明治の向こう (畳廿畳)
しおりを挟む

1話 西南戦争 其の壱


筆者は理系出身です。
現在趣味が高じて日本史の勉強中です。

生暖かい目で見守っていただけると幸いです。
あ、薩摩弁は間違っている箇所が多々あります(もしくはほとんど?)御容赦を。
では、どうぞ。





 

 

 

 

空が広いなぁ。

 

今まで何気なく見てたけど、そういえばとふと見上げて思った。

ビルとか電信柱とか電線とかが無いと、空ってこんなにも広く見えるもんなんだ。

 

日常に潜む小さな発見かな。

 

 

雲1つない晴天。

清々しいほどの快晴。

 

 

あ、鷹。

 

 

「お~い、呆としよるな。もうそろそろ着くぞ」

 

 

隣から声が掛かる。

それを無視して俺は空を眺め続ける。

 

 

どんなに時が過ぎても空は変わらずあり続ける。

 

そういえば古代の人も今と変わらない星々を眺めていた、と何かで読んだ事があるな。

 

まぁ俺が今見てるのは星じゃないけど。

あ、いや星はあるのか。

ただ昼だから見えてないだけで。

 

 

「おいったら。もう田原坂ぞ」

 

「分かった、分かったっち。聞こえちょっよ、はっきいと」

 

「ならちゃんと返事ばせい。そいでも侍か」

 

 

返事するかしないかと侍は関係なくね?

 

 

「あ~はいはい。侍ですよー気を付けますよー」

 

 

もう何度目になるか分からない溜め息を溢して、俺はようやっと顔を前に向ける。

 

 

あぁ、ただいま現実。さよなら脳内妄想。

 

 

「既にあすこに本隊が布陣しちょっからのぉ。合流して皆で憎き政府軍を(むけ)め撃っ!くうぅ、こいくさ薩摩ん兵子(へご)ぞ」

 

 

血気盛んだなぁ。

 

 

「そげに力入れとっと途中でへばっぞ」

 

 

俺の苦言なんて聞きやしない。

 

鼻息荒く、学友は腰に差した刀の柄を握り締めながら、目前に迫った田原坂の林を見据えていた。

 

 

まぁ気持ちは分からんでもない。

 

 

薩摩人は侍としての誇りを奪われ、生活を奪われ、そして辱しめを受けたんだもんな。

 

敬愛する西郷先生を裏切って、自分ら諸共亡き者にしようと蠢動(しゅんどう)する政府にかなりの鬱憤が溜まっているんだ。

 

 

 

でもなぁ。

 

 

 

 

 

俺たち()()()はここで負けるんだよ。

 

 

この日本史上最大にして最後の内乱、西南戦争で侍は滅びるんだ。

 

 

侍は、居なくなるんだよ。

 

 

 

 

日本史に疎かった俺でも知っている。

 

 

 

 

 

それが俺の知っている歴史なんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「なぁ十徳。お(まあ)もこいが初戦(はついくさ)なんじゃろ?なしそげな平然とした顔ばしちょっ?普段と変わらなん顔だぞ」

 

「お(まん)はテンション上がり過ぎなんじゃ」

 

「え?てん……しおん?」

 

 

俺の溜め息混じりの言葉に首を傾げる学友。

 

ただまぁ、その疑問に答えるとしたら、それは現実感が無いからだろう。

 

 

この身体に憑依してまだ1年。

 

混乱してる間にあれよあれよと時は流れ行き、気付けば私学校(西郷隆盛が薩摩に多数作った侍の養成所。所謂、私的な軍学校)で侍としての教えと剣技を叩き込まれ、その生き方と在り方を説かれ続けた。

自分の身に起きた出来事を考察する暇もなく、俺はこの身体がかつてしていた事をなぞる事しか出来なかったのだ。

 

つまり、あれだ。

まだ心の整理が追い付いていないのだ。

 

なぜ俺が?生前は死んだ覚えがないのだけど。

この身体の嘗ての持ち主はどこに行った?俺が締め出してしまったのか?

 

勉強やら鍛練やらで日々を生きることに精一杯だった俺は、そんな考えに頭を使う余裕が無かったのだ。

未だ明治期の薩摩の日常に慣れてすらいないのだから。

 

1年も経っているのに。

ふざけた話だよ、我ながら。

 

そして流れに身を任せた結果、俺は西南戦争を止める事をしなかった。

出来る出来ないとかは別の話だ。

詳しい歴史的な経緯は知らないけれど、戦争が起こることを知っていて、それを阻止しようとしなかった。

 

 

それが辿るべき歴史だから、じゃない。

 

 

忙しくて忘れていた、わけでもない。

 

 

 

ただ、この戦争は近代日本に必要なものなんだ。

 

 

 

呆とそんな風に思ったからであり、そして俺はまた日常をなぞり続けた。

 

 

 

 

 

「平常心ば心掛けてるからのお。逸る気持(きもっ)ば抑えちょる」

 

「おお、そうか。やっぱ十徳は()ぜなぁ。(おい)なんか武者震いなのか、手が震えてきたってのによぉ」

 

「ならお呪い掛けようか?震えが治まっかもしれんお呪い」

 

「お、そいはよか。是非やってくれ」

 

 

俺の言葉を疑うことなく信じる学友。

 

ゴメンね。

こんな身近に居ながら、君たちを助けようと戦争阻止に動かなかった俺はきっと、最低最悪の人間なのだろう。

 

それでも、この戦争の最中なら、君らを守れる。

 

必要な戦争であっても、その落命が必要だとは思っていないから。

この負けが決まっている戦争でも、救える命があるのなら救いたい。

 

流される日々のなかで微かに芽生えたこの気持ちは、大切に育てて立派な思いとなったんだ。

 

 

「こう、力抜いて掌ば向かい合わせい。そう、5本ん指先が軽く触れ合って輪っかば作るんじゃ」

 

「こうか?」

 

「おう。そんまま」

 

 

俺の前に差し出された学友の両手。

その両手の甲を思いっきり、俺の手で拍手するようにサンドする。

 

瞬間、パンと小気味よい音が響いた。

 

 

「おわ!っつう。なんだ、今んがお呪いか?」

 

「あぁ、一人じゃ出来ないお呪いじゃ。母上によくやってもろうてのぉ。どうじゃ?よか音がして小気味えぇじゃろ」

 

「へぇ、面白い。こいはよか。手のヒリヒリした痛みが震えば抑えちょる。あと音もよか。大きな音が気持ちえがっだ」

 

 

まぁ、やってくれたのは今の母親じゃなくて平成の実母なんだが、そこは些細な事だよな。

学友はヘラヘラと笑いながら、いつも学校で見せてくれる表情となった。

 

 

「ありがとうごわぁた。おかげで落ち着いたわ。こいなら政府の奴等の首幾つでも(もろ)うてやれるわい」

 

 

物騒なことをいい笑顔で宣いやがって、ったく。

 

 

 

 

さて、そんなことをしている内に田原坂の防御陣地に俺らも加わり、政府軍を待ち構えることとなった。

 

部隊長から装備の点検をするように指示が下る。

それを聞いて俺は背負っていた装備を下ろし、メンテを始めた。

 

 

俺たちの主兵装は刀と鉄砲。

パッと見じゃ個々の装備は政府軍のそれと変わらない。

 

ただし、この鉄砲は旧式の物なのだ。

新式の鉄砲は政府軍に丸ごと盗まれてしまったのだ(これマヂな)。

旧式の銃は装填時間が早くても30秒。

対する向こうは早ければ5秒で済む新型。

 

しかも向こうはガトリング砲に大砲もある。

加えて近代式の教練を受けた兵士が千人単位でいる。

 

ぶっちゃけて言うと、数の面でも質の面でも負けているんだよ、既に。

 

そりゃ勝てねェわ。

 

 

 

ヤバイな、つい溜め息が溢れる。

 

いや、待て待て。

だからと言ってボロ負けするとは限らない。

 

歴史に詳しくないから知らないけど、政府軍が圧勝するとは聞いていない……筈だ。

少なくとも、ここ田原坂での政府軍の迎撃は理に適っている。

だから善戦は出来る、と思う。

 

 

 

あ~クソ、少しぐらい日本史も勉強しとけば良かった。

近代史ならともかく幕末・明治初期はてんで分からん。

 

 

まぁいい。

 

この地の会戦がどう進もうと俺のやることは変わらない。

 

 

死に行く者をなるべく減らす。

救える命を最大限拾っていく。

 

 

その為なら鬼にだってなってやる。

そう思うぐらいには、共に勉学に励み、共に教練に打ち込んだ仲間を大切に感じるようになったし、郷土愛も芽生えた。

 

 

だから、やってやる。

 

 

人だって、殺してみせる。

 

 

 

 

そして、そんな決意を胸に武器のメンテを終えたその瞬間、隊長から新たな下知があった。

 

 

 

 

政府軍視認--

 

 

 

迎撃準備--

 

 

 

 

 

 

あぁ、やってやるぜ!

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

あかん。

 

 

 

誰だよ、善戦はするだろうなんて思った奴は。

 

 

 

善戦?

 

 

 

アホ抜かせ。

 

 

 

 

 

 

もはやこれ戦争じゃねぇよ。

 

 

 

 

蹂躙だよ。

 

 

 

どっちがって?

 

 

 

()()()が、だよ。

 

 

 

コイツら死を恐れてないのか?

 

 

相手の銃撃を隠れて凌ぐ事もせずに立射(りっしゃ)で応戦してやがる。

 

しかもその狙いが百発百中。

確実に敵の頭部に叩き込んでやがる。

 

小高い丘からの撃ち下ろしの形になるから、相手の攻撃も散発的。

 

しかも向こうは士気が低い。

隊がすぐに崩壊してやがる。

どうやら徴兵された兵士らしい。

 

そして、崩壊した相手部隊に斬り込む薩摩の侍ども。

 

 

これが怖いのなんの。

 

 

跳べば相手部隊を飛び越えて指揮官に肉薄し、刀を一振りすれば胴体が泣き別れし、叫べば木々に反響し鼓膜を揺さぶる。

 

 

怖ぇぇええ!

 

 

え、人ってあんな機動出来たっけ?

 

早い速いはやい。

気を抜いたら俺も見失うレベルだ。

 

あ!アイツ今弾丸斬り落とした!

 

 

薩摩の侍こっわー!

 

 

何この戦闘民族?!

 

 

こっわー!

 

 

 

 

「やああぁぁ!」

 

「おっと……そい!」

 

 

と、余りの我が目を疑う事態に呆としていた時に後ろから銃剣を突き出してきた兵を迎え撃つ。

 

あ、ここも敵部隊のど真ん中ね。

俺も斬り込みに加わってました。

 

まず銃を真っ二つに斬り落とし、直ぐ様突きで右肩を貫く。

 

 

「うぅッ!」

 

 

踞る敵兵に止めを刺すこともなく、俺はただそいつを見下ろしていた。

 

人を殺す覚悟はある。

とうに出来ている。

 

けどこれは違うだろ。

 

こんな蹂躙劇。

 

まるで戦い方を知らない子供を相手にしているみたいで、とてもじゃないが殺す事が出来ない。

いや、これはただ単に覚悟がまだ出来ていなかったということか。

 

なんて、そんな事を考えていると

 

 

「チェストぉ!」

 

 

先程右肩を貫かれ膝を着いていた兵士の後ろから、ここに来るまで話に興じていた学友が現れ、その兵士の首を刎ねた。

 

その返り血が、驚愕する俺の身体中に掛かった。

 

 

「何ばしよっと十徳!奴等に情けなんぞ掛けるな、憎き政府軍じゃろが!」

 

「あ、あぁ」

 

 

ゴロンと足元に転がる生首。

 

つい数分前まで普通に生きていた青年の、成れの果て。

 

 

堪らず俺は目を逸らしてしまった。

胃袋から口内に何かが込み上げてきた。

 

 

別に俺は政府を憎んじゃいない、とか。

お前らの怒りをぶつけるべき相手はコイツら兵士じゃないだろ、とか。

 

そういった言葉は口にする事なんて出来ず、俺はただ頷く事しか出来なかった。

そんな俺の態度を見て、学友は鼻息一つ吐くと直ぐ様別の相手に斬りかかった。

 

 

違う。

 

 

殺らなきゃいけないのは分かってる。

それが戦争なんだから。

 

けど、怒りに身を任せてただ殺し回るのなら、ただの暴徒と変わらないじゃないか。

 

戦うことに関してだけ言えば、その姿勢は間違っていない。

でもそれじゃあ、殺すことを目的とした戦争になってしまう。

 

それに、彼等だって徴兵された身なんだ。

好きでこの地に来たわけじゃない筈だ。

 

それを恨み一辺倒で殺すのが正しいのか?

俺が間違っているのか?

 

 

あぁ、クソ!

 

こんな時に溜まってた混乱が押し寄せて来やがった。

 

頭が割れそうに痛い。

視界がグニャりと歪み、呼吸が苦しくなって、気付いたら俺はその場に踞り、嘔吐していた。

 

 

「う……げェェっ、えほっ…」

 

 

胃に入れていた戦闘糧食を全て吐き出して、フラフラと立ち上がる。

 

 

戦闘は、否、蹂躙劇は未だ終わらず、薩摩の快進撃は止まる事を知らなかった。

 

 

 

 

血と硝煙の臭いが、絶叫と悲鳴の声が、俺の存在を掻き消していく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 














目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

2話 西南戦争 其の弐




原作キャラ投入

では、どうぞ







 

 

 

 

田原坂の戦いは数日続いた。

 

数日、というのは日にちの感覚が分からなくなったのだ。

 

ときには早朝、ときには夜間に、戦闘が行われた。

 

しかも今は3月。

吐く息は白く、手足の先はかじかみ、雨なんか降った日には凍えるように寒かった。

 

そんな中で、俺はもう何人敵兵を殺しただろうか。

 

最初は、撃たれそうになっていた仲間を助ける為に。

次はガトリング砲を破壊する任務を帯びて、それを果たす為に。

 

次は……覚えてないや。

 

ただ、もう何十人も殺した。

 

恨みをぶつける心情があれば、少しは楽なのかもしれない。

自分に正当性があると思い込めば、あるいは感情が麻痺するのだから。

でも俺にはそんなの欠片も無いから、目の前で斬り殺した相手の顔が、表情が頭から離れない。

 

若い奴等が多かった。

自分の死を信じられないという感じの瞳をしていた。

 

 

あの顔を、俺はきっと二度と忘れないだろう。

 

 

 

 

今日も今日とて、政府軍の大砲によるおはようから始まり、敵兵を視認して銃弾で久しぶりと挨拶し、刀を振るってさよならと別れを告げる。

 

そんな変わらない戦争(にちじょう)が過ぎる筈だった。

 

 

ふと、憔悴した俺でもピリリと感じた気配。

 

 

これは……殺気?

 

 

徴兵された兵どもの(なまくら)なそれじゃなく、純然な抜き身の殺意。

 

それはまるで、鞘から抜き放たれた研ぎ澄まされた日本刀のような--

 

 

「敵襲!!」

 

 

仲間の大声で、皆が一斉に戦闘体勢に入る。

 

視界に写るはいつもの隊列を組んだ兵隊ではなく、そこには刀を構え、こちらを射殺さんばかりに睨み付ける警察官が数十人ほどいた。

 

 

 

 

抜刀隊

 

 

 

 

この時の俺は知らなかった。

 

 

この田原坂の戦いで、薩摩の防御陣地を突破出来ない政府軍が業を煮やして採った奇策のことを。

 

 

白兵戦に秀でた薩摩の侍に対抗するため、政府が緊急で全国から徴収した白兵戦のスペシャリスト。

 

薩摩の侍と互角に渡り合える存在をぶつけてきたのだ。

 

かつて、薩摩の志士と共に倒幕を果たした勇猛な維新志士。

あるいは佐幕派として大将軍徳川慶喜を奉じた旧新撰組。

 

あの暗黒の幕末を刀一本で生き抜いた正真正銘の益荒男(ますらお)ども。

 

 

没落した士族から、あるいは警察機構から、そんな化け物どもを引っ張り出してきたのだ。

 

 

あぁ、あの生々しい殺意は訓練で身に付くものじゃない。

本物の戦争を経験したからこそ身に付くそれだ。

 

 

 

その集団の先頭にいた一人の男が独特な構えをとる。

それを見て、俺は酷い既視感に襲われた。

 

あれは、あの構えは--

 

 

刀を左手で水平に持ち構え、右手で照準を定めるかのように前方に置く

 

切っ先は右手のすぐ横に置かれ、左半身を後ろに、右半身を前方に置く

 

 

 

牙突ーーー

 

 

 

瞬きする間もなく、男の身体がブレて、俺は条件反射で抜刀しようとする。

 

瞬間、ものすごい衝撃に襲われ、草鞋の底を削る勢いで後ろに突き飛ばされた。

 

 

「ぐ……あぁっ!」

 

「ほお」

 

 

俺の後退は木に背をぶつけて止まった。

木がしなり、葉がパラパラと落ちてくる。

 

いってえぇ……けど、大丈夫。

 

一撃は防げた!

 

刀を半分だけ抜刀し、奴の切っ先を刀の腹で受け止めた。

今もなお掲げた刀を貫かんばかりに奴の刀が突き出されているが、防げた!

 

その犯人はというと。

俺の眼前に悠々とした態で、片腕一本の刀で俺を木に押し付けてやがる。

 

 

だが、そんな事はどうでもいい!

 

そんな事よりも、そんな事よりも!

 

 

「俺の牙突をこんな餓鬼が初見で防ぐとは。なるほど、薩摩の侍共は末端まで仕上がっているのか。侮れんな」

 

「ぐうぅ。お(まあ)は、斎藤……はじ、め」

 

「あぁ?俺を知っているのか?貴様、何者だ?ただの餓鬼じゃねェのか」

 

 

知ってる。

知ってるさ。

 

元新撰組三番隊組長、斎藤一。

 

幕府が倒れてからは警察に属し、日本の治安を維持する事に尽力した、幕末最強格の一人。

 

 

けど、それさえ些末なことだ。

警察が何故戦場にいるのか、とか。

斎藤一が何故戦場にいるのか、とか。

 

そんな事は些末な問題だ。

 

問題は、問題は。

 

 

 

 

 

なんで『るろうに剣心』の斎藤一がいるんだよ?!

 

 

 

 

「マヂか……じゃあ(おい)はタイムスリップして憑依したんじゃなくて、創作物に入って憑依したんか」

 

「何をぶつくさ言ってやがる」

 

 

いや、納得出来る点は多々ある。

 

まず薩摩の侍の身体能力の高さだ。

あれはやはり可笑しい。

俺を含めて、あの戦闘能力の高さは異常だ。

銃弾なんて普通見切れない。

 

けど、るろ剣の世界なら十分に有り得る。

 

 

あぁ、色々と合点がいったよ。

 

 

「阿呆が。殺し合いの最中に考え事とは、身の程を知れ!」

 

「--うおッ!」

 

 

相手の容赦ない蹴足で俺の思考は途切れ、身体は今度こそ吹き飛んだ。

 

そして飛んでいる最中に目に映った、奴の牙突の構え。

 

 

対空迎撃用 牙突参式ーー!

 

 

マズい!

 

俺は咄嗟に空中で姿勢を制御し、木の幹に刀を突き刺す。

勢いを若干程度殺し、直ぐ様そこを足場に別の木に飛ぶ。

 

更にその木を足場にし、どんどん木を登っていく。

 

 

「猿か貴様は」

 

 

ふと、そんな声が背後から聞こえた。

振り向くまでもなく、分かる。

 

 

奴が技を放ち、この身に迫ってきたのだ。

 

嘘だろ、地上から3mはあるぞ。

そんな俺の驚愕を他所に、大気を揺らす攻撃が辺りに響き、木々がざわめいた。

 

 

 

 

 

薩摩の侍たちと、かつての幕末の志士たちがぶつかり合う前時代的な戦争は、夥しい数の死を更に築き上げることとなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明朝より行われた政府軍による総攻撃より半日。

 

白兵戦には白兵戦で。

 

剣客には剣客をぶつける奇策をもってしても、しかし田原坂は突破出来なかった。

 

堅固にして鉄壁。

 

常勝にして無敗。

 

 

ならば、此度の総攻撃もいつものように撃退出来たのか?

 

否。

 

撃退など出来てはいない。

現に今も泥沼の戦いが続いている。

 

 

数で勝る政府軍に加えて白兵戦に秀でた抜刀隊まで加わったのだ。

地の利を生かした薩摩軍も死に物狂いで応戦するが、どうやっても拮抗に持ち込むしか出来ないでいる。

 

そう。

 

拮抗だ。

 

本来ならあの斎藤一に太刀打ち出来るとは思えないのだが、それでも縦横無尽に地を駆けて攻勢に出続けるからこそ、拮抗状態に持ち込めているのだ。

 

 

「チッ……ちょこまかと。そんなに俺の牙突が怖いか?」

 

「あぁ、怖か。さっきは防げた、じゃっどん三度は無いと思おとる」

 

「殊勝な心掛けだな。だが、牙突を封じたからといって俺に勝てると?」

 

「思わん」

 

 

うん、思わない。

 

だってコイツ原作でもほぼ無敵だもん。

真実か否かは別として、幕末最強と恐れられた人斬り抜刀斎と互角に渡り合ったんだ。

 

俺が勝てるとは到底思えない。

 

それでも、地の利を生かして縮地に近い現象を産み出し、ヒット&アウェイを繰り返して奴をこの場に釘付けにする。

 

 

「お前が他の場所に行って暴れんよう、ちくとここに止まらせる。そいが俺の勝利ぞ」

 

「は、そんなものが勝利だと?ほざくな餓鬼が。延々と同じことを繰り返しやがって」

 

「そいしか手が無か」

 

 

奴を中心にして走り続ける。

空気をぶち破り、音の壁さえ突き破る勢いで駆け抜ける。

 

そして奴の後ろに回り込んだ瞬間、再度その頭上に刀を振り下ろす。

 

だが当然、こんな安易な攻撃は奴に届かず、半身を捻って避けられた。

 

がら空きの身体は奴にとって絶好のチャンス。

その鋭い眼光が俺の身を貫き、一瞬時が止まった感覚に襲われ、そう思った瞬間には既にお互い動いていた。

 

 

刀同士がぶつかり合い、甲高い金属音が響く。

 

一つじゃない。

 

一撃、二撃、三四五六………

 

 

一瞬における都合十八の斬撃を全て防ぎ、一歩離れ、そして直ぐに駆け出す。

 

アイツを前にして止まっちゃダメだ。

 

牙突の突進力はその威圧感もあって半端じゃない。

止まったら直ぐに放たれる。

 

二回偶々防げたが、避けることも防ぐことも自信なんて無いのだ。

無い以上は放つ事を封じるしかない。

 

 

 

止まるな。

 

 

 

止まったらホントに死んじまうぞ!

 

 

体力が、筋力が保つ以上は走り続けろ!

 

だが、俺の意気込みは無情にも斬って捨てられる。

 

 

「あぁ、もう貴様の大道芸に付き合うつもりはないぞ。此処らの地も理解した」

 

 

なんて、斎藤一が何の気無しに言いやがった。

 

 

「つまり、既に貴様には地の利も失せたということだ。どういう意味か分かるか?」

 

 

……分かってるさ。

 

こんな児戯であの斎藤一を封じれるなんて、最初から思っちゃいない。

 

むしろ半日もよく持ったと思うまである。

まぁそれは、それだけこの地を縦横に使っていたというわけだ。

てか、半日でこの地を理解するなんて、やはりコイツは化け物だよ。

 

そして、地の利を失った俺は奴に勝る唯一の点を失ったということ。

 

 

もう、互角にすら持ち込めない。

 

 

 

「官軍主力部隊が退き始めた。ここらが潮時だ。だが俺が一人も討ててないとなると些か決まりが悪いからな。その首だけは貰うぞ」

 

「……やってみぃ」

 

 

なんて、強がってもなんら心の負担は軽くならない。

 

怖い。

 

滅茶苦茶怖い。

 

あの九頭龍閃に匹敵する爆発力と突進力、そして弾丸をも上回る貫通力の牙突が、この身を狙って放たれるのだ。

原作では相手キャラに度々封じられることもあったが、その度にその策を上回る力の牙突で相手を貫いてきた。

正にアイツそのものを表す技だ。

 

 

その準備が整ったと、奴は言う。

 

 

 

防げるか?

 

避けられるか?

 

 

クソったれが!

 

やらなきゃ殺られるだけだろうが。

 

チクショウ、やってやる。

見極めてやんよコンチクショー!

 

 

 

「があぁぁ!!」

 

「ふっ!」

 

 

俺の一瞬の肉薄による横薙ぎの一閃。

 

それを奴は頭上に飛んで躱した。

 

 

その跳躍のまま、後ろの木の幹に足を当てると、牙突の構えをとった。

 

 

上空からの牙突

 

 

「掛かって()やコノヤロー!」

 

 

 

精一杯の強がりを叫ぶ。

 

そして

 

 

牙突の発射によって足場とした木の幹がへし折れ、弾丸以上の脅威が、弾丸以上の速度でもってこの身に襲い掛かった。

 

 

それを、俺は確かに()()

 

 

目を見開いて、()()

 

 

 

 

 

直後、大地を揺らし土煙が舞い、戦場の一角が崩壊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

3話 西南戦争 其の参



同日連続投稿


では、どうぞ






 

 

 

 

刀と刀がぶつかり合う音が木々の間に木霊する。

 

 

「腐った魚の目をしていたくせして、存外にしぶとい。いや、生き汚いというべきか」

 

「ハァ、ハァ……お誉めに預かり光栄だよチクショウ」

 

 

クソ、言ってくれるぜ。

 

こちとらもう身体がボロボロで立っているのもツラいんじゃ。

 

あの牙突は左肩を抉って。

具足は全て斬り落とされて、身体中斬り傷だらけで。

刀は折れて体力は底を尽きかけて。

 

 

コイツに命を狙われてから既に5時間は過ぎてるが、そろそろ死神に首を掻っ浚われそうだ。

いや、狼に喉首を咬みきられる、の方が正しいか。

 

なんて、益体もない事を考えていたら奴が動いた。

 

 

「しッ!」

 

「ふッ、ぜぁ!」

 

 

大上段からの一撃を折れた刀で防ぎ、一瞬の停滞を突き赤鞘を思いっきり振るう。

 

当然そんな攻撃は当たるはずもなく、余裕を持って鞘は両断され、次いで奴が牙突の構えを取り

 

 

「…ッ!」

 

 

突き下ろす形の牙突弐式が放たれる。

 

その直前、足元に転がる死体が持つ刀を蹴り上げ、宙に浮かんだそれを掴み、そして折れた刀とともに十字の防御壁を成した。

 

そして牙突が刀二本の腹と衝突して、まるでトラックにぶつかった程のエネルギーが俺の身を襲った。

 

奴の突きは刀二本を突き破り、俺の脇を掠めていった。

 

 

「がはッ…!」

 

 

両腕が痺れて動かせない。

だから蹴足を叩き込もうとしたが、奴の挙動の方が速かった。

 

脇の下を抉っていった刀を力任せに振り、俺を薙ぎ払ったのだ。

 

 

「い、つぅ……!」

 

 

大地を転がり、上下左右と平衡感覚を失った俺は、落ちていた何かを杖代わりにしてフラフラと立ち上がる。

奴は悠々と近づいてきている。

 

クソったれ、余裕かましやがって。

てゆうか、俺はいったい何を杖に……?

 

チラとそれを見ると、どうやら政府軍兵士が所持していた鉄砲だった。

両軍の死体がゴロゴロ転がっているから獲物には事欠かないってか。

 

けど、それなら有り難ェ。

 

俺は直ぐ様片手で銃を構えて奴に向ける。

 

 

(チッ、フラフラとして狙いが定まらねェ。血が足りないのか、体力が尽きかけてるからか……はッ、両方か)

 

「どこを狙っている?」

 

「……あぁ?」

 

「どこを狙っていると聴いている。よもや足を狙っている訳ではあるまいな」

 

 

マヂかよ。

いや、たしか緋村剣心も拳銃の向きと引き金に掛かる指を見れば避けるのは容易い、なんて言ってたな。

幕末の最前線を生き延びた化け物どもは、そんなことも出来んのかよ。

 

 

「だったらなんじゃぁ。お(まん)の足ば潰せば、牙突も使えんじゃろが」

 

「足を狙うのは悪くない考えだ。だが今の貴様の状態で足を撃てるか?胴体ならいざ知らず、小さな的に当てられるか?」

 

「なら、さっくと当てるまでじゃ!」

 

 

距離は5mも無い。

俺は必中とはいかずとも、かする程度には当てられると踏んでいた。

 

 

嫌と言うほどに聞き飽きた銃声が響く。

 

硝煙で一瞬目の前が見えなくなる

 

 

その瞬間

 

 

 

「ぐあァァッ!」

 

 

 

苦悶の声を漏らしたのは、俺だった。

 

煙を突き破って奴が牙突を放ち、俺の左肩甲骨を貫いたのだ。

 

あ、これもう左腕使えなくなるんじゃね?

 

なんて考えが脳裏をよぎり、勢いそのまま背中にぶつかる木々をへし折っていき、やがて止まった所に刀で縫い付けられた。

 

 

「牙突を封じる?違うな。貴様、怯えているな。人を殺すことに。だから足を狙ったんだ」

 

「ゲホッ、ぐ、うぅ……!」

 

 

刀をグリグリしながら奴が俺に至近距離で言ってくる。

 

がああぁぁ!

痛ェ、クソ痛ェ!

 

 

「戦場の血と死の臭いに当てられたか。技量は有っても精神は餓鬼のようだ。差し詰め、その腐った瞳は自己防衛の一種か」

 

「なん、ちゴチャゴチャと……」

 

「心を閉ざして我無娑羅に人を殺して、それで自身の精神を守っているとは、とんだ道化だ。自らが殺めた人のことを心から排除しようなど、ただの逃げだ」

 

「逃げてなど……!」

 

 

逃げてなんかねぇよ。

忘れられるわけねェだろうが。

 

彼らの末期の表情。

彼らの悲鳴と絶叫。

 

彼らを斬った感触。

 

どんなに呑み込んでも消化なんて出来なくて、どんなに吐き出しても捨てられなくて。

 

俺の中に、留まってやがるんだ。

 

 

「自らの心根からも目を背けるとは……いや、己の事を知ることさえしない阿呆か。前言撤回だ。貴様のそれは自己防衛ですらない。自分の事を正当化する愚さえ犯さない貴様は、もはや意志を持たない殺戮を繰り返す操り人形だ」

 

「……ッ!!」

 

 

不意を打つかのように、俺の頬が殴打される。

 

奴の刀が身体から抜かれ、フラフラとしながら俺はドッと仰向けに倒れた。

 

 

効いた。

 

今のは効いた。

 

 

 

拳にじゃない、あの言葉にだ。

 

 

 

 

人形

 

 

 

 

俺の意思で、俺の身体じゃないこの身体が動く。

 

そして(宿った心)は自らを閉ざして、人を殺し続けた。

 

 

それは、まさしくアイツの言う通り、人形ではないか。

 

俺がこの身体を、人形にしてしまったのだ。

 

 

「他の薩摩兵ならば、怒りと憎しみを込めて政府軍を殺してるだろう。すなわち、俺の心情に則り殺すべき相手となるだろう。だが、今の貴様はその価値すら無い。逆賊でありながら悪に成り得ない半端者めが」

 

 

 

そうだ。

 

怒りと憎しみを敵兵にぶつける。

 

そんなことを言っていた学友が居たけど、俺はそれに同意出来なかった。

 

今でもそうだ。

 

俺は怒りと憎しみ(そんなもの)なんか持っていないし、怒りと憎しみ(そんなもの)をぶつける道理も弁えていないから。

 

 

だからだろう、斎藤一を相手にして身も心もズタボロにされちまった。

 

 

人形だから、半端者だから。

 

だからコイツには歯が立たなかった。

 

 

 

 

「死ね。己の弱さを知ることもせず、空虚なままここで朽ち果てろ」

 

 

 

大の字になりながら、奴の振り上げる刀を呆と見遣る。

 

 

 

 

 

あぁ、ここで死ぬのか。

 

 

でも、これでいいのかも知れない。

 

これは、ある意味解放になるのではないだろうか。

 

 

不純物(おれ)取り除かれれ(死ね)ば、この身体は本当の狩生十徳に戻る気がする。

 

 

冥土で、かもしれないけど、それでも返すべきなんだ。

 

借りたものは返さなきゃだから。

 

 

 

 

ゴメンな、勝手に身体を借りて。

 

それと、ボロボロにしちゃってゴメン。

 

狩生十徳(あんた)の愛した薩摩隼人は皆夢半ばに潰えるけど、きっと皆胸張って黄泉に行くから。

 

 

だから、だから……

 

 

 

 

そして、刀が俺の首を両断する

 

 

 

 

 

 

 

--悄気(しょげ)たツラばして返すち言うがか--

 

 

 

 

 

 

 

直前、それを両の掌で受け止めていた。

 

 

 

 

「……え?」

 

「ッ!……まだ生き足掻くか」

 

 

驚いたように斎藤が言うが、自分もかなり驚いていた。

 

真剣白刃取りをした事、出来た事にじゃない。

 

気のせいかも知れない。

 

けど、確かに聞いた。

 

頭に響いたんだ。

 

 

 

 

 

 

 

--走れ--

 

 

 

 

 

--敵陣で()剣林弾雨でん、黄泉の国でん三途の川でん、先陣切って突っ走るのが(おい)じゃ、俺の生き様じゃ--

 

 

 

 

 

--そがい気落ちした心意気なんぞ、願い下げじゃ--

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はは

 

 

カッコいいなぁ、この身体の嘗ての持ち主は。

 

 

そうだなぁ。

 

 

そんな奴に、殺されてから返すなんて許されないよなぁ!

 

 

「(コイツ、目が……)抗うつもりか?」

 

「あぁ、気付いたんじゃ。もし俺が此処で死ねば、そいこそ人形みたいな死体ば返すこつになる。そいは、そいだけは、絶対にすっだらあかん!」

 

 

 

そうだ。

 

(おれ)を殺した状態で身体を返したら、アイツはどう思う?

 

生粋の薩摩隼人はどう思う?

 

 

苦戦の果てに戦果を上げられなかったのならいざ知らず、自分を見失って失意のままに身体を返したら、それは侮辱じゃないか。

 

首の一つや二つ取らなきゃ許してくれそうにないんじゃないか、そう思うほどの豪気な性格を感じたぞ。

 

 

身体を捻り、思いっきり斎藤を蹴り上げる。

 

咄嗟の出来事、まさかの事態に初動が遅れた奴の鳩尾に渾身の蹴りが入った。

 

 

「ぐぅッ」

 

 

刀を離し、奴がブッ飛んだのを視認して俺も直ぐ様立ち上がる。

 

自分の顔を見なくても判る。

今の俺はかなり口角を吊り上げていることが。

 

 

「もしかしたら、何処ぞで奴は今ごろ俺ば殺さんほど憎んでるかもしれん。あの声は俺の都合のよか幻聴かもしれん。じゃっどん、あの声ば聞いてから、こんまま死んでやるんが、どうしても正解ち思えんくなったんじゃ」

 

「……何を言っている」

 

「判らんでもよか。ただ(おい)に抗う気力が、生きる気力が湧いてきただけの話じゃ。お(まん)やこん世界に負けたらいかん、勝たなきゃいかん。そう思ったんじゃ」

 

「(やはり見間違えではない。コイツ……)何故急に瞳が生き返ったのかは知らんが、それでどうする?気力を取り戻したはいいが、この実力差は気力だけでは覆せんぞ」

 

「ほうじゃろうなぁ。そんなこと(そがいこつ)、お前に言われんでも判っちょるわ。そいでも不思議なこつに、何でっか負ける気ぃがせんのじゃ」

 

「……なに?」

 

「俺は一人じゃなか。こん身体の強か想いが、俺の闘争心ば駆り立てるんじゃ。だからのぅ、斎藤一、覚悟せい」

 

 

そう言って俺は、足元に落ちている一振りの刀を拾い上げた。

ブン、と一振りして血糊を飛ばす。

 

誰か知らんが、使わせてもらうぜ。

 

それを片手で構えて、斎藤一を睨む。

 

そういえば奴との戦闘を始めてから、初めてかもしれないな。

この恐ろしい相手と対等に睨み合い、そして対峙するのは。

 

だからこそ、俺は腹に力を入れて、嫌味な程にニッと笑いながら言う。

 

 

 

 

「こっからが俺の本気ぞ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぜあッ!」

 

 

白銀の太刀筋が一閃。

 

斎藤の眼前の空間を縦に斬ったそれは、狙い澄ましたかのように奴がくわえていた煙草を斬り落とした。

 

 

「……チッ」

 

 

返す刀で斬り上げる。

斎藤が半歩下がるも、奴の制服のフックを見事破壊し、前をはだけさせた。

 

 

「……テメェ」

 

 

振り上げた刀を放棄し、左手に握っていたそれを右手に持ち変えて斎藤の眼前に突き出す。

 

握り締めていたのは、何処ぞの敵指揮官が所持していた拳銃。

 

それを連続発砲。

吐き出したのは六発の弾丸だが、音は早すぎて一発分しかしなかった。

 

すると、パキンと小気味良い音が鳴る。

奴の腰に差したままの短刀を破壊したのだ。

 

 

「さっきから……!」

 

 

弾をすべて吐き出した拳銃を足元に投げ捨てる。

それが地に着く直前、思いっきり斎藤の方に蹴飛ばした。

 

結果、それは斎藤の刀にぶつかり、奴の刀とそれを持つ手と腕が衝撃に負けて後ろに傾いだ。

 

その機を逃さず、俺はそのまま軸足でスピンし、一回転しての片足跳躍--からの飛び回し蹴り。

 

俺の足は斎藤の首元へと一直線に迫った。

 

だが

 

 

「ふざけてんのかァ!」

 

(おい)はいつでも大真面目じゃあ!」

 

 

辺りの木々を揺らす激突音。

 

俺の蹴った足と、奴の防いだ腕。

そこを中心に土煙が舞い上がり、空気が確かに震えた。

 

攻撃が通じなかったと判るや直ぐ様反対の足で奴の腕を蹴り、後方に退避。

 

四本足で着地して、奴を睨み上げる。

 

 

俺の目に写ったのは、牙突の構えをとる斎藤。

 

 

「ワンパターンはお前もじゃきぃ!」

 

 

俺の手元には先程放り投げた刀が図ったかのようにある。

 

それを拾って、構え、そして

 

 

奴の牙突が放たれた瞬間、俺も突貫して渾身の刺突を繰り出した。

 

 

「ガアアァァ!!」

 

 

奴の牙突は俺の頬を斬り裂いていき、耳を貫いていった。

 

 

(いったぁ……でも凌いだ!)

 

 

そして今度は俺がカウンターの要領で、被せるように突きを放つ。

 

だが、やはり奴の動体視力は尋常じゃない。

 

頭を捻って難なく避けられた。

 

 

そして互いが交差し、すれ違う。

 

 

草履の裏が発火するんじゃないかと思うほど地面を削り、スピードを殺していく。

 

後ろからも同じ音が聞こえるから、恐らく斎藤も減速中なのだろう。

 

 

(ってか痛い痛い痛い痛い!これ絶対足の皮ズル剥けてるって!)

 

 

あいつ、よおこんなん耐えられんなぁ!

 

てんなこたぁどーでもよくて、直ぐ様振り向き、お互いが構える。

奴は牙突の、そして俺も平突きの。

 

 

それぞれが地面を爆発させたかのように地を蹴り、強襲した。

 

 

「狂ったか。相討ち覚悟で俺の牙突を迎え撃つか!」

 

「おぉ、薩摩兵子(へご)で狂うとらん者は一人もおりもはんど!」

 

 

お互いの刺突がお互いの顔面に猛然と迫る。

奴は俺の渾身の一撃をギリギリでかわす。

 

相変わらず肉を抉られるのは俺だ。

 

俺の突きは奴の薄皮一枚抉ることさえ出来ないでいる。

 

 

 

けど、これでいい。

 

 

これでいいんだ!

 

 

再度お互いが交差し、距離が離れたこの瞬間こそ、俺の見出だした牙突攻略の糸口。

 

命懸けの突き合いは、すべてこの為なんだ。

 

 

 

着地して、刀を捨てての四本足でスピードを殺す途中、一丁の小銃を拾う。

 

左手の肩から激痛が生じるが、それを噛み殺して俺は滑りながら振り向き、構える。

 

 

突きの突進力は奴の方が断然上だ。

鋼鉄の壁さえ容易く粉砕するほどゆえ。

 

 

 

だから、その分減速に掛かる時間と距離も奴の方が長い。

 

 

 

この瞬間、この状況ならば!

 

 

左腕はクソ痛くて、自分も相手も滑っているという最高(クソッタレ)な状態だが、それでも今が最初で最後のチャンスなんだ。

 

 

 

気張れやぁ!

 

 

 

 

 

 

 

そして、一発の乾いた銃声が響いた。

 

 

 

 

 

「「!! 」」

 

 

 

 

 

辺りから音が消えた気がした。

 

 

 

停止した斎藤がゆっくりと振り向いた。

 

 

その顔には超貴重な、少しばかしの驚愕の色が映っていた。

 

 

対する俺も目を見開いて驚いている。

 

 

 

弾が……

弾が見当違いの方に飛んでいったからだ。

 

 

 

でも

 

 

 

「当たった……」

 

 

 

幸運の女神は俺を見捨てなかった。

弾は斎藤の左上腕を貫いていったのだ。

 

 

「……チッ」

 

「ハッ……」

 

 

忌々しげに舌打ちする斎藤と、挑発するように短く笑う俺。

 

銃を捨てた俺はついでとばかりに帯に下げていた短刀や水嚢、兵糧袋、壊れて役に立っていなかった僅かな具足も外し、捨てた。

 

奴も肩に出来た銃創を一瞥してから、俺を睨んできた。

 

 

 

(ころころと戦法を変えやがって。しかも落ちてる得物を使うから反応が一拍遅れてしまう。巧妙というか珍奇というか)

 

(おぉ、怖ッ。メンチ切るってレベルじゃねェぞ、あれ。ビームが出る勢いだ。とまれ、だらりと垂れ下がったあの左腕…もう牙突は使えないだろう。まぁ斯く言う俺も発砲の衝撃で左腕が上がらなくなっちまったけどな)

 

(致命傷ではない……が、牙突は暫く使えんな。辺りも此方が押されて撤退を始めたから、ここが潮時だろう。抜刀隊の有用性も証明出来たし、地理も把握出来た。田原坂(ここ)の攻略も時間の問題だろう。だが今は--)

 

(損傷具合で言えば俺のボロ負けだ。今奴が引いても客観的に見れば勝利は奴の方にある。戦略的には此方の勝利ではあるけど、戦術的には引き分けだ。それに多分此方の被害も相当だろう、このまま続けばジリ貧だぜ。ただ今は--)

 

 

 

斎藤が右手で刀を構え、俺も先程投げた刀を拾ってある程度振り回し、そして構える。

 

 

((こんなに昂ってるんだ。そんな御行儀よく引くかよ、俺が/奴が!!))

 

 

 

アイツの表情が鬼気迫るものに変わった。

 

 

 

けど、それを見ても俺の心はまったく変わらない。

自分でも判る。

 

 

(おれ)は興奮に満ちているんだ!

 

 

地を蹴って、一瞬にしてお互いが間合いを侵し、そして互いに片手で刀を振るう。

 

悲鳴のような甲高い金属の衝突音が辺りに木霊するも、それを掻き消すかのように更なる衝撃音が二度、三度と響く。

 

刀がぶつかり合い、火花が弾け、汗が飛び散り、血が舞った。

 

避けて、斬って、防がれて、斬られて、躱して、距離を潰して。

 

 

一気呵成に刀を横に振るい、木の幹を両断した刃は受け止められ。

 

肌を掠める唐竹割りの一閃を身を捻って避け、見るとその刃は大地に亀裂を作っていて。

 

 

 

 

そんな化け物じみた剣客を相手にしても、俺はもう恐怖と動揺に囚われなくなった。

 

 

身体中に刻まれた斬り傷による痛みを感じることもなく、死が近くに来ている実感が乏しい。

 

 

今なお高まり続ける身を焦がすほどの興奮が、(おれ)を狂騒へと駆り立てる。

 

 

 

 

 

時間がどれ程経ってもなお、俺たちの奏でる剣戟は一向に止むことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







難しい





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

4話 西南戦争 其の肆



そーれ
原作キャラ二人目どーん

では、どうぞ






 

 

 

 

政府軍の主力部隊が撤退を始めた。

 

それはつまり、薩摩軍が政府軍の総攻撃に耐えたということだ。

 

 

かつての幕末の志士、或いは旧幕の武士どもを迎え撃ち、凌ぎきったのだ。

それは何よりの戦果となるはずなのに、しかし生き残った薩摩の侍の表情は皆浮かない。

 

政府軍を追撃する者はおらず、地べたに座り込んだり、肩を落として下を見たりしていた。

喜色を浮かべる者は誰一人としていない。

 

 

それもそのはずだ。

 

 

撃退したのではない、敵が攻めきれなかったのだ。

 

被害は此方の方が少ないだろうが、今までに比べれば遥かに多い。

これが継続的に行われたら、近いうちに田原坂の陣地は崩壊する。

 

なによりも、此方の損害も激しい。

徴兵された兵士相手なら無双ぶりを発揮出来るのだが、こと抜刀隊が相手なら心身の疲労が半端ではないのだ。

 

 

おそらくもう一度二度ならまだ迎え撃てる。

だが三度四度となると?

あるいは抜刀隊の数がさらに増えたら?

 

 

そうなればお仕舞いだ。

 

数の暴力により今度は此方が蹂躙される。

 

もちろん、死ぬ間際には幾人かの敵を道連れにしてやる気概はある。

だが、それでも政府軍の進撃を抑えることは叶わない。

 

ここでの戦いはあと何日続くんだ?

我々はあと何日保つんだ?

 

いったいいつまで戦うんだ?

 

どんどんとマイナスの思考に陥ることも、彼らの顔が浮かない要因の一つだ。

 

 

そんな中、一人の侍がキョロキョロと辺りを見渡していた。

誰かを探すように。

 

その者が探しているのは、あの斎藤一と死闘を繰り広げた青年、狩生十徳(かりうじっとく)だ。

 

ここに来るまで十徳と他愛もない会話をしていた学友だ。

 

 

学友にとって十徳は友達であり、同時に好敵手であり、そして目標でもあった。

 

十徳の扱う剣は、型の無い我流のもの。

 

何度師範に矯正されても全く流派の剣術が身に付かず、やがて師範も匙を投げるほどの唯我独尊の男。

 

それでいて剣の腕は上位に食い込む。

 

おまけによく分からない価値観を持っている。

誰とも共有せず、誰にも理解されない価値観を彼は()()()()()持っていて、それを果たすためには誰が敵になっても構わないとさえ思っている節がある。

 

 

加えて、その容姿もまた自分を惹き付ける要因となっている。

 

髷を結わずに長くなるまで放置した銀、というより白い髪。

白磁を連想させるほどに白く華奢な体格。

気づけばいつも遠くを見詰める凛とした青い瞳。

 

 

今はもう居ない異人の父を持つ、混血児。

 

 

当然、この薩摩の地、否、日の本の地であの面貌は目立つ。

謂われない迫害もあったし、些細な切っ掛けで虐めもよくあった。

 

それでも、彼は自分を曲げない。

多くの人に受け入れられなくても、それでも薩摩の為にと意思という名の刀を研ぎ澄ます彼は、どうしようも無いほどに立派な侍なのだ。

 

そんな在り方が、時には自分もよく喧嘩をしたが、でもいつしか友達になって、そして掛け値ない目標となり、いつも彼を考えるようになっていた。

 

 

そんな彼が、こんなとこで死ぬ訳がない。

 

最初の方は確かに動揺してる様子だったけど、きっとまた自分の内にある何かに従ったのだろう。

 

翌日からはちゃんと戦うようになった。

 

昨日だって。

今日だって。

 

仲間が何十人も死ぬほどに今回の敵である抜刀隊は強かったが、十徳が死ぬわけない。

 

アイツは絶対に死なない。

 

そう信じるからこそ、学友は地に伏す死体を確認することなく、ただ目を前に向けて十徳を探して歩き続けた。

 

そして

 

 

「あ、おった!おーい、じっと、く……」

 

 

最初は喜んで彼を呼んだが、その声は次第に尻すぼみになった。

 

 

「っ……、大丈夫か?!傷だらけじゃなかか!」

 

 

目にした彼は満身創痍で、今にも倒れるんじゃないかと思ってしまうほどにボロボロだった。

 

銀色の髪は返り血と泥でどす黒く汚れていて、所々覗ける四肢も痛々しく見えた。

 

学友は慌てて彼に駆け寄る。

 

 

「ん?あぁ、致命傷は避けちょおから大丈夫じゃ。じゃっどん少し手当てがしたか」

 

「あ、あぁ。直ぐにすべきだろ。お前ほどの奴が、こがいになるなんて…」

 

 

苦笑いする友を見て、やはりこの戦いは厳しく苦しいものとなるのだろうと、学友は漠然とした不安に襲われた。

 

 

「そん左腕。服ごと血で真っ黒に染まっちうが、大丈夫がか?動かせっか?」

 

「いや、もう動かせねぇし戦いにん使えん。暫くは右手一本になるのぉ」

 

「なっ、一大事じゃなかか!」

 

「仕方なかろぅ。寧ろアイツ相手に左手一本で生き残れたんじゃ、安か買い物じゃった」

 

「お前……ホント誰と戦ってたんじゃ?」

 

「天下御免の最強警官、かな」

 

 

あ~おっかなかった、とぼやきながら彼は木の根に腰を下ろし、巾を取り出して口と片手を器用に使って切り裂き、肩の止血をしていった。

 

その表情はいつもと同じ、呆としながらも何処か遠くを見ているようだ。

けど、学友にはその目がなんだか喜色を浮かべているように見えた。

 

 

「なぁ十徳。なんかお前楽しんではおらんか?」

 

「ん?ん~……うん、そうさな。そうかもしれもはん」

 

 

鼻を搔きながら、彼は苦笑して言った。

 

 

「自分の事で踏ん切りが着いて、この世界の真実ば知って。前より前向きに生きようち思ったんよ」

 

「なんだよ真実ち……それになんじゃ、生きようっち。俺たちは今、戦争ばしちょっ。命なんざ疾うに捨てちょうぞ」

 

「無論。じゃっどん、そいでも俺たちはまだ生きている。生きてる奴は、たぶん生きるべきなんだと思う」

 

「……はぁ。ホント昔からよく判りもはんな、お前は」

 

 

そうか?と聞く十徳に、学友はそうだよと呟きながら、その横に腰掛ける。

 

目の前には命を失い野に打ち捨てられた大量の亡骸。

見上げる空は薩摩の侍共の心情を代弁しているかのように、今にも泣き出しそうな曇天となっている。

吐く息は白く、時おりそれを手に当てて僅かな暖を取る。

 

ふと、学友は今並んで見ているこの景色でも、彼と自分とでは見えているものは違うんじゃないかと思ってしまった。

それを確かめる為にちらと十徳の目を盗み見ると、やはり此処ではない何処かを見詰めているように見えた。

 

それでも、その見詰める瞳に曇りは一切無く、あまつさえどこか愉しげな気に見えた。

 

それが少しだけ怖く感じた。

 

ふと、手当てを終えた十徳が立ち上がると、目の前にある大量の死体に足を向けた。

何をするのかと見ていると、果たして武器を調達し始めた。

 

 

「そういえば手ぶらか?」

 

「使ってん使ってん全部壊されてもうたからなぁ。落ちてる物ん大抵使いきってやったわい。だから此処まで足ば運んだんじゃが」

 

「……はぁ?」

 

 

素っ頓狂な声を上げて目を丸くする学友。

 

十徳が溜め息混じりに告げた先の戦いの一端を知るにつれて、大量の氷を背筋にブチ込まれた感覚に襲われた。

 

刀剣類を悉く破壊するだと?

銃弾を容易く回避するだと?

大木をへし折る平突きを繰り出す?

いったい何なのだ、その化け物は。

 

そんな奴を相手に、落ちている武器を使い捨てのように用いて、半日耐え凌いだだと?

 

相手が相手なら、目の前の十徳も十徳だ。

頼もしいと思う反面、やはり底の知れない強さに薄ら寒いものを感じた。

 

 

そんな学友の胸中など知る由も無く、十徳は着々と装備を整えていった。

 

袖で血糊を取った刀を腰に差し、帯も結い直す。

敵指揮官の拳銃を手に取り、弾丸を確認した後、ホルスターも拝借して肩に掛け、そこに拳銃を入れた。

 

同じく敵兵の誰かが趣味で持って来たのか、装飾過多なダガーが有ったので後ろの腰に差す。

 

政府軍兵士の標準装備である小銃に弾丸を詰めて背中に掛け、予備弾丸を袂に入れる。

銃剣を他の小銃から二本抜き取り、足袋の上からサラシで巻き付ける。

 

 

「ん、一丁上がりじゃ」

 

「重装備じゃのう。動き辛くはなかか?」

 

「少し重か。じゃっどん一時の休戦ば明けるまでには慣れるじゃろ」

 

 

11日の政府軍の総攻撃は、双方に大きな被害と損耗をもたらした。

結果、両軍は戦線整理と兵員・物資補充の為に一時休戦となったのだ。

 

 

「抜刀隊……増えるのかのぉ」

 

「増える。抜刀隊が薩摩の侍(俺たち)の白兵戦に対抗出来ると、政府軍は今日の戦いで理解してもうた。ほいたら更なる数を全国から集めることちなるじゃろう。こん休戦も、そん為の時間稼ぎの一面もある」

 

「……わっぜか、苦しいのぉ」

 

「あぁ、ほんに」

 

 

今日の戦いを更に上回る規模の敵の襲撃。

 

だが、それだけではない。

 

薩摩軍の敵は政府軍だけではない。

 

 

飢えと、渇き。

 

寒さと、乏しさ。

 

 

多くの兵が既に満足のいく食事を取っておらず、喉の渇きも雨で誤魔化している。

しかもその時おり降る雨が体温を奪っていき、体が凍って手足の感覚が薄れていくのだ。

雨避けに使える物など無く、拭える物さえ無い。

 

各種武器弾薬も送られてくる量が日に日に減ってきて、仕舞いには石で応戦しなければならない日が来そうな予感がするほど。

補充要員も無く、また熊本城を落とせたという吉報もない(熊本城は現在政府軍が籠城している。守備兵は少ないのに思いの外堅牢で、薩摩本軍は手を焼いていた)。

 

何もかもが足らず、相手の方が潤沢。

 

しかも時間は相手の味方をしている。

 

今更ながら暗い現実に溜め息を吐いた学友は視線を足下に落とし、しかしいきなり身に襲ってきた得体の知れない恐怖心に顔をバッと上げた。

 

 

それは、まるで心臓を直接手で鷲掴みされたかのよう。

 

それは、まるで幽霊がすぐ傍で息を耳に吹き掛けたかのよう。

 

 

 

それは、まるで狂気の暗殺者が後ろから凄惨な笑みを浮かべて近付いて来たかのよう。

 

 

 

十徳も、各種の武器を拝借した仏に手を合わせていたが、咄嗟に振り返り

 

 

驚愕

 

 

そして一瞬の間を置いて、跳躍--抜刀

 

 

 

 

 

 

 

「伏せろォォォオオ!!」

 

 

 

 

 

 

 

剣閃は屈んだ学友の脳天ほんの数センチ上。

 

 

 

そこを通った瞬間

 

耳をつんざく金切り音が響き、脳天を貫こうとしていた刀が宙を舞った。

 

 

 

慌てて後ろ上を振り向く学友。

 

学友の傍に着地した十徳は刀を構えながら睨み付ける。

 

 

学友を挟んで十徳と向かい合うそいつは飛び退き、笑い、言った。

 

 

 

 

 

 

「うふ、うふふ。うふわははは!失敗、防がれた。中々の連携だったぞ、小僧ども」

 

 

 

 

 

其処に佇むは、狂気の快楽殺人者

 

 

 

 

 

鵜堂刃衛

 

 

 

 

 

 

 






斎藤一は史実でも抜刀隊として西南戦争に参加していました

二人目は……どうでしょうかね





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

5話 西南戦争 其の伍



とりあえず西南戦争が終わるまで一気に投稿しようかと
ただオリ主が終戦時までいるとは限りませんが

では、どうぞ




 

 

 

 

「マヂかよ……」

 

 

 

鵜堂刃衛

 

全身黒タイツの上に白装束、黒い編み傘。

白黒逆転した嫌悪感を駆り立てる瞳。

 

緋村剣心が平和な世の中を作るために人斬りになった、所謂手段として人斬りの道を選んだのに対して、コイツは己の快楽の為に人斬りを進んで行う、所謂目的が人斬りである正真正銘の異常者。

 

肉を斬る感触、浴びる血の味を求めてただただ人を殺す殺人鬼。

その残忍な手口が目に剰り、新撰組から除籍されたほどだった。

 

 

つーか何でコイツも九州にいんの?!

 

斎藤一だけでお腹一杯だっつうの!

 

 

「お前……なし此処におる。警察じゃなかろ。ましてや徴集された兵士でんなかろ」

 

「うふ、うふふ。薩摩隼人は剣豪揃いと聞くじゃないか。是非味わいたかったんだよ、感触を」

 

 

え、ウソ。

 

ってことはつまり……

 

 

「一個人として来た、ち?己の欲求の為だけに、この戦場に?」

 

 

コイツは思ってた以上にアカン奴や。

 

要人暗殺の為でもなく、兵士として来たのでもなく。

ただ殺しがしたいから来た。

 

あまりにも常軌を逸してやがる。

 

 

(おい、十徳。コイツは……)

 

 

隣で立ち上がった学友がボソリと声を掛けてきた。

俺と同じく刀を抜いて構えるが、その声は微かに震えていた。

 

俺も小声で返す。

 

 

(鵜堂刃衛。政府軍側でんなければ薩摩軍(俺たち)側でんない、ただ人ば殺す楽しさを求めて来よったスーパーサイコ野郎ぞ)

 

(す、ぱ? は?)

 

(要するに敵ちことだ。嘗ての新撰組に属していたからな、実力は推して知るべしぞ)

 

 

俺が苦笑いすると、横から息を飲む音が聞こえた。

 

さて、どーする?

もちろんコイツを野放しにするべきでないのは確かだ。

 

だが、今の俺で、片手の状態の俺で太刀打ち出来るか?

たぶん無理だな。

 

流浪人の状態の緋村剣心でさえ苦戦したんだ。

ハンデのある俺じゃあ歯牙にも掛けられんだろう。

 

なら……

 

 

(どうする?怖いなら逃げてん構わんぞ?)

 

(誰がッ。ちっくとビックリしただけじゃ!俺だって戦える)

 

(……ほうか。なら俺が少し時間ば稼ぐ。その間に気持ちば落ち着かせて、隙を突いちくれ)

 

 

奴を見て恐怖に駆られるのはスゴく判る。

あの瞳が生理的に嫌悪を抱かせ、一挙手一投足が不気味に映るのだ。

 

けど、それはマズい。

奴の『二階堂平法』は、そういった心の隙を突いてくるのだ。

 

だから、心を落ち着かせる時間を作ろう。

出来たら、の話だが。

 

俺は学友から離れ、刃衛を中心にゆっくりと円を描くように歩を進める。

 

 

「今は一時休戦中なんじゃ。悪いが、そいが明けてからにしてくれもはんか?」

 

「うふふ、それはお前らの都合だろ。そんなもの俺には関係無い。俺は殺しが出来ればそれでいいんだ」

 

「殺しち……そんなこと(そがいこつ)別に此所に来んでん、東京なり京都なりでん出来るじゃろ。なし態々」

 

「なに、此所だからこそ楽しめる事もあるんでね」

 

「此所だからこそ?」

 

「あぁ。ふふふ、面白い、本当に面白い。考えただけでもこんなに面白い」

 

 

肩を震わせて不気味に笑う刃衛に対して、俺は違和感を覚えた。

 

なんか、おかしい。

 

コイツが楽しむのは人殺しであって、殺し合いじゃないハズだ。

剣心との決闘こそがイレギュラーであり、本来は弱者をいたぶる事を楽しむ輩だ。

 

何を考えてやがる?

 

 

「まぁ今はその為にも、此所でお前らを殺す必要があるんだが……んふふふ、いい目をしている」

 

 

刃衛が刀を構え、此方に向ける。

 

やっぱり、おかしい。

殺人が目的じゃなく、何かの手段としている。

 

なんだ?

コイツ本当に俺の知っている鵜堂刃衛か?

 

 

いや、今は余計な事を考えるな。

 

 

俺はちらと学友を見る。

目が合うと、その目が頷いたように見えた。

どうやら落ち着いたらしい。

 

ちょうど今、俺と学友と刃衛がそれぞれ5mほど離れて、上から見ると三角形の頂点に陣取るような形となっている。

 

よし、やってやる。

原作二人目の相手がコイツだなんて笑えない冗談だぜ。

けど、やらなきゃ殺られる。

俺もそうだし、学友が、あるいは他の仲間が殺られる可能性もある。

 

それは絶対阻止だ。

 

刀を構えて、奴に対峙する。

学友も刀を抜き、奴に向けた。

 

 

「何が目的かは知らんが、殺るち言うなら応えてやっど。()いや」

 

「うふふ、うふふふふ、うふわははは!」

 

 

奴が哄笑する。

笑って、嗤って、ピタリと止んで

 

 

笑顔のままに、襲い掛かってきた。

地を震わす踏み込みの直後、狂気を一身に湛えた狂人が迫ってきた。

 

それを俺は腰をドッシリと落として迎え撃った。

 

一撃目でよろめき、二撃目で片膝を着き、三撃目で吹き飛ばされた。

 

 

「ぐッ……!」

 

 

地を削るようにして着地し、片膝を突いて奴を睨み付ける。

 

大丈夫!

見えるし、防げる。

圧倒的な実力差があるわけじゃない。

十分に対処可能なハズだ。

 

だがやはり片腕だと儘ならない。

このコンディションじゃ却って刀は弱点となるか。

 

俺は刀を捨てて、ホルスターから拳銃を引き抜くと奴に照準を合わせた。

 

そして、発砲。

 

 

俺の手元から生じる発砲音の直後に、刃衛の所から金属音が響く。

 

原因なんざ、容易に想像出来らぁ。

 

続く二発、三発……全弾撃ち尽くし、そしてすべての発砲音の後の金属音。

 

 

「はは……ホントこの世界の剣客ってのは化け物染みてやがる」

 

 

乾いた笑いが溢れてしまうが、仕方ないよな。

 

全弾、斬り落とされたのだから。

 

いや、でも驚きはあれど、納得の気持ちもあるから。

やはり原作キャラってのは只者じゃねェんだな。

 

気持ちを引き締めた俺は拳銃を捨て、ホルスターと背負っていた小銃も外した。

銃は奴には何の役にも立たないようだしな。

 

予備の弾も全て捨てた俺はダガーを後ろ腰から引き抜き、構えて--

 

 

「疾ッ!」

 

 

一気呵成に駆け出した。

 

間合いは刀より遥かに短い。

足を止めての斬り結びなんて冗談じゃない。

 

先の斎藤戦以上に足を使っての高速機動戦を仕掛ける!

 

 

「うふふふ、うふわははは!」

 

 

奴が笑い、横一線に刀を振るう。

 

それをスライディングして躱した。

リンボーダンスのようにして、鼻先を凶刃が掠めてゆく。

違うとしたら、潜るのは死の刃。

滑る速度は全速力なみ。

 

土煙を巻き上げながら奴の足元を滑り、足を斬り付けて奴の背後に一旦離脱。

その直後、上空を黒い影が横切った。

 

 

「はあァァァ!」

 

 

学友が俺を飛び越えて刃衛の頭上から斬りかかったのだ。

その一刀は防がれたが、俺への追撃が無くなったのは大きい。

 

学友はそのまま刃衛の頭上を飛び越して向こう側に着地した。

 

 

「お(まん)の相手は--」

 

「俺じゃろうがッ!」

 

 

刃衛が向こうを向いた瞬間、ダガーを口にくわえて足首から銃剣を抜き取り、奴の腰に体当たり気味に突き刺した。

 

確かな手応え。

 

イケる!

一対一ならともかく、二対一なら優位に進められる!

 

このまま前後から挟撃して交互に斬りつければ、勝てる。

 

 

直ぐ様離脱してダガーを構え直す。

 

そして奴が振り返り、俺を視界に捉え、俺を見て、見て

 

 

 

 

ドクン

 

 

 

と、大きな心音が頭蓋に響いた。

 

 

 

「あ……かッ、が……、」

 

 

 

 

息が……呼吸が、出来ない。

 

身体が動かない。

力が入らない。

 

 

『心の一方』……?!

 

 

まずいマズイ不味いマズい!

身動き一つ取れない、指一本動かせない!

 

 

「十徳!どないしたッ、大丈夫か?!」

 

「うふふ。ちょこまかと五月蝿いから、心の一方を強めに掛けただけだ」

 

「心の……一方?」

 

「要は金縛りみたいなものさ。呼吸は止まり、舌も回らず指一本動かせない。涎と涙と糞尿を垂れ流しながら窒息死する程度の、だがな。うふふ、醜い死体となるのは何分後だろうなぁ?」

 

「貴様ァ!!」

 

「うふわははは!解呪したくば俺を殺すんだな!」

 

 

クソ、クソ、クソ!

油断したわけじゃないが、まさかこうも簡単に掛かるとは!

 

向こうで激しい斬り合いを始めた二人の事なぞ全く意識出来ず、俺はパニックに陥った。

 

どうする?!

どうにか出来るのか?!

いや、どうにかしなきゃ死ぬんだ。

どうにかしなきゃ!

 

えと、えっと……確か原作ヒロインの神谷薫も同じ技を掛けられて、でも彼女は自力で解いたんだよな。

 

なら俺にも出来るハズだ。

 

どうすればいいんだ?

えと、えと……そう、叫べばいいんだっけか?!

(注:間違い)

 

叫ぶ、よし叫ぼう。

腹に力を入れて、息吸って~……

 

って無理ムリむり!

呼吸がそもそも出来ないんだって!

苦しい苦しい!

 

チクショウ。

どうする、どうすればいい?!

なにか、なにか出来ないか。

どこか動かせないか……あ、指が一本、人差し指が辛うじて動くぞ。

 

人差し指、人差し指、人差し指……

 

 

あ、あれなら無理矢理声を絞り出せるのか?

 

けど、けどッ……

 

 

と、パニックに陥っていた俺の視界には、刀を弾き飛ばされた学友の姿が映った。

そして尻餅を着き、見上げる先には刃衛の振り上げた刀。

 

あまりにも無防備な状態。

もはや絶体絶命。

数秒後にはあの刀によって命が刈り取られるだろう。

 

 

もう、四の五の考えるのは止めていた。

 

親指の爪を引っ掻けていた人差し指に力を入れ、思いっきり動かし、

 

 

()()()

 

 

「ぃ……ッだあああぁぁぁ!!」

 

 

パリンと何かが割れる音が響いたが、そんなものを無視。

直ぐ様落としていたダガーを拾い、刃衛に突貫した。

 

 

まさか解かれるとは思っていなかったのだろう、驚いた顔をして振り向く刃衛。

 

刀を振り上げたままで初動を取れず、その隙に肉薄してダガーを首筋に一閃。

 

だが、頸動脈をぎりぎり捉える事が出来ず、薄皮一枚で躱された。

 

 

「チッ!」

 

「うふ」

 

 

斬りつけた勢いを殺さず、その場でコマのように回転。

そして腰を思いっきり落として、奴の足の甲にダガーを突き刺し、地面に縫い付ける。

 

直ぐ様飛び退き、学友の横に着地した。

 

 

「だ、大丈夫か十徳?!」

 

「あぁ。お前こそ大事ないようじゃな」

 

「いや、正直ヤバい。今んなしてか身体が急に重おなって上手く動かないんじゃ」

 

 

ってことはコイツも心の一方を掛けられたのか。

話せるところを見るに、俺ほど重度なやつじゃないようだが、なんでやねん。

なんで俺にはえげつない方を掛けるんじゃ。

 

閑話休題(それはさておき)

 

辺りが騒がしくなってきた。

そろそろ剣戟と銃声を聞き付けて仲間が来る頃だろう。

 

そうなれば数にものを言わせて圧殺出来る。

何人か殺られる可能性もあるが、今は犠牲に目を瞑って奴を刈る事を優先すべきだ。

 

奴を生かしていたら、絶対に後々厄介になる。

 

 

「ってなわけだから、仲間が来るまで待っちょれ。えいが?」

 

「……判った。気ィば付けろよ」

 

「おう」

 

 

不満げに言う学友を背に隠し、残り一本の銃剣を足から抜き取り構える。

 

一方の刃衛は足の甲からダガーを、腰から銃剣をズルリと抜き、捨てた。

痛みを感じていないのか、笑いながらだ。

 

 

「んふふふ、なかなか厄介だ。貴様、名前はなんだ?」

 

「狩生十徳だ。はじめまして、鵜堂刃衛」

 

「ほう、俺を知っているのか」

 

「ついさっき元新撰組の奴と殺り合ったんでな、思い出したんだよ。妖術みたいなものを扱う人斬りの元新撰組隊士」

 

 

嘘だけど。

 

 

「なるほど、だから心の一方を解かれたのか……いや、そんな馬鹿げた方法で解かれるとはな。貴様は面白いな」

 

「そりゃどーも。それでどーする?そろそろ銃声と剣戟を聞き付けて仲間が来る頃だぜ。それも全員相手にすんのか」

 

 

っと、噂をすればなんとやら、だぜ。

 

 

「なんだ、何があった?!」

 

「政府軍の攻勢か?大丈夫かお前ら?!」

 

 

刃衛を取り囲むように六人の仲間が現れた。

皆一様に刃衛を警戒して刀を抜いていた。

 

 

「政府軍じゃなか。血ば求めて戦場に流れてきた人斬りじゃ!油断召されるな!」

 

「なん、だと……」

 

「人斬り…?奇妙な出で立ちぞ」

 

「余程腕に自信があるのか」

 

 

取り囲む薩摩の侍どもが口々に言葉を溢すなか、当の刃衛は薄気味悪い笑顔を更に深くして言った。

 

 

「うふふふ!これはマズいな。薩摩隼人にこんなに囲まれたら命が一つじゃ足りないか」

 

「じゃあどーする?大人しく首を置いていくか?」

 

「いやいや、此処はもう用済みさ。お前程の輩が居たのは想定外だったが、これでも十分さ」

 

「何を言って--」

 

 

言いかけて、止めた。

 

全くの予備動作無しからの、刀の投擲。

 

真っ直ぐに飛来したそれに俺はなんら反応出来ず、それは深々と脇腹に突き刺さった。

 

 

「がぁ……ッ!!」

 

「「十徳!」」

 

「うふわははは!直接感じは出来なんだが、いい感触を思わせる刺さりっぷりだ!」

 

 

そう笑い声を残し、刃衛は踵を返して走り去っていった。

 

 

「ま、待ちやがれッ……!」

 

「おいダメだ、動くな十徳!」

 

 

周りの仲間が俺に駆け寄り、心配してくる。

いや、それは有り難いんだが今は奴を追うのを優先すべきだろうが。

 

 

「だい、丈夫だ……ちょうど肋骨に刺さって止まってる、死にゃせんじゃろ」

 

「そか、良がった。じゃっどん、もう戦えなかろ。後ろに下がって手当てば」

 

「それよりも、奴をッ」

 

「そいも大事じゃが、今はお前を後ろに運ぶことが優先じゃ。そいから奴の存在の報告と周知が優先だ」

 

 

うぐ……

 

まぁそうか。

少ない人数で行っても返り討ちに会うだけか。

なら全軍に報せて警戒を高めるのが最適解だ。

 

俺は救援に来た仲間に肩を借りて本陣に向けて下がった。

刀は抜くと出血するので刺したまま。クソいてぇ

 

 

「十徳!大丈夫か?!」

 

 

学友が俺のもとに走ってきた。

どうやら心の一方は解けたようだな。

とはいえコイツも大分ボロボロだ。

一時は奴と一対一で戦ったんだ、なかなかの強運の持ち主だぜ。

 

 

「まぁ死にゃあせん。お前は良くなったようじゃな」

 

「あぁ、アイツが逃げてから急に身体が元ん戻ったんじゃ。不思議なこつよ。あ、俺も一緒に本陣に戻っど」

 

「技の効果発動には距離が関係してんのか。遠くに離れれば自動で解呪出来るのか……」

 

「ますます妖術幻術の類いみたいぞ。そいにしてん、奴がこのまま逃げるとは思えないんじゃが」

 

「俺もそう思う。奴が逃げたんは政府軍が居る方向じゃ。何処かに身ば隠すには不向きな場所なんじゃが……」

 

 

休戦中とはいえ互いに監視の目が緩むわけではない。

お互いが監視し合っている場所に逃げるなど、何を考えてるんだ?

 

 

「そうよのぉ。やっぱり、政府軍の手先なんじゃなかか?そいで自陣に戻ったのかも」

 

「いや、それは有り得ない」

 

 

幕末の折に新撰組を追われたんだ。

またお上の組織に入って兵隊なり抜刀隊なりに所属するとは思えん。

 

暗殺の依頼があって戦場に来たとしても、乱入のタイミングがおかしい。

混戦の只中ならまだしも、休戦が発効した直後だ。

 

そんな瞬間に騒ぎを起こす暗殺なんて……

 

 

 

『まぁ今はその為にも、此所でお前らを殺す必要があるんだが』

 

 

『此処はもう用済みさ。お前程の輩が居たのは想定外だったが、これでも十分さ』

 

 

『 やっぱり、政府軍の手先なんじゃなかか?そいで自陣に戻ったのかも 』

 

 

 

殺人をなにより愉しむあのサイコキラーが、必要だからと俺たちを殺しにきた?

 

もし、此処で俺たちが殺されてたら、どうなってた?

騒ぎを聞き付けて仲間が来たら、きっと政府軍の奴等が休戦約束を破って暗殺しに来たと勘違いする。

そしてもし、俺が奴の正体を知らなければ、殺されずに済んでも政府軍の手の者と思い込む可能性が十分にあった。

つまり、結果は一緒になっていたハズだ。

 

約束を反故にした不届き者の政府軍らに逆撃を与える、と。

 

だが結局は殺せず、俺は原作知識から奴の正体も把握していた。

そういった事態にはならずに済んだんだ。

おそらく最善の形で対処できたわけだ。

 

しかし此処での騒ぎは十分と奴は宣い、政府軍の陣地の方へと行方をくらませた。

 

政府軍の、陣地の方へ……

 

同じように、自分の正体を知られずに殺人に至ったなら……

いや、殺人に至らなくても襲撃に成功してしまえば…

 

 

 

 

「それはヤバいって!!」

 

 

確実に休戦約束が破棄され、政府軍が再度此処に攻め込んでくる。

 

まだ負傷者全員を後方に護送しきれていない此処を、だ。

ましてや、約束を先に破ったのは薩摩軍だと政府軍は誤解する。

それはつまり、真実は別としても薩摩軍が後世に拭いようのない汚名を残すことになってしまう。

 

 

 

 

 

「あんの野郎ォォォオオ!!」

 

 

 

 

 

 

俺は制止の声を振り切り、敵陣へと全速力で駆け出した。

 

 

 

 

 

 






日本史上最大にして最後の反乱の行方や如何に?!




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

6話 西南戦争 其の陸


見てくれる人とかお気に入り登録してくれる人が意外と多くてビックリしてます
本当にありがとうございます

できたらちょっと感想とか評価とか欲しいです
ちょっとでいいんで、哀れと思ってちょっとでいいんで
筆者の励みになります


なんて

スーパーサイコ野郎との血で血を洗う残酷戦闘回です
ご注意を

では、どうぞ




 

 

 

 

駆けて、駆けて、駆けて-

 

草に、樹の根に、水溜まりに、死体に足を取られながらも走り続けた。

 

ただひたすらに、ただ我武者羅に。

覚束ない脚に必死に喝を入れて、全速力で走る。

 

 

「あぁクソッ、走り辛ェ!」

 

 

途中、脇腹に突き刺さっていた刀を引き抜き、思った以上に血が出て気持ち悪くなった。

 

あまりの痛さに涙が出てきた……けど、弱音は言ってらんねェ。

奴を野放しにしてたら、薩摩軍は歴史に汚名を刻むことになる。

それは絶対に阻止しなければならない。

 

 

「ハッ、ハッ、ハッ……」

 

 

血が足りないのか、体力が消耗しているのか、刀を持つ手が震えて上手く握れない。

 

このまま長い得物を使っても、存分に活用できそうもねェ。

それに片手だし、取り回しが上手く利かん。

 

 

「くそ、背に腹は代えられないか…どこぞの刀匠ごめんな、さい!」

 

 

ぱきん、と綺麗な音が鳴った。

刀の腹を樹の幹に叩きつけ、半分ほどに割ったのだ。

 

よかった、根元から折れなくて。

道中に武器を拾う猶予さえ惜しい今はこれだけでやるしかないのだから。

 

だが、やれるか?

俺一人が駆けつけて事態は収拾できるのか?

さっきは二対一だから善戦できたんだし、後に救援が来たから撃退できたのだ。

武器もコンデションも満足いってない俺が、単身で奴の凶行を阻止できるか?

 

 

「ええい、ゴチャゴチャ考えんな!もうやるしかないんだ、覚悟は疾うに決まってんだろうがッ!」

 

 

弱った心に再び喝を入れた俺は、腹の底から思いっきり大声を出して己を律した。

 

そして、刃衛が踏み荒らしたであろう小道を全力で駆け続けること30分ほど。

最初は微かに、だが近付くにつれてはっきりと耳に入ってきた。

 

悲鳴と叫び声、そして腸が煮えくり返るほどに忌々しいあの笑い声が。

 

あそこの藪の向こうか!

 

藪を一息に飛び越え、中空から視界に捉えたものは

 

苦し気に踞る一人の警察官と、その首筋に刀身を当てている刃衛。

彼らの周りには既に事切れてるであろう抜刀隊の警察官が数名。

 

 

間に合わなかった……クソ、クソ、クソッ!

 

 

 

クソッたれが!!

 

 

 

 

「刃衛ェェェエエ!!」

 

 

 

 

「うふわはあはは!やはり来たか、狩生!」

 

 

 

 

藪を飛び越えた勢いそのままに、奴の頭上から折れた刀でもって斬りかかった。

 

それを奴は薄気味悪い笑みを一層深めて、柄で受け止めた。

折れた刀と柄がぶつかった瞬間、二人を中心に砂煙が舞い、円形状に空気の震えが生じたように見えた。

 

ここで距離を置けば奴の術中に嵌る。

実力差も体力差も歴然としているんだ、この零距離で一気に畳み掛ける!

 

 

「ふッ!」

 

 

滞空中に体勢を変え、両足を刃衛の上腕に巻き付ける。

ついでに膝蹴りで奴の顎を打ち抜き、平衡感覚を奪う。

そして胡坐の形で奴の片腕を股に挟み込むことに成功した。

 

奴の刀を持つ腕をこれで封じ、そして一気に上体を後ろに反る。

 

 

「むうッ?!」

 

 

一瞬の浮遊感覚。

俺はバク転のように、奴は前転のようにして身体が宙を舞った。

 

奴はそのまま流れるように足を振り回し、そしてから盛大な音を立てながら墜落した。

 

 

「……ぅッ!」

 

 

初めて聞く奴のダメージを負った声。

いや、ダメージというよりも衝撃で肺から声が漏れただけと見るべきか。

 

ならば尚更、俺は攻撃の手を緩めない。

挟み込んだ奴の腕はそのままホールドしているため、思いっきり固め技に入る。

 

腕ひしぎ十字固め。

 

当然、極めて降参を求めるなんて生易しいことをするつもりはない。

ここで終わらせるつもりだから。

 

 

「らァッ!」

 

 

渾身の力を込めれば、関節が折れる音が響いた。

 

だが

 

会心の一撃だというのに、あまりの生々しい音と感触に一瞬、動きが止まってしまった。

人を斬る感覚には慣れてしまったが、骨を折る感覚は初めてだったのだ。

だから、思わず眉をしかめてしまった。

 

 

たかが一瞬、されど一瞬。

 

普通、腕を折られたら激痛に襲われて動けなくなるハズなのに、奴は一瞬の停滞もなく、行動を起こしたのだ。

 

狂ったような笑い声を上げて。

 

 

「うふわははは!」

 

「ッ?!……があぁぁ!」

 

 

さっき刃衛の投擲した刀が突き刺さった脇腹に、奴が無事な腕の手を抉り込んできたのだ。

 

あまりの激痛に叫び声を上げてしまった。

 

痛いいたいイタイいたい……ッ!!

 

ぐちゃりぐちゃりと奴は感触を楽しむかのように手を弄ぶ。

体感的にも視覚的にもおぞましく、9割の理性が警鐘を鳴らす。

これは、コイツは危ない!早く腕を振りほどいてこの窮地を脱するんだ、と。

 

だが、残りの一割の理性が微かに告げる。

逃げるな!此処で戦え!と

 

何か根拠が有るわけじゃない。

ただの勘で、十徳(からだ)が培った本能ともいえるものだ。

酷くあやふやで、不確かな動機。

 

だけど俺は、この十徳(からだ)に従った。

 

激痛に苛まれる叫び声をそのままに、俺は足を振り上げて、そして寝転んだままの奴の顔面に踵を叩きつけた。

 

ぐしゃり、と今度は鼻骨がへし折れた音がした。

 

ふと腹を抉る力が弱まったと感じた瞬間には既に奴の手を振り払い、片膝立ちになると、されど距離を取ることなく追撃に移る。

 

離れて仕切り直しなんてダメだ。

一息でも間を置いたら奴の狂気に呑まれる。

なんとしてでも此処で討つ!

なんとしてでも此処で終わらせる!

 

上体を起こしても痛みで立ち上がる事が出来ないから、屈んだ態勢のまま未だ寝そべる刃衛の顔面に折れた刀を突き付ける。

 

奴の顔は醜悪だった。

鼻は折れ曲がり、歯が数本砕けていて、血を止めどなく流しているのに狂気を湛えた笑顔は相も変わらず。

 

それが酷く怖くて、恐ろしくて、なによりも腹立たしかった。

だから顔面を狙ってのし掛かるように刃を突き付けたのだが……

 

 

「嘘だろオイ……!」

 

 

あろうことか、奴は迫り来る刀を歯で受け止め、噛み砕きやがった!

 

マヂかよ。

つくづく人間辞めてるとしか思えねェ荒業をしやがるッ。

 

ポッキリと鍔本から折れた刀を見て呆然とした俺を奴が見逃すハズもなく、無事な手で脇差しを抜き、直ぐ様片膝立ちに起き上がると体当たりしてきたのだ。

 

 

「しまッ……!」

 

「うふわははは!」

 

 

屈んだ態勢じゃ避けられないし、刀もオシャカで防げない。

クソ、クソ、クソ!

 

 

「がああァァ!」

 

 

背に腹は変えられない、足ならまだ二本ある!

一本ぐらいくれてやれ!

 

刃先と、それが狙う心臓との間に片足を上げて割り込ませた。

向こう脛に刃を食い込ませて防ぐ暴挙に出る。

 

瞬間、嫌な音が身体中に響いた。

 

骨を貫き、脹ら脛(ふくらはぎ)の肉を掻き分けて見事に足を貫通した凶刃。

 

 

「……ッッぐぅぅ!」

 

 

そこで歯を食い縛って足に力を入れて筋肉を縮小させ、刃の進行を止めた。

 

あまりの痛さに視界が明滅して、気が狂いそうになる。

溢れ出る血の量に思わずぞっとする。

 

けど。

それでも。

 

残りの一本の足で身体を支え、奴の突進を地を削りながらもなんとかバランスを取りながら受け止め続ける。

 

痛みを堪えるために己の噛み締め過ぎてしまったのか、歯が欠けたのか、それとも舌か唇を切ったのか。

そんな小さな口内の痛みが、狂いそうな程の痛みを越えて俺を現実に留めてくれた。

 

 

ここで止まったら殺される。

死にたくなければ足掻け。

 

 

殺されたくなければ、殺せ!

 

 

「ぜあぁぁァッ!!」

 

「むぅッ?!」

 

 

気づけば地を削る勢いを削ぐことに成功し、一瞬の静寂が生まれていた。

 

今だ!

 

腹の底から絞り出した声を上げて、俺は片足で思いっきり地を蹴り、その勢いのまま奴の顎に飛び膝蹴りをブチかます。

 

奴の口から白い何かが何個が溢れ落ちたが、気にする余裕はまったく無い。

地に降りると直ぐ様柄だけの刀でもって、ふらつく奴に追撃する。

 

原作で神谷薫が使用した下段技、膝拉(ひざひし)ぎ。

 

片手で柄尻を持ち、もう片手で鍔本を持って、柄の腹で敵の膝を打ち抜く技。

今の俺は片腕しか使えないが、それでも無理矢理の力業で断行して、その結果--

 

 

「ぐぅ……!」

 

 

奴の膝の皿を打ち砕くことに成功した。

 

ハッ、ザマァ見やがれ!

その笑顔、初めて曇らせてやったぜ。

 

だが、ここで終わりというわけには行かない。

 

奴がふらつき尻餅を突いて、俺はその眼前に腰を落とす形となっているのだ。

 

超至近距離において、お互いが睨み合って一瞬の停滞が生まれた。

唯一の武器であった柄もへし折れ、マトモな武器と言えば足に刺さったままの奴の脇差し一振りのみ。

奴の目に見える武装は大小それぞれの鞘が二つ。

 

おまけにお互いが満身創痍だ。

ともに片腕片足が利用不能に陥り、最悪のコンディションとなっている。

 

なればこそ、選択した戦法こそが生死を分ける。

鞘を抜いてくるか、徒手空拳でくるか。

 

俺は……

 

一瞬の俊巡。

 

 

そして

 

 

ぐしゃり、と音が鳴った。

 

 

同時にお互いの上体が弾け飛ぶ。

奇しくも俺の拳と奴の拳が互いの顔面に炸裂したのだ。

 

 

「……ッ、!」

 

「は、あ……ぁッ」

 

 

脳が揺さぶられ、視界が暗転する。

平衡感覚を損ない、嘔吐感に苛まされるが、無理矢理それを嚥下する。

 

踏み留まれ、歯ァ喰い縛れ!

 

俺は傾いだ上体を踏ん張って戻し、再度渾身の握り拳を振るう。

それに交差するように奴の拳も振るわれた。

 

そして、やはりまたも互いの頭蓋が激しく揺れた。

 

 

「が、はぁッ……!」

 

 

頬骨から嫌な音がして、口内が鉄の味を占める。

 

クソったれェ……脳内がシェイクされて今にも吐きそうだ。

俺はともかくお前は一応剣客だろうが、なんで拳で応戦してんだよ?!

なんて叫ぶ余裕なんぞなく、今度は下からのアッパーカットを振るう。

 

奴の拳より早く届いたそれは、しかし奴があろうことか顎に力を込めて受け止めたことによって勢いが相殺された。

 

 

「がッ…あ、ッ?!」

 

 

骨が潰れるような音が聞こえた直後、拳に激痛が走った。

マヂかよ、顎骨で拳を潰しやがった?!

 

マズイまずい不味いマズい、両腕が使えなくなった!

指がだらんと落ちてひしゃげてやがる!

 

 

「ふはははは!死ねェ!」

 

「なッ……!」

 

そして奴は、自分の顎が砕けていることも厭わず、片足での驚異的な跳躍の後、無事な片手が俺の首を捉えたのだ。

 

 

「あ……か、…ッ!」

 

 

首の骨が軋む音が頭に響く。

窒息させる気じゃねェ、コイツ首の骨をへし折るつもりだ。

 

呼吸が出来ないのはもちろん、みしみしと嫌な音が頭蓋に響き、ボヤける視界が次第に黒く染まっていく。

奴の腕を振りほどこうと掴んでいた腕から次第に力が抜けていき、それでもなんとか倒れないよう片膝で踏ん張っているが、身体中が鉛のように重くなって、直ぐにでも倒されてしまいそうだった。

 

霞む視界に写るは、鬼気迫る表情の刃衛のツラ。

 

ふらふらと唯一動く右腕を奴の腕から離し、ゆっくりと奴の後頭部に回して後ろ髪を掴む。

 

 

その笑顔が、その笑い声が

 

 

 

 

忌々しい!

 

 

 

 

「----!!」

 

 

もはや声にならない叫び声を上げて、最後の力を振り絞って掴んだ奴の頭を引き寄せる。

 

そして、相討ち覚悟の渾身のヘッドバットをブチかます。

 

 

「がはッ!!」

 

 

何かが割れる音がした。

俺の頭蓋からなのか、奴の頭蓋からなのか。

漏らした苦悶の声は、どちらのものなのか。分からないけど、今は分かりたいとも思わなかった。

 

首を絞めていた奴の手が微かに緩んだ瞬間を突き、わざと自らの足を崩して腰を落とした。

 

奴の後頭部を掴んだまま、俺は自ら仰向けに倒れてゆき、奴は俺に引っ張られるようにして俺の上でうつ伏せに倒れてくる。

 

俺と奴の間に無事な足を滑り込ませ、足の裏に奴の腹を乗せ、後方に蹴り上げる。

 

巴投げだ。

 

普段なら回転中でも姿勢を制御して無事に着地するだろうが、今の奴は満身創痍。

片腕片足しか使えない今はバランスも取れず、結果--

 

ろくな受け身も取れず、背中を思いっきり叩き付けてやった。

 

 

「ぐぅ……ッ!」

 

「が、はぁ……」

 

 

だが。

 

満身創痍なのは自分も同じだ。

ろくに保身も考えずにぶん投げたから俺も呼吸がままならない。

 

それに、今のは致命打に程遠いという事が分かる。

仰向けに倒れていて見えないが、近くで奴が呻きながらも立ち上がろうとしているのが分かる。

 

苦悶の声を漏らしながら、起き上がろうとして、しかしどさりと倒れる音がして。

何度かそれが繰り返される音を聞いていて、俺も立ち上がろうと思うのだが、

 

そう思うけど……ダメだ。

 

もうダメだ。

身体が言うことを聞かねェ。

視界はボヤけるし、血を流しすぎたのか身体が鉛のように重くなって、四肢はおろか指一本動かすことすら儘ならない。

それなのに身体は俺の意識を無視して、尋常じゃないほどに震えているのが分かる。

 

あぁ、寒い。

身体の芯から凍える寒さだ。

歯ががちがちと鳴って、身体が萎んでいくように縮こまっていく。

 

もはや我慢することもできず、垂れ流すように吐瀉物が口内を犯し、口から溢れ出てきたのが分かる。

顔をべたべたにしているのは血か、それとも涙か鼻水か。

 

いや、もうそんなのどうでもいい。

意識まで呆としてきた。

何を考えるのも億劫だ。

瞼も凄く重くて、このまま寝ちゃいたいぐらいだ。

 

仰向けに倒れている俺の頭上で、黒い影がゆっくりと近づいてきたのが分かった。

どうやら、奴は立ち上がることに成功したようだ。

 

ゆっくりと、ふらふらとだが着実に此方に近付いてくる影を呆と眺めながら、思う。

 

 

クソッたれめ、テメェなんかが薩摩に来てんじゃねェよ。

大人しく本州で暗殺稼業に精を出してやがれ。

 

お前さえ来なきゃ、まだまだ戦えたのに。

 

 

 

お前さえ来なければ

 

 

 

 

影が俺を覗き込むようにして立ちはだかったのを見たのが最後。

 

 

俺の意識はプツンと途切れた。

 

 

 

 

 

 






自分で書いてて「うへぇ……」て何度もなった

笑顔じゃないよ、顰めっ面だよ




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

7話 西南戦争 其の漆



落ち着いたようなので投稿します!←発言の意味は活動報告を見てください


今回は上司にしたい人No. 1の浦村さん視点です

……え、知らないって?
ほら、あのちょび髭眼鏡スーパーお人好しな人ですよ
西南戦争に参加していたような台詞があったのでブッ込みました


では、どうぞ





 

 

 

11日の総攻撃後、戦線の整理と人員の補充・再編の為、一時休戦となった。

 

私たちは数人の部下とともに、薩摩軍が陣取る田原坂から数里離れた地点で歩哨に立っていた。

その表情は私も含め、皆暗い。

 

それもそのはず。

 

あの林の向こうは、正に地獄なのだから。

攻めても攻めても落とせない、否、それどころか攻める度に政府軍兵士の死体の山を築くことになる、屠殺場。

 

そこに居るのは、本当に人なのかと疑いたくなるほどに強く恐ろしい薩摩軍兵士。

 

射撃は百発百中。

刀を振るえば人体など容易く両断され、弾丸さえも斬り落とす眼と力を有している者もいる。

 

崩壊した部隊が三々五々に逃げたときなど、奴等は獅子のごとく執拗に追いかけ回し、そして政府軍兵士を殺し回ったのだ。

 

我々抜刀隊が戦地に投入され、敵の戦力をかなり削ったものの未だあの陣地を攻略出来ていない。

 

このまま長期戦になればいずれ落とす事は出来るだろう。

一時の被害に目を瞑れば、近い将来、あの陣地は攻略できる。

それは確かなのだが、しかしその瞑るべき被害とは一体どれほどだろうか。

流すべき血の量と築くべき死体の嵩はどれほどだろうか。

 

薩摩の侍はきっと一人になっても戦うだろう。

決してあの陣地を放棄することなく、孤軍奮闘するだろう。

なら、最後のその時までに我々が積み重ねる死体は、どれ程の山となるのだろうか。

そこに自分の(むくろ)もあるのではないだろうか。

 

そう考えてしまうからこそ、私を含め、遠巻きに敵陣を見張る者達は一様に暗い顔をしているのだ。

 

 

そうして日が暮れかけ、薩摩からの奇襲が無いことにホッと安堵の息を溢したとき、我々を嘲笑うかのように地獄の使者が牙を剥いた。

 

 

その男を見たときの第一印象は、死神だった。

 

真っ白い着物の下に真っ黒い全身タイツ。

病的なまでに白い地肌に黒の編み笠。

そして白黒逆転した不気味な瞳。

所々着物が赤黒く変色しているのは、おそらく血だろうか。

 

醜悪な笑みを浮かべるそいつは、私たちを見つけると「見ぃつけた~」と嘯き、斬りかかって来たのだ。

 

 

薩摩の奸計か、やはり休戦の約束を反故にするつもりか!

 

そんな事を思う余裕は全く無かった。

奴の瞳を見て、あるいは奴の笑い声を聞いて、生理的に恐怖を感じたのだ。

そして本能が告げる。

奴は危険だ、と。

 

一人の仲間が斬り伏せられ、ようやく身体が動いた私は応戦しようと抜刀するも、刀を弾き飛ばされてしまった。

 

足に刀を突き刺され、もんどりうつ私を放って奴は次々と仲間を斬り殺していった。

それを私はただ見る事だけしか出来なかった。

 

止めろ、止めてくれ。

 

そう何度も叫んだ。

だが死神は笑いながら刀を振るい、嬉しそうに殺しを続けた。

それが非常に腹立たしくて、悔しくて、何より止められずに眺めるしかない自分に絶望した。

 

死神は強い。

 

なんとか立ち上がり斬りかかっても、笑っていなされ、死なない程度の切り傷をつくるだけに留めて、私を甚振った。

 

おそらく、私は殺さないつもりなのだろう。

何人かは生き残らせる算段なのかもしれない。

 

理由は分からないが、殺人を娯楽のように楽しんでいるこの死神ならば、あながち間違いではないと思ってしまうほどに、狂気を感じている。

 

そうして周りの仲間が次々と斬り殺されていき、それをただ見ることしか出来ない絶望から、遂には私も殺してほしいと請い願った。

だが、そんな声を死神が聞き入れるわけもなく、殺戮劇は続いた。

 

仲間の悲鳴、絶叫、断末魔。

 

薩摩の侍とは違い、根源的な恐怖を駆り立てるこの死神の殺戮を前にして、私は気が狂いそうになった。

いや、あるいは既に狂ってしまったのかもしれない。

 

 

あふれる涙に満ちた視界に、一筋の光明を見たのだ。

 

突如として現れた白色の青年が、死神の頭上から斬りかかるという幻想を。

 

 

その青年は一般的な薩軍の服装で、上着のうえから白の兵児帯を絞め、長い鉢巻きをたな引かせていた。

 

とはいえパッと見でも分かるほどに身体はボロボロの様で、腹部からはドス黒い血が未だ流れている。

顔中も切り傷で痛々しく、左腕なんか真っ黒に染まっていて動かせないのが目に見えて分かる。

 

そんな青年が叫び声を上げながら、死神に躍り掛かったのだ。

斬りかかった刀はポッキリと折れているのに、その瞳は死神を捉えて離さなかった。

 

その姿を見て、その鬼気迫る迫力を肌で感じ、これが幻ではないことが分かった。

分かったからこそ、ダメだと内心で叫んだ。

 

あの死神は恐ろしく強い。

近づけば意図も容易く殺されてしまう。

 

私は助けてくれた青年に逃げるよう叫ぼうとしたが、しかし彼らは既に私など眼中に無いようで、直ぐ様血みどろの戦いを始めた。

 

 

その争いは、正に地獄絵図だった。

 

 

刀を帯びた剣客がする戦いなどではない。

文字通りの肉を切らせて骨を断つ、狂気の沙汰。

お互いに肉を切り合い、骨を断ち合うその戦いは、とても人間ができるものとは信じられなかった。

 

青年は叫び声を上げながら、苦痛に顔を歪め、血を撒き散らしながらも戦う。

その戦い方は目を覆いたくなるほどに荒々しく、何が彼をそこまで突き動かすのか、正気を疑った。

 

いや、正気でないのは一目で分かる。

そして狂気の沙汰などという生易しいものでもないことが分かる。

もはや、正も狂も外の沙汰なのだ。

 

あの傷の多さと深さ、武器もろくに無いのに戦おうとする意地、死神の狂気に当てられても尚攻めることを止めない意思の頑強さ。

 

片や死神も時おり顔から笑みが引き、少年の捨て身の攻撃を受け、苦悶の表情を浮かべるようになっていた。

それでも容赦なく青年の骨を断っていく。

 

 

あぁ、納得した。

 

この争いが地獄絵図ならば、死神と壮絶な殺し合いをするあの青年は、さしずめ地獄の住人の鬼なのだ。

 

 

きっと鬼は死神を殺すまで止まらない。

鬼を突き動かす原動力とは、目の前の死神の存在そのものなのだから。

 

 

死神と鬼は自らの身体がどれほどボロボロになろうと、決して攻勢を緩めることはしなかった。

受ける被害など度外視し、相手に致命傷を与え、そして殺すことしか念頭に無いようだった。

 

どんなになろうと、相手を殺すことを止めようとしない。

 

死神と鬼の凄惨な殺し合いは刀を使わない殴り合いに発展し、己らの身体一つで更なる惨劇を繰り広げるようになって。

鬼は自らの頭蓋を相手のそこに叩きつけ。

 

 

やがて鬼の投げ技を耐え凌いだ死神に軍配が上がってしまった。

 

 

死神は仰向けに倒れる青年にふらふらと、何度も倒れながらも、しかし確実にゆっくりと近付き、彼の足から刀を引き抜いた。

 

青年の呻き声を聞き、死神が歪な笑みを浮かべて刀を振りかぶる。

 

 

ダメだ、あの青年を死なせてはいけない!

 

 

理屈で言えば、彼は本来の敵である薩摩軍兵士だ。

殺されるところを助ける筋合いは無い。

 

けど、そんな理屈を抜きにして、私は彼を死なせたくなかった。

 

 

気が付くと私は拳銃を拾い、死神に発砲していた。

 

私もボロボロの身だ。

狙いは外れて死神の足下に着弾した。

 

しまった……!

 

 

「……ッ、彼から離れなさい!さもなくば次は当てる!」

 

 

出せる限りの大声で警告する。

死神は面倒臭そうに私を見て、次いで顔を歪めた。

 

先程までのよく見た笑みではなく、不愉快気なそれだった。

 

 

「……そういえばまだ一匹残っていたな。楽しい一時を邪魔してくれるとは」

 

「動くな、その刀を置いて投降しなさい!」

 

「ふふ。立ち上がる事も出来ずに、まぁ随分と威勢がいい。()()()()()()で何が出来る?」

 

「……!」

 

 

気付かれた!

 

何故だ?

私が放った弾数を数えていたのか?それとも私の持ち方から何かを読み取ったのか?

 

いや、そんな事はどうでもいい。

 

先の死神の襲撃時に拳銃を使用したのだが、その時の偶然残っていた一発を今使ってしまったのだ。

マズい……

 

 

「命を少しばかり長らえさせてくれたコイツの死を、黙ってそこで見ているがいい。なに、直ぐにあの世でまた会えるさ。その時に感謝の言葉で--ッ?!」

 

 

結局、彼に対する死神の処断を止める事は叶わず、奴は刀を再度振り上げた。

 

その直後、私は自分の目を疑った。

 

死に体だった青年が急に動きだしたのだ。

上半身だけで地をくるくると、まるでコマのように回って振り回した足を死神の無事な片足に叩きつけた。

 

青年の突然の復活。

さらに突然の強襲と見たこともない足技。

 

対応に遅れた死神は、本来曲がらない方向に足がひしゃげ、呻き声を溢しながら崩れ落ちた。

 

それを見届ける事もせず、青年は片腕だけで起き上がって跳躍すると、私のもとに降りた。

そして有無を言わさずに私を肩に担ぎ、その場を離脱したのだ。

 

 

「ちょ、ちょっとッ……!」

 

「…………」

 

「私は一人で動けます……!貴方の怪我の方が深刻だ、直ぐに下ろしてください!」

 

 

混乱しながらも彼に掛けた私の声はすべて無視され、青年は足を引き摺りながら走った。

 

彼の顔を見て私は言葉を失った。

生気など戻っていない。

顔色すら解らないほどに顔面が(おびただ)しい血で染まっている。

 

片腕はもとより、先の死闘でもう片手を粉砕したのか、その痛々しい手でもって私を掴んでいた。

その有り様に、私は掛けるべき声を失ってしまったのだ。

 

 

どれくらい担がれて走ったのだろうか、後ろから死神が追ってくる事もなく、幾分か私も落ち着いてきたとき、唐突に青年が倒れた。

無論、担がれていた私は地に放り出された。

 

 

「ぐぅ!……っ、大丈夫ですか?!」

 

 

落ちた衝撃から立ち直った私は直ぐ様彼に駆け寄った。

 

こッ、これは酷い。

倒れている青年を見て、改めて容態の深刻さに絶句した。

 

一体どれ程の血を流したのだろうか。

もはや全身がドス黒く、全容を見れば痛々しい等の次元ではなくなっている。

 

それでも彼は微かに呼吸をし、虚ろな目で私を見ていた。

 

 

「…ぅ、ぁ……」

 

「喋ってはダメだ!と、とにかく止血を……あぁいや、それよりも誰か人手を呼ぶか。いや、私が担いで行った方がいいのか……?」

 

「いや、そのどれも必要無い」

 

「ッ?!」

 

 

背中に誰かの答えが掛けられた。

慌てて振り返ると、そこには危惧していた死神ではなく、警視官の藤田五郎がいた。

 

 

「銃声やら剣戟やらが聞こえてましてな。何事かと来てみれば、約束を反故にした不届き者を返り討ちにするとは見事。だがまだ息がある様子。得物が無いのなら変わって私が首を落としますが?」

 

「っ、違います!襲撃者は別にいて、この人は助けてくれたのです。早く手当てを……」

 

「ほぉ?して、その襲撃者は?」

 

「この方が一時行動不能に追い込んで下さりました。その隙を突いてここまで。下手人は刃衛という名です……お心当たりがあるのでは?」

 

「なに?」

 

 

ピク、と藤田警視の眉が揺れた。

やはり、彼が元新撰組隊士という噂は根も葉もないものではなかったのか。

 

あの男を見て、かつて聞いて覚えていた危険人物の特徴と一致していたことから、もしやと思い言ったのだが……!

 

 

「かつて行き過ぎた人斬りを行って新撰組を追われた士が居たと記憶しております!」

 

 

幕末の折、京都にいた人間ならば一度は耳にした事のある話。

その話を全力で叫ぶ。

 

 

「その殺し方は残虐にして非道、暴虐にして外道。治安維持とは名ばかりに、快楽の為だけに志士のみならず嫌疑を掛けられた民さえも痛め付け殺す輩が居た!」

 

 

私の叫び声を藤田警視は黙って聞いていた。

いや、無視されているのかもしれない。

それでも必死に言葉を続けた。

 

もしかしたら自分の言っていることは見当違いで的外れなのかもしれない。

それでも、僅かでも可能性があるのだから、私は必死になって叫んだ。

 

 

「今ここでその責を貴方に追及するのは御門違いだと判っています。しかし!あの時、彼の者を追放するだけでなく、適切に処罰していれば此度の惨事は無かったかもしれない。少しでもそう思っていただけるのならッ……彼の者を討ってくださいとは言いません。せめて、元凶を止めてくれたこの方を助ける事を、見逃してください!」

 

 

そう叫んで、私は彼を傍に寝かし、痛む体に鞭打って立ち上がり、頭を下げた。

ふらりと身体が痛みで傾ぐが、歯を食い縛って持ち堪える。

 

耐えるんだッ!

青年の方が酷い状態なのだ。

助けてもらっておいて助けられない、なんて絶対にいけない!

 

 

そして、どれくらい頭を下げていただろうが。

藤田警視の方から一つの溜め息と、刀を納めた音がした。

 

 

「貴方のお人好しにはいつも辟易します。薩摩兵を助けるなど信条に(もと)るが、まぁ目を瞑りましょう」

 

「藤田……警視」

 

「ふん」

 

 

鼻息を一つ鳴らすと彼は青年の傍に寄り、その肩を持って抱え上げた。

 

私は慌てて青年の反対側の肩を担ぎ、歩きだした。

 

正直に言えば、開いた口が塞がらない。

見逃してくれるかは半々だと思った。

下手したら問答無用で切り捨てられるとさえ、想定していた。

けど、まさか協力してくれるとは。

 

 

「ありがとうございます、藤田警視」

 

「礼は要りません。それよりも、先ほど言っていた襲撃者について説明してください」

 

 

そ、そうだ。

私は何を勝手に安堵しているのだ!

すぐにでもあの狂人をなんとかせねばならないというのに!

 

私は共に歩哨に立っていた仲間が斬り殺された事件を矢継ぎ早に説明した。

彼の者の容貌と悪性が、記憶の片隅に埋もれていた残虐な新撰組の士と一致したこと。

そんな相手にこの青年が挑み掛かり、凄惨な殺し合いを始めたこと。

そして、どうやらお互いに顔を知っていたということ。

 

 

「……確かに、仰る通りそのような輩が新撰組にいました。名は鵜堂刃衞。噂は事実と相違なく、目の当たりにしたことはありませんが、奴の残忍性は隊内でも公然の秘密となっていました。しかし、奴がここに来ているとは……」

 

「旧新撰組の士なら薩摩兵の可能性はない……ですが抜刀隊でもないのは確かです。ならば軍人として……?いや、それなら兵装がおかしい。なら、個人でその残忍性故に舞い込んで来たのか、それとも別の目的があったのか……」

 

「ふむ……なるほど、そういうことか」

 

 

え、どういうことなのでしょうか。

藤田警視は何やら納得されたようだが、私には皆目見当も付かなかった。

 

 

「ッ、それより!刃衞なるものの存在を隊長に報告しなければ!討伐隊を編成して探し出さなければ、奴を野放しにしていては(いたずら)に被害が増すだけです」

 

「その必要はないのでは?こいつを貴方の隊士を殺した下手人として突き出せば万事解決でしょう。貴方は昇格し、コイツも殺せて薩摩軍の戦力を割ける。一石二鳥ですよ。それに、聞いた限りでは鵜堂ももはや死に体。放っておいても害にも益にもなりはすまい」

 

「そんなことのために彼を助けたのではありません!」

 

 

私はつい、彼の冷ややかな言葉にカッとなって返してしまった。

損得勘定で人の命を計算する考えには絶対に同意できないのだ。

 

 

「ご協力には感謝いたします。しかし、余計なご助言はご不要です。隊長に真実を話し、青年の助命を認めてもらうよう嘆願します。それでも叶わぬのならば、この一命でもって……!」

 

「はぁ、分かりました。貴方の熱意は十分分かりました。なればこそ、コイツは私が隊長の基に連れて行きます。貴方は抜刀隊を数人連れて鵜堂を連行してきてください」

 

「え、いや、しかし……」

 

「もはや殺す気などありませんよ。それに、隊長とは個人的に懇意にしてもらっているから私の方が話が通りやすいし、貴方は鵜堂の身柄を優先すべきです。正確な場所や相手の容貌を知る貴方の方が適任です。なに、今なら捕縛も難しくはないでしょう」

 

 

それは……たしかに、彼の言う通りかもしれない。

だが、この青年を藤田警視に預けてよいのだろうか。

いや、()()()()()()()()()のことだ、殺さないと言ってくれた以上、もはや疑うのは失礼だろう。

 

 

「分かりました。襲撃者は私が捕縛します、ですので彼の事はお任せします」

 

「えぇ」

 

 

そう言って私は青年の身を彼に預けると、踵を返した。

 

鵜堂刃衞に斬りつけられた足が痛むが、必死に堪えて走った。

現場に戻る道中、他の歩哨部隊に声を掛け、事のあらましを話して着いてきてもらう。

 

 

そして万全の覚悟と態勢で乗り込んだ嘗ての修羅場は

 

 

 

 

「……いない?!」

 

 

 

 

仲間の死体しかない空間が広がっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「さて、遺言はあるか?」

 

 

 

 

 

 

斎藤一は、躊躇なく投げ捨てた瀕死の狩生十徳の首筋に刀を押し当てて、冷たく、厳かに問うていた。

 

 

 

 

 

 

 

 






祝:お気に入り登録者数1600超、UA2万超
大感謝です

なお、次話で西南戦争編ラストです



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

8話 西南戦争 其の終



西南戦争編ラストです

DYATHONのLifeという音楽を聞きながら書きました
皆さんも聞きながら読んでみてください
もしかしたら面白さ倍率ドン、更に倍……かもしれません

では、どうぞ








 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢を見ている。

 

 

 

現実では到底有り得ないものを見ているから分かる。

 

これは夢だ。

 

目の前にいるのは、俺が宿ってしまった狩生十徳がいるのだから。

 

ならば見ている俺は?

そう思って己の手足を見てみると、どうやら平成で失った身体でいるようだった。

鏡を見なくても分かった。

きっと顔もあの平凡なものに戻っているのだろう。

 

ふと周りを見てみると何もない真っ暗闇なハズなのに、何故か眼前の十徳の容姿だけは鮮明に浮かんで見えた。

 

男に対してこんなことを云うのは失礼なんだろうけど、本当に彼は綺麗だった。

肌は白くて、背中まで伸ばしている髪も白に近い銀色。

瞳も色素が薄くて、確かにこの時代なら異国の血を含んでいると思わせた方が納得できるだろう、そんな容貌だ。

 

でも、俺は彼の顔を視界に収め続けることが出来ず、つと目を逸らしてしまった。

 

 

「なんじゃぁ?いきなり目ぇ逸らしおって……あ、ここは黄泉じゃなかけん、安心せい。ここはお前ん中、否、俺たちん中よ」

 

 

細い身体のくせして似合わない仁王立ちなんかしながら、腕を組んで十徳が言った。

 

俺たちの……中?

つまり深層心理みたいなものなのだろうか?

じゃあ夢でもないのか。

 

いや、そんなことはどうでもいいんだ。

ここが夢であれ黄泉路であれ、ましてや深層心理の中であっても構いやしない。

 

 

ただただ、今の俺には君を見れないほどに、申し訳なさでいっぱいなのだから。

 

 

 

 

「ま~た悄気たツラばしよるのぉ。言ったハズぞ。そがいツラなんぞ、されとおないと」

 

「ッ……はは、あれは本当に君の言葉だったんだな……なら、尚のこと申し訳ない」

 

「んん?」

 

 

ぎしり、と己の歯を噛み締める音が頭に響いた。

 

 

俺は、俺じゃあ止められなかった。

 

原作の流れ云々を言うつもりなんか毛頭ない。

ここが漫画の世界であったとしても、俺を含め生きている人にとっては現実なんだから。

原作に沿わなきゃいけないなんて、そんな道理は皆無なんだ。

 

だからこそ、俺は必死になって戦った。

 

前世において、人殺しはもちろん、剣も銃も持ったことすらなかったのに、それどころか人と殴り合うことなんてすることもなかったのに。

 

それでも必殺の覚悟で戦った。

斎藤一と鵜堂刃衞を相手に。

 

弱い(おれ)を奮い立たせて、戦った。

 

 

「だけど……だけど守れなかった!刃衞の凶行を許して、薩摩は汚名を着せられて……そして、きっと多くの仲間が政府軍の強襲を受けてッ……殺される!」

 

 

正義は我にあり、と義憤に駆られた政府軍に飲み込まれるだろう。

政府軍兵士は、抜刀隊はきっと目の色を変えて襲い掛かってくるハズだ。

きっとその勢いに薩摩軍は、大切な仲間たちは飲まれてしまう。

 

 

俺が十徳になっていたとき、彼の感情を少しだけ見れたときがあった。

 

最初は虐めを受けることもあったけど、今では心底大切に思っている薩摩の仲間たち。

彼らと話すだけで、他愛のない会話をするだけで気持ちが満たされる。

 

ただなんの気なしに話しているだけで不意に俺も満たされて、あぁ、十徳は本当に仲間を、薩摩を愛しているんだと感じていたのだ。

 

そんな彼らを、俺は守れなかった。

守れる可能性は十分にあったというのに、守れなかった!

彼らに、晴れることのない汚名を歴史に刻ませることを許してしまった!

 

しかも斎藤一との戦いの終盤、俺は何を感じた?

 

奴との斬り合いに高揚してしまっていたではないか!

 

 

「……お前はボロボロになっまで戦ったハズじゃろ?」

 

「違う!そんなことに、意味なんてないんだ!!どんなになっても、結局、守れなかったらッ……!」

 

 

意味なんて、無いじゃないか。

 

 

俺は、どうして斎藤の撤退を許した?

たかが腕一本使えなくなっただけで、どうして奴を追撃しなかった!

俺は、どうして刃衞との戦いの最中に気を失った?

何故よりにもよって最後の最後に意識を手放しやがったんだ!

 

ッ、あぁそうさ、言われなくても分かってる!

すべては狩生十徳ではなく、青崎真世(おれ)の弱さが原因なんだ!

 

俺が弱いから、原作の知識がありながら斎藤の首を取れなかった。

 

俺が弱いから、原作の知識がありながら刃衞の策を防げなかった。

 

俺が弱いから、未来から来たのに持っている知識を使って仲間を助けられなかった。

 

 

 

そんな、弱い俺が

 

 

 

「、……勝手に身体をう、奪って……俺なんか、がッ…!」

 

 

君に成り代わってしまって

 

 

「ごめん、なさいッ……!」

 

 

 

大切な人たちを守れなくて

 

 

 

「ごめ、ん……なさい」

 

 

 

 

 

 

弱いのに、まだ生きていて

 

 

 

 

 

本当に

 

 

 

 

 

 

「ごめ……ごめん、な、さいッ」

 

 

 

 

 

胸が張り裂けそうに、痛かった。

 

 

 

弱いことが、こんなにも苦しいなんて。

 

 

弱いことが、こんなにも悔しいなんて。

 

 

初めて知った。

 

 

そして、それと同じくらいに、仲間が自分の所為で死んでしまうことが、怖くて、恐ろしくて、辛かった。

 

 

きっと君なら上手くやれていた。

 

斎藤一を討ち取り、鵜堂刃衞を返り討ちにし、もしかしたら田原坂の防衛戦を勝利に導いていたかもしれないというのに。

 

だのに俺は、結局なんの功も得ずに身体をボロボロにしてしまった。

むしろ災厄をもたらして返すことになってしまった。

 

 

比較すればするほど自分の不甲斐なさに憤りを感じて、己を殺したくなるほどに自分が許せなかった。

 

本当に、俺はどのツラ下げて彼を見ればよいのだろうか。

いっそのこと、このまま死んでお詫びしたいのに、だけどこの身体は十徳のものだから、勝手に死ぬことなんか許されるハズもなくて。

結局俺は無様な本来の姿を晒すしかないんだ。

 

 

 

彼を見れたのは本当に最初だけで、ここに来てからずっとボヤける足元しか見ていない。

 

 

「お(まん)……(おい)に言いたいこつは、そんだげか?思うこつは、そんだげか?」

 

「ッ……わ、からない。けど、やっぱり、謝るしかできッ、なくて……」

 

「ほうか……ほうか……」

 

 

溢れる涙も嗚咽も抑えることをせず、俯いたまま、痛くて苦しくて仕方の無い胸を両手で押さえ付けながら、俺は彼の言葉を聞いていた。

次にどんな言葉がぶつけられるのかと恐々していたのだけど――

 

彼の口から溢れたのは、ため息だった。

 

ただ一つのそれだけなのに、俺の肩はびくりと震えてしまった。

体は小刻みに震えて、もはや足元を見る視界はぐにゃぐにゃに揺れて、こぼれた涙の滴が足に当たる感触しか分からなかった。

 

呼吸も儘ならなくて、一歩一歩、歩み寄ってくる彼が処刑人かと錯覚するほどに、怖かった。

 

 

でも

 

殺してほしいとすら、今は思う。

 

楽になりたいと、思っているのだ。

 

だけどやっぱり、それは逃げなんだと考えて、尚のこと胸が痛かった。

 

 

 

「真世、手ぇ差し出せ」

 

「……」

 

 

やがて、目の前に来た十徳が命じてきた。

逆らうことなんてするハズもなく、俺は震える手を差し出した。

 

 

「違わい、両手じゃ両手。こがい掌同士で輪っかば作って」

 

「……?」

 

 

十徳は俺の手を取って、自分で言うように俺の手の形を整えて

身に覚えのある言葉と所作にどこか懐かしいような感じを覚えて

 

 

そして

 

 

 

 

 

 

 

パン、と小気味良い音が鳴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

同時に両の掌と甲がピリピリと痛んだ。

でも、その痛みが、綺麗に響いた音が、一陣の風となって心を通っていった気がした。

 

 

「あ……」

 

「どうじゃ、震えは収まったか?」

 

 

これを、俺は知っている。

 

平成の世で、母親からよく掛けてもらったお呪いだ。

怖くて震えていた時とか、緊張して動けなくなっていた時とかによくしてもらっていた。

あれを掛けてもらうと、暖かさと涼しさがない交ぜになった不思議な何かに心が満たされ、子供だった俺は馬鹿正直に元気になったのだ。

 

そういえば、明治の世に来てはじめて学友にやってあげたのは、つい最近のことだったか、なんて事を頭が過ったときには、先程の身体の震えが嘘のように止まっていた。

 

 

「真世。お前はほんのこてお人好しじゃな。逆に言わんがか?なし自分ん心ば勝手に他人の身体に入れたんかち。しかも時ば越えて地さえん越えて」

 

「……え?」

 

「文句一つん無いがか。普通(しあわせ)に未来で生きてたんに、急にこがい世界に飛ばされて。そいでん文句を言わんで、死ぬ(けしん)目に会おうてん、そいでんごめんなせ、ごめんなせ、か」

 

 

俺は涙を拭うことなく、顔を上げた。

きっと、俺の今の顔は醜悪極まりないだろう。

涙と鼻水で顔はグショグショになっているのが自分でも分かる。

 

でも、涙が止まっていることも、同じように分かる。

 

漸く目を見ることができた十徳の瞳は、やっぱり美しく澄んでいて、まるで、さっき心を通った風が作った雲の切れ間から覗く、青空のようだった。

 

気付けば胸の痛みもすとんと消えていた。

 

 

「んん……んん、良か!そんお人好しこそ良か!そいこそ俺の願い通りじゃっどん、そがい優しくてん生きていけっ世とは、未来はさぞ(ぬく)いんじゃろうなぁ。お前みてななよなよした奴が普通に生きていらるっなんて」

 

「なよなよて……否定は、できないけど」

 

「あ~日ん本の未来が怖かなぁ。こがい民どもで溢るった国になってしもたら、御国が心配じゃあ……ふふっ、じゃっどん、お前でんここで死ぬ目に会うまで戦えた。あがいボロボロになっまで戦えた。心配なんぞ消し飛んだわい!ならば、なればこそ!」

 

 

 

 

俺はそん温い未来が欲しか。

 

 

 

 

彼は屈託の無い笑顔で言った。

 

 

「ど、ういう……」

 

 

意味かと問うとするより先に、彼は続けた。

 

 

「知っちょっじゃろうが、俺ん親父は維新志士じゃった。()(もと)が外国ん奴隷にならんためにも、欧州に立ち向かうためには、こん国が一つになっ必要があっと常に俺に説いちょった」

 

 

維新の最中ですら、この国の民は藩ごとに別の人間だとすら思っていた。

それを乗り越え、一つになれるのが攘夷であり、尊皇であると説かれていたと言う。

一つになり得る切っ掛けでさえあればいい、と。

 

 

「親父ん夢は叶った。じゃっどん、今ん薩摩を見てみぃ。西郷先生一人を祭り上げ、国家に比肩しうる武力を持っちょっ。そげんの、国家とぶつかったぁ誰ん目にも明らかじゃろう。そいじゃっどん、そいもやむ無しと考えゆっほどにッ……薩摩は熱うなりすぎた」

 

 

だからこそ、と彼は続けた。

 

 

「お前が来るんを待っちょった。弱い、じゃっどんまだまだ強かなれる。温い、じゃっどん熱うもない。良か。そいくさ、俺が求めてた薩摩隼人じゃ」

 

 

なんて。

 

俺の頭を撫でながら微笑む十徳の顔を見て、どうしてかまた目に涙が溜まってきた。

 

反則だろ、その笑顔は。

 

聞きたいことは山ほどあるっていうのに。

待ってたとは、どういうことなのか。

こんな俺でも強くなれるというのか。

 

こんな俺でも、君は許してくれるのか。

 

そんな言葉は彼の顔を見て吹き飛んでしまったじゃないか。

 

 

「あ~あ~、ま~たベソば掻きよっからに。しゃんとしぃや。お前は俺ぞ、俺の身体でそがいめそめそされっと示しが付かんど?」

 

「うん……」

 

「泣ったぁは(だい)もおらん時だけにせぇ。俺たちには、泣くより先にすべきこつがあっじゃろう?」

 

「うん……うんッ」

 

 

良か。

 

そう言って、彼は俺の頬に付いた涙と、目尻に溜まっていた涙をその手で拭ってくれた。

 

そして、笑顔のまま俺から次第に離れていく。

 

驚きは……なかった。

どうやら時間がきてしまったようだと、漠然とだが分かったのだ。

 

 

本音を言えば、待ってと言いたかった。

まだ君と話がしたいと言いたかった。

だけど、それら全てを飲み込んで、俺も無理矢理笑顔を浮かべた。

 

こうするのが、せめてもの挨拶だと思ったからだ。

 

 

「ん、良か笑みじゃ。えいが?薩摩兵子はいつでんこれじゃ、忘るるったらあかんぞ」

 

 

彼は朗らかに笑みながら、手を握り、軽く曲げてその甲を見せるように掲げ、言った。

 

 

 

 

泣こかい

 

 

 

 

 

跳ぼかい

 

 

 

 

 

「「泣くよかひっ跳べ」」

 

 

 

 

 

彼の励ます声と、俺の呟く声が重なった。

 

 

 

 

 

 

 

そんな、お互いの言葉が契機になったのか、漆黒の世界は徐々にその暗闇を晴らしていき、彼の姿も足元から霞んでいく。

 

もう行ってしまうのかと、寂しく思う気持ちもある。

 

けど、彼はずっと言っていた。

俺はお前だと。

なら、きっとまた会える。

またここで必ず会える。

 

だから、その時に胸を張って言えるように、今はギクシャクした笑顔でもいいから、笑って見送ろう。

 

そしていつか、無理矢理つくった笑顔なんかじゃなくて、青崎真世(おれ)が心の底から溢した笑顔でもって。

 

 

明治(いま)を生きて、伝えよう。

 

 

 

 

君の望んだ未来をつくったよ、と。

 

 

 

 

 

 

だから今は、泣いてる暇ないんだ。

 

まだまだ、諦めちゃダメなんだ。

 

 

俺はまだ、跳べるんだから!

 

 

いつしか世界は真っ白になって、俺の意識は天上へと浮かび上がっていった。

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

首筋に当たる、ひやりとした感覚。

重い瞼を上げれば、煙草を燻らせながら斎藤一が俺を見下ろしていた。

 

 

「遺言はあるか?」

 

 

首筋には、鈍く光り輝くサーベル。

何やら知らぬ間に可笑しな状況になっていたようだ。

 

刃衞をぶん投げたとこまでしか記憶がないから、その後何がどうなってこうなったのか、さっぱり分からん。

けど、例え状況が分からなくても、質問の意図が読めなくても、答えなんて決まっていた。

 

寄りかかる木の幹に体重を掛け、俺は重い腕を持ち上げてその刀身を掴む。

 

口を開くだけで、唾を飲み込むだけで身体中至るところに激痛が走るが、それら全てを飲み込んで俺は不敵に笑いながら言う。

 

 

「……あるわけねぇだろ、阿呆」

 

 

ぴくり、と斎藤の眉が一瞬動くのを、赤黒く染まった視界でも見逃さなかった。

 

ハッ、ざまァねぇな。

 

 

「自分の置かれた状況すら把握できんほどに――」

 

「刃衞をけしかけたのは……お前だろ?お前なら今でもッ、繋がりがあるハズだから」

 

 

大方、戦争があるから楽しく人殺しができるぞ、とでも言ったんだろう。

奴の嗜好を考えれば、上手くいけば戦線の撹乱が出来るし、悪くても薩摩軍に混乱をもたらせる。

クソッたれだが、最高な鬼札だったぜ。

 

あぁ

 

それにしても寒い。

頭が割れそうに痛い。

身体の節々が悲鳴を上げてる。

吐瀉物が喉まで込み上げてくる。

自分の語る言葉が途切れ途切れにしか己の耳に入らない。

 

俺は、上手く話せているのだろうか。

 

 

「やられた、よ……これで政府軍は、薩摩軍を強襲する大義名分を得た」

 

「……言いたいことは、それだけか?」

 

 

ぐい、と押し付けられる刃。

それを俺は更に強い力で握り締め、斎藤の瞳を見据える。

掴む手の指はもとよりあらぬ方向を向いていて、実質親指と掌でしか掴んでいなかった。

 

気を抜くとまた全身が震えてしまうだろうほどに、血が足りない。

無性に堰したいが、一度すると二度と止まらないのではと思えるほどに、臓腑を抉るような不快な感覚がする。

 

それら全てを、俺は必死の思いで身体に喝を入れて押し止める。

 

 

「殺したくば殺せッ、けど…刃衛は、どうする。…ッ、お前に、刃衛が狩れるの、か…?」

 

 

刃衛は、もう逃げているだろう。

 

そんなこと、血の巡っていない頭でも考えればすぐに分かる。

アイツをボロボロにしたのは俺だ。

俺と同じく、もはや戦うことはできないだろう。

ならば、奴の取れる選択肢は逃げの一手のみ。

そう易々と政府軍ないし薩摩軍に捕まるとは思えないし、そんなことを許すほど保身をかなぐり捨てて趣味に走り続けるハズもないから。

 

 

「……何が言いたい?」

 

「アイツは、俺を殺しに来る……俺が餌、になって、アイツを殺しッ、てやる」

 

 

傷を癒すために姿を隠せば、斎藤でももう見つけられないだろう。

自分との接点を持つアイツを生かしておくのは、今回の大義名分の根底を揺るがす事態を招く危険性がある。

だが、探せない以上はどうすることもできない。

常にその危険性を野放しにするのならどうでもいいが、そこに俺という餌があったら……話は別だ。

 

 

ポタポタと掌から新しい血が溢れ、既にどす黒い血が乾いてこびり付いている腕を伝って地に滴り落ちる。

そんな小さな痛みをもはや懐かしく感じながら、俺は斎藤一を見上げ言葉を紡ぐ。

 

もはや戦うどころか動かすことすら儘ならないほどに身体は使い物にならなくなっている。

だけど、口は動く。口なら動く。

 

約束したから。

死ぬわけにはいかないから。

口しか動かないのなら、口だけで生き延びてみせろ!

 

 

「アイツが、生きて……たら、いつの日か明治政府(お前ら)の奸計がッ……ぅ、明るみになるだろうさ」

 

 

それが嫌なら、俺にアイツを殺させろ。

 

 

アイツは今後、俺の命を狙ってくる。

戦中戦後を問わず、朝昼晩、四六時中、年がら年中、常に俺を殺そうと機会を窺ってくるだろう。

刃衛にとって、俺は狩り損ねた獲物で、楽しめた相手だから。

 

 

あぁ。

 

 

上等じゃねぇか、受けて立ってやるよ。

 

 

 

俺だってなぁーー

 

 

 

 

 

お前は取り損ねた首なんだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

首筋に添えられた刀から手を離すと、自らの身体にムチ打って木から上体を離す。

支えの無くなった重体の身体はなんの抵抗もなく、どしゃりと倒れた。

 

顔面が突っ伏した場所はちょうど水溜まりだったようで、泥と泥水が口内に入り込んでくる。

 

 

「……ふッ、ぐぅぅ、ッ」

 

 

肩と肘を使って、なんとか上体を微かに浮かせると、泥濘(ぬかるみ)に滑って再び顔から水溜まりに突っ込んでしまった。

 

もう一度、もう一度だ。

今度は無事な足の膝と顎も使って、自らの身体を水溜まりから押し退ける。

 

 

「ぅぅ、はッ、はッ……が、あぁぁッ、ああああ!」

 

 

斎藤との距離など、指呼の間だ。

二・三歩ほどの距離なのに、今の俺にとっては遠く、そして険しい。

 

 

「俺の命は、刃衛を殺してから……くれてやる。俺をどうしようと、好きにしていいし、生かしてくれたらお前の知らない知識も、日本の未来に役立つ知識だってくれてやる、本当だ!……だから、だからッ!」

 

 

じりじりと、膝と、肘と、肩と顎を使って匍匐全身するかのように、斎藤の足元へとすがり寄る。

 

一刻みに進める距離は本当に短く、ともすれば数センチ程度だろう。

それでも、芋虫のように腹這いのまま必死になって身体の動かせるところを動かして、前へと進む。

 

みっともない姿なのは自分でも分かってる!

でも……でも!

 

みっともなくても、頑張るんだよ!

 

 

「だから、今だけは、田原坂への、攻撃は止めてくれ!薩摩の誰も、約束は破ってないからッ!アイツは、俺が必ず殺すからッ!だから……刃衛に殺された、抜刀隊には、目を瞑っでぐれ!」

 

 

そして、ゆっくりと、だけど確実に奴の足元に這いすがり、ようやく辿り着くことができた。

 

苦しい、辛い。

もう視界なんて何の輪郭も捉えることが出来ず、斎藤の靴を見ているハズなのに、もう何も見えなかった。

 

それでも

 

ひしゃげた手で、なけなしの力で斎藤の足首を掴んで、訴える。

 

 

「……自分が何を口走っているのか、分かっているのか?」

 

「分がってるよ!でも……でも、お前の奸計で俺を半殺しにできて、それでッ、此度は良しとしてくれ!!」

 

 

 

己の胴と地の間に膝を入れ、斎藤の足を掴んでいた手を、今度は奴の膝に回す。

それだけの動作なのに激しい痛みに襲われる。

 

そして一息に膝を立たせて片膝立ちになると、再度手の位置を変える。

今度はズボンのベルトを掴んだ。

 

 

「……ッぅぅぅぁぁああああ、ああああ!」

 

 

震えが始まった身体に必死に喝を入れて、立ち上がる。

手は奴の服を掴んで、徐々にその位置を上げていき、遂にはその肩に手を置いた。

 

 

呆と霞む視界には、朧気に斎藤一の顔が映っている。

 

 

 

ようやくまた同じ目線でお前を見ることが出来た。

 

 

 

「それ、でも……俺の話が、聞けないって言うのなら……ここでもう一度ッ、俺とッ、戦え!」

 

「……」

 

「そんで!……今度こそ、その首を貰うッ! もう、ゼッテェ逃がさねェ!!」

 

 

 

出鱈目を。

 

 

きっと奴はそう思っただろうし、俺もそう思っている。

けど、死ぬつもりなんてさらさら無い。

 

そう簡単に首をもらえる相手じゃないのは身をもって知っている。

 

 

だけど、だからと言って戦うことを捨てたりはしない。

 

 

 

たとえこの首が落とされても、喰らい付いて噛み殺してやる。

 

 

 

覚悟しやがれ。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

俺は、狩生十徳だ。

 

 

 

 

 

望む未来を掴むまで、生を諦めない。

 

 

 

 

明治の向こうに新たな世を作るまで、死を拒み続けてやる。

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 

 

 

 

 

 












はい、お粗末さまでした


如何でしたでしょうか、拙作「明治の向こう」は

最後、斎藤一が主人公に対してどう行動するか
それは皆さんのご想像にお任せします
ただ、悪いようにはしないだろうと、そう思えるように書けていたら嬉しいです


本作に対する筆者の考えや、読者の皆様にお伝えしたいこと等は後々、活動報告に上げる予定ですのでたまにはそちらにも足を運んでください





なお、次章投稿は未定です
でも遅くとも四月には開始したいです

オリ主の絵とか頂けたら奮起するかもしれないんですが(チラチラ



なんて言ってたら本当に頂いちゃいました

鮎川ノミ様、本当にありがとうございます!
とりあえずプリントして額縁に飾って拝めますね


(まだ他にも募集してるよチラチラ



では最後に、読者の皆様本当にありがとうございました




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

9話 明治浪漫 其の壱




ご無沙汰しております
畳廿畳です


ぼちぼちストックが貯まってきたので随時上げていきますね
(詳しくは活動報告にて)



舞台は戦後すぐの明治10年初夏
原作開始の凡そ一年前です


では、どうぞ





 

 

 

 

 

数年前から頭角を現し始め、明治日本で最も勢いのある実業家。

多くの謎に包まれながらも確かな実績を積み上げてきて、今なお急成長を続ける大商人。

 

 

武田観柳

 

 

既に彼の影響力は明治政府ですら無視できない程に大きくなっている。

 

文明開化を成したとはいえ、未だ日本の近代化の道程は長い。

しかし武田観柳個人が広げた交易によって、海外の多くの日用品等が市場に流れるようになり、着実に西洋文化が市民の生活にも広がるようになってきた。

 

彼の商業は日本の財政に少なからずの影響を与える程に手広く、そして深い。

 

しかし、その実績ゆえ多くの目が彼に向き、そして疑問や謎が瞬く間に流布するようになった。

 

何故、浮浪者を屋敷の庭に住まわせているのか。

何故、国際港の横浜や神戸ではなく、東京に住んでいるのだろうか。

 

夜な夜な屋敷から聞こえてくる聞き慣れない音はなんなのか。

彼は何を売って莫大な富を手に入れているのだろうか。

 

しかし、疑問は募れど、その答えを知ろうと動く者はいない。

現状、武田観柳の商売で雇用が生まれ、彼の得た利益が少なからず近隣の店や地主に流れているのだ。

恩恵を受けているのだから、態々深入りする奇特な人間は居ない。

 

 

 

あくまで、一般人のなかでは、という括りの話だが。

 

 

 

 

 

 

陽が沈み、明るい月が顔を出して暫くの頃。

 

一人の警察官が武田観柳邸を訪れた。

 

 

「こんばんわ。夜分遅くにスミマセン、武田観柳殿に御取り次ぎ願えるかな?」

 

「観柳様は御忙しい方です。あぽいめんとを取ってから来てください」

 

「Appointmentね、慣れない英語は使うもんじゃないよ。昨日そのアポを取って今日来たんだけど」

 

「観柳様は御忙しい方です。あぽいんとめんとを取ってから来てください」

 

「九官鳥かな?しれっと単語も直ってるけど」

 

「観柳様は御忙しい方です。あポゥいんとめんトゥを取ってから来てください」

 

「……気色悪いアクセント」

 

 

これでは暖簾に腕押しか、と警官が溜め息を吐いて邸門を後にした。

ところが数歩歩くと、思い出したかのように振り返り門衛に告げた。

 

 

「そうそう。これから懇意にしている新聞記者と会う約束があってね。俺の情報を彼に渡す予定なんだ。内容は、武田観柳殿の実業家としての活躍の秘密」

 

「……」

 

「彼の得体の知れない財力の根源。そして、日増しに増える浪人と護衛。その護衛の中に含まれる、謎の敏腕戦闘集団。ホント、端から見ると彼は謎が多いね。けど、俺が掴んだ確かな情報を記者が欲しがっているんだ。その欲求は、きっと気分の良くなる白い粉を欲しがるのと変わらないかもね」

 

「!」

 

「見出しに大きく書かれることだろう。彼の財源の正体について。そうなれば彼は実業家としてだけではない、人生そのものが終わるね。きっと彼は新聞記事を見て怒り狂う。何か知っている者はいないかと周りを詰問して、顔色の変わる君を見つける。その時の表情を想像してごらん」

 

 

今まで眉一つ動かさなかった門衛から、息を飲む音がした。

 

 

「君らなら知っているだろう?観柳殿がどれ程恐ろしいか。例え君が私の事をすべて話しても、彼の癇癪は治まらない。君は無惨な姿を川縁に晒すことになるだろうさ」

 

 

月明かりが長い銀髪を照らし、口許に手をおいてクスクスと警官が笑う。

 

 

その妖艶な姿は男とは思えないほど似合っていて、ともすれば魔性の女とさえ見違えるほどに堂に入っていた。

しかし門衛は彼に見惚れることなど無く、嫌な未来を想像して冷や汗を大量に掻いていた。

 

 

「お喋りが過ぎたようだね。それじゃ--」

 

「お、お待ちください!直ぐに観柳様にお伺いしてきます。ですので、今暫しお待ちをッ」

 

 

そう言うや否や、門衛は邸宅へと駆け出した。

 

幾分かすると門衛が戻ってきて、観柳様がお会いになると言い、男を中に連れていった。

 

 

案内役の背を見ながら、男はとある部屋から出てきた一人の女性と目が合った。

落ち着きのある紺色の着物と艶のある長い黒髪。

整った顔立ちで凛とした美しい女性のハズなのに、その瞳はどこか憂いを帯びていた。

 

武田観柳と縁のある者なのだろう。

男は少しばかり焦るも、直ぐに落ち着いて目礼するが、女性は返礼することもなく、お互いがすれ違った。

 

 

「此方です」

 

 

案内役の男が告げるそこは、執務室だった。

扉の上に執務室と書かれた名札があり、扉そのものも重厚な感じがする。

 

ノックの後、部屋から許可の声がして扉を開く。

 

 

大きな机の向こう、革張りの椅子にふんぞり返って葉巻を吹かす男がいた。

 

上質なスーツに身を包み、小さな黒縁眼鏡の向こうにある薄く微笑んでいるかのような瞳で、入ってきた警官を見つめる男。

 

 

武田観柳その人だ。

 

 

「これはこれは。夜遅くに訪ねてくる珍客とは一体どんな無法者かと思ったら、まさか官がいらっしゃるとは!」

 

「御忙しいところ時間を設けてもらい感謝するよ、観柳殿。その御心の深さはお噂通りですな」

 

「ほぉ、そうですかそうですか。それで、本日は如何様な用事ですかな?忙しい身とはいえ、態々ここまで来られた客人には精一杯もてなさせてもらいますよ」

 

 

そう言うものの、観柳はもてなす気などさらさら無いことが分かるほどに、席から動こうとしない。

来客用のテーブルにも、もてなす物は何一つ置かれていない。

それどころか、観柳の両脇に控えている秘書か護衛か、とにかくその二人の視線は剣呑なものであるほどに、彼を遇するつもりは無いようだ。

 

戯けたことを抜かすなら容赦しない。

そんな空気だった。

 

 

「お構い無く。私もこれから記者と会う約束がある身でね。用件は手短に済ませるよ」

 

「あぁ、門衛に言ってた事ですね?しかし、それはあまり面白くない。貴方が何を話すか知りませんが、根拠の無い出鱈目は言うものではないですよ?」

 

「根拠の無い出鱈目か。そう思うなら記事にされても無視をすればいいのでは?」

 

「痛くもない腹を探られるのは誰しも不快ですから。それよりも、貴方が掴んだ確かな情報とやらを教えて頂けませんか?真偽は本人である私に聞いたほうが手っ取り早いでしょう」

 

「真偽ねェ……」

 

 

クスリと笑う警官に対し、観柳は訝しむような表情をする。

ふと彼は笑みを引っ込めると、隣の応接用のソファーに勝手に腰掛けた。

背凭れに。

 

その態度を見て、観柳の額に青筋が立った。

 

 

「別に真偽を確かめるために来たわけでも、ましてや証拠を掴もうと思って来たわけではないんですよ?」

 

「……ほう?では、な-」

 

「旧会津潘の高名な女医に作らせている阿片を財源としているとか、秘密裏に西洋火器を仕入れて軍や反政府勢力に売り捌いているとか、そんな事実はどうでもいいんです。何処で誰に何を売り捌こうと知ったことではないですから」

 

 

割り込まれた言葉と、それを言った男の目を見て、観柳の心臓が一つ跳ね上がった。

 

悪徳実業家とはいえ、武田観柳は生粋の商人だ。

商談における駆け引き、すなわち交渉術や弁論術、言葉の裏に有る真偽や内情を探る能力は人並み以上にある。

 

その経験則が、一切の間を置かずに告げたのだ。

 

男の瞳や声音から嘘の類いの色が……窺えない!

 

有り得ない。

証拠は何一つ残していないし、バレて此処まで辿られる要素は無いはずだ。

 

なのに、この男は真実として話している。

まるで現場を見たかのように。

その目の色は疑っているとか、ましてや確信しているとかの類いではない。

 

さも()()()()として認識しているのだ。

 

その様子が、観柳の背中に冷や汗を流させた。

 

 

「……っ、はて。なんのことやら」

 

 

だが、だからと云って認めるわけにはいかない。

 

目の前の男の目的は(よう)として知れないが、それでも曲がりなりにも警察なのだ。

認めてしまえば、自分の命運を男の手に委ねることになる。

 

 

「生憎と仰る意味が-」

 

「アンタは今のままで満足しているのか?あぁ?」

 

 

再度、自らの言葉を遮る男の声。

敬語をかなぐり捨て、鋭く観柳を睨み付けるその瞳を見るに、此方が彼の地なのだろうとはっきりと分かる。

 

そんな彼の目線からは、もはや密売に関しては何も聞くつもりはないという意思を感じた。

 

 

 

「満……足?」

 

「あぁ、アンタは凄い。自分の手一つで大業を為し遂げ、いや、今なお日本の資本社会の先端を切り開き続けている。アンタの保有資産は、もう仕事を辞めて遊んで暮らせる程に有るだろう」

 

 

事実だ。

それどころか、慎ましくすれば人生をもう一度ぐらいは過ごせる程に有るだろう。

 

ならば、今の現状に満足しているのかと問われれば……

 

 

「否。満足するわけないよなぁ」

 

 

内心で、観柳は当たり前だと呟いた。

 

目の前で男がしたり顔なのが気に食わないが、同意せざるを得なかった。

 

 

「いくら富を得ようと、アンタの瞳に映る欲望の色は決して褪せない。どれだけ儲けようと渇きは癒えず、どれだけ稼ごうと疼きは治まらない。当然さ。アンタは座るべき椅子に座っていないからだ」

 

 

そう言うと、男はソファーの背もたれから立ち上がり、観柳に近付いた。

観柳の護衛が気色ばむが、観柳本人が手で制した。

 

男の言葉の続きを聞きたかったのだ。

 

金さえあれば世の中すべてが思い通りであると思い、巨万の富を追い求めてから早数年。

財力は言わずもがな、老若男女、武人達人関係なく簡単に人を殺せる武力も手に入れたし、自分に逆らう者はもはや居ない、否、居るべきではないほどに強くなった。

 

だが、しかし。

 

満足はすれど、充足はすれど、何かが一つ足りない気がしてならないのだ。

いくら富を築き、高価な品物で身を囲い、あらゆる物を手に入れようと、まだあと一歩進んでいないのではと焦燥する理由。

何をしても一つだけ手にいれてないような感覚に陥る原因。

 

 

もし、その答えが本当にあるのなら、是が非でも聞きたかった。

 

 

やがて執務机の前に来た男は両拳を机の上に置き、観柳の顔を覗き込むようにして上体を突き出す。

 

 

「自分でも分かってるんだろ?アンタの座るべき椅子は、そんな金で手に入る黒革張りのチェアーじゃない。自らの声で、椅子を仰ぎ見る万の民を従わせる事ができる、そんな椅子だ」

 

「万の……民」

 

「世界は食うか食われるかの帝国主義時代だ。生き残る為に、いずれこの国も帝国を名乗るだろう。その時、アンタはどう呼ばれる?このまま富を追い続けて『商人 武田観柳様』であり続けるか?それとも、こう呼ばれるようになりたくはならないか?」

 

 

 

 

『武田観柳 首相閣下』

 

 

 

 

その響きに、その職に就ける名誉を想像して、観柳は雷に打たれた感覚に襲われた。

 

脳裏に、自らを仰ぎ見る万の軍勢と、頭を垂れている全国民が浮かんだ。

 

そして察した。

自分の中にある、満たされない欲望の正体。

それは「金銭欲」に勝るとも劣らない「名誉欲」。

 

なんて事は無い、人としてありふれた欲求の一つ。

長いこと心の内で燻っていた正体の分からなかったそれを、今しがた現れた異国の血を引いているであろう青年に呆気なく看破された。

 

それがとても爽快で、観柳は人目も憚らずに笑った。

 

 

「あははははは!なんと痛快で、なんと愉快なことでしょう!こんな若造に自分の本質を突き詰められるとは、豪商の武田も堕ちたものだ!あははははは」

 

 

困惑する護衛を無視して観柳は笑い続ける。

 

胸のすく思いだった。

いっそ清々しくさえあった。

 

望めば大抵の物は手に入る身でありながら、物を手に入れれば入れるほど、真に望むべき物が解らなくなるというジレンマに陥っていたのだ。

 

それを、こんな青年に看破されて気付かされるとは!

今までの自分はなんと道化だったのだろうか。

滑稽とは正しくこの事ではないか!

 

そして、一頻り笑った彼は大きく息を吐くと、目の前の青年を見た。

初めて青年を一人の客として、否、それ以上の存在として遇する覚悟を持って見た。

 

観柳の目の色が変わったことを理解した青年も、その目を見返す。

至近距離で互いの視線が交差する。

 

 

「青年。君の名を聞こう」

 

「狩生十徳。東京警視本署の狩生十徳だ」

 

「では狩生殿。君の言い分を聞こう」

 

「アンタが企む阿片を使っての政治と軍事への介入、それを手伝わせろ。アンタをこの国の首魁にいち早く据えてやる」

 

「く、くくく。本気でそれを言うのですか。本当に君は面白い人だ」

 

 

もはや弱味を握られている考えは霧散した。

汚職を率先してやろうなど、普通の官では有り得ない言動だ。

益々、目の前の男に興味が湧いた。

 

 

「軍や反政府勢力に対する武器の密売と、政府高官や軍関係者への譲渡を斡旋してやる。警察はもちろん、軍人や政治家にも顔が利くんでね。お望みの役職の人に甘い蜜を舐めさせられるぜ」

 

「そうなれば私の影響力は拡大しますね。それで、見返りは?」

 

「俺の斡旋により生まれる利益の1割を一月毎に寄越すこと。密輸した西洋火器を寄越すこと。欧州で車というものを造っている奴等に投資して、それを手に入れて俺に寄越すこと。この三つを一年以内に履行するんだ」

 

「くる、ま……?」

 

「そう、二台がいい。電気式と燃料式をそれぞれ一台づつ。使い捨てるつもりだから予備の部品も燃料もバッテリーも要らない」

 

「うむむ?単語がいまいち分からないのですが……」

 

「後で紙にして説明してやるから。要望はこれだけだ。俺から見れば、アンタの経済力からすりゃ簡単な取り引き内容だ。さぁ--」

 

 

ここにきて初めて青年が、十徳が極上の笑みを浮かべた。

口角をつり上げ、瞳の奥に燃え盛る炎を幻視してしまうほどに。

 

 

 

 

「伸るか、反るか」

 

 

 

ともすれば、それは悪魔との契約のように蠱惑的で、危険を十分に孕んでいるハズなのにとても魅力的で。

 

 

 

 

抗えない誘惑に、日本随一の悪徳実業家は

 

 

 

 

差し伸べられた彼の手に、応えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









以降、原作キャラの設定はちょいちょい変えていきます
(今回の観柳の場合、様付けしなくてもぶちギレないとか、金銭欲以上に名誉欲を欲する、とか)


別にオリ主は闇落ちしてませんよ
ちゃんと目的あっての取引です





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

10話 明治流漫 其の弐



連・日・投・稿!



では、どうぞ








 

 

 

 

 

観柳邸を離れてから暫くして。

通りの角を曲がり、人目が無いことを確認すると

 

 

「……ッ、ぶはあぁぁ~!」

 

 

出来た、終わった、切り抜けた!

やってやったぜ、コンチクショー!

 

どっと肩から力が抜けて、大きな息が肺から溢れた。

 

話してる最中なんて胃が痛くて痛くて、吐きそうで仕方なかったよ。

周りの護衛なんか得物に手ェ掛けてるし、親玉の観柳なんて人を人として見てない目だし。

 

ホントなんなのあの館の住民どもは。

言葉一つ間違えてたら即殺しに掛かってきてたよ絶対。

 

観柳の言葉遮った時なんて、自分がしたことなのに心臓が縮み上がったわ。

ついでにあそこも縮み上がったわ。

そんな状態で不敵な感じを演出し続けるのって物凄く大変なのね。

平成の世で某悪徳刑事もののドラマ見てて良かったわ。

 

でも、それも終わった。

原作知識と入念の準備で、なんとか上手く事が運んだ。

初っぱなから躓いたらシャレにならんからな、マヂで肩の荷がスッと降りたよ。

 

とはいえ、まだまだ気は抜けない。

このまま時が過ぎれば原作が始まるから、それまでに奴を利用して色々と準備しなきゃならん。

貰える物は徹底して貰う。

 

骨の髄まで齧り尽くしてやる。

 

 

 

え?政界への癒着の援助?

 

当然するよ、だってしなきゃ見返りが貰えないんだもん。

回転式機関銃(ガトリング・ガン)とか超欲しいし。

車とか絶対に必要だし。

 

俺はあくまで場をセッティングするだけ。

ヤクにしろ西洋火器にしろ、それを欲するかはその人の心次第。

誘惑に抗えないような奴なぞ、遅かれ早かれいずれ不正を行うような輩なのだ(暴論)。

 

 

 

っと、他愛の無いことを考えていたらもう着いたようだ。

 

 

「ただいま帰りました」

 

「おぉ、お帰りなさい。夜中見廻り御苦労様でした」

 

 

出迎えてくれたのは、人の好さそうなチョビ髭丸眼鏡の署長こと浦村さん。

 

何を隠そう、此処は浦村さん一家の御宅で、俺は此処に住まわせてもらっているのだ。

 

 

「お帰りなさいまし。お勤め御苦労様でした。早速、御夕飯召し上がりますか?」

 

 

奥さんも玄関まで来てくれた。

 

この二人、血の繋がり無いのに超似てる。

眼鏡とか細目とか物腰とか。

なんなら兄妹じゃね?と思うほどに。

 

最初二人を見て笑いそうになったのは今でも内緒だ。

 

それはともかく、この二人には良くしてもらっている。

もう足を向けて寝れないほどに。

 

俺を薩摩から引っ張ってきて、あれよこれよと面倒を見てくれて、ちゃっかりと官職にまで就かせてくれたのだ(元敵兵を警察にするとか案外出来るもんなの?俺然り、斎藤然り、志々雄一派しかり。今でも謎だ)。

 

署長は警察になっても暇を見ては声を掛けに来てくれたし、奥さんは帰ってくれば温かい料理を作ってくれていて「おかえりなさい」と言ってくれるのだ。

 

 

全裸になって東京府中を走って廻れと言われても断れない。

なんなら逆立ちで廻れるレベル。

 

 

「ありがとうございます御母堂。早速頂戴します」

 

 

快諾してくれた奥方様が台所に向かうと、俺はいったん自室に行って着替えを済ます。

この世界で標準の黒い警服を脱ぎ、中のカッターシャツ擬きも脱いで一緒に吊るす。

その後、灰色の単の和服に身を包み、背中と服に挟まった長い髪を服から出すようにふわりと払ってから居間へと向かった。

 

居間には既に署長が座っていて、いつも通り向かい合うように腰を下ろすと、署長が尋ねてきた。

 

 

「それで、どうでした?武田観柳は」

 

「警察を目の敵にしている、とまではいかないですが、それでも警戒感が強いですね。今日もやっとこさ話ができた程度です」

 

「ふぅむ。個人的な友宜を結ぶには大分掛かりそうですか」

 

「逆に言えば、警戒するだけの何かが彼に有るということです。信頼を得られれば、直ぐにでも尻尾を掴めるでしょう」

 

「そうですね。まだ接触したばかりだ。ゆっくりと着実に彼の信を得ていってください。くれぐれも、警察であることはバレないようにね」

 

「はい。必ずや、動かぬ証拠を突き止めてみせます」

 

 

と、まぁこんな感じに俺は俺のしている事を伏せる。

嘘を言ってるわけじゃないから。

実際、奴が阿片を取り扱っている証拠は無いし、密売の現場も抑えていない。

奴の実態は原作知識で知っているけど、敢えてそれを説明することもしない。

 

 

だって仮にしたところで、警察は決して動かないのだから。

 

 

何故なら奴を捕まえれば日本経済に少なくない影響が生じる。

世界に名が知れ始めた初の日本人実業家が、汚職で逮捕など本来ならあってほしくない事態らしい。

官職の多くの人が、奴を捕まえることによるデメリットよりも野放しにするデメリットを選択しているのだ。

 

なんて、ふざけた事態が起きているからこそ、俺に白羽の矢が立ったのだ。

俺なら逮捕に失敗しても、経歴や外聞や外見が突出して異端だから、警察組織は俺を蜥蜴の尻尾切りで済ませようとするだろう、と。

 

尚のことふざけた話だが、まぁ事実だから仕方無い。

蜥蜴の尻尾になるつもりなんて毛頭ないから、ああやって俺にも美味しい話を抱き込んだわけなのだが。

 

 

ちなみに本来、観柳との接触時には変装するよう言われ、書生用の服装とカツラ、変装用の眼鏡と帽子等々を預かっているのだが、生憎と身に付けたことなどない。

 

警官の格好で突入しましたが、なにか?(ドヤァ)

 

 

……まぁ変装しなかった理由の半分は個人的な目的故なんだが、もう半分は意味がないと悟ったからだ。

奴の情報網は結構バカにならないから、変装など直ぐにバレるだろうと判断したのだ。

 

その点、上層部は観柳を甘く見すぎているきらいがある。

 

 

なんて事を浦村さんに話すことはせず、当たり障りのない話をしていると奥さんが食事を持って居間に入ってきた。

その後ろには手伝いをしている御息女がいる。

 

 

毎度のことながら……スゴく似てます。

 

ホントこの一家、髪型以外は瓜二つだな。

 

つまり署長も髪をパンチマーマからロングにすれば娘さんと同じ……アカン。

流石に似てないし、想像して気持ち悪くなった。

 

 

「さて、もう夕食だ。仕事の話は終わりにして、頂きましょう」

 

「はい……スミマセンでした」

 

「? さぁさぁ、お待たせしました。ほら、冴子も座って」

 

「……はい」

 

 

四人が車座に座って食卓を囲む。

俺の右手側には娘さんが座り、正面は変わらずに署長だ。

皆で手を合わせて挨拶をする。

 

 

「いただきます」

 

「「「いただきます」」」

 

 

箸を手に取り、焼き魚の身を掬って口に運ぶ。

 

はぁ、旨い。

 

現代じゃ想像つかないけど、やっぱり東京は水の都なんだなぁ。

埋め立てられてない綺麗な東京湾の恩恵を海の幸として享受できるとは、いやはや生食文化が流行るわけだ。

 

うんうん、寿司はいいよねぇ。

出店であるらしいけど、今度探してみよう。

この時代の寿司は平成と大分違うんだろうなぁ。

それはそれで楽しめそうだけど、衛生面がちょっと不安かも……でも一度は食べてみたいものだ。

 

 

 

……うん

 

 

現実逃避は、もういいか。

 

右半身がチリチリと熱い。

 

娘さんの警戒心が空気を伝って肌に刺さる。

 

 

「……」

 

「…………」

 

「冴子。学校はどうだい?新しい友達も出来たかい?」

 

「……私、前の学校の方がよかったわ」

 

「そんなこと言わないで。新しい学校もいい所でしょ?」

 

「やっと女学校に行けるようになったのに、誰かさんの所為で急に潰れて師範学校行きだもの。仲良かった皆が来れなくなって、馴染めるわけないわ」

 

「ぅ……」

 

 

冷えた瞳でチラと此方を見て、胸に刺さることを仰る。

 

御息女の言葉は、至って真実なのだ。

 

西南戦争を含めて、明治初期に頻発した旧士族の反乱を鎮圧するため、明治政府は何度も国民を徴兵し、そして軍として派遣した。

その所為でかなりの財政難に陥ってしまい、維新後に設立された国営の学校は軒並み閉鎖されてしまった。

 

冴子嬢が通っていた東京女学校もその例に漏れず、敢えなく閉鎖されたのだ。

そこの生徒は、残った数少ない学校である東京女子師範学校に通うこととなったのだ。

だが如何せん距離と費用の問題から移れる学生は限られてしまい、仲の良かった学友とも離ればなれになってしまったのだ。

 

 

俺が戦争に参加して、その戦争が彼女の人生を変えたのは事実だから仕方ないけど……

毎晩食卓を囲む度に嫌味の一つ二つを言われるのは堪える。

 

 

「冴子。気持ちは分かるが、それを十徳くんにぶつけるのは筋違いだよ。彼は戦争に参加したけど、戦争を指導したわけじゃないんだから」

 

「多くのお父さんの仲間を殺したのに、一つ間違えればお父さんも殺されたかもしれないのに、それでも関係は無いの?」

 

「難しい事を言うようだけどね、内乱に参加した人たちを皆罰していたら、それこそ新政府がひっくり返る程の内乱が起きてしまうんだ。大目に見る事も大事なんだよ」

 

「じゃあ家に住まわせる理由はなんなの?大目も度が過ぎるんじゃなくて?」

 

「冴子……」

 

「もうお腹いっぱい。御馳走様でした」

 

 

半分ほどの御飯を残して、御息女は席を立って部屋に戻っていった。

 

 

「はぁ……毎度毎度スミマセン、十徳くん。あの娘も頭では君を理解しているんだけど、心の整理が追い付かないのか」

 

「いえ、私はぜんぜん気にしてません。それよりも、やっぱり私は官舎に住んだ方がよいのでは……」

 

「それはダメですよ、貴方は夫の命の恩人なんたから。一人で暮らされたら恩返しが出来ないのですもの」

 

「ですが……」

 

「急ぐ必要は無いですよ。娘との仲も、ゆっくりと結んでいってください」

 

 

ここから出ると言っても、やんわりと断られる。

いつものパターンだ。

ホントにこの夫婦は人が好すぎる。

 

とはいえ、御息女との仲か……

居心地の悪い夕食を頂くぐらいなら、仲を進展させて解消したい。

けど、あのツンケンした様子から見るに、出来る気がしないよな。

 

 

溜め息を一つ飲み込み、俺は冷えてしまった夕食を再び食べ始めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつものように御息女から心を削られる夕食を済ませた俺は、縁側に座って夜空を見上げていた。

傍らには銘柄も分からないポン酒とポン刀。

 

旨くはないが不味くもないそれを、鈴虫の音と星空を肴に御猪口でチビチビと飲む。

空気も汚れておらず、町明かりも少ないため、見上げる星々は美しく映えていて、その中に凛と在る半月は幻想的ですらあった。

 

一方、空いてる手では結わずに腰まで延びてる己の銀の髪を弄る。

別段手入れなどしていないのだが、この髪は我ながら触り心地がいい。

少しばかりのリフレッシュ効果がある。

 

 

 

それにしても、毎晩の事とはいえ、あんなに警戒心剥き出しにされるのは辛いなぁ。

 

……いや、あれが普通の対応だよな。

御夫婦が優しすぎるだけで、普通なら親を殺す側にいた元敵兵を同じ屋根の下に迎い入れるなんて許容できるハズもない。

 

かといって此処から出ていく事も出来ない。

 

それは、ただ御夫婦が家に居てほしいと言ってくれるから、ではない。

もちろんそれもあるが、大事なのはそこじゃない。

もっと切実な理由で、俺は御夫婦の温情に付け込んで此処に住まわせてもらっているのだ。

 

 

でも、今日も今日とてその原因は起きないようだ。

 

 

徳利の隣に置いてあるポン刀を、また今日も使わずに済んだ。

 

それが分かっただけでも、今日は目っけ物だ。

 

 

 

 

溜め息を吐いてゆっくりと目を閉じた俺は、徒然と虫の音に耳を傾け続ける。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

すこし、物語りをしようか。

 

 

 

 

一人の男の、一つの時代を駆け抜けようとした、とてもつまらない話だ。

 

 

彼は、歴史に名を残すほど高名でもなければ、指揮官クラスの高位な人だったわけでもなく、さりとてただの一兵士でもない、少しだけ名前と容貌が味方に知れ渡っていた、一人の反乱軍兵士だった。

 

外見も思想も先見性も異端で、反乱軍のなかでも当初よく浮いていた彼は、しかしその聡明な思考で自分らが起こす反乱の帰結を見てしまった。

 

この反乱は、いずれ敗北に終わる。

このまま戦えば、多くの仲間たちが死ぬだろう、と。

 

最初はよく喧嘩していたけど、いつしか仲良くなった仲間たちをみすみす死なす事など、彼にするつもりはない……その思いに嘘はなかった。

 

 

なかったけど

 

彼は反乱を止めようと動くことは、ついぞなかった。

 

 

この負けが見えた戦争は、反乱軍にとって無意味なのは確かだった。

もとより、反乱軍の勝利は、敵政府軍の撃滅か、敵首都への直撃しかない。

だが兵員も物資も敵政府軍の方が潤沢で、その規模は比べれば莫大。

ましてや首都までの道程を進軍するなど、とても現実的ではなかった。

 

海上輸送もまた、言うに及ばなかった。

仮に首都を襲撃し、その政府機能を崩壊させたとしても、あくまで出来るのは破壊。

その後の政権運営など、机上の空論すら無かった。

 

だから、始めから勝てないような戦争なのだ。

彼がそれを悟るのに、たいして時間は掛からなかった。

 

そして一方で、もう一つの事実に彼は気が付いた。

 

自分たち反乱勢力は、居てはいけないのだと。

 

皮肉かな、彼は己に宿る郷土愛と同じくらいにまた、愛国心もあったのだ。

近代日本が花開き、西欧列強に立ち向かうためには斯様な争いはすべきではないと思っていた。

 

そして、この戦いをもって、自分たちのような国家に属さない優れた戦闘集団は、滅ぶべきなのかもしれないと考えた。

 

考えて、しまった。

 

惜しむらくは、彼に相談相手が居なかったことか。

その悪魔的で、大局的で、個人を無視した考えを誰に話すこともできず、ずっと胸の内にしまっていた。

 

そして苦悩し、葛藤する。

この考えは、いけない、と。

これは悪魔の囁きだ、と。

だけど、考えれば考えるほど、その蠱惑的な思考を裏付ける思いに囚われてしまうようになってしまっていった。

 

失わせてはならない大切な仲間、されどその命を失うことにより得られる国益を、見てしまったのだ。

 

 

戦ってはダメだ。

立ち上がってはダメだ。

 

だけど、なくてはならない戦いなのかもしれない。

起きるべくして起きる戦いなのかもしれない。

 

戦争の近づく足音が次第に大きくなり、周りの人たちからの血気盛んな声も大きくなっていくなか、脱しようのないジレンマに陥っていた彼の心は、次第に疲弊していった。

 

その心労は、いかばかりか。

 

想像はできよう、共感もできよう。

もし身近に居たならば、その心情を慮ることもできるだろう。

 

だが、結局そのような者は誰もおらず、孤独だった彼は答えを導き出すことついに叶わず、一ヶ月の飲食を受け付けなかった結果……

 

 

 

生死の境をさ迷うほどに、暗く深い昏睡へと堕ちていった。

 

 

 

 

そこで、夢を見た。

 

 

 

一生忘れることのできない夢……いや、もしかしたらその夢こそが、自分が生きている本当の世界であり、そこにいた自分が見ている夢が、今までの薩摩での生だったのではとすら思った。

 

 

 

そう思えるほどに現実的で、妙に馴染んだ世界だったのだから。

 

その夢の世界は、きっと今の西欧文明すら凌駕するほどに圧倒的で、とても未来的だった。

 

 

 

 

眼前に広がるは、整備された道と、空を見上げんばかりに聳え立つ幾つもの高層建築物。

洋装に身を包んだ大量の人、人、人。

なんの労もなく勝手に進む摩訶不思議で多種多様な乗り物。

なかには視界に収まりきらないほどに馬鹿デカイものもあり、それらが人を乗せて高速で地上を、地中を走り回っている。

あまつさえ、空を行き交う物すらある。

 

驚くべきは、そこは自分がかつて居た世界と同じ日の丸を掲げている国だったということ。

 

 

そこにいる()()は、そんな未来の日の本に産まれたのだ。

 

 

両親の厳しくも暖かい愛情に支えられて、自分は幸せに生き、成長していった。

愛すべき伴侶を見つけ、溺愛する子らをもらい、大切な家族の為にと身を粉にして働いた。

やがて子らも家を発ち、自らも老い、脈々と受け継がれる子孫に思いを馳せながら、時には孫とも戯れ、残りの余生を全うした。

 

そして、長いようで短かった己の生も、やがて幕を下ろした。

 

 

何てことはない、いつの時代のどこ世界のどこの国にも、ごくごくありふれた普通の生だった。

 

本当に、ただの普通(しあわせ)の生だった。

その生に悔いは無かった。

今際の際に、自分は満足していたのだから、その思いに嘘はなかった。

 

 

 

そんな(じんせい)を終え、意識が段々と覚醒していく感覚に襲われるなか、満たされた心のままに一つだけ、ふと思った。

 

否、願った。

 

 

 

もしかしたら、此方の世の自分なら、彼方の世の己を託せるのではないかと。

 

 

それは、独善的で、此方の自分からしたら迷惑極まりない話だろう。

彼自身ですら、これは逃げだろうとすら思った。

 

 

だけど

 

 

例え、彼方の自分が戦闘のせの字も知らないままに生を終えたもやしっ子だったとしても。

 

例え、戦争の渦中になるであろう世界に来ようものなら、ただの動く的にしかならないとしても。

 

例え、いきなり体をすげ替えられて世も飛ばされるという、ふざけた事実を突き付けられたとしても。

 

此方の自分なら、否、此方の自分だからこそ、今の自分を上手く使ってくれる。

 

 

彼はそんな確信を抱き、そして願い続けた。

 

 

 

どうか神様、この願いを聞いてくれ。

 

 

この不甲斐ない自分では、()()を上手く使えなかった。

 

勝手に苦悩し、磨耗し、磨り減っていった無様な自分に代わって。

此方の自分ならきっと上手く使ってくれる。

 

この不出来で欠点だらけの身体を貸したい。

この命をもう一人の若かりし頃の自分に預けたい。

 

さすればきっと、薩摩にも、日の本にも、大きな光明となるから。

 

弱くて、甘くて、(ぬる)くて、泣き虫で、お人好しで。

それなのに、自分なんかよりも太く強い心を持つ彼に、全てを託したい。

 

 

 

どうか神様、この願いを聞いてくれ。

 

 

 

 

どうか……どうか…………

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そうして

 

 

 

 

深い眠りから()が目覚めたとき、狩生十徳という男の心には、青崎真世という男の心が宿っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

これは、そんなつまらない話。

 

 

 

 

 

 

 

違うようで同じ人間である、狩生十徳(あおざきまよ)の、明治を駆け抜ける物語。

 

 

 

 

 

 

 








署長の御息女の名前は勝手に決めました

本来の名前を知らないんですが、なんなのでしょうか



なお、彼女はヒロイン二番目候補です




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

11話 明治浪漫 其の参





話が進まない……だと?



まぁいいや

とりあえず、どうぞ




 

 

 

 

 

「これは……なるほど。確かに、人力も馬匹も必要としない自動車なるものは、かなり有用ですね」

 

 

簡単に紙に書いた資料を食い入るように見る観柳。

記載してある内容は、俺が要求した自動車についてだ。

 

朧気な記憶だが、たしかこの世に自動車が初めて登場するのは1880年代だった気がする。

時期的に多少のズレはあるけれど、そこはコイツの大好きなお金で登場を早めれば問題はない。

 

 

「未だ欧州の隅で細々と試作が作られている段階だ。それを投資でバックアップしてほしい」

 

「ばっく、あっぷ?」

 

英国(ヘゲレス)語で援助みたいな意味だ。これが実用化されれば、日本でも政府高官や富裕層から浸透するだろう。その時にはアンタが市場を独占できる」

 

 

そう言うと、観柳の瞳に薄黒い欲望の色が際立ったように見えた。

 

 

そんな手のひらの上で転がる様に、内心ほくそ笑まずにはいられなかった。

 

だってそこまでは無理だし、求めていない。

自動車は整備された道とドライバーの運転技術が無ければ無用の長物と化す。

他にも車体のメンテ設備や燃料供給の体制等々、挙げたらキリのない事物を整えなければならない。

一つの商会ですべてを網羅することなど不可能だし、多種多様な企業を参入させたとしても、利益が生まれるのは数十年先になるだろう。

 

そこを言わず、クソ遠い先の有るかも分からない利益をぶら下げて喜んでくれるとは。

 

 

「ふむ……作れるようになれば尚の事ですね。しかし、どこでこの情報を?」

 

「企業秘密。で、次はそっちの番だな。言われた人物に接触したぜ。感触は良好だった。一度会ってみたいとさ」

 

「それは嬉しいですねぇ」

 

 

ニコニコと笑いながら葉巻を吸う武田観柳。

 

ちなみに此処は以前訪れた観柳邸。

今回は物騒な護衛はおらず、二人だけの対談となっている。

 

 

「ま、アンタの密偵から同じ報告が来てると思うけど、一応俺からも。相手は薩長土肥に私怨があるから軍にも警察にも繋がりは無いからな。お仲間の居ない政界でのし上がろうと思うだけあって、かなりの警戒心だった。逆に、薬で溺れさせて足掛かりにするには丁度いいだろう」

 

 

観柳の欲望に染まった瞳の奥が、更にギラリと鈍く光った。

 

 

「そうですか……では、接触の場と時間を今度伝えてください。甘い言葉も忘れずにね」

 

「あいよ」

 

 

その後、他の諸々の取引内容を詰め合わせるため、話し合いは続いた。

西洋火器の譲渡場所や日時、斡旋する相手についてや警察の観柳に対する(偽)捜査動向を漏洩したり等々、朝早くから始めた対談は午前を丸々使うこととなった。

 

 

そんな一通りの話がやっと終わって、俺は挨拶をしてから警帽を被って退室する。

と、開いた扉の向こうの通路に寄り掛かっていた人物と目が会った。

 

 

高荷恵だ。

 

 

想定外の人物とのバッティングに、思わず鼓動が跳ね上がった。

 

 

 

会津藩出身で、高名な医者の一族のもとに産まれた女性、高荷恵。

もちろん、彼女自身も女医として優秀。

この明治期において女性でありながら、医術を会得しているという稀有な存在であり、原作では自分を助けてくれた主人公に想いを寄せるようになって、度々彼ら主人公勢をその医術で何度も助けるキーパーソンとなる。

 

で、何から助け出したのかというと、当然観柳から。

 

過去、ある医者の助手として東京で仕事をしていたのだが、その医者が観柳にアヘンを作って金儲けをしていたのだ。

彼女は知らないうちに阿片を作る手助けをしていて、その医者が亡くなった今(理由は忘れたが確か観柳に殺されたハズ)、観柳に軟禁されている……とかなんとか。

 

たぶん脅されて今も阿片を作っているのだろう。

 

 

閑話休題(それは今は置いといて)

 

 

俺は此処、観柳邸に足を運ぶようになってから何度か会った事がある。

スレ違う事もあったし、目を合わせる事もあった。

 

けど、お互い不干渉で話すことはなく、足を止めて向き合う事すらなかった。

 

だけど、今のこの状況は……

俺を待っていたのか、それとも観柳か?

 

 

「こんにちは」

 

「…………」

 

「話なら済みましたよ。観柳殿ならまだ中に居ますから。では」

 

 

口を開く気配すらない、か。

観柳に用事が有るようなので、俺は彼女の横を通り過ぎた。

 

 

「貴方は、警察として観柳に接触してるの?」

 

 

すると、後ろから声を掛けられた。

思わず足を止めて振り返ると、高荷恵は此方を見ずに背中を向けて問うていた。

 

わぁ、ちょっと感動。

原作の主要キャラに声を掛けられるなんて。

 

え、斎藤?

死を感じて動いた、という意味では感動したよ。

 

 

「え~と、どういう意味ですか?」

 

「警察なら、武田観柳の後ろめたい噂は把握しているでしょ?それを踏まえて此処に来るのは、何の理由があってなのかを聞いているの」

 

「私の訪問理由を知りたいんでしたら観柳殿に伺われては?」

 

「……」

 

「なるほど。そういうことですか」

 

「えっ?」

 

 

俺は理解した、という風を装って高荷恵の方に歩み戻る。

静謐な廊下にカツ、カツと俺の足音が響く。

 

まさか俺が近付いてくるとは考えていなかったのか、それとも俺が何かに気付いたことに慌てたのか、彼女は驚いた様子で俺に振り返った。

 

うん、やっぱり美人さんだな。

紺色の羽織りが似合ってて和服の淑女って感じだ。

 

 

「貴女の存在はこの観柳邸で少し異彩だ。特別な存在なのだろうと常々思っていた。けど、私の事を観柳殿に聞かない、否、聞けない様子から見るに、どうやら観柳殿にいい感情は抱いていないようだ」

 

「……」

 

「世話係りか、小間使いか。にしては観柳殿と一緒に居る様子を見たことがない。ならば相応の仕事をしているのか。でも、その顔に生気がない……なんだかスゴく、悲しそうだ」

 

「ッ……」

 

 

あぁ、なんか警戒心が大きくなったなぁ。

原作知識を少し披露したんだが、マズッたかな?

 

いや、武田観柳に囚われている今の彼女は精神的にかなり参っているはずだ。

どうあっても敵認定されてしまう気がするから、早いか遅いかの違いでしかない。

 

本当は心根の優しい女性なんだよ、知ってる。

それなのに、家族の誇りたる医術と知識で阿片を作らされているんだから、その胸中は想像を絶するものなのだろう。

 

 

「観柳殿はもちろん、此処にいる人たちが何をしていても、何を持っていようと俺は関係無い。咎めもしないし、報告もしない」

 

「……警察なのに?」

 

「観柳殿とそういう契約をしたから。でも、」

 

「?」

 

「そんなに思い詰めた顔をされると、やはり放っておくのは忍びなくなってしまう。お茶でもしませんか?無関係な人と話せば、少しは気が紛れるかもしれませんよ?」

 

 

俺の不意な発言に、彼女は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。

あらやだ、可愛い。年上だけど。

 

そして、ふと気付くと彼女はクスクスと笑った。

あぁ、そんな表情も出来るのですね。

 

やっぱり綺麗な女性の一番の化粧は笑顔だよ。

 

 

「でえとのお誘いかしら?生憎と此処等にお茶を貰える場所はないわよ」

 

「そいつは残念。綺麗な女性を目の前にして誘えないのは痛恨の極みだ」

 

「ふふ。お店は無いけど、私の部屋になら飲み物くらいあるわ。来るかしら?」

 

「本当に?是非!」

 

 

マヂでか!

これはちょっと予想外の展開だけど、原作主要キャラと二人っきりか……心踊る状況だぞ。

 

 

 

はしゃぐ心から、ついつい笑顔が溢れてしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

最初に彼を見掛けたとき、まるで人形のようだと思った。

 

白い肌、銀色の長い髪、青い瞳。

少し大きめの警察の制服を着て刀を腰に差す彼は、まるで着せ替えをした人形のようだった。

 

男の子……よね?

正直自信が無いけど、女性が警察官とは思えない。

でも、あんなに髪を伸ばすなんて。

どんな触り心地なのだろうか。

私も髪を伸ばしているけど、男の子であんなに伸ばす人がいるなんて。

 

それに、あの青い瞳。

もっとじっくりと眺めてみたい。

日本人離れしたあの瞳と肌と髪の色。

 

異国の人か、それとも異国の血が入っているのか。

 

 

話してみたい。

 

私は率直にそう思った。

 

 

 

此処に囚われ阿片を作り始めてから、私の心は動かなくなっていた。

こんな事をしていていいのか、抜け出すべきではないのか。

否、いいハズがない、と最初はそんな風に考えていたけど、今はもう考えるのも億劫になって、仕舞いには観柳に言われるがままの量の阿片を作るようになっていた。

 

そんな私の心が動いたのだ。

 

不思議な彼を見て、漸く声を掛けられて、でも自分でも分かる程に声音は固かった。

警戒心があるのは自分でもわかる。

けど、こんな口調じゃ向こうも警戒してしまうというのに、内心後悔でいっぱいだった。

 

しかし、そんな私の様子を見て彼は警戒するでもなく、その青い瞳を曇らせて私に言った。

 

 

『なんだかスゴく、悲しそうだ』

 

 

まるで私の状況を見透かしたかのように、彼は言った。

 

惹き付けられたのは、そう言った彼の瞳こそが悲しそうだったから。

 

どうしてか彼は、泣きそうな顔をしていた。

 

なんで貴方がそんな顔をするの?

いつも観柳邸(ここ)に来るときは大胆不敵な感じで堂々としているのに。

 

そう思ったのも束の間、次に彼が出した言葉はなんとでえとのお誘い。

青い瞳を泳がせて、不安そうに此方を窺う彼の様子に、私は堪え切れずに吹き出してしまった。

 

あぁ。人前で笑うなんて、いつ以来かしら。

 

今度は困る表情を見せた彼に、部屋に来るよう伝えると華が咲いたような笑顔に変わる。

 

ころころ変わるその表情に、私は久しぶりに心から人と接する暖かみを味わえた気がした。

 

 

「そういえば、自己紹介がまだだったわね。私は高荷恵。観柳お抱えの医者よ」

 

「お医者さんだったんか。俺は狩生十徳。見ての通りのしがない警察官だ」

 

「よろしくね、十徳くん。前から気になっていたのだけど、日本語が上手ね。お生まれは日本なのかしら?」

 

 

部屋に着き、簡易なテーブルを挟んで椅子に腰掛ける。

 

最初は見慣れない部屋の様子にキョロキョロしていたけど、私が席を勧めると戸惑う様子もなく椅子に腰かけた。

洋風を好む観柳は部屋の造りを洋風一色にしていて、私は未だ慣れないのだけれど、彼は勝手知ったるようだった。

 

 

「え?あ、あぁ、うん。生まれも育ちも日本だよ。もう居ないけど父が欧州人で、母は今も鹿児島に」

 

「そう、鹿児島の……御国言葉を話さなくて気付かなかったわ。東京府(こっち)に来て長いの?」

 

「いんや、まだ三ヶ月」

 

「あら」

 

 

これにはちょっとばかし驚いた。

訛りの無い話し方をするから、てっきりここの人かと思っていた。

 

 

「まあ()は標準語に慣れているから」

 

「?そうなの……って、三ヶ月?!じゃあ--」

 

「うん、西南戦争に参加してた。当然、薩軍側で」

 

 

ほぇ~、と私はぽかんとしてしまった。

どうやら彼も中々に過酷な人生を歩んでいたようだ。

 

それにしても、ならなんで東京に来て、しかも官職に就いたのかしら?

 

 

「まぁ、それに関しては俺も不思議でならなくて。向こうで助けた官軍の人に世話されて、気付いたら何故か警察官になってた」

 

「何故かって……」

 

「いやホント。気付いたら制服着てたの。俺が意識する暇もなく服を脱がせて着せ替えるあの早業、あの人は只者じゃない」

 

「なによそれ」

 

 

あぁ、ホントにこの人は……

彼の笑いながら話す姿に、ついつい私も笑みが溢れてしまう。

 

私はテーブルの真ん中に置いてある水差しと二つのグラスを取り、それぞれに水を注いで片方を彼に渡した。

 

 

「どうぞ。ここにはこんなのしか無くて申し訳ないのだけど」

 

「お構い無く、マドモワゼル。女性に注がれれば水も立派な飲み物になるから」

 

「あら、お上手ね」

 

 

そしてお互いに少しだけ水を口に含んで一息つく。

 

彼は目を閉じて、何かを考えているようだ。

これは好機と思って、私はまじまじと彼を見た。

 

本当に肌が白いのね。

髪も銀色というか、どちらかというと白に近いような。

 

年は幾つだろうか。

私より年下のようだけれど、でも戦争に参加していたということは、それなりに行っているはず。

けど、もし最年少あたりだったら、もしかしたら20も行っていないのかも。

 

う~ん。

考えれば考えるほど、彼に興味が沸いてくるわね。

 

 

「……あの、そこまで見られると面映いんだけど」

 

「あ、ごめんなさい。でもでえとに誘った貴方が黙るものだから、ついつい暇を持て余していたのよ?」

 

「それは失礼をした。もう聞くことはないの?」

 

「そうね……まだ有るけど、一先ずはいいわ。これで貴方の番かしら?」

 

「いや、俺からは何も聞かないよ。貴女の名前と、此処に居る理由。それが分かっただけで十分だ」

 

「む、それは私に興味が無いってことかしら?」

 

 

私は頬を膨らませながら言った。

 

それは流石に聞き逃せない。

此方はもて余す好奇心を無理矢理抑えているというのに。

 

 

「あぁ、いや、そうじゃなくて。俺から聞いても高荷さんが困るだろうなぁ、て思ったから。だって、話したくない事が少なからずあるんでしょ?」

 

「それは……」

 

「うん。だから、それは追々気が向いたら高荷さんから話してよ。それまで待ってるからさ。だから今は何も聞かない」

 

 

あぁ、なんてお人好し。

自分のことは喋って、私のことは聞かない。

それでも待っている、だなんて、ホントにこの人は……!

 

 

「とはいえ質問が終わったとなると間が持たないか……うん。じゃあ、先の事でも話そうか?」

 

「先の事?」

 

 

彼は頷くと席を立ち、窓に近づいて行くと、そこを開け放った。

 

 

 

「想像してみて。100年後、ここから見える景色、広がっている世界がどうなっているのか。100年後の人たちは、何をしているのか」

 

 

 

日差しが降り注ぐ東京府の町並み。

 

夏の臭いが強くなり始め、草木の緑と青空に浮かぶ白い雲が美しく映えている。

 

そんな景色を背にして此方を向いた十徳くんは、長い美しい髪を風に乗せて微笑んでいた。

 

 

 

「俺がいつも夢見る…………いや、目指す世界はさ。見上げるほどの建物が乱立していて、その間を縫うように人を乗せて運ぶたくさんの乗り物が動いている。それは地を行く物だったり、空を行く物だったり、あるいは地底を行く物だったり。いやいや、この星を飛び出す物さえあったりする」

 

 

 

指折り数えながら、彼は語る。

 

その瞳に映る100年後の夢の世界を。

 

 

 

「そんな国に住まう人たちは、戦争なんかとは無縁の、温くて暖かい時を過ごして、それでもいざとなれば大切な人たちを守るために必死になれる、強くて優しい心を持った日本人……なんてね。でも、夢物語でもいい、お伽噺でもいい。そんな浪漫溢るる話をしてみない?」

 

 

 

夢の……話。

 

 

あり得ない、空想のお伽噺。

 

 

ここに囚われて、自分の未来すらまったく見えない私が思う100年後の世界。

 

 

それは、あまりに滑稽で、とても馬鹿らしいのに。

意味の無い妄想なんて、口にするだけでも下らないのに。

 

 

なのに、どうして

 

どうして彼はこんなにも楽しそうに夢を語るのだろう。

 

 

 

まるで、語る夢はすべて叶うと信じているようで。

 

まるで、その瞳に本当に映っていたかのようで。

 

 

とても眩しかった。

 

 

 

だから私は、語った。

 

 

私が思う100年後の世界を、こうあってほしいと思う未来を。

 

 

 

西洋医術と東洋医術が融合した、患者のための本当の医術が生まれて。

 

それは、独占される事が無くて、不治の病なんてものを根絶して。

 

大ケガや大病を急に患っても、直ぐに駆けつけられる医療専門機関が有って。

 

皆が安心して病院に掛かれて、100歳まで生きる人もたくさん居て。

 

 

 

私が語る夢物語を、彼は否定しないで、時には深く頷いて、時には詳しく聞いてきて。

 

 

 

それが何よりも嬉しくて、楽しかった。

 

 

だから私は、いつになく饒舌に話してしまった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私はこの日始めて経験したでえとを、生涯忘れないだろう。

 

 

 

いいえ、絶対に忘れたくない。

 

 

 

未来を語って私は漸く、自分の未来を直視しようと思えるようになったのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 








高荷さんの設定も少し変えました

家族との再会が唯一の望み→自らと日本の医術の発展を望む





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

12話 明治浪漫 其の肆














 

 

 

 

 

原作が始まる明治十一年まで凡そ半年を切った。

 

原作が問題なく始まるためにも、行動は控えて問題は起こさないようにする。

警察官にも原作に関わる人がいるから、目立たず騒がず彼らの視界に収まらないようにする……

 

 

…………

 

 

……

 

 

 

わけねェだろうが!

 

 

んな先のこと考慮して俺の行動を制限するだと?

なに言ってやがんでい(てやんでい)!(何故か東京弁)

 

んなこと考えるのはまだまだ先のことよ。

今は俺の好きに行動させてもらうぜ。

バタフライ効果?気にしてたらくしゃみも出来ねぇじゃねぇか。

 

気にしない気にしない。

人間万事塞翁が馬。

こうして原作に関わる警官どもに囲まれても気にしない気にしない。

 

 

「テメェ、その髪なんだ。舐めてんのか」

 

「俺たち剣客警官隊が通ろうとしたら端に行って頭を垂れろ。殺されてぇのか、ああん?」

 

 

気にしない……気に、しない

 

 

「異人の混血かよ気持ち悪ィ。ここは日本なんだよ、テメェみてぇな糞はお呼びじゃねぇんだ」

 

「なんかコイツ見てたらムカついてきたな。殺して埋めようぜ」

 

 

……

 

 

「お、コイツ今生意気にも俺の目を見たぜ。よし、抜剣を許可する。見せしめに殺せ」

 

「おっしゃあぁ。血ィ半分抜いて念願の日本人にしてやんよ、ギャハハハ!」

 

 

ブチッ

 

脳内で何かが弾ける音がした。

 

 

 

ここは東京警視本署内。

 

廊下を歩いていた俺をぐるりと取り囲んだのは、選民思想とエリート意識で凝り固まった警察組織の害悪「剣客警官隊」。

 

その名の通り、帯剣を許可された警官隊だ。

 

薩摩出身であることを無駄に自慢し、薩摩出身以外の人を見下す奴ら。

しかも警察農民関係なく気に食わない奴は容赦なく斬り殺すという、正しくいかれ集団。

帯剣許可を殺人許可と履き違え、原作でも主人公含めた一般市民を容赦なく殺そうとしていた。

 

たしか神谷嬢の服を切り刻み、辱しめを与えようとしたところ剣心の怒りを買い、一撃の下に叩き潰された噛ませ犬だったハズ。

うん、まさにゲスの極み。

 

 

「ビビって何も言えなくなったか?俺たちは泣く子も黙る薩摩出身だぞ。あの世で俺たちに懺悔しーーッなぁ?!!」

 

 

そして今は剣心に関する騒動が起こる前。

まだ罰せられる以前に、こうして俺に突っ掛かってきているのだ。

 

廊下の隅に追いやられて気分はまさに追い込み魚。

やることがただのイジメっ子だよ。

げに恐ろしきは、コイツらは平気で人を殺すってことだが。

 

 

「うるせェんだよ、この薩摩の面汚しどもが。剣客警官隊?呼びづらいんだよコノヤロー……あ、ゴメン踏んでた」

 

 

メンチ切ってにじり寄って来ていた一人の足を踏み潰し、悲鳴を上げさせた。

 

いや~スマヌ、足が長くて下が見えなかったわい。

なんつって。

 

……げ、コイツらホントに抜刀しやがったよ。

 

 

「テメェ……!」

 

「上等だ、叩っ斬る!」

 

 

そう叫ぶと、足を踏み抜いた一人の男が本気で斬り掛かって来た。

 

マヂか~、マヂか~コイツら。

本当にいかれだよ。

もうエリート意識とか選民思想とか突き抜けてるよ。

 

 

 

俺は咄嗟に十手を逆手に抜き取り、眼前に迫った刃を受け止めることをせず、受け流した。

鉄製極太長の特注十手は上手く使えば刀さえへし折れる代物だ。

そう易々と斬られんぜ。

 

抵抗も無く、するりと十手の面を刃が滑っていった結果、たたらを踏みながら俺の眼前によろめいて来たソイツは、あまりに無防備だった。

 

その晒け出された後ろ首に十手を叩き込む。

 

衝撃と共に変な声が聞こえたが、生憎と人を人とも見ない人でなしの声に注意を払うことなどしない。

 

 

続く二人目の斬撃が繰り出されるより先に、十手の先端を男の額にブチかます。

脳髄に過大な衝撃を受けたそいつは、白目を向いて一人目の男の上に崩れ落ちた。

 

 

「テメェ……殺す!」

 

「晒し首にしてやる!」

 

 

三人目、四人目とも警官とは思えない御大層な罵声を掛けながら斬り掛かってくる。

 

俺は一人の腕を即座に絡め取り、強引に二人目の斬撃の前に引きずり出す。

当然相手の攻撃は途中で止まり、慌てふためいたところで男を解放して反撃に出る。

膝、腰横、胸元そして顎と一息で十手で叩き、沈める。

 

そして間髪入れずに後ろ回し蹴りを放ち、解放してから立ち上がりかけた男の顎を打ち抜く。

 

共に顎を揺らされ、皆と同じように膝から崩れ落ちた。

 

 

最後に残ったのは後ろで指図していたリーダー格の男。

名を確か宇治木と言ったハズだ。

 

 

「はん、他愛なか」

 

「……!」

 

「なぁんば渋面しよっとか。自分より強かっ奴相手んしたことなかか?そいとも、相手ん力量ば見極められんちうほどの阿呆か?」

 

「ぐぐ、…ッ」

 

「どうすっど?こんまま一人だけ尻尾巻いて逃ぐっか?そいともコイツらと同じ醜態晒すか?んん?」

 

「貴様ッーー!!」

 

 

堪忍袋の緒が切れたようだ。

怒号と同時に右肩の直上に刀を大きく振り上げて薩摩示現流の構えを見せ、駆け出した。

 

 

「きえぇぇぇ!」

 

 

 

 

 

 

ーーー俺に背を向けて

 

 

 

 

 

 

……え?

 

 

 

 

 

逃げんの?

 

その構えを取ったままで?

 

 

 

 

……wow

 

 

 

 

わざわざ御国言葉使ってまで挑発したってのに、物凄い体勢で逃げていったな。

不覚にも呆然として見送っちゃったよ。

 

 

「なんだよ、アイツ……てか、コイツらどーすんだよ」

 

 

当然の事ながら、廊下には奴の同僚か部下の男共が気を失って倒れている。

 

これ俺が介抱すんの?

いや確かにやったのは俺だけど、別にやらなくても文句は誰も言わないよね。

周りにはとばっちりを受けたくなかったからだろう、最初から人が全然いないし。

 

 

「まったく……後々の事も考えて突っ掛かってほしいもんだ。捨て置くぞコノヤロー」

 

「いやいや、自分らがやられる事を想定して突っ掛かる阿呆など居なかろう。尤も、応える方も阿呆だがな」

 

「立派な正当防衛ですぅ。向こうは抜刀までしやがって、やらなきゃ絶対に殺られてたし。だから致し方ないことなんですよ」

 

「ほう、反省をしとらんということか。ならば両者ともに処罰を考えないとな、阿呆共が」

 

「……へぁ?」

 

 

今まで後ろから誰かも分からない奴と話していたが、ふと振り返って()()()を視界に収めるとーー

 

 

 

「川路、大警視…」

 

 

 

そこにいたのは、東京警視本署のトップである男。

 

川路警視総監。

 

原作での登場は一度。

大久保卿と共に主人公勢と会って志々雄の討伐依頼を話す程度のことだったが、その一幕は前世の俺は鮮烈に覚えている。

なにせ、()()斉藤一と緋村剣心の死闘を一喝で止めたのだから。

 

ただの一喝で。

ただの一声で。

 

 

そんなド迫力満天じいさんが目の前で額をヒクヒクさせながら、笑顔で立っていた。

目が笑っていないとはこのことかな。

 

取り合えず俺も笑顔で対応しよう。

いいね、笑顔で会話。ピースフルコミュニケーション万歳。

 

 

「……いつから、こちらに?」

 

「一部始終見させてもらったわ。貴様がこやつらの近くをうろちょろして突っ掛かれるのを待っていたところから、な」

 

「ッ?!?!」

 

 

えぇ何言ってんのこの人ワケわかんな~い。

それじゃあまるで俺が喧嘩を売ってくるのを待ってたみたいじゃないですかやだもう~。

 

 

「……」

 

「……」

 

 

俺は固まった笑顔で、川辺警視総監はヒクつく笑顔で。

お互いが静止したまま数秒が経ち、流石に何か言わないとマズいと思って俺は、努めて明るい感じで言った。

 

 

 

「大警視て……お暇なんですね」

 

 

 

「ブチッッ!!!」

 

 

 

 

あ、これミスったやつだ。

 

 

 

あはは~顔がまるで茹で蛸……あのホントすみませ――

 

 

 

 

 

 

 

その日、警視本署内に地を震わすほどの一喝が響き、後に鼓膜を激烈に刺激され脳をシェイクされた一人の警察官が医務室に運ばれることとなった。

 

その者の症状は頭痛と繰り返しの嘔吐により、当分の出勤が出来なくなったほど。

 

 

 

なお、この件に関わったすべての者が処分を受けたのは言うまでもないことであった。

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

川路警視総監に耳元で怒鳴られて脳内をシャッフルされ、目耳鼻口問わずあらゆる顔面の穴という穴から色々な水を垂れ流して数日間布団の上でうなされることとなった俺は、さらに罰として出張を命じられた。

 

いや、それだけなら別にいい。

むしろ出張なんて罰じゃなくても指示が有ればやっているのだから、むしろ処罰内容としてはかなり甘い。

 

この時代の全国各地に足を運べる機会を貰えるなんて、喜びこそすれ落胆することなぞない。

ましてや今回の出張先は神奈川県は横浜、外国人居留地だ。

心が奮い立たないわけがない。

 

 

そう、本来ならば

 

 

同行者が気に食わない奴らでなければ、だ!

 

 

 

「気に食わないのはコッチの言葉だ。何故剣客警官隊である俺たちが貴様なんぞと…」

 

 

そう。

 

今、俺は潰し損ねた剣客警官隊の隊長である宇治木を筆頭に、剣客警官隊共と一緒に出張先へと向かっているところなのだ。

 

 

「まったくですよ。なんでこんな色白餓鬼と――」

 

「あぁ?」

 

 

俺が睨むと愚痴を言っていた奴の隊士が肩を縮こませて黙った。

懲りない奴らである。

どうして未だに俺に強気でいられるのか不思議でならないわ。

 

 

「ふん、威勢のいい餓鬼だ。今度こそ斬り刻んでやろうか」

 

「おいお前はコッチ見て言おうな」

 

 

威勢がいいのはお前だよ、口だけだけどな。

威勢よく刀を振り上げといて逃げた奴の口が、だぜ。

 

コイツあの日以来俺を見たらすぐに踵を返すし、目を合わせようともしなくなった。

今も窓から見える風景を眺めているだけで、俺のことを視界に収めようともしない。

 

 

「当たり前だ。貴様のような奴、視界に収める価値も無いのだ」

 

「お前はどこの慢心王だよ。喉と腕が震えてるぜ、どんだけビビってんだっつうの」

 

「なッ…?!俺は別にビビってなど―!」

 

「ほう?」

 

「ぐッ……!」

 

 

悔しげに呻きながら、宇治木は結局合わせられなかった視線を窓の向こうへと戻す。

窓から見える景色は、高速に流れ行く田園風景だった。

 

そう。

 

なにを隠そう、俺たちは今、日本初の鉄道路線である品川-横浜間の横浜行陸蒸気(おかじょうき)の中にいるのだ。

 

明治5年に開通し、品川から横浜までの片道を二時間で走破するこの陸蒸気こと蒸気機関車は、徒歩か早馬の交通手段しか知らない日本人の常識をぶち壊した代物なのだ。

 

そんな列車のなかは二人掛けの座席が向かい合う形で配置してあり、宇治木率いる剣客警官隊の3人と俺が座っている。

なお、他の剣客警官隊の奴らは別の処罰内容だったりしている。

 

俺の正面には渋面の宇治木、隣と斜め前には体を震わせて縮こまっている隊士がいる。

 

 

「で、だ。仕事内容についてなんだが……お前、聞いているか?」

 

「あぁ……あ、はい。横浜の外国人居住地に住まう英国商人が拳銃等の武器を不正に日本国内に流している可能性が発覚し、我々はその事実の極秘調査を行うこととなった、てす」

 

「ん。知っての通り今の俺らは非番の、つまりは官権力を行使できない一般人だ。だから捜査は()()()()()()秘密裏に行う。これがどういう事か分かるか、宇治木?」

 

「嘗めてるのか貴様。そんなの自明の理だろう。基本的に異国の商人は身の回りを嗅ぎ回れることを面白く思わん。故に我らを取っ捕まえて何かをするかもしれんが、たとえそうなっても日本の警察は何も言わん……いや、言えんだろうな」

 

「うん。それは何故だ?」

 

「治外法権と領事裁判権。異国人の犯罪を日本人(われわれ)で処罰することは出来ず、そもそも奴等に日本の法理は適用しない。極端な話、我々が殺されようと政府も警察も口出しできんということだ」

 

「そうだな。だから俺たちは一般人として振る舞わなければならない。俺らがどうにかなったとき、警察官としてならば奴等の口撃の矛先が警察か政府に向く。だが一般人ならば話は違う。俺ら個人に攻撃の矛先が向くからだ。これ程都合のいい蜥蜴の尻尾は他に無いだろう」

 

 

ま、苦肉の策とも言うがな。

警察として捜査できないのならば、警察の能力を持った一般人を使い捨てにして捜査する。ということだ。

 

何も思わないと言ったらウソになるが、方法としては合理だし、俺を使い捨てにする考えも納得はできないが理解はできる。

外見、言動、行動すべてが東京警視本署筆頭の異端分子だからな。

それに、ぱっと見俺も異国人に見えなくもない。

誰を横浜に飛ばすかと考えたら、一番最初に挙がるのはやはり俺だろう。

重ねて言うが、納得は出来ないけど。

 

 

まぁそれはいいとして……

 

現状確認のために話をしたが、やはりコイツらは馬鹿じゃない。

きちんと任務の本質を捉えていて、それでいて投げ出さない程度の職務意識はある。

選民思想家でエリート意識が強くて自尊心が高くて冷血漢でクソ野郎どもだけど、馬鹿ではない。

 

それが分かったたけでホッとしたわ。

 

 

「おい今何かとてつもなく馬鹿にされている気がするんだが」

 

「気にすんな。気のせいじゃないんだから気に召さるな」

 

「そうか……ん?おい、今…」

 

「さて。異国人を捕まえられない俺たちにとって、できることとは何だ?」

 

「んん?…まぁいいか。我々が武器の流入の証拠を抑えたところで、英国商人を逮捕することはできん。精々、買い取った日本人を捕まえるだけ、ということだろう」

 

「根っこを残して葉だけを摘む、てことですかい?」

 

「いい表現だな。正しくその通りだ……が、それじゃイタチごっこだ。根本的な問題の解決に繋がらない」

 

 

それになにより、それじゃあつまらないだろう?

 

明治の世の、横浜の外国人居住地という面白い舞台に来たんだ。

ちまちまと購買者をしょっぴくだけじゃ態々横浜に来た意味が分からない。

そんなこと、神奈川県警察に任せればいいことだ。

 

俺たちは、俺たちにしかできないことをやろうぜ。

 

 

「何か考えがあるのか?」

 

「さてな。取り敢えずは…」

 

 

そう答えようとしたとき、列車が速度を緩めていった。

周りの景色も田園風景から人口密集地帯に移ってきていた。

どうやら横浜駅に着いたようだ。

 

俺は立ち上がって荷物を肩に掛けると、言いそびれたことを言った。

 

 

「取り敢えずは情報の収集と拠点の確保だ。宇治木、お前が指揮しろ。1600にここに再度集合だ。んじゃ、解散」

 

 

ヒラヒラと手を振って、後ろから何故お前が俺に命令するんだぁという大声が聞こえるが、無視して出口に向かう。

 

やがて列車が止まり、続々と乗客が降りていくなか、俺もその流れに従って横浜駅に降り立った。

 

 

んん、電車に比べて騒音と振動が酷かったが、150年前の列車と思えばその旅もなかなかに乙なものだった。

帰りも是非乗りたいものだが、今はそこまで考えないで仕事の事を考えよう。

 

 

向かうは外国人居住地。

 

政治、経済、軍事、司法等の中心である東京。

その南にある神奈川は横浜。

 

そこはまさしく今の日本の文化の中心地だ。

 

 

俺は数少ない日本の開かれた世界への玄関口をくぐり、異国情緒溢れる横浜へと降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その玄関口が、この身を焼くほどの燃えたぎる地獄の釜の口だと、ついぞ知らずに。

 

 

 

 

 

 








明治流浪編一旦終了です

次話より横浜暗闘編(仮題)です




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

13話 横浜暗闘 其の壱



明治浪漫編は一旦ストップです

横浜暗闘編(仮題)が終わったら再開する……かな?


なお、今話最初に出てくる人はオリキャラです


では、どうぞ






 

 

 

 

 

 

「うあ~~。暇だバカヤロ~」

 

 

横浜は外国人居住地の一角、来日する外国人向けの英字新聞社に勤める一人の女性が、とある建物から出てくるなり大声でボヤいた。

 

デニム生地の、バンドだけが赤いオーバーオールのズボンに白のワイシャツというシンプルな、しかしこの日本においては先進的な出で立ちの女性。

髪はお世辞にもケアが行き届いているとは言えない赤茶けたボブカット、頬には微かなそばかす、度が強そうな赤縁眼鏡を掛けている。

 

 

見上げる空は雲一つないほど澄みきっている晴天で、まるで自分の心情の真逆だと皮肉げに彼女は思った。

 

 

「面白いネタが無いなぁ。つい最近までは薩摩辺りで内乱がいっぱいあったのに、段々と日本(Japan)も落ち着いてきちゃって」

 

 

東洋の最果て、最後の開拓地。

 

歴史的にも地政学にも、そして国際情勢的にも、この国の開国には非常に大きな意義がある。

 

今はまだ小さい島国。

だが将来必ず本国(Britain)に大きな国益をもたらしてくれる事は、外交筋の力の入り様を見て簡単に分かる。

だからこそ、彼女は本国を飛び出てこの地まで来た。

 

愛国心は少しだけ。

彼女の思いは、新聞という形で歴史に関わりたいと思ったから。

本国で起こるニュースを書いたところで、所詮は本国内で完結する。

だが此処なら、世界が今注目している極東の島国ならば、一つ一つの小さな出来事すら世界に波及するハズだ。

 

そう信じて、日本で起きたあらゆる出来事を紙面に載せようと頑張ってきたのだが

 

 

西郷隆盛(Takamori Saigo)の特集も先週で終わっちゃったしなぁ。山県将軍(General Aritomo)の特集は別の人に取られちゃったし……」

 

 

如何せん内乱というインパクトの強い記事を立て続けに書いてきたのだ。

今さらこの界隈での不祥事等を載せるのには、どうにも気分が乗らない。

ジャーナリストとしてそれはどうかと彼女自身も思っているのだが、今のコンディションでペンを握ってもろくな内容は書けないし仕方ないよねと、ある種開き直っていた。

 

 

「取り合えずまた横浜(ここ)まで遠出してきた日本人に話を聞こうかな。この国の情報だけでも集めておかなきゃ……ん?」

 

 

ふと、ぶらぶらと歩いていた彼女は、港に停泊している一隻の商船に目が止まった。

 

それは、この横浜港ではありふれた光景。

どこに停泊していてもおかしくない、清国の旗を掲げている商船だ。

 

ただし、おかしいのはその周りだった。

その清国の船を取り囲むようにして、英国の船が停泊しているのだ。

まるで清国の船を逃がさないかのように。

あるいは清国の船を守るかのように。

 

それとも

 

 

「まるで周りに見せたくない何かを囲んでいるかのようね。これは何かあるわよ、きっと!」

 

 

そう呟くと、彼女は一つ舌舐めずりをして埠頭に駆け出した。

 

当の清国商船から降りてきている清国人は見当たらないため、恐らく英国商船から降りてきたであろう母国の人に声を掛けた。

 

 

「ねぇねぇアンタ。あの清国の船、何を積んでるか教えてくんない?」

 

「ああ?なんだお前は?」

 

「私はここのジャーナリストよ。ねぇ、質問に答えてよ。あの船は何を積んでいるの?」

 

「そんなの知らん。ほら、邪魔だから散った散った」

 

 

大柄な、如何にも船乗りといった風の男は彼女の問いを一蹴すると、積み荷の運搬作業に戻っていった。

しかし女性はそれで諦めるタマではなかった。

素早く男の前に回り込み、さらに問うた。

 

 

「なんで英国の船が清国の船を囲んでいるの?あれじゃ清国の乗員は直接埠頭に荷下ろしできないじゃない。なんでなの?」

 

「俺が知るかよ。作業の邪魔をするなって」

 

「何か大事な物を積んでいるのね?でも何で態々清国の船に?自分の船に乗せればいいじゃない」

 

「だから!何も知らねぇて言ってるだろ!そんなに知りたきゃ税関越えて英国商船に飛び乗って、直接清国の商船に乗り込んで見てくればいいだろ。ま、捕まっても逃げられる自信があれば、だけどな」

 

 

男は自分が持っている木箱に添えている女性の手を払い除けると、女性を突き飛ばして倉庫へと入っていった。

こうなると流石の女性も追うことができず、渋々引き下がるしかなかった。

 

が、何をムキになったのか女性はそこで手法を変えるという発想をかなぐり捨て、他の英国商人数人に更に詰め寄った。

最初は笑顔で接していたが、それでも邪険に扱われると分かればもはや愛想を振り撒くことも忘れ、胸ぐらを掴む勢いで問い詰めた。

 

そうして結果は言うに及ばず、心身ともに疲弊した彼女は這う這うの体で事務所へと帰ってきたのだった。

 

事務所で彼女を迎えたのは同僚の男性だ。

 

 

「やぁエミー。この半日で随分とくたびれてる様じゃないか。お魚くわえたドラ猫でも追っ掛けたのかい?」

 

「私は裸足じゃないし、お団子ヘアーでもないわよ」

 

 

電波な事を言う二人である。

 

 

「ねぇ、近くの埠頭に入ってきてる英国商船、知ってる?清国の船を囲んでいる奴らよ」

 

「あぁ、あれね。あれはきっとジョン(John )ハートレー(Hartley )が率いる商船団じゃないかな。以前は清国で手を広げていたようだけど……そうか、もう日本に来てたんだね」

 

 

ジョン・ハートレーね……と女性、否、エミー(Emmy )クリスタル(Crystal)は呟く。

 

聞いたことのない名だが、そんなのはどうでもよい。

問題は、あの船員共の対応だ。

あれは絶対に何かある。

賤しい人間特有の、何かを必死になって隠している感じだった。

もとより彼女はこの地に来る商人という者を信じていなかった。

いや、彼女に限らず、この地に来る商人としての立場以外の人ならば少なからず抱く感情だ。

商人は一攫千金を夢見てここに来た、云わば崖っぷちの人生を逆転させるために家を捨てて来たようなものであり、ちゃんとした仕事を持った人たちからすれば、自分達とは似て非なる存在であるからだ。

現駐日英国大使のラザフォードは、ここに来た商人を屑呼ばわりさえしているのだから。

 

さすれば、ジョン・ハートレーにも必ず後ろめたい何かを隠しているハズだ。

たっぷりの偏見と先入観だが、エミーはそう信じて疑わなかった。

 

……

 

とりあえず彼処にまた行こう!

 

 

椅子に座ってうだうだと考えるのは性分じゃない、靴底擦り減らしてこその記者なんだ、という持論に行き着いた彼女の行動は素早かった。

再び荷物をまとめると、エミーは制止の声を振り切りデスクを飛び出した。

 

 

 

 

 

 

陽も傾き始めれば、海から押し寄せる風も冷たく感じるようになる。

 

 

外套に身を包んだエミーは建家と建家の間の小道に潜み、港を呆と眺めていた。

流石に十数回も繰り返せば直接聞きに行く事の無意味さを理解できたようだが、しかし直接聞きに行けないとなるとどうすればいいか全く思い浮かばず、こうしてただただ船を見ているしかできないでいた。

 

考えるよりも手と足を先に動かすのが得意な彼女なのだった。

 

 

「どうしよう。このままじゃ時間が無為に過ぎるだけだし、かといって突っ込んでもまた取り付く島もないだろうし。うむむ……」

 

「そういう時は闇夜に紛れて潜入だろう」

 

「でも今も見える限りでもかなりの数の見張りが付いてるわよ?入り込む余地なんて無いわ」

 

「う~ん、なら正々堂々と正面突破するか?」

 

「そうね。それしか方法が……ッて、あんた誰よ?!」

 

 

慌ててエミーが振り返る。

今の今まで自分は誰と話していたんだと自分ながらに驚いた彼女は、視界に入れたものに更に喫驚した。

 

最初に目を奪われたのは、もはや白に近い銀の長い髪。

次いで青い瞳。

欧州系よりも亜細亜系の顔立ちだが、日本人とは思えないほどに白い肌。

しかし背は日本人並みに小柄。

 

麻の藍色着物の上から紺色のマントを羽織る姿は至って普通の日本人の格好だが、首から上のパーツがあまりに異質で、男の正体が判別つかなかった。

 

 

「あなた……誰?」

 

「まぁまぁ。俺の事よりあの船の荷を確かめるのが先だろう?俺に考えがある、任せときな」

 

「え、ちょっ、あんた!」

 

 

エミーの伸ばした手は空を切り、男はそそくさと埠頭に向かっていった。

 

止めなきゃ。

彼女はそう思ったが、しかし体は動かなかった。

あの謎の青年の行動を、止めることができなかった。

 

まるで遊びに行くかのような軽い足取りで厳つい男どもがたむろする場所に向かう姿が、あまりに幻想的で、蠱惑的で、もしかしたら彼の行動を本心では見てみたいと思ったからなのかもしれない。

 

 

そうして自分は動くことなく、固唾を飲んで彼の一挙手一投足に見入っていた。

 

そして当の謎の青年は一人の見張りの男に近づくと、おもむろに肩を()()()()

 

 

なんだお前(What's fuck are you)?」

 

「いった~。これ折れたわ、マヂで折れたわ。どうしてくれんだ、これ」

 

「はぁ?お前がぶつかって来たんだろ」

 

「あぁ?人を怪我させといて言いがかりかよ。ちょっとお前の雇い主の所まで連れてけ。クレームものだぞ、これ」

 

(ええぇぇ?!あ、当たり屋ー?!当たり屋だよ、あれ!タチ悪ゥ!)

 

 

見守っていたエミーは愕然とした。

その瞳はこれ以上ないほどに開かれていた。

そしてさっきまでの期待感を台無しにされ、言い様のない怒りに襲われていた。

 

 

(ショボい上にタチ悪いし、てゆうか考えってあれのこと?馬鹿なの、死ぬの?!)

 

 

「痛い痛い痛い痛い。もう歩けないよ~、こいつに肩へし折られたよ~。船長金払えよ~、中見せろよ~」

 

 

もはやストレートに要求し始める始末。

そんな声などもちろん男たちは聞くはずもなく、青年を取り囲むと無造作にポイと投げ捨てた。

 

 

「ちょっとアンタ、大丈夫?いろんな意味で」

 

 

とぼとぼと此方に戻ってきた青年に半目で問うエミー。

 

 

「大丈夫、全ての意味で」

 

 

そう言って青年は服に着いた汚れを叩き落とすと、ヒラヒラと手をかざす。

その手には一枚の紙が握られていた。

 

 

「なにそれ?」

 

「税関の申請書かな。これ見ると分かるが、停泊したのが一昨日で、でも積み荷はまだ税関を通ってないようだ」

 

「どういうこと?っていうか、アンタいつのまに?」

 

「さっき揉みくちゃにされた時、なんか偉そうな奴からスッた。言ったろ?考えがあるって」

 

 

青年から申請書をもらったエミーは呆然とした。

まさか先ほどの馬鹿な茶番劇が、この紙を盗むためのブラフだったとは!

 

 

「今の日本じゃ関税なんて有って無いようなもんだろ?2日間も荷を船に留めとく理由なんざ普通は無い。金の問題じゃないってことは、問題は中身」

 

 

今の日本は関税自主権を持っていない。

外国の品物はそのままの値段で入ってきて、持ち込んだ者が莫大な利益を貪れるようになっているのだ。

 

利率に二の足を踏むのならともかく、ほぼ素通りできるのに船に留めておくとなると、相当見られたくないものに違いない。

エミーはそう思い、やはり自分の勘は間違っていなかったと、上機嫌で鼻を鳴らした。

ふんすー、と。

 

 

「なぁ、ところでなんていう名前なんだ?」

 

「え?あ、私はエミー・クリスタル。イギリス生まれで、今は横浜のジャーナリストよ。あなたは?」

 

「アンタじゃなくて、あの英国商船の持ち主だよ。名前知ってんだろ?」

 

 

さっきまでの青年に対する評価を改めて、心中で詫びながら友好的に名乗ったのだが、にべもなく一蹴されて怒りが再燃した。

 

早とちりした自分の所為なんでしょーけど、もう少し言い方ってもんがあるでしょう!

 

 

「はぁ、ジョン・ハートレー。数年前まで清国で活動していた英国商人よ。ここ最近、日本の横浜港に来たようね」

 

「ジョン・ハートレー……清国……確かに事件は明治10年だったからと当てを付けてたが……ビンゴ」

 

(今度はなに?ブツブツと日本語なんか呟いて……やっぱりコイツ日本人なの?)

 

「で、名無し(Nameless)さん?どうするのよ、結局疑問は疑問のまま何も進展していないじゃない」

 

「そう焦りなさんな。少し考えれば想像はつくだろう、英国人(ジョンブル)

 

「む、どういう意味よ」

 

 

エミーが問おうとすると、青年は此処での用事は済んだとばかりに踵を返した。

慌てて彼女もその後に続き、青年の背に問いを掛ける。

 

歩きながら、彼は答えた。

 

 

「清国で活動する英国の商人。そいつが急に未開の日本を訪れて、人目に触れさせたくない荷物を何故か清国の船に乗せている。本当に分からないか英国人?俺はとある物を思い浮かべたよ」

 

「な、なによ。さっきから随分と英国を強調するわね……」

 

 

人目に触れさせたくない物。

それは当然、違法な物だからだろう。

違法となると、銃器類?

もしくは動物?

 

英国が関係している……そして清国も?

 

 

二国が関係している、違法な物……ッ?!?!

 

 

 

「……嘘、でしょ。もう30年以上も前の事よ」

 

「確かに、事はもう昔の話だ。が、今なお甘い蜜であることは変わらない。簡単に手に入るのなら、尚の事金にしようと躍起になる。そうだろう、英国人?」

 

「……ッ!」

 

 

ぎり、と歯を噛み締めるエミー。

 

いっしょくたにされたくなかった。

だが事実として、過去に本国は邪な営利を守るため、非道な戦争を始めた。

自分が荷担したならともかく、生まれる前に始まり、そして終わった戦争について自分にとやかく言われたくなかった。

 

 

「っと、ごめん。別に過去の戦争をどうこう言うつもりは無かったんだ」

 

「え、あ、いや……」

 

 

急に態度を軟化させて素直に謝罪する青年の姿勢に戸惑いを隠せないエミーは、彼に頭を上げさせると謝罪を受け入れた。

 

 

「でも、あくまでそれも憶測の域よ。可能性は高いけど、やっぱり実物を見ないことにはーー」

 

「ほら証拠」

 

「あらホント……って、なんでアンタが持ってんのよー!」

 

 

広げられた青年の手には紙を皿にした白い粉。

 

 

阿片が乗っていた。

 

 

「申請書と一緒に貰っちゃった」

 

「ええ、ええぇぇ?!ど、どうするの?どうするのよ、それ。警察に持っていくの?」

 

 

 

まるで信じられない物を見たかのように、慌てふためくエミー。

 

まさか決定的証拠を既に手にしていたとは!

これがあれば、これを記事にすれば、警察を出し抜いて横浜に公表すれば……!

証拠として手にできれば……!

 

私の書いたニュースで世を動かせる!

 

暴れだす胸の鼓動を無理矢理手で押さえ付け、必死に呼吸を整える。

 

それほどまでに内心パニックになっていたため、彼女は思い至らなかった。

 

目の前の男は、相手の商団を知らなかった。

なのに、どうして()()()()()()()という行動に出たのか。

あの小包を外から見て認識するなど出来るわけもなく、盗んだ申請書に混じっていたという偶然であったにしては、彼は不自然なまでに平静すぎる。

 

まるで、初めから彼らが阿片を持っていたことを知っていたかのようだ。

まるで、阿片という麻薬に近しい人であるかのようだ。

 

……と

 

落ち着いて考えればここまでは思い至れたハズ。

だが、現に彼女は混乱していて思考がまとまっていない。

 

故に、さらに一歩踏み込んで思考を巡らせることなど到底不可能だった。

 

 

 

 

隠すべき阿片を懐に仕舞って外に出る者が一悶着(じっとく)に近づくだろうか、と。

 

 

 

 

 

 

「欲しい?」

 

 

 

 

ふと、青年の声でさらに心臓が一つ跳ね上がった。

 

 

 

混乱の坩堝にいるなか、まるで自分の心を読んだかのようなピンポイントで刺激してくる、鋭くて甘い言葉。

青年の手を凝視していた瞳を恐る恐る上げていき、やがて彼と目が合うとにっこりと微笑まれた。

 

 

 

 

 

「じゃあさ、取り引きをしよう」

 

 

 

 

 

その微笑みは、果たして天使のように優しいものだけなのか。

それとも、悪魔の仕打ちが後に待っているが故なのか。

 

 

今の彼女には分からない。

 

 

それでも、例えこの提案が地獄からの呼び声なのだとしても

 

 

彼女に否やは既に無かった。

 

 

 

 

 







どうやって彼らが阿片を持っていると分かったん?
阿片をくすねたにしては落ち着き過ぎてね?
阿片を隠し持ってる人はフツー騒ぎに近寄らなくね?

→彼らは本当に阿片を持っていたの?

→→???



たくさんの感想ありがとうございます!
批評・批判かとビクビクしながら開いた時の暖かい言葉は、本当に嬉しくて感無量です

ちゃんと時間つくって返信しますんで、どしどし書いてください(チラチラ





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

14話 横浜暗闘 其の弐




地獄の釜の、蓋が開く



では、どうぞ





 

 

 

 

 

 

良かったぁ。

 

ジョン・ハートレー事件覚えててマヂ良かったぁ。

 

生前、何かの本かTVで知ったのか、何故かこの事件だけはその存在を覚えていた。

だからジョン・ハートレーという名前を聞いたときにピンと来て、そういえば明治10年に起きた事件だと思い出せたのだ。

 

というか、今さらだがこの世界は俺の生きてた世界と同じ歴史を歩んでいるんだな。

るろ剣の世界だからといって違う歴史を歩むでもなく、ほとんどが一緒……いや、違うな。

 

きっと、俺の居た世界にも()()は居たんだ。

歴史の闇に消えていったが、彼らは本当に幕末を戦い、そして明治を生き抜いたんだろう。

 

 

だからこそ、俺の知っている歴史の知識は、ここでも役に立つんだ。

 

 

 

「それで、取り引きってなに?私に何を要求するのよ」

 

 

平成の世からしたら古すぎる骨董品間違いない商船を感慨深く眺めていたらふと目に着いた、忙しなくちょこまかと動き回っていた女性。

エミー・クリスタルが問うてきた。

 

何を勘違いしているのやら、彼女は自分の体を抱きしめてる。

俺は深く溜め息を吐いて言った。

 

 

「とある商人を記事に乗せてほしい。ソイツは日本人に武器の密売をしているんだ。その情報を横浜にばら蒔いてくれ」

 

「武器の密売? なにそれ、そんなのーー」

 

「そんなの阿片の大量密輸に比べたら小さい事件、てか?ま、確かにそうなんだが俺の本命は生憎こっちなんだ。武器の密売を先に報じてほしい。阿片の密輸についてよりも、だ」

 

 

物的証拠を目にした以上、密輸に関して書ける内容は真実だ。

憶測や可能性の話を載せるのではなく、真実として記事を書ける。

例え彼女自身がこの阿片を手にしていなくても、彼女が本件について新聞を書けば、それはきっと横浜を、否、日本中を騒がす一大事となる。

 

だから、そんな事件のニュースの後に密売という小規模な記事を載せても反響はほとんど無いだろう。

密売の事件を報じるのは、阿片の大量密輸の前の方がいいのだ。

 

 

「ふ~ん。ま、インパクトは徐々に大きくしていった方が面白いものね。いいわよ、約束してあげる。それで、密売について証拠はあるの?」

 

「無い。状況証拠すら無い。あるのは捕らえた日本人の証言だけだ」

 

 

俺たちは夕陽を背にして横浜駅に歩いている。

そろそろ宇治木どもとの集合時間になるはずだ。

ちゃんと仕事してなかったらシメてやる(自分が無関係な事をしてたことは棚の上の方に上げて)。

 

 

「憶測で記事は書きたくないわ。せめてその日本人の話を聞かせなさい」

 

「見上げたジャーナリズム精神だ。平成のマスコミどもに見せたい姿だよ……証言と言っても、取り引きをした場所と、姿を偽って取り引きした相手の背格好と話し方から絞った結果、最も高い可能性として浮上しただけだ」

 

「……まぁ日本の警察が動けないから、それだけで十分か。ていうか、なんで警察の情報をアンタが知ってんのよ」

 

「懇意にしている警察がいるからな。詳しくは……お、いたいた。アイツらに聞いてくれ」

 

 

横浜駅に戻ると既に宇治木らがおり、手持ち無沙汰気にしていた。

そして宇治木が俺を見つけると、眉間に皺を寄せながら詰め寄ってきた。

 

おぉ、ちゃんと目を合わせられるようになって……あ、気のせいか。

 

 

「何処をほっつき歩いていた。もう集合時間は過ぎているぞ」

 

「悪い悪い。頼りになる味方を見つけてな。彼女を説得するのに時間が掛かったんだ」

 

「む……誰だ、この西洋人は?」

 

「エミー・クリスタル。横浜の英字新聞を書く記者だ。今回のネタを新聞に起こしてもらうよう頼んだ」

 

「なに?」

 

 

日本語を解せるのか、自分の名前だけを聞き取れたのか、エミーは微笑みながら手を宇治木に差し出した。

 

彼女の手を訝しげに見る宇治木は、馬鹿にしているわけではなく、おそらく対処の仕方が分からないのだろう。

手を軽く握ってやるよう教えると、恐る恐るだったが無事に握手が成立した。

 

 

「この人がさっき言ってた、アンタの懇意にしている警官?」

 

「そう。宇治木という。右手がガールフレンドの変態だから気を付けろ」

 

「え゛?!」

 

 

その右手と握手をしながら、唖然として固まるクリスタルを尻目に、宇治木の部下に宿が何処かを問う。

すると、どうやら少しお高めの洋風宿屋をとったという。

 

都合がいい。

ホテル?ならロビーがあるだろうし、そこで打ち合わせをしよう。

 

俺たちは全員、宿屋へと向かった。

 

 

 

 

道中ーー

 

 

「おい。あの女、俺を警戒しているみたいだが何を吹き込んだ?」

 

「お前が二枚目だから近寄りづらいとさ」

 

「ほう……見る目があるな。どれ、ならば俺から接してやるか」

 

 

無意識か意図的か、握手した右手をズボンでごしごしと擦っている女性に、得意気な顔で近づき通じない言葉を振る男。

 

 

 

 

内心爆笑させてもらいました。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

「武器密売疑惑のある店はマックスウェル商会という。商会主はレオナ・マックスウェルで、過去に密売したのは拳銃が主だ。買うのは専ら日本人だが、清国人も出入りしていた証言も取れている」

 

「店の周りの評判は芳しくありませんでしたぜ。もとより商人だから白い目で見られてるのもありますが、どうやらお国でよからぬ事をしたようです。嘘か本当かは判別着けようがありやせんが」

 

「世界の裏側で起こした事が日本(ここ)まで付いて回るとはな、世は広いんだか狭いんだか。で、どうするのだ?」

 

 

彼らの報告を聞きながら逐一エミーにも翻訳して聞かせる。

熱心にメモも取ってる姿から、それなりに興味を抱いたのだろう。善哉

極力宇治木を見ないようにしているのはご愛嬌。

 

ちなみにここは洋館宿屋のロビー擬き。

円形のテーブルを五人で囲む形となっている。

 

 

「まずは俺が客として接触する。武器の密売が本当かどうかこの目で確認したい」

 

「おい。密売を見るにしろ、勧められるにしろ、何の意味がある?証拠を掴んだところで逮捕できないのはお前も知っているだろう」

 

「だからこその、この記者なんだよ。俺が密売を勧められたという証言を記事に載せてもらう。それだけで事件の注目度は跳ね上がり、新聞の購買者は増えるハズだ。そうして事実が横浜に広がれば奴の動きも制限されるだろうし、捕まえなくとも警察も動くだろうさ」

 

「……昨日今日で売りを勧めてくるものか?」

 

「フツーはないだろう。ま、考えがあるから任せとけ」

 

 

そう。

この地に日本警察の捜査権は及ばない。

だから逮捕なんてできないし、仮にできても身柄は相手の本国に渡さないといけないから、追い出すのが精一杯だ。

 

 

「私はどうすればいい?」

 

「取り合えず帰って記事の草案を作っといてくれ。早ければ明日、遅くとも今週中には新聞に起こしてほしいし。宇治木、お前は一人俺について来い」

 

「えぇ~」

 

「……ふん、まぁいいだろう」

 

 

そうして俺たちは一先ず解散した。

エミーは新聞社に、俺と宇治木が件の商店に行き、宇治木の部下二人が宿で待機となる。

彼女は記者魂が逞しいのか自分も同行すると駄々を捏ねていたが、宇治木と一緒になるぜと言ったら渋々引き下がった。

 

 

 

陽も次第に沈み始め、そろそろ闇が辺りを飲み込み始める時分。

宇治木と二人でマックスウェル商会の店に向かって歩いていた。

 

 

「新聞記者を使うのは何故だ。不義を報じることで何が変わる?」

 

「あ~そうさなぁ……」

 

 

文明開化を経て、明治政府は新聞の作成と購読を強く国民に推奨した。

啓蒙に役立つからだ。

 

だがこの頃の新聞は社説論説が主で、数年後の自由民権運動の活発期になると政府批判を行うだけのものとなる。

実際に報道取材がメインとなるのは当分先のことで、今の人たちにマスメディアの真価を知るのは土台無理な話なのだ。

 

マスコミは他人の人生を簡単に(面白可笑しく)潰せる恐ろしい存在だということを、彼らは知らない。

 

 

「横浜の英字新聞は中立だ。政府批判もしないし社説も載せない。ただ起きたことをあるがままに報じる。だからこそ、それを目にする人々は不義を見てこう思う。『悪事を働いて名前が書かれた人ってなんか怖いな……近付かないようにしよう』て」

 

「……つまり、村八分にするということか」

 

「それそれ、いい表現だ!やっぱ地頭はいいんだな、お前」

 

 

そう。

マスコミの恐ろしさは「空気を作ること」。

人々の思いを、考えを、感情を一方向に仕向けられるのだ。

しかも、それを当人らに察せないぐらい自然に。

 

極端に言えば、洗脳だな。

 

まさか伝わるとは思わなかっただけに、すこし嬉しくて声を大きくしてしまった。

いやはや、コイツもしかして頭いいんじゃねぇの?(失礼)

 

 

「まどろっこしいな。効果的とも思えん」

 

「表立つのは禁じられてるから仕方ないだろ。それに効果は覿面だ、俺が保証する」

 

 

と、そんな話をしていると件のマックスウェル商会の店に到着した。

店の規模は至って普通。

民家よりも大きいが、商店にしては普通の大きさだ。

 

だが、ふと違和感を覚えた。

 

店の明かりが消えているのだ。

 

 

「店じまいにしては早いな。それとも今日は休店日か?」

 

「いや、今日は開店していた。部下が聞き込みの時に確認している。閉店時間は知らんがな」

 

「でも戸にOPENのプラが掛かってる……」

 

「日本語で話せ。意味が分からんぞ」

 

「営業中って意味だ。宇治木、お前は店の前で待機しててくれ。何かあったら店に入るなり退くなりしろ。判断は任せる。退くなら部下を連れて朝までここを見張って、夜が開けてから入ってこい」

 

 

宇治木の慌てて制止する声を無視して、俺はそそくさと店の中に入る。

 

どうにも嫌な予感がするんだ。

首筋をちりちりと炙られてる感じ。

西南戦争の時に、薩摩軍と政府軍との休戦約束を壊そうと画策していた鵜堂仁衛の目的を探っていたときと同じだ。

 

 

理屈でも経験則でもない、へったくれもクソも無い、ただの純然なる勘によるもの。

 

 

カランコロンとドアに付いていた鈴が鳴り、俺の入店が店内に響く。

が、反応する人は誰もおらず、店内は暗闇と静寂に包まれたまま。

俺は息を殺して店内を奥に向かって歩く。

 

 

ぎし、ぎしと歩を刻む音が暗闇に響き、呼吸音が嫌に大きく聞こえる。

 

 

マントの内側から愛用の十手を引き抜き、順手に持つ。

 

 

 

あぁ、鼻につんと、否、()()()と来やがる。

 

このこびりつくような、ムカムカする、それなのにどこか懐かしく感じる、悪臭。

反吐が出そうなほどのクソッタレな、嗅ぎ慣れた汚臭。

 

ネバつく臭いが身体中にまとわり付き、酷い不快感に襲われた。

 

 

 

そして

 

 

カウンターの後ろ

 

 

店の奥に続く通路の前に鎮座する、首の無い死体が目に入った。

 

 

その死体の横に、ごろりと転がる生気の無い顔をした頭部があった。

 

唐突な殺害現場を目の当たりにし、思わずせり上がって来た吐き気を飲み込む。

 

 

 

 

 

「くそッ……キレイさっぱり刈り取られてやがる……第一発見者とか不運過ぎるだろ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「なら、第二の犠牲者になる?」

 

 

 

「ッ?!!」

 

 

 

店の奥から聞こえた声に咄嗟に反応して、カウンターを飛び戻る。

 

その瞬間、体を浮かせるように支えていた手を置いていたカウンターが真っ二つになった。

 

 

横に、だ。

 

 

 

「??!!」

 

 

直後、破砕音が店内に響き、バランスを崩した俺は木片の上を転げ回る。

 

……大丈夫ッ、身体には当たってない。

 

相手の武器も()()

 

 

咄嗟に起き上がり、十手を構えて店の奥を見遣る。

 

 

声の主は未だ暗闇の向こう。

 

その姿は見えないが、あんなもの振り回す奴なんて一人しか思い浮かばん。

 

一人か?……足音!一人分だ。

とうする?ここからすぐに逃げるか?

……いや、情報の収集を優先すべきだ。

 

 

 

そう、情報。

 

 

なぜ奴がここにいるのか、それを探るんだ!

 

 

 

「へぇ、あれを避けるんだ。ただのお客さんじゃないわね。貴方、何者かしら?」

 

「…ッ」

 

「あら、(だんま)り?さっきの攻撃(やつ)は謝るからさ、少しはお姉さんとお話しましょうよ」

 

 

そう言って暗闇から現れたのは、チャイナドレスのようにスリットの入った独特な和装に身を包んで大鎌を担ぐ一人の女性。

 

と、普通ならそう思うだろう。

だが、この目の前の女は女ではない。

 

その声も見た目も、どこからどう聞いて見ても美しい女としか思えないのに、あそこにはあれがぶら下がっている正真正銘の男なのだ。

 

なぜそれを知ってるのかって?

 

これも偏に原作知識だよ。

 

 

 

 

主人公である緋村剣心は幕末期に暗殺を繰り返して、敵味方から人斬り抜刀斎として恐れられた。

恐怖のどん底に叩き落としたと言ってもいい。

 

だが、その名を世に馳せたのは暗殺を繰り返しただけだからではない。

 

彼の活動は前半が暗殺を主として、後半は表の世界に出て遊撃剣客となることを主任務としていた。

むしろこの後半期の表立った活動があったからこそ、彼はその名を轟かせたのだ。

新撰組との血みどろの戦いはもちろん、幕府軍と長州藩(主人公は長州出身)あるいは旧幕府軍と新政府軍による会戦地には必ず出没して、その実力を遺憾無く発揮していたが故に。

 

で、何が言いたいのかというと。

 

彼が暗殺任務を干された理由。

それは彼の力が戦場で必要になったのが半分、もう半分は彼と同等以上に暗殺をこなせる実力者を長州藩が得たから。

 

 

それが、志々雄真実。

 

 

地獄の底から黄泉還ってきた、この明治の世の転覆を企てる最悪の剣客。

 

緋村剣心の後継者とも言え、それでいて実力は緋村剣心以上の最凶の剣客。

 

 

その部下が今、目の前にいる女男なのだ。

 

 

 

俺は暴れる鼓動を無理矢理手で押さえつけて答える。

 

 

 

「ハッ、ハッ…ふぅ、ふぅ……母ちゃんに大鎌を店内で振るう奴とは仲良く話をするな、て躾られてるからな」

 

「あらら、随分と限定的な躾ね。そんなの、私だけと仲良くなるなって言ってるようなもんじゃない」

 

「その大鎌を置いてくれんなら、まぁ話をするのも吝かじゃぁない」

 

「う~ん……そーねぇ」

 

 

そう言って、指先を唇に当てて小首を傾げる姿は正しく美女。

覗ける素足はスラッとしてて、華奢な体つきも肉付きも到底男には見えねぇぞコンチクショー。

 

 

「ううん、やっぱりお話はいいや。誰であれ目撃者は殺さないとだし♪」

 

「微笑んで言うことかよ……」

 

「というわけで……死になさいッ!!」

 

 

再度振るわれる、横凪ぎの大鎌。

 

重量物のくせして空気を切り裂く音すら聞こえず、この狭い室内の空間を的確に把握して振り回されるそれは、狙い過たず俺の首に襲い掛かってきた。

 

 

防ぐ、なんて馬鹿なことはできない。

なまくらサーベルならいざ知らず、こんなもの十手で防ごうものなら体と一緒に両断だわ。

 

だから、地べたに這いつくばる形で伏せて、その一撃を躱す。

 

頭上を死神の、文字通りの大鎌が通りすぎていく。

 

 

「疾ッ!」

 

 

その直後、俺は地を蹴って相手に肉薄する。

 

情報を絞り出すには、まず相手を落とすのが先決だ。

 

 

大丈夫。

リーチの長すぎる大鎌は振るわれた。

コイツが打たれ弱いのは見た目からも原作からも明らか。

 

一撃で、意識を刈り取る!

 

 

 

……

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

「やべッ…、……がはぁッ!!」

 

 

 

瞬間、咄嗟に自分の胸の前に出した左腕に激痛と衝撃が走り、その衝撃により俺は背後にある店の壁に叩きつけられた。

 

盛大な音を立ててその場に崩れ落ちた。

 

 

「いっ、たぁ……!」

 

 

いきなりの出来事ゆえに頭が混乱する。

 

落ち着け、落ち着け、落ち着け。

 

 

まずは腕の確認を……クソ、見なくてもわかるわ。

左腕は完全に折れてやがる。当分は使い物にならん。

おまけに壁に背を叩きつけられたから呼吸も苦しい。

若干ながら目眩もする。

 

 

「へぇ、あれを咄嗟に防ぐんだ。ますます只者じゃないわね」

 

「鎖、分銅……」

 

「ご名答♪懐が弱いのは百も承知。中距離の大鎌を掻い潜って近づく奴はこれで木っ端微塵よ。貴方のようにね」

 

 

クソッタレ、近付いた瞬間に原作を思い出したわ。

 

 

志々雄真実との最終決戦時。

 

正しく俺と同じく懐に肉薄した主人公勢の一人が、この鎖分銅で肋骨をへし折られてぶっ飛ばされたことを。

咄嗟に思い出したから腕で防げたものの、できればもう少し早く思い出したかった!

 

フラフラとしながらも俺は立ち上がる。

 

大丈夫、混乱は次第に解け始め、目眩も治まった。

足には影響ないからまだ戦える。

 

 

「さぁて、これでお仕舞いかしらね。ちょっと面白そうだなって思ったけど、残念。もうお別れね」

 

「ハッ、たかが腕一本とったぐらいでいい気になるとはな。めでたい頭だ」

 

「……減らず口を。命乞いはしないの?」

 

「死ぬつもりもないのに助命を乞う意味が分からねぇ」

 

 

 

あぁ、そうだ。

 

 

腕一本使えないぐらいで、俺が止まるものか。

 

 

原作改変?

 

上等。

もとよりいずれするつもりだったよ。

 

 

 

 

 

左腕の代価、きっちり払わせてもらうぜ。

 

 

 

 

 

鎌足!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









ストック分どんどん上げていきます


ひとえに読者の皆様への感謝ゆえに






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

15話 横浜暗闘 其の参





大鎌ってロマンですよね


では、どうぞ









 

 

 

 

 

 

 

志々雄真実率いる地下組織は、明治日本始まって以来の最大脅威だ。

 

 

配下の数はおそらく千を下らない。

戦闘員はもちろんのこと、一般市民あるいは政府や警察、軍隊にすら入り込んでいる工作員が多数いる。

その工作員によって機密情報の漏洩、要人暗殺、政策施行の妨害工作、果ては実際に村を奪って国家侵略の足場さえ作ってしまうのだ。

 

くわえて、組織そのものの質が異様に高い。

戦闘員の武器や服装を統一する資金力、京都に誰にも知られずに地下空間を押し広げて巨大なアジトを作り上げる技術力と統率力。

おまけにとある密輸ルートから装甲艦を買うほどのコネクションの広さと深さ。

工作員を上手く使えば日本を叩きのめせるほどの地力があるだろう。

 

そんなブッ飛んだ組織の中において、志々雄の側近とも言える戦闘能力に特化した集団がいる(一部例外あり)。

 

それが「十本刀」

 

一人一人が化物級に強く、恐ろしく、そしてえげつない。

剣の達人もいれば武の達人もいる。

片や常識を超えた能力を有する者もいれば、異形の姿形をしている者もいる。

要するに一般人とは一線を画す猛者どもが十人いるということ。

 

 

そして目の前にいる奴が、正しくその「十本刀」の1人。

異常な力を有する者。

 

名を……なんとか鎌足。

 

「大鎌の鎌足」としか覚えてないから名字は覚えてないんだスミマセン。

細身な体のくせして、自分よりデカい大鎌を自在に操る達人。

一瞬のうちに人を細切れの肉片に変えてしまうほどの技量と冷酷さを持つ姿は、まさしく死神。

 

 

閑話休題(前置きはこのぐらいにして)

 

 

さて、と俺は呼吸を整えながら爪先をトントンと鳴らす。

 

コイツ一人で行動しているとは思えんからな、恐らく外は既に手駒で固めているのだろう。

だから宇治木の援護は期待できん。

最悪もう殺されてるかも、南無。

 

となればここは一人で突破するしかない。

しかも迅速に。

時間を掛ければ外の奴等が入ってくるかもしれない。

情報を得るのは二の次で、今はこの窮地をぶち壊そう。

 

 

「死ぬつもりが無いならどーするつもり?まさか逃げれると思ってるのかしら?」

 

「思わんさ。俺は逃げないし隠れない。一先ずあんたを刈る」

 

「ぷ、あはは!ちょっと、本気で言ってるの?あははは、可笑しいッ。やられてるくせに自信満々な所が尚面白いわ!」

 

 

目尻に涙を湛えながら笑う鎌足を無視して、俺は構える。

十手を口に銜えて、邪魔な動かない左腕を帯に差し込んで固縛する。

そしてクラウチング・スタートの構えをとり、前方を睨む。

 

俺は一人で向こうは一人以上、故に数的に不利。

それに十手は武器として太刀打ちできないから質的にもこちらが不利。

 

ならば、取れる作戦は一つだけ。

一気呵成に強襲し、短期決戦で終わらせる。

 

 

俺の不可解な姿勢を鎌足は訝しげに見て更に笑うが、そんな反応に律儀に応えることなどせずに俺は言う。

 

 

「自分に覚悟があるのなら、人の覚悟も悟れるようにしとけ。でなきゃお前の覚悟は所詮半人前だ」

 

「……へぇ」

 

 

ぴたり、と奴の笑いが止まる。

その顔に侮蔑の色はなく、少しの怒りが含まれていた。

琴線に触れたのだ。

オカマは半端な覚悟じゃやってらんないんだろ?

知ってて言ったんだよ。

 

奴が大鎌を構える。

 

それを見届け、俺は全神経を足と目に集中する。

 

 

 

 

 

集中

 

 

 

 

 

 

集中

 

 

 

 

 

研ぎ澄まされた視覚は暗闇の中であっても奴の全貌を捉える。

 

 

反面、自分の体のことは毛細血管一つ一つを知覚できるほど。

 

 

 

呼吸を止め、聴覚と嗅覚を集中力でシャットアウトして、触覚と視覚に全神経を注ぐ。

 

 

 

 

注ぎ

 

 

 

 

 

 

 

注ぎ

 

 

 

 

 

 

 

爆ぜる

 

 

 

 

 

 

 

周りの景色が一気にうしろに流れるのが見え、次いで頭上から大鎌が振るわれるのが見えた。

 

 

奴の動体視力は侮れない。

このスピードにもついてきている……だが、それは()()()()

 

 

 

奴の一撃が振るわれた瞬間、さらにギアを上げて内懐に踏み込み、それを躱す。

 

驚愕する奴の顔が見える。

 

そしてその下から分銅が現れて俺を襲う……が、それをも更にギアを上げて、盾にした左肩に当たった分銅を逆に吹き飛ばす!

 

 

 

なんのことはない、ただ速度に任せただけの強行突破だ。

 

 

最大戦速まで段階的に上げていき、奴の速度感覚を狂わせて肉薄する。

その段階も端から見れば瞬間的だ。

なまじっか俺の速度を捉えていたからこそ、最後に俺の速度を見誤って分銅に必要な速度が乗らなかったのだ。

 

 

「なッ……?!」

 

 

ここにきて初めて、奴が焦った顔を浮かべる。

あまりに呆気なく懐に入られたからだろう、咄嗟に対処しようとするが時既に遅し。

 

そのツラの下、水月に勢いを乗せた渾身の体当たりをぶちかます!

(勢いがあり過ぎて殴ることもできん)

 

今度は奴が壁に叩き付けられ、後頭部を思いっきり打ち付けていた。

俺は勢いそのまま、崩れ落ちた鎌足の上に飛び乗る。

 

十手……はマウスピース代わりに使ってたんだが、持ち手部分を噛み砕いてしまったようだ。

本体を途中で落としてしまった。

 

仕様がないから素手でいいや。

 

ペッと口内に残る十手の破片を吐き出し、鎌足を見下ろす。

鎌足の両手首を右手で捉え、奴の頭上の床面に押さえつけた。

必然、顔が近くなる。

 

うわ、これ絵的にかなりヤバイ……男同士だから別の意味でもかなりヤバイ。

 

 

んん

 

 

 

「形勢逆転だな」

 

「ゲホッ、ゲホッ……かは。まさか、こんなやり方で私の攻撃を……ッつゥ、封じるなんて」

 

「講評は後で聞くさ。さぁ、窮地は脱した。教えろ。レオナ・マックスウェルに何の用があった?お前と何の関係がある?」

 

「ッ……ふふ、せっかちな男は嫌われるわよ」

 

「誰かに好かれるつもりなんざ無いから安心しろ」

 

「あら、勿体無い。せっかくいい男なのに♪」

 

 

妖艶かつ不敵に微笑む鎌足を見下ろして、ちょっと心に来るものがあるがぐッと自制心で捻り潰す。

 

 

「答える気は無いってか?」

 

「痛めつけたらどう?もしかしたら耐えられずに話しちゃうかもしれないわよ」

 

 

クソ、まぁそりゃそーだ。

地下組織がそうホイホイと情報を溢すわけないよな。

 

とはいえ拷問は俺の趣味じゃない。

身動きの取れない相手を痛め付けるのは、出来ればしたくない。

 

ほんとクソッタレだ。

戦争で何人も殺してきたくせして痛め付けるのは嫌だなんて、自分で自分が嫌になる。

 

コイツの余裕な態度を崩してやりてぇが……てか何でこんな余裕なの?俺がヘタレなの知ってるの?

 

 

「……ッ、くそ」

 

「どうしたの?まさか口を割らせる事に抵抗があるのかしら?」

 

「あぁ、そのまさかだよッ。笑うがいいさ、俺はこれ以上お前を傷付けたくないんだ」

 

「……へ?」

 

 

仮にできたとしても片腕は死んでて、もう片手は塞がっている。

最初ッから何もできやしねぇんだ。

 

自分でも苦渋に満ちた表情をしているのは分かる。

だのに目の前のコイツは……あれ、今度は呆けてやがる。

 

 

「頼むッ、何か教えろ!お前が本当にレオナ氏をころーーッ!!」

 

 

懇願して情報を得ようとか俺は阿呆か、と思った瞬間。

 

 

 

 

「遊びはそこまでだ、鎌足」

 

 

 

 

 

直上の天井が崩れ落ちた。

 

 

否、何かが突き破って降りてきた!

 

 

「くそッ!!」

 

「ひゃッ?!」

 

 

咄嗟に拘束を解き、鎌足を横に蹴り飛ばす。

その反動で俺は反対側に滑っていき、落ちてきた()()を躱し、直ぐ様立ち上がって徒手空拳で構える。

 

それは、骸骨と見紛うほどの、痩せこけた男だった。

 

黒くてデカい翼のような、否、正しく翼の形を模した羽織をはためかせ、先程俺たちがいた場所に瓦礫とともに降り立った。

 

 

コイツも俺は知っている。

 

 

鎌足同様、十本刀が一人「飛翔の蝙也」だ。

 

 

「テメェ……今ソイツもろとも潰すつもりだったのか?」

 

「コイツは瓦礫に潰されて死ぬほどヤワじゃない。死ぬのはお前だけだったさ」

 

「……なっとく」

 

 

蝙也を挟んで向こう側、鎌足が立ち上がる。

その足取りはしっかりとしていて、先の一撃から回復したことが窺える。

 

クソ、これで二対一かよ。

しかも此方は負傷してるッてのによ。

 

 

「時間を無駄にし過ぎだ鎌足。引き上げるぞ」

 

「あ、う、うん」

 

「これ以上の長居は無用。手っ取り早くコイツも消す。先に出てろ」

 

 

体は骨と皮だけじゃないのかと思うほどヒョロヒョロのくせに、俺を射抜く眼光は力強い。

 

てゆうか、なんでここに奴が乱入してきた?

奴の最大の武器は、この室内には不向きなハズだ。

なのに態々入ってくるとは、いったい何を考えていやがる。

 

鎌足は蝙也のすることを察したのか、渋々と出入り口から外に出て行った。

その姿を、俺は黙って見送るしかなかった。

目的の分からない目の前の奴から目を放すわけにはいかないから。

 

 

そして、室内に残されたのは俺と蝙也。

 

さてどーするつもりだ?なんて思考する間もなく、事態は急転直下。

 

 

 

ばらばらと

 

 

 

ばらばらと降ってきたのは

 

 

 

大量の

 

 

 

ダイナマイト……

 

 

 

 

呆然と見上げている俺の視界の端に、奴が翼を大きく広げて背を向ける姿が目に映った。

 

 

そうだ、奴が骨身を削ってヒョロヒョロになった理由。

 

それは爆風を背に受けて飛翔するための、徹底的な軽量化なのだ。

 

 

だからこその、あの翼を模した羽織。

 

 

だからこその、「飛翔の蝙也」

 

 

 

 

だからと言って

 

 

 

「室内でやるかフツー??!!」

 

 

 

 

叫んだ直後、大量のダイナマイトが爆発した。

 

 

 

 

 

 

視界が爆炎で染まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「ふん、口ほどにもない」

 

 

背に当たる爆風を広げた翼のような羽織に当て、身体を地面と水平に飛ばす。

目の前の薄い戸板など簡単に突き破り、外へと出られるだろう。

 

何個か雑兵が巻き込まれるだろうが、そんなことはどうでもいい。

とりあえず任務は達成した。

途中、よく分からない闖入者が現れたが、それも斯くの如く焼死体へと成り果てるだろうから。

 

後は鎌足と合流して本拠地へ報告しに戻るだけ--

 

の、ハズだった。

 

 

「がああぁぁ!」

 

「ッ??!!」

 

 

爆炎が躍り、爆風が舞い荒れる室内から飛び出るために滑空飛行を始めた蝙也。

その背中にのし掛かるようにして飛び掛かったのは件の闖入者、狩生十徳だった。

 

 

「き、貴様ッ!!」

 

 

咄嗟のことで慌てる蝙也。

振り落とすためもがこうとしたが、ここで体勢を崩せば爆炎に巻き込まれてしまう。

そう判断した蝙也は、背に十徳を乗せたまま戸板を突き破った。

 

だが、姿勢を制御できていたのはそこまでだった。

 

バランスを崩して転げる二人。

されど十徳は蝙也から離れることをせず、その身に喰らい付いていた。

 

 

「このッ……、離れろ!」

 

「…………!!」

 

 

そんな二人に爆風は容赦なく襲い掛かる。

60kgほどの十徳が組み付いていても揚力が発生するのか、二人は時には地面すれすれを滑空しながら、時には地を転がりながら飛ばされていく。

 

その途中、蝙也は己の正面に回り込んでいた十徳の側頭部に取り出した短刀を突き刺そうとする。

 

片腕は使えず、もう片腕は蝙也にしがみつくのに使っているため、十徳にこれを防ぐ手立てはない。

必然、拘束を解いてそれを逃れる他なかった。

 

 

「か……はぁ……ッ」

 

 

地を削るようにして転がる十徳と、重りを解いて浮上することに成功した蝙也。

ちらと、一瞬だけ蝙也は十徳の全容を見た。

服は至るところが焼け焦げ、飛び散る破片によるものだろう切り傷も多く、顔にも火傷や裂傷を負っていたのが分かった。

 

その有り様はまるで互いの実力差を表しているかのように見える。

 

やがて爆風が収まると、土煙がその後を追うようにして舞い上がり、両者互いに相手の姿をロストした。

だが一つ違うとすれば、踞っていた十徳はその身を完全に土煙に覆われ、片や蝙也は中空を舞いながら眼下に映るその煙を見下ろしていた。

 

 

「おのれ、おのれッ、おのれ!小物風情がァ……!」

 

 

もはや激情に駆られた蝙也は、いずれ周りに火の粉が散って延焼するだろうことすら考えることもせず、自らの体に文字通り泥を塗った雑魚に激怒していた。

 

土煙が晴れれば即座に舞い降り八つ裂きにしてやる。

自らにしがみついていたとはいえ、大小様々な火傷や裂傷を負っていたのは明らか。

逃げることも満足にできぬだろう、精一杯いたぶって殺してやる!

 

 

そう熱い吐息を漏らし、血眼になって煙の中から十徳を探していたら、耳に聞き慣れた音が届いていた事に気が付いた。

 

 

それは、自らが空を舞うために使っている爆弾(ダイナマイト)の、導火線に火が走る音。

 

飽きるほどに聞いてきたその音が、いっそ自分にとっては福音にすら聞こえていたその音が、今となっては臓腑を寒からしめる音に聞こえた。

 

何故なら、空中にいるハズの己の懐から聞こえてきたからだ。

 

 

「ッ……!!?」

 

 

慌てて羽織を捲り上げると、そこには確かに一つの爆弾から伸びる一本の導火線に火が迸っていた。

 

 

それが既に根本まで達していると頭が理解するより先に、蝙也の身体は閃光と爆発に包まれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐぅ、ぁぁぁッ!」

 

 

幸いなことに十徳の視界は今なお完全に塞がれている。

 

そう、幸いなことに、だ。

 

これを喜ぶべき理由は唯一つ。

お互いに相手を視認できないということは、一先ず相手からの追撃はないということ。

今攻撃を仕掛けられたらまともに太刀打ちできるか不安になるほど、彼の現状は危ういのだ。

 

火傷、裂傷はもちろん、身体には大小様々な木片が突き刺さっていて、地を転がった勢いで深く刺さっているものもある。

さらに厄介なことに、先の爆音のせいで視覚と聴覚が上手く働いていないのだ。

視界は未だ明滅を繰り返し、耳には雑音しか届かなかった。

 

覚束ない足取りで、まるで生まれたての小鹿のようにふらふらとしながらなんとか立ち上がろうとしているが、平衡感覚が狂っているため、それすら儘ならない。

 

 

(クソ、クソ、クソ!目はチカチカして耳はノイズが酷いとか、ハンデがデカすぎだろうがッ………いや、落ち着け落ち着け落ち着け!まだだ、まだ()()()瞬間がある!その時を狙うんだ!)

 

 

もはや立つことを早々に諦めて、彼は片膝を突いて腰を下ろした。

唯一動く腕の掌を地に着け、無理矢理平静を保つ。

 

待つんだ。

今は動くな、全神経を触覚に集中しろ!

 

見えなくても、聞こえなくても、肌で感じるんだ!

 

 

果たして、自分にそう言い聞かせてからどれくらい経っただろうか。

数分にも感じたし、数時間にも及んだ気さえした。

 

だが、実際に()()が訪れたのはほんの数秒後だった。

 

肌で感じることができた。

 

空気を伝って地を震わせる小さな炸裂音。

中空より響く、微かな振動。

それは、目と耳の能力を大幅に失った今の己にとって大きな契機となった。

 

 

「ぅ、ぁ、ぁぁぁあああ!!」

 

 

判ずることも断ずることもしなかった。

ただ、身体が自然と駆け出したのだ。

今の自分の境遇など二の次で、ただ相手を刈ることしか意識になかった。

 

それは、落ちてきたダイナマイトのなかで一つだけやたらと導火線の長いそれを見つけて、咄嗟の判断で掴み取った彼が先程の取っ組み合いの最中に蝙也の懐に忍ばせることに成功したもの。

 

 

 

ボヤける視界に映った彼にとっての、唯一の灯火。

 

 

()()を感じた十徳は、形振り構わず駆け出していた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








次話がかなりエグい内容となります


御容赦を






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

16話 横浜暗闘 其の肆





鎌足との和解?を期待した方へ

まだその段階ではありませんので





では、どうぞ









 

 

 

 

 

 

 

 

「がああぁぁぁ!!」

 

 

先の鎌足との一戦みたいに御行儀よく戦おうなどと欠片も意識できなかった。

 

ただ我武娑羅に、ただひたすらに、ただただ叫んで。

何かが炸裂した気配を感じた瞬間にはもう駆け出していた。

文字通り肌をジリジリと焼く焦燥に従って。

 

霞む視界なんざ慣れっこだろう。

あそこにいるのは分かってんだから!

 

そうやって己を鼓舞しながら走り、そして跳躍。

 

このまま、地に叩き付けてどたまカチ割ってや--!

 

 

「はいそこまで~」

 

「がッ?!」

 

 

じゃらじゃらと俺の唯一動く右腕に何かが巻き付かれたのを知覚した直後、思いっきり身体が引き返されて、地に叩き付けられた。

当然、掴んでいた蝙也は俺の手から離れ、近くで自然に落ちたことが空気の振動で分かった。

 

い……つッ。

これは、鎖……鎌足か!

 

 

「テ、メェ……!」

 

 

クソったれ、二対一だということを忘れてた!

とっくに戦線を離脱してたかと勝手に思ってたら助勢に来てたとは……!

 

 

「はぁッ!」

 

「なッ?!」

 

 

俺が鎌足の姿を確認するよりも先に、奴の行動の方が早かった。

大鎌を近くの燃え盛る建屋に投擲したのだ。

必然、その大鎌から伸びる鎖に繋がれた俺も盛大に回転しながら燃える建屋に飛ばされた。

 

 

「ぐぅ、ぅぅぉおおッ!」

 

 

なんとか引き摺られる勢いを殺そうと、足を必死に地に着けて地面を削っていく。

草履の裏が発火するのではと思うほどの凄まじい摩擦が生じ、砂塵が舞い上がっていく。

 

そうして、なんとか止まったのはぎりぎり燃え盛る家屋の傍。

だが大鎌は建屋の更に奥に突き刺さったのか、これ以上此所から離れることができなかった。

 

これは、もしかしなくてもマズいだろう。

辺りを見渡すと燃えている建屋は此所だけじゃない。

もう何件も火が移っていて、夜の横浜を明るく照らしていた。

火の粉が飛び交い、煙がもくもくと立ち込めているのがぼんやりと分かる。

 

 

「そこで大人しくしてなさい。これ以上手を下すことは流石に見逃せないわ」

 

「……あぁ?」

 

 

鎌足は不思議なことを言って顎をしゃくった。

その視線の向こう、晴れてきた視界に映ったのは、白目を剥いて臥している蝙也の姿だった。

 

 

「咄嗟にダイナマイトを投げ捨てたものの、あんな至近距離で炸裂して、しかも受け身も取らずに落ちたんだから当然よ。コイツ、こんな身体だからとても脆いのよ」

 

 

嘘……ではないのだろう。

事実、起き上がる気配がまったく感じられなかった。

 

てゆうかそんなのどーでもいい!

目と耳が治ってきていることすらどーでもいい!

 

マヂでこのままじゃ焼け死ぬぞ?!

 

 

「ッ、んなことどうでもいいんだよ!これァ一体どういうつもりだ!」

 

「……御免なさい。組織の至上命題は『隠匿』なの。私たちを見知った貴方を生かしておくことは、ちょっとね……」

 

「ふッざけんな、だったら戦えよ!こんなやり方ッ……!」

 

「御生憎様。私は道義を重んじる剣客でも武道家でもないの。貴方とやり合っても勝てる保証がないし、それにやり合いたくもないから、こんなことしか出来ないの。それに、これはお礼でもあるのよ?」

 

「ッあぁ?!」

 

「他意はあったのでしょうけど、不覚にもときめいちゃったから。運が良ければ脱しうるでしょう?そのチャンスを貴方にあげるわ」

 

 

こ、のッ……ワケの分からねぇことをほざきやがる!

 

脱しうる気配なんざ微塵もねぇんだよ!

 

右腕全体に巻き付いた鎖は手首の辺りで絡まって右腕を拘束し、左腕は言わずもがな元より動かない。

思いっきり引っ張っても暴れてもピクリともせず、ならば奥に取りに行こうと思ってもそこにあるのは正しく火の壁。

段々と熱が鎖を伝って腕をチリチリと熱してくる。

 

このままじゃ本当に焼死体が一つ出来上がるぞ!

クソックソックソ、万事休すだ!

 

鎌足は俺の呪詛の籠った視線を受け流して蝙也を肩に担ぎ、そして言った。

 

 

「ねぇ、貴方は何者なの?……て聞いて教えてくれるわけないか」

 

「誰が言うか阿呆!クソやろう、テメェ本当に許さねぇからな!やるなら一思いに殺りやがれ!こんな拷問みてぇなこと……!」

 

 

と、俺が叫んでいると周りから何人か人が駆けつけてきた。

すわ救援かと一瞬だけ期待したが、果たして来たのは奴の手下共だった。

 

火の手の回りが早いため、直ぐにここを離れようと進言しに来たようだ。

当然、奴等の視界に入った俺をスルーするわけもなく、確実に殺すべきだと言われるも言下に切って捨てた。

 

 

「いいのよ、別に。たまにはああいう殺し方もいいじゃない。死に行く様は見られないのは残念だけど、仕方ないわ。だから貴方たちも手出しは無用よ」

 

 

ありがたくねぇんだよ!

くそッたれ、手下風情なら足技だけで返り討ちにしてやって、それで持ち物を物色しようと考えたッてのに!

 

ふと、一瞬だけ奴は名残惜しそうな視線を向けたかと思うと、背を翻して去って行った。

 

 

「ちょ、待てよ!これがお前らのやり方かよ!こんなんで俺を殺せると本気で思ってんのか、畜生!!……くそ。おい、マヂかよ……ホントに行きやがった」

 

 

おいおいオイオイ、マヂでヤベェって!!

まるで古代国家の拷問器具じゃねぇかよ、あの鉄製のラッパ像か!

洒落になってねぇって!

 

クソ、本当にクソだ。

どうする?どうすればいい?

 

さっきから必死に腕を動かしているが外れる気配が微塵もないし、建屋から引き抜こう思いっきり引っ張ってもビクともしない。

 

 

「ぐうぅぅぅ……!!かってぇぇぇえ!」

 

 

ダメだ、鎌が深く突き刺さっているのか、身体全体を使っても全然動かない。

しかも無理矢理に動かしてるから鎖は更に強く絞まり、腕全体が鬱血してきた。

 

はッ、はッ、はッ、はッ

 

くそ、息をするのすらツラいし、どんどん腕が熱くなってきやがった。

このまま腕から熱せられて死ぬとか最悪だろ……というか、それで人は死ぬのか?

最悪、死なずに延々と生き地獄を味わう羽目になるのではないのか?

 

ヤバいッ、考えただけでも泣きそうだ。

 

 

「う……ゲホ、ゴホッ!があぁ、ぁ、ッ!」

 

 

大鎌が貫通した建屋の火もみるみるうちに大きくなってきていて、肌はチリチリと炙られ吸う空気で喉すら焼けそうだ。

煙で呼吸も儘ならないし、涙が溢れてきた。

 

 

このままなら一酸化炭素中毒で死ねるのでは、なんて甘い誘惑が鎌首をもたげたが、頭を振って切り捨てる。

 

諦めんな!

まだ死ぬわけにはいかないだろうが!

みっともなくとも足掻いてなんとかしねぇと!

 

なにか道具……は、もう無い。

そもそもいつも携行しているのは特注の十手と小銭ぐらいだ。

そんなもん何の役にも立ちやしねぇ。

 

 

クソ、他に何かないか?!…何か周りに………!、あった。

 

 

「あれ、ならッ……!」

 

 

見つけたそれに、俺は思わず()()()()希望を見出だした。

爆風で転がってきたのか、幸運の女神に感謝だ。

 

地に転がるそれに必死に手を伸ばすが当然届かない。

ならばと足を使ってなんとかそれを引っ掛けようとするも、これもぎりぎり届かない。

 

クソ、やっぱ幸運の女神はクソったれだ。

希望をちらつかせてこの始末とか、ホントいい性格してやがる。

 

 

「ふ、ふ、ふ……はぁ、はぁ、」

 

 

本当にあと少しなんだ。

ほんの数センチっ……クソったれが!

 

 

「がああぁぁぁ!」

 

 

変に躊躇してたら気後れして出来なくなる。

 

 

いっそ一思いに

 

 

 

 

肩を強引に捻って骨を外した。

 

 

 

「いっ……でぇぇぇえええ!!!」

 

 

 

喉が裂けんばかりに響く絶叫。

溢れてた涙が更に量を増して視界を埋め尽くす。

 

痛い痛い痛い痛い。

あまりの痛さに踞りたくなるが、歯を喰い縛って耐える。

こんなんやるとか俺は馬鹿か阿呆か。

自分で肩の骨を外すとか、もっとマシな方法は思い付かなかったのかよ。

 

痛いッッ、けどッ、これで……届いた!

 

激痛に苛まれながらも、外した骨の分だけ伸びたリーチでなんとか足に引っ掛けることができた。

そしてそれを引き寄せ、ハネ上げ、口に銜えた。

 

 

ふぅ、ふぅ、ふぅ……ぐぅッ!

 

 

もう、一度!!

 

 

ごきん、と骨が戻る嫌な音が頭蓋に響き、更なる激痛で悶絶する。

 

 

「ッ、…ッ………ァ!!!」

 

 

意識が……遠退く。

 

銜えているそれを落としそうになるが、これこそが唯一の生命線なんだ。

それを噛み潰すことがないよう今度は歯を喰い縛らなかった為に、本当に気が狂いそうになる。

もう片腕で痛む肩を抑えたいのに、それすら出来ないもどかしさに頭がどうにかなりそうだった。

 

てゆうか、下に置いたまま肩を戻せばよかったじゃん。

段々と思考が鈍ってきたのか、合理的な判断が下せていないのはかなりマズい。

 

 

 

と、痛みに必死に抗いながら己の現状を不安視してたとき、目の前に何か大きなものが落ちてきた。

 

大きな質量を誇る何かが盛大な地響きを立てて目の前に降り、涙でボヤける視界からもはっきりと分かるほどにそれは悠然と立っていた。

 

 

「て、めぇ……は」

 

 

掠れる声は自分でも聞き取り辛い。

叫びすぎたのか、或いは熱せられた空気によるものなのか、喉もスゴく痛い。

 

けど、そんなことはどーでもいい。

 

今は幸運の女神に万の罵倒を浴びせたい気分で仕方がなかった。

 

 

 

 

 

ホントにマヂでクソったれだよ。

 

 

 

 

 

 

ここにきて三人目かよ……

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぐふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

正しく肉達磨のような体型に、醜悪な笑顔を常に丸い顔面に張り付け、いつも堪えるような下卑た笑い声を漏らす大男。

 

 

 

 

十本刀が一人、夷腕坊。

 

 

 

俺はコイツの本名も二つ名も知らない。

なぜ志々雄一派に属しているのかも知らない。

目的も行動原理も分からない。

 

けど、コイツが人間じゃないことだけはよく覚えている。

 

魑魅魍魎の妖怪の類とか、化物とか怪物とかそーいうんじゃなくて、文字通りコイツは人形なのだ。

操り人形で、力士より二回りぐらいデカい図体の中に操縦者が入って操っているのだ。

 

中の操縦者の名はたしか外印という。

高尚な芸術家(あるていすと)を自称する人形愛好家(?)だったハズだ。

 

 

そんな奴が

 

 

「なん、で……」

 

「……」

 

 

最初からいたのか……それとも獲物(おれ)を見つけて来たのか。

 

クソ、次から次へと窮地がゴロゴロと転がって来やがって。

どうしてこうも事態が悪化していくんだよ。

 

地獄……いや、炎に囲まれているから、ここはさながら煉獄か。

 

 

「…………」

 

 

胸中で激痛と運命に悪態を吐いていたら、ふと夷腕坊がなんのアクションも起こしていないことに気が付いた。

喋ることも、動くことすらしていない。

 

なんだ?

 

 

「……テメェ、何の用ッ、ぐぅぁ……」

 

「…………」

 

 

答えてはくれないようだ。

けど、そんなもん最初から期待してない。

 

正直、助かった。

こんな状態でコイツと戦えば、文字通り手も足も出せずになぶり殺しにされるだろう。

 

何を考えているのかさっぱり分からねぇが、何もしてこないのなら俺のやることに変わりはない。

 

 

「ッは、はぁ、っぅ……用が無いなら、大人しくしてろよ」

 

 

今邪魔されるともうどうする事もできない。

頼むからじっとしていてくれ。

 

そうして俺は努めて奴を無視し、銜えてたそれを腕に絡まっている赤く熱せられた鎖に当てる。

 

 

「ふっ、ふっ、ふっ……!」

 

 

落ち着け、大丈夫、大丈夫大丈夫大丈夫!

死なない、これきしで死なない、死ぬわけがない。

死をはね除けて、生にしがみつくんだ!

 

数秒後、ばッと()()()に火が着いた。

 

 

「ふっ、ふっ、はっ、はっ、はっ……」

 

 

心臓が破裂するほど鼓動がうるさい。

自分がやろうとしていることに今さらながら恐怖する。

膝が笑って、涙が溢れて、銜えてる()()()()()()を落としそうになるほどに顎が、いや、身体中が震えてる。

 

 

大丈夫、大丈夫、大丈……夫ッ

 

一つ一つの爆発範囲はそれほど大きくない。

それは、蝙也が生き残ったことから明らかなんだ。

原作でも主人公勢の一人の少年が、奴のダイナマイトの雨を潜り抜けたんだ。

 

ならば俺でも、これぐらい出来るだろうが!

 

ビビるな、臆するな、躊躇するな!

 

強ばって身が動かなくなることだけはないよう、薄っぺらい根拠の励ましを必死に己に送る。

恐怖で身体中が震えるが、必死に喝を入れて堪えようとする。

 

そして、導火線が迸るダイナマイトを口から飛ばして、微かに動く右手で危うげにキャッチする。

鎖でがんじがらめになっている方だ。

 

 

「……正気の沙汰じゃない」

 

 

怖気で込み上げてきた吐き気を、自由になった口腔に熱気を流し込んで無理矢理に抑えてたら、ふと目の前の夷腕坊が呟いた。

いや、声を漏らしたのは中の外印か。

 

どちらであっても、まさか喋るとは思わなかったが、正直、話し掛けてくれるのは有り難かった。

無言のままじゃ、次の一事で心が木っ端微塵になるかもしれないから。

気を紛らわせれば御の字だし、相手が誰であれ話せれば不思議と踏ん切りが付くってもんだ。

 

 

「は、ははッ……そんなん、疾うに、飲み干してらぁ」

 

 

そしてどうやら、中の人は俺のやろうとしていることを察したらしい。

 

 

「正も狂も、俺にとっちゃぁ、同じ、だ……区別する、意味が分からねぇ、……!」

 

 

明日を切り開くためなら、狂気にだって心を委ねてやるさ。

それが十徳と交わした、果たすべき約束のためなんだから。

 

狂人と思わば思え。正しくその通りなんだから。

弱い奴が狂った奴らに勝つには、己も狂うしかないんだ。

 

不殺(ころさず)の逆刃刀をもって明治を生き抜く強い主人公とは違って

磨いた技量と高い身体能力を有する(からだ)とは違って

弱い(こころ)は狂気を飲み干してでも生きなきゃ勝てねぇんだから!

 

 

「ちょうど、いい……俺の、一世一代の大物見ッ、確と目に焼き付けとけ! 」

 

 

答えはない。

だが気のせいか、奴の見えない双眸が力強く俺を捉えたような気がした。

 

 

そんな気の迷いかもしれない感覚を得られただけで、十分だった。

 

 

 

 

俺は右手に力を込め、掴んだダイナマイトを更に握りしめる。

 

そして腹に力を入れて、声を大にして叫んで-―

 

 

 

 

 

「見てろよ……芸術家(あるていすと)!人がッ、生を掴むために、足掻く姿を!人形なんかじゃ到底できねぇ、人間だけができる、バカな所業を!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

「……見届けよう」

 

 

 

 

 

 

 

そんな答えが聞こえて、俺はつい微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

直後

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

右腕を中心に、小さな閃光と爆音が響いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













感想返しが追い付きません


申し訳ありません


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

17話 横浜暗闘 其の伍




分かっていた事とはいえ、流石にゴリゴリ減っていった評価とお気に入り数には堪えましたぁ


まぁ気にせずにどんどん投稿していきますんで宜しくお願いします


では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

 

耳を塞ぎたくなるほどの悲鳴、否、絶叫。

喉を引き裂かんばかりの、魂の底から溢れ出る慟哭。

 

無理もない、己が腕を爆散させたのだから。

 

痛いなどの次元ではないだろう。

筆舌に尽くしがたい激痛は、ともすればそれだけで死に至ることだってある。

人は、あまりの痛みで死ぬこともあるのだ。

 

痛みを誤魔化すために腕を押さえることすらできず、ましてやのたうち回ることもせず、ただただ屹立して泣き叫ぶ。

火の海と化したこの横浜の一角に響く彼の悲鳴は、空気を震わす。

繰り返し、繰り返し、彼は必死に泣き喚く。

 

そう、正しく()()に。

 

普通なら、死ぬ。

弱い人間ならば、疾うに死んでいる。

肉体的な痛みでももちろん死ぬ可能性は高いが、何よりも精神的に死ぬハズだ。

心が正気を保っていられるハズがない。

己が腕を己が意思で爆散させるとは、それほどまでに非人間的で、おぞましい凶行なのだ。

 

 

それなのに。

 

そうだというのに。

 

 

絶叫し、叫喚し、慟哭し、号泣し、天をも貫けとばかりに声を響かせる彼は、決して動こうとはしなかった。

 

残った腕で散らした腕元を掻き抱くこともせず、痛みを誤魔化すために地をのたうち回ることもせず、ただただ屹立して吼えていた。

 

ただただ吼え、ただただ泣く。

 

痛みを堪えるためでもあるのだろう。

だがそれだけではない気が外印にはした。

 

漠然とだが、どこか気味の悪さを感じたのだ。

ふつう、腕を失った痛みを一寸たりとも微動だにせずに耐えられるか?

 

否だ、断じて否である。

堪えられる限度を遥かに越えているハズだ。

 

泣き叫んでいるから当然痛みは感じているのだろう、だが、()()()()なのか?

血が湯水の如く滴り落ちる腕をそのままにして、泣き叫ぶ事ができるのか?

 

おかしい、常軌を逸している。

いや、もとよりおぞましい凶行に及んでいるのだから既に常軌は逸しているのは明らかだった。

 

だが、この姿を見ては更に輪を掛けておかしいと断言できる!

身体からの痛みという訴えを、心だけで処理しているようだ。

苦痛を和らげようと痛がる素振りさえ見せない。

それはまるで……まるで()()()()()()()に在るようではないか!

 

なんなのだ、コイツは?!

本当に人間なのか?!

 

 

 

夷腕坊改め外印が内心で愕然としていると、ふと十徳の慟哭が鳴りを潜めた。

気を失ったのかと思って外印が見遣るが、そうではないと直ぐに気付いた。

涙と鼻水で顔がぐじゃぐじゃになり、嗚咽を溢しているが、その目は確と開いていて強い光が宿っていた。

 

痛みを克服した?

馬鹿な、痛みは一過性ではないのだ。

堪えられるようになる、などという事はありえない。

ならば、いったい何を……?

 

 

そう思って十徳を見続けていた外印は今度こそ、その度肝を抜かれた。

 

思考が霧散し、息をすることさえ忘れて呆然と見入ってしまった。

 

 

 

唐突に屈んだ十徳は

 

 

失った腕から地に落ちた高熱の鎖に

 

 

 

腕の欠損部を押し当てたのだ。

 

 

 

 

「ーーーー!!!!!!」

 

 

 

 

再び耳に届く十徳の大狂声。

 

 

狂っているとか、逸しているとか、そんな次元ではない。

 

血を止めるために己の肉を、しかも爆散した断裂部を焼くだと?

 

誰がそんなことを考える!?

いや、仮に考えたとしても、誰が実践しうるというのか!!

今なお死に至るほどの激痛をもたらす部位をさらに焼くなど、その痛みとはいかばかりか!!

 

だが……否、だからこそ。

 

そんな異常行動を見せる十徳に、外印はまさに魅入っていた。

稲妻が脊髄を駆け抜け、まるで生まれ変わったのではと思うほどに思考が晴れ渡っていた。

 

 

中世より代々続く人形師の末裔が、人間の死体から精巧な人形を作る外法の技術者が、十徳に魅入り、そして思った。

 

 

こいつを……こいつの人間離れした行動、有り様をものにできれば、私の人形作りは更なる高みに登れる!

 

そうだ、美を追い求めて完璧に仕上げた人形はどうしても不気味に見えてしまっていた。

この男の得体の知れないナニカを取り入れれば、不気味の谷を越えられるハズ!

 

あぁ、なんということだ……!

志々雄真実の一派に属したのは間違いだった。

 

戦いの中で我が人形の芸術性を磨くことは間違っていない。

その一環として、この場に立ち会うことができたのだから!

だが、私にとって道標となる存在は志々雄真実ではなかったのだ。

この男こそが、この泥臭い餓鬼こそが、私を導いてくれる存在なのではないか!

 

 

気付けば外印は夷腕坊から這い出て、踞って泣き叫ぶ十徳のもとに歩み寄ると、深い礼をしていた。

 

それはまるで、臣下が王に接するよう。

 

それはまるで、生徒が恩師に感謝するかのよう。

 

 

その思いはまるで、求道者が登り詰めた山の頂から陽光を拝めたときのようだった。

 

 

燃え盛る町の一画の中心で、止まない泣き声が続くなか、外印も一筋の涙を流しながらただただ礼を続けていた。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

俺は死ぬのだろうか。

こんな訳も分からない場所でくたばるのか。

 

十徳との約束を果たせずに、ここで潰えるというのか……

 

ふざけるな!

 

死にたくない。

死んでたまるか。

俺は生きなきゃならないんだ。

 

やらなきゃならないことがあるんだ。

 

こんなところで……こんなとこでッ

 

 

 

「師よ、そんな思い詰めた顔をしないことだ。なに、腕の一本や二本、生身のそれより便利な物に付け替えられるから」

 

 

 

弟子をとった覚えはありません!

 

 

てゆうか外印、テメェなにやってんの?!

師ってなに?俺が師?

なんでやねん?!(何故か関西弁)

 

 

「色々と聞きたいことはあるんだが、取り合えず一つ。此処はどこ?」

 

「横浜の私の隠れ家だ。ここで幾つもの人形を作っているのだけど……どうかな?」

 

 

どうかな?じゃねぇよ。

何言ってんのコイツ、ねぇコイツ何言ってんの?(迫真)

 

周りを見遣ると、確かに幾つもの人形が目に入った。

若い男女数組の人形が座っており、まるで眠っているかのように目を閉じている。

 

それだけを見れば感嘆する場面なのだろうが、如何せんその周りには見たくもないグロいものが散乱しているから、正直吐き気しか催さない。

そういやコイツの人形って人の死体を使って出来ているんだったな、オエッ。

 

 

「で、俺はなんで台に拘束されてるんだよ。これから拷問でもされんの?」

 

「なんと、それは魅力的だね。師の異常たる心の叫びと有り様をより間近に観察できるのはいい……やはり、常人とは一線を画すな、師は。その頭を覗いてみたいものだ」

 

「オメェは師に対する考えが一線以上を画してるな!怖ぇよマヂで……つぅか師ってなんだよ。そんなんとった覚えはねぇんだけど」

 

「無論、私が勝手にそう思っているだけさ。そして勝手に学ばせて頂くから、師はいつも通りにしていればいい」

 

 

……なに言ってんだろ。

もう分かろうとも思えない。

芸術家はやっぱりよく分からん奴が多いなぁ(偏見)。

 

 

機巧芸術家(からくりあるていすと)

髑髏の絵が描かれた目出し帽のような頭巾を被り、顔を隠している男。

確か原作では五十を過ぎたオッサンだったはずなのだが、なんか声からして絶対それより若いぞ?

自分を弄ったのか?

 

 

なんて、現実逃避はもういいだろう。

 

 

あの時、自分の腕を吹き飛ばして、そして熱した鎖にその腕の断裂部を押し付けて、あまりの痛さに気を失って。

気が付いたらここにいた。

外印と色々と話してたような記憶は漠然とだがある。

が、何を話してたかは覚えていない。

余計なことを話してなければいいんだが。

 

チラと右腕を見ると、直視するには堪える様相と成っていた。

断裂部はまんべんなく焼け焦げていて、残った上腕部も鎖の火傷の跡が刺青のごとく出来上がっていた。

 

そんな右腕を、俺は見続けた。

 

正直に言うと、抱いた感想は「気持ち悪い」とか「エグい」とかではなく「申し訳ない」の一言に尽きた。

元を質せば、この身体は十徳のものだから。

それをこんな傷物にして、本当に申し訳ない気持ちになった。

 

けど……俯いてちゃダメなんだ。

それは、面と向かって言われたことだから。

悄気たツラしてたらダメだから。

 

亡くした腕は、もうどうしようもない。

この禍々しい鎖の火傷の跡も、治らないだろう。

けど。

あの時、生きるために思い付いた唯一の考えを実行したまでで、結果として生き残れたんだから、四の五の言うことこそ一番しちゃいけないことなんだ。

 

 

「さて、これからその断裂部を弄るのだけど。師よ、義腕は如何様にするかい?知り合いに亡くした腕の代わりに大砲を着けた経験があるが、そうする?」

 

「なんだよ、そのビックリ人間。腕亡くしちゃったから大砲着けちゃった~とか、その発想がもうスゴいよ」

 

 

えっと……たしか鯨波だったか?

 

明治維新のただ中、たしか新政府軍と旧幕府軍との会戦時に、前者に属していた主人公が後者に属していた鯨波の片腕を斬り落としたのだ。

 

その鯨波は敗北を悟り、武士として散らせてくれと懇願したが、もう人殺しをしなくなった主人公に拒否された。

片腕を斬り落として武人として生きる道を断たれ、武人として生きられた時代を終わらせ、そして武人としての死に場所さえ与えてくれない抜刀斎に対して憎悪を募らせ、復讐の鬼と化すんだよな……たしか。

 

 

てゆうかお前が着けたのかよ。

弟子の所業に師匠ビックリしちゃったよ。

 

 

「大砲は勘弁。普通の義手で……あぁ、でも頑丈にしてくれると嬉しいかな」

 

「了解。外見は生身とそっくりにするかい?」

 

「拘らない。流石に奇天烈なのは御免だが、サラシを巻いて誤魔化せる程度までならなんでもいい」

 

「委細承知した」

 

 

義手なんてこの時代にあるのか?いや、ないだろ。

明らかに時代を超越している。

まぁ世界が世界だからな、それにコイツなら不思議でもない気がする。

機巧芸術家……人間と区別のつかない人形や、主人公と戦える戦闘用人形を作り出す輩だからな。

 

任せても、まぁいいだろう。

 

そう思って石造りの天井を見ていると、かちゃりと手のひら大の銀皿が寝そべる俺の横に置かれた。

ちらと見ると、そこには鋏やメスみたいなもの、ピンセット、ルーペ、金槌(!)、巾、細糸などが乗っていた。

 

 

「義手がなんであれ、まずは断裂部を整え、調べなければならない故……一旦傷を開くよ?」

 

 

まずは神経や血管の位置、そして骨の太さや密度等を把握し、筋繊維の断裂具合をチェックするとのこと。

その為にはまず焼け焦げた部位を切除し、新しく綺麗な切断面を作らなければならないと。

で、それらを一通り調べたら一旦閉じ、機巧で接合部を作り、完成したら再度切断面を開き、そしてやっと繋げて終わりとなるようだ。

 

当然、外印は医師ではない。

故に麻酔なんて物は所持しておらず、痛みはすべて堪えるしかない……のだが、驚くべきことに、なんとコイツ輸血をしてやがるのだ。

俺の左腕に刺された図太い針から血が脈々と送られてきている。

 

マヂか、やっぱコイツの知識と技術は侮れないわ。

後世に逸失させてはならないやつだろ、これ。

 

なんで麻酔は無いのに輸血は知ってるのさ、と聞いたら人形の製作に不可欠だからとのこと。

なっとく。

 

でも血液型とかは大丈夫ではないらしい。

試しに聞いたら、なにそれと返ってきた。

まぁ俺も十徳の血液型を知らんから、これはもう博打だな。

確率は……いや、怖いから聞いてないけど、この輸血分が既に混合されてたら終わりだ。

もう輸血されちゃってるし、あとは天命を待とう。

 

 

「しゃーないだろ。泣き喚くだろうけど、気にせずやってくれ」

 

「師は本当に……いや、なんでもない。耳栓をするから大丈夫だけど、逆に言えば師の言葉は何も入らなくなる。つまり、途中で止めることはできないから」

 

「四肢どころかまんべんなく各部位を固定されてるから、身体で意思を伝えることもできないな。まぁいい、止めずにやれば早く終わるだろ?ならさっさと頼むわ」

 

「……分かった」

 

 

そう言うと外印はメスのような刃物を取って構えた。

 

 

大丈夫、大丈夫、大丈夫……

 

いつの時代で、どこの人だったかは覚えていないが。

 

我が子を産むために、無麻酔で帝王切開をやり遂げた母親が居たと聞いたことがある。

 

女性の方が痛みに耐性があるなんて話もあるが、そうだとしても俺の場合は所詮片腕のみ。

 

 

耐えられない道理はないハズだ。

 

 

流石に感染症が怖いから熱湯に何度も道具を浸けるよう忠告してから

 

 

 

 

 

 

 

そして

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地獄の辛苦が再び始まった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










化け物級の剣客らと渡り合える武力を得ます


これがやりたかったんです




補足
不気味の谷は、当然この時代には明確化されていません
最近らしいですよ
気になる人は調べてみてください


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

18話 横浜暗闘 其の陸




昨日は投稿できずスミマセンでした

お詫びと言ってはなんですが、今日は2話投稿しようと思います


あと温かい感想本当にありがとうございます
全ての文の一言一句を噛み締めております(キモい?)



なお、今話の前半に不愉快な描写があります

お気をつけて、どうぞ





 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ぁ、ぁぁ、ぁぁぁ、ぁぁぁあああ!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

痛い痛い痛い痛い!

 

 

腕が、腕が痛い!

 

 

嫌だ、止めて、離して!

 

 

 

 

もう……殺してくれ!!

 

 

 

「ぁぁぁあああ!、ああアアア亜唖亞阿啞…!!!」

 

 

肩を誰かに抑えられ、暴れる身体を抑止される。

 

口に何かを突っ込まれ、くぐもった叫び声が頭蓋に反響する。

 

 

 

 

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいいいいいいいいいい……

 

 

 

ぐちゃり、ぐちゃりと

 

ごりごり、ごりごりと

 

 

 

ぐちゃりぐちゃりごりごりごりごりみしみしぶちぶち

 

 

 

不快で吐き気が催される音と臭い、それが更なる痛みをもたらし、本当に気が狂いそうになる。

 

 

正しく地獄、正しく拷問。

 

 

もう何十時間も続く激痛に、嗄れた喉をさらに広げて叫び、枯れ果てたハズの涙はなお流れて。

 

こんな気違いなことを延々と続けなければならないのかと僅かに残った理性で考え、そういえばまだ断裂部を閉じていないということは、また開く作業があるのかと思い至って、本当に死にたくなって。

 

 

 

「がああああぁぁッ、ぁぁぁああぁぁぁあ!!」

 

 

 

 

嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

痛いのは嫌だ、苦しいのは嫌だ、辛いのは嫌だ。

 

 

もはや己が身体を律することが出来なくなった。

身体中の至る所にある拘束装置を引きちぎり、驚く外印の顔面を殴打して手術台から飛び降りる。

 

 

もう形振り構っていられなかった。

目につくすべてのものを殴り、蹴り、壊していった。

 

人形が、材料が、何かの臓物が、全てが忌々しかった。

 

壊して、壊して、壊して、壊してた片腕すら壊れて。

それでも壊して、壊して、自分の身体も壊していって。

 

もう何もかもがどうでもよくなって、自分を見失って。

 

己の血か、人形に内蔵してある血か、ともかくどちらかの血を大量に浴びながら、暴れ続ける。

 

人形の残骸が辺りに散乱し、机も、手術道具も、あらゆる物を形として残さないよう、徹底して壊して回って。

 

止めに入った外印のこめかみを無事な片手で掴み、そのまま後頭部を壁に叩きつける。

骨が潰れる音がして、手を離すと何の抵抗もなく外印だったものは地に崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

俺は奇声を上げながら目に着くもの全てを壊していき

 

 

ついには己の心も壊れた音が聞こえて……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「む、目が覚めたか」

 

 

気が付いたら俺は呆と石造りの天井を見上げていた。

 

いつから天井を見ていたのか、記憶がかなり曖昧だ。

ついさっき意識が戻ったような気もするし、もうずっと見続けている気さえする。

 

俺は、いつから俺を見失っていた?

 

そんな考えが頭をよぎる中、外印がお盆を持って近づいてきた。

そのお盆には大きなお椀が乗っていて、湯気を立てていた。

匂いからして、おうどんのようだ。

 

 

「しかし師の精神は本当に怪物だな。あの地獄を泣き叫ぶだけで耐え、身体は一寸たりとも動かさないのだから」

 

「……」

 

「起きるとは思わなかったが、師のことだからと念のため喉越しの良いものを作ってね。食べるかい?」

 

「……なあ」

 

 

誰の声だと、自分でも驚くほどに嗄れた声。

いったい俺は何時間叫び、泣き続けたのだろうか。

どれほどあの地獄を味わっていたのだろうか。

 

 

「どう……なった?」

 

 

喉が痛いのもあるが、喋る労力ですらかなり億劫に感じるほど今の俺は疲弊して憔悴しきっている。

端的すぎて曖昧な問いになってしまったが、外印はふむ、と顎に手を当てて丁寧に答えた。

 

 

「工作…もとい、手術は無事に終わった。師が微動だにしなかったおかげで予定より早く、都合二日と半分程度で済んだ。途中、気を失って五日ほど昏睡した後、今目を覚ましたのだが、記憶にないか?」

 

 

気絶して、五日の昏睡?……ハッ、あれだけ威勢のいいこと抜かしといて、なんともザマァねぇ話だな。

 

とはいえ、外印の口振りから察するに俺は今の今まで起き上がって暴れる事はおろか、身体を動かしてすらいないようだ。

なら、あの酷く現実味の合った出来事は夢だったのか。

深層心理で俺が求めた衝動と欲求が見せた願望か、妄想か。

どちらにしても気分のいいものじゃない。

 

自分の弱さをまざまざと見せつけられた気分で反吐が出る。

 

 

「あとの回復は師の生命力に依るだろう。食べて寝ることが一番の近道だと思うが?」

 

 

そう言っておうどんの入った器を差し出してくれた。

少し逡巡してから、俺は起き上がって有り難く受け取ることとした。

 

拘束具はすべて解かれていて起き上がるのに支障はないが、ずっと寝っぱなしだったためか、或いは血が足りないのか身体が鉛のように重く感じた。

それでも、重い腕をなんとか動かして熱い器を受け取る。

 

正直、悠長にしている時間はない。

俺にはやることがあるのだから、ここでこれ以上時間をロスするのは避けたいのだが…

 

そんな打算的な考えは、この鼻孔をくすぐり食欲を刺激する香ばしい匂いの前には意味を為さなかった。

 

出汁の効いた熱い汁を啜り、嗄れた喉に酷くしみて、とても痛かった。

もう痛くて痛くて、スゴく痛くて枯れたハズの涙がまた溢れてきた。

 

 

 

くそ……痛ェよ、痛ェよぉ

 

なんだって、こんなに痛いんだよ……

せめて冷やのうどんをくれよ、嫌がらせか。

 

こんなにしょっぱい味付けにしやがって、それなのにどうしてこんなに美味いんだよチクショウ……

 

 

「…ぅ…、ッぅぅ……ぅ……!」

 

 

麺しか具の無い質素でしょっぱいうどんが、どうしようもなく喉に沁みて、俺は無我夢中でお椀を傾け続けた。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「義手が出来上がるのは、材料が揃えば一ヶ月かそこらだ。その頃にまた来るといい……いや、此方から送るとしよう。後で送り先を教えてくれ」

 

「……あぁ、ありがとう」

 

「ふふ、腕が鳴るな。どうせなら私生活用と戦闘用とに分けるか……となれば形は二の次で、必要なのは……ブツブツ」

 

 

なにか怪しげな事を呟き続ける外印を無視し、俺は手術台から降り立った。

 

あの後、うどんを完食したら余計にお腹が空いた俺は、更なる食べ物を要求して失った血と体力を回復させるために食に励んだ。

外印も律儀に応じてくれて、質素だが味は確かなものを作って(?)くれた。

なんだかコイツ、原作のようなおじさんには思えないのは気のせいか、と思いながらもメシをかっ込み続けた結果、なんとか身体は動く程度にまで回復した。

 

 

ならばもう寝ッ転がり続ける理由もないと考え、リハビリのために手術台から降りて歩くようにした。

無論、一歩一歩と歩を進める度に腕に激痛が走るが、最初と手術中のそれに比べればなんとか耐えられる。

 

痛いのも最初の数ヵ月程度だろう。

原作が始まるまでには支障をきたさないぐらいに落ち着くハズだ。

 

 

「……ッッ、」

 

 

ゆっくりと歩いているのだが、身体は勝手に横に傾いで真っ直ぐ進めず、遂には倒れてしまった。

 

身体のバランスが上手くとれない。

真っ直ぐ歩けねェ……あぁ、そうか、腕の重み分だけ右半身が軽くなったのか。

だから左に歩が逸れるのか。

 

これはちょっと厄介だな。

食事における片腕の弊害は容易に思い付いたが、歩くことすら儘ならないとは思わなかった。

早いうちに慣れておかないと。

 

 

そこで、ふと

 

 

ある物を見つけて、目を見開いた。

 

 

 

 

「あぁ、それか。流石に現場に残しておくのは危険かと思ってね。苦労したが、なんとか土を掘り起こして運んできたのだよ」

 

 

 

ぎしり、と無い腕が痛んだ。

 

四つん這い、もとい三つん這いになった俺が見たもの。

 

 

それは地に置かれた巨大な鎌だった。

 

 

火傷の跡が残る頬と残った腕部がチリチリと痛み、自然と地に付いていた手が力んでいた。

 

 

「人形に持たせるのも一興かと考えたんだが実用的ではないしな、精々が観賞用ぐらいにしかーー」

 

「……ょこせ」

 

「ん?」

 

「これを……俺に寄越せ」

 

 

コイツを見れば嫌が応にも思い出してしまう。

 

あの時の地獄の業火の世界を。

忘れるはずもない、深い憤怒と絶望、そして生きるために足掻いた必死の覚悟。

 

 

見てて忌々しいし、触れればひとしお。

 

 

 

だが、それでも。

否、それゆえに……それだからこそ。

 

 

 

「いつか俺が返してやる……だから、俺が貰い受ける」

 

「ふむ……まぁ私に否やはないから、師の思うようにしてくれて構わない」

 

 

そう言われ、俺はその鎌を手に取って立ち上がる。

途端、無いハズの右腕が悲鳴を上げている気がしたが歯を喰い縛って無視する。

 

柄は鉄製(原作は木製だったが、後に軽量化を図ったのか)で、足ほど太い鎌の部分は柄から垂直に出ている形だ。

当然刃は内側にあり、酷く使い勝手が悪そうだ。

鎌も湾曲しておらず、直刀のように真っ直ぐ。

 

その大鎌は想像通り重く、まず片手じゃ満足に振り回すことは難しい。

重心は鎌の部分にあるため、鎌を地と水平に振るうのは至難の技だろう。

 

つまり、殺傷武器としてはまず役に立たないゴミ……のハズなんだが。

 

 

そんなゴミの武器に、俺は殺されかけた。

 

片腕を、失わざるを得なかった。

 

 

 

そう思うだけで歯痒く、悔しさで一杯になる。

 

 

なればこそ、こうして手にできるのなら、己のものにしなければならないんだと思う。

 

 

あの地獄をいつでも身近に置いておこう。

 

そうすれば、少しは弱い心を強くできるだろうから。

そして、これの扱いを習熟して、奴に返すんだ。

 

仕返しとか復讐とか、そんな大層な話じゃない。

 

地獄に慣れ、地獄を克服できた暁には、少しだけ自分の成長を見られるのではと、そう思ったんだ。

 

この身体に相応しい心に成長できるんじゃないか、と。

 

 

 

「人が扱うにしても実用的ではないと思うが?」

 

「右半身の重さが不足してんだ。これで補えればちょうどいい」

 

 

何か他にも言いたそうな外印に、背に負えるよう細工してもらうように促す。

 

まず全体を覆える布。

鎌の部分に重点的に施すようにして、それと俺が爆散させた鎖の交換を。

 

 

出来上がったそれを、鎌が下になるようにして背負い、持ち手とは逆の柄の先端(つまり鎌の方)から延びる鎖を不自然に見えないよう右腕の残滓に巻き付ける。

 

いったい俺はどんな風に見えるのだろうかと疑問に思うが、努めて無視する。

これで左に身体が傾くことはないから万事OKだ。

 

 

当然、大鎌を身に付けるまえに身だしなみは整えている。

外印の私服を頂戴し、ボロボロの着の身着と交換していたのだ。

 

 

 

 

 

さて。

多少フラつくが、リハビリを続けた結果ある程度歩けるようになったし、忌々しいが期せずして武装も手に入った。

 

 

ならばもう、惰眠を貪っている暇はない。

 

 

 

 

「もう行くのか」

 

 

義手の届け先を伝えて、外へと続く扉へと手を掛けようとしたとき、後ろから声が掛かった。

 

 

「これ以上時間をロスするのはいただけない。とっとと終わらせるべきことを終わらせないと」

 

「そうか……師よ、なにか私に聞くことはないのか?」

 

 

うん?……あぁ、そうか。

 

まがりなりにもコイツも十本刀の一人。

ある程度此度の事件にも噛んでいるのだろう。

 

いかんな、そんな大事なことを忘れていたとは。

 

 

「……じゃあ御言葉に甘えて。お前らの今回の目的は?」

 

「レオナ・マックスウェルを殺害すること。本来なら手下どもで十分だったんだが、功を上げたい鎌足と蝙也が出しゃばった形だな」

 

「なら、目的は達成した?」

 

「うん。奴等も引き上げるハズだろう。師についても心配はいらない。以前、墓から拝借した人骨を放っておいたから、奴等が調べれば師の死と誤認するだろう」

 

「至れり尽くせりだな、ありがとう。それで、お前の目的は?」

 

「特に無かったよ。私はもとより自由奔放にできる身ゆえ、今回もただ見物をしていただけだったんだがね」

 

「で、俺の今わの際の姿を目撃して近くで見物しに来た、と……。ま、とりあえず信じておくよ。話を戻すが、レオナ・マックスウェルを殺害した理由は?」

 

「ふむ……答える前に一つ。師は我々のことをどこまで知っている?」

 

 

当然の問いだな。

 

組織の存在を知っているかのような口振りだし、夷腕坊に入っている外印の存在を言い当て、しかも機巧芸術家(からくりあるていすと)と断言したのだ。

 

どう考えても異常だ。地下組織を知りすぎている。

現在の警察でもそこまで知ることは不可能だろうし、端から見ると俺は謎の存在なのだろうな。

 

 

「組織については一通り調べあげた。が、当然分からないこともある。今回の騒動もそうだ。異国人を殺し、目立つ位置に死体を放置するなんざ……あぁ、見せしめか」

 

「御名答だ、師よ。レオナ・マックスウェルは組織に武器を流してくれていた協力者だったのだが、金に目が眩んで他の者にも流すようになったのだ。足が着くことを危惧した我々は、他の協力者への見せしめも兼ね、彼を殺すこととした」

 

 

納得。

 

そして理解した。

ここ横浜は奴等の温床なのだ、と。

 

つまり、監視の目みたいなものがあると考えた方がいい。

まだ横浜でやることはあるのだから、その目をどうにかしないとならない。

 

さて、どうするか……

 

 

「……外印。今回は本当に助かった。御礼と言ってはなんだが、俺の髪をくれてやる」

 

「うん?」

 

「人形に使えると思えばなかなかだと思うぜ。なにせこの色の髪はなかなか手に入らないだろ?」

 

 

ほお、と感嘆の息を洩らす声が聞こえた。

 

ふと机の上に置いてある小刀が目に入ったので、それを取って口に銜える。

そして後ろ髪をまとめて左腕に巻き付け、小刀を持って我ながら器用に髪を後頭部辺りで切っていく。

 

躊躇いもなく、頭皮に及ぶ痛みも関係なしに。

ざし、ざし、と。

 

そして最後の一本を切り終えると、久々に首筋が露になって涼しく感じた。

腕に巻き付いた髪を机の上に振り払い、今回のお代とさせてもらう……安いもんだよ、いやホント。

 

 

「……なるほど、これはいい。西洋では髪は魔力なるものが宿ると言われているようだが、これを人形に使えば面白いな。ふむ、確かに受け取った」

 

 

ホント、人形愛が強いな。

 

けど、今回はそのおかげで助かったんだ。

コイツに出会えたことといい、よく分からんがコイツの食指に触れたことといい、五体不満足になったものの生き残れたのだから俺も大概悪運が強い。

おまけに義手まで作ってくれるというのだから、感謝の念に絶えない。

 

そうだな。

落ち着いたらお礼を兼ねてコイツの人形作りに協力しようか。

 

なんてことを考えながら今度こそ扉に手を掛けた。

 

 

 

「じゃあな……世話になった」

 

 

「うむ。師の要望に沿う義手は必ず仕上げておこう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

外印の隠れ家から出ると、太陽が真上に来ていた。

時間を確認していなかったが、だいたい昼時のようだ。

 

 

見上げる空は青々と澄んでいて、雲一つ無い晴天だった。

 

 

あぁ。

 

 

俺にとって激動の一週間であっても、世界は関係なく回っていくんだな。

 

俺があそこで死んだとしても、明治は変わらず進み、そして平成へと至るのか。

 

 

 

……腐るな。

 

 

 

例え片腕がもげたところで、やることに変わりはないんだ。

 

 

戦争()のときに学んだろうが。

 

片腕が使えなくなって、斎藤の引き上げる背を眺めるしかなかった後悔を。

 

最後の最後に意識を失って、浦村さんに助けられなければ刃衛に殺されていた雪辱を。

 

また腕を失い、意識も失った。

記憶さえ朧気で、我を忘れたときもあった。

 

 

ならばこそ。

同じことを繰り返している今、こここそが。

 

 

 

 

後悔と雪辱を噛み締めて乗り越えなきゃならない瞬間なんじゃねぇのかよ!

 

 

 

 

 

はぁ、と己の内に燻る熱を吐き出し、俺は手を握り締めながら再び横浜の町へと繰り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

19話 横浜暗闘 其の漆



間に合った

本日2話目です、ご注意を


では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

 

十日前に起きた爆発事故は横浜を、そして明治政府を騒然とさせた。

 

 

当の家屋は木っ端微塵に消し飛ばされ、辺り一帯は火の海となった。

 

建屋と建屋の間がそれなりに開いて建てられていたため延焼は少なかったが、それでも20棟ほどの建屋が消し炭となってしまった。

 

焼け出された者たちは全員が商人で、何時でも逃げられる準備をしていた事が功を奏したのだろう、奇跡的に死者は()()しかおらず、負傷者も皆、軽傷で済んだ。

 

 

国際港横浜での火事を重く見た政府は全面的に捜査に乗り出すよう、東京警視本署並びに神奈川県警察に全力出動するように指示した。

 

 

そして捜査の結果、火元はレオナ・マックスウェル商店と断定。

当人と思しき遺体も確認されたが、頭部が切断されていたことから殺害後に火を付けられたと推定。

殺人及び死体遺棄、そして放火の容疑で目下犯人を捜索中である。

 

そして、近くに倒壊した建屋の下敷きになっていた形で、一つの白骨遺体が発見された。

今回の火災事件と関係があるとみて、警察は身元の確認を急いでいる。

 

 

横浜の英字新聞には、そう書かれていた。

 

 

「センセーショナルな記事だけど……なんだかなぁ」

 

 

自分のデスクに行儀悪く足を置き、万年筆を口にくわえてボヤく女性。

エミー・クリスタルは一週間ほど前に出版した自分の新聞を見ていた。

ただそれは文字を読んでいるのではなく、紙面をただ呆と眺めているだけだった。

 

 

(この見つかった白骨遺体って、あの人なのかなぁ……)

 

 

記事を書いていた頃から続く答えの出ない自問を、彼女は再び胸中で呟いた。

 

彼女は十徳が犯人だとは露ほども思っていなかった。

犯人だったら態々自分を巻き込まないからだ。

 

きっと彼も何かに巻き込まれたのだろう。

 

 

なればこそ、件の白骨遺体が彼である可能性は高い。

 

被災した人たちに聞いて回ったところ、身の回りで死んだ人が居ないということが分かったのだ。

関係のない人の可能性もあるが、あの人である可能性も十分にある。

 

そう思うと、いたたまれなくなった。

 

別段、仲の良い関係だったわけでもなければ、気があったわけでもない。

むしろ名前すら知らない相手ですらある。

 

理屈ではそのハズで、我ながら悲しんでいる気もしないのに、どうしてかいたたまれなかった。

現場に何度も足を運んだが、彼の死にまったく実感が湧かず、ため息が溢れるだけだった。

 

人とは斯くも簡単に死ぬのだろうか。

 

遠洋遙々この国に来た彼女にとって、別れなど幾度となく経験してきたし、見てきてもいる。

けど、流石に死別は初めてだった。

 

こんなにも簡単に、死が人を拐っていくのか。

 

こんなことになるのなら、ちゃんと名前を聞いておけばよかったな。

何者なの?って聞いて、何が目的なの?って聞いて、ちゃんと話をしておけばよかった……

 

 

(あぁ、そっか。私、後悔してるんだ)

 

 

心中にある形容し難いもやもやの正体が、やっと分かった。

 

あの謎の多い、否、謎そのもののような人を、ちゃんと知っておきたかったのだ。

それは、職業柄からくる探求心ゆえか、それとも別の何かなのか。

そこまでは分からないが、でもそれまでは分かった。

 

分かったのなら、後は動くだけ。

 

あの人本人から自身について話を聞けないのなら、あの人を知る警官たちに聞いて回ろう。

幸い、ウジキなる人は事件当時に一人で帰ってきたのだ。

彼が何者で、何をしようとしていたのかを、聞いてみよう。

 

 

「やぁエミー。何処か出掛けるのかい?」

 

 

捜査現場にいるであろう警官たちに接触しようと席を立ったとき、同僚の男性が声を掛けてきた。

 

 

「えぇ、またあの現場に行ってくるわ」

 

「君は本当に現場主義だね。まぁそのおかげでこんな詳細な記事を書けるんだから、僕も見習わなきゃ。そういえば知っているかい?僕たちの新聞が日本語に翻訳されて出版される契約が決定したんだよ」

 

「へぇ、そうなの?」

 

「うん、日本人もようやく報道取材の新聞の重要性を知ったようだよ。僕たちの記事が日本に行き渡る。僕たちが彼らの先達になるんだよ?凄いことじゃないか!」

 

 

それは、確かに凄いことだろう。

自分達が書き上げた記事が横浜のみならず、日本中で読まれるようになるのだから。

 

が、そんな事実に感慨にふける気持ちは湧かなかった。

今はとにかく早いとこ現場に行きたかったから。

 

 

「その話についてはまた後で詳しく聞かせて。私はもう行くから」

 

 

そう言うと彼女はいつもの仕事道具を詰めたバッグを手に取り、外へと向かおうとしたがーー

 

 

「そう、分かったよ。じゃあさっき君宛てに渡しておいてほしいと頼まれた荷物はデスクに置いておくね。なんか白い髪の人から預かったんだけどーー」

 

「白い髪の男?!いつ、どこで渡された?!何を言ってた?!」

 

 

即座にターンして同僚のもとに駆け寄り、その胸ぐらを掴んでいた。

彼が持っているのは緑の風呂敷に包まれた両掌サイズの物だった。

 

 

「あわわわ……な、なにも!エミーに渡してって、さっき来て」

 

「わかった!!」

 

 

胸ぐらを解放したエミーは直ぐ様駆け出し、新聞社を飛び出すと辺りをざっと見渡す。

 

いつものようにたくさんの人が行き交う通りから、一人の男を見つけるのは至難の業だ。

それでもエミーは人混みを掻き分け、当てどなく走り出した。

 

 

 

 

 

それを、新聞社の向かいにある洋風お茶所(カフェ)からポカンと見送る一人の男がいた。

 

 

狩生十徳だ。

 

 

「行っちゃったよ……何をそんなに慌ててんだ?」

 

 

まさか自分を探して飛び出したとは思っていない十徳だった。

先ほどの荷物の中に入れた手紙に、ここで待つと書いたから別件だろうと思ったのだ。

自分が預けた荷物を持っていたのは不思議だが。

 

 

「ま、いっか。報告書も済ませたし、気長に待とう」

 

 

そう言って十徳は珈琲に口をつけて、だらしなく頬を緩ませた。

 

前世での彼は珈琲をよく飲んでいたのだ。

この世界に来てお茶をよく飲むようになって、それなりに日本茶も好きになったがやはり珈琲は好きなままなのだ。

売っている店が限られているが、仕方ない。

東京のどこかにあるかもしれんし今度探してみようか、などと益体もないことを考えていたら、通りをとぼとぼと歩いて戻ってきたエミーが目に入った。

 

どうやら好ましくない結果に終わったようだ、と十徳は思った。

事情を知っている人が見ればさぞ滑稽だろう。

だが、知らないからこそ十徳はこうしてほのぼのと眺めているのだ。

 

知っていたら、こんなにリラックスはできていないだろう。

 

 

と。

 

 

ふと、一陣の強い風が吹いて彼女の手から風呂敷が転げ落ちた。

慌てて拾うと、開かれた包みから手紙がスルリと落ちる。

 

初めて手紙の存在を知った彼女はそれを開き、慌てて目を通す。

瞬間、内容を理解したのか、バッと振り返ると十徳と目が合った。

 

 

「「…………」」

 

 

見つめ合うこと数秒。

 

先に折れたのは十徳だった。

日本人特有の、西洋人には理解されない静かな微苦笑を浮かべて、目を逸らした。

 

それが切っ掛けか、彼女は人の海を強引に掻き分けてまっしぐらに十徳のもとまで駆け寄ると、テーブルを壊さんばかりに叩いて叫んだ。

 

 

「なんで、生きてんのよッ?!」

 

「君は俺の敵か何かか?死ななかったから生きてるんだろうに」

 

「ッ、なにを…呑気に珈琲なんか飲んでんのよ?!」

 

「珈琲ぐらい好きに飲ませてくれ。あ、君も一緒にどう?今なら飲み放題で払い放題だよ?」

 

「ただの普通料金じゃない!じゃなくて……!」

 

 

しん、と静まり返る店内。

客も店員も誰も彼もが、彼らを凝視していた。

それでも、そんなことはまったく気にしていないエミーはなんとか胸のモヤモヤを言葉にしようとして、しかし上手く口から出せなくて、再び押し黙ってしまった。

 

 

「そうじゃなくてッ、……生きてたんなら、知らせなさいよ……」

 

「……ごめん。今まで忙しくて身動きが取れなくて」

 

 

はぁ、と大きく息を吐いたエミーはその言葉に返事するでもなく、対面の席に座った。

そうして初めて目の前の青年の様子を窺った。

 

 

「怪我、随分と酷そうね。動いて大じょ…ッ?!」

 

 

今さら?と茶化すこともなく、十徳は微笑んでダイジョブと答えた。

 

彼の今の見た目は、エミーの言う通り酷かった。

西洋医療を施されたのか包帯とガーゼで覗ける素肌は少なく、左手も指先までがぐるぐるに包帯を巻かれていた。

 

が、愕然としているエミーは彼のとある一点のみに見つめていた。

 

ゆらゆらと揺れる、片袖。

 

そこにあるべきはずの腕が、無かったからだ。

 

 

「貴方……その、腕ッ……」

 

「気にすんな。生きてたことが、何よりの幸運だから」

 

 

そうは言うものの、気にしないなどできるハズも無かった。

ついこの間まで普通に話していた相手が、いきなり現れたかと思えば隻腕になっているのだ。

心配するなと言う方こそ無理があった。

 

この時、十徳のとても冷たく、そして無機質な色合いの瞳に彼女が気が付かなかったのは幸いなことだったかもしれない。

 

 

「びょ、病院ッ……」

 

「もう行ってるから。ホントに落ち着いて」

 

「お、落ち着いてられるわけないじゃない!貴方、その腕どうしたのよ?!」

 

 

今にも泣き出しそうはほどに切羽詰まって叫ぶエミーに、十徳はやはり会うのはマズったかなと考えた。

だが、いずれは会って話をしなきゃ、話を進めなきゃならないんだから、早いか遅いかの違いでしかないんだよな、と思い直す。

 

明らかに動揺する彼女に落ち着くよう言い聞かせるも、詳しい事は話さないようにする。

 

 

「……あの店で何があったのかも、話してくれないの?」

 

「ごめん、レオナ・マックスウェルの密売疑惑の話は無かったことにしてくれ。此方から頼んだのに一方的に破棄することを許してほしい」

 

 

そう言われてエミーは、はいそうですかと納得するハズがなかった。

ジャーナリズムはあらゆる力に屈してはならないと考えているからだ。

 

だが、目の前にいる大怪我を負った青年を見て、大きな事件に巻き込まれたことは容易に想像がつくし、そして彼が自分を関わらせないように計らってくれていることも想像がついた。

 

そしてここは異国の地。

自分の活動は範囲も方法も限られている。

大きな事件をピックアップしたい気持ちはあるが、なにも危ない事に首を突っ込みたいわけではない。

 

ましてや、片腕を亡くしている人が目の前にいるのだ。

 

不承不承ながらも頷くしかなかった。

 

 

「……はぁ、あの爆心地にいたんでしょ?よく無事だったわね」

 

「なんとかね。危うくこんがりといい具合に焼けるとこだった。と、そんなことはどーでもいいんだ。俺が君をここに呼んだのは、なにも無事を伝えたかったからじゃない」

 

「……えぇ」

 

 

それは、流し読みした手紙にも書かれていたことだった。

彼はあくまで新聞記者としてのエミー・クリスタルを求めているのだ。

故にエミーは、仕事として俺に接しろと言っているように聞こえた。

 

 

「俺にとって、この火災の事を大々的に報じ続けられるのは些かまずい。だからエミー・クリスタル、予定を変更して阿片の大量密輸の事件をスクープしてくれ」

 

「別の大きな話題で世間の関心を逸らす、てこと?」

 

「その側面もある。けど、本当の目的は別にあるんだが……まぁそこはいい」

 

 

どういう意味?とエミーが聞こうとしたが、それより先に十徳が袂から小包を出してテーブルに置いた。

その大きさと、話の流れからエミーはその包みの中身をすぐに悟った。

 

 

 

 

「さぁ。君の記事で日本に、否、世界に衝撃を与えてくれ」

 

 

 

 

 

 

 









次回で横浜暗闘編ラストです


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

20話 横浜暗闘 其の捌





横浜暗闘編最終話です


では、どうぞ






 

 

 

 

 

 

「記事は夕刊に載せてくれ。それが発行されて巷が騒ぎ出した頃に、俺が騒動のメインの爆弾を爆発させる。そうなれば、事態は上を下へのさ」

 

「メインの爆弾?あんた、まさかッ……」

 

「例えだよ、例え。本物じゃあない。君はなんの心配もせずに記事の内容を煮詰めてくれ。あ、阿片は神奈川県警察に出しといてね」

 

 

それから俺は奴等を逃がす手引きの話をし、ストーリーの流れを説明した。

なんか半目で睨まれているんだけど、なに?

 

 

「マッチポンプにも程があるわ。貴方と仕事をすると、事件を書いているのではなく事件を起こしているように感じる」

 

記者(WRITER)火付け役(LIGHTER))なんだから、別に構わんだろ?」

 

 

なんてね。

あまり誉められたことでもないし、その立派なジャーナリズム精神には申し訳ないのだが、記録に何も残らず終わってしまうのが一番マズいのだ。

ここは目を瞑ってほしい。

 

 

「まぁいいわ。犯罪事件を報じることに変わりはないもの。夕刊に英字新聞、近いうちに日本語に翻訳された新聞も世に出回るハズよ」

 

「ありがとう。それなら俺はこれから最後の準備をしてくるから、夕刊の発行が終えたら埠頭で待ち合わせしよう」

 

 

翻訳新聞の契約については知っている。

だって日本の新聞会社に話を吹き込んだのは俺だから。

以前、観柳の疑惑をリークすると門衛に言って脅したが、あれはなにも嘘ではなかったのだ。

報道取材に組織の体質が変わる下地は既に作っておいたんだ。

 

まぁ、まさか昨日の今日で契約の話が持ち込まれるとは思わなかったけど、嬉しい誤算というやつだ。

 

挨拶を済ませて席を立ち、代金を払ってから店を出ようとしたら後ろから呼び止められる。

 

 

「ねぇ。聞いてなかったんだけど、あんた名前は?」

 

「……記事に載せるのならイヤだぜ?」

 

「そんなことはしないわよ。匿名の情報提供者ってしておくから」

 

「了解。俺は……Zittoku、Zittoku Kariu」

 

「ジットク、ね。いいわ、今さらになっちゃったけど、これから宜しくね」

 

 

そう言って差し出された左手を見て、確かに自己紹介をしてなかったと思い出した。

我ながら何をしてんだか。

 

包帯越しに感じた彼女の掌は、職業柄か固く、しっかりとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

さて、横浜は間もなく夕暮れ時。

 

英字新聞の夕刊は無事に発行され、当然だが横浜港は騒然となった。

証拠としての阿片も警察に提出したとのことで、同業者のジョン・ハートレーに対する目は疑惑のそれから確信のものへと変わった。

 

記事を書いた記者は、最後にこう記している。

 

 

「日本は此度の密輸事件をどう解決するのか。領事裁判権がある以上、首謀者を逮捕しても裁判には掛けられず、身柄は相手国側に引き渡すこととなるだろう。だが、これを期に日本が阿片に対する取り締まりを強化し、そして首謀者が本国の法廷で公正な裁きを受けることを、かつて阿片で一国を腐敗させた国の住人である記者は切に願う……か」

 

「わざわざ声に出して読まないで!」

 

「いいじゃん別に。読まれるための記事だろ」

 

「そうだけど!そうだけど……うぅ」

 

 

気持ちは分かる。

学校の先生が自分の書いた読書感想文をみんなの前で読むみたいなもんだよな。

……小学校の時のサトー先生マヂ許すまじ。

 

 

それはさておき、俺たちは今、件の清国商船と英国商船が見える埠頭に立っている。

最後の準備を終えたため、後は実行に移すのみだった。

 

 

「じゃあ私はどうするの?」

 

「ここに残って、これから起きるすべてを見届けてくれ。そして出来れば仰々しい見出しの記事にしてほしいかな」

 

「分かったわ……けど、」

 

「うん?」

 

 

税関の役人とジョン・ハートレーの手下が今まさに取っ組み合いに発展しそうなほどに白熱した言葉のやり取りをしている。

生憎ここからじゃ話の内容は聞こえないが、想像に難くない。

中身を改めさせろと言う役人に対し、そんな義務はないと言う船員、だろう。

あの記事を発端に起きているいざこざだ。

 

 

「これっきり、てわけじゃないでしょ?また会えるよね?」

 

「そうだね。今度はお互い仕事に関係なく、あの店で珈琲を飲もう」

 

 

そう言って、俺は黒いマントを脱いで警服を露にする。

 

罰として横浜に飛ばされて課された任務は、終わってしまった。

レオナ・マックスウェル氏の死は恐らく川路警視総監の耳にも届いているだろう。

だから今後、この件の調査を極秘に進めることになる可能性がある。

 

そうなれば必然、志々雄真実の影を追うことになるだろう。

なればこそ、ジョン・ハートレーを上手く利用しなければならない。

志々雄真実に対してもそうだが、あの金銭中毒野郎に対しても、だ。

 

 

「ッ!……ジットク、警官だったんだ」

 

「やってることがあれなのは自分でも分かってる。でも、これでも日本の未来を思って行動している警官なんだ」

 

 

俺は彼女に向かって、本来とは別の腕で敬礼した。

すると彼女は苦笑して、言葉を溢した。

 

 

「信じられないわよ、そんな言葉。あんたはいっつも滅茶苦茶で、何を考えているのか分からない。何を見ているのか、全然分からない。死んだと思ったら全身に包帯を巻いて現れて、片腕を亡くしたくせして優雅に珈琲なんか飲んでて、ほんッとクレイジーな男よ。分かるわけないじゃない」

 

「むぅ」

 

 

なんかボロクソ言われてんだけど。

まぁ端から見たらそんな感じだよな、ぐぅの音も出ないとはこの事か。

 

俺が渋面で唸っていると、けど……と彼女が続けた。

どこか楽しげな感じのように見えるのは、気のせいだろうか。

 

 

「あんたは何か大きな事をしでかす。それはきっと、面白いことなんだって。それはなんとなく分かる。だからさ、いつかあんたの伝記(biography) を書かせてよ」

 

「伝記?俺の?なんでそんなものを。つまらないだろ」

 

「あんたの行動原理を知りたいのよ。何を見て、何を考えているのか、それを知りたいの」

 

 

私の好奇心を刺激した責任、ちゃんと取りなさいよ。

なんて、笑いながら言われて俺は返す言葉も無かった。

 

あぁ。

本当に逞しいジャーナリストだ。

 

この人になら、全てを話してみてもいいかもしれない。

 

この国の未来のために、俺がしたことを、したいことを、しなければならないことを。

 

 

「……そうだな。いつか話そう。また会いに来るから、その時は宜しくな」

 

「えぇ、此方こそ。元気でね」

 

 

君もね

 

そう言って俺は踵を返し、件の揉めている現場に駆けて行った。

 

 

いい女性だった。

さっぱりした性格で、話してて面白い。

あの人とは、今後ともいい関係の付き合いをしたいもんだ。

外国とのコネクションにもなるだろう。

志々雄真実の動乱を乗り越えた後は、彼女にまた協力してもらおうか。

 

 

「どうどう。両者とも落ち着きなさい」

 

 

そうして税関の役員と船員が揉めている所にたどり着き、間に割って入る。

両者とも俺の乱入に驚いたようで、税関の役員は俺の警服を認めて喜色を浮かべた。

 

 

「警察の方ですね?!もう捜査が始まったのですか?」

 

「いや、あくまで揉め事の仲裁に来たんだ。事情は把握しているが、取り合えずお互い落ち着きたまへ。And you, calm down 」

 

 

俺は相手の船員にも通じるよう英語で話し掛ける。

 

 

「警察……テメェも船の中を見せろと言うつもりか?生憎だが見せてやる義理は無ェし、テメェらはそんな権利無ェだろうが!そもそも、あんな胡散臭い記事を信じてんじゃねぇよ!」

 

「船を見れないのは知ってるさ。見るつもりもないし、そもそも俺は阿片を調べようと来たわけじゃない」

 

「だったらとっとと帰りやがれ!黄色い猿どもが!」

 

「ーーが、阿片を持っている奴が目の前にいるのなら話は別だ」

 

「あぁ?」

 

 

イラっときたが、この時代、東洋人を見る目はだいたいこれが普通だと自分に言い聞かせて落ち着く。

英国人であるエミー・クリスタルがかなりの知日派、というか優しい心根を持った人だから勘違いされるだろうけど、白色人の有色人種に対する蔑視は向こう100年間変わらないのだ。

 

一息吐いて怒気を抜くと、素早く奴の胸内ポケットに手を突っ込み、そして引き抜く。

 

 

「なッ……!」

 

 

そして俺の手には、白い紙が握られていた。

それを開くと、白い粉が溢れ落ちる。

 

 

「説明はいらんな。密輸の容疑で拘束する」

 

「なッ、んなもん持ってねェよ!テメェ、デタラメを……!!」

 

 

叫ぶ男を黙らせるために咄嗟に奴の懐に入り、襟を掴んで体を半回転させる。

そのまま奴の身体を背中に乗せ、一気に己のケツを突き上げる。

 

片手背負い投げ

 

地面に背中を叩きつけた男は白眼を向き、空気の抜ける音を漏らして気を失った。

 

 

「阿片の持ち込みは誰であろうと許さん。お前ら、コイツらの身柄を拘束しろ!」

 

「「は、はい!!」」

 

 

命令権など本来は無いが今はそうも言ってらんない。

他の役員に命じて、船員共を拘束させる。

 

暴れて拘束を振りほどく奴らには片っ端から柔道の投げ技を掛け、落としていく。

片手背負い投げ、内股刈り、果ては巴投げ。

未だ柔道の存在を欠片も知らない英国人共は、二回りも体格の劣る俺にひらりひらりと地に背中から叩き伏せられる様子を見て、顎を外さんばかりに驚いている。

 

そうして最後の船員を落とし、拘束し終え、問題の船を見遣ると帆が張り出されて出港の準備が為されていた。

 

 

「なっ、奴等逃げるつもりだ!」

 

「バカな、手際が良すぎやしないか?!」

 

「追いましょう!逃がしてはなりません!」

 

 

息巻く役員の声を、俺は一蹴した。

 

 

「コイツらを連行するのが先だ。その後に大蔵省に連絡して事態を報告しろ」

 

「しかしーー!」

 

「どのみち船が無いから奴等を追うことはできん。海軍が出張れば話は別だが、それもあり得ん。それに、奴等も遠出は出来ないだろうから寄港先は日本のどこかだ。そこで捕まえればいい」

 

「ッ……、分かりました」

 

 

俺の指示に不承不承といった感じで頷く役員。

 

 

 

 

 

悪いな、奴等とは()()()()()()をしたんだ。

 

 

奴等を追わせるわけには、いかないんでね。

 

 

 

 

 

 

 

かふぇでエミー・クリスタルと別れた後、俺はひっそりとあの船に乗り込み、ジョン・ハートレーのツラを拝みに行ったのだ。

 

 

そこで、奴にこれから起きるであろう展開を話してやった。

お前らが大事に抱えている阿片の情報がリークされたぞ、と。

それが今夕に記事で報じられ、警察や税関当局が動き出し、お前らはほどなく捕まるだろう、と。

 

普通に話したところで信じられなかっただろうが、俺が警服でいたことなども手伝い、そして捕まった後のデメリットを誇張して伝えたら信じてくれた。

 

 

 

お前の言う通り、日本がお前らを裁くことはできない。

そして英国政府や英国司法は確かにお前らを助けるだろう。

無罪放免となるのは間違いないし、今後とも海を股にかけて商売を続けられるだろうな。

 

ただ、果たして阿片まで助けてくれるか?

 

金になる粉を、態々捕まったお前らに政府が返すと御目出度く考えているのか?

阿片の実利をこの世でもっとも詳しく知る、英国政府首脳陣が?

 

…………

 

少しでも危惧があるのなら、俺の案に乗れ。

 

なに、簡単なことよ。

 

前もって逃げる準備をしといてさ、港で騒ぎが起きたらさっさと逃げろ。

税関当局の動きは俺が封じてやるから。

そんでもって後を追わせない。もちろん警察にも、だ。

 

何人か証人で捕縛するが、どのみち後で英国政府に渡るんだ。構いやしねぇだろ。

 

 

っと、見返りを言うのを忘れてたな。

 

俺が欲しいのはただ一つ、偽の契約書だ。

 

 

今回の、そして今までの阿片の密輸先を×××と書いて、寄越せ。

 

 

な、お前らに損の無い簡単な話だろ?

契約書の真偽を日本から問い質すことは実質不可能なんだし、お前らは我関せずの態度でいれば勝手に霧散する話なハズだ。

 

……

 

あぁ、約束しよう。

 

俺たち警察はお前らを追わないし、捕まえない。

俺がここに来たのが証拠になるだろ?

後々捕まえるってんなら、余計な事を伝えに危ない橋を渡るわけがねぇじゃねぇか。

 

大阪でも神戸でも上海でも、好きなところに行きやがれ。

 

 

 

なるべく()()()、な。

 

 

 

 

 

 

その後、指示通りに駆け出していく役員共を尻目に、俺は気絶している船員共のポケットに阿片の入った袋を入れていく。

その傍ら、どんどん埠頭から遠ざかっていくジョン・ハートレーの船も見送って。

 

これでよし。

 

奴等は無事に横浜港から逃げ仰せ、俺は偽の契約書をいただいた。

ここに奴等と交わした契約は完了した。

 

 

さらに、ジョン・ハートレーには当然伝えていないが、俺はもう一つの実益を手にすることができた。

 

奴が逃げ出したことは彼女が記事にして(正確には翻訳された記事が)日本国内を駆け巡ることになるだろう。

 

 

 

そうなれば、きっと志々雄一派が目の色を変えて追うハズだ。

 

 

 

 

なにせ金に成る粉だからな。

思惑通りに行けば、奴等があの阿片を追い続けてくれる。

そうなれば横浜での奴等の目が緩む、という算段だ。

 

いくら全身包帯で髪を短くしたからって、バレない保証はない。

ならば簡単な話、遠くに行ってもらうまでた。

 

しかも、志々雄一派が派手にあの船を襲撃してくれれば、その捜査として日本警察が介入できるというオマケ付き。

 

逃げる奴等を追わない、捕まえないという約束は守るさ、契約だからな。

 

だが、襲撃事件が起きれば、話は別だ。

阿片について捜査するわけじゃないから、俺に止める道理はない。

 

 

 

たとえ、その捜査の過程で()を見つけようと、な。

 

 

 

 

さて

 

 

稼げる時間はどれほどだろうな。

奪取した阿片を足がつかないよう金に替えることを考えれば、半年か一年か……奇しくも原作が始まるぐらいに奴等もまた動き出すと考えるべきか。

 

 

あぁ、上々だ。

 

 

 

それまでは此方のターンだ。

 

 

 

背後から、手足を一本一本もいでいってやる。

 

 

 

 

 

覚悟しろよ、十本刀。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












ここまでお読みいただきありがとうございました


次話より明治浪漫編に戻ります
その再開が原作のスタートと被るか、それともまだ始まる前とするかは未定です

投稿再開時期もまた未定です
ケッコー真面目にストーリーの構成を考えて書いていきたいので
今月中に上げていきたい気ではいますが、来月にズレる可能性も低くなく……


すみませんが、今暫しお時間をください




では、また



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

21話 明治浪漫 其の伍



お久しぶりです
畳廿畳です

ストックがそれなりに溜まり、話の方向性も纏まりましたので投稿再開しますね
どうぞご賞味あれ

ただ、今話より明治浪漫編再開なのですが原作スタートはもう少し先です
それを楽しみにしてらっしゃった方は申し訳ありません


それでも読んでいただけたら幸甚にございます


では、どうぞ








 

 

 

 

 

 

無音の空間に、紙を捲る音だけが響く。

 

 

「…………」

 

 

ここは東京警視本署の大警視(警視総監)室。

 

 

その部屋の奥に鎮座する大きな机の向こう、木製の椅子に座し、数十枚の紙の上に書かれた文字を目で追う人こそ、この部屋の主、川路警視総監。

 

そんな人と机を挟んで立って待っているんだが、胃が痛いってレベルじゃない。

 

ぎぼぢわるい……!

 

もうかれこれ三十分はこうして俺の報告書を読まれるのを見ながら待っている。

警察のトップが、俺の書いた報告書を、読んでいるのを目の前で待っているのだ。

 

なんだこれ。

 

いや、まぁ内容が内容だから穏便に済むとは思っちゃいなかったが、これは想定外だわ。

何を言われることもなく、ただただ黙って待てというのだから。

 

はぁ……と内心で何度目かのため息を溢したとき、ついに川路警視総監が顔を上げ、そして俺の目を見据えて口を開いた。

 

 

「色々と聞きたいことがあるし、言いたいこともある。が、それら全てより先にただ一つ問わねばならんことがある」

 

「はッ……」

 

「狩生。貴様は志々雄真実の手先か?それとも国家に殉じる公僕か?」

 

 

見据えていた目は鋭さを増し、こちらを射殺すほどの眼光となって俺の全身を貫く。

 

あぁ、怖ぇ。

原作じゃあ小柄なハゲおっさんとしか印象に残らなかったが、逆にそんな身でありながら初代警視総監に登り詰めたということは、それ相応以上の実力を有しているということだ。

 

嫌な汗が、つと頬を流れた。

 

疑われる可能性は十分に考えられた。

志々雄真実の存在は、国家にとってタブーなのだ。

それを知るということは、従来はあり得ない。

 

警察が水面下で捜査を続け、されど派遣した捜査員は悉く行方不明になるか死体となってしまっている。

その事態を知る者は警察側では徹底的に管理され、それに漏れる者が手先であり、捜査の糸口としているからだ。

 

つまり、そのリストに載っていないであろう俺が自ら志々雄真実の事を知っていると言った場合、どうなるかなど火を見るより明らかだろう。

 

手先だ、否だ。

そんなの口でいくら言おうと水掛け論に過ぎない。

だから、俺にできることは不動の誠意を示してこの眼光に耐えるしかない。

 

 

数秒、数十秒、数十分……

 

果たしてどれくらい直立の姿勢でいただろうか。

背中は嫌な汗でベトベトで、鼓動は張り裂けんほどに激しく暴れるも、視線だけは決して逸らさずに居続けた。

 

 

やがて、溜め息とともに川路警視総監が視線を切って、この拷問にも似た時間は終わりを迎えた。

 

 

「止めだ止め。態々工作員であることを匂わす工作員がいるものか。要らぬ詰問をしてしまったわい」

 

「っ、ぶはぁ……はぁ、はぁ。 よろしいのですか?敢えてそうしているのかも知れませんよ?」

 

「ふん、疑いだしたらキリがないわ。今のところはむしろ信が置けるとすら思う。この報告書と……そのナリを見れば、な」

 

「……恐縮です」

 

 

そう言って、俺は右腕を掻き抱く。

 

身体中の傷も塞がってきたことから粗方の包帯は解けたが、当然腕の断裂部の包帯は着けたままだ。

まぁ長袖だから包帯は見えないが、外印が作ってくれた義手の接合機巧が着いているのだから隠しておくに越したことはないだろう。

ヒラヒラと袖が棚引くものの、もうこれも気にならなくなったし。

 

あぁでも。

 

忌々しいことに、頬の小さな火傷跡と腕の鎖模様の火傷跡は未だ治らず、ふと火を想像するとちりちりと火傷跡が痛むときがある。

 

 

「志々雄真実は…志々雄真実の工作員はあらゆる所に潜り込んでいる。市井はもちろん、軍や警察、下手したら政界にもいるかもしれん。其奴らの目的は、まぁ分かるだろうが明治政府の転覆だ。志々雄真実を首魁にした新政府の樹立を目指していると思われる」

 

「……」

 

「この事を知っているのは極少数だ。何故なら調査に乗り出した警察官の殆どが死ぬか消息不明となるからな。それ程までに志々雄真実の組織は闇が深く、そして強い」

 

 

思ってた通り、か。

国家権力が一武装勢力に後れを取っていて、秩序を保つ警察が己すら守れていないとは最悪な状況だよ、まったく。

 

 

「驚く様子もないとは、ある程度予想していたか?」

 

「はッ。報告書にも記しましたが、戦闘となった志々雄一派を名乗っていた工作員は異常なまでの実力と計画性を持っていましたので、最悪の事態を想定した方が良いと判断していました」

 

「……最悪の事態、だと?」

 

「国際港である横浜での殺人及び放火を平気でしでかす組織であるならば、その存在は国家を脅かすほどのものと考えた方がいい。そう考慮していたのです」

 

「故にジョン・ハートレーの事件を大々的に報じさせ、その国家を脅かす組織、つまりは志々雄一派のことであるが、そやつらの注意をそちらに逸らしたと?」

 

「仰る意味が分かりかねます。私としては取り逃がしたことに忸怩たる思いなのですが……」

 

「ふん、喰えぬ男よ。その発言にどれほどの真意が含まれているというのだ」

 

 

はて、なんのことやら。

 

 

「二週間前、神戸へと補給のため寄港しようとした()の商船が、何者かに襲撃され、幾つかの積み荷を強奪されたようだ。泣きついてきた商人どもにせっつかれ、されど船の中には入るなと脅された兵庫県警は業を煮やし、ついには強引に船内に押し入って捜査をしたところ、ジョン・ハートレーが大量の阿片を隠し持っていた事が判明した。これをもって県警は船員一同を拘束し、日本への阿片大量密輸を阻止することができた……随分とまぁ出来すぎている気がするがな」

 

「どういう意味でしょうか」

 

「分からないか?貴様が横浜に訪れた途端、国際的な問題に発展する事件が明るみに出て、当の貴様が取り逃がしたことによってその事件はむしろ進展し、そして解消した。しかも日本の新聞社の組織も変わる兆しを見せ、おかげで日本国民の国家意識(なしょなりずむ)も高まった。あまつさえ、志々雄真実の影を掴んだのだ。だからこそ出来すぎだと言ったのだ」

 

 

俺は肩を竦めて返した。

 

 

「まるで私がすべてを手引きをしたようだ、と仰るのですか?ならば、私は阿呆です。その強奪した犯人はおそらく志々雄一派の者でしょうから、奴等の組織の強化に寄与したことになったのですよ?それに、当初の密売事件の捜査は失敗したのですから、二重の失態です」

 

「反面、その方向から志々雄一派に関する捜査の糸口を見出だした。横浜が奴等の温床地域であることもまた分かった。貴様は確かに阿呆だが、阿呆が作ったこの機を逃すわけにもまたいくまい」

 

 

それをもって失敗の帳尻を合わせろ、と言って川路警視総監は一枚の封書を取り出し、此方に向かって投げて寄越した。

どういう原理か、それは一度も地に落ちることなく俺の胸元までひらりひらりと飛んできた。

 

 

「辞令書だ。自分の尻は自分で拭け……と言いたいところだが、拭かす者を少し増やしてやる。横浜に仲良く行ったアイツらを下につけてやろう」

 

「……はッ」

 

 

部下か……いるに越したことはないが、果たしてあの噛ませ犬どもが役に立つのやら。

いや、役に立つように仕上げるのも仕事のうちか。

 

 

「狩生。既に分かっているとは思うが、志々雄真実の存在が明らかになれば明治政府は終わる。志々雄との戦いは決して歴史の表舞台には出せないが、それでも、否、それだからこそ日本の未来が掛かっている。この機を失敗で終わらせるわけには絶対にゆかんのだ。分かっているな?」

 

「無論です。かつての維新のような内乱が再び日本で起きれば、西洋列強は今度こそ日本を食い物にするでしょう。それは、絶対に避けねばなりません」

 

「そうだ。故に狩生。貴様がどうなろうと構わない、とにかく情報を掴め。奴等の実態、所在、規模、動向、なんでもいい。独自裁量権もある程度与えよう。そして現法制における拡大解釈の余地も考えよ。言っている意味が分かるな?」

 

「……はッ!」

 

 

これは…なんとまぁブッ飛んだ辞令だこと。

犯罪すれすれ、否、場合によっては犯罪行為も辞さずに捜査しろと言っているようなものではないか。

要するに解釈の問題であり、その点を踏まえての越権行為ならば擁護もしてくれるというお墨付きだ。

 

素晴らしいねぇ。

対価として死んでも有益な情報を掴んでこいと言っているのだが、そこはご愛嬌だな。

 

 

「武田観柳への接触任務は続けろ。此方の件も負けず劣らずの重要度であることを忘れるな。そして、並行して志々雄真実への捜査を命じる。方法等についてはすべて貴様に一任する。中途報告は()()()()()に上げておけ、以上だ」

 

 

それは流石にノルマが多すぎじゃないですか?などと愚痴を溢すわけにもいかず、寸でのところで飲み込んで俺は再度返事をし、部屋を出ていこうと踵を返す。

 

しかし、随分と放任主義だな。

異端分子は手綱を握るより放任した方がよいとの考えなのだろうか。

にしては独自裁量権を与えて方法も俺任せ、しかも任務の重要度は仰る通りどちらも高いとなれば、失敗しても蜥蜴の尻尾切りに出来るから、という理屈では通らなくなっている気がする。

 

積極的に危ない目に会わせる割には、此方の行動を制限することはない。

部下もつけるということは、それなりのバックアップ体制を整えてやるという配慮か。

それとも当初の俺の起用理念が変わってきているのだろうか。

 

だが。

ともあれ、だ。

 

少し我が儘を言ってみるかな?

 

俺は扉の前まで来ると、思い出したかのようにくるりと振り返った。

 

 

「ん?なんだ?」

 

「はッ、一つご配慮頂きたいことがあります」

 

「なんだ?この際だ、言ってみろ」

 

 

 

 

「は、では。死亡率の高い仕事なのですから、特別手当をください。出来れば……給与六ヶ月分ぐらいほしいです」

 

 

 

 

 

 

……ん?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「まったく、あの男は……」

 

 

ついついまた溜め息を溢してしまう。

図太いんだか能天気なんだか、金銭の要求をしてきたアイツを追っ払って(一応特別手当は承諾したが)、出ていった扉を見ながら考える。

 

浦村たちの推薦によって雇用した西南戦争の生き残り。

二十に満たない年若さでありながら深い思慮と大胆な行動力を持ち、凄惨な戦争経験を根底にした奇妙な価値観と肝の座りよう。

どこで学んだのか英語を解し、国際的な知識も豊富とくる。

これだけを見ればかなり、否、頭抜けて優秀な人材だ。

 

しかもまさか独力でこの国の暗部(志々雄真実)に辿り着き、脅した上で仕事を振ってみればなんと賃上げ要求をしてくる始末。

 

 

「頼もしいやら嘆かわしいやら……癖の強さでは()()とどっこいか」

 

 

思想、行動、言動、すべてが異端で異質。

警察組織の和を乱し、悉く前例と慣例を打ち破っていく破天荒な存在。

 

されど、その全ては出鱈目などではないようで、根幹には奴の何らかの思惑があってのことと推察できる。

おまけに戦闘能力から事務処理能力まで、基本的な能力も申し分ないから扱いに困る。

 

そして、奴の果たした事はすべてが偉業で、異様だ。

先に挙げた横浜での成果など、言った己ですら今なお信じられないほどなのだから。

だが、事実だけを並べたら認めざるを得ない。

あやつが極短期間で手にした成果を。

 

それを思うからこそ、薄ら寒いものも感じる。

 

奴を拾った浦村は気づいていないだろう。

奴の有用性と、それと表裏一体にある危険性を。

得体の知れない優れた能力は底知れぬ恐ろしさと同義なのだ。

 

だが、なればこそ。

 

奴を見逃す手はないし、安全圏で活用することもまたあり得ず、ましてや温存などという選択肢は絶対にあり得ない。

使えるものは磨耗しきるまで使わなければならないのだから。

 

明治日本に人的余裕など無いし、危険であっても優秀な人材は最前線で活用するしか手はないのだ。

 

 

「資質は十二分。異例の経験を積んでいるが故に心技体も不足なし。しかも腕を失ってなお萎れることのない職業意識、否、もはや執念すら垣間見える精神構造」

 

 

裏切らない、という保証は当然ない。

むしろ以前反乱を起こした薩軍に居たのだから、可能性は一般警官よりも高いと思うのは当たり前だ。

最初の話の続きではないが、既に裏切って志々雄真実と結託している可能性も捨てきれない。

 

しかし、今は。

 

今は少なくとも、私の中では危険度よりも期待度の方が上回っているゆえ、できる限りの援助をして活用しよう。

 

 

「おっと、もうこんな時間か」

 

 

思考に耽っていたら内務省に行く時間となってしまった。

 

ふむ、そろそろあ奴の事を内務卿に報告しようか。

私の判断で卿のためにといろいろ動かしているが、いい加減奴の事を明かして知ってもらうのも悪くないかもしれない。

卿ならば、彼をどう見るか。それもまた気になるところだからな。

 

立ち上がって支度を始める私はふと、先程まで読んでいた報告書の隣に置いてある書類に目を落として呟いた。

 

 

「貴様の活用は吉と出るのか凶と出るのか……どちらだろうな、狩生十徳」

 

 

それは狩生が件の報告書に付随して作成した個人的資料。

志々雄真実の組織の実態を独自に推測して、それを基に現行の警察組織の脆弱性と将来性を考察している。

それを覆すための方法論がびっしりと書かれており、彼奴の奥底にあるどす黒い熱意が感じ取れる。

 

 

()()()()()、普通の警官なら書かない。

 

 

警察官が世界を見据えて日本の未来を問題視するなど、前代未聞だ。

 

 

まぁ、だからこそ。

 

だからこそ、感情論とは別に理屈で彼奴が志々雄真実と繋がっているとは思えないと感じている所以なのだがな。

 

 

 

 

 

 

その書類の一枚目には『警察機構による超国家規模の情報網の敷設の必要性』と書かれていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

大警視室を出ると、目の前で宇治木が壁に背を預けて立っていた。

どうやら律儀にもずっと待っていたようだ。

 

 

「話はどのようにまとまった?」

 

「喜べ。今日からお前らは正式に俺の部下になったぞ」

 

「……はぁ?!」

 

 

驚く宇治木に対し、封書をひらひらと翳して示す。

 

 

「これから日本全国津々浦々を駆け巡ることになるんだ。部下は一人でも多い方がいいから有り難いことだ」

 

「ちょ、待て!なんで俺が部下なんだ?!俺の方が年上で経歴も……!」

 

「知るか。この形が最善だと上も判断したんだ、文句を言うな。それに、年功序列制をかさに掛けるのはみっともないぞ」

 

 

本当ならねぇ今どんな気持ち(NDK)?馬鹿にしてた奴の部下になって、今どんな気持ち(NDK )?といった感じでチョー煽りたいのだが、なにぶんそんな気分にはなれなかった。

 

 

「ちッ……不本意極まりないが、辞令ならば致し方ない。それで、今後の方針はどうなった?」

 

「横浜での騒動は切り上げる。以降は神奈川県警が引き継ぐことになるだろうな。俺たちはSの捜査に乗り出すよう正式に通達された」

 

「Sか……」

 

 

志々雄真実に関する一切の情報は、既に宇治木に伝えてある。

何も知らせずに仕事をさせることはできない。

常に死と怪我が付きまとう捜査なのだ。

相手が誰で、どれほど危険かは、もう十分に理解しているハズだ。

 

なお、志々雄真実に関する捜査をS捜査と呼称するのは、どこに奴の目と耳が有るか分からないからなのだが、効果の程を実感できないから少し面ばゆい。

意味があるのかも甚だ疑問だ。

 

 

「正直、半信半疑だったんだがな、思いを改めよう。大警視直々の辞令となれば、本気度と機密性の高さが嫌応なしに分かった」

 

「なら、肝に付け加えて銘じておけ。俺たちが目の前にしている案件は深く、そしてどす黒い。だが、その闇の払拭だけが俺たちの仕事じゃない」

 

「あの報告書、か……」

 

 

川路警視総監に提出したあのレポート。

内容を煮詰めるにあたって宇治木とも熟議した。

だから俺たちが見据えるべきは志々雄一派の影じゃなく、日本の未来であるということをコイツも承知している。

 

 

「日本がこれからこの白人至上主義世界を生き抜くには、強くならなければならない。だがそれは、志々雄の企む国家構想とは異なる術をもってしてであるべき、か……はぁ。貴様の思考はブッ飛んでいる。話し半分しか理解できん。だが――」

 

「うん?」

 

「警察機構が死に物狂いで扱うS捜査は、貴様にとってはただの大きな事件の一つにしか映っていない。それはなんとも愉快な話だな」

 

 

そう言って宇治木はくつくつと笑った。

 

なに笑ってんの?

ついていけてないんだけど、怖いんだけど。

 

 

「ふむ……ところで貴様、随分と元気がないな。どうした?」

 

 

俺の身を案じてか、意外な親切心を見せる宇治木(上司を貴様呼ばわりするのは置いといて)。

 

俺はため息混じりに答えた。

 

 

「横浜での騒動から二週間。準備を終えて、報告を終えて、辞令も受けて、体制も整った。後は動くだけなんだが……」

 

 

横浜騒動直後に、諸事情から横浜を駆け回ること一週間、更に東京に戻ってから報告書とかをまとめるのに一週間。

計二週間は業務に忙殺されていたのだが、それも漸く一段落着いた、否、着いてしまったのだ。

 

そう、着いたからにはお家に帰らなければならないのだ。

 

あの優しくて面倒見のいいスーパー御人好し夫婦&此方を邪険に見る御息女が居るお宅に!

 

 

きっと、会えばスンゲー心配してくる。

事の詳細を聞いてくれて、気を遣ってくれて、それでたぶん説教もしてくれる。

それはとても有り難いことなのだが、反面非常に申し訳なくなる。

 

今後ともこんな感じの無茶は続けるだろうから、いちいち怪我をして帰る度に心配されては罪悪感に押し潰されてしまう。

ご夫婦の心労も半端ないだろう。

 

 

「いずれ知られることになるのだ。今までバレずに済んだことが奇跡みたいなものなんだし、さっさと白状して楽になれ」

 

 

ぐぅ正論。

というか、今まで黙っていたことでも叱られるだろうが、仕方ないよな。

叱ってくれる事に感謝こそすれど、嫌がるのはダメだよな。

 

なんか取り調べみたいになってるのが癪に障るが。

 

 

「しゃーない、か。じゃあ今日はもう解散だ。詳しい行動方針はまた後日……っと、そうだ。宇治木、ちょっとそのサーベル貸してくれ」

 

「あぁ?何に使うんだ?」

 

「いいからいいから……サンキュ。せ~の、ふんッ!」

 

 

ぼきんーー!

 

 

「俺のサーベルぅぅう?!」

 

「あり?お前の自慢の刀だから支柱の一つや二つ簡単に両断できると思ったんだが」

 

「嘘つけぇぇ!今お前思いっきり腹を叩いただろ!折る気満々だっただろッ!」

 

 

折れた刀身を前に崩れ落ち、嘆き叫ぶ宇治木。

 

お前らはもう剣客警官隊じゃなくて俺の部下になったんだ。

帯刀など許しません。

 

まぁ、腹いせともいうがな。

 

 

φ(゜゜)ノ …† 、てな感じで若干の刀身が残った柄を宇治木に投げ返して、俺は重い足取りで本署を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

22話 明治浪漫 其の陸






たくさんの感想ありがとうございます
お返事は出来てませんが一通一通全てが筆者の活力になっております




では、どうぞ










 

 

 

 

 

 

 

 

 

案の定といえば案の定。

これは予測しえた出来事であり、想定の範囲内とさえ言える。

 

火を見るより明らかという諺通り、その事態は、枝から外れた林檎は地に落ちるという地球環境下ならば誰もがその結果を想像するに難くないこと。

 

例え高名な学者が万物すべての自由落下運動はただ一つの公式に当て嵌めることができ、神がこの三千世界を設計するにあたって用いた一つの公式に人類も辿り着いたのだと気色張って声高に叫んだところで、林檎が地に落ちるという事象は幼児でも分かり得ることなのだ。

 

 

……

 

 

……自分でも何を言っているのか分からなくなってきたので、もう迂遠な言い回しは止めよう。

 

 

つまり何が言いたいのかというと、私はこってり絞られました。ということ。

 

 

帰宅早々出迎えてくださった御母堂に顔を青くされ、直後に御帰宅された浦村さんに目を見開かれ(!)、夕飯そっちのけで絞られました。

 

最初は容態の心配から。

もう処置は施しているので大丈夫だと何べんも説明するのだが、今からでもお医者様の所に行こうとずっと言われ続け、なんとか平気な旨を必死に伝え、漸くそれが伝わると次は何があったのかと事情を問われる。

 

S捜査については川路警視総監から別段口止めをされたわけではないが、無用な不安の種を作りたくなかったので横浜の騒動とこれからの捜査については話せませんの一点張りとさせてもらった。

 

そこら辺に一定の理解がある浦村ご夫婦は、渋々といった感じで理解は示してくれたが、その後はやはり説教と相成った。

 

曰く、なぜ今まで黙っていたのか。

曰く、もっと身体を大切にしなさい。

曰く、心配する此方の身にもなりなさい。

 

曰く、曰く、曰く……

 

 

延々と続く説教を粛々と正座しながら聞き受け、俺はただただ謝った。

謝ると、何に対して謝っているのか、本当に理解しているのか、といった具合に更に突っ込まれたが、それでも謝り通した。

 

二人からの厳しくも温かい説教は夜が更けても終わる気配を見せず、しかして自分からもう止めましょうなんて口が裂けても言えるわけがなくて、これは長丁場になるなぁという言葉が頭の片隅に浮かんだ頃、なんと御息女の仲介で一転、いとも簡単に説教は終わりを迎えたのだ。

 

まさか自分を嫌っている冴子嬢に助け船を出されることになるとは思ってもいなかっただけに、痺れる足を擦りながら深いお礼を述べた。

 

ただし、止めてくれた理由はいい加減お腹が空いたからとのことで、自分への配慮は変わらず一厘たりとも無いことにむしろ安心してしまいました本当にありがとうございます。

 

 

 

で、帰宅当日はそんな感じでゴタゴタして。

それでも明日からS捜査に向けて頑張るために、酒精でも摂って臓腑に活力を入れようかといつもと同じく縁側で清酒を飲もうとしたら、なんと禁酒令を叩き付けられ、更に明日は家で療養するようにと言われた。

 

いや、あの……ホントもう大丈夫なんですよ?

痛みもないし、日常生活をフツーに送れるぐらいには片腕にも慣れたし……あ、はい、ダメですか。

そんな瞑り目でじっと見られると怖いから止めてください。

 

御人好しというか、これはもう過保護じゃないですか?なんて事は思っても言うわけなどなく、頭の上がらない俺が取れる答えなんて一つしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

翌日

 

 

 

 

久しぶりに御母堂の朝餉を支度する音で意識が覚醒した。

 

 

「……朝、か」

 

 

横浜や官舎の休憩室で一夜を過ごしていたときは朝の匂いや小鳥の囀りで目が覚めていたが、本当に久しぶりにささやかな生活音で目を覚ますことが出来て、いやに寝覚めが良かった。

どうでもいいことなのだが、平成の世では目覚まし時計が無ければ起きられなかったのだけれど、明治の世に来てからは起きるべき時間が近づくと次第に眠りが浅くなって、些細な切っ掛けで起きれるようになっていた。

 

さて。

 

今日はゆっくりするようにと言いつけられたからもう少し寝てても良いのだろうが……完全に覚めてしまった。

 

寝起きが良くなるのも考えものかな。

幸せの代名詞ともいえる「二度寝」が出来なくなってしまったのだし。

 

 

「ううん。ゴロゴロするのも悪くないが、眠気も飛んだしとっとと起きちまうか」

 

 

というわけで身嗜みを整えてから布団を畳み、与えられた一人部屋の和室から出て居間に行くと、駆け出していく冴子嬢とすれ違った。

おはようと挨拶をする猶予もなく、冴子嬢は文字通り駆け出して行った。

ゆっくりし過ぎてしまったのかな?

 

慌てた様子で玄関から飛び出して行く彼女の後ろ姿を見送り、居間に入るとちょうど署長が朝食を食べ始めたとこだった。

 

 

「おはよう、十徳くん。もう少し寝ててもよかったんですよ?」

 

「おはようございます。いえ、習慣ゆえかぱっちり起きてしまいまして。でも久々にゆっくり寝れましたよ」

 

 

なら良かった、といつもの笑顔で答える署長。

その対面に座ると、御母堂が計ったかのように朝御飯を出してくれる。

それをお礼ととともに受け取って、久々の家庭味ある朝御飯を美味しく頂いた。

 

 

 

朝食を終えれば署長は出勤され、果たして居間には俺一人となった。

 

ここではすることもないのでいつもの夕食後にするように縁側へと行き、外を見遣ると空はのし掛かってくるかのような重い鉛色をしていた。

 

今日の天気は曇り後雨のようだ。

 

 

(降りだしそうな空を見ると、いつぞやの日々を思い出すな)

 

 

剣林弾雨とはよくいったものだ。

 

あのときは弾の雨はもちろん、身を凍らせるほどに寒くて冷たい雨も降っていた。

身体を伝う血を洗い流し、一緒に体温も奪っていった憎き雨。

かじかむ手でなんとか掴んでいた刀には、思うように力が入らなかったな。

 

あの時感じた肩の重さと、震えて頼りにならない己の手の小ささを、今でも忘れられない。

 

ぶるり、とまだまだ暑い季節なのに、どうしてか寒気を感じてしまった。

 

明治(こっち)に来て一年半……まだ、なのか。

それとも、もう、なのか。

 

どちらであっても、なんだか随分と遠くまで来た気がする。

薩摩で戦争を経験し、東京で悪事に手を染め、横浜で片腕を落として。

なかなか常人では経験し得ないことをしてきたんじゃないだろうか。

 

 

(……いかんな。こんな天気だからか、やけにセンチな感慨に耽ってやがる)

 

 

らしくない自分の思考に、はたと気付いて苦笑した。

 

ゆっくりするよう言い付けられているが、このまま呆としていたら気分が滅入ってしまう。

こっそりと、少しだけ身体を動かそう。

 

取り合えず片腕立て伏せでもしようか、と思い立った直後、 玄関口から御母堂の声が聞こえた。

 

 

「あ、いけない。あの娘お弁当を忘れて行っちゃったわ」

 

 

む……ピカ、と頭上でライトが光った。

古い?だいじょーぶ、この時代なら影すら見えないほどに最先端だから。

 

直ぐ様腕立てを切り上げて玄関口に向かった。

 

 

「冴子嬢のですか?」

 

「えぇ、そうなの。あの娘、今朝は寝坊しちゃって慌ててたから……」

 

「でしたら俺が届けに行きましょう」

 

「え、ダメよ。十徳くんは家でゆっくりしてなきゃ」

 

「有り難いお言葉ですが、ずっと家に居るとかえって落ち着かないんですよ。忘れ物を届ける程度の手伝いぐらいさせてください。それに雨も降りそうですし、一緒に傘も届けに行ってきます」

 

「う~ん、そうねぇ…私もこれから出掛けなくちゃならないし」

 

 

でしたら尚の事、と重ねて懇願すると渋々だが許可を下さった。

 

よかった、これで外を出歩ける。

天気はあれだが、少しぐらいは気晴らしになるだろう。

 

冴子嬢の通っている師範学校の場所を教えてもらい、そこまでの行き方も聞いた俺は、出掛ける支度をした。

 

泥が跳ねても気にならないよう暗めの色の袴に、警服として支給された白シャツ、その上に藍色の(あわせ)を着る。

加えて、さっきの思考の影響か寒く感じているので黒のマントを肩に巻いた。

一応、これで隻腕も隠せるし。

 

うむ、最後にこの髪を隠すため帽子を被れば完璧な書生だ。

まぁ被らなくてもほぼ書生スタイルなのだが、まだこのファッションは流行していないから他者の目からは結構珍奇に映るだろうな。

 

が、それも気にならない。

もう数年したらこれが私服になるほどに浸透するファッションなのだ。

時代の先取りだぜ(内心着てみたかったという動機もあるが)。

 

そんでもって傘は西洋傘だ。

文明開化を機に大量に入ってきた西洋文物の内の一つに、この西洋傘も含まれている。

 

一時はどこぞで所持禁止令まで出たほど(帯刀姿に似ていて、市民がそっちの意識に染まってしまうことを恐れたお上の牽制策らしい)だが、そんなのお構いなしに爆発的に普及していった代物である。

 

 

 

 

閑話休題(そんな余談はさておき)

 

 

 

 

手には自分用と冴子嬢用の傘を二本持ち、小脇にお弁当箱を挟む。

いつ降りだすか分からない空を見上げながら、とぼとぼと歩いていく。

 

けど、やはり。

 

こういう天気は無駄な思考が多くなってしまうな。

 

 

(原作が始まるまでもう数ヵ月……つまり、本物の人斬り抜刀斎が東京府を訪れ、そして原作ヒロインの神谷薫嬢に出会うまで、もう数ヵ月か)

 

 

周りの人に注意を払いながら、俺は思考に耽る。

 

ぶっちゃけて言えば、原作の開始は俺にとって通過点でしかない。

 

いや、俺自身が通過しなきゃならない点とも考えていない。

始まるのなら勝手に始まってくれて構わない、と考えてすらいるのだ。

何故なら俺の目的は十徳との約束を果たすことだから。

 

その過程で原作キャラと会わなきゃならないのなら会うが、必要性が無ければ進んで会うことはしないつもりでいる。

もっとも、幕制の世を憂い、平和な時代を作ろうとして人斬りになった主人公とは一度話をしたいと思うし、会ってみたいというミーハーな気持ちが無いわけではないが、そんな私的な感情には蓋をすべきなんだ。

 

俺にとってはS捜査をはじめ、この国の蛆を取り除く事が最優先であり、これこそが通過点なのだから。

 

 

(最初は……高荷恵さんと会えた時は気分も高揚したんだが、なんかもうそんな心持ちじゃなくなったんだよなぁ)

 

 

腕と一緒に何か大切なものを失った気がする。

それともこんな天気だから気分が滅入っているだけなのだろうか。

 

あるいは、もう引き返せないぐらいに思考が真っ黒に染まってしまったのだろうか。

 

今でもそんな思考の傍ら、通り過ぎる人たちが志々雄一派の工作員だとした場合、そして彼らが急に襲い掛かってきた場合の対処法をすら考えている。

他にも、例えば横の民家が一派の潜伏地だとしたら、そこを効率よく襲撃する方法等をシミュレートしている。

 

雨が降れば戦闘機動は思うようにいかないだろうし、仲間との意思疏通も上手くいかなくなるだろう。

体力は直ぐに消耗するハズだし、集中力と判断力も徐々に磨耗する。

ならば常日頃から、こんな環境下での訓練をすべきだろうか。

(アンチ)テロ戦闘を想定した襲撃訓練に、拳銃を主として柔術も取り入れた超近接戦闘術の習熟か……時代の先取りにも程がある。

 

などなど、厨二病みたいなことを本気で考えているのだが、これが厨二と揶揄されるだけの事態だったらどれほど気楽なことか。

実際に真面目に検討しなければ、自分の身すら危うくなるのだから。

 

 

と、そんな感じに今後の検討課題について思いを馳せていたら、目的地に着いたようだ。

 

場所は東京女子高等師範学校、皇居の北西すぐである。

東京警視本署は皇居のすぐ東にあるから、どうやら俺の勤務先からは歩いて三十分ほどのようだ。

(十徳は知らないが、東京警視本署は旧津山藩の江戸藩邸を利用したもので、平成でいう東京駅の場所にあり、東京女子高等師範学校は平成でいうお茶の水駅近くにある)

 

 

(気晴らしにはならなかったな。考え事してて散策も出来なかった……けど、建設的な案が幾つか浮かんだから有意義ではあった)

 

 

自分に言い聞かせるようにして、思考をまとめてからふと、気が付いた。

ここまで来たはいいが、この後はどうすればいいのだろうか。

 

職員室みたいのがあるのだろうか。

あったとしても、場所はどこだろうか。

このまま校庭を突っ切って校舎に入っていいのだろうか。

いや、そもそも校庭に勝手に入ってもいいのだろうか。

 

平成では勝手に学校の敷地内に入るのは大問題になってたけど、この時代は?

やはり警官といえども、許されないのかもしれない……

 

とはいえこんな所で悶々と悩んでいても解決しないし、逆に此処にずっといることの方が不審者だ。

意を決して俺は校庭を突っ切り、校舎の入り口をくぐった。

 

 

「ごめんください」

 

 

お店じゃないんだからこの呼び声はおかしいか、などと考えていると昇降口から一人の女性が駆け降りて来たのが目に入った。

 

冴子嬢だ。

 

 

「冴子さんじゃないですか。よかった、先生に事情を話す手間が省けました」

 

「……ッ、やっぱり!なんで、なんで貴方が此処に来てるのですか?!」

 

「忘れ物をお届けしに。ほら雨が降りそうでしたから傘と、それからお弁当です」

 

 

どうやら二階の窓から俺の姿を見つけて、もしやと思って駆け降りて来たらしい。

こんなに慌ててる様子の冴子嬢を見るのは初めてだな。

 

などというどうでもいい思考は放棄して俺は傘を差し出し、それを受け取ってくれてからお弁当箱も差し出す。

 

 

「今日のお握りの具はおかからしいですよ。美味しそうですね」

 

「あ、貴方ねぇ……!此処は女学校なのですよ?!そこに部外者の男性が来たらどうなるか分かっているの?」

 

 

あぁ、やっぱり問題事だよなぁ。

だったら早いとこ退散するか。

 

 

「すみません、無駄話でしたね。用件はこれだけですので俺は帰ります。無理のない程度に頑張っーー」

 

「冴子が殿方を連れてきたぁぁ??!」

 

「ええぇぇぇ?!」

 

「え?……ひゃぁ!」

 

 

どどどどど、と俺の声を遮って更に昇降口から駆け降りて来た女学生二名が、冴子嬢を押し退けて津波のごとく押し寄せてきた。

 

 

「うわあぁぁ、本当にあの冴子が男性を連れて来てる! お二人はどんなご関係?どんなご関係なんですかぁぁ!?」

 

「驚いたわ。大人しすぎて自己主張の出来ない冴子ちゃんが殿方を連れて来たとは。私も知りたいです、貴方は何者ですか?」

 

「ちょっと、あ、貴女たち……ッ!」

 

 

予想外すぎる展開に頭が追い付かず、苦笑いをしたまま固まっていたら、俺と女性陣の間に冴子嬢が割って入って仲裁(?)をしてくれた。

 

 

「二人とも、落ち着いて!別になんの関係でもないから!貴女たちが悦ぶ事なんて何もないから!」

 

「なに言ってるのよ、冴子ちゃん。貴女はそういった話にはまったく無関心で無頓着だったのに、しれっと男性を連れてきてるなんてよろこ……もとい驚くべき事じゃない」

 

「そうよ。あんな感情剥き出しの冴子見るの初めてだったよ?ただならぬ関係であることは見て分かったわ!ずばり、恋仲なんでしょう?!」

 

「違うから!!」

 

 

冴子嬢の否定の言葉も空しく、やんややんやとはしゃぎ立てる友人二人。

見た感じ、一人がはしゃぎ騒ぐムードメーカー的存在のようだ。

で、もう一人が落ち着いたストッパー的存在に違いないな。

まぁ、今の二人は同じ方向に爆走する厄介な存在であることは一緒なのだが。

 

というか、今は休み時間なのだろうか。

それにしては他の人たちが見当たらないが、どういうことだろう……あ、いたわ。

みんな教室の扉から顔だけを出して此方をガン見してた。

 

授業中じゃん。

 

 

「冴子さん。お取り込み中失礼しますが、いい加減俺は帰りますね。授業中のようですし、これ以上は本当に邪魔のようだ」

 

「え、あぁ、はい。分かりました。この人たちは私がーー」

 

「えぇ?!もう帰られるんですか?!終わるまで待っててくださいよ。そして色々と教えてくださいよ!」

 

「ちょっと晴子ちゃん?!貴女なに言って……!」

 

「そうね。御兄さん、申し訳ありませんが私からもお願いできないでしょうか。御存知だとは思いますが、冴子ちゃんは何かと胸の内を明かしてくれないというか、今一歩私たちから距離を置いている気がして。冴子ちゃんの知らない一面を是非教えて頂きたいのですが」

 

「乙葉ちゃんまで……!」

 

「ッ、えぇ……」

 

 

更に冴子ちゃんをかわして詰め寄る二人に、たじろぐ俺。

 

 

 

 

これは、どうしたものか。

 

 

 

これ以上騒ぎを大きくするのは冴子嬢の本意ではないのは確かだろう。

振り切って立ち去るのがベターな気がするが、それはそれで後々冴子嬢に対する周りからの風当たりも、からかわれるという意味で悪くなる気がする。

 

 

が、やはり俺の一存で決めるわけにはいかない。

 

 

 

冴子嬢を見ると、彼女も困ったような顔と瞳で此方を見てきた。

 

 

 

これは……本当にどうしたものか。

 

 

 

 

 

 

 

 











おや、十徳の様子が……?




冴子嬢とのささやかな日常編です


なお、お友達二人はオリキャラです



では、また明日




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

23話 明治浪漫 其の漆




昨日原作アニメを調べてたら主人公の声優さんの名前がオリ主の本来の名と一緒だったことにビックリしました

本当にマヂで偶然なんです、特に伏線とかないです




ともあれ、では、どうぞ









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……今、なんと言った?」

 

「聞きそびれたか?なら今度はよく俺が奴に言われる言葉をくれてやる。『寝言は寝て言え、阿呆』」

 

 

一人の警官が座し、彼と対面する形で座っている一人の大男が、眉根をひそめた。

予想外の攻撃的な答えに虚を突かれたようだ。

 

ここは大衆酒場の一角。

明治期においては平成の頃より明るい内から思い思いに呑み始める人も多くいて、この店もその例に漏れず早い内から賑わいを見せていた。

しかし、当のこの二人、否、間に一人の少年を挟んでいるから、三人になるが、ともかくその三人の席にある物はお茶が三つだけで、酒精は一つも見受けられなかった。

 

 

「おッ……お前!先生に対してその口の聞き方はなんだ?!」

 

 

この酒場において場違いなような少年が警官に食って掛かる。

が、その警官は何処吹く風、まったく意に介す様子も無く、その態度がさらに少年の琴線に触れたようだ。

 

 

「ッ……!」

 

「止せ。断るわけを話せ」

 

 

大男が手で少年の激情を制し、静かに警官に問うた。

 

 

「ほう。粗野で短絡的と聞いていたが、なかなかどうして。話を解せる程度には知性を持っているようだな」

 

 

ニヤニヤと、意地の悪い笑みを浮かべる警官。

 

 

「なに、簡単なことだ。貴様の言う、西洋火器に負けることのない、最強の剣術『真古流』。それを身に付けた最強集団に加われ、だったな。確かに興味をそそられる。俺も剣客の端くれだ……ったからな。身に付けたいとも思うさ」

 

「ほう……では、なぜ?」

 

「決まってるだろ。興味は持てど、魅力は感じん。それに属して、その組織を立ち上げて()()()()?」

 

「……なんだと?」

 

「お前の思想は、まったくもって俺を惹き付けない。その剣術を身に付ければ、なるほど向かうとこ敵なしとなるかもしれないだろう。ただ、だからこそ、そうして何になると問うているのだ」

 

 

顔に張り付けたかのような下卑た笑みはいつしかナリを潜め、警官は鋭く目の前の大男を睨み付けた。

 

 

()()()はな……業腹だが、俺の上司となった奴もな、よく分からない御大層な目的を掲げている。実現できるとは到底思えん、危なっかしい理想を抱いている。そしてそのために強さを求めているが、お前とは決定的に違うところがあるんだよ。だから俺は、俺たちは嫌々ながらも奴に着いていく。従っている」

 

 

なんでだろうな。

 

そう呟く警官は、言葉とは裏腹に少しだけ誇らしげだった。

 

 

「遮二無二突っ込んで全身怪我だらけ。腕を亡くせど、されど瞳の色は変わらない。そのくせ奴は何も言わないんだ。忌々しくて、何度殺そうかとも思うこともあったが、それでも奴の背中を見続けた。俺たちの眼前には、常に奴の背中が佇んでいるんだ。しゃんと伸ばされた背筋が、忌々しくて、憎々しくて……着いて行きたくなるんだ」

 

「……」

 

「分かるか夢想家(ろまんちすと)。自らが語る夢に陶酔する阿呆などよりも、俺は黙って必死に手を伸ばし続ける阿呆と共に居たいのだ。ただ餓鬼の如く力のみを欲する胡乱な組織など、犬の糞となんら変わらない。そんなものに身を置くほど、俺は腐っちゃいないんだ」

 

 

それは、決して明かされることのない、彼の本音だった。

 

溢す言葉通り、自らの上司に嫌悪感を抱いているのだろう。

眉にはシワが寄り、目の敵にしている様子は嘘ではないようだ。

 

だが、それでも。

自覚が無いのだろうか、彼の口角は少しだけ上がっていた。

 

 

 

「言いたいことは、それだけか」

 

 

 

 

そう言って、大男は立ち上がる。

 

その顔には憤怒の形相が彩られている。

自らの誘いを断るのみならず、思想を馬鹿にされ、侮辱されたのだ。

相手が官憲であろうともはや関係はなかった。

 

傍らに置いてあった長い包み紙の中から取り出し取り出したるは、真剣。

 

眼前に屹立する姿は大岩のよう。

筋骨隆々の体躯は恵まれた素質もあるだろうが、それに加えてかなりの鍛練を己に課してきた証左でもあった。

 

 

「……ハッ、やはり知性はその程度か。あぁ、だが上等。貴様の思想は危険だ。ブタ箱にぶちこんでやるよ」

 

「抜かせエェェェ!!」

 

 

怒号が店内に響き、大男が刀を大上段に振り上げる。

 

警官も素早く立ち上がり、徒手空拳を構える。

自分はもう剣客警官隊ではないのだ。

自分の身を守れるのは、正しく自分の身一つだけ。

 

目の前に真剣を振りかざす大男がいるという窮地にありながら、そんな状況に、警官は自分の上司と似たような事をしているのではないだろうかと思って、ほんの少しだけ親近感を抱いていた。

 

 

 

 

 

 

賑やかだった店内に悲鳴と轟音が響き渡る。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「で、で、で!ずばり聞いてしまいますが、狩生さんと冴子はどんな関係なのですかぁ?!」

 

「どんなと言われても。職場でお世話になってる人の御息女が彼女なだけであって、それ以上でも以下でもないよ?」

 

「うえぇ?で、でも。今日は平日ですよ?わざわざ女学生(さえこ)のためにお仕事休んで忘れ物届けに来たんですよね?!」

 

「違うって。今日は諸事情あって休みを戴いてね。これといって予定も無く暇をもて余していたところ話を聞いて、気分転換がてらに荷届けのお願いを受けたんだ」

 

「えぇぇ~~」

 

 

そう言って、目の前で肩を落とすのは晴子ちゃん。

元気で活発、遠慮の無さが無遠慮というより欲求に素直な感じで全然嫌になれない子だ。

 

 

「そういえば狩生さんの髪と肌のお色って珍しいですよね。はーふ、なるものですか?」

 

「うん、まぁ……母が薩摩で、父が異邦人でね。そういった異人種間での子は、大概が半々の遺伝子を引き継ぐんだ。俺みたいに、変わった色として髪や肌に表れるのも珍しくない」

 

「いで……んし?そういえば、異国の人は肌が白だったり黒だったりと聞き及んでます。それらと日本人が結ばれ、子が成せるというのは本当なのですね」

 

「肌も髪も瞳の色も、たとえどれ程違っていたところで結局は同じ人だからね。文化や言語、習慣が違えど成せるものは成せるさ」

 

「へぇぇ~~」

 

 

利発そうな瞳と穏やかな物腰で、それでいて疑問に思ったことはどんどん聞いてくる子が乙葉ちゃん。

 

この二人に冴子嬢が加わった三人は、いつも仲良くつるんでいるらしい。

三者三様な性格だから一見本当に仲良くやっているのかと思ったが、これがなかなかどうして冴子嬢も困っている様ではあるが苦に感じているようには見受けられなかった。

 

俺に対してえらく攻撃的だし、たしか原作でも主人公勢に対して穏やかならぬ感情を抱いていたようだから、もしかして基本他の人にも同じなのかと不安に思ってたんだけど、そうではないと分かってかなりホッとした。

 

 

「あ~~、美味しいぃ」

 

「うえぇ?これのどこが美味しいんですか。苦いし、舌にこびりつくし」

 

「私も同感です。茶屋ならお茶を出してほしいですよ」

 

「気にしなくていいわよ。この人の味覚がおかしいだけですもの」

 

 

やっぱり俺に対してだけのようだね、ホッとしたよ!

 

そう思いながら俺はホットコーヒーをまた一口啜った。

 

ここは学校から少し、否、かなり歩いた場所にある有名観光地、浅草。

江戸時代から大衆に親しまれ、明治になっても人々の憩いの場となっている浅草寺。

 

学校が終わった彼女たちと合流し、その境内に遊びに来ていたのだ。

明治10年、つまり今年に開業した油絵茶屋を見たかったから、とのこと。

 

博物館や美術館なんてものは未だ日本に無く、それどころか「芸術」というものが一般大衆の感覚には分からなかったこの時代(知的水準が低いということではない。むしろ今も昔も日本人のそれは世界トップクラスだ)、お茶を楽しみながら油絵を鑑賞するという芸術文化の先駆け的店舗に来ていた。

 

ここは、閉塞かつ自己完結が主だった日本の「芸術」を、広く一般人にも見てもらおうとしてできた美術館なのだ。

 

しかも、ここのお茶とは珈琲のことだから嬉しい限りだ。

三人の女学生たちはぺっぺっ、と舌を出して苦味に抗っている。

 

 

「んく、んく……ぷはッ。よし、飲みきった。というわけで休憩終了!早速油絵観に行きましょう!」

 

「はいはい、私も終わったけど……冴子ちゃんと狩生さんがまだよ?」

 

「ごめん、もうすぐで終わるから先に行ってて。後で追い付くから」

 

「俺も同じ。お先にどうぞ」

 

「おやおや、狩生さん?もしかして本当は珈琲苦手なんじゃないの?西洋ぶって無理してたのかな?にしし」

 

 

本当によく笑う快活な子だなぁ。

からかわれているのに嫌な気分にならないから不思議だよ。

 

俺は苦笑して答えた。

 

 

「バレてたか。本当は苦くて飲みづらいんだよね、珈琲って」

 

「くすくす。じゃあゆっくり飲んでから来てくださいね。ほら、行きましょう晴子」

 

 

乙葉ちゃんが意味ありげに笑いながら晴子ちゃんの手を引き、奥の展示屋敷に入って行った。

 

あのリアクション、どうやら察したようだ。

乙葉ちゃんは見た目通り、かなり聡明な子だ。

でも、気付いても敢えて言わないあたり、本当に優しくて友達思いなんだな。

 

 

「……みっともない。直ぐにバレる西洋かぶれなんかして、恥ずかしいわ」

 

「いやはや、ごもっともです」

 

 

俺はそう言って、チビチビと美味い珈琲を堪能する。

苦味に悪戦苦闘してる冴子嬢を横目で窺いながら。

 

 

「はぁ、ホントなんでこんなことに」

 

 

重々しい溜め息を吐く冴子嬢に、俺は言った。

 

 

「すみません。予想外の事態に呆然としてしまいました。有無を言わさずに去っていればよかったですよね」

 

「……まぁ、そうされてたらむしろ余計話がこんがらがってしまってたでしょう。あの()達に見つかった時点で、結果は変わらなかったと思います」

 

「それでも、御三方の輪に俺が加わるのは甚だ不本意でしょう。ご心労をお掛けするつもりは無かったんですが……申し訳ありません」

 

「もういいです。二人の好奇心もいずれ満たされるでしょうし、帰っていただくのはそれからでいいです」

 

「えぇ、わかりました」

 

「あとーー」

 

 

はい?

と、俺が聞くより先に冴子嬢は強い口調で言い放った。

 

 

 

 

「あの二人には今日以降決して関わらないでください……いえ、私の私生活の一切に関わらないでください。家に居るのはお父さんとお母さんが決めたことだから仕方無いとしても、私の生活には立ち入らないでくださいね。

 

 

 

 

私は貴方のことが、とても嫌いなんですから」

 

 

 

 

「……えぇ、わかってますよ」

 

 

 

 

 

 

俺の返事を受けて、冴子嬢は一気に珈琲を飲み干して立ち上がると、奥の展示屋敷へと歩き出した。

それを確認してから俺も最後の一口を飲んで、彼女の後に続く。

 

若干、嫌そうな空気を感じたがここは我慢してもらいたい。

だって冴子嬢、お金持ってないでしょ(晴子ちゃんと乙葉ちゃんにはあらかじめ渡しておいた)。

 

 

 

入り口で冴子嬢と俺の分の札を買い、先に入って行った二人の後を追った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいんだ。

 

これでいい、間違っていない。

 

父を殺そうとした元敵軍兵士、そして自分の好きな学舎を廃校に追い込んだ下手人が、同じ屋根の下に居て悪感情を抱かないわけがない。

 

彼女の思いは至極真っ当で、新しくできた友達を守るため、嫌いな相手に更に攻撃的になるのは、むしろ凄いとさえ思う。

怖がるより先に、彼女は徹底して俺を嫌ってくるのだから。

 

それはきっと、とても強いことなんだと思う。

 

俺の堪忍袋の緒が切れて、逆上する可能性もあると彼女は思い至っているハズ。

それでもなお「嫌う」という感情を、言葉にしてぶつけてくるのは、とても勇気がいることだ。

 

きっと、内心では怖がっているだろう。

それでも、その感情を圧し殺して俺に向かってくる意気込みは、敬意を表しこそすれ、俺が怒る理由なんてない。

 

彼女の思いは、甘んじて受けよう。

 

そう思って冴子嬢の後に続いて屋敷に入り、壁に飾られている油絵を順繰りに見遣りながら奥へと進んでいく。

途中、先に入った晴子ちゃんと乙葉ちゃんと合流し、最後は四人で出口をくぐった。

 

 

「面白かった~。あんな絵を描ける人たちってスゴいよねぇ。私じゃ逆立ちしても無理だよ。まぁ逆立ちも無理なんだけどね」

 

「知ってるわよ。それに、誰も期待してないから安心してちょうだい」

 

「そっか、なら安心だね!」

 

「えぇ?それでいいの、晴子ちゃん?」

 

「それにしても一枚一枚が、なんていうのかしら……熱意?本気度?かな。そういったものが垣間見えた気がするわね。時間が時間だっから仕方無いけど、出来ればもっとじっくり見ていたかったわ」

 

「そうだねぇ。絵をあんな間近で見れる機会なんて滅多にないから……あ、雨」

 

 

三人がわいのわいのと感想を言い合いながら外に出ると、晴子ちゃんの言う通り雨が降っていた。

風はなく、雨足も強くないが、此処から家まではかなりの距離がある。

もう引き上げるのがベストだろう。

 

 

「あちゃ~、遂に降ってきたかぁ」

 

「今までよく持ちこたえた方よ。残念だけど、もうお開きにしましょう?」

 

 

各々が色とりどりの傘を開き、輪になるようにして言葉を交わす。

もちろんその輪に俺が加わることなどせず、少し離れたところから眺めて、もう会えない平成での友達やかつての薩摩での学友らを連想して黄昏(たそがれ)ていた……わけでもない。

 

 

惨めにも傘を片手で開くのに一人悪戦苦闘してます。

この時代の傘はボタン一つで開くような作りではなく、所謂折り畳み傘みたいに両手でやらなきゃ開かない作りをしているからだ。

 

 

「ふっ……ほ、おりゃ……」

 

「あの、狩生さん……何してるんですか?傘で切腹ですか?」

 

「なにそれ怖い。見ての通り、傘を開けようとしているんだけど」

 

「いえ、どう見ても奇人変人の類いにしか見えないですよ。なんで両腕使わないんですか」

 

「ちょっと右腕怪我してて。片腕で開くにはこれしかないかなって」

 

「はぁ」

 

 

ほらそこ、溜め息吐かない!

先端を地につけて、持ち手を腹で抑えて傘を下に向けて押し広げようとしている体勢は、なるほど腹に傘を刺そうとしている姿に見えなくもないか。

 

……んお?

 

 

「……はい」

 

「あ、りがとうございます」

 

 

まさかの冴子嬢からの二度目の助け船。

傘を奪われたかと思ったら、わざわざ開いて渡してくれた。

 

 

「……なんですか?」

 

「あ、いえ……ちょっと、意外でして」

 

「ふん」

 

 

嫌っている人でも困ってたら手助けはするのね。

御人好しの血筋かな?

 

そっぽを向いてる冴子嬢からお礼を言いながら傘を受け取ると、なにやら生暖かい視線を感じた。

誰からかは、確認するまでもない。

 

 

「おやおや~?冴子、それ渡しちゃうの~?一緒に入ればいいのにぃ」

 

「だからそういう関係じゃないって言ってるでしょ。何を言ってるのよ」

 

「なッ、そんな真顔で返されるとは……くッ、からかい辛い……ッ!」

 

「なんでそんな苦渋そうな顔なのよ」

 

 

そんな掛け合いをしながら歩き始める三人の後ろに着いていくと、ふと話の輪から抜け出した乙葉ちゃんが俺の隣に並んできて、小さな声で聞いてきた。

目の前で話し合う冴子嬢と晴子ちゃんを考慮しているのだろう。

 

 

「ずっと気になってたんですが、冴子ちゃんの狩生さんに対する当たりが異様に強いですよね。お二人の間に何かあったのですか?」

 

「いんや、冴子嬢と特別なにかがあったわけでもないよ。普段からこんなもんだし」

 

「え……?そ、それは狩生さんが知らない間に冴子ちゃんの逆鱗に触れちゃったのでは?心当たりはないんですか?」

 

「えっと……何か勘違いしているようだけど、別に喧嘩をしているわけじゃないから。ただ冴子嬢が俺を嫌っているだけ。更に言えばその理由を俺は知ってて、もうこの関係は仕方無いなぁ、とすら思ってて……あ、理由については冴子嬢に直接聞いて。俺からは―-ッ!!」

 

 

 

 

 

 

 

瞬間

 

 

 

 

通りの脇にある店の扉から、何かが戸口を破って吹き飛んできたのが見えた。

 

 

 

 

話している最中にも、周りに意識を配っていたのが幸いした。

 

 

 

 

()()が何かを理解するより先に、足が動く。

 

 

 

 

 

俺の言葉になにやら愕然としている乙葉ちゃんの横を咄嗟に駆け抜け

 

 

 

 

 

()()の進路上にいた冴子嬢を一瞬の逡巡の後に抱き抱え

 

 

 

 

 

「がッ、……ッ!!」

 

 

 

 

 

 

俺はそれの勢いに巻き込まれ、通りを挟んだ商店に冴子嬢もろとも突っ込んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








できれば今日中にもう一話投稿したいです






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

24話 明治浪漫 其の捌




結局昨日連続投稿できなかったよぉ


スミマセン、どうぞ









 

 

 

 

 

 

 

「い……ッつぅ~」

 

 

商店の陳列棚に突っ込んだ衝撃で視界と思考が定まらない。

 

何が起きた?

今俺はどんな体勢をしているんだ?

やけに重いものが腹の上にある気がするんだが……あぁ、そういえば()()がいきなり吹っ飛んできたから、冴子嬢を守るため咄嗟に……ッ!

 

 

「冴子さん!大丈夫ですか?!」

 

 

突飛な事態に意識が一瞬飛んでいたが、慌てて思い出して抱えている冴子嬢の安否を確認する。

 

 

「ぅ……、ぁ、はい……」

 

「俺の声が聞こえますか?!俺が見えてますか?!」

 

 

外傷……は見当たらないッ。

けど、あんな勢いでいきなり吹っ飛んだのだ。

俺みたいにある程度耐性が無ければ、むち打ちか脳震盪を起こしている可能性もある。

 

ここは変に揺すったり起こしたりするのはマズいか……!

 

 

「だい、じょうぶですよ……ちゃんと見えてますし、聞こえてますから。そんな怒鳴ると五月蝿いですよ」

 

「そう、ですか……良かった……良かったぁ……!」

 

「二人とも、大丈夫?!」

 

「冴子ちゃん!狩生さん!大事ないですか?!」

 

 

慌てた様子で駆け寄ってきた晴子ちゃんと乙葉ちゃん。

彼女たちに冴子嬢は無事であることと、念のためお医者さんのところに連れて行こうと伝える。

 

 

「大袈裟ですって。何処も痛くないですし」

 

「いえ、ダメです。脳への被害は自覚症状に表れないんです。さぁ、俺がおぶります。急いで行きましょう!」

 

「だから本当に大丈夫ですって、自分で動けますから!それに、狩生さんの背に乗れと仰るのですか?!絶対に嫌ですよ!」

 

「今は四の五の言っている時じゃないでしょう!何かあってからでは遅いのですよ?!ほら早く……あぁ、勝手に立ち上がっちゃダメですよ!」

 

「もうッ……いい加減にしてください!何度言ったら分かるのですか、私はこの通り大丈夫です!誰かさんが庇ってくれたお陰で、どこもぶつけてないですから!」

 

「ちょっと二人とも……」

 

「不毛不毛」

 

 

俺と冴子嬢の平行線を辿る口論が、二人の呆れたような声で遮られる。

 

本当に大丈夫そうだから私たちがお医者さんのところに一緒に行きます、狩生さんはここの事態をどうにかしてください、とのこと。

 

むぅ……鍛えてもいない女学生にとって、あのいきなりの衝撃はかなりキツいと思ったんだが。

 

 

「それから狩生さん、踏んでますよ?」

 

 

踏んでる?

冴子嬢の手を取って歩き出そうした二人に視線を転じ、次いでその二人が指差す俺の足元を見れば、一人の警官が目を回して俺たちに踏みつけられていた。

 

 

ていうか宇治木(バカ)だった。

 

 

……ビキキ

 

 

「こんのぉ……バカ野郎が!!」

 

 

本当に頭から何かが切れる音が聞こえて、目を回している宇治木の胸ぐらを片手で持って掴み上げた。

そしてガクガクと揺らして大音声で詰問する。

 

あん?

コイツ、なんでこんなボロボロなんだ?

しかも裂傷が多いし、右目の周りは青痰が出来てるし。

 

 

「乱痴気騒ぎかテメェ……!目ェ回してねぇで説明しろ、この事態を俺が納得できるように説明しろ!ふざけた事抜かしたら容赦しねぇからな」

 

「ぐッ……ま、待て……あんま、……揺ら、すな」

 

 

どうやら意識は戻ったみたいだ。

 

え、脳へのダメージを考慮しないのかって?

大丈夫、馬鹿に遠慮は要らないから。

 

 

「あの、狩生さん?」

 

「あ~ここは俺が片付けておきますんで、お三方は気にせず行ってください」

 

 

俺は努めて三人に明るく軽い感じで言い、渋々ながらも傘を差し直して歩いて行く彼女たちの後ろ姿を見送った。

そして、ざっと辺りを見回して自分以外に人的被害が無いことを確認してから、再度掴み上げていた宇治木に詰問する。

 

 

「お前にも言い分があるだろうが、取り敢えず選べ。大人しく署長の御息女を危険に巻き込んだ理由を白状(ゲロ)するか、俺に痛い目遭わされてから白状(ゲロ)するか。ちなみに後者の方がオススメだが、どうだ?」

 

「待て…ホント、待て。話すか、ら」

 

 

顔が段々青紫色になっていく宇治木。

それもそのはず、ぎりぎりと俺の締め上げる力が強くなってきているから。

 

あぁ、一つ忠告を忘れていた。

早く言わねェと落ちちまうかんな。

 

 

「オイ、お前!そいつは先生が先に罰するべき奴なんだ、ソイツを寄越せ!」

 

「……ん?」

 

 

ふと、いつの間にか出来ていた人だかりの一角が割れ、先ほどコイツが吹っ飛んできた店の方から一人の大男と小男、否、少年が近づいて来た。

 

 

あれは……塚山由太郎?それと、あの大男は石動雷十太?

原作キャラがどうして?

 

というか、()()()()()()()()

 

 

「……どういうことだ?」

 

「ソイツは先生の勧誘を断った挙句、その崇高な理念を侮辱したんだ。先生が極めんとする剣術を馬鹿にして、許さないぞ!」

 

 

石動雷十太の勧誘?

というと、確か新古流とかいう『西洋火器に負けない剣術』の発展を目的とした奴の独自の流派で、それを修めた集団に入れってやつか?

原作でも主人公を誘っていたが、当然そんな人殺しを前提とした剣術集団に主人公が加わるハズもなく一蹴され、それに業を煮やした石動雷十太が門下生(?)の刺客を放ったり、自身が闇討ちしたりと狡いことをしたんだっけな。

 

そして、あの少年、塚山由太郎は……いや、今はそこまで考えることでもない。

 

そうだ。

差し当って、今は——

 

 

「お前、アイツの勧誘とやらを断ったのか?」

 

 

籠めていた力を抜き、拘束を解く。

 

確かに言われてみれば、コイツも剣客の端くれ。

原作では人斬りを楽しんでいた風が有ったから、誘う相手としては納得だし、コイツが加わっても別段不思議ではないとさえ思える。

 

むしろ、なぜ断った?

 

 

「俺ッ、は……もう剣客、じゃない。ただの、警官で、どっかの馬鹿の、部下なんだから」

 

「……そう言った結果がこのザマか?」

 

「ふん。お前ほど、ヒドくはない……さ」

 

「……ハッ!言うじゃねぇか」

 

 

俺は宇治木の胸倉から手を離すと、その身を労るように抱える。

事態が分かった今、一転してコイツの怪我が悲壮に見えた。

 

 

「……ごめん」

 

「よせ、気色悪い」

 

「そう。じゃあ、よくやったよ」

 

「ふッ、気でも触れた、か?」

 

 

あぁ、きっとお前の不甲斐ない姿を見たからだ。

 

そう言うと宇治木は、そうか、なら仕方ないなと言って、俺たちはくつくつと笑い合った。

 

 

「遺言は伝え終えたか?」

 

 

俺たちの目の前に、いつの間にか巨岩の如き石動雷十太が来ていた。

その瞳は怒りに満ちており、コイツに勧誘を蹴られたことが、そして剣術を侮辱されたのが相当腹に来たことが簡単に分かる。

前者についてはともかく、後者についてはコイツにも一定の非があるだろう。

 

 

だが

 

 

前者があることを踏まえてなお

 

 

 

「遺言を聞いたのならソイツを置いて去れ。さもなくば共にここで――」

 

 

 

 

 

 

「それ以上コイツに近づいてみろ。

 

 

 

 

 

 

   殺すぞ    」

 

 

 

 

 

 

自分でも分かるほどに酷く冷たい、凍えるほどの声音だった。

 

言葉を発する直前、強い風が通りに吹き込み、軽い雨を吹き飛ばして一瞬の無音空間をつくった。

そこに響き渡った小さくも重い俺の言葉は、野次馬の心胆を一瞬で震え上がらせたことが分かる。

 

周りがそこまで心的ショックを受けたのだ。

ならば目の前でその言の葉の刃を振るわれた石動雷十太は?

 

見遣ると一筋の冷や汗を流していた。

 

 

「貴様ッ……!」

 

「一つ、お前は俺にとって大事な女性を危険に巻き込んだ」

 

 

浦村署長には返しきれない大恩がある。

いや、違うな、恩義があろうとなかろうと関係ない。

目の前で知っている女性を、下手したら死に至るかもしれない事態に巻き込んだのだ。

 

許されるはずなどない。

 

 

「一つ、お前は俺にとって大切な部下を斯様に痛め付けた」

 

 

宇治木の事は正直好きになれん。

プライドが先行していつも俺と衝突して、その度に実力で矯正してとかなり面倒くさい奴なんだ。

コイツとて俺のことが嫌いなんだろうし、たまに殺意だって感じることすらある。

けど、それでも俺にとっては初めての部下であり、大切な仲間なのだ。

 

許されるわけなどない。

 

 

「覚えておけ、石動雷十太。人を殺そうとしたんだ。俺に殺される覚悟を持って、待っていろ。もはやお前を百度は殺したいと思うほどに、俺の腸も煮え繰り返っているんだから」

 

 

見上げる巨岩にブレはない。

だが、その瞳に既に怒りの色は無く、動揺の心情をこれ見よがしに表していた。

 

もう、自分が警察であることなど考慮する気にもならない。

今だけは、コイツの嘗ての怒りを上回るそれをぶつけて、懲らしめてやりたかった。

 

 

だが。

 

自分が片腕であること。

周りには多くの人がいること。

 

そして、ボロボロの宇治木を抱えていること。

 

 

そういったストッパーがあったお陰で、俺は胸の奥底に燻る熱を必死に押さえ付けながら、言う。

 

 

「理解したならば()()ね。それともここで、これから駆け付けてくる警官も含めて、俺と殺り合うか?」

 

「……ッ、フン!宇治木、命拾いしたな」

 

 

苦し紛れに鼻息を一つ鳴らし、石動雷十太は背を向けた。

 

 

「小僧。貴様、名はなんだ」

 

「テメェに教える名なんざ……いや、そうだな、冥土の土産に教えてやる。俺は狩生十徳。コイツの上司で、お前の敵だ」

 

 

そう告げると奴は歯ぎしりをし、青い顔で呆けていた塚山由太郎に声を掛けて今度こそ去って行った。

 

ここにきて漸く張り詰めていた空気が弛緩し、辺りから音が戻ってきた気がした。

実際は意識の外にあっただけなのだが、今になって雨が降りだしたように感じる。

 

周りの人たちも我に帰り、思い出したかのように早足で去っていく。

 

 

「署の医務室に行く前に現場の処理をしなきゃならん。それまで待てるか?」

 

「こんなもん、放っておいても、問題ない」

 

「そりゃ重畳」

 

 

雨足が強まるなか、宇治木を抱えたまま俺はこの事件の後処理を急いで始めた。

 

 

 

 

三つのいたいけな視線に捉らわれていることも知らずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

そういえば私は、あの人のことをよく知らない。

 

お父さんから少しだけ聞いた話では、なんでも鬼のように強いということ。

それから、大きな信念を抱いていて、そのために身を粉にして頑張っているということ。

 

それだけしか知らなかった。

 

お父さんが初めてあの人に出会ったのは当然、戦場だった。

死神に襲われて、あわや殺される一歩手前まできたとき、傷だらけでボロボロだった彼が現れて、その死神に挑みかかったという。

 

血で血を洗う凄惨な地獄絵図のような闘いを繰り広げ、一瞬の隙を突いてお父さんを助け出してくれたらしい。

 

そんな話を聞いても、私はあの人が怖かった。

だって当然でしょう?

お父さんを殺す側にいた、元敵兵士なんだから。

なんの理由があって助けてくれたのかは知らないけど、その鬼のような強さが私たちに向けられないとも限らないんだし。

 

だから何度もお父さんとお母さんにあの人を家から追い出すように頼んだ。

あの人は危ないよ、あの人は怖い人だ、と。

 

でも、お父さんは笑いながら言っていた。

彼は確かに鬼のように強くて、ともすれば恐ろしく見えて、聞こえてしまうかもしれない。

けど、彼の心の内には、とても穏やかで、暖かい優しさがあるんだよ、と。

 

信じられるわけがなかった。

あの人の本心は分からないけど、そんな優しさなんて持ち合わせているとは到底思えなかった。

 

怖いが故に私はあの人に強く当たって、それであの人は苦笑いするか、困った顔をして頬を掻くぐらいしかしない。

私に何を言われても、何も言い返さない。

 

そんなことをずっと続けていると、いつしかあの人に対する怖さは無くなっていたけれど、優しさなんてものは片鱗も感じられなかった。

むしろ、本当に強いのかとさえ、疑問視するようになってしまった。

 

 

「凄かったわよ、狩生さん。話してる途中で咄嗟に傘を放り投げて、颯爽と冴子ちゃんを抱いて守ったんだもの」

 

 

そう。

 

私は、そんなよく分からない人に庇われ、助けられた。

本当に身体のどこも傷一つ付けることなく、あの人の胸の中に抱き込まれて、事なきを得た。

 

 

「しかもあの後の心配と慌てよう。にしし、まるで溺愛する孫娘に対する祖父のようだったね」

 

「不謹慎だけれど、あの不毛な口論は聞いてて面白かったわ」

 

 

少しだけあの人の優しさとやらを垣間見た気がして、春子ちゃんと乙葉ちゃんに周りの人垣の中に留まってもらうように頼んだ。

もう少しだけ、あの人の事を見てみたかったのだと思う。

バレないよう、そっと覗いていた。

 

 

「いや~、狩生さんの激怒した顔と声。本当に怖かったねぇ」

 

「あの表情は正しく般若……いいえ、それ以上の毘沙門か阿修羅の類いだったわ。相手の大男も最初は怒っていたけど、それを上回る憤怒の形相を見てたじろいでいたわね」

 

 

白状すると、あの顔と、相手に対する殺害警告を聞いて、本心から怖いと思った。

これが、お父さんの言っていた、鬼のような強さ。

 

呟いた小さな言葉は何故か大きく響いて、私たちの耳を貫いて、肝を一瞬で寒からしめた。

帽子のつばから覗ける蒼い瞳が、まるで刃のように煌めいて、この場の空気を切り裂いたかのようだった。

 

 

怖かった

 

本当に怖かったけど

 

 

 

そう思った反面……

 

 

 

『お前は俺にとって大事な女性を危険に巻き込んだ』

 

 

 

「……ッ??!!」

 

 

分かってる!分かってるわよ!

 

あれは、私が署長の娘だから大事なだけであって、私個人が大事なんじゃないって!

 

 

……でも、曲がりなりにも私の為にあんなに怒ってくれてたと考えると

 

 

「ちょっと嬉しくなっちゃう?」

 

「ーーー!!!」

 

「にゃははは。分かりやすくなったわねぇ、冴子も」

 

「春子ちゃん!」

 

「羨ましいわ。私にも、私の為に怒ってくれる殿方が居てくれたらいいのだけれど」

 

「あれはッ!……私が署長の娘だからであって、」

 

 

私が普通の町娘だったら、きっとそこまで怒らなかったんじゃないかな。

だから、あの人にとっては私の身を案じる反面、署長へ合わせる顔が無くなることを恐れたんだと思う。

 

 

「つまり、そういった事情を抜きにして心配されたかったの?」

 

「うん……うん?ちょっと待ってちょっと待って、なんかおかしい!」

 

「あははは、おかしくないわよ。それが冴子ちゃんの本心なんたから」

 

「そんなわけないでしょう!私はあの人が嫌いなんだから、そんなのが本心なわけないじゃない!」

 

「「そうかなぁ」」

 

 

ニヤニヤと笑う友人の顔が憎たらしいッ……!

 

 

「なんで冴子は狩生さんのこと嫌いなの?優しくて、強そうで、見た目は……独特だけど、立派な職に就いているし。何がダメなの?」

 

「だってあの人は……ううん、なんでもない。でも、私はあの人が……嫌い、だから」

 

 

理解できないといった感じの二人だが、私もよく分からなくなってきた。

お父さんを殺す側にいた元敵兵士で、何を考えているのか分からない怖い人。

 

なら、今もそう思う?

 

 

「まぁ、何があったのかは詳しく聞かないわ。事情があるのでしょう。けどね、冴子ちゃん」

 

「……なに?」

 

「すべてを拒んでいたら、見えるものも見えなくなるわ。貴女が狩生さんを拒むのは、理由があって仕方無いのかもしれない。だけど、あの人が貴女を大事に思っているという気持ちだけは、拒まないであげて。でないと少し、可哀想よ。あ、勘違いしないでね。貴女たちの仲が進展してほしいから言ってるのではないわ。冴子ちゃんがその態度で居続けたら、大きな不和が生じてしまうから。それだけは、知っていてほしいかなって思ったの」

 

「そうさねぇ……さっき油絵見ながら乙葉に教えられたんだけどさ。狩生さん、たぶん本当に珈琲が好きなんだって。でも冴子を一人にして残すわけにもいかないから、変な嘘吐いて一緒に残ったんだって。一緒に残ります、なんて言ったら絶対に冴子は先に行けと追い出すから、そうしたんだろってさ。凄い些細なことだけど、気遣いがしっかりしてるんだよね。それに、嫌われてる人と一緒に居ようとするなんて、なかなか出来ないと私は思うなぁ」

 

「貴女たち……かなりあの人を持ち上げてないかしら」

 

「そこに反感を抱く時点で過剰に拒んでいるのよ。少し落ち着いて、自分の心に向き合ってみなさいな」

 

 

むぅ。

 

本当に乙葉ちゃんはいろんな本を読むだけあって、心の機微というか、人の内面をよく知っている。

 

でも、そっか。

周りから見ると、私は過剰にあの人を拒んでいるんだ。

改め……なきゃいけないのかな。

いや、そこまでせずとも、少なくとも見つめ直してみるべきなのかしら。

 

 

「ま、そこはゆっくり追い追いと進めていけばいいわよ。今は早いとこお医者さまの所に行きましょう」

 

「そうだね。狩生さんに見つかったら、あのお怒りが私たちに向けられるかもしれないし」

 

「そ、それは怖いわね。早いとこ行きましょう」

 

 

私は二人と手を取り合って、狩生さんにバレないよう人垣の中を割って、出ていった。

 

雨は次第に強くなりはじめ、空模様もどんどん黒くなってきているのに、心なしか足取りは軽い気がした。

 

 

 

 

この時感じた怖いという気持ちが、今まであの人に抱いていたそれとは全く別のもので、少しだけ暖かいからだということに、今の私は気が付かなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

25話 明治浪漫 其の玖





唐突などーでもいい暴露話


筆者がもし今の身で転生したら一番困ること

①コンタクトレンズ









 

 

 

 

 

 

 

 

現場の処理をあらかた終えると、駆け付けた警官に引き継ぎを頼んで俺たちは署に向かった。

そこでボロボロの宇治木を有無を言わさずに医務室にブチ込んだ。

放っておけば治ると言ってたから、その言葉を信じたのだ。

実際、致命傷は見当たらなかったのは幸いだった。

 

医務室までの道中、奴の元部下で現同僚となった奴らを見つけたので、宇治木の世話をするようにと言い残しておく。

 

 

「さて。現職の警官に暴行、しかも殺す意思ありきでボコったんだ。結構な罪科でしょっぴく事は出来るが……」

 

 

そんなんじゃ俺の腹の虫は治まらない。

やっぱりお礼は上司である俺が直々にくれてやんないといかんからな。

 

てゆうか、警察を手に掛けて逃れられると思っているのだろうか。

パトロンとして取り込もうとしている塚山家(かなりの資産家らしく、石動雷十太はそこに食客として居る。後に乗っ取る予定の家)は警察の動きを封じれるほどの影響力はなかったハズなんだが。

 

それとも独自の汚いコネでもあって、それで動きを縛ろうと考えているのだったら、それは甘いよ?

東京警視本署筆頭の爪弾き者は変なしがらみも命令も関係なく、突っ込んで行くからな。

俺ってば最近本署内で白猫だなんて言われてるぐらいだから、人の言うことは聴かないかもしれないよ。

猫は家になつくと言われているからにゃ。

 

まぁそれは置いといて。

 

自由に動けるとは言っても、塚山家に行くのは明日以降だ。

準備をどうするかを考えなきゃならんし、なにより冴子嬢の容体も気になる。

大丈夫だと頑なに言っていたが、捻挫とかは時間が経ってから痛みに気が付くこともあるし、歩けずに四苦八苦している可能性だってあるのだ。

どうせ今日は非番だったのだ、もう帰ろう。

 

そう思って、脇目も振らずに廊下を早足で歩いていたのがまずかった。

 

 

「おや、狩生くん?どうして此処に居るのですか?」

 

「……やっべ!」

 

 

って、これは失礼か。

でも油断してたわ、完全に意識してなかったわ。

 

 

「……浦村さん」

 

「今日はお休みするようにと言ったはずですが、私との約束は守れなかったのですかな?」

 

「スミマセン。いや、違うんです。これにはちゃんとした事情がありまして……話します!話しますから、その怖い顔を止めてください!」

 

 

笑顔なんだけどね、目が薄っすらと開くんだよ、怒ると。

チラリと覗ける瞳がマヂで怖いんだって!

 

あ~でも、そうやって瞳だけで人に恐怖を与える術ってのは羨ましいな。

俺もぜひ身に着けたいもんだよ。

 

なんてどうでもいいことを考えることで恐怖心を誤魔化し、ペラペラと先ほどまでの事件を包み隠さず早口に説明した。

その間決して目を合わせることは出来なかったのは言うまでもないこと。

 

一通り説明が終わると、浦村さんは怒気の笑顔を潜めてため息を一つ吐いた。

 

 

「そう……でしたか。それは、謝らなければなりませんね。そんな事があったとは知らずに」

 

「いえ、そんな。むしろ冴子嬢を危険に巻き込んでしまったのですから、拳の一つや二つは甘んじてお受けしようとすら思っていました」

 

「そんなッ、滅相もない。話を聞く限り、狩生くんのおかげで大事に至らなかったようじゃないですか。感謝こそすれ、文句の一つすら言うハズがありませんよ」

 

 

ですから、ありがとうございます。

 

そう言って浦村さんは頭を下げた。

自分より立場が下な相手に一切の躊躇もなく頭を下げるなんて、ホントこの人は器量が広い。

 

俺は慌てて頭を上げてもらうように言ってから、続けた。

 

 

「それでも、もしかしたらお怪我をさせてしまったかもしれません。ですのでこれから帰って様子を伺おうと」

 

「そうですか。でも聞いたところ急ぐ必要も無さそうですし、一旦自部署の部屋に戻られたらどうです?なんでも、君宛に荷物が届いたそうですよ?」

 

「私宛、ですか?」

 

 

まったく身に覚えがないな。

俺宛に警察署に荷物を送る奴――あ、外印か!

 

義手が出来たのか?!

 

 

「分かりました、ありがとうございます!じゃあその荷を持ってから御見舞いに行ってきますね!」

 

「え、えぇ……冴子も心配してくれていると知れば喜ぶでしょう」

 

 

いやそれは無いと思いますよ?

彼女の俺の徹底的な嫌いっぷりを見れば、ウザがられるとしか思えないですし。

 

まぁそれはさておき。

冴子嬢には申し訳ないが、浦村さんの仰る通り急ぐこともないのは確かかもしれないから、少しだけ寄り道させてもらおう。

ちょっと、否、かなり楽しみにしていたんだよ?

 

あの平成の世ですらビックリなオーバーテクノロジーを持つ外印が、腕によりを掛けて作ると約束してくれた義手。

果たしてどんな物になっているのか、何も聞いていないからこそ今ワクワクしているんだ。

 

スミマセン、冴子嬢!

ご様子を伺いに行くのはもう少し後にさせていただきます!

 

ちょっとした興奮を抑えられず、俺は早足に自部署へと駆けだしていった。

 

 

 

 

そこで目にしたものは果たして、自分と同じくらいの大きさの桐の木箱だった。

 

ん、んん~?おっかしいなぁ。

外印からじゃないのか?

でも木箱の片隅にアイツの覆面の髑髏のマークが描かれているから、アイツからの物であることは確かなんだけどなぁ。

 

義手ってこんなにデカかったっけ?(困惑)

 

それとも義手以外の物を送ってくれたのだろうか……あ、木箱に紙が張り付けてある。

それを手に取って広げると、中に外印からの伝言が書いてあった。

 

 

『師よ、お待たせして申し訳ない。ここに義手が完成したので贈らせてもらった。中には常備用と戦闘用の二種類の義手が入っている。前者はともかく、後者は今後の師の活動を鑑みて勝手ながら作らせてもらった。なに、礼は要らんさ。久々に私が追い求める「機能美」から、かなり逸脱した方向性の物を作ることが出来たのだ。いっそ、それが清々しくて楽しいとすら思えてしまってね。張り切って作ったのだ、喜んでもらえると私としても嬉しいよ』

 

 

……やっぱり義手なのね。

 

いや、嬉しいよ?

感謝感激だし、本当に助かるのだが、その気持ちと同じぐらいの大きさの不安が生まれたんですけど。

 

二本入っているからって、それでも大きすぎだよ。

とてつもなく開けるのが怖くなってきたわ。

 

 

「……いや、アイツは良かれと?思って作ってくれたんだ。不安がるのは失礼……かな?うん、失礼だな。感謝の気持ち、感謝の気持ちが大事」

 

 

ブツブツと自分に言い聞かせるようにして膝をつき、寝かせられている木箱の蓋に手を掛ける。

たかだか贈り物の中身を確かめるだけなのに、深呼吸している自分てどうよ。

 

大丈夫、大丈夫。

入っているのはちゃんとした物のハズだ。

アイツも俺が喜ぶと信じている物を作り、贈ってくれたんだから。

 

アイツの先進的かつ前衛的な芸術作品は、確かに時代を先取りしている。

往時の人からは理解され得ないかもしれない。

 

だが何を隠そう、この俺ならッ。

未来に居た俺なら、その芸術性も理解できると思う!多分!

変態大国の変態文化を知っているんだ、味わったんだから!(卑らしい意味に非ず!)

 

 

 

 

「はあああぁッ――御開帳!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決意を胸に、勢いよく開けた木箱。

 

 

 

 

その中に有ったもの。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それは―――義手?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

中には白い布で簀巻きにされた、何かかなりデカい物が一つ。

俺ぐらいの体格の人間(ざっくり165cmと自覚してる)と同じぐらいの大きさな気がする。

……マヂで?身体と同じ大きさの義手って有り得るの?

 

で、それとは別に隅に同じく白い布で簀巻きにされた小さい物が一つ。

こちらはちょうど腕の大きさのようだから、恐らくこれが常備用の義手なのだろう。

 

 

「まずは驚きの少ないであろう普通サイズの方を……」

 

 

そう言ってそれを手に取ると……重い。

腕ってこんなに重いのか。

それに、固い。随分と硬質な素材で作られているようだ。

まぁ人の皮膚が素材となっている物よりかは万倍マシだ。

例え防腐処理されるからと言っても死体から剥ぎ取った皮で包まれた義手なんざ、いくら高性能でも御免だからな。

 

 

「……ぅぉ」

 

 

白い布を剥がしていくと、そこに現れたのは紫色の義手だった。

 

正しく義手、THE義手みたいな感じの、人間味をまったく感じさせない、それでいてメカメカしいわけでもない、むしろ毒々しい色を放つ硬質かつ機巧的な右腕。

 

指もちゃんと五本あるのだが、これは動かせるのだろうか。

指や肘に力を加えるとちゃんと稼動するし、構造的には動かせるみたいだ。

 

ふむ、取り合えず着けてみるか。

俺はマントと袷、それと白シャツを脱ぎ、右腕の断裂部の包帯を巻き取って、接合部の機巧を空気に晒す。

そこに紫色の義手を近付け、そして嵌まり合う音が部屋と頭蓋に響いたーー

 

 

「……ぅおッ、がぁ!」

 

 

途端、形容しがたい不快感と酩酊感に襲われ、胃の内容物がせり上がってきた。

 

なん……だこれ!

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!

 

腕から何かが体内に向かって侵食してくる感覚。

その何かが血管の一本一本、神経の一本一本、果ては図太い骨にまで()()()()()いき、まるで無理矢理繋がろうとしているかのよう。

繋がった途端、食い込まれた途端、このおぞましい感覚に背筋が凍えるほどの恐怖心を抱き、されどなんとか喉まで上がってきた吐瀉物を嚥下する。

 

がくがくと震える身体に必死に鞭を打ち、倒れないよう膝立ちで懸命に耐える。

冗談抜きで視界が激しく揺れ、明滅を繰り返すため前後不覚どころか上下の感覚も覚束なくなって。

 

そんな事態に襲われて、果たしてどれ程経っただろうか。

いつしか四つん這いになって地を延々眺めていたような気もするし、逆に数分数秒だったかのような気もする。

 

 

「……ッ、ぶはぁ!はぁ、はぁッ、ぜぇ、ぜぇ……!」

 

 

そして。

 

波が引いていったように、まるで夢でも見ていたのかと思うほど、綺麗さっぱり不快感は無くなっていた。

見下ろす地には大量に溢した汗の水溜まりがあり、それが先程の苦痛が嘘ではなかったと証明するのだが、その視界の端に……紫色の手の甲があった。

 

 

「はぁ、はぁ……あ、動いてーーー」

 

 

すとん、と腰を下ろして胡座をかく。

 

大きく息を吐き、汗を拭って人心地着いてからしげしげと右腕を眺める。

 

ぐるりと腕を回して四方八方から見て、時には光にかざしたり、時には叩いてみたり。

指を一本一本動かそうとして、それが本当に思った通りに動いて。

脳で動かそうと思うのと、実際に指が動くのにラグはなかった。

それは、すべての指もそうで、手首もそうだし、肘もそうだった。

本来あった右腕と、なんら遜色ない。

 

あまりの精巧かつ緻密な仕上がり具合に、喜びよりも先に恐怖した。

 

 

「マヂか……どういう機巧(からくり)してんだよ。ホント、アイツのビックリ技術には頭が上がらんわ」

 

 

でも、なんとなく分からないでもない。

 

さっき襲われた不快感の中に、神経の一本一本に何かが繋がる感覚があった。

もちろん、そんなの勝手なイメージだし、なんで神経に繋がったと分かったのかと問われても、なんとなく、としか答えられないぐらいに曖昧なものなんだけど。

もし、仮にあれが気のせいなんかじゃなくて、気持ち悪くなった原因が本当に繋がったからであるならば、この腕を精巧に動かせる理由にも繋がる。

 

いや……まぁ、ぶっ飛んだ話ではあるんだが、あの野郎は恐らく斬鋼線(外印の主武装。人形を操るのにも使うし、人を切り裂くのにも使う。一本一本は見えないほど細いらしい)を疑似神経にして、腕に残った神経の切れ端と再結合させたのだろう。

だから、斬鋼線なら脳の電気信号を抵抗なく義手へと伝達させることができ、タイムロスなく動かすことを可能たらしめている。

 

……なんてね。

 

勝手に御都合主義を妄想しましたけど、ぶっちゃけ理由はどうだっていい。

生身の腕と変わらずに動かせるという事実だけで、もう本当に有り難い。

 

殺し合いの最中においてはコンマ数秒が命取りにもなるのだ。

咄嗟に動かそうとするも間に合わず、それが原因で死んじゃいました、なんて間抜け過ぎるからな。

 

 

「あ~、でも……めっちゃ疲れたぁ。誰だよ、小さい方が驚きが少ないだろうなんて言ったのは」

 

 

俺だよ、知ってる。

まぁ驚きが割りと少なかったのは事実だから、あながち的外れな予想でもなかったみたいだけどな。

 

 

「っていうか、擬似的とはいえ神経を繋いじゃったらもう外せなくね?」

 

 

着脱不可なの?

それとも外す度にまた腕を捥ぐ痛みを我慢するの?

繋ぐときもさっきのをまた体験するの?

 

アカン、考えたらどんどん怖くなってきた。

一度試しに外してみるか?いや、またあの地獄を体験することになるかもしれないんだ。

そうホイホイと試すとか阿呆だろう。

 

クッソー、安易に着けるんじゃなかった!

興味本意と喜びに浮かれてまったく後先を考えなかったからなぁ。

 

……まぁ、もうやっちまったことは仕方がねぇやな。

うん、夜にまた考えよう。その時になって苦しもう。

 

 

「クソッタレめ……と、なると残すはこのどデカい方なんだが」

 

 

ここまできたらもう後は野となれ山となれ、だ。

 

えいや、といっそ吹っ切れた気持ちで布を剥ぐと、今度こそ驚いた、驚愕した。

 

 

 

多分、目が点になったことだろう。

 

 

 

 

 

「…………(絶句)」

 

 

 

 

 

 

弟子の芸術が爆発しすぎな件について。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











外したら何も見えなくなるけど、外さなきゃ目がえらいことになる……もしもの時に備えて眼鏡は持ち歩こうかな


ちなみにオリ主も平成ではコンタクトしてて、明治に来て狩生の身体になってから裸眼の素晴らしさに毎朝ハイテンションになってたりしてました

クソどーでもいいわ





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

26話 明治浪漫 其の拾




筆者はハガレンを漫画、アニメともに見たことがありません

描写する義手について「これじゃない」感に襲われてもどうか大目に見てあげてください


では、どうぞ










 

 

 

 

 

 

 

 

携行武器において最も求められる要素は、当然その携行性だ。

兵器でもそうなのだが、例えどんなに強力な火器でも、求められる場所に運べなければなんら意味がない。

固定砲は、放った砲弾が戦場に届かなければ無用の長物と化すのだ。

小銃だって威力を求めすぎて馬鹿デカくなり、取り回しが利かなくなったら本末転倒だろう。

 

要は携行性を常に念頭に入れて大きさを考え、その上で威力の向上を図るべき、ということ。

 

その点、刀は模範解答とも言えるだろう。

斬馬刀とかいう奇天烈な刀も無いでは無いが、基本は決まったサイズがありきで、後に刀匠が精魂込めて刃を研ぎ澄まし、性能の向上を図る。

切れ味を増大させ、如何に人を効率よく斬れるかという一点のみを追求する。

 

武器、兵器とは押し並べてそうあるべきであり、そうあるからこそ一点のみに特化する姿は強く、そして美しく映る。

刀しかり、ナイフしかり。

戦闘機しかり、戦艦しかり、戦車しかり。

殺すことに、戦うことに特化したそれらに、どうしようもなく惹かれるのだ。

 

 

だが、一つだけ。

 

 

この正しき理屈に真っ向から、否、突き抜ける変態的理屈がある。

 

例え実用的でなくとも、例え実戦的でなくても、不出来な武器・兵器でも求めてしまう(さが)というものが、確かに存在する。

 

 

 

 

人はそれを、浪漫という。

 

 

 

 

「……いいなぁ(ホッコリ)」

 

 

右腕に装着した義手、否、兵器。

 

紫色の義手を改めて外すことなく、その腕に装着する(というか腕を嵌め込む凹部がある)形の巨大な右腕。

 

 

一言、デカい。

 

 

腕が二回り以上巨大で、右腕を内部に突っ込むその巨大義手は肩まで装甲が覆うほど。

こちらは紫の義手とは違い、かなりメカメカしくて色も真っ黒。

五指というか鋭利な爪五本が膝あたりから地に着くまで伸びていて、一本一本がどこか禍々しく見える。

上腕から肩にかけては色々な突起物や開口部、果てはファン(!)のような物まであり、腕の挿入口からは内部に多くの管が張り巡らせているのが覗けた。

 

なお、こちらの義手もかなり緻密に動かすことができるのが分かった。

しかもそれなりに重いのに、だ。

 

 

……が、使いどころが思いつかない以上、当分はお蔵入りかな。

百歩譲って大鎌ならまだいいとしても、これを装着して街中を歩くのは流石に目につき過ぎるし。

 

 

「それになにより……こんな重量物、大きな隙になるし」

 

 

超重量武器である斬馬刀を振り回す喧嘩屋よろしく、いいように原作主人公にあしらわれてしまう。

 

曰く、こういった重量武器は振り下ろすか薙ぎ払うかの二つしか戦法がなく、至極読みやすいとのこと。

真理だね。

いや、別に原作主人公と戦うつもりなんざ無いけど、生半可ではない相手にこれで挑むのは自殺行為でしかないということだ。

 

更に付け加えてメタ的なことを言うならば、こういった人一人を相手にするには過剰な武器を持つ奴ってのは、大概が噛ませ犬キャラなんだよな。

見かけ倒しとまではいかなくても、それを攻略する主人公勢にスポットライトが当てられるのが通例だ。

 

普通なら歯牙にも掛けないふざけた考察なんだが、生憎とここは漫画の舞台となった世界だ。

現実(リアル)ではあるのだけれど、変な法則とやらが無いとも限らない。

だってほら、金縛り使う奴とか斬撃飛ばす奴とか居るし。

現にオーバーテクノロジーの義手とか着けてるし。

 

浪漫に胸は熱くなるのだが、噛ませ犬はイヤだからなぁ……あ、義腕(もう此方は差別化を図るためにこう呼ぼう)があった箇所に手紙が有る。

 

なになに?

 

 

『師よ、二種類の義手の着け心地は如何だろうか。もう御察しの通り、その小さい方の義手には師の神経の断裂部に特殊繊維を繋いで疑似神経を(かよ)わしている。思うように動かすことができるだろう。だが取り回しが便利になる反面、触覚も得られるゆえ過度な使い回しは痛覚を呼び覚ますぞ』

 

 

自分で考察しといてなんだけどさ、疑似神経てなに?

コイツもさも当たり前のように言ってるけど、自分が何言ってるのか分かってるのか?

取り合えず難しいこと言っておけば誤魔化せるとか思ってねェだろうな。

 

それにしても触覚か……確かに触っている実感が持てている。

これは日常生活はもちろん、戦闘面においてもかなり助かるな。

 

 

『さて、常備用の義手については特筆すべき点も無いから割愛させていただく。精々がそれなりに頑丈で、腕力がそれなりに増した程度だからね。戦闘用の義手についてだが、まぁ見た通り巨大だ。師のことだから、大きさによる不利点ばかりに目を遣っていると思われるが、巨大ゆえ多用な機巧を仕込むことができたのだ。そちらにも着眼してもらいたい』

 

 

師のことだから、てお前はいつの間にそんなに俺のこと詳しくなったんだよ。

ろくな会話をした記憶がないんだけど。

しかも合ってるだけに怖ぇよ。

 

 

『まぁそう怖がらないでくれ』

 

「あれ、これ手紙だろ?!なんで会話できてんの!?」

 

『さて、その腕の最大の武器といえば、当然その質量そのものだ。その巨腕で殴られれば誰であろうと一撃で意識が吹き飛ぶだろう。しかも指を鋭利な刃としているため、斬るにも良しときている。他にも色々とあるが、一つ一つは別の説明書に記してある。一読しておいてほしい。で、ここではその腕の動力について記そう』

 

「動力……?」

 

 

 

『最大の武器も当たらなければ意味はないだろう?小さい義手との接続により、その腕もそれなりに機敏に動かせるだろうが、それでも限度はある。故に促進機巧を内蔵させた。いや苦労したよ、旧幕海軍が所有していた回天丸、それに使われていた動力を引き揚げ、小型化させるのには』

 

 

 

 

 

 

……は?

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

回天丸

 

 

 

詳しくは覚えていないが、確かアメリカから旧幕府が買い取った外輪船で、旧幕府軍と新政府軍の最後の戦い、函館戦争まで活躍した軍艦だったか?

 

外輪船は当時では既に時代遅れのレッテルを貼られ、日本に売られたそうだが、それでも彼女は維新初期からずっと戦い続けた武勲艦だった。

確か砲弾を五十発以上受けながらも、たった一隻で新政府海軍を相手に戦ったと記憶している。

 

最後は当然沈んだハズだが、引き揚げた?

外印が?……んなバカな。

 

 

そんな外印のビックリ手紙を読み耽り、内容が真実か否か試したい気持ちに当然なったのだが、そこは必死に抑えて冴子嬢が向かったというお医者さんの所に赴いた。

 

結構時間が経ってしまったのだ。

日が暮れる前に冴子嬢と合流して帰宅しないとマズい。

主に御母堂にまた説教を頂くはめになるからだ。

 

と、その道すがら見たことのある三組の傘が目に映った。

 

 

「良かった、入れ違いにならなくて」

 

「あ、狩生さん。御心配をお掛けしてすみませんでした」

 

 

んんん?

幻聴か?今冴子嬢が俺に謝らなかったか?

 

 

「なんですか、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして」

 

「――ハッ。いえいえ、なんでもありません。えぇ、ホントになんでも……御体はどうでした?」

 

「なにもありませんでした。かすり傷も打撲も」

 

「そうですか」

 

 

そっか、そっかぁ。

良かった。

怪我でもされてたら本当に浦村さんに顔向けができないからなぁ。

 

 

「では私たちはここでお別れね。帰路が違うし、御迎えも来られたようだし」

 

「そうだねぇ。じゃあ、狩生さん。冴子のこと、宜しくお願いしますね」

 

「そっか、家は別方向か。でも……」

 

「いいですっていいですって。狩生さんは冴子を送ってあげてくださいな」

 

 

むぅ、まぁ別に治安が悪いというわけでもないしな。

お言葉に甘えるか。

()()はどうやら、二人には見向きもしていないようだし。

 

 

「晴子ちゃん、乙葉ちゃん、今日はありがとうね。また明日」

 

 

冴子嬢がそう言うと、二人も笑顔で別れの挨拶を述べて去って行った。

 

彼女たちのカラフルな傘を少し見送ると、俺たちも帰路に就いた。

 

 

「随分と大きな荷物を背負ってますね」

 

「あぁ、これですか?本署に私宛に届いてたんです。ほら、これ。義手なんですよ」

 

 

そう言って俺は右腕を掲げて見せた。

もちろんサラシを巻いて素地は見えないようにしている。

紫色の腕とか、この銀の髪色よりも目立つから。

 

なお、冴子嬢が指摘したのは今背に負っている義腕のことだ。

別に署に置いといても良かったんだが、物が物だからな。

オーバーテクノロジーを注ぎ込んだこれが間違って世間に出回ってしまったら、恐らく歴史が超改編される。

それはそれでクソ面白そうなのだが、外印はそんな風に目立つことを嫌うだろうから、俺としてはむやみやたらに置き去りにする事はできなかった。

 

冴子嬢に対しても、この背の包みはこんな感じの腕がたくさん入ってるよ~と暗に示す。

……自分で言ってなんだが、それってもはやスプラッターだよな。

 

 

「義手……?」

 

「あ、えっと……代わりの腕ってことです。それっぽく作った腕を繋げて、代用するんです」

 

「へぇ。そんなものがあるのですか。寡聞にして知らなかったです」

 

 

そういやこの時代って義手はないのか?

 

 

「西洋じゃ四百年くらい前から有ったらしいですよ。義手どころか義足すら。戦争で腕や足を失った人が、なお戦い続けられるために」

 

「そ、そうなのですか」

 

 

専ら戦争用だ。

向こうじゃやっぱり、人を殺す技術の進展は早いのだ。

 

と、どうやら冴子嬢はおっかなびっくりでも義手に興味津々のようだ。

これもオーバーテクノロジーの塊だからな。

あまり詮索されるのは宜しくないのだが……なんか冴子嬢、随分と話し掛けてくるな。

どうしたんだろ。

 

 

「冴子さん……」

 

「なんですか?」

 

「……いえ。ほら、もう着きますよ。今日は色々とありましたから、ゆっくりなさってください」

 

 

何かありましたか、と聞こうと思って、止めた。

変に聞いたら、また今までのように戻ってしまう気がしたから。

何か心情に変化でもあったのかもしれないし、ただ自分で気付かずに素が出てるだけなのかもしれない。

余計な詮索は、しないようにした。

いいタイミングで家にも着いたことだし、俺は話を切り上げて中へと冴子嬢を誘った。

 

 

さっきから尾行してる奴の視線も気になるし。

 

 

冴子嬢を伴って帰宅した俺は御母堂に事情を説明し、謝った。

部下がしでかしたことは、上司の責任でもある。

怪我は無かったというのは結果論であり、危険に巻き込んだことに変わりはないのだから。

 

署長も交えてまた謝るつもりだが、先に話を通しておこうと思ったのだ。

すると御母堂は怒るどころかお礼を言って、頭を下げた。

 

予想はしていたけど、やはりというかなんというか。

 

 

その後、署長が帰宅されて夕食となり、事の顛末と義手が手に入ったことを説明した。

前者については既に話をしていたこともあったが、俺の謝罪とご両親のお礼の応酬でなかなか目の前の夕食にありつけなかったのはご愛敬。

 

やっとそれも一段落着いたら当然今度は義手について聞かれたが、それに対して俺は当たり障りのないようボロが出ない程度に曲げて話した。

製作者は横浜の友人であり、西洋の科学を習熟している者であること。

今後とも義手に限らず、何かにつけて協力してもらう予定であるから、変なものが今後も増えるかもしれないとも付け加えさせてもらった。

 

義腕についても隠し、厚かましくもなるべく触らないでほしいと話したが、ご両親は笑顔でこれを快諾してくれた。

 

その優しさが嬉しい反面、隠し事の多い自分に嫌気が指した。

 

 

蛇足だが、義手の動作確認の一環として右手で箸を使って食事した。

おかげでかなり時間が掛かってしまったのだが、冴子嬢の完食のタイミングも俺と同じだったから一人残っての食事にはならなかった。

 

はて、そういえば彼女が夕食を完食する姿を見るのは初めてだったかもしれない。

いつもは俺の近くにいるのが嫌だという空気を醸し出して直ぐに部屋に戻られるのに。

ふむ、どうやら普通に食べるとケッコー時間が掛かるようだな。

 

 

食事を終えた俺はいつもの縁側へとやって来た。

雨が降っているので雨戸が閉められているし、禁酒を指示されているからいつも通りではなかったが。

 

 

「お部屋に行かれないのですか?」

 

 

雨戸に背を預けてそこに座り込み、呆と足元に置いてある蝋燭の火を眺めていると、なんと冴子嬢が来た。

しかも声を掛けてきた。

 

 

「日課ですからね」

 

「夜空も見れず、酒精も楽しめないのなら早めに寝ればいいじゃないですか」

 

「雨音に耳を傾けて呆とするのも好きなんですよ」

 

「年寄り臭い発言ですね」

 

 

確かにそうかもですね、なんて俺が答えるより先に、あろうことか冴子嬢が隣に座ってきた。

 

……え、マヂ?ホントに何かおかしいぞ?

帰り道の時といい夕食の時といい、一体どういう心境の変化だ?!

 

 

「何されてるんですか?冴子さんこそ、もう寝た方が宜しいのでは?」

 

「もう子供じゃないんですから。寝る時間は自分で決めますよ。ただ私は……私は、お礼を言っていなかったから」

 

 

あぁ、なるほど。

良心の呵責というか、罪悪感というか、そういったマイナス思考に囚われてるから、嫌々でも俺に近づいて話しかけて来てるのか。

 

本当、お人好しだな。

 

 

「礼は要りませんよ。部下の仕出かしたことは、上司の俺の責任ですから。あの事態は俺が謝りこそすれど、冴子さんにお礼を言われるべきことではないのですから」

 

「……でも」

 

「冴子さんは何も気に病む必要はありません。何も気にされず、俺には今まで通りで構いませんよ。感謝のお気持ちも、贖罪のお気持ちもご不要です。また今まで通りの日常に、戻りましょう」

 

「…………」

 

 

傍らに置いてあるお茶を一口啜り、俺は一息つく。

 

元通り、か。

お人好しの冴子嬢のことだ。

そう踏ん切りは着かないだろう。

けど、俺の事が心労になることだけは避けたい。

あんまし気乗りはしないが、嫌われるままの方が彼女にとってもいいのだから。

 

と、雨に耳を傾けながらそんなことを考えていると、彼女が口を開いた。

 

 

「私は貴方が嫌いです」

 

「えぇ、存じてま――」

 

「聞いてください。私の貴方に対するこの感情は、間違っているのでしょうか」

 

 

言葉を遮られ、二の句を継げずにいる俺。

これは、質問されているのだろうか。

でも、彼女は膝を抱えて目の前を見据えるだけ。

俺に答えを求めているようではなかった。

 

 

「分からなくなっちゃったんです。理由はなんであれ、貴方は私を守ってくれた。これからも、きっと守ってくれるのでしょう。そんな貴方に、こんな感情をぶつけるのがおかしい気がしてきたんです」

 

「……」

 

「空回りしているんでしょうか。貴方と別れた後、乙葉ちゃんに言われたんです。このままでいたら、きっと後悔するって。ちゃんと自分の内と向き合ってみなさいって」

 

 

聡明そうだとは思っていたが、乙葉ちゃんは思った以上に人の心に聡いようだ。

 

すごいな。

この時代は平成と違って、書物を通して人の心情を学ぶという機会がまったく無いからそういった事に疎いものだと思っていたのだが、偏見だったようだ。

 

 

「まだ、自分の気持ちに整理が付きません。貴方の事は嫌いなんですが……もう、それほど嫌う必要がないのではと、思うようにもなってきたんです。ただ、だからと言っても急に気持ちは変えられません。ですが、友達から頂いた助言を無下にもできません」

 

「……」

 

「ですから、まずはただ感謝の言葉を述べようと思ったんです。貴方の事は嫌いですが、貴方の私を助けてくれた行為まで嫌うのは違っていると思うのです。だから、私の感謝の言葉を、受け取ってはくれませんか?」

 

 

なんて、そう言って冴子嬢は此方をちらと見た。

 

たかだか感謝の言葉を述べるだけ。

たったそれだけのことなのに、どうして彼女はここまで真面目に考えて、お礼を述べようとしているんだ。

 

たった一言。

ただの一言なのに。

 

例え俺が謙遜して受け取らなかったとしても、逆に俺が折れて受け取ったとしても。

俺の心に芽生えるものは、何一つとして無いんだ。

 

無い……はずだったんだ。

 

こんな覚悟を聞かされては、何も芽生えないわけがないだろう。

 

これほど重く、そして力強い感謝の言葉を、軽い気持ちで受け取れるはずがない。

ましてや拒否するべくもない。

 

彼女の言葉を、俺も誠意をもって受け止めるべきなのだ。

 

 

「……分かりました。そのお言葉、慎んでお受け――?!」

 

 

答えようとして、ふと一律の雨音の中に紛れて微かに近づいてくる馬匹と車輪の音が聞こえた。

 

 

「狩生さん?」

 

「しッ」

 

 

俺が突然喋るのを止めたことに訝しんだ冴子嬢はどうしたのかと問うてきたが、さらにそれを遮って口をつぐませた。

 

尾行者は俺たちが家に入ったのを確認したら潔く引き上げていった。

後の尾け方も素人だったし、冴子嬢もいたから捕らえることはしなかったが、どうやら間違ったか?

 

誰かを呼んで、その誰かが来たと判断すべきか。

 

俺は傍らに置いてあったポン刀を持って立ち上がると、冴子嬢にそっと言った。

 

 

「冴子さん、何も聞かずに今は俺の言うことに従ってください。直ぐにご両親と一緒に居間に行って、待機してて」

 

「え? え?」

 

「早くッ」

 

「は、はい」

 

 

俺の声にビクッと反応した彼女は、蝋燭を持って慌てて駆けて行った。

それを見送ることはせず、俺はゆっくりと玄関口へと向かった。

 

浦村家の屋敷はかなり立派で、玄関も広い。

面積で言えば12畳はあるだろうか。

平成の世での曾祖父母の実家と同じで、土足スペースがかなり広いのだ。

最悪の場合は、ここを使わせてもらう。

 

刀を抜き取り、左手で持って肩に乗せ、そして玄関戸の正面から扉を見据える。

 

 

「ごめんください」

 

 

そう声がして、戸が開いた。

現れたのは中年の男性、原作キャラではない。

 

 

「ッ?!」

 

 

一瞬、その男が俺の姿を見て、右手が懐の方へと動いた。

が、直ぐに自覚してその動きを止め、頭を下げて申し出た。

 

 

「夜分遅くに申し訳ございません。私、塚山家に仕える者でございます」

 

「家主に代わって聞きましょう。ご用件は?」

 

「はい。恐れながら狩生十徳殿とお見受けします。塚山家が食客、石動雷十太様が是非お会いしたいとのこと。どうか今よりお越しいただけますでしょうか?」

 

「斯様な時分に唐突ですね」

 

「なにぶん、火急の用事とのことです」

 

 

なんとまぁ、正攻法だこと。

 

何らかの接触はあるだろうと踏んでいたが、よもや正攻法だとはな。

いや、原作通りの気質の輩ならば、これしか手がないってことだろう。

 

 

「ッ、狩生くん!いったい何事ですか?!」

 

 

抜き身の刀を鞘に納めると、居間から血相を変えた浦村さんが飛び出してきた。

手にはちゃっかり拳銃を持っているし。

危ない危ないって。

 

 

「すみません、浦村さん。どうも私の早とちりのようでした。来客は塚山家の方のです」

 

「塚山家……?ということは、今日の一件についてでしょうか?」

 

「はい。本日の騒動につきまして、何卒狩生殿にお伝えしたいことがあるとのことで」

 

 

お伝え、ねぇ。

 

ま、建前なんて何だっていいんだけどね。

 

 

「分かりました。慎んでお伺いしましょう。準備をしますので暫しお待ちください」

 

 

そう言って俺は一旦自室に戻ると寝間着から動きやすい服装に着替え、義腕の入った包みを背負って部屋を出た。

 

 

「行かれるのですか?あまり良い予感がしないのですが……」

 

「なに、大丈夫ですよ。ここで俺に何かあれば一番に怪しまれるのは石動雷十太ですよ?そんな短絡的なことはしやしませんよ」

 

 

不安げな浦村さんを筆頭に、居間の襖から恐る恐る此方を覗く冴子嬢の見送りを背に、俺は草鞋を履いて玄関を出た。

 

 

 

 

だってほら、刀と拳銃を見ても僅かな動揺だけで済ませた、どう見ても堅気じゃない御者さんの馬車に乗るんだよ?

 

 

これほどスリルのある乗り物を、そうそう見過ごしたくないしね。

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

27話 明治浪漫 其の拾壱





多くの方から義手のイメージキャラを感想に書いていただけて有り難かったです
義手キャラは正直あまり知らなくて、参考になるキャラを見つけられなかったのです
おかげで今後は上手く描写できるかもです

あと誤字脱字報告、深く感謝しております





では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

 

 

「此方にどうぞ」

 

 

御者に勧められて狩生は馬車に乗り込んだ。

塚山家は大層な資産家であるようで、家庭用に馬匹と馬車を所有しているようだ。

しかも車はオープントップとは逆で、屋根と扉のある完全個室型だった。

 

 

「どのくらい掛かるんですか?」

 

「半刻も掛かりませんよ……えぇ、すぐに着きますから」

 

 

そう言って、御者は扉を閉めた。

 

それは、狩生を中に案内したと言うよりも、中に閉じ込めたと言う方がしっくりくる。

そう思えるほどに、御者は口元を不気味なまでに歪ませていて、そして小雨の降る夜道に車を出した。

 

 

地を叩く雨の音に紛れ、馬が地を蹴り車輪が轍を作る音が夜道に響く。

道に灯りはなく、唯一目を引くのは馬車に吊るされた二つのランタン。

 

それは本来、道先を示す灯りなのだろう。

 

だが、今となってはその役割が異なってくる。

周りからすれば、そのランタンは正しく馬車の在処を示す証明に他ならないからだ。

例え雨の中であっても、決して見過ごすことのない、確かな標的の証し。

 

作り上げた死地にむざむざやって来た、贄の灯り。

 

 

「ペッ。こんな闇夜で、しかも雨の中での仕事たァやんなるぜ」

 

「そう言うな。多少やりづらいが、所詮獲物は一人。直ぐに終わるさ」

 

「相手は警官なんだろ?お上を敵に回すたぁ先生も肝が座ってるなぁ」

 

 

馬車が進む道の先、そこに十人近くの男たちが刀を腰に帯びて立っていた。

全員が編み笠を被っていて、黒めの衣服を身に纏い、前から近付いてくる馬車を見据えていた。

 

周りに民家は無く、時間も時間ゆえに人が来ることもない。

しかも相手は一人。

警官とはいえ、おそらく無防備と考えていいだろう。

 

シチュエーションとしては絶好のタイミング。

殺すにはまたとない機会だった。

 

 

やがて馬車を手繰る御者が道の真ん中にたむろする集団を見つけると、徐々に馬の駆ける速度が緩やかになっていき、そして彼らの目前で完全に停止した。

 

ニヤリと笑い、頷く御者。

それを合図に男たちが馬車を囲みだし、両サイドの扉に近づいていく。

 

各々が刀を抜き、これから自分達が起こす惨殺劇を想像して笑みを深くする。

 

 

「んじゃ、約束通り『同時に扉を開けて、どちらが先に獲物を殺せるか』勝負だ」

 

「望むところだぜ」

 

 

そう言って、それぞれの扉に手を掛ける二人の男。

扉を開けた瞬間、間抜けな獲物はどんな顔をするだろうか。

その顔は、此方を向けるだろうか。

それとも向こうを向くだろうか。

 

どちらにせよ、そんな輩を殺すのは実に面白い。

想像するだけで笑いが止まらなくなってしまう。

今までの仕事を思い出して一層笑みが深くなる。

 

男たちはいつものように扉に手を掛け、そしていつものように小声でカウントダウンをし、一気に扉を開けた。

 

 

「真古流剣術、門下生が一人!いざ、天誅――ッ!?」

 

 

その瞬間、一人の男の眼前に飛び込んで来たのは、巨大な拳だった。

 

比喩でも誇張でもなく、紛れもない巨大な拳。

胸部から顔面までを覆うほどにデカく、固く、それでいて速い拳打が一人の男を襲った。

 

響く音は、殴られて奏でるようなものではない。

まるで自動車がぶつかったかのような音と、圧倒的なまでの衝撃。

 

悲鳴も苦悶の声も洩らす余地無く、男は盛大に吹っ飛んでいった。

後ろに控えていた数人の男が、突拍子もない事態に目をひん剥き、呆然と地を転がっていく男を見遣っていた。

反対側の扉を開けた男も、目の前で起きた事態に目を丸くし、唖然としていた。

 

 

(ひぃ)(ふぅ)(みぃ)……(やぁ)か。思ったよりも多いな」

 

 

傘も差さずに馬車の中から降りてきたのは、当然今回のターゲットとしていた男だった。

銀色の短い髪と白い肌、そしてこの暗闇において仄かに煌めきを放っている青い瞳。

それだけでも異質な風貌なのだが、一際目につくのがあまりに異様すぎて、そこから目が離せなかった。

 

ターゲットの右腕が胴体ほどに太く、地に爪先が着くまでに大きかったのだ。

 

生身の腕ではないことから、何かしらの武器であることはわかる。

分かるのだが、だからといって納得できるわけがなかった。

 

あんな腕の形を模した大きな機巧など、見たことも聞いたこともなかった。

 

 

「さて……これの試運転をする絶好の機会をどうもありがとう、紳士諸君。その身でもって協力してくれる献身の精神に、俺は感謝の意を示そう」

 

 

そう言ってターゲットは機巧仕掛けの右腕を軽く曲げて持ち上げ、手のひらを己に、そして手の甲を男たちに見せる。

その手がゆっくりと、駆動音を奏でながら握り込まれていくと――

 

 

「この拳で、な」

 

 

拳の向こうに見えるターゲットは、幽鬼を連想させるたおやかな笑みを浮かべた。

 

 

直後、ターゲットの足元が爆ぜた。

 

 

否、蹴った地が盛大に泥を跳ね上げたのだ。

瞬き一つ分の時間で肉薄し、一人の男の腹部全体にその拳がめり込んだ。

 

 

「……ッ!!」

 

 

悶絶必至のボディーブロー、だがその威力は人体を浮き上がらせるほど。

人一人分の高さまで浮き上がった男に、しかし狩生は目もくれず直ぐ様裏拳を放ち、三人目の男の横っ面に叩き込む。

 

ぐしゃりと顔をしかめたくなる音が聞こえて、男が独楽のように回って飛んでいく。

 

 

「なッ、テメェ!」

 

「クソ!なんなんだコイツは?!」

 

 

ここにきて漸く周りの男たちが動き出した。

 

腐っても剣客のはしくれ。

相手がただの獲物ではなく、牙をもった猛獣であると認識しても、また得体の知れない武器を右腕に纏っていても、このままではやられるだけだと理性が叫び、握っていた刀を必死に振りかざし、突貫した。

 

 

「ハアアァァッ!」

 

 

それを狩生は烈帛の気合いとともに迎え撃った。

迫り来る刃を見据えて、アッパーカットの要領で拳を突き上げ――

 

甲高い金属音が響き、中折れした刀身が宙を舞った。

 

そして振り上げた拳を、その巨腕からは想像出来ないほどの素早さで振り下ろして、その男の脳天にチョップを叩き落とした。

ただのチョップを想像するなかれ、男は轟音とともに顔面から地に叩きつけられて、数度の痙攣の後に動かなくなったのだ。

 

 

さらに周りから群がってくる男たちに対し、狩生は手刀を構え、研ぎ澄まされた爪を自分を中心にして円状に振るった。

 

轟音が空気を震わせ、その直後に数人の男の胴体から鮮血が雨飛沫とともに舞った。

その血と雨が混じった飛沫の中を、巨腕を操り駆け抜ける狩生。

 

彼が機巧仕掛けの腕を振るう度、一人、また一人と地に伏せられていく。

 

 

 

 

 

御者からしたら、出鱈目の過ぎる光景だった。

あの右腕。

非常に固く、強力で、それでいて素早い。

リーチも長く、ならばと肉薄しようとするもその威圧感で躊躇いが生じる。

しかも爪が鋭利な刃となって振るわれる。

 

禍々しいほどの漆黒の機巧巨腕。

 

それが振るわれる度に仲間が一人、二人と倒れていく。

やがて残すところ自分を含めて二人になっていることに気付いたときには、もう形振り構っていられなかった。

 

自分は関係ないと言い通すとか、命乞いをするとか、そういう考えに至れなかった。

ただただ恐怖を感じ、暗闇の中に逃げ出した。

 

走って、走って、走って――

 

外灯は言うに及ばず、民家の灯りも月明かりも、何も無い真っ暗闇の中を必死に駆けていった。

途中で丘を転げ落ち、木々にぶつかりながら、破裂しそうな心臓を押さえつけて駆けていく。

 

とにかく、あの嘘みたいな場所から一刻も早く、一歩でも遠くに逃げ出したかった。

 

 

 

 

だが

 

 

 

 

「鬼ごっこは仕舞いか?」

 

「……ッ??!」

 

 

背後から聞こえてきた、臓腑を震え上がらせる声。

 

誰が発したかなど振り向かなくても分かる。

しかし、どうして?

こんな暗闇のなか、出鱈目に走ってきたのに何故追い付いて来てる?!

 

 

「あんまし遠くに行くなよ。馬車の所まで戻れなくなんだろ。それとも、ここからはその足で塚山家に案内してくれんのか?」

 

 

なんてね、とあまりにも平坦な声音が。

 

此方は肩がちぎれ落ちそうな程に重くなっていて、呼吸も儘ならない程に疲弊しているというのに。

 

がくがくと震える足をなんとか動かして振り向くが、やはり視界に映るは、否、何も見えない暗闇の世界だ。

 

けど、いる。

 

たしかに、近くにいる。

 

 

「ど……うして」

 

「そりゃあ奴等の仲間が逃げたんだ、追うに決まってんだろ。笑顔で殺しに掛かって来た奴をみすみす逃がすわけねぇっての」

 

 

頭上の枝葉に雨が当たる音に紛れ、一歩、一歩と確かに近付いてくる音が聞こえる。

例え眼前に手を翳しても何も見えないこの漆黒の世界において、その音は何よりの恐怖の象徴だった。

 

近付いてくる者は、本当に人なのか。

 

 

「……ひ、ぁッ……、ぁぁ、……」

 

 

いつもと同じ、簡単な殺しの話だったハズだ。

 

確かに、家に入ったときは刀を肩に担いでいたその姿に瞠目し、懐の小刀に手を伸ばそうとしたが、それだけだった。

警戒に値はするが、所詮多勢に無勢。

家から引き摺り出して囲んでしまえば、ただの木偶に成り下がるとタカをくくっていたのだ。

 

だが、いざ蓋を開けてみればどうだ?

 

仲間は尽く叩き伏せられ、残った自分はしかし逃げることもできず、身体全体が震えるほどに恐怖に支配されている。

 

自分はどうやら相当質の悪い夢を見ているようだ。

 

だってほら、目の前では見たこともない不思議な光景が浮かび上がっているのだから。

もはや理解ができない。脳が認識するのを拒んですらいるようだった。

 

 

それは、赤熱したかのように赤黒く発光している巨腕を、背の後ろに引き絞って掲げているターゲットの姿だった。

その腕から何やら機巧(からくり)の駆動音が絶え間なく発せられ、蒸気が噴き出しているようにも聞こえる。

 

その音が、微かに伝わる熱気が、この暗闇に薄ぼんやりと輪郭を表した男の姿とその右腕が、この場から逃げ出そうとする考えを根こそぎ奪い取っていった。

 

 

 

「試運転の(シメ)だ、とくと味わえ――殱腕撃(せんわんげき)

 

 

 

 

引き絞っていた右腕が轟音とともに振り抜かれ

 

 

 

 

 

旋風が巻き起こった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

俺のいた世界の旧日本海軍において、水兵にはある特別な訓練が課されていた。

 

暗視力の向上だ。

 

夜戦でいち早く敵船を見つけ出し、一方的かつ徹底的に砲雷撃を叩き込むため、人間の能力の底上げを図ったのだ。

実際に当時の見張り員の視力は驚異的なものだったらしく、そしてそれは大東亜戦争の初戦にて確かに発揮されたという。

まぁ、米海軍のレーダー技術が台頭してからは意味を為さなくなったようだが。

 

それと関係があるわけではないし、実際に俺のいた世界でもやっていたかは分からないが、かつて西南戦争に臨むにあたって俺たち薩摩の侍も暗視力の向上を目的とした訓練をしていた。

夜襲で政府軍兵士を皆殺しにするために、殊更視力の高い人を選抜してひたすら人体の限界に挑んでいたのだ。

 

その人員に、俺も含まれていた。

 

実戦ではそれほど役に立たなかったが、まさかここで役に立つ日がくるとはな。

人殺しのために磨いた力だから素直に喜べやしないけど。

 

 

「まぁおかげでコイツを見失わずに済んだんだから、結果オーライだな」

 

 

そう呟いて、目の前で泡を吹いて気絶している御者を肩に担ぐ。

外傷はない。

最後の殱腕撃(誤字にあらず)もちゃんと外したし、コイツだけは無傷で捉えようと注意してたからな。

 

一通り無事を確かめた後、塚山家へと向けて歩を進める。

場所は警察官になったときに既に調べていたからちゃんと知っている。

 

暗闇の中でも見える木々を避けながら、とりあえず山道に出ようと丘を上る。

 

 

「にしても、たまげた威力だなぁ。対人にはオーバーキル過ぎるって」

 

 

殱腕撃

 

外印が操る戦闘用機巧「参號機夷腕坊・猛襲型」が放つ技に(あやか)った、俺独自の技だ。

 

原理は簡単。

右腕に内蔵されている小型蒸気機関から供給される蒸気を肘付近の排風口から一瞬の推進力に変え、拳に威力を乗せたものだ。

 

普通はたかが蒸気でそれほどのエネルギーは得られない。

だが、そこはオーバーテクノロジスト(?)である我が弟子、外印の腕の見せ処。

よく知らんが、専用の燃料を肩部に入れ、それを爆発させてエネルギーにしているらしい。

 

……ブッ飛びすぎじゃね?

もうそれ蒸気機関じゃなくね?

 

まぁ今さら突っ込まねぇけどさ。

有りがたく使わせてもらうよ。

 

ただ難点を上げるとすれば、起動させるとものスゴい熱量が腕に発生するから、滅茶苦茶暑くて熱い。

正直に言えば堪えるのにケッコー必死だった。

今でも排熱のために至るところから熱風が音を立てて出ていて、雨に当たっているため急速に冷やされる嫌な音と煙が出ている。

 

素材が何なのかは分からんが、熱の急速な喪失で壊れないか不安で仕方がない。

 

だがその分、見返りは大きい。

振り抜いた拳によって男の真横にあった樹木がへし折れた。

人体に当たれば吹っ飛ぶとかのレベルじゃない、おそらく骨や内臓がミクロサイズにシェイクされるだろう。

 

使いどころはよく考えないとならん技だ。

 

 

「結果は上々。案外小回りも利くから対多人数でも有効。けど大振りすると隙が大きくなるから、左手に何かしら持つのが最適解かな……」

 

 

とくに原作に出てくる主要キャラ相手には不安が大きい。

もっと修練して自信をつけなければ。

 

 

「が、それも先のこと。今は石動雷十太のとこに、だな」

 

 

そう呟いて、俺は雨の降る中をゆっくりと歩いていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










原作キャラとの絡みを早く書きたい……!





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

28話 明治浪漫 其の拾弐




ストックが溜まったと言ったな?
話の流れは纏まったと言ったな?

なんか気に入らなくなったのでストックを全消去
そして再作成となりました
結果として嘘となってしまいました、すんません



ともあれ、先ずは今話を、どうぞ








 

 

 

 

 

 

 

塚山家への道すがら、一本の通りに一人の大男が佇んでいた。

 

2mはあるんじゃないかと思うほどの巨体。

編み笠を被り、両肩には黒い羽を象った小さな肩当てを着けている男、石動雷十太だ。

 

 

「よお、奇遇だな。こんな所にボッチで突っ立って何してんだよ」

 

「狩生十徳ッ……我が配下はどうした?」

 

「コイツらのことか?なんか愚鈍な頭領にけしかけられて俺を殺しに来たんだとさ。あまりに弱っちいからよ、意識刈って返しに来たんだが、その阿呆な策と配下を巡らせた頭領を知らねぇか?」

 

「……ッ!」

 

 

やれやれと頭を振って溜め息を溢した俺は、未だ気絶したまま肩に担いでいた御者を路肩に置いた。

雨は変わらず降り続いているが雲は次第に薄くなりはじめ、俺はともかく石動雷十太は俺を(しか)と視認できているようだ。

 

 

「まさか襲撃班を二つも三つも配置するとはな。抜かりがないと言うよりも、どこか失敗を恐れる小心者の策って感じがしたぜ」

 

「減らず口を。貴様を確実に殺す為の措置だったのだ」

 

「警官相手にそんなことを言うとは、先の見えぬ阿呆か?それとも本当にそう考えているのか。だとしたら度し難い阿呆だよ……あ、愚鈍な頭領ってお前のことか、納得だぜ」

 

 

雨水を滴らせる編み笠の向こう、そこから覗ける奴の瞳は怒りに染まっていた。

ただ、その色には驚きとか畏れみたいな感情も含まれていることが分かる。

 

ふと、奴を挑発しながらその周りを観察する。

 

 

……ふむ、どうやら塚山由太郎はいないようだ。

身近に置かなかったのは殺しをしていることを悟らせないようとしたからか、それとも単に侍らせると鬱陶しいからか。

まぁ理由なんてどうだっていい、今は居ないという幸運に感謝しよう。

 

 

塚山由太郎。

 

塚山家の一人息子で、裕福な家庭ゆえに育ちがよく、基本的に礼儀正しい子である。

剣術の腕も磨けば相当なものになるらしく、原作主人公もその素質に一目置いていたのだ。

 

そんな彼が石動雷十太と出会ったのは数ヵ月前、家族とともに馬車で移動中に野盗に襲われたのだが、そこを石動雷十太が颯爽と助け出したのが始まりだった。

 

それから塚山家は石動雷十太に礼を尽くすため食客として家に招いた。

そして塚山由太郎は石動雷十太の力強さに感銘を受け、弟子入りを果たしたという。

 

……まぁネタばらしすると石動雷十太と当時の野盗は実はグルで、いわゆる狂言強盗だったのだ。

塚山家の資産と名を手に入れるため、恩義を感じてもらえるよう一芝居うったというわけだ。

 

塚山由太郎は当然そんなこと知る由もなく、純粋に石動雷十太に憧憬の念を抱いているから質が悪い。

だが一層質の悪い話は、石動雷十太が彼を疎ましく思っているということだ。

原作では替えの利く駒ぐらいにしか認識しておらず、彼の思いを文字通り切り捨てたのだ。

 

本当に、クズ野郎だ。

宇治木と冴子嬢の件でも腸が煮え繰り返っているってのに、これに輪を掛けて反吐が出るってもんだ。

 

塚山由太郎がいない今のうちにケリを着ける。

 

俺は雨で額に張り付いた前髪を掻き上げてから、とんとんと爪先を踏み鳴らす。

 

 

「どこまで吾輩を愚弄する気だッ……もうよい!もはや貴様には言葉など不要ッ、この刀の錆にしてくれる!」

 

「あぁ、いいぜ。腹に据えかねてんのは俺も同じなんだ。その傲り高ぶった態度、叩き潰してやんよ」

 

 

奴が編み笠を投げ捨てて抜刀し、俺も構える。

右足を前に、左手のみのクラウチング・スタート体勢で、右腕を大きく振りかぶって後背に引き絞る。

 

 

イメージは大砲。

この巨腕こそが砲弾であり、それを放つ火薬は俺の脚力のみ。

 

 

 

集中、集中

 

 

 

 

眼前の刀を構えている大男を見据え

 

 

 

 

溜めて、溜めて、溜めて――

 

 

 

 

 

一気に爆ぜる。

 

 

 

 

「疾ッ!」

 

 

 

 

空気を突き破り、視野に映る景色が瞬きする間もなく後ろに流れていく一方でぐんぐんと石動の姿が大きくなってくる。

 

奴の一瞬の驚愕、しかしそれでも直ぐに切り替えて刀を一閃した。

俺の巨大な拳とぶつかり、耳をつんざく音と火花が闇夜に響く。

 

 

「……ッ!」

 

「ぬぅ……!」

 

 

俺の突進は止まることなく、奴とすれ違うと直ぐ様泥を削って減速しながら、振り向いて再度発射体勢に入る。

三本足で地を掻き立て、やがて速度がゼロになった瞬間、再び泥を巻き上げて突貫。

 

 

「がああぁぁ!」

 

「おのれッ……纏飯綱!」

 

 

こいつッ……相討ち覚悟で俺の脳天に降り下ろしてきた?!

 

纏飯綱。

金剛石をも両断せしめるという真古流剣術の秘剣。

原作主人公と竹刀で打ち合った際、その奴の秘剣で主人公の竹刀を両断し、床に亀裂を入れたほど。

 

竹刀でも殺傷力暴上げの秘剣を真剣で放ちやがった……!

しかも相討ち覚悟かよ、クソッタレ!

 

 

「ああぁぁぁッ!」

 

 

俺は振りかぶった拳を躊躇なく己の足元に放った。

 

地に拳をめり込ませたことによる地響きと轟音が身体の奥底にまで届き、俺の身体は急停止した。

その眼前、鼻先数センチを奴の剣閃が上から下に一直線に通りすぎていき、地に叩きつけられた。

 

直後、先ほどの俺の拳によるものよりも更に大きな音が轟いて、地面に亀裂を入れていた。

 

 

「……ッ、はあぁぁ!」

 

 

刀を降り下ろした姿勢は自然と前屈み状態だ。

その顎に渾身の左アッパーカットを喰らわす!

 

 

「がはッ!」

 

 

俺の小さな拳は狙い過たず、奴の頭蓋を見事に打ち上げて胴体ががら空きになる。

その鳩尾に右拳を叩き込もうとして――

 

 

「ぐ、ぬぅッ……纏飯綱!」

 

 

崩れた体勢から横一閃に秘剣が放たれた。

 

 

「……ッ、上等!」

 

 

咄嗟に突き出そうとした右腕を防御に回そうとしたが、その考えを一瞬にして殴り捨てた。

 

そのご自慢の真古流とやらを正面から叩き潰してやらぁ!

 

五本の鋭利な禍々しい爪を突き立て、陽炎のように揺らめく剣閃に思いっきり突き刺した。

 

直後、鼓膜が破れるかと思うほどの甲高い金属音が響く。

 

竹刀ですら相手の竹刀を両断し、床面に亀裂を入れるほどのふざけた技だ。

その威力は真剣ならひとしおだろう。

 

ならば、それを受けた俺の指は?

 

見遣った俺の瞳に映ったのは、剣先をブレることなく受け止めている己が爪だった。

 

「おのれッ!」

 

「……ふはッ!」

 

 

憎々しげに呻く奴とは対照的に、俺は心底から笑みが溢れた。

 

だってそうだろう?

金剛石をも両断すると言われていた奴の渾身の一刀をぴたりと受け止め、傷一つ負っていないんだぜ?

いったい何製なんだろうなぁ!

 

歓喜と驚きが支配する胸中に従い、直ぐ様次の行動に移った。

といっても簡単なアクションだ。

拳を握り、思いっきり叩き付ける。たったそれだけ。

 

たったそれだけの一撃なれど、それを正面から受けた石動雷十太にとっては筆舌に尽くしがたい衝撃を受けたことだろう。

インパクトの瞬間に響いた鈍い音とともに奴は苦悶の声を漏らし、後方に吹き飛び、そして背中から盛大に倒れ込んだのだ。

恐らく軽自動車に撥ねられたぐらいのエネルギーをもろに喰らったハズだ。

 

しとしとと降り続ける雨の中、俺は握り拳を開いて手の甲を見せながら、かちゃかちゃと刃の爪を鳴らして挑発する。

 

 

「どうしたよ、真古流。昼間の威勢はどこいった?この雨にでも流されちゃったか?」

 

「ぐ……き、貴様ァ!」

 

 

尻餅を着いた状態から立ち上がり、此方を射殺さんばかりに睨み付ける石動雷十太。

 

その殺意と威風は、まぁ人並み以上にあるだろう。

だが、その程度だ。

所詮己の夢に溺れて陶酔する輩の威容など、鍍金(めっき)の如く容易く剥がれるってもんだ。

 

 

「もう生かしておかん!き、貴様は四肢を切り落として、泣き叫ぶ傍らで腹を切り開いてゆっくり殺してやる!」

 

「……曲がりなりにも剣客の言う台詞かよ。出来もしねぇ事を言うのは威嚇のためか?まったく……」

 

 

溜め息を一つこれ見よがしに吐いて、目を瞑りながら首をゆっくり振って呟くように言った。

 

 

「お前が俺を殺したいってのは最初っから分かってるって。今さら繰り返さんでもいいよ。俺もお前を殺したい気持ちに変わりはないんだからさ」

 

 

そうだ。

 

浅草で俺の大切な人を危機に晒され、大切な部下を甚振られた時の感情を、激情を、俺は決して忘れてないんだ。

 

 

「お前のその怒りにはそれ以上の怒りで、その殺意にはそれ以上の殺意でもって応えてやる。独り善がりにはさせねぇから安心しろ。精一杯の感情と気持ちをぶつけて

 

 

----臓物(はらわた)をブチ撒けてやんよ」

 

 

最後に目を見開いて宣した言葉は、雨音を切り裂いて闇夜に響いた。

 

 

怒気なんざ生ぬるい。

こちとら冴え渡った切れ味抜群の殺意を嫌というほどに味わってきたんだ。

ただ口だけで殺すだなんだとほざく輩には敵愾心こそ抱けど、怯む余地などない。

 

所詮何もかもが口だけの野郎には、何を言われてされようと腹立たしさしか芽生えないんだ!

 

 

「ぬ、……ぐぅ……ッ!」

 

 

ふと、見据えていた奴が苦虫を噛み潰したかのような表情のまま、少しだけ後ずさっているのが分かった。

まったく……なんて顔してんだよ。

 

 

「どちらかが死に、どちらかが生き残る……ここはお前の望んだ剣客の在り方を凝縮した展開なんだぜ?どうした、諸手を挙げて喜べよ。震えてないで笑えよ。ほら、こうやってさ」

 

 

にっ、と俺が笑顔を浮かべると更に青い顔をする石動雷十太。

ちょっと失礼じゃね?なんて冗談は置いといて。

 

やはり純然に戦闘経験の不足が甚だしいな。

何が切っ掛けかは知らんが、理想を追い求めるあまりに己の足元を見ることが出来なくなった阿呆か。

 

 

……あぁ、そうか。今気が付いたよ。

 

 

この腹立たしさは冴子嬢や宇治木の件もあるが、他にもあったんだな。

これは、同族嫌悪か。自己嫌悪か。

 

ともすれば、俺もコイツみたいになっていた可能性があるし、これからもなる可能性があるんだ。

高い理想を掲げて、それを追い求めるあまりに自分の事をよく考えられなくなるんだ。

 

自分に出来ること、出来ないこと。

それは、やらなければならないことと常に見比べなければならない。

決して混同してはならないんだ。

 

理想はあくまで目標であり、目的であり、言ってしまえば誰にでもそれは掲げられるのだ。

 

履き違えるな、掲げる理想に傲るな。

理想は成し得て初めて意味を成す。形となる。

語るだけの理想など、妄言以外のなにものでもないんだから。

 

 

もしかしたら俺がなっていたかも知れない、これからなるかも知れない姿を前に、一歩踏み出す。

それとは逆に、石動雷十太(あり得た自分)は一歩後ずさる。

 

 

 

 

「もう仕舞いにしよう。俺はお前みたいにはならないから、ここで後腐れなくきっちりと潰してやる」

 

 

 

 

そう言って俺はクソ上司がよくやる構えと似た構えを取る。

 

違いがあるとすれば、クソ上司は左手で刀を構えるが、俺はこの右腕そのものを構えていることぐらいだった。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

「……ッ、おのれぇ!」

 

 

 

怒気と焦燥と畏れを含んだ声を漏らし、奴は新たな構えを見せる。

今までの飯綱とは違う。

明らかに間合いの外にいる俺に対して攻撃しようとしている意思と気構えが見てとれる。

 

 

その構えを、俺は知っている。

 

 

真古流剣術の秘剣中の秘剣、飛飯綱。

先の飯綱を鎌鼬のごとく飛ばす斬撃だ。

その斬撃は視認できず、その威力はともすれば飯綱を凌駕するほど。

出鱈目な力や技、体を有する者はこの世界に多数いれど、飛ぶ斬撃を放てる者はこの石動雷十太をおいて他にいないだろう。

 

もっともその脅威も、当たればの話なんだがな。

 

原作知識で正体も事前モーションも知っているからそれほど焦ることもなく、ましてや拳銃の弾丸を見極められるよう日頃から訓練している俺にとっては、物珍しさはあれど恐怖は抱かなかった。

 

上等、来るなら来いや。

 

その技を放った瞬間、出し得る限り最高の推進力を肘から出して肉薄し、腕一本もらい受ける。

二度と殺人剣を誇らしげに語れぬ体にしてやる。

 

 

そう覚悟を決め、正面に構える自分の姿を幻視して集中力を限りなく高めていくと、ふと背後から一つの小さな足音が微かに聞こえた。

それは次第に大きくなっていき、されど体格からかそれほど煩くなく、むしろ息を切らす音の方が大きかった。

 

 

「――――先生ッ!!」

 

「「--ッ?!」」

 

 

振り返って確かめる必要もない。

この場で誰かを先生呼ばわりする者なぞ一人しかいない。

声変わり前の、子供特有の高い声……塚山由太郎。

 

そんな彼の登場に、俺は一瞬の動揺を見せてしまった。

そして石動雷十太は俺の動揺を見据え、笑った。

 

クソ、出来れば彼が来る前に事を終わらせたかった。

運命の修正力なんつぅふざけたものがあるかもしれないと警戒していたからだ。

だのに、彼は来てしまった。

しかも俺の後ろからという最悪に近いシチュエーションで、だ!

 

原作で塚山由太郎は右腕を失う悲劇に見舞われた。

何故か。ただ石動雷十太と原作主人公との闘いを、主人公の後ろから見ていただけだ。

ただそれだけなのに、当の先生たる石動雷十太の飛飯綱の余波を喰らって右腕を斬り落とされたのだ。

しかもその石動雷十太は悪びれもせず、むしろその事態を嘲笑すらしていたのだ!

 

 

このシチュエーション、このタイミングはマズい!

 

 

「テメっ、後ろに……!」

 

 

俺が叫ぶより先に、石動雷十太は歪な笑みを浮かべたまま呟く。

 

 

「秘剣――」

 

「ッ!……バッカ野郎が!!」

 

 

やはりここでも変わらないのかッ……!

奴は弟子の存在など歯牙にも掛けていない、俺もろとも飛飯綱で切り刻むつもりだ!

 

ふざけんなよバカヤロー!!

 

俺は咄嗟に右拳を地に突き立て、蒸気機関を起動させる。

内蔵するエンジンとピストンのけたたましい駆動音が響き、右腕が赤黒く変色していく。

何万rpmか分からないほどに煩く、そして早く回転するファンが大量の熱気を俺の背後に撒き散らす。

 

凄まじい熱量がこの身に襲いかかり、骨子に機巧の調律が響く。

空気が震え、空間が高温で歪み、視界にも意識にも靄が掛かる。

 

そんなボヤける空間の向こうに、刀を振るった奴の姿が目に入った。

 

 

「飛飯綱!!」

 

 

鼓膜を破かんほどの甲高い音が響き、確かに空間が断裂した。

 

そして、雨水を切り裂きながら一直線に此方に向かってくる斬撃。

靄が掛かった空間を切り開く一陣の風が迫ってきたのを視認した。

後ろに塚山由太郎がいるから避けることはできない。

抱えて退避する余裕もない。

ならば、この身を晒してでも斬撃を受け止める!

 

腕を亡くす痛みと喪失感、そして敬愛する師に裏切られる絶望を、みすみす眼前でもたらすような事をしてたまるか!

 

 

「があぁぁぁ!!」

 

 

僅かな余波すら後ろに流すことなく、全身全霊でもって迎え撃て!

 

 

迫り来る斬撃を確と見据えて、構えて。

左足を思いっきり地に叩きつけ、腰を捻り、振りかぶった右腕を解き放ち

 

 

 

殱腕撃と飛飯綱が衝突した――

 

 

 

 

直後、眼前の空間で爆発が起こり、臓腑に響くほどの音と振動が轟いた。

 

びりびりと空気を伝って衝撃が木霊し、木々や葉をざわつかして落ちる雨粒を吹き飛ばす。

爆心点直下の地面は蜘蛛の巣状にひび割れ、捲り上がり、衝突の凄まじさを物語っていた。

 

 

「……、チッ!」

 

 

それを眺める余裕など俺には無く、直ぐ様跳び退いて塚山由太郎の前に降り立った。

 

 

「由太郎くん、怪我はない?」

 

「な、お……お前、」

 

「よし、無いようだな。悪いけど、今はここでじっとしててくれ。多少ムサいだろうけど我慢しろよ」

 

 

痛がったり暴れたりする素振りは見せないことから勝手に判断したが、どうやら余波は受けていないようだ。

 

まず一安心だ。

原作の二の舞にはならなかったことに。

そして殱腕撃が飛飯綱に勝るとも劣らない威力を有していたことに。

 

だが、油断はもちろん満足すらしていられる状況ではない。

俺は変わらずに発熱と発煙を続ける右腕を構えて前方を見据える。

再度刀を振りかぶっている奴を、見据えたのだ。

 

 

「ぬぅん!」

 

「ぜぁあ!」

 

 

一陣の身を斬る風が熱気で歪む空間を切り裂きながら飛来し、それを一歩踏み込んで迎撃する。

更に肉薄してきた斬撃を、もう一歩踏み込んで殴り飛ばす。

 

地を踏みつける足は地鳴りを、打ち払う拳は空震を。

 

時には正拳突きを、時には裏拳を、またある時は突き上げを。

 

決して撃ち漏らしがないよう極限の集中力で、一歩一歩ゆっくりと、しかし確実に進みながら巨腕を振るう。

その度に空間が炸裂し、臓腑に響く轟音が奏でられ、地と空間を揺らす振動が生じる。

 

オーバーヒートなのではと心配になるほど、拳を振り抜き殱腕撃を放つ度に大量の熱と蒸気を発する右腕。

 

気付けば俺と塚山由太郎のいる空間は完全に蒸気に包まれていた。

右腕から発せられる熱気は半端ではなく、ましてや直に伝わる熱量はまさに灼熱地獄。

身体中を巡る血液が沸騰するのではないかと思うほどにこの身は滾り、呼気は暑い空気を吸い込んで更に熱い息を吐き出して。

 

 

 

骨も臓物も神経も何もかもが熱によって溶けるのではと思うと、それがどうしようもなく()()()()()

 

心も身体も燃え盛るほど、どんどん自分が高揚し始めているのが分かる。

 

 

 

そんな気分を更に高めてくれるかのように、辺りに立ち込める蒸気を突き破って斬撃が迫る。

それを確と見据えて打ち払い、一歩一歩進んでいく。

 

自分は今まで後背にいる少年を守るため、斬撃を打ち払っていた。

そのことだけに感覚を研ぎ澄ませて集中していたハズだ。

 

なのに、どうしてか。

今はもう、そのことに考えを巡らすことすらできなかった。

もう頭は何かを考えることすら億劫に感じていた。

 

 

今はただ、この死のダンスを楽しみたかった。

 

 

当たれば五体満足ではいられないほどに恐ろしいハズの攻撃も、何故か嬉々として迎え撃つことができる。

 

踏み出す一歩や立ち回る一歩のステップが心地よくて、振るう巨腕がこの上なく頼もしくて、楽しくて。

 

 

あぁ、こんなにも死が多く迫ってきているのに。

 

こんなにも死が撒き散らされているというのに、俺はこんなにも高揚している。

 

 

先ほどまで心を占めていた怒りの感情は疾うに失せ、今は俺の、俺だけの、観客なんて誰もいない、寂しくも血沸き肉踊るこの舞踊に身も心も任せたかった。

 

 

くるくると回る己が身に四方から迫る殺人の刃。

 

 

それを爆音や激震とともに薙ぎ払い、打ち捨て、殴り上げ、叩き付け。

そして一歩一歩進んでいく。

 

 

 

 

軋み(悲鳴)を上げる右腕に目も耳もくれず、俺は身体を襲う燃え滾る程の熱に浮かされ

 

 

 

 

笑いながら躍り続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

29話 明治浪漫 其の拾参





雷十太くん……君、書きやすいね






 

 

 

 

 

 

 

目の前の現実は、石動雷十太にとって悪夢そのものだった。

 

 

十年の歳月を掛けて体得した真古流剣術の極意。

それは、日本の剣術世界において頂点に君臨するべきものであると信じて疑わなかった。

事実、身に付けた秘剣は有象無象を寄せ付けぬほどに強い。

ましてや間合いの外から一方的に攻撃できる飛飯綱を放てば、並みの剣客はおろか軍隊すら相手取れるほどだ。

 

己が自信の根幹となっていた。

 

 

「はぁ…はぁ…、ぬぅん!!」

 

 

飯綱を振るえばどんな相手であれ鎧袖一触だった。

今までがそうだったし、これからもそうあると思っていた、否、そうあるべきなのだ。

 

だというのに、目の前の現象はいったい何なのだ?!

 

再び放った飛飯綱は立ち込める蒸気の中に飛び込んでいき、地響きを伴う爆音が奴に命中したことを教えてくれる。

なのに、手応えがまったく感じられない。

得体の知れない蒸気の向こうに、未だ奴が生きているという予感を拭い去れない。

 

 

「ぬ……ぐぅ、……ぅああ!」

 

 

焦燥と得も知れない何かに駆られ、再度飛飯綱を放つ。

その一撃も変わらず爆音を奏で、しかし一向に蒸気を打ち払わない。

 

そうだ。

飛飯綱を立て続けに喰らってなお死なないこともおかしいが、この耳を塞ぎたくなる爆音もおかしい。

通常の飛飯綱ならば起こり得ない現象だ。

 

あの蒸気はいったい何だ?

あの蒸気の向こうに、何がある?

 

奴はいったい、何者なんだ?!

 

 

根源的な恐怖に駆られて手が震えるも、なんとか刀の柄を握り締め、もう何度目になるか分からない飛飯綱を放つ。

 

 

「……ッ、ぬあぁぁ!」

 

 

その一刀は、殺意を込めた純粋なものではなかった。

 

恐れ、戸惑い、疑い、焦り。

 

それらが混じった一刀には当然力など乗るハズもなく、蒸気に突入しようとした飛飯綱はしかし、突入するより先に蒸気より現出した巨腕によって()()()()()()()

 

 

「……ッ、!!」

 

 

己自身が飛ばした斬撃が爆散することなく、出鱈目に回転しながら自分に向かって飛んでくる。

 

完全に飛飯綱が押し負けたのだ。

 

その事実が信じられず、目を剥いて固まってしまったために初動が遅れてしまった。

結果、自らが放った技が自らの肩に裂傷を刻み付けたのだ。

 

 

「ぐッ、はぁ……!」

 

 

傷口を押さえつけ、深傷ではないことを確認してから再び前を振り向くと

 

じゃり

 

と、次第に薄れ始めた蒸気の中から傷一つ負っている様子のない狩生十徳が現れた。

 

その表情は、最初はまるで初めて玩具を与えられた無垢な子供のように朗らかな笑みを湛えていたのに、石動雷十太の顔を認めると直ぐにその感情が顔から溢れ落ちた。

 

例えを続けるなら、せっかく与えられた玩具を壊してしまった子供のようなもの。

無意識に向けていた期待が塵となってしまったような、そんな顔をしていた。

 

 

「……あぁ、そっか。そうだよな。お前は()()()()()だったよな」

 

 

はぁ、と溜め息と一緒に溢す言葉は石動雷十太にとって意味が分からなかった。

だが、なんとなく自分に対する失望を含んでいるということは声音から分かった。

分かったが故に、それが非常に腹立たしかった。

殺意は言うに及ばず、敵意を向けられるならいざ知らず、失望されるのは意味が分からずとも癪に障るのだ。

 

まるで、敵としての価値すら無いと告げられているかのようで、許せなかった。

 

 

「き、貴様ァ……!」

 

「なぁ。最後の、いや、それ以前にさ、あの雑念の混じった一連の攻撃はなんだよ。殺意の乗っていない一閃はなんだよ」

 

「なんだとッ?!」

 

「ぶれっぶれだ。どんどん飛飯綱の威力が弱くなっていった。スタミナ切れかとも思ったが、その顔を見るに違うようだな。ただ単純に、お前自身が()()()()()()んだな」

 

 

自分の攻撃に身を削られるとはな、と呟き二度目の溜め息を溢す。

それとともに右肩から熱気の籠った空気が喧しく排出され、赤熱化した右腕の温度が下がり始めた。

 

その様子を、石動雷十太は冷や汗を垂らしながら見ていた。

 

目の前の意気消沈している男に、恐怖していたのだ。

秘剣たる纏飯綱と飛飯綱がまったく通用せず、掠り傷一つさえ負わずに、むしろこんな程度かとでも言い出しそうな相貌の男に、たじろいでいた。

 

腹立たしい。

だが同時に得体の知れなさに、底の見えなさに恐怖していた。

いったい、どんな経験を積めばこんな人間になれる。

この若造は、いったいどれほどの死地と地獄を歩んできたというのだ!

 

 

「もういいよ。怒りも楽しみも、何もかもが失せた。何もかもが……無くなっちまったよ」

 

 

そう言って狩生は己の右肩にそっと触れると、空気が抜ける音を立てて己が義腕を落とした。

がしゃん、と音を立てて落ちた巨大な右腕から解放された狩生の元の右腕を見て、石動雷十太は生唾を飲み込んだ。

 

それは今しがた落とした武器(みぎうで)のように、腕にまとった機巧のようではないことが直ぐに分かった。

己の腕を入れられるほど大きくなく、むしろちょうど人の腕ほどに細く、小さいからだ。

 

生来の腕ではあり得ない色と光沢、そして存在感を醸し出す禍々しい右腕。

 

あれも、機巧の武器なのか。

自らの腕を、改造したとでもいうのか!

 

その右腕を動かし、手を握ったり開いたりして動作確認をする有り様を見て、背筋が凍る感覚に襲われながら、叫んだ。

 

 

「……き、貴様ッ、その右腕は何なのだ!落としたそれも、今身に付けているそれも、それはなんなのだ?!」

 

「ぁあ?ただの右腕の代わりだよ。生き残る為に捨てた右腕の代替。木っ端に爆散させた腕の、代用物だ」

 

「なッ、自ら腕を棄てただと?貴様、狂って……!」

 

「お前もそのクチか。俺にとっては沙汰に正も凶も関係無いんだよ。例え腕がもげようが、足がちぎれようが、取れる手段が変わっても成すべき事に変わりはないんだから」

 

 

お前は違うのか

 

 

 

青く貫くような眼光を放ちながら呟くその姿を見て

 

 

そして、確信した。

 

 

目の前の男は、人間ではないということを。

 

 

機巧に身体を委ねた狂人。

 

己が目的を果たすためなら如何様にも身体を弄る異常者。

 

 

きっと腕を、否、首を切り落としてもコイツは止まらない。止められない!

 

その首すら代用する何かにすげ替え、戦い続ける羅刹の類いだ!

 

 

「……、ッ……、!!」

 

 

もはや震えるのは手だけではなかった。

 

肩が、足が、全身が。

寒さで震える以上に小刻みに痙攣し、ついには刀すら落としてしまった。

 

今まで自分が相手にしてきたのは、人ではなかった。

人の皮を被った、怪物だったのだ。

 

 

 

故に、もう、本能的に、ただただ怖かった。

 

 

 

 

 

 

 

「突っ立ってくれるのは有り難い。殺しやすいからな」

 

 

そんな石動雷十太の様子を見て狩生は再度溜め息を一つ吐くと、ゆっくりと歩き出した。

 

 

「戦意喪失?それが戦いを終わらせる理由になるわけないだろう。言ったハズだ。ここは殺るか殺られるかの、殺し合いの場だと。何がどうなろうと、その土俵から勝手に降りることは--俺が許さない」

 

 

どちらかの死こそが、死合終了の笛音なのだから。

 

 

そう嘯き、狩生は足取りを乱すことなく石動に近付いていく。

 

その瞳からはハイライトが消え、その表情から先程の昂っていた感情の面影は微塵も見当たらなかった。

 

そして

 

左腕で胸ぐらを掴み、膝裏を蹴って地に膝を着かせ、目線を同じ高さに合わせた。

 

幻ではなく、その瞳と同じように、狩生の掴む左手がとてつもなく冷たく感じた。

 

 

 

「死ぬるべき時節には死ぬがよく候ってな……あばよ」

 

 

 

 

大きく右腕を振りかぶった瞬間

 

 

 

 

狩生の背を

 

 

 

 

一陣の風と絶叫が撫でた。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

突き放った豪腕を寸でのところで軌道修正し、石動雷十太の頬横数ミリを掠めていった。

 

う、お、お、ぉぉぉおおおお!

っぶねぇぇぇええ!間一髪!!

良かった、あとほんの少し正気に戻るのが遅かったら

 

 

確実に殺してた。

 

 

蒸気を突き破り、石動雷十太の怯えきった表情を見て幾ばくかの冷静さを取り戻した俺の心を襲ったのは、とてつもないほどの虚無感だった。

 

もう何もかもがどうでもよくなって、全てを壊したくなって、そして目の前の愚物をどうしても殺したくなって。

なんでか異常なまでにハイになった直後に襲ってきた虚しさ。

そこには自分でも不気味に思うほどのどす黒い殺意が含まれていた。

 

 

あれは本当に気持ち悪かった。

刃衛との殺し合いの時にすら感じなかった、禍々しい殺意。

 

まるで、まるで自分の心に高粘性の泥を掛けられたかのようだった。

 

 

自分のテンションが急にハイになったり、逆にダウンしたり、もしかして……

 

 

「ッ、まぁなんだ……良かったな、最後にお前がうざがってた弟子に救われて。今のお前にはその滑稽さが丁度いいぜ」

 

 

怪しげな思考を頭を振って打ち切り、両膝を立てて頭を抱えている雷十太を一瞥して告げる。

 

最後の最後、俺の背に掛けられたのは由太郎くんの悲痛な制止の声だった。

言葉はよく覚えていない。

けど、耳をつんざくあの悲しげな叫び声は、俺の心を覆っていたどす黒い何かを通り抜け、そして胸に届いたのだ。

 

 

「先生!大丈夫ですか、先生?!」

 

 

と、俺の横を通り抜け、由太郎くんが雷十太の傍に駆け寄った。

その表情は信じられないものを見たかのように青褪めていて、酷く戸惑っていた。

 

無理もない。

彼にとって雷十太の強さは絶対であり、強いからこそ惹かれ、憧れていたのだから。

 

 

「先生、肩がッ……と、取り合えず止血を」

 

 

腕を失い師に裏切られる悲しい結末は避けられた。

だが、この結末がbetterかと問われたら、そんなことは決してないだろう。

彼は今、理想の強さ、そして追い掛けようとしていた強さが、目の前で崩れ去ってしまったのだ。

 

 

「傷が深いッ……肩は、肩は動かせますか?!」

 

 

夢を求めていつしか溺れてしまった雷十太と、追い掛けていた夢が途端に消えてしまった由太郎くん。

 

前者はともかく後者をもたらしたのは他でもない、この俺だ。

ならば、俺にできることは何だ?

慰めの言葉を掛ける?阿呆か、そんなのは侮辱だ。

 

 

「先生!気をしっかり持ってください!」

 

 

由太郎くんにとって、俺は敬愛する師を倒した憎き敵なんだ。

そんな奴に慰められる?

一人前の志を持つ彼にそんなこと出来るわけないだろう。

 

彼の強さを追い求める熱意を無下にしたくない。

強くなりたい、強くありたいという気持ちは、痛いほどに俺も分かるから。

 

だから、今の俺に出来ることといえば--

 

 

 

 

 

「はん、ザマぁねぇな」

 

 

 

 

 

「……!」

 

 

驚き、振り向いて俺を見上げる由太郎くんを睥睨する。

 

 

「ま、コイツの強さも所詮はこの程度だったということだ。飯綱?爪切りの方がまだ俺に深傷を負わせられるぜ……深爪だけにな、ふふ」

 

「なッ、なんだと?!先生はッ……お前の戦い方が変だから!お前が剣を持って戦っていれば、絶対にこんな結果には--」

 

「生憎と俺は剣客じゃないんでね。剣で応える筋合いは毛頭ないんだ。それに相手がどうのこうのと言い訳をするのは止しな、みっともない」

 

 

ずきりと走る胸の痛みを顔に出さず、俺は鼻息を一つ鳴らして嘲笑する。

 

 

「それに一つ教えてあげるよ。この御時世、剣の強さを誇る奴なんざ只の犯罪者だ。コイツは廃刀令違反に殺人未遂、公務執行妨害をしでかした立派な反社会的人物なんだ。精々残りの生涯を塀に囲まれた場所でひっそりと生きていく存在になる……いや、この俺がしてやるよ」

 

「お、お前ッ……!」

 

「あ~あ、ホント阿呆くさ。実力も無ければカリスマも無い、ましてや覚悟も無い自称剣術の未来を憂う剣客さんに少しは期待したんだがな。君は大道芸師を目指してたんだっけ?だったら確かに、丁度いい師だったよ。まぁ犯罪に手を染める時点で社会不適合者だがな」

 

「黙れぇぇええ!」

 

 

俺の挑発に堪忍袋の緒が切れたようで、由太郎くんが傍に落ちていた雷十太の刀を拾って俺に斬りかかってきた。

 

その太刀筋は、術理をまったく身に付けていない事が明らかに分かるほどに粗雑で、やはり雷十太から指南されていないようだった。

けど、それには一切の迷いがない、純粋な怒りが込められた気持ちのいい一刀だった。

 

がん、と硬質な音が響き、同時に再び由太郎くんが驚愕に目を見開いた。

 

 

「雷十太から稽古をつけてもらえてなかったんだね。けどそれは僥倖だよ。真古流なんつぅ胡散臭い剣術なんざ俺には通用しないからね。例え何人束になって掛かって来ようと、だ。ここに来るまでに見なかったか?真古流門下生共の哀れな末路を」

 

「くそッ……離せ!」

 

「剣を術として身に付けたいのなら、まず剣の道を知れ。それが出来なきゃ雷十太の二の舞だからね。君は些か視野が狭い。馬鹿にしてた剣道を知ること、そこから全てが始まると考えるんだ」

 

 

そう言って俺は右手に力を込め、刀身を()()()()()

一流の剣客の一刀なら手が両断されるかも知れないだろうが、由太郎くんの一刀なら屁でもない。

 

折れた刀を茫然として見る由太郎くんの足を払って、転倒させた。

 

ごめんね。

君は俺を恨んでくれていい。

憎んで、呪って、嫌ってくれ。

いつか俺を斬り殺すぐらいに強くなってくれ。

 

 

「……ッぐぅ」

 

「そうして剣を知り、身に付けるんだ。それが出来れば(おのず)と雷十太を越えられる。そうなれば、憎き俺も殺せるかもな」

 

「お前……ッ!」

 

「それともここで俺に刃向かうか?痛い目見て、犯罪者を擁護して、同じ塀の向こうにブチ込まれたいか?」

 

 

尻餅をついて此方を見上げてる由太郎くんに睨みを利かせて黙らせる。

由太郎くんは青い顔をして黙ったが、それでも唇を噛み締めて俺の瞳を睨み返してきた。

 

あぁ……そうだ、その瞳だ。

ありありと俺を憎悪していることがよく分かる。

でもこれじゃあ剣を身に付ける以前に闇討ちしてこないか不安になるが……まぁそれも良し、だ。

失意のまま何も出来なくなるよりかは万倍マシだからな。

 

震えそうになる喉に必死に喝を入れ、平静な声を絞り出す。

 

 

「嫌いな俺の助言は聞く気も起きないだろうけど、これは真実だ。意固地になって視野と見聞を狭めたら、それこそ雷十太と同じで自分の考えを絶対と信じる愚鈍になる。君が雷十太と同じになりたいのなら止めはしないが、それだと永遠に俺を越えられないよ。ま、どうするかは君次第だけどね」

 

 

由太郎くんと絡めていた視線を切り、俺は雷十太の胸ぐらを掴み上げて立たせる。

今の今まで震えていて、今もなお心ここにあらずの状態だ。

連行するには丁度いい。

 

俺は雷十太を引っ張ってこの場を去ろうとして、ふと小さな可能性に気付き、振り返って由太郎くんに告げた。

 

 

「神谷活心流。そこに弟子入りするといい。そこの師範代とか、いずれ集ういろんな人を見て、君の追い求める強さを定めるんだ。そこで君が、真の剣の道を見出だせることを祈っているよ」

 

 

なんて、本当に入門してくれたら嬉しいんだけど、流石にそこまで俺の言を唯々諾々と受け入れるわけないか。

まぁどこの道場であってもいいんだけどね。

きっと由太郎くんならどこの流派でも大成する。

如何な動機であれ、きっとだ。

 

強くなりたいと願う国の宝(子ども)を前にして、強くなれる切っ掛けとなれるのなら。

 

 

 

弱い俺は喜んで嫌われ役を引き受けようじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 









由太郎くんには強く生きてほしいです







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

30話 明治浪漫 其の拾肆




GW中は実家にある原作を片手に執筆作業~
まぁ実家帰ってもやることないですからね~



では、どうぞ






 

 

 

 

 

 

右手で逃がさないようしっかり雷十太の二の腕を掴み、連行を始める。

拘束具は持って来ていないから逃げられる不安もあるが、雷十太は呆然自失としているし、この右腕もそれなりに力があるからな。

ちょっとやそっとじゃ抜け出せ得ないハズだ。

 

そう思いながら、つと左肩に担いでいる義腕を見る。

その義腕は往時の面影などなく、ものの見事に()()していた。

 

そう。

この義腕は奴の飛飯綱の連発によって完全にオシャカになってしまったのだ。

拳部分がひしゃげてしまい、爪も数本が斬り落とされている。

義手ほどに神経が完全に通っているわけではないが、それでもかなり痛かった。

まぁあの時はテンションがおかしくなっていたから痛覚なんざ知覚していなかったが。

 

ただ、あのまま飛飯綱の迎撃を続けていたら、正直危うかった。

雷十太の心が先に壊れたからよかったものの、一歩間違えれば義腕が先に壊れていた。

それほどに奴の飛飯綱の連発は凄まじく、俺自身傷一つ負ってはいないが、それでもどちらかと云えば辛勝だったのだ。

決して楽勝だったわけではない。

 

やはり俺はまだまだ弱い。

 

由太郎くんにあんなに偉そうに言ったが、当の俺は強くなれるのだろうか。

鍛え、武器を身に付け、覚悟を決めているというのに、自分が強くなれている実感が全く湧かない。

 

このままで原作勢に追い付けるのだろうか……

 

クソ、一気に熱が冷めたからかマイナス思考に陥っちまってやがる。

 

何度も自分に言い聞かせているだろうが。

腐るな、俺が弱いことは俺が一番知っていることだろう。

腐っていたら行動が鈍って強くなる機会を逸してしまうだろうが。

強くなりたいのなら、四の五の思っている暇は無いハズだ。

 

 

俺は溜め息と一緒に内に燻る雑念を吐き出す。

 

そして小雨が降るなか雷十太を連行していると、傘も差さずに道の脇で佇んでいる一人の男が目に入った。

 

ていうか宇治木だった。

 

 

「事は無事に終わったようだな」

 

「……なんでおるん?」

 

「なに。今夜にでも血気盛んな上司が石動雷十太に夜襲を掛けるかもしれんと思い至ってな、それで様子を見に来たのだが……貴様も随分と面倒なことをするのだな」

 

「あん?」

 

 

俺の疑問の声に、宇治木は俺の背後を顎でしゃくって答えた。

 

 

「言ってやれば良かったではないか。お前が石動雷十太を師事した切っ掛けとなったあの事件は、全て仕組まれたものなんだ、と。お前はコイツに利用されてただけで、代えの利く駒でしかなかったのだ、とな」

 

「おい、なんで知っている?」

 

「コイツに真古流に誘われてから一通り調べてな。確証を得たのは、さっき道中に倒れてた門下生どもの口を割らせてからだ」

 

「そーかよ。けど、余計なことは言うなよ。由太郎くんにとって雷十太は、例え力に溺れ、殺人未遂や殺人教唆などの目に余る行動を取っていても、そして例え虚と偽りの救出劇であっても、恩人であり恩師なんだから」

 

「だから面倒だと言ったんだ。それがどうして、お前が恨みをぶつけられる必要性に繋がる。真実を告げなければ、こんな愚物を永遠に英雄視することになるぞ」

 

「俺の手前勝手だけどさ、最後まで彼の中ではコイツをヒーローで居させてやりたいと思ったんだ。真実を知っても辛い思いをするだけだろ。なら、そんな残酷な真実を告げる理由はない」

 

 

そんなものか、といまいち理解できない風に呟く宇治木に俺は続けた。

 

 

「ま、このまま雷十太を英雄視し続けるのは確かに危ない。脱獄の幇助でもされたら面倒この上ないからな。けど、だからと言って雷十太の本性を告げるのは間違っているから……だからまぁ、俺を敵視して、越えようとする目標に定めてくれればいいなぁと、思ったんだ」

 

「人の心を思惑通りに動かせると思っているのか?」

 

 

俺は肩を竦めて、否と答える。

 

当然だ。

俺は人心掌握術や洗脳術なんざ持ってないし、カリスマなんてものも皆無だから、人の心を動かす事なんて至難の業だ。

俺にあるのは機巧仕掛けの右腕と、ほんの少しだけ大きな夢しかない。

 

主人公みたく回りに仲間が集まるような人間ではないし、その言葉で誰かを助ける事ができるとも思っちゃいない。

 

 

「しかし面白くないな。剣を持っていなかったとはいえ、俺が手も足も出なかった相手を無傷で制圧するとはな。その右腕に依るものもあるだろうが、実に面白くない」

 

 

確かに端から見たら俺の圧勝だったのだろう。

だが、もしこの義腕が無かったらどうなった?刀でもって相対していたら?

たぶん、負けはしなかっただろうが苦戦は免れなかっただろう。

由太郎くんを庇っての戦いとなれば、最悪もう一本の腕も落とされていたかもしれない。

そう思えるからこそ、やはり自分の弱さに辟易するのだ。

 

 

「安心しろ。明日から本格的にS捜査に注力するんだ。嫌でも経験を積んでいけるんだから、全員身も心も鍛えようじゃないか」

 

「……貴様がこれ以上の鍛練を必要とするとは思えんのだが」

 

 

宇治木が阿呆なことを言っているが無視。

 

石動雷十太の騒動は半日という超短期で解決したし、おまけに義手と義腕も手に入った(半日で後者を使い潰しましたが何か?)。

ならば、もうゆっくりする必要もない。

予定を繰り上げて、S捜査に臨むべきだろう。

 

志々雄真実を捕縛するため、まず奴の組織の力を削ぐ。

その段取りと構想は既に練り上げているのだ。

後は死に物狂いの行動に移すのみ。

 

 

さて、日本から害虫を駆除するため

 

身を粉にして国家に奉職しようじゃないか。

 

 

 

 

 

そのためには先ず、武器を揃えないとな。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

私にとって狩生十徳は警戒よりも先に興味がそそられる人物だった。

 

 

突然現れた彼は、自らが形容できなかった欲望の正体を言い当てると、これまた突然自分の所業を言い当てた。

バレる要素などまったく無かったのに、僅かな疑念すら無い確信を持って武器の密売と阿片の密造を笑いながら言ったのだ。

 

加えて、あろうことか汚職をさせろとさえ宣った。

 

私を政界にのし上げるために政界人や財界人、警察や軍関係者を紹介し、阿片や武器の密売先を斡旋して影響力を広げる手伝いをするというのだ。

その見返りとして、(私にとって)僅かな小金と火器等の西洋物を要求してきた。

 

ぎぶあんどていくという関係を築けたことは素直に嬉しいが、それを押して尚やはり興味深い。

 

警察として私の違法行為を掴もうとしているのかと思えばそんなことはなく、肩透かしを喰らうほど深入りしてこないのだ。

もちろんバレるような事物は彼から遠ざけているが、それを探ろうと行動している様子はまったく見られなかった、と小間使いが報告してきている。

 

やはり、彼は私の所業を確信しているのだ。

している上で、本当にお互いが利用し合う関係を望んでいるのだ。

 

ふふ、彼は本当に面白い!

 

おっと、噂をすれば何とやら、こんな夜更けにも関わらず彼が来たようだ。

今日もまた中庭に雇い集めた浮浪人らの所に顔を出して話し込んでいたようですが、それも終わったようですね。

(あれはいったい何なのでしょうか)

 

 

「やぁ。よくいらっしゃいました!御待ちしておりましたよ」

 

「おう、いらっしゃったぜ。珈琲をくれ、珈琲を。最近舌が肥えたのか無性に飲みたくなるんだ」

 

 

開口一番の厚かましい要求に私は溢れる笑みを隠すことなく、秘書に出すよう命じた。

勝手にソファに腰掛けた彼の前に私も座り、出てきた珈琲を互いに飲んでから話を切り出す。

 

 

「先日発行されたジョン・ハートレーの事件の新聞を読みましたよ。狩生殿が横浜に行った一週間後に起きた事件ですよね?何か接点がお有りなのですか?それに、あの火災事件も」

 

「さてね。前者はただの密輸犯だ、俺には関係ない。むしろ後者が関係大有りだ。俺がいた店をいきなり爆破しやがったんだぜ?おかげで火傷を負っちまったよ」

 

 

そう言って狩生殿は、包帯を巻き付けた右手で自分の頬を指し示す。

 

ふむ、なるほど。

小間使いからは情報を得られなかったとの情報を得たのですが、その頬を見るに本当らしいですね。

 

 

「最初はアンタを疑ったんだぜ?用済みだからと口封じに出たかと思ったぐらいだ」

 

「とんでもない!私が重要なぱーとなーである貴方を殺すわけないじゃないですか。私たちは運命共同体なのですよ?手を取り合うことはあれど、後ろから殴ることなどあるわけないじゃないですか」

 

 

まったく、その考えは早計ですよ。

未だ利用価値のある貴方を殺すわけないじゃないですか。

今はまだ、ね。

 

 

「そういえば、この間の会合は上手くいきましたよ。貴方が紹介してくださった方とはもう仲良くなれました」

 

()()()ね……そりゃなによりだ」

 

「えぇ、お陰様で。これを基に更に友達を増やしていきますよ。あ、そうそう、忘れてました。こちら、先月分の譲渡金です。それから、あちらが例の物です」

 

 

そう言いながら私は分厚い封筒をテーブルに置き、次いで部屋の隅に置いてある木箱を指し示した。

大きさとしては、一辺が座布団ぐらいのものだ。

それが二つ。

内容物はそれぞれ異なっていて、一方は重いがもう一方はかなり軽い。

 

 

「あれは……ッ! 手に入ったのか!」

 

「えぇ。まだまだ米国でも知名度は低かったですから結構苦労しましたよ。弾も流通量が少ないですから、一緒に入ってるのを使いきったら当分補充は出来ないでしょう。もう一方も技術者に投資して完成させた物です。まだ世に出回る前の物を頂きました」

 

「感謝するぜ、観柳。俺の予想が当たっていれば、コイツは不可欠な武器になるんだ。有り難く使い潰させてもらう」

 

 

彼は封筒を懐に仕舞うと、木箱に歩み寄ってその表面を撫でながら呟いた。

はてさて、銃など横浜で簡単に手に入るのに、この銃のどこが彼の食指を刺激したのやら。

それに、あんなもの。

あんなただの銀紙みたいな物をいったい何に使うのでしょうか。

 

いやはや、世界の裏の事を知っていることには本当に毎度驚かせてくれますね。

なぜこんなものが作られている事を知っているのか、甚だ疑問ですよ。

 

その後、彼から次なるお友達候補を挙げてもらい、会合の場を設けてもらうよう約束したり、逆に私からは彼の欲しい物の入手について、その進捗状況を話したりとお互いに情報交換をしてお開きとなった。

生憎と自動車なる物は銀紙と違って開発が進んでおらず、手に入るのは当分先になることも伝えた。

 

 

軽い足取りで木箱を抱えながら部屋を出ていく彼を見送ると、私は堪えきれずに笑ってしまった。

 

 

「ふ、ふふふ、あはははは!なんと痛快で、なんと愉快!こんなにも早く政界進出が叶うとはいやはや、彼の手腕は見事ですなぁ」

 

 

まるで此方の意思を汲んでいるかのように、行動は迅速かつ的確。

しかも此方に余計に踏み込んで来ないから動きやすいことこの上ない。

相棒(ぱーとなー)としては素晴らしい人材ですよ。

 

えぇ、本当に彼は素晴らしい。

優秀とさえ言えるでしょう。

 

 

「 ただ、だからこそ……」

 

 

優秀すぎるお仲間というものはーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(な~んて、今ごろ物騒な事を考えてるんだろうなぁ)

 

 

石動雷十太の身柄を本署に届けた俺は、その足で観柳邸に向かった。

必要となる物を頂戴するためだ。

 

今日に限らず、今までもシャベルとか銃とか洋服とかを貰っている。

横浜から東京に戻ってからこっち、奴との取引を履行するために幾度か接触して奴とのお友達候補を斡旋して紹介したりしていたから、その見返り分はしっかりと頂いている。

 

あ、小金もね。

お陰でかなり贅沢ができるぐらいには貯まっ……ていたんだが、未来の知識を生かして装備を特注したから直ぐに吹っ飛んだ。ワロスワロス

 

 

 

……はぁ、閑話休題(現実逃避はここまでにして)

 

 

 

 

…………はぁ(クソデカ溜め息)

 

 

 

 

「…………にゃあ……」

 

「ふッ、ふふふふ、ふふふ……!」

 

「……あの、そんなに笑わないでくれる?」

 

「ごめ、御免なさい……!ふっくく、ぷふッ。あま、あまりにも似合いすぎて」

 

「……喜んでもらえて何よりだよチクショー」

 

 

俯き、視線を合わせずに肩を震わせながら笑いを堪えようとしているのは高荷恵嬢。

ここは観柳邸が一角、恵嬢の私室である。

 

観柳との打ち合わせを終えた俺は帰ろうとして、しかし廊下で恵嬢と擦れ違ったんだが、その時にお小言を言われた。

 

 

『……フン』

 

 

お小言じゃねぇな、これ。

なんかプイと頬を膨らませてそっぽ向かれて目を合わさずに擦れ違おうとしてなにそれ可愛いんですけど本当にありがとうございます。

 

じゃなくて。

どうやら今まで部屋に来てくれなかったことが、おこの原因らしい。

 

それについては、本当に申し訳ありません。

初めて彼女の部屋で話をした時に彼女の涙を見ていながら、薄情にもそれ以降とんと顔を出さなかったのだから嫌われても仕方ないよね。

むしろ激おこになってない分、彼女は本当に優しいよ。

 

原作キャラとは積極的に会うつもりはないと以前心中で吐露したが、流石に今の恵嬢を無視して帰ることはしたくなかった。

で、彼女の部屋にお邪魔して謝ったりしたんだが一向に機嫌を良くしてくれず、さてどうしようかと頭を掻いて辺りを見回したときに目に入った()()

俺が目を丸くしていることに、そして俺が見詰めていた先に何があるのかを悟った恵嬢は、あろうことか使用を強制してきたのだ。

 

何故こんなものがここにあるのかと震える声で問えば、似合うと思ったから作ってみたとのこと。

とびっきりの笑顔に豹変していたと付け加えよう。

そして彼女の背後におどろおどろしいオーラを感じた俺は、泣く泣くそれを頭に装着したのだった。

 

 

「ぷふふッ……ほ、本当に猫みたいね」

 

「白猫と揶揄されてるからね。もう色んな意味でぴったりだよ」

 

 

猫耳を着けた自分の姿を鏡で見たときは愕然としたわ。

銀色の髪に似た色の猫耳。

不貞腐れる顔で鏡に写った俺の顔は、正しくそこら辺に居る野良猫そのものだった。

墨で猫髭も描かれたし。

 

 

「あ~、笑った笑った!作った甲斐があったわ」

 

「そう言ってくれると俺も被った甲斐があったよ(自棄)」

 

「えぇ、ありがとうね。今度は尻尾を作っておくわ。次来たときには両方着けてね、仕事で多忙な可愛い白猫さん?」

 

「……ぐぅ」

 

 

癪だからぐうの音は出してやった。

とまれ機嫌が良くなったのでまずはひと安心だ。

 

 

「んんっ。御免なさいね、年甲斐もなく冷たくしちゃって」

 

「いやいや、謝るべきは俺の方だよ。本当に御免なさい。俺は口が達者じゃないからさ、上手くおしゃべりできる自信が無くて、くよくよ考えていたら今に至っちゃって……」

 

「そう……ううん、もういいわ。またこうしてお話ができたのだし、次も笑わせてくれる約束をしたことだし。それに、元気そうで良かったわ」

 

 

そう言って微笑む恵嬢は、本当に嬉しそうに声を弾ませていた。

 

 

「ところで狩生くん、その右腕は怪我をしているのかしら?良かったら診るわよ?」

 

「あ~大丈夫大丈夫。警察の医師に診てもらったから」

 

「ならいいのだけれど、随分と包帯を厚く巻いているわね。火傷?あ、そういえば頬にも火傷の跡があるわね。本当にどうしたの?」

 

「あはは、以前に任務でね。火中に突っ込んだんだけど、その時に軽い火傷をしちゃってさ」

 

 

俺は苦笑しながら、そっと右手をテーブルの下に持っていき恵嬢の視線から外した。

恵嬢は眉根を寄せて、そう、お大事にねと呟く。

 

当然だが、この腕を見せるつもりはない。

義手の存在を明らかにするのはマズいというのもあるが、理由のほとんどは心配されたくないからだ。

 

恵嬢はお人好しだから、俺が腕を亡くしたなんて知ったらきっと心配して色々と聞いてきたり、観柳邸に来てる間は世話をしようとしてくれる可能性がある。

 

その優しさは素直に嬉しいし、とても有り難い。

けど、それは絶対にダメなのだ。

今の恵嬢は自分の事でいっぱいいっぱいなハズだから。

 

 

「いや、俺の事よりも高荷さんの方だよ。高荷さん、少し痩せた?いや、というよりやつれた?」

 

「え、あ、そ、そう?おかしいわね、摂生には気を付けているんだけど……」

 

「以前よりも目の下のクマがはっきりと出てるし、食事も睡眠もよく取れてない?」

 

「だ、大丈夫よ!少しだけ忙しくなっただけで、また落ち着き始めたから直ぐに良くなるわ」

 

 

そう言って今度は苦笑いする恵嬢。

無理している様子がありありと分かってしまう。

 

阿片を作っている事への強い罪悪感。

そんな自分の境遇を変えなきゃと思っている反面、変える事によって己が身にもたらされるであろう死という観柳からの制裁に対する恐怖と焦燥。

 

逃げ出したいけど一人では無理。

仮に誰かに協力してもらったとしても、当のその人を巻き込むことになるだけという呵責。

 

優しいが故に、身を焼くほどに心が掻き立てられる今の現状は、いったいどれほどの心労だろうか。

俺では到底分かり得ないけど、それがひどく辛くて苦しい事なんだということだけは少しだけ分かる。

 

だからこそ、俺の事でさらに心労を増やしてほしくない。

出来ることなら今ここで観柳邸から彼女を拐ってやりたい。

観柳を含めて御庭番衆も一網打尽にし、彼女の心的負担を全て解消してやりたい。

 

けれど

 

 

(それが出来ればとっくにしているッ。けど、観柳を敵に回すことはまだできないんだ……!今、中途半端に観柳の影響力を広げた状態で敵対したらッ……それに)

 

 

なにより、()()()()()()()は自分を許しはしないだろう。

 

誰かの荷である事を極端に嫌う恵嬢はきっと、助けられる事を良しとしない。

それは生来の優しさゆえもあるだろうし、罪悪感ゆえもあるだろう。

助けるという選択肢は、今のお互いにとって悪手でしかない。

だけど……だけどッ。

 

恵嬢が一言、助けてほしいと言ってくれれば。

自分の生を望んでさえくれれば。

俺はすべての計画を捨ててでも、奴の影響下にある公職人すべてを敵に回してでもッ……!

 

 

俺は彼女を助けたい。

 

 

「高荷さん」

 

 

俺は努めて平静に、されど本気であることを瞳に示して告げる。

 

 

「うん?なにかしら?」

 

「約束通り、俺は待ってますから。自分の事を話してくれる日を。いつか貴女が自分を優先して、俺に……俺にッ、話してくれる日を」

 

「!……狩生くん」

 

 

 

 

 

 

 

「高荷さんに不遇は似合わない。貴女は御天道様の下に居るべきなんだよ。例え誰に否定されようと、例えご自身も否と思おうと、俺は、俺だけは断言する。貴女に不遇は似合わないから」

 

 

 

 

 

 

 








なお、猫耳と猫髭を取り忘れたもよう





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

31話 明治浪漫 其の拾伍




気付けば本拙作もこれで31話目

この作品は今ご覧になっているあなた様のおかげによって出来上がっています
引き続きご愛顧いただけると幸甚にございます

では、どうぞ








 

 

 

 

 

殺伐とした夜の事件ではあったが、終わってしまえば呆気ないというか何というか。

 

由太郎くんが今後どういった行動を取るかにだけ留意していれば、この度の一件は恙無く終えたと言っていい。

雷十太の逮捕及び原作勢との接触機会を絶ったことについても問題ないと断言できる。

そもそも一発キャラだし、重要なのは子供の未来であって、奴の将来と影響力なんぞに気を遣うつもりは毛ほども無いから。

 

雨は既に降り止み、殆どの民家からも洩れる灯りが無い町のなかを、俺は二つの木箱を抱えて小走りで浦村さん宅に向かう。

大事無い結果に終わったとはいえ最初は気色ばっていたんだ、早く帰って無事に終えたことを伝えねば。

 

で、玄関を開けて中に入った俺が見たものは

 

 

「…………」

 

 

柱に寄り掛かって眠りこける浦村ご夫妻とご息女。

 

この画を見たら何があったかなど直ぐに分かる。

どうやらずっとここで待っていたようだ。

それで耐えきれず、おそらく三人ともが同時に睡魔に襲われ、K.O.したんだろう。

 

また余計な心配をかけてしまった。

迷惑とか心労は掛けたくないと思っておきながら、結局はこの様か。

 

はぁ、やっちまったな、と溜め息を吐く一方で。

なんでかな。

不謹慎で大変申し訳ないんだけど。

少しだけ、ほんの少しだけ、嬉しく思ってしまった。

 

雷十太との一戦で、ふと頭を過ったあの気持ち。

雷十太を見て、自分を見失って理想に溺れてしまう可能性に危惧し、奴に怒りと嫌悪を向けた。

 

だけど、なんだかこの家族を見ていたら。

こんな赤の他人のために底知れないお人好しさを発揮する三人を見ていたら。

俺には、未来を見据えるために腰を下ろせる場所があるんだと知れた気がして。

だから、ふと笑みを溢してしまった。

 

……まぁ流石にこのままじゃマズいので、お三方の寝室から毛布を拝借して、彼らに掛ける。

浦村さん一人ならともかく、ご母堂とご息女を抱えて寝室に運ぶのはダメな気がするから、申し訳ないけどここで一夜を明かしてもらおう。

 

俺も寝る支度をして(猫耳と猫髭着いたまんまじゃん!?)、対をなす柱に凭れて座り込む。

蝋燭の火でちろちろと照らされる三人の初めて見る貴重な寝顔を呆と眺めながら、俺も次第に訪れる睡魔に身を委ねた。

 

 

 

明け方、ご夫妻の身を起こす音につられて俺も意識が覚醒し、起床した。

二人は最初は寝惚けていて呆としていたが、次第に意識が覚醒していくと慌てた様子で俺に問い詰めてきた。

 

予想した通りの事態になって、俺はついつい笑ってしまい、それでも何事もなかった……わけではないか。

まぁ一悶着あったが無事に雷十太を逮捕したので心配には及ばないこと、この通りかすり傷一つ無いですよと伝えて、むしろ玄関で寝てしまうような事態を招いてしまって申し訳ありませんと謝った。

 

お二方は相も変わらず微笑みながら俺の謝罪の言葉を丁重に断って、そして俺の無事を喜んでくれた。

 

 

 

今日からなお一層のこと、頑張ろうと思えた。

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

俺はポケットから煙草を取り出すと、マッチに火を点けてそれに灯す。

一息に紫煙を吸い込み、ぼんやりと虚空に吐き出して眉をしかめた。

 

不味い、気持ち悪い。

クソ上司に対するささやかな反抗として煙草をパチって興味本意で吸ってみたんだが、こんなものを好んで吸う奴の気が知れない。

西洋の物だからか?日本人の体には合ってないからなのか?

一回煙管(キセル)でも試してみるか?

 

 

(ふぅ。昨日貰った物には変な細工も無かったし、一連のS捜査中に仕掛けて来ると考えるべきか……であればかなり面倒だな)

 

 

観柳が俺を暗殺するために行動に出る時期は定かではない。

政界での影響力拡大に俺の力がもう要らず、自分の力でやっていけると判断した瞬間に殺しに掛かってくるハズだ。

その判断時期は生憎と俺じゃ分からんが、それでもこの長期遠征中は奴にとって絶好の機会なハズだから、おそらく御庭番衆を派遣するぐらいはしてくると考えるべきだ。

 

……上等じゃねぇか。

殺したいってんなら是非もない。

あと数ヵ月で、あと数人奴が友達を作れば此方が想定する奴の影響力拡大範囲に達するのだ。

その時になれば問答無用で動け、そして逮捕に漕ぎ着ける。

それまで生き延びれば、俺の勝ちだ。

 

 

長いままの煙草を捨ててそんなことをぼんやりと考えていると、足元にドデカイ蛙が腹を見せて倒れていることを思い出した。

なんて気色悪い蛙なんだ。

変な液体を身体中から吹き出しやがって。

 

足で腹をグリグリと踏みつけると、口から苦しげな声を漏らした。

どうやらまだ死んでないらしい。

存外しぶといものだ。

このまま踏み潰せばどんな音を漏らすのかな。

内蔵が口から出てくるのか、それとも潰れたそれが出てくるのか。

どちらにせよ気持ち悪いな。

 

 

「う……ぐぅッ、…踏む、な……」

 

 

蛙が喋った。

 

 

「もう、動け……ない」

 

 

もとい、宇治木が喋った。

しぶといクセして精神は(やわ)だな。

 

 

「どうしたどうした、初期の悪役。もっと頑張んねぇと原作まんまの噛ませ犬で終わっちまうぞ。一刀のもとに斬り伏せられんぞ」

 

「はぁ、はぁ……あぁ?なに、を……う、言って」

 

 

呼吸を整えながら宇治木はノロノロと身体を起こして立ち上がった。

あ、身体中から吹き出してる変な液体とは汗のことね。

 

 

「だいたい……何なんだッこの訓練は!使うのは刀ではなくこの模擬小刀だけ。格闘?組み付いて相手の意識を刈るだけじゃないか!」

 

「当たり前だ。斬った斬られただけの戦いはもう仕舞いなんだよ。俺たちは今後、あらゆる場面であらゆる方法での戦いが求められる。奇襲、潜入、捕縛、拘束等々、これはその土台なんだ」

 

 

と、宇治木に説いていたら後ろから部下が襲い掛かって来た。

背後から奇襲を掛けようとしたのは上々、だがバレバレ過ぎてただの強襲になっているのが減点だ。

 

咄嗟に振り向き、その手の袖を掴んで相手の勢いを借りての払い腰。

背中から地面に叩きつけられた男は、正しく蛙が潰れたような音を口から漏らして意識を落とした。

 

 

動作(モーション)が大きすぎる。気配を殺して近付いて、羽交い締めは最小限の動きで迅速に行えって何回言わせんだタコ」

 

「きゅぅ……」

 

「あとはお前だけだ宇治木。さぁ、選べ。根性見せるか、いつものように逃げるか」

 

「ぐ、うぅ、うおおォォ!」

 

 

おっと、まさか逃げずに向かってくるとは。

その心意気やよし!だが如何せん動きが丸見えだ。

行動が読みやすい。

 

襟を掴もうとしたのか、胸ぐらに延びてきた片腕を両腕で絡めるように掴み、そのままねじ曲げる。

 

 

「ぐぁッ……!」

 

 

余計な力は要らない。

人体の構造上、関節を曲がらない方向に曲げれば普通に痛いし、そこから逃れようと身体も一緒に流れに沿って曲がる。

 

必然、変な姿勢になった宇治木は無防備。

足を払って、ハイお仕舞い。

頭から地に叩きつけられた宇治木は口から魂のようなものを吐き出しながら白目を剥いた。

 

これで全員が気を失って地に伏している状態となった。

死屍累々とはこのことかな、死んでないけど。

 

 

さて、なんで俺らがこんな事をしているのかと云うと、まぁ見て分かる通り訓練をしている……のではなく、その予行演習というか発破を掛けているというか。

この近接戦闘をベースにゆくゆくは潜入や各種工作、尋問、無力化、隠蔽、追跡、撹乱、超遠距離射撃等々の訓練を、つまり(カウンター)テロの訓練をしていきたい。

そのための予行演習であり、今日から始まる五ヶ月間に渡る本格的なS捜査に向けての発破掛けなのだ。

 

本来なら軍隊がすべき訓練なのだが、今の時代は大規模戦闘ドクトリンしか存在しないからこんな訓練はどこも採り入れたりしない。

だから俺たちがやって、この実用性をこれから証明し、そんでもって軍部にでも売り込もうかと考えている。

今の情勢不安定な日本には、この戦闘スタイルも必要だと思うんだ。

 

 

「やぁ十徳くん。精が出ますね」

 

「署長、いらしてたんですか」

 

 

俺が宇治木の口から立ち昇る魂(?)を掴んで口に押し戻していたら、後ろに来ていた署長が声を掛けた。

 

 

「もうそろそろ出発の時刻ですからね。お見送りに来ましたよ」

 

「え、あ、もうそんな時間……態々すみません、直ぐに準備を整えます」

 

 

やべぇやべぇ。

朝一から始めたコイツらへの気合注入に夢中になっててすっかり時間を忘れていた。

 

 

「本当はもう少しゆっくりしていてほしかったんですが……」

 

「……スミマセン」

 

「いえ、いいんですよ。それほど重要かつ猶予の無い任務ということなのでしょう。手伝えないのが歯痒いですが、どうか気を付けて」

 

「ありがとうございます。大丈夫だとは思いますが、署長もお気を付けください。御母堂や冴子さんも……」

 

「任せてください。家族を守るのが大黒柱の役目ですから。あ、そうそう。冴子から伝言を預かってきましたよ。昨日の今日でいきなり長期遠征になったから不安がってましてね」

 

「伝言……ですか?」

 

 

今日は学校が休みということもあり、冴子嬢は少し遅くまで寝て(早朝、寝惚け眼でご母堂に寝室に運ばれて寝直したようだ)、片や俺は出立の準備があるから早めに家を出たため、彼女とは昨晩から何の話もしていないのだ。

 

 

「はい。『お礼の言葉をまだ受け取ってもらっていませんので、ちゃんと帰ってきてください』とのことです。ふふ、話の前後は聞いていないので分かりませんが、これはあの子が狩生くんの無事を願ったという事でしょうかね」

 

「あ、あはは……どうなんでしょうね」

 

 

婉曲的には願ったのかもしれないけど、あくまで言葉を受け取らせるために無事に戻って来い、という意味ではないだろうか。

つまり、俺本位ではなく言葉本位なんじゃないかな……なにそれ泣きそう。

ま、まぁでも、言葉本位であっても俺の無事を求めてくれたのは大きな進歩だよね。

以前なら、あわよくば死んでと思われても不思議じゃなかったからネ。

 

んん!

まぁ何が何でも負けるつもりはないからな。

観柳にも、志々雄にも。

 

俺は寝転がる阿呆どもにそれぞれ往復ビンタを見舞って意識を戻させ、急いで支度するよう指示を出す。

もちろん、俺も自分の支度のために一旦デスクへと駆け戻った。

 

持って行く荷物は特注のバックパックに一通り積めてあるから、これを背負えば基本は完了だ。

義腕は昨日の雷十太との戦闘で使い物にならなくなったので今朝方外印のアジトに送り返してやった。

半日で壊れたんだけどどうしてくれるん?といったことや、近くツラを拝みに行くといったことを書いた手紙を添えて。

 

後はシャベルをベルトに引っ提げて帽子を被り、布で覆い隠した大鎌をバックに括り付ければ仕舞いだ。

 

 

 

 

 

数分後、俺が本署の前庭に戻ると部隊の全員が整列していた。

宇治木を筆頭に、計七名。

俺を含めて八名の、特殊捜査部隊。

通称特捜部。ついでに蔑称は白猫隊。

 

 

「くそッ、遠征前に好き勝手叩きつけやがって……まだ頭がくらくらするぞ」

 

「今のうちに慣れておけ。遠征中も時間を見つけてやるからな」

 

 

先頭にいる宇治木のぼやきに適当に答えて彼等を見渡す。

 

全員動きやすい胴着から着替え、市井に紛れ込み易いよう思い思いの私服に身を包んでいる。

共通しているものは何もない。

刀を帯びている者はおらず、大きな筒を風呂敷で包んで背負う者や、特注のバックパックを背負う者。

腰回りに多種多様な工具類をぶら下げる者など、一見すると何の寄せ集めだと思いたくなる集団だった。

 

だが、そんなぱっと見バラバラの集団であっても、唯一共通しているものがある。

瞳だ。

鋭い眼光は剣呑な気配を醸し出し、全員が全員ただならぬ雰囲気を放っていた。

先程愚痴を溢した宇治木だって、その言葉はあくまで上辺(うわべ)だけのものだったということは最初から分かっていた。

 

彼ら一人一人には、横浜から帰ってからずっと叩き込んできた知識と技術がある。

まだまだ熟練者とは言えないが、そんじょそこらの警官には遅れを取らせるような鍛え方はしていない。

昨今の警察は軍隊にも負けず劣らずの肉体訓練と教育訓練を施しているところがあるが、俺のところだって負けちゃいないってことだ。

 

さぁ。

気合いは十分。

後は実戦を経て経験を積んで鍛えていこう。

幸いにも実戦の場は嫌というほど日本各所に点在しているんだ。

やれるところまでやっていこうじゃないか。

 

俺は咳払いを一つして、整列する部下を前にして訓示を述べる。

 

 

「これより我々は、日ノ本に巣食う害虫を駆除しに回るわけだが、その前に貴様らに一つ言っておかなければならないことがある」

 

 

全員の刺すような視線が今は頼もしく感じる。

背中に当たる署長の生暖かい視線にはむず痒さを感じるが。

 

 

「害虫には加減も容赦も必要ない。徹底的かつ迅速に駆除し、この国の秩序と民の安全を守り、そして回復させる。それが俺たちの使命であり、更にそれは己が命よりも重いものと知れ」

 

 

志々雄真実の存在は宇治木にしか伝えていない。

他の奴にも伝えてもいいのだが、いたずらに不安を煽る可能性もあるのでまだ伏せている。

今はまだ、各所に点在する不穏分子を鎮圧していく、という考えでいればいい。

 

 

「そして履き違えるな。俺にとっては貴様らもその害虫と変わらない。何故なら剣客警官隊などという税金の無駄遣い極まりない部隊に長く居たからだ。貴様らはそこで何をしていた?祖国に報いていたか?民衆の為に働いていたか?自分ではなく、祖国と民を第一にしていたか?」

 

 

答えは聞くまでもないだろう。

治安と安寧を脅かす側にいたのは、覆しようのない事実なのだから。

身じろぎ一つすることもなく聞いていた部下の瞳が少しだけ揺れたのを俺は見逃さなかった。

 

 

「聞け。害虫を駆除する貴様らは正義の執行者などではない。同じ穴の狢だ。貴様らと武装組織は、等しく祖国に害悪をもたらしてきたのだ。すなわち、俺にとってはどちらかが潰れても国のためになるとすら思っている」

 

 

ちら、と部下の瞳から怒気が溢れた。

それは、俺に向けられているものではないことは直ぐに分かった。

誰に向けられたものかを言うのは不粋というものだろうな。

 

そして、先頭に立つ宇治木だけは、変わることなく鋭い眼光のままに()()()を見続けていた。

少しは、成長したようだった。

 

 

 

 

 

「貴様らが他の害虫共と違うと囀ずるのなら、己が意思で国と民に身命を捧げると決意したとほざくのなら、行動でもってその意を示せ」

 

 

 

 

 

 

 

「自らの意思で祖国の門を叩き、警服を身に纏った以上は相応の貢献を為せ。為せぬ無能なればここで死ね。死にたくなくば、死に物狂いで報国せよ。死に物狂いで奉公せよ」

 

 

 

 

死に物狂いで、戦い抜け――

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

32話 明治浪漫 其の拾陸



少し主人公が変?
いいえ、仕様です


では、どうぞ







 

 

 

 

 

さて、唐突だがここで一つ謎々を出そうと思う。

 

志々雄真実の工作員は日本全国に張り巡らされている、というのは原作からも、そして以前川路警視総監からも申し伝えがあったため、それは確実だ。

事実、原作主人公が東海道を使って京都に向かう途中、工作員にその行動を監視され、志々雄に報告していた描写があった。

 

で、ここで一つの謎なのだが、その情報はどうやって伝えている?

この時代、情報伝達ツールは早馬か伝書鳩が最も一般的な手段である。

だが、それは確実ではない。

情報の漏洩が危惧されるし、馬にしろ鳩にしろその育成にはかなりの費用と労力、時間が掛かる。

地下組織がそんなことをするとは思えない。

 

ならば人足による確実な情報伝達をしているのかと問われれば、それもまた否だろう。

確かに確実な手段ではあるが、それでは時間が掛かりすぎるし、日本全国を網羅するのは物理的に不可能だ。

 

だが、京都に本拠地のある志々雄一派は、大久保卿を筆頭に政治家の動向を詳しく把握している節がある。

 

つまりだ。

恐らく、否、絶対に「情報だけ」を迅速に伝える手段を持っているのだ。

人も鳩も馬も要さない、情報のみを遠隔地に運ぶ方法を必ず持っている。

 

荒唐無稽と侮るなかれ。

その手段は既にこの時代に確立されているのだ。

事実、かつての西南戦争時、明治政府は遠い九州の地の戦争情報をある最新機器を用いてリアルタイムで把握していた。

 

それが、モールス信号だ。

 

現在では電線の配線事業が主要都市間にて進められているが、当然一般人がその機器に手を触れられる機会は殆どない。

公的機関が利用するのが常だ。

 

なれど、志々雄一派がこれを有している可能性は非常に高い。

これがあれば遠隔地への情報伝達が画期的に縮まるのだから。

そしてこれがあるからこそ、東京の情報や原作主人公の動向もつぶさに志々雄に伝わったのだと考えられる。

 

むろん、これは決して安い物ではない。

個人はもちろん、小さな組織が手に入れられるほど流通量があるとも思えない。

だが、最新鋭の装甲艦を闇市場(ブラックマーケット)から購入した奴等であれば、かなりの量を手にしていると考えた方がいいだろう。

本拠地にて使用していた描写も原作であったし。

 

そんなモールス信号機の配置場所は東京府は、おそらく首都近郊県や各県の交通要衝地、国際港や西欧文化の試験的導入地などだろう。

そして電線は、おそらく現在合衆国で本格導入が決まった海底敷設方法を流用していると思われる。

つまり、地中埋設だ。

地中といっても地面の表層部だから単に土を被せた程度だろうが。

 

流石にこの時代にはまだ無線のモールス信号は生まれていない。

つまり、海中であれ地中であれ敷設した電線を利用しているということは、信号機は安易に持ち運べないということ。

奴等がどの程度の量のモールス信号機を持ち、どのように配備しているかは不明だが、決まったポイントに配備していることは前提条件上明らかなのだ。

 

故に俺たちは、確証は無いが確信の有った捜査を裏から続けた。

その結果、東京、千葉、埼玉、山梨、静岡の合計12ヵ所に奴等の情報発信地を見つけることができた。

 

無論、襲撃した。

 

表向きには、志々雄一派の力を削ぐために。

裏向きには、このモールス信号機を手に入れるために。

 

俺の構想が実現されれば、こいつは絶対に必要になる。

いずれ日本が大陸に進出するようになれば、俺たちみたいな密偵には必要不可欠になるのだ。

それに、構想が実現されなくても公共機関による情報伝達システムは早めに確立されるべきである。

テロリストからタダで手に入るのならこれほど美味しい話はないだろう、有り難く回収させてもらう。

 

警察がそれでいいのかよ、とかもう思わない。

使えるものは奪ってでも使わなければならないんだ。

国内の武装勢力から奪った物をどう使おうと、諸外国にとやかく言われる筋合いなんざ無いしな。

 

ただし、当然大きなリスクもある。

これは時間との戦いでもあるからだ。

 

各所の情報発信地から送られる信号はどこにも経由されること無く、直通で京都のアジトに行くようになっているらしい。

だから横の繋がりは使用者でも把握しておらず、俺たちは各地域で常に一からの捜査をしなければならない。

つまり、京都の方で関東に点在する情報発信地に不穏な動きがあると見られ、各所に当地からの撤退及び機器の破壊を命じられる事も十分にあり得、そしてそうなったとき、俺たちはモールス信号機を手に入れる機会を永遠に逸してしまうのだ。

 

東京から千葉、埼玉、山梨と反時計回りで関東を半周するのに二ヶ月半掛かった。

富士山麓を西側から迂回し、駿府に辿り着いて調査をして更に半月。

予定より少し遅れてしまっているので、ここ駿府での捜査は迅速に終わらせなければならない。

そして、後一月半で東海道を東進して沼津、伊豆、箱根、小田原、平塚の順に調べていき、最後に東海道を外れて横浜に入り込む算段とした。

 

捜査地域はこれまた確証が有って選定したわけではない。

ただ東海道の宿場がある地域なら、可能性として高いだろうと考えた結果だ。

 

 

「狩生。索敵の網に男が一人引っ掛かったぞ。尾行した結果、山道の外れの洞穴に入って行ったそうだ。その洞穴は人為的で、見張った結果、そこに複数人の男が出入りしていることが分かったとの報告だ」

 

 

ほらな。

主要街道なのだから奴等の目が光っているのは確実なのだ。

 

 

「よし。今は時間が惜しい。早速今夜にでも強襲を掛ける。見張り人員に子細情報をまとめ上げさせ、一人はいつも通りに地元警察に話を着けさせるよう向かわせろ。それと二人を先行して沼津に送れ。残りは見張り人員の援護だ」

 

 

そう号令を一気に下し、戦闘準備に取り掛かる。

 

なお、駿府以西に行かない理由は二つある。

一つは東京から遠く離れるのはマズいからだ。

東海道上はもちろん、他の日本各所に点在する情報発信地を見付けていこうとすると、必然的に東京から離れることになる。

それではいざというときに動けなくなる。

 

いざ、とはいつか。

具体的に言うと、大久保卿暗殺事件の時だ。

 

これを阻止するためには、その時には既に東京に戻っていなければならない。

そして志々雄真実一派筆頭の強さを持つ青年、大久保卿を暗殺した下手人、瀬田宗次郎を迎撃する。

そのためには、東京から離れ過ぎるというのは宜しくないのだ。

 

歴史改変?

上等だよ。

もとより原作(れきし)を変えているんだ、日本をより良くするために尽力することに、いったい何故躊躇する必要があるというのか。

 

二つ目の理由は、京都から派遣される十本刀との邂逅の危険性。

あくまで可能性の話だが、情報が急に途絶えた各地の調査に十本刀が派遣される可能性は十分にある。

そしてそうなった場合、十本刀が利用する経路は東海道である可能性が高く、鉢合わせする可能性もまた高いのだ。

 

奴等と遭遇すれば、逃げるなんて選択肢は俺にはない。

一人残らず潰してやる。

一本残らずもぎ取ってやる。

 

だが、優先順位はモールス信号機の方が高い。

争って時間を掛けるのは得策ではないのだ。

 

断腸の思いだが、今は私的な感情に流されるべきではない。

私益よりも公益を見据えなくてはならない……ま、実際に会ってしまった時にどうするかは、その時の状況次第なんだがな。

 

 

閑話休題(なんでこんな話してんだっけ)

 

 

動きやすい洋装の格好をして、腰回りには拳銃、ナイフ、髑髏のマスク、そして背に大型シャベルを負う。

洞穴の広さにも依るが、シャベルや刀よりもナイフ、あるいは徒手空拳の方がいい場合もある。

 

準備を完了させた後、俺は同じく装備を整えた宇治木を伴い、件の場所に向かった。

 

当地に着くと、そこは踏み均されていない山のなか、4メートルほどにそそり立つ崖の遥か前の茂みだった。

崖は横に10メートル程で、白い岩肌が露出している。

その岩肌の一点に、日の光が当たっていない人丈はあるだろう真っ黒な窪み、というか亀裂があった。

 

 

「ここからじゃ見えやせんが、あそこに木製の扉があるんでさあ。今中にいるのは最低4人。簡単に辺りを調べましたが、裏口は見付からなかったですぜ……どうしやす?」

 

「日没とともに突入する。突入班は俺を含めて3人、他は突入後に俺たちの知らない抜け道を使って逃げる奴がいないか監視しておけ。それから各自、あそこの利用者と思わしき者が接近してきたら全て拘束しろ。いいな」

 

「「「応」」」

 

「作戦内容及び段取りは全て今まで通りだ。突入班、突入後は人・書類・機器をそれぞれ奪取するから分担を決めておけ。監視班、開始10分を経過しても俺たちが出てくる様子が無かったら構わない、内部にありったけの爆薬を放り込んで俺たちごと吹き飛ばせ」

 

「「「応」」」

 

「よし。総員、作戦を開始せよ」

 

 

部下の勇ましい返事を聞き、直ぐ様散開させる。

後ろに残ったの宇治木と一人の部下。

他2人は暗い森の奥へと進んでいった。

 

木々から溢れる陽は赤焼けていて、もう一時間もしたら日が没するだろう。

その間に俺たちは扉が見える位置にまで移動し、そしてそれを確認した。

 

やはり見張りはいない。

微かに木材の扉の隙間から光が漏れていることから、中の扉付近でランタンか蝋燭を使用しているようだ。

光量から判断するに内部構造はシンプルな可能性が高い。

入って直ぐの一部屋ないし二部屋程度だろうか。

断定するには早計かつ証拠不十分だが、今まで襲撃した情報発信地の系統から類推するに、あながち間違いではないと考えられる。

 

っと、そろそろ日が没するか。

 

 

「もう10分、15分で作戦開始だ。お前ら、マスクを被って片目を瞑れ」

 

 

既に辺りは暗くなり始め、森の奥から闇がじわりじわりと近付いて来るのが分かる。

 

向こうの人員の増加は認められない。

誰一人近付いていないのか、それとも監視班が捕縛しているのか。

あるいは此方が抜け道で、別にある正面口から既に人の出入りがあるのかもしれない。

 

事前調査が不充分なのは自覚している。

けど、それを押して尚急がなければならないのだ。

()()()()()()()()()()()()を覚えていない俺は、クソ上司が原作主人公にちょっかいを掛けに行くタイミングを目安にしなければならないのだから。

 

クソ上司と主人公の衝突から一週間以内が、暗殺事件日なのは原作で覚えている。

だから、それまでには東京に戻っていなければならない。

まだ猶予があるのは分かるが、残りの襲撃ポイントを考えるとゆっくりもしていられないのだ。

 

と、そこまで考えていたらいつの間にか辺りが完全に暗闇に没していて、遠くにある扉から漏れる明かりだけがはっきりと浮かぶ世界となっていた。

 

振り向き、部下の様子を確認すると、二人とも片目を開けて頷く。

コイツらにも暗視力の向上の訓練を課していたから、それなりに動けるだろう。

暗順応も直ぐに出来たようだ。

 

俺たちは拳銃とナイフを両手に持つと、茂みから這い出た。

音を立てず、辺りを警戒しながら動き、果たして誰にも察知されることなく扉の前まで来ることができた。

 

部下二人が辺りを警戒するなか扉に耳を当てると、微かに人の話し声と布切れ音が聞こえる。

話の内容は聞き取れないか……ん、これはモールスの打信音だ。

どうやら情報発信地で間違いな……!

 

やばッ、中の人間が近づいてきた。

 

後ろの二人にハンドサインで洞窟から出て身を隠すように伝える。

慌てても決して音を立てず、気配を殺しながら動き、なんとか窪みから出た直後に扉が開いた。

 

 

「じゃあ俺は行くから、何か情報を掴んだらまた来るぜ」

 

「おお、気を付けろよ」

 

 

どうやら一人の男が此処を出ていくらしい。

 

どうする?

このままここに隠れていても直ぐに鉢合わせしてバレるぞ。

今もモールスを打信をしているから変に行動を起こしたら情報が京都に洩れる(既に洩れている可能性もあるが)。

だからと言ってもう茂みに戻ることも不可能……クソ、早く打ち終わりやがれ!

 

トン・ツー・ツー・トン・トン

 

紡がれる電信音に苛立ちが募り、そして着実に洞穴から此方に近付いて来る足音に焦りが生じる。

 

ツー・ツー・トン

 

タイミングが悪すぎらぁ。

この際だ、一気に強襲を掛けるか?

いや、送信が途切れる時点で何かあったと考えられる可能性が大だ。

そういったマニュアルもあるかもしれない。

クソ、早く早く早く……!

 

トン・ツー・トン・ツー・ツー………

 

終わった?!おわぁ、来た!

 

何も知らずに男がひょっこり洞窟から出てきた。

気配を殺すため身を屈めていたから、俺は見上げる形となっている。

 

……まだ、バレていない!

 

ナイフと拳銃を捨てて、飛び上がりざまに思いっきりカエルパンチを放つ。

 

 

「--ッ??!」

 

 

眉をしかめたくなる音が響き、男は操り人形の糸が切れたみたいに膝から崩れ落ちた。

クリーンヒットだ。

流石カエルパンチ、世界の頂点を取れるわけだぜ。

なんてふざけるのも束の間、それを音が立たないように受け止める。

 

 

「おい、どうした?」

 

 

中から男への声が掛けられる。

変な音が響いたから不審に思ったのだろう。

さて、このままで様子を見に来る一人二人を順繰りに落としていくか?

いや、時間を与えて不測の行動を起こされる可能性もある。

一気呵成に突入すべきだ。

俺は拳銃とナイフを拾って向かい側に身を潜めている二人に手招きし、閉じられた扉の前に再度立った。

 

 

「おい?何かあったか?」

 

 

扉の向こう、一人の男が声を掛けながら近付いて来る。

 

ちょうどいい。

俺は扉に耳を当てて、足音からタイミングを計測する。

次第に大きくなる足音と声。

 

……

 

…………

 

………………今!

 

咄嗟に一歩下がって、今にも開かれようとした扉を思いっきり蹴っ飛ばした。

 

蝶番が破砕し、扉は盛大な音を立てて吹き飛んだ。

無論、扉の向こうにいた男を巻き込んで。

 

 

「突入!突入!突入!」

 

 

内部に身を踊らせ、拳銃とナイフを構えながら突入していく。

 

壁面に掛けられたランタンによって照らされる内部の構造は、思った通り20畳ほどの広さの一部屋だけだった。

そこにいる奴等は今吹き飛ばして気を失っている奴を除いて、パッと見で三人。

一人はモールス信号機を置いた机の前に座っている男と、その横に立っている男。

その二人が右手側の壁面にいるのに対し、残りの一人が左手側の壁面に寄り掛かって立っていた。

 

どちらも此方を見て驚愕に目を見開いている。

最優先すべきは信号の遮断だ……となれば、先頭にいる俺が右手側の二人を討つべきだ。

 

扉を蹴飛ばし、室内に突入して状況を確認して最適解を導き出すのに、コンマ数秒。

その直後にはすぐに行動に移る。

 

引き金を引き絞り、座っている打信手の肩を撃ち抜く。

そいつの悲鳴を聞く間もなく、直ぐに照準をずらして隣の男の肩を銃撃する。

 

部屋に響く銃声は鼓膜を震わせ、その後に二人の上げる悲鳴が部屋に響いた。

それに構うことなく俺は崩れ落ちた二人に銃とナイフを構えながら近づき、信号機が無事なことを確認した。

その途中で二発の銃声が後ろから聞こえたが、どうやら宇治木らも一瞬遅れだが状況を理解して残りの男を撃ったのだろう。

 

 

「異常なし」

 

「此方も異常なし」

 

 

信号機は打信中ということもなければ壊れているということもなく、正常な待機状態となっていた。

ほっと胸を撫で下ろした俺は、苦悶の声を漏らして呻く二人を後ろ手で拘束し、武器を持っていないことを確認してから全ての身ぐるみを剥いだ。

後ろをちらと見遣ると、向こうもいつも通りのことをしていた。

 

俺は宇治木に監視班を連れてくること、それから出入り口に二人配置するよう指示をして、血を流しながら倒れている二人に向き直る。

 

二人ともひどく青褪めた顔で此方を見上げてくる。

片一方は泣きじゃくってすらいる。

そりゃぁそうだ。

俺たちは今、外印が被っているような髑髏のマスクを被り、全身黒一色の服を着ているのだから。

 

不気味を通り越しておぞましい存在に、撃たれて身ぐるみを剥がされたのだから。

 

 

「さて。お前らに聞きたいことが幾つかあるが、その前に一つ。古高俊太郎という名は知っているな?」

 

「……っえ?」

 

「幕末期、新撰組局長による激しい拷問の末に秘密を暴露し、池田屋事件を引き起こしてしまった維新志士だ。五寸釘で足に穴を開けられたり、その穴に蝋燭を立てられて傷口を熱せられたりして、重要な秘密を漏らしてしまった人だ」

 

「……ッ!?」

 

 

まぁ真相は分からんがな。

でも俺が言いたいのはただの歴史講釈じゃない。

 

 

「何が言いたいのかというと、つまりどんなに心身が強い人間でも所詮は人の子。凄まじい痛みを延々与え続けられたら、そりゃあ喋っちまうってもんだ……そこで、だ」

 

 

俺はくるりとナイフを弄ぶと、その切っ先を一人の男の眼前に突きつける。

 

人を痛みつける趣味はないし、むしろやりたくなんかない。

見る分にもやる分にも、胸糞が悪くなる。

けど、だからといって何もしない訳にはいかない。

 

笑え。己を偽れ。

 

さんざん人を殺してきた身だ。

今さら善人ぶって、眉をしかめていられるか。

 

最後の最期まで、我を貫き通せ。

悲鳴を上げる(おれ)を、圧し殺せ。

 

 

「お前らは幾つの穴が開けられるまで、黙っていられるかな?」

 

 

だから、ほら。

 

喜悦を言葉に乗せろ。

 

 

 

 

 








話数のご指摘や時代背景上のご指摘等、本当にありがとうございます
また、高荷恵嬢との関係に理解できない、納得できないという声をたくさん頂きました
次話で明治浪漫編が完結します(明日投稿予定)ので、それを期に勉強して色々と修正しようと思います
当然、それと平行して物語も進めていきますが、それなりに時間を頂きたいです


では、また







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

33話 明治浪漫 其の終


明治浪漫編の最終話です


では、どうぞ










 

 

 

 

 

狩生の危惧した通り、情報発信地の襲撃による通信途絶は早い段階で京都のアジトの知るところとなっていた。

 

当初は一ヶ所、二ヶ所の通信連絡が遅れることも稀にあったため、此度もその類いかと判断していたのだが定期報告が再開されることもなく、あまつさえ途絶する数が四ヶ所、五ヶ所と増えていった段階に至って、ついに異常事態と悟ったのだ。

 

何者かが情報発信地を狙って襲撃している!

しかも、襲撃箇所と時間を地図に起こせば、それは東京から始まって千葉、埼玉、山梨と半時計回りに進んでいる様が見てとれる。

敵は、迷うことなく自分達の手先を潰してきているのだ。

 

警察か?

確かに、今まで我々を捜査しようとして来た政府の犬は全て返り討ちにしてきたが、国家権力の完全なる弱体化は未だ果たせていない。

動ける犬がいても不思議ではないだろう。

 

だが、なぜ?

モールス信号の存在は完全に秘匿してきた。

仮にバレても、普通は()()()()()()()()()()するハズだ。

なのにこの襲撃犯は、まるで全国に配置してあることを知っているかのようではないか!

あり得ない、警察がそこまで我々のことを把握していないということを、我々は把握しているのだ。

 

ならば、関係のない勢力か?

いや、可能性を上げればきりがない。

今はこの起きている問題に対して解決策を講じるのが最善の手だ。

 

しかし、その手とは如何なるものとすべしか。

各所の情報発信地の人員を増強するのは当然だが、誰を派遣する?

工作員を動員するのが妥当だろうが、相手の戦力を推測するにそれでは心許ない。

だが、組織内にて最強の力を誇る十本刀は半数が支那に渡り、大量に手に入った阿片を現金、そして武器に換える者共の護衛に就いている。

 

なれど即座に投入可能戦力は、まあある。

あるのだが、それを投入するのにはどうしても不安が拭いきれない。

故にこそ、志々雄一派の頭脳陣は大いに苦悩した。

投入すべき戦力についてもそうだが、投入すべき場所もまた決めかねているのだ。

 

ここにきて情報網を全国に広げていることが災いとなった。

 

 

そんな中、唯一の例外がアジトを訪れていた。

 

 

「方治さ~ん。今日の課題終わったよぉ……疲れた」

 

 

大鎌を担いで部屋に入ってきたのは誰あろう、大鎌の鎌足と飛翔の蝙也だった。

二人の顔には疲労の色が濃く浮かんでいた。

彼らは横浜で必要以上に騒動を大きくし、無駄に組織の存続に危険性をもたらした罰を課せられていたのだ。

 

それがつい先程、終わったようだ。

 

 

「うむ、ご苦労」

 

 

方治と呼ばれた男もまた十本刀の一人であり、その筆頭である。

頭脳派として組織の財政面、戦略面に大きく貢献し、また一方で天才的な射撃の腕前も有している男だ。

 

 

「どったの、方治さん?難しい顔なんかしちゃって」

 

「……そうだな、現状動かせる兵力はお前らしかいないのだ。贅沢は言えんな」

 

 

鎌足の問い掛けをスルーし、方治は席から立ち上がると二人を手招きした。

移動した三人は細かに記載された日本地図が置いてある机を囲むようにして立った。

そこで方治は事のあらましを説明する。

 

 

「現在、我が組織の末端が何者かの襲撃を受けている。東京から始まり、千葉、埼玉、そして山梨と時を追うごとに襲撃地は動いている。このままいけば、おそらく静岡に来るだろう」

 

 

方治が指し示す地図を鎌足と蝙也が食い入るようにして見る。

 

 

「無論、各所には警戒を厳にするよう指示している。が、それでも食い破られている。向こうの正体も掴めぬ故、相当な手練れと判断できる。また、襲撃地を線で結べることから、一個の部隊によるものとも判断できる」

 

「だったら早いところ十本刀を向かわせれば……って、そうか。今は居ないのね」

 

「そうだ。実質的に動けるのはお前たちだけだ」

 

 

そう答えると、方治は沼津の地を示した。

 

 

「此処にも情報発信地がある。業腹だが、此処も敵に落とされるだろう。だが問題は次の敵の進路だ。東海道を西進するか東進するか。現状は不明だが、手をこまねく猶予はない。お前らには東海道を東進して原因の調査をしてこい」

 

「調査、か……犯人は殺してもよいのだろう?」

 

「可能な限り情報を搾り取ってから殺せ。正体を知らぬまま殺すと同じ轍を踏む可能性も生じるゆえな。随時情報は発信するから各地にて拾え。敵が西進すれば自然とぶつかるだろうが、東進すれば追う形となる」

 

「追いかけっこになると面倒臭くなるわね~」

 

 

西進するか、東進するか。

方治は後者の可能性の方が高いと踏んでいた。

相手が何者かは分からないが、組織の情報を掴んでいる可能性が高い。

であれば横浜を無視している理由が判然としない。

 

敵にとって横浜から組織の手を払い除けることは急務であるハズ。

なのに東京の次に神奈川に行かずに関東中部を西進した。

理由は不明だが、神奈川を野放しにするとは思えないため、ここから東海道を東進するだろうと考えたのだ。

 

 

「東海道上で遭遇しなければそのまま東に行き、横浜港に向かえ。敵がそこに向かう可能性もあるし、遭遇することなく横浜に着いたら防衛に回れ」

 

「……!」

 

「! へぇ、横浜か」

 

 

方治の指示に蝙也は忌々しげに眉をしかめ、鎌足は面白げに呟いた。

二人ともとある人物を想起したのだ。

 

横浜での暗殺任務。

それを成し遂げた際に突如として現れた一人の白い男。

目撃者の口封じとして軽く殺そうとしたあの男はしかし、いざ戦闘に発展するや否や蝙也を返り討ちにし、鎌足の戦闘意欲を奪って勝利を諦めさせる実力を持っていた。

 

周囲の火災地獄と鎌足の鎖大鎌による変則的な捕縛術で行動を抑え、最後に消し炭に変えられたのは偏に運の要素が強かったと鎌足は自覚していた。

蝙也についても、八つ裂きにしたいほどの男が焼き殺されたという事実でもって溜飲を無理矢理下げているが、胸中にある憎悪の燻りは今なお鎮火していなかった。

己を虚仮にしたのだ、手ずから殺さねば気が済まないのだ。

 

 

「またお前らを横浜に向かわせるのは正直気が進まないが、背に腹も代えられない。いいか、同じようなことをしでかしたら今より更に過酷な罰が下るぞ」

 

「あはは、大丈夫だって。方治さんは心配性だな~。もう私たちの邪魔をする奴なんていやしないわよ」

 

 

軽く答える鎌足とは反対に、蝙也は重く答えた。

 

 

「ならば俺は残ろう。あの火災の原因は俺のダイナマイトなのだからな。ダイナマイトが使えないとなると俺の実力も半減する故、此度は大人しくしよう」

 

「む……」

 

 

武功に逸る蝙也だけにその言葉は方治にとってあまりに意外だった。

少し肩透かしを喰らった気分にすらなっていた。

 

だが、蝙也の申し出ももっともであった。

十本刀が二人も行くのは過剰だろうから、一人はもしもの時の為の予備兵力として京都に置いておきたい。

それに、ダイナマイトを常用する蝙也は確かに隠密行動に向いていない。

 

 

「なるほど、分かった。ならば横浜には鎌足だけで行ってもらおう」

 

「りょ~かい。組織に歯向かった馬鹿の首級をもって志々雄様へのお土産にしてやるんだから!じゃあね、蝙也。精々私の活躍譚をモールス信号で見ておくんだね」

 

「ふん」

 

 

そうして、一人の十本刀が横浜へ向けて京都を発った。

今はまだ正体の知れない敵を殲滅するために。

 

 

 

それが、邂逅ではなく再会だということを露とも知らず。

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「本当にここで殺んのかよ。人目が多すぎるぜ?」

 

「だからこそ、だ。今までの道中では奴を含め、全員がかなりの警戒心を抱いていた。故に手を出しづらかった」

 

 

黒装束に身を包み会話をする二人。

一人は正しく偉丈夫のような大男で、覗ける顔には刃物によって付けられた古傷が多数あった。

また肩幅も広く、がっしりとした体型からかなり鍛え上げられていることが分かる。

肩には鎖で繋がれた、人の肩幅はある巨大な鉄球を下げていた。

 

もう一人は般若のお面を着けた小柄な男だ。

小柄とは言ったものの、隣の男に比べればというだけで、実際には平均より少し上ぐらいの身長はある。

持ち物は背に負う直刀だけのようで、また、此方の般若面の男も歩き方にブレがなく、堂々とした受け答えから常人以上に身を作り上げていることが分かる。

 

 

「だが、ここなら話は別だ。奴等も気を抜いて警戒の目と手を緩めるだろう。そうなれば後は簡単だ」

 

「ふ~ん。ま、お前が言うならそうなんだろうけどよ。邸で何度か目標を見たが、ヒョロヒョロで色白だったな。それなりに鍛えているようだったが、警戒されようとされなかろうと簡単に殺せそうだぜ?」

 

「油断は禁物だ。お頭が少なからず注目していた輩なんだからな」

 

 

そう言う般若面の男だが、内心では苦虫を噛み潰す思いだった。

 

何度も観柳邸に足を運んできていた、観柳の政界進出のための良きパートナー、狩生十徳をここ横浜で暗殺する。

それが、この二人が帯びた密命なのだ。

その命令は、彼ら隠密御庭番衆の頭領からもたらされたものだが、おそらくは観柳からの指図があってのことだろうと目星をつけた。

 

それが彼にとって気に食わなかった。

 

お頭はあのような愚図に指図されて動くような人ではないが、それでも武闘にしか道のない我らにとっては従う以外に術を持たない。

資本家によって動かざるを得ない明治の世とは斯くも生きづらいものなのだ、と胸中で呟いた。

 

そして、横浜での暗殺任務はおそらくお頭の意思ではなく観柳の意思に依るものが大きいだろうとも考えていた。

故にこそなおのこと腹立たしかった。

 

 

「へぇ……我欲にまみれてる警官風情に何を期待しているのかねぇ、お頭は」

 

 

大男のぼやきに般若面の男が答えようとしたとき、二人が歩いている獣道の頭上、大きな木の枝から一つの影が降りてきた。

般若面の男よりも小柄、成人男性よりもなお小さな体躯の男だった。

彼も黒装束を身に纏い、口許も黒の巾で覆って目のみを覗かせていた。

 

 

「目標が横浜に入ったのを確認したぜ。宿ではなく個人所有の洋館に入って行った。所有者は誰か分からないが、どうも標的の個人的知り合いの可能性が高い」

 

「となると尚のこと暗殺が面倒になるな。向こうの様子はどうだった?」

 

「大分警戒心を緩めているように見受けられたぜ。ここも目的地なのか、それとも観光か休息のために訪れたのかは定かじゃないが、あの様子なら出歩いているときにサクッと殺れるだろう」

 

「ふむ……分かった。取り合えず道案内を頼む。地理と目標の様子を確かめたい」

 

 

般若面の男が告げると、小男は頷き道案内を始めた。

その背中を眺めながら後ろを続く大男と般若面の男。

前者は気楽に鼻唄を歌いながら、一方の後者は思考に耽っていた。

 

横浜での暗殺任務。

もっともな理由を先程述べていたが、さりとて自分がその理由に納得しているかと問われれば、そんなことは決してなかった。

 

横浜の地で殺すべき理由とは、いったい何だ?

当然のことながら、暗殺は街中より人目の無いところの方が成功率が高いし、目撃者や巻き込まれる人がいないという意味でも後者が選ばれる。

逆に街中で暗殺をする理由など思い付かないほどだ。

しかも国際港ともなればなおさら忌避されるべき場所のハズ。

 

分からない。

分からないが、何やら嫌な予感がする。

お頭は何か考えがあって観柳の案に乗ったのだろうか。

 

……いや、これ以上の黙考は手を鈍らせることになる。

自分はお頭の命で横浜に赴き、標的を殺すのだ。

例え隠密御庭番衆三人による奇襲という、過剰な戦力による暗殺であったとしても、余計な事は考えるべきではないのだ。

 

我らはお頭の道具なのだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

与えられた任務を、完遂させよう。

 

そう結論づけた般若面の男は獣道をゆっくりと進む。

 

 

 

 

 

隠密御庭番衆の三人が、一人の標的を暗殺するため。

 

横浜入りを果たした。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

見つけた、見つけた。

見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた見つけた!

遂に見つけた、追い付いた!

 

この日をどれほど待ちわびたことか。

どれほど夢にまで見たことか。

 

長かった、本当に長かった!

この日をどれほど待ちわびたことか。

ずっと奴の姿を探し続けて、追い求めていた。

夢にまで見たと言っても過言ではない

 

あぁ……あぁ、今すぐにでも殺したい、いや、殺し合いたい!

 

 

「うふ、うふふ、うふわはあはははは!」

 

 

日が沈み、大きな満月が夜の横浜を明るく照らすなか、一人の男が埠頭を見下ろせる小山にて、哄笑を上げていた。

黒の全身タイツの上に白装束、黒い編み傘、そして白黒逆転した禍々しい瞳。

さらに狂気を孕んでいる笑い声が一層、男の不気味さを相乗させていた。

 

執念と表現するには些か生易しい色を湛えたその瞳は、先刻一人の男を捉えた。

銀に近い白色の髪に青い瞳、病的なまでに白い肌の男だ。

 

その姿を認めた瞬間、彼は身を震わせながら宵闇に響く笑い声を上げたのだ。

 

彼の興奮の度合いはその表情を見れば、そして笑い声を聞けば万人にも伝わるだろう。

どれほど待ち焦がれ、思い焦がれていたのか、嫌でも分かるだろう。

だがその根幹にあるものを理解できる者は、果たしてどれほどいるだろうか。

 

彼の心は今、暴風雨の如く荒れ狂っていた。

 

薩摩の地にて出会った憎々しい敵。

己の楽しみを瓦解させ、あまつさえ己に重傷を負わせたのみならず、生きて逃げおおせた忌々しい仇。

それは、人殺しを楽しむ彼にとって何事にも替え難い屈辱であったハズだ。

事実、憎々しくて、恨めしくて、忌々しくて、想像のなかで相手を何千回何万回と殺してもなお心を晴らせず、憂さ晴らしに資本家を何十人惨殺してもなお心を落ち着かせることは出来なかった。

 

そんな鬱憤が遂に晴らせる時がきたのだ。

傷を癒し、姿を隠しながら標的を追い、九州から遠路遥々歩いてきたのだ。

恨み辛みで食を受け付けなくなるほどの相手をようやく見つけたときの万感の思いなど、どう表現しようか。

 

だが、それでも、否、それだからこそ。

 

惨たらしく殺してやりたいと思う気持ちと同じくらい、あの時のような殺し合いをもう一度したいという気持ちも強くあった。

 

身を凍らすほどの冷たい雨が降りしきる中での殺し合いは、互いに刀を帯びての、殺るか殺られるかの果たし合いとは一線を画していた。

もっと原始的で、もっと本能的で、例えるなら食うか食われるかの動物的な、生存競争とでも表すべきか。

 

そう。

あの時の二人は正しく人の皮を脱ぎ捨てて、獣性を剥き出しにして衝動のまま互いに食らいついていた。

技量も思惑も既に関係なく、目の前の相手を殺すためならば己が身体すら使い捨てるつもりでいた。

 

当時は思うべくもなかったが、今にして思えばなんと心地好い食い合いだったことだろうか。

あんな非人間的な殺し合いは今まで経験したことがなかった。

 

砕ける骨の音、破ける肉の感触、巻き散る双方の血。

痛いとか苦しいとか、そういった次元すら置き去りにして、ただただ「殺したい」という一点の感情のみを互いに抱き、それを原動力として動いていたのだ。

 

あの感覚を、もう一度味わいたい。

奴と殺し合えば、また経験できるハズだ。

 

 

またあの地獄を、見せてほしい!

 

 

そう思うからこそ、彼は笑いを止められないし、止める気も起きなかった。

 

 

 

この笑いが止まったとき、彼、鵜堂刃衛は一切の躊躇いもなく横浜の地に舞い降りるだろう。

 

 

 

ただ己が欲望を満たすためだけに。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

斯くて役者が揃い、再び横浜の地に騒乱の気配が漂い始めたその頃。

 

一人の男が横浜に流れ着いた。

 

長い赤髪に赤い袷。

左腰に刀を帯び、左頬に大きな十字傷。

短身痩躯の優男。

 

嘗て日本中にその名を轟かせ、今の日本を築き上げた最大の功労者。

幕末の動乱期において、数多の死線と地獄を刀一本で切り抜けてきた最強の維新志士。

 

波乱へと向かっていったあの時代に、心から人々を守りたいと思い、剣を握った心優しき人殺し。

 

伝説の、人斬り抜刀斎。

 

 

騒乱の気配が色濃く立ち込める横浜に彼が流れ着き、そして巻き込まれることになるとは、この時誰にも知る由はなかった。

 

 

 

 

 

 











ようやくッ……ようやく原作主人公が出せた……!


皆さま、お付き合いありがとうございました
本話で「明治浪漫編」終わりました
次話より「横浜激闘編(仮題)」です、少々お待ちくださいね


あと、感想にて励ましのお言葉を頂きまして、本当にありがとうございました
一通一通すべてが温かくて優しくて、凄く嬉しかったです

取り合えずご要望通り、本編の継続を主として、投稿分の話の修正を副として進めようと思います
ただ、次話の投稿より前に閑話というか、主人公が関東各地を回っていた時の話も上げていきたいと思っています

ともあれ、投稿再開までにはお時間を頂くことになるのは変わりありませんが
都度、活動報告にて状況をアップしていこうと思いますので、そちらにも足を運んでもらえると幸いです
(これ専用にツイッターでも始めようかな……)



では、お疲れさまでした



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 神谷活心流



ご無沙汰してます、畳廿畳です

本編再開を期待していた方はすみません
今回はオリ主が遠征している頃の神谷活心流道場での小話です
閑話にて初の原作ヒロインが登場します


では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

「たのもーー!」

 

 

 

東京府下町の一角に座す神谷活心流道場の門前にて、一人の少年が喉を震わせて叫んでいた。

声変わり前の少し高めの声なのだが、瞳には不退転の決意の色が感じられ、ただの少年にしては堂々としていた。

 

少年の声が三度、四度と続くとゆっくりと門が開き、一人の女性がそこから顔を覗かせた。

その女性は胴着を着ていて、竹刀を片手に持っていた。

大きなポニーテールを結わい付け、軽く汗をかいているところを見ると、先程まで稽古をしていたことが分かる。

 

 

「えぇと、どちら様かな?」

 

「塚山由太郎と申します。神谷活心流の門下に入りたく、参りました」

 

「……え"?!」

 

 

一瞬ポカンとした後、間の抜けた声が女性の喉から漏れた。

心底少年の発言に驚いたようだった。

それもその筈、今の神谷活心流は落ち目も落ち目。

門をくぐる者は神谷活心流を去る者か、警察関係者しかいないのだ。

 

それがよりにもよって、このタイミングで入門者である。

驚きもそうだが、逆に心配にすらなった。

 

 

「えと……あ、ご両親はどこかな?流石に君一人だけじゃダメっていうか、嬉しいんだけどご両親ともちゃんと話した方が……」

 

「父上の許可は貰っています。こちら、委任書です。お納めください」

 

「こ、これは御丁寧にどうも」

 

 

渡された書を開き、見るとそこには塚山家の当主直筆の入門依頼が書かれていた。

今は忙しいため息子と一緒に行けないが、何卒宜しく御願いします云々かんぬん。

 

 

「……って、塚山家?!有名な資産家じゃない」

 

「恥ずかしながら、この由太郎、嫡子にございます。どうか、入門のご許可を頂きたい」

 

「……むむむ」

 

 

素直に嬉しいことには嬉しい。

今は門下生が全員去り経営が苦しいというのもあるが、なによりも今は心に大きな影を射している。

一人でも新たに入ってくれれば、これを機に心機一転頑張れるというもの……なのだが。

 

 

「う~ん、取り敢えず中にどうぞ。入門の是非は置いといて、まずは道場を見ていって」

 

「……分かりました」

 

 

許可が得られなかったのが不満なのか、不承不承といった感じで頷く由太郎は、女性、神谷活心流師範代、神谷薫の後をついて行った。

やがて着いた道場はしんとしていて、綺麗に掃除されているのだが人の活気とは無縁な、まるでがらんどうの様な静けさを保っていた。

 

 

「はい、座布団。座って」

 

「ありがとうございます」

 

 

そうしてお互いが道場の真ん中で向かい合うようにして座った。

体験入門をしてもらうつもりはないようで、先ずは話をしようと思ったのだ。

 

 

「さて、由太郎くん。率直に言うと、私は君の入門を歓迎したいわ。今の神谷活心流は猫の手も借りたい状況にあるのだから」

 

「なら--!」

 

「待って、話を聞いて。君は今の神谷活心流の苦境を知らないわけではないでしょう?」

 

「……」

 

 

沈黙を、神谷薫は是と受け取った。

事実、由太郎は神谷活心流の現状をしっかりと把握していたのだ。

 

神谷活心流は、人を活かす剣を目指して創成された流派だ。

開祖は神谷薫の父君、神谷越路郎。

最初期はそれなりに門下生も多く、すなわち理解者が多かったのだが、越路郎の死、そして神谷活心流を騙る人斬り抜刀斎の暗躍により、多くの門下生が去ったのだ。

 

神谷活心流を騙る人斬り抜刀斎とは最近、近辺で辻斬りを行っている犯罪者で、自らをそう呼び、無作為に人を斬りつけている輩のことだ。

駆けつけてくる警官を返り討ちにしていて、既に死者も出ているとのこと。

 

もちろん、神谷薫は自分の流派からそのような犯罪者が出たとは思っておらず、騙りだと確信している。

だが彼女にとって由々しき事態であることに変わりはなく、神谷活心流を騙って暴虐の限りを尽くす人斬り抜刀斎なる存在には己の手で成敗し、汚名を返上しようと尽力しているのだが、未だめぼしい成果は得られていないのだ。

 

 

「自分で言うのも口惜しいけど、今の神谷活心流は評判が地に落ちているのよ。門下生という理由だけで後ろ指指されることだってきっとある。そうなることを分かった上で君を入門させるのは忍びないの」

 

「後ろ指指されるのは承知の上です」

 

「えっ?……いやいや、ほら、例えば前川道場とかは?あそこはここら辺じゃ一番大きな道場だし、そこは訊ねたかしら?」

 

「はい。僭越ながら、此処に来る前に入門を申し願いました」

 

「……えと、此処に来たってことは」

 

「はい、追い出されました。前川道場に限りません。全ての道場を追い出され、神谷活心流が最後なのです」

 

「どう、して……?」

 

 

愕然として呟く神谷薫に対し、由太郎は苦笑して答えた。

 

 

「入門理由……いえ、剣の道を志す理由を問われ、その回答をしたところ、すべての師範に『そんな理由で剣の道を歩ませるわけにはいかない』と言われました。『考えが改まったらまた来なさい』とも言われましたが」

 

「剣の道を志す理由? 私にも教えてもらえる?」

 

 

ごくり、と唾を飲み込み神谷薫は少年に問うた。

多くの師範に追い出されるほどの理由とは、一体。

 

 

「俺のかつての師が再現し体系づけた真古流剣術、その体得が、俺が剣の道を志す理由です」

 

「真古流……?」

 

「はい、すでに失逸した剣術流派です。僅かに残された古文書を先生が発見し、十年の歳月を掛けて読み解き、体得された剣術を、俺は身に付けたいんです。そのための下準備をしたいのです」

 

「下準備?」

 

「恥ずかしながら、俺は剣術のけの字も知りません。故に、先ずは剣がなんたるか、から学ぼうと考えたのです」

 

「……」

 

 

なるほど、と頷いた。

目の前の少年の剣を志す理由に納得し、そして追い出された理由にも納得した。

自らの掲げる剣術流派を学ぶのではなく、ましてや知らない流派を独自で学ぼうと言うのだ。

そりゃあ追い出されるわけだ。

 

だが、それでも神谷薫は全てが腑に落ちたわけではない。

 

 

「一つ聞いてもいいかしら。その真古流を学びたいのなら君の師に指導してもらうのが手っ取り早いし、筋が通っていると思うんだけど」

 

 

そう誰でも疑問に思うことを軽く聞いたのだが、当の由太郎は過剰に反応した。

歯軋りをし、太股の上に置いた握り拳を強く握りしめたのだ。

 

 

「先生は……先生は、捕まりました。非道な警官によって、今は刑務所にいます」

 

「……え?」

 

「真古流は先生が開祖です。故に多くの賛同者、そして同門の志を探していたのですが、その過程で先生を疎ましく思った警官によって、その理想を頓挫させられたのです」

 

「……」

 

 

いささかきな臭くなってきたわね、と神谷薫は小さく苦笑した。

なるほど確かに捕まっていれば教えを乞うことは叶わない。

それは分かる、分かるのだが--

 

 

「由太郎くんはもしかして、その警官に復讐したいの?それが、真の目的なんじゃないの?」

 

「……ッ!」

 

 

びくん、と震えた由太郎の肩を見て神谷薫はやはりか、と呟いた。

当たってほしくない予想が的中してしまった。

 

 

「入門する道場はどこでもよかったんだね。君が欲しいのは稽古をする環境と相手。その真古流剣術の体得はあくまで手段の獲得であって、本当の目的は復讐か……そりゃあ追い出されるわよ。私怨で竹刀を握らせるわけにはいかないもの」

 

「……ッ!!」

 

 

先程よりも強く歯を噛み締め、手を握り締める。

俯いているため表情は分からないが、震える肩からその感情は、二十にも満たない少ない人生経験しか積んでいない神谷薫でも手に取るように分かった。

 

でも、と神谷薫は一つのことに気が付いた。

彼は今まですべての道場に追い出されたと言っていた。

それはつまり、すべての師範に真実を話していたということだ(嘘か誠かはこの際置いといて)。

一つ目、二つ目ならともかくそれ以降、ましてや最後のここ神谷活心流の自分に対して、包み隠さず話す必要はないのではないか。

何故なら、黙ってただ剣道を学びたいと言い、一頻りの基礎を身に付けたらとっとと辞めればいい。

それがもっともズル賢いやり方だ。

 

だが、由太郎はそれをしなかった。

真実をすべて話し、入門の可否を相手に委ねる

それは、きっと彼が誠実だから。

復讐という私怨に囚われながら、しかし根っこの部分ではきちんと礼儀を重んじているのだ。

 

そう気付いたとき、神谷薫は自然とどうするべきか思い至った。

自己満足で、勝手なことだけれど、それでも--

 

 

「……。そうですよね、そんな奴の入門を許可する人はいませんよね。すみません、お騒がせしました。俺はこれで……」

 

「待って、由太郎くん。私は君に一言も出ていってとは言っていないわ」

 

「え、でも」

 

「確かに君の剣道を志す動機はちょっと物騒だけれど、だからってこれだけで追い返すのもまた違っていると思うの。だから教えてくれないかな?君の恩師と真古流剣術について。入門の可否はそれを聞いてからにするわ」

 

「……」

 

 

今までの道場ではここまで話して大概が追い返されるか、考えが改まったらまた来なさい等といったことを言われ、引き取りを願われるかだったため、神谷薫のこの言葉には心底驚いていたようだった。

だが、硬直は数秒だった。

直ぐに気を取り直して由太郎は語った。

 

あの小雨が降る夕方に起きた騒動から、夜にかけての忌々しい事件の流れを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

結論から言うと、神谷薫は由太郎の師、石動雷十太の異常性を悟り、そして件の警官は彼が言うほどの悪徳ではないと理解した。

 

由太郎は自分の窮地を救ってくれた恩師の武威に魅せられたのだろう。

大きな理想を一人で追う姿に惹かれ、恩師に全幅の信頼を寄せるようになったのだろう。

 

故に、恩師の行動は全てが正当化され、神聖化され、それに異を唱えて邪魔する者が彼にとって悪なのだと思うようになったのだ。

 

これは、なかなか難しい問題だ。

雷十太の異常性を説こうにもきっと彼は信じないだろうし、そもそも解けるだけの絶対的な確証があるわけでもない。

 

 

「剣は凶器、剣術は殺人術か……間違ってはいないでしょうけど、少なくともそれは神谷活心流とは正反対だわ。真逆ですらある」

 

「……剣は人殺しの道具ですよ?どうやって剣で人を活かすんですか?」

 

「それを見付けるのが私の、私たちの道なのよ」

 

「なんですか、それ。師範代の薫さんも分からないの?」

 

「答えは一つじゃないということよ」

 

 

さて、どうしたものか。

雷十太についてはやぶ蛇だろうから、悪し様に言う警官について話そうかしら。

そこから彼の考えを解きほぐせればいいのだけれど。

そう考えた神谷薫は、思ったことをつと言った。

 

 

「それにしても不思議ね、その警官は」

 

「……確かに、あの奇怪な右腕はもちろんですが、異様な強さを持っていたのは不思議です。そこらの警官の強さなんて知れてますけど、奴は明らかに一線を--」

 

「あぁ、そうじゃなくて。不思議なのはその警官の言った内容よ。随分と懇切丁寧に君に助言をしてたじゃない?それが不思議なのよ」

 

「え?」

 

「え?自分で言ってて気付いてないの?」

 

 

お互い、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして見合った。

何を言っているんだ、そりゃ君でしょう、と口にせずとも通じ合った瞬間だった。

 

 

「あ~、まぁ当事者からすれば挑発されてるようにしか聞こえないか。第三者だから分かるのかしら……由太郎くんの聞き間違いじゃなければ、君の説明からはその警官はこう言っているように聞こえたわよ。俺を越えてみろって」

 

「……え?」

 

「恩師と同じ道を歩めば俺は越えられない、だからもっと見聞を広めて剣の道を歩んで強くなれ。結構親身になって助言をしていたように聞こえたんだけど……」

 

「いや、え?そ、それはないですよ。だってアイツは先生を捕まえた悪い奴で……」

 

「良し悪しは別として、その人は由太郎くんのことを思って助言をしたんだと私は感じたよ?実際、その内容は正鵠を得ていると私は思うし」

 

 

(きっとその人も、由太郎くんの恩師に対する執着を理解したんだろうね。そこから目を覚ましてほしいから助言した……けど)

 

 

挑発するのはどうかと思うよ、とまだ知らぬ警官に内心で苦言を呈した。

もっと親身になって説得すれば、恩師に対する異常なまでの固執を改めされられるんじゃないかな、と。

 

だがその一方で、その警官に対して少しだけ興味が湧いた。

先述したように、今は神谷活心流を騙る人斬り抜刀斎が巷で辻斬りとして暴れている。

神谷活心流はあんな人斬りを輩出したことなどなく、無関係だと何度も言っているのに総じて警察は神谷薫に対して当たりが強い。

それも仕方がないと言えば仕方がない、件の人斬り抜刀斎によって警官も数人犠牲になっているのだから。

 

故に、人斬り抜刀斎(犯罪者)を見るような目で神谷薫を見てくるのだ。

 

警察の事情はそうなのだが、神谷薫にとって警官とは自分の言うことを信じてくれない嫌な奴らなのである。

だが、この目の前の少年に対して心を慮って助言する警官がいるとは、少し見直した気分になっていたのだ。

自分の警官に対する固執した考えをこそ改めなければならないのかも、と彼女は思った。

警官も十人十色ということか。

 

 

「実際、その人は君の恩師が憎くて捕まえたわけじゃないでしょ?ただ仕事をして、残された君が君の力で張ってほしいから、色々と言ってくれたんじゃないかな」

 

「それは違います、薫さん。アイツは先生の力と理想に嫉妬して先生を捕まえたんだ。警察という職権を乱用したふざけた悪い奴なんだ」

 

「む、由太郎くん。この際だから言うけど、君の恩師は人殺しを是としてたんでしょ?なら捕まって然るべきじゃないかしら。その警官は寧ろ立派なことをしたと思うよ」

 

「なッ、先生は人殺しを是としていたんじゃない。先生は先生の理想を愚弄した奴に誅罰を下したんだ……!」

 

「自分の考えを否定されたら殺すの?それは人としておかしいわよ。ましてや人殺しの術を身に付けていたのだから、尚更危険じゃない」

 

「先生はずっと一人で大きな理想を抱いて戦っていたんだ!その同志を集めるために声を掛けたのに、それを無下にする方がおかしいだろ!」

 

「それがその警官の言う視野狭窄なのよ……!自分の考えが、先生の思想が第一だなんて烏滸がましいのよ。だから見聞を広めろって言われたんじゃない!」

 

「あんな警官の言うことを真に受けること自体がダメなんだ!薫さんもあんな奴の肩を持つのかよ?!」

 

「この……!!」

 

 

師範代とはいえ齢20も満たない娘である。

持ち前の負けん気と我の強さから段々と語調が荒くなっていき、それに伴い話もヒートアップしていった。

 

 

「先生がー先生がー、って君の主張はどこにあるの?!恩師を信奉するのは勝手だけれど、一から十まで恩師を模倣するの?!それこそ同じ轍を踏むことになるじゃない!……あぁッ、これその警官も同じこと言ってるじゃない!」

 

「先生の考えは間違っていないんだ!弟子の俺が引き継いで何がおかしいんだよ!先生の意思を受け継いであの警官に目にもの見せてやることが忠義じゃないのかよ!」

 

「それで同じ刑務所に入りたいって言うのならどうぞご自由に!たいした忠義心じゃない、刑務所にまでついて行くなんてね!美しすぎて腹立たしいわ!」

 

「なんだよ、先生との絆を馬鹿にすんな!俺が修行すればアイツを殺せるし、それをアイツも望んでいるんだろ?!上等じゃないか!」

 

「あぁもう!そんな危険思想を抱いた子供を野放しに出来るかぁ!その狂信的なまでの恩師第一主義を叩き直して、本音は知らないけれどその警官の思いを叩き込んでやるわ!そこに直りなさい!」

 

 

お互い座布団から立ち上がり、胸ぐらを掴む勢いの至近距離でギャーギャーと騒ぎ合っている。

そして神谷薫が竹刀を持ち、更にもう一本持ち出して由太郎に投げつける。

門下生に迎い入れるつもりはなくとも、その捻れた思想を叩き潰さねば気が収まらないようだ。

 

 

 

 

 

この日、昼頃から始まった喧騒は夜遅くまで続き、周りの民家から苦情が来るまで二人の怒号は鳴りを潜めなかったそうな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






ちょっと原作とは違う由太郎くん
狂信者っぽくなっていますが、ご容赦を
後々にいい感じに絡めていく予定です(出来るとは言っていない)

近い内にまた閑話を上げます……が、一つ確認したいのですが
原作に出ない歴史上の人物って出していいのでしょうか
ジョン・ハートレーとは違い、ガチで登場人物として出してよいものか、ちょっと教えてほしいです




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 千葉にて




前話の後書きにて記した疑問に対して、多くのご回答いただきました
この場をお借りして、お答えを下さった皆様に御礼を申し上げます
本当にありがとうございました

これで心置きなく歴史上の人物を描くことができます

で、早速ですが本閑話に一人出ていただきます
恐らく知らない方が多いかと思いますので、是非ググってください

今後とも、メジャーな歴史的人物よりもマイナー(失礼かな)な歴史的人物を出していこうかなと考えています
なぜなら、筆者の考えは「こういう人が当時居たんだよ、どうか知っておいてください」というのが根本にあるからです

この度の登場人物は、正にその筆頭です



長くなりましたが、とりあえずどうぞ






 

 

 

 

 

幅十メートルに満たない川を下に敷く橋の欄干にもたれ掛かり、俺は頬杖をつきながら()()を見ていた。

 

 

「馬鹿馬鹿馬鹿!こっち寄せんな、気持ち悪い!そっちで処理しやがれ!」

 

「うるせえぇ、第一発見者はそっち側の人だろうが!ならそっちの管轄だろ!」

 

「最初はそっち岸にあったんだよ!だからそっちの管轄だ!わざわざこっちに寄越しやがって、やることがセコいんだよ!」

 

 

わーわーぎゃーぎゃー、と川を挟んで凡そ十人ずつの警官たちがお互いに大声で叫び合っていた。

 

かなり長い棒を両陣営ともに持っていて、それで川の真ん中ほどにプカプカと浮かんでいる()()を突っつき合っていた。

否、押し合っていた。

 

 

「やめろ寄せんな臭い臭い臭い!気持ち悪い!」

 

「テメェらそれが仏に対して言うことか!罰当たりにも程が……うっぷ、おぼろろろろ」

 

「うわああ、コイツ吐きやがった!誰か風呂敷と水を持って来い!いいか、絶対もらいゲロなんかすんじゃねぇぞ、絶対だぞぼろろろ!」

 

「課長ぉぉおお!」

 

「しめた!西署の奴等ゲロりやがったぞ!今だ、押せええ!」

 

「「おおおお!」」

 

 

まぁ、あれだ。

 

水死体は見た目が非常にあれで臭いもキツいんだ。

ブクブクに膨れ上がった体からは身元を特定しづらく、死因も判別が難しい。

そもそも、まず引き上げて署にもって行くというのが精神的にも肉体的にも辛いのだ。

 

だからといって警察が死体を選り好みなんてできる訳もなく、水死体であれ焼死体であれ歯を喰い縛って捜査するのが常である。

 

が、殊に眼前の状況だけは常ならぬらしい。

 

どうやら川を隔てて東署と西署で管轄が別れているようで、その川にあった水死体を押し付けて捜査から逃れようという魂胆のようだ。

千葉県警ェ……

 

大の大人が罵詈雑言を並べながら必死の形相で死体を棒で押し合う姿は非常に滑稽だ。

間にあるのが死体でなければ、きっと笑っていただろう。

 

死体(ほとけ)が可哀想すぎる。

 

 

「はぁ……」

 

 

あそこで騒ぎ合う警官らを見ていると(かなり不謹慎な事をしているが)死と隣り合わせに生きている自分たちとは違うのだなぁ、としみじみと思ってしまう。

 

東京を発って半月。

ほぼ不眠不休で此処、千葉一帯の情報拠点を潰し回っていたのだが、調べたところどうやら昨晩ので最後らしかった。

漏れもあるだろうが、千葉で計四つの拠点を潰したのだから志々雄一派にとっては相当な打撃となったハズ。

 

ただ当然と言えば当然のことだが、クソ眠い。

瞼が重すぎる。

初っぱなからぶっ飛ばし過ぎたようだ。

 

このペースだと身体が保たんと思った俺は、昨晩の襲撃の後始末を終えた明朝より一日を休養時間として設けた。

つまり、今日一日を自由時間としたのだ。

 

休むもよし、羽目を外すもよし。

今朝がた部下全員にそう告げると、全員が思い思いに身と心を休ませるために動き出した。

けれど、当の俺は具体的な行動に移っていない。

 

観柳が御庭番衆をぶつけてくると考えているため、変に休むわけにはいかないのだ。

ましてや今は俺一人。

気を抜くわけには決していかない……のだが

 

 

「くそ眠ぃ……!」

 

 

クソ、ミスった。

休養といっても集団行動のままとすべきだった。

このままじゃまともにものも考えられず、戦闘・行動に支障を来してしまう。

 

どうする、どうする?

 

御庭番衆に狙われても行動に移されない、それでいて休息できる都合のいい場所なんてあるか?……あ、目の前にあるじゃん。

そうだよ、ここなら絶好じゃないか。

 

ということで、降りてきました。

 

川を挟んで死体を押し合う警官らの横の土手に俺は寝っ転がった。

警官らの訝しげな視線に晒されるが構わない。

周りの野次馬からの引かれた視線を感じるが気にしない。

 

ここなら奴等も大胆な行動に移れないだろう。

警察の権威の近くで休ませてもらいます。

 

 

草の匂いが鼻をくすぐり、心地よい水の音が心を安らげてくれる。

 

 

 

はふぅ。

 

 

あぁ……

 

 

あぁ……

 

……

 

 

 

 

「草がチクチク痛い……」

 

 

なにこれ、全然気持ちよくない(泣)。

テレビや本では気持ち良さげにしてるシーンが多いのに、リアルでやると全然じゃん。

 

あと天上の日光強い。

暑くはないけど瞼貫通する。

おちおち寝てらんねぇよ、これじゃぁ……ん?

 

 

「こんな所で寝るなんて、褒められた行為ではありませんよ?」

 

 

草のチクチクと日光から逃れようと体を横にしたら、俺の横で座っている少女が目に飛び込んできた。

 

だれ?

見た感じ年は10を過ぎてるようだけど、なんか利発そうな瞳をしているなぁ。

縫い合わせの多い和装と、キリっとしていながらどこか苦労の色がある瞳とが、なんかマッチしているような。

 

まぁなんでもいいや。

瞼は変わらず重いから、もう見てらんない(言い方)。

 

 

「見逃してくれ。半月近く続いた仕事がさっきようやっと終わったんだ。だから少し、仮眠を取りたくて……警官も忙しいんだよ」

 

「あ、そうでしたか。私の早とちりだったんで……って警察官?貴方が? 警察官のお召し物ではないようですが」

 

「うん……仕事の内容が内容だから、この服にしてるんだ」

 

 

あぁ、この体勢なら寝れそうだ。

腕を枕にして体を縮める。

 

 

「あの人たちがやっている罰当たりなお仕事ですか?」

 

「……あれと俺は無関係だよ。俺は、東京から来て偶々あれを見かけただけの、ちょっと特殊な仕事をする……警官」

 

「特殊なお仕事?それは何なんですか?」

 

 

あぁ、眠い。

俺はさっきから誰と話しているんだ?

夢と現実の区別がつかないんだが、今俺は何を話してるんだ?

 

あぁ、もう意識がーー

 

 

「国家の敵を…帝国の誕生を、邪魔する奴をしょっ……ぴく」

 

「てい、こく……?日本はまた、変わるのですか?何故変わるのですか?変わったらどうなるのですか?」

 

「くぅ……」

 

「ちょ、寝ないでください。教えてください、日本は今後どうなるのですか?貴方様は誰を敵としているのですか?」

 

 

 

 

 

……

 

 

 

…………

 

 

 

 

 

………………ハッ、やべぇ寝てた?!

 

 

咄嗟に起き上がった俺の目に写ったのは、茜色に染まる千葉の町並みと小川。

ひぐらしの鳴き声が哀愁を漂わせながら、俺の耳に届いていた。

 

川縁を見ると、件の警官らと死体の姿はとうに見えず、どうやらどちらかの署が泣く泣く死体の捜査を行うことになったようだ。

 

 

「あ~がっつし寝ちまったのか。ざっくり三、四時間ぐらいかな。まぁおかげで幾分か頭もスッキリしたが、結局御庭番衆は来なかったのか……重畳だな」

 

「それは何よりですね」

 

「って、わぁ!」

 

 

え、誰?なにこの娘?!

 

 

「酷いです。人に興味を持たせながら、自分は寝てしまわれるなんて。御預けを言われて放置された犬の気分です」

 

「えと、ごめん。でも君は……」

 

 

だれ?と聞こうとするより先に、少女が立ち上がって御辞儀した。

 

 

「申し遅れました。私は畠山家が長女、畠山勇子と申します」

 

「これは御丁寧にどうも。俺は東京警視本署の狩生十徳。ところで、興味って?寝る前に俺何かした?」

 

「はぁ、本当に覚えてらっしゃらないんですね。狩生さんは御自身の職についてと、この国の未来について少しだけお話ししてくれました。質問をしようとしたら、日を改めて詳しく教えてあげる、と約束して寝てしまわれたのですよ?」

 

「んん?!」

 

 

マヂか、俺そんな約束しちゃったのかよ!

寝惚けてたあまりに余計な事をしちゃったのか。

睡魔に勝てなかったとはいえ。

 

で、この娘は甲斐甲斐しく俺が起きるのを待っていたわけか。

ええ娘やん(確信)。

 

 

「ゴメンね勇子ちゃん。約束は守りたいけど、明日には他所に行っちゃうからーー」

 

「では約束を破られるのですか?」

 

「うぐッ」

 

 

ダメだ。

そんな捨てられた子犬みたいな目で俺を見上げないで。

 

 

「なら今日これから御話をお聞かせ願えませんか?母に言って夕食を共にしていただきましょう」

 

「いや、それは急すぎるし!迷惑だから」

 

「大丈夫です。ささ、行きましょう」

 

 

むんず、と袖を掴まれて引っ張られる俺。

 

かなり強引な娘だなぁ。

流石に振りほどくのは気が引けるし、御母堂に断られれば彼女も諦めるだろう。

いたいけな少女と交わした約束を破るのは心苦しいが、別の機会を作って心行くまで話をすればいいんだ。

 

だからまぁ、今はこの小さな手に引っ張られよう。

 

 

 

 

 

 

 

=========

 

 

 

 

 

 

勇子ちゃんの御母堂は眉をしかめるどころか喜んで俺を遇してくれて、夕食を御馳走させてもらうことになってしまった。

御母堂からは娘と話をしてくれるだけで有り難いとのこと。

 

聞くところによると、どうやら勇子ちゃんは幼い頃に亡くなられた御尊父の教鞭の影響で、人一倍政治や歴史、国際情勢に興味を抱いているらしい。

子供で、しかも子女でそのような趣味を持つことに周りからは変人を見る目を向けられているようだが、そんなことはどこ吹く風。

彼女は常に歴史や今起きている国内外の大きな事件について、大人たちに聞かせてとせびるようだ。

 

そして当の御母堂は、自分では彼女の知的欲求を満たせてあげられないことに忸怩たる思いを抱いていたのだという。

だから、俺のような現職の警察官は是が非でも話を聞かせてやってほしい、とのこと。

 

それはまぁいいんだけども……勇子ちゃん凄すぎない?

小学生低学年くらいの御年でそこまでの知的好奇心を持つとは、お兄さんビックリだよ。

 

てゆうか原作に居たっけ、この娘?

アニメは見てないから知らないけど、少なくともオリジナルでは居なかったハズ。

となれば史実に実在した人か?

 

畠山勇子。

 

俺は彼女を知らない。

一般人として普通(しあわせ)に生きたがゆえに表舞台に出てきていないのか、出てきてはいるが俺が単に勉強不足だから知らないのか、彼女については全く知らないのだけれど。

 

それでも、彼女から垣間見える芯の強さとか稚拙ながらも大胆なる行動力を見ると、どうにも後者な気がしてならないのは気のせいか?

 

 

 

「この度は突然押し掛けてしまい申し訳ありません。日を改めてお伺いしたかったのですが、何分今日を逸すると次はいつになるか分からないので」

 

「お話は娘から伺っております。あの娘が無理矢理お連れしてしまったのでしょう?私どもの方こそ、謝らねばなりませぬ。誠に申し訳ありません」

 

「滅相も御座いません。変な事を吹き込んでしまったのは私の方ですから。御夕飯まで御相伴に預からせて頂けるなんて、本当に面目次第も御座いません。あ、これつまらないものですが、近場で買ったお豆腐とお野菜です」

 

「あらあら、なんてこと。そんな事してくださらなくてもよろしいのに。いえ、本当に受け取れませんよ。質素ですが我が家にある物で賄わせてください」

 

「いえいえ、どうか御受け取りください。何もお渡しできずにお邪魔するなんて、そんな失礼なことできませぬゆえ。どうかどうか」

 

「そんなそんな、本当にすみません。ではお代だけも………」

 

「いえいえ…………」

 

「いえいえ……」

 

 

 

…………

 

 

 

いつまで続くんだ、このへりくだった話し合いは?

古き良き日本人の掛け合いで最初は新鮮味があったけど、一向に話が進まんからツラい。

 

まぁでも、申し訳なく思っているのは事実です。

無理矢理とはいえ連れて来られる事に拒否を言い出せなかったのだから。

 

 

「狩生さん、いつまでそこで駄弁っているのですか?早く此方に来てください。そしてお話を聞かせてください」

 

「ささ、どうぞ。お上がりください。直ぐに夕食の支度をなさいますので、あの娘のお相手を宜しくお願いします」

 

「はい、お構い無く。では、お邪魔します」

 

 

畠山家のお宅にお邪魔した俺は、約束通り勇子ちゃんとお話をするために向かい合うように座り、一息ついてから口を開いた。

 

 

「じゃあ約束通りに話をしよう……と言いたいところだけど、生憎と俺は口が上手い方じゃないからね。だから勇子ちゃんの質問に答える、というのでどう?」

 

「そうですね。その方が私も助かります。ありがとうございます。アトウソツイテゴメンナサイ」

 

「ん?なんて?」

 

「いえ、何でもありません。では早速なんですが、十年以上前に各地で起きた維新とは、なんなんですか?どうして起きたんですか?」

 

「おぉぅ、いきなり難しいこと聞くのね……んん、ざっくり言えば、当時の日本の統治機構である幕府と、それを打倒しようと行動を起こした緒藩との争い、かな。何故起きたかと聞かれると、一概には答えられない」

 

「どうしてですか?」

 

「オッケー、順を追って説明していこう。まずーーー」

 

 

そうして始まった俺のなんちゃって講義。

そして随所に勇子ちゃんから質問が飛んできて、俺はなるべく真摯に、包み隠さず答えた。

無論、国家機密については話さないし、余計な未来の事についても話さない。

ただ淡々と、彼女の質問に対して、未来の教科書で得られた知識をもって返していた。

 

それで思ったんだが、彼女は本当に賢い。

ずば抜けていると言ってもいい。

 

歴史の話が維新から今へと至ると、次は国際情勢について質問攻めされたのだが、そこでの彼女の理解力というものに俺は御世辞抜きに舌を巻いてしまった。

 

 

「これは……!!」

 

「大雑把な日本の周辺地図だ。ここが日本の中枢である東京府。ここが商業の中心である大阪府で、日本の歴史の中央である近畿及び京都府。で、ここが今俺たちがいる千葉。そしてこの列島そのものが、日本国だ」

 

「ここに……私達が、いるのですか?」

 

 

まだまだ日本地図を目にする機会は少ない時代だ。

ましてや周辺国が分かる小さな極東地図など、軍関係者以外ならまず見ないだろう。

だから俺は紙を用意してもらい、そこに簡単な地図を書いたのだが。

 

するとどうだろう。

彼女は食い入るようにそれを見詰め、そして凄まじい回転速度で脳を回している。

それが分かるほどに、ぶつぶつと呟きながら地図を絶え間なく指差して考えに没頭しているのだ。

 

 

「これが……日本」

 

「日本を含めたここら一帯は亜細亜と呼ばれる。そして日本は亜細亜の最も東に位置する国。だから極東の島国といえば、それは日本のことさ」

 

「……亜細亜とは、なんなのですか?亜細亜以外は、否、世界とはなんなのですか?!」

 

 

地図から俺に移った彼女の黒く輝く瞳は、普段と変わらないハズなのに、なんでか俺は全てを飲み込むブラックホールを連想して、大きな頼もしさと少しの畏怖を感じてしまった。

純粋すぎる瞳が、どこか危ないと思うのは気にしすぎだろうか。

 

そんな若干の不安を隠しながら勇子ちゃんの知的好奇心に応えるために、俺は紙を継ぎ足して簡単な巨大世界地図を描き上げた……んだけど、これ間違ってるね。

 

朧気な記憶を頼りに描いたから大陸そのものが不正確だし、今の時代の欧州の各国がちょっと分からん。

 

オスマン帝国の国土ってどんなん?

オーストリア=ハンガリー帝国ってどこまで勢力伸ばしてた?

ドイツころころ形変わり過ぎ。

ポーランドってこの時代にはなかった気がする。

火薬庫と呼ばれる地域の国も位置関係が不明だ。

 

アフリカの植民地も今ぐらいから始まるんだよね。

インド(ムガル帝国?)はもう英国領で、東南アジアの植民地化はこれから始まる……ハズ。

中国もとい清国は現在進行形。

 

植民地(予定含む)は白い無地のまま、欧州(ロシアとアメリカも)には国名と国境を大雑把に描き、アジアは日本と一応清国と朝鮮の国名を書く。

 

う~む、我ながら酷い出来だな。

 

ちらりと勇子ちゃんを見ると、世界の広さに、転じて日本の小ささに唖然としているようだ。

 

「この欧州と呼ばれる地にある白人国家群が世界そのものと言っていい。何故なら、他の白い場所の殆どを領土にし始めているからね。西側からじわりじわりと侵食が進んでいる。日本に来るまでに、そう時間は掛からない」

 

「…………」

 

 

フリーズしたった。

 

う~む、刺激が強すぎたのか?

でも理解してるからこそ圧倒されたんだよな。

今ごろ必死に脳内で処理してるんだろう、ここは勇子ちゃんが再起動するまで待つか。

 

と、俺が筆を仕舞うと同時に御母堂がお夕飯を運んできてくれた。

御礼と軽い謝罪を述べると、再び始まる謙遜の応酬。

 

ようやっと食事にありつける段になって、勇子ちゃんも再起動を始めた。

そして口から溢れるは質問の数々。

 

ままま、続きは食後にね。

冷める前にお夕飯をいただきましょう。

 

 

 

 

 

 

「白色人種の国家ですか……白色人種とはなんなのですか?私達は違うのですか?え、黄色人種?何を仰ってるんですか、どこが黄色いと言うんですか?」

 

「東に大海、西に大陸……大陸からの脅威に備えるとしたら、この朝鮮なる場所とさはりんなる場所が重要ですね……え?さはりんは無視していい?なんでですか?交換条約?なんですかそれは?」

 

「ロシヤなる国家は巨大過ぎます。清国なる国家もまた巨大です。こうして見ると、日本とは斯くも小さいのですね……もし日本が他国に呑まれたら、私達はどうなるのですか?植民地に居る者は、どうなってしまうのですか?植民地とは、そもそもなんなのですか?」

 

「そういえば狩生さんの髪は白いのですね。狩生さんは異国の人なのですか?だから斯様に多様な事をご存知なのですか?お生まれはどこですか?え?薩摩?馬鹿にしているのですか?」

 

 

 

暴走列車(アンストッパブル)

 

誰かこの娘止めて。

 

勇子ちゃんの質問攻めは止まることを知らず、俺の答えに被せて質問してくる始末。

ねぇせめて俺が言い終わってから質問して?

あとじっと俺の目を見詰めないで、覗き込まないで。

答えづらいから!

 

 

と、四苦八苦答えを絞り出している間に、気が付けば夜も大分更けていた。

これ以上の長居は申し訳ないのでお暇させてもらおうとしたのだが、あろうことか勇子ちゃんと御母堂は泊まっていけと懇願してきた。

流石にそれは遠慮させていただいたが。

 

そんなに楽しんで(?)くれたのなら俺も嬉しいんだけど、いやはやこの娘の貪欲な知的欲求には頭が下がっちゃうよ。

 

 

「狩生さん。またいつか話を聞かせていただけますか?」

 

「応とも。また此処らに来たら寄らせてもらうよ」

 

 

俺もこんなに詳らかに話をしたのは初めてだったから思いの外楽しめた。

そうだな、この志々雄一派との騒動が一段落着いたらまた千葉に来ようかな。

 

俺は残念そうな顔の勇子ちゃんに後ろ髪引かれる思いを抱きながら、玄関で靴を履き慣らす。

 

 

「あの、最後に一つだけ教えてほしいことがあるんですけど、いいですか?」

 

「ん、なに?」

 

「最初にお会いしたとき、狩生さんは日本帝国が誕生するような事を仰ってました。それを邪魔しようとする者を捕まえる、とも。日本帝国とはなんですか?狩生さんはその誕生のために御尽力されてるのですか?それができたら、どうなるのですか?」

 

「う~ん、これまた難しいことを最後にぶっこんでくるねぇ」

 

 

正直、これについても語りたいのは山々だ。

日本の帝国化の蓋然性や方法論、将来(俺にとっては歴史だが)の展望等々。

勇子ちゃんならきっと理解できるという確信があるんだが、如何せん時間が時間だしなぁ。

 

それに自惚れじゃないけど、俺の考えを教えて、それ一色に思考を染めてしまうのは違う気がする。

俺の知ってる事は教えよう、けど俺の考えを教えたら、今の勇子ちゃんだとそれを是としてしまう気がするのだ。

 

俺は腰を折って勇子ちゃんの目線に自分のそれを合わせ、彼女の頭を撫でながら言う。

 

 

「勇子ちゃん、一つ宿題だ。今日の俺の話で、君はたぶん日本でかなり先進した知識と知見を得られたと思う。きっと、学校の先生よりもだ。だから学んだことをじっくりと、ゆっくりと噛み締めて考えるんだ」

 

「考える……?」

 

「そう、常に考えるんだ。答えが得られるまで考えて、得られた答えが正しいのかも考えて、更には他の答えも無いか考える。そうして、いつか俺と答え合わせをしよう」

 

 

頭から手を離すと勇子ちゃんは、あ、と呟いて少し名残惜しそうな顔をした。

その様子に俺は笑みが溢れてしまった。

 

 

「お題は、日本の将来についてだ。これからの日本が『歩むべき道』を自分なりに考えてみるんだ」

 

 

もちろん正解なんて無い。

自分の思う正解を筋道立てて説明できれば、それで正解だ。

あるいは『歩むべからざる道』を提示してくれたって全然構わない。

どんな答えを示してくれたって、きっと花丸をあげちゃうくらいだ。

 

かなり難しいと思うが、この娘にはそれだけの知識と視野があると確信している。

地図だって渡したし、必要な事はかなり書き込んである。

きっと、そう遠くない将来、彼女なりの答えを見つけられるハズだ。

 

 

「分かりました……私、頑張ります!いつかきっと、自分なりの答えを見つけます!……だから、その時は……答え合わせの時は、また、頭を撫でてもらえますか?」

 

 

なんて、気付いたら勇子ちゃんの瞳には涙が溜まっていて、その声は少し震えていた。

そんな不安そうに見詰める彼女の様子に堪らないほど胸がずきりと痛んだ。

 

 

「……ッ、」

 

「この娘は早いうちに父を亡くしたものですから、頼りになる男性に甘えたがるのでしょう。申し訳ありません狩生さん。何卒よしなに……」

 

 

答えるより先に御母堂がそっと俺に言った。

同時に、俺はさっきまでの自分に対する怒りが沸き上がった、

 

俺は、さっきなんて思った?

騒動が一段落着いたらまた千葉に来ようかな、だと?

この娘のこんな顔を、こんな目を見て、未だ「~に来ようかな」なんて呑気にほざくか?

 

ふざけんな!

 

この娘はこんなにも必死でいるではないか。

彼女の必死に応えずして、なにが頼りになる男性か。

 

 

「ごめん、勇子ちゃん。約束しよう。すぐに、またすぐ千葉に来るから。必ずまた会いに来るよ。その時は、もっといっぱい話そう。もっといっぱい遊ぼう!」

 

「はい……はいッ。私も、東京に行くことがあれば、必ず会いに伺います!」

 

 

俺は彼女と指切りげんまんをした。

また必ず会おうと、答え合わせをしようと。

 

つ、と頬を流れる彼女の涙は、しかし笑顔になった今では輝く宝石のよう。

 

 

 

俺は畠山家が見えなくなるまで大きく手を振り続けた。

 

 

 

 










本編の続編は、今週末か来週頭に投稿再開します


では、また




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

34話 横浜激闘 其の壱



お待たせしました
本編の再開です

少しだけストックが溜まりましたので上げていきます



では、どうぞ






 

 

 

 

 

 

 

ぐわんと揺れて、明滅を繰り返す視界。

 

絶え間なくせり上げてくる吐瀉物を無理矢理飲み込み続け、それでも咳き込むと咳と一緒に喉から溢れ出る。

凍るような寒さが背筋を貫き、手足がガクガクと震えて止まらない。

咳も震えも止まらず、視界が汗と涙でボヤけて意識が朦朧とする。

臓腑の一つ一つが震えているようで、身体の芯から凍えてしまいそうな感覚に襲われて、それでも溢れ落ちそうな悲鳴と苦悶の声を必死に噛み殺して。

 

どれくらい堪え忍んだだろうか。

 

 

気付けば、嘘のように震えと悪寒が消え去っていた。

 

 

 

 

 

 

「調子はどうかな、師よ」

 

「……サイコーに最悪だ」

 

「会話ができて何よりだ。義手の着脱は激しい痛みと不快感が伴うものなのだが、もう慣れたようだね」

 

 

クソったれ、慣れるわけねぇだろう。

 

義手を外す痛み、つまり疑似神経をちぎる痛みは普通に腕を失った時を思い起こすような激痛だし、それに加えて骨の中を抉り削られていくという言葉に表せない感覚に襲われて、それが何より気持ち悪いんだ。

それを自分の手でやらなければならないのだから、気が狂っても可笑しくない。

事実、痛みを堪える傍ら、気が狂わないよう必死に己を律していたのだ。

 

で、ついさっき外した直後に新たな義手を装着したのだが、当然この時も以前みたいに酷い不快感と酩酊感に襲われ、なかば半死半生の状態になった。

 

本署で始めて着けたときは辛うじて平衡感覚を保っていたが、今回は腕を外すという過酷な作業を先にしたからだろう、新たな義手を取り付けた時は本気で焦った。

視界は前後左右どころか上下の感覚も失い、気の迷いか色も認識することができなくなって、最後には堪えていたものを吐き出してしまった。

 

 

「五ヶ月前だったかな?突貫で作ったとはいえ、それなりの自信作を半日で全損させて送り返されたときの衝撃は今でも忘れていないよ。あんなになるまで使ってもらえたことを喜ぶべきか、即壊されたことを嘆くべきか、今でも答えが分からないからね」

 

「……悪かったよ。けど、仕方ないだろ。相手が相手だったんだから」

 

「まったく、師の日常はいったい何なのだろうね。そんなに殺伐とした日々を送っているのかい?……ま、なんであれ、やられっぱなしは癪なのでね。送り返されてからの毎日、その一本を作り上げるために日々を過ごしたと言っても過言じゃないよ」

 

 

そう言う外印の見詰める先には、俺が今しがた着けた右腕がある。

新式の義手を動作確認しているのだ。

 

新たに作られ、装着した義手は以前の義手と同じで普通の腕サイズだった。

色も紫の毒々しいままだし、操作感覚も変わらない。

 

逆に以前のものと違う点を挙げるとすれば、それは義腕と同じ蒸気機関が内包されているということだ。

外印は送り返された義腕に搭載していた蒸気機関をなんとか小型化し(!)、それを小さな義手に適用しようとしたらしい。

 

だが、流石のオーバーテクノロジスト(?)である外印であっても、機関を搭載させるだけで精一杯だったとのこと。

義腕は熱エネルギーを推進力に変えて殱腕撃として放っていたが、今回はそんなエネルギーの噴射口は着いていないし、そもそもエネルギーを変換する機器を取り付けることが出来なかったという。

 

つまり。

 

 

「熱は熱のまま腕に蓄積させる。熱せられた腕はそれだけで凶器になるし、温度が上がれば比例的にその腕の威力が上がるぞ」

 

 

外印曰く、腕の高熱化は腕力、すなわち武力の強化に繋がり、こと右腕に関する戦闘力はかなり底上げされるとのこと。

体温の上昇や筋肉の伸縮率、運動効率等々と小難しい事を言っていたが、要するに志々雄真実の全身火傷による体温の異常上昇が身体能力の向上に繋がっている、という理屈と同じらしい。

 

志々雄と同じて……いや、それよりもなによりも。

 

 

「おいおいおいおい……あの巨腕は排熱機構のおかげで『クソ暑い』で済んだが、こんな小さな腕に熱なんて込めたら腕の接合部が焼け爛れんぞ?!ひょっとした拍子で自分の身体に触っちまったら目も当てられねェぞ!」

 

「問題ないとも。熱は真空間を移動しないから、それを利用した物でちゃんと腕の接合面を覆っている。過度な負荷は禁物だが、使用上に問題は生じないさ」

 

「……ッ!?」

 

 

おまッ……本当に何者だよ!

その知識は明らかに時代を越えすぎてるぞ!

 

 

「危険性については重々承知している。だが、それを押して師にはこの腕を身に付けていてもらいたいのだ。我が芸術のため、多少の無理は承知で危険性を背負ってほしい」

 

「……それは、精神の上書きみたいな事も指しているのか?」

 

「ほう、もう気付いていたのか。師は流石だな」

 

「やっぱりか……変に気分が高揚したり、かと思ったら急に落ち込んだりして何かと思っていたんだが……外印。お前仮にも師を実験台にするのは--」

 

「それは誤解だ、師よ。私は師を実験台にはしていない。私は師の精神に、否、有り体に言えば『心』に惹かれたのだ。その心の変化を見たいのだ。どのような負荷を掛けると、どのような変化が訪れるのか、それを見たいのだ」

 

 

あぁ、つまり実験台じゃなくて被検体ってことねブッ飛ばすぞコノヤロー。

 

 

「聞いてくれ、師よ。例えば高名な絵画師が描いた画と、それを瓜二つに素人が倣した画を見比べると、その二つは確かに違うものに映るのだ。画はまったく一緒なのに、我々の目にはまったくの別物に映る、つまり本物がどちらかが分かるのだ。私はその差は、人の熱意というか魂というか、そういった目に見えない何かに起因していると考えている」

 

「……」

 

「私はそれを人形に取り入れたいのだ。人形は所詮、人形だ。如何に精巧に作り上げようと、同じ姿形をした人間が隣に佇めば、どちらが人形でどちらが人間かは直ぐに分かってしまう。それではダメだ、全然ダメなのだ!人形と人間の二つの存在の間には明確な一線が、否、大きな谷が有るのは分かっている。それを、私は乗り越えたいのだ!」

 

 

故に師の心からそれを学ばせてほしい、と外印は言った。

髑髏のマスクから覗き見える外印の瞳が、何かに取り憑かれたかのように薄黒く、蠢いていた。

その熱意は執念なんざ生温い、もはや怨念にすら感じ取れた。

きっと代々続く傀儡師(くぐつし)としての悲願を叶えんとする思いからきているのだろう。

 

その瞳を見て、俺は溜め息を一つ吐いた。

 

 

「……そいつは随分と遠い、きっと果ての無い道のりだぜ?」

 

「無論、承知の上だよ。だがそれは師も同じなのでは?」

 

「はッ、言うじゃねぇか」

 

 

弟子の反論に、それもそうだと気付かされてつい笑ってしまった。

 

うん、そうだ。俺たちは同じなんだ。

悲願を叶えようとする意気込みは、多分どっこいどっこいなんだろう。

執念だろうが怨念だろうが、そこに差異なんてありはしないんだ。

己が決めた道をひたすら征く俺たちにもまた、差異なんて無いんだろう。

 

ただ、俺みたいな平成生まれのクソ雑魚精神なんぞに何故そんな過度な期待をしているのかは甚だ疑問だがな。

 

 

少しだけ気分が軽くなった俺はよし、と掛け声をして椅子から立ち上がった。

 

さっき腕を脱着したときの痛みと気持ち悪さはもう無いし、動くのに支障は出ないだろう。

汗を拭い、新たな右腕に包帯を巻き、裸だった上半身に服を着込んでから装備一式を身に付ける。

 

外印特製の武器も腰に備える。

 

 

「サンキューな、外印。腕とこれ、有り難く使わせてもらうぜ」

 

「うん。今度は大事に使ってくれることを願っているよ」

 

「善処する。けど、以前みたいに横浜の一画が火の海になるわけもねぇんだし、少なくとも一日二日でオシャカにはしないさ」

 

 

十本刀が横浜の通信拠点に配置されているだろうが、件の阿片を売り捌くため、その人員は限られているハズだ。

観柳の所に居る庭番が何人か来るとも思っていたが結局来なかったし、こんな人目の多い横浜に派遣されることも考え辛いから、これも杞憂というか肩透かしで終わってしまった。

だから恐らく、今回の横浜は以前より血腥(ちなまぐさ)くなることは無いと思う。

もちろん、十本刀との戦いは甘くないのは確かだが、そう一本も二本も腕を使い潰す気は毛頭ない。

 

 

「じゃあ、世話になったな。また暇があったら来るから、その時は宜しく頼む」

 

 

そう言って別れを告げた俺は以前と同じ外印の別荘の地下室を出て、一階に上がる。

扉をくぐると大きなラウンジがあり、そこの一人掛けソファーに一人の男がふんぞり返って座っていた。

 

ていうか宇治木だった。

 

 

「えらく小気味よい悲鳴と怒号だったな。完全防音と聞いていたが、結構な音量で聞こえたぞ」

 

「お前も一度経験してみ?自分の腕を自分で引きちぎって新しい腕にすげ替えるなんて、なかなか出来ない経験だぜ」

 

「結構だ。こう見えても俺は俺の身体に愛着があるのでな。生涯大事に使うさ」

 

「大丈夫だ。お前の身体はお前を見限っているから、そろそろ土に帰りたいとさ。特に左手、いい加減自分の(ピーー)だけを触るのは嫌だとさ」

 

「え゛、そうなのか?たまには右手でやるか……て、何をくだらないことを抜かすか!ちゃんと左手はお椀を持つのにも使っておるわ!」

 

 

なんて、互いに軽口を言い合いながら玄関から外に出ると、遮られるものの無い強い西日が俺たちを襲った。

 

時刻は既に夕暮れ時。

昨夜横浜に着いた俺と宇治木はその足で外印の所にお邪魔し、腕を交換したのだ(こう文字にすると改めて自分の身体が機械化されているんだなと実感する)。

ほぼ丸一日を費やしてしまったが、凡そ一月前から先行で横浜に部下たちを割いて送っているのだ。

俺個人が消費した時間に焦っても意味はない。

 

そして今は明治11年3月。

そう、ついに原作が始まるのだ。

 

関東一帯の志々雄真実の通信拠点は半分近く潰すことに成功した(あくまで計算上ではあるが)。

これで奴等の監視と行動にある程度の制限を掛けられたわけだが、それが果たして原作にどれ程影響を与えるのかは未知数だ。

原作がどうなろうと俺のすることに変わりはないためあくまで個人的興味ではあるが、はてさて吉と出るか凶と出るか。

 

と、玄関から小さな門までの道中に考え事をしていたら、その門の前に一人の男が佇んでいることにようやっと気が付いた。

 

 

「旦那。報告をしまさぁ」

 

「ん」

 

 

部下の一人だった。

 

長期遠征中、何度もコイツらを心身ともに潰して躾してきたため、それなりに扱いやすくなっていた。

旦那、兄貴、徳さん等と呼び名は個々人によってマチマチだが、総じて上下関係は身に付いたが故の呼称だ。

一度、春画で興奮しない俺を揶揄した輩がふざけた愛称で俺を呼んだが、笑顔で裸宙吊り亀甲縛りの刑に処してから皆大人しくなったのだ。

(俺の感性じゃあ今の春画で興奮なんぞするわけがないんだが)

 

 

「海運用倉庫街に目標と思しき集団を見つけてありまさぁ」

 

「倉庫街、か……」

 

「へい。そこにある一際オンボロの倉庫が、どうやら此処の拠点のようでさぁ。人員は、中に一際目立つ女人(にょにん)がいましたが、それを含めて最低で三十人と今までで最多。付近の倉庫からは人気も途絶え始め、大蔵省の見張り員も帰りました。その役人によると、その倉庫だけいつも夜遅くまで灯りが点いているとのこでさぁ」

 

「女人?」

 

 

聞き慣れない単語に、俺は眉をしかめて訝しげに問うた。

志々雄一派は男女共同参画を謳っていたっけか?

テロリストにしては随分と耳障りの良いことを掲げている。

 

 

「へえ、どうも旦那が持っているそれと同じような大鎌を背負っていた女人のようでさぁ。それが倉庫に入ったのが先刻で、おそらく責任者ないし指導者の立場にある人間のようとも報告が上がっていまさぁ」

 

「……あ?」

 

 

俺と同じ大鎌?

女人で、責任者ないし指導者の立場?

 

……ふはッ!

 

そんなの、誰かなど直ぐに分かるだろうが。

こんな不出来な物を武器として扱う阿呆など、この国に三人も居らんわ。

 

そうか……そうか、来てたのか。

()()()が横浜にまた来ていたのか!

また横浜で、今度こそ俺を殺しに来たというのか!

 

 

「は、はは、ははは、あッはははは!」

 

 

こいつは僥倖、こいつは天祐!

こんなにも早く奴に直接お礼を告げられる時が来るとは思ってもいなかったぜ!

 

そうだ。

ちょうどこの横浜の地で、俺は地獄の辛酸を味わった。

横浜の一画が火の海に沈んでいたそのど真ん中で、俺は鎌足による鎖鎌で身動きを封じられ、危うく消し炭に変えられるところだった。

生き残るために自らの腕を爆散させ、その拘束を解いて生き永らえたが、おかげで隻腕になって身体に火傷の疼きを埋め込まれた。

 

長期遠征中ずっと俺は自らを拘束した大鎌を背に負い、地獄の苦しみを一分一秒たりとも忘れないようにしていた。

弱い心を強くするため、常に痛みと苦しみを思い出す要因を身近に置いていたのだ。

 

そしていつか、この大鎌を奴に返してやると心に誓った。

そんな機会が、原作が始まるより前に訪れるとは。

こんな嬉しいことが他にあるだろうか?!

渦巻く殺意と怒気を押してこんなにも胸が踊っているんだ!

 

ふと、俺の突然の笑い声に目を丸くしている二人がいることを思い出し、咳払いをして告げた。

それでも、ひくひくと頬が上がってしまうのはどうしようもなかった。

 

 

「んん!重畳。時間が無いのは此処でも同じだからな、早速だが今夜にでも襲撃を仕掛ける。此処が最終地点だからもう先行して次の町に人を寄越す必要はないからな、全員による全力強襲だ。監視と情報の伝達を怠らないよう注意しろ」

 

「は、はッ!」

 

「ん。いつも通り日が暮れての実行とする。各自準備するよう伝えておけ」

 

 

はッ、と部下の一時は戸惑うような声音だったが最後は威勢の良い返事に安堵し、駆け出したその背を見送った後に宇治木に告げた。

 

 

「件の倉庫の中にいる女人とやらにはなるべく近付かないように徹底させておけ。かなりの実力者だからな、俺が刈る」

 

「それは構わんが……知り合いか?」

 

「あぁ。絶対にこの手で仕留めなければならない……恩人だよ」

 

 

そう呟いて、俺は右腕を握り締める。

その所作で宇治木は俺とその女人(本当は男なんだが)との関連性に気付いたのか、神妙な顔付きで一つ頷いた。

 

この五ヶ月間に及ぶ長期遠征で、コイツも心身ともにかなり鍛えられてきた。

その実力が原作勢に比べてどうなっているかは分からんが、少なくとも原作上の噛ませ犬(コイツが本来なるべきだった未来の姿のこと)とは比べるべくもないハズだ。

 

それに、今のでも分かると思うが此方の思うところを理解してくれることもままある。

コイツとの阿吽の呼吸なぞ虫酸が走るのだが、仕事上はかなり有り難い。

有用な人材に化けてくれたことには、一先ず感謝だ。

 

 

「英字新聞社に寄ろうと思っていたんだが、予定を変更だ。俺たちは件の倉庫街を見て回って、実地で土地勘を身に付けておこう」

 

 

了解、と宇治木の返事を聞いてから俺たちも歩き出した。

 

幸い、その倉庫街は以前横浜に来たときに場所を把握していた(というか、以前ジョン・ハートレー一派を拘束した場所付近だった)ので迷うことなく視界に収める所まで来れ、仮に志々雄一派の工作員に見つかっても不審に思われない程度の様子を醸し出しながら、辺りを散策し始めた。

 

船に積んだ荷物は小舟に下ろされ、その小舟が倉庫街に至って荷物を倉庫に詰め込む。

そのため、小舟が行き来する支流は倉庫街に張り巡らされており、規模は小さいにしても若干水の都みたいな様相を呈している。

 

日が没し、国籍問わず殆どの人が仕事を切り上げていくとここの倉庫街は閉鎖され、大蔵省の役人数人のみが見張りとして残るだけとなる。

今となってはその見張りも帰ったらしいから、ここら一帯は既に無人の地となっているようだが……怪しいな。

以前なら夕刻であってもかなりの数の水夫や商人が忙しなく働いているのに、今日に限って早いうちから閑散としている。

 

ふぅむ……期せずして襲撃するための舞台が整っているな。

志々雄一派の計略か?

 

有り得ない話じゃない。

そのために鎌足が派遣されたと考えれば辻褄は合う。

何かしらの力を使ってここら一体を掌握し、通信拠点を襲撃していた犯人らを排そうと考えた結果であれば、頷ける。

 

であれば、ここらは既に奴等の掌の上……うん、上等じゃねぇか。

もとよりそのつもりで横浜を最後まで取っておいたんだ。

追加配置した兵力が本当に鎌足だけだってんなら、喜び勇んで刈り取ってやる。

 

 

「件の倉庫は……あそこか」

 

「ふむ、確かに一際老朽化が目立っている。あれなら闇夜で見間違うこともなさそうだ」

 

「逆に戦闘の余波で倒壊する可能性も考慮すべきだろうな……ん?」

 

 

そう宇治木と話していると、向かいから一人の水夫が此方に向かって歩いてきたのが目についた。

俺たちの周りには誰もおらず、男の目も俺たちを見据えていることから、目的が俺たちなのは明らかだ。

ここで一悶着起こすのはマズいなぁ、とぼんやりと思い、さてどうやって切り抜けるかと考察し始めたが、どうも水夫の鋭い眼光を見るに杞憂であることが分かった。

 

潜入した部下の一人だったのだ。

なるほど、その出で立ちなら辺りをキョロキョロ動いていても不審には思われないわな。

 

 

「……此方に」

 

 

部下はそう言葉を溢すと、背を向けて歩き出した。

その背に俺と宇治木は黙ってついていく。

 

黙々と倉庫街を練り歩いていくと、一つの倉庫に案内された。

聞くと、長らく誰も使っていない倉庫を見つけたため、そこで今は監視しているとのことだ。

 

中に入ると既に部下の全員が張り詰めていた。

彼らの瞳に疲労の色は見えず、変わりなく剣呑な空気を醸し出している。

 

うん、意気込みは変わらず上々。

 

これなら鎌足や他の十本刀相手でも、多少の時間稼ぎはできるだろう。

その稼いだ時間で、俺か宇治木が駆けつけられればいいのだから。

まぁ、一番酷に鍛えた宇治木といえど、ましてや俺といえど十本刀に勝てるという保証はないがな。

 

 

さてさて、いっちょ死に物狂いで働きますか。

 

 

今夜起きるであろう因縁の相手との戦いに、俺は静かに滾る心を押さえつけながら、ただひたすらに夜を待っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

35話 横浜激闘 其の弐




短いですが戦闘開始です


では、どうぞ









 

 

 

 

夕日が完全に没してから一刻ほど、夜の静寂(しじま)が辺りを支配し始めたとき、一つの倉庫の扉が音もなく開いた。

そしてそこから一人、また一人と黒ずくめの人影が暗闇へと駆け出て行った。

 

黒ずくめ故に目を凝らさなければ分からず、しかもその人影らはこの暗闇でもブレることなく一直線に、かつ足音も立てていないため、その人影を視認することはかなり困難だった。

人影らはそれぞれ決められたルートを走っているようで、迷うことなく暗闇に溶け込んで行く。

 

その数は七つ。

二、二、三と班を作っていて、一つの廃倉庫を取り囲むように突き進んでいる。

その廃倉庫から薄明かりがぼんやりと漏れ出て、中に人が居ることが分かった。

黒ずくめの人影は皆髑髏のマスクを被っているため、奇妙を通り越して不気味な出で立ちであり、まるでその廃倉庫に居る生者の命を狩りに群がる死神のようだった。

 

死神たちが出てきた倉庫に視線を戻すと、その屋根にもまた一人の、否、屋根上に堂々と立っているその姿から下を駆け出た死神よりも更に上位の威風を醸し出す死神がいた。

されどその凛として佇む姿は死神にしてはあまりに毅然としていて、またあまりに生気というか熱意というか、そういった人間味ある気概が漏れ出ていた。

 

ふと、港湾を駆け抜ける冷たい潮風が一際強く吹いて死神の羽織る黒のマントが大きくたなびくと、髑髏のマスクが風に拐われ漆黒の空へと舞い上がった。

その下から現れたのは、月と星の明かりによって仄かに鈍く輝く白銀の長髪と白い肌、そしてこの暗闇を照らすように煌めいている青い瞳を持った、死神とは到底関連付けられない一人の青年だった。

 

風によって舞い踊る己の髪を無視し、まるでこの暗闇であっても全てを見渡せているかのようにその男は眼下の倉庫街を睥睨していた。

事実、彼は倉庫と倉庫の間の小道や裏道、時には倉庫の屋根や壁を伝って駆けている黒ずくめの死神を皆見落とすことなく視界に収めているのだ。

 

そんな彼が一つ、ふぅと溜め息を吐いて大鎌を大きく掲げると、石突を思いっきり屋根板に突き刺した。

小気味よい破砕音が夜の静けさを小さく破った。

 

 

「……まぁ、確かに最初は来ると思っていたさ。絶好の機会だからな。これを逃すとは思えなかったから警戒をしていたんだが、でもまさかここでとは思わなかったよ」

 

 

下げていた視線を上げ、空に浮かぶ画鋲のような真ん丸の月を亡羊と眺めて独り言を続けた。

 

 

「もっといい場所と時間はあっただろうに……もしかして、敢えて指示されたか?横浜で俺を殺せと。他では手を出すなと」

 

 

否、独り言に非ず。

男が語り掛けるのは自らの背の向こうにいる存在。

同じく黒一色で統一された衣服を身にまとい、白黒の縞模様の入れ墨が施された両腕をした、般若のお面を被った存在だ。

 

彼の存在を、青年――狩生十徳は知っていた。

 

 

(隠密御庭番衆が一人、般若。潜入工作のプロフェッショナルで拳法の達人。庭番頭領、四之森蒼紫への忠を尽くすため、自らの顔を焼き、切り、ちぎったという狂人……いや、狂人は流石に失礼だな)

 

 

ただ御方のため。

そこにあるのは紛れもない、曇り一欠片もない、真っ直ぐな忠道だ。

狂気なんぞに染まってなんかいない、忠義の士である。

 

原作の知識を思い出しながら、十徳はゆっくりと振り向く。

その瞳に映ったのは、やはり紛れもない般若その人だった。

 

 

(とはいえ、厄介だ……相手がじゃなくて、このタイミングが厄介だ。宇治木らはもう行動に移っていて、後は俺の先陣切っての突入待ちの段階に来ている。ここで俺が時間をロスするのは……いや、違う。これはむしろ僥倖と捉えるべきだろう)

 

 

もとより、十徳はこの長期遠征中に御庭番衆から仕掛けれると絶対視していた。

故に驚きもなければ眉をひそませることもなく、ただ淡々とその事実を受け入れた。

横浜での襲撃は念頭に無かったが、掛かって来るならば是非も無い。

 

そして、考えを改めた。

十本刀(かまたり)の無力化及びモールス信号機の奪取はひとまず置いておこう、と。

ここ横浜ならば志々雄一派の迎撃態勢がかなり厚く敷かれている可能性が高く、それはつまり()()()()()()()()()()()()ということだから、まずは置いておいても構わないだろう。

 

取り敢えず今は、前門の虎より後門の狼をどうにかすべきだ。

今にも襲い掛かりそうな狼が後背にいるのに、敢えて()()()()()()()()()()を狩る阿呆がいるものか。

 

 

(狼ね……ハッ、狼はアイツだけで十分だ。鍛え上げられた暗殺者はどこまで行っても、所詮は暗殺者なんだから)

 

 

自らの例えに自嘲して、十徳は屋根瓦に突き刺した大鎌から手を離し、左腰に帯びていた独特な刀を抜いた。

刀身が鞘を走り抜け、足元で空気が斬られる新鮮な音が鳴った。

月明かりを、まるでその頭髪のように妖しく反射させる白銀の刀はしかし、一般的に思い浮かべる日本刀からはかなり乖離した姿だった。

 

まず、柄が無いし鍔も無い。

抜き身の刀身というべきか、持ち手は柄の下にあるべき中心(なかご)そのものだった。

刃文も無ければ鎬も無い、凡百の刀匠ですら作らないような、刀を馬鹿にしているかのような一刀である。

刃先があるだけ、切れ味は普通にあるのだろうということは辛うじて分かるが、しかして総じてガラクタといっても良い代物だ。

 

そんな刀をプラプラとステッキのように振るい、肩に乗せて軽く叩き始める始末。

 

 

「さて。じゃあ始めようぜ、般若面。狩りに来たんだろ?付き合ってやんよ」

 

 

その態度を見て、そしてその刀を見て、般若は幾ばくかの失望の思いに囚われたが、直ぐ様己の心に喝を入れて切り替えた。

期待、というより僅かながらも一目置いていただけに多分にガッカリしたが、私情は切り捨てる。

 

標的が阿呆なら仕事は楽になる。

愚鈍であればなおのこと。

 

なれば、嫌な予感が付きまとうこの横浜から早急に切り上げるべく、元凶たる目の前のふざけた男を始末しよう。

 

とん、と般若は軽い気持ちで一歩を踏み出し

 

ぶん、と十徳はラフな気分で刀を振り回し

 

 

横浜での戦いが、此処に開幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

屋根を蹴り、軽いステップを踏むように此方に接近してくる般若。

そして背中から直刀を抜き放ち、加速して一気呵成に強襲を仕掛けた。

 

直後、甲高い金属音が夜の町に響く。

 

 

「「ッ!」」

 

 

お互いに漏らした声は同じで、抱いた感情も同じ。

驚愕。

だがその理由は互いに別々だった。

 

片やお前って直刀なんか使うのかよ、という驚き。

原作知識から、相手の基本戦術は徒手空拳で、奥の手に鉤爪がある、という先入観を抱いていたが故の喫驚。

 

片や防がれるとは思っていなかった、という驚き。

ふざけた刀と態度の標的がまさか自らの太刀筋を見極めようとは、というある種の偏見を抱いていたが故の感嘆。

 

即座に数歩離れた般若に対して十徳は刀を弄ぶように振り回し、そして駆け出す。

攻守が逆転した。

 

 

「忍風情が剣士の真似事とはなッ!」

 

 

十徳が怒濤の斬撃を繰り出し、それを般若が危なげなく防ぎきる。

 

数秒、数十秒と打ち合いが続く。

甲高く、絶え間のない剣戟が鳴り響き、時おり夜を一瞬だけ照らす火花すら舞い散り。

 

やがて額がぶつかりそうな程にお互いの顔が近づき、刀で押し合う形となって、一瞬の停滞。

 

互いの視線が間近で交差した。

直後、般若の刀を持っていない腕がブレたかと思うと、十徳の脇腹に抉り込んだ。

 

 

「ふ…!」

 

 

異音が十徳の身体中に響いた。

 

だが、めり込んだのは腹部ではなく、脚部。

十徳は片足を上げて膝で受け止めたのだ。

 

次いで十徳の放ったヘッドバッドが見事に炸裂。

 

 

「ッ……!」

 

 

初めて般若が声を漏らす。

その声は苦悶と焦りが混じっていた。

 

たまらず離れようとしたが、強かさは十徳の方が上だった。

般若の刀を持つ片手をその柄ごと握り絞め、身動きを封じたのだ。

 

そのまま足払い。

そして直ぐ様倒れた般若の顔面に向かって、右拳を振り下ろす。

 

 

「ハァッ!」

 

 

屋根を陥没させかけない程度に加減した力は、しかし狙った般若面を叩き割ることが出来ず、屋根瓦を壊すだけの結果となった。

 

そう、既に眼下に般若の姿はない。

そう理解した直後、今度こそ脇腹に蹴足が叩き込まれ、十徳の体が飛んだ。

 

拘束を解き、咄嗟に立ち上がった般若が十徳の腹部に蹴りを見舞ったのだが、それにしてはあまりに()()()()()

 

まるで自分から飛んでいったかのようにすら感じ、般若は追撃を躊躇った。

事実、難なく屋根上で着地した十徳は多少眉間を歪める程度で、痛みに苦しむ素振りを見せず、変わらない爛とした瞳でもって般若を見据えていた。

 

 

「……さっきから人を鞠みたいにポンポン蹴りやがって。足癖がわりィにも程があるぞ」

 

「……」

 

 

十徳の言に返しは無い。

般若は標的に対する評価を内心改めていたのだ。

 

やはり、この男は油断ならない。

普通の警官らしからぬ、やけに戦い慣れしている。

殺し合いを経験している身だ。

外見から推察する年齢上、おそらく維新が舞台ではないと思われる。

抜刀隊として戦争に参加した経験があるのだろう、なるほどお頭が気に掛けていた理由の一端が分かった気がする。

 

なればこそ、やはり確実な手で殺さなければならない。

そう決意を新たにした般若は、ちらと十徳の背後を見遣った。

 

 

「……あん?」

 

 

その挙動を、確かに十徳は知覚した。

 

般若の面からその瞳が見えるわけではない。

十徳が、般若が視線を己から外したと分かったのは、ただふと己に対する意識が弱くなったと肌で感じたからだ。

理屈ではない、ただの直感と確証のない実体験。

 

だが、これが奏した。

 

チリッ、と首筋を焼くような急な悪寒を感じた。

首筋を抉られるような、得体の知れない恐怖。

危機意識に従って直ぐ様振り返ると、目の前に高速で飛んできたのはーーどんぐり?

 

 

「あぶなっ?!」

 

 

咄嗟に刀の柄尻で叩き上げたそれは、どこかで見たことのある物。

 

 

これは……螺旋鋲?

 

 

知ってる。

般若と同じ、隠密御庭番衆が一人、癋見(べしみ)の得意技だ。

奴が攻撃を仕掛けてきたのか。

 

だがそれらしい人影も気配も感じられない。

てゆうか一人じゃないの?どこだ?

 

ーーいや、それより般若だ!

 

慌てて視線を元に戻したが時既に遅し。

般若の姿は影も形も見当たらなかった。

ならば、二人して引いていったということか?

 

 

「逃げる?んな馬鹿な。俺を殺すのが目的のハズ……ッ?!」

 

 

般若の行動原理を汲めない十徳が警戒を新たにしようとしたとき。

月と星の明かりを遮る黒いナニカが、上空から豪速で降り掛かってきた。

 

 

「んなぁ?!」

 

 

呼吸を整えようとした直後であるため身体は咄嗟に動かず、ものの見事に顔面に直撃。

 

耳を塞ぎたくなる破砕音が響いた。

 

そして、十徳はまるで時間が停止したかのように、黒い鉄球を顔面に喰らって上体を軽く仰け反らしたまま、立ち尽くしていた。

 

 

「ふん。般若とやり合っていたから、かなりの実力者だと期待したんだがな。所詮はこの程度か」

 

 

人間の上半身ほどの大きさの鉄球に繋がった鎖を持って近づく一人の偉丈夫。

黒装束の上からでも判るほどに隆起した筋肉。

顔に付いている多数の古傷。

 

隠密御庭番衆が一人、式尉だ。

 

 

「頭部に剛速の鉄球……あっけないな」

 

 

いつの間にか式尉の傍に現れた癋見と般若が言葉を溢す。

これではお頭の出るまでもない、という落胆の声音だった。

 

 

「所詮は戦い方を知らない官警か。大物ぶりやがっていた結果がこの様か」

 

「警察にしてはなかなかの実力を持っていた方だ。お前の奇襲が功を奏しただけで、一対一でぶつかれば分からなかった」

 

「実力を発揮できずに終わったんなら、その程度の半端な実力ってことだろう」

 

 

軽口を諌める般若だが、どこ吹く風の式尉。

鼻息一つ鳴らして、仕事は終わったとばかりに鉄球を引き戻そうとした瞬間。

 

 

「誰の実力が半端だコラァ」

 

「「「?!」」」

 

 

誰の声か、などと確認する事はせず、三人の御庭番衆は即座に臨戦態勢を取った。

 

疑問に思うべきだったのだ。

顔面に鉄球を喰らって立ち続けることなどあり得るのか、顔面に鉄球が食い込んだままなどあり得るのか、と。

 

再度何かが砕ける音がすると、ゆっくりと鉄球が十徳の顔から離れていった。

 

 

「あ~ビックリした。まさか多人数で行動してたとはな。単独行動のイメージが先行してたから危なかったぜ」

 

 

呟く声は至って平静。

鉄球が直撃したハズの顔には傷跡一つとして見当たらない。

そして鉄球は屋根に落ちることなく、十徳の手の中でプラプラと揺れていた。

 

 

「なん……だ、と」

 

 

唖然とする3人。

それもそのはず、十徳は鉄球に五指をめり込ませ、ボーリングの球の如く弄んでいるのだ。

 

先の顔面への一撃は、顔と鉄球の間に手を滑り込ませ、そして掴み取って防いだのだ。

砕ける音は狩生の頭骨ではなく、式尉の鉄球だった。

 

 

「地を割るほどの鉄球を片手で防いだ……しかも指を食い込ませてッ?!」

 

 

顔面を蒼白にして呟く癋見。

両腕で抱えるほどの鉄球は優に50㎏を越える重さを誇る。

それを片手で掴み取るだと?!

なんという握力をしているんだ……!

般若と式尉も、事ここに至って目の前の警官がただ者では無いことを悟り、そして警戒を顕にした。

 

実際のところ、十徳にそれほど握力があるわけでは決してない。

ただその包帯に覆われた義手が異常なまでの力を発揮しただけであり、しかも斯様な芸当が出来るとは十徳も全く思っていなかっただけに、内心では冷や汗を華厳の滝の如く流していた。

 

 

「テメェ……!」

 

「三人掛かりとは味な真似をしてくれる。そっちがその気なら此方も応えてやらぁ。テメェら全員、覚悟しやがれ」

 

 

掴んだ鉄球を式尉にポイと返し、敵愾心を剥き出しにして十徳は唸る。

暴れる心臓と混乱してる思考を誤魔化すため、無理矢理闘争心を駆り立てる。

 

御庭番衆がいつか来ることは予想していたが、まさかこんな土壇場で三人も来るとは想定外だった。

一人か、多くても二人ぐらいだろうと踏んでいたために、十徳は心中かなり焦っている。

 

だがその反面、三対一という数的劣勢においてなお負ける気は無かった。

否、負ける気があろうと勝てる気があろうと、そんな些末な要素は十徳にとってどうでも良かったのだ。

 

ただ、刈る。

その気概しか無かった。

 

自分のコンディションなど二の次、三の次。

目の前の敵を前にして考えることは唯一つ。

 

如何にして刈るか。

 

他の余計な思考は要らない。

任務を果たせると踏んだ以上、襲撃に動いたのだ。

刈れると判断したのだ。

この期に及んで刈る以外の行動は取れるべくもなかった。

 

 

 

心は熱く、頭は冷たく。

 

三人の刈り方を脳内で深く深くシミュレートし始めた。

 

 

 

 

 

 

 







最初の相手は隠密御庭番衆






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

36話 横浜激闘 其の参



ご感想にありましたが、オリ主の自己評価は限りなく低いです
自分の強さ等を正確に把握していない節があるのは仕様です


とまれ、どうぞ








 

 

 

 

 

刀をぶらりと下ろし、とんとんと軽く爪先を地に叩いて鳴らす。

 

正面左手に般若、正面右手に式尉、そして背後に癋見。

俺を中心に三人が三角形を描くように立ち、それぞれが得物を持って構えている。

 

これはマズいな。

この布陣もそうだが、コイツらそれぞれが遠・中・近距離戦を得意としていて、まさに理想的な人を選抜して俺にぶつけてきたのだからなおのことマズい。

しかも背後に遠距離戦を行う癋見がいるのだから、泣きっ面に蜂とはこのことだ。

 

けど、ま……

 

 

「逆に言えば、お前ら三人を一網打尽にできるんだ。リスクは高いがリターンも高い……おっと、日本語で言うなら、虎穴に入らずんば虎児を得ずってやつだ――受けて立つ価値は十二分にあるぜ」

 

 

そう言って、俺は眼前の二人に微笑みかけた。

努めて明るく、朗らかに。

 

そして、俺の笑顔を見て二人の肩が微かにブレた。

俺の笑顔に対する戸惑い、あるいは疑問、それら諸々が一瞬だけ頭に去来したのだろう。

 

その一瞬で充分だった。

 

瞬時に踵を返し、屋根瓦を踏み砕いて一気に癋見に肉薄する。

後方支援係を最初に潰すのは、戦争においてはもちろん、RPGゲームにおいてすら鉄則だ。

護衛がいないのなら、前線要員に無防備な背を見せてでも強襲すべきである。

 

 

「ッ?!」

 

 

ぐんぐんと距離を潰していくと癋見は驚愕の声を溢し、それでも咄嗟に螺旋鋲を再度構える。

 

早い。

慌てて何も出来なくなる青二才ではなく、きちんと修練の結果が実戦でできている様だ。

ならば、なおのこと此処でコイツも刈る!

 

そして、放たれた螺旋鋲は瞬きする間もなく、俺の目の前に迫り――思いっきり右手で()()()()()

がんッ、という金属音が耳に響いたと同時に螺旋鋲は狙い過たず、癋見へと飛んでいった。

 

 

「な?!……ぐぅッ!」

 

 

弾丸を見極められるよう訓練してきたんだ(見極められるようになったとは言っていない)。

螺旋鋲程度なら見えるし、この右手があれば打ち返せる!

 

癋見の顔は愕然としたものから直ぐに苦悶の表情へと移り変わった。

自らが放った螺旋鋲が、そっくりそのまま返ってきて肩肉を抉ったのだ。

 

だが、これで戦列から落伍するとは思えない。

確実を期すため、もう片腕ももらい受け……ッ!

 

 

「……?!」

 

 

首筋に感じた急な悪寒に従い、上体を傾けながら振り向くと鼻先を白刃が過っていった。

般若が追い付き、首を刈ろうとしたようだ。

 

クソ、あと一歩のところで追い付かれたか。

この状況で癋見に追撃を掛けるのは愚策なれば、標的を変更だ。

 

 

「しッ!」

 

「……!」

 

 

左腕に持った刀を振るい、般若を迎撃する。

一、二、三四五と剣戟が奏でられ、六の横一閃の一撃を奴が跳んで躱した瞬間、今まで奴がいた所を黒くデカい塊が、瓦礫を巻き上げながら猛速で迫ってきた。

 

 

「う……ざってェ!」

 

 

再び右腕を振りかぶり、式尉の鉄球を躊躇なく渾身の力で殴りつける。

轟音が響くと、球は鎖にしたがって式尉のもとへと襲い掛かった。

それを尻目に、俺は眉をしかめて右拳を左手で包んだ。

 

い……でぇぇえ!

 

頑丈とはいえ感覚はそのままなんだ。

本来鉄の塊を殴れば拳は粉々になる。

殴り返せたとはいえその粉々になるほどの痛みはしっかりと感じるから、()()()()しんどい。

 

なんて。

そんな弱音を内心で溢した瞬間、上空に逃れた般若がクナイを数本投擲した。

金属同士がぶつかった異音が立て続けに鳴り響き、ほとんどを切り払ったが、防御の空隙を突いた一本だけが俺の胸に突き刺さった。

 

 

「ぐぉ……!」

 

 

くそッ……またこれかよ!

痛みに竦んでこの失態とかホントにもう……!

なんだって俺はこんなにもッ……いや、違う。違う違う違う!

後悔は後だ、今はとにかく戦え!

 

頭を振るい、マイナス思考を打ち払って現状を確認する。

大丈夫、クナイは胸骨で止まっている。

内臓には届いていない。

 

そこまで考え、痛みを堪えてそのクナイを引き抜いたとき、再び首筋がぞわりと震え上がった。

咄嗟に振り向くと同時に、悪寒の発信源に向けてクナイを投擲しようとすると、果たしてその正体は三度螺旋鋲を放とうとしていた癋見だった。

 

 

「「……!!」」

 

 

お互い一瞬制止し、直後に奴は螺旋鋲を、俺はクナイを放った。

互いの得物が空中で擦れ違い、得物を放って無防備な状態になった両者に襲い掛かる。

 

螺旋鋲は脇腹に、クナイは脛に突き刺さった。

 

 

「がッ……」

 

「な"……!」

 

 

いっづぅぅ……だから!怯むな!

意識を己に向けるな!

奴の動きはこれで封じたんだ、もう片腕かその首を落と……!

 

 

「どわッ!」

 

 

あぶなッ!

もう少し意識を痛みに向けてたら直撃してたぞ。

 

今度は背後から式尉が急接近してきて、殴り掛かってきやがった。

寸でのところで後頭部に迫ってきた拳を避けたが、微かに頬を切った。

 

 

「んのやろぉ!」

 

「餓鬼がぁ!」

 

 

再び奴の拳が唸りを上げて顔面に迫る。

それをダッキングで躱すと、鳩尾に拳を叩き付けた。

会心の一撃に手応えを感じるも直ぐ様頭頂部に衝撃を感じ、思わず片膝を盛大に落としてしまった。

 

 

「がぁッ!」

 

「ぬう!」

 

 

それでも、落とした膝をバネに渾身のアッパーカットを奴の顎に振り抜いた。

直後、そのカウンターパンチが穴の空いた横っ腹に突き刺さった。

 

ぐ、あぁぁ!

 

くそ、コイツ肉弾戦好きすぎだろう!

原作でもそうだったが、筋肉自慢が過ぎるんだよ!

そんなに筋肉の見せ場を作りたいならボディービルダーに転身しやがれ!

 

そんな激憤を内心で滾らせ、再び拳を振りかぶると、奴の頭上から般若が飛び掛かってきた。

その手には式尉が使っていた鉄球と、それに繋がる鎖が握られていた。

 

そしてその鉄球が般若の手から放たれると、果たしてそれは式尉の胸へと叩き付けられた。

 

 

「……は?!」

 

 

あまりの予想外の事態に頭が真っ白になった。

アイツは何を考えているんだ。頭にそんな一文が過った瞬間、その答えは直ぐに身をもって理解した。

 

高速で叩き付けられるは鉄の鎖。

それが俺の胴体に巻き付いたのだ。

あまりの事態に混乱した瞬間を突いた奇策に、為す術もなく絡め取られた。

 

そして見ると、式尉は痛がる素振りを見せず鉄球を見事にキャッチしていた。

しかも頭上からは刀を振りかぶって下りてくる般若。

 

やっべ!

そう思った直後にはしかし、俺の身体は動いていた。

 

屋根から飛び出したのだ。

 

俺の咄嗟の行動に今度は式尉らが目を丸くしていたのを空中で見掛け、そして直ぐに重力に従って身体が墜ちていった。

 

はッ、ザマァ。

三人との戦闘で舞台は屋根の縁まで移動していたため、ここから降りる算段もつけていたんだ。

そして落ち行く最中、空いた腹に手を捻り込む。

 

脇腹を抉ったままの螺旋鋲を抉り出すためだ。

 

 

「……っぅぅ!!」

 

 

取れ…取れ……たぁ!よっしゃあ!クソ痛ェ!泣き言言うなァ!

両腕を上体に巻き付けられている現状、手先で発射できるこれが大事な武器になるんだ。

痛みを代償にして手に入るのなら安いと思い込め!

 

そして予想通りに身体は鎖によって急にぐんと引っ張り上げられ、円運動によって地をスレスレに行きながら屋根へと舞い上がった。

 

 

「手こずらせるなァ!」

 

 

眼下では猛る式尉が鎖を引っ張り、その傍で刀を構えて今にも飛び上がりそうな姿勢の般若がいる。

このまま鎖を手繰り寄せられれば、何の抵抗も出来ずに殺されるだろう。

 

だが生憎となぁ。

こちとら鎖で身動き取れなくなるのは経験済みなんだ。

たかが上半身を固縛した程度で封じられると思うなよ!

 

 

「ふ! ぜや!」

 

 

引き上げられ、宙に舞っている状態で刀と螺旋鋲を投擲する。

片や般若に、片や式尉に。

 

腕も満足に動かせず、況してや螺旋鋲なんて初めて触った身でありながら、それでも幸運にも両方とも狙い過たず二人に飛んでいった。

 

般若は刀で刀を弾いたが、式尉は螺旋鋲が見えなかったのか、避けきれずに太股を掠らせた。

そして回避に意識がいったためか鎖の張力は弛み、俺はそのまま弧を描くように二人の頭上を飛び越し――

 

 

「……え?」

 

 

螺旋鋲を構え、射つタイミングを見計らっていた癋見の直上に降り立つ直前――

 

 

「があぁぁ!」

 

 

その頭頂部に踵落としをブチかました。

踵を打ち抜いた瞬間、そして足元の屋根瓦に顔面から突っ込んだ瞬間において、耳をつんざく爆音が夜の静寂に轟いた。

 

ッし、これで確実に一人戦線離脱だ。

小柄な癋見では俺の渾身の蹴足は耐えられまい。

形勢は依然として不利だが、三対一より二対一の方が断然やりやすい。

しかも遠距離戦を行う相手を先に潰せたのだから、これは大きい。

 

当の癋見だが、死んではいないハズだから早めに此方で回収しておきたい。

いろいろと聞きたいことがあるし、なにより一人でも身柄を確保できれば()()に使えるからな。

故に奴らに身柄を回収されて引き上げられるのだけは避けたいが、もしそうなってしまうならば原作キャラといえど関係ない。

後顧に憂いが生じる可能性は、徹底して排除する。

 

ただまぁ、警官相手にここまでしてオチオチと引き下がる選択をするとも思えんからな……しからば、だめ押しの挑発の一手で相手の行動を絞る。

 

 

「て、テメェ!」

 

「……」

 

 

愕然としている二人(一人はお面でよく分からないが)に対し、俺は鎖に巻かれたままの身体で再度相対し、嘲笑を浮かべる。

 

 

「なんだよ。俺を殺りに来たんだろ?ならやり返されることも考慮しとけよ。それとも、俺なら簡単に殺せるとでも考えていたのか?」

 

 

次いで、溜め息。

これ見よがしに落胆した風を装う。

 

 

「そう考えてた上でのこの(ザマ)だってんなら、がっかりだ。何が御庭番だ、何が江戸城守護だ。相手の力量を見誤って勝手に油断して、そして失態を犯す三流集団じゃねぇか」

 

「んだとッ……!」

 

「侮るなよ、庭番ども。俺は毎日死ぬ目に会いながら、ずっと生きて、戦ってきてんだ。半端な実力者にくれてやれるほど、この首は軽くねぇんだよ」

 

 

式尉への意趣返しを言うや否や再度足を大きく振り上げ、俺の身と式尉の間に橋を作っていた鎖に叩き付けた。

必然、俺の身はその衝撃に攣られてたたらを踏み、式尉も虚を突かれて反応が出来なかったようで、鉄球を抱えたままバランスを崩した。

 

そして俺は腰から拳銃を引き抜くと、警戒の色を露わにした眼前の二人を他所に、叩き付けた足で固定している鎖に向けて全弾発砲した。

銃声の直後に金属の悲鳴を上げる音が響き、そんな異音が六度も続いた頃には狙い通りに鎖が断裂していた。

 

……え、拳銃あるなら初めから使えって?

でも癋見や式尉ならともかく般若には通用しなさそうだし。

持ち弾に限りがあるから、こういういざという時か、あるいは雑魚相手にだけ使うのが賢い使い方だろう。

 

それはともかく。

 

鎖の呪縛から解かれた俺は、それを解して立ち上がる。

全弾撃ち尽くした拳銃を捨て、ちゃり、と鎖を武器として携えることも忘れずに。

 

己が武器を台無しにされたためか苦虫を噛み潰したような表情をする式尉、その前に一歩踏み出した般若は―――

 

 

「……認識を改めよう」

 

 

そう呟き、直刀を背の鞘に戻す。

そして、一息に気を開放するかのように両の拳を腰回りに振り降ろし、それと同時に手の甲に仕込んでいた鉤爪が顕現した。

 

あれは、奴の真の武器だ。

それほど本気になったということか。

 

 

「貴様は全力でもって殺すべき相手だ。侮っていたことは素直に詫びよう……故に、ここから先は獲りに行かせてもらう」

 

「——はッ、上等だ。受けて立つぜ、庭番ども」

 

 

狂犬さながらに犬歯を剥き出しにして笑いながら、鎖を構えて俺も言った。

 

 

 

前哨戦は、どうやら本戦並みの熾烈さに移り変わりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宇治木(ベータ)、どうしますか?」

 

「……」

 

 

場所は変わって倉庫街の一角。

ある廃倉庫に襲撃を掛けようとした宇治木らが急遽集まり、対応に苦慮していたのだ。

 

本来の手筈なら、廃倉庫をここにいる七人で取り囲み、そこで人の出入りを封じ、そして隊長の狩生が屋根を突き破って襲撃を掛け、それに乗じて廃倉庫を囲んだ隊員が乗り込む、となるハズだった。

だが、その当の狩生はどうやら不測の事態に見舞われたらしい。

 

最初は気付かなかったが、微かに聞こえた銃声で確信した。

先程までいた倉庫の屋根上で、狩生が何者かと戦闘状態に入った!

 

目標が襲撃を察知して逆撃を加えてきたのか。

あるいは第三勢力が加わってきたのか。

どちらであっても、とにかく今は確認と救援の為に戻るべきだろう。

 

そう判断したのだが、彼らにはそれが出来なかった。

 

異変を感じて廃倉庫の周りを囲っていた仲間を集めたまではよかったが、そこで宇治木らは身動きが取れなくなってしまったのだ。

 

何故なら―――

 

 

「なぁに~?さっきから黙ったまんまでどうしたのよ。関東一円の私たちの拠点を潰したのは貴方たちでしょう?ここでもその勢いのまま来るんじゃないのかしら?」

 

 

大鎌を掲げ、不敵に笑って挑発する敵が目の前にいるのだから。

襲撃予定の倉庫の門扉前に一人佇む大鎌を持った女人。

 

 

「それとも、私が外に来たことが想定外だったのかしら?自分より強い相手が居るとは思わず、恐怖で二の足を踏んじゃった?その髑髏のお面の下はいったいどんな顔をしているのかしらねぇ、っふふ」

 

 

事前情報にあった通り。

そして、狩生の右腕を奪った敵。

 

大鎌の鎌足。

 

業腹ながらも狩生の実力を認めている宇治木は、この場で目の前の女人と戦うことの厳しさを感じていた。

狩生の腕を落とすということは、当然かなりの実力があるということ。

おそらく自分では太刀打ちできまい、と考えていた。

 

 

「手下どもが回りにいると却って殺りづらいのよね。だからこうして私自身が出てきたわけなんだけど、あ、でも安心してちょうだい。簡単には殺さないわ。吐けること全部吐いてくれるまでは、じっくりとお姉さんがなぶってあげるから」

 

 

くすくすと笑う姿は艶やかで、巨大な凶器を持つ姿と相まってどこか幻想的な美しさがあった。

が、それに見惚れることなどあるハズもなく、宇治木は即座に判断した。

 

背後にいる部下全員に告げた。

 

 

「この女人は俺が抑える。貴様らは貴様らだけで当初の任務を遂行しろ。状況はすでに『戦闘』へと移っているのだ」

 

「うじッ……、ベータ……」

 

狩生(アルファ)が来るまでの時間を稼ぐ。貴様らはとっとと行け」

 

「ッ、分かりました。御武運を!」

 

 

そう言って駆け出した部下に対し、鎌足が逃がすまいと大鎌を構えた瞬間、腰より抜いた拳銃を宇治木が発砲し、一発の銃声が響いた。

そして、放たれた弾丸は弾頭がひしゃげ、からんと無造作に鎌足の足元に落ちる。

 

 

「あッぶな~。当たったらどうしてくれんのよ」

 

「……諸手を上げて喜んでやったさ」

 

 

宇治木が拳銃を構えたとき、鎌足は咄嗟にその銃口が向けられた己の部位を目視で割り出し、そこに鎖を持ってきたのだ。

そして予測通りの位置に放たれた弾丸を確と捉え、鉄製の鎖と強靭な筋力によって運動エネルギーを完全に奪い取ることに成功したのだった。

 

やはり拳銃程度では歯牙にも掛けられないか、と宇治木はぼやいた。

いつぞや狩生と話したとき、S捜査における最大の障壁の一つとなるだろう十本刀の存在について、その詳細を真面目に聞いていて正解だった。

超常の力を有している相手と戦うには、早々に己の常識を捨てるべきだと、今しがた認識した。

 

 

「あ~あ、行っちゃっ……あれ?逃げるんじゃないんだ。まだ私たちの拠点を潰すつもりだったんだ。で、貴方はさしずめ私の足止めか」

 

「ご明察。ここは貴様らの一大拠点なのだろう?なればこそ、もはや退くなどという選択肢はあり得ない」

 

「へぇ、随分と覚悟を決めているのね。でも、その代償は高くつくわよ?此処は今までのちんけな拠点とはワケが違うの。貴方たちを盛大に迎え入れる用意をしてあるのよ?」

 

「皆が覚悟の上だ。我々の命を懸けて、貴様ら全員を排除する」

 

「……正気?誰を相手にしているのか分かっていないのかしら?」

 

「そっくりそのまま返してやる。俺たちを相手にして、誰一人として生き残れると思うなよ」

 

 

状況『戦闘』とは、文字通りである。

部隊員が敵と戦いを始めたとき、全員が意識のスイッチを切り替えて『戦闘』を始める。

 

ただし、死ぬまで、である。

 

そもそも任務の性質上、彼ら特捜部はその存在を公にされることはない。

志々雄一派相手にはもちろん、世間一般にもだ。

 

川路大警視直々の辞令の後、直ぐ様本署を離れて関東に点在する志々雄一派の通信拠点を襲撃し回った理由の一つに、その存在を特定されないよう一ヶ所に留まらないようにした、というのがあった。

白猫隊などと揶揄される存在は、しかし誰もどこにいるか分からない幽霊部署である、という状況を作ったのだ。

 

これは、川路大警視が打った一か八かの奇策の一つである。

 

志々雄真実率いる巨大なテロリストを相手取るため、敢えて警察組織から切り離した対テロ戦闘用の部隊を作り出したのだ。

切り離したとは、つまり独立させているということ。

手綱を握ることを最初から無視し、成果を自ら掴み取らせ、そして報奨も何も与えない。

勝手に動いて、国家の利を献上させ、されど警察はそれらを把握しない。

彼らが何をし、何を成し得、反面何を失ったのか、その一切を警察上層部は認識しない。

可能な限りの情報的接触を断ち、部隊の尻尾を誰にも掴ませないようにしているのである。

 

上意下達は存在せず、報連相さえかなぐり捨てた最小の戦闘特化部隊を世に送り出したのだ。

 

こんなもの、普通なら考えられない。

事後報告すら求めないなど、組織としてあるまじきケースだ。

ましてや行動の一切を問われない部隊を野に放つなど、正気の沙汰ではない。

以前、狩生に通達した独自裁量権の付与とは、斯くも異常なものなのだ。

 

そして、そうあれと命じられて作られた部隊(かれら)の任務においては、まず己の身の保全が最優先される。

自分たちの存在に関するあらゆる情報、そして自分たちが掴んで溜め込んでいる情報、及びそれを基に計画した独自の任務を悟られないよう、決して身柄と痕跡を抑えられないようにする。

 

そのため、戦闘は本来推奨されない。

殺される可能性もさることながら、拿捕されることが考えられるし、戦いの痕跡から自分たちの尻尾を掴まれる可能性があるからだ。

故に確実な目的の達成と、自分たちに関する一切の情報が漏れないという見込みが無い限り、軽挙妄動は控えるよう徹底されている。

敵に逃げられる事はもとより、目撃されることも忌避されている。

 

それが敵であることはもちろん、無関係な()()()であっても。

 

志々雄一派の情報ネットワークがどこまで張り巡らされているか分からない以上、あらゆる可能性は根本から排すべきである。

だからこそ今までそうしてきたし、そしてこれからもそうするのは確実である。

 

ともあれ、「情報の秘匿性」と「任務の重要性」を天秤に掛け、後者が重要と判断された場合こそが彼ら特捜部が唯一戦闘を許される状況になる。

基本は戦いを忌避し、なれど一度戦うことを決めたならば最後の一人になっても戦い続ける。

徹底して、確実に敵を屠るため、全身全霊を懸けて死ぬまで戦う。

 

敵の逃走を許さず、目撃者も認めない。

逃げることを選択肢から除外し、隠密行動を前提とした部隊のアイデンティティーを擲ち、決死の覚悟で戦い続け、全戦力を用いてあらゆる存在を()()させる。

 

 

当然、自分たちの存在も、その限りたりえる。

 

本当の意味での『絶滅戦争』なのだから。

 

 

故に、もし仮に。

戦闘の継続が困難になり、かつ任務の達成が不可能と判断された場合は。

あるいは不測の事態に見舞われ、足手まといになると悟った場合は、十徳が事前に下した最悪の命令を遂行することになる。

 

 

それすなわち、命捨てがまれ。

 

 

身命その全てを捧げて、任務に忠せよ。

身潰え命果つるその瞬間まで、己の存在が唯の屍に至るその瞬間まで、戦い続けろ。

 

さもなくば、未完で終える任務を彩る徒花となれ。

各自一つは隠し持っている処分用の炸裂玉を、使用せよ。

 

これは、志々雄一派との「生存するか、死滅するか」の極限闘争なのだ。

 

生き残ることによって得られる次のチャンスも

生き残ることによって後々に生じる不利益も

死体を差し出すことで一切合切をうやむやにする。

 

最後の一人になっても戦い続ける、あるいは自決をする姿を敵に見せしめ、その狂気の沙汰を印象づける。

そして、以降の行動と思考に自分達のような異常集団を念頭に置かせ、制限を掛ける。

 

 

 

恐怖と嫌悪を刻み付けるのだ。

 

 

 

「もとより命なんぞ惜しくはない。欲しけりゃくれてやるさ。だがな、既に戦いの火蓋は切ってあるのだ。貴様らの未来は、俺たちに殺されるか、俺たちの骸を拝むかのどちらかなのだ」

 

「……笑いはしないわ。以前、そうやって堂々と私と相対して大口叩いた奴がいてね。笑ってやったらものの見事に押し倒されちゃって、冷や汗を掻いた経験があるもの。だから、貴方の覚悟は認めるわ。その上で、貴方の覚悟もろとも切り刻んであげる」

 

「いい心掛けだ。ならば俺もその意気に応えよう。覚悟しろよ。もはや俺たちには進むしか道が無いのだから。前にしか退路が無いのだから、死に物狂いになるぞ」

 

 

ばさり、とマントが一瞬膨らむと一本の刀がすらりと伸び、切っ先を鎌足へと向けて宣する。

 

 

髑髏のマスクも投げ捨て、睨み付ける。

 

 

 

 

 

ここに、二つ目の戦いが開幕した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 












目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

37話 横浜激闘 其の肆




新型義手の本領発揮です


では、どうぞ










 

 

 

 

 

空気をぶち破り、屋根瓦の破片を巻き上げながら迫ってくる鉄球に――

 

 

「がああぁぁ!」

 

 

大きく上に振りかぶった大鎌を叩きつけ、地に縫い付ける。

倉庫一棟を震わす轟音が響き、見事に大鎌は鉄球を貫通して、そこに制止していた。

ほっと息を吐く間もなく、背後から急速接近してくる般若に意識を向ける。

 

速いッ、が、見失うほどの速度ではない。

十分に目で追い付けられ、かつ反応できる!

 

両手から繰り出される怒濤の鉤爪を武骨な刀一本で受け止め、時には躱し、時には隙を突いて反撃に打って出る。

奴の一撃は俺に当たらず、さりとて俺の攻撃も当たらない。

 

 

「ぜあッ!」

 

「ふ、はぁッ!」

 

 

空気を切り裂く音と互いの息遣いだけが響く。

 

クソ、原作キャラと実力が伯仲なのは喜ばしいことなんだが、今この瞬間においては全然嬉しくない。

もう一歩で届きそうなのに、それが全然届かない。

逆にヒヤリとする場面も多々あるため、非常に歯痒い。

 

しかも、標的の廃倉庫の方から銃声が聞こえた気がしたのだ。

空耳じゃなければ、おそらく戦闘が始まったということだ。

手筈では俺が先陣を切って突入することになっていたため、俺が向こうに行っていないのに戦闘が始まったということは、つまり不測の事態における戦闘が起きた可能性が高い。

すなわち、ここで俺が時間を掛けるわけにもいかないのだ。

 

だが、一気に攻勢に出れば此方も無傷とはいかなくなるだろう。

 

どうする、どうする?

このまま均衡を崩せるチャンスを窺い待つか?

 

……はッ、呆けたことを抜かすな。

無傷で原作キャラから勝利を掴み取ろうなんざ虫が良すぎるだろうが。

雷十太ごときを相手取った時ですら、その実辛勝だったじゃねぇか。

覚悟を決めた敵を相手にして自らの身を慮るなど、何様のつもりか!

 

剣戟の合間、一瞬の虚を突いて俺は間合いを取る。

訝しげに此方を見遣る般若と式尉を無視し、一つ、二つと深呼吸を繰り返す。

 

弱い俺は大なり小なり代償を払わなければ原作主要キャラには勝てないんだ。

だったら、一気呵成に攻め込むしか道は切り開けない。

 

命を賭けて、成果を掴み取れ!

全身全霊をもって、勝利を奪い取れ!

 

 

「--機関、起動」

 

 

黒マントを放り投げてから構え、呟く。

 

がこん、と歯車が噛み合う音が骨に響いた。

そして幾百幾千もの歯車が回転し始め、重々しいタービンの駆動音が徐々に臓腑を震わしていく。

 

本気で勝負に出るんだ。

後先のことは考えるんじゃねぇ、今は目の前の敵だけに集中しろ。

 

 

「ッ、ぐぅ、ぁぁぁぁ……!」

 

 

必死に精神を律してこの身に襲い来る辛苦に抗う。

 

熱が骨の髄を、五臓六腑を駆け巡り、意識に靄が掛かり始めてきたのが実感できる。

それでも、機関の回転率は落とさない、否、むしろ更に上げていく。

 

やがて右腕は高熱を帯び、次第に赤へと変色していく。

 

あぁぁああ……熱い熱いアツいあツいアついあついあついいいい!

 

全身の肌が焼け爛れるんじゃないかと思うほど、暑くて、熱くて、あつすぎる。

身の回りの空気も熱せられ、呼吸する度に喉が焼け溶けそう。

靄の掛かる意識に加え、熱で空気が歪んでいるのか、それとも眼球の水分が蒸発しているのか、視界があまりにも覚束ない。

 

意味が無いのは分かっているが、少しでもあつさから逃れたくて服を破り捨てて上半身裸になる。

 

 

「な、なんだありゃあ?!」

 

「……ッ?!」

 

 

でも、まだ()()()()

こんな程度じゃ、二人を相手にしての勝率は高くない。

 

もっと、もっとだ。

己の身を顧みるな、最大限の能力を求めるんだ。

 

機関回転数……向上。

熱エネルギー……増加。

 

脳髄に響く機関の駆動音はあまりに醜悪で、まるで自分の身体が機械そのものなのではと錯覚するほど。

それに、汗をかく機能が壊れたのか、それとも既に内臓に致命的ダメージを負ったのか、身体からどんどん水分が奪われているのはきっと気のせいじゃないハズだ。

 

そして、遂には右腕に巻いていた包帯が何かの弾みで着火し、その右腕が炎に包まれた。

 

 

「--、ぁぁぁぁッ、ぁぁぁあああ……!」

 

 

右腕が、火柱へと形を変えた。

 

燃え盛る右腕は生身の肉体を(いぶ)り、空気を伝う熱は一切の水分の存在を許してくれない。

血液さえも沸騰し、蒸発するのにそう時間は掛からないだろう。

 

ふと、右腕を包む業火から、一本の赤く変色した刀が出ているのが、ボヤける視界の隅に映る。

一切の装飾を排した、外印特製の(こしらえ)の無い抜き身の剣。

ただ普通に使用するだけでは、()()()()()()()()()()()の範疇から出ない代物。

 

それが、真価を発揮する時がきた。

熱を帯び、禍々しい赤色に染まりはじめ、凶悪な様相を呈しだしたそれは、志々雄真実の愛刀からインスピレーションを受けた外印が作った、熱と炎を宿す狂剣。

 

素人が作った、刀という枠組みから超越した刀剣。

特定個人しか十全に活用できない、不出来な刀擬き。

 

 

銘を、不知火(しらぬい)

 

 

九州に端を発する、怪火(かいか)の一種。

 

水平線の彼方にて見て取れるが、何人たりとも近づき確認すること(あた)わない、冥界へ向かう霊魂と噂される灯り。

 

明治の世において正体不明とされる焔火。

 

その名を冠する刀が今、炎を纏いて産声を上げた。

 

 

 

「おおぉぉああああ!」

 

 

そして俺も吠え、叫び、喚いて――――爆ぜた。

 

面の下では驚愕の表情を浮かべているであろう般若の基へと一足飛びで肉薄し、奴の眼前で炎とともに刀を振るった。

 

膨大な熱量と炎が俺と般若の間の空間に生まれ、奴の動きを封じた。

その瞬間を突き、俺は奴に追撃――ではなく、その脇を駆け抜けた。

 

 

目標は、式尉。

 

 

「がああぁぁ!」

 

「ぬッ、ぅおお!」

 

 

熱い熱い熱い熱い熱い熱い!

何も考えられなくなる。

早く切らなければ脳が焼ける、身が焦げる。

 

はやくコイツらを殺して機関を切らなければ!

 

炎を纏った刀を振り下ろし、式尉が必死になって避ける。

一撃、二撃、三撃と尽く避けられるが、その度ごとに奴の身体に裂傷と火傷を刻み付けていく。

 

そして、刀を上に振りかぶり、意識をそっちに奪った瞬間--

 

「……なッ?!」

 

 

奴の鉄球から千切り取った鎖を左手で展開し、奴の足に絡ませた。

拘束は至って粗雑、なれど一瞬の足止めならば十二分に叶う。

 

これで(しめ)ェだ!

 

爆音を奏でながら振り下ろした刀はしかし、咄嗟に割り込んできた般若によって防がれた!

極大の金属音が響き、衝撃をまともに受けた般若の足元は陥没した。

 

 

「ぐ、ッうぅ……」

 

「邪魔をッ……するなぁ!」

 

 

均衡をすぐに崩すため、さらに機関の回転率を上げ、熱量を増大させて炎を巻き上げる。

危機を直観したのか、般若が片方の鉤爪で俺の刀を防ぎ、もう片方の鉤爪で俺の胸部と腹部、あるいは脚を連続して斬り付けてくる。

肉を裂かれ、血を撒き散らせれ、その舞った血が炎によって一瞬で蒸発するも、その尽くを無視する。

 

己の身を顧みるな、ここで終わらせる!

 

やがて向上した腕力を確認した俺は無理矢理鉤爪の防壁を叩き割り、返す刀で般若の身体を斬り上げた。

 

くそ、浅い!

今の一撃は咄嗟に身を逸らして躱され、お面を叩き上げただけに終わった。

 

 

「がああ!」

 

 

だが、ここで攻勢を緩めなどはしない。

体勢を崩して後ろに数歩よろめく般若に追撃を掛ける。

 

屋根瓦を陥没させて吶喊し、空気を貫く蹴足を般若の腹部に叩き込んだ。

奴の身体の後ろで空気が円形状に震えたのが確かに見え、次いで後方に奴が飛んでいく。

 

それを見届けることなく、俺は即座に刀を返しながら跳躍し、眼下にある般若の身体に照準を合わせ、落下--刀で貫いた。

 

ぐしゃりと、肉を抉りその肉と血を焼く音が聞こえた。

 

 

「がッ、はあぁ……!」

 

 

炎を纏う刀を肩に突き刺し、屋根瓦に縫い付けたのだ。

 

これで……()()()!残り()()

 

そんな算段を着けた直後、背後から腰に衝撃を受け、何かと確認するまでもなく式尉によるタックルだと判断した俺は、膝、肘を思いっきり奴の身体に打ち付け、その拘束を弛ませる。

 

この近接距離じゃあ刀は却って不便――ならば!

 

 

「あぁぁああ!」

 

「お、らああ!」

 

 

正面に見据えた奴の頭突きを受けて立ち、その頭蓋にヘッドバッドをぶちかます。

 

ごがん、とどちらかの頭蓋が割れる音が聞こえたが、互いにお構い無し。

奴の拳が俺の頬を殴り付け、ぐしゃりと異音が骨に響くと、お返しとばかりに炎を纏って威力の上がった右腕によるボディブローを叩き込む。

 

衝撃が骨を叩き割り、臓腑を貫いたことが感触で分かった。

 

 

「ぐ、ふぅっ……!」

 

 

そしてくの字に身体を曲げた式尉の頭が俺の眼前にまで降りてきた。

そこに打ち下ろしの右(チョッピング・ライト)を叩き込む!

 

炎が奴の頭を貫き、空気が悲鳴を上げるとともに頭骨もまた悲鳴を上げた。

即座に二撃目のアッパーカットを奴の顎骨に見舞い、燃え盛る拳を突き上げた。

 

たたらを踏んだ奴はやがて仰向けにどっと倒れ、その無防備な胸部に

 

 

「がああぁぁ!」

 

 

渾身の右拳を叩き込む!

 

拳は胸骨を叩き割り、衝撃は内臓を通して屋根へと至った。

瓦が爆散し、材木がへし折れ、轟音を響かせながら式尉と俺のいる場所を中心にクレーターが一瞬だけ生まれ――

 

数秒後、俺と式尉はもちろん、屋根全部が崩壊して倉庫内へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いっつぅ~……こりゃ乱用は厳禁だな。頻繁に使ってたら身体も燃えちまうし、なにより精神が参っちまう」

 

 

機関を止め、充分に冷却されたのを確認した後に新しい包帯を巻き直しながら、ぼやく。

 

先の戦い、舞い上がる炎によって半端じゃない熱量がこの身を襲い、皮膚はおろか骨や肉すら焼け爛れるんじゃないかと思うほど暑苦しく、息苦しかった。

それに、なんだか自分が獣になったような錯覚にも陥り、事実、とてつもない破壊衝動と暴力衝動に駆られていた。

 

外印の野郎、またとんでもない精神汚濁の装置(?)を付けやがって。

義腕は感情の振れ幅が大きくなって、喜と哀の感情が波になって身体に押し寄せて来たんだが、今回の義手は理性を吹き飛ばす獣性が波になって押し寄せて来た。

 

後先考えずに乱用していたら、いつか己を見失いそうだぜ。

 

 

「ぐ……あぁ、」

 

「ふぅ、ふぅ……が、ふッ」

 

「……」

 

 

ふと、暗闇の中に目を遣ると、呻く般若と式尉、そして白目を剥いて気を失っている癋見を見つけた。

全員崩れた天井とともに落下したようだが、何かの下敷きになっている者はいなかった。

 

痛み、流れ出る血を手で抑えながら、この中でまだ脅威に成りうる般若に近付いていく。

癋見は言うに及ばず、式尉も立つことすら儘ならない状態だ。

戦闘・行動不能で脱落と見なしていいだろう。

 

だが、状態を問うのなら俺だってかなり満身創痍だ。

身体中鉤爪による裂傷があり、脇腹は螺旋鋲によってくり抜かれ、額と頬も式尉の頭突きと拳打によってぱっくりと裂かれている。

三人を下すのに払った代償は、決して小さくなんかない。

 

 

「ぐッ、ぅぅ……はぁ、はぁ。だが、お前ら三人を返り討ちにできたんだ。十分な費用対効果だ」

 

「……俺の顔を、ッ、見て……何も言わ、んのか」

 

「あん?何か言ってほしいのか? う~ん、敢えて言うなら……そうだな、いい面構えしてんじゃねぇの?」

 

 

足元に転がるマントを拾って首に巻き、上半身を隠す。

同じく足元に転がっている大鎌を拾い、その切っ先をフラフラと立ち上がって此方を睨む般若に向ける。

 

メタ的な発言になるが、般若は確実に初見殺しの存在だ。

腕に彫られた白黒色の入れ墨により、目の錯覚を引き起こさせて腕を実際より短く見せる「伸腕の術」。

あらゆる変装をこなす為、自ら頬骨を削って唇を削ぎ落とし、瞼を取り除いた醜い顏。

 

前者は、敵からしたら般若の腕が急に伸びるように見え、いとも簡単に攻撃を喰らってしまう。

後者に至っては、般若のお面を外されたら恐怖と混乱で戸惑ってしまうだろう。

それほどまでに、般若の素顔はおぞましく、原作では化け物と原作キャラに言われる始末だからな。

 

原作の予備知識がなければ、俺は恐らく般若に勝つことは叶わなかっただろう。

今もこうして眉一つ動かすことなく評せるのだから、斯くも情報というのは偉大なのだということを改めて実感できるぜ。

 

 

「入れ墨もその顔も、生半可な覚悟じゃできねぇ。そうすべきとお前が判断し、結果そうしたんだろ?ならその意気の表れを、見た目で判断するほどの愚を犯しはしないさ」

 

「……ふッ、ふふ」

 

 

あん?

なんか鼻で笑われたぞ?

 

 

「なるほどな。だからお頭は……」

 

「笑ったと思えば次は独り言か。それで、どうする?この場でお前にはもう勝ち目はないぜ。大人しく降るのなら、一応警察だし、無下にするのも吝かではないが?」

 

「冗談。事ここに至れば、もはや撤退は許されない。我らにあるは任務完了による生還か、失敗による死か。二つに一つしかないのだ」

 

 

乾坤一擲の覚悟か。

はじめは俺を甘く見ていてそんな気もなかっただろうが、直ぐ様死を前提とした気持ちに切り替えられるのはやはり流石だ。

 

奴は早々に立ち上がり、熱せられた俺の刀を握り締め、痛みから漏れ出る苦悶の声を噛み殺しながら肩口から引き抜くと、それを俺に投げ返した。

からん、と俺の足元に抜き身の刀が転がった。

 

 

「今のお前なら命じゃなくて意識のみを刈ることもできそうだが……そいつは失礼だよな」

 

 

くそ、まるで鏡を見ているようじゃねぇか。

 

俺も宇治木も、部下全員も。

ここ横浜での戦闘の意味を重々承知している。

命を擲ってでも任務を成し遂げろ、と。

言ってしまえば死兵になれということだ。

 

死を約束された戦法。

あの世への片道切符。

 

そんな相手を目の前にすることが、こうも心苦しいとは。

 

 

「結構。俺は最後の瞬間まで、お前の命から目を離さない。お頭のため、御庭番衆の名のため、お前を殺して任務を完遂する」

 

「……重畳」

 

 

奴が徒手空拳で構える。

それに応えるように、俺も大鎌を構える。

 

手加減も、躊躇も、しない。

腕や足だけをもらい終止符を打つ、などという考えも捨てる。

確実に殺して、後顧の憂いを断つ。

観柳に対して今後どう展開が変わっていくか分からなくなるが、もう今更だし。

 

すっ、と己の目から光が消えていくのを実感する。

そして暗闇の中にはっきりと浮かぶ般若を見据えながら、じりじりと間合いを潰していく。

向こうも片腕だけで構えながら、しかし必殺の信念を瞳に乗せて此方を睨んでくる。

 

そして、互いに爆ぜた。

 

 

「きいぃぇええ!」

 

「がああぁぁッ!」

 

 

高速で接近してくる般若を一息に両断せしめんとして、大鎌を水平に大きく振りかぶる。

 

極限にまで高めた集中力は、コンマ一秒の世界を延々と引き延ばし、己が目は般若の動きをミリ単位で精確に捉えていた。

故に、奴が俺の間合いを完全に犯した瞬間を把握し、そこに全力を注ぎ込むことができた。

 

集中力は他の情報をシャットアウトする。

傷の痛みも、周りの音も、鼻を突く血の臭いも、なにもかもの情報を脳へ送らせない。

神経、意識が視覚にのみ注がれ、ただただ般若をこの一撃で屠らんとする覚悟が、これを成させた。

 

般若が一歩を踏み込んだ瞬間、俺も一歩を踏み出した。

そして全力の大鎌が轟音とともに空気を切り裂きながら、奴の頸部へと吸い込まれていく。

 

明確な殺意と、確実なタイミング。

 

故なる必殺の確信。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、衝撃とともに吹き飛んだのは俺だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

「……?」

 

 

 

そこには、赤い髪をした一人の男がいた。

そして傍らには一人の日本人男性と、奇妙な仮面を被った西洋の女人もいる。

 

三人はここ横浜で出会い、小さな騒動に巻き込まれていたのだ。

原因は、奇妙な仮面を被った西洋の女人(名をエルダーという)にある。

黒装束に同じく黒の高帽子(シルクハット)を被るこの女人は流浪の医者で、今は横浜の外国人居留地に身を置いているのだが、彼女の存在を疎ましく思った現地勢力との武力衝突が騒動の内容だ。

 

あわや天然痘がばら蒔かれ、横浜の一角が死に追いやられるほどの危機となっていたが、ここでの具体的な内容は割愛するとして、結果としてエルダー女医側に赤髪の流浪人が付き、また喧嘩の強い俥屋(人力車の運転手のこと)の青年も付いたことにより、騒動は現地勢力の壊滅によって終わった。

 

主犯の日本人医師の身柄も拘束し、翌日に俥屋の青年が神奈川県警に突き出すとのこと。

外国人居留地でのことだが、日本人の犯罪のため問題なく身柄を引き渡せるらしい。

 

さて、そんな三人が騒動も一段落したことだし、取り敢えず今晩は解散しようか、という話をしていたところ、赤髪の流浪人がただならぬ異変を察知した。

微かに聞こえた気がした銃声、しかも複数回。

心なしか音のした方の夜空が赤く燃え上がったような気がし、その後に何かの倒壊音が聞こえた。

これは銃声以降に耳に気を配っていたため、確かに聞き取れた。

 

どうかしましたカ、と片言の日本語で流浪人に様子を問う女医だが、考えに耽っている流浪人は答えない。

 

気のせいか?と自問するが、是も非も下せないと瞬時に判断し、問い掛けてきた女医と俥屋の青年に微笑みながら後の事は任せると伝え、ゆっくりと慎重に異変の中心地であろう倉庫街へと歩を進めた。

 

女医と俥屋の青年が戸惑い、どうしたのかと尋ねるが、微苦笑を浮かべながら宿に戻るよう優しく、しかし拒否を許さない堅い声音だった。

 

嫌な予感がしたのだ。

胸騒ぎがして、無意識に駆け出しそうになる足を必死に堪え、歩き出した。

 

もしあの銃声が空耳じゃなければ、もしあの夜空を照らした炎が気のせいじゃなければ、きっと先程関わっていた事件よりも大きな事件であるに違いない。

 

先程の事件とて、決して小さいものではない。

天然痘が国際港横浜にばら蒔かれたならば、その影響は人的にも絶大だし、国際的にも甚大な影響を与えただろう。

だが、もしあそこで起きているであろう騒動がそれを優に上回る代物だったら?

いや、銃声が何度も轟いたのだから、もはや騒動などという規模に収まっていないのではないだろうか。

 

それは、もはや紛争だ。

 

まだ何も分からない状況だし、当然全てが気のせいである可能性だってある。

全てが杞憂で済む事なのかもしれない。

先程の騒動で気が立っているから大袈裟に考えている、という可能性も少なくない。

そもそも流浪人が赴く必要性など皆無なのだがしかし、このとき既に彼の頭に「様子を確認しに行かない」という選択肢など無かったのだ。

 

気のせいであれば、それでいい。

杞憂であれば、溜め息一つで済む話だ。

 

だが、人の生き死にが関わる重大事である可能性が僅かながらもあるのならば、捨て置くなどということは彼にはできなかった。

 

 

 

人を斬れない刀を帯びた人斬り抜刀斎が騒動の、否、紛争の渦中へと歩いていった。

 

 

 

 

 












目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

38話 横浜激闘 其の伍


原作主人公との邂逅はもう少し先です
前話にて勘違いしてしまうような描写をしてしまい、申し訳ありませんでした
オリ主をブッ飛ばしたのは別の人です


なのですが、取り敢えず、どうぞ








 

 

 

ぐおぉぉ……いってぇ~。

 

 

 

これ折れてない?

大丈夫?頭蓋骨陥没してない?

俺の顔は普通に存在しているのか?

あまりの衝撃に目ん玉吹き飛ぶところだった。

 

防火壁を突き破り、外へと吹き飛ばされた俺はじくじくと痛む顔面を抑えてのたうっていた。

あまりの衝撃と痛みに涙が溢れ落ちそうだ……あ、今溢れ落ちた。

 

 

「ッつ~、なんだってんだ畜生……」

 

 

ふらふらと、覚束ない足取りで立ち上がると先程までいた倉庫を見遣る。

あの時、俺は確かに般若の必殺を確信した。

事実、般若はその首元に大鎌が迫っても駆ける速度を変えず、あと数センチで頸動脈に至るハズだった。

 

なのに急に横合いから側頭部に衝撃を受け、ここまでブッ飛ばされたわけなんだが、般若の仕業でないことはこの目で見て分かっている。

アイツは最後まで速度も動作も変えず、愚直に俺に突っ込んできていたからな。

式尉も癋見も動ける状態にはなっていないし、仮になっていたとしても、こんな衝撃を喰らわせる機動は取れないハズ。

 

ならばと思い付く限りの予想を脳内で挙げていくと、一つの最悪の想像が頭にこびりついた。

 

 

「……マヂかよ」

 

 

土煙がたゆたう防火壁の向こう、先程までいた倉庫から一つの影が靴音を鳴らしながら近付いてきた。

その人影を、俺は知っていた。

 

クソ、次から次へとなんだってんだ。

どんだけ俺を殺してェんだよ、観柳?!

必殺を期すのは常道だろうけど、いくらなんでもオーバーキルだろうが!

 

いや、落ち着け落ち着け。愚痴は一先ず置いておこう。

今は状況確認……は、もう済んだ。ならば次は手段の模索だ。

 

アイツを相手にするにはこの大鎌は不得手だ。

奴の超近接戦を相手に、この長リーチの大鎌は弱点にしかならない。

 

どうする?

手持ちの武器はこの大鎌だけ--いや、この義手があるか。

これならある程度の防御力を期待できるし……そうか、ならこの鎖を左手と左腕に満遍なく巻き付けて--っと、よし。

 

オーケー、即席だが防刃にはなるだろう鎖手甲ができた。

奴の超近接戦闘にも対処できるハズだ。

 

俺は大鎌を背負い、そこから延びる鎖を左腕と左手にぐるぐる巻きにした。

右手は義手だから何もしなくてもいいだろう。

これで最低限の備えができた。

 

両の拳を打ち鳴らし、前方を見据える。

 

クソったれ。

だが、まぁいい。

毒を食らわば皿まで、という諺もあるが、庭番食らわば頭領まで、だ。

この際とことんやってやんよ。

 

 

 

 

「四乃森……蒼紫ッ」

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

江戸幕府には、諜報活動を主に行わせていたお抱えの隠密集団があった。

誰にも悟られること無く、時には正道で、時には邪道な方法で城下や他藩の情報を探り、また非常事態には江戸城警護という仕事を請け負う組織。

それが庭番。

 

そして、その最後の御頭が四乃森蒼紫だ。

 

幕末以前に、たしか齢15という若年でその大任を引き継いだ天才。

幼き頃より隠密として厳しい修練を積んでいて性格は極めて冷静沈着。

拳法、武術、剣術に秀でて、しかも智も備えているため文武両道。

幕末の頃は徳川最後の将軍である慶喜に仕え、江戸を火の海にして新政府軍を返り討ちにしようとした冷酷な仕事中毒者(ワーカーホリック)である。

 

尤も、その一面からは想像出来ないが部下や身内に対しては情があつい面もあるようだが。

 

 

「頭領御自らお越しとは恐れ入る。あんたの参戦も観柳の指示か?」

 

「どうしてもお前を殺せと言われてな。だが、実際に手を出すつもりは無かった。あの三人で間に合う可能性もあると考えていた」

 

「当てがハズレて慌てて参戦したと?」

 

「いや、むしろ当たっていた」

 

「……あん?」

 

 

長身痩躯のイケメンが白マントを靡かせ、腰から小太刀を抜刀した。

 

小太刀。

 

脇差しより長く、打刀(うちがたな)より短いその刀は取り回し易く、柔軟な戦法に対応する刀であるが、間合いがどうしても短くなることから攻勢には不向きな刀だ。

どちらかと言えば、防御用の刀である。

……本来は、だけどな。

 

 

「以前から観柳邸に出入りしていたお前を見て、そして調べて強者であることは理解していた。だが、確証が持てなかった。故にあの三人で試させてもらった。そして判明した」

 

「……なにが」

 

「剣客としての強さに非ず。お前の強さは刀一本に依る剣士などとは違う。調べた事が真実だと判明したのだ。当てが当たった故、こうして俺が直々に参った」

 

 

ん、ん~。

何を言っているんだろう、このイケメンは。

俺が剣客じゃないのはその通りなのだが、俺が強者?阿呆抜かせ。

三人を返り討ちにしたのもこの義手によるものだ。

俺個人の強さなんざ、たかが知れてらぁ。

 

 

「……要するに、俺を確実に殺すために出てきたんだろう?」

 

「極論はそうだ。そして三人の仇討ちの意味もある」

 

「御苦労さんなこって。その優しさ、俺のクソ上司にも分けてやってほしいぜ」

 

 

深く、長い溜め息を吐き出し、こきりと首を鳴らして拳を構える。

 

ホント、最悪な状況で涙が出そうだ。

 

蒼紫の強さは原作トップクラス。

二回原作主人公に負けているが、その実力はほぼ同等と言っても過言じゃない。

ましてや今の俺は身体中ボロボロ。

負けるつもりは更々無ぇが、厳しくなることは火を見るより明らか。

戦法と戦術を原作知識で知っている分かなりのアドバンテージがあるから、そこをどう上手く突くかが鍵となるハズ。

 

 

「行くぞ」

 

 

風に乗って届いた一言が俺の耳朶を打ったと同時に、とん、と軽いステップで奴は動いた--直後、いきなり目の前に現れた。

 

その動きは般若と同じだが、速度が圧倒的に違う!

気を抜いたら一気に呑まれる!

 

がん、と首筋に振るわれた小太刀を鎖手甲で受け、瞬時に意識を右に遣る。

迫ってきた拳を打ち払い、再度振るわれた小太刀を頭を傾けて避ける。

 

 

「ぅ、ぉぉおお!」

 

 

息つく暇もなく、蹴足の連撃が放たれた。

 

右足による高速の下段、中段、上段、の連続した蹴りをしかし、俺はまったくの同じ挙動で相殺した。

硬質なものがぶつかり合う音と衝撃が三度奏でられ、お互い微かに体勢を崩す。

 

 

「…ッ、」

 

「っぅ~!」

 

 

その一瞬の停滞の後、直ぐ様放たれるは強烈な後ろ回し蹴り。

空気を蹴り割く轟音と共に繰り出された蹴りに向け、俺も()()()()()()蹴足を思いっきりぶちかます。

 

蹴足が互いにぶつかり、そこを中心に空気が破裂したかのような空震が発生した。

びりびりと空気を伝って臓腑に衝撃が響く。

 

直ぐ様姿勢を切り返し、左足を軸にして独楽のように半回転。

都合五度目の右足による蹴足を、今度は大上段に向けてお互いに放つ。

これもまた互いに衝突し、衝撃を辺りに撒き散らした。

 

 

「ふッ!」

 

「……ッ!」

 

 

がん、と突き出された刃を義手で防ぎ、ストレートを鎖手甲でガードする。

返す刀で振るわれる小太刀を屈んで避け、膝蹴りをクロスアームでブロック--出来たが衝撃は殺せず、後背に吹き飛ばされた。

 

がああぁぁ!重い、クソ重い!

拳も蹴足も一撃一撃が超重てぇ。

交える拳と足がその都度悲鳴を上げる。

骨の軋みがいやに頭に響く。

 

向う脛が折れそうでポーカーフェイスなんてしている余裕もない。

惜し気なく表情を歪めて痛みを堪え、地を削りながら着地する。

 

 

「……やはりお前は強い」

 

「っづぅ~……あん?」

 

「初見で俺の戦法を理解し、慌てることなく対処する。簡単なようで困難なそれをなし得るその技量。やはりお前は俺の見立て通りだ」

 

 

どうしよう。

初見じゃないなんて言えないけど、勘違いで強い奴認定されるのは堪ったもんじゃない。

まぁ訂正はしないけれど。

 

さて、今の蒼紫の言った戦法についてだが、奴の基本的戦術は拳法と小太刀を組み合わせた近接戦闘である。

防御に特化した小太刀は間合いが狭い。

だが、その間合いに相手が入るまで食い込めれば、一転して攻勢に転じられる。

しかも、その距離は拳法の間合いと等しい。

 

攻防一体の戦闘スタイルこそ、四乃森蒼紫の戦法なのだ。

 

 

「見立て、てのはなんだよ。それにさっきの、当て、てやつも」

 

「観柳邸に出入りするようになってから、お前の素性は一通り調べさせてもらった。元薩州藩士で西南戦争に参加していた狩生十徳」

 

「……へぇ」

 

「両親ともに薩摩人でありながらその髪色と肌色、調べるに易かった。特異な外見と思想から藩の中でつま弾きにされて薩摩示現流を破門。そして我流の剣を身に付けた。それでいて実力は薩摩の侍の上位に食い込むほど」

 

「……」

 

「あらゆる武器を使いこなし、政府軍兵士を血祭りにあげた。白銀色の自身を敵の返り血と己の血で赤く染め上げる姿から、敵味方から白鬼と呼ばれていたそうだな」

 

 

なにそれ初耳なんですけど。

 

俺、鬼って呼ばれてたの?

政府軍(てき)だけでなく、味方からも?

え……うわぁ、なんか……なんか釈然としないんだけど。

 

 

「そんなお前が今では政府の犬として公務に励む?戯れ言を。お前の本質は修羅、羅刹の類いだ。戦場に身を置くために、公僕となったのだろう」

 

「……はあ?」

 

「観柳に接触し、武器と資金を独自に得、警察組織内で己が手足となれる部隊を作った。その目的はただ一つ……戦いを渇望する魂の声に従っている、違うか?」

 

「はあ?」

 

「最初は落胆したものだ。戦場で敵味方から恐れられるほどの戦働きをした剛の者が、私欲に駆られて観柳に接触したのか、と。維新志士の中にはそういった者も少なからず居るため、お前もそういう類いかと思った」

 

「はぁ」

 

「だが違った。半年前の横浜での騒動、石動雷十太一派との戦闘、そしてこの五ヶ月間に及ぶ地下武装勢力との戦闘。お前は常に戦いの中に身を置いてきた」

 

「はぁ」

 

「俺も同じだ。維新の最中、俺たち御庭番衆はずっと江戸城警護に就いていた。戦乱の渦から離れた場所で、ただ生きていた。故に渇望していた。戦場を、求めていた」

 

「はぁ」

 

「あるいはお前の在り方に憧憬を抱いているのかも知れない。己の磨いた武と技を、命を懸けて振るい続けるその姿に」

 

「はぁ」

 

 

俺ずっとはぁ、しか言ってないな。

 

しかし何言ってんのコイツ、なに極大な勘違いしてくれちゃってんの?

戦いを渇望?んなもん求めてねぇよ!

好き好んで戦いを仕掛けているわけじゃねぇんだし、やらなくて済むならやりたくねぇんだよ!

 

人を戦闘狂(ウォー・モンガー)みたいに言わないでほしいんだけど。それはお前だけだ。

あと少し目をキラキラさせんじゃねぇ、お前そんなキャラじゃねぇだろ。

随分と饒舌になってるし、なに?テンション上がってんの?

変な勘違いして俺に嫉妬して殺したくなってんの?

ふざけるんじゃない!

何度でも言おう、お前そういうキャラじゃないだろうが!

 

 

「色々と言いたいこと山の如しなんだけど、訂正するにしても何にしても、悠長にしていられる時間は無いんだ。お前の胸中は……まぁ納得はできないが理解はできた。が、悪いが此方にも事情がある。俺の前に立ち塞がるってんなら、お前にも容赦はしないぜ?」

 

「異なことを。もとより俺もお前を殺しに来たのだ。お前の修羅さながらの生き様、その身でもってより鮮明に語ってみせろ。でなくば、ここがお前の墓場になるぞ」

 

 

修羅はお前が後々になるんだろうが、尽く自分と重ねるんじゃねぇ。

 

蒼紫が構え、内心で舌打ちを何回もしてから俺もマントを再度捨てて両の拳を構える。

左足を前にし、右足を後ろに。

拳を軽く開いた状態にして、それを顎の前にもってくる。

踵を浮かせ、膝を軽く曲げて全身がバネになっているイメージをし、そして瞳をそっと閉じる。

 

先程の一連の攻防は奴にとって挨拶程度だったと考えるべきだろう。

本来の奴の動きはきっともっと速い。

拳も脚も早く、そして重いハズ。

 

つまるところ、隠密御庭番衆頭目、四乃森蒼紫の実力は俺より上ということだ。

今の俺のコンディションなら尚のこと不利的状況にある。

ましてや変な勘違いをしているから、相手は下手したらいつも以上にやる気に満ちているかも知れない。

 

今の俺は満身創痍だ。

御庭番衆三人を相手に致命的な傷を負うことは無かったが、それでも身体の至る所から出血している。

今のところ戦闘・行動に支障はないが、手負いであることは大きなハンディキャップになる。

 

馬鹿正直に正面からぶつかれば、敗北は必至だろう。

 

状況は、クソだ。

絶体絶命、万事休すと言ってもいい。

 

 

 

けど、あぁ……、いいぜ。

 

 

実力は格上?敗北は必至?万事休す? ハッ、上等だよ。

最初から此処、横浜での戦いは地獄のようになると想定していたんだ。

今さら隠密御庭番衆頭領が加わったところで、地獄に変わりはしねぇんだ。

 

 

「『右翼は押されている。中央は崩れかけている。そして撤退は不可能。状況は整った。これより反撃する』てな。此処は俺の墓場じゃない、未来へ進むための橋頭堡なんだ。これしきの窮地で俺が止まると思うなよ」

 

 

つと瞼を持ち上げ、確と蒼紫を見据えて、睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

終始蒼紫が攻勢に出ているのに対し、十徳は常に防戦一方だった。

 

拳、あるいは小太刀を両の腕で防ぎ、時には躱し、時には相殺する。

常に動き回り、ヒット&アウェイで仕掛けてくる蒼紫をはっきりと捉え、致命傷だけでも避ける。

 

拳がぶつかり合えば空気が鳴動し、足がぶつかり合えば衝撃が木霊する。

その度に骨身と臓腑に鈍痛がもたらされ、歯を喰い縛って耐える。

事実、左腕と両足からは骨の軋む音が悲鳴として上がり、見てみればきっと赤く腫れ上がっていることだろう。

頑丈を誇るハズの右腕すら、時折ぐしゃりというあまり聞きたくない音が何度も聞こえてきた。

 

腕と足、どちらか折れて使い物にならなくなるのも時間の問題だった。

 

 

「ッつぅ~……くそ! お前ホント何製の身体してんだよ。硬すぎだろ」

 

「硬さで言うならお前のその右腕も同等だろう。その腕は一体何だ?小太刀を防ぐからくりは何だ?」

 

「お頭!そいつの右腕は普通じゃない!式尉の鉄球を物ともせず、炎を纏わせる異様な腕だ!油断召されるな!」

 

「……ほぉ?」

 

 

崩れた倉庫から這う這うの体で出てきた般若が、蒼紫に忠言を投げ掛けた。

その言葉を耳にした蒼紫は興味深そうに、しげしげと十徳の右腕を見遣る。

 

 

「その包帯の下には、左腕のような即席手甲ではなく正真の手甲を武装しているのか。それに、炎を纏うだと?……面白い。その奇術、どこまで通ずるか見せてみろ」

 

「……はッ。上等だよ、この戦闘狂め」

 

 

蒼紫の挑発にも取れる本心に対し、十徳は一瞬の躊躇もなく右腕の機関を起動させ、応えた。

短時間内での連続使用は、きっと心身両方に多大な負荷を掛けるだろうことは分かっていた。

いつか前触れもなく、ぷつんと糸が切れるかのように自意識が途絶え、知らないうちに獣性に身を委ねる事態になるだろうと、薄々ながらも把握していた。

 

それでも。

 

今こそを全力で生き足掻かなければ死ぬのだ。

未来を心配して今死ぬぐらいならば、己が未来を捨ててでも今を掴み取る。

 

その選択に、峻巡は無かった。

 

(きた)る破壊衝動と灼熱地獄に耐えるため、歯を噛み締め、起動---した瞬間

 

 

 

「ぐ、あ、あ、……ぁぁぁあああ!!」

 

 

 

暗闇に響いたのは、十徳の絶叫だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






突然ですが、神の座におられる我らが鮎川ノミ様よりご慈悲を頂きました


私はここに平伏し、御下賜いただいたイラストを載せ、奉ります




【挿絵表示】





目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

39話 横浜激闘 其の陸


はい、どうぞ











 

 

 

 

神経が暴走した熱によって犯され、それが焼き尽くされるような錯覚に襲われた。

それは、筆舌に尽くしがたい激痛だった。

 

視界は一瞬で暗転し、五感の全てが断絶され、倒れ込んだ。

平衡感覚は疾うに狂い、自分がどんな体勢をしているのかも杳として知れず。

身体の内側からもたらされる激痛と高熱が身を蝕み、もはや何かを考えるという行為すらできない程に辛かった。

 

当然、十徳の突然の奇声に蒼紫は驚くが、直ぐ様好機と見て攻勢に出た。

踞る十徳の顔面に蹴足を叩き込み、次いで晒された腹部に正拳突きを連続して放つ。

 

 

「がッ……!」

 

 

血と胃の内容物を吐き出し、苦悶に顔を歪めながら地を二転、三転と転がっていく。

やがてうつ伏せに倒れた状態で止まった十徳を見据え、蒼紫が口を開いた。

 

 

「無様だな。何が起きたのかは知らんが、自爆とは醜悪極まりない」

 

「……ぁ、…がはッ、ごほッ……ぐぁ、ぁぁ!」

 

 

十徳は答えない、答えられない。

機関を止めても身体を犯す痛みと熱は露ほども引かない。

辛うじて堪えていた吐瀉物も、先の蒼紫の猛攻により血と一緒に吐き出してしまった。

それを皮切りに、身体に震えが生じた。

身体は燃えるように熱いのに、何故か背筋が凍えるほどに寒く感じ、それを抑えるのに必死だった。

 

その原因は当然、右腕にある。

青紫の猛攻により右腕の各所がひしゃげ、内蔵部品が損傷したことによって熱が上手く伝達できなくなったのだ。

その行き場を失った熱が十徳の身体を蝕んでいるのだ。

 

 

 

這いつくばり、身体を震わしている十徳に蒼紫が近づく。

 

 

「何をしている。起きろ、立ち上がれ。貴様はその程度ではないハズだ。慣れた窮地なのだろ、抗ってみせろ」

 

「ぁ……、ぐぅッ、」

 

 

包帯の隙間から異様な煙を噴出させ、赤黒く明滅を繰り返す右腕。

左手は地を掻き毟り、割れた爪と破けた指先から溢れる血によって土が変色する。

足も絶え間なく動かす姿は、立ち上がろうと必死になる生まれたての小鹿を連想させる。

 

見ていてあまりに痛々しい姿だった。

 

 

「……そうか、これまでか。連戦となれば流石に負担もあるか」

 

 

蒼紫が溜め息混じりに呟いた。

 

目の前の男の容態の急変は、あまりに異常だった。

おそらく原因は右腕にあるのだろうが、具体的に何が起きたのかは知り得ない。

ただひどく辛そうで、死に瀕しているのは疑いようのない事実なのだろう、ということは十分に分かった。

 

故に、小太刀を煌めかせて近づく。

 

 

「できれば万全の状態で戦いたかった。そうすれば俺も或いは……いや、これ以上は無粋か」

 

「……ふッ、ぐぅぅ!、っぅああ!」

 

「終わりだ。その首もらい受け--ッ?!」

 

 

多少の名残惜しさはあったが、仕事は仕事だ。

私欲は滅して果たさなければならない。

そう改めて、小太刀を振り上げた瞬間、急に十徳が地を蹴り猛襲を仕掛けた。

 

 

「ガアアア!」

 

 

腹部への渾身のタックル。

そしてそのまま押し倒そうと足払いを喰らわす。

 

咄嗟の事に一瞬だけ反応が遅れた蒼紫は、勢いの飲まれて後方に身体を傾げてしまう。

 

 

(苦痛に苛むふりを?!いや、演技には感じなかった……まさか、己の深刻な容態すら攻撃のための手札にして、油断を誘ったのか!)

 

 

どこまで戦いに特化した思考をしているのだ!

 

内心で愕然とした蒼紫は、しかし卑怯などとは思わなかった。

むしろ喜ばしくすら思った。

それでこそ戦鬼だ。それでこそ修羅だ。

どんなになっても戦うことを放棄せず、食らい付くことを諦めない戦意に、心が震えていた。

 

 

(面白い!)

 

 

地に背中を打ち付けた蒼紫の上に十徳がのし掛かる。

そして勢いよく振りかぶった右拳が顔面へと叩きつれられる瞬間、頭を捻ってそれを躱す。

 

勢いそのまま拳は轟音とともに地に突き刺さり、そこを陥没させた。

びしり、と頬が掠ったのか一筋の傷ができ、そこから血が流れるが当然蒼紫は気にしない。

 

直ぐに互いの近接攻撃の応酬が始まったのだ。

 

拳を、肘を、頭突きを。

互いに避け、躱し、防ぎ、そして喰らい。

体勢的優位は十徳にあるハズなのに、それでも明らかに被弾の数は十徳の方が多い。

 

蒼紫にも被弾はあるが、冷静さはまったく失われていない。

口端から血が流れ、整った顔立ちに殴打痕が目立つが、その瞳はしっかりと十徳の挙動を捉えていた。

片や十徳は苦痛に顔を歪めながら、顔を青紫色に変えながら猛攻を続ける。

 

蒼紫の推測通り、十徳の苦痛は演技ではない。

今尚身体は高熱と激痛に晒され、気を抜くと絶叫してしまうほどだ。

しかも、近距離での連打は呼吸すら許さない。

酸素不足(チアノーゼ)で顔は見る見るうちに血色を失い、肩はちぎれそうなほどに痛く、重い。

 

酸素を求めて、呼吸したい。

手を休めて、大きく息をしたい。

 

だが、止まれば二度と再攻勢に出られない気がしてならない。

痛みと苦しみに身体を悶えさせてしまうだろう。

それに、此方の動きが止まれば蒼紫の攻勢が激化する。

 

一か八かの特攻染みた反転攻勢は、早くも裏目に出ていた。

 

やがて、十徳の攻勢に綻びを感じ取った蒼紫が両者の間に足を捩じ込み、十徳を蹴り飛ばしたことによって一連の攻防は終息を見せた。

 

ゆっくりと、余裕さえ感じるように蒼紫が立ち上がるのに対し、十徳は地に伏せたまま起き上がろうとしない。

 

かひゅ、かひゅ、ぜぇ、ぜぇと歪な呼吸音を漏らし、大きく肩で息をしている。

時折苦しげに呻く声も漏れ聞こえる。

 

ダメージは、げに深刻だった。

 

 

「先の奇襲を考えたら迂闊に近寄れんか……末恐ろしいものだ」

 

 

手負いの獣ほど仕留め難い存在はない。

とかく見境なく暴れ狂うからだ。

 

下手に手を出して手痛いしっぺ返しを喰らう愚は犯したくない。

ならば中・遠距離からの一方的な攻撃がこの場合理想なのだが、そもそのような武器を蒼紫は持っていない。

 

どうする?

多少の被害に目を瞑って一気に仕留めるか。

それとも、こちらも()()()()()()()()()()()()

数秒悩んだ末、蒼紫は後者を選んだ。

十徳の己の身を削る猛攻は、蒼紫の身体にも確かなダメージを負わせたのだ。

 

数秒、数十秒と呼吸を整え、自身の具合を感覚的に走査する。

腕、足は正常に動くし、視覚、聴覚も問題なく機能し始めた。

口や鼻から流れてた血も止まり、傷みも無視できる。

 

総じて、問題ない。

まだまだ動ける、十分に相手を殺せる。

 

およそ一分を要してそう判断した蒼紫が視線を十徳に戻したとき、その十徳はマリオネットのように、幽鬼のようにフラりと立ち上がった。

 

 

「時間を掛け過ぎたか……まぁいい。それで、その満身創痍の身体で何ができる?」

 

 

呼吸の荒さは収まらず、顔を俯かせたまま肩を上下させる十徳に対し、蒼紫が問い掛ける。

十徳は息も絶え絶えに答えた。

 

 

「痛みも、熱さも、慣れてきた……あぁ、最初はテンパったが、これぐらいなら、()()()()()に比べれば…屁のカッパだ」

 

 

苦しそうな呼吸音も数秒続くと次第に小さくなっていき、肩の動きも緩慢になってやがては鳴りを(ひそ)めた。

心肺機能の処理能力が無酸素運動によって蓄積した疲労を上回ったようだ。

 

つと、十徳の(かんばせ)が持ち上がる。

 

 

「だが、まぁ……今の俺のままじゃあ勝ち目は薄い」

 

「現状把握はできるようだな。それで?そう踏まえた上で、どう行動する?どう立ち振舞う?」

 

「うん、そうさな……」

 

 

額を流れる汗を鎖手甲で拭いながら呟く。

 

土気色だった顔色は戻り、呼吸も完全に整った。

一分ほどの猶予があったことが幸いしたのだろう、右腕による灼熱と身体中を襲った激痛にも幾分か慣れたようで、戦闘行動に支障がないと判断を下している。

 

御庭番衆三人組と戦った時に比べれば遥かにダメージ量が多いのは確かだが、それでもその堂々たる佇まいからは十二分に覇気が伝わってくる。

 

戦うことを諦めていない。

 

しかして、その表情は---

 

 

「どう考えても俺一人で庭番共(お前ら)を刈る方法が思い付かん。だから、方法を変えるまでよ」

 

「……ほう?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一緒に前門へ行こうじゃねぇか。虎が使えりゃ、狼への勝ち目も見えてくる」

 

 

 

 

 

 

悪童を思わせるそれだった。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「やってくれるじゃないッ……!」

 

 

苦虫を噛み潰したような顔をし、怒気の孕んだ言葉を溢す鎌足。

彼は横浜の通信拠点である倉庫に入り、その惨状を見てそう言った。

 

 

「あんたを捕らえるには大きすぎる買い物だわ……いいこと?有益な情報を吐かなかったら、いっそ殺してと懇願するほどまでに痛めつけてあげるから覚悟なさい」

 

 

そして眼前に転がる男--宇治木を睨み、大鎌を構える。

 

外での戦闘中、最後に鎌足が鎖分銅で宇治木の腹を直撃し、倉庫にブチ込んだのだ。

宇治木は既に死に体だ。

大鎌による多くの裂傷が身体中に刻み付けられ、激しい戦闘機動をしたのか肩で荒く息をしている。

幸いにも未だ四肢は無事に付いているのだが、顔にも傷が幾つかあり、厳しい戦闘をしてきたのは目に見えて分かる。

 

一方の相対する鎌足は傷らしい傷もなく、呼吸も乱れていない。

無傷の状態だ。

 

二人の様子を見れば、実力の違いは歴然だった。

宇治木も決して弱くはないが、志々雄一派最高戦力の一角に挑むには早すぎたのだ。

いや、むしろ宇治木にそれなり以上の実力があったからこそ、まだ五体満足で済んでいるのかもしれない。

 

ともあれ、それでもそんな現状に歯軋りしたのは宇治木ではなく、鎌足だった。

正面門扉を突き破って転がっていった宇治木を歩きながら追い、中をくぐって見たそれが原因だ。

 

反対に、宇治木は満身創痍にありながらも相手を小馬鹿にするような嘲笑を浮かべていた。

 

何故なら、敵の拠点の破壊に成功したのだ。

配置されていた敵兵は排除し(絞り出した情報によると他に敵がいないことも把握済み)、モールス信号機も確保は出来なかったが破壊には成功した。

数多の敵兵と罠により脱落した者も複数いるが、まだ()()には早く、動ける二人が宇治木に合流できた。

 

 

「ベータ?!大丈夫ですか?」

 

「デルタ……イプシロン。そっくりお前らに返してやる」

 

「時間を優先しましたから。お陰で早期に潰せましたが、四人が落伍しました」

 

「そうか……ならば、後は奴を残すのみか。狩生が来れば形勢は逆転できる。自決は控えろ」

 

 

そう小声で囁き、宇治木は二人の肩を借りながら立ち上がった。

得物は既に尽きているため、足元に転がっている敵の死体の傍らにあった槍を拾い上げる。

 

槍衾でも用いる罠の一つがあったのだろうか、ともあれ間合いが広い槍ならばあの大鎌に少しは対抗しうるだろう。

宇治木はそう考え、二人の肩から手を離し、槍を構えて鎌足を睨む。

 

身体の状態は最悪だが、戦意は未だ高揚。

命が潰える瞬間まではまだまだある。

二人もボロボロの身体を押して、思い思いの武器を鎌足に構えた。

 

その姿に一層渋面を深くする鎌足。

 

 

「無能な手下どもめ。数を揃えて罠も幾重に張らしたというのに、このザマとは。ホンっト腹立たしいわ」

 

 

鎌足の中で予定が大きく狂った。

 

まず、倉庫での待ち伏せが成功しなかった。

総勢三十四人による迎撃と、幾重にも張り巡らした罠が食い破られた。

たかが六人という小勢によって、である。

四人は返り討ちに出来たようだが、それでも殺せてはいない。

モールス信号機も壊され、明らかな敗北を喫してしまった。

 

そうなってしまったのが、べーたなる相手に手間取ったためだ。

 

時間稼ぎのつもりで残ったのだろうと判断したのがマズかった。

一息に片腕を切り落とし、戦意をもぎ取ってから直ぐにアジトに入り込んだ残りの奴等も駆逐する。

そう考えて一歩を踏み込もうとした瞬間、あろうことか先に攻撃を仕掛けてきたのがべーたなる奴だった。

 

出鼻を挫かれた。

刀による怒濤の斬撃、意識の外からの体術、超近接からの銃撃、目潰しなどの小技など、途切れることなく仕掛けてきたのだ。

 

まるで『攻撃こそ最大の防御なり』を体現しているかのようだった。

 

鎌足にとって宇治木の実力は、あくまでそこそこ。

本気を出せば一分も掛けずに屠れる相手のハズだったのだが、ペースを握れずに延々と守勢に回されてしまったのだ。

自分の持ち味を生かせることなく、歯痒い思いを噛み締めながら攻撃に晒されていた。

 

それは、実力に劣る宇治木が唯一勝利への道を見出だして実行した、奇襲戦法。

息継ぐ暇さえ彼我に与えない、終始自分のペースで攻撃し続ける。

 

結果、掛けたくない時間を掛けてしまった。

 

敵の実力を見誤り、その思惑にまんまと嵌まったことで、忸怩たる思いが鎌足の胸中を占めていた。

最終的には、宇治木の攻勢に乱れが生じた瞬間を鎌足が突き、形勢は一気に逆転した。

 

しかし、結局致命傷を与えるまでには至らなかったため、尚のこと腸が煮えくりかえっていた。

 

 

「雑魚が束になっても私にとって変わりはしないわよ。むしろ腹立たしさに手加減を忘れちゃうぐらいだわ」

 

「安心しろ、怪力を誇る稲刈り女郎にそんなものは期待していないさ。馬鹿力を有する者は総じて頭も筋肉だからな」

 

「その舐め腐った口、二度と開けないようにしてやろうか!おぉおどりゃああ!」

 

 

外見女性の、されど中身は男性の咆哮が響き、大鎌が半包囲する三人に振るわれた。

鬱憤を晴らすかのような烈帛の気合いが乗った一撃。

直撃はないが、その風圧が三人にぶつかり、後方に仰け反らす。

 

そして呻く三人に猛接近し、拳と足を繰り出し瞬く間に加わった二人を沈めた。

 

 

「はああッ!」

 

 

いよいよもって鎌足の攻撃の速度と威力に慣れ始めた宇治木はその拳と蹴足を躱し、即座に反撃に出る。

 

一つ、二つと高速に繰り出した穂先は唸りを上げて鎌足の顔面に迫り、しかし鎌足それを難なく躱す。

確と穂先を見据え、頬にぎりぎり当たりそうで当たらない最小限の動きで避けた。

 

そして五つ目、突き出された穂先が鎌足の頬横数センチを通りすぎた瞬間、鎌足の反撃が始まった。

 

カウンターの要領で大鎌が水平に振るわれた。

瓦礫片を巻き上げながら宇治木の胴体に吸い込まれるように迫る大鎌は、正しく死神のそれ。

ぶち当たれば上と下の半身は泣き別れを期すだろうそれを、宇治木は歯軋りして()()()()

 

槍を突き出したモーションの直後のため、身体の重心は前にある。

故に後ろに回避する余裕はないし、左右も横から来る大鎌に対して有効な回避方向ではない。

ましてや防げる手筈も無い。

 

ならばッ!

 

 

「ガアアァァ!」

 

 

前へと、避ける!

重心をそのままに、突き出した槍もそのままに鎌足へと吶喊する。

 

死中に活を求めるその一手を、しかし鎌足は嘲笑をもって迎えた。

 

 

「無駄よ!」

 

 

骨の軋む音は、宇治木の横っ腹から。

振るわれた大鎌の柄が直撃したのだ。

 

 

「が……ッは!」

 

 

宇治木の身体が宙を舞い、飛んでいく。

そこに更なる鎖分銅が襲いかかった。

 

まるで意思を持つ蛇のように動いたそれは、宇治木の首に巻き付いたのだ。

 

 

「つ~かま~えーーたッ!」

 

 

鎖により首をへし折られるほどの勢いで空中から引っ張られ、そのまま壁に叩き付けられた。

ずるりと崩れ落ちる間もなく、瞬時に移動してきた鎌足に鎖の上から首を取られ、再度壁に叩き付けられてから締め上げられる。

 

その力は凄まじく、軽々と壁に張り付かせ、そして足を地に着かせないでいた。

 

 

「手こずらせてくれちゃって……でも、これであんたたちはお終い。所詮私たちに敵う実力は持っていないのよ」

 

「ッ……げほ」

 

「さぁ、きりきり吐きなさい。あんたたちは何者?どこまで私たちを知っている?目的は?規模は?」

 

 

宇治木の顔が酸素不足で青紫色へと変わっていくが、当然鎌足はお構い無し。

問いを重ねる毎にぎりぎりと首への拘束が強まっていく。

線の細い身体からは想像だにできない怪力に蹂躙され、奥底まで見透かそうと細められる視線に突き刺され、呼吸もまともに出来ないだろうに、それでも尚宇治木は()()()()()()()

 

 

「はッ…俺の口を割らせたきゃ、その身体で懐柔するんだな。挿れる前に、焦らされりゃァ……教えてやらんでも--がッ!」

 

「舐めた口をまだ聞いてくれるのね。その余裕、いつまで保つかしら?」

 

 

首への圧力を増やしながら、空いた拳で顔面を殴打する。

血が舞い、視界がぐわんと揺れて前後不覚に陥る。

 

五回、六回と拳が打ち付けられ、再度鎌足が口を開いた。

 

 

「どう?話す気になった?それともまだ痛みが欲しいかしら?」

 

「……は、ろまんちしずむの欠片も無い女郎め。積極的な女は遊廓で間に合っ、ぐふッ」

 

「いちいち下品なことをッ……まずはその舌を抜くのが先かしら--ね!」

 

 

顔面を、胸部を、腹部を。

常人ならざる怪力によって放たれる拳は、肉を貫き骨を傷みつける。

身体に拳が突き刺さる度呻き、痛みを堪える。

脳が揺れるために強い目眩に襲われ、吐き気が込み上げてくる。

 

それでも、宇治木は嘲笑を消さない。

ニヒルに笑い、降り掛かる全てに耐えていた。

 

その様子をいよいよ怪しく感じた鎌足は、背筋にうすら寒いものを感じるようになった。

 

なぜ、余裕でいられる?

ここまで窮地に陥っていて、なぜ笑っていられる?

まだ仲間がいるのか?

いや、この状況になって尚救援に来ないのはおかしい。

それにコイツらは私たちにとっての横浜の重要度を知っている可能性が高い。

ならば戦力を小出しにする意味など無いハズだ。

つまり、仲間がいるという可能性は限りなく低い。

 

じゃあ、なぜ?

 

この男は、どこを見ている?

何を、待っている?

 

 

「……ッ?!」

 

 

ぞわり、と。

背筋に悪寒が走った鎌足は咄嗟に背後を振り返る。

 

だが、そこには何もない。

奴等の成した手下どもの死屍累々と、べーたなる者以外の崩れ落ちている奴らだけだった。

景色に変わりはない……ハズだった。

 

 

「どこを……見ている?」

 

「ッ?!」

 

 

宇治木の声に我に帰った鎌足がさっと視線を戻し、宇治木を睨み上げる。

 

 

「何かを、感じた……か?あぁ、その感覚は正しい。俺も、感じたさ」

 

「……は?」

 

「確かに、俺じゃ……お前の相手にはならなかっ、た。けど、アイツなら……」

 

「アイツ? 誰のこと? まだ他にいるって言うの?そいつはどこにいるの?!教えなさい!」

 

 

未だ背筋を這いずり回る得体の知れない悪寒が 、鎌足を急き立てる。

なにか、大きな見落としをしている気がしてならないのだ。

 

関東一円の通信拠点を襲撃した奴等が、こんなに弱いことがあるのか。

最高戦力を引っ張り出すために横浜を残したのだろう、そんな奴等がこれで終わるだろうか。

早く知らなければこの優勢が覆ってしまう、そんな漠然とした不安が鎌足を襲ったのだ。

 

冷や汗を流し、焦燥を露にする鎌足に対して宇治木は

 

 

「はッ……慌てんでも、アイツなら……もう直ぐそこに来てるさ」

 

「なんですって?」

 

「気を付けるんだな。こう言うと癪だが……アイツは、俺たちの上司は

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に凄ぇんだぜ」

 

 

 

 

 

 

 

今までにない、朗らかな笑みでもって答えた。

 

そのあまりの変質ぶりに虚を突かれた鎌足は

 

 

「なにを--」

 

 

--言っている?

 

そう言おうとしたがしかし、ついぞ言葉が口から出ることはなかった。

 

それより先に、がしゃんと何かが突き破られる音が響き、直後に身体が微かに揺れたのだ。

 

音の発生源は、眼前の男の肩直ぐ横。

 

突き破った壁から伸びる、包帯に包まれた一本の(かいな)

 

それが、自分の肩を掴んでいた。

 

 

「--は?」

 

 

驚きに身体と思考がストップした。

意味不明な事態に、鎌足の中の時間がすべて止まった。

 

壁から腕が突き出ている。

そしてその腕が、自分の肩をがっしりと掴んでいる。

いったい何の冗談だ?

こんなの怪談か寝物語の類いの話だろうに、この腕は一体なんなのだ?

 

締め上げている男の背の向こうには、誰がいるの?

 

肩を掴まれ凡そ一秒、ストップしていた思考が動き出すとそんな疑問が瞬時に脳内を駆け巡ったが、それらの答えを得るより先に腕が動き出した。

 

ぐんと力強く引っ張られ、宇治木(べーた)への拘束がすべて解かれる。

その力は自分と同等か、否、ともすれば自分以上の剛力だった。

抵抗しようと考えるより先にふわりと身体が宙に浮き、そして視界が壁一面に埋め尽くされた

 

あぁ、これはマズい、とどこか他人事のように考え、それでもコンマ数秒後に身体に襲い掛かって来るであろう衝撃を感じ取って背筋を強張(こわば)らせた直後。

 

 

先程の音を凌駕する爆音が響き、鎌足が壁を壊して外へと叩き出された。

 

 

「がッ……はぁ!」

 

 

勢いそのまま地に叩きつけられ、呼吸が止まる。

 

壁をぶち壊した肩部に激痛が走り、地に後頭部を強かに打ち付けたことで鈍痛に襲われた。

だがしかし、鎌足はそれらの痛みを感知する余裕がなかった。

止まった呼吸も、苦に感じなかった。

 

 

目に見えたものに、意識が奪われたのだ。

 

 

視界に映る、黄金色に輝く丸い月。

 

その光を直下に浴びて煌めく、白銀色の長い髪。

 

逆光となって見えないハズなのに、仄かに灯りを宿す二つの青い瞳。

 

忘れようもない、見間違えようもない一人の男。

 

たとえ顔にいくつもの打撲痕や血の跡がこびりつき、裸の上半身が多くの裂傷に犯されていても、一欠片の猜疑の念も湧かなかった。

 

 

嘗て横浜で苦戦を強いられ、されど最後には殺したハズの謎多き青年。

 

 

その姿を見て、頭の中で全てのピースが当てはまった感覚がした。

 

そして、とくんと心の水面に一つの波紋が生まれた気がした。

 

 

 

「よう……会いたかったぜ」

 

 

 

耳朶を打つその声音は、確かに以前に横浜で聞いたそれ。

 

夢でも、幻でもなく、目の前に確実にいる。

 

 

 

 

 

十徳と鎌足が、ここに再会した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

40話 横浜激闘 其の漆


皆さんの鎌足愛がすごい
さすがハーメルンや…

筆者も調子乗って完全趣味のR18を書いて遊んでました


とまれ、どうぞ







 

 

 

 

 

「よう……会いたかったぜ」

 

「あ、貴方は……!」

 

 

俺の足元で、俺を見上げる形で仰向けに倒れる鎌足が、呆然とした様子で、愕然とした様子で呟いた。

目を真ん丸にして、まるで死んだハズの人と遭遇したかのよう……って、あぁそうか。

 

正しく俺のことじゃないか。

 

たしか俺が横浜で焼かれていた場所に、外印がダミーの死体を棄てたんだ。

つまり、志々雄一派(コイツら)はその死体をもって俺の死を誤認したわけだ。

 

あ~そのカードを切るのは惜しかったなぁ。

でも、今は贅沢を言ってられないからな。

 

 

「お互いに言いたいこと、訊きたいことはあるだろうけどよ--」

 

「あッ、当たり前でしょ?!貴方どうして……いえ、それよりも……うぐっ、」

 

「落ち着け、今はそれどころじゃないんだよ」

 

 

痛みからか、呻きながら起き上がり、詰め寄ってきた鎌足を制す。

ちらと空いた穴から壁の向こう、倉庫の中を見ると、そこは正しく死屍累々の状況だった。

その穴から、壁に寄り掛かって座っている誰かの肩が覗けた。

 

 

「宇治木か?」

 

「あぁ、やっぱりお前だったか……遅れて参上とはいい御身分だな」

 

「生きてたようで何よりだ。どうなった?」

 

「目的はほぼ達成した。残るはソイツだけだ」

 

「そうか……ご苦労。じゃあそこの倉庫内の確認と、最初に居た倉庫で俺が潰した敵勢力三人全員を探し出して捕縛して来い。早急にな。倒れて休んでる奴等は叩き起こして使え。死んでても生き返らせてから使え」

 

「クソ!人使いが荒すぎるぞッ」

 

「お前らの死ぬべき時は今じゃないからな。それと、一通り終わったら不知火を持ってこい。屋敷で貰った刀のことだ。あ、あとお前の上着寄越せ。寒い」

 

「……いつか絶対殺す」

 

 

俺の指示に不穏な言葉を漏らした宇治木はノロノロと立ち上がると、行動を開始した。

ぼす、と俺の顔面にぶつけられた上着をそのまま羽織り、俺は眼前の鎌足に向けて言った。

 

 

「さて……()()や」

 

「ッ! 私の名を……どうして」

 

「俺に訊きたいことがあるんだろう?なら提案だ。()()()()()

 

「……は?」

 

 

つと目を向けた暗闇から、確かな歩調で此方に近付いてくる蒼紫を見つけた。

御庭番衆は鍛練によって総じて常人より目と耳がいいらしいが、正しくその通りのようだ。

暗闇でのアドバンテージは無いと見ていいだろう。

 

 

「あっちから近付いてくる奴がいるだろう?アイツは俺を殺そうとしてるんだが、このままじゃ俺は殺されちまう」

 

「へ、へぇ~。なら好都合じゃない。それなら今度こそ亡き者にできるわけね」

 

「あぁ、このままならな。だが、それでお前は許されるのか?襲撃者について、その首魁である俺が口もきけなくなって、それでお前はいいのか?」

 

「なッ、首魁?!」

 

「おうさ。此度の襲撃者共は全員俺の部下だ」

 

 

喫驚し、しかめっ面をする鎌足に対して俺は催促する。

 

 

「一応言っておくが、アイツは俺を殺すつもりだから、アイツと共闘して俺を潰す、てのは出来ねぇと思うぜ?十中八九俺は死ぬ」

 

「ぐ……!」

 

「もう時間が無ェぞ。ここで俺が殺られるのを見ているか、それとも一緒に鬼退治して対価として情報を得るか、どうするよ?」

 

 

これは賭けだ。

冷静に考えれば、俺じゃなくても宇治木らから十分に情報を絞れると分かるだろう。

そしてそれは、瀕死の宇治木らにとっては防ぎ様のない事態だから俺が阻止しなければならない。

そうなれば必然的に()(鎌足)(蒼紫)になる。

 

それは非常にマズい。

ただでさえ蒼紫相手に敗色濃厚なのに、その上鎌足が加わったら敗北必至だ。

 

 

「……むぅぅ」

 

 

俺という極大の情報源をみすみす見逃すのは、やはり鎌足にとって見過ごせない事態らしい。

なればこそ。

 

 

「俺は死にたくないからアイツを撃退する。だが一人じゃ無理だから、お前の力が必要なんだ。お前は情報を得るために俺を保護する。そしてその為にはアイツを撃退する必要がある。ほら、共通の敵がいて、利害も一致しているんだぜ?」

 

 

自分の命を人質にして交渉するとか、我ながらなかなか様になってきたものだ。

内心で舌を出し、しかし結局鎌足からの返事を貰うより先に蒼紫が追い付いてしまった。

 

 

「仲間がいたか……それなりの実力者のようだが、二対一に持ち込むため此処に逃げてきたのか」

 

「さてな。二対一になるかどうかは俺にも分からん」

 

 

そう答え、俺は鎖手甲を解く。

そして背負っていた大鎌を解き放ち、空気を切り裂くように振り回して、そして槍のように構えた。

後ろにいる鎌足から息を飲む音が聞こえた気がしたのは、気のせいじゃないだろう。

 

 

「それって……」

 

「お前が残した置き土産だ。それなりに使わせてもらってたんだが、後で返してやんよ」

 

 

鎌足に話をする傍ら、当の鎌足が加勢してくれない場合を考察する。

 

……ん、そうなったら本当に最悪だな。

 

だが、まぁ--

 

 

「ぜあッ!」

 

 

地を踏み抜く勢いで前足を踏み出し、大鎌を水平に振るう。

眼前の空気を薙ぎ払うようにして振るわれた大鎌はしかし、蒼紫を捉えることはなかった。

 

跳躍して躱したのだ。

此方を見下ろす形で大鎌を回避した蒼紫は、自重を利用した攻撃体勢に入る。

踵落としだ。

 

全力で振るった大鎌は当然簡単に戻って来ず、右腕を大鎌から咄嗟に離して奴の踵を受け止める。

眉をしかめたくなる音と痛みを噛み締め、空中にいる蒼紫に再度大鎌を振るう。

 

が、これもどういう原理か中空でヒラリと躱され、反撃がきた。

 

 

空気をぶち壊して振るう大鎌は一ミリたりとも蒼紫に掠らず、片や向こうの拳と足は着実に俺の身体を痛みつけていく。

小太刀も何度も頸動脈に迫り、その度に必死に避けるのだが、両首とも薄皮一枚持っていかれている。

 

これは紛れもなくマズい。

このままでは、数秒後に確実に死がもたらされるだろうと漠然と考えた。

 

つまり

 

()()()()()()()()()()()()()()()()、という事実を鮮明に映すことできた。

 

故に

 

 

「あぁもう! 分かったわよコンチクショーー!」

 

 

背後から俺の頭上を飛び越えた一つの影が、蒼紫にぶつかった。

どん、と衝突音が響くと、蒼紫は後方へと飛ばされ、しかし難なく着地する。

一方の影は俺の眼前に背中を見せる形で着地し、得物を構えた。

 

鎌足だった。

 

 

「貴方の口車に乗るのは癪だけど、今は協力してあげる!だ・け・ど!後でちゃんと話してもらうかんね!」

 

「……ッはは」

 

 

乾いた笑みがポロッと溢れ、俺は鎌足の背に内心で礼を告げた。

鎌足が動いてくれなかったら、多分ガチで死んでたから。

心臓に悪い賭けだったが、なんとか命を繋ぎ止められてよかった。

 

鎌足の横に立ち、対となる形で俺も大鎌を構えると、横から質問が来た。

 

 

「で、アイツは何者なの?貴方とはどういう関係?」

 

「隠密御庭番衆頭目、四乃森蒼紫。依頼と勘違いが重なって、俺への殺害意欲が半端ない奴だ」

 

「御庭、番衆……なるほど。かなりの実力者なのね。それにしても、貴方への殺害依頼?そんなのがあったの?」

 

「人気者だからな。僻みと妬みで殺そうと躍起になる奴がよく居るんだ」

 

 

半目で呆れたように見てきた鎌足に対し、俺は肩を竦めて返した。

 

さて、お喋りはここまでにしようや。

状況はこれで整った。

 

大鎌使いの二手なら、蒼紫相手でも引けを取らないハズ。

即興で、しかも現状戦争状態の関係の俺らが組んだところでろくな連携も取れないだろうが、一人の時よりかは断然マシだ。

 

どれほどの戦いができるのかは全然想像できないけれど、やってやろうじゃないか。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

以前十徳は、大鎌による戦法は得てして隙が大きくなる、と断じた。

小兵相手ならどうとでもなるが、戦闘の心得を持つ者相手にはその隙があまりに致命的になる、と。

 

事実、それは正しい。

 

重量武器はその質量による一撃に重きが置かれるため、二撃目三撃目との繋がりが非常に稚拙となってしまう。

躱されれば致命的だし、取り回しにも難が多い。

例え鎌足がそれを補うために鎖を使っているのだとしても、完璧に弱点を埋められたわけでは決してない。

鍛練を怠らずにしてきた十徳としても、有象無象が相手ならば鎧袖一触とできるが、戦闘の熟練者に対してはどうしてもその弱点を突かれてしまう。

さっきまで蒼紫相手に劣勢を強いられていたのもむべなるかな。

 

そもそも鎌の形状は人を斬るに適していないのだ。

故に対人武器としては不適なのである。

 

ならば、その大鎌を扱う二者が組んだとき、それはただの格好の的が増えるだけとなるのだろうか。

大きな弱点を抱えた二者はただの烏合の衆となるのだろうか。

 

その答えは十徳はもちろん、鎌足とて知らなかった。

十徳はともかく、鎌足は己以外に大鎌を扱う者を知らなかったため、そもそんな事を考えたことすらなかったのだ。

肩を並べて互いに大鎌を振るって戦う者がいるなど、想像だにしなかったのだ。

 

なればこそ、実際にそれを目の当たりにした当の二人の驚愕は、如何ばかりか。

 

片方が全身全霊で大鎌を振るい、土煙を上げながら空を切る。

屈んで躱した蒼紫は直ぐ様攻撃の体勢に入り、鎌を振るった後の隙を突こうとする。

 

が、それよりも早く残りの者が大鎌を盛大に振るう。

空気を叩き割る音を響かせながら、しかし何も捉えることは叶わず。

横に跳躍して躱した蒼紫は、二撃目を振るった者に対して攻勢に出るが、拳と小太刀の間合いまであと一歩というところで、最初の者が背後から大鎌を振るった。

 

 

「……ちッ」

 

 

蒼紫の整った涼しげな顔が曇り始めてきた。

 

大鎌による細やかな波状攻撃にイラついているのだ。

一人一人の隙を互いにカバーし合い、しかも不利点だった長いリーチがここにきて意味を成してきた。

大鎌の間合いを潰して急接近しようにも、そのあと一歩が遠い。

あと一歩で届くのに、その瞬間には別の攻撃に晒され、狙った相手は難なく間合いを取る。

 

一人だけなら与し易い相手だった。

だが二人になった途端、突如として強敵に変貌したのだ。

 

当人らは自覚が無いかもしれないが、何気に息の合った連携をしているのだから尚質が悪い。

 

 

「あっはははは!面白いわね!大鎌(これ)ってこんな使い方があったなんて知らなかったわ!大鎌は二つで一つだったのね!」

 

「笑ってねぇで集中しろ!気ぃ抜いたら懐に入り込まれんぞ!」

 

「そうなる前に貴方が防いでくれるじゃない、あはははは!」

 

 

興奮度が右肩上がりの鎌足は顔を上気させ、哄笑しながら大鎌を振るい続ける。

その合間合間を縫うようにして、十徳も大鎌を振り回す。

 

互いの大鎌が奏でる轟音は凄まじく、何棟もの倉庫の壁に幾つもの亀裂を作り出し、所によっては崩壊せしめていた。

舞い狂う鎖分銅が、或いは鎌が突き刺さった地は例外なく陥没し、まるで爆撃を受けたかのような有り様だった。

 

 

「誰かと一緒に戦うことがこんなにも気持ちいいことだなんて!ねぇ貴方、これが終わったら私たちの所に来ないかしら?!私と組みなさいよ」

 

「生憎テロリスト共と仲良くする気は更々無ぇんだ。この共闘も利害の一致による一時的なものだ、勘違いすんな!」

 

 

互いに大鎌を振るいながら、その轟音に負けないよう声を張って叫び合う。

その様はまるで信頼し合っているコンビのようで、実際二人の連携の取れた攻撃によって蒼紫は防戦一方なのだから、敵対する人同士が、しかもその場凌ぎとして組んだとは到底思えないほどだ。

 

その連携は緻密にして大胆。

その攻勢は怒濤にして流麗。

 

避けられている蒼紫の運動能力と動体視力が異常なだけで、並みの強者でも容易く蹂躙せしむるほどに苛烈な攻撃の嵐だった。

 

だが

 

 

(嘘だろおい……!)

 

 

十徳の心中には次第に焦りが生まれていた。

一見して攻勢一方の二人が優勢のようだが、十徳に余裕は欠片も無かった。

蒼紫が攻撃に慣れ始めているように感じているからだ。

 

 

(一体どんな補正値が掛かってやがる!)

 

 

蒼紫の出鱈目ぶりな戦闘センスに心中で悪態を吐きながら、十徳はこのまま押し続けることの不毛さを感じ取った。

 

この勢いを削がれ、守勢に回されれば最悪だ。

二人で強者の意味を成す、ということは片方どちらかが欠ければ弱体化著しいということ。

十徳であれ鎌足であれ、単体で蒼紫と争うことになれば十中八九敗北は免れ得ないだろう。

 

相手が超一流であるが故に、共闘関係はある種の運命共同体になってしまっているのだ。

 

故に十徳は更なる賭けに出た。

 

徐々に覆されそうな勢いだが、ここまで押すことができているのは紛れもないチャンスなのだ。

しかも、恐らく最初で最後の好機。

 

これが覆るのを座して見守ることなど、できようハズもなかった。

 

 

「鎌足!()()!」

 

「!」

 

 

十徳の言葉足らずな指示を、しかし鎌足は瞬時に判断して予備動作に入った。

 

鎌足もこのままでは不利になると、言葉にならない漠然とした不安を徐々に感じ取っていた為に、その言葉の真意を読み取れたのだ。

阿吽の呼吸と言っても過言ではなかった。

 

十徳の、周りの倉庫の壁を薙ぎ払いながら振るわれた鎖分銅を屈んで躱した蒼紫に対し、鎌足がその足元に向けて横一閃。

地を削る勢いで薙ぎ払われた大鎌は、やはり土煙を巻き上げるだけだった。

 

そこに蒼紫の姿は既になく、咄嗟に跳躍して上空へと逃れ、鎌足を見下ろしていた---のを十徳は確と捉えて、見下ろしていた。

 

 

「?!」

 

 

十徳は辛うじて残った倉庫壁部の支柱側面に両手両足を着け、降下襲撃体勢に入っていたのだ。

 

意識から外したわけではなかった。

視界から消えても、注意深く警戒していた。

 

だが、それでも。

意識の多くは足元に襲い掛かってきた鎌鼬さながらの大鎌に向けられていたし、十徳の攻撃によって舞い散った壁材にも向けられていた。

だからだろう、飛び交っていた壁材に紛れて十徳が支柱を猿の如く身軽に飛び登っていったことに気付かなかったのは。

 

大鎌を捨て、四本足で支柱天辺辺りから身体を地と水平に寝かして眼下を睨みつける姿は、白銀の姿も相まってあまりに異様だった。

 

十徳に気が付いて頭上を振り仰いだ蒼紫は一瞬虚を突かれ、されど直ぐ様迎撃体勢に入った。

 

そこに向けて

 

 

「があああ!」

 

 

爆音とともに支柱をへし折り、蒼紫へと飛び掛かった。

地響きと土煙が巻き上がり、鎌足の視界が一瞬にして零になる。

 

 

「ッ~~」

 

 

片腕を顔の前に置き、迫り来る土煙に抗う。

その間、何かと何かがぶつかり合う音が絶え間なく聞こえたが、二人の姿は杳として分からず、その音の正体も判然しなかった。

 

やがて土煙も晴れると果たして、先程十徳が青紫に襲い掛かった場所に二つのシルエットが見えた。

 

十徳と蒼紫が互いにがっぷりと組み合い、近距離で睨み合っていたのだ。

 

 

「…ぐ」

 

「…はッ」

 

 

微かな憎々しげの顔の蒼紫と、対照的な顔の十徳。

十徳が蒼紫の小太刀を持つ右手首を締め上げ、蒼紫もまた十徳の包帯に包まれた右手首を締め上げていた。

 

斯様な近距離とあらば、普通なら蒼紫有利と誰もが断じるだろう。

だが、この距離は近すぎだ。

拳打も蹴足も満足に放つことができない。

小太刀も封じられている。

 

むろん、攻撃手段が無いのは十徳も同じハズであるのだが

 

 

「ッ…!」

 

 

僅かに目を見開く蒼紫。

 

掴み上げている十徳の腕の感触もさることながら、その腕をへし折らんばかりに力を加えているのに、一向に折れる気配がないのだ。

骨の二本や三本など容易く折れる握力でもってしても、異音を溢すだけで決して折れない、曲がらない。

小太刀による斬撃がダメならと思ったのだが、予想以上の頑丈さに目を見張った。

 

そればかりか、徐々に動いて己の胸ぐらを掴み始めたのだ。

 

痛みを感じていない?精神が肉体を凌駕している?

いや、この時折()()()()()()()()()から、痛みは確と与えられているハズ。

骨は折れていないようだが、確実に骨を折るほどの痛みは加わっているのだ。

 

だのに、この男はそれを呑み込んで、腕を動かしている!

 

 

「お前、言ったよな。俺は剣客じゃないって。あぁ、その通りだ。俺に剣の術理なんざ身に付いてねぇし、拳法のいろはもからっきしだ。お前らみてぇな武術集団を相手にするには荷が重すぎらぁ」

 

「貴様、いったい…!」

 

「けど、この距離なら武も技もへったくれもない。純粋な力がものを言う!覚えておけ、俺は剣客共(おまえら)と御行儀よくチャンバラをするつもりは毛頭無いんだ!」

 

 

十徳が吠え、ぐん、と一気に腰を落とす。

そしてそのまま思いっきり地を蹴る。

左手で蒼紫の小太刀を持つ右腕を封じたまま、右手で蒼紫を押す。

 

 

「があああ!」

 

 

蒼紫の背の向こうには、損傷激しい倉庫の壁。

それが急速に迫ってきて、やがて--

 

 

轟音が空気を震わし、埃と土煙が再度巻き上がる。

 

だが、その衝撃は一度だけではない。

 

 

 

 

二度、三度……何棟もの倉庫の壁を、蒼紫の背でぶち抜き続けたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 








ストックが切れたのでちょっと更新ストップします







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

41話 横浜激闘 其の捌






一話だけ仕上がりましたので、どうぞ








 

 

 

 

 

 

 

 

特に何か深い理由があったわけではない。

別にスキャンダルなニュースを探していたわけではないし、非日常を求めていたわけでもない。

 

ただ本当に単なる気紛れの一つで、夜の横浜を歩いていたのだ。

 

外国人居住地をぶらぶらと歩いてその外れまで差し掛かり、いい加減夜も更けてきたことだし帰ろうかなと思って踵を返そうとしたとき。

ふと、エミー・クリスタルは倉庫街の方から微かな喧騒を聞き取り、眉根をしかめた。

 

この時間帯に荷卸し、あるいは荷揚げをするなどということは聞いたことがない。

形ばかりの日本の税関も、この時間は対応外となるため埠頭から倉庫への荷物の運搬は不可能となるハズだ。

 

倉庫で誰かが夜遅くまで仕事をしている可能性もあるが、それにしてはかしましい。

仕事で奏でる騒音とは思えなかった。

 

 

「これは…何かあるわね」

 

 

皺の寄った眉は解消し、口角がつり上がるほどの笑みが顔に刻まれた。

 

非日常を求めていたわけではないが、僅かながらもその可能性がある匂いを感じたなら是も非もない。

常に胸の内を燻るジャーナリズムの精神が、その喧騒の核を見るべきだと彼女の心に囁いた。

 

むろん、その声に抗う理由など彼女には欠片も無かったわけだが。

 

早足に倉庫街へと向かう彼女の耳に更なる騒音、否、爆音が轟いた。

他にも銃声や怒声、甲高い金属音なども耳に入るようになり、非日常があるかも知れないという疑惑は、建物の倒壊音で期待へと変わり--

 

 

「……え?!」

 

 

通りの向こう、倉庫街の一角にある建物が突如爆破、炎上したのを見て確信へと変わった。

 

いったい何が!?国際港横浜で火災なんて…ッ!

 

ふと、驚愕を余所に一つ心当たり(と言うと語弊があるかもしれない)が思い浮かんだ。

 

あれはおよそ半年前のこと。

レオナ・マックスウェル商人の斬殺事件の上に引き起こされ、横浜の外国人居住地の一角を火の海に変えた、犯人も動機も何もかもが未だ不明の未解決事件。

 

そして、それに巻き込まれたZittokuという謎の多い警官。

片腕を亡くし、それでも不敵に凛と佇むその背中を思い出した。

 

 

「まさか…!」

 

 

呟きを溢し、エミーは駆け出した。

 

横浜での火災という点だけで関連付けて、あの青年がいると思うのは早計だろう。

だから、この心を急き立てる焦燥はあの青年とは関係ない。

あそこに負傷者がいたら大変だから、もしものために駆け付けているのだ。

 

それでも、全身包帯を巻いた青年の姿が脳裏から離れなかった。

 

暗闇の横浜倉庫街が明るく照らされる火災現場に、熱気が肌をチリチリと焼くほど近づく。

見上げる火柱は高くまで立ち上ぼり、巻き上がる黒煙は夜空に同化して星の粒を隠す。

 

 

「だれか…ッ、誰かいますか?!だれか--」

 

 

燃え盛る倉庫の前で大きく叫び、エミーは誰かいないか確認する。

身にまとわりつく熱気を振り払いながら、耳をつんざく炎上音に負けないよう声を張り上げる。

 

なまじ火災で身を痛め付けられ、隻腕となった人を知っているのだ。

火事の恐ろしさを知っているが故、必死になって安否を確認する。

 

 

「だ、誰か…声を出してください!誰か、助けを必要としてる人はいますかー?!」

 

 

それは、見るに堪えない人の姿を、もう二度と見たくないからか。

そんな悲劇を繰り返させたくないと思うからか。

 

ともあれ喉を潰さんばかりに叫び、目をひりひりと痛みつける煙に涙目になりながらも、彼女は走り続けた。

倉庫の回りを駆け、外壁が瓦解して中が覗けそうな場所に来れば息を止めて覗き込む。

 

無論、猛り狂う炎によって中を確認することはできない。

諦めて別の位置を探そうと、再度声を張り上げながら走ろうとしたとき。

 

がしゃん、と覗ける穴の横から何かが突き破って出てきた。

エミーの横を通ったそれは後方に飛んでいき、地に落ちて転がると、やがて勢いを無くして静止した。

 

 

「…え」

 

 

()()を見て、エミーは呆然と呟いた。

 

見覚えのある()()は、ちょうど人の頭ほどの大きさをしていて。

見覚えのある()()は、頭髪のような大量の白い糸を絡めていて。

見覚えのある()()は、目や耳や口などと同じ形をしたものを付けていて。

 

 

見覚えのある()()は、いつか見た白銀の青年の顔そのものだった。

 

 

 

それを理解して、初めて絶叫した。

 

 

 

このとき、エミー・クリスタルは気が付かなかった。

 

自らの叫び声よって、掻き消していたのだ。

 

 

 

燃え盛る倉庫の中から出てきた、狂人の哄笑を。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ぐッ、あああぁ!」

 

「かはッ……!」

 

 

暗闇の倉庫の中、俺と蒼紫の苦悶の声が響く。

 

何棟目かの倉庫の壁をぶち抜いたとき、その衝撃で蒼紫の右手を離してしまった。

その瞬間を突いて、奴は俺の肩部に小太刀を突き刺しやがったのだ。

 

おかげで俺の足は止まってしまい、右腕も微かに離れた。

直ぐ様歯を食い縛ってヘッドバットをぶちかまし、拳を握り締めて渾身の右フックを奴の頬骨に叩き込んだのだが、それ以上の追撃は出来なかった。

 

互いに覚束ない足取りでフラフラとすると、俺は片膝を着き、奴は鉄骨の支柱にもたれ掛かった。

 

クソったれめ。

なんなんだよ、あのバランス感覚は!

倒れる兆しなんて無かったし、拳や肘、膝で常に攻撃を仕掛けてきやがって!

挙げ句の果てには骨に届くまで小太刀を突き刺しやがって!!

 

 

「げほッ、がはッ…!」

 

 

肩から小太刀を引き抜き、呻いていると、蒼紫も苦しげに噎せていた。

どうやら多少はダメージを与えれたらしい。

 

はッ、ざまぁ!

痛快だぜ、イケメンが苦しげに顔を歪ませ……てもイケメンはイケメンでしたなにこれ全然痛快じゃない。

 

 

「ッはぁ、はぁ。どうでい、少しは効いたかよ」

 

「……あぁ、こんなに痛手を負ったのは久しぶりだ。お前との戦いは、色んな意味で新鮮味に溢れている」

 

 

どこの食レポだよ。

嬉々として言いやがって。

 

俺は奴から奪った小太刀をくるりと掌で返し、逆手で握る。

今の奴は徒手空拳、片や俺には小太刀がある。

チャンスはまだ続いている。

この期を逃すハズなど毛頭ない。

 

そう意気込み、皮肉の一つでもぶつけてやろうかと口を開こうとしたが。

 

 

「……あ?」

 

 

ふと、微かに多勢の足音と、何か重い物を牽引する音が耳に入った。

その音はどうやらこの倉庫に近付いているようだった。

 

鎌足か?

いや、宇治木の言からすると横浜の志々雄一派勢力はほぼ排除できたハズだ。

手勢をこの瞬間まで別の場所に残置させておく理由はないから、その線はほぼ無いと考えていい。

鎌足ではないとすると、別勢力か?

 

……ふッざけんな!

志々雄一派のならず御庭番衆すら相手取ってるんだぞ?!

これ以上の戦線拡大とか鬼畜にも程があるだろう!

 

しかも何故よりにもよって皆一様に横浜にッ……横浜に…

 

そう考えたとき、つと一つの可能性が頭を(よぎ)った。

 

何故庭番共(コイツら)はわざわざ人目のつきそうな横浜で俺を殺そうとした?

隠密のプロフェッショナルであるコイツらなら、そんな選択肢は最初から除外するハズ。

 

なのに、なぜ?

横浜での暗殺は、もしかしてコイツらの本意ではない?

だとしたら、この足音は…!

 

 

「蒼紫、お前ら……まさか」

 

 

観柳の指示で、横浜で俺を殺そうとしたんじゃないだろうな。

そう詰問しようと口を開いたが、それより先に門扉が勢いよく開いた。

騒音と共に現れたのは、如何にも破落戸(ゴロツキ)といった風の男ども十数人。

 

そんな輩どもが倉庫に雪崩れ込んで来たのだ。

しかも奴等の先頭には、気のせいじゃなければ非常に忌々しい物まであった。

 

 

「よ~。随分といい感じにボロボロになってんじゃねぇか、四乃森蒼紫に狩生十徳」

 

 

スキンヘッドの男が下卑た笑みを浮かべながら言った。

 

 

「貴様らは…観柳の」

 

「おうよ、俺たちがここに来たのは……まぁ言わんでも分かるよなぁ?」

 

「ッ…!」

 

 

やっぱりか。

観柳が横浜に限定させた理由がよく分かったぜ。

此処ならアイツの密輸品を貯蔵している倉庫があるから、人さえ集められれば簡単に俺たちを殺せると踏んだんだろう。

 

俺は瞠目している蒼紫に代わり、男共に問うた。

 

 

「何故、今になって出てきた?俺たちのどちらかが潰れるのを待った方が理に敵っているだろ」

 

「ホントはそのつもりだったんだがよぉ。ちんたらと延々に戦い続けるわ、よく分からねぇ集団ともおっ(ぱじ)めるわで、もう待てなくなったんだよ。これ以上待ってたら期を逸しそうでよぉ」

 

 

よく分からない集団?

観柳は志々雄一派の存在を認知していない?それとも配下に言い伝えていない?

 

 

「…で?もう形振り構ってられないから出てきたと?」

 

「おう。()()さえあればどんな武者も剣豪もイチコロだからよ。早いとこ終わらせた方がいいと思ったったわけさ……てことでよ、早速始めんぜ」

 

 

男が指し示した()()は、俺にとって西南戦争で何度も相手してきた代物だった。

時には爆破し、時には奪取した忌々しくて憎々しいそれは、薩摩の侍を何人も屠ってきた戦場の悪魔。

 

近い将来、進化したそれは戦争の形を根底から覆す存在となる、まさに怪物。

 

回転式機関銃(ガトリング・ガン)

 

それが俺と蒼紫目掛けて、火を噴いた。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

「なん…なの、よ」

 

 

十徳と青紫によって出来上がった倉庫の穴々を見遣りながら(暗視の能力は並みの為、よく見えてはいないが)呆然と呟く鎌足。

 

どうしようか本気で悩んでいる様子だった。

殺したハズの、しかし生きていたあの青年を追うべきか、それとも逃がしたべーたなる男を探し出すべきか。

 

重要度で考えれば、選択すべきは前者だ。

自己申告のため疑わしいが、少なくとも実力はピカイチであるためそれなりの情報は握っているハズ。

であればやはり白銀の青年を捕らえるべきなのだ。

 

理屈でもそうだし、感情的にも是だった。

 

殺し損ねた相手であり、己を組伏せた男。

素性も、実力も、何一つとして不明な謎解き青年。

 

地獄の辛苦の果てに死なせてしまったと思い込んでいた人が、生きていたのだ。

夢でも霊でも幻でもなく、確かに己が身を地に叩き伏したのだ。

 

ここで見失えば、大きな失態だ。

組織としてあるまじきことであり、また個人としても逃がすことは出来ない。

 

上手く言葉には出来ないが、しっかりと首根っこを押さえ付けておかないといけない気がしてならないのだ。

 

 

「なら、この穴を行くしかないわね」

 

 

そう呟き、自らの大鎌と()()大鎌を背負う。

 

そして延々と続く暗闇に入り込もうとしたとき、鼓膜を震わす連続的な銃声が轟いた。

 

その轟音に一瞬身を震わせるが、音が暗闇の穴の向こうから響いているのを理解すると、眉に皺を寄せた。

 

 

「これって、回転式機関銃(ガトリング・ガン)?誰が、何に?」

 

 

いったい横浜で何が起きているというのか。

 

金をちらつかせたり力を行使したりして殆どの人間を倉庫街から追い払い、襲撃者を待ち構えていた。

だからこの倉庫街は無人の地となっているハズで、回転式機関銃(ガトリング・ガン)が使用されるハズもない(有人の地であっても普通は使われないが)。

ましてやそんな物を配置した覚えもない。

 

考えられるとしたら、先程白銀の青年と共闘した相手、隠密御庭番衆か。

 

その存在は知識として頭に入っている。

庭番は幕府の解体とともに消されたハズだが、生き残りがいたということか。

そして現状争っている青年に対して回転式機関銃(ガトリング・ガン)を持ち出した、ということか。

 

 

「筋は通る、か。でも何かしっくりとこないわね……え?」

 

 

ただ謎の襲撃者を捕縛するだけの任務だったハズが、どうやら少し事情が込み入ってきたようだ。

そう考え、大穴を潜ろうとしたら、銃声に紛れて微かに誰かが駆ける音が聞こえた。

心なしか、叫ぶ声も。

その音は同じく大穴の向こうから聞こえていて、気のせいか次第に大きくなってきて--

 

 

「……ぉぉぉぉおおおおお!」

 

「え?え?え?なになになに?!」

 

 

それは、紛れもなく白銀の青年だった。

 

脇目も振らず、壁を突き破って襲ってくる弾雨から逃れるため、必死に両腕両足を動かし、作った道を戻ってきているのだ。

 

 

「ちょッ、きゃあ!」

 

 

そして、大穴の前でテンパっていた鎌足を拐うように抱き抱え、鎌足を引きずり出したときに出来た大穴に飛び込み、転がった。

 

 

「いっつぅ~。もうッ、なんなのよ!」

 

「が、はぁ…、」

 

 

鳴り止まない銃声を背に、時折近くの壁や備品に当たる弾丸を警戒しながら、二人して背を低くして鉄柱の影に隠れる。

壁を突き破ってくる弾雨から死角になる場所に背を預け、座り込んだのだ。

 

 

「ッッ、くそ!」

 

 

拳を床に叩き付けて悪態を吐くのは十徳。

脇腹に手を当てて大きく眉をしかめた。

 

被弾したのだ。

幸い弾丸は腹の端を抉っていっただけで内臓には影響がないようだが、放っておいていいものではない。

早めに処置をしなければならないのだが…

 

 

(俺は阿呆か?!なんでッ、なんでわざわざ助けたんだ?!)

 

 

内心で激昂していたのは、被弾した理由。

回転式機関銃(ガトリング・ガン)が弾を吐き出す直前には、もう逃避のための行動に移っていた。

開けた倉庫内ではダメだ、穴に飛び込んで身を隠せる場所まで走る!

そう瞬時に判断し、踵を返して走り出した瞬間だった。

 

呆然と立ち尽くしていた蒼紫が目に入った。

 

それを見て、勝手に手が伸びて、蒼紫の腕を掴んでから駆け出した。

そのワンアクションのせいで、腹部に被弾したのだ。

 

先ほどまで、殺す敵と見ていた相手だ。

助ける道理などあるハズもなかった。

むしろ、囮にすればあの時点で回転式機関銃(ガトリング・ガン)を制圧できていた可能性すらある。

 

もはや自分でも訳が分からなかった。

 

 

「なぜ……助けた?」

 

 

三本の柱にそれぞれ鎌足、十徳、そして蒼紫が並んで座っていた。

苦しげに呻く十徳に対して蒼紫が問う。

 

 

「今そのことで絶賛苦悶中だ。なんで俺はお前を助けた?わけが分からん」

 

「…おかげで腹を撃たれたようだな」

 

「端を抉られただけだ。ヘソを増やされたわけじゃない」

 

「ちょっとちょっと。私も居るのよ、どういうことか説明しなさいよ。あれは御庭番衆のじゃないの?あと助けてくれてありがとね」

 

「あれは蒼紫(コイツ)の雇い主の物だ。どういたしまして」

 

 

鎌足の疑問と感謝の言葉に、十徳が律儀に答えた。

だが、当然その答えに納得できなかった。

 

 

「はあ?!御庭番衆が誰かに雇われてるってだけでも問い詰めたい事態に加えて、その雇い主に殺される?一体全体どういうことよ?」

 

「簡単な話だ。立身出世を果たした雇い主は、武と知に長けた手駒が目障りになったんだ。いつか自分の身を危機に晒すのでは、と危険視するようになった。だから、先手を打ったっつうわけ」

 

 

珍しい話ではない。

小心者が権力を手にすると、その権益と身の保全を考えるあまりに疑心暗鬼に陥り、親しい者までも自分の命を狙う敵に見えてしまうのだ。

 

有名な例をあげれば、ソビエト連邦のヨシフ・スターリンが代表的か。

第二次世界大戦を通じて最もソビエト人を殺したのは、敵国のドイツ軍ではなく自国の指導者だったというのだから、権力とは斯くもおぞましいものなのだ。

 

 

「で、どうするよ蒼紫」

 

 

鎌足の質問を打ち切り、蒼紫に十徳が問う。

 

 

「お前の雇い主はお前を不要と、危険と判断して抹殺に動いた。それでもお前は、嘗ての任務の遂行に殉ずるか?」

 

「…貴様との戦いは、俺個人の意思に依るところも大だ。放棄など…ッ」

 

「立派な武心だな。その在り様に敬意を表するよ…じゃあ一つ提案なんだが」

 

 

鉄製の柱に弾丸がぶつかり、甲高い金属音が断続的に響くなか、十徳が続けて言った。

 

 

「俺との戦いが済んだら、俺の所に来いよ。お前の、お前らの武と技と知、俺とともに祖国の為に使わんか?」

 

「…はあ?!」

 

「いやさ、お前観柳に裏切られて今はフリーだろ?だから勧誘してるんだが…」

 

「貴様はッ、阿呆か?命のやり取りをしている相手に、よりによって勧誘だと?」

 

 

十徳との戦闘により大小様々な傷を負っている蒼紫が訝し気に問う。

当然のリアクションだな、と十徳は内心で頷く。

 

 

「あぁ。今の警察組織(おれたち)には余裕が無いんだ。コイツら不穏な地下武装組織を根絶するには人が足りなすぎる。お前らの実力と経験は、絶対に御国の為になる」

 

「なんか~、不穏な言葉が聞こえたんですけど~?」

 

「黙ってろテロリスト」

 

 

コイツら…という下りで鎌足を親指で指し示した十徳に対して、鎌足が食って掛かるが一蹴。

 

 

「戦いの場が欲しいんだろ?ならうってつけだ。なんなら何時でも俺が相手になってやるし。認めたくはないが、俺たちが似た者同士だと言うのなら、共に居るのもいいと思うんだが?」

 

「…俺は、俺たちは、常に抱えられた者に捨てられてきた。現に今もッ……今さら国に仕える気など」

 

 

此度の観柳の件は言うに及ばず、幕末期にも一度、旧幕府に裏切られていた。

 

江戸城守護の任に就いていた彼らは当時、本気で江戸決戦をするつもりでいた。

江戸に新政府軍が入り込んできた際、江戸に火を放って混乱に陥れ、敵首級を尽く刈り取る。

守るべき江戸の民を犠牲にして(実際は避難民の救助策も有った)勝利を掴み取ろうと算段を立てていたのだ。

 

だが結局、大将軍徳川慶喜は彼らの意思とは真逆に江戸城の無血開城を実施した。

 

江戸城の開城とは、江戸にある武力の放棄を意味する。

すなわち、隠密御庭番衆の放棄も含まれる。

 

故に殺害をもって、決戦戦力の放棄を示した。

 

だが四乃森蒼紫は、処刑場に連れられ悲嘆に暮れていた同胞を救うべく、嘗ての仲間だった旧幕の者達に斬り掛かった。

 

何人かは犠牲になったが、救い出せた者もいた。

亡くなった者も皆、一様に満足そうな顔をしていたらしい。

 

“隠密御庭番衆万歳”

“お頭の道に栄光あれ”

 

その声と顔を、忘れる時はない。

 

研鑽を積み、漸く訪れた戦舞台に訪れた悲運。

裏切られ、理不尽な理由で処刑されそうになった悲劇。

此度もまた、好敵手足りうる存在を前にして訪れた裏切り。

 

必然と握る拳に力が入り--十徳の言葉で揺れ動いた。

 

 

「可笑しな話だけどさ。俺の上司は新政府に敵対した新撰組の生き残り。俺は新政府に仇為した薩軍兵士の生き残り。俺たちに混じっても、お前の経歴は別段珍しくもない」

 

「…ッ!」

 

「また日本の統治機構に仕えるのが嫌だって言うなら、考えを改めればいい。お前が、否、俺たちが仕えるのは祖国と民。俺たちの研鑽した総ては、祖国と民の負託に応えるため」

 

「……」

 

「また裏切られるかもっていう心配なら…まぁ俺も無いでは無い。使い捨てにされる可能性が十分にあるからな。でも--」

 

 

 

それでも俺は、この国の未来の為に戦い続ける。

 

 

 

蒼紫から目を離し、正面を見据えて言ったその言葉に。

微かに、十徳の両隣から息を飲む音が聞こえた。

 

 

「例え捨てられ、裏切られても、それがなんだってんだ。もしそうなったら、一人でも戦い続けるさ。一人になっても、未来を掴むために走り続けてやる。それが俺の掲げる正義だ」

 

「貴様は…」

 

 

掠れた声で呟く蒼紫が続けようとしたとき、一際大きな騒音が耳に届いた。

破壊された門扉の向こうに見える、燃え盛る倉庫の一棟。

轟音とともに弾け飛び、火だるまとなって夜の横浜倉庫街を照らしていた。

 

 

「ちょっとちょっと~今度は何?隠密の次は透波(すっぱ)でも来たの?」

 

「武田の忍集団が生き残ってる話は聞いたことねぇ。ま、なんであれ、また招かれざる客なんだろうな。多分、俺にとって…はぁぁ(クソデカため息)」

 

「…ふ」

 

「あ?蒼紫、今お前笑った?絶対笑ったよな今?!」

 

 

原作でも、そして今までの戦いの中でも常に冷静沈着でいて、表情筋が凍死しているのではと思えるほどに感情を表に出さない蒼紫が笑った?

そのことに慌てて詰問しようとする十徳を制するように、蒼紫は立ち上がって告げた。

 

 

「貴様の勧誘、確かに魅力的だ。これほどまでに争いの火の粉がポンポン舞い込んでくるなど、その運気羨ましい限りだ」

 

「欲しけりゃくれてやるよ、こんな運気。しかもまだ部下は役立たずだからよ、一人で乗り切るしかないのが現状。だから共に戦える仲間を絶賛募集中なわけ」

 

「生憎と、言った通り貴様の首を獲る任は棄てておらん。“強者の首を獲る”。それが俺の掲げる正義だからな」

 

 

背を向け、そう告げた蒼紫に残念だ、と十徳が言おうとした矢先。

だが、と続けられて言葉にはできなかった。

 

 

「だが、もし俺が負けたなら、一考してみよう。貴様といれば、絶えず戦いの中に身が置けるのだろう?」

 

「戦いの場なんざそこら中に転がってらぁ。嫌と言うほどに放り込んでやるよ」

 

「そうか、ならば--」

 

 

小太刀は無い。無手だ。

 

だが、忘れることなかれ。

隠密御庭番衆御頭は全身これ凶器。

拳法一つで剣士に伍する実力を持っているのだ。

 

その蒼紫が、拳の状態を確かめるように掌の開閉を繰り返し、続けた。

 

 

 

 

「露払いをしてこよう。それが済んで邪魔物がいなくなった時に、再度その首を狙う。貴様がそこで死ぬか、それとも返り討つか、その結果で答えを出そう」

 

 

 

そう言って、猛獣も斯くやと思うほどの身のこなしで弾丸を躱しながら、倉庫を出ていった。

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

42話 横浜激闘 其の玖




ご無沙汰してます
二ヶ月間文字通りプライベートの時間を一切作れなかった畳廿畳です

久しぶり過ぎてテイストが変わっているかもしれませんがご容赦ください


では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

祖国と民の負托に応えるため、未来を掴むために走り続ける、か……我ながら随分とデカい事を宣するものだ。

 

その気持ちに嘘は無い。

俺は十徳との約束を果たすため、その気概でいる。

利用できるものは何でも利用するし、そのためなら(おれ)は鬼にでも悪魔にでもなってやる。

 

だが所詮、俺の力では大それた事なぞ何一つ出来やしない。

 

理想を語る口なんか誰にだって付いている。

肝心なのは理想を現実にする力があるか否か、出来るか否か、その一点に限るのだ。

出来なくば、理想はただの妄想に堕落する。

石動雷十太のような愚物と同じになる。

 

そうなるつもりは無論ない。

俺の理想は、俺一人が掲げる独りよがりな夢ではないから、理想を妄想に成り下がらせるわけには決していかないのだ。

 

俺一人で事を為せないのなら、俺以外の力も使うまで。

己の弱さに卑屈になっている余裕などない。

立ちはだかる敵であろうと、関係のない路傍の石であろうと、理想に近づけるのなら喜んで頭を垂れよう。

 

 

「とは言え、まさかここまで好感触を得られるとは予想外だったわ」

 

 

正直、歯牙にも掛けられずに一蹴されると想定していた。

 

けど、思い返せば原作でも蒼紫は“最強”という二文字に固執していたんだった。

それが故に伝説の人斬り抜刀斎こと緋村剣心(しゅじんこう)に挑みかかったんだよな。

 

 

「ともかく、一難去ったということで一安心か……ん、もう一難去ったか」

 

 

蒼紫が駆け出して数秒後、連続的な銃声は変わらないが、ここへの銃撃はなくなった。

駆け出した蒼紫を見つけて標的をそっちに絞ったようだ、善也。

 

 

「! ッ~……」

 

 

少しだけ、ほんの少しだけ一息吐いて気を緩めたら、思い出したかのように突然痛みが身体中を駆け巡った。

 

痛い痛い痛い痛い。

銃弾が貫通した脇腹がクソ痛い!

癋見の螺旋鋲による傷口の近くに風穴を空けられたんだ、歯を食い縛っても声が漏れ出ちまう。

 

それでも鉄柱を支えにし、声のない呻きを上げながらなんとか立ち上がる。

 

ダメだ。気を抜くな、精神を張り詰めろ。

 

 

邪魔者(庭番)邪魔物(銃撃)もなくなったわね。これでやっと二人っきりよ、キャハ♪」

 

 

敵はまだいるのだから。

 

 

「……止めろ、あざとい」

 

 

しなを作りながらそう抜かす鎌足。

本当スゲーよ、仕草も声音も相変わらず女のそれだからちょっとクラっと来るものがある。

 

今は別の意味で頭がくらくらしているが。

 

 

「それで?俺と二人っきりになれた事がどうして嬉しいのか聞いても?」

 

「決まってるじゃな~い、そんなの--さ、ちゃっちゃと吐いて貰おうかしら」

 

 

意識の外から音もなく、大鎌の刃が俺の頭頂にてピタリと止まった。

 

力を少しでも入れれば、否、むしろ力を抜けば自重で俺の体を縦に真っ二つにしてしまえるだろう。

そんな大鎌を仰ぎ見て、次いで鎌足を見遣って考える。

 

 

後門の狼を退けることには成功したが、ほぼ無傷の前門の虎がいるのはかなりマズい。

さっきまでは蒼紫をどうにかすることしか頭に無かったから、今更になってマズい状況だと悟ってしまったのだ。

 

くそったれだが、今の奴の身体はベストコンディションだろう。

この後に控えている蒼紫戦、そして先程の正体不明の倉庫の爆発炎上事件の捜査を考えると、ここで文字通りの死力を尽くすことは避けたい。

 

身体を削るのにリスクが高いならば、取れる手段は一つ。

精神を追いやる。

揺さぶり、虚を突き、一気に制圧する。

 

俺は唾を飲み込み、口を開いた。

 

 

「あぁ、いいぜ。約束したからな。情報は公開しよう。ただ、どこからどう説明すればいいか分からないからさ、質問してくれよ。適宜答えてやっから」

 

「殊勝な心掛けね。じゃあまず、貴方たちは何者?」

 

 

俺は隠すこともせず、鎌足を見据えて答えた。

 

 

「東京警視本署麾下組織、特別捜査部隊。通称は特捜部。構成員は俺、狩生十徳を筆頭に計八名。創設理念は、お前ら地下武装組織の絶滅だ」

 

「っ?! そんな組織、聞いたこと…」

 

「ないだろうよ。大警視直々に秘密裏に創設されたものだからな。地下に潜み闇に蠢く組織をぶっ潰すため、俺たちも闇へと紛れたんだ」

 

「……そういうこと、ね。じゃあ次の質問。どこまで私たちを知っている?」

 

「どこまで、か。むしろ一つだけ分からない事があるんだ。それ以外は知っているつもりでいる。志々雄真実の決戦兵力十人の詳細についてもだよ……鎌足()()

 

「!!」

 

 

一瞬だけの、強い動揺。

肩が揺れ、腕が震え、頭上の大鎌がブレた。

 

その一瞬で、十分だった。

 

予備動作なしの、吶喊。

地を爆ぜて、鎌を掻い潜り、束を避けて鎌足に猛接近する。

 

度重なる戦闘により出来た多くの傷が激痛を生むが、歯を喰い縛って耐える。

まだ、戦闘行動に大きな支障は出ていない。

まだ、戦える。

 

そして、水月への掌底を全力で放つ!

 

だが

 

 

「…チッ!」

 

 

膝で防御された?!

五ヶ月前の戦闘の時みたいにはいかなかったか、やはり相応に警戒されていたようだ。

 

なら、と突き出していた掌でそのまま奴の膝を掴み、強引に引っ張って体勢を崩させる。

片足立ちの鎌足は此方に崩れて来、片や俺はその反動で奴の横を過ぎる。

 

そして、肩に背負っていた俺の大鎌を奪い取り、そのまま離脱。

間合いを取って一息つく。

 

 

「以前の轍は踏まないってか?ビックリしたぜ」

 

「あれ以来、体術も一通り齧ったのよ。大鎌、鎖分銅、そして拳法。この三つを掻い潜らなければ、私の身には届かないわ……いえ、それよりも。貴方、()()()()()の?」

 

 

構えて、問う鎌足に相対し、俺も大鎌を構えて答えた。

 

 

「あぁ、知ってたぜ。お前の体は男で、心は女だということを。もっと言えば、性同一性障害、或いは性別違和という疾患であるということも知っている。日本、否、世界的に見てもお前みたいなのは珍しいものじゃないぜ」

 

「……!」

 

 

驚愕に目を見張る鎌足。

その動揺は先程よりも遥かに大きく、隙だらけだった。

 

 

「その辛さも知っている…いや、そう言うと失礼か。その辛さに共感できるだけの知識はあるつもりだ、と言うべきか。知り合いにいるわけじゃないが、お前の苦しみは、それなりに理解できる」

 

 

汚い手なのは自覚している。

口先で相手の精神を揺さぶるとか、こんな姑息な手段、誰かに見せられるようなものでは決してない。

 

けど、命を奪い合う場なら綺麗事を言ってらんない。

ましてやばか正直に鎌足と正面からぶつかれば、不利になるのは明らかなのだから。

 

 

 

ふと、俯き、肩を震わせている鎌足を見遣る。

小刻みに大鎌も揺れ、一見またとない好機に見えるのだが。

 

 

 

どうしてか。

 

 

 

ざわざわと、その姿が異様に俺の警戒心を掻き立てていた。

 

 

 

鎌足の髪が微かにと動いているように見え。

 

 

僅かに聞こえる吐息は荒く。

 

 

鎌を持つ手は鬱血するほどに力強く。

 

 

 

 

やがて持ち上がった顔は

 

 

 

 

 

 

 

 

憤怒の形相に彩られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「うふ、うふふ。うふわはあはあはははは!」

 

 

その哄笑は臓腑の底から悪寒を走らせ、背筋を貫き、身を硬直させる。

その瞳は奥歯を噛み鳴らさせ、肩を震わせ、身を掻き抱かさせる。

 

本能的に畏怖を覚えさせ、嫌悪を掻き立てさせる、白黒逆転した目を持つ狂人。

獲物の怖がる様子、人を斬る感触を好む快楽殺人鬼。

 

鵜堂刃衛。

 

 

 

その男の笑いが止むと、一人の女性を見据える。

 

 

「うそ…でしょ、Zittoku」

 

 

狩生十徳と同じ顔をした頭部を見つめ、呟くエミー。

茫然として、座り込んでいた。

 

首の切断面からおびただしい量の血を流し、光のない瞳がただ地面を見詰めていた。

 

 

「あんな飄々としてた、アンタが…殺しても死にそうになかった、アンタが…冗談、でしょ?」

 

 

震える手が、支えを失った頭部にゆっくりと伸びる。

 

触れたところで、意味なんてない。

抱えたところで、意味なんてない。

 

分かっている。

だがそんな理屈も関係無しに、無意識的にエミーは十徳の頭部へと手を伸ばし、そして。

 

 

「一般人がいたとはな。それも、異人とは……うふふ、いいね」

 

 

これ見よがしに、刃衛が頭部を蹴っ飛ばした。

燃え盛る倉庫の壁をぶち破り、中へと入っていく。

 

 

「異人の斬り心地…しかと味わせてもらおうか!」

 

 

刀を振り上げ、エミーの頭頂に狙いを定める。

 

エミーはこの期に及んでも刃衛に目を向けることなく、悲壮な顔のまま、伸ばした腕をそのままに十徳の頭部があった場所を見詰めていた。

 

そして、炎の灯りによって禍々しく照らされる刀がエミーの頭へと一直線に振り下ろされた--瞬間。

 

燃え盛る倉庫の壁を突き破って出てきた、()()()()()()()()()が刃衛へと飛び掛かった。

 

 

「な……ッ!この、機巧(からくり)風情が!」

 

 

ぶつかり、組伏せようとするその身体を片手で制し、心臓へと一突き。

眉をしかめたくなる音が響き、確かに心の臓がある場所が貫かれた。

 

されど、首なき身体は止まることなく、猛然と刃衛へと掴み掛かり、その首を絞めようとする。

 

皮膚を破り、肉を裂いて臓腑を貫いた感触に、しかし刃衛は笑みを浮かべることもなく、直ぐ様己に伸びる腕の片方を掴み上げ、それを()()()()()

 

次いで、もう片腕。

 

腕が舞い、血が飛散するのもお構い無しに、両の足を両断。

一瞬にして猟奇的な死体を作り上げた。

そして、支えを失った胴をその後背から刀で貫き、地に縫い付けた。

 

胴体だけでも動きを止めないそれを一瞥し、そして炎上を続ける倉庫に向かって刃衛が叫ぶ。

 

 

「宿敵を模すだけでも不届き千万。それに加えて邪魔までするとは…その愚行、万死に値するぞ!人形師!」

 

 

燃え上がる炎によって奏でられる騒音に負けず劣らずの大音声が響くと、それに応えるようにして倉庫の壁が一際大きく破砕し、そして中から、人ほどの大きさの炎の塊が出てきた。

 

蠢くその炎の球体は止めどなく回転を続け、やがて音を立てて()()()()

 

火の粉が飛び散り、熱気が霧散する。

そして、その炎の球から出たのは、髑髏のマスクを被った人物。

 

外印だった。

 

 

「宿敵、か。貴様は師にかなり執着しているようだな。まったく、本当に師の周りには敵が多い……なればこそ、この師を模した戦闘用機巧には十二分に意義があるというもの」

 

 

炎の球体を破裂させる際、彼は腕を振るった。

その腕の先、指の先には極細の糸、斬鋼線がある。

 

それが今、炎の光を浴びて煌めきながら外印の回りを漂っていた。

 

 

「貴様の思惑は知らないし、知るつもりもない。何かをしたいと言うのなら、好きにすればよい。それこそ師を殺そうと動いても全然構わんさ。その時の師の心の波動を見られるのなら、私にとっても好都合だからね。ただ--起動実験には最後まで付き合ってもらうよ」

 

 

そう言って、片腕を大きく誇示するかの如く突き上げた。

すると、残った倉庫の壁がすべて吹き飛び、中から更に人影が出てきた。

 

二振りの刀をそれぞれの手で持ち、ガラスの虚ろな瞳で刃衛を見詰める狩生十徳。

それが、一、二、三四五…合計で九体、外印の後ろに佇んだ。

 

 

「ここはどうやら師にとっての死が一番近い場所。ならば、師の光り輝く心を理解するにはうってつけの場所ではないか」

 

「…」

 

「不気味の谷を乗り越え、心を入れるべき最初の人形はやはり有象無象のそれではなく、師を模したそれであるべきだとは思わないかい?」

 

 

表情は、マスクを被っているため分からない。

だが、その声音にはかなりの喜悦が含まれているのが分かるほどに、弾んでいた。

 

一方の刃衛は外印を見ていない。

現れた九体の十徳の人形を見詰め、眉に寄っていた皺が一気に無くなり、狂喜に顔を綻ばせた。

 

 

「んふ、んふふふふ!一体だけなら奴との決闘を愚弄された気分だったが、こんなにも多くの奴に構えられるとなると、なかなかどうして!気分のいいものじゃないか!」

 

「ふむ…その喜悦、我が人形に対するものではなく、人形の素となった師に対するものか。自分で言うのもなんだが、斯様な狂人に執着されるとは師も大変だな……いや、師だからこそか。正も狂も飲み干した師だからこそ、そういった輩に惹かれるのかもしれないな。無論、私も含めて、だがね」

 

 

狂人の狂態に溜め息を一つ吐き出す外印。

 

 

「御託はいい、人形師。その出来損ないの機巧共をさっさと動かしてみせろ!」

 

「血気盛んだな。だが、この際その献身に感謝しようか!」

 

 

突き上げていた腕を、外印は刃衛に向けて勢いよく振り下ろした。

すると、後背に控えていた九体の十徳人形が一斉に跳躍し、刃衛へと斬り掛かった。

 

狂気の機巧芸術家と狂気の快楽殺人鬼による戦いが、ここに始まった。

 

 

 

 

 

刃衛に向かって、傀儡(くぐつ)の十徳たちが襲いかかる。

正面から、左右から、そして上方から。

 

無機質な瞳と無感情な気配から繰り出される怒濤の斬撃。

 

その刀捌きは人形とは思えないほどに流麗で、力強い。

両の手に携える刀はなまくらとはほど遠く、十分な切れ味を誇っているため、その剣閃に触れればたちまち触れた部位が両断されるだろう。

 

空気を斬り裂く、九体の十徳がもたらす嵐のような攻勢。

 

されど、その刀が捉えるのは空気か。

 

 

「うふ、うふふふ……!」

 

 

或いは刃衛の衣服の端だけ。

 

猛速で迫る刀の数々を、しかし刃衛はそれを上回る高速で躱していく。

哄笑を上げながら、嬉々としてすべての太刀筋を見極めながら避けていく。

 

避け、躱し、時には受け流し、身体に一寸たりとも刃を掠らせない。

 

そんな怒濤の攻防がどれほど続いただろうか。

一瞬の空隙を突き、刃衛が一体の十徳の懐に入り込んだ。

 

瞬間、四つの斬撃が放たれ、その四肢を根本から斬り飛ばした。

支えを失った胴体が崩れ落ちる--直前、さらに一つの剣閃が煌めき、その首を刎ね飛ばした。

 

刎ね飛ばした四肢と舞い散る血、飛散する機巧の各種部品を無視し、刃衛は刀を振り上げて中空にある十徳の頭部を刺し貫いた。

なんとも形容しがたい音とともに頭蓋がひしゃげ、十徳の頭部が地に固定される。

 

傀儡の瞳は変わらず色を湛えることなく、呆とした視線がただ地を眺めていた。

 

自らが作り上げた惨劇を、しかし刃衛は一瞥することなく、縫い付ける刀から手を離して切り刻んだ十徳が持っていた刀を代わりにとばかりに拾い上げ、更に襲い掛かる十徳に相対し、

 

 

「うふわはははははは!」

 

 

不気味な哄笑を響かせながら刀を振るい続ける。

二体目、三体目と同様に切り刻んでいく。

 

血が舞い、四肢が飛び、部品が弾ける。

悲鳴も断末魔もなく、狂人の笑い声のみが木霊する。

 

やがて幾本もの刀の墓標が出来上がった。

無論、その墓標には例外なく十徳の頭部が貫かれているのは言うまでもない。

 

その光景は、あまりにも常軌を逸していた。

 

 

「ふむ。その技量、師に執着するだけのことはあるな。人形すべてを潰されるとは想定外だったが、まぁいいでーたを取らせてもらったと思うことにするよ」

 

「たわけめが。剣客侠客でもない貴様が操る人形など、動きが単調かつ雑把ゆえ分かりやすいのだ」

 

 

ぐさり、と九体目の十徳の頭部を貫いた刀を地面に突き刺し、刃衛が外印を見遣る。

 

 

「だが、まぁいい練習をさせてもらった。奴を此の様に切り刻み、刺し貫き、縫い付ける想定ができたのだ。今の俺はすこぶる機嫌が良い。うふ、うふふ、うふふふふ!」

 

「貴様の機嫌など知りはせん……が、やはりそうか。一体につき一本の指では操作に限界があり、かつ私が剣士の動きを熟知していない弱味も露呈するのだな。ふむ、これもまた、よい勉強になった」

 

「うふふふ。辞世の句は詠み終えたか?貴様には斯様な舞台を作ってくれた礼をしなくてはならぬからな。痛みと苦しみの果てにくる死を、くれてやろう」

 

「それは遠慮する。私にはやらねばならぬことがあるのだからな。もう十分だ。貴様とこれ以上関わるのは時間と労力の無駄でしかない故、ここらでお暇させてもらうよ」

 

 

外印の発言に、ぴくりと刃衛の眉が動いた。

 

 

「…逃げられるとでも?」

 

 

斬り飛ばした十徳の(かいな)から刀をもぎ取り、切っ先を外印に向ける。

 

この場に居合わせた以上、少しでも自らと戦った以上、途中退場など認めない。

己か相手の死によってしか、この戦いからは逃れられぬのだ。

そう言わんばかりに、眼光鋭く外印を睨みつける。

 

 

「勘違いしていたようだ。どうやら貴様の殺意は師を最上位としていても、関係ない相手にも振り撒くほどに有り余っているのか。生粋の狂人というのもむべなるかな」

 

 

肩を竦めて、首を振る外印。

 

人形が無くても外印は戦える。

戦力としても、人形が有ろうが無かろうが大差はない。

有れば有る戦いをするし、無ければ無い戦い方をするだけだから。

 

だが、ここで師に執着する狂人とこれ以上戦うのは無益だし、何より師にぶつけなければ()()()()

 

 

“宿敵”と奴は言った。

つまり、並々ならぬ感情を師に向けているということ。

それは奴の今までの人形に対する異常攻撃からも判断できるため、嘘ではないだろう。

似たような感情を師も持っているのか、或いは一方的なのか判断は付かないが、それは重要ではない。

 

要は師の()()()()()()に、空気を震わせ身を竦ませるほどのこの狂気をぶつけてくれればいい。

そうして師の心の有り様を鮮明に映し出してほしいのだ。

 

そうすれば、再び師の心を垣間見ーー!

 

 

「殺し合いの最中に考え事とは、随分と余裕だな」

 

「しまッ……!」

 

 

突如眼前に迫った刃衛。

その腕から放たれた一閃が外印の肩口を切り裂いた。

 

決して油断していたわけではない。

ただ少し、己の欲望に意識が浸かってしまったのだ。

たかが一瞬、されど一瞬。

そこを突かれた。

 

 

「…~!」

 

 

咄嗟に刃衛の頭上を飛び越え、彼の背後に着地する。

背後は炎上する倉庫だったため、逃げ場が前方にしかなかったのだ。

 

直ぐ様両腕を思いっきり振り上げた。

未だ繋がったままの人形の胴体が浮かび上がり、次いで振り下ろされた外印の腕と同じタイミングで、それらが刃衛に向かって飛んでいった。

 

だが刃衛はもはやそんな残骸に興味を抱かないのか、完全に無視して外印に肉薄してきた。

堪らず外印は後方に飛び退く。

 

その際、今なお呆然として座る西洋人女性とすれ違った。

そして思った。

 

これは使える、と。

 

この女を間に挟んで奴と対峙すれば、奴の興味と凶刃は女に向かうハズ。

その隙を突いて人形に繋がったままの斬綱線を引き戻し、攻勢に転じる。

もはや師へぶつける画策は後回しだ。

まずはこの窮地を脱する。

 

 

そう算段し、実行し、果たして狙い通りに狂人の瞳が女を貫いた。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

どうやら自分は地獄の釜を覗いてしまったらしい。

 

燃え盛る倉庫から知人の頭部が突然飛び出してきて、それが誰かに蹴られて。

突然のことに理解がまったく及ばなくて、ふと怒声と何かが切断される音が耳に届き、ゆっくりと顔を上げたら、そこには四肢を斬り飛ばされる首の無いZittokuがいたのだ。

 

 

「っ……」

 

 

あまりの凄惨な殺戮事件を目の当たりにして、私は言葉を失った。

 

この光景は果たして現実なのだろうか。

確かにZittokuは人の好奇心を刺激するくせして満足に約束を果たさず、しかも余計に好奇心を刺激させる上に無自覚に人の神経を逆撫でして。

死んでも死ななそうな奴だし、実際に爆発事故の現場に居て片腕を亡くして、火傷も負ったのにけろっとした顔で仕事をするような奴だけど。

 

それでも流石に、これは酷すぎるわよ。

 

彼はこんな酷い目に会わなければならないほど嫌な奴では、流石になかったハズだ。

 

 

「っ!!」

 

 

次いで、肩をびくりと震わす狂人の怒号が鼓膜を貫いた。

 

誰かと話しているようで、けれど私の頭は上手く回らなくて、内容はさっぱり理解できなかった。

燃え盛る建物から一人の髑髏マスクを被った者が出てきたようだけど、それすらも理解を要するのに時間が掛かってしまった。

 

けど、そんな私でもある一つの光景を目の当たりにして、脳が再起動したのを知覚した。

 

髑髏マスクの者の後ろから現れた、多数のZittoku。

虚ろな瞳をして生気を感じさせない、まるで人形のような青年たち。

豪炎を背に理路整然と並び、二本のソードを持ちながら不気味に佇む白銀の男たち。

 

直感した。

Zittokuとの付き合いは極僅かだけど、確信した。

彼らは、否、あれらはZittokuなんかじゃない。

あれらは本当に人形なのだ。

もとより十徳が複数人居ることからして可笑しな話なのだから。

 

そう思い至った瞬間に、Zittokuの人形たちと狂気のソードマンの斬り合いが始まった。

まるで多勢に無勢の趨勢のなかで、しかしソードマンは高らかに嗤いながらソードを避けていく。

 

そうして再び、狂気の体現者により地獄が具現された。

 

 

Zittokuたちの首が飛び、四肢が舞い、血が撒き散らされ。

刎ね飛ばされた頭部がソードによって貫かれ、そのまま墓標のように地に突き刺さる。

 

その数は次第に増していき、やがて九つの頭部が貫かれたソードが地表に生み出された。

 

 

「うふ、うふふ、うふわはあははははは!」

 

 

哄笑を上げる狂気を湛えた一人のソードマン。

その身の毛もよだつ笑い声と地獄の光景に悲鳴が漏れ出そうになるが、喉から声が出ることはついぞなかった。

 

 

「おっと、忘れていたよ----殺すのをね」

 

 

いつの間にか目の前に来ていた狂人が、ソードを振り上げて私を見下ろしていたのだ。

 

 

突然の事態に、頭が理解に追い付かなかった。

その凶刃を振るう狂人の笑みを、ただ呆然と見上げることしか出来なかった。

 

目の前に転がる偽物のZittokuたちの死によって感覚が麻痺していたのだろうか、自分に降りかかる死に対してとんと鈍感になっていた。

 

あぁ…ここで私は死ぬのか。

なんか、やけに現実感が無いなぁ。

故郷のお父さんとお母さんに私の死は伝わるかなぁ。

こんなことになると分かっていたら、遺書ぐらい書いといたのに。

 

心残りは…色々とあるわね。

色々とあるのに、色々とあるハズなのに、今はどうしてか、あの不思議な白銀の日本人の顔しか頭に無かった。

目の前に転がる()()なんかじゃなく、本当のあの人。

 

どんなにボロボロになっても凛と立ち続ける、おかしな警察官。

 

叶うならば、もう一度あの背を見たかった。

 

 

そして、そんな走馬灯もいよいよ終わりが近づき、頭蓋を叩き割るソードが眼前に迫る--

 

 

「--ふえッ?」

 

 

よりも先に、一陣の風が自身の前に滑り込み、甲高い音を奏でてそのソードを防いでいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「間に合ってよかったでござる」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











この連休に執筆するんじゃ~



目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

43話 横浜激闘 其の拾




難産でした
久しぶりだったからか、スゴく書き辛かった

多分に独自解釈かつ独自設定を盛り込んでいます。
読みづらいかもしれませんが、後日に追々修正しますのでご容赦ください(筆者的にまだ納得できていないので)


では、どうぞ










 

 

 

 

半壊した倉庫を震わせる轟音が一瞬の絶え間もなく響き続け、夜の横浜倉庫街の一角に喧騒をもたらす。

 

音の発生源はその半壊した倉庫の中、二人の人物が奏でていた。

 

その二人を中心にして、音が轟く度に倉庫の中に旋風が荒れ狂う。

剥き出しの補強材が共振し、そこら中に転がっている瓦礫片や建築材、果ては死体が中心地から離れるように転がっていく。

 

しかし、当の二人はその場から離れない。

 

互いに大きく振りかぶり、叩き付けるようにして繰り出した大鎌によって凄まじい衝撃波を一身に受けながらも、決して足を下がらせることはなかった。

 

もう何合、何十合と打ち合っただろう。

 

互いに決定的な一撃は見舞えておらず、一連の攻防で手傷を負った様子はどちらもない。

だが、大鎌と大鎌がぶつかり合う度、鼓膜が破れてもおかしくない金属音と全身を貫く衝撃を歯を食い縛って耐えているのだ。

確実に、見えないダメージは蓄積している。

 

だが、それは然したる問題ではなかった。

 

確かに、片方は連戦に次ぐ連戦により倒れていても不思議ではない怪我を負っているが、それは些細な問題だと考えていた。

怪我で動けなくなるのは心が弱いから。

痛みに苦しみ喘ぐのは精神が弱いから。

そう狂った考えを持つ彼は、必死に己を律して堪えていたのだ。

 

故に。

例え今までの傷から止めどなく血が流れようと。

例え各所の骨が脳髄に響く程に軋みを上げようと。

 

それは足を下がらせる理由には毛頭ならなかった。

 

だが。

 

 

「……っ!」

 

 

確実に、狩生十徳は一歩後退した。

 

ほぼ五分の腕力と技量による打ち合いを続けていたのだが、確実に十徳は()()()()()後退した。

 

弱い心を鍛え上げ、強くあろうと叩き上げてきた心でもっても、今、確かに気後れした。

 

そうなってしまうほどに、眼前の鎌足の形相が、嫌に心に響いてしまったのだ。

 

 

「あんたにはッ…言ってほしく、なかった!あんたにだけは!!言われたくなかった!!」

 

 

叫び、振るい、叩き付ける。

 

力も技量も五分ならば、蓄積するダメージも等分なはず。

なれど、鎌足の攻勢は減衰しない、否、それどころか増している気配すらある。

 

それは、十徳が気持ちで押されているから感じたものなのだろうか。

それとも事実、膨れ上がる怒りで膂力が上がっているのだろうか。

 

とまれ、理由がなんであっても力の均衡が崩れ始めている現状、このままでは危ない。

圧倒的な暴力の嵐を互いに放っているのだ。

一瞬の均衡の瓦解が命取りになる。

 

これは、窮地と言ってもいい。

 

腕一本を犠牲にする覚悟で、この窮地を脱する策を考えるべきだろう。

 

だが……

 

 

「あんたも……知った風な口を叩く輩か!!ああ?!」

 

 

その叫び声に、心が捕らわれていた。

その睨む瞳に、目が囚われていた。

 

その怒勢に、足が竦んでいた。

 

もはや反撃に転じる気は削がれてしまった。

相手を刈るという意識は頭から抜け落ち、今はただ、鎌足の攻勢を凌ぐことしかできなかった。

 

すなわち、気迫においても均衡が崩れた。

 

 

「!しまっ……!」

 

 

心技体のうち、二つが決定的に劣勢となってしまった今、鎌足の怒濤の攻勢を受け止められることは到底できなかった。

 

鉄製の柄が両断され、迫り来る大鎌をすんでのところで躱し--きれず、顔の一部を斬り裂いて。

 

鎖分銅が鳩尾に直撃した。

 

呻き声を漏らすより先に十徳の身体は吹き飛び、廃材の山に突っ込んでいった。

 

 

「私はッ、私を迫害する者には容赦しない!そして!理解者のふりをする者は絶対に許さない!!」

 

 

十徳が突っ込んでいった廃材の山に近付きながら、鎌足が憤怒を滾らせて吼えた。

 

その声は、心の底からくるものだった。

 

 

 

本条鎌足。

彼は十徳が言った通り、性同一性障害者だ。

心と身体の性別が一致せずに生まれてきた人である。

 

その障害が起こるプロセスについての説明は割愛しよう。

ただ一つ言えることは、この障害は絶望的な苦しみから一秒たりとも逃れられない地獄である、ということだ。

人は生きる一瞬一瞬において自らの性を意識しないときはなく、それが自分のあるべき性と違うというのは「死にたくなる程の苦しみ」以外のなにものでもないからだ。

 

ましてや、今は明治の世。

情報化社会の平成の世とは違い、何も知らない人たちしかいないのだ。

見た目の姿と違う言動や仕草をしたりすれば、忌避の目で見られるだろう(例えば男性が女性っぽい言葉遣いや仕草をしたりすること。無論、逆も然り)。

 

たったそれだけのことで、と決して思うなかれ。

人は、幼ければ尚一層、周りと微かに違うだけの存在を容易く排斥するのだ。

それは今も昔も、そしてこの先も変わらない現実なのだ。

 

事実、鎌足は生まれ育った村において幼い頃から虐められていた。

狐憑きと囁かれ、気味悪がられ、貶められた。

同世代の子供には石を投げられ、大人たちからは邪険にされ。

 

そして、ついには迫害された。

 

母体もろとも双子も三つ子も容赦なく殺される村だった。

故に鎌足に対しても容赦などするハズもなかった。

 

鍬や鉈、斧、鎌などを持って目を血走らせた大人たちから命からがらに逃げ出した。

自らに巣食う絶望的な苦しみを圧し殺しながら、もって生まれた類稀な身体能力でもって、泣きながら追手を躱し続けた。

 

廃仏毀釈で打ち捨てられた廃寺を根城にし、拾った大鎌で追手を何度も返り討ちにした。

 

食うもの、着るもの、飲むもの一切合切が満足に手に入らず、話し合える仲間も居ない一人ぼっちのなか、一秒毎に死にたくなる苦しみを噛み殺し、時を見計らわずにやって来る村の奴等を殺し続けた。

 

草葉を食らい、泥水を啜り、死体から服を奪い。

 

廃寺に住み着く妖狐妖怪と畏れられ、送られてきた討伐隊も何度も返り討ちにした。

 

 

「耳障りのいい甘ったるい同情の言葉を口にしてッ、思ってもない薄っぺらい励ましの言葉を口にして!お前らのその薄汚いやり口がァ、腹立たしいのよおお!」

 

 

人を恨み、世を呪い。

死にたい、けれどやっぱり死にたくなくて。

だから素直に殺されるなんてことはしてやらず、尽くを返り討ちにしてきた。

 

だけど、やはり心の片隅では望んでいたのだ。

自分の声を聞いてくれる人を。

自分が心を許せる人を。

 

故に、靡いてしまった。

伸ばされた偽りの手を握ってしまった。

 

妖怪変化の類いであれなんであれ、尋常ならざる力を有しているのならそれを活用しよう。

或いは、甘言により警戒心を解き、油断を誘ってから殺そう。

そんな策を弄する男たちを招き入れ、己の胸のうちを告白し、理解してくれた風の相手に心を許してしまった。

 

 

『私は、私はぁ…ぐす、こんな゛ごんな゛身体、望んでながっだぁ…』

 

『分からないよ…分からないよぉ!私は、なに? …なんで、女でありだいなんで、思うの?私は一体なんなの…?』

 

 

生まれてから一度も吐き出したことのない、己の本心。

見ず知らずとは言え、頷いて聞いてくれる人が、どれだけ有り難かったか。

 

彼は夜通し、泣きながら話し続けた。

滂沱の涙を流し続け、心に渦巻いていたどす黒い感情を止めどなく溢した。

 

 

『えへ、えへへ。こんなに、人と話したの、初めて、かも』

 

 

このときの鎌足の喜びは、いかばかりか。

おそらく本人には自覚もなく、また覚えてもいないだろう。

 

その時生まれて初めて、彼は笑顔を見せたのだ。

 

だが、より多くの人の死と、鎌足のより一層の排他意識が作られたのは、そのすぐ後だった。

誘い出され、真実を知り、絶望し--身一つで全員を殺した。

 

 

「私に理解者なんて要らない。私には、全てをぶち壊してくれる志々雄様がいてくれればそれでいい!策も甘言もあらゆる苦痛も、圧倒的な暴力で壊してくれる志々雄様がいてくれればそれでいい!!」

 

 

鎌足が廃材に手を突っ込み、引き上げる。

その手は胸ぐらを掴み上げていた。

 

そして、それを盛大に脳天から地に叩き付けた。

 

頚椎がへし折れる音が響いた。

 

 

「今までの奴とは違うと思ってた、期待していた!ッ、なのに……ここにきて、ここにきてぇ!その様かぁ!!」

 

 

仰向けになっている胴体にのし掛かり、顔面を連続して殴打する。

渾身の、全力の、全身全霊の力で、何度も何度も拳を叩き付ける。

 

骨が砕け、歯が折れ、血が舞う。

 

それは、決して人の顔から聞こえてはならない異音だった。

 

拳が振るわれる度に顔面は陥没していき。

鼻はへし折れ、眼球は潰れ、歯は全て折れ、首はあらぬ方向に曲がっていて。

 

もはや顔面は嘗ての面影もないほどに変形していた。

 

 

「ああああぁぁぁあああ!!!」

 

 

だが、鎌足は殴打を止めない。

自らの拳も傷付き、血を出していることも厭わずに。

その痛みも忘れ、ただただ顔面を肉片へと変える作業に忘我していた。

 

荒ぶる感情の赴くままに拳を繰り出し続ける。

 

 

もう既に、息絶えているというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もう……止めろよ」

 

 

ぐしゃり、と。

 

男の頭部が既に肉片と骨片に成り果て、鎌足の拳が地面を叩き続けて数分経ってのこと。

 

廃材の上に佇む十徳が、鎌足を見下ろして言った。

 

その声は、ひどく痛切を帯びていた。

 

 

「あれ~?いつの間に逃げてたんだ……へぇ、へぇ」

 

 

虚ろな瞳で、声のした方向を見る鎌足。

そこに今しがた殺したハズの男がいることに、しかし疑問を抱くことはなかった。

 

 

「また、殺し損なっちゃったかぁ。 あはは、でもいいや。また殺せばいいもんね。何度でも、何度でも殺してあげる。ちゃあんと死ぬまで、殺してあげる」

 

 

幽鬼のようにふらりと立ち上がり、ふらふらと歩き出す鎌足。

 

自分の精神状況を上手く把握しておらず、自分がどうしてこんなに覚束ない足取りをしているのか、さっぱり分からなかった。

頭は割れそうに痛いし、視界も霞んでいる。

胸が締め付けられているかのように苦しく、心なしか指先が震えている。

 

けれど、それらの原因を考える余裕は、今の鎌足にほ無かった。

 

 

そんな鎌足に対し、十徳は微動だにせず問うた。

 

 

「自分が泣いていることに、気付いているか?」

 

「…は?」

 

 

ぴたり、と足が止まった。

十徳の言っている意味が分からなかったのだ。

 

泣いている?

何を言っているんだ、この男は?

 

涙など、流れている訳がない。

そんな不要なもの、疾うの昔に枯らしてある。

 

いったい私が今までどれほど泣き続け、挙げ句泣き枯らしたと思っているのだろうか。

 

自分に嫌悪し、世を憎悪して、もう瞳から流れ落ちるものなどあるハズがない。

 

 

「ずっと、ずっと。お前の手下の死体を殴り続けてる間、ずっとお前は泣いていたよ。いや--お前の叫びは、慟哭のように聞こえていたから。お前の攻撃からは、強い悲しみが伝わってきたから」

 

 

だからもしかしたら、ずっと泣き続けていたのかもな。

 

なんて、悲しげな呟きを漏らす十徳に対し、憎々しげに言葉を返した。

 

 

「嘘だ」

 

 

思い出せ、あの男は嘘つきだ。

 

甘い言葉を平気で吐く輩なのだ、嘘など息をするように吐くだろう。

 

嘗ての輩もそうだった。

安っぽい同情を向け、気障ったい共感を示し、自分は理解している、なんて風を装っていた。

ソイツらが結局何をしたか、今でも鮮明に覚えている。

 

やはり、あの男は殺さなければならない。

何度でも殺して、殺し続けなければならない。

 

 

「嘘だッ」

 

 

泣くわけがない。

 

これは、志々雄様が掲げる理想の為の一歩なのだ。

圧倒的な暴力によって、全てを壊して無に帰してくれる覇道の為の一歩なのだ。

 

全てが瓦礫片へと代わり、佇むは志々雄様一人か、それに追随できる強さを持った者だけの弱肉強食の世界が出来上がる。

 

その聖戦を前にして、泣くわけがない。

 

 

「嘘だ!嘘だ嘘だ嘘だ、嘘だ!!」

 

 

忌々しい過去も、憎々しい己の内も、全てを忘れさせてくれる鮮烈な御方。

その覇道に魅せられ、焦がれたからこそ、自分はその幕下に加わった。

 

憧れの人の背中を追いかけ、少しでも役に立とうと奮迅して。

 

 

 

それでも常に、胸を掻き毟りたくなる絶望的な苦しみからは逃れられなくて。

 

 

 

 

「嘘だぁ……うそ、うぅ、っ、!」

 

 

頭が割れそうだった。

胸が苦しく、今にも踞りたかった。

 

これは、いけない。

このままでは、()()()()()()()()()()()()を思い出してしまう。

 

 

「嘘かどうかはお前が一番分かっているハズだ…怒りの感情の裏側にある、お前の本当の気持ちを、お前の本当の思いを……俺は痛いほどに感じたよ」

 

 

怒りの感情を爆発させたのだ。

表層の感情を吐き出した今、鎌足の心に現れたのは別の、もっと奥深くに仕舞ってあった、とても大切な別の感情。

 

晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、雪の日も。

夏も秋も冬も春も。

 

あのとき、一人ぼっちの時に感じていた、もう二度と思い出すことはないと信じて疑わなかった感情。

 

 

この胸を締め付ける痛みは、あまりに懐かしく、そして鋭かった。

 

 

「ぅぅううっ、ぁぁああああ!」

 

 

 

嘘だ。

 

 

そうだ、嘘だ。

 

 

嘘だったんだ。

 

 

本当は、気が付いていた。

 

このぼやける視界は、頬を流れる熱い涙のせいなのだと、本当は気が付いていた。

彼を斬り飛ばしたときから、もう視界がボヤけて誰も彼も分からなかった。

 

この胸を締め付ける苦しみは、あのとき、一人ぼっちで地獄に抗っていたときと同じだ。

 

胸を抉り、心を占める一つの感情。

 

決して思い出してはいけない、弱い証。

 

 

それは、寂寥だった。

 

 

「最初から求めていたんだろう?理解してくれる人を、共に居られる仲間を。ずっと、今までもずっと無意識に。お前が求めていたのは、遠くに輝く背中なんかじゃなく、寄り添える背中だったハズだ!違うか?!」

 

 

叫ぶ十徳は、悲痛に顔を歪ませていた。

今にも泣きそうに、ともすれば鎌足よりも苦しそうに、彼は咆哮した。

 

 

「だからっ…知った風に語るな偽善者!!お前に私の何が分かる?!私の何を知っている?!」

 

「分っかんねぇよ!お前が心に抱える悲しみと苦しみも。今まで経験した地獄の辛さと絶望の深さも!なんも分っかんねぇよ!けどッ、けどよぉ…っ」

 

 

己の胸を掌で掴みながら叫ぶ様は、まるで胸の痛みに抗っているかのよう。

 

 

「嘗ては救いを求めていたこと、安寧と平穏を求めていたことぐらいならッ、分かんだよ!求めていた、けど裏切られたから、だからお前は“圧倒的な暴力”と“全てを壊してくれる人”を求めたんだろ!」

 

 

性同一性障害の苦しみは、当事者でないため想像しか出来ないし、口が裂けても“分かる”なんて言えるわけがなかった。

 

だが、それでも。

人から迫害される苦しみなら、()()は痛いほどに分かっていた。

自分の外見のせいで、物心ついた頃からほとんどの人から邪険にされ、迫害され、排斥されていた。

 

ただ見た目が違うというだけで、十徳の幼心に今もなお癒えていない傷がつけられたのだ。

 

それでも自分には母がいた、父がいた。

たとえ生んだ子が色白の肌をしていて、銀に近い白の髪色をしていて、青い瞳をしていても、彼らは無限の愛と絶大な庇護をもたらしてくれた。

 

また、当時の薩摩においては、最初は朝敵諸藩、そして徳川幕府、挙げ句最後に明治政府という共通の大きな敵が常にいたため、侍たちの矛先が十徳から逸れていた側面もあったし、十徳自身に剣の腕があったのも幸いした。

 

だが、それだけだ。

 

ほんの少し、何かが違っていれば、きっと鎌足と同じ境遇になっていた。

迫害され、世を恨む暴力主義者になっていた可能性は、あまりにも高かった。

 

だからこそ、十徳(真世)の中にいる十徳が叫んだのだ。

 

そして、真世自身も心を掻き乱されていた。

鎌足の思考が暴力主義(テロリズム)に染まってしまった原因を、胸を突き刺さすほどの慟哭から分かってしまったのだ。

 

彼の境遇、悲運を知って、胸が引き裂かれそうな痛みに襲われた。

 

故に、真世も叫んだ。

目の前の泣き叫ぶ男の声に、どうしようもなく胸が打たれたのだ。

 

 

「黙れえ!黙れ黙れ黙れ黙れ、黙れ!! 私はもう何も要らない!私には導いてくれる人が居てくれればそれでいい、全てを壊してくれる力の傍に居られればそれでいい!他には何もッ…私には何も要ら--!」

 

 

 

 

 

「嘘だ!!!」

 

 

 

鎌足の叫び声を上回る大音声。

 

 

「…っ!」

 

 

空気を震わせ、髪を吹き荒ばせる気迫が鎌足の身を貫き、竦わせた。

 

 

「それがお前の本心だってんなら、どうして泣いている?どうして顔を歪めている?思い出したんじゃないのかよ?!気が付いたんじゃないのかよ?!」

 

 

裏切られて、絶望したのは、心の底から望んだから。

理解してくれる人を、支えてくれる人を、本気で欲したから。

 

本当に求めて手を伸ばしたからこそ、空を切ったときの絶望はとてつもなく大きかった。

 

そうだ。

あのとき、今と同じように心を占めるこの寂しさが、人を求める衝動になっていたんだ。

 

頭を占めていた数々の否定の言葉を、十徳の咆哮が掬い浚っていったのか。

すとん、と張り詰めていた肩の力が抜けてしまった。

 

そして、もはや否定の言葉は霧散してしまった。

 

 

「だったら何なのよ……」

 

 

掠れる声で、鎌足が呟いた。

 

先ほどまでの鬼気迫る声音からは想像できない、小さなか細い声。

今にも掻き消えてしまいそうな、嘆きの声だった。

 

 

「思い出したから何だって言うのよ、気が付たから何だって言うのよ。私はもう、何も求めない。誰にも手を伸ばさない」

 

 

絶望が、怖いから。

また裏切られて、悲しい思いをするのは、もう御免だ。

温かいものを求めるのは、もう二度としたくなかった。

 

 

「もう、私にはそんな優しいものなんて要らない。そんなもの、望めば望むだけ辛くなるだけだから。もう……」

 

 

心に今なお巣食う絶望と苦しみに目を背け、志々雄という燦然と輝くカリスマに身と心を委ね続ける。

その道を歩む過程は心に一時の安寧をもたらす。

 

そしてその道の果ては、きっと自らもが望む優しくない世界だ。

優しさも甘さも、自分と同じ弱者も生きることを許されない弱肉強食の世界。

 

 

「お前がかつて何に裏切られ、どれ程の深い絶望の底に落ちたのかは知らない。破壊衝動と破滅主義に身を任せるほどの深い嘆きと激しい怒りの程は、俺には到底分からない。けど」

 

 

十徳は片目で赤い涙を流し、もう片目で鎌足を見据えて、廃材を踏み砕きながら歩み出す。

 

 

()()()()を聞けてよかった。お前が嘗て抱いていた気持ちを思い出したなら、俺がどうにかしてやれる」

 

 

そう言い、鎌足のもとまで来ると、その足元に転がる彼の大鎌と自分の壊された大鎌を拾った。

 

 

「なにを…言ったでしょ。私はもう--」

 

「御託はいい。その凍り固まった心じゃ、お前は動けない。お前一人じゃあ動けない。だから、俺が動かしてやる。俺がお前を動かしてやる」

 

 

鎌足の横を通り過ぎる際、彼の胸元にその大鎌を預け、そのまま数歩歩き続ける。

そして、凡そ三メートル離れた位置に立ち止まると、ぞんざいに羽織っている外套をはためかせながら、振り返った。

 

 

「手を伸ばすのが怖いってんなら、こっちで掴んで引張ってやる。求めるのが怖いってんなら、こっちからくれてやる。温かい世界が怖いってんなら、安心しろ。俺の作る(ヌル)い世界は、そう悪いとこじゃないし--」

 

 

俺が傍に居てやれる。

 

睨みながら、しかし冷たさを感じさせない眼光とともに告げられた言葉に、鎌足は背筋に一筋の電気が流れた感覚に襲われた。

 

それは今までに聞いたことのある、腸が煮え繰り返るような甘言だろうか。

それは今までに聞いたことのある、反吐が出るような戯れ言だろうか。

 

否、そうとは到底思えなかった。

 

彼の言葉は、確かに自分を労っている臭いがした。

だが、それは決して甘いものでも、歯の浮くようなものでもなかった。

心身を貫くような鋭さをもっていて、けれど冷たくない、むしろ温かささえ感じさせる不思議な声音ですらあり。

 

今まで生きてきたなかで、志々雄一派に勧誘されたときですら感じたことのない、得も知れない高揚感をもたらしてくれた。

 

 

「そう……」

 

 

とくん、と音とともに何かが胸に広がる感覚がした。

張り裂けそうだった胸の痛みはいつの間にか引いていて、止まなかった頭痛も嘘のように無くなっていた。

 

それどころか、今は背筋を貫いた正体不明の刺激のせいで全身の筋肉が弛緩して、妙に身体の至るところがそわそわして落ち着かなかった。

 

この感覚を、鎌足は知っていた。

あのとき、初めて理解者が目の前に現れた時に抱いた、期待感だ。

身体中が変な浮遊感に包まれ、鼓動が早くなる。

 

あのときと全く同じだった。

 

 

「でも…貴方のその言葉に易々と靡くつもりはないわ」

 

 

そう呟き、十徳に向き直ると、今までと同じように大鎌を構えた。

 

彼は言った。

俺が引張ってやる、俺がくれてやると。

 

本来なら一顧だにするようなものではなく、一蹴して然るべき言葉だ。

考慮するだけで裏切りと捉えられても不思議ではない。

 

だが、それでも。

もし、その言葉が今を切り抜けようと考えた末に出た口先だけのものでないならば。

もし、信じるに足る彼の本心であるとしたならば。

 

いつの日か斬って捨てた甘い願いを、彼に背を預けながら求めて行くのも悪くないかもしれない。

 

 

いつの間にか清々しい心持ちになっていたことに、しかし鎌足は驚きもせず、あまつさえ十徳の言葉を確と受け止めていることにも疑問を抱かなかった。

彼と共にある道もまた良いものなのだろう、と半ば確信めいた気持ちですらいる。

 

故に、選べる道は二つに一つ。

目の前の青年を殺して、今まで通りとなるか。

或いはそうしないか。

 

きっと頭を捻って考えても、答えは選べない。

自分の中では答えを出せない。

 

ならば、己の武技で答えを見極めるしかない。

 

正しいとか間違っているとかではない。

自分の進むべき道は、全力の一閃の向こうにあるべきなのだ。

そのためには、目の前の男に持てる全ての力をぶつける。

されば、如何様な道でもきっと後悔はしない。

 

けれど、ああ……できれば、少しだけ。

ほんの少しだけ、彼には全力以上の力を発揮してほしいかもしれない。

 

そう思うのは、果てしていけないことだろうか。

 

なんて、考えていたら

 

 

「ああ、それでいい。もう俺は怯まないし、竦まない。全力を…いや、死力を尽くしてやる。だから、その冷たく凝り固まった思いを、完膚なきまでにぶっ壊してやんよ」

 

「!……ふふ」

 

 

思ったことが、まさか相手の口から本当に出るとは思わなくて、ついクスリと笑んでしまった。

 

十徳は怪訝そうな顔をしたが、直ぐに気を取り直して武器を構える。

大鎌の柄は中折れしているため、リーチが短い。

故に、最初から大鎌としての特性を彼は捨てていた。

 

柄を床に叩き付けて根本からへし折り、刃だけとなった元大鎌の峰を掴み持つという暴挙に出ていたのだ。

しかも峰に食い込む右手指は、比喩でもなく確実に峰を貫いて確と握り込まれていた。

 

巨大な刃を武器としているその姿は、しかし何故か堂に入っていた。

 

 

「それじゃあ……行くわよ、狩生十徳」

 

 

そう宣した鎌足の顔には、嘗てのようにおちゃらけた風な笑顔はなく、小さくて柔らかい、可愛らしい微笑みがあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 












目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

44話 横浜激闘 其の拾壱




お待たせしました
















 

 

 

 

 

 

 

「はあああぁぁ!!」

 

「があああぁぁ!!」

 

 

空気を切り裂き、地面に転がる瓦礫片を巻き上げながら迫り来る鎌足の一閃。

人体は言うに及ばず、大木や鉄柱すらも容易く両断し得る斬撃だ。

 

それを俺は、真っ向から迎え撃つ!

 

腹の底から咆哮し、渾身の力を乗せた一撃でもって刃を叩き付ける。

瞬間、爆音と衝撃波が総身を貫いた。

 

義手が軋みを上げるが、握る力に変わりはない。

だが義手の接続部である腕部、それに肩などに激痛が走り、思わず千切れたのではとすら錯覚した。

 

 

「……っ!」

 

「ぁ、~!」

 

 

鎌足は苦悶の表情を、俺は笑顔を顔に浮かべて足を一歩動かす。

俺は前に、そして鎌足は後ろに。

 

再度、互いに得物を振りかぶり、雄叫びを上げながら叩き付ける。

衝突によって生じたエネルギーは凄まじく、瞬間的な熱気が肌を焦がしていく。

再び悶絶必至の衝撃が身体を蝕むが、互いに小さく声を漏らすだけ。

 

だが、やはり足を運ぶ向きは変わらない。

俺は前に、鎌足は後ろに。

 

そんな鎌足に、俺は歪に見えるような笑みを見せ続けた。

 

歯を喰い縛れ、苦痛を誤魔化せ、効いていないフリをしろ。

絶対に、絶対に、絶対に下がるんじゃねえ!

一歩でも退けば、さっきまでの言葉が薄っぺらいものになる。

不撓不屈の精神を見せてこそ、俺の言葉が信に足ると証明できるんだから!

 

 

「がッ……、しゃ、ぁぁああ!もう一丁ぉ!」

 

「っ、はああああ!」

 

 

己を鼓舞し、三度(みたび)渾身の力を込めた刃を叩き付ける。

直後、今まで以上の衝撃と爆音が身体を襲った。

 

武器が破砕したのだ。

 

ぐ、ッ~~!痛い痛い痛い痛い!

腕が、肩が、全身の骨と肉が、軋みを通り越して粉砕するんじゃないかと思うほどに痛い。

激痛とか、もうそういうレベルなんかではない。

 

けどそれ以上に、臓腑を震わす衝撃によって生じる気持ち悪さが半端ない。

あらゆる臓物が震え、破裂してもきっと可笑しくない、そんな不思議な感覚に襲われて、せり上がってきた吐瀉物を必死に嚥下する。

 

だけど、それでも俺は笑みを隠さない。

禍々しい笑みは顔面に張り付けたまま。

 

先の激突で互いの武器を破砕した光景を尻目に、俺は腰を屈めて一息に地を蹴り抜いた。

地が爆散した音を背に、全身で空気を突き破る。

ぐんぐんと周りに映る景色が後方へと流れ、鎌足の苦悶に歪む顔に猛接近する。

 

 

「まだっ、まだーー!」

 

 

壊れた大鎌だが、未だ柄は健在。

もつれる足で距離を取りながらそれを振りかざし、鎖分銅を俺目掛けて放った。

 

猛速で一直線に俺の顔面へと迫る高密度の分銅。

相対速度がかなりある現状、ぶつかれば顔面が陥没しても可笑しくない。

否、盛大な音とともに頭蓋を突き破るだろう。

 

以前の横浜騒動時にこいつの威力は身を以て学んだんだ。

身体のどこかに当たれば簡単に骨がイカれてしまう。

式尉の鉄球よりも質量は小さいが、それを上回る速度によって凄まじいエネルギーを叩き出す凶悪武器。

それがうねりを上げて突進してくる。

 

それでも、否、それ故に。

 

否。

 

それだからこそ!

 

 

「ーーーーー!!」

 

 

避けて体勢を崩すなど論外、この期を逃してなるものか。

俺は分銅を、喉を裂かんばかりに吼えながら右拳で思いっきり殴打した。

 

瞬間、気味の悪い断裂音が頭蓋に響いた。

 

あまりの鈍痛にチカチカと明滅する視界も気にならないほど、ぶちりと頭の中で何かが千切れた音がしたのだ。

当の腕ではなく、頭の中で。

次いで、ふわりと身体から何かが根こそぎ削ぎ落ちた感覚に襲われた。

 

分銅を文字通り粉砕した代償に、脳を焼くほどの激痛と()()()()()を失った感覚に襲われてしまった。

 

けど!そんなこと今は後回しだ!

第一の大鎌、第二の鎖分銅を凌いだのだ、一気呵成に強襲する!

一気に距離をぶっ潰す!

 

一歩、二歩と大きく駆け続け、後ずさっていた鎌足に肉薄することに成功し、己が拳の射程圏内に飛び込んだ。

 

 

そしてーーー

 

 

「がああああああ!!」

 

「ぐ、お、おおおお!」

 

 

奴の小さく、それでいて鋭く放たれた右フックを、左頬にて受け止める!

避ける動作も防ぐ動作も、ここに至れば大きなロスになる。

一発ぐらいなら歯を喰い縛って、必死に意識を繋ぎ止めて耐える!

 

インパクトの際、頬骨が軋みを上げたが大丈夫!

()()()()()()()()

そんなことに構うな、もう一歩を踏み出せ!!

 

地に突き刺さんばかりに叩き付けた左足は、ちょうど鎌足が右フックを繰り出すために残した左足と交差した。

すなわち、既にほぼゼロ距離。

懐に飛び込むことに成功した。

遠・中・近の三つの攻撃を潰し、己の距離へと肉薄できたのだ。

 

すかさず分銅を殴り壊した右拳を下方で握り締め、また鎌足を逃がさないために俺の頬を貫いた右手の手首を思いっきり握り締める。

 

ここで決める、これで終わらせる!

 

そうして拳を放とうとして、奴の間近にある顔が視界の隅に過ると、そこには何故か柔らかい笑みを湛えている鎌足の顔があった。

それは、策があるからとか、罠にまんまと掛かったなとか、そういった考えからくる笑みではないということは直ぐに分かった。

 

朗らかに笑む顔からは、なんというか、戦闘意欲みたいなものが全く感じられなかったのだ。

気付けば、握り締める奴の右手から一切の力が抜けていた。

 

儚く、それでいてどこか満足げな微笑を見せる鎌足。

 

その笑顔を見ても俺は力を込めた右腕を制御することなく、思いの丈を乗せてその顔面へと振り抜いた。

 

 

足や腰、肩のバネをフルに使った全身全霊の右拳。

腹の底から咆哮し、思いの丈を込めた乾坤一擲の一撃。

 

志々雄一派の最高戦力が一角、本条鎌足を完全に降すため。

同時に志々雄一派に対して大きな軛を打ち込むため。

 

 

空気をぶち破り、奥の壁すら突き破らんばかりに

 

 

鎌足の顔すぐ横を貫いた。

 

 

 

轟音とともにつむじ風が巻き起こり、風に飲まれた瓦礫片が渦を巻いて壁に叩き付けられる。

ぶわりと互いの髪が舞い上がり、被服ははためく。

倉庫内に残響する音が嫌に耳に残り、骨の芯にまで響く。

 

それら全てを、俺たちは身動(みじろ)ぎ一つせずに見届け、体感していた。

 

そして、風も音も全てが次第に落ち着きを取り戻すと、やがて静寂の音が耳に響くようになる。

 

 

「…っ、」

 

 

するとどうだろう、驚きに目を瞬かせていた鎌足は足を震わせてすとんと腰を落とした。

俺はそんな鎌足を見遣ると、大きく息を吸って振り抜いていた状態の拳を戻す。

 

 

「なん…で。全力で、いえ、死力を尽くすんじゃ……」

 

 

昂っていた気分を落ち着かせようと深呼吸していると、鎌足が呟いた。

 

踏ん切りを着けるためにも一発二発は貰うつもりでいたってか?

成る程その覚悟は確かに立派だ、だがーーー

 

 

「御生憎様だね」

 

 

やっばり、あんな笑顔を見せられたら、ヘタっている今の姿を見れば、さっきの行動は間違いじゃなかったんだって、そう思う。

 

甘い?あぁ、上等だ。

 

 

「お前の覚悟は認めよう。けど、それとこれとは話が別だ。俺の死力に応えるのではなく笑って受け入れようとする奴に対して、ぶん殴るつもりもない……どうよ、お前の嫌いな甘さだぜ」

 

「…っ!」

 

 

眉をしかめる鎌足に対し、俺は苦笑いする。

 

当の俺とて吐き気を催すような甘さだ。

だがコイツの凝り固まった実力主義に対しては、こんぐらいの反吐が出るような甘さをくれてやるのが良いと思ったんだ。

観念論だけど、これからはそういった甘さや暖かさを求めるんだから。

 

 

「ちゅーか腰抜かして立てねぇんじゃねぇのか?当たってもいないのにそんなショック受けるぐらいなんだ、当たってたら洒落にならなかっただろ」

 

「うぐッ…あ、当たり前じゃない!あんな豪腕、当たれば顔がぐしゃぐしゃになってるわよ。それを間近で感じたのだから当然でしょ?!」

 

「お前の鎖分銅も似たようなものだろ。で、気分はどうだ?」

 

「ふん!……はぁ、清々しい程に忌々しいわ。最後に情けを掛けられたから尚更ね。いっそのこと盛大に殴ってくれれば気も晴れたのに」

 

 

可愛らしく頬を膨らませて愚痴を溢す。

 

 

「……その目も右拳も、無事じゃないでしょ。私がそれをしたのに、当の貴方から甘さを掛けられるなんて…辛すぎるわよ」

 

 

顔を逸らしながら、か細い声で苦しそうに言う鎌足。

確かに、自分がやったとなれば罪悪感もかなりあるだろう。

 

けど右拳は義手だからどんなに無茶をしても問題はない。

替えの利く消耗品なんだが、今の鎌足には知る由もないわな。

 

ただ、確かに片目は大鎌によって斬り裂かれ、もう二度と光を見ることは叶わないだろう。

再び取り返しのつかない傷を身体に負ってしまったことに酷い罪悪感があるから、やはりダメージはでかい。

それに遠近感にも若干の不安があるっちゃある。

 

ま、そーだわな、と呟いて俺は続ける。

 

 

「けど、今のお前にはこういった甘さが必要なんだと思う。今までの徹底的な暴力主義とか破滅主義とか、そんなものとは明確に違うものが」

 

「……」

 

「なんつうのかな、幸福主義?快楽主義?まぁなんであれ、すべてを壊して零へと帰結させるような考えはもう止めてくれ、てことだ。嘗て求めた救いと安寧を、今度は一緒に求めようぜ」

 

「救いと、安寧……一緒に」

 

 

応と答えて、座り込む鎌足の視線に合わせるようにしゃがみこむ。

 

 

「お前は今日から俺と共に、優しく温い世界へ向けて歩んでもらう。これは俺が下した決定だからな、お前の意思も答えも聞かん。例え逃げても無駄だぜ、絶対にまた捕まえてやるからよ」

 

「……ふ、ふふ。なによそれ。暴論にも程があるわ」

 

「俺は俺のためにお前を引き摺り込んだんだからな。何を喚こうと(のたま)おうと、絶対に俺の見るべき景色をお前にも見せてやる。覚悟しろよ」

 

 

堪らずに笑う鎌足に、俺も笑んで答えた。

そして、すっと手を突き出して鎌足の額に狙いを定める。

 

 

「ま、夢の中で嘗ての自分と別れを告げて、整理するんだな。それから、俺たちの中に迎え入れてやるぜ」

 

「……えぇ、その時は宜しくね」

 

 

美しい笑みを浮かべ、鎌足は了承の意を示した。

 

例え俺たちと共に歩んでも、きっとこの先多くの苦難を胸に抱えたまま生きることになるだろう。

解決も解消もせず、ただ己の捉え方が変わるだけで、根本的なものは何一つ変わらない。

 

けど、それでも鎌足は受け入れてくれた。

セクシャル的な問題、組織からの裏切りの問題など、一人では抱えきれないものと恐らくは知りながら、それでも笑って受け入れてくれた。

 

ならば俺が、俺たちが、一緒にその荷物を抱えよう。

抱えられぬのならば背を押そう。

手でも背でも、何を使ってでも支えよう。

 

障害者だからとか、裏切り者だからとか、そういう社会的な話じゃない。

ただ純粋に、ただ自然に、俺はコイツを助けたかった。

 

その気持ちに、嘘も偽りも、不純物もないのだ。

 

 

「じゃあ…おやすみ」

 

 

そう言い、直後に鼓膜を震わす鈍い音が響く。

脳に極一点の衝撃を受けた鎌足は、かはぁと変な呻き声を漏らしてから後ろにどさっと倒れた。

 

………

 

……………

 

………………………

 

う~ん…かなり鈍い音が聞こえたが大丈夫か?

 

見た目通りに柔い身体してるか、見た目と相反して頑強な身体をしているかは分からなかったから加減しなかったんだが、もしかして前者だったか?

 

後遺症とか残してたらどうしよう……やっば、今になって慌ててきた。

目を覚まさなかった、とか洒落にならんぞ!

 

いや…でも流石に志々雄一派最高戦力である十本刀の一角が()()()()一発で再起不能とかはないだろう……たぶん、恐らく、メイビー。

 

 

「狩生」

 

「うわ、っほ、はい、なんだ!」

 

 

後ろから唐突に呼ばれたため、かなり上擦った声が喉から溢れてしまった。

慌てて振り向くと、そこには一人の男がいた。

 

ていうか、宇治木だった。

 

 

「なんだ今の声は。ところで……ほぉ、どうやら討ち取ったようだな。なるほど、その女体で今から発散しようとしたわけか」

 

「殺すぞ」

 

 

この際鎌足の容態については後回しだ。

彼の身体的頑丈さに期待しよう。

 

立ち上がり、ちらと見遣るとなかなかにボロボロな姿の宇治木が目に入った。

 

 

「コイツは死んじゃいないし、大事な内通者となってくれる。これからは味方になるんだ、手荒に扱うことなどできるか」

 

 

俺がそう告げると、静寂がこの死屍累々の倉庫内を支配した。

 

 

「……な?!」

 

 

そして、ざっと十秒ほど経ってからやっと宇治木が再起動した。

 

 

「貴様ッ……はぁ?!何を言っている、何を抜かしている!自分の言葉の意味を分かっているのか?!」

 

「分かっている。分かった上で言っているんだ」

 

「いいや、分かっていない!俺たちは今、コイツらと戦争をしているんだぞ。()()()は、コイツを殺そうと戦ったのだ。実際、コイツには殺されかけた!それを、仲間にでも引き入れるつもりか?!」

 

「端的に言うと、そうなるな」

 

「色仕掛けでもされたか?!それとも情にほだされたか!?ふざけたことを……ッ!?」

 

 

気炎を吐きながら詰め寄ってくるが、途中でその勢いは萎んでいった。

俺が振り返って全身を見せたのだ。

特に俺の顔を見て、驚きに目を見開いた。

 

 

「……貴様、目を」

 

「もう一度言う。宇治木、俺は分かった上で言っている。だからーーー頼むッ」

 

 

そう言って、俺は微かに頭を下げた。

深く頭を下げないのには理由が幾つかあるが、面子とか建前とかでは決してないし、かといって宇治木の感情を蔑ろにしているわけでもない。

 

加えて、鎌足にしたように俺の独断を押し付けるようなこともしない。

そうする方が手っ取り早いし、この場においては正解なのだろうけど、できれば押し付ける形にはしたくなかった。

 

やはり俺は甘いのだろう。

 

 

「納得しろとは言わん。だが理解はしてくれ。この一手は、相手の戦力漸減と俺たちの戦力拡充を一挙に成せるものなんだ」

 

「……」

 

「感情的に受け入れてられないのは重々承知しているし、根本的に敵性因子を組織に引き入れる危うさを感じているのも承知している。だけど、今はその不満を飲んでくれ」

 

 

鎌足を引き入れる実利は十二分にあるから、彼の障害についてとか、俺の心情で引き入れたとか、そこら辺については敢えて触れない。

鎌足にとっても、いたずらに言いふらされるのは面白くないだろうし。

 

 

「……くそッ!」

 

 

小さく下げていた頭を上げて宇治木を見ると、苦虫を百匹は噛み潰したような顔をしていた。

そして苛立たしげに頭を掻いて言った。

 

 

「卑怯者め。そのナリでそんなことを言われれば、これ以上何も言えんではないか」

 

「…すまんな」

 

 

本当に。

俺が逆の立場なら、と考えると本当に申し訳なくなる。

 

 

「謝るな。貴様の言い分にも理はある。だが覚えておけ。俺はコイツを仲間と認める気はない。何かあっても責任は全てお前が取れよ」

 

 

当たり前だ、と俺の答えを聞いて、宇治木は溜め息を一つ吐いた。

 

 

「はぁ、本当に貴様は。いつもいつも想定の斜め上、しかも遥か上空を行きやがる」

 

「んだよ、その表現。面白いな」

 

 

それから今まで持っていた刀、不知火を俺に差し出した。

 

 

「サンキュ。で、どうなった?」

 

「指示通り敵性勢力三人を捕縛した。今は倉庫街外れの廃道にて監視している」

 

「被害は?」

 

「死者はいないが、俺を含めて全員重傷を負った。化物面の男を捕縛するのに、文字通り骨が折れたからな。もはや全員、戦闘は不可能だ。気を保つだけでも精一杯なほどだ」

 

「上出来だよ。ご苦労」

 

 

手負いとは言え、あの般若を捕縛できたのは上々だ。

しかも死人を出すことなく。

 

俺が労いの言葉を掛けると宇治木は鼻を鳴らして、すっと竹筒を渡してきた。

それを礼を一つ言って受け取ると、栓を抜いて中のものを飲む。

 

…ん、うまい。

 

 

「ふう……全員ちゃんと飲んでいるな?」

 

「念は押してある。効果のほどを実感できていないのは相変わらずだが、この味だ、皆が自発的に飲んでいる」

 

「そりゃあ重畳」

 

 

ん~、やっぱ竹筒は飲みづらい。

口端からこぼれるそれを袖で拭いながら、喉を潤していく。

 

“それ”とは俺お手製の経口補水液、いわゆるスポーツドリンクだ。

糖分と塩分の補給は脱水症状の防止というフィジカル面に役立つが、この甘さと美味しさは意外とメンタル面にも大きく役立つのだ。

 

実際に宇治木の言う通り、ほぼ再現されたこの味は部下たちからかなりの好評を得ている。

このおかげなのかは証明できないが、遠征中は常に飲むように励行しているため脱水症状に陥った者もいない。

 

日々汗や涙や血を流しているんだ、脱水症状は殊更バカにできない。

 

やがてお手製ドリンクを飲み干すと、空の竹筒を宇治木に返して目を瞑る。

 

あぁ、染みるなぁ。

心なしか少しだけ力が戻った気がする。

腕力、握力、脚力を確認するように力を込めてみる。

 

よし、まだ動ける、まだ戦える。

 

まだまだ俺は、生きている。

 

 

気合いを新たにして、ふと自分の容態に意識を向ける。

 

身体中に負った見るも無惨な多様な傷。

裂傷、火傷、銃創、打撲痕などなど。

出血が止まっているところもあれば、今なお流れ落ちているところもある。

 

痛い。

それは事実だ。

けど、どうしてかな。

 

 

()()()()()()()()

 

 

痛いのに、痛いと知覚しているのに、それを「痛い」と思えない。

まるで身体からの信号を頭が完全に誤認しているかのよう。

 

 

「行くのか?」

 

 

己の内を確かめていた俺は、瞑っていた目を開けて問うてきた宇治木に答える。

 

 

「あそこの炎上している倉庫か?当然だろ」

 

 

自分の身に何が起きているのかは分からない。

非常にマズいことであることは薄々分かるし、胸に去来する絶望と焦燥が半端ないが、()()()()()はひとまず無視だ。

 

今は、先を考えることを優先しなくては。

 

 

「あまり良い予感はしないが、まぁ貴様が死んでくれるのなら是非もない」

 

「減らず口を。じゃあ後の事だが、鎌足(コイツ)も捕らえた三人組の所に運んでいけ。んで、今朝方寄った外印(協力者)の洋館に全員連行しろ」

 

「了解だ」

 

 

どす黒い絶望が身体を蝕んでも、すらすらと口は言葉を紡ぐ。

意識と身体が解離しているかのようで、甚だ気持ち悪い。

 

 

「そこで三人組は基本的に監禁。コイツは意思を尊重して、行動を束縛するな。無論、限度はあるがな」

 

「…仕方ない。で、いつまで洋館で待機だ?」

 

「俺が合流するまで。もし明後日の2200までに俺が行けなかったら、お前が指揮を継げ。要綱は以前教えた通りだ」

 

「……分かった」

 

「それと、もし三人組の親玉を名乗る奴が現れたら言いなりになれ。俺でも厳しい相手だったからな……うん、死にたくなければ三人の解放も辞すな。相手は俺たちの主敵ではないから『戦闘』状況は解除しよう」

 

 

蒼紫とどのタイミングで再度かち合うかは分からない。

俺に会いに来ればシンプルなのだが、満身創痍の部下らとぶつかれば結果は火を見るより明らかだ。

 

ただ蒼紫とてあの銃撃の雨の中で観柳の手勢を無傷で殲滅できるとは思えない。

若干の手負いになる可能性は十分にある……まぁ、瀕死の部下(コイツ)らにとっては関係のないことだが。

 

 

「さて、横浜での任務はこれで完了だ。通信機の奪取もとい破壊、敵戦力の一掃、及び指揮官クラスの敵を撃破。上々の戦果だ。以前の任務失敗の雪辱を果たせたな」

 

「横浜におけるS捜査は一段落か。であれば尚のこと、あそこでの捜査に時間と労力を掛けるべきではなかろう。況してや深入りするのは愚行だ」

 

「だろうな。けど、どうしてかあそこには行かなきゃならないと思うんだ。Sに関係しているのかも知れないし、そうじゃないかもしれない。つまり何が起きているのかは全く想像できないんだけど、それでもーーーあそこに行けば、何かが集束する気がするんだ」

 

 

勘とも言えない、漠然とした気持ち。

根拠もへったくれも無い、ただの感覚。

それを行動の基準にするなど、警察官にとってあるまじき事だ。

 

けれど俺の意識は、もはやあそこへ向かうことしか考えていなかった。

 

 

「ふん。もとより貴様を止めるつもりなど無い。行きたくば勝手に行け。死にたくば勝手に死ね……ただし、ちゃんと為すべきことを為してこい」

 

 

当たり前だ。

 

そう答え、俺は不知火を持って件の倉庫へと足を向ける。

見据える先は、今なお猛るように燃え盛っている、一つの倉庫。

 

任務が一段落着いたことに不思議と達成感も満足感も無かった。

当初の予定とは全く違う帰結に行き着いたから、というわけでもない。

十本刀の一角を物理的に潰せなかったから、というわけでも決してない。

 

たぶん、あそこに行くことこそが横浜での任務の集大成になると、無意識に確信しているからだと思う。

 

あそこに行って、何かを解決して、そうして本当の意味で任務を完遂できるのだ。

 

あそこに行って、何かを成し遂げ、そうして本当の意味で決着をつけられるのだ。

 

 

そう理解しているからこそ、万難を排せた今、終幕(フィナーレ)へと向かう気持ちでいられるのだ。

 

 

 

途中、宇治木とすれ違う際、お互いに挙げていた手をぶつけ合った。

 

ぱん、と軽快な音が死屍累々の倉庫内に響き、俺の背を押してくれた。

 

 

 

 

 

 

あぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

行ってきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「間に合ってよかった。もう、安心するでござる」

 

 

背を向けながら、横顔だけをこちらに向けて微笑みかける小柄な日本人。

左頬に大きな十字傷をもつ青年が、その刀の柄でもって凶刃を防いだのだ。

 

その人こそ、原作主人公「人斬り抜刀斎」こと「緋村剣心」だ。

 

彼の言葉は、日本語の分からないエミーには無論通じなかった。

だが、殺伐としたあの状況とは場違いの穏やかな声音、そして優しい表情から、自分を救い、安心させようとする心遣いを、エミーは確かに感じた。

 

そこまで理解して漸くエミーは死への恐怖を自覚し、身を強張らせた。

そして直後に自らの死が遠ざかったことに身が弛緩して、ほろりと一筋の涙を溢した。

 

 

「えっ…あ、あれ?なん、で」

 

 

慌てて袖で拭うが、涙は止まらなかった。

 

本人は涙を流す理由に思い至らず、慌てているようだが、きっと身体が無意識に理解したのだろう。

喉元に突き付けられていた死神の凶刃が、少しだけ遠退いていったことに。

 

ごしごしと目元を擦るエミーを見て、微かに安堵の息を溢す剣心。

そして、今なお自らの柄に刀を押し付けている狂人を睨みつけた。

 

 

「事情は杳として分からぬが、この者を殺すのなら阻止させてもらうでござる」

 

「ほお、邪魔立てするか……ん?ん~?赤い髪、左頬に十字傷…貴様、もしや」

 

 

剣心の顔をねぶるように見回しながらつぶやく刃衛。

体格差は一目瞭然。

なれど、押し潰す形となっている刃衛の圧力に対し、剣心はぴくりともブレることなく、納刀したまま片手で堪えていた。

 

 

「ここに散乱する死骸…否、残骸はお主らの仕業か。ここで一体何をしているでござるか。お主らは何者でござるか」

 

「うふふふ。俺が誰か教えてほしいのか、人斬り抜刀斎?」

 

 

歪な笑みを浮かべながら、刃衛は剣心の正体を断言した。

しかし剣心はなんらリアクションすることなく、口を開かずにいた。

 

もとより正体を隠すつもりなど毛頭ないのだ。

むしろ自分の正体を看破する者はおしなべて維新の関係者(かつての敵味方問わず)であるため、ある種のパラメーターにすらなっている。

 

今、目の前にいる男についても同様だ。

自らを知っているということは維新の渦中、しかも中心近くにいたということ。

しかも醸し出す狂暴性からして、悪い意味で自らを認知しているのだろう。

 

そこまで考えた剣心は、無言のまま刃衛を睨めつける。

 

その沈黙を自らの問いに対する是と捉えた刃衛は一層笑みを深くして嗤った。

 

 

「うふ、うふふ、うふふふふふふふ!まさかこんなところで伝説の人斬り様に会えるとは!なんたる僥倖、なんたる幸運。うふわはあはははは!!」

 

 

刀から力を抜き、なんの躊躇いもなく剣心とエミー、そして外印に背を向けて歩き出す刃衛。

まるで指揮者のように両腕を広げ、炎が立てる轟音を上回る音声で哄笑する姿は、元来の不気味な雰囲気を一層際立たせた。

 

しかし、その哄笑も長くは続かなかった。

ぴたりとその笑い声が止み、広げていた腕も力なく垂れ落ちた。

 

 

「だが残念だ。今宵の主敵は貴様ではない。奴との死合いが控えているのでな、貴様と戯れる時間はそうないのだ」

 

 

如何にも残念であるかのように落胆する姿は、背しか見えずとも確かに伝わってきた。

そして、振り向いて見せたその相貌は、しかし落胆の色はなく、どちらかと言うと侮蔑の色があった。

 

 

「それになんだ、その瞳は。それが人斬り抜刀斎の目の色か?それが人斬り抜刀斎が醸し出す気配か?」

 

 

刃衛と剣心は互いに面識がない。

だが刃衛は、人斬り抜刀斎は自分と同じ人斬り故、自分と通ずるものが多くある、と心のどこかで勝手に想像していた。

相まみえることも想像したし、殺し合う夢も見た。

 

それは、憧れとも言えるかもしれない。

予期し得ぬタイミングでの邂逅は、確かに彼を歓喜の渦に巻き込んだ。

だが剣心の瞳を見て、雰囲気に触れて、一気にその渦が止んだ。

 

偽物であればどれほどよかったか。

だが自分の想像と大きく解離した様でありながら、確かに己の一刀を片手で防いだ。

外見の一致と垣間見た実力から本物であると、苦々しい思いで断じたのだ。

 

 

「今の貴様は殺し合うに足る存在ではない。一方的に殺されたくなければ消えろ。もしくは退け。そこにいると邪魔なのだ」

 

「それはできぬ。如何な事情があろうと、拙者の目の前で人殺しは絶対にさせない。況してや察するに、その事情もお主の快楽のためであろう。ならば尚のこと退くことはできない。去るのはお主の方でござる」

 

「可笑しなことを抜かすな。人斬りは人を斬り殺すが故に人斬りなのだ。それは貴様が一番よく分かっているハズ……貴様、よもや人殺しはもうしないなどとほざくまい?」

 

「拙者の意思がなんであれ、お主の取るべき行動に変わりはない。退け、でなくば全力で阻止する」

 

 

再び否定も肯定もしない剣心の答えに、刃衛はあからさまに肩を落とす。

 

 

「興が削がれた。だが、もはや伝説から大きく乖離したその姿は見るに耐えんし、邪魔をするというのならある意味都合もいい……」

 

 

そして、ころりと表情を一変させた。

 

禍々しい喜悦を孕んだ笑みだった。

 

 

「嘗ては噂に名高かった“人斬り抜刀斎”の首を、ここの墓標に加えようか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








感想いっぱいください(切実)




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

45話 横浜激闘 其の拾弐

たくさんのご感想ありがとうございました!


返信できずにいますが、全て丁寧に読ませてもらってます(キモい?)




とまれ、どうぞ










 

 

 

 

 

攘夷、尊皇、倒幕、佐幕。

 

個人や諸藩の多種多様な思惑が複雑に交差し、徳川幕府治世下の平和な時代が激動の時代へと変貌した幕末期。

その最前線である京都にて、一人の男の一つの伝説が築き上げられていた。

 

曰く、その剣は最速にして神速。

曰く、その動きは怒濤にして流麗。

太刀筋はおろか、身体の運びすら目にも止まらないという。

 

多くの死体が積み上がり、多くの血が流れる戦場には必ずと言っていいほどに現れる最強の剣客。

狙われたら最後、冷酷なる意思と一刀のもとに斬り伏せられる最悪の志士。

 

小さな身体の優男。

左頬の十字傷と赤く長い髪。

 

修羅さながらに人を斬り、その血刀をもって新時代明治を切り拓いたその男は、動乱の終結と共にその伝説だけを残して人々の前から姿を消した。

 

その者こそが、人斬り抜刀斎。

 

 

「んふ、んふふ。その瞳、萎えてはいても鈍りはしないようだな。いや結構結構」

 

 

その人斬り抜刀斎こと緋村剣心と、人斬り刃衛こと鵜堂刃衛は激しい剣戟を繰り広げていた。

 

刀と刀がぶつかり合って金属音が辺りに響く。

刀が空を切って一陣の風が舞う。

 

だが剣戟とは云うものの、剣心は終始防戦一方だ。

暴風の如く迫り来る凶刃を刀で受け、捌く。

常に動き続け、時には刃を躱して、されど攻勢に転じることはない。

 

否、できないのだ。

 

 

「っ…!」

 

「どうした抜刀斎。そこの異人が気掛かりか?そのせいで全力が出せぬか?」

 

 

もし今攻勢に身を転じれば、西洋人女性の身を案じての半端なものになってしまう。

眼前の狂人に対して、それは危険すぎると判断したのだ。

 

つまり刃衛がいつその凶刃を再び西洋人女性に振るうか分からない以上、瞬時に反応できるような防勢を取る、という手段を選んだのだ。

 

 

だが。

 

 

「悩みの種ならいっそ排除してしまうか。さすれば貴様も往時の人斬りに戻るかもしれないなぁ!」

 

「なッ、止せ!」

 

 

戦闘に集中していない思考は、それだけで大きな隙になる。

剣心を押し、間合いから大きく突き放した瞬間を突き、刃衛が再びエミーに吶喊した。

 

刃衛のその背を見て、どくんと心臓が一つの雄叫びを上げた。

 

脳裏を過るは、過ぎ去った幕末(かこ)

闇に潜んで暗殺を繰り返していた時、或いは表に出て数々の戦争に参加していたとき。

今でも殺してきた人々の顔、そしてその時の情景を忘れたことはない。

 

その記憶のうちの何かと重なったのだろうか。

刃衛の背を見て、どうしようもなく焦燥が駆り立てられたのだ。

 

故に、その次の行動は迅速極まりなかった。

 

納刀ーーーからの前方への跳躍。

 

弾丸も斯くやと思わせるその撃ち出された身体は、一直線に刃衛の背中へと肉薄する。

 

 

 

飛天御剣流『龍巻閃』

 

 

 

弧を描く剣閃により巻き起こった旋風は、とぐろを巻いて飛翔する龍の如く。

 

刃はもとより、その風に触れれば無事では済まされない鋭さは、まるで龍の鱗には何人たりとも触れられないという逸話を表しているかのよう。

 

最速の剣を誇る、飛天御剣流。

その武技が満を持して解き放たれたのだ。

 

 

だが、響いたのは肉を切り裂き骨を断つ音ではなかった。

 

 

「ちっ!」

 

 

驚きに意識が行くのも束の間。

刃衛と擦れ違い、再度エミーの前に草鞋の底を削りながら着地すると直ぐ様刃衛に向き直る。

 

 

「んふ、んふふふ。今のが噂に名高い飛天御剣流か。その片鱗、しかと見たぞ!」

 

 

未だ残響する金属音。

刃衛は龍の一撃をしっかりと刀で防いでいたのだ。

 

剣心の背後からの追撃を予期し、見えないながらも迎撃体勢を整えていたのだが、彼としては防ぐだけで反撃できなかったその速さに驚き、そして同時に歓喜していた。

 

やはり腐っても伝説の剣客。

骨に響く先の一撃は、しかと緋村抜刀斎の実力を語ってくれた。

 

 

「嬉しいぞ、抜刀斎。そのふざけた刀はいただけないが、技までは捨てていなかったようで幸甚……あぁ…もっと、もっとだ!もっとその飛天御剣流を!篤と俺に見せろぉ!!」

 

「…っ!」

 

 

生理的嫌悪感を駆り立てる言葉に、剣心は冷や汗を一つ流した。

 

とてもではないが、理解できない。

真実楽しそうに、自らに剣技を披露しろと言っているのだ。

そして、笑いながら剣を振りかざして吶喊してきている。

 

なれど、穢らわしくておぞましい言動と行動に相反し、強敵と呼ぶに相応しい実力を有している。

 

正しく不気味、正しく醜悪。

 

この男と長く刃を交えるのは危険でしかない。

身体的な危険度もさることながら、精神的に汚濁される危険性がある。

ならば、今までのような守り一辺倒になって時間を掛けるべきではない。

 

背後に控える女性が不安だが、幸か不幸か狂人は眼前の自分に集中したようだ。

なればこそ、こちらも打って出る!

 

瞬時に決意を固めた剣心は刀を振り上げると、突進してくる刃衛に狙いを定め、()()()()()()()()()()()()

 

爆音と共に地響きが辺りに轟く。

 

 

飛天御剣流『土龍閃』

 

 

それは、龍が地を這う有象無象を殺すために、その身を地に叩き付けたのかと思わせるほどの一撃。

その龍の一撃は、巻き上げた土や砂礫によって更に周囲一体を灰塵に帰すほどの威力。

 

その攻撃が今、刃衛を襲った。

数多の拳大の石礫(いしつぶて)が刃衛に向かって飛んでいく。

 

 

「うふ、うふわはあははは!」

 

 

それを、刃衛は哄笑しながら跳躍し、石礫群を飛び越えて難なく躱した。

人間離れした攻撃は、されど人間離れした跳力によって敢えなく空振りとなる……はずだった。

 

跳んで躱されることは、予測できていた。

 

天へと舞い昇る龍が如く、一陣の暴風が刃衛目掛けて肉薄する。

 

 

 

飛天御剣流『龍翔閃』

 

 

 

 

例えその攻撃を視界に捉えていようとも、下方からという体勢的に防御が不可能な死角からの一撃だ。

況してや刃衛は中空にいる身である。

 

回避も防御もなし得ない、絶体絶命の一刀。

全身の力と必倒の信念を刀に込めた渾身の一撃。

 

端から見れば、これで勝負は決まった。

誰の目から見ても刃衛は万事休すだった。

 

だが当の刃衛にとっては、昇り来る存在が龍であろうと人であろうと、することに変わりはなかった。

 

 

すなわち、それを踏み潰す。

 

 

「なっ?!」

 

 

今度こそ、驚きに身と心が支配される。

一度見た技ならいざ知らず、初見の攻撃を解され、ものの見事に足場とされたのだ。

 

轟音の後に生じる、一瞬の停滞。

 

見上げる剣心と、見下ろす刃衛。

 

刃衛のその姿は、正に天に在るべき己の足元に及ぼうとする不届き者を足蹴にする、というものだった。

 

真剣であれば出来ようハズもない芸当。

だが剣心の刀は峰と刃が入れ替わっている逆刃刀(さかばとう)

理屈の上では刃の無い刀を蹴ることはできる。

あくまで理屈の上では、だが。

 

それに何より特筆すべきは、初見で太刀筋を見極めるその眼と勘の鋭さ、そして逆刃とはいえ凄まじい衝撃をもたらされていたハズなのにものともしない身体の驚異的な頑強さだ。

 

 

「うふふ。殺意の無い剣筋など、例え真剣でもただの棒振りと変わりはないさ」

 

 

凶悪に歪む笑みを浮かべた刃衛は刀を振り上げ、その切っ先を剣心の額に定める。

 

攻守が交代した。

絶体絶命に陥ったのは、剣心の方になった。

 

如何に伝説の人斬り抜刀斎といえど、如何に神速を誇る飛天御剣流といえど、空中で至近距離からの刺突を完全に避けることは不可能だ。

 

しまった。

 

そう思うより先に強引に首筋を捻る。

直後、頭上より迫る狂人の刃先は耳を掠め、肩に抉り込んでいった。

 

 

「ーーーー!!」

 

 

空中という逃げ場の無い場所ならば、確実に龍の顎でもって噛み潰す。

そう確信していた。

 

だが、実際は違った。

 

龍の首すら両断し得る死神の鎌が、そこに待ち構えていたのだった。

 

 

「うふふふ。好い声、好い顔、好い感触!伝説の男の断末魔、斯くも心地好いとはなあ!」

 

 

血肉を貪るかのようにぐりぐりと剣先を弄ぶ。

だが喜悦に浸るのも束の間、バランスを崩した剣心につられて、彼もまた地へと落ちていく。

 

落ちる最中、剣心は抉り込まれている刀を素手で掴み、無理矢理引き抜いた。

そして背から地に落ちると同時に受け身を取って即座に距離を取り、片膝立ちの状態になる。

 

一方の刃衛は余裕からか、四本足で着地した体勢のまま舌舐めずりして剣心を見遣る。

その姿はあまりに気味が悪かった。

 

 

「く……っ!」

 

「どうしたどうした、人斬り抜刀斎。たかが肩に刃が刺さって片腕を動かしづらくなっただけだろう?うふ、うふふふ」

 

 

そんな痛みなど無視して殺り合おう。

 

言外にそんな期待を込めて挑発するのは、別の男を思うがあまり故。

痛みも限界も超越し、あらゆる箍も外した先にこそ、生と死がせめぎ合う楽しくて美しい世界があるのだから。

 

 

「それとも、今のお前はこの程度が限界なのか?なら、これはどうだろうなあ」

 

 

四つん這いのまま、その白黒逆転したおぞましい目を煌めかせて、剣心を()()

直後、身体の自由を奪う見えない重りのようなものが剣心の身体にのし掛かった。

 

 

(なッ?!…これ、はーー)

 

 

居竦みの術。またの名を、心の一方。

 

純度の高い“殺気”を視線に込めて相手にぶつける、という至って原理は簡明な術理である。

無論、行動の自由を奪える程の殺気をぶつけるなど常人になど出来るハズもなければ、ましてや呼吸困難に陥れる程ともなれば想像の埒外ですらある。

 

この技は西南戦争時、十徳も味わった苦いものだ。

 

当時、彼は唯一動いた手指の生爪を自ら強引に剥ぎ落とし、その痛みから解呪するという手段を断行した。

だが幕末の最前線を生き抜いた剣心であればこそ、瞬時に原理を理解して正当な手段でもって解呪に動いた。

 

 

「っ、喝!」

 

 

それすなわち、気合いによる殺意の相殺だ。

 

裂帛の気合いが殺意を凌駕したのだ。

 

 

「ほお。流石に抗うか。だが…うふふふ、随分と顔色が優れないようだ」

 

 

今まで多くの戦場にて常に殺意と害意にまみれてきたのだ。

今さら一人の狂人に叩き込まれる殺意を打ち負かすことなど、造作もない。

 

そのことに嘘も誇張もない……のだが。

 

 

「気付いているようだな。そう、あんなもの只のそよ風みたいなもの。徐々に徐々に濃度を高めていってやるさ。いずれは、あの男にした同程度まで上げていこう」

 

 

笑いながら向けられた殺意は、お遊戯みたいなもの。

 

そう直感したからこそ、まだまだ殺意の濃度が高くなるのかと理解して、そして今の身体の調子では抗い続けるのは至難だと思い至ったのだ。

今の肩の傷口を抑えて踞る状態では、出せる気合いもたかが知れている!

 

 

「しッ!」

 

 

このままいいように心の一方を掛けられ続けてはいずれじり貧になる。

片腕が機能不全になっているが、気力と体力がまだある今の状態で勝負に出た方が目はある。

 

もはや短期決戦しか道はない!

 

そう判断した剣心は一気呵成に距離を潰す。

肩から迸る痛みを噛み締めて、片腕で刀を振るう。

 

それを悦楽の表情で迎え入れる刃衛。

 

嗤い、嘲り、振るわれる剣閃を尽く躱す。

紙一重で避け、皮一枚でやり過ごす。

笑い声を交えながら、舞踊のようにひらりひらりと刃を躱していく。

 

そして、思い出したかのように剣心の目を見て、その双眸に怪しげな光を灯す。

 

直後、ずしんと剣心の身体に重い凝りがのし掛かった。

その重さは先程の比ではなく、怒濤の攻勢が止まってしまった。

 

 

「ぐッ、…はああ!」

 

 

だが一瞬硬直したものの、直ぐに己の身体に喝を入れて解呪した。

そして流れるように攻撃を再開する。

 

 

「うふふ、うふわはあはははは!」

 

 

それでも、逆刃刀は刃衛の身に届かない。

もう一歩か、あるいは半歩か。

僅かその程度の距離が、どうしても届かないのだ。

 

大きく歩幅を取っているのに、まるで見透かされているかのようにその分だけ間合いを取られ、空振りを続ける。

 

そして、刃が二桁ほど空を斬ったとき、再度心の一方がその身に襲い掛かってきた。

二回目よりも重く強烈で、掛かった瞬間だけだが呼吸が止まってしまった。

 

 

「ぁ、ぁぁああ!」

 

 

直ぐ様気合いを総動員して押し退けたが、一呼吸分遅れての再攻勢。

大きな隙であったことは誰の目にも明らかだったが、しかし刃衛はそこに突け込まず、嗤いながら見ていた。

 

三度(みたび)剣心の逆刃刀による猛攻を、やはりというべきか刃衛は反撃することなく回避に専念する。

 

避け、躱し、いなして、やり過ごす。

 

そうして再び十回ほどの剣閃を見送った刃衛は、心の一方を更に強固にして剣心に放つ。

それを剣心は、先ほどよりも多くの時と労を掛けて解呪し、再々攻勢に打って出る。

 

剣心が攻め、刃衛が回避に専念する。

刃衛は時おり思い出したかのように心の一方を掛け、剣心はその都度気合いを込めて解呪する。

 

その解呪に掛かる時間は徐々にだが確実に伸びていき、心身の疲労が着実に積み重なっていく。

その様を嘲笑うかのように刃衛は眺め、醜悪な笑みを深くする。

 

 

そんな光景がどれくらい続いただろうか。

 

 

いつしか剣心は両膝と両手を着いて肩で大きく息をしていて、刃衛はそれを愉悦の表情で見下ろしていた。

 

精神を総動員しての心の一方の解呪は、斯くも心身に多大な負荷を掛けるのだ。

況してや剣心は殺し合いという第一線から身を引いて十と余年。

 

その消耗は、自分が予期していた減り具合よりも大きかった。

 

 

「んふ、うふふふふ。日本にその名を轟かせた伝説の人斬り抜刀斎よ。どうだ、明治のぬるま湯に心身共にどっぷりと浸かっていた代償の味は?」

 

「ぐッ、はぁ……はぁ、」

 

 

堪えきれないとばかりに嗤い声を溢す刃衛。

 

剣心は顎を苦しげに顔を上げ、荒い息を溢している。

肩口から溢れる血が腕を赤黒く染め、地に不気味な色の水溜まりを作り始めた。

 

 

「苦しいか?悔しいか?それとも怖いか?ん~?んふふふ……さぁて。その穏やかな顔、悲痛と苦悶に歪ませて削ぎ落としてやろう!!」

 

「…っ!」

 

 

大きく振り上げられる凶刃。

 

炎の色を反射して妖しく煌めくその刃を見上げ、剣心は苦渋に染まった顔を見せる。

 

 

が、直後に驚愕の色に染まった。

 

 

横合いから現れた男が、刃衛に斬りかかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

肉薄し、剣と拳を縦横無尽に振るう男。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

四乃森蒼紫だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

御庭番式小太刀流『千紫万紅』

 

 

 

 

無数の剣閃と拳、或いは蹴足が刃衛に襲い掛かる。

 

その拳打は巌をも貫き、その蹴足は木をも薙ぎ払う。

人体の究極とは、このような身体を指すのかと思うほど。

 

十徳を苦しめた全身凶器の蒼紫の戦法が、無慈悲に刃衛に降り注ぐ。

 

殊に対個人戦において最多の技を一瞬にして繰り出すこの技は、正に圧巻の一言に尽きる。

 

 

だが、当たらない。

 

尽くを躱され、避けられる。

 

横合いからの奇襲さえ、歯牙にも掛けない様子だった。

 

 

空気を切り裂き、突き破る音が響くなか、遂に刃衛が小太刀を小さなバックステップで躱した直後、カウンターで大きく刀を振るう。

 

奇襲によって防戦一方だった刃衛の初めての反撃。

態勢を立て直されたのだ。

つまり、奇襲は効果を得られずに終わってしまった。

 

それを理解した蒼紫はダッキングで躱すと、距離を取る為に数歩下がる。

 

それを刃衛は追撃せず、忌々しげに見ていた。

 

 

「お前……何者だ?」

 

「隠密御庭番衆頭領、四乃森蒼紫。貴様が鵜堂刃衛だな?」

 

「……俺を知っているのか」

 

十徳(やつ)を調べていたとき、西南戦争時に奴と死闘を繰り広げた男がいたと知った。調べるのに随分と苦労したが……貴様のことだろう、鵜堂刃衛」

 

「ん~?んふふふ…そうか、そうかそうかそうか。お前も狩生の関係者か。うふふふふ、うふわはあはははは!そうかそうか!」

 

 

忌々しげな表情は一変し、歓喜に満ちた笑い声を上げる。

その高らかな笑い声は聞く者の底にまで響いた。

 

数秒か、数分か、数時間か。

赤く照らさせる夜空に響く哄笑が漸く収まると、刃衛は嬉々として話し出した。

 

 

「いかにも。薩摩の地で奴と死合いをしたのはこの鵜堂刃衛、この人斬り刃衛だ。うふ、うふふふ」

 

「やはりか……だが、それであれば話は早い。鵜堂刃衛、貴様は俺がここで殺す」

 

「ほう?」

 

「奴を殺すのはこの俺だ。お前にはもう二度と挑戦させん。ここら辺にいられると後々邪魔されそうだからな、排除する」

 

 

睨み付けながら蒼紫は言う。

それを聞いた刃衛は一瞬きょとんとし、次いで再度笑いを爆発させた。

 

ただその笑い声に、侮蔑の色は無かった。

 

 

「あっはははははは!そうかそうか、お前も奴に惹かれているのだな!そこの髑髏頭巾も、異国女人も、そしてこの俺も!皆が皆、奴に惹かれるが故にここに集ったのか!!うふわはあはははは」

 

 

天をも貫かんばかりに喉から笑い声が迸る。

本当に心の底から溢れ出る歓喜の感情を、ただただ爆発させていた。

 

 

「……だが、蒼紫といったか?その様で俺と死合おうとは妄言も甚だしいぞ。どこで遊んでいたのかは知らんが、その妄言の対価は高いものと知れ」

 

 

刃衛の言う通り、今の蒼紫は見て分かるほどに被害が大きかった。

 

額からは血を流し、被服は血や泥や煤で汚れ、いつもの涼しげな顔も時おり苦悶に歪む。

 

観柳の手勢は数が多く、戦をそれなりに経験している剣客侠客も複数いた。

おまけに回転式機関銃(ガトリング・ガン)を所持していたし、他の西洋火器も扱っていたのだ。

 

回転式機関銃(ガトリング・ガン)を所持する多数の敵を一人で制圧する。

言葉にすると簡素になってしまうが、その所業はもはや人の範疇に入らないだろう。

 

比較として挙げるならば一つ。

西南戦争時、回転式機関銃(ガトリング・ガン)を一丁使用する敵小隊を殲滅するため、十徳たち二十三人が襲撃に向かったことがある。

 

結果は惨敗。

 

一回目の正面強襲は、半数以上の死者を出しての敗走という形に終わってしまったのだ。

点による対人攻撃が主の小火器とは違い、線による対軍攻撃を可能足らしめる重火器は、それほどまでに危険な武器なのだ。

 

状況も何もかもが違うが、(こと)重火器を制圧するということを単身でやり遂げた蒼紫の実力は、やはり桁違いと言えるだろう。

 

だが、とはいえ流石の蒼紫でも無傷とはいかなかったようだ。

 

 

「確かに、今の俺は十全には程遠い。だからこそ、そこな男を出汁に奇襲を仕掛けたのだが……いや、もういい。いずれ血の臭いに誘われて奴が来るだろう。こうして話す時間も惜しい」

 

「うふふふ、うふふふふ!いいねぇ。単なる邪魔者ではなく、奴の関係者ならば大歓迎だ。奴との死合い舞台のため、この中でも一層目立つ墓標にしてやろう」

 

 

そう言って刃衛は両手を広げて、迎え入れるかのような悠々とした態度で蒼紫に近付いていく。

変わらない狂気に染まった笑顔を見せつけながら、着実に歩を進める。

 

一方の蒼紫は小太刀を構え、空いた手を握力を確かめるかのように動かしながら待ち構える。

体力の消耗も激しく、深手を負っている箇所からは激痛が走るが、身体を動かすにはまだ問題ない。

 

問題があるとすれば、眼前の敵の実力が予想より上回っていたことか。

修羅(じっとく)と死闘を演じるほどだから相当の実力を有しているとは考えていたが、実際はその予想を遥かに上回っていた。

 

今の肉体的状況から鑑みるに、決して楽な相手ではない。

そう考えると、先の失敗した奇襲はもしかしたら最初で最後の好機だったのかもしれない。

 

内心で歯軋りをするが、直ぐに心を引き締める。

 

どのみち刃衛(コイツ)を目撃して排除しない手など打つハズもなかったのだ。

この現場を、十徳を模した頭部を貫く刀が乱立しているこの現場を目の当たりにして、冷静でいられるハズもなかったのだ。

 

なればこそ、今は後悔するよりも戦術を練るのが先決だ。

 

と、思考していると、小柄な男が肩を並べて構えていたことに気が付いた。

 

 

「…何をしている?」

 

「あの男を止めるのなら協力する。お主も相当の実力者なのだろうが、その容態では厳しかろう」

 

「ふん」

 

 

勝手にしろ

 

 

 

 

蒼紫はそう答え、剣心と共に狂人を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 








十徳だと思った?
ねぇねぇ十徳だと思った?!

残念、蒼紫でした~!



……いつになったら十徳は刃衛と剣心に会えんだよ(本音)

なお、蒼紫の技は全てオリジナルです

なんとな~く花の字の四字熟語が合うと思ったんです
それだけです







十徳「倉庫、支流の向こうじゃん。遠回りかよメンドクセー………ん?」




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

46話 横浜激闘 其の拾参








どうぞ









 

 

 

 

 

剣心と蒼紫による猛攻は苛烈を極めた。

 

両側から、前後から、或いは上下から。

神速の飛天御剣流が、拳と小太刀の御庭番式小太刀流が、容赦なく振るわれる。

 

幕末期において互いに敵同士の陣営に属していた二人が、今は共通の敵を前にして、磨き上げた己が流派の剣術を共に遺憾なく発揮する。

 

二人の過去を知る者ならば、その光景はとても非現実的なものに映っただろう。

 

あくまで、一時的な共闘。

仲間意識など無く、むしろ互いに事情も正体も不確かな仲だ。

 

それでも。

 

目を見張るほどの流麗な剣閃を怒濤の勢いで繰り出す二人の息は、あまりにもぴったりと合っていた。

 

 

 

だが

 

 

 

 

 

「うふふふ、良い、良いぞ。二人を相手にしてはさしもの俺も防戦一方だ、うふわはあはははは!」

 

 

 

刃衛を捉えることは能わなかった。

 

自らの言う通り、攻勢に転じることはできないのだろう。

だが嬉々とした表情と声音は相も変わらず、それが余裕の証左に見えた。

 

全力で回避に専念しているためか、それともまだ余力が有るからか。

その動きはまるで舞踊のようだった。

 

 

「…ぐ!」

 

「チッ」

 

 

苦い顔をする剣心と蒼紫。

 

直後、示し合わせたかのように一息に技を放つ。

 

 

 

 

飛天御剣流『龍巣閃』

 

 

 

御庭番式小太刀流『千紫万紅』

 

 

 

 

暗い赤に染まる闇のなか、一瞬にして多数の白刃が煌めいた。

 

空気を斬り裂き、熱気を振り払う。

 

剣心と蒼紫が、今の自身のコンディションで放てる最大量の連撃だ。

 

一人の太刀筋だけでも回避は不可能なほどの圧倒的な数の暴力。

それが二人から繰り出されては、まずもって避けきることはできないだろう。

 

 

普通ならば。

 

 

 

「うふ、うふふふふ、うふわはあはははは!!」

 

 

 

だがやはり。

 

常と異なる性質の狂人ならば、その限りではなかった。

 

哄笑を上げながら小太刀を避け、喜悦を溢しながら逆刃刀を躱す。

急所への一閃は刀を使って防ぎ、薄い肉や皮を代わりに斬らせる。

 

如何な狂人といえどさすがに無傷とはいかないようだが、自身が傷つく度にその笑顔は一層深くなる。

痛みを感じていない?

いや、痛みは二の次でその感触に快感を覚えているのだ。

 

狂っている。

 

初めから分かっていたが、その狂気度を改めて目の当たりにした剣心と蒼紫は、背筋に一筋の冷や汗を流した。

 

それを皮切りに二人は連撃を止め、間合いを取った。

 

 

「っ、はあ、はあ……こやつ、本当にッ」

 

「あぁ、厄介極まりない…あの狂性を前にするのは」

 

 

互いに肩で息をしながら内心を吐露する。

 

常に狂気を孕んだ笑みを浮かべ、時に高笑いしながら剣を振るう相手は非常にやりづらい。

二人とも手負いでありながら、しかも知らない仲のコンビネーションでありながら良く戦えているが、それでも致命打までのあと一歩が遠い。

 

否、近づきたくない、というのが心の奥底にある。

 

こんな相手とまともに戦える奴がもしいるのなら、今すぐにでも手を貸してほしい。

三人ならばあるいは…だが、そんな贅沢は言ってられない。

 

刀の柄を握りしめ、気合いを新たにしたときだった。

 

 

「ふむ。剣士の動き、篤と拝見した。練習としてだが、念のために隠していた最後の一体で加勢しよう」

 

 

真横から聞こえた声に剣心と蒼紫が視線を向けると、十一体目の十徳人形が近づいてくるのが見えた。

 

 

「なッ、狩生十徳?……いや、傀儡か」

 

「あぁ。あれも、ここらの刀に串刺しにされている物と同じ、人形のようでござるな」

 

 

熱気ある夜風にたなびく銀色の長い髪。

黒の洋装に一振りの刀を持って凛と佇むその姿は、十徳を知る者ならば彼本人であると言わしめるだろう。

それほどに精巧で、歩き方も佇まいも人間と変わらない。

 

ただ唯一遠目からでもやはり違うと断言できてしまうのは、その生気の無い硝子細工の虚ろな瞳だからだろう。

 

 

「それとも、ここは剣客風に『助太刀のため推参つかまつる、いざ』と言うべきかな」

 

 

肩の傷を押さえながら、その片腕を突き出して斬鋼線を操る外印。

 

 

 

十一体目の最後の戦闘用機巧(からくり)が、二人に加勢した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人と一体が刃衛を囲むように布陣し、睨み付ける。

正面に剣心、左右後背にそれぞれ蒼紫と十徳人形が位置している。

 

この状況において刃衛は嗜虐的な笑みを一層深くし、そして吼えた。

 

 

「さあ、掛かって来い!死する覚悟で刃向かえば、あるいは俺の身にその刃が届くやも知れぬぞ!!」

 

 

その声を合図としたのかのように、二人と一体が一斉に駆け出した。

そして手に持つ各々の刀をそれぞれ刃衛の顔面、心臓、肩部へと刺し貫くーー

 

 

が、その切っ先はどこにも触れることはなく。

 

 

低姿勢に屈んだ刃衛は躱した刃を見届けると、直ぐ様竜巻の如く身体を回転させながら刀を振るう。

 

鮮血が舞い、数種の部品が地に落ちる。

 

 

「うふわはあはははは!!」

 

 

最初の標的は、剣心だった。

 

仰け反る蒼紫と十徳人形を尻目に、胸に手傷を負った剣心に肉薄する。

それを剣心は必死の覚悟で迎え撃つ!

 

 

「は、ぁぁああ!」

 

 

耳をつんざく剣戟が木霊し、血や汗が地に飛び落ちる。

 

唯一動かせる片腕で致命傷は辛うじて防ぐが、顔、肩、脚などが徐々に徐々に削られていく。

 

そんな防戦一方の剣心だが、一方的に殺戮の嵐に晒されることはなく、しかと()()を見計らっていた。

 

 

そして、満を持した瞬間

 

 

「はああ!」

 

 

刃衛の鋭い刺突に狙いを定め、身を捻って躱す。

 

同時に、その切っ先の前に己の袂を翳し、そして貫かせた。

 

 

「ぬうっ?!」

 

 

そして腕と脇腹で刀身を挟み込み、刃衛の行動を固縛する。

 

胴に食い込む刃に怖じず、しかと抱き寄せる!

 

 

その瞬間を突いて、刃衛の背後から肉薄してきた蒼紫が速度を緩めずに刃衛に突っ込んだ。

 

 

御庭番式小太刀流『柳緑花紅』

 

 

最大戦速の勢いでもって小太刀の柄尻を対象に叩き込み、突き飛ばす技。

それを、振り返った刃衛の水月に叩き込んだ。

 

此の戦いが始まって初めての、会心の一撃。

骨は軋みを上げ、衝撃による苦悶の声を口から溢し、そして刃衛は吹き飛んだ。

 

恐らくこれが本当に最後になるだろう、最大の好機。

 

故に攻め手を緩めるハズもなく、吹き飛ぶ刃衛の先には先回りしていた十徳人形がいた。

口端から血のような赤黒い液体を滴らせながら、刀を構えて刃衛を待ち構える。

 

 

「ぬ、ぉお、おお!」

 

 

滞空中、刃衛はつい、心の一方を発動した。

今の状況に危険性を感じ、相手の動きを封じて少しでも状況を覆せればと咄嗟に考えての行動だった。

 

が、直ぐに悟った。

 

人形相手には通じるハズもない、と。

 

 

結果的に無意味になってしまった一連の動作と思考の所為で、刃衛は無防備な状態で十徳人形に突っ込んで行った。

 

そして。

 

 

「    」

 

 

如何な仕掛けか、果たして意味もあるのか。

何か呟くように口を開いた十徳人形は、下段に構えていた刀に力を込めーーー

 

 

 

刃衛を斬り上げた。

 

 

 

 

 

人形故に人を凌駕する膂力でもって刃衛の刀を叩き割り、その身を斬り結んだ。

 

叩き折られた刀とともに、血を撒き散らしながら刃衛は更に後方へと飛ばされ、そして一つの倉庫に突っ込んだ。

 

 

「ーーーー」

 

 

壁を突き破った破砕音が辺りに残響し、それが次第に収まると、炎が立ち上る音と二人の荒い呼吸音だけが響く。

 

どれくらい、皆がその場に留まっていただろうか。

倉庫にできた穴をただただ見詰め、刃衛が出てくるのに備えていた。

 

また、出てこないことを心の片隅で祈っていた。

 

 

「……っはあ、はぁ、ぜえ、ぜぇ」

 

 

その緊張も長くは続かず、剣心はどっと押し寄せてきた激痛と疲労によって片膝を着いて、荒い息を溢す。

蒼紫も力を抜くと、目を瞑って深呼吸を繰り返しだした。

 

無論、誰一人あの男がこれで死ぬとは思っていない。

 

だがあの一撃は、誰の目から見ても文句の付け所のないものだった。

剣士の動きは理解したと髑髏頭巾の者が言ったのは、誇張でもなんでもなかったようだ。

 

なればこそ、重傷は避けられ得まい。

 

こちらは二人が満身創痍だが、ほぼ十割の力を残している剣士人形がいるし、向こうも深い手傷を負ったならば仮に起き上がってきたとしても勝機は十分にある。

 

心の内でそう算段を着けた剣心は、幾分か落ち着いた息を更に整えて隣に佇む蒼紫に問うた。

 

 

「鵜堂刃衛。嘗ての新撰組で知れ渡った悪名高き名と同じだが…?」

 

 

蒼紫も瞼を上げ、息を整えてから答えた。

 

 

「本人だろう。あの異常性と残忍性、そして(れっき)とした実力、他に思い当たる節もない」

 

「そうでござるか……」

 

 

そう言って、剣心は質問を続けた。

 

 

「……そして、お主は隠密御庭番衆の頭目であるのだな?」

 

「そういう貴様は、人斬り抜刀斎に相違ないな?」

 

 

見上げる剣心と、見下ろす蒼紫。

 

その視線が交差し、互いの瞳に突き刺さるも、お互いに動じることはない。

数秒ほどお互いを観察しあうと、先に口を開いたのは蒼紫だった。

 

 

「一つ教えろ。何ゆえ横浜に来た?」

 

「拙者はただの流浪人。当てもなく流れてきただけでござる」

 

「なるほど、本当のことは言えぬか」

 

「え……?」

 

 

いや本当のこと…と剣心が漏らした声はもはや耳に入らなかった。

 

蒼紫の心は今、少しばかり踊っていたのだ。

 

やはり、あの男は面白い。

御庭番衆(われわれ)や観柳の手勢のみならず、大鎌の女が率いる不明集団に、快楽殺人鬼の鵜堂刃衛、後ろに控えている十徳の姿を模した人形を操る人形師に、伝説の人斬り抜刀斎が、奴のいる横浜に集ったのだ。

 

皆が奴を目掛けて、群がってきたのだ!

 

これほど痛快な話があるものか。

維新を経て落ち着きを取り戻した日本において、奴の周りだけは今尚戦乱の煙が渦巻いているのだ。

なんという運命、なんという修羅道!

 

 

そんな燻りだした胸の熱を感じて、これからの自分達の姿に思いを馳せていた蒼紫はーー

 

 

 

自分の声を無視して己の世界に浸っている蒼紫にどう声を掛けようか迷っていた剣心はーー

 

 

 

 

 

 

 

 

斬り上げさせた際、妙な手応えの無さに違和感を覚えていた外印はーー

 

 

 

 

唐突に訪れた小さな異変に虚を突かれた。

 

 

 

 

 

 

「「「 ??!! 」」」

 

 

 

 

 

直ぐ様精神を切り替えて臨戦態勢に入った剣心と蒼紫の目には、頭部に折れた刀を突き刺された十徳人形が映り、次いで倉庫の穴から出てきた()()が映った。

 

 

「なん…だと」

 

「急激な肉体変貌?一体…!」

 

 

穴から出てきたのは、正しく鵜堂刃衛だ。

 

変わらない禍々しい笑みと醸し出す狂気の気配は、同一人物であることを如実に示している。

だが、体格があまりに違いすぎる。

 

先ほどまでの痩せた体格とは一線を画しており、筋骨隆々の姿と相成っている。

今までに感じたことのなかった“力強さ”が、空気を伝ってひしひしと感じ取れた。

 

 

 

咄嗟に動いたのは外印だった。

 

十徳人形が豹変した刃衛に最も近い場所に位置しているのだ。

距離を置いて、まずは相手を観察することに専念するべきだ。

 

そう判断しての行動は、間違いではない。

 

 

ただ、()()()()()()()()()の話。

 

 

 

「なっ?!」

 

 

その速さに、目を見張る三人。

 

予備動作もなく、一気に距離を潰して十徳人形に迫ったのだ。

 

慌てて刀を振るうよう斬鋼線を操るが、時既に遅し。

 

投擲して頭部に突き刺した刀を掴み、十徳人形を固定する。

もう一方の手で十徳人形の持つ刀を、人形の手ごと掴み上げ、そして脇腹に押し付ける。

 

 

勢いも気合いもなく、それは作業のよう。

 

 

皮を破り、肉を裂き、内蔵部品を断ちながら、背骨に類する柱を捻り折り、どんどん刃を食い込ませていく。

 

ざりざりと、ぐしゃぐしゃと。

 

血のような赤い液体が撒き散り、ひしゃげた部品が弾け、形容しがたい異音が響く。

 

 

そして一際強く刀を押し付けると、遂に胴体を下半と上半とに別けた。

下半身はどっと崩れ落ち、しかし捕まれていない片手は尚抗うかのように刃衛の顔面を掴もうともがく。

 

が、そんな些事などどこ吹く風。

 

刃衛は渾身の力を込め、人形の頭部に刺した刀を地に押し付ける。

 

耳を塞ぎたくなる音とは、このことだろう。

また、あまりの凄惨な光景に、例え人形であろうと吐き気を催すレベル。

 

上半身が縦にスクラップにされ、潰れた頭部に残る刃が墓標となって地に突き刺された。

 

 

「「…………」」

 

 

誰もが固まり、固唾を飲んでいた。

 

絶句、驚愕、そして畏怖。

 

あれが人間のすることなのか。

あれが狂人のすることなのか。

 

もし、あそこの人形が人間であったなら。

 

もし、あそこにいたのが自分だったなら。

 

 

あまりの事態を目の当たりにし、全身が硬直して動けなかった。

 

 

 

「うふふ、驚いてくれたようだな。その表情は非常にそそられるが、なに、これはそう難しい話じゃあない」

 

 

突き立てた墓標から手を離し、立ち上がりながら言う刃衛。

 

 

「これは心の一方を自分に掛け、潜在能力をむりやり顕在化させただけだ。恐怖は時に力をもたらすだろう?ま、要は自己暗示のようなものだ」

 

 

便利なものだろう、と。

軽い感じに言う刃衛に、当然リアクションを取れる者はいなかった。

 

外印も、蒼紫も、剣心も。

死と恐怖を体現したかのような男を前に、戦意を喪失していった。

 

 

外印は早まったことをしてしまった、と髑髏のマスクの中で歯軋りしていた。

師の人形の練習台として軽く扱おうとしていたつもりが、その相手は人形のみならず自分もろとも残忍に殺せる輩だった。

しかも、噂に名高い人斬り抜刀斎もさえ、圧倒する実力を有していたのだ。 

 

軽い気持ちで師の周りに揺蕩う戦乱の渦に突っ込むべきではなかった。

そうだ、当の師ですら腕を亡くしたり義腕を使い潰したりと、文字通り身を削っていたではないか。

 

それを知っていながら、どうして自分は愚かなことをしてしまったのだろうか。

 

 

 

蒼紫は、相手をよく知りもせずに自ら死地に飛び込んだ己の浅はかさに扼腕していた。

後に控える十徳との戦闘を考え、観柳の手勢を排除した勢いそのままに潰そうと挑んだが、それは大きな誤算だった。

 

あの垣間見た実力、そして醸し出す濃厚な死の気配は、例え自分が万全の状態であっても苦戦は免れ得ないだろう。

いわんや満身創痍の今の状態なら、考えることすら放棄するレベルだ。

 

どうして自分は、十徳と激戦を繰り広げた相手という前情報を持っていながら、こうなることを予期しなかったのか。

 

 

 

剣心は、今までにないほどの激しい怒りを己に向けていた。

 

自分は第一線から身を引き、人殺しを忌避し続けてきた。

殺し合いの戦場から距離を置き、格下の者を相手取ることしかしてこなかった。

 

その事実に、後悔はない。

 

明治の世になって凡そ十年、その結果として多くの弱き人たちを助けることができたのだから。

 

その時の彼らの笑顔や感謝の言葉は、決して嘘ではなかったはずだ。

時おり恐ろしいものを見る目で見られたりすることもあったが、総じて人々の笑顔は守られたと信じている。

 

だから今日、この場においても、自分が顔を突っ込むことは当然と云えたし、やはりそのことに悔いはない。

 

だからこそ。

 

相手の力量を見誤り、結果としてここにいる者を誰一人として守れないという不甲斐なさが、どうしても許しがたかった。

 

何のために逆刃刀を持って流浪の旅に出たのか。

何のために弱い人を守ろうと誓ったのか。

 

これでは、ただ命を数分だけ先伸ばしにしただけではないか!

 

 

鵜堂刃衛。

 

奴の嗜好的殺戮現場に乱入し、それを阻止しようなど烏滸がましいことだったのかもしれない。

この身を犠牲にしてでも奴の注意を逸らし続け、戦線を移動させて他の者を避難させることが、最善手だったのだ。

 

 

戦おうなど、最初から無理だったのだ。

 

 

況してや凶行を阻止しようなど、無茶だったのだ。

 

 

そもそもにして、奴と戦うこと自体が無謀だったのだ。

 

 

 

だから、全てが無駄だったのだ。

 

 

 

 

「ん~?どうしたどうした、三人とも浮かない顔をして。まだ身体は動くだろう?まだ刀は振るえるだろう?ならば諦めるのは早計ではないか。諦めなければ勝てるかも知れぬぞ?」

 

 

醜悪かつ凶悪な笑みを浮かべながら挑発する刃衛。

絶対的な自信を持つが故に、尚抗えと言う、尚戦えと言う。

 

自分を滾らせろ、楽しませろ、悦ばせろ。

 

言外に告げるその思惑に、無論、応える者はいなかった。

外印と蒼紫は徐々に後退り、どうにかしてこの窮地を脱しようと画策する。

当然、刃衛はそんなこと既に看破している。

 

だが今は、その二人よりも一番自分の近くにいる抜刀斎が気になっていた。

 

彼だけが唯一、下がらずにいたのだ。

 

 

「ん~、んふふふ。そうだ、そうだぞ抜刀斎。諦めるな、食い下がれ。まだまだお前も戦えるだろう」

 

 

剣心に近づきながら、まるで言祝ぐように言葉を紡ぐ。

 

そうだ、あの伝説の人斬り抜刀斎がこれしきで終わるわけがない。

弱体化著しいとはいえ、戦いを捨てる愚か者に成り下がるハズもない。

 

まだまだコイツは戦える。

まだまだコイツは、俺を感じさせてくれる!

 

しかし、刃衛は剣心に近づくにつれて、その瞳の輝きが別の色になっていることに気が付いた。

 

 

「……確かに、無理で、無茶で、無謀で、無駄だったのかもしれない。お主の言う通り、今の拙者ではもはや足元にも及ばぬ。殺される未来に変わりはない。早いか遅いかの違いしかないでござろう」

 

「んんん?」

 

 

 

発せられる言葉はか細く、内容は悲観的。

 

けれど徐々に語気は荒ぶり、刀を握る手は鬱血するほどに力強くなっていて。

 

 

 

「それでも、あと数秒ならば時間は稼げる。たったの数秒だがッ、他の者たちを逃がす時間ぐらいならば、拙者一人でも作れる!」

 

 

 

折れ掛けた心でも尚、彼は吼えた。

 

 

 

「来い、刃衛!拙者を()()()()()()()()()、この身でもって作らせてもらうでござる!!」

 

 

その瞳の色は、死を覚悟した者のそれだ。

 

自分の命を犠牲にして他者を生かそうとする、強い意思。

 

腹の底から叫ぶ剣心を前にして、刃衛の笑みに獰猛さが付け加えられた。

 

 

 

「うふ、うふふ、うふわはあははははは!あの人斬り抜刀斎が、自分の命を犠牲にして、他者を生かすことしか出来ないとは!なんたる滑稽、なんたる道化!堕落した人斬りのなんたる無様さよ!うふわはあははははは!!」

 

 

 

今までに聞いてきた狂気を孕んだ哄笑よりも、なお禍々しく、なお騒々しい大音声。

 

人とは、斯くも狂った笑い声を出せるのかと思わせるほどの、歪な嗤い声。

 

 

人ならざる者の笑い声は、聞く者全ての総身を凍てつかせる。

故にその笑い声を聞いて、誰もが動けなかった。

 

 

 

「ならば望み通り、じっくりたっぷり味わって殺してやろう!うふわはあははははは!!」

 

 

 

 

笑いながら刀を振りかぶり、そして脳天に叩き付けようとしてくるのに、当の剣心ですら動けなかった。

 

 

 

 

戦意を砕き、恐怖と嫌悪を心に刻み付けられたのだ。

 

抗うことも、命を乞うことも、そして逃げることも。

 

 

 

あらゆる行動を取る気概を挫かれ、ただただ眼前の狂人の凶行を見るしか出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

人の域を逸脱した、正しく死神のような男に抗せる者など、誰一人としていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この瞬間までは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ーーーーー!??」

 

 

 

 

刃が剣心の頭蓋をかち割る直前に、()()は乱入してきた。

猪突猛進と言える速度を優に上回る速度で、土煙を上げながらばく進してくる、見慣れないナニカ。

 

明治の日本においてはまず知る者はいないし、世界中を探しても知っている者は極少数だろう。

 

涙滴(るいてき)型の体は前後に長くて細く、真ん中に人が入れる窪みがある。

全長は三メートルほど、全高は一・五メートルほど。

体の前と後ろとで挟む様に二対装着されている大きな輪。

 

それが爆音を掻き立てて高速回転し、地を抉りながら体を前方へと突き進ませる。

 

 

欧州の片隅で試作が続けられているそれは、とある男のけしかけによって、観柳が投資して早期実現を果たした物。

 

最果ての東洋の地へと海路遥々運ばれてきた供試品。

 

瞬間最高速度、時速百キロを叩き出す怪物。

 

 

 

 

 

“自動車”が猛進してきたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

狂気の笑い声は掻き消えた。

 

変わりに心臓にまで轟くは、エンジン音と土を削る音、そして空気をぶち破って()()した高エネルギーの音。

 

燃え盛る倉庫の横を流れる支流を飛び越え、自動車は人類史上初の飛行を成し遂げたのだ!

 

突如として現れた自動車に、さしもの刃衛も身体を硬直させた。

直前まで死を覚悟していた剣心も、退避する算段を思案していた蒼紫と外印も、もはや茫然自失していたエミーも。

 

皆が皆、身体を一寸たりとも動かすことができず、それに目と耳を奪われ、心臓を鷲掴みにされて意識を固定された。

 

 

だが、自動車は飛距離が足りなかったのだろう、次第に車体前部を下に向け始め、遂には支流へと落ちていくではないか。

 

墜ちる。

誰もがそう思ったその時、一人の人間が窪みから勢いよく飛び出て、そして跳躍した。

 

足場にした自動車は支流へと直行し、逆にその者は更なる高みへと飛翔する。

 

 

 

それはまるで、流れ星の如く。

 

 

 

白銀の色をした何かが尾を引くようにたなびき、速度を緩めることなく高空から降りてきた流れ星はーー

 

 

 

 

「刃衛ぇぇぇぇえええええ!!!」

 

 

 

 

嘗ての狂人の笑い声を上回る、臓腑を鈍器で殴りつけたような衝撃をもたらす咆哮を上げた。

 

 

 

 

それが響き、そして未だに硬直している刃衛へと到達すると、その鋭い足先が刃衛の腹部に抉り込まれた。

 

折れ、砕け、そして潰れる音が響き、再び刃衛は這い出てきた倉庫に、だが先ほどよりも上回る速度で突っ込んでいった!

 

まるで砲弾が突っ込んだかのような破砕音と衝撃。

闖入者によるその奇襲を、最初は皆愕然として見届け、身を強張らせていた。

 

 

 

だが。

 

 

 

薄汚れた、しかしそれでも尚綺麗と思わせる白銀の長い髪を煌めかせ。

 

傷だらけの痛々しい姿をむしろ堂々と見せつけるかのようにして剣心の前に降り立ち。

 

皆を守るようにして凛とした背を見せるその者が。

 

 

狩生十徳だと分かってーーーー

 

 

「おぉ、おぉぉお!師だ、やはり私の師だ。師ならこの狂宴に駆け付けてくると……私は、私はッ…!」

 

 

例えば外印は髑髏マスクの中で、初めて十徳と会ったときと同じほど、否、ともすればそれ以上の涙を滂沱する。

 

嘘偽り虚飾脚色無く、本当に十徳の背が輝いて見える。

震え、極彩色に満ちている心が、彼の身を覆っているように外印には見えるのだ。

 

 

「……ふん」

 

 

例えば蒼紫は一つ鼻を鳴らし、構えていた拳と刀を降ろした。

下げていた足も、その分だけ前へと戻した。

 

奴が来た。

それだけで、万に比する援軍が来てくれた頼もしさに似た高揚感が身を包み、撤退の二文字が頭から転がり落ちたのだ。

 

 

「アイツ…またあんなボロボロにッ、また無茶して……でも、良かったぁ。無事で良かったよお、来てくれて良かったよお……!」

 

 

例えばエミーは見知った顔の男が駆け付けて来てくれたことで、漸く心の底から安心して一筋の涙を流した。

 

彼女にとって状況は変わらず何も分からないままだが、それでも今の十徳は何物にも替えがたい唯一の存在に映っているのだ。

この窮状から自分を救ってくれる、空想上の騎士(ナイト)を思い浮かべたほどだ。

 

 

そしてーーーー

 

 

「お主、は……?」

 

 

剣心は知らない。

その背を、その男を、その者の名を。

 

薄汚れ、煤け、赤黒い血痕が大量にこびりついている、逞しい後背姿。

自分を庇うかのようにして立ち塞がり、これからは俺が相手をすると言わんばかりの威風堂々とした気迫。

 

突然の事態に見とれていた剣心は数秒の時を経て漸く我に帰り、その背に声を掛けようとした。

 

いけない。

あの狂人はこれしきで倒れない。

奴を相手にするのは危険すぎる。

助けてくれたことには感謝するが、ここは皆を連れて逃げてくれ。

 

だから……!

 

 

しかし、先に声を掛けられたのは、剣心の方だった。

 

 

ただ一言。

 

たった一言。

 

 

 

 

ありがとう、と。

 

 

 

 

「……え?」

 

 

聞き間違いか、空耳か。

それとも遂に自分も狂ったのか。

 

こんな死と狂が色濃く渦巻く戦場で、そんな優しい言葉が聞こえるハズがない。

ましてや誰かを労り、慮るような声音でもたらされるなど到底あり得ない。

 

なのに、そうだというのに。

 

 

 

 

 

本当にありがとう、と。

 

 

 

 

今度ははっきりと聞こえた。

 

もはや聞き間違いでもなければ空耳でもない。

確かに、目の前の背中がそう言ってくれたのだ。

 

そしてゆっくりと振り向いて見せてくれた、その優しい言葉を掛けてくれた男の顏は。

 

 

若く、整った顔立ちをしている。

 

けれど、あまりに傷だらけで、至るところから血を流していてとても痛々しかった。

 

額から頬にまでかける一際大きな裂傷から、無惨にも片目を切り裂かれているのだと分かる。

 

 

けれど、それでも。

その男の微笑みはひどく穏やかで。

見ている此方すら、穏やかな気持ちになってしまいそうで。

 

背後にさらさらと流れる白銀の長髪が、どこか幻想的な彩りとして瞳に焼き付いて。

 

魅せられる、とはこのことなのだろうかと、場違いにも思ってしまうほどに温かみがあった。

 

 

「確かに、無理で、無茶で、無謀だったのかもしれない」

 

 

優しげな面貌から紡がれる温かい言葉は、大きな安らぎをもたらしてくれる。

胸にあった様々な感情が、一気に(ほぐ)れていく感覚に襲われた。

 

 

「けど、決して無駄じゃなかった」

 

 

それに、温かいだけじゃない。

後は任せろと語っているようにも聞こえて、まるで荒れ狂う大海の上にある不沈の船に乗った心強さも感じさせてくれる。

 

 

「貴方のおかげで俺は間に合えたんだから。貴方の必死の抵抗、決死の覚悟は、本当に格好良くて、本当に凄かった」

 

 

 

 

やっぱり貴方は、日本の英雄だ。

 

 

 

 

微笑みながらそう言って、再び礼の言葉を述べてから頭を下げた白銀の青年に対し、剣心は何も言えなかった。

 

 

 

あの凶悪強敵を前に手も足も出なかった自分の戦いを。

 

真の力を発揮した相手に命を賭しても数秒しか稼げないと諦めていた自分の不甲斐なさを。

 

 

きっと誰一人として守れなかったであろう自分の弱さも!

 

 

目の前の男は、ありがとうと言い、無駄ではなかったと言い、そして……

 

 

その言葉にいったいどれ程の重みがあるのか、きっと目の前の青年は理解していない。

 

 

けど、それはつまり。

意味を理解して打算的に言ったということではないのだ。

 

 

だからこそ、こんなにも心に響いたのだ。

 

 

 

気付けば強張っていた身体からストンと力が抜け落ち、剣心は地に膝をつけていた。

 

 

 

 

無駄ではなかった。

 

 

 

 

みっともない自分が稼いだ時間は、決して無駄ではなかった。

 

 

 

 

 

 

そのことが、ひどく嬉しくて。

 

 

 

 

 

良かった、良かったと。

 

 

 

 

 

剣心は噛み締めるように何度も呟いた。

 

 

 

 

 

 










次話は少々お待ちください(震え声)







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

47話 横浜激闘 其の拾肆




ご無沙汰してます、畳廿畳です

多くの読者の方々に満足してもらえるよう、書いては消して書いては消してを続けること約二ヶ月…
これ以上やってもキリがないと思い、なんとか書き上げました


とはいえ、今話はいわゆる決戦前夜みたいなもの

多くの皆さんが待ちかねているであろう血戦(誤字に非ず)話は今夜の内に投稿します

それまで可能な限り粗を削っておきますので、どうか楽しみにお待ちください


では、どうぞ










 

 

 

 

 

 

 

『おい、またアイツらだ…』

 

『あんまり近くに行くなよ。難癖つけられたら面倒だ』

 

『また人増えてね?ったく、数に物言わせる物騒な集団だぜ』

 

 

黙れ。

 

貴様らのような何処の藩出身かも分からない輩は、道の端を通っていればいいんだ。

道の中央は我ら薩摩の剣客に潔く譲ればよいのだ。

 

 

『刀なんて時代遅れなもん腰に引っ提げて、何を粋がってんだか』

 

『侍は西南の役で皆死んだんだろ?なら此処に居る奴等はなんちゃって侍か』

 

 

五月蝿い。

 

俺たちをあんな奴等と一緒にするな。

俺は今の境遇に満足している。

それをわざわざ捨てて、そして命も捨てるつもりで薩摩に戻るつもりなど毛頭ないわ。

 

剣客警官隊からも薩摩に帰って行った者も多数いたが、そんなとち狂った連中などもはや知ったことではない。

 

 

『で、役に行かなくて、それでも侍の真似事をしたい薩摩人がまた加わったのかよ』

 

『なんつうかさ、あそこってもう掃き溜めじゃね?』

 

 

好き勝手抜かすな。

 

俺たちは剣客だ。

剣に生き、剣に死ぬ。

それしかできないから、そうしたいから集っているのだ。

適材適所という言葉を知らんのか。

 

 

『そういやまた薩摩出身の警官が入ったんだってな』

 

『あの白い奴か。噂じゃ西南の役で薩摩軍(向こう側)にいた奴らしいぜ』

 

『へえ、じゃあ本物の最後の侍ってか』

 

『けどそれって危なくね?反乱分子を招き入れるって』

 

『さあな。上の考えることなんざ知らねぇよ』

 

 

最後の侍だと?

……ふん、結局は政府に寝返った腰抜けではないか。

どうせすぐに俺たちのとこに来るだろう。

人事部に行って異動願いでもするハズだ。

 

その話は多少気になるが、向こうが勝手に動いてくる。

敢えて気に留める必要もない。

 

 

 

 

 

だから何日、何週間経ってもその者が接触することが無かったことを、不思議に思うことはなかった。

そもそも俺としても覚えていなかったのだから、そのことにどうこう思うこともなかった。

 

 

だからこそ、()()を見たとき、思い出したのだ。

 

 

『どうした坊ちゃん、嬢ちゃん?迷子か?』

 

 

隅田川の納涼大会。

 

多くの人が川縁に押し寄せ、花火や夜景、出店を楽しむ行事だ。

維新のゴタゴタで中止がずっと続いていたが、西洋の花火技術の流入を切っ掛けに近年再開されたのだ。

 

そして、そんな大会に俺は来ている。

 

客としてではない。

見回りや案内人として、多くの警察官が駆り出さられるのだ。

だが、無論俺たち剣客警官隊はそんな雑事をするハズもなく、例え駆り出されても目的は別にある。

不埒な者を見つけ出し、刀の錆びに変えることだ。

 

こういう時や場所は、そういう輩も増えるから嫌いではない。

 

そういうわけで、今年も獲物を探して夜の祭りを巡回していたとき、ふと見つけたのだ。

 

長い白銀の美しい髪。

病的なまでに白い肌。

闇夜に煌めき浮かぶ、青い瞳。

 

噂に聞く白い薩摩人が、童子二人の視線に合わせて腰と膝を曲げ、話し掛けていたのだ。

 

 

『ひぐっ、…ひっく。おっとおと、おっかあ……いない』

 

『はな、泣いちゃだめなんだぞ。お兄が、いるから…ぐす、だいじょーぶだから。すぐに、見つかるから!』

 

 

泣きじゃくる少女と、涙を堪えながらもそれを慰める少年。

手を繋ぐ手は震えていて、しかし決して離すまいとぎゅっと握られていた。

 

 

『うん、うん。お兄ちゃん偉いな。ちゃんとお兄ちゃんしてて偉いな』

 

 

西南の役で薩摩軍の側で戦っていた異端の侍は、予想通りに腑抜けだ。

あんなガキ相手に何を紳士ぶっていやがる。

慈しむように甲斐甲斐しく頭なぞ撫でおって。

 

あのような奴が、侍であったわけがない。

 

 

『はなちゃんも偉いね。大声で泣かないなんて、きっと将来は可愛いお姉さんになれるよ』

 

『ひぐっ、ひっく…ぅえ?』

 

『兄ちゃん、だれ?』

 

『お巡りさんだよ。君たちの味方の、スーパーお巡りさんだ』

 

 

朗らかに笑み、両手でそれぞれの頭を優しく撫でる姿は、きっと誰彼構わず優しい人なんだという印象を抱かせるだろう。

それが、無性に苛立った。

 

 

『おまわ…りさん?』

 

『そうさ。ほら、二人とも。僕の目を見てごらん?何色をしているか、僕に教えておくれよ』

 

『ぐす……え、と』

 

『え、あれ?』

 

 

遠目からでも分かるほどに、奴の目は一般とはかけ離れていた。

 

夜をちろちろと照らす他の小さな灯りに当たると、そこにぼんやりと青色の光彩が浮かぶのだ。

火の玉か、霊魂、或いは魂魄の類い。

若干のそんな知識があれば、遠目でその色を見るとそう勘違いしてしまうだろう。

輪郭がぼやければ、火影すらも幻視してしまうかもしれない。

 

けど、それにしてはあまりに綺麗すぎる。

仮に間違えても、不吉な印象は何故か抱かない、否、抱けない。

 

それは、きっとあの童子二人もそうなのだろう。

泣きじゃくっていた少女は涙を止め、涙を堪えていた少年もその力が抜け、二人ともまじまじと奴の目を覗き込んでいた。

 

現実の寂しさも悲しさも忘れ、目の前にある不思議で小さな“美”に、意識が奪われたのだ。

 

そして、二人の悲壮な顔が一転、花が咲いたような笑みになった。

 

 

『うわ~!きれ~、おそらのいろしてるよ?!』

 

『ホントだ!お空の色だ、おてんとうさまがいるときのお空の色だ!』

 

『お空……?』

 

 

きょとん、と目を瞬かせることになったのは奴の方になった。

数秒間、鳩が豆鉄砲を喰らったような顔をして、そしてくつくつと込み上げてくる笑いを我慢する所作をし、遂には堪えきれずに声を上げて笑った。

 

 

『ふ、っふくく、あはははは。お空か~。うん、いい表現だ。そう言われたのは初めてだ。あははは、やっぱり子供の着眼点はスゴいな』

 

『え~、なんでわらうの?おそらのいろだよ、うそじゃないもん』

 

『ごめんごめん。正解を言われたから、凄いなぁと思って笑ったんだよ。うん。これから僕は、この目をお空の目って言うよ』

 

『お空の、目……?』

 

 

うん、と頷いて更に笑みを深くする男。

 

その笑い顔は、先程までの二人を安心させるための微笑みではない。

心底から笑い、心底から二人との会話を楽しんでいるからこその、深い笑み。

 

だからこそ、それを無自覚かつ本能的に察した童子は、ああも気楽に会話をしているのだろう。

 

 

『お空はずっと、君たちを見ている。僕の目は、ずっと君たちを見ていた。だから安心して?お父とお母はすぐに見つかるから、僕と一緒に探そっか』

 

『おっとおとおっかあにあえるの?!』

 

『いっしょに探してくれるの?!』

 

『もちろんさ。お空はずっと、ずっっと、広いんだよ?一緒に探せば直ぐに会えるさ』

 

 

そう言って、二人をそれぞれの肩に乗せて立ち上がる。

わ~とか、きゃ~とか言いながら、それでも笑いながら男の顔にしがみついてはしゃぐ童子二人と他愛のない話をしながら、男は迷いなく歩き出した。

 

その背中が人混みに紛れて見えなくなるまで、俺は見送っていた。

 

 

『宇治木さん?どうしたんですか?』

 

『ッ?!な、なんだ?!どうした!』

 

 

気付くと、後ろには部下全員がいた。

どうやら長いこと突っ立っていたようだ。

 

 

『い、いえ、宇治木さんこそ。呆と立っててどうしたんですか?体調が優れないのですか?』

 

『え、あ、いや。なんでもない!お前らこそ、呆と立っているな、とっとと巡回を続けるぞ』

 

 

俺があの男をずっと見ていた?……まあ、確かにそれは認めよう。

童子二人との掛け合いを終始見ていたのだから、そこは否定しない。

 

だが、ならばなぜ?

何かが俺を惹き付けたのか?

見続けてしまうほどの何かを、あの男から感じ取ったのか?

 

否だ、断じて否である。

あんな異人の血を引いたような穢らわしい輩なぞ、唾棄すべきものしか感じ得んわ。

 

…そうだ、俺は確かめただけなのだ。

薩摩を裏切って政府に寝返り、それでいて刀も所持しない半端者が、予想通り腑抜けで腰抜けなのだということを。

あんなそこら中の道端に転がる餓鬼二人に労力を割くなど、愚鈍の極みだ。

 

きっと戦うことも知らないボンボンなのだろう。

きっと剣林弾雨も知らない小姓風情だったのだろう。

 

あんな虫酸が走るほどの温い奴など、今後会ったら斬り殺してくれる。

 

ああ、それがいい。

温い性根を叩き壊し、少しは使える性格に矯正してやろう。

まかり間違って死んでも致し方ないだろう。

精々弱い自分の在り方を恨めばいい。

 

警官としての在り方を、徹底的に叩き込んでやる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(そう思っていた時期もあったな。癪だが、警官としての在り方を叩き込まれたのは俺の方だったわけだが)

 

 

十徳が出ていった扉を見つめ、物思いに耽ること気付けば数十分。

奴の煤けてボロボロになっていた背中を見て、ふと昔を回顧していたのだ。

 

(ぬる)い。

 

その所感は今でも抱いている。間違っていないと思っている。

だが、それでも奴は強かった。

 

否、違う。

 

()()()()()、奴は強かった。

 

反吐が出そうなほど穏やかで、背筋が痒くなるほど温くて。

それでも頭の先から股間までを貫く一本の芯はぶれることなく凛と在り続け、そして頑丈だった。

 

がむしゃらに、傷付きながらももがき、足掻き続けるその姿に。

決して振り返らずに先頭をひた走り、誰にも理解されない夢を追い求めるその背中に。

 

俺は、俺たちは。

 

どうしようもなく、惹かれたのだ。

 

きっとあのとき、奴の背を見続けたのは、そんな片鱗を感じ取ったからこそなのだろう。

そう思えばこそ、腑にも落ちるというもの。

 

あのときから、俺は奴の背を追う運命を感じていたのだろうか。

 

 

そんなロマンチシズムなことを考えていると、ふと傍らから微かな呻き声が聞こえた。

昏睡していた女郎が目を覚ましたようだった。

 

 

「ん。ここ…は……」

 

「記憶も飛ばされたか?なんなら武装勢力に与していた過去も飛ばされていれば御の字なのだがな」

 

「あんた、は……ッ、思い出した!」

 

 

混濁していた意識がはっきりしたのか、事態を思い出して唐突に立ち上がった。

が、直ぐに額を押さえて踞った。

 

 

「いっ……た~~!なにこれ。頭ガンガンする、ずきずきする!どんだけ力込めたのよ、あの馬鹿は…」

 

 

ふむ、どうやら額に盛大な衝撃を受けて気を失っていたらしい。

確かに小さな赤点がデコにあるが、異様に小さいな。

もしかしてデコピンか?……いや、まさかな。

 

 

「さて。生憎と貴様の容態に気を遣うつもりはない。聞きたいことがあるから、簡潔に答えろ」

 

「む……」

 

 

未だ踞る女郎を見下ろす。

 

狩生の考えなど知れた(ためし)もないが、今回はげに分からん。

何故コイツを抱き込むに至ったか…いや、そのことはもういい。

そう奴が決めたのだ、俺たちには否も応もないのだ。

 

 

「狩生は貴様を仲間に引き入れると言った。貴様には、その言葉に応えるつもりがあるのか?あぁ…予め言っておくが俺は貴様を仲間と認識しない。根絶するべき地下武装勢力の裏切りなど、そう易々と信じられんからな」

 

「……」

 

 

俺の言葉を聞き届けると女郎はスッと立ち上がった。

俺は無手のまま続ける。

 

 

「答えろ。国家に仇なす嘗ての組織を敵に回し、己が命を賭けて戦う気概があるか」

 

 

仮に、コイツが甘言で狩生を欺いたのならば、もとから組織から抜け出す気など無いのなら、ここで俺は殺されるだろう。

だが、それでも俺は頑として女郎から目を離さなかった。

 

女郎は、すっと両目を閉じた。

口も閉じ、額を押さえるため挙げていた腕も下げ、無防備な状態を晒す。

 

遠くから聞こえていた微かな騒音が、気付けば一際大きくなっていた。

きっと狩生が乱入したが故だろう。

 

何が起きているのかは知らんが、あんな状態で新たな騒動に飛び込むとは、本当に気が知れない。

 

まったく…アイツときたら、本当に向こう見ずな阿呆だ、ド阿呆だ。

奴の在り方は死ぬまで変わらないだろう、否、なんなら死んでも変わらない。

きっと来世でも、転生しても、変わらないだろう。

 

 

なればこそ、そこに俺がいなくて、誰がいるというのか。

 

 

だが、そんな思考は、女郎のゆっくりと持ち上げられる瞼の動きを見て、中断された。

次いで、ゆっくりと開かれる口から溢れた言葉を聞いて、俺は眉をひそめた。

 

 

 

 

警察組織に加わるつもりはない。

 

 

 

 

 

「勘違いしないことね。私は政府の犬になる気はない。私は彼の、狩生くんの側に在りたいの。政府のために働くつもりなんて毛頭無いわ」

 

「……ほお?」

 

「だから、組織の敵になるつもりもない。もちろん彼と一緒に居る以上、もう組織の人間としていられないことも承知しているわ。けど、私は組織を裏切ったわけではない。身を置き、背を預けたい本当の場所を見つけた。ただそれだけよ」

 

「…戯れ言だな」

 

「傑作かしら?けど、なんとでもお言い。こんな甘っちょろくて温い考えでも、きっと彼は笑って是と言ってくれるハズだから、私は胸を張って言うわ。私は、彼が見せてくれる景色を、彼と共に見たい」

 

 

 

これが私の答えよ。

 

 

 

そう言って、女郎は本当に胸を張った。

恥ずかしげもなく、どうだと言わんばかりの笑みを見せての堂々とした宣言。

 

裏切らない、つまり組織とは敵対しないということ。

そのくせ警官である狩生の側には居させてもらう。

奴が、俺たちが行き着く未来を見させてもらうと言いやがる。

 

ふざけている。

手前勝手も甚だしい。

暴論の極みだ。

 

そんなんで相手(こちら)が納得するとでも本気で思っているのか。

 

ふざけている、本当にふざけている。

自分で言うのもなんだが、激昂して殴り掛かっても不思議ではない発言だ。

もはや潜在的な敵性因子を抱え込むようなものだというのに、コイツはあろうことか堂々としていやがる。

 

その姿が、その誇らしげな顔が、異様に腹立たしいハズなのに。

 

 

その姿と、そんな言葉が、何故か狩生と重なって、不思議と俺の感情は凪いでいた。

 

ああ、そうだ。

確かにコイツの言う通りだ。

 

アイツなら、こんな暴論も易々と口にするだろう。

アイツなら、こんな暴論も笑って受け入れるだろう。

 

似ている、とかではない。

きっと感化されたのだろう。

奴の破天荒さとか、出鱈目さとか、そういった非常識的なナニかに、コイツも惹かれたのかもしれない。

 

だからこそ、臆することなくそんな戯れ言を宣ったのだ。

 

そう思えばこそ、いっそ潔いとも言える突き抜け方を見て、聞いて――

 

 

「ッ、く、くくッ、ふくく……!」

 

 

訝しむように此方を見つめる女郎を無視して、俺は喉をくつくつと鳴らし続けた。

 

ああ、爽快だ。

愉快で、痛快で、爽快だ。

 

あのド阿呆は、こうも人を振り回すのか。

こうも人に影響を与えるのか。

 

本当にムカつく奴だ。

俺もその一人かと思うと本当にむしゃくしゃする。

本当に、本当にッ……腹立た(たの)しい奴だ!

 

 

「ふう~…あぁ、済まなかったな。お前の宣言、確と聞き届けたぞ。なに、笑ったのは愚弄故でも挑発故でもない。安心しろ」

 

「…そう」

 

 

眉をしかめて此方を見る女郎に対し、俺は咳払いを一つして言った。

 

 

「俺は宇治木だ。東京警視本署麾下組織、特別捜査部隊は副隊長、宇治木義孝だ。貴様の先の回答にこう応えるが、如何か?」

 

 

今度は奴が目を瞬かせ、数秒間停止した。

だが数秒後、俺の意を汲めたのだろう、朗らかに笑んでから応えた。

 

 

「私は本条鎌足。無所属の…ふふ、強いて言うなら貴方の隊長に射止められた、一人の()よ」

 

「ふ、そうか……本条鎌足、もう一つ問う。あそこの倉庫の火災騒動はお前と関係あるか?」

 

「断言するわ。無い、と。横浜での正体不明の敵勢力、つまりは貴方たちのことなのだけど、それを迎え撃つ戦力はここにあるのが全て。それ以外は、私たちとは無関係よ」

 

「なるほど…」

 

 

やはり奴の勘の通り、あれは偶発的な騒動なのだろうか。

S捜査とは関係のない、まったく別の事件。

 

ならば、その捜査はS捜査と比べて楽なものか?

 

 

(ははッ!そんなわけがない。奴が首を突っ込んだのだ、片手間で終わるハズがなかろう。であればこそ、俺が行かなくてどうする!?)

 

 

俺は傍らに転がる死体からぼろ刀を剥ぎ取り、手に持って鎌足に言った。

 

 

燃え盛る倉庫(あそこ)に行く。狩生が既に行っているが、どうにも俺も行かなければならない気がしてならなくてな。もしもの時は貴様にも戦ってもらうぞ」

 

「組織が相手じゃないなら構わないわ。けど、いいのかしら?」

 

「何がだ」

 

「話し振りから察するに、私を連れてあそこに行くことは当初の予定ではなかったようね。此処で私が起きるまで待っていたということから、私をどこかに連れていくのが目的だったんじゃないかしら?」

 

「ほお、慧眼だな。ズバリ、その通りだ」

 

「特殊とはいえ警察組織。副隊長が独断で行動するのはいいのかしら?」

 

 

脳筋だと思っていたが、いやはやどうして。

造りの良い顔にもちゃんとした頭があるようだ。

 

だが、その頭脳でもっても俺と狩生の関係までは分からないようだな。

 

 

「それこそ戯れ言だ。アイツの命令を鵜呑みにしてたら身も心も保たん。それに、これでいい」

 

「?」

 

「奴の想定外の行動をして、肝を冷やしてやる。上手くいけば奴が死に、そうでなくても降格処分で俺が隊長になる。これほど楽しい話はあるまい?」

 

「……はぁ?」

 

 

すっとんきょうな声を上げる女郎、改め鎌足を無視し、狩生が出ていった壊れた門扉を俺もくぐる。

 

 

そうだ。

俺と奴の関係など、誰も理解できまい。

されたくもない。

 

仲良くする?はッ、ふざけている。

そんな反吐が出る所業、できるハズもなかろう。

 

俺は奴を、そして奴も俺を嫌い、憎んですらいる。

それでいいし、それがいいと思っている。

 

否、もうそれしか俺たちには気持ちを表すことができないのだ。

敵意と殺意、嫌悪と愚弄をぶつけるしか術を持たない不器用者なのだから。

 

 

 

俺は再び込み上げてくる笑いをこぼしながら、遠くに見える紅蓮の倉庫に向け歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

 

膝をついて俯く原作主人公にそう声を掛けた。

 

まさかこんな形で貴方に会うとは想像だにしなかったよ。

そしてこんな形とはいえ、主人公の貴方に会えて嬉しく思う。

 

 

ああ。

 

できれば貴方とはゆっくり話をしたい。

 

貴方の見ているもの、考えていること、その他諸々を聞きたい。

貴方の口から、直接聴きたい。

 

そして是非語らいたい。

 

 

貴方たち原作主人公勢に会いたい気持ちなんて今まで無かったが、こうしてお目に掛かれたら、そんな考えは霧散してしまった。

 

 

 

貴方の思う日本は、どんな姿かたちをしてますか。

 

 

これから日本に起きる出来事は、貴方にとってどう映りますか。

 

 

 

俺の思う日本は、貴方にとってーーーー

 

 

 

けど、それは今じゃない。

 

今の疲弊混乱している緋村さんに必要なのは、ゆっくりできる時間だろう。

 

 

現場を見て類推するに、どうやら蒼紫との共闘…いや、外印を含めると三人か。

その三人で刃衛と争っていたようだが、()の緋村さんじゃあ荷が重かったようだな。

原作では人斬りの本性を再現して初めて打倒した相手だからな、無理もない。

 

いや、むしろ奴を前にして誰も死なせなかったのは凄い事だ。

やっぱり俺なんかとは次元が違う。

 

 

ふう、と俺は息を一つ吐くと緋村さんの向こうにある顔ぶれに声を掛けた。

 

 

『久しぶり、エミー。こんな場所で会えるとは奇遇だな。大事ないようで良かった』

 

『じ、ジットク、あんた……!』

 

『分かってる、分かってる。色々と聞きたいこともあるだろうけど、今は勘弁してくれ。申し訳ないが、そのジャーナリズム魂は今暫し抑えていてくれると助かる』

 

『あ、あんたね~!』

 

 

腰でも抜かしているのだろう、女の子座りをしたままで此方を涙目で睨んでくるエミー。

 

悪いが、もう少しそのままそこで大人しくしていてくれ。

 

ていうか多分だけど君、わざわざこの人気の無い倉庫街に来たのはまた向こう見ずなジャーナリズム精神に突き動かされた結果でしょう?

なら現場の声には素直に従うもんだぜ。

 

俺は目線をずらし、今度は近くの男に問い掛けた。

 

 

「観柳の手勢の駆逐は、もう済んだのか?」

 

「あぁ。あの狂人を屠った後直ぐに貴様の所に馳せ参じようとしたのだがな」

 

「予想以上に手強かった、てか?ま、だろうよ。アイツとやり合うには命の一つや二つを捨てる気概が無いと、狂気に呑まれるからな」

 

「貴様は……」

 

 

鎌足を降した倉庫で見たときよりも、かなり手傷を負っている様子の蒼紫。

いつもいつも涼しげだった顔はもはや見る影も無く、頬や額、口端から垂れる血、あまつさえ腹部を押さえていて大分痛々しかった。

 

けど、どうしてかその顔は、どこか晴れ渡った心境を映しているようにも見えて、苦痛は一切表に出ていなかった。

 

 

「悪い、コイツとの決着はお前との約束よりも先約なんだ。だから、また後でな」

 

「……貴様を殺すのはこの俺だ。奴に殺されるのは認めんぞ」

 

「ははッ。なら安心しろ、俺はアイツに殺されない。無論、お前にもな」

 

 

蒼紫がここにいる理由は……なんとなく察する事ができる。

大方、血の臭いに誘われて強者たる刃衛に嬉々として挑んだんだろうよ。

で、予想外にも苦戦を強いられた、か。

 

俺は更に目線をずらし、近くの髑髏マスクに問い掛けた。

 

 

「で、だ。教えろ外印。この乱立する刀に貫かれている無数の俺の頭は、一体全体なんなんだ?おおん?言ってみろ、おおん?」

 

「おお…師よ。これは師の心を解する為の第一歩として作った師の人形たちだ。無惨な姿になってしまったが、これはこれで映える景観ではないか?」

 

「自分の頭が大量に串刺しにされていて、それを良い景色などとほざける輩がどこにいるってんだ。気持ち悪いってレベルじゃねえぞ」

 

 

お前らならともかく、ゆとり世代の俺には苦々しい光景だ。

 

本当にこいつの価値観は謎だよ。

 

いや、謎といえば何故こいつが此処にいるのかも謎だ。

こいつはどちらかというと後方支援型だろう、前線に出張るような奴ではないハズだ。

ほら、肩口に切り傷なんか作りやがって。

 

よもやお前もこの地獄に惹かれて来たとでも?

 

……あれ、なんかそんな気がしてきた。

もしかして俺の死に様、というと語弊があるが、俺の生死を懸けた戦いを見ようとでもしたのではないだろうか。

 

 

そうだとすると、なんか三人とも自業自得な気がしてきたぞ。

流石にエミーは一般人で可哀想だから擁護するけど、他二人はなんか…まぁいいや。

 

 

しかし、なんと錚錚たる顔ぶれだろうか。

 

原作主人公の緋村剣心に、後に心強い味方となる四乃森蒼紫。

ヒロインの死体の人形を作り、原作主人公を精神的に追い詰めた人形師、外印。

 

 

 

そして。

 

 

 

俺は再び四人に背を向け、そこを見る。

 

けたたましい哄笑を上げながら壁を蹴り抜き、姿を現した奴を。

 

 

原作初期にて、最強最悪の敵として立ちはだかる死神、鵜堂刃衛。

 

 

「あああぁぁああはっははははははは!はははは、はははははははははははははは!!!」

 

 

相変わらず気色の悪い奴だ。

 

先程の車を利用した全力の蹴足を受けてなお狂笑満面でいられるとは。

ホント嫌になるぜ。

 

せっかく手に入れた(観柳の野郎、まだ見通しは立ってないとか抜かしていた癖にちゃっかり持ってきてやがって。恐らく、俺を亡き者にしてから独占しようとしたんだろう)車も、一度の使用でオシャカになってしまったのは勿体なすぎる。

 

もっとも、刃衛といえども無傷とはいかなかったようだな。

顔面には夥しい量の血糊が付着していて、身体の至るところからも、築材が刺さったのか血が滴っている。

 

だが、それすらも奴にとっては楽しめるものなのだろう。

 

 

「狩生、狩生十徳!遂に、漸く、いよいよ相対できた!!あははははははははは!宿敵よ、怨敵よ、我が好敵手よ!再び相まみえて嬉しいぞ!!うふわはあははははは!!」

 

「テンションたっけぇな……一つ聞きたいんだが、どうしてお前まで横浜に?」

 

「うふ、うふふふ!なに。薩摩でお前につけられた傷を癒してからずっと、ずっと、ずうっと!お前を探し求めていたんだ!見つけた場所がここだったという話だ!」

 

 

すんごい執念だこと…いや、もはや怨念か。

 

 

「さあ、ご託はもういい!死合おう、殺し合おう、喰らい合おう!!あのときの滾りを、昂りを、迸りを!もう一度味わわせろおおお!!!」

 

 

びりびりと、肌を貫き骨身を震わす狂声。

 

こんなものを発する奴、普通なら近付きたくないし、戦いたくもないわ。

しかも、どうやら心の一方を自分に掛けて強化しているようだ。

体格が一回りか二回り大きくなっていやがる。

故にその狂気の度合いもまた一回りも二回りも大きくなっている気がする。

 

 

 

 

ま、だから何だって話だけど。

 

 

 

「まッ、待ってくれ!あやつを相手にするのは危険でござる。拙者も……」

 

 

ふと、背中に緋村さんの声が掛けられた。

 

凄いな。

 

見なくとも声音から大分弱っていることが分かるのに、それでも戦うと言うのか。

強大な敵を前にして、例え自分がどれほど被害を受けていようと屈さないその精神は、本当に立派だ。

 

 

けど

 

 

「いいって。アイツは俺一人で相手するから、手出しは無用だよ」

 

「しかし!お主も相当の怪我をしているではござらんか。ここは皆でーーッ!」

 

大丈夫(だーいじょーぶ)!」

 

 

俺は緋村さんの助言を一蹴する。

その心遣いは有り難いし、加勢してくれれば確かに心強い。

 

けど、それはダメだ。

全ッ然ダメだ。

 

だってーー

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「国民を守るのが警察(おれ)の仕事だから。貴方は後ろで、どんと座って見ていてくれ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そう言うと、俺は不知火を抜いた。

空気を切る小気味よい音が響き、とんと肩に当ててゆっくりと刃衛に向かって歩き出す。

 

 

四つの視線が背に刺さるのを感じながら、ちらと己の武装を確認する。

 

不知火とは別に、観柳が所有していた倉庫から車を奪った際に、そこにあったいろんな物もパクって来たんだ。

 

 

左腰には無銘のポン刀。

恐らく輸出用に保管していたのだろう。

あまり質の良くない刀が結構数あったから一本だけ貰ってきた。

 

そして後ろ腰に拳銃。

替えの弾は無い上に、一発しか入ってない。

ま、奴に銃は通用しないだろうから、あくまで保険だ。

 

次に右腰に懐刀。

本来の用途は戦闘用じゃないから殺傷能力は非常に低い。

だが、頸動脈等の人体急所を裂く分には申し分ない。

 

最後に背にククリ。

おそらく、ちょうど今年に英国が傀儡化したインド帝国から持ってきたのだろう。

それを観柳が買ったのだろうが、ありがたく使わせてもらうぜ。

 

 

 

 

さて。

 

 

準備は万端。

 

身体の損傷はままあるが、泣き言を言っても仕方無い。

 

 

それに戦意も高揚だし、殺意も顕揚だから大丈夫。

 

 

 

 

「待たせたな」

 

 

 

 

 

軽い言葉に、奴は笑顔で吼える。

 

 

 

 

 

「ああ、ああああああああああ。待っていたぞ、本当に待っていたぞ!ああ、始めよう!始めよう!!殺し合いを始めよう!!」

 

 

 

 

 

 

 

 

腰を落として駆け出せる準備を取った俺は、刃衛に言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ああ。とっとと終わらせよう。俺たちの因縁に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  ケリを着けようぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







次話にて横浜激闘編は完結です


次話の投稿と時を同じくして活動報告を更新します
そこにも目を通していただけると幸いです
また、少しばかりのご協力もいただきたいです



では、また




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

48話 横浜激闘 其の終

本日二話目の投稿です、ご注意を







さあ、どうぞ








 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

機関起動

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

駆動系回転数:最速

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

熱エネルギー:許容値超過

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

身体への負荷:尽く度外視

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がこん、と歯車が噛み合い、動き出す音が骨に響く。

 

その後にかしましく回転する音と振動の調律が、足先から頭頂にまで届く。

 

徐々に右腕に熱が宿りはじめ、その色も次第に光彩を放つ赤色へと変わっていく。

 

それはつまり、内臓を焼き、血液を沸騰させ、神経を膨張させるほどの熱量がこの身を犯すということ。

身体から熱気が立ちこめ、視界が揺らぐ。

 

体内に籠る熱を吐き出すための吐息は、外気よりなお熱い。

 

 

この間、コンマ数秒。

 

人体の(きわ)を高熱で押し広げ、無理やり底上げした身体能力でもって、急接近する。

 

 

眼前に迫るは、狂喜に染まる刃衛の顔。

 

 

 

互いに空気の壁をぶち破って超速で接近し、そして刃をぶつけ合う。

 

 

甲高い金属音が残響するなか、地を穿つように駆け、空間を断裂させるように刀を振り合う。

 

 

 

 

駆け、駆け、駆け、駆け、駆け続ける。

 

 

 

振るい、振るい、振るい、振るい続ける。

 

 

 

 

「があああぁぁぁあああ!」

 

 

「うふわはあははははは!」

 

 

 

刃がぶつかり合う音が鼓膜に響き、地を穿つ音が赤く染まる闇に響き、全身で空気をぶち破る衝撃音が総身に響く。

 

しかし、それら全ての音が耳に届かない。

 

荒ぶる呼吸も、激動する心臓の音も。

刃衛の哄笑も、俺の咆哮さえも。

 

全てが右腕の歯車の音に掻き消されていく。

骨を伝って脳髄に響く機巧の旋律が、俺の聞こえる全てだった。

 

 

明らかにおかしい。

この底上げされた身体能力は、今まで経験したことのない程のものだ。

心の一方で強化された刃衛の速度と力に、充分に対抗できている。

 

否、否だ。

 

もっと速くなれる、もっと強くなれる。

 

 

しかも、この身を蝕む高熱と激痛が、今は露ほども感じられない。

身体からあらゆる水分を蒸発させ得る程の熱量も、臓腑の底から全身を燻す激痛も、全てが感じられない。

 

もっと、もっとだ。

 

もっともっと、機関を回せる!

 

 

 

「うふわはあははは!良い、良いぞ狩生!やはり貴様の戦い様は俺を斯くも刺激する!斯くも興奮させる!うふわはあはははは!!」

 

 

砲弾も斯くやと思うほどの吶喊。

 

直後に互いの刀がぶつかり、極大の火花と衝撃波が生まれる。

 

間髪入れずに、拳打のフルスイング。

顔面を陥没させる勢いで振るった拳は、狙い過たずに互いの顔面に抉り込まれた。

 

きっとえげつない音が響いたことだろう。

だが今の俺には、歯車の調律が若干乱れた感覚に襲われただけ。

奴の満面の笑顔に拳を叩き込めた爽快感すら覚えず、それよりも忌々しい気持ちが徐々に膨れ上がってきた。

 

が、そんな感覚を意識する余裕など無く。

 

全運動エネルギーを乗せた拳の威力は凄まじいものだった。

互いの身体が吹き飛び、それぞれ倉庫の壁に背中から激突したのだ。

 

 

「がッ…!!」

 

「ぐう…!!」

 

 

強制的に肺から空気が絞り出て、むせ返るほどに息苦しくなる。

更には朧気に揺らいでいた視界に霞が生じ始めた。

 

だが、それでも。

 

そんな些事などお構いなしに、背や頭に崩れ落ちる瓦礫片をそのままに、一瞬の停滞の後に直ぐ様飛び起きて再度互いに向かって吶喊する。

 

 

 

 

再び激しい剣戟を繰り広げた。

 

 

 

 

 

ああ……忌々しい。

 

あの笑顔が憎々しくて腹立たしい。

 

奴を殺したい。

殺して殺して殺して殺して、殺し尽くしてなお殺したい。

 

臓物(ハラワタ)をぶちまけて、その狂笑に染まる顔を苦痛と後悔に歪めてやりたい!

 

 

 

ああ…ああ、あああ!

 

 

 

ああああああああああ!!

 

 

 

 

「刃衛ええぇぇぇぇええええ!!」

 

 

 

 

不知火を一心に振るい、振るい、振るい続ける。

 

奴の応じる刃を打ち据え、叩き伏し、鍔迫り合いをしながら肉薄する。

鼻先すぐに奴の狂った顔が迫った。

 

 

 

ぐしゃり、と互いの渾身のヘッドバットが炸裂した。

 

 

 

一度ではない。

 

二度、三度と立て続けにお見舞いし、そして互いに額から血を撒き散らす。

 

骨が割れ、陥没してもおかしくないほどの衝撃。

なれど、痛くはない。

ただただ不愉快なだけ。

 

心の底から全身の神経を通して指先に至るまで、くまなく俺の身体から溢れ続ける()()が俺を突き動かす、駆り立てる、囃し立てる。

 

スペック以上に右腕をフル稼働しているのだ。

身にはもとより、精神への代償もまた大きいのは道理だろう。

 

だが、それでも……それでもだ!

 

躊躇するな、後先考えるな、四の五のご託を並べるな!

 

 

 

回転率を、更に上げろ!!

 

 

 

 

骨伝導する歯車の音は、既に大気へとけたたましく響く。

赤熱化する右腕は目映く発光し、周囲の温度を確実に上昇させる。

 

 

 

 

やがて均衡を保っていた天秤は、次第に傾き始めた。

 

僅かな、ほんの小さな差だが、俺たち当人からすれば、それは確実だった。

 

 

「があああああああ!!」

 

 

蒸気機関が、心の一方を確実に凌駕し始めたのだ!

 

渾身の斬擊が奴の身を削り始め、或いは刀を叩き折る。

刃衛は折れた刀を躊躇なく捨てて、墓標の刀を地から抜き取って即座に対応する。

 

 

それを叩き伏し、何度でもその身に裂傷を刻み付ける!

 

 

 

「ッ、うふ、うふふふ!うふわはあはあはあは!!」

 

 

 

致命傷には程遠い。

 

端肉や薄皮だけを斬らせる回避行動は、忌々しいが流石だった。

奴もまったく堪えている様子もなく、嬉々としてなお刀を取っ替え引っ替え振るっていた。

 

 

 

互いに一太刀でも凌げずに浴びれば、どこであれ容易く両断されよう。

そんな一閃を息つく暇もなく、互いに繰り出し続ける。

 

もはや怒濤の剣戟は、心の一方と蒸気機関で底上げされた身体能力でしか知覚できず、ついてこれるのは互いのみ。

 

 

あと十合前後打ち合えば、不知火が奴の骨を確実に断つ。

 

そう確信し、されど浮かれることなどなく、むしろ更なる憎悪と嫌悪と怒りと憤りが沸き上がってくるのを自覚しながら、もう何度目かになる不知火による全力の一閃。

 

 

防御の刀を押し込み、奴の肩肉を抉った瞬間。

 

 

 

 

「「ーーー!!」」

 

 

 

呆気なく、奴の刀と俺の不知火が響音とともに破砕した。

中折れした刀身が回転しながら互いの頬を切り裂き、彼方に飛んでいった。

 

一瞬の出来事、唐突な不測の事態。

 

瞬きの間にも満たない、ほんの僅かな動揺。

 

 

 

先に殺意を再充填し終えたのは、刃衛の方だった。

 

 

 

「うふわはあはははは!」

 

 

 

一瞬にも満たない僅かな虚を突かれ、奴の一本の指が俺の残った目に高速で迫ってきた。

 

 

 

「……っっ!!」

 

 

 

首を無理やり捻ってなんとか躱--した瞬間、その手が開いて首根っこを掴まれる。

 

そして、そこを軸に高速機動で俺の背後に回り込み、間髪入れずにヘッドロックが掛けてきた。

 

 

「ッぁ、か…!」

 

 

容赦も糞もない、全身全霊の首絞めだ。

首の骨が軋みを上げ、呼吸が完全に止まった。

 

 

こんの……ッ!

 

毎度毎度絞め技を織り込んできやがって!

 

感触を直に楽しみてェのか知らねェけどよ!

 

 

毎度毎度、腹が立つんだよ!

 

 

 

 

「があああぁぁぁあああ!」

 

 

「ぬう?……がふッ?!」

 

 

 

気色悪い感触と、気味の悪い音が頭蓋に響いた。

 

ああ…気持ち悪い。

気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い!

 

感触も感覚も気持ち悪いが、なにより痛みが無いのが一番気持ち悪い。

 

 

左腰から刀を引き抜き、()()()()()()()()()()のだから。

 

 

無論、刃衛の腹部もろともだ!

 

 

「ぐ、あ、あああああ!」

 

 

骨を伝わり臓腑に響くほどの咆哮を上げ、更に刀を押し込む。

 

感覚で、奴の背まで貫通したのが分かった。

 

けど、止まらない。

もっともっと押し込む!

 

 

「ぬぉおおお!」

 

 

俺の頭の直ぐ後ろから、奴の咆哮が耳を貫いた。

 

直後、首を絞める力が緩むと同時に、刀に伝わる奴の感触が断たれた。

抵抗が無くなったのだ。

 

コイツ……刀をへし折りやがった?!

 

直ぐ様奴の腕から脱し、振り向き様に血を撒き散らしながら折られた刀を引き抜く。

見ると、奴も折れた刃を引き抜いていた。

 

まだまだ致命打には程遠いか!

 

上等だよ、クソッタレが!!

 

 

 

折れた無銘の刀を振りかぶり、渾身の力で奴に投擲する。

と、それに被さるように奴も折った刃を投擲してきた。

 

 

空中でそれらが衝突し、大きな火花が生じた。

 

 

無論、そんなものに目をくれることなどするハズもなく。

俺たちは投げた勢いのままに接近して……

 

 

 

激突。

 

 

 

大気を震わすほどの衝撃が生まれ、俺たちを中心に風が四方八方に巻き起こった。

あまりのインパクトに脳が揺れ、覚束ない視界が更に不明瞭になる。

 

 

「ぐ、ふ…ッ、うふ、ふふ!楽しいなぁ、気持ち…いいなあ!狩生、お前もそう思うだろう?」

 

 

 

俺の腕からは鮮血が、奴の腕からは鮮血と蒸気が迸る。

互いに心臓に来るハズだった刃を、左腕を犠牲にして阻んだのだ。

 

肉を裂き、骨を貫いて、僅かながら胸に折れた刃が突き刺さる。

 

 

「お前との殺し合い、否、喰らい合いは、人の本質を捨てて獣へと昇華させてくれる。そのことの気持ちよさといったら……うふ、うふふ!」

 

 

ああ、気持ち悪い。

超絶に気持ちが悪い。

 

自分の身体がまるで人形のよう。

己の意思で動かしているハズの四肢は、まるでリモコン操作で動くロボットのよう。

 

本当に、吐きそうになる。

背筋を得体の知れない怖気(おぞけ)が這いずり廻り、臓腑の底から震えが押し寄せてくる。

 

 

「この快と悦をお前が教えてくれた。今もまた味わわせてくれる!本当にお前は、お前は……!」

 

 

歯がかちかちと音を立て、痛くはないのに寒気だけは感じている気がしてならない。

腕からは絶えず膨大な熱量が送られてきているってのに、もう本当に俺の身体はどうなっていやがるんだ。

 

けど、()()()()()すらどうでもいい。

 

なによりも気持ち悪いのは、俺の眼前にある醜悪な嗤い顔。

そして、下卑た騒音と悪辣な眼光。

 

コイツがなにより気持ち悪くて、なによりも腹立たしい。

 

 

だから俺は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ノイズを溢すその口内に、赤熱化した義手を突っ込んだ。

 

 

 

 

 

「……ッッ!!!」

 

 

 

声にならない苦悶を溢す刃衛を無視し、なお口内を拳で蹂躙する!

 

そのお喋りな口を!二度と使えねェようにしてやんよ!!

 

 

ぐしゃり、と数本の歯を握りへし折った。

そして、奴の折れた刃を持つ手が緩んだ瞬間、手を振り払って後ろ腰の拳銃を取り出す。

 

奴の心臓を撃ち抜くため直ぐ様銃口をーー

 

 

 

ぐ、あ、あああぁぁぁああああああ!

 

 

 

 

「あああぁぁぁあああ!!」

 

 

 

 

()()

 

 

()()()()()()()()()()()()

 

 

手が!手が、噛み砕かれた?!

 

 

ああああああああああ!

 

 

全身の神経が熱に犯される、貪られる!

 

熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い熱い!

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い!

 

 

「があああぁあああ!!」

 

 

「な゛ッ……!!」

 

 

無我夢中で刃衛に足技を掛けてバランスを崩させ、噛み砕かれた手の残滓でもって奴を背から地に叩きつけた。

 

爆音と地響が空気を伝い、奴の背を中心にクモの巣状に地に亀裂が走る。

 

けど、そんなことこそ今はどうでもいい!

 

これはマズい、ヤバい、最悪だ。

ここにきて痛覚が戻りやがった!

 

あまりのクソ熱量が脳をも犯したか?!

 

いや、原因なんか何だっていい!

このままじゃあ本当に死ぬ!!

 

 

早く…早くこの腕を()()()()()()()()

 

 

背からククリを引き抜くと、踞って義手の接合部に押し当てる。

 

 

そしてーー

 

 

 

「■■■■■■■!!」

 

 

 

もはや、声にならない叫び声。

 

血と共に高熱の蒸気が噴出し、どさと義手が地に落ちた。

 

そして、急速に熱が引いていくのが分かる。

身体中を這いずり廻っていた怖気が無くなっていき、それと入れ換わるように身体中を激痛が駆け巡っていく。

 

肉が、骨が、内臓が。

脚が、胴体が、顔面が。

残った三肢が、失った一肢が。

 

痛くて、痛くて、痛すぎる。

 

 

忘れていた痛みが、急に押し寄せてきた。

 

 

絶叫が轟き、慟哭が木霊する。

 

 

 

喉は嗄れ、咽び叫ぶ声はしわがれて、溢す涙はとてつもなく熱い。

 

 

痛みに身悶え、嗚咽し、叫喚する。

 

 

 

吠えて、吼えて、咆えて。

 

 

 

 

「刃衛ええぇぇえええ!」

 

 

「狩生ううううううう!」

 

 

 

 

狂態を顕に襲い来る刃衛を、腰をどんと落として迎え撃つ。

 

泣いて止まっている時間は無い。

叫んで痛がっている余裕は無い。

 

 

片腕はまだ動く、脚だってまだ動かせるんだ。

まだまだ戦える、まだまだ奴を殺せる!

 

 

刃衛は、己の腕に突き刺さった高熱の不知火を素手で掴み、引き抜いて手に持っている。

手からは肉の焼ける音と蒸気が噴出しているが、奴は至って変わらない狂った忌々しい笑顔をしている。

 

だが、当の腕は刺突と高熱で使い物にならなくなったようだ。

 

俺は不知火を持つ腕目掛け、横にククリを振りかぶり、そして振るう。

 

 

しかし。

 

 

「しまッ――ぐふッ…!」

 

 

激痛と焦燥、困惑で初歩的なフェイントに引っ掛かっちまった!

流れた姿勢を刃衛の前に晒すことになり、腹部を盛大に蹴り上げられ。

 

そして……

 

 

「ぐ、あぁ、ああああぁぁあア亜唖堊婀亞襾阿!!」

 

 

失った右腕の肩部に、不知火が突き刺された。

 

じゅくじゅくと、じゅうじゅうと血肉が熱せられ、骨すら燃やされていくかのよう。

全神経が悲鳴をあげ、それを代弁するかのように叫び声を轟かせる。

 

痛い痛い痛い痛い痛い。

 

あまりの痛さと熱さにククリが手から抜け落ち、再び刃衛の狂喜に染まった顔が眼前に現れた。

 

 

コイツは、この期に及んでも至極の笑みを溢すのか!

 

嬉しそうに、愉しそうに。

本当に痛みと苦しみを快、或いは悦として感じ取っているようだ。

 

そんな態度が、本当に忌々しいんだよ!!!

 

 

「ああああぁぁあ!!」

 

 

全身全霊の喝を己に叩き込み、刃が抜かれないよう右肩に力を込めてそれを固縛。

 

ククリを落とした左腕に同様の力を込め、振りかぶる。

 

 

そして腕を貫く折れた刃を、そのまま刃衛の首筋に叩き込んだ。

 

 

 

無論、これで終わらせない。

 

 

 

刺し込んだ腕を強引に引っ張り、狂喜と苦悶が入り乱れた顔を口許に引き寄せ―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

耳を噛みちぎった。

 

 

 

 

「…ぐ、ぁぁあああああ!!」

 

 

盛大に噴き散る鮮血。

初めての、薩摩での戦いを含めても初めての、奴の明瞭なる悲鳴。

 

 

だが、生憎とそれを聞き悦に浸る趣味は持ち合わせていないし、満足する余裕もない。

直ぐ様奴の首に刺さった刃を腕ごと抜き、ペッ、と嫌な感触のする奴の耳を吐き出しながら落ちたククリを拾う。

 

そして、睨み上げる俺の視線と、呻きながらも見下ろす奴の視線が交わったその瞬間、下からの大きな一閃を振るう。

 

 

 

空気を叩き割る勢いで放った一太刀は

 

 

 

 

 

「はッ!ザマァ見やがれクソが!!」

 

 

 

奴の使用不能の手を、上空へと斬り飛ばした。

 

 

 

血と一緒に舞うは、奴の手首。

 

 

確実に奴の戦闘能力と生命力を削ってやった!

 

 

だが、当然そんなものを悠長に見送ることなどせず。

 

勢いそのまま、振り上げたククリで奴の頭をカチ割ろうと脳天に振るった一閃は、しかし。

 

 

 

「あああぁぁぁあああ!」

 

 

その切断した腕で防がれた。

 

刃衛はあろうことか、切断面で斬擊を受け、肘まで抉り込ませることで凌ぎやがった!

 

 

 

「?! なッ…!」

 

 

 

あまりの狂態、あまりの暴挙。

 

本当にコイツはッ…苛立たしいほどに狂ってやがる!

 

 

内心で奴の凶行を罵倒した直後、すぐに再攻勢に打って出ようとしたが、やはりと言うべきか流石と言うべきか。

 

俺の追撃より、奴の行動の方が早かった。

 

 

 

「……ッぐぅ!」

 

 

 

刃衛は直ぐに俺を蹴り飛ばし、距離を作ったのだ。

 

視界が二転三転し、身体の至るところが地にぶつかっていることから自分が無様に転げ回っていることが分かる。

 

やがてその転がる勢いも無くなると、どこか懐かしさを感じる真ん丸の月が視界に入った。

そう言えば、ここ横浜で戦いの火蓋を落とした時も月を見上げていたなと、ふと余計な思考が頭を過るも直ぐ様それを捨てて立ち上がる。

 

 

あと少し、ほんのあと少しなんだ!

 

もう一押しで奴に勝てる!奴を殺せる!

 

 

だというのに!!

 

 

「……ぐ、ッッ、ぅぅ!」

 

 

どうして力が入らない?!

どうして手も足も震え始めやがる、どうして足取りがこんなにも覚束ない?!

 

視界も、右腕を切り落としたというのに霞みが取れず、刃衛の姿を正確に視認できない!

 

 

「ぉぉぉぉお、おおおおおお!」

 

 

それでも必死に足に喝を入れ、雄叫びを上げ、己が二本足で立ち上がる。

 

立て、立つんだ!

アイツはあんな程度じゃ絶対にくたばらない。

直ぐに立たなきゃ()()()()殺られんぞ!

 

 

そして、歯を噛み締めて直立した途端、血が頭からストンと落ちて、視界が暗転した。

ふわりと浮遊感に襲われ、吐き気が込み上げてくる。

背筋を寒気が貫き、自分の意思とは無関係に身体の先が震え始めた。

 

ああ……この感覚。

この感覚を俺は覚えている。

血が全くもって足りず、意識を失いかける寸前の状態だ。

 

同じだ。

 

薩摩の時と、状況がほとんど同じだ。

必死になって戦っても、どんなに頑張っても、結局は奴を殺せない。

 

 

最後の最後で、俺は俺に負けて、気を失う。

 

 

半年前と、本当に変わらない。

修練を重ね、実戦を通して心身を磨き、戦い続けてきた。

腕を失い、片目を失い、全身に銃創裂傷火傷打撲痕等々多種多様な傷を負って、なお変わらない。

 

 

弱さはまったく変わらない。

 

 

 

俺は、まったく成長していない。

 

 

 

 

 

 

そのことがスゴく悔しくて、何よりも腹立たしくて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふッ、ざけんじゃ、ねぇッッ…!!」

 

 

 

 

意味なんて無い。

 

けれど、気休めでもいいから、なんとか血を全身に巡らせたいがため、左胸を思いっきり叩き続け、心臓を圧迫する。

 

 

 

おんなじ状況だってんなら、なおのこと!

 

ここで!

 

今ここで潰れるわけにはいかねェだろうが!

 

歯ぁ喰い縛れよ!

残った目ん玉引ん剥いて、暗闇でも確と前を見ろよ!

背筋伸ばして、しゃんと立てよ!

 

今!今、嘗ての自分を越えないでいつ越えるんだよ!

 

 

 

いつ刃衛に勝てるんだよ!!

 

 

 

 

「がああああああ!」

 

 

 

 

震える左手を上げて、肩に刺さったままの折れた不知火を掴む。

じゅう、と手のひらが焼かれる音が聞こえたが、努めて無視して思いっきり引き抜く。

 

血は、出なかった。

肉が完全に焼かれ、固形化されてしまったようだった。

 

次いで、唯一の腕に刺さっている折れた刀を咥える。

そして、一思いに引き抜く。

 

肉を切り裂き、骨から這い出る音が頭蓋に響いて酷く不快だった。

おまけにクソ痛いし、此方は血が遠慮なく噴出している。

 

ずるり、と全てを引き抜くと、からんと地に刀が落ちた音が響いた。

 

 

 

あぁ……気持ち悪い。

寒くて気持ち悪くて、頭が割れそうに痛い。

胃から内容物が込み上げてきて、必死に嚥下するだけで相当の体力を消耗する。

 

それに、冗談抜きで全身の傷が痛い。

いっそのこと気を失った方が楽になるんじゃないか、という誘惑にすら駆られてしまう程。

 

みっともない程に泣き喚きたい。

 

 

「      」

 

 

耳鳴りが酷い。

鼓膜が痛いし、脈動と一緒に脳髄ががんがんと刺激されて頭痛を併発させる。

 

五月蠅いな。

蝉の音か、それともスコールの音か。

じいじいざわざわと耳元でがなり立てるな、何も聞こえねぇじゃねぇか。

 

 

 

「        !」

 

 

 

奥歯ががちがちとぶつかり合い、その振動が骨身を通じて全身に震えをもたらす。

切り落とした右腕の先端から冷気が入り込んできている気がする。

必死に無い腕を掻き抱くが、一向に寒さは変わらない。

身体中が凍えるほどに寒い。

 

 

 

「        !!」

 

 

 

身体が鉛のように重くて、動くことが酷く億劫に感じる。

だというのに寒さから身体は無意識に震え、荒れる呼吸で肩は乱高下を繰り返す。

その肩なんてちぎれるほどに痛い。

 

瞼もまた重く、暗い視界がさらに狭くなるという最悪なコンディションだ。

 

 

 

 

「        !!!」

 

 

 

なにか、さっきから雨の音に混じって人の声が微かに聞こえている気がする。

そういえば周りには人が何人か居たんだっけか、よく覚えていない。

まあでも、もうよく分からないし、ぶっちゃけどうだっていい。

 

 

とにかく刃衛だ。

 

いったい奴は今どこ……ああ、いた。

 

見つけた。

 

 

間違えようハズも、忘れようハズもない。

 

禍々しい殺気に加え、醜悪極まりないあの狂気。

見えないし、聞こえないが、それでも嫌というほどに分かる。

 

目の前から、ゆっくりと近付いてくるのが分かる。

 

 

 

有り難い。

向こうから出てきてくれるたァ好都合だ。

 

もう満足に身体を動かすことすらままならないんだ。

探し出す労力を節することができたのは素直に有り難い。

 

 

 

 

なればこそ、最後の力を振り絞って殺してやる。

 

残る力を全て注ぎ込んで、テメェを殺してやる。

 

 

全身全霊、全力全開でぶっ殺してやる。

 

 

 

 

 

震える腕を右腰に回し、懐刀を引き抜く。

 

 

 

 

 

 

 

 

残る唯一の武器を構えて、俺は暗い世界を睨んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

「……本当にこれが、人の戦いなのか」

 

 

剣心は、十徳と刃衛の血みどろの、血で血を洗う骨肉の争いを見て、呻いていた。

 

自らの傷、否、死すらも顧みず、相手を殺すことのみを唯一の目的として、殺し合う。

刀に生きる剣客の戦い方ではない。

刀を消耗品として乱暴に扱い、しかしそれによる攻撃に専心するわけでもなく、拳や足、はたまた額ですら武器にする徹底精神。

 

無惨にして残酷。悲惨にして過酷。

なれど、二人の争いは高次元にありすぎて、視認することすら儘ならなかった。

 

人とは、斯くも“人”を捨ててまで戦いを繰り広げられるのか、と声を大にして問い質したいほど。

 

もはや彼らの争いは人のものに非ず。

剣心は既に、そう思っていた。

 

それは、正しく異常だったが故。

異質で、異常で、あまりにも常軌を逸している。

狂っている。

だが、それでも鵜堂刃衛ならばと、奴の気質を理解していればその異常さは、あながち不思議ではない。

 

特筆すべき不思議、否、異常さは、相対する青年の方。

白銀の青年だ。

実力も、狂暴性も、恐らくはその思考も、全てが刃衛に拮抗するほど!

 

さっきまでは普通の好青年だった。

それが、急激に変貌したのだ。

叫ぶ声には狂気も孕まれ、振るう剣閃は鋭く、そして禍々しい。

 

人の域を越えた機動と怨嗟の咆哮。

自分を刺し貫いても敵に傷を負わさんとする執念。

何をトチ狂ったか己の右腕を斬り落とし、そして敵の耳を噛みちぎるという暴挙。

 

 

「彼は、いったい……」

 

 

何者なのだ。

 

 

そう呟こうとしたとき、その争いは一時の静寂を迎えた。

刃衛が青年を蹴り飛ばし、距離が離れると二人がのろのろと立ち上がったのだ。

 

二人の様子は最初の頃と大きく違い、もう満身創痍も甚だしかった。

刃衛も青年も、ともに酷すぎた。

 

見ている此方が痛くなるほどに、出血が多すぎる。

ともに片腕を亡くし、一方は片目を、一方は片耳を失っている。

見ていただけでも腹部と腕部は刀が貫通し、他にも大小様々な裂傷がところ構わず付けられていて、顔面もおびただしい血糊が付着している。

 

 

 

(……ッ、いけない!このままでは彼が死んでしまう!もう十分だ、後は拙者たちで――!)

 

 

 

ふと、彼らの戦いを見ることに没頭していた意識が覚醒し、我に帰った。

 

もう十分だ。

あれほどに刃衛を追い込んだのだ。

それだけで大金星だ。

これ以上戦えば死んでしまう。

 

それは絶対にダメだ!!

 

どうしてそこまでして戦う。

何がお主をそこまで突き動かす。

もうそれ以上戦えば死んでしまうというのに、何を考えているというのか!

 

彼は絶対に死なせてはいけない、絶対に助けなければいけない。

自分の不殺の誓いもさることながら、もっと別の理由でそう叫ぶ。

 

理屈もへったくれもないし、具体的に何がまずくなるのか自分でもよく分かっていない。

だが、それでも。

その考えに一抹の疑問も抱くことなく、むしろ確信しているがため、剣心は十徳を庇うため、駆け出した。

 

が、その足はすぐに止まった。

 

 

 

『狩生、十徳……そういえば一つ、言い忘れていたことがある』

 

 

 

小さな、しかし確かに響いた微かな声。

気付けば刃衛の身体は筋骨隆々なものではなく、嘗ての幽鬼を思わせる姿に戻っていた。

 

狂暴な雰囲気、立ち居振舞いはもはや見る影もなく、瞳に宿る不気味な狂気も、今ではどこか弱々しい。

それ故、紡がれた言葉はどこか大人しげ。

 

 

 

 

『このつまらない明治の世において、お前という得難い好敵手を得られた。お前という果たし難い目標を得られた……お前との戦いは、本当に楽しかった!』

 

 

 

 

端的に言うと、あまりに普通な声音だった。

普通な、本当に感謝の念を込めた声音だったのだ。

 

嫌悪感を駆り立てる禍々しい声音でしか話さなかった狂人が、普通の人のように言葉をこぼした。

そのあまりの急激な変化に、戸惑いから足が止まってしまったのだ。

 

 

 

『お前との戦いに最大の敬意を、お前との邂逅に至上の祝福を!俺は、お前と出会えて良かった!!』

 

 

 

 

 

本当に嬉しそうに、刃衛は言った。

心の底からの純真なる喜びを、言葉に乗せていた。

 

理解できない。

最初は刃衛をそう断じた。

そのおぞましさから嫌悪感が心を支配した。

その狂気に呑まれないよう、必死に自分を震い立たせて戦った。

 

けど、刃衛の豹変した朗らかな笑みを見て、少しだけ分かった気がした。

上手く言語化できず、こう言うとかなりの語弊があるだろうが、敢えて誤解を恐れずに言うならば。

 

 

きっと、刃衛もまた、彼に救われたのかもしれない。

 

 

 

 

 

『元新撰組隊士、鵜堂刃衛!さればこそ、その首を我が冥土の土産とさせてもらう!!!』

 

 

 

 

 

楽しそうに叫ぶ声。

今までナリを(ひそ)めていた嘗ての狂気が、辺り一面に発散された。

びりびりと空気を伝う殺意と狂気は、この場にいる全ての者の肌を刺激したことだろう。

 

なら、それを直に差し向けられた青年は--

 

見ると、やはりと言うべきか、或いはまさかと思うべきか。

 

小さな懐刀を引き抜き、臨戦態勢に入ったのだ。

 

 

 

(なにを……!もう止めるんだ!もう、これ以上はッ…)

 

 

 

ずきん、と胸に走る痛みを堪え、愕然として剣心は青年を見た。

 

 

もはや半死半生とも言えるレベル。

おびただしい量の血を流し、見える姿は痛ましい。

事実、本人も痛みに堪えているようだ。

無い腕を掻き抱いていた姿は、非常に痛ましかった。

 

視線は呆としていて、刃衛を正確に捉えているか甚だ疑問だ。

いや、きっと見えていないし、恐らく聞こえてもいないだろう。

何故なら、彼が懐刀を抜いたのは、殺気と狂気をぶつけられてからだ。

 

それまでは刃衛の言葉など耳に入らず、その上で見えていない瞳で刃衛を探していたように見えたからだ。

 

 

 

もう立っていることすら辛いハズだ。

なのに、その上なお戦おうとするなど、正気の沙汰ではない。

死んでもおかしくないのに、まだ殺そうと立ち続ける。挑もうとする。

 

 

その姿が、あまりに胸を抉ってくる。

 

 

 

 

『…………』

 

 

 

 

 

そんなボロボロの青年が懐刀を構えて、何かを言った。

 

頼り無げなその姿は、押せば転びそうなほど。

そんなことは、きっと自分でも分かっているハズだ。

それでも青年は少しの逡巡もすることなく、戦う姿勢を見せた。

 

 

 

そして、吼えた。

 

 

 

 

『……、から、もう二度と、負ける訳にはいかねぇんだよ!お前にも、俺にも!』

 

 

 

悲痛な叫びは、己を鼓舞するためか、或いは克己のためか。

どちらであっても、その声音はあまりに悲哀に満ちていて、痛切を帯びていた。

 

二度と、と彼は言った。

つまり少なくとも以前に一回は、青年は刃衛と戦っているということか。

 

その事に、改めて剣心は胸中で愕然した。

 

 

 

 

『弱いままじゃ…何もできない、何も叶えられないッ。ここでお前を殺して、嘗ての俺を越えて、初めて祖国の未来を掴めるんだ!』

 

 

 

 

 

喚く姿は、まるで駄々を捏ねる子供のよう。

 

青年のような年の者がすればみっともなく見えるハズなのに、それでも何故か、その姿は雄々しかった。

ぼろぼろで、吹けば今にも飛びそうな容態なくせして、それでもなお勝利を希求している。

 

 

 

己が身を省みず敵を打倒しようとするその姿の、なんと勇ましいことか!

 

 

 

 

 

『東京警視本署、特別捜査部隊隊長!狩生十徳だ!その首、現世に置いてってもらうぞ!!』

 

 

 

 

刃衛の殺気と狂気に勝るとも劣らない、裂帛の気合いは風に乗ってどこまでも大きく響いた。

 

彼の咆哮がこの場にいる全員の総身を貫いた時には、既に青年は駆け出していた。

最後の力を振り絞っているのが痛いほど分かる、全身全霊の吶喊だった。

 

その速度は、お世辞にも速いとは言えない。

嘗ての異常なまでの戦速に比ぶれば、見る影もない。

 

刃衛も、自らの腕に抉り込まれている曲刀を引き抜くと、応えるように吶喊した。

彼の速度もまた速くなく、死に体であることがよく分かる。

 

 

今ならば、二人の間に割って入れる。

 

恐らく二人は決着をつける気概でいる。

すなわち、殺すつもりだ。

 

 

それは、不殺の信念を掲げる自分にとって、看過しえない事態だ。

割り入り、止めるべきだ。

でなくば、何が逆刃刀だ、何が流浪人だ。

 

彼らにも背負うものがあるのと同様に、自分にも曲げてはならないものがあるのだ。

 

 

行かねば、行かねばッ……ならないというのに、どうして足が動かない!

 

どうして!

 

どうしてッ、あの二人に見惚れている!?

 

 

 

(なぜ、二人の結末を見たいと望む!止めてはならないという意思が働く?!)

 

 

 

分からない。

 

 

分からないが、それでも己の状態はよく把握していた。

 

歯を削れるほど強く喰い縛り、拳を鬱血するほどに握り締め、肩を激情で震わしている。

 

 

そして、足は頑として動かない。

 

 

 

 

 

 

やがて強く見開かれたその瞳に

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

二人が交差した瞬間

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

狂人の首から噴水の如く舞い上がった鮮血を、確と焼き付けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











今話および本作に対する感想、疑問、質問等を活動報告にて多数受け付けております


一度お目を通していただけると幸いです




また、ここにいと尊き御方にあらせられる鮎川様より頂いたイラストを掲載します

何度も書き直しを繰りせた根気の源は、ひとえにこれのおかげと言っても過言ではありません
(もちろん、評価・感想を授けてくださっている多くの読者の方々が居てくださってこそです)





【挿絵表示】










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

49話 戦後処理 其の壱


ご無沙汰してます
畳廿畳です


大変長らくお待たせしました
話の方向性がまとまり、ストックも少し溜まりましたので投稿を再開していきます


今話を含め、以降かなりの捏造設定を盛り込んであります
ご容赦くださいm(_ _)m


また、たくさんの感想・活動報告へのコメント、ありがとうございました
返事を書けていない方は申し訳ありませんでした
でもちゃんと読んで活力になっておりますのでご寛恕くださいm(_ _)m



とまれ、早速どうぞ














 

 

 

 

 

 

 

紅く染まる夜に響くは、聞く者の胸にまで届く慟哭。

 

 

一人の男の、赤と透明の涙を孕んだ天をも貫く咆哮。

 

 

喜びか、悲しみか、嬉しさか、悔しさか。

 

常人に計り得る感情なのか、否か。

 

 

何を思い、何を感じて泣き叫ぶのか。

 

 

誰にも分からないが故、誰も身動きが取れなかった。

 

 

 

奪った命に振り返りもせず、使った懐刀は手から滑り落ち。

 

 

ただただ叫喚していた。

 

 

駆けつけた宇治木も、共に駆けてきた鎌足も。

 

この場に居合わせていた剣心も、蒼紫も、外印も、エミーも。

 

 

誰一人として、悲鳴にも似た叫びを止める事はできなかった。

 

 

燃え盛る炎の音よりも大きく、燃え上がる火の壁よりも高く。

 

 

どこまでも大きく、どこまでも高く。

 

 

その痛ましい彼の声は、何よりも鮮烈だった。

 

 

 

 

 

それが、どれほど続いただろうか。

 

 

悲哀と痛切に満ちた、それでもどこか美として目と心に焼き付いてしまう光景は、やがて唐突な終わりを迎えた。

 

 

その声が次第にか細くなっていくと、遂には途切れ、上げていた顎も落ちる。

 

 

 

 

 

 

そして、糸が切れたマリオネットのように、十徳は崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「狩生!」

 

「狩生殿!」

 

「狩生くん!」

 

 

 

周りに集っていた各人が我に帰り、倒れている十徳のもとに駆け寄る。

そして、各々が彼のあまりの容態の悪さを見て、盛れ出る悲鳴を噛み殺した。

 

 

「ちょッ、これはマズ過ぎるわよ!早くなんとかしないと……なんとかしなさいよ!」

 

「分かっている!外印、貴様なら治せるだろう?!貴様の腕なら、少なくとも延命はできるハズだ!」

 

「無論、このまま師を見殺しにするつもりはない。死の間際の心の輝きは戦いの中にこそあるべきだ。それ以外での死は決してさせん。だが……」

 

 

明確な答えを避けようとする言に、宇治木が声を荒げて詰め寄ろうとするより先に、剣心が口を開いた。

 

 

「根本的に治療ができないのでござるか?それとも、懸念事項が?」

 

「後者だ。手順は思い付く、段取りの目星もつく。だが時間との戦いともなれば人手が足りん。人体の構造に詳しい医者……いや、この際贅沢は言わん。頭の回転の早いーー」

 

「一人、日本語の通じる西洋人の医者に心当たりがある。拙者からその者に協力を請おう。どこにお連れすればよいでござるか?」

 

 

剣心の頭の中に、昼間出会った心優しき流浪の医師が思い浮かんだ。

 

これは偶然か、それとも彼を取り巻く運命なのか。

少しだけその事に思考が傾いたが、直ぐに今はそれどころではないと打ち消す。

 

ともかく、彼女ならあるいは。

そう思って剣心はエルダー女医を推挙した。

 

 

「相分かった。だが私の館までの道順を説明する時間も惜しい。道案内は……してくれるな?」

 

 

外印は斬鋼線で十徳を簀巻きにし、そして背負うと髑髏マスクの奥にある視線を宇治木へと向けた。

 

 

「それはッ……」

 

 

一刻も争う今の事態。

本当なら直ぐにでも頷き、緋色の髪の男に従って走り出したいのだが、そうもできなかった。

 

理由は、その視線の先にある。

 

 

「……疑われるのは十分に理解できる。だが、もう十徳(コイツ)を殺そうなどとは思わない。むしろ、その命を繋ぎ止めるならば、俺も全力で協力する」

 

「百歩譲って、鎌足(コイツ)は十徳に説得されたからと理解することはできるが、貴様はそうじゃない。貴様の発言には何の信頼性も無い。みすみすこの場にお前を捨て置くことはできん」

 

「その懸念も理解できる。だが、仮に俺がまだコイツを殺すという意志を持っていたとして、そしてお前がこの場に残るとして、それでどうなる?殺すまでの時間が若干伸びるだけだぞ」

 

「貴様ッーー!」

 

 

気色ばんで詰め寄ろうとする宇治木とそれを飄々と受け流す蒼紫。

その二人にため息混じりに外印が告げた。

 

 

「楽しく話し合いたいのなら勝手に続けていろ。私たちは先に行って師を助けるため全力を尽くす。師の死を遠回しにもたらそうとするのなら、ここでお別れだ」

 

 

そして、本当に十徳を背負いながらゆっくりと走り出そうとした。

 

が、ふと視界の隅に映った一人の西洋人女性が目に留まった。

 

 

「H, Hey… I'm gonna…」

 

 

不安げに、されど十徳を案じるように一歩踏み出そうとするエミー。

 

だが、浮きかけた足は直ぐに止まり、十徳のもとには行けなかった。

言葉が通じず、意思の疎通も儘ならないが、それでもエミーは理解していたのだ。

 

住んでいる世界が違う、と。

 

目の前にいる人たちは、根本的に身を置いている場所が違うのだ。

母国のイギリス軍人ですら、ここまで熾烈な闘争環境には居ないだろう。

 

そんな彼らの、十徳のもとにエミーはとても近付けなかった。

 

片鱗は薄々と感じていたし、十徳の異常さは成る程そういった世界に身を置いているからこそなのだと、今にすれば納得できる。

 

故にこそ、外印、鎌足、剣心、蒼紫、宇治木の視線に身を貫かれ、十徳に近付きたいと思っていても足は地に根を下ろしたかのように全く動かなかった。

 

でも、これは当然の線引きなのかもしれない。

私じゃあ向こう側には行けない。

死と隣り合わせの環境になんて、とてもではないが居られない。

 

そんな私に出来ることなんて、そんなの、ここで見送るだけしかないじゃないの。

 

エミーが諦めの吐息混じりに、そう考えながら足の力を抜こうとしたときだった。

 

 

『構わん。ついて来たければ来ればいい』

 

『…へ?』

 

 

外印が英語で話し掛けたのだ。

 

 

『師の知り合いなのだろう?師が訳あってお前と知り合ったのだ、ならばそれを無下にするのは弟子として許されん。故に、来たければ来い。だが、きっともう二度と元には戻れんぞ』

 

 

とても流暢とは言えないが、それでもおおよその内容を聞き取れたエミーはその内容を聞いて数秒間停止した。

 

元には戻れない。

 

それはいったいどういう意味か。

“元”とは、いったい何を指すのか。

戻れなくなったら、私はどうなるのだろうか。

 

そんな思考が頭を駆け巡るが、しかし直ぐに打ち払った。

 

このまま十徳を見送れば、なんでかもう二度と会えない気がする。

 

それは、絶対に嫌だ。

二度と会えなくなるなど、そんなの願い下げだ!

 

この気持ちがジャーナリズムから来るものなのか、それとも別のものから来るものなのか。

それは一切分からないが、それでもこの正体不明な胸を急かす焦燥に従って、エミーは大きく頷いた。

 

 

『構わないわ。彼の無事を確かめられるなら、ジャーナリストであることも放棄してみせる』

 

『…悪いが聞き取りは上手く出来ないのだ。来るか来ないか、行動で示してもらうぞ』

 

 

そう言うと、外印は改めて十徳を背負い直し、急ぎ足で館へと駆けて行った。

その後ろを、忠犬のように十徳の背を支える鎌足と、そしてエミーが続いた。

 

 

「では、俺はお前に着いて行こう。それならば多少はよかろう」

 

「……」

 

 

その三人の背を見送ること数秒。

蒼紫が再び口を開き、宇治木に提案した。

 

 

「宇治木殿、と云ったな。今はそれが最善でござる。それに、この男の言は信用できるでござるよ。この男は嘘を吐けるほど器用ではござらん」

 

 

これで話は終わり、これで結論とする。

 

そんな意味合いを込めて、剣心は言い切ると踵を返して走り出した。

二人に目もくれず、現状での全速力だ。

 

一分一秒も惜しいと思う剣心にとって、もはや宇治木も蒼紫も着いて来ようと来なかろうとこの際どっちでもよかった。

着いて来なくても、最悪目的地をしらみ潰しに探す気にすらなっていたのだ。

 

例えそうなっても、ここでの口論で浪費する時間よりかは断然早いと判断したのだ。

 

 

「ちッ。えぇい、くそったれが!蒼紫と云ったな、遅れてはぐれるなよ?!」

 

「誰に言っている」

 

 

宇治木は髪を掻き毟ると、直ぐに剣心の背を追い掛けた。

無論、その後ろを蒼紫が追走する。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

先に館へと戻ってきた外印は手術台に十徳を乗せ、改良もとい治療の準備を始めていた。

服を鋏で切り、全身を露にすると症状を確認する。

 

裂傷、銃創、火傷、打撲、等々。

目に見えるだけでもあまりに多い怪我。

しかも、そのどれもが重傷と言ってもいいほどだ。

 

特に眼部と腹部。

 

前者は額から頬にかけて大きく切り裂かれていて、眼球はとうに破裂して影も形も無かった。

眼窩に止めどなく血が溜まり、その都度綿で吸い取っている。

 

後者は自らを刺し貫いた傷だ。

傷口は小さいが、血は止めどなく溢れてきている。

内臓を貫いていたら致命的だ。

早急に確認し、縫合しなければならない。

 

それに加えて、義手の接合部は正視に耐えないグロテスクさを呈していた。

今は既に義手を切り落としているため、もう熱を送ることはないが、それでも自身への被害を無視して酷使し続けていたことが容易に見てとれる。

 

呼吸も荒く、顔面は本来の白い肌をなお青白く染めあげ、痙攣も始まっている。

 

外印ですらこの状態の十徳を改めて見て、こう思った。

生きているのが不思議な状態だ、と。

 

だが、生きているのなら重畳。

全力を尽くすまでだ。

 

 

「とにかく血を足さねばどうにもならん。以前、師から教わって型分けした血では足りんかもしれんな」

 

 

てきぱきと台の横に器具を準備していく外印。

かつて右腕を治療したときと同じように、様々な物が陳列されていく。

 

 

「他の者から血をもらうか。だが遠心分離機に突っ込んで型を調べねばならないし、そちらに構う余裕もない……やはりあと一人はほしい」

 

 

ストックしてある血袋を吊るし、管を通して直接十徳の血管に注ぎ込む。

そして先ずは、死に至る大きな外傷から手をつけていく。

 

さしあたり、先ずは腹部だ。

消毒済みの鋭利なナイフで切開し、どんどん奥へと指を突っ込んでいく。

 

カチャカチャと、ぐちゃぐちゃと静謐な空間にそんな音だけがするなか、どたどたと扉の向こうから音がした。

すわその勢いのまま扉が強引に開け放たれるかと思いきや。

 

 

「うっさいわよ!狩生くんの傷に響いたらどうすんの!ここから先は入っちゃダメなんだからね!」

 

「いや、しかし……この通り医者を連れてきたのでござるが」

 

「な、それを早く言いなさいよ!ほら、あんた。そんなお面は着けてちゃダメだからね。そこの酒度の高いお酒で手を洗って、服もそこの棚の中にあるやつに着替えなさい」

 

「W, well…これは、なんですカ?」

 

「知らないわよ。細菌がどうとか雑菌がどうとか言ってたけど、何一つ分からなかったわ。分かる事と言えば、私たちは絶対にこの部屋に入ってはいけないってことだけかしらね。さ、そんなことより早くして!今は一刻も争うのよ!」

 

 

外で強制待機させられていた鎌足とエミーが、駆け付けてきた剣心とエルダー女医と宇治木と蒼紫に待ったを掛けたのだ。

そして有無を言わさずエルダー女医の背を押し、支度をさせる。

 

 

『あんた、英語圏の人ね?お願い。力を貸してちょうだい』

 

『ッ、え?貴女は?』

 

『ここ横浜の英字新聞の記者よ。あんたの慌てる気持ちはよく分かるわ。私だって今の状況はほとんど理解していないし、何が何やらさっぱりだもの』

 

 

ようやく言葉が通じる相手を見つけて少しばかり嬉しさが込み上げてくるが、エミーはそんな感慨をすぐに押し止めて、そして懇願する。

 

 

『けど、この中にいる今にも死にそうな人は、絶対に死なせてはいけない人なの。それだけは、そのことだけは理解できている。だからお願い、彼を助けて……』

 

 

エルダー女医の手を握りながら、呟くように言葉を溢す。

 

言葉は通じずとも分かっていた。

今の十徳は非常に危険な状態にあり、生存率は極僅かであるということを。

 

だがそれでも、否、だからこそ。

自分ではどうしようもないから、例えよく分からない相手でも必死な気持ちで助力を請うのだった。

 

剣心たちは英語で話すエミーの言葉の意味を杳として掴めなかった。

だが、彼女が真剣であるということは容易に分かった。

 

そして何故だろう。

彼女が本気でエルダー女医に助けを請うていることもまた、容易に分かった。

 

 

『……分かりました。きっと助けてみせます。私の全力で貴女の、貴女たちの大切な人を助けてみせます』

 

 

握られる手を力強く握り返すと、エルダー女医は今度は日本語で周りの人たちに言った。

 

 

「大丈夫デース。私も医者の端くれ。全力で患者の命を助けるのが仕事ですカラ」

 

 

間延びした、どこか肩の力が抜けてしまうような宣言。

しかし、外した仮面から覗けた愛らしい瞳には不屈の精神から来る確かな決意があった。

 

 

 

 

 

 

 

クリミア戦争を契機に、フローレンス・ナイチンゲール女史のおかげで自国の医療分野の門戸は女性にも大きく開かれた。

衛生観念が刷新され、看護婦の誕生によって戦争での死者数は格段に減った。

 

だが、それはあくまで“自国軍”の範囲内の話。

 

ナイチンゲールが自軍の後方基地または野戦病院で活躍したのに対し、()()メアリー・シーコールは敵味方問わずに救命活動に当たっていた。

敵の命すらも救う偉業を為していたのだ。

 

ナイチンゲールに拒絶されても、なお人を助けたいという一心で私財を擲って医療活動に専念したというのに。

 

なのに陽の目を浴びているのは、常にナイチンゲールの方だ。

恩師の活躍は忘れ去られつつあり、その偉譚も技術も自らを除けばもうほとんど逸失されかけている。

 

命を救う行為に、敵も味方もないハズだ。

生命とは、そんな人間が勝手に作った線引きに囚われない尊いものなのだ。

 

だからこそ。

 

自分もそんな線引きを超え、更には国境と海を超えて、教えられた医術をあまねく人々に施したい。

例え事情を知り得なくても、零れ落ちそうな命が目の前にあるのなら全力で助ける。

 

 

それが自分の存在意義なのだから。

 

 

そして、消毒した手を汚さないよう、剣心に開けてもらった扉をくぐると、その光景に度肝を抜かれた。

 

 

「What's…?!」

 

 

部屋の中心にある台の上に寝かされているのが患者なのだろう。

衣服を纏うことなく、眠るように横たわっているのだから。

 

ならばその傍らで、その眠る者の腹を裂いているのは一体?!

 

 

「来たか…日本語はどれほど解せる?」

 

 

腹を裂く手を止めることなく、その相貌をちらとエルダー女医に向けただけで直ぐに顔を戻した人は、果たして医者なのだろうか。

 

 

「No, ア、日本語大丈夫デース……それより、貴方は医者なのデスか?」

 

「そんなことはいいからとっとと手伝え。お前がどれ程の知識と技術を持っているかは知らんし、すり合わせをしている時間的余裕もないのだから、一先ず私の指示に従え」

 

「え、わ、分かりマシタ!」

 

 

あまりな物言いに、しかしエルダー女医は眉をしかめることもなく大きく返事をすると、二人に駆け寄った。

 

体内に残った弾丸が後々に死を招く、という事実は統計学的観点から流布され初めているのだ。

故に異物を摘出するため、患部を切り開く医術は確かに存在する。

 

恩師はかつて、クリミアにて従軍した医師にそうアドバイスをしたと言っていた(実行はされなかったが)。

故に、切開の行為を見て驚きはしなかった。

 

行為には驚かなかったが……

 

 

「……ッ!」

 

 

患者の有り様が酷かった。

 

エルダー女医は従軍経験が無いため、戦傷者を扱ったことがない。

そのため、負傷者の惨さは話と書物でしか知らなかった。

 

いや、こういった患者が大勢いる野戦病院の方がきっと酷いのだろうが、それでも眉根に皺が寄ってしまう。

一体この国際港ヨコハマで、何をしたらこんな酷い状態になるのだろうか。

 

 

「時間が無いと言ったハズだ。呆然と突っ立っているなら出ていけ」

 

「あ、そ、スミマセン。わ、私は何をしたら…?」

 

 

そうだ。

今はとにかく患者の命が最優先だ。

死という本来逃れられない動物的宿命を、人間だけが持てる唯一の術でもって覆す。

その事だけに集中するんだ!

 

 

斯くして。

 

外法の者と西洋の女医が協力し、大手術が始まった。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「……何度言わせるんだ、お前たち。邪魔だぞ」

 

「む、相すまぬ」

 

「申し訳ないでござる」

 

「ごめんなさいね」

 

『…?』

 

「……」

 

 

手術は休みなく続いている。

夜が明け、陽が頂点に差し掛かり、次いで傾き始め、そして再び没しようとしたとき、手術室から出てきた外印が開口一番に放った言葉だ。

 

目線の先には、廊下に座って待っている五人がいた。

宇治木、剣心、鎌足、エミー、蒼紫だ。

 

彼らは手術が始まってからずっと廊下で待機しているのだ。

用を足すためや軽い飲食のため部屋を出てくる外印(とエルダー)が、その都度邪魔だと指摘するのだが彼らは場所を変えようとしない。

 

二度ほど、外に赴いていた人らもいたが、基本は皆がここで待機している。

 

なお、その二度とは、一度は宇治木と蒼紫が各々の部下を回収しに行った時のこと。

無論、その時にもいざこざがあったが、剣心立ち会いの下で説明と説得が行われ、表面上は事なきを得た。

 

もう一度は、鎌足と宇治木と蒼紫による現場の工作だ。

流石に、鎌足が拠点としていた廃倉庫と燃え盛った倉庫を隠蔽することはできない。

誤魔化す方法も思い付かなかった。

 

頭を悩ませていた鎌足と宇治木に、観柳に押し付けてはどうかと蒼紫が提案した。

これに飛び付いた宇治木が、早速蒼紫と協力して工作活動を実施したのだ。

 

 

「はあ……師が心配なのは分かるが、ここに居たところで何も変わりはしない。そう言っているだろう」

 

「居ても居なくても変わらないのなら、居る方を選ぶ。そう言ったハズよ?」

 

「拙者らに他に出来ることはござらんか?自分達の手当ては先ほど済ませたし、今は手透きなのでござるよ」

 

「手術に関して手伝ってもらうことはない。血を分けられる宇治木以外は無用だ。敢えて言うならば、此度の騒動で動き出す敵対組織に警戒すべきではないのかね?」

 

「警戒監視は俺と宇治木の部下で事足りている。しかも今は敵の影すら見えん。用心は重要だが、今以上に人を割く必要性は無い」

 

「不足の事態が起こり得る可能性は、此方の方が高いだろう?もしもの際、死に際の顔ぐらいなら看取らねばなるまい」

 

 

ああ言えばこう言う。

お前らどんだけ師が好きなのだ、という言葉はグッと堪えて飲み込んだ。

 

 

「……はぁ、もういい。せめて通路の端によって邪魔にならないように居てもらいたいものだ」

 

 

外印は匙を投げて廊下を進んでいった。

 

馬鹿どもに構っている時間的余裕はないのだ。

本当ならこういった小休止の時間も惜しいのだが、集中力の欠如は作業効率を著しく損なわせるため、合間合間に無理矢理にでも心身を休めなくてはならない。

 

師を手術中に死なせてしまったとあれば、きっとコヤツらに斬殺されかねないしな、と嘯きながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

斯くて三日三晩に及ぶ大手術は、五人の取り巻きが見守るなか、二人の健闘によって成功裏に終わった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










メアリー・シーコールは実在の人物です
表記した逸話も史実です

エルダー女医のバックボーンを描写するにあたり、結びつけてみました
彼女がどのような信念で流浪の医者をやっているのか、考えに考えた結果です










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

50話 戦後処理 其の弐





以下、注意事項

・外印の新型機巧のお披露目は当分先
・捏造設定第二弾投下


では、どうぞ







 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そこは静寂が支配する、ランタンの赤橙色に彩られた小さな部屋だった。

 

部屋の至るところに医療器具と思える物、或いは到底それとは思えない物騒な物が無造作に置かれていた。

それらは血塗れだったり、無理な力を加えられたのか変形していたり、もしくは何があったのか破砕していたり、とにかく使用済みであることは十二分に窺えた。

 

血はそれらの器具だけでなく床や壁にも着いているため、室内は血の臭いに満たされている。

 

そんな部屋の中央に、一畳半ほどの大きさの台が横たわっていた。

そこに、一人の青年が寝かされている。

 

白銀の長い髪を身と台の間に挟み、仰向けに寝ている。

上半身は裸で、右腕が無く、その断面は包帯が厚く巻かれている。

片目は眼帯が付けられているが、額から頬に掛けて大きな裂傷が覗けており、ともすればその目は二度と光を見ることが出来ないだろう事が推察できる。

 

他にも至るところに裂傷や銃創、火傷の跡があるが、そのほとんどが治療痕によって上書きされているのが目に止まる。

 

大ケガをしたことは容易に想像できるし、それらが全て処置済みであることも想像できる。

端から見て、生死の境を彷徨うほどの重傷だったことが分かる。

なるほどこの部屋の惨状を見るに、彼の治療のためにこの血臭満ちる空間が出来上がったのだろう。

 

青年の胸は規則的に上下していることから、そして手術を現状していないことから、無事に成功したことが推測できる。

 

あとは患者自身の体力の回復を待つばかりかーー

 

 

否。

 

 

その青年は寝かされてはいるが、もう眠ってはいなかった。

 

残存する唯一の瞳ははっきりと開かれていて、その視線を天井に固定していた。

それは見ているのではなく、ただ視線がそこに向けられているというだけであって、意識して見ているわけではないようだ。

 

ならばその目は色を示しておらず、望洋としたものか。

或いは疲れの色を示しているのか、それともあらゆる諦感から失意の色を示しているのか。

 

はたまた、自分が生きていることに喜びを噛み締めているか。

 

 

否、重ねて否である。

 

そのどれも正しくない。

 

 

 

 

 

その瞳の色は、激しい怒りに染まっていた。

 

 

 

 

 

左手は強く握り締められ、今にも手術台に叩き付けられそうだ。

 

 

怒りの矛先は、己自身。

 

 

自らの弱さに、激怒していたのだ。

 

 

 

 

 

 

===========

 

 

 

 

 

切っ掛けは二つ。

 

一つは、最後の最後にまた気を失ったから。

一度失いかけた気を確かにし、最後の攻勢に出られたまではよかった。

そこまでは、まあいい。

 

そんなの、()()()()なのだから。

 

己に喝を入れるため、聴覚を一時的に失った自分がなんとか聞こえる音声で、ありったけの思いを込めて叫んだ。

必殺の思いを轟かせ、全身に滾らせて、そして駆け出した。

 

ククリを大きく振りかぶりながら突進してきた刃衛は変わらない狂気の笑みを湛えていたが、振り下ろされたその剣閃は今まで以上に遅かった。

 

殺気や狂気、楽しみ、喜びなどの諸々の気持ちは変わらず溢れるほどだった。

しかし、決定的に遅かった。

もはや()()()()に遅かった。

 

だから、その太刀筋は簡単に読めてしまい、避けるに難くなかった。

だから、俺は躱した直後に一筋の刃を闇夜に煌めかせた。

 

肉を断ち、脈を裂いた。

 

互いの身が交差し、数歩ずつ余勢を駆って走り、やがて止まる。

 

血飛沫を舞き散らせながら、奴が笑いながら何かを呟いた。

蚊の鳴くような、誰も聞き取れない小さな言葉だった。

 

奴は振り返っていたかもしれないが、それは分からない。

もしかしたら最後に俺の顔を見たがっていたかもしれないが、そんなのは知らない。

 

奴の言葉が空気に溶け、直後に奴が崩れ落ちたのを、俺はずっと背で見届けていたから。

 

喜びよりも先に、安堵よりも先に、身を裂くほどの激しい屈辱の念に犯されていたのだ。

 

これが、二つ目。

 

手加減された。

本気で来なかった。

最後の最後に、手を抜かれた。

 

勝利を、譲られた!

 

当初の目的を考えれば、如何なる形でも刃衛を殺せればそれで万事良しだった。

刃衛のように殺し合いを楽しむ気も無かったし、手加減されて殺せるなら寧ろ好都合なハズだった。

 

それでも刃衛は強いから、だからこそ死に物狂いで頑張ったのだ。

必死の思いと決死の覚悟で戦った。

必死に己を奮い立たせて、痛い思いに歯を喰い縛って戦った。

 

だというのに、最後の最後にあのザマだ!

死体同然の身を晒して、一太刀を譲りやがった!

 

全て無駄にさせられた気分だった。

これ以上ないほどの侮辱だった。

 

戦いの最中に臓腑の底から込み上げてきた怒りと同質量のそれが全身を犯し、身を燻った。

怒りと悲しみから、俺は狂ったように吠えた。

吼え続けた。

 

そして気を失い、目覚めた瞬間からも、その怒りの程は変わらない。

 

震える握り拳を掲げ、怒りのままに手術台に振り下ろす。

 

 

「…ッ!」

 

 

けど、電流のように全身に走った激痛が筋肉を弛緩させ、握り拳は何も叩くことなくほどかれた。

それでも、痛みは怒りを鎮めるに足るものではない。

 

本当に反吐が出る。

腸が煮え繰り返りすぎて、喉を爪で掻きむしりたいほどだ。

いっそ自害した方がどれほど気分の晴れることか、と考えてしまう。

 

どうして俺は、こんなにも弱い?

どうして俺は、少しも成長しない?

 

横浜での一連の戦いを思い出してみろ。

実質的に降した相手など、庭番の配下だけじゃねぇか。

 

何が祖国の未来を掴む、だ!

こんな弱い力で掴めるものなど、一つとして有るものか!

 

何が隊長だ!

こんな雑魚にも劣る稚魚ごときが夢を囀ずるか!

 

 

 

あぁ、クソ……ダメだ、泣くな。

泣いちゃダメだ。

 

 

「……っ、~~、ゥ、ぁ……!」

 

 

泣くなよ、阿呆。

薩摩っ子なら、泣こかい跳ぼかい、泣くよかひっ跳べ。だろうが。

 

一丁前に熱い涙なんて溢してんじゃねぇよ!

悔しがって……それで弱いという罪が償われるとでも思っているのかよ!

 

 

「……、~!ーーーー!」

 

 

ああ、ダメだ。

 

どんなに堪えようとしても、どんなに耐えようとしても、涙を止めることはどうしても出来ない。

喉は震え、肺の底から慟哭が溢れそうになるが、それだけは必死に耐えられた。

だけど涙だけは、どうしようもなかった。

 

 

泣いたところで、事態は何も変わらない。

強くなんてなれないし、()()()()()()という事実は覆らない。

 

自分が弱いということは嫌というほど知っている。

何度自分の弱さを呪い、恨み、悔やんだことか。

何度強くなろうと励み、克己し、抗ってきたことか。

 

斎藤との戦いで、初めての刃衛との戦いで、鎌足と蝙也との戦いで、雷十太との戦いで。

般若・式尉・癋見との戦いで、蒼紫との戦いで、二度目の鎌足との戦いで、そして二度目の刃衛との戦いで。

 

うちひしがれ、叩きのめされ、その度に己に喝を入れてきた。

もがき、苦しみ、足掻いて、がむしゃらに強くなろうとしてきた。

 

嘘じゃない。

本気で、本当に強くなりたいと思って、本当に強くなろうとしてきた。

 

だのにッ……変わらない!!

 

 

「ーーーーー!!!」

 

 

もう…嫌だ。

 

 

何一つとして変われていないんだ。

このまま歩んだところで、きっとこの先も変わらない。

強くなんてなれやしない。

 

 

 

 

もう……無理だ。

 

 

 

 

こんなに身体をボロボロにして、それでもこの手は勝利を掴めない。

こんな手じゃ望む未来なんて掴めやしない。

 

伸ばした手が掴むものなんて、所詮は空気だけなのだ。

 

 

 

 

 

 

もう……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう……疲れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ん……んん、」

 

 

ふと、耳に誰かの掠れる吐息のような声が届いた気がした。

 

そういえばと思い出したのは、傍らに人の気配があることだった。

起きてからずっと天井を見続けていたから辺りを見渡しておらず、ずっと自分の内に没頭していたから失念していた。

 

誰かいたのか。

泣き顔を知らず知らず見られていたのか。

 

……はッ、最高じゃねぇか。

弱虫で泣き虫の俺にはちょうどいい道化っぷりだぜ。

 

 

どこの誰かは分からないが、きっと痛快な笑い顔をしているのだろう。

良い、いっそ嘲笑してくれた方がマシだ。

気の済むまでこの弱者を嗤ってほしい。

 

そう思って、かち割れそうな程の頭の痛みを無視して人の気配のする方に頭を転がすと、そこには本当に見たことのない人が簡易椅子に座って寝こけていた。

 

 

「…………?」

 

 

女性だった。

 

珍しい青い髪は澄んでいて、その色から紺碧を連想させるほどだ。

かなり大雑把というか雑というか、見るからに自分で片手間に切り揃えた感じのするぎざぎざの短い髪。

 

そして大きな縁の無い眼鏡を掛けていて、閉じられた目元には大きなくまができている。

 

服は和洋折衷。

パンツはラフな黒のスラックスのような物、上は和装の外印がよく着ている紫色の羽織を着けている。

 

そんな女性が腕と足を組み、背中を壁に預けて寝息を立てていた。

 

 

……誰だ、この人?

 

 

原作では見たことのない人だ。

青い髪なんて珍しい……人のこと言えないけど。

整った顔立ちだが、ひどくやつれている。

 

この部屋に居ることを鑑みるに、医者だろうか。

 

でも、例え医者だとしても、術後にまでこんな血臭が充満する部屋に留まるだろうか。

それに、あの羽織りはよく外印が着ていたやつだが……?

 

その顔をよく見ようと身体を動かしたときだった。

ぴくりと女性の指が動いた。

 

視線を女性の顔からその指に動かすと、微かにランタンの灯りを反射する極細の糸が見えた。

その糸は直接指に結びついていて、目を凝らして糸を辿ると俺の身体中に括られているのが分かった。

 

試しに腕を動かすと、それに連動して女性の指が再び動いた。

身体を動かすとその振動が指に伝わるのか……蜘蛛かよ。

 

 

つうか、この糸って……まさか

 

 

 

「……ん、んん」

 

 

そんな内心のツッコミと混乱を余所に、女性は瞼をゆっくりと持ち上げた。

指の刺激で目が覚めたようだ。

 

初めは胡乱げに視線が彷徨っていたが、次第に意識が覚醒してきたのか、唐突にバッと俺を見た。

その目は未だ眠たげで……否、違う。

腐った魚の目というのはこの事かと思い至るほどの、無機質さと冷徹さを醸しているんだ。

 

でも、心なしか驚いているように見える。

目は曇ったままだが、そんな気がする。

 

そんな視線に絡め取られ、所在無さげにしていると女性が口を開いた。

 

 

「よかった……生死は五分五分と見ていたのだが、やはり師の前では死そのものも形無しだな。見上げたものだ、改めて感服するよ」

 

「……げ、いん?」

 

「ん?なにかな、改まって……あぁ、そうか。素顔を見るのは初めてか」

 

 

では、改めて。

 

 

 

そう言って女性は糸を回収しながら、自己紹介をした。

 

 

 

 

 

 

機巧芸術家(からくりあるていすと)の外印だ。これから()()()宜しく頼むよ、我が師よ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「“外印”とは、読んで字の如く“外された印”。本家から外れた、所謂分家としての烙印のようなものだ。もっとも、私たちはこの名に忌避感も何も無いから好き勝手使っているのだがな。個人名をいちいち持つ必要がないのは合理的だろう?」

 

「ほん、け……?」

 

 

うん、と頷き先を続ける外印。

訥々と話される内容を、俺は横たわったまま聞き続けた。

 

 

「私の本家は山田家、山田浅右衛門家だ。知っているかな?江戸時代より代々伝わる死刑執行人の一族だ」

 

「……」

 

「刀剣類の試し斬り、という名目で幕府が用意する罪人を御様御用(おためしごよう)の役職の下、斬り殺す仕事をしていたのだ」

 

 

 

山田浅右衛門家。

 

幕府御用達の、死刑執行人を排出する一族。

 

 

 

江戸時代まで、日本には刀の試し斬りは人肉を用いるのがベストという考えがあった。

その考えを一身に代行する存在が、山田浅右衛門家。

 

そして当主の浅右衛門。

(浅右衛門とは襲名性らしいが、実際に名乗るかは自由だったらしい)

 

彼らは御様御用としての大きな仕事の他に、多くの武家から試し斬りの依頼を受けていたらしい。

人を斬るに適した刀か、否かを判断してもらいたかったようだ。

 

無論、死刑囚の数とその依頼の数、どちらが多いかと聞かれたら当然後者だ。

依頼の数に、死刑囚の数が足りていないのが実情だった。

 

故に一族は、何時からか死体を幕府から貰い、利用する手段を取るようになった。

殺すのに使い、殺しても使う。

 

何度も何度も何度も斬って斬って斬って斬って。

 

斬り傷が幾つも有っては効果の判別が着かないから、傷を縫い合わせたり臓器を入れ換えたりと、色々と工夫を凝らして再利用していた。

部位ごとに、斬り方ごとに、条件を様々に変えて。

 

果ては使()()()()()()()部位や臓器を加工(薬などに)して売却もしていたようだ。

死体そのものも販売していたというから驚きだ。

 

価値観が現代とは違うから一概に酷いとは言わないが、聞いていて気分の良い話ではない。

だが名誉のためと言うと語弊があるが一応弁明すると、一族はそうして得られた莫大な利益を、当の死者の供養に惜しげなく使っていたそうだ。

 

話はまだ続く。

 

いつしか一族の中でも試し斬りを主として行う者たちと、死体に関する仕事を行う者たちとで別れるようになっていったという。

必然、公衆の面前に出てくる機会の多い御様御用を筆頭とした試し斬りを行う人たちの方が、力を有することになる。

 

結果として裏方業務の人たちは本家から外され、分家として下請け業務をする形になったという。

 

 

「だが、お陰で“外印”たちは人体の構造を熟知するぷろふぇっしょなるになれた。血管の一本一本、神経の一本一本を把握するなど造作もない。故に我々外された一族は本家に対してなんら不満を抱いていない。ただ粛々と、ただ淡々と代々続く知識と技術をより昇華させる。それが“外印”の宿命なのだから」

 

 

外印の語るあまりに重い話に、俺は言葉を失っていた。

 

心底驚いた。

外印にこんなバックボーンが有ったとは露ほども考えていなかったのだから。

 

けど、納得もした。

脈々と受け継がれる技術と知識があるからこそ、あらゆる機巧を作れるということか。

 

じゃあ、そうなると芸術家ってのは?

と、そんな疑問が顔に出たのか、外印は頷いて続けた。

 

 

「維新が成り、明治となると本家も分家も仕事が激減した。今や日々の糧を得るのにも苦労しているぐらいだよ。もはや国内に生きる道は無い。多くの外印が国から飛び出し、世界へと生きる道を求めて旅立った。自らの技術と知識を生かせる新天地を求めてね。だが私は特殊だった。試し斬り用に作っていた死体製の人形に愛着が湧いて、いつしか美すら感じるようになった」

 

「……」

 

「人形作りに没頭するようになったのはまだ幼い時だった気がするが、まあ些細なことだな。私は延々死体と向き合って人形を作ってきた。異国技術を取り入れたいという欲求もあるが、今はひたすらに人形を作りあげたい。美の極致に至りたい。故に芸術家を名乗ってこの国に留まっているのだが、この選択は本当に正解だったと確信している。何故なら師よ、貴方に出会えたからだ」

 

 

糸の回収をするため俺の身体をまさぐっていた外印は、作業を終えても離れる様子を見せず、それどころか寝ている俺の下半身に跨がるようにして乗っ掛かってきた。

 

 

「おい……?」

 

 

なにしてんの、コイツ?

自分の膝で立っているから重くはないが、真意が読めん。

 

未だ喋るのが辛いため詰問の声がか細い。

途切れ途切れの言葉を発するだけで精一杯なのだ。

 

当の外印は変わらない腐った瞳を望洋とさせていて、人形師だからか人を人ではなくあくまで材料としてしか見なさない、そんな無機質さを感じるほどに冷たい。

そんな視線が俺の目に注がれている。

 

 

「二点、礼を言わせてほしい。まず、貴方に出会えたこと。そして、無事に生き還ってくれたこと。貴方にはまだまだ生きていてほしい。まだまだ鮮烈に輝いていてほしい。貴方の心の在り方を、もっと見せてほしいのだ」

 

 

だから、ありがとう。

 

そう言って外印は頭を下げた。

 

 

まさかそんな事を言われるなんて予想だにしていなかったから、俺は言葉を失ってしまった。

 

外印の俺への執着は知っていたし、それが常識的なものとは一線を画すものだということも知っていた。

だから、こう言ってはなんだが、まさかその外印が人間味のあるお礼の言葉を述べるなんて微塵も思えなかったのだ。

 

 

「そして、一つお願いがある。私を師の近くに侍らせてはもらえないだろうか」

 

「……ん?!」

 

「師の手術をしているとき、ふと思ったんだ。もし、このまま師が目を覚まさなかったら私はどうなるのだろうか、と。想像して、師の居ない世界を空想してみたら、胸に穴が空いた感覚に襲われたよ。あの感覚は今でも夢想すれば簡単に甦る。初めて感じたものだから、あれがなんなのかはよく分からないが、恐らく信号みたいなものなのだろう……師の居ない世界はきっと私にとって良くない場所なのだ、というね」

 

「……」

 

「故に師を失わないよう、これからは師の死の危機を出来るだけ払うため、近くに居させてほしい。知っての通り、私なら大抵の傷ぐらいは()()()し、戦いの心得も少しはある。足手まといにはならないと思うが?」

 

「いや……でも」

 

「師はこれからも自身を顧みず、危ない橋を渡っていくのだろう。なればこそ、微力ながら手助けさせてほしい。なに、師の心の観察は並行してやっていく。心配はいらないさ」

 

 

……これは有り難い話、なのか?

 

確かにコイツがバックアップしてくれるという事実は、今まで大きな助けになっていた。

義手という肉体的な面はもとより、精神的にも支えられていた気がする。

 

それが今後、横浜という遠方の地からではなく、近くで支えてくれるというのなら、これ程心強い話もないだろう。

医師、もとい人形師としての腕は確かで、実際に身体を何度も直してくれたのだから、俺の中で外印に対する信頼は大きいのだから。

 

 

 

けど、それは俺がこれからも同じ道を歩めばの話だ。

 

 

 

俺はもう…………

 

 

 

 

「まあ、師も目が覚めたばかりだからな。また日を改めてじっくりと考えてくれ。それまではゆっくりするといい……ああ、いや。もう一つお願いがあったんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもの時を考えての予防策についてだ。師よ、私を孕ませてはくれぬか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

???

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もし師の身に何かあったら、それは私にとって大きな損失だ。考えたくもない世界の話だ。だが、だからといって考えないわけにもいくまい。最悪の事態を想定しなければ、技術は発展しないのだから」

 

「?」

 

「きっとこの先、師のような心の持ち主はお目にかかれない。だが、もしかしたら師の血を引く者なら、可能性はある。良き道標になってくれる可能性がある」

 

「??」

 

「他の女が孕んでも良いのだが、せっかくだから自分の身をもって作……もとい育てたい。そうすれば、また何か別の発見があるかもしれないからな」

 

「???」

 

「なに、師は天井を眺めていればいい。数分で終えよう。確実を期すために何日か繰り返させてもらうし、その気になってくれて、ありのままの欲求をぶつけてくれても構わない。男は冷めない戦闘の興奮を異性にぶつけるというらしいではないか。さっそくだが始めてしまおう」

 

 

 

 

 

………………………………………………はッ?!

 

 

なんだコイツ、なんなんだコイツ?!

さっきから淡々と凄い話をぶっこんで来やがるぞ!

 

子作り?外印を孕ませる?

嫌だよそんなの!絶対に嫌!

 

いや外印が嫌なんじゃなくて、子供を作るとか親になるとか考えたことないから無理無理無理、っておいコラ!

そこをまさぐるな!触るな!

 

 

……ッ??!!

 

流した涙を舐めるなーー!!

 

 

「ふむ、やはり師とて涙の成分は他者と同じなのだな。師のことだから血涙が流れてもおかしくはないと思ったのだが、安心したような残念なような。しかし、こんな所業で頬が緩むとは、これもまた人の未知なる心の揺れなのかもな」

 

「ーーー!!」

 

 

血の涙を流すほど人を辞めてない!

つうか本当に頬を緩めるな!

 

 

誰か、誰か助けてーー!

 

 

「生まれてこのかた人を材料としてしか見てこなかった私だ。師にも不満はあるだろうが、自分のあそこは弄っていないから安心してくれ。きっと気持ち良くなれるさ」

 

 

 

 

 

 

 

 

いーーーやーーー!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













外印はお爺さんになったりイケメンになったりと不安定な人ですから
女性になっててもおかしくはないですよね←?



山田浅右衛門は史実です








目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

51話 戦後処理 其の参




女外印の登場でお気に入り数が一気に増え、今では6100超!
不思議だ~、でもありがとうございます!!



今話少しお見苦しいです
克己し、超克してもらいたいので、ご容赦を



では、どうぞ










 

 

 

 

 

 

深い、腹の底から込み上げてくる深い溜め息を吐き出す。

それと共に口から溢れたなんだこれは、という呟きが思いの外大きく頭に響いた。

 

 

 

「だから何で今なのよ!お互いに合意があれば行為については私だってとやかく言わないわ、けど何で今のボロボロの狩生くんに迫っているのよ?!」

 

「しかしな鎌足。男は戦闘で昂った気持ちを性欲にして女にぶつけるというのはよくある話だろう。それに、師はこの程度で消耗などするものか。なんなら一緒にどうだ?」

 

「それはッ……いやいやいや!靡くな私!そんなのダメに決まってるでしょ!貴女考えがさっきから不埒過ぎるのよ!」

 

 

俺が外印に襲われそうになった時、話し声を聞き付けて最初に部屋に飛び込んできたのは鎌足だった。

 

俺と目が合うと花が咲いたような笑みを浮かべたのも束の間、瞬時に事態を把握したようで一切の躊躇も無しに外印に豪快な右ストレートを放った。

が、外印もさるものヒラリと避けると寝ている俺を挟んで鎌足と対峙するように台から降りた。

 

その後、続々といろんな人たちが騒ぎを聞きつけて部屋に雪崩れ込んで来たのだが、渦中の二人はそんなことに気を取られることはなく。

鎌足は怒濤の拳を繰り出し、外印は尽くを避けていく。

 

 

「だいたい貴女、子供を作品か何かとしか見ていないでしょ。伴侶も子供も愛せるようには到底思えないわ。そんな奴に十徳くんの子種を授けさせるもんですか!」

 

「否定は出来ないな。だが私とて女だ。実際に授かれば心境に変化が訪れるかもしれない。何よりこのまま老い枯れるよりかは、ものは試しとして孕んでみようと思うのは正道だろう?」

 

「試しで子を授かるなんて邪道以外のなにものでもないわよ!その腐った性根、叩き直してあげるわ!」

 

 

猛り狂う鎌足を宇治木が後ろから抱き止め、必死に制止している。

が、拘束している腕に力が入っていないというか、触るのを躊躇っているように見える。

男相手に何を……まさかアイツ、まだ明かされてない?

 

部下らも間に割って仲裁しようとするが、綺麗に鎌足の拳がクリーンヒットして一人、また一人とダウンしていってる。

コイツらの弱さ役立たずさは承知の上だったが……ちょっと弱すぎじゃね?それとも鎌足が強いのか?

 

 

「こいつはまた……なんつう部屋だ」

 

「お頭、これは……」

 

「ああ。先代の残した記録に似たようなものがあったが、恐らく外法の術だろう。見るに留めた上で、確と調べておけ」

 

「はッ」

 

 

今度は蒼紫を筆頭に庭番ども(!)が入ってきた。

 

順次興味深げに部屋を観察し始めやがる。

般若は書物をパラパラと捲っては「ほお……」と感心の声を呟き、式尉は瓶詰めにされた奇々怪々な物を見ては「うへぇ……」と眉をしかめ、癋見は壁に凭らされてる人形たちを見て「すんげ……」と頻りに笑っている。

当の蒼紫はと云うと壁に寄りかかり、腕を組んで目を閉じていた。

 

なんでコイツら居るの?

確かに蒼紫は勧誘したが、戦いの約束は当然まだ果たしてない。

だから此処に居る必要なんて無……まさか、直ぐに戦おうと近くでスタンバってるのか?

 

コイツの戦闘意欲は凄まじいな。

いや最初から分かっていたが、こうも俺を殺したいとは。

 

 

『……よくこんな部屋で手術できてたわね。気持ち悪くて仕方がないわ。日本人の部屋はこんなものなの?』

 

『こ、ここが特別なだけだと思います。オペをしていた時は集中していたので気にならなかったんですが……改めて見ると確かに気味が悪いですね』

 

『あの女の部屋よね。どういう神経しているんだか』

 

『でも腕は確かでした。それに、置いてある人形も不気味なほど精巧です』

 

 

そして続いて入ってきたのはエミーと……また知らない女性だ。

しかも白人、原作では見たことのない人だ。

英語で会話しながら入ってきた二人は、俺と目が合うと明らかにほっとした様子の顔をして近付いてきた。

 

 

『十徳……目が覚めたんだね。よかった…』

 

『エミーさん。私が訳しましょうか?』

 

 

エミーの安堵の呟きに答えたのは隣に立つ女性だった。

日本語を解せるようだが、やはり顔に見覚えがない。

だが先程のエミーとの会話から察するに医者、しかも俺に手術をしてくれた医者のようだ。

 

 

『ううん、十徳には通じてるからいいよ』

 

『え?』

 

『うん……上手く、話せない けど』

 

 

喋るだけでも相当の体力を消耗する。

上体を起こすなんてできるわけもなく、寝そべったままの姿勢で失礼させてもらう。

 

 

『手術……ありがと。おかげで、たす……かった』

 

『あ、い、いいんです、無理して話さなくて。それに、私は手伝っただけですからお礼なんて要りません。でも……助けられて本当に良かったです』

 

 

西洋人にしては小柄で、顔立ちもかなり若いその女性は心底ほっとしたような顔で言った。

 

 

『えと、自己紹介がまだでしたね。私、エルダーといいます。流浪の医者で、流浪人さん……緋村さんと横浜で出会いました』

 

流浪の医者(wandering doc)……?』

 

『お礼ならあの女性……外印さんと緋村さんに言ってください。彼、血相を変えて私に頼みに来たんですよ。助けてほしい人がいる、て。昼間に敢然とした強さを見せてくれた彼が、すごく慌てていたの』

 

 

少し嬉しそうに話す女性、もといエルダー女医。

 

 

『緋村さんのこと、私はまだよく分かっていません。けど、私と同じ流浪の生活をしていたらきっと誰か一個人に深い思い入れをすることはないと思うんです。況してや剣を振るうことを生業としていたサムライなら、なおのことでしょう?そんな彼が、貴方を失うわけにはいかないと叫んでいたんです』

 

『……』

 

『貴方と緋村さんの縁は、私と緋村さんの半日というそれよりも短いと聞きました。それでも、彼の心をあんなにするまで影響を与えた。そんな貴方を助けられて、本当に良かったです』

 

 

そう言って、エルダー女医はありがとうとお礼を言った。

 

見ず知らずの俺を助ける為に出会ったばかりの者に頭を下げる緋村さんが緋村さんなら、助けた患者にお礼を言うこの人もこの人だ。

 

なんでこんなにも周りの人たちはお人好しなのだろうか。

先程の外印といい、エルダー女医といい、純粋な感謝の言葉があまりに胸に痛い。

緋村さんの己を省みない行為があまりに胸に痛い。

 

弱い俺は感謝される筋合いも、必死になって助けられる義理も無いんだから。

 

 

 

 

 

 

 

ありがとう。

 

俺のその言葉に、嘘はない。

 

でも敢えて続けるなら、ごめんなさい、と付け足したい。

 

俺は助けられるに()()奴じゃないんだ。

強くなれない弱虫で、泣き虫で、半端者なんだ。

そんな奴に労力を割かせてしまったことを、本心から詫びたかった。

 

なにより辛いのが、こんな風に純粋に感謝の念を抱けない自分の邪さを自覚してしまうこと。

いっそ底抜けの馬鹿なら、いっそ度を越した阿呆なら、何度苦汁を舐めても立ち上がれるのだろう。

 

けど、心の弱い俺はこうもうだうだと自己を嫌悪し続けてしまう。

 

 

と、胡乱な目を天井に移したときだった。

 

 

『ねぇ、十徳。貴方は何のためにそこまで頑張るの?』

 

 

まるで天気の話をするかのように、軽い調子の質問が耳に飛び込んできた。

 

エミーからの質問だった。

急に何を言い出すのかと思い視線を再度転じたら、エミーが両手の親指と人差し指で自らの眼前に長方形の輪を作っていた。

 

それは、カメラの写界を模したポーズだ。

それを俺に向けていたのだ。

 

 

『私ね、いつか誰もが目の前の景色を気軽に写真で収められるカメラが出来ると思うの。誰もが、どこでも、どんなタイミングでも自由に写真を撮れて、世界中の人たちと共有できる……まあ最後のはただの妄想だけれど、いつでも写真を撮れる小さなカメラは、必ずできると思うの』

 

 

それは、確信に満ちた宣言だった。

 

確かに今のカメラは持ち運びに不適で、撮影にも相応の技術が要される。

白黒だし、高価に過ぎる。

 

でも。

エミーの語る夢物語は、平成の世では当たり前の代物となる。

カメラも、世界中の人と写真を共有できることも、全てが当然のものとなる。

 

エミーはポージングの腕を下ろして、力無く笑った。

 

 

『でもそれは、()じゃない。()のあんたを、世界に伝えることはできない。あんたが今、こんなにもボロボロになってまで戦っていることを、誰にも伝えることはできない。況してやあんたたち黄色人の頑張りなんて、それこそ本国(Britain)の人たちは見向きもしない。なんだかそれが悔しくて、悲しくて、そしてそれ以上に腹立たしい』

 

『エミー……?』

 

『だから、したためる。今はまだ陽の目を浴びなくても、いつかあんたの頑張りが衆目を集める。その時は私の書いた伝記が最重要文書になる……いえ、そうさせてみせる。私とした約束、忘れてないでしょう?あなたの伝記を書かせてもらうこと。そして、私の好奇心を刺激した責任、ちゃんと取ってもらうこと』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『そんな状態のときに申し訳ないけど、そんな状態のときだからこそ教えてほしいの。たった一つの、あんたの答えを』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『あんたがそんなになるまで追い求めるものは、一体なんなの?』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

呼吸が、止まった。

 

 

 

 

 

何気ないエミーの質問が、全身を駆け巡って脳髄を打擲した。

 

 

稲妻の如き鮮烈な衝撃が背筋を貫き、比喩でもなく文字通りに呼吸が止まった。

 

 

そして、明治に来てからの日々と平成で過ごした日々の記憶がフラッシュバックのように濁流となって意識を埋め尽くす。

 

 

必死になって戦う理由。

 

 

仕事だから?否。

警察になったのは、それが一番効率的だと判断したからだ。

かつては軍人や政治家、商人、なんならテロリストになることだってバカ真面目に検討した。

でも結局のところ警察を選んだのは、それが一番最短ルートになると結論を下したからだ。

だから、こう言うと語弊があるかも知れないが、仕事に対する熱意は無い。

 

 

ボロボロになるまで頑張る理由。

 

 

歴史に名を刻みたい?否。

そんなものに興味なんて鼻クソの欠片ほども無い。

元来、警察や軍人などの公人が名を輝かせる時は決まって人の命が関わる重大事の真っ只中と相場が決まっている。

この弱肉強食の世の中においてでも、誰かの命の上に自らの名を輝かせるなど、そんな厚顔無恥なことはしたくない。

 

ならば、なぜ?

どうして俺は足掻き続けてきた?

 

 

 

決まっている。

 

 

 

約束したんだ。

 

平成の世と同じ、温くて強い世を明治の向こうに作ると。

もう泣かず、悄気た顔をせず、胸を張って莞爾として告げるんだ。

 

(おれ)の望む世界を作ったよ、と。

 

だから俺は戦ってきた、頑張ってきた。

 

歯を喰い縛って走り続けてきた。

 

 

「俺は……」

 

 

きっと誰にも理解されないだろう。

 

きっと誰にも共感されないだろう。

 

けど、俺にとっては何よりも大切な御旗なのだ。

十徳(じぶん)との約束は、自分自身が破らなければずっと自分を支えてくれる。

進むべき己の道標になってくれる、拠り所となってくれる。

 

 

ああ……そうだ。

 

 

俺の掲げる旗は、俺が自ら折らない限り決して折れないんだ。

掲揚する旗が地に落ちるのは、いつだって持ち手が先に折れた時だけだ。

 

 

裏切るのは、いつだって()()()()なんだ。

 

 

「俺の、求めるもの……は、変わらない」

 

 

俺は弱い。

 

そんな弱い俺が嫌で、自分を嫌っていた。

 

もしここで己の弱さを許してしまったら。

強くなることを諦め、弱いままの自分であることを許してしまったら。

 

きっとこの先、己の弱さを嘆くことすら出来なくなってしまう。

 

そんなことが許されるのか?

 

弱いままの自分で叶えられるほど、掲げる旗は軽いものなのか?

 

諦めて投げ捨てていいほど、自分との約束は小さなものなのか?

 

 

 

夢見る世界は深遠にして膨大。

そんなの、最初から分かっていたことだろうが。

 

己は救いようの無いほどに虚弱にして惰弱。

そんなの、いつも分かっていたことだろうが。

 

それでも今、こんな状態になっていても、夢は、約束は、叶えたいと思っている。

果たしたいと願っている。

 

真に白人国家と対等にあり続けられる、強くて温い国を望んでいる。

 

 

 

 

 

 

弱さは認める。

 

 

 

ならば、弱さを許すか?

 

 

 

失った腕と目を、傷だらけにした身体を、仕方のないことだったと許容するのか?!

 

 

 

 

自分が弱かったからと、諦めて終わりでいいのか?!

 

 

 

 

本当にそれで、いいのか?!

 

 

 

 

 

 

 

「が、ぁぁぁぁ、………ぁぁあああ!」

 

 

 

「ちょ、お、おい!狩生!」

 

「え、なに?狩生くん?!」

 

『十徳!あ、あんた何してんのよ!』

 

 

いつしか掌に込められていた力をそのままに、己の頭蓋を掴み締める。

 

ぎしぎしと頭蓋骨が軋みをあげる音が脳に直接響き、激痛が中枢神経を犯す。

瞑っていて見えていない視界のハズなのに、その真っ黒に映る視界が更に黒い明滅に塗り潰されていく。

 

 

痛い痛い痛い痛い痛い!

気持ち悪い、吐きそうだ、吐瀉物が込み上げてくる。

 

ああ、そうだ。

 

己の弱さを許すのなら、いっそここで自害しろ。

嫌だ、死にたくない。

まだまだ生きていたい。

 

強くあろうとすることを諦めるのなら、ここで自決しろ。

強くなりたい。

弱くあり続けたくなんてない。

俺は変わりたいんだ。

 

くよくよするだけなら、ここで自殺しろ。

自分との約束を守りたい。

もう二度と自分を裏切りたくない。

 

戦うことを放棄するのなら、ここで自死しろ。

戦う、どんなになっても戦い続ける。

戦って死ぬなら受け入れよう。

けど、戦う前から死を選びたくなんてない!

 

 

 

 

「ああああああああああああああ!!」

 

 

 

 

死ね、去ね、息絶えろ。

弱いままの己に如何程の価値があるというのか?

果たせぬ夢は身も心も滅ぼすだけ!

 

 

克服できぬ弱さを抱え続けるぐらいなら、潔く消えろ!

 

 

 

嫌だ、死にたくない、生きたい。

生きて、生きて、生き続けたい!

強くなりたい、強くありたい、強く強く強く!

死んでたまるか、死んでたまるか、死んでたまるものか!

 

 

 

弱さを変えられないなんて絶対に信じない!

 

 

 

 

克服できない弱さなんて、あるハズが無いんだから!!

 

 

 

 

 

「ああああああああああああ!!」

 

 

 

頭蓋骨が悲鳴をあげ、形容し得ない激痛が全身を駆け巡る。

このまま続ければ、間違いなく死を迎えられる。

 

 

もう嫌だと投げ出したいのなら、その甘さもろともここで潰れてしまえ。

 

 

未だ変わりたいと囀ずるのなら、約束の旗を掲げ続けるのなら。

 

 

 

醜く生き足掻いてみせろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本気で強くなることを望むのなら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対に、絶対に、絶対に。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

絶対に諦めるな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ずるり、と頭部から掌が抜け、勢いそのままに握り拳となった手を寝そべる手術台に叩きつけ、そして一部を叩き割った。

 

衝撃が室内を揺らし、轟音が残響する。

 

直後に、しん……と無音という名の騒音が耳を伝ってくる。

 

 

 

そして俺は、無音のなか一息に上体を起こす。

 

血が脳から一気に落ちていき、ぐらりと視界が暗黒に染まる。

 

平衡感覚が狂い、同時に喉元までせり上がってきた胃液を嚥下し、そして襲い掛かってきた全身の激痛を歯を喰い縛って耐える。

 

漏れ出る苦悶と悲鳴を噛み殺し、全身に巻かれた包帯の至るところが赤く滲むもお構い無し。

 

 

 

腹の底から外に出さない咆哮を上げ、そしてなんとか座る姿勢に身を持ってこれた。

 

 

 

次いで、輸血のチューブを噛むと躊躇なく引きちぎった。

 

チューブと針の刺さっていた箇所から血が溢れ落ちるのを無視して、今度は下半身をずらして足を台から下ろしていく。

 

 

 

苦しい、痛い。

 

たったこれだけの動作で既に青息吐息だ。

 

 

 

肩は大きく上下して、呼吸は凄まじく荒い。

 

額からボタボタと大きな水玉の汗が落ちてくる。

 

 

 

けど、意地と根性を総動員したことによって、ようやく立ち上がることに成功した。

 

 

 

 

 

 

 

 

なんてことはない。

 

 

俺は、自らの死を拒んだ。

 

ただそれだけ。

 

たったそれだけのこと。

 

 

醜く生き足掻くことを選んだ。

 

 

もう四の五の言わない。

 

強くなれないなんて絶対に信じない。

 

 

自分が如何なる最期に至ろうと、死の瞬間まで強くなることを求め続ける。

 

 

「……きょう、ほー……こ、」

 

 

ぽつりと呟くような音量で声を出す。

 

静かな、俺の荒れる呼吸以外は全く音の無いこの静かな部屋において、俺の呟いた声は何よりも大きな声として響いた。

 

だが、誰からもリアクションは無い。

 

みな固唾を飲んで、微動だにできずにいるのだ。

 

この場にいる全員の視線が俺に刺さっていることはよく分かっているし、なんなら全員が呼吸すら忘れていることだって分かっている。

 

 

今度は腹に力を込めて叫んだ。

 

 

 

「じょー……きょー、ほーこく!」

 

 

 

歩き続けることを決意したのだ。

 

なら、もうゆっくり寝ている暇はない。

 

 

 

 

先ずは状況確認だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

52話 戦後処理 其の肆




原作主人公の内面を少し改変します
ご容赦ください



では、どうぞ










 

 

 

 

俺の声に応えたのは、宇治木だった。

 

 

 

「まず……観柳の手勢については、すべての駆除を確認した。使えそうな物を頂戴した以外は、死体も武器も何もかも捨て置いてある。刃衛については残しておくと不吉な予感がしてな。海に投げ捨てた。他、本件に関与した生存者は全員、現屋敷に留まってもらっている」

 

「どこ、まで……話した?」

 

「なにも。逆に此方からの聴取は全員に済ませてある。庭番の四人、前敵組織の鎌足、協力者の外印、一般人のエルダー女医とエミー女史。そして……人斬り抜刀斎」

 

 

ふむ、改めてまとめるとカオスな状況だな、ここは。

もう原作ブレイク待ったなしだ。

 

ま、今更だし別にそれはいいんだけどさ。

 

 

「驚きもしないとはな……抜刀斎のこと、知っていたのか?」

 

「ああ……知ってる、よ……なんも、かんもな」

 

 

宇治木の神妙な表情は、伝説の人斬り抜刀斎と知ったからか。

まあ俺も何も知らなければ、きっと同じような顔になっていただろう。

 

 

「何は、ともあれ……鎌足」

 

「はいはいは~い、私ここにいま~す。なになに?ていうか、さっきのは急にどうしたの?大丈夫なの?」

 

 

外印との追いかけっこを中断し、軽い調子で手を上げながら小走りで近寄ってくる鎌足。

何故かぶんぶんと振れる犬の尻尾を奴の尻に幻視してしまう。

 

 

「ここにいる、てことは……俺たちと、来る……てことで、いいんだな」

 

 

鎌足の不安げな質問を敢えて無視し、息も絶え絶えに問う。

すると鎌足は、心配そうな表情を消して神妙な面持ちで頷き、そして続けた。

 

 

「でも、宇治木(かれ)にも言ったけど、私は積極的に組織と戦うことはしたくないわ。色々と協力するし、背中は預けたいけれど……出来るなら、」

 

「いい、それで……」

 

 

組織と戦うことだけが俺たちの任務じゃない。

あくまで通過点。

多く抱える仕事のうちの一つでしかないんだ。

 

だから鎌足のスタンスは全然問題ない。

むしろ志々雄の望む世界に背を向けてくれたという事実だけで、俺は安心した。

 

 

「お前は……まだ、ゆっくり休め。じっくり、と……腰下ろして、な」

 

「ッ、……ふふっ。そんな身体した貴方に言われるなんて、なんだか滑稽ね……でも、ええ、ありがとう。貴方の側でゆっくりとさせてもらうわ」

 

 

本当に、どこからどう見ても女にしか見えない鎌足は、綺麗な笑顔を見せてくれた。

女の一番の化粧は笑顔だなんて戯れ言は、あながち間違いではないのかもしれないな。

 

なんて暢気な感慨が頭を過ったが、直ぐに切り替える。

 

 

次なる蒼紫を見て、続けた。

 

 

「お前らは、どうする……」

 

 

隠密御庭番衆の般若、癋見、式尉、そして御頭の蒼紫。

 

観柳の差し金で俺を暗殺するために横浜に送り込まれたのだが、それは観柳の目的の半分でしかなかった。

もう半分は、彼ら庭番の処分だ。

 

別働の刺客、さっき宇治木が言った「観柳の手勢」が横浜で待ち構えていて、俺を暗殺し終えた庭番どもを屠る手筈となっていたのだ。

 

だが、奴等は我慢しきれずに俺と蒼紫が戦っている最中に乱入してきて、あまつさえ蒼紫一人と争うことになった。

結果、蒼紫たちの暗殺任務は未達成、手勢どもの処分任務も蒼紫に全滅させられたことによって失敗に終わったのだ。

 

 

で、当の蒼紫たちが今後どう動くのか。

 

 

蒼紫とは再戦の約束をしてしまい、俺が勝ったら仲間になるという条件を示した。

逆に俺の負けは俺の死を意味するのだが……さて。

 

どう動くのか、なぜここに居るのか。

色々と聞きたいことがある。

 

 

「……」

 

 

腕を組みながら目を閉じている蒼紫に、般若、癋見、式尉が伺うように顔を向ける。

 

やがて静まり返った室内に響いたのは、重々しく口を開いた蒼紫の声だった。

 

 

「貴様の誘い……受け入れよう」

 

 

目を開き、黒い鋭利な眼光が俺の隻眼を貫く。

 

その答えに、あまり驚きは無かった。

 

 

「戦わなくて、いい……のか」

 

「貴様との再戦は一先ず預ける。貴様と共にいれば、戦いの機会は簡単に得られるのだろう?ならば、そこで自己を磨く。まだまだ貴様に挑むには早かったようだからな」

 

「……あ?」

 

「だがその前に、落とし前を着けなければならない。正式に貴様の下に降るのは、それ以降だ」

 

 

蒼紫の言葉に、般若たちは驚きも焦りもしなかった。

どうやら蒼紫の答えは既に下知されていて、彼らも納得していたのだろう。

 

負けた相手に降る。

きっと俺には計り知れない気持ちがあったのだろうが、それを圧してなおリーダーに付き従うとは、本当に美しい信頼関係があるんだな。

 

 

とまれ、問題は解決した。

 

一番の厄介事と考えていた庭番どもについて整理できたのは非常に嬉しい。

肩の荷がスッと降りたようだ……が、まだ気を抜けない。

 

 

「落とし前……てのは、観柳のこ、とか……」

 

 

頷く蒼紫に、俺も頷いて言った。

 

 

「なら共、同……戦線だ。俺たち、も……奴に、しなきゃならん、事が……あるから」

 

「……そうか」

 

 

タイミングもシチュエーションも上々だ。

近く観柳に対してアクションを起こそうじゃねぇか。

 

俺は吐息を一つ出して、視線をエミーとエルダー女医に向ける。

 

 

『ふう……エミー、ありがとう。君の、おかげで、俺はまだ……歩けそうだ』

 

 

ザマぁ無い。

いちいち悄気て、誰かの言葉が無ければ立ち直れないなんて、不安定にも程がある。

 

けど、それももうこれで終わりだ。

もう二度とぶれない。

 

 

『さっきの、質問……答えは、もう少し、待ってくれ。一言、二言じゃ……伝えられ、ないんだ』

 

『ま、まあそれはいいけど……あんたホントに大丈夫?急にどうしちゃったわけ?』

 

『……気合いを入れた、だけだ。それより…、エミー、君は……今後、どうしたい? 俺たちは-』

 

 

レオナ・マックスウェルの例もある。

志々雄一派が俺たちの尻尾を掴むために、西洋人といえども関係無しに手を出してくる可能性がある。

 

出来ることなら、此方で守れるよう引き入れたい。

彼女の知見と西洋人というある種の特権、そしてジャーナリズムという彼女の在り方は、諸刃の剣だが欲しい人材である。

 

それ故、此方の事情を説明し、説得しようと口を開いたのだが。

俺の言葉より先にエミーが答えた。

 

 

『着いて行くわ。あ、彼女(エルダー)と一緒にね』

 

 

……

 

 

『え、いや……え?ありかたい、けど……あれ?事情……』

 

『うん、だから後で詳しく教えてね。あ、もちろん安心しなさい。聞き逃げなんてしないわ。何を知っても私は変わらない。あんたの全てを伝記に起こす。だから近くで見続けるわ』

 

『……』

 

 

なんか……男らしいね、君。

 

何も事情を知らないのに、まず自分のしたいことを芯に置いて、それから事を知ろうだなんて。

ぶれない在り方がカッコいいよ。

 

 

『あ、あの!私も同道します!』

 

 

と、エミーに一方的に肩を組まれているエルダー女医が一際大きな声で意思表示した。

どうやら無理やり連れていかされる、というわけではないようだ。

 

 

『俺の、経過……観察か?』

 

『それもあります。けど、それだけではなくて……私、外印さんの技術と知識を学びたいんです』

 

『へ……?』

 

 

外印の技術と知識?

それってつまり、機巧芸術家としての技と知?

 

 

『なんで、また……』

 

『貴方の手術を手伝っただけ、というのは謙遜でもなくて、本当に本当なんです。ほとんどを外印さんがやって、しかも私の知らないやり方で、迷いもなくて。私の医者としての未熟さを見せつけられたんです』

 

 

絶対比較しない方がいいよ、アイツの技術は色々と突き抜けてるから。

なんて、そんなアドバイスは結局言えなかった。

 

だってメッチャ燃えてるもん。

瞳がらんらんとしてるもん。

気付いてないのか、握り締めてるカラスの仮面(なんだそれ?)にヒビが入ってるもん。

 

 

『だから、エミーさんを一人にはしませんよ。通訳もしますし、フォローもします……ダメ、ですか?』

 

『ダメ、じゃないし、有り難いけど……外印が、教示なんて』

 

『あ、それについては大丈夫です。「師を補助できる人材を作れるのは願ったりだ。むしろ此方からこそ頼みたいぐらいだ」と言ってもらいました』

 

 

軽いな外印。

門外不出の技術と知識なんじゃないのか?

いや、さっきの外印の話を聞くに、そうとも言ってられない時代になっている、ということか。

 

笑えないくらいに時代を超越している外印の能力が誰かに継承される……

 

……

 

まあいいんじゃね?

もう原作ブレイクどころの話じゃなくなってしまうが、それを心配する道理は無いよな。

 

 

んん。

取り敢えず二人の人材は確保できたわけだ。

最悪、日本から離れてもらうことも視野に入れてたんだが、重畳重畳。

 

 

『了解。二人とも……歓迎、する』

 

 

迎え入れる以上、当然だが二人の身は絶対に守らなければならない。

任務の性質上、ほとんどの時を危険と隣り合わせにいるのだから、常に傍にいてもいいというわけにはいかないだろう。

 

そしてエミーは日本語の習得を、逆に俺らも英語を習得する。

それまでは俺とエルダー女医が間に入る形になるだろう。

 

ま、それら諸々は追々決めていこう。

 

 

俺はこの場にいる全員に、この場にいる全員を協力者として受け入れることを宣した。

 

 

皆がそれぞれの思惑を果たすことを善しとし、その過程で俺たちの手助けを(結果として)してくくれるのなら何をしてもいいと言った。

無論、限度というものがあるが、彼ら彼女らの目的を第一に考えることを認めよう。

 

 

「敵を平気で抱き込むとは。末恐ろしいと感嘆すべきか、阿呆かと嘆くべきか……はッ、そんなものは今更か。ならば、そうと落ち着いたのなら次の話だ。どうする?」

 

「ああ……(まま)だ」

 

「……は?」

 

「飯だ、飯。腹が減った。外印……腹が減った」

 

「ふむ……ちょうど朝飯時ではあるな。だが申し訳ないが師の手術で多忙だった故、今は何も用意出来ていないのだ。材料はあるが作るのに暫し待ってもらう必要があるぞ。この人数だからかなりの量にもなろう」

 

 

俺は頷き、宇治木の肩を借りながら歩き出した。

漸くマトモに動かせる様になった口で、みんなに告げる。

 

心なしか顔を赤らめている外印は殊更無視する。

 

 

「皆、手伝え。皆で作って、そんで……皆で食べよう」

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の血刀で切り開いた道の先に、誰もが悲しむことなく幸せに生きていける新しい時代があるのなら。

 

そう思って、否、願って、祈って、信じて、思い込んで。

刀を振るってきた。

たくさんの人を殺めて、たくさんの人の未来と幸せを奪ってきた。

 

老若男女問わず、場所と時を選ばず、天誅の告示のもとに斬り伏せてきた。

 

全ては痛みと苦しみにもがく人々を助けるため。

苦難の時代を終わらせ、新たな時代を築くため。

 

 

 

 

殺して、殺して、殺して…………

 

 

 

気付けば手は血まみれ。足には血だまり。

目には血の色が、鼻には血の臭いがこびりつき。

 

 

振り向けば、どす黒い血の池に無数の死体が浮かんでいた。

 

 

血と死体しか無い、凄惨な道。

歩めど歩めど、決して振りきれない地獄絵図。

光ある未来のためなら如何なる辛苦も背負おうと、心に誓ったハズなのに。

 

維新を終え、願っていた新時代が到来したのに、この“血と死体”はどうしても振り払えなかった。

 

耐えようと決心して、堪えようと奮起して、死体を積み重ねてきた。

大丈夫だと言い聞かせて、未来のためだと自己暗示して、更に死体を積み重ねて。

 

 

 

愛した人すら、そこに積み重ねて。

 

 

 

結局自分は、何一つ手にしていない。

 

 

この血にまみれた身体を置く場所は、新時代に到底あるハズもなかった。

 

だが、その事に後悔はない。

 

自ら選んだ道なのだ。

地獄に落ちる所業を幾度しようと、どんなに重い罪を背負おうと、決して悔いはない。

 

 

例え、時おりこの胸に去来する形容し難い鋭い痛みを味わおうと、慚愧の念に苛まれることはない。

 

それが自分への罰だと云うのなら、喜んで受けようと思っている。

心に決めた望みを果たす為の代償ならば、どうして拒絶しようか。

 

 

これから先、何年でも、何十年でも、甘んじて受け入れ続けよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

その心積もりに、今も変化はない。

あるわけがない。

 

だけど、一つだけ気付いたことがある。

 

 

()()は、端から見るとこのように映るのかと。

 

 

まるで過去の自分を見ている様だ。

 

遥か遠い夢を胸に秘め、あらゆる艱難辛苦を乗り越えようと決心する。

夢のため、自らの犠牲も厭わず、傷だらけになりながら邁進する。

 

未来のため、他者の命を奪う。

我を優先して、他を亡きものにする。

 

しかして決して悪意に陥ることはなく、人を殺すという意味も罪も十全に理解しているが故に、例え死後地獄に落ちることになっても、例え人々に忌み嫌われることになったとしても構わない。

望む未来を手に出来るのなら、どんな苦行も悪評も耐える。

 

そんな、自分が抱いた覚悟と同じものを、白銀の青年から感じ取った。

 

 

故に、かつての自分を重ね見る。

 

そして、思う。

 

自分の辿った道筋を、彼もまた辿るのかと。

 

巻き込まれた側の人間からすれば悪以外の何物でもない災厄を振り撒き、自分は覚悟という名の自己弁護と自己正当化を支えにしてこれからも歩み続けるのか。

 

自分と同じ、血と死体しかない道を歩むのか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『奴の背中は格好の標的だ。無防備に晒してくれるのなら是非もない。いつか後ろから心臓を突き刺してやる。だがその為には、見失わぬよう着いて行かねばなるまい。奴の作った道を、確と着いて行かねばなるまい。奴がどのような道を辿り、どこに行き着こうと関係ない。そこに奴が居るのなら、追いかけねばならぬのだ』

 

 

部下の一人、宇治木殿が言った。

 

その言葉とともに、部下たち全員が宇治木殿の後ろで頷いている。

物騒な言葉とは裏腹に、どこか暖かみのある決意表明だ。

上司と部下という一般的な関係とは明らかに一線を画している。

 

そう思わざるを得ないほどに、目の前の男たちからは熱い忠道の意思が感じられた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『師の心は溶岩のようにおぞましく、おどろおどろしい。だがそれの如く熱く、輝いている。その熱と彩りと輝きが私を魅了して止まない。触れれば火傷どころではない、近づくことすら儘ならない。だからこそ、私は斯くも滾る。知りたいと、手を伸ばす。欲しいとすら、思ってしまう。万人が師の在り方を醜悪と評すかもしれない、ならばせめて私だけは美しいと称えよう』

 

 

機巧芸術家、外印殿が言った。

 

外印殿は彼を師と呼んで、称えている。

その関係性はよく分からないが、普段は死んだ魚のような腐った瞳をしているのに彼の話をするときは打って変わって獣のようにぎらつくため、本当に彼に心酔しているのだと云うことはよく判った。

 

根底にあるその心酔の原理は不明だが、外印殿が彼について語るときは本当に楽しそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『私は彼の瞳と腕を奪った。けれど彼は、自分のことを擲って私の為に叫んだ。引張ってやると、傍に居てやると……っふふ。あんな姿でそんなこと言われたら、もう惚れちゃうじゃない?だから私は彼の隣で、彼の瞳となる、腕となると決心した。そして彼が望み、作る世を、彼の隣で眺めるの。これは贖罪じゃないわ。そんなもの、きっと彼は望まない。だからこれは、彼に尽くしたいという惚れた女の覚悟よ』

 

 

鎌足殿が、微笑みながら言った。

 

聞くと、彼女は彼たちと敵対している組織に所属していて、実際に二度、彼と戦ったそうだ。

それなのに、今では組織を抜けて彼の為に協力すると心に決めたと言う。

彼の隣に在りたいと、澄んだ笑みを見せて言う。

 

惚れたなんだと甘い事を耳にするが、彼女の言う覚悟は嫌でも知覚できるほどに全身から滲み出ていて、嘘偽りは何一つ無いことが分かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『奴に対する感情を言葉で表すことはできない。何故なら多すぎるからだ。嫉妬、羨望、嫌悪、好意、憧憬、殺意……多種多様な感情がない交ぜになり、一括りに出来ないでいる。だが、そんな不鮮明な諸感情とは裏腹に、一つだけ明瞭に分かることがある。それは、奴が目標であるということだ。だから奴に勝つまでは、奴を越えるまでは、誰にも奴を殺させはせん。奴には生きてもらわねばならない。奴のいる高みに至るまでは、是が非でも生きてもらわねばならない』

 

 

隠密御庭番衆御頭、四乃森蒼紫殿が言った。

 

この男もまた彼と敵対していて、実際に部下とともに殺害に動いたと言う。

だが土壇場で雇い主に裏切られ、失意のうちにいたところを誘われ、そして今では彼の下に降る決意をしたそうだ。

 

彼と戦い、そして彼と刃衛の戦いを見て、何を思ったかまでは分からない。

けれど、彼のいる場所を高みと例え、そこに至りたいと切望する気持ちは、どうしてか少しだけ分かる気がする。

彼の戦う雄姿は、そうさせるだけの不思議な魅力を持っていたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『アイツは色々と破天荒なのよ。ふらふらしてるかと思えば大きな体格をした白人をポンポン投げるし、片腕を亡くしたと気付いたときには優雅に珈琲なんか飲んでたし。今回だって、颯爽と助けに来てくれたかと思えば、あんな無茶な事をして。ほんッと、何を考えてるのかさっぱり分からない……でも、だからこそ知りたいと思うの。アイツの頑張る理由を、頑張ってきた過去を、そしてこれからを。きっとそんな運命が、私を日本に引っ張ってきたんだと思うの』

 

 

エルダー女医に訳してもらったのは、英国人記者のエミー・クリスタル女史の言。

 

彼女が彼と会ったのは今回が二回目で、素性も性格もまだよく分かっていないとのこと。

それでも彼女は、心から彼のことを思っていた。

顔を合わせた回数など関係無しに、彼の身を案じ、そして彼の事を知りたいと渇望している。

 

人種も国境も関係なく、彼女は根源的な何かを彼に刺激されたのだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分と同じ?否、断じて否である。

 

自分と彼は、確かに同じ道を辿っているのかもしれない。

 

血溜まりの上に立ち尽くし、全身がどす黒い血糊で彩られている。

辺りを見渡せば、殺してきた人たちの亡骸が無造作に打ち捨てられている。

 

 

だが、そこに居るのは彼だけじゃない。

 

 

彼と共に在りたいと思う人たちが、直ぐ傍に居る。

とてつもなく重い運命を、共に背負いし仲間が居る。

 

決して似ていない。

似て非なるどころではない、似ても似つかない。

 

彼の世界は暖かい。

死と絶望が漂う修羅道の中において、彼の周りだけが異様に暖かい。

 

狂人、鵜堂刃衛をして、そんな彼に感化されたのか、最後はあんなにも嬉しそうに楽しそうに死んでいった。

自分の信念と誓いを自ら封じて見届けた最期は、紛うことなく幸せそうだった。

 

 

「なら、何が……何を違えればこうも異なる?」

 

 

自分には無い彼の魅力というか、彼の在り方が、あまりに尊かった。

羨ましいというわけではない、別段望んでいたわけでもないからだ。

だが、それでも強く思う。

 

自分と彼で、何が違うのかと。

 

望みの質?周りの環境?偶然性?

単なる実力の差?経歴?思考の差異?

時代の違い?役職?風格?信念?

 

 

「分からない……拙者は、間違えていたのか?」

 

 

尊く在る彼と孤独の自分とで正誤を問うならば、間違いなく彼が正だろう。

 

孤独であることを負い目に感じるつもりは毛頭無い。

だが、彼の眩しい在り方を前にすると霞んでしまうのだ。

自らの過去が、嘗ての自分が。

 

彼は強い。

実力もそうだが、きっとこれから大きな影響を各方面に及ぼすだろう。

自分の未だある縁故とは本質的に違う、世界を相手にする影響力だ。

 

それがきっと、自分と彼との違いなのだろう。

 

 

「拙者の行いは、正答ではなかったのか?」

 

 

もし、もしも自分が彼のように在れたなら。

 

あの激動の幕末をもっと早くに終わらせられたのではないか。

殺した人たちも、もっと少なく済んだのではないか。

 

もし、自分が彼のように尊く在れたなら。

 

敵をも救える人と成れていたのなら。

 

この国の未来は、もっと別の形にーーーー

 

 

 

朝焼けに染まり始める横浜の港町を眺めながら呟くと、屋内から騒音が響いてきた。

 

ばたばたと地下の方から伝わってくる喧騒は、何故か不吉な予感や最悪の事態を想起させない暖かさを感じさせる。

だからだろう、きっと彼が目を醒ましたのだ、という予想は間違っていないと確信できる。

 

 

彼と話をしたい。

尊い彼の思いを、信念を、その口から語られるすべての言葉を耳にしたい。

 

だがその反面、彼と面と向かい合いたくないという思いもある。

きっと自分の卑小さを自覚してしまうかもしれないからだ。

 

二つの相反する思いが錯綜し、明確な答えを出すこともできずにテラスから見える風景を眺めること数分。

いつしか喧騒は鳴りを潜め、多くの人の気配を背に感じると、初めて朝日に背を向けて室内を見た。

 

 

 

 

 

 

 

 

そこに、白銀の青年がいた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

===========

 

 

 

 

 

後年

 

 

あるイギリス人の女性記者が書き記した一冊の手記が、とある道場にて代々受け継がれていることが判明した。

 

 

その手記は、一人の青年の伝記だった。

 

 

そこには非常に多くのことが書かれているが、その具体的内容については、ここでは割愛しよう。

 

ここで述べるのは、以下の二点のみ。

 

一つは、影響度について。

 

彼が没して以降も、その名と存在は非常に多くの方面に影響を与えていた。

市井はもちろん、警察、軍部、果ては内閣府。

多くの人たちに狩生十徳という存在は認知され、時には敵となり、時には頼もしい友となった。

 

だが悲しいかな、当時にも後世にも、彼の真意を正確に把握していた者は極僅かだった。

しかし、彼の内面が記されたこの書物が出たことで、初めて多くの人が彼の内面に触れられた。

 

その影響は、日本国中を駆け巡るほど大きかった。

 

 

もう一点は、興味深い一文について。

 

作者のイギリス人女性は、彼が横浜で繰り広げた死闘について詳しく書き、そして最後にこう締めていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

『横浜での壮絶な闘争を経て、彼の戦いは終わった。身を削り、魂を震わす一人の戦いは、ここで終わったのだ。そしてここから、彼等の新たな戦いが始まったと言える。彼等の戦いは、ここから始まったのだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










ネタばらし注意!


十徳と剣心の会話シーンは有りません!!

次話から、閑話を挟みながら増強された白猫隊の水面下の活動に移ります




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

閑話 不明敵勢力






お待たせしてスミマセン

ちょっと死んでました
お詫びと言ってはなんですが、今日からなるべく間を開けずに投稿していきます



今話は実写映画をベースにしてますが、観ていなくても大丈夫です

とまれ、どうぞ






 

 

 

 

 

 

「方治さま。例の存在は見つかりませんでした。討伐隊の到着を確認した後、周辺を囲み、その包囲網を狭めていったのですが、人影一つも……」

 

「隊員からも絞ったのだろうな?」

 

「もちろんです。何人も殺す前に尋問しましたが、何も喋りませんでした。口を割らなかったのではなく、本当に知らないようでした」

 

「そうか……」

 

 

下がれ、と十本刀が一人、“百識の方治”が報告を上げてきた部下に言うと、黙考に耽る。

 

 

 

 

此処は、兵庫県は摂津鉱山。

嘗て多くの鉱石を産出し、日本に流通させていた数少ない資源地帯だ。

今は廃れて久しく、周りにある村落も全てが既に朽ち果てていた。

 

だが、それでも少量の鉱石は産出される。

志々雄一派が掘り当てたのだ。

それを支那で金銭に変え、彼らは活動資金としているのだ。

 

この情報に誤りはない、事実だ。

 

だが、決して“重要な資金源”ではない。

資金源となるのは、他の地にこそある。

決して此処が組織の生命線というわけではないのだ。

 

だが、東京から遠く、京都や神戸港に近い、という立地的好条件に加え、一派の主要人物が度々目撃される地、という情報が()()()()上がってくれば見方は変わる。

政府連中は、確信する。

 

“摂津鉱山を潰せば組織に大打撃を与えられる”と。

 

警察が討伐隊を動員したという情報を警察内部から得られた瞬間に、もはや勝利は確定していた。

 

数多の罠を敷設して、支那から帰ってきた十本刀も布陣させて待ち構えた。

志々雄様ご自身にも登場してもらい、敢えて作った生存者に見せて、“志々雄も訪れるほどの重要地点”だと更に誤認させた。

 

 

(まさかその生存者があの狼だとは、偶然とは恐ろしいと考えるべきか、それとも流石だと感心するべきかは分からないが)

 

 

ともあれこれで地方警察、そして中央警察である東京警視本署の力をかなり削ぐことに成功した。

自分の策で衰弱していく明治政府の様を想像すると、喜悦が込み上げてくる……ハズなのだが。

 

どうしても腑に落ちない点がある。

 

此度の討伐隊の包囲撃滅作戦の目的は、確かに明治政府の弱体化にある。

だが、もう一つ別の目的があった。

それは

 

 

(なぜ姿を見せぬのか……)

 

 

関東一円の通信拠点を破壊した正体不明の敵勢力だ。

 

 

 

 

 

 

 

不明敵勢力の行動は、西から送る我らの決戦戦力を誘引するかの如く横浜を最後まで残しておいた。

 

そして遂に送り込んだ十本刀が一人、鎌足との連絡も途絶えてしまった。

 

この時ばかりは、我ら頭脳陣も一時混乱状態に陥った。

最高戦力の一角が落とされた。

しかも、何処の誰とも未だ分からない敵に。

 

追加の戦力を出そうとも考えたが、未知数の敵に戦力を小出しにするなど愚の骨頂。

十本刀の一人を落とせる力を有する相手には尚更だ。

鎌足を失ったのは痛いが、ここは相手を掴むことを最優先にするべきだ。

 

故に、横浜に偵察隊を多数派遣したのだが。

 

鎌足が拠点としていた倉庫に多数の仲間の死体と、無惨に壊されたモールス信号機を発見したこと。

関係のない倉庫が多数壊され、あまつさえ爆発炎上していたこと。

所属不明の多数の人物の死体が打ち捨てられていたこと。

 

横浜で壮絶な戦いが繰り広げられたであろうこと。

 

そんな事しか判明せず、敵の正体が杳として掴めないのだ。

 

 

所属不明の多数の人物の死体が気になり調査を命じたが、恐らく無関係だろう。

自らの存在の隠匿に注意を払っている連中のことだ、死体をそのままにしておくハズもない。

 

情報の中に埋もれていたが、武田観柳も絡んでいたらしい。

大破した倉庫の殆どが、奴が所有する倉庫だと判明したのだが、恐らくその死体は奴等の手勢だろう。

 

大商人、武田観柳。

 

その経済力に目をつけ、一回だけ私が直々に接触を試みたのだが、()()はダメだ。

自己顕示欲と自尊心が異様に高い。

誰かの下に降る、なんてことはできないだろう。

 

協力関係を築いたとしても、立地的に危険すぎる。

すでに警察から内部を犯されているだろうし、奴の行動は規模が広すぎる。

全てを此方が把握するのに相応の時間と労力が掛かってしまう。

 

仮に協力関係を結んでも、変なところで我らの情報が警察に漏れる可能性もある。

 

故に奴とは接触を絶ったのだが……調査をする上では最悪もう一度接触するべきか。

だがそれは後程検討しよう、今は相手の尻尾の形を推測するのが先決だ。

 

 

 

思考を鋭利に研ぎ澄ませろ。

 

 

 

この正体不明の敵は明治政府の策によるものか?

 

一派を相手にできる戦力と後ろ楯を鑑みれば、警察あるいは陸軍と考えるのが妥当だろう。

十本刀を討てるともなれば、精鋭部隊といってもいい。

 

だが、この可能性は無いと断言できる。

何故なら警察にも陸軍にも相当数の鼠を送り込んでいるのだが、この敵に関する情報を掴んでいないのだ。

 

敵の動きを見るに、一派に関する情報をかなりの質で保有しているのが分かる。

関東一円の我らの拠点を順繰りに潰し回り、敢えて横浜を最後まで残していたのは我らの決戦戦力の存在と実力を知っているからこそだ。

 

だが、そういった情報(決戦戦力や通信拠点の存在等)を警察ないし陸軍、引いては政府が()()()()()()()()()()()()を、此方はしっかりと把握している。

 

手駒のみが情報を掴んでいて、母体となる組織がその情報を吸い上げていないなど()()()()()から、やはり政府に属する存在ではないと考えていいだろう。

 

 

消去法的に、我らと同じような地下勢力の存在としか考えられないのだが、これがまた厄介なのだ。

 

まず、日本に存在する地下武装勢力は殆どその実態を掴めている。

というか下部組織として既に吸収している。

さすがに末端全ては把握していないが、我らにバレずにここまでのことをできるとは考えられない。

 

戦力的には()()なら可能だろうが、裏切るわけがない。

 

糾合していない組織がある?

あるかもしれないが、その存在が今回の敵とは考えづらい。

何故なら強力な戦力を有し、かつ自らの存在・所業を隠匿するならばそれ相応に大きく、そして経済的にも余裕がなければできないだろう。

 

だが、我々は日本中に情報網を敷設している。

此度の被害で関東に大きな穴が出来、それを補うため北関東以北はがら空きとなってしまったが、今までその情報網に引っ掛からなかったのはおかしい。

大きな組織は動けば必ず引っ掛かったハズだ。

 

 

だからこそ、不明敵勢力は個人的なものという結論に至ってしまう。

たった一人で何百、何千の兵力に比する力。

文字通り一騎当千の存在。

 

一つの可能性が浮き彫りになった。

 

 

緋村抜刀斎だ。

 

 

この可能性に行き着いたとき、さしもの私も心臓が一つ跳ね上がった。

だが、持ち前の鋼の如く強靭な意思の力で動揺を捩じ伏せ、思考を続けた。

 

 

 

志々雄様が引き継いだ抜刀斎の前任者。

 

つい以前まで調査対象者としていた特級危険人物。

 

人殺しを忌避し、斬れない刀を腰に帯びて全国を流浪する元長州派維新志士。

 

伝説の人斬り抜刀斎。

 

奴ならば、我らの存在を関知していても不思議ではない。

むしろ納得するぐらいだ。

 

恐らく我らの目が解かれたことを察してから本腰を入れて動くようになったのだろう。

官職を嫌っているが故に政府と足並みを揃えていないのかもしれないが、恐らくはその超人的な力量を鑑みて個人で動くことの方が利があると踏んだ可能性もある。

 

 

あまりにも綺麗に筋が通る。

 

綺麗すぎて逆に疑いたくなるほどだ。

 

 

だが、考えられる内ではこれが最もあり得る可能性だ。

 

 

 

 

 

そんな答えを導き出したときだった。

私の手元に、警察に潜り込ませた鼠から二つの情報が届いた。

曰く、大規模討伐隊による摂津鉱山への動員の兆しあり。

曰く、白猫と呼ばれる特別捜査部隊なる空白部署あり。

 

前者は、此方の策にまんまと向こうが掛かったことによるものだ。

吊り上がる口角を押し留めるのが難しかったが、後者は……なんだ、これは?

 

白猫。

 

東京警視本署のトップ、川路大警視の性質は一通り調べてある。

奴は徹底的な数値合理主義者だ。

十の人間を助ける為には九人の命を自ら屠ることを即決するような男だったハズ。

 

そんな男が手の届く範囲に人の居ない部署を作る?

有り得ない。

この組織は絶対に何かある……が、差し迫った話ではない。

 

今は討伐隊に対する迎撃網を考えよう。

 

幾ら緋村抜刀斎が政府と足並みを揃えないとはいえ、敵の重要拠点に多くの警察が動員されると知れば動かない訳にはいかないだろう。

況してや志々雄様が現れるかも知れないのだ。

 

身を隠しながらの可能性もある。

ここで捕らえよう。

 

向こうが先に仕掛けた誘因作戦を此方がしてやるのだ。

これほど気味の良い話もなかろう。

 

さあ、来い、緋村抜刀斎!

 

ここに貴様の墓標を立ててくれようぞ!

 

 

 

 

 

 

 

 

だが、方治の意気込みも冒頭での如く中折れしてしまったのだ。

多数の警官の屍の上を、腕を組んで歩き回りながら黙考を続ける。

 

 

(抜刀斎と不明敵勢力を結び付けるのは早計だったか?)

 

 

しかし奴の気質はそれなりに精査してある。

人殺しをするのも、見るのも忌避するようになっているようで、かつ大きな戦があると必ずそこに現れるらしい。

 

神風連の乱や西南の役でも近くを訪れたという報告を聞いている。

此度もそうなると考えていたが、我らを警戒している?

 

いや、警察は本気で志々雄様を討つつもりだった。

政府からすれば本気だったし、抜刀斎からしても我らの蠢動を止められる絶好の機会だったハズ。

 

現れなかった理由があると考えるのが妥当か。

 

横浜で大きな傷を負ったか?

だから討伐に追い付けなかった……なるほど、理には適う。

 

だが希望的観測に過ぎる。

派遣した工作員が奴を見つけられずにいるのだ、手傷を負わせても討ち果たせてはいないし、重傷ではないと考えるべきだ。

 

ならば、他の可能性は?

 

止められたか?だが、誰に?

 

 

(……陸軍か?)

 

 

長州出身で殆ど固められている陸軍ならば、未だ縁故がある可能性は確かに高い。

だが、陸軍は我らの情報を掴んでいないし、況してや緋村抜刀斎と繋がりがある、などの報告は受けていない。

 

我らにバレないように隠匿して……いや、それが出来るならそもそも鼠も捕らえられている。

 

陸軍との繋がりはない、と思う。

だが、何かが引っ掛かる。

 

仮に、仮にだが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()があるとしたら?

馬鹿馬鹿しい理屈だが、緋村抜刀斎と陸軍上層部は旧長州藩同士という切っても切れない縁があるのだ。

繋がりが無いと断じるのは、あまりに難しいのだ。

 

 

……待てよ。

 

上層部?縁?

確か、維新時には現陸軍卿と繋がりを持っていたハズだ。

例えば個人で、口外せずに緋村抜刀斎と繋がっているとすれば……

 

 

 

 

濃厚だな。

 

 

 

 

陸軍卿、山県有朋。

 

 

 

 

陸軍そのものではなく、奴が個人的に緋村抜刀斎を使役ないし雇用している。

 

なるほど確定はできないが、当たってみる価値はある。

違ったとしても、明治政府に大きな打撃を与えられるだろう。

 

緋村抜刀斎。

貴様を我ら最大の敵として認識しよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治十一年、晩春。

 

 

 

 

 

東京警視本署討伐隊、文字通りの全滅。

 

 

 

 

 

 

ただ一匹の狼を除いて。

 

 

 

 

 

 

 









一つの誤解がどう展開されるのか


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

53話 白猫跋扈 其の壱











いつもと変わらない一日の始まり



一匹の猫が鳴いた




謳うような



嘆くような



笑うような



怒るような






白銀の猫の、小さな鳴き声






何を見て、何を思って、鳴いたのか


分かるものは、きっといない





一匹の猫の、そんな鳴き声







それでもきっと、その声は



どこまでも遠く



なによりも高く











明治の向こうまで








静かに届く















新編、どうぞ



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お巡りさんたち、なんかピリピリしてたね」

 

「警察官のみを襲う辻斬りが出てるんだから無理もないわ。下手人を逮捕しようにも尽く返り討ち……神経質になるのは当然よ」

 

「冴子、冴子。お父様から何か聞いてる?」

 

「ううん。最近はお父さんとゆっくり話せてないから。お父さんもどこか思い悩んでいる様子だから、話せても一言二言だけで……」

 

「狩生さんは?半年前に出張で出掛けたのは聞いたけど、もう帰ってきてるんじゃないの?」

 

「東京には帰ってきてるのかも知れないけど、私は見てないわ。家にも戻ってきてないし、言伝ても文も無しのつぶて」

 

 

そっか~、と冴子の言葉に唸る二人は同じ女学生の晴子と乙葉。

 

午前中で授業が急遽終わりとなった東京女子師範学校。

何があったのか学生にはとんと分からなかったが、降ってわいた暇な時間、折角だからとお昼を外で食べる事にした三人は“赤べこ”に来ていたのだった。

 

原作でも多くの登場人物が舌鼓を打っていた牛鍋が当店では有名だが、なにぶん学生が気軽に頼める値段ではない。

もとより求めていなかったため、三人は一番安い麦飯定食を頼み、それを待っていた。

 

 

「下手人は()の人斬り抜刀斎か、て新聞に載ってたわ。お父様と狩生さんは大丈夫かしら?」

 

「分からない。私が聞いても、大丈夫、心配は要らない、ぐらいのことしか言ってくれなくて。確かに役職上、もう現場に出て指示するようなことは無いから大丈夫だとは思うけど、不安が無いわけじゃないよ」

 

「無茶なことはしないでほしいね……ところでさ、人斬り抜刀斎てなに?新聞に載ってるの?てか、よく新聞なんて読めるね」

 

 

晴子の頓狂な発言と同時に、三人に定食が届けられた。

お礼を言い、いただきますを述べると空腹の三人はすぐにご飯にありつく。

 

食中、乙葉がため息交じりに答えた。

 

 

「貴女も元老院に縁のある家の娘なら新聞くらい読むようにしなさい」

 

「うわ、乙葉がお母さんと同じこと言うようになった。勘弁してよー、私だって新聞読む以外にやらなきゃいけない事があるんだから。だいたい、元老院は本家の壬生家であって、私の家じゃないんだから私は無関係だもん!」

 

「まあそれはそうだけど……でも、親戚が元老院なんて凄いことじゃない。実感は湧かないかもだけど、晴子ちゃんは十分に胸を張っていいと思うよ?」

 

「ぶー、壬生家と私は本当に関わりが無いから自慢なんて一つも出来ませ~ん。お父さんが元老院だったら、そりゃあチョー自慢したよ?“うぬら、頭が高し”っつってね。にしし」

 

「うぬら、て……」

 

 

膨れっ面を示していたかと思えば急に笑顔になる晴子。

 

良くも悪くも子供のように感情を前面に押し出す彼女は、人によっては付き合いづらい部類に入るかもしれない。

だが冴子と乙葉にとっては、この晴子の表裏の無い豊かな感情表現は非常に好ましく、話していてとても楽しくなるのだ。

 

とまれ、世間で大きく取り沙汰されているのに一切知らないままでは、しかも巷を騒がしている人斬りに関して知らないのは色々と面白くない。

乙葉が維新の頃からの話をざっくりと説明し、そして今の事件についても話す。

 

 

「なるほどね~……」

 

 

話を聞き、漸く理解が追い付いた晴子は(しき)りに頷く。

頭で情報をゆっくりと咀嚼し、そして思い付いたことを口にした。

 

 

「人斬り抜刀斎は神谷活心流の出なの?」

 

 

新聞に載っていた情報の一つに、人斬り抜刀斎は堂々と神谷活心流を名乗っていた、とある。

剣道に一切関わっていないから神谷活心流というものを知らない二人は、晴子の質問に首を傾げながら答えた。

 

 

「わざわざ無関係の流派を名乗るとは思えないのだし、そうなんじゃないかしら?」

 

「辻斬りの考えることは分からないよ。自身の名だけじゃなくて、流派の名も知らしめたいっていう欲求があるのかも」

 

「ふ~ん……」

 

 

なんとも釈然としない様子の晴子は天井を見上げる。

箸に芋煮を持っての行儀の悪い姿勢だが、二人は咎めない。

むしろ乙葉は、その晴子の箸からこっそりと芋煮を奪い、頬張ってしまった。

 

やがて頭を下ろした晴子は、箸から無くなった芋煮をキョロキョロと探しながら再度疑問を呈した。

 

 

「それって本当に伝説の人斬り抜刀斎なの?」

 

「もぐもぐ……ごっくん。どういうこと?」

 

「いや、だって元々人斬り抜刀斎って長州藩士、つまり倒幕側で、新政府側なんでしょ?そんな人が明治政府の側の警官を襲うって変じゃない?それより私のお芋どこ行ったの?」

 

「でも、半年前まで政府は嘗ての倒幕勢力の中心だった薩摩と戦争をしていたじゃない。なにも珍しいわけじゃ──」

 

「いえ、ちょっと待って冴子ちゃん。確かに晴子ちゃんの動物的勘は正しいかも知れないわ。ほら、よく考えてみて?もし、件の抜刀斎が薩摩と同じように政府に反旗を翻すのなら、それこそ当時の薩摩に加わるのが妥当よ」

 

「……う~ん、戦争が終わってから考えが変わった可能性もあるんじゃない?」

 

「もちろん、あるかも知れないわね。けれど、例え伝説に語られる人物であっても、一人の力量では政府に対して何も出来ない。それは西南の役で誰もが分かったことよ。例え何百人の警官を斬っても、きっと政府は変わらないわ」

 

「な、なるほど……」

 

 

乙葉の理屈を聞き、頭を必死に回転させてなんとか理解に追い付いた冴子は、感嘆の溜め息を溢した。

 

直感的に理解する晴子に、論理立てた理解する乙葉。

この二人の思考になんとか着いて行こうとする冴子だが、やはり完全に理解するには少し遅れてしまう。

 

 

「つまり、政府に対する不満ではなく、何か別の目的がある。もしくは、()()()()()()()()()()()()()、てこと?」

 

「お芋ちゃ~ん。私のお芋ちゃん、どこ行った~?出ておいで~」

 

「相変わらず、筋道を無視して結論に行き着けるこの娘の思考回路は羨ましいわ」

 

「私としては二人どっちも羨ましいんだけど……」

 

 

お新香を口に含み、晴子を羨む乙葉を羨む冴子。

 

もっとも、こういった軽い劣等感に苛まれることは珍しいことじゃない。

いつものように、この二人に対して悄気ても疲れるだけなんだから私は私なりに頑張ろう、と自分に言い聞かせ、お新香の塩味が充満した口内に麦飯を詰め込む。

 

 

「警官を襲うことで果たせる目的……それがなんであれ、行き着く先は警察の大規模捜査だけだよ?それを恐れない何かがあるの?」

 

「大きな隠れ蓑があるとか?」

 

「明治政府……にあるなら、その明治政府を弱めるこの犯行は矛盾するわ」

 

「じゃあ、また反政府勢力?」

 

「うーん……ダメね。別の目的にしろ真偽にしろ、情報が少なくて判断が着かないわ。残念だけど、これ以上の推論は無理そうね」

 

 

そう言って、乙葉がお味噌汁を啜る。

 

 

「そうだね……ところで晴子ちゃん。さっき新聞読む以外にもやることがあるって言ってたけど、何か特別な事でもし始めたの?」

 

「うん、逆立ちの練習を始めましたー」

 

「「……は?」」

 

「ふっふっふ、私は気付いてしまったのだよチミ達。ほら。逆立ちしてもかなわない、て言葉あるじゃん?逆立ちしても出来ない事も、きっと逆立ちすれば出来る事になる、と!つまり、逆立ちは全てを解決する!だから、私は逆立ちが出来るよう家に居るときは常に練習しているんだよ!」

 

 

自信満々、喜色満面の晴子の宣言に絶句する二人。

 

勉強は普通に出来るし、常識だって備わっている。

先程の人斬り抜刀斎に関する考察の時でもそうだが、ある種の勘も冴えている。

 

所謂、馬鹿ではない子のハズ。

 

なのに、今の宣言は明らかに常軌を逸していた。

馬鹿ではないが、とてつもなく阿呆なのだろう。

 

 

「晴子ちゃん、それは……」

 

「まあまあ冴子ちゃん。真実は時に人を傷付けるものよ。ここは温かく見守ってあげましょう」

 

 

冴子を優しく止めた乙葉は慈母の如く微笑んでいる。

だがその瞳は爛々かつ煌々と輝き、まるで晴子(おもちゃ)を与えられた犬のようだった。

 

冴子はため息を吐いた。

晴子をそれとなく誘導し、面白可笑しく仕立て上げ、その様を見てニンマリするのが乙葉の趣味なのだ。

しかも今回は、鴨が葱を背負って笑顔で手を振りながら勝手に近付いてきた来たパターンである。

乙葉がロックオンしないわけがなかった。

 

気付かずに掌の上で踊っている晴子も楽しそうだし、誰も不幸になっていないのだから、止めはしない。

だが見ている此方が少し複雑な気分になるため、あまり乗り気になれない冴子だった。

 

 

「はあ……何やってるのだか」

 

 

誑かすため歯の浮くような言葉を浴びせる乙葉と、誑かされてもはやデレデレとなった晴子。

その二人を無視して綺麗に定食を平らげる。

 

先程、二人に対して悄気ても疲れるだけと評したのは、まさにこれがあるからだ。

突然阿呆の子になる晴子に、その阿呆を至上の笑みでいたぶる乙葉。

 

凄いと思わせる頭脳を二人とも持ち合わせている反面、お互い子供っぽいことをするのだから、どうにも100%の敬意を示せないのだった。

 

 

「それにしても。お父さんも狩生さんも、やっぱり忙しいのかな」

 

「……狩生、さん?」

 

「え?」

 

 

彼女のうわ言のような独り言に反応したのは、予想外の人物だった。

 

声の方を見ると、通りからお茶のお代わりを注ぎ回っている女中、否、まだ幼いから奉公人だろうか。

10歳前後の女の子が急須を持って固まり、冴子を驚きの目で見ていた。

 

 

「あ、えと……すみません。お話に割り込んでしまって。失礼します」

 

 

慌てて謝罪しながら頭を下げ、下がっていこうとするのを冴子もまた慌てて止めた。

 

 

「あ、や、大丈夫だから、ちょっと待って。少しだけ話を聞かせて」

 

「えと……でも、」

 

「お願い。少しだけでいいの。貴女、狩生さんのお知り合い?警官の狩生十徳と知り合いなの?」

 

 

衝動的に詰め寄る冴子。

 

冴子自身、なぜ自分がここまで十徳の関係者に首を突っ込もうとしているのか分からなかった。

彼が持つ繋がりの一端を見たいと思う理由が、まったく分からなかった。

ただ今は、目の前の少女が十徳の知人であることを、本心から願っていた。

 

そんな願いが通じたのか、目の前の少女は困惑の顔から一転、満面の笑みを見せて頷いた。

 

 

「やっぱり狩生さんだったのですね。はい、存じてます!以前、千葉にいらした際にお世話になりました。狩生さんは、私にとって憧れのお人なんです!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

「申し遅れました。私、畠山家が長女、畠山勇子と申します。赤べこのご主人の下で、奉公させていただいております」

 

「千葉から東京までわざわざ、しかも一人で……行動力が凄いわね」

 

「東京に来れば狩生さんに会えると思ったので、この機会に居ても立ってもいられず」

 

「っか~。狩生さん一筋か~、見上げた根性してるねぇ。最近の女の子にしては立派だよ!」

 

晴子(あなた)も最近の女の子に分類されるんだけどね……勇子ちゃん。それで、狩生さんには此方に来て会えたの?」

 

「いえ、それが……沢山のお巡りさんに聞いたんですが、白猫ならどっか行った、としか教えてもらえず。最近はお巡りさんも何かと慌ただしそうで……」

 

 

しょぼんと肩を落とす少女は、以前十徳が千葉で知り合った畠山勇子である。

 

京都や大阪を中心にして行われるイメージのある丁稚奉公は、東京の商家でも普通にある。

10歳前後の少年少女が商家に住み込みで、凡そ四~五年働く。

奉公先によって違うが、基本は掃除や子守り、一般的な礼儀作法を学んでいくことになる。

 

勇子もここ“赤べこ”に丁稚奉公として働いているとのことだ。

 

 

それはさておき。

 

 

(((白猫……?)))

 

 

話の流れから察するに、十徳のことを指しているのだろう。

官内ではそう愛称されているのか、或いは蔑称されているのか、ともあれ女学生三人は十徳の顔を思い出し、次いで猫を思い描いた。

 

そして、幾ばくの時が過ぎると、ほにゃりと三人の頬が弛んだ。

特に縁側で夜酒を嗜む十徳の姿を知る冴子は、もしそれが昼時で、昼寝をしてようものなら本当に猫ちゃんじゃないの、と顔に出さずに心で悶えている。

 

 

白猫……さもありなんと、三人は思った。

 

 

「んん!……そっか、会えずじまいなんだね。でも、不思議な縁ね。千葉で狩生さんに出会った勇子ちゃんと東京で会えるなんて、スゴい偶然」

 

「はい。あの……冴子さんは、」

 

「ん?」

 

「狩生さんのご令室なのでしょうか?」

 

 

にまにまと笑みを湛えて見てくる晴子と乙葉にかなり苛立ちを覚えるも、ヒクつく笑顔で押さえつけて冴子が答える。

 

 

「……違うから。あの人は父と同職で、その縁で家に住んでもらっているだけだよ。婿養子に迎え入れたわけでも、狩生さんの家に私が嫁いでいるわけでもないの」

 

「そうなのですか。ホッとしたような残念なような、よく分からない気分です」

 

「んぐッ、んぐぐッ、んぐぐぐ!」

 

「そうそう。よく堪えてるじゃない晴子ちゃん。こんないたいけな子どもをからかうなんて良くないのだからね。それはそうと勇子ちゃん。憧れの人、て具体的にあの人のどこに憧れたのか教えてくれるかしら?」

 

 

冴子ら三人のお願いにより、勇子は少しの休憩を貰って三人の席に座ることとなっている。

四人が車座になって座っていて、手に手に湯飲み茶碗を持っている。

 

 

「えと……色々と教えてくれたんです。日本の歴史とか、世界の事とか。今までもずっと知りたくて、でも誰に聞いても良く教えてくれなくて、むしろ邪険にされて。家にも色々と迷惑掛けちゃって……でも、狩生さんが教えてくれたんです。一つ一つ優しく、分かりやすく、地図まで描いて下さったんですよ」

 

「地図?」

 

「はい!世界の地図です。日本が描いてあって、異国が描いてあって。それで初めて、私は世界を知れたんです!」

 

 

こーんなに大きいんですよ、と言って両腕を広げて示す勇子はどこか誇らしげ。

 

当然だが、この時代の日本では世界地図など一般的ではない。

軍上層部か政府関係者ぐらいしか見ることのない代物だ。

 

地図とは為政者や軍人などの“国家意識”を有する者が利用するのであって、一般人が使用することはほとんど無い。

否、そもそも必要ないのかもしれない。

日本が此処にあって世界は斯様に広い、などという情報は、維新を経るまで「農民」という自意識が主だった者たちにとっては不要なのだ。

 

だが、勇子だけはその例に漏れた。

もともと聡明な子である。

俯瞰的な視点である「地政学」は、彼女を魅了して止まなかった。

 

 

「狩生さんのお話は本当に勉強になりました。宿題も出して下さって、あれからずっと勉強も続けて……えへへ。また、頭を撫でてほしくって。だから、あの人は私の憧れの人なんです」

 

 

はにかみながら、嬉し恥ずかしそうに言う。

 

純真無垢かつ天真爛漫な様子の彼女を見て、自然と三人にも笑みが溢れる。

小さな子の誇らしげな幸せを目の当たりにして、その暖かさに周りの心が感応したのだ。

 

 

まったく。何やってるのよ、あの人は。

 

 

お互いの顔を見れば、声に出さずとも何を思っているかは十分に分かった。

それぐらいには三人の間に確かな絆がある。

 

一人の少女の笑顔に三人がほっこりしているときだった。

 

 

「お前ら……あの悪徳警官の知り合いかよ」

 

 

一人の竹刀袋を肩に掛けた少年が詰問してきた。

 

 

「え……?」

 

 

突然の闖入者に固まる四人。

彼女らが視線を転じた先にいたのは、勇子と同い年か少し歳上ぐらいの年若い少年だった。

 

少しだけ茶色掛かった黒色の頭髪に鋭い目付き。

剣呑な雰囲気を醸しているのは、その目付きに加えて顔中に出来た傷や手当ての跡があるからだろうか。

洋装に身を包み背に竹刀袋を負う少年は、どこかの道場の門下生だろうことが窺えるが、それにしては少々痛々しい姿をしていた。

 

 

(誰……?)

 

(知らないわ。ていうか、悪徳警官て……もしかして狩生さんのこと?)

 

(十中八九そうでしょうね。でも、急に何なのかしら)

 

(見るからに嫌悪感を顔に出してるわ。狩生さんのこと、明らかに嫌ってる感じがする)

 

(はは~ん。だから狩生さんの話題に割り込んできたんだ。自分の嫌いな人の話で盛り上がってたから……ん?これってマズくない?)

 

 

三人が小声で話し合い、ふと晴子が首を傾げた。

どうしたの、と冴子と乙葉が疑問符を頭に浮かべた。

だが、晴子の直感的な危機意識が信号を灯したときには、既に遅かった。

 

 

「狩生さんは悪い人なんかじゃありません!」

 

 

甲高い、悲鳴にも似た幼げな声が店内を駆け、一切の音をかっ浚っていった。

 

客も、他の店員も動きを止め、全員が目を白黒させて勇子の方を見ていた。

しん、と耳に煩い無音が三人には酷くツラく感じ、年甲斐もなくおろおろとする。

 

だが、当の勇子は変わらない。

(まなじり)を決して廊下に立つ少年を睨んでいた。

 

 

「訂正してください!狩生さんは悪い人じゃありません!」

 

「……ッ、ふん。訂正するわけないだろ。アイツは悪徳警官だ。権力を傘に好き勝手する悪い奴なんだよ」

 

「そんなんじゃありません!何でそんな酷いこと言うんですか!?狩生さんのこと、よく知りもしないで!あの人はスゴく優しい人なんですよ?!」

 

「知らないのはお前の方だろ!アイツが何をしでかしたのか教えてやろうか?!アイツはなあ――!」

 

「嫌です、聞きたくありません!狩生さんを悪く言う人の事なんて、絶対に聞きたくありません!」

 

 

涙目になって抗議する勇子に対して、少年もヒートアップして対抗する。

 

常に年不相応に理知的な会話をしていた勇子にしては珍しく、まるで駄々を捏ねる子供のようなリアクション。

耳を塞いで聞きたくないという仕草をし、それを払い除けて直接聞かせてやろうと少年が手を伸ばした瞬間だった。

 

 

少年の頭上に鈍い音とともに拳が叩き付けられ、少年が沈んだ。

 

 

「まったく、あんたって人は……どうして席を取っておくだけで周りに迷惑を掛けるのよ」

 

 

溜め息を一つ吐き、振り下ろした拳を解くのは一人の女性。

 

可憐な着物を身に付けて可愛らしいリボンで髪を括るその女性は、頭を抑えて唸りながら踞っている少年を無理やり立たせ、そして頭を強引に下げさせる。

 

 

「ごめんなさい、この子が迷惑を掛けてしまって。色々と教育しているんだけど、反骨精神というか負けじ魂というか。その塊みたいのものだから、なかなか上手くいかなくて」

 

 

困り果てたような顔で、少年と同じく頭を下げるその女性は誰あろう。

 

 

 

神谷薫

 

 

 

 

原作ヒロインである。

 

 

 

 

 

 

 












こんな多人数が一堂に会する描写は初めてだから、とても難しい……

後程修正するかもです




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

54話 白猫跋扈 其の弐






前話からこんなに間が空くなんて……すみませんm(_ _)m


今話含め、あと二~三話は神谷サイドの話です



とりま、どうぞ




 

 

 

 

 

件の席には二人が加わり、今は六人が車座となってお茶を飲んでいた。

加わった二人とは無論、神谷活心流が師範代、神谷薫であり、そしてその唯一の門下生、塚山由太郎である。

 

由太郎を謝らせ、自分の不徳の致すところでもあると言って自らも謝った薫に対し、好感を抱いた冴子が声を掛けたのだ。

 

なぜ由太郎がここまで十徳に嫌悪感を抱いているのか。

勇子は聞きたがらなかったが、冴子は十徳が“しでかした事”に興味津々だった。

無論、それは乙葉と晴子も同じである。

 

渋る勇子を宥め、薫に相席を求めて昼食を済ませてもらい、そして何が起きたのかを話してもらった。

所々に薫の注釈が入り、総じて少し時間が掛かってしまったがため、店内もかつての騒がしさを取り戻していた。

 

 

「……なんですか、それ。そんなの逆恨みもいいとこじゃないですか」

 

 

話を聞き終えて真っ先に口を開いたのは勇子だった。

 

最初は聞く耳も持たなかったが、席が近ければ嫌でも声は耳に入るもの。

今では頬を膨らませて由太郎をジト目で見ていた。

 

 

「薫さんのご苦労がお気の毒です。自分で言ってても分からず、薫さんに矯正されても悟らないなんて。貴方は念仏を耳元で唱えられるお馬さんですか?」

 

「なんだとこの──ッ?!いった~!」

 

「だからイチイチ騒がないの、まったく……この通り視野狭窄で困ってるのよ。言い聞かせて叩き込んでいるのに一向に変わらずで」

 

 

もはや慣れた手つきで由太郎の頭頂に拳骨を叩き込んだ薫は、頬に片手を当ててため息を吐く。

 

 

「その警官……狩生くんなる人がどうしてウチを勧めたのか分からないけど、いい迷惑な気持ちと、門下生となってくれて嬉しい気持ちとが半々、てのが正直なところね」

 

「なるほど。確かに、何も知らずにいきなり復讐を胸に秘めた少年が入門を希望したら複雑ですね。少しは巻き込まれた薫さんに迷惑を掛けて申し訳ない、という意識があってもいいもの」

 

「いえ、それはむしろ……ううん。そう、だよね……あはは」

 

「?」

 

「狩生さんのことだから、きっとちゃんとした理由があったんだと思います。教えない理由もきっと。ですよね、冴子さん?」

 

「わ、私?ん、んーどうだろう。確かに、有名どころの道場じゃない所を勧めたのには、何か考えがあったのかも知れないね」

 

 

未だ面識の無い薫は言わずもがな、冴子も十徳の真意を把握しているわけなどない。

だが薫の説明から、薫同様に十徳の雑な心遣いというか気遣いは理解できていた。

 

不器用な激励。

俺を越えてみろという、自分の命を賭けての発破。

そう言う彼の姿は、小雨が降る中で起きた浅草でのあの騒動で、部下の一人を抱えた時に見せた笑顔を思い起こせば何故か容易に想像できた。

 

 

「筋はいいのよ。真面目にやれば将来きっと日本で指折りの剣道家になれると思うわ……ただ、動機があれだから素直に喜べないのだけれどね」

 

「狩生さんに復讐するために竹刀を握るなんてねぇ。でも、狩生さんはそれを認めてるし、存外そこは矯正しなくてもいいんじゃないの?」

 

「晴子ちゃん、話を聞いていたのかしら?その動機は剣道を励む者としてはダメだから直さなきゃいけない、て薫さんが言っていたでしょう?」

 

「ええ。私も師範代の身とはいえ、まだまだ至らぬ部分がある事は分かっている。でも、それでもこの子に竹刀を握らせる以上は、このネジ曲がった性根は絶対に叩き直さないといけないの。しっかりと改心させて、人様に見せても恥ずかしくない子にする。それで、狩生くんという人に小言ついでに見せてやるの、どんなもんよって」

 

 

むん、と気合いを入れるような所作をする薫に、冴子ら四人は非常に強い好感を覚えた。

 

彼女たちにとって、剣道とは未知の世界である。

身体と技術、そして心を鍛えるというのは少なからず分かるが、それを鍛えさせる側の人の考えなどは露ほども知らなかった。

だからだろう、薫の決意は彼女たちにとって新鮮で、ともすれば感動すらしていたのだ。

 

そして、冴子はふと思った。

 

 

(もしかしたら、それも折り込み済みなのかな。薫さんの道場を勧めたんだから、薫さんのことも知っていたのかもしれない。正反対の感情を抱いている……というか、抱かせた由太郎くんをそこに入門させて、薫さんと衝突するのを狙っていた?)

 

 

父が言っていた、彼の本質は優しさであるということを思い出せば、なるほど由太郎くんの更生は彼の思いやりなのかもしれない。

動機はなんであれ、失意のままにいるよりいいのは確かだろう(自分が復讐として狙われることに目を瞑ればだが)。

 

だが、由太郎くんに対してだけでなく、薫さんにも何らかの要素を求めている可能性がある。

由太郎くんを慮って神谷活心流を勧めたのなら、当の薫さんを気に掛けないのは不自然だからだ。

きっと何かを求めている。

 

こうして奮起すること?

目の前の彼女の決意表明が、あの人の望んでいたこと?

 

なぜ、そのようなことを?

 

薫さんは狩生さんとは面識が無いと言っていた。

だが狩生さんが薫さんを知らないとは限らない。

 

何かを求めるだけの何かを、薫さんに見出だしている?

由太郎くんと薫さんを会わせることで、双方に何かの実利がある?

 

と、そこまで考えて冴子の頭から煙が出てきた。

「何か」が多すぎて頭がこんがらがってきたのだ。

やはり一人の頭のなかだけでの思考展開では限度がある。

 

 

頭を落ち着かせようと意識を切り替え、つと横に目を遣った冴子が見たものは、ニヤニヤとしながら此方を見てくる晴子だった。

 

一瞬にして混乱の度合いが増した!

 

晴子のあのニヤニヤ顔は、誰かをからかう時によくする顔だ。

特に冴子と十徳の仲をからかう時に乙葉とよくやる……と、思い至った瞬間に気が付いた。

 

 

(わ、私……!あの人のことを肯定的に捉えていた?!)

 

 

何か考えがあったから、薫さんの道場を由太郎に勧めた。

その考えが何かを探るのはいい。

だが、今自分は何を思った?

 

“当の薫さんを気に掛けないのは不自然だから”

 

それは、彼の思い遣りを信じていることに他ならない。

彼の優しさを前提としているのだ。

 

 

(てゆうか何で私の考えを読めてるのよ!晴子ちゃん、貴女何者?!やだ、私さっきまでどんな表情してた?笑ってなかったよね?!)

 

 

無論、晴子に読心術があるわけではないし、冴子が考えていそうなことを考察したわけでもない。

 

彼女が笑った理由は至って簡単。

冴子ってば狩生さんのことを考えていそうだな~、と考えただけだ。

ただの勘で、ただの思いつき。

乙葉ならば、冴子の思考展開を自ら考えて読み解けたかもしれないが、晴子はそんな手順は踏まない。

 

解答に一足飛びに至れるセンスがあるのだ。

当然のことだが、常にその才が閃いているわけではないのだが、そこはご愛嬌。

 

 

冴子は唖然とし、そして再び視線を転じる。

この手の感情に支配された彼女には何を言ってもニヤつかれるだけ。

到底平常心とは言えなくなった今の自分では、無視するのがベストな戦法なのだ。

 

転じる途中、道程は違えど同じ解に至れたのか同様にニヤニヤ顔をした乙葉と、不思議そうな顔をして首を傾げている勇子を無視する。

やがてたどり着いた視線の先には、とても小さな憂色を示している薫の顔だった。

 

 

「……?」

 

 

それは、些細な色だった。

先程までだったら絶対に見落としていた、微かな疲れの色。

自分の表情筋を気にしていたが故に、彼女のそれに気が付けたのだ。

 

まるで隠すようなその表情が、由太郎に関するものではないということは直ぐに分かった。

由太郎に関する疲れだけならば、話の流れから隠すとは思えなかったから。

 

ならば一体どうしたのだろうと考え、そしてふと思い至る。

最初の歯切れの悪かった回答を、その時の様子を。

 

 

「薫さん、もしかして……由太郎くんに何か、後ろめたいことが?」

 

 

本来の冴子ならしない、不躾で突っ込んだ質問。

他所様の事情に遠慮なしに踏み込むなど、失礼と考えているだからだ。

 

だが、今の冴子は少しテンパっていた。

言葉にされずともからかわれたため、その羞恥から逃れようと知らず知らず焦っていたのだ。

 

 

「え…っ…」

 

 

問われた薫は言葉に詰まる。

泳ぐ瞳と困惑した笑みの様子から、答えは明白だった。

 

気付けば冴子以外の全員も薫を注視していた。

全員踏み込んだ質問であることは自覚しているが、それでも知りたいという意欲があった。

 

それは十徳が絡んでいるからか、それとも他の理由があるからか。

とまれ全員の聞き出そうとする視線に晒された薫は、由太郎を躾けていた堂々とした姿とはかけ離れ、今では肩身を狭めて俯いてしまった。

 

やがて薫の口から答えがこぼれるより先に、由太郎が口を開いた。

 

 

「神谷活心流なんだよ、うちの流派は」

 

 

 

 

 

 

 

===========

 

 

 

 

 

 

神谷活心流の理念。

それは、剣で人を活かすという活人剣のこと。

 

剣は凶器、剣術は殺人術。

 

この一般概念と相反する神谷活心流の理念は、ともすれば甘い戯言に聞こえるかもしれない。

なまじっかその道を歩んできた者からしたら、侮蔑の対象となっても可笑しくない。

 

それでも薫の父である越路郎は、かくあれかしと願い、そしてその理念を形にしたのだ。

その理念を幼き頃より教わってきた一人娘の薫にすれば、それはただの理念ではなく信念にすらなっているだろう。

 

故に薫にとって、散々愚痴を溢そうと諦めるつもりは毛頭無かった。

例えどれだけ月日が掛かろうと、絶対に改心させてみせる。

急に押し付けられた荷物であっても、その意気込みは色褪せることなく薫の中に有り続けているのだ。

 

 

もっとも、信念であれ理念であれ、いかなる思いも変わらずに持ち続けるというのは、簡単なようで実は難しいもの。

人の心は簡単に移ろい行く。

思いの強さは、ころころと変わってしまう。

 

殊に薫の場合、その根幹たる神谷活心流が汚されている状況なのだから、愚痴のみならず弱音も溢れてしまうのは致し方ないだろう。

 

 

「うん……あの人斬り抜刀斎が名乗ってる流派は、ウチのこと、だよ」

 

 

可愛らしい姿から一変、泣きそうな顔にありながらも無理して笑って答える薫。

 

 

「でも……信じてほしい、かな?抜刀斎は神谷活心流を騙ってるだけで、ウチとは関係無いの……」

 

 

警察からは事ある毎に問い質され、問い詰められた。

 

本当は関係あるんじゃないか。

そもそも関係が無かったら名乗られなんてしないだろう。

お前のせいで警官にも犠牲者が出ているんだぞ、どうしてくれる。

 

言外に、或いは直接的に。

周りからの目だって優しくない。

突き刺さるような視線はもちろん、冷たかったり、むしろ無視されたり。

 

そんなことが長く続けば、先に薫の心が折れてしまう。

父から受け継いだ大切な道場を守ることもできず、参ってしまう。

 

理解者も協力者も居ない。

たった一人で戦ってきたのだ。

愚痴の一つや二つ、弱音の一つや二つも零れよう。

 

だが、そんな弱々しい言葉は。

 

 

「はい、信じます」

 

 

あどけない、されど芯のある可愛らしい声によって掻き消えた。

驚いた顔をする薫に、張本人の勇子は真顔で続ける。

 

 

「このお馬さんは嫌いですが、薫さんは好きです。だって狩生さんの考えを否定しないで、しっかりとお馬さんを躾けようと頑張ってくださっているんですから。薫さんはいい人です。いい人の言葉を、疑いたくはありません」

 

 

薫と由太郎は驚きで勇子を見つめる。

 

由太郎も、薄々と薫は無関係なんじゃね?と思うぐらいにはよく知る仲になってこれていたが、それでも薫と人斬り抜刀斎が無関係だと確信はしていなかった。

つまるところ、信じていなかった。

関係が有ろうと無かろうとどっちでもよかったのが本心だが、それ故に即断で信じると言い切った目の前の少女が信じられなかったのだ。

馬という単語には額に青筋を立てていたが。

 

だが、見ると驚いているのはその二人だけだった。

冴子も、晴子も、乙葉も頷いて同意していた。

 

 

「私もそう思うな~。なんでって聞かれると答えられないけど、なんかそんな気がするんだよね」

 

「多分だけど、意味が無いからじゃないかしら?例えば薫さんが誰かを使って、この場合は辻斬りの浪人を人斬り抜刀斎と名乗らせて、かつ神谷活心流を名乗らせても、薫さんには迷惑しか掛からないからだと思うわ」

 

「んん……じゃあ薫さんに迷惑を掛けるのが抜刀斎の目的?それじゃあ他の流派の人がやってること?」

 

「いいえ、冴子さん。それは違うと思います。大変失礼ですが、話を聞く限り神谷活心流はここら辺ではとても小さい流派のようです。他の流派が潰しに掛かっても、それこそ意味がありません」

 

「あ~確かに。それでバレたら、それこそ道場が潰れちゃうもんね。そんな博打な事しなくても潰そうと思えば潰せるもんね」

 

「晴子ちゃん。それは思ってても口にしちゃダメなやつだよ……じゃあ流派関係無く、本当に無関係な人が薫さんの流派の評判を落とすためにやっている?」

 

 

ぽかん、と口を開けたままの二人を他所に四人は思い思いの事を述べていく。

今まで考えたこともないことを我先にと発言し、考察していくのだ。

 

二人はその言葉の奔流に飲まれて呆気に取られていて、そして薫は四人のその姿にひどく頼もしさを感じ、忘れて久しい暖かさが胸に生まれて目尻が熱くなっていることに気が付いた。

 

 

「無関係な人が評判を落としても得られるのは自己満足……無いとは言えないけど、私怨に依るものの方が可能性は高いわ。でも、それなら迂遠に過ぎるわね」

 

「遠回りしているということですか。つまり、評判を落とすことも目的の一つということですね。評判が落ちればどうなりますか?」

 

「まず周りからの目が厳しいものになるね。今は一般人に被害が無いから何もないけど、もし被害が出たらそれこそ薫さんに対して良くない事が起こるかもしれない」

 

「ん~……あ、そっか。それで薫さんが警察を頼っても、今の警察じゃあ良い顔されないんだ。それどころか門前払いされても可笑しくないかもしんないしね」

 

「迂遠に見える評判を落とすという行動も、下手人にとっては必要な行動と考えるのが妥当ね。つまり、遠回りをしなきゃいけない理由があると言えるわ」

 

「何か他の目的があるということですね」

 

「その可能性が高いと思うよ。でも、そこから先は……ううん、ちょっと待って。少し整理したい。それってつまり……」

 

「……ええ。その通りよ、冴子ちゃん。これはただの辻斬りじゃない。外堀から埋めていく狡獪な手段を選んでいるわ。下手人はとても理知的で、それに多分一人じゃない。大きな計画を大勢で練って動いている」

 

 

ブレーンストーミングというものがある。

一つのテーマを多人数で議論し、より良い案を絞り出すための集団的思考術である。

 

これは集団で解を導き出すものだが、慣れれば自らの頭で同様の思考展開が可能になる。

そのため平成の世でこれをしばしば使っていた十徳は、旧剣客警官隊が部下になってから事ある毎にその方法で議論をさせていた。

部隊の性質上、一人で正答を導き出さなければならないときがあるから、その時のために常日頃から脳を養わせていたのだ。

 

だが面白いことに、半年前にその議論をしているところを見つけた署長が興味を示し、冴子ら三人に紹介したのだった。

 

とりわけ異様に食いついたのが乙葉だった。

彼女の頭脳は、従来の教師→生徒の一方通行の勉学では限界があるという考えに無意識に至っていたのだ。

そもそも「議論」というものに初めて触れた乙葉だ、今までにない脳の使い方に感銘すら受け、砂漠に落ちた雨水の如くどんどんと吸収していった。

 

そして今では、冴子たちから波及して東京女子師範学校の生徒ほとんどが活用している事態になっている。

もっとも、それを使いこなしている彼女らにも驚嘆するが、いきなりそこに加われる勇子も勇子だった。

 

 

「朧気ながら見えてきたねぇ。件の人斬り抜刀斎は完全な偽物。そして目的は、神谷活心流に絞っている」

 

「同意するわ。人斬り抜刀斎は倒幕勢力の出。間違っても、東京府の片隅の剣術道場の出じゃない」

 

「当の目的は……潰すつもりか、奪うつもりか。どっちでもかなり厄介ね」

 

「えっと……つまり。ただの辻斬りじゃない、てこと……?」

 

 

薫が小さな声で問うた。

 

人斬り抜刀斎は神谷活心流(ウチ)と関係ない。

奴が好き勝手騙っているだけなんだから。

 

そんな誰も聞いてくれなかった自分の言葉を、会ったばかりの年若い少女たちが信じると言った。

そして、本気であることを示すかのように、彼女らは自分が考えたことの無い領域にまで踏み込み、話し合いをした。

 

彼女らの訥々とした、けれど決して冷めていたわけではなく、なんとも形容し難いが確かに“熱のあった話し合い”の内容を、薫は否定することなく受け入れた。

 

 

「薫さん、これはかなり根が深い問題です。用心するに越したことはありませんし、どうでしょう?お父さんに相談しますから、これから私の家に来ませんか?」

 

「……へ?」

 

「会ったばかりの私たち小娘の話を鵜呑みにするのは癪とお感じでしょうけど、お願いします。勘違いだったら後で怒ってください。でも今は、起きるかもしれない危険に備えさせてください」

 

 

遺伝されたものなのか、それとも環境がそうさせたのか。

とまれ父親に似たその御人好しが炸裂し、いきなり頭を下げたのだ。

薫が面食らうのも致し方ないだろう。

 

 

「冴子のお父さんは警察官で、署長なんですよ。だから大概のことは冴子に頼めば万事おーけーです!」

 

「その言い方はどうかと思うけど、事が事なのは確かよね……薫さん。どうでしょうか?私からもご一考を推奨します」

 

 

晴子と乙葉も重ねて勧める。

 

彼女たちは自分の推論が正しいと確信しているわけではない。

間違っていることも考慮しているし、なんなら見当違いであってもいいとすら思っている。

 

ただ今は、浮き彫りにした一つの可能性に備えることを優先しただけ。

正誤の確認が「取り返しのつかない事態」になってからしか出来ない、では意味が無いのだから。

 

間違っていれば笑い合えばいい。

被害のない誤りならば、それは許し得る結果なのだ。

間違えたという一つの情報もまた、材料に加味すればいいのだから。

 

考え続けることを前提としたこの在り方は、奇しくも十徳から似たようなアドバイスを受けた勇子にとっては馴染みのあるものだった。

 

 

しかし結局、薫はこの誘いを丁重に断った。

 

 

警察という組織そのものによくない印象を抱いている薫である。

三人の提案はとても魅力的で有り難いが、署長本人に直接頼むのは最後に手段にしたい。

それまでは、自分の力で下手人を取っ捕まえる。

 

そう判断した上での回答だった。

 

 

 

三人は考え直すよう食い下がるも、最後は薫の意思を尊重して渋々ながらも引き下がった。

そして、もし少しでも危ないと思えることがあったら直ぐに頼ってほしいこと、これからは自分達も気に掛けるようにすること等を伝え、この場は御開きとなった。

 

 

 

 

 

 

 

薫がこの時の判断を後悔するのは、その日の夜だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 















ガチガチの敬語が乙葉

~だねぇ、みたいに砕けてるのが晴子

~だよ、みたいに無垢っぼいのが冴子

乙葉に似てて、更に幼げな感じなのが勇子



分かりづらいですよねスミマセン…







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

55話 白猫跋扈 其の参






UA600000超、お気に入り6200件超!
本当にありがとうございますm(_ _)m

また、誤字指摘して下さる方もありがとうございます









今話はところどころお見苦しい点があるかもです



どうぞ





 

 

 

 

 

木刀による一撃が空気を裂き、対象に迫る。

今の状態で出せる全力を乗せた剣閃はしかし、対象に届く前に止まった。

 

身に届く前に、掌で受け止められたのだ。

 

空間を破裂させたような音が響き、一撃を放った者の顔が驚愕に歪んだ。

木刀とて全力で放てば凶器になる。

殺すつもりはないが、さりとて手で受け止められるほど柔なものではないハズだ。

 

見ると、攻撃を防いだ男は醜悪な笑みを浮かべていた。

 

瞬間、身体に怖気が走った。

生理的な嫌悪感と恐怖心が背筋を駆け、口から悲鳴が漏れ出る。

だが、そんな猶予すら相手は与えてくれなかった。

 

気付けば肩に激しい痛みと衝撃が襲ってきていた。

相手の巨駆巨腕から、納刀された刀による一撃が叩き込まれていたのだ。

 

 

「がっ……は、!」

 

 

あまりの痛みに動きが止まる。

 

腕が斬り落とされたのではと思うほどのこの激痛は、生まれて初めてのもの。

耐えられるハズもなく、膝から力が抜ける。

 

 

「おおっと。お(ねむ)にはまだ早いぜ、お嬢ちゃん」

 

 

だが、崩れることは許されなかった。

胸ぐらを掴まれると、巨駆の男と同じ目線にまで持ち上げられたのだ。

当然それは足が浮くほどであり、呼吸も儘ならなくなる。

 

 

神谷薫の顔は、痛みと呼吸困難で酷く歪んでいた。

 

 

「ふ~む。兄貴から聞いていたが、まあまあ整った顔立ちしてるじゃねぇか。剣道なんつう惰弱なもんをやってるんだ、どんな醜女かと心配していたが良かったぜ」

 

「……ッ、は……!」

 

「なぁおい。剣道は心身ともに鍛えるんだろ?ならお前の心も大分強いんだよなあ。がはは、何人に耐えられるか見せてみろよ!」

 

 

どん、と大男が薫の背中を床に叩きつけると、おもむろに自らの帯に手を掛けた。

呼吸ができず、視界も霞んでいるものの、薫はその大男の所作を見て、悲鳴を上げた。

 

 

「テメェ……、木偶の坊が!ふざけんじゃねえぞ!」

 

「んんん?まだ喋る元気があったとはな……いい加減寝ろや、くそガキ!」

 

 

大男が振り向きざまに床に倒れていた少年、由太郎を蹴り飛ばした。

眉をしかめたくなる音が響くと由太郎の身体は床を勢いよく転がっていき、やがて壁にぶつかって止まった。

 

 

「由太郎、くん……!」

 

 

苦しげに漏れ出た薫の声に、由太郎は答えない。

咳き込み、苦悶の声を漏らすばかり。

 

両腕で防いだものの、何倍もの体格差がある大男の一撃だ。

折れていてもおかしくはないだろう。

 

 

「ふん。大人しく寝ていれば怪我もせずに済んだものを、餓鬼の分際で足掻き続けやがって……」

 

 

大男―――偽抜刀斎は吐き捨てるように言った。

 

 

 

 

 

=========

 

 

 

 

 

神谷活心流道場の使用者は師範代の薫と、唯一の門下生の由太郎だけのため、道場内は常に静けさを保っていた。

 

だが、今はその常ならぬ時。

倒れている薫と由太郎を取り囲むように、周りには偽抜刀斎を首魁とした暴力集団の一味がいるからだ。

 

 

 

 

 

 

今日もいつもと変わらない日だった。

 

朝早くに来る由太郎を迎え入れ、いつものように実力でもって躾をして。

見様見真似の剣術でヒヤッとさせられる反撃をしてきて。

大人気ないとは分かっていても、それを何とか根性で捩じ伏せて。

 

夜まで続くそんな稽古(?)が一段落して、さあ今夜も人斬り抜刀斎を捕まえるために出掛けるぞ、と気合いを入れた直後だった。

 

道場に招かれざる客が乱入してきたのは。

 

情欲を孕ませた瞳で薫を舐めるように見続けた大男は、自らを人斬り抜刀斎と名乗った。

 

 

『烏滸がましくも我が神谷活心流を騙る貴様に天誅を下し、二度と斯様なことを囀ずれないよう、この地を取り上げてくれる。

俺こそが神谷活心流の正当なる後継者として、この地を管理してやるのだ』

 

『だが案ずるな、神谷活心流は寛容である』

 

『貴様が我が所有物と成り、我が足元でのみなら神谷活心流を語ることも認めてやろう。

故に、貴様はただ股を開く()になっていればいいのだ』

 

 

筋骨隆々でありながら顔面を髭で覆う不潔極まりない大男は、下卑た笑みを顔面に張り付けながら、そう言った。

 

それは、薫にとってわけの分からない戯言、譫言(うわごと)だった。

道場に押し入ってきた大男は気違いで、狂言を弄する狂人だった。

 

 

『なにを……!』

 

 

そして、激しい怒りで目眩がした。

 

神谷活心流は父が発起し、育て上げたものだ。

それをあろうことか娘の自分こそが偽物だと宣うこの発言は、呆気を通り越して激憤を薫に生み出したのだ。

 

だが、今は見るからに多勢に無勢。

大男の周りには十人以上のならず者がいる。

しかも大男含め、全員が物騒な武器を持っているのだ。

 

それを見たからこそ、薫は感情に任せての無茶な行動をしなかったのだが……

 

 

『何をしている五兵衛。血判を頂くのが先だと言っただろう。慰みものにするのは後にしろ』

 

 

背後から聞こえたその声に、薫の心臓が一つ高く鳴った。

 

そして、頭が真っ白になった。

聞き慣れた、いつも頼りにしていた声のハズなのに、その内容があまりにいつもと掛け離れていたのだ。

 

耳に届き、脳が理解した内容が信じられなかった。

上手く呼吸ができなくて、異様に動悸が激しくなる。

 

きっと、違う。

今の声は知っている人のそれに似ているだけで、絶対に同一人物じゃない。

 

さっきのは急なことで頭が変に働いてしまっただけなんだ。

落ち着いて考えれば、きっと別の、全くの別人が……

 

 

『それと、やるなら早めに済ませるんだ。夜が明けて泣き叫ぶ声が漏れ聞こえれば、例え白眼視されている小娘でも様子を見に来る者もいるハズだ』

 

 

だが、意識して聞いてみれば尚のこと、記憶のなかにある声と一致してしまう。

別人であってほしいという願いは、呆気なく崩れ去る。

 

薫はゆっくりと、小刻みに震える身体ごと振り返った。

 

視線を床から上げていき、やがて視界に入った人物は、薫が唯一心を許していた老人、比留間喜兵衛本人だった。

 

 

 

比留間喜兵衛。

 

一年前、薫が一人で道場を経営しなければならなくなっていた時、門前で倒れていたのを介抱したのが出会いの切っ掛けだった。

 

柔和な物腰、好好爺然とした雰囲気の彼は、薫に助けてもらった恩義に報いるため、彼女の道場に奉公人として住み込むことになった。

炊事や掃除などの家事全般、赤字を抑えるための帳簿記録、そして人斬り抜刀斎騒動が起きてからの薫のメンタルケアをしていた老人だ。

薫が喜兵衛を全面的に信頼するようになるのも、むべなることだった。

 

 

故に、自身が助けられることも、薫の信頼を得るのも、全ては弟の偽人斬り抜刀斎(五兵衛)と計画した、道場の土地を奪うためのものだったと知ったとき、彼女の心を襲った衝撃は、如何ほどか。

 

喜兵衛は薫を見て嗤う。

 

御し易い小娘が、騙された気分はどうだ?

温い言葉を掛けていた儂の心中では、常に貴様を嘲っておったのだ。

それなのに貴様はのうのうと笑顔を見せ、あまつさえ感謝までしおって、滑稽にも程がある。

道化な小娘、真相を知って気分はどうだ?悔しいか?悲しいか?

 

 

聞くに堪えない喜悦を孕んだ喜兵衛の言葉を、薫は耳を塞いで遮りたかった。

周りから響く嘲笑があまりに嫌で、蹲りたかった。

 

だが、その行動より先に動いた者がいた。

 

 

塚山由太郎が、五兵衛に木刀で叩き掛かったのだ。

普段の礼儀正しい姿からは想像できない、荒々しい言葉とともに吶喊した。

 

 

『黙って聞いてればごちゃごちゃとッ、……テメェが神谷活心流の継承者なんて絶対認めない!神谷活心流は、俺の嫌いな神谷活心流の師範代は!薫さんじゃなきゃダメなんだよ!』

 

 

 

塚山由太郎。

 

彼の心には、十徳によって逮捕された大恩ある師の存在がある。

家族の命を救ってくれた石動雷十太の存在が、常に心にある。

 

だが剣道を学ぶにあたり、師の存在を打ち明けると多くの人が眉根を寄せて、由太郎を門前に追い返した。

師の在り方は間違いだと、君の考え方は誤っていると。

由太郎にとって聞き入れられない忠告をし、引き取りを願うのが常だった。

 

薫も似たようなものだ。

納得も理解も出来ていない理念を掲げているし、師の在り方を非と断じている。

あまつさえ、諸悪の根源たる警官を是ではないかと言っている。

 

だが、それでも道場に居ることを許した。

事情を知ってなお、間違っているという性根を矯正したいという意思であることは分かるが、それでも門下生になることを許したのだ。

由太郎が感謝の念を無意識のうちに抱いていても、不思議ではない。

 

つまり、由太郎にとって薫は“嫌な人”であるのと同時に、“良い師範代”でもあるのだった。

 

 

だからこそ、神谷活心流の看板を奪うような輩が許せなかった。

面白おかしく嗤い続ける集団が許せなかった。

 

 

 

 

 

だが、相手は荒くれ者。

 

如何に剣における秘められた才を持っていても、多勢に無勢。

容易くあしらわれ、地に叩き伏せられた。

 

それを見た薫が漸く動けるようになり、同じく木刀を持って挑み掛かったのだが、結果は冒頭の如く。

 

 

周りには歪な笑みを漏らしている大勢の下衆たち。

そして、一番近くには恐怖そのものを体現したかのような醜い大男と、信じていたハズの老人。

 

身内とも言える由太郎は壁際で倒れもがき、呻いている。

 

絶体絶命だった。

これから起きることを、剣道以外は疎い薫でも否応なしに理解できてしまった。

理解できてしまったからこそ身が竦み、倒れた身体をどうすることもできなかった。

 

 

「んじゃ、さっさと血判頂いて全員で回すか。ま、最初は俺からだからよ。一突きで入口も奥も破けちまうだろうが、なに、最初に痛みを叩き込めば後は無痛で済むから安心しろ。精々心地よい声音で泣き叫んでくれや」

 

 

「ぃゃ……いや、……いやあぁぁあ!」

 

 

悲痛な叫びを上げ、涙を目に浮かべる薫。

 

無理と、無駄だと分かっていても、由太郎は這いつくばりながらも必死に手を伸ばす。

薫さん、薫さんと痛みに侵された身体を押して、呟くように。

 

それぞれの言葉は嗤い声に掻き消され、やがて男たちの性の宴が催されそうになったその時だった。

 

 

 

空気を乱す騒音が聞こえた瞬間、喜兵衛の後頭部から聞こえてはならない音が響き、何かに突き飛ばされたかのようにその老体が勢い良く吹き飛んだ。

 

倒れている薫の身体を飛び越え、その後ろに控えていた一人の男を巻き込み、壁へと突っ込んでいったのだ。

 

 

「……は?」

 

 

偽人斬り抜刀斎、改め五兵衛が間抜けな声を漏らした。

いきなりの事態に彼を含め、仲間全員がポカンとした表情を浮かべる。

 

次いで床に落ちた()()が立てた音が、一層彼らを混乱させた。

 

 

 

それは、小振りな十手だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

「テメェ……!」

 

 

五兵衛が威嚇するように唸る。

彼の睨む先には、警服を身にまとった一人の男がいた。

 

白銀の長い髪を靡かせ、深く蒼い()()瞳を持つ青年が、身長を優に越す長さの警棒を携えながら、ゆっくりと道場に入ってきたのだ。

 

何者だ――そう五兵衛が誰何するより先に反応したのは、やはりと言うべきか由太郎だった。

 

 

「お前……かり、う……なんで、」

 

「―――」

 

 

身を捩り、痛みをこらえながら問い掛ける由太郎に対し、されど彼は、十徳は見向きもせずに歩み続ける。

 

 

「かりう、……じっ、とく! おいッ……!なん、で……」

 

「狩生……十徳?」

 

 

無視され、声に怒気を孕ませながら更に言葉を掛ける由太郎。

その声に反応したのは五兵衛だった。

 

無論、五兵衛は十徳の存在を知らない。

名前も何もかも知らないが、警官が来たということは嫌でも分かる。

故に、さてどうしたものかと思案するが、生憎と五兵衛は考えることが苦手な性分だった。

 

奸計や悪巧みは専ら兄の喜兵衛に任せている。

その喜兵衛が気絶している今、判断を下すのは自分しかいない。

無い頭を絞って、絞って、やがてたどり着いた答えは、やはりと言うべきか“殺して埋めよう”という単純明快なものだった。

 

ヒョロそうな体格で、見える肌は病人のように白い。

殺すことなど、赤子の手を捻るほど容易かろう。

殺して黙っていれば、警官も分かるまい。

 

そう判断し、五兵衛は薫を捨て置いて十徳の前まで歩み出る。

 

 

「なんのつもりで此処に来たのかは知らねぇが、見られたからには黙って帰すわけにはいかねぇ。それに、兄貴に手を出した以上、無事に帰すわけにもいかねぇ……狩生と云ったな?」

 

「……」

 

「警官相手に俺たちが手を出さねぇと思ったら大間違いだ。ものの数秒で物言わぬ(むくろ)に……!」

 

 

してやる。

 

そう言おうとし、白木鞘から抜いた真剣を十徳に向けた瞬間だった。

 

五兵衛の刀を持つ手に衝撃が走る。

そして甲高い音が響いた直後、からんと再び何かが床に落ちた音がした。

 

それは刀身だった。

たった今、五兵衛が向けた刀が折れ、その刃が落ちたのだ。

 

 

驚きから目を見張り、次いで十徳を見ると、長い警棒を軽く回していた。

身体の前で、横で、はたまた後ろで。

確認するかのようにゆっくりと警棒を回す姿は、まるで準備運動のよう。

 

否。まるで、ではない。

 

事実、振り回し終えた十徳は警棒を後ろ腰辺りにやり、構えた。

誰がどう見ても、明らかな臨戦態勢だった。

 

 

「テメェ……調子に乗るなよ餓鬼が!刀一本折ったぐらいでいい気になりやがって、その警棒ごと身体を叩き折ってやらあ!」

 

 

手下から新たな刀を奪い、気炎を吐きながら五兵衛も構える。

刀を折るという挑発に加えて、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()姿()が異様に腹立たしかったのだ。

 

もはやただ殺すだけでは許さない。

最大の苦痛を味わわせた上で殺してやる。

 

そう判断し、刀を構えたまま一歩を踏み出した刹那。

 

 

 

 

 

 

 

 

弧を描くように豪速で振るわれた警棒が、五兵衛の側頭部を直撃した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 













目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

56話 白猫跋扈 其の肆















 

 

 

 

 

 

それは、木の棒から生じる音にしてはあまりに大きく轟いた。

 

 

いったいどれ程の力を込めた速度でもってすれば、斯様な音が奏でられるのかと思うほどに。

事実、十徳の挙動は誰も視認できなかった。

ただ有無を言わさない圧倒的かつ瞬間的な一撃により、一人の大男が白目を剥いて崩れ落ちた光景が、見る者の肝を一瞬にして縮み上がらせた。

 

 

どっと地に落ちた五兵衛に意識を向けず、警棒を振り抜いた姿勢を保つこと数秒。

十徳は体勢を戻すと折れた警棒を無造作に捨てた。

 

そして、今度は先程まで薫が持っていた木刀を床から拾い上げる。

 

だが構えることはなく、彼はただ佇むだけだった。

光の灯らない瞳が虚ろげに眼前の空を眺め、ただただ停滞を示す。

 

誰も気付いていない。

彼は肩も胸も、微かなりとも上下させていないことに。

瞬きも、呼吸も、鼓動の何一つとて、彼はしていない。

待ち構えているのではない、ただそこに()()だけのよう。

 

幸か不幸か、本来人間がする動作をしないことに誰一人気付いていない。

だが、得も言われぬ不気味さは全員が感じ取っていたようで、自分達のリーダー二人が呆気なく沈められたことも手伝って、皆が動けなかった。

 

薫もその一人だった。

突然の事態に最初は目を丸くし、涙で霞む視界に映った大男が倒れた瞬間は、文字通り我が目を疑ったほど。

 

微かに耳に入った“狩生十徳”という単語から、彼が噂の青年なのだろう。

 

流れる白銀の髪と白い肌が幽鬼を連想させた。

蒼い瞳が冷たさと鋭さを感じさせた。

そして、大男を一瞬で沈めた常軌を逸する強さが、瞳に焼き付いた。

 

恐怖で動かなかった身体が震えている。

だが、その原因はもはや恐怖ではないことを、しかし薫はまだ気付かなかった。

 

 

一方で、ならず者たち全員が感じた不気味さは不安へと移り変わり、それは恐怖へと昇華した。

やがて蔓延した恐怖心は、彼らを暴力という行動に突き動かした。

 

 

「うわあああ!」

 

 

取り囲んでいた大勢が得物を振りかぶり、十徳に殺到した。

恐怖と焦燥に顔を歪め、精一杯の力を振り絞り――そして一人、また一人と落ちていく。

 

 

「がッ……!」

 

「ぐ、はぁ……!」

 

 

躱すことは、ついぞしなかった。

 

向かってくる得物ともども、人の域を越えた膂力でもって男たちを潰していく。

自分の身に届くより先に、相手の動きより速く、足と身体と腕を機敏に動かし、木刀を叩きつける。

 

技術もへったくれもない、力任せの乱暴な一閃。

 

それ故に響く音は猛々しく、吹き飛ぶ者は壁にまで叩き付けられる。

刀や短刀、木刀は木っ端に砕け、それどころか得物を持っていた手や腕をも砕くほど。

 

 

それは、まるで台風だ。

近付く者を例外なく吹き飛ばす災害だった。

 

 

蹂躙劇は、それほど長く続かなかった。

最後の一人の横っ腹に轟音とともに木刀が叩き付けられ、その場に崩れ落ちると、道場内に響くは呻き声のみとなっていた。

 

全員が叩き潰され、地に伏したのだ。

 

 

「…………」

 

「ッ、…!」

 

 

一連の戦いを見ていた薫は息を飲んだまま呼吸を忘れ、由太郎は苦虫を噛み潰したような顔をする。

 

いきなりの展開に薫は頭が着いていけず、どうすればいいのか、どう声を掛けたらいいのか分からないのだ。

由太郎もまた、自分の声を無視し続ける憎き相手に対し、どう言葉を発すればいいのか分からないでいた。

 

そんな薫と由太郎が何も言えずにいると、再び道場の入り口から人が入ってきた。

 

 

「師と同じ骨格を土台とし、筋肉、脂肪、筋繊維を模して肉体を作り、師と同じように動かしたのだが……もう身体にガタが来ているな。腕や足の骨など一部にヒビが入っているのではないか?」

 

 

何事かを呟きながら入ってきたのは、蒼い短い髪と眠たげというか死んだ魚のような黒い目が特徴的な、小柄な女性だった。

指を忙しなく動かし、二人には理解できない事を言っている。

 

 

「手術中に採ったでーたに誤りがあるのか。それとも根本的な何かが不足しているのか……もしくは、師の身体は常に斯様な負荷を背負っているということか」

 

 

そう言うと、くつくつと堪えるように笑い出した。

師のことだから最後の可能性の方が高い気がする、と呟きながら。

 

 

「……あな、たは……?」

 

 

今の今まで動くことなく佇んでいた十徳に近づき、舐め回すように身体を見ていた女性に対し、薫が漸く口を開いた。

 

雰囲気から大男の手下ではなさそうだが、もちろん見たこともない人のため、この事態の中では警戒心を向けてしまう。

だが、問われた女性はどこ吹く風。

 

今気付きましたとばかりに薫を見て、答えた。

 

 

「これは失礼。師から保護対象者だと念を押されていたのに、失念していたとは。私は外印、警視本署特捜部の外印だ。まずは君の容態を診なければな」

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

その後、薫と由太郎の容態を診、簡単な応急手当てをした外印は、軽い感じで十徳の正体が人形であることを明かした。

自らの指から伸びる斬鋼線により操作する機巧(からくり)で、自分は機巧芸術家であることも。

 

無論、二人は目を丸くして驚いたが、驚いたのは二人だけではなかった。

 

 

「これ……ホントに人形?」

 

「すごいです。本当に狩生さんにそっくりです」

 

 

冴子ら女学生三人と、勇子の合わせて四人もまじまじと十徳人形を見ていた。

彼女たちは、薫に誘いを断られて以降も薫の身を案じ、少しでも力になれたらと思って神谷道場に来たのだ。

 

もう少し道場に訪れるタイミングが早かったら、と考えると彼女たちの行動は誉められたものではないが、ともあれ薫の事を慮ったが故の行動は、頭ごなしの否定は出来ないだろう。

 

 

「でも、う~ん……なんか冷たい感じがするわね。何というか、熱が無いというか」

 

「あ~分かる分かる。儚げ、て言うのかな。これはこれで良いけど、なんか物足りないよね」

 

「ほお?乙葉と晴子だったか?興味深い、詳しく話してくれ」

 

 

ならず者たちと比留間兄弟を斬鋼線で縛り上げ、部屋の隅に押し遣った外印が、二人にずいと近寄り促す。

少しだけ鬼気迫る感じの外印にたじろぐ二人だったが、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「えっと……直感的で観念的な話なんですが、熱意というか本気度というか、そういったものが感じられないんです。この人形、本当に精巧で、遠目から見たらきっと狩生さんと見間違うとは思うんですが、多分本当の狩生さんと並ぶと、一目瞭然な気がするんです」

 

「乙葉、前行った油絵茶屋で似たようなこと言ってたね。一生懸命描かれた絵には、見る者に伝える何かがあるって。それと似たようなことでしょ?」

 

「私は絵について何も知らない素人だし、芸術のなんたるかも欠片も分かりません。そんな私が何かを言うなんて烏滸がましいことです……スミマセン」

 

「否!そんなことはない!」

 

 

さらにずいと身を寄せる外印。

心なしか色を失っていた瞳に光彩が差し、文字通り鼻息が荒くなっていた。

 

 

「君たちの着眼点は素晴らしい。この人形は、確かに少し手を抜いて作り上げた作品だ。なぜなら、どうしても真剣に作り上げた人形は不気味に出来上がってしまうのだ。だが、少し手を抜けば何故か目には不気味に映らず、本物に近いものができる。つまり君たちの例えに則って言うならば、敢えて熱意を込めずに作ったんだ。だが、それが君たちには分かったんだな?素晴らしい!」

 

「えと……あの」

 

「君たちは将来有望だ。うん、今度時間を作って是非話をしよう。人形に心を込めて、本物と瓜二つの物を作り上げるため、もしかしたら君たちの知恵と感想が必要になるかもしれないからな」

 

「それ、は……構いませんよ?」

 

「ふふ、ありがとう。本当なら今すぐにでも話を深めていきたいのだが、生憎と師からの指示を先に完遂しなくてはならないからな。師に物理的に近付けるのは良かったが、組織の枠組みに囚われてこんな貴重な機会を先伸ばしにされる事になるとは、なんとも歯痒いものだ」

 

 

そう言って外印は立ち上がると、人形を手繰って横を歩かせる。

捕縛した他のならず者らは後程駆けつけてくる警官たちに任せる手筈となっているが、比留間兄弟は外印自らが本署に持っていく事となっている。

もっとも、署に持っていく前に寄る所があるのだが。

 

外印が比留間兄弟に近付こうとすると、ふと薫の横顔が目に入った。

比留間兄弟を、正確に言うと兄の喜兵衛を見ていたのだ。

 

その目は悲しみに暮れ、顔は見るからに消沈している。

 

信頼していた老人に裏切られた。

口で言うのは簡単だが、そのダメージは果たしてどれほどのものか。

それは当人にしか分かるべくもなかろう。

 

 

「外印さん……喜兵衛は、」

 

 

傷心、というものは外印にとって無縁のものである。

 

むしろ心が傷つくとはどういうものなのか、知りたいという気持ちが芽生えてさえくる。

師のような心でも傷というものはつくのだろうか、と。

 

事実、今どんな気持ちだ、教えてくれ、つまびらかに語ってくれ、との言葉が喉までせり上がってきている。

が、その感情を必死の思いで押し止める。

 

十徳に釘を刺されているのだ。

きっと今回の件で傷付くであろう薫嬢にはむやみやたらと己の欲をぶつけないこと、と。

師の言いつけを蔑ろにできない外印にとって、胸中を荒れ狂う欲望は精神を総動員してでも止めなければならない大敵となっているのだ。

 

 

「っ……~ッ、んん。現職の警官を襲うよう弟に指示し、実際に死者も出しているのだ。弟もろとも死罪になるのが妥当ではないか?」

 

「……っ、」

 

「我欲にまみれた犯行目的の為に、警察を襲うという大胆な犯行計画を練る。狡猾でありながら無鉄砲さも際立ち、周到な準備をしているというのに、やってることが自分の首を締めるようなもの。度を越した阿呆か或いは気違いか、それとも……」

 

 

悲しむ、というのがどういうものかは流石の外印にも分かる。

だが、それでもこういうときに何と言うべきかは分からなかった。

 

ただ淡々と、ただ粛々と自分の感想を述べるだけだった。

 

 

「時期も時期だからな。師が警戒していたのも頷けるし、私に任せたのも理解できる……おっと、また話が逸れたか……まあそうだな。不運だったな、としか言えんよ、私には。人も組織も裏切りは世の常だ」

 

「……」

 

「神谷薫、考えてもみろ。裏切る者が悪なら、裏切られる者は善か?それとも裏切らない事が是か?極端な例えだが、裏切りによって救われた命は非か?信じていた者が自分を殺そうとして、その者から逃げようとする裏切りは不義か?それとも正義か?否、そうではないだろう。裏切りに善も悪もない。そんな二元論は意味を成さない。意味を成すのは、その後の行動だけなのだ」

 

「行、動……?」

 

「私も、周りの者も、皆大なり小なり何かを裏切って師の傍にいる。私たちはそうしたいと思ったから裏切ったのだ。悪だ善だと言われようと、罵られようと、“私”の行動は“私”が決める。私の主眼は裏切りの後の行動にしかない。そこにこそ意味があるからだ。裏切りそのものに然して意味はない。故に、した本人がそうなのだから、された本人もそうすればよかろう」

 

 

胡乱気な瞳で薫を見ていた外印は、話し終えると用は済んだとばかりに視線を切り、比留間兄弟を連れて道場から出ていった。

 

 

あまりと言えばあまりな物言いだ。

要するに、裏切った本人は目的の為にした行為であり、そんなに気にしていないのだから君も気にするな、と言っているのだ。

 

無論、そんな慰めとも言えない言葉に薫は眉をしかめるだけ。

 

そも気にならない程度なら、それは裏切りとは言えないだろう。

信じていたからこそ、その信頼が厚いほど心が傷つく。

だから裏切りなのであって、気にならないとすれば、それは即ち然して信じていなかったということ。

 

 

「薫さん…」

 

「心中、お察しします……」

 

 

冴子と乙葉が静かに語りかけるも、薫は返事をすることなく、ただただ外印が出ていった方向を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

二人を連れ出した外印は、途中から道を外れて木藪の中を進んでいた。

 

外印の横を十徳人形が歩いていて、更にその後ろに比留間兄弟が大人しく歩いている。

比留間兄弟は身体に残る痛みと、目の前の存在の不気味さに顔をしかめながら、ゆっくりと従っている。

 

 

「さて、と……」

 

 

やがて完全に人の気配が無くなったことを確認すると、外印は一言呟いて振り返った。

それにつられて十徳人形もまた振り返り、生気のない瞳で二人を射抜く。

 

その姿に恐怖を感じ、比留間兄弟は息を飲んだ。

 

十徳人形に対してではない。

人形の暖かみのない瞳は、なるほど人形だと理解できさえすれば、おぞましさは覚えない。

二人の恐怖とは、その横で人間でありながら人形以上の冷たさを持つ瞳を向けてくる女性に対してだ。

 

 

「先ずは語ってもらおうか。この時期に警察相手に騒ぎを起こした理由を」

 

 

外印の顔は端正で、美醜を問われれば十人中十人は醜ではないと答えるだろう。

 

そう。

 

醜ではないが、美とも言えない。

化粧をする必要がないほどに整っていて、ある程度着飾れば多くの人が振り返るぐらいには見目麗しいだろう。

 

だが、美しいかと問われれば、縦に振る首はきっと途中で止まる。

何故ならその瞳が、その目付きだけが、或いは醜悪と言っても過言ではないのだから。

 

眼光が鋭いとか、射抜くような視線とかではない。

ただただ気味が悪い。

胡乱気で、腐敗を連想させる濁った色彩。

光彩は欠片も無く、目に映る全てが等しく無価値なものだと言わしめるほどに、色も輝きもない。

 

臓腑の底から嫌悪感が込み上げてくるほどの、死んだ魚の目のようで、あまりに気色が悪かった。

 

 

 

 

「組織を離れた身ゆえ、私はその動向を把握していない。だが、身を置いていたが故にある程度の推測も出来る。彼らが必死になって東京一帯の情報と混乱を求め、明治政府の弱体化を狙っているということも。その為ならば、今は取れる手段はすべて取るということも」

 

 

 

 

 

 

 

 

「無論。誰かに唆されたわけではないと囀ずるのなら、それはそれで結構。私としても、一度は()()()()()を人形にしたいと思っていたところなのでな。語る時間が不要ならば、楽しめる時間が増えるというもの……さぁ。囀ずり永らえるか、黙して加工されるか、好きな方を選べ。ただし、私は師に関すること以外については我慢出来ないクチなのでな」

 

 

 

 

 

 

そんな瞳が、二人を絡め取って離さないでいる。

 

 

 

 

 

 










十徳本人ではありません

十徳たちは戦争中です
色々と戦略を立てて行動していますので悪しからず


目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

57話 白猫跋扈 其の伍







こんばんわ


どうぞ






 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Well……、ごち、そうさま…でした」

 

「ありがとうございました。またお越しください」

 

「あ~、え~……no, gave up. Translate for me」

 

『ふふ。また来てください、て言ってくれたんですよ』

 

 

たどたどしい日本語を口にしていたのは一人の西洋人女性。

金髪のショートカットと赤い縁のある度の強そうな眼鏡をしたそばかすのある女性、エミー・クリスタルだ。

 

横浜で英字新聞の記者をしていた彼女は、とある事件に巻き込まれた後、その事件を追うこと、そしてそれの渦中にいる男を追うことに自分のジャーナリスト人生を使うのだと決意し、即日上司のデスクに辞表を叩き付けたのだ。

 

そして彼女は、同じくその事件で知り合った人たちと行動を共にすることとなった。

その一環として、今もこうして遠い地にまで来ていた。

 

 

『他言語を修得するのは実際に聞いて、使うのが一番早いですから。失敗を恐れずにどんどん使っていきましょう』

 

『それにしたって貴女は異常よ。こんな母音の多い日本語をマスターするなんて』

 

『仕事柄必要になるから必死で覚えました。他にも日常会話ならドイツ語とフランス語とスペイン語ができます』

 

『……医者を辞めても職に困りはしないでしょうね』

 

 

そうかもですね、と微笑んで答えるのも西洋人女性。

赤茶けたボブカットの髪と、西洋人にしては小柄な彼女は、エルダー女医。

 

横浜で慈善の医療活動をしていたのだが、緋村剣心との繋がりからとある重傷男性を手術したのが切っ掛け。

彼らと知り合い、そしてある人物の技術と知識に惚れ込み行動を共にすることとなったのだが、その詳しい内容はまた別の機会に。

 

とまれ極東の島国で出会った同郷人が仲良くなるのに時間はさほど掛からず、またエミーが日本語を解していない一方で片や堪能なエルダー女医が一緒にいるのは当然の帰結となるだろう。

 

だがやはり、今の日本で西洋人という外見はかなり浮く。

ましてやここの地ではなおさら。

引率役というか橋渡し的な役割というか、ともかくそういった日本人は絶対に必要になる。

 

 

「待て待て待て。何度も言うが小銭を置いて店を出るな。日本にちっぷの習慣は存在しない。店員が困るだけだ」

 

 

先程二人が出てきた団子屋から、二人を追うようにしてその人物が、一人の青年が出てきた。

 

白銀色の長い髪と、中性的な顔立ち。

白い肌と蒼い()()()が相まってどこか冷たい感じを漂わす青年は、少し汚れた着物をまとい、忌々しげに二人を見ていた。

 

 

「すみません。横浜の店でやっていたので、つい」

 

「しかも今回も払いすぎだ。路銀には限りがあると常々言っているのを聞き流しているのか?まったく……」

 

 

二人に置いていった小銭を返し、その橋渡し役の青年は呟いた。

 

 

 

三人がいるのは東北地方は福島県、会津若松。

新時代となって明治政府より徹底的な弾圧を受けたがため、政府に対する憎悪や嫌悪は他の地域よりも濃い地域。

 

それは士族にはもちろんだが、一般庶民の間でもある。

全ての会津人が政府憎しというわけではないが、戦争の爪痕は今なお物にも人の心にも残っているのだ。

 

 

「けど、目立っているというのに監視の目は見当たらない。ここなら志々雄一派の人員を増強させる温床地と考えられていたが、当てが外れたか、それとも予想通りか」

 

 

テロリストの温床地足りうるとして三人が偵察に赴いたのは、つい半月ほど前。

最初は地下武装勢力の拠点かもしれないという警戒心を持っていたのだが、今ではその警戒心もなしのつぶて。

警戒するのにも些か徒労感を覚えてきたところだった。

 

 

(関東一帯の通信拠点を潰した結果、相手が取る手段は二つに一つ。すなわち関東を捨てるか、他所から引き抜いて関東に当てるか)

 

 

会津に来る前に頭に叩き込んだ事前情報を思い返しながら黙考する。

 

 

(国政の中心地を監視の対象から外すわけがない。となれば前者はあり得ず、必然的に後者となるのだが……その結果がこれ、と断ずるのは早計か?それとも妥当か?)

 

『此処に来て長いこと経つけど、随分と平穏無事ね。件の勢力はもういないんじゃないの?』

 

『そう結論をつけていいのかが分からん』

 

 

エミーの英語の疑問に同じく英語で答えた。

 

外国船に潜入して情報を搾り取る任務に就く事が多かったため、英語には明るいのだ。

 

 

『もうここで七ヶ所目。しかも怪しい場所の最有力地点。それで成果が無いんだから確定でしょ。北関東と南東北に敵はいない、て』

 

『何事も“無い”ことの証明は実質的に不可能です。居る居ないではなく、見当たらなかったという結論で一先ず落ち着いては如何でしょうか?』

 

『うん……そうだな。ここまででも大分時間を消費したんだ。そのように結論づけて次の目的に主眼を置くか』

 

 

彼ら三人の目的は二つある。

一つは埼玉県以北における志々雄勢力の確認。

 

関東一円の通信施設は十徳たちが半年を掛けて潰し回った。

十本刀の一角も潰したし、組織に大きな打撃を与えられ、そして関東から組織の目と耳を駆逐できたハズ。

 

だが、それで終わるほど柔な組織ならば日本は斯くも追い込まれていない。

必ずや関東の穴を埋めるべく人員が派遣される。

そう考えた一行は、ならばどこから来るかと更に考え、そして北からだと断じた。

 

何故か。

単純な話、西から送り込んだ最高戦力の一角である鎌足を屠った正体不明の敵を警戒し、今度は北から送り込もうとするだろうと考えたからだ。

 

実のところ、その予想は半分正解で半分不正解だった。

北関東及び北甲信越から工作員が流れ込んで来たのは事実だ。

だからこそ、三人はもぬけの殻となった通信拠点らしき場所を何ヵ所か見つけたのだから。

 

ならば、半分不正解とはどういう意味か。

それは何も、警戒が故に北から送り込んだわけではないということ。

関東以西の工作員は急遽別の目的地に移されたのだが、それを知る者は組織の上層部でも極僅かだった。

 

とまれ相手の思惑がなんであれ、一つ目の目的は果たされたと言って良い。

だからこそ、二つ目の目的に焦点が合わさるわけなのだが……

 

 

『今までも一応目を光らせていたし、()()()()とエルダーが聞いて回っていたけど見付からなかったのよね?結構な長期戦になりそうな予感だわ』

 

『事実、なるだろう。白人が目立つとはいえ日本とて広い。ピンポイントで()()()()()人物を探し当てるなんてーー』

 

 

『あ、あそこのお蕎麦屋さん。あそこにそれっぽい人、入りましたね』

 

 

『『……』』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

開国以来、日本における最大の脅威は“世界”そのものであった。

 

“世界”とはすなわち“欧州国家”であり、その“世界”に“亜細亜”は含まれていない。

唯一“欧州”に食い込める存在があるとすれば、それはオスマン帝国のみであるが、その国も“瀕死の病人”と揶揄されるほどに衰弱著しい国家だ。

 

ギリシア独立戦争及びバルカン戦争などの、いわゆる東方問題や露土戦争などで、“欧州国家”群からは良いように利用されていた。

大国のオスマンですら、斯様な有り様である。

 

しかるに日本などという開国したばかりの小さな亜細亜の国家は、一瞬でも気を抜けばただの“世界”の“所有地”になり果てる。

 

故に外交も経済も内政も軍備も全てが綱渡り。

“世界”と戦うことなど今の日本には到底できやしないのだから、常に“世界”を見て動かねばならなかった。

何が切っ掛けで“世界”の意思が日本を食い物にしようと断じるか分からないのだから。

 

ただ、見つめる“世界”は何も遠い欧州の地だけではない。

 

むしろ、近くの“世界”こそが最大の脅威足り得る。

 

 

 

 

 

世界最大の領土を有し、世界有数の軍事力を持つ巨大国家。

 

 

 

大ロシア帝国こそ、日本にとって不倶戴天の敵なのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

[……何の用だ?]

 

 

その男は、あまりに憔悴していた。

大きな体格の割りに顔は痩せこけていて、無精髭と汚れで一際老齢に見えてしまうほど。

 

疲れからか目には覇気が無く、落ちた両肩が悲壮感を漂わせていた。

 

 

『……何語だ?』

 

 

白人のその男の言葉は、彼には分からなかった。

英語なら解せるが、そのどちらでもない様子だったのだ。

 

 

『……やっぱり、フランス語です』

 

 

唯一、言語を解せた様子のエルダー女医が小声で言った。

 

 

『インテリゲンツァ(インテリの語源。ロシア語で知識層者の意で、外国の知識に富んだ学生が主)はロシア語を嫌ってフランス語やドイツ語をよく使うそうです。彼もその一人なのかもしれません』

 

『へぇ~。それも十徳からの情報?』

 

『……はい』

 

 

複雑な表情で答えるエルダー女医と、ホント何者なのよアイツは、と呟くエミー。

 

 

日本人(ヤポンスキー)風情に付き従うとはな。どこの国のビッチか知らんが、随分と堕ちたものだ。恥ずかしくないのか]

 

『なんと言っているのかは分からないけど、嘲られていることはなんとなく分かった』

 

『奇遇ね。私もそんな感じがしたわ。エルダー、なんて言ったのかしら?』

 

『ぅぇ……』

 

 

二人の剣呑な雰囲気に当てられ冷や汗を流すエルダー女医。

言われた内容にカチンと来たのはエルダーも同じだ、だがそれよりも両サイドから感じる怒気の方が身を震わせる。

 

 

『ヤポンスキーはロシア語だろう?そこだけ母国語を使うとはな。まあそれでコイツがロシア人だということは判明したわけだが……訳すのに窮するぐらいの内容なら敢えて聞く必要もない。だから、俺の言葉をそのまま伝えてくれ』

 

『え……あ、はい』

 

 

エルダーの返答を受けると、座りながら此方を睨んでくる白人男性に詰め寄った。

そしてその顔を覗き込むようにして顔を近付ける。

 

冷たい、どこか作り物めいた蒼い瞳に男の訝しげな顔が映る。

 

 

『お前の事情は大方予想が着いている。ツァーリズムの打倒を目論むも失敗。犯罪者と見なされ国外逃亡。シベリアからウラジオストク、そして日本。一時的に身を隠し、期を狙って再起を図っているのだろう?』

 

[……!!]

 

『農民の中に入り込んで皇帝専制体制の悪癖を説いて回っていた。だがロシアの農民は今も昔もこれからも、異常なまでの保守的かつ相互監視的風潮に支配されている。多くのインテリゲンツァが自警団に捕縛され、処刑された。革命を説いて回った農民に裏切られて』

 

 

そうだろう、ナロードニキ?

 

そう訳された言葉がエルダーの口から聞かされた瞬間、男の顔が怒気で真っ赤に染まった。

音を立てながら椅子を倒して立ち上がる。

その背丈はやはり平均的日本人より高く、痩せているとはいえ肉の付きかたから今なお屈強さを感じさせる。

 

だが、それも一瞬。

直ぐに怒りは萎え、視線は下を向いた。

すとん、と自ら直した椅子に座り直して呟いた。

 

 

[……皮肉なものだ。猿の国が必死こいて産業革命を為しているというのに、祖国は権威と伝統に固執している。変化を受け入れない]

 

 

呟く声は悲哀に満ち、その姿はやはり痛々しかった。

大きな絶望を経験した者が見せる、諦観の様子だ。

 

 

 

 

ロシアの学生は西欧に留学するのが常である。

 

フランスやドイツ、イタリア、オーストリア=ハンガリーなどの政治や文化、芸術に触れ、多様な事物を学ぶためだ。

多くの年若い学生が見聞を広げ、知識を深めていった。

 

そして、自国の後進性を痛感した。

 

産業革命の波に抗い、皇帝を戴く徹底した権威主義を御旗とする祖国は、あらゆる面で他国に劣っていたのだ。

人民の生活は他国に比べてあまりに貧しく、しかし帝室は保身のため、これを改めようとせず産業の発展を阻害してきた。

 

おかげでパリやウィーン、プラハ、ブダペスト、ヴェネチアなどのような芸術の発信地も生まれず、異国文化と交流できる地も育まれなかった

あまつさえ軍事の発展すら遅れ、バルカン諸国及びオスマン帝国にすら手を焼く始末。

(英仏を中心とした国家がオスマン帝国を裏から支援していた為である)

 

 

全ては帝室の保身と権威への固執が為に起きた弊害だ。

 

 

欧州各国が目に見える発展を遂げているというのに、祖国は自国民への締め付けを強めていくだけ。

産業を忌避し、農業に縛り付ける。

そんなの、自分の首を絞めていることと変わらないのに、それでも皇帝は我が身可愛さで愚策を続ける。

 

 

それは、絶対に許されることではない。

 

祖国を私物化することは、害悪に他ならない。

 

 

この国に皇帝などは、もう要らない。

 

 

そうして多くの学生がこの志を胸に、革命の活動を始めた。

 

全国の農村に散らばり、農民に革命思想を説いて回った。

皇帝主義(ツァーリズム)という悪弊は国家を腐らせ農民の命を貪る。

帝室が存在する限り、豊かな生活は送れない。

 

 

人民に、真なる導きを。

 

 

人民の中へ(ヴ=ナロード)、を合言葉に。

 

 

故に、Народники(ナロードニキ)

 

 

 

[お前の言う通りだ。農民はみな学がない、変化を根本的に恐れている。お前らは革命を果たしたというのに、俺たちは守るべき農民からすら敵視され、自警団に突き出された!国家反逆と皇帝侮辱の罪で首吊り……何百、何千もの同志がッ、()()に殺された!!]

 

 

歴史的に答えを言うならば、この啓蒙運動は失敗に終える。

農民の多くは彼ら学生をむしろ敵視し、その考えを頑なに否定した。

 

真に国と民を思って起きた全国的なこの活動は、その国と民に拒絶され、やがて形を変えていった。

 

 

それこそが、暴力主義(テロリズム)

 

 

後に、このナロードニキの流れを汲んだテロリズムが、当時の皇帝を爆殺する事態に発展するのだった。

 

 

[俺たちとお前らの……間に!一体なんの差がッ……!]

 

『そんなものは知らん』

 

 

 

一言だった。

 

たった一言で、男の嘆きの声を切って捨てた。

 

 

エルダーが翻訳した仏語を聞きながら、彼は続ける。

 

 

『聞け、ロシア人。俺たちはお前の愚痴を聞きに来たのではない。俺たちがお前のような奴を探していたのには別の理由がある』

 

 

 

[……だろうな。何が目的だ]

 

 

 

 

 

 

 

『俺たちの目的は貴様らの目的の向こうにある。すなわち、貴様らの目的である帝政ロシアの打倒については協力できると考えている……少し話をしようぜ?』

 

 

 

 

 

 

 

 

極東の島国、日本にて。

 

 

 

ロシアの脅威に抗う日本人と、ロシアの帝政を打倒しようとするロシア人との邂逅。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

小さな同盟が生まれるまでに、そう時間は掛からなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

般若(ghost)、本当に十徳にそっくりね。仕草も表情も言葉遣いもしっかりと似てるし……しかも、予め与えられた知識であそこまで大胆不敵に演出できるなんて』

 

 

『変装のプロフェッショナルとは聞いていたけど、違和感なんてさらさら無いです。これが噂に聞くNinja……amazing!』

 

 

 

 

 

 

 














メインは当然“るろうに剣心”ですが

こういうバックボーンも書きたかった








ちなみに登場したロシア人は完全オリキャラです






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

58話 白猫跋扈 其の陸







散切(ザンギリ)頭を叩いてみれば、原作崩壊の音がする









 

 

 

 

 

 

 

陸軍省人事局局長室

 

 

 

 

 

二つの向かい合う長ソファーに腰掛ける、二人の人物。

 

一人は長身痩躯の軍服を着た初老の男。

立派な髭をたくわえ、厳めしい顔を更に威厳のあるものにしているが、しかし今は好好爺のように相好を崩して柔和な笑みを見せている。

 

目の前に座る青年をこの部屋に迎え入れてからずっとこの調子だ。

出会えたことを本心から喜んでいるのだろう。

 

 

「探せど探せど見つからなかったお前が、自分から会いに来てくれるとはな。どういう風の吹き回しだ?」

 

 

人事局の局長は他にいるが、今は空けてもらっている。

 

ここの局長だけではない。

陸軍省の各局トップに席を外すよう言えるのは、この人しかいないだろう。

 

 

「いやいや、野暮なことを聞くのは止そう。こうして戻ってきてくれたのだ。先ずはこの再会を祝さねばな」

 

 

そう言う初老の男性は、陸軍卿山県有朋。

日本陸軍の産みの親にして現陸軍のトップである。

 

彼はソファーの間のテーブルの上に置いてある酒瓶を勧めた。

だが青年、左頬に十字傷のある青年──緋村剣心──は視線を転じることなく、ずっと有朋を見ている。

 

 

それに気付いた有朋は、ばつの悪い顔をしてから瓶を置き、苦笑した。

 

 

「変わらぬな。昔から前置きと迂遠な言い回しは毛嫌いしていたことを思い出したぞ……んん!ならば率直に聞こう。お前になら如何なる椅子も用意できる。どこがいい?」

 

「……」

 

「お前は俺の命の恩人であり、明治政府の立役者にして最大の功労者だ。なんなら俺の卿の席を譲る……のは難しいな。お勧めは改設される参謀本部か、新設される監軍本部の長官席かな?元々この人事局には、その二つの本部に移す人員を選定するために来たのだが……」

 

「山県さん」

 

 

有朋の話を止めた剣心は、その鋭い瞳を彼の目に向ける。

 

 

()()()も言いましたが、人殺しで掴んだ栄職に就くつもりはないでござる。この気持ちは今も、そしてこれからも変えるつもりはありません」

 

「緋村……」

 

 

剣心の心情は、有朋とて知っている。

 

新政府が設立された時、長州藩士の多くが官職に就いたが、その中に剣心の姿は無かった。

 

姿を消す直前に有朋が剣心を見つけられたのは奇跡だっただろう。

彼の肩に手を置き、一緒に来るよう言った。

だが今言われたような内容を言われたのだ。

 

 

“人殺しは所詮人殺し。仕方のない事と言えど、良し悪しで言えば悪以外のなにものでもない。そこに栄光など、あり得るべきではないんだ”

 

 

(本当に変わらぬな。優しすぎるのだ、お前は)

 

 

有朋は過去の光景を思い起こし、懐かしさと共に寂寥も思い出した。

 

見たこともない新時代の到来を前に、身体と心が震えたこと。

これからが日本にとって本当の戦いとなるのだと、己に喝を入れたこと。

そのときに抱いた感情と、胸に刻まれた情景が鮮明に思い浮かんだ。

 

だが、直ぐに己を切り替えた。

 

私人であれば剣心の優しさに同意しよう、賛美もしよう。

しかし今の有朋は公人。

甘さも優しさも不要なのだ。

 

 

「緋村。今さら説得できぬのは承知の上だ。だが俺とて信念がある。故に俺も、あの時と同じように応えよう」

 

 

澄んだ剣心の瞳に応えるは、頑とした巌のような瞳。

 

 

「時代の変革に人死にはつきものだ。それを悪と断じて行動を怖じるようであれば世は変わらない。あの腐った幕政が永劫続いたやも知れぬ。或いは欧米人の奴隷となっていたやも知れぬ。そうしない為には悪であれ善であれ、成した我々が責任をもって全うするべきなのだ!」

 

 

有朋も剣心に負けず劣らずの修羅場をくぐり抜けた益荒男だ。

己にも曲げられない信念があり、絶対の御旗がある。

 

甘さも優しさも一刀のもとに斬り伏せる覚悟があるのだ。

 

だが、その覚悟を表した鬼のような表情も一瞬だけだった。

苦笑し、そして肩から力を抜いて言った。

 

 

「ま。それを承知の上での、お前の考えなのだろう」

 

「無論です。たとえそれが真実であったとしても、拙者の考えは変わらないでござる」

 

「であるか。ならば重ねて聞こう。此度はいったい何用かな?まさか久闊を叙するために来たわけではあるまい。そんなマメな男ではなかったと記憶しているからな」

 

「拙者は変わらないですよ。今も昔も、拙者は誰かを助けたいという思いで動いてきました。とどのつまり維新もそうであったし、これからもそうでござる」

 

「……」

 

「山県さん。拙者には今、助けたい人がいます。けれど個人の力では如何ともし難い。だから数の力がほしい、組織の力がほしい。役職は要りません。この時限りの一時的なものでも……」

 

 

 

 

 

「ふざけるな緋村!!」

 

 

 

 

 

空気を震わす有朋の一喝が、剣心の声を遮った。

 

剣心を迎えた時の好好爺然とした雰囲気は見る影もない。

先程一瞬だけ見せた鬼のような表情が、今はありありと顔に浮かんでいた。

 

 

「言ったハズだ、責任を全うするのが元長州藩士の役目だと!お前の言う通り、維新を果たす過程で多くの命が散っていった。だからこそ、それを無駄にしないため我々は国家に尽くしている。民に報いようと身を粉にしている!」

 

「……」

 

「それをお前はなんだ?己の助けたい人が為だけに官職に就くと?力を求めると?大概にしろ!それは亡くなった命に対する、そして今ある多くの命に対する侮辱である!」

 

 

官職に就くならば喜んで斡旋しよう。

維新で最も多くの骨を折ってくれたのだ、それ相応の役職に就けるよう進んで手を回そう。

 

だがそれは、ただの私的感情故ではない。

 

国のために働いてほしいから。

日本を思うが故の行動なのだ。

 

一個人を助けたいがために就く、などと世迷い言を言うのなら話は別だった。

 

 

「見損なったぞ緋村。甘さと優しさを持っているのは知っていたがそこまで堕落したとは。国政に私情を持ち込もうなどと笑止千万。何に感化されたのかは知らんが、国家の意思と個人の願いは相容れぬものと知れ」

 

「山県さん」

 

「お前の望みは可能な限り叶えようと思っていた。だがその考えもたった今捨てよう。今のお前の考えは危険に肥大化されている。公私混同されては国家運営など出来ようハズもない。今のお前では()()()()には働けない!」

 

「山県さん!」

 

 

次いで響いた一喝は、剣心によるものだった。

 

研ぎ澄まされた刃の如く、鋭利な瞳が有朋の瞳を貫く。

 

ブレてはいない。

有朋に如何に言われようと、剣心の心に波は一つも立っていなかった。

 

 

「拙者が助けたいと思う人は、身を粉にして国に尽くしています。民に応えています。それを支えることは、翻って国の為になるハズでござる」 

 

「……ほお」

 

 

剣心の揺るぎないその瞳を見て、有朋は思った。

もしかしたら彼は堕落していないのかもしれない。

 

大局を見据えた上での先ほどの要望ならば、聞く価値はあるかもしれない。

そしてその助けたい人物とは、状況から類推できた。

 

 

「国に尽くしている、か。その者は……警官か」

 

 

有朋の呟きに、剣心は無言で答える。

 

剣心が有朋を訪ねて来たこのタイミング。

それは東京警視本署の摂津鉱山討伐隊が壊滅した直後だ。

 

それを考えれば、なるほど剣心の目的もうっすらと分かる。

 

 

「ならば尚のことお門違いだ。警視本署に力を貸したいというのなら内務省か本署に直接行くんだな。この件で陸軍が手を貸すことはない」

 

()()()を野放しにすると?」

 

 

剣心の発言を受け、しかし有朋に驚きはなかった。

 

 

「政府の意思だ。これ以上陸軍が動員を掛ければ、国内の治安が定まっていないと海外に喧伝することと同義である。邦人保護のため、欧米諸国に介入の口実を与えることになる」

 

「結果として多くの血が流れます。否、事実として多くの人が死にました」

 

「討伐に行った以上は討伐される覚悟を持つ。そんなこと、川路とて認識していることだ」

 

「志々雄は長州が生みました。ならば、此度の騒動には長州藩で上層部が固められた軍部にも責任があるハズでござる」

 

「痛いとこを突いてきたな。だが、何と言われようと陸軍は部隊一つも兵員一人も絶対に動かさん。国権の発動も無しに軍隊が動くなど、そんなこと有ってはならないのだからな」

 

 

軍隊は頑として動かさない、とその瞳が如実に語っていた。

それを読み取った剣心は、しかし落胆の色を見せなかった。

 

そして己の唇を小さく舐める。

 

これは、かつての自分なら絶対に取らなかった手段だ。

誰かを守るためならその諸悪を捕まえ、周りに被害が出ないようにするのが考えの根底にあった。

間違っても誰かを巻き込むことなどするハズも無かったし、それは己の信念に反している。

 

一度曲げてしまった信念だからこそ、もう二度と曲げない。

()と交わした約束を守るため、()の信頼と願いを守るため。

 

 

「山県さん。拙者が助けたいと思う人は、誰にも知られず、誰にも感謝されず、それでも文字通り身を削りなからずっと志々雄らと戦ってきました。恐らく政府側の人間としては唯一にして絶対の、志々雄の理解者とも言えるでござる」

 

「……ほお?」

 

 

そんな人物は知らない。

警察は常に志々雄に遅れを取っていると考えていた。

 

だが、さりとて剣心を疑うことはしない。

川路から伝えられていないことを鑑みて、徹底的に存在を秘匿している可能性があるか。

そう考え、続きを促す。

 

 

「半年前と先月の横浜倉庫街の炎上事件。どちらも彼が志々雄一派と死闘を演じたが故のものです。彼は、政府の誰も知り得ない情報を必死に集め、そして横浜で一派を迎え撃った。繰り返しますが、どちらも誰にも知られていない成果でござる」

 

「……そんな人物が居たとはな。そこだけを聞くと、警察の対志々雄戦は安泰のようにも思えるが?何ゆえ前回の討伐隊は壊滅した?」

 

「そこに加わっていなかったからです。横浜での死闘は彼に凄まじい傷を負わせたため、間に合わなかった。だがそんな彼が、最前線に身を置きながら俯瞰的な視野を持つあの男が、言っていたでござる」

 

「聞こうか」

 

 

 

 

「『志々雄一派は俺たちの正体を掴めていない。どころか、恐らく緋村抜刀斎と誤認している可能性がある。けど、いくら伝説の剣客といえど個人の力量では手段も限られる。必ず支持母体があると考え、探すはず』」

 

 

 

 

 

 

 

「『討伐隊の返り討ちに成功した今、本庁警察は弱体化した。故に次は陸軍が狙われる。ともすれば、緋村抜刀斎もろともに』」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

がたり、とソファーから腰を浮かし掛けた。

 

背中から嫌な汗が吹き出、一際大きく心臓が跳ねた。

 

 

志々雄は国家の存亡を脅かす恐ろしい敵である。

その事は知っていたし、現に警視本署選りすぐりの討伐隊が壊滅したのだ。

東京の武力的治安維持機能は麻痺し、刀もろくに扱えない者が大半を占めることになっただろう。

 

だが、そうなっても。

有朋はどこか対岸の火事としてしか認識していなかった。

 

小さな反乱程度ならいずれ警察が鎮圧するだろう。

 

そうでなくとも、一度(ひとたび)国権が発動し、軍隊が動員されれば国内の大小問わない如何なる反政府勢力も駆逐できる。

日ノ本最強と言われたあの薩摩隼人の薩州軍ですら、遂には打倒できたのだから。

 

 

だが、軍隊の準備が出来ていない今、その軍隊を狙われたらどうなる?

 

しかも此度の敵は薩摩と違い、その勢力が明確化されていない、どこに潜んでいるのかも分からない地下武装勢力なのだ。

 

そんな相手と事を構えたら?

 

 

 

最悪だ。

 

 

奴等の手口は要人暗殺や破壊工作に偏るだろうが、それらを()()()()()()()ことすら此方はできない。

 

況してや有朋は強い縁故を緋村抜刀斎と持っている。

その“要人”に自分が筆頭となる可能性が高かった。

 

 

「日本の軍隊は……いや、警察も含め、世界中の武装組織は“見える敵”を相手に戦うことを前提としています。“見えない敵”を相手にするなど、できません。討伐隊がやられたのがいい例でござる。相手にすることすらできない、戦争にすらならない。陸軍とて、きっと……」

 

 

暴れ出そうとする心臓を鋼の意思で押し留める。

焦燥と幾ばくかの恐怖を押さえつけ、取れる手段を瞬時に思索する。

 

つい今しがたまで考えていたが、軍隊の動員をすれば?

考えるまでもない。

今まさに自分が絶対にしないと言ったばかりではないか。

 

それに、仮にしたとしても剣心の言うように戦いになるとは到底思えない。

 

本来、戦争とは入念な調査や軍備の調整、人員の編成、及び戦闘計画等を立てる必要がある。

 

戦闘計画、つまり勝つための道筋と手順を明らかにし、それを実行に移すのだが、そのためには長期間の下準備を経なければならない。

軍隊は平時からその準備をしているし、明治日本にだって他国と戦争になった場合、その可能性の大小や勝敗など関係なしに、それぞれ戦争大綱を作成してある。

 

逆に言えば、その計画の無い国との戦争は“想定外”と言える。

国軍としてはあり得ざる無能っぷりだ。

どの国とて、もし隣国が突然攻め込んできたらと想定しているのだから。

 

だが、殊にテロリストとの戦争はその“想定外”が当たり前になってしまう。

戦争計画は無いし、勝利条件も分からない。

敵の情報も不確かで、まともに戦うことすら出来ず、いいように削られていく未来しか見えない。

 

 

ならば警察に頼る?……失笑ものだ。

武力を誇る陸軍が警察に身辺警護を依頼するなど、それこそ示しがつかない。

諸外国に日本の弱さを露呈するようなものだ。

 

ましてや武力に長ける東京警視本署の抜刀隊は壊滅したばかり。

よしんば頼んだとしても、まず受け入れられないだろう。

 

しからば、どうする?

 

誰かに頼むしかない現状、誰に頼めば良い?

 

軍人ではない、されどきちんとした戦力として確立し得る存在。

諸国の介入の口実にならない、小さいけれど立派な武力を有する組織。

 

そして、この()()()()()()()()()()()を遂行できる味方。

 

 

そんな都合のいいものなど……!

 

 

と。

 

 

目の前のソファーから注がれる視線に気づき、有朋は苦渋の声を出した。

 

 

「緋村……」

 

 

そして、その言葉を受けた剣心は苦笑し、つと視線を下ろした。

 

見つめる先は己の掌。

広げられた自分の両の手を見ている剣心が何を思っているか、さしもの有朋にも分からなかった。

 

 

「掌の上で転がされている気分ですか?生憎と拙者こそがそう感じています。けど、それはつまり、もう無関係では居られないということ。拙者も覚悟を決めたからこそ、こうしてお願いしに参ったでござる」

 

 

開いていた手をぐっと閉じ、更に力強く握る。

 

 

 

 

志々雄の存命を告げられたとき。

彼らの存在事由を教えられたとき。

 

そして、彼らが如何なる覚悟を持って戦っているかを知ったとき。

 

剣心の胸には、言葉では言い尽くせない様々な感情が芽生えた。

 

 

驚きがあった。怒りがあった。

 

嘆きがあった。感嘆があった。

 

焦燥があった。混乱があった。

 

懐疑があった。得心があった。

 

 

そして何より、願望があった。

 

 

自分と同じようで違う彼の在り方を見て、聞いて、知って、分かって。

 

彼の行く末を見たいと思った、見続けたいと思った。

 

 

その過程で、彼を助けたいと、手伝いたいと思ったのだ。

 

 

「山県さん。此度の志々雄が巻き起こす騒動は、あまりに異質にして異常でござる。何もかもが不鮮明で、どう戦えばいいのかも分からない、不明瞭なことが多い。それは、拙者とて同じです。だからこそ、分かる人に助力を乞うのは当然のことです」

 

「……」

 

「もう拙者はる――」

 

 

剣心の言葉は続かなかった。

 

二人の頭上から爆音が轟いたのだ。

 

省舎の屋根が爆散した音が天井と壁を伝って省内を駆け巡る。

 

それも一度ではない。

二度、三度と立て続けに建物が震えるほどの激震。

どこかで何かが崩れ落ちる音と、大勢の人たちの悲鳴と怒号が二人の耳を貫いた。

 

 

「な、なにがッーー?!」

 

「! まさか……!」

 

 

剣心がソファに立て掛けていた刀を手に取り、急ぎ窓辺に駆け寄った。

窓ガラスを開け放ち、外を確認すると、省舎から飛び散ってきた火の粉や建材が目についた。

 

 

「襲撃か!」

 

「緋村!」

 

 

剣心の横に来た有朋が声を荒げて言った。

 

 

 

「聞きたいことは色々ある。お前が来たこの瞬間に何者かの襲撃とは出来すぎているし、お前の嘆願に密接過ぎる。だが、それは後回しだ。今はこの非常事態……どうにかできるのだろう?!」

 

 

混乱のただ中にあっても優先事項を見失わない。

そして不明な点も多いなか、ピンポイントで事態の解決に向けて素早く判断する。

 

死山血河の維新を生き抜いた豪傑の本領発揮だ。

 

 

「無論でござる。そのために拙者と、そして()()が居るのですから」

 

「件の男か?ふん、こうも当て付けの様に示されれば考慮せぬわけにはいかん。事が落ち着いたら纏め上げよう。私は舎内で指揮を取って皆を避難させる。故にこの襲撃、任せるぞ?」

 

「全力を尽くします」

 

 

力強い頷きをした後、剣心は窓から飛び降りた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 














目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

59話 白猫跋扈 其の漆





前話を投稿して昨日までずっと日刊ランキングに乗っててUAもお気に入り数もかなり増えました

なんだったんじゃ?


とまれ、今話は短いですがどうぞ






 

 

 

朝日が室内を照らし始める早い時分にも関わらず、部屋の主は自らの机の前を忙しなく歩き回っていた。

 

その表情に余裕の色は無い。

頻りに目頭を揉んで、まるで頭痛の種を少しでも和らげようとしているかのようで、けれど眉間の皺は一向に減ることはない。

途中何度か立ち止まるも、直ぐ様思い出したかのように再び歩き出す。

 

 

「観柳さんよぉ。そんなに右往左往してても何も変わらねえぜ?少しは落ち着いたらどうだい」

 

 

部屋の入り口直ぐの壁に寄り掛かって腕を組んでる大男が、ぐるぐると歩き回る男に苦言を呈した。

 

その男の体型は異様だった。

背が高い、というより巨漢という単語が似合う図体をしているのだ。

裸の上半身は前後に大きく、特に腹部が大きく膨らんでいる。

身に付けているのは下だけで、その足は短い。

 

隠密御庭番衆が一人、火男(ひょっとこ)だ。

 

 

「これが落ち着いていられるか。お前の身内の帰還があまりにも遅すぎる。任務に失敗した可能性が高いと不安視するのは当然だ。むしろ貴様はどうしてそこまで落ち着いていられるんだ」

 

「お頭が居るんだ、任務失敗は絶対にあり得ない。仲間として信じて待つのが当たり前だろう」

 

 

観柳が落ち着いていられない理由。

それは、自分の立身出世の為の協力者である警官の暗殺が失敗したのでは、という疑念から来ている。

 

望んでいた人脈を築き上げ、維新の立役者の一翼を担った現大物政治家をさえ抱き込めた。

それだけではない。高級軍人や名のある資産家、商家とも仲良くなれた。

某警官のおかげで、政界に進出する機会を得られたのだ。

 

後はこの後ろ楯を使って一直線に進むだけ。

今までこそこそ使っていた阿片を一気に使い込む。

そうすれば近い将来、この国の頂点に君臨することができる!

 

なればこそ、よき協力者には不幸な事故に遭ってもらわなければならない。

思わぬところで躓きたくはないからだ。

 

 

「死人に口なしとはよく言ったものだ。だが、この様子では……」

 

 

刺客として送り込んだのは、大金をはたいて抱え込んでいた殺しの専門集団、隠密御庭番衆だ。

 

彼らは徳川幕府子飼いの部隊で、江戸決戦時まで温存されていた最終兵力だ。

その実力を実際に見たことはないが、推して知るべし事実である。

だからこそ、たかが警官を相手取るのに遅れをとるとは思えなかった。

 

 

いや、仮に遅れをとったとしても、それは問題ない。

 

 

何故なら庭番が仕留め損ねても、その庭番もろとも消す手筈だったのだ。

 

横浜には密輸入した武器兵器が数多保管してあるし、浪人どもも多数送り込んである

それらでもって邪魔者を消し去る。

警官も、庭番も。

武と知に長けるあの蒼紫(おとこ)は、警官同様に不確定要素なのだ。

もはや十二分に自分の勢力を広げられた今となっては、そんなものを抱えておく必要性はない。

 

故に、仮に庭番が失敗しても関係ない。

どう転ぼうとお互いに消耗するハズだし、そうなればもう此方のもの。

圧倒的火力で殲滅する。手負いの単騎を各個に潰す。

 

 

そう想定していたのだが、決行日を聞いて以降音沙汰が無い。

あまりに遅すぎるし、遣わした小間使いも帰ってこないという事態が起きている。

 

これは、異常事態だ。

 

 

(あの警官が独力で庭番と浪人どもの攻勢を凌いだ?あまつさえ、返り討ちにした?)

 

 

考える限り、その可能性は低い。

否、無いと言ってもいい。

 

危険を承知で自分に接触してきたのだ。

胆の座り様も、おそらく実力もそんじょそこらの警官とは一線を画すのは容易に想像できる。

 

だが、だからといって庭番に勝る実力を有しているとは思えない。

況してや西洋の最新火器を掻い潜れるとは到底思えない。

 

 

ならば、何が起きた?

 

 

 

ひとつ。

考えられるとしたら、蒼紫が裏切りに気付いて浪人どもと事を構えた可能性がある。

標的を当初の目標の警官ではなく、先手を打って浪人どもに攻勢を掛けていたなら……いや、だが。

 

 

(それでも回転式機関銃(ガトリング・ガン)があるのだ。いくら庭番の頭目といえど、勝てる道理はないハズだ)

 

 

観柳の回転式機関銃(ガトリング・ガン)への信頼は非常に厚い。

信奉のレベルと言ってもいい。

 

例え相手が名のある剣客侠客であっても、有象無象と何ら遜色なく簡単に殺せるのだ。

自分のような素人がハンドルを回すだけで群がる人を羽虫の如く軒並み潰せるのだ。

 

金さえあれば、簡単に力を手に入れられる。

 

 

そう信じて疑わない観柳の思考は、大局的に見れば正しい。

マクロの視点であれば正当この上ない。

 

人間関係に焦点を絞って語るには愚か極まりないが、例えば商人として物流という世の流れを見る者ならば、その視点は必要なのだ。

 

他にも国家という視点で見るならば、まず第一に財源について考えなければならない。

何故なら今は弱肉強食の植民地時代。

強い軍隊を持たなければ世界への発言権を有し得ないのだから、軍隊を持つために資金を捻出しなければならない。

 

でなければ白人国家に凌辱される。

玩具のように弄ばれ、料理のように舌鼓を打たれ、そしてゴミのように捨てられる。

比喩でも例えでもなく、本当にこの時代の有色人種に対する偏見は凄まじいものなのだ。

有色人種は「人」ではないのだから。

 

とまれ、大局を見る者にとって金を第一に考えるのは妥当であり、至極真っ当ではあるのだが、殊今回に限って見ればこの観柳の思考は誤りでもある。

 

まず、回転式機関銃(ガトリング・ガン)が真に威力を発揮するには開けた地でなければならない。

そうでなくとも、ある程度の地を把握して利を得ていなければならない。

固定点火力は移動に難があるため基本は動かず、確保している射線に入る全てを撃ち殺す、という事を前提とした武器なのだ。

 

倉庫街という障害物の多い地ではその威力も半減、否、ほぼ意味を成さない可能性すらある。

 

加えてもうひとつ、観柳にとって不幸な事実がある。

 

原作でも観柳の裏切りに会った蒼紫は、両足を回転式機関銃(ガトリング・ガン)により貫かれていた。

原作主人公との死闘の直後、そして開けた大ホールでの銃撃という二つの悪条件下から、蒼紫は成す術もなく銃火に捕らわれたのだ。

 

だが今回は違う。

 

地理的条件は十全なる意味を成さず、十徳との戦闘の直後であってもその疲労を隠せる程の精神的高揚を得ていた。

十徳という目映いばかりの存在を意識し、溢れんばかりの心情に至っていた。

 

要するに、はっちゃけていたのだ。

テンションあげあげだったのだ。

 

こうなれば回転式機関銃(ガトリング・ガン)など、蒼紫にとっては身を涼める扇風機ぐらいにしか感じなかっただろう。

無論そんなことを露とも知らない観柳。

精々が、裏切りの攻撃を命からがら逃げ、感情の赴くまま此処に押し掛けてくる事も考えられる、というぐらいだった。

 

 

(商人たるもの最悪の状況を想定しなければ……差し当たり、この男を削っておくか)

 

 

もしもの時の為に戦力は抱えておきたい。

そう言って一人だけ残させるよう言った結果、蒼紫の指示により火男が観柳邸に待機となった。

 

もしもの時。

蒼紫が何を想定していたのかは不明だが、少なくとも観柳の考える“もしもの時”とは一致していないだろう。

 

なにせそれが、この時なのだから。

 

復讐を胸に現れた蒼紫に対し、無理矢理にでも交渉の席に座らせるための材料。

あるいは足を止めさせるための人質。

 

五体満足で居られるよりかは四肢の一つや二つ、眼球の一つや二つは取っておくべきだろう。

される張本人は言わずもがな、見る第三者もそんな状態の人間が近くにいては、思考も行動も鈍るハズだ。

 

 

そうと決まれば善は急げ。

 

窓辺に侍る二人の秘書に命じる。

その懐にある拳銃でもって火男の片足をそれぞれ撃ち抜け。

 

その意を込めて片腕を上げた時になって、漸く気がついた。

 

今まで会話していた火男が、此方を見ていない。

自分の背中の向こうを見て、何かをしげしげと見ていたのだ。

 

 

「……?」

 

 

なんだと思って振り返ると、先ず目に映ったのが二人の秘書。

懐に手を伸ばし、今にも拳銃を取り出そうとしている瞬間だった。

飼い慣らした忠犬の、実に甲斐甲斐しい行動は十分に他人に誇れるレベルだ。

 

次に映ったのが、その二人の間にある部屋一番の大きな窓ガラス。

陽光を浴びればキラキラと光る美しいガラス細工は、観柳自慢の逸品だ。

 

そのガラスの向こう、つまりは外にあるものが最後に目に映ったもの。

 

なんとも形容しがたいそれは、恐らく人間を真下から見たときに見えるであろう、人の形をしたものだった。

だが、なぜ?

あれが人だとしたら、なぜあそこに人の裏面(?)がある?

 

ここは三階で、あそこは外。

 

訳がわからない。

なぜ、あそこに人がいる?

 

なぜ、それがどんどん大きくなってくる?

 

 

混乱の極致に達した観柳は、やがてけたたましい音と共に窓ガラスを割って入り込み、秘書の二人をものの見事に押し潰して転がり込んできたそれを見ても、なかなか平静には戻れなかった。

 

 

やがて秘書二人を押し潰したその二つの人影が立ち上がると、漸くその正体を把握できた。

 

 

 

短く切り揃えられた白銀の髪と、それを覆い隠すように深く被る警帽。

顔の半分を覆う包帯と、それが巻かれていない半分に見覚えのある顔。

 

 

帽子のつばから覗ける、一つの鋭利な蒼い瞳。

 

 

 

 

忌々しい警服に身を包んだ、かつての協力者。

 

 

 

 

 

 

狩生十徳だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おじゃま」

 

 

 

 

 

 

 

 

 











陸軍省の事件はチョイト後回しに




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

60話 白猫跋扈 其の捌





ちょっと無理やりかもしれません


まぁ盆明けですし(?)、許してつかーさい




では、どうぞ











 

 

 

 

懸垂降下

 

 

高所から安全に身を落としていくテクニックで、事前に垂らしたロープを伝って目的地に降りる術を指す。

登山者が壁面や急峻な崖を降りる際に用いるし、ヘリコプターから降りる軍人、もしくは特殊部隊がよく用いる技術だ。

 

言ってしまえば、それは当たり前の技である。

階段や梯子もない高所から降りるには、この方法が一番シンプルで確実だから。

特別それを実行することに驚きを覚えることはないだろう。

 

その存在を知っている者ならば、という前提があるが。

 

建物に侵入するのは入りやすい場所から。

そうでなくとも、三階から突入するなら足場のある場所を選ぶだろう。

況してや相手の本丸が居る場所にいきなり突っ込むなど、普通は考えない。

 

 

「なっ……?!」

 

 

だが、その技術の存在を知っている十徳にとっては、至極当然のようにこの方法を選んだ。

 

最短経路で本陣に突っ込み、一気に形勢を此方に傾けるため。

 

 

顔の半分近くを包帯で隠し、右腕も同様に包帯によって包まれている。

かつてと違う白銀の短い髪から以前の凛々しさは鳴りを潜め、代わってどこか冷酷さを醸し出している。

 

その隣には黒髪短髪で長身痩躯の男、四乃森蒼紫がいた。

 

 

「お頭……!」

 

「火男。無事なようでなによりだ」

 

 

観柳を挟んで向こう側にいる火男を見つけ、表情には出さないが蒼紫は内心で相好を崩した。

 

裏切られた時点で火男が人質として利用される危険性は把握していた。

故にこうして急いで駆けつけてきたのだが、それが功を奏したようだ。

 

そんな二人を尻目に、観柳と十徳は互いに視線を切ることなく微動だにせずにいた。

それもそのはず、観柳はその明晰な頭脳をフル回転させて事態の把握に努めているのだ。

一方の十徳も、まるで何かを待っているかのように、その耳を研ぎ澄ませていた。

 

やがて徐に口を開いたのは観柳だった。

 

 

「ふ、ふふ……お久し振りですね、狩生くん。今までも珍奇な方法でいらっしゃった事はありましたが、今回は輪を掛けて珍奇ですな」

 

 

眼鏡の掛かり具合を調整して観柳が話し掛ける。

 

思考を巡らせる傍らで会話にも注力している。

会話の内容や言葉の隅々にある単語、或いは話し振りの仕草から情報を得ようとしているのだ。

 

だが、十徳はその言葉に対する返答を述べるでもなく、どこかやっつけな感じで言葉を溢した。

 

 

「お前が阿片を使って暴利を貪っているのは知っていた。廃人を作り、意のままに操る人形を作っていたことも。その人形が政治家や高級軍人、大物資産家だったということも」

 

「……阿片?なんのことを言っているのか分かりませんな。私は貴方が紹介してくださった人たちと仲良くなっただけですよ?ただ少しギブアンドテイクの強い関係で、これといって疚しいことのないただの親しい友人ですよ。すべては貴方のおかげです」

 

 

人形にさせようと選んだ人間は、すべてお前の人選に依っている。

(とが)を問うならば、お前にこそ求められるだろう。

 

そう言外に告げる観柳。

だが十徳は眉一つ動かさずに続けた。

 

 

「阿片なんぞに手を出しちまう輩の末路になんざ興味も無ェ。そんな奴について考えるなんて思考の無駄だ。勝手にすればいい……なんてな。実際そう思っていたんだが、事情が変わった」

 

 

ぴく、と最後の言葉に肩で反応した観柳。

用済みとして暗殺されかけた事を指しているのだろうと判断したのだ。 

 

確かに、(いち)警官として自分の身に降りかかってきた火の粉の元を断つべく動いたのならば、この事態も理解できる。

共に裏切られた者同士、蒼紫と手を組んだのだろう。

 

だが、ここで実力行使に動くとは今でも納得できない。

 

自分の息が掛かった人脈がどれ程広くなっているか、それを分からないほど馬鹿ではないハズだ。

そもそも人選は十徳がしたことなのだ、知らぬ訳がない。

 

故にこそ、なぜ動いた?

暗殺はし損ねたが、それでもあらゆる手を使えば無罪放免を勝ち取ることは容易いし、正当性の天秤を此方に傾けることは直ぐにできる。

なんなら自分の機嫌を損ねたという理由だけで、多方面から警視本署ないし十徳個人に圧力を掛ける事すら可能だ。

 

百歩譲って逮捕されても簡単に抜け出せるし、その腹いせに十徳に今後とも執拗に暗殺者を差し向けることもできる。

 

というか自分を逮捕したら十徳の悪行だって陽の目を浴びる事になるのだ。

 

わけが分からない。

 

 

「分かっているとは思いますが、私を無理やり逮捕しても意味なんてありませんよ?道づれも不可能、貴方が勝手に堕ちるだけ……それを知らない貴方ではないでしょう。何を考えているんですか?」

 

 

本気で分からないが故の、混じりっけのない疑問。

それを十徳は、苦笑一つで受け流した。

 

 

「俺はてっきり、誰かに作らせた阿片を使っているんだと思っていた。協力者が居て、そいつが阿片を作っているんだと思い込んでいた。それが一番安全で、無難な方法だからな」

 

 

てっきり?

協力者云々について十徳は最初から看破していたハズだ。

何を言っている?

 

 

上層部(うえ)なんかは何も把握していないだろう。精々が、なんか法に抵触している事をしている可能性がある、ぐらいだろうな。そんなことで捜査に出るのは、せっかく世界に名を知られている商人の機嫌を損ねることになる。そんなリスクは取りたくはないだろうよ」

 

 

それは当然だ。

日本の国際市場を切り開いているのは他の誰でもない、この武田観柳だ。

そんなことは自分がよく知っている。

 

政府は動かないし、警察上層部も動かない。

 

もっとも、阿片の製造についても武器の密輸についても、そしてこれらの販売・賄賂についても証拠は一切残していないのだから、そもそも動ける道理はないのだ。

 

十徳が自分の違法行為について確信を抱いているのは承知しているし、仮に高荷恵の証言を得ていたとしても逮捕に動けば必然的に高荷恵も牢獄の中。

二人の会話を盗聴した者の報告によれば、十徳は高荷恵に対して情を持っている可能性があるとのこと。

 

故に目の前の男はなおのこと逮捕に動けないでいる。

大なる可能性として、上層部への報告もしていない。

 

 

詰まるところ、どう考えようと自分が窮地に立たされる展望は見えないのだ。

自分は順風満帆、むしろ狩生十徳という男の生殺与奪の権を握ってすらいる。

 

 

「当然です。今の私に逮捕はおろか、捜査も不敬なほど。気分を害したという理由だけで、警察組織に貴方を締め上げるよう圧力を加える事も可能なんですよ?いえ、それどころか社会的に圧殺することも」

 

「くわばらくわばら。友達がたくさん居るってのは羨ましいねぇ、取れる行動の選択肢に幅が広がる」

 

 

警察としての生命どころではない、純然に命を狙う事も可能と言っているのに、十徳の顔に変化は見受けられない。

脅しをまったく意に介さず、そして徐に懐から一枚の紙を取り出して、それを投げた。

 

その紙はひらひらと舞い、すんなりと観柳の胸元へとたどり着く。

そして観柳が無造作に受け取って紙面に目を落とし……

 

 

 

 

絶句。

 

 

 

 

 

 

 

「お前を逮捕して生じるリスクは、国が犯されるリスクに比べれば無きに等しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  これでお前を、国賊として消す  」

 

 

 

 

 

それは、日誌だった。

 

内容はすべて英語で書かれているが、観柳はそれを驚愕の思いで読み進めていく。

何度も何度も、一言一句見落とすことのないよう目を皿にして読み進める。

 

 

だが何度読み返そうと、内容に変化は無かった。   

 

 

 

 

 

『 経由地インドより購入した阿片を日本に売却する。

もって石見の山より銀を買い取り、英本国へと輸送する。これは、貿易量の低下が著しい清国の銀資源が枯渇している可能性を考慮した上でのものである。

 

 本貿易の日本の仲介業者を武田観柳とし、日本人への阿片の積極的流布を確約せしめる。

対価として旧東インド会社が所有していた現二線級の各種武器兵器の在庫を特価で買わせる。

武器兵器の地下組織への流布も同様に確約せしめる。

 

 国家戦略上、清国同様に阿片を日本国中に蔓延させることにより生じる利益はほぼ無い、という本国政府の結論は周知徹底している。

なれど、ロシアの南下政策の最終防波堤を当列島に築く目的を鑑みるに、阿片浸けされた民衆による衆愚国家とさせておくことのメリットは、実利に見えないメリットを本国にもたらす可能性があると考える。

 

 すなわち、阿片常用者の多い当無法地帯において、キリスト教徒を保護する名目による武力進出の検討案を仔細に纏め上げ、パークス領事に提出する 』

 

 

 

 

 

 

『 計五回に渡る阿片の売買に関する途中詳報

 

当方:ジョン・ハートレー

先方:武田観柳

 

第一次売買:完了

阿片総量:五十三トン

銀総量:百二十一トン

備考:武田観柳との初接触を果たす。名誉欲と自己顕示欲が非常に強く、おしなべて御し易し。

 

第二次売買:完了

阿片総量:四十九トン

銀総量:百五十四トン

備考:当人には愛国心の欠片もなく、国を崩壊させる一助を担うことに躊躇は無い様子。すべての意識が目先の金銭に指向している。

 

第三次売買:完了

阿片総量:七十六トン

銀総量:百八十六トン

備考:率先して国民に、しかも政府高官や高級軍人に配布している模様。また、もはや欧州では使い物にならない火器類も喜んで買い取った。売却リストは別添を参照のこと。

 

第四次売買:完了

阿片総量:三十トン

銀総量:二百十トン

備考:囲っている女性、高荷恵について問うたところ、本件には一切合切関わっていないとのこと。当方の調査結果と符合することから偽証でないことを確認。

 

第五次売買:予定

阿片総量:九十八トン(予定)

銀総量:百五十八トン(予定)

備考:(空白) 』

 

 

 

 

 

なん、だ……これは?

 

知らない、知るわけがない。

 

こんなもの、まったくもって身に覚えがない。

 

 

 

先程までも多少の混乱はあったが、ここに来てそれはひとしおとなった。

 

頭の中は真っ白となり、心臓が激しく脈打つ。

口を金魚のようにぱくぱくと動かし、声無き声で喘ぐ姿は、いつもの観柳を知る者ならばそのあまりの豹変ぶりに当惑するだろう。

 

そうなるほどに、観柳は混乱の極みに達していた。

 

そして、働かない頭に微かに過った嫌な予想が、全身を寒からしめた。

 

 

「こ、こんなもの……なんの、証拠にも……」

 

「なるさ。主犯のジョン・ハートレーが大量の阿片を持っていたのは確認している。日本への複数回の往来もな。状況的にその書類─まあ実際には写しだが─の内容は信憑性が高いと言えるだろう。それに、お前らが交わした契約書もここにある」

 

 

そう言って、ひらひらと一枚の紙を見せびらかす十徳。

 

それを見て、更に心臓が一つ跳ね上がった。

 

やらせだ、出鱈目だ、でっち上げだ。

そんなもの、この日誌同様に捏造したものだ!虚偽の証拠だ!

 

こんなのはジョン・ハートレーなる当人に確認すれば……かく、にん……すれば

 

 

「当人に確認したかったんだが、もう英国本土に身柄が移送されて手が出せねぇんだ。英国領事館に協力を請うてもどうせ門前払いだろうし。つまり、だ。奴が残していったこれらの書類の内容を捜査するには、もうお前の側からしか進められねぇんだ」

 

「わ、私に捜査権を行使など……!そんなことをすれば!」

 

「お仲間が黙ってないと?まだ事態を理解していないようだな」

 

「なん……だと?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「これは国家存亡の危機なんだ。清国の二の舞にならないためにも、他国の軍隊による東京の占領を阻止するためにも、この英国の侵略の第一歩は徹底的に潰さなければならない。故に、もはや警察(おれたち)だけの問題じゃないんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「魔の手の一端に加担した全ての者を裁く。徹底的に、容赦無く。少しでもお前に関わった者は売国奴だ。きれいさっぱり終わらせてやる。いいか?官公職に就く者すべてがお前を、お前の仲間とお友達を怨敵と見なしている。お前らは、この証拠を警察が手にした瞬間から、日本の永遠の敵になったんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

幻覚か、錯覚か。

目の前にいる十徳が、いつもの十徳とは到底見えなかった。

 

口角が三日月の如く吊り上がり、覗ける歯がまるで獣のそれ。

隻眼の蒼い瞳が鋭利な刃物の様に煌めき、辺りの気温を氷点下にまで下がったような感覚を相対する者の脊髄に叩き込む。

 

手ぶらで隙だらけのハズなのに、空間を握り締めるような所作をする掌が、まるで今にも心臓を握り潰さんとする悪鬼羅刹のようだった。

 

 

紛れもない、今目の前にいる十徳は観柳にとって初めて見る十徳だ。

 

これが奴の本性か、あるいは別個の人格なのか。

そんなことは分からないし、観柳にとってはどうでもよかった。

今はただ、恐怖に身が震え、思考が霧散する。

 

 

「なに、安心しろ。特に政治家のお友達は皆意義のある幕引きとなる。なにせ()()()()勢力で固まってるんだ。排除は国益にこそなれ、混乱はほとんどない。むしろ好都合さ」

 

 

内務卿大久保利通の政敵は、実は結構数いる。

 

そんな政敵も平成の政治家よりかは遥かに日本を真に憂いているものの、強権的かつスローペースの内務卿の政策に業を煮やしていた。

現状を打破できる何かを求めていたのだ。

 

大久保利通の一声で政策は始まる、或いは終わる。

自分達の声は議会を通しても意味を成さない。

 

そんな鬱憤が溜まっていたときに、観柳が紹介されたのだ。

 

観柳も入りやすい派閥としてそこに加わったのだが、惜しむらくは派閥について無関心だったことか。

自らのイエスマンとして塗り替えたその派閥が、本来は何と敵対していたのか、それを知ろうとはついぞしなかった。

 

 

 

阿片の密輸入。

 

高荷恵を精神的に追い詰めて作らせた阿片という事実を、英国の商人が持ち込んだ阿片という虚構にすり替える。

加えて高荷恵の関与も否定させ、観柳が単独かつ率先して阿片をばら蒔いたことに仕立て上げる。

 

観柳が広げた人脈も風呂敷を畳むが如く綺麗に回収することを宣し、あまつさえ得られる大義名分は輝かしい経歴として残っても可笑しくない。

反面、有罪となれば最後、仲間も同様に消えて釈放の手回しも不可能、それどころか極刑ものの犯罪者として外界はおろか看守との接触をも一切絶たれた場所に放り込まれる。

 

 

そして現状、十徳と蒼紫を前にして、後方の扉も火男によって計らずも塞がれている。

 

もはや考えるまでもない。

 

これは万事休すだ。

 

 

そう、万事休す。

 

 

まだ「詰み」ではない。

 

 

十徳の策は確かに巧妙かつ周到、奇策にして大胆だ。

だが、それ故に粗も目立つ。

 

この場における敗北を悟った観柳は、しかし後々に逆転を図れると見当づけ、言った。

 

 

「……ッ、なるほど。確かに、事ここに至れば認めざるを得ません。その偽りの証拠をもってすれば、私たちはお縄に着いてしまうでしょう。ですが!」

 

 

審判の時まで猶予はある。

その間に自分を無実だと証明、或いは根回しをすることは不可能ではない。

 

眼鏡を掛け直し、観柳は続けた。

 

 

「司法の場に至れば貴方の築いた策の粗を突きましょう。そして貴方の不義を白日の下に晒してご覧にいれます。貴方と私の関係を示す証拠が私にはあるのですから!たかだか紙切れ数枚で私たちを……ッ?!」

 

 

観柳が己を鼓舞するために発していた大きな音声を更に上回る轟音が、地響きとともに耳朶(じだ)を打った。

 

その直後、十徳と蒼紫の向こうにある割れた窓の向こうから、一際大きな咆哮が響いた。

大勢の人間による喚声だった。

 

 

「なッ、にが……?!」

 

 

何が起きたのか皆目見当も着かず、確認したくも膝が笑って動けないでいる。

よしんば動けても、十徳の横を通りすぎて窓辺に確認しに行くなど、今の観柳には出来ようハズもなかった。

 

そんな様子を見た十徳は嗤い、自ら足を動かして観柳の襟首を掴むと、ぞんざいに窓際まで引き摺ってきた。

 

抵抗してもピクリとも動かない十徳の腕力に恐れをなし、洩れ出る悲鳴をなんとか噛み殺す。

この腕は、きっと何の武器を持たずとも人を殺せる。

剣も銃も要らず、ただ己の身一つで何人も殺せる。

 

その事実を間近で察知したのだ、戦いに慣れていない観柳が怖がるのは致し方ないことだろう。

 

だが幸か不幸か、観柳の恐怖心は一時的に霧散した。

無理やり引っ張られてきた窓際から見た景色に、驚愕したのだ。

 

 

 

 

そこで見たものは、手に思い思いの武器や灯りをもって屋敷に入り込んでくる、飼っている浪人ども。

 

松明や篝火を投げ捨て、()()()()()()()()()()

 

門衛や使用人に襲い掛かり、手当たり次第に屋敷の物を()()()()()

 

奇声を上げて、まるで理性を失ったかのように()()()()()()()()()()

 

 

「惨めだな。飼い犬に手を噛まれるとは正にこの事よ。もっとも、飼い慣らしていたつもりが、その実奴等はお前を飼い主とは見なしていなかったようだな。お前にとって奴等が使い勝手のいい駒なら、奴等にとってお前はただの金をばら蒔く案山子だったようだな」

 

「な……ぜ?」

 

 

わけが分からなかった。

敷地に住まわせている浪人どもはしっかりと手綱を握っていたハズだ。

況してやこの最悪の瞬間に裏切られるなど……この、最悪の瞬間に?

 

 

「観柳は今日で終わる、そうなればお前らも道連れだ。そうなりたくなけりゃ最後は好きなもん奪って逃げてみせろ。なんて事を言えばこの有り様だ。見上げた共生関係だったな。もっとも、最後まで渋ってはいたが……ッはは。スゲェな、()()()()ってのは」

 

「ッ……!」

 

「やがてこの屋敷は火に包まれる。まぁその前にかなりの金品や高価な物が略奪され、破壊されるだろう。だが残りの全ては灰と煤に変わる。お前が大事にしていたその証拠とやらも一切合切が、だ」

 

 

あまりに雑把な手法、あまりに乱暴な手段。

最後は燃やしてハイ終わりなど、まるで証拠を隠蔽しようとする犯罪者のようだ。

 

さりとて、それはなんら間違いではない例え話と言えよう。

観柳との癒着など警察官にあるまじき行為だ。

犯罪を取り締まるべき官警が進んで犯罪を犯しているのだ。

 

だが十徳がただ保身を考える犯罪者と明らかに違うのは、もはや言うに及ばないだろう。

 

 

「けど、そうなる前にお前がどうなるかは別の話だ。燃えて焦げる前に、お前はあの浪人どもに何をされるんだろうな。楽に死ねると思わねぇ方がいいぜ?なにしろ、今のアイツらは獣だ。鬱屈した生活を強いられてきたんだ、今はそれを晴らす絶好の機会だと思うぜ?」

 

「ひッ……な?」

 

 

いつの間にか、十徳は肩を組むようにして観柳に接触していた。

 

そして徐々に強くなるその締め付けと、耳に直接語りかけてくる十徳の低い声が、観柳の心臓を鷲掴みにする。

 

 

 

まるでその心臓を握り潰すほどの圧力が、観柳の胸にのし掛かっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なお、恐怖が最高潮に達した瞬間は、十徳の顔面の包帯が捲られ、隠されていた瞳が覗いた時だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 








政敵というわけじゃないですけど、よくぶつかった板垣退助とか伊藤博文はノータッチです




目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

61話 白猫跋扈 其の玖




大分空いてしまってスミマセン


とりあえず、どうぞ









 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分の医術の発展にしか目が行ってなかった。

 

 

 

 

 

阿片は五感を、特に触覚神経を麻痺させる。

 

極少量の摂取ならば依存性の無い急激な睡魔に襲われ、そして深い眠りに落ちる。

また、血管を通して身体の一部に投与すれば、そこだけ神経が麻痺する。

 

これは、痛みを伴うのが当たり前の手術医療に大きな光明をもたらす。

だが、副作用として頭痛、嘔吐、目眩、排尿障害、呼吸困難といったものがあり、しかも麻痺や睡魔等医療に期待できる面は遅効性という難点もある。

 

故に、阿片からとある成分を取り出して、その成分のみを医療に用いれれば人にも優しい医薬品ができるハズだ。

 

先は長いだろうが、この阿片を用いた新たな医術が出来上がれば、きっと怪我に苦しむ多くの人を救うことができると信じ、私は頑張ってきた。

 

 

だから、夢の見すぎで足元が疎かだったと言われればそれまでだ。

 

 

検証済みの阿片を流用されていたなど、全く知らなかった。

 

 

 

 

 

阿片は魔薬だ。

 

摂取すれば幸福感や浮遊感といった好的なものがある一方で、目眩や頭痛、嘔吐、痙攣などの悪的なものがあり、此方は最悪死に至ることすらある。

 

しかも質の悪いことに阿片は恒常性があり、一度摂取した人間は多くが二度と阿片を手放せなくなってしまう。

死に至るまでに多量に摂取するようになり、そうなると幻覚や強迫観念等に襲われ、およそ人として生きていくことが不可能になる。

 

治療は不可能。

阿片への依存は如何なる方法でもってしても断つことはできない。

 

ひとたび阿片が蔓延してしまえば、国すら腐敗して、やがては堕落する。

それは、海を隔てた大国の清が良い例だ。

 

そんなこと、知っていたハズなのに。

 

阿片を扱う者として常識のハズだったのに。

 

 

何故私は管理を怠ったのだろうか。

何故私は観柳の甘い言葉を信じてしまったのだろうか。

 

観柳は、無償で私の医学の発展のための実験検証を全面的に補佐すると言った。

衣食住の保証もし、必要な設備も費用も一切を負担すると言った。

 

今さらだが、その言葉を少しは疑うべきだった。

 

いや、そうでなくともケシの実の管理は徹底すべきだった。

不用心に阿片を精製すべきではなかった。

 

その後に、例え何十人に囲まれて肉体的に脅されても従うべきではなかった。

 

 

本当に、悔いても悔やみきれない。

 

 

自分の小さな望みのせいと、醜い保身の気持ちのせいで多くの人間が廃人になってしまった。

今になって後悔しても、それでも脅されては従うしかない自分の浅ましい気持ちが、本当に嫌になる。

 

 

何度、心が壊れかけたことか。

 

 

何度、自ら作り出した阿片に逃げようと思ったことか。

 

 

 

 

この閉じられた部屋のみが、私にとっての世界だった。

外に逃げることも叶わず、常に浪人たちの下卑た笑みと舐め回すような視線に犯され、ただただ耐えることしかしてこなかった。

 

いえ、違う。

私は心を閉ざして、まるで人形のように言いなりになっていた。

耐えるではなく、そうあるものとして受け入れて、心を殺してきた。

 

この部屋で、最初は阿片からの医学の発展を望み、そして今ではそれを拠り所として、言い訳として、自分の行いにすがってきた。

 

 

阿片を精製することでしか自分を保てなかった。

 

 

だから、部屋に一人の青年を招いただけで、私の見える世界は急激に変わった。

 

 

次に彼が訪れてくれるときを夢見て、部屋の彩りを変えてみたり。

かんざしを付けてみたり、(べに)の色を変えてみたり。

 

 

 

 

できることならもう一度、あの青年に会いたかった。

 

 

 

できることならもう一度、あの白銀の青年の笑った顔が見たかった。

 

 

けれどーー

 

 

「それももう……できそうにないわね」

 

 

自室の窓から見下ろす景色が、己の最期が近いと知らせる。

 

観柳が飼っている浪人たちが屋敷に雪崩れ込んで来たのだ。

何を契機としたのかは分からないが、奴等はじきにこの部屋にも押し入ってくるだろう。

 

そうなれば、自分の身に何が起きるかは火を見るより明らかだ。

人としての尊厳を踏みにじられ、女として生きていく事を不可能にされ、やがてボロ雑巾のように捨てられる。

 

今までは観柳という歯止めがあったが、どういうわけかそれももう機能していないようだ。

ならばもう、本当に今日でおしまいなのだろう。

 

 

あまりに呆気なくて、不甲斐なくて、腹立たしい。

 

 

でも、これが阿片を作ってきた報いだというのなら。

 

 

「受け入れるのが、私の宿命……」

 

 

後悔はある。ありすぎる。

 

けれど、文字通りに後に悔いるからこその後悔。

ならば今さら四の五の言っても意味がない。

 

だから、ここで大人しく自らの命を絶とう。

そう思って、一つの小さな小刀を引き出しから取り出して、手首の脈に当てる。

 

 

身体を好き勝手弄ばれるぐらいなら、いっそここで死んだ方がましだ。

死んだ後の身体を凌辱されるのは想像するだけで気持ち悪いが、意識があるより断然いい。

 

末期に見る景色がこの部屋なのは歯痒いが、彼を考えて彩飾した部屋と考えれば少しは気も晴れる。

 

 

 

どうか叶うことなら、彼を考えて飾ったこの静謐を保つ部屋を、何者にも侵されることなく心に焼き付けて死ねれば―――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ちょっっっと待ったーーー!」

 

 

 

 

突然の言葉とともに、破砕音が室内に轟いた。

 

いきなりの事に身が強ばり、硬直していると部屋の扉が身を掠めて正面の窓壁にぶつかった。

 

いきなりの事に身が竦み、それでも、ああもう浪人達が来たのか、と諦観の思いに支配された身体はゆっくりと動いてくれた。

 

脈に押し当ててる小刀を引くより先に、そういえばさっきの声は随分と高かったような、と思って振り向いた。

 

そして、驚愕した。

 

その人物は、扉を壊した瞬間の所作を保ったまま、微動だにせずにいた。

通路の真ん中で拳を突き出した姿勢のまま、息を深く吐いていた。

 

 

その人は、あまりに美しかった。

 

 

女性として華のように可憐で、それでいて力強さを醸し出す凛とした佇まい。

焦ったような表情をしていながら、むしろそれが端正に整った顔立ちを一層際立たせている。

 

 

知らない人だ。

屋敷に女性は私しか居ないから、始めて見る人であることは確かだ。

 

だが、なら誰?

 

 

「あっぶな~!危うく死なれるところだった。こんなところでヘマしたらジッ君に見捨てられるわ……まぁなんとか間に合って良かったけど、貴女が高荷恵ね?」

 

「え、えぇ。貴女は……?」

 

「悪いけど自己紹介は後。話したら色々と質問攻めに会いそうだし。だから取り敢えず私に与えられた任務を教えておくわ。『この混乱に乗じて高荷恵を救出すること』。さ、とっとと行くわよ」

 

「……っえ?」

 

 

任務?私を無事に逃がす?

 

わけが分からない。

私は誰かに助けてもらえるような人間じゃない。

阿片で多くの人の人生を台無しにした人でなしなのに、そんな女に救いの手を差し伸べる人なんて……

 

 

「ほら、ぼさっとしてないで。此処にも浪人どもが──!」

 

 

呆然とする私の手を掴んで部屋の外へと引っ張り出した女性は、廊下に出て直ぐにその足を止めた。

 

つられて私も足を止めて廊下を見ると、彼女が足を止めた理由が嫌でも分かった。

既に多くの浪人たちが廊下の向こうから我先にと走ってきているのだ。

 

そして、私たちを視認すると目の色を変えた。

遠目からでも分かる。

 

あまりにおぞましい、情欲だ。

 

 

「あ~あ、式ちゃんは間に合わなかったか。ま、それはそれでいいんだけどね」

 

 

数秒後にあの汚ならしい男らが自分たちを犯すのは誰でも分かることのハズなのに、前に立つ女性はどこ吹く風。

まるで自分は無関係のように呑気に呟いていた。

 

 

「貴女、何を呑気に……」

 

「大丈夫大丈夫。取り敢えず予定を変更して此処で迎え撃つわ。離れられると厄介だから後ろにいて。絶対よ。いい?フリじゃないから本当に離れないでね?」

 

 

この期に及んで何を言っているのか分からない女性は、嘘か真か此処で彼らと戦うと言った。

 

気でも触れたのかと本気で思い、されど心配の感情は一欠片も芽生えず、さりとて呑気な態度に怒気が芽生えたわけでもない。

 

彼女は本気で私を連れ出そうとしたのかも知れないが、あの男どもに凌辱されて最後に殺されるのが自分の宿命なのだと受け入れた私にとって、もはや全てがどうでもよかったのだ。

 

目の前の女性が本当は向こうの側にいるのだとしても、或いは本当に気が触れたのだとしても、もうどうでもよかった。

 

なんであっても、もう……

 

 

「ッ、え……?」

 

 

だから、何が起きても驚きはしないつもりだった。

身ぐるみを剥がれて組伏せられたとしても、そうなるべくしてなるのだと受け入れるつもりだった。

 

だというのに。

 

目の前の女性が、迫り来る男の一人を小さな動作で沈めた瞬間を見たときは、本当に驚いた。

度肝を抜かれた。

 

何が起きたのかは正直よく分からない。

女性の肩が微かに動いた瞬間には、ぱき、と軽快な音とともに男の身が崩れ落ちているのだ。

 

続く二人目、三人目も同様に沈めていく。

どさ、と痛快な音が廊下に響けば一人の男が確実に落ちている。

何人もが束になって襲い掛かってきても、女性はものともせずに冷静に、確実に処理していっている。

 

 

「ジッ君の助言を基に昇華させたこの拳法。容易く破れると思わないことね、このゴロツキども!」

 

 

何が起きているのか本気で分からない。

ただ、女性の前には何人もの気絶した男らの身が積み重なっていることだけは、よく分かっている。

 

手に様々な武器を持っている男らを文字通り鎧袖一触にしている女性。

あまりの現実離れした光景に呼吸することを忘れ、ただただ呆然としていた。

 

だがそれでも、この状況をどうにかできるわけではないということは、戦いに疎い私でも分かる。

相手の数が多すぎる。

 

人だかりは増すばかり。

男らの怒号と咆哮はなお廊下に響き、身を貫いてくる。

 

ダメだ。

女性はかなり頼りになる強さだけど、この数を全員相手にできるとは到底思えない。

 

私を助けようとしてくれるのは分かった。

でもその努力の甲斐は……と、心に暗澹たる思いが再び出てきたときだった。

男らの人だかりの向こうが俄に騒然としてきたことに気が付いた。

 

 

「……ッ?!」

 

「あ、やっと来た。式ちゃん遅~い!」

 

 

また一人、今度は足を振り回して壁に男の顔面を叩きつけて黙らせた女性は、相も変わらず飄々とした様子で呟き、大声で叫んだ。

その声は人だかりの向こうに掛けたようで、向こうからも返事があった。

 

 

「悪い!此処まで来る間に想定以上の浪人どもと出会(でくわ)したんだ!」

 

「無事に来れたならそれでいいわ!直ぐにそっちに行くわよ!」

 

「おうよ!」

 

 

男らの存在を歯牙にも掛けず、向こうにいるであろう人と女性は男らを挟んで会話をした。

そして事前に定めていたのだろうか、簡単な意思疎通をすると女性は有無を言わさず私を背負った。

 

 

「え、ちょッ……?!」

 

「舌噛むからしっかり閉じてなさい。揺れるわよ!」

 

 

私が状況を理解するより先に、女性は私を背負いながら屈み、そして駆け出した。

 

壁に向かって。

 

 

生足が見えるほどの深いスリット(切れ込み)の入った服を翻しながら、壁を蹴り続ける。

途中、何度か壁から離れて男らの肩や顔、頭を足場にして再び壁に戻って駆け抜ける。

 

 

「ぶへ……!」

 

「くそッ、逃がすな!」

 

「ありがとうございます!」

 

 

背後から聞こえる怒声と感謝(?)の言葉を尻目に、やがて人だかりを越えて降りると、そこには庭番の式尉がいた。

流麗とはほど遠い、豪快な動きで拳、或いは蹴足でもって男らを沈めていた。

 

 

「なんッ……で?!」

 

「あん?鎌足、事情は話していないのか?」

 

「私が来たときにはほとんどご覧の有り様だったからね~。説明は後回しにしてるわ」

 

「む……まあ賢明か。なら、引き続き説明は後回しとしよう。とっとと此処からずらかるぞ!」

 

「合点承知!」

 

 

もうダメだ、頭がおかしかなりそうだ。

 

いきなり観柳の飼っていた浪人らが反乱を起こしたかと思えば知らない女性に助けられて。

その女性は男顔負け、否、並みの武術家すら顔負けの強さを見せて、あまつさえ協力者が観柳お抱えの暗殺集団、御庭番衆の一人ときた。

 

本当に何が起きているというのだろうか。

 

そんな私の混乱を余所に、私を背負いながら女性はどんどん進んでいき、時たま邪魔になる男を足だけで潰す。

後ろを式尉が私たちを守るように着いてきて、時々迫る男らを蹴散らしていく。

 

二人の頼りになる様を見て、このままなら本当にこの屋敷から逃げ出せるのかと思った時、ふと鼻につく臭いに気が付いた。

 

 

「ね、ねえ!何か匂わない?!何かが燃えている?!」

 

「浪人どもが火を放ったのよ。じきにこの屋敷は燃え落ちる。安心おし、それも手筈の内よ」

 

「な……それも、貴女に指示をした人が?」

 

「さあ、どうかしらね。でも、燃えてくれたら此方としても都合が良いのは確かね!」

 

 

なんとも思わせ振りな言い方。

 

けど、それならいよいよもって、彼女達がどこの所属の人なのか分からなくなる。

 

 

三階から一気に階段を駆け下り、一階から再び廊下を走ったところ、女性が言い出した。

 

 

「ここら辺かな……そ~れ!」

 

 

そして、何の前触れもなく女性は廊下の窓ガラスを蹴り割った。

そこから出て、続いて式尉が出る。

 

 

「……あ、」

 

 

つと、外の空気と陽の光りを全身に浴びて、声が漏れてしまった。

 

別に外を眺められなかったわけではないし、陽光を浴びれなかったわけではない。

それでも部屋からの陽光よりも、外に出てのそれは格段に意味も度合いも違う。

 

 

見上げる太陽は今までと同じように燦々と輝いているハズなのに、それでも、いつもより強く在るかのように中空に座しているように見えて、自分は本当に外に出られたと実感を持てて。

 

 

なんてことはない。

 

こんなにも簡単に外に出られた。

こんなにも簡単に自分の殻から抜け出せた。

 

こんな簡単なものなのかと、あまりの拍子抜けに私は一つ溜め息を吐き出した直後。

 

 

 

 

 

窓ガラスが割れた音と、そして悲鳴とともに何かが地に落ちた音が背に響いた。

 

 

 

 

 

「……ッ、え?」

 

 

 

 

 

 

頭だけを振り向くと、そこには盛大な泣きべそを掻いている観柳が踞っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
















私事ですが、昨日試合で負けました

ものすごく悔しいです
悔しくて、悲しくて、何度後悔してもしきれません

プレーの一つ一つが未だ頭にこびりついて離れません



「敗北」というのは、こんなにも辛くて飲み込めないものなんですね







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

62話 白猫跋扈 其の拾










 

 

 

 

 

「も、もう……、やめ……へ」

 

 

恵が絶句したのも無理もない。

観柳の様子はあまりに常軌を逸していたのだ。

 

顔は憔悴し、シワが増えて急激に年を取ったかのよう。

涙と鼻水と涎で酷くぐしゃぐしゃになっている。

 

着地した拍子に折ったのだろうか、片足は曲がっていてもはやマトモに立つこともできない。

それゆえ腕だけで動こうとしているのだろうが、その動作の滑稽たるや。

泣きながら芋虫のように身を引き摺ってこの場から離れようともがく様は、相手へのわだかまりがありながらなお同情を禁じ得ないほどだった。

 

 

「かん、りゅう……?」

 

 

恵の呟く声はおろか、この場にいる女性と式尉に気付くこともなく観柳はもがき続ける。

 

観柳に最後に会ったのはほんの数刻ほど前だ。

それから今の今までに一体なにが起きたというのか?

浪人らが?

 

そう考えて、観柳が落ちてきた上の方を見上げようとしたときだった。

見上げるより先に三つの影が目の前に落ちてきた。

 

 

「……!」

 

 

その影は、見知った存在だった。

御庭番衆の火男が、その巨体さゆえ地響きを立てながら観柳の横に着地し、その隣に御頭の蒼紫が音を立てずに降り立った。

 

式尉が側にいるのだ、今さら二人を見ても恵に驚きは無かった。

観柳に雇われていた彼らが、どうして観柳がこうなるのを許したのかは分からないが、そもそも恵はそこまで考えていなかった。

 

なにせ今の恵は、ある一点のみを見詰めているから。

 

 

「―――狩生くん!」

 

 

観柳を挟んで向こう側に降り立ったのは他でもない、いつかまた会えたらと願っていた青年、狩生十徳その人だった。

 

だが、当の十徳はちらりと恵たちを一瞥しただけ。

すぐに観柳の前で屈み、その後頭部を掴んで無理矢理視線を合わさせると何事かを呟いた。

 

意図的に小声で話しているのだろうか、恵には何を言っているのかは杳として分からなかった。

何かを言う度に観柳の肩が震え、滂沱の涙を溢して喘ぎながら必死に頷いていた。

 

 

「ッ……なんつう鬼畜。(かしら)、アイツ正真正銘の鬼ですぜ?本当に与するんですかい?」

 

「無論だ。修羅か羅刹の類いと思っていたが、その片鱗を見れたのは寧ろ僥倖。人の皮を被った鬼だと言われても、納得こそすれど敬遠する理由にはなるまい」

 

「羅刹、ねぇ……零距離で殺気を顔面に何度もぶつけたり、口腔内に手ぇ突っ込んだり、舌を引っ掴んでちぎろうと脅――」

 

「はーい、よい子は聞かなくて良いことだからねー。お耳閉じ閉じしましょーねー」

 

「ふゃ?!」

 

 

鎌足の背中から降りて、蒼紫と火男の会話を聞きながら十徳のところに歩いていた恵たち三人。

その途中、恵の耳を鎌足が塞いで聴覚をシャットアウトさせた。

 

物騒極まりない話の内容に脚色は一切無いため、その行動は正しい。

 

十徳は肩を組むようにして観柳を捉えていたことを良いことに、徹底的に脅したのだ。

余計な事は口走らないこと、変な企ては持たないこと、そして二度と陽の光りを浴びようとは思わないこと等々。

 

十徳は観柳に二度殺されかけた。

一度目は、隠密御庭番衆を差し向けられて。

二度目は、雇っている浪人らを差し向けられて。

 

故に、それらをはね除けた十徳にとっては、もはや観柳は純然な“排除すべき敵”となっているのだ。

例え裏切ることを前提とした協力関係を築いていたとしても、事ここに至れば容赦も遠慮も要らなくなった。

 

 

結果、三階から突き落とした際には死んでしまってもいいとすら考えていた。

 

 

科学捜査の“か”の字もないこの時代、事故に見せかける、或いは浪人どもによる私刑(リンチ)に見せかける等、取れる手段は幾らでもある。

生きようと死のうと、無様な姿の観柳を恵の眼前に晒け出し、自らを縛る鎖が斯くの如くなっているのだと彼女の心に焼き付けられれば、それでよかった。

 

 

十徳は鎌足に、暗に耳から手をどけるようジェスチャーして、そして告げた。

 

 

 

 

「武田観柳。密輸した大量の阿片と武器を政治家及び軍関係者、ひいては公職に就く者に賄賂として贈与し、当人たちの心身を著しく害した。私利私欲という醜い理由で国政を担い得る者を凋落させ、もって英国の侵略の一端を担った……これに相違ないな?」

 

「は……ひ。そ、そ……ひ、ありま……へ、ん」

 

「結構」

 

 

答えを聞き届けた十徳は観柳を掴むと、乱雑に火男に投げた。

慌てながらも観柳をキャッチした火男は、十徳の意を悟って渋々と肩に背負った。

 

当の観柳に抵抗する素振りは一切なく、それどころか瞳には恐怖と絶望の色が濃く映り込んでいるほど。

それを解した十徳はここにきて初めて全員に向き直り、宣した。

 

 

「聞いたな?観柳の阿片及び武器の密輸入は確認済み。証拠もあるし、自白もたった今得られた。また一切の事に()()()でありながら軟禁されていた女性、高荷恵の救出にも成功した」

 

「ッ?!」

 

「忠勤大儀である……皆、よくやった」

 

 

先程の十徳の罪状説明は恵もしっかりと聞いていたし、掠れる声で観柳がそれを認めたことも聞いていた。

正直なにが起きているのか理解出来ていないが、強調されて言われた“無関係”という単語から、十徳が何らかの細工をしていたということは薄々と理解できていた。

 

だが、だからと言って納得できるかは全くの別問題だ。

 

十徳が続けて何かを言おうとしたとき、屋敷の奥の方から一際大きな爆音が響いた。

 

 

「ッ、今の爆発……何かに引火したか?御頭、屋敷が崩れ落ちるのも時間の問題ですぜ」

 

「じっくん、私たちも早く離れましょう。浪人どももホラ、あそこから色んな物担いで逃げてるし」

 

 

此処で犯されて殺させることが運命だと思っていた。

此処で嬲られて朽ちることが宿業だと思っていた。

 

何故なら、そうなるべきことを仕出かしてきたから。

自分の不注意で悪を醜く肥え太らせ、多くの人の生を壊した。

 

そうして生きる意思を無くし、さりとて死ぬ気力も無く。

言われるがままに、自己保身のために阿片を作り続けてきた。

 

 

「御頭、番頭(十徳のこと)。早いとこ退避しようぜ」

 

「そうだな。十徳、行くぞ」

 

 

無関係なわけがない。

 

むしろ発端、根元、諸悪である。

 

裁かれるべきは自分も同様。

助けられる筋合いや資格なんて露ほども無いのだ。

 

 

だから、どうして。

 

 

どうしてそんな私を。

 

 

 

火の粉から逃れるため門前まで来た恵たちは、燃え盛る観柳邸を見ていた。

 

 

だが恵は、つとその視線を切った。

 

そっと横から肩に添えられた鎌足の手を感じながら、横を見る。

そこには、真剣な眼差しをした十徳がいた。

 

やがて彼の口から溢れた言葉は、一つの問いだった。

 

 

「高荷さん。貴方が背負っているその罪を、俺に返してくれないか?」

 

「……え?」

 

 

空気が抜けたような軽い音が、恵の口からこぼれた。

 

罪とは、正しく自分が阿片を作って多くの人の生と命を台無しにしたことだろう。

それを返す?どういうこと?

 

要領を得ない突然の質問に、恵は混乱した。

 

 

「白状するとさ。俺は知ってたんだ、貴女が観柳に利用されていたことも、あへん……良からぬ物を作っていたことも」

 

 

その言葉に、恵は驚くこともなかった。

 

何の目的かは知らないが、彼は観柳と懇意にしていたのだ。

自分のことを知らないわけもないだろうと分かっていたのだ。

 

 

「でも俺は、観柳を利用する為に貴女を助けなかった。救わなかった。阻止するべき立場にありながらも、止めるべき力を持ちながらも、貴女に過酷な罪を背負わせ続ける道を選んだ」

 

「狩生、くん……」

 

「そして貴女が作った物を観柳が利用する際、その利用先を俺が選んだ。廃人に墜とすべき人物の選定を、俺がしたんだ。俺の一存で、多くの人の人生をぶっ壊した。俺が率先して、そうなるべき人物を選んだ」

 

 

その言葉で初めて、恵は目を見開いた。

 

観柳が何をしていたのか、具体的に恵は把握していなかった。

自らが精製した阿片を観柳が徴収し、しかし当の観柳が阿片を使用している様子が見られなかったため、どこか別の誰かに売っていたのだろうとは考えていた。

それでも、まったく関係の無い誰かであろうと、作った阿片は最終的には「使用者」に行き届くのだから、罪の重さに違いはないと考えていた。

 

だが、そこに十徳が絡んでいたら?

 

 

「使用者」が十徳の人選によるものだとしたら……

 

 

「無論、ただ無作為に選んでたわけではない。きちんと俺に利する相手を厳選した結果だ。利とは何かと問われると……悪いが教えられない。でも、だからこそ、一つだけ、言えることがある――」

 

 

……それでもきっと、関係ない。

 

発端は自分であり、そこに十徳が居ようと居まいと罪の重さに差は生まれない。

 

なぜ?

なぜ、その利を得るために悪事を働いた?

あの優しさと暖かさを見せてくれた狩生くんが、どうして?

 

 

そんな疑問が分かりやすく顔に出ていたのだろう、十徳が澄んだ声音で言った。

 

 

「貴女のその罪は貴女のものじゃない、()()()()だ。返してくれ」

 

 

どくん、と心臓が跳ね上がり、恵の呼吸が止まった。

 

 

確かに、恵の精製した阿片によって多くの人が廃人になった。

その人生が大きく狂っただろう、多くの人が不幸になっただろう。

 

きっと当人だけではない。

その人にも家族は居ただろう、恋人が居ただろう、友人が居ただろう。

大切な人が居たハズだ。

そんな人たちの人生も壊したのだ。

 

そして繰り返すが、そうなるべき人物を選んだのは十徳だ。

 

ならば、罪は誰が一番重い?

 

阿片を作った恵か、阿片を渡した観柳か。

それとも、阻止するべき立場に居ながら阻止せず、それどころか国益のためと称しながら多くの人を破滅に追い込み、あまつさえ私腹を肥やした十徳か。

 

 

法学者ならば誰を選ぶ?

 

事情を知った一般人ならば?

 

或いは何も知らない人ならば?

 

 

国政を担う者ならば?

 

 

 

 

 

笑止、と十徳は一蹴する。

 

 

 

 

 

 

全ては俺が招いたこと、と嗤う。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

そも観柳という屑の存在は原作知識から疾うに知っていたし、恵が本意でなく阿片を作っていたことも知っていた。

されど止められる立場にあり、止められる個の力も群の力もありながら止めなかった。

 

もし本気で止めようと動いたならば、阿片による被害を確実に僅少にできたと考えている。

否、確信している。

 

されど、そうしなかった。

観柳を利用して多くの人たちを苦しめ、そんな人たちを観柳もろとも処分して国の為だったとほざく。

あまつさえ全ての罪を観柳に着せ、恵の罪をも有耶無耶にする。

 

悪を肥え太らせて巨悪に育て、利用する。

そして使い終えた後、容赦なく処分する。

 

 

悪を使えるのは、より大きな悪である。

 

 

巨悪を使い潰せるのは、悪鬼羅刹の俺をおいて他にいない。

俺こそが悪だ、観柳に関するあまねく真の罪は誰にも渡さない。

受けるべき罰は全て俺のものだ、誰にも背負わせはしない。

 

 

それこそが十徳の意思であり、全ては十徳が仕組んだ結果だ。

そうしようと決意し、そして背負うことを受け入れた罪の形だ。

 

 

絶対に誰にも渡さない覚悟(つみ)が故に、恵には何も背負ってほしくなかった。

 

 

「そんな……でも、」

 

 

十徳の真意を理解した恵は、しかし上手く言葉を続けられなかった。

 

胸に生じた激しい感情に、ひどく苛まれているのだ。

恵自身も、己の胸に渦巻くこの感情を理解しきれていない。

 

ただ一つ分かることは、とても胸が締め付けられるほどに苦しいこと。

それは、とても悲しいからだということ。

 

それだけは、言葉にできずとも分かった。

 

 

 

 

罪悪を感じないようにする、などできるわけがない。

例え仕組まれたものと分かったところで、罪の意識になんら変化はない。

 

罪を忘れて日常に戻るなんて、できるハズがない。

けれど、()()()()()()を彼が望んでいる。

 

罪を物のように受け渡しするなど、できるハズがない。

けれど、()()()()()()を彼が望んでいる。

 

 

そのあまりに大きな覚悟が、ひどく冷たくて、痛々しかった。

 

自分に覚悟なんて、何一つない。

罪を受け入れるのは、単なる諦観が故。

犯した罪の重さに喘いで、苦しいから、助かりたいから罰を求める。

 

けれど、彼は違う。

自分こそが罰を受けるべき悪なのだと、胸を張る。

罪は全て己が身からあふれ出たもの、だから全ての罪は俺へと遡ると言う。

 

 

自分とは正反対な彼の、罪への向かい方が、ひどく眩しく見える反面、どうしてか、どこか辛く感じてしまうのだった。

 

 

 

それはきっと、罪を背負う彼の在り方に、多分に優しさが含まれているからだ。

 

自分を慮っての結果が今の目の前の光景だと思うのは、きっと自惚れではない気がする。

だからだろう、こんな自分を助けるため、ここまで大きな覚悟を強いてしまったことが、とても辛かった。

 

 

彼の顔には片目を隠すように大きく包帯が巻かれている。

頬に深く付けられている傷から、もしかしたら片目を大きく切り裂いているのかもしれない。

右腕だって以前と変わらず包帯が巻かれている。

服で隠れている身体だって、きっと傷だらけなのかもしれない。

 

あまりに痛々しい姿、あまりにいたたまれない姿。

 

なのに。

 

なのに彼は、こんなにも堂々としている。

こんなにも敢然としている、こんなにも毅然としている。

 

こんなにも強く在り続けている。

 

 

 

恵の胸の痛みは、一層ひどくなった。

 

 

 

つと、恵は十徳の視線が屋敷ではなく、反対の通りの方を向いていることに気がついた。

それにつられて通りを見ると、一人の警官が走ってきているのが見えた。

 

肩を大きく上下させ、額が汗でぐっしょりしている。

燃え上がっている観柳邸を見て、驚きから足を止めた丸眼鏡のパンチパーマをした男性が十徳に声を掛けた。

 

 

「はあ、はあ、ぜえ、……十徳くん。これ、は……?」

 

「署長。どうやら観柳が囲い込んでいた浪人どもが狼藉を働いたようです。観柳の身柄は捕らえましたが、奴等にかなりいたぶられた後だったようで、ご覧の通り……」

 

 

そう言って火男に目線を向ければ、彼は意を汲み観柳を降ろしてその身を署長に渡した。

その観柳の容態を見て署長は荒れていた息を飲む。

 

 

「あと彼女が件の軟禁されていた女性です。心身ともに疲弊しています。養生できるよう……」

 

「なるほど、彼女が……えぇ、大丈夫ですよ。家内にも冴子にも伝えてあります。一時的に私の家で保護しましょう」

 

「ありがとうございます。ところで、周りの首尾はどうですか?」

 

「貴方たちの動きに呼応して、警視本署に残るほとんどの警官を動員させて、観柳と縁を持った人たちの逮捕に動きました。討伐隊が壊滅したこの時に大規模捜査をするのはどうかと思いましたが、大警視のご意向ですし、皆さんに全力で動いてもらってます」

 

「署内が混乱しているのは分かります。けれど、それで本署が機能しなくなるようでは相手の思う壺です。ここは、死に物狂いになってでも動かなくてはなりません」

 

「……えぇ、そうですね。その通りです。今はとにかく、職務に忠勤すべき時ですね」

 

 

汗を手拭いで拭き終えた署長は、十徳を見据えて問う。

 

 

「観柳の身柄は引き受けます。狩生くんたちは、この後どうされますか?」

 

「予定通り次の任務に動きます」

 

 

そう答え、十徳は全員に向けて言った。

 

 

「鎌足は高荷さんを署長宅にお連れしろ。観柳の件が片付いた以上、S捜査がメインになるからお前を前面に出すことは当分ない。だから優先して高荷さんのケアに当たってくれ」

 

「りょ~かい!でもでも。S捜査以外のことで私が必要になったら、いつでも呼んでね♪」

 

「ああ、そうさせてもらう。蒼紫たちは京に行ってくれ。道中の通信拠点は徹底的に潰して構わない。十本刀と遭遇しても好きに暴れて……いや、違うな。立ちはだかる奴は全て刈り取れ。容赦無く、だ。いいな?」

 

「ふ、了解だ。連れていくのは式尉と火男と癋見だな?」

 

「ああ。般若たちは、ロシア人との接触が成功するかは運次第だが、第一の目的(工作員が北関東に居ないことの確認)が達成したら西に行きながら探すよう伝えてあるから、いずれお前たちと合流するだろう。お前たちも京に着いたら情報網の敷設に尽力しろよ。それと、例の人探しもな」

 

「分かっている。任せておけ」

 

「頼んだぞ。横浜から東京に来る際に、観柳の土産を大量に持ってきたろ?好きなのを持っていけ。俺は──」

 

「番頭!」

 

 

十徳の口から続きが語られようとしたときだった。

駆けてきた癋見が割り込んできたのだ。

 

 

「癋見。連絡役のお前が来たということは……現れたのか?」

 

「ヤベェですぜ。想定を上回る事態だ」

 

 

十徳は悲壮感と焦燥感を顔に張り付けている癋見を落ち着かせ、何が起きたのかを問うた。

 

 

 

 

 

「多数飛来してきた不明飛翔物体がダイナマイトをばら撒いてやがる。陸軍省は現在爆撃を受けている」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

===========

 

 

 

 

 

 

「どうする?」

 

「どうもしない」

 

 

蒼紫の質問を受けると、十徳は一瞬の間もなく答えた。

 

 

 

「予定に変更はない。俺たちは俺たちの任務を優先する」

 

「……そうか」

 

 

 

 

 

 

 

 

「阿呆で役立たずで、俺より弱くてしょーも無ェ奴等だ。そんな部下どもを信じる気なんざさらさら無いが、それでもやる時はやってくれる。そんぐらいは分かんだよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 













次回!乞う!ご期待!



















下の方に報告というか、愚痴というか、そんなものを書きました

物語の雰囲気がぶち壊れるので、そーいうのはヤダという人はご注意ください
読まないことをお勧めします







 


























==========






白状しますと、本章を投稿し初めてからストックが一話も増えてません
次話でストックが切れます


なんか、全然書けなくなっちゃいました

ほんと凄く、凄く書くのがしんどくなってきちゃって……ごめんなさい
頭にはストーリーが出来上がってるというのに、文字におこすのが凄く辛くなって


一日の限られたプライベート時間に無理矢理書こうとしても、全然指が動いてくれない
なんとか書き進めても、まるで文字がただの記号にしか見えなくなって、自分の作る世界なのにそこに入れなくて


すみません、取り敢えず明日には残る話を投稿します
読者の方々にも納得してもらえるよう、内容も修正しておきます


今までは、ある程度書き留めてから投稿していたのですが、今後はちょっと厳しいかもです


かなりスパンが空くかもしれません
或いは、お茶会みたいな舞台裏のお気楽な閑話を投稿するかもしれません
或いは、何食わぬ顔して普通に投稿を続けているかもしれません





すみませんが、取り敢えず、またノシ







目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

63話 白猫跋扈 其の拾壱





どうぞ











 

 

 

 

 

 

 

 

 

「風向風量……変わらず。天候……晴天変わらず。人口密度……微増。該当人物……未発見」

 

 

 

宿屋の二階のとある一室。

微かに開けられた障子戸から一本の黒く細長い筒が出され、その上に更に着いている短く太い筒を覗き込みながら、男は呟いた。

 

男は障子戸の前で座り、頻りに呟きながら筒を左右に動かしている。

どうやら通りを行く人々を観察しているようだが、ならば覗いている物は何かといえば、それは単眼鏡だった。

とある人物による改良を経て、かなりの高精度を誇るようになったコンパクトな単眼鏡を覗き、道を行き交う人々を見ているのだ。

 

その人物は他でもない、宇治木である。

 

黒一色の全身はものものしく、和室にはあまりにも似つかわしくない姿をしているが、そんなのはどこ吹く風。

今は己に課せられた任務に集中していた。

 

 

すなわち、緋村剣心の身に迫る志々雄一派の手を潰すこと。

 

 

さっきまでは剣心を監視する目も見当たらず、故に実際に行動に移す者も居なかったため気が少し抜けていた。

だが、今となってはもう違う。

剣心が陸軍省に入っていったのだ。

 

十徳の予測によると、剣心の次に標的にされる可能性があるのは陸軍であり、特に剣心と縁のある者が狙われる危険性があるとのこと。

つまり、一派からしたら絶好の機会なのだ。

 

剣心もそれは承知しているものの、一人では限界もある。

故に、こうして宇治木を筆頭にした特捜部が省舎を囲うようにして警戒体制に当たっているのだが。

 

 

「小兵を送り込んでくる可能性は低い。あるとすれば十本刀の一角。各人の詳細は伝え聞いているが、さて誰が来るか」

 

 

十本刀は来るか、来ないか。

無論、来ない訳がない。

なればこそ、どの瞬間か、どこからか、どれほどの規模か。

 

この対志々雄戦争においては、あまりに不明なことが多すぎる。

宇治木たちからすれば怪物クラスの洞察力と、化物クラスの精神力を有する十徳というリーダーが居るものの、それでも明確にできないことの方が多い。

 

 

この戦場の霧の先を正確に見据えることなど、不可能なのだ。

 

 

「なればこそ課された任務は確実にこなす。霧の中を着実に進むためにも、必ず……ッ!?」

 

 

筒の上に備え付けられた単眼鏡を覗きながら呟いた直後、そのレンズの端に映っていた陸軍省の一部が突然、爆炎を噴き出したのだ。

次いで、民宿にまで爆音が届く。

 

 

「なにが……?!」

 

 

レンズをずらすと、一角が火の手に飲まれる省舎が飛び込んできた。

 

奴等か?!どこから?!どこにいる?!

 

一瞬にして多くの疑問が頭を駆け巡ったが、直ぐ様それは氷解した。

省舎の20メートルほど上空を、()()の黒い影が飛行していたのだ。

 

 

「あれは……飛翔の蝙也か?!」

 

 

飛翔の蝙也。

半年前、横浜で十徳と交戦した十本刀が一人だ。

 

皮と骨しか無いのではと思えるほど極限にまで身体を軽量化し、ダイナマイトの爆風で飛翔することを可ならしめた達人。

頭上という人間にとって最大の死角から斬撃、或いはダイナマイトそのもので爆撃する人間爆撃機。

 

もっとも、その軽量化故に本体の防御力は紙同然なほど。

横浜での十徳との暗闘、及び原作での主人公勢の一人の少年との戦闘においては、これを突かれて敗北したのだ。

 

だが、それもあくまで一人の話。

蝙也が複数人居るとは誰も想定していなかった。

 

 

「くそッ、いきなり想定外の事態とはな!」

 

 

 

 

 

“戦場の霧”を定義したプロイセン軍人カール・フォン・クラウゼヴィッツは、戦場において指揮官がリアルタイムで戦況を把握できないことから、戦場に関する全ての情報は推測と予測に依ってしまい、そして作戦立案もこれに依存せざるを得ないという危険性があることを説いている。

 

明確な情報が得られない以上、推測と予測に依らざるを得ないのはある程度は仕方がない。

だが、その危険性を認識しなくなることこそが、してはいけないことなのだ。

 

当然、十徳もある程度は推測と予測によって作戦を考案し、実行している。

原作知識と歴史知識が有るとはいえ、相手は詳細不明の地下武装組織。

況してや刻々と変化する情勢において、人の下す決断が常に同じとは限らない。

つまり、原作と同じ動きをするとは限らないのだ。

 

 

故に、常に心掛け、そして部下に周知していることがある。

 

 

戦場においては常に予期し得なかった事が起きる。

問題は、その事態を迅速かつ的確に把握し、適切に対処できるかどうかである、と。

 

言ってしまえばシンプル極まりない内容だ。

だが、この簡易極まりないことを実際にやれるか否かで、当人の生死が決まるのだから、誰しもが本気にもなるというもの。

 

 

しからば、宇治木は?

 

 

躊躇なく障子戸を蹴破り、器用に戸枠を伝って屋根に登り出る。

そして一部が火の手に飲まれる省舎を見て一瞬だけ歯軋りし、されど直ぐに意識を切り替える。

 

省舎の上空を飛び回る複数の敵を見て吼えた。

 

 

「羽虫が何匹居ようとやることに変わりはない。日本の空は日本人のものだ、断じて貴様ら(テロリスト)が居ていい場所ではないことを教えてやる!」

 

 

構え、見る。

単眼鏡(スコープ)を覗き込み、()()を合わせる。

 

 

それは、狙撃銃だった。

 

 

狙撃銃が現れるのは、第一次大戦中である。

それまで“狙撃”という概念は無く、もともと一般兵の小銃が狙撃と同じ性質を持っていたからである。

 

だが戦中、高精度の小銃と高い技量を有する兵士による遠距離射撃が高い戦果を上げているという事実を知った各国軍は、その錬兵に注力した。

銃には専用のスコープを着け、専用の部隊として、専用の任務を与えた。

 

故に、今はまだ概念すら存在しない“狙撃兵”。

 

 

十徳は観柳から調達させた小銃を外印に改造させ、こうして特捜部に持たせているのだ。

 

刀を使った正面切っての戦闘では役立たずの部下たちだが、狙撃銃を与えての遠距離戦闘であれば少しは役立つはず。

況してや市街地における対テロ戦闘(カウンター・テロ)ならば、狙撃銃そのものの真価で活躍してくれるたろう。

 

 

そんな、十徳の切望が生んだこのまたとない機会に、初の銃声が轟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

「さあ、どうする山県有朋?大人しく出てきて爆死するか、穴熊決めて焼死するか。さあさあさあ!」

 

 

点火したダイナマイトを再び落とし、嬉々として声を荒らげるは十本刀が一人、“飛翔の蝙也”こと刈羽蝙也である。

そして、彼と同じようにして省舎上空を飛び回り、ダイナマイトを落としていく十三の影は、同郷の者たちであり、同じ風魔の一族を祖にもつ盗賊集団の生き残りたちである。

 

 

風魔の一族。

 

 

相模(現在の神奈川県)の国は足柄を拠点とした忍集団。

後北条家に仕えていた戦闘のプロフェッショナルたちだ。

 

北条早雲が相模の小田原城を奪う際にその存在を轟かせ、後の武田勢や上杉勢の小田原攻めを跳ね返し、その名を恐怖の象徴として君臨させた彼らは、脈々と続く北条家を支え続けていた。

 

だが、永遠に世に在り続ける栄華は存在しない。

かの関白秀吉が小田原城を攻め落とし、北条家が滅んで以降は野に降っていったのだ。

そして徳川幕府治世下において、盗賊集団と化していた彼らは奉行に捕らえられ、根絶やしにされたと言われている。

 

その史実がどれほど真で、どれほど偽なのかは置いておこう。

一つ言えることは、彼らの生き残りが今こうして再び武の猛威を振るっているということ。

 

刈羽蝙也がダイナマイトを活用した舞空術“飛空発破”を編み出し、それを教えて身に付けた者たちが今、一緒になって省舎を爆撃しているのだ。

 

 

「出てこぬか?抜刀斎とともに燻られるのがお望みか?ならば続けるまでよ!」

 

 

剣心が陸軍省を訪れたタイミングで蝙也たちが襲撃を掛けたのは単なる偶然だった。

 

そも、彼の任務は陸軍上層部への攻撃ないし威嚇、そして可能ならば上層部の人間を爆殺することである。

 

中央警察たる東京警視本署の武力を大幅に削ることに成功した今、組織の次なる標的は陸軍へと向かった。

それは、不明敵勢力が緋村抜刀斎である可能性が高いことから、その後ろ楯となっているであろう支持母体を潰したいがため。

 

引いては、日本の武力を削るため。

これは、本格的に明治政府を潰しに掛かったとも言える。

 

一派の上層部は、今回の作戦の遂行者に迅速な一撃離脱戦法が可能な者を抜擢した。

一気呵成に目標に近付き、派手な攻撃を仕掛け、そして一目散に撤収する。

 

そこで選ばれたのが蝙也であった。

 

蝙也は横浜での失敗を省み、飛空発破を身に付けた同郷の者たちを引き連れ、作戦に当たったのだ。

京都から中山道を使い下諏訪に至り、そこから甲州街道を通って故郷を経由して東京に参じた。

 

道中は常に飛行していたため、その速度はこの時代において驚異的なものとなった。

そのため工作員は連れておらず、関東における組織の目と耳は未だ回復していない。

 

 

「以前の失態は不用心に敵に近付き過ぎたことが原因だ。こうして常に高空から爆撃すれば、例え人斬り抜刀斎とて恐るるに足らん!」

 

 

剣心を視認した際、流石の蝙也も作戦中止という単語が頭に浮かんだが、それも直ぐに振り払った。

自分の能力を信じ、そして周りにいる仲間を信じて継続を心に決めた。

 

そして今、その判断は正しかったと自認する。

 

 

「さあ、抜刀斎!そのまま焼け死ぬか、省舎の下敷きになるか?!決められぬのなら、この俺が手ずから――ッ?!」

 

 

作戦の成功と、伝説の抜刀斎を屠れる栄誉を確信した蝙也はしかし、直ぐに絶句する事態を目の当たりにした。

 

仲間の一人が腕を爆散させ、血飛沫を上げながら絶叫し、バランスを崩して堕ちていったのだ。

その直後に、微かな銃声が響いた。

 

 

「なッ――なにが?!」

 

 

急な事態に慌て、理解できずにいると、再び惨劇を目にした。

 

一人の仲間の頭頂部が弾け飛び、血と脳漿と欠片となった頭蓋骨を撒き散らしながら堕ちていく。

 

今度は悲鳴を上げることはなく、されどやはり微かな銃声が二度、三度と聞こえた。

 

 

(馬鹿な!馬鹿な馬鹿な馬鹿な馬鹿な!何だこれは?!何なんだ?!)

 

 

眼下に映る者はみな混乱し、慌てふためき、逃げ惑っている。

その姿はまさに烏合の衆であり、例え自分たちを見つけても攻撃してくるなど到底できるわけがない。

 

されど、現に銃撃を受けている。

 

自分たちこそが強者であり、しかも上空という圧倒的に優位な位置にいる。

なのに、刃向かう輩が存在している!銃撃してくる不届き者がいる!

 

 

「おのれッ……おのれ!有象無象は大人しく火に炙られていればいいものを!」

 

 

もはや宿舎だけへの爆撃では済まされない。

目につく人も建家も全て爆撃し、銃撃者を炙り出して殺してやる。

 

そう仲間に指示するが、状況は変わらなかった。

 

脚を撃ち抜かれ、悲鳴を上げて堕ちていく者。

翼を抉られ、揚力を得られずに堕ちていく者。

錐揉みしながら堕ちていく者、一直線に地に堕ちていく者。

 

徐々に、だが確実に数を減らしていく蝙也の仲間たち。

 

必ずではないが、高確率で銃声が響く度に誰かが堕ちていく。

そんな馬鹿げた光景に、言葉を失う蝙也。

 

 

有り得ない、と何度も胸中で呟き歯軋りする。

 

 

自分たちは上空二十メートルという高空にいるのだ。

そこは風が強く、況してや撃たれないために不規則な飛行をしている。

 

それで人という小さな的に当てられるだと?

 

絶対に有り得ない、有ってはならない事態なのだ!

 

 

早く、早く銃撃者を見つけなければ被害が増すばかり。

焦りながら必死に燃え盛る建屋や通りを探していると、ふと視界の隅に何かが反射した光が映った。

 

見ると、それは何かを覗きながら此方を直視している人間だった。

せり上がる屋根の大棟から上半身だけを出し、何かを構えて……銃!

 

見つけた!!

 

 

銃撃者を視認した蝙也は直ぐ様仲間に指示を出す。

二人が正面から突っ込み、一人が奴の頭上から襲撃する。

 

これであの忌まわしい愚か者を屠れる。

そう確信した蝙也だった。

 

 

だが、

 

 

「なッ!」

 

 

二人が正面から突っ込んだ瞬間、その眼下の小道から一つの赤い影が割り込んできた。

 

屋根まで届く驚異的な跳躍力。

加えて、最高到達点に至るまでの速さと、その下で()()()()()()()という洞察力。 

 

其は。

 

 

「抜刀斎!!」

 

 

瞳に焼き付く美しい剣閃。

 

振るわれれば常人には視認も回避も不可能な剣技。

 

飛天御剣流の一閃が、二人の意識を刈り取った。

 

 

眼下で仲間二人がいきなり堕とされた光景を見て、頭上から接近していた一人が急制動を掛け、経路を変更する。

背中を悪寒が駆け巡り、嫌な予感が脳裏を掠めたのだ。

自分が飛び込んだ場所は肉食獣の口の中だったのでは、という予感。

 

その予感は、まったくもって正しかったことを数瞬後に体感した。

 

スコープ越しに銃撃者と目が合った気がした瞬間、銃口が光り、スコープと一緒に銃身が一瞬だけ持ち上がった。

その直後、左肩にとてつもない衝撃を感じた。

見ると左肩が大きく抉られていて、そこから先の腕が無くなっていたのだ。

 

そして、襲いくる激痛。

衝撃的な光景とその痛みからショックで心臓が止まり、結果堕ちていく。

 

 

「ば、かな……」

 

 

呆然と呟く蝙也。

信じられない目の前の光景から逃避したくなる意識は、しかし立て続けに響いた銃声で覚醒する。

後方から、左右から。

 

慌てて振り返り、辺りを見渡すも、もう誰もいなかった。

 

十三人の仲間は既に撃ち落とされていた。

万全を期すべく揃えた戦力は、斯くも呆気なく尽く堕ちていった。

何処の誰とも分からないふざけた輩共によって。

 

 

悪夢だ。

 

 

そんな言葉が口からこぼれた瞬間だった。

 

唐突に、誰かに殴られた衝撃を腹部に感じた。

つと己の腹を見ると、自らの痩せ細った脇腹に風穴が空いているのに気がついた。

 

遅れてやってくる、激痛と銃声。

 

揚力を得るための姿勢が保てず、呆気なく蝙也もまた堕ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「がはッ……、この俺、が……こんな」

 

 

地に堕ち、それでも未だ息のある蝙也を見下ろすは宇治木だ。

 

油断なく、次弾を装填したライフルを構えていた。

 

 

「貴様、ら……いったい……」

 

 

口内から血を吐き出し、腹部からも止めどない血を溢している。

落ちた衝撃で折ったのだろう、両足はあらぬ方向を向いていて、むしろよくまだ生きているものだと思えるレベルだ。

 

 

「……もはや死ぬのも時間の問題だな。最期に何か言い残すことはあるか?」

 

「……、敵に、遺言……など、」

 

「そうか」

 

 

躊躇は無かった。

銃声が響き、蝙也の頭の一部が破裂し、そして絶命した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちろちろと炎が壁部を舐め、一部はその勢いが省舎を越えているほど。

怒号と悲鳴が遠くから聞こえるが、宇治木はそれを聞き眺めるだけ。

 

剣心が先の一撃を見舞った直後に駆けて行ったのもあるが、宇治木はただただ目の前の事態を傍観して、思っていた。

 

 

「……これが、お前の読んだ世界か?」

 

 

剣心が狙われること。

 

陸軍が狙われること。

 

山県有朋が最有力候補であること。

 

ともすれば、抜刀斎もろともに。

 

 

 

相手の思考を、奴は読んだ。

読みきった。

 

そして俺たちという迎撃網を敷いた、しかも必要最小限の戦力で、だ。

残りを更に分散し、繋がりの可能性がある偽人斬り抜刀斎の捕縛、そして観柳捜査のケリを着けに()()の自分を押してまで。

 

 

それどころか、奴は戦後を見据えて対露戦の布石を打ち出した。

 

 

奴は一体どこまで見ている?

敵の思考すら読み、どこまで遠くを見ている?

 

 

貴様は、本当に……

 

 

 

 

例え陸軍省という威厳ある建物といえど所詮は木造建築物。

燃え上がる炎は勢いを増し、鎮火は不可能だと見る者すべてにそう思わせるほどに猛々しくなっていた。

 

 

「宇治木さん。撃ち落とした全員の死体を確認しました」

 

「ご苦労。では、我々も()()()()()行こうか」

 

「「「は!」」」

 

 

 

認めよう。

 

 

貴様は傑物だ、鬼才だ、具眼の士だ。

 

 

 

その瞳は遠く先までを見通し、見えない敵の思考をも読みとく。

 

 

 

ならばそこに、この惨状も映っていたのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

相変わらず、憎々しいな。

 

 

 

貴様の背はそこにあれど、見ている世界には、到底辿り着けそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本当に、憎々しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 











原作噛ませ犬、十本刀の一角を打倒



















たくさんの励ましのお言葉、本当にありがとうございました
心がスッとして、凄く気分が楽になりました


取り敢えず本話で一旦ストップさせていただき、皆様のアドバイス通り時間をもらって少し療養します
投稿再開がいつになるかは分かりませんが、話も壮大に広がっているので、個人的には一気に区切りまで書いてバーンと投稿したいです
ですので、早くに投稿することは出来ないですし、出来るとしても閑話になるでしょう(あるいはifの小話)



それまでどうか皆様、見捨てずに待っててください



あ、あと昨日考えたことで皆様にお聞きしたいことがあります
活動報告に内容を書きましたので、そちらにも目を通してくれると有り難いです



では、また






目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

64話 白猫跋扈 其の拾弐





皆さん、ご無沙汰してます!
恥ずかしながら戻ってきました、畳廿畳です!!

2年ぶりの投稿です
今日よりリハビリを兼ねて、ぼちぼちと投稿を再開していきます

かつて読んでくださっていた読者様におかれましては、大変お待たせしてしまったことをお詫び申し上げます
また、初めて目を通してくださる読者様におかれましては、この前書きはどうか気にせずにスルーしてください(照)


さて、早速で恐縮ですが、本話は書き慣らし(?)というか、自分のペースを戻すために書きたかった内容のため、前話までの雰囲気とか流れとか、そういったものがズレている印象を抱かれるかもしれません
(2年も経っているから、前話までの感覚を引き継ぐのが出来なかったのもありますスミマセン)

とはいえ、話の内容は決してテキトーではありません
読んでもらえると幸いです


では、どうぞ




 

 

 

 

 

 

「貴様の顔を当分見なくて済むと考えると、こんなにも晴れやかな気持ちになれるとはな。見ろ、この澄み渡る晴天。正にうってつけの天気だ」

 

「俺に会う会わないの違いだけで気分がコロコロ変わるたァ相変わらず惰弱な奴だ。精神も鍛えたつもりなんだが、どだいお前じゃあ無理な話だったか」

 

「貴様程度では俺の刃の如き精神を変えることなど出来るハズもなかろうが。そもそも貴様には教えの才も武の才も無いのだ、人にせいにすることこそ惰弱だろうよ」

 

「刃か、どおりでポキポキ折れるわけだ。しかもナマクラときたもんだから持ち手の俺はほとほと使い道に困る。いっそ隊員の荷物持ちと野糞処理の係りになるか、ん?」

 

「……、図に乗るなよ。貴様が今まで上げてきた成果は俺たち、否、俺あってこそだ。その俺が指揮を執っての遠征任務となるのだから、貴様以上の成果を叩き出してやる。そうなればもう貴様はお役御免だ。隊長の座は俺のものとなる」

 

「おお、気張れ気張れ。少しは役に立てることを示さねぇと副長の座から蹴落とすぞ。無能な仲間は敵より厄介なんだ。ま、以前も言ったがお前が死ぬ分にはお前という害が無くなるからな、それはそれで御国の為にもなる」

 

「……ッ~!貴様は精々お上どもに媚びへつらいながら醜態を晒しておくんだな。その過程で誰かの暗殺に巻き込まれてみっともなくくたばるがいい!」

 

「あっははは!野糞が何か囀りよるww」

 

「なんだと貴様ァァア!」

 

「やんのかコラァァア!」

 

 

がッ、ごッ、がッ、と骨に響く殴り合いが勃発する。

 

 

 

 

 

当事者は誰あろう、狩生(おれ)と宇治木だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

三日前、陸軍省の襲撃犯を辛くも撃滅した俺たち白猫隊。

奇跡的に死者が出ることはなかったが、陸軍省は消火が間に合わず全焼。

 

近代陸軍の象徴たる省舎が燃え落ちたのだ。

 

また、死者は出なかったものの多数の負傷者が出たため、付近の診療所は軒並みパンクした。

近場の大きい商家や元武家の床を借りてすらいる程だ。

 

そんな医療最前線には、我らが恵嬢とエルダー女医がいる。

北関東の出征から帰還したエルダー女医はともかく、恵嬢は精神的に不安定になっているのだが、それを承知の上で頭を下げてお願いした経緯がある。

 

確かに彼女には、多くの人の人生を奪ったという重い事実を背負っている。

だが同時に、他者の命を救う術を持っている、というのもまた事実だ。

だから今は過去を見て俯くよりも、前を見て手を伸ばしてほしいと思ったんだ。

持てる術をもって、傷付いた人を助けてほしい。

 

 

「よくやるわね、あの二人は。あんなに血を流してまで、何をムキになる必要があるのかしら」

 

「暴力は最大のこみゅにゅけーしょんと、ある英国商人が言ってたのを思い出したよ。言葉の意味合いはきっと違うのだろうが、あの二人においては当て嵌まってしまう気がする」

 

「なにそれ野蛮」

 

「……鎌足(おまえ)が言うと釈然としないがな、まあいい。覚えておくといい。師と宇治木の関係は、およそ常人には推し量れないものなのだ。余人には理解し得ない、どころか割って入ることも儘ならない。私とてそうだ。苦々しいが、あの二人のあの関係は、あの二人だけにしか理解できないのだ。本当に、羨ましいよ」

 

 

一方で当の陸軍はもちろん、あまねく行政官庁各省は上を下への大騒ぎだ。

前代未聞のテロリズム、被害甚大の襲撃事件なのだから、混乱に至らない方がおかしいというもの。

 

けれど、やはりと言うべきか流石と言うべきか、被害を受けた当の陸軍のトップたる陸軍卿山県有朋をはじめ、内務卿大久保利通、工部卿伊藤博文、大蔵卿大隈重信、大警視川路利良など、維新で名を馳せた猛者達の行動は迅速かつ的確だった。

すぐに関係者を参集させ、此度の対志々雄戦における責任及び指揮権を明確化させたのだ。

 

 

そしてその会合に、俺と緋村さんも呼ばれ、話をさせられた。

 

 

千載一遇のチャンスだったことは言うに及ばないだろう。

日本の国政を担う人たちが一堂に会する席上で、口を開ける機会などまたとないのだ。

この期を逃せばきっと“次”なんてあり得ない。

 

だからミーハーな気持ちなんて欠片も湧き出なかった。

教科書に載る偉人たちを目の当たりにしたとて、感動の気持ちは微かにも生じなかった。

 

このチャンスをモノにしなければ。

そんな思いで会席に臨んだのだ。

 

 

 

宇治木のロングフックをスウェーで躱し、鼻先を拳が掠めていくのを見遣った直後、上体の逸りを利用して爪先蹴りを放つ。

スナップを効かせた蹴足は狙い過たず、宇治木の顎をカチ上げた!

 

口腔内を切ったのか口から血を吹き出し、さりとて直ぐに体勢を立て直す宇治木。

親の仇を見るが如く、剣呑な瞳を湛えて俺を睨みつけてくる。

 

そして、一瞬の停滞の後。

再度宇治木が吶喊してきた。

 

 

 

故に俺は、詳らかに語った。

 

志々雄一派の脅威度。

テロリストという概念と実態。

現有戦力でぶつかることの危険性。

引いては今の明治政府が抱える脆弱性。

それら諸々を考慮した上での明治政府が取るべき選択。

 

そして世界秩序を視野に入れた日本の立ち位置と進むべき険しき道。

等々、都合半日。

 

いささか口にする内容が逸脱したきらいがあるが、おしなべて言いたいことは言えた。

遠慮して言葉を濁して誤解される、或いは意にも介されないぐらいなら当たって砕けろ精神で伝えたいことは全部ぶつけた。

 

結果は───分からん。

 

話を終えたら終始無音の時間が延々と続いたのだ。

 

とてつもなく重く、そして固い空気。

顔面を蒼白にしていた人もいれば、苦虫を噛み潰したような顔をしていた人もいた。

 

一通りの内容は川路大警視にも事前に話していたので、後で出てくる質問には大警視に対応してもらうのがいいか。

そう考えて、一礼してから退室したのだ。

 

 

あぁ、でも。

 

最後の最後、扉に手を掛けた瞬間に一つだけ言われたことがあった。

 

質問でも詰問でもなく、ともすれば俺に掛けられたかすら怪しかったその言葉は、一体誰が言ったのか。

 

 

──げにも不気味な鬼札の考え。近付き理解すべきと分かっていても、灯に集う蛾を思えば、どうして安易に出来ようか──

 

 

 

宇治木の渾身の殴打を頬に受ける。

 

脳が揺れ、視界がぐにゃりと歪んだ。

平衡感覚を失い、地につけている足の感覚が覚束なくなる。

 

が、その状態でも拳は振れる。

よろけた姿勢のまま、腕力だけで強引に拳を振り上げる!

乱暴に振り回した拳は宇治木の顎に直撃し、一瞬だけ奴を宙に浮かした。

 

そこに追撃を掛けるべく拳を繰り出す。

足は地に着いておらず、体勢は伸びきったまま。

そのあまりの無防備さ故、必中と大ダメージを確信するのは当たり前だった。

 

 

 

警視本署主導による討伐隊が壊滅したことを鑑みれば、工作員やモグラはまだ居るだろうし、下手したら通信拠点もまだ残っているかもしれない。

つまり、此度の陸軍省襲撃者を捕縛したことは近いうちに奴等にバレるだろう。

 

そうなれば、どうなる?

確実に消しに来る。が、生半可な戦力をぶつけたところで返り討ちに会う可能性が高い。

そう考えて一等の戦力をぶつけてくるハズだ。

 

危険を考慮して一時様子を見る?有り得ない。

志々雄真実というカリスマ的存在を奉るならず者集団だ。

襲撃失敗という醜態には、それを帳消しにし得る成果を求める。

だからこそ、この機会に“大久保利通を暗殺”しに来る。

 

原作で大久保卿を暗殺しおおせた下手人。

緋村さんを圧倒する剣技の才を見せた青年。

 

感情を欠落させた、最強格の剣士。

 

 

瀬田宗次郎

 

 

 

だが、ダメージを喰らったのは俺が先だった。

意趣返しのつもりか、足のスナップだけで俺の顎をカチ上げたのだ。

 

己の口から吹き出た血の霧を視界に収めた瞬間、即座に状況を理解した。

そして飛びかけた意識を気合いで繋ぎ止めると、ぐんと腰を下ろして体勢を立て直す。

 

思いっきり腰を下ろし、肩幅ほどに足を左右に広げる。

下ろした両腕は敵を迎え入れるかのように横に大きく広げて構え、前を見据える。

すると眼前に同じタイミングで、同じ構えを取る宇治木と目が会った。

 

武術のイロハを教えたのは俺だ。

構えが似通うのは当たり前だが、まさか同じタイミングで同じ動作をするとは。

 

互いに口端から流れる血を意に介さず、不覚にも笑み合ってしまった。

が、それも刹那のこと。

直ぐに拳の応酬が始まった。

 

 

 

だが、瀬田宗次郎がいつ如何なるタイミングで来るかは分からない。

 

大久保卿が史実通りの日に暗殺されるとは限らないから、その日だけを警戒すればいいハズもない。

(つうかそもそもその暗殺日を覚えていないのだが)

つまり此方は辛抱を強いられる長期戦を想定しながら、常にいつでも対処できるように構えていなければならないのだ。

 

なまじ大久保卿が死ぬ最悪の未来を知っている分、現在進行形で相当な神経を磨り減らしている。

元凶を取り除くことは今は出来ず、さりとて護衛のために残る白猫隊を縛り付けるのは得策とは思えない。

 

ならばどうするか。

 

そもそも俺は瀬田宗次郎に勝てるのか?

あの緋村さんにすら一度勝った相手だぞ?

そんな奴を相手に、大御所を守りきれるのか?

 

 

 

ぐしゃり、と互いの頬から嫌な音が響く。

 

頭蓋に木霊して脳髄を揺らす一撃。

視界が明滅し、外界からの音が一瞬遮断される。

 

むろん、お互いそんな些事に気を留めることなどするハズもなく。

直ぐ様もう片方の拳で反対側の頬骨を貫く。

それと同時に同じく自身の反対側の頬に激痛が走り、戻りかけていた視角と聴覚と平衡感覚が再度狂いだした。

 

それでも尚、拳の応酬は続く。

 

止まることなく、留まることなく。

 

口内を占める鉄の味をまだ感じてるってことは、味覚はまだ狂ってないんだなあ、なんて阿呆な考えが頭の片隅を過ったのはご愛嬌だ。

 

 

 

そんな俺が選んだ策が、戦力の二分割だ。

 

普通なら、見えない敵を前にして戦力を分けるなんて愚の骨頂。

戦力をむやみやたらに分けて争いに臨めば、各個撃破されるのがオチだからだ。

 

それは洋の東西を問わないし、時代すら問わない常識である。

 

それでも俺はその愚行を決心した。

 

思考を放棄したわけじゃないし、睡眠は取っているから鈍っているわけでもない(食事は最近摂れていないが)。

しっかりと考えた上での策だ。

 

何故なら、瀬田宗次郎が東京(こちら)に来るということは、当然だが瀬田宗次郎はその時京都(あちら)に居ないということだ。

 

志々雄真実の片腕、十本刀最強の男が京都に居ない。

その瞬間を突けるのは、なにものにも替えがたい好機だと判断したのだ。

 

 

"百識"の方治

 

"盲剣"の宇水

 

"明王"の安慈

 

"刀狩"の張

 

"破軍(甲)"の才槌

 

"破軍(乙)"の不二

 

 

その間に残る十本刀を屠る。

 

六人全員なんて贅沢は言わない。

だが蒼紫たちと京都残留組の庭番(維新時に江戸に赴いた蒼紫達とは別に、京都に残って諜報活動を続けた庭番がいたのだ)に、宇治木ら旧剣客警官隊を合流させれば何人かは刈れるハズだ。

いや、刈ってもらわなければ困る。

 

俺が瀬田宗次郎を迎え撃つから。

 

死に物狂いで、命に代えても大久保卿を守り、瀬田宗次郎を討つ。

護衛で身動きを封じられるのは俺一人にする。

だから宇治木(コイツ)らは身命を賭して働いてもらわなければならないのだ。

 

ここが対志々雄戦の山場と判断したのだから。

 

 

 

腰と軸足の回転を目一杯乗せた極大の一閃。

大気に轟くは拳が奏でたとは思えない炸裂音。

 

そしてその度に頬を貫く激痛が身を襲う。

頭蓋が揺らされ、視界が暗転する。

あまりの一撃に意識が飛んだって可笑しくない。

 

六度か七度か、下手したら二桁に及んでいるかもしれない拳の応酬。

果たしてそれは何秒続いたのか。

 

ふと、どさりと何かが倒れる音が微かに聞こえた。

明滅する視界の隅に、大の字に倒れている宇治木の姿が映った。

 

 

「はあ、はあ……ぐ、ぅぅう」

 

 

肩で息をしながら、苦しげに呻いている。

どうやらまだくたばっていないようだ。

つくづくしぶとい奴だよ、まったく。

 

一息入れて、宇治木の身体を足で小突く。

 

げしげし

 

 

「相変わらず弱っちいな。勝てないまでも苦戦させるぐらいになれよ、さもなきゃどうして十本刀に勝てるっつうんだよ」

 

「ッ、…くそ。どの口が、~ほざくかッ」

 

「こんなん掠り傷レベルだ。それに、お前が当てたんじゃない。俺が敢えて避けなかったんだ。思い上がるな」

 

 

ペッ、と気色の悪い血を口内から吐き捨てる。

片方の鼻の穴を塞ぎ、ふんとかんで鼻血を吹き捨てる。

 

まあ嘘ではない。

躱そうと思えば躱せたのは事実だ。

 

だが、それを言うなら宇治木もそうだ。

躱せ──たかは分からんが、少なくとも攻撃を止めて防御に専念することは出来たハズ。

 

お互いに甘んじて拳を受けていたのだ。

 

 

「鬼畜にも程があるぞ。……ッ、遠征前にしこたまッ、殴りおってからに、~っぅぅ」

 

「お互い様だ。ほら。手ェ貸してやっから、とっとと起き上がれ。そんでもって準備しろ」

 

 

俺の手を掴んだ宇治木を引き起こし、勢いでよろける奴の腰を支えて歩かせる。

 

まあ、なんだ。

俺もコイツも、下手したらこれが今生の別れになるかもしれない。

 

勿論お互い心配なんてするタチじゃないし、そもそも死ぬつもりもさらさら無い。

むしろお互いに死んでくんねぇかな、ぐらいにすら思ってるから。

 

最期になるんだとしても、こんな感じのコミュニケーションのがいいんだ。

 

 

「──くそ、貴様は必ず俺が殺すからな。遠征が終わるまでの余命と覚えておけ。だから──」

 

 

「、ッははは!あぁ、そうだな。俺を殺すのはお前だもんなぁ。だから──」

 

 

 

 

 

 

 

「「勝手に死ぬんじゃねぇぞ、クソ野郎」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

65話 白猫跋扈 其の拾参




前話を投稿した際、多くの方からたくさんの感想をいただきました
本当にありがとうございます
こんな私の復帰を温かく迎え入れてくださったことに、本当に感謝しかありません
これから細々と投稿していきますので、何卒宜しくお願いいたしますm(_ _)m


では、どうぞ








 

 

 

 

 

 

大久保は、志々雄の生存に関して最も苦心惨憺してきた人物だ。

 

今は表沙汰になっていないが、嘗ての維新時に大久保や川路らは、中立の立場にいる人物を志々雄に暗殺させてきた。

新政府に属さない諸藩藩士や旧幕勢力を“反新政府”にまとめるためだ。

 

明確な対立構造を築き、その上で相手を強引に力で捩じ伏せ、自分達の正当性を完全なものとする。

他に挙がる声を完膚無きまでに根絶し、もって政府を唯一のものと喧伝したのだ。

 

故に、志々雄の存在はそれ自体が危ういのだ。

明治政府を根底から覆しかねない、巨大な爆弾なのだ。

 

 

なればこそ、処理をしなければならない。

 

 

善悪を問えば、確実に悪なる所業だ。

 

 

良いように使い、汚れ仕事をさせてきた上、最終的には裏切り、殺して、燃やした。

生きていたと分かったため、再び殺そうとすら画策する。

 

悪逆にして無道、極悪にして非道。

そう形容する他になんと言うべきか。

 

だが、だからといって自責の念に駆られるほど大久保の覚悟は緩くない。

例え悪であれなんであれ、近代日本を作り上げるには必要なことなのだ。

 

その果てに地獄に落ちることになるのなら、寧ろ願ったり叶ったり。

 

 

心を鬼にして、志々雄を殺そう。

 

 

何度でもだ。

 

 

だが

 

 

 

『状況を整理しましょう。当組織は日本全国にモールス信号機を活用した情報網を敷設していて、政界や軍隊、警察に潜ませている多数のモグラと併用して、政府の動向を細かに、かつリアルタイムで把握しています。そして、それをもって多くの人を暗殺してきました』

 

『通信拠点は各府県に最大で10個程、最低で1個。東京、千葉北部、埼玉、山梨、静岡東部、そして神奈川の拠点を粗方見つけ、そして潰しました。北関東及び南東北の拠点から敵工作員が関東に移動している、という情報を重ねると、関東一円の目と耳の機能は停止していると考えていいでしょう』

 

 

 

小規模の討伐を含めれば先の失敗した大規模討伐でかれこれ十と余回。

だが、それらが成功した(ためし)は無く、それどころか陸軍省は襲撃され、要職に就く者たちが不自然な死を迎えることもある。

 

事ここに至れば、否が応でも認めざるを得ない。

志々雄はあまりに強く、殺すことは至難であると。

 

川路大警視が発案した幾つもの暗殺計画は、その尽くが失敗に終わっていた。

片や向こうはいいように此方を攻撃してくる。

 

ならば動員令を出さないまでも、大阪の鎮台から兵力を出すか。

もはや諸外国の目を気にする余裕など無い。

むしろ攻撃を受けても動かない事こそ欧米に弱腰と足元を見られる。

なればこそ、国軍を動かしてでも志々雄を屠らなければならない。

 

その考えは即座に山県卿にぶつけたのだが──

 

彼は渋面をつくるだけだった。

 

 

 

『ですが、相手の守りは尚堅牢でした。大規模討伐が大敗北に終わったのは想定外でした。白状しますと、失敗も敗北も可能性の一つとして想定していました。しかし、それでもある程度の情報と成果は掴めると判断していたのですが、何も掴み得るものが無かったのは明らかな大敗北です。奴等は関東から駆逐されたことに然して動揺していなかった。組織は今もなお磐石でした』

 

『そして先日に起きた陸軍省の襲撃事件。奴等は討伐失敗によって人員を失った警察を無視し、陸軍を攻撃しました。幸い、白猫隊(われわれ)が築いた迎撃網が奏功したため襲撃者の全員を迅速に返り討ちにし、二人を捕虜として捕らえることができました。此方は死者も出ず、軽い火傷と擦過傷の軽傷者が数名のみ。物的損壊については、省舎の全焼という痛ましいものですが、命に比べれば安いものでしょう』

 

『政府省舎を攻撃する、という意味を奴等が理解していないとは思えません。すなわち、奴等は政府に対して宣戦布告したということです。国家を相手に、戦争を始める意思を示したのです。諸外国への警戒を理由に軍を動かさずにいるのはもはや不可能です。国家としてはいかなる攻撃にも応える義務があり、早急に軍を動かして対象を撃破するのは道理なはずです』

 

 

 

極めて不味い状況下にあることは理解してくれた。

ここで軍隊を動かさなければならない理由についても同意してくれた。

 

されど尚、軍事行動の発令は決して認めてくれなかった。

何故かと抱いた疑問に答えたのは、しかし山県ではなかった。

 

川路より紹介された、かつての逆賊の徒。

薩摩が育て上げた、白銀の青年。

 

狩生十徳だった。

 

 

 

『ですが、皆々様も薄々勘づいているとは思いますが、例え陸軍をぶつけても志々雄真実には届きません。否、そもそもぶつけるべき相手がどこにいるかも分からないでしょう。表立っての決起や内乱とは根本から性質が異なる、この異質な形態の争いには、陸軍では対処できません。地下武装組織(テロリスト)との戦いは、従来の反乱鎮圧のような“軍隊の投入、交戦、勝利”という軍事力を背景にした単純なものではありません。寧ろ、それは蛇足と言ってもいい』

 

『敵を見つける、或いは痕跡や証拠を探し出し、相手の詳細を探る諜報活動、すなわち情報戦。敵の根城になっている地域に潜り込むため、当地に住まう人たち──無論、敵の手先も含まれます──に認められる為の人心掌握、すなわち心理戦。奴等の資金源や人材源を突き止め、これを凍結させて組織の行動を止める貿易阻止、すなわち経済戦。他にも宣伝工作や背後関係の洗い出し、敵首魁の人物分析、組織の行動分析等、これらを制した上でなければ当地にいるテロリストを殲滅したところで意味はありません。残った人間が資金を持って再び地下に隠れ、組織を建て直すからです。或いは、また別の人間が似たような事をするからです』

 

『テロ攻撃をすべて阻止することは実質的に不可能です。陸軍省の襲撃を予測できていましたか?仮に誰かに進言されても、事件前にそれを真に受けた自信がありますか?“想定外”の事をすべて“想定内”に収める……言うは易しですが不可能でしょう。何故なら、例えば今この瞬間にも、誰一人として()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と考えている人がいないからです』

 

 

 

このままでいれば、政府は確実に弱体化していくだろう。

そして遠くない将来、志々雄に潰される。

その前後に必ず自分も殺してくる。

 

ならば、どうすればいい?

 

どうすればこの苦境を打開できる?

 

外には決して弱音を漏らさず、態度や表情にすら出さない。

なれど、この窮状を打破できる手が無いかと藁にも縋る思いで常に懸命に考えていた。

 

それこそ寝る間を惜しんで悩み続けた結果、気付けば体重は二桁も削れ、顔もやけに老け込んでしまっていたほどだ。

 

 

故にこそ、川路から紹介された()()には大きな衝撃を受けた。

 

 

淡々と、粛々と語られるその内容に、大久保は頭を叩かれた気分になった。

そして軽い混乱に陥る。

 

事も無げに語る目の前の青年は、自身でその意味を理解しているのか?

否、違う。そうではない。

どうして平然と、その考えを述べることができるのだ?

 

言っている内容は分かる。

上野の討伐や西南の役などの過去の内乱を鑑みれば、なるほどテロリストなる存在との戦争は異質な形態である、という結論は理解できる。

 

 

情報戦──分かる。

 

心理戦──分かる。

 

経済戦──分かる。

 

宣伝工作、人物分析、行動分析──分かる、分かる、分かる。

 

点と点が分かり、結ばれた線が何を示しているか分かってしまう。

 

 

”陸軍省襲撃と同じ魔の手が一般市民に、しかも無差別に向けられる”ことが、あまりにも痛手で、とてつもない急所であることが、嫌でも分かってしまうのだ。

 

 

 

『組織の主要人物(十本刀)を纏めているのは志々雄のカリスマ…求心力と威厳によるものでしょう。他にも、恐らく一時的な契約関係みたいなものもあるでしょうが、それにしたって根本には“志々雄の強さ”に対する畏怖や敬意に類するものがあるハズです。つまり、損得の感情がそもそもない。志々雄の強さが示されている限り裏切りは起こり得ず、志々雄が生きている限り組織は何度でも甦る可能性が高い』

 

『志々雄は二十台後半。元々の化け物染みた剣の腕と明晰な頭脳に、経験が実り始める年頃です。組織の拡充のため弁論術や交渉術を身に付け、カリスマに更なる磨きがかかり始める。組織内に盲信者や狂信者が着実に増え続ける。であれば、組織内では志々雄を神格化したプロパガンダが形成されているハズ。つまり反政府思想を持った者たちの集まりに、()()()()()()()()()()()()()()()()が加わるということ……甦るどころではありませんね、際限なく増え続ける可能性があります』

 

『地下武装組織は閉じられた組織です。競争の無い市場から良い製品が生まれないのと同じように、競争の無い研究環境で良いアイデアは生まれない。想像できますか?人一人が考えた物は、商品であれ料理であれ、武器であれ作戦であれ、限界があります。多方面から多くの知見をぶつけて無駄を淘汰し、形成していく。そうして初めて、何事につけても“良いもの”が出来上がるんです。なのに、彼の組織の在り方はあまりに“理想的”過ぎます。理想的な形に一足飛びで辿り着いているようにすら見える』

 

『我々に感知させない、日本を網羅するほどの徹底した情報網を構築し、適切に運用している。討伐隊を殲滅し得るほどの戦力を独自に確保ないし育成し、彼らを従わせている。広く、深い組織を運営できるほどの資金源を有し、資金ネットワークを確立して現金や武器に変えている。そして、()()()()の誰もが思い付かなかった戦法を考案し、実行した。外部に極秘のシンクタンクがあるのか、それとも一派の頭脳陣が超人的なのか』

 

 

 

 

『明言します。今までとまったく違う戦争の形態を示し、明治政府を追い詰めている志々雄真実は、その組織は、今現在の日本の、明治政府を含めた如何なる組織よりも秀逸です。個々の力もまた強く、彼らが政府の転覆に本気になれば容易く政府は瓦解するでしょう。テロリズムに対する理解を深めなければ──この国の統治機構には、志々雄を首魁とする“王府”が君臨することになります』

 

 

 

 

 

すらすらと、立て板に水のように紡がれる言葉。

示される志々雄と組織の分析結果。

 

繰り返される“分かってしまう”内容に、抱いてしまう感情は二つ。

 

恐怖と、疑念。

 

新たな戦争の形態を知ってしまった事に対する恐怖?

恐ろしい未来が現実になってしまう可能性に対する恐怖?

 

否、だ。

 

もちろんそれらもあるが、げに恐ろしきは、今まで誰一人として“分かっていなかった”事態を、さも当然の如く“分かっている”ように語る目の前の青年に、恐怖していたのだ。

 

幕末以降、世は激動の様相を示している。

この時代は、いわば変革が当たり前なのだ。

 

だが、誰一人として未来を知っての行動はしてしない。

皆が皆、望む未来を夢見て行動していたのだ。

故にこそ、目の前の青年の、確かに未来を知っているような言動と行動に、大きな恐怖を覚えてしまうのだ。

 

何故、本来誰も分からない事態に、斯くも堂々と向き合える?

何故、斯くも堂々と語れる?

何故、その変化に対応できる?

 

弱体化の一途を辿っていた今までとはうって変わり、彼が警察に加わってから状況が鮮明に“分かる”ようになった。

 

今までとは違った戦争の形態が分かった。

志々雄一派の全貌が朧気ながら分かった。

 

今まであまりに無知でいたことが分かった。

今もなお危険な状況にあることが分かった。

 

数々の判明に独力で至り、その全容を訥々と語る目の前の青年は、一体なんなのか。

 

何を見て、何を思っているのか。

 

狩生十徳という男が、どうしても分からなかった。

 

 

 

 

 

その後に語られた、彼の国家観。

 

日本の国家生存戦略。

 

尚語られる恐ろしい話を聞いて、その考えはより強固なものとなっていった。

 

 

 

本当に不気味な鬼札の考え。

 

近付いて理解すべきだと分かっていても、あまりに重い内容。

灯に集う蛾は、一寸でも距離を誤ればその身に火が移り、焼け死んでしまう。

 

 

自分達もそうなってしまうのではないかと、どうしてか考えずにはいられなかった。

 

 

 

 

 

 

 










目次 感想へのリンク しおりを挟む


しおりを挟む

66話 白猫跋扈 其の拾肆





あの、いや違うんです。
みんな聞いて?
サボってたわけじゃないんです。

常に頭のなかには話の流れが出来上がっていたんです。
文字に起こすことも出来るようになってたんです。

ただちょっとタイミングが、ね?
仕事で爆発したりとかね?家庭が出来たりとかね?コロナに関係なくお医者様にお世話になったりとかね?
いろいろあるじゃん。
そんか感じだったんですサーセン。



とまれ、読んで下さいお願いします。どーぞ






 

 

 

 

 

 

宇治木を潰した後は当然他の部下らも相手にした。

どいつもこいつも宇治木と似たり寄ったりの実力だが、連係プレーが確実に上達していたのは素直に嬉しかった。

 

けど流石に全員を一気に相手にするのは面倒だなぁ。

そう思い、一欠片の逡巡もすることなく右の義手を起動。

 

一瞬にして蒸気機関が唸りを上げ、右腕から全身へと伝播する高熱により一気に身体能力が底上げされる。

視界に映る景色、耳に届く音、すべてがスローに感じる世界のなか、臓腑の底から激しい怒りと殺意が込み上げてくる。

 

進んで殺す意思は無いけれど、必死になって手加減をするつもりもない。

だから遺憾なく力を発揮した結果は、推して知るべしだ。

 

 

全員、身体の随所からぷしゅ~と煙を上げ、泡を吹きながら倒れ伏している。

 

 

 

……やり過ぎたとは思わんが、少し大人気なかったかもしれないな。

 

 

 

 

 

 

==========

 

 

 

 

 

この世界は現実だ。

 

 

人間離れした技や体躯をもつ達人、或いは化け物はそれこそ数多くいるが、それでも世の理を越えたご都合主義的な事は起きない……と考え(ねがっ)ている。

 

何が言いたいのかと言うと、つまり金を生み出し続けずに組織など存続できるわけがないということだ。

人間が生きる以上は金が必要であり、その人間の集合体である組織となれば、目的がなんであれ大金が常時必要になる。

 

横浜港での奴等の資金調達方法は、脅迫による搾取だ。

しかも会社相手ではなく、個人からの巻き上げである。

獲物に事欠かない横浜港とはいえ、これはあまりに非効率的で非生産的だ。組織を養うには不十分といえる。

 

無論、巻き上げる対象がバカみたいに多ければ資金調達も無視できない規模になるだろうが、それでもやはり武器調達や諜報活動の拠点とするのがメインだったのだと思う。

 

此度の大規模討伐先となった摂津鉱山もまた、フェイクの可能性が高い。

生き残ったクソ上司曰く、志々雄含め数多の十本刀が姿を見せたとのことだが、あまりに「ここが重要拠点である」と示してる感が強すぎる。

 

志々雄という存在をセンセーショナルに見せつけたい、という意図を感じざるを得ないのだ。

 

実際問題、あすこの寂れた鉱山から採れる鉱物資源で組織を賄えるとも思えないし、ましてや裏ルートから鋼鉄艦を買い付ける(原作では、奴等は国軍が有するハズだった軍艦を金で奪い取ったのだ)ほどの金を得られるとも思えない。

 

 

つまり、本当の資金源は他にある。

 

 

そう考えるのが妥当だ。

そして、潰せれば個々人を討たずとも組織そのものを瓦解させることができるという意味に加えて、なによりその資金源は───俺にとってあまりに()()()()

 

 

 

「お疲れ様だ、師よ。役立たず呼ばわりしていた部下も随分と──何かを悪巧みしてるな?ものすごい悪い笑顔をしてるぞ」

 

「……なんで此処にいんの、外印?」

 

「そりゃあもちろん、今日が宇治木らの出立の日と聞いたからね。師も来ると踏んで見に来たのだが、どうやら正解だったようだ」

 

 

で、実際なにを企んでいたのだ、と小首を傾げながら濡らした手拭いを手渡してくる外印。

それを受け取ると、顔の血をコシコシと拭き、曖昧な表情をする。

 

生憎だが、その事については詳しく話せない。

外印から情報が漏れると疑っているわけではない。

ただ内容が内容なだけに関与する人間を限定しているだけだ。

 

俺の雰囲気を察してくれたのか、外印もまた肩を竦めて追問することはなかった。

 

 

「ま、深くは追求せんがな。では成長の方はどうだったかな?見ていた感じ、良いように動いていたようだが」

 

「阿呆抜かせ。あんな程度の実力じゃあ一人で十本刀を討てるものか。確かに集団連携と狙撃技術は及第点かもしれないが、逆に言えばそれだけだ。一対一の肉弾戦となりゃあ確実に死ぬ。成長が遅くてほとほと呆れるぜ。付き合う身にもなってほしいもんだ」

 

「いつもそう悪し様に言うが、嫌なら捨てればいいだろうに。宇治木らから聞いたぞ。『警服を身に纏った以上は相応の貢献を為せ。為せぬ無能なればここで死ね』なのだろう?」

 

「随分と懐かしい台詞を引っ張り出してきたな……あぁ、確かに言ったぜ?だがアイツらは曲がりなりにも、力を合わせさえすれば戦力になるんだ。今さら捨てれば、今まで掛けてきた労力と時間を無駄にすることになる」

 

 

コンコルド効果、とは思いたくないがな。

 

横浜での死闘を経て、奇しくも隊員の拡充を果たした俺たちだが、だからといって余裕など欠片もない。

 

志々雄討伐隊の壊滅により、本署はもちろん周辺県警の人員がかなり減った。

組織の運営に関して致命的な支障は出てないが、二度目の攻勢は今後計画され得ない。

 

本来なら本署のデスクに身を置き、組織の機能回復に努めるのが先決なのだが、部隊の特異性に加えて人員を割けないという実状のもと、俺たちは変わらず水面下の任務遂行を優先している。

 

そんな俺たちが今さら部隊員を捨てるなど、自分の首を締めるような真似はできないのだ。

 

 

「とかいって~。素直に必要だって言えばいいのに~。ホント捻くれてるんだから」

 

「何を勘違いしてんだ。本気の損得勘定で言ってるんだよ……つうか、なんで鎌足(おまえ)までここにいんの?」

 

「観柳事件以降、ずっと此方からの連絡が一方通行の状態だったじゃない?ようやくじっくんの動向が今日だけ伝わってきたから、久しぶりに顔を見に来たのだけれど」

 

 

ほんと相も変わらず生傷の絶えない顔ね、と呆れる鎌足。

 

うっせ、ほっとけ。

 

 

「別に会いに来るのは構わねぇけど、仕事は大丈夫なのかよ。お嬢たちの様子は?」

 

「大丈夫大丈夫♪冴子ちゃんたちのおかげで薫ちゃんももう立ち直ってきたし、恵ちゃんにしても幸か不幸か慌ただしく医療活動に従事してるから、沈鬱してる暇なんて無いわ。適度に息抜きするように私が目を光らせているし、エルちゃん(エルダー女医)とも普通に話せてるそうよ」

 

「それは重畳。薫嬢につけ恵嬢につけ、色々とセンシティブな問題だからな。引き続き接触を続けてくれ」

 

「うん?せんし……?」

 

 

恵嬢の阿片に関する罪悪感は既に承知している。

だが一方で薫嬢の精神的な負担については、正直認識が甘かった。

 

原作だと苦しんでいる描写なんてなかったし、そもそも初期の作風は薫嬢がお転婆というかじゃじゃ馬というか、とにかくそんな立ち回りをする娘だったと記憶していた。

実際、偽抜刀斎事件以降も彼女の気質は変わっていなかったように思う。

 

だから、信じていた住み込みのご老夫が主犯と分かり、その弟が神谷活心流を騙って殺傷事件を起こしていたことが分かったとしても、事件さえ解決すれば問題ないだろうと考えていた。

多少のショックがあろうとも、数日もすれば回復するだろうと。

 

 

だが現実は違っていた。

 

考えてみれば当然だ。

亡きご尊父が遺した神谷活心流という剣術流派は、今や誰も歯牙にも掛けない流派だ。

そんな流派の再興を、或いは存続を彼女は第一義としてきたのだ。

 

誰もが見向きもしてこなかったからこそ、彼女にとって唯一の寄る辺となっていったと考えても不思議ではない。

故にこそ、その流派を汚され、貶められ、辱しめられ、あまつさえその流派で培ってきた己の武と技が偽物に鎧袖一触にされた。

 

その辛さと悲しみは、いったい如何ほどだろうか。

 

 

なればこそ、原作と現実では些か乖離があるように思える。

 

本来なら偽抜刀斎は本物の抜刀斎(原作主人公)によって討伐される。

緋村さんの圧倒的かつ鮮烈な飛天御剣流の剣技が、薫嬢をピンチから救い出すのだ。

 

だが現実では薫嬢は未だ緋村さんと接触していないし、逆に当分先に会うはずだった由太郎と既に接触して、あまつさえ門下生にすらしている。

 

その辺りが彼女の機微に変化をもたらしているのだろう。

緋村さんではなく、俺(厳密に言えば俺を象った人形だが)なんつう主人公の要素なんて欠片もない奴にピンチを救われれば、そりゃあ心情に雲泥の差があるだろうからな。

 

 

閑話休題

 

 

ともあれ、鎌足にはそんな薫嬢と恵嬢のカウンセラー擬きとして働いてもらっている。

専門的なことは俺が知らないから教えられていないのだが、それでも人は内心を吐露するだけで相当心的負担を軽減することができる。

 

なまじ性同一性障害という辛く苦しいものを背負っている鎌足だ、存外相手の気持ちに寄り添って話を聞くのは上手なのかもしれない。

 

 

「ところで師よ。私は師の指示通り、比留間兄弟の背後関係を洗っているのだが、先だって報告したように進展はないぞ。このまま続けるべきなのか?私としてはいい加減、師の傍に侍りたいのだが…」

 

 

一方で、外印はひとり偽抜刀斎事件を捜査してもらっている。

特に比留間兄弟の背後にいたであろう、志々雄の工作員について調べてもらっているのだ。

 

 

凡そ一年前、比留間兄弟は正体不明の男らから今回の計画を持ち掛けられたらしい。

もともと神谷道場を乗っ取るという漠然とした思惑があったのだ、利害が一致したうえ、少なくない額の金子も貰えたということもあり、彼らの言いなりになっていたとのこと。

 

が、凡そ半年前から男らは姿を見せなくなり、計画の細部を練ることができなくなったという。

結果、業を煮やした兄弟は自分達の力だけで、詳細を煮詰めていない計画を実行に移したのだ。

知能犯という印象が強かった比留間兄だが、実態はあの弟と似たり寄ったりの短気直情型だったということだ。

 

と、捕縛した兄弟の口を割らせてここまで情報を絞ったのはいいものの、それ以降の進捗は良くなかった。

 

俺たちが関東一円の通信拠点を潰し回っていた頃と時期的に重なるため、姿を見せなくなった男らは工作員と見ていいだろう。

だが、当の男らは俺たちが通信拠点ごと始末してしまったか、或いは逃げ延びて運よく難を逃れたのか、ともあれ男らまで辿ることは出来そうにないと判断したのだ。

 

つまるところ捜査の道筋が絶たれた外印は、現在手持ち無沙汰。

だからこその、さっきの提案なのだろう。

 

 

「あの会合で師が言ったことが、お偉方にどう響こうとやることは変わらないのだろう?現実問題、大久保を筆頭に政界の重鎮共は警護しなければならない。だのに先の陸軍省襲撃を撃退した白猫隊は多くを攻勢に割き、東京に残るは師と私と鎌足のみだ」

 

「鎌足は組織との非戦を条件に隊に入れたからな、白猫隊で動けるのは実質俺とお前だけだ」

 

「なればこそ、やはり私は師の近くにいるべきではないか。京都と東京に戦力を分散しているうえ、更に東京で分散するのは如何なものかと思うが」

 

 

外印の危惧は、よく分かる。

 

東京に来る瀬田宗次郎を俺が迎え撃つと同時に、京都にあてがった宇治木ら旧剣客警官隊と蒼紫ら旧御庭番衆で、京都に残る全ての十本刀に逆撃を喰らわす。

これが対志々雄戦における作戦の第一段階の骨子だ。

 

決して勝算が高いわけではないが、なにも博打というわけでもない。

十分に練った計画のもと実行に移しているのだ。

無論、絶対に成功する完璧な策だとは、まぁ言えない。

 

だからこそ、東京に残る俺の戦力を上げようと外印は言ってくれるのだが、さて。

思ったより比留間兄弟の捜査が進展しないようだし、外印と歩調を合わせるべきか…?

 

もともとは俺の人形を使って捜査を続け、東京に残る通信拠点を探ってもらうつもりだったんだが……

 

 

「……そう、だな。うん、これ以上時間を掛けても徒労に終わりそうだな。東京に通信拠点はまず残っていないということで切り上げよう」

 

仮に少数が残っていても、奴等の本拠地である京都及び関連地域で騒動が起これば、東京からの通信は重要度は下がるだろう。

俺はそう判断して外印に作戦変更を告げた。

 

 

「了解した。では直ぐに身辺整理を済ませて師の傍に侍ろう。そうだな、敵がいつどこに来るか分からない以上、常に連携を取れるようにしないといかんからな。行動を共にするのはもちろん、寝食の時や風呂もなるべく一緒の方がいいと思うぞ。距離も出来うる限り近い方が意志疎通もしやすいし、なんなら布団の中では身体をかさnだだだだ─」

 

「調子に乗るな」

 

「ちょっとッ…、なにふしだらなこと言ってんのよ外印(アンタ)!そんなことするんなら話は別よ!私だってアンタから貰った人形で我慢してんのに、それじゃあ話が違うわ!じっくんと身体を重ねてあんなことやこんなことできるんなrだだだ──」

 

「お前も張り合うな」

 

 

バカ二人のこめかみを片手ずつで握り込み、掴み上げる。

かつては義手と生身の腕との間に大きな腕力の差があったのだが、今ではほら、この通り。

機械仕掛けの左腕に負けず劣らずの腕力を右腕にも身に付けられたのだ。

 

 

「鎌足、いま不穏な言葉を発さなかったか?俺の人形を使う?外印との話?なにか密約でも交わしたようだなぁ?」

 

「ッ、ち、違う…わ。いまのは、いだだだ、」

 

「人間は、意外とはんでぃたいぷ、だったのか…いだだだ」

 

 

ぶらんぶらんと眼前で揺れる二人を、自覚できるほどに冷めきった目で見ていると後ろから音がした。

ちらと振り返ると、今まで煙を上げて倒れていた部下らが、各々悪態を吐きながら立ち上がっていた。

 

 

「ッ~、頭がまだくらくらする……くそ、なんか以前も同じことされて同じこと言った記憶があるぞ」

 

「あ~そういえばそうだったか。関東一円遠征の出立日か。あははは。成長遅ェな、お前ら。カタツムリかよ」

 

 

ああん?!と(まなじり)を決して睨んでくる宇治木らに肩を竦める。

ついでに阿呆二人をポイ捨て。ぽいッ

 

 

結果は然して変わっていない。

それは確かだ。

以前も今回も全員フルボッコにしたのだし、今回の宇治木相手だって、別に傷を負わないで済ませることだってできたのだから、やはり結果は同じなんだ。

 

 

 

まぁ、あの時は教育を意識して手加減していたのに対し、今回は餞別の意味でブッ潰す覚悟を持ってやったのだが。

 

それでも全員、急所だけは回避したり反撃を試みたりと、前回見せなかった行動を取っていたのだから、はてさて。

 

 

俺が無意識に手加減したのか、それともコイツらが少しだけ成長したのか。

 

 

 

 

 

 

それから少し休憩した後、痛みに悶えて散々愚痴と呻き声を溢す部下らの尻を蹴っ飛ばして、早々に出発させた。

 

 

 

 

 

 

次に会うのは敵の本拠地、京都だ。

 

 

 

 

 















目次 感想へのリンク しおりを挟む




評価する
※目安 0:10の真逆 5:普通 10:(このサイトで)これ以上素晴らしい作品とは出会えない。
※評価値0,10についてはそれぞれ11個以上は投票できません。
評価する前に
評価する際のガイドライン
に違反していないか確認して下さい。