台で料金を払っている横で天衣はまだブチブチ言っている。

 往生際の悪いことで。

 

「何で私まで……」

 

「まあまあ、たまには姉妹弟子で裸の付き合いもいいだろう?」

 

「ですよ。天ちゃん」

 

 こういう反応をされるとからかいたくなるよね。紳士諸兄には同意いただけると思う。

 

「何だったら俺も一緒に入って九頭竜一門で絆を深めるか~?」

 

「キモッ、死ねば良いのに」

 

 辛口ぃぃ!

 

「わたし師匠のお背中を流します!」

 

「ちょっと!貴女何を言って!?」

 

「はは! 冗談だよ。じゃあ俺は先に行くぞ」

 

 そう言って俺は男湯へ入っていった。後ろからは二人でまだ何か言い合いをしているのが聞こえている。

 

 二人とも早く入るんだぞ~

 

 

 

 だが思えば俺はこの時に二人の争いを仲裁しておくべきだったのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 俺が体を洗い終わり湯船に浸かった頃、カラカラとドアが開く音がした。

 誰か別のお客さんが来たらしい。と思ったのだが————

 

「ししょー」

 

「へ?」

 

 聞いたことのある声に振り向くと。

 

「ちょっと!? 本気!? 何考えてるの、貴女!?」

 

「ほらほら、天ちゃんもゴーですよー」

 

「は……はぁー!?」

 

 そこにいたのはかろうじて体にタオルだけ巻き付けた天衣とタオルすら手に持っているだけの素っ裸で、天衣をグイグイ押し込んでくるあい。

 

「な、何してんだお前ら!?」

 

「番台さんから10才未満は男湯に入っても大丈夫って聞いたんです。それに今の時間ならだれもこない貸し切り状態だって言っていたので」

 

 

「いや、そう言う問題じゃなく……」

 

「八一先生! こっち見ないでよ変態!!」

 

「えっああっ、ごめんっ」

 

 慌てて後ろを向く。

 

「もー、押しかけてるのは私たちなのに師匠に失礼だよ。天ちゃん」

 

「私に関しては貴女が無理矢理引っ張ってきたんでしょう! 服まではぎ取って!」

 

 実家の旅館を手伝っていたからか、あいは意外に力が強い。対して天衣は華奢な見た目通り非力だ。確かに腕力に訴えれば嫌がる天衣を男湯に引きずりこむことも可能だろう。

 

「さあ、天ちゃん。背中流すよ。あい、お客さんのお背中流すのは得意なんだから」

 

「いいから! 自分でするから、離して!」

 

「そうしたら天ちゃん逃げるでしょー。ほら、あいの方がお姉さんなんだから言うこと聞いて」

 

「お姉さんって2ヶ月くらいの差じゃない!? それにそんなことを言ったら私の方が姉弟子よ!」

 

「姉弟子ってそれこそ書類を出したのは数秒の差だよ? 内々での約束も2~3日くらいしか変わらないと思うけど……まあ、いいや。じゃあ姉弟子、おせなか流しまーす」

 

「ちょっと……んっ! ひゃっ!? あぅ……どこまで触って!?」

 

「お客様かゆいところございませんかー」

 

「あ……んっ…んぁ…あっ…ぁ…あっんっ……♡」

 

 声だけしか聞こえないってのもいいものですね。想像力がかき立てられる。

 天衣はあいの超絶テクニックで息も絶え絶えだ。これ体洗われてるだけなんだよね? 愛撫じゃないよね?

 

「……天衣、そんなにすごいのか?」

 

「師匠も後でお背中流しましょうかー?」

 

「い、いや! 俺はさっき自分で入念に洗ったからいいよ!」

 

「そうですか。残念ですー」

 

「…………」

 

 興味はあるが天衣が声も出せなくなっているのだ。半端ではあるまい。

 それに9才の親族でもない女の子に男湯で背中を流させる16才男子は非常にヤバい気がする。9才の女の子どうしだからほほえましいのだ。銭湯の男湯というシチュエーションに目を瞑れば。

 

 

 

 

「お邪魔しまーす。師匠」

 

 その後、グロッキーになった天衣をあいが引っ張って湯船に入ってきて場面は先ほどに戻る。

 

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんを敬遠している桂香さん同席せず
・桂香さん不在のため姉弟子呼ばれず
・天ちゃんとあい、男湯に乱入


ということでお風呂編はもう1話続きます。
今回は天ちゃんとあいの関係性に焦点を当ててみました。
将棋の絡まないところでの力関係はこんな感じに。
やっぱりあいの豪腕が際立ちますね。

次回は作者による天ちゃんゴリ押し回です。
お楽しみに。


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03.愛の国 Gandhara(後編)


ということで後編です。
引き続きサービス回をお楽しみください。




 

 

「……本当にどうしてこうなった」

 

「私が知るわけないでしょ!」

 

「もー、天ちゃんお風呂で騒ぐのはマナー違反だよ?」

 

「今更それを言う!?」

 

 いや、マナー違反もそうなのだが……

 

「あの、二人ともせっかく広い風呂なんだから。もっとゆったり広く使ったらどうだ?」

 

「えー。別にいいじゃないですかー」

 

「…………」

 

 

 ふたりの背中がさっきからピタピタ当たってるんですけど……

 確かに向いている方向は二人とは逆だ。逆ではあるのだが二人はなぜかならんで俺と背中合わせに湯船に座っているのだ。

 そして湯船にタオルを浸けることまかりならんという風呂奉行あいのお達しで、あいはもちろん天衣のタオルもはぎ取られている。

 そんななかであいがたまに手足をバチャバチャやるせいで湯に揺られて二人の背中(素肌)が時折俺の背中に当たるのだ。

 

 

 なんだこれ? 俺はロリコンかどうか神に試されているのか?

 くっ! とにかくどうにか意識を逸らさないと! 何か、何かないか……?

 何か嫌な思い出を想起して……そうだ!

 

 

 

『はぁぁ~ 九頭竜君の眼鏡を外した素顔を見るとドキドキするよぉぉ!』

 

 

 

 一瞬でとんでもない寒気が襲ってきた。山刀伐パねぇ。

 さすがにこのままでは精神衛生上悪すぎるので意識を山刀伐さん本人から先ほどの将棋の内容にスライドする。

 開幕からこちらが知らない最新型に誘導され序盤で大きなリードを奪われた。そのまま一方的に攻撃をされ続け終盤へ。完封されて投了だ。端的に言ってフルボッコでござる。

 

「八一先生、考え事?」

 

「今日の試合の内容を振り返ってちょっとな」

 

「今日の対局相手は……A級4位の山刀伐八段だったかしら」

 

「A級4位! 強敵ですね! どうだったんですか、師匠!?」

 

「残念ながら俺の負けだ。控えめに言っても完敗だな」

 

「ですかー。……残念ですー」

 

「……完敗、ね。敗因は分かっているの?」

 

 敗因か。それはどう考えても———

 

「研究だな。俺のことを研究し尽くされて全てに対策されていたって感じだ」

 

「た、大変じゃないですか!?」

 

「確かに深刻ね。だけど八一先生も竜王だもの。個人として研究対象になっていても不思議じゃないわ。……いいえ、常に誰かが八一先生のことを研究していると考えてもいいくらいね」

 

「……まあ、そうだわな。この前までの11連敗もそれが原因だ。どうしても年齢の問題で俺の将棋には幅がない。狙い撃ちにすれば対策もしやすいはずだ」

 

「そんな! みんなが師匠を標的にしてるってことですか!?」

 

「……竜王になるってのはそういうことだ。あい」

 

 そう。誰もが俺の首を狙っている。竜王が今一番奪いやすいタイトルだと思われている。言い換えれば舐められてるってことでもある。事実でもあるんだが。

 ここでしばし皆無言になる。重たい沈黙が場を包んだ。

 

 

 そして、次に言葉を切り出したのは———

 

「……まあでもそこまで分かっているなら、やらなきゃいけないことも明確ね」

そういいながら天衣が俺の背中に……もたれかかってきた!?

あの……背中に柔らかくも張りのある肌が密着してるんですけど……

これも元気づけてくれているってことなんだろうか?

 

「……戦法を増やすしかないな。山刀伐さんの研究の枠を突き抜ける新戦法が必要だ」

 

「……新戦法ね。当てはあるの? 闇雲にってわけにもいかないでしょ?」

 

「ある人にお願いするつもりだ。素直に聞いてもらえるかは分からないけど……何とかする」

 

「……そう。それじゃ後の問題は時間ね。3週間後には山刀伐八段と再戦でしょう?」

 

「そうだけど……よく知ってるな、天衣。師匠の対局予定をチェックしてくれてたわけだ?」

 

 

「はぁ!? き、今日連盟に行ったときにたまたま今月の対局予定が目に入っただけよ! 勘違いしないで!!」

 

 天衣は火のついたように怒り出す。……だけど背中はくっついたままだ。

 

「わ、悪いそうだったのか。ごめんごめん」

 

「ふんっ。わかればいいわ。それで間に合いそうなの?」

 

「それが一番の問題だな。一から新戦法をものにしないといけないわけだが、短期間でそれなりのレベルにならないといけない」

 

「……そう」

 

「いくら研究を外しても山刀伐さんの地力が低いわけじゃないからな。お粗末なできならそのまま潰されちまう。そこまで考えると正直3週間じゃ厳しいな」

 

 そう。山刀伐さんとの再戦に間に合うかは賭けだ。それもかなり分の悪い。

 

 

 ここでまたしばし沈黙。そしてその沈黙を破ったのもまた天衣だった。

 

「大丈夫よ。八一先生なら。必ず間に合うわ」

 

 そういって、さらに俺の背中へ体重を預けてくる。

 

「天衣?」

 

「前に言ったでしょう。現名人と較べたって貴方を選ぶって。貴方の才能はあの名人と較べても劣るものじゃないわ。私はそう確信してる」

 

「…………」

 

「『九頭竜君はすごい』のだもの。だからきっと間に合うわ」

 

「……ああ」

 

 本当に天衣はよくできた弟子だ。柄じゃないだろうに俺のためにここまで嬉しい言葉をくれる。だけど、感動で歯切れの悪い俺の回答に誤解してまだ足りないと思ったのか、さらに付け足してくれた。

 

「……私に手伝えることがあるなら力を貸しても良いわ。八一先生には研修会試験の前にお世話になったもの」

 

「……ああ、今度よろしく頼むよ」

 

「ええ」

 

 反対を向いてるからその顔は見れないけど、きっと赤く染まっているのだろう。

 

 

 

「むぅ。なんか二人の世界を作ってる……師匠のだら」

 

「ん? 何か言ったか、あい?」

 

「いいえ!! なんでもありません! それより師匠! 勿論あいも手伝いますよ!!」

 

 そう言ってあいが飛びついてくる。ってそんなことしちゃ———

 

「うおぉ!? あい!?」

 

「ちょっと!? 何やって!? きゃあぁぁ!?」

 

 飛びついてきたあいの勢いでもみくちゃになり、おおきな水柱が立つ。

 そして気付くと———

 

「いてて……。って何か柔らかい?」

 

 後頭部を極上の枕のようなものが受け止めている。そして目の前には俺の顔をのぞき込んで目を見開いている天衣。

 なるほど。どうやら俺は天衣のお腹に頭を押しつける形で上を見上げているらしい。しかしこの年頃の女の子のお腹は素晴らしいな。以前してもらった膝枕の時の太ももの感触も絶品だったが、これはそれと較べてもまた格別だ。柔らかに沈み込みつつも、みっちりと内部がつまっていることを思わせ、適度な反発力で俺の頭を支えてくれている。一流アスリートが使っている超高級枕とはこのような感じなのかもしれない。そして何より無機物である枕にはない、幼い生命が発するぬくもりと呼吸によって僅かに上下に揺られるのがたまらない。

 

「これが……命のゆりかごか……」

 

 しかしこの位置関係。今は天衣の顔を見上げているが視線をずらせば他の部分も見えてしまうのではないだろうか。

 などと考えていたら、天衣の顔が赤く染まり目つきが鋭くなる。

 

 これはまずい。非常にまずい。

 慌てて起き上がろうとしたが時既に遅し。俺の眼前には両手が振り下ろされており、顔をはたいた。目と一緒に。

 

「目がぁー! 目がぁーーぁぁぁぁぁぁぁーー」

 

「死ねば良いのに! 変態!」

 

 痛みにのたうち回る俺を尻目に天衣は大浴場を出て行く。

 

「だ、大丈夫ですか、師匠!? ……え、えっと天ちゃん待ってよー!」

 

 あいも自分のお茶目が引き起こした惨劇に慌てたのか天衣を追いかけて出ていく。

後には湯船の中でもがく俺だけが残された。

 

 

 

 せっかく、師弟の絆が深まる良いイベントとなりそうだったのに最後が締まらないな。だけど天衣のお腹。アレは本当にいいものだ。差し引きは大きく+だろう。

 

 それに山刀伐さんへの対策も決まった。早速動き出すことにしよう。

 

 

 




ということでサービス回でした。
お楽しみいただけましたでしょうか。

次回はちょっと寄り道しまして番外編。(次話の制作が間に合ってないともいう)
三章02話、03話制作秘話(言い訳回)となります。
一章の閑話とは違ってネタバレもクソもありませんのでお気軽にどうぞ。
くだらない内容になる予定です。

それではまた。


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Ex.いいわけ

 前話までの混浴話に、


「馬鹿野郎! なんであんなこと書いた! 言え! なんでだ!!」


 と読者の皆様に迫られる夢を見たので、今回も弁解タイムとさせていただきます。


 ご了承ください。


ある日の作者の脳内会議

 

 

 

脳内作者A(以降A): パチパチパチパチパチパチパチ……

脳内作者B(以降B):「なあ……今書いてるところだけどさ。天ちゃんとあいが女湯でキャッキャウフフしているのを八一が男湯から聞いてるシーン……」

A:「なんです?」

 

B:「ぬるい」

A:「は?」

B:「ぬるい」

A:「何言ってんです? さっきの脳内会議で決めたとおりでしょ。天ちゃんが銭湯に来るから桂香さんは気まずくて来ない。桂香さんから誘われないから姉弟子も来ない。結果、八一と天ちゃんとあいの三人だけになるって」

B:「いや、それはいいんだよ。そのままで」

A:「じゃあ、何がぬるいんです?」

 

 

 

B:「天ちゃんもあいも男湯にぶち込め」

 

 

 

A:「はあっ!? 何言ってんです!?」

B:「三人で混浴させろ」

A:「本当に何言ってんだ、あんた!? 1話で天ちゃんにヨゴレはさせられねぇって結論が出たばっかりだろうが!!」

B:「あほ。よく考えろ。トイレでばったりはヨゴレだ。だけどお風呂でばったりは王道ヒロイン必須イベントだ」

A:「そ、そうなの? いやでもそれはまずいでしょう。どうやったって天ちゃんが羞恥心を乗り越えて男湯に入るわけないですって」

B:「あいが強引に連れ込むんだ。そして天ちゃんも八一とあいを風呂で二人っきりにさせたくなくて嫌々の振りをして着いていくんだよ」

A:「それも苦しいでしょ。それにあいなら喜んで天ちゃんを出し抜いて二人っきりになろうとするでしょ。天ちゃんを引っ張ってったりしないですって」

B:「そこはほら、年下の姉弟子とかいろいろ複雑なアレコレがあるんだよ」

A:「何も具体的な案があらへんがな。この作品はあくまでバタフライエフェクトもの。極力作者の都合でキャラクター性に反した行動はとらせない。原作の展開を尊重して、その中で面白くするってポリシーでしょうに」

B:「あくまで”極力”、だ」

A:「あんた……まさか……」

B:「やれ。いまこそ伝家の宝刀『ご都合主義』を抜くときだ」

A:「そんな!? ポリシーを捨てるって言うのか!?」

B:「馬鹿野郎!! 俺たちのポリシーと天ちゃんとの混浴! どっちが大事なんだ!!」

A:「ハッ!? それは……」

B:「どうだ? 答えてみろ」

A:「……天ちゃんとの……混浴です……」

B:「そうだろう。だから書くんだ。なあに若干説得力が薄いだけだ。全く展開としてあり得ないわけじゃない」

A:「読者からフルボッコになって炎上してもしりませんよ?」

B:「馬鹿野郎。あいつらを見くびるんじゃねぇ。表面上は感想欄で『やめろぉ』と荒れるかも知れない。だけど心の中では『ないすぅ』と思って、匿名で良い評価を入れてくれるさ」

A:「そんなもんですか?」

B:「俺を信じろ。そして俺が信じるあいつらを信じろ」

A:「……分かりましたよ。でもどんな感じにするんです? 天ちゃんを汚すような行為は承知しませんよ」

B:「当たり前だ。……今回は男一人に女二人での混浴だ。そして女の一人は素直かつ積極的でもう一人はツンデレだ」

A:「あんた……まさか……」

B:「そうだ。俺たちはもうその条件において最高のシチュエーションを知っているはずだ」

A:「そんな……そんなことが許されるというのか……? 神よ……」

B:「神が許さなくても俺が許す。この条件なら『背中ピト』こそが至高だ。やれ」

A:「くそぉ……やってやる。やってやるさ! うぉぉ! 今もこの恋は 動き出せないぃーーーーーーーー!!」

 

 

 

 

 

 

A: パチパチパチパチパチパチパチ……

B:「なぁ、今お前何書いてる?」

A:「へ? さっき緊急脳内会議で決めた、あいのせいでもみくちゃになった後、八一の頭が天ちゃんのお腹に乗っかるシーンですけど?」

B:「それは知ってる。そうじゃなくて何をそんなにねちっこく書いてるんだ?」

 

 

 

A:「天ちゃんのお腹の魅力についてですけど?」

 

 

 

B:「おい馬鹿。やめろ」

A:「は?」

B:「やめろ」

A:「はぁ!? 何言ってんです!? JSの三大フェティッシュポイントと言えば、太もも。ちっぱい。そして何よりイカ腹でしょう!? 書かなくてどうするんです!?」

B:「やめろ」

A:「馬鹿な!? 医学的に見てもイカ腹の旬は小学校中学年から高学年にかけて! そして天ちゃんはスレンダーかつ筋力が弱いタイプ! 間違いなく最高なイカ腹になっているはずで———」

B:「旬とかいうなボケ! いいから削れ!!」

A:「そんな理不尽な。それに僕には天ちゃんの健康的な消化器官とみずみずしい肌のコントラストが生み出す弾力の魅力を余すことなく描き出すという使命が———」

B:「メインヒロインの消化器官について語るラノベ二次創作なんぞあるか!  お前の薄汚い欲望で天ちゃんを汚すんじゃねぇ!!」

A:「そんな……。OKとNGの境界線がよく分かりませんよ……」

B:「いいか? 健康的な色気はいい。だが生々しいのはダメだ」

A:「あいまいな指示ですね。……やりますけど」

B:「そうだ。やれ」

A: パチパチパチパチパチパチパチ……

 

 

 

 

 

 

A:「こんなもんでどうです?」

B:「まだ濃くないか……?」

A:「これ以上は僕としても譲れませんよ。ここが分水嶺です」

B:「まあ、ありっちゃあなしよりのありか?」

A:「あり of あり です」

B:「ならこれでいくか」

A:「うーい。投稿してきます」

B:「おーす。今日もお疲れー」

 

 

 

A:「行ったな? よし。もう少し書き足しとこう。ユニバァァァス!!」

A: パチパチパチパチパチパチパチ……

 

 




という感じで2話、3話はできあがりました。
特に落ちはありません。

次回はゴキゲンの湯編となります。
お楽しみに。


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04.Get Wild






「こんな所に連れてきてどういうつもり?」

 

「俺を手伝ってくれるんだろう、天衣?」

 

「手伝うのはいいけど、この前の銭湯でのことで調子に乗って入浴を手伝ってくれなんていうつもりじゃないでしょうね?」

 

「よく分かったな。やっぱりこの前の裸の付き合いで天衣との絆も深まったんだな」

 

「最高にキモいから通報していいかしら?」

 

「師匠、師匠! あいは師匠の入浴をお手伝いしますよ!」

 

 弟子達からは対照的な反応が返ってきた。

 

「はは。冗談だよ。でもありがとう、あい。今日の本当の目的はお風呂じゃなくて将棋なんだ」

 

「「将棋? こんなところで(ですか)?」」

 

 二人が驚くのも無理はない。俺たちが訪れているのは京橋の商店街の奥にあるお風呂屋さん。その名も『ゴキゲンの湯』だ。

 駅からの道中にあるいわゆる『大人のお風呂屋さん』ではなく本当の銭湯である。ちなみに『大人のお風呂屋さん』の看板を見ても天衣は特に反応しなかった。さすがに店名を見ただけでは例の能力は発揮されず、あれらが何なのかを見破ることはできなかったらしい。別に残念じゃないよ?

 

 

「普通は驚くよな。まあ百聞は一見にしかずだ。入ってみれば分かるよ」

 

 そう言って暖簾をくぐり、正面の番台にいた店員さんに声をかける。

 

「こんばんはー」

 

 そこにいたのは飛鳥ちゃん。この銭湯の娘さんで17才の高校生(なかなか巨乳)だ。飛鳥ちゃんは無口だが良い子だ。父親の居所を尋ねると恥ずかしがり屋な彼女は顔を真っ赤にしながら身振り手振りで2階だと教えてくれた。

 彼女に礼を言って、先に2階に上がらせてもらうことを告げる。そうして料金を払った俺は弟子達を引き連れて階段を上りだした。

 階段を上っている最中にあいからなんか因縁を付けられた。俺は女性の知り合いが多すぎるとかなんとか。とくに天衣も弁護してくれず冷たい目だ。師匠悲しい。

 

 

 だがそんな二人も目的地に着けば期待通りの反応を示してくれた。

 

「これ……将棋道場ですか!? お風呂屋さんの中に!?」

 

「しかもバーみたいなおしゃれな内装ね。生ピアノまで流れてるし……ってあの人?」

 

 天衣は気付いたらしい。そう。道場の隅でピアノを弾いている男性こそ———

 

巨匠(マエストロ)!」

 

『捌きの巨匠(マエストロ)』———生石充玉将である。

 

「八一か、久しぶりだな」

 

「そうですね。最後にあったのはもう半年前くらいです」

 

「そうだな。まだお前が竜王になってなかったころだ」

 

「護摩行はどうでしたか? その間に俺にもいろいろあったんですよ」

 

「弟子を取ったっていう噂は聞いたな。うしろのちっこいの……どっちだ?」

 

 巨匠(マエストロ)が天衣とあいを見ながら言う。

 

「どっちもです」

 

「なに?……そうか。ま、座れ。久しぶりに顔を出してくれた礼だ。軽く捌いてやる」

 

 一瞬巨匠は怪訝な顔をしたが、すぐに平静に戻ると珍しいことに俺を練習将棋に誘ってくれた。勿論俺に否はない。

 

「おっす。よろしくお願いします。」

 

 竜王になった俺の力を見てもらおうじゃないか。

 そして———

 

 

 

 

 

 

 ———軽く捌かれた。

 ※八一が軽く捌かれたその内容を詳しく知りたい方は原作3巻を(以下略)

 

「ブラボー!!」「アンコール!!」

 

 まるで魔法のような将棋にギャラリーは大湧きだ。あいも一心不乱に拍手を贈っている。天衣は———

 

「これが捌きの巨匠(マエストロ)の将棋……棋譜を並べるだけではつかめない繊細さと豪快さ……とんでもない躍動感ね」

 

 とても感心しているようだ……悔しい…!

 だが確かにその通りだ。もはや芸術的とまで言える捌き。飛車も角もぶった切りどんどんと駒をぶつけては得た駒を盤上に放つダイナミックな将棋だった。

 さすがは『振り飛車党総裁』として将棋ファンの半数から熱烈な尊敬を受けている人だ。

 そしてこれこそが、俺が次のステージに進むために必要なピースだ!

 

「生石さん! お願いがあります!」

 

「うん? なんだ、改まって?」

 

「俺に…………振り飛車を教えてください!」

 

 

 

 俺のこのお願いは簡単には受け入れてもらえなかった。

 まず、俺の発言を振り飛車党への転身ととって驚愕したあいがこれまでの俺の振り飛車ディス(原作3巻もしくは本作一章12話を参照のこと)を暴露して、道場に集った振り飛車党員達に殺意を向けられた。下手したらリンチにあってたところだ。

 次に山刀伐さんに完敗したことを引き合いに出され、俺と研究会をして何か巨匠(マエストロ)にメリットがあるのかと問われた。俺に答えはなかった。

 そこを救ってくれたのは俺の弟子達だった。

 居飛車・振り飛車両方備えてオールラウンダーになるという目標をぶち上げた俺に感化されたあいが振り飛車を覚えたいと言い出した。そこに生石さんが食いついたのだ。俺にはあんなにつれなかったというのに。そのことにたいして文句を述べた俺に対して生石さんは、

 

「この子みたいな可愛い女の子が振り飛車を指してくれたら振り飛車の普及につながるだろ? これこそギブアンドテイクってもんだ。もちろんそっちのお嬢さんも。お嬢さん達、お名前は?」

 

「雛鶴あい、小学四年生です! 研修会D1です!」

 

「夜叉神天衣、同じく小学四年生で研修会D1です」

 

「…………あい……か。どうやら噂は本当だったらしい」

 

「噂ですか? どんな噂なんです?」

 

 研修会に強い女の子が同時に二人も入ったとかそんなのだろうか?

 

 

 

 

 

 

「八一、お前は深刻なロリコンで変質的なこだわりのもとに弟子を厳選したって噂だよ」

 

 

 

 で あるか。

 もはや是非もなし。はいはい俺はロリコン、ロリコン。

 

 

 その後、脳内詰め将棋で力を披露したふたりに生石さんはさらに乗り気になり、二人のついでに俺も振り飛車を指導してもらえることになった。

 生石さんにしてみれば、俺に対してはさんざん焦らしたつもりだろう。だが気付いていない。そもそも俺はこうなるだろうことを予想して弟子達を連れてきたんだということを。生石さんはもともと子供には甘いのだ。今回の読み合いでは俺が玉将に勝ったということである。

 

 

 そこ、JSを出汁にしてゲスいとか思ってないよね?

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんゴキゲンの湯へ
・八一の悪評、巨匠の耳に
・八一、巨匠に読み勝つ




ということで今回よりゴキゲンの湯編です。
ちょっと次話以降の構成に苦労しているので明日の投稿は少々遅れるかもしれません。
ご了承ください。



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05.ミエナイチカラ

天ちゃんの脳内将棋盤を捏造してみました。
ちょっと盛りすぎかもしれないけど、まあいいよね?(白目)


 

 このところ俺たちはゴキゲンの湯で振り飛車修行の毎日だ。

 銭湯の営業を手伝っては、生石さんに弟子達とまとめて将棋を指してもらい振り飛車の、捌きのなんたるかを教わる。道場に立ってお客さん相手に振り飛車を指しては習ったことの成果を確かめる。そしてまた銭湯の営業を手伝うの繰り返しだ。

 その中で子供の頃からの夢だった銭湯の番台に立つという経験もできたのだが、残念ながら二番弟子の厳重な監視を受けて目的を達することはできなかった。特に何が目的とは言わないが。

 俺たち三人の中で最も活躍したのは、やはりというかあいだ。実家が温泉旅館なだけあって堂に入ったものだ。逆に天衣はなれない肉体労働に苦戦している。体操服姿でよたよたとバケツを運ぶ姿は大変かわいらしいのだが。

 また、心配な話では桂香さんに降級点がついたという話をあいから聞いた。桂香さんに迫る年齢制限を考えると非常に厳しい話だが……俺に何もできることはない。ただ祈るばかりだ。

 

 そんなある日、浴場の清掃中にふと脳内将棋盤の話になった。

 棋士を志す者ならだれでも持っている脳内将棋盤。その見え方の個人差の話をしていたときに事件は起きた。

 見え方はそれぞれ。でも貴賤はない。だれでも心に将棋盤を1面抱いて———といい話風にまとめようとしたときに、あいが自分は6面持っていると言い出したのだ。同時に頭に浮かぶのが6面ということでトータルすると11面もあるらしい。

 真偽を確かめるために生石さんと俺で3面ずつ持って目隠し将棋をしたところあいは平然としながら対応してくれた。俺と生石さんが四苦八苦しているのにだ。

 

 

 そうしてあいのあまりの可能性の獣ぶりに戦慄していると、天衣がホースで水を撒きながら戻ってきた。

 

「八一先生達、何を遊んでるの? 手が止まっているわよ」

 

「いや、それが———」

 

 俺は天衣に事の次第を説明する。

 

「同時に6面? それは……」

 

 天衣にも俺たちの驚きを共有してもらえたようだ。そういえば天衣の脳内将棋盤もとんでもないことになってないだろうな……? 俺はおそるおそる聞いてみる。

 

「……天衣の脳内将棋盤はどんな感じだ?」

 

「私の場合は2面ね」

 

 よかった。普通だ。いや、あいのせいで感覚がおかしくなっているだけで十分おかしい。

 

「ちなみにどんな見え方なんだ?」

 

「2面でそれぞれ違うけれど……。1面は真っ暗の空間の中に将棋盤の線と星、それに駒の文字だけが白く浮かび上がってる感じね。それを高い位置から俯瞰しているの」

 

「ほうほう」

 

「あとは駒の利きがどうなっているのか光の線で視覚化されているわね」

 

「なに?」

 

 なんかおかしなことを言い出したぞ。

 

「自分の駒の光をどうつなげていくのか、相手の駒の光をどう切断していくのか考えながら使うと大局観をイメージするのに便利よ」

 

 便利って、あなた……

 

「……ち、ちなみにもう一つの脳内将棋盤は?」

 

「家で使っているのと同じ脚付きの普通の将棋盤ね」

 

 なるほど。だけどまだ油断はできない。

 

「そっちも何か特徴があるのか? 相手の駒組みの急所が見えるとか……」

 

「いいえ? 普通の将棋盤だけど? 視点も普段の私と同じ高さね」

 

 良かった。あんまり特殊な能力付きだったら世の不条理さに俺がゲシュタルト崩壊を起こしているところだ。

 

「あとは自分の向かい側に対局相手が座っているくらいかしら」

 

 おっとー? 油断するのはまだ早かったですか。

 

「……それで? その対局相手は座っているだけなのか?」

 

「自分がどこに次指すつもりなのかとかその手にどんな意図があるのかとかを喋ってくれるわ」

 

 ……これはひどい。

 

「……それって当たるのか?」

 

「当たらないわね。というより挙げる選択肢が多すぎて、そこから先の変化を読み切れないわ」

 

 良かった。救いはあったんや。

 

「ただ、その人の過去の棋譜を読み込んだり、本人と会ってひととなりを知ったり、実際に対局をして手数が進んだり。とにかくその人の情報を得れば得るほど挙げる選択肢は絞り込まれていくわね。滅茶苦茶な手とか新手には対応できないけど」

 

 ……これはひどいパート2。

 

「まあでも要は相手の次の手を読んで、かつ過去の傾向なんかの分析から精度を上げてるってことだから普通のことでしょ?」

 

 普通のことじゃねーよ。

 

 確かに俺たちは相手の手を読む。だがそれはその人の性格、過去の情報、現在の盤面の状況などを”自分なりの尺度”で解釈した上で頭の中で膨大なシミュレーションを行うのだ。要は相手を読んだ気になっているだけで、計算するのはあくまで自分なのだから自分の発想の外にある結果は出てこない。

 天衣が言っているのは、頭の中に相手の情報を全部放り込んだら演算結果を途中式込みで返してくれるAIがいるということだ。意識から演算が切り離されているため、まずかかっている労力と時間が全く異なっている。さらに天衣の話を聞くと思いもよらなかった手も脳内対局相手は普通に挙げてくるらしい。どういうことだ、おい。

 

 まあ何はともあれ実験してみた。

 生石さんに天衣と今回は普通に一面で目隠し将棋を指してもらう。さすがに棋力が違う。生石さんの優勢で序盤から盤面は進む。だが今の目的はそこではない。やがて中盤に差し掛かかった頃。

 

「今、頭の中の生石玉将が挙げる選択肢が三つまで絞られたわ」

 

「……そうか。次に俺はどんな風に指す?」

 

「こう。もしくはこう。もう一つはこう」

 

 天衣の指した三つの手筋に生石さんは———

 

「……驚いた。正解だ。確かに突飛なことをしようとしなけりゃその三つの選択肢から選ぶな」

 

 まだまだ盤面は中盤。それも空中戦だ。俺から見れば指しうる手筋は無数にあるように見える。

 それが三つとも的中の上、それ以外の選択肢が存在しないとなれば……どうやら本物らしい。

 

 ちなみに天衣は新たな戦法が使われたり、手の良し悪しの解釈が一新された棋譜が出回ると、第二の脳内将棋盤で再生してその手が生まれた意図を読み取り、第一の脳内将棋盤で大局的に見て有効なのか、よりよい手がないのか検証して自分の将棋に取り込むというように研究用にも使っているらしい。

『後手番角頭歩』なんかはそうして生まれてきたとのことだ。

 

 

「……おい八一。お前の弟子達はどうなってるんだ。……ヤバすぎるだろう?」

 

「……俺も改めてそう思いますわ……」

 

 対局相手の力を食らって、オリジナル以上に高めて自分のものとする天衣。

 常人の6倍のスピードでシミュレーションをぶん回して詰みまでの最善手をはじき出すあい。

 

 

 

「…………羨ましい……」

 

 つぶやいたのは飛鳥ちゃんだが、俺もまったくの同意である。

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんの力、ブースト


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06.サヨナラバス(乗車寸前)

 

 

 

 今日は生石さんとの研究会(一方的な指導とも言う)はお休みだ。

 なんでも奨励会員との研究会をする日のため俺たちの相手はできないとのことだ。竜王が研究会を申し込んでも渋るくせに奨励会員とは研究会をするとはどういうことなのか……。納得いかない。

 その間道場も銭湯も好きに使って良いとのことなので久しぶりに弟子達への指導with JS研を開催することとあいなった。

 

「「おじゃましまーす!!!」」

 

 やってきたのは天衣やあいと同学年の澪ちゃんと綾乃ちゃん。そして———

 

「ちちょー、おしゃまぁすぅよぉー」

 

 天使すぎる天使ことシャルロット・イゾアールちゃん(小一)だ。

 天使達を歓待せねばなるまい。俺の全身全霊で。

 

「いらっしゃいみんな。先にお風呂にする? それとも将棋にする? そ・れ・と・も・お・れ?」

 

 ———その時、世界は氷に閉ざされた。

 

 

 

「もしもし? 今、京橋のゴキゲンの湯っていう銭湯に極めて残念な変質し———」

 

「おい、ちょっと待て!? 何してるんだ天衣!?」

 

 咄嗟に天衣のスマホを取り上げると、光の速さで終話ボタンを押す。

 

「目に余る気持ち悪さだったから、市民の義務として警察に通報しておこうと思って」

 

 止めて!? 明日の朝刊に載っちゃう!?

 

「た、単なる冗談だろ!? そこまでしなくても———」

 

「師匠……今のはないです。普通にキモいです」

 

 普段俺マンセーのあいにすらキモいって言われた!?

 

「そうだよ! くじゅるーせんせー! とってもキモかったよ?」

 

「弁護のしようがないです。ギャグにしてもキモすぎでしたです」

 

 止めてくれ。JSからキモいの集中砲火はさすがに俺に効く。

 

「反省します……」

 

「おー?」

 

 今のやり取りがよく分かってなかったシャルちゃんだけが俺の救いだ。

 

 

 

 

 やはりというかまずは将棋となったみんなは俺や道場のお客さんとこの後、滅茶苦茶将棋指した。

 そしてようやくお風呂タイムとなったのである。

 みんなを女湯に送り出して俺もついでに入っておこうと男湯に向かう。そうして脱衣所で着替えを始めた所でトテトテと金色の天使がやってきたのだ。

 

「ちちょー♡ しゃうもちちょといっしょにおふりょはいぅよー?」

 

 ……えっと?

 

「……シャルちゃん俺といっしょにお風呂入りたいの?」

 

「しょうだよー? だってしゃう、ちちょーのあいじぅだからぁ」

 

 そうか。愛人ならいっしょにお風呂に入るのも普通だな。

 よぉしお兄さん、シャルちゃんの背中いっぱい流しちゃうぞー。

 

 

 

 ってそんなわけにいくか!?

 シャルちゃんのあまりに巧妙な話術に危うく乗せられてしまうところだった。

 だけどどう考えてもそれはいかんでしょ。

 さっきの天衣の通報が途中で切れたのを不審に思い、警察がここを見に来る可能性もないとは言えない。疑われかねない行動は断固として慎むべし。

 

 シャルちゃんには悪いがなんとか諦めてもらって———

 

「ああーっ! 澪も! 澪もいっしょに入るー!」

 

 シャルちゃんを追ってきていた澪ちゃんもなぜか乗ってきて。

 

「あの……みんなが入るならうちも付き合うです……」

 

 さらに綾乃ちゃんが続く。

 さっき暴落したはずの九頭竜株に大暴騰の兆しだ———!

 その気持ちはとても嬉しいのだが、ぽりすめぇんが現れる可能性のある銭湯でJSに囲まれながら入浴する勇気は俺には……ない……。

 どうにか諦めてもらわねばとは思いながらも、すっかり盛り上がる三人をどう押し止めたものか……?

 

 心底困っていた俺に救いの手をさしのべたのは意外な人物だった。

 

「もぉーみんな! 師匠が困ってるでしょ! 馬鹿なこと言ってないで女湯に戻るよ!」

 

「えー!? そんなぁ! あいちゃんはくじゅるー先生といっしょに入りたくないのー?」

 

 そう。みんなを止めにかかったのはあいだった。

 

「ダンジョナナサイニシテセキヲオナジウセズ、だよ!」

 

「おー? しゃうろくしゃいだぉー?」

 

「もんどうむようです!!」

 

「……なんか怪しい」

 

「……怪しいです。普通ならあいちゃんが一番いっしょに入りたがるはずなのに」

 

「そ、そんなことないよ!?」

 

 確かに。この間の銭湯での乱入事件を考えてもあいが止める側に回るのは意外だ。

 

「逆よ。この間自分は貴方と混浴しているからそのリードを守るために今回は阻止に回っているんでしょう」

 

 俺の腑に落ちない顔から心を読んだのかいつの間にか隣にいた天衣がそう囁いてくる。なるほど。

 ちなみにみんな脱衣途中に飛び出してきたのか下着姿だが天衣だけはきっちり服を着ている。チッ。

 

 ともかくあいの必死の説得により混浴は回避された。飛鳥ちゃんによるとそのちょっと後にお巡りさんが巡回に来て何も起きていないか確認していったらしい。

 

 

 

 危なかった……

 

 

 




■原作との違い
・八一、悪ノリ後やけど
・あいちゃん反対派に
・お巡りさん、徒労


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07.innocent world

日頃、誤字報告をいただいている皆様ありがとうございます。
この場で感謝申し上げます。


 あの後、入浴中に飛鳥ちゃんとちょっとした一幕があり、羞恥の極地に達した俺は無人のロビーで扇風機に当たりながらうなだれていた。

 自分の思い上がりがあまりにも恥ずかしかったのだ。

 ※八一が何を思い上がっていたのかは原作3巻(神)を(以下略)

 

 

 そんな俺に話しかけてきたのは。

 

「師匠ー!」

 

「もう! 引っ張らないでよ!」

 

 天衣の手を引いたあいだった。

 

「おぉ、みんな風呂からもう出たのか?」

 

「わたしたちだけです。師匠に将棋を指してもらいたくて抜け駆けしちゃいました!」

 

「……私はいいって言ったのに。まだ髪も乾かしてないのよ」

 

 天衣は頭にタオルを巻いているがまだ濡れているのだろう。あいに至っては水がポタポタ垂れている。

 

「あい。髪はしっかり乾かさないと。もし風邪でも引いたらかえって将棋を指す時間は減っちゃうぞ」

 

「……あぅ。ごめんなさいです」

 

「ほれ。乾かしてやるからそこに座って」

 

 番台の下に入っていた予備のドライヤーとブラシを取り出しながら鏡台の前にあいを座らせる。

 

「い、いいんですか!? ありがとうございます……」

 

 まずはあいの頭をタオルで包んで水気をぬぐう。

 

「まあ、たまにはな。みんなには内緒だよ? それじゃ始めるぞー」

 

 ブイィィィィン

 

「お客様、お加減いかがっすかー?」

 

「はわー……とっても気持ちいいです……」

 

「お客様は猫っ毛ですねー」

 

「あいは猫さんですー」

 

 にゃんにゃかにゃーと歌い出す猫のあいさん(9)。かわいい。

 ただ、途中で姉弟子の髪を乾かしていたエピソードを話すと不機嫌猫さんになったりもしたが。やがて乾かし終わり、髪の毛をいつものように二つに括って完了だ。

 

「ししょー。ありがとうございました! とっても素敵でした♡」

 

「お粗末様でした。……それじゃ次は天衣の番だな。こっちおいで」

 

「はぁ!? わ、私はいいわよ! ドライヤーさえ貸してくれたら自分でやるから!」

 

「遠慮するなって、ほら」

 

「そうだよー、天ちゃん。師匠はドライヤー屋さんになれるくらい上手なんだから」

 

「なによそのニッチな職業は。……ってもう。分かったわよ。座ればいいんでしょう!」

 

 俺に押されてしぶしぶ天衣は席につく。

 

「それじゃ始めるぞ。天衣」

 

「さっさとしてちょうだい」

 

 覚悟を決めたのか、天衣は目を瞑る。

 

 ブイィィィィン

 

 ドライヤーの風に天衣の髪が揺れ出す。

 濡れているからというのもあるのだろうが、本当に艶やかな黒髪だ。こういうのを烏の濡れ羽色というのだろうか。なんとなく触ってみたくなって、俺はヘアブラシを置き、天衣の髪に手ぐしを通す。

 

「ちょっと! 八一先生、なんで手で触るのよ!」

 

 天衣はびっくりしたのか、見開いた目を怒らせて抗議してくる。けど———

 

「いや、悪い。本当にきれいな黒髪だから何となく触ってみたくなってな。……だめか?」

 

 触ってみると絹糸のようにつやつやで、さらにやみつきになる手触りだ。許されるならこのまま続けたい。

 

「な……ダメかって……何言って……」

 

 途中で途切れた言葉に俺は判断は保留だと見なして続ける。

 

「……手ぐしなんかで髪が傷んだらどうしてくれるのよ……」

 

 天衣が何を呟いているのかは分かったが、ドライヤーの音で聞こえないふりだ。髪を梳く手だけはより丁寧に動かす。

 俺に止める気がないことに気付いたのか、天衣はぎゅっと目を瞑って黙る。黒髪の間から覗く耳がピンクに染まっている。湯上がりだからという理由だけではなさそうだ。

 あいもそうだったけれど、天衣の髪も長い。乾かすのにはそれなりに時間がかかる。けれどもどんな時間にも終わりが来るように天衣の髪も乾いてしまった。あまり乾かしすぎるのもよくない。未練とともにドライヤーのスイッチを切り天衣に声をかける。

 

 「さ、天衣。終わったぞ」

 

 「……ありがとう。八一先生」

 

 天衣は小さく礼を返す。

 

 

 

 

「むぅ。また二人だけの世界を作る……師匠のだらぶち」

 

「うん? どうかしたか、あい?」

 

「いいえ! なんでも! それより師匠! あいもお返しをしますよ!!」

 

「お返し? いや、気持ちはありがたいけど俺の髪はもう乾いてるぞ?」

 

「えーと、それじゃあマッサージなんてどうですか? 温泉旅館の娘なので結構自信あります!」

 

「マッサージか。……いいな」

 

「それじゃあ、師匠。こっちの畳にうつぶせになって下さい」

 

 俺が横になるとあいはさっそくマッサージを始めてくれる。

 

「お客さ~ん。こってますね~」

 

「…………」

 

「体を酷使しすぎなんじゃないですか~。もっと普段からケアしたほうがいいですよ~。……内弟子に手伝ってもらって」

 

「…………」

 

 自信があるというだけあって確かに手際はいい。JSにマッサージされるという行為そのものが極上の癒やしでもある。しかし、だ。それで棋士の体にしがみついた頑固なこりをほぐせるかと言えば力不足と言わざるを得ない。具体的にはもっとSTRが必要だ。だけどJSの腕力には限界がある。何か他に手はないだろうか。要は別の力を加えれば良いのだ。電力・熱力・風力・重力……ハッ!?

 

「あいさん、あいさん。俺を踏んでくれまいか」

 

「へっ!?……ししょー?」

 

「いきなり何言い出してるの? また通報されたいの?」

 

 その言い草はひどいな!?

 マッサージしてくれていたあいも、それを横でみていた天衣もドン引きしている。

 いかん。誤解されている。

 

「いやいや! 変な意味じゃなくて! あいの力だとちょっと弱いから、いっそ足踏みマッサージならちょうど良いかなーとだな」

 

「そうなんですかー?」

 

「…………」

 

 天衣はまだ疑わしい目をしているが、あいは一応納得してくれたらしい。

 

「で、でも師匠を踏みつけにするわけには……」

 

「大丈夫大丈夫。あくまでマッサージの一環だから。どんとこいです」

 

「それじゃあ失礼して……参ります!」

 

 

 ふみっ

 

 

 お……おぉぉぉぉ!?

 母なる大地の引力を受けたJSの重み……なんて心地良いんだ……

 

「これはいい……すごくいいぞ。あい!」

 

「よかったですー。それじゃあ続けますね」

 

 そうこうしているとJS研のみんながお風呂から戻ってきた。

 あいが俺を踏んでいることに初めはびっくりするも、事情を説明すると彼女たちも協力してくれる。

 

「くじゅるー先生、おかげんいかがですかー!」

 

「うちのほうも気持ちいいですか?」

 

 俺の両足をマッサージしてくれる澪ちゃんと綾乃ちゃん。

 

「ふみふみー♡ ちちょー。しゃうのふみふみ、きもてぃぃ?」

 

 そして俺の腰を中心に足踏みマッサージしてくれる天使の中の天使。

 さらに肩から背中を足踏みマッサージ中のあい。すばらしい。

 

「ああ、みんな。最高だよ……最高だ」

 

 

 だが、唯一欠けているピースがある。

 

「天衣はやってくれないのかい?」

 

 俺はキメ顔でそう言った。

 

「キモい。死ねば」

 

 天衣の反応は激辛だ。だがリジェネが掛かっている今の俺なら耐えられる。

 

「天衣もやってくれると師匠、嬉しいんだけどなー?」

 

「貴方、今の自分が周りからどんな風に見えているか想像できる?」

 

 かわいいJS達にかしずかれ、まるで王様のようだろう。きっと。多分。おそらく。

 

「…………」

 

 俺は期待を込めた眼で天衣を見上げる。そして先に根負けしたのは天衣のほうだ。

 

「……はぁ、分かったわ。踏むなんて気持ちの悪いことはしたくないけどハンドマッサージくらいならやってあげる」

 

 そうして、俺の手のひらや腕を天衣の小さくプニプニとした指がマッサージしてくれる。

 今全てが完全となった。俺の五体全てにJSが取り付いて一生懸命癒やしてくれているのだ。

 

 ディモールト素晴らしい! 最高だ!

 

 いかに最新技術の粋をこらしたマッサージ店やエステ店に通ってもこれほどの癒やしは提供できないだろう。そのことは確信をもって言える。そうこれが……これこそが…………。

 

「J……S……リフレ……か!」

 

 ゴリッ

 

 命の喜びに浸っていた俺の後頭部に突然押しつぶすような力がかかる。

 

「あ、あい? そこは踏まなくて良いんだよ? そこは頭だからね?」

 

「それで?」

 

 声の主はあいではない。それどころか天衣でもなければJS研の誰のものでもない。ふと気付けば背中や足からは重みが消えている。みんな避難したらしい。

 

 ということはこの声は、まさかまさかまさかまさかまさか———!

 

「八一、ずいぶん楽しそうね?」

 

 

 A☆NE☆DE☆SHI !?

 

 

「い、いえ! これはちがっ、ぐぇッ!?」

 

 俺の頭にかかる力が増し、ぐりぐりと捻られる。

 

「何が違うの? あんたが人間だってこと? 実はミジンコだった?」

 

「……いえ、そうではなく。決していかがわしいことをしていたわけではなくてですね。これはあくまでマッサージでして……」

 

「それで出てきた言葉が『JSリフレ』ってわけ?」

 

 聞かれていたのか!?

 

「JKリフレっていったらいかがわしいお店のことだけど、JSリフレは違うの? ねぇ、八一?」

 

 いかん。さらに圧力が増している。このままでは俺の頭は人造○間16号のように———

 

「ッ……」

 

 死の覚悟さえよぎったその瞬間、急に俺の頭から重さが消えた。

 姉弟子は後ずさっている。そして反対側には天衣。

 どうやら見かねた天衣が姉弟子を突き飛ばしたらしい。

 

「どんなにキモくても人の師匠の頭を足蹴にするのは止めてもらえるかしら? 不愉快だわ」

 

「……私はそいつの姉弟子なのだけど?」

 

 身を起こした俺を挟んで二人が向かいあっている。

 おーい。天衣さん。俺を挟んで姉弟子を挑発するの、止めていただけないですかね。命に関わるよ?(俺の)

 

「そうね。貴女が八一先生の姉弟子……つまり私にとっても”おばさん”であることは理解しているわ。 だから目上として尊重するわ? それに”今の”貴女は二冠でもあるのだもの」

 

 尊重するといいつつも、特に天衣に恐縮しているような様子はないし敬語に切り替えることもない。

 

「…………」

 

「だけどこちらの事情もご理解いただきたいものね。”おばさん”よりも実の師匠のほうを優先するのは当然のことでしょう?」

 

 姉弟子の表情はいかにも忌々しいというようだが、天衣は殺気だった姉弟子を前にしても余裕の表情だ。本当にどんな強心臓をしているのだろう。

 

 ギリッ

 

 姉弟子は歯がみすると天衣から視線を外し。

 

「頓死しろッ! 将棋星人ども!!」

 

 言い捨てて母屋のほうに去って行く。将棋星人? なんだそりゃ?

 ※姉弟子の発言の真意を知りたい方は原作3巻(神)を購入して(以下略)

 

 

 しかし巨匠(マエストロ)。姉弟子が研究相手ならそう言えよぉぉぉぉぉぉぉ!!

 今回のこれは避けられた悲劇じゃないかぁぁぁぁぁ!!

 

 

 

 

 

 

「……頓死しろ、ね。……さて、頓死することになるのはどちらかしら? それなりに毒は回っているようだけど。楽しみね?」

 

 

 




■原作との違い
・八一、天ちゃんの髪を乾かす
・八一、天ちゃんのハンドマッサージを受ける
・姉弟子、屈辱

天使な天ちゃんと悪魔な天ちゃんを同時に味わえる一粒で二度おいしい一話となりました。
次話はジンジン戦です。


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08.グングニル

ちょうど本日で連載開始から1ヶ月となりました。
これまで応援いただいた皆様ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。

その記念というわけではありませんが、今回は実験的に八一以外の視点も加えてみました。
お気に召せばいいですが。




「オッハー! 八一くぅん♡」

 

爽やかに挨拶してくる本日の俺の対局相手。

 

「……おはようございます。山刀伐さん」

 

「いやー、一突きじゃなかった一月もしないうちにまた八一くんと対局できるなんて僕は幸せ者だなぁ」

 

なぜ今言い直したのか。……何も変わってないよね?

 

「……そうですか」

 

「僕はもう楽しみで楽しみでしかたなくてねぇ」

 

「……ありがとうございます」

 

 

「そういえば名人も今日の僕たちの対局を楽しみにされていたよ」

 

「ッ……そうですか。名人が」

 

その一言に心乱されてしまう。あの名人が俺に注目しているという喜びとそれ以上に俺がターゲットにされているという恐怖に。だけど———

 

『貴方の才能はあの名人と較べても劣るものじゃないわ。私はそう確信してる』

 

そんな言葉をくれたやつがいる。身内の贔屓目かもしれない。けれど本心からの言葉だ。だから———

 

名人の下位互換であるあんたなんぞにこれ以上負けられない!

 

「それは俺も気合いを入れないといけないですね」

 

「……そうだネ。お互い頑張ろうじゃないか」

 

 

 

 

対局は山刀伐さんの先手。お互いに角道を空けた後に山刀伐さんは飛車先の歩を突いた。相手の戦型は居飛車だ。

そして俺の戦型はもちろん———

 

「「「えっ!? 5四歩!?」」」

 

———ゴキゲン中飛車だ。

 

記録係、観戦記者含めてこの場にいる俺以外の人間は全て驚いている。これまで明確に居飛車党だった俺が振り飛車を明示する一手を指したのだから当然だろうけれど。

これで山刀伐さんの対俺用の研究は外した。後は山刀伐さんの持っている居飛車対ゴキゲン中飛車の研究を上回れるかだが……

 

「嬉しい! 嬉しいよ! 八一君♡ まさか僕がキミの振り飛車処女をもらえるなんてねぇ!!」

 

処女とか言うな!

 

「山刀伐は九頭竜の初めてをもらえることにいたく興奮した……と」

 

やめれ! 鵠さん! そんな文章を世間に発信するんじゃあない!

 

「……だけど少し残念さ。八一君の初物は心ゆくまで味わいたかったというのに」

 

その表現、どうにかならないんですかねぇ? ……しかしこの反応は?

 

「乙女座の山刀伐は、センチメンタリズムな運命を感じずにはいられなかった……と」

 

鵠ィ!! ……っていうか山刀伐さんは乙女座なのか?

 

「その戦法は昨日の名人との研究会で終わらせてしまったのだからねぇ!!」

 

一瞬、鵠さんに気を取られた隙に山刀伐さんが指した一手は———

 

 

「「5八金右……超急戦!?」」

 

 

超急戦。その名の通り大乱戦となる戦型だ。双方いきなり飛車・角成りあって相手の陣地を荒らしまくり、一気に終盤を迎える。

ここからそこまでの手数、実にわずか12手。あまりに変化が激しすぎるため最近のプロの対局では現れなくなっている。ところが超速ではなくこの手を選ぶ。それは、つまり———

 

「ボクと名人は長いことこの局面を研究し続けていた。そしてついに昨日その結論が出たのさ。居飛車必勝でね。せっかく八一君がボクのために身につけて来てくれた『ゴキ中』。残念だけど今日限りでおしまいだよ。二度はない」

 

「…………」

 

「だけどそれも良いのかもしれないね。ボクが八一君の初めてにして最後の男。……うん。これはこれで素晴らしいさ!!」

 

「山刀伐は七手目を着手した時点で自分が九頭竜の唯一の男になることを宣言した……熱い!」

 

鵠いい加減にしろ。

しかし名人が『ゴキ中』は終わりだと結論づけた、か。すごいプレッシャーではある。ではあるが俺とてコイツを対名人の試金石とするために『ゴキ中』の数々の変化を研究してきたんだ。相手は名人とA級四位。こちらは玉将と竜王だ。決してメンツではひけをとらない。それに———

 

「山刀伐さん。いいんですか?」

 

「ん? 何がだい、八一君?」

 

「今日のこの対局は賢王戦の予選ですよね?」

 

「そうだね」

 

「ということはネット中継されていると」

 

「ああ、そうだね。言ったよね。名人もご覧になっていると」

 

「ところでプロの世界では居飛車党が圧倒的多数ですよね」

 

「……だから何なんだいッ?」

 

話が見えないのか少し苛立つ山刀伐さん。

 

「いえ、心配しただけですよ。圧倒的多数の居飛車党が研究してきて」

 

「…………」

 

「時の名人やタイトルホルダーが何度も『ゴキ中』は死んだと言ってきました」

 

「…………」

 

「けれども今時点で『ゴキ中』は確かに生きています」

 

「…………」

 

「それを貴方が今日またネットの前で『ゴキ中』は死んだと言う。……赤っ恥かくことになりません?」

 

 

「ッ! …………面白い。面白いじゃないか八一君! 試してみると良いさ! ボクと名人の研究をキミがひっくり返せるのか!!」

 

———『ゴキ中』は死なず! 勝負ッ!!

 

 

 

そこからしばしお互いに定跡をたどる。終盤入りの十九手目も予定調和で迎える。そこから三六手目に変化。俺が新手を放つ。

が、それに相手もノータイムで応じてくる。まだ名人の研究の範囲!

ここまでの対局を振り返れば俺の圧倒的駒損。以前の純然たる居飛車党だった俺が見れば敗北を覚悟する局面だろう。だけど振り飛車党なら———

 

『駒損なんて気にすんな! 駒を取らせるだけ取らせて自分の囲いがボロボロになって、その代わりに相手の玉を寄せるのが究極の捌きだ!!』

 

———まだまだ行ける! そうだろ!? 巨匠(マエストロ)!!

 

 

 

 

持ち駒を打ち込んで相手の守りを引きはがす。そして引きはがした隙間に再度持ち駒を打ち込む。駒得・駒損の勘定を捨ててただひたすら前に。それが捌きだ。

攻めを切らしたときのことは考えない。なんとしても先に攻め落とす!

玉頭の金を狙って5六香打つ。

山刀伐さんは俺の香のド真ん前に同じく香車を打ちこんで受け止める。

俺はそれを無視して、4五桂馬。攻め手を増やす。

その間に先ほどの香車が取られ、玉頭の金の直上が開く。

その隙間にもういっちょ香!

山刀伐さんは4八銀と寄せて守り切る構えだ。

そして運命の50手目。5八香成! さあ、最後の金で取れ!

 

だけど、山刀伐さんがつまんだ駒は———

 

 

「「玉!?」」

 

 

俺と鵠さんの驚愕が重なる。

山刀伐さんの選んだ五一手目は、同玉———『顔面受け』

 

「フフ……その驚き……実に気持ちいい!!」

 

五二手目、5七歩打つ。五三手目、同銀。

続く五四手目、俺の同桂成をまたもや『顔面受け』。その様まさに全裸で突撃してくる変態の如し!!

 

「気持ちいい!!」

 

しのがれた。しのがれてしまった。顔面受けによって前に出た玉に自由なスペースが生まれ、俺の攻撃は紙一重届かない。

捌いたつもりが逆に捌かれていた。そうなれば今度は山刀伐さんの反撃が始まる。一連の攻防によって相手は飛車2枚を始めとして圧倒的な駒数を保有している。当然だ。俺は駒得・駒損無視して攻め上がったのだから。

 

「八一君、この研究は完璧だよ。破れるわけがない」

 

「…………」

 

「ボクとしては見苦しくあがくより潔く諦めるのを薦めるね」

 

 

負けた? この局面は既に負けているのか? 本当に?

”名人”と山刀伐さんは研究の末、この局面にそう結論づけている。

そう。それは”俺の”結論じゃない。

 

 

『前に言ったでしょう。現名人と較べたって貴方を選ぶって』

 

俺は名人より上だ! だからこの結論をひっくり返せる!!

 

『……そう。それじゃ後の問題は時間ね』

 

「残り時間は?」

 

「二五分と三四秒です」

 

『『九頭竜君はすごい』のだもの。だからきっと間に合うわ』

 

そんなにあるんだ。余裕だろ?

 

 

 

 

 

 

「……これは八一のやつ、負けたか」

 

57手目、山刀伐八段が5八桂と打ち、あの人が長考に入ったところで生石玉将がそう言った。

たしかに山刀伐八段はしのぎきったように見える。だから生石玉将もそう言ったのだろう。でも画面の中のあの人は決して諦めた表情ではない。

だから私は頭の中で将棋盤の前に座っているあの人に問いかける。

私はあの人の棋譜を誰より多く並べてきた。映像の中のあの人も全て確認している。そして最近は近くであの人に接し、おまけに幾度となく実際に指導対局もしてもらっている。だからイメージのあの人と現実のあの人は限りなくシンクロしている

はずだ。

 

そしてイメージのあの人が告げる。

 

「いいえ……手はあるわ」

「あります」

 

隣に座って観戦していた彼女もその膨大なシミュレーションによって同じ結論に至ったらしい。

 

「それは……本当か?」

 

そう。とてもか細いけれど何より美しい勝利への手筋がある。そして現実のあの人も必ずたどり着く。

 

 

「7三銀」

 

「5三銀」

 

「「6八角!!」」

 

 

 

 

 

 

「…………見つけた」

 

「え?」

 

時計を見れば費やした時間は20分と34秒。余裕だったな。

 

「山刀伐さん。すいません。やっぱり恥をかかせることになります」

 

「ッ!!」

 

まずは寄せ手の補充が必要だ。5九金打つ。

 

「ん!? 何をしてくるかと思えば……今更詰めろにテンパイしてもね。遅いよ」

 

山刀伐さんは手抜いて6五香打つ。斬り合いだ。

60手目。俺の一手は6九金。金をいただく。

 

「これでどうだい?」

 

俺の王の真横に叩き込まれる飛車。王手! 選択の余地なく俺は5二王と躱す。

さらに山刀伐さんは7四桂打つ。連続王手! これも同歩だ。

 

「もう逃げ場はないよ? 八一君」

 

6四角打つ。三連続王手! そしてここだッ!!

 

「うん!? 銀で受けた? 桂馬ではなく?」

 

俺の受けは7三銀打つ。合駒は小駒からという原則を外す一手。

山刀伐さんの角が寄せて馬となり、それを俺の王で食らう。

1一にいた龍が三筋に戻って五連続王手! これも

 

「また…………銀かい?」

 

俺の受け手は5二にいる金を利かせた5三銀打つ。

山刀伐さんは俺の馬が一手差で飛び込んでくるのを避けるため、6七玉とスライドする。

そしてこれで終わりだ!! 6八角打つ!!

 

「次は…………角?」

 

そして山刀伐さんも気付く。俺の選択の意味に。

 

「………………………まさか?」

 

銀・銀・角。桂馬ではダメだった。これしか道はなかった。

 

「まさか? え? まさか? ………………まさかまさかまさかまさかッ!?」

 

「…………」

 

「……限定合駒? しかも……3枚連続? ……そんなもの……あり得るはずが……」

 

桂馬を手放していればその瞬間、俺の負けは決まってしまっていた。もしくは57手目の受けに山刀伐さんが桂馬ではなく香車を使っていれば。桂馬一枚の有無が勝敗を分けたのだ。

 

山刀伐さん投了後の感想戦で敗着の瞬間についてや俺の振り飛車研究の期間についての話になり、そして

 

「負けました。……ありがとう」

 

改めて投了を認めて去って行った。

紙一重、紙一重だった。

けれど俺は確かに名人と山刀伐さんの研究を打ち破ることに成功したのだ。

 

 

 




■原作との違い
・八一、ジンジンを挑発。(天衣の傲慢さがうつった?)
・八一、棋力UP(5分程)
・第三の限定合駒現る


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09.カルマ

 

「……おかしいわね。私は何を格下相手に熱くなっていたのかしら?」

 

 そんな言葉とともに突如、烈火のごとく渦巻いていた天衣の怒気が収まった。

 ただひたすら桂香さんを刺していた意識が収束し内側へ向かう。思索がはじまったようだ。そしてやがて結論が出たらしい。

 

「…………………なるほど。あなたなかなか性格が悪いわね。先生ももう少し女を見る目を養うべきだわ」

 

 …………ギリッ

 

 その歯がみした音は桂香さんの目論見が外れたことを物語っていた。

 

 

 

 

 

 

 今日は研修会の例会日。そして依然降級点がついている桂香さんの対局相手は不運なことにというべきだろう。全4局のうち前2局はともに無敗の俺の弟子達二人。一人目は天衣。二人目はあいだ。どちらかに負ければ降級点を消すことはできない。どころか二人に負けてそのまま後の対局も崩れてとなれば降級にリーチが……という厳しい場面だ。

 だからだろう。桂香さんはいつもの穏やかな様子とは全く異なり、今日は対局相手の発表前からビリビリと周囲を威圧するような気を放っていた。

 そして対局が始まる瞬間から盤外戦術のオンパレードだ。

 あいに対しては席位置の主張で威圧。そして天衣に対しては———

 

『あいちゃんと戦う前にウォーミングアップをしたいと思っていたから』

『一手損角換わり……ですって!?』

 

 ———重ねての挑発だ。

 二番弟子のあいと比較して天衣を軽んずる発言。天衣のお株を奪うかのような戦型。

 その挑発に対して、天衣はまともに乗っかった。

 

『……延々と女流棋士にもなれずに足踏みしてるくそババアがッ!!』

 

 怒り心頭に発した天衣は火の玉の如く桂香さんの陣に攻めかかった。だが冷静さを失った影響か、その攻めはいつになく単調だ。

 桂香さんはうまくいなしながら囲いを『穴熊』へと移行し、より強固な陣を敷いた。こうなってしまっては生半可な攻撃は通用しない。

 

 局面を変える一手が必要になった天衣は小考に入るつもりだったのだろう。体勢を起こし、傍らに置いていた扇子を握り———

 そこではたと我に返ったのだった。そして場面は冒頭に戻る。

 

 

 

 

 

 

「完璧な将棋は完璧なメンタルが支える。私は自分のメンタルの強固さに自信があったのだけれど……」

 

「…………」

 

「そこに触れられたら私は冷静ではいられない……。確かにそこは私の弱点ね。いい勉強になったわ。ありがとう」

 

「…………」

 

 天衣からの話しかけにも応じず、桂香さんはひたすら厳しい表情で睨んでいる。が、天衣は構わず続ける。

 

「お返しに私からも一つ忠告しておくわ。そこはただの弱点じゃない。逆鱗よ。そして———」

 

「…………」

 

 そこで握っていた扇子を開く。扇子に記された文字は『活』。竜王挑戦を決めたときに俺が揮毫した第二弾の扇子だ。……何で持ってんの? 俺を恥ずか死させたいの?

 改めて天衣は圧倒的な怒気で桂香さんを貫く。

 

「竜の逆鱗に触れた愚か者には裁きがあるわ!!」

 

 そう言って天衣は飛車を『穴熊』へと突貫させた!

 

「「「飛車を切った!?」」」

 

 久留野先生を始めとした観戦者が驚愕する。

 けれど、突貫は飛車にとどまらない。高い位置にいた自駒。角を始めとした持ち駒。流星雨の如く次々と『穴熊』へ降り注いでは、次の弾とすべく『穴熊』を構成していた駒を啄んでいく。

 

「こんな……こんなんただの暴発やろ?」

 

「……桂香さんの圧倒的な駒得やで?」

 

「……だけど『穴熊』が……」

 

 そう。気付いてみれば『穴熊』はひしゃげ、押しつぶされて見る影もなく、露出した玉には小駒ではあるが未だ流星が降りかからんとしていた。

 途中までは桂香さんが完全に盤面をリードしていた。そして今現在も持ち駒は桂香さんが圧倒的だ。けれどもう桂香さんが攻撃に移ることはない。天衣がそのまま小駒で桂香さんの王を寄せきってしまったからだ。

 

「……負けました」

 

「ありがとうございました」

 

 痛恨の表情で告げる桂香さんに天衣は鷹揚に応じた。桂香さんにはなぜ負けたのか、どこで悪くなったのか理解できていないはずだ。あれは———

 

 

「……これはまさか……玉将の捌き?」

 

 

 そう。久留野先生の言うとおり、天衣が『穴熊』を粉砕してのけてそのまま王を寄せきった手筋には確かに巨匠(マエストロ)の捌きが息づいていた。

 

 

 

 

 

 

 研修会本日第二局。桂香さんの相手はあいだ。

 桂香さんは天衣との対局からなんとか切り替えることができたらしい。天衣との対局前と同じように威圧感を放っている。

 振り駒の結果は桂香さんの先手、あいの後手だ。

 桂香さんは初手から時間を使い、あいへの威圧を続ける。

 

「ふん。さっさと指せば良いのに」

 

 人数の関係で抜け番になっている天衣が俺の横で毒づく。

 

「ま、ゆっくり見届けよう」

 

 俺は天衣の頭に手を置いてなだめるように軽く撫でる。てっきりすぐ振り払われるかと思ったのだが、意外なことに天衣は体を硬くして俯くだけでされるがままだ。

 ゴキゲンの湯で乾かしている時の濡れた髪もそうだったが、日中の手触りもしっとりサラサラで素晴らしい。天衣が止めないのをいいことにしばらく撫で続ける。

 すると突然とんでもない殺気が飛んできた。

 

「ッ!?」

 

 俺は慌てて天衣の頭から手を外す。

 姉弟子!? 姉弟子なのか!? でも姉弟子はここには来てないはず……

 周りを見回してもやはり姉弟子はいない。

 ということは…………あい? いやしかしあいは今桂香さんに威圧されて萎縮しているはず。

 などと思っていたら、あ、桂香さんが初手を指した。あいも慎重に二手目を指す。互いに角道を開けた形だ。そして桂香さんの次の手は———7五歩。

 

「三間飛車ッ!?」

 

「……なるほど。『ゴキ中』対策ね」

 

 桂香さんの振り飛車に驚いたもののあいが選択した戦型は『ゴキ中』

 

 これで相振り飛車になったわけだが……。

 

「姉弟子から情報が漏れてたか……」

 

「ついでに八一先生がこの前『ゴキ中』を使って劇的な勝利を収めたからね。あなたのフォロワーをやってるあの子なら必ず使うと踏んだんでしょう」

 

 話しているうちに桂香さんの駒組みは『石田流』の構えとなる。押せ押せの戦型だ。たいしてあいは———

 

「『穴熊』!?」

 

 攻め棋風のあいが『穴熊』? なんで?

 

 考えられるのは桂香さんの冒頭の威圧に萎縮した……これが目的か!?

 

「あいが気合い負けしたのか……?」

 

「はぁ……」

 

 俺の漏らしていた呟きになぜか天衣は溜息をつく。

 

「どうした、天衣?」

 

「八一先生……その女を見る目のなさをどうにかしないといつか痛い目に遭うわよ」

 

「は? どういう意味だ?」

 

「どうもこうも。あの子に気合い負けなんてかわいげがあるわけないでしょう?」

 

「何言ってんだ? 現にああやって桂香さんに『穴熊』に誘導されて———」

 

「まあ確かにあのババアも性格が悪いけど……あれはわざと乗って見せただけよ」

 

「……なんでそんなことが分かるんだ?」

 

「この間までのあの子なら萎縮してなんて可愛い理由もあったかもしれないけど今更それはないわ」

 

 この間? この間のゴキゲンの湯での出来事の事か?

 

 

 

 

 

 

 ある日、まだ俺がゴキゲンの湯でバイトしていた時。あいがびしょ濡れになって泣いて帰ってきたことがあった。

 理由を聞くと研修会で澪ちゃんに駒落ちで勝ったことが原因とのことだった。駒落ちで負けた澪ちゃんが大泣きして傷ついていたことであいも傷ついたのだった。

 心優しいあいの美徳ゆえのことではあるが、将棋の勝負師としては致命的な弱点になりかねない。俺は厳しく諭そうとしたが、先に口を開いたのはあいより少し先に研修会から帰ってきていた天衣だった。

 

「いいんじゃないかしら?」

 

「え?」

 

 一瞬、天衣は慰めようとしているのかと思った。そんなものは足枷になりかねない。止めないとと思った。だけどそれは杞憂だったのだ。

 

「八一先生の弟子として将棋界で活躍する役目は私がやってあげるから。だからあなたは弟子なんて止めてみんなとただ楽しいだけの将棋を指していたらいいんじゃないかしら?」

 

「…………」

 

 慰めるなんてとんでもない。天衣がやったのはあいの頬を張り飛ばす痛烈な挑発だ。

 そしてその効果も劇的だった。涙はとっくに止まってあいの表情は怒り一色だ。

 

「……いいよ。あいが自分でやるから」

 

「あら? 遠慮しないで良いのよ?」

 

「遠慮じゃないよ。はっきり言わないと分からないかな? 天ちゃんじゃ無理だから自分でやるって言ってるの!」

 

「はぁ? 前に八一先生への弟子入りを賭けて私に喧嘩をふっかけて無様に返り討ちにあったのは誰だったか忘れたの?」

 

「忘れたよ! そんな前のこと! 天ちゃんのだらぶち!」

 

「記憶力がないのね。……それに方言が出てるわよ田舎娘」

 

「神戸だって東京から較べたら十分田舎だもん!」

 

 その一言に意外と郷土愛が深かったのか天衣もブチ切れる。

 

「何ですって!? あんなクソタヌキが開いた無味乾燥なでかいだけの町に神戸が劣ってるって言うの!?」

 

 そうして始まったのは小学生らしく取っ組み合いだ。周囲からみたらほほえましい。けれど本人達は至って真剣な熱いバトルだ。

 

 そして勝利したのは当然の帰結というべきか腕力に定評のあるあいだった。天衣相手にマウントをとったあいはドヤ顔だ。そして完全に床に押さえ込まれた天衣は涙目になっていた。

 

 

 

 

 

 

 確かにあれ以降あいの闘争心は増したように見える。

 その直後に指した飛鳥ちゃんとの対局もがっぷりと組み合った力戦だった。

 けれどだからといってすぐに非情な勝負に徹することができるかというと……。

 今も『美濃囲い』を完成させた桂香さんが『穴熊』を作るのに手間取るあいに先にしかけたところだ。

 

「私よりあの子の方がよっぽどえげつないんじゃないかしら?」

 

「…………」

 

「まあ私がさっきあんな風に見せたこともよくなかったんでしょうけど」

 

「お前さっきから何を言って?」

 

「だから。最初から今に至るまで全てあの子の思惑通りだったって言ってるのよ」

 

「何?」

 

「あの子はあのババアを体の良い実験台にするつもりだったのよ。新しく手に入れた力を振るってみたくて仕方がなかったわけ。新しいおもちゃを与えられたガキなのよ」

 

「実験? 振り飛車のことか?」

 

「そうじゃなくて。……まあ見てればもうすぐ分かるわよ。巨匠(マエストロ)の感覚を自分の将棋に取り込んだ私とはまた違うアプローチよ。取って盤上に打つという概念を単純にシミュレーションに加えただけの荒っぽいものだけど、それを桁外れの演算力でぶん回してやると———」

 

 

 

 

 

 

「ごめんなさい。桂香さん」

 

「…………?」

 

「桂香さんのこと大好きだけど……私、あの子に勝ちたいんです」

 

 わずか数日の差で一番弟子としての立場を奪われた。

 将棋の腕もおそらくあの子の方が今も上だろう。

 そして……悔しいけれど師匠にとっての女の子としての大切さも。

 

 だけど白旗なんて振ってやらない。

 弟子の順番だけはもう変えられないけれど。それ以外は全部ひっくり返してやる。

 

 

 私より2ヶ月ばかり幼い、かわいらしくて憎らしいあの子。

 この間取っ組み合いで勝って泣かせたらとてもすっきりした。だから今度あの子から全部取り上げてもっと大泣きさせてやったら、遙かに気持ちいいことだろう。

 だからこんなところで躓いてられない。だから———

 

 

 

 

 

 

 

「とる……うつ……とる……うつ……とる……うつ、うつ、とる———」

 

 これまでのあいの盤上没我とは違う。

 

「とって、うって、とって、うって、とって、うって、とって、うってとってうってとってうってとってうってとって」

 

 これまでの駒を動かすという概念以外に相手の駒を奪って打ち込むという概念が強く意識されている。

 

「こうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこう」

 

 そして、おそらく捌き終わったのだろう。あいの脳内の盤面は寄せに移った。

 

「うんっ!」

 

 その声は演算の終わりを告げ、彼女の脳内で描かれた終末までのストーリーの上映が始まる。

 駒がぶつかって消え、突如として別の位置に出現し、またぶつかる。

 その繰り返しだ。一つ一つの衝突だけを見れば決してあいに有利とは言えない。むしろ駒台の上は桂香さんの方が豊富だ。

 けれどやはりこの衝突は無為に起きているわけではなく、あいの完全な統制下にある。その証拠に、桂香さんの美濃囲いは崩壊し、あいの前には道ができていた。桂香さんの王につながる道が。

 

 そこから桂香さんは粘った。もっていたあらゆる手管を使って粘った。だけどあいの広大な読み筋から逃れることはできなかった。そして———

 

「……負けました」

 

 桂香さんの震える声が投了を告げた。

 

 

 それは、鼓動する才能が描き出した魔法劇の一幕———

 

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃん、勝利

この話を書きながら、
うんラスボスはあいちゃんだなと思いました。


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10.ドラゲナイ

第三章のエピローグです。


「諦めるの?」

 

「……なんのこと?」

 

「それ、はぐらかす意味はある? 将棋のこと、女流棋士のことに決まってるじゃない?」

 

「…………」

 

 研究会での彼女たちの対局が終わった後の休憩時間、誰もいない廊下で私は彼女に話しかけていた。

 

「…………あなたに何か関係あるの?」

 

「ないわね、別に。雑魚が一匹や二匹いなくなってもなんの影響もないもの」

 

 …………ギリッ

 

「まあでも私の先生は少しは悲しむかもしれないわね」

 

「だから私を引き留めようって? ずいぶん師匠思いなのね」

 

「勿論。大切な先生だもの。だけど別に貴女を引き留めようなんて思ってないわ。勘違いしないで」

 

「…………?」

 

「何だかんだ言っても八一先生は将棋が第一だもの。目の前で私が活躍してあげれば貴女の事なんてすぐ忘れてくれると思うわ」

 

「ッ!……そううまくいくと思ってるの?」

 

「ええ、タイトルの一つや二つ奪えば……そうね女王位なんてどうかしら?」

 

「あなたが銀子ちゃんに勝てるって? 本気?」

 

「当然本気でそう思ってるわ」

 

「傲慢ね。いつか痛い目をみるわよ」

 

「実際に痛い目をみることがあれば改めるわ。でもなぜか今まで全てうまくいってしまっているのよね」

 

「…………」

 

「まあいいわ。話を戻しましょう。だから私は貴女を引き留めに来たわけじゃないわ。ただ見てみたかったのよ」

 

「…………何を?」

 

「負・け・犬」

 

「なっ……!?」

 

「堪能させてもらったわ。それじゃあ私はこれで。……そうだ引退するなら挨拶回りで空女王にも会うでしょう? ついでに伝えておいて。今度私がその座を頂戴しに行くって」

 

「私は引退しないわ!! そんなに恥をかきたいなら自分で行きなさい!!」

 

 そう言い捨てて彼女は研修会場へ駆けていった。

 

「……あらそう。残念ね」

 

 

 

 

 

 

 

 ……本当に世話が焼ける事ね。

 

 そんなことを考えていると彼女が去って行った方からペタペタとこちらに向かう足音が聞こえてくる。振り向いてみればやってきたのはあの子———私の妹弟子だ。

 

「天ちゃんは優しいね」

 

「何がよ?」

 

「桂香さんを激励してたんでしょ? ずいぶん回りくどいやり方だけど」

 

 この期に及んで誤魔化してもしかたないか。

 

「貴女がえげつないことするからでしょうに。余計な手間をかけさせないでよ」

 

「えー。そんなことないよ。私だって負けたくなくて必死だったんだから!」

 

「よく言うわ。貴女が負けたくなかった相手は彼女じゃなくて私だったんでしょう?」

 

「そんなのどっちも負けたくないに決まってるよ」

 

「あくまで誤魔化すのね」

 

「んー? なんのこと?」

 

 私が彼女に対してやってみせた捌き。この子はそれに触発されたわけだ。八一先生に自分も劣っていないというところを見せつけたかった。だからこの子の勝利条件はただ勝つではなく、捌いて勝つ。私より劇的に、ということになった。

 最初は敢えて彼女の策略に乗ってピンチを演出した。その上で攻めかかってきた相手を丸ごと捌いてみせたわけだ。計画通りに。

 

 

 全くどいつもこいつも性格の悪い事ね。

 

 

 

 

 

 

「まあいいわ。今後はほどほどにしなさいよ。妹弟子の尻ぬぐいなんてもうごめんよ」

 

 天ちゃんは疲れたようにそう言う。

 

「迷惑をかけてごめんね、天ちゃん。……何だったら姉弟子変わろうか?」

 

「結構よ。八一先生の一番弟子は私」

 

「……ふーん」

 

 まあ、そうだよね。天ちゃんの大事な宝物だもんね。それ。

 

「それで何しに来たの?」

 

「師匠が呼んでたよ。天ちゃんのこと。もうすぐ次の対局が始まるから」

 

「そう。八一先生が……それじゃあ戻りましょうか」

 

「うん! 行こう、天ちゃん!」

 

 嬉しそうな顔しちゃって。本当天ちゃん、師匠のこと大好きだよね。

 

 

 

 ……でもダメ。あげないよ? 師匠はあいのだもん。

 

 

 

 それに笑顔の天ちゃんも可愛いけど、天ちゃんが一番可愛いのは泣き顔なんだよ?

 あい、最高に可愛い天ちゃんが見たいなー。

 

 

 

 だからこれからいっぱいいっぱい泣かせてあげるね♪

 

 

 




ごめんなさい。やらかしました。



前話に続き興が乗ったためにあいちゃんが狂気の世界に。
でもこんなあいちゃんも可愛いと思うの。(言い訳)
とりあえず、20分後くらいに弁明をUPします。
よろしければどうぞ。


そしてもう一つごめんなさい。
この投稿でストックを使い果たしました。
前話まで一話当たりの文字数が通常の2倍以上の状態が続いたためいくら書きためても足りませんでした。
分割することも考えましたが、あまり引き延ばすくらいなら潔く投稿に穴を開けた方がいいかと。
ということで次話の投稿は2~3日くらい空くと思います。
よろしくお願いします。



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Ex.轍-わだち-(ふたりのあい編)

前話、前々話のあいちゃんの荒ぶりに、

「馬鹿野郎! なんであんなこと書いた! 言え! なんでだ!!」

と読者の皆様に迫られそうな気がしたので弁解タイムを挟みます。
弁解ですので、作者の脳内垂れ流し、ネタバレ多数でお送りします。
好まれない方はブラウザバックを推奨です。



警告しましたよ?



 

 

 

 本ページでは第三章終了時点での二人の『あい』の原作との違い。何を目的としているのかを記載します。

 そういった設定資料的なものは想像の幅を狭め、本文の面白さを減退させるというご意見の方はブラウザバックでお願いします。

 そうでない方は本作ヒロイン達のその時々の行動理由を押さえる一助にしていただければ幸いです。

 そんなもん本文中で表現して読者に理解させろやというツッコミも当然あるでしょうが、ひとまずはご容赦いただきたく、よろしくお願いします。

 

 

 

 

 ブラウザバックはよろしいですね?

 それでは、前回と異なり今回は大魔王をトリに置いていきます。

 

 

 

1.夜叉神 天衣

■原作■

 原作での天ちゃんの印象は動き出せない少女。

 非常にハイスペックでありながら一歩踏み出してチャンスをつかみに行けない。

 そのいじらしさが作者を始め、原作読者をキュン死させるわけですが、自ら手を伸ばさない者にチャンスをものにする権利が与えられないところは社会人の作者にとっては妙に納得してしまうところでもあります。原作は他にも才能の有る無しが大きく強調されるなど、ラブコメ系?ラノベにしてはかなり厳しい世界観です。

 八一の一番といったポジションは受け身だった天ちゃんの手のひらをすり抜けて、自ら行動したあいのものとなります。そして他人を押しのけてそのポジションを奪うという意思も持てません。結果、原作ではあいと較べて八一からの扱いに明確に差ができてしまいます。この辺りもこの作品特有の厳しさでしょうか。

 この動き出せない理由は生来の気性かあるいはその過去ゆえか。

 前回の閑話で記載したとおり、作者としては両親の死に端を発する一連のできごとゆえと解釈しています。

 

■本作■

 本作では運命のいたずら(う○こ)ゆえに八一の一番弟子という何より欲しかったポジションが転がり込んできます。

 これも前回の閑話で記載したとおり自分のこれからに希望を持ったがゆえに原作とは異なり自ら動き出します。もちろん行動力お化けのあいと較べれば遙かに緩やかにですが。

 目標は将棋だけでなく八一の一番の女の子になること。そのためにそれまで八一の一番身近にいた銀子を追い落とすための遠大な計画を実行し始めます。

 また、一章最終話で八一から少なくとも将棋の上では銀子より自分を優先するという旨の発言を受けたことで、一定の手応えを得るとともに自信を深めました。

 その後三章が終わるまでの間に八一から大切にされているという実感を得ています。

 この通り八一の一番弟子であるということ、八一との絆は今や天ちゃんのアイデンティティの根幹として組み込まれています。そのため八一との関係性を否定するような言動をしたものは問答無用で『絶対許さないリスト』に登録され、とんでもない目に遭わされます。幸い桂香さんは八一の身内でもあるため、報復が完了した時点でリストから外れましたが。

 さて、八一が他の女の子にデレデレして姉弟子とあいがブチ切れているとき天ちゃんの心境やいかにですが、当然面白くは思っていません。ですがナチュラルボーン八一Loverの天ちゃんは自分の感情よりも八一を優先してしまうため、八一が窮地に陥っているのを見ると半ば無意識的に救いの手を差し伸べてしまうのです。もちろん裏には自分は八一に大事にされているという自信もあるのでしょうが。

 最後にあいとの関係性ですが目下油断気味です。あいが自分を追い落とそうとしていることは認識していますが、まだリアルな脅威とは認識できていません。また八一の身内は無条件で一定量尊重してしまうということもあります。さらには目線が目の上のたんこぶである姉弟子に向いていることあるでしょう。

 この油断が今後ストーリーにどう影響していくのか……作者も分かりません。(無策)

 

 

2.雛鶴 あい

■原作■

 原作から作者が受けた印象は天ちゃんとは対照的に”極めて能動的な少女”です。

 その行動力ゆえ八一の一番弟子になるというチャンスをものにできました。

 しかし、自分の欲望には極めて従順な彼女はそこで立ち止まることはありません。自分の理想を実現するために他人へも積極的に関わります。反面、相手から望む反応を得られないと癇癪を起こす悪癖があります。もっと言えば相手を自分の望む姿に矯正したがる節があるかなぁと見ています。端的に言って支配欲が強いタイプかと。今日も元気に八一の調教に勤しんでいます。

 原作の天ちゃんとの関わりで生まれた感情は恐怖。後からやってきた相手に追い落とされ、自分の居場所を奪われるという恐怖。さらにそこから連鎖して負けたくないという気持ちを持ったと解釈しています。

 しかしながらその後、天ちゃんに自分を追い落とすような覚悟や行動力がないことをかぎ取ったのか、年上(2ヶ月ほどですが)として、姉弟子として天ちゃんに対しては姉貴分として接しようとしているのかなと見ています。一人っ子のあいには(自分の立場を脅かさない)妹というのは憧れの存在なのかも知れません。

 

■本作■

 運命のいたずら(作者の意図)によって一番弟子になれなかったあいは本作では逆に追いかける立場です。そして天ちゃんとの関わりで生まれた感情は愉悦。(ゴキゲンの湯で天ちゃんに取っ組み合いで勝ったシーンです)

 上位の相手を引きずり下ろし、自分の支配下に置く愉悦。

 ですから本作のあいちゃんの強さの根源は負けたくないではなく勝ちたいです。

 本作のあいにとって天ちゃんは年下のくせに姉(弟子)ぶる小生意気な相手です。また、天ちゃんの受け属性というM気質を敏感に感じ取っており、ドSとしてはねじ伏せて泣かせてやりたくてたまらないというこれもある意味支配欲をビンビンに刺激する相手です。その上、八一というトロフィーまで持っている。もはや美味しい獲物以外の何者でもありません。天ちゃん逃げて。超逃げて。

 

 ところで原作のあいちゃんと桂香さんの対局(3巻『小さな魔法使い』の章)の中で澪ちゃんの台詞に『あ、あいちゃんが穴熊に囲ったのって……この展開を狙ってたんじゃ……?』というものがあります。

 仮にこれが真実を言い当てているのだとすると、あいちゃんは桂香さんの策にわざと乗ってピンチを演出した上に、狙い通りに逆転したことになります。

 それどころか、途中で泣いていたのも嘘泣きだろうし、『わ、わたし……どうしたらいいのか、わからなくて……(中略)け、桂香さんのこと、だいすきだから……(中略)ぐちゃぐちゃな心で……ぐちゃぐちゃな将棋、指して……(以下略)』という台詞も嘘八百だったってことになり……

 

 とてもえげつないことになります。

 

 もちろん澪ちゃんが正解を言い当てているとは限りませんが、あえて全くの誤りをあそこで言わせる必要もないかと推察します。まあ原作者の白鳥先生がそこまでエグいキャラとしてあいちゃんを描写したがっているとは思えませんが。

ただ本作ではこの澪ちゃんの台詞を正ととり、大魔王あいちゃんを爆誕させました。こんなあいちゃんに二つ名を付けるとすると『無邪気な悪意』『愛しき邪悪』あたりでしょうか。

 

 次回以降、『コード・ショウギ 暴虐のあい』 をお楽しみに。

 ※次回以降も主人公は八一ですし、ヒロインは天ちゃんです

 

 

 

 

 え? 姉弟子? 姉弟子はねぇ…………

 

 

 



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第四章.其を玩弄して打ち毀す
01.九頭竜八一最後の日


思いの外早く書けたのでひとまず投稿します。
変わらずストックはありませんが。


マイナビチャレンジマッチは安定のキンクリとなっております。
見たい方は原作を買ってどうぞ。





 

 

 

「ししょー」

「…………ッ!?」

 

 振り向けばあいがいる。最高にかわいい笑顔で俺に向けて手を振っている。

 

 だけど今だけは会いたくなかった。

 なぜか?

 

 

 

 

 

 

 命に関わるからだ。俺の。

 

 

 あいは笑顔だ。とてもかわいい。だが目が笑っていない。

 ガラス玉のような瞳で俺をまるで観察対象の虫のように見ている。とても怖い。

 ではなぜそんなのことになっているのか?

 

 

 

 

 それは今まさに『あーん』してもらっているところだったからだろう。俺が鹿路庭さんに。プリンを。

 今日俺は、『ニコ生』で棋帝戦第三局の解説者を務めていた。これも竜王である俺に舞い込んだ仕事だ。

 お相手の聞き手は美人女子大生棋士として人気な鹿路庭珠代女流二段(巨乳)だ。対局は休憩時間に入り、俺たちも休憩ということでおやつとしてプリンが差し入れられた。そこで鹿路庭さんが茶目っ気を発揮して俺に『あーん』をしてきたのだ。こうなってしまっては俺も彼女に恥をかかせるわけにはいかない。受け入れるしかないだろう? いやいやだよ?

 

 そこにスタッフが休憩の終わりとともにゲストの登場を告げた。

 今はマイナビチャレンジマッチ突破のお祝いも兼ねてJS研のみんなと東京観光をしているはずの二番弟子の声がなぜかして———

 

 

 

 振り返れば奴がいる。

 ちなみに一斉に『おはようじょ』というコメントが流れ出した。

 

「え、えーとね。あいさん? 俺は決して遊んでいたわけでも、楽しんでいたわけでもなくて。これもね———」

「りゅうおうのおしごと……なんですか? 美人に『あーん』してもらうのも」

「……そうだよ」

 

 いかん。あいの目がゴミでもみるようなものに変わっている。

 そこに救いの手が。

 

「ええと、九頭竜先生? この子は?」

「えっと! それはですね!」

 

 鹿路庭さんからの質問に答えながら何とか流れを変えないと!

 だけどその救いの手をぶった切ったのもあいだった。

 

「雛鶴あい。小学四年生です。九頭竜先生の内弟子をやってますッ!」

「あ、元気なあいさつありがとうね。…………ん? ”内”弟子?」

「はい。師匠の家に住み込みで手取り足取り教えてもらっています」

「…………それは」

 

 いかん。鹿路庭さんの俺を見る目が性犯罪者を見る目に変わっている。

 『ニコ生』の視聴者のコメントを映し出す画面に目を向けると。

 

『JSと同棲ってこと?』『うらやまけしからん』『クズ竜王爆死しろ』『やっぱりロリコンじゃないか』『何教えてるんですかねぇ?』『通報するべき?』

 

 するな! ……いかん。俺へのヘイトがうなぎ登りだ。なんとかせねば。

 

「将棋! 将棋をねッ! 俺が教えているんです! この子はすごく才能があるから!!」

 

 俺は必死に弁明を計る。だが事態はジェットコースターのごとく悪化の一途をたどるのだった。奇しくもその引き金をひいたのはマイエンジェル——

 

「ちちょー♡」

「シャルちゃん!?」

 

 トテトテと舞台袖からやってきたシャルちゃんはうんしょっと俺の膝に登り座る。

 うん。シャルちゃんは天使。はっきりわかんだね。コメントも天使の登場に大盛り上がりしている。

 

「……あのー。九頭竜先生? この金髪のお子さんは……?」

 

 恐る恐る聞いてくる鹿路庭さん。それに答えたのはシャルちゃんだった。

 

「しゃうはね、しゃうおっとぃずぁーう。ろくしゃい。ちちょーのあいじぅだよー」

「あ、愛人?」

「うん」

 

 鹿路庭さんの疑問に大きく頷くシャルちゃん。

 しっかり自己紹介できて偉いねー、シャルちゃん。そして死んだねー、俺。

 

「……せ、先生? 6歳の女の子を愛人って……?」

 

 戦慄した表情の鹿路庭さん。『ニコ生』のコメントも大荒れだ。

 

『クズ竜はクズ。はっきりわかんだね』『八一さんひくわー』『お巡りさんコイツです』『性の喜びを知りやがって、お前許さんぞ!』

 

 しまいには、

 

『ロリ王とはッ—— 誰よりも鮮烈に生き、諸人を魅せる姿を指す言葉! すべてのロリコンの羨望を束ね、その道標として立つ者こそが、ロリ王。故に——! ロリ王は孤高にあらず。その偉志は、すべてのロリコンの志の総算たるが故に!』

『然り! 然り! 然り!』

 

 誰だよ、お前ら。

 

 

 

 あーもう、滅茶苦茶だよ。

 

「自業自得です! おっぱいのおっきな女の人に言い寄られてデレデレして! 師匠のだら! だらぶち!」

 

 違うの。違うんだよ。あくまで礼儀として『あーん』を受けただけでね?

 

 

 

 さらに、澪ちゃんと綾乃ちゃんが現われるに至り視聴者数はうなぎ登り。コメントは祭り状態に。完全に収拾がつかなくなる。スタッフは視聴者数に気をよくして止めようとしないし。俺は途方に暮れるしかない。

 

「……八一先生、大丈夫?」

 

 そう慰めてくれるのは最後尾からやってきた天衣だ。

 

「……ちょっと大丈夫じゃないかなー」

 

 何となく天衣の頭を撫でて心を落ち着かせる。

 

『YES ロリータ NO タッチ』『イリーガルユースオブハンズ』『自然になでポしようとするクズ』

 

 厳しいね。君たち。

 

「えーと、九頭竜先生。今度はどなたですか?」

 

 もはや呆れるしかない鹿路庭さん。

 

「夜叉神天衣。八一先生の一番弟子だけど」

『『『正妻キター!!!』』』

「はぁ!? 誰が正妻よ!? 言葉に気をつけなさいよ! クズども!!」

『コメ拾ってくれた』『やさしい』『ツンロリちゃんぺろぺろ』

「……気持ち悪い。みんなまとめて死ねば良いのに」

 

 心底気持ち悪いという顔で暴言を吐く天衣。だがネット住民達はこれくらいでへこたれる奴らではない。むしろご褒美だろう。ほら。

 

『幼女からの”死ね”いただきましたー!』『これはいいツンロリ』『辛辣ぅー。だがそれがイイ!』『おかわり待ちで全裸待機中』『もっとだ! もっとこいよ!』

 

 大喜びだ。

 さらにそれを天衣が気持ち悪がって罵倒し、絶賛するという無限ループが続くかと思われたがある一言から流れが変わった。

 

『ちょっと待て。こんなよいツンロリに竜王だけが懐かれていていいのか、おまいら?』

『ハッ!?』『ハッ!?』『ハッ!?』『ハッ!?』『ファッ!?』

「ちょっと! 誰が懐いてるですって!?」

 

 俺の手を払いのけて否定する天衣。だけどむしろそれは火に油を注いだようだ。

 

『流れるようなツンデレ』『ナチュラルツンデレ』『うらやまけしからん』『許すまじ』『おこ』『屋上へ行こうぜ……久しぶりに……キレちまったよ……』

 

 ものすごい勢いで稼がれるヘイト値。しまいには、

 

『クズ竜は、何ひとつ恥じる事もないのか。ゆるさん、炉利につかれ、棋士の誇りをおとしめたロリコン。その夢を我が血で汚すがいい。竜王に呪いあれ、その願望に災いあれ。いつか、フリークラスに落ちながらこのディ○ムッドの怒りを思い出せ』

 

 本当に誰だよ、お前。後、フリークラスとか縁起でもなさすぎぃ。

 

 

 

 そのままJS祭りと俺への弾劾が続くかと思いきや、その直後に挑戦者の名人が棋帝を寄せに入りみんなの注意がそちらにいった。良かった。

 名人の寄せには俺と天衣とあいだけが気付いたミスがあり、そこから展開した議論で二人の圧倒的な才能も明らかになった。俺がロリ好きで二人を弟子に取ったわけではないことをみんな分かってくれただろう。多分。良かった。

 鹿路庭さんが二人を尋常じゃない目で睨んでいたのは気になるが。

 

 そして対局自体は、そのまま名人が寄せきり棋帝位奪取とあいなった。

 これで名人はタイトル99期達成。さらに名人は竜王戦の挑戦者決定戦まで駒を進めている。

 仮に名人が挑戦者となった場合、俺は神とも賞される最強の棋士にタイトル100期在位、日本中がお祭りになりかねないほどの期待という向かい風のなかで戦うことになる。

 その事実に俺は青ざめるしかなかった。

 

 

 そしてこの『ニコ生』は、消沈する俺を慰めるためにシャルちゃんが元気の出るおまじない=頬にキスをしたことで『通報しました』の嵐となって終わりとなった。

 ちなみにこの日の放送は、なんと視聴者数300万オーバー。将棋中継史上最高の数値を更新した。そして300万人以上が竜王JSチュー事件を目撃したのだった。

 

 

 




■原作との違い
・八一、ネット民からロリ王認定
・天ちゃん、ネット民から正妻認定(ちょっと嬉しい)
・八一、ディ○ムッドからフリークラス落ちを祈られる

ちなみに特に描写していませんが、ロリ落ちしている八一は原作ほどたまよんにデレデレはしていません。それでもあいの怒りの閾値を超えましたが。

いっそ、あいの怒りを買わずこのエピソードそのものをスルーしてしまおうかとも思いましたが、天ちゃんを第三者から正妻認定しておきたかったがために採用しました。


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02.白雪姫のお店

 

 

 

「遅い」

「だからさっきから何度も謝ってるじゃないですか」

「遅い」

「俺も昨日丸一日仕事でかつかつだったんですよ」

「巨乳女にデレデレして、JSにいいように振り回されて、最後にキスされるのが仕事なわけ?」

「いや、それは……って、姉弟子、昨日の『ニコ生』見ててくれたんですか?」

「見てない」

「え? でもさっき放送の内容を言ってたじゃ……」

「言ってない」

「は?」

「言ってない」

「……そうすか」

 

 『ニコ生』の惨劇の翌日、俺は姉弟子とともに研究会のため東京は原宿を訪れていた。姉弟子とは駅前で待ち合わせしていたのだが、ちょっとしたことから俺が遅刻してしまった。そのためつい先ほどまで姉弟子からネチネチ責められていたのだ。

 研究会の相手は俺と姉弟子でそれぞれ違う。俺は歩夢きゅんと、姉弟子は歩夢きゅんの師匠、『エターナルクイーン』女流名跡(プロ棋士でいうところの名人)釈迦堂里奈(しゃかんどりな)さんとだ。

 『シュネーヴィットヒェン』竹下通りの一つ隣の脇道にあるそのセレクトショップは釈迦堂さんの経営するものだ。ここでふたりが俺たちを待っている。

 

 

 

 

 

 

「ようこそ我が城へ、銀子。そして若き竜王よ」

 

 扉を開けると釈迦堂さんが俺たちを迎えてくれた。

 店内は中世ヨーロッパ風で統一されている。この辺りの趣味はまさに歩夢きゅんの師匠って感じだ。

 釈迦堂さんは姉弟子とともに席に着き練習対局を始めた。なぜか俺に見学していくように告げてだ。俺としては1秒でも早く歩夢きゅんと研修会を開始したかったのだけどどういうことだろう?

 練習対局そのものは居飛車穴熊対ノーマル四間飛車という最新最強の戦型(姉弟子)対昭和時代の型落ち戦型(釈迦堂さん)というで始まり、芸術的な受け潰しにより釈迦堂さんの勝利という意外すぎる結果になった。

 確かに驚いた。けれどそれでも歩夢きゅんとの研究時間を削ってまで……という感じなのだがどういう意図が釈迦堂さんにはあったのだろう? 俺が見ていたから姉弟子に勝てたというようなことも言っていたけれど?

 その後、釈迦堂さんに負けて怒る姉弟子に追い立てられるように店の二階にいる歩夢きゅんのところへ向かった。

 そこで歩夢きゅんと滅茶苦茶研究した。かけた時間は実に5時間にのぼる。とても濃厚で濃密な全てを出し尽くした時間だった。お互いにこれまで秘してきた部分、その隅々までさらけ出し理解し合った。

 これは俺からの名人に勝てというエールであり、そして竜王戦の場で俺に挑むという歩夢きゅんの決意表明であった。そして……おそらくこれがふたりの最後の研究会になるのだろう。何となく分かっていた。

 

 

 

 

 

 

 万感の思いを胸に1階へ降りると部屋には釈迦堂さんひとりになっていた。

 姉弟子の行方を聞くとお色直しとのことだがなんだそりゃ? だけど姉弟子がいないこの場は好都合だ。俺はかねてから悩んでいた弟子の育て方、導くべき女流棋士のあるべき姿というものを釈迦堂さんに問いかけた。姉弟子のいる場ではこんな弱音のようなことは口に出せなかっただろう。

 そして釈迦堂さんは語ってくれた。『エターナルクイーン』がこれまでに遭ってきた境遇。女流棋士としての矜持。そして”女棋士”の向かうべき未来。

 大きかった。棋力とかそんな問題じゃない。ただただ器が大きかった。

 姉弟子が懐き、歩夢きゅんが師匠として敬うのも頷ける。自然と心から敬える”大人”がそこにはいた。

 ※釈迦堂さんの話はとても素晴らしいので是非原作を(以下略)

 そこからさらに姉弟子にかけている希望。そしてその対極にいる魔物、祭神雷(さいのかみいか)について話をしていたところで姉弟子が帰ってきた。

 

 

 

 ドレスを着て。

 

 

 

 もう一度言おう。ドレスを着てだ。

 それもフォーマルなやつじゃない。リボンとかフリルをこれでもかというほど過積載にし、スカートもローアングラー的ポジションなら余裕で中身が拝めてしまえそうなほど短い。ともかくカワイサを全面に押し出す衣装だ。断じて姉弟子が好むものではない。

 

「……何見とんじゃ……ぼけぇ……」

 

 吐き出す罵倒もいつになく弱々しい。

 釈迦堂さんによると研究会に関する費用を釈迦堂さんが負担する代わりに姉弟子を着せ替え人形モデルにして楽しむという契約になっているらしい。

 釈迦堂さんに何か感想を言うように押されるが、意外すぎる状況にうまく言えそうにない。もともと語彙が豊富ではないということもあるが。中卒の悲しさよ。

 

「えっと……姉弟子……そのかわいいですよ、うんかわいい」(小並感)

「…………ぶちころしゅじょ……われぇ……」

 

 姉弟子は顔を真っ赤にしながら罵倒になっていない罵倒を返してくる。

 うーん。姉弟子も世間的からはよくかわいいかわいい言われているはずなんだけど慣れないもんだな。せっかくだからもっと言っとくか。

 

「うん! めっちゃかわいいよ姉弟子! かわいいかわいい!」

「そ……そうかな? わたしかわいい?」

 

 この姉弟子、ちょろあまである。

 だけど何となく落ち着かないな。ちょっとぼけておくか。

 

「イイ! イイよぉ! せっかくだから写真撮るね!」

 

 そういって俺はスマホを構える。

 ローアングラーとなって。

 

「……うん。かわいく撮ってね。……って八一」

「うん? なに姉弟子? ちょっと動かないで」

「ねぇ八一。その角度だと私のパンツ見えてない?」

「見えてないよ」

「本当に? 私の青いパンツ見えてない?」

「青? 白でしょ? …………あ」

「…………」

 

 姉弟子の顔が更に赤く染まる。いかん攻撃色だ。

 だけどこちらは腹ばいの状態。すぐに回避行動はとれない。ならば後できることは———

 

「……てへぺろッ」

「ブチ殺すぞ、われッ!」

 

 顔めがけて飛んでくるインステップキック。

 

「あがっ!」

 

 とても痛い。だけど実家のような安心感。やはり姉弟子はかくあるべし。

 

 

 

 

 

 

 その後、釈迦堂さんは姉弟子にこの格好のまま大阪に帰るようにとのオーダーを出した。

 鬼かあの人は。

 こんな格好のまま姉弟子を一人放り出してはどう考えてもギャラリーに囲まれることになる。俺がエスコートせざるを得なかった。姉弟子はヒールを履いたこともない訳でこけかねないしな。

 竹下通りに出ると案の定やじ馬に囲まれることに。姉弟子のことをモデルでイベント中と勘違いした群衆が群がること群がること。姉弟子のプロフィールを聞きたがる奴や服のブランドを知りたがる奴。そして最悪なのが勝手に写メをバシャバシャ撮りまくる奴らだ。とにかく無視だ。姉弟子の手を引いてずんずん進む。

 

「写真をWebにでも上げられて将棋関係者に見られたらまた何を言われるか。……ただでさえ俺と姉弟子は誤解されることも多いんだから……」

「…………かいじゃないし……」

 

 それに万が一、弟子達に知られでもしたら。ことあいに知られれば命に関わる。歩夢と研究会だと言って一人東京に残った俺がコスプレした姉弟子を連れて原宿を歩いている。うん、きっと情状酌量の余地はないな。

 

 

 

 とにかく今は祈るしかない。タクシーで品川駅に乗り付け、新幹線に飛び乗った。席についてもなぜか姉弟子が俺の手を離すことはなかった。

 なのでそのまま俺は物思いに耽る。

 この服。これはいいものだ。なんとか天衣に着せられないだろうか。普段からゴスロリみたいな服を着ているんだからそこまでハードルは高くないと思うのだが。いやこんなミニミニスカートを履いていたことはないけど。

 釈迦堂さんはかわいい女の子を着飾らせることが好きみたいだから、天衣の写真を見せれば嬉々として用意してくれるだろう。後は晶さんを抱き込めば———

 

 

 

 いける! いけるぞ!!

 

 

 




■原作との違い
・ロリ落ちしている八一、ドキドキ感Down
・八一、ボケる
・八一、悪だくみする

最初はキンクリしようと思ったんですが、これを逃すとマジで姉弟子のエピソードがなくなるので急遽書きました。
が、むしろなかったほうが良かったかも。かえって姉弟子がかわいそうな結果に……
八一の鈍感力ェ


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03.絶対に笑ってはいけない警察24時

 

「吐け!」

「ひっ!?」

 

 罵声とともに俺のすぐ脇の壁にドカッと叩きつけられる足。

 マイナビ統一予選の解説会が休憩中の今、控え室では九頭竜八一容疑者(17)への取り調べが行われていた。俺のことだ。

 

 容疑は不純異性交遊だ。

 

 

 

「まあまあおばさんそう脅さないで。……師匠、よければ話を聞かせてもらえませんか? 何か事情があったんでしょう?」

 

 かわいらしい幼女が俺を労るように聞いてくる。

 

「その……あいつとは中学の時にネット将棋で出会ったんです。なかなか面白い将棋を指すやつで、よく指してたんですけどそのうちチャットで話すようになって……」

 

「八一、出会い厨だったんか、われッ!?」

「ひっ!? ち、違います!?」

「何が違うの!? チャットでナンパしたんでしょッ!?」

「ご、ごめんなさい! ごめんなさい!」

 

 銀髪の少女の罵声に萎縮してしまう。

 

「大丈夫大丈夫。怖くないですよ。さあ落ち着いて。続きを話してみてください」

 

 かわいい幼女になだめられ俺はまたしゃべりだす。

 

「実際にあったのは四段になってからです。三段になってからはずっとネット将棋をやってなかったので連絡をとることもなかったんですが……。昇段と同時にネットにつないだらメッセージが来まして……」

「…………」

 

銀髪の少女が無言であごをしゃくって先をうながす。

 

「東京で待ち合わせをして会ったんです。そしたらそこにいたのが祭神雷で」

「そこで運命を感じちゃったと」

「え?」

 

 突然聞こえてきたぞっとするほど冷たい声に思わず、幼女の顔を見上げる。幼女はきょとんとした顔をしている。この子のほうから聞こえてきたかと思ったが勘違いか……?

 

「いえ、特に色っぽいことはなく、ただVSをしていただけで」

「なるほど。それはたいしたことはないですね。……それで終わりですか?」

「その……竜王になった後すぐに『付き合って』って言われて———」

 

 ドゲシッ!!  痛い!?

 それまではあくまで口での脅しのみだった銀髪の少女——姉弟子からついに物理的な攻撃が飛んでくる。

 たまらず幼女のほうに転がって逃げるが、その幼女——あいは先ほどまでの優しさが嘘かのような無表情で暴力を受ける俺を観察していた。

 この世には神も仏もない。そう絶望する俺に、しかし天は俺を見捨てていなかった。

 

「ちょっと。人の師匠を足蹴にしないでって私は前に言わなかったかしら?」

 

 そう言いながら控え室に入ってくる天衣。

 これまでの姉弟子は天衣に苦手意識を持っているのか、その言葉を聞き入れていた。だけど今日ばかりは怒りが勝っているらしい。

 

「黙れ小童。あんただって事情を聞けば私たちに味方するわよ」

「はあ? 何言って——」

「まあまあ、天ちゃん。今日に限ってはおばさんに一理あるんですよ」

「貴女まで一緒になって何を」

「ことは師匠の元カノの話なんです」

「は?」

 

 そう言って、天衣を説得にかかるあい。もしや天衣まで調略されてしまうのではないか。そんな不安に苛まれながらも俺には見守るしかない。

 

「天ちゃん、祭神雷って知ってますか?」

「?……たしか女流帝位だったかしら? 才能も女流一って言われてる」

「それは今は良いのよ」

「そうです。重要なのは過去に師匠はその祭神雷と密会を繰り返していて、その際に『付き合って』と告られていること。それに今日もまたその時の返事を求められているところをおばさんが目撃してるってことなんです。師匠はちゃんと断ったし、もう会ってもいないって言い逃れしてるんですけど」

「……それで元カノ?」

「そうです」「そうよ」

「はぁ……聞き出したいなら好きにすればいいけど、暴力は止めなさい。目障りだわ」

 

 天衣の選んだ答えは中立。ひとまず静観する構えだ。

 え? 止めてくれないの?

 

「むー。天ちゃんの良い子ぶりっこー。自分だって気になるくせにー」

「小賢しいガキね」

 

 あいと姉弟子からブーイングが飛ぶ。天衣はガン無視だ。

 だが、優先順位があるのだろう。やがてあいと姉弟子は俺のほうを向き直り尋問を再開する。

 

 そして俺は洗いざらいを供述させられた。

 雷は別に俺を好きというわけではないこと。ただ強くなるために将棋が強い相手を求めているだけのこと。俺の部屋に侵入して全裸待機していたことがあること。師匠経由で連盟を通して抗議したこと。etc.etc.

 

「つまり八一先生は、その女につきまとわれて迷惑しているというわけね」

「ん? あ、ああそうだ」

「それに相手の方も恋愛感情ではなく、あくまで将棋が目当てと」

「その通りだな」

「なら対処は簡単ね」

「なに?」

 

 

 

「諦めさせればいいんでしょう? 自分にいかに才能がないかを理解させて」

 

 そういって、天衣は獰猛に嗤う。

 

「都合がいいことにおあつらえ向きな舞台があるじゃない?」

 

 

 

 マイナビ一斉予選決勝。天衣の相手は———女流帝位祭神雷。

 

 

 




■原作との違い
・あいちゃん、落とし役に
・天ちゃん同席
・イカちゃんの相手、天ちゃんに(たまよん逃げて、超逃げて)


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04.竜の子は雷を討ち滅ぼす

 

 

「無理だ。勝てるわけがない」

「そう? 実力差はあるでしょうけど、勝負はやってみないと分からないわ」

「姉弟子も見たでしょう。雷のさっきの対局」

 

 雷はあろうことか対局に遅刻し、ペナルティーとして持ち時間を3分まで削られた。その上、持ち時間をわざと使い切ってから初手を指したのだ。明らかに舐めきっていた。

 対局相手は焙烙和美女流三段。過去にはA級棋士に勝ったこともあり、本大会でもチャレンジマッチで桂香さんを粉砕して敗者復活戦送りにした猛者だ。

 いかに雷が強いとはいえ相手も女流の強豪。その上持ち時間の有無は圧倒的なアドバンテージだ。そして対局の結果は———雷の圧勝。

 焙烙さんは立ち上がることができず、ずっと泣き伏せていた。雷の残酷なパフォーマンスによって壊されたのだ。 広瀬○人八段のように。

 俺にはあれが、次はお前の弟子をこうしてやるという挑発に思えてならなかった。

 

「あの小童があそこまで自信満々に言うんだから何かしら勝算があるんでしょう」

 

 天衣は計算高いタイプだからそうだと思いたいんだけどな。相手が雷以外のタイトルホルダーならこんな心配はないんだが。

 

「……それに残酷な目に遭うのは相手の方かも知れないわよ」

 

「姉弟子? 何か言いました?」

「…………」

「姉弟子?」

 

 黙ってモニターの先の何かを見ていた姉弟子の表情はなぜかこわばっていた。

 

 

 

 

 

 

「お待たせしました。それではマイナビ一斉予選決勝の解説会を始めます。聞き手は私、空銀子。解説は九頭竜八一竜王でお送りします」

「……お願いします」

 

 会場は大盛り上がり。誰もがこれからの一戦を楽しみにしている。そんな中で俺だけは乗れないでいた。

 姉弟子が本日注目の一戦を告げる。女流帝位祭神雷と最年少アマチュア夜叉神天衣。姉弟子が俺に問いかける。天衣はどんな将棋を見せてくれるだろうかと。

 

「女流帝位は強い。とてつもなく強い。ですが———」

 

 本音を言えばとても不安だ。釈迦堂さんが雷を評した『究極のエゴイスト』という言葉。的確だ。あいつはどんな残酷なことでもやってのけるだろう。だけど、愛弟子がこれから一世一代の大勝負に望もうとしているんだ。だから俺くらいは信じなきゃ嘘だろう———

 

「竜王の弟子はもっと強い!!」

 

 あいつの勝利を!!

 

 ———おおおおおおおおぉぉ!!

 

 そして観客の歓声に乗せるように聞こえてくる。

 

『よろしくお願いします』

 

 気負いなく、むしろ自分の方が上手のように鷹揚にふるまう。

 いつものように一度黒髪をかき上げて、天衣の初手は角道を開ける7六歩!

 

 

 

 

 

 

 天衣が角道を開けたのに対して雷も同じく初手で角道を開けて見せた。次に天衣は飛車先の歩を突いて居飛車戦を明示。対して雷はどのように応じるのか。

 雷はニヤニヤと笑いながら盤上奥に手を伸ばし……これはッ!?

 

『うひッ』

「「一手損角換わり!?」」

『チッ!!』

 

 天衣の師匠である俺が、そして天衣自身も得意とする『一手損角換わり』。あからさますぎる挑発だ。天衣は激発しそうになり扇子をぎゅっと握って何とか怒りを堪えた。そして馬を銀でとる。

 

 以降、4二銀、6八玉、3三銀、4八銀、5四歩、4六歩と進み、12手目。

 雷はつまんだ飛車を———

 

『ひひッ! ごたぁーーーーいめぇぇーーーーーーん!!』

 

 天衣の飛車の正面に振った。これは……

 

「「だ、ダイレクト向かい飛車!?」」

 

 俺も姉弟子も驚愕する超力戦型の戦法。プロでも数人しか指しこなせないほどの高難度の戦型だ。研究をよくしている天衣ならば全く知らないということはないだろうが、それでもそう豊富な経験値があるとは考えづらい。

 

『チッ!』

 

 天衣はひとまず受けに回った。7八玉と飛車のいないエリアへ玉を逃がす。

 当然雷は飛車先の歩をついてくるが、天衣もただ受けるだけでなく飛車のいなくなった左方から突き崩すべく9六歩。その後互いに右辺の桂馬を跳ね合って飛車を牽制。右辺で分厚く攻めてくる雷に対して天衣も右辺の駒を総動員し激突に備える。

 そんな中、雷が突然天衣に話しかけた。

 

『きみ、やいちの一番弟子なんだろぉ?』

『…………』

『ずるいよなぁ? やいちにいろいろ教えてもらってるんだろうぉ? こっちはいくら何度お願いしても将棋指してもらえないのにさぁ。何度も何度も何度も何度も何度も———』

 

 ガタガタと貧乏揺すりをしながら天衣に話しかける。

 異様なその姿も天衣は完璧なメンタルコントロールで黙殺しているが、先に周囲の観客に火がついた。

 

「イカちゃんの超盤外戦術キターーッ!!」

「これを見に来ました!」

 

 観客の声に押されるかのように更にテンションをあげていく雷。

 もはや攻め上がりは左辺にもおよび、将棋盤全体で押し潰さんとばかりに迫っていく。

 

『なあぁぁ、こっちが勝ったらさぁ代わってくれよぉ。やいちの一番弟子ぃぃ』

『はぁ?』

 

 そこで初めて天衣が応じる。

 

『才能のない奴がやいちとやってたって無駄だよぉ。こっちならやいちと指せばどこまでもどこまでも強くなれるさぁ。なぁぁこっちのほうが竜王の弟子に相応しいだろぉぉぉ?』

『…………』

『女流棋士とやったってつまんないんだよぉぉ。空銀子も釈迦堂里奈も月夜見坂燎も供御飯万智も、みぃんなニセモノさぁ。あいつらは何も見えてやしない』

『…………』

 

 祭神雷と空銀子。実績では圧倒的に姉弟子の方が上だが、才能なら祭神雷が遙かに勝るという声が大勢を占める。姉弟子と雷の直接対局の棋譜を見た者は圧倒的にそう言う評価になる。

 

『こっちならさぁぁ。女流タイトルを独占してから全てうち捨ててプロ棋士になってやるさぁぁ。そんで役目を終えた女流棋士なんて潰すのさぁぁ』

『…………』

『あんなやつらと将棋を指してるとこっちが腐ってくのが分かるんだよぉ! こっち、生きながら腐ってるんだよぉぉぉ!!!』

 

 

 

 

 

 

 雷の将棋は強い。その才能は疑いようがない。そして将棋界は強さが全てだ。俺はそこに異論を挟めない。だというのに雷を見ても全く心引かれるものはない。なぜだろう。あの日見た釈迦堂さん。姉弟子。ふたりの弟子達と何が違うのか。

 

 この対局を見ていて分かった。美しくない。全く美しくないのだ。

 才能に裏打ちされた彼女たちの力はどれも極上の輝きを伴う美しいものだ。対して雷のそれはエゴに凝り固まり、腐臭を上げているかのようだ。こんなものが棋士の理想であっていいはずがない。

 

「……天衣」

 

 そして俺は希望通りまもなく目にすることになる。

 地表を覆いつくさんとする汚泥を燦々と輝く太陽が焼き尽くすのを。

 

 

 

 

 

 

『はぁ……。ペラペラと何を喋るのかと思えば聞くに堪えないわね』

 

 それまでの雷の絶叫に対して溜息とともに天衣が吐き出したのは心底の呆れだった。

 

『あぁ?』

『空銀子も釈迦堂里奈も月夜見坂燎も供御飯万智もニセモノ? それは結構なことだけれど、貴女自身もたいしたことないわよ?』

『けひっ……けひひひひひ。たいしたことがないかどうか試してみるといいさぁぁ。超特大の捌きで吹き飛ばしてやるよぉぉぉぉ!!』

 

 陣全体で落ちてくる雷に対して、天衣も陣全体を押し上げて受け止める構えだ。歩は一つとして初期位置におらず、最後尾の九列に至っては香2枚と桂馬を嫌って下がった飛車しかいない。

 

『それじゃあお言葉に甘えて』

『あ……うェ?』

 

 47手目。天衣がつまんだのはその最後尾にいた飛車。移動先は8九———

 

「「地下鉄飛車ッ!?」」

 

 俺も姉弟子も驚愕に思わず叫ぶ。

 自陣最後列を駆け抜ける『地下鉄飛車』。九列の駒のほとんどを上げる必要があるため、実戦で出現することは滅多にない手だが指されてみれば絶妙手だ。飛車は雷の王頭に狙いを合わせ、左端のカウンター要の駒と絡んで一気に分厚い攻撃陣が出現した。対して雷の右辺の飛車を始めとした攻撃陣は侵攻目標を見失ってしまっている。

 

 

 

 圧倒的な大局観だ。天衣はたった一手で攻守の立場を入れ替えてみせたのだ。

 

『……はぁ? はぁぁぁぁぁぁぁ!?』

 

 雷は驚愕しつつも手持ちの角を打ち込んでまずは手薄になった右辺を破りにいく。けれど天衣の歩が全て上がっていたため、後一歩成るところまで持ち込めない。そこで王目がけた天衣の攻撃が始まる。

 53手目8五歩。同桂、同桂。ここで手抜いて雷は馬を作る。3七角成る。

 天衣もこれを放置して攻撃を継続。9三桂成る。王手。

 

『ひひっ……そんな王手は怖くなぁぁぁぁぁいッ!』

 

 雷は同香でこれをしのぐ。けれど天衣の攻撃は止まらない。5五に歩を打ち込んで黙々と雷の守りをはぎ取りにかかる。駒と駒がぶつかっては消えを繰り返す。

 67手目9四にいた銀を同香としたところで雷の王を囲っていた守りはその大半が消え去っていた。これは———

 

「…………巨匠の捌き」

 

 そう。姉弟子が呟いたとおり、『捌きの雷』がその手腕を振るう前に、天衣は巨匠の薫陶を受けたそのタクトで雷の守りを捌ききってしまっていた。

 

 けれどここで雷が意地を見せる。

 

『ひひっ! なめるなァァァァァァ小学生ェェェェェェえッ』

 

 8五に桂を打ち込んで逆撃に出る。対して天衣は———

 

「手抜いたの!? ここで!?」

 

 9六桂打つ。雷の攻撃を無視して斬り合いだ。雷は受けるために9五へ銀を打ち、天衣は無視して桂を跳ねる。が、ここでさらに雷が手抜いてきた。

 

『ひへぁ!! これでェェェどうだァァァァァァァァ!!』

 

 5六桂打つ。王手をかけつつ天衣の飛車に壁を挟む好手だ。

 

『……はぁ』

 

 けれど、雷のそんな気合いの一手に天衣は露骨に溜息をついて見せた。

 

『ひひゃぁ?』

『空二冠より才能は上だと言うから期待していたのに……あなたその時から全く進歩していないじゃない』

 

 そう言いながら天衣はひょいっと玉を右隣に動かして王手を躱した。

 その手に雷は目を剥く。

 

『…………はぁ? はぁぁぁぁぁぁ!? それで受かってるだぁぁぁぁぁ!?』

 

 天衣はこのマイナビの道中の対局を楽しみにしていた。自分が成長するためのエサとしてではあるが。そして雷にその価値もないと落胆しているのだ。

 

『自分が腐っていくのを感じる? それだけは正しい見立てね。貴女の才能はどうしようもなく停滞してしまっている』

 

 天衣の飛車が小刻みに前進し、打ち込んだ駒と併せてまた雷の守りを捌いていく。

 

『でもろくな対局相手がいないからというのは間違いね。貴女の性根が腐っているからその才能も腐り果てたのよ』

 

 天衣は雷に致命傷を与えるべく、守備の裏に角を打ち込む。

 

『失敗の原因を外に求める者は大成しないわ』

 

 雷はそれを歩を打ち込んで必死に受けるが、その様をあざ笑うかのように今度は左の定位置にいた香車が飛び込んで王の直上の歩を砕く。王手!

 

『ねぇ? さっきの竜王の弟子には自分の方が相応しいってやつ。私の頭が悪いのかちっとも理解できないのだけど。よかったら私にも分かるように説明してくれないかしら?』

 

 雷は顔面受けでそれをしのぐしかないが、さらに頭金が打ち込まれる。二連続王手! 雷の王は尻を振って逃げる。それに対して、天衣はノータイムで飛車を切る。強手! 雷は歩でとるしかない。

 

『才能どころか性根も腐ってる。私より若いわけでもない。どこが八一先生に相応しいの? それに貴女———』

 

 

 95手目。天衣がつまんだのは先ほど7二に打ち込んだ角。それが馬となって王の頭に襲いかかる。9四角成る!!

 

 

『とても不細工だわ』

 

 

 

 

 ここで雷はくずおれ、投了を示した。

 雷に引導を渡したのはこれも因果か。『一手損角換わり』で天衣の手に渡った『角』だった。

 

 

 




■原作との違い
・姉弟子、天ちゃんに怯えを見せる
・イカちゃん、天ちゃんの『絶対に許さないリスト』入り
・天ちゃん捌きの雷を捌く
・イカちゃん、ゲシュタルト崩壊

ということで、見事天ちゃんの『絶対に許さないリスト』入りしたイカちゃんは残酷な目に遭わされたのでした。めでたし、めでたし。
次回はあいちゃんの『絶対許さないリスト』入りしているたまよんなんですが……生きろ。


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05.大魔王からは逃げられない

 マイナビ一斉予選開始前、選手控え室で既に決勝の前哨戦は始まっていた。

 

「久しぶり。元気だった? あなた達、ふたりともすごい人気ね!」

 

 薄っぺらい笑顔を貼り付けてある女の人が話しかけてきた。緊張してるんじゃないかとか私たちのことをまるで気遣っているようなことを言ってくるけど、この忌々しい女狐に限ってそんなはずはない。

 

「でも心配しなくてもいいのよ? あなた達に注目しているお客さんは、将棋の内容なんてこれっぽっちも興味ないんだもの」

 

 

 

 ほらね?

 

 そのあとも負けても平気だの、どんな酷い将棋を指しても大丈夫だの言い募ってくる。天ちゃんが黙っているのでひとまず私も黙って聞く。心の中で正の字を書きながら。ん? 特に意味はないよ?

 

 一通りしゃべり終えたのだろう。女狐が黙ったところで天ちゃんが口を開く。

 

「貴女、誰?」

「ッ……!!」

 

 プッ 止めてよ天ちゃん、思わず吹き出しそうになっちゃった。

 女狐は顔を真っ赤にしている。

 ……でもこれ嫌みとかじゃなくて本気で言ってるんだろうなぁー、天ちゃんの事だから。仕方ない。妹弟子が教えてあげますか。

 

「天ちゃん……あの人だよ。ほら、この間の『ニコ生』の」

「ああ、あの時の。名人の手筋の粗が何も見えてなかった残念な女流ね」

「だ、だめだよぉ天ちゃん。私たちの2倍以上年上の目上の人にそんな失礼なこと言っちゃ……」

 

 私は天ちゃんを押しとどめながらそう言う。

 

「そういうことは盤上で教えてあげればいいんだから」

 

 あ、いけない。本音が口から出てた。…………ま、いっか。

 顔を青くした女狐の顔をのぞき込みながら、こいつと当たったらどんな目に遭わせてやろうか考える。こいつとあいは同じブロックにいるから上にいったら当たるかも知れない。

 ただでさえあいは天ちゃんをねじ伏せて、おばさんを蹴落とすのに忙しいっていうのに、これ以上余計な労力は割きたくない。師匠に色目を使う害虫は後顧の憂いを絶つためにも確実に潰さなきゃね。

 

 

 

 

 

 

 女狐は予選決勝まで上がってきた。

 これはあいが引導を渡してあげないと。

 頑張ります!

 

 

 

「こいつは飛車を振る」

 

 うん? 女狐が何か言い出した。

 

「って、思ってる顔をしてるよね」

 

 いいえー。あいはあなたの棋風に興味ないですー。

 でも女狐は勝手に勘違いしたのかにんまりして飛車先の歩を進めてきた。言葉から察するにあいの研究を外そうとしてきたのかな? あい、別にあなたの研究なんてしてないけど……勘違いって痛いよね。ま、いいけど。

 あいももちろん飛車先の歩を進める。それに対して女狐は———2五歩。あいが飛車先の歩を伸ばせば『相掛かり』になるんだけどいいのかなー? いいか。逝っちゃえ。

 

「んっ」

「死にな。ガキ」

 

 うーん。強い言葉を使うと逆に弱く見えるよね。

 

 

 

 

 

 

 駒のぶつかり合いも進んで、もうまもなく終盤へと差し掛かろうかというタイミング。

 うーん。形勢はまだほとんど互角、ううんほんの少しだけどあいの方が悪いかな。そろそろこの女狐の仕留め方を考えたいんだけど何か良い方法ないかなー。一発で心をへし折るようなそんな劇的な勝ち方がいいよね。

 

 何はともあれ読むことから。

 

 とって、うって、とって、うって、とって、うって、とって、うってとってうってとってうってとってうってとってこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこうこう……………………あった。

 

 あと大事なのは演出だ。まだ確定コースに乗ってないけどうまくいけば……。

 

 こう。後5歩。

 こう。近づいた。後4歩。

 こう。現状維持。後4歩。

 こう。後3歩。

 こう。後2歩。

 こう。後1歩。

 こう。変わらない。後1歩。

 こう。…………………乗った。

 

 

 

「あはァ」

 

 

 

 

 

 

「ッ……!?」

 

 ———ゾクッ!

 白いのから漏れた笑い声を聞いた時、得体の知れない寒気が背筋を走った。

 こいつ、何をする気!?

 

「さんじゅーう」

 

 そう言いながら次の手を指す。一体何の意図があるのか。私も手を進める。

 

「にじゅうきゅう」「にじゅうはち」

 

 白いのはノータイムで手を指しながらまた数字を読み上げた。白いのはその次の手以降も一手進む毎に数字を読み上げている。

 

「にじゅうなな」「にじゅうろく」「にじゅうご」「にじゅうよん」……………

 

 一体何だっていうの。持ち時間とも違う。一体何のカウントダウン…………ッは!? カウントダウン!?

 

「じゅうよーん」

 

 ———嘘でしょ? 嘘よね? 嘘だって言ってよ!? …………これ……私が詰むまでのカウントダウン!?

 

「じゅうさーん」

 

 負けてる!? もう負けてるの!? 何か、何か手はッ!?

 私は持ち時間を使って必死に長考する。

 何かこの白いのの読みを外す手を……これならッ!?

 

「じゅうさーん」

 

 良かった。カウントダウンが止まった。

 

 

 

 …………いいえ。カウントダウンそのものは止まっていない。数字が減ってないだけで白いのがノータイムで指してくるのも、数字を読み上げるのも変わらない。……これ寿命が一手延びただけ……なの?

 

 

 

 その最悪の予想を裏付けるかのように、次の手からまた数字の減少が再開する。

 

「じゅうにー」「じゅういーち」「じゅーう」

 

 あ、ああ……何か手は、他に何か手はないの!?

 

「きゅーう」「はーち」

 

 止めなさいよ……。止めて。止めてよぉ…………その羽を毟った虫を観察するような眼を止めろぉ……!!

 

「なーな」

 

 ———あぁ……。ここまで来て私にも見えた。見えてしまった。私の王は後7手で詰む。どこにも逃げ場はない。……こいつには30手前からこの光景が見えていたっていうの? そんなの……………………………

 

 

 

 

 

 

 ———化け物

 

 

 

「……負けました」

「ありがとうございましたッ」

 

 

 

 

 




ということでたまよんは死の宣告からの有言実行の刑となりました。エグい。


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06.Present for.

第四章エピローグです。


 全ての対局が終わった後は、本戦のマッチングを決めるための抽選会が行われる。観客の前で対局相手を決め、次戦に向けての意気込みを語るのだ。

今クジを引いているのは桂香さん。桂香さんは道中苦戦しながらもなんと一斉予選を突破した。後、1勝すれば女流棋士になれるわけだが、クジの結果は———

 

『おおっと出ました! 清滝桂香さん、一回戦の相手は———釈迦堂里奈女流名跡です!』

「 \(^o^)/ 」

 

 最悪のところを引き当てた。本大会のシード4枠の中で最強の女流棋士。生きるレジェンドがあいてだ。よりにもよって。桂香さんのクジ運ェ……。

引き当てた本人は魂が抜けているし、隣の姉弟子も顔を覆ってしまった。

 

「ま、まあ三人が三人とも本戦に進めただけでも凄すぎるよね!」

「その割にはあまり嬉しそうじゃないけど?」

「あー、まぁ。まだまだ幼い弟子が巣立っていってしまったようで寂しいというか。天衣なんてタイトルホルダーの雷を完封してしまってますからね。もう俺なんて必要ないかな?」

「…………そうね」

「うぅ……ちょっとくらい否定してくれたっていいのに」

「…………そんな余裕なんてあるわけないでしょ」

「……姉弟子?」

 

 様子がおかしくなった姉弟子をうかがうもリアクションはない。一体どうしたというのか。そんなことを考えているうちに桂香さんのインタビューが終わり俺の弟子たちの番となった。

 

 まずはあいか……。

 と思ったが、あいは天衣の手を引っ張って二人いっしょにステージにあがってきた。二人とも緊張しているのか顔を赤くしている。それにしてもなぜ二人いっしょに?

 思わぬサプライズに観客は大盛り上がりだ。二人とも今日一日であっという間に将棋界のアイドルへと駆け上がった。

 

「夜叉神さんと雛鶴さんは今日の勝利をある人にプレゼントしたいそうですね?」

「はい!」

 

 そう答えて、あいはスピーチを始めた。

 

『師匠、17歳のお誕生日おめでとうございます!』

 

 俺の誕生日の祝いから始まって、出会ってからこれまでの思い出。このマイナビに賭けた思い。そして竜王防衛戦に臨む俺への思いやり。俺は涙を堪えるので精一杯だった。

 

「はい! じゃあ次は天ちゃんの番!」

 

 あいに手を引かれ天衣が前に出る。

 

「…………」

 

 そして、マイクの前でしばし無言。それからややあって話だした。

 

 

 

『八一先生の弟子になって早、半年近くになります』

 

『八一先生はもう知っているんでしょうけど、私には前にとても……とても辛いことがあって、それから私の時間はずっと止まっていました』

 

『そのころの私はただ自分の世界に閉じこもって、独りよがりに将棋と向き合っているだけで……私を心配してくれた人達に当たり散らすことしかできなかった』

 

『八一先生に初めて会ったときもきっととても嫌な子だったと、自分で振り返ってもそう思います。だけど、自分から踏み出せずにいる私を八一先生が弟子として迎え入れてくれた時から私の時間はまた動き始めました』

 

『自分が変われたかなんて分からないけれど……八一先生の弟子になってからこれまでの時間は私の中で一番輝いている大切なものです。……たった10年しか生きていない子供の言うことですけど、それでも自信を持ってそう言えます』

 

『八一先生からたくさんの宝物をもらいました。私の手を取って外の世界へ連れ出してくれた。貴方を囲む人の輪へ私をつなげてくれた。将棋との幸せな向き合い方を教えてくれた。私のことを大切に思っていると態度で示し続けてくれた。私と師弟(かぞく)になってくれた』

 

 

 

『だけど———』

 

 

 

『私はたくさんの宝物を八一先生から受け取ったけれど、きっとほとんど何も返せていません』

 

『これから長く辛い防衛戦に臨もうという貴方に、私はきっと何の力になることもできません。こうやって大会の本戦へ進むことができたけれど、それでも八一先生と私の力は隔絶しているから』

 

『無邪気に頑張ってとも言えません。貴方が普段からどれだけ努力しているか知っているから。無責任に勝ってとも言えません。それがどれだけ困難なことか感じているから』

 

 

『…………私にできるのはきっと、私が勝つことで私の先生は誰よりもすごいんだと証明することだけです』

 

『ありがとう。八一先生。貴方がいたから今日私は勝つことができました。…………これからもよろしくお願いします』

 

 そう言って天衣は静かに頭を下げた。

 

 

 

 俺はもう涙を我慢することができなかった。一歩二歩とステージに踏み出し、右手で天衣を抱きしめ、左手であいを抱きしめていた。

 

 周りの目があるとか、ロリコンと誹りを受けるかもなんてことはどうでも良くなっていた。ただ弟子達の心に答えたかった。

 

 

 

 勝とう。

 例え挑戦者がライバルの歩夢でも。

 ———そして神と称される名人であっても。

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃん、思い溢れる

原作のそっけない天ちゃんの言葉もツンロリとして至高ですが、本作では素直になっているところを全面に押しだそうということでこのような形に。
いっそ告白までとも思いましたが、そうするとそこでエンドロールに突入となるのでお預けに。

というか前話まであれだけ散々好き放題やって、このエピソードだと白々しく感じられるような気がしなくも……とくにあい。

歩夢きゅんVS名人はキンクリ。出発エピソードだけでは一話分に達さないため持ち越しとなりますので次回から第5巻に入ります。が、またもやストックが尽きたため日が空きます。よろしくお願いします。


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第五章.竜が如く
01.今、旅立ちの時


ということで第五章の幕開けです。

今週は実験的に朝に投稿してみます。毎晩楽しみにしていただいている方には申し訳ありませんが、よろしくお願いします。


 

 

 

「あい、海外に行くの初めてですー」

「俺だって初めてだよ。しかもハワイだぜ、ハワイ!」

「常夏の島ですー」

「青い空に青い海! テンション上がるよな!」

「そんなところに二人で行くなんて……新婚旅行みたいですね、ししょー?」

「新婚旅行って……ハワイで待ってるのは名人との対局だし、それに二人じゃなくて清滝一門のみんなも一緒だろ?」

「……言ってみただけじゃないですか……師匠のだらぶち」

 

 あいの機嫌は山の天気よりも変わりやすい。さっきまでゴキゲンだったのに、今や雷雨の兆しだ。女の子って難しい。

 

 俺たちは今、特急はるかに乗って関西国際空港に向かっている。竜王戦第一局の舞台が海の向こうにあるハワイと決まったからだ。対局相手は名人——歩夢は残念ながら挑戦者決定戦で熱戦の末に敗北し、その座を譲った。

 17歳の若き竜王の初防衛戦そして名人の永世七冠・タイトル通算百期(扱いとしてはこちらの方が遙かに大きい。クソッ)が掛かった記念すべき7番勝負の最初の舞台は六年ぶりの海外対局となったのだ。

 

 そのため俺たちは福島駅から天王寺駅を経由し、この関西国際空港直通の特急列車に乗っているわけだ。出しなにはパスポートを桂香さんに預けていることを忘れて、あわや出国できずの不戦敗かと大騒ぎをしたが何とか無事フライトに間に合う電車に乗ることができた。

 

 先ほど桂香さんにパスポートを預けていると言ったが、今回のハワイ行きには桂香さんや姉弟子、師匠など清滝一門総出で応援(兼観光)に来てくれることになっている。姉弟子はもともと大盤解説の聞き手役として来ることになっていたのだが、それを聞いたあいが絶対に自分もついていくと主張。頑として譲らなかった。そこで孫弟子に甘い師匠の発案で一門みんなまとめてとなったのだ。みんなとは空港で合流することになっている。

 

『まもなく終点、関西空港です。本日もJR西日本をご利用下さいましてありがとうございました』

 

「お、あい、もうすぐ着くぞ」

「はいししょー。あい、飛行機も初めてなので楽しみですー」

 

 電車が止まるのを待って俺たちは関西空港駅に降り立った。

 

 

 

 

 

 

「遅い! 貴方達何をやっているの!?」

「ごめん、天ちゃんー」

 

 空港駅前で俺たちを待っていたのは天衣だった。天衣は晶さんに送られて別に車で来ていたのだ。

 

「いや……すまん、ちょっと家を出るときにドタバタがあってな。でもまだ飛行機の便まで余裕があるだろ?」

「そういう問題じゃないでしょうに……スマホを持ってるんだから一報くらいしなさいよ」

 

 天衣の指摘に俺は携帯を見てみると、天衣から遅れているのか確認するメールが入っていた。

 

「すまん。ドタバタで携帯が鳴ってたのに気づかなかった。心配かけたな」

「はぁ!? 別に心配なんかしてないわよ!……ただ訳も分からず待たされるのが嫌だっただけよ」

 

 耳を赤くしてそっぽを向く天衣お嬢様かわいい。清滝一門総出となる今回のハワイ遠征。天衣を連れてくるのは苦労したのだ。

 

 

 

 

 

 

『はぁ? どうして私がいかないといけないわけ?』

 

 ハワイに誘った俺に対する、天衣の回答がこれである。だがここで『お、おう……』と挫けてはいけない。

 

『清滝一門みんなで行くことにしたんだ。せっかくだから天衣もこいよ』

『私はそういうなれ合いは嫌いだわ』

『一門は家族だろ? 心の角道、開けていこうぜ?』

『キモッ』

 

 辛辣ゥー。だがまだまだ。こんな所で諦めるか!

 

『この間のマイナビではあんなに素直になってくれたのになぁー』

『チッ!…………あれはああいう舞台だったから空気を読んで話を盛っただけよ。本心じゃないから』

 

 これは視線を逸らした今の天衣の様子を見るまでもなく嘘だと分かる。天衣が周囲への配慮でそこまで自分を曲げるはずがない。精々『今日は…………あなたのためだけに指したわ』って照れ隠しでぶっきらぼうに言うくらいだろう。——いや、想像するとそれも相当かわいいな。……まあとにかく押せば落ちるはずだ。

 

『今回の防衛戦には、名人の永世七冠とタイトル在位通算100期というメモリアルが掛かってる』

『…………』

『多分、日本中がお祭り騒ぎになって、名人の勝利を、俺の失冠を祈るんだろう……正直に言えばとんでもなくキツい状況だ』

『…………』

『そんなときに近くに天衣がいてくれたら……心強いんだけどなぁ……』

 

 そう言いながら、チラッチラッと天衣の方を見る。天衣はプルプルと震えている。効果は抜群だ!

 

『天衣がそばで俺の勝利を願っててくれればそれだけで———』

『ああぁッ、もう! 分かった、分かったわよ! 行けば良いでしょう、八一先生!!』

『あざーす』

 

 我が弟子ながらチョロ甘である。

 

『じゃあ、チケットとか宿泊先はこっちで手配しておくからパスポートを準備しておいてくれよ。弘天さんの説得が必要なら言ってくれればそっちも手伝うから』

『はぁ……お爺さまのことなら別に大丈夫よ。私から話をしておくわ』

 

 こうして、『ドキッ、清滝一門だらけのハワイ旅行』は実現したのだった。

 

 

 

 

 

 

「それで他のみんなは?」

「みんな一足先に空港に入っているわよ。ロビーで待ってるって言ってたわ」

「そうか、ありがとう。天衣は師匠を待っていてくれたんだね?」

「猫撫で声キモいんだけど……あのメンツの中に私だけいても気まずいからここで待っていただけよ」

 

 ああ……天衣は前に姉弟子とも桂香さんともバチバチにやり合ってるしな。

 

「晶さんは?」

「今日は家の仕事があるから。さっき帰らせたわ。先生によろしくって」

「そうか。あとで合流できたことをメールしておくか」

 

 晶さんは自分も同行できないことを涙を流して悔しがっていた。天衣の水着姿なんかを撮影したかったそうな。ちなみにその役目は俺が代行するよう堅く言いつかっている。

 

「それじゃあ、俺たちも行こうか」

 

 

 

 いざ、空の旅へ!

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんハワイに同行


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02.清滝一門、常夏の島に立つ

「天ちゃん、これって……」

「うん?それは…………」

 

 隣の席からは弟子たちのひそひそ話が聞こえてくる。俺はそれをぼーっとしながら聞くともなしに聞いていた。夜間飛行中ということもあってか、周囲はとても静かだ。

 空の旅はとても快適だ。なんてったってビジネスクラスだからな。対局に関わる移動では対局者と立会人はビジネスクラス、その他の関係者はエコノミーということが多い。対局者である俺はもちろんビジネス、同じく対局者である名人と月光会長もどこかに乗っているはずだ。姉弟子は聞き手役、師匠と桂香さんはプライベートでの自費旅行の扱いなので別枠だ。プレミアムエコノミーにしたらしい。

一方で俺の弟子達二人は隣の席、ビジネスクラスに座っている。これは主催者側が俺に一人では退屈だろうと配慮してくれた結果であって、別に俺がロリコンだからねじ込んだわけではない。費用は俺持ちだけどね。

 ただ、ビジネスクラスというやつは一人席と二人席の組み合わせしかない。俺は窓際の一人席に、弟子たちは隣の二人席に並んで座っている。隣とは言いながら通路を挟んでいる上、ビジネスクラスはそれぞれの席のプライバシーが守られるように作られている。そのため俺は弟子たちの声を漏れ聞くくらいしかなくて結局退屈しているのだが。CAのお姉さんもこの時間帯には回ってこないしな。いっそ俺たちもプレミアムエコノミーにしてもらったほうが良かったかもしれない。それか天衣かあいのどちらかを俺の膝に乗せて二人席に座るとかな。それはないか。そんなしょうもないことを考えながら俺の意識はまどろみに落ちていった。

 

 

 

 

 

 

「ア~ロハ~♪」

「オエ~♪」

 

 約9時間のフライトを終えて、ハワイの地に降り立った俺は南国の空気に浮かれていた。あいもそれに乗っかってくれる。さすが常夏の島、グラサン越しでも日差しが眩しいぜ。

 

「浮かれすぎよ、貴方達。恥ずかしいから離れて歩いてくれないかしら」

 

 だが、もう一人の弟子はこの高揚感を共有してくれないようだ。

 

「おいおい、天衣~。テンション上げていこうぜ~」

「そうだよ、天ちゃん。なんって言ってもハワイなんだからー」

「たかがハワイくらいでおおげさな……」

 

「まっ!? 聞きましたかあいさん?」

「ええ、ええ。聞きましたよ、ししょー。『たかがハワイです』って」

「これだからブルジョワはやぁねー」

「ねー」

「なんで近所の主婦風なのよ……。貴方たちだって竜王に有名旅館の娘なんだから海外くらい行けるでしょうに」

 

「金はあっても暇はない」

「ですー」

「八一先生の方はダウトね。11連敗していたころは暇だったでしょ」

 

 ぐっ……。嫌なことを思い出させる。確かにその頃は週休5日状態だったけども、とても海外に遊びになんて精神状態ではなかった。

 

 ちなみに清滝一門のハワイ上陸後の様子は2種類に分かれる。冷静派の天衣と姉弟子。テンション爆上げ派の俺とあいに師匠と———

 

「私だって……私だってねぇ! ハワイくらい来たったっちゅーねんボケがぁぁぁぁぁ!!」

 

 ぶっ壊れ気味の桂香さんだ。あ、3種類だった。なにやら過去に友人に海外旅行を散々自慢されたことがあり、溜まっていたらしい。

 

「みんな! せっかく来たんだから遊ぶわよ!? 軍資金はたんまりあるんだから!」

「え? け、桂香……それはお父さんのクレジットカードやないかい……?」

「どうせスマホアプリで女の子のカワイイ服を着た絵を出すために使うんでしょ? だったら私たちに課金なさい」

「い、いややぁぁぁぁぁ! わしは、わしはみりあちゃんのポッピン・ハイ☆をゲットするんやぁぁ!!」

 

 師匠も壊れた。

 

「そういや、二人は飛行機の中で何を話してたんだ?」

「あ、はい。これです」

 

 そういって、あいは雑誌を俺に見せてくる。将棋世界の竜王戦特集という名の実質名人ファンブックだ。

 

「この名人語録の中の『打ち歩詰めがなければ先手必勝』という意味が分からなくて」

「私といっしょにいろいろ議論していたんだけど結局結論は出なかったわ。八一先生はどう思う?」

 

 水を向けられ、俺なりの解釈を二人に話した。『打ち歩詰め』や『千日手』を反則とするのは先手を縛るためのルールなのではないかということ。将棋は本質的に先手必勝のゲームのため、先手・後手のバランスをとるためにそういった反則を設けたのではないか。だから名人は打ち歩詰め禁止のルールがなくなれば先手必勝という論理でその言葉を残したのではないかということを聞かせてみせた。二人はそれなりに納得できたようだ。心なしか二人からの尊敬値が上がった気がする。やったぜ。

 調子に乗ってもっと知識をひけらかそうとする俺。

 

「ただ、個人的には『打ち歩詰め禁止』のルールは詰め将棋を面白くするためのルールって気がするんだよな。『最後の審判問題』とか」

「さいご……の、しんぱん……? それって」

 

 狙い通りあいが食いついてきてくれたところで、残念ながら迎えのリムジンが到着し、この談義はここまでとなった。

 

 

 

 豪華ホテルが俺たちを待っている!

 

 




■原作との違い
・師匠の狙いが新田ちゃんからみりあちゃんに変更。師匠、お前もか。


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03.嵐の前

祝10万UA!
ということで日頃よりご愛読いただいている皆様ありがとうございます。
引き続きよろしくお願いします。


「すげえええええええええええええええEEEEEEEEEEEEEEーーーーーーッ!!」

 

 豪華リムジンで移動した先はハワイでも最高級のホテル。広大な中庭には、例のプールとは比べものにならないほど広大なプールを完備。その向こうには白い砂浜が眩しいプライベートビーチが広がっている。

 

 これはテンションが上がらざるを得ない! が

 

「キャッホーーーーーーウ!! わしが一番乗りやぁぁぁーーーーーーー!!」

 

 それ以上に我慢できなかったのは我が師匠、清滝鋼介御年50歳だ。ビニサンで砂浜を蹴立てて、オッサンが駆けていく。俺たちも師匠を追いかける。

 海をバックに一門の集合写真を撮影、その後アロハに着替えて名人と記念撮影。ちなみに撮影してくれたのは観戦記者兼カメラマンの鵠さんだ。

 

 

 

 その後名人一行と別れ、ホテルの自室まで案内されることに。途中、中庭にある教会についてスタッフから結婚式場として人気なのだと説明があった。

 

「はぁ……すてき♡ こんな場所で結婚式ができたら、本当に幸せでしょうね……♡」

 

 とは桂香さん談である。あいといっしょに大盛り上がりだ。姉弟子は特に感慨はないようだが。意外だったのは、最後尾をついてきていた天衣もじっと教会を見上げていることだ。天衣もやはり女の子。こういったものには興味があるのだろうか。どこかぼぉっとした、だけど熱の籠もった視線を向けている。

 

「天衣もこういうの興味あるんだな。なんだったら対局が終わったら俺と二人で式を挙げていくか?」

「……ッ!? き——」

 

 俺の軽口にワンテンポ遅れて天衣が気付き、抗議の声をあげようとしたがその前に外から強烈なツッコミが寄せられた。

 

「ぶちころすぞ、ロリ王」

 

 そう言って姉弟子が俺の膝裏にヤクザキック。

 

「9歳の女の子と結婚なんてできませんよ。ししょーのだら」

 

 そう言って倒れた俺の背中を二番弟子がストンピング。

 

「あぎッ」

「……………………はぁ」

 

 俺の悲鳴と天衣の呆れた声で一連の新喜劇は幕を閉じるのだった。

 

 その後、ホテルのエレベーターでみんなと別れ、対局者専用の個室に案内された。これまたオーシャンビューの素晴らしい部屋で、こっそり着いてきていたあいが歓声を上げる。その後、ホテルスタッフからあいとの関係を疑われ、性犯罪者のように見られたり、『ひな鶴』の女将さん(あいのお母さん)が宿泊業界ではワールドワイドに有名人だったことが判明したが、これは別の話だ。

 

 

 

 

 

 

 翌日、清滝一門の皆でプライベートビーチに来ていた。やはりハワイに来たからには海を堪能しなければなるまい。俺は今、女性陣が水着に着替えてくるのを待っているところだ。姉弟子は日差しに弱いため、制服に日傘といつもの格好だが。

 

「よほほーい♪」

 

 師匠は、一足先に渚で波と戯れている。美しいハワイのビーチの中であまりに美しくない光景だった。オッサン自重しろ。

 

「師匠、お待たせしましたー」

「八一君、お待たせ」

 

 女性陣が着替えて出てきたようだ。振り向くと———

 

 

「し、ししょー?」

「自然吸気2ℓ高回転エンジンを軽自動車並のボディに収めた、キビキビとした軽快な走りを実現したスポーティモデル」

「八一君、何を言って?」

「ミッションにはGETRAGの六速マニュアルを主にマルチリンク+ベルシュタインの足回りはマッシヴ。暴力的なパワーをたたき出す過給器付きV8ユニットの特性はピーキーでヒステリック。周囲を圧倒するわがままなブリスターフェンダーはリアルスポーツの———」

 

「何わけわからないこと言っとるんじゃ、われ!」

 

 ドゲシッ

 

「痛いッ!?……ってあれ、姉弟子?」

 

 姉弟子の蹴りで俺は我に返った。

 

「大丈夫、八一君? 意味不明なこと言っていたけど」

「そ、そうですか? いやー、二人ともとてもよく似合ってるから取り乱しちゃいました」

「そう? ありがとう、八一君」

「そんな、師匠……似合ってるなんて……恥ずかしいですー」

 

 桂香さんは特に動揺することなく、あいは恥ずかしそうに俺の褒め言葉を受け止めた。

 桂香さんはホルターネックのビキニを着ているが、そのわがままボディを包み込むにはやや頼りなく、今にもキャストオフしてしまいそうな危うい魅力がある。

 あいは面積広め、フリルたっぷりの白いビキニを着ている。かわいさの相乗効果で非常に眩しい。

 

「全く、海外に来ても騒がしいのね。貴方達は」

 

 この声は天衣か。どれ。どんな水着を選んだのかな?

 

 振り向くとそこには……妖精がいた。

 ほっそりとした肢体にフリルで飾られた黒のチューブトップタイプのビキニを身につけている。ビキニのポイントポイントには赤の小さなリボンが付いておりアクセントとなっている。黒いビキニの生地が白い肌をより強調していている。白黒のコントラストが効いていて周囲から浮かび上がってみえる。

 

「八一先生?」

「……きれいだ」

「ッな!? 貴方何言って!?」

「あ、いや。……普通に見とれてた」

「ッ……!!」

 

 顔を赤くする天衣。照れてるのだろうか?

 

「そうだ、天衣。写真を撮らせてくれよ。晶さんから頼まれてるんだ」

「嫌よ。なんかキモいから」

 

 嫌よ嫌よも好きのうち。天衣の反対を無視してスマホのカメラを向ける。

 

「さぁ、天衣ちゃん。ポーズ取って」

「はぁ? だから嫌だって言ってるでしょ」

 

 ひとまず無視してパシャリ。

 

「何撮って」

「いいよー。かわいいよー」

 

 パシャリ、パシャリ。

 

「だから何撮ってるのよ!」

 

 パシャパシャパシャパシャパシャッ

 

「イイ! これはイイよぉ!!」

 

 パシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャパシャッ

 

「ちょっと! いいかげんに!」

 

 天衣が恥ずかしがって、体を手で隠す。だけで何か逆にエロティックだ。

 

「イイイイイイイイッ!! イイよぉぉぉぉぉぉッ!! 富竹フッ!?」

 

 ドゲシッ

 後ろから蹴りが飛んできてシャッターチャンスを逃す。

 

「なんだよ!? 今いいところな……のに」

 

 振り返ると、そこには阿形と吽形がいた。

 

「ぶちころずぞわれ」

「だらぶち」

 

「……あ、はい」

 

 

 

 

 

 

 

 その日、俺はワイキキヨットクラブで将棋イベントに出て、その後ショッピングモールをぶらついてからホテルに帰ってきた。そしてホテルの中庭で行われている前夜祭に参加している。今はちょうど月光会長が挨拶をしているところだ。

 その挨拶の途中でどよめきが起こった。清滝一門の女性陣が『ムームー』というハワイのドレスを着て会場に現われたからだ。抜群のプロポーションを誇る桂香さんはその豊かな胸がこぼれ落ちんばかりに。……ムームーってこんなやらしい衣装なんだね。対して姉弟子と俺の弟子たちはタオル巻いたみたいになってる。すとーんだからね、仕方ないね。胸囲の格差社会よ……。まあ、みんなJS・JCということで将来性に期待だ。

 その後、俺と名人から挨拶をし、花束代わりにレイを掛けてもらう。名人には日本領事の娘さんが、俺には二人の弟子が手作りのレイを掛けてくれた。領事の娘さんもかわいらしかったが、こちらは超アイドル級の二人。ビジュアル面では圧勝だ。俺も鼻が高い。なおこの場にいるもう一人の超アイドル級女性から冷ややかな視線が飛んできている模様。あれ? 南国のはずなのに超寒いよ?

 

 さらに会長はサプライズを仕込んでいた。

 

『ただいま竜王にレイを掛けてくださった雛鶴あいさんの、十歳のお誕生日なのです!』

 

 そう宣言した会長が用意していたプレゼントは——

 

「詰将棋のケーキ!」

 

 そう。あいが歓声を上げたとおり、将棋盤ごと詰将棋を再現した大きなケーキだった。プレゼントのセンスといい卒がなさ過ぎる。さすが永世名人。これがモテる男の仕事か。

 とはいえ、そんな会長にも読み切れないものがあったらしい。それはあいの詰将棋を解くスピード。会長が得意げに説明をしている途中であいが詰将棋を解いてネタバレしてしまったのだ。会長、(´・ω・`) みたいな表情になってる。27手詰めじゃ秒殺ですわ。ある程度喋る時間を確保するには、その三倍は持ってこないと。

 けれどあいの凄さは十分伝わったらしい。歓声をあげるギャラリーにあいが囲まれる。これじゃ近づけそうにないな。俺は天衣に話しかけることにする。

 

「天衣、楽しんでるか?」

「見世物になっているみたいで気にくわないわね。さっさと引き上げたいわ」

「そうか。まあその格好、とてもかわいいからな」

「ッ!……そう」

 

 咄嗟に反論しそうになり、抑える天衣。

 

「黒以外も似合うじゃないか。もっと普段から色々着ればいいのに」

 

 天衣は青色のムームーを着ていた。深い海の色に白い花が咲き乱れる上品ながらも華やかなデザインだ。普段、黒のゴスロリ系の服ばかりのイメージなので新鮮だ。起伏がないので、すとーんなのだがチュニックタイプのためか裸にタオルを巻いているようにも見えて、不思議な色気がある。

 

「ッーーー! ……考えておくわ」

 

 そう、ムームーの裾を引っ張りながら言う。

 

「おう。もっといろんな天衣を師匠に見せてくれな」

 

 そう言いながら俺は天衣の頭を撫でる。天衣は顔を赤くして俯いてしまう。

 

 

 

 そうして、ハワイでの最後の穏やかな日は過ぎていった。

 いよいよ名人との竜王位をかけた長い勝負が幕を上げようとしていた。

 

 

 




■原作との違い
・八一、天ちゃんと挙式しようと持ちかける
・水着イベント発生
・天ちゃんムームーを着る

次回から対名人第一局です。
が、ちょっとこのところあまり書く時間が確保できず間が空きそうです。


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04.God bless you

 

「「「一手損角換わり!?」」」

「ッ……!!」

 

 

 部屋にいる皆が驚きの声を上げる。私自身も驚きを禁じ得ない。名人が予想外の戦型を選択したからだ。

 私がいるのはホテルに用意された控室。そこで竜王戦第一局の観戦をしている。部屋には月光会長に妹弟子、清滝一門の連中、関西から来た全員が勢ぞろいしている。そこで中継映像を見ながら継ぎ盤を囲んでいた。

 

「……これは驚きましたね」

 

 そう切り出したのは月光会長。目を閉じていることもあってさほど驚いているようには見えないのだけど……

 

「月光さんもそうですか?」

「それはそうです。名人が一手損角換わりを採用した事例はほとんどみたことがありませんからね」

 

 そう。名人は対局数も多く、また本人の知名度のため棋譜はどれも簡単に入手できる。私も名人の棋譜はほとんど全て並べたことがある。それでも一手損角換わりは一局、二局あったかどうかだ。

 

 映像から八一先生も驚いているのが分かる。ややあって気を取り直した…………いえ、あの顔は悪いことを考えている顔ね。第一局で名人の一手損角換わりを破って、第二局では逆に自分が一手損角換わりを使って勝ってやろうということ? それは余計な感情だと思うけれど……八一先生も勝負師だからね。相手に飲まれるよりはいいのかしら。

 

 

 

 

 

 

 時刻は十時となり竜王戦は小休止となった。観戦記者を務めている山城桜花が控え室に入ってきて、インタビューを始めた。まずは月光会長に、名人が一手損角換わりを採用した意図の解説を求め、次に妹弟子に八一先生の今日の調子を聞いている。

 

「ふーん……そうなんだ…………ふーん……」

「ありがとうございました」

 

 どうやらインタビューは終わったらしい。妹弟子が急に無表情になっているのが気になるけれど。そうして今度はこちらにやってきた。関わりたくないから部屋の端にいたのだけどね……。

 

「ちょっといいですか? 今のお師匠様の様子、どう見ますか?」

 

 答えないとダメなのかしら———ダメみたいね。しばらく黙っていても諦める様子がない。

 

「…………そうね。一手損角換わりの直後は動揺していたけれど、結局どちらかと言えばやる気をくすぐられたみたいだからよかったんじゃないかしら」

「師匠の表情からそう読み取れた?」

「ええ。明らかにテンションを上げていたわ。それに———」

「それに?」

「いえ、なんでもないわ」

「なんでもないことはないでしょう? 勿体ぶらずに教えてくださいよ」

 

 スルーするがやはり引く気はないようだ。仕方なく再び口を開く。

 

「多分八一先生の戦略に関わることだからオフレコでお願いしたいのだけど」

「分かりました。少なくとも竜王戦が終わるまで伏せます」

 

 その言葉を受けて、私は声を潜めながら彼女に伝えた。

 

「……明らかに悪いことを思いついたっていう顔をしていたわ」

「竜王がですか? それは一体?」

 

 

「往復ビンタ」

 

 

「…………なるほど。よく分かりました。…………それにしても……ふふっ」

「子供っぽい考えよね」

「……いえ、そうではなく」

「?」

「……よく師匠のことを見ているなって。そんなところまでよく気づきますね」

「はぁ!? 適当なことを言うのは止めなさい! あれくらい誰でも———」

「分かりませんよ。いいじゃないですか、師匠と通じ合ってて」

 

 そう言い残して彼女は去って行こうとする。私は呼び止めて抗議を続けようとして。

 

「だからそうじゃな———」

 

 けれど、私の抗議は彼女の呟いた言葉に断ち切られることになる。

 

「本当……かないまへんなぁ」

 

 なんなのよ。もう。

 

 

 

 

 

 

「昼の雰囲気も良かったけれど夜も夜で格別ね」

 

 一日目の対局が終わり、その後の食事会も終わった後、私は一人で中庭にある教会の前に来ていた。時刻は午後十時頃。星明かりに照らされた教会というのもどうにも雰囲気がある。こうしてみると日本の空も汚れているのだと思う。星の明るさが全く違うのだ。

 フロントで聞いたところ教会は特に夜間も施錠していないらしい。不用心な気もするけれど、ホテルの敷地のど真ん中にあるのだから問題ないのだろうか。ともかくドアを押して中に入る。

 

 教会の中もまた幻想的だった。教会内の大部分を占めているのは闇だが、キャンドルの灯りで要所要所が柔らかく照らされ、そういう風に計算されて建てられているのだろうとわかる。ステンドグラスから月明かりが差し込んでその絵柄を控えめに浮かび上がらせている。

 

『天衣もこういうの興味あるんだな。なんだったら対局が終わったら俺と二人で式を挙げていくか?』

「……ふふっ」

 

 彼はそんな冗談を言ったが、そこで私が『Yes』と答えていたらどうな顔をしただろうか? 想像すると笑えてしまった。

 

 

 ……いけない。そんなことをしてる場合ではないわね。彼は誤解していたけれど私がこの教会に注目していたのは結婚式をイメージしたからじゃない。別の目的があるのだ。

 

 私は神秘的な空間を進む。そして祭壇の前で膝をついて手を組む。ここに来た目的を果たすために。

 そう。らしくないのだけれど私がここに来たのは祈りを捧げるためだ。

 

 

 私は願う。彼の勝利を。

 

 私にはこれくらいのことしかできないから。神鍋六段のように彼を高めるための力にはなれない。妹弟子のように彼の私生活を支えることもできない。神様は私から大切なものを奪っていった。漠然とだけれどむしろ敵だと認識していたと思う。それでも———

 

 竜王戦第一局の一日目は、名人が五十手目を封じて差し掛けとなった。双方駒組みが終わろうかという段階。四十九手で彼が2四歩と駒をぶつけにいったところだった。盤面はまだまだ互角。いや、穴熊に組んでいる分、彼の方がやや有利だろうか。

 

 

 

 ———どうかこのまま彼に勝利を。

 

 

 




ということで全て天ちゃん視点で書いてみました。
次回も引き続き八一VS名人です。


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05.願い届かず

 

 

 

「封じ手は——————2四同歩」

 

 あの人がぶつけにいった駒を名人が食うところから二日目の対局は始まった。

 きっと彼の予想と同じだったのだろう。彼はどこかホッとした表情をしている。その雰囲気を周囲も感じ取ったのかどこか和やかな空気が流れる。そこからさらに局面は進んでいく。

 

 

 

 

 

 

 おかしい。

 

 私が違和感を覚えたのは六十二手目、名人が4七角成としたところだった。……いいえ。それを言えばそこまでの手順も全ておかしかった。

 五十一手目、あの人が2四同飛としてから、6五歩、2三角打つ、同金、同飛成、6六歩、3三竜、6七歩成、同金、6九角打、6八金。そして名人の4七角成。

 一連の手順で彼は竜を作り、金桂を得たのに対し、名人は角を得て馬としただけ。あまりに彼に都合が良い展開になっている。

 

 周囲は八一先生の勝勢に盛り上がっているけれど月光会長だけは訝しんだ顔をしている。

 

 そう。衰えたといえどもあの名人がそこまで甘い? いくら何でもありえない。それ以外の変化なんて私でもいくつも考えつく。

 脳内将棋盤の前に仮想の名人を置いて検討しても、一つとして読みが合わない。これもおかしい。私は名人の棋譜を大量に読み込んでいる。直接対局したことこそないもののこれだけの情報量を得て、この局面で読みが立て続けに合わない。はっきりと異常事態だ。

 だけれど何がおかしいのか分からない。何か……何かあるの? 落とし穴のようなものが……。

 

 

 あの人は先に答えにたどり着いたらしい。

 あまりの衝撃に引きつったような引きつったような表情に変わる。

 私は慌ててイメージをしてみた。私が名人の側を持ち、向かいには彼に座ってもらう。すると———

 

 ……手がない。

 囲いは堅牢。攻め手は最強の駒、竜王。そして手駒も豊富。どう見ても彼の形勢の方がいいはずなのに。なのに攻めが続かない。

 名人は封じ手の時点でこの手筋には先がないことに気付いていた。だから乗って見せたっていうの!?

 

 

 名人は衰えたはずだった。名人を神たらしめていた無謬の終盤力は力を失っていた。だというのにこれは……大局観はむしろ……進化している!?

 だから私の仮想名人と現実の名人の手は噛み合わなかった。

 

 

 

 

 

 

 …………八一先生!

 

 九十三手目の手はなく、あの人の投了で第一局は幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

『永世七冠へ向けて好発進ですね! このままストレート奪取もありますか!?』

『次は先手番ですが、連勝への意気込みをお聞かせください!!』

『名人! 大記録を待ち望む国民の皆さんに何か一言!!』

 

 有象無象が名人を囲んで質問をぶつけている。あいつらみんな引き摺り倒して、殺してやりたくなる。あの人の横でお前たちは何をしているのかと。

 

 いけない。こんな思いはあの人を想ったものじゃない。ただ自分の怒りを満たすためだけの汚い感情だ。

 どうにか私は自分を抑えつける。そして視線を名人の対面に座った彼に移す。

 彼は完全に消沈してしまっていた。無理もない。あの一局は彼が『一手損角換わり』というエース戦法でこれまで積み上げてきた全てのもの否定してしまったはずだ。彼の心中を想うといたたまれなくて視線を逸らしたくなる。けれどじっと彼を見つめ続ける。手を痛いほどぎゅっと握りしめながら。それだけしかできないから。

 

 

 

 

 

 

 地獄のようなインタビューの時間が終わり、あの人はホテルの自室へ引き上げていった。それを追いかけるつもりなのだろう。妹弟子も控え室の外に出て行った。

 私も控え室を出たが同じ行動はとらない。きっと彼は弱った自分を見られることを望まないだろうから。中庭をフラフラ歩きながら私に彼のために何ができるのか考える。

 

 彼はこの後どうするだろうか? きっと彼は諦めない。例え今回の対局がこれまでの将棋観を全て吹き飛ばしてしまうものだったとしても。果てのないプレッシャーに苦しみ、のたうち回りながらでも名人を上回るための方法を模索するだろう。彼は将棋指しで勝負師だから。きっとどんなに絶望的な勝負でも投げられるはずがない。

 

 だから———彼に必要なのは研究するための時間だ。一秒でも長く。

 

 

 

 私はスマホを取り出し、晶へコールする。

 

「晶、今いいかしら?」

 

「そう。晶も竜王戦の中継を見ていたのね」

 

「ちょうど良いわ。お願いしたいことがあるのだけど。明日のホノルル発・関西空港行きの便を何とか押さえてもらえないかしら」

 

「ええ。できればビジネス以上の席がいいわ。少しでも休息がとれた方がいいから」

 

「私? いいえ、私は予定通り明日のスケジュールをこなしてから明後日帰るわ。だから席は一つでいい」

 

「そう。それじゃあお願いね。予約が取れたら将棋連盟に席を譲れることを伝えておいて。きっと明日必要になるから」

 

 そう言って私は電話を切る。

 これでいい。ひとまずこれで今、私にできることはなくなった。自分の力の無さが悔しいけれどこれも余分な感情だ。自分を憐れむだけで、彼を慮ったものじゃない。

 

 

 

 

 

 感傷を振り切り、意識を周囲に向ける。目の前には石造りの小さな建物。いつの間にか私は教会の前まで来ていたらしい。

 私は何となくその建物を見上げ———

 

 

 ドゲシッ

 

 

 全力で蹴っ飛ばしていた。

 

 

「ッ——————!!」

 

 

 とても痛い。それでも———

 

 

 ドゲシッ

 

 

 もう一度蹴っ飛ばしてからホテルへと戻った。

 

 

 




教会の壁「なんでや。わい悪くないやろ」


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06.勝負は既に始まっている

引き続き天ちゃん視点です。



 

 

「ちょっと、貴女大丈夫?」

「……ん? 何が?」

「何がって貴女……」

 

 マイナビ本戦のため東京へ向かう新幹線の中、隣の席に座る妹弟子の目は明らかに澱んでいる。確かに時折とんでもなく剣呑な目つきをする子だったけど今日はまた格別、手当たり次第に人殺ししてのける通り魔のような目だ。

 

「八一先生と何かあった?」

「ッ……別に何もないよ? 今日も頑張れって送り出してくれたし」

 

 あったらしい。八一先生になんとか構ってもらおうとじゃれついて、思いっきり拒絶されたって感じかしら。……八一先生も今は余裕がないからね。

 

 

 八一先生は初戦に続いて、第二局、第三局も落とした。竜王戦は七番勝負。もう後がない状況だ。精神的にも一番追い込まれている頃合いだろう。そんな時に構ってしたらどうなるか、分かりそうなものだけどね。

 

 

「だから……今日は絶対に勝たなきゃ……そうすればきっと師匠も……」

 

 どこを見るとも無しにそう呟いているがその澱んだ目も相まってまるで呪詛を放っているかのようだ。今日は絶対に勝たなきゃいけないというのは同意だけれども逸りすぎている……危ういわね。

 

 はぁ……こういうのは柄じゃないんだけど。八一先生の名誉のためにもこの子にも勝ってもらった方がいいのは違いない。

 

「それはいいけれど、今日の貴女の相手は奨励会2級。これまでの相手とはレベルが違うわよ。勝算はあるの?」

「読み合いになればあいは負けないよ。空中戦に持ち込めればなんとか……」

「だから、その空中戦にどう持ち込むのよ。相手だって馬鹿じゃないんだからこれまでの貴女の棋譜を見るくらいはして貴女が空中戦を得意としてるのは気付いているでしょ。それに棋譜を見る限り相手は慎重にことを運ぶタイプのようだし」

「それは…………」

「ノープランなわけね」

「うっ……」

「仕方ないわね……何とか相手を挑発しなさい。力尽くで貴女を押し潰さないと気が済まないってくらい激怒させるのよ」

「簡単に言うけど、そんなのどうやってやるの?」

「どうとでもできるでしょ。先に対局室に入って上座を奪うとか」

「そんなのできないよ!? そんな失礼なことしたってことが人伝で師匠に伝わったら……」

 

 こいつ、この期に及んでかわいこぶろうっていうの? それにおばさんにはそれ以上に失礼なことを八一先生の目の前で散々やっていると思うのだけれど。

 

「それじゃあ不細工って罵倒してみるとか」

「うーん。でも相手の人結構かわいいよ、ほら?」

 

 そう言いながらスマホで対戦相手のプロフィールを見せてくる。言うとおりボーイッシュながらなかなかのビジュアルの女子が映し出されている。

 

「登龍花蓮、女子高生、奨励会二級、ね。……それじゃあこんなのはどう?」

 

 私は彼女のプロフィールから思いついた策を妹弟子に伝える。

 

 

 

 

 

 

「もうすぐ本戦開始かー、ドキドキするね。天ちゃん」

「そうね。でもまあいつもの通り打つだけよ」

 

 今、私たちは東京の将棋会館のトイレで手を洗いながら話をしている。

 

「それで? 今日の対局は勝ち目がありそうなの?」

「うーん。どうかなぁー。奨励会員だもんね。新手とか持ち出されると辛いよ。読み合いの力勝負になる空中戦なら楽勝なんだけどなー」

「楽勝って貴女……才能なら自分が遙かに上って事?」

「うん? それはそうだよ!」

「はっきり言うわね」

「だって、うちの空オバサンより年上なのにまだ2級なんでしょ? 全然才能がないってことだよ、それー」

「フフッ……それじゃあ相掛かり狙い?」

「そうだけど付き合ってくれないよね、きっと。あいの棋譜も見てるだろうしびびって穴熊でもしてくるんじゃないかな?」

 

 ここまで油を注いでおけば大丈夫でしょうけど、念のため追加しておくか。

 

「まあでも私の相手よりましでしょう? 頑張りなさいよ」

「天ちゃんの相手は女流玉将だっけ? そうだね。タイトルホルダー相手よりは遙かにマシだよね。よーし、勝つよー」

 

 そう話しながら、個室が一つ埋まっているのを横目にトイレを出て、私たちは対局室に向かった。

 

 仕掛けは上々、あとは仕上げをなんとやらね。

 

 

 

 

 

 

 将棋会館四階『雲鶴』。そこで私と妹弟子の二人は一足早く席に着き、対局の始まりを待っていた。

 

「失礼します!」

 

 吐き捨てるように言い、襖を荒い所作で開けて入ってきたのは奨励会員のバッジを付けた女子高生。これが登龍なにがしらしい。妹弟子を睨み付けながらどすんと席に腰を下ろす。だいぶお怒りの様子ね。

 

 どうやら作戦はうまくいったらしい。先ほどのトイレでの妹弟子との雑談は彼女がトイレに入ったことを確認した上で行った。おそらく彼女が気に障るであろうポイント、関西所属で年下の上位者である空銀子との比較や過去に奨励会から落伍している女流玉将よりも下に見る発言、それをポッと出の小学生に言われるのだ。腹も立つだろう。

 

 妹弟子と目線だけ交わす。瞳からは新幹線の中で見た追い詰められるような悲壮な雰囲気は薄れ、どちらかと言えば罠に掛かった獲物をどう料理してやろうかという捕食者の色に変わっている。まあ、どちらも殺意にギラついているのだけれど。勝負事に望むのなら今の方がいいわよね。きっと。

 

 これで妹弟子の方は五分にやれるだろう。あとは妹弟子の実力次第。そろそろ私も自分の相手に集中しないといけない。なにせ相手は———

 

 

 ズダッ! ズダッ! ズダッ! ガララッ!

 

 

「……このオレが、まさか小学生のガキと平手で指す羽目になるとはな……」

 

 月夜見坂燎女流玉将なのだから。

 女流玉将はドカリと荒々しく、私の対面の席に着く。

 

「アマのJSが二人に、奨励会員のJKが一人……へッ! 女流棋界もなんとも焼きが回ったもんだぜ。どいつもこいつもだらしがねぇ」

 

 それにしても……品のない女ね。こんなのでも一応タイトルホルダーでしょう? この女の師匠でも、釈迦堂会長でも関東の将棋連盟でも誰でもいいのだけど「山猿にも最低限の教育ぐらいはしておきなさいよ」

 

「あぁ!? 誰が山猿だあ!? おいガキ、もう一度言ってみろよ」

 

 ……いけない。口に出てたらしい。ともかくゴリ押しで誤魔化そう。

 

「言ってないわ」

 

「はっきり言っただろうがよ!?」

 

「言ってないわ。……怖いから睨むのを止めてもらえないかしら」

 

 目線を外すために、そっぽを向いて窓の外の鳩森神社を見ながらもう一度言う。

 

「チッ、それが怖がってる奴の態度かよ。ったく生意気なクソガキだ。……師匠(クズ)とよく似てやがる」

 

 八一先生をクズ呼ばわり、万死に値する。でも八一先生と私が似ていると言ったところは情状酌量の余地を認めるわ。運が良かったわね山猿女。

 

 

 もうまもなくマイナビ本戦第一回戦が始まる———

 

 

 




■原作との違い
・天ちゃんとあいの相手チェンジ
・天ちゃん、妹弟子へアドバイス。優しい。
・花蓮ちゃん、ボーイッシュ&カワイイ設定追加

変わらず繁忙期のため、更新したりしなかったりが続くと思いますがよろしくお願いします。


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07.竜王へ捧げる供物

 

 

 

「時間になりましたので対局を開始してください」

「「「よろしくお願いします」」」

 

 女流玉将以外の声が重なる。小学生相手には挨拶する気にならないということらしい。

 

 先手である彼女の初手は7六歩。角道を開けてきたか……。応じて私も角道を開けることにする。対して彼女はノータイムで飛車先の歩を突いてきた。居飛車戦を明示してきている。これで戦型の選択は私に委ねられたわけだ。

 

 彼女のエース戦法は『横歩取り』。私も飛車先の歩をついてそこに飛び込むのも一手。私のエース戦法である『一手損角換わり』にするのもいいだろう。棋譜を使った事前研究から彼女の実力を推し量る限りはどちらを選択しても6~7割方は勝てると見ている。女流タイトルホルダーと正面から全力でやり合えるのは得がたい機会だ。普段の私なら喜んでそうするだろう。

 

 ……けれど、今日だけは確実な勝利が欲しい。いかなる理由でも負けは許容できない。であるならば彼女の実力を発揮させないようにするしかない。勿体ないし、少々申し訳ないのだけれどね。だから私の選択は———

 

「はぁ?」

 

 私の指した一手に女流玉将は意味不明なものを見たというような声を上げた。記録係もきょとんとしている。そしてワンテンポ遅れてその意味に気付く。

 

「「ごッ」」

 

 私の指した一手は、2四歩。

 

「「後手番角頭歩!?」」

「こんのクソガキッ……!!」

 

 私の選択は奇襲戦法。要はお前は奇策が通じる程度の相手だという挑発だ。

果たして彼女は狙い通り顔を真っ赤にして激怒してくれた。扇子までへし折っているのでさすがに演技ではあるまい。荒い手つきでノータイムで指してくる。

 

 4八銀、5四歩、6八玉、8八角成、同銀と続き。

 

 私は角交換で空いたスペースへ飛車を振る。10手目2二飛。

 

「後手番角頭歩に一手損角換わりにダイレクト向かい飛車だぁ? 生意気に力戦志向かよ……けッ!」

 

 互いに飛車が消えた左辺に玉を迎え、矢倉を作る。

 さぁ、戦闘開始ね。

 

 

 

 

 

 

 駒のぶつかり合いは盤面中央、互いの矢倉の軒先を突き合った部分から始まった。

 

 私は飛車を4筋へ振り替えて攻撃への参加を計るが、彼女はそれでは遅いとばかりに更に歩を突き捨ててくる。それをきっかけに中央で更に小競り合いが起きる。

結果として相手陣地の中央が手薄になったのを見て取った私は銀頭に歩を打ち込んで更にスペースを広げ、角を打ち込む。4七角打つ。

 

「ハッ! 雷に勝ったっつーからどんな天才かと思えば、何だよ。こんなもんかよ」

 

 そう言い捨てると、手抜いて彼女も角を打ち込んでくる。5三角打つ。

 私は5二飛として飛車を角の利きから逃す。それに対して相手はノータイムで3一角成。馬を作る。

 そこから互いに中央に手を入れて、58手目。私も馬を作る。が、銀に咎められて元の位置に馬を戻した。

 

「温りぃ」

 

 彼女に手番が移ったところで、玉の上部への攻撃が開始された。7四歩。

 そこから同歩、7三歩打、同桂、同桂成、同銀、6五桂打、8四銀。

 攻防は中央も絡めて更に続く。

 69手目4四歩、7五歩、6三歩成、同金、7五金、7七歩打、同金、7五銀、同馬、7四歩打、7三銀打、王手。

 

 ここで彼女がなにやら話しかけてきた。

 

「おい、クソ黒髪チビ」

 

 はぁ? それ私のこと?

 

「オレは小学生名人戦でオメーのお師匠サマと決勝で戦った。もちろん平手で、だ」

「……?」

 

 何が言いたいのかよく分からないわね。過去の話を持ち出してどういうつもりかしら。

 

 9二玉。王手から逃がす。

 

 彼女は馬をひょいっと左にずらして8五馬、玉頭へプレッシャーをかけてくる。

 8一桂打、4三歩成、同銀。6四歩打。

 

「オメーはお師匠サマとどんな手合いだ? 飛車落ちか? 二枚落ちか?」

「…………」

 

 なるほどそういうこと。自分とは手合い違いだって? 彼女にはこの将棋が自分の圧倒的勝勢に見えているということ。『あいつらは何も見えてやしない』、か。女流帝位の言葉に同意するのはしゃくだけど、ここまで将棋観が噛み合わないと確かに苛立たしいわね。私は完全に受けきっているというのに。

 

 86手目7三金、同桂成、同桂、9四馬、9二玉、6三歩成、9四香、6八飛。

 

「なんか言えよ、おい」

 

 

 ……即座に否定して恥をかかせてしまうのも忍びないのだけれど仕方ない———

 

 

「ま、平手で指してたって別に怖かねーけどよ。あんなクズ、どーせ名人にボロ負けしてるザコなんだからよ。ハッ! 三連敗とか弱過ぎんぜ。角落ちでもまけるんじゃねーの?」

 

 

 ———殺す。

 

 

 山猿女。貴女の全てを否定してあげるわ。

 

 6七歩打、同飛、6六歩打、同飛、6五歩打、同飛。

 

「テメー、何のつもりだ? 歩をそんなにタダでよこして。貢ぎ物のつもりかよ?」

 

 5七馬。

 

「ハッ、今更飛車を咎めたって遅せえぜ!」

 

 99手目7三と金、王手。

 私は構わずそれを玉で取る。

 

「あん? 下がらず顔面受けだと?」

 

 山猿女は困惑しつつ、さらに王手をかけてくる。

 8五桂打、王手。私の応手は8二玉。

 

「今度は金や銀がいない方へ逃げた?…………まさかこれで受かってるのか?」

 

 心配しなくても受かってるわよ。さあ、攻撃の切れ目が貴女の終わりよ、山猿女。

 

 103手目、7九歩打。山猿女が指したのは私の逆撃に備えた守りの手。

 

 

 怯えたわね。

 

 

 手始めに飛車と交換する形で馬を捌く。6六馬。

 山猿女は同金。これで王の守りが2枚消えて、その脇腹を晒した。

 その脇腹を突く5八飛車打。

 相手は金を打って受ける。ノータイムで9八歩打。

 

 109手目5三歩打。ここで手抜いて飛車を咎めてきた? …………なるほどね。せっかくだから最後に狙いに乗ってあげましょうか。

 

 6二飛、6三歩打、同飛。

 

「これでッ」

 

 3六角打。6三、5八にいる飛車2枚のどちらかをよこせってことね。それじゃあそちらをどうぞ。

 

 5七飛成。

 

 代わりに私は王をいただくわ。

 

 山猿女は6七金と竜王の道を塞ぎにくるけれどもう遅い。

 6六角打、王手。

 

 

「ごめんなさい。将棋に集中していて質問に答えられていなかったわね。八一先生と私の手合いだったかしら。答えは角落ちよ」

「…………」

「それで? 貴女は小学生の時に八一先生と平手で指していい勝負をしたのよね? すごいわ。大切な思い出にするべきね」

 

 もう八一先生と平手で競るような機会は二度とないでしょうから。貴女ごときには。

 

「……………………」

 

 

 

 その対局の投了は無言で行われた。

 

 

 




■原作との違い
・月夜見坂さん、死刑執行書にサイン。
・天ちゃん、八一先生と月夜見坂さんの力の差を教えてあげる、優しい(白目)

連載開始後、一番間が空きましたがしばらくこんな感じになりそうです。
来週も週4日の営業日のうち、送別会が4日入っているという……


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08.今、何をなすべきか


天衣ドルマスター、是非ともプレイしてみたい。
どっかのスマホゲーの会社が実現してくれないですかね。


 

「なに? 送る先は清滝家でいいの?」

「うん。……師匠の竜王戦が終わるまで、おじいちゃん先生の家でお世話になるようにって言われてるから」

 

 先ほどまで大金星に浮かれていた妹弟子の顔が悲しみに陰る。

 なるほど、今朝様子がおかしかったのはそういうこと。八一先生にただ単に怒られただけではなく家から追い出されてしまったらしい。そこまでするってことは八一先生もよっぽど追い詰められているようね。

 

 現在、私たちがいるのは新大阪駅。時刻は既に23時を回っている。

 今日のマイナビ本戦初戦に私たちはそろって勝利。私はタイトルホルダー相手、妹弟子は奨励会員相手、ともに外から見れば大番狂わせといっていいのだろう。対局後の取材はうざいくらいに盛り上がった。取材を終えると時刻は既に18時を過ぎていた。その後、東京駅で食事をしてから21時台の新幹線に乗って新大阪まで戻ってきた。今はちょうどタクシーに乗り込み妹弟子を送っていこうとしていたところだ。引率についている大人は晶だけだし、この時間に小学生を一人で放り出すのはちょっとね。

 

 妹弟子の言葉に晶が行き先をタクシーの運転手に伝える。

 タクシーは闇夜を走り出し、車内は重い沈黙に包まれていた。今は変に慰めの言葉を伝えるのも逆効果だろう。私はしばし目を閉じて、車体の揺れに身を任せた。

 

 

 

 

 

 

「こんばんわー、あいです。お世話になりますー」

 

 清滝邸の玄関に入ると妹弟子が挨拶をする。私はその後ろに晶といっしょについている。ここまできたのだからさすがに顔を出すくらいはしておいたほうがいいかと思ったからだ。

 

「?……こんばんわー……桂香さーん?」

 

 けれど、呼びかけにだれも出てこない。たしかにまもなく日付もかわろうという時間だけれど、事前に連絡も入れているし、外からも灯りが点いているのが見えていたのだけれど。

 

 耳を澄ませると、家の奥から微かに泣き叫ぶ声のようなものが聞こえてくる。一体何事? 妹弟子と顔を見合わせているとやがて声は止み、ババアが奥からパタパタと出てきた。

 

「ごめんね。お待たせ、二人とも」

「それはいいんですけど、何かあったんですか桂香さん? 叫び声みないなのが聞こえてきましたけど」

「あはは……銀子ちゃんがちょっとね。でも大丈夫よ」

 

 空銀子が泣いていた? 対局で負けたとかではないでしょうし、八一先生と何かあった? 妹弟子が追い出されたのを聞いて、八一先生の力になれるのは自分だけとウキウキ気分で押しかけて、手ひどく追い返された。……そんなところかしら? 目に浮かぶようね。実にありそうだわ。

 

「あいちゃんはしばらく家にいてくれるのよね? お父さんも喜ぶわ」

「…………お世話になります」

 

 そこで妹弟子の声が暗く沈み微妙な空気が流れる。ババアは一瞬困った顔をするも切り替えるように言う。

 

「えっと、……そうだ、二人とも勝利おめでとう! タイトルホルダーと奨励会員を相手に大金星じゃない!」

「別にあの程度の相手余裕よ」

「あ、あいも! 余裕でしたー!」

 妹弟子も私に対抗するようにそう言う。確かに読みの量で圧倒した、才能でねじ伏せるような勝ち方だった。正面からの空中戦になるとかなりのものね。

「ふふふ。……そういえばこれで二人とも女流棋士の申請資格も手に入ったわよね。そっちについてもおめでとう。すぐ申請する?」

「……あ、それは……」

 

 またもや、妹弟子の表情が曇る。全く話の持っていきかたが下手クソね。そんな話をしたら師匠との関係を気にするに決まっているでしょうに。そこであんたまで困った顔をするんじゃないわよ。結局私がフォローする羽目になるじゃない。

 

「……今のところ、そのつもりはないわ」

「そうなの?」

「八一先生もまだ忙しいでしょうしね。……それに女流棋士には無敗の『浪速の白雪姫』サマが、アマチュアの小学生に負けて失冠するなんてのも面白いでしょう?」

「……相変わらずのビックマウスね。後で本人に伝えておくわ」

 

 苦笑しながらババアはそう言う。

 

「好きになさい。……それじゃあ私はこれで失礼するわ」

「あら。これから神戸まで帰るの? もう時間も時間だからあなたも泊まっていけばいいのに」

「結構よ。空銀子もいるのでしょう? 戦う相手とは馴れ合う気はないわ」

 

 もう2戦勝てば、女王戦への切符を手に入れることになる。

 

「そう。残念ね。お休みなさい」

「天ちゃん。お休みなさい。送ってくれてありがとうね」

 

 その言葉に手だけ振って返し、晶を急かしてタクシーに乗り込む。

 そうして私たちは清滝邸を後にした。

 

 

 

 

 

 

「晶。家に帰る前に少し寄り道をしてもいいかしら?」

「勿論構いませんが、こんな時間にですか?」

「ええ。多分急いだほうがいいと思うから」

 

 日付は既に変わっている。けれど彼はまだ起きているだろう。研究に必死で寝られているとは思えない。

 干渉しないで彼自身の力で立ち直るのを待とうと思っていたのだけれど。……妹弟子を追い出し、頭が上がらなかったはずのオバサンを泣かせたというのはよっぽど追い詰められているみたいだ。何ができるとも言えないけれど会ってみるべきだろう。……いいえ。私自身が彼に会いたいと思っている。だから———

 

 

「福島区のXXXXまでお願い」

 

 

 タクシーの運転手に行き先の変更を告げる。

 そうして八一先生に何を伝えるべきか、到着までの少しの間、物思いに耽るのだった。

 

 




■原作との違い
・あいちゃん、マイナビ1回戦に快勝
・あいちゃん体調を崩さなかったため、食事をしてからゆっくりと帰宅。
・姉弟子、内弟子の居ぬ間を狙って先走り原作通り撃沈。
・天ちゃん、動く



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09.善意と悪意

天ちゃんにバブみを感じる今日この頃。



 

「………………どこだ………………」

 

 対名人の研究は終わらない。それどころか目処すらついていない。

 内弟子を傷つけて追い出し、姉弟子を泣かせて追い返し、どうしようもないクズな所行を重ねても俺の研究は全く進展していなかった。

 

「…………努力ならいくらでもする。将棋以外の何かを差し出せって言うなら何でもくれてやる……」

 

 名人への、連敗への、失冠への恐怖に追われながらの研究は全く不効率なものに堕していた。

 

「…………どうすれば前に進める……誰か教えてくれよ……」

 

 前に進んでいる保証が欲しかった。

 答えに向かっている実感が欲しかった。

 誰かに『正しい』と言って欲しかった。

 そうすれば俺は———

 

 

 ピンポーン

 

 

 その時、突然インターホンがなりマイナス思考に沈む俺の意識を引き戻した。

 一体誰だ? あいや姉弟子であるとは思えない。それにそもそも今は何時だ。部屋に籠もって研究に勤しんでいたおかげで、時間感覚は完全に麻痺していた。時計に目をやれば、今は既に日付が変わって1時になろうとしている。

 

 こんな時間になんて非常識な……。いいや無視しよう。そう思って俺は意識をモニターに戻す。けれど今度はノブを回してドアを開ける音がした。そういえば姉弟子が出て行ってからそのままだからドアは開けっ放しだった。中に入ってきたようで足音が近づいてくる。……まさか強盗とかじゃないよな。

 

 そして遂には俺の部屋の扉がノックされた。そうして入ってきたのは———

黒衣の少女。意外なことに一番弟子の夜叉神天衣だった。

 天衣とはハワイでの対局前から会っていなかった。実に1ヶ月以上になる。それが今なぜ? 戸惑いとともに天衣まで研究の邪魔をするのかと苛立ちが混じる。

 

「どうしたんだ、天衣? こんな時間に」

「別に。会いたかったから来ただけだけど」

「は?」

 

 意外過ぎる一言に一瞬真っ白になってしまう。

 

「……八一先生、少し痩せた……いいえ。やつれたんじゃない? 目の下のくまもすごいわよ。ちゃんと寝て食べているの?」

 

 天衣は俺の様子に構わず、さらにそう言ってくる。俺は弱いところを弟子に見せたくなくて誤魔化すように言う。

 

「ちょっと、研究に没頭して忘れがちになっててな。……それより今日のマイナビ本戦、二人とも勝ったみたいだな。棋譜を見たぞ。すごいじゃないか」

「別に。普通でしょ」

 

 天衣の態度は相変わらずだ。タイトルホルダーを相手にジャイアントキリングを成し遂げたというのに。

 天衣に限らずあいも、そろって上手食いをして女流棋士資格を手に入れた。俺の弟子たちは順風満帆だ。俺とは違って。

 

「竜王の弟子が女流タイトルホルダーや奨励会員の級位者如きに負けるはずがないじゃない。手合い違いよ」

 

 そこで俺を持ち上げるようなことを言ってくる。それが余計に癇に障る。

 

「天衣とあい、お前たちの実力だよ。俺なんて大したことないさ。その証拠に名人にはあっさりと三タテ食らって失冠しそうになってるだろ」

「……八一先生……」

「俺にお前たちみたいな才能豊かな子を育てる力はないよ。だから———」

「だから、月光会長に話を通しておくから会長の下で学ばせてもらいなさい?」

 

「ッ!? ……それは……」

「やっぱり私たちとの師弟関係を解消しようと思っていたのね。……先生が上を目指すのに邪魔になった?」

「違う! ……それは違う。俺じゃあお前たちを伸ばしてやることができないから。お前たちにはもっと相応しい師匠が———」

「前に言ったでしょう。名人と較べたって八一先生を選ぶって。八一先生以上に相応しい人なんていないわ」

 

「それは天衣の買いかぶりだよ。二人とも才能は確かなんだ。ちゃんとした師匠をつけるべきだって誰だっていうさ」

「誰にそう言われたの?」

「……別に誰だっていいだろ。記者たちだって他の———」

「……はぁ……」

 

 そこでなぜか溜息をつく天衣。次に開いた口から出てきた言葉は。

 

「変なことをいうのね、八一先生。節穴の記者どもと私の目と、一体どちらを信用するの?」

「は?」

 

 意外すぎる内容に間抜けな声を出してしまう俺。とはいえ理解してみるとあまりにも天衣らしい傲慢な物言いだった。あまりの事に一瞬苛立ちを忘れて苦笑してしまうが。

 

「それは欲目だよ。天衣はお父さんから俺のことを良く言われ続けて刷り込まれているだけで、実際は俺なんてうまくいかなければ年下の女の子にも当たり散らすようなクズでさ……」

 

 けれでそんな俺の情けない拒絶の言葉に構うことなく、歩み寄ると俺の手を握って言ってくる。

 

「止めて。八一先生自身とはいえ、私の先生のことを悪く言うのは許さないわ」

「天衣……」

「根を詰めすぎるからそんなマイナス思考に陥るのよ。八一先生ちょっときて」

 

 そのまま俺の手を引っ張る天衣。そして部屋の片隅にあるベッドに俺を座らせる。

 

「天衣? 一体何を?」

「いいからそのままじっとして」

 

 そういってから天衣は俺の背中側に回り込むと、俺の頭に腕を回して抱き込みながら視界を塞いでくる。

 

「今だけは将棋のことを忘れて私の言葉だけを聞いて」

 

 視界を閉ざされたことで、俺の感覚器官に伝わるのは天衣の、子供特有の高い体温と甘いミルクのような体臭、それにちょっとの汗のにおいだけ。

強制的にリラックスさせられる。ささくれ立っていた神経が沈静化し、眠気に似た微睡みが俺を襲う。

 

 そして体伝いに直接天衣の声が響いてくる。

 

「八一先生は強いわ。間違いなく名人を超える器よ」

「……だからそれは天衣の思い込みだって……」

「私にとってはその思い込みが現実よ。それに人なんて思い込みでしか行動できないわ」

「…………」

「けれど思い込みだけが現実の壁を突破し、不可能を可能にし、自分を前に進める」

「…………」

 

「第一局で名人は進化して大局観で八一先生を上回ったかもしれない」

 

「第二局では進化した名人への追随が間に合わなかった」

 

「でも第三局は八一先生が上回っていたわ。完全に。三連敗できないという焦りから終盤にミスをしてしまったかもしれないけれど千日手までの内容では八一先生が上よ」

 

「八一先生はたった一ヶ月もしない間に進化したはずの名人を凌駕しようとしている。だから」

 

「だから後足りないのは、名人に勝てるという思い込みだけよ」

 

「私には八一先生の将棋の研究相手になれる力はないし、八一先生の生活面をサポートしてあげることもできない。……でも、第四局、第五局、第六局、第七局、残り全てを八一先生が勝つと一片の疑いなく思い込んでいるわ」

 

「八一先生が私に才能があると思ってくれているのなら、その私の思い込みを少しは信用してくれると嬉しいわ」

 

「…………ああ。ありがとう」

 

 弟子の心からの言葉に俺は思わずお礼の言葉をこぼす。

 完全に力が抜けてしまい、これまで寝る間を惜しんで研究していた事の代償か、急激な眠気が襲ってくる。

 

「ごめん、天衣。何か急に眠く———」

 

「頑張りすぎよ、八一先生。今はそのまま。お休みなさい」

 

 そして、体がゆっくりとベッドに横にされ、俺はそのまま意識を手放した。

 

 

 

 翌朝俺が目を覚ますと、家には誰もいなくなっていた。

 けれど昨晩の出来事が妄想ではないことを示すように居間のテーブルの上には不器用に握られて、ラップにくるまれたおにぎりが置かれていた。

 

 

 

 

 

 

 翌朝、あいが目を覚ますと、桂香さんから一つ報告を聞いた。

 先ほど天ちゃんから電話があって、師匠の状況が改善したから連絡を入れて、師匠の家に戻ると良いと言うのだ。

 

 慌てて師匠に電話すると、昨日のやり取りを謝られた上で戻ってきて欲しいとお願いされた。だから、荷物を全部リュックに詰め込んで早々におじいちゃん先生の家を後にした。おじいちゃん先生には随分寂しがられて引き留められたけど、一刻も早く師匠に会いたかったから。桂香さんがもう少ししたら将棋会館に行くからついでに送るとも言われたけどそれもお断りした。

 

 そうして、師匠の家への帰り路を歩きながら考える。

 師匠はあの時、本気であいを突き放そうとしていた。多分あいとの師弟関係解消まで真剣に考えていたと思う。とにかくマイナビに勝って師匠に見てもらおうと思っていたけど、それだけじゃ多分ダメだと本当のところは思っていた。

 それがなぜか一晩経ったら改善していた。そしてそのことが天ちゃんから伝えられた。

 

 きっと昨晩のうちに天ちゃんが師匠に会って取りなしてくれたんだろう。

 天ちゃん優しいね。本当に———

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 絶対許さない。

 

 

 

 

 

 

 何? ライバルに塩を送ったつもり? それともあいなんて眼中にないってこと?

 それにあいが四六時中師匠といっしょにいても、師匠の心を癒やすことができなかったのに、自分は一晩あれば十分だって絆の差を見せつけたつもり?

 

 許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。許せない。

 

 

 絶対に泣かす。

 

 

 どうしてくれようか。マイナビで2回戦も勝てれば準決勝で当たることになるけど、まだ3ヶ月近くある。この熱さは、この胸の怒りはとてもそんなには待てやしない。

 

 そんな事を考えていると、スマホが振動してメールの到着を知らせた。

 差出人はお母さん? 内容は。

 

 

 

「あはァ」

 

 

 

 あまりにもナイスタイミングな内容で思わず笑いが漏れてしまった。

 

 竜王戦第四局……楽しみだね。

 

 

 




情けは人のためならず(誤用)というお話。

あ、後、桂香さんは釈迦堂さんに勝ったそうです。(適当)


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10.祝祭


よりもいとゆるキャンロスに悩まされる今日この頃






 

 

「将棋界の師弟関係は、弟子が奨励会や研修会にいるうちは完全なものとなりません。仮に弟子が棋士になれず退会してしまえば、そこで解消されてしまうからです」

 

 心臓は早鐘のように打ち、手足は痺れて思うように動かせない。

 頭は目と耳から入ってくる情報を理解したがらない。

 

「けれど、弟子が棋士になった時。その関係は不滅のものとなります。皆さん、今ここに新たな師弟が誕生しました。皆様、盛大な拍手をお願いします」

 

 会場に祝福の拍手が響き渡る。

 けれど私はその言葉を聞きながら、足下が崩れ去るような悪寒に襲われていた。

 

 

 

 

 

 

「ししょー♡ ねぇねぇししょー♡」

「うーん? どうした、あい?」

「呼んでみただけです♡」

「……そ、そうか」

 

 内弟子のあまりのハイテンションぶりに俺は戸惑いを隠せない。

 

「師匠ももっと『あい』ってよんでください♡」

「う、うん?」

「ダメですか? あい、師匠とこうやって常にふれあっていないといつの間にか師匠がいなくなってしまいそうで不安なんです」

 

 分かってはいたが、先日連敗続きの苛立ちから追い出してしまったことは、あいにとって深い心の傷になってしまっているらしい。師匠として何とかせねば。

 

「いいや、だめなんかじゃないぞー? ああ、本当にあいはカワイイなー」

 

 そういいながらあいの頭を撫でる。

 

「にゃーん♡」

 

 あいのほうも喜んで自分からも俺の手に頭をこすりつけてくる。かわいい。

 けれど……

 

「チッ……ロリコンは死ねばいいのに……」

 

 通路を挟んで隣の席に桂香さんと並んで座っている姉弟子から殺気とともに罵詈雑言が飛んでくる。

 だが、それよりもつらいのは全くの外野からの言葉だ。

 

「……あれはどう見てもヤってしまってますわ……」

「……やっぱりロリコンじゃないか……」

「……どうせJSにがんばれ♡ がんばれ♡ とかしてもらってるんだろ、氏ねッ……」

「……もしもしぽりすめん……」

 

 そう。俺たちは現在公共の場にいるのだ。

 痛い! 周囲の一般人からの視線が刺さるように痛い!!

 けれど撫でるのをやめようとすると、あいが途端にしゅんとしてしまうのだ。そして上目遣いで見ながら、

 

「まだ止めちゃやです。ししょー」

 

 とおねだりしてくる。こんなん勝てまへんがな。

 

「しかたないなー。もう少しだけだぞ?」

「わふー♡ 師匠の撫で撫で大好きですー♡」

「ははは、あいは甘えん坊だなー」

「でも、向こうについたらあいが師匠のことおもてなししますね♡ なんといってもあいのお家ですから」

「楽しみにしてるよ」

 

 現在、俺たちは電車に乗って一路、あいの故郷、和倉温泉に向かっている。竜王戦第四局の舞台がなんとあいの実家、旅館『ひな鶴』なのだ。

 ちなみに同じ車両には姉弟子や桂香さんの他にも将棋関係者が乗っている。俺の後ろに座っているはずの鵠さんがあまりに静かなのが気になる。弟子とのふれあいにどんな感想を抱いているのか。

 

 そして何より前に座っている天衣はどんな顔をしているだろうか? キモッと顔をしかめているのか、あるいは他人のふりをして知らない顔をしているのか。

 今回は天衣も同行していた。俺が誘ったのもあるが、なによりあいが強く誘っていた。きっと姉弟子に自分の故郷を見せたかったのだろう。

 

 というわけで俺の前の席に晶さんと並んで座っているのだ。

 

 盛り上がるあいと押される俺、そして冷え込む周囲と悲喜こもごもを乗せて雷鳥の名を冠された特急電車は目的地を目指す。

 

 

 

 

 

 

「……なぁにこれぇ?」

 

 何が起こっているのか理解できない。いや理解したくもないんだけど。

 

 

 

 事の始まりは電車が終点にして目的地、和倉温泉駅に着いたところからだった。

 駅のホームには『歓迎! 第30期竜王戦第四局』が霞むほどでかでかと『おかえり! 雛鶴あいちゃん』という横断幕が掲げられていた。

 

 駅の外には竜王戦の会場を案内する看板の横にこれまた桁が違う大きさの『九頭竜家・雛鶴家 式場』と書かれた看板。一体これから何が始まるんです? という疑問を俺に叩きつけてきた。

 

 駅から対局会場である旅館『雛つる』まではなぜかオープンカーで移動。沿道は地元民で埋め尽くされており、手に手に旗を振っていた。その中をあいと二人でオープンカーに乗ってゆっくりと移動してきたのだ。オープンカーの尻にはこれもなぜか空き缶が多数結びつけられており、カラカラと盛大な音を立てながら。何となくこれと似たシチュエーションを知っている気がする。気のせいであって欲しい。

 

 その後、旅館で待ち受けていたあいのお母さんに案内され俺は対局室の下見を、あいは厨房にいるお父さんに会ってくるということで一旦別れた。

 下見が終わると、次は前夜祭ということで用意されていた和服を無理矢理着せられオンステージ。金屏風の前に紋付羽織袴を着た俺と白無垢を着たあい、そしてややスペースを空けて普通にスーツを着た名人が座っている。 ←今ココ

 

 

 本当にどうしてこうなった。これは明らかにタイトル戦の前夜祭とは似て(すらいない)非なるものだ。俺と名人ではなく俺とあいが主役になってしまっている。ってゆうかこれケッコンシ……いや、何も考えるまい。

 

 会場にはなぜか俺の家族の姿も。ステージから一番近い丸テーブルに弟以外の九頭竜家が勢揃いしている。

 

「八一、こんなに立派になって……」

 

 母さんはそんなことを言いながら目元をハンカチで拭っている。でも母さん、涙一滴も流れてないよ。

 

「八一、——生活を円滑にする秘訣は我慢だぞ。辛抱強くな」

 

 何生活だって? 何か親父がすごく不穏なことを言った気がする。

 

「八一、お前は日本一幸せなロリコンだ! ヨッ、クズロリ王!!」

 

 死ね。クソ兄貴。

 

 囃し立ててくるマイファミリー。ますますウエディ……異様な式典染みてくる。これは明らかに女将さんの仕込みだろう。

 

 

 問題は———

 

「あ、あい………………知って、た……のか?」

「ふぇぇ? 何をですかぁ?」

「…………いや」

 

 あいは一点の曇りなく輝く眼で俺を見てくる。うん。きっとこの目は知らなかったはずだ。やたら可愛らしく首を傾げた姿にはあざといものを感じる気がするが、多分気のせいだろう。

 

 女将さんとつるんで俺の逃げ道を塞ぎに来たなんて事……ナイナイ。

 

 

「ううん、あいが知らないなら別にいいんだ」

 

 

 

 

 

 

 勿論知ってましたけどね。

 っていうかあいとお母さんの共同企画ですから♡

 

 竜王戦第四局の会場が『ひな鶴』だって連絡をお母さんにもらったときから、企画をお母さんといっしょに詰めてきた。テーマはなんと結婚式。

 

 えらい人の祝辞から始まって、乾杯の後には対局者の紹介。ここにあいと師匠のエピソードもねじ込んでもらった。ちなみに会場の設営も司会も本職の人にお願いしている。『ひな鶴』は披露宴の場として使われることも多いから式場関係者との伝もあるんだよね。

 

 おかげでまさにブライダル! って感じの本格的な仕上がりだ。

 

 あ、オバサンがすごい怒ってる。こっちに背中を向けてるからどんな表情か分からないけど、桂香さんとおじいちゃん先生が顔面蒼白で震えてるからすごい顔してるんだろうなー。あははー。

 

 それで肝心の天ちゃんは、と…………すました顔してるね。

 天ちゃんにはその表情がよく見えるようにステージ側に正面に向けた席を用意している。まあオバサンの殺気くらいで今更どうこうなることはないだろうし、この結婚式風式典も茶番に見えちゃってるのかな?

 

 

 

 

 

 

 ———でも本番はまだこれからだよ?

 

 

 

 演台に月光会長が上がった。次のプログラムが始まるのだ。

 さぁ、天ちゃん。最高にイイ表情をあいに見せて。

 

「それではこれより『女流棋士資格申請書記入の儀』を始めます」

 

 

 

 

 

 

「竜王。あなたは師匠として、ここにいる雛鶴あいさんを弟子にすることを誓いますか?」

「はぁ……」

 

 何言ってんだ、この人?

 『女流棋士資格申請書記入の儀』なる謎プログラムがコールされると会長がステージに上がってきた。

 

 そして先ほどの迷台詞である。なんだこれ?

 

「雛鶴あいさん。あなたはこの男性を師匠とし、病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも、師匠として敬い、ともに将棋道に邁進することを誓いますか?」

「はいっ! ちかいますっ!!」

 

 いや、結婚式の神父の台詞のパロディであることは分かるけども。本当なんだこれ? わけが分からないよ……

 

 そして、俺の戸惑いを余所に元気いっぱい答えるあいさん。

 

「結構。ではお二人とも、この神聖なる用紙にお名前を記入してください」

 

 会長のその言葉にあわせて男鹿さんがペンとともに差し出してきた紙は女流棋士登録の申請用紙。

 

 え? 今書くの? ここで?

 

 いや、どうせ書かなきゃいけないもので、いつ書いたっていいんだけど…………まだあいつの分も書いてないんだけど……

 

 躊躇していると、あいが不安そうに囁いてくる。

 

「あの……もしかして、あいのことやっぱり弟子にするのは……やですか?」

 

 いや、決してそんなことはなくて。ただ順番の問題でね?

 

「竜王?」

 

 会長も訝しげに俺を見てくる。

 会長だけじゃない。会場に列席している全ての人の目が俺に注がれている。

 

 

 ……これは書かないという選択肢はないですね。

 ええい、ままよ!

 

 俺はペンを取る。

 

 

 

 

 

 

 記入を終えた師匠からペンと用紙を受け取り、ゆっくりとあいの名前を書き入れる。

 そうしながらも視線は上目遣いで天ちゃんの表情を捉え続けている。

 

 

 あはァ

 

 

 その表情が見たかった!

 

 天ちゃんの表情が悲痛に歪む。

 嗚咽が漏れるのを抑えるためだろうか。唇の小さく噛んでいる。必死に平静を装おうとしているけれど、心情を隠しきれていない。

 今にも泣いちゃいそうだね、天ちゃん。でも泣けないよね? 周りの人に弱いところを見せられないし、大事な対局前の師匠に心配かけるわけにもいかないもんね?

 

 その泣くに泣けないって顔、最高に愛らしいよ。

 

 研修会の登録は天ちゃんが先だけど、女流棋士の登録はあいが先。

 この場合、一番弟子はどっちになるのかな? ねぇ、天ちゃん?

 

 きっと天ちゃんは、師匠の竜王戦が終わってから申請書にサインしてもらうつもりだったんだよね?

 

 

 

 あはは。

 獲物を前に舌なめずりなんて三流のやることなんだよ?

 

 

 





 JSのSはドSのS!

 ということで少々間が空きましたが最新話をここにお届けまします。
 年度末、年度初は非常に忙しいでごわす。


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11.本音と建て前

 

 

 

『九頭竜竜王はこの旅館の娘さんの師匠に当たり、二人はすでに結納を済ませているとのことです』

 

 テレビのレポーターは滅茶苦茶のことを言い始めた。

 対局場になっている旅館の女将からの情報とのことだけど……

 

『娘さんは今おいくつなんですか?』

『10歳。小学四年生だそうです』

『犯罪じゃないですか』

『はい。まぎれもなく犯罪です。その他にも金髪幼女に公衆の面前でちゅーさせたという話やとある将棋の大会で小学生女児二人を両手に抱きしめて「お前が、お前たちが俺の翼だ!」と宣言していたという目撃情報も寄せられています』

『だ、大丈夫なんですかそれは……』

『未確認ですが、事態を重く見た警察は決定的な証拠をあげるために公安9課を動かしているという情報もありまして———』

 

 ゴシップ情報を垂れ流すばかりでこれ以上見ている価値もない。私はテレビの電源を切り膝を抱え込む。

 時刻は夜九時を回ったところ。私は旅館の自室の布団の上で物思いに耽っていた。

 先の前夜祭から見ると、今はその翌日に当たる。竜王戦第四局の初日は名人の封じ手で終えた。

 

 

 前夜祭———

 

『竜王。あなたは師匠として、ここにいる雛鶴あいさんを弟子にすることを誓いますか?』

 

 あの時の光景が脳裏に蘇り、思わず膝を抱きしめた腕に力を籠める。

 

 

 分かっている。

 あの『女流棋士資格申請書記入の儀』なるものに意味なんてない。

 あれはあの子が八一先生も知らないところで仕組んで無理やり書かせただけだ。あの状況で八一先生が記入を断るなんてことはできるはずない。

 だからあの行為が『=八一先生にとって私よりあの子の方が大事』なんてことにはならない。

 

 

 頭では分かっているのに……なんで私は…………

 

『皆さん、今ここに新たな師弟が誕生しました。皆様、盛大な拍手をお願いします』

 

 書類へ記入を終えたあの子の得意そうな表情まで思い出してしまう。

 八一先生は竜王戦に背水の陣で臨んでいる。もう後がない。だから何より八一先生のことを優先する。女流棋士登録もそれまではお預け。そう自分で決めたはずだ。あの子がどうするかなんて関係ない。

 そして、八一先生は最高の状態で今日を迎えた。今日はまだ定石を辿った状態で封じ手となったが、明日はこれまでの相掛かりの歴史を塗り替える偉大な棋譜を残し、そして勝つはずだ。

 

 私はそれで満足———

 

 自室には私一人だ。誰に見られるわけでもない。それでも何となく、私は顔を、抱えた膝に伏せてその表情を隠した。

 

 

 

 

 

 

 竜王戦第四局二日目。この日は名人の封じ手4五銀———定石を外した一手から始まった。

 そこから八一先生と名人はこれまで連綿と築かれてきた相掛かりという戦型における歴史を塗り替えていく。盤面は一見すると戦型を分類することも不可能なほどに歪んで見える。けれど深く潜ってみれば明らかに一つの方向へと人の意思によって導かれていく。

 私はそれをタブレットの画面を通して見守っていた。何となく控室に他人と一緒にいるのが嫌で、一人になれるところを求めて旅館内をふらふらとうろつき回った。そして見つけた人気のない中庭に面した縁側に腰かけ、足をぶらぶらさせながら将棋盤情報が更新されるのを今か今かと待っている。

 戦況は盤面を圧倒的な大局観でリードする名人に対して、読みのスピードで八一先生が対抗する形で五分を維持している。渾身の一手をすぐ返される。なかなか名人を上回ることができないために八一先生が消耗しているのが分かる。

 けれど追随していればきっとどこかでチャンスが……

 

 

 

 

 

 

 ———こんなことがありえるの?

 局面は最終盤、八一先生は持ち時間を使い切り苦しみながらも、将棋を壊すことなくここまで持ってきた。互いの玉が薄い守りを脱ぎ捨ててお互いを詰まそうとせめぎあっている。けれど先手のリードをひっくり返すことはできなかった。いよいよ苦しい。

 名人の攻撃をしのぐにはある一つの変化に飛び込むしかない。けれどそれは本当に凌いだことになるのだろうか? その先には互いの禁じ手が絡み合っている。その場合どのように判定されるのか。前例がないため全くわからない。

 そして彼は秒読みのギリギリまで思い悩み、けれどやがて眼を見開くと敢然とその変化に飛び込んでいった。

 そして盤面に現れたのは———ルネサンス期の巨匠が描いた偉大なフレスコ画と同じ名前を冠されたとある詰将棋の命題。

 

 

 

 

 

 

 『最後の審判』———『打ち歩詰め』と『連続王手の千日手』という二つの禁じ手が絡み合った未だ解の無い問いに対して、ひとまず今後の対応を竜王戦実行委員会で検討することとなったらしい。対局者はそれまで自室で休息とのこと。

 八一先生が戻ってくる。私も八一先生の部屋に行くべきだろうか? けれど行って何をするというのか? 結局私は動き出せずその場に居続けた。

 

 ぼーっと夜空を眺めていると、渡り廊下の向こうからスタスタと足音が近づいてくる。この人気のない場所にも誰かがやってきてしまったらしい。仕方がない。ここらへんで私も控室に戻ろうかしら。

 そんなことを考えながら足音の方を見やると、暗闇の中から現れたのは———

 

 

 

 

 

「天衣?」

「八一先生?」

 

 

 





なお、そのころあいちゃんは八一の部屋でお食事とお風呂を整えて待っている模様。
インターセプト発生。


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12.約束

原作9巻特装版に付く予定の『あいちゃんのヤンデレ度チェック』とはいったい……



 

「天衣、どうしてこんなところに?」

「別に……静かな所に行きたくて旅館内をうろついていたらたまたま夜空がきれいに見える場所だったからここにいただけよ。八一先生こそどうしてここに?」

「どうしてって……ここ、対局室から俺が泊まってる部屋への通り道なんだけど」

「……そう」

 

 どうやらそういうことらしい。館内を歩き回っているうちにそんなところに来ていたとは。

 

 八一先生がさらに近づいてくる。

 

「八一先生、よたよたしているけどだいぶ疲れているようね」

「ああ、さすがにな」

「場合によっては今日指し直しになる可能性もあるんでしょう。大丈夫なの?」

「まあ、名人も条件は同じだ。何とか今のうちに休息をとるしかないな」

「……そうね」

「ここは静かだし、今日は寒くもない。自室に帰るのも面倒だしここでもよさそうだな」

 

 そう言いながら、八一先生は私の隣に腰を下ろしてくる。何となく居心地が悪く身じろぎしてしまう私。そこから何か感じ取ったのか八一先生が聞いてくる。

 

「……迷惑か、天衣?」

「何も言ってないでしょう? 迷惑なんてことないわ」

「そうか。安心した」

 

 そう言って笑いかけてくる八一先生。なぜか顔が熱くなってしまい、八一先生から中庭へ向き直る。

 

「それより、早く少しでも疲れをとらないとまずいんでしょう? 何か手伝えることはある?」

「うん?」

「……だから、そのマッサージとか……私でできることがあれば何でもいいんだけど……」

「ん? 今何でもって言ったよね?」

「え、ええ……」

 

 突然、八一先生の表情が真顔になり、視線にも力が増したので思わずたじろいでしまいながらもそう答える。

 

「それじゃあ———」

 

 八一先生が要求してきたのは。

 

 

 

 

 

「…………ねぇ、八一先生?」

「何だい、天衣?」

 

「正気?」

「ホワイ? もちろん正気だよ?」

 

「…………そう。普通こういう場合は膝枕してほしいとかそういう要望になるんじゃないの?」

「ああ、なるほど。いや、もちろん天衣の膝枕は素晴らしいものさ。よく知ってる(※一章16話参照)。だけど名人との激闘に疲れた体を急速に癒やすにはそれでも力不足だ。いわば膝枕はケアルラ、今必要なのはケアルガなんだ」

「よく例えがわからないのだけど」

「ファーストエイドやヒールではなくキュアが必要なんだ」

「だから分からないって言ってるでしょう!」

 

「まあいいじゃないか。ほら、はよう。……あ、後素肌に直接触れた方が効果が高いから、ちょっと服はだけてね。完全に脱ぐまではしなくてもいいけど」

「…………死にたいわけ?」

「…………何でもするって言ったのに」

「う……」

「そうか。天衣が師匠のためにできる何でもって、そこまでだったんだね……」

「……わかったわよ」

「うん? 今なんて」

「分かった! 分かりました!! やればいいんでしょう!?」

 

 そういうと天衣はベストとその下に来ているシャツのボタンを開け始める。

 

「あざーす。それじゃあ、はようはよう。ほらそっちの柱にもたれるようにして、それからもっと足開いて」

 

 それから俺自身は、開かせた天衣の足の間に潜り込む。

 そして露出した天衣の肌の上にそっと乗せた。

 

「……うんッ……」

 

 くすぐったかったのか天衣は小さく声を漏らす。

 

 

 そして俺は———ほあぁぁぁぁ……

 

 

 天にも昇る心地を味わっていた。

 ディモールト素晴らしい!! これで我が軍は後10年は戦える……

 

「……どう? 八一先生、満足?」

「ああ、最高だ。最高だよ」

「……そう。良かったわ」

 

 あぁ、しゅごい癒やしだ。感無量でござる。

 そんな言葉にならない感動に浸っている俺を見て天衣は苦笑する。

 

「何がそんなに気に入ったのか……よく分からないわね」

「一言ではとても言い表せないな……」

 

 そんな天衣に俺はその素晴らしさを何とか伝えようと言葉を紡ぐ。

 

「まず、指摘しておくべきはその触感だな。幼くも瑞々しい皮膚が抜群の肌触りを提供してくれる」

 

「そして、何より素晴らしいのはその弾力だ。薄くピンと張った皮膚のと、みっちりと詰まった内蔵が生み出すコントラスト。結果、柔らかく沈みこみつつも、確かな反発力で俺をしっかりと受け止めてくれている」

 

「次に挙げるべきは呼吸による収縮だ。ゆっくりとそして僅かに上下に揺さぶられることによってまるで揺り籠に乗せられているような安心感をもたらしている」

 

「更に忘れちゃいけないのが、温かな体温とミルクのように甘い体しゅ———」

 

「八一先生………………………………………キモい」

「はい。ごめんなさい」

 

 素直に謝る。少々熱く語りすぎたかも知れない。これはたたき落とされるだろうか?

 柱にもたれて足を投げ出して座っている天衣。今俺はその天衣のお腹を枕にするように横になっている。あるいは端からみれば俺が天衣に抱きかかえられているように見えるかも知れない。そんな状態で天衣の極上のお腹の感触を堪能しているのだった。このアルカディアから早くもおさらばかと身構えながら沙汰を待つ。

 

「もう、八一先生は本当に———」

 

 仕方ないわね。そう言いたげな表情でそっと天衣は笑ったのだった。

 どうやらこのご褒美タイムは今しばらく続くらしい。俺は視線を天衣から外すと夜空を見上げた。都市部から外れているからか夜空にはキレイにたくさんの星が瞬いていた。

 

 

 

 

 

 

 夜空を眺めながらしばらく互いに無言で時を過ごした後、俺は昨日から気になっていた事を口に出した。

 

「天衣……昨日はごめんな」

「……なんのこと?」

「女流棋士登録の事だ」

「ッ……」

 

その時の事を思い出したのか天衣は息をのむ。

 

「あの書類は本当は天衣と先に記入するべきだった。ごめんな」

「…………何を謝っているのかよく分からないわね。そんなのどっちが先だっていいじゃない」

「……そうか。俺の一方的な思い込みならそれでもいい。ただそのまま聞いてくれ」

「…………」

 

 天衣からの返事はない。構わず俺はそのまま続ける。

 

「あの時、場を壊さないためにもあいの申請書を書くしかなかった。だけど一番は天衣だから。だからそれだけはお前に伝えておきたかった」

 

 言いたいことは伝えた。反応をうかがおうと視線を天衣に向ける。けれどその前にそっと目を天衣の手で塞がれ、閉ざされた。

 

「……言いたいことは分かったわ。……でも別に私は順番なんて気にしていないし……何も謝られるようなことはないわ……」

 

 視覚を封じられている以上、天衣の様子は他の感覚で探るしかない。

 天衣の体は小刻みに振動し、俺の頬にはポタポタと冷たい滴が数滴落ちてきていた。

 

「……そうか」

「……そうよ」

「…………」

「八一先生が気にするようなことは何もないんだから……」

「……ああ、そうだな」

 

 

 

 

 

 

 しばらくそのまま時を過ごした。俺の視界は今だ天衣にふさがれたままだ。

ややあって俺は再度口を開く。

 

「良かったらさ、天衣」

「……何? 八一先生」

「今からでもお前の申請書を書こうか」

「……別に今はいいわ。急いでいないから」

「……そうか……」

 

 ここで少し無言の時間が流れる。

 

「ところで先生」

「ッ……何だ?」

「12月10日……私の誕生日なんだけど、10歳の」

「ああ……」

「それからクリスマスも近いわよね」

「そうだな」

「だから……その間でプレゼントが欲しいのだけど」

「…………分かった。任せろ」

 

 俺が請け負うと天衣の手がどかされた。

 遮るものがなくなった俺の視界には、少し目が赤くなった天衣の、けれども確かに笑顔が映っていた。

 

 

 

 12月10日と12月24日の中間、12月17日。その日は竜王戦7番勝負の最終局が予定されている。

 

 ここからの名人との4連戦、一つも落とす気はない。

 

 

 



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13.男の戦いを始めよう

 

「だから、その間でプレゼントが欲しいのだけど」

「…………分かった。任せろ」

 

 天衣に勝利を誓い、しばし見つめ合った後、俺は天衣の体に身を任せ休息に戻った。目を閉じれば再び天衣がそっと手を被せ、まぶた越しに入ってくる光を遮断してくれる。愛弟子の温もりが俺を包み込み疲れをどんどんと溶かしていった。

 

 あぁ俺は今、命の揺り籠に包まれている。楽園(アヴァロン)はここにあったのだ。

 

 

 

 そんな至高の時間は不意に終わりを告げた。

 

「竜王、指し直しが決まりましたよ」

「「ッ!?」」

 

 声の方へ慌てて視線を向ければそこには、伏見稲荷の狐みたいにニュ~ッと口の端を吊り上げてニヤニヤしている女性の姿が。

 

「く、鵠さん?」

「竜王戦実行委員会の結論が指し直しで決まったそうです。そろそろ対局室へ戻られたほうがいいかと」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 

 予想はしていたが、やはりいきなり負けということはなかったらしい。良かった。……良かったのだがそれ以上に今気になるのは———

 

「ところで鵠さん……その手元のカメラはもしかして……」

「スクープの提供ありがとうございます。指し直し局での勝因は愛弟子JSリフレですね」

 

 その言葉に、慌てて跳ね起きる俺。

 おいやめろマジでシャレになんないから!!

 

「いや、これはッ———」

 

 だが、俺が弁明するよりも先に、なぜか鵠さんの笑顔が引きつる。なんだ?

 

「り、竜王、JSに服はだけさせていったいどこまで……」

 

 戦慄したように言う鵠さん。

 ハッとして振り返れば俺が起き上がったことでみぞおちから下腹部辺りまでぺろーんと露わになった天衣の姿が。天衣も自分の姿を思い出したのか顔を赤くしていそいそとシャツのボタンを留めだす。

 

「あわわ……いやいやいや、ちょっと休息をとるのに弟子に手伝ってもらってただけでして——」

「つまりJSとご休息していたと」

「違えよッ!!」

 

『ご』を付けるな! 『ご』を! 途端にイヤらしく聞こえるだろ!!

 

「じゃあなんでJSを露出させる必要あるんです?」

「そ、それは、ほら? 素肌に直接触れたほうがヒーリング効果が高いでしょ?」

「ひッ!?」

 

 俺の言葉を聞いて、予想以上に気持ち悪い回答が返ってきたとでも言うように身を引く鵠さん。

 

 いかん。弁解の仕方を間違えた。

 

 

 その後何とか言葉を尽くし鵠さんを落ち着かせることに成功した。

 

「はぁ……竜王はまったく……」

 

 心底呆れたというような目で俺を見てくる鵠さん。

 

「あなた達を見つけたのが私で良かったですね。空さんやお弟子さんに見つかってたら大変なことになってましたよ?」

「姉弟子やあいが俺を探しているんですか?」

「それに桂香さんも、です。いつまで経っても自室に帰ってこない。指し直しの件も伝えないといけないのに。何かあったんじゃないかってみんな心配して駆けずり回っているところですよ」

「そりゃそうか」

「だっていうのに当の本人は人気のないところでJSといかがわしいことしているんですから」

「あはは…………いかがわしくはないです」

 

 本当に見つかったのが姉弟子とあいじゃなくて良かった。もし二人に見つかってたら指し直し以前に制裁で頓死することになってたな……

 

 

「これは早く対局場に戻った方が良さそうですね」

「ええ、その方がいいと思います。休息も十分とれたようですし」

 

 俺は苦笑するしかない。

 

「私の妹やその友達たちも竜王を応援していますよ。ほら、このメール」

「おおッ!?」

 

 鵠さんが見せてくれたスマホの画面には天使たちの入浴直後に取ったと思われる肌着姿の集合写真が。

 綾乃ちゃんに澪ちゃん、そしてシャルちゃんからのメッセージも寄せられていた。

 みんなの好意を余すことなく受け取る。

 

 そして天衣の方へ向き直る。

 

「それじゃあ行ってくるよ、天衣」

「ええ」

 

 天衣は俺を見上げながら短くそう返す。頑張れとも勝ってとも言わない。けれどその思いは既に受け取っていた。

 

 天衣へ一時の別れを告げ、元来た方へ踵を返す。さあ勝つための戦いを始めよう。

 

 

 

 

 

 

 しばらく進むと姉弟子とあい、それに桂香さんに会った。

 

「八一、どこに行っていたの!?」

「師匠、休憩しないで大丈夫なんですか!?」

「二人とも心配かけてごめん。でも大丈夫だから」

 

「八一くん、忘れ物はない? ハンカチ持った?」

「大丈夫。ありがとう桂香さん。行ってくるよ」

 

 心配してくれていた皆に短く謝罪と感謝を告げ、更に足を進める。

 

 

 対局室へと向かう廊下で男鹿さんと一緒になり、国民栄誉賞にまつわる裏事情を耳打ちされる。残念だけどそんな外野の事情を勘案してやることはできない。既に先約があるからだ。

 

 そして対局室に入り、月光会長から検討結果を受け取る。

 

「指し直し局はこのまますぐに開始することも可能ですが、対局者の体力を考慮して後日とすることもできます。……竜王いかがですか?」

 

 疲れは癒えた。そしてこの胸にはあの約束が燃えている。

 もう、何も怖くない。

 

 

「俺は——今、指したいです」

 

 

 俺の要望に名人は———

 

 

 

 

 ———首を縦に振った。

 

 





今週末は旅行に出るため、次回更新までまた間が空く予定です。
申し訳ありませんがよろしくお願いします。


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14.打ち歩詰め


ヒナまつりではなく、アンズまつりが見たい今日この頃。
健気すぎんよ……。


 

 

 指し直し局は飛車先の歩を突く名人の一手で始まった。

 通常の千日手であれば手番を入れ替えることになるが、今回は歩詰めの問題があるとはいえ、俺の連続王手を鑑み、名人に若干の有利を与えるべしという裁定になったようだ。

 

 名人の初手に対して俺の応手は同じく飛車前の歩を突き返す8四歩。

 さあ、名人はどう来る?

 フラッシュが止み、報道陣と関係者が出ていく。それを待って名人が返してきた答えは———2五歩、再びの相掛かりへの誘い。

 

 上等だ! 

 俺はノータイムで8五歩と飛車先の歩を先に進めた。

 さあ、始めよう! 今度こそこの戦型で名人を倒す! この一手が反撃の狼煙だ!!

 

 

 

 

 

 

「…………熱い……!」

 

 タブレットでその対局を見ながら思わず呟いていた。

 竜王戦第四戦の指し直し局、私は控え室に戻らず、八一先生を見送った縁側でそのまま観戦していた。

 

 その対局はまるで二人の予定調和であるかのように相掛かりで幕を開けた。

 そこから昨日は超スローペースで定跡をじっくりと辿ったのとは対照的に名人から早々と定跡を外れ、積極的に仕掛けていく。それに負けるかとばかりに八一先生も混沌とした手を放つ。互いに持ち時間がないため超ハイペースで進行していることも拍車をかけているのだろう。

 

 結果として名人の右の銀は盤上を大回りして左辺の戦線に加わり、八一先生側では銀2枚がともに最前線に飛び出し、玉、金2枚もそれに続いて上がっていくような綱渡りの様相を呈している。

 

 本格的な駒のぶつかり合いの開始を予感させる47手目まで来て全体を俯瞰して見ると、名人は左辺に攻撃陣の厚みを持たせながらその下に玉を匿った攻防のバランスを取った陣形。

 

 対して八一先生は香2枚以外は全て最後列から飛び出し中央に寄った前掛かりな陣形となっていた。まるで八一先生の不退転の決意を表しているかのよう。

手駒は双方、角と歩が1枚ずつ。いよいよ中盤戦が始まる。

 

 

 八一先生ッ———

 

 

 

 

 

 

 中盤のねじり合いは俺から仕掛ける形で始まった。

 

 7六歩として名人の一番分厚いところへ正面から仕掛ける。対して銀で食らう形で名人も受けてくる。俺は更に5五銀と攻めてを増やすが名人も歩を打ち込んで一歩も譲らぬ構えだ。

 

 左辺での戦いは互いに盤上の駒、手駒をつぎ込み加熱していく。

 その戦いは72手目の今も続き、一連の攻防で俺は角を得て、名人に金を1枚奪われており、銀を1枚ずつ交換していた。

 73手目で名人はさらに7五銀打とし、四段まで進出していた俺の飛車にプレッシャーをかけてくる。

 

 チッ、堅い。左辺では一歩も譲らないってか。

 

 なら———目先を変える!

 

 俺は4筋へ飛車を振り替え戦場を広げにかかる。名人は応じずさらに7四へ歩を打ち込み左辺を食い破ろうとしてくる。

 

 けどここは勝負だ! 4七飛成!

 

 竜を作って名人の玉へ側面からプレッシャーをかけてやる。

 名人が左辺でと金を作る間に俺の竜は最深部へ足を進める。ここで名人は飛車を進めて右辺にも仕掛けてくるがこれには俺も歩を打ち込んで対応する。

 

 95手目までで俺の銀2枚と名人の飛車を交換する結果となった。

 これで大駒は俺が独占し、対して金銀は金1枚を残して全て名人のものとなった。

 

 ということはだ……守って勝利はあり得ない。

 

 

 ———望むところだ! 攻め続けた先に活路はある!!

 

 

 

 

 

 

 終盤戦、ここも彼から仕掛けていった。

 96手目で奪ったばかりの飛車を敵陣最深部2八へと打ち込みさらに側面を叩きに行く八一先生。

 

 これを名人は受けるのではなく、桂馬を打ち込み、守りの薄い八一先生の玉を責め立てにかかる。

 けれど八一先生もこれを無視。7八飛成として王手!

 名人はこの2匹目の竜を守りを崩して殺すのではなく玉を逃がすことを選択する。

 

 八一先生はここで桂馬を跳ねさせて敵陣に成金を増やすが、その隙に今度は名人が金を進めて王手をかけてくる。これは桂馬が利いていて玉では取れない。同竜。仕方なく竜を呼び戻して対処したが名人は更に裏側に銀を打ち込んで連続王手をかけてくる。これを八一先生は取るのではなく、玉を前線に逃がして対処。

 

 ここで、名人は自陣深くに取り残されていた八一先生の一匹目の竜を仕留めた。

 八一先生はもう一度竜を敵陣に踏み込ませて攻めの形を作ろうとするけれど、名人は6五金打とし、再度王手をかけてくる。彼の玉は唯一の逃げ場である4五へと脱出するけれど……竜と同じ4列に並んでしまった。

 

 そして玉の直下に打ち込まれる名人の飛車。桂馬が利いているのでこれはとれない。だから玉を逃がすしかないのだけれどそうすると…………

 

 111手目で盤上から八一先生の二匹の竜が姿を消し、そして持ち時間もここで使い果たしてしまったのだった……

 

 もうこれは……そう思って八一先生の表情を見て私は自分が恥ずかしくなった。

 八一先生のその目から勝利への意思は今だ消えていなかった。

 私は両手を握りしめ、八一先生の勝利をただ祈り続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 まだだ! まだやれる!!

 竜を2匹とも仕留められたのは痛いがまたここから再構築すればいい。

 

 まずはその飛車を返せ!

 

 俺は先ほど竜を食らった飛車の直上に金を打ち付ける。

 名人は3八銀と打ち込んでくるが無視だ。飛車を仕留める。

 

 

 ここから———うぅ!?

 

 飛車を打ち込んで王手をかけてくる。猶予は与えないということらしい。この鬼畜眼鏡がッ!

 

 

 玉を一筋ずらして王手を交わす。

 名人は更に王手をかけるためだろう。先ほど飛車を仕留めた俺の金を刈り取ってくる。

 

「ごじゅうびょう———」

 

 この先名人からの熾烈な攻撃が続くはずだ。どうする? どうやれば受けきれる?

 

「……なな、はち、きゅう———」

 

 ええい、時間がない!

 俺は玉直下への金打ちで後背を固める。

 名人は4八歩打。攻め立ててきた。選択肢は二つ。この後どう展開する?

 

「……なな、はち、きゅう———」

 

 秒読みに追われ読み切る時間がない。苦しい戦いが続く。

 3七成桂。

 打つと同時にこの後の展開を必死に読む。一秒でも多く時間が欲しい。この後は———

 

 123手目同桂、5五金で飛車をとって4七金打、3五玉、5五金……受けがない? 今度こそ負けちまったのか……? 別の活路は……? ダメだ! 時間が足りない!?

 

 諦観が俺を襲い、そっと名人を見る。すると名人は前のめりになっていた姿勢を正し、マジックの予感か震えている手を押さえ、そっと水差しに手を伸ばす。

 勝利を確信したのか、ここで落ち着いて見落としがないか最後の読みを入れようということらしい。

 

 ならダメで元々、その時間を俺ももらって最後の読みを入れる!!

 

 

 

 

 

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!

 

 

 

 

 

 読み切った。この局面の死活を。

 けれど……そんなことがありえるのか……?

 その時俺の脳裏に蘇ったのは名人のある名言だった。

 

 

 

 

 

 

 名人が読みを終え、終演に向けた一手を指す。

 

 123手目、同桂。

 

 そして八一先生の次の一手は当然、飛車を———取らないッ!?

 

 124手目、同玉。

 

 意外な一手に私はおろか、画面上の名人も目を見開いている。けれど名人も同じく先ほどで持ち時間を使い切り一分将棋に入っている。腑に落ちない顔をしながらも4五飛として飛車を守る。

 

 

 これで受けきれるの、八一先生?

 

 

 私の心配を余所に八一先生は淡々と手を進めていく。

 

 126手目、8九飛打。名人の玉の背後から攻め込む形を見せる。

 

 名人はそれを無視して、3八金打。王手。

 八一先生はまたもノータイムで3六玉。一歩下がって王手を躱す。

 

 4六金打。名人の連続王手。

 これも玉をひょいっとずらして凌ぐ。

 

 

 

 そして130手目。名人は次の手を……指せない。

 

 

 

 そんな。こんなことが起きうるなんて……

 

 

 

 迫る秒読みに名人は苦し紛れに香を動かして自玉の背後を押さえる。

 対して八一先生は飛車を引き戻して最前列の銀を撃破、竜としてさらに玉の頭を押させていた駒を荒らす構えを見せる。

 

 これで八一先生の入玉は確実。詰む可能性はなくなった。

 

 

 それを見た名人は再度水を飲み、喉を潤した上で、はっきりと告げた。

 

 

 

「負けました」

 

 

 

『打ち歩詰めがなければ先手必勝』

 

 まさかこの名人の名言がこの勝敗を予言していたわけでないだろう。

 けれど、千日手局とこの指し直し局の130手目。『打ち歩詰め』によって名人の勝負手を躱し、八一先生は見事に勝利をつかんだのだった。

 

 

 

 



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15.思いに応える

第5章エピローグです。



 

 ……パチ

 

 封じ手が開かれ静謐な空間に駒音が響く。

 

 

 ここは山形県、天童市。将棋駒の町として古くから知られるこの土地の旅館で竜王戦最終局は行われている。

 

 将棋史上稀に見る激戦となった第四局に続き、第五局はがっぷり組み合った相矢倉から先手を持った八一先生が盤面をリードし続けた。大駒を恐れることなく切りとばし、敢然と攻め続けて寄せきって見せた。強い将棋だった。

 

 第六局も同じく相矢倉と思われたが、八一先生はまさかの急戦を選択。70手の短期決戦を見事制して勝負を五分に戻した。

 

 そして最終局、前局と同じ展開から皆の度肝を抜く18手目5三銀右、再び急戦を選択。名人が先に手を変えて25手目以降の展開は変わっている。名人からしかけて左辺奥にと金を作り、名人の封じ手で初日を終えた。

 

 

 10月より始まり長く続いた竜王戦も、残すところは本日のみだ。

 その様子を現地旅館の人通りの少ない縁側でタブレット片手に見守っていた。反撃の開始となった第四局以降同じ観戦スタイルを貫いている。別に縁起を担いでいるわけではないのだけれどね。

 

 先ほどの封じ手———と金が八一先生の浮いている香車を刈り取る一手で二日目は始まった。そこから攻防の焦点は盤面中央に移る。名人は奪った香車で5筋の突破を計り、八一先生はそれを歩-銀-飛のラインではじき返そうとする。62手までの一連の攻防で名人は金と香を交換して駒得を。八一先生は名人の陣形を左右に分断するという成果を得た。

 

 そして中央での争いは更に激化する。双方相手陣地に金銀から成る攻撃拠点を築く。 この局所戦では名人がその強さを見せつけた。香車をうまく使って飛車を競り落として見せたのだ。

 

 けれどそこから八一先生が驚異的な打ち回しを見せる。

 86手目に角交換をすると、即座に8七へ打ち込んで王手竜取りをかけ、相手の攻め手をくじいた。そして名人の玉の後背に奪い返した飛車を打ち込みプレッシャーをかけていく。

 

 そしてここからが圧巻だった。

 名人が6六角打という詰めろ逃れの詰めろの絶好手を指したと見た瞬間に方針を転換。盤面中央に進出していた名人の玉を緩やかに囲い込むように包囲網を形成していく。

 常に王手をかけ続けるわけでもなくむしろ手緩く見えすらした。実際に王手の切れ間で名人は積極的に逆撃をしかける。けれど八一先生は自分の手の方が早いことを読み切っているかのように自玉に最低限の延命処置だけ施し、名人包囲網を絞っていく。

名人の玉が逃げた先には必ず八一先生の迎撃要員が用意されており名人の玉を跳ね返す。安住の地がない名人の玉は味方の反撃を信じて盤上を逃げ惑い———

 

 

 そして140手目、対に盤面の片隅に追い詰められて力尽きた。

 

 竜が神様を食らった瞬間だった。

 

 

 

 

 

 

 映像の中の八一先生が報道陣に囲まれ、インタビューを受け始める。

 八一先生はまだ勝利した実感がないのか、どこかぼうっとした夢でも見ているかのような受け答えだった。

 

 けれど、これはまぎれもなく現実だ。八一先生は見事防衛を果たした。それだけじゃない。このつらく長い七番勝負、だれもが八一先生の陥落を望む圧倒的なアゲインストの中、初戦からの3連敗という後のない状況で最強の挑戦者を相手に4連勝したのだ。八一先生の力は竜王戦開始前とは較べるべくもない。壁を二つ三つまとめて飛び越えている。もはや進歩ではなく進化といって差し支えないレベルだと思う。

 

 間違いない。これからの将棋界はしばらく八一先生を中心として回るのだろう。きっと誰もが八一先生を称賛する時がもうまもなく来る。

 

「……?」

 

 不意に私の頬を冷たいものがつたう。手で触れてみると———

 濡れてる? 涙? 私泣いて……?

 泣いていると実感するともう止まらなかった。次から次へと涙が流れ落ちてくる。

 

 そう。私は知っている。このドラマのような奇跡は安穏と待っていて訪れたわけじゃない。あの人がどれだけ悩み、苦しみ、追い詰められていたか。苦労なんて一言でまとめるのもおこがましい。それがようやく報われた、いや、これから報われるのだ。

 

 

 

 おめでとうございます。八一先生。とても……凄かったです。

 

 

 

 

 

 

 感想戦が終わり、先に退出した名人について報道陣や関係者も出ていった。俺は一人対局室に残り余韻に浸っていた。だがいつまでもここにいるわけにもいかない。この後、打ち上げがあるのだ。今日だけのことじゃない。これまでの長い長い竜王戦の打ち上げが。疲れてはいるが俺も行かなきゃならない。なんと言っても主役だしな。むふ。

 

 俺は重い腰を上げ、対局室を後にした。

 

 ようやく竜王位の防衛に成功した実感が湧いてきた。よく0ー3の状態から勝ったものだよな。あの名人に、俺。これは俺氏、壁超えちゃったんじゃないの? 名人級とは言わないまでも他のタイトル保持者達と遜色ない、あるいはそれ以上の力を手に入れちゃったんじゃない? これは『九頭竜永世竜王』誕生待ったなしなんじゃないの?

 

 俺は最高に浮かれていた。そうなると疲労で重かった足取りも軽くなる。

 

 そうして分かれ道まで来た。向こうに行けば打ち上げ会場。あちらは宿泊棟。もちろん打ち上げ会場に行かないといけないのだけど、そういえば……

 第四局の指し直し局前のことを思い出す。

 あの時、会場と宿泊部屋の間の通路で天衣と会ったんだったか。まあ今回も同じようなところにいるとは限らないわな。そう思うのだけどなぜか足はそちらを向いていた。

 

 

 そうして———

 

 

 

 

 

 

 廊下沿いの縁側には小さな人影が見える。腰を下ろし足をぷらぷらさせているその人物は星明かりを反射する艶やかな黒髪をしていた。

 

「こんなところにいては風邪を引きますよ。お嬢さん」

「八一先生?」

 

 俺の声に気付いた天衣はこちらを振り返る。俺の名を呼ぶ口からは、吐く息とともに白い靄が漏れる。

 前は季節外れに暖かい11月だったが、今はもう12月中旬だ。

 

「こんな寒いところにいちゃ風邪ひくぞ。天衣。宿泊部屋でも控え室でも暖かい場所で観戦してれば良かったのに」

「別に、平気よ。コートも着ているし。それに星空もこんなに綺麗なんだもの」

 

 確かに冬の夜空。それも東北の空は澄んでことさら綺麗に星が見える。けれど勝手な思い込みかも知れないが、何となく第四局の時の験を担いでそうしてくれていたんじゃないかと思った。

 

「どうだ? 名人に勝ったぞ。天衣も喜んでくれるだろ?」

「そうね。私も嬉しいわ」

「そうだろそうだろ」

 

 俺氏得意満面である。

 

「本当に良かったわ。私の師匠が平のC2棋士にならなくて」

 

 ……うぐぅ。

 

 厳しい現実を突きつけてくるツンJS。そう。竜王位が剥奪されてしまえば最下級のC2棋士にすぎないという現実が待っている。本当に良かった。防衛できて。これで仮にタイトルを失っても竜王位2期で九頭竜八一九段となるのだ。良くない。順位戦で昇級できなければC2級であることは変わらないのだ。昇級せねば。

 

 決意を新たにしながら天衣の横に腰を下ろす。そして近くから見て気付いた。

 

「天衣……泣いていたのか」

「ッ!?」

 

 失念していたのか慌てて顔を逸らす天衣。その目は少し赤くなっていて、目元には涙が乾いたような跡があった。

 

「……別に。泣いてなんかないわ。ちょっと目にゴミが入ってさっき擦っていただけよ。別に悲しい事なんてなにもないもの」

 

 そう。泣くような悲しい事なんてなかったはずだ。けれど涙は悲しいときにだけ出るものじゃない。俺の愛弟子はその言葉とは違って、思いの外俺の勝利を喜んでくれていたらしい。

 

「何よ。その顔は?」

「うん? どうかしたか?」

「そのニヤニヤ顔を止めなさい。キモいわ」

「ニヤニヤなんかしてるか?」

 

 口元を押さえてみる。どうやら無意識ににやけていたらしい。自覚するとますます口元がつり上がってしまう。

 

 そんな俺を処置無しと見たのか、ふんっと鼻息一つ、天衣はそっぽを向いてしまう。そしてしばしの沈黙。けれどイヤな沈黙ではない。俺は名人に勝利し、第四局、あの時の天衣との約束を果たすことができた———

 

「……あ」

 

 と、あることに思い当たり俺は思わず声を漏らす。

 

「なに? 八一先生?」

 

 それを不審に思ったのか、天衣はこちらへ向き直り問いかけてくる。

 

「いや……第四局のあの時、今日天衣にプレゼントを渡すって約束をしただろ?」

「え、ええ。そうね」

「失敗したなーって思ってさ」

「何が? 八一先生は竜王位の防衛を果たして約束を守ってくれたじゃない?」

「いや。それはあくまで俺の目標だろ? だから今日勝ったらすぐに女流棋士資格の申請書に記入してやろうと思ってたんだけど肝心の用紙を持ってくるの忘れちまった」

「何だ、そんなこと。……別にいつでもいいって言ったじゃない」

「折角だからと思ったんだけどな。防衛直後でなかなかインパクトあるタイミングだろうし。……すまん。大阪に戻ったらすぐ書くからな。なんだったら東京の将棋会館に寄ってもいいし」

「別にそこまでしなくてもいいわ。それに…………」

「うん?」

 

 なぜか言いよどむ天衣。そして何か折りたたまれた紙片を差し出してきた。それを受け取る。

 

「別に用紙ならここにもあるし」

「天衣……」

 

 その紙を広げてみるとそれは申請書だった。何度も広げたり折ったりしたのだろう。すっかりと角のよれてしまった女流棋士資格の申請用紙。その用紙のくたびれ具合に、そしてその紙を遠い山形県まで肌身離さず持っていたことに、俺は天衣の気持ちを汲み取っていた。そうせざるを得なかった。この少女の思いに不意に目頭が熱くなってしまう。

 

「別に深い意味はないから! たまたまポケットに入りっぱなしになっていただけよ!!」

「……そうだな。運が良かった。それじゃ早速書こうッ…………あ……」

「八一先生?」

 

 再び奇声を上げて固まる俺。当然天衣は訝しんでくる。

 

「すまん。書くものがなかった。部屋にあったかな? それともフロントで借りるか」

 

 腰を上げようとすると裾を天衣に掴まれ、止められる。

 

「天衣? どうした?」

「八一先生。これ」

 

 そう言って差し出してきた天衣の手にはペンがあった。

 

 

 ……天衣さん。準備イイっすね。さすがにこれは偶然で通すのは苦しいのでは……

 

 

 天衣は顔を伏せたまま決してこちらを見ようとしない。けれどその赤く染まった耳がどんな気持ちでいるのか如実に表していた。

 

 これは触れないのが武士の情けですね。

 

「おお! 運が良かった。それじゃ書こう。早速書こう!!」

 

 

 

 俺の名前の記入を済ませ、紙とペンを天衣に渡す。そして天衣がゆっくりと丁寧に自分の名前を記す。そしてそっと4つにたたむとそっと胸元に抱えた。その紙がとても、とても大事なものであるというように。

 だけどそのままではその用紙は真の効力を発揮しない。

 

「ちょうど良いことに月光会長がここにいるんだ。どうせだから打ち上げ会場で渡してしまおうぜ」

 

 そう言って受け取るための手を伸ばす俺。

 

「そうね」

 

 天衣はそう答えるが、名残惜しいのかその手はなかなか伸びてこない。

 ただ紙を受け渡すだけにしてはやたらと長い時間をかけ、その行為は完遂された。

 

 

 

 どこか寂しそうな天衣に俺はこれからが始まりだと声をかける。

 

「これからよろしくな。天衣」

 

 それに天衣も表情を満面の笑みに変えて答えてくれる。

 

「はい! 八一先生!!」

 

 

 



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16.本物


第二エピローグです。
前回で爽やかに終わっておけばいいのに、敢えてダークな話をぶっ込んでいくスタイル。




 

「それじゃあそろそろ打ち上げ会場に行くか。天衣」

「え、ええ……」

 

 そう。既に竜王戦の打ち上げは始まっている。当然、主役の八一先生は行かないといけない。それに女流棋士登録をするという意味でも月光会長のいる打ち上げ会場に行く必要がある。それは分かるのだけれど……

 

 何か気恥ずかしいわね。大勢が集まっているところに二人揃って入っていって師弟関係を永続的なものにする手続きをするなんて……

 

「そ、そうだ! 私は一旦部屋に戻ってコートを置いてくるから、八一先生は先に打ち上げ会場に行っていて!!」

「お、おう? ……分かったよ。それじゃあそうするか」

 

 勢い込んで言う私に気押されたように八一先生は承諾した。そして打ち上げ会場に向かう八一先生を見送る。彼の姿が廊下の曲がり角の向こう側に消えたところで私も踵を返し、部屋へと戻ろうとした、その時。

 

 

 ペタペタとこちらに近づく足音が聞こえてくる。それに何となく足を止める私。そしてまもなく暗がりから現われたのは———

 

 

 浴衣に身を包んだ妹弟子だった。お互いに手を伸ばせば触れるか触れられないかという距離で足を止めた妹弟子は、大きな目を爛々と輝かせながら、瞬きすらせずジッとこちらを見つめてくる。

 

「何か用かしら?」

 

 黙ったまま私を睨み続ける妹弟子には不快なものを感じたけれど、敢えて私から声をかける。それに返ってきた言葉は意外なものだった。

 

「……認めないから」

「何を認めないと言うの?」

 

 妹弟子の意図を掴みかねて問いかける。その問いかけを無視して妹弟子は更に突っかかってくる。

 

「竜王戦が終わるまで女流棋士登録を待ってししょーのことを気遣ったつもり?」

 

 どうやら立ち聞きされていたらしい。

 

「あら。聞いていたの? 立ち聞きなんて趣味が悪いんじゃないかしら?」

 

 意趣返しをしてやるけれど、妹弟子は無視して言い募る。

 

「そんなの本当の愛情じゃないから。絶対に認めない」

 

 その一言には私もカッとなる。私だってこの子には言いたいことがいくらでもある。

 

「そう。それじゃあ貴女のあの押しつけがましい態度が本当の愛情だとでも言うつもり?」

「そうだよ」

「はあッ……!?」

 

 私の反撃にてっきり口ごもるかと思っていたところに、きっぱりと断言されて逆にこちらが絶句してしまう。どういうつもり!?

 

「あいの愛情は本物だから。だからどんなことがあっても真っ先に師匠にぶつけるよ。周囲に気を遣って立ち止まったりしない」

「そんな押しつけが本物の愛情ですって!?」

「だからそう言ってるよ。頭悪いのかな、天ちゃん?」

「ふざけないで! そんな相手のことを思いやらない行為が本物の愛情!? そんなわけない!!」

「天ちゃんはさ、自分の思いより師匠がどうかの方が大事なんだよね?」

「そうよ。当たり前でしょう。誰より大事な人のことなんだから」

「それって要はさ。天ちゃんの思いは軽いんだよ。真剣じゃないんだよ。だから自分の思いより師匠の状況を優先できるんだよ」

「なッ……!?」

「あいみたいに何より師匠への思いを大切にしていたらさ。立ち止まったりできないんだから」

 

 そんなわけない。そんなものが本当の愛情であっていいはずがない。そう思うのに言葉が出ていかない。ようやく絞り出せたのは弱々しい声だけだった。

 

「……そんなの単なる押しつけだわ」

「愛情はどれだって最初は押しつけだよ。はじめから両思いでもない限りね。どれだけ始めに迷惑をかけたって、受け入れてもらった後に必ず師匠のことを幸せにするもん。あいなら」

「…………」

 

「それに師匠の思いを優先するってことはさ。もし師匠に告白して断られたら天ちゃんはそこですぐ諦めるんだよね? ……ねぇ、すぐ諦められる程度の思いが本物なのかな? あいは違うよ。真剣だもん。何度断られても折れずに思い続けられる覚悟がある」

「…………」

 

 黙る私に妹弟子は唇の片端をつり上げる。

 

「それにさ。天ちゃん。師匠の状況を自分から女流棋士登録を言い出さなかったことの言い訳にしてないかな?」

「……なんですって?」

「だからさ。師匠の苦しい状況を配慮してなんて単なる言い訳で本当は天ちゃんが臆病だっただけなんじゃないかな?」

 

 

 目の前が真っ赤になる。

 

 

 胸を衝いた怒りに思わず私は妹弟子に掴みかかっていた。けれど、凄い力でもぎ離され、逆に突き飛ばされる。

 

「あぐッ……」

「図星だからって止めてよね。本気で喧嘩したら、天ちゃんがあいにかなうはずないでしょ」

「……痛ぅ」

「とにかく。自分から手を伸ばす勇気もないくせに、そんな思いが本物だなんてあいは絶対認めないから。それじゃあね。あいは先に打ち上げ会場に行くよ」

 

 そう言い捨てて妹弟子は立ち去っていく。

 

 私は床に蹲ったままその後ろ姿をただ見送ることしかできなかった。

 

 

 

 違う。私のこの思いは本物だもの。あの子より私の方がよっぽど八一先生のことを思っている。

 

 けれど、どうしてか頭の中からあの子の『自分から手を伸ばす勇気もないくせに』という言葉が消えてくれなかった。

 

 





果たしてあいちゃんは本当にJSなのか。
10歳にして確固たる愛情観を持つ女の子っていったいと思わなくもないですが、女の子は早熟ということで一つ。




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第六章.伝えたい想い
01.診察(天衣√)


R-15タグの有効活用。
たまにはね。



 

「……極めて重篤です」

 

 沈痛な声が、静まりかえった部屋に響き渡った。

 白に統一されたその部屋にいるのは俺の他にもう二人。部屋と同じく白い衣装を纏った女性と、同じく白系統の薄いピンクの衣装の女性の二人。

 

「そんな……どうにか治療できないんですか!?」

「難しいですね……その症状に対して現在の医学では有効な療法は存在しません」

 

 白衣の女性は気の毒で仕方がないという表情で首を横に振る。

 

「そんな……そんな!?」

 

 

 

 

 ここは大阪市内のとある総合病院。その病院の神経内科で俺は女医さんとそのアシスタントの看護師さんと向かい合っていた。

 竜王戦で限界以上に読みの力を行使したからだろうか。最終戦以降、日常生活の中で、俺の意思とは無関係に突如として脳内将棋盤が現われて読みの力が暴走するということが度々発生していた。そのせいで睡眠不足などの弊害にも襲われている。そのため、これじゃまずいと縁遠かった病院に足を運んだわけだ。

 

 

 そこで問診の後に下された衝撃的な結論が冒頭のものだったのだ。

 

 畜生! 竜王位の防衛を果たして全てはこれからって時に……

 

「それで、先生。俺の病気はいったいどういうものなんですか? 重篤って……」

 

 全てを受け入れる覚悟で俺は女医さんにおそるおそる問いかける。そして、一瞬の沈黙の後、返ってきた答えは———

 

 

 

 

 

「ロリコンです」

 

「は?」

 

 

 

「ロリコンです」

「いや、先生、何を言って……?」

 

 

「だから。病名『ロリータコンプレックス』ステージ5の重症です」

 

 

 

 

「いやいや。ちょっと待ってくださいよ。俺がロリコンのわけないでしょ。俺が好きなのは桂香さん———」

「いいえ。問診結果からあなたがロリコンである可能性は、99.9999999%です。万に一つどころか億に一つも間違いありません。きっとあなたはいろんな幼女に囲まれてはヘラヘラ気持ち悪い笑顔をしているはずです」

「ぐッ……よしんば、俺がロリコンだとしてですよ。それと脳内将棋盤の暴走に何の関係があるんです?」

「あなたの中の生存本能が、あなたを破滅的な行動(ハイエース)から回避させるためにとにかくロリ以外のことで頭の中をいっぱいにしようとしているのです」

「そんな無茶苦茶なこじつけ……」

「なんもかんもロリコンが悪い」

 

「…………それで俺はどうすればいいんですか?」

「ロリコンの存在は深刻な社会不安を巻き起こします。すぐにでも対処が必要です」

「…………それで?」

 

「選択肢は4つです」

「意外とありますね」

 

そして、女医さんは目の前に立てた4本指を折りながら中身の説明を始める。

 

 

「一つ。精神病院に死ぬまで隔離」

「却下」

 

 舐めんな。

 

 

「二つ。去勢する」

「却下」

 

 一度も使わずにJr.とお別れするなんてそんなことできるか。

 

 

「三つ。外科的な処置を施した上で、クジ○ックス作品や鬼○直作品等を絶つ」

「外科処置ってどんな内容ですか?」

「小路あ○む先生のもダメなんですよ?」

「知らねぇよッ!? いいから外科処置について教えてください」

「そうですか……」

 

 なぜか残念そうな女医さんは、一つ溜息をつくとその内容を教えてくれた。

 

「ロリコンの原因は脳にあるのでそれを手術で取り除きます」

「手術で取り除くって……はぁ!?」

「脳にメスを入れるのが不安ですか? 大丈夫ですよ。我が院の脳外科にはフランスから来た凄腕の先生がいますので。ほら」

 

 そういって女医さんが手で示した方を振り返ると、そこにはキャップと手袋までした完全装備の外科医の姿が。確かに外人らしく、キャップの隙間から覗く髪は金髪だ。けれどその影は妙に小柄で———っていうか。

 

「シャルちゃんじゃん!?」

「フランス帰りの名医。シャルロット・イゾアールDr.です」

「いやいやいやいや!」

 

 確かにフランスから来たんだろうけど幼女じゃん。それに白衣かと思ったら着てるの給食当番の服だコレー!!

 

「めてゅ」

「ほいきた! メス一丁!!」

 

 舌っ足らずなDr.の指示に従ってその後ろから刃物を差し出すのは。

 

「澪ちゃんまで!? ちょっと。誰か止めて!?」

「そんなに心配しなくても大丈夫なのです」

 

 そういって後ろから俺を押さえてくる先ほどからいた看護師は、よく見るとなぜか綾乃ちゃんだった。

 

「しょれでは、これからオペをはじめるんだよー」

 

 そう言って、凶器を握ったシャルちゃんはひたひたと近づいてくる。

 ダメでしょ!? これはいかんでしょ!?

 目の前の愛らしいDr.? に生命の危機を感じて俺は必死に逃れる方法を探す。

 

 

「第四! 第四の選択肢は何ですか!?」

「第四ですか? 本当に知りたいんですか?」

「いいから! 早く! 早く教えて!!」

 

 目の前までシャルちゃんの持ったメスが来てる!!

 

「しぇっかいのあとは、どりるでじゅがいこちゅにあなをあけるんだよー?」

「ほいきた。ドリルの準備は澪に任せて!!」

「早くぅぅぅぅぅ!!」

 

 俺の懇願に女医さんは立てていた最後の指を折り曲げながら説明を続けてくれた。

 

「第四の選択肢は逆転の発想よ」

「逆転?」

 

 シャルちゃんのメスを握った手を押し留めながら、女医さんの発言にオウム返しに問い返す。これは期待が持てるのでは?

 

「そう。ロリコンの存在が深刻な社会不安を引き起こすのは、幼女とみればその性欲を片っ端からぶつけようとするからよ」

「なるほど」

 

 納得できる話だ。いや、俺はそんなことしないけどね。

 

「だからいっそのことロリコンを特定の幼女と結婚させてしまえばいいのよ」

「……は?」

 

 この女医さん何かとんでもないことを言い放った気がする。俺の聞き間違いだろうか?

 

「不特定多数に性欲をばらまけば犯罪だけど、一人につぎ込めば純愛よ」

「……い、いやいやいやいやいや!?」

「何よ。何か文句あるの?」

 

 そんなのロリコン対策以前の問題だ!

 

「それじゃあ、単なる生け贄だろうが!」

「人聞きが悪いわね。双方の合意があれば問題ないじゃない」

「あのなぁ! どこにロリコンと結婚OKなんて言う幼女がいるんだ!?」

「ここに」

「へ?」

 

 一瞬何を言われたか分からず思考が止まる。衝撃発言をかました女医さんが、思考停止で固まる俺の肩を掴み、自分の方に向き直らせてくる。

 

「私が結婚してあげてもいいわ」

 

 よく見るとその女医さんは非常に小柄だった。とても社会人のような体格ではない。その白衣の上には対照的に艶やかな黒髪が散らばり、整った輪郭の中に収まった黒いはずの瞳は、光の加減か紅が差しているように見える。

 ———というか彼女は。

 

「あ、天衣!?」

「……私じゃダメ?」

 

 驚く俺の様子を否定と取ったのか、天衣は更に詰め寄ってくる。

 

「いや、ダメとかそんな話じゃなくて……っていうかそもそも結婚してもいいって何を言ってッ!?」

「私、八一先生のこと好きよ? だから八一先生となら結婚してもいいわ」

 

 そう言って天衣は俺の腰に手を回し、密着するとその濡れた瞳で見上げてきた。

 うぁ……超可愛いけども! 突然おかしいだろ!?

 

「い、いや、天衣さん? 急に何を言って?」

 

 誰かが止めてくれないかと周囲を見渡すが、気付くとシャルちゃんも他のみんなもいつの間にかいなくなっていた。

 

「急になんかじゃないわ。会ったときから、いいえ会う前からずっと八一先生のことが大好きだったの」

 

 ———う———あ——

 

 天衣の熱が俺に伝わって来て言葉に詰まる。

 

「それに八一先生も私のこと、好きでしょう?」

「ッ!? ……い、いや好きって言ってもLoveじゃなくてLikeだから! そもそも俺、ロリコンじゃないし! それに本命は桂香さんだし!!」

 

 むっとしたのか天衣の表情が俺を睨むような感じに変わる。

 

「そんなの嘘よ。八一先生は私の方が好きなはずだわ。それに論理的に考えてもあんなババアより私を選んだ方がずっといいんだから」

「な、何がだよ?」

 

 

 あまりに自信満々な天衣の言い方に何を考えているのか少々興味を引かれる。

 

 

「考えてみて。仮にあのババアとうまくいったとしましょう。今日から八一先生とババアは恋人です」

 

 やったぜ。

 

「でも八一先生もまだ17歳。すぐに結婚とは考えないでしょう?」

 

 まあ、そうだな。

 

「恋人としてある程度の期間を過ごして、将棋では八一先生もタイトル常連として確固たる地位を築いて25歳。ついに二人は結婚します」

 

 やったぜPart2。

 

「しばらくは新婚生活を二人っきりで満喫します」

 

 いいねいいね。

 

「そして二年経って、八一先生は27歳。そろそろ子供が欲しいと考えます」

 

 せやな。そろそろ欲しいな。定番だけど最終的には一姫二太郎とか。

 

「けれどその時ババアは既に36歳。高齢出産には危険が伴い、哀れ子宝には恵まれませんでした」

 

 ひでぇ。

 

 

 

「いやいや、今時36歳くらいで高齢出産とは言わないんじゃ……」

「じゃあ、36歳で無事子供が生まれたとします。子供が10歳の時にはババアは46歳。子供が16歳の高校入学時にはなんと50歳オーバー。周囲の親と異なり老いた母親を恥ずかしがる子供は親の入学式への参列などを拒否。家庭が不和に。そして崩壊へ」

「…………」

「対して私なら八一先生が27歳の時、いまだ20歳。まさに適齢期。ね、これだけとっても私を選んだ方がいいことが分かるでしょう?」

 

 いや、まあ説得力があるような、ないような話だったけども。そして話は天衣自身についてのプレゼンに移る。

 

「まあ私の場合はあと6年ほど結婚は待ってもらわないといけないけれど、まずは婚約からということで……」

 

 そこで照れたように顔を赤らめて言葉を濁す天衣。俺の腰に回していた両手を離し、もじもじと組んだ指を遊ばせる。よほど言いづらいことがあるらしい。天衣にしては珍しい態度だ。そしてややあって搾り出すかのように切り出す。

 

「その、それにまだ私……きてないから。…………だからまだしばらくはデキないから、八一先生の欲望をいくらぶつけてもらっても大丈夫よ?」

「ぶッ!?」

 

 そのぶっ飛んだ発言に思わずむせてしまう。

 

「げほッげほッ! ……天衣、お前何言ってるのか分かってるのか!?」

「だから! ロリコンが高じて八一先生がやらかす前に私が全部受け止めるって言ってるの!!」

 

 さすがに自分がとんでもなく恥ずかしいことを口走っていることを理解しているのか、顔を真っ赤にしながらやけっぱちのように声を荒げる天衣。

 

「アホかッ!! 10歳のガキにそんなことするわけないだろうッ!!」

 

 この勢いに負けるわけにはいかない。それ以上に俺も声を張り上げる。

 その怒鳴り声に明確な拒絶と怒りを感じ取ったのか、天衣は顔を曇らせ俯く。

 そして次に出てきた声は酷く悄然としたものだった。

 

「……ごめんなさい」

「あ、いや。俺もそこまで怒ってるわけじゃ」

 

「ううん。本当はロリコンがどうのなんてただの言い訳なの。ただどうしようもなく私が八一先生のことを好きなだけ」

「…………」

 

「だからその、八一先生がもし私にそういった気持ちを持ってくれたとしたら嫌なんかじゃなくて、むしろ嬉しいの」

「いや、だから———」

 

 俺の発言を遮り、堂々巡りを防ごうとするかのように再度、天衣が抱きついてきた。そして潤む瞳で俺を見上げてくる。

 

「八一先生、大好きです。私を八一先生の彼女にして下さい」

 

 そう言って、天衣はそっと目を伏せると爪先立ちで背伸びをしてくる。

 事ここに及んでは、彼女の気持ちを誤解しようもない。そしてその言葉と態度を噛みしめるとすぐに脳内で白旗が揚がった。

 

 天衣の細い背中を抱き返し、そっと身を屈める。

 

「天衣」

 

 そして———

 

 

 

 





そして二人は幸せなキスをして濃厚なベッドシーンに(なりません)


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02.1月5日

前回、特に通知するのを忘れていましたが、第六章は試験的にこの時間に投稿時間を変更してお送りします。ご迷惑をおかけしますが、引き続きよろしくお願いします。


「天衣…………んちゅーーー———ぐえッ!?」

 

 目を閉じ、唇を尖らせたところで腹部に強烈な圧迫感を覚え、俺はつぶれたカエルのような悲鳴を上げた。

 慌てて目を開ければ、そこには。

 

「おはようございます。ししょー」

 

 満面の笑顔の内弟子が。

 

「あ、あいさん?」

「もう朝ですよー」

「う、うん。それはいいんだけど、あいさんは何やって?」

 

 内弟子はなぜか横になっている俺の上に馬乗りになっている。さきほどの圧迫感は正体はこれだったらしい。

 

「師匠がいくら起こしても起きてくれないので最終手段に訴えていましたー」

「そ、そうか。それは申し訳ない」

 

 辺りを見回せば俺がいるのは病院の一室ではなく、いつもの俺の部屋だ。どうやら先ほどまでの光景は夢だったらしい。

 

 まあ、そうだよな。病院でロリコン扱いされ、シャルちゃんに手術されそうになった後に、天衣に告られてキスをせがまれるなんて状況、改めて考えると現実にあるわけない。フロイト先生やユング先生も苦笑いだ。

 

「ついさっきまで夢を見ていたくらいだから、随分深く眠っていたらしい。面倒かけたな」

「それは全然問題ないんですけど、夢ですかー……」

「うん? どうかしたか?」

 

 思案顔のあいに、何を気にしているのか問いかける。

 

「いえ。師匠、寝言で”あい”って呟いていたんですけど、夢に出ていたのはどっちの”あい”なのかなーと思って」

「え゛?」

「……どっちなんですか?」

 

 問い詰めてくるあいの瞳の奥には形容しがたいものがうごめいているように見える。

そう。先ほどからあいに無意識に『さん』付けしていたのは、笑顔をよそにその目がまったく笑っていないことに不穏なものを感じていたからだ。当然、つい今の今のことだから夢の内容は覚えている。覚えてはいるが、それをそのまま口に出すことが良くない展開につながることは何となく分かる。

 

「え、えっとー? どっちだったかなー? ほら、なんせ夢の中のことだから良く思い出せないなー?」

「……ふーん」

 

 ……疑いは全く晴れていないようですね。あいの目がすっと細くなる。

 

「ところで”あい”って呼んだ後、唇をすぼめてましたけど夢の中で何をしていたんですか?」

 

 おっとー? 夢の中の行動が現実の体にも表れてましたか。

 心なしかあいの目のギラギラが強くなった気がする。

 

「う、うーん? 口をすぼめて? 何だろうなー? ……そういえばジュースを出してもらってストローで飲んでたような気がするなー!!」

 

 必死に誤魔化す俺。

 

「…………」

 

 いかん。誤魔化しきれていない。

 

「ほら! せっかく起こしてくれたんだし早速準備しないとな!? 今日は年明け初のイベントだから!!」

「…………はいです。ししょー」

 

 無理矢理話を変える俺に、あいは渋々応じてくれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 あいが用意してくれた雑煮を朝食として食べた後、予約していた商店街の美容院へ。小一時間ほどかけて振り袖姿の究極カワイイJSが誕生した。

 

「えへへー。どうですか、ししょー♡」

 

 そう言って、あいは俺の前でくるくると回ってみせる。

 ピンクのグラデーションが美しい生地に、桜や菊、梅といった日本を象徴する花々が鮮やかに咲き乱れる。いつも二つくくりにしている黒髪は、今日は念入りに梳いた上でおろされ、ともすれば華やかに過ぎる振り袖の色合いを引き締めていた。

 

「おー。これはまた……。間違いなくアイドル級だな。すごい似合ってるぞ、あい」

「そんなー。似合ってるだなんて……恥ずかしいですー♡」

 

 頬を押さえてもじもじするあい。かわいい。

 

「それじゃあ準備も整ったところで行くか」

「はい。ししょー」

 

 俺たちは準備万端、改めて目的地に向かい歩を進める。

 

 

 

 

 

 

 そうしてしばらく歩いた俺たちは、本日の目的地、関西将棋連盟にたどり着いた。

 目の前には見覚えのある黒塗りの車。あちらでも俺たちに気付いたのか運転席から晶さんが出てきた。そして後部座席のドアを開けるともう一人の彼女が姿を現す。

 

 

 こちらに背中を向けているその人を飾るのは貴色たる紫の振袖。大輪の辻が花が白や薄桃に咲き誇り、牡丹や桜も寄り添う。気品と可愛らしさが同居したデザインだ。彼女を象徴する艶やかな黒髪は、今日は三つ編みにした上でお団子にまとめられている。髪が上げられていることからいつもは隠れているうなじが露わになりその白さに初めて気付かされる。

 

 そして、彼女はゆっくりとこちらを振り向き———

 

「明けましておめでとうございます。八一先生」

 

 そう言って、ふんわりと微笑んだ。その姿は幻想的に過ぎてどこか現実感がない。俺を上目遣いに見上げてくるその姿。なぜか既視感を覚える。

 

『八一先生、大好きです。私を八一先生の彼女にして下さい』

 

 今朝の夢の一節が不意に脳内で再生され、既視感の正体に気付くとともに現実と夢の区別が一瞬曖昧になる。

 

 けれど現実の彼女は、夢の彼女とは異なり愛の言葉を囁くのではなく、不思議そうに首を傾けると。

 

「八一先生?」

 

 と、再度俺に呼びかけてきた。そこで惚けていた俺の意識はようやく正常に立ち返った。慌てて目の前の彼女———夜叉神天衣に挨拶を返す。

 

「あ、ああ。……明けましておめでとう。天衣。今年もよろしくな」

「はい。八一先生。こちらこそよろしくお願いします」

 

 俺の返事が返ったからか、天衣は再度笑みを浮かべる。そうしてしばし見つめ合う俺たちの背後からあいも挨拶の言葉を投げた。

 

「明けましておめでとう。天ちゃん」

「ええ。明けましておめでとう」

 

 二人はにこやかに挨拶を交わす。

 けれど、なぜか周囲の空気が緊迫したものをはらんだように感じる。

 

 なんでだ?

 

「今年も一年、よろしくね」

「ええ。こちらこそ」

 

 普通に年始の挨拶を交わしただけだと思うのだが。

 二人とも笑顔を浮かべたまま、お互いを見つめ合っている。いや、にらみ合っている? 何だか硬直してしまったかのようだが。

 

「先生。今年もよろしくな」

 

 天衣の一通りの挨拶が終わったと見た晶さんが俺に年始の挨拶をしてきた事でありがたいことにその謎の緊張は解けた。俺も晶さんに挨拶を返す。そして、

 

「さあ、みんな中に入ろう。今日から仕事始めだ」

 

 皆をビルの中へうながす。

 

 今日は1月5日。将棋界の正月休みは終わり、新年の始まりを告げるイベントが幕を開けようとしていた。

 

 



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03.指し初め式

「弟子たち。そして孫やひ孫たち。新年おめでとう」

 

 俺たち関西棋士の仕事始めは、日本将棋連盟関西本部総裁の蔵王達雄九段の年賀挨拶から始まった。

 蔵王九段のことについて聞いてくるあいに一門の最長老かつ、現役棋士としても史上最年長であることを説明する。それだけじゃなく、タイトル獲得歴やA級在籍経験など棋士としての実績も文句なしなんだが。感心するあいに今季限りで引退予定であることを告げるとシュンとしていた。優しい。

 

 

 そして挨拶が終わると本日のメインイベント『指し初め式』が始まる。

 将棋盤がずらっと並べられる。このたくさんの盤を使って、関西所属プロ棋士や来客のアマチュア達が好き勝手に指すのが関西流の『指し初め式』だ。

 

 ちなみに、関東では一つの将棋盤を使って、一手ごとに指す人間を変えていくリレー方式になっている。初手を会長が指し、二手目をアマチュアが、以降先手側をタイトルホルダーや高段者などのプロ棋士が、後手はアマチュアが打っていく。通常アマチュア側は子供将棋スクールの生徒など関係者が参加するが、2手目、4手目、5手目の3名はチャリティオークションで権利を落札した人が招かれるらしい。

 

 関東では厳格な儀式然としている『指し初め式』であるが、関西ではめいめいに楽しむ緩い儀式となっている。とはいえ、俺は竜王。この場では最上位に当たる俺は中央の盤の上座にどっしり構え、対局希望者を待ち構えるのだ。

 

 さあ、最強の竜王に挑むものはだれじゃ(慢心中)。

 

 と思っていたのだが……

 

 

 あれれー? おかしいぞー?

 

 

 待てど暮らせど対局希望者がやってこない。

 皆遠巻きに見てるだけで盤の前に座ろうとはしないのだ。

 姉弟子や桂香さんはたくさんの人々に囲まれているというのに。解せぬ。

 

 やっとのことでやってきたのもあいだけだ。

 でも、あいとは普段から指しているからわざわざ『指し初め式』で指さなくてもね。

 

 見かねた『巨匠(マエストロ)』が助け船を出してくれたが、今度はなぜかあいが頑なに席を譲ろうとしない。仕舞いには俺が最近冷たいだの、年齢が二桁になったから興味がなくなったんだだのと騒ぎ立てる。

 止めて!? 風評被害(ロリコン疑惑)でもっと誰もこなくなっちゃう!!

 

 

 

 

 

 

「しりませんっ! 師匠のだらっ!!」

 

 師匠は何か周囲の目を気にしてあわあわしていたけどばっさり切り捨てる。

 あいとお話ししている時に、周りのことばっかり気にして。失礼だよねッ。

 

 だいたい、最近師匠は天ちゃんのことばっかりであいのことが疎かになってると思うの。師匠の身の回りのお世話をしているのはあいなのに。今朝も夢の中で天ちゃんとキスしてるなんて酷い裏切りだよ。挙げ句の果てに下手な言い訳までして。

 

 思い出すと腹が立ってきた。

 腹が立つといえばさっきの連盟ビル前での一幕もそうだ。天ちゃんのふてぶてしいあの態度。せっかくこの前、天ちゃんの心を折ってあげたと思ったのに。痛いところを突いたと思うんだけどなー。

 天ちゃん、将棋では鋼のメンタルを持っている割に、それ以外ではむしろ脆いところが見え隠れしていたから、そっちが突破口になると思ったんだけど……。やっぱり本丸(将棋)を叩かないとダメみたいだね。

 天ちゃんとの直近の対局は、来月中旬に予定されているマイナビの準決勝。まだ一ヶ月以上お預けか。

 

 そんなことを考えていると、ある記者さんが思わぬ提案をしてきてくれた。

 

「雛鶴さん。もしよかったら夜叉神さんとお二人で盤を囲んでいただけませんか?」

 

 小学生新女流棋士が二人ということで、紙面にしたいらしい。注目が取れるということなんだろう。あいとしては願ったり叶ったりの展開なんだけど……

 

「イヤよ」

 

 まあ天ちゃんならそう言うよね。馴れ合うのは嫌だとかそんな感じ。別にあいも馴れ合う気はないけど、天ちゃんを早々に潰す機会がやってくるならありがたい。

 記者さんが熱心に説得するけれど、けんもほろろ。これはダメかと思ったところで。

 

「天衣。これも女流棋士としての仕事だ。気軽にでもいいからやってみろ」

「……分かりました。八一先生」

 

 師匠からの説得が入った。師匠の言うことなら素直に聞くらしい。あざとい。

 

 

 

 天ちゃんと盤を囲む。ちなみに天ちゃんがしれっと上座に座った。これもイラッとポイントだ。私たちの周りにはあっという間に報道陣の囲いができた。

 ひとまず周囲を置いて指し始める。そうすると先ほどの記者さんがインタビューを始めた。こうして質問を受けながら指していくスタイルになるらしい。

 

「お二人ともマイナビ女子オープンの本戦で快進撃を続けておられますね! 準決勝ではお二人での同門対決となることが決まっています。残念ながらどちらかしか決勝に進めないわけですが、勝算のほどはいかがですか?」

 

 まあ、その話題になるよね。とりあえずあいから答える。

 

「天ちゃん? 強いよね。序盤、中盤、終盤、隙がないと思うよ。だけどあい、負けないよ」

 

「おおー、雛鶴さんから勝利宣言が出ました。これに対して夜叉神さんはいかがですか?」

「誰が相手でも関係ありません。自分の力を出しきるだけです」

「力を発揮できれば勝てる自信があると?」

「全力を尽くします」

 

 天ちゃんからはくっそつまんない回答しか返ってこない。これは記者さん、記事にするのに困るんじゃと思ったけれどそうでもないらしい。

 

「なるほど……《神戸のシンデレラ》は将棋だけでなくコメントも成熟していますね!」

「はぁ!? ちょ、ちょっと何よ《神戸のシンデレラ》って! それ私のこと!?」

 

 記者さんから飛び出した思わぬ異名に取り乱す天ちゃん。

 

 神 戸 の シ ン デ レ ラ www

 

「いいなーw 天ちゃんだけ素敵なお名前を付けてもらってズルいよーwww」

 

 あいならそんなダサい渾名は絶対ゴメンだけど、せっかくだから定着するように後押ししておく。師匠も気持ち悪いポエムで煽ってくれた。

 

 

 それにしても《神戸のシンデレラ》か。まあ《浪速の白雪姫》に対抗しているのと『シンデレラガール』から取っているんだろうけれど、『シンデレラ』という渾名は意外と的を射ているのかも知れない。

 ただ家で泣いていたら魔法使いがドレスと馬車を与えてくれた。ただ家で待っていたら王子様がガラスの靴を持って探しにきてくれた。

 自分から動き出すことをしないで、幸運が目の前に転がり込んでくることを待っているだけのあの子にはなんとも似合いの皮肉が効いた名前だ。

 

 リスクをとるからリターンがあるんだ。自分から手を伸ばして取りに行くから、掴んだ幸運には価値があるんだ。

 

 

 あいは必ず勝つ。天ちゃんなんかには絶対負けないから。

 

 

 結局この指し初め式での対局は、異名に関する騒ぎのせいで指し掛けとなって決着が付かなかった。

 少し残念だけど、まあ、お楽しみはマイナビ準決勝までお預けだね。

 

 



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04.シューマイ先生新年会襲撃事件

こんなに一話の中で擬音語を大量に使ったの初めてかも。


 指し初め式を終えると次は新年会だ。

 

 我らが清滝師匠は蔵王先生に潰され、マーライオンと化して桂香さんや晶さんに担ぎ出されていることから分かるように激しい飲み会となるイベントである。

そのため、指し初め式に続いて参加している記者陣の取材対象は未成年棋士が中心になる。やはり人気なのは初の女性プロ棋士に一番近い姉弟子と———

 

「八一さん、あけましておめでとうございます」

「創多か、お疲れ」

 

 今、目の前で俺に挨拶してくれている椚創多だ。

 

「昨年末は竜王位防衛おめでとうございます。4連勝での大逆転……とってもかっこよかったです」

「おう、ありがとうな」

 

 以前から俺のことを慕ってくれてるかわいい後輩だ。この新年会でも自分から挨拶に来てくれた。だがその人気ぶりによってあっという間に取材陣に囲まれて引き離されてしまう。その人気の理由は明快だ。椚創多は現在小学五年生。そして

 その階級は既に奨励会二段にある。そう。初の小学生プロ棋士となる可能性があるのだ。

 創多と入れ替わりに戻ってきた天衣とあいにそのことを教えてやると大いに驚いていた。無理もない。自分と一つしか歳の違わない子供が既に姉弟子と同格にあるのだから。

 

 そして次にやってきたのは、鏡洲飛馬三段。最年少プロ棋士の可能性がある創多とは対照的に29歳の最年長奨励会員だ。俺が奨励会に入る前から三段で、悪い意味にもなってしまうが奨励会の主といえる。俺も奨励会時代に大変お世話になった。そんな鏡洲さんに二人の弟子を紹介する。

 

「は、はじめまして!」

「夜叉神天衣と申します。よろしくお願いします」

 

 あいはガチガチに緊張しながら、天衣は意外なことに殊の外丁寧に挨拶して頭を下げる。俺の顔を立ててくれているらしい。

 弟子達の挨拶が終わったところで今度は鏡洲さんのことを二人に紹介する。俺が奨励会で一番お世話になった先輩だってことを。俺のことを奨励会入会時から知っているって事で天衣が話を広げる。

 

「八一先生って奨励会に入会してきた頃はどんな子供だったんですか? まだ小学生ですよね?」

「あ、あいも知りたいです!」

「八一の奨励会時代? うーん、入会してきたのは確か今の二人くらいの歳のときだよな?」

「そうなんですか?」

「生意気なガキだったなー。勝っても負けてもあんまり感情を見せなくてさ。一度Bが付いたときもクールぶってたもんなー?」

「そ……そうだったかなー?」

 

 いかん。話が何だか悪い方に言っている気がする。このままでは嬉し恥ずかしエピソードを暴露されかねん。何とか話を逸らさないと……

 だが、俺の奮闘むなしくいくつかの爆弾は投下されてしまうのだった。

 

 

 

 

 

 

 その後、鏡洲さんは以前頼んでいたブツが見つかったと教えてくれた。データ化して鵠さんに渡しておいたとのことだ。なぜ鵠さん?

 まあ、それはいいのだが、データという単語にあいが食いついた。

 

 えっちなデータではないのかとあらぬ疑いをかけられたのだ。

 煙に巻こうとするがますますヒートアップするあい。男同士が秘密裏にやり取りするデータなどえろデータしかないとでも言いたげだ。あいどころか天衣まで疑わしげな視線を向けてくる。

 あいが騒ぐとその声が周囲にも伝播する。どこかから「児ポ法が……」という恐ろしい声も聞こえてくる始末だ。

 

 サプライズプレゼントに関わることだから内緒にしたかったのだが、駒を作るための文字データだと言うところまで白状させられてしまった。

 そして、それだけでなく言い訳に必死で致命的なことに気付くのが遅れることになってしまったのだ。

 

 

 ———ぽおおおおおおおおお!!

 ———んぽおおおおおおおお!!

 

 

「「んぽお?」」

 

 新年会会場の外から聞こえてくる謎の雄叫び。

 天衣とあいが首を傾げて疑問符を浮かべる。

 

 そして俺はその正体に思い至り真っ青になる。

 

「やばいッ!! 桂香さん!」

「は、はい!?」

「子供達を連れて逃げて下さい! 早く!!」

「逃げるって……誰から!? どこへ!?」

「どこでもいいから! とにかく一秒でも早く連盟から離れるんだッ!!」

 

 桂香さんは手近にいたあいの手を掴み、走り出す。

 そちらへ天衣も送りだそうとして、そして遅きに失したことに俺は気付くのだった。

 

 

 

「おち●ぽおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」

 

 正気を疑うような絶叫とともにドアを乱暴に開け放ち一人の女性が飛び込んでくる。そう。先ほどからの雄叫びはこの女性が卑語を叫びながら走ってきたものだったのだ。

 

「銀子! 銀子はどこだ!? あとおち●ぽぉぉぉ!!」

 

 声の主は日本酒を一升瓶ごとラッパ飲みしつつ、もう片方の手で日本刀を振り回している痴女にして美女。

 

「……………」

 

 あまりのことに天衣は絶句。

 

「な、ななな何なんですか!? あの人!?」

 

 さすがのあいも大混乱に陥って、手を引く桂香さんに問いかけているが、桂香さんも固まってしまって答えは返らない。

 姉弟子の名と男性器を交互に絶叫しながら暴れ回る、あまりにJSの教育に悪いこの人は———

 

「……ほ、本因坊秀埋(ほんいんぼうしゅうまい)?」

 

 どうやら天衣は知っていたらしい。まあメディアを通してではない実物の姿に驚愕は続いているようだが。

 この 痴女 女性は天辻埋(てんつじうず)。女性初の囲碁タイトルホルダー、それも将棋でいうところの名人に当たる『本因坊』のタイトルを持ち、そのタイトルから本因坊秀埋、シューマイ先生と呼ばれている。男性・女性問わず全ての囲碁棋士の頂点に立った凄いお方なのだ。

 

 なのだが、酒乱が酷く酔っ払うと放送禁止用語を連呼するという困った癖があり、かつ一年の内360日くらいは常に酔っ払っているという……。噂では某大国の大統領に招待された席で「プーチ●のち●ぽはどんなだ? うん?」と絡み続けて処刑されそうになったこともあるらしい。

 その酒乱の大棋士がなぜ男性器の卑称とともに、姉弟子の名前をなぜ叫んでいるのかと言えば、下ネタ友達というわけではなく、囲碁と将棋という違いはあれど同じく棋界で男性の壁を打ち破ろうとしている姉弟子のことを特別目に掛けてくれているのだが———

 

「シュ、シューマイ先生。私はここです」

「おお! いたか銀子! イイおち●ぽしてるか!?」

「し、してませんッ!!」

「なにィ? なぜだ!? なぜおち●ぽしてないんだ!?」

「なぜもなにも! そんなことするわけないじゃないですかッ!!」

「なぜだ!? 今日はヤリ初め式とか言うおち●ぽ祭りなんだろう!?」

「指し初め式です! さ! し!」

「ええイッ! ヤリ初め式でも挿し初め式でも、呼び方なんぞどうでもいい!! 重要なのはおち●ぽしたのかどうかだ!! 八一の十代イライラおち●ぽ、メ●穴にズッコンバッコンして、最後は子●に密着ドピュドピュしたんだろう!? くそッ!! うらやましい!!」

「だからしてませんってッ!!」

 

 最低の絡みに顔を真っ赤にしながら必死に否定する姉弟子。そこでシューマイ先生は一時沈静化し、あまりにも不可解というように姉弟子に問いかける。

 

「なぜおち●ぽしない? 八一は短小なのか?」

 

 おい。

 

「ち、……知りませんッ!」

「食わず嫌いは良くないぞ、銀子! 短小だろうと巨根だろうと、まずは咥え込んでみることだ!! 八一! やいち●ぽはどこだ!?」

 

 なんという酷い呼び方。小学生時代にもそんな呼び方されたことねぇぞ。

 そしてヤバい。シューマイ先生と視線が合ってしまった。こっちに飛び火する。

 

「そこにいたか! やいち●ぽ!! お前、なぜ銀子とおち●ぽしてやらな———!?」

 

 シューマイ先生はこちらにずんずんと向かってきながら俺に突っかかろうとしたところで、なぜか足を止め、口をつぐみ、驚愕に目を見開く。

 一体何を驚いて? その理由は次のシューマイ先生の言動で判明した。

 

「や、八一……おまえ……。いくらおち●ぽしたくてもヤっていい相手とダメな相手があるぞ……?」

 

 そう言うシューマイ先生の視線の先には、避難させようとして俺が肩を押していた天衣の姿があった。

 

「なッ!?」

 

 そして俺が驚きで詰まり、咄嗟に否定できないうちにシューマイ先生が致命的な一言を発した。

 

「なんてことだ! 八一! そんな幼気な子供を剥いて、まだくびれもない腰をしっかり掴んで高速ピ●トンした上に、中●しまでキメるなんて!!」

「してませんよッ!!」

 

 必死に否定するが、周囲の将棋関係者は『ざわ・・・ざわ・・・』としていた。

 

「なに!? 正●位でしてない!? それじゃあ『初めてはこの体制が負担が少ないから』とか言いながら騎●位でヤって、腹撫でながら『ここまで来てるんだよ。分かるかい?』とか言ったのか!!」

「違げぇよッ!?」

「くそッ! 銀子! お前がもたもたしているから八一のやつ、具合のいいキツキツミニマ●にガンギメF●CKしてしまったぞ!!」

 

 痛い! 周囲からの凶悪性犯罪者を見るような目が痛い! 事実無根なのに!!

 次から次へと出てくるパワーワードに何を言われているのか分からず呆然としていた天衣も、さすがに自分が何やらとんでもないことを言われているらしいと理解したのだろう。顔を真っ赤にして激怒する。

 

「なッ……何を訳の分からないことを言ってッ!」

 

 だが、シューマイ先生には天衣のそんな態度も照れ隠しに見えたらしい。頭を抱えて絶叫する。

 

「ジーザス! こんな幼女をアヘ●Wピースしそうなほどトロトロになるまでおち●ぽ調教するなんて!!」

 

 あまりにもあんまりな言いように天衣はもはや言葉も発せない。

 

 その後もシューマイ先生は姉弟子に対して「処女膜も破れなくて才能の壁が破れるか!!」という迷言を残し、「女というのは男よりも弱いから、その克服には強烈な努力が必要だ」という名言に見せかけて「その努力のためにおち●ぽが必要だ」という最低のオチをつけるなど、やりたい放題ヤって暴れ続け、そして連盟職員につまみ出されて退出させられるという将棋現代史に残るような惨劇を残していった。

 

 

 こうして仕事始めは 幕を閉じたのだった。

 こんなのでいいのか、プロ棋界。

 

 



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05.デビュー


今回はキンクリ多めになっております。
原作での補完推奨です。(ダイマ)




 

 惨劇となった指し初め式を終え、まだまだ年初イベントは続く。

 翌週にはJS研の皆(天衣除く)と初詣にでかけ、そのまま俺のアパートに舞台を移しJS(ひめ)はじめ、違うシャルはじめ、じゃなくて初JS研が執り行わなれた。

 

 初JS研では竜王戦の最中に取った写真の公開や澪ちゃんの女流棋士志望宣言。その思いに対する俺なりのアドバイスや、俺からの助言に感動した澪ちゃんから俺への告白。その後の練習対局では気合いが入りすぎたあいが『貸し盤』状態の将棋盤を割ってしまうアクシデントがあり、なぜかお詫びと称して着ていた振袖を脱ぎだした。そしてそれに触発された他のみんなも脱ぎ出すという初脱ぎ大会へと発展したのだった。

 

 そして今日。

 

「つれー。JS研のみんなに好かれすぎてて、マジつれーわー」

「そう。良かったわね。ロリコン名利に尽きるじゃない」

 

 目の前の少女はそうバッサリ切り捨てた。

 俺は今、夜叉神邸にて一番弟子を前に今年初のレッスンを行っている。指導対局の感想戦をしながら初JS研の話をしていたのだ。交友関係を深める意味でも天衣にも参加して欲しかったんだけどな。

 

「せっかくJS研みんなでのイベントだったんだから天衣も来れば良かったのに。対局相手にも困らないし、俺からの指導もその場でしてやれたのに、なんで来なかったんだ? 特に何か用事があったわけじゃないんだろう?」

 

 

「……それに出ていたら、こうして二人っきりで会って指導してもらえないじゃない」

 

 

「なにか言ったか?」

「いいえ。……私は競争相手と馴れ合うつもりはないの。女流棋士として最低限の義務は果たすけど、それ以外は自由にさせてもらうわ」

「……そうか」

 

 ところで俺は別に難聴というわけじゃない。つまり、先の天衣の呟きもバッチリ聞こえてたわけで。

 

 ああぁぁ、もぉぉぉぉぉ。かわいすぎんだろぉぉぉぉぉぉぉ。

 

 俺と二人っきりで会う機会が減るのが嫌だから、みんなとの集まりには参加しないって……

 何なの? 俺を萌え殺したいの?

 

 竜王戦の時、いやそれ以前から薄々気付いてたけど天衣お嬢様の好感度高すぎィ。

 いやね? 俺は別にロリコンじゃないよ? ロリコンじゃないけどね?

 こんな健気な愛情表現をツン系美幼女から連打されてぐらつかない男がいるだろうか。いやいない(反語)。そら、あんな初夢も見ますわ。

 

 俺は何とか表面上取り繕いながら話を進め、天衣のご両親や、その遺品の話などを聞き出し、その後、天衣を将棋会館の『棋士室』に連れて行く約束を取り付けたのだった。

 

 

 

 

 

 

「こんちゃーす」

「よっ」

「八一さん♡」

 

 勝手知ったる何とやら。軽いノリの俺の挨拶に返してくれたのは、鏡洲さんと創多の二人だった。

 

「さ、二人とも。入った入った」

「……失礼します」

「お……おじゃまします……」

 

 そううながす俺に押されておどおどと入ってきたのは天衣とあいの二人だ。

 ここは関西連盟ビルの棋士室。吉日(姉弟子が記録係をやっていて確実に棋士室にいない日)を選んで二人の棋士室デビューをするべくやってきたのだ。

 残念ながら鵠さんの手助けを得ることはできなかったが、俺と親しい鏡洲さんと創多がいたのはありがたい。

 早速、鏡洲さんが気を利かせて二人を手招きしてくれる。そのまま棋士室デビューの相手を務めてくれるらしい。

 

「夜叉神ちゃん。一局どうだい?」

 

 鏡洲さんが天衣を対局に誘う。その誘いに天衣も素直に応じた。

 

「……よろしくお願いします」

 

 二人の対局はある意味順調に推移した。

 奨励会三段に平手で挑んだ天衣だが、棋士室デビューとは思えない老獪な打ち回しで鏡洲さんにリードを許さない。そんな天衣を油断できない相手とみたのか中盤戦以降、鏡洲さんも奨励会由来の新手を惜しみなくつぎ込んで揺さぶりにかかる。奨励会三段と女流二級の対局は意外なほどの熱戦と成り、最後は鏡洲さんが寄り切って勝利した。

 

「いやー。これで小学四年生か。まいったね、ほんと」

 

 対局を終えた鏡洲さんの感想がこれだ。

 プロ棋士と遜色ない鏡洲さんと平手で打って良い勝負ができる。今の天衣の実力がこれか。本当、女流としては史上最強レベルで破格の才能だな。

 まず間違いなく女流タイトルに近いうちに手が届く。どころか奨励会に転向してもおそらくいずれプロ棋士になれるだろう。このことを客観的に確認できただけでも棋士室に連れてきた甲斐があったな。

 その後、あいと創多の対局も行われた。こちらは残念ながら、創多の初手3八金、三手目7八金という奇策に翻弄され実力を出し切れないまま、あいの敗けとなった。

 

 

 

 

 

 

 棋士室デビューが終われば次は大盤解説デビューだ。

 大盤解説の『聞き手』は女流棋士の大切な仕事となるため、今のうちに体験させてやりたかったのだ。

 おあつらえ向きに、今日の公式対局はA級順位戦・生石充玉将VS於鬼頭曜(おきとよう)帝位というタイトルホルダー同士の好カード。連盟内の将棋道場にはお客さんがいっぱいで都合が良かったのだ。

 棋士室デビューの対局は天衣が先だったので、今回はあいから。かわいいJS女流棋士の大盤解説デビューということで期待できるかと思っていたのだが……これが蓋を開けてみると(俺が)大やけど。どんな問題が起こったのかは口にしたくない。(原作六巻をご確認下さい)荒ぶるあいちゃんは桂香さんに頼んで引き取っていただきました。

 

 僅か15分で交代となったあいの後を引き継ぐのは天衣なわけだが、これは正直あまり期待していなかった。あいの悲劇の直後であるし、天衣自身の性格もあるしね。

 だがこれが意外や、天衣は聞き手役はうまかった。受け答えは丁寧。話の振りも的確。駒の受け渡しもスムーズで、対局者の新構想にもしっかりと気付いて、その驚きを観客へ伝播させた。

 途中、《コンピュータに負けた最初のプロ棋士》云々で若干怪しくなったが、俺が必死に路線を修正しようとしていたのに気付いて合わせてくれたおかげで、なんとか無事に大盤解説をまっとうすることができたのだった。

 

 と、こうして天衣の棋士室&大盤解説デビューはうまくいったわけだが、二人のタイトルホルダーの対局そのものは荒れ模様だった。序盤はリードを奪っていた巨匠に、勝負所でミスが出て痛恨の投了負けを喫してしまったのだ。

 俺と天衣はその後の感想戦を見学するため対局室に入った。対局者二人からは離れたところに陣取って様子をうかがう。記録係をしていた姉弟子と観戦記者の鵠さんは俺たちに気付いたようだったが、対局者二人は先の勝負の時のまま緊迫した雰囲気で向かい合ったままこちらを一瞥もしない。

 

 生石さんが変化を示し、於鬼頭さんが淡々と応じる。この繰り返しだ。感想戦は一時間に及んだが玉将がどれだけ変化を示しても帝位の優位は揺らがなかった。

 これは痛い。もうまもなく玉将戦が始まる。そこで生石玉将に挑戦するのは、於鬼頭帝位だ。今回の対局はその前哨戦だったといえる。その前哨戦で生石さんが準備していた研究は、この対局と感想戦で完膚なきまでに破られてしまった。玉将位防衛を考えると今から新たな武器を用意する必要がある。開幕までもう時間がない中でだ。

 

「八一、銀子ちゃん。明日、時間あるか?」

「俺は大丈夫ですけど……姉弟子は? 学校あるでしょ?」

「夕方からなら」

「研究会をしたい。泊まりがけでやれるように準備して来てくれ。よければそっちのお嬢さんもどうだい?」

 

 意外なことに生石さんは天衣にも声をかけた。

 

「私もですか? 私の実力では力になれるとは思えませんが……」

 

 天衣は困惑したように声を上げる。

 

「そんなことはないさ。この間の女流玉将との棋譜は見せてもらった。実に面白い将棋を指す。もしかしたら今の俺に必要なのは、お嬢さんのような新しい発想なのかも知れない」

「……そうですか。私でよければ喜んで」

 

 こうして、俺たち4人の打倒帝位に向けた研究会が開催されることになったのだった。

 





というわけで生石研究会に天ちゃんも参加の流れに。


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06.あるいはそれはデートのような

あれれ~? おかしいぞ~?
4行くらいで済みそうなゴキゲンの湯への移動がなぜか一話丸々の分量に。
これも次元連結システムのちょっとした応用か。


「お嬢様、おひとりで本当に大丈夫ですか?」

「平気よ。もう何度も行ってるんだから。ただ電車に乗っているだけだし、乗り換えの大阪駅では八一先生がホームまで迎えに来てくれるそうだから」

 

「う~~。お気を付けていってらっしゃいませ。お嬢様~~」

 

 そう言いながら手を振る晶。思わず溜息が出てしまう。

 はあ。だいたい晶は過保護過ぎるのよ。私のことを大切に思っていてくれるのは分かるけれどさすがに息が詰まる。電車で、それも在来線でせいぜい1時間もかからないところへ行くだけで大騒ぎだ。

 

 

 

 昨日の生石玉将の研究会への誘い。それを受けて今からその会場となる『ゴキゲンの湯』へ向かおうというところだ。急な予定だったため、晶は明日は別件が入っていた。また小学校が終わってから移動するということで車では遅くなりすぎる。そのため、小学校から直接、晶に車で最寄り駅のJR六甲道まで送ってもらい、そこからは私ひとりで電車で移動ということになっているのだ。なにげにこの時点から私ひとりというのは初めてかもしれないけれど。

 

 ちょうど来た快速電車に乗り込む。中学校以上の学校や会社はまだ終わらない時間だからか、乗車客はさほど多くない。普通に座ることができた。後はこのまま25分も電車に揺られていれば八一先生との待ち合わせ場所である大阪駅まで着く。簡単すぎるミッションね。スムーズに合流できるように八一先生に到着時刻と私が乗り込んだ号車をメッセージで送っておく。

 

 

 

 それにしても駅で待ち合わせか……。何となくこう言葉にするとデートっぽいかも知れない。なんだかふわふわしたものを感じる。柄にもなく浮かれているのかしら———

 

 不意に恥ずかしくなって意識を切り替える。生石玉将との研究会。苦戦が予想される帝位からの玉将位防衛戦のための研究会。おそらく焦っているだろう生石玉将には悪いけれどかなり楽しみだ。生石玉将はA級在位12期目、タイトル獲得計6期という文句なしのトッププロ。そんな彼が追い詰められた状態で研究に取り組み、その相手が名人を下した八一先生なのだ。きっととんでもない研究会になるに違いない。それを間近で見るだけでなく参加できるというのだから。

 

 それに、あの場にいなかった妹弟子は連れてこないとのことだ。あの生意気な小娘を出し抜いた形で八一先生と同行。まあオバサンはいるけど、なかなかいいんじゃないだろうか。……ってまた思考が浮ついた方向に行ってしまっている。いけないいけない。

 

 

 

 そんなことを考えていると、あっという間に大阪駅へと到着した。扉が開くと乗車客がどんどん降りていく。私もその最後尾について電車を降りた。

 八一先生はどこかしら。ホームに降り立ちながらキョロキョロと彼の居所を探す。けれどあちらの方が先に私を見つけてくれたらしい。

 

「天衣、こっちだ!」

 

 その声のした方へ視線を向ける。ホームの壁際、人の流れがないところに八一先生はいた。そちらへトテトテと小走りで向かう。

 

「お待たせ、八一先生」

「おう。ひとりで大丈夫だったか?」

 

 そう言って、八一先生は私の頭を撫でてくる。

 女の子の頭を出会い頭に撫でるなんて少々気安いのじゃないかしら。まあ、払いのけたくなるほど嫌なわけじゃないのだけれど……でも子供扱いは腹が立つ。一言言ってやらないと。

 

「大丈夫に決まってるでしょう。ここまで電車で一本。乗り換えすらないんだから。子供扱いしすぎよ!」

「これは失礼しました、お嬢様。それじゃあ早速参りましょうか」

 

 八一先生は苦笑しながら、頭を撫でていた手を離すと背中を押してくる。この慇懃な態度。全然私の言うことを分かっていないらしい。けれどこれ以上反発してもかえって子供っぽい。渋々従って足を進める。

『ゴキゲンの湯』の最寄り駅は京橋。ここからは環状線に乗り換えだ。環状線のホームは隣だけれど一旦下のフロアに降りて移動しないといけない。けれど。

 

 

 

「……うんッ」

 

 そろそろ学生が増え出す時間帯。それも大阪駅ということでかなり混み合ってきた。こういうときに小学生は不利ね。小さいからだでは周囲の圧力に押し負けてしまう。……ッ。八一先生ともはぐれてしまいそう。まあ目的地は同じホームなのだから大丈夫でしょうけど。そんなことを考えながらも押され押されしながら何とか足を進める。すると。

 

「あッ!」

「ほら、こっちだ。天衣」

 

 不意に八一先生に手を握られ、強く引かれる。

 

「さすがにこの時間帯は人が多いな。大丈夫か、天衣?」

「———ッ!」

 

 こういうところズルいと思う。いつもは女の子の扱いなんてなっていないくせに、こんな時は自然と手をつないでくるなんて。あるいはまあ、腹が立つ想像なのだけど女の子扱いではなく子供の手を引いているくらいの感覚なのだろうか。

 思考があちこちに飛んでしまって返事を返せないまま、ずんずんと八一先生に引かれて進む。よく分からないうちに環状線のホームに着いていた。いつの間にかエスカレーターを下って上ってしていたらしい。

 でも、何とか電車に乗って席に座ればつないだ手を離せる。そうすれば頭の回転もまともにもどって———

 

 

「——————ッ!!」

 

 

 夕方の環状線はより混んでいた。当然座るなんてことはできない。どころかドア際、八一先生が片腕を突っ張って確保した僅かなスペースに、八一先生の胸に密着するように立つことになってしまった。もう片方の手はつないだまま。大阪駅から京橋駅の間の僅か10分弱が永遠のよう。冬も真っ盛りの1月だというのになぜか体がとても熱い。手に汗をかいていないかしら。そんなことだけが気になっていた。

 

 

 

「ほら、天衣。降りるぞ」

「え!? ……ええ」

 

 八一先生の呼びかけにふと我に返る。気付けば傍の扉が開いていた。車外に吸い出されていく人の流れに私たちも乗った。

 

「…………」

「ほら、どうした天衣? 行くぞ?」

 

 ええ、ええ。分かっていたわ。ここまできたらきっとそんなことになるんだろうと。

 

 京橋駅前の商店街は帰宅するサラリーマンや学生で大混雑。手つなぎは延長戦に突入だ。

 けれどもこっちはさっきまで密着状態に耐えていた身。今更この程度のこと、どうということもないわ。何なら周囲の景色を楽しむ余裕まである。

 

 商店街の店々のネオンが輝きだしている。残念ながらあまり品のない感じだけれど。どうせならおしゃれな神戸モザイクとか、エキゾチックな南京町を八一先生といっしょに歩ければ良かったのに。

 結局、私は引き続き舞い上がっていたらしい。思考があさっての方向へ飛躍していることにその時は気付いていなかったのだ。

 

 

 

 ダンジョンみたいなアーケード街をくぐり抜けていく。もうまもなく『ゴキゲンの湯』に着いてしまう。そうなればつないだこの手も離すことになるだろう。それがホッとするようでもあり、残念なようでもあり。けれど足を止めることはない。そんな私たちの背に不意に声がかけられた。

 

「ちょっと。君たち」

「「はい?」」

 

 振り向くと、そこには青い服に身を包み、同じく青い帽子を被った中年男性が。

 

「こんな時間にどこに行くの? そっちの子は小学生? 妹さん……じゃないよね?」

 

 

 

 えーっと……

 

 

 




この後、二人で滅茶苦茶言い訳した。


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07.ゴキゲン研究会 with 天衣

191919
そしてありがとう。20万UA



 はあ。酷い目に遭ったわ。

 ゴキゲンの湯の暖簾をくぐるとともに私は溜息を着いた。

 隣では八一先生も同じような仕草をしている。さすがに参っているみたいね。

 

 京橋の商店街をゴキゲンの湯に向かう途中で警察官に声を掛けられた私たち。

 どうやら私の格好はこの周辺では浮いてしまうようだ。大阪の中でもディープな地区である京橋には似つかわしくない富裕層らしき女子小学生。その子供と手をつないで歩く普通の格好をした男。ということで駅を出た直後から注目されていたらしい。そんな二人が繁華街方向に消えていく。これはもしや世慣れない女子小学生を言葉巧みにだまくらかし、金銭とそれからせ……もろもろ目的で拐かしているのではというストーリーがその警察官の中ではできあがっていたらしい。

 

 説得には多大な苦労を要した。いくら私が否定しても、『キミは騙されているんだ』とか『かばわなくてもいいんだよ』とか『これ以上ヤツには手出しさせないから、本当のことを言ってごらん』と言って聞いてくれないのだ。どころか、『クッ……。こんなに従順になるまで一体どんな仕打ちを……』『YESロリータNOタッチの掟を知らんのか、外道め!』『ロリコンの風上にも置けぬ卑夫よ!』などと勝手にヒートアップしていった。

 

 騒ぎ立てる警察官にやじ馬が集まり、その内容に顔をしかめて私たちを見ていた。有り体に言って酷い羞恥プレイだった。むしろあの警察官のほうをセクハラで訴えてもいいのではなかろうか。

 結局、八一先生が竜王であること、私が八一先生の弟子であることが説明されている記事をスマホで紹介して、ようやく解放してくれたのだった。

 それにしてもあの警察官、トヨタのミニバン車を八一先生が所有していないか執拗に聞いてきたのは何だったのかしら?

 

 

 

「遅かったな。八一にお嬢さん。銀子ちゃんはもう来てるぞ。……ってどうかしたのか二人とも。えらく疲れているように見えるが」

 

 二階から降りてきた生石玉将が肩を落とす私と八一先生を見て怪訝そうにしている。

 

「「いえ……」」

「何か知らんが、本番はこれからだ。よろしく頼むぜ二人とも」

「「はい……」」

 

 力なく答える私たちに更に怪訝そうにしながらも、生石玉将は私たちを先導するように二階の将棋道場へ戻っていった。

 

 

 

 

 

 

 ゴキゲンの湯は銭湯も将棋道場も臨時休業。生石玉将の後について二階にあがるとガランとしていた。部屋の中央に近い卓を囲むようにイスが設置され、将棋盤の前にはオバサンが座っている。

 

「待たせたな。銀子ちゃん。続けよう」

「はい」

 

 オバサンは私たちを一瞥したあと視線を盤上に戻す。生石玉将はオバサンの正面に腰を下ろした。私と八一先生も続き、卓の両隣に用意されたイスに着く。

 盤上には昨日の将棋の最初の分かれが再現されている。先に検討を始めていたらしい。

 

「この分かれはどうだった?」

「そこはもう、少し悪かったんじゃないでしょうか」

「構想自体が破綻してたか……使える手順だと思ったんだがな」

「やっぱり棒銀は狙いが単純すぎて対策されやすいんじゃないかと」

 

 早々に昨日の構想を『失敗』と結論付けようとする生石玉将とオバサン。

 向かい飛車に角交換四間飛車の感覚を持ち込んだ逆棒銀を活かす生石玉将の新構想。あまりに挑戦的な発想に私も驚かされた。惜しくも於鬼頭帝位に敗れてしまいはした。したが、昨日帰って一晩検討して見てもその魅力は色あせるものではなく、私の大局観を刺激していた。

 

「お嬢さんはどう思う?」

 

 そんな私の表情を読んだのか生石玉将が私にも発言をうながしてくる。

 

「……私はとても魅力的な構想だと思いました。きっと活かせる展開がどこかにあるんじゃないかと……少なくとも失敗と結論づけるにはまだ早いんじゃないかと思います」

「……具体的にどう展開させるのよ?」

「それは……」

 

 自分の直前の発言を否定する内容だったからか、オバサンが苛立ったように突っかかってくる。私はその問いに答えを返せず唇を噛む。

 そう。どう展開すれば良くなるのか。私の昨晩の検討はそこまで至っていなかった。けれど私の脳内将棋盤で並べたここまでの手順は確かな輝きを放っていた。その駒組みは縦横無尽に駆け巡る駒の利きを描く光の線で力強く連結され、更なる可能性を私に示していた。惜しむらくは昨日の私にはその可能性を形にする力がなかった。

 

「具体的なアイデアがないんじゃ———」

「いや。俺も天衣と同じ意見です」

 

 助け船を出してくれたのは八一先生だった。

 八一先生は盤上に手を伸ばし、局面を戻していく。

 

「昨日の生石さんの序盤を俺なりにアレンジしてみたんです。生石さん、受けきってみて下さい」

 

 そう言って八一先生はアイデアを盤上に再現していった。駒の利きが確かな意思を持って伸びていく。受ける生石玉将もそれを遮りにいくが、八一先生の示す手はその妨害をかいくぐり敵陣を侵していった。止めきれないと判断した段階で生石玉将は手を戻し、別の変化で防ぎにかかる。けれどその変化も想定済みなのだろう。八一先生が迷いない手でヒラリと躱すと生石玉将の守りをまた食い破るのだ。そんなことがざっと三時間。生石玉将が白旗を揚げるまで続いた。応酬は何度繰り返されただろうか。その無数の変化の中でもとうとう八一先生が止められることはなかった。

 

 あぁ……。やっぱり八一先生は凄い。私が形にすることができなかったこの構想の可能性。それを見事に盤上で示してみせたのだ。私が理想とする将棋。この道の遙か先を八一先生は行っている。その背中はまだまだ小さいけれどいつか追いつけるだろうか。同じ道を行く先達がいる喜びを私は噛みしめていた。

 

 

 

 

 

 

 八一先生の検討結果お披露目が一息つき、話題はソフトを使った研究方法に移っていた。あの竜王戦の逆転劇の原動力となったのもソフトを使った研究にあるとのことだった。

 けれど同時に八一先生は言う。ソフトの示す評価値や最善手は、そのまま実戦に持ち込むことはできない。コンピュータ将棋は、コンピュータの演算力があって初めて成立するのだと。

 人間は終盤でミスをする。ミスすることを前提に挽回できるよう相手より玉を固めるというのが現代将棋の出発点なのだと。

 

 そこで私は以前から腑に落ちていなかった点について質問することにした。

 

「八一先生。その点について前々から納得いかなかったことがあるのだけど」

「うん? なにがだ天衣?」

「人間は終盤にミスをするという前提……おかしくないかしら?」

「どういうことよ?」

 

 オバサンがそこで口を挟んでくる。何が言いたいのか理解できないという顔だ。一方の八一先生は黙って続きをうながす。

 

「人間は疲労するとミスをしやすくなる。だから終盤にミスをする可能性が高くなる。これは理解できるわ」

「ああ」

「でも、そもそも将棋は終盤に向かうほど取れる選択肢が少なくなる。つまり将棋というのは本来終盤に近づくほどミスが減少するゲームのはずだわ。理論上はね」

「「…………」」

「後は、疲労によるミスの発生と将棋の真理であるミスの減少を天秤にかけてどちらをとるかだけれど……自玉を固めるよりも攻め、あるいは全体のバランスに重きを置いて、終盤ミスなく寄り切るという戦略がもっと幅を利かせてもいいと思うのだけど」

「理屈としては分かるが……」

 

 私の意見に対して、生石玉将は渋い顔だ。同意はしかねるらしい。オバサンに至っては何を言っているのか理解できないという顔をしている。まるで化け物でも見るかのようね。

 でも八一先生は。

 

 

「奇遇だな。天衣。俺もそう思う」

 

 

 ニヤリと笑ってそう言ったのだった。

 

 




というわけで、八一のぶっ飛びぶりを見た天ちゃんの感想は非常に好意的なものになりました。
この辺り、同じ地点から出発して徐々に引き離されていく姉弟子と最初から遠く離れた背中を追う立場の天ちゃんでは受け取り方が変わるかなーと。


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08.夜叉神天衣後援会結成

感想300件突破ありがとうございます。
時間がなくて返信が滞っていますが、目は通させていただいています。
引き続きよろしくお願いします。

ところでお気付きでしょうか。
ゴキゲン研究会への天ちゃん同行によってデンジャラスビーストフラグが折れていることに。姉弟子すまぬ。桜宮イベント発生せず!桜宮イベント発生せず!
その代わりといってはなんですが、天ちゃんのお風呂シーン張っておきますね。



 

「……ふーぅ」

 染みこんでくる温かさに思わず声が漏れる。

 

 手足を伸ばして上下に揺らせば、ぱちゃぱちゃとお湯が跳ねる。指の又の間をお湯が抜けていく感触が心地いい。屋敷のお風呂も十分広いので手足が伸ばせるお風呂というものに特別感慨はないけれど、銭湯というものは独特の風情がある。これはこれでいいものなのかもしれない。まあ、大阪城と飛車駒を合わせたペンキ絵のセンスはどうかと思うけど。

 

 ひとまず研究会を中断して食事をいただいた後、『風呂でも入ってけよ』という生石玉将の言葉に甘えて、私は今、銭湯に浸かっていた。おそらく八一先生も同じように男湯に入った頃だろう。

 臨時休業のゴキゲンの湯には当然ながら誰もいない。よって女湯は私の貸し切り状態だった。せっかくだ。少々行儀が悪いのだけれど、よりリラックスできる姿勢を求めて足を前に投げ出し、背中を後ろに倒していく。やがて完全に仰向けになった私の体はぷかぷかとお湯に浮かんでいた。全身の力を抜いて水面の揺らぎに身を任せる。天井から降り注ぐ照明のまぶしさにそっと目を閉じれば、先ほどの研究会での手順が脳内将棋盤に再生される。

 

 八一先生の示す手順は前へ。前へ。敵の駒を躱し、あるいはときおり対消滅を起こしながらも敵陣を断ち割っていく。

 その駒の輝きに確かに私が目指すべき理想を見た。美しいもの、恍惚とさせるもの。あの輝きを私もきっと。そこを目指して手を伸ばすことに迷いはない。私はそっと目を開いて、私を照らす照明に向かって手を伸ばした。

 

 

 

 

 

 

 どのくらいの時間、そうして湯に揺られていただろうか。ぼんやりとしていた私の耳にカラカラと戸が開く音が聞こえてきた。だれかが女湯に入ってきたらしい。

 誰だろう? 既にオバサンはゴキゲンの湯を去っている。

 だとすると後は。該当する人物に心当たりがあった。

 さすがにこのだらしない姿をさらすわけにはいかない。浴槽の底に手をついてそっと身を起こす。洗い場から聞こえてくるシャワーの音。どうしようか。出てしまってもいいのだけれど、いっしょに入るのを嫌がっていると取られるのも気まずいか。ひとまずもうしばらくは居ることにする。

 

 

 

 やがて、シャワーの音が止まると今度はヒタヒタと足音が近づいてきた。そして足音の主が声を掛けてくる。

 

「あ、あの……となり…………いい?」

「ええ、もちろん」

「あ、ありがと」

 

 そう言って浴槽に身を沈めたのはこのゴキゲンの湯の娘——生石飛鳥だった。

 

「ふぅー…………」

「…………」

 

 横目で見やると、隣に腰を下ろした生石玉将の娘はぐっと体を伸ばしている。そうして腕を組んで伸びをすると腕の間で潰れる目障りな物体。

 

 チッ……

 

 この生石玉将の娘、性格は大人しいを通り越しておどおどしているくせに、それに反してスタイルは自己主張が強い。その上、肩をすくめた姿勢をとっていることが多いからより強調される。さっきの食事中も八一先生の視線が露骨に吸い寄せられていた。それに腹を立ててオバサンは去ったのだから感謝するべきなのかもしれないが腹立たしいものは腹立たしいのだ。

 

 くっ……

 

 翻って自分のを見下ろして見ればほとんど遮るものなく浴槽の底が見えてしまう。忸怩たる思いに駆られながらも手をやり、その存在を確かめる。

 うん。なくはない。微かに、僅かではあるけれど確かにそこにある。私の年齢を考えれば大きい……とは言えないまでも小さくはないはず。それに成長期はまだまだこれから。同じ年齢になれば私だってあれくらい———

 

「え、えっと……ごめんね……?」

「何が!?」

 

 ちょっと自分が大きいからって、憐れんでるつもり!?

 けれどそれは私の被害妄想だったらしい。

 

「え、えっと……難しい顔をして………お腹をさすってたから……とん平焼き……口に……合わなかったのかなって……天衣ちゃんは…………お嬢様だって……聞いてるし……」

「……いいえ。そんなことない。美味しかったわ。……ちょっと考え事をしていただけよ」

「そ、そう……良かった……」

 

 さすってたのは胃じゃなくて胸だけどね。貴女から見たらどっちがどっちか分からないようなささやかなものなんでしょうけど!

 

 

 

 

 

 

 その後続いた沈黙を破ったのは彼女からだった。

 

「す、好きなの……?」

「……何がよ?」

 

 またさっきと同じように意図を掴みかねる発言。ひとまず今度はいきなり食ってかかるようなことは———

 

「や、八一君のこと……」

「はあッ!? 何をいきなり!?」

 

「そ、その……研究会のとき…………八一君の手を熱っぽく……見てたし……八一君が天衣ちゃんと………同じ意見だって……言ったとき……とても嬉しそう……だったから……」

「それはッ! …………あの人の将棋、将棋だけは尊敬しているもの。一棋士として」

「そ、それだけ……?」

「それだけって何よ! それだけに決まって———」

 

 言いかけたところで前髪の間からこちらを覗く、意外なまでに真摯な瞳に気付く。真正面から投げかけられる強い視線に口ごもってしまう。どうにか視線を逸らそうとするけれど、相手の視線が揺らぐことはなかった。

 

 

 

 

 

「……好きよ」

 

 そして気付いた時には白旗を上げていた。

 

「…………」

「……私は八一先生が好き。女の子として。八一先生にも私のことを女の子として好きになってほしいと思う」

「そ、そっか……」

「…………」

「…………」

「…………」

 

「……ふふッ……」

「何がおかしいのよ?」

「う、ううん……なんだかかわいいなって……」

「やっぱり馬鹿にしてるんじゃない」

「そ、そんなことないよ……天衣ちゃんの歳でそこまで……はっきり…………人のこと……好きだって……言えるのすごいと……思う……」

「そんなのたいしたことじゃ———」

「す、すごいよ……少なくとも……私には…………無理……」

「貴女、まさか———」

「ち、違うよ……私は違う……」

「……まだ何も言ってないわよ。何か心当たりあるわけ?」

「むっ……」

 

 小学生に揚げ足を取られて怒ったのだろうか。そこでしばらく会話が途切れる。

 けれど会話を再開したのもやはり彼女から。

 

「で、でも……八一君狙いか……ライバルが多くて……大変だね……」

「そうね。貴女も含めてね」

「だ、だから……私は違うって…………空先生に……もう一人のあいちゃん……とか……そのお友達の……みんなとか……」

「それに伏見稲荷みたいな女とかね」

「ふ、伏見稲荷……?」

「山城桜花のことよ」

「や、山城……? く、供御飯先生……まで……? ひゃああ~~~~っ!!」

 

 こう並べてみると八一先生ってあっちこっちの女から好かれているわね。朴念仁のくせに。それも面倒かつ質の悪いのにばっかり。

 

「た、大変だー……強敵ばっかり…………でも……私は……天衣ちゃんを……応援……するね……」

「はあ? なんでよ?」

「お、お父さんの……新しい戦型…………間違ってないって……魅力的だって……言ってくれたから……」

 

 なるほど。今度はこっちが反撃する番ね。

 

「……ファザコン」

「そッ……そんなことないよ……ッ!!」

「どうかしら? 生石玉将のこと褒められて嬉しいでしょう? それに以前、妹弟子と対局していた時も『お父さんの中飛車が大好き』って言っていたじゃない。泣きながら」

(原作三巻『中飛車対中飛車』の章参照のこと)

「お、”お父さんの”なんて……言ってないよ……ッ!!」

「そうだったかしら?」

「そ、そうだよ……ッ! それに……親を褒められて……嬉しいなんて………当たり前……でしょう……?」

「そうかしら? ……よく分からないわね」

 

「わ、分からないって……なんで……?」

「なんで? ……そうね。私は父親を既に亡くしているから。そういうシチュエーションになったことはないからかしらね」

「あ……………ご、ごめん……」

「気にしなくていいわ。もう随分前のことだもの」

 

 参った。失言だった。不用意な私の発言でその場の空気は急速に重たいものへと変わっていく。どうにか話の流れを変えたいけれど。

 

 

「それで。応援って何をしてくれるのかしら?」

「え、ええ……!? え、えっと……八一君が……天衣ちゃんを選ぶように……祈ってる……とか……?」

「高校生のくせに使えないわね」

「む、むぅー……」

「何よ? 怒ったの? 使えないから使えないって言っただけよ。お祈りだけなんて神頼み以下じゃない。これだから女子高生になっても彼氏いない歴=年齢の喪女はダメね。少しでも期待した私が馬鹿だったわ」

「あ、天衣ちゃんは……小学生のくせに……生意気……なんだよ……ッ!!」

 

 そう言って飛びかかってくる飛鳥。背中を向けて逃げようとするが一瞬遅く、脇から手を入れてくすぐられる。

 

「きゃッ!? アハハッ!! くすぐるのは……止めなさい!! って、ちょっとッ!? どこ触って!?」

「お、応援として……揉んで……大きくして………あげる……よッ!! ……き、気になって……たんでしょ……ッ!!」

 

「あ、貴女!? さっき気付いて———」

「き、気付くに……決まってる……よ。そ、そういう……視線には……女の子は……敏感……なんだから……ほらほら……八一君も……大きいの……好きみたい……だから……大人しく……マッサージを……受け……なさい……!!」

「八一先生の視線にも気付いて!? ああッ!? ……ってもう結構よ! 離しなさい! 心配されなくても勝手に大きくなるから!!」

「だ、だーめ。……このマッサージは………始まると……一定時間……止まらない……のです……」

「あ……んっ…んぁ…あっ…ぁ…あっんっ……♡ このッ……いい加減にッ」

「さ、さすがに……腕力で……小学生には……負け…ないよ………どうしても……解放……されたかったら……どうして…………八一君の……こと……好きになったのか…………全部……白状……なさい……」

「はあッ!? ふざけ…あっんっ……♡」

「は、はーい。つ、次は……先っぽのほうを……マッサージして……参り……まーす……」

「ぅん——————ッ♡」

 

 

 

 ばちゃばちゃ

 

 

 

 こうして女湯での悪ふざけは二人が茹で上がるまで続くのだった。

 

 

 

 




飛鳥ちゃん結構ちゅき。
前髪おっぱいイイよね。
そして普段オドオドの飛鳥ちゃんを攻めにさせてしまうほどの天ちゃんの受け属性よ。
すごい。(小並感)


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09.お泊まり

ボクノカンガエタサイキョウニカワイイテンチャンヲクラエ!


「「う、うーーーーん……」」

「はぁ、二人ともそんなになるまで何やってんだ?」

 

 呆れたような八一先生の声。本当に何をやってるのかしらね。

 

 お風呂での悪ふざけが過ぎた私たち。私と生石玉将の娘——飛鳥はすっかり茹だってしまい、湯あたりで二人してダウンしていた。

 ふらふらになって女湯から出てきた私たちに驚いた八一先生は私たちをロビーの一角、扇風機の風が当たるところに寝かせると水をたっぷりと飲ませた。その後も甲斐甲斐しく団扇で顔の辺りを扇いでくれているのだった。

 

「はしゃぎすぎじゃない? 子供のお泊まり会じゃないんだから」

「「…………」」

 

 返す言葉もない。私たちは黙して語らず、ただただ時間だけが過ぎていく。

 

 

 

「あ、ありがとう……八一君……もう大丈夫……ごめんね……?」

「い、いや……飛鳥ちゃん。気にしなくていいよ」

 

 先に起き上がった飛鳥が八一先生にお礼を言う。肩身が狭そうにすることで潰され、強調されるあれがブラックホールのように八一先生の視線を吸い寄せる。

 この女、わざとやってるんじゃないでしょうね? お風呂での一幕の後だと作為的なものを感じてしまう。

 

 

 

「で、でも……このままじゃ……湯冷めして……風邪ひいちゃう……ね……」

 

 何その唐突な話題転換。明らかに棒読みなのにいつもボソボソした話し方をするからか八一先生は特に違和感を感じなかったらしい。そしてこちらへ向く二人の視線に嫌な予感を覚える。

 

「や、八一君……天衣ちゃんの………髪を…………乾かしてあげて……くれる……?」

「ん? ああ、うん。分かったよ」

 

 やってくれた、この女ッ———!

 

「はあ!? 結構よ! それくらい自分で———」

 

 慌てて身を起こそうとするけれど、頭がふらついて立ち上がれない。そんな私に八一先生が近づいて。

 

「ああ、ほら。無理するなって」

 

 私の後頭部と膝裏に腕を回して支えると、そのまま立ち上がる。ってこの体勢は———

 

「ちょっと!? 八一先生!?」

「おいおい。落ち着けよ天衣。落としたら危ないだろ」

 

 落ち着けるわけないでしょう!? こんな———こんな———!

 ひどく混乱した私はじたばたと暴れるがしっかりと抱え込まれていて身動きできない。結局、私にできたのは抗議の意味を込めて八一先生のシャツの胸元を掴んで引っ張ることだけだった。

 顔が熱い。羞恥に赤く染まっているだろうことが自分でも分かる。その顔を至近距離から見られるのが悔しくて顔を逸らせば、視線の先で飛鳥が握り拳に親指を立ててドヤ顔をしているのが腹立たしかった。

 

 

 

 

 

 

 八一先生はそのまま私を洗面台の前まで運ぶとイスにそっと座らせた。そしてタオルで拭いたままになっていた私の髪の毛を櫛ですく。

 

「は、はい……八一君……」

「お。飛鳥ちゃんサンキュー」

 

 すかさず八一先生にドライヤーを手渡す飛鳥。その間も私の肩には八一先生の手がかけられたままで逃げ場はない。

 

「それじゃいくぞー」

「…………」

 

 せめてもの抵抗として返事は拒んだ。ドライヤーのスイッチが入り騒音とともに猛烈な熱風を吐き出す。そうして八一先生は私の横からドライヤーを当て始めた。

 鏡には八一先生が私の髪の毛を持ち上げて下からドライヤーを当てていく様子が映し出されている。それを見ていられなくて私はそっと目を閉じる。

 視覚を閉じたことで、ドライヤーの音と八一先生に持ち上げられる髪から伝わる触覚だけが私を支配するようになった。永遠とも思える時間。やがて八一先生は横髪や後髪の乾き具合に満足したのかドライヤーを私の頭上に移動させる。

 

「ッ……」

 

 八一先生の指が私の頭皮を撫でていく感触にゾクッとして身震いする。

 八一先生が手櫛で私の髪を梳っているのだ。いつぞやのように。きっと今回も私が何を言っても止める気はないだろう。ただ黙って耐える。八一先生の指が額の生え際に当てられては頭頂部を通って後頭部へと撫でていく。何度も。何度も。

 八一先生の指が撫でた跡がなぜか熱い。きっと髪をかき分けられて素肌に直接熱風を当てられたせい。そうに違いないんだから。

 

 

 ようやくというところで温風と騒音が止み、八一先生の指も離れていく。

 そして今度は指よりも遙かに細い、無数のチクチクとしたものが頭皮を撫でていき、頭ごと髪の毛がそちらへやや引っ張られる。最後のブラッシングに移行したらしい。

 それに私の心を満たすのは安堵。寂寥ではないから。

 

「お疲れ様。終わったぞ。」

 

 ゆるゆると目を開ける。鏡の中には笑顔の八一先生。

 

「…………ありがとう。八一先生」

 

 再度、目を伏せながらそっとそう告げた。

 

 

 

 

 

 

「こ、ここだよ……ちょっと……狭いけど……ごめん……ね……」

「全然問題ないよ。案内ありがとう。飛鳥ちゃん」

 

 風呂上がりから落ち着いた後は再度の研究会。竜王と玉将が囲む盤面は白熱し、気付けば日付をまたいでいた。今夜は泊まってけよとの玉将の言葉で、飛鳥に客室に案内される。

 もともと一泊のつもりで来ているので問題はない。……ないのだけれど気になるのは、八一先生からは見えない位置に突き出された飛鳥の握り拳。その拳の親指が立っていること。

 

「そ、それと……もう一つ……謝らないと………いけないことが……あって……」

「もう一つ?」

 

 嫌でも先ほどの拷問を思い出さざるを得ない。まさかこの女、今度は二つの布団をくっつけて敷くとか、漫画みたいな事やってるんじゃないでしょうね?

 見てもらった方が早いとばかりに飛鳥は客室の扉を開ける。その中には。

 

 

 

「お、お客様用の……布団が……一組しか……なかったんだ……」

「「…………」」

 

 

 

 想像を遙かに超えてきた。悪い意味で。

 私も八一先生も絶句するしかない。

 

「で、でも……天衣ちゃんは……小さいから………二人でも……大丈夫……だよね………?」

 

 大丈夫なわけないでしょう!? この女、どこまで本気なの!?

 

 

 

 

 

 

 どこまでも本気だったらしい。

 客室には私と八一先生の二人だけが残されていた。

 

「…………えっとさすがにこれは」

 

 戸惑い続ける八一先生を横に、けれど私は逆に冷静になっていた。

 らしくない。まったくらしくない。

 なぜあんなモブキャラみたいな女の一挙一動にこの私が慌てなければならないのか。

 こんなの全然私らしくないじゃない。

 

「いくらもう一人が小学生とは言っても……」

 

 私は誰だ? そう。夜叉神天衣。周囲の凡人とは生まれも才覚も一線を画す、比類なき存在よ。あんなモブ女の悪戯なんて呑み込めなくてどうする。

 

「さすがに一つの布団で寝るのは……まずいよな」

 

 私は八一先生が好き。なら一つの布団で寝るのも全く問題ない。思惑の一つや二つ、正面から喰らってしまえばいい。そうだ。喰らえ!!

 

「天衣。俺は床で寝るからお前は———」

「八一先生! 一緒に寝るわよ!!」

「ひゃい!?」

 

 

 

 結論。私はまったく冷静になってなんかいなかった。

 

 

 

 

 

 

 先に布団に入った私に続いて八一先生がおそるおそる入ってくる。もっとどうどうとしていればいいのに。

 私がいくら小さくても布団一つに二人。定員オーバーには違いない。二人の肩や足が触れあっている。

 それを意識するとどこからか脈動のような音が低く響いてきた。だれかがこんな夜中に太鼓でも叩いているのかしら。近所迷惑な。

 私が余所に思考を飛ばしていると八一先生が声をかけてきた。一気に引き戻される。

 

「天衣、枕も一つしかないけどどうする?」

 

 なるほど。枕。

 

 さすがに枕は二人で使うには小さすぎる。もしそんなことをした日には二人の頬はぴったりとくっつくことになるだろう。それはさすがに……。

 ではどちらか一人で使う? 八一先生に不便はかけたくないし、私が枕無しで寝るのも飛鳥に負けたようで気にくわない。それじゃあどうする?

 

「枕は八一先生が使って」

「天衣は枕無しでも寝れるのか?」

「寝れないわ」

「……は? いや、それじゃあどうするんだ?」

「こうするのよ」

 

 

 

 

 

 

 アイエェーーー!? ナニコレ!? ナンデ!?

 

 

 

 自分も枕無しでは寝れないと宣言した天衣。俺に枕を譲って、それじゃあどうするんだという問いへの答えがこれだった。

 天衣は俺の左腕を取り真横に伸ばさせると、その上に自分の頭をのせた。そう。腕枕である。

 

「あ、天衣さん……?」

「……何よ? 嫌なの?」

「い、いえ……そうではなくて」

「それじゃあ枕は私が使って、私に腕枕をしろっていうの? 嫌よ。重いもの」

「い、いえ……そういうことでもなくてですね」

「なら何よ?」

 

 天衣は煩わしそうにそう言うと、俺の腕の上でごろんと転がり、こちらに向き直る。

 

 

 

 ちくしょぅ……かわいい。

 ヤバい。この天衣はヤバすぎる。ドキドキするとかそういうレベルじゃないヤバい。

 

 俺の腕の内側。皮膚の薄い部分を天衣の黒髪がサラサラと撫でる。その左腕が俺の胸に乗っかり、薄いシャツごしにその熱を伝えてくる。そして赤みがかった美しい黒瞳が俺を見つめていた。過去にないほど近い。互いの息がかかりそうな至近距離にその顔があった。

 

 

 結局俺は天衣の疑問に何の答えも返すことができなかった。

 沈黙が続く。するとこちらの緊張を読み取ったのか、その目が悪戯っぽく細まった。俺の胸の上にあった左腕がキュッとシャツを掴む。

 

「ねぇ……八一先生?」

「な、なんだよ?」

「本因坊秀埋が前に言っていたアレなんだけど……」

「シューマイ先生が? なんだ?」

「その……膜が破れなくて才能の壁が云々ってやつ。本当に関係あると思う?」

「ぶほッ!? ……そんなの関係あるわけないだろッ!!」

 

 噴き出す俺に、楽しそうな天衣。

 

「そう? 八一先生が竜王戦の最中に急に強くなったのはそういうことしたからじゃないの?」

「ないよ! 竜王戦でどころか一回もない!」

「一回も? 十七歳なのに?」

 

 余計なことまで言った。天衣はますますニヤニヤ顔だ。こいつ、俺にそういうことする相手がいるとかそんなこと全然思ってもないくせに白々しい。

 

「うるさいなぁ。そんなこと言ってて、お前にそういう相手がいつまでもできなかったら、逆に笑ってやるからな」

 

 苦し紛れに返す。けれど天衣からは強烈なカウンターパンチが飛んできた。

 

「その時は……八一先生にお願いしようかしら?」

「はぁ!?」

「……お休みなさい」

「お、おい天衣!?」

「……………」

 

 驚きに固まる俺が文句を返そうと再起動する前に一方的に就寝を宣言して目を閉じる天衣。その後いくら呼びかけても天衣が応じることはなかった。

 仕方なく俺も目を閉じる。そうすると再生される。

 

『その時は……八一先生にお願いしようかしら?』

 

 うおお! 相手は小学生! 相手は小学生! 血迷うな俺!!

 りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん! りんぴょーとうじゃーかいじんれつざいぜーんッ!!

 

 

 

 そうして煩悩を追いやる孤独な戦いを続けるうちに、俺はいつの間にか意識を手放して眠りに落ちていた。

 傍らから伝わる温かな温度とやわらかな匂いに包まれながら。

 

 

 

 

 

 

 八一先生の呼びかけを無視し続けているとようやくその声が止んだ。やっと諦めてくれたらしい。

 緊張状態を脱すると今度は強烈な恥ずかしさが私を襲ってきた。

 

 『その時は……八一先生にお願いしようかしら?』とか馬鹿じゃないの!? 本当馬鹿じゃないの!?

 

 できることなら顔を覆ってのたうち回りたい。八一先生に気付かれるからやらないけれど。真っ赤に染まっているはずのこの顔色を、消灯した暗い部屋の中でなら八一先生に気付かれないだろうことだけが唯一の救いだ。

 声も身動きも全て封じたまま、ただただ羞恥心に苛まれ煩悶し続けた。

 

 

 

 長きにわたる羞恥との戦いに勝利、いえノーサイドとなった頃。

 

「……………すーぅ…………………すーぅ…………」

 

 八一先生の寝息が聞こえてくる。そちらを見ると、どうやら眠ってくれたらしかった。

 最近の八一先生は目の下にずっと隈を作っていた。脳内将棋盤の暴走とやらでろくに眠れない日が続いていたらしい。そのことはずっと心配だった。

 羞恥心に酷いダメージを負う一晩だったが、八一先生が眠れていること、これだけは素直に嬉しい。

 

「…………お休みなさい、八一先生。いい夢を」

 

 そう八一先生の耳元に囁くと私はもう一度目を閉じた。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 

 朝食の準備ができた。そろそろ二人を起こさないと。

 天衣ちゃんはうまくやれただろうか?

 まあきっと八一君が床にタオルを敷いて寝たというあたりに落ち着いているのだろうけど。せめて手をつないで、くらいはできてるといいな。

 

「お、おはよう……二人とも……」

 

 客室の扉をあけながら挨拶を投げかける。そして部屋のなかをのぞき込むと。

 

「ひゃああ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 

 絶叫する私。なんと二人は一つの布団で一緒に寝ていた。それだけじゃない。

 

 天衣ちゃんはその柔らかそうな頬を八一君の胸に預けるようにして寝ていて、その天衣ちゃんの細い背中を八一君はぎゅっと腕で抱き寄せている。

 つまり……二人は半ば重なりながら密着して寝ていた。

 

「ふぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 

 二人とも進展しすぎだよ~~~~~~~~~~~!!

 天衣ちゃんはまだ小学生なんだよ!?

 

 

 私の絶叫はその後、私の声に二人が起きて事態に気付き、弁解を始めてもしばらく続いたのだった。

 

 

 

 




飛鳥ちゃん「これは完全に事後ですわ」


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10.ロリコン殺し VS.

「……こんにちは」

 

 形式的な挨拶とともにドアノブを回す。八一先生は部屋に鍵をいつもかけていない。不用心だとは思うけれどこういう時は便利ね。

 今日は私も先生も将棋会館で公式戦の日。そこで、どうせだから八一先生の部屋でレッスンも行おうということになったのだ。私の対局と入れ替わる様に八一先生の対局が始まったため、私は一足先に八一先生の部屋にお邪魔して待つことになったというわけ。

 妹弟子と二人っきりになるのはあまり面白くないのだけど、そんなこと八一先生に伝えるわけにもいかない。面倒なことね。

 

 

 そんなことを考えていると部屋の奥からトテトテと足音が聞こえてきた。あの子がやってきたらしい。

 

「おかえりなさいませ♡ ししょー———」

「八一先生じゃなくて残念ね、って……」

「なんだ。師匠じゃなくて天ちゃんか」

「…………」

「何固まってるの?」

「………何よその格好?」

「ん? んふー? ……何ってちょっとした『いめちぇん』かなー?」

「…………『いめちぇん』、ねえ?」

 

 その台詞に私は思わず顔をしかめる。

 妹弟子の格好はいつもと異なっていた。例えば髪型はツインテールに。服もいつものワンピースからセーラー服風の衣装に替わっている。スカートも超ミニだ。かと思えばその袖は指先しか出ないほど長い。総じて———あざとい。手に握っている王将の駒から手足が映えたようなデザインのぬいぐるみだけは理解できないが。

 であればこの『いめちぇん』とやらの狙いは。

 

「師匠にもいつもとは違うあいの魅力を感じてほしいしー」

 

 白々しい。魅力を感じての、その先まで期待してのことでしょうに。

 

「何かな? 天ちゃん、その目は?」

「………別に」

「気になるんなら天ちゃんもすれば? 『いめちぇん』」

「ふん。安い挑発ね」

 

 どうせお前には、プライドが邪魔してそんなことできないだろうと何よりその目が雄弁に語っている。面白い。あの羞恥プレイ(腕枕)を成し遂げた私に今更そんな障害は用をなさないと知りなさい。

 準備のため晶を呼び出す。今頃、晶は将棋会館の道場でライバルの小学生と練習対局をしているだろうからすぐ動けるはず。

 

 

「晶? ちょっといいかしら? お願いしたいことがあるの」

 

「私の着替えを調達してきて欲しいのだけど」

 

「いいえ。今着てる服を汚してしまったわけではないわ。そうね……ちょっと『いめちぇん』したい気分なの」

 

「コンセプトはそうね……『異性に魅力的に見える服』で」

 

「なぜそんな服が必要なのか? 特に深い意味はないわ。単なる気まぐれよ」

 

「違うっていってるでしょう。いいからそのコンセプトに合致するものなら晶の好みで選んで構わないから」

 

「ええ。そうよ。その晶が選んだ服を着てあげる」

 

「興奮しすぎよ。テンションに任せてとんでもないものを選んだら承知しないわよ。それじゃあ、よろしくね」

 

 言って通話を切る。

 妹弟子に視線をやれば、私の挙動に少なからず驚いているようで、目を丸くしている。そんなあの子をフンと嗤うように鼻を鳴らしてやれば。

 

「…………負けないから」

 

 そう言って睨んできた。

 

 

 

 

 

 

 天ちゃんが電話を入れて小一時間、晶さんが荷物を抱えてやってきた。どうやら師匠の帰宅前に目当ての物資は調達できたらしい。着替えのために奥の部屋へと入っていた。

 けれど付け焼き刃がどこまで役に立つものか。あいの『いめちぇん』は服だけにあらず。聖典(JS4年生)には師匠のような属性(ロリコン)の男性を落とすための行動様式まで完備されているのだから。

 

 そんなことを考えていたら、玄関が開く音がした。

 

「……ただーいまー」

 

 続いて師匠の声。待ちに待ったご帰宅だ。

 天ちゃんはいまだ着替え中。先制チャンスはいただきだね。

 

「おかえりなさいませ♡ ししょー♡♡♡」

 

 靴を脱ぎながら背中を見せている師匠に声をかける。

 

「あれ? ……あい? どうしたんだ、それ……?」

「えへへ♡ ちょっと『いめちぇん』してみました!」

 

 振り返った師匠は驚きに目を見開き、視線はあいに釘付け。そして。

 

「…………かわいい……」

 

 

 Yes! Yeees!!

 

 

 師匠の『カワイイ』いただきました♡ その後も『カワイイ』を連発する師匠。もうあいに首ったけだね♡

 でもあいは、まだまだ手を緩めない。鉄は熱いうちに打てなのだよ。

 師匠の腕を掴んで斜め四十五度の目線でスマイル。それでもって。

 

「いつもと、どっちが好き?」

「へ?」

「師匠はぁ、どっちのあいが好きですかぁ?」

 

 甘い口調で問いかける。師匠が口籠もっても、ごまかそうとしても逃してはダメ。『好き』と口にさせることが大切だって聖典にも書いてあったもん。

 

「どっちも…………すき……です……」

 

 

 Yes! Yes! Yeeees!!

 

 

 二度の追求の後、ついに師匠に『好き』と言ってくれたのだった。

 次はこのままラブラブお食事タイムだよっ……と思っていたのだけれど。

 

「……そういえば天衣が先に来てるはずなんだけどどこいった?」

 

 むッ。天ちゃんのことなんてどうだっていいじゃない。師匠のだら。

 

「天ちゃんならお着替え中です。……何かあいの『いめちぇん』に触発されたみたいでー」

 

 仕方なく伝えるけど、二番煎じだということは強調しておく。

 

「天衣がイメチェン……だと……?」

 

 何なのかな? その妙に期待した顔は? 師匠のだらぶち。

 二人して天ちゃんと晶さんが籠もる部屋を見やる。部屋からは二人の声が漏れていた。

 

『晶、本当にこんなのでいいの?』

『もちろんです。お嬢様は最高です』

『普段の服とそんなに変わらないと思うのだけど』

『そんなことはないです! その服は選ばれたものにしか着こなせない、実にハイレベルな一着なのです! それをここまで完璧に……さすがお嬢様!!』

『そ、そう……分かったわ。それじゃこれで完成でいいのね?』

『お待ち下さい、お嬢様!! その服に合わせるのにその髪型のままではいけません!』

『そうなの?』

『そうなのです! さぁ、私がお編みしますので、こちらへ!!』

『……そんなに張り切らなくても分かったわよ』

 

 そしてしばらくの後、ようやく扉が開く。果たして天ちゃんが着てきたのは。

 

「おかえりなさい。八一先生、じゃない師匠(マスター)

「「…………」」

 

 固まる私たち。

 

「どうしたの? や、師匠(マスター)、黙って? ……もしかして似合ってなかったかしら?」

 

 不安そうにそのロングスカートの中頃を両手にそれぞれ握ってもじもじする天ちゃん。似合ってるか似合っていないかでいうと超似合っている。私たちが驚いているのはそこではなくて———

 

 媚びッ媚びやないか!? その衣装!!

 

 天ちゃんが着てきたのはダークブルーのハイウエストロングスカートに白のブラウス。スカートの腰部分はコルセットのように体を締め付け、そのウエストの細さを強調する。これが更に天ちゃんのあるやなしかの胸の膨らみの存在を主張。そして白のブラウスは清楚ながらもフリルや首元のリボンで華やかさも表現している。

 髪型も普段のロングから後頭部にお団子を作り三つ編みで巻く、可愛らしさを強調したシニヨンヘアーに変更されていた。服装に合わせてのことだろう。

 

 これは言うなれば———あいの服がロリコン特効なのに対して天ちゃんの服は童貞特効! とんでもない飛び道具を持って来やがった! 悔しいけれど師匠への効果は抜群だ!!

 思わず歯噛みして晶さんを睨めば、晶さんはガッツポーズをしながら恍惚とした表情でだくだくと鼻血をこぼしている。掃除が大変だから止めて欲しい。

 そしてようやく師匠が衝撃から再起動する。

 

「似合ってる! もうかわいいとか綺麗だとかそんなレベルじゃない! これはそう……尊い」

「とうと……って、もう! 何言ってるのよ、八一先生!」

 

 八一先生の反応に両頬を押さえて恥ずかしがる天ちゃん。羞恥にキャラ作りもどこかへとんだらしい。そして更に盛り上がる師匠。だらぶちだらぶち。

 むー。でもまだまだ勝負はこれから。聖典が導く、あいの約束された勝利へのメソッドはこれからなんだから!

 

 

 

 

 

 

「うわー。今日はごちそうだなぁ?」

「はい! 対局でお疲れの師匠に、ちょっとでも元気になっていただきたくて♡」

 

 目の前に並ぶ食事の数々に目を輝かせる師匠。

 ふふーん♪ あいのお料理スキルを最大限に活かして師匠の胃袋を掴みにかかる。これは天ちゃんには真似できないでしょ-?

 そちらを見れば案の定、天ちゃんは苦い顔だ。でもまだまだあいのターンはこれからだよ!

 

 師匠が席に着いたタイミングで素早く隣の席を確保。師匠の正面には天ちゃんが、その隣には晶さんが着いた。フフフ。予想通りの配置だね。天ちゃんには特等席で見せつけてあげるよ。聖典に記された必殺の一撃を。

 いただきますの直後に師匠の方を向いて口を開ける。

 

「……え?」

 

 師匠はポカンとあっけにとられた顔。

 

「「…………」」

 

 沈黙のまま間が空く。もう、ししょーったらー。そこは以心伝心であいの意図を察してくれないと。仕方なくあいから説明する。

 食事の用意から、食後のお茶淹れ、後片付けまで全てあいがやっていること。だからこそあいに食事を食べさせるのは師匠の役目であるということ。納得がいったところでリテイク。

 

「あーん♡」

「あ、あー……ん」

 

 しどろもどろになりながらも、師匠が料理を差し出してくる。

 それをぱくっ! そして斜め四十五度の目線でスマイル。追い打ちを欠かさない。師匠はすっかりロリコンさんの表情になって感動している。

 一方、天ちゃんの方を見ればショックにワナワナと震えている。ふふふふーん♪

 勝利の美酒はとても美味。動揺する天ちゃんを見ながらひとときの勝利に浸る。天ちゃんにはどうやったって真似できないこの一撃。あいちゃん大勝利———

 けれど、天ちゃんの震えがピタリと止まる。そして意を決したようにあいを睨む。今更一体何をしようって……。

 

「八一先生!」

 

 俺はロリコンじゃないとぶつぶつ唱えていた師匠を一喝。意識を引き戻す。そして料理を箸で摘まむとテーブルから身を乗り出した。

 まさか!?

 

「あ、あーん……」

「「え!?」」

 

 天ちゃんを除く三人の驚きの声が揃う。まさかの『あーん』である。天ちゃんが。師匠に。

 戸惑う師匠を天ちゃんは頬を紅潮させながら上目遣いに弱々しく睨む。早くしろとでもいうように。そして師匠は恐る恐る差し出された箸に顔を寄せてパクンと口に入れた。

 その様を上目遣いのまま見守った天ちゃんは師匠が口の中のものをゴクンと飲み込んだところでようやくイスに腰を下ろした。そして黙々と食事を再会する。このアマ、さりげなく間接キスまで済ませおった。

 

 恐ろしい。初めて私は天ちゃんに対して畏怖を感じていた。私の挑発に対して瞬間的に羞恥を超越してきたのもそうだけど何より———

 

 

 天ちゃん半端ないって! 別の女(あい)が作った手料理であーんするもん…… そんなんできひんやん普通、そんなんできる? 言っといてや、できるんやったら……

 

 

 って衝撃を受けてる場合じゃない!

 

「天ちゃん!」

「何よ?」

「何はこっちの台詞だよ! 何なの今の!」

「別に。普段レッスンなんかでお世話になっている八一先生にお返ししただけよ。貴女が家事のお礼を八一先生に求めてたところを見て、そういうものなのかと思って」

 

 ぐぐぐ。ああ言えばこう言う。

 歯噛みするあいを余所に天ちゃんはすまし顔。その袖を引っ張って晶さんが口を開けながら自分も自分もというようにジェスチャーをする。天ちゃんは心底煩わしそうしながらも口の中に料理を放り込んでやる。投げやりなその行為にも晶さんはとても満足そう。安い女だ。

 

 話が逸れた。本筋に戻そう。

 あいの『あーん』受けに対してまさかの他人の手料理で『あーん』返しをしてきた天ちゃん。よろしい。ならば戦争だ。

 九頭竜家の食卓で仁義なきあーん合戦が巻き起こるのだった。

 

 

 

 

 

 

 食事の後、食器を洗うためあいは台所に引っ込んだ。なぜか天衣を引き摺って。たまには姉妹弟子で親交を深めたかったのだろうか。

 そこでようやく一息ついた俺は、あいのランドセルの横に置かれたある雑誌を発見してしまう。そう。『JS4年生』である。子供心を擽られてその雑誌を開くと、その巻頭特集は『年上のカレを陥落す一〇〇の方法』。そして付録は『ロリコンを殺す服』である。驚愕とともに俺は悟る。あいの『いめちぇん』と一連の行為はこの雑誌の入れ知恵であると。

 そしてふと気になった。だとすると天衣は? それを知る人間は目の前にいる。

 

「晶さん。今日の天衣の服。あれって?」

「うん? ああ。先生も気に入ったか? あれは私が選んだんだ」

「へぇ……」

「童貞を殺す服という」

 

「へ?」

 

「童貞を殺す服だ」

「へ、へぇー……」

 

 へーなるほど。それは(童貞)に効果抜群のはずだわ。なるほどねー。

 思わず達観して現実から目を逸らそうとする俺。ふつふつと額に汗が浮いてくる。

 

「だが」

「はい?」

「その後の食事中の事については私からは何も申し上げていないぞ。お嬢様が自分で考えてなさったことだ」

「……そうですか」

「良かったな、先生」

「な、何がですか?」

 

 どもる俺をニヤニヤと見る晶さん。この果報者めと言いながら背中をバシバシ叩いてくる。痛てぇ。

 

 

 

 この後、天衣と晶さんを送り出して、長い一日を終えるのだった。

 

 

 

 



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11.だから私は

第六章最終話です。


 週末。私は八一先生に誘われて難波に来ていた。八一先生の指示もあって先日のゴキゲンの湯と同じく晶の同行はなし。八一先生とは同じように大阪駅で合流をした。以前と違う点と言えば駅のホームで待つ八一先生の隣に妹弟子がいたことぐらいだろうか。合流後、御堂筋線に乗って難波まで出てきたのだ。

 

 妹弟子は『ヨシモト』だとか『NMB48』だとかではしゃいでいるけれど何のことだかさっぱりわからない。そう口にすれば八一先生に心底驚かれてしまった。テレビは公共放送と囲碁将棋番組しか見ていなかったけれど、話題の共有のためにも見るようにしたほうがいいのかしら。……いいえ。そんなの私らしくないわね。

 

 意地になっていると思われないようにさりげなく。でも話題を断ち切り、今日の目的を八一先生に質す。けれど八一先生からははぐらかされた。ここ最近の私たちの活躍へのご褒美なんだとか。これ以上は口を割りそうにない。しょうがないので唯一気になっていた点だけ確認する。

 

「ご褒美だか何だか知らないけれど八一先生、私たちの相手なんてしていていいの? 今日、空銀子の三段昇段がかかった対局なんでしょう?」

「ああ……気にするな。かわいい弟子達のことが優先さ」

「……そう」

 

 今日、予定されている対局に連勝すれば空銀子の三段リーグ入りが決まる。その二局目の相手は椚創多で、こちらも今日の結果が連勝なら昇格だ。いずれにしても女性初・小学生初のプロ棋士誕生につながる注目度の高い一日になる。本人達にも——いえ、椚創多はともかく空銀子は多大なプレッシャーを感じているはず。八一先生がそれでも私たちを優先してくれていることに私は喜びを感じていた。

 そんな浅ましい自分のことを八一先生に気付かれたくなくて、笑みを消しきれない表情を俯くことで隠した。

 

 

 

 

 

 

 座布団専門店に暖簾専門店に赤提灯や看板の専門店。あまりにニッチな専門店の数々に私は驚きを隠せない。

 八一先生に案内されたのは千日前『道具屋筋』。先ほどいた場所からすぐ南にあるアーケード街だった。業務用、特に食い倒れの町大阪の飲食店を支える調理器具や道具に特化した個人商店が軒を連ねる。食品サンプルを自作できる店舗まで有り、これにはさすがに興味を引かれた。……ちょっとだけね。

 お好み焼きや蟹身など、ウインドウに展示された食品サンプルを覗き込む。すると。

 

「悪いが今日の目当てはそういう店じゃないんだわ。こっちに行くぞ」

「あッ……」

 

 八一先生が私の手を取って脇道へと逸れる。握られた手から伝わる体温。その私よりずっと大きな手をギュッと握りしめた。——手を引いてお店から引きはがすなんて子供扱いに抗議する意思を込めて。

 

 

 

 

 

 八一先生に手を引かれて進んだ先にあったのは、木の香りがするお店。八一先生は将棋の神様がいる場所なんてすかしたことを言っていたが、みすぼらしい碁盤店に過ぎなかった。屋号は『天辻碁盤店』。天辻?

「こんにちはー」と声をかけながら八一先生は店の中に入っていく。けれど店員の影はおろか返事もない。八一先生の後に続くと薄暗い店内には所狭しと盤や棋具が並んでいた。どれも一級品と分かるものが。

 

 八一先生はさらに奥へ進む。この店の店主と知り合いなのだろうか? そして店の奥に続く襖を開け、その中の刀を握りしめた全裸の女と目が合う。

 しばらくの硬直の後、何もなかったかのように襖をそっと閉じた。振り返る八一先生の顔は真顔だ。一体今何を見たのか必死に整理しようとしている。無理もない。商店の扉を開けたら痴女がいたのだ。それは驚くだろう。わたしもびっくりした。けど、あの痴女どこかで見たような?

 

 その回答に先にたどり着いたのは妹弟子だった。

 

「……師匠? 今の女の人はどなたなんですか? 新年会にもいた人ですよね? 師匠を裸でお迎えするほど親しい人なんですか? というかどうして師匠はいつもいつもああいう女性が周囲にいるんです? 他にもいるなら今のうちに全てリストアップしてくださいあいは内弟子としてちゃんとご挨拶しないといけないので一人も漏らさず教えてください」

 

 ああなるほど。だから”天辻”碁盤店。

 妹弟子が八一先生の目をのぞき込みながら捲し立てるのを聞いて得心した。彼女が痴女っぷりを披露していることについては、先日の新年会のことがあるのでそこまで驚きではない。あと残る疑問は。

 

「今日私たちに会わせたかったのは本因坊秀埋?」

「ああそうだ。今日のお目当てはあの痴……女性。囲碁大三冠のうちの一つ。『本因坊』のタイトル保持者である本因坊秀埋先生。囲碁界のトッププロ棋士だ」

「っ……!?」

 

 妹弟子は『あの痴女が……!?』という驚愕の表情をしている。まあそうなるわよね。私も新年会の時はそうだったもの。同じ棋界で男と混じって第一線にいる彼女を少なからず尊敬していたのだ。その全てが吹っ飛ぶような衝撃だった。

 

「けれど今日用があったのは棋士としてのシューマイ先生じゃない」

「「?」」

「シューマイ先生はトップ棋士であると同時に今や数少ない『盤師』でもあるんだ」

 

 そこまで説明があったところで襖が開く。中から出てきた本因坊秀埋は今度は浴衣を着ていた。

 そこで彼女から話を聞く。プロ棋士業の傍ら半ば道楽で盤師としても活動していること。八一先生の将棋盤。その材質である榧の特性。話題は多岐に渡った。

 そして本題。なぜ彼女は裸で日本刀を握りしめていたのか。太刀盛りという技法について。更にどういうわけかその太刀盛りを目の前で披露してくれることとなった。

 

 

 

 

 

 

「八一先生! こっち見ないでちょうだい!」

「あ、ああ」

 

 八一先生からは生返事が返ってくる。けれど視線が肌の上を行ったり来たりしていることを感じる。それによって肌が紅潮しているだろうことまで分かる。分かってしまう。

 ああーもうッ! なんでこんなことに!!

 

 場所は天辻碁盤店。その奥にある作業部屋。そこで私たちは下着姿になっていた。埃を徹底的に避けるため、太刀盛りの見学に際して下着姿になるように指示を受けたからだ。こんなこと避けたかったのだけど、妹弟子が躊躇なく脱いだことで後に引けなくなってしまった。以前、一緒に入浴したことまであるといっても慣れるものじゃない。

 そんなふうにもんもんとしていると奥から本因坊秀埋が出てきた。スクール水着に刀片手に。水着着用は私から提案したこととは言え、変態度は更に上昇した気がする。

けれどそんな本因坊秀埋が刀身に漆を乗せて構えた瞬間、空気が一変し張り詰める。

 

「来たか。しっかり見ていなさい。神に選ばれた棋士に———神が降りる瞬間を」

 

 八一先生がそう囁く。私は雰囲気に呑まれ口をつぐむ。下着姿でいることの恥ずかしさなんてどこかに行ってしまった。

 本因坊秀埋はそっと太刀を切先から根元まで反りを使いながらゆっくりと。そしてその行為を淡々と、けれど着実に繰り返す。

 そして永遠に続くかと思われたその作業も終わってみればほんの十分程度のことだった。二十の線と四つの星を施されたそれはただの木材から将棋盤へと姿を変えていた。

 

 

 

 

 

 

 ことが終わった後、八一先生がその感想を聞いてきた。

 隣では妹弟子が言葉にならないながらもその感動を伝えようとしている。その横で私は黙って思索に沈んでいた。わき上がるものを否定するために。

 

 将棋の神様。物に神様が宿る……なんて。研ぎ澄まされた技術に神秘性があるのは認める。そういった精神性が日本人の文化を豊かにしていることも。

 けれど、物事や事象を何でも神様の一言で片付けるのは嫌いだ。それなら何で私のお父さまは。お母さまは。あの人達は神様に嫌われていたとでも言うのか。

 

 そんなことを考えていたからだろうか。本因坊秀埋の言葉につい反発してしまったのは。

 今日ここに来た理由。それは八一先生からのプレゼントだった。女流棋士として独り立ちしていく私たちに。妹弟子には将棋盤を。そして私には。

 

「八一さんからのご注文で、天衣さんには駒を特注で作らせていただいています。こちらは神ではなく『魂』を宿らせて欲しいとのご依頼でして」

 

『神』に続いて『魂』と来た。それに私は噛みついた。そんな考えはナンセンスだと。そんな私に、けれど八一先生は優しい顔で頷いて、更に本因坊秀埋を促した。本因坊秀埋は駒箱を差し出してくる。作成途中の駒の文字を確認してほしいのだと言う。意味が分からない。そんなの錦旗でも水無瀬でも何だって———

 

「こ、これ……! この字って、まさか……!!」

「天ちゃん? どうしたの? 誰の字なの?」

「………………お父さま…………」

「え!? けど天ちゃんのお父さんって、もう……」

 

 そう。お父さまはずっと前にこの世を去っている。遺品もお爺ちゃまが処分してしまっていて棋譜はおろか、ノートの類いだって残ってない。文字データなんて入手できるはずが……

 けれどそんなことはなかった。お父さまの足跡は将棋界のあちらこちらに残っていた。将棋会館であった奨励会員の鏡洲。彼もお父さまと面識がある一人だった。彼を通じて方々を当たり、眠っていたお父さまの棋譜を発掘してくれたらしい。

 もう一度お父さまと一緒に、将棋を指させてあげたいという。ただそれだけの理由で。

 ここまで聞いて私は泣き崩れてしまった。

 

「その駒には、お父さんの魂が確かに宿ってる。だって天衣はその駒を見てすぐにお父さんのことを思い出してくれたから……そうだろ?」

 

 そんな私の頭を撫でながら八一先生は続けた。

 

「将棋の神様は、将棋を愛する者に宿る」

 

 半人前の私たちへの最後の教え。だけどやっぱり私には神様の存在なんて分からない。私のこの胸に宿るのは。

 

「天衣」

 

 八一先生の呼び声に応えて顔を上げる。涙を止めることはできないけれど。

 

「棋士として、誰にも頼らず一人で戦う決意は立派だと思う」

 

 私は一人で戦ってなんていない。この道に立った時からずっと貴方の後を着いて歩いていただけ。きっと。

 

「けど、これだけは覚えておいて欲しい。お前は一人じゃないってことを」

 

 八一先生はずるい。

 両親を亡くした寂しがり屋の女の子にそんなことを言ったらどうなってしまうのか。分かっていやしない。

 きっと、この涙も両親のことを思い出してとか、的外れなことを考えているんだろう。この涙は悲哀のせいなんかじゃない。歓喜のため。この人はこんなに私のことを想ってくれている。それを知ったから。

 

 

 

 私を灼くこの激情。貴方に伝えたい。正しく知って欲しい。

 もう我慢できないの。だから。

 

 

 

 

 

 

「好きです。誰より貴方のことが。八一先生」

 

 




ということで原作六巻分まで完結しました。
姉弟子VS創多きゅんとかその後の姉弟子の葛藤はばっさりカットですので原作にてお楽しみ下さい。なお本作でも姉弟子は昇段を果たしたということでよろしくです。

ところで六巻の『盤と駒』の章には天ちゃん関連の今後の重要なフラグと想われる部分があります。
『天衣が変わる切っ掛けになってくれると(中略)この子の中に隠されていた弱点を発見していた』
と言う部分です。
この天ちゃん弱点とは……八一は一体何に気付いちゃったのか……。
正直よく分かりません。
きっと今後の鵠戦もしくは姉弟子戦で明らかになるのでしょうが。

作者の予想としては、
①欲しいものを欲しいと素直に言えない。貪欲さに欠ける
②将棋へ取り組む理由が父親。自分の外にモチベーションがある
のどちらかといったところかなーと考えています。
その上で本作『便物語』版の天ちゃんにその弱点はもはや……



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第七章.激闘
01.三年後


第七章の始まりです。
今回からまた投稿時間を変更します。
一周回ってきた感がありますが、引き続きよろしくお願いします。


 

「あれ?」

 

 おれは対局相手の確認に将棋会館に来ていた。そこで対局予定表を確認してその内容に疑問を持った。妙に今後予定されてる対局相手が高段者や実力者ばかりなのだ。

 なんでだ? 対局予定表の隅から隅まで見回す。

 

「あ」

 

 そして気付いた。

 

「B級1組ィ!?」

 

 なぜか俺の所属がB級1組になってた。

 いやいやいやいや。なんでさ?

 俺は現在C級2組。最下層にいたはずだ。それが何でいきなりB級1組になってるんだ? わけがわからないよ。

 さらに対局予定表を穴が空くほど眺め回す。

 

「あ」

 

 そして気付いた。日付が3年後のものになってる。なんでさ?

 いたずら? スマホを取り出して日付を確認する。けれどスマホの日付も俺が記憶する日付より3年進んでいる。というかスマホ自体がよく似た、けれどより洗練されたデザインのものに変わっている。新機種だろうか。

 とにかく落ち着け俺。FOOLに、違うCOOLになるんだ。まずはここまで得た事実から可能性を整理しよう。

 

 ①俺は3年後の世界にタイムリープした

 ②俺は突然ここ3年分の記憶を失った

 

 うん。どっちでも変わらんわ。

 

 

 どうしようもなくて途方に暮れてしまう。そんな俺の腕が突然引かれた。

 

「おわッ!?」

「こんにちは、八一先生」

 

 誰か知り合いが挨拶してきてくれたらしい。とりあえず挨拶を返して、会話から情報を引き出そう。

 

「はい。こんにち———」

 

 息を飲んだ。引かれる手の先。腕を絡める絶世の美少女がそこにいた。

 おそらく歳の頃はティーンに入ったか入らないかくらい。身長は俺より頭半分ほど低い。華奢な体躯を清楚な白のブラウスとダークレッドのロングスカートに包んでいる。そこから覗く手足はほっそりと長い。顔は同じ人間かと思うほど小さく、その美しい輪郭のなかに全てのパーツが絶妙に配置されていた。

 見たことがない少女だ。けれど不思議と見覚えがある気がする。その美しい赤みがかった大粒の瞳。艶やかな黒髪。お前は———

 

「———天衣、か?」

「不思議なことを言うわね、八一先生。それ以外の誰に見えるって言うの?」

 

 13歳になった天衣。元々美しい女の子ではあったけれど……これはもうこの世のものとは思えない。そんな彼女が柔らかく笑んでいた。

 

「…………そういや何か用か? 天衣?」

「あら、用が無ければ話しかけてはダメなのかしら?」

 

 口を尖らせる天衣。そんな表情も美しい。俺はどぎまぎしてしまう。

 

「い、いや。そんなことはないよ。……すまん」

「冗談よ。今日、八一先生対局でしょ? 私もなの。終わったらレッスンも兼ねて八一先生の家に行くわね」

「あ、ああ」

 

 了承の返事をしたところで、天衣がさらに腕を引いてくる。かがめって事か?

 そして天衣は顔を寄せそっと耳打ちしてきた。

 

「今晩は泊まっていけるから…………………いっぱいえっちしましょうね、八一せんせ♡」

 

 慌てて身を起こす。

 

「お、おまッ、何言って!?」

「何よ。今更これくらいで慌てなくてもいいじゃない」

 

 天衣は顔を赤らめながらも悪戯っぽく笑っている。

 え!? 俺たちって本当にそんな関係なの? 俺、13歳とヤッチャッテルの!?

 

「……えーと。つかぬことをお聞きしますが。天衣さん」

「うん? 何よ、改まって」

「あー、俺たちがその。……そういう関係になったのっていつからだったっけ?」

「なッ!?」

 

 これには天衣さんも真っ赤。

 

「何それ!? そんなこと言わせてどうしようっていうの!?」

「い、いや。純粋な興味からと言いますか、怖いもの知りたさといいますか」

 

 顔を赤らめたまま睨んでくる。超かわいい。

 

「そう。そういうことを言わせるプレイってわけね。……ヘンタイ」

「いや。そうではなく」

 

 皆まで言うなとばかりに再度腕を引っ張ってくる。耳打ちしてくれるようだ。

 

「小学校卒業の日にその…………そっちも卒業したいって、八一先生にお願いしたんじゃない」

 

 何それ。アウト(JS)? セーフ(JC)? いやどっちでもアウト(12歳)だ! 未来の俺、なにやってくれちゃってんのー!?

 

「この屈辱は将棋で返すから。もうすぐ三段リーグを抜けて公式戦で八一先生をへこませてやるんだから。覚えてなさい!」

 

 混乱の極みにいる俺に、最後にもう一つ爆弾を投げつけて天衣は走り去っていった。

 え、何? 3年後の天衣は奨励会に転向してるの? それでもう三段? どんだけだよ。

 

 

 知れば知るほど混乱してきてしまう。けれどその混乱が収まる前にまた別の誰かがやってきたらしい。背中を叩かれる。

 

「よッ」

「ああ、鏡洲さんですか」

 

 振り返ればそこにいるのは鏡洲さん。若干老けたかな。3年後も将棋会館にいるってことはプロになれたのか。良かった。

 

「相変わらずJCとイチャイチャしやがって。見せつけてくれるねぇ」

「見てたんですか。いやぁ参ったなぁ」

「さすが九頭竜光王だな」

「いやぁそれほどでも……ってコウオウ? なんですかそれ?」

「九頭竜八一専用のタイトル。光の王と書く。ちなみに源氏物語の主人公から取ってる」

「源氏物語の主人公って……それ、幼女さらって自分好みに育てて妻にしちゃうロリコン界のスーパーヒーローじゃないですか!?」

「ぴったりだろ?」

「んなわけあるかぁ!!」

 

 ※光源氏は若紫を10歳(学説によっては8歳)でハイエースして4~5年後に食ってるので、九頭竜光王はある意味それを超えている計算

 

「でも、もう浸透してるぞ」

「へ?」

「やあ、九頭竜光王」

「光王じゃねぇか」

 

 後ろからかけられた声に振り向けば、盲目の永世名人と捌きの巨匠(マエストロ)の姿があった。さらに後ろに続くプロ棋士のみんな。

 

「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「光王」「ロリ王」「光王」「光王」「光王」「光王」

 

 うわぁぁぁぁぁぁッ

 

 

 

 



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02.それぞれの受け止め方

密林で公開になった9巻の表紙を見て。
やったー!天ちゃん回だー!やったー!

次にあらすじを見て。
銀子戦かー。どうなるんやろ。さすがに銀子有利な気もするけど、あらすじの内容見るとワンチャンあるか? 八一が天ちゃんを励まして2連敗からの3連勝で逆転勝利とか。
すげー楽しみ。あと天ちゃんの着物姿。

そして気付く。
あれ? 女王戦? あれ……供御飯さんは? 挑決はどうなった?
いや、女王戦に天ちゃんが挑むんだから天ちゃんが勝ったのは分かるけど、挑決3番勝負は……キンクリ? 8巻であれだけ供御飯さんプッシュしたのに? それともあらすじにかいてないだけで挑決もやるの? でもそうすると女王戦五番勝負が薄くなっちゃうよね?
と、もにょり中の今日この頃。


「うわぁぁぁぁぁぁッ!!」

 

 ガバッっと跳ね起き周囲を見渡す。見慣れた俺の部屋だ。

 カレンダーとスマホの表示を確認してみれば覚えのある日付だった。時刻はお昼過ぎ。内弟子はとっくに学校に行っている時間だ。

 

「夢かぁ…………………………ああぁぁぁぁぁッ!」

 

 俺はいったいなんて夢を見てるんだぁー!

 思わず頭を抱える。天衣と、その……そういう関係なんて。しかもあいつの方から誘わせるなんて、どんな願望だよ。フロイト先生やユング先生に診察してもらうまでもない。有罪(ギルティ)だ。

 

 あんな夢を見た原因は分かっている。昨日のアレが原因だ。なんばの道具屋筋、天辻碁盤店での一幕。

 

 

 

 ◇

 

 

 

『好きです。誰より貴方のことが。八一先生』

 

 天衣からの告白を受けたのだ。驚きだった。驚愕だった。

 天衣から相応の好意をもたれていることにはさすがの俺でも気付いていた。けれどまさか、プライドの高い天衣が告白してくるなんて思ってもみなかったのだ。

 

 思わぬ事態に動転した俺は頭が真っ白になりフリーズした。何の言葉も返せないまま10秒20秒30秒。天衣は一向に返ってこない俺からのリアクションに何ら動じず。

 

『それじゃあ帰りましょうか。八一先生』

『え? おぅ?』

 

 何食わぬ顔で俺の手を引くと、店の出口へと向かった。慌ててあいが追いつき反対の手を握ってくる。二人の弟子たちに先導されるかのように駅への道を辿った。

 

 横目で様子をうかがっても天衣の様子は平然としている。あまりにも。

 とても人に愛の告白をした直後のようには見えない。まさかさっきの告白は白昼夢だったんじゃ。自分の直前の記憶すら疑わしくなったその時。

 

『ッ!?』

 

 息を飲む。天衣とつないでいた手。不意に解かれると今度はほっそりとした指が俺の指の間を撫でてきた。五本の指と指が互い違いに交差すると再びキュッと握られる。またもや驚いて視線を天衣に。

 

 その表情は動いていない。けれど頬が僅かに。赤く染まっていた。

 

 視線を正面にもどす。つないだ手がとても熱い。もう二度と離さないとばかりに強く、あるいは溶け合うように結ばれた手が。そのことが、先までのことがまぎれもなく現実なんだと、何より雄弁に伝えていた。

 

 大阪駅での別れの際にどちらからともなくそっと解いた時には、もともと一つだったものが離ればなれになったような、そんな違和感すら感じたのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 何を浸ってたんだ。あの時の俺は。七つも年下の女の子に告白されて何の返事もせず。その後も天衣にリードさせて。端から見たらとんだヘタレ野郎じゃないか。

 

 あまつさえ先ほどの夢だ。救いようがない。

 けれど天衣にあんなことを言われたら嬉しいだろうな……って油断するとすぐ思考がそっちの方向へ。

 客観的に見て俺は実に浮かれていた。あの告白への返事。YesなのかNoなのか、もはや考えるまでもない。

 

 ああ、けれど。夢に出てきたような天衣に。あと二年~三年後、美しく成長したあの子にあんな風に誘われたら、良き大人として自重し、諭せるだろうか? 全く自信がない。

 新たな難題が表面化した瞬間だった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 お昼休みの教室。いつもなら賑やかなこの時間なのに今日は水を打ったかのように静まりかえっています。特にインフルエンザの流行なんかで出席者が少ないわけではありません。普通にみんないます。なのにみんな一切口を開かないのです。

 

 その理由ははっきりしてます。けれどだれも手を打つことができませんでした。これは自分が何とかしないとと澪ちゃんが一念発起。意を決して話しかけました。

 

「ねぇ、あいちゃん」

「……なぁに? 澪ちゃん」

「週末何かあった?」

「…………なにもないよ?」

「本当に?」

「…………本当だよ。なんで?」

「だってあいちゃん———朝からずっと殺気はなってるもん。過去最大級の」

「え? うそ?」

 

 あいちゃんは今気付いたとでも言うように目を丸くしました。でもその目は相変わらずガラス玉ようで、殺気も止みません。

 

「うそじゃないよー。あいちゃんの殺気にみんなびびってるんだよー? 美羽ちゃんなんか登校して教室に入った瞬間にお漏らししちゃったんだからー」

「わ。ごめんなさい」

 

 あいちゃんはみんなに迷惑かけていたことを謝ります。でも殺気は止みません。

 

「それで? 週末、本当は何があったの?」

「うーん。……実はね」

 

 そうしてようやくあいちゃんは話し始めました。けれど殺気は収まるどころかどんどん強くなっていきます。

 

「師匠とあいと天ちゃんの三人で道具屋筋に行ったんだ」

「道具屋筋ってなんばの?」

「うん。そこにある碁盤屋さんに行ったんだー」

「ふーん。何しに行ったの?」

「師匠がね、プレゼントしてくれたの。女流棋士になったお祝いだって」

「えー? いいなー。何もらったの?」

「あいは将棋盤で天ちゃんは将棋駒だよー」

「わー。いいないいなー。澪も欲しいよー…………あれ? でもじゃあ、何であいちゃん怒ってるの?」

「…………プレゼントをもらった後お礼を言ったの。あいも。……天ちゃんも」

 

 いよいよあいちゃんが放つ殺気は空間を歪めんばかりになっています。まるで破裂寸前の風船か導火線に火が点いた爆弾のようです。そのことをクラスのみんなは敏感に察知して刺激しないよう息を潜めていました。これ以上触れてはいけない。澪ちゃんもそう感じてはいましたが、勇気を振り絞って話を進めることにしました。

 

「う、うん。……それで?」

「それで……それでね。…………天ちゃんが告白したの」

「告白って?」

「………………師匠に。好きですって」

「ええええええええええええええええええ!? 天ちゃんがッ!?」

 

 まさかの事態です。恋バナでした。それも天衣ちゃんの。澪ちゃんもこれにはびっくりです。思わず殺気も忘れて興味津々。あいちゃんを問い詰めてしまいます。

 

「それでそれで!? どうなったの!?」

「どうもなってないよ。師匠は何も答えないまま固まって。ちょっとしたら天ちゃんが、それじゃあ帰りましょうかって」

「ええぇぇぇー? くじゅにゅー先生のヘタレー」

「ヘタレじゃないもん。別に師匠は天ちゃんのこと好きでもなんでもないんだから。天ちゃんを傷つけないように黙ってたんだよ」

「そうなんだー」

「それは違うわね」

「「!?」」

 

 自信満々の声が割って入りました。その声の主はそう。クラス一のおませさん、美羽ちゃんです。あいちゃんの殺気にびびって離れて小さくなっていましたが恋バナとあっては黙っていることはできません。

 

「答えられなかったのは意識してる証拠よ」

「…………」

「意識してしまえば後はすぐよ。あっという間に進展して恋人になっちゃうんだから」

 

 ドラマだか雑誌だかの受け売りで鼻高々です。それに対してあいちゃんは。

 

 

 

「……………………殺すよ?」

 

 

 

 まさかの死の宣告です。これを受けて美羽ちゃんの股間が決壊。ナイアガラの滝が発生しました。黄色でした。

 

 

 教室はあいちゃんの殺気の坩堝。小学生達の泣き声が響き渡る地獄と化すのでした。

 

 



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03.就位式と祝賀会

祝お気に入り2000件突破!
めでてぇ。
初期から追っかけていただいている方もご新規様も引き続きよろしくお願いします。


 

「どっちの花束を先に受け取ってもらえるか勝負だよ、天ちゃん」

「はぁ?」

 

 何を意味不明なことを言っているのかしら、この子は。

 そんなことで何の勝ち負けが決まるというのか。

 

「あいと天ちゃんと……ついでにオバサン。きっと一番大切な相手の花束を最初に受け取ると思うんだよね」

「誰がついでよ」

「…………はぁ、好きにすれば」

 

 オバサンもやる気十分。彼女たちの中では花束を受け取る順番程度のことがよほどの意味を持つらしいけれど……馬鹿馬鹿しい。

 

「ふん。興味ないふりしちゃって。負けたときの言い訳かな?」

「賢しいガキね」

「…………何とでも言いなさい」

 

 もはやかける言葉もない。

 意味のないイス取りゲームを二人で存分に楽しめばいい。私の関心事はそこにはないから好きにすればいいのだ。

 

 今日は第三十期竜王の就位式。八一先生の晴れ舞台だ。

 セルリアンタワー東急ホテルのホールを借り切って式典は進んでいる中、私たちは外で待機していた。

 この後にある花束贈呈のプレゼンター役を仰せつかっているのだ。八一先生に親しく、かつ将棋界に身を置く女性ということで選定されたらしい。三人も必要なのか疑問だが。

 私、妹弟子、オバサンの三名はそれぞれ趣の異なるウェディングドレス風の衣装(釈迦堂女流名跡提供)に身を包み、花束を片手に出番を待っている。この辺りの演出に主催者側の一人である月光会長の悪趣味さを感じる。

 いざ決闘の場に赴かんとばかりに鼻息の荒い二人は見事にその会長の思惑に乗せられている。八一先生の余計な心労にならなければいいけれど。

 

『それでは最後に花束の贈呈となります』

「皆さん。そろそろ出番です」

 

 ホールの中から聞こえる会長の案内に、タイミングを計っていた男鹿女史が扉を開け放った。

 

「あいが一番ッ!」

「あッ!? 小童ッ!?」

 

 私たちを出し抜いてやるとばかりに一番に妹弟子が飛び出した。

 

「仕方ありませんね。それでは次は夜叉神さん、最後に空さんで。さぁ———」

「チッ、待ちなさい!」

「ああ! 空さんまで!? ……もう! 段取りが!!」

「一門の人間がご迷惑をお掛けします」

「いえ……後はお願いします」

 

 最後に続いて歩く。二番弟子、姉弟子、一番弟子の順。並びが滅茶苦茶ね。オバサンは最後か最初にならないと不自然でしょうに。

 会長からの紹介を受けながら、来客の間を抜けていく。BGMが結婚行進曲なのはなんの嫌がらせか。1000人近い人間の好奇の視線を浴びるという羞恥プレイをくぐり抜けて八一先生の前までくれば、先を進んでいた二人が肩をぶつけ合いながらポジションを争っていた。

 ……なんて醜い。それを見る八一先生の表情は引きつっている。然もありなん。

 

 八一先生に耳打ちする月光会長。

 

「さて竜王、どの子から花を受け取るのかな」

 

 その言葉に八一先生の顔はさらに強ばった。先ほどの台詞、会長はマイクを外していたので周囲は聞こえていなかろうが、私たちステージ上の人間にはばっちり聞こえていた。それを受けて前の二人がさらに色めき立ったのだ。

 

「師匠? あいのお花を受け取ってくれますよね? ……ね?」

「じゅうびょうー……きゅう、はち、なな、ろく———」

 

 衆人環視の中の圧力で、八一先生が窮していることが実によく見て取れる。これじゃあ、表彰じゃなくて罰ゲームじゃない。まったく。

 けれど八一先生逃げ場はなく、やがて———

 

「これが! 俺の正解手だぁぁぁぁぁぁぁ—————っ!!」

「「ッ!?」」

 

 迫る二人の花束を一度に抱え込んだ。双方に角が立たないように……ね。

 けれど。

 

「むぅ~……!」

「………チッ」

 

 双方ともに不満を抱く結果となったらしい。報われないわね。

 やれやれ。今度は私が前に出る。

 

「八一先生……二期連続竜王おめでとうございます」

 

 上目遣いに八一先生を見上げながら、花束を差し出す。

 それに八一先生は意表を突かれたかのように惚け、そして照れる。かわいい。

 

「あ、ありがとう。天衣」

「どういたしまして……せんせっ」

 

 後ろから何やら睨み付けるような視線が二対、私を刺しているのを感じる。

 まあどうでもいいけどね。

 

 

 

 

 

 

 翌日は大阪にて清滝一門による祝賀会。一門から今年も竜王と女流二冠を輩出できたことによるファン感謝祭らしい。

 私も一門の末席として、指導対局員に駆り出されている。八一先生に教わったことを実演しながら対応していた。

 その後は、一門の紹介。全員がステージの上に並ぶ。

 

『小さな弟子がタイトルを防衛し、今では二人の弟子を立派な女流棋士に育てるまでになりました。孫はホンマかわいいですね。わしは甘やかしているだけですが、才能のある子たちのようで、こちらも何と! タイトルに手が届きそうです』

 

 清滝九段の紹介に隣の妹弟子ともども頭を下げる。そっと横目で見ると相手もギラギラした目でこちらを睨めつけていた。

 そう。今度の準決勝でこの子に勝ち、その次の挑戦者決定戦に勝利すれば、女王位に手が届く。そうすれば———

 そのためにはこの子が…………邪魔だ。

 絶対潰す。そういう意志を込めてこちらからも睨み返してやった。

 

 

 

 

 

 

 壇上での挨拶の後は、テーブルを回っての個別の挨拶回りになった。ババアに連れられ、妹弟子やオバサンといっしょに右へ左へ。来賓を持てなす。

 

 そんな中で事件は起こった。

 ダーンッという凄まじい音が聞こえたかと思ったらその直後。

 

「何が『来年くらい』や!! 来年ならわしがB級2組から落ちて、順位戦で自分と当たるっちゅうんか!? ああッ!?」

 

 その方向から怒声が響いてきた。声の主は清滝九段。その相手はなんと八一先生だった。

 最初は困惑していた八一先生も話しが将棋の中身に移ると頑なになった。ことがことだけに不誠実な態度は取れない、あるいは竜王位にあるものとしての責任感もあるんだろうけれど、緊張は増すばかりだ。来客を置き去りにして最悪の事態になりかねない———

 

 そんな閉塞した場面に風穴を開けたのはシャルだった。空気を読まない、あるいは空気を読んだ故だったのかもしれないけれど、とにかく彼女の作った端緒に蔵王先生がとりなし、沈静化を図った。緊迫の根源である清滝九段を連れ出した後は、残った一門が総出で空気を変えて回ったのだった。

 

 

 

 

 

 

「八一先生……大丈夫?」

「あ、ああ。天衣か。どうした?」

 

 その後何事もなかったかのように祝賀会は幕を閉じた。

 そして来客をみな送り出して一息をついたところ。壁にもたれて体を休める八一先生に声をかける。

 

「清滝九段とのこと」

「うん。大丈夫だから……心配しなくていいよ」

 

 師匠が理不尽を言うのには慣れてるからなんて笑う。

 

 嘘つき。

 

 さっきも溜息をついていた。それに祝賀会が終わった後も清滝九段と目を合わせることもできなかったくせに。

 普段はそんなこと思わないのに、こんな時は自分の幼さが恨めしい。私の背がもっと高ければ、八一先生の背を抱いたり頬を撫でたり、慰めるためのアクションも簡単にできただろうに。

 

 だからせめて今の私にできることを。

 

 八一先生の隣で私も同じように壁にもたれかかる。肩が触れあう距離で。そしてそっと八一先生の手を握った。

 八一先生は驚いたようにこちらを見てくる。けれどそれに何の反応も返さない。

 やがて八一先生も私の意図をくみ取ってくれたのか、前に視線を戻すと、そっと手を握り返した。

 

 



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04.愛弟子との日々

天ちゃぁぁぁぁぁんッ!!(号泣)
そして、
大好きだよ。八一お兄ちゃん(棒読み)
それにしても姉弟子の女流棋士に対するぐう畜感パネェ。

以上。原作9巻の小並感でした。

原作に当てられてというわけではありませんが、
今話も天ちゃんが攻める攻める。


 大阪難波にやってきた。天辻碁盤店を訪ねてから半月も経たないくらいか。隣にいるのはその時と同じく天衣。その時と異なるのはあいがいないこと。今日は二人っきりだ。

 

 そうすると、どうしてもあの時のことが思い出される。

 

『好きです。誰より貴方のことが。八一先生』

 

 顔が熱くなる。いかん。俺は何を思いだし照れしてるんだ。気持ち悪い。

 

「八一先生?」

 

 隣で百面相している俺を不思議そうに見上げながら声をかけてくる天衣。

 

「ああ。すまん。行こうか」

 

 先導する意味もあって先に歩き出す。

 

 今日俺たちがやってきたのは同じ難波でも道具屋筋ではなく、戎橋筋やセンター街などの飲み屋街。もちろん目当ては酒じゃない。師匠だ。

 

 昨日の順位戦でまさかの見逃しから痛い敗北を喫してしまった師匠は一晩経っても家に戻らなかった。順位戦の対局で師匠の家に預けていたあいを迎えに行った際に桂香さんから師匠の回収を頼まれた。そのため師匠の主要な潜伏場所であるこの場所にやってきたのだ。たまたま居合わせた天衣を伴って。

 

「人が多いわね」

「まあ。観光客にも人気のエリアだからなぁ。典型的な大阪のイメージっぽくて受けるんだろうな」

「ふん。ごちゃごちゃして猥雑よね」

 

 神戸と違って。

 そんな心の声が聞こえてきそうだ。意外と地元愛が厚いやつだからな。

 

 苦笑していると———ふいに、手に小さく暖かい感触が絡みついてきた。驚いて見てみれば、これもいつぞやの再現のごとく俺の指と互い違いに交わる細い指。

 

「人が多くてはぐれてしまいそうだから。迷子を探しに来て自分が迷子になってたら世話ないしね」

 

 その指の持ち主はそういいながら、悪戯っぽい笑顔で俺を見上げてくる。

 

「あ、ああ。そうだな」

 

 どぎまぎしながらそう返すしかない。告白以降、いやそのちょっと前からか。どうにも最近の天衣はボディコンタクト過剰だ。そしてJSの誘惑に惑わされる俺。決してロリコンじゃないんだからね。

 

 そんな俺たちに周囲からビジバシ視線が刺さる。特に小学生くらいの子供を連れたお母さんの視線が痛い。親子連れの視線から逃れられる場所がどこかにないだろうか。そうだ。戎橋商店筋街を左に折れ、法善寺横町へ。飲み屋街に入る。

 

「ちょっとあの店に入ろう。天衣」

「え? 八一先生?」

 

 早すぎる休憩に戸惑う天衣を引っ張って、とある店に入る。

 

「なに? このお店?」

 

 店員は着物姿。周囲は外国人だらけの店内に不思議そうな天衣。急に引き込んだから提灯を確認してる暇もなかったのだろう。その問いには答えず、

 

善哉(ぜんざい)と冷やし善哉を一つずつ」

「はーい」

「メニューは善哉のみ? またニッチな店ね」

「これがまたうまいんだ」

「ふーん? よく来るんだ、八一先生は?」

「いや。俺もずいぶん久しぶりだな。子供の頃は師匠にちょくちょく連れてきてもらったんだけどな。姉弟子といっしょに」

「……ふーん」

「あ、いや。すまん」

「いーえー。お気になさらず?」

 

 そう言いながらも天衣は両手にあごを乗せて呆れ顔だ。このシチュエーションで他の女の話しをする? とでも言いたげな。タイミング良く店員が善哉をもってきてくれて助かった。

 

「お待ちどおさまー。善哉一つと冷やし善哉一つね」

「うん? なんで二つ頼んでお椀が四つもあるの?」

「ふふ。うちのは”夫婦(めおと)”善哉ですから。可愛らしい奥様?」

「な、夫婦って……!?」

 

 助かったと思ったら去り際に爆弾を投げて微笑みながら去って行く店員。後には顔を赤くする天衣と若干気まずい俺が残された。

 

 ぬぉぉ。とんだテロ店員め。この空気どうしてくれる!

 

「ほ、ほら。食べようぜ。天衣」

「え、ええ」

 

 とにかく。こんな時はものを食べて誤魔化すに限る。黙々と善哉を口に運び始める俺たち。

 

「……何よ。なかなか美味しいじゃない」

「だろ? 俺も善哉ってたまにしか食べないけどなんかホッとする味だよな。うーん。善哉善哉(よきかなよきかな)

「よきかな? なにそれ?」

「善哉って書いてよきかなって読むんだよ。最初に食べた一休さんがあまりの美味しさに善哉って叫んだことからそう言うようになったんだってさ」

「一休さんってまさか一休宗純? ……一気に胡散臭くなったわね」

「本当だって! いや、まあそういう説もあるって話だけど」

「ふーん。そうすると善哉って京都辺りが発祥なのかしら。善哉善哉(よきかなよきかな)、ね」

 

 そういや、天衣って歴女の気があったっけ。一休さんって戦国時代の人だっけか?(※室町時代です)

 

「さて、そろそろ行くか」

「ええ」

 

 支払いついでにお土産用の善哉レトルトパックも買う。次のJS研のおやつとして出してやろう。天衣も気に入ったみたいだし、小学生にも喜ばれるだろう。

 

「ごちそうさま。八一先生」

「どういたしまして」

「はい」

「ん?」

 

 なぜか手を差し出してくる天衣。なんだ?

 

「夫婦らしいから。私たち」

「……手をつなげって?」

「エスコートよろしくね。旦那様」

「…………仰せのままに。奥様」

 

 差し出された手をうやうやしく取る。恋人つなぎに。周囲からの視線が痛い。天衣には背伸びする女の子を微笑ましく見るような視線が注がれているのに対し、俺にはロリコンを見るような刺々しい視線が刺さっていた。気にせず店をでる。その瞬間。

 

「「!」」

 

 俺と天衣の頭上に某メタルギアなゲームのようにビックリマークが出た気がした。

 

「ししょう? おむかえを待ちながらいっしょうけんめい道場でおしごとをしてる弟子を放置して、天ちゃんと二人でおぜんざい屋さんですかぁ?」

 

 声がかかる。愛らしい声が。

 店を出るとその正面には不自然なほどニコニコと笑顔を浮かべている内弟子が待ち構えていた。

 

「しかも何ですかこのお店? めおとぜんざい? へー、夫婦って書いて『めおと』って読むんですねー? 漢字のべんきょーになりますねー」

「そう。よかったわね。一つ賢くなれて」

「「!」」

 

 今度は俺とあいの頭上にビックリマーク。不穏な空気を纏うあいに正面から天衣が突っかかっていった!?

 

「美味しい夫婦善哉を食べて八一先生も私も嬉しい。賢くなれて貴女も嬉しい。ほら、何も問題ないでしょ?」

「……天ちゃんとししょうはなんでこんなところにいたのかな?」

「清滝先生を探しに来た途中で八一先生に誘われたのよ。あなたこそなんでこんなところにいるの?」

「このお店に天ちゃんと師匠が入っていくのを見かけたからここで待ってたんだよ」

 

 戦慄! え!? 俺たちを見かけてずっと待ってたの!? お店の正面で!?

 

「そ、そう。でもなんでそもそもここ(法善寺横町)にいるのよ?」

「師匠に埋め込んだ発信器の反応を追ってきたの」

「「!?」」

 

 三度びっくり。発信器って……怖すぎる。

 

「というのは冗談です。もともとあいはここに来る用事があったんですから」

 

 本当に冗談なんだよね? ね?

 

「用事って法善寺にか?」

「はい。『水掛不動』の前でお父さんと待ち合わせしているので」

「おとうさん?」

 

 

 あいのお父さんが大阪に来ているなら、娘を預かっている身として挨拶をしておくべきだろう。あいを送るついでに水掛不動へ向かう。

 

「ところで天ちゃん」

「何よ」

「何で師匠と手をつないでるのかな?」

 

 絶対零度の視線が俺たちの間。つながれた手に注がれる。

 

「い、いやっ。これはな———」

「ああ。そんなこと。この辺って人が多いでしょう? 人混みを歩くのって私は慣れていないから、はぐれないようにね。貴女は一人でもこれるくらいだから平気でしょうけど」

 

 あいを挑発しつつ牽制する天衣。

 

「そうだね。すぐ迷子になっちゃうお子ちゃまとは違ってね」

「うふふ」

「あはは」

 

 空気がッ……空気が重い!

 

 

 

 ◇

 

 

 

「八一先生。大丈夫? 重くない?」

「……ああ」

 

 天衣の問いかけに生返事を返す。正直全く頭が回っていない。

 

 順位戦の翌日。天衣と俺、それに姉弟子は生石さんとの研究会に出向いていた。姉弟子は今日も夜は帰宅。そして俺たちはゴキゲンの湯にお泊まりだ。飛鳥ちゃんに案内された先で俺たちを待っていたのは、いつぞやと同じく一組だけの布団だった。

 

 二人で布団に収まる。これもいつぞやと同じように天衣は腕枕を要求。けれど今日、天衣が頭を乗せたのは腕というよりもほとんど肩口。仰向けではなく横を向いている天衣の体は俺に密着し、頬はもはや俺の胸に乗っかっている。

 

 至近距離にその美しい(かんばせ)。紅玉のような瞳が俺の顔をのぞき込んでいる。この状態で先ほどの問いだ。密着した体から伝わる体温とか、髪や体からほのかに香るものが鼻をくすぐったりでとてもこっちはそれどころじゃない。美しい瞳がにんまりと細まる。

 

「何? 八一先生、緊張してるの?」

「い、いや。そんなことないョ?」

「そう。……そうよね。八一先生は大人なんだから小学生と添い寝したくらいで緊張しないわよね?」

「お、おう。もちろん——ヒャイッ!?」

 

 天衣が指を一本立てて俺の胸をなぞっている。そのくすぐったさに思わず奇声が出た。

 

「あ、天衣さん? いったいなにをなさってるのかなぁ?」

「まだ眠くならないから、ちょっとゲームでもしようかと思って。文字当てゲームよ。八一先生」

 

 そう言ってなぞる指を続ける天衣。ぞくぞくする。その白魚ような細指が描く文字は。

 

 口・リ・コ・……

 

「分かっ」

「いやー! 全然分からないな!!」

 

 食い気味にギブアップを伝える俺。

 残念! 本当にな!

 

「もう。仕方ないわね。それじゃあレベルを落として次は二文字よ」

 

 また動き出す指。今度は。

 

 ス・キ

 

「ああ……あのな。天衣」

「何よ。分からないの?」

「いや、あのさ———」

 

 そして視線を天衣の顔へ向けて絶句する。

 熱量の籠もった眼差しが俺に向けられていた。

 

「本当に……分からない……?」

「……あのな天衣。こんな状況で男にそんなことをするのは危ないぞ。俺だって自制心が切れたら何をするか———」

「構わない」

「———は……?」

「構わないわ。別に八一先生に何をされたって」

 

 感情の高ぶりを表すようにその瞳が潤む。その瞳にいつぞやの初夢やこの間の夢を思い出して息を飲む。

 いいんじゃないか? 天衣がこう言ってるんだし、なんならあの夢を現実にしまっても。

 

 けれどなけなしの理性を総動員して、その魔の囁きを押さえ込む。

 

「天衣の気持ちは分かってるから。だから、答えは少しだけ待ってくれないか?」

「八一先生……?」

「年上の男として情けないとは思うんだけどな。……今はYesともNoとも言うべきではないと思う。師匠として。だからもう少しだけ待ってくれないか?」

「……………………分かったわ」

「……ありがとう」

 

 俺の情けないお願いを聞き入れてくれた天衣はそっと目を閉じた。腕枕をしている腕でその小さな背中を抱き寄せる。その柔らかな体の感触がよりよく伝わってくる。

 

 果たしてその行為は天衣への謝罪だったのか、俺自身の欲望だったのか。自分でも分からぬまま、俺もまた目を閉じた。

 

 




拙作『便物語』をいつもご愛読いただきありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。

さて、この場を借りて少々宣伝をさせてください。
活動報告にも上げさせていただきましたが、この度『なろう』にてオリジナル作品の投稿を開始しました。
スポーツものということで毛色は変わりますが、こちらも『便物語』同様楽しんでいただければ幸いです。

なにとぞよろしくお願いします。

■新作のご案内
タイトル:少女暗殺者はフットボーラーの夢を見るか
作者  :さんじばる
https://ncode.syosetu.com/n7020ex/


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05.斬るか、斬られるか

 二月中旬。関東の将棋会館特別対局室には数多くの報道陣が詰めかけていた。執り行われるのはただの女流棋戦であるのにだ。その理由はこの一局が持つ特別な意味にある。マイナビ女子オープンの準決勝。対局者は夜叉神天衣女流一級と雛鶴あい女流一級。ともに小学四年生。

 

 ということはだ。この対局にどちらが勝利するにしろ次のトーナメント決勝には10歳の女の子があがることとなる。もしかすると女流最年少タイトル獲得者に女流最年少挑戦者がぶつかるというドラマの前日譚となるかもしれない。その予感が人を引きつけている。

 

 それだけじゃない。かたや女流タイトルホルダーを撃破してこの場に上がってきた。かたや女性奨励会員を撃破してこの場に上がってきた。そして奇しくも同じく九頭竜竜王門下。果たしてどちらの竜の子が強いのか。女子小学生最強はどちらなのかを占う場だとも言える。観衆の期待はいやが上にも高まっていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「座りなよ。天ちゃん」

「…………」

 

 妹弟子が殺気だった目で私を見上げながら対面を指す。下座を。

 

「あ。天ちゃんの方が姉弟子なんだから上座を譲ったほうがいいのかな?」

「結構よ。今日は年功序列ということで年寄りに譲るわ」

「…………ちッ」

「…………ふんッ」

 

 今日は姉妹弟子対決ということで私は晶と。妹弟子はババアと。別行動をしていた。その中で早速先に対局室に入り上座を奪って先制攻撃をしかけてきた妹弟子に揶揄で返し下座につく。分かっていたことだが空気は最悪だ。

 

 突き刺さる視線をまぶたを下ろすことでシャットアウト。対局開始に向けて集中力を高める。今日の一戦。空銀子を玉座から引きずり下ろすための過程であり、目の前の小娘に上下関係を叩き込むための大事な一局だ。あるいは後者のほうが遙かに重大かも知れない。将棋の腕はともかく、人間的には空銀子より雛鶴あいのほうが遙かにやっかいだろうから。

 

 今日の対局は八一先生も見に来ている。弟子同士の対局ということでどちらにも肩入れできないからと今日は顔を合わせてもいないが。彼にも私のほうが上なのだと見せつけておく必要がある。

 

 

 結論。絶対に叩き潰す。

 

 

「雛鶴先生、振り歩先です」

「……とが四枚です!」

 

 上座に座る妹弟子が振り駒をする。私の先手か。

 

「時間となりましたので、夜叉神女流一級の先手番で対局を開始してください」

「「よろしくお願いします」」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いよいよどすなー」

「おいクズ。お前どっちの弟子応援するんだよ?」

「どっちってどっちも平等にですよ」

「けっ、八方美人め!」

「優等生的な発言でおざりますなぁ」

「いやいや。当たり前でしょう。どっちも大事な弟子なんだから贔屓なんてできませんよ」

「そういう建前はいいんだよ。ほら? ここだけの話しにしてやるから言ってみろよ」

「せやねー。こなたらの口は堅いって評判どすからなー」

 

 嘘つけ。

 

 弟子たちと近いところでふたりの対局を見守ろうと、東京連盟ビルの棋士室に出向いたら運悪く女流タイトルホルダーたちに捕まった。月夜見坂さんと供御飯さんだ。ふたりともなんだかんだこの対戦カードに興味があるらしい。供御飯さんは次の対戦相手として。月夜見坂さんは自分を倒した新世代女流棋士がどうなるのか気になるといったところだろうか。

 

 

「ほら。天衣が指しましたよ」

「8四歩か」

「天衣は角交換系の将棋が得意ですからね」

「ほんであいちゃんは飛車先の歩を突くと」

「あいは居飛車党で、なおかつ相懸かり大好きですからね」

「「竜王うざい」」

「……はい」

 

 話題を切り替えるのには成功したが、今度は邪魔者扱いだ。解せぬ。

 

 その後、天衣も飛車先の歩を突いて居飛車戦を明示。

 10手目。7七角成。11手目。同銀。

 あいが先んじて角交換をしかけた。

 

「白いのから角交換をしかけたか」

「竜王サン、あいちゃんにこの戦型も仕込んどるんどすかぁ?」

「いえ。俺の手を並べて研究はしているでしょうが、俺から鍛えたということは。……どちらかと言えば天衣が得意とする戦型ですね」

「ということはだ」

「挑発、どすなぁ」

 

 二人の対局者の間で火花が散る。双方駒組みを進める。あいが早繰り銀で攻め手を作るのに対し、天衣は27手目5六銀を持って角交換腰掛銀の戦型とした。駒組みには二人の性格がよく出ている。あいは玉を金銀とともに上げ、攻防一体の陣としているのに対し、天衣は居玉のまま。薄い玉形だ。

 

 28手目。7五歩。

 あいからの歩の突き捨てでぶつかり合いが始まる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 この子の持ち味はなんといっても圧倒的な読みの速さ。万全を期すならばどこかで読み筋を壊してやる必要がある。単調に進めるわけにはいかない。読みの範囲外へ飛び出す。どこにそのタイミングを持ってくるか。扇子を弄びながらその時を待つ。そこで妹弟子が話しかけてきた。

 

「いつも思うんだけどさー。天ちゃんのセンスって独特だよね」

「何のことよ?」

「その扇子だよ」

「だじゃれのつもり?」

「……ふん」

 

 つまらないことを言うなとばかりに鼻で笑われた。

 

「その下手くそな字と微妙すぎるワードに決まってるよ」

「…………」

 

 私の左手にある扇子。その揮毫は『出世魚』。パサッと閉じてその親骨を撫でる。

 

「酷いこと言うのね。お気に入りの大切な扇子なのに」

「お気に入り? 冗談のつもりで持ってたんじゃなかったんだ、それ。前持ってたのは『新鮮』と『活』だっけ。お魚屋さんにでもなりたいのかな、天ちゃんは?」

「……酷い」

 

 改めて扇子を開いて口元を隠す。弧を描きそうになる唇を悟られないために。

 

「まあいいんじゃない。好みは人それぞれだから。天ちゃんにはお似合いだと思うよ」

 

 妹弟子もこれ見よがしに自分の扇子を広げて扇ぐ。『勇気』と揮毫された扇子。

 

 この子の突き捨てから始まった攻防。

 29手目。同歩。同銀。2四歩。同歩。2五歩。8六歩。

 

 ここね。さあ、嵐の時よ。

 

「それ、八一先生にもらったんだっけ?」

「うん? そうだよ。師匠からの揮毫入り。いいでしょー」

「そうね。……ところで私の扇子のこの落款、見覚えない?」

「はぁ? ……うん? うぅん!?」

 

「これ、八一先生が竜王襲位後に揮毫したものなの。ちなみに以前のは八一先生がプロ入りしたときのものと竜王挑戦を決めたときのものよ」

「…………」

「下手くそな字と微妙すぎるワードで魚屋だったかしら? ……本当酷いこと言うわよね。人の宝物に対して」

 

 音を立てて扇子を閉じる。扇子に隠れた嘲笑が露わになる。そして次の手を指した。

 

 正面から心地よい殺気が膨れあがるのを感じた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ぅなッ!?」

「おいおい、そっちにいくかよ。普通!?」

「これで戦えるんでおざりましょうか?」

 

 俺たち三人ともが驚愕する。

 

 35手目。2四歩。

 前の手で銀交換への道を誘ったあいに対して天衣が出した答えは、互いにと金を作りあおうという更に過激な誘い。受け将棋を持ち味とする天衣にしては攻め気に満ちた一手だった。

 

 これにあいも燃え上がる。真っ向から攻め合った。

 

「お、受けて立った。面白れぇじゃねぇか」

「竜王サンのお弟子サンはどちらも怖おうおざりますなぁ」

「は、はは……」

 

 さらに天衣が盤面をリードする一手を放つ。

 41手目。6一角。

 敵陣最奥に先んじて角を打ち込む。

 

 そして43手目。飛車が走り竜が顕現する。

 2三飛成。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 うっとうしい。

 まずは食い込んで来た竜を追い払おう。

 2二歩。

 

 ノータイムで天ちゃんは角を切り飛ばしてくる。

 5二角成。同飛。

 

 ここで、ようやく竜が下がる。浮いたあいの銀を狙う小癪な位置取り。

 

 47手目。2五竜。

 

 無視して天ちゃんの陣を荒らす。天ちゃんの竜が銀を狩る。同時に7筋から再度の進行を企てている。先んじて奪った金で守りを強化。竜が8筋へ避ける。これも歩で受けにかかる。天ちゃんが手駒を打ち込んでぶつかり合いを要求する。

 

 いいよ。そんなにここで殴り合いたいなら付き合ってあげる。

 

 53手目。7四銀打。6二飛。7三金打。同桂。同銀成。5二飛。6三成銀。

 結果、金と桂・歩を交換した。

 

 それじゃあ今度はこっちの番だよ!

 

 

 

 ◇

 

 

 

 飛車を咎める私の一手を手抜いて妹弟子の反撃が始まった。

 7八のと金と絡めて攻撃してくる。

 

 60手目。6八歩打。

 

 でも攻め手が遅い。ここまで居玉のままでいたのを初めて動かす。

 

 4九玉。

 

 妹弟子はと金を増やす。

 

 6九歩成。

 

 遅い。2筋へ竜を振り替える。再侵攻と2七へ角を打ち込んでくる手を防ぐ攻防一体の手。妹弟子は一手遅れて角を打ち込んでくる。

 

 65手目。1四角。

 

 竜を下げる。と金が浮いていた桂を食う。銀ではなくそっちを選んだか。次はこちらの手番。

 

 67手目。4五桂打。

 

 攻め崩してやる。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「「…………」」

 

 二人の女流タイトルホルダーは目の前の対局についに沈黙していた。

 盤上では壮絶な斬り合いが展開されている。

 

 あいは桂の打ち込みで竜を咎めて天衣の足を止めようとするが、天衣はこれを無視。桂が跳ねる。

 

 69手目。3三桂成。王手。

 

 あいはあいで攻めが切れた一瞬で守りを固めるのではなくカウンターをかけにいく。

 

 72手目。2七角。王手。

 

 天衣はこの手を合駒で受けるのではなく玉をひょいとずらして躱す。この一手にあいは一旦玉を下げて守りに回る。天衣は対照的に飛車を取り込んで攻め手を充実させることを選んだ。そしてすぐさま盤上へ放つ。

 

 77手目。7一飛。

 

 これまでの全ての天衣の手が雄弁に語っている。

 

 殺される前にお前を殺す。と。

 

 弟子たちの意地がぶつかり合う。ただただ、熱い!

 

 あいは馬を作って、天衣の玉へ圧力を高めるとともに竜との交換を迫る。けれど天衣はそれに付き合わない。今日の天衣はとことん攻め志向だ。さらに銀を打ち込んで竜を咎めようとするあいを無視して玉へ斬りかかる。

 

 85手目。3三歩。王手。同桂。2四桂。連続王手。4二玉。2一銀。4四歩。

 

 執拗にあいの陣を叩き続ける。まさか天衣がこんな将棋を指すなんて。もはや受け将棋がどうとかいうレベルじゃない。薄い玉形のまま斬り合いを厭わず、紙一重で先に斬り捨てる。これはまるで———

 

 はっきりと分かった。

 天衣の棋風は俺とよく似ている。おそらく、同じ方向を見て歩いている。

 たまらなく嬉しかった。天衣の存在は俺にとっての奇跡だ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 91手目。5五竜。

 王手が途切れた瞬間に王の逃げ道を作ろうとする妹弟子を阻みに竜が走る。

 

 

「逃がさない」

「ぐッ……。なら先に殺すまでだよ!」

 

 92手目。2七桂。王手。

 

「届かないわ」

「な……それで受かるの……?」

 

 桂馬の懐へ飛び込んで躱す。万全の守りはいらない。妹弟子の玉を斬り殺すまで持てばいい。

 

「さっさと死んじゃえッ!」

 

 98手目。2七馬。

 玉の頭上に馬が飛び込んでくる。でも一手遠い。

 

 99手目。1九玉。

 

「……裸玉」

「幕よ」

 

 貴女の読みの力ならもう分かっているでしょう。どの手順に逃げようとも私より先に貴女が詰む。

 

 妹弟子が歯噛みする。憎々しげにこちらを睨んでくる。そして渋々言葉を吐き出した。

 

「…………負けました」

「ありがとうございました」

 

 妹弟子が唇を噛みながら頭を下げる。

 鷹揚に礼を返す。

 

 これで分かったでしょう。

 

 受け将棋でも負けない。攻め将棋でも負けない。構想でも負けない。読み合いでも負けない。何一つ貴女が私を上回る部分なんてない。

 

 竜王の一番弟子は。八一先生の一番は、私だ!!

 




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06.失着(天衣√)

Rー15指定を積極的に活かしていくスタイル



「八一先生の昇級に乾杯♡」

「ありがとう、天衣」

 

 軽く打ち合わせたワイングラスが澄んだ音を立てる。もちろん二人とも未成年なので中身はノンアルコールのぶどうジュースだが。爽やかな微発泡が喉をくすぐる。隣でグラスを傾ける天衣の喉がくぴりと動く様が妙に艶めかしく見えた。

 

 ほどほどに喉を潤したところで二人ともグラスを置く。

 

「はぁ、凄く綺麗な景色ね」

 

 俺の肩に頭を預けながら天衣がうっとりと呟く。

 地上156メートルから見下ろす大阪の夜景。街と電車や車の灯りが幻想的な風景を生み出している。

 

 お前の方が綺麗だ、なんて言ったらかえって冗談ぽくなってしまうだろうか。

 

「でも良かったの、八一先生? 先生のお祝いなのに逆に私にこんな。最上階のスイートなんて」

「大丈夫だよ、天衣。C級1組に昇格したからね。支配人が自動的にスイートを用意してくれたんだ。これくらい当たり前さ。そうC級1組ならね」

「素敵♡」

 

 昇格が決まった後、俺は梅田の格式ある五つ星ホテルへ移動。天衣と合流した。そしてその最上階。ホテル名を冠した最上位のスイートでルームサービスを頼み、二人きりの昇格祝いを行っていたのだ。

 

「それに今日は特別な日だからな」

「ええ。八一先生が初昇格した日だものね」

「そんなことはたいしたことじゃないさ」

「え? それじゃあ特別な日っていったい……」

「今日は天衣の気持ちに応えたいと思って。ずっと待たせて悪かったな」

「あ……それじゃあ…………八一先生……」

「ああ。天衣。俺もお前のことが好きだ。俺の、恋人になってほしい」

「……八一……せん、せ……。…………ん」

 

 天衣の瞳が万感の思いを湛え、潤む。その細い背をぐっと抱き寄せ、顎を持ち上げるとその唇に口づけを落とした。ふにっと柔らかい感触と暖かさが伝わる。数秒して名残惜しくも離す。ついに水位を超えたのかつぅーと涙が一筋流れた。

 

「んっ、八一先生。もう一度……———んむッ!?」

 

 天衣のかわいいおねだりにたまらなくなった俺は再度唇を合わせるとそっと舌を差し込んだ。天衣が驚きに目を見開く。天衣の舌がビクッと跳ねた後、奥へ引き下がる。それを追いかけこちらから絡めた。最初は強ばっていた小さな舌もなで回している内にほぐれおずおずと前に出てくる。そして自分から絡みついてきた。二人だけの部屋にくちゅくちゅと水音が響く。

 

 5分もそうしていただろうか。舌を絡めるのを止め、そっと離す。いかないでとばかりに追いかけてくるが、意思の力を総動員し振りほどいた。顔を離すと全景が明らかになる。舌を突きだしたまま頬を上気させている天衣。二人の間を銀の水糸がつないでいる。たまらない眺めだった。

 

「天衣。今日は帰したくない」

 

 そっと囁く。意味を察して震える背中。

 

「いいの、八一先生?」

「もちろんさ。C級1組に昇級したら●行条例も●童福祉法も関係ないからね」

「すごい!!」

 

 当然だ。俺はもうC級2組の底辺を這う棋士じゃない。C級1組なのだ。C級1組になれば給料だって上がるし、17歳と10歳で結婚できるし、婚前交渉もOKになるのだ。

 

「それじゃあ行こうか」

「はい。八一先生」

 

 天衣の肩を抱いてベッドルームへ向かう。キングサイズの豪華なベッド。そこにそっと天衣を押し倒し———

 

 

 

 

 

 っていう夢を見た。

 

 本当は二人だけの祝勝会なんて開かれず、家でJS研のみんなとちょっとお祝いをしたらすぐに解散した。結局残ったのは姉弟子とあいだけ。しかも昇級できたものの他力で、おまけに直前の対局は負けとあって、空気はそうとう微妙だった。まああいはマイナビの準決で天衣に負けてからずっと微妙なんだが。

 

 翌朝あいは学校に行き、姉弟子はおそらくそのまま連盟へ行った。俺は疲労で夕方くらいまで寝て今起きたわけだが。

 

「………………死にてぇ…………」

 

 自分が逃げ込んでいた夢の世界のインモラルさと敗北の痛みを思い出し、俺は呻いた。C級1組になると10歳と結婚できるし、その、ごにょごにょもOKって何だよそれ……頭おかしいだろ……。

 

 言葉にならないほどの罪悪感に打ちのめされつつスマホを確認しようとして。

 

「……へ」

「おはよう。八一先生」

 

 イスに座ってこちらを眺めている天衣と目が合った。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 なんだこれ? 何が起きているんだ?

 

 あの後、俺は食卓に座らされ混乱しながら待っていた。天衣は台所に引っ込み、なにかかちゃかちゃやっている。

 

 そしてしばらくするとおぼんを抱えた天衣がやってきた。食卓に二人分の食事が並ぶ。白米、味噌汁、サラダそして肉じゃが。サラダ以外はどれも湯気を立てている。

 

 配膳し終わった天衣が隣に座る。

 

「それじゃあ、食べましょうか」

「……えっと。その前にいろいろ疑問があるんだが」

「何よ、いったい?」

「それじゃあまず……これ、天衣が作ったのか?」

「それ以外に誰がいるのよ? 晶は今日は付いてきてないし、あの子もまだ帰ってきてないわよ」

「あー。えっと天衣って料理できたんだな」

「何よそれ。私だって料理の一つくらいできるわよ。小学校で家庭科の授業もあるんだし」

「そ、そうか」

 

 そりゃそうか。お嬢様のイメージが先にたって、天衣が料理できるなんて思ってもいなかったけど。

 

「まあ、人に振る舞うのは初めてだけどね。家でも家事なんてすることないし」

「え、それじゃあなんで?」

「なんでって、その。……八一先生の昇級祝いもしたかったし。こういう時は手料理がいいのかなって。たいしたものが作れるわけじゃないけどね」

「天衣……」

「さあ、召し上がれ」

「ああ。いただきます」

 

 肉じゃがを口に運ぶ。

 

「うまい」

「そ」

 

 天衣からの反応は素っ気ない。けれどどれだけ思いを込めて作ってくれていたのかはよく分かる。野菜の形は不揃い。味付けはレシピに忠実に。あいのようにとんでもなく美味しいということはない。けれど料理に不慣れな女の子が俺のために苦労しながら作ってくれた。その光景がありありと浮かぶ料理だった。

 

 

 その気持ちはとても嬉しい。だけど。だからこそ昨日の対局の結果が情けなかった。ほぼほぼ食べ終わったところで口を開く。

 

 

「すまん。こんなにしてくれたのにダサい上がり方で」

「そうね」

 

 自分から言っておいて天衣から肯定が返ってきたことに傷つく。けれど慰められれば慰められたで反発する。

 

「まあでもいいんじゃないの。昇級できたんだから」

「いいわけあるかッ! あんな情けないッ!」

「…………」

「……あ、いや、すまん。急に大きい声出して」

「いいの。気にしてない。それより私としてはさっきの寝言のほうが気になるわね」

「寝言? ………………寝言!?」

 

 まさか!? さっきの夢の内容、寝言で口にしてたのか!?

 

「あのー。天衣さん? 俺の寝言って……俺、何を口にしてた?」

「そうね。『今日は天衣の気持ちに応えたいと思って。ずっと待たせて悪かったな』って。何を待たせていたのかしら?」

「………………」

 

 おうふ。これはまずい。いや、最後の辺りのとんでもない部分よりはよかったのかもしれないが、これもまずい。

 

 きっとあんな夢を見た根源がここなのだろう。もともとこの前の天衣の告白に対する答えは決まっていた。けれど弟子同士の直接対決の前にどちらか一方を特別な扱いにすることは師匠としてできなかった。それにどうせならついでに昇級してからという気持ちもあった。

 

 それがこのざまだ。

 

 天衣の気持ちに答えようという思いはしぼみきっていた。情けなさばかりが募る。

 

「天衣はどうしてそんなに、俺のことを……」

「仕方ないじゃない。好きになっちゃったんだから」

「……あんだけイキっておいて、あっさり負けるような情けないやつなんて好きになるなよ」

「私が情けない男を好きになって何が悪いのよ」

「悪いよ。こんな格好悪い奴。お前に相応しくなんて———」

「そんなの知らないわ。私は先生の採点係じゃないもの。そもそも八一先生が格好悪いのなんて今に始まったことじゃないでしょ」

「んなッ!?」

「まだ一年も経ってないのにもう忘れてしまったの? 八一先生に初めて会った時なんて11連敗中だったじゃない。それに較べれば1敗くらいなによ」

 

 開いた口を閉じられない。

 

「何よ、その顔? え? まさか八一先生、自分が格好いいから私が惚れたとでも思ってたの?」

 

 思ってたよ。

 

「冗談でしょ? 正直ぜんぜん好みの顔じゃないし、女関係はだらしなさすぎるし、将棋バカだし服のセンスに至っては最悪だし、何より鈍感だし———」

 

 もう止めてあげて。師匠のライフはとっくに0よ。

 

「けど、今も八一先生のことを思うだけで——熱い」

「ッ!」

 

 天衣は滔々と、けれど思いを込めて語る。

 

「私にも理由なんて分からないわ。お父さまからの刷り込みのせいかもしれないし、貴方が竜王だからかもしれない。貴方が師弟(かぞく)になってくれたからかもしれないし、私に将棋を教えてくれたからかもしれないし、私に優しくしてくれたからかもしれない。私に真摯に接してくれたからかもしれないし、貴方がプレッシャーに負けそうになりながらも必死に戦っていたのを見たからかもしれないし、その末に最強の敵(名人)に打ち勝ったからかもしれない」

「…………………」

「もう何がきっかけだったのかも分からないけれど、少なくとも貴方が完璧な存在だったから好きになったのではないわ。それどころか完璧からはほど遠い存在よ。貴方は。負けたら悔しがって、泣いて喚いて、それでも前を向くのを止めない。根っからの挑戦者」

「……………」

「そして、私が世界で一番憧れている棋士で…………初めて好きになった人」

「…………」

「たった10年しか生きていない小娘の戯言だけれど、きっとこの思いは一生ものよ。これ以上の恋なんてない。そう確信してる。だからこんな失敗くらいで冷めたりしないわ。諦めなさい」

「……天衣」

「だから聞かせて。寝言の続きの言葉を。いつぞやは逃げを許したけど今日はダメよ。今言いなさい」

 

 

 詰んだ。俺の完敗だ。だけれどこのままじゃ師匠として、男として情けなさ過ぎる。亭主関白を志す俺としてはせめて形作りが必要だ。

 

 

「…………………………天衣。俺もお前のことが好きだ。俺の、恋人に“なれ”」

 

 

 

 

 

 

「——————はい。八一先生」

 





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07.次のステージへ

第七章エピローグです。


 こうして俺と天衣はいわゆる恋人同士となった。

 なったんだけど特にこれまでと何か変わったかというとそこまで大きな変化はない。あいかわらず将棋中心に俺たちの生活は回っている。将棋の関係で出向いた先で手をつないだりなんだりといったスキンシップは以前もあったしな。あの日も俺たちの関係が新しいものとなった後、甘い時間がというわけではなく、すぐ追い出されたんだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ぷはッ」

 

 そっと離すと、天衣は大きく息を吸った。顔が赤く染まっているのは感情の高ぶり故か、それとも酸欠気味だったからか。最中はずっと息を止めていたらしい。そんな不慣れな様も愛らしく、俺の欲望を刺激してくる。

 

 告白が成立した直後、俺と天衣は口づけを交わしていた。あの夢のように。いや。舌を入れるところまではしてないよ? もちろん。

 

 俺を見上げる潤んだ瞳に理性をやられ、もう一回と抱き寄せようとして。

 するりと抜けだす天衣。あれ?

 

「さて、それじゃあそろそろ八一先生は行かないとね」

「……へ? 行くってどこに?」

「将棋会館よ」

「ほへ?」

「忘れたの? 貴方の師匠の大事な対局の日なんでしょ。今日は」

「あ」

「呆れた。師弟甲斐のない人ね」

「い、いや。これは不可抗力だろ!」

 

 さすがにここまでが衝撃的な展開過ぎたわ! そうじゃなければ忘れやしないって。いくらなんでも。

 

「ふふ。そこまで私のことを意識してくれてるなら嬉しいんだけどね」

「俺の18年の人生の中でもぶっちぎりの大イベントだよ。今日のは」

「そ。でもそろそろ行かないと間に合わなくなるでしょ」

「見届けないわけには……いかないよな」

「そうね。貴方が今後も清滝門下でいたいのなら。結果がどうなるにしても見届ける必要があると思うわ」

「だな」

 

 今日の連盟ではB級2組の最終局が催されている。師匠の降級か残留かが決まる大事な一戦。そして相手はこれまで順位戦無敗。『次世代()の名人』の呼び声高い神鍋歩夢六段。厳しすぎる相手だ。さらにその対局に勝利しても他の対局次第では降級となりかねない。そのことが俺の足に錘をつけていた。これでも自分の無様すぎる昇級(敗北)を天衣に慰められたことでだいぶ軽くなったんだけどな。

 

 それでも何とか自分の体に活を入れ、スーツへと着替える。玄関に立ち、そして天衣が続こうとしてないことに気付いた。

 

「天衣は来てくれないのか?」

「ええ。私は遠慮しておくわ。向こうにはオバサンや山城桜花もいるでしょうし、妹弟子も来るかもしれないしね。さすがに味が悪いわ」

 

 そりゃそうか。あいとはついこの間対局したばかりだし、観戦記者をしている鵠さんは次の女王戦挑戦者決定戦の相手。そしてそれに勝てば姉弟子とのタイトル戦。至極もっともな言い分だ。だけど気が重くなるな。

 

 仕方なくドアノブに手を伸ばす。その時背中越しに天衣に呼び止められた。

 

「八一先生」

「ん、なん———」

 

 ふり向いた瞬間ネクタイを引っ張られる。突然のことに抵抗することもできず上体が下がる。そして何が起きてるのか分からないうちに唇に柔らかいものが接触した。つい先ほども感じた甘美な感触。目の前には美しい少女の顔が広がっている。

 

「んッ。……帰ったら続きをしましょうね。八一せんせ♡」

 

 そう囁いた後、緩んだネクタイを直した天衣は俺の背中を押して送り出してくれた。足取りからは重さが消え、ふわふわした気持ちのまま将棋会館にたどり着くことになったのだから俺も現金なものだ。

 

 そして師匠の対局を見届けた。師匠の気迫溢れる逆転劇に手に汗握り、けれど関係ないところで降級が決まったことに絶望し、それでも勝ちきった師匠の姿に涙し、現役続行を宣言したことに歓喜した。

 

 俺としても得るものが大きな一局だった。今の俺に欠けているものは何なのか。そんな端緒をつかめた気がする。そしてルンルン気分で家に帰り。

 

 

 

 そこに天衣の姿はなかった。テーブルの上には書き置きが一枚。

 

『待ち疲れたので今日は帰ります』

「師匠ーッ!!」

 

 泥臭く粘り強い鋼鉄流の棋風をこれほど憎んだのは初めてのことだったかもしれない。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 とこんなふうに進展はなかったのだ。

 

 進展はないとか言ってちゃっかりキスはしてるんじゃないか?

 そりゃそうよ。

 

 それ以上の進展って小学生相手に何考えてるんですかねぇ?

 …………黙秘します。

 

 というわけで以前とそう変わりない関係を。けれど二人の時間を着実に積み重ねている俺たちだった。まあまだまだ先は長いんだ。焦ることはないさ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「それで? 話って何なのかな? 天ちゃん」

 

 将棋会館の一階レストラン『トゥエルブ』。そのカウンター席。話があると妹弟子を呼び出した私は、二人して昼食を取っていた。私はタンシチューを。隣の妹弟子はバターライスを。先に食べ終わった妹弟子が問いかけてきた。私も最後の一口を放り込み、咀嚼して飲み込む。

 

 そうね。そろそろいいか。他の将棋関係者も昼食を終えてみな引き上げた。

 

「そうね。単刀直入に言うわ。……八一先生と付き合うことになったから。その報告よ。一応ね」

「…………」

 

 妹弟子の目がすっと細まり殺気をはらむ。相変わらず凶悪な眼光ね。

 

「ふぅん。それで?」

「だから諦めて」

「やだよ」

「即答ね。これでも親切心で言ってるつもりなんだけど」

「逆に聞くけど、天ちゃんなら諦める? 同じシチュエーションで」

 

 諦めない、わね。

 

「辛い思いをするわよ」

「関係ないよ。まだ勝負は決まってない。結婚したわけでもなし。それに仮に結婚してたって離婚って制度もあるしね」

「そ」

 

 それだと一生勝負は終わらないわね。現状、将棋の勝勢というよりは、野球の優勝決定後の消化試合に近いと思うけど。

 

「ししょーへの愛情を一瞬でも手抜けば、あいがひっくり返すから」

「それはないわね。八一先生のことに限って私が手抜きするなんてことはありえないわ」

「そうかな?」

「そうよ」

 

 平行線か。これ以上は無意味ね。

 

「まあ、言うべきことは言ったわ。それじゃあ先に行くわね」

「ごちそうさま」

 

 ナチュラルに支払いを押しつけてくるわね。別に私から誘ったんだからいいけど。カードがきかないこの店のためにわざわざ用意していた現金で支払い店を出る。

 

 やっぱり空銀子より雛鶴あいのほうが強敵か。一度で上下関係を完全に叩き込むことはできなかった。でもまあいい。この先何度でも叩き潰すだけだ。

 

 今なら誰が相手だろうと負ける気はしない。まずは山城桜花。そして女王!

 

 




トゥエルブのマスター「あわわ。大変なことを聞いてしもうた。通報? 通報しないと?」


ちなみに清滝師匠降格が決まった後、天ちゃんがいなくなってたのは急に恥ずかしくなったからでした。萌えろ。




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第八章.小旅行
01.いい日旅立ち


「そうだ。京都へ行こう」

 

 そんな言葉が口を突いたのは、桜が咲く季節のこと。

 弟子兼恋人の家に出向き、レッスンをしている最中にふと思い立ったのだ。

 

「何よ、突然?」

 

 盤を挟んで検討をしていた天衣は、怪訝な顔でこちらを見ている。

 

「まだ春休みは続くだろ。今の時期ならちょうどいい。京都に行こうぜ」

「お目当ては春の京都観光、ではなく『山城桜花戦』ね?」

「やっぱりわかるか。その通りだ。天衣も次のマイナビ決勝に勝てば女王位挑戦だろ。その前にタイトル戦の雰囲気を体感しておくのもいいかと思ってさ」

 

 とはいいつつも天衣が承諾する可能性は低いと思っている。なんせ次のマイナビ決勝の相手はそれこそ『山城桜花』の供御飯さんなのだ。味が悪いと断られる可能性も十分にある———

 

「いいわ」

「そうだよな。やっぱり———って、いいの!?」

「自分から持ちかけておいてなんで驚くのよ?」

「いや。味が悪いからと断られるかと」

「そうね。だから『山城桜花』には私は会わないことが条件よ」

「それでいいのか?」

「ええ。まあ、そもそも山城桜花戦は特殊すぎてどこまで女王戦の参考になるか怪しいけど」

「けど?」

「八一先生との初めてのお泊まりデートですものね?」

 

 そう言って上目遣いに悪戯っぽく見つめてくる天衣。ヤバい。俺の彼女ヤバいかわいい。動揺を誤魔化すためにスマホを出して時間の確認をする。

 

「お、おう。そうだな。……今から行けば昼前には京都に着けるな……よし! 四十秒で仕度しな!!」

「はいはい。あ、でもお爺さまに話をしておかないと」

「それは、天衣が準備している間に俺から話しておくよ」

「そう。それじゃあお願いするわ」

 

 

 ◇

 

 

 

 一旦、天衣と別れて弘天さんの部屋へ。天衣を連れ出す許可を求める。

 

「天衣と京都へ、ですか。……承知しました」

「ありがとうございます。責任を持ってお預かりします」

「ところで九頭竜先生。何やら天衣と男女のお付き合いを始めたとか」

「うぐッ。…………そうです。……申し訳ありません」

「はは。いえいえ、責めているわけではありませんよ。むしろ喜ばしいことです」

「そう、なんですか?」

「ええ。孫娘が先生を好いていたのは私も存じておりました。あれも喜んでいることでしょう」

「そう言っていただけると。でもよろしいですか、その小学生の天衣と俺が」

「構いませんとも。いや、構えるだけの時間的な余裕はないと言うべきでしょうな」

「それはいったいどういう意味で?」

「それはいずれ私が死ぬからですよ。孫娘だけを残して」

「……ッ。それは———」

「こればかりは自然の摂理。どうしようもないことです。私もいい歳だ。いつお迎えが来てもおかしくありません。その前に九頭竜先生にもらっていただけるのなら、私も安心して旅立てます」

「そんな。縁起でもない」

「これは失礼しました。ただ現実問題、あの子が結婚できるようになる年、あるいは成人までとなればそれ以上に、そこまで私の命が持つのか怪しい。なればこそ、事が早回しに進むのは歓迎こそすれ、忌避することはありませんよ」

「…………」

 

 重すぎる言葉に俺は何も言えなくなる。

 

「とはいえ、建前はともかく私も孫娘のことはとてもかわいい。気にしていただけるでしたら、大過なく連れ帰ること、誓約書にして判をついていただけますかな?」

「ええ、それくらいでしたらお安いご用です」

 

 俺としても全面的な信頼を預けられるより、何かしら要求されるほうが気楽だ。晶さんが間髪入れず書類を差し出してくる。用意いいな。

 

「では、先生。ここに印鑑を」

「はいはい。えっと急なことなんで落款しかないですけどいいですかね?」

「ああ。もちろんだ。……欲を言えば実印だがな

「えっと、今何か言いました?」

「言ってない」

「ええ? でも」

「言ってない」

「……そうですか。えっと印鑑を付く場所は」

「ここだ。先生」

「あー。はいはい。それじゃあ———ん? んん!?」

 

 何だ、この文章?

 

『誓約書   私、九頭竜八一は、夜叉神天衣さんが満16歳の誕生日を迎えたその日に、天衣さんと婚姻することをここに誓います。それまでは天衣さんを婚約者として誰よりも大切に遇し、決して浮気をしたり他の小学生に目移りしたりしません。この誓いを破った場合、命をもって償います。吊るされてもコンクリ漬けにされても一切文句は言いません』

 

「ほら先生。早く落款を」

「ちょ、ちょっと待ってください晶さん。これって天衣を外泊に連れ出すための誓約書じゃなくて婚約に関わる———」

「そうかもしれんし、そうでないかもしれないな。だが問題などなかろう? まさかお嬢様を弄んで捨てるつもりではあるまい? ん?」

 

 そう言って落款を持つ、俺の右腕を掴むと強引に誓約書へ押しつけようとする晶さん。さすがにその筋の人だけあって女性ながら凄い力だ。

 

「そ、それはそうですけど……別にこんな紙にしなくったって———」

「さっさと押させんか晶ァァァァァッ!!」

「えぇぇぇぇぇぇッ!?」

 

 もみ合う俺たちに突然ブチ切れる弘天さん。そして爺跳ぶ。両腕を広げ、対照的に両足は揃え飛びかかってくる。その様は往年のカプコン名作の主人公マイク・ハガーの如し。フライングボディアタックだ。

 

「ぐえッ……!!」

 

 押しつぶされて身動きができないそのうちに。

 

「ああ!? ……ついに押してしまった」

「「よしッ!!」」

 

 ガッツポーズする二人。

 

「はぁ。まあ構いませんけどね」

「ほう。なかなか覚悟が決まってるじゃないか。先生」

「まああんなカワイイ彼女、頼まれたって手放すつもりはありませんからね」

「カッカッカッ! 言ってくれますな、九頭竜先生」

「それじゃあお孫さんを借りていきますね」

 

 ヒラヒラと背中越しに手を振って弘天さんの部屋を後にする。その背中に弘天さんから声がかかる。振り向くと険しい目で見つめられた。

 

「先生! 天衣の花嫁姿は早く見たいと思っていますが、曾孫まですぐに見たいとは思っていませんからな。そこはよろしく頼みますぞ」

「え、ええ。もちろんです」

 

 お爺さんの眼光に気圧され、そうとだけ答えて、足早に天衣の部屋へ戻るのだった。

 




正直、8巻の内容は、下記理由から丸々スルーしようかと思ってたんですが。
・どう考えても天ちゃんが味の悪さを越えて『山城桜花戦』に来るとは思えない
・どう理屈づけしてもあいを置き去りにするストーリーが想像できない
・お燎さんや万智さんに八一が会うイベントがなくなると勝敗が変わりかねない

馬鹿野郎! 天ちゃんと京都旅行に行きたくないのか!?

という心の声に負けて、書くことにしました。全編ご都合主義でお送りします。
よしなに。


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02.京都市街

京都へは六甲道駅からJRに乗り、芦屋で新快速に乗り換えればトータル一時間弱で着いてしまう。思いの外近いのだ。六甲道駅までは晶さんの車で送ってもらい、そこから天衣と二人で乗車した。春休みの東海道本線はやはりそれなりに混んでいた。二人手をつないでドア傍に立つ。

 

「こうしてるとこの間のゴキゲンの湯へ行ったときのことを思い出すな」

「そうね。でもあの時とは全く違うわ」

「うん? どういうことだ?」

「だってあの時は恥ずかしくて、でも嬉しくて、早く手を離したいような、けれど離したくないような。とても混乱していたわ。でも今ははっきり言える。ずっとこうしていたいって」

 

そう言って俺を見上げてくる天衣。手にもより力が加わる。

 

「そ、そうか」

 

としか言葉では答えられず、俺からもギュッと握り返すことで応える。それに対して天衣はふんわりとした笑みを、心底嬉しいというように浮かべてくれた。

 

 

ああッ! もう! 俺の彼女かわいすぎィィ!!

 

 

あの素直じゃなかった天衣お嬢様が、むき出しの愛情表現をガンガンぶつけてくるようになって、これもうべーわ。マジべーわ。ゴリゴリと理性をおろし金で削られる音がする。そんな感じ。以前、晶さんと『天衣ドルマスター』なるスマホゲーを作っていた(結果天衣の許可が下りずボツになった)けれど、あの時二人で妄想していたデレ天ちゃんなど較べもんにならない。俺らの妄想力は全くたいしたことなかったのだと分かる。

 

大阪駅で人が一斉に降りてからは席に座って。けれどつないだ手は離すことなく。京都に着くまでのつかの間、他愛もない会話を交わした。とても甘美な時間だったことは言うまでもない。

 

 

「次は嵯峨野線に乗り換え?」

 

京都駅に着きホームに降り立ったところで、スマホでルートを確認していた天衣が言う。確かに早いのはそうだが。

 

「そうだなぁ……せっかくだから『嵐電』に乗っていくか」

「らんでん?」

「京福電鉄の嵐山本線。通称『嵐電』。面白いぞ?」

 

せっかくだからもう少しデート気分を味わおう。

 

 

 

 

 

 

京都駅で市営地下鉄に乗り換えた。そのまま京都の中心部——四条烏丸へ。地下から出て四条通を徒歩で西へ向かう。

 

「休日の京都っていうからどれほどのものかと思ったけど、そこまでの人の出じゃないわね」

「こっち側はオフィス街だからなぁ。休日はこんなもんだろう。反対側が繁華街だからあっちは人通りが凄いぞ」

「ふーん。普通にオフィスビルばかりで別に風情はないわね」

「まあ、日本のオフィス街はどこもこんなもんだろ。京都らしさを味わいたいならせっかくだから少し回り道するか」

「うん? どこ行くの?」

「いいからいいから」

 

天衣の手を引いて二本ばかり北の路地へ入る。蛸薬師通という表示。オフィス街の裏はすぐ住宅街だ。新しい家に混ざって古い町屋や屋敷なんかも現われ、古都の空気を醸し出す。天衣も興味深そうにしだした。新旧が混在する路地を改めて西へ向かう。

 

「碁盤の目とはよく言ったものね」

「だなー」

 

定期的に縦の道が現われ直角に交わっていく。計画的な作りだが、なぜか無機質さとは無縁なのは古都ならではのものだろうか。

 

「あッ!?」

「うん? どうした天衣?」

 

とある角。油小路と書かれた通りとの交差点で突然天衣が駆けだした。慌てて後を追う。が、ほんの20mも行かないところで天衣は立ち止まった。

 

「何かあったのか?」

「ほら。八一先生」

 

天衣が指し示す先にあったのは。『本能寺跡』と記された石碑。

 

「ああ、ここが坂本龍馬が新撰組に殺されたっていう……」

「それは近江屋。それに新撰組じゃなくて京都見廻組。本能寺って言ったら信長でしょう」

「し、知ってるよ。冗談だよ。わざとだよ」

「……ふーん」

 

これっぽっちも信じていないという表情ですね。分かります。まあ、素で間違えたんだけど。いいんだよ。棋士は別に歴史に詳しくなくて(※一般常識です)。話題をさっさと変えてしまおう。石碑の後ろには立派な建物が。

 

「今は老人ホームになってるんだな」

「そうね。……でもいいのかしら」

「何が?」

「何がって。信長と言えば敦盛。『人間50年~』って炎に巻かれながら歌って、最後に自害するっていうシーンとか、歴史ドラマとかの創作でよくあるでしょ」

「縁起でもないな」

「ね」

 

うむ。老人ホームには絶対にしちゃいけない立地な気がする。なぜ老人ホームにしたし。何か見てはいけない闇を覗いた気分だ。二人戦慄しながらその場を離れた。

 

 

 

 

 

 

堀川通という大通りを一本越えればすぐに四条大宮だ。大宮通を下る。そして阪急四条大宮駅の向こう側へお目当ての駅が見えてきた。ちょうど車両も止まっている。

 

「へぇ。嵐電って路面電車なのね?」

「どうだ? 面白いだろ?」

 

日本でも数少ない道路を走る電車を興味深そうに見ている天衣。その姿を見ていてむくむくと悪戯心が沸き上がってきた。

 

「ところで天衣。路面電車に別の呼び方があるのを知ってるか?」

「別の呼び方? 路面電車は路面電車でしょ? トラムはただ英語にしただけだし」

「ヒント。鐘の音」

「鐘の音? …………ッ!?」

 

その時タイミングよく。いや悪くだろうか。ホームからの出発を告げる車両が軽快に鐘を鳴らしていた。

 

『ちんちん』と。

 

「わかったか?」

「…………」

「うーん? 天衣ちゃんは分からないのかなぁ?」

「……ち……ん……」

「うん? よく聞こえないなぁ?」

「……ちんちん電車ッ!!」

「Yes!!」

 

10歳の女子にちんちんと言わせて喜ぶ17歳男子の姿がそこにはあった。っていうか俺だった。

 

 

結果、口を聞いてくれなくなった。俺のことをガン無視したまま嵐電に乗り込む天衣。席に座ってからも窓の外を見やったままこちらを向こうともしない。やがて『ちんちん』と鐘が鳴り車両が動き出す。

 

このままじゃいかんな。機嫌を直してもらうため先ほどGoogle先生に助けてもらい、にわかで仕込んだ知識を披露する。

 

「ほら、天衣。あそこにあるのが壬生寺だぞ。あの辺一帯に新撰組が拠点を置いてて壬生狼って言われてたらしいぞ」

「そ」

 

あれ。歴女の天衣ならきっと食いつくと思ったのに反応が薄いぞ。本能寺跡には食いついていたのに。

 

「別に。徳川のクソ狸の犬になんて興味ないわ」

 

Oh... なんか知らんが好き嫌いがあるらしい。歴女はみんな新撰組大好きなイメージだったんだけど。

 

けれどこの後、京都の街中を通り抜けていく路面電車からの風景に天衣の機嫌は自然と改善した。良かった。

 

市街地の大通りのど真ん中を、住宅の間と間を、そしてお寺のど真ん前を通り抜けていく嵐電。車窓を覗いて顔を輝かせるかわいい彼女。

 

 

そうこうしているうちに電車は嵐山駅へと到着するのだった。

 

 

 




歴女天ちゃんが新撰組をどう思ってるのか原作に記載はありませんが、徳川のことをすっげえ嫌ってるから新撰組も興味ないかなとこんな味付けに。
一応幕末も押さえてはいるものの、メインは戦国~安土桃山時代と予想。


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03.嵐山

酔った勢いで書いてやり過ぎたような気もする。
酔いが覚めて後悔する前に投稿予約しとこう。


 嵐電がホームに滑り込む。終点嵐山駅。振り返ってみれば30分もないあっという間の時間だった。機嫌を直した天衣と手をつないで降りる。

 

 そして改札を出れば、風情溢れ———ない景色が広がっている。駅舎や周囲の建物こそ和風な造りだが、中にはお土産屋がひしめき、たむろする外国人相手に商魂たくましくセールスを展開している。

 

 二人無言で渡月橋へ移動する。けれど観光客が溢れ、それ目当ての土産物屋が立ち並ぶ様は変わらない。端的に言って風流もクソもない。

 

「先行くか」

「ええ」

 

 そういうことになった。来た道をもどり渡月橋を離れる。そのまま北西へ。途中で買った抹茶スイーツを片手に天竜寺へ向かう。俺は抹茶ジェラートを。隣を見れば天衣が抹茶ソフトを舐めている。小さな舌がぺろりと緑茶色のクリームをすくい取り、同じく小さな口の中へ引っ込む。そしてまたちろりと舌が顔を出し。こう言ってはなんだが、なんか官能的な眺めだ。

 

 俺を視線を勘違いしたのか、天衣が抹茶ソフトを「食べる?」とばかりに差し出してくる。否定しようと思ったけれど不意に悪戯心が沸き起こる。そっと顔を近づけた。差し出された抹茶ソフトを避けて。そして。

 

「うむ!?」

「ん。うまい」

 

 目の前には目を見開く彼女の顔。唇をあわせて舌を差し込み、天衣の舌の上に溶け残っていたクリームを失敬した。顔を赤くした天衣が目を怒らせる。

 

「何するの! 八一先生ったら!」

「悪い悪い。つい美味しそうでな」

「美味しそうって……どっちがよ」

「どっちもかな」

「もう! …………あーん」

 

 今度は自分の番だとばかりに俺の手を引いて口を開く天衣。かわいい。ジェラートをスプーンですくい取り口元へ運ぶ。けれどさっと口を閉じ、うーうーと唸る。こうじゃないらしい。

 

 一つ笑って、スプーンの上のジェラートを口に含む。口づけをしてその唇の間からそっとジェラートを押し込んでやった。自分から要求しておいて更に顔を赤くしている天衣。とんでもなくかわいい。

 

「どうだ? うまいか?」

「……味なんかよく分からなかったわ」

 

 恨めしげな一言に思わず吹き出してしまう。と、そこで周囲から凄い目で見られていることに気付いた。「事案」「通報」「堂々としすぎたロリコン」「源氏物語の聖地巡礼なりきりプレイ付」などと恐ろしいキーワードが聞こえてくる。天衣の手を引いて急いでその場を離れたことは言うまでもない。

 

 

 目的地へ向かう前に嵯峨野を散策して回る。まずは野宮神社。

 

「ここは恋愛や子宝の御利益があるとされてるんだぞ」

「ふーん。でも恋愛は既にかなってるし、子宝はまだ早いんじゃないかしら?」

「う゛」

 

 にまにまと笑いながら俺を見上げてくる。畜生かわいい。

 

「じゃあここは止めとくか?」

「いいわ。せっかくだからお参りしていきましょう。神様の力も重ねがけしておけばより安泰だものね。八一先生は子宝祈願してもいいわよ」

「しねーよ」

 

 口では否定しつつこの言葉に感激する俺。天衣が俺との関係を重視してくれていることもそうだが、あれだけ神様云々を否定していた天衣が素直に神頼みに応じたことに。あるいは俺との関わりが天衣の心を溶かしたんだなんてうぬぼれたりして。子宝祈願は関係ないよ。いいね?

 

 野宮神社を出ると次は嵐山最大の観光スポット——『竹林の道』へ。あらかじめ予想していたことだが、青々と茂る竹林に黒髪の美少女は非常に映えた。そのまま旅番組の1シーンに使えそうなほどだ。和装をしていたらオフィシャルな宣材にもできただろう。

 

 The日本美少女と言わんばかりの天衣に周囲の外国人から写真撮影の希望が集まり、天衣と外国人観光客の撮影会がはじまってしまったりもした。

 

『あなたの妹さん、とってもかわいいわね!』

 

 外国の人にそのようなことを話しかけられ戸惑っていると、天衣が横から、

 

「He is my lover.」

「Lover!?」

「Yes.」

「Oh... Genji Hikaru.」

 

 その時空気が一変したのを感じた。

 ……これはまずいのでは? 

 

 ごついオッサンの外人が笑顔で話しかけてくる。親指で後ろを指し示しながら。

 

「HAHAHA! OKOK. ……Let’s go to police」

 

『ポリス』の一言に警戒から避難へと一気にステータスが上がる。

 

「ハハハ。のーさんきゅー!」

 

 天衣の腕を掴むとすかさずダッシュ。後ろから「STOP」だの「FREEZ」だの聞こえてくるが無視だ無視!

 

「天衣さん、なんでああいう場面で恋人とか言っちゃうかなぁッ!?」

「だって妹なんかじゃないもの」

 

 口を尖らせて言う天衣。めっちゃかわいいけども。それどころじゃなく、竹林を道を引き返し、北門をくぐる。そしてまもなく。今日の目的地、天竜寺へ到着した。『山城桜花戦』第二局の舞台だ。

 

 将棋関係者の中に入れば警察が来ても問題ナッシングとか思ってないよ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 天竜寺の境内に入るとすぐに将棋関係者に出会った。関係者控え室に案内されるとそこには月光会長が。会長のすすめで休憩中の月夜見坂さんに会う。天衣は自分は遠慮すると言ってついてこなかったけどな。

 

 月夜見坂さんが対局場に向かった後は天衣と合流。庭園を鑑賞する。二人感銘を受けた後、控え室に戻り対局をリアルタイムに検討した。月夜見坂さん勝勢の対局。その最善の一手について会話もした。一発勝負での最善と番勝負での最善について。

 

 そこに会長がやってきて明日の予定を聞いてくれる。明日も観ていくなら宿泊先を用意してくれると。そのお言葉に甘えようとしたその時。

 

「お心遣いありがとうございます。でも宿泊先についてはこちらで用意していますので」

 

 そう言って天衣が断った。なんでも弘天さんが馴染みの旅館を予約してくれているらしい。春の京都で当日に旅館の予約が取れる夜叉神家の権力凄い。

 

 そしてやってきたのが。

 

「お、おお……」

 

 渡月橋の南の畔。歴史を感じる数寄屋造りの建物。入り口には『渡月荘』と記された行灯。まさに老舗旅館と言わんばかりの佇まいだ。

 

「何してるの? 早く行きましょうよ」

「ああ。すまんすまん」

「旅館なんて対局で行き慣れてるでしょうに。今更そんなに関心しなくても」

「そうなんだけどな。でもまあ京都嵐山はまた別格というか。歴史の重みが違うというか」

 

 そんな話をしながら玄関をくぐる。すぐに女将さんが迎えてくれた。

 

「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました」

「夜叉神の名前で予約が入っているかと思いますが」

「はい。うかがっております。お待ちしておりました」

 

 そう言ってカウンターに案内される。そこで記帳を求められ。天衣に続いて俺の名前を記載したところで、なぜか女将さんがクワッと目を見開いた。が、何事もなくそのまま書き終えた。どうも俺の名字を見て驚いたようだが、長く客商売をやっているからかその動揺を外に出すことはなかった。少し目が怖くなったような気もしなくもないが。

 

「それではお部屋にご案内します」

 

 どうやら傍にいる仲居さんではなく、女将自ら部屋まで案内してくれるらしい。さすが夜叉神のネームバリュー。VIP扱いだ。

 

「こちらです」

 

 鹿王の間と名付けられたその客室はスイート扱いらしい。女将さんにお茶を入れてもらいながらしばし雑談の時間。

 

「夜叉神の皆様にはいつもご贔屓にしていただいておりまして」

「祖父からもよくお世話になっていると聞いています」

「お嬢様も一度泊まられたことがあるのですよ。まだまだお小さいころでしたので覚えてはいらっしゃらないでしょうが」

「そうでしたか」

「時の流れは早いものですね。あんなに小さかったお子様がもうこんなに立派なレディになられるのですから。本当にお可愛らしい」

「……ありがとうございます」

 

 褒め殺しに天衣は苦笑気味だ。けれどそうか。もっと昔から天衣のことを知っていたのか。きっとご両親のことも知ってるんだろうな。敢えて口に出さないのは気遣いなんだろう。

 

「今日は京都へは観光ですか?」

「半分観光、半分仕事といったところでしょうか」

「と仰いますと?」

「今私、将棋の女流棋士をしていまして」

「まあ。それじゃあ今日は天竜寺の」

「はい。ご存じでしたか。次の対局の相手が今日天竜寺でやっているタイトル戦のタイトルホルダーの方なのでその偵察に」

「そうでしたか。供御飯のお嬢さんと……。供御飯のお嬢さんはえろう将棋がお強いとうかがってますが、その人と対局なんて夜叉神のお嬢様もお強いんですなぁ」

「山城桜花のことご存じなんですか?」

「ええ、もちろん。供御飯と言えば京都では古くからの有名なお家柄ですから。それに山城桜花という京都にちなんだ将棋のタイトルまで長くお持ちですからね」

「なるほど。まあそんなわけで。それにタイトル戦の空気も感じておいたほうがいいと師匠にも勧められたので」

「お師匠さん? こちらの方が? ということはお客様も将棋がお強い?」

「強いも何もその人竜王ですよ」

「まあ!? 竜王って、この間名人に逆転勝ちなされたって言う!?」

「はは。まあそうです」

「それはそれは……」

 

 得心が言ったとばかりに何度も頷く女将さん。JSと同室で泊まる家族でもない謎の不審者から将棋のタイトルホルダーに格上げされた瞬間だった。いや。必死に態度には出さないようにしてたけどね。女将さん。

 

 

 その後、部屋に夕食が運ばれ、豪華な食事に舌鼓を打った。質・量ともに満足を遙かに超えるレベルだった。さすがに天衣は食べきれなかったけど。

 

 そして今。

 

「はぁー。極楽極楽」

 

 俺は食後に一人で露天風呂を満喫していた。

 

 檜の床板に据え付けられた信楽焼の浴槽。すぐ脇に据え付けられた湯口からは嵐山温泉の源泉が一定スピードで出てきて、ドバドバと浴槽から溢れていく。贅沢な掛け流しだ。

 

 そこに浸かって夜の嵐山を眺める。昼間の喧噪とは裏腹に夜のこの当たりはとても静か。心置きなく浸れる。控えめに言って最高だ。日頃の疲れがみるみる癒やされていくのが分かる。もう大阪に帰りたくないな。

 

 そんなことを考えていると後ろからカラカラと戸が開く音が聞こえてきた。誰かが入ってきたのかな。

 

 …………あれ。この風呂、大浴場じゃないよな。部屋付の露天風呂だし。

 …………ということは。

 

 背後の洗い場で体を流す音。そして。ちゃぷんと音を立てて隣に体を沈めたのは。そちらを見ないように問いかける。

 

「あ、天衣サン? どうして俺が入ってるところに入ってきたのかナ?」

 

 闖入者にして我が幼き恋人に。

 

「どうして? 温泉旅館に来たら二人でいっしょにお風呂に入るのが普通なんでしょう? この浴槽も二人で入れるように作られてるし」

 

 いやまあ確かに。カップルで来ればそうなんだろうけど。確かに浴槽の二人でゆったり入れるように設計されてるけども。でもね。

 

 それって、主に大学生以上のカップルの場合じゃないですかねぇ!?

 

「何よ。別にそんなに焦らなくても、前に銭湯でいっしょに入ったじゃない」

 

 それってあいもいっしょにいたよね。

 

「ねぇ。なんで頑なに私の顔を見ようとしないの?」

 

 嵐山温泉ってお湯が透明なんだよね。全部見えちゃうでしょ。

 

「別にもうこの体は八一先生のものでもあるんだから好きに見ていいのに」

 

 りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん! りんぴょうとうしゃかいじんれつざいぜん! しんとうめっきゃくすれば火もまた涼し!!

 

「むう。どうしてもこっちを見ないつもりね。昼間はあんなことまでした癖に。…………いいわ。そっちがそのつもりならッ」

「おわ!?」

 

 天衣が急に動いてお湯が跳ねる。そして———

 

「これでよし」

「…………」

 

 納得がいったのか満足げな天衣。無言の俺。

 

 

 

 ———お尻が。お尻が乗っております。小っちゃくて柔らかな天衣のお尻があぐらをかいていた俺の上に。

 

 どないせーっちゅうんじゃ。こんなの。

 

 何とかお尻の感触から意識を逸らさねば。万が一あれがあれしてエレクトリカルパレードすると大変なことになってしまう。

 

 ひとまず目の前にある天衣の後頭部を見つめてみる。いつもは下ろしている髪もお湯につけないためアップにしている。そのせいでいつもは隠れているうなじが露出している。湯温に血色が良くなりほのかに色づいたうなじ。

 

 いかんいかん! 

 

 このままここに留まるのは危険だ。慌てて視線を先に進める。うなじをすぎて細い肩へ。

 

 げふんげふん!

 

 慌てて頭ごと視線を上げて夜空を見上げた。肩越しに何か見えてしまった気がする。なだらかな丘の上に桃色の……

 

 うおー! 忘れろ!

 

 頭の中で素数を数える。1・3・5・7・9・11・13・15・17・19……

 

 と、ふと天衣が肩をすくめていることに気付いた。なぜか耳も赤くなっている。……これはもしや。

 

「あの……天衣サン。もしかして………………当たってる?」

 

 無言で。けれどコクリと頷く天衣。うん。よく考えなくてもなんか感触あるわ。

 

 Oh...とっくにネズミさんもアリスもピーター・パンもお出ましだったらしい。神戸のシンデレラだけにな。

 

 どれだけ「イッツ・ア・スモールワールド」と唱えても小さくならない。仕方ないね。もはや精神が逃避の領域に入っていると恐る恐る天衣が問いかけてきた。

 

「その。……する?」

 しねぇよッ!?

 

 慌てて風呂から出た。

 

 その後、しばらく部屋の中でもいたたまれない雰囲気に包まれる。仕方なく早々に寝ることにしたのでした。

 

 

 

 いっしょに一つの布団で。手を握って。

 



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04.鴨川にて

第8章エピローグです。


 鳥の囀りに誘われてそっと目を開く。目の前には美しい赤みがかかった瞳でこちらをジッと見つめる少女の顔。目下最愛の彼女だ。

 

 昨日の夜、手をつないで二人布団に入った後、それこそ抱き枕のように抱き寄せて眠りについた。その時の姿勢のまま、天衣は暖かい体温と柔らかな香りとともに変わらず俺の腕の中にいた。

 

「先に起きてたのか。起こしてくれても良かったのに」

「別にまだ時間は問題ないから。それにこの時間をなるべく長く味わっていたかったから」

「この時間?」

「……彼氏の腕の中に閉じ込められて、ただその目覚めを待つ時間のことよ」

 

 俺の問いかけに、少し顔を赤らめながらそんなかわいいことを言ってくる。たまらなくなってよりキツく抱き寄せる。華奢なその背中に力を込めると天衣は搾り出されるように甘い吐息を漏らした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 朝風呂を浴びてしゃっきりとした後に、旅館が用意してくれた豪勢な朝食をいただく。そして余裕を持って旅館を後にした。女将さんが玄関先まで出て見送ってくれる。

 

「天衣お嬢様。ぜひまたいらしてください。いつでも歓迎いたしますので」

「ありがとうございます。ぜひまた。次は祖父も一緒にうかがいます」

「ええええ。お師匠様もぜひいっしょにいらしてください」

「あはは。ありがとうございます」

「それとも彼氏さんとお呼びした方がいいかしら」

「……アハハ」

 

 バレてーら。まあJSを騙くらかすロリコン野郎みたいに悪くは思われてないみたいだけど。誤魔化す必要もなくなったので頬を染める天衣と手をつないで歩き出した。

 

 

 昨日来た道を戻る。渡月橋にはまだ朝方だというのに早速観光客が溢れ始めていた。それを横目に更に先へ。ほどなく嵐山駅へ着いた。路面電車を昨日とは逆に乗る。朝を迎えて動き出す京都市街を抜けていく。終点の四条大宮からは阪急電車に乗り換えだ。そこから5分もかからず京都の中心街四条河原町へ。

 

「人が多いわね」

「河原町は昨日通った烏丸と違って繁華街だからな。昨日もこっちは人が多いって言っただろ」

 

 観光客、地元客双方でごった返す四条通を東へ。人混みにはぐれないようしっかりと手を引き寄せながら歩く。鴨川に出るまでのほんの少しの距離を歩くのにもそれなりの時間がかかった。

 

「ほら天衣。あれが鴨川名物『等間隔に座るカップル』だぞ」

「聞いたことはあるけど本当に綺麗に等間隔で並ぶのね……私たちも混ざる?」

 

 悪戯っぽい笑みを浮かべながら見上げてくる。そうしたいのはやまやまだけどな。

 

「残念。ただの途中経路だよ。この先三条大橋の辺りに山城桜花戦用の特設舞台があるんだ」

「そう。じゃあ行きましょうか」

 

 対局が終わった後なら、少しこの中に加わっていってもいいかもな。そんなことを考えながら鴨川沿いに北上しだす。その直後、川縁に腰掛けるカップルたちからヒソヒソ声が聞こえてきた。

 

「あの子、超かわいいー。芸能人かな?」

「小学生くらいだよね? 隣にいるのは高校生?」

「手つないでるけど兄妹? 顔似てないけど……」

「ここ鴨川だし、もしかしてカップルとか?」

「えー? それはヤバいでしょ。犯罪だよ。犯罪」

「通報したほうがいいのかな?」

 

 うん。まあ、そう言う反応になるよね。俺と天衣が腕組んで鴨川沿いを歩いてたら。無心になって通り過ぎようとしたところちょんちょんと腕を引かれる。

 

「どうかしたか、天衣?」

「ちょっと」

「うん? 何か———んむッ!?」

 

 何か内緒話があるらしいと体をかがめたところ、急にキスされた。天衣に。そして。

 

「見ての通り恋人よ。文句ある?」

 

 ヒソヒソ話をしていたカップルに向かい、そう吐き捨てる天衣。

 

 ちょッ!?

 

 水を打ったように静まりかえる鴨川沿いの小道。けれどバシバシと視線は飛んできている。はははーと愛想笑いして天衣の腕を引くと脱兎の如く退散することにした。

 

 鴨川から一本西へ入った路地に入る。そこで天衣を問いただす。

 

「天衣サン。どうしてあんなことするかなぁ?」

「嘘はついてないわ」

「いや。それはそうだけど。周囲から俺たちがどう見えるかは分かるだろ?」

「そんなの知らない」

 

 そう言ってそっぽを向くと頬を膨らませる天衣。珍しく子供っぽい仕草で不満を示している。どうやら譲る気はないらしい。仕方ないな。これはこれでかわいらしくはある。それに俺との恋人関係に執着してくれているのは俺も嬉しいのだ。

 

「そんじゃ行くか」

 

 膨らんだ頬を指で突いてプニ感を味わってから手を引いて歩き始めた。俺たちが飛び込んだ路地は先斗町だった。京都の路地裏街のイメージそのままで独特の風情がある。

 

 天衣と二人、興味深くキョロキョロとしながら歩く。先斗町は本来飲み屋がひしめく細長い路地だが、朝ということで営業してる店もなければ歩いている人もそういない。というわけで俺たちに奇異の目を向けてくる人もいない。十分に堪能することができた。

 

 やがて路地の右手に歌舞練場という古めかしい建物が現われた。確かこの辺りに舞台があるはずだな。ちょっと先の横道から鴨川沿いへ戻る。すると。

 

「へえ。こんなところで将棋を指すのね」

「すげーな」

 

 川の上へ突き出した特設舞台。光差す舞台に鎮座する一面の将棋盤とその盤を挟んで座る二人の美女。それらはいやが応にも注目を集め、周囲は見物客でごった返していた。

 

「集中力は削がれそうだけど、楽しそうは楽しそうね」

「まあ、天衣は度胸があるから大丈夫だろうなあ」

 

 そんなことを話しながら人混みを回り込んでいくと将棋関係者に発見され、中へと案内された。昨日別れ際に月光会長から大盤解説を依頼されていたからだ。天衣と二人観衆の前に立つ。

 

 そういや、さっき係の人から他に小学生は連れてきていないのか聞かれたが何だったんだろう? あいのことかな? VIP席がどうとか言ってたけど。

 

 小さく可愛らしい棋士の登場に周囲はどよめいた。逆に彼女のことをよく知る観衆からは「天ちゃーん。俺だー。罵ってくれー」などと歓声が飛ぶ。

 

 さあ、大盤解説の始まりだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 山城桜花戦は大熱戦の末、供御飯さんの勝利で幕を閉じた。女流タイトルにおける永世資格にあたるクイーン。クイーン山城桜花の誕生である。両対局者へのインタビューを終え、近くのホテルで打ち上げを行った。

 

 その後、この日の予定を全て終え、すっかりと夜になったころ。天衣と二人、鴨川へと戻ってきた。鴨川名物の中に俺たちも一組のカップルとして加わるために。こういうのは経験だからな。ちょうど良く空いたスペースへ二人腰掛ける。二人の肩が密着するように。

 

「今日はお疲れ様。どうだった?」

「とても楽しいデートだったわ」

「いや。それは俺もだけど。そっちじゃなく、タイトル戦のことを聞いたつもりだったんだけどな」

「そうね。でも一番の目的は八一先生とのデートだったから」

 

 苦笑する俺。もちろん嬉しくもある。でも俺は天衣の将棋の師匠でもあるから。そんな俺の気持ちを察してくれたのか、本題に入る天衣。

 

「いい刺激を受けたわ」

「そっか」

「まさか、二人がタイトル戦の最終局であんな戦型を選択するなんてね」

「そうだな」

 

 月夜見坂さんが穴熊に囲い、供御飯さんが左美濃から銀冠に変化させながら熊退治を挑んだ意外にすぎる一戦。まだ春のこの時期に、それも女流の公開対局に対して名局賞へと推す声が聞こえるほどの熱戦となった。

 

「けれどマイナビの挑戦者決定戦は逆に難しくなったわね」

「そうだな。今日の棋風でくるのか、あるいは得意の穴熊に戻すのか」

「本人も今後どうするべきなのか、まだ迷っていたみたいだしね」

 

 確かに。そのようなことを対局後のインタビューで供御飯さんも言っていた。

 

「まあ、実際に当たる前に供御飯さんの新スタイルを見ることができて良かったと前向きに考えるしかないな」

「ええ。でもね、本当はそこまで気にしてはいないの。穴熊対策はきちんと仕上げるし、正面から向かってくるなら実力でねじ伏せるだけ」

 

 そう言って俺の顔を見上げてくる天衣。

 

「強気だな」

「ええ。今の私は。八一先生と恋人同士になれた今なら誰にだって負けやしないわ。一番得がたいものを得たんだもの。供御飯万智にだって空銀子にだって。決して」

 

 才気と自信と意思と。全てを兼ね備えて内側から輝かんばかりの少女。勝負に挑むものとして最高の状態にある。今の彼女ならきっと。

 

「そっか。ならこの話はここまでだ。ここからは」

 

 恋人としての時間だ。

 

 美しい曲線を描くその顎に手をやってくいっと持ち上げる。そっと瞳を閉じた彼女の唇に口づけを落とした。

 



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第九章.灰被りの戴冠
01.挑戦者決定戦


いよいよ第9巻の内容に入ります。
甘々だった前回までとは真逆の内容だぜぇ。


 9二香。

 

 穴熊を採用することは最初から決めていた。この日、マイナビ決勝戦。そして女王位への挑戦者決定戦。曲がりなりにも私を女流トップ棋士へと押し上げてくれたこの戦法で、新世代の棋士を迎え撃つと。

 

 目の前の少女。5年生の小学生、齢は僅か10歳に過ぎない文字通りの少女。夜叉神天衣。昨年公式戦に初めて姿を現すやいなや、瞬く間に無敗で駆け上がり私と同じ舞台まで昇ってきた。クイーン山城桜花の私と同じ舞台に。

 

「まだまだこなたとお燎の時代は終わりませぬ。終わらせぬわ」

 

 新世代の台頭か、あるいは単なる偶然か。この一戦にはその評価を決定づける意味合いがある。『空銀子』という異端児の存在はあれども女流棋界の中心は私やお燎の世代。そう世間に意識付けるためにも負けられない。

 

 ここで叩く。それはつい先日の山城桜花戦でお燎を破った私の役目だろう。お燎が準々決勝で勝ってくれてれば楽だったのにとは思わない。……ちょっとだけしか。

 

「こなたの花盛りはまだまだこれから。咲ききらぬうちに散るなど、寂しゅうおざりますからなぁ」

 

 必勝の意思を込めて今日の対局には和装で臨んだ。そして選ぶ戦型はエース戦法である穴熊。「絶対に譲らぬ」そう決めている。

 

 天ちゃんの先手で始まったこの対局。両者角道を開けた後、天ちゃんは飛車先の歩を突いて居飛車戦を明示。対して私は4筋の歩を突いて角道を塞いだ。そこへ飛車を振る。

 

 6手目4二飛。四間飛車。

 

 互いの戦型が決まったところで駒組みを進める。玉を右へ。天ちゃんは一手遅れて玉を左に進める。互いの玉が向かい合う対抗形。千日手はない。キッチリ決着を着ける。

 

 そして18手目9二香。

 

 戦型を四間飛車穴熊とした私を見て、天ちゃんはふんと鼻で笑った。ここまでは予想通りというところか。果たして私の穴熊にどんな対策を用意してきているのか。それはすぐに明らかになる。

 

 21手目9八香。

 

「9八香!?」

 

 天ちゃんが出した答えはまさかの居飛車『穴熊』。両陣地にみるみるとうちに囲いが出てくる。非常によく似た囲いが。『嬲り殺しの万智』に『穴熊』で持久戦を挑む。大胆不敵な選択。

 

 向かい側を睨めつければ、涼しい顔で顎をしゃくってみせる。自信に満ちた鷹揚な態度。まるで「自分の方が上位者だ。胸を貸してやる」とでも言わんばかりの。

 

「来なさい。踊ってあげる」

「よぉほざいたわ!」

 

 

 攻防は右辺での歩の突き合いから始まった。

 

 50手目。1九角成

 

 先んじて角を成り込む。歩の突き捨てには付き合わない。と金を作られる代わりに飛車と馬を中央の戦線へ引き戻す。双方から立て続けに4筋5筋へ手駒が打ち込まれ、瞬く間に中央が主戦場となった。中盤は中央でのねじり合いだ。

 

 72手目4九歩成。3二飛成。2五歩。7九金。7二銀。5三桂成。同金。同と。同馬。4五歩。5七歩成。同歩。5九と。5六歩。同香。

 

 どちらも時折自陣のバランスを整える他は中央での殴り合いに終始する。

 

 87手目4四金打。

 

 天ちゃんが強い手を放ってきた。飛車・馬どちらかの交換を迫る一手。

 

「引かぬわ!」

 

 無視して香車を走らせる。

 

 88手目5八香成。

 

 代わりに馬を喰われたが気にしない。今は主導権を渡さないことが大事。馬を喰った金を飛車で取り込んで天ちゃんの攻撃の目を摘む。後は5筋深くに突き刺した、と・杏2枚を起点に横腹を食い破って———

 

 その時、わたしの杏のすぐ脇で天ちゃんの守備陣最外辺を守っていたはずの角が摘まみ上げられた。

 

 91手目3五角。

 

「これは……」

 

 私の飛車を咎め、躱せばこちらの奥深くまで飛び込んで来かねない。なおかつ自陣の守備にも変わらず利いている。攻防一体の一手。

 

「主導権は渡さぬわ!」

 

 飛車を進める。攻め続ける姿勢!

 

 92手目5六飛。

 

「あらあら。それで良かったのかしら?」

「んなッ!?」

 

 93手目7二竜。

 

 竜を切り飛ばしてきた。強い一手。主導権が———移った。

 

 94手目。同金。6一銀。7一金打。7二銀成。同金。6一角。7一香。7二角成。同香。6三金。5四角。6二金打。7一銀打。同金。6三角。6二角成。7一銀。同馬。

 

 受けて凌ぐ。どこかで。どこかで主導権を取り返さないと。

 

 112手目8二金。同馬。同玉。6二金。7一桂。6三金。同桂。6二銀。

 

 主導権を。

 

 120手目3一飛。5四歩。同飛。5三歩。8四歩。2一と。3九飛成。5二歩成。同飛。7一角。8三玉。5三銀成。6九と。6三成銀。

 

 あ……。詰んだ。

 

 お燎との激戦をくぐり抜けたことで読みの力が上がったのか。長手の詰みが見えてしまった。私の。目の前の少女にはいつからこの形が見えていたというのか。おそらく私が攻めにこだわったあの場面———

 

 嬲り殺しの万智が攻め急ぎ過ぎたか……

 

 居住まいを正して、形作り。そして。

 

「負けました」

「……ありがとうございました」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「勝てないとは思っていませんでした」

 

 対局後、記者陣に囲まれた少女が答える。激戦の疲れを感じさせない堂々とした態度だった。その姿を見ず、声だけを聞いていればまさか小学生が話しているなどとは誰も信じないだろう。

 

 ごちゃごちゃとうるさい女性リポーターを一睨みで黙らせる。静かになったところで神戸のローカル新聞社の記者が彼女に問う。

 

「夜叉神さん。今日の対局ではこれまでとは一段異なる力強さを感じました。それこそ進化と言っていいほどの。この短期間に何かあったのでしょうか?」

 

 そう。それは私も感じていた。確かに夜叉神天衣は以前から強かった。それこそ今日の対局も負けてもおかしくないと思っていた。けれど。

 

 

 今日の彼女は()()()()

 

 

 終わってみればまるで対抗できていない。掌の上で踊らされたかのような手応えのなさ。圧倒的な力量差があった。

 

「そうですね。何かあったかと言えばありました」

「それはいったい」

「あまりペラペラと話すようなことでもないので……大切なものを手に入れた、とだけ」

 

 抽象的な。けれど意味深な一言。周囲の記者たちはまったく理解できない。けれど私は。その言葉にズキンとした胸の痛みを覚えた。

 

「タイトル戦という大舞台で挑戦することとなった空女王は同じ清滝一門の系譜ですが、戦いにくさは感じておられますか?」

「それはありません。それはそれ、これはこれですから。一門と対局は別です。相手は無敗の女王。やりがいこそあれど戸惑いはありません。そして挑む以上は必ずタイトルを奪い取ります」

 

 

 そう言い切った少女は自信に充ち満ちていた。これは抗えない新時代の訪れ———

 



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02.前哨戦

 海を見下ろす斜面に建てられた墓所の奥。私は父と母の墓標に向かって話しかけていた。小一時間ほどお父さまに向かい話し続けた後、今度はお母さまに語りかけた。

 

「ご存じですか? 私は今『神戸のシンデレラ』って呼ばれているんですよ? 笑ってしまいますよね。私がシンデレラなんて……お母さまは嬉しいですか?」

 

 黒い墓石に向かって問いかける。お母さまは……笑ってくれた気がした。あの時と同じように。

 

「そうですね。実は私も今ではこのニックネーム、割と気に入ってるんです。今の私は信じられるんです。たとえ灰に塗れても、その中から立ち上がってお姫様になれるって。そして王子様と出会って恋に落ちるような……そんな世界を」

 

 そもそも私には人を好きになる気持ちが分からない。なんてそんなことを思っていた。自分の他は全て敵。それが勝負の世界で、私はそんな潔癖な部分を好いている。だから恋というモノを知らない。そんなふうに考えていたけれど。なんのことはない。恋は最初からこの胸の中にあった。

 

「お母さま。好きな人ができました。ううん。それどころかもうその人に思いを伝えて。受け入れてもらって。……付き合い始めています。報告が遅くなってごめんなさい。お母さまは喜んでくれますか?」

 

 お母さまの笑顔がさらに深くなった……ような気がする。きっとそう。だってお母さまは恋とかそういうお話が大好きだから。娘の恋愛話なんて大好物だと思う。

 

「お父さまは私にはまだ早いなんて言うでしょうか。でも相手のことを教えたらきっと許してくれると思います。それどころか喜んでくれるかも。よくやったって」

 

 そもそもお父さまがこの恋のきっかけなのだから。当時1歳だか2歳だかの私に散々八一先生のことを刷り込んだのはお父さまだ。少なくともお父さまに反対する権利はないと思う。間違いない。

 

「さあ、そろそろ行かないと。次に来るときには必ず……必ず、女王のタイトルをお供えします。私たち三人の夢を」

 

 相手は歴史上最強の女棋士。けれどこの胸に不安はない。必勝を両親に誓った。

 

「恋をした女の子は強くなるなんて言いますけど。なら恋を実らせた女の子は無敵です。絶対に負けません。待っていてください」

 

 私はそう言って、斜面を下りていく。振り向くことはしない。坂を上る時は背中を押してくれた風が今、風向きを変え、再び背中を押してくれていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 3月のとある日。女王戦開幕を目前に控え、天衣への開戦前最後の指導を行っていた。二人して盤に向かっている。

 

「それで八一先生。ここなんだけど」

 

 局面は居飛車対抗形の最新の課題局面。が、俺はびっくりするほど集中できないでいた。それというのも。

 

「こういう展開はどうかと思うんだけど……先生。八一先生ッ」

「あ、ああ。すまんすまん。そうだなぁ。ならこう応じるとどうだ」

「ああ……なるほど」

 

 俺の股間の上に乗っかった、ぷりぷりと弾力のある小尻のせいだった。

 

 俺と天衣。二人とも将棋盤の前にいる。けれど挟んでいるのではなく、俺も天衣も同じ側にいた。どういうことかというと。あぐらをかいた俺の上に天衣が乗っかっているのだ。

 

 密着した天衣の髪や肌からは男心をビンビンと刺激するいい香りがして、いつ俺の息子が目を覚ますか気が気でない。とにかくより高度な将棋の話をして、自身の意識を逸らす必要がある。

 

「そうだ、天衣。姉弟子との対局、どうしていくか既に構想は固まってきてるのか?」

「ん? そうね。例えば後手番ならこうかしら」

 

 そう言って並べていくのは、これは———

 

「後手番角頭歩? 本気か?」

「ええ。もちろん」

 

 天衣は俺を見上げながらにんまりと悪戯っぽい笑みを浮かべている。自信ありってことか。なら一つ試してみるか。

 

「供御飯さん相手に使わなかっただろ? 欠点は改良できてるのか」

 

 代わって先手側を俺が持ち、持久戦になる手筋を並べる。天衣もスイスイと手を進めていく。やはり対策済みらしい。そして出現した局面は。

 

「どう? こんな形なんて八一先生の好みじゃないかしら?」

「…………さすが彼女。俺の好みどんぴしゃだよ」

「嬉しい」

 

 そう言って花のような笑みを浮かべる天衣。けれど嬉しいのは俺のほうだ。だってこんなの奇跡だろ? 棋風なんてのは千差万別だ。師弟ですら棋風が共通なんて事例を俺は知らない。それがどうだ。恋人で弟子の彼女と俺は。

 

「いいものを見せてもらったお礼じゃないけど、これを見てくれ」

 

 今後は俺が最初から手を並べる。まもなく最強の振り飛車党に挑む俺のとっておきの一振り。そして出現するある局面。

 

「ああ……素敵。すごく素敵だわ。八一先生」

「だろ?」

 

 天衣は恍惚とした吐息を漏らした。

 

 それからしばらく。二人で研究を進めた。俺たち二人共通のテーマである、とある局面からの展開を煮詰めていく。あらゆる展開を試し、変化を試み、問題点を洗い出していく。気付けば数時間が経っていた。そして。

 

「おなかすいたわ」

「そうか」

「おなかすいた!」

 

 足をバタバタさせる天衣。珍しく子供っぽい仕草だ。でもまあそうか。夢中になって気付かなかったけどもういい時間だ。

 

「それじゃ出前でも取るか」

 

 だが、バンバンと足を叩かれる。そうじゃないらしい。

 

「ん!」

 

 そう言って自分の口を指し示す天衣。ああ。なるほど。

 

「こうか?」

「んぅ」

 

 天衣の口に一つキスを落とす。そろそろ将棋の時間は終わり、求めていたのは恋人としての時間だったらしい。

 

「どうだ。うまいか?」

 

 俺の問いかけに、天衣は頬を染め上げ、ほぉっと溜息を着きながら頷いた。その様がずぎゅぅぅぅぅうんっっ!! と胸を締め付ける。可愛すぎやろ。こんなの。

 

「んむ? んむぅぅぅ!?」

 

 この後、天衣の唇を無茶苦茶貪った。辛抱たまらんかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「天衣、じゃなかった挑戦者はまだ体も小さいですからね。もうちょっと小さい盤の方がいいんじゃないですか?」

 

 女王戦第一局前日。明日の舞台となる通天閣に見聞のために訪れた俺は用意された将棋盤を見てそう提案した。本因坊秀埋が提供してくれたというその盤はどう見ても8寸盤に近い。足を含めて30cmは10代の女の子、特に天衣には過剰だ。だからそう提案したのだが。

 

「そうね」

 

 先に同意したのは天衣ではなく姉弟子だった。が、もろもろ残念なことに大人としての発言ではなく。

 

「いっそ子供用の盤を用意してもらったら? 『どうぶつしょうぎ』とかちょうどいいんじゃない?」

 

 単なる挑発だった。これに限った話ではなく、見聞の始めから嫌みの連発だ。タイトルホルダーとしてもう少し鷹揚な態度は取れないものなのだろうか。非常に大人げない。

 

 それに対して天衣は。

 

「そうですね。それじゃあお言葉に甘えて。さすがに『どうぶつしょうぎ』とは言いませんが、七寸盤とか、できれば六寸盤に変えていただけますか」

「はい。夜叉神先生。すぐに用意します」

 

 この態度。姉弟子も見習って欲しい。15歳と10歳のはずだが、これじゃどっちが大人かわからんぜ。

 

「……いやに素直じゃない」

「そうですか? せっかく師匠が気遣ってくださってるので」

 

 そう言ってふんわりとした笑みを浮かべて俺を見上げてくる天衣。かわいい。

 

「なにロリにニヤニヤしてんだクズ。ぶち殺すぞわれ?」

 

 こえぇぇ。触らぬ神に祟りなし。とりあえず無視しておこう。

 

「七寸盤しかなければ、明日は少し厚めの座布団を用意してもらうということで」

「承知しました。竜王」

 

 が。さらに突っかかってくる姉弟子。

 

「どうせなら座布団の他に子供用のイスも用意してもらったら? それとも優しい師匠のお膝に乗せてもらって対局する? 私は構わないけど」

 

 おいこら銀子。さっきから毒吐きすぎだろ。なぜか俺のことも刺しに来てるし。

 

「いいんですか?」

「は?」

 

 姉弟子の挑発にけれど天衣は意外な反応を返した。ってえぇ!?

 

「それじゃあお言葉に甘えて、そうさせていただこうかしら」

「……あんた何言ってんの?」

「何言ってるも何も、空先生が言い出したんじゃないですか。八一先生の膝に座って対局しても構わないって」

「…………正気?」

「ええ。最近の指導ではいつもその体勢で指しているのでリラックスして対局できるかなって」

 

 瞬間、対局室となるこの場、通天閣の三階がざわついた。

 

「……今、指導の時はいつも膝の上に座ってるって言ったよな……?」

「JSをいつも膝の上に乗せている……だと……?」

「『神戸のシンデレラ』にそんな……完全に職権乱用だろ……」

「……夜叉神先生のお尻の感触を味わいながらの指導……許せん…………!」

「速報打たないと(使命感)」

 

 誤報ゥ——!! ……じゃないけど、らめぇぇぇ!!

 

 そして時間差で出現する殺気。その主がギヌロンッと睨んでくるが必死に視線を逸らす。背後でも「し~しょ~う?」という声とともに殺気が発生してるので目のやり場に困るが。

 

 そして、この混乱を巻き起こした天衣はパンッと一つ手を打ち鳴らして注目を集めると。

 

「冗談です」

 

 否定してくれた。場は沈静化に向かう。けれど止せばいいのに追求する姉弟子。

 

「……どっちがよ?」

「さぁ? 少なくとも明日、師匠の膝に座って指すというのは冗談ですが、もう一つの方はどうでしょうか?」

「八一?」

「き、揮毫に行きましょう揮毫に! 女王と挑戦者には、今日の前夜祭でお客様にプレゼントするための色紙を書いていただきまーす!」

 

 必死に場を流す俺だが、これは悪手だったらしい。姉弟子の中で疑惑が事実に格上げしてしまった。

 

「頓死しろ、ロリ王!」

 

 

 

 二人の前に筆と墨が用意され揮毫の準備が整う。それぞれ筆を握り墨に浸すと姉弟子は荒々しく叩きつけるように。天衣は一画一画丁寧に走らせていった。

 

『駆除』 女王   空銀子

『絆』   女流二段 夜叉神天衣

 

 姉弟子ェ。そして意外な天衣のチョイス。この後の前夜祭ではそれぞれ意図する所を聞いていいくことになる。正直、姉弟子のは聞きたくないんだが……。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「もうすっかり春ですね。暖かくなって小バエが湧いてきたので、さっさと駆除したいと思います」

 

 やっぱりねぇ……。実にげんなりさせられる。対して天衣は大人だった。臨時で前夜祭の司会をさせられてる俺の心のオアシス。マイスイートハート♡

 

「本格的に将棋の道に入ってまだ1年経ちませんが、このような場まで来ることができました。これもここに集まってくださった方を始め、私を応援してくれたみなさんのおかげです。このタイトル戦は、それら私に差し出された有形・無形のたくさんの手をしっかりと握って絆として結実させるものとしたいと思います」

 

 天衣のファンとして駆けつけた人もそうでない人も、弱冠10歳の、けれど大きな才能を眩そうに眺めている。天衣の眼差しが俺に注がれていることがとても心地良い。話を進める。

 

「絆といえば、空女王は夜叉神さんの同門に当たるわけですが、その辺りはどのようにとらえられていますか?」

「そうですね。やりづらさみたいなものは本当になくて。ポジディブにとらえています。偉大すぎる大先輩ですが、胸を借りるつもりで———」

 

 そこまで言ってチラリと姉弟子を見る天衣。

 

「いえ。必ずタイトルを奪うという気持ちで戦います」

「おい。なんでそこで言い換えた?」

 

 天衣の立派なスピーチに何か気にくわないことがあったらしい姉弟子。

 

「対局する以上は例え上手相手であっても必勝を期して戦うのが礼儀だと思いましたので」

「……本音は?」

 

 更なる姉弟子の追求に天衣はニッコリと笑って———

 

 

「借りるほどなかったので」

 

 

 毒を吐いた。

 

 周囲爆笑。姉弟子大激怒。

 

「ぶち殺すぞ、小童ァァァァ!!」

「姉弟子! 姉弟子落ち着いてくださいィィ! 前夜祭! 前夜祭だからァァ!!」

 

 あわや大惨事となりそうだったので対局者二人は即時撤収。両対局者挨拶直後には主役がいなくなるという前代未聞の前夜祭となった。

 

 胃が痛ぇ……

 

 

 




来週は山に自然破壊に行かないといけないのでおそらく休載となります。
まあ、今週いつもの倍近く書いたので許してクレメンス。


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03.女王戦第一局

 通天閣の三階。この場にはたくさんの人が集っていた。そのことがこれから始まる一戦に対する注目度の高さを物語っていた。とりまく群衆の中心には将棋盤が一面鎮座している。

 

 その将棋盤を挟むように二人の人間が向かい合っていた。上座にはタイトルホルダー。紺色の生地に大輪の朝顔が咲く振袖を纏った白銀の少女。そして対面には挑戦者。紅黒の地に薄桃の桜が密やかに咲く振袖に袖を通した漆黒の少女。いつも下ろしている艶やかな黒髪はポニーテールに結い上げ、対照的に白いうなじを晒していた。

 

 姉弟子が自分のタイミングで駒を並べ始めた。追随する天衣の手つきにもよどみがない。実に堂に入った様だった。勝負への入りは互角。

 

「振り駒です」

 

 言って、奨励会員の記録係が駒を振った。パララララ……と音を立てながら駒が転がり。

 

「歩が5枚です」

 

「ふがごまい。せんては……」

 

 観戦記者の役を仰せつかっているあいが横でメモをとっている。周囲ではおぉっとどよめきが漏れる。先手は———女王、空銀子。

 

「時間やな。ほな始めてもらおか」

 

 立会人の蔵王先生に促され、両者無言で頭を下げる。フラッシュが二人を照らす。そして先手の姉弟子が盤上に手を伸ばし、淡々と角道を開けると、飲み物を一口。口内を湿らせた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「いよいよ始まりましたねー」

 

 両者が初手を指し終わり、俺たちは場所を対局室から大盤解説場に移した。姉弟子と弟子の対局とあって解説を頼まれていたからだ。そして俺と相対する聞き手は。

 

「へッ。銀子の次の手は飛車先の歩。意外性も何もねぇ居飛車戦明示か」

 

 攻める大天使こと月夜見坂女流玉将だ。二人と因縁がある実力者だと言う理由から俺が指名した。それに理由はもう一つある。

 

 対局室の中継映像では、両者角道を開けた後の三手目。姉弟子が飛車先の歩を突いたところが映し出されていた。

 

「おいクズ。黒髪チビがどんな戦型を選ぶつもりか聞いてんのか?」

 

 月夜見坂さんは相変わらず口が悪い。本当にぶれないなこの人は。雑誌に掲載する手記なんかは綺麗な言葉遣いで書くのにな。

 

「ええ。一応は。月夜見坂さんに聞き手に来てもらったのはそれも理由の一つで」

「あん? そいつはまさか……」

 

 月夜見坂さんが怪訝な顔で呟いたその時、観衆がざわめいた。映像の中で挑戦者が次の手を指したのだ。その手は———

 

「どうやらそのまさかが出たようですね」

「かッ———」

 

 月夜見坂さんも会場のみんなも、みなが天衣の一手に驚愕する。そう。天衣のその一手は。

 

「「角頭歩ッ!?」」

 

 角頭の歩を突く一手。まさかの奇襲戦法!

 

「……へッ。だからオレを聞き手で呼んだってか? 舐めた真似すんじゃねぇか?」

「女王がこの将棋、どう受けるのか。それで結果どうなるのか、気になるでしょう?」

 

 月夜見坂さんの獰猛な笑みに、こちらも挑発的な笑顔を返す。それに対して、月夜見坂さんは大駒を掴み。

 

「少なくとも銀子がこの将棋をどう受けるかは分かるぜ。こうだ」

 

 6八玉。左辺の守備陣構築を急ぐ一手。持久戦だ。観衆がほぉと唸る。さすが。俺と同じ読みだ。一度やられた以上は対策をしているか。映像の中の姉弟子も同じ一手を指した。

 

「後手番角頭歩は乱戦への誘いだ。それに銀子が乗らなかったときにどうすんのか。そのアイデアはアイツにあるのか?」

「あるから指したんでしょう。まあ期待して見守りましょう」

 

 俺の一言に月夜見坂さんは面白くなさそうに腕を組み唸る。観衆は息を呑み映像を見つめる。会場が静まりかえった。天衣のその一手を心待ちにして。

 

 けれど。先に会場の沈黙を破らせたのは天衣ではなく姉弟子だった。10手目2二飛と天衣が飛車を振った直後の11手目。

 

 

 7七角。自陣角!

 

 

「ここで自陣角だぁ?……銀子のヤツ」

 

 ギリリと歯噛みする月夜見坂さん。姉弟子のこの一手の凄みを即座に理解できるあたり、やはり彼女も実力ある棋士だ。

 

「ええ。7七角は後手の駒組みも牽制した積極的な一手です。これを放置はできませんので後手は3三角と自分も角を手放さずにはいられません」

 

 けれど姉弟子。その一手。天衣の事前の想定範囲を出ていませんよ。

 

 天衣は早々に角を手放す選択。そして互いの手は進んでいく。天衣から再度角交換を仕掛け、手損が解消されないまま駒組みが進む。そして運命の32手目。選んだ駒は銀。そして出現する局面はあの時と同じ。それは!

 

 

 4二銀型———角交換向かい飛車!

 

 

 

 ◇

 

 

 

「これ、いいでしょ?」

 

 指し終えた銀駒から指を離しながら、目の前の女に問いかけた。挑発の意味も込めて唇の片端を吊り上げて見せながら。

 

「あの人の好み……どんぴしゃですって」

「ッ……」

 

 空銀子の鉄面皮がピクリと揺れた。角頭歩にはなんの反応も示さなかったけれどこれは効いたか。カオスを起こしてその中心でサーフィンするような、いかにも八一先生好みのこの局面。彼女にとって力の象徴である九頭竜八一を思わせるこの棋風に激発するか、あるいは萎縮するか。きっとそれは———

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おいクズ」

「はい? なんです? 月夜見坂さん?」

「今、黒髪クソチビが何か言ってなかったか?」

「へ? な、何をです?」

「人の好みがどうとかって……」

「き、気のせいじゃないっすか?」

「チッ……適当抜かしやがる」

「とか何とか言ってる間に見てください!」

「あん……コイツは?」

 

 36手目。4二飛。

 

「……千日手か」

「ですね。でそうな展開です」

 

 37手目。4八飛。

 38手目。2二飛。

 

「銀子が女流相手に千日手になったこと何かあったか?」

「……いえ。ありませんね。自ら打開して、その上で勝ってきたはずです」

 

 先手番に置いての千日手は負けに等しいと言われる。先手の方が有利な立ち位置だからだ。後手にとっては有利に対局を再開できるため、千日手狙いも立派な戦術だが。

 

 39手目。2八飛。

 40手目。4二飛。

 

 けれど、姉弟子は打開できない。そうすれば負ける。そう姉弟子が考えている証左だ。

 

「姉弟子は認めたんです。この局面で打開したら負けると。夜叉神天衣は今までの挑戦者の中で最も手強い相手だと」

 

 41手目。4八飛。

 

 周囲がざわざわし出す。あの無敗の白雪姫が先手番で千日手に逃げるなんて、と。

 

「灰被り姫が、白雪姫に灰色の星を付けた……ってか」

 

 月夜見坂さんが面白くもなさそうに吐き捨てる。けれど本当の驚愕はこの直後に訪れた。

 

 42手目。4五歩!

 

「「後手から打開したッ!?」」

 

 俺と月夜見坂さんの、そして観衆の驚きの叫びが重なった。そう。この一手は俺にとっても驚きだった。千日手による指し直し狙い。先日の研究会では天衣の狙いはここまでだったはずだ。

 

 その後の僅かな時間で後手から仕掛けて勝てるところまで持っていったって言うのか!?

 

 

 

 ◇

 

 

 

「……何のつもり?」

 

 私の一手に空銀子が問いかけてくる。目つきは険しい。

 

「別に? オバサンをあまり苛めるのも可哀想かと思って。どうぞお気になさらず? 私はこのまま進めても問題ないから」

「ぬかせッ」

 

 43手目。同歩。

 

 空銀子は吐き捨てて手を進めた。貴女は打開できない。でも私ならできる。どちらが上かを格付ける一手。それに怒りを示して。

 

 もちろん千日手を選んで手番を入れ替える方がより確実ではある。ここからの形勢はひどく際どい。私の大局観はそれでもいけると示しているが。けれどあの選択には意味があった。盤上真理を追う以上の意味が。これが女王戦を制するための最後のピース。

 

 その怒りの表情。その裏にあるのは本当に憤怒だけかしら? 空銀子!!

 

 

 

 ◇

 

 

 

「———熱い」

 

 思わず俺は呟いていた。

 

 天衣が千日手を打開したその一手から盤上での争いは一気に激しさを増した。イニシアティブをとったのは後手の天衣だ。

 

 46手目。4五飛。

 

 飛車で敵陣を食い破りにかかる。姉弟子が銀を操って追い払うと、次は手持ちの角を敵陣深くに放り込んだ。

 

 52手目。3九角。

 

 姉弟子の飛車を咎める一手。飛車が身を躱すと歩を喰らって馬を作った。

 

 54手目。6六角成。

 

 かと思えばせっかく作った馬を手放すのを躊躇しない。

 

 61手目。5七角

 

 これに対してノータイムで同馬。切り飛ばして見せた。そしてまたも角を先に盤上へ打ち付ける。

 

 68手目。3九角。

 

 姉弟子の飛車が再度躱し、今度は天衣の桂馬が飛び込んでくる。

 

 70手目。5七桂成。

 

 金取りのこの手を姉弟子は手抜いて飛車を走らせ、最強の駒、竜を作る。天衣はこれを無視して金を取り込む。姉弟子はこれを同金。一旦天衣の攻勢を断ち切った。

 

 75手目。1五角。

 

 今度は姉弟子が天衣の飛車を咎めて揺さぶりをかける。けれど天衣は対策をとるどころか、1四歩として自ら角と飛車の交換を強要した。どこまでも強気だ。そして天衣の攻めが再開する。

 

 80手目。5七金。

 

 姉弟子の同金に対して同角成。本日三度目の馬の出現。姉弟子は守りを剥がされた玉の横に金を打って守りを固めるが、天衣も同じく金を打ち込んでプレッシャーをかける。金が交換され、馬が姉弟子の玉へ寄る。

 

 87手目。7八金。6九金。7九香。5七角。

 

 互いに手駒を密集地帯に打ち込んで激突に備える。先に姉弟子が仕掛けた。

 

 91手目。6八金。同角成。

 

 ここで再度駒が打ち込まれる。

 

 92手目。4六角。5七金。7八飛。

 

「コイツは……どっちがいいんだ?」

 

 月夜見坂さんが呟く。無理もない。形勢はひどく細かい。攻めが成立するのか、守りが支えきれるのか。けれど。

 

「現状、後手がいいです。けれどこの攻めだけでは寄せきれません。その先の手順を間違えると先手が巻き返します」

「……ッ」

 

 解説しているうちに今度は先に天衣が仕掛けた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 96手目。7九金。同飛。同馬王手。同玉。

 

 双方の駒が対消滅を起こし、空銀子の玉周辺に空白地帯が生まれる。この攻防だけでは攻めきれなかった。でも問題ない。これも読み筋だ。大切なのは攻守のバランス。

 

 100手目。5六金。

 

 先んじて相手の攻めの基点となり得る角と銀に圧力を加える。たぶんここは手抜いてくる。

 

 101手目。5四歩。

 

 やっぱりね。銀を下げる。ここは固い。そうそう抜かれることはない。空銀子もそう判断したのか、桂馬を打ち込んで玉頭へプレッシャーをかけてきた。ここで手抜く余裕が生まれる。先ほどの金で角を取り込む。さあ、もう一度よ。

 

 106手目。5七角王手。8八玉。5八飛王手。7八金。

 

 そして、110手目。7五角成。

 

「角を切り飛ばした!? 桂馬と交換する形で!?」

 

 歩の前に馬を晒した私の一手に驚く空銀子。問題ない。あの桂馬を取り去れるなら馬を捌く価値は十分ある。次は銀を落とす。攻守のバランスを維持する。この対局はまだまだ終わらない。

 

「さっさと倒れろ、なんて無粋なことは言わないわ。さあ。もっともっと踊り続けましょう?」

 

 ほんの少しでもバランスを崩せばたちまち落命するタイトロープダンス。私が渡りきれなければ貴女の勝ち。でも…………渡りきれたなら私の勝ちよ?

 

「小童ァァァッ!!」

「来なさいッ!」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 姉弟子が逆撃を仕掛けた。竜を二段に降ろして横撃を示唆する。天衣はすぐさま4一へ歩を打って跳ね返す。金底の歩は岩よりも堅い。それは姉弟子も承知の上だろう。今度は歩を前進させて玉頭を脅かす。天衣は同銀としてこれを凌ぐ。

 

 さらに姉弟子の攻勢が続く。

 

 117手目。5三歩成。同銀。4三角。

 

 竜からの壁になっていて動けない天衣の金の頭上に叩きつける大胆な角打ち。これに対して天衣は。角の道を塞ぐでもなくその進路から金をひょいっと横にずらして対処した。

 

「それで受かってるのか……!?」

 

 月夜見坂さんの言うように一見手緩い対応に見える。後々に災いを招きそうな。できれば角の進路を塞いでしまいたくなるところだ。けれど。

 

「いえ。あの位置で対処可能です。むしろ側面・上方双方からの攻撃に睨みを利かせることができる積極的な一手です」

 

 俺の解説に観衆が歓声を上げる。姉弟子は玉頭へ、そして次はまた側面へ。揺さぶりを続ける。けれど手が遠い。天衣も手抜いて攻撃を仕掛ける。

 

 124手目。6六桂。

 

 これを姉弟子も金を一マス下げるだけで凌げば、今度は天衣が玉の頭上へ歩を叩きつけていく。それを姉弟子が手抜いて逆撃。8筋で向かい合う二人の玉の間で壮絶な殴りあいが展開される。

 

 127手目。8三歩王手。

 

 天衣は7筋へ玉を逃がすだけで対処を終えた。その間に姉弟子は8六銀として頭上の歩を除く。

 

 130手目。8五歩。同桂。7五銀。8七角成。8六銀。同馬。7五銀打。9七馬。8六香。8七銀。同香成。同角成。8六歩。同馬。同銀。同馬。

 

 壮絶な殴り合いが続く。一進一退を入れながらも双方譲らない。二人とももう分かっている。7筋・8筋の四から六段にかけて。この領域を制したものが勝利を掴む。だからこそ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 しぶとい……分かっていたことではあるけれど。いい加減嫌になるしぶとさだ。

 

 空銀子の序盤戦術に光るものはない。だからこそ序盤の構想力の差で後手番の不利を跳ね返した。中盤にははっきりと緩手があった。そこで私が優位に立った。そこからずっと優位は譲っていないが押し切れてもいない。どころか、ともすればこちらの首を跳ね飛ばされかねない状況にある。

 

 空銀子はその瞳を真っ青に染めながら、押し返そうと圧力をかけてくる。まるで心のない巨人のように。

 

 けれど。

 

 そうではない。彼女は決して無謬の存在なんかではない。無敵の巨人なんかでは断じてない!

 

 過去の彼女の戦歴が、ここまでの棋譜がそう物語っている。

 

 譲るな。一歩たりとも。

 

 空銀子に分からせろ。刷り込め。私の方が上なんだと。

 

「……さっさと潰れろ」

「はッ。まだわかっていないの? ことここに至ってアンタに余裕なんかない。私たちはもはや対等、いいえ、私の方が上よ。前時代の遺物は道を空けなさい。空銀子」

「…………ほざけ」

 

 吐き捨てて空銀子は手を進める。

 

 145手目。同馬。

 

 熱い。胸の奥で恒星が燃えさかっているよう。大きく息を吸い外気で体内を冷やす。

 

 思考を回転させろ。読みを入れろ。勝負を急ぐな。相手が相手だ。楽に勝てるなんてない。

 

 146手目。7五銀。7七馬。7六銀。7八歩。8六歩。

 

 攻守で常にほんの少しの優位を保ち、地獄の底まで踊り続けろ。

 

 151手目。8二銀。6二銀。5六歩。同金。9一銀。

 

 相手が目一杯踏み込んできた。恐れるな。踏み出せ。最強の駒。玉自身を進めて火の粉を打ち払う。

 

 156手目。8三玉。8九香。6五角。8四歩。同玉。9七玉。9三桂。

 

 もっと。私はまだまだ踊れるわよ。貴女はどう、空銀子?

 

 163手目。同桂成。

 

 そう。まだ踊れるのね。貴女も。それじゃあもう一度いくわよ?

 

 164手目。8七銀成。同香。同歩成。同馬。同角成。同玉。

 

 読みが加速する。脳内将棋盤が最善手をはじき出し続ける。空銀子の守りは全てなぎ払った。互いの玉が二マス空けて向かい合っている。私の玉頭も露出しているが問題ない。

 

 長かったこの対局も、先ほどから終わりが見えている。局面は詰みまでの手順を辿りだしていた。

 

 さぁ。幕よ。

 

 私は手駒から一枚の駒を摘まみ上げた。

 

 

 ◇

 

 

 

「———熱い……!」

 

 あまりにも熱い対局だった。最後までどちらに転んでもおかしくないシーソーゲーム。双方の意地と全ての棋力がぶつかり合い、鎬を削りあった結果生まれた名勝負。けれどどんな勝負事にも最後には白黒がつく。

 

 天衣が手駒から持ち上げた駒を盤上に打ち付けた。

 

 170手目。8五香。

 

 玉頭を串刺すその一撃に姉弟子は頭を垂れた。

 

 

 

 女王戦五番勝負第一局。勝者、夜叉神天衣。

 




6,000字オーバー。これまでで最長の話。
正直書きすぎた感があり燃え尽き気味。
あと残りの対局……どうしよっか。
(まあ筋は決まっているのですが)


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04.女王戦第二局

今回もちょいと長めです。


「まさか…………こんな形でここに戻ってくるとはねぇ」

 

 宿を見上げながら呟く俺。つい半年ほど前に俺が死闘を繰り広げた舞台。温泉旅館『ひな鶴』。和倉温泉が誇るこの名宿にやってきたのは別に竜王戦を回顧してではなく、ここが女王戦第二局の舞台に選ばれたからだった。

 

 あの時と同じく、姉弟子と天衣、それにあいや師匠もいる。あの時と違うのは桂香さんがいないことくらいか。桂香さんは道場を空けられないとのことで、大阪に残っている。

 

「お待ち申し上げておりました」

 

 丁寧でありながらも鮮烈な存在感を放つ女将さん。世界中のホテルマンから尊敬を集める彼女の礼は、ただそれだけで衆目を引きつけていた。

 

 清滝一門を代表して俺が挨拶を交わす。そして。

 

「ただいま。お母さん」

「もう。自分のタイトル戦がここで行われる時まで敷居をまたぐことは許さないと言ったでしょうに……しょうのない子ね」

 

 感動の親子の再会だ。厳しいことを口では言いつつも、我が子を抱きしめるその顔は嬉しそうに綻んでいる。それはそうか。なんと言ってもたった一人の愛娘なんだから。

 

 その後、女将さんに案内されて記者会見および記念撮影の場である将棋ミュージアムへと案内された。そこは将棋ミュージアムなどではなくあいちゃんミュージアムだった。何を言ってるか分からないと思うが俺も(以下略)

 

 それから東京からの関係者一同が合流し、会見と撮影が始まった。始まった、の……だが。会見場は異様な空気に満たされていた。挑戦者の天衣は質問ににこやかに答えているのだが、姉弟子は完全に無言。表情すらピクリとも変わらない。ピリピリツンツンしていた。

 

 まあ、俺も竜王戦の負けが続いた第二局や第三局の時には全く余裕がなかった。それが姉弟子にとっては対女流棋士戦初敗北でもある。いつもの愛想笑いすらないのも無理あるまい。第二局の聞き手役として来てくれた鹿路庭さんが何とか場を繕ってくれていた。

 

 その後の前夜祭でも歪な両者の状況は続き、それを周囲が必死に盛り返すのだった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「ふんふんふん♪」

 

 前夜祭などのイベントごとが終わり夜。旅館の通路をヒタヒタと歩く。縁側の薄暗い道も勝手知ったる我が家。鼻歌交じりに行く。目的地はもうすぐだ。

 

 この宿でも最もランクの高い一室の前で足を止める。ノック替わりに一声かけて戸を開いた。

 

「こんばんはー。空せんせー」

「……何の用よ。小童」

 

 部屋の奥からこちらを睨む白髪頭の少女。相変わらずの小童呼びだ。

 

「そんなに睨まないでくださいー。激励に来たんですからー」

「……あんたが? 私に激励?」

 

 さらに怪訝な顔をするオバサン。

 

「そうですよ? 空先生にはこの対局何としても勝って欲しいんですから」

「何であんたが私の応援なんかするのよ? どっちかと言えばあっちの黒いの側でしょう? あんた」

 

 そう見えるのかな? 天ちゃんともガンガンに敵対してるんだけど。前から。でも確かに今までならオバサンの方が目障りだったかな?

 

「うーん。確かに前なら天ちゃんの応援をしてたかもしれないですけどー。状況が違うじゃないですか。今は!」

「……状況?」

 

 もう! 呑み込みが悪いなぁ! 年寄りは!!

 

「ほら。天ちゃんが師匠と付き合い始めちゃったじゃないですか! だからですよ! これでタイトルまで取っちゃったらもっと調子に乗るでしょ? 天ちゃんが!!」

「ッ……!?」

「あの二人、人が見てないところではチュッチュチュッチュして。この間もあいにも内緒で二人京都に一泊旅行行って、夜の鴨川でキスしてたらしいですよ! あい聞きました!!」

「………………」

「許せないですよね!? 師匠のだらぶち! 天ちゃんの泥棒猫!!」

「…………なんて……?」

「だから、何としても空せんせいに勝って欲しいんです」

「……今、なんて言った……?」

「だから———」

「今、なんて言ったのッ!! 小童!! 答えろッ!」

 

 突然の怒鳴り声。驚いてビクッと肩が跳ねてしまう。

 

「……だから、天ちゃんが八一先生と付き合い始めたって」

「……八一の、彼女になったの? あの黒いのが?」

「だからそう言ってるじゃないですか……もうキスも何度もしてるって」

 

 顔を真っ青にして固まるオバサン。…………これはまずったかな?

 

「……………出ていって」

「へ?」

「出ていけッ!!」

「ひゃい!」

 

 ヒステリーを起こしたオバサンに強制的に部屋から追い出されてしまう。ヤバい。ヤバいよー。完全に裏目った。トボトボと自室に戻りながらも心の中で頭を抱える。

 

 天ちゃんに不利になるように立ち回るはずが、逆に塩を送ってしまったかもしれない。まさか二人が付き合いだしていることをまだ知らないなんて。情報が遅すぎるでしょ。関西連盟の関係者はみんな薄々気付きだして、師匠のロリコン呼ばわりが強くなってきてるのに。そんな中で最も身近にいるオバサンが気付かないなんて想像できるはずないよ。オバサンのぼっち具合ハンパなかった。

 

 これはあい、悪くないよね。そうだ。前もって教えておかない桂香さんが悪いんだ。それに案外、激発して天ちゃん憎しでパワーアップするかもしれないし(すっとぼけ)

 

 うん。きっと大丈夫!(希望的観測)

 

 

 

 ◇

 

 

 

 翌日。女王戦第二局は天衣の先手番で幕を開けた。昼過ぎから始まった大盤解説は鹿路庭さんの独壇場だ。毒舌や自由奔放なトークで会場を沸かせていた。衣装もトークも最初からアクセル全開。それというのも———

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

 後手番の姉弟子は、手番の差をひっくり返すため序盤から積極的に仕掛けていた。けれど、天衣の老獪とすら言える軽快な差し回しにことごとく裏目に出て、的確に咎められてしまった。

 

 あまりに姉弟子らしくない浮ついた緩手・悪手の連発だった。対女流での初黒星、経験のないリードされた状況でのタイトル戦が姉弟子に相当のプレッシャーをかけていたのだろうか。無理もないかもしれない。

 

 結果、昼食明けにはプロ的に見てもう勝負は終わっていた。現在の注目は将棋の内容ではなく、いつ姉弟子が投了するかだけ。

 

 だからこそ鹿路庭さんは必死に盛り上げてくれた。俺ら会場に来ているプロ棋士を壇上に連れ出し、イジって観客を爆笑させたり、ミニイベントで場を盛り上げる。観客を退屈させない。この場に来たことを後悔させない。

 

 その精力的な進行に感謝を述べると。

 

『いやいや。これが普通ですよー』

 

 鹿路庭さんは当然のような表情で、

 

『銀子ちゃんの登場するタイトル戦の大盤解説会って、どれもこれくらいサービスしないと、もう盛り上がんないですからね。まあ今日の展開は意外でしたけど』

『?』

 

 話を全く飲み込めない俺に、鹿路庭さんが教えてくれる。女流棋士にとって姉弟子がどういう存在だったのか。どれだけあがいても傷一つつけられない無敵のボスキャラ。絶望的な敵。

 

『銀子ちゃんの将棋ってさぁ、見ててツラさしかないんです。ゲンナリするんですよ。あの子がこれからもずっと自分たちの上に君臨し続けると思うと。勉強したって意味ないじゃん? ってなるんです。だってどれだけ頑張ってもかすり傷一つ負わせられないんだもん』

 

『ぶっちゃけ、今までの女流棋界って停滞してたんですよ。勝敗の決まってる勝負ほどつまんないものはないですし、どれだけいい将棋を指しても「どうせ空銀子より弱いんだろ」って言われちゃう。女流棋界における将棋とは最後に空銀子が勝つゲームだったんです。つい先日まで』

 

 そこで鹿路庭さんの言葉に熱が籠もる。観客もうんうんと頷いている。この場の熱が静かに高まっていた。

 

『その状況を打破したのが、わずか10歳の小学生ですよ! こんなの盛り上がるしかないじゃん。ですよねー?』

 

 その熱が鹿路庭さんの呼びかけで爆発する。天衣のファンも姉弟子のファンもなく、みなが歓声を上げていた。そうか。これまでの状況は姉弟子のファンですらその勝利に飽きていたのか。

 

『そ、それじゃあ挑戦者はどうですか? もしこのまま天衣がタイトルを奪ったとして、それで頂点に君臨したとしたら、トップが変わるだけで女流棋界の状況も変わらないのでは?』

『それは、実はこの間の女王第一局が終わった後からずっと考えてたんです。だけどそうはならないんじゃないかな?』

『それはなぜ?』

『夜叉神さんの将棋って面白いんですよね。生意気だし、将棋も性格も子供っぽいところがなくて正直嫌な後輩なんですけど。でも、気になる将棋を指すんです。あの子の将棋には何かある。それがあるからずっと将棋を指したいって思っちゃうんです。で、そう思うのはなぜなんだろうってもっと突き詰めて考えてみたんです』

『それで?』

『可能性を感じるんです。将棋の』

『……可能性』

『銀子ちゃんの将棋は、ようは可能性の確定です。細かい枝葉の変化を定跡化して、善し悪しをラベル付けしていく。それをどの女流棋士より早く、正確に行ってきた。これはいい手。これは悪い手ってね。ある意味現代将棋そのものかな』

『それに対して天衣は』

『ええ。可能性の拡大です。誰も見向きもしなかった手を持ってきて、こんな手がある。あんな手もある。将棋にはまだまだみんなが知らない可能性がいくらでも眠ってるんだって、気付かせてくれるよう。まあ本人にそんな気はないでしょうけどね』

『…………』

『だってあの銀子ちゃん相手に後手番で角頭歩ですよ? そんな誰もがB級戦術だって位置づけてる戦術で無敵の女王に挑んで、魔法みたいに千日手に持ち込んで。私的にはそれでも十分過ぎるって思ってるところに、自分から打開して、しかも勝っちゃうんですよ?』

『……ですね』

『そんなの見せられたらさ。思っちゃうじゃないですか。私にも、誰も思いもしなかった手が見つけられるんじゃないかって。もっともっと将棋の勉強をしたくなっちゃうに決まってるじゃないですか。そんなの』

 

 鹿路庭さんの独白に、会場から拍手が起こった。きっとここに集まってる多くの人がその言葉に共感しているんだろう。そうか。俺の弟子は。小さかったはずの、今の小さい彼女はそんな存在になっていたのか。

 

『だから、今日もどんな面白い将棋を見せてくれるんだろうって楽しみにしてたんですけど……』

 

 あ。ダメだ。この展開はまずい。このままじゃ姉弟子にヘイトが向きかねない。

 

 けれど、鹿路庭さんはさすがだった。自分の発言が不用意だったとすぐに気付いたんだろう。会場の空気が悪化する前に方向を転換してくれた。

 

『でもむしろ安心しましたよー。《浪速の白雪姫》もちゃんと15歳の女の子だったんだなーって。すっごいプレッシャーがかかってるでしょうし無理もないですよね』

『……ええ、そうですね』

 

 

 

 ◇

 

 

 

「負けました」

「……ありがとうございました」

 

 これで二勝目。女王位奪取に王手がかかった。最高の結果であることには違いない。けれど。対局を終えて、今一度目の前の彼女を観察する。蒼白な表情。

 

 

 おかしい。

 

 

 あまりにも今日の彼女は精彩を欠いていた。確かに壮絶なプレッシャーがかかっているだろう。けれどこの崩れ方は想定の範囲を大きく越えている。私の見積もりが甘かったのか? いや。前夜祭の時の様子はここまでではなかった。

 

 いったい昨日から今日までの間に何があった? せっかく一つ一つ積み上げてきたのだ。ここで不確定要素は避けたい。今日のところはうまくそれが作用しているけれど、何がどうなるかわからないのはまずい。

 

 対局後のマスコミからの取材を終え、和装を解くために控え室に戻る途中。縁側に座って足をぷらぷらさせながら何事かを呟いているあの子を見つけた。

 

 

「……あー。やっぱりまずっちゃったよねー。あれ。オバサン様子おかしかったもん」

「何をまずったのかしら?」

「……ッ!? 天ちゃん!?」

 

 妹弟子の雛鶴あい。その背中に声をかけるとビクッと背中を跳ねさせてこちらを振り返る。表情は驚きの後に気まずさのようなものに変わった。露骨に怪しい。

 

「空銀子のことを口に出してたわね。いったい何をしたの?」

「な、なんのことかな……?」

「誤魔化しても無駄よ。今日の空銀子の様子、変だったわ。さっきの独り言から察するに貴女が何かしたんでしょう?」

「べ、別に……?」

「無駄と言ったでしょう。さっさとはきなさい」

「ホントに何もしてないもん。ただ……」

「ただ、何よ?」

「教えてあげただけだよ。……師匠と天ちゃんが付き合いだしたらしいって」

「ああ……」

 

 なるほど。謎は全て解けたわ。それでショックを受けてあのザマってことね。おおかた空銀子を激発させて私を倒させるつもりだったのが、薬が強すぎて裏目に出たってところか。

 

「ね? ……たいしたことじゃないでしょ?」

 

 脂汗を流してこちらをうかがう妹弟子を白い目で見る。本当にろくなことをしないわね。この子。

 

「……余計な真似を」

「け、結果的に天ちゃんに有利に働いたんだし」

「……ふん」

 

 本当にそれで私が有利になったのなら文句はないのだけどね。もともと第一局までの成功で女王位奪取は9割方達成していたのだ。あとはこのまま予定調和で進めるだけだったのに、この子が余計な爆弾を放り込んでくれた。

 

「何事も予定通りには進まない、か」

「え?」

 

 聞きたいことは聞けた。間抜け面を晒す妹弟子を放置して、控え室への歩みを再開する。

 

 

 

 面倒なことになったわ。私が敷いたレールから外れ、状況はカオス化してしまった。空銀子がこのまま勝手に沈んでいくのならいいのだけど。見極める必要がある。そのためには———

 




茨姫の出番オールカットです。
桜ちゃんホントごめん。


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05.女王戦第三局

初の姉弟子視点


 携帯中継でその対局を観戦していた私は、序盤から驚きに打ちのめされた。

 

「なん……なの? この将棋は……?」

 

 居飛車党の八一が振り飛車を指し、振り飛車党の生石さんが居飛車を指す。それだけでも異様なのに———

 

『九頭竜の飛車は5筋を越えて3筋へ。手が滑って進めすぎたということはないだろう』

『十万局以上にのぼるデータベース上の前例からは既に外れている』

 

「こんな無茶苦茶な戦法でどうするつもりなの、八一……?」

 

 棋譜コメントには棋士室では八一が形勢を損ねていると評価されているとの記載があった。私もそう思う。奇抜な戦法。ただそれだけで生石さんに通用するはずがない。あの最強の振り飛車党に。

 

 理解ができないまま局面は進んで、そして———その瞬間がやってきた。

 

 10手目4二銀。

 

 この一手で八一の狙いが見えた。…………見えてしまった。絶望とともに。

 

 4二銀型角交換向かい飛車。

 

 私にはこれが優秀な戦法だなんてとても思えない。けれどこれによってあの夜叉神天衣に敗れ、そして今、八一が最強の振り飛車党に対してこの戦法で挑んでいる。つまり二人は同じ感覚を共有しているということ……だ。私には理解できない世界を。

 

 八一と生石さんの対局は進んでいき。ついに逆転。そしてそのまま生石さんの投了で幕を閉じた。あの戦法で最強の振り飛車党を打倒してしまった。

 

 スマートフォンを床に投げ捨てる。ベッドに身を投げ嗚咽した。何か自分でも分からない感情に胸を灼かれて。そのまま無為に時間を過ごす。どれくらい経っただろうか。こんな時間にも飽いて立ち上がった。

 

 部屋の中にポツンと置かれた鏡に向き合う。陰気な顔をしたちっぽけな女がこちらを見返していた。

 

「もっと……もっとたくさんのものを捨てないと」

 

 悲しむための涙も。弱音を吐くための声も。逃げるための足すらもいらない。

 

「私には将棋があればいい。考えるための頭と、駒を動かすための指先だけがあれば」

 

 その代わりに私が欲しいもの。それは——力。

 

「強くなりたい」

 

 圧倒的な強さが欲しい。どんな挑発にも動揺しない、水の心が欲しい。どんな相手にも読み勝てる、鋭い感覚が欲しい。どんな絶望の中でも将棋が指せる強さが欲しい。絶対に折れない心が欲しい。お姫様になりたいなんて思わない。私がなりたいものはこの世界でただ一つ。

 

「プロ棋士になりたい」

 

 

 ———なんのために?

 

 

「うるさいッ!!」

 

 この期に及んで心の中から出てきた弱音を握りつぶすように、吼えた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「第二局の大盤解説会は不完全燃焼だったんで、またまた登場☆たまよんで~す! 九頭竜先生と一緒にもりもり盛り上げていきますんで観客のみんなも盛り上がっていこうゼッ!!」

 

 おお——ッ!! と拳を突き上げるお客さんたち。地下アイドルのライブみたいな雰囲気だ。神聖なチャペルで……。

 

 ここは『サン・アンジェリークKOBE』360度あらゆる景色が一望にできる展望室が自慢の結婚式場だ。天衣の地元である神戸へ場所を移しての女王戦第三局。その舞台に選ばれたのだった。

 

 その結婚式場のチャペルに設置された会場で俺と鹿路庭さんが大盤解説会に臨んでいた。祭壇にプロジェクターと大盤を置いての解説だ。前代未聞過ぎる……。

 

「ってなわけで早くも大盤解説会場は温まって来てるんですけど、対局の方はどうなりそうですかね? 姉弟子さん、連敗で落ち込んでません?」

「挑戦者の地元ではありますが、3連敗は是が非でも阻止しようと防衛側も気合いが入っているはずです。前局では力を出し切れていない印象がある女王ですが、続けてそうも簡単にいくとは思えないですよ」

 

 そうして対局が始まる。先手番の姉弟子は無表情のまま初手で無難に角道を開けた。

 

「いやー、銀子ちゃんブレませんね。二連敗して追い込まれた先手番でも安定の塩オープニングです。さてさてタイトル奪取に王手をかけた挑戦者は何をやってくれるんでしょう。まさかまた角頭歩かー?」

 

 鹿路庭さんが会場の期待を煽る。それに乗せられみな中継が映し出されるプロジェクターのスクリーンを見守って。そして。天衣が盤上に手を伸ばした。

 

「え? ……ええーッ!? 初手1二香!?」

 

 天衣は左端の香車をすっと前へ突いていた。

 

「九頭竜先生……これって」

「ええ……明確すぎるほどの居飛穴宣言ですね」

「お弟子サン穴熊、そんなに指したことありましたっけ?」

「いえ。天衣は普段から重い囲いより軽快な指し回しを好みますので、穴熊を公式戦で指したのは挑戦者決定戦での供御飯さんに続いて二局目ですね」

「なるほど。これは面白くなってきましたよ! 挑戦者、まさかの意表を突く初手穴熊宣言だーッ!!」

 

 鹿路庭さんの煽りに乗って会場全体も盛り上がる。が、これは違う。奇襲などではない。会場の中でそのことを唯一知っている俺は、先日のことを思い起こしていた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「おめでとう。タイトル奪取までこれであと一勝だな」

「……ええ」

 

 俺のねぎらいに、けれど天衣の反応は冴えない。女王戦第二局の翌日、俺の家でのレッスンの最中のことだった。

 

「どうした? 何か心配事があるのか? 今日は完勝譜だったのに」

「…………ええ。八一先生に隠し事をしてもしょうがないわね。そう。計画が狂ったわ。これからの展開が見えなくなった」

「計画?」

 

 天衣は深刻な顔をしている。

 

「空銀子打倒のための計画よ。……そうね。最初から話しましょう」

「あ、ああ。うん」

「女王位奪取を狙うに当たって、私はまず、空銀子とはどんな棋士なのかを考えたわ」

「姉弟子がどんな棋士か?」

 

 天衣の話に相づちを打つ。天衣は頷いて話を進めた。

 

「八一先生の姉弟子を語るに当たって一つ象徴的なものがある。『女流棋士と50戦以上して無敗』先日崩れたけれどはっきりと異常な結果ね。プロ棋士高段者ですら稀に女流棋士に負けることがあるというのに」

「まあ、そうだな」

「じゃあ空銀子はプロ棋士高段者より強いのか? これははっきりとNoと言える。奨励会での記録がそれを裏付けてもいる」

「……うん。それで?」

「空銀子には二面性がある。対女流に対しての絶望的なまでの強者としての顔と奨励会の中で勝ち星を上げることに苦しむ普通の棋士としての顔が。もちろん女流と奨励会でレベルが違うことを考慮しても、そのことは顕著に出過ぎている」

 

 天衣の話はどんどん核心に近づいていく。そして。

 

「ここで一つの仮説が成り立つ。空銀子は格下の棋士にはめっぽう強い一方で同格あるいは格上の棋士には力を発揮できないのでは、と」

 

 俺は相づちを打つのも忘れ、息を呑みながらただただ聞き入っていた。

 

「そういった視点から空銀子の過去の棋譜を見ていくと、仮説を裏付ける論拠をたくさん見つけることができたわ。対女流や格下相手の棋譜については全て完勝譜。一つのミスもない。けれど奨励会での同格あるいは格上の棋士に対しては、勝負の別れとなる部分で弱腰な手、はっきりと緩手を打つ傾向が見て取れる。これが精神的な弱さ故なのかは分からないけれど」

 

 そして天衣は人差し指を立てながら言って見せた。

 

「だから私は空銀子に勝つための計画の第一歩として、空銀子自身に私の方が格上かもしれないと思わせることに注力することにした」

 

 それはこれまでの天衣の道のりだった。

 

「研修会入会試験では直接対決を挑んで、彼女自身には思いも寄らない変化を見せつけることで、私の才能を強く意識させた」

 

「マイナビの道中で、女流帝位を、女流玉将を撃破して私の才能を見せつけた。彼女より私の方が才能は上なんだと、彼女自身に格付けさせるために」

 

「そして直前の挑戦者決定戦で山城桜花を彼女の得意戦型で料理して見せた。彼女に今の実力ですら私に追いつかれているのではないかと疑念を持たせるために」

 

 天衣は、あの弟子入り直後の時点から、この女王戦に向けて布石を打ち続けていた。長期間に渡る壮大な計画、何局にも渡る圧倒的な大局観だった。

 

「そして女王戦第一局。後手番からの千日手、さらにその打開。これで完全に彼女の中で私は同格以上の存在となった。結果は知っての通りよ」

 

 そしてその計画の通り無敵の白雪姫に土を付けて見せた。どころか今やその座を奪おうとしている。

 

「素の殴り合いなら勝てる確証も得られた。後はこのままたたみかけるだけ……だったはずなんだけどね」

「……何か不安要素があるのか?」

 

 けれど、天衣の計画には何か狂いが生じたらしい。

 

「第二局での空銀子の様子、おかしかったでしょう?」

「ああ……でもあれは、天衣の有利に働いただろう?」

 

 第二局での姉弟子。何が原因かは知らないがはっきりと精彩を欠いていた。

 

「このまま消沈してくれてるならね。でもあれは劇薬よ。あまりにショックな出来事過ぎて、これまでの彼女の中での序列が全て吹っ飛ぶことになりかねない。そうなったらせっかく積み上げてきたものが白紙だわ」

 

 参ったとばかりに手を掲げて見せる天衣。どうやら彼女は姉弟子のあの様子の理由を知っているらしい。

 

「姉弟子の不調だった原因ってなんだったんだ?」

 

 俺の問いかけに対し、天衣は微妙に困ったような顔をし。

 

「女だけの秘密の話よ」

 

 そう誤魔化した。言いづらそうなその表情。女だけの秘密の話。つまり。

 

「なるほど。生理か。……ツルツルの姉弟子にもついに二次性徴が……桂香さんに赤飯を頼んでおくべきか」

「……止めておきなさい。違うから」

「そうなの?」

「そうよ」

 

 そうらしい。呆れ顔の天衣は頭を一つ振ると話を戻した。

 

「とにかく空銀子の今の状況を早急に見極める必要があるわ。そのためには———」

「そのためには?」

「次の対局は見に回るわ。最悪その一局は捨てる」

「いいのか?」

「私の先手番はもしかしたらもうその次の一局しか来ないかもしれないのだもの。勝負を急ぐよりそこで勝率を上げることを選ぶわ。地元で決められないのは残念だけどね」

 

 

 

 ◇

 

 

 

 事前の宣言の通り、天衣は徹底して受けに回った。それに対し姉弟子は暴力的なまでに分厚い攻撃を的確に叩きつけ続ける。天衣が危惧したとおり、そこに手緩い失着はなかった。

 

 猛烈な攻撃をひたすら鎬続け、天衣の目はただただ姉弟子に注がれ、その一挙手一投足を見守っていた。いったい姉弟子の中でどのような変化が起きているのか見極めるように。冷徹な視線を送り続けた。

 

 やがて、天衣の抵抗も尽き、姉弟子が寄せきるのだった。

 

 

 女王戦五番勝負第三局。勝者、空銀子。

 



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06.女王戦第四局

ここにきて誤爆w
今慌てて体裁を整えているところですw


 女王戦第四局。ここまでは大阪通天閣、和倉温泉ひな鶴、神戸アンジェリークKOBEと各地を転戦してきたが、残りの対局は関西将棋連盟ビルにて行われる。予算が厳しい女流の状況を表しているとも言える。立地の有利さで言えば姉弟子が若干有利だろうか。

 

 ここまでの対戦成績は、女王の1勝2敗。二連敗からようやく一勝を拾ったわけだが未だ天衣が王手をかけた状態だ。今対局はその天衣の先手。果たしてその勝敗は。無敵の女王まさかの失冠、最年少新女王誕生なるか。注目度はいやが上にも高まっていた。

 

 対局室では二人、瞑目して向かい合っている。その胸中やいかに。二人の姿を俺は大盤解説場から見守っていた。

 

『本日の解説は、九頭竜竜王。聞き手はうち、供御飯万智が務めます。よろしゅう』

 

 目の前では、供御飯さんが口上を述べている。俺が言うのも何だがよく受けてくれたと思う。挑戦者決定戦で天衣に敗れた悔しさも癒えていないだろうに。それだけこの勝負の行方が気になるということか。

 

『さて、夜叉神女流二段の初手は5六歩。これは……』

『ゴキゲン中飛車明示ですね』

 

 映像の中の天衣は、盤上中央の歩を突いていた。

 

『お弟子サンは先手でも振り飛車も指すんどすなぁ』

『天衣はオールラウンダーですね。居飛車振り飛車両方指しこなします。特に振り飛車は生石玉将の薫陶を受けていますからね』

 

 周囲からざわめきが聞こえてくる。

 

「居飛車は竜王が教えて、振り飛車は玉将が仕込んだ? それはもう関西トップ棋士による英才教育じゃないか」

 

 ふふ少し気持ちいい。

 

 姉弟子は角道を開けるいつも通りのオープニング。天衣の飛車が中央へ飛ぶ。姉弟子はゴキ中対策のオーソドックスな駒組みを進める。天衣も左銀を繰っていき———

 

 俺は先日の天衣との会話を思い出す。天衣はまず意外性に満ちた一手で姉弟子の頭を強制的に覚まさせると言っていた。ゴキ中が意外性に満ちた一手? いやきっとまだ何かあるな。

 

 そしてその予想はもうまもなく明らかとなった。まず姉弟子も飛車を振る。

 

 12手目———2二飛。

 

『空女王も飛車を振りましたな』

『相振り飛車は感覚的に居飛車と共通する部分が多いですからね。そんなに意外な選択ではありません』

 

 だがその後の天衣の指した手は。意外なんて一言で表せるものじゃなかった。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 さあ、目を覚まして。思い出しなさい。空銀子。目の前の相手は。私は。才能も実力も貴女を上回る敵手よ。

 

 15手目———2八飛。

 

 中央へ振った飛車を初期位置へ戻した。一手損角換わりならぬ二手損居飛車といったところかしら。空銀子は目を見開く。今までに一度たりとも見たことがないだろう局面。意味が分からないと言った顔ね。

 

 ひとまず飛車先の歩を突いてくる。駒組みを進める。空銀子は玉を右辺へ。私は中央へ据える。先に角交換を仕掛けた。同桂とされた後、すかさず自陣角。桂馬を交換した後で成り込んでやった。先に馬をつくることに成功。

 

 桂馬を打ち込んで攻め手を増やしにかかる。空銀子も同じく桂馬の打ち込みでこちらの陣を荒しにかかるが無視。打ち込んだ桂馬を跳ねて成る。飛車を咎めた。空銀子も桂を跳ねさせ私の銀を喰う。王手。同金としている間に飛車には逃げられた。

 

 49手目———4二歩

 

 さらに歩を打ち込んで敵陣を抉る。相手は手抜いて銀を打ち込んできた。同金とし、同銀とされた。こちらからも銀を打ち込み同銀、同銀。これで一旦空銀子の攻めては消えた。

 

 さあ今度はこちらの番よ。

 

 57手目———4一歩成。

 

 打ち込んでいた歩をと金に変える。空銀子が飛車を逃がし。

 

 59手目———4二成桂。同金。同と。

 

 空銀子の守りを1枚剥いだ。手番が相手に移り、逆撃を仕掛けてくる。

 

 62手目———6五桂。6六銀打。5七桂成。同銀。7八銀。

 

 手番が戻ってきた瞬間にこちらも相手を叩く準備。

 

 67手目———8六桂打。6三銀。

 

 次の激突は端から。

 

 69手目———9四歩。同歩。同香。9三歩。同香成。同玉。

 

 空銀子の玉が出てきたところで一旦手じまい。馬を前線から引き戻す。手番が移る。

 

 76手目———6九銀打。王手。

 

 この一撃を、飛車を切り飛ばすことで受ける。

 

 77手目———同飛。同銀。同玉。4九飛。5九金。4二飛成。

 

 空銀子は散々私の陣を荒らし回った後、自陣に残っていた私のと金を取り去りながら竜を作って手番を返してきた。

 

 やってくれたじゃない。次はこっちの番よ。桂を空銀子の玉頭へと跳ねる。

 

 83手目———9四桂。8二金。8五桂。王手。9二玉。9三歩。同桂。同桂成。同金。8二銀。9四金。7一銀成。

 

 ここまでで空銀子の陣を荒らした上で、飛車も取り返した。やられた分はやり返したわよ、空銀子。そしてまだまだ終わりにはしないわ。

 

 空銀子が銀2枚取りを狙い自陣角とした後。それには付き合わず。

 

 95手目。9五歩。7一角。9四歩。8一玉。9三桂。

 

 突入口を開けた端から手駒を叩きつけてこじ開けていく。さあ終わりの時が見えてきたわよ。

 

「悲壮な将棋ね。空銀子」

「ッ……何を?」

「あれもいらない……これもいらない……いろんなものを削ぎ落としていった将棋だわ」

「…………黙れッ」

 

 尻を振って逃げる空銀子の玉を追い詰める。

 

 101手目———8一金打。6一金。9一金。

 

 一縷の望みを求めて空銀子は桂馬を打ち込んでくる。馬・銀両取り。無視。

 

 105手目———9二飛車。王手。

 

「将棋以外いらないと。余計なもの全てを捨てないと強くなれないと思った?」

「黙れェッ! お前に何が分かる小童ァ!!」

 

 苦し紛れの香車での受け。桂馬を跳ねさせる。空銀子も無視して桂馬を跳ねさせる。馬取り。同桂として断ち切る。更に銀を放り込んでくるが、敵陣奥に温存されていた竜へ香車を突きつけて黙らせる。

 

「分かるわよ。だって既に通った道だもの」

「うッ……ぐッ……」

 

 まるで過去の自分を見ているようで恥ずかしいったらない。

 

 空銀子は香車の前に歩を打ち込んで遮ってくる。乏しい抵抗だ。端歩を成らせる。空銀子の玉が逃げる。

 

「…………下らない。私には将棋があればいい」

「そんな考えでいる限り私には一生勝てないわ」

「ほざけッ」

 

 そして激突。

 

 115手目———7一成桂。7七銀成。8二飛成。7二角。6一成桂。同玉。4六香。4三歩。5五桂。4五桂。7一金。5一玉。4五香。3一桂。2四角。3三桂。6三桂。同角。6一金。同玉。4二竜。

 

「この世に無駄なものなんて何一つない。捨てていいものなんてない。一つ一つが。その全てが私の力になった」

 

 私の中に芽生えたこの感情が私を強くしてくれた。人を愛すること。恋に落ちること。この気持ちがある限り私は負けない!

 

 私の竜が空銀子の竜を刈り取ったところで、彼女は静かに頭を垂れた。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 感想戦。気もそぞろに手を戻していく。正直なところ、この場を放り出して八一先生の所へ向かいたかった。女王位を奪取したことの報告をするために。そしてその腕の中に飛び込むために。

 

 我慢だ。もう少し。もう少しだけ。棋士としての礼節を尽くさないといけない。勝ったからこそ余計に。それにしても意外だった。これまでの三局。全て向こう側で感想戦を拒否していたというのに。

 

 巻き戻して84手目。空銀子の手番。そっと示した手順は。

 9二玉。

 受けもしないでただ玉を下げる!? そんなことをしたら8二に手駒を打ち込まれて———。いや詰まないのか? 私の手駒からではそこから詰ませることができない? 守りとして成立してる? だとすると金駒一枚こちらは少なくなってまだまだ難解か?

 

 苛立ちから顔を上げれば、空銀子もこちらを見ていた。唇を片端歪めて。

 

「なに? 見落としてたの?」

「あんただって対局中には気付かなかったんでしょうがッ! クソババアッ!!」

 

 鼻で笑う空銀子に掴みかかるため立ち上がろうとして。

 

「どうどうッ! 天衣抑えろ!!」

 

 いつの間にやら立会人に続いて対局室へ入ってきていた八一先生に取り押さえられる。なんて失態。八一先生にこんな醜態を見られるなんて。この女のせいで!

 

「姉弟子も! 大人げないですよッ」

 

 空銀子はツーンとした顔で明後日の方を見ている。その様がまた腹立たしい。

 

 その後の挨拶と打ち上げは非常に刺々しいものとなった。

 

 




せっかく聞き手として供御飯さんに出てもらったのに、場面の挟みようがなかった。万智さん活躍させられなくてゴメン。


便物語も残すところ最終エピローグのみとなりました。
今後の予定を活動報告に載せています。
よろしければご確認下さい


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07.無限の未来へ

これで本当の最終回となります。これまで応援ありがとうございました。


 こうして俺の愛弟子と姉弟子のタイトル戦は幕を閉じた。

 

 3勝1敗。シンデレラにかかっていた『挑戦者』という魔法は、ガラスの靴を自分のものと証明したことで現実となった。灰被りは本物のお姫様になったのだ。

 

 対局終了後のインタビュー。そして打ち上げ。本番は後日の就位式に譲るとしても、いい式だった。皆が小さな新女王の誕生を言祝いだ。駆けつけた女流棋士は新時代の到来と新たな将棋の可能性に胸を躍らせ、集った観衆達はその小さな身体に詰まったきらめく才能を眩そうに見ていた。

 

 そして本日の全てのイベントが終わり、天衣を見送ることになった。将棋連盟ビルの外には晶さんが車で待っている。あいはなぜか供御飯さんが見てくれている。そんなにあの二人、仲良かったっけ?

 

 人気のない将棋連盟ビルの廊下を、天衣と二人歩く。二人きりになったからだろうか。隠していた疲れが出たのだろう。よろりと壁にもたれ掛かる天衣。

 

「大丈夫か?」

「ええ……さすがに疲れたけどね」

 

 その身体がより小さく見えた。当然だ。大人ですらしないような激闘を制したとは言え、まだ10歳の女の子だ。無敵の女王たる姉弟子との本気の殺し合い。その幼い身体にはどんなに負荷になっていたことか。

 

 けれど、天衣は唇の端を歪めて不敵に笑って見せた。

 

「どう? 八一先生?」

「うん?」

「いつか話したこと。全て現実にして見せたわよ」

「……ああ」

 

 天衣のその言葉に俺は思い出す。始まりとなった日を。一年と少し前。今と同じく関西将棋会館の廊下で。ふと思えば今日と同じく姉弟子と対局した後のことだった。天衣は語った。あの時。女王位獲得への道筋を。

 

 彼女は一つ一つ成し遂げてきた。アマチュアの身でマイナビに参戦し、最速で駆け上がってきた。女流棋士を、その高段者を、そしてタイトルホルダーを。一人一人倒してより力をつけながら。そしてついには、対女流無敗。無敵の白雪姫から王冠を奪い取った。

 

 振り返ってみれば、全てはあの時、天衣がこの場で語ったとおりに物事は動いた。常識外れの、魔法染みた大局観だ。そしてそれを全て有言実行してしまうその力。果たしてこの子は本当に人間なのか。

 

 その小さな身体が。反対にその内包する力の巨大さが。俺に畏れすら覚えさせる。

 

「八一先生……あなたの姉弟子が誰かに敗れるところを見るのは嫌だった……?」

 

 …………そこでそんな不安そうな顔をするのはずるいって、いつかもそう思ったっけな。

 

「いいや。俺の彼女が。自らが最強だと証明したことは、最高に誇らしかったさ!」

「そう。…………八一先生、大好き!」

 

 俺の言葉に最愛の彼女は本当に幸せそうな笑顔を見せてくれる。

 

 彼女はきっと悪魔だ。ほんの少し前まで強敵と殺意の応酬をしていたそのすぐ後でこうして俺に愛を囁く。

 

 ああ、けれど———そんな麗しの悪魔が、俺にとっては心底愛しいんだ。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「女流王座が来たぞ!」

 

 女王戦から数日。連盟の入り口で待ち構えていた報道陣は、私を見つけると一斉に駆け寄ってきた。あっという間にカメラに取り囲まれる。

 

「いよいよ初の女性として三段リーグに挑まれるわけですが、現在の心境はいかがですか!?」

「残念ながら先日女王位を失ってしまってから間もないですが、やりにくさみたいなものはありませんでしょうか!?」

「三段リーグでは、辛香三段や椚三段など因縁の相手と再度当たるわけですが勝算はありますか!?」

 

 矢継ぎ早に質問を浴びせてくる連中を無視して奥へ進む。何かしらほざいているが意識にも入ってこない。そのまま更に奥へ。すると対局場の手前。小柄な人影に気付いた。

 

「銀子さん。こんにちは」

「……ええ」

 

 半ズボン姿の小学生男子。椚創多三段。コンピュータ将棋の化身。最新鋭の将棋星人。……三段リーグで殺し合う相手の一人。

 

「今日からいよいよ三段リーグ開幕ですね! 楽しみだなぁ」

「…………」

「銀子さんともどこかで当たりますよね! まあ、次はぼくが普通に勝っちゃいますけど」

 

 引くな! 相手は単なる獲物だと思え! 臆する必要はない!!

 

「ほざけ小童。ぶち殺すぞ」

 

 

 

 ◇

 

 

 

「鵠師匠! 今日もよろしくお願いします!」

「はい。雛鶴さん。こちらこそよろしくお願いしますね」

 

 あの日からあいちゃんは、鵠さんを師匠と呼んで付き従っています。それもこれもあの性悪の天衣ちゃんからししょーを奪い返すためです。そのために自分より長く、深くししょーを観察してししょーのことを理解している鵠さんから学ばないといけません。

 

「それじゃあ今日はどんなシチュエーションを検討しましょうか?」

「じゃあ———」

 

 あいちゃんは本物の九頭竜先生に話しかけるように言いました。

 

「師匠。シャルちゃんが師匠とお風呂に入りたいって言ってるんですけどどうしましょうか?」

「ええ~? シャルちゃんが~? う~ん。それはまずいよなぁ~………シャルちゃんは六歳児……六歳……小一………………ギリギリ、かなぁ?」

「師匠のだら!! アウトに決まっとるやない…………はっ!?」

 

 ——また、鵠師匠のことを師匠と思って反応しちゃった!!

 

 あいちゃんは驚愕しました。本当に本物の九頭竜先生とお話ししてるみたいにそっくりでした。

 

 ——やっぱり。鵠師匠は凄いッ!!

 

 この人を師匠にしたことは間違いじゃない。そう改めて思うあいちゃんでした。

 

 

 

 ◇

 

 

 

「やだ……八一先生の玉……すごい堅い……」

 

 十六歳の時の俺が竜王になって三ヶ月後に取った初めての弟子は小学生の女の子で、いろいろあって今は俺の彼女になった。

 

「はぁ……こんなの堅すぎるわ……」

 

 俺の膝の上に座る十歳の弟子は、象牙のようになめらかな頬を紅潮させ、前屈みになって彼氏の玉に顔を寄せながら、ウサギのように震えた。

 

 天使か、悪魔か。人とは思えないほど、とても美しい少女だ。

 

 まだ幼女といっていいほど幼い女の子相手にこんなにも堅くしている自分に罪悪感を覚えながら、けれど俺は堅くすることをやめられなかった。その堅さは、もはや犯罪的ですらある。

 

「ん……」

 

 俺の初めての弟子にして彼女———夜叉神天衣は熱い吐息を漏らすと、自分の深いところを晒して、俺を誘ってくる。

 

 小学生の女の子とは思えない大胆なテクニック。だが、これはさすがに……。

 

「……いいのか? 天衣」

 

 幼くも大人びた弟子の決断を見て、俺は念を押す。天衣は———

 

「……」

 

 コクン、と無言で頷いた。微かに震えながら……。

 

 俺は少しだけ躊躇するが、覚悟を決めてその誘いに乗る。

 

「いくぞ……」

「え、ええ……!」

 

 奥の奥、弟子の秘められた場所を目がけて手を伸ばす。そして俺の指がそこに触れた瞬間———

 

「あっ! や、やっぱりだめぇ!!」

 

 天衣は堪えきれずに身体をぴくんと跳ねさせて大きな声を出した。予想もしていてもその場所に手を入れられては動揺を隠せない。その反応が、俺にはとても気持ちいい。

 

「八一先生、それダメ…………まって……」

「だめだ」

 

 彼女の哀願にも非情にそう告げる。待つ事なんてできるわけがない。

 

「プロの将棋に『待った』は存在しないからな」

 

 天衣は「あぁぁっ……!」と涙を堪える顔になった。王手角取りをかけられれば当然の反応だ。盤上に愛はない。

 

 五月。大阪。

 

 初夏を迎えた大阪城公園の桜はすっかり新緑を身に纏っていた。夏の接近を感じさせる爽やかな風が吹く度に無数の葉っぱが揺れる。

 

 周囲の散歩客が不思議そうな顔で、

 

「……何をやってるんだ、あれ?」

「……将棋? こんな所で?」

「将棋って、あんな小さくて可愛い子でもするんだ……」

「っていうかわざわざ家から持ってきたの? あの重そうな将棋盤」

「おい、あれ最年少女王の夜叉神天衣ちゃんと竜王の九頭竜八一やないか?」

 

 中には俺たちの正体に気付いてスマホを向ける将棋ファンもいる。……なぜ俺よりも天衣の名前が先に出るのか解せないが。

 

 桜の名所として知られるここ大阪城西の丸庭園でもひときわ立派な桜の木の下で、俺と天衣は将棋を指していた。

 

 女王戦お疲れ様の身内での宴会の場所取りをしているのだ。桜は既に散っているのだが、宴会が主だから別にいいだろうという身も蓋もない理由で決行とあいなった。

 

 将棋はその後、天衣が得意の受け将棋で驚異の粘りを見せつつも、劣勢から竜王の攻めを受けきれるはずもなく投了となった。

 

 将棋は一息ついて、雑談を振る。

 

「そういや、天衣は目標としていた女王のタイトルを獲得したわけだけど、次はどうするんだ?」

「次の目標? そうね……」

 

 天衣はしばし考え込んだ様子を見せ、やがて口を開いた。

 

「そうね。各タイトルホルダーを虐殺して回ってタイトルを独占するのはどうかしら?」

「……決して絵空事じゃないから困る」

 

 そう。決して誇大妄想と切って捨てることができる発言じゃない。浪速の白雪姫を下した天衣にはそれだけの実力がある。姉弟子は奨励会員だったから女王と王座以外のタイトルに挑戦できなかったが、挑戦していれば独占していただろう。

 

「それか、八一先生の後を追って奨励会に飛び込むのはどうかしら?」

「……それも大成しそうだな」

 

 師匠の贔屓目をのけても、天衣の才能は本物だ。全将棋指しで見ても破格だろう。この子の勝負強さなら三段リーグもあっさり通って見せるかもしれない。

 

「まあ、なんにせよ焦るつもりはないわ。今の私なら。八一先生の彼女になった私なら何でもできるもの」

 

 そう言って天衣は笑った。

 

 そうだな。俺もそう思うよ。天衣の。いや、俺たちの前途はどこまでも広がっている。そう素直に信じることができた。

 

 爽やかな風が吹き抜けていく。その風が連れてきてくれたのか、微かに俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。みんなが来たらしい。そちらを見る。先頭にいるのは師匠か。なぜか猛烈な勢いでこちらに走ってくる。そんなに宴会が待ちきれないのだろうか。

 

 疾走する師匠が大きく口を開き叫ぶ。

 

 

「八一ぃぃぃッ! トイレはどこやぁぁぁ!? お腹いったいのおおぉぉぉぉぉ!!」

 

 

 爽やかな気持ちが台無しだッ!!

 

 




いかがでしたでしょうか。ある意味便物語らしいラストになったのではと思っている作者です。師匠に始まり師匠に終わるみたいな。

1月に始めた二次創作がまさか12月まで続くとは……。
ここまでお付き合いいただいた読者諸兄には感謝の念が絶えません。

願わくば次の物語でも会えんことを。それでは!


■さんじばる次回作トップ
https://syosetu.org/novel/176095/


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盤外戦
1-00.灰被りの願い


んんwww
誤投下はありえないwww
眠さに負けて間違って予約投稿設定をするなんてあるわけないですぞwww







正直済まんかった。


私はお姫様にはなれなかった。

 

女の子はみんな、幼い時分は自分のことをお姫様のように思うものではないだろうか。世界は自分を中心に回っていて、自分は全てから愛されているのだと。

 

幼い頃の私も自分のことをお姫様のように思っていた。いえ、私の年齢は9歳なので今も世間一般的には十分幼いのだろうけれど。とにかく今よりももっと幼かった時分のこと。

 

けれども。両親が亡くなったあの時に、世界は自分の思うようにはいかないものなのだと痛感させられた。世界は決して私を中心に回っているわけではなかった。

 

そして今。ガラスの靴が自分の前を通り過ぎて他の女の子のものになったことを知って、またもそのことを思い知らされるのだ。私はお伽噺の主人公などではなく、お姫様になりあがるチャンスもない、単なる灰被りに過ぎないのだと。

 

あの人が。私と同い年の女の子を弟子にとったと聞いた時、私が思ったのはそんなことだった。

 

けれどそれも仕方のないことだ。私はただあの人がいつか迎えにきてくれるのではないかと待ち焦がれるばかりで、自ら動き出そうとはしなかったのだから。

 

だというのにその女の子に嫉妬したり、あの人に苛立ちを感じてしまうあたり、そもそもお姫様にふさわしい女の子ではなかったのだろう。私という存在は。

 

ああ、だけど。いつまでも未練たらしく忘れることもできないでいるのだ。

 

 

 

 

 

 

その日、お爺さまからあの人が私の将棋の指導をするために聞いた時に浮かんだのは激しい怒りと少しの期待だった。

 

今更なにをしに来るのだと思いながらも、もしかしたらあの約束を思い出してくれたのかしらという一縷の期待を持ってしまうことがたまらなく情けなかった。だからだろうか。あの人と顔を合わせた時にあのような失礼な態度をとってしまったのは。

 

けれどあの人は、そんな私を見捨てることなく懐へ受け入れてくれた。今思い返せば、あれは単なる好意というだけではなく、彼なりに事情や打算があってのことだったのだろう。それでもあの時の私は嬉しくて、でも腹立たしくもあって、そしてやはり彼にとっては二番目なのだと知って落ち込んで。そんなふうに一喜一憂していた。

 

あの人がいる生活は続いて、私はあの人への思いを自分に対しても誤魔化して。でもあの時。その誤魔化しは……ついに誤魔化しきれなくなって。思いを自覚した。

 

私は思いを叶えるために今度こそはと立ち上がって。灰にまみれようが泥にまみれようが、最後に勝つのは私だって。あの人の心を手に入れるのは———

 

 

 

そして、王子様は別のお姫様を選んだ。

 

 

 

 

 

 

神様。もし私が。貴方の御技で。あの人の初めての女の子になれたのなら。その時はきっと。

 

素直な気持ちで。私の全てで。

 

 

 

信じてもいない。それどころか憎しみの対象であったはずの神様へ、そんなことを願った。




神様「その願い叶えて進ぜよう。むぅん!」



師匠「おぅふ!? 腹にギュンと来た!」


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